花いちもんめ




ある麗らかな昼下がり。
寝込んでいたはずの若だんなが、こっそりと布団から抜け出て、縁側に腰掛けていた。その足下には、いつ持って来たのやら、下駄が置いてある。どうやら外に出るつもりのようだ。
表の店が忙しいらしく、仁吉も、佐助もすぐにやってくる様子はない。しめしめと若だんなが下駄を履こうとしたとき、後ろから声がかかった。
「若だんな、お出かけかい?」
突然かけられた声に、若だんなは思わずビックリして飛び上がってしまった。それでも悲鳴を上げなかっただけ、さすがだ。
若だんなが悲鳴なんぞ、上げたときには、過保護な手代や妖が、文字通り飛んできてしまう。
「屏風のぞき、ビックリさせないでおくれよ」
「あたしはただ声をかけただけ、なんだけどね」
「それでも。ああ、驚いた」
「これ、あたしの質問に答えてないよ。どこへいくつもりだい?」
屏風のぞきの問いに、若だんなはぶすくれた声を出した。
「どこへだっていいじゃないか、私も子どもでないのだから」
「言わないのなら、行かせられないね」
すると鮮やかな屏風絵から、するりと役者顔負けの男が抜け出てきて、縁側に腰掛けていた若だんなの着物の裾をはっしと掴んだ。若だんなは掴まれた袖を引くが、屏風のぞきの手は離れない。
「これ、離しておくれ。出かけられないじゃないか!」
若だんなの声には少し苛立ちが含まれている。
長崎屋の離れにいるほかの妖たちと同じで、屏風のぞきも基本、若だんなに甘い。しかし、今日ばかりは言う事を聞くつもりはないようだ。
それどころが、若だんなの横に、足を崩した姿勢で座り込んで、てこでも動かぬ構えである。そして澄ました声で言った。
「若だんなになにか遭ったら、あのいけ好かない手代どもにしかられるのはあたしなんだ。それに若だんながが行き先を言わず出かけるときは、ろくな事を考えてないに違いない、行かせられるもんか」
「ちょっとそこまで行くだけだってば!」
その言葉に屏風のぞきはにやにやと口元を歪めた。
「そこまでがどこまでやら、ね」
「本当に、ほんの先だよ」
「だったら言えるだろ?」
屏風のぞきは若だんなの顔を覗き込んだ。
意地悪な屏風なのぞきの態度に、若だんなはすっかり馬鹿にされているような気分になって、むくれた。線は細いが、芯は意外に太い若だんなである。こんな風にされたら、意地でも言いたくなくなる。
ぷい、と反対側にそっぽを向いた。

普段、甘やかされると嫌がる癖に、これはまるで駄々っ子みたいな態度じゃあ、ないか。
屏風のぞきは若だんなの様子に小さくため息をつくと、猫の子に話すような優しげな声で若だんなに話しかけた。いつも皮肉ばかりの屏風のぞきが、だ。
「ねぇ、若だんな。誰もあんたを子ども扱いしてるわけじゃないんだよ。ただ何が起こるか分からない物騒な世の中だから心配でねぇ・・・」
若だんなは驚いて、屏風のぞきの方を向いた。
「心配?お前でも心配してくれてるのかい」
今度は屏風のぞきがむくれる。
「・・・あたしをなんだと思っているんだい。これでも、若だんなの事は格別に大事にしてるんだよ」
なのに、伝わっていないなんて!
泣き真似まで始めた屏風のぞきに、若だんなは慌てた。
嘘泣きだと分かってはいても、さすがにわるかったと思ったのか、しどろもどろ弁解を始める。
「屏風のぞきや、ごめんよ。みんなが私に優しくしてくれているということは、ちゃあんと分かって入るんだ。だけどね、時々それが煩わしくって・・・本当に我が儘だとは思うんだけど」

その言葉は、屏風のぞきの中にすとんと落ちてはくれなかった。若だんなの気持ちはよーくわかるが、問題はそこではない。自分の若だんなへの思いが一緒くたにされたことが、屏風のぞきには納得がいかない。
鳴家どもや離れをときどき訪れる妖どもは問題外。あの忌まわしい手代どもに勝るほどに大事に思っているというのに。
全く、腑に落ちない。
「まぁ、確かにあの手代がついていたら煩わしいだろうよ。」
「いつもはいいんだよ。実際助かっているし。だけど四六時中世話されていると自分が赤子みたいに思えてくるんだ」
ふう、と若だんなは小さくため息をついた。屏風のぞきはそんな若だんなを気の毒に思う。自分には絶対に耐えられないことと確信できるからだ。
「・・・せめて、外を歩くときくらい、あたしが一緒に行ければ良いんだけどねぇ」
屏風のぞきは人型をとってはいるが、その派手な風体は夜ならいざ知らず、昼に出歩くにはいささか目立ちすぎる。それに媒体は紙であるために、いざというとき若だんなを守れる保証はない。
それに比べて。
それに比べて手代たちは強く、長く人として生活しているために、街に関するたくさんの知識もある。なにより、若だんなと歩いていても誰もが当然と認識する立場がある。
(本当に、虫のすかない奴らだ。)
自分がやりたくでも出来ない事を彼等はいとも簡単に、実現させられる。
ほんの少し羨ましくもあるが、嫉妬や妬みの方が遙かに大きい。
ああ、くそ。

「あたしが、あの手代たちの立場だったら、よかったのに」
忌々しく吐かれた台詞に、若だんながきょとんと首をかしげた。
たかだか外を歩くだけなのに、なんでそこまでの考えになるのだ?
「どうしてだい?」
「わからないのかい?」
いつもは頭がよく切れるのに、こういった色事関係にはまったく頭が回らないようだ。そういうところがまだ幼く思われる所以なのかもしれない。
しかし、あまり鈍感というのも、相手にとっては凶器に等しい、つらいもの。屏風のぞきもいい加減、隠す事が面倒になってきていた。
もう、そろそろ良いんじゃないか。そんな考えが頭を掠める。十七歳といえば、もう大人の仲間入りを果たす頃。気づかずとも理解はできよう。
屏風のぞきの本心を知ったときの若だんなは、一体どんな反応をするのか。
まだ色恋に疎いこの子は、じっと難しい顔で考え込むのだろうか。訳も分からず呆然とするか。それとも、にっこりと笑ってくれるかもしれない。
そんな興味も手伝って、行動に移してみる事にした。
駄目で元々。それでもきっと若だんなは優しいから、側にはいさせてくれるだろう。

屏風のぞきの手が、肩からするりと若だんなの膝に置かれた手に滑り、その表面を愛おしげになぜた。白い肌はまるで上等の絹を思わせた。
腕を肩に回した事で、体はぐぐっと近くなる。
若だんなに触れる手つきは妙に優しい。しかし顔だけはいつものひねくれた笑いを浮かべ。ただ、目は真剣そのもの。
急に馴染みの妖がいつもと違う様子に変わった事に、若だんなは訳が分からす、どうしていいかも分からない。戸惑いを浮かべながらも、屏風のぞきの目をじっと覗き込んだ。
そんな若だんなに、屏風のぞきはにっこりと笑いかけた。
「あたしはね。若だんなを・・・」

「若だんな!!」
緊張しながらも屏風のぞきが口を開いた、まさに絶妙のタイミングで、第三者の声が割り込んできた。
若だんなを呼ぶのと同時に、勢いよく開けられた襖から姿を現したのは、長崎屋の手代で、若だんなの兄やの一人、仁吉だった。
部屋に足を踏み入れた途端、ずかすかと二人の側までやってきて、屏風のぞきの存在を綺麗さっぱり無視して、若だんなの横にしゃがみ込んだ。
そして、さっと若だんなの足下をみると、顔をしかめて詰問した。
「なぜ、離れに下駄が持ち込んであるんですか?」
「・・・えっと・・・」
仁吉があんまり急に現れたので、隠す事が出来なかった。良い言い訳も浮かばずに、焦りながら仁吉から目をそらす。
そんな若だんなの様子に、全てお見通しとでも言うように、仁吉が畳みかけた。
「どうせ、離れから抜け出して、一人で出かけるつもりだったんでしょう。」
ね?
そう言って、笑った仁吉の顔はなんだか怖くって、若だんなは二の句も告げられない。仁吉はさらに続けた。
「そんな勝手をされては困りますね。それだけの元気があるなら、店に顔をだしてください」
「ええ・・・!」
言い切ると、若だんなの意見も聞かずにさっさと担ぎ上げてしまった。これには若だんなもたまったものではない。慌てて、反論を口にするが、仁吉はそれを右から左へ流して、足を止めようとはしない。
ならば、せめて。
若だんなは、泣きそうな声で仁吉に懇願した。
「なら、せめておろしておくれ。ちゃんと自分で歩けるよ!」
「逃げ出しませんか?」
「逃げ出さない。ちゃんと店に行くよ」
「約束ですよ?」
仁吉は若だんなを肩からおろした。
突然の乱入のおかげで中断してしまったが、若だんなは常にない様子だった屏風のぞきのことが気にかかっていた。
一体、彼は自分に何を伝えようとしていたのだろう?
問うてみようと、後ろを振り返るが、早く行けと仁吉が急かすので、若だんなは聞けずじまい。渋々店の方に足を向けた。

離れに残ったのは、屏風のぞきと仁吉の二人。
元々、そりの合わない二人だが、今日の場の空気はすこし異様だ。
仁吉は座り込んだままの屏風のぞきを見下ろし、若だんなには絶対みせないような、怖い表情をしていた。目は妖の本性を現す猫のような目に。口元は笑みの形を浮かべてはいるが、笑ってない事は明らか。
一方の屏風のぞきも、邪魔をされた事に対する怒りもあって、殺気立っている。
まさに一触即発の雰囲気。しかし、仁吉は屏風のぞきに、ドスのきいた声で吐き捨てるように、一言言い捨てて、背を向け、若だんなのあとを追っていった。

どん!と離れに、鈍い音が響く。
屏風のぞきが苛立ちまぎれに机を思いっきり殴りつけたのだ。ここで鳴家が出てくれば、あいつらに八つ当たりできるのに。仁吉と屏風のぞきの様子に察したのか、物音すら聞こえない。
まったく、無駄に勘の良い。
屏風のぞきは舌打ちして、屏風の中でふて寝を決め込む事にした。起きていては、先ほどの仁吉の言葉がいつまでもぐるぐる回って、不愉快極まりないからだ。
思い出せば、出すほど、腹の立つ台詞だ。

『あたしだって、十年近く我慢してきたんだ。たかが付喪神のお前ごときが手をだせると思うんじゃないよ』

屏風のぞきは足下にあった菓子入れを思いっきり蹴飛ばした。