カミさんのガンとの戦い、そして・・・・・

3月20日(木) 「事の始まり」

花粉症の季節も終わりを告げようとするこの時期に、カミさんが生まれて初めて花粉症の症状に悩まされる。山登りをする訳でも無く、森の散策を好む訳でも無いのだが、現代社会で生きていくには仕方の無い病気なのであろう。この日は僕自信も肺炎気味の風邪が酷くなってきてたので(前日に来院)はるかと布団に包まっていたのだが、カミさんは僕らを置いて一人掛かりつけの蓮沼病院へ行ってきた。

検査も普通に終わり(検査結果は後日)、ついでに「最近背中がピリっと痛くなることがある」と先生に言ったところ「背中?ちょっときになるならレントゲンでも撮って見る?」と言われそのまま撮影。写真をみた先生は「胸にちょっと影があるように見えるから、近くにあるXX病院へ行ってCT撮ってきたら」ということになる。カミさんは幼少の頃、その当時ではまだ希だった「食道閉鎖」手術を行っており、その手術による「癒着」かも知れないかも、という話しも出てたが、結婚以来一度も検診へ行ってないこともあり、「じゃあ、行ってきます」となる。まさか、この時の「ついでに」で撮ったレントゲンが・・・・。

CTスキャンも滞りなく終わり後は結果待ち。この頃の「待つ」ってそんなに難しく考えてなかったんだけどなあ。

この頃からカミさんは知り合いのお医者さん夫婦(前にはるかが通ってた学校であっという間に親友になったYさん、旦那様は慈恵医大の先生です)。

4月04日(金) 「CT」

先日撮影したCTスキャンでも影が確認できたので、蓮沼先生から「大きな病院へ行ってもうちょっと詳しく検査してもらいなさい」と言うことで、はるかがいつもお世話になっている「国立病院東京医療センター」へ。この日は夕方から両親が建てている家の地鎮祭があるため、検査結果によっては若干遅れることも懸念されたが、予想に反し外来は待たされた時間の方が長く診察は一瞬。何と先日撮ったCTスキャンの映像がこの病院に送られていなかったため、それをXX病院に取りに行くだけに終わった・・・。こんな近所の病院でもあまり連携っていうのが無いみたい。なんか重大な病気だったらどうするんだろう、などと不愉快になったが「午後の診察は無いので来週外来できてください」と言われたので、あまり深刻でも無いなあ、と気が楽になる。まだこの頃はそれほど心配してなかったんだけど・・・・。

会社で毎日お昼ご飯をいっしょに食べる先輩のSさんに話しをしてみると「胸に影ってちょっと良くないんじゃない?」と言われ楽観してた気持ちが又してもブルーゾーンへ。しかし、カミさんは咳を頻発する訳でも無く、血痰が出る訳でも無く、更には息切れ、首回りの腫れ(最近は若干太り気味ではあったが)など、肺ガン患者に見られる症状も無い。タバコも吸わない(僕は吸うが、家の中ではしっかりガス台の上で換気扇をMAXにして吸っている)。肺ガンなんか年寄りがなるガンじゃない?なんで?なんで?見間違いだよね!

4月7日(月) 「不安」

カミさんが一人で医療センターへ。今度はしっかりとCTスキャンの写真を持っての外来であるが、カミさんからの電話はちょっとショッキング。更なる検査が必要とのことでカミさんもちょっと不安そう。僕も十分不安になってきたのだが取りあえず受けれる検査は受けた方が良い、と早急に気管支鏡検査を受けるように先生に頼めと言っておく。

今日はカミさんの38回目の誕生日なのに、なんでこんな事になってきたのか、頭の中はかなり混乱状態。得てして悪い方へ悪い方へと考えてしまうのは素人だから、と釣り仲間で開業医の朝日先生にメールで相談してみる。先生いわく「肺ガンは50台から60台の比率が高く30台では非常に希。確率的には結核という可能性も捨て切れない」とのこと。勿論、幼少の頃に癒着の可能性も低いながらある、というので検査結果を待つ以外には無い・・・・。又しても待つのである。
 

4月11日(金) 「細胞検査」

本日ははるかの幼稚園の入園式。ある意味彼の社会人の第一歩のめでたい日なのだが、先日言われた気管支鏡の検査は何故か毎週金曜日のみ行われる、ということで、カミさんには「入園式も大事だが、君の身体の方がもっと大事。」と検査日をこの日にした。僕とはるかはカミさんを東京医療センターへ送り届け、車を病院に置いたままバスで幼稚園へ。

入園式が終わりその足で病院へ戻ると呼吸科の検査室前でカミさんのおかあさんが待ってた。もう2時間以上も中に入っているけど、未だに出てこない、と心配そう。でも、麻酔とかが使うから検査が終わっててもベッドで休んでるでは?ともうしばらく待つことに。

声帯をグリグリされたせいが、カミさんの声がかすれてる。あまり咳も出るしあまり具合が良く無さそうなので、お昼ご飯は家で取ることにしカミさんはそのままベッドへ。痛みにはかなり強いカミさんがこれほどになるのは、気管支鏡検査ってかなり辛いんだなあ・・・・、と思いながらも「検査結果が出るまではじたばたしても仕方ない」とあまり気にしないように心がける。

4月21日(月) 「そして宣告」

苦しかった気管支鏡検査から2週間弱。ようやくその検査結果がでるこの日、カミさんと東京医療センターへ。僕自信、今回の一連の検査・診察で始めてカミさんと病院へ訪れたのだが、まさかこんな結果になろうとは。

担当の加藤先生。カミさんは「どうも会話の波長が合わない」と常日頃言ってた先生だが、初めて会ってなんとなくその意味が判る。僕もカミさんも思ったことをズバっと言うタイプなので、当然相手にもそれを求める。

先日の検査で採取した細胞の鑑定結果。「これは腺ガンです」

あまりのショックに頭が真っ白になった僕。そして気丈に振る舞ってたカミさんの涙。いくつかの可能性があったための検査とは言え、まさかその中で一番最悪の結果を宣告されるとは。この日のために結核と肺ガンに関する資料はそこそこ読んできた。でも、こんな時っていかに「にわか勉強」が無意味かが思い知らされる。先生に聞けたのは「進行具合」。

不幸中の幸いと言って良いのか判らないが、癌の段階は「T期」とのこと。通常肺ガンの場合には病状が出ることが少なく、気が付いた時はU期以降のケースが多く、その場合外科的療法は難しい、というのは覚えてたのだが、T期で見つかる場合(希ではあるが)は外科的に処置することが可能、かつ有効であることが告げられカミさんも僕も迷い無く決める。後はセカンドオピニオンを受ける為に築地にある国立ガンセンターへの紹介状を依頼。

一旦決まったら目標が出来る。結果は最悪なれど、なんだか判らないで待ち続けるよりは目標に向かって突き進むことが出来る方がカミさんにも良いはず。そう信じるしか無い。カミさんを病院に待たしている間に、家に忘れてきた保険証を取りに一人車で帰宅するが、その途中で涙が止らない。運転もままならないが、自宅で待機してたカミさんのおかあさんに連絡を入れ、僕の実家にも連絡。家に着く頃には平常心に戻り遅い朝ご飯を食べているはるかを横目に電話で国立ガンセンターの予約を取りつけ、再びカミさんの待つ病院へ急行。僕が一人になった時にこんな状態なら、当の本人はもっと辛かったであろうが、病院に到着した時は元のカミさんに戻っててくれて本当に助かった。早速渋滞が多い駒沢通り経由で築地へ。

初めて来るガンセンター。思ったより患者さんの数が多く駐車場なんかメチャクチャ待ってる。一人にはしたくなかったが仕方が無いのでカミさんを受け付けに置いて、駐車場探し。ちょっと離れた東銀座地下駐車場へ停めカミさんに合流するが、呼吸器科の先生は午後からの外来だそうなので、最上階へ行ってお昼ご飯。無理に食べていたのか判らないが、カミさんの食欲は普通にあり、二人でカレーを平らげた。こんな時は自分がしっかりしたきゃいけないのに、なんかカミさんに「元気」を貰ってるみたい。

1時の予約を1時間程度過ぎてようやく名前が呼ばれた。東京医療センターの加藤先生より若そうな鈴木先生。でも、不安なんか微塵も感じさせなかったなあ。言葉にも自信が溢れてるし、ずば、ズバって言ってくれる。その場では言わなかったけどカミさんも同じ気持ちで先生の言葉を聞いてんだと思う。「T期の肺ガンです。でも、この状態なら切除すれば大丈夫です。転移率は0.5%。転移検査をしなくても良いくらいの状態です。うちのCTで再度詳しく検査をしますが、恐らく所見は変わらないでしょう。今日中に血液検査、レントゲン、肺検査など、手術前にする検査の5割くらいをやってしまいましょう。火曜日にCT撮って、予定では5月の連休明けくらいに手術できるかな?」とあっという間にスケジュールが組まれる。

そして木曜日に再度外来。結果は良くなかったがはっきりした事はプラス。頑張らねば。先生は手術までは普通通りの生活をしてくださいとの事。体力を付けてなきゃね。

僕ら素人にはお医者さんの善し悪しなんて判るわけもない。後は息が合うか。どれだけ情報交換できるか。僕らは決めた。この病院でお世話になろうと。そして終わった人生で一番長く辛かった1日が。

4月22日(火) 「再診」

僕は仕事。カミさんはガンセンターへCTを取りに。前回はなかったが今回は造影剤を入れて(僕がCT撮ったときも造影剤入れたのに、何で最初の病院では使わなかったのかねえ・・・。不思議)の撮影。輪切りも前回より薄く撮るらしい。結果は木曜日。

カミさんは身内以外には行状を伝えずに静かにしていることを選ばず、「たいしたことはないんだけどさ!」ってな感じでみんなから元気を貰うことを選んだ。良いことだ。末期ガンならともかく、適切な手術をすれば治るんだもんね。そうだ!頑張ろう!

4月24日(木) 「再度、宣告」

午前中はガンセンターの鈴木先生に頼まれてた細胞のサンプルを東京医療センターへ取りに行く。これも最終的に判断する材料のひとつとの事。ちょっと恵比寿に車を停め、今回はカミさんといっしょに地下鉄で築地へ。場外市場を回りながらラーメン井上でお昼ご飯。あまり美味しくないね。っていうか、あの味の素の量って大丈夫!?

そして診察。まずはCTの検査結果。所見変わらず肺ガンのT期。大きさは26mm。たしか30mm前後が境目になるような文献を読んだ記憶があったが、案の定「ちょっと微妙な大きさです。そのまま切るか。それとも抗がん剤でガン細胞を弱めてから切るか、悩ましい。」とのこと。更に当初予定してた5月6日入院の7日手術が若干ずれ込むらいい。なんでも50人くらい手術を待っている患者さんがいるそうで、なかなか担当医レベルで手術日を決めることは困難だとか。ちょっと「?」が点灯するが、考え方を変えれば、それほど緊急を要しない状態であるということで気持ちはすぐに切り替わった。また、転移している可能性を見定めるための検査でも他の場所には見つからなかったので、前回からはかなりグッド。

肺ガンは他からガン細胞が飛んでくる場合が多く、その多数が甲状腺かららしいのだが検査でも診察でもその兆候が見られなかった。CTで見る限り脳への障害も見つからず、ほぼ全容が出揃う。後は開けてみてどうなっているか。リンパ節への影響、幼少の頃に受けた手術の癒着の度合い(これは、肺を風船に例え、接着剤を風船に付けて、それを紙に張りつけた状態が現在のカミさんの状況。これを風船を割らないように丁寧に剥がしていくことが手術の第一段階らしい。その後に必要な部分の切除)によって、手術に掛かる時間の平均(5・6時間)がどの程度伸びるかどうか。

カミさんは知り合いの慈恵医大の先生奥様に、僕は釣り仲間の朝日先生に、現在の状況を説明し、色々とアドバイスなんぞを受ける。

肺ガンの手術自体はそれほど難しい手術では無く、ある意味マニュアル化されているくらいの一般的外科手術。設備もどの大規模な病院でもあまり変わりが無い事。初診(この場合、国立ガンセンター)から手術まではよっぽど切迫している状態を除き、通常1・2ヶ月程度。特に大学病院などは遅れ気味になること。重要なのは麻酔技術と状況判断技術らしいが、前者の場合国立ガンセンターには何の問題も無い事。後者の場合もガン専門の病院であるがゆえに数をこなし術例も豊富である点などから何の問題もないこと。そして一番重要なことは患者(うちのカミさん)と担当医との信頼関係が築けているか。これらを全て考慮すると僕らが決めた道で正しい、と判断できる(と信じている)。

夕方、一番最初にお世話になった近所の蓮村先生へ、今までの報告を兼ねてお邪魔する。なんと言っても普通ならば見過ごしても仕方が無いくらい(カミさんも花粉症が酷かったので、その診察の”ついで”に背中の痛みを聞いただけ)の症状で(実際にその痛みが今回の肺ガンに関係あったかどうかはかなり疑問)、半ば強引にレントゲンを撮ってくれた先生。更にすぐにCTの予約を入れてくれ、東京医療センターに紹介状を書いてくれた。不幸中の幸いにも早期のガンで見つかったのは他ならぬ蓮村先生のお陰である。いくら感謝してもし足りないよ!

最後に、アガリクスが効くから試して損は無いわよ、とアドバイスされた。様々な便乗商品も出てるアガリクス。ちょっと調べないとなあ。気休めかも知れないけど、今は病気に少しでも良い、と言われるものなら何でも試したい心境。勿論、担当の先生に相談してからだけど・・・。

病院からの帰り道、「家に居ても変なことばっかり考えちゃうから、どっか南の島にでも行こうか?」って聞いたら泣きながら怒られた。最後みたいだから・・・・。そんなつもりじゃあなかったんだけど、カミさんにしてみれば、とにかく普通通りにしちて欲しい。物を買ったり、食べたい物を食べたらり、南の島に行ったり。先が無いから好きなことをさせてくれるみたいだから嫌だ。そうか。あまり気にしないで、普段の生活を繰り返しているだけで良いんだ。それよりも、手術をして元気になったら家族でハワイに行く、という目標を持った方が良いんだね。ごめんね。

4月26日(土) 「家族との一時」

ゴールデンウィークが始まったけど、もともと休みが飛び石だったこともあり予定無し。でも天気も良さそうだし、ということで横浜へ。人気という赤レンガ倉庫へ行ってみたけど、別に面白いものも無く、特に子供連れには何の興味を引くお店も無い。なんでこんなところが人気なのか・・・。その後遊園地。最近のゲームセンターって結構面白い機械があるんですね。センサー感知型ゲーム?ボクシングのがふたつくらいあったんだけど、両方ともそれ。向こうが打ってきたらちゃんと下とか左右に身体を避けないとヒットされてしまう。これが結構きついらしく、カミさんは「大丈夫?」というくらい頑張ってました。消費カロリーなんかもでちゃったりして。でも、こんなに激しい運動をしても息切れしてなかったし、本当に肺ガンなの?と又しても疑問符。咳も全然でないし(たまに出ると「大丈夫?」って聞くけど、「ちょっと冷たい水でむせた」とかそんな程度。食欲も旺盛だし、こんな元気なカミさんを見てると病気であることすら忘れてしまう・・・・。

はるかは大道芸人の芸に熱中。大人が見ててもそこそこ楽しめた。

カミさんのお母さんが、先日蓮沼先生に言われた「アガリクス」を早速薬局で買ってきたらしい。取りあえず1日に先生に聞いてから飲む、という事を伝えた。

4月27日(日) 「何事もなかったかの如く」

今日は本当は神津島の光漁丸で釣りだったんだけど、カミさんを一人にしておくのも気が引けたのでパス。結果的には当たりありも船中ゼロ。柴田君は今年初めから14連敗。無理して行って何も釣れなかったじゃあ「何で行ったの?」ということにもなり兼ねなかったので、結果オーライ(他のメンバーには悪かったけど)。その分、家族で公園へ行ったり(世田谷公園ではこの連休中、毎日フリーマーケットが開催されてるので、カミさんもそれなりに楽しんでたみたいです)して、辛い事は忘れる作戦。

夕方、柴田君から電話があり「何も釣れなかったけどお土産に赤イカもってきたので」との連絡。沼津から渋滞25kmを2時間以上かけて来てくれました。何でも、今日の釣りで船とイケスの間に足を挟まれて大変なことになってしまったらしい。以前僕も船と船の間に手を挟まれて死ぬ思いをしたけど、ちゃんとレントゲンを撮ってお医者さんに看てもらった方がいいですね。赤イカは6杯あって、そのうち3杯頂きました。うわさ通りかなり大型ですので、数日寝かしてから食べた方が良いかも。更に、光r漁丸の船長さんから預かってきた、とカミさんの「お見舞い」を頂きました。まだ船長にお世話になり始めてから1年くらいしか経ってないのに、本当に気を遣って頂いて、感謝感激です。これで、カミさんが晴れて全快になったおりには、神津島での泊まり釣行も可能になりましたね。ありがとうございました。

ここ数日は病気のことが話題に上ることもあまり無く、カミさんも僕もごく普通の生活ができてます。やっぱり病院へ行く、というのは色々な意味で精神的に辛い部分ってあると思うんだけど、絶対治る、という気持ちが日増しに強くなってきたから、良い方向に行ってます。なかなか自分達だけで乗り切ろう、というのも難しいし周りの人達の協力や励ましなんかが本当に大事なんだな、と思う今日このごろ。明後日のお休みには先輩家族といっしょに、またしても横浜へ行くことになってます。

5月1日(木) 「今後の方針」

そして今日は先生と最終的な会談。前回の話しでは腫瘍の大きさが微妙なため、もしかしたら放射線治療も視野に入れる、との事だったが院内でのディスカッション(担当医、照射線担当医など)の結果今回は無し。当初の手術の予定から若干遅れる可能性も示唆されていたが、なんと連休明けの翌週に決まりそう。9日の日に病院から入院してください、との連絡が来る(はず)。そして週明けの12日に入院し、手術が14日。全て順調に終われば翌週の21日前後にはめでたく退院の予定だそうで、カミさんからも安堵の様子が伺える。最後にいくつか先生に質問。

@幼少の頃にした手術による癒着で、本来の手術とどれほど違うのか?

   これには「開けてみないと判らないが」という前置きがありながらも、それほど問題になる事は想定してないようで、多くても本来の手術の1.5倍(3時間なら4時間半)程度で済むであろう、との事。肺ガンの外科手術はある程度ネットで勉強したので、おおよその運びは判った居るのだが、やはり「余分」な心配も取り除いておきたい、との観点から、先生の答えは許容範囲。ちなみに、曽我ひとみさんが先日行った肺ガンの手術も同じ病院で行われたそうだが、腫瘍の大きさが11mmと小さかったこともあるが手術自体は3時間程度。入院も5日以内。今では普通の生活に戻ってる(歌手の吉田拓郎の場合は19mmの腫瘍だったそうだが、手術は順天堂病院で行われたため詳細は不明。入院に3週間以上を費やしてた)

Aリンパ節の切除は?

   これは肺ガンの外科手術では標準的に行われるとの事。実際30mm以下の腫瘍の摘出手術のケースにおいて、10中9ケースではリンパ節への影響は皆無。残り1ケースの可能性のために切るのだそうだ。ただ、食道閉鎖の手術を以前行っている場合、むやみにリンパ節の切除を行うと食道への悪影響もでる場合(穴があくとか)があり、場合によっては切除しないケースもありうる、との事。ただ、手術によってリンパ節への転移の可能性が否定できない場合はこの限りではなく、躊躇なく切除。

B今でも最初の意見が変わってないか?

   これは「まだT期の早期ガン」と診断された事に対しての問いだが、先生は今の段階でもその所見は変えてない。たしかに直径26mm、長さ5cm前後は全てがガン細胞だとしたら大きい部類に入るが、細胞検査でも「ガンの可能性が否定できないが、100%黒とも言い切れない」という事もあり、最終的には開けてみないと判らない。何らかの形で肺の一部が死んでいる(癒着との関係、ガン細胞との関連など様々)部分がガン細胞に接続している可能性も考えられるし、もしかしたら結核かも知れない。ただ、その場合数ヶ月検査などをしながら様子を見て再度検討、となるが、もしこれがガンであり、その様子見期間に進行してしまった場合のリスクを考えると、「限りなく怪しい」今回のケースでは迷いなく切る事が最善である、との事。

C最近ちまたで流行っている「アガリクス」はどうか?

   はっきり言って飲まないで下さい、という。化学的根拠もなく、現時点で化学的に解決できる状態にあるので、あえて使う必要性がない。販売されている物の半分以上は成分がなんであるか怪しい。科学的にもうどうしようもない状態になっている人が使用するには何の問題もないが、手術前、手術後は特に病院で使用する薬の効力に影響を及ぼす可能性も否定できないので、服用しないで欲しい。そりゃあそうだ。もっともヨーロッパで流行っている「奇跡の水」くらいなら何の問題も無いのだろうが、何にでもすがりたいような末期患者じゃあないんだから、今回は止めましょう。

後は、カミさんが気にしてた入院の長さだが、これも先生の予定では1週間以内を目標にしているらいし。普通に行けばそれ以内で退院できるらしいのだが、「癒着」という余分な部分があり(手術する場所とか切る大きさなどが若干通常と変わってくる)、様子を見てですね。いずれにしても、吉田拓郎みたいに3週間以上も入院という事はないそうです。良かった良かった。国立病院とは言え個室の料金は高級旅館の1泊分以上だからね。1ヶ月って言われたらどうしようか、と思っちゃったよ。

って事で、この一連の病院訪問で始めて夫婦二人が笑顔で診察室から出てくる事ができました。なんと言っても状況が正確に把握できて、今後のスケジュールもある程度目安ができた事が、如何に精神的に良かったか。肺ガンという重病(本人は居たって元気なのが僕的には違和感あるんだけど・・・)、という事と、通常手術より若干時間が掛かる(癒着問題で)ということは事実としてあるのだが、それでもそれに対しての医療の方向性が決まってくれて、危険性も限りに無く低く、現時点では転移の可能性(これが一番恐い)もほぼゼロである、という状況に、本当に心から良かったと実感している。

5月5日(月) 「家族での週末」

ゴールデンウィークの最終日。今年は3連休しか無かったのでもともと何も予定してなかったのだが、カミさんの完全復帰まで1ヶ月以上かかるので、その前にどっか遊びに行くか?と予定したのが、初日には葉山でファミリーフィッシング、次の日が千葉県市原のソウ園プラス木更津の竜宮城でのプール兼温泉ツアー。しかし、いきなり初日が躓く。はるかが何を勘違いしてか「釣りはゲボっと出るから嫌」と拒否権発動。昨年の夏に葉山のまさみ丸で行ったファミリーフィッシングでは全然酔わなくて楽しかったはずなのに、何故かその次に行った御前崎での船酔いを思いだしたらしい。まあ、無理をして行っても良かったのだが、今後の事も考えパス。

変わりに2日目に予定してた千葉県ツアーを初日に持って来るべく、朝10時に家を出てアクアラインへ。しかし、アクアラインが開通以来初めて!?と思われる渋滞に直面。なのとその手前の川崎工場地帯で既に渋滞が始まっている。最初は呑気に構えていたのだが、トンネルの中まで渋滞である事が判明し、ソウ園は断念。そして1時間後、木更津のホテル三日月にある温泉・プールも断念する事に。しかし、こんなに混むなんてゴールデンウィークを侮ってはいけませんね。仕方なく近所の公園でお茶を濁す。

2日目は前日の渋滞がトラウマになり、都内で過ごす事に。今度は近所にある違う公園へ。夕方は両親が家に来ていっしょに夕飯。最終日もこれもまた違う近所の公園。結局この3連休は近所の公園巡りで終わっちゃいました。

カミさんは3日間の公園遊びで足の股関節が痛くなってたらしいが・・・・まさかこんな所に転移なんてしたないよね・・・・・。はるかも風邪をひかない記録を4ヶ月に伸ばし、家族全員が順調に来週のカミさんの入院に臨んでいる。とにかくベストな状態で手術に臨んで欲しいから、風邪とかは特に気を遣うね。はるかも外から帰ってきたらちゃんと石鹸で手を洗ってからイソジンでうがい。僕なんか未だにイソジンでのうがいが嫌いだけど、彼は全然平気らしい。会社では部内で大規模な引越しがあり、この日の夕方にはるかをパソコンの接続などのチェックに行ったんだけど、これがまたとんでもなく埃まみれで喉がガラガラで目がチカチカ。参っちゃうよね。

5月7日(水) 「風邪」

危ない、危ない。予定ではカミさんの手術が来週の今日だと言うのに、こっちが風邪が引きそうに。朝起きたら頭が痛いは喉が痛いは。普通ならもうちょっと悪くなってから、というくらいだったけどやっぱり今は時期が良くないので早めに治そうと朝からお医者さんへ。手術から退院までは病院・家の中の事と色々と忙しくなるから、風邪なんて引いてる暇が無いのよね。それに、肝心のカミさんに風邪が移っちゃったら大変な事になるし。手術に向けて体力作り・体力温存が大事だし、変に風邪を引いて拗らせたり、最悪の場合は肺炎を併発してそれが引き金って事も(医療関係者じゃないから判らないけど)ありうるかもしれないし。とにかく、はるかを含めて今は風邪を引いてはいけないのだ。

朝一番に見てもらうと、案の定、喉の奥は真っ赤。右側に至っては白っぽくなりつつあるらしい。いわゆる扁桃炎の始まり。過去13年間で2回ほど40度の熱が1週間以上続いた事があったのだが、いずれも扁桃腺がゴルフボール大にまで腫れあがった結果である。血圧はちょっと高め。早速、抗生物質+その他色々の薬を貰ってきました。いつもこんなに早くお医者さんに看てもらえば良いんだけど、なかなかねえ。売ってる薬で済ませちゃうのがほとんど。これからも気を付けて、万全の状態で手術に臨まないと(実際に手術されるのはカミさんなんだけど、やっぱり周りの家族も元気でないとね)。はるかは今日から幼稚園へ復帰。

5月9日(金) 「延期」

本当なら今日病院側から入院についての電話が来るはずだったのだが、待ちきれなくてカミさんから電話。当初の予定では来週12日の月曜日に入院して14日の水曜日に手術だったが、ここに来て(もう慣れてきたけど)2日程度予定が伸びる事に。結果、14日水曜日に入院の16日(金)手術。これも最終的にどうなるか判らないところが辛い。会社の方でも金曜日は相棒が出張の予定。午前中から居なくなるはずなので、僕的には終日会社に居なくてはなら無い。困った。 出張の日程はずらせないし、出張自体をキャンセルして、もし手術が延期になったら・・・・。困った。カミさんのおかあさんに病院待機してもらって、僕の両親にはるかの面倒をみてもらい、僕は会社・・・・・・って事も可能だけど、やっぱりそばに居たいもんねえ。

5月12日(月)「家族で風邪」

週明け早々にはるかとカミさんが病院。はるかはここ4ヶ月くらい病院から遠ざかってたので「良かったねえ」と言ってたそばから、鼻水・咳といういつものパターン。先日友人と会った時にそこんちの子供が鼻水垂らしてたから、それがうつったのか。この手の場合だんだん熱が出てくるので早めに処置しておくのが得策。カミさんも喉が痛くなってきたらしいので、大事を取って病院。はるかはいつもの医療センターへ僕が連れて行った。案の定喉は真っ赤、ということで(ヨーレン菌の検査をしてくれたけど、何事もなし)薬を処方してもらう。カミさんも水曜日には入院だからね。家族みんな元気になってないと、手術が遅れたりと言い事が無い。しばらくはるかも外へ出られないけど、暑くなったり寒くなったりと陽気も安定してないから、しばらく家の中で安静です。

5月13日(火) 「最後の晩餐」

とうとう明日がカミさんの入院日。伸び伸びになってたけど、ここからが本当の戦いだ。はるかの病状は思ったほど悪くなく、薬を飲んだらある程度鼻水も止り食欲も相変わらずある。心配なのがカミさんで、なかなか鼻水が止らない。早いところ治って欲しい。そんな中僕も二人の症状がうつったみたいで・・・・・。なんでこんな時こうなるの!?良いニュースは金曜日会社を休める事になった。それにしても頭が痛い!

昨日、本屋さんで「何処の病院が・・・・」関連の本を読んでみる。様々の病気が載ってて、そのれら治療には何処の病院が良いのか?というような類の本だ。肺ガンではどの本にも国立ガンセンターが一番だった。本によってはカミさんの担当医の名前も載ってた。年間の症例も群を抜いて一番。心強い!

そして今晩は当分病院食ということで、美味しいものを食べられる「最後の晩餐」。聞こえは縁起でもないが、カミさんもこのフレーズを使ってた。だから今晩は家族で美味しいものを食べる。

5月14日(水) 「そして入院」

入院。朝10時までに来てください、というので朝は普通通りに起きる。荷物は着替えとかタオルとかは病院の方で支給してくれるので意外の少なくて済んだ。カミさんのハワイアンキルトの道具とか本、友達から貰ったお守りとかその他。必要な書類。そんな程度だ。寝てたはるかを「ママが病院へ行っちゃうとしばらく会えないから、起きて」と起こす。ちょっと寝ぼけてるみたいだが、しっかり「ママ、頑張ってね」と言えた。カミさんも嬉しそう。3歳でも病院・入院が何だかはちゃんと判ってるんだね。カミさんはちょっとウルウルしてた。当たり前だよな。

病院の駐車場が混んでるので、車は会社に泊めてタクシーで病院へ。思ったほど混んでなく30分掛からなかった。受け付けもすぐ済んで個室病棟がある18階のナースステーションへ。36号室。今まで見てきた病院の個室より奇麗で大きい。見晴らしは築地側なのであまり良くないが、インテリアは濃い茶色で落ち着いている。電話、テレビ、冷蔵庫、トイレ、シャワー・・・。なんでもある。ベッドがちょっと硬いのが気になるが、あまり柔らかいとかえって腰が痛くなるので丁度良いのかも。

今回執刀してくれるのは担当医の鈴木先生。その下に二人ほど違うお医者さんがいて3人のチームらしい。その下のお医者さんの一人が来た。「残念ですが、手術の日が延びました」。ゲゲゲ!?なんで!?「前回の尿検査で糖が結構高かったので、血糖値のコントロールをしてから手術になるます」との説明。なんでも糖が高いまま手術すると術後に様々な合併症が起きうる可能性があるらしい。

以前はるかを妊娠してた頃にも「糖が出てますね」と言われた事があったけど、実は糖尿の気があるのか・・・・。今後1週間、1日の摂取カロリーが1500キロカロリーに押さえられるらしい。その他では1日尿をため込み、その中で糖の数値を計り続ける。1日10g程度までの糖じゃないと辛いそうだ。それでも下がらなかったらインシュリンを投与して強制的に下げる。まあ、若干風邪気味であった事もあり、がっかり半分安堵半分か。カミさんも糖尿の気がある、と言われて苦笑い。「そりゃあね、こんな身体の主人といっしょにいたら誰でもなるでしょう!?」と突っ込まれた。俺は太ってても糖尿の気はまだ無い!

お昼前に僕は会社へ戻る。その間、鈴木先生が来て簡単な説明をして帰ったらしいが、本格的な手術の説明は僕の都合に合わせてくれて、月曜日の夜。夕方会社から病院へ行くと、下の先生がまた来てた。結構気軽にお話しが出来る感じの先生なので、カミさんも色々と不安な部分を聞いてたみたい。総合すると、国立病院東京医療センターから送られてきた細胞のサンプルを見る限りガンとは断定できない事。ただ、どの部分の細胞かによっては変わってくるのであまり意味が無い。CTの映像を見る限りガンの疑いは強い。その形状から身体の他の部分から飛んできた「転移型」とは考えられず、恐らく「元発型」のガンである事。例えば肺に飛んでくるガンで考えられる部位が大腸ガンなどが挙げられるそうだが、その場合はガンの形状から比較的簡単に判断できるらしい。映像から転移は認められないが、それでも開けてみなければ判らない大きさのもあるので、その辺りはまだ不透明ながら、それでもあらゆる事を想定しているので問題無いそうだ。

後は術後の事だが、最近では背中に管を付けてモルヒネを投与し続けるのが普通らしい。とにかく大事なのは術後翌日から一生懸命歩いたりする事。最近よく聞く「エコノミークラス症候群」とは、長い時間同じ姿勢でいることで血液がうっ血してしまうことから来る症状。手術をした事によって体内では血を止めようとする動きが活発となり、固まり易い環境になっている。そんな時にベッドで寝たままになっているとその傾向が強くなり、その血の固まりが肺に登ってきて合併症。せっかく手術自体が成功してもそんな事で死んじゃう、という例が過去にもあったそうだ。今は80歳の老人でも手術の翌日から歩いてもらっているらしい。そのために痛み止めの薬(今回はモルヒネ)はバンバン打つ。退院は術後7日が目安。温泉なんかもすぐにでも行かれるらいし。医学の進歩って素晴らしいね。

病院から家に帰るとはるかが元気に出てきた。カミさんのお母さんが風邪気味にも関わらず1日中はるかの面倒を見ててくれたのだが、ご飯もちゃんと食べて1日とても良い子にしてたそうだ。不思議な事に「ママ」に関しては1日を通して一言も無かったとか。口に出すと寂しくなるから話さないのか・・・・・。彼なりに耐えてるのかな。しばらく小言も言わず好きな事をさせてあげようって思う(カミさんにも「はるかと仲良くしててね」と念を押されてるしね)。

5月15日(木) 「はるか」

あっという間に今週も木曜日だ。朝から雨がシトシトと降っている。はるかの風邪も大分良くなってきたので、そろそろ義母さんもはるかを近所の公園に連れて行かれるかな?と思ってたのに、雨じゃあね。1日中はるかと家の中で付きっきりっていうのもかなり体力を消耗するんだよね。

そんな中、はるかが一人で起きてきた。いつもは8時過ぎて起きてくるのに、今日に限ってはパパがまだ会社へ行く前。ママが居ない広いベッドで熟睡できたのか、それとも寂しいからパパの顔を見たかったのか(そんな事はないか!)。機嫌も良くいつもなんかテレビを見ながら「行ってらっしゃい」なのに、今朝はちゃんと玄関まで出てきて抱っこ。やっぱり寂しいのかな。頑張れよ。まだ始まったばかりだからな!

5月16日(金) 「お見舞い」

昨日僕が帰った後に昔うちの会社の先輩がお見舞いに来てくれたらしい。こんな時にしか食べられない「千疋屋」のでっかいバスケットを持って!糖が出てるっていうカミさんには酷だけど・・・・。ありがたい事です。しかし、そのカミさんは入院してから全くと言って良いほど糖が低く、先生方も「あれ?」と首を傾げてしまう始末。どうやら病院側に嵌められたか!?なんてね。入院が必要な人はカミさん以外にも沢山いるだろうからね。そして今週末の外泊許可。嬉しいですね。カミさんも喜んでた。

今日は相棒が出張だったので、若干帰る時間が遅れたが、それでも6時半ちょっと前に病院に到着。会社の所属部から送られたお花とか、昨日持って来て頂いたフルーツバスケットなどを持ってカミさんとともに帰宅。はるかも寂しかったんだろうなあ、とても喜んでました。やっぱり家族はいっしょでないとね。

5月17日(土) 「外泊」

午後に携帯が鳴った。仕事仲間で釣り仲間のすがちゃんだ。今日奥様の病院の方へ行ったらしい。「ごめんなさい、外泊許可が出て家に帰ってました」。カミさんも食べたがってたので、友人家族といっしょに銀座の焼き肉屋さんで夕飯。糖が出るから、っていうのにカミさん結構ガンガン食ってました。僕はあまり焼き肉が好きじゃあないんだけど彼女は好きなんだよね。あんな甘辛いタレの何処が美味しいのか。しかもゲテ系がOK。僕なんか気持ち悪くていっしょの網でお肉を焼きたくないようなのもチャンレジャー精神で行けちゃう口。すがちゃんもそれ系が好きらしいので、みんなでおぞましい食い物を突っついてた。

食事中の話題はもっぱら居候の事。今年7月27日(彼の誕生日の1日前)に晴れて結婚する彼だが、お相手は15歳くらい下の現役女子大生。まあ、多くは語るまい。

5月18日(日) 「刺抜き地蔵」

何をしようか?ってことで、「これ何?」って本の中に出てくるチンチン電車にはるかを乗せるツアー。昔住んでた早稲田へ。その頃よく通ってたお寿司屋さんでランチを食べた後、目の前から出発する都電荒川線へ。写真なんかも撮りながらはるかはご機嫌だ。向かうは巣鴨近所にある刺抜き地蔵商店街。20分くらいかな?最初は空いてたけどだんだんおじいちゃん、おばあちゃんの人口が増えてきましたです。

「庚申塚」って駅が最寄りです。運賃は160円均一。そこから少し歩くともう「刺抜き地蔵商店街」である。あまり興味を引くようなお店はないけど、とにかく長いです。庶民の商店街っていう雰囲気ですが、所々に行列ができるお店があります。タイヤキ屋さん、スィートポテト屋さん、パン屋さん、そして洋服屋さん(靴下50円とか、そんな類の大型店)。そしてみんなが手ぬぐいで拭き拭きするお地蔵さんがあるお寺。なんてお寺か忘れちゃったけど、ここも結構な人で賑わってました。結構遠方から来てる人も多かったようです。

はるかとカミさんはお地蔵さんを拭く、というので行列の中へ。カミさんにはちゃんと肺がある辺りを拭いて、って言ってたんだけど、おばあちゃんパワー炸裂で結構大変でした。押し合い圧し合い。丁度お地蔵さんの裏手にはあの有名な「古奈屋」さんが。ミルキーなカレーうどんで大人気らしいですね。しっかり行列なんか出来てましたが、最近では汐留とか横浜などのスポットにも支店が出来てます。まだ食べた事がないけど、食べた人いわく、「まあまあ」だそうです。

5月19日(月) 「手術の説明」

執刀医の手術に関する面談。事前に当事者・関係者と手術に関する説明などをしてくれる。そして色々と判った。
国立病院東京医療センターでの細胞検査・CTスキャンでの診察は肺腺ガン。
国立ガンセンターでのガン細胞検査(サンプルは医療センターで採取したもの)の結果はガンではない可能性が高い。
しかし、CTスキャンの映像では限りなく肺ガンが疑わしい。

上記の結果、限りなく肺ガンが疑わしいので手術。右肺下部の全切除、又は部分切除手術。この又はというのは、実際開けてみてその場で顕微鏡検査をするらしいのだが、もしガンでなかった場合はリンパ節などを切除しない部分切除手術で終わる、という意味。ガンであったらリンパ節、または他の部分への転移を見ながら全切除を行う。現時点でのCYスキャン映像からの診断では他部位への転移は見られない。逆にCTでもリンパ節などへの転移が散見できる大きさの場合は手術不可能であり、放射線・化学治療(肺ガンには効力が無い事が言われているが・・・・)に切り替えるので、今回は今の段階ではグッド。

手術は右脇腹から背中への切り込みから内部へ侵入し(この時、肋骨の一部を切断)患部へ。幼少の頃に受けた手術による癒着がどの程度のものかが不確定のため、場合によっては切る部分が大きくなる可能性があるが、それはなるべく動脈?(心臓から肺へ直接繋がっている太い血管があるらしい)を傷つけないように治療を行うためにやむを得ない措置。手術は通常3時間程度だが、カミさんの場合は癒着があるため4時間以上を予定。輸血の予定は無いが、万が一に備えて用意する。

リスク:今回の手術で一番神経を使うのが上記に書いた心臓から直接来ている動脈。これが傷つけられるとあっという間に血の海になるので危険。
その他では肺炎(老人などが対象らしい。カミさんはあまり気にしなくて良いそうだ)、出血(手術後まれに肺内部で出血が起きることがあり、場合によってはショック死などのケースも報告されている)、肺梗塞(手術後人間の血は固まろうとする自然現象が起きるが、これが寝たまま過ごすと足の方に血の固まりが生じ易く、その血の固まりが肺へ飛んでくる。これは非常に危険であり、今回一番心配されるケース)、神経痛(属に言う肋間神経痛らしいが、これは肺の手術ではよく起きる事で、特に問題はない。一番良い治療方法は暖める事なので、温泉とかに漬かるのが良いらしい)。

最後に、今回やっかいな問題のひとつである癒着に関して。まず、結核などによる癒着である場合肺とその周辺への癒着はぴっちりしている(石灰化しているケースもあるらしい)ので肺の運動量が極端に減り肺活量も低い(3桁台)。カミさんの場合は肺活量が2300ccあるので、そこまでの癒着を想定してない。当然軽い癒着の方が手術も行い易く時間も短縮される。肺活量に触れたが、今回の手術が予定通り終われば、右肺の下部3分の1を切除するのだが、この場合全肺活量の20%を失うのが定説。肺ガン手術後はおよそ600ccの肺活量で「良し」とするそうだが、カミさんの場合は2300ccから20%を引くと1800cc余りあり、日常生活にはまったく問題が無い肺活量を確保できる。また、術後のリハビリによっては手術前の肺活量の90%まで回復できる可能性もあり、その点では何の心配も無い。

これとは別に麻酔関連のリスクもあるが、これはカミさんが明日説明を受ける。

とにかく、肺ガンは発見されるときはほとんど場合V期以降であるので、今回のようなT期の発見は非常に希であり、また、体力も十分にある(肺ガンの平均年齢は55歳から65歳)ので、術後の回復も早く全てにおいてラッキーである事。また、国立ガンセンターは肺ガン手術を年間600ケース程度行う日本最大の医療機関であり、そんな先生に看てもらえたのもラッキー。そして、それよりも何よりも、こんな早期のうちの発見できた事が一番ラッキーである。全ては不幸中の幸い。後は先生に統べてを任せて祈るのみ。明日は手術前日なので、カミさんのお母さんとはるかを連れて病院へお見舞いに行こう。

5月20日(火) 「麻酔の説明」

手術前日。今日はちょっと早めに会社を退社し、家に帰ってカミさんのお母さんとはるかをピックアップしてから病院へ。勿論カミさんには事前に言ってなかったので彼女にとっては嬉しいサプライズになったらしい。はるかも寂しかったろうに、なかなかカミさんのベッドの上から離れない。そりゃあそうだよなあ。なんだかんだ言ってもまだ3歳だし。帰り際に麻酔科の先生が来て明日の手術で行う麻酔等の説明をしてくれた。まれに心筋梗塞が起きる、というのが恐いくらいで、後は麻酔での副作用などが言われた程度。腕に筋肉注射をしてから手術室に入り、背中に1mm程度の管を入れてから(これは術後にモルヒネなどを投与するための管)マスクを被せて意識を失う。その後カミさんは判らないが、口から管を入れて麻酔続行になるらしい。

これにて、手術前の全ての説明が終わり、後はその時を待つばかり。カミさんは意外にも明るいし、はるかにも会えたので気持ち的にも楽になったのか。人事を尽くし天命を待つ、とはこのこと。

5月21日(水) 「そして手術」

手術当日。昨日から気管支炎が若干ひどくなってきたので、近所の病院へ行って薬を貰おうと思ったら、何が流行っているのか結構混んでたので、そのまま病院へ。

10時ちょっと前に到着し、カミさんとしばし談話。昨晩は睡眠薬を貰ったとの事でそこそこの睡眠は取れた様子だが、あまり過去に経験が無い浣腸には参ったらしい。食べ物は昨晩の夕食から、飲み物は昨晩の12時から取れないのはどの手術でも当たり前。勿論この日は朝から何も飲めないので、頻繁に歯を磨いてはうがいをして口を潤している。

予定では11時から2時頃の間(この病院では午前・午後に2回に分けて10数個ある手術室で手術が行われるので、カミさんの場合はこの日2回目)に始まるのだったが、なんと看護婦さんが10時半過ぎに来て「どうやら前の手術が早まったようで、11時15分には手術室に来てください、と連絡があったので11時過ぎに来て手術前の注射とか血圧とかやります」と伝言。ふたりして「良かったねえ、早く始まって」と喜んだ。受ける方も待つ方も早いに超したことはない。カミさんは再度歯磨きをし、僕は回りのものを片付けてその時を待つ。そして11時ちょっと過ぎ、看護婦さんが来て「では準備しましょう」となった。

寝間着から手術着への着替え。手術後に入る管理病棟(ICUとは違う)で使うタオル、浴衣、洗面道具、本などを預ける。細い移動式ベッドに寝る。肩に筋肉注射(麻酔が効きやすくなるため?)。血圧。検温。そして出発である。カミさんに付き添いながら廊下を抜け、スタッフ用のエレベーターへ。僕が行かれるのはここまでである。カミさんは笑顔で「行ってくるね」という顔をしてた。僕も笑顔で「頑張れよ」と返す。もう僕に出来る事はない。先生方とカミさんの頑張りを祈るだけ。頑張って来いよ!

カミさんを送った後は部屋に戻り、その他残った荷物をまとめてコインロッカーへ。そして再び部屋で看護婦さんが来るまで待機。院内で使用するPHSを受け取るためだ。手術が終わると先生からPHSに電話が入り、8階にある「説明室」で手術の説明を受ける。勿論、手術中に不測の出来事があり(考えたくないが)、その対処に何らかの家族の同意が必要な場合にも連絡が入る、との事。って言う事は手術開始から2・3時間くらいの間に掛かってくる電話はありがたくない電話なのである。

そのPHSを受け取ると19階のレストランへ。あまり食欲はないが、手術がいつ終わるか判らないので何かお腹に入れとくためにカツカレー。一番最初にこの病院へカミさんと来た時に食べたのもカレー。そして、この手術が成功するためにも、またカミさんが病気に勝つためにも「カツ」なのだ。その後病院の外へ出てタバコを吸い、お茶を買ってから8階の家族待合室へ。

およそ5組くらいであろうか。僕と同じく手術を待つ家族が座っている。笑い声で話す家族、何もしゃべらない家族、いびきをかきながら寝てる家族。色々な思いがあるんであろう。一人で待っているのは僕だけだ。仕方ないので持ってきた本(真保裕一のボーダーライン)を読むが、全然中身が頭に入ってこない。そこそこ静かな部屋で毎回飛び上がりそうになるのがPHSの音。リリリン、となる度に「うちのか?」と恐々と確かめる。いくつもの手術が行われているので人の出入りも多い。

そして4時20分頃、ひときわ大きな音でなった電話が僕のPHSだ。手術開始から4時間近く掛かってようやく来た。

「XXさんですか?執刀医の鈴木です。手術が終わりましたので8階の説明室まで来てください」

心なしか声が明るい。緊張の一瞬だ。

家族待合室の丁度反対側に、その説明室がある。いくつかある部屋の一つに鈴木先生が居た。

「手術は終わりました。成功です。お座りください。手術の説明をさせて頂きます」
「予想通り、癒着が激しく、この癒着を剥がす作業に3時間近く費やしました。細胞はやはり「ガン」でした。手術中に顕微検査をして判明しましたが、やはり手術をして正解でした。食道との癒着もかなりあり、難しい部分もありましたが、リンパ節は統べて取り除きました。リンパ節、及びその他の肺部分への転移は認められませんでした。大きさは直径26mm、長さおよそ5cm。その全てがガンであるとは今の段階で判りませんが、現在ホルマリン管理をしているので後程検査をします。」

「奥様の肺はとても奇麗で、懸念してた肺炎も無く、おそらくこれで80%以上の確率で完治するでしょう」

緊張が解けたのか涙が止らない。何度も何度も「ありがとうございました!」とお辞儀しながら説明室を後にした。後は小1時間程度で麻酔が切れるので、カミさんとの面会を待つだけ。良かった。本当に良かった!いくつものラッキーが重なったけど、本当に良かった!

面会の前の時間を使ってお母さん、はるか、僕の両親をはじめ、お世話になった方々、友人などに手術が無事終了し、それが成功した旨を連絡。何故か激しい頭痛がしてたが、なんとか統べての人に連絡を終わり、再度待合室にてカミさんとの再会を待つ。

そして5時半過ぎ、再びPHSが鳴り、管理病棟14号室へ来るように連絡が入る。

様々な管が繋がったカミさん。僕が入ると薄めを開けて「どうだった?」とかすかな声で聞く。

「成功だよ!良かったね!もう大丈夫だって!」と言いながら何故か涙が止らない。カミさんは小さく頷くと

「帰ってきたよ」と一言。

そして「お昼ご飯は何を食べた?」となぜか僕のお昼ご飯を気にするカミさん。しかもその後同じ質問をもう1回するとは・・・。よっぽどお腹が空いているだろうか?

また、カミさんの親友に電話したら飛び上がって喜んでたよというと「飛び上がる訳ないでしょ!」とかなり冷静。

ここいらで、一発笑いをかまそうと思ったが、傷が痛むをいけないので止めといた。

顔に酸素マスクが付いているのだが、しきりにその場所(その後、体中も)が痒いと訴える。どうやらモルヒネの副作用がその症状の原因らしい(特に女性の場合はこれが多いとか)。優しい看護婦さんが一生懸命に塗り薬を塗ってくれる。そして面会時間が終了。長い1日、そして嬉しい1日がようやく終わった。

5月22日(木) 「管理病棟」

今日は1時から面会できるので、12時過ぎに病院に到着。途中築地でお昼ご飯を食べてから病室へ・・・。と思ったらカミさんが昨晩居た部屋には誰も居ない。看護婦さんに「何処ですか?」と聞くと反対側にある2号室(4人の相部屋)へ移ったとの事。行ってみるとカミさんのほかに女性の方が2名。カミさんは入り口近くのベッドでベッドの上に起き上がっている。丁度お昼ご飯の時間だったのか、テーブルの上にはご飯が乗ったお盆があるが、手を付けて形跡はない。

「また1500キロカロリーだよ!」と怒っている。まあ、それだけ昨日よりも元気になってきた証拠か。

中身を見ると確かに食欲が沸きそうな内容ではないが、辛うじてデザートのパイナップルは食べてくれた。術後はとにかく体力を回復しないと駄目なので、例え1500キロカロリーの食事でも頑張って食べて欲しいのだが・・・。

この日からは歩行が促されている。朝看護婦さんに助けられて立ってみたらしいが(体重測定のため)、フラフラしたらしい。身体の痒みも昨日の比ではないほど酷いらしい。しきりにブラシで髪の毛をとかしているが、頭も痒いのか。座薬を使っているので痛みはそれほどでも無いらしいので、しばらくしてからいっしょに歩行練習をしてみる。看護婦さんに助けられながら立ち上がり、酸素を(この日は昨日の口マスクから鼻チューブへ変わっていた)部屋の管から酸素ボンベへ入れ替え、点滴、その他沢山のチューブを付けたスタンドを支えにいっそに歩き出す。

となりのおばさん(カミさんよりも1日早く同じ肺ガンの手術を受けて女性)は結構頻繁に歩きに出かけてたので、負けてられない、という気持ちも働いたか。結構順調に歩けるので、管理病棟から外へ出て廊下を回り、昨日僕が鈴木先生から術後の説明を受けた「説明室」を見てから、ぐるっと回って手術中まってた「家族待合室」も見学。「ここで待ってたのね?」って感じで休み休み歩く。やはり肺の手術で右肺3分の1を取ったからか、結構息切れもある。

エレベーターを待つところにイスがあったので、それに座って休みながら8階をグルりと2周した。その後部屋で休むが、この部屋は日当たりが良くかなり暑い。冷房があまり効かないのか、太っている僕もさることながらカミさんも汗が止らない。どうやらそれも痒みを促進しているらしい。密かに冷房の温度を下げても効き目無し。まあ、明日には涼しい18階の個室へ移れるのだから、それまでの辛抱だね、となぐさめる(全然慰めになってないが)。

その後、もう一度8階散歩の旅に出たが、前回より若干苦しそう。それでも、頑張って歩かないと血が固まって、その固まりが肺の飛んじゃう「肺梗塞」という合併症に繋がりかねない。血をサラサラにする作用がある注射は打っているが、本人が歩く事によって術後の回復も違ってくる。変わってやれないがカミさん自身が頑張るしかないのだ。頑張れ!

夕方になると違う痛み止めの薬を服用したが、これが全然効かなかったらしく今までで一番痛がってた。手術前には先生から「痛み止はガンガン打ちます」とは裏腹に看護婦さんは「間隔を空けないと駄目」となかなか打ってくれない。頼みの綱のモルヒネも副作用が恐くてあまり使えない。ここからはカミさんの戦いだ。

5月23日(金) 「術後初日」

今日は午後になって僕の両親がお見舞いに来てくれた。大きなお花とキティーちゃんのぬいぐるみ、そしてキティーちゃんの抱っこ枕。何でキティーちゃんなのか不明だが、ベッドが死ぬほど硬くお尻がかなり痛いカミさんにとっては、この柔らかい抱っこ枕は良い贈り物。ありがたい。

夕方、仕事がちょっと立て込んでたので、到着が遅れる。顔色は日々良くなってきているが、それ以上に言葉に力で出てきた。やはり最初の頃はかすれ気味になってた声色も、今日はかなりしっかりしてきた感じがする。まだベッドから起き上がるときは辛そうだが、昨日に比べて一歩一歩が早くなってきたかも。管は相変わらずだが、点滴の分が無くなった。普通通りに食事ができるようになったからだろうが、こうやって一つずつ取れていくのが、回復の証拠。帰り際には1階の売店近くまで見送りに来てくれた。本当に嬉しい。

5月24日(土) 「はるかとの嬉しいご対面」

手術後、はじめてはるかを連れて病院へ。カミさんのお母さんも行きたがってたが、調子が悪く朝から病院。ちょっと疲労が溜まってきたのかな。はるかもママに会える事が判っているのか、メチャクチャ機嫌が良い。ママからこんなに長い間離れてた事なかったから、そりゃあ、毎日寂しかったんだろうけど、彼なりに頑張ってきたからね。病院へ着くと恥ずかしいのか、過ぎにはベッドの上に乗らなかったが、時間とともに本性を出し、全然言う事を聞かない。他の患者さんに迷惑だから、っていうのに、ベッドの手すりをガチャンガチャンして騒音を立てたり、ママの傷口が痛いから、っていうのにベッドの上を動きまわるし。遊ぶものが無いからつまらないんだろうけど、こっちはヒヤヒヤ。思わず怒っちゃうんだよね。はるかと二人きりだと、本当に良い子なのに、なんでだろう?彼なりの甘えの表現方法なのかしら。

今日のカミさんは酸素の管とおしっこの管が取れて昨日以上に身軽になってた。術後すぐの頃には、傷口に刺さっている管から出てくる体液が、かなり濃い赤色だったのに、今日とかはかなり明るい茶色っぽい色になりつつある。これが黄色っぽい色になってくると、本来の体液の色に近くなってくるのでその管が外れる時期になるそうだ。って事はそろそろ?これが取れると・・・・・管が全部無くなる!

午後からはお見舞いラッシュ。まずはカミさんのお友達のYさん。告知前から様々な相談にも乗ってくれてて、カミさんの心強い親友。本当に色々な面でお世話になりました。ゆっくりカミさんとお話しができるように、とはるかを連れてお散歩。しかし、この周りって何にも無いんだよね。築地の場外市場へいってみてもはるかには何の感心もないし、大人の足ではあまり遠くない病院近くにある「浜離宮」公園も、はるかにはちょっと遠かったし、病院裏にある公園もさびれてたし。結局30分程度の散歩になっただけど病室へ。後でカミさんに聞いたところによると、お見舞いに来てくれたYさんが「この熊のぬいぐるいみは、退院後に供養に出した方が良い」とか。このYさん、異様に霊感が強いそうで、他のキティーちゃんのぬいぐりみは何も感じなかったけど、手術前にカミさんの大学時代の同級生達からもらった熊のぬいぐるみには「悪いことを沢山吸収してくれた」ので、病気・手術には非常に良かったが、今後家族の近くに留まる事に関しては「良くない」状態らしい。

あまり、こんな事は気にした事が無かったが、そのように感じる人が居るんだからそのように「供養」するつもりです。

その後、先輩のFさん家族がお見舞いに。手術前に家族で横浜へ遊びに行った人ですが、最初から気に掛けてくれてたのでありがたいです。最後には会社の友達であるOさん家族。病室はお花で華やかになり、冷蔵庫はプリンやらゼリーやらで満杯。お返しが大変です!

5月25日(日) 「お見舞い疲れ」

さすがに半日以上病院に居続けるとはるかには辛い展開だったので、この日は午前中を公園などで過ごしてみる。前夜は夜遅くまで映画「アポロ13」を見てたので、この日の朝は寝坊かな?と思ってたら8時半頃にすっ飛んで起きてきた。もうすでに「鉄腕アトム」が始まってしまったのか?と思ったらしい。朝ご飯を食べ、鉄腕アトムを見た後、いつもの近所にある世田谷公園へ。この日は公園で「環境祭り」が行われてたので、あちちらこちらにテントやらが建って催しものをやってた。お祭り大好きなはるかはいつもならゆっくりを見るはずなのに、この日は久しぶりの公園とあって、車のゴーカート(っていうか3輪の足で漕ぐ車のおもちゃ」にしか頭が行ってない。それでも普通なら40分程度遊ぶのに、この日は15分くらいで切り上げ。ブランコ、滑り台で一通り遊ぶと、「ママのところへ行く」と言うので昼食難民になりながら病院へ。

鼻に付いてた酸素の管も取れ、残るは体液の管のみ、となったカミさんはこの日も元気そう。ただ、度重なるお見舞いのラッシュで若干疲れ気味なのか、この日は1組目(会社の先輩Sさん夫婦)を終わった時点で貧血気味に。ちょっと疲れも溜まってきたにかなあ。まだ、痛み止め無しでは辛いそうなので、動きは鈍いが、それでも日々回復の兆しが見れるのは、僕としても嬉しい。体液の色も金色(濃いおしっこの色)になってきたので、ますます、明日には無くなる気配。この体液の管が取れてから2日くらいが目安で退院となるそうなので、もしかしたら水曜日の退院が可能かも。来週末を自宅で過ごせる事はこれでほぼ確実になりました。嬉しい!

夕方には僕方の親戚のおじさん・おばさんがお見舞いに。わざわざ千葉県から来てくださいました。ありがとうございました。

ちょっとお疲れ気味のカミさん、それでも帰るときは下まで見送りに来てくれた。早く帰ってきたいんだろうなあ。あとちょっとだぜ!

5月26日(月) 「そして最後の管が」

日中、身体に残ってた最後の2本の管が取り除かれたそうだ。ボールペンくらいの太さ!の管が実に20cm程度体内に突っ込まれていたのだが、それを局部麻酔だけで抜き取るというのはかなり痛い。僕も以前その経験があるが、局部麻酔はあくまでも皮膚の表面近辺だけに効く麻酔であり、20cmもの深さにはその効果は現れないのである。よって、数時間体内で収まっていた管は体液などの影響で回りの細胞と若干の癒着を置きつつあり、それを一気に抜き取るときの痛さは「激痛」という言葉が当て嵌まる。カミさんの場合は胸と背中に2本。もともと痛みには結構強い方だったんだけど、それでも「うわ!」と思わず声がでるくらいの衝撃があったそうです。

しかし、これを取った事でほぼ統べてが終了し、後は傷の痛みを癒すのみ、となったのです。夕方には執刀医の鈴木先生が来診し、何事も問題が無いので予定通り水曜日には退院できるでしょう、との見解。何度もお辞儀をして御礼しました。先生にとっては何でも無い手術でも、僕らにとっては本当に厳しい出来事だったので、いくらお礼をしても足りません。

さて、カミさんは「退院したらビビンバが食べたい」と言うまで食欲も回復し、徐々に退院に向けて気持ちも明るくなってきました。頂いたお花が次々と枯れ始めたので、まだ生き延びてるものを中心に自宅を持ちかえる。荷物もだんだん減ってきたので、水曜日の日は身軽です。後は支払いがいくらになるか・・・・。

帰り際にはかなりの揺れを起こした地震。震源地は東北の方らしいが、久しぶりにかなり揺れました。高層ビルなので揺れが船のローリングに似てますが、手術中にこんな事がなくて良かったです。

5月27日(火) 「病室で最後の夜」

今日は朝から偏頭痛が酷く吐き気もあったために、食事をすることもままならずに薬漬け。ただ、先生の解釈では実際に切ったところよりも違うところが痛くなるのは良い兆候なのだとか。本来は手術をした場所が痛いのだが、そこよりも他の場所の痛みの方が強いのであれば、傷口が完治に向かっている証拠。問題なく順調に快復しているので何の心配もないですよ、と説明してくれたそうだ。もっとも退院後に暇を見つけて神経内科などに診て貰ったほうが良いよ(偏頭痛の件で)と助言さらたらしいので、それは僕も同じです。この前の健康診断でしっかり言われちゃいましたからね。

後は、その他の部位への転移に関して、ガンセンターでは今後このための検査はしないために、カミさん自身が最寄の病院へ行って検査をしなくてはならないらしい。CTスキャンでも頭のてっぺんから下の方までの撮影はかなり高額になるそうなので、知り合いのお医者さんか、かかりつけのお医者さんに頼むのが最善だそうです。

友達のK君が夕方にお見舞いにきてくれる予定だったんだけど、カミさんの具合があまり良くなかったので、今回は丁重にお断りを申し上げました。まあ退院したらいつでも遊びに来れるからね。夕飯は三越で買ってきたパイナップルだけだったけど、徐々に元気も出てきたみたいで、帰る時は下まで見送りに来てくれました。後はお世話になった看護婦さんにお菓子。最初は受け取ってもらえなかったけど、「お見舞いが多すぎて食べきれないのでお裾分けだと思ってください」と言ったら受け取ってくれました。やっぱり国立病院だからこの手のことは厳しいんですかね。だって、お世話になったお医者さんにも(特に執刀医)お礼とかあるでしょ?無い?まあ、今後10年間は外来でお世話になる訳で、やっぱりねえ。気持ちですから。

そして、明日は晴れてカミさんの退院!3月20日から数えて2ヶ月ちょっと。僕らにとってはその間の長かった事。しかし、振り返ってみると一番最初のレントゲンから2ヶ月くらいしか経ってないんですよね。周りの人に聞くと「そんなに早く手術してもらえたのはラッキーだよ」って声が多いみたいですが、これも全て「流れ」だと思ってます。カミさんは小さい頃から強運の持ち主だ、と親戚のおばさんが言ってましたが僕もそれを強く感じてます。今回は全てにおいてラッキーが重なってます。これも彼女の持って生まれた運なのでしょう。また、今回は本当に色々な人に助けて頂きました。感謝の気持ちで一杯です!精神的苦痛を乗り越えられたのもひとえに皆様のお陰であると思ってます。やっぱりみんなに支えられて生きてるんだなあ、と痛感しております。

5月28日(水) 「そして退院」

10時以降に退院手続きができる、というので朝普通に起きてから病院へ。まだ寝巻き姿で待ってたカミさんに持ってきた帰宅用の洋服を渡し、僕は部屋の片付け。ほとんど昨日中に持って帰っていたのであまり荷物は無かったが、それでも紙袋3つ分。10時過ぎに看護婦さんが来て「1階で手続きができますので、退院できますよ」と言ってきた。晴れて退院である。入院から丁度2週間。手術から丁度1週間。その間はえらく長い時間に感じてたけど、終わってみるとあっという間だった。こんなに早く退院して良いのだろうか?などと考えてしまうくらいだが、帰宅して普段の生活をすることが最良のリハビリである、と言われると、そんなもんか、と思ってしまう。まだ身動きがしづらそうだが、これから1ヶ月くらいゆっくり時間を掛けて元の身体に戻ってくれればバン万歳だ。

1階へ降り、ATMで大金をおろし「退院会計」へ。2週間の医療費、施設費、個室差額ベッド代金合わせて90万円也。手術後に居た管理病棟でいっしょだった同じ肺がんのおばさんは「お部屋が一杯なので2〜3ヶ月待たなければなりません」と言われたらしい。しかし告知されたらさっさと取り除いてもらいたいのは、何処の家族でも同じ心境である。案の定「個室であれば空きがあります」と言われて早く手術してもらえたが、終わってみたら「今取って正解でした。延ばしてたら手遅れになってたかもしれませんでしたよ」と言われてもね。これではある程度お金が無いと命すら危ういのか、などと勘ぐってしまう。お金で全ては解決できないけど、やっぱり「無い」より「ある」に越したことは無い・・・・。ちなみにアメリカやイギリスでは医療費は全て保険で賄うので、支払いは少ない。

そして、帰宅。これからカミさんも大変だけど、これで一区切りがつきました。

6月5日(木) 「退院その後。。。そして術後初外来」

退院して1週間があっという間に過ぎた。最初の3日間はベッドでの寝起きが痛くて出来なかったため、ソファーでの睡眠。せっかく家に帰ってきたのに柔らかいベッドで寝られないなんて可哀想だが、本人が痛くてダメ、というのでは仕方が無い。病院では看護婦さんに入れてもらってた坐薬を家ではカミさんが一人で入れるのだが、なんだか上手くいかなくて3回程度失敗。日中もちょっとでも動くとすぐに息があがっちゃうので、先生に言われた「日常生活」があまり出来ない。それでもお風呂で温まると痛みも和らぐようで、お風呂上りは上機嫌。僕はカミさんが風呂からあがると傷口に気を付けながら身体を拭き、頭を乾かし、パジャマを着せる毎日。右肩があまり上がらないらしいので、パジャマを着るにも一苦労なのだ。

4日目くらいから外へ出て軽い散歩ができるようになり、恐々近所のスーパーなどに行き始めるが、やはり息がすぎにあがっちゃうのは治らない。まあ、右肺の3分の1を切ったのだから仕方がないが、あまり「痛い痛い」で何もしないとリハビリにならないのに、やっぱり本人が痛がっているとあまり強くは言えない。それでも心を鬼にして「もっと動け」って言うと「この痛さ判らないでしょ!」だ。まあ、ごもっとも。僕には判りません。でもねえ、先生がちゃんと普段の生活をすることが早期回復に繋がる、って言ってたじゃんね。

そして、今日は退院後初めての外来である。予約時間から2時間過ぎてようやく僕らの番になった。事前に血液検査とレントゲン検査をしてたので、それらの検査結果を見ながらの診察。結果は良好。肺に若干水が溜まっているが、検査結果からは何の問題も無い、とのことなので、後は時間とともにこの水分が身体に吸収されていくのを待つ。そしてその過程を促進するのがリハビリである。そして、痛い痛いと言ってた右脳でだが、これも「痛いのは判りますが、それでも上にあげたりしないとなかなか治りません」と言うことで、やはり更なる「普段の生活」をするように言われる。良かった。先生から言ってもらったほうがカミさんも納得するもんね。レントゲンでも転移とか見られないようで全て順調!本当に良かったです。
 
 その後は2003年12月に再診。一応他の部位への転移は認められず、僕ら家族にとっては素晴らしい年の終わりとなりました。来年早々に全身をCT検査するそうですが、まだまだ油断は出来ません。