筑紫地区新館
旧筑紫郡には私の想像を超える量の白水淡の墨跡があったため、地元の春日市を分離して、春日市以外の旧筑紫郡で1ページを建てました。準地元だけあって旧筑紫郡にも多くの墨跡が残っています。(すでにこのページも満杯状態ですので、近いうちに再分割します。)
現在の
大野城市を青
・
福岡市を緑色
・
那珂川町を赤
・
筑紫野市を紫
(
紫
は筑
紫
野市のカラー
)
で色分けしている。 (大野城市・福岡市南部・那珂川町・筑紫野市・<春日市>ともこの時代は筑紫郡)
老松神社
(下大利)
注連縄掛柱
銘文
右表
一片丹心三尺剱
左表
神風吹我入郷關
右裏
出征記念 陸軍歩兵一等卒 渋田藤三郎
左裏
大正八年三月吉辰
陸軍中
將
従四位勲三等功三級白水淡書
場 所
大野城市下大利 老松神社
備 考
宝満神社
(中)
注連縄掛柱
銘文
右表
神威長照八洲天
左表
仰見竈山千仭嶮
右裏
陸軍中
將
白水淡書
左裏
大正十年四月
参宮同行中
場 所
大野城市中 宝満神社
備 考
宝満神社
(御陵)
注連縄掛柱
銘文
右表
神徳排妖霧
左表
國基如竈山
右裏
大正十年四月
参宮同行中
左裏
陸軍中
將
白水淡書
場 所
大野城市中 宝満神社(御陵中学校横)
備 考
警固神社
(警弥郷)
注連縄掛柱
銘文
右表
春夏秋冬風雨順
左表
東西南北靡神威
右裏
大正十一年九月二十八日建之 以下寄進者個人名
左横
陸軍中將白水淡書
場 所
福岡市南区警弥郷
備 考
白壁喜七翁頌徳碑
銘文
表銘
白壁喜七翁頌徳碑
裏銘
(白壁喜七の事跡が書かれている)
大正十二年一月 陸軍中
將從
三位勲一等功二級白水淡撰並書
場 所
大野城市中
備 考
山王日吉神社 注連縄掛柱
銘文
右表
人和而郷○
左表
至誠而通神
右裏
左裏
大正十三年九月吉日
陸軍中
將
白水淡書
場 所
福岡市博多区山王 山王日吉神社
備 考
当時は筑紫郡
消防記念碑
銘文
表銘
消防記念碑
陸軍中
將
白水淡書
裏銘
由緒について細かく書かれている
大正十四年四月十二日
場 所
那珂川町山田の公民館
備 考
白水の書いた碑が、春日市の隣の那珂川町(実際はこの時代、もう少し小さな
村単位ですが。)にないのが不思議でしたが、やはりちゃんとありました。
那珂川町郷土史研究会の高橋さんが見つけて教えてくださいました。
生田秀三郎翁頌徳碑
銘文
表銘
生田秀三郎翁頌徳碑
陸軍中
將
従三位勲一等功二級白水淡書
裏銘
(生田秀三郎の事跡が書かれている) 昭和二年三月
場 所
大野城市雑餉隈 恵比須神社隣
備 考
宝満神社
(山田)
注連縄掛柱
銘文
右表
其進也循序
左表
其新也執中
右裏
陸軍中
將
白水淡書
左裏
昭和二丁卯三月吉辰建之
山田
區
氏子中
場 所
大野城市山田 宝満神社
備 考
二日市八幡宮神社碑
銘文
表
郷社八幡宮
裏
昭和二年三月陸軍中
將
白水淡書
場 所
筑紫野市二日市 二日市八幡宮
備 考
入口には白水揮毫の神社碑であるが、一番奥には奥保鞏揮毫の
「日露戰役彰功紀念之碑」がひっそりと建っている。
宝満神社
(筒井)
注連縄掛柱
銘文
右表
皇風周六合
左表
神徳耀乾坤
右裏
御大典記念
左裏
昭和三戊辰三月建之
右横
陸軍中
將
白水淡書
場 所
大野城市筒井2 宝満神社
備 考
住吉神社
(曰佐)
注連縄掛柱
銘文
右表
皇風周六合
左表
神
コ
満乾坤
右裏
昭和三年十一月建之氏子中
左裏
陸軍中
將
白水淡書
場 所
福岡市南区曰佐
(おさ)
住吉神社
備 考
当時は筑紫郡曰佐村
宝満神社
(横手)
注連縄掛柱
銘文
右表
瑞雲籠日域
左表
萬古仰神孫
右横
陸軍中
將
従三位勲一等功一級白水淡書
右裏
昭和三年十一月
左裏
御大典記念
場 所
福岡市南区横手 宝満神社
備 考
曰佐小学校隣り。
筑紫神社 忠魂碑
銘文
表
忠魂碑
右横
御大典記念 昭和三年十一月十日
左横
陸軍中將從三位勲一等功二級白水淡書
場 所
筑紫野市筑紫 筑紫神社に尊王烈士碑と並んである。
備 考
白水の碑が並んで建つその前には、
桂太郎の「日露戦役顕彰紀念之碑」が鎮座している。
筑紫神社 尊王烈士碑
銘文
表
尊王烈士碑
陸軍中将従三位勲一等功二級白水淡書
裏
昭和三年十一月十日
場 所
筑紫野市筑紫 筑紫神社
備 考
同じ日に建立された「忠魂碑」と「尊王烈士碑」が並び建つ。どちらも「筑紫村」に
よる建立であり、明治以降の戦争でこの地から出征し亡くなった方と、幕末の筑
前福岡藩の志士を顕彰する碑を同時に建てたのであろう。
筑前福岡藩黒田家の「志士」は、幕末一時藩を掌握するも、四境戦争(第二次長
州征伐)を前に幕威が盛り返した時に、幕府の顔色をうかがう主家(黒田長溥は
「尊王佐幕」だった)にことごとく切腹・斬首させられ、壊滅状態になった。
左)忠魂碑 まん中は慰霊碑
(白水書ではない)
右)尊王烈士碑
三郎天神 注連縄掛柱
銘文
右表
年
豐
民
樂
業
左表
神
コ
照郷
關
右裏
陸軍中將白水淡書
左裏
昭和三年十一月建之
場 所
筑紫野市常松三郎天神
備 考
私の名前でピンと来た方もいらっしゃるかも知れませんが、常松は私の里(私自
身は住んだことがありませんが)の隣村です。
まさか、自分が幼いころに遊んだお宮に白水の墨跡があったとは・・・
宝満神社
(乙金)
注連縄掛柱
銘文
右表
致誠神徳照
左表
人和里門昌
右裏
陸軍中
將
白水淡書
左裏
昭和四年四月吉日
大
禮
記念
場 所
大野城市乙金 宝満神社
備 考
大石 市川梅幻翁之碑
銘文
表
軍事功
勞
者 市川梅幻翁之碑
陸軍中
將
従三位勲一等功二級白水淡書
裏
裏面には、市川梅幻翁の事績が細かく書かれているようですが、苔むしていて読
み取ることが出来ません。「一戸大将」や「白川大臣」の文字をかろうじて読むこと
が出来ましたが、一戸兵衛の大将進級が大正4年で、大正8年後備役編入、昭
和6年没です。白川義則が陸軍大臣を務めたのは、昭和2年から4年の間です。
これだけでは、具体的にどの戦役での功労なのかは見えてきません。(平時の兵
器開発・諜報活動・寄付ということもも考えられますが。)
昭和四年十月の文字があるので、建立年月と判断した。
場 所
筑紫野市大石 県道65号線沿い
備 考
古都大宰府保存協会の方より教えていただきました。
大歳神社 大正七八年戰役記念碑
銘文
右表
☆奉納 大正七八年
戰
役記念碑
右裏
陸軍中
將
従三位勲一等功二級白水淡書
左裏
場 所
筑紫野市山口 大歳神社
備 考
揮毫・建立年不明。
上に砲弾が乗っている。現在も各地に残る兵器奉納記念碑は、太平洋戦争時の
供出により、ほぼ半分くらいは肝心の砲弾が乗っていない。
上の砲弾が外された碑
可愛らしい砲弾が乗る碑
朝倉市蜷城 三奈木神社
糟屋郡須惠町 駕輿八幡宮
どちらも日露戦役記念 揮毫者は陸軍大臣寺内正毅
(日露戦役の兵器奉納記念碑は、時の陸軍大臣寺内正毅が一括し
て揮毫したようだが、銘が何種類<銘自体の違いや縦書き横書き等>
もあり、その都度書いたのか、一括して書いたものからそれぞれの
村が選んだのかは不明。)
砲弾等を供出した村にもそれぞれの思いがあり、砲弾が乗っていない記念碑の
横に、「外して供出した」旨を刻みこんだ碑も見たことがある。
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