1.東京教育大学物理学教室で見つけた朝永先生関係資料



着物姿の朝永先生


ノーベル賞受賞を祝う学生の看板


学園祭でゴーゴーを踊る朝永振一郎学長


朝永先生のノーベル物理学賞受賞を伝える当時の朝日新聞(1965(昭和44)年10月22日)



新大久保の朝永研究室。前列左より 宮島竜興、朝永先生 後列左より 後藤捨男、花輪重雄、鈴木良治、福田信之、田地隆夫、佐々木宗雄の各氏




新大久保の朝永研究室で。左から坂田昌一(今年のノーベル物理学賞を受賞する小林誠、益川敏英を指導した)、武谷三男(物理学発展上の三段階論という妙な哲学で知られる)、朝永先生。




戦争中の海軍島田研究所1)で。後列左より岡村総吾、渡瀬譲、朝永先生、渡辺寧2)、小谷正雄。



戦争中の海軍島田研究所のもう一つの写真3)で。前列左より、渡瀬譲、宮島竜興、永宮健夫、伏見康治、萩原雄祐、湯川秀樹、朝永先生、小谷正雄、高尾磐夫、後列左より荷口浩一郎、蜂谷謙一、小田稔、小塩隆文、本間正一、小林省吾、牧野正邦(1944年4月22日)

3)河村豊、日本物理学会誌,71, 707,2016,より

ゐつをの注釈

1)朝永先生は戦時中ここで、マグネトロンの研究をされていた。集まっている人たちが当時日本を代表する一流の物理学者ばかりでで興味深い。このほかに天文学者の萩原雄祐さんもいたと思う。朝永先生のマグネトロンの論文は日本のジャーナルに掲載されているが、この論文を読んだ私の知り合いの南一男新潟大教授は「朝永先生は学者のプロだ」とえらく感動していた。戦後この研究所は民間の「島田理化株式会社」という電気メーカーになったらしい。私が以前やっていた高周波の仕事でこの会社に部品を作ってもらったことがある。

* S. Tomonaga, J. Phys. Soc. Jpn. 2 (1947) 158

2)この写真で朝永先生の右隣に座っておられる.渡辺寧先生は、ゐつをが学部時代を過ごした静岡大学時代の学長。西沢潤一現首都大学東京の学長の東北大学時代の恩師で半導体工学のパイオニア的存在。静岡大学学長に選出された後から東北大学の学長にも選出されたとのことだった。海軍島田研究所は正確には海軍技術研究所で、渡辺寧先生は所長(中将待遇)だった。朝永先生の他にも、小田稔、菊池正士、とか当時日本の超一級の物理学者が所属していた。学園紛争時代の学生団との会見で「君達は平均的に20歳だろうから、僕とは丁度半世紀の開きがある、老人の言うことがわかってもらえたら嬉しい」と語っておられた。物理学科4年の時、渋谷元一理学部教授の計らいで「老学長の回顧談」という特別講義(上述の半導体工学のこと)を物理学科の我々に対して特別に語ってくれた。アメリカのその道の権威の教授を訪ねた時に、その教授がたまたま部屋をでた時に教授の論文を読んでしまって、自分の研究テーマの着想を得たとのこと。次男の方(渡辺寧先生のお子さんは8人)がアメリカでX線の研究をしているとのことだった。晩年、文化功労者になられた。茨城県日立市の出身であることを最近になって知った。渡辺寧先生は旧制一高の時の寮で岸信介元首相と同部屋で岸信介氏とは終生の友達であったという**

** 渡辺寧先生との仮想面談から-加藤和明






朝永先生が繰り込み理論を完成されていた頃の新大久保の文理大物理学教室員。前列右から3人目が朝永先生.その右隣がゐつをの教育大時代の恩師小島昌治先生,その右が宮島龍興先生。前列中央は藤岡由夫先生(後の山梨大学長)、1番左は、小林逸郎(後の東京都立大教授、素粒子論、日本物理学会会長)、左から2人目は田地隆夫氏(後の金沢大、広島大教授、これは武谷三男氏ではない)、後列最右端が高山一男氏(後の名大プラズマ研究所所長)右から4人目は牧二郎氏(後の京大基礎物理学研究所教授,素粒子論、日本物理学会会長)。

2.朝永グループの若き実験の教授小島昌治先生




朝永先生の ノーベル賞メダル


朝永教授ノーベル賞祝賀会を伝える評議会通達





今回も南部さんが奥さんの具合が悪くて,授賞式への参加を欠席されるが、朝永さんの時も授賞式に出席出来なかった。風呂で転んで肋骨を折った為と聞いた。ノーベル賞はスウェーデン大使館での受賞だった。これは、当時のスウェーデン大使館での朝永さんへのノーベル賞伝達式でのスウェーデン大使の挨拶全文。



私もこの教室で授業を受けたことがある。WI号館の正面裏手の一階の階段教室。



私もよく散歩した占春園へ至る坂道。後ろの建物は教育学部(E館)。占春園の池の横に嘉納治五郎の銅像があった。




駐日スウェーデン大使よりノーベル賞を受賞される朝永先生



同僚の物理学教授連と教育大大塚キャンパスを歩かれる朝永先生。左は戸田盛和先生、右は永田恒夫先生、小島先生も見える(後方の2番目)。




朝永先生と戸田盛和先生。小生が博士課程2年の時。(東京大学駒場博物館での戸田盛和生誕100周年パンフレットより)