私と手術
私は23年前に広島大学皮膚科に入局して、すぐに安佐市民病
院の林雄三先生の下で2年間病理学の研修をしました。その後、
大学に帰り、病理中心の臨床と研究・実験をしました。臨床は
主に、膠原病、悪性リンパ腫でした。研究中途で双三中央病院
(現:市立三次中央病院)へ一人医長で派遣されると、そこは
野戦病院のようでしたが症例の宝庫で修練には理想的な場所で
した。
症例報告ができるような皮膚疾患を多数経験できました。更
に手術症例が非常に多く、大学ではなく三次で手術を希望する
患者さんが大部分だということを知りました。それで三次でで
きるものは、できるだけ三次でするというポリシーのもと、当
時皮膚科形成グループのチーフの岩崎講師に頻回に来て頂いて
、手術の修練・研鑽をしました。それを自分なりに工夫をして
自ら執刀することでスキルアップしました。大学時代は手術室
に入ってもせいぜい鉤引きくらいで、何もできませんでしたが
31歳の私は手術をやる気満々でした。
2年後庄原日赤病院に若い後輩が赴任して来たので、三次
庄原の県北グループということで手術を手伝いに行ったり、助
手に来てもらったりしながら互いの技術の向上に努めました。
三次中央病院に6年間勤めた後に、中電病院へ赴任しました。
もともと中電病院皮膚科は、現宮本形成外科院長の宮本義洋先
生が、皮膚科とタイアップして手術を多数していた形成外科病
院でした。私の赴任前の3年はオペ件数が落ち込んでいました
が、オペ室が週2回使える環境にありました。手術実績が悪か
ったため、眼科など他科に枠を取られそうな雰囲気だったので
積極的に手術を入れました。定数の関係で大学ですぐに手術ができ
ないような症例も積極的にまわしてもらい岩崎先生、同先生が
開業されてからは、野田先生とタッグを組み意欲的に多数の
手術をしました。
充実した楽しい7年間を中電病院で送らせていただきました
が、諸事情あり急遽開業することにしました。
本来なら、場所をよく吟味して開業するのが当たり前のことで
すが、家から近くコンサルの言われるままに安易に今の場所を
選定してしまいました。
諸先輩を見ると、皆さん開業するとメスはほとんど握らず、
もっぱら診察、オペ患は病院へ紹介というパターンです。
私もそうなるものと思っており、たいした手術室も機械・器具
も準備していませんでした。
ところが、私の意に反し(他から見れば当然でしたが)患者さん
はとても少なく、手術をしないと食べていけない状況でした。
それと病院時代からの患者さんやその知人などが北は三次、庄原、
西は岩国、大竹、廿日市方面からも時に手術を受けに来られます。
私を信頼してわざわざ来られている人を病院に紹介するわ
けにもいかず、局麻でできるものはすべてその日に手術をして
います。
近隣の他科の先生からも、主に顔の腫瘍のオペ患を紹介して
いただいております。
この場を借りて御礼申し上げます。
手術した患者さんでの心温まる話はいくつかありますが、そ
の中の一つをご紹介します。
今から15年くらい前の三次時代に、20代の自閉症の男性で上
眼瞼に鶏卵大の皮下腫瘍があり、片目は完全にふさがれている方が
受診されました。腫瘍を取り除けば、普通の顔に戻れるのですが、
どこの医院からも安静が保てないということで断わられたそ
うです。書道家のお母さんからどうしても取ってくださいと手
を握り懇願され、大変だとは思いましたが全麻で手術をしまし
た。抜糸は患者さんが覚醒していたので、みんなで抑えつけて
行いました。術後の状態は非常に良く、後からお母さんより、
筆で感謝のお手紙と息子さんとの競作の書を頂きました。親子
の深い愛情に満ちたお手紙で涙がとめどなく流れました。
その時、「あーこんな大変な手術を受けてどうしよう。」と感
じた自分を恥じました。そのお手紙と書は今もずっと大切に保
存しています。それ以降は、全く親交はありませんでした。
それが、今年突然お母さんより連絡を頂きました。
息子さんが亡くなり、親子の競作を本にしたので贈りたいとい
うことでした。間もなく医院にお手紙と競作集が送られて来ました。
お手紙は内容、書体が素晴らしいので、額に入れて待合室に
飾っております。
競作集は親子の深い絆、生に対する息吹、私たちがともすれば忘れてい
た感覚を呼び起こさせる作品です。多くの患者さんに共感して頂くよう
に閲覧できるようにしています。写真はその一部です。
お近くにおこしの際は、是非ご覧ください。
開業して5年目で、手術のトラブルは1例です。手術件数から
言えば少ない方ですが、手術には常にリスクを伴います。
緊張感を持って医師としてやりがいのある手術を今後ももうし
ばらく続けていきたいと思っています。
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図1 待合室におかれた「お手紙」と「作品集」





