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第一章(Chapter 1) 「山の記憶」(Memory of mountain)(2018年版)




 第一章では、「私と山との関わり」について書いてみました。「山に登り始めたキッカケは?」、「今まで、どんな山域を歩いて来たのか?」、「山行を一緒に楽しんでいるのはどんな仲間達か?」、そして、この章の最後に「山と文学」についての話しを載せました。そこには、ホットな話題として、山仲間達で一緒に作っている山の同人誌「山・酒・温泉」(最新巻「第8号」2013年12月発刊)について紹介すると共に、私が読んだ「山書」についても記載しています。
※2017年版では、「山行履歴」データを更新しました。「山仲間の画像」と「山書コーナー」も更新して行きます。また、山書コーナーには、2009年2月15日、現代日本を代表する作家である村上春樹氏が戦時下のイスラエルでの文学賞受賞講演時に発言した大変示唆に富む発言も掲載しています。


   
(1) 山への想い
(2) 山行履歴
(3) 山の仲間達
最近読んだ山書
2015年の山の仲間達
(4) 山と同人誌
「山・酒・温泉」第8号発刊
「山書」への誘い
村上春樹氏の言葉
(5) 人は何故、山へと向かうのか

(1)山への想い

 大阪で生まれ育った私が「山への憧れ」を抱いたキッカケは、高校時代の「信州への修学旅行」でした。その修学旅行で、生まれて初めて中部山岳に足を踏み入れ、美ヶ原、霧ヶ峰(車山)、蓼科山に登りました。皆で行列になって登った頂上で、北アルプスの陸続とつながる青い山脈を見た時、それが私の中で「山の原体験」と化しました。あの時、感動した「光景」に再会するために、今でも山に向かっているように感じています。(高校は「大阪府立茨木高校」、時期は「昭和43年9月3日-7日」、修学旅行で信州の山に登るという企画は当時の高校では珍しいものだったと思われます)


(2)山行履歴

 私の住んでいる埼玉県の比企丘陵は関東の中西部に位置しており、ここをベースにして東北から信州までの山々を登るにはとても好立地です。関東在住43年間で、「山行ノート」に記録に残している山行は合計642回(2018年1月1日現在)となりました。今までの山行記録を主要な山域別に分類し、頻度順に並べると次の通りです。

           
主な山域と山行回数
奥武蔵・秩父の山 101回
北アルプス・御嶽山 58回
奥秩父・中央線沿いの山 56回
八ヶ岳・蓼科山 41回
丹沢の山 39回
奥多摩の山 37回
西上州・上信国境の山 23回
南アルプス 20回
箱根 19回
上毛・日光・足尾・足利 19回
上信国境の山 15回
尾瀬 13回
那須 10回
東北の山 11回


 山行を楽しむ山域は地元「奥武蔵・秩父」が一番多く、ここにはお気に入りの山「笠山」もあります。この奥武蔵には「山歩きのトレーニングコース」をたくさん持っていて、その一つが越生・毛呂山にある「鎌北湖〜宿谷の滝〜物見山〜ユガテ」コースです。近くの高麗には「日和田山」があり、有名なクライミングゲレンデもあります。五番目の「丹沢」は東京での会社員生活が始まってすぐに、学生時代の友人達と一緒に山岳訓練を目的に頻繁に登った山域です。今でも年に一度はこの丹沢山域に入り、ボッカ訓練と称して大倉尾根を登っています。塔ノ岳山頂にある尊仏山荘は富士山から湘南の海まで一望でき、私の好きな山小屋の一つです。「北アルプス」にも私のお気に入りのポイントがたくさんあります。その第一は、上高地からセルリアンブルーの梓川に沿って横尾に向かう途中にある「徳沢」です。まだ雪の残るゴールデンウィークから晩秋まで、この徳沢で野営生活を楽しんでいます。ここの「牧歌的」とでも表現したい穏やかな空間がたまらなく好きです。槍や穂高、蝶などから下りてきて、この徳沢のキャンプ場に着くとホッ!とします。二番目にお気に入りは、友人のペンションがある白馬村神城をベースにした遠見尾根の登攀です。残雪期に素晴らしい景観を味わいながら一登りすると小遠見山に到ります。ここから見るカクネ里から一気に突き上げる鹿島槍の姿には、いつ見ても息を呑まさせられます。とりわけ、4月の残雪期、「カクネ里」から突き上げる鹿島槍ヶ岳の雄姿は、「神々しさ」に満ち溢れています。









私の「お気に入り」の野営地・上高地から2時間の「徳沢」にて



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(3)山の仲間達


 山を介して、様々な人との「つながり」を楽しんでいます。今、一緒に山行を楽しむ仲間は、5グループあります。一つ目は地元比企・鳩山の山仲間「山遊会」、二つ目は社会人の山仲間の「YSO山の会」、三つ目は中学・高校・大学時代の山仲間(都岳連加盟の山岳会やフリークライミングサークルに所属)、四つ目は職場の山仲間、そして、5番目は2005年の3月初旬に八ヶ岳・赤岳鉱泉で偶然一緒になり、意気投合して山行を楽しむようになった山仲間で、まだ3名だけですが「関西健脚登山隊」と呼んでいます。これら全ての仲間達とは「山が好き」という一つの共通項でつながっています。そして、2006年以降には、この5つの山仲間を組み合わせた「合同隊」形式での山行が増えてきました。この合同隊にまたその友人が参加するという連鎖もあり「山仲間」も着実に進化しています。

 ここでは、様々な「山の仲間達をご紹介します

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左の画像は北八ッ・天狗岳を歩いた時に撮影
この山行メンバーは地元鳩山の山仲間達です。住んでいる鳩山も自然が豊かな地域ですが、山好きな仲間も多く、春夏秋冬、誘い合って山行を楽しんでいます




左の画像は北ア・唐松岳山頂にて撮影
左側の帽子のT氏は大学時代からの友人で、今は「フリークライミング」で活躍しています。グレード5.12aをクリアーして私の優秀なコーチ役となっています。関西在住なので、中間地点の信州で待ち合わせて、一緒に「山スキー」から「残雪期の北ア山行」など、一緒に楽しんでいます
これも、「合同隊」です。地元鳩山の仲間と大学時代の仲間を組み合わせたものです。




左の画像は丹沢・沢登りにて撮影
右側のK君は「YSOの会」の技術リーダー的存在で、世界7大陸の最高峰の内、既に5座の登頂を果たし、今、南極最高峰のビンソンマシフ(4897m)にアタック中です


(1月17日、登頂成功のニュースが入りました。これで、7Sammitの内、6座まで登頂達成です)
おめでとう!




山から下りて一番楽しいひと時

場所は、八ヶ岳、山頂より下りてきて温泉で一汗ながした後
(唐沢鉱泉にてYSOの仲間達と '03.7月)
YSOの山仲間には、様々な社会人の山好きが集まっています。「多忙な?」企業人ばかりの集団ですが、月例山行からお花見、芋煮会、そして「同人誌」の発行まで、活発に活動しています


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この画像は、2005年3月、残雪期の南八ヶ岳縦走中に硫黄岳頂上にて撮影


メンバーは、地元の山仲間の男性(鳥の先生)とストイックな精神で山に取組んでいる女性を合わせた3人で、全員が関西(大阪・神戸)出身という私の山仲間「関西健脚登山隊」です。




2005年10月9日、北ア・後立山連峰の秘境「風吹天狗原」にて撮影


 今回は、YSOの山仲間達と紅葉を尋ねる山旅でした。北アの守り人と言われる尾沢洋氏と風吹山荘でお会いし、「風吹天狗原」に案内して戴きました。そこは、後立山の秘境と言ってよいところです。一面の草モミジとなった湿原には「クロマメの木」が小さな秋の果実を付けていました。ここにも、素晴らしい自然が残っていました。




2005年11月5日、上越国境・谷川岳の「トマの耳」にて撮影


 関西健脚登山隊の山仲間5名とその友人の女性を加え6名で厳剛新道から西黒尾根ルートで快晴の谷川岳山頂に立ちました。関西隊2名、東京隊2名と鳩山隊(埼玉)2名を合わせた合同隊です。5日は谷川岳を往復し谷川温泉「恋沢山荘」に宿泊、翌6日に白毛門を往復しました。

 メンバー6名の内、5名が「大阪」「神戸」「宝塚」出身の関西人です。未だに大阪に住んで、フリークライミング三昧をしている二人を除いては、関東暮らしが長くなってしまったメンバーですが・・・。



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2006年の山行画像

2006年1月21−22日、霧ケ峰の「ヒュッテ・ジャヴェル」にて撮影


 関西健脚登山隊の山仲間3名とYSOの会の友人を加え4名からなる合同隊で霧ケ峰の大雪原ウォークを満喫してきました。ヒュッテ・ジャヴェルは、お気に入りの宿、初日も夜遅くまで、ご主人の高橋さんと山のこと、文学のことなど、いろいろ話しが尽きませんでした。二日目、高橋さんお勧めのコース「カボッチョ山」のスノーシュー散策から戻ってきて、ご夫婦も入れて記念撮影しました。

このヒュッテ・ジャヴェルには、「山の文学」の匂いが漂っています。薪ストーブが燃える室内には、かって、このヒュッテに集った文芸を愛する岳人達の空気を感じることができます。


2006年3月4−5日、南八ヶ岳の「赤岳から阿弥陀岳縦走」時に撮影


 関西健脚隊の2名で、美濃戸口から行者小屋を経由して赤岳天望荘に入り、赤岳から阿弥陀岳を縦走しました。天候にも恵まれ、360度の素晴らしい展望を満喫し、快適な雪山山行となりました。




2006年5月4日、北アルプス唐松岳山頂にて撮影


 GWの残雪期山行として、北ア・後立山連峰を縦走しました。八方尾根から唐松岳に登り、五竜山荘まで稜線を縦走、遠見尾根から神城へ下山しました。唐松岳(標高2696m)山頂にて撮影、今回は、関東隊4名(地元3、東京1)と関西隊3名からなる合同隊を組みました。メンバーは7名、これは関東の山仲間の4名です。


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2006年8月6日、冨士山頂にて撮影


 夏山山行として、職場の若い仲間と日本一の山「冨士山」に行ってきました。前日の土曜日17:00に新宿を出発、冨士五合目・河口湖口を20:00に歩き始める夜行登山でした。そして、頂上直下で、素晴らしい「御来光」に遭遇することができました。職場の若い仲間達も全員が元気に登頂することができました。



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2006年10月8日、南ア北沢峠テン場にて撮影


 秋山山行の第4弾として、南アルプスの仙丈岳と甲斐駒ヶ岳に山仲間4人で行ってきました。この3連休は、台風16号崩れの温帯低気圧が秋雨前線を刺激、大雨と強風を各地にもたらし、本州の高山では「初冠雪」となって、ここ南アルプスでも「白」「紅黄」「緑」の三段染めを見ることができました。泊まった場所は、北沢峠の長衛小屋(仙駒山荘)のテン場です。5人用のテントを張って、そこをベースにして、8日に仙丈岳、9日に甲斐駒ヶ岳に登りました。とりわけ、9日はもうこれ以上はない、という程の絶好の快晴下、初冠雪した北アや御嶽、遠く白山など360°の大展望を満喫しました。

2007年の山行画像

2007年2月3日、道志・御正体山山頂にて撮影


 2007年山行の第3弾として、道志の主峰・御正体山(1682m)に山仲間4人で行ってきました。2007年の冬は「暖冬」となり、日本各地で気象観測始まって以来の「平均気温の高さ」が報じられていました。そのため、山々も例年になく「積雪量」が少ない状態です。その中でも、「楽しい冬山シーズン」に入りました。2007年3回目の山行は、道志の山です。積雪量は山頂で25〜30cm、無風快晴、山頂には「皇太子テーブル」と呼ばれる皇太子が2004年10月に登った折に設置された「真新しいテーブル」が置かれていました。


2007年2月11日、八ヶ岳・赤岳天望荘にて撮影


 2007年2月10−11日、山仲間6名で「冬山訓練山行」として八ヶ岳の赤岳に向かいました。第一日目、美濃戸口から高低差1212mを登って、お気に入りの山小屋「赤岳天望荘」に入りました。この山小屋に厳冬期泊まるのは、2006年に続き2度目。食堂に隣接した畳敷きに置かれたこたつを囲んで、仲間達と遅くまで語り明かしました。

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2007年3月10日、北アルプス・白馬小蓮華稜線にて撮影


 2007年3月10−11日、鳩山山仲間3名で「志水哲也氏」の「白馬雪洞キャンプ」に参加、初日、小蓮華山に向かいました。夜半から荒れ模様の天候が予想されたため、雪洞は栂ノ森上部斜面1600m付近に設営、5名で楽しい雪洞体験をすることができました。


2007年4月30日、北アルプス・穂高の白出ノコルにて撮影


 2007年4月29日〜5月1日の2泊3日で「GW山行」の第一弾として、北アルプスの涸沢のテント村にテント泊し、30日、快晴の穂高連峰を満喫しました。この冬は暖冬と言われていましたが、涸沢はまだ5mの積雪に覆われていました。

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2007年9月16日、南アルプス聖岳山頂にて撮影


 2007年9月15日〜17日の2泊3日で「南ア深奥部」の光(てかり)岳から聖岳を縦走しました。光小屋、聖平小屋に自炊泊をしました。どちらの小屋も登山者は少なく、とても落ち着いた山行を楽しむことができました。





2007年10月28日、燧ヶ岳をバックに尾瀬沼にて撮影


 2007年10月27日〜28日の1泊2日で「秋山山行」の第四弾として、尾瀬を合同隊5名で訪れ、晩秋の尾瀬と「燧ヶ岳」登山を満喫しました。今年の「秋山山行」は、「上越国境・苗場山」から始まり、「木曽開田高原から御嶽山」、「北ア・黒部峡谷から仙人池」と秋景色を堪能し、第四弾が「尾瀬」になりました。台風20号が太平洋沖を通過、27日は雨でしたが「長蔵小屋」にて「秋の宴会」を楽しみ、翌28日、台風一過の大晴天の下、燧ヶ岳登山を楽しみました。

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2007年12月1日、「YSOの山仲間」芋煮会にて沢田氏撮影


 毎年12月には「YSOの山の会」では「芋煮会」を開催します。今回は、都立「武蔵野公園」にて、晴天の下、皆で芋煮とバーベキューを満喫しました。


2007年12月23日、八ケ岳・丸山山頂付近にて撮影


 2007年12月22日〜24日の2泊3日で小屋泊まりの「雪山訓練山行」として北八ッ縦走をしました。豊富な新雪を満喫すると共に、泊まった小屋では「忘年会」と「Xmas」を兼ねた大宴会を楽しみました。


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2008年の山行画像



2008年1月14日、八ケ岳の主峰・赤岳山頂にて撮影


 2008年山行の第2弾として、八ケ岳の主峰・赤岳(2899m)に山仲間8人で行ってきました。2008年の冬は昨年と打って変わって「中部山岳一帯」には豊富な積雪がありました。今回の山行は、「地元の仲間」と「職域の仲間」を合体させた合同隊で実行しました。女性3名、男性5名のとても楽しいメンバーです。赤岳天望荘に泊まり、雪山だけでなく仲間同士、そして、他の宿泊客との懇親も大いに楽しみました。

工事中

明るいビバーク仲間

2008年3月30日、南ア鳳凰三山から撤退後、標高2200m地点でビバークの翌朝に撮影


 2008年の春山山行として鳳凰三山へと仲間5名で向かいました。今年の中部山岳には例年以上の積雪が残っていました。御座石から地蔵岳に向かう標高2300mの樹林帯で腰まで埋まる猛烈なラッセルに力尽きて撤退、手ごろな場所でビバークしたのですが、天候にも恵まれて「楽しい雪上泊」となりました。



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2008年GW山行「乗鞍岳山頂」

2008年5月4日、北ア乗鞍岳山頂(3026m)にて撮影


 2008年のGW山行として北アルプスの「焼岳&乗鞍岳」に合同隊4名(鳩山隊3、YSO隊1)で向かいました。毎年、GW期間には残雪の山々を楽しんでいます。今年のGW山行は、豊富な残雪と晴天に恵まれて、楽しい山行を満喫しました。


2008年秋山山行「常念岳山頂」

2008年11月2日、北ア常念岳山頂(2857m)にて撮影


 2008年秋山山行として北アルプスの「常念岳」に合同隊4名(鳩山隊2、八王子隊2)で登りました。これは、今シーズン初の雪上登山となりました。強風の吹く稜線を常念乗越から登って山頂に立つと、蒼穹の下に「槍・穂高の雄姿」が圧倒的な存在感を持って我々を迎えてくれました。

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2009年の山行画像



2009年1月3日、浅間・黒斑山にて撮影


 2009年の山行「第二弾」として浅間・黒斑山に地元の山仲間4名で向かいました。この年末年始は西高東低の典型的な冬型気象となり、中部山岳一帯にも積雪がたくさんありました。この日、素晴らしい好天に恵まれ、歩き始めるとすぐに、八ケ岳、中央アルプスがくっきりとした姿を見せ、稜線に近づくに連れて、南アルプス、北アルプスも視界に入りました。そして、浅間外輪山の稜線に出ると、モウモウと白煙を上げる浅間山に息を呑み、雄大な展望を満喫することができました。


2009年3月21日、北ア・西穂独標に向かう稜線にて撮影

 2009年の残雪期山行として3月20−22日の日程で北アルプス・西穂高と上高地に合同隊(鳩山隊・八王子隊)の5名で行ってきました。西穂でも積雪1.5m程度、平年より少ないとのことでした。
 21日は申し分ない快晴、360度の素晴らしい展望にも恵まれ、西穂独標までの快適な雪の稜線歩きを満喫することができました。


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2009年夏山山行


2009年夏山山行として北ア・笠ヶ岳に山仲間4名で登りました。海の日の三連休を利用した山行です。初日・二日目は残念ながら梅雨末期の大雨でしたが、最終日は晴天になると読んで、二日目に笠ヶ岳山荘まで登りました。これが「大正解」!最終日、早朝から絶好の晴天が北アルプス上空に広がり、槍・穂高の大展望を満喫しました。


2009年7月20日、北ア・抜戸岳にて撮影


この時期、北アルプスの稜線では「豊富な残雪」と「お花畑」の素晴らしい景観を見ることができます。今回の笠ヶ岳山行でも、「杓子平」から上部には残雪も多く、その雪の上で遊ぶ「番いの雷鳥」も見ることができました。また、シナノキンバイなど多くの高山植物も愛らしい花々を見せてくれました。



東北・飯豊連峰


2009年8月12日、飯豊連峰・温身平(ぬくみだいら)にて撮影


 夏山山行第4弾として、8/11-14の日程で東北・飯豊連峰に山仲間5名で出かけました。コースは天狗平ロッジに泊まって、翌日朝、ブナ林が輝く「温身平」から石転ビ沢の大雪渓を登るコースでした。今回は、3泊4日の山行、東北の山らしく、全て自炊の山行でした。食糧を始め、自炊装備・宿泊装備(シュラフ、マット)・雪上歩行装備(アイゼン、ピッケル、ロープ)の重装備を担ぎ上げました。





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2010年の山行画像




「2010年の初山行」



2010年1月10日、初山行として、仲間二人で奥秩父「乾徳山」に登りました。
乾徳山頂にて撮影、バックは奥秩父主脈の山並みです。中央左側、雪で白く輝いているところは金峰「五丈岩」です。




丹沢・塔ノ岳山頂



2010年1月17日、塔ノ岳山頂にて撮影
「合同隊」の山仲間三人で丹沢バカ尾根を登り、「塔ノ岳」に行きました。






「残雪期山行」




2010年3月20−22日、残雪期山行として、会社の山仲間と二人で八ヶ岳主峰「赤岳」に向かいました。
3月22日、テント撤収後に撮影、この3連休、初日と三日目は八ヶ岳には「快晴」が広がりました。



「YSO山の会」お花見


2010年4月3日、多摩川土手(西河原公園横)にて撮影。
今年の桜は私達の「花見の宴」を待っていたかのように、この日、晴天の下、満開の姿を見せてくれました。YSOの山仲間とその家族、30名が集まり、「花もお酒も」たっぷり楽しみました。


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2011年の山行画像

「残雪期山行」



平成23年(2011)4月30日、八ヶ岳・黒百合ヒュッテ前にて撮影

GW山行第一弾として「YSOの仲間」と八ヶ岳・天狗岳を登りました

メンバーは4名、内女子二人(山ガール)は初雪山体験でした。黒百合ヒュッテに泊まり、雪上歩行を練習すると共に「ロープワーク講習」と「ワインパーティ」、「ツボマッサージ」などで盛り上がりました。



2012年の山行画像

「恒例のお花見会」



平成24年(2012)4月7日、多摩川土手(狛江)にて撮影

「YSOの山の会」の仲間達との恒例のお花見会です



「奥秩父・乾徳山」



平成24年(2012)5月26日、乾徳山登山口にて撮影

「YSOの山の会」の仲間達との軽い山旅でした



「尾瀬山行」



平成24年(2012)9月22-23日、尾瀬沼にて撮影

「会社の職場」の仲間達9名で秋の尾瀬を楽しみました



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2013年の山行画像

「GW山行」


2013年のGW山行には残雪期登山を御嶽&恵那山で楽しみました
その前に白馬五竜の友人のペンションで大学時代の山仲間達との同窓パーティを楽しみました

「合同隊山行」


久々の「合同隊(鳩山隊+中野隊)」山行を鳳凰三山で満喫しました
ここ鳳凰三山は南アルプス前衛峰、二日間とも白峰三山の雄姿と一緒の山旅でした

観音岳山頂にて 5.26撮影

「職場の仲間達」


毎年秋、職場の仲間に呼び掛けて、秋の山歩きを楽しんでいます。今年は、那須の山でした
朝日岳に登り、三斗小屋で温泉&宴会、下山後も「鹿の湯」で温泉と、たっぷり「那須の山と温泉」を満喫しました。

登山口「ロープウエイ山麓駅」にて 9.7撮影



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2014年の山行画像

「雪山山行」


道志山塊「今倉山〜二十二夜山縦走」

2014年も雪がたっぷり降っています。その中、地元の山仲間10名で道志の山に登りました
今倉山山頂にて2014年1月25日、撮影

愛鷹山地「越前岳」

3月の地元山仲間の定例山行
「富士三脚」の一つとして有名な愛鷹山地の越前岳山頂にて2014年3月15日、撮影
この日も、予想を超える積雪の中の登山でした。「富士展望」は曇天で全くダメ、登山口から終日、雪上歩行の一日でした。

YSO恒例の「花見会」

YSOの山仲間達
小田急「狛江」に近い「多摩川土手」にて2014年4月5日、撮影
「桜」は満開は過ぎていましたが、まだ十分「花見」も楽しめる状態でした。今年は、2月〜3月、低温が続いた(大雪もありました!)ことが良いタイミングをもたらしてくれました。




「お花見」の場所の多摩川土手は多くの花見客で溢れていました、2014.4.5 撮影


「春山山行」

甲府盆地の山「甲州高尾山」

4月の地元山仲間の定例山行
「甲府盆地」を見下ろす名山「甲州高尾山」山頂にて2014年4月12日、撮影
素晴らしい春景色の中の登山でした。「勝沼ぶどう郷駅」に着いた時から満開の桜と白く輝く南アルプスが私たちを迎えてくれました。鳩山の山仲間7名で大展望を満喫する山旅を満喫しました。

南アルプス前衛の山「千頭星山」

5月の地元山仲間の定例山行
千頭星山に向かう「甘利山」山頂にて2014年5月24日、撮影
地元「鳩山」の山仲間「山遊会」の5月例会登山でした。「千頭星山」・・・初めて聞く名前の山でしたが、標高2139m、登山口から山頂まで残雪の富士山がズ〜ッと横に見えていました。そして、千頭星山の横には巨大な「鳳凰三山」が壁のように聳えていました。山が「レンゲツツジ」で有名とのことでしたが、まだつぼみでした。その代わり、快適な草原歩きを15名の仲間で楽しみました。

「夏山山行」

高校同窓会登山「大菩薩嶺」

茨木高校(大阪府立、創立129年)のOB&OG5名で大菩薩山行を楽しみました。
関西から参加したメンバーもおり、標高1720mの山小屋「福ちゃん荘」に一泊、翌日朝3時から歩き始めて稜線上で朝日に輝く富士山と南アルプスの展望を満喫しました。
「福ちゃん荘」前で撮影、2014年6月14日

地元山仲間「鳩山隊」3名で赤城山トレラン
梅雨の晴れ間を狙って、赤城連山の南側、荒山高原〜鍋割山を走りました。
2014年6月21日、鍋割山山頂にて撮影



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2015年の山行画像



「YSOの花見会」

社会人山の会「YSO」の恒例花見会です(中央一番上が私です)
2015.4.4 多摩川土手(狛江)にて撮影


高校同窓会登山「霧ヶ峰アゲイン」

2015.8.29-30 霧ヶ峰にて撮影
大阪・茨木高校の同窓会アウトドア部11名の仲間です。
関西・関東から集まり、修学旅行の思い出の地・霧ヶ峰を歩きました。


合同隊山行「奥武蔵・笠山〜堂平山」

2015.10.25 堂平山キャンプ場にて撮影
鳩山隊・YSO・H&Fの7名で奥武蔵の山歩きと山パーティを楽しみました。


山遊会山行「奥武蔵・伊豆ヶ岳縦走」

2015.11.21 伊豆ヶ岳縦走時、古御嶽にて撮影
地元の山仲間8名で「正丸駅」から歩き始め、「吾野駅」まで縦走を楽しみました。


忘年山行「奥多摩・雲取山」

2015.12.20 雲取山山頂にて撮影
地元の山仲間3名で「忘年山行」として、12.19-20 雲取山に行きました。三条の湯で「温泉&宴会」、翌日は快晴の下、富士山から南アルプスまで素晴らしい展望を満喫しました。

2018年の山行画像



「八ヶ岳残雪期山行」

地元山仲間「鳩山隊」です。3-3-4で残雪期八ヶ岳山行を楽しみました。
3.4 赤岩の頭にて撮影



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(4)山と同人誌


「山書の繁み」



 山行が好きだ。そして、山行と同じ位、「山書」を読むことが好きだ。登山家自身が書いた「山行記」は勿論のこと、山行経験がある作家達が山を舞台にして書いた「山岳小説」を読むことも好きだ。何故か?と問われると、山書の中で主人公達が歩き、登攀し、眺めた山々の光景を共に体験し、心情を共感すること、それができるから好きなのだと思う。

 山が好きで、山のエッセーを書くのが好きだという「山の仲間達」と今、「山の同人誌」を作っている。これからも「山書の杜」を彷徨し、「いい本」に出合うことを希求しつつ、自らも体験したこと・感じたことを書いて行きたい。



(A)同人誌「山・酒・温泉」

 山が好きな人は、写真が好きだったり文学が好きな人も多いのですが、私の山仲間の一つ、YSOの仲間には文学青年(?)達が多く、山の紀行文や随筆、詩文、写真を集めては毎年、立派な同人誌「山・酒・温泉」を刊行しています。編集長の白井氏は、第3号の巻頭言の中で登山が他の多くのスポーツと異なる点として、「多くの文学的成果物を生み出してきたこと」を挙げられています。つまり、「紀行文や詩、随筆、物語、小説などいわゆる文学と呼ばれるジャンルの出版物はスポーツの中で登山が最も多い」ということです。




 アルプ

 この登山と文学との関わりの中では、私達日本の山ヤには「大きな財産」があります。それは、山の雑誌「アルプ」の存在です。この雑誌は、哲学者でもあり山ヤでもあった串田孫一氏が中心となって、「山を中心主題として文学・芸術活動する」という目的で発刊されたものでした。実に、昭和33年から昭和58年まで25年間に渡って、月刊誌と別冊が300号まで刊行されました。この雑誌は、山に関する紀行文だけでなく、詩、絵画、写真など多彩な内容を持っており、執筆者も串田孫一氏、尾崎喜八氏、藤木九三氏、辻一氏、小林一行氏、小島六郎氏など層々たる顔ぶれが連なっておりました。神田や阿佐ヶ谷にある山の古書を扱っている書店で、私はこの「アルプ」の姿を見つけると、今でもすぐに買ってしまいます。

 私達の山の仲間達で制作している同人誌「山・酒・温泉」も、この「アルプ」のように次第次第に完成度を高めて行きたいと思っています。そして、この同人誌「山・酒・温泉」の発刊が、更に多くの「山が好き」な仲間達との交流を広く深くしてくれることも期待しています。







「山・酒・温泉」第8号を発刊しました!

 「YSO山の会」の「文芸」が大好きな山仲間達で、「山の同人誌」を刊行しています。そして、その「第8号」が平成25年12月5日に無事、発刊できました。この最新号の執筆者には新人4名も加わり総勢15名、YSOの山仲間の広い交友関係を表すように様々な仕事を持つ社会人達(女優や、地雷除去で世界を駆け回っているNPOメンバー、世界中を歩いている旅行家など)から自慢の原稿(詩・随想・山行記・写真・イラスト)が集まり、ページ数も118ページとなりました。

この山の同人誌の入手を希望される方は、私宛にメールを下さい(第11章にメールコーナーがあります)。また、この本は、御茶ノ水にある有名な山書の店「茗渓堂」でも入手することができます。)



YSO同人誌「山・酒・温泉」第8号について

私もこの第8号の編集に関わると共に、山のエッセーを1編、寄稿しています。それは、「ストイックな山・YSOな山」です。この「ストイックな山・YSOな山」は、私が2010年に登った山から3件の山行(奥穂から前穂、会津駒、富士山)を取り上げて紹介したものです。





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(B)「山に寄り添う日本人」

 9月22日の「朝日新聞」(夕刊)に山梨県立文学館の館長である近藤信行氏が「山と文学との関わり」や「日本人の山」について的確にまとめられた文章「山に寄り添う日本人」を見つけました。これは、日頃私自身が感じていることにもつながっています。下記にその文章の「要約」を掲載します。

(要旨)日本には山を詠った詩歌、山を描いた文章など登山行為と結びついた多彩な文学がある。日本人は古くから「山と精神文化」とを同一次元で見て来ており、自らの心を山に投影して来た。昭和31年6月、マナスル登頂を果たした槙有恒(ゆうこう)氏はカトマンズで開かれた登頂祝賀会で、「私はマナスルを征服して来たのではない。この壮麗な山との親しみの交わりを深めてきたのだ」と述べられたと言う。その歓迎会に居合わせた登山史家のレッヒェンぺルク氏は深い感銘を受け、槙氏の話しとして「高峰に登るのは、自然への巡礼と同じことである。人間、精神、自然は一つの宇宙の一部である。私達が山に登ろうとして出発するとき、私達は決して戦いに行くのではないのだ。」と書き記した。八千メートル峰の初登頂に成功した後で、自然と人間の融和を語ったということは、日本人の登山を考える上で極めて象徴的なことである。

 近藤信行氏のこの結びの「言葉」に私も全く同感です。そして、これは日本の多くの登山愛好家が心の中で思っていることではないでしょうか。氏が館長をされている山梨県立文学館にも是非、一度足を運んで「山を主題とした文学作品」の数々を拝見したいと思いました。


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(C)「山書」への誘い

何故、一流と言われる登山家達は「素晴らしい文章」を残しているのだろう?「登山家=作家」と言っても過言でない位、読む人を感動させる作品の多さには驚かさせられる。これは、彼や彼女ら登山家達が「死」と隣り合わせの世界の中に自ら入り、そこで「真剣に」生き、「感性」を鋭く研ぎ澄ましているからではないだろうか?以下に、2009年〜本年に私が読んだ「山書」を紹介します。


「最近読んだ山書」


                                                                                                       
中川博樹
泉 久恵
文豪が愛した百名山 深田百名山を舞台にした著名な作家・作品を取り上げた本。深田久弥自身の   文章からの引用と共に作家(芥川龍之介、井上靖、宮本輝など)自身の言葉でも   山の良さを知ることができる内容でした。
高橋千剱破 名山の文化史 興味深い山書だった。今、日本の山に登るとやたらと神社が目に付く。しかし、これは明治新政府の宗教弾圧(廃仏毀釈)によって、日本独特の山岳修験の核として発展してきた名寺院がことごとく破壊・抹殺された結果だと知った。この弾圧で多くの堂塔、貴重な文化遺産が失われたとのことだった。これは、私に新たな視座を与えてくれた本だ。
椎名 誠 ハーケンと夏みかん 面白い短編集だった。私は、単独で山に入る時、一冊の文庫本を持参することにしている。この文庫本は「北信州の名山の旅」に持参した。夜一人のテントの中で読んでいて、ゲラゲラ笑ってしまうことが度々あった。避難小屋泊の夜でも、読んでいて笑ってしまい、同宿した登山者から「何を読んでいるのですか?」と質問されてしまった。こういう「山旅」も世の中にはあるということを改めて知った。
谷 甲州 単独行者 19歳の時、新田次郎の「孤高の人」を読んで衝撃を受けた。これも、加藤文太郎が昭和11年1月、槍ヶ岳・北鎌尾根で遭難死するまでの「自己と山との戦い」を描いた小説だ。文太郎を描いた小説は、いつ読んでもそのストイックな姿勢に惹かれてしまう。
佐瀬 稔 喪われた岩壁 「副題」は「第2次RCCの青春群像」だ。面白く一気に読んだ。高度な登攀、特に谷川岳や穂高に青春を賭けたクライマー達の軌跡を改めて知ることができた本だ。彼等が戦時中も谷川岳の岩場に向かっていたとは驚きだった。
小西政継 マッターホルン北壁 言わずと知れた「山岳同志会」のリーダーだ。第2次RCCと同じく、日本山岳会的な既成登山を批判し、尖鋭的な登山(「鉄の時代」)を自ら実践したクライマだ。小西氏の著作は、名著「グランドジョラス北壁」に続き2作目。
吉尾 弘 垂直に挑む 12歳で社会人山岳会に入会、14歳の時、谷川岳で積雪期初登攀の記録を作った人だ。奥山章、芳野満彦らと、昭和30-40年代の日本のクライミング史で中核的なクライマーだった。しかし、常に生き方や性格に悩む内省的な登山家だったところが魅力でもある。
ラインホルト・メスナー メスナー自伝 「超人」と呼ばれたクライマーの自著だ。南チロルに生まれ、ドロミティの岩場を父親と登った卓越した登攀者の姿を改めて知った。後半では、植村直己と同じく「水平の世界」にも挑戦した。
小泉 弘 装丁山昧 本書の紹介文に「山の本好き、装丁好きに贈る珠玉のブックデザインの集大成」と書かれていた。全くこの通りだ!食い入るように、それこそ、寝食を忘れて読了した。作者も登山家、なんと私の地元の登山家仲間が属する山岳会の方だった。その上、「ヤマケイ」のPD(Printing-Directer)の紹介では私の会社の職人の方が取り上げられていたので親近感も100倍!
笹本稜平 未踏峰 この作家の作品は初めて。南三陸町でのボランティア活動中に、夜間、テントの中で読んだ。北八ヶ岳の森と湖の世界からネパールヒマラヤへと挑戦する話しだ。「気質タイプが異なる人」とのコミュニケーションの仕方からも参考になる。
熊谷達也 光降る丘 2008年6月14日発生したマグネチュード7.2の「岩手・宮城内陸地震」で栗駒山が山体崩壊した。土砂崩れで大きな被害を受けた開拓村の話しだった。2013年3月、南三陸町ボランティア後、「くりこま荘」に泊まってその崩壊跡を見た。
立松和平 二荒(ふたら) 日光連山は好きな山域だ。その中心・男体山を開山した勝道上人と修験者としての姿勢を描く。そして、中禅寺湖畔に暮らす人達や欧米の大使館員の営みなども知った。益々、日光の山・湖が好きになった。そして、同時代を生きたこの作家が亡くなったことは残念
村口徳行 エベレスト登頂請負い業 山仲間からの推薦本、読んで随分とプライドの高い人だと感じた。自信家なのだろが、それは実績が裏打ちされている。自分の雇主に対しても、歯に衣を着せぬ筆致には脱帽。エベレスト登山の現状を知ることができた。
山野井泰史 アルピニズムと死 ”死”と極めて近い立ち位置で岩壁に挑戦することが生きるエネルギーとしてきたクライマーだ。彼の山は「趣味」とは対極にある「真剣勝負の山」と言ってもいいだろう。
宮尾登美子 天涯の花 この小説の舞台となった剣山の標高1400mにある「剣神社簡易宿泊所」に2015年9月、泊まった。剣山の歴史、山の様子、そして、キレンゲショウマのことなどもこの本で知った。



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私の選んだ「山書」BEST2

 今まで読んだ山書の中で、最も印象的だったもの

加藤文太郎 単独行 やはり一番は「加藤文太郎」のこの本だろう。文太郎は私の好きな登山家でありそのストイックな登山姿勢に惹かれる
松涛明 風雪のビバーク 衝撃的な「死」である。ザイルを組んだ岳友ために果たして私達は死ねるのか?


村上春樹氏の言葉(戦時下のイスラエルで講演)

 山書とは余り関係がないが、私の好きな同時代の作家に村上春樹氏がいる。その村上氏が2009年2月15日、パレスチナと戦闘行為中のイスラエルでとても印象的な発言をされた。この発言はエルサレムで行われた「文学賞受賞」記念講演の中で行われたものだ。私たち一人一人の生き方に対して極めて重要な示唆に富む言葉だと確信するので、以下に掲載したい。

村上春樹『どれだけ壁が正しくても、どれだけ卵が間違っていようとも、私は卵の側に立つ』・・・これは、私たちの生を抑圧する様々な動きや仕組みを「高い壁」として表現し、それと対峙するヒトを「卵」とした村上氏が得意とする比喩だ。この「高い壁」に強いたげられるヒトに対する氏の共感もまた私がこの作家を好きな理由の一つだ。この村上氏の言葉は、2009年の「最も印象深い言葉」の中に確実に入るものとなるだろう。


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(5)人は何故、山へと向かうのか


私自身について言えば、「山」は現実の世界においても、精神世界においても重要な位置を占めている。その私の「動機」を話す前に、私が考えていることとほぼ同じことを表現した文章に出会った。その引用から始めたい。

毎日新聞「余禄」(2010.8.20)


「夏、山に行く。雷を恐れ、沢筋は増水に注意する。汗をタラタラ流しながら、ゆっくりと登っていく。担いだ荷が肩に食い込み、息も荒くなってくる。林道から樹林帯を抜け、尾根筋に出ると、一気に展望が開ける。  山の醍醐味と感じる瞬間だ。何よりも谷から上がってくるひんやりした涼風がありがたい。視界が広がることによって、頭の中の空気まで入れ替わるようだ。地図にある通りの山々が遠方に見えてくる。  その度に思うことがある。本当に我々はあのピークまで到達できるのであろうか。それほどまでに、目標は遠く高く見えるのだ。ただし、これも毎回経験するとこだが、人間の足の確かさだ。一歩一歩前に進むうちに次第に距離が縮み、いつのまにか山頂に立つ自分を発見する。  もう一つの楽しみは、下山して帰路、車窓から眺める山々の連なりである。手前の低山からその奥の中山、遠い高山、そしてさらに遠くに連なるアルプス級の山々の稜線が織りなす微妙なグラデーション(色彩の段階的変化)である。」

この筆者の山行への「思い」に共感する山ヤは多いだろう。私も、その一人だ。

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