■■  酒井忠晴  ■■

年齢(年数) 36歳(18年目)
出身地 埼玉県
経歴 修徳高−中日ドラゴンズ(1989〜1985)−千葉ロッテマリーンズ(1986〜2002)−中日ドラゴンズ(2003〜2004)-
東北楽天ゴールデンイーグルス(2005〜)
呼称 酒井さん、メジャー級
生年月日 1970年6月21日
血液型 B型
身長/体重 177cm/78kg
投打 右投右打
ドラフト 1988年 5位指名
2005年推定年俸 2,750万円(+1,250)
ポジション 内野手(二・遊・三)
初ヒット 1990年4月30日対広島東洋カープ(畝投手)広島市民球場
初ホームラン 1998年4月30日対オリックスブルーウェーブ(星野投手)千葉マリンスタジアム
初サヨナラ打 1991年10月15日対広島東洋カープ(片瀬投手)ナゴヤ球場
家族 夫人、2男
趣味/特技 読書/ゴルフ
愛車 アルファード
座右の銘 Believe in Yourself (自分を信じて)
FA所得 1999年
寸評 打球が難しければ難しいほど、何食わぬ顔で軽く華麗に捌く天才的かつメジャー級ディフェンスを誇る守備職人。
打球に対する嗅覚、グラブ捌き、捕ってからスローイングに入るスピード、どれをとっても超一流だが、特に手首の
スナップの柔らかさは特筆すべきもので、芸術的な逆シングルとバックトスは必見。
これらの技の数々は試合前の守備練習だけでも十分堪能することができる。
常人離れのプレーにも関わらず軽く捌いてしまう故、その凄さが伝わらない事もしばしば。


共にマリーンズでプレーして、メジャーでも2000本以上の安打を放ち、守備でも定評のある超一流メジャーリーガー
Julio Francoに「メジャーでも通用する守備。連れて帰りたいね」と言わしめた逸話は有名。
また他球団の選手、コーチからも「守備の上手い選手」として必ず名が挙がる。


打球を体の正面で止めにいかずシングルハンドで捕りにいくスタンスは、正直「堅実」とは言い難い。
実際、失策も多いが、これを「雑なプレー」と言われるのを当人は最も嫌う。
「捕って、投げてアウトにするのが1つのプレー。だから正面で捕るよりもシングルハンドの方が次の動作に移しやすく、
1つでも多くアウトを取るためには理に適っている。それを雑なプレーと言われないためにも無失策を目指す」と語る。
イージーな打球に対しての凡ミスも多いがこれは愛嬌ということで(笑)

また、時たま見せる怠慢プレーや無気力プレーに反感を買うこともあるが、これも個性ということで(笑)
足は驚くほど遅く、ゲッツーも多い。
バントはそつなくこなし、成功率も高く、上手さとしては「中の上」ぐらいだと思われる。



■■  年度別成績  ■■


年度 チーム 背番号 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 得点 犠打 犠飛 三振 四死球 併殺 失策 盗塁 打率 推定年俸
通算 - - 1027 2081 517 95 11 12 181 194 117 11 369 153 52 62 13 .248 -
2006 東北楽天 0 2,750
2005 東北楽天 0 105 278 71 7 2 4 31 27 5 2 42 11 5 6 2 .255 1,500
2004 中日 49 ファーム - - - - - - - - - - - - - 6,100
2003 中日 4 16 17 5 1 0 0 1 2 1 0 5 0 0 1 0 .294 6,100 (2年契約)
2002 千葉ロッテ 4 62 188 49 11 0 1 17 20 10 0 40 12 5 2 0 .261 6,100
2001 千葉ロッテ 4 125 372 99 15 0 3 34 28 18 2 58 29 17 7 0 .266 4,800
2000 千葉ロッテ 4 106 271 60 11 2 1 29 23 19 3 41 22 7 7 1 .221 5,200
1999 千葉ロッテ 4 106 307 81 14 5 2 28 27 19 1 62 23 8 17 0 .264 3,400
1998 千葉ロッテ 4 98 183 45 18 0 1 18 18 15 2 35 17 2 3 1 .246 2,700
1997 千葉ロッテ 4 52 76 18 7 1 0 8 5 2 0 15 5 1 2 2 .237 2,700
1996 千葉ロッテ 12 68 98 22 4 1 0 5 13 8 1 14 7 3 5 4 .224 2,300
1995 中日 49 54 58 15 2 0 0 2 6 1 0 8 4 2 3 1 .259 2,100
1994 中日 49 66 45 9 2 0 0 0 7 3 0 9 6 1 0 0 .200 1,450
1993 中日 49 51 28 5 1 0 0 2 2 6 0 6 4 0 4 0 .179 1,500
1992 中日 49 74 125 33 2 0 0 5 10 9 0 27 10 0 3 1 .264 900
1991 中日 49 40 29 4 0 0 0 1 6 1 0 5 3 1 2 1 .138 430
1990 中日 49 4 6 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 .167 360
1989 中日 49 ファーム - - - - - - - - - - - - - .252 360



■■  年度別守備成績  ■■


年度 チーム ポジション 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 順位
通算 - 一塁手 1 1 1 0 0 1.000 -
二塁手  344  542  807  18  176  .987 -
三塁手 319 118 351 22 34 .955 -
遊撃手 269 218 400 16 97 .975 -
2003 中日 二塁手 2 0 0 0 0 - -
三塁手 4 1 3 0 0 1.000 -
遊撃手 9 3 10 1 1 .929 -
2002 千葉ロッテ 二塁手 47 76 116 1 29 .995 -
三塁手 19 7 19 1 1 .963 -
遊撃手 4 6 3 0 1 1.000 -
2001 千葉ロッテ 二塁手 107 208 310 7 65 .987 C
三塁手 28 7 15 0 2 1.000 -
遊撃手 1 1 0 0 0 1.000 -
2000 千葉ロッテ 二塁手 91 177 248 6 55 .986 B
三塁手 18 9 11 0 1 1.000 -
遊撃手 2 0 1 1 0 .500 -
1999 千葉ロッテ 二塁手 9 16 18 2 6 .944 -
三塁手 91 46 150 14 13 .933 C
遊撃手 6 11 24 1 7 .972 -
1998 千葉ロッテ 二塁手 33 46 71 0 15 1.000 -
三塁手 49 13 37 3 3 .943 -
遊撃手 22 28 44 0 8 1.000 -
1997 千葉ロッテ 一塁手 1 1 1 0 0 1.000 -
二塁手 2 0 0 0 0 - -
三塁手 45 15 59 2 6 .974 -
遊撃手 3 1 2 0 0 1.000 -
1996 千葉ロッテ 二塁手 9 1 3 0 0 1.000 -
三塁手 6 1 2 0 1 1.000 -
遊撃手 45 42 87 5 21 .963 -
1995 中日 三塁手 26 7 27 1 2 .971 -
遊撃手 29 11 37 2 8 .960 -
1994 中日 二塁手 4 1 1 0 0 1.000 -
三塁手 6 3 1 0 0 1.000 -
遊撃手 55 33 49 0 16 1.000 -
1993 中日 二塁手 1 0 0 0 0 - -
三塁手 26 9 27 1 5 .973 -
遊撃手 20 4 10 3 2 .824 -
1992 中日 二塁手 11 3 7 0 1 1.000 -
三塁手 1 0 0 0 0 - -
遊撃手 59 67 118 3 28 .984 -
1991 中日 二塁手 27 14 32 2 5 .958 -
遊撃手 11 8 11 0 4 1.000 -
1990 中日 二塁手 1 0 1 0 0 1.000 -
遊撃手 3 3 4 0 1 1.000 -



■■  勝手に評価  ■■


2006年 開幕前

■総合
故障も癒え、キャンプ、オープン戦を順調にクリア。
新たなスタートは自身2度目の開幕スタメンから始まった。
開幕戦でいきなり2安打を放ち歴史的1勝に貢献。
連戦連敗のチームの中で安定した打撃と老練なショートの守備でチームを引っ張った。
6月に阪神から沖原が移籍してくると守備はセカンド、サードが主体になるが、
与えられたポジションをそつなくこなして田尾監督の期待に応えた。

初めての試みの交流戦の読売戦では2本のHRを放ち全国にアピール。
また古巣の中日戦、千葉ロッテ戦では無類の勝負強さを見せた。
7月19日のヤフードームでのソフトバンク戦では目標としていた1000試合出場を達成(404人目)。
9月25日のフルキャスト宮城での千葉ロッテ戦では加藤投手から自身最多の4号本塁打を放った。
そして1-2軍の入替えが激しかったチームの中で藤井捕手とただ2人の全試合ベンチ入りを果たした。
契約更改では年俸が1500万から2750万までアップし「自分の予想以上に上がったのは初めて」と喜んだ。

しかしオフに待っていたのは田尾監督解任、野村新監督招聘だった。
またチームも当然のように内野陣を補強し尚一層ポジション争いが激化。
昨年のようにゼロからのスタートを余儀なくされた。

ここで頭をよぎるのが一昨年の中日の監督人事。
あの時はケガで出遅れたことが響いたが、二の舞にならないことを願いたい。
攻守共に安定した酒井さんはチームにとってまだまだ必要な存在。
目標は40歳現役!

2005年 開幕前

■総合
ドラゴンズ移籍1年目の大半は故障との戦いに費やしてしまい多大な期待を裏切ってしまった。
オフを迎えて来年こそという矢先に球団は落合新監督を招聘。
チーム大改革の一環として行われた背番号シャッフルの餌食になり、
長年親しんだ4から49への変更を余儀なくされた。
また全員参加の方針だった秋季キャンプを故障の治療に充てるために辞退。
ナゴヤ球場で一人きりの秋季キャンプとなった。
しかしそれ以降の使われ方を見ると、
これが落合新監督からの印象を悪くしてしまったのではないかと邪推してしまう。

公式戦が始まり故障も癒えて2軍でも試合にも出られるようになり徐々に調子も上げてきた。
しかしいつまで経っても上から声がかかることはなく2軍暮らし。
試合にも出たり出なかったりを続けているうちに成績は下降。
9月には若手を使うという2軍の方針もあって出場ゼロ。
ウエスタンリーグ優勝、ファーム日本一に貢献はしたものの、
結局ルーキー時以来の1軍不出場に終わった。

オフに待っていたのは事実上の戦力外通告。
背水で挑んだトライアウトで新球団東北楽天の田尾監督の目に留まり楽天入りが決まる。
名目上、恩着せがましく無償譲渡ということになっているが、
実質的にはトライアウトで認められてのテスト入団。
6100万の年俸は1500万までダウンしたが本人は「野球が続けられる喜びが大きい」と語る。
背番号はゼロからのスタートという意味も込めて0を選択。
「一度は死んだ身」
杜の都仙台に骨を埋める覚悟で挑む。
故障に泣かされて悔しかった3年間の思い全てをぶつけてほしい。

2004年 開幕前

■総合
ケガに始まりケガに終わった2003年。プロ入り後、最悪の結果となってしまった。

「新天地で早く認めてもらおう」の一心で15年目のシーズンに挑んだが、オープン戦突入早々に右ふとももを痛めて
リタイヤしてしまい開幕は二軍スタートとなった。
ナゴヤ球場で黙々と調整を進め、5月上旬に二軍戦に出場できるまでに回復。
まだ全快と言える状態ではなかったがチーム事情により急遽一軍に合流。
結果的にはこれが悪かったように思われる。

傍目から見ても思うように動くことができず、初スタメンとなった5月6日本拠地ナゴヤでの対阪神戦では
なんでもないショートライナーを弾いてしまい評価はガタ落ち。
得意のセカンドなどでは好プレーを見せるも、1度見せてしまった悪いイメージは拭えなかった。
状態が悪いなりにはバッティングは調子良く、出場試合が少ないとはいえ打率.294、唯一の見せ場だった5月11日(東京ドーム)
の対読売戦では代打で決勝スクイズ(記録は内野安打)を決めた。
しかし不運は続き、足の状態が思わしくない上に右ひじを痛めてしまい6月3日に登録抹消。

年内の復帰は諦めて手術に踏み切る。
なんとか手術は成功し来季に向けてリハビリに励む中、自軍監督は山田久の休養から佐々木代行、そして落合新監督に。
また読売からの引退を撤回した川相が入団とめまぐるしく環境が変化した。

沖縄秋季キャンプでは新監督にアピールをしたいところだが強い決意を持って辞退し、ナゴヤ球場での孤独なキャンプを選択。
「色眼鏡では見ない」と宣言していた新監督だが、自ら獲得した川相は特別待遇と早々の公約違反。

年が明け、地道なリハビリを続けた結果ケガは癒えたものの同位置のスタートラインには立たせてもらえず、
とても公平とは言えない苦しい立場に立たされてしまった。
ライバルは多いが、腐らずに己を磨き続けることができればきっと道は開かれるはず。
去年果たせなかった1000試合出場(あと78試合)はあくまで最低目標。
選手生命を賭けた酒井忠晴の16年目の戦いが始まった。

2003年 開幕前

■打撃
自身初の開幕スタメン初打席で松坂からヒットを放ち、幸先の良いスタートを切った。チームが開幕11連敗とドロ沼に陥っ
ている中でも徐々に調子を上げて、4月16日には打率.368、パ・リーグ第2位の高打率で自身初の規定打席に到達。
しかし4月末故障発生で登録抹消。7月に復帰後、なかなか調子が上がらなかったが、8月7日の福岡ダイエー戦では
佐久本からバックスクリーンへの特大1号ホームランを放ち、復調を感じさせてきた。
が、好事魔多し。2度目の故障発生で再びファームへ。
そしてオフに中日に移籍。守備を期待され、またドラゴンズファンの中でも「守備の人」「ひ弱なバッティング」というイメージ
が先行するが、守備要員ばかりで甘んじず、マリーンズで成長した力強いバッティングで打撃もアピールし、実力でセカンド
レギュラーを奪取する!

■守備
昨年はケガに泣いた1年だった。開幕戦こそ自身初の9番セカンドでスタメン出場を果たしたものの、4月末に左ふくらはぎ
を痛めて登録抹消。早期復帰を焦って再発させてしまい、結局2ヶ月の長期離脱を余儀なくされてしまった。
7月に復帰後は同じくケガから復帰してきた小坂との絶妙なコンビで鉄壁の二遊間を築いてきたが、8月末に再度故障発生。
守ることもできなくなり9月には2度目の登録抹消。
そのままシーズンオフを迎え、11月には中日・波留とのトレードで8年ぶりの古巣中日へ移籍。FA権を買い取るという形で
2年契約の好待遇で迎え入れられ、スーパーサブとして期待されているが、ベテランとしてチームを牽引し、またセカンドを
荒木から奪い取る力は十分備えていると思います。
順調にキャンプを消化し、いざオープン戦という時に右ふとももを故障してしまい戦線離脱。開幕1軍は絶望的に。
一刻も早く「ニュー酒井」の華麗な守備をドラゴンズファンに、そしてセ・リーグで見せてもらいたいものです。

■走塁
基本的に鈍足な上、足に爆弾を抱えている以上、大きな期待はできません。
故障だけには気をつけてもらいたいと願う。


2002年 開幕前

打撃
実は大器晩成型?と思わせるようなここ数年の打撃の成長ぶりには目を見張るものがある。
自ら語っているようにレギュラーに対する欲が出てきたことから、バッティングに対する意識も変化したようだ。
昨年6月には16試合連続安打、打率4割で月間MVPも狙える活躍を見せ、最終戦にはサヨナラHRの離れ業で
2度のお立ち台を経験した。
しかし打順が9番から2番に上がると何故か打てなくなるというジンクスや、センター返しを中心にしたバッティング
ゆえ併殺も多く、初芝に次ぐチームワースト2位の不名誉記録も残してしまった。
だがチーム1、2位を争う正確なバント、センターからライトへの鋭い当たりに加え、引っ張って長打も打てる力強い
バッティングも備わった。

今年はベテランとしてチームを牽引しつつ、レギュラーの座を確保し、昨年数打席足りなかった規定打席に再挑戦!
■守備
小坂と組む二遊間はパ・リーグ、いや球界bPと言われているのは周知の通り。しかし年齢からくるものか、パワー
アップを図った
代償か、以前の軽やかさからは幾分か離れてしまった感はある。
それでも根本のプレーのレベルは高く、陰りを見せず円熟味を増している。
そして我々を魅了し、唸らせてくれる。渡辺正人との差はまだまだ大きくかけ離れているのも事実。
松本の引退でセカンドの地位は堅いが、これに奢らず精進してもらいたい。
最大の目標は勿論ゴールデングラブ賞!
■走塁
まずは目標1盗塁!


2001年 開幕前

■打撃
昨年はスタメンも減り、不振でバッティングフォームを変えるなど試行錯誤でした。
今季はサブローがセカンドコンバート、初芝サード固定、渡辺正人の急成長と、ますますスタメン争いは厳しくなりそう。
(堀幸一は外野コンバート?)
やっぱり小坂の風邪待ち?(苦笑)

■守備
セカンドサブロー、サード初芝ではまだまだ終盤の守りには不安が残る。
そんな時に頼りになるのは、やはり酒井さんの天才的守備。
やれ、一時の切れはないとか陰口も叩かれるがまだまだ健在なのは昨年の 数々のスーパープレーを見れば明らか。
今年は堅実さを増した華麗な守備を期待してます。もちろん目標守備率100%!

■走塁
なにも期待してません。 まー、足が速いわけでもないしねー(苦笑)。
とりあえず足を引っ張らない程度で・・・。

2000年 開幕前

■打撃
昨年は和製ボーリック打法で一時期3割をキープし、「恐怖の9番」と言われ シーズンを通して大活躍。
現役過去最良の1年だった。

意外にも長打が多く、2塁打14、3塁打5は立派な成績。

石井の入団などでバッティング機会は減るだろうが勝負強さは維持してほしい。
■守備
昨年はパリーグの失策王。(あくまで苦手なサードでの記録だが)しかしこれも名手ならではの勲章!?
現に小坂も失策多いし・・・。
今や誰もが認める守備職人。
今年はスタメンより弱小内野陣を締めるべく終盤での出番が増えそう。
チームが求めていることをソツなくこなす・・・そんな頼られる選手になってほしい。
■走塁
おもしろいほど走りません・・・。
もうちょっと積極的になってもよいのでは?
ブレイディー追い越し事件(奴が悪い)、緩慢タッチアップなど、走塁に関しては良いネタが浮かんできませんねぇ・・・。



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