+++シオン・ノーレ+++
聖堂では厳かに白い王子の総監就任式が行われていた。
色硝子を通り抜ける極彩色の光の筋を浴びて、プラチナの長髪、金糸銀糸で飾られた白い礼服が、
きらきらと虹色の彩光を弾いている。
その一挙手一投足をパイプオルガンの重厚な音色に絶妙に調和させながら彼は進んで行く。
本来退屈なだけの祝賀儀礼の主役を参列者みなが息を呑んで見つめている。
(彼の前途はきっと、洋々たるものだろう)
総監補佐として役員席に連なりながらジュールは思った。しかし、昨夜の一件以後、
ロスマリネの事をずっと考えながらも彼との直接の邂逅は避けていた。
途中…儀式の合間を縫うように、隣席の監督生が声を掛けてきた。
「ジュール…」
「凄い金持ちの子が転入してきたんだって、知ってる?」
「ロスマリネの親戚とかいう子の事か?」
「そうだけど…もう、見たの?」ジュールがその言葉に頭を振って否定すると、
嬉しそうにジュールに言った。
「ジルベール・コクトーって言ってね、本当に凄くかわいい子なんだ…
ロスマリネとお揃いの香水付けちゃったりしてね」
「…同じ香水?」
ロスマリネが総監としての抱負を述べ、朗々と学院生に訓示をしていた。
新総監の言葉は列席の面々の喝采と共に…学院中に響き渡った。
式が終わった直後、急ぎ隠れるように総監室に戻ろうとするロスマリネの姿があった。
皆が自分を呼ぶ声がする…そういう声に捕まりたくなかった。
他人の息がかかるような状況を想像するだけで鳥肌が立つ。
ロスマリネは急ぎ足で礼服の上着を外しシャツを緩めた。
「ロスマリネ!」
その時、自分を呼ぶ声に立ち止まった。ジュールだった。
「疲れたのかい?君らしくないな…」
「この服を連中にもみくちゃにされたくなくてね…」
「そんなつまらない事を気にして?」
ジュールはロスマリネの怯えを察していた。金木犀の香水の香りがする…。二人の目が合った。
「 … …… 」
他の誰よりも長く付き合ってきた間柄だった。二人は、お互いに何かを言いかけようとした。
しかしその時、ひとつの人影が現れた。二人が"話す機会"は失われた。
(ジルベール・コクトーって言ってね、本当に凄くかわいい子なんだ)
運命のように現れた少年を見ながら、ジュールは先の雑談を思い出した。
なるほどね…ジュールは瞬時に納得した。「何故か香水も同じ」だ。
ジュールは上級生風を吹かせてジルベールに声を掛ける。
「迷ったのかい?それとも、親戚のお兄さんに御用かな?」
「そっちの…金髪に用なんだけど」
いきなり金髪と名指しされても、ロスマリネは怒るでもなくジルベールを凝視していた。
「この人はこの学院の総監なんだから、口の訊き方には気をつけなさい」
ジュールが嗜める暇もなく…ジルベールがいきなりつかつかと総監に詰め寄った。
綺麗な曲線を描く横顔…真直ぐにロスマリネを見つめる眼差しがひどく純粋だった。
二人の間に何があるのかジュールにはまだ判らなかった。
「やめろ…私を見るな」いきなり総監がジルを突き飛ばした。
ジルベールは地べたにしりを突き、それでも不思議そうにロスマリネを見あげた。
「使ってる香水のことが聞きたいんだけど…」
ジルベールが香水の件を切り出した。ロスマリネが顔を背ける…。
「行こう、ジュール」
無視を決め込み、ロスマリネはジュールを急かした。それに応じて、
ジュールはジルベールに背を向けた。
しかし…いくらも歩かないうちに、ジルはふたたび総監に駆け寄り、
その上着をしっかりと掴んで引っ張った。
「さわるな!!!」ロスマリネがステッキでいきなりジルの横っ面を張り倒した。
そして、立て続けに見境なくジルを打ち始めた。
「ロスマリネ!止めるんだ」
ジュールの言葉など一向に聞こえないのか、総監はジルを打ち据えていた。
子どもの頃からやっている事だけに手加減の技も身についているはずが…容赦はまったく無しだった。
一点を見つめるロスマリネの目からは、いつの間にか涙が溢れていた。
ただならぬ状況…ジュールがジルベールの後頭部にとどめの一撃を入れた。
「…っ」ジルベールは容易く落ちた。ぐったりと気を失っている。
彼はロスマリネを見た。悔し涙に唇も震わせて、かなり興奮している。
ジュール的にはかなり胸を打たれる場面であった。
しかし、彼はそんなことはおくびにも出さずに淡々と事態を収拾していった。
「これ以上は危険だ。他人に見咎められでもしたらどうする?」
打ちのめされた子供より、打ちのめした側のダメージの方が大きい…ジュールにはわかった。
この香水の裏には、あの男がいるのだ。
「僕はこの子を医務室に連れて行く。君は僕の部屋で服を着替えて待っててくれ、
総監室前はすでに人だかりだろう…その姿じゃまずい、一緒に総監室に行こう、いいね?」
ジュールはポケットからハンカチを取り出し、紳士的にロスマリネの涙を拭った。
幼なじみの言葉に、ロスマリネは素直に頷いた。
新総監は人目を避けてジュールの部屋に入ると汚れた服を脱ぎ捨てた。
身体中にあの男の痕跡が生々しく浮かび上がっている。
ジュールの匂いのせいか…少しずつ気持ちが落ちついた。
ずっと自分と同じだと思っていたが、ジュールの服のサイズは少し大きかった。
ジュールはすぐにロスマリネを迎えに来た。互いにジルの事は黙っていた。
「立派な就任式だったよ…おめでとう」
寄り添って総監室へ向かいながら、ジュールが微笑んだ。
「部屋に戻るまで、がんばって作り笑いしてくれよ」
ロスマリネは泣き顔ではなかったものの、表情が弱々しく沈んでいた。
何人かの生徒が新総監に挨拶をした。ジュールが上手く対応したおかげで、
ロスマリネが喋る必要など微塵もなかった。
総監室前につくとルスが待ちかねたように新総監を呼び止めた。
「ロスマリネ!」
小声で何かを耳打ちした。
ロスマリネが蒼ざめた顔でジュールに向き直った。
「ごめん、急用だ。客室に挨拶にいってくる」
「顔色が悪い…一緒にいこうか?」
ロスマリネは首を横に振った。
「君が知る必要はない」
ジュールは黙って総監の姿を見送った。
その手の中にはアリオーナの涙を拭ったハンカチが握り締められていた…。
ロスマリネはひとりでオーギュストが待つ客室へと向かった。
ひっそりとした廊下の奥にその部屋はあった。
「遅いね…。ところで礼服はどうした?」
オーギュストがロスマリネに手を掛け、強引に服を引っ張った。
「他のヤツの臭いがする…一体…何をしていた?」
再びオーギュストに絡まれて、新総監は怯えを隠せなかった。
「この服も破られたいのか?」
話す言葉につかえながら、なんとかジルベールの一件を報告する。
しかしジュールの事は黙っていた。
「なるほど…いい見物だったのに、見逃して残念だ」
「彼は社会性には無縁ですね…学校生活に馴染ませるのも苦労しそうです」
「余計な事はしなくていい。好きにさせておけ」
「学校は学問だけでなく社会教育の場。適応できなければ辛いのは彼の方ですが、そこはおわかりですか?」
「君はあれをここで閉じ込めてくれればいい。ここでどうなろうとあれの勝手だ」
吐き捨てるようにオーギュストが答えた。
「では、本当に放置しておいてもいいんですね?」
「何度も言わせるな…だいたいあれを教育するなんてできるはずがない」
「そうですか…ではそうさせてもらいます。それにあともうひとつ、あなたの香水の件ではお願いがあるのですが」
「何かね?」
「彼にいろいろと勘繰られたくなければ、今後は学院内で香水は控えるべきでしょう」
「香水を止める…?」オーギュストは総監の言葉を笑った。
オーギュストは新しい香水瓶を開けて新総監の手に握らせた。
強い香りがあたらしく二人を包んだ。
「香水を止める必要はない…君はジルベールをまだ知らない。
あれはずっと私に依存し続けてきた。つまらぬ香水一つでも条件反射で私には抗えない」
「条件反射?」ロスマリネが納得しかねる顔でオーギュストを見つめていた。
その指先がロスマリネの首筋を撫でる。体温が上昇し、強くなっていく香水の匂い…。
最初の時にはよくわからなかったが、一度、経験してしまうとそれには官能的な息苦しさが伴う。
ジルベールがこの香水に固執した理由がおぼろげながらわかり始めた。
「わかるね…君の記憶がこの匂いに反応しているのだ。条件反射さ」
「傲慢ですね。たかが香水ひとつで誰が…」
「傲慢でけっこう。傲慢な野心家君」
オーギュストが、自分を氷のように冷たい目で見下ろしていた。それを拒む力はなかった。
その指がロスマリネの制服のボタンを容易く外し始める。
「そう…傲慢だからこそ、君を総監に選んだ」
肌と肌が密着すればするほど、金木犀の香りが揺らぎながら立ち上った。
「昨夜は薬のせいで十分に満足させてあげられなかったね…」
翌朝、ジュールは総監室に呼び出された。
室内にはシオン・ノーレの香りがほのかに…甘く漂っていた。
総監が一通の封筒を差し出した。
その中にはかなりの金額が入っている感じだった。
「君の力が必要だ。用件は同封してある」
ジュールはムッとした。まず、昨日の1件について説明が欲しかった。
「ところでその香水、いい香りだね…気に入ったのかい?」
カマをかけるジュールに、ロスマリネがカッとしてステッキで殴りつける。
「痛っ!」強烈な一撃だった。
「2度とその痛みを忘れないように!」
沈黙の間をおいて…ロスマリネがジルベールの様子をジュールに尋ねた。
「完治に1週間以上掛かる」とジュールが答えた。
「そうか…でも、彼にも早くこの学院に慣れてもらわなくてはね」
「傲慢だね、制裁の理由はあったのか?」
傲慢…?オーギュストと同じ言葉で揶揄されて彼は笑った。そして、
オーギュストの冷ややかな視線を模倣して、故意に幼なじみを見下ろした。
「傲慢…?あれはこの学院の規律を守るためさ」
艶やかな微笑、支配者の威厳…それは今までのアリオーナの顔ではなく、
ジュールがはじめて見る表情だった。
学院トップの表舞台に立つと、ロスマリネはその風貌の優美さを上回る統率力を顕した。
もとよりジュールを羨望させるその振る舞いはまさに完璧といって良かった。
ジュールは順調に仕事をこなしていった。その処理の仕方は機敏で非の打ちどころがなかった。
上級生の中には、ロスマリネを貶めようと躍起になる連中も少なくなかったが、
そんな動きもあっけなく潰されていった。
監督生だった頃から不良との取引はすべてジュールに委ねてられていたし、
今や総監となったロスマリネの権限は強大だった。
ジュールは学院の負の部分である不良達を束ねていった。
「白い王子、黒い参謀かぁ…どちら一つ欠けても、こう上手くはいかないね」
彼はやがて白い王子と表裏一体で評価されるようになった。
学院史上最年少の総監の鮮やかな手並みを、学院中が賞賛していた。
光と影…バランスをとりながら、二人は学院に新たな秩序を与えた。
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