剣術が剣道になったのは、時代と共に技術よりも心法を望まれてのことであるが、根源は阿吽の呼吸の導入によるのである。
戦国時代の武士は剣を学ぶ必要を感じなかった。戦場では腕力にまかせて敵を打倒す中に、切り方を自然に覚えて行った。だが、心ある者はひそかに剣術を修行し、阿吽の呼吸を体得して、戦場へ出た。千軍万馬の間に往来奮闘しても、呼吸の連続が正しく整って、息切れしない。この点が武士仲間に知れ渡ると、始めて剣道は、敵を切る為ばかりの術でないことを知り、修練に入る者が出てきた。
剣ばかりではない。弓などの武は勿論、書や茶も、この阿吽の呼吸から入らねば道とはならない。それは何故なのか。
日本人は昔から、世の為、人の為に画した明徳の人を神として祭った。そして、その神を敬い参拝する参道の入り口に、こま犬を置き、一方は「ア−」と口を開き、他方は「ウン」と口を結んで、阿吽の呼吸を教え、これが本殿へと続く神への道の入り口であることを示している。
神(天地大自然)との結びつき、一体感を自覚させるものが呼吸であり、その呼吸の正しいものは胎児である、生まれたばかりの赤子は総て、腹を膨らませて正しく胎息をしているが、成長するに従って胸や肩で呼吸をするようになる。しかし常日頃より丹田に気力を充実し、意識的に腹式呼吸を行っていると、自然に胎息に還るものである。
阿吽の呼吸を具体的に説明すると、「ア−」「ウン」「ウ−ン」である。
「ア−」は、口を開き横隔膜を下げながら、肺の下部へ生きを入れる。肺の上部に息を入れると、肩が上がり、強く吸うと肩に力が凝り、両手の動きが不自由になる。口を開くのは、鼻から肺へ、口から腹へ入れるという意味であるが、実際は肺の下部に入れ、下腹を圧しつけるのである。
「ウン」は、下腹へ圧しつけたまま、息をせず、気力を丹田に充実させるのである。「至誠無息」という言葉は、人が一生懸命になった時、息を止めて行うことを意味するが、その息は、この「ウン」の状態である。書道も楷書は、一字書き終わるまで息を止め、「ウン」の状態で書くのである。茶道も又、茶筅を回して茶を立てる時は、じっと息を止めるという。剣道では、気合で相手を押す時等、勿論息を止めた「ウン」の状態である。
「ウ−ン」は、丹田の力を抜かず、静かに鼻から息を出す。
人は、「ハッ」と驚く時、必ず息を吸い込み、息を吐きながら驚くものはいない。と言う事は、息を吐いているときは驚きが少ないのである。又、力強い動きは、必ず吐く息で行う。息を詰め「ウン」の呼吸で動く時は、鼻から息を出さないが、その代わり丹田に納めた気合を全身に向けてはくのである。相撲の立会いがそうである。剣道の切り込みは、無声の気合の場合同じ呼吸である。「エイッ」と気合を発する場合は、「ウ−ン」の息を太く短く吐くのである。
相手の呼吸をうかがって打ち込むと言うことは、相手の息を吸う時に打つのである。段違いの相手の場合、気合だけで倒すことも可能で、相手が息を吸い、吐こうとする瞬間、気合で攻めると、「ハッ」として息を飲む、又攻める。相手に息を吐かせず攻め立てると、ついには気合だけで倒れてしまう。したがって、油断のないものは、太く短く吸って、細く長く息を吐くように心がけ、これが不動心を養う呼吸法の秘訣である。
又、胸の上部まで一杯に吸い込むと、丹田に力が入らず上体が硬くなり、全部吐き出すと、丹田の力がなくなり、腰が据わらない。歌唱法も同じと考えられている。
阿吽の呼吸は総ての道に通じ、道を極めるにはこの呼吸法によらねばならない。
参考文献 剣のこころ 勝海舟と直心影流 並木 靖 著
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