平成16年11月18日
八王子市教育委員会 生涯学習スポーツ部 生涯学習総務課 御中
八王子市青少年委員会 委員長 上田 幸夫 様
東京新聞ショッパー社 編集部 御中
その他関係団体、及び関係者様 各位
新潟県中越地震へのボランティア支援活動報告
八王子市青少年委員
多摩キャンプネットワーク 理事長
加藤 圭
1.はじめに
私は去る11月5日より12日まで、先月発生した新潟県中越地震で被害を受けられた被災者の皆様に対して、キャンプや野外活動の専門家として、日頃から身につけている技術とこれまでの活動の経験を活かして、何らかの形でお手伝いをさせて頂きたいと強く思い、都内の野外活動団体の方とともに、被災地の小千谷市に赴き、小千谷市内の県立小千谷高校の校庭内や小千谷総合体育館の前などで被災者支援の活動をされている『中越元気村』(本部:新潟県小千谷市旭町7−4 県立小千谷高校校庭内(*註釈1)、本部連絡先090-6102-9308、ホームページURL: http://www.gassan.jp/genkimura/ )に加わり、ボランティアとして支援活動を実施してきた。
2. 『中越元気村』の概要について
『中越元気村』は、先の阪神淡路大震災で被災地救援活動を行った『神戸元気村』のメンバーらが中心となって組織を立ち上げ、これにホームページ・新聞報道・その他の方法などで、『中越元気村』の活動を知って現地に駆けつけてきたボランティアや、小千谷市災害ボランティアセンターから紹介されたボランティア、また私のように(社)日本キャンプ協会が支援していることを知って集まった公認キャンプ指導者のボランティアなどが、全国各地から現在も続々と集まっている。私が現地で活動していた時点での、『中越元気村』の活動内容を、大別すると、テント配布部門・物資配給部門・情報メディア部門・炊き出し部門・温泉ツアー企画部門・本部事務局部門などの6部門に分かれて活動していた。概要については、下記の通りである。
@テント配布部門
テント配布部門では、(社)日本キャンプ協会およびその支部協会やテントを製造されているメーカーなどから、無償で提供頂いたテントや、また『中越元気村』のホームページ、新聞報道、その他の方法などで、無償でテントを配布する活動を知った、全国の個人や会社、自治体、キャンプ関係団体、キャンプ場、その他の団体などから、『中越元気村』あてに宅配便などで送付頂き、それらの提供頂いたテントの内容物(テント本体・フライシート・支柱・張り綱・ペグ・ハンマーなど)を、一つ一つ開梱して現物を確認し、不足物などがあればそれを補充したり、代用品を加えたり、また破損箇所があれば補修したりして、被災者の方々が、テントを入手後すぐに立てられるようにきちんそろえたテントを、『中越元気村』が県立小千谷高校の校庭内と小千谷市総合体育館前の2箇所に設置したテント配布所で、自家用車の中などで車中泊を続けられている被災者、体育館などの避難所でプライバシーが保てずに困っている被災者、さらに避難所や自衛隊のテントなどではペットとの同居が事実上困難なた、ペットとの同居を望まれる被災者など、自宅に帰ることが出来ずに、寝る場所の確保が困難な方々に対して、これらのテントを無償で配布することなどの活動をしていた。
A物資配送部門
物資配送部門では、全国から集まった救援物資の集積所や直接『中越元気村』あてに届いた救援物資を依頼のあった避難所に物資を配送することだけにとどまらず、避難所の炊き出しの時間など被災者の多く集まる時間帯に、小千谷市内や川口町内の各避難所などを意欲的に巡回し、被災者の一人一人から直接、現在必要としている物資の要望を聴き取り調査して、それらの要望のあった物資を、救援物資の集積所や関係機関と連携、また『中越元気村』のホームページを通じて直接支援を全国に呼びかけるなど、様々な手段や方法を駆使して、これらの物資を調達し、被災者に届けることなどの活動をしていた。なお物資配送部門の精力的な巡回の結果、川口町の田麦山小学校の避難所に、それまで救援物資がほとんど届いていなかったことや、また小千谷市の県立小千谷西高校の避難所では、避難から2週間近くも、施設内での炊き出しが実施されておらず、食事は冷えたおにぎりとおかず、飲み物は冷たいペットボトルなどのお茶といったもので過ごしていたことなど、見過ごすことのできない事実が続々と判明し、『中越元気村』の各部門が連携して対応したこともあった。
B情報メディア部門
情報メディア部門は、『中越元気村』に加わったボランティアが現地で活躍している姿を、ときには的確な文書で、またときにはデジタル映像などを駆使して、迅速かつ正確に活動内容をインターネット上に配信するととも、インターネットでの情報収集や、現地で調達することが困難な救援物資やテントなどを、全国に呼びかけるなどの活動をしていた。また報道機関からの取材要請についても、本部事務局部門と連携して、対応していた。
C炊き出し部門
炊き出し部門は、まず『中越元気村』の本部テント内に、小千谷高校近くのゴミ回収場所などで調達した廃材(廃棄された家具、木材、発泡スチロールケース、ペットボトルなどのいわゆるゴミ)や、その他の材料(コンパネ、運送会社が使用済の木製のパレット、会議テーブル)などを利用して、仮設キッチンを設置し、最低限炊き出しをするための調理場所を確保した。流し台は発泡スチロールケースの底に穴を開け、ペットボトルをつなぎあわせて排水パイプを作り、それらをガムテープで接続したものを、スチール製の廃棄家具の脚に固定して製作し、上部に蛇口つきのポリタンクを配置して利用した。また調理テーブルは、コンパネを木製の廃棄家具の脚に固定して製作し、大型コンロの台も、コンパネと会議テーブルで製作し、食材保管用の棚も、木製の廃棄家具のフレームと木製のパレットを固定して外枠とし、その中に廃材を利用して棚板を固定して製作した。次に炊き出しについては、『中越元気村』が小千谷高校の校庭内に設置しているテント村のテントで生活している被災者や、自衛隊のテントで生活している被災者、車中泊で生活している被災者などを誘い、全国から届けられる米・野菜・卵・魚の干物・缶詰・乾物・果物・調味料などの新鮮な食材を調理して、簡単ではあるが暖かいご飯や味噌汁、副菜、デザートなどを作り、これらの方々に提供した。また小千谷西高校の避難所の情報が伝わってからは、当初朝夕2回(その後夕食1回のみ)
『中越元気村』で調理した、暖かいままのできたての食事を配達して、小千谷西高校の避難所の被災者の方々にも提供した。さらに仮設キッチンを設置したことで、被災者の方からの要望で、炊き出しのために使用している時間帯を除いて、『中越元気村』のキッチンを開放し、こちらの食材を提供して被災者が各自の家庭料理を調理したり、ときには被災者の方にも炊き出しを手伝って頂いたりすることもあった。なお炊き出し部門は、そのほかにも『中越元気村』のテント村の生活環境改善のため、雨が降るたびに水浸しとなる校庭に通常のキャンプで掘るトレンチ(排水用の溝)よりも深めの20〜30p程度の溝切りをして、それを校庭の周囲に廻らされているコンクリート製の側溝まで延長する作業をしたり、『中越元気村』の本部テント内に設置した仮設キッチンからでる排水を流すための排水溝を、コンクリート製の側溝まで設置する作業をしたり、屋根がなく雨が降ると食器を洗いに行くだけで全身が濡れてしまう蛇口だけしかない水場に、ブルーシートと余っていたテント用の支柱などを使い、屋根を設置したり、さらにテント村の被災者の要望でテントを張り直したり、雨よけのシートを追加するなどの、被災者などからのちょっとした頼まれごとを行う、縁の下の力持ち的な、もしくは後方支援的な活動も、併せて担当していた。
D温泉ツアー企画部門
温泉ツアー企画部門は、新潟県内の名湯として有名な湯沢温泉組合との共同企画で、被災地の小千谷市から湯沢温泉まで往復ともバスで送迎し、被災者の方々に年齢制限なしで、日帰り温泉入浴と心温まる昼食がとれる温泉旅館でのひとときをプレゼントするために、『中越元気村』のボランティアが手書きのパンフレットを作成し、各避難所やテント配布所で広報し、参加者集めて実施した。なお湯沢温泉は、今回の中越地震地による風評被害によりキャンセルが相次いでおり、その状況を改善するための一石を投じるものとして、全面的な協力を頂いていた。また温泉ツアーの参加者からは、「今回湯沢温泉に行けたことで、命の洗濯ができました」との声も聞かれ、また年齢制限がないことで、子どもからお年寄りまで、家族単位で参加できたことも、参加者には大きな魅力であったようである。
E本部事務局部門
本部事務局部門は、『中越元気村』の活動を支える中枢機関として、随時『中越元気村』の各部門の動きを把握するとともに、関係機関との連携を密にし、また被災者からの要望を受付ける窓口とし、さらにテントや救援物資の受取りやその管理などと、その活動内容は多岐に亘っていた。
3.私自身の活動内容について
先にも述べた通り、今回私は都内の野外活動団体の方とともに、被災地の小千谷市に赴き、小千谷市内の県立小千谷高校の校庭内や小千谷総合体育館の前などで被災者支援の活動をされている『中越元気村』に加わり活動したが、一日毎にその活動内容を下記にまとめた。
@11月5日(金)
今回のボランティア支援活動の取りまとめ役である、世田谷アドベンチャークラブの代表者の自宅(東京都世田谷区)に、今回のボランティアに参加するメンバーのうち、小千谷市の被災地に近い新潟県松代町に先行して、情報集収と食料調達を実施する先発隊が集合し、翌日出発する予定の後発隊が輸送するトラックに、世田谷区やその他メーカーなどから提供頂いた救援物資の積み込みを行い、午後7時ごろ世田谷区を出発して、関越道を六日町ICまで進み、そこから一般道で松代町の宿泊地に、翌6日(土)午前0時過ぎに到着した。六日町ICから一般道で松代町に入ると途中、今回の地震の影響で道路が陥没したり、路肩が崩れていたり、亀裂が入っているなどの光景を目にし、今回の地震の被災地に一歩ずつ近づいてことが実感され、身を引き締める思いであった。
A11月6日(土)
松代町の宿泊地で、小千谷市の被災地に関する現地の情報収集と翌日以降の食料調達などを行う。また渋滞などの影響で、到着の遅れていた後発隊のトラックも、日没前には松代町の宿泊地に到着し、翌日以降の対応を協議し、早めの就寝をして、翌日以降に備えた。
B11月7日(日)・・・『中越元気村』でのボランティア活動1日目
午前に松代町の宿泊地を出発して現地に向かい、午後に小千谷市の被災地に到着する。本来であれば、11月7日までボランティアに参加する予定であったメンバーも、ともに小千谷市の被災地に赴き、1日ボランティア支援活動に参加する予定であったが、活動後に帰京する交通機関のルートの選択肢が少なく、JR上越線も7日現在、長岡駅〜六日町駅間で不通(同区間の代行バス運転はあったが)であったため、最悪の場合7日中に帰京できない可能性も否めず、12日(金)まで現地に滞在することが可能なメンバーのみで現地に向かい、残りのメンバーは、今回は残念ながら、北越急行ほくほく線
C11月8日(月)・・・『中越元気村』でのボランティア活動2日目
2日目の活動の担当は、前日に引き続きロッジ型テントの設営と溝切りの工事で、丸1日かけて数多くのテントを新たに設営し、また雨水の排水用のトレンチの数を増やすことができ、さらにそのトレンチをコンクリート製の側溝まで延長することが出来た。また『中越元気村』のボランティアの数も増えてきたため、『中越元気村』の本部テント((社)日本キャンプ協会などから提供受けた、集会用の6角テント)を2張りから4張りに増設し、本部テント内の物品の配置や炊き出しの調理場所を整理するなどして、本部テント内で活動しやすいように改善した。また夕方の炊き出し方から、今回都内から野外活動団体のメンバーで、炊き出し部門(その他いわゆる『後方支援活動』を含む)を担当することとなり、炊き出し作りに腕をふるった。また活動後に自衛隊の設置したお風呂に向かったが、あいにく当日はお風呂が休みであったことから、前日と同様に入浴をあきらめ、早めの夕食をとった。なおこの日のミーティングは協議する内容がとても多く、ミーティングの終了が深夜に及び、前日よりもかなり遅い就寝となった。
D11月9日(火)・・・『中越元気村』でのボランティア活動3日目
3日目の活動の担当は、キッチンの改良工事であった。朝食をすませたあと、先に述べた仮設の流し台作りに着手して、お昼前にこれを完成させる。しかし朝からあまり体調が思わしくなく、頭痛が続いていたため、休憩時に体育館の避難所中にある、仮設診療所に行き治療を受けた。診断結果は、疲れが溜まっていることと、ストレスが溜まっている、睡眠不足が原因ではないかとのことで、薬をもらってから、本部に戻って報告し、休養を申し出て、テントで休む。薬を飲んだせいか、そのまま午後3時ごろまで休養した。その後目が覚め、すっきりした旨を本部に伝え、活動に戻ろうとすると、「今の時間帯は、自衛隊のお風呂が空いているので、行ってきな」とのことで、この仲間の好意に甘えて、はしゃいでお風呂に向かう。自衛隊のお風呂は、国防色の大型テントを、4張りつつなげたもので、手前のテントから、下足置き、脱衣場と続き、奥の2張りのテントの中央に大きな湯船が置かれ、その周りが洗い場となっており、一度にかなり多く人数が入れるような構造になっていた(ボディーソープとシャンプーは、備えつけのものがあり、被災者に配布するタオル・バスタオルの用意もあった)。私自身、3日ぶりの入浴に感激して、頭と体を2回も3回も洗ってしまい、たっぷり時間をかけて、湯船につかって、体を伸ばした。入浴後、本来の活動に戻り、キッチンの改良工事の続きに取組み、この日のうちに、先に述べた、仮設の調理テーブルや大型コンロの台、食材保管用の棚を、それぞれ仕上げることができた。また午後4時30分ごろ、物資配送部門などからの情報により、小千谷市内の県立小千谷西高校の避難所では、先に述べた通り、被災者が2週間近くも暖かい食事をとっていなかったという事実が判明し、直ちに炊き出し部門がこれに対応して調理を始め、先方との約束の時間である午後6時までに、ご飯・味噌汁・炒り玉子・焼き魚・白菜の浅づけなどの5品を作り、暖かいままの食事を県立小千谷西高校の避難所に届け、暖かいままの食事を被災者に提供した。私は配送には立会わなかったが、配送を担当したボランティアの報告では、配達した時点では既に多くの被災者が夕食をすませていたにもかかわらず、2週間ぶりの暖かい食事の提供に対して、被災者たちは心から感謝していたそうである。その後夕食をすませ、ミーティングに参加すると、10日と11日の2日間、テレビ朝日の取材があるとのことで、炊き出し部門のチーフが、以前出版社の編集長を務めていたことから、取材対応の担当者となったため、私がその間炊き出し部門のチーフを代行することが決定した。当日の体調不良もあり、また翌日以降の炊き出し部門のチーフを代行する件もあるので、体調を万全にすべく、早めに就寝した。
E11月10日(水)・・・『中越元気村』でのボランティア活動4日目
4日目の朝、いつもより早めに目が覚めた。この日はテレビ朝日の取材を受ける件もあり、私を含めたボランティアたちの顔が、朝からいつもより緊張感が高まっているように感じた。朝の炊き出しの後から、炊き出し部門のチーフを代行しながら、前日に引き続きキッチンの改良工事と『中越元気村』の本部テント内にランチルームを設置する作業を行った。まず前日に完了しなかった、キッチンからの排水を流すための排水溝を、コンクリート製の側溝まで設置する作業を行って完成させ、本部テント内に簡単なテーブルや椅子などを配置して、ランチルームとして使用できるように作業を行った。またこの日は、被災者から『中越元気村』のキッチンを借りたい旨の申し出があり、快くお貸しした。その後昼食休憩と自衛隊のお風呂に行き、これから夕方の炊き出しの準備を始めるといったときに、近くのテントに避難されている被災者の方から、炊き出し調理の手伝いをしたいとのありがたい申し出があったので、即座にお手伝いをお願いした。なおこの日の炊き出しメニューは、ずん胴で3升の米を一ぺんに炊きあげたご飯・味噌汁・アジの味醂干し・即席漬け・インドネシア風カレー・ゆで玉子・果物であり、『中越元気村』のテント村や、体育館の避難所、自衛隊のテント、車中泊の方などの被災者方々に積極的に声掛けをして、『中越元気村』の本部テント内ランチルームのお披露目も兼ねた、炊き出しの夕食会を催した。また朝に引き続き、県立小千谷西高校の避難所に食事を届け、暖かいままの食事を被災者に提供した。その後夕食すませたあと、ミーティングに参加すると、明日(11日)小千谷市塩谷地区の住民の一時帰宅に際して、被災者が倒壊した自己の家屋の中から、貴重品や家財道具を取り出す手伝いの要請があった。
F11月11日(木)・・・『中越元気村』でのボランティア活動5日目
5日目の『中越元気村』での活動の担当は、いつもとくらべ少々変則的であった。この日は『中越元気村』からも8名のボランティアが、塩谷地区の住民の一時帰宅の手伝いに同行したため、通常の活動は縮小して実施した。私はサポート側として、本部テントに残ったので、午前中はおもに炊き出し部門を担当しながら、本部事務局部門のサポートも行い、午後は物資配送部門の代行として、被災者から要望のあった物資の調達を行い、川口町の田麦山小学校の避難所に向かい、現地の夕食の炊き出しの時間にあわせて、この避難所の被災者から要望のあった、ティシュボックス・乾電池・防寒用の下着・お菓子・土嚢袋などを配布した。また物資配布の際に新たな要望を調査したところ、@蛇口つきのポリタンク(水道水の出る場所が限られているので、食器などを洗うための水を確保するため必要)、A食器用洗剤やスポンジ、タワシ(今まで配布されていなかったため我慢していたが、今後は食事ごとにきちんと食器を洗いたいとの要望)、Bカセットコンロ用のガスボンベ(以前配布されたボンベを、使い切ってしまったので必要)、C未使用のスーパーのレジ袋(食料品を保存したり、荷物を分類したり、整理するのに便利で、また荷物を入れて持ち歩くのに便利との要望)などの新たな要望とともに、ひき続き乾電池・文具・土嚢袋(ガラスの破片などを掃除するのに必要)などの要望を集めることができ、翌日以降の救援物資の調達と物資の配布に役立つ情報を得ることができたとともに、被災者の要望が最低限の衣食住の確保から、基本的な生活に必要なものへと変化していることを、感じ取ることができた。
G11月12日(金)・・・『中越元気村』でのボランティア活動6日目(最終日)
いよいよ6日目の『中越元気村』での活動は、最終日であったこともあり、おもに業務の引継ぎがメインであった。なかでも炊き出し部門の引継ぎは、多くの食材の賞味期限や保管場所など、重要な事項が多く、時間を掛けてしっかりと行った。また当日の現地の天気は朝から雨が降っており、排水用のトレンチが充分でないため、水溜りができているところから溝切りを行い、今後の雨で水浸しにならないように整備した。これらの作業を終えたところで、全ての業務を後任者に引継いでから、自衛隊のお風呂に行き、汗を流してからサッパリしてから、私物をまとめるなど帰宅準備を整え、昼食をすませた。前日、多摩市からボランティアに来ていた方から、もう少し現地に残って活動するので、乗ってきたレンタカーを八王子市内の営業所まで届けてほしいと頼まれ、私にとっても都合が良いので引き受けた経緯があった。午後2時30分ごろ、『中越元気村』を出発し、小千谷ICから、関越道〜圏央道と進み、日の出ICからは一般道で、午後8時ごろに八王子市内の営業所まで無事に到着し、帰宅した。なお帰宅に際して、被災地でボランティア支援活動を実施する者には、実際にボランティア支援活動に行った先の自治体の担当窓口か、自身の住所地の自治体の担当窓口に申請することによって、(災害派遣等に従事する者が運転する車両の)高速道路の通行料金が免除される制度(道路整備特別措置法により、自治体が発行する災害派遣等従事車両証明書を料金所で提出した場合、当該通行料金が免除される制度。証明書の発行については、最寄りの自治体の窓口に申請する。⇒この制度などの詳細については、日本道路公団のホームページhttp://www.jhnet.go.jp/press/rel/2004/11/05/index.html
を参照)があり、11日に小千谷市役所の担当窓口で、『災害派遣等従事車両証明書』の発行を受け、この制度を利用して高速道路を通行して帰宅した。
4.おわりに
今回の新潟県中越地震へのボランティア支援活動では、キャンプや野外活動の専門家として、私がこれまで身につけてきた知識や経験などを活用したり、応用したり、ときには発想をかえるなどして,その力を最大限に発揮して、様々な形で被災者に対する、ボランティア支援活動を実施することができた。しかしふりかえってよく考えれば、私の力によるものは、あくまでほんの一部に過ぎず、ときには野外活動の専門家同士の突っ込んだ話し合いの中から、ときには別の担当部門のボランティアや被災者との何気ない会話の中から、個々の活動をさらに発展させるためのヒントをつかむことが多くあった。このことは『中越元気村』という、全国から集まってくるボランティアをきちんと統括する、しっかりとした中枢組織があって、その組織がボランティア支援活動を組織的に進めてゆくことによって、各ボランティアの力が最大限に発揮されるのであり、今回私が『中越元気村』の活動に加わることができたことは、大変有意義なことであった。
被災地では、一部の地域で避難勧告が解除されて、自宅に帰ることのできた被災者の喜び声を、報道などで耳にすることもあるが、まだまだ多くの被災者が避難所やテント村、車の中で過ごしていることを思うと、現地に足を踏み入れた者として、複雑な思いで胸が詰まりそうである。
私は、今回のボランティア支援活動を通して体験したことを、多くの方に伝える責務があると思い、上手くまとめることができたかどうか判断できないが、とりあえずこのような形の文書にまとめた。
被災地は日本有数の豪雪地帯であり、これから数週間後には雪が降り始めるようである。被災地ではまだまだ足りない物資がたくさんあり、さらに仮設住宅への入居希望者数がすでに着工数を超えているそうである。
ついては今後とも、被災地の方々への、多くの皆さんの温かい支援を、お願い致します。
*註釈1:平成16年12月3日現在の本部所在地住所は、対雪設備の整った下記の場所に移転している。
(本部の連絡先電話番号は変更なし。)
〒947-0005 新潟県小千谷市旭町1234小千谷市勤労青少年ホーム前ピンクドーム北棟