1)慶應義塾塾歌(世間では慶應と言えば若き血と思われていますが、これが校歌で以外に好きなんです。エール交換で旗が立てられて、来週(2005年5月28日-29日は27年振りに勝った方が優勝ですね。)
2)若き血(誰もが知っている歌、親子3代で歌いたかったね。)
3)丘の上(特に古い年代に好かれています。)
4)慶應讃歌(何と言ってもこれです。結婚式で敢えてこれを歌って貰いました。総てが終ってもこの歌は終わりません。肩を組み、左右に揺れながら勝利の後の快感を噛み締めながら、いつまでもいつまでも歌っていたい、正に慶應の讃歌なのです。
5)おお我が慶應
6)ヴィクトリーマーチ
7)オール慶應の歌
8)我ぞ覇者(どう言う訳か四番以外歌った事がないんですよね。)
9)幻の門(今は本当に幻になってしまいました。歌の出来た頃は全校生徒で一万人余、1960年代は2万人、今何人でしょうか?)
10)三色旗の下に
11)躍る太陽
II.次は野球ですよね。
第12期卒業生の3年生のI組には先ず渡辺泰輔(あのパームボールを操る完全試合をして、福岡中学の頃から折り紙付きの男、慶應義塾大学を卒業した後、当時の南海ホークスに入団、それなりの活躍をして引退後家業を継いだと伝え聞いていますが、なんと言っても高校大学生活楽しい思い出深いものにしてくれて、愛校精神を植え付けさせてくれた一番の功労者は彼だと思います。
でも、野球は彼だけでは無く、もう一人いました。1/2年のJ組にはショート松方君と言うアナウンス嬢の紹介でグラウンドに飛び出して行く彼の華麗なフィールディングと苦みばしった良い男、そして生まれが松方コレクションで有名な松方翁のお孫さんときては随分泣かされた女性が居たことでしょう。五十嵐先生はいつも教え子の中で一番悪いのは寺本圭一と言うウェスタン歌手がいたんだよと言われましたが、その後を追って行ったのが彼、そしてこれは誠に残念な事ですが、小生の前の席に座っていた男が、悪名を轟かす結果になってしまいました。 個人的にはいいところもある奴だったのですが、
III.そして放送研究会(HKBC)です。
1)膝小僧物語(主役の女子高生役は慶應女子高のー放研の一番良いところは当時日吉校18クラスに対し、女子高3クラスで6:1の確率、従って5人は外れる厳しい世の中ーその後大学でも放研で、卒業したらすぐTBSのアナウンサーになって暫くテレビに出てきていました、あの当時からアナウンサー口調がプロなみだった忘れもしない桐本嬢(1年生)で、小生は初のドラマ出演で、3年生送別の為のラジオドラマでした。同期はお熊と日比谷さん。そしてどういうわけかあの大変身を遂げたComme du Garconの川久保玲がいたんです。ちなみに小生の役は大阪弁を喋る男で、関西出身の母親の特訓を受けましたが、根っからの江戸っ子には、我ながら奇妙な大阪弁でした。
2)天国への階段(これは同期の岸の創作ドラマで芸術祭不参加作品ー話の筋はテーマミュージックであるフォーククルセーダーズのおらは死じまったどおーーーの歌詞をアレンジしたものです。
3)そして最後は月光の曲(これは当時の英語のリーダーに載っていたベートーベンの月光の曲が出来る時のエピソードを秀才だった?小生が翻訳し、お昼の放送時間に流し、後輩の2年生のもてもて男に朗読して貰ったのです。