加害者が*けんじ*とその家族に与えた苦痛というのがどれほどのものなのか、金銭的・精神的損害として列挙してみよう。
★おしゃべり息子がいなくなる
*けんじ*の家の家族構成は父母兄+*けんじ*。その中にあって、*けんじ*はムードメーカ的な存在だった。無口な兄に対し、末っ子特有の甘えを上手に発揮し、親兄弟を上手に結びつけていた。そのムードメーカーぶりは家族の中に留まらず、親戚にも向けられた。成長して疎遠になりがちないとこの間を渡り歩いて、あるときは弟として、あるときは兄として、あるときは友達として付き合う。
そんなムードメーカーが物言えぬまま、寝たきりの生活になった。
家の中にはつけっぱなしのテレビの音しかしなくなった。
★兄弟
*けんじ*はお兄ちゃん子だった。親の言うことを聞かなくとも、兄の言うことは絶対だった。もちろん小さな頃は激しい喧嘩もしていた。しかし、五歳という年齢差は兄を尊敬させるのに十分だったようだ。兄には一目を置いていた。また、兄の方もめったなことでは弟を叱り飛ばすこともなく、例え受験勉強中に部屋に入り込んで漫画を読んで笑い転げていても部屋からたたき出すようなことはなかった。そんな兄弟から兄弟として過ごす時間は奪われた。兄は弟の介護をしている。*けんじ*の髪をなでる姿をみるにつけ、この二人から兄弟の生活を奪った加害者の不注意を責めずにはいられない。
★友達
これは、本当には奪われていないのかもしれない。事故から何年経っても、高校の友人や小中学校の担任が訪ねてきてくれる。いつまでも忘れられないということは家族にとってもうれしいことだ。しかし、一番充実しているであろう高校〜20代前半の青春期を*けんじ*は失ってしまった。友達を作ったり、どこかに遊びに行ったり、バカ騒ぎをしたり。若いころにしか出来ないことというのは確かにあるはずだ。*けんじ*と同世代の若者が立派に成長していく姿を見るたび、その姿を*けんじ*に重ねずにはいられない。
★平穏な生活
*けんじ*が事故に遭って以来、*けんじ*の家族に休日はない。入院していても、自宅に居ても、気が休まるときはないのだ。ちょっとした気の緩みが*けんじ*の命取りにさえなりかねない。普通の家のように、平穏な家族団欒の中で語る将来の夢--そんな日は、あの事故以来全くなかった。平凡だけれど平穏な将来を想像するのには過酷すぎる現実が目の前にあるのだから。
★ずばり”金銭”
もちろん金銭の一部は支払われた保険金で賄われる。しかし、賄われるに過ぎない。事故が起きなければ、*けんじ*は今ごろ就職し病院とは無縁の生活を送っていただろう。他の家族もそれぞれが働き、それなりの給料を受け取っていたことだろう。しかし、実際には今働いているのは叔父だけ。*けんじ*は寝たきり。収入はなく医療費が出て行くばかり。叔母と兄は交代で介護。保険金の内訳を見れば本来「++」で現在「−−」であるものに対し、「−」もしくは「−−」の部分のみ支払われているだけだ。結局半分ってこと?それも*けんじ*に関してであって、家族に対しては「慰謝料」と言う名目のたかだか大卒サラリーマンの初年度所得に見合う程度の金額が支払われただけだ。
★こころない言葉
事故直後の加害者の言葉「自分の息子をひいてしまったかと思ってなんてことをとびっくりしました」-->あんたの子供じゃなくて本当に良かったね。
事故後の話し合いを持ちたいとの電話に加害者の勤務先は
「全部保険会社に任せてある。これ以上電話してくると恐喝だと思うゾ」
息子が死の淵をさまよっている(それもお前の会社のせいで)親に対し、話し合いすら持たず、挙句逆脅迫ともとれる言い草。見舞金は壱万。なんの非もなく結婚式に呼ばれてしまっただけでもこんな金額は持っていくまい?子供じゃないんだし。持参した花は病院の売店(あくまでも売店、花屋ではない)で買った500円のカーネーション。いくら誠意は金じゃないといってもこれで誠意を感じることができますか?バカにするにもほどがある。
★★ 対して、加害者が受けた損害は? ★★
加害者はどれだけの損害を受けたのか?わたしが知る限りでは会社をくびになった。
家族を失ってはいない。友人を失ったかは知らない。兄弟を失ってはいなかろう。平穏な生活を失ったか?7年経っても心に事故を留めているようならば逆に立派であろう。金銭は?同じ痛みを受けろとまでは言わないが、被害者の痛みを理解できているのか?
わたし個人的には加害者本人より、あさはかな処置しかとれなかったS製菓の社長に問い掛けたい問題である。--言動から察するに、この社長は過去のことなんてきれいさっぱり忘れて娘も学校を無事卒業したことだろう。銀行の貸し渋りにでもあってなければね!--
わたしだけに限って言えば、加害者に対する憎みや怒りより、S製菓の社長に対する憎しみの方が深かったりする。直接手を下したわけではないが、その後の対応を聞くにつけ、この社長の下で働いていたのだからこの事故が起きたのでは?とさえ思ってしまう。わたしとしては長野県で楽しんで帰る人々がお土産としてこのS製菓の菓子を選択しない事を祈るばかりである。血塗られた菓子だからね。
2001年8月11日(綿)