現在の*けんじ*


2014.8.21(Thu)

ジムへ行く途中、母を*けんじ*宅に送り届けようと寄ったところ、叔母(*けんじ*の母親)がうれしそうに家の中から出て来た。いい話かと思いきや、愚痴を聞いてもらいたかったらしく、それからは修羅場のような状態となった >_<

やさしく、共感してうなづいてあげられれば良いのだが、皆がそうやって甘くばかりしていても、現実は甘くない−−とばかりに、「法律は弱い者の味方なわけではない」「裁判所はそういうことをするところではない」「考えをこういう方向で整理して弁護士にぶつけろ」と強めに言いおいて、ジムへ逃げた!!
うちの母親がかわいそうだと思い、ジムも早めに切り上げ戻ったところ、叔母の機嫌は良かった。弁護士の対応が良かったらしい。
もめ事を見せてしまってかわいそうだったな、と思い、*けんじ*に話しかけると、*けんじ*は苦笑いをしていた。その後、iPadを使う能力があるか確認しようと、指をスライドさせる動作をやってみせたが、その動作を見入ってはいたものの、自分の指を同じように動かそうとはしなかった。
帰り際に、間違えて買ったといいつつ、叔母が軽いしおせんべいを出して来てその場にいた者で食べ始めた。*けんじ*は自分だけもらえなかったためか、わたしの持つしおせんべいをまじまじと見つめたまま視線を外さなかった。

2014.8.15(Fri)

一年に3回、*けんじ*の母方の兄弟会として*けんじ*の家に集まる日があります。1月2日は*けんじ*の兄の誕生日を名目として、5月のGWは庭でのBBQを目的として、そして8月15日はお盆を名目として...。*けんじ*の母方の本家が*けんじ*の家なわけではないのですが、いずれも外出がままならない*けんじ*一家へ他のものが足を運ぶことになっています。毎年集まるメンバはほぼ固定ですが、わたしにとっては従兄弟とあう場となっています。*けんじ*の居室=*けんじ*家のリビングなので、当然*けんじ*も参加している状態となります。

*けんじ*より年下の従弟もあらわれ、大酒を飲んで場を盛り上げていきました。*けんじ*も元気であれば、こういうタイプでした。「早く、けんちゃんと一緒に酒を飲みたいな〜」と従弟がいうのも毎年のことです。
同じような毎年が繰り返されているようでいて、*けんじ*の表面的な状態はあきらかに改善しています。
あれ?これって笑っている?という曖昧な状態から、今は話しかけて、それに呼応して笑っている(反射ではない)ということが明らかです。なにか、ひとりで話していることもあります。ただ、そのひとりしゃべりは赤ちゃんのそれと同じく、周囲の者には何を言っているのかはわかりません。
徳田虎次郎氏(だっけ?)のように、眼の動きで意志を表現できる機械が欲しいね、という話にもなりましたが、ただ、そのためには、*けんじ*が文字を理解している必要があります。*けんじ*は事故で左脳に損傷を受けているので、文字理解が残っているかはなんともいえません。今後また試してみようかなと思うところではあります。もちろん、機械はとても手に入らないと思うので、まずは「あいうえお」表ですね。iPadの画面利用はできないだろうか、と考えているところです。

2014.7.24(Thu)

*けんじ*はいつもどおり。最近の「いつも通り」とは、話しかければ笑顔を返してくれ、赤ちゃんのひとりしゃべりと同じようなしゃべりを聞かせてくれる。「あ〜あ〜、お〜お〜」のような。
*けんじ*が事故に遭った当時、通説のように医者からの説明にも本を参照して得られる情報からは、意識不明となった事故後、1ヶ月以内になんらかの反応を示さなければ、そこから回復することはないとあった。ドラマで描かれていたのはそういった通説を覆すかのように、何年か経って突然目覚めて、何の支障もなく健常な状態になったという実話。その実話をたのみに、*けんじ*の回復を待ってみたけれど、何年経ってもきちんとした反応は得られなかった。悲しそうな顔や辛そうな表情は見られても、話すことはおろか、笑うこともなかった。
しかし、10年を経過してから、なんとなく笑うようになった。笑顔だと思うのは気のせいかなと当初は思っていたが、最近では声を上げて笑うこともある。う〜う〜あ〜あ〜といった一人しゃべりをすることもある。
本当にゆっくりとではあるけれど、快復してきてはいるのだと思える。
とはいえ、*けんじ*の両親も70近い。介護の負担を減らす意味でも、一日も早く言葉を取り戻してもらいたい。

2008.1.2(Wed)

*けんじ*の兄の誕生日である。*けんじ*の家に親戚が集まって新年会を開催した。*けんじ*は兄にケーキのクリームだけを食べさせてもらい、「誕生日会」にも加わった。親戚のおじさんたちが飲む酒も、箸の端に少しつけて味見だけしてみる。ちゃんと酒の味がしたらしく、満面の笑みを浮かべる。*けんじ*ももう三十路に突入しており、本来であればこの宴席の中心で酒を呑んでいたことだろう。*けんじ*より、はるかに年下の従弟が*けんじ*父の酒の相手をしている...。*けんじ*が自分の父の酒の相手になれる日が、一日も早く来ることを願うばかりだ。
三十路をむかえた*けんじ*にいまさらお年玉もおかしいかと思い、お風呂セット(泡立てネット+身体を洗うミトン+入浴剤)をお年賀として渡した。少しでも*けんじ*の生活に役立てて、かつ楽しめればと思う。
ちなみに、誕生日としては主役の*けんじ*兄への誕生日プレゼントは、ムカついたときに握りつぶしたり、壁に投げつけたりすることができるマスコットとお手玉。本当に子供の土産って感じだが、ウケ狙いとしてはまぁまぁかな。

9月28日

遅く来た夏休みを利用して、関西に行ってきた。最近、けんじがヨーグルトひとカップをぺろりと食べるようになったと聞いていたため、神戸プリンなど、どこかの名産プリンを買おうと決めて行った。結局、購入したのは、京都「ゆばぷりん」。これを持って、けんじに逢いに行った。
けんじは、筋弛緩剤の量が減ったということで、また力をこめてしまっており、手を握り締めすぎて手に熱を持っていたり、自分の首を傷つけないように、指にはキャップがはめられたりしていた。
ヨーグルトを一カップ食べれてしまうくらいで、体重も増え、顔はまん丸だった。27歳のイイ若い者が二重あごになっちゃっているゾ!
話の流れで、けんじの思い出話を叔母にする。
「けんじが10歳ころかな、ちょうどけんじが家に遊びに来て、『どこかに遊びに行く?』って聞いたら「うん」と応えたことがあって、二人で、湖までドライブしたんだよ。けんじがスワンボートに乗りたいっていうから借りてあげて、漕ぎ出したら、『俺が全部漕ぐから、ねぇちゃんは漕がなくていいよ』と言われて、ボートを借りている30分間ずっと足を上げていたんだよ。漕ぐより辛かったよ。」
こんな話をしたら、けんじは...笑った。目も笑っているし、口元も歪んでいるのではなく、しっかり歯を見せて笑っている。あんまりうれしくて、写真にも収められなかった。なお、続けて
「ボートを返す時間が近づいて『もう帰ろうよ』といっても、『まだ大丈夫だよ』って言って、一心不乱に漕いでいたよ」と話すと、けんじの笑顔は続いた。
絶対に、筋肉の反射とかゆがみで起きている笑顔ではない。話の内容を理解して、楽しそうに笑う。
薄皮を剥がすようにゆっくりとではあるが、けんじは確実に良くなっている。左脳を損傷しているせいで、話せないだけに違いない。

6月19日

3ヶ月ぶりに会いに行ってきた。最近笑うようになったとのことだが、わたしにも笑いかけてくれるだろうか...と期待して。
笑う--といっても、「わははっ」と声をたてるとか、ニッコリと微笑むという明確な笑いはなかった。なんとなく、にやっと「笑ったかな」という表情をする。早く、笑い会える、そんな日がくれば...
若い女性には笑うんだそうだ。う〜ん、中年おやぢのようだ、と思ってふと気づく。けんじは17歳のままなのだ。身体は27歳になっているかもしれないが、時は17歳で止まったまま。年相応の27歳の女性を見たところで、けんじには「大年増」に近い^_^;
けんじは嚥下のリハビリのため、レントゲンをとりながらお粥を食べるという治療に行ってきたとのことだ。脳梗塞等で嚥下のリハビリを必要とするお年寄りも居るが、食物が気管の方に流れてしまい、なかなか上手くいかないとのことなのだが、若さゆえか、けんじは気管に行くこともなく無事食べ終えたとのことだった。

3月20日

けんじは荒れていた肌もすこしずつ回復してきているらしかった。写真をとってきた(携帯電話)が、掲載はまた後日(取り込めないでいる..)。けんじも27歳になったんだな。27歳の立派な青年は普通、親や親戚に添い寝されたり、寝顔をまじまじ見られたりしないのに、まるで赤ん坊のように扱われている。ある日突然気がついたら、きっと恥ずかしいのだろうなと--少し客観的に眺めてしまった。というのも、最近けんじと同じ年齢の人と仕事をしているからだろう。けんじも元気だったら、きっと身体を動かす仕事を選んで、外を走り回っていたことだろう。自動車の修理工となっていた可能性が一番高いかな。興味がありそうだったし。
でも、けんじは寝たきり...。それが事実であり、真実である。

1月2日

自分自身びっくりです。「現在のけんじ」欄、なんと更新が1年ぶり。1年のたつのがなんと早いことか...。というのは言い訳に他なりません。昨年は本当に忙しがっていて、けんじの見舞いからも遠のいていました。半年に一回の割合...。
今年も、新年のご挨拶で2日に行ってきました。次回もなるべく近日中にとは思っております。
今年も、けんじの写真を掲載しようと思っていたのですが、ここ3ヶ月ばかり、けんじの肌がまた荒れており、かわいそうなので写真はやめておきました。ただし、目で追う等の反応は、しばらく訪れないうちに改善しており、しっかりした目でものを追ったり、見たりしていました。
この日は、けんじの兄の誕生日でケーキを買ってきてありましたが、けんじも御相伴にあずかり、なんとプリン(デコレート部除く)をひとつ完食しました。
けんじの事故から10年が経ちました。けんじは華やいでいる20代の大半...ほとんどを寝て過ごしました。叔父・叔母・けんじの兄といったけんじの家族の介護生活も10年です。叔父叔母は年をとり、兄も社会から隔絶されたまま10年です。
けんじは、日本のサッカーチームがすでに2度ワールドカップに出ていることを知りません。柔ちゃんが2度金メダルを取ったことも知りません。いとこの大半が結婚したことも知りません。多分友達も大勢結婚し、子供がいたりするでしょう。それでもけんじの記憶は17歳で止まったままです。
このページを読んでくれている人たちが、この10年という月日をどう捉えるか...。
こういう10年という月日が存在することを一番知ってほしいような人々は、きっとこのページにたどり着いてはくれないのでしょうね。

1月吉日

今年になってからは、まだ*けんじ*にあっていません。
自分自身の家族にも爆弾を抱えているので、*けんじ*の見舞いどころじゃありませんでした。ってことで、8月に従弟であったときの写真と12月に見舞ったときの写真を掲載してみます。
--*けんじ*は、またちょっと経口食を摂れるようになってきています。経口食とはいえ、ゼリー程度のものをひとかけら、ふたかけらといった程度ですが、何も口から取れないよりはかなりましです。また、鼻から入れていたカテーテルを食事の際のみ、口から食道へ通すように変えたので、最近ではのどの異物に対する拒否反応も見られるようになりました。これは、食事のときに管を入れなければいけない家族にとっては厄介なことではありますが、人間の生体反応としては、筋肉が蘇ってきているという証であるため、喜ばしいことといえます。--
8月 兄と 8月 従弟と 12月 ちょっと悲しそう

過去の*けんじ*

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