病院では救われることもあるけれど、傷つけられることもある。医師も看護婦も人間なのだから仕方ないといえば仕方ない。しかし、とかくわたしたち一般人のなかでは医療関係者に幻想を抱きがちである。患者を傷つけるような人には医療の道は目指して欲しくない。
★「うちの姉の子かと思った」看護婦
救急処置室から病棟へ移された際、H看護婦が口にした。わたしの母が耳にした。「あなたの親戚じゃなくてよかったねぇ。わたしの甥っ子だけどね」と心の中で叫んだそうだ。本当のこといって、口に出して言っちゃえばよかったんだ--とわたしは思った。それにしても口が軽いというか考えなしである。思うことまでは止められないが、口にして良いことと悪いことがある。この看護婦は4or50代と思われるベテランの域の看護婦。入院数日後「Hさんて言い方ですね」と若い看護婦に言ったところ、若い看護婦が微妙な表情をしているのをわたしは見逃さなかった。そのまた数日後、*けんじ*が流動食をとっているときに妙にむせこんだが、H看護婦は処置後、病室隣のナースステーションに駆け込み、大きな声で「あんなにむせこんでるんだもん、びっくりしちゃったよぉ」と騒いでいた。病室には聞こえなかっただろうが、見舞いに来た親戚連中は皆、廊下に出ていたのでまるぎこえだった。わたしたちは顔を見合わせてしまった。彼女には職業モラルがないね。
★泥湯?
M病院に入院した際、意識の無い*けんじ*はお風呂の順番が一番最後だった。お風呂に入れるために叔母が行ってみると垢だらけの泥湯の状態だった。意識がないからってそれはあんまりじゃない?これで当然とばかりの態度をとった看護婦、あなたの子供をこの風呂に入れることができるのか?意識がないからってモノとして扱うな。家族にとっては大切な人間なのだ。お湯の入れ替えにお金がかかるというのなら、そのお金を別に払ったっていい。泥湯に毎日入るくらいならば、お金を払って何日かに一回入ったほうがいい。他人の痛みと自分の痛みを別物として考えられるような人に医療に携わって欲しくない。これはベッド・車椅子の移動の際も同じこと。意識がなくても脚とかそこらへんにぶつけないでください。痛みは感じてるんだから。
やっぱり、看護婦さんが目についちゃうね。医者に比べ接する機会が多いからだろうけど。逆に「なんて出来た人だろう」と感じるのも医者より看護婦さんの方が多いんですけどね。
さて、上記のあまりにもな看護婦はなぜか双方年輩の人である。できなさるひとが仕事を続けているのだとも限らないのだなぁ。
2001年8月11日(綿)