駅前から福祉会館通りを多摩川に向かう
この道は狛江駅北口から次大夫堀(六郷用水)の流れていた跡の道です。狛江駅から多摩川迄続く道で、多摩川に出る所
に、六郷用水取入口があります。取入口の先は多摩川住宅で狛江市の西端にあたります。更に多摩川沿いに進めば、京王
多摩川、調布駅に出ます。
狛江駅北口ロータリー
エコルマホール
乙女像「たまがわ」
駅北口ロータリーの池の横にあるブロンズ像
山下公園(横浜)の「赤い靴はいてた女の子」の像の彫刻家山本正道氏の作品。玉川碑にある、万葉集の一首
「たまがわにさらすてづくりさらさらになにぞこのこのここだかなしき」に詠われる
乙女を表現した像だそうです。
絵手紙発祥の地のレリーフ
駅前の緑地保全地区、残念ながら月一回の公開日しかありません。
公開時間は午前10時〜午後3時
公開日は4月11日(日)・5月9日(日)・6月13日(日)・7月11日(日)・8月7日(土)
弁財天池は奈良東大寺、伊勢原の雨降山大山寺開山の良弁僧正が雨乞いをした折に湧き出したと言われる、霊泉。
下の写真は常時入れる弁財天池
曹洞宗のお寺、永平寺および総持寺が大本山です。
泉龍寺縁起によれば良弁(ろうべん)僧正が天平神護元年(765年)、この地にやってきて雨乞いをし、法相宗・華厳宗兼帯
の寺を創建したのが泉龍寺のはじめと言う、古いお寺。
徳川時代に、石谷氏が入間村(調布市)の内百五十石と和泉村(狛江市)の内百石とを与えられ、地頭として小田急狛江駅
南側に陣屋を構えて下屋敷としました。石谷氏は、今の弁財天池に中島を造り弁財天像をまつるなど、率先して寺域の整備
に努め今日に至っています。
泉龍寺さんのホームページ http://www.senryuji.or.jp/index.html
山門から鐘楼を望む
狛江市中和泉1-22
経塚古墳は、5世紀後半ごろの築造と推定される円墳です。
狛江市中和泉3-23
直径約三〇メートル、高さ約四メートルの円墳で、5〜6世紀頃に築造されたものと考えられています。
和泉の総鎮守と言われる神社
元和泉の水神社由緒によれば
「此の地は寛平元年(889年)九月二十日に六所宮(明治元年伊豆美神社と改称)が鎮座されたところです。
その後天文十九年(1550年)多摩川の洪水により社地流出し、伊豆美神社は現在の地に遷座しました。
この宮跡に慶長二年(1597年)水神社を創建しその後小泉次大夫により六郷用水がつくられその偉業を讃え
用水守護の神として合祀されたと伝えられる。」
とあります。此の地とは元和泉の水神社の所在地のことです。
高さ、2.65メートルの鳥居は狛江市に残る最古のものです。
狛江の鎮守様 ( 旧六ヶ村にそれぞれ鎮守様があります )
伊豆美神社 - 和泉
小足立八幡神社 - 小足立子ノ権現三島神社 - 覚東
岩戸八幡神社 - 岩戸
白幡菅原神社 - 猪方
日枝神社 - 駒井
福祉会館通りを流れる六郷用水に架かっていた今では交差点の名前に残るのみの、田中橋石柱は、交差点近くの高千穂
稲荷裏手に残されています。
これは、田中橋児童遊園前の次大夫堀と田中橋の説明板です。
地元の皆さんのお話からはこちらの水路図の方が分かりやすく正確に示されているようです。
猪方用水の取水口は西河原公民館の辺りであったが、昭和六年に始まる日本水道狛江浄水場が、田中橋児童遊園の位置
から取水し
清水川の水源は泉龍寺の弁財天池とやや右下の池、谷田部稲荷の池になっています。
世田谷通り南の二つ橋で合流し岩戸川として東に向かう流れと、二中通りを白幡菅原神社に向かう流れとに分かれていま
す。さらに、白幡菅原神社の手前で東方向に分水しています。
二中通りと水道道路の交差点付近のお宅で伺ったお話では、水道道路の北側を川が流れていたと言います。
白幡菅原神社の前には共同洗い場があって、近所の皆さんが洗い物をしていたそうです。
水道道路の南二中側は道路があったものの野道でリヤカーがやっと行き違える道幅しかなく、二中の辺りは一面の田圃が
拡がっていたのだそうです。
松原交差点から来て田中橋の交差点を渡り左斜めに入り直ぐの一方通行路を右折する道です。
左斜めに入り、曲がらずに直進する道は、泉龍寺の延命子安地蔵尊(まわり地蔵)に向かう道です。
旧鎌倉道(高井戸道)に入って少し行った左側にあるのが
亀塚古墳は全長40mと狛江古墳群中屈指の規模を誇り、唯一の帆立貝型前方後円噴で、
5世紀末〜6世紀初頭に造られたと考えられています。
荒井家住宅主屋一棟が移築公開されています。
平成4年に小田急小田原線連続立体交差事業及び複々線化事業のために解体保存され、平成14年にこの古民家園に移
築されたものです。
西河原公園はあいとぴあセンター、西河原公民館南側に広がる敷地約16000平方メートルの公園。
西河原自然公園は古民家園の隣、せせらぎのある公園。
あいとぴあセンター
狛江市には保健所がありません。でも立派な保健施設があります。センターでは次の事業を行っています。
狛江市健康課はここに有ります。予防接種・伝染病予防、母子保健指導、畜犬登録、各種市民検診、あいとぴあセンター、
健康相談所の維持管理などの事務はここです。
@ 保健センター事業
市民の健康に関する業務を行っています。
A 障害者福祉センター事業 更正相談、療育相談、ことばの相談、通所訓練事業、教養・文化事業、スポーツ・レクリエー
ション、ショートステイ事業を行っています。
B 老人福祉センター事業
高齢者の健康の増進、教養の向上、レクリエーション等のための便宜を総合的に提供しています。
狛江市は、休日等における市民の急な病気やケガに備えて、狛江市医師会・歯科医師会・薬剤師会の協力を得て、あいと
ぴあセンター内に休日応急診療所を開設しています。受診の際は、事前に電話をして,健康保険証をお持ちください。
休日応急診療所
日曜・祝日・年末年始の午前9時〜11時30分、午後1時〜4時30分 03-3488-9121
休日歯科応急診療所日曜・祝日・年末年始の午前9時〜11時30分、午後1時〜4時30分 03-3488-9171
休日診療薬局日曜・祝日・年末年始の午前9時〜11時30分、午後1時〜5時 03-3488-1519
次大夫堀(六郷用水)の恩恵を受けた流域 35 の村の用水組合がこれを管理し、取入口の近くには水神社を祭っていたと
言います。
玉翠園跡
(左)船着場跡の石垣 (右)狛江ハイツ
玉翠園跡地、狛江市中和泉4-15現狛江ハイツ
水神交差点の多摩川住宅側には「井上公園」と言う公園があり、大正二年に公園の中に玉翠園という川魚専門の料亭が出
来たそうです。大正十年には、公園内に小学生のための林間学校を建設し、宿泊設備が整えられたと言います。シーズンオ
フの林間学校では、各種の研修会や農繁期保母の講習会なども行はれ、玉翠園は公民館のような役目も果たしていたそう
です。調布からの芸者衆も入り、屋形船で多摩川の川遊びも出来る料亭でもあったそうで、大層賑ったと言います。昭和十
八年、戦況の悪化により料亭の営業が続けられなくなり廃業したそうです。狛江には立派な料亭もあったんですね。
お客さんは小田急線が昭和二年に開通する迄は、京王線国領駅から徒歩や人力車でやって来たと言います。
西河原公民館向かいから入る道を真直ぐに行き狛江通り(国領に抜ける旧品川道)と交差する所にある、JA狛江上和泉支
店の前には昭和六年に建てられた道標が残っています。
左側面に「本村小足立ヲ経テ神代村方面ニ至ル / 玉翠園ヲ経テ登戸渡船場ニ至ル」とあります。
築山の上の礎石を横たえて立つ3メートル近い根府川石の石碑に「たまがわにさらすてづくりさらさらになにぞこのこのこ
こだかなしき」と万葉集の一首が万葉仮名で刻まれている歌碑があります。
玉川碑の直ぐ先にシクラメンの園芸農家があります。温室内で10月頃には見事に開花した鉢植えが見られます。
直売もして頂けるようです。
狛江市の花卉栽培は年々増加している様に思えます。
六郷用水取入れ口の碑
次大夫堀(六郷用水)は慶長2年から14年(1597から1609)に小泉次太夫の指揮のもとに開さくされた全長24キロメート
ルの潅概用水です。多摩川住宅の南端のこの地に多摩川からの取入口があり、福祉会館通り、いちょう通りを流れ、岩戸で
野川を合流し、世田谷通りから、はるか大田区六郷方面の水田をうるおすのが最大の目的でありました。
恩恵を受けた流域35カ旧村の用水組合がこれを管理し、取入口の近くには水神社を祭っていたと言います。
しかし、農地を潤していたこの用水も時代の流れとともに、農業用水路から、生活排水路へと姿を変えて行きました。
現在次大夫堀(六郷用水)は丸子川と改称されてその一部のみが残っているにとどまりますが、今も幾つかの名残りが残さ
れています。
多摩川土手に建つ記念碑
TO THE SKY ’90 のモニュメント
根川さくら通り
多摩川住宅の外周を流れる根川。ここ多摩川住宅の一部が狛江市の西端です。
多摩川五本松
多摩川土手の名勝
多摩川の遥か彼方に富士が望めます。
ここまで来たら、多摩川沿いにもうちょい先まで行ってみましょう。
桜堤緑道調布市
彫刻の置かれた緑道が日活撮影所付近まで左側多摩川沿いに続きます。
彫刻の他に、この不思議な記念碑を見つけました。都市緑化事業に努めている団体のようです。調布明樹会とおっしゃる団
体で都市緑化への貢献で東京都環境局局長賞も受けておられます。「明治の気骨」いいですね。
日活撮影所
緑道の向かい側に日活撮影所があります。
日本映画の黄金時代、多摩川から砧にかけて映画各社の撮影所がありました。
東宝砧、日活多摩川、大映多摩川、新東宝砧の各撮影所が集結していました。
松竹大船、東映大泉を除く全社全社の撮影所がこの地にありました。
成城、喜多見、狛江辺りは、映画人の多くが住まいを構えていた地域です。映画人昔話はここをクリック。
榎のご神木
調布南高校交差点の手前にある注連縄をした木。昔車で通る時、どの道を走ればいいんだと迷った交差点。
何でもここには昔観音堂が有ったのだそうで、交通の邪魔だなどと考えると罰があたります。
直進すれば京王多摩川駅に、交差点を右に曲がると
大映撮影所
撮影所向かい側の道を入ると
映画俳優の碑
(右)発起人の一人森繁久彌氏の揮毫による碑文を拡大
大映撮影所前の道を進むと品川通りに出ます。京王線調布駅は直ぐそこです。