*けんじ*の遭った交通事故


◆*けんじ*が交通事故に遭った日

高校の冬休み初日だった。長野県の冬休みは遅い。もう年末だった。世間はお正月を迎える忙しさと浮かれムードとが混在していた。そんな中、*けんじ*の母方の祖父(わたしにとっても祖父)が肺炎で倒れた。*けんじ*が事故に遭った日....祖父に一晩付き添ったわたしの母親と介護を交代すべく、*けんじ*の母親は実家に赴いた。*けんじ*も「じゃぁ、俺も冬休みだから見舞いに行くわ。だけど○○くんにゲームを返してもらいに行くから、俺は原チャリで行くわ」と祖父宅にでかけた。お土産代わりに持っていったたこ焼きの一箱をたいらげ、祖父の容態が安定したのを見てひとり帰宅の途についた。

★*けんじ*にぶつかった車

一台のワゴン車が*けんじ*が交差点に差し掛かったところへ一時停止なしで--いや、逆に後の証言から加速したのではないかとさえ思われる--突っ込んできた。業務用ワゴン車。ボンネットの無いタイプである。*けんじ*はもろに車にぶつかり、その時被っていたSHOEIのヘルメットは割れてしまったほどだ。原付バイクもひしゃげた。ぶつかったワゴン車は地元の土産菓子を製造している会社の配達車だった。

★事故概況

少し整備された農道。*けんじ*はこの道のメイン路線を走っていた。まっすぐの見通しの良い道。普段車で通り過ぎるのであまり距離感がはっきりしないが、200Mほどの直線だろうか。そこに何本ものわき道が直角に交わる。ワゴン車はこのうちの一本の道から一時停止なしでまっすぐに進入した。事故通報は*けんじ*の後続の車に乗っていた目撃者からなされた。まだ携帯が今ほど普及していないころだ。近くの保育園に駆け込んで連絡をつけてくれたらしい。

★*けんじ*の受けた傷

*けんじ*は外傷としては顔が数箇所切れ、片足片腕を骨折。意識があったら痛みに打ちのめされていただろう。しかし、最もダメージを受けたのは左脳だった。「脳が腫れる」という言葉をわたしはこのとき初めて聞いた。脳の腫れはなかなかひかなかった。左脳が機能しなくなる--とはどういうことか。言葉が話せなくなると言われた。しかし...言葉が話せないどころか、意識さえ戻らない。

★新聞への掲載

新聞記事の内容は、二社(地元紙と全国紙)で雲泥の差であった。地元紙はまるで*けんじ*の不注意であるかのような記載になっていた。確かに「悪い」とは書いてない。しかし、交通事故の際に当たり前のように課せられる「前方不注意」をわざわざ記載してあったのだ。バイクの類に乗ったことのある人、運転免許書き換え時の講習VIDEO等をまじめに見ている人ならばご存知だろう。バイク運転の際の目線は縦方向にしか動かない。車を運転する際の目線が四方八方に動くのに対し、バイク運転時の目線というのはまっすぐの上下を動くだけなのだ。逆にいえば余所見はできない。アクロバット走行の人以外で、バイクの脇見運転を出来る人がいたら教えて欲しいものだ。この目線の動きから、逆に左右からの飛び出しには対処しきれない乗り物だということも車の運転者は覚えておくべきである。
一方、全国紙であるY新聞は、どちらが悪いとも書いておらず、起きた事故の事実を淡々と書いてあった。本来こうあるべきではないだろうか。事故直後、ましてや片方が口をきけない状態で正確な情報をとれるはずがない。

★加害者

加害者はどんな人物だったか。小柄な50代男性。事故後の謝罪に病院に訪れた時の印象は、気弱そうな感じだった。彼が本当にどんな人間だったかはわからない。しかし、第一印象に比べ、見舞いに訪れ「けんじくんにひとめ会わせてくれ」と病室の外で懇願-土下座まで-する姿には誠意ではなく、押しの強さと身勝手さを感じた。「けんじくん」と馴れ馴れしく呼ぶのはいかがなものか?こういった場合、「息子さん」程度に留めるのが正しい国語では?謝罪に訪れるのは大切なことだし、足を運ぶ回数で誠意が判断される場合もある。しかし、被害者(及びその家族)の意向を捻じ曲げてまで事故直後に被害者本人にあう必要があるだろうか?徳川家康式に「鳴くまで待とうほととぎす」とする忍耐が必要なのではないだろうか。

★業務中の事故に対して会社は

加害者は土産物の配達という業務中に会社の車で事故を起こしている。会社側にも責任はあるし、実際支払われる保険金は会社がかけていた保険からだ。この会社がしたことは、病院の売店で売っている500円の花と見舞金壱万円を持参して一度見舞いに来ただけだ。仮にも「株式会社」が。あぁ、そうそう、この会社がもうひとつしたことがある。加害者をくびにした。社則に規定されているのか?事故を起こしたことで会社に迷惑をかけた→くび という構図かもしれないが、迷惑といえるほどの補償を会社がこの事故で行ったわけではない。保険料が高くなったぐらいのものだろう?ただの責任逃れ、面倒逃れであるだけのような気がする。
事故後の話し合いを望む、叔父叔母からの申し入れの電話に「これ以上電話をしてくるのなら訴える」と逆ギレをおこす次第。金を無心したわけでもないのに、どこまで人を傷つければすむのやら。
リゾート地を抱えるこの県のお土産品はこんな会社で作られていたんだなぁ。この会社のお菓子を学生時代に何度か買ってしまっていたことが心残りだ。

★目撃者たちは

事故を目撃した車両は多かったようだ。加害者自身、「あの白い車が交差点に達する前に行き過ぎてしまおう」と思い、その白い車の前にいた*けんじ*のバイクが見えなかったと言っている。一時停止をしていれば見えたのだろうが。そういった車の大半が面倒なことはごめんとばかりに走り去ってしまった。ただ、不幸中の幸いで事故を通報してくれた方が目撃者として名乗り出てくれた。その方は約束があり、通報後一度走りさったらしいのだが、約束を終えて再度通りかかったところ現場検証(実地検証)が行われており、加害者が嘘八百をならべているのに驚き、証言をしてくれたのだと聞いている。物理検証を行えば、ある程度ことの次第はわかるはずなのだが、現在の交通事故は「話せるものの言うことがまかり通る」ことが多いようだ。*けんじ*のように自ら話せない者、または亡くなってしまった方というのは真実を語れないまま不利な扱いを受けてしまう。そんな時に名乗り出てくれる目撃者の存在ほどありがたいものはない。目撃証言をすると、その後裁判に呼び出されたり確かに面倒なことは多い。あまり補償のない会社に勤めている人にとっては経済的にも打撃になってしまうのかもしれない。経済的な問題はもっと社会として補償をしっかりさせるべき(公休・有給扱いにする等)であるし、万が一目撃してしまったら、それが例え他人の事故であっても「自分の身内がこんな目にあったら」と自らの身に置き換えて考え、惜しみなく協力をして欲しい。いなくなってしまった目撃者を恨みはしないが、同じ人間としてはとても悲しく思う。
2001年8月10日(綿)

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