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このホームページは2002年11月17日にオープンしました
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競輪は人が走るから魅力があると言われます。 豊橋競輪は存亡の危機にあります。しかし、50年以上に渡り、豊橋競輪を支えてきたのはファンと関係者です。これからも豊橋競輪の存続を願って止まない人ばかりです。そんな人達の今の思いをシリーズで取り上げてゆきます。
豊橋競輪の開催日、2センターでひときわ大きく選手への声援と野次を飛ばすファンがいる。豊橋競輪の予想をホームページに続けて6年になる「えーえすえる」だ。彼の競輪歴は日本競輪の歴史の半分になる。競輪への思い入れとこれからを聞いてみた。
ホームページ「穂の国バンク」で豊橋競輪を専門に予想を続ける「えーえすえる」さん。
「アマチュア無線のコールサインです。無線歴30年超、一応最上級の第一級アマチュア無線技士で、250カ国以上と交信しています」 そうなんだ、そのまま何十カ国語もの外国語で交信しているのかと驚いたが、世界共通のいわゆるモールス信号での交信らしい。インターネットが現れる20年間も30年前の時代、小学生でも趣味の無線が流行していたのを思い出す。後藤さんは昔からのインターネットを先取りをしていたわけだ。 彼のホームページで自身のことを「えど」を読んでいたので、エドワードなどの外国名の略かと思ったら、「editor」の略だという。そうかそうか、ホームページの創設者を管理人とか、ウエヴマスターとか自称するのと同じことかと納得した。 ホームページ「穂の国バンク」を始めたのが97年6月からだそうで、競輪関係のホームページが未だ今ほど多くはない、いや、個人がホームページをオープンすることは今ほど現実的ではなかった時代からだから、無線屋の心意気と競輪への情熱が彼を駆り立てたのだろう。
後藤さんは、いつも2センター付近で地元の選手に声援を送り、ふがいない走りをした選手には強烈な野次を浴びせる。初めて会う人には、実直そうで脚の長いスマートな雰囲気で学校の先生かなあと思わせる雰囲気だ。実は経営コンサルタントを生業にし、人事評価制度を専門に取り組んでいる。いわゆるリストラが人的資源の削減と人件費の圧縮と同義語の現在、昔からの社員に冷たい処遇を伝えにくい経営者に成り代わり、ばっさりと人を斬って手数料を稼ぐ因果な商売だ。ところで、実際に奥様は学校の教諭だそうです。
豊橋競輪をホームバンクとしている彼ですが本拠地は遠い。豊橋競輪からでも車で1時間は楽にかかる奥三河に住んでいる。出張の日をのぞき、毎日車で豊橋日航ホテルにある事務所に通ってくる。 豊橋に住んでいた彼が豊橋競輪に通うきっかけを作ったのは大学時代の先輩だ。といっても、同じ大学ではなく、東京の大学生で、まあ、昔は全国どこへでも友達の下宿を泊まり歩いていく学生がいたもので、その彼に誘われたのだから競輪歴は25年になる。競輪の歴史の半分を経験してきているわけだ。 そんな後藤さんだから思い出のレースは山ほどあるが、20年ほど前、頭鉄板の高橋健二選手が赤番前から先行して、逃げつぶれてボロボロに野次られたレース。
彼は毎週休みの日ごと自転車に乗っている、若い時からの自転車経験があったわけではない、きっかけは昨年、和田治恭選手、白井一機選手と知り合ったのがきっかけだった。彼ら選手たちは少しでも自転車を愛する人を増やそうと考えている。競輪と自転車競技に関心を持っている人に自転車に乗るチャンスを与えるために、それまで使っていたフレームを白井選手から譲られたのがきっかけだった。今まで見るだけの競輪ファンから自ら自転車に乗り自転車乗りの気持ちを分かった競輪予想をホームページで載せれるよう幅が広がってきている。 家庭では晩酌を楽しむ良きパパだ。最近、子どものことで、親としてうれしい反面、あまり喜んでばかりも居られない変化がある。彼の小学生の息子はギャンブルレーサーを全部揃え、精読しているようなのだ。第何巻で常荷金策が関正勝に入門したとか、武蔵のS級昇格はいつだったとかよく覚えているのだ。もし、息子が自転車に乗りたいといった時、親としてうれしいのだろうけれど、競輪選手を目指したいといった時はどのような対応をするのだろうか。
豊橋競輪中止問題が起こった昨秋、みんなは市当局の責任ばかりを追求する声が多かったところ、彼はファンの側にも責任があると反省の弁を述べている。ファンははずれ車券を投げ散らし、鉛筆も巻き散らかしてゆく。おまけに、場内で酒に酔い、係員の手を煩わせているファンもいる。余分な経費を使わせているのはファンにも責任の一端があると。 彼の主張の通り、えーえすえるさんは、使った鉛筆は所定の位置に返しにゆきますし、投票マークシートはきちんと揃えて戻しておりますし、はずれ車券はゴミ箱まで橋を運んで捨ててゆきます。競輪場では数少ないマナーを心得たファンなのです。 彼の長い競輪歴でかっては一緒に足を運んだ輪友も今は見かけることができなくなった人もいる。昨年、10年来の輪友は会社をリストラされ、失業生活に入りました。ファンが高齢化し、退職し年金生活に入り、細々とつましい資金の中から毎回のように買い続けているのも、将来に渡りその楽しみを奪いたくないと思うこともありますが、働き盛りの輪友が厳しい現実に直面していることを思うと、競輪への思いも複雑です。輪友はその後、自分で事業を始めたと聞き、成功するよう願う気持ちは切実です。 昨年の夏は昔からの輪友かつキャンプ仲間達と家族旅行で群馬県にゆきました。実は競輪好きの仲間達との道中、少しだけ家族と離れて別行動の予定があったのです。輪友達と前橋ドームに遠征をかけたのです。ドームはさすがに綺麗だった。建物はもちろんのこと、場内にゴミ一つ落ちていない心地よさに感心したものでした。綺麗に磨き上げられているところに人はゴミを捨てにくいものなのです。豊橋競輪も地道にマナーを呼びかけてゆくしかないと思いました。
「穂の国バンク」古来から豊橋競輪がある三河地方は水と農地に恵まれ米が良く実るところから「穂の国」と言われるようになりました。昨年の競輪開催中止問題の時は「穂の国」を変更して名古屋競輪専門「エビフライバンク」にでも変えてやるかと、ぼやきも出ておりましたが、なんとか存続となった今、豊橋競輪再生への意見を聞いてみました。 「まず、選手とファンの距離を小さくすること。ファンとの交流会、一緒にバンクを走るなどいくらでも交流のアイデアは出てくるでしょう。」
「地元選手が走ったらファン皆がいっせいに応援する、そんな雰囲気になったら選手も気合が入るし、ファンも友人を連れてきたりで売り上げも上がるんじゃないでしょうか。私なんぞは和田選手と白井選手が出走の場合はもちろん、誘導だけでも応援に行ってしまいます、もちろんそのときはたとえいくらかでも車券は購入します。」 「もうひとつ、競輪グッズなどの販売はどうでしょうか?その売り上げがあるだけではなく、そういうものを購入することにより、競輪がより身近になることにより親から子へと受け継がれていく(オーバーですかね)」 子への承継ですか。そうですよね、回りの競輪好きの方のお話を聞いてみても、親に小学生の時、手をとられて競輪場へ連れられレースを覚えた。職人になった時、親方とか周りの連中に誘われてとか、多いですよね。 彼は競輪場では野次を飛ばすがいつも紳士だ。競輪場の中でも外でもマナーを守り、人にやさしく心遣いができる。競輪ファンがみんな彼のようにマナーを守ってくれれば競輪場はもっと綺麗になるだろう。
(平成15年2月6日掲載) |