駅北口からエコルマに沿っていちょう通りを世田谷通り迄歩き通りを渡って更に一の橋通りを歩く
この道は狛江駅北口から次大夫堀(六郷用水)の流れていた跡の道を世田谷通り新一の橋交差点迄歩き、一の橋の交差
点から南に向かいます。狛江の旧猪方村、駒井村、岩戸村方面の村々への道です。
世田谷通り新一の橋交差点から、二の橋交差点慶岸寺の前までは、旧大山道(登戸道)、旧品川道(筏道)と呼ばれた古い
道です。
狛江駅北口ロータリー
エコルマホール
乙女像「たまがわ」
駅北口ロータリーの池の横にあるブロンズ像
山下公園(横浜)の「赤い靴はいてた女の子」の像の彫刻家山本正道氏の作品。玉川碑にある、万葉集の一首
「たまがわにさらすてづくりさらさらになにぞこのこのここだかなしき」に詠われる
乙女を表現した像だそうです。
次大夫堀(六郷用水)に架かっていた駄倉橋の石柱。エコルマホール向かい側 駄倉書店の前の歩道にあります。
駄倉塚古墳
駄倉橋の石柱のある駄倉書店の裏側、タイ料理のお店トムヤムクンの前の小高い丘が駄倉塚と呼ばれ古墳と言われていま
す。詳しい調査は行われていないようです。
トムヤムクン
’06 1月に開店のタイ料理のお店
本格派、本格、本格的ではなく、本物タイ料理のお店です。
タイの皆さんがやっているタイ料理の本物が味わえるお店です。
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駄倉塚を左に入り真直ぐ行く道が旧品川道です。
狛江通りを松原の交差点方向に向かって真直ぐ行く道も旧品川道です。
狛江市役所裏の通りのお店
ほりぐちコーヒー( HORIGUCHI COFFEE )
前から気になっていましたが、新聞にコーヒー豆のセールのチラシが入っていたので、買ってみました。美味しかったです。
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信号を渡ってちょっと先の右側のお店
ビストロザ健
にんにく料理の店と書いてありますが、ビストロですね。
ご夫婦でやっている、カウンターにいす席が少々全20席といった、こじんまりしたお店。
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ビストロザ健のはす向かいのお店
サイゴン
ベトナム料理とアジアン料理のお店。味付けは意外とあっさりしていて食べやすいかも。
カウンターにいす席が少々といった、小さなお店。
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いちょう通りを、世田谷通り方向にしばらく歩くと、小田急線高架をくぐります。その手前左側に入り口があります。
市の中央を縦断する野川跡を利用した長さ 2.2km、平均幅員 10m のこの公園は、昭和51年に完成。
平均 3m の園路が設けられ、これに沿って約4,500本の樹木が植えられています。
狛江市ビン・缶リサイクルセンター
野川緑地公園に入り、和泉保育園の角を右に曲がると右側にあります。
資源ごみであるビン、缶を選別し、ごみの減量、リサイクルに努力し、効率的な運営を図りながら、環境保全型都市づくりを
推進しています。狛江市清掃課はここにあります。市役所内ではありません。
泉州尺八工房
狛江市では珍しい尺八の工房。前に日本テレビの「ぶらり途中下車の旅」でも紹介された事があります。
プロの演奏家の尺八の調律などもしているお店。
泉州尺八工房さんのホームページ http://www.tone-take1.com/sensyu/
一の橋の交差点に立つ文政六年(1823年)の石橋供養塔
東六郷江戸道・西登戸府中道・南家村道・北ほりの内高井戸道 と道しるべが刻まれています。
この道は旧大山道(登戸道)であり、旧品川道(六郷道、府中道、筏道)でもある道です。
南家村道は村への道、岩戸地域センターの前を抜けて突き当たり、右に曲がれば直ぐ先で左に曲がる三小通りに出ます。
猪方方面に向かう道です。左に曲がれば一中通りを岩戸八幡神社方向に進み慶元寺幼稚園の前で大山道に通じます。
北ほりの内高井戸道は岩戸交番を入り井伊出森稲荷の前を通りさくらや酒店の所で小田急線高架を渡り、電研東通りか
ら、真直ぐ行けば覚東のいなげや前に出ます。谷戸酒店の前を左に曲がれば、三島保育園・狛江五小・千手院前を通り、
御台橋に抜けます。どちらの道も、旧鎌倉道(高井戸道)に出られます。
伊井出森稲荷
多摩川下流の地域には大名領は少なく,彦根藩井伊家世田谷領が唯一のものだったそうです。井伊家は徳川幕府の譜代
大名の筆頭で,幕閣の中枢にあり関東で下野国佐野領と武蔵国世田谷領を飛地として支配していました。寛永十年(1633
年)に多摩郡岩戸村、猪方村、和泉村(狛江市)など15村を所領とした世田谷領が成立したと言います。
井伊掃部頭(かもんのかみ)ゆかりの稲荷と伝えられる伊井出森稲荷は明治中期から大正の始め頃迄、、「岩戸の稲荷さ
ま」とか「稲荷さま」と呼ばれて、遠くからも信者を集めて賑わったといいます。
稲荷の社前に据えられた新しいキツネの石像の後にあるキツネの石像は、四谷の布袋屋呉服店が、明治四十二年に奉納
したもので遠くからも信者を集めていた事をうかがわせます。
(左)向かって左のキツネ、台石正面に布袋屋呉服店 (右)向かって右のキツネ、台石正面に東京・四谷
世田谷通り狛江の三叉路から一の橋の交差点、滝下橋緑道を慶岸寺の前迄が、旧品川道であり旧大山道でもあります。
一の橋交差点から、野川迄、世田谷通りに沿って、六郷用水が流れていました。正式には 六郷用水と呼びますが、次大
夫堀 と呼ばれてきました。一の橋、二の橋は今では交差点の名前に残るのみですが、かつて実際に橋がかかっていまし
た。今の滝下橋緑道がその跡だと思います。
滝下橋緑道、にごりや酒店の辺りにひっそりと建っているのが、滝下橋石柱と思われます。
次大夫堀は、今から 約400年 前の江戸時代のはじめに徳川家康の家臣、小泉次大夫吉次 の指揮監督によって造られ
た農業用水です。
現在の福祉会館通り水神社ところに多摩川からの取入口があり、福祉会館通りからいちょう通りへと続き、岩戸で野川を
合流し、大田区六郷方面の水田をうるおすのが最大の目的であったと言われています。
福祉会館通りを流れる六郷用水に架かっていた今では交差点の名前に残るのみの、田中橋石柱とエコルマホール前に架
かっていた駄倉橋石柱が旧所在地の近くに残されています。
世田谷区喜多見には、次大夫堀公園があります。
滝下橋緑道の向かい側のお店
喜多見美登利寿司
最近では少なくなってしまった職人さんの握る本格派。2 階 には座敷もあります。結構お客さんが並んでます。
毎月一回出前のサービスデイがあるようですから、一度頼んでみては如何ですか。近くに同じようなお店がありますので、
間違えないでください。
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慶岸寺の境内には、塩地蔵と呼ばれる地蔵尊があります。狛江市のホームページ、語り継ぐむかしによれば、子育てや安
産の守り仏として遠方からお参りにくる人が、かつては見られたと言う話です。
お礼に塩を供えるので、塩の山が見られたそうです。
元は世田谷通りの二の橋近く、稲毛屋の西の辺りにあったと言います。
多摩地方で最も古いと言われる庚申塔が慶岸寺の墓地入口にあります。寛文 2 年 (1,662 年)のものだそうです。
いちょう通りが、世田谷通りとぶつかる、新一の橋交差点を左に、次の一の橋交差点で世田谷通りを渡り横断すると
一の橋通りになります。入ってすぐ左に
岩戸地域センター
会議室、和室、料理実習室、図書室があり、地域の代表と利用者で組織された「岩戸地域センター運営協議会」が館の運
営、管理、事業の計画などすべて自主運営しています。
利用申込みは、使用する日の属する月の前月の初日から(仮申請として使用月の2カ月前から。初日が土・日曜日の場合
はその翌日)ですが、最近若干ですが利用料がかかります。
土屋塚古墳
岩戸地域センターの向い側の奥にある、狛江市史跡、マンション建設のため、保存の危機に瀕していましたが、何とか無事
保存される事となりました。(左)が建設中(右)が現状
マンション建設にともない、発掘調査が行われ、墳丘を取り巻く周溝から円筒埴輪片が出土したそうです。
この調査により、土屋塚古墳は、径35M程の円墳で、5世紀半ばに築造されたものであることが判ったようです。
土屋塚古墳発掘調査報告書は狛江市社会教育課で入手出来ます。
突き当たりを左折するのが一の橋通りで、右に曲がって直ぐ左に曲がるのが三小通りです。
悠楽里
岩戸八幡神社手前の右側に「悠楽里」と言う東京都ただ一つの村桧原村など奥多摩の物産を販売しているお店があります。
岩戸村の鎮守様
狛江の鎮守様 ( 旧六ヶ村にそれぞれ鎮守様があります )
伊豆美神社 - 和泉
小足立八幡神社 - 小足立子ノ権現三島神社 - 覚東
岩戸八幡神社 - 岩戸
白幡菅原神社 - 猪方
日枝神社 - 駒井
明静院
念仏供養を目的として造られた地蔵尊で狛江市で最古のものだそうです。貞亨 4 年 (1,687 年)の造立。
一の橋通りの右手に、時折見え隠れする緑道が
市の南部を横断する岩戸川跡を利用した,長さ 1.8 km の公園。3,400本の樹木が植えられています。
途中には、「岩戸川せせらぎ」があり、長さ126m、池 2 個所 の人工せせらぎになっています。
こまえ苑
慶元寺幼稚園を右に曲がると、右に岩戸川緑地公園の終わり、左に喜多見緑道、正面に特別養護老人ホームこまえ苑が
あります。正面入口は水道道路に面しています。
隣接した慶元寺幼稚園から世田谷区喜多見 4 丁目 に入ります。
慶元寺は江戸時代の武家・喜多見氏の菩提寺。現在の皇居の辺りを治めていた江戸氏が、室町時代の中ごろ太田道灌
によって追われ、隠れ住んだのが木田見(今の喜多見)であり、江戸氏の名前も変え「喜多見氏」と名乗るようになったと言
はれています。
慶元寺門前の植込みに二基の道標があります。
この道標は現在の砧浄水場の中の大山道の辻にあった物で、砧浄水場建設により、道が無くなった為ここに移設されたの
だそうです。
一基は、安政二年(1855年)に建てられたもので、登戸の渡しから旧大山道を来た時大山道と旧品川道(いかだ道)との分
岐点を示し、六阿弥陀参りの道しるべにもなっています。正面には下のように刻まれており、左側面には玉川六阿弥陀の案
内が刻まれています。
もう一基は丸山教本院への道標です。正面には下のように刻まれています。丸山教は明治六年(1873年)に開かれ、登戸
に本院のある宗教で、多数の信者を集めていたと言います。この道標には年号が入っていませんが、明治十八年以降の物
のようです。
ちなみに玉川六阿弥陀は狛江の古い道(狛江市教育委員会編)によれば、安政二年につくられたのだそうで、六ヶ寺は
第一番 竜安寺 (川崎市多摩区宿河原)
第二番 慶元寺 (世田谷区喜多見)
第三番 光伝寺 (世田谷区喜多見) 宝寿院光伝寺
第四番 行善寺 (世田谷区瀬田)
第五番 養福寺 (川崎市高津区新作)
第六番 泉福寺 (川崎市宮前区馬絹)
古墳時代後期7世紀の砧地域の有力な族長墓と考えられる円墳。
調査は昭和34年と昭和55年に行われ、石室内から圭頭太刀、直刀、刀子、鉄鏃、耳環、玉類、土師器、須恵器が
出土している。
古墳時代中期(5世紀末〜6世紀初頭)の円墳。
「湯花神事」という行事があり、世田谷区の指定無形民俗文化財となっている。
喜多見氏の陣屋はこの辺りにあったと言われています。
喜多見氏は江戸神社を現在の大手町付近に祀っていたが、この地に移るにあたり、この須賀神社を陣屋の敷地内に祀る事
となったようです。
祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)。創建は天平12年(740年)と伝えられている神社。
二の鳥居は承応3年(1654年)に喜多見重恒、重勝兄弟によって建立された世田谷区内最古のもの。
お散歩の最後はここ。
喜多見大橋か内田橋から入れます。世田谷区の公園です。古民家等見応えのある施設です。