辛いとき辛い人にどう声をかけるか...とても難しいことだ。そんなことをいとも上手に行う人がいる。
★掃除婦さん
さりげなく掃除をしてくれた。そして、廊下や面談室でしょげかえってうつむき加減に座っているわたしたちにさりげなく声をかけてくれた。「あそこの〜さんも何日意識が戻らなかったけれど、今は元気になって普通に生活しているのよ」「うちの息子もやっぱり事故にあって耳から髄液がでちゃったほどなんだけれど、今は全然普通よ」等々、その声のかけ方の絶妙さはあっぱれだった。事故直後に担ぎ込まれた病院はあまり評判が良くなく、最悪の看護婦さえいたが、この掃除婦さんは一種の心理カウンセラーのようだった。
特に誰とはいえないのだが、多くの看護婦さんが叔母を支えてくれていたし、今現在も支えてくれている。叔母は「客」としてみた場合、かなりやりにくい相手であろう。*けんじ*が少しでも粗雑に扱われていると感じればすぐに文句を言う。そのせいで、対立した看護婦さんもいたようだ。そんな看護婦さんと徐々に分かり合えて(看護婦さんが譲歩してくれたのかも)、精神に異常を来すこともなく入院生活を送ることもできた。
退院した病院の看護婦さんが長野県への旅行がてら立ち寄ってくれたこともある。業務内ではないのに、介護に手を貸してくれたり...。頭が下がる思い出いっぱいだ。
2001年8月11日(綿)