河内國 國定國史教科書中等科 上


●はじめに
我々の祖先は長い間,日本帝國によつて支配されてきました.獨立を勝ち取るまでの支配期間に行はれた日本帝國主義による暴虐の限りは絶筆に盡し難いものでした.
我々は祖先らの無念の思ひを偲びつつ,また民族の誇りを養ひ,そして後世に傳へ續けなければなりません.此れは60萬國民一人一人の義務であり一番の御奉公です.ですから國家は,將來を擔ふ君たち一人一人が,此の史實に基づいた教科書によつて教養が深まる事を切に願つて止まないのであります.

一.建國
××年,我が國の建國は日本帝國主義の河内支配の本據,富田林市廳の前で行はれました.河内民族獨立解放戰線議長の河内良仁によつて建國宣言文が讀みあげられ,富田林市長は此れを諒承.後に大阪府知事,日本帝國總理大臣によつても承認され,獨立國家として世界に認知されるやうに成りました.また富田林市に勤めてゐた日本人をはじめ,多數の日本人民は手厚く保護され,建國の數週間後,本國移送を完了しました.

二.國王陛下即位
××年,建國の際に活躍した河内民族獨立解放戰線議長の河内良仁氏は,民族の支持を受けて國王陛下と成りました.
然し建國後,未だに我が國は混亂状態に陷つてゐました.各地で掠奪,暴行などが平然と行はれてゐたのです.國王陛下は事態を容易でないと見られ,數日後,玉野幸市氏を主席とする行政府を發足させました.行政府は後に内閣府に變はり,最終的には中央行政會議府と成りました(中央行政會議府は××年に解體され,現在は國家最高統治會議府が其れを引き繼いでゐる).

三.ジャカルタ條約
××年,印度ネシア政府から我が國に特使一行がやつて來ました.彼らは外交關係の構築を求めて遙々南方からやつてきたのです.政府は印度ネシアとの外交關係が國益に適ふものであると考へ,外交關係の構築を約束しました.翌年,其れを具體的に各國へ知らしめる爲,我が國は印度ネシアのほかにプレトニアとの間に,條約を締結しました(ジャカルタ平和友好條約).此の出來事は,我が國の今後の外交に大きな影響を及ぼすことと成ります.

四.播河安保體制確立
我が國は建國以來一貫して軍備増強を行つてゐました.××年,政府は國力の發展に鑑み播磨に相互安全保障體制の構築を要請しました.播磨政府は我が國の要請に同意し,播河安全保障同盟を締結.強力な軍隊を有する播磨との同盟關係の確立は,我が國にとつて大變有意義なことでありました.

五.HBK加盟の波紋
××年,政府は更なる國際友好を深めるため當時加盟國最大の組織,HBK(箱庭防衞協會)に加盟しました.然し,數日後,加盟國の中から多數のならず者國家が出現したり,自稱盟主の“天王”の怪司令など,國際社會に脅威を與へかねないと思はれたため,政府は脱退を宣言しました.「世論が加盟に反對してゐたのにも關はらず,政府が加盟を強硬した爲に此の樣な事態に成つた」ことを詫び,建國以來の行政府主席玉野幸市氏は自決しました.
同氏の自決は我が民族に深い悲しみを與へました.然し,當然の報いだ,とする心ない國民も現れたのです.

六.王國議會發足
××年,先の主席自決の原因は,政府の獨走を防げなかつたからだ、とする世論が多數を占めて來ました.行政府は立法府,すなはち王國議會の發足を國王陛下に上奏しました.翌年,國王陛下の裁可を受け,王國議會が發足しました.初期の王國議會は,國王選出の議員でありました.二代主席に濱村健悟氏が就任したのは此の頃のことでありました.

七.廣まる共産主義活動と其の撲滅
××年,世の中は,王國議會の發足による參政意欲の向上,不況などが影響して共産活動が活溌に成りました.逐一,王國陸軍の出動によつて鎭壓してゐましたが,痺れを切らした國王陛下は撲滅を指示.此れは異例中の異例でありました.
早速,王國陸軍は撲滅の體制を整へました.また応援として印度ネシア軍が驅けつけました.印度ネシア軍の応援は共産主義撲滅作戰の遂行を圓滑に進める事が出來ました.作戰開始の10日後,政府は共産主義者の撲滅に成功しました.また,國王陛下は印度ネシア大統領スハルト閣下に感謝の意を表す爲に,自ら進んでジャカルタへ向はれたのです.また政府は後に,一連の共産主義撲滅作戰の正式名稱を「國賊討伐作戰」と命名しました.

八.對イスパニア陣營戰
××年,當時常任理事國であつたイスパニア王國政府は,自國内に於て暴虐の限りを盡してゐた.此れを討伐せんと立ち上がつた專守防衞聯邦の意志に深く感心し,我が國はイスパニア王國に對して宣戰を布告しました.當時最新鋭を誇つてゐた兵器等により同國へ猛烈な打撃を與へた我が國は,敵の攻撃を受けたはけでもなく,戰勝を宣言.我が國初の對外戰爭勝利は,我が民族の大きな誇りと成り,後に祖國戰勝記念日として國家の祝日と成りました.また,此の頃から專守防衞聯邦との關係が深まつてきたのであります.

九.樣々な條約への締結と播河安全保障體制の崩潰
××年,先の戰勝により,國際社會の我が國への信頼を得る事が出來ました.まづ露河修好條約が締結され,其の後に蘇河友好協力條約,河臺平和友好條約などの條約も批准されました.此のやうに我が國は,此の頃から條約締約など,國際社會に於て積極的な活動するやうに成つたのであります.また專守防衞聯邦への加盟が,我が國の經濟に有益を齎すと云ふ考へが國論を統一した爲,專守防衞聯邦條約の批准を決定しました.
またジャカルタ平和友好條約は,防共條文を追加するため破毀され,プレトニアを除いた我が國と印度ネシアとの間に富田林防共條約と名を改め,批准されました.
また播河の關係は安保體制構築以來最惡なものと成つてゐた事や,國際社會の情勢變化などに伴ひ,播河安全保障同盟は解消されました.

十.王國軍隊十萬體制と富田林條約機構發足
××年,王國軍隊は,播河安保體制の崩潰と共に,武力の増強を迫られました.まづ先年に國交を恢復した日本帝國より90式戰車を贖入.王國軍隊増強は順調に進んでゐました.××年,日本海に浮かぶ孤島國,竹島が我が國に安保體制の確立を打診して來ました.政府は此れを大歡迎.翌年には富田林條約機構が發足しました.また此の頃,北朝鮮との間に平壤條約が締結されました.