昭和10年12月
発行分より
ふるさと
消防デー
去る12月1日消防デーの催しがありました。1日未明(午前6時)将に目覚めんとする町の静けさを破って召集の半鐘は鳴らされました。時を移さず消防手は馳せ集まり各神社参拝。続いて小学校校庭に於いて町民多数参列の上鎮火祭は盛大に挙行されました。それが終わるや消防式典及び仮想演習であります。
各部各班各その持ち場 につき全町各所にて放水。かけ声勇ましく、車輪のひびき、黒山の如き観衆のどよめきの中にガソリンポンプの物すごきサイレン、エンジンのひびき実に盛観を極めました。朝来の雨はれず、しやっしやっと降る雨を冒して新国道広場(註1)にてガソリンポンプをはじめ各部ポンプ集合し一斉に放水無事演習は終わりました。
夜に入っては5時より若嶋座に於いて防火宣伝演芸大会が開催されました。太田芸妓総出演、カフェ女給軍のヒッパレード、子供の手踊り及びハーモニカ合奏、次から次と満場立錐の余地なき観衆をやんやといはせました。
(註1)平川宝くじ店前から駅前通りまでの三角地帯、昭和30年代までは出初め式が行われていた。新国道は国道21号のことで昭和30年代後期まで此の呼び方が身近であった

年末夜警開始
12月15日夜各町青年団は一斉に年末夜警を開始しました。
深々と更け渡る町にカンカンとひびき渡る寒柝の音は言いしれぬ哀愁を覚えさせます。
あの音を聞くとき年の暮れをしみじみと思い逝く年に対する追慕追憶は限りありません

年末大売出し

太田商工会主催のもとに12月21日より31日まで年末大売出しを始めまし
た。
各商店競いて店舗店頭の装飾に意匠をこらし商店街は面目一新の体であります。
チラシは街に散乱し、立看板は派手な面貎をつらねています。各戸軒には松の枝に七色の短冊をつけてさし往来の人をしてふり返らせています。
慌ただしげに自転車を走らせる下駄屋の小僧さんに歳末気分を満喫し一先づ筆を止めます

母校

校庭の東隅、黒板塀のほとりにあった大銀杏は今も高くそびえています。運動場が広められた為に黒板塀はなくなり大銀杏も黒板塀はなくなり大銀杏も隅ではなく中央より少し
東によ東によった程の位置にみえます。校門の両側に植えてあった銀杏も大きく見上げるほどになりました。
先生も生徒も昔日の人ではありません。けれどもただ一人林先生のやさしいお顔が見えるのが母校を訪れる者にとっては言い知れぬ懐かしさを覚えます。



朝な夕な登校下校の折り通いなれた中仙道は昔ながらの姿ですが、新国道の完成は町の姿を次第に変えて行きます。駅前通りと新国道と交差するあたりは広々として行き交う自動車の警笛のたえまなきありさまです。町の名も次第に生まれ、或いは変更されていきます。

町をはなれて

高山線の鉄路の南北につづく田・畑・森等は今や全く冬景色です。刈りつくされた田の面に朝な氷が光っています。ややのびた麦が続いて、はるか北には木曽の御嶽が真っ白です。水田の畦のハザに雀が群れていて、農家は正月をまっています。

喜び
昭和6年及至9年満州事変賞賜者中に左記5名の顔あるを見て喜びにたえません。

勲八等白色桐葉章及び賜金弐百弐拾五円 並従軍記章下賜
      歩兵伍長  林  弘

勲八等瑞宝章及び賜金百円 並従軍記章下賜   
    歩兵上等兵  佐光 実

勲八等白色桐葉章及び賜金壱百七拾五円 並従軍記章下賜  
     歩兵上等兵 佐光敏夫

勲八等瑞宝章及び賜金百円 並従軍記章下賜  
     歩兵一等兵 林 興一

勲七等瑞宝章下賜   
  陸軍航空兵曹長  鷲見武夫
昭和11年7月15日
発行分より
ふるさと
ふるさとのこととして書くべき記事とてもないのに全く困ります。
書くべきことのないと言ふこと、それはふるさとの平穏無事なる姿なのであります。
   ×
書くべきことなしと言えばそれまで、されども然るべくもあらずと思いつくままに羅列的に小さきことまでも書くことにします。

1月2日、正月の最中本会の総会。これは皆ご承知の繁をさけて略記とします。 
1月6日 消防出初式 暁の眠を破る半鐘の音、消防手の掛声、ガソリンポンプのサイレンのひびき。全町隅から隅まで消防手は駈ける。観衆はなだれる。実に壮観。
 ×
1月の日記は雪が多い何十年振りと言われた雪を思うと何かしら時の移りを思う。2月5日立春ともなれば暖気一入まさると見える
   ×
衆議院議員選挙の日
与えられた尊き一票、共に投票、我々会員は皆処女投票であったことに意義深き思ひ
   ×
2月の声を聞いても梅の花も見当たらない。鶯の声も聞くことが出来ない。春待つ心しきりと動く
この頃よりお祭りの太鼓の練習が始まった

祭典 4月3日4日恒例の祭礼
寒さの為桜の花はなかった。でもお祭りはお祭りであった
太田の町も今五月雨に濡れている。
桜も濃い緑の葉を茂らせている。
昨日も今日もしとしと雨にくれては雨に明けている。
    ×
町を一歩出ると打ちつづく田には今や植えつけの最中である。真っ黒な牛がゆうゆうと水田を行ったり来たりしている。緑の苗田に赤いたすきの娘がせっせと苗を取る風景は美しいものである。
   × 
今に7月である真夏の日射しが雲間からかっと射す。街はもう全く夏の化粧をしている。
ホワイトシユウズ、パナマ帽、カンカン帽、パラソル、氷屋の簾が日増しに多くなってきた。
昭和11年12月1日
発行分より

ふるさと
ふるさとへも冬の先兵が訪れて来ました。木の葉も色づいてかすかな吐息をもらしています。本会本部の通り桜町の桜は黄葉一つなく散ってしまいました。
田は今や刈り入れの最中です、澄みきった 青空の下にカラカラと稲こきの音が紅葉した蜂屋の山へひびいて行きます
町も人も別に変わったことのないのに時の流れと自然の姿は不断の変転をつづけています。
街には寒風の見まう日が次第に多くなって来ました。はるかなる御嶽山に白く雪がかかったのが見えます
  x
次ぎにふるさとの 音ずれ 最近の一つ二つ

盆踊り大会 
9月1.2.3日
恒例の盆の日に町の辻々を夜更けまで踊られました。色とりどりの浴衣手拭踊る足並み手ぶり、打ち出す太鼓笛の音実に見事な絵巻物でした。
就中三日の夜は祐泉寺境内に於いて近郷近在否県下各地より雲集せる踊子によって県下各地の郷土芸術盆踊りの競演会を開かれました。
観に集まるもの数千、さしも広大なる境内も立錐の余地なき盛況でありました。

軍隊露営 9月15日
歩兵68連隊兵二千名太田町に来り、清流木曽川のほとり高砂場に於いて露営されました。
闇夜にいななく軍馬の声、かすかなる星に光る銃剣、ダダダダとどよめく兵士の歩調、軍国絵巻涙ぐましき光景でした。翌早朝関町方面に進軍しました

防空演習予行  10月11日
防空演習予行として灯火管制が行われました。全町一瞬にして闇黒となり不気味な沈黙がつづきました。

母校運動会  10月21日
折しも秋晴れなる天候にめぐまれて、なつかしい母校の運動会が催されました。無心に走る子供等、軽やかに踊る女子の一団校庭にあふれた観衆を魅するまでに盛会を極めました。

防空演習
 10月22,23日
岐阜愛知両県下防空演習に当たり我が太田町の防護団は必死の活躍をつづけました
二十二日午後二時我が太田町も敵襲を受けました。爆弾投下新国道四つ辻一帯は火災を起こす。交通は全く止められ、負傷者運搬消火等に各班は死力をつくしました。
夜に入って午後六時灯火管制に入り闇黒のまま夜を明かす。未明またまた敵機三機飛来する七時ついに敵機その姿をひそめ演習が終わりました。

太田芸妓温習会  11月8日
第14回目の芸妓温習会が若嶋座に於いて開かれました。
何と言っても玄人であり衣装はよし、美人?揃いでありますので何を出しても観衆はヤンヤと言い満場スシ詰の有様です。紅裙連総勢数十人半年の練習今日この時と競う様見るものは恍惚自失の態でありました。

国民精神作興週間
十一月十日 国民精神作興詔書下賜記念日になり町民多数小学校に参集奉読式が挙行されました

昭和12年1月5日
発行

ふるさと
昭和11年も後数日に迫って来ました。ふるさとの町にもあはただしい歳末の気分が溢れています。
悠々と飛ぶ白雲にも、薄くはった水田にもその上を流れる寒風にも、やるせないメロデーの拡声機にも歳末の哀愁が溢れています。
     x
この欄を設けてから早や1歳の時は流れ去りました。1年のふるさとの姿を皆思ひ返して下さい。坦々たる時の流れに浮かぶふるさとの姿には言い知れぬなつかしさがあります。
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ふるさとを去って異郷に在る友よ、悲しき時は、又嬉しきときは木曽の清流を思い出して呉れ給え。流れは朝な夕なに不断の波音を立てています。
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新 嘗 祭  11月23日
恒例の祭日。
我が町に於いても氏神神前にて厳かに祭典が挙行されました。
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農産物品評会及び学童成績品展覧会
時11月22・23日の二日間
太田小学校に於いて開催されました。出品非常に多く見物人多数来たり実に盛会裡に完了いたしました。
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太田農商青年学校査閲   11月27日
午前6時半より行はれました。
伊東三師団長、三橋大佐、佐藤中佐、等によって査閲され、全生徒終始緊張青年の意気を発揮し、非常時日本を思う時非常な心強さを感じさせる。
この日天気に恵まれず秋雨 々と降りしきる中に毫もひるまず元気旺盛なものでした。
尚小学校児童の閲兵も行はれました。
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防火デー  12月1日
『ヂャン』『ヂャン』『ヂャン』
朝まだき突如として鳴らされた警鐘です。
召集信号です。
今日こそ全国挙げて実施せられ防火デーなんです。大田消防組も之に参加して組員一同時を移さず出動しました。時将に午前六時!警察署前に整列した消防手は往年江戸イロハ四十八組の火消しの勇士そのままを此処に見る心地でした。それより隊伍を整へ消防歌を高唱しつつ七社順拝。次いで小学校校庭に於いて消防組の式典が挙行され、それが終わるや町主催の鎮火祭が厳粛裡に盛大を極めたのでした。
式後部隊教練が実施され一糸乱れないその訓練振りこそさすがに金馬簾二條受領に輝く優良消防組だ
と見物の町民諸氏の感嘆を久しくした処でした。
午後消防組自動車隊は防火ポスターを轍布して、太田署管内を巡回して防火思想の宣伝に努め、また一隊は町内各戸につき火の元の一斉調査を行ったのでした。かくして盛沢山な行事も恙なく終わり、夜は若嶋座に於いて消防講演があり、講師沢田太田警察署長さんから諄々として火の尊さ火の恐さを述べられついで防火宣伝諸芸大会の幕が切っておとされたのでした。太田芸妓オンパレード、カフェー女給軍の総出演それにあどけない少女の舞踏、素人浪曲、素人芸術家の音楽合奏等々まことにこの一夜こそ絢爛の雰囲気に包まれて文字通り寿司詰めの観衆の魂を奪い去ってしまったのでした。
二日
早朝消防役員出動機械機器具、水利井戸用水等の実地調査研究を行ひ、ついで幹部の現地演習が実施せられました。一朝有事の場合に処するには日頃そうした犠牲的活動が行われて居ることを忘れてはなりません.
突!

犯罪予防デー
 12月1日ヨリ5日マデ
午後11時非常召集が行われ組員は即時応集せられ直ちに防犯非常警戒に入りました。犯人は昨日岐阜市の数カ所を襲った強盗です。更け行く寒夜此処かしこの要所々々には誰何の声が凍りつく様にひびき郷土を護る消防手の姿はまことに尊いものでありました。かくて十二分の好成績を収め午前四時演習は解除せられました。因みに我が蘇陽会員中にて郷土擁護の重任を双肩にかけて花々しく消防手として活躍されているのに下の諸君があります。
 第一部 石原幸次郎君  板津甚吉君  林  与市君
      佐光 文平君
 第二部 兼松 英一君  福田  巌君
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犯罪予防デー 12月1日ヨリ5日マデ
『ヂャン』『ヂャン』『ヂャン』
朝まだき突如として鳴らされた警鐘です。
召集信号です。
今日こそ全国挙げて実施せられ防火デーなんです。大田消防組も之に参加して組員一同時を移さず出動しました。時将に午前六時!警察署前に整列した

初雪   12月7日
朝の間をしばらくの間降りつづきました。
つもると言うほどでもありませんでした道も田も薄化粧をしました。初雪です。
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年末年始夜警  12月15日
各区青年が夜まわりを始めました。拍子木の音が夜更けの町に流れています。
消防も25日から始めました。
     x
年末大売り出し  12月20日ヨリ31日
町は今や大売り出しの真最中です。
昭和12年6月15日
発行分
より
ふるさと
ふるさとの町はあまりにも静かです。平和!と言えば平和でせう。沈滞していると言えば沈滞しているのでせう。あもりにも変化のないと言うことは確かであります。
  *
従って特筆すべきこともありません。一月から今までこれと言ったこともありません。
この欄も本号は割愛しようかと思いましたが、さうすれば何かしら淋しい思いがしましたから貧弱ながらも設けることにしました。
  *
主なる出来事を列記しておきます。
●一月二日には商店一斉に売初をいたしました。
尚年末大売出福引の抽籤日早朝より近郷近在より数万の人出がありました。
●西加茂消防聯合演習  三月二十日
●陸軍記念日並に選病死者慰霊祭(三月十日)
●祭礼 (四月三、四日9
 雨に祟られ食い祭
 暖気に恵まれて桜花まさに綻便としていました。
●衆議院議員選挙投票日(四月三十日)
   x
我が世を誇る桜花も散りつくして、新緑の候となったふるさとの横顔を一寸記しませう。
木の葉が真青になって、セルの着物にビールが心よい感触を胃のふにしみ渡ってまったく、初夏の気分が充満しています。
碧空にカンカンと鳴る槌の音、そびえ立つ甍は太田警察署の建築場であります。新国道に偉観を添えています。
 かすかな月の光に屋根瓦が光って町には壮丁検査に来た若者の浴が横行しています。ハツラツタル乙女の足どりの軽さ。音もなく走る自動車宵の街は今何とも云えない魅力を持っています。
一歩町を外にする時二、三寸のびた苗が朝風にそよいでいます。桑つむ娘の頭の手拭いに初夏の陽ざしが光っています。 
 ふるさとの山に向かひて
 言うことなし
 ふるさとの山はありがたきかな(啄木)
和12年8月21日
発行分より
ふるさと
●木曽川

真夏の灼けつく様な太陽の光がふりそそいでいます。とうとうと流れ去る清流は岩をかみつつ白しぶきを上げています。
ライン下りの船が客を一杯のんで次々と下ります。白帆は風を孕んで瀬を上っています。
陽炎がゆらゆらともえる河原には赤銅色の河童共が群れています。水に砂に暑さを凌ぐ者で木曽川は大賑わいです。やわらかな曲線を描いて流れる水面をじっと見つめていると心の底にあるなつかしさが湧いていて来ます。
  *
●北支事変の波
この部分タイトルのみで本文については約1ページ(550語程)製版後、原紙を修正液で塗りつぶし消されている、従って原本は白紙である。検閲があったのであろう、これ以前の物にはこのような痕跡は見あたらない。
この号の次号(12月25日発行)の後記に{支那事変に関係した事項並びに軍事に関係したことはその筋から達しがあり、あまり明瞭に書くことが出来ませんから左様御承知を願います}とあり

●祈願祭の執行

各団体は七社巡拝百社巡拝を行い北支●●(二文字塗りつぶし)将士の武運長久を祈願しています。街には千人針がチラホラ見られます。
七月二十九日
 国威宣揚武運長久一万度大祓祈願祭が団体事務所に於いて執行されました。近村の神主凡そ百名白装束に白鉢巻き木曽川にて身を潔め終日祈願をされました。
八月一日
 国威宣揚武運長久祈願祭が若宮八幡神社にて行われました。
午前七時より在郷軍人のみによって祈願されました。
午前十時より町主催岐阜日報社後援のもとに町民大勢出席荘重にとり行われました。
時局大後援会が太田小学校に於いて行われました。講師石坂弘毅少将を携して聴衆約千を越して盛会でした、
   *
●健康週間
七月二十一日より二十七日まで健康週間中種々行事がありました。行われた事は大体次の様です。
第一日(二十一日)
午前四時半警鐘により町民一同起床、五時八幡神社に参拝。
帰宅後直ちに神棚仏壇の清浄。
町内美化運動午前十時より正午まで家屋周囲の掃除「下水路は特に清潔にすること」午前六時より小学校に於いてラヂオ体操(毎日おこなわれます)第二日(二十二日)屋内の清潔整頓
畳を屋外に出して床上床下及平常行届かざる押入等凡て清潔
午前六時より小学校に於いてラヂオ体操

第三日(二十三日)屋外の清潔
七社巡拝、国難打破武運長久祈願の為在郷軍人分会青年団主体となり巡拝をし、町民一般も多数参加
汚物溜便所等不潔の場所を清潔
飲食物の販売者は製造所貯蔵所料理場並一般勝手元戸棚とうの清潔整頓

第四日 蠅の一斉駆除 (二十四日)
蠅取紙一枚を配布
豚、牛馬、山羊の小屋内外は特に清潔に

第五日(二十五日)衣類寝具の日光消毒
町民体育大会、午前七時小学校に於いて挙行(青年団主催)
食器の煮沸消毒、古着商は商品全部を日光消毒

第六日(二十六日)無料相談正午より午後四時まで、一般衛生、妊産婦は各医院、歯科は歯科医院宛
回虫駆除
第七日(二十七日)交通衛生座談会
  *
●太田稲荷川祭り  8月1日
真夏の宵木曽川畔に繰りひろげられた大豪華版、光の渦巻き、人の波、絢爛空に乱舞する打ち上げ煙花、波にゆらぐ山車舟に遊山船。さしもに広い河半も人で埋めつくされてしまって大賑わいでした。数万の人とは少し大げさですが
   *
●ラヂオ体操会
八月一日より二十日まで毎日午前六時より始められます
第一会場 太田小学校校庭
第二会場 祐泉寺境内
第一第二会場とも毎朝盛会を極めています。老若男女多数の集まりです。中には六十の坂を越した人も見
受けられます。
  

●剣道士用稽古

太田警察署道場に於いては八月二日より毎夜剣道士用稽古が始められました。小学生、青年多数参加
  *
●自転車競技会   八月一日
大阪毎日新聞社主催の岐阜県中部クロスカンツリー自転車競技大会が行われました。(コース)岐阜市公会堂前出発→高富町→美濃町→関町→太田→那加→加納→公会堂前
我が太田町を折り返し点として勇気溌剌たる若者は十二時過ぎ到着直ちに那加方面に走り去りました。
  *
●北支出動将兵慰問義金募集
  舞踊の夕   八月二日
太田芸妓総出演にて若嶋座にて行われました。人気100パーセント、大入満員曰く「銃後の赤誠を捧んとする私共よわき女性の此の催しに挙って賛成を」と。今では差別用語となる表現があります

昭和12年12月25日
発行分より

あはたゞしい雲のたヽすまい。柔の葉に
かさかさと鳴る風の音を聞いても、何からじいーと身内に冷たいものを感じます。
それもそのはず今日は師走だもの。
御嶽山とはきまっていない見る限りの山々には今朝(十二月三日)白いものをみた。田の面に氷を見ない今日、畑に霜柱を見ない今日早くも雪を近くに見る様になったのです。そろそろと正月の準備にかからねばならないようになりました。
ふるさとの田園風景は・・・・・・
だヾ粛々たるものであります。一面刈り取られた田の面のそこここに溜まり水が冷たく光っているばかりです。丸くふくれた雀が二、三羽ちヾこまっている電線の彼方を雪雲が千切れて飛んでいます。麦がちょっぽりと青い葉を見せています。
   *
からっ風の吹きぬける町に出て師走の横顔を拾ってみます。
 何が何でも先ず我が太田、なつかしのふるさとの表玄関である美濃太田駅の広場に立ちます。駅前道路の両側に高くそびゆる二立ちの塔に目を注ぐのです。
赤と緑の装飾をされた頂にハタハタとはためく数本の日章旗、『祝出征」の文字を見て五体に熱いものを覚えます。
   *
駅舎は事務室拡張中で待合室に作られた事務所は所狭く箱帳簿がつまれています。
「お待ちどうさまでございました。只今より上り岐阜行、太多線多治見行きの改札を始めます。どなたさまもお忘れ物のないやうにお願ひします」
すき通った若々しい女アナウンサーの声が拡声機から流れて来ます。
   *
小腰をかゞ めた乗客がプラットフォームに流れます。ぽっりぽっりと降りて町へ出る人にまじって駅前道路を真直ぐに南に向かうアズマ、カアチャンのネオンが寒風にふるえている。何時になったら家並みが揃うともわからない空き地を通り抜けると左手の自動車会社の詰所で一人のウンチャン、ストーブを前に何か思案にふけってござる。サッと一陣の寒風。足元に白い紙片がキリキリと舞い上がって行きます。
  *
太田館の映画看板がくさっています。うどん、志るこの看板が腹の底までしみわたって来るのを何うすることも出来ないのです。
   *
国道交叉十字路にうっかり立つと吹っとばされる。自動車の後ろに濛々と上がる土煙夜の暗さに消されて行くが、又しても過ぎるトラック二トン半。
はるか西の闇に気味悪く光る太田警察署の赤い外燈。黒々とそびえ立つ偉大なる高層建築。とぎすました様な弦月がその端にかすかにかかっています。
   *
昭和13年2月13日
発行分より
春は立ったけれどもまだ寒い。はるかにめぐる山々は白く冷たい光を反射させている。新国道の正面に聳えて見える恵那山から吹き下ろして来る風は春とも思へない 冷たさである。寒があいて二、三日急に暖かくなったと喜んだも束の間今日この頃の寒さ。いつになったら春が来るのかなあ
    *
平和な町太田にも昭和13年は訪れてきた。新しい年よ! 多幸であれ!会員の上に幸い多い年であって呉れ。
では最近の出来事を二、三・・・・・。
    *
■出初め式   一月六日
 暁の夢を破ってひびく召集信号
見る見る数を増す消防手の勇ましいハッピ姿。八幡神社に皇威宣揚、皇軍将士の武運長久
を祈願してより、小学校に行き種種団体行動をなし放水試験をなして終わる。小学校の少年消防隊もこれに参加好成績に終わる。

■上海戦線報告代講演会と映画の会
一月二十日午後六時より太田舘に於いて開催され多数の入場者あり。
 主催 岐阜日々新聞社太田支局
 後援 岐阜日々新聞社
 講演者
   岐阜日々新聞社副社長 坂本弥三 氏
   仝 編集局長 小木曽旭晃 氏
前後四ヶ月の永きに亘って江南の戦線を馳駆し郷土出身将兵の武勲を第一戦に慰問し各方面から託された感謝慰問状など伝達尚将兵と共活躍南京目指し破竹の勢いで進撃する皇軍の活躍状況などを報告される。
  映画、ニュース及 修羅八荒 外数種

■人力車登場 一月二十五日
太田の町をサッソウと走る人力車が出現した。名にし負う花街−−−桜町に頑張る、おでんピン公の人力車である、ガソリン節約の叫をよそに勢いよく街を走っている。中の令人はそも何人ぞ、若い芸者君人力車に乗ったことがなく、あぶなっかしい姿で乗り方のおけいこ。
 今晩は オーキニ・・・・・タクシーならず、ダットサンならず、人力車の中から。
太田の春は人力車から・・・・か太田の町中  一金十五銭也

■雪降り   一月三十日
午後より大きな雪が降りしきる。積雪およそ五六寸。でも春の雪。

■節分     二月四日
「福は内、福は内、鬼は外」
何かしらゆかしい声だ。町のあちこちにて叫ばれている。
煌々と照る月の光の中にマルマゲが行く、ビラビラカンザシが光る舞子姿・・・・。これも節分の一つの姿。
    *
■軍国図絵   二月八日
歩兵六十八連隊将兵は七,八,九日の三日間に亘り耐寒行軍を行い鉄脚華陽健児の声名を発揚した。室谷部隊長の訓辞を受け南北両軍に別れ勇躍出発。春近村付近にて露営の夢を結び芥見→関→富田を経て我が太田に進軍して来る。その数千二百(この後、原本五文字削除痕あり)
各家庭の心からなる歓迎を受ける。時節柄どの家も心をつくして歓待した。九日早朝太田小学校校庭に集合七時半歩武堂々鵜(一字削除痕あり)方面に進撃。
(文字削除について、原本製版後検閲で修正液にて塗りつぶしたとおもわれる)
    *
紀元節、国民精神総動員第二回強調週間
皇紀二五九八年紀元の佳節をトして 国民精神総動員第二回強調週間が設けられた。我が太田にても種々実行運動をする。
愛国行進其他団体的訓練
講演会、映写会・・・二十三日若島座。
銃後後援ノ強化
生活の刷新、国防資源の愛護  等々  
昭和13年6月12日
発行分より
■江南戦線報告講演会
 三月七日   於太田館
 大阪毎日新聞社特派員宮川雄三氏
    *
陸軍記念日
二月十日 戦時体制下に於ける記念日を迎えて益々東洋平和のために心が振るい立つのを覚える。
この日午後一時より祐泉寺境内の忠魂碑前に於いて恒例により戦病死者の慰霊祭が盛大に執行されました。
    *
春期清潔法
例年の如く全町に渡って行われました。
  施行期日  自三月二十五日 至二十七日
  検査日   三月二十八、二十九日
     *
■  
今年はめずらしく暖波が早く来たせいか四月半ばでなければ満開にならない桜が四月一日二日頃に十分開いてしまいました。このような年はあまりないでしょう
        *
氏神例祭
 四月三日 試楽   四日 本楽
桜花爛漫と咲き乱れた中に笛太鼓の音が響いてくるのです。
全町各社祭典執行時間は次の様でした
  太郎八神社  午前九時
  県主神社   午前十時半
  八幡神社   午後一時
  太郎神社   午後二時半
  八坂神社   午後三時半
       *
四月十一日 雨ふり
桜の花があわただしく雨に散って行き、花の盛りも何やら終わってしまう。青い葉の色が花の色に代わって目立つ様になった。この日一日小寒く雨にくれてしゅう
       *
軍隊露営
四月二十一日突如として名古屋輜重兵第三連隊自動車隊来たり一夜を民家に宿営することになりました。時ならぬ軍隊図絵を展開新国道は大賑わいでした。.
       *
四月二十六日
朝霜が下りたとのことでしたが日中にかけて初夏と言った感じのある日でした。さんさんふりそそぐ白々とした光、新緑が風にゆれて、影が濃くゆれるところ全く夏の色。
       *
観光報国週間
  自 四月十八日
  至 四月二十四日 一週間
全国観光地に於いて一斉に行われたものですが我が町に於いては之に参加週間中次のような事項を実施しました。
  1.神社仏壇の清浄
  2.店頭装飾 風景写真の陳列
  3.木曽川筋の美化  等々
四月十九日午後一時
日本ライン下り乗船場付近に於いて観光祭を執行
式後祐泉寺境内志賀重昂先生の分骨碑前に於いて同先生の慰霊祭を挙行。四月二十六日には若島座に於いて観光映画の夕を催す。
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■保健所地鎮祭
県最初の保健指導機関として設立準備中の太田保健所は工費二万四千五百円を投じて我が太田町に建設することに決定四月二十八日午前十時より盛大な地鎮祭が執行されました。
会員(注記 蘇陽会員)板津甚吉君宅の直ぐ裏の畑の中です。今では骨組みだけは出来上がっています。可成り立派なものです。
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天長節
君が代の万歳を祈り上げる
戸毎にはためく日の丸の旗の輝かしさ
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武装挺身隊縦走大会
四月二十九日天長節の佳き日を卜し大阪毎日新聞社主催第二回武装挺身隊縦走大会は挙行されました。太田を中心として付近町村より馳せ集まりたる若人は力のある限り頑張り合いました。
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閑院宮春仁王妃殿下御通過
皇后陛下恩召を以て閑院宮春仁王妃殿下を岐阜陸軍病院各務原分院下呂転地療養所に御差遣になり今次支那事変に依る戦傷病者を御慰問あらせられました。下呂へお成りの際太田駅を御通過あらせられました。挙町一致奉送迎申し上げました。
尚御日程は左の如し
 五月三日 午前九時五十六分岐阜御発
        午後零時21分下呂御着
 五月四日 午前八時四十四分下呂御発
        午前十一時四分岐阜御着
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保健週間
 自 五月十七日至二十三日
青年団消防組婦人会等各種団体参加、中でも太田藝妓カフェー女給百人二列縦隊にて七社巡拝は美観そのもの
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■徴兵検査
五月二十五より六月二日まで
昭和14年6月10日
発行分より

古い言葉ですが、月日の流れは早いもの、ついこの間昭和十四年の正月を迎えたようでありますが、早や五月です。滴るような若葉の新緑が微風にそよいでいます。ようやく暑くなった初夏の陽は新緑に映えて目にしみる様です。ふるさとの山野には初夏の光りが今一杯です。遠山の雪も消えはてて霞の幕に包まれてぼんやりとやわらかな姿を見せています。麦の種は出そろって花盛りです。青々とした畑に出そろった穂が風に波打って豊作を思わせています。蚕も出ました。桑の葉のしげりが日ましに加わってきます。今の所繭も十円近くの相場が出ているので蚕かいものぞみがあると言ったところ何か具合よく行くようにと思っています。
苗代には一寸程今年の苗がのびています今に田植えも始まることでしょう。かんかんと照りつける水田に入って鋤を振る人が次第に多くなってきて田圃はにぎやかになってきました。町を往く人々も軽い服装にかわり明るい色彩に満ちみちています。なごやかな五月の風にのって暑さも次第に加わって来るでしょう。
次にふるさとのニュース二三列記してみましょう。

■戦病没軍人慰霊祭

三月十日午前十時より町出身日清日露両戦役を始め今時事変に至る戦病没勇士の慰霊が行われました。祐泉寺境内に立つ忠魂碑の前に於いて遺族始め多数の参列を得て厳粛裡に執り行われました。
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■春季清潔法
例年の如く清潔法は施行されました。
三月二十四日より三日間、衛生報国の名のもとに銃後衛生に一段と完璧を期したのです。
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■時報
○○攻略戦に於いて名誉の戦死を遂げられた堀江豊氏追善のため同氏父君よりサイレンが寄付せられ役場の前火の見櫓に取り付けられました。朝六時、正午、夕六時の三回町の空高く鳴り渡ります。朝の静を破って鳴り渡るサイレンの音にまどらかな眠りからさめる町民の胸に去来する思いは、はたして何ものでろうか 、或いは征きし我が子を思い、或いは戦線に召されし兄を思い、夫を思う。あらずあの音、あのひびきにのって堀江豊氏を永しへにしのぶのでしょう。
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■祭典
四月三日四日、桜の蕾もようやく太り春の風が梢を吹き渡る時氏神の祭礼は訪れて来ました。二日共に天気よく。太鼓の音も一きはひびきわたりました。若い衆が足らず中老達おを狩りだしてての囃子方、非常時の感を一入り深くします。
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■本楽
県主神社  午前九時
太郎八神社 午前十時半
太郎神社  午後一時
八坂神社  午後二時半
八幡神社  午後三時半
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■警防団結成
歴史と伝統を誇る太田町消防組は時局に適応する為更生いたしました。四月五日太田小学校々庭に於いて觧散式を行いました。更生したものは警防団と称し觧散式に引きつずき結成式を挙行百八十名よりなる一大結成を行いました。その組織は大要次の如し
 本部  断腸以下   十名
 消防部      百十三名・
 警報及灯火管制部 三十七名
 防毒及び救護部  二十一名
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■武装リレー
四月二十九日 天長の佳節をトし大毎主催の青年武装リレーが挙行されました。
太田町役場前をスタートとして近郷の青年団多数参加各その健脚を競ったのでした。太田、古井、川辺(四文字不自然な空き)兼山 (四文字不自然な空き)広見 、今渡。太田とその全コース十三里見事武装してリレーを完成銃後青年の意気将に天を貫くといった有様でした・
  一等 田原  二等 蜂屋
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■健康週間
五月二日より八日まで一週間全国一斉に行われた健康週間に当たり町では種々の催しをいたしました。
  五月二日 午前五時半サイレンにて起床
     八幡神社参拝式武運長健康祈願
  三日 講演 結核予防 ハイキング
  四日 ラジオ体操 ムシ歯予防
     日光消毒 清潔整頓
  五日 乳幼児体力向上の日
     日光消毒と洗濯
  六日 花柳病予防 寄生虫駆除 講演
  七日 栄養改善(献立表配布)
  八日 講演

昭和14年12月25日
発行分より
のらりくらりととらえどころのない生活を送っている中に、とうとう行き付く所まで行きついたと言った感がないでもない。年もせまった師走の風にそぞろ一年をふりかえってみると、まったく会員諸君に申し訳ない次第だ。考えてみれば、こうした便りを送ったのは四月の末にただ一度だ。昭和十四年中たった一度とはすまない。とうとう行きつまって苦しまぎれに申し訳的に、ほんのわずかではあるが、ふるさとのことを書くことにする。どうか悪く思わないで呉。
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やはり冬はさむいものですな。ふるさとにもひしひしと寒波が押しよせて来ました。
今年は比較的晴天にめぐまれて来ました。何時もの事ながら葉と言葉をふるい落とした木々の梢寒空にふるえています。あの木曽飛騨の連山も白雪を着てみるからに寒そうな姿を見せています。田はすっかkり刈つくされて、刈り株に朝な朝な薄氷がはる様になりました。麦も早いところは一寸以上ものび霜に目ざめるように青くなっています。何から何まで冬の気分を漂わせています。町ゆく人はオーバーの襟に顔をうずめて通っている有様です。
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■十二月一日
国防及び鎮火祭が行われました。
 午前六時 火の見櫓に鳴り渡った半鐘の音。召集信号だ。待機警防団員すわとばかりに馳せ集まる。午前九時役場前に於いて国防及び鎮火祭は施行されました。神社の参拝、各家庭の火元の検査、ポスターの掲示等火気に注意すべく種々の行事を行い意義深き一日は終わりました。
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■十二月一日より十二月末日まで
経済戦強調運動に入りました。物価に関することを始めとし、生活刷新、消費節約、食料に関すること、貯蓄等各般に亘って銃後経済戦は着々と進められて行きます。
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中支にて武勲赫々名誉の戦死を遊ばされた多氏の兆層は十二月十一日木枯らし吹きすさぶ学校に於いて午後一時より、いとしめやかに執り行われました。英魂永久に安かれと祈る次第であります。
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大陸の第一線に御奮闘下さる将兵に送る防寒用兎毛採取の軍用兎が去る十二月八日午前八時半より、町役場に勢揃いしました。一頭六百目以上のもの沢山我も我もとお国の為にと整列を致しました。軍用兎の一部隊が出陣と言った風景は非常時ならでは見られぬ一風景でありました。
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今年も年末年始の売り出しと言ったものも今のところある様子には見えません。比較的町は平静であります。がっちりと自粛自戒国策に沿って聖戦遂行に邁進しているのであります 。
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特報すべき事件とてもないふるさとの姿をある意味に於いてよろこびつつこの頁を終わりたいと思います。
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昭和15年6月28日
発行分より
ふるさと

残された僅かな紙数。十分に本欄を生かすことも出来ないので本号は割愛しようと思ったがそれも淋しい様に思えたので申訳的に記すことにした。
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一ヶ月以上の日照りがつづいて。各家庭には井戸水の干上がってしまった所が非常に多くなった。田には大きな割れ目が出来てしまって田植を危ぶまれていた。然し幸いにも六月十六日夕刻より慈雨来たり十七日終日小止みなく降りつづいた、何うやら田植えの水に困ることもなくなった。
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木曽川も増水、祐泉寺下の清水が水をかぶるまで来た。太公望連はおおさわぎ、網を持ち出して夜っぴて大漁。
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桜町の桜並木も滴るほどの青さをもって濃い蔭をつくっている。その下を往来する女のはやフハを軽やかに風に吹かせているのも初夏の感を一層深めている。
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ライン下りの客は引きも切らず毎日船の足らないばかりの盛況、
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駅前通り二カ所に用水用井戸が完成。ガソリンポンプで水れを汲み出しつつ掘り下げられ水深一丈に及ばんとのこと。
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賀茂川には蛍が飛び始めた。町ではこの蛍を保護する様万全の処置をとっている。


昭和15年6月28日発行の三十号が保存されていた最終号である。
編集後記には次号について触れているので続ける予定はあったはず。
又、会員から特に大陸(戦地)に居る会員からの投稿が少なくなっていたようで投稿を呼びかけている。

冒頭の紙の残数、原本の紙質の極端な悪化から物理的に発行できなくなったのかもしれない。
父の生存中に警察等関係など関係部署からの干渉も増えたと聞いたことがある。
何れにしても開戦まで後一年半の事である。
戦後生まれの私には解らない時代のことで在るが、ごく普通の人間、ごく普通の生活が知らない間に
それも急激に軍国の中に取り込まれて行く一端を感じた。
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久しぶりの更新は偶然にも61回目の終戦記念日

トップページへ戻る 無断転載、流用は行わないで下さい   (C)2005.12.31 Hiroshi Matsuno
太田町には、昭和3年から平成の始めまで19才から50年以上の間絶えることなく、年に一度の同窓(級)会を行った同窓生達がいた。
蘇陽会というその会には会報誌があった一員であった親父が,生業としていたガリ版印刷で作った物である。会員の寄稿文、戦地からの便り、各地に散った友に宛てたふるさとの近況報告などが内容の会報誌、である、昭和5年〜15年にかけて発行された30冊の中から「ふるさと」の部分を抜粋する。

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