やっと始まった大阪府人事委員会の口頭審理

06年12月14日に、池田で関わっている「川瀬さんの懲戒免職処分の取り消しを求める第1回口頭審理」があり、私も含めて3人が証言しました。この日が来るまで2年がかかりましたが、やっとその日がやってきました。

川瀬さんが生前、大阪府人事委員会に宛て「処分の不服申し立て」を提出。その際の口頭審理は非公開でという申請をしていることから、大阪府庁別館内で行われたこの審理は、証言者3人と我が方代理人、処分者側〔府教育委員会〕代理人、そして人事委員会の人たちだけで行われました。(我が妻は、会場の外で壁に耳をあて、聞くことに。)

川瀬さんの「同僚教諭」「私」そして「川瀬さんの妻」の順に、我が方代理人の弁護士が、証人である私たちに尋ねるといった形で進んでいきました。

同僚は、川瀬さんが「教職員の中でムードメーカー的存在であったこと」「子どもたちが最も大好きな先生であったこと」「川瀬さんが担任であることが決まると子どもたちから拍手が起こったこと」「何でも引き受けてしまう人だった」ことなど、彼の学校での様子を、また、彼が心を病ましていた状態も細かに訴えることに。

私は、妻が当時PTAの役員をやっていたこともあって、親の立場からみていた「子どもたちとの羨ましいほどの良好な関係を保っている川瀬像」「授業参観時の川瀬学級からの拍手や笑いが漏れ聞こえる様子」「子が不登校になって悩んでいた時の川瀬さんの温かい対応」などを証言。しゃべりながら、感極まって声を詰まらせてしまう場面もありました。

同僚も私も「懲戒免職処分の不当性」を強く訴えました。起訴されただけに過ぎない段階で処分をおこなったこと。死ぬ時まで一貫して「誘拐の意思など全くなかった」と訴える川瀬さんの声を聞こうとしなかったこと。そして、口頭審理前日に新たに分かった真実も。

「処分」のもう一つの理由にされている「アンテナ窃盗」については、額の大小に関わりなく、窃盗の事実は認めるが、1万5千円の品物を40数万円も払わされ、十分なる制裁を受け、かつ示談で終わっている話。まして、彼が心を病ましている時期に起こったことで、「免職処分まですべき内容ですか!」と主張しました。

特に言いたかった「懲戒」のあり方についても訴えました。「再生不能になるまで、徹底的に打ちのめすのが懲戒ですか!」「誰だっていつ転ぶか分からない。いつ心を病ますか分からない。その時に踏み出すきっかけとしての懲戒であるべきでしょう!」といった内容をしゃべったときは、少し唇がふるえていました。

川瀬さん(妻)の話を聞きながら、涙が止まらなくなりました。「優しい夫であり、父であったこと」「卒業生がいっぱい来て、笑い声が絶えない家であったこと」「子どもたちや親から、信頼をたくさんもらっていたこと」「自然学舎を境にして、様子が一変したこと」「泥酔」「不眠」「夜中の散歩」…。

そんな精神状態の中でアンテナ事件がおこる。池田警察で事情聴取を受けた際、「彼は病気。早く医者に」といわれたことも明かした。

そして、警察へ連れて行かれたあと、学校からの呼び出しで、夫の荷物を取りに行った際、そこには、まとめて荷物がボンと置いてあるだけで、誰も運ぶのを助けてくれなかったこと。その時、「こんなに夫は学校に尽くしてきたのにと思うと、悲しくて涙がいっぱい流れてきました」ということも語ってくれた。マスコミに追い回されたことも…。

最後に川瀬さんは、「明日の生活も考えられなくなりました」「耳も聞こえなくなりました」「娘は母乳が止まりました」「夫がいなくなってとてもさみしい」…。そして、「安心メールがなかったら、夫が死に追いやられることはなかった」と。

第2回口頭審理は2月9日。今回証言した3人に対する処分者〔府教委〕側の反証ということになりますが、再び主張する場が与えられることには間違いありません。

車種が証明する真相=二人の小学6年生を乗せようがない車!

府人事委員会での口頭審理の前日(13日)証言準備をしていて、とても重要なことを発見。川瀬さんが、能勢で女児に声をかけた時、乗っていた車はダイハツのコペン(ウィキペディア辞典より)。早速ネットで調べると、二人乗り(運転席と助手席一つ)の可愛い小さな車で、地上からの高さは103センチしかない。えぇっ?!うそぉー!こんな車に小学6年生を二人乗せられるわけないやん!

ということは、川瀬さんの逮捕理由となった「この車に乗って妙見山まで案内して欲しい」と二人に声をかけたが断られたという話は、はじめからないことになる。

そのことで誘拐未遂容疑で逮捕され、懲戒免職処分を受け、死まで追いやられたというのに。二人乗れない車だったなんて!

報告者:田中 (「かわせの会」事務局)

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