北京緊急報告

私は200441日より2005228日までわずか1年弱の短い期間ではありましたが、中国の首都北京に出張と言う形で行ってきました。

この書を書き始めるのは414日ですが、折りしも中国では北京の日本大使館襲撃事件を初めとして、各地で反日デモが大々的に行われ、騒然としてきている今日この頃です。

中国の女性の友人から今日来たメールでは、すなわち彼女は北京に来る日本人個人旅行客やビジネスマンなどの現地での通訳、翻訳、ホテルの手配、オプショナルツアーの企画、おいしい中華料理店や日本料理屋さんなどの案内など幅広く仕事をしているのですが、“北京では新聞などでぜんぜん報道されていなくて、インターネットなどからの情報と逆に北京に来る日本人の人たちからの情報に頼っているとの事です。

何か非常に空恐ろしく感じられ、日本人の方々には来ないでくださいと断っているそうですが、皆さんキャンセルも無く、元気に北京の街角を闊歩している”、との事です。

私の意見では基本的に言うと、中国人はみな日本人のことが好きであり、仲良くしたいと思っています。たとえ、侵略の歴史があったとしても、改革開放路線以後、日本に追いつけ追い越せで中国はやってきました。

そのお陰で見違えるばかりに豊かな暮らしがやって来ているのです。

其れまでは、街角や家などは貧しいばかりでなく、とても汚かった。

今でも、北京の一角ではその名残がそのまま残っています。私が品質向上のための研修センターを作った所は“安家楼”と言って、まさしくそのような町でした。そこの一角の公衆トイレは特に汚く、そこだけは結局行けませんでした。

そのトイレを見ただけで吐きそうになってしまったのです。女性はそんなトイレでも皆さん利用しているのですが、なぜかポリバケツに水を入れてトイレに行くのです。たぶん汚物を水で流しているのでしょう。安家楼は商店街で特に建材店、自動車の修理工場、レストラン、美容院がとても多い町です。汚物がそこら中に散らかっている為、町全体が異臭で覆われています。でもなぜか女性は美人ぞろいで美容院の女性などは私が通るたびに手を振ってくれます。朝は結構パジャマ姿などで平気で街中に出てきて髪の毛を洗ったりしています。床屋に行くと1時間のマッサージ付きで日本円で200円です。其れも18歳のとてもかわいい子が丁寧に体を揉み解してくれます。

街角では昼間から大の大人がビリヤードに興じています。内部ではなく外部にずらっとビリヤードの台が20〜30台くらい並んでいていつも満員です。後、盛んなのは、将棋、麻雀とそれ以上にポーカーが大流行です。将棋は日本とは全然ルールが違います。但し、麻雀は日本とほとんど同じです。違うのはドラが無いことと捨てる時にきちんと並べて捨てないと言うことです。お金も1回1回ごとの清算で上がった人に50円位払います。

行きつけのスナックなどに行って、安家楼にいるなどと言うとあそこは一般の中国人でも寄り付かない所なのに良くいるね、本当なのと聞かれます。

そんな所でも、人の正確から言うと明るくて優しい町で私が日本人で彼らから見ると大金を持ち歩いていても危ない目にあったことは一度もありません。

ちょっと10年位前などでは、治安の悪い時期もあったかもしれませんが、今では地方に行っても中国は安全であると言うのが、私の印象です。会社ではタクシーは乗り放題でしたし、会社の生き返りは自動車の送迎付でしたが、私は大概はバスを利用していました。実はバスは危ないと言うことで利用しないように指示されていましたが、こちらも危ない目に会ったことは一度もありませんでした。日本人の駐在員は、すべて通訳付・運転手付と言うのが常識ですが私は出張の身なのでそんなな縛りも無かったお陰でかなり自由に中国人の人々と付き合うことが出来ました。

通訳付・運転手付と言うとかっこいいかもしれませんが、これが一般の中国人には評価されていません。いつになっても中国語を話すことが出来ないので、一緒に飲んでいても面白くないと言われます。だから、通訳付の公式の場では契約などが決まれば楽しそうなのですが、通訳無しの非公式には全く一緒にわいわいがやがや飲み食いしたりは顧客のみならず中国人の多くの部下とも出来ないので、良好な友好関係は築けないのです。

その点私は大変恵まれていたのだと思います。4月1日からの赴任でしたが、実はその前の年のすなわち2003年の10月中旬には中国行きの内示を受けていました。それで事前に中国語を勉強することが出来たのです。

私は1950年生まれなので2003年には53歳でした。入社以来多少英語も出来たので海外転勤希望でした。女房との結婚は英会話学校で知り合いました。彼女も海外希望でプロポーズの言葉は、“一緒に外国に行こう!”でした。しかし、海外行きのチャンスは巡って来ないまま、この年になっていました。打診を受けたときは二つ返事でOKをしました。その理由は、2000年に中小企業診断士の試験に合格してその資格を持っていたのですが、そのほかの国家資格でもある弁護士や公認会計士・税理士などの比較して、診断士の仕事の定義もあいまいなために、一言で言って仕事が無いと言うのが通り相場でした。それで、独立開業するなどとは思っても見ませんでした。

しかし、2000年から中小企業基本法が改正され、中小企業診断士制度も同時に改正され、今まで官庁が自ら行っていた企業診断を民間の診断士にも開放し、仕事の機会も多少なりとも増えて行くとの事でした。さらにその上に、中国のことを多少なりとも知っていれば独立にとても有利ではないかと考えました。

別に会社を辞めなくても良かったのですが、多少なりとも人生最後の挑戦をしてみたいと感じていました。

中国語の勉強の話に戻りますが、2000年は4月から10月まで実はイタリア語を猛勉強していました。トロイ遺跡の発見者のシュリーマンの言葉に“外国語はたった6ヶ月間で覚えられる。そのこつは基本表現を丸暗記する事である!”と言う言葉に触発され、チャレンジしたのでした。2000年の初頭にシュリーマンの伝記を読んだのですが、その頃には相当イタリアの歴史について造詣を深めていて、残るはイタリア語を話せないというのが大きな課題だったのです。何故シュリーマンの伝記を読んだのだといえば、イタリアの歴史をさかのぼって行けば、ローマ市の創設は紀元前769年頃にロムルス・レムスの兄弟が作ったと言うのが有名な話です。更に遡れば、そのローマあたりの一帯の人々はトロイの陥落の時にトロイの王子のアエネアスが一段を率いて落ち延びて来てたどり着いたのがそのローマの辺りだと言う事なのです。勿論伝説上の話なのですが、イタリア人を見るとオリエンタルな顔をしている人も多く、ありえる話でもあります。

ですから、私の語学学習と言えば、もっぱら暗記重視型です。でも、暗記するのが大変難しい。近道は一度とにかく面倒でも基本文は筆記することです。それで暗記をすれば、確実に覚えられます。基本表現はもっぱらNHKのラジオ講座です。毎日夜の11時15分から11時35分です。毎日はなかなか聞けないので、CDを必ず買って満員の通勤電車の中で聞いたりもしていました。実際に話してみなければどうにもならないので駅前留学NOVAに毎日40分1レッスン位受けていました。NOVAのイタリア語は実は駅前留学なのですが、お茶の間留学でもありました。なぜならば、教室で受けた授業はテレビレッスンなのです。生の授業のほうが面白い、だから非常に不満でした。でも上達するにはテレビレッスンでも生の授業でもそんなには変わらないと思います。正直言ってそんなに好きではありませんでしたが、時代の潮流として、テレビレッスンもどんどん増えてきています。

6ヶ月経ってイタリア語もある程度話せる様になって来ていたので、中国語も6ヶ月も勉強すれば、何とかなるだろうと軽い気持ちでした。

この期待は完全に裏切られました。イタリア語であれば、アルファベットを見ていれば、発音ができます。イタリア語はすなわちローマ字なので大概は日本流に発音していればよかったのです。しかし中国語は漢字です。意味はなんとなく分かっても発音がどう発音してよいのか分かりません。中国語の発音記号は“ピンイン”といってアルファベットで表記されていますので、完全なローマ字式の発音とは表記方法がちょっと違いますが、何とか分かります。でも、そのピンインを使えればよいのですが、NOVAの授業では教科書にピンインが初めから掲載されていないのです。これには参りました。中国語は発音が勝負なのでテレビでただ話すだけでは全くだめです。その日発音を勉強した言葉が、次の日に他に先生に話したら全く通じません。人が変わるたびに全く通じないのです。話せば話すほど通じなくなってきて、自信を失ってしまいます。

最初レッスンで通じたのに何故回を重ねるごとに通じなくなってくるのか不思議でしょうがありません。あなたの仕事は何ですかと先生に聞かれて建築の仕事ですと答えるときに建築の発音はカタカナで言うと、

“ゼェンズュー”(42声)と答えていたのですが、1年間北京で勉強してようやく通じるようになってきたのですが、正確には“ジィエンジィュー”(4声4声)でした。

NOVAでは教科書がピンイン無しであったので正直不満です。日本人が学習するときはピンイン付の教科書がいいと思います。中国人の先生の中にはピンイン学習は不要だとする先生もいますが、其れは中国人のネイティブな人だからピンインが無くても感覚的に分かるのであって、全く初心者の日本人ではピンイン付の教科書を使うのがいいと思います。

それやこれやでNOVAでの学習は教科書の漢字を辞書で一語一語ピンインを調べて学習していったので、時間をかけた割にはさっぱりでした。漢字を辞書で引くのは部首で引くのですが、とにかく骨が折れます。すぐに見つかればよいのですが、30分かかっても見つからない時が良くありました。大概あきらめてしまうのですが、そんな折にサクラヤで見つけたのがCANONの電子辞書でした。これは優れもので手書き入力が出来るのです。ですからすぐにお目当ての漢字のピンインがわかります。また、発音もスピーカーが付いていてくれるので大変お得です。私が中国語を上達できたのはこの電子辞書のお陰でもあります。CANONさんありがとう!

ところで中国に赴任早々の時の私の中国語は、全く通じないで恥をかいたことも数多くありましたが、全く中国語を話せない日本人が多い中、非常に好意的なものでした。

逆に日本人の社員からは下手な中国語など喋らない方が良いなどと陰口をたたかれたりもしました。

北京に来て驚いたのは、中国人の社員は日本語がぺらぺらだと言うことでした。私の赴任したのは北京の営業所でした。工場だと何百人と社員はいるのですが、営業所なので1名の日本人の所長と私それと14人の中国人でしたが、日本語がぺらぺらなのが、7名いました。片言話せるのが3名で全く話せないのは4名でした。

業務上の標準語は日本語でした。