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判決要旨 宣告日時  平成18年8月28日午前10時 東京地方裁判所刑事第12部
裁判長裁判官 大島隆明     裁判官 小林愛子    裁判官 佐藤傑
事件名  住居侵入被告事件 被告人 荒川庸生

【主文】 被告人は無罪

【本件公訴事実の要旨等】
本件公訴事実の要旨は,被告人が,正当な理由がないのに,平成16年12月23日午後2時20分ころ,東京都葛飾区内に所在し,多数の住民が居住する7階建ての分譲マンション「サンハイツ亀有」(以下「本件マンション」という。)内に侵入したというものであり,関係証拠によれば,本件は、被告人が日本共産党関係のビラを配布する目的で,本件マンションの玄関ホールから、1階廊下を経てエレベーターで7階に上り,各住戸のドアポストにビラを入れて配布しながら階段を使って下の階に順次下り,全戸に本件ビラを配布しようとしたが,3階の居住者に見咎められて警察に通報され逮捕されるに至ったという事案である。

【公訴棄却の申立てについて】
弁護人は,@適法な逮捕手続が存在しない,A被告人が亀有警察署に連行された後に適法な弁解録取手続が行われていない,B事案の性質に比して著しく過大な捜査がなされているなどとして,本件の公訴提起に至る捜査手続には重大な違法性があるから,公訴棄却の裁判がされるべきであるなどと主張する。
しかし,まず,@の逮捕手続の点については,関係各証拠によれば,警察に通報した3階の居住者は,被告人を逮捕する意思で警察に通報したことは明らかであり,被告人は,逮捕者とされる本件マンションの居住者と1階玄関前で並んで立っていたところに110番通報を受けた2名の警察官が臨場したものと認められ,手錠などによる直接的な拘束はされていないものの,それ以降は,被告人がその場を離れて自由に振る舞うことが不可能な状態であったものといえるから,被告人を逮捕された者と扱うか任意同行と扱うか関係者間にやや混乱があったことを窺わるが,その居住者が,警察官の臨場を得てその助力により被告人を現行犯逮掃したものと認められる。また,Aの弁解録取手続の点については,関係各証拠によれば,被告人は,亀有警察署に連行され,午後3時15分に北山新一警部補に引致された後,しばらく逮捕された旨を告げられずに事情聴取を受けていたが,被告人が帰宅を申し出たことを契機に逮摘事実が告げられると,午後3時55分ころから,弁解録取手続が開始され,その際には犯罪事実の要旨及び弁護人選任権が告知され,午後4時ころ,被告人は岡田弘隆井護士を弁護人として選任する旨述べ,その後北山警部補が弁解録取書を作成して被告人に署名指印を求めたものの,被告人はこれを拒否したものと認められる。そして,その後,本格的な取調べが開始される時点では黙秘権が告知されていること,引致から弁解録取手続の開始までに40分程度経過した理由は,そもそも逮掃の現場で事情を十分確認しておくべきであったとはいえ,逮捕の有無及び被疑事実等の事案の把握に時間を要したことが主たる要因と認められることからすると,少なくとも捜査手続全般に影響を及ぼす違法はなかったものといえる。さらに,Bの点については,弁護人は,被告人方に対する捜索・差押手続が行われたことや,本件マンションの実況見分が大規模に行われたことを問題とするが,本件ビラの配布に至った経緯等は犯罪の成否などに関連する事項であり,本件マンションの実況見分がいかに大規模に行われようとも,それによって被告人の何らかの権利,利益が損なわれるわけでもなく,被告人方の捜索の必要性の有無が直接本件公訴提起の違法につながるものとも解されない。
したがって,本件の捜査手続には公訴提起を無効とするような重大な違法があるとは認められず,公訴棄却の裁判を求める弁護人の主張は採用できない。

【住居侵入罪の成否ついての判断】
(1)関係各証拠によれば,被告人は,日本共産党葛飾区議団だより,日本共産党都議会報告,日本共産党葛飾区議団作成の区民アンケート及び同アンケートの返信用封筒の4種の書面(以下「本件ビラ」という。)を1組にして,各居室の玄関ドアポストに投函する目的で,平成16年12月23日午後2時20分ころ,本件マンションの玄関出入口からその内部に立ち入り,玄関ホール,1階廊下を経て,エレベーターに乗って7階まで上り,7階から順に各居室の玄関ドアのポストに本件ビラの投函を開始し,4階までの各居室に投函を終えて3階で二,三戸の居室のドアポストに本件ビラを投函したところ,被告人の後ろで居室のドアが開き,そこから出てきた居住者に「これを配っているのはお前か。」と声をかけられ,ビラの投函を中止したものと認められる。

(2)本件マンションの構造及び管理・使用状況等
本件マンションは,東京都の葛飾区亀有2丁目に所在する環状7号線に面した地上7階,地下1階建ての鉄筋コンクリート造りの分譲マンションであり,1階部分6戸は店舗・事務所,2階以上の40戸はすべて住宅として分譲されている(2階以上の住戸部分のごく一部が,設計事務所としても使用されたり,過去において老人介護支援の事務所に使われたことも認められるが,これは管理規約違反の使用行為であり,もともと2階以上の住戸部分が事務所・店舗と兼用のものであったとは認められない。)。1階の店舗用部分の出入ロと,2階以上の住戸部分につながる出入口は別個に設けられており,本件マンション1階西側部分のほぼ北端にガラス製両開きドアの玄関出入口があり,そこを入った玄関ホールの右側の壁には掲示板と集合郵便受けが設置され,その奥にさらにガラス製ドアがあり,その手前の左側に管理室がある。これらのドアは居住者の出入りのため常に無施錠である。管理人室の窓口からは出入口を通行する者を監視することができ,管理組合から業務委託を受けた会社が管理員を派遣して管理人室で業務を行うことになっているものの,その業務内容には警備は含まれず,週4日は午前8時から午後5暗まで,水曜日と土曜日はそのうち午前中のみが勤務時間であり,日曜日・祝日は休みとなり,夜間や休日等は管理員が不在であるほか,管理員は,勤務時間内でも点検作業業務,共用部分の清掃業務等もあり,常に管理人室に待機しているわけではない。その奥のドアを開け1階の奥に進むと右側にエレベーター,左側に階段があり,2階以上に上がることができる。1階にはこのほか裏側の自転車置き場の近くに鉄製片開きドアがあり,同様に施錠されていないが,マンションの表側からは見えない目立たない箇所に設置されている。2階から7階までは,一部住戸部分に隠れている外廊下が南北方向にあり,北端近くとやや南側の2箇所に外階段が設置されている。1階玄関付近には,直接各居住者とコンタクトをとれるインターフォンなどの設備はない。被告人は本件以前に2回本件マンション内に日本共産党のビラを各住戸の玄関ドアポストに投函して配布したが,その行為に対して抗議を受けたことはなかった(なお,被告人を逮捕した居住者は,玄関戸アポストにメニューやビラを投函したピザのデリバリー業者や日本共産党に配布の中止を求める電話をしたと証言するが,その際には自己の氏名やマンションの名前すら明示しなというのであるから,被告人が,本件マンションにおけるビラ配布に反対している者がいると知っていたとは認められない。)。

(3)被告人の立ち入った場所の「住居」該当性
被告人の立ち入った場所は,本件マンションの1階玄関ホール,1階及び7階ないし3階廊下の各階廊下部分,エレベーター,階段等の共用部分である。人が起居して生活している場である住戸が「住居」に該当することは明らかであるが,建物内部にあり,住戸部分と建物外部との間をつなぐ部分であり,これと不可分一体のものとして利用される廊下,エレベーター,階段等の共用部分は,住戸部分と空間的にも極めて密接な関係にあり,もとより,外部の道路等と異なり,居住者と無関係の者が自由に立ち入ることができる場所ではない。そのような場所への侵入により住戸に居住する者の私生活の平穏も損なわれることになるから,共用部分も,居室部分と程度の差こそあれ,なお私的領域としての性質を備えていることは否定できず,このような部分についても住居権の保護を図る必要性が認められる。また,同じ条文の「建造物」についてはその「囲繞地」も含まれるとの解釈がされており,それとの整合性からみても,集合住宅においては,住戸部分だけでなく,住戸部分と不可分一体のものとして利用される共用部分についても,「住居」に当たるものと解するのが相当である。したがって,被告人が立ち入った場所は,刑法130条にいう「住居」に当たる。

(4)共同住宅の共用部分と住居侵入罪の成否
@まず,一般的に,共同住宅の共用部分への立入行為が住居侵入罪にいう「正当な理由がない」場合に該当するか否かを検討する。住居侵入罪の保護法益が住居に誰を立ち入らせるかを決める自由に求められる住居権にあることからすると,一般的には他人の住居に住居権者の意思に反して立ち入ること解すべきであるところ,本件においては,被告人は立入りについて本件マンションの居住者の承諾を得ていないものの,集合住宅の共有部分は多数の居住者の住居権が競合する領域であって,当然ながら各居住者の意思は一様ではなく,また,管理者の意思も常に外部的に表示されているわけでもないのであって,誰の承諾を受ければ適法なのか外部からは必ずしも把握できない。また,共同住宅には様々な形態があり,例えば,2階建てのアパートで集合郵便受けも設置されず,特段の掲示もしていない建物であれば,何らかの正当な用事があれば,2階の通路部分に立ち入れることは明白であり,窃盗や覗きなどの犯罪行為又は不法な行為を行う目的を有するような場合のみ違法性を帯びるものと解される。逆に,弁護人は,本件行為が憲法21条による保障を受けるものであると主張するところ,たとえそうであるとしても,他人の住居の平穏を不当に害することは許されず,オートロックのマンションで,居住者がドアを開けたのに乗じて続いて入ってビラを配布したり,厳重な警備がされているマンションに,警備員の注意がそれた機会にこっそりと忍び込んだり,水道等の検針員を装うなどの欺罔的手段を用いて中に入るなどの行為が違法性を帯びるものであることもほぼ異論のないところと思われる。さらにいえば,過去には日用品や食品を背負ったまま訪問販売するという形態や近所をご用聞きに回るという形態の商法も少なからず見られたのであって,これらの商人にとって,一軒家であれば問題ないが,共同住宅の玄関ドアに赴くことは犯罪になるなどとは到底考えられなかったはずであり,社会全般もそのような意識であったと思われる。犯罪を行う目的やこれに準じるような不法な目的で立ち入る場合には,どのような共同住宅であっても「正当な理由」のない侵入であることは明らかであるが,本件のようにその目的自体は決して不法なものではない場合,どのようなときであれば立ち入りを許されるかは,共同住宅の形態,立ち入りの目的・態様等に照らし,その時の社会通念を基準として,法秩序全体の見地からみて社会通念上容認されざる行為といえるのか否かによって判断するほかはない。
Aそこで,以下,被告人の本件立入行為が,その日的・態様に照らし,法秩序全体の見地からみて社会通念上容認されざる行為といえるか否かを検討すると,被告人の立入行為については,以下の点を指摘することができる。
ア まず,被告人が本件マンションの共用部分に立ち入った目的は,各住戸の玄関ドアポストに本件ビラを投函することにあり,集合郵便受けにとどまらず,ドアポストへの投函を図ったのは,集合郵便受けでは各種のビラが投函され,商業ビラに紛れて一緒に見ずに捨てられるおそれがあるため,居住者にビラを閲覧してもらえる可能性を高めようとする点にあったものと認められる。
イ 本件ビラの内容は,日本共産党の都議会・区議会での活動内容や今後の活動方針を伝えたり,区政に関するアンケートを依頼するに過ぎないものであり,犯罪行為を助長したり,社会の風紀を乱すようなものではなく,その政治的主張に同調するか否かは別としても,これを受領することによって住居の平穏やプライバシーを侵害されるとの危慎や不安感を抱くということも少ないと考えられる。
ウ 立入りの態様についてみると,被告人は,午後2時30分前後という,通常は不審者が出入りすることが少なく,他の居住者や関係者の出入りも想定される昼間の時間帯に,誰にもとがめられることなく本件マンションに立ち入っており,本件マンションに立ち入る際に殊更に居住者や管理人の目を避けようとはしていない。
エ その滞在時間は,せいぜい七,八分程度で,その間,被告人は各居室のドアポストに本件ビラを投函していたにとどまり,上記の立入り目的と関わりのない行為には及んでおらず,捕まらずに2階まで配り終えて退出したとしてもさらに二,三分を要する程度である。
Bもっとも,政治的意見を表明したビラの配布が憲法21条によって保障される行為であるとはいえ,集合住宅の居住者は他人が自己の住居の共用部分に立ち入って政治的意見を表明することを受忍すべき義務はなく,公共の場所で配布されるビラと異なり,ポストに入れられるビラは居住者自身がこれを手にとって処分することを強制されるのであって,そうした立入りを憲法21条だけを根拠に直ちに正当化することは困難であり,その目的から直ちに被告人の立入行為が社会通念上容認されざる行為には当たらないとの判断を導くことはできない。
しかしながら,マンションの共用部分に立ち入り,ビラ,チラシ類を集合郵便受けに投函するだけであれば,通常、集合郵便受けは玄関ホール付近に設置され,誰でもその設置場所まで行くことが物理的に可能であり,その程度の立入りであれば居住者のプライバシー侵害の程度もわずかであると考えられる一方、住民運動や各種の政治活動をして自己の思想や価値観等に基づく表現物を他人に伝えたいと欲している者にとって,共同住宅の居住者とコンタクトをとる機会が事実上失われるというのは不当であって,少なくとも集合郵便受けに表現物を投函する行為は,ビラ,チラシの内容が善良な風俗を乱したり,犯罪を慫慂するような不法なものでない限りは,たまたまその内容が当該マンションの居住者の思想や価値観に反するものであっても,管理権者の推定的,包括的な承諾のある行為として当然に許容されるものというべきである(例えば,オートロックマンションの玄関に「居住者及びその関係者以外立入禁止」というような掲示があり,その奥のホール内に集合郵便受けが設置されていたとしても,通常は,その掲示はオートロックのドア内部に立ち入ることを禁じる趣旨であると解するのが相当である。)。現に商業ビラ等の地域内の全戸配布を請け負ういわゆるポスティング業者が少なからず存在することは公知の事実であり,このような業者が,実際には集合住宅を全て除外してポスティングをするなどという契約違反となる配布方法を取っているとは考え難い。これと比べると,集合郵便受けが設置されているのにわざわざマンション内の廊下や階段にまで立ち入り,各居住者の居住部分と共用部分を隔てるドアのポストから居住空間内にビラ,チラシ類を投函するという行為は,プライバシー侵害の程度が高くなる一方,そのような配布方法を取る必要性も特に強くはないはずであるから問題がないとはいえない。マンションの設備としてドアポストが設置されていることから,集合郵便受けとドアポストが並列的,選択的に使用できるなどと解するのは相当ではなく,居住空間への接近の程度からみて両者に相違があるのは当然であり,ドアポストは居住者の個別の依頼のある物のみの投函が許すため,また,訪問者と会わずに書類の授受ができる等の便宜のために設置されているとも考え得るのである。また,現在では,一般に,各住戸の利用のため制限できない個々の住戸の関係者の立入りは受忍しなければならないとしても,防犯やプライバシー保護の観点から,その目的を問わず,全くの部外者が集合住宅の共用部分に立ち入ること自体に不安感,不快感を感じる居住者は相当数存在するものと考えられるところ,本件マンションにおいても当然そうした居住者が少なからず存在するものと推認されるのであって,そのような居住者の心情も尊重されなければならない。立入りによって居住者が抱く不安感,不快感への配慮という観点からは,立入りの目的が政治ビラの投函で,その態様も平穏なものにとどまるとしても,そうした立入りが一般に社会通念上容認されざる行為には当たらないものと断定してよいかとなると,若干躊躇を覚えざるを得ないところである。被告人は,居住者に本件ビラを読んでもらいたいがためにドアポストに配布したと供述するが,その点は集合郵便受けに投函する他の業者等であっても同様であり,被告人は,居住者と会った場合には目的を明らかにして不安感を払拭していたと供述するものの,被告人の考え方は,マンションの居住者の心情への配慮をやや欠いており,独りよがりな面がないとはいえない。
Cしかしながら,他方で,居住者の抱く不安感や不快感を根拠に,本件における被告人の立入行為が直ちに社会通念上容認されざる行為に当たるといい得るかとなると,集合住宅の共用部分に部外者が立ち入る行為はその目的を問わず差し控えるべきであるとの考え方が強くなってきたのはさほど古いことではなく,このような考え方が一般化,規範化しているか否かはなお慎重に検討する必要がある。
すなわち,前記の集合郵便受けは,配達人を入らせる範囲を共同住宅の入口付近までに限定する作用を営んでいることは否めないが,概ね3階建て以上の建築物に集合郵便受けの設置を義務付ける郵便法の昭和36年改正の趣旨は,プライバシーの保護ではなく,郵便配達人の配達の便宜を図るという点にあったのであり,集合郵便受けの設置は,法規上はドアポストまでの接近を禁ずる根拠とはいえない。また,本件以前にビラ投函目的で集合住宅の共用部分に立ち入る行為が刑事事件として立件されたなどという報道は,ピンクビラの事案を除外するとほとんどなく(いわゆる自衛隊の立川宿舎への侵入事件があるが本件とは相当に事案を異にする。),かつては,政治ビラや商業ビラの投函目的で集合住宅の共用部分に立ち入り,各居室の玄関ドアポストにまで至る行為は,特段問題のある行為とは考えられていなかったふしがある。本件マンションにおいても,ピザのデリバリー業者のメニュー等が住戸のドアポストに入れられていたことが認められ,ドアポストへの全戸配布を行うポスティング業者の存在さえ窺われるが,そのような業者が逮捕されたなどという報道も知られていない。
ところが,近時、都市生活者を中心に防犯意識,プライバシー意識に敏感な居住者が増加していることを受け,オートロックシステムを備えたり,部外者の立入禁止を明示した看板を掲示するなどし,部外者の排除を試みる集合住宅が急増しており,集合住宅の共用部分は私的領域としての性格が強くなってきていることは否めない。むしろ,検察官の指摘するように,居住者に無関係な者はできる限りマンションの廊下や階段などの共用部分にも立ち入らせてほしくないという考え方の者の方が多いのではないかとも考えられる。もっとも,プライバシー意識,防犯意識の形成にあたっては,個々人の生活歴が影響する部分も多いであろうと考えられることからすると,各人の年齢,世代や,居住する地域、住居の形態等によってもその意識に差異があるものと推察され,政党の真面目な活動を制約するような立入禁止を是としない考え方の居住者も当然あり得るところである(この点については本件マンションにおいて現実に居住者の意識がどうかが問われるのではなく,社会一般の意識に基づいて判断されるべきである。)。被告人はこれまで40年以上にわたって政治ビラの投函に従事してきたものの,特段マンションの居住者から立入りをとがめられたりすることはなかったと供述しており,前記のようなポスティング業者の存在や共同住宅への立入りの実情,報道の有無等をも勘案すると,近時のプライバシー意識,防犯意識の高まりを考慮しても,現時点では,各住戸のドアポストに配布する目的で,昼間に居住用マンションの通路や階段等に短時間立ち入ることが明らかに許容されない行為であるとすることについての社会的な合意が未だ確立しているとは言い難く,これが社会の規範の一部となっているとは認められない。
したがって,現時点でのプライバシーの意識や防犯意識の高揚を前提とすれば,本件のようにビラ配布の目的だけであれば集合郵便受けへの投函にとどめておくのが望ましいとはいえても,それ以上の共用部分への立入行為が刑事上の処罰の対象とすることについての社会通念は未だ確立しているとはいえず,結局、被告人の立入りについては正当な理由がないとはいえない。

(5)本件マンションにおける立入禁止の合意の内部的成立
前記のとおり,一般的にはマンションの共用部分へのビラ配布目的の立入りは,直ちに住居侵入罪に当たると解することは困難であるが,いかなる者の出入りを許すかは,マンションの各住戸の専有部分の使用を害さない限り(すなわち,各住戸に用事がある者の出入りを禁止せず,それ以外の第三者の立入りを制限するに限り),各マンションにおいて自由に決められる事項であり,それが対外的にも明示されていれば,その明示の警告に従わずに立ち入れば住居侵入罪が成立するものと解される。
そこで,区分所有のマンションにおいてどのような形態の決定がされれば,内部的に適法に立入禁止を決めたことになるを検討すると,各住戸の権利者は,部外者の立入禁止が決まっても,例えば本件のようなビラ配布についていえば,自己の専有部分の使用権に基づき,そのビラを自己の住戸のドアポストにだけは配布してもらうことは可能である上,部外者の立入禁止は,専有部分の権利者の共用部分の利用を制限するものともいえないことなどに照らすと,区分所有権者が構成する管理組合等から立入りの許否を決する権限を委ねられた機関が決するのが適切な事項ということができる。本件マンションでそうした立入り拒絶の意思が形成されているものと認められるか否かをみると,本件マンションでは,管理規約等において,「管理組合の理事は,理事会の定めるところに従い,管理組合の業務を担当する」ものと規定されているところ,この規定は,管理組合の総会で決することも意思決定の機動性,迅速性という観点から妥当でないと考えられる管理組合の日常の業務に関する事項につき,理事会に意思決定の権限を付与するとともに各理事がその決定に基づいて業務を執行することを認める趣旨であるものと解される。そして,あまり明確ではないものの,@本件マンションの管理組合規約によれば,管理組合の業務には風紀・秩序及び安全の維持に関する業務が含まれていること,A前記のとおり,部外者の立入りの制限は,居住者自身の共用部分の利用を制限するものではなく,現実に承諾を与えることで立入りを許容することを妨げるものではないことなどからすると,プライバシー保護や防犯上の観点から部外者の立入りを拒絶することは,本件マンションの管理組合理事会に意思決定権限が付与された管理組合の日常の業務に関する事項に当たるというべきである。
そうすると、本件マンション管理組合理事会においては,葛飾区の広報誌を除いて部外者が共用部分に立ち入ることを禁じる旨決定し,その旨管理人にも指示していたものと認められることに照らすと,その決定によって,本件マンションの居住者全体の構成する団体から立入りの許否を決する権限を委ねられた機関において,部外者の立入りを禁じる意思が形成されたものといえる。したがって,被告人の立入りは,客観的には本件マンション管理組合理事会の決定を通じて形成された住居権者の意思に反するものといえる。なお,弁護人は,被告人の立入りの目的が,政治ビラの配布という憲法21条の保障する表現の自由に基礎付けられる行為にあったことからすると,そうした目的でのマンション共用部分への立入りが住居侵入罪にいう「侵入」に当たるというためには,立入り拒絶の意思決定が居住者の総意としてなされ,その総意が明示された上で実効的に執行されている必要がある旨主張する。しかし,住居がプライバシー権の支配する私的領域であることからすると,住居権者は住居に誰を立ち入らせるかを自由に決することが許され,例え政治意見を表明したビラを投函するための立入りであっても,これを受忍すべき義務はないというべきであるから,居住者の側において,政治ビラの投函目的での出入りを拒むために,他の目的による立入りを拒む場合と異なった特別の決議をする必要もないものといえる。

(6)本件マンションにおける立入行為禁止の外部的表示の有無
次に,その意思決定の外部への表示の有無についてみると,本件マンションの1階玄関ホール内の入口から見て右脇の掲示板には,広告の投函の禁止や部外者の立入りを禁じる趣旨のはり紙が貼られている。そのうちの1枚は「チラシ・パンフレット等広告の投函は固く禁じます。」というものであるが,そこに記載された「広告」の文言からは,主として商業ビラの投函を禁止する趣旨であるかのようにも読みとれ,政治ビラの投函も含めて一切のビラを禁じる趣旨であることが明らかではなく,その掲示の位置も,1階玄関ホール内で立ち止まることなく通過する場合には目に入らない箇所である。現に被告人がこれを立入った際に読んでいたという証拠もない。また,かなり以前から貼付されていると推認される「当マンションの敷地内に立ち入り,パンフレットの投函、物品販売などを行うことは厳禁です。工事施行,集金などのために訪問先が特定している業者の方は,必ず管理員室で『入退館記録簿』に記帳の上,入館(退館)願います。」との文言の貼り紙もあるが,「物品販売」、「業者」などの用語から,同様に商業活動を禁じる趣旨にも読める上、かつて用いられていた入退館記録簿は本件当時は既に存在せず,それにもかかわらず工事業者等から抗議や記録簿の整備を求める要求があったというような形跡もなく,記録簿による入退館の管理は全く有名無実化していたものと判断される。さらに,集合郵便受けのポストの中には「青少年に有害なビラ・チラシお断り!!」と記載されたテープがはられているが,被告人の所持していたビラがこれに該当するわけでもない。本件マンションには防犯カメラも設置され,各所にいたずらや犯罪に関する警告の文言が記載されているが,被告人は,犯罪やいたずらを行うために立ち入ったわけではないので,そのような警告文の存在は,被告人の立入りを禁ずる旨を伝えるものとはいえない。加えて,本件マンションでは,いわゆるオートロックシステムは設けられておらず,管理人は,葛飾区の広報誌を除いてビラやパンフレットを投函する目的で内部に立ち入ることは一切禁止されている旨指示され,販売員を見かけたときは追い返していたが,日曜,祝日や平日の午後5時以降等,管理員が滞在しない時間帯が多く存在し,その実効性には疑問があり,本件においても,被告人は管理人から警告を受けた事実はない。さらに,平成14年3月の管理組合理事会で議論された部外者の立入りを禁じる旨の看板の設置も本件に至るまで実現せず,本件後に玄関出入口前に「関係者以外の立入りを禁じる」旨を表示した看板が設置されている。
以上のとおりであるから,内部的には,被告人のような政治目的のビラ配布目的も含めて立ち入りが禁じられていた事実は認められるが,そのような意思表示が来訪者に伝わるような表示がされていたとはいえない。したがって,明確な立入禁止の表示がされていない本件マンションの管理者の意思に反する立入行為を被告人がしたとしても,これを「正当な理由」のない立入行為であると解することもできない。そうすると,一般的には,社会通念上本件のようなビラ配布が当然に禁じられていたともいえないことも前記のとおりであるから,結局,被告人のした立入行為は「正当な理由」がないとはいえず,住居侵入罪を構成する違法な行為であるとは認められない。

(7)よって,刑事訴訟法336条により被告人に対して無罪の言渡しをする。

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