一方的なコミュニケーション
この「一方的なコミュニケーション」は匿名の手紙が机や下駄箱の中に入っていたり、陰口などといった物に代表されるが、最近では匿名性の高いネット上でもよく見かける。この類のコミュニケーションの原因は、人とあまり話すのが得意ではない、自己の考えや見解が自信を持って伝えられるものではない、話し合うのが面倒など、色々だ。得意でないなら努力すればいいし、自信を持って伝えられる考えや見解ではないとか、面倒であるなら初めから伝える必要性は薄い。そして、その「一方的なコミュニケーション」は伝える側はそれで満足かもしれないが、矛先を向けられた人たちはどこに向けられているのかどうかさえわからないレベルで、その言葉に翻弄される。
もちろん、「一方的なコミュニケーション」という形を取った方がいい場合もあるだろう。相手が言われた事を冷静に受け入れられない人物であったり、精神的に通常のコミュニケーションに問題がある人物の場合等はそのような形も止むを得ないと言えよう。しかし、相手がそのような人物で無い限り、伝え合い、相互に意見を交換する事はできる。「一方的なコミュニケーション」は直接的でない分、伝えられた側も直接的に反応できないという側面を持つ。故に、それは発信者の「言ったから満足、反応は期待してない、面倒だ、嫌だ、怖い」などという意思の元に、自己完結で終わる自己中心的なコミュニケーションでしかなくなる。
伝えたいと思わないのなら一方的にも直接的にも伝える必要はないと思うし、伝えたいと思うなら直接的に伝えるべきだと考える。一方的に伝えるという事は何の意味も持たず、学生のイジメなどで机の中などに誹謗中傷の手紙を入れたり、公の場に悪口を綴っている事と同等であるだろう。もちろん、発信側が特定されていなければ反応のしようがないし、発信側が特定されていても受信側の指定が不明確という状態であっても反応はできない。
発信者が意図的に自分を特定しなかったり、相手を特定しないのは直接的に伝え合う事を恐怖していたり、面倒に思っているのではないか。伝達作業が面倒だと思ったり、不必要だと思うならどこにも発信しなければいい。だが、敢えて一方的にでも発信するという事は、少なくとも「伝えたい」という意識は働いている。伝えたいだけで「直接的な反応」はして欲しくない。怖いのか面倒なのか遊んでいるのかはわからない。が、総じてこのようなコミュニケーションは無意味であるだろう。というよりコミュニケーションとは呼ばない。
精神的にある程度成熟していて確固たる自己の意思があれば、意思伝達は何かしらの生産になるだろう。それができるには互いに意思の強さ、自信などが必要だ。それを持ち合わせていず、ただ「解って欲しい、聞いて欲しい」といって一方的なコミュニケーションを展開するのは自己中心的だと見なされるだろうし、自己中心的なつもりではなかったとしても、伝える必要性が薄い事は言うまでも無い。
最後に、受け取る側にも情報取捨の能力が求められる事を大前提として、その前提を含めてもなお、これを書いている事を付け加えておく。