+++恋に溺れて…+++
たび重なる息子の悪戯に業を煮やしたM.ロスマリネがアリオーナを引っ叩いて言った。
「出て行け!!!…おまえみたいな悪童は、もう親とも子とも思わない」
「他所の子になるからいいよ!!!…父さんみたいにうるさい香具師はまっぴらだ」
「ほう、他所でやれるもんならやってみろ。おまえのわがままが世の中で何処まで通用するのか試してみるがいいさ」
「僕に遊びに来てほしいって言ってくれる人だって、たくさんいるんだからね!」
売り言葉に買い言葉。真っ赤に腫れた頬っぺたを押さえながらアリオーナは、ふてくされて家出を宣言した。
「ジュール、逝くぞ」食料を詰めた籠をジュールに持たせると、アリオーナ達はどんどん屋敷を後にした。
季節は秋。収穫の作業に追われる人々を横目に二人は進んで行った。
領地の外れにある森に入って、しばらく歩くと、たまに家族で舟遊びをしている湖に出た。
「ここで食事にしよう」アリオーナは荷物持ちしているジュールに微笑んだ。
パンにジャム…チーズと葡萄酒。簡単なメニューだったが、疲れた体には最高に美味しかった。
食事がすむと少し休憩に入った。
アリオーナは近隣にある親戚の家にやっかいになるつもりだった。あと二時間も歩けばたどり着ける計算だ。
実はジュールはこっそりとM.ロスマリネが持たせてくれた手紙を持っていた。
相手の家に辿り着いたら、アリオーナには気取られぬように、そこの主人に渡す手筈になっていた。親戚筋がいくらアリオーナを可愛がっていても、突然ひとりで現れたら当惑するだろう。M.ロスマリネは息子のプチ家出を、それなりに生暖かく見守っていた。
親心も知らずにアリオーナは暢気に遊んでいるわけだ。
湖の岸辺にはボートが係留されていた。アリオーナはそれに乗りたいと言い出した。
「ダメだ、子供だけでボートに乗るのは危ないから禁止だと言われてるだろ!!!」
「大人がいないから面白いんだよ…ジュールが乗らないならひとりで乗ろうかなぁ…」
「まだ2時間は歩かなきゃならないし、ここで遊んでる暇はない。ボートがひっくり返って溺れたりしたら、どうするんだ?」
「いままでひっくり返った事なんてないから、今度も絶対にひっくり返らないよ」
「………」
ダメだと念を押すほどにアリオーナは危険に向かって突進したがる性質だった。
結局、ジュールは王子様に負けて一緒に、ボートに乗ることになった。
「ジュールが溺れたら人工呼吸で助けてあげるよ…だから大丈夫!」
王子様はウィンクしながらジュールに宣言した。
この場合、王子が人工呼吸をただのキスと勘違いしてるんじゃないかと思われるふしはあるが、いまさら文句を言っても始まらない。事が無事に終わりますようにとジュールは願った。

湖は森を映し、エメラルド色にきらめいている。二人は光と影が万華鏡のように揺らめく水面を見つめた。
「綺麗だねぇ…」
アリオーナが手を伸ばしてその水に触れた。
「危ないからボートから身を乗り出さないでくれ…」
ジュールは王子様が危なっかしく動くたびに小言をした。
「危ない危ない、危ないって、、うざいなぁ、やっぱりジュールなんか乗せるんじゃなかった」
楽しみに水を挿すようにいちいち指図するジュールをアリオーナが睨み付けた。
「危ないからボートでは動くな!…いったい何度いわせる気だ?」
注意すると、王子様はあきらかに面白がって体を揺らし、何度もボートを傾けたりした。
「馬鹿は死ななきゃ治らないってことかな?」
ジュールが反撃に出た。彼はいきなりボートの縁を何度か大きく揺らした。
アリオーナのちゃちな悪戯よりも、ボートは大きく傾き続けていた。
「…!!!」
王子様は船の縁にしがみ付いた。でないと身体が勝手に転げ回りそうな勢いだ。
「ジュール!本気でやるなっ…」
アリオーナが叫んでも、それでもジュールは限界までボートを揺らして王子様を畏怖させた。
水に落ちたら、そのときはその時だ…と覚悟を決めていた。水が入り込んで、二人の服を濡らし始めていた。
アリオーナはそのまま縁にしがみ付いてじっとしている。背を向けているので何を考えているのか読めないが、彼は揺れが止まるまでそうしてるだろう。
ジュールは揺らすのを止めた。
「…岸に戻るよ」
ジュールはオールを握ると、黙って漕ぎ始めた。
王子様も黙って座りなおした。最初は少し不機嫌な表情だったが、いきなり口を開いて言った。
「今度は、僕に漕がせてくれる?」
「……」
言い出したら聞かない性格だ。漕ぎ手側の席を交代しようと、ジュールがちょっと立ち上がった瞬間、
王子様は両手を伸ばしジュールを水に突き落とした。
「なっ何を…!!!」
ボートが大きく揺れ、ジュールを飲み込んだ水面がしぶきをあげた…。
これは普通に考えると殺人行為に近いのだが、運動神経も体力もあるジュールは簡単に水に浮かぶ事ができた。
王子様はそれをわかってやっているのだから、子供は残酷だ…。
「藻舞なんか、泳いで岸まで帰ってくればいいや」
アリオーナは笑ってジュールに手を振った。
死ぬ気でボートを揺らしたジュールだったが、さすがに本当に死ぬ気はなかった。泳ぎ始めた。
汚い水を飲んで息が詰まった。一心不乱で岸までなんとか泳ぎ着いた時には、彼はほとんど力尽きていた…ひどく寒かった。
「このまま死んじゃうのかな…母さん」
死んだ父親や、遠い家族の幻がぼんやりと浮かんだ…。
何もする気が起こらない。
「このままじっとしてればいいんだ。それですべてが終わる」
動かないジュールを見て、アリオーナは動転していた。
「どうしよう、ジュール死んじゃったのかな」
辺りには誰もいない。
「そうだ、とにかく人工呼吸すれば生き返るかも…」
蒼ざめたジュールの唇に口を重ねると、せいいっぱい息を吹き込んだ。
何度も、何度も…息を吹き入れた。
「ジュール、目を覚まして、ジュール!」
しかし、ジュールはさっぱり動かなかった。王子様の瞳には涙が溢れていた。
「やっぱり、死んじゃったんだ…」
この事態が父や家族、他の人に知れれば自分もただではすまないだろう事も直感でわかった。
だが、逃げる気は起こらなかった。
「ごめんね。僕も一緒に逝くから…」
このまま静かにぼんやりとしていれば、ジュールと二人、みんなに忘れ去られて消え去る事ができる。
そんな感じだった。アリオーナはジュールに最後のキスをした。
それからどれくらい時間が経ったのか、考えるのにも疲れて、彼はいつの間にか眠り込んでいた。
「起きて、アリオーナ…」
誰かが、優しく呼びかけていた。
気がつくと、自分の部屋のベッドの上だった。
「!?」
目の前にはジュールがいた。
「もう、大丈夫だよ」
「ジュール…生きてるの?」
「うん。助かったんだよ僕たち」
ジュールが目覚めた時、その傍らでアリオーナが眠り込んでいた。
彼は即座に身近な民家に駆け込んで事情を説明し、助けを求めたらしい。
…ジュールは王子様にそう説明した。
気がつくとM.ロスマリネがジュールの後ろで王子様を睨んでいた。
「この、ばか息子…」
「お父さん…」
M.ロスマリネは、何も言わずに息子を抱きしめた。
アリオーナは泣いていた。
ジュールは二人を羨ましく思いながら、静かに部屋を出た。
アリオーナに不利な事は誰にも何も喋らなかった。王子様の悪戯で自分が溺れかけた事など、今の彼にはどうでも良かった。
「人工呼吸か…」
ジュールはそう呟いて、笑った。死んだふりはずいぶんときつかったが、彼にはそれ以上の価値があったのである。

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