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受験勉強でしばらくご無沙汰の音楽も、高校に入ると,いよいよ様相が変わってきた。深夜の勉強のあい間に聞いていたフォークソングだ。みんなが手造りの曲を下げて、いろんな地方から東京に押し寄せる。カルメン マキ、岡林信康,南こうせつ、井上陽水、海援隊、ビリーバンバン、本格的なブームは、ベトナム戦争反対の波と共に,ジョン バエズ、ピーター ポール&マリー、ボブ ディラン、、、海外からも目白押し。 学生運動も盛んで,加藤登紀子,高石ともや、国内にも,反戦,反体制の唄が高まってきた。
さて、高等学校の音楽の先生、受験校(?)だったせいもあって、社会科の先生が音楽を担当、授業冒頭に「これは単位のための授業だから,いやな人は寝ててもいい」。 先生が唯一得意な曲「ウォルシングマチルダ」、男子ばかりの教室で,みんなもこの曲だけは日ごろのウップンばらしか,大声をあげる。 試験も,いい加減なもので,実技試験は,歌でも楽器でも好きなものを一人づつやって,採点
こうした,平和な学校生活でしたが,世の中の影響が全く無い訳ではなかった。徐々に敷かれつつある自分達の将来のレールへの反発、これが学園内の紛争へと形を変えて行く。いろんな社会問題に対する学級討論。現状是認派と社会主義礼賛派の対立。クラスの中は,右か左か,それとも無関心、この3つに色分けされ,完全に分裂。三無主義(無気力、無関心、無思想)、そんな言葉が台頭してきたのも、この頃.
ミッシェル、キャントバイミラブ、ノルウェーの森、マネー、オール マイ ラビング、プリーズ プリーズミー、涙の乗車券、ヘルプ、エイト デイズ ア ウィーク、アンド アイ ラブ ハー、、、とっつきやすいビートルズナンバーに,次々挑戦する。カズボウのバンドは,ビートルズの唄が歌いたくてたまらないH君がリーダー兼ボーカリスト、で当然サイドギター。寄せ集めのカズボウは一応リードギターだが,唄の引き立て役か,和製GSの曲はボーカルもやらされた。
学校ばかりでなく、家の近所の先輩達とも音楽を通じた交流があった。特に1年先輩のヨッさんは、歌手志望で歌謡学院に通う傍ら、自宅での練習の伴奏に,良くカズボウを呼んでくれた。最新式のテープレコーダーは2ヘッドで,エコー音が出せる優れものでした。当時は[歌謡オーディション]なるものを,銀座の喫茶店「ACB」でやっていた。ヨッさんと二人で出かけたオーディションも,予選落ちばかり,そのときの審査員は,浜口庫之助先生、伴奏をやっていたのが「SWING WEST」、後にこのバンドの湯原昌幸が[雨のバラード]を引っさげて,TVデビューした。プロとアマチュアの違いをを身にしみて感じたのも,この時でした,,,,。
楽しかった高校生活も,3年生を迎えると,なんとなく重苦しい雰囲気になってきた。大学受験のことだけではなく,世の中全体が,とても騒然としていたのです。70年安保、成田空港反対、既存の体制と,それを拒否したい学生の反発。 学校の先生の中にも革新的な若い先生も多く、授業中にベトナム戦争や中国の紅衛兵を中心とした「文化大革命」を話題に、多いに盛り上がりました。といっても、これは一部の現状不満分子の間の話しですが、先生の下宿に押しかけたり、放課後反戦歌、「若きベトナム兵士」とか「沖縄を返せ」など先生と合唱したり、音楽に時間以外の方が、音楽的でした。 大学出たての若い女の先生、あこがれたな、思想以外に、、、後に、この先生とインターネットの情報で、30年ぶりに名古屋で再開という、ドラマが生まれますが、これについてはまた別の機会に。
また、この頃ビートルズが始めたAPPLEからデビューした メアリー ホプキンス、「悲しき天使」が一躍ヒットしたが、そのB面の「フィールド オブ セント エティエンヌ」、妙に物悲しくって、忘れられない曲になった。 この頃のレコードは、やたらと[悲しい、、、]という題名が多く、ひとつの流行だった。それから、変な名前のバンドだけど、ヘドバとダビデ「ナオミの夢」曲も変わっていたんで、印象に残っています。
最終更新日 :15/05/05
青年時代から先は、現在鋭意製作中につき、しばらくお待ちください.
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