改訂:25 September 2018

ゐつをのイギリスあれこれ

1。イギリスの歴史

1. 総説

     B.C. 8世紀ーB.C.5世紀 ケルトの波

ブリテン島の原住民は、黒髪黒眼の農耕民族ブリトン人。ブリテンの語源はギリシャ語pretanike(彩られた、の意味)。顔や体を彩色していた。今から、5,6000年前、あのストーンヘンジを築いたのもブリトン人。このブリトン人は、北フランスから渡ってきたケルトの文化を受容したのはB.C.5世紀のこと。ドルイドと呼ばれる神官の下で、泉、巨木、巨石と言った自然を崇拝するケルトの宗教(ドルイド教)を信仰するようになった。ロンドンのヒースロー空港の辺りはドルイド教の聖地だった。空港の建設工事の際B.C.3世紀の木造神殿跡が発見されている。



ストーンヘンジ。1995年Bournemouthであったプラズマ物理学の国際会議の際に見学したことがある。



     B.C. 58 - A.D. 410年   ローマの波

紀元43年、古代ローマの軍勢がドーバー海峡を渡ってイングランドに上陸して、この地を占領した。これは410年まで続いた、イギリスは古代ローマとの影響は薄いと思われるが、イギリスの各地に多く見られるまっすぐな道の多くは土木工事が得意だったローマ人が作った名残である。375年ローマ帝国の国教になったキリスト教がイギリスに伝わったのはこの頃で、ドルイド教と習合しつつ,都市でも田舎でも信者を増やしていった。

     5世紀半ば7世紀  アングロ・サクソンの波


     600年頃    アングロ・サクソン七王国

鎮圧された土着のブリトン人はウエールズなどの辺境へ、あるいは海をわたってアイルランドやフランスのブリュターニュへと逃れた。
     同じ頃、ローマ教皇グレゴリウス1世から派遣されたキリスト教の伝道師がイギリス南東部のケント州の海岸に漂着した。伝道師たちはカンタベリーを拠点に、各地に赴きアングロ・サクソン人をキリスト教に改宗させる。在来のケルト系教会と統合した修道院では最高のキリスト教教育が施された。

     8世紀から10世紀頃   ヴァイキングの波

8世紀後半から、北欧のデーン人が、イギリス北東部の海岸に出没して、略奪を繰り返した。デーン人も同じアングロ・サクソン人と同じゲルマン民族だが、民族大移動機に南下せず、北欧に留まっていた。北欧の神話を奉ずる多神教徒で、バイキング船で知られる、造船と航海術にたけて、イギリスだけではなくロシア地方にも進出して、ルースキーの先祖になった。

   886     アルフレッド大王がデーン人の侵攻を撃退、イングランドの統一

この頃からイングランドの呼称始まる。語源はEngle landでアングル族の土地という意味

   1016     カヌートのイングランド支配(デーン家)

   1066 - 1154 ノルマンの波

ノルマン人は元々はデーン人。バイキング活動もやっていたが、10世紀初め、侵略をやめる事を条件に、フランス王からノルマンデー地方を譲り受ける。そしてキリスト境に改宗、言語を始めフランス文化を取り入れ、ノルマン(北の人文化)に変身した。

     1066 ヘースチングを戦い-ノルマンデー公ウイリアム(ウイリアム1世(征服王)のイングランド支配(ノルマン朝)

     ウイリアム征服王の支配は強大で、アングロサクソン人の領主貴族を追放して、全人口(約110万人)のわずか1%にすぎないノルマン人を支配層につけた。このことでイギリスは大きく変わり、例えば言語は、アングロサクソン時代の古英語は、ケルト語、北欧語、ラテン語の混合であったが、これに大量のフランス語が加わる事になった。

     1154    ノルマン王朝が終わりプランタジネット王朝(アンジュー伯のヘン

     このころアーサー王物語成る

     1167     オックスフォード大学の初め

     1171     アイルランド侵略の初め(ヘンリーの征服)
     1196    ジョン失地王、フランスに在ったイギリスの領土を失う      

ヴァイキングの侵略を受けてフランスは西の地方半分をイギリス(プランタジネット家)に占領されていたが,フランスのフィリップ2世は英領のフランスへの奪回をはかり、フランスの領土を4倍にした。この時の英の王はジョンで、そのため彼は失地王と呼ばれる。フィリップ2世は尊厳王Augusteと呼ばれている。



イギリスが占領していたフランス国土(赤色)

     1215    マグナカルタ(大憲章)の制定

     1233    ケンブリッジ大学創立

     1246      ウエストミンスター=アベ建設

     1339     ランカスター家(ヘンリー4世)

     1339-1453   英仏百年戦争Hundred Year's War(「いざ作」戦練ろう百年戦争)

英国はフランスに領土を持っていたが、ジョン王の時に失い、失地回復を狙っていた。英国のエドワード3世は母イサベルがフランスカペー王朝から来ているので、仏の王位継承権利を主張した。その息子がエドワード黒太子(エドワード3世)である。

            第1期 英勝利、エドワード黒太子の活躍

当時の鎧は白であったが、エドワードは黒の鎧をまとい、フランスのフィリップ6世と対峙した。クレーシーの戦い(1346年)で仏軍を打ち破り、前期の戦いで殆ど勝利し、ボルドー等を除いて英は失地を回復した。しかしエドワード黒太子は早世して王にはなれなかった。この頃,ボッカチオの「デカメロン」書かれている。

            第2期 英勝利、シャルル6世の失地回復運動

仏のシャルル5世が失地回復運動おこなったが、その子のシャルル6世がブルターニュー遠征の時発狂して(脳神経疾患が生じた)、仏国内に権力争いが生じた(ブルゴーニュ派(仏東部・北部))対オルレアン・マニアック派(仏西・南部))。これを機に英王のランカスター朝のヘンリー5世が仏に介入して来た(アゼンクールの戦いで英勝利1415年)。

            第3期 仏勝利、ジャンヌ・ダルク***の活躍

英のヘンリー6世が仏王として即位。少女ジャンヌ・ダルクは進撃して,常勝のイギリス軍を斥けて、シャルル7世をランス大聖堂で戴冠を実現させる。ジャンヌ・ダルクは一時オルレアンを解放した(1429年)が、英軍に捕らえられて、ルーアンで宗教裁判にかけられ、男装であることを糾弾されて(当時聖職者は女性は男装してはならなかった)ルーアンで焚殺される(1431年享年19)。

***「ジャンヌ・ダルクはフランスで最も人気の高い人物です(フランス語の先生曰く)」。Jeanne d'Arc est nèe en 1412 à Domrèmy, un petit village Lorrain. Ses parents, Jacques et Isabell, sont paysans. En gardant ses moutons, elle croit entendre des voix qui lui demandent d'aller sauver le royaume, abandonnè de tous. Jeanne, la timide et douce jeune fille, quitte son village natal qu'elle ne reverra plus. Elle va revêtir des habits de soldat pour duriger une armée.(ジャンヌ・ダルクは1412年フランスのロレーヌ地方の小さな村ドムレミーに生まれた。彼女の両親のジャックとイサベルは農民だった。羊の番をしながら、彼女はフランス王国をすぐに救えという声(神のお告げ)を聞いた。ジャンヌはおとなしいやさしい娘だったが、生れた村を出て、兵士の衣服をまとって戦いに出て行った。)

            第4期   シャルル7世が英軍を一掃して100年戦争終わる。



左から、騾・ロシェルの海戦、アジャンクールの戦井、バデーの戦い、オルレアンの攻防で戦ううジャンぬ・ダルク

     1347~1341  ヨーロッパ全土にペスト(黒死病)流行

人口が減少し、フランスの人口の41%が死亡して、人口は1700万人から 1000万人になった。

     1453     東ローマ帝国滅亡(石とゴミになった:南部陽一郎氏曰く)

     1451     ヨーク家(エドワード4世)
     1455-1485  薔薇戦争(ランカスター家(赤薔薇)とヨーク家(白薔薇)が争った)起こる。
     1485     チューダー王朝(ヘンリー7世)   
     1509      ヘンリー8世
     1534      イングランド国教会設立
     1687     アイザック・ニュートン「自然哲学の数学的原理Philosophiae Naturalis Principia Mathematica」を著す。古典力学の完成。
     1688     名誉革命
立憲君主制が生まれ、貴族階級が独占していた特権が市民へと拡大し始める。


いつおの英国訪問記


1.1995年第22回制御核融合とプラズマ物理学に関するヨーロッパ国際会議

Bournemouthで開催。ボーンマス(Bournemouth)は、イングランド南部ドーセットの南海岸に位置する都市で, 人口は約16.8万人。11km続くビーチや温暖な気候から、イギリス有数のリゾート地として知られる。 イギリス各都市の住民にその街での生活が幸せかを尋ねた2007年の「イギリスで最も幸福な街」調査で、ボーンマスは回答者の82%が幸せと答え1位となったという。ここで、1995年 7月3日から7日まで  第22回制御核融合とプラズマ物理学に関するヨーロッパ国際会議が開催され、出席した。私はこの会議には度々参加しており、第8回(1977プラハ)、第19回1992インスブルック)についで3回目である。



イギリス本土とボーンマス(赤色)ストーンヘンジはロンドンの南西200km、ボーンマスの真北100kmくらいの所にある。ソーズルベリーの近く。