交通事故体験〜加害者となって〜

 「加害者としての立場についてメールをいただけないでしょうか」という呼び掛けに対し、メールをくださった方がありますので、掲載いたします。


加害者となり苦しんでいる方のメールをご紹介します。今回は、サイトに関する感想等は省き、加害者としての考えの面を掲載させて頂いております。サイトに関する感想としては、「(事故に苦しむ)加害者にとっては辛い内容である」というものでした。加害者全体を「敵」とみなす内容を見直し、加害者に被害者の立場等を理解してもらえるような記述を考えるようすべきですね—ということで、サイトの内容もあらためて見直そうと考えさせられました。

★★★★★ 2000年8月に頂いた「加害者体験談」 ★★★★★

(事故に関する部分と加害者としての心情の部分のみ抜粋してあります)

妻が人身事故を起こしました。
私は助手席に乗っており、加害者と同様の気持ちでおります。
車が雨により濡れた路面でスリップし、自転車に乗って歩道で信号待ちをしていた人にぶつかり、障害の残る重症を負わせました。

事故直後は、インターネットにより
「相手の方とはどのように応対すべきか」
「似たような経験をした人の話が聞きたい」
「加害者としての苦しみ、辛さを少しでも和らげたい」
等の情報を欲していました。

あなた様から見れば、加害者の都合の良いことばかり考えていると思われるかもしれませんが、止むを得ません。
とにかく、あの頃は(今でもそうですが)加害者として辛く、苦しい毎日で、死ぬことばかりを望んでいました

加害者として苦しい心情の中で、あなた様のHPの内容は「(私のような[多分一般的な])加害者にとっては 苦しみを倍増させる内容で、 読むに耐えられない」と思ったのが正直な気持ちです。

なお、交通事故に対する処罰は加害者側の立場から見ても「軽い」と感じます。
人の夢を奪っておいて、一生不自由な生活をさせて相手の家族や親族、関係者に迷惑をかけておきながら行政処分は免停60日、刑事罰は罰金40万円で済んでしまうんです。
不誠実な人にとっては、ありがたい法律なのではないでしょうか。
 相手のご家族より「○○さんは誠意がある」旨の言葉を頂戴しています。
ですが、いまだに「誠意」とは何なのかはわかりません。


加害者となってしまったけれど、被害者に対し誠意を尽くし、相手にその気持ちを受け取ってもらえた--という加害体験メールを頂きました。メールを下さった方のプライバシーに触れると思われる部分のみ削除しここに転載させていただきます。(このサイトに関する感想部分も入ってしまいますが文章の流れ上、そのまま転載します)

Subject: 私が思うこと

私は初めて開いたホームページでけんじ君の事をしりました。
私は腹が立って読んでるうちに涙が止まらなくなってしまってメールを出そうと思いました。

私は、事故を起こしたことがあります。あれは私が車の免許を取得して3年目のちょうど今頃でした。
その日は台風19号(50年ぶりのすごく強い台風)が接近してる日におこりました。私は木の枝が台風の風がすごくてたまたま木が道路を覆ってる所で上を見ると枝が折れたから危ないとおもって前を見た瞬間前で電柱が折れていて立ち往生してる車の列につっこんでしまったのです。
言うまでもありません3台の玉突き事故を起こしてしまったのです。

ぶつかった瞬間の記憶はほとんどありません。

ただどうしょうやってしまったとつよく思ったのを覚えています。

先頭の車は4tのトラックで運転手は降りて来ましたがすぐ前の方はなかなか降りて来られなかったので大丈夫ですか?といってみるとシャツが血で真っ赤に染まっていました。

私は頭の中が真っ白になってしまってよく覚えていないんですけどすぐに救急車を呼んだと思います。

事故処理も終わり病院に駆けつけた時は奥様にひどく叱られました
私はどうすればいいのかわからずただすみませんと謝っていました
病院の先生から話があった時、鼻血が出たから大丈夫です。もし鼻血が出てなかったら内蔵破裂で死亡していたと言われた時は、自分でも血の気がひいたのを今でも覚えています。私が自分の車を心配したばっかりに見も知らない人を傷つけてしまった私はどうしょうとパニック状態でした。

私はどうしていいかわからず3ヶ月間毎日病院へ通いました
私に出来ることは何なのかその時はその人の代わりに何でもいいからしなきゃとおもっていたからです。

もうそろそろ妻がくるから君に嫌な思いさせるから帰りなさいとゆうのがその人の口癖でした。私は裁判をうけましたが相手のかたの優しい心づかいから重い罪にはならず免許停止の処分を受けました。

私はこんな事してなんになるのと思うかもしれませんが2ヶ月の免許停止中講習をあえて受けず2ヶ月間車を運転しませんでした。

私はどうすればとおもっていましたがいまではその家族と9年間いいおつきあいをさせて頂いています。

わたしの軽い気持ちから大事故になってしまった事をかんがえて絶対交通規則だけは守る様にしています。

そんな私だからこそ加害者の方の行動に腹が立ったのです。
自分がした責任はとるべきだと思うんです。
私がその責任を果たしたのかは分かりませんが本当に心から悪い事をしたとゆう気持ちは何も言わなくても通じると私は思います。(後略)

(2000.8.19 Mさんより)

Mさんのメールには色々な「誠意」の考え方に対するヒントが隠されていると思います。
「どうにかしなきゃ」「なんでもしよう」その気持ちが誠意に繋がるし、その気持ちを受ける方側も相手の「なんでもしよう」という気持ちを逆手にとって無理な要求をする--なんてことはせずに、素直な目をもって見つめ、気持ちを受けめる勇気をもつ事が必要だと思います。Mさんが事故を起こしてしまった相手の奥様の当初の反応は事故時の当然の反応と思えます。Mさんも辛い思いをされたでしょうが、奥様も突然ふってわいた不幸に相手の謝罪を受け入れる勇気をもてなかったのでしょう。相手の方自身は、謝罪を受け止めるだけの度量をもった方だったわけですね。その点はMさんにとって幸いだったと思います。

Mさんが最後に書かれているように、「気持ちは相手に伝わる」--そう考えたいです。一見無駄とも思えてしまう(多分周囲の人にはそう言われたりもしたんじゃないかな)Mさん自身の戒め(太字部分)は、あまり外に見えない部分とはいえ、そういったことのできるMさんの気持ちだからこそ相手に伝わったのではないかとも思えます。(綿)


この方は加害者とはいうものの、被害者の方より大きな怪我を負い、入院した中での体験もお寄せ頂いているので、「病院というもの」について知る上でも大変意味のあるメールだと思います。メールを下さった方 個人のプロフィール等に触れる部分については掲載の際に削除してあります。

Subject: はじめまして、私は加害者です

私は3年前、1996年に交通事故に遭いました、と言うより事故しました。
原因はスピードの出しすぎでハンドル操作を誤りガードレールに衝突、同乗者に重傷を負わせ運転していた私は首の骨を折り四肢麻痺に。
現在、車椅子生活です。

私は小さい頃から車が大好きで高校卒業してすぐに免許を取りました。
車好きということもあり、「まわりの人より車に関して知識や自信がある」という自信過剰が事故への道で、まさか自分が加害者になるなんて考えたこともなく、いざそうなれば両親が被害者に頭をさげに。私は交通事故の悲惨な現実を知りました。
幸いなことに被害者は重傷(足の骨折)でありましたが順調に回復して退院しました。

私は事故して運ばれた病院に約4ヶ月入院して、1997年に私立の大学病院に転院しました。転院の理由はじょくそうの悪化と社会復帰のために、よりいいリハビリを受けるのためです。
じょくそうの悪化はMRSAに感染したことなど、しかしながら病院はその事を隠していて転院3日前から急に抗生物質の投与が始まり、病院や主治医との信頼関係が崩れました。
転院後、MRSAや膀胱炎などで原因のはっきりしない突発的な高熱が2ヶ月続き、「死ぬかもしれない、いや殺される」と思ったぐらいです。

1997年3月末、じょくそうの手術によりMRSA消滅。徐々に体調が良くなり同年5月、リハビリを開始。

1998年1月、入院中にもかかわらず友達の誘いで成人式に出席。でも、本当は世間の視線が怖くて出たくありませんでした。
そして同年3月、退院。

「一生、車なんて乗らない」と思ってましたが、障害者には厳しい街の環境(段差、ほとんど利用できない電車など)このままでは社会復帰できないと思い、車を改造して「上手な運転ではなく、よい運転」を心がけて社会に出ています。そして仕事の方はデータの打ちこみをしています。

最後に、病院の実態を知れば知るほどメリットよりデメリットとの方が大きいと私は思います。


以下は、上記のメールにわたしが返信したものに対し、さらに返信を頂いたものです。

わたし>加害者とはなったものの、被害者の方が怪我の状態が軽かったことは不幸中の幸い でしょうか?とっさの場合、運転手は自分の命を守る方向にハンドルを切るため、同乗者のほうが重い怪我を負うことが多いと聞きますが、貴方は同乗者を助ける方向へ ハンドルを切ったのでしょうね。」

 実際は、「助けるためにハンドルを切ったというより、車が勝手に動いた」と言っ た方がいいかもしれません。詳しくは右カーブでスピードの出しすぎにより車がバウ ンドして、もうこの時から覚えてなく道路右側のガードレールに衝突して目がさめた ということです。そして救急車で運ばれ入院。

被害者である人たちからは「何を言ってるんだ」と怒るかもしれませんが、 事故後「私は被害者より重いケガでよかった」と思いました。 表現するのは難しいのですが、そのように思うことによって「自分を取り戻す、自分 が自分で居られる」ような、たぶん事故の重圧から少しでも楽になりたかったのだと 思います。そして一番私を救ってくれたのは、被害者でもある友達とその母親が加害 者である私に、「だいじょうぶ?、頑張ってね」と言ってくれたことです。

入院して10日目に首の手術。後に知ったことですが出来るだけ早く(事故してす ぐ)手術をしたほうがいいらしいが、危険性もある。 医者の腕は高いレベルであったのですが病院が小さいということもあり仕方なく10 日目に。 じょくそうは事故してすぐに出来てしまって、シートベルトの圧迫で胃が弱っていた こともあり、そして病院の「雑な看護(処置)」と重なりどんどん悪化。 幸運にもMRSAに感染していたにもかかわらず、 すぐに転院しました。 MRSAに感染していることで個室に入り、たまたま収容人数の少ない病棟であった ことや病院が実家から遠いので付き添いがいないことで看護状態も比較的良く、大学 病院なので私と同じ年の看護学生が多く居たので話しも合い、そして同じケガをした 人も何人かいたので過ごしやすかったです。 それらのことと高校時代の友達のお見舞いや手紙が辛さを乗り切る「原動力」になり ました。 ちょっとした出会いでも大切にしなければならないと思いました。

最後に、まわりの人が私を見て「まだ若いのに、かわいそうに」と言われるのが 辛いです。確かに歩けないのは悔しいですけど「自分(心)は昔と変わらない」。 「あまり気を使わないでくれ」と世間に言いたい。でも、逆の立場なら気を使うだろ う?