+++ある結末+++
ジュールは大学を卒業したその足で、援助の礼を言うために、海の天使城へとオーギュスト・ボウを訪ねた。
おとぎ話のような城を、ジュールは呆然と眺めた。
―ジルベールはこんな場所で育ち、オーギュストとの蜜月を過ごしたのか―
出迎えた執事がオーギュストは昼間を眠って過ごすのが常で、彼が目覚めるまでの明るい時間を、
客人には城内を案内してまわるように指示されている、と告げた。
「よろしくお願いします」
ジュールは執事の後ろに付いて行った。
―彼は、なぜ死ななくてはならなかった?―
豪奢なジルベールの部屋に通されると、ジュールもさすがに目頭が熱くなった。
「ジルベールの墓はどちらですか?」ジュールは執事に言った。
執事は静かに頷いた。地下墓所へと続く暗く冷たい石段を、蝋燭の灯で二人は進んだ。
「あまり長い時間はお見せするわけにはまいりませんが…」
辿り着いた石室に炬火が煌々と灯される。
真っ先に目に飛び込んできたのは、大理石のジルの彫像。
天使のように微笑む唇、指先には飛び立とうとする鳩が止まっている。その像の作者はJPボナール。
そして重い布を掛けられた棺が安置されている。
掛け布を剥ぐと、ガラスの棺の中にはあの頃の姿のままに、完璧な防腐処理がほどこされた亡骸があった。
「やあ、相変わらず綺麗だね」ジュールはジルベールに微笑んだ。
陽が落ちて夕食に呼ばれると、そこにオーギュスト・ボウが居た。彼は愛想のいい微笑を浮かべた。
「久しぶりだね」
ジュールは無事に大学を卒業した事をオーギュストに報告して、感謝を述べた。食事が終わると二人はかがり火がともされた庭に出た。
「綺麗なお城ですね」とジュール。
「この城を綺麗だなどと思った事はない」オーギュストは答えた。
コクトー家の内情はよく知らなかったが、オーギュストがコクトー家に養子として入った人間である事はジュールも知っていた。アリオーナが自分を同等の者としては扱わなかったのと同じ、オーギュストも人として扱われる事がなかったのかも知れないとジュールは直感した。
「ロスマリネは元気でやっているか?」オーギュストは聞いた。
「アリオーナは元気ですよ…それよりも、貴方の口から彼の名が出るのが不思議です。気になりますか?」
ジュールが微笑んだ。
「元気ならいいさ…君たちが仲違いしたままでは気の毒だ」
「…いろいろありましたがね、結果はご存知なのでしょう?」
ロスマリネは自分の力で立ち直った。まるで、"昔のセルジュ"のように…オーギュストは静かに笑った。
「総監になりたがる者は他にも居たが…君を総監にしたのは…君たちの関係、立場を逆転させてみたくなったからだ」
「恨んでいましたからね、確かに…」ジュールが笑った。
「違うね。君が彼に惚れていたからさ…」
いきなりのオーギュストの言葉にジュールは赤面した。
「結局は報われぬ恋だったようだねぇ…親友殿?」
オーギュストはクスクスと笑って、ロスマリネの事をそれ以上は問い詰めなかった。
「同病相憐れむ…君に援助できた事は心から嬉しく思うよ。可愛いお人形さんには、私が謝っていたと…伝えて欲しい」
その半年後のパリ。
オーギュスト・ボウはいきなりボナール男爵邸を訪ねた。
「どういう風の吹き回しかわからんが、貴様が俺を訪ねてくるなんて奇跡だな」
宿敵にお茶を出しながらボナールが笑った。
「某国へ行く事になった」
オーギュストはだされたお茶を飲みながら言った。
「そりゃ、いきなりだな。兄貴の手伝いか?」
「向こうの経営を任せていた責任者が、現地のはやり病で亡くなって混乱している。兄は家族に縛られているし、遠隔操作ではどうしようもないらしい。そこで、身内の私に白羽の矢が立ったわけだ」
「ジルベールが寂しがるな…さっさと帰って来いよ」
「もしも…私の不在が長くなるなら、君が例の青い薔薇でも供えにいってくれ、あれも喜ぶだろう…」
「承知した。安心して行って来いよ」ボナールは場の寂しさを紛らわせるように明るく答えた。
オーギュストは別れ際に左手をボナールに差し出した…左手の握手は別れを意味する。
理由は聞かずにボナールは左手で美しい友と握手をした。
兄夫婦の拠点である植民地に着任したオーギュストは、異国の珍奇な人々の貧しさを横目に、
仕事のかたわらで、現地の少年達を物色しながら放逸の生活をしていた。
しかし、その現実離れした…不摂生な生活のあげくに彼は風土病に罹った。
オーギュストは高熱にうなされ、血を吐いた。
「やっと、来たか…」
彼は、それを覚悟していた。緩慢な自殺であった。
パリの新聞の片隅に、オーギュスト・ボウの訃報が載った。
当初の世間の反応は―かつて社交界にそういう人もいた―程度だったが、
やがて…それはとんでもない事態へと発展した。
コクトー家所有の植民地の権利が、すべて現地の住民の所有に書き換えられていた。
それを知ったコクトー家当主ペールは拳銃自殺…
「やりおった…オーギュストめ!」が最後の言葉だったらしい。
それが発覚すると社交界にセンセーションが巻き起こった。
「弟君のオーギュスト氏は素晴らしい詩を書かれる芸術家だったが…まったく、頭が切れ過ぎて変になったとしか思えないねぇ…いつの間にか、気が狂っていたんだよ…コクトー氏もお気の毒に」
人々が囁く中…妻アンヌ=マリーと継嗣マルスは債権者の目を逃れ、行方不明となった。
膨大な負債を抱え、コクトー家は一気に崩壊した。
そしてさらに数年後…パリでピアニストとして活躍中のセルジュのもとへ不思議な小包が届けられた。
シオン=ノーレの香りがする…。差出人は表記されていない。
その中味で真っ先に目に付いたのは、沢山の写真…しかもジルベールだ。
彼が学院に入る以前のもので、オーギュストも写っている。
「一体これは?」
他にもいくつかのノートが入っていた。それにはいくつもの詩が書かれていた。
オーギュスト・ボウの未発表の詩…セルジュは息を呑んだ。
やがて、ひとつのリサイタルが行われた。
セルジュがピアノを弾くと共に、かつての娼館の娘カミイユが、シャンソンを歌うイベントだった。
彼女を女として扱う事はなかったが、相変わらずのお節介で下町に出向きながらセルジュはカミイユに音楽を教えた。
そして今やカミイユは、シャンソン歌手として脚光を浴びる新進の歌姫なのだった。
セルジュの伴奏に伴われて、美しく唄いあげられたその歌詞は、まさしくオーギュストのものであった…。
セルジュの演奏会には、学院の同窓生達も自然と集まって来た。
ジルベールの死の責任はセルジュにあると高言して、セルジュを責める声もあるが、ここでは誰もその事には触れない。
ボナールもその演奏を聴いていた。その目から大粒の涙がいくつも流れ落ちていた。
「お前の望みは果たしたぞ…オーギュスト。これで満足か?」
オーギュストに頼まれて、詩や写真をこっそりとセルジュに届けたのは彼だったのである。
パットも念願の新聞記者としてセルジュとカミーユの取材に訪れていたが、
セルジュはジルベールにそっくりな女と一緒になってしまい、一友人の枠を超える事はできなかった…。
セルジュの演奏が終わると、ジュールとロスマリネはホールを後にした。
「白い王子を唄った詩があったね…僕は良かった気がしたけど?」とジュール。
「びっくりしたな、何を今更って感じだよ」ロスマリネが照れて笑った。
「今でも君は王子様の方が似合っている気がするけどね」
「退屈はしない職業だな…実は父が、僕に地元の地方議会の候補になる事を薦めて来てね……勝てる戦だし、親孝行だからと兄達もうるさいんだ…自分の駒にしたいだけのくせに!」
「野望があるなら手伝おうか?」ジュールの眼が光った。
「野望かぁ…そういえば、オーギュストの最後は面白かったな」ロスマリネが話をそらした。
ジュールは彼の両肩をひっ掴んで、真面目な顔で言った。ロスマリネに出馬させたかった。
「勝てる戦にしり込みするなんて詰まらない!」
「勝ってもやっぱり、敵だらけだよ?」ジュールに押さえつけられて、ロスマリネが答えた。
「いくらでも戦うさ…それが運命なら」
ロスマリネは…ジュールの言葉を確認するように呟きを返した。
「ねぇ参謀…。野望の果てで、死ぬ時も僕たちは一緒かな?」
その言葉には、さりげないけれど、永遠の誓いのようなものが込められていた。
「お供する覚悟はしているさ…」ジュールがロスマリネの頬にキスをした。
「やっぱり、死にたくないなぁ」ロスマリネがジュールの頬にキスを返す…続けて、
「父に承諾の連絡をするよ」耳元で嬉しそうに囁いた。
海の天使城は人手に渡ったが、学院で青春を共に過ごした有志達の計らいによって、ジルベールの棺が安置された空間はそのままに残された。
彼らは、時折その墓を訪ねる。
―自らの、青春の在りし日を思い出すために…
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