河内国 国定国史教科書中等科 下 (追加版)


二十一.獨逸の世界征服企圖と歐亞の再起
××年,先の我が國を軸とする國際聯合攻撃により大打撃を被つた歐亞が,再起したのであります.
其の間には,既に獨逸による世界侵掠が始まつてゐたのであります.
獨逸の世界侵掠からの防衞は,我が國にとつて大變な重荷であり,看過出來ない問題でありました.
何故ならば,大東亞各國は獨逸聯邦に吸收され,其の位置からして我が國への武力威嚇の可能性が
否めなかつたからであります.
ですから,其の中での歐亞の再起は,我が國の防衞戰略に多大なる影響を及ぼしたのであります.

二十二.「革命軍」による奇襲の頻發と二大聯邦時代の終結
××年,「革命軍」と名乘る國家群が突如,臺灣を攻撃しました.
此の奇襲戰法により,臺灣は瞬く間に無政府状態と成り,
臺灣を軸とする太平洋聯邦は,事實上崩潰したのであります(實際は數日を經過).
一方の獨逸聯邦は,二大聯邦として對峙してゐた太平洋聯邦が崩潰し,
其の成す意味がなくなつた爲,時の獨逸(プロイセン)政府は獨逸聯邦の解體を宣言したのであります.
そして幾星霜の歴史を刻んだ,彼の「二大聯邦時代」の終結が確認されたのであります
(現在も獨逸聯邦加盟國と名乘る國家が多數存在するが,獨逸政府は此れを「默殺」してゐる).
また,上記二大聯邦以外の諸聯邦も,此の周邊時期に於て多數解散したのであります.

二十三.國際法改正遂に相成る
××年,時の國際同盟常任理事國プロイセンの國際法改正草案の作成を一向に行はない腐敗した姿勢に杞憂した
ルフトバッフェ帝國は,再度改正會議を發議したのであります.
同國發議の此の會議は迅速に事を進め,××年には正式に改正草案(第四次改正)が作成されたのであります.
新國際法の制定は,言ふまでもなく國際社會の關心事だつたのであります.

二十四.進む國際友好化と其の問題
××年,我が國は獨逸政府との間に國交を樹立したのであります(河獨中立條約締結).
兩國間に險惡な雰圍氣を齎すことは,兩國にとつて必ずしも利益になり得ないと,相互に理解したからであります.
此のやうに,決して關係の良くなかつた國々が,相手國と友好關係を成立させようとする動きが
世界中に高まりまつたのであります.此れを国民は國際友好化と呼んだのであります.
一方で,問題點も多々生じるやうに成つたのであります.そして其れは,二大聯邦時代に比するものでは
なかつたのであります.とりわけ大きなものを舉げると,「革命軍」云々と名乘る完全なる不逞國家,
若しくは國家群が,宣戰布告なきままに奇襲してくるものがあります.
此れによつて世界に齎された被害は尋常なものではなく,また,我が國も例外ではなかつたのであります.

二十五.歐亞との和解
××年以來國交斷絶關係にあつた大美空帝國(扶桑)と我が國の間に美河不可侵條約が締結されました.
此れは歴史的快舉でありました.兩國の友好關係が成立すると云ふことは,數年前までは考へられなかつたから
であります.
ですから國民は,舉つて其の快舉を祝して各地で提燈行列を行ひ,畏れ多くも天皇陛下におかれましては,
自ら國民の前にお出ましに成られ,共にお祝ひをしたのであります.

二十六.常任理事國就任と大河内帝国憲法制定
××年,國際社會は實に平穩に推移しました.非常なまでの平穩さは,有史以來のことであると言はれたのであります.
其の中で我が國は,國際社會の現状維持に努めるため常任理事國就任を宣言したのであります.
以前,我が國が就任を宣言した際,頑なに反對したプロイセンも今や敵にあらず.歐亞もまた然りでありました.
また我が國は此の頃,憲法を根幹とする憲政國家建設の爲,大河内帝國憲法を制定したのであります.