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あまりに早い届け物。
(ただひとつを除いてな…) ORA ORA ORA ORA ORA ORA ORRAAAH!
…そろそろ、マンガを購入するペースが熟読のペースに追いつかなくなってきている予感が。 | ||
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金曜日に買ってきた「東方文花帖」を軽くプレイ。
リンクをいろいろたどってると、台湾版「ネギま」の翻訳をされている方のblog「十兵衛の呟きじゃあ!」にて、「ネギま」マガジン最新号掲載分での「木乃香のアーティファクト」に関する疑問が書かれていました。そして作者の赤松さんに直接メールで質問されたそうです。 この、「内容に関する疑問は作者に質問して解決する」という行為は、翻訳という作業において非常に重要なことだと思っているのですが、私自身が今までいろいろな翻訳マンガを見てきた中では、ここまでして翻訳の正確性を求めている例はかなり少ないように思います(作者に問い合わせることが困難ということも理由としてあるのでしょう)。たいていの作品では、特殊用語や造語を理解不十分な状態で翻訳したり、外国人が文脈を読みとりにくいような文(主語のない文など)を誤解したまま翻訳するといったケースが多く見られます。後者の場合、普通は誤解していることに気づかないのでより厄介ですが。外国人にとって日本語がいかに異質で難しい言語なのかを垣間見ることができる一例といえるでしょうか。 | ||
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「徒歩一分」のマリみては百合ではない きのうは某スレで、マブラヴオルタに関するシグルイネタを読みながら笑い転げておりました。 きょうは特に何もなくごろ寝。
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フランス語版シグルイ紹介ページ完成しました。
フランス語翻訳の紹介がメインですので、画像は少ないです。 それでも見てみたいと思われた方はこちらからどうぞ。 | ||
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うわー、マジでビックリ。 いつものようにだらーっとAnime on DVDを見てていきなり「北米版『君望』発売決定」のニュースを目にしたら、そりゃビビりますわ。 第1巻が発売予定の今年10月を楽しみにしましょう。 北米版「君が望む永遠」"Rumbling Hearts"公式サイトプレオープン中。
もうひとつ、プチビックリなネタ。
ULTIMO SPALPEENさんの情報によると、
1対1の対戦方式ってとこまで同じなところに笑ってしまいました。 とりあえず、成り行きを温かく見守ることにしましょう。 | ||
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二日連続でアキバへ。 チャンピオンレッド、アワーズ増刊、Gファンタジー、マンガ版リリカルなのは、苺ましまろ4巻。コスト量よりも物理的な量の方がすごい。
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先日「カトゆー家断絶」にて紹介されていた、「言語萌え」は可能かという記事について思ったことをつらつらと。
しかし、これはあくまで「一時的な言い間違い」であるにもかかわらず、明らかに萌えです。さらに言うなら、言い間違いが必ずしも萌えを呼ぶわけではないということは、「全く魅力のない人や完全無欠すぎる人が萌え台詞を言う」さまを頭に思い描けば容易に理解できると思います。 このアクシデントで「萌え」が巻き起こった要因を簡単に分析するなら、まず吉住さんの言い間違いが「可愛らしさ」を有するものであったこと、そしてその言い間違いが吉住さんの「可愛らしい一面」という萌えイメージを強烈に増幅させた――といったところでしょうか。 つまり、萌え要素そのものが人を萌えさせるのではなく、キャラクター(人格)の内包している「可愛らしさ=幼さ・未成熟さの主張(何かを求めることで充足したいと願う心、成熟途上段階であることの示唆)」が、そのキャラクターからの言動により第三者のイメージ内で増幅されたとき、「萌え」という現象が発するのです。たとえ年上の人であっても、その人の外見・言動から少しでも「幼さ・あどけなさ」や「未成熟さ」「充足を求める気持ち」を象徴する信号をキャッチできれば、その人は萌えキャラたりうるのです。 「萌え」という言葉が使われるようになったいきさつには諸説ありますが、「萌える」は元来「芽が出る」という意味。幼く未成熟で汚れのない葉が生まれ出る様子を魅力的な人間(特に女性)に喩えるのは、たとえ結果論であるとしてもまったく自然なことだと言えるでしょう。 そしてこれも重要なことだと思うのですが、萌えは「ファンタジー」でなくてはいけません。少なくとも「ファンタジー=非日常」的な魅力でなくてはいけません。アイドルにコンサート会場でラブコールを送るのは「萌え」の範疇になりえますが、アイドルに個人的な交際を申し込むのは萌えではありません。萌えの対象となる人物が現実の人間である場合、萌え対象の現実の生活に干渉することはあってはならないのです。しかし一方で、たとえば、彼氏にメイド服を着せられた彼女は彼氏にとって「萌え」となりえます。これが成り立つのは、彼氏と彼女の間に「メイドさん『ごっこ』をする=一時的にファンタジー空間の住人となる」という相互理解がなされているからです。どの程度までの行為が「ごっこ」なのかはそのふたり次第ですが、「ごっこ」が「ごっこ」とみなされなくなったり「ごっこ」に楽しみが感じられなくなった時点で「萌え」は消滅します。「何気ない仕草や言い回し」が萌えとなるケースも、その仕草や言い回しに含まれた可愛らしさが「絵に描いたように理想的なもの」であること、すなわち「理想的すぎて現実性が希薄になる、あるいは(汚れた)現実を忘れさせてくれる」ような可愛らしさである故に起こりうるのです。(ただ、オタクコミュニティーの中では現実世界の萌えを否定する声も多数あります。己の弱さに負けてたやすく悪徳に身を染め他者を傷つけるような人間が目立つ現実世界はそれそのものが汚れの象徴であり、心酔するに値する真の純真無垢はファンタジー・フィクションの中にしか存在しないと考えられているからです。)
まず萌え文化というのは、有史以来人類が営々と築き上げ発展させてきた視覚文化(絵画・彫刻・服飾・美容など)や言語文化(小説・詩・歌・演劇など)を、それらの最新表現形態の一種であるマンガ・アニメ・ゲームの世界の上で、あるいはそれらフィクション世界の文化・概念・思想が容認されうる現実世界内の共同体において、先鋭的・急進的に発達していった文化のことを指す――というのが私の定義です。先鋭的なものなので、ついてこれない人が大多数なのは当たり前。まあそれはいいとして。 日本語の「言語萌え要素」に関しては、表層的な部分に絞っても、
ぱっと考えただけでこれだけ出てきます。これらを含めた様々な要因がキャラクター(人物)と複雑に絡み合った先に「言語萌え」があるのです。 気をつけないといけないのは、萌え要素はそれを発するキャラクター(人物)のもつ萌えベクトルと合致しないと効果がなく、ヘタをすれば逆効果にさえなりうること。可愛らしさのない人が萌え台詞を言っても全く萌えません。 もうおわかりかと思いますが、言語萌えはなにも一朝一夕でできたものではなく、また一朝一夕で理解・体得できるものでもありません(その前に「理解・体得したい」と思えるのかどうかという問題がありますが)。視覚的萌え以外の発達が遅れているのではなく、ただ単に非オタク層に知られていない・理解されていないだけ。言語の萌えを理解することは、少なくとも一般的な慣用句が持つ意味の細やかなニュアンスを体得するのと同じくらい難しいことだと思います。
…これって、えらいハードルが高いと思うのですけど。だって、「愛らしさを感じるような外国語表現」ってそもそも思いつきます?上で例示したパターンによってほぼ無限に変化しうる心情表現や言葉の響きを、少なくとも半分以上の割合で外国語に変換することはできますか?それができる方はまちがいなく一流の外国語講師になれます。どうかオタク外国語学習者を高みに導いてくださいお願いします。 どこの国にも「愛情」という気持ちがある以上、萌えな言葉を一定の範囲内で翻訳することは可能でしょう。しかしながら、「萌え」の感情は日本のさまざまな言語感覚、文化的産物や社会的観念などが下地となって生まれたもの。それを全く異なる文化圏の言語に100%変換しきることは不可能と言っていいでしょう。これは、「萌え」の概念に対してのみならず、「翻訳」という作業において常につきまとう問題ではありますけれども。それでも、100%に少しでも近づけるための悪あがきはどんどんやってみる価値があると思います。 私がいま思いつく限りで最も効果的な「萌え外国語学習法」は、やはり、外国語に翻訳されたマンガを手に入れ、それを日本語版の原典と読み比べながらあれやこれやと考察することですね。もっともこの方法だって最上とは言えません。原典において魅力的な言葉を外国語に正確に翻訳しても、それがそのまま外国人の心をもつかむとは限りませんから(たとえば、ARIAの作品内で頻出するらしい「はずかしいセリフ」は、英語版ARIAでも英語文化圏で育った読者にとっての「はずかしいセリフ」となっているのか、など)。こればかりは私独りではどうにも知りようがありません。外国のマンガファンに尋ねて議論を重ねるしかないように思います。
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うしとらさんに買ってもらった物を受け取りにアキバへ。
ざっと読んだんですが、いろいろと興味深い内容でした。後日必ず詳しめに紹介いたします。今回はその予告編ということで。 ていうか帰宅後ずっとコミケの申込書書いてたので今日のところはこれにてご勘弁を。
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HELLSING OVAをフライングゲット。
♪〜。♪♪〜〜♪。 やばい。この喜び、クセになりそう。 | ||
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先日、イタリア語版ジョジョを買ったときに「プラスアルファで或る物を買った」みたいなことを書きましたが、その「或る物」について拙いながらもひとまとまりついたので、ここにご紹介いたします。
イタリア版タイトル: GUNSLINGER GIRL volume 1
イタリア語版と日本語版オリジナル(以下「原典」あるいは「日本語版」)の単行本を比較・検証することがありますが、原典は2004年10月30日発行の第17版を、イタリア語版は2004年12月発行の初版第3刷を指すものとします。 また、私はイタリア語に関しては英語以上に無知であるため、ここでは基本的に表面的な部分の紹介やイタリア語の初歩的な解説を行うにとどめています。日本語訳を付記している箇所もありますが、訳の正確性は保証しません。ディープな解説までは期待しないでいただけると幸いです。
表紙カバーがついています。表表紙のイラストは原典と同じ。裏表紙にはケースを持った少女のシルエットがかかれており(原典の裏表紙にはない)、その左下隅に
と書かれています。 中表紙および本編最後のページの次にあるイラストは原典と同じ。 中表紙の裏にある目次ページにかなり違いが見られます。背景の絵が違うというのもひとつですが、それ以上に目を引くのが各エピソードの項目で使われているカットの違い。元になっている絵こそ同じですが、第1話、第2話、第5話は原典のものより若干拡大率が高く、第3話の分はトリエラの顔が写るところにまでカット枠の位置が引き上げられています。第4話のカットは、原典ではエルザの顔が隠れているのに対して、イタリア語版では顔全体がはっきりと写されています。 原典では目次の次のページから本編に入るのですが、イタリア語版では本編に入る前に注意書きがつけ加えられていました。以下はその内容と大意です。
まあ、これぐらいは明記しておかないとね。内容が内容なので。
カラーページの見栄えは日本語版と区別がつかないくらい良いです。翻ってモノクロページは、紙質の悪さと細かいトーンがつぶれたりモアレが生じるような印刷状態とが相まって、あまりいい見栄えとはいえません。
a.目次
原典で英語のタイトルになっているところは、イタリア語版でも英語のままになっています。 b.本編 本編中のセリフです。イタリア語訳とその意味を併記しています。
「ジョゼさん」は"Signor Josè"となっていました。欧米では「敬称+姓」か「名前を呼び捨て」にするのが一般的ですが、ここでは原典に準拠した呼び方になっています。 どういう綴りになるのか気になっていた登場人物、それからカタカナ表記と多少異なっていた名前を下に挙げておきます。
あくまで一般的な話ですが、ジョゼはポルトガル系の名前でジャンはフランス、ヒルシャーは作中にある通りドイツ系のようです。Eleonoraは「エレオノーラ」という読みでいいのだろうか? そういえば名前ついでで思い出したことが。「リコ(Rico)」が本来男の名前だと言うことは1巻で言及されている通りです。人名に限らず、"o"で終わる名詞はたいてい男性名詞です。逆に"a"で終わる名詞は女性名詞が多いです。それを踏まえると、「フェッロ(Ferro)」という名前も相当男っぽいと思うんですがどうでしょう。しかも普通名詞の"ferro"って「鉄」の意味だし(ferroが女性名詞という可能性も考えたのですが、男性名詞でした…)。
2番目の文の中に、外見と意味が英語とよく似ている単語がいくつもある点にお気づきでしょうか。 "Ascolta.(相手によって"Ascolti."や"Ascoltate."などと使い分ける)"は、英語の"Listen,"と同様、相手の注意を引くために使われる呼びかけの言葉。
"fratelli"は"fratello"の複数形。つまり"fratello"は本来単数形で兄または弟の意味。兄(弟)と区別するときにはfratello maggiore(minore)、あるいはfratellone(fratellino)と言うのだそうで。なお、同じページで「妹」のことは"sorellina"と表現しています(姉または妹=sorella、複数形はsorelle)。
"Mi dispiace."は謝るときの表現。「ちょっとすみません」「失礼」と軽めに声をかけるときは"Scusi."(親しい人には"Scusa.")と言います。
「私は〜が好きだ(私は〜を気に入っている)」という表現を、イタリア語では"Mi piace 〜."あるいは"〜 mi piace."と表現します。直訳すると「〜が私に好感を抱かせる」といったところでしょうか。「私」ではなく「〜」の部分が主語になっているんです。さきほどの"Mi dispiace."もこれとまったく同じ形の表現です。「私」を主語にするような文化圏の人間にしてみれば、こういった表現は不思議な魅力をもったものとして映るかもしれません。言葉って不思議なものです。
ディズニー映画「白雪姫」で、七人の小人(ドワーフ)にはそれぞれ"Dopey(おとぼけ), Grumpy(おこりんぼ), Sneezy(くしゃみ), Sleepy(ねぼすけ), Bashful(てれすけ), Happy(ごきげん), Doc(先生)"という名前がついています(作品内のセリフで登場した順番(Docを除く)、カッコ内は日本語版での名前)。全部イタリア語の名前になってますね。 グリム童話「白雪姫」オリジナルストーリー(リンク先は英語訳)では、小人に名前がついていないそうです。小人の名前は、ディズニーが映画化する際、小人に性格づけをするためにつけられたのでしょうね。
「義体」は"(il) corpo artificiale"、直訳すると「人造体」。条件付けは"(il) condizionamento(調節、調整、条件設定)"となっています。
イタリア語(やスペイン語など)では、人称代名詞が主語としてはっきりと表現されることはあまりありません。動詞の活用を見れば主語の人称と数は一目瞭然なので、主語をわざわざ言う必要がないんですね。それでも時々は上記の例のように、主語の人称代名詞を言い表すことがあります。たいていの場合、それは軽い強調の意味合いであるようです。 d.注釈 イタリア語版にはいくつか注釈がついていました。すべて、該当するコマのすぐ下もしくはそのコマのあるページ最下段の空白に書かれています。
ジェラーチェはイタリア南部の観光地として有名らしいです。長靴の形をした半島の、ちょうど靴底の足指部分にあたる場所に位置する街です。
厳密には"SIG Sauer"というのは社名のようです。「SIGザウアー社製の拳銃」ということですね。
原典では「アイギスの楯」と書かれている部分です。これにメドゥーサの首が埋め込まれてできたのがイージスの楯。 e.その他 全体的に読みやすいというか、(主観ですが)上品な感じのするフォントが使われています。原書で日本語のフォントが変わっている部分はイタリア語版でも変えてあります。 擬音などの絵文字はアルファベットに変更されています。
そんなわけで、「GUNSLINGER GIRL」第1巻の日本語版およびイタリア語版にひと通り目を通してみました。 実際に読んでみて思ったのですが、作者はきっとイタリアが大好きなんでしょうね。これって実はイタリア観光マンガなんじゃないかってくらい、作品には「美しいイタリア」が詰まっています。キャラクターが(作者によって意図された)歪さに満ちているにもかかわらず思ったほど作品から醜悪さが感じられないのも、きっとそのおかげなのかもしれないと考えています。 イタリア語版は紙質と印刷状態こそ悪いですが、絵柄から醸し出されている空気を壊さないような気遣いが翻訳のフォント選びから見て取ることができます。翻訳自体も、少なくとも要所ではしっかりした出来であるような感じがします。 バカ高い送料に目をつぶってでも買った甲斐はありました。アニメのイタリア語版も同じくShin Vision社から出る予定のようなので、発売されたら買ってみようかなと思っております。イタリアに上手な吹き替え声優がいるのかとか、日本マンガ的造形のキャラがイタリア語で喋ることに違和感が無いかとか不安要素もあるにはありますが。いや、そんな違和感なんて翻訳版マンガやアニメをいくつも買ってる時点で気にかけるべき問題でもないか。「そもそもイタリア語の日常会話を聞き取れるのか」という根本的問題に関しては、気合いでカバーします。もしくは気合いで受け流します(笑)。
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フランス語版ネギま1巻をだいたい読了。 まず最初にチェックしたのは、ネギま屈指の問題ゼリフ(笑)である「パイパン」発言。英語版1巻では思いっきり違うセリフに差し替えられていました(こちらを参照)が、さてフランス語版ではどうなっているのかな〜?
もののみごとにぼかされてました(笑)。はっきり書くとなると「パイパン」の説明もつけ加えないといけない上に、そもそも対象読者に子供も含まれるような本でどうやって説明するんだという大問題もあるので、「パイパン」削除はやむをえないといったところでしょうか。ちなみに、フランス版ネギまには英語版のようにレーティング表記がありません。そういう制度自体がないのかもしれません。 英語版7巻では、訳注とともに"PAIPAN"という表記で晴れてお目見えとあいなった「パイパン」。さて、ほかの国の1巻はどうなっているのやら。そして7巻ではどうなる?
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マガジン立ち読み。
スクラン。 ネギまは休載か…。
4月から始まるアニメ「.hack//Roots」。 監督:真下+音楽:梶浦とくれば、「あれ」を期待せずにはいられないわけで。
そう。
OPがFiction Junction YUUKAだったら、挿入歌もそうなる可能性大。 | ||
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1月27日の日記(b)の、イタリア語版ジョジョセリフ集に項目を追加。
Fate第5話。
正直に言って、今回が今まででいちばん楽しみにしてたところかもしれません。 士郎VS凛はコミカル要素多めの描かれ方でした。まあこれはこれでありと言っていいのかも。 次回はマスター&サーヴァントがもう一組登場する模様。これから少しずつ盛り上がっていってほしいなー。 | ||
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今週…、いよいよ今週…、「HELLSING」が発売されるんだ…。 まめに通わせていただいているサイトのひとつ「Maruto! 泥酔桜国」さんの日記(DIARY 2/5分)で、心のアンテナがピンッと反応した文章が。
あくまで個人的好みによるものですが、自分はこの「ギクシャク感」がどちらかというと苦手な方です。海外生まれの作品とはいえ「日本語で書かれている活字作品」なんだからちゃんと自然な日本語を書いてくれ――そう思うことが、私には往々にしてあります。翻訳が不可能、あるいは極めて困難な表現が存在することはもちろん知っていますが、そんなものは作品全体のほんの一部でしかないケースがほとんどなわけで。原文中の単語をすべて直訳して作ったと一発で見抜けるような文を見ると、多かれ少なかれがっかりな気分にもなります。翻訳とは、外国語の理解力と同じくらい「自国語の熟練度」を問われる作業なのだと、私は強く思うのです。 …と、ここまで書いてふと別の考えが頭に湧き起こりました。 「これは日本産作品(マンガ、小説、etc.)の翻訳版でも起こりうる問題なのではないか」と。 たとえば、日本語から翻訳された英語のマンガがあったとします。その作品の翻訳が日本語の原文に忠実なものであったとしても、英米人読者に「オレらはこんな物言いしねーよ!もっと英語らしい表現にしやがれ!」と思われている部分があるかもしれません。反対に、元の日本語と全く違う表現に変わっているところがあっても、それが「英語らしくない表現を避けるための配慮」である可能性は大いにあるわけです(実際、翻訳を完全放棄せざるをえないようなネタの宝庫として翻訳版「あずまんが大王」という極端な例が存在するわけですし)。まあ、自分は英語その他いくつかの外国語をある程度読めるって程度なので、翻訳本(というか「マンガ」)を読んでも「これはきっと自然な外国語なのだろう」と信じることしかできないわけですが。 | ||
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オッケー、フランス版ネギま&あずまんが大王ゲット。 それにしても、外が寒すぎ。何なのあの寒風。 | ||
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オッケー、フランス版ネギま&あずまんが大王ゲット。 それにしても、外が寒すぎ。何なのあの寒風。 | ||
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ジョジョ英語版2巻に加え、既に届いている「アレ」とかもうすぐ届くと思われる「ソレ」とか読むものが増えて追いつけません。さらには後1週間でHELLSINGが発売でもーーーう!!! で、きっとその1〜2週間後には「あんなの」まで届いてしまうんだ…。まあネタに困らないって意味では良いことだけど。
よっしゃー!某ウェブラジオでネタ採用キターーー!!!
名前が呼ばれたとき、心の中で軽くガッツポーズ。うれしいですよ。 |