季語の植物

俳句LIBRARY

平成十五年九月号より、林弥生さんによる随筆「季語の植物」が連載開始されました。

植物に対する愛情溢れる、しみじみとしたエッセイであり、

且つ、季語の理解を深めるために、優れた内容であると思います。

 

z149「季語の植物 7」林弥生04.04 

  黒文字の花 

 「物狂い」というのは辞書によると、何かの原因で正常な判断ができなくなり、時ならぬことに平静さを失うこと云々とある。花狂いなどと聞くこともあるが、さしづめ黒文字に対しての私の気持もそれに近いほど、この木の香が好きである。季語として発見した時は本当にうれしかった。

 伊豆の山々には、この木が多く、出会った時は思いもかけずさまざまなことを思い出した。その用途を知らない頃から小枝を折り、鼻に当て、口中に含み遊んだ日々。自分でも匂いに対しての好き嫌いは、生まれ付きと思い、後には包丁仕事にも影響した。

 黒文字が高級和菓子の楊枝や、茶懐石の添箸として使用され、用途名ではなしに《黒文字》と呼称されるのも品があって好きである。その名は、樹皮に浮かぶ黒斑が由来との説と《しゃもじ》《おめもじ》のような女言葉で、古名の黒木に《もじ》がついたという説とがある。春、葉に先立ち淡い黄色の花をつける。実は球形で黒熟、材には香気があり、楊枝・箸などを製する。辞書の説明に、なるほどと納得しながら私はその香気にさそわれて小枝を束ねて楽しんだ風呂も的はづれでもなかったなと思った。さらに調べてみれば、この葉・枝を蒸留してとる精油は芳香豊かで、香水・石鹸・化粧品などの香りとして役立っている。同属にはタブ・楠・肉桂などがあり、建材・船材・樟脳・防虫防臭薬品・香辛料等に利用されている。

 季語としての黒文字は花であるが、一般の歳時記には見当たらなかった。植物だけの大判写真季語集には収録されていて、その写真は植物写真家のプロによる大変美しいものであった。黒文字は福島県以南から九州まで分布していて、わが家にも数本あり、ただ今、つぼみがふくらみつつある。 

  春の季語 黒文字の花 

 黒文字の花がまだ咲き春深し   後藤比奈夫
 初老のごと黒文字の花淡くあり   遠藤 煌
 卵黄ほぐす朝黒文字の花ざかり   上林 裕

148「季語の植物 6」林弥生04.03 

  オランダカラシについて 

 クレソン―清流に群生する山野草の一種。フランス名でクレソン。日本名―オランダカラシ。アブラナ科であるが季語ではない。中国では初春から全草を日干しにして咳・解熱に煎じて服用する。文献では、ヨーロッパでも全草を消化・解熱・利尿の民間薬として利用されているということだ。

 さて、私の郷里ではティレギと称し、家廻りの清流に大繁殖をし、馴染みの野草なのであって、春先に若菜を摘み取り、さっと湯を通し生醤油でたべる。少し気取って胡麻和え、豆腐和えともなれば、立派な精進料理で、その香気は忘れがたい。

 東京麻布に住み始めた四十年も前のこと、六本木の坂を少し下った明治屋で四・五本の束が百円。現在でも百円前後だから、当時はかなりの高級品だった訳である。それから十年程して九州に転勤になり、熊本の水前寺池の畔の店で、鯉の洗いに添えて出て来たクレソンの一夜漬。その歯ざわりと香気はまさに絶品。魅せられて、その後もわざわざ出掛けて行ったものだ。聞くところによると水前寺池の水量も減ったとのこと。侘びしい話である。

 食生活ジャーナリストの道村美恵子さんはニューヨーク住まいだが、日本野菜が恋しくなると、すき焼の春菊代わりにクレソンを山のように買い、中華街で仕込んだ智恵でニンニクとイギリス名ウオータークレスなるクレソンを油妙めして、オイスターソースで頂く簡単料理を覚えて、こたえられなくなったそうだ。

 わが国のクレソンは明治初年に高級洋野菜として輸入されたが、調理室の残滓と共に捨てられたものが繁殖したと言う経歴の主。

 中国名ドウビカンツアイ。学名ナスタチューム・オフェチナーリス。ナスタチユームはラテン語で、その刺激性で「鼻がねじれる」の意。オフェチナーリスは「薬効」の意でもともと薬草だった。

 類例の季語から・・・草の花一万句より 

春の水 菜を洗ふそれも暮らしや春の水    赤松子
 々  くぬぎ山より春の水見えにけり    あけ島
野遊び 野遊びのついにひとりとなりにけり   孤若
摘 草 摘草に来て川筋を見ていたる     艸一路

147「季語の植物 5」林弥生04.02 

  楮のはなし 

 楮は三椏・雁皮などと一緒に非常に良質な和紙の原材料である。同属の梶と共に何がしかの思い出もあり、それぞれに忘れがたい。かって住んだ寒山村に雪が舞い始める十一月の終り頃に、楮買いの触れが来た。西日本の山地に自生した楮は、繊維作物として栽培が始まり、その繊維を主原料とした紙には杉原紙・森下紙・西の内紙・奉書などの品種も多い。写経用・障子紙・傘紙などにも広く用いられてきたが、機械化、パルプなどの普及で衰退し、山奥などで細々と漉き続けられた。

 家内工業であった頃の楮は大釜を立て、その上に蒸桶(むしこが)という大桶を被せて、焚火でどんどん蒸す。蒸し上がった楮を取り出し、一番上の皮を剥いで清水に晒す。寒中のこの工程を経た製品は腐ったり、虫がついたりしないのである。最近は品質の良さが見直されて、少しづつ復活し工芸和紙などに漉かれている。近頃、わが家の近くの山中に、相性の良い水を得て、こつこつと一人で紙漉きを始めた人がいると聞き、一度は会って見たいと考えている。

 千家流茶道では葉蓋手前という作法があり、七夕の日の水指の蓋に梶の薬を使う。近年、梶の葉が入手困難で桑の葉などで代用するが、もともとは、その葉に歌を書き星に手向けたとの謂われから、古人の紙や、すずしへの思いが察せられる。鎌倉の梶原には梶の原木が大切に保存されていると聞く。何がなし、無関係ではなさそうである。

 さて、私の六歳の頃の行脚は母への墓参であった。その墓地への道すがら、蒸桶のある人きな家の女の人から声を掛けられ、不憫がられた記憶がある。勿論、年齢も名前も判らないが、生きてあれば百才の老婆かとも思う。楮はその人と共に私の心に住んでいる。 

《冬の季語》楮伐る・楮蒸す・紙漉
《秋の季語》梶の葉
 

 やや青く楮さらしを水通る      加藤楸邨
 紙漉きのこの婆死ねば一人減る    大野林火
 紙を漉く灯のちらばりて村をなす   森田 峠
 梶の葉の文字端々とかかれけり   橋本多佳子

z146「季語の植物 4」林弥生04.01

  野老の鬚

 俳優の渡辺文雄さんがある時、野老についてのエッセーを書かれた。それは越後の山村で、まことに不思議な食べ物に出合ったことから始まって、それが野老というものであると知ったというお話である。

「その形は山の自然薯と同属で、太さは親指より気持ち太め。毛相がもしゃもしゃと生えて、不細工で不器量なチビ芋であった。おまけに掘るに手を焼き、茹でるに手間どる。なかなか難物であるが、何故か、お年寄はこの芋が好きで、〈苦いですよお、不味いですよお〉と言いながら、それでも、囲炉裏の大薬缶から熱いお茶を注いでくれる。つられてつい野老を口中にすると、これがまあ〈かすかに甘い〉と思ったとたんに〈苦い〉と顔をしかめ、しかも、その苦味は強くなるばかりで、たまらず手元のお茶を含む。ところがこのお茶が異常に旨い。囲炉裏に火が燃え、お茶があり仲間がいる。野老を噛み、茶を旨く呑む雪国の古老達の知恵。そんな冬の夜に私もはまる」と渡辺さん。

 からからと乾いた野老の実を、鼻柱にくっつけてその高さを競い合った子供の頃。野老は今、真黄色に黄葉し郷愁をそそる。野老という呼び名も紙面を飛びだすマタギのようで好奇心からつい万葉植物事典を引く。すると、同事典全一七五種の一種として「ところづら」としてあるではないか。万葉表記で冬薯蕷葛。巻七、巻九に「長く、いつまでも」とか「尋(と)の行き」の枕詞などに使われる。

 野老は、古くから山野に多く自生し、食用としても利用したと出雲風土記などに見られるという。芭蕉にも野老掘りの句碑が伊勢の神宮寺(この寺は聖武天皇の勅願寺で、芭蕉が訪れた元禄元年には荒廃した山寺であったという)にある。

  この山のかなしさ告げよ野老掘 芭蕉

 冬の初めに掘り取る野老は、長いひげ根を、長寿の老人の鬚とみなし、海の海老に対し、山の野老として、新年の蓬莱台に飾る縁起物なのである。 

 冬  野老掘り山々は丈あらそはず   飯田龍太
 冬  昼月の峠にをりぬ野老掘    大峰あきら
 新年 山の日に乾きし野老飾りけり   鈴木薊子

z144「季語の植物 3」03.11林弥生

 *野菊のいろいろ

 虹ケ浜という野菊がある。山口県周防光市虹ケ浜周辺に咲く独特の種類である。虹ケ浜は郷土では美しい景観の一つとさている。それにしても虹ケ浜菊とは何と佳い名称だろう。

 野菊にはいろいろの種類がある。西伊豆などを旅すると、小花が「花かんざし」のような磯菊が群生して崖を染めているのを見ることがある。先日、何気なくラジオのスイッチを入れると「今日の花」という番組の放送中で、白山(しらやま)菊が紹介された。歳時記では馴染でもつい白山(はくさん)と読んでしまい、何か高山植物かと思い違いをされる。丈一メートル。一・二センチの小花が、晩夏から三ケ月くらい咲き続け、折取れば菊に似た香気がする。若芽は食用になる、花言葉は「丈夫」とか。この日、日光に初霜・初雪がありとのおまけつきニュースであった。野菊と言っても浜菊は茶席にもふさわしく、鉢物を町中の店頭で見かけることもあるが、その銀色めいた葉も一役買っているのであろう。

 一般に野路菊というは、改良種の原種で特定の品種ではなく、中国大陸原産で奈良時代に渡来し江戸期に入ってから、幾度も改良が重ねられて、かのみごとな大輪菊ともなったのである。品種の系統は雑多で皇室の紋章から貴族の裏菊、菊水から乱菊までさまざまである。現在栽培種は数千種に及ぶというから驚く。

 道の辺の楚々とした薄むらさきは一輪よし、群咲きよし、何故か心がさわぎ物哀しくさせられる。むらさき好みの日本人向きで、その香もまたしかりである。はるばると海を越えて私達の身近な花として咲いているのは愛おしい。さて薬草としてはわづかに民間薬として、婦人の血の道に花を煎じて服用するのみである。むしろ食用としての紹介の方が主流である。若芽は誰もが知っている嫁菜、摘み草としてはその代表格、浸し物・菜飯などなど。 

 春 七種に更に嫁菜を加へけり   高浜虚子

   懐石に萌黄色なる嫁菜和    高垣菊枝 

 秋 頂上や殊に野菊の吹かれ居り   原石鼎

  かかる日のまた巡り来て野菊晴  富安風生

143「季語の植物 2」林弥生03.10

 錦木ととげ抜き

 子供の頃、小魚のとげなどが喉にささると庭先の錦木の枝にできる翼状のコルクのようなものを取りに走らされ、それをくだいたものを呑まされた。片言の頃からニシキギと覚え今にしても、とげ=喉の因果関係を忘れない。

 錦木=紅葉美しく観賞用。その名の如く見事で真弓の変種だとされる。材は細工に用い、所の風習では、男が女に逢いたい時、彼女の門に立てるなど粋な言い伝えもある。又、錦木散と称し、枝を煎じて飲めば、能く心痛の甚しきを「いやす薬」などと紹介され、枝の翼を黒焼にして飯粒で練り患部に貼るなど、とげ抜き法も書かれている。とするとのどのとげ抜きは納得の行かない話で、子供心に信じたわけではなかった。いつどのようにして伝わったのか不思議な話ではある。巣鴨のとげ抜き地蔵のとげは心のとげだと言い、心のささくれはとげとげしいなどという。とげにもいろいろ。ともあれ錦木紅葉は美しい。

 赤と縁が混じり合った色はあまり他に類を見ない。日本全土に自生。朝鮮・中国にも分布。古書「用薬須知」などにも紹介されている薬木。俳句では単に錦木といえば秋の季語。花は夏。夏の小花にも目を止めたいものである。

 錦木や寄りそひ立てば我ゆかし 虚子

 袖ふれて錦木紅葉こぼれけり  風生

142「季語の植物 1」林 弥生03.09

  千振と苦味

 熱海峠の松虫草の可憐さにふっと足を止めてかがみこむ。このあたりの松虫草にはアルプス周辺の高原に見るたくましさはない。ましてやこのスカイラインの道筋は無惨に草刈機が入り犠牲になった松虫草も言いわけほどに咲いている。でもなんとなんとその脇に白い花をつけて千振が立っているではないか。それもほんの数本。懐かしさに胸がふるえた。

 郷里に秋吉台カルスト高原を持つ私の世代の者は戦時中、校を挙げてこの高原に千振採りをさせられた。全校小学生の採集した千振は一校トラック一台にもなり、それは陸軍の何とか部隊とやらへ運ばれていったのである。それは近隣の小学校すべてであったのだからその量は押して知るべしであろう。

 千回振り出してもまだ苦いという千振は二年草で意外に土地に好き嫌いがあり、何処にでもあるというのではない。全草を「当薬」といい、わが国固有の民間薬だそうだ。この草を薬にしているのはインドとチベット・日本だけだという。古書「本草弁疑」には「味苦く諸虫を殺し、腹痛を止める」と薬効が記されているとのことである。ヒマラヤ山中に野生する草の根茎で、万病に効く胡黄連という草があり、ネパールやチベットではからだを暖める薬とも伝えられ、日本にも奈良時代に輸入されて正倉院にも保存されているという。此の胡黄連の代用品として千振を用い、味はたぶん苦味であろうと案内書にはある。

 料理に「苦みも味のうち」という言葉がある。けっこう苦味成分を持った山野草などは、酒の肴にはうってつけで、苦味を抜き切った素材は美味しくない。又、三才位までにこの味覚の味質を経験しないと、味覚音痴になり、好き嫌いが激しくなるという。千振は純国産だそうだが秋吉台の千振は根絶に近いとのこと。まさか陸軍で飲みつくしたわけではないだろう。俳句では秋の季語=千振引く、又は薬掘る。

 千振採山上に小雨降つて来て(歳時記より 藤波銀影句)

 

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