新大久保の朝永研究室で。左から坂田昌一(今年のノーベル物理学賞を受賞する小林誠、益川敏英を指導した)、武谷三男(物理学発展上の三段階論という妙な哲学で知られる)、朝永先生。
3)河村豊、日本物理学会誌,71, 707,2016,より
ゐつをの注釈
1)朝永先生は戦時中ここで、マグネトロンの研究をされていた。集まっている人たちが当時日本を代表する一流の物理学者ばかりでで興味深い。このほかに天文学者の萩原雄祐さんもいたと思う。朝永先生のマグネトロンの論文は日本のジャーナル
*に掲載されているが、この論文を読んだ私の知り合いの南一男新潟大教授は「朝永先生は学者のプロだ」とえらく感動していた。戦後この研究所は民間の「島田理化株式会社」という電気メーカーになったらしい。私が以前やっていた高周波の仕事でこの会社に部品を作ってもらったことがある。
* S. Tomonaga, J. Phys. Soc. Jpn. 2 (1947) 158
2)この写真で朝永先生の右隣に座っておられる.渡辺寧先生は、ゐつをが学部時代を過ごした静岡大学時代の学長。西沢潤一現首都大学東京の学長の東北大学時代の恩師で半導体工学のパイオニア的存在。静岡大学学長に選出された後から東北大学の学長にも選出されたとのことだった。海軍島田研究所は正確には海軍技術研究所で、渡辺寧先生は所長(中将待遇)だった。朝永先生の他にも、小田稔、菊池正士、とか当時日本の超一級の物理学者が所属していた。学園紛争時代の学生団との会見で「君達は平均的に20歳だろうから、僕とは丁度半世紀の開きがある、老人の言うことがわかってもらえたら嬉しい」と語っておられた。物理学科4年の時、渋谷元一理学部教授の計らいで「老学長の回顧談」という特別講義(上述の半導体工学のこと)を物理学科の我々に対して特別に語ってくれた。アメリカのその道の権威の教授を訪ねた時に、その教授がたまたま部屋をでた時に教授の論文を読んでしまって、自分の研究テーマの着想を得たとのこと。次男の方(渡辺寧先生のお子さんは8人)がアメリカでX線の研究をしているとのことだった。晩年、文化功労者になられた。茨城県日立市の出身であることを最近になって知った。渡辺寧先生は旧制一高の時の寮で岸信介元首相と同部屋で岸信介氏とは終生の友達であったという
**
**
渡辺寧先生との仮想面談から-加藤和明