狛江ガイド
’09年の桜
狛江の駅から大通りを歩いてみよう
次大夫堀の流れていた道
A狛江駅北口から狛江通りを市役所に沿って右へ曲り、突き当たりの一中通り・公園通りを歩く
突き当たり公園通りを左に狛江郵便局、慈恵医大第三病院に向かう
突き当たり一中通りを右に電力中央研究所に向かう
B狛江駅北口からエコルマに沿っていちょう通りを世田谷通り迄歩き通りを渡って更に一の橋通りを歩く
次大夫堀の流れていた道から狛江の村への道
狛江の古い道を歩いてみましょう
(狛江市教育委員会平成 4年発行の「狛江の古い道」を参考に歩いて見ました)
「狛江の古い道」(狛江市教育委員会編)に、国立公文書館所蔵の文化二年(1805年)の「目黒筋御場絵図」から狛江周辺部が掲載さ
れています。最も太く記載されているのが「甲州街道」、次に太く記載されているのが、「滝坂道」と「稲毛道」です。
滝坂道は、甲州街道からキユーピーの工場を入り、和光堂の前を通り、上祖師谷神明神社手前で成城通りと出会い、駒大グランドから
祖師谷に抜ける道が滝坂道です。細い道ですが甲州街道に次ぐ主要道だったんですね。江戸から狛江(あるい は狛江から江戸)に向
かう人達は、稲毛道を利用するか、この滝坂道から、七曲りか大坂を経由して行き来していたと思われます。滝坂道からのルートが鎌
倉道(高井戸道)です。
稲毛道が狛江市を東から南西に横切る、大山道(登戸道)です。
品川道は、筏乗りたちが多摩川の上流から河口まで材木を運びその帰り道に利用したので六郷道、府中道、筏道とも呼ばれた狛江を
東から北西へよぎる道です。
大山道(登戸道)は三軒茶屋から登戸に抜ける世田谷通りが概ねそれにあたりますが、狛江市内では現在の世田谷通りとは違う地点
を通ります。
おまけのページ
滝坂道は狛江市内を通りませんが、江戸、狛江間を結ぶ重要な道と思われます。甲州街道仙川のキユーピー工場から入る道で街道
の難所滝坂の上から始まる道です。
次大夫堀は狛江市内を流れる多摩川に取入れ口があるものの、水路は道路となってしまい、狛江市内にその面影は残っていません。
世田谷区の次大夫堀公園、丸子川に往時の姿を観られるのみとなってしまいました。されど狛江市と関係の深いこの用水掘を辿るの
も楽しい。
井伊家は徳川幕府の譜代大名の筆頭で,幕閣の中枢にあり関東で下野国佐野領と武蔵国世田谷領を飛地として支配していました。
寛永十年(1633年)に多摩郡岩戸村、猪方村、和泉村(狛江市)など15村を所領とした世田谷領が成立したと言います。多摩川下流
の地域には大名領は少なく,彦根藩井伊家世田谷領が唯一のものだったそうです。領主としては、この彦根藩井伊家(菩提寺は豪徳
寺)、泉龍寺が菩提寺の石谷氏、慶元寺が菩提寺の喜多見(江戸)氏の影響が少なからず見られます。
狛江市内には数多くの石造物が残っています。その種類もいろいろですので、余計なお世話とは思いますが、ちょこっと解説。