+++愛の逃避行5+++
オーギュストが船に戻ったのは深夜だった。出向の時刻がせまっていた。
ジュールとロスマリネはデッキでオーギュストを待ち構え、彼を出迎えた。
「今晩は、久しぶりだね」彼はジュールににこやかな挨拶をした。
「お久しぶりです」ジュールは短く返答をした。
正直、何といっていいのかわからない。自分は彼との契約を破って勝手な事をしている。
いまさら弁解は許されないだろう…母国を遠く離れ、ジュールを煮るのも焼くのもおそらくオーギュスト次第だった。
ロスマリネは早速、例の雑誌をオーギュストに見せた。
「友達思いだねぇ…まぁ、私の過去の過ちを思えば君の取った行動は正しいと思うよ。そうセルジュ・バトゥールみたいにね」
「セルジュほど正義感に燃えているわけでもありません。ロスマリネも元気そうですし…心配は杞憂でした」
「アリオーナにはここで私の仕事を手伝ってもらっている…なかなか有能でね。本当に助かってるよ」
オーギュストはロスマリネの名前を呼び捨てにしていた。
彼はジュールが失踪して生じた不測の事態について、かいつまんで話をし始めた。
「学校の方では代理の新総監を立てて、そのままうまくやっているらしい。私としてもジルベールの一件で、
学校からは手を退こうと考えていたから、それでもいいと思っている…無責任だがね。だが学校へ戻りたいなら、すぐにも手配してあげるが…でも、アリオーナと同様、君もバカロレアには合格しているから、いまさらあそこに戻る意味はないね」
「それと、君の母親の件についてはすでにアリオーナに聞いてるんだろうが、私の援助は必要ないと思うよ」
要するに、母もロスマリネも以前のままが一番良かったわけだ。まったく無駄骨を折ったものだ。とジュールも思っていた。
良かれと思った行為がすべて裏目に出てしまった。もとのさやに治まっただけだが、ジュールはオーギュストに頭を下げた。
「あなたの言う通りだ。僕は必要ない」
「そういう言い方をするのはやめなさい。私は君を歓迎するよ。それでね、じつは君の部屋をアリオーナの隣室に用意してあるんだが…」
「…僕の部屋…をですか?!」
自分のために客室を用意した聞いて、ジュールは戸惑った。船旅でかかる金額を考えるとそこまで甘えるわけにはいかなかった。
ロスマリネがそこで口を挟んだ。
「ムッシュ。あなたの手回しにはいろいろと感謝しますが、ジュールの費用は僕が持ちます」
「なにも、私はジュール君をただで世話するとは言ってはいない。アリオーナ」
「…それは、もしかして、彼にも『仕事』をさせるってことですか?」
「君と彼は互角だからね…さぞ、仕事もはかどるに違いない」
「僕はいいですけど、ジュール、君はどうする?」
「今、この船を降りるわけにもいきません。オーギュスト氏のお役に立てるかどうかはわかりませんが、しばらくはお世話になりたいと思います」
「じゃ、決まりだ。明日から仕事を手伝ってもらう。アリオーナはいろいろ教えてやってくれ。それと、船内のショップで必要な日常品を私の名義で揃えておきなさい」
翌日の朝食では、ロスマリネの取り巻きの少女たちが、早速、ふたりを見つけた。
ロスマリネが幼馴染を紹介すると、若くハンサムな貴族であるジュール・ド・フェリィを彼女たちは非常に気に入った。
朝食後、すぐに日用品の買い出しに行くことにした。ジュールにはそれなりの服がいくつか、取り急ぎ必要だった。
仕立て屋がジュールの採寸をし、生地もいくつか選ぶことになった。ロスマリネは友人に高価な生地を躊躇せずに何枚も選んだ。
宝石のついたカフス。ファッションリング…。金に糸目をつける気配はない。
「遠慮はしなくていいよ」ロスマリネは微笑んだ。
ロスマリネはジュールの買い出しと同時に、女の子たちにもハンカチから値の張るアクセサリーまで見立ててやっていた。
彼女たちも、ある種の好奇心で船内の売り場をジュールたちについて歩いて来ていたのだ。
堅実なジュールの日用品を揃えるというより、どちらかと言うと、金持ち娘たちの散財の方が派手だった。
「まるで君の方が店員みたいだな」ジュールがロスマリネに耳打ちした。
「この船で取り扱っている商品は、実はコクトー商会のものなのさ…それを捌くのも僕のお役目だったりするんだよ」
この船にはパリでも最新の流行の商品が積み込まれていた。オーギュストはそれを世界各地に運んで売り込んでいるのだ。
彼はこの船旅で作家業だけではなく、コクトー商会のバイヤー役をも兼ねていた。
「僕やオーギュストが着ている服もほとんどがコクトーの品物で、宣伝も兼ねてるのさ」
「なるほど…いくら高くついても、モデルが客に買う気を起こさせれば、むしろ儲かるわけだ…」
「そう、ショップの宣伝と引き換えに、僕も好きなものを手に入れられるし、要するに持ちつ持たれつの関係」
そう言うと、ロスマリネはひときわきらびやかなブラウスを手に取って店の支配人に差し出した。
「かしこまりました。こちらはロスマリネ様の部屋にお届けしておきます」支配人は言った。
買い出しの後、女の子たちと昼食をしてから別れた。ロスマリネは、ジュールを図書室に連れて行った。
そこにはオーギュストがふたりを待っていた。
「いい買い物ができたかい?」
「はい、いろいろとありがとうございます。助かります」
「その分、こちらも助けてもらうから、がんばってほしい」
「はい」
彼は机の上に次の寄港地に関して必要な本を棚からいくつか選び出していた。
「適当に本を眺めておもしろいと思う文章があったら、そこにチェックを入れておいてくれないか」
「要するに、ここで話のネタを探す手伝いをしろってことさ」ロスマリネが笑った。
本読みの合い間に、オーギュストが何らかの単語を言う。ロスマリネとジュールがそれに関する本や情報を見つける。基本的にはその繰り返しの作業である。その結果、オーギュストが書いた文章を推敲し、幾度も書き直し、最終的に完成させるわけだが、すでに寄航したアフリカについては原稿はあがっているらしい。先の寄港地であるアラブについてもまとめの作業に入っていた。
数年後にはじめてパリで万国博が開かれる事は知っていたが、目の色も肌の色も、言葉も、季節もまったく欧州とは違う人々の国はジュールにとっては、まだおとぎ話のようなものだった。こつこつと地味な作業が続くにつれて、ジュールのなかに本に書かれた異国への興味がどんどん広がっていった。
「おもしろいかい?」オーギュストがジュールに尋ねた。
「ええ、本当に興味深いことばかりです」
「…本に描かれている事はその国のほんの一部だ。すべてを鵜呑みにしてはいけないよ。実際には現地でしか手に入らない情報の方が貴重なんだ」
「現地でしかわからないこと…ですか?」
「そうだ。そこには本に描かれていない現実がある。それを君が自分で確かめに行くんだよ」
さすがに作家だけのことはある…オーギュストの言葉は公私にわたってジュールを発奮させた。ロスマリネが進んで彼を手伝いたがる気持ちがわかった。恋敵でさえなければ単純に尊敬できただろう。
いや、、、むしろ彼が恋敵で良かったのかも知れない…ジュールはそう思った。
彼から「アリオーナ」を取戻すことができる。
どんなに足掻いても、自分では彼を超えることは無理なのかも知れない…が、
それでも…
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