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Au revoir
骸を発見したとの連絡を、先日受けた。 生きている。 半月もの間、苦しんだ末の奇跡に、綱吉は心から喜びたかったが、立場と状況がそうもさせてくれない。 今、綱吉にできることは、ボンゴレのボスとしての骸に対する対応だけだった。 広いバルコニーに面した窓から注ぐ月明かりが、この部屋唯一の明かりだった。 電気を付ける気にはならない。人工の明かりは、少しばかり考え事をするには強すぎる。まして、どのみち最悪の結果しか出せない考え事をしている時やなんかは。 ベッドに腰掛けた綱吉の顔が、憔悴して青ざめているように見えるのは、なにも月明かりのせいだけではないと思う。太陽が燦々と照らす日中でも、ここ数日の綱吉の顔には焦りが窺えた。 ただ、それに気がついたのはきっとリボーンや昔から側にいた残りの守護者だけだったろうが。 どうしようもない甘ったれだったころに比べれば、今の自分はよくやれていると、綱吉自身で自負していた。 人として。 ボンゴレという大きなマフィアのボスとして。 感情なんて顔には出さない。いつだって決まったポーカーフェイス。そしてその表情のまま、どんな冷酷非情な命令だって下す。今までそうやってきた。だから、今からだってそうするべきなのだ。 そう、頭では分かっているのだけど、感情が追いつかない。 薄暗い部屋の中で、身動きもせずに綱吉は悩み続けている。斜め下に向けられた視線は、どこにも焦点があっていない。瞬きすら忘れていた。 そんな綱吉の頬を冷たい夜風がそっと撫でる。それはまるで、綱吉を慰めてくれるようで。優しい風の行方を探し、窓に視線を遣ったところで、綱吉の体に緊張が走った。 ・ ・・綱吉には、窓を開けた覚えがなかったのだ。 仮にもボスなので、常に警戒を怠った事はない。今日は月明かりを浴びたい気分だったので、開けていたのだ。 綱吉の私室の窓は特別で、どんなにコッソリ開けても、小さな軋みが聞こえてしまう。リボーンの教育のたまもので、綱吉はわずかな音も聞き分けられた。 そんな耳をかいくぐって室内に侵入できるものは・・・わずか数人しか思い当たらない。 リボーンか、雲雀さんか、それとも。 特に確信があったわけでもないけど、直感が訴えていた。ここにいる存在がだれかということを。 「おかえり、骸」 「よくわかりましたね、さすがです」 笑いながら闇の中から出てきたのは、半月ぶりに見る姿だった。端正な顔立ちに光を反射するオッドアイが幻想的なボンゴレの霧の守護者・・・だった、もの。 半月の時間を感じさせない、気さくな様子で骸は綱吉の前に歩み寄ってきた。 「それにしても、正門を使っていないのに、ここまであっけなく来れてしまいました。天下のボンゴレのボスの私室だというのにこんなので良いんですか?」 「君は仮にもここの守護者だもの・・・まだ。誰も警戒なんてしないよ」 綱吉は、「まだ」のところに力を込めて言った。骸はそこに含まれたニュアンスに気づいたらしい。一見、優しげにみえる作り物の笑みで笑った。 その笑顔は、綱吉と骸が初めて会ったときとそっくり同じものだったので、ここでようやく綱吉は、疑惑が真実だという事を実感した。 「そういえば、ただいまって言ってくれてないね」 あたりまえに感じすぎて、涙はさっぱりでなかった。 ・ ・・六道骸の行方が分からなくなった。 半月前、綱吉にリボーンが深刻な顔をして伝えた。綱吉は思わず手にしていた万年筆をマホガニーの執務机の上に落として、インクの染みを作ってしまった。 骸には、敵マフィアの殲滅を依頼していた。これまでに彼が任務に失敗した事はない。どんなに高度なものであっても、だ。だから安心して単独で行かせたのに。 「どこで?・・・死体、は」 綱吉は極めて、冷静な声を出した。 「お前の依頼をコンプリートした帰りにまったく行方が辿れなくなっている。同乗していた構成員の死体は見つかっているが、骸の死体はなかった。・・・今分かっているのはこれだけだ」 「そう。対応を考えなくっちゃね。トップシークレットとして上だけに伝達して。下に混乱が起きても面倒だし、無駄な心配って事もある」 「・・・ツナ、」 「なに」 リボーンの目を覗き込めば、そこにはなんの感情も浮かんではいなかった。冷徹なヒットマンであり、マフィアの目だ。 「余計な望みは抱くな。常に最低のケースだけを想定しておけ」 言って、リボーンは執務室から出て行った。 机の上で組まれた綱吉の指は小刻みに揺れていた。 その1週間後に来たのは、綱吉の希望を砕く情報だった。やはり、リボーンの口から伝えられた。その声にはなんの感情も籠もっていない。 「骸がイタリアのはずれで歩いているのが見つかったぞ」 綱吉はショックのあまり、今度は返事すら出来なかった。生きていながら、ボンゴレには帰ってこない。これが意味するところはたった一つだ。綱吉が思い浮かべまいと必死に振り払うのに対して、リボーンは無常にも言葉で突きつけた。 「裏切り、これで決定だな」 「やめろ・・・!」 「しょうがないだろ、これが事実だ。事実をちゃんと受け止めろ、ボスとしての対応をしろ」 それから1週間と1日。 骸は目の前にいる。 綱吉は自分でも信じられないくらい、落ち着いていた。裏切り者かもしれないものが目の前にいるというのに。この落ち着きは、綱吉のボスとしての意識からではなく、この数年培ってきた、骸への信頼からであるように思えた。 「ここへは何をしに?」 「自分の住処に帰るのに、理由は要りますか?」 「いるよ、君の場合はね」 「そうですか」 途端、肩がとんっと押されて、綱吉の体はベッドの上に仰向けにひっくり返っていた。その上に骸が間一髪開けずに馬乗りになる。 「忘れ物をしたんです」 その彫刻のような笑顔に、冷や汗が流れた。なんとか状況を変えるために動こうとするが、骸の手が綱吉の肩を見た目に反するほどの力強さで押さえ込んでいて、ちっとも動けなかった。 裏切り。ここでやっと、その言葉が頭をもたげた。 「随分と、僕は考えていました。澱んで行く先の見えない空気を纏った樹海の中をさまよい歩く心地で、考えても考えても出口はなかなか見えなかった。それで、僕はいったん離れてみる事にしたんです・・・貴方から」 「なんで、俺・・・?」 声は、ひどくかすれていた。 骸は怯えた瞳に微笑みかけると、答えずに先を続けた。 「離れて、頭の中の霧が急に晴れたようでした。僕の身は今や自由で、これまでの働きで、十分すぎるくらい、解放して貰った恩義は果たしている・・・。もう、良いだろうと思いました。もう、忌み嫌ったこんな薄汚い世界にいなくてもいいだろうと」 「・・・っ」 綱吉の肩を押さえつける手に力が籠もった。シャツ越しに綱吉の白い肌を鋭い爪が抉る。純白に赤い斑点が浮かんだ。 「ただ、そのまま旅立つには少々心残りがありました。今日は・・・綱吉君にその心残りにお付き合いいただこうかと」 骸の手が、鎖骨の上を滑るようにして辿った。その手が細い首に掛かったとき、綱吉は初めて何をされるか分かって、悲鳴を上げた。 「やめ・・・っ」 「くふふ、簡単に折れちゃいそうですね」 首にかかる両手に徐々に力が籠もってきた。綱吉は骸に訴えかけようとするが、その言葉は、のどのところでつぶれて言語にならなかった。 「か、は・・・!」 涙で視界がにじむ。 それは、生理的に出てきた涙だったかもしれないけど、綱吉の心の涙かもしれなかった。だんだんと薄れていく意識。心は叫ぶ。 裏切られた? 裏切られた・・・。 裏切られた! 横に流れ落ちる涙が、月明かりで輝いていた。その様子を骸は無表情で見つめる。 「綱吉君、あなたと過ごした時間は、実際、穏やかで楽しかった・・・だけどね、幼い頃に決意した復讐の心って、そう簡単に揺るがないんです。僕は、今でもマフィアが憎い」 さらに手に力が籠もった。 「僕は、マフィアが憎いんです」 確かめるように呟いた。それに呼応するように手に籠もる力も強くなっていく。 もう綱吉には、指を動かす気力さえ残っていなかった。首に絡まる指をのけようとは思わない。涙だけは壊れたように流れる。 「マフィアが憎い・・・けど、」 ふいに綱吉の体内にたくさんの空気が入り込んできた。体が必死に酸素を取り入れようとして、綱吉は盛大に咳き込んだ。 息が整うとともに、思考がクリアーになる。 「むくろ・・・?」 呼ばれた名前に目を細めた。 綱吉ははっとした表情になる。今までこんなに人間くさい表情をした骸を見た事がなかった。 綱吉の瞳を捕らえ、一文字一文字に感情を込めて、骸は言った。今までのどんな発言よりも大きく聞こえた。ただ、その声にはどこか悲痛な響きが含まれていた。 「けど、こんなにあなたが愛しい・・・」 そして、首に掛かっていた手を頬に添え。 優しく口づけをした。ほかになにをするでもない、触れるだけの子どもがするようなキスだった。ただ、長く長く触れていた。 綱吉は目を閉じる事が出来なかった。骸の閉じられたオッドアイを見つめ、その顔が苦悶に歪むのを、キスが終わるまでひたすら見ていた。 ようやく、骸が離れた頃には綱吉の息は上がっていた。急な展開に不安げに相手を見上げた綱吉の顔がぎょっと固まった。思わず、問いかけが口をつく。 「なんで?」 荒い息が混ざった声は戸惑いが含まれていた。 「なんで、骸が泣いているの・・・?」 「え、」 言われて初めて気が付いた。そっと自分の頬に手をやれば、温かい水滴が指についていた。 「・・・わかりません」 「苦しいの?」 「・・・わかりません」 骸は本当に分からないのだった。ひたすらこみ上げてくる熱いものが目から溢れて出てくる。胸は・・・どうかといわれれば痛いような気がした。 自分は辛いのか?いや、綱吉君に会えて嬉しい。 本当に?いや、それだけじゃなくて。 自問自答を繰り返す。骸は自分がどうしたいのか、なにを思っているのか、全く分からなくなっていた。 彼の側にいれば、なにもかもどうでも良くなってしまうから、綱吉から離れて考えた。そのときは確かに揺るがない決心をしたのだ。ボンゴレを裏切るついでに、ボスで、唯一の心残りの綱吉を消そう、と。なのに、いざ実行となれば、体が動かぬ。殺したくはないと心は泣く。 そこまで考えて、初めて気づいた。 (ああ、そうか。この涙はそういうものだったのか) 「殺すべき、対象をなによりも愛してしまうなんて、なんて皮肉だ」 骸は自嘲気味に吐き捨てた。 涙を流しながら、自分を嫌う。 綱吉はそんな骸がとても可哀想で、もう見たくないと思った。 ふっと、頭の中を夢みたいな幻想がよぎった。綱吉の苦しみも、骸の苦しみも、すべて解決されてしまう幻想。 もう一度、骸の顔を見た。 そして、綱吉は幻想を実現させる決心を固めた。 それが、自分の立場では許されない事だとは、ちゃんと理解している。でも。 「いいよ」 「・・・はい?」 「俺がボンゴレをやめるから、もう、骸は苦しまなくていいよ」 あっさりと言い放ち、そっと伸ばした手で骸の涙を拭いた。骸はぽかんと口を開けたまま、綱吉の手を受け入れる。 ああ、この顔も初めて見るなぁ、と綱吉は他人事のように思った。 「本気ですか?」 「うん、ばっちり本気」 言葉こそ、ふざけていたが、声は真剣だった。見下ろす綱吉の態度にもちっとも迷いが見えない。瞳には、綱吉本来の穏やかさが戻っていた。 「・・・なぜ?君もボンゴレに殺されますよ」 「わかってるよ。だけど、このまま行かせても骸は辛いままだし、一人で死ぬ事になるでしょう?もうお前をそんな目に遭わせたくない。俺で悪いけど、一緒に死のうよ」 「一緒に死のうって・・・」 君、馬鹿ですか?と骸は絶句した。そんな骸に綱吉はニッコリと笑いかけた。 「お前を一人にしておけないもの。二人で死ねるって幸せな事だと思わない?」 「・・・本当の、馬鹿ですね・・・」 骸はほとんど泣き笑いだった。 そんな表情に綱吉は安堵の吐息を漏らした。 骸はベッドから降りて、バルコニーの方を見た。ここに来たときよりも位置の下がった月が妙に眩しかった。そして初めて優しいと思った。 「・・・骸?」 不安げに問いかける声がした。 「早く準備をしてください。・・・行きますよ」 「シャツを着替えないとね。それから現金も。長く逃亡生活ができるように」 「ええ、たっぷり用意してください」 ボスの私室に面したバルコニーには二つの人影。その手はしっかりと繋がれていた。 いざ、バルコニーから地上に降りようと、手すりに足をかけたとき、後ろから注がれる視線に気が付いて綱吉は振り返った。 そこには、家具の影にとけ込むようにして立つ、リボーンの姿があった。 リボーンの顔は人形のように無表情だったけど、綱吉には彼がひどく傷ついているのがわかった。 残されたリボーンたちにとっては、俺も裏切り者になるのか。 でも、悪いとは思ったけれど、後悔の念はまったく押し寄せて来なかった。 リボーンに向けて、声には出さずに、口の動きだけで「ごめんな」と謝っておいた。それだけが裏切り者として去っていく綱吉の精一杯だ。 綱吉は骸の手をぎゅっと握りしめた。 これからはこれだけが唯一の体温になる。 |