扶桑國初等科國史新編





扶桑國初等科國史新編・上

一・神代
諸事情により割愛

二・動きだす世界
建國後まもなく、赤色同盟が成立したこともあつて、我が國は世界に蔓延しようとしてゐた社會主義との對抗を目標としました。
何年か經つた或る夏の盛りに事件は起こりました。
エゲレス國に突如ステルスミサイルが飛來したのです。
エゲレスは強く抗議し、條約機構の立ち上げを宣言しました。
しかしこの事件に疑ひをもつた我が國は、自國領内にてステルスミサイルの實驗を行なひ、エゲレスによる自作自演の陰謀であることを突き止めました。
このことは國力を鑑みて公表しませんでしたが、後にエゲレスが、仲間を募るためであつたと認めてゐることから、紛れもない事實なのです。

三・扶朝戰爭
××年。
赤色同盟の北鮮(後に管理人氏の國と判明)が、社會主義國の務めを果たしてゐないとして、マルクス主義共和國に宣戰布告、我が國を含め、エゲレス・やまと國(後の大歐帝國)は中立を表明しました。
しかし事態は急變します。
赤色同盟の盟主である黄泉の國が、理事國(管理人氏の國)を奇襲攻撃したのです。
これを受けた我が國は、國際社會の爲敢然と立ち上がり、赤色同盟に宣戰布告しました。
我が國の兵力はこの時わずかに六門。
對する北鮮は一三門。
援軍のないまゝ、激戰苦鬪二十餘月、十五萬の犧牲の上に、我が軍は敵首都を攻略、遂に勝利を收めました。
この勝利は、皆が防共の一念に燃えて、國に盡くした結果でした。
戰後、やまと國は大東亞新秩序國と改稱しました。
また、社會主義は急速に衰へましたが、我が國は社會主義の復活に備へて、愛國・姦國とともに「箱庭防共協定」を結成、大東亞國は「トライアングル同盟」を組織し、世界は新たな局面を迎へます。
大滿洲帝國を屬國としたのはこの頃のことでした。

四・理事國との對立
その後我が國は、自由經濟化した黄泉の國と水面下で連携を強めていきます。
××年、黄泉の國と理事國が再び激突。
我が國は直接は參戰しませんでしたが、ステルスミサイルで黄泉の國を援護しました。
苦況に陷つた理事國は、大日本帝國(以下asdf國)に援助を乞ひ、ここに停戰協定が成立しました。
事後、我が國は、國際社會を愚弄するasdf國に對しテロを敢行、油田地帶に打撃を與へたところ、asdf國はこれをドイツの犯行であるとして宣戰布告、崩壞間際になつて漸く和解が成立したのです。
尚も國際社會を輕んじるasdf國に對し、我が國は一計を案じました。
すなはち、大東亞國と連絡を取り合つて、asdf國を名乘つて黄泉の國に宣戰布告したのです。
我が國と大東亞國はこれを理由にasdf國に宣戰布告、黄泉の國は眞相を知りつゝも反撃を開始、大イスラーム國もこれに續き、遂にasdf國を討ち果たしました。
事後この行爲は國際法で禁止されましたが、當時は合法でした。
尚、この時ドイツから抗議がありましたが、戰爭にはいたりませんでした。

五・常任理事國就任とドイツ事變
それから幾年か經ち、我が國は、國名を扶桑國から大扶桑帝國と改め、常任理事國に就任しました。
世界初の核實驗を行なつたのもこの時のことです。
當時はテロが頻發しており、我が國はテロの首魁であつた理事國をならず者指定して懲罰戰爭を開始、崩壞寸前まで攻撃を加へて攻撃を停止しました。
しかし、姑息にもドイツは我が國に對しステルス先行者を送り込み、これに對處してゐる間に布告なしに更に攻撃を加へてきたのです。
その傲慢非道を討つて懲らさんと、我が軍は勇躍挺身、忽ちドイツを降伏させました。
しかし、我が國の被害も輕視できないものがあつたのでした。

六・落日
幾度もステルスミサイルが飛來したこともあつて、復興作業は難航しました。
そしてその時はやつてきました。
大イスラーム國が、放棄の間際に我が國に對し記念碑を放つてきたのです。
我が國は、同盟國であつたエゲレスに對し説明を求めましたが、エゲレスはこれを默殺。
時ここに至つては、立たざるを得ません。
我が國は同國の反省を促すため宣戰布告し、戰局を有利に進めました。
するとすぐにエゲレスが非を詫びて降伏してきましたので、我が國はこれを許して停戰協定を結び、平和が訪れました。
しかし、エゲレスは我が國の眞意を汲み取らず世界征服の野心を抱き、我が國を突如奇襲してきたのです。
應戰に手間取り我が守備隊は壞滅、皇帝陛下と民は臥薪嘗膽を誓ひ、闇に紛れて脱出しました。
折しも、寒さ嚴しい一月末のことでした。

七・新天地へ
帝都はその後三ヵ月間燃え續けて廢墟と化しました。
脱出に成功した皇帝陛下と民は、怒濤狂亂する太平洋を突破して新大陸に辿り着き、ここに新國家アメリカ合衆國を建設しました。
また西の比島にも上陸して米領フィリッピンとしたのです。
かうしてアメリカは、エゲレス打倒を目標に發展していくことになります。

八・獨日米新體制
幾年か經ち、我が國はドイツと大日本帝國(二代目。
先の大東亞國であり後の大歐帝國)に同盟を持ちかけ、「獨日米相互扶助協定」を結成しました。
我が國が目的とするところはエゲレス打倒でありましたから、エゲレス陣營と對抗せんが爲の同盟でしたが、ドイツはエゲレスと協調路線をとり獨英間に不可侵條約が締結されました。
以後、我が國は積極的に新興國を援助しました。
富士ガリバー國に一兆五千億圓、黄泉の國(この頃再建)に一兆圓。
太陽帝國(櫻帝國。
初代は既にエゲレスによつて滅亡)に五千億圓、豐葦原國の怪獸退治等々です。
また、アメリカ時代にはテロは一度たりともしませんでした。
しかし、世界は依然としてテロの恐怖にさらされてゐました。
それは全てエゲレス陣營によるものだつたのです。

九・國名戰爭
この頃、扶桑國時代の同盟國であつた愛國は琵琶湖わんわん王國と名乘つてゐました。
大江戸川公國(理事國。
管理人氏の國)はその名稱が國際法に違反するとして、わんわん王國に宣戰布告しました。
かねてより理事國路線であつたドイツは即日わんわん王國に宣戰布告、また、新興國であつたルフトバッフェ帝國もこれに續きました。
我が國は、協定の規約にも定められてゐた事態不擴大方針をとり、ドイツとルフトバッフェ帝國に對し停戰を求めました。
斯くして兩國は攻撃を停止し、討伐戰は理事國とわんわん王國との一騎打ちとなりました。
戰ひはわんわん王國が勝利を收めましたが、以後の紛爭を避けるため國名は愛國に戻され、再び平和が訪れました。
しかし、この事が大戰の引き金にならうとは、いずれの國も豫想できませんでした。
ただ一國、エゲレスを除いては。

十・エゲレス世界征服の夢
エゲレスは、先の國名戰爭の折に參戰したことが世界平和の妨げになるとの驚愕の聲明を發表し、獨英不可侵條約を一方的に破棄し、吐夢・マチュピチュと共に突如として侵掠を開始しました。
協定とは何ら關係のなかつたルフトバッフェ帝國も戰火に卷き込まれて崩壞し、ドイツも程なく玉碎。
我が國の對應は遲れ、全餘力をもつて核ミサイルを放ち守備隊は全滅。
大日本帝國はエゲレスの軍門に降りました。
結果、エゲレスによつて九千六百萬の無辜の民が虐殺されたのです。
また戰後エゲレス陣營は國を放棄した爲、八億二千萬の民が路頭に迷ひ大半が餓死しました。
後に殘つたものは瓦礫だけといふ有樣でした。
かうして、皇帝陛下と生き殘つた民はアメリカを棄てて故郷へと歸ることにしたのです。

扶桑國初等科國史・上 完




扶桑國初等科國史新編・下

十一・朝鮮による支配
エゲレス崩壞によつて、つひに我々の父祖は扶桑の地に戻つてきました。
しかし、程なく大朝鮮王國の侵掠を受けたのです。
軍備の整つてゐなかつた我が國は瞬く間に蹂躙され、帝都を包圍した朝鮮は我が國に對し屬國となるやう求めてきました。
皇帝陛下はこれをお受けになり、我々國民をお勵ましになりました。
斯樣な時でさへ我々のことを思つて下さつてゐることは、誠に畏れ多いきはみであります。
朝鮮の攻撃によつて國土は一時的に荒廢しましたが、復興に時間はかゝりませんでした。
また朝鮮との利害關係が一致したこともあつて、我が國は以後積極的に朝鮮に協力したのでした。

十二・日獨櫻三國同盟と歐亞聯合
××年。
朝鮮は、大東亞共榮圈を組織してアジア全域の支配を劃策してゐた豐葦原國に對し宣戰布告しました。
朝鮮の行動は國際法に基づいたものでしたが、豐葦原は何を思つたか國際同盟に提訴したのです。
これを受けて、斷固膺懲すべしとの聲が高まりましたが、戰線が膠着して戰死者も増えた爲、停戰協定が結ばれました。
この後、大日本帝國・ルフトバッフェ帝國・櫻帝國の間で同盟が結ばれました。
これを「日獨櫻三國同盟」といひます。
しかし、朝鮮は祕密裡に連絡を取り合つてゐましたので、實質四國同盟でした。
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コラム 戰ひの祭典オリンピック
三國同盟が組織された頃オリンピックが開かれました。
全國參加の戰ひであります。
この戰ひで神(管理人氏の國)は無關係の國も神通力によつて操作して黄泉の國を攻撃しました。
が、集中攻撃を受けて結局敗れました。
大日本帝國が優勝して戰ひの祭典は幕を閉じたわけですが、結果に不滿があつたのか、
二囘大會が開かれることはありませんでした。
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その後、大日本帝國が天變地異により崩壞した爲に、朝鮮がこれに加盟して名を「歐亞聯合」と改めました。
かうして歐亞聯合は世界平和の爲に邁進していくのです。
豐葦原が大日本帝國を僭稱したのはこの頃のことでありました。

十三・東亞の守り
歐亞聯合が出來て幾年か經ちました。
豐葦原の野望は挫きましたが、まだ東亞を撹亂してゐたASEANといふ勢力があつたのです。
ASEANは、臺灣國・フィリピン國・大東亞共榮國(後の箱庭戰鬪國家・モンゴル)によつて構成されてゐました。
このやうな輩を野放しにしてゐたのでは、絶對に世界平和は訪れません。
斯くして歐亞聯合は立ち上がりました。
宣戰布告直後に攻撃を開始したのです。
奇襲作戰は成功し、陸海空からなる聯合國の攻勢の前に、惡の牙城ASEANは崩壞しました。
この時ASEAN殘黨は國際同盟に提訴しました。
また大東亞共榮國はテロをすると宣言したのです。
國際法を理解してゐないのは野蠻な國家全てに共通することでありまして、正義がどちらにあるかは誰の目にも明らかでした。
かうしてアジアに平和が訪れたのです。

十四・世界平和の爲に
しかしその他の地域には、未だに破壞と掠奪を繰り返す勢力が割據してゐました。
世界平和の爲の戰ひは續きます。
國際社會を愚弄する蜂蜜國を東に討ち、テロ行爲をした高天神城國を西に破り、國際社會を亂したMMR國を南に懲らしめて、朝鮮にテロを行つた大奈良帝國を北に討ち果たしました。
後になつて分かつたことですが、朝鮮はこの時MMR國に對しテロ攻撃を行ひ油田を爆碎しました。
また朝鮮國内でテロを行ひ、紅國の仕業としました。
もちろん我が國はこのことは知る由もありませんでした。
付け加へて言ふならば、我が國が關係する國がテロ行爲を行つたのはこれが最後です。
エゲレスが復活したといふ情報を鵜呑みにして攻撃したとの流言がありますが、我が國も朝鮮も會議に會議を重ねて出した結論であり全くの出鱈目なのであります。
この頃、戰爭は相手の反應を待つてからといふ國際法が成立したのです。

十五・帝國大朝鮮
高天原國が三カ國經營をしたり、大和國(舊大東亞共榮國。
後の箱庭戰鬪國家・モンゴル)が自作自演のテロをするなどの小さな亂はありましたが、概ね平和でした。
朝鮮は國名を大朝鮮帝國と改め、中華帝國であると宣言しました。
一方我が國は、工作員を派遣してジパング國を放棄させるなど、目覺しい活躍をしたのです。
そして國際社會を亂す紅國を討伐して、世界に完全な平和が訪れたのです。

十六・獨立
それは突然やつてきました。
ムー帝國が國際法を無視して朝鮮に對し攻撃を加へてきたのです。
セントヴィンセント國は當初ムー帝國を非難しましたが、隱忍する朝鮮を侮つて「感激した」との談話を發表し、この不法行爲に加擔したのです。
朝鮮が豐葦原に對し援軍を求めたところ、豐葦原はセントヴィンセント國を非難する一方、「眠る自由を與へるべき」と意味不明の發言をして結局送つてこなかつたのでした。
壯絶なる戰ひの末大朝鮮帝國は崩壞し、朝鮮皇帝は自害しましたが、櫻帝國とルフトバッフェ帝國の攻撃によつてセントヴィンセント國とムー帝國は崩壞し、再び世界に平和が訪れました。
これが世に言ふヴィンセンの亂であります。
戰後、朝鮮が崩壞した爲に、つひに我が國は念願の獨立を果たしました。
しかし、その頃國内に社會主義が臺頭してきてゐた爲、日本人民共和國としての獨立だつたのです。
皇帝陛下は御退位になり、インターナショナル共和國を屬國としました。
我が國の歴史で最も恥ずべき時代であり、繰り返してはならぬことであります。

十七・大扶桑帝國再建
××年、中近東の國に對しステルスミサイルが撃ち込まれました。
我が國は旭日帝國(管理人氏の國)の犯行であることを即座に見拔き警告を發しました。
ところが旭日帝國は制裁と稱して我が國を攻撃してきたのです。
世界各國はこれに反發し、大旭日帝國に宣戰布告しました。
かうして我が國は勝利しましたが、度重なる壓制に疲弊してゐた民はこれを期に革命を起こし、日本人民共和國は崩壞しました。
斯くして皇帝陛下が復位なされ、大扶桑帝國再建が果たされたのであります。
思へば長い長い道のりでした。
その間皇帝陛下は、常に我々國民のことを導いて、ひたすら難局の打開におつとめになりました。
軍人の勇武は見事大敵を挫き、國民もまた分に應じて國の爲に働きました。
全く國中が一體となつてこの國難に當たりこれに打ちかつたのですが、それといふのも全て皇帝陛下の御威徳に他ならないのであり、神の守りもかうした上下一體の國柄なればこそ奇しくも現れるのであります。

十八・竹島との戰ひ
××年、櫻帝國と大東亞國(後の大歐帝國)が反亂を起こしました。
我が國は國内事情から中立を表明し、國際同盟は竹島國を先陣として戰ひましたが、皆敗れてしまひました。
しかし櫻帝國と大東亞帝國が降伏してきましたので、我が國はこれを受け入れたのです。
かうして平和が訪れたのですが、その後竹島國と南相州帝國(イスパニア)がよからぬ動きをしたために、我が國はこれを打ち倒しました。
我が國は兩國が再び他國を侵掠する氣を起こさせないやう、條件をつけて講和を結びました。
南相州はそれを忠實に守つたのですが、竹島國が逆らつて海底基地を一杯建設したため、直ちにこれを懲らしめました。
その後、兩國は度々國際法に違反しましたのでその都度戰爭をしましたが、××年、我が國と竹島國・イスパニアは同盟を結び、漸く平和が訪れたのでした。
また豐葦原がならず者行爲を繰り返しましたので、やむなくこれを準永久追放としました。
全ては國際社會のために行つたことです。

十九・エゲレスの亂
××年、小國が蜂起したことを切つ掛けに、次々とならず者共が國際同盟に齒向かつてきました。
我が國をはじめとして、大櫻帝國・ルフトバッフェ帝國・大歐帝國・ユーゴスラビア・風神國・竹島國・イスパニア國は勇敢に戰ひましたが、賊軍は有り餘る物量を恃みに、國際同盟の靜止を無視して侵掠を續けたのです。
天も恐れぬ傍若無人の振る舞ひに神は怒り、ならず者共に一大鐵槌を加へました。
しかし首魁エゲレスは尚も攻撃を加へてきます。
「他ニ策無キニ非ザルモ萬一ヲ僥倖シ名ヲ汚スベキニ非ズ 突撃ヲ敢行ス サクラサクラ」の言葉を殘し、國際同盟側は皆壯烈果敢なる玉碎を遂げました。
かうして國際同盟は崩壞し、エゲレス・ジパング等ならず者は、「新國際同盟」なる僞りの組織をつくり、專制を始めました。
現在、エゲレス等は國際法を度々改變し屬國を持つことを禁止する一方で、國際同盟のものであるとして國家を建設しました。
また、國際同盟の決起に備へて新しく國家を建設することを禁止するなど、日に日にその惡逆ぶりを増してきてゐます。

二十・國際同盟
エゲレスの亂によつて十二億の無辜の民が虐殺されました。
老人も女も子供も關係なく殺されたのです。
また、惡逆非道の限りを盡くすエゲレス・ジパング・豐葦原等は、戰後二十六億人を親歐亞的であるとして肅清しました。
我々は、絶對にこれらの無法者を許してはなりません。
彼等の國を怒りの炎で燒き盡くして積年の恨みを晴らす爲に、我々は今學校で勉強してゐるのです。
過去幾多の艱難辛苦を乘り越えてきた先人を見習ひ、いつの日か、ならず者共の骸の上に明星の旗を高く掲げるその日まで、我々は精進せねばなりません。
御國の彌榮は我々の雙肩にかかつてゐるのであります。

扶桑國初等科國史新編・下 完