+++金木犀遊戯1+++


午後の勤めを終えて総監室に戻るロスマリネを、扉前でルスが呼び止めた。
「何、ジルベールが?」
「ええ、二人で死の森に入って行くのを確認済みです」
最近、目に余る…監督生や役員を誑かすとはいい度胸だ。
「久々に私がやってやろう」
総監は踵を返すと、ジルベールが潜む森へ向かって真直ぐに歩き出した。



死の森は、昔から不良達の溜まり場でもあった。
この地で行われる私的な制裁では、何人もの院生が再起不能となり、死に至った例も複数ある…。
不幸な自殺者もここで死を選ぶ事が多かった。

「穢らわしい…どうしようもない汚臭に塗れきっている」
ロスマリネは、辺りに凝る負の影を打ち消すように自らの結界を強化した。


結界の名はシオン・ノーレ…。



妙なる香気を放つその結界は総監のレベルの高さを顕していた。
だが、その結界は彼を守る以上に、彼を縛っている檻でもある。

もともと、本来の総監が持っていた結界はシオン・ノーレとは違った。
それは強引な形で、オーギュストの洗礼によって変化させられてしまった後付けの気だった。
総監就任の条件の一つとして押し付けられた力…シオン・ノーレ…は、ロスマリネの生来の気に、
馴染ない点も多かったが、彼は結局その力を受け入れた…。
万人から天下無敵と評される、この結界を使いこなせる事は、彼にとって力の誇示という重要な意義も持っていた。


…陽が落ちた。月明かりがあたりを銀色に照らしはじめている。


小さくても森には巧妙な迷いのまじないが施されていた。
外界からの侵入者や、内側からの脱走者を迷わせるためだ。
ジルベールは、時間を計算に入れているのだろう、総監は気をとぎ澄まし、薄闇の死の森を検索した。

やがて、ロスマリネが立ち止まる。かすかに引っかかった気配…自分と同じ徴(しるし)。
ロスマリネは闘気を強めた。


ジルベールとロスマリネの結界は磁極のように引き合い、反発していた。
同じ気を使いながら、ぜんぜん似ていない。
どうやらジルベールは一人のようだった。一緒に森に入ったはずの腐れ監督生の気配は何処にもなかった。

「雑魚は私を察して逃げたのか?…そんなダシで私を呼ばずとも鞭くらい、いくらでもくれてやったのに」
総監が隠れているジルに向かって話し掛けた。



雑魚とはジルが誘った監督生の事だ。
総監を誘き出す仕掛けに使われただけで、今では、捕まって裁かれるだけの哀れな存在だった。
何度おなじ手口に引っかかれば、目が覚めるのか、バカな連中は引きも切らさず愚行を重ねる。


とりあえずジルベールに気を集中させようとすると、いきなり思わぬ方向からジュールが現れた。

「ジュール…どうした?」

参謀は黙って視線を足元へ向けた。よく見るとそこには巧妙にトラバサミが仕掛けてあった…。
ロスマリネがそのまま直進すれば確実にその餌食になっていただろう。
「……」
「結界の事ばかり考えていては、こういう単純な罠に引っ掛けられる。気をつけろロスマリネ」
「ふん…この手の罠ならその瞬間で破壊できるよ…心配性だな」
「君に万一の事があれば、僕もいろいろ大変なんだよ。そこのところを理解してほしいな。
それに、君たちも見物人がいないと退屈だろ。ビジュアル的には最高なのにねぇ」
「側にいるのなら、これ以上、ジルベールとのデートの邪魔はするな…」
「ああ、なるべくそのつもりだが、アクシデントがあれば介入はさせてもらう。悪く思わないでくれ」
ジュールはきっぱり言った。

「いらっしゃーい、飼い犬さん」

ふいにジルベールの声が聞こえてきた。彼は満面の微笑を浮かべながらふわりと姿を顕した。
「もしも録画とかしといてくれるなら、ありがたいお客さんだよね…ロスマリネ?」
いつもの事ながら、ふてぶてしい態度である。ジュールはジルに優しく微笑んだ。
「そうしよう。サービスで見た目が派手な大技をちょくちょくきめてもらえればありがたいな」
「りょーかい!綺麗に撮ってねー」ジルが笑った。
「撮る間なんかないさ、瞬殺してやるから。ジルベール、さっさと始めろ…」
ロスマリネが言った。その途端、ジュールが
「あ、…ロスマリネ。も一つ報告が」
「さっさとしる!」
「スマソ…本件で上級監督生1名を捕縛。反省房に送致済。以上」
「了解。明日、朝、緊急生徒総会を開く。堕落の烙印を刻みつけてやる」

しかし、参謀は首を横に振ると親指と人差し指で軽く丸を作って見せた。
「金で解決して欲しいそうだ。有力者の子息だし…穏便に済ませよう」
「まぁ、いいだろう。せいぜい絞り取ってやれ…金の処理は任せる」
「ありがとうロスマリネ」ジュールが総監に苦笑した。

そして、彼はジルベールの方へ向きを変えて、また優しく笑いかけた。
「こんなことばかりしてないで、君も普通に話し合えばいいのに」


ジルベールは黙って、身をひるがえした。闇に溶け込んでいく…。



木々のざわめきに紛れて、風を切る音が、四方八方から聞こえはじめる。



ジルベールがピンボールのように跳ね、宙を駆け抜けた。
彼のように軽い体の持ち主は、もとより空中戦が向いている。
総監は辺りの地面の凹凸で軽い弾みをつけ、リバウンドしながら、ジルを追った。

かまいたち…空気の割れ目に作られる真空がジルの主な攻撃技である。
名家の血筋であるジルの、風使いとしての素養は十分に天才的だった。総監も気を抜く事は無かった。

真空がカミソリのように、木の葉や時には太い生木までも切り裂いて飛んでくる。



しかし、いくらパワーと素質があっても戦闘技術をろくに学ばずにいるせいで、無駄の多い幼稚な攻撃だった。
「まったく馬鹿につける薬はないな…殺されないとわからないのか?」
だいたい闘う前から、ロスマリネにはジルベールの攻撃が「お見通し」だった。
オーギュストがすべてをレクチャー済みなのである。
もとより、連戦練磨の総監と張り合える者など、この学院には数えるほどもいないが…

風にまぎれて、ジルベールの影が動き廻っていた。それを目だけで追う事は不可能だった。
相手の気の気配を読みながら、おたがいに動き続ける…。
逃げ回る事を日常としているジルは速さだけなら、ロスマリネと十分に互角だった。

「バカと天才は紙一重らしいが…」

そこには、計算だけで解らない"野生の強み"もあった。効率を考えて動く事に慣れた、
ロスマリネのような考え方をする人間にとっては、それは"狂気"だった。

ジュールが遠巻きに、二人を追った。