≪大台湾帝国臣民学校高等部国史教科書[下]≫
【注意書き】
この教科書は大台湾帝国政府公認の国定教科書であり、この教科書に我国の歴史(戦史)の全てが集約されています。なお、この教科書では先史時代は取り扱いません。
【前書き】
この教科書では大漢帝国による統治からの独立、冷戦までを記します。台湾暦は外国の暦や箱庭暦と必ずしも一致しません。
【大漢帝国による統治】
我国の敗戦後、台湾島及び琉球諸島は大漢帝国の委任統治領となった。その時、大漢丞相曹操は凌の暴政を謝罪し我国の復興の為に多大な支援をしたため、我国は奇跡の復興を遂げることとなる。(燐村の奇跡)
【統一戦争】
大漢は大陸と統一する為に長城以南の国家に宣戦布告をした。その圧倒的な国力と優れた武将の奮闘でわずか2年で東は朝鮮半島、西は敦煌、南は北部越南を領有し、残った国家は中華民主主義人民共和国(延安政府)だけとなり、高句麗国と領土協定(燕京条約)を締結し領土がほぼ確定した。
【第一次中華戦争】
中華統一も大詰めとなり、残る国家である延安政府を攻撃している最中に突如、大亜細亜帝国が大漢に宣戦布告し玉門関を攻略した。大漢軍は延安政府の前線基地に釘付けであったために、長安まで侵攻されてしまった。しかし、大亜細亜の侵攻は侵略行為に他ならなく、大漢の要請に応じた大河内帝国を初めとする友好国が大漢陣営に加わり、国土の防衛に成功した。
大亜細亜の猛烈な攻撃により皇帝が死亡し、皇帝に後継者がいないことから大漢は連邦制を敷き国号を大漢連邦共和国と改め、初代大統領に曹操が就任した。これら一連の動きを第一次中華戦争という。
大亜細亜からの侵略を阻止した大漢は延安政府を降し、新たに成立した天津国を滅ぼし念願の大陸統一に成功した。翌年、大漢は常任理事国に就任した。
【自治区に】
大陸を統一した漢はそれに伴い曹操を皇帝(武帝)とする魏に取って代わられ、武帝は台湾を自治区とする旨を表明し、台湾の独立性が高まった。
【独立宣言】
武帝の崩御後文帝が即位したが、国内の権力争いなどで国が乱れ内乱状態となった。(司馬一族の乱)
台湾はこの混乱に乗じて皇族の赫士琳(覇帝)が独立を宣言し、主権を回復し(台南宣言)台湾連合王国が成立する。(1238年4月3日)政府はかつての連合帝国の領土を回復すべく琉球総督府を攻撃しこれを併合。同年11月に台湾及び琉球連合帝国(後台湾及び琉球連合帝国)の再興を宣言した。また、大陸が内乱状態であり理事国としての役割を果たせないと判断し、魏に代わって理事国に就任した。
【聯合国宣言】
1238年、大河内帝国をはじめとする世界各国は突如ルフトバッフェ帝国に奇襲攻撃を行った。我国はルフトバッフェ帝国と戦線を共にし聯合国討伐を敢行した。当初は聯合国陣営が有利であったが反乱国に義は無くやがて聯合国は崩壊した。(聯合国宣言)
【台湾連邦】
かつて常任理事国であった竜神騎士国は、政治が腐敗し国際法違反を犯してしまった。政府は竜神国の消滅は自国の安全保障に影響すると考え、同国の存亡の方法を模索し、連邦という構想を考え付いた。
政府は即座に竜神国にそれを連絡、竜神政府が之を受理したため竜神国は我国の保護下に置かれた。竜神国の地位は琉球と同じとされ、政府は荒廃した国土の整備に乗り出した。
【満州出兵】
1243年シンフォニア帝国と交戦中であった満州国は突如自国民の粛清を交戦国であるシンフォニア帝国に要請した。満州国には台湾人が多く居住していたので政府は満州国のそれを事前に防ぐために同国への出兵を決定し、高句麗国支援の下で満州国を強襲、即日占拠しシンフォニア軍も退けた。(満州出兵)
政府は満州国の内閣の解散及び次期国家元首に我国の皇族を据え政治顧問、台湾陸軍の駐留を容認させることを停戦条件とした。翌年、政府は満州国を領土に編入することを宣言した。(満州併合)満州人は両手を挙げて帝国軍の入国を歓迎した。
【帝国主義の台頭】
常任理事国であるプロイセン帝国はかつてから抱いていた領土的野心を露にした。国内統一の為にザクセン帝国を武力併合しデンマークを降し、南下してオリエント諸国を次々と併せこれらを独逸連邦と称し、(帝国主義的侵略行為)3B政策を推し進めた。
この植民地支配は住民を奴隷として本土に強制連行や虐殺をしたり資源を搾取し住民を苦しめたので、各地で反普運動が起こった。
プロイセン帝国は之に飽き足らずインドのマダカ国を支配下に組み込もうとしたが、両国の傭兵部隊が小競り合いを起こし、これが全面戦争に突入。地の利を生かし、いち早く主力軍を投入したマダカ国が之に勝利した。(カイバル峠の戦い)この戦いに敗北したプロイセンはインドの支配をあきらめた。之は宣戦布告の無い戦いであったが、両国は世界からの非難を避けるために国際同盟に訴えようとしなかった。
【太平洋連邦設立】
インドの支配を諦めたプロイセンは中国に触手を伸ばした。共産主義を推し進めているとして南中国を支配していた大東亜共産国に宣戦布告、(1262年)プロイセン海軍は英領香港を本拠として大東亜海軍と衝突、近代兵装を施した普海軍は瞬く間に大東亜海軍を破り(トンキン湾海戦)首都を占領し、我国を侵略する足掛りとした。(普亜戦争)その際に50万に上る住民を虐殺した。
政府は隣国の大東亜共産国(独化支那)がプロイセンに占領されたことに危機感を覚え台湾連邦を解体し、新たに亜細亜開放の為に太平洋連邦(台湾、竜神、高句麗、初音島、韓で形成)を設立した。(1264年)その際に国号を大台湾帝国と改めた。
之により我国とプロイセンの対立が表面化した。
【帝国主義の豪州侵略】
プロイセンの植民地活動に反対した太平洋の国家は次々と太平洋連邦に合流した。しかし、之を快く思わなかったプロイセンはノースウィンデル共和国の宣戦布告を糸口にオーストラリア連邦に侵略行為を働いた。政府は之に抗議したが、プロイセンは之を無視し、侵略行為を続行して之を滅亡させた。
【朝鮮戦争】
朝鮮半島は太平洋連邦に所属する大韓帝国と大陸を支配しようとする独連邦の支援下にある朝鮮民主主義人民共和国(かつての我国の同盟国とは別国家)に分断されていた。太平洋連邦は満州〜朝鮮半島の防衛線を確立し、独連邦による大韓帝国の孤立化を未然に防ぎ、プロイセンの傀儡政権と化した北朝鮮を開放する為に1270年2月に38度線を突破した。(朝鮮戦争)太平洋連邦軍は北朝鮮に駐留していた独連邦と交戦し多数の死者を出しながら辛くも之を破り(開城会戦、新義州の戦い)平壌を包囲した。しかし、之とほぼ同時刻に大韓帝国が台湾人や高句麗人など約60万人を虐殺して中立を表明し、釜山に駐留していた太平洋連邦艦隊を攻撃した。(韓国の役)
北朝鮮を攻撃する理由がなくなった我国は同国と有利な条件で講和条約を締結することに成功した。(平壌宣言)
韓国は太平洋連邦を裏切り我が国民を悉く虐殺したにも拘らず、我国に謝罪と賠償を求め、さらにその後油田を規定以上に増設し、環境を著しく汚した。其れにより外寇を招いてしまい、強大な陸軍を要するにも拘らず自衛権を行使しないという愚行を犯し遂に亡国となった。朝鮮南部は之により焦土と化してしまった。
【種子島の横暴】
種子島帝国は独艦隊を利用し我が領海に度々侵入し我国を挑発し更に国際社会の黙認をいい事に大日本帝国を初めとする亜細亜諸国の島々を不法占拠し亜細亜諸国の反感を買った。1279年種子島は我国南方の油田地帯を実行支配しようとスマトラ島に侵入し現地陸軍基地を奇襲攻撃した。(パダン奇襲攻撃)之に対し政府は報復として経済制裁の処置をとったが、全面核戦争に突入し、世界が滅亡することを懸念して国際法廷への告訴は見送った。
【国際法の改正】
国際同盟の国際法は旧式化し現在の情勢に合わなくなっていた。そこで理事国は安全保障理事会を開催し国際法の改正を議論した。しかし、冷戦下での意見の一致は難しく議論は長引き結局改正にまでは至らなかった。
【台英事変】
台独冷戦は一時緩和状態となっており、世界平和の空気が漂っていた。しかし、それを嘲笑うが如く世界の大半の国家が反体制を掲げて理事国各国を攻撃した。其れに呼応して大英帝国が我国に交戦協定を無視しての攻撃を開始した。(1289年)我国はすぐさま之に対処し、英艦隊と台湾海峡沖で対決。(台湾海峡会戦)我が艦隊は之を悉く破り劣勢だった戦局を巻き返し初音島皇国やオーストリア帝国の支援もあって同国を軍門に降した。(台英事変)
【世界秩序の崩壊】
ならず者国家は蜂起して間もなく独逸帝国(旧プロイセン)などの理事国各国を次々と撃破し国際社会は無秩序となった。我国も数ヶ国からの攻撃を受けて滅亡。(1292年)しかし、国際同盟各国は之を放置し世界の混乱は10年以上も続いた。(世界大乱)政府は日和見国家を鼓舞するために世界に檄を飛ばしたが、効果が無かった。
【最後に】
我が民族は之まで周辺諸国との自衛戦争に明け暮れていました。しかし之からは国際平和の為にその力を使わなければなりません。優秀なる台湾民族ならそのことの有効性はすぐさま理解できる事でありましょう。
これからの台湾を造るのは貴方たちの世代です。先人の偉大なる功績を誇りに思い、世界から尊敬される民族となるように切磋琢磨しなければなりません。
おわり。