古写真に見る伊勢

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新・古写真に見る伊勢

                                          2015-2.16開設 2015‐4.1更新           


 平成25年には伊勢の神宮の式年遷宮がありました。その神宮のお膝元の伊勢を古い写真で見てゆきます。

     神宮  宇治  山田駅前  外宮前  河崎  二見  鳥羽  志摩  朝熊山  鉄道     

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                  山田駅前

↑昭和10年頃            平成27年↓

現、伊勢市駅となっている、「山田駅」である。

 明治30年(1897)11月に開業し、昭和5年(1930)9月に近鉄線が開通した。参拝の玄関口として今も栄えている。

 私鉄、参宮鉄道KKの終点駅として開かれたが、明治40年に国有化され、参宮線となった。上の写真はその三代目の駅舎の写真であるが、空襲に合い昭和25年に建て替えられている。当時、一等駅であった。

 古い写真左に、駅前にある世木神社の杜が写っている。世木社は今もその位置にあるが、現在の写真には写っていない。道路の関係で、世木社を背にして撮影した。

現在の写真の下、道路に伸びる木陰が世木社の木の者である。

 先代の駅舎は、外宮参道の正面にあったが、建替えられた跡は昭和30年に出来た駅前の大通りに向かって位置をずらし、駅前にバスプールとロータリーが出来た。以前は噴水もあったが、取り壊され、平成25年の遷宮の際に、ロータリーも大きくされたた。

↑1.  大正中期  

↑2. 昭和10年頃

↑3. 写真2に近い時期か

↑4.平成27年3月


↑5.参道より山田駅

↑6.平成27年3月


↑7.外宮前、高千穂館北村屋

↑8.油屋駅前支店

↑9.油屋古市本店


 @山田駅(現在の伊勢市駅)前の写真
 国鉄山田駅は明治30年(1897)に開通した。改札を出たすぐ正面の風景である。正面の参道は約400メートル先の外宮まで続く。

写真1.

 大正中期頃。大正7年に建った商品陳列館が出来るより前の写真である。
 参道の中央には内宮・二見へ行く路面電車、神都線の軌道が見える。(伊勢電気鉄道が明治38年に開通、戦中に三重交通の所有となり、昭和36年廃線) 

 右の三階建ての建物が旅籠宇仁館。一階には十台以上の人力客車が写っている。

 左が油屋支店。旅籠油屋の本店は古市にある。その奥が高千穂館と続く。

写真2.

 昭和10年頃、高千穂館は昭和に入ってから三階建となり、隣に洋館四階建ての食堂を建てた。戦火により焼失。(写真左側、電車の止まっている前の建物)

 左の並びの奥に薄らと写っている白いビルは、大正7年に出来た「三重県商品陳列館」である。物産品が並べられた。

 左手、立て看板に「内宮ゆき二十銭」と有ります。ここには掲載していませんが、他の写真にも「内宮ゆき弐拾銭」と有ります。どうも乗り合いバスの看板のようです。

写真3.

 写真は不鮮明ではあるが、上部にひさしが写っており、山田駅の中から撮影された事が判る。別の写真から、ホームから撮影されたことが判明。(写真5や、未所持の写真)

 駅舎は空襲にあった為、昭和25年に再建された。その為、現在は改札の位置が西(写真右)方向に数メートルずれている為、改札からは参道が見通せず、ロータリーの正面になっている。

 写真1は古本屋で手に入れた物で、裏には前の持主の手記が残っている。
「戦前までは3階建の旅館が並ぶ、今は8階建のデパートが建つ」
 参道を挟んでジャスコのA、B二館が在ったが現在はもう無い。昭和36年(1961)に旅館、高千穂館を改装してデパート「伊勢オカダヤ」が開店。41年には5階建てのビルとなる。48年(1973)には参道を挟んだ向かい側に地上8階、地下2階のB館が開店した。平成8年(1996)に閉店。A館は前年に解体されたが、B館は平成13年(2001)まで残された。

写真4.

 現在、平成27年の写真。

 B館の建っていた右側は長く空き地であったが、今回の遷宮を機に温泉旅館と土産物店が建った。また写真の鳥居も新しく建てられたもの。参道にはいくつかホテルが建っているが当時から残る旅館は山田館のみ、ずっと奥の方なので判りにくい。土産物屋の立ち並ぶタイル舗装の参道となっている。


写真5. 

 こちらは参道中程(駅寄り)から駅方面を撮影した物。年代は判らないが、高千穂館が三階建になる前であるから、大正時代の物である。

 明治30年(1897)に参宮鉄道の山田駅(現伊勢市駅)が新設されるまでは、駅前は数本の川が流れていた。家が建っているのは外宮よりの方ばかりで広い畑地であった。駅の開設に伴って33年(1900)に参道が整備され賑った。この参道は外宮の本来の玄関である「北御門」から東にずれたところに参道が引かれた。駅から北御門へ通づる道も造られたが、参道の方が栄えたため外宮の玄関が現在の参道口に移っていった。この当時から残っている店としては、木造三階建ての旅館「山田館」や、明治40年創業の刃物店「菊一」がある。

葉書の解説文

「歳々参百萬の参宮客を迎ふる神都の鬪門にして旅館軒を連ねる沿道を過ぐれば外宮前より御幸通に通じ宇治橋前に達す本道は明治四十三年の竣成にして延長四十三町あり」

四十三町=4キロ700メートル程。

写真6.

 山田館を残し旅館は姿を消した。現在あるのはビジネスホテルばかりである。

昭和初期の参道の旅館街 ↓

 佐伯館がファッションビルになったのは平成元年の事で、それまでは旅館として百年近い歴史があった。


 初めは宮川の手前までしか引かれていなかった鉄道は、大衆の要望により途中の「筋向橋駅」(現山田上口駅)まで延長され、遂には外宮前まで延長される。宮川の手前までしか鉄道が来なかった事には理由がある。宮川を渡ることが「禊(みそぎ)」の意味があった為である。その他にも、地域経済の理由もあったと思われる。宮川には渡しがあり、船で人や物を運んだ。宮川柳の渡しは明治44年に橋が架かったため廃止となったが、それ以前の鉄道延長によって、ほぼ役割を終えていた。また、駅前が栄えた代わりにそれまで徒歩の参宮客が通ってきた街道沿いの店々は寂れていった。こういった現象は現在のモータリゼイションの中でさらに加速し、車通りの多いバイパス沿いだけが発展し、今日は駅前ですらも寂れている。これは全国共通の問題であろう。


写真7.

 外宮北御門前に建っていた高千穂館の別館北村屋。高千穂館は天正年間に創業、発祥はこちらの位置。山田駅前にあるのは支店である。(写真年代不詳)

写真8.

 山田駅前一件目の油屋支店。本店は古市にある。支店は明治末期の写真には写っているので、明治33年(1900)に参道が整備されて間もなくに出来たのであろう。

写真9.昭和初期

 付録として、古市の油屋本店の写真を掲載する。歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」の舞台となった。→「油屋騒動」で検索。

 谷の傾斜を利用した数階建ての大きな旅館だったが、空襲によって焼かれ、さらには昭和年()に開通した近鉄線がこの跡地を通り、今は跡形もない。

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