『村岡範為弛のことー日本人で初めて外国誌に論文が載った物理学者』
という論文が『大学の物理教育』(2000-3、p.9-p.13)に掲載されている。この論文に書かれていないことを追加する。村岡範為馳は日本人として初めてづくしの人である。

1。外国の学術誌に論文が日本人として初めて掲載された。

2。日本人として初めて物理学の教授(東大医学部の一般教養担当)になった。

3。日本人として初めて外国の博士号を取得した。

4。実質上、日本人初の物理学の理学博士だった。

日本人初の物理学の理学博士は山川健次郎ということになっているが、本当は村岡範為馳だろうと思う。山川健次郎は会津の出身で、戊辰戦争を戦った白狐隊の生き残りである。維新後、許されてアメリカに留学し、土木工学を学んで帰国し、後に東京大学総長(九州大学総長にもなっている)となった。しかし、山川健次郎の博士号は明治政府から授与された名誉的なものだったらしい(山川健次郎は論文は殆ど書いていない)。

5。物理教育に大変熱心で、『教員及び好楽家の実験音響学』の著作をものにして、当時ドイツの有名な物理学者のヘルムホルツが考案した音で動く自動車(反音自動車、おもちゃの一種)を日本に紹介した。

6。京都大学理学部物理学科初代教授、湯川秀樹や朝永振一郎の師である玉城嘉十郎を教えた。

7。日本最初の学問の自由を巡る事件に連座した

これは京大(沢柳)事件ともいう。有名な滝川事件を遡ること20年前に起きた学問の自由を巡る事件である。東北大総長から京大総長に転じた沢柳政太郎は京大法学部教授陣との対立で法学部教授陣の支援に回った村岡範為馳は断固として法学部教授陣を支持したことに端を発している。このときの文部大臣は村岡と同じ鳥取出身の奥田義人で、奥田は立場上沢柳総長を支持した。そして、翌年。この事件は法学部教授陣の京大辞任というところまで発展する。このとき村岡も辞任したが奥田文部大臣は教授会の人事権を承認して、澤柳総長は依願免官させた。大学の教授会自治権確立の第一歩となった。

8。アルザス地方について

村岡が滞在したアルザス(Alsace,ドイツ語ではElsass(エルザス ))地方はアルザス・ロレーヌAlsace-Lorraineと呼ばれ、長年神聖ローマ帝国傘下のロートリンゲン公国の支配下にあった。1736年にフランツ・シュテファン公がオーストリア・ハプスブルク家(神聖ローマ皇帝家)のマリア・テレジアの婿に決定すると、フランスがこの地域が実質オーストリア領となることになるこの結婚に反対した。話し合いの結果、領土交換が行われて同公国は解体されてフランス領に編入された。 1871年、プロイセン王国が普仏戦争(1870~1871)でフランスを破って、プロイセン王国は「ドイツ帝国」の成立を宣言して、「ドイツ帝国」はフランスとの講和条件としてアルザス・ロレーヌを国土の一部とした。この時の様子を、アルフォンス・ドーデが小説「最後の授業La dernié re classe-Ré cit d'un pettit alsacien」*で取り上げ、この地でフランス語が2度と話せられなくなるのを、悔やんでいる。しかし、この地方は元々ドイツ語圏であり、フランス語がそれほど話されているわけではなかった。普仏戦争に従軍したフランス人作者のドーデの願望が出たとする見方が強い。私の私淑する物理学者Hans Arbrecht Betheがここ、アルザス・ロレーヌで1906年7月2日に生まれている。また、密林の聖者Albert Schweitzerもアルザスの生まれである。SchweitzerはStrassburgの神学部の先生になってから特別に医学部に入り、医師となってアフリカに赴いたとう。

*アメル先生は生徒と教室に集まった大人たちに向かって、自分が授業をするのはこれが最後だと言う。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン王国(ドイツ帝国)領エルザスになって、ドイツ語しか教えてはいけないことになり、アメル先生もこの学校を辞めなければならない。これがフランス語の最後の授業だと語り、生徒も大人も授業に熱心に耳を傾けた。やがて終業の終わる時が来て、アメル先生は「ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限りはその牢獄の鍵を握っているようなものだから」とフランス語の優秀さを生徒に語り、黒板に「Viva La France !」(フランス万歳 !)と書いて最後の授業を終えるのだった。

1919年、ドイツが第一次世界大戦で敗れると、今度はフランスが講和条件としてアルザス・ロレーヌの領有を要求して認められた。教育制度はフランス式になされ、アルザス語の使用が禁止されフランス語が公用語とされた。またストラスブール大学に多くの研究者と教育予算があてられ、1929年にマルク・ブロックとリュシアン・フェーヴルの二人の教授により社会史のアナール学派が生まれた。1930年頃、自治を求める運動が活発化した。 1940年にナチス・ドイツが第二次世界大戦で再びフランスを破って、首都パリを占領すると、再度アルザス・ロレーヌを自国に編入した。だが、1944年にドイツに抵抗を続けていた自由フランスがパリを奪還して新政府を樹立すると、この地域からドイツ軍を追って再びアルザス・ロレーヌを領有して現行の国境となった。 EUはその主要機関である欧州議会(Parlement europ?en)の本部をEC時代の1979年に、中心都市ストラスブールに置いた。また、欧州審議会(欧州評議会、欧州会議とも訳される。Council of Europe)はそれ以前の1949年に、そして欧州人権裁判所は1959年にストラスブールに置いている。 フランスとドイツとの国境地帯にあり、フランスおよびドイツそれぞれの国から見れば地理的には周辺であるのにもかかわらず、欧州の「中心」地域になっている。欧州統合を推進するフランスとドイツの中間点にあり、なおかつ欧州の中心ということは歴史をふりかえれば非常に象徴的なことである。



村岡が撮った日本で初のX線写真。手は助手の粕谷宗資氏、眼鏡と財布は村岡教授のものという



自宅でくつろぐ村岡博士



『教員及び好楽家の実験音響学』で村岡博士が紹介している反音自動車。ヘルムホルツ共振器からの音で回転する。



『京大(柳沢)事件 』を伝える当時の新聞(東京朝日新聞、大正二年八月六日付け)。「村岡範為馳」 は「岡村範為馳」と誤植されている。

9。「村岡範為馳」顕彰碑が故郷の鳥取市河原町にある

筆者は最近(2015.5.7)。高校時代の友人(日本海テレビの元辣腕デイレクター定年退職後、河原町の隣の船岡町で住職をやっている)の案内で見学した。場所は河原町釜口69で因美線沿いの53号線の太田神社の近く。





右端はX線実験成功時に詠んだとされる短歌(「如何ばかりか 嬉しかりけん 定めおきし事 成りにきと 聞きし朝(あした)は」)。