原爆と共に落ちて来た日本人科学者への手紙

広島に原爆が落とされた日(1945年8月6日8時12分)の3日後の、1945年8月9日11時2分長崎にも米軍により原爆(ファットマン、インプロージョン(爆縮型)のプルトニウム爆弾、9.2 x 1013J)が投下され多数の貴い命が、奪われたが、その数十分後、爆心地から32キロほど離れた諫早の上空を1つのパラシュートがふあふあとおりて来た。このパラシュートに取り付けられた観測用ソンデの中には短波の発振器と一枚の手書きの手紙が入っていた。このゾンデを発見したのは帝国海軍の北村軍治中尉で、ただちに海軍省に届けられ、佐世保の元海軍鎮守府の西田少将のところに保管されていた。嵯峨根遼吉東京帝国大学教授1)はソンデの解体に立ち会った海軍の技術士をしていた教え子からの知らせで、手紙は自分宛のものであることを知る。「一体誰からー?何の為にー?」終戦から2ヶ月後の9月末。佐世保に赴いた嵯峨根教授は西田少将を訪れ、この手紙を受け取った。この鉛筆で書かれた手紙の文面は次のようなものであった。


Headquarters
Atomic bomb command
August 9, 1945

To: Prof. R. Sagane
From: Three your former scientific colleagues
during your stay in the United States

     We are sending this as a personal message to pray that you use your influence as a reputable nuclear physicist, to convince the Japanese General Staff of the terrible consequences which will be suffered by your people if you continue in this war.
     You have known for several years that an atomic bomb could be built if a nation were willing to pay the enormous cost of preparing the necessary material now that you have seen that we have constructed the production plants, there can be no doubt in your mind that all the output of these factories, were working 24 hours a day, will be exploded in your homeland.
     Within the space of three weeks, we have proof-fired one bomb in the American desert, exploded one in Hiroshima, and fired the third this morning.
     We implore you to confirm these facts to your leaders, and to do your utmost to stop the destruction and waste of life which can only result in the total annihilation of all your cities, if continue. As scientists, we deplore the use to which a beautiful discovery has been put, but we can assure you that unless Japan surrenders at once, then rain of atomic bombs will increase manyfold in fury.2)

     かつてアメリカで嵯峨根教授と同僚だったという3人の科学の仲間とは一体誰だろうか?嵯峨根教授は翌年日本を訪れたワシントン州立大学学長のWilson Compton博士この手紙を託し、彼の兄のArthur Compton博士3)に手紙を書いた3人の同僚を探してもらうことにした。その結果3人の科学者の名前が判明した。Dr. Luis W. Alvarez4)と Dr.Robert Serber及びDr. Philip Morrisonであった。この3人は嵯峨根教授がバークレーのローレンス原子核研究所で過ごした時の同僚だった、アメリカの若き物理学者達であった。彼等は、マンハッタン計画に参画して、アリゾナの沙漠での第1回目の原爆実験を行っていた。3日前には広島への原爆投下が既に行われていた。今度は1945年8月9日、南大平洋のマリアナ諸島の小島Tiniannに来ていて、3日前の広島への原爆投下にもかかわらず、日本の降伏が実現しないため、第2の原爆を搭載したB29を12時間後に長崎に、旅立たせる準備を進めていた。B29発進の数分前、Dr. Luis W. Alvarezの発想でこの手紙は書かれ、観測用ゾンデの中に封筒に入れて貼付けられ、B29の中に入れられた。



1949年8月9 日、長崎の原爆とともに落ちて来た手紙。下の写真に示すように3人のサインが末尾に入っている。



1949年12月22日、嵯峨根教授立会いの下「長崎の手紙」にサインをする Alvarez教授。

(「嵯峨根遼吉記念文集」、日刊工業新聞社(昭和56年刊)より)

1)原子核の長岡の土星モデルで有名な長岡半太郎阪大元総長の御子息(五男)。東大退官後, 原研理事、副理事長、日本原子力発電(株)の副社長などを勤められた。筆者の東京教育大学時代の恩師の東大勤務時代の恩師でもあった。原子核物理学のパイオニア的な研究者である。

2)筆記体(上の写真)のものを活字体に直した。日本語訳は以下のとうり

原爆指令部指揮官
   1945年8月9日

嵯峨根教授へ
かつて合衆国で君と同僚だった3人の科学の仲間より

     私達はこの手紙を個人的なメッセージとして君に送っている。もし、この戦争を続けるなら貴国民が大変恐ろしい結果を被ってしまうであろうということを、君の有名な核物理学者としての影響を駆使して、日本の参謀本部の人たちに説得してくれることを祈っている。
     君は数年前から、もし1つの国家が必要な原料を準備するのに巨大な費用を惜しまないなら、原子爆弾は製造できることを知っていたはずだ。今や、アメリカでは原爆の製造プラントが建設され、これらの施設が24時間操業して、原子爆弾が君の故国日本の上空で爆発するであろうことを、もはや、君は疑う余地はあるまい。
     この3週間の間に、我々は原子爆弾をアメリカの砂漠で1発、爆発させ、うまくいくことを証明した。2発めは広島で爆発させた。そして今朝、3発目を爆発させる予定だ。
     これらの事実を、君の国の指導者に確証し、もし戦争を続けるなら、君の国の全ての都市が全滅してしまうような破壊と人命の死を止めさせるように君が全力を尽くしてくれることを切望する。
     私達は、科学者として一つの科学の素晴らしい発見がこのように使用されることを残念に思う。しかし、日本が即時に降伏しないならば原子爆弾の雨はますます猛威をふるうであろうことを確信せざるを得ない。(ニ松五男訳)



3)電子にX線を当てるとX線の波長が長くなる現象を発見。電子の粒子性と波動性を示すものでコンプトン散乱と呼ばれる。コンプトン散乱の散乱断面積を計算したのが有名なクライン・仁科の公式


である。A.コンプトンはこの業績で、1927年のノーベル物理学賞を受賞したが、その後マンハッタン計画に参画し、フェルミ、ジラード等の「原爆は住民の居ない地域に投下すべき」という意見に反対した。しかし戦後は核物理研究を放棄して、生物物理学を研究し、核戦争、核実験に反対運動を展開した。

4)原子核のK電子捕獲の現象を初めて実験的に示した。ロス・アラモスの研究所に滞在。マンハッタン計画に参画し、プルトニウム爆弾を爆発させる雷管を開発。Alvarezは広島に原爆が投下された際、原爆搭載機B-29のエノラゲイに追尾する観測機に搭乗して、原爆の爆裂の模様を広島上空で実際に観測していたという5)。液体水素バブル・チェンバーの製作とそれを用いた素粒子の研究により1968年のノーベル物理学賞を受賞した。最近 Dr. Luis W. Alvarezは、息子で地質学者のWalter Alvarezと共に、2億年前に地球を闊歩していた恐竜が滅びた原因について、ヨーロッパの土壌から地球では希にしかなく宇宙にはありふれているイリジウムの層を発見し、この頃地球にイリジウムを含む小惑星が地球に衝突して、多量の塵が空中に舞い上がり長い間太陽光線を遮った結果、植物とそれを原料にして生きている生物が滅んだという説を唱えた。このような、小惑星の地球への衝突をさける為に、小惑星に水爆を投下して軌道をそらすことを視野に入れて、小惑星への監視体制を確立すべきという提案を行っている。イリジウムの層の異常収縮が2600万年の周期であることから、この小惑星ネメシスは2600万年周期で太陽系を廻っているらしい。

5)浅見哲夫、「Alvarezの自叙伝に想う」、核データニュース、75 (2003)63


原爆投下の候補地は他にも会った


昨日(2018−7−31)の東京新聞には、類似の記事が載っている。終戦直前に米軍が日本各地に投下したビラである。日本陸軍の宣伝とは別に本当の事が日本語で書かれている。日本政府は未だに,太平洋戦争の無謀さを反省していない。




1945年7月から8月にかけて このビラが、198万枚日本各地に投下されたという。



これは投下されたビラの裏面である。空襲の恐れのある具体的な都市名が記されている。水戸への空襲は1945年8月1日未明から、8月2日の明け方までで、300人の人が亡くなったという。広島、長崎以外の原爆投下の候補地は,小倉と新潟だった。