川瀬正博さんの懲戒免職処分の取り消しを求める「第2回口頭審理」報告
* 月日で年が入っていないところは、全て2004年
* 「 」は我々側が語った内容。『 』は処分者側が語った内容。 “ ”は川瀬さんが言ったとされる内容
昨年末の12月14日の口頭審理に続く2回目の審理が、07年2月9日PM2時から大阪府庁別館で行われた。
今回は、前回証人として発言した3人のうち、川瀬さん(妻)を除く同僚と私≠フ2人を証人としての処分者側(府教育委員会)からの反証。この日の3日前(2/6)に、中北弁護士事務所で、相手側が聞いてくるだろうことを想定しての打ち合わせを行ったが、実際は何を訊ねてくるか分からない。弁護士からは、「くれぐれも感情的にならないように、相手の挑発に乗らないように。冷静に。」と言い聞かされた。私の性格を理解しての忠告である。案の定、処分理由に直接関係のない問いかけを2人に浴びせてきた。
川瀬さんの同僚、そして私の順で行われた。同僚には、『川瀬さんは何年に石橋南小に来てあなたは何年に。』『川瀬さんと同学年担当の先生は、あなたより先に同小に来たか、それともそのあと。それは何年なのか。』いったい何が聞きたいのか。
『普段、滅多に休暇をとらない彼が、5月末から6月はよく休暇をとってるが、好きなパチンコに行くためでは。』これには、「パチンコは好きだったかも知れないが、休暇を取ってまでパチンコをする彼なんて信じられません」と返した。(このことは、同僚の証言が終わったあとに中北弁護士が、「普段そんなことがない彼が、休暇を取ってパチンコをしていたとしたら、それは彼の当時の精神状況を物語っているのではないか」と援護発言。)
『彼が忙しくなったのは5月か6月か。あなたは5年を担当したことがあるのか。』… 同僚が少し考えていると、そこに畳みかけてくる。揚げ足をとって、そこを追求するといったやり方のように思えた。しかし、同僚はその都度さらっとかわしていました。
府教委側代理人は、豊能警察署で川瀬さんに行った面会の時の記録のみを根拠に、核心部分を組み立てている。『女児に声をかけた際に千円を見せたと言っているが、これはどう思うか』に対して、同僚は「道案内に限らず、何か頼んだりしたらお礼をするということはおかしいことではない」ときっぱり。「(2人で千円の)額も決して大金ではなく、6年生にとってはお小遣いの範囲」と言い切った。
続いて、私の証言に移る。こんなニュアンスのやり取りであった。その内容を思い出すままに書いてみることにします。
『あなたのお子さんが5年6年の時の、隣のクラス担任が川瀬さんだったんですね。それではその時は何年でしたか』との処分者側からの問いかけから始まった。
「えぇっと、ちょっと待ってくださいよ。今、我が子がまもなく19だから、5年6年生といったら、今から何年前だっけ。確か11歳12歳やから、えーと。」困惑している私の表情がそのまま顔に出ていたと思う。やっと「99年と2000年です」と答えられた。
続いて、『あなたは川瀬さんとは呉服小での出会いだと思うが何度会っているか』と。それには、「夏の清掃活動、餅つきそして…甲子園でも。4〜5回ですかねぇ。」(何が聞きたいと心で思いつつ、相手のペースにハマるなと自分に言い聞かせる)『石橋南の教諭になってからは』の問いには「会ってません」と。ずいぶん気持ちが落ち着いてきた。(何でも聞きなはれ≠ニいう気持ちになっている。)
そして、核心部分へ。『あなたは、この件は誘拐未遂ではないと言い切っているが、それではあなたが思う誘拐って何ですか。』「誘拐とは、身代金やいたずら目的といった明確な意図をもって行うもの」『それだけですか。』「そう、今回のような道案内を求めたことは当たらない」。このやりとりには、我が方の弁護士が、「この場で法律解釈の論議をしかけるような問いかけはやめさせてください」と人事委員会側に訴える場面も。
事情聴取書を私に示しながら、処分者側の反証は続く。『川瀬さんは、女児2人に“妙見山の入り口を知っているか”と声をかけ、“知っていたら千円あげるから入り口まで案内してほしい。案内してくれたらこの場所へ送り届けるから”と女児2人に、車に乗って案内をとハッキリ言っている』ときた。
それに対し私は、「彼が実際に言ったことがここに書かれているとして」と前置きしながら、「道に迷って道行く人に訊ねることは、大人であれ子どもであれ、ごくありふれた光景。」「乗って案内を、と言ったとしても、彼が学校で遅くなった子どもたちを、車で家までよく送ってあげていることからすると、彼にとっては日常の延長。」
次に、『女子児童に声をかけた理由について、“ちょっとこの辺の地域の目だったとこや学校の様子などについて話をしたかったからです”と彼は言っているが、このことをあなたはどう思うか。』との問いには、「彼は、子どもたちが大好きな教師。教育熱心な教師。道案内してもらう時に、黙って案内してもらうってことはないでしょう。この地域のことや学校の様子を聞く方が自然。」とさらっと答えた。
さらに、不思議に思っていることを発言させてもらった。「この事情聴取された内容をみると、あらかじめ川瀬さんに聞く内容が用意されているが、その中に『○○ちゃん知らんかって声をかけましたか』というのがある。見知らぬ場所で、見知らぬ人に声をかけてるのに、○○ちゃん≠ネんて言いますか。」
こんな調子で証言していたので、何度か『端的に結論を』『聞いたことだけを』との処分者側代理人の声。「はい。分かりました。」と言いつつ、私の口は勝手によく動く。
「府教委が、彼に事情聴取したのは8月3日で、起訴された7月30日のすぐあと。逮捕された7月11日からは、3週間経っている。その間、連日の警察の取り調べで、心身ともに疲れきっていただろうし、この聴取も豊能警察内で行われたことから、彼が冷静に思いを語る環境ではなかった。」「小さな車に、6年生の女児2人を乗せようとしたということだが、実際のところは彼と女児にしか分からない。どんな声をかけたのか。声をかけられた2人が、どのように受け止めたのかということも。子どもから大人へ伝わるうちに、話がどんどん大きくなったと考えられる。」「6年生にもなれば、自分でいろいろと判断は出来るはず。」「府教委が、彼に直接話をしたのは、事情聴取をしたこの時の30分だけでしょう!」…。
続いて、起訴状の写しが私の前に示されたが、「誘拐しようとして≠ノなっているが、彼は誘拐の意志など全くなかったといい続けてきた。」と前回と同様の主張をした。
その次に出てきたのは、8月20日付けの処分説明書。これに対しては、「同日づけの池田市教委からの“懲戒処分に対する内申”では、『誘拐しようと声をかけたが』とあるが、府教委の処分理由には、“誘拐”の文字はない」と、府教委と市教委の判断に違いがあることもさらっと明かした。
実は、この第2回口頭審理の2日前(2月7日)に、処分者側が新たな〈証拠〉(?)を出してきた。それは、<保釈中に別の女児に声かけ。本人は否認>という04年9月10日の朝刊記事(読売新聞)。これを示しながら、感想を求めてきた。
私は、「8月20日に出された処分は、能勢町での声かけとアンテナの件となっているが、それとは関係のない、それもそれより後の内容を記事にした新聞を何故ここに出されるのか、その理由をお聞かせください。それを聞かせてもらってから、答えます。」というと、ナント!府教委の代理人弁護士の口から出た言葉は『もういいです。』だった!
こちらはあっけにとられて、まじまじと証人席の左に位置する府教委側参加の3人を見つめ、そのあと正面の人事委員会のみなさんの方(3人)へ目を移した。人事委員会側からのこれで反証尋問を終わりますの声を聞いたあと、私は丁寧に「どうも有難うございました。」と述べて、頭を下げ証人席を立った。
「4時までの協力を」と冒頭人事委員会よりあったが、3時過ぎに早々終わってしまった。
次回の最終口頭審理の日程も決まった。4月20日である。人事委より最終陳述は用意されますかの我が方への問いかけに、中北弁護士は「用意します」と答える。続いて処分者の方にも同様のことが聞かれたが、『結構です』との声。
死に追いやった大変な処分をしておきながら、最終陳述をしないという。そりゃないだろう。ただただあきれて言う言葉もない。
報告者:田中 (かわせの会事務局)
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