荷田全集第一巻、官幣大社稲荷神社編集兼発行、吉川弘文館、591頁、1928、12.30
(472)萬葉集卷第二童子問(【原本、乙、三と有】) 〔童子問は春滿著、入力者注〕
柿本朝臣人麿從石見國別妻上來時歌二首【并短歌】
童子問 麿の字は和字歟。漢字歟。
答 漢字にあらす。和字の誤字也。今は俗字にもなりたりと云へき歟。もと麻呂の二字を心得違へて麿に作れる也。神木を榊に作り、田鳥を鴫に作れる類ひとしるへし。
131 石見乃海角乃浦廻乎浦無等人社見良目
童子問 浦無等人こそみらめといふ句義は、いかなる意にや。
石見の海に浦有潟有ことは、人麻呂住たまへはよく知りたることをいへり。作人は浦も潟も有事をしるへからねは、浦も潟もなしとや見るらめとも、浦も潟も有といへるは、人麻呂の妹有ことをいはん爲なり。旅人となりて獨海路に赴けるを、人は妹もなしと社みるらめとも、妹ありて意に忘たかたきよしをいへる也。
滷無等【一云磯無登】人社見良目
童子問 浦又潟なとをいへるに意有や。
答 強て意有へからす。浦は船の風に隱るゝ所をいひ、潟も陸に近きなれは、船のよるへ有所をいふ意にて、只海邊の名をあらはすのみなるへし。
童子又間 小書に一云磯無登と有注は、撰者の注とみるへき歟。後人の注とみるへきや。
答 古注者の注とみるへし。後人の傍注にてはなし。
能嘆八師浦者無友縱畫屋師滷者【一云磯者】無鞆
(473)童子問 嘆の字をゑとよむ義有にや。
答 嘆は誤字也。咲の字を書誤りたる也。咲はゑむとよめは、ゑと計もよむ也。おくに嘆の字を咲に誤りたる所もあり。嘆咲は烏焉の誤り常の事也。
童子又問
中原本壹貳枚缺 (校訂者補)
鯨魚取海邊乎指而の解の中 (校訂者補)
いさやまといふことし。魚は是なり。日本紀を見るに、魚鹽地これをなしほの所といふ。又此集第五卷歌云、たらしひめかみのみことのなつらすと、みたゝしせりしいしをたれみきといへり。なつからすと云釣魚也。しかれは勇不知兩種は假宇也。鯨魚これをいさなと和する事は、鯨魚は洋中の大魚其氣力最勇健也。然れはこれをいさと和すは義讀也。次に又第十七卷歌、昨日許曾敷奈位婆勢之可伊佐魚取比治寄乃奈太乎今日見都流香母、此歌中の五文字これをいさことると和す、すこしき相かなはす、これをいさなとると云へし。漁父の渉行泥州故に、いさなとりひちきのなたと諷詠する也。
抑伊佐奈登利之詞、以v何爲v證者、※[手偏+僉]2日本紀1曰、雄朝津間稚子宿禰天皇十一年春三月癸卯朔丙午、幸茅淳宮衣通姫歌之曰、等虚辭陪邇枳彌母阿閇椰毛異舍儺等利、宇彌波摩毛能余留等枳等枳弘時、天皇謂2衣通郎姫1曰、是歌不可聆佗人皇后聞必大根故時人號濱謂2奈能利曾毛1已上、いさこのことはをよめる歌をみるに、おほくはいさなとりうみとつゝけたり。是則捕v魚義なるか故に、鵜の字を諷頌する歟。いさなとりの詞義理大旨如v此也。難していはく不知勇魚なとかける所を、いさなと和せんや。如何答云、如v此字訓こゑにしたかひ、所にしたかひ所にしたかひて和しかふることは常のならひ也。然るに鯨魚とかけるところをくちらと和せは、そのことわりさらにあひかなはす。さきにいふかことく鯨鯢者大魚也。何漁父浮2蒼海之浪1輙捕v之乎。次(474)に又そのことはを近江の海によすへからす。かた/\そのことわりにかなはさるか故也。次に鯨字まさしくこれくちらなりといふにいたりては、如v此字訓或は隨2譬喩1或は依2義理1閣正訓用別和者以可v爲2風流1、假令鴨頭草これをつきくさといはゝ、才人なんそくちひるをかへさゝらんや。金風これをあきかせといふ。もし人かねかせといはゝ、文士さためてをとかひをとかむをや。今このくちらとるも又亦おなしかるへし。そのせうこなしと云ともかゝるへき也。そのうへくちらをいさといふなり。管見のともからは、たとひ疑雲をはらひかたくとも、博覽の人におゐては、いかにかかくみしらさらんや。壹岐國風土記云、鯨伏在郡西、昔有鮨鰐追鯨走來隱伏、故云v鯨伏鰐並鯨並化爲v石杳去一里俗云爲2伊佐1右仙覺抄の文なり。此説用ゐむ説にや。
答 仙覺くちらとるの誤訓を正していさなとりと改るは實により所あれは、古訓は非にて新訓は是なることたれか用ゐさらんや。且日本紀並風土記を引て、其儘を顯はせり。しかれともいさなとるといへるは、取の字にしたかひて、日本紀の字にしたかはされは、猶疑ひを殘せり。僻案は日本紀の歌の童子問に答てのへたれは、此の童子問にはもらす也。
童子問 和多豆乃荒磯乃上と云句は、何とて云出せるにや。
答 和多豆は伊豫國の津の名、すてに卷第一の歌にて注し置ぬ。今此歌に和多豆を詠出せるは、石見國をはなれて、伊豫國の熟田津まて海路をのほり來りての船中の作とみえたり。異義有へからす。荒磯の上も、熟田津の荒磯の上の玉藻を見て、おもひをおこせるなるへし。
香青生玉藻息津藻
童子問 香青生とはいかなる義にや。
答 香といふは必しも字の意によるへからす。發語の辭に香と用ゆる例此集にあまたあり。青く生たるといへは、歌詞には劣なり。よりて香青といひて、雅詞とはするなり。
童子又問 玉藻息津藻とは如何。
答 玉藻とは藻を稱して玉といふ詞をそへていふ。是も雅詞の例也。おきつもは瀛津藻にて、たやすく邊によりかたき藻と云事をいへる也。
(475)朝羽振風社依米夕羽振浪社來縁
童子問 此句意心得かたし。風の羽振といふ心如何。
答 此羽は風につき浪につきていふ詞には有へからす。藻につきて羽といふなるへし。羽は借訓にて、葉なるへし。古語に藻をもとのみいはす。おきつもは邊津もはなとゝいふことあれは、藻葉のことなる故に、玉藻息津藻あさ羽振と、つゝけられたるとみるへし。
童子又問 しからは藻葉に風にそよらめ波こそよらめといふことにや。
答 しからす。玉藻息津藻を風のよせめ。波のよせめとみるへし。ふるくよみ來れるはてにをはたかへるとみえたり。僻案にはあら礒の上に青やかなる玉藻或は息津藻を、朝夕にその葉を振りて風こそよせめ浪こそきよせともいふ句意とみる也。かせこそよらめ、波こそきよるとよみては、風のより波のよるになる也。風のよせ浪の來よせるとみれば、そのよるものは、香青なる玉藻おきつものよるをいふ也。されは羽といふは藻につく詞にて、風につき浪につく詞にあらすといふ也。
童子又問 朝羽夕羽もきこえ侍る。いまたふるといふ詞、その心得かたし。如何。
答 羽ふるは古語也。必藻にかきらす。人にもいひ鳥にもいふ詞とみるへし。その證には、古事記中卷に乘龜甲爲釣乍打羽擧來人遇于速吸門といふ古語あり。此初擧の二字はふりとよむ、此羽は鳥の羽とおなしく、人の衣服を羽とむかしはいへり。袖ふりはへてなと歌によむとおなしく、牲來周旋する時はおのつから袖の動く也。擧の字を古事記にかけるも、擧動の二字をふるまふともよむ義におなし。鳥の飛來りて鳥をも打羽ふりなくと歌によむ意也。ふりとふきとは通音にて、ふきともふりともかよはしいふ事常言也。よりて振字をふりともよみふきともよむ也。此集に山吹を山振とかき、日本書記に揮の字を、布絽とも布義ともよみ來たるをみてもしるべし。
童子又問 香青生とあれは、生は礒の上に生る藻といふことにもあらすや。礒上に生る藻とみれは、海邊を指てよるとみるへし。しからば礒は石地。石に生る藻をかきりて玉藻といふ歟。その義も有へけれとも、只玉は稱美しでいふ義はかりにて、礒上におふる玉藻ともあらはさもみるへき歟。香青生るとある詞は、青に在といふ詞にみる方まさるへし。しかれともこれはしひ(476)ていふへくもあらす。風社よらめを、風こそよせめ、波こそ來よるを浪こそきよせとよむ義は、藻のよると風浪のよるとのたかひ甚異なれは、論して正すへし。
浪之共
童子問 仙覺抄云、この句古點にはなみのともと點す。いまはなみのむたと云也。日本紀にみえたり。此集にもみえたり。古集にむかひて古語をそむくへからされは、むたと點する也とあり。これは古新の兩義いつれか是なるや。
答 むたといふ詞古語にもあれはこそ、此集の歌の詞にもみえ今は詠詞には用ひす。俗語にむたといふことあれと、日本紀にみえたりとは非也。此集にあれはむたといふ詞古歌の證あれは、古集にむかひて古語をそむくへからされはといへるは、さる事なれとも、共の字をむたと必よみ來れる正訓もみえす。共の字をあてなは義にかなふことわりあれはとて、此歌にはかなふへくもきこえす。古讀は波のともとよめるは、波の音といふ義によめるか。しからは次の句よみかへをしては句意かなはす。僻案にはなみしともと讀て、玉藻なすとおなし對句の樣によみたまへるとみる也。波しともにては之は、助俗のしとみて、彼縁此依といはん爲の訓とする也。
彼縁此依
童子問 此詞はいかにと解へきや。
答 此詞はかしこにこゝによりといふ義なるへし。されは波のかしここゝによる如く、玉藻のよることくといふ對句躰にみるへき也。
玉藻成
童子問 成とは如何。
答 如と云古語になす共なし共云也。如五月蠅図書て、さはへなすと讀を以ても知へし。成の字は借訓にて、字義には拘らぬ也
玉藻成依宿之妹乎【一本波思妹之之伎余手本乎】
(477)童子問 一云の小書數字は撰者の注にや
答 古注者の注とみるへし。
童子又問 次の句に連ねては、妹を置てし來れはといふは心得やすきに、一の妹之手本乎といひては、置てくるに義かなはすきこえ侍る。しからすや。
答 しかり、只一本の異詞を擧たるとみて、正句は大書をとるへき也。
露霜乃置而之來者此道乃八十滑母万段顧爲騰彌遠爾何者放奴益高爾山毛越來奴
童子問 露霜とはおきてといはん爲の冠辭歟。
答 しかり。
童子問 此道とは如何。
答 此道とは石見國より登り來る海路を云也。
童子問 益高の二字をますたかとよみ來れり。古語にや。
答 ますたかと云詞古例なし、いやたかにとよむへし。前の彌遠に彌高になり、彌と益との字を書かへたるまて也。
夏草之念之奈要而志怒布良武
重子問 夏草のおもひしなえてといふ詞のつゝき如何。
答 夏草のおもひとつゝく義にあらで、僻案には夏草のもひにしなえてとすむ也。おもひをもひとはかりも用ひ來る例、此集にあまたあり。されはにといふ助辭をくはへされは、しなえるといふ義きこえす。夏の日にあひては、諸草皆しなゆるか故に、日にしなえることく、打かたふきてつよからぬ物をいはんとて、夏草のもひにしなえてしのふらんとよめり。
妹之門將見靡此山
童子門 なひけ此山とはいつれの山を指にや。山のなひくへきにあらぬを、なひけ此山とよめることは、あまりなることに聞(478)え侍る。しかれとも人麻呂のの歌に、かくよむをよき事にするにや。
答 此山と指は、此道と上にいへると同しく、石見より登り來る道に有山を指て云へるとみるへし。反歌に高角山の名あれとも、此山は益高に山も越來ぬといへる、山々を指てみるへきなり。且なひけ此山といへるは、山のなひかぬことを、人麻呂おろかにてしらさるにはあらす。しかれとも妹をこひしたまふあまりに、山もなひきて妹か門をみせよとねかふ情は、切なる情の實なれは、是非をわきまへす、おろかによめる情の實なれは、これをよしとす、かの山の端にけていれすもあらなんとよめるも此情なり。戀歌哀傷述懷の歌には、皆此おもむきを實情とする也。
反歌
132 石見乃也高角山之木際從我振袖乎妹見都良武香
童子間 此歌は高角山の木際より、人丸の振袖を妹見つらんかとよめる歌にあらすや。しかれはなひけ此山とよめるも、此と指は高角山にあらすや。
後鳥羽院の御製にも、石見かた高角山に雲はれてひれふるみねを出る月影、とあれは、人麻呂わかれし妹を袖もてまねかれたるにや。妹かあたりもみん爲に、高角山に登りて、袖をふり給へるやうにきこえ侍るは如何。
答 反歌は長歌の意を三十一言にていひ述たるものなれは、長歌と同意趣なるを、長歌の意を得すして反歌のみをみては、歌の意見あやまることおほかるへし。おそらくは後鳥羽院も歌はたくひなき事なれとも、萬葉集はしろしめさす長歌の意もわきまへ給はすして、反歌のみを見たまひて、かの松浦さよひめかひれふりしたくひに、此反歌を心得させ給ひてや、此御製有なるへし。ひれと袖とも異也。此反歌は滿句の一躰にて、高角山に登りて人丸の旅行をしたふ妹より、木間よりみつらんとある歌也人丸袖ふり行をいもみつらんといひて、いかに高角山高くとも見えましきと、妹をいたはる心なるへし。長歌におもひしなえて吾をしぬふらん、妹か門を見むとおもへとも、山隔たりたれは、みるへくもあらぬによりて、此の山なひきて妹か門を見せよとねかひたる心に、なひけ此山とはよめり。然れとも此反歌のふる袖を、妹をまねく心にみることも害なかるへき歟。歌の意は人(479)丸のふる袖を、高角山の木の間より妹みつらんかとよめるには決すへし。
童子問 後鳥羽院の御製は、新後拾遺集に載られたれは、先達も皆人丸の歌を心得違へられたるにや。且新後拾遺集には、高つの山を高間の山とあり。是もあやまりならんか。
答 後鳥羽院の御製をたれ有てあやまりとみんや。されは新後拾遺集に撰み入られたるもことわり也。袖とひれとの差別なとは、万葉集の古歌なとを見しりたる人にあらすは、おなしことのやうに心得違へらるへし。且高間の山とあるは傳寫の誤か。御製は高角山を角の字と間の字と字形相似たれは、うつしあやまれるにてもあらんか。又は万葉集に角字を間の字にかきあやまりたるを、後鳥羽院御覽ありて、高間の山となされたるか。いつれにても角の字の寫あやまりとみれは、御製の違にはなるましき也。
133 小竹之葉者三山毛清爾亂友吾者妹思別來禮婆
童子問 仙覺抄は此歌の中の五文字古點にはみたるともと和す、いさゝか相叶はす。みたれともと和すへしとあり。古新いつれを是とせんや。
答 中五文字みたるともにてはてにをはかなはす。みたれとももことたらす。みたるれともならねはかなはす。されとみたるれともはことあまりてきゝやすからす。僻案にはまとへともと訓す。此集亂の字をまかふとよめる例すくなからす。
童子又問 此反歌長歌の詞もみえす。自餘の反歌の例にもたかへるに似たり。しかれとも此歌人々に有て名歌とするは、いかなる所をさして稱美する歌にや。
答 よきうたかひなり。中古以來の歌人万葉集を見すしらさる故に、人丸の歌といへは、皆名歌と心得てみたりに稱美するのみにて、歌のよしあしをみわくる所へは及はす。人丸の歌とさへいへは後人のよみたる歌をもほめあけ、歌のきこゆきこえぬにも及はす、たゝほめにほめて、其實なき事ほの/\とあかしの浦の歌のたくひあまた有事也。此歌も長歌にあはせてみる所まてはいたらす、みたりによみなしたるとみゆるなり。此歌かなつけの如くによみては、反歌にもならす、歌といぶ所見えぬ也是古學をしらす、長歌にあはせて反歌をみるならひもしらすして、よみたかへたるものなり。
(480)童子又問 此歌反歌にもならすと云へる所、もし海路の歌なるに、み山をよみたる所にてしか云へるにや。
答 いな、長歌に益高に山も越來ぬとあれは、その越行山をよめれは、山を詠るを反歌にならすといふへからす。凡反歌の長歌の言葉か、長歌の意をそむせて詠る例なし。此反歌にさゝの葉はみ山もさやになとゝいふ詞長歌に類せさるを云也。よりて僻案には小竹之葉者の五字をしぬの葉はとよむ也。これ長歌に、夏草のもひにしなえてしぬふらんといふ詞あれはしぬをよみ出て、下の句に吾者妹思と有にて、反歌にもなり歌にもなる也。小竹の二字を日本紀中にさゝと用ゐたる例もなし。皆しぬと用ゐたり。其證神代上云、篠小竹也、此云斯奴とあるをみてしるへし。此集の文字訓讀日本紀を本としてかけれは、日本紀を見ぬ人万葉集の文字をよむへからす。且清の字をさやとよみ來れり。尤清の字をさやかともさやけしともよむ、あまた例あれとも、小竹の二字をさゝとよまはさやともよむへし。小竹をしのはとよむときは、さやとよみては詞の義たかへり。よりて此清の字をすかとよむ證は、是も日本紀神代上に清地此云素鵝と訓注あれは也。且亂友をまかへともよむ意は、篠と管とは相似かよへは、篠の葉はみ山も管にまかへともといふを、衣の意にして、すかはきよき心なれとも、われは妹にわかれ來ぬれは、妹を思ふ心にきよからぬよし也。又案に清をすかとよますして、すゝしきを略してすゝとも用ゐたるか。すゝは薦にて、小竹と薦とは同類の竹と艸との異なる也。されはすゝ竹と云もの有。又しぬすすきといふ名あり。今此歌にては、しぬとすゝとを分て、しぬの葉はすゝにまかへともと云へるか。下の句は、とかくわれはいもしぬふとよますしては歌にあらす。小竹をよみ出して、下に妹しのふとあるにて、反歌ともなり歌といふもの也。しからすしてさゝの葉といひ、われは妹おもふとよみては、歌とみゆる所なし。歌は少詞のより所なくては、只平話のことになりて歌にならす。万葉集の文字よみたかへて歌を歌になさすしても、數百歳誤り來れるは、歌といふものをしらさる故也。
或本反歌
134 石見爾有高角山乃木間從文吾袂振乎妹見監鴨
童子問 此或本歌をあけたるは撰者の所爲歟。
(481)答 古注者の所爲也。撰者の所爲ならねは、此卷も自餘の卷も低書しても有へき事なり。
童子又問 右の反歌はさのみたかへる所もみえさるを、何とて古注者書載られたるにや。
答 撰者ならは是非を一決して載らるへき事なれとも、注者の所見にしたかひてはと載へき事にてもあり。且或本とあれは、一本の万葉集ありとみえたれは、是非は後人にゆつりて、異本の歌載加へたるもたすけによらさるにはあらす。前後の歌いつれを是とせむは、見る人の知見に有へし。僻案には或本反歌を是とす。監の字は濫の誤りにても有へきか。監にても意に違ひ有へからねと、けんといふとらんといふとには、歌によりて少意たかへる也。
童子又問 前の反歌と、此反歌といつれを是といふへき所もなきに、後の反歌を是とすとはいかなる所にや。
答 中の五文字、前の歌にてはこのまよりとならてはよまれす。後の反歌にては、この間よりとはよまれす、このまゆもとよむ所に少たかひ有か。第一句石見爾有と云句にて、異義出來ましけれは也。
135 角障經石見之海乃
童子問 仙覺抄云、つのさはふとは、つのなほかるといふなり。日本紀には多の字をさはとよむ、おほかるいはとつゝけんため也とあり。岩には角の多きといはむもその理り有へきか。如何。
答 石には丸きも有、方も有て必しも角おほしといふへからす。僻案の義有。是も日本紀の歌の童子問に答へたれは、此集にてはいはす。万葉集は末なり、日本紀は本地。本に明らかなれは末おのつからまとはす。後世の學者皆本をしらすして、末を論する故に本にたかへは事明らかならす。よりて万葉集を明らかにせんには、古事紀日本紀の歌を明かにして、後万葉集にわたるへし。万葉集明らめて後、古今集を見れは疑なきを、後人は古今集を傳授を得されは、歌學の本明かならさるやうに心得て、万葉集をもみす。况や日本紀古事紀の歌には目をわたす事もなきをや。よりて万葉集の難義とする冠辭等、日本紀古事紀等にみたるは此集の問に答へす。日本紀古事紀等の童子問に答訖ぬ。
言何敝久辛乃埼有伊久里爾曾
(482)童子問 仙覺抄云、言佐倣久とは言葉のさへらるゝ也。言葉のさたかにもきこえぬ心也。辛の埼は所の名なるへし。からのさきをいひ出んとて、ことさへくとは置る也。唐人のものいふ言葉のさきは、なにともきゝしりかたきによそふる也とあり。此説しかるへしや。
答、しかるへし。
童子問 仙覺抄云、伊久里爾曾とは、いは發語の詞、くりは石なり。山陰道の風俗石をはくりと云也とあり。此説しかりや。
答 しかるへし。山陰道の風俗のみにもあらし。日本紀の歌にもいくりとよみたまへること也。古語也。
深海松生流荒礒爾曾玉藻者生流玉藻成靡寐之兒乎深海松乃深目手思騰左宿夜者幾毛不有
童子問 此歌にては、靡寐之兒乎とあれは、妹のことにあらす。人丸の兒のことをよめるにや。
答 人丸妻も前妻後妻ありとみえ、子も有とは後々の歌にてしられたれとも、此長歌は兒息のことにはあらす。妹の事とみるへし。女のことを子とむかしはよむ、常のこと也、されは靡寐之兒は妹のことゝもしるへし。
延都多別之來者
童子問 はふつたをいへる意如何。
答 異義なし。つたかつらは本は一つにて、末はかた/\にはひわかるゝものなれは、別るといふ冠辭におけるまて也。此集第九卷にも、蔓都多乃各各向向天雲乃別石徃者とあり。
肝向心乎痛念乍
童子問 肝向心といふ詞心得かたし。或説に物おもひなけく時、肝と心とのふたつの臓をいたましむると云心也。むかふは對樣の心也。肝に對する心と云也といへり。此説しかるへきや。
答 肝心ともつらねていへは、むかふといふ詞ならは、對ふ義とならては解へくもおほへす。もし向の字異訓あるか。異義有かうたかひ殘れり。僻案には心の冠辭を村肝のといへは、肝向は村肝の顛倒にて、向は村の字の誤りとおほゆる也。猶正本を得て(483)疑を決すへし。心の臓、肝の臓等の説古義にはなきこと也。古語はむつかしき道理のおもしろきやうなることは一向みえす。皆誤字をしらすして牽強傅會の説出來るものなれは、肝は心に對といふ説も、古風の語意に異なれはうけられぬこと也。しる人しるへし。
顧爲騰大舟之渡乃山之
童子問 渡乃山は何國に在山の名にや。
答 所見なし。しかれとも長歌の詞につきて見れは、石見國の山の名にあらすして聞えす。いかにとなれは、下の詞に妹袖清爾毛不見とあれは、石見國を離れて、はるかに行かすしては妹袖石見といふへからす。されは石見の國の山とす。
黄葉乃散之亂妹袖清毛不見
童子問 散之亂の三字を、ちりのまかひとよみ來れり。此訓しかるへきや。妹袖清爾毛不見の七字を、いもかそてさやにもみえすとよみ來れり。是もしからんや。
答 散之亂の三字は、ちりしみたれにても有へけれと、此詞古語とみえて、ありのまかひちりのまかひといふ事あれは誤訓にては有へからす。散を塵とかよはして、塵のまかひといふへし。塵にかよはさすして、飛散のことのみにしては、ちりのといひかたし。且下の七字の訓は、不所見とあらは、みえすとよむへけれとも、不見の二字なれは、僻案の訓には妹かそてさやかにもみすと爲也。
嬬隱有屋上乃【一云室上山】乃自雲間渡相月乃
童子問 屋上の山並室上山何國に在山にや。
答 前の渡の山に准して、此山も石見國の山の名とす。
童子問 渡相月の三字を、わたらふつきとよみ來れり。此訓しかるへしや。
答 しかるへきか。うつらふ月ともよむへきか。月はうつりぬなとゝ、此集の歌にみえたる所あり。又夜わたるつきともよめは(484)わたらふ月も難有ましき也。
雖惜隱比來者天傳入日刺奴禮
童子問 天傳入日刺奴禮の七字を、あまつたふいりひさしぬれと、よみ來りたれとも句意心得かたし。或説に日は大空を傳ひ行心地といひて、夕になれは陰氣に感し、心ほそくなるなる躰をいふといへり。しかりや。
答 上に、自雲間渡相月乃雖惜隱比來者といふ句に對する句なれは、先達よみ來れる訓にては義不v通。訓の誤りなるへし。刺奴禮といふ詞もいはれす。句證も句例もなくて、みたりに訓すへきことにあらす。此七宇とかくに異訓有へし。
童子又問 先生賢按の訓はなき事にや。
答 なきにあらねとも、決めて僻案の訓を是ともおもはす。猶好訓有へしとおもへは、しはらくさしおく也。
童子強て請問 答強て問にはもたしかたし。天傳はあめつたふにて、雨ふらんことを示したるを、あめつたふといふか。其證此集にあめつたふひかさのうらといふ句あり。日かさは日笠也。日の笠をきれは、必三日の内雨ふるしるしといひ傳へたれは、雨傳日笠の浦とつつけたるなるへし。是を句證として、此天も雨傳の借訓なるへし。入日の二字は、虹といふか。日を入る方は西なれは、入日とかきてにしと用ひたるか。これにてはしを濁りかたき故に、西にはあらすして入日の字の音を用ゐたるか。しからは入日にの音呉音なり。日ハシツにては漢音なれは、これをいかゝとおもふ也。されとしらじといふを、しらにと古語に用ゐたれは、入日をににと呉音に用ひて、虹にならんや。此所いまた決せぬか故に、的當の案訓ともおほえされはもらしかねたり。しかれとも、入日をいりひとよみては義かなはす。刺奴禮はさしやつれなるへし。されはあめつたふ虹さしやつれにては、句意もきこゆへし。奴はやつことよめは、奴禮はやつれなるへし。虻も常言にさすといへは、虹さしやつれといふに難有へからす。是僻案の一訓也。
童子又問 入日さしは、上の句に對して相叶ふ賢訓なるへし。しかれともやつれといふ詞いまた心得かたし。如何。
成る所也。人麻呂官位有人とみえす。しかるを正三位なとゝいへる妄説とるにたらす。古今集の長歌にも、身はしりなからとよめる家稱にて、無位無官の人とみえたり。もし有位ならは、至極下位の人なるへし。されは旅行のやつ(485)れをよめる歌、此集中に見えたれは、かれこれを相考へて此句を解るに、虹刺奴禮は旅行の荷刺やつれたるとよめるなるへしかくみれは、天曇り雨を傳ふ旅行に、荷おもくさしやつれたれは、丈夫とおもへる吾もと、下の句へ旅愁の涙、襟をひたす感慨きはまりなかるへし。此僻案歌をしる人にあらすしてはかたりかたし。
大夫跡念有吾毛敷妙乃衣袖者通行沾奴
童子問 此歌にも大夫と有は誤字にや。
答 しかり丈夫に改むへし。
童子又問 敷妙乃衣といふこと心得かたし。或説に敷妙の衣の袖とは、袖をは枕にして常にぬるものなれはいふとあり。衣をしくものにも有へからねは、此説も心得られす。如何。
答 よきうたかひ也。袖をは枕にして、常にぬるといふこともいはれす。たとへといふは、荒妙和妙なといひて衣服の名也。拷の宇を用ひ來れり。拷は楮の字の誤りとみえたれとも、今更改めかたけれは、楮の誤字としりて、舊きにしたかふて、私に改めぬを故實を守るとする也。伊弉册の册の宇の類也。南の字の誤りとしりなから、册の字を通用する也。さてしき拷と云は、しきは稱美の辭にて、只拷といふまてと心得へし。敷の字義にはよるへからす。是も僻案には敷妙とかきてうつたへとよむ也。うつは稱美の詞なれは、しき妙うつ妙おなしことといふへけれとも、しきたへといふかな書をみす。布たへと書たる所あれは、布の字はしきとは訓へけれともうつとはよみ難しと難する人あるへし。それはうつたへにあらす。あらたへとよむへき也。荒妙を布をいへは也。是一僻案也。
童子又問 布拷をあらたへとす。義讀にてさもよむへし。敷の字をうつとよみたる證例ありや。
答 あり。令集解神祇令に古訓みえたり。
童子又問 仙覺抄にはしきたへとは、うちまかせは枕にこそいひならはしてはへれとも、此集にはしきたへの衣、しきたへの袖なととよめり。しきといふは、しけしといふこと也。たとへはほむること也。なれはつねにたへなりといはん詞には、なに事もいはれぬへきにや。たとへはとこめつらなといふことしと云云とあり。これも誤りなるへきか。
(486)答 しき妙の説先達の説々みなとるにたらす。只しきたへとよむ語例を求めて、可否をしるへし。かなつけの本にしたかひて古語有ときはむる事有へからす。うつたへといふ古語あまたあり。打酒打麻打ゆふその數つくしかたし。
反歌二首
136 青駒之足掻守速雲居妹之當乎過而來計類【一云當者 隱來計留】
童子問 青駒をよみ出せる義は如何。
答 その時の駒青かりし故なるへし。赤駒とよめる歌もあり。黒駒とよめるもあれは、實にその時駿馬に乘たるをよめるなるへし。
童子問 あかきといふは、今俗に少童なとの走りまふを、あかきといふも同しきか。
答 しかるへし。※[足+宛]の字を書へし。今足掻とかけるは、語義をかけるなるへし。
童子問 此反歌にてみれは、旅行馬にて人丸登り給へるか。しからは船中の作ともみるましきか。
答 いかにも此反歌によれは、陸を馬にて來れるとも見るに、其證なきにあらす。しかれとも熟田津なとの玉藻奧つ藻なとをよめるによれは、海路にあらすといひかたし。此旅行、馬にても歩行にても船にてもありたるともみるへし。その意をのへて、海路山路をよみ合せたるとみれは、いよ/\人丸の作首歌はれぬへし。今日長途の旅行には、舟にものり、馬にものり、歩行もする常の事也。されはその長途のさま/\にうつりかはる有さまを詠には、如v此の一格ともすへき長歌短歌なるへし。
137 秋山爾落黄葉須臾者勿散亂曾妹之當將見【一云知里勿亂曾】
童子問 秋山と有は山の名歟。
答 山の名に有へからす。時節の秋なるへし。此反歌の詞を以て、此旅行秋の末の比としられたり。
童子問 須臾者をしはらくとよみ來れり。者の字をもとよむはものといふ訓故か。
答 しかり。しかれともこの歌にては、者をもとよむはよろしからす。はとよむへし。
(487)或本歌一首并短歌
138 石見之海津乃浦乎無美云云
童子問 此或本の歌と、前の歌とは大方おなし躰なれとも、いつれか是ならんや。
答 此反歌の角里將見と有は、前の歌にまされとも、妹之手本乎置而之來者といふは、前におとれる歟。しかれとも此歌にては置をすておくと見るへからす。曉起て別し意にみるへし。兩首ともに好む所にしたかふへし。
反歌
139 石見海打歌山乃木際從吾振袖乎妹將見香
童子問 打歌山、或人の云長門國にありといへり。しかりや。
答 長門の國にも有歟。同名の所諸國におほければ、さも有へし。しかれとも石見之海打歌山乃木際從と、此人麻呂の歌にみゆるからは、石見の山の名とみるへし。同名有とても他國にては長歌にかなはす。只木際從吾振袖とつゝきたるを隔句とみすして、木際にて人麻呂の袖を振とみる誤より、打歌山も長門國に有といふ説出來たる歟。それも旅立の道海にうかはす、先角の山にてもあれ、打歌山にもあれ、越行時に人麻呂山上より袖を振て、まねかれたりといはゝ、いはれましきにもあらさるか。猶復案して決すへき歟。
復案 從吾振袖乎妹將見香、此歌前案に隔句の歌と見て、何國にてもあれ、旅行の路より人麻呂の袖を振たまへるを、角の山にまれ、人麻呂の妻の、木の間より見るらんかみえましきと歎く歌の意とみたれとも、隔句とみるもいかゝなれは、順句にみて木の間より人麻呂の袖を振たるに決すへし。しかれは後鳥羽院の御製も、さのみあやまりにあらさる歟。しかれとも此御製は松浦さよ姫のひれふりし山を、とりちかへたまへるより、石見かたとよみ給へるとみたれは、いつれにしても相違の事なり。ひれと袖とのたかひを、袖ふる峰と改めまほしきこと也○されは靡此山といふ句も、或本の歌にては、此山とは打歌山を指て見るへし。前の長歌にては高角山とみるへし。若打歌山は、高角山の一名か、然らはいつれにても相違有まし。人麻呂の袖ふりしと(488)みる復案の證は、前の反歌にも、小竹之葉者三山毛とよまれ、又高角山とよまれたれは、反歌皆山の歌也。是一證也。且或本歌にも、秋山に落黄葉の歌有。又或本の歌の反歌に、打歌山の歌あれは、船中の作にはあらさるとみえたり。是一證也。
童子問 前歌に問をもらすは今問也。早敷屋師吾嬬乃兒我と云詞解かたし。嬬の冠辭か、仙覺抄云、早敷屋師吾嬬乃兒我云云、先達おほく女をははしきやしと云といへり。今※[手偏+僉]るにはしきやしといふは、言のはのしけき義也。男とも女ともとりわきては云へからす。日本書紀卷第十七云、男大迹天皇云云婆※[糸+施の旁]稽矩謨伊麻娜以播※[歿の旁が需]庭阿開仁啓梨倭蟻慕巳上。此歌の心かならすしも女をいふへしともきこえす。されは此集の歌には、男にも女にも乃至草木にあれ、水の音にもあれ、言のはのしけきにはみなよめり。又はしきやしとも、はしきよしとも、はしてやしともかける、おなし由となるへし。今の第二卷の歌には、はしきやしわかつまのことゝつゝけたれは、女ともいひつへし。女をいふと釋するは、此歌なとによりけることにや。しかれとも男にもよめりと云事は、第十六卷竹取の翁にあひて、九ゲの神女のよめる歌には、はしきやしおきなのうたにおほしきこゝのゝこらやまけてをらんとよめり。第二十卷に.天平寶字二年二月於2式部大輔中臣清麻呂朝臣家1宴歌にも、はしきよしけふのあろしはいそまつのつねにいまさねいまもみることとよめり。此歌は作者右中辨大伴宿禰家持なり。この歌ともは、男をよめり。又第七卷の歌に、はしきやしわきへのけもももとしけく花のみさきてみならすあらめやもとよめり。このはしきやしは桃によそへて讀り又第十二卷の歌に、いはゝしるたるみの水のはしきやしきみにこふらくわか心から、これは水によそへてはしきやしとよめり。しかれはかならすしも女をはしきやしといふとは、釋し定むへからさるをやとあり。此説は男女草木につきて、はしきやしといふ證歌をあけたるまてにて、句意きこえす。いかに心得へきや。
答 此詞も本日本書紀の歌にみえたれは、かの童子問に答へてこゝにいはす。
右歌亦雖同句句相替因此重載
童子問 右の注も前問の答に準ては、古注者の文なりとや。
答 しかり。
柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子與人麻呂相別歌一首
(489)童子問 さきに人麻呂の妻に前妻後妻有よし命をうけ侍る。この依羅娘子は、前妻柿本人麻呂後妻か。此所に次てたれは、この別の時の歌なるへし。如何。
答 この依羅娘子は、前妻にはあらす。後妻とみるへし。前妻は石見國に在しを、後には大和國によひて、高市郡輕郷におかれたるとみえたり。すゑにいたりてみるへし。前妻の名はみえす。依羅子名はみえたり。今此別の歌は異時の歌なるへし。撰者類によりて此所へ撰み次てるなるへし。
140 勿念跡君者雖言相時何時跡知而加吾不戀有乎
童子問 右の歌を、かなつけよみには、思ふなと君はいふ共あはむ時いつとしりてかわかこひさらんとあり。拾遺和歌集卷第十二戀二に、此歌を載られたるには、思ふなと君はいへとも逢時をいつとしりてか我か戀さらん、と有。何れのよみか是なるや
答 拾遺集の方是なり。雖言の二字をいふともいへとも、歌によりていつれをも用ゆへし。此歌にはいふともはあしゝ。且相時の二字をあはんときはよみかたし。あふ時をとよめるよろしき也。拾遺集の訓此歌に限りてはよろしけれとも、題しらす人まろとのせられたるは誤り也。すへて柿本の人まろの歌、拾遺集にあまた載られたれとも、皆よみたかへられたり。しかれは万葉集を見すして、かの時よみあやまりたる歌を、書のせたる物をや見たまひて、本集の万葉にはよらすして、後の書を證としてや書のせ給らんとそおしはからるゝ也。しからすは、いかてか拾遺集の誤り何故とはかりかたし。一首も人丸の歌をのせられたる中に、正しき事なし。皆たかへり。中にも此歌は人まろの歌にあらす。依羅娘子の人まろとわかれの時の歌と、題にもみえたるを、題しらすとのせられたるも誤りなるへし。只歌の詞につきて戀の歌と心得られて、戀の二に加へられたるなるへし。別の部に入て有へき事なり。これ万葉集の本書を見すして、妄りに載られたる事明けし。
童子又問 此歌の終に乎の字あり。しかるをよますして捨けるはいかゝ。
答 乎の字は誤字なるへし。牟の字に改むへし。有牟の二宇にて、さらんと上に不の字有故によまれたるなり。
挽歌
後崗本宮御宇天皇代【天豐財日足姫天皇讓位後即岡本宮】
(490)童子問 代の字の下二行小書の文は撰者の文歟。後人の注歟。
答 撰者の注にては有へからす。古注者の文とみるへし。
有馬皇子自傷結松枝歌二首
童子問 有馬皇子はいつれの皇子そや。
答 孝徳天皇の皇子也。母は阿部倉梯麻呂大臣女小足媛也。くはしく日本書紀孝徳記にみえたり。齊明天皇四年に、謀反の事あらはれて、絞られ給ふ事日本紀をみて知るへし。
141磐白乃濱松之枝乎引結眞幸有者亦還見武
童子問 仙覺抄云、此歌の第四句古點にはあるひはまさしくあらはと點し、あるひはまことさちあらはと點せり。兩説共に相かなはす。まさきくあらはと和すへし。まさきくといふは眞幸也。此集第十七卷、大伴宿禰池主歌詞中云、吉美賀多太乎麻佐吉久毛安里多母等保梨云云。第二十卷追痛防人悲別之心作歌詞中云、麻佐吉久母波夜久伊多里弖云云。作例如v此。何爲2不審1乎とあり。此訓はしかるへきや。
答 しかるへし。
童子又問 一條禅閤の歌林良材集岩代乃結松事の一條に此歌をあけられたるにも、第四句をまさしくあらはありて、第五句を又かへりこん【有馬皇子】とかき給へるも誤りにや。
答 誤り給へり。皆万葉集の本文によらすして、よみたかへたる歌のかなかきのみをみたまひて、みたりに万葉集とて引てのせられたるとみえたり。万葉集の本文につかすして歌をしらす、文字の訓の是非をもわきまへられす、末學の意と心得て注釋等をくはへられたる事、枚擧にいとまあらす。禅閤の博覽は更にいふへくもあらねとも、万葉集計はうとくおはしけるやらん。万葉集の釋なとまゝなされたるをみるに、一つも是とみやる事なし。かな遣ひをも知り給はさるは、古學をしたはさる故なるへし
童子又問 此歌の注を良材集云、右有間皇子は孝徳天皇の御子也。齊明女帝の御時蘇我赤兄と心を同しくして、御門かたふけ(491)せんとせしか、紀伊國岩代と云所にありて、心さしのとけかたからん事をうれへて、其所にありける松の枝をむすひて、手向として此歌を詠置て外へ出侍し、其間に赤兄かしか/\のよしを御門へ申侍しそのかへり忠により
有間皇子の謀反の事あらはれて、つひに藤白坂にしてころされ侍り、のち/\の人此松の事よめる歌おなしく、万葉集にのせ侍り。同岩代の野中にたてる結松心もとけぬむかしおもへは【意吉麻呂】。のちこんと君かむすへる岩代の小松のうれを又みけんかも人丸とあり。此注はたかひなく侍や。
答 此良材の御注、大概は日本書紀をもちて書たまへは、事の相違ひもなけれとも、万葉集の本文につきて賢按をもめくらし給ひたるとみゆるなり。文字の違ひもあれと、それは傳寫の誤りなるもはかりかたし。只万葉集につきて此歌をみれは、有間皇子はしめ紀伊國岩代と云所に有て、心さし逐けかたからん事をうれへて、其所にありける松の枝をむすひて、手向として此歌を讀置給ふには有へからす。いかにとなれは、此歌の前書と有間皇子自傷結松枝歌二首と有、自傷の二字につきておもへは謀叛の事あらはれて、赤兄に捉られて紀温湯に送られ給ふ時に、詠給へる歌なるへし。よりて自傷の二字も有か。此歌後の時の歌なれは、挽歌の中にも入たるなるへし。そのうへ二首の内後の歌も捉られておくられ給へる時なれは、笥に盛飯をも松の葉をしきておろそかなる飯をあたへたるにつきて、自傷の二字も有てよく相叶ふへし。しかるをたゝはしめ紀湯に陽狂の時の詠としては、此詠を追和する事もいかゝ。謀反の志をとけさせ給はぬをいたまは、謀反の意をたすくるにいたれは、ともに罪人といふへき難有へし。すてに謀反あらはれて捉られて死罪にきはまれるか故、自傷も有て若恩降を得て二度かへりみんことをねかひ給へる時の事ならは、意吉麿哀咽歌も罪なかるへし。且人丸の歌に、きはめて歌林良材に載られたる事は心得かたし。人麻呂歌集中に出と古注者の書たるは、必人麻呂の歌のみに有へからす。他人の歌も歌集の中に見えたるを注せるなるへし。人麻呂歌ならはこゝに人丸とこそ有へし。歌集中に出と有にて他人といふへし。良材集の歌にも文字のたかひかなのちかひあり。是は傳寫のあやまりも有へし。濱松ともよみ、岸の松とも野中と松とも詠むへき事なれは、しひて論するには及ふましきか。有間皇子此時捉れて送られ給ふ旅行なれは、自ら結ひ給ふ事はなるましきかとうたかふ人あれと、それは凡人にもあらす。いまた罪科さたまりたるにもあらす。赤兄か謀りことにて捉て送りたれは、兵卒に打圍まれて、行給ふとても小松の枝をむすひ給(492)ふほとの事をゆるすましきにあらす。
144 磐代乃野中爾立有結松情毛不解古所念
童子問 歌の意は明かなるへし。第五句所念の二字をむかしおもへはとよむこといかゝ。念者とも有へきに、所念とありてもおもへはとよむへきや。
答 是はてにをはをあはせてしかよみたるなるへし。所念の二字は、おもほゆとかおもはるとか、しのはるとかにて有へし。
山上臣憶良追和歌一首
童子問 追和とは意吉呂見結松哀咽歌を和するにや。
答 しからす。有間皇子の歌を和するなるへし。よりて追和と有歟。
145 鳥翔成有我欲比管見良目杼母人社不知松者知良武
童子問 島翔成の三字をとりはなすとよみ來れり。翔の宇をはとよまは、羽の宇にて有ぬへきに、翔の字を羽とよむこと心得かたし。若先生賢按の訓はなきことにや。
答 しかるへき疑問也。僻案あり。鳥翔は飛鳥と義おなしければ、僻案の訓にはあすかなしとよむ、かなしといふ詞訓中にありて哀情顯はるへし。
童子問 有我欲比管とは、或説に鳥の翅をもてかよふことく通はんとなりといへり。しかるへしや。
答 通ふとならてはよまれす。他訓有へしともみえす。されとも我の字かたかひ有。もし誤字か。しからすは古語にはありと上にいひては、かを濁りていひならはせるなるへし。有といふ詞は古語にうせさる事にもちひたれは、靈魂うせすして今にありてかけり通ひて見らめともとよめるなるへし。
童子問 有我欲比を或人の説には、此集中に蟻通とも末に書てあれは、蟻はあひ集りて同し道をたえす行かよふ物なれは、蟻の如くに通ふと云義なりといへり。是はめつらしき説なり。しかるへきや
(493)答 傅會したる説なるへし。ありかよふのみにもあらす。此集にあり。たゝしなとゝもよめる歌あり。蟻の立物にも有へからす只發語の辭と見るには害有へからす。うちといひかきといひ、ありといふたくひ詞に義有へからす。發語の辭とみるへし。歌には發語の言、發語の辭を用ひるにて歌語となることを知らさる故に、牽強の説あまたあり。予はとらす。
右件謌等雖不挽柩之時所作唯擬歌意啓以載于挽歌類焉
童子問 此文は万葉集撰者の文とみえたり。しからすや。
答 是も古注者の文なるへし。
大寶元年辛丑幸于紀伊國時結松歌一首【柿本朝臣人麻呂歌集中出也】
146 後將見跡君之結有磐代乃子松之宇禮乎又將見香聞
童子問 此歌の事先問の時人麻呂の歌に、歌林良材集には載られたるを、先生人麻呂の歌とも決せられさる説あるは、これもかのほの/\とあかしの浦の歌の類ひにて、人丸の口風にたかへる所有にや。
答 此歌風格はあかしの浦の朝霧の歌とは甚異なり。時代人丸の口風にもたかふへからす。しかれとも小書の注に柿本朝臣人麿歌集中出とあれは、人麻呂の歌ともみえ、又は他人の歌ともみえ、又は他人の歌を書入たるともみえて一決せす。人麻呂集今傳らされは是非を決しかたし。大寶元年紀伊國に幸の時人麻呂從ひたらは、人麻呂にても有へきか。其時の供奉の證もなし。此前書に名を載さる事は、山上臣憶良追和の歌の次に載たれは若憶良の歌か。よりて前にゆつりて名をもらせるか。しかるを古注者此歌人麻呂歌集中出也とかけるは、古注者は人麻呂と心得たるか、未v決事なり。憶良意喜麿人麻呂三人の中の歌なるへし。時代は同時代の風躰にてほの/\の歌とは異なり。
童子問 子松之宇禮とは如何。
答 うれはすゑの事也。うらともいふ也。
童子又問 又將見香聞とは、此作者の又將見香聞といふことにはあらすや。
答 いな、後將見とむすひし君之又將見香聞と悲嘆をしめてよめる歌ときこゆるなり。
(494)近江大津宮御宇天皇代【天命開別天皇謚曰天智天皇】
天皇聖躬不豫之時太后奉御歌一首
童子問 太后は御名は何と申や。御親は誰にや。
答 御名は倭姫王と申、古人大兄の御女なり。日本書紀卷第廿七天智天皇記云、七年二月丙辰朔戊寅立2古人大兄皇子女倭姫王1爲2皇后1とあり。
147 天原振放見者大王乃御壽者長久天足有
童子問 此の歌下の句心得かたし。もし先生賢按の訓はなきことにや。おほみいのちはなかくてたれりとよみ來りては、聖躬不豫の時の御歌にはてにをはたかひたるにはあらすや。
答 下句異訓有へし。もし脱字有歟。此文につきては僻案の訓には、下句みいのちはなかくあめたらすらしとよむ也。しかれは天より長久にいたらすらんと祝稱してよみたまへる歌なるへし。たれりとよみてはいかにも/\みちたりたるになれはいかかにて、かへりて凶句になるへし。祝意みえさるに似たり。
一書曰近江天皇聖躰不豫御病急時太后奉献和歌一首
148 青旗乃木旗上乎賀欲布跡羽目爾者雖視眞爾不相香裳
童子問 此の歌心得難きこと也。仙覺抄云、碧旗者葬具にはへるにや。常陸國風土記に信太郡と名つくる由縁を記して云、黒坂命征罰陸奧蝦夷事了凱旋及多歌郡角拈之山黒坂命遇病身故爰改角拈號黒前山黒坂命之輸轜車發自黒前之山到日高之國葬具儀赤旗青幡交雜飄※[風+易]雲飛虹張瑩野耀路時人謂之幡垂國後世言便稱信太國云云とあり。如v此ありて青幡を葬具の證とみれは、いよ/\疑あり。帝の御病急なる時、葬具のことを詠む進有へきことにもあらす。もしいにしへ病急なるときに、神を祭りて青旗なとをたてゝ、天にいのる事の例あらは、如v此も詠を奉り給はんや。先生賢按ありや。
(495)答 疑問いやちこなり。山の歌には僻案有。此歌は聖躬不豫御病急時奉り給ふ歌にては有へからす。皆禁忌の辭有。この御歌は天皇崩御の後の御歌とみえたり。傳寫の僞に混雜して、前にかき入たるなるへし。次の前書に天皇崩御之時倭太后御作歌と有、次に此青幡を入へし。一首とあるもあやまり二首と書き改て、人者縱の御歌と相ならふ歌にうたかひなし。御不豫の時かゝる御歌有へきにあらす。歌の詞といひ、歌の意といひ、皆崩御の後の御作にきはまりたるを、後擧皆歌の詞歌の意を辨へ知らすして、此歌を普通の本の傳寫の誤といふ所まてはおもひよらすして、さま/\の牽強附會をなす説有へし。皆古實をしらぬ故なり。青幡いかにも葬具の證、仙覺風土記を引るも一證也。木幡はきはたとよみて、黄幡にても有へし。葬是に黄幡を用るなり。勿論神事祭禮に幡を用ゆる事常のことなれとも、この歌をさる御病を祈る神事にいはんも亦牽強附會なり。とにかくに歌の意と歌の詞とを、わきまへしる人にあらすしては、万葉集をあらぬことにみなし、吉を凶にし凶を吉にして、正義正意を失ふたくひすくなからす。
童子又問 此歌の辨先生の賢按を得て疑急ちに治たり。然れとも猶うたかふ所は、此歌の前書あれはこれをいかにとかせんや
答 此歌の前書則此歌崩御の後の歌の一節とする僻案なり。いかにとなれは此歌の前書は万葉集撰者の文にあらす。古注者の所見をあらはして、天皇聖躰不豫之時太后奉御歌一首と有。前の歌の前書を一書には、近江天皇聖躰不豫時御病急太后奉献歌一首とありと云前の歌の左注とみえたり。しかるを前の歌の左注としらすして、後の歌の前書と心得違て、青旗の歌の前書となしたるより、次の歌を前へかきのほしたる誤りと知られたり。萬葉集の本文にあらさる證據には、一書曰と有を以て知るへし。万葉集本文に、一書曰と云こと有へからす。撰者の文にあらす。古注者の文なること明けし。うたかふへからす。
天皇崩御之時倭太后御作歌一首
童子問 前答の如くならは此一首と有は、二首の誤りに決すへし。前には太后としありて、此所に倭太后と有事いかゝ。
答 此皇后の御名倭姫王といへはかく書ける歟。もし崩御以後は倭にうつりましませるより、倭太后と後にしるせるにてもあらんか。よりて天皇崩御ならさる時の御歌故、太后とのみしるし、崩御以後に倭太后と有にても有へし。
童子又問 木旗能上乎賀欲布跡羽とは靈魂のかよふにや。
(496)答 しかり。次の影にみえつゝと有と同意の心とみえたり。
149 人音縱念息登母玉※[草冠/縵]影爾所見乍不所忘鴨
童子問 仙覺抄云、玉※[草冠/縵]とは冠の纓をいふ也とあり。しかるや。
答 此御歌にてはかけといはん冠辭とみるへし。
童子又問 影とあれは面かけの事にて、かつらをかけるとは清濁異ならすや。
答 此清濁はむかしより通ひ用ひたる例あまたあり。音讀の時は清濁をわかつ也。泉川をいつみとうくるたくひも、下は濁語にてはきこえされとも、通用の例すくなからねは、此御歌もおなし例に心得へし。
童子又問 人者縱とあるを、ひとはいさといふよりは、人はよしとよみたるかたまさるへからすや。縱はよしとよみたる例有れとも、いさと用る例を知らす、如何。
答 縱の字いさともよむへし。しかれとも此歌にてはよしとよむ方まさるへし。
天皇崩時婦人作歌一首 姓氏未詳
童子間 一首の下に小書して、姓氏未詳と有は例の如く撰者の文にあらす。古注者の小書也。
答 しかり
150 空蝉師神爾不樹者離居而朝嘆君放居而吾戀君玉有者手爾卷持而衣有者脱時毛無吾戀府曾伎絨乃夜夢所見鶴
童子問 空蝉師此三字をうつせみしとよみ來れり。師は助辭なるへし。此句の心或説に蝉は命の短かきものに云也。莊子に※[虫+惠]※[虫+舌]は不v知2春秋1と有。是せみの命のはかなくみしかき心地。されはうつせみの命と讀、うつせみの世と云もそのたとへ也。此歌は天智天皇崩御の時婦人のよみ給ふる也と有。此説しかるへきや。
答 しからす。前にもいふ如く、うつせみとは蝉のぬけからをいふは常のことなり。しかれとも万葉集にてはたゝ訓をかりた(497)るまてにて、空の字の義にもあらす。蝉の字の意にてもなく、うつは現の事にかり蝉は身の借訓にて、現の身と云詞にて今日現在の身をうつしみとも、うつせみともうつそみともよみたる也。空蝉のからをいふことにはあらす。しかれは
中原本一二枚缺 (校訂者補)
天皇大殯之時歌二皆
童子問 此二首の作者に名なけれは、前の作者とおなしき故に撰者名をもらせる歟。
答 前の婦人は姓氏未詳とあれは考る所なし。此二首は古注者考る所あれはこそ、第一は額田王第二は余人吉年とあるにしたかふへし。
童子又問 歌の下に名なき故に疑問をなせり。名あらは何そ疑はんや。異本にはしか有にや。
答 予所持の本にも重羽かあたへし本にも名あり。古本には皆しかるなるへし。
151 如是有力豫知勢婆大御船泊之登万里人標結麻思乎
童子問 此初句の乃の字をとゝよみ來れるは音にや、訓にや。
答 廼の字を濁音のとに用ひたれは、との音に用ひたる歟。しかれは音の清濁日本紀よりあきらかならさる也。もし刀の字を書寫誤りたるにや。末にも乃の字をとゝ用ひたる所あれは、うたかはしき也。
童子又問 此歌の意如何。
答 日本紀を※[手偏+僉]に、十二月癸亥朔乙丑天皇崩2于近江宮1癸酉殯2于新宮1とあれは、新に宮の建たること明けし。その殯宮もし湖水の邊にて、それまて大御船にめされておはしましたる歟。次の歌も大御船の歌なれは此僻案あり。しからは此歌の泊しとまりとは、御船をこきとめし所を指てよめる歟。殯斂に船にめされしこともおほつかなけれは、御在世の時のことにて見る方(498)しかるへき歟。好む所にしたかふへし。先崩御の御送體をかりもかりせんとて、こきはてしにあらすは、大津宮より行幸なる時、御船にめされてこきはてし時にしめゆひて、御船をいつかたへもやらすして、その所にとめておはしまさせまし物を還行ありし故に、崩御なりたるとおもへは、婦人の情のおろかになけきしのへる情さも有へし。
152 八隅知之吾期大王乃大御船待可將戀四賀乃辛崎
童子問 此歌の意は如何
答 此歌新宮まて御船にめされし時の歌とみればおもしろき也。御からをおさめ奉りて、こたひ大宮へ還御かなきかきりのたひなれは、いつまてか還御をまちこひなむや、まちてわたらひ有ましき意なるへし。もし又是も御在世のをりのことをおもひ出てよめは意かはるへし。
大后御歌一首
童子問 此御歌人殯之※[日+乏]の御歌とみるべき歟。
答 しかり。此御歌にも船の事を詠給へるによりて、三首とも殯船新宮時大御船にて送り奉れば、群臣も皆船にて供奉したる故に此御歌も有にや。
153 鯨魚取淡海乃海乎奧放而榜來船邊附而榜來船奧津加伊痛勿波禰曾邊津加伊
童子問 邊津加伊をへつかいとよみては一言不足に似たり。へつのかいとよみたる説もあり。いつれか是ならんや。
答 邊津二字をへつとはかりよむとも、へつのとはよむへからす。僻案訓には邊字をへたとよみて、へたつかいとよむ也。海邊をうみへたといふこと常のこと也。後の人の歌なれとも、へたのみるめとよめるも、近江の名所により所あれは、此御歌もへたつかいとよむへし。かきといふも近江の
中原本一二枚缺 (校訂者補)
(499)もつまといふ。姉より夫をもつまといふ證據には、今ひく日本紀をも用ゆへし。夫婦にたとふといふ事は用ゆへからす。。夫婦同稱の語につまといひ、若草の萠芽の葉をもつまといへは、弱草といふを冠辭には用ゆれとも、語意は人と草と各別也。軒のつまおなしことはにても又語義は異也。およそ文字異にて語おなしきは、義も異なりと知るへし。是古語を釋一傳也。今の世の人音語おなしけれは義も同しとおもひて、牽強附會の説にて語を釋する皆あたらす。文字異なれは義も異なりと知る人の釋は相當ることおほかるへし。語釋は本邦の本學にて、異國の文字を學ふとおなしければ、一字二字しりたりとて何の益やは有へき。本邦の語もおなし。一語二語は釋してしれはとて益あらんや。別に學ふへし。よりていはす。只その字をいふのみ。
童子又問 若草之嬬之念鳥立此八字を、仙覺注本にはわかくさのつまのおもふとりたつとかなをつけたり。古本の一本には、わかくさのつまのおもへるとりもこそたてと、朱にてかなをつけたり。いつれか可いつれか不可か。おもへるとりもこそたてとよめるはよみかたからすや。
答 朱にてかなをつけたるは、仙覺新訓なるへし。古訓はおもふとりたつなるへし。念鳥立の三字をおもへるとりもこそたてと訓たるは、よみかたきに似たれとも、歌の詞を知り、てにをはの格にてはよみ難にあらす。朱にてつけたる訓にしたかふへし。念の字の訓は、歌によりてあまたの訓あれは、此御歌にても念しのへるとよむへき歟。
中二首解缺(校訂者補)
明日香清御原宮宇天皇代 天渟中原瀛眞人天皇
十市女子薨時高市皇子尊御歌三首
156 三諸之神之神須疑己具耳矣自得見監乍共不寐夜叙多
童子問 此歌の義いかなる事にや。仙覺抄にも此三首の内中の歌の注は書けれども、此歌と終の歌とには注釋もなし。ちから(500)をよばざるなるべし。先生の賢按有べしや。流布の本も古本の訓もおなじことにて、みもろのやかみのかみすぎいくにをしとみけんつゝともねぬよぞおほき、かくはかなつけあれど義解なければ、いかなる意ともわきまへがたければ、此歌よめずとてさしおくかたにおとれり。いかゞよむべきや。
答 凡此集文字のたがひあれば、よめざるもことわり也。よめずとて案を加へたるはことわりならず。ちからにをよぶ案を盡して後學の人にをよぼすべし。可不は才學有人にまかす僻案あり。三諸之の三字をみもろのやとよむは非也。也の宇ありて之の宇なくば、みもろのやともよむべし、之の字ありてのやとはよまれず。いにしへは四言一句の例すくなからず。さればみもろのとばかりよむべし。神之神須疑、此五宇一句にて、みわのかみ杉とよむべし。己具耳矣自、此五宇一句にて、具は冥の字の誤り、矣は笑の字の誤りなるべければ、いめにのみとよむべし。此句の意は、いめは夢也、古語には夢をいめといへり。後には夢をゆめとのみおぼえて、いめといふことをしらぬ人おほし。この集を見ぬ人さおぼゆる也。此集に一所もゆめといふかなみえず、かなはみな伊目と有にてしるべし。しかれば夢に而己の義也。上に神の神杉といひて夢といへるば、いめといはむ爲に神杉をいへり。常の杉木に異にして、神の神杉は忌杉なれば、いめといふ冠句としるべし。得見監乍共、此五宇一句にて、みえけんながらもとよむべし。不寐夜叙多、此五宇一句にて、ねぬよぞおほきとよむべし。歌の意は、十市皇女神さりませば、うつゝに見たまふ事はならず、夢にのみはみえ拾ふべけれども、かなしみにたえねばめもあはず、打とけてねられもしたまはねば、夢にだにも見給はぬかなしみを詠給ふときくべき歌なり。
157 神山之山邊眞蘇木綿短木綿如此耳故爾長等思伎
童子問 仙覺注云、山べまそゆふみじかゆふといへるは、ふたつにはあらず。苧といふにふたつの品あり。あさをはながゆふといふ、長きが故なり。まをゝばみじかゆふと云。筑紫風土記に、長木綿短木綿といへるは是也。さて今の歌に、やまべまそゆふ短木綿とよそへよめることは、十市皇女のたまのを、まそゆふみじかゆふのごとく有ける物を、ながしとおもひけるとよめる也。此歌の落句古點にはながしとおもひきと和せり。其ことわり叶はず。ながくとおもひきと云べき也。木綿をよめる歌にあまたの品有べし。或は木の中に木綿の木あり。ゆふばななどゝよめるはこれなるべし。或は神にたてまつるゆふあり。今の歌のごと(501)くなるは、長ゆふ短ゆふも有べし。そのさまはことなれども、名をつくる事はいづれも同じ心也。白きをいふと云也とあり、此説しかるべきことにや。
答 仙覺長木綿短木綿の説、筑紫風土記を引て證據とせられたる上はしかるなるべし。今の世には筑紫風土記全本なければしりがたけれども、仙覺の時代までは諸國の風土記世にありとみえて、注釋の中にあまた風土記を引用せり。仙覺注釋はとるにたらざることのみなれども、風土記を引用したるは皆證明となる事也。此歌の長短の木綿の説もさる事なるべし。落句の長の字をながくとよまん義さることなれども、ながしとよめる説まさるべき歟。いかにとなれば、かくのみゆゑにといふ句に見あやまり有べし。故にといふ詞古歌、おほくはなるにといふ詞にかよふ歌おほし。此御歌もかくのみなるにとみれば長しとおもひきともみゆる也。ながしといはんよりは、長きとよむべき歟。ながくとよむ義にては願ふ詞になるなり。十市皇女病にもふし給ひて、神山に長命を祈り給へることもあらば、ながくと願ひ給ふ意も有べけれども、此皇女の薨去日本紀天武紀に見えて、卒然病發薨2於宮中1とあれば、頓薨給へば、おもひもかけ給はぬ事なり。御歳もわかくましましければ、長くましまさんとのみおぼしめされたるに、卒に薨去し給ふことを、短木綿に御命の短を比して、かくのみなるに長き御壽ひとおぼしめししことを悔給へる歌ともみゆれば、ながくとおもひきはかへりてあしかるべき歟。しかれども故の字はからとよむ歌おほければ、かくのみからに長くとおもひきといはゞ、常に此皇女の御壽を長くと思伎と云義も有て、詠給へる歟。高市皇子尊の御心はかりがたければ、兩義を存すべき歟。
童子又問 故にといふ詞、なるにといふ義にかよふ歌、いづれの歌か證例ならんや。
答 あまたあり。ちかく人口に有歌には、古今集秋部藤原定方朝臣の歌に、秋ならであふことかたき女郎花あまの川原におひぬ物故、此歌天の川原に生ぬ物なるにといふ意なり。しかれども、この歌につきても疑なきにあらず。作者は生ぬ物故と書て、おひぬものからとよめる歟しらず。しからばおひぬ物ながらといふ義にかよふ也。ものゆゑと世によみ來れる上につきて先いふ也。猶此集の内にあまたあればすゑにていふべし。
158 山振之立儀足山清水酌爾雖行道之白鳴
(502)童子問 此歌仙覺注もなし。歌の意得がたし。もし先生賢案の義も有歟。
答 あり。此歌も一兩宇誤字有歟、句切たがふとみえたり。僻案の訓は、山振之、此三字一句にてやまぶきのと訓、立儀足、此三字一句にて、立の字は充の字の誤り、足の字は色の字の誤とみる也。光儀とつゞきたる文字日本書紀神代下光儀花艶の四字をてりうるはしとよみ來れば、光儀は傳寫の僞なるべし。光儀色の三字をにほへるいろのと訓、山清水、此三字をやましみづと訓、酌爾雖行、此四宇一句にてくみにゆかめどと訓、道之白鳴、此四宇一句にてみちのしらなくと訓。歌の意は、十市皇女の黄泉にしづみ給ふ義を、山吹のにほへるいろの山清水と訓給ふとみるなり。酌にゆかめど道のしらなくは、黄なる泉ありとはきゝしり給へば、その水なるともせめて酌にゆかんとおぼしめせども、道のしられぬと、なげきのあまりに詠給ふ御歌とみるや。
天皇崩之時大后御作歌一首
童子問 此天皇はいづれの帝ぞや。
答 持統天皇也。
159 八隅知之我大王之暮去者召賜良之明來者問賜良志神岳乃山之黄葉乎今日毛鴨問給麻思明日毛鴨召賜万旨其山乎振放見乍暮去者綾哀明來者裏佐備晩荒妙乃衣之袖者乾時文無
童子問 仙覺注云、此歌詞の中に、暮去者召賜良之明來者問賜良志神岳乃山之黄葉乎の句、これをゆふさればめしたまふらしあけくればとひたまへらしと點ぜり。天皇崩御をかなしみてなぐさむ歌に、めしたまふらしとひたまふらしと云べきにあらず。しかればゆふさればめしたまふらしあけくればとひたまふらしと云べし。めしたまへらしとはめしたまへらましといふ詞なるべし。さればのちには、けふもかもとひたまはましあすもかもめしたまはましといへり。さてこそ上下かけあひて心え合せらるべき事なれば、神岳乃山之黄葉乎の句、古點にはかみをかのやまのもみちをと和せり。此句みわやまのもみぢといふべしと有。此接可v然ことにや。
答 召賜良之は、めしたまふらしとよむべし。問賜良志、これもとひたまふらしとよむべし。いかにとなれば、天皇、御在世なら(503)ばといふ義、下の句におのづからその意そなはれり。又神岳乃山之黄葉乎の句、ふるき訓には、かみをかのやまのもみぢをといへる可也。いかにとなれば、三輪山は城上郡、神岳は延喜式神也帳に、神岳神社は、平群郡の内にあり、三輪山と別にみゆれば、古訓にしたかふべし。かみやまとよまば害有まじけれど、下に山之黄葉とあれば、やまの山のもみぢも無益の重句なり。且此集第三卷にも、登神岳山部宿禰赤人作歌とあり、同書第九の歌にも神岳之山黄葉者といふ句ありて、皆神岳の字を用ゐ、延喜式にも神岳神社とあれば、三輪山とは異なるべければ、みわやまとよまんはかへりて誤れなるべき歟。岳の宇むかしはをかと用ゐ來れる訓例すくなからず、やまと用ゐたる訓例はおほからねば、かた/\かみをかのやまのもみぢをとよむべき歟。猶明證によるべし。
童子問 綾哀といふ句意は、或説に色々にかなしき也といへり。しからんや。
答 しからず。あやにとはあなにといふにおなじ。文にといふがことく痛くといふがことく、嘆の辭也。
童子問 裏佐備晩は、心さびしくくらしといふに同じと或説にいへり。しかるべきや。
答 しかるべし。
童子問 荒妙乃衣は、或説に麁布とてふぢ衣の名也といへり。可v然や。答 しかり。しかれどもあらたへにぎ妙常にも用る詞なれど、此歌にては喪服のふぢ衣をあらたへの衣とみるべし。
一書曰天皇崩之時太上天皇御製歌二首
童子問 此天皇崩はいづれの天皇ぞや。
答 天武天皇の崩也。
童子又問 天武天皇の時太上天皇はなし。いかなることぞや。
答 此疑問さるべき事也。太上天皇は持統天皇也。しからば大后とも書べきことなれども、此集最初の撰者の所爲にはあらず、後に再補の時加へ入たるなるべし。其證に一書曰と有を見るべし。太上天皇御在世の時、御名をしるすことを憚りて、太上天皇御製歌としるしおきたる書をその文のまゝに擧たるなるべし。古注者の補載と見るべし。
(504)160 燃火物取而※[果/衣]而福路庭入澄不言八面智男雲
童子問 仙覺注云、此歌の心は、葬禮のならひ二度物をあらため用ゐることはいむべき事なれば、死人の枕がみにともしたる火をもちて、葬所にてももちゐるべき也。さてともしびもとりてつゝみてふくろにはいるといはずやとよめる也。もちおのこくもとは、もつべきおのこもきたるといふ歟とあり。可v然ことともおぼえず。先生の賢按あらずや。
答 僻案の訓あり。然火物の三字をともしびもとよめるは、文字はさよむべきことなれども、下の詞にとりてつゝみてふくろに入るといふべからす。ともしびつゝまるゝものにあらず、袋に入らるべきことあらず。此三字は、僻案の訓にはともしものとよむ。火を燃す物なれば、火打つけ木などの物也。これは、旅行に必袋に入て持事也。日本武尊の東征の時、倭比賣命火打を入て御嚢を給へる事をしるべし。されば今天皇崩御の時、黄泉に徃給ふ旅用の物に、ともし物をも嚢に納て棺内に入ることを詠給ふなるべし。今の世の俗にも古にならふ人、棺内に品々の調度を納るがごとし。取而※[果/衣]而、此四字一句にてとりてつゝみてと訓。福路庭、此三宇一句ふくろにはと訓、入澄不言八、此五字一句、澄は登の字の誤りなるべし。此五字をいるといふことやと訓。入といふとは、いるちふともいるとふともいひて、いるといふの畧語也。さればいるといふことやは今初めてのことにあらず、いにしへよりともしものとりてつゝみて嚢には入るといふことあれば、いるとふことやと詠給へるなるべし。面智男雲、此四宇一句にておもしらなくもと訓。言はおもしろくもなき義なり。
歌の惣意は、ともしものとりてつゝみて嚢に入るといふことは、世にまれなる物を乏物といふ也。めづらしき物は秘藏して、とりてつつむ上にも猶袋にも入るゝことなれば、それを兼て、さる事あるはおもしろき事にもすべけれど、黄泉の旅行にかゝることをし給ふは、おもしろからずと歎き給ふ御歌とみるべし。天皇行幸とても、供奉の人は燃火物を入る旅行と嚢は持べけれ、今天皇の獨黄泉の旅行に此嚢を奉ることを、大后の御意にかなしと思ひ給ふをかく詠給ふなるべし。
童子又問 面智男雲の四字は、もし面知呂男雲の五字にはあらずや。智の字しろと訓べきこといかゞに聞え侍る。知の宇はしと音に用ゐたる例あまたみえ侍り。いかゞ。
答 さるべき一案なるべし。僻案には、智の字は知の誤字にて、下の日は男の字を傳寫混雜してあやまれるかとおもへば、四(505)字一句としたり。其證は仙覺注釋の本には知に作りて智の字にあらず、知の字はしるとも、しらとも、しめとも相通はし通用ゐる例すくなからねば、直におもしろなくもと訓也。猶異本の證とすべき出來たらば、可不を決すべし。
161 向南山陣雲之青雲之星離去月牟離而
童子問 此御製は仙覺注釋もなし。いかなる御製の意にや。
答 僻案兩義あり。先訓のまゝにて解すれば、向南山をきたやまと訓じて、群臣は天皇のしりへに位すれば、群臣の列陳する位を北山と比して、陳雲は列陳の雲客に比し、たなびく雲のと詠給ふなるべし。青雲之とは猶白雲といはんがごとし。今も白馬を青馬といひ、古語にも白といはむとて青雲の冠辭例有。されば御葬送群臣の服皆白きを用られたるによりて、青雲のと有歟、もし青は素の誤字にて、直にしら雲を傳寫※[言+爲]れる歟。いづれにても強て義に害有べからず。星離去は三台星も天皇にしたがひず離去、月卿も離去て從ひ奉らず、天宮に神あがりしたまふことを悲みたまひて詠させ給ふと見る也。此一義の僻案也。又一義の僻案には、向南山の三字をおほろやまと訓。いかにとなれば、天皇は南面の位なれば、天皇まします處大内山と稱すればすなはち皇居の地を指て、向南山と書て大内山と詠給へる歟、もしは此天皇の山陵大内山なれば、葬送奉る山陵を大内山と詠給ふるかなるべし。陳雲は陳列の雲客を比して、雲の上人の陳列して送り奉り、三台星月卿もしたがひ奉りしに、むなしく大内山に葬奉りては、陳列する事もなく、月も星も雲も皆とゞまらずしてわかれ去りて、獨天皇の尊骸を大内山にのこしおき奉りて退去することをなげき給ふ御製と見る也。青雲之三字、もし雲の字は字形相似たれば、※[雨/肖]の字の誤にあらずや。※[雨/肖]の字ならば青※[雨/肖]之三宇おほぞらのと訓て、星離去月牟離山と云、星と月とにかけ給へる冠句にしてみるべし。此兩義汝好む所にしたがふべし。
天皇崩之後八年九月九日奉爲御齋會之夜夢裏習賜御歌一首
童子問 此歌の前がきの内、習の字心得られず。いかゞ。
答 疑問ことわりいやつこ也。習は誤字なるべし。賜の字もうたがひなきにあらず、異本を得て改正すべし。
(506)162 明日香能清御原乃宮爾天下所知食之八隅知之吾大王高照日之皇子何方爾所念食可神風乃伊勢能國者奧津藻毛靡足波爾塩氣能味香乎禮流國爾味疑文爾乏寸高照日之御子
童子問 此御歌詞もいひたらぬ句のみおほく、意も得がたし。先生賢按義も訓も有にや。
答 此御歌には強て異訓有べくもみえず、異義の僻案もなし。只疑らくは、何方爾所念食可とある句の下に脱漏有て、崩御なりし句有べくみゆる也。しからずば只此何方爾所念食可といふに、崩御なりしことをこめてみるべし。夢裏の御歌なれば、詞もとゝのほらずいひかなへ給はぬことも有とみるべし。四言一句のあるも古語のまゝにて、しひて御詠の作骨有べからねば、大概歌の意きこえば可なるべし。
童子問 伊勢能國者の五字をいせのくににはとよみ來れり。國にはといへば、始終のてにをは聞得がたし。いかに。
答 いせのくにはとよむべし。六言にては、例の七言に口なれたれば、ことたらぬ故に、くにゝはとよみ來れるなるべし。疑問のごとく、國にはとよみては義かなはぬ也。
童子又問 靡足波爾、此四字なびきしなみにとよみ來れり。可v然や。
答 足はあしの訓を上略して用ゐたるといふべけれども、過去のし義かなひがたし。なびける波にとよむべし。足はたるとよむ下の言をとれるなるべし。
童子問 鹽氣能味、此四宇しほけのみとよみ來れり。かゝるべきや。
答 鹽氣と書て義訓有べき古語もなければ、先訓にまかすべし。しかれども氣を濁りて訓べき歟。俗言にもいげといふこと有。鹽のいげとみるべし。しからばもし鹽氣をゆげと訓て、ゆげのうまくとよむべき歟。
童子問 味疑文爾乏寸といふ句、其意得がたし。先生賢按の訓も義もあらずや。
答 これは僻案の訓義あり。味凝をあぢこりとよみ來る事義不v通、うまごりとこを濁てよむべし。うまとは古語に稱美の辭に用ゐる例すくなからねば也。こりはおりにて、文といはん冠辭にうま織の文とうけ給へる語なるべし。あやにともしきははなはだめづらしきと稱する詞にて、日を尊稱の辭なるべし。世に希有なるものはめづらしきと稱する古語なれば、此大王は日(507)の神のみ子と稱し奉る意なるべし。されが歌の惣意は、清御原の宮に天下をしろしめしたる君の、いかさまに覺しめしてか、天下をしろしめさずして、天宮にはかへりたまふことぞといふ御歌とみる也。神風の伊勢國より下は日神の鎭座の御國なれば、皆日神のまします、國を尊稱したる詞にて、高照日のみこといひて、此日のみこいかさまにおぼしめしてか、伊勢の國にもましまさず、天宮には上り給ふ事ぞといふ御歌の意なるべしとみる也。此外に御意有ての御歌かはしらず、只御歌の詞にすがりてみずして、詞を添へ加へていはゞ、いかやうのことにもなりぬべけれど、古葉を釋するは只詞の有にしたがひて、牽強附會をさくるを正義の釋とす。
藤原宮御宇天皇代
大津皇子薨之後大來皇女從伊勢齋宮上京之時御作歌二首
童子問 大津皇子と大來皇女と兄弟にてましますや。
答 しかり。天武天皇のみこにて、同母の兄弟地。大來皇女は大津皇子の姉也、御母は大田皇女也。大田皇女は天智天皇の皇女也。
移葬大津皇子屍於葛城二止山之時大來皇女哀傷御作歌二首
165 宇都曾見乃人爾有吾哉從明日者二上山乎弟世登吾將見
童子問 宇都曾見は世の冠辭とのみ心得侍るに、人といふ冠辭にも用ゐるにや。
答 宇都曾見といふ辭必冠辭にあらず。第一卷に、中大兄三山歌に虚蝉毛嬬乎とも詠給ひて、今はうつゝの人うつゝの身ともいふ古語なり。うつせみともうつそみとも、皆おなじこと也。
166 礒之於爾生流馬醉木乎手折目杼令視倍吉君之在常不言爾
右一首今案不似移葬之歌盖疑從伊勢神宮還京之時路上見花盛傷哀咽作此歌乎
童子問 右二首の中一首はまことに移葬の時の歌とはみえがたければ、古注者の今案しかるべからずや。
(508)答 いな、此者古注者の今案かへりて心得がたし。いかにとなれば、大來皇女の前の二首の御歌にて見れば、大津皇子の薨は上京ありて聞召たる御歌ときこゆる也。大津の皇子の薨は順死にあらざれば、大來皇女にはしらせまつらずして。京にかへし來させ給ふなるべし。さればにや右一首の下句、歸京有て聞しめされたる御詞ときこゆる也。且路上見花盛とあること、馬醉木の花の盛時節たがへり。馬醉木は花盛は春の末より夏にいたりて花咲也。大來皇女いせの齋宮より歸京は日本紀にみえて、朱鳥元年十一月丁酋朔壬子奉伊勢神祠皇女大來還至京師とあれば、いかゞとおぼゆる也。
童子又問 右の一首歸京路上の御歌ならずば、移葬の歌とはいかゞみるべきや。
答 葛城山に移葬とあれば、墓所に詣給ふ時馬醉木を見て詠給ふと見るかへりてむつかしからず。二首の内前の御歌はいまだ葬めざる時の御詠とみえて、明日よりはと句中にあり、後の御歌は移葬て墓所に詣給ふ路上の馬醉木の歌とみるべし。礒之於爾と有初五文字も、二上山中の石のへに生たるとみえたり。
日並皇子尊殯宮之時柿本人麻呂作歌一首并短歌
167 天地之初時之久堅之天河原爾八百萬千萬神之神集集座而神分分之時爾天照日女之命【一云指上日女之命】天乎波所知食登葦原乃水穗之國乎天地之依相之極所知行神之命等天雲之八重掻別而【一云天雲之八重雲別而】神下座奉之高照日之皇子波飛鳥之淨之宮爾神隨太布座而天皇之敷座國等天原石門乎開神上上座奴【一云神登座爾之可婆】吾王皇之子命乃天下所知食世者春花之貴在等望月乃滿波之計武跡天下【一云食國】四方之人乃大船之思憑而天水仰而待爾何方爾御念食可由縁母無眞弓乃崗爾宮柱太布座御在香乎高知座而明言爾御言不御間日月之數多成塗其故皇子之宮人行方不知毛【一云刺竹之皇子宮人歸邊不知爾爲】
童子問 此歌訓のあやまり有てか、義やすくきゝ得がたし。先、天地之初時之の六字、先訓にはあめつちのはじめしときしといへり。賢訓もおなじきや。
(509)答 あめつちのはじまるときしとよむべし。
問 神集集座而の五字、先訓はまきあつめあつめいましてといへり。賢訓もおなじきや。
答 かみつどへつどへまさせてとよむべし。
問 神分分之時の五字、先訓かみはかりはかりしときのといへり。賢訓もおなじきや。
答 かみくまりくまりしときにとよむべし。
問 天照日女之命、此六字先訓はあまてらすひなめのみことゝいへり。いかゞ。
答 あまてらすひるめのみことゝよむべし。
問 一云指上日女之命、此六字をさしのぼるひなめのみことゝ先訓にいへり。いかゞ。
答 さしのぼるひるめのみことゝよむべし。
問 先訓の意は、天照日女之命は日並皇子尊のことゝきこゆる故に、あまてらす日なめのみことゝある天照の二字心得がたく、もし日といはん爲ばかりの冠辭に天照とあるやとうたがへり。今賢訓にあまてらすひるめのみこととあれば、此神號よみやすし。日女の二字をひなめとはよみがたし。かつ神分の二字もかみくまりとはよみやすく、かみはかりとはよみがたけれども、神集に集神議に議り給へるといふ古語は、神代の紀にもみえたる故に、さはよむことゝのみおもへるは、ならふて察せぬなるべし。しかれどもかみくまりひるめのみことゝよむ義を委曲に示し教へ給へ。
答 此歌は、人麻呂古書に據てよめるなるべし。日本紀古事記にはみえざれども、今の世に傳らざる神代の古事の書あまた有とみえたる事は、古記古語に明らか也。もし此歌の古事古記にみえずとても、日本紀の神代の古記にしたがひてかく詠めるとみても、其意たがふべからず。先天地之初時之とは、日月もいまだ位定り給はぬ時をいふべし。久堅之三字は天の冠辭也。天河原爾八百万千万神の神集は、古記の義釋に及ばず明か也。集座而、これをつどへまさせてとよむ義は、八百万の神みづから集ふにあらず、つどへまさする神有とみるべし。その神は天神也。その天神は伊弉諾册の二神に勅し給ひし天神也。神分分之時、これをかみくまり/\しときにといふ義は、日神月神蛭兒素盞嗚尊すべて八百万の神に、おの/\その所その物をつかさどりし(510)るべきことをよさし給ひて、万神をくだしたまひしときに、天照日女尊には高天原をしらしめたまふよしをのべたる詞とみゆる也。天照の二也を一には指上とあれども、天照の二字まさるべし。
問 天乎波、此三字先訓にはあまつをはといへり。しかるべきや。
答 しかるべからす。いかにとなれば、天の字をあまつとよむ事その例すくなからねども、それは皆下にいふ言につゞくる時助語につといひて、天神をあまつかみ、天社をあまつやしろといふたぐひ也。只天のみをいふ時あまつと用ゐたる例なし。此一句は天をばといふ古語なれば、あめをばといふは害なし。しかれどもあめをばといへば四言にて、古風例あれども、柿本人麻呂は古語の四言をもはじめて五言に詠めることあれば、この天乎波の三字も、五言の一句に用ゐられたるなるべし。これを五言によまんに、みそらをばとよむべき歟。
問 柿本人麻呂古語の四言を五言によめるとは、何を證據としてさ云へるや。
答 此集卷第一に載たる人麻呂の歌に、そらにみつやまとをおきてといふ句あり。是を證としてはいふ也。古語はそらみつやまとの國とあるを、人麻呂の歌にはじめてそらにみつと、にの助言を加へて五言によめり。此例をもちてあめをばといへば四言なれば、みそらをばと五言に用ゐられたることゝは爲也。
問 五言の證は承侍る。天の字をそらと訓る古證もありや。
答 右の人麻呂の歌に證あり。そらにみつといふ句に天爾滿と三字をかける、是を證例とすべき也。
問 所知食登、此四字を先訓にはしらしめさんといへり。しかるべきや。
答 しろしめされとよむべし。
問 登と有てにをは心得がたし。いかなる義ぞや。
答 此登は上にかへりて心得るてにをはの登也。天照日女尊は天をしろしめされと、神分りしりたまへる由來を述られたる詞也。これまでは天照大神の天位をかけ拾ふよしを述て、これより下は日女神の子孫として、此葦原國の君として天くだし給ふことを云へりとみるべし。
(511)問 天地之依相之極、此七字を先訓にはあめつちのよりあひのかぎりといへり。或説に極ははて也、地のはては天とひとつによりあふ心也といへり。可v然訓義にや。
答 依相之極四字、異訓有べき歟。先訓先義の説にても然るべし。
問 神之命等此四字、先訓にかみのみことゝいへり。可v然や。
答 等の字はたちと訓ずへし。とゝのみ訓ては、天照日女命より天武天皇にうつることわり、ことたらぬに似たり。文字も上に登の字をかき、こゝに等の字を書かへられたるも意有べければ、おなじくとゝはよむべからず。神のみことたちとよみて、瓊々杵尊より天武天皇までの日神の子孫の神等を、此一句にこめて詠るとみるべし。
問 神下座奉之五字、先訓にかみくだりいましつかへしといへり。可v然や。
答 これは先訓のまゝにてもしかるべし。しかれども奉之の二字はまつりとよむ方まさるべき歟。
問 高照日之皇子波、此七字をたかてらすひのわがみこはと先訓にいへり。可v然や。
答 皇子の二字をわがみこと訓がたし。たゞみことよむべし。ひのみこ古語なり。それをわがの二言をそへては古語にならず。わがといふ義も證もなし。
問 飛鳥之淨之宮爾、此七宇をあすかのゝきよめしみやにと先訓にいへり。
答 先訓しかるべからず。飛鳥之の三字をあすかのゝとはよみがたし。あすかのと四言によむべし。しかれどもこれも五言によまんには、之の字をなるとはよむべし。あすかなる意に飛鳥之とかける歟。此之の字一首にかぎらず、此集にのとのみよめば四言になり、なるとよめば五言になる句あまたあり。此歌の下にもあり。なるといふ詞にあるといふ三言を約したる古語にて、文字を用ゐば之の字相當ればなり。たとへば駿河之富士といふをするがなるふじといひて、するがにあるふじといふ義、あすかなるきよみが原もあすかにある淨見が原といふ義のたぐひをしるべし。且淨之宮をきよめし宮といふべからず。飛鳥も地名淨見も地名なれば、あすかなるきよみのみやにとよむべし。
問 神隨の二字をかみのまにと先訓にいへり。可v然や。
(512)答 しかるべからず。かみながらとよむべし。古語也。
問 太布座而此四字、ふとしきましてと先訓にいへり。可v然や。
答 是は先訓もしかるべし。しかれども而の字はいともと訓まほしき也。しからばふとしきませどもと反語の詞によめば、義やすき也。
問 高照日之皇子と下にいへる天皇とは、おなじ帝を指にや。
答 ことなり。日之皇子は天武帝を稱、下の天皇は持統帝を稱なるべし。
問 神上々座奴此五字を、かみあがりあがりいましぬと先訓にあり。可v然や。
答 しかるべし。天武天皇の崩御を神あがりといへる也。此神あがりし給ふは、持統帝に御世を傳へたまはんとてしかるよしをのべて、日並皇子の皇太子となり給ひ、終に天皇となり給ひ、天下をしろしめすべきことをいへり。
問 春花之貴在等此六字、先訓にはるはなのかしこからんといへり。しかるべしや。此句の意はいかなる義にや。
答 先訓しかるべし。かしこからんといはん爲の冠句に春花のとはかけり。香といはん冠なり。かしこからんとは、帝徳のすぐれてたつとからんことをかねておもふよし也。
問 望月乃滿波之計武跡此九字、先訓もちづきのみちはしけんとゝいへり。訓もしかるや。義はいかなるや。
答 先訓しかるべし。義は帝徳の天の下に滿をよばんと云義なるべし。
問 天下を一云食國とあるは、いづれかまさるべきや。
答 義おなじかるべし。しかれども上に天下の句あればこゝは食國のかたまさるべき歟。食國の二字をしくにと訓べし。
問 四方之人乃此五宇、先訓よものひとのといへり。六言なれば、これをも七言によまゝくほしき也。いかが。
答 七言によむべし。上の飛鳥之の三字をあすかなるとよむべしといひし所に、下の句にも之の字をなるとよむべき屏有といひしは、此句の之の字なり。よもなるひとのとよめば七言になりて、之の字なるとよみて、よもにあるひとのといふ句疑也。
問 大船之思憑而此六字を、先訓におほふねのおもひたのみてといへり。或説に大船はのる心のたのもしげ成ものなれば、か(513)く云なりといへり。此訓も義もしかるべきことにや。
答 しかるべからず。たのむといはん冠辭にも、おもひといはん冠辭にも、大船といふべきことわりなし。思憑而の三字異訓有べし。いまだ的當とおもふ異訓の僻案なし。思の字は此集にさま/”\に用ゐたれば、もしうらと用ゐたる歟。しからばうらたのみしてといふ句歟、うらにかゝりてなどゝよむ歟。憑の字は日本紀にもかゝると用ゐたる古訓おほければ、よるとかかゝるとかよむには、大船の冠辭もかなふべし。おもひたのむといふ冠辭には紆遠なるべし。猶後案に一決すべし。しばらく缺てさしおくべし。
問 天水仰而待爾此六字、先訓あまつみづあふぎてまつるといへり。或説に、義は天水は雨也。ひでりに雨のくだるを待心なりといへり。訓も義も可v然歟。
答 天水の二字異訓あるべき歟。先訓にしたがひもすべし。皆これ日並尊の天下をしろしめさば、帝徳貴くみちをよぶべきことを萬民おもひをかけて、めぐみを天をあふぐごとくにあふぎのぞみてまちしに、いかにおぼしめしてか、天下をしろしめさずして、はやく薨給へることを下に述たり。
問 由縁母無、此四字をゆえもなくと先訓にいへり。可v然や。或説にはよしもなくとよめり。可不いかゞ。
答 由縁を故と云義なればゆゑとかく也。縁の字は延のかななればかな違へば、これは義訓有べし。僻案にはよしもなくなどゝよむべき歟、はしもなくともよむべけれども、それは一字にても有べきを、由縁の二字あれば、よしもなくにても有べからず
問 一云刺竹之皇子宮人と有。皇子の冠辭に刺竹といへる義いかなることぞや。
答 此冠辭其義まち/\にして、いまだ一定正義を得ず。聖徳太子の御歌にもさゝ竹の君はやなぎと詠給ひ、さゝ竹の大宮人ともありて、天皇或は皇子或大宮人など、皆朝廷帝徳を稱するに竹を用ゐたる古語歟。しからずば箕といふものは竹を以てさしくみたる物故に、箕といふ冠辭にさゝ竹さす竹などゝいへる歟。よりてきみといふにもさゝ竹といひ、皇子といふにも刺竹といひ、宮といふにも刺竹といふにや。上古の冠辭の俗義によれば、箕の冠辭といはん古風にかなふべし。
問 歸邊不知爾爲、此六字を先訓ゆくへいさにしてといへり、しかるべきや。
(514)答 義はさるべけれども、句例みえねば異訓有べし。不知爾の三字いかにと義訓すべき歟。しからば六宇をゆくへいかなるとよむべくおぼゆる也。
169 茜刺日者雖照有烏玉之夜渡月之隱良久惜毛 【或本云以件歌爲後皇子貴殯宮之時歌反也】
問 此反歌の意如何。
答 日は天皇に比し、月を皇太子に比してよめるとみるべし。義明らかなる歌也。
問 或本云以件歌爲後皇子貴殯宮之時歌反也とある後皇子貴とは、いづれの皇子をさしていふにや。
答 貴は尊の字のあやまりとみえたり。後皇子尊は高市皇子の御子也。歌反は反歌の顛倒なるべし。後皇子の薨給ふ事すゑにあり、委くいふにをよばず。
或本歌一首
170 嶋宮勾乃池之放鳥人目爾戀而池爾不潜
問 島宮勾乃池之、此六字を先訓しまのみやまがりのいけのといひ、又勾の字をとまりのともかなをつけたり。いづれか可なるや。
答 とまりのいけのとよめるは誤也。古本朱に書入にも、二條院本シマノミヤカリノイケ尤用v之とあり、可v然也。
問 仙覺注釋云、此歌の發句おほくはしまみやのと點ぜるおほかるべし。證本とおぼしき本共にはしまのみやと點ぜり。皇子尊宮の舍人慟作歌どもをもちて心得合するに、しまのみやとよめるこれ全たき歟。或はくにしられてしまのみやはもとよめり。或はみたちせししまをみるときともよめり。或はたちばなのしまのみやにはあかぬかもともよめり。或はあさひてるしまのみかどにともよめり。しまのみやと和すべしとえらばれたり。第二句又あるひはまがりのいけのと點じ、あるひはまなのいけなると點ず。二條院の御本の流をみるに、しまのみやまがりのいけのと點ぜり。放鳥の事|有《或カ》抄には、みこのみやのかはせ給ける鳥
ける也。さればこのはなちどりは、その鳥とは名をはさ(515)すまし日本紀には、かもをぞ多くこの池にはゝなたれたりけるといへるとかけり。此はなち鳥といへるはかひたる鳥を後にはなちたるにはあらず。池にはなつとき遠くとびちらせじとて羽ねをよきほどに切てはなちおきたるを放鳥といへるなるべしと有。此説可v然や。
答 此池にかもをおほくはなたれたるよし日本紀にみえたるとは非。日本紀天式卷に、周芳國貢2赤龜1乃放2島宮池1といふことはあり。はなち鳥の事は、羽をきりて池にはなちかひ給ふといふ義しかるべし。籠にいれてかひ給へる鳥を薨後にはなちたるといふ義はかなはず。その證池のはなち鳥と有詞にてしるべし。
問 仙覺、注釋にもはなち鳥島の宮とよむべき事など長くいへども、人目爾戀而といふ句を釋せず。此句心得がたし。下にいけにかづかずといへることあり、何故に放鳥のかづかぬにや。
答 人目爾戀而此五宇異訓有べし。僻案にはこの五字をひとめしかれてとみるなり。皇子尊の御在世の時は人めしげき故に、放鳥も人めをおそるゝものなれば、池にかづきてかくれもせしに、今ははや皇子尊ましまさねば、まがりの池のほとりに人めかれて、放鳥の池にかづかぬを、はかなくあはれによめるなるべし。鳥は皇子尊のましまさぬをもしらずして、人めのかれゆくをしりわきまへずして、池にかづかぬぞ、かへりてはかなくあさましくあはれなりと見る歌なるべし。
皇子宮舍人等慟傷作歌廿三首
171 高光我日皇子乃萬代爾國所知麻之島宮婆母
童子問 高光の二字を先訓にたかてらすといへり。可v然訓にや。
答 高光の二字、たかてらすも高照の二字もあれば先訓もしかるべし。しかれども古語にはたかひかるといふ證語あれば、たかひかるとよむべし。
問 國所知麻之、此五宇くにしられましと先訓にいへり、可v然や。
答 しかるべからず。國とは食國のことなれば、くにしらさましと訓べし。
問 島宮婆母、此句いかなることにや。
(516)答 此集にあまた有詞也。皆嘆息の辭とみるべし。
又問 嘆息の辭を何とて婆母とはいふや。
答 これは語釋の傳によることにて、歌の詞の釋にはをよばぬ事なり。しかれども婆母は疑詞にて、やもといふがごとし。婆は濁言にてま也。さればまもになる也。まもはまことかもといふ義になる也。言は天下をもしらし給ふべき島の宮といひしはまことかも、まことにはあらず、むなしきこと也と、ことをうたがひて歎慨する意有ときの詞としるべし。
173 高光吾日皇子乃伊座世者島御門者不荒有蓋乎
問 此歌の蓋の宇は、益の宇の誤りならずや。
答 誤りなり。
175 夢爾谷不見在之物乎欝※[手偏+邑]宮出毛爲鹿作日之隅囘乎
問 此歌の欝※[手偏+邑]の字心得がたし。※[手偏+邑]は悒の字の誤りならずや。
答 誤りなり・。
又問 欝悒の二字、先訓おぼつかなといへり。歌の意おぼつかなにては此詞意やすくきゝ得がたし。賢按の異訓はなきや。
答 僻案の訓はこゝろうく也。
問 佐日之隅廻は古今集の歌にさゝのくまひのくま川と有、同所歟。隅廻の二宇はあやまりにはあらずや。
答 古今集のひのくま川、同所也。さゝのくまと有は誤りなり、さひのくま也。傳寫の僞としるべし。高市郡にあり。高廻一本に隈回と有を正とす。
問 御立爲之、此四字を先訓にみたちせしといへり。御館を作りしといふことにや。
答 しからず、皇子尊の立臨み給ひしをいふ也。みたちせしとよむはあしゝ、みたゝせしとよむべし。
182 鳥※[土+(一/血)]立飼之鴈乃兒栖立去者檀岡爾飛反來年
(517)問此鳥※[土+(一/血)]立の三字を、先訓とくらたちといへり。〓の字誤字ならずや。訓義もしかるべきや。
答 ※[土+(一/血)]は栖の字のあやまりなるべし。訓もとくらたちはいかゞ、とくらたてとよむべし。
問 鴈乃兒を或説にとくらは鳥屋也、かりの子は鳧の子也といへり。鴈の字を書てかもの子也といふ義心得がたし。しからばかな書にても有べき事也。鴈の字を書てあれば、直に鴈を古くはかりともいひたるにあらずや。
答 疑問ことわりいやちこなり。鴈の字あれば鳧のをとは云がたく、鳧の子にもせよ、鴈の子にもせよ、とくらをたてゝかひしといふを水鳥にはいかゞときこゆ。僻案はこれに異也。鴈の字は鷹のあやまりとみる也。日本紀にも雁と鷹と傳寫の誤りあり。そのうへ此日並尊狩し給ひしこと、此集の卷第一の柿本人麻呂の歌に日雙斯皇子命乃馬副而御獵立師斯時者來向と有歌にてもいちしるじければ、鷹を飼たまふなるべし。それを薨去あれば皆放ちやるを、舍人のかなしみいたみて、今放ちやるとも檀岡に飛反きたれとせめてのをによめるとみる也。
184 東乃多藝能御門爾肄伺侍昨日毛今日毛召言毛無
問 此東の字を、先訓にひんがしのといへり。古語はひがしとのみいふにて、ひんがしとは、後に讀法によみもしいひもするにあらずや。しかるを歌に今日よむとても、ひんがしのとよみても害なしや。
答 疑問ことわりいやちこ也。ひがしとのみいふ古語なれば、東の字をひんがしとよみならへども、歌にはひがしとのみよむべし、ひんがしとはよむべからず。さればこの東乃の二字ひがしのとよめば四言なり。古風にしたがひて四言一句も有べし。しかれども此舍人等の歌廿三首の内、只此一首のみ四言一句あることも疑ひなきにあらず。よりて僻案には、東乃二字をにしむきのとよむ也。此多藝能御門西に向たらば、東の御門といふにおなじかるべし。かくよめば五言一句になりて義もたがふべからず。前にも向南山の三字きたやまのとよめる訓例もあれば也。
185 水傳礒乃浦廻乃石乍自木丘開道乎又將見鴨
問 仙覺注釋に、この歌第四句古點にはこくさくみちをと點ず。その心をえず。もくさくみちをと和すべし。もくさくとはしげくさく也といへり。此説しかるべきや。
(518)答 しかるべからず。石乍自の三宇いはつゝじともよむべけれども、もくさくといふ句例もなく、又こくさくみちといへることも心得られず。よりて僻案は誤字有として、訓も義も異也。
問 水傳の二字、先訓はみづつてのといへり。これも異なるや。
答 みづつてといふ義心得がたし。水つたふとはいふべし。猶正義訓有べし。しばらくみづつたふにてさしおく也。
問 礒乃浦囘乃、先訓いそのうらわのなり。異訓有や、句意如何。
答 これは異訓有べからず。礒の浦といふ名所には有べからず、嶋宮なれば、池をほり山を築き、岩をたゝみ、海浦の形勢をもうつされたるを、直に磯の浦囘とよめるなるべし。上の歌にも島之荒磯ともあるにてしるべし。
問 石乍自、此三宇いはつゝじとよめる先訓、賢案とは異なるはいかなるや。
答 石乍自はいはつゝみと僻案にはよむ也。自の字みづからと訓あればみとよむべく、此集に例もあり。岩にて堤を築かれたるをいふなるべし。しからざれば次の句いはれず。
問 木丘開道乎、此五宇先訓を難ぜられたる上は、賢訓はいかなることにや。
答 開は關の字の誤りなるべし。木丘關にてこくせきとよむべし。石路岩徑をこゞせきともこゞしきとも古語にいへば、磯の浦回といふよりに、石堤の道はこゞせき道とよめるに縁あり。歌の意嶋宮の山海の形勢をうつさせ給へれば、磯の浦ともいふべき景色にて、石堤などのこゞしき道を皇子尊のましませし時は常に徃來せしも、今より後は復見るべからぬををなげく風情ときく也。
187 所由無佐太乃岡邊爾反居者島御橋爾誰加住舞無
問 此歌の所由無の三字を、先訓よしもなきといへり、これは如何。
答 この歌の所田無の三字をよしもなきといへば、所の字あまれるに似たり。これはゆゑもなきといふ訓かなふべき歟。猶異訓有べきか。
188 旦覆日之入去者御立之嶋爾下座而嘆鶴鴨
(519)問 此歌の旦覆の二字先訓あさぐもりといへり。これはあしたよりくもりたる日の入たるといふ義にみるべきや。
答 旦覆の二字は異訓有べし。疑問のごとくにては日覆るといへる詮なし。くもに入とはいふべし。あさぐもり日の入ゆくとはいふべからず。
問 賢案の訓はなきや。
答 なきにもあらねども、的當の訓ともおぼえねば、さしおきて後學の賢訓をまつ也。
問 的當ならずとも、しひて賢按の訓を示したまへ。
答 僻案はあしたにおほふと書たる字なれば、あしたの雲の名をいふべし。よりて横雲にといふ義字歟。皇太子の横薨をいはむとて横雲に日の入といへるは、暮の雲にこそ日入べきに、横雲にひの入とは、出給ふべき時節にかへりてかくれ入たまふを横雲にとよめる歟。横といふ詞おもしろかるべし。しかれども猶賢訓あらん歟。
問 日之入去者此五字、先訓はひの入りゆけばとあり、可v然や。
答 ひのいりぬればとよむべし。おなじ心にても、いりゆくといふよりいりぬるといふは、句例もあり、義もまたやすかるべし
189 旦日照島乃御門爾欝悒人音毛不爲者眞浦悲毛
問 此歌の欝悒の二字も、おぼつかなと先訓にいへり。可不いかゞ。
答 此歌にてはおぼつかなといへるは義よろしけれども、上句におぼつかなときりて、下句に眞浦悲毛といへる二きれになる也。古歌にも新歌にもこれを不v好事なり。第三句は第四句につゞく句にあらざれば、好句とせず。されば此歌にても心うくといへる、第四句につゞきてよろし。しかれ共猶好訓有べき歟。
191 毛許呂裳遠春冬片設而幸之宇陀乃大野者所念武鴨
問 此歌の春冬片設而の五字を、はるふゆまけてと先訓にいへり。まけてといふ句意いかなることにや。
答 まけてはまふけてといふことにもなるべけれど、しからば設の字にてことたりぬべく、片の宇あまれり。まけての訓は正訓には有べからず。僻案にははるふゆかけてと爲也。衣といふよりはるとうけ、衣は身にかけるものなれば旁言の縁も有べし。(520)片の佐字かたの訓のかをかり、設の字まふけのけをかりて、かけるとみる也。
192 朝日照佐太乃岡邊爾鳴鳥之夜鳴變布此年己呂乎
問 仙覺註釋云、此歌第四句古點にはよなきかへさふこのとしごろをと點ず。これ又其心をえず。この句をよなきかへらふと點ずべし。其故はみことのみや御かくれのゝち、かのみこのみやのとねり、さたのをか〔べにかよひける歌さきにすてゝみえたり。あるひはあさひてるさたのをか〕《補》べにむれゐつゝわがなくなみたやむときもなしともよめり。あるひはたちはなのしまの宮にはあかぬかもさたのをかべにとのゐしにゆくともよめり。しかればかのとねりら、さたのをかべにとのゐしにゆきかよふことの、とぶ鳥などの夜あくればなきてかへるに似たるとよめる也と有。此義いかゞときこゆ。可v然や。
答 しかるべからず。仙覺などは皆臆説のみにて故實にしたがはず。故實といふは、古語の例句の例といふものをしりてこそ此集を解すべきを、句例にも語例にもよらずして文字の上ばかりにてよめば、語意はきこえても歌にあらず。歌といふものは歌の句格句法句例ありて、俚諺俗談にことなるものあり。此歌も夜鳴變布の四字をよなきかへさふとよむも歌にあらず、歌にあらずといふ句例なし。又よなきかへらふとよむも、おなじく句例みえず。かくよみては俗語にて雅語にあらず。僻案は甚こと也變布の二字誤字なるべく、夜鳴も異訓有べし。さらずしては歌ともみえざる也。猶字例句例の例證有にしたがひて正義を得べき也。
強て問 賢按の異訓的當ならずとも示し給へ。且變布の二字思ひよらず、二字の内いづれか誤字ならんや。
答 夜鳴の二字異訓いまだおもひよらず。夜鳴、字のまゝにてよるなきとよむべし。よなきといへば俗言になり、よるなきとかよはなきとよまば俗言ならじ。誤といへば、變の芋戀の字のあやまりにて、戀布の二字はこひしきとならではよみがたし。しかれどもこひしきとよめば、よなきこひしきと七言にてはよなき俗言なればしかるべからず。よりて夜鳴の二字に異訓有べしとはいふ也。さるから僻案をしひていはず。されどもしひてとへるにつきていはむ。戀の字は此集にてはわびとよむ所あまたあれば、布はぬのゝ首音をかり用ゐて、夜鳴戀布をよるなきわびぬとよむべき歟。しかよむ歌の意は、朝日悲岡邊になく鳥は夜る らず、朝の日にむかひて音をあらはす鳥の、かへりて夜るなきわびぬること此年比ありしを、舍人のおもひ出て(521)不祥を示したる歟と今おもひ合せて愁傷する歌と見る也。
193 八多籠良家夜晝登不云行路乎吾者皆悉宮道叙爲
問 此歌の八多籠良家の五字、先訓やたこらがといへり、可v然や。句意いかなることにや。
答 やたこらがは八田子等之といふ義ときこゆる也。田子は田夫をいふ古語、あまたの義に八といへるか。家の字は、音には此集ケと用ゆる例にて、かと用る例なし。そのうへ濁音のかと用ゐたるもいかゞなり。僻案には我の字の艸を※[我の草書]とかけば、家を誤りて、家※[我の草書]似たれば眞に書て家になりたるなるべし。もし八多籠良はやつこらと通音に用ゐたる歟。しからば奴等と見て、賤夫の者の畫夜をすてずかよふ檀岡路を、吾者といへると、舍人のさながら宮にかよふ道とぞするとよめるなるべし。
問 皆悉の二字をさながらと先訓にいへり、可然や。
答 しかるべし。
柿本朝臣人麻呂献泊瀬部皇女忍坂部皇子歌一首并短歌
194 飛鳥明日香乃河之上瀬爾生玉藻者下瀬爾流觸經玉藻成彼依此依靡相之嬬乃命乃多田名附柔膚尚乎劔刀於身副不寐者烏玉乃夜床母荒良無【一云何禮奈牟】所虚故名具鮫魚天氣留敷藻相屋常念而【一云公毛相哉登】玉垂乃越乃大野之旦露爾玉藻者※[泥/土]打夕霧爾衣者沾而草枕旅宿鴨爲留不相君故
問 人麻呂一首の歌を皇女子二人に献らるゝ義心得がたしいかゞ。
答 疑問ことわりいやちこ也。是は泊瀬部皇女に奉れる歌とみえたり。古注にも或本引用せるしかるべし。疑らくは、忍坂部皇子に奉れる説あるを傍注にしるしたるが、混じて本文に入たるにても有べし。忍坂部皇子の五字は去べき也。歌もまた皇女に奉れる詞とみゆる也。
飛鳥明日香乃河云云
問 此長歌仙覺注釋にも、只一句劔刀の釋をくはへたるばかりにて、惣意を釋せられず。歌の首尾心得られず。疑らくは訓にた(522)がへる歟。先生の賢按有べし、悉く示したまへ。
答 此歌につきては誤字誤訓有とみえたり。僻案なきにあらず、問にしたがひていふべし。
問 飛鳥明日香乃河之上瀬爾、此十一字先訓にはとぶとりのあすかのかはののぼりせにとあり。賢按の訓とおなじきや。
答 ことならず。しかれども上瀬の二字を僻案の訓にはかみつせといふのみたがへり。
問 生玉藻者下瀬爾流觸從、此十字先訓にはおふるたまもはくだりせにながれふれふるといへり。如何。
答 ことならず、下瀬をしもつせと訓。
問 彼依此依靡相之、此七宇先訓にかよりかくよりなびきあひしといへり、可v然や。
答 句意はしかるべし、訓はしかるべからず。彼依此依の四字句例ある七言の訓有べし。相の字は根の字の眞を※[木+(日/ヒ)]ともかけば相の字と似て混誤したる歟。靡根しなるべし。相の字にてはやすからぬ所すゑにもあり。此外の歌にても根しとみればいとやすき句例あれば、誤字とおぼゆるなり。しかれども相之の二字にても此歌此所にては義に害なければ、しひて改むにをよぶべからず。僻案には※[木+(日/ヒ)]の字とみる也。
問 嬬乃命乃、此四宇いものみことのと先訓にいへり。しかるべしや。
答 しかり。嬬の字はいもともよみ、つまともよみ來れども、いもといへば婦妻にかぎりつまとよめば、俗訓にて婦人男夫をさしてもいふ詞なれば、兩用の通語なれば、つまのみことゝよむ義もあるべけれども、上より玉藻といひかけ來れば、いものみこと然るべし。すなはち川島皇子のいもは泊瀬部皇女なれば、此所のいもは泊瀬部の皇女をさしてよめるなるべし。しかれども此詞を川嶋皇子を指ていふとみれば、つまのみことゝよむべし。兩案好むにしたがふべし。歌の詞につきては、いもの命は泊瀬部皇女とみゆれども、始終の意を貫きては川嶋皇子とみゆるなり。
問 多田名附、此四字先訓にたゝなつくといへり。可v然や、義はいかなることぞや。
答 たゝ名つくともたてなつくにてもおなじかるべし。これは柔といはむ爲ばかりの冠辭なるべし。たゝなつくは盾を並べつくと云詞なるべしたゝなべていなさの山と古詠に有によれば、盾は矢をさけん爲につくものなれば、たてならべつくの義に(523)て、矢といはん冠辭なるべし。俗言にも楯をつくといふ語例有。うへにたゝなべてといふ句例によりてさはきこゆるなり。
問 柔膚尚乎、此四宇先訓にやははだすらをといへり、如何。
答 尚の字をすらと訓ずる例も有べけれども。此歌にてはすらの詞有べからず。僻案の訓にはやはらはだへをと爲。尚はうへとよみ又はかみともよめば、やははだがみを共よめる歟。やはらはだへとよむかたまさるべし。
問 劔刀於身副不寐者、此八字先訓につるぎたちみにそへねゝばといへり、可v然や。此一句仙覺注釋に、つるぎたちとふたつにはあらざるか。常のたちかたなといへるは、片齒にはをつけたる也。つるぎたちといへるは、劔などの如く|うらうへ《兩方》にはをつけたるときこえたり。此集の第十一卷の歌に、つるぎたちもろはのときにあしをふみしにゝもしなんきみによりなばとよめる也とあり。此義可v然や。
答 つるぎたちとは古は二名一物とみえたり。つるぎといふ所の古語にたちともあり。日本紀古事記等を參考してしるべし。かたなといふは片刃のものにて、つるぎといふとはこと也。後世はかたなをもたちと云は故實に異なるべし。此劔刀、身にそへといはん爲のみの冠辭なり。劍もたちも身にそへてはなたぬから此冠辭有なるべし。
問 名具鮫魚天氣留、此七先訓なぐさめてけるといへり。訓義いかゞ。
答 先訓の外異訓有べからず。義は川嶋の皇子を慰めたまへるといふ義とみるべし。
問 敷藻相屋當念而、此七宇を先訓しきもあふやとゝおもひてといへり。何とせん心得がたき訓ども也。もし賢案の訓はなきことにや。
答 此先訓は信用しがたし。前にいふごとく相の字もし根の誤りにてあらんや。しからば敷藻の二字一句にて異訓ありて、相屋常念而の五字はねやとおもひてとよむべき歟。しかれども此集卷十六竹取翁の歌に、信巾裳成者といふ句あり、此句しきもとみえたれば、古語にしきもといふ名ある歟。ひじきものには袖をしつゝもなどゝよめるも、本よりしきもといふ名ありて寢屋に敷物の名歟。さらば敷藻の二字しきもといふは古語なるべし。相の字をそへてしきもあふとは句例もなければ、相の字に異訓有べし。相は此集にまくとよまねば義かなはぬをあまたあればしきもまくといへる歟。まくはまふくを略してまくといへ(524)るにや。舗設といふこと常語なれば、敷裳をまふくといひて屋常とつゞけたる歟。屋常の二宇をやどゝはよみがたし、やとことよみて、屋床しのびてとよむべし。
問 玉垂乃越乃大野之、此八字先訓たまだれのこすのおほのゝといへり、如何。
答 此訓はあやまり也。玉だれのことつゞくることなし。玉をたるゝは、緒を用ゐたれば、をとつゞけんために玉だれのをちぬとよめるを、鈎の字の音を用ゐたる説甚誤りなり。其證すなはち此歌にて明也。古注者或本を引て越智野といへる是也。一云乎知野爾過奴ともいひて、緒といはん爲に玉垂のと用ひたる冠辭也。古今集に玉垂のをかめとよめるを、玉だれのこかめとよむ誤り先達古語にくらきより、あやまりをつたへたることおほし。これは僻案にも及ばず、明かなる事也。
問 玉藻者※[泥/土]打、此五字を先訓たまもはひぢぬといへり。又一訓にのたまもはひぢつといへり。いづれか是なるや。
答 たまもはひぢつとよむべし。打はうちうつとはいへども、ぬといふ音出る所なし。
問 不相君故、此四字あはぬきみゆゑと先訓にいへり、しかるべきや。
答 此故の字前にもいふごとくからと用たる歌おほし。さればこの歌にてもあはぬきみからとよむべし。歌の意は、泊瀬部皇女川嶋皇子をしたひ給ひて、葬りし越智野に墓詣したまへるよしをよめる歌とみれば、おのづから句意こと/”\く明かなるべし。
反歌一首
195 敷妙乃袖易之君玉垂之越野過去亦毛將相八方【一云乎知野爾過奴】
問 敷妙乃袖易之君、此七字を先訓しきたへのそでかへしきみといへり、可v然や。
答 しかるべからず。凡此集にて敷の字を皆しきとよみて句をあやまれること、あげてかぞへがたし。敷妙の二字はうつたへなるを、敷の字をうつとよむことをしらざるより皆しきとよみて、しきたへとは何のとやんともうたがへる人一人もなし。語釋を學ばず、古語にくらき故なり。うつたへとは、うつは賞美の詞にて、打麻打酒打木綿うつたへ、うつし國、その例すくなからず、たへは布の名也、布は麻にてもし木にてもして、衣服に用るもの也。よりて白栲とも書也。袖といはん冠辭也。されはうつた(525)へのそでかへしとよむべし。かへしとは袖をかはせしといふ詞也。はせしを約してへしといへる古語也。袖をかはせしとは、我そでを君に打かけ君の袖をわれに打かけたるといふ也。君とは川島の皇子を指てみるべし。
問 玉垂之越野過去、此七字先訓たまだれのこすのをすぎてといへり、是は誤にや。
答 誤れり。玉垂はをといはん冠辭のみ。越野はをちのとよむべし。證一云乎知野爾と有にてしるべし。過去の二字をすぎてといふては助語、かならず過去の二字はすぎぬるとよむべし。しかればたまだれのをちのすぎぬるとは、川島皇子を越野に葬送するをいふ也。
問 亦毛將相八方、此六宇先訓またもあはんやもといへり、是はよろしきや。
答 是はよろし。
問 一云乎知野爾過奴、此六宇はかな書のちがひのみ歟、義にもたがひ有るや。
答 句のたがひなり。越の字音はをつ也。をつををちといふは、くはつをくはちといふ類ひ也。をつのといはず、をちのといふ證此一云にて明か也。
問 此過奴は川嶋皇子ならず、泊瀬皇女の過行給ふと見る説はなきや。
答 あり、長歌に合せては、反歌の君を泊瀬部皇子を指て人麻呂よめるとみる方勝るべし。しかれども此反歌には、河嶋皇子を葬送する越野といふことをよめるとみる説もあしきにもあらねば、好む所にしたがふべし。
萬葉集卷第二童子問 終(【原本、乙、三終と有】)
(526)萬葉集卷第三童子問(【原本、三ノ一、子とあり】)
雜歌
天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首
童子問 此天皇とはいづれの帝にや。
答 第二卷のすゑに寧樂宮と標題ありて、此卷の初に標題なければ元明天皇歟。しからずば、此次の御製女帝の御歌とみゆれば持統天皇歟、兩帝の内なるべし。
235 皇者神二四座者天雲之雷之上爾廬爲流鴨
問 雷岳仙覺注釋に、三諸岳のことてゝ日本紀雄畧天皇の卷を引て、賜v名爲v雷と有文を擧たり、此説たがはずや。
答 たがはず。
問 皇者、此二字先訓すべらぎは又はすめろぎはとあり、或本の歌には王の一字を書ておはきみはと先訓にいへり、いづれか正訓ならんや。
答 三訓皆相かよはし用たればいづれにても可也。しかれども歌の詞に用ゐ來るには、おほきみはと用ゐたる古葉の躰也。後來は王の字をすめろぎとはよまず、おほきみともたゞきみとのみよむ也。
問 廬爲流鴨、先訓いほりするかもなり、いほりするとはいかなる義にや。
答 三諸山に行宮有てましましけるをいふなるべし。
右或本云獻忍壁皇子也其歌曰王神座者雲隱伊加土山爾宮敷座
問 忍壁皇子先訓おしかべのみこ也、たがはずや。
答 おさかべのみこといふべし。
(527)問 宮敷座、此三字先訓みやしきいます也、異訓はなき歟。しきますとはいかゞ。
答 異訓有べからず。敷とは稱美の辭也。ふと敷立、高しきなども古語にいふたぐひと見るべし。
問 雷岳を雷山ともよむべきや。
答 よむべし、いかづちのをかいかづちやま相通しいふなり。又かみをかの山といふも此雷山のこと也。
問 神山とは賀茂山をいはずや。
答 賀茂山をも神山といふは雷山の義也。古來雷をかみと呼來れり、なる神といはずたゞ神とのみもいへり。大和にて神山といふは三諸山の事なり、山城にて神山といふは賀茂山のこと也、別雷の神山也。
問 雲隱、此二字先訓くもがくれといへり。雲かくれいかづちとはつゞきがたからずや。
答 しかり、くもかくすとよむべし。
天皇賜志斐嫗御歌
問 此嫗字、先訓おうなといへり、たがはずや。
答 嫗は老女の稱也、和名に 無奈とかけり。女のかなはを也、おにあらず、しかるをおむなとかけるは、老のかなおいなればおいをんなを略せる語と心得べし。今おうなとかけるは、神主これをかんぬしともかうぬしともかく類の通例也。
236 不聽跡雖云強流志斐能我強語此者不聞而朕戀爾家理
問 志斐能我、此四字のかな能は助語とみるべき歟、我といふにて之たりぬべきに、能我の二言を用ゐる例も有にや。
答 此能はなとよみて、志斐能の三字にて志斐嫗の略詞とみるべし。なはおんなのなにて、之にはあらざるべし。
問 志斐は嫗の名とみえたり、傳もしれたるにや。
答 傳は未v詳、志斐は氏なり。姓氏録に志斐連大中臣同祖とみえたり。問 此者、此二字先訓このごろなり、者の字をころともよむにや。
答 此は比の字の誤りなるべし。比者にてこのごろと用ゐる義訓なるべし。
(528)志斐嫗奉和歌一首 嫗名未詳
237 不聽雖謂話禮話禮常詔許曾志斐伊波奏強話登言
問 志斐伊波奏、此五字先訓しひいはまうせ也、しひいと有伊の字は助詞にや。
答 伊は天皇の御製に據れば、能の字の誤りなるべし。斐は餘音いなれば、語の下に助音の辭を用ゐる例もあれば志斐伊ともいふべけれども、能の字の艸傳寫の※[言+爲]に伊とかけるとみる義やすかるべし。此集の誤字枚擧に遑あらねば、誤字誤訓を正すちからなくて、誤字誤訓のまゝにみては一首も作者の意にかなふべからず。しかれども誤字を改め誤訓を正す事たやすかるべからず。此集の全篇に融通し句例句證をしり、古語新詞を辨へしる人にあらずしては、いかでかをよぶべき。妄りに改正せば又臆説臆見牽強附會おほかるべし。たゞその人に在べし。
長忌寸意吉麻呂磨詔歌一首
問 意吉麻呂、これを先訓にいきまろといひ、亦をきまろともいへり、いづれか是にや。
答 兩訓ともにあらず、おきまろなり。意の字をいと用ゐるは後人の所爲也、古事記日本紀并此集その外古記は皆おといふかなに用ゐたり。いきまろとよむは日本紀の意美麻呂をいひまろといふたぐひにて、古記の訓をしらぬ人のいふこと也。意の字は皆おのかなに用ゐて、をのかなに用ゐることなし。意吉麻呂は奧麻呂と有是也。おみ《意美》麻呂は臣麻呂と有是也。
238 大宮之内二手所聞網引爲跡網子調流海人之呼聲
問 内二手、此三字先訓うちまでといへり、或先訓にはうちにてと有、いづれか是ならんや。
答 うちまでといふ訓是也。二手の字をにてとよめは下の所聞の二字をきこゆとよむべからず、きくとよむべし。
問 二手の二字までとよむは、二の字は又といふ義にや。
答 此集に左右の二字をまでと用ゐたれば、左右の手の義とみるべし。
問 網子調流、此訓も義いかゞ。
(529)答 調流は何にそろへるなどいふ義也。網子をあごといふ義也。網子をあごとよむはあみこの略也。直にあみことよみて調流の二字をしらぶるともよむべき歟。好むにしたがふべし。
問 此歌の惣意いかに心得べきや。
答 此歌は内二手所聞の五字の句にきゝたがへ有べき歌也。いかにとなれば、網引をするとて網子を調流聲は大宮の内にてきくべきことにあらぬを、今大宮の内にて海人の呼聲をきくはいと珍敷ことに感有をよめる歌とみておもしろかるべけれど、此義は非なるべし。其證端書にて辨ふべし、應詔歌とあればなり。内二手所聞、是をうちにてぞきくとよめば、奧丸獨聞くに似て私に憚有、うちまできこゆとよめば、私聞のみにあらず上下皆聞也。されば應詔は此海人の聲のきこゆるにつきて歌よむべき仰ごと有てよめるなるべし、よりて應詔歌と書歟。さらばうちまできこゆとよめる訓公私にわたりてよろしかるべし。
問 大宮の内までとあれば、此大宮は常の大宮には有べからず、いかゞ。
答 此大宮は行宮なるべし、難波などに行幸の時の事なるべし。此歌につきては持統天皇の時とみえたり。
右一首
問 此大宮の歌は、端作にも歌一首とあればまぎるべくもあらぬを、右一首と書るはいかなる意にや。
答 此集撰者の文にはあらず、是は古注者の文なり。もし右一首の下に注文もとは有しを脱失したる歟ともみゆれど、此集末にも幾所も右一首とかける所あれば、悉脱失したるともいひがたければ、もとより下に注文はなかるべし。僻案には、應詔とあるは撰者の文なれば、此詔ありし年月等をも考て注すべきが爲に、注者先右一首と書ておきたるまゝにて世に傳はりたるなるべし。此集再補の撰の勅もなければ、私に補撰して注を加へたる書とみゆれば、如2草稿1の集なるべし。よりて長皇子歟。
長皇子遊獵路地之時柿本朝臣人麿作歌一首并短歌
239 八隅知之吾大王高光吾日乃皇子乃馬並而三獵立流弱薦乎獵路乃小野爾十六社者伊波比拜目鶉己曾伊波比囘禮四時自物伊波比拜鶉成伊波比毛等保理恐等仕奉而久堅乃天見如久眞十鏡仰而雖(530)見春草之益目頻四寸吾於冨吉美可聞
問 長皇子は天武帝の皇子歟。
答 しかり。
問 獵路池、或説に石見國にありといへり、しかりや。
答 獵路池いまだ考得ず岩見國といへるは人麻呂の作歌と有によりてさる説有歟。歌の編次を見るに、攝津歟大和歟に在べし。長皇子石見國まて遊給ふべからず。僻案には大和により所あり。
問 八隅知之、此四字やすみしゝと先訓にあり、又一先訓にやすみしるとあり、いづれか是なるや。
答 やすみしゝ古語也、やすみしるは後人の臆説なり、用ゆべからず。
問 吾大王、此大王を或説に天武天皇を指といへり、いかゞ。
答 長皇子を指べし、其證古語に例あり。そのうへ此長歌の結句に吾於富吉美可聞と有、是即長皇子を指ていへり。
問 高光、此二字先訓たかてらす也、又一先訓にたかくてる也、いづれか是にや。
答 古語はたかひかる也。
問 弱薦、此二字先訓わかくさ也、一先訓にわかごもと有、題に獵路池とあれば、薦は水草なれば、弱ごもといふ訓然るべきか
答 しかるべからず。薦席藁曰v薦※[草冠/完]曰v席也。蒋とあらばこもとよむべし。わかくさといへる是也。薦は食薦などいふに穉蒋食薦などいふこと有。薦の字は、くさとか、かやとか、すゞとかよむべし、こもとよむべからず。此長歌も池に生たる蒋の義にはあらず、獵路の小野といはん冠詞に弱薦とあれば、かるとつゞけん爲のみの冠詞にて、池によれる歌の詞にあらず。此獵路とつゞけたる詞によれは輕池歟、又は輕は大和の地名にて人麻呂の妻の居たる地なれば同所なる歟、猶考べし。
問 伊波比拜目、此五字先訓いはひふせらめ也、一先訓にいはひをがまめ也、いづれか是にや。
答 是兩義也、好むにしたがふべし。ふせらめといふ義は、第二卷に人麻呂の歌の詞に鹿目物伊波比伏管とあれば、その句を證として、拜目の二字をふせらめとはよめるなるべし。をがまめとは八隅ししといふ故語を證として正訓に拜目ををがまめとは(531)よめるなるべし。兩義ともにすてがたけれど、第二卷の歌を證としてふせらめのかたまさるべし。
問 伊波比回禮、此五字先訓いはひめぐれゝ也、一先訓にはいはひもとほれ也、孰か是にや。
答、この詞もすでに第二卷の人麻呂の歌にみえたり。その上此歌の末の句にも伊波比毛等保理とみえたれは、めぐれゝはよろしからず。
問 春草之益目頼四寸、此八字先訓わかくさのましめづらしき也、一先訓はるくさのいやめづらしき也、いづれか是にや。
答 春草をはるくさとよむには異義有べからねども、首に弱薦の二字をわかくさとよみたらば、春草もわかくさとよむべし。古葉の一格は後葉とはたがひて、首にいひたる句を後にもいふことを是とすれば、おなじこと葉有べし。益の字ましは正訓ながらも句例すくなければ、いやとよむかたまさるべし。
問 わか草といふはすべて春の草をいふ歟、もし正月中までの草をいふ歟、二三月の草にてもわか草といふべふや。
答 わか草といふに月日の數限有こともなく、すべて春草をいふ事なれども、上古は大概の限りも有歟。此長歌の春草弱薦字を異にかけるには意有歟、刈とうけん爲の弱草なれば薦の字を用ひ、目頬四寸といはん冠辭のわか草なれば春草と書る歟。わか草は芽の出ていまだ大にならざるをいふ義なれば、生て七日までもいたらざるをいふべし。若菜といふもこれにおなじかるべし。史記五帝本紀は黄帝弱而能言と有注に、潘岳有哀弱子篇、其子未2七旬1曰v弱とあるは七十日にならざるをいふ歟。此義によれば草生じて七十日にならざるを弱といふ義ならば、春三月にもわたるべき歟。所詮若草のつまといふも角芽の義なればいまだ葉廣にならずのびざる間をいふとしるべし。
反歌一首
240 久堅乃天歸月乎網爾刺我大王者蓋爾爲有
問 仙覺注釋云、此歌古點には、久かたのそらゆく月をあみにさしわがおほきみはかさになしたりと點ず。濱成卿和歌式には、あまゆく月をあみにさしとかけり。空といひあまといふ同じけれども、古語には久かたのあまともいひあめともいふ也。ひとりだちにいふときにあめつちともいひ、あめにあるなどいふ、これ女聲なり。又ひさかたのあまかはらなどいふ常の事也。ま(532)とめと同行相近の故に、男聲をよべばあまといはるゝ也。此歌の落句かさになしたりとよめるは、その心詞こまやかならず。和歌式にきぬがさにせりといへる尤よろしきにや。此歌の心はひばりあみの、月のごとくまろにすきたるをもちたるはきぬがさに似たれば、そらゆく月をあみにさしわがおほきみはきぬがさにせりとよめる也とあり、此説是にや。
答 濱成卿の和歌式古訓なればしかるべし。久方のあめあま相通用ながら、古語はあめと用ゐたり。あまといへば助語を用ゐてあまの川あまのはらあまつ風のたぐひ也。
問 或説にきぬがさは皇子御獵にめしたる笠也。絹をもつてぬへる御笠也。その御かさの丸成をほめんとて月をあみてしたるみかさと云心也といへり。此説いかゞ。
答 しかるべし、蓋の字を書たればきぬがさなるべし。此時の皇子の蓋の制、月形などを網にさしたる御蓋なる歟、蓋の制は儀制令に大概みえたれども、月を網にさしといふ制に似たる制はみえざれば、若遊獵にめされし蓋異なるか、只此歌にてその別おしはかるべし。
或本反歌一首
241 皇者神爾之坐者眞木之立荒山中爾海成可聞
問 眞木之立、或説に眞木は※[木+皮]也、※[木+皮]は深山に立ものなればよめりといへり、深山に※[木+皮]の木のみあらばこそさもいふべけれ、もし※[木+皮]山などにかぎりたる山故に此詠有にや。
答 眞木を※[木+皮]と心得るは非也、たゞ木のこと也。山には木あれば山の冠辭に木立といへり。木とのみいへば歌詞にあらず、よりて發語をいひて眞木とはいふ也。たゞ此句のみにあらず木の板屋といふを眞木の板屋といふがごとし。眞木の板屋は※[木+皮]木にかぎりてする板にあらず、柱をまきばしらといふも、竹柱にもあらず、木のはしらを眞木柱といひ、草屋藁屋にあらで木の屋といはんとて眞木の屋といふが如し。ま木立山などいふを※[木+皮]立山と心得たる人あまた注にみえたるは、古語をしらぬ人の所爲なり
問 荒山中爾海成といふ義、いかゞ心得侍るべきや。
答 此反歌にて見れば海成は獵路の池を堀せ給ふことをよめるなるべし。山中に海をなし給ふことを神變の如によみなして(533)天皇を稱し奉る歌ときこゆるなり。此反歌によりてみれば、此時天皇の命によりて獵路の池を堀せ給へるにつきて、長皇子も此池を遊覽に出給へる歟。長皇子の池を堀せ給ふにあらざればにや、皇者神爾之坐者と有なるべし。前の蓋の歌は長皇子を稱し奉りたるとみえ、此歌は天皇を稱美し奉る歌とみゆれば、反歌一首と定本には載たるなるべし。しかるを古注者、或本には此反歌を載て、定本の反歌はのせざるを見て再載せるなるべし。
問 或本反歌は、一本には此反歌もあるを脱落したるかとおもひて載たるにあらずや。
答 しかるべからず。或本反歌一首とあれば、定本も或本も反歌は一首とみえたれは、脱漏を補ふには有べからず。
問。池を海ともいふべき證ありや。
答 和漢共にいかほどもあり、文選を見てもしるべし。此集の中にても例證あり、考合せてしるべし。
弓削皇子遊吉野時御歌一首
242 瀧上之三船乃山爾居雲乃常將有等和我不念久爾
問 御歌並春日王の和の歌、共に訓義ともうたがひもなくきこえれども、異訓異義など有ことにや。
答 異訓異義有べからず。
問 春日王とはいづれにや。
答 志貴皇子の子なり。
問 或本の歌を柿本朝臣人麻呂之歌集出とあるは人麻呂の歌といふ異説にや。
答 しからず、人麻呂集に出とは、弓削皇子の歌を人丸集には第一句を三吉野之とあり、居雲を立雲と有て、文字の異をあらはせるなるべし。人麻呂歌ともみるべからず。
長田王被遣筑紫渡水島之時歌二首
問 水島を仙覺注釋に肥後也とて、風土記云、球麿乾七里、海中有v島、稍可2七十里1、名曰2水嶋1、云云出2寒水1、逐v潮高下、云云とかける是歟。
(534)答 是なり。水嶋の名のおこり、日本紀景行天皇の紀を見てしるべし。
245 如聞展貴久奇母神左備居賀許禮能水島
問 此歌の居賀といふ詞心得がたし、いかゞ。
答 此賀は哉《カナ》といふ賀なり、疑ふ詞のかにはあらず、嘆の意有賀也。居といへるはかの仙覺引用る風土記の説にて心得らるべし。海中にむかしより居て變らざるを稱したる義也。
問 許禮能水嶋、此句は此水島と云詞と聞ゆる也。今ならばこゝの水嶋と讀べきを、これの水嶋とは云可らず。是古葉の詞にや
答 能の字を今は皆のとよむが故に、此疑ひ有なるべし。むかしはおほく能をなと用ゐたる也。さればこれな水嶋といひてこゝの水島この水島といふ詞にはあらざるべし。これぞ水島これや水島などいふごとき水嶋を、むかし今に變ぜざるを眞貴久神さび居かな、水島はこれかなといふ意に稱したるを、これな水島とよめる歌とみるべし。
246 葦北乃野坂乃浦從船出爲而水嶋爾將去浪立莫勤
問 仙覺注釋に、葦北の野坂の浦は肥後國也とあり、是なりや。
答 是なり。
問 同釋云、此長田王歌二首有中に、さきの歌には神さびをるかこれのみづしまといへり、次の歌をみしまにゆかん波たつなゆめと點ずる事聊不審也、同所の名を心にまかせてたちまちにいひかふること、愚老管見にして未2見及1。みづしまにゆかんと點ずるもあながちにあしかるべきにもあらず。然てみしまにゆかむといへるは其義よろしと思へるにや、重待2後賢1治v思而已とあり。賢評はいかゞ辨給ふべけんや。
答 これは仙覺いへる是なり。前の歌にて水島の二字をみしまはとよまば次の歌みしまにゆかんにても有べし。前の歌をこれなみづしまと字留によまずば、兩首ともにみづしまとよむべき也。
問 長田王いづれの子にや。
答 長皇子の子也、長皇子は天武天皇の皇子也、第一卷にみえたり。
(535)又長田王作歌一首
248 隼人乃薩摩乃追門乎雲居奈須遠毛吾者今日見鶴鴨
問 此歌の意たしかに得がたし、遠くおもひしをけふちかく見るよしにや。
答 しかるべからす。又長田王作歌とあれば、肥後にて此歌も作れるなるべし。しかれば薩摩迫門は音にのみ聞しかどもけふは遠ながらもそことみることをよめる歌なるべし。雲居なすは雲居のごとくはるかにもけふ見る意なるべし。薩摩の迫門に至りてよめる歌とはみるべからず。
柿本朝臣人麻呂※[羈の馬が奇]旅歌八首
249 三津埼浪矣恐隱江乃舟公宣奴島爾
問 舟公宣奴島爾、此六字先訓ふねこぐきみがゆくかのしまにといへり、かくよまるべきにや、義も心得がたし。賢按の訓はなきにや。
答 下の句よみがたし。宣の字はのるとよめば、舟に乘の義なるべし。奴島をのしまとよめるはあしゝ。次の歌の野島とおなじこと也。日本紀の古語野は皆ぬとよむ、後にはのとよみて、ぬものも五音相通なれば害はなけれども、ぬしまとよむべし、古語也。此歌文字の漏脱したる歟、異訓有べくもみえず、しばらくさしおきて異本をまつべし。
250 珠藻苅敏馬乎過夏草之野島之埼爾舟近著奴
問 仙覺注釋に、この歌古點にはたまもかるとしまをすぎてなつくさのゝしまのさきにふねちかづきぬと點ぜり。又或本には第二句はやまをすぎてと點ず。ともに不2相叶1。みぬめと和すべし。むとぬと同韻相通也。讃岐をさぬきといひ、珍海をちぬの海と云がごとし。されば此集第六卷、過2敏馬浦1時山部宿禰赤人作歌、御食向淡路嶋二直向三犬女乃涌能とかけり。又同卷過2敏浦1時作歌、詞中云、八嶋國百船純乃定而師三犬女乃浦者とかけり。同反歌云、眞十鏡見宿女乃浦者百船過而可徃濱有七國、然則敏馬無v爭みぬめと和すべき也。されば今の第三卷※[羈の馬が奇]旅歌云、嶋傳敏馬崎乎許藝廻者日本戀久鶴左波爾鳴と云。第二の句、或本(536)にみぬめのさきをと和す、尤その心を得たるをや。第四句野嶋のさきと點ず、よろしからず、のしまがと點ずべし。第十五卷當所誦詠の古歌の中にも野島我左吉爾伊保里須和禮波とかけるなり。このみぬめは攝津國にあり、のしまがさきとは淡路國にありとみえたり。私云、攝津國風土記云、美紋賣松原、今稱2美奴賣1者神名其神本居2能勢郡美奴賣山1、昔息長足比賣天皇、幸2于筑紫國1時、集2諸神祇於川邊郡内神前松原1、以求2※[示+止]福2、于v時此神亦同來集曰、吾亦護v治、仍諭v之曰、吾所v住之山有2須義乃木1、各宜v材、採爲v吾造v船、則乘2此船1而可2行幸1、當v有2幸福1、天皇乃隨2神教1、遣2命作1v船、此神船遂征2新羅1、
一云、于v時此船大鳴響、如2牛吼1、自v然從2對馬海1還到2此處1、不v得v乘、仍卜2占之1、曰神異所v欲、乃留置、
還來之時、祠2祭此神於斯浦1、并留v船以献、亦名2此地1曰2美奴賣1、敏馬浦此處歟
とあり、此説是なるや。
答 仙覺注釋是也。たゞ野嶋をぬしまとよむことをしらざるのみ也。風土記も眞記なるべし。
問 夏草乃野島とつゞくる義いかゞ、夏は草しげれば、夏草のしげる野とつゞくる意によめるにや。
答 しかるべからず。木は山に生草は野に生る故、野といはん冠句に夏草のとはよめるなるべし。木の神を山雷といひ草の神を野雷といふ神號の古義によるべし。
問 玉もかるの歌を新拾遺集に載らるゝにも、としまを過てとあり、其も誤りにや。
答 代々集に万葉集の歌をのせ、あやまらずして載られたるは數すくなし。古葉の學問をしりたる人なき故なるべし。此歌のみぬめは仙覺いへるごとく、此集の全編にわたりて考ず、みだりに字のまゝに訓ては、としまともはやまともよむべき也。舍人親王をいへひとゝよみ、やどとよむたぐひあげてかぞふべからず。
一本云處女乎過而夏草乃野島我埼爾伊保里爲吾等者
問 此一本の歌心得がたし。先處女の二字を先訓をとめといへり、をとめといふ地名有歟。
答 をとめといふ地名所見なし。然れ共處女の二字にてもみぬめとおなじかるべし。これ義訓を用ゐたる歟。處女は相見ぬ女の義をとりて、みぬめをとめおなじくいへる歟。風土記などにて決すべきこと也。
(537)問 吾等者、此三字先訓われはといへり。等の字をれと用ゐたる例あるにや。
答 等の字はらと用ゐたれば、この句もわらはとよむべし。我ことを古語にわらともわれともわろともかよはしいへり。
問 伊保里爲とは廬を作りて居ることにや。
答 しからず、後世はやどりすといふ詞也。
251 粟路之野島之前乃濱風爾妹之結紐吹返
問 粟路之此三字、先訓あはみちのといへり、淡の國の路といふことにや。
答 しからず、粟路あはぢとよむべし。初句を五言にせんとおもひて、あはみちのとよめるなるべし。古語古句をしらざる故也。四言一句いかほどもあればあはぢのとむかしはよめるなるべし。もし此句五言ならばあはぢなるとよむべし。之の字をなるとよむは義相通ふ也。大和のといふをやまとなるといひ、するがなるをするがのといふたぐひ、相通ふ詞なり。
問 濱風爾妹之結紐吹返、此句意は濱風のはげしきをいへるのみ歟、意有や。
答 たゞ濱風のあらきをいふのみの意にあらず、野島之埼の濱風といふ詞につきてよめる下句とみるべし。これ古語をしらずして此集の人麻呂の歌などと解べきにあらず。野島のぬといふを寢る詞にかよはしてよめるなるべし。妹之結紐をば、かのいせ物語にいへる、あひみるまではとかじとぞおもふとよめる夫婦の貞節をも、旅行の身心にまかせずして、濱風のあらきに吹返されてはとけぬべくなり行をよめる、人丸の心にあらぬことを含める歌ときこゆるなり。妹より外にはとくべからぬ心をもしらで、濱風はげしきにあへる旅行の述懷也。此歌によりてみれば、前の歌の處女乎過而の過而の二字、よきてとよむべきかとおもふ也。夜來ての詞にかよへば、ぬしまが埼にとはつゞけられたるなるべし。皆古葉の語を存たる作なり。古語古葉の句格をしらでは解すべからず。
252 荒栲藤江之浦爾鈴寸鉤白水郎跡香將見旅去吾乎
問 荒栲藤江之浦とつゞける意はいかゞ。
答 たへは布の名也、布に麁き強きあり。藤を布とする甚あらき布なれば、藤の冠句に荒栲とは置也。
(538)問 しからば麁布とこそ書べけれ荒栲と書義はいかに心得べきや。答 荒は借訓也、栲は義訓也、上古布には栲の木の皮を以て布に織作れば、布の義に栲の字を用ゐ來れり。
問 栲の字を韻言字書あまた考へても布に作る木にあらず、上古より栲の字を用ゐ來るは、譯の誤りにあらずや。
答 譯の是非ははかりがたし。僻案には傳寫の※[言+爲]にて、後世栲になりたる也。本字は※[楮の草書]なるを、楮の艸を楮と書を、栲の艸※[木+考の草書]に混じて一書にあやまれるより、万卷に及びたるなるべし。
問 栲にもせよ、楮にもせよ、たへとよむは布よりいへるは、木の名はいかにといふべきや。
答 木の名はたくといふなり。よりてたくぶすまたくぬのなどいふ古語有也。
問 鈴寸鉤、此三宇すゞきつるとよめり、鉤の字をつるともよむや、鈎の字の誤りならずや。
答 鉤の字にても義訓につるとよむべし。借訓とみるべし。釣鉤傳寫の誤おほければ誤字にても有べき歟。異本もし釣に書たるあらば誤字と決すべし。鉤にても誤訓と決すべきことにはあらず。
問 藤江之浦はいづくに在や。
答 播磨に在。
253 稻日野毛去過勝爾思有者心戀敷可古能島所見
問 稻日野、此稻日野播磨なるべし、いなみ野といはずや。しかるに今稱日野とかけるはひとみと横通故にかくもかけるにや。
答 伊奈美も稻日もおなじこと也。訓に書とき清濁にかゝはらざること此集の例也。音をかるには清濁の差別有なり。ひの濁音み也、よりて稻日の日の字清音にはいふべからず。濁音に備といふ歟、日の字を美《ミ》といふ歟也。日をひと清音によむは、語釋をしらぬ誤りなり。横通の義にあらず。
問 仙覺抄云、いなび野もかこの嶋も播磨國也、心戀しきとはこひしき也、ものを云にこゝろと云ことばをいひそふる事もあり、心よしとも心うしとも心かなしともいふがごとしと有、此説是にや。
答 古葉に心といふ詞をよむには、より所ありてよめり。たゞこひしきといふまでに心といふことをそふるにはあらず。此集(539)の句例句格ををしらざる説也。後にいふべし。
問 此歌の惣意は、稻日野の風景ををしみて行すぎがたくおもへば、又かこの島のみゆるにゆきてみばやとおもへば、心さだまらぬよしにや。
答 しかるべからず、人麻呂の風格地名によりて作られたる歌おほければ、此稻日野かこの島の名によりて此歌は解すべき也。※[羈の馬が奇]旅の情行てみばやの情よりは、名殘をゝしむ情まことなり。されば稻日野も行過がたきにをしむさへ有に、鹿兒の島の見ゆる名殘猶いやます情なるべし。いなびといふ名は心にしたがはぬ名にかよへば、むつましからぬ名の所なれども、それも立わかれむことをおもへはしたはるゝに、ましてわれにしたがふ名のかこの島のみゆる名殘をしむ情をよめるなるべし。これいなびといふと兒といふとの名につきてよめるとみえたり。されば心戀敷とよめるなるべし。心といふはこゝらとおなじく、あまたの意有所に用ゐる詞也。これ古葉の一格なり。此歌の思有者の三字をわびぬればとよむべし。しからずば心戀敷の三字をこころわびしきとよむべき也。あまた所|字《カ》名殘を惜むよしときこゆる歌なり。
問 一云潮見とあり、この潮見の二字はしほみゆとよむべきにや。
答 いな、しほみゆとよむべからず、うみゝとよむべし。古本にもうみゝゆとよめり。
問 思の字をわぷともよまるべきことにや。
答 此集全篇にわたりてみるべし。思の字戀字念の字、歌によりて、いづれもおもふとかしぬぶとかわぶるとか、縁にしたがひてよむべき也。されば先の歌の思有者の三字、おもへればといふ詞にては、れの言あまれるに似たり。おもへばにてたるべし。よりて此歌にては、思有者の三字わびぬればとよむかたまさるべき歟。しからば心戀敷の三字をこゝらこひしきとよむべし。かこといふ名につきては、わびしきといはんよりはこひしきとよむかたまさるべき歟。
問 こゝらこひしきといふならば、いなみ野の名殘をおもふに、かこの島のみゆるに慰む意もあるまじきや。
答 さる風情も有べけれども、稻日野毛といふ毛の字をみれば、心にいなむ名の所さへも過勝とよめるをみれば、戀しきかこの島もみえて名殘いやます風情有べき歟。慰む意は※[羈の馬が奇]旅の歌の情にはいかゞなるべき歟。それも歌によりてさる風情もあれば(540)好むにしたがふべし。
254 留火之明大門爾入日哉榜將別家當不見
問 仙覺抄云、此歌古點にはともしびのあかしのせとゝ和せり。せとゝほおほくは迫門と書てよめり。せはき所と聞えたり。大門とかきてせとゝ和すべからず。仍今あかしのなだと和する也。なだはなといふはなみなり、阿波國風土記云、奈汰【奈汰云事者其浦波之音無2止時1依而奈汰云海邊者波立者奈汰等云】たと云はたかき義也。海の面渺々として波高き所也。なだと云ははりまなだといへる心なるべし。よりてあかしのなだと和するなりと有、此説是ならんや。
答 大門をせとゝよむべき義もなく證もなければ、仙覺古訓改むる意は是なるべし。大門をなだといふ義はあたるべくもあらず。僻案には大の字は傳寫の誤りにて水の宇なるべし。水と大とは眞にても字形誤りやすく、艸にても※[水の草書]※[大の草書]相近ければ、水門にてみとゝよむべし。是古語古訓なれば、人麿の歌おほく古語あれば也。なだといふ義歌の首尾にかなはず、せとは猶不v叶、水門はあかしのとゝいふにもおなじければ也。
255 天離夷之長道從戀來者自明門倭島所見
問 此歌の倭島を、或説に淡路にありといへり、しかるにや。
答 しかるべからず。倭島は大和の事なるべし。
問 島とあれば、大和にはあらざる歟。
答 大和島ねともいふ、秋津洲といひ、しき島、皆大和のこと也。
問 前の歌の明水門爾入日哉と有歌の次なれば、此歌は倭より石見などへゆける旅中の作にあらずや。
答 此人麿の八首の歌は一時の歌ともみえず、石見へ上下の歌をもまじへて八首の中に入たるなるべし。さみれば前のあかしの水門の歌は、石見へ下向の時の歌、此明門より倭島みゆとよめる歌は、石見より上京の時の歌とみるべし。その證據は歌詞の中におのづからそなはれり。
問 右の歌を新古今第十※[羈の馬が奇]旅歌、題しらず人麿、あまさかるひなの長ぢを漕くればあかしの戸よりやまとしま見ゆと載られ(541)たり。戀くればを漕くればと有は、人まろの歌を直して入られたること歟。
答 新古今時代にも、万葉集は本文よめざる故に、かながきの本にてもありしを正歌としてのせられたるにて有べし。戀來ればとありてこそ歌の情も顯れたるを、漕くればといひては歌の情もなきに似たり。そのうへ上にも下にも船ともあらば、戀よりは漕といはむまさるともいふべし。さもなければ、戀來ればこそまさるべし。たとひ戀來ればより漕くればといふ甚まさりたりとも、歌の聖ともあがまへる人麻呂の歌を、いかに新古今時代の歌人人丸よりすぐれたりとおもへるとも、人丸の歌を直して入らるべき理りもなく、あまりとては謙退辭讓もなき事也。されば改め直して入られたるにはあらず、万葉集の正本をみずして、かな書などの本の有たるを見て、それにしたがひて入られたるなるべし。此集第十五卷にも、安麻射可流比奈乃奈我道乎孤悲久禮婆安可思能門欲里伊敝乃安多里見由と載たるを、古注者柿本朝臣人麿歌曰、夜麻等思麻見由とかけり。此等を以ても鯉來ればなるを、漕くれはとあるはあやまりといはんや、ひが事といはんや、口を閉より外はなし。
一本云家門當見由
問 此一本云とは古注者の云歟、撰者の云ける歟。
答 古注者の引けるなるべし。家門の門は乃の字の傳寫の誤りにて、いへのあたりみゆなるべし。その證には前もいふごとく、此集卷第十五の歌には此歌を當時誦詠古歌の中に出して、下句安可思能門欲里伊敝乃安多里見由とあれば、これを一本云と引る歟、別に倭島所見を伊敝乃安多里見由と歟、家乃當所見とかありし歟、いづれにても異義有べからず。歌の意は、夷の長道を戀來れるに、明の門より人丸の家のあたり見ゆとよめる詞の中に、よろこべる情いはずしておのつがら顯れてきこゆる也。
256 飼飯海乃庭好有之苅薦乃亂出所見海人釣船
問 仙覺抄云、けひの海は越前也。にはよくあらしとは、海上の風波しつまりてなぎたるをばにはと云なり。にといふはやはらぐことばなれば、日のやはらぎたるをにはと云なるべしと有、此説しかるべきや。
答 日の和らぎたるをにはと云説用ゐがたし。俗に日和と書故に此説有歟。しかれども爾波とかなもあり、又は庭と云字を書たれば、和の宇はかな違ひ也。
(542)問 飼の字をけとよむ義は、いかなる義にや。
答 飼は笥の字の誤りなるべし。
問 苅薦の二字をかりごもとよむ義は、いかなる義にや。
答 苅は刈の字を古來誤て苅と云書、薦は蒋を席にしたるを薦といへば、借訓にこもと用ゐたるなるべし。薦の宇はすゞとよむ古訓なり。義訓にはかやとよみて、かるかやとよむべきことゝおぼゆれども、此集卷第十五に此歌を古注者引るに、可里許毛能美太禮※[氏/一]出見由安能都里船とあれば、ふるく苅薦二字をかりごもとよみたるとみえたり。しかれども第十五卷のかながきも古注者のしるしたれば、万葉集の本文にあらず、古注者より訓あやまれるにても有歟。第一卷に踪麻形の歌をも和歌に似ずといへるたぐひ、たがひもあまたあれば、苅薦の二字はかるかやにても有べき歟。蒋といふものかればとて、さのみみだれやすきものにあらず、かやはみだれやすければかるすゞもしかるべけれども、かるすゞは此集にては用ゐられても、古今以下の集の詞にみえず。かるかやのみだれをよめることは擧てかぞへがたければ、万葉古今の例に相通じて、かるかやとよむかたまさるべし
一本云武庫乃海舶爾波有之伊射里爲流海部乃釣船浪上從所見
問 一本の説に、武庫の海と飼飯海とは甚ことなれば、是非をいづれと辨べきや。
答 飼飯海は誤りなるべし。人麿越前國へ行たまへること此歌の外には万葉集中にもみえず、只此一首を證とせん事もいかゞなり。そのうへ一本に武庫の海とある上は飼飯海はすつべし。飼飯海の文字の誤り有も、本より第一句傳寫の誤有一證にもなるべし。
問 舶爾波有之、此五字先訓ふなにはならしといへり。しかれども舶爾波といふ詞も外にみえず、爾波ならしといふ詞もなし。いかゞ辨へ侍るべきや。
答 これ亦傳寫のあやまりなるべし。第十五卷の歌に武庫能宇美能爾波余久安良之とあれば、舶の字はすてゝ好の字を波の下有の上におくべし。しからば第十五卷の歌とおなじくして義もやすし。傳寫の誤りの證據には、此句もし前の歌と異ならば、古注者十五卷の歌の左位に異句をしるすべし。異句をし(以下缺)
(543) (三ノ一子終)(以下原本、三ノ二丑トアリ)
鴨君足人香具山歌一首並短歌
257 天降付天之芳來山霞立春爾至婆松風爾池浪立而櫻花木晩茂爾奧邊波鴨妻喚邊津方爾味村左和伎百磯城之大宮人乃退出而遊船爾波梶棹毛無而不樂毛己異人奈四二
童子問 仙覺註釋云、あもりつくとはあまくだりつくと云詞也。あまのかぐ山大和國也。此山の名を和するにかぐ山とも點じ、かこ山とも點ず。くとことは同韻相通なれば、いづれもいはれ有べけれども、來の文字をかけるところをば、こともくとも和すとも、具とかけるをはくと點ずべし。ことも讀むことわり有べけれども、そのまさしきいはれをとるべし。天のかぐ山とは空の香のかほるところなればいふといへり。空の香のかほるにつきて、天の香はことにうつくしければ、かぐと云べし。くと云はくはしと云ことば、くはしとはこまやか也、ほむる詞也。あもりつくあまのかく山とつゞけたる事は、空の香のかほりくればあもりつくともよめると心得つべし。又阿波國の風土記のごとくば、そらよりふりくだりたる山のおほきなるは、阿波國にふりくだりたるをあまのもとやまと云。その山のくだけて大和國にふりつきたるをあまのかぐ山といふとなん申す。此義によらば別の心得やうもいるべからず。あまくだりつきたるあまのかぐ山と云つべしと有。いづれか正義にや。
答 天のかぐ山を空の香來るなどは甚僻事也。香來山とかき又は香山とかきてもかぐ山と用ゐられたる故に、さる説をなすなるべし。大和を此集に山跡と書るにつきて山あとゝいふがごとし。皆文字につきて説を作りたれは古義にあらず。阿波國の風土記の説古老の傳なれば古義なり。此歌の詞も古義につきてよめるなるべし。文字にも天降付三字あもりつくとよみ來れることうたがふべからず。阿波國の風土記全記世にみえねども、古記に引用の文にみえたる説、天より降りたるよしあれば此歌にかなへり。天香山天よりくだりたるなどゝいふ由を今の世の人はうたがふべきことなれども、天香山にかぎらず美濃國の喪山の本源をも日本紀神代紀に載られたるにてもしるべし。本邦の教皆天を本として、帝皇をも天孫云云、人臣も天神の裔と傳へ(544)て、道の本源天に本づく教なれば、大和國の香山も、本天に有し香山の降りて地に付たるといふこと怪しむべからず。これをあやしまば天孫の天降り給ふことをも怪むべし。空の香のくだるなどゝいふ説本邦の神教をしらざる説也。
問 天降の二字をあもりとよめるは是にや。
答 此集のかなにかける所にも|あもり《安母里》とあれば是なるべし、是約語也、あめよりといふ約也。約言約語をしらざれば古語をときがたし。
問 大晩茂爾、此四字先訓にこのくれしげにといへり、しかるべき訓にや。
答 このくれしげには文字のまゝによめるなれば、歌詞になりがたし。僻案の訓はこれにことなり。晩は末なれば木晩の二字をこずゑとよみ、茂爾の二字をさかりにとよむ。此集は字義と歌詞と相かなふこと正訓とす。字義にかなひても歌詞に句例なければとらず、又歌詞にかなひても字義にそむくはとらず。これ予が此集の先訓にしたがはぬ一僻案也。故に予が改訓を必是ともせず、字義にかなひ歌詞にかなふ雅訓あらば又それにしたがふべし。必家訓をも是とすべからず、ただ句例にしたがひ古實にそむくべからず。
問 奧邊波鴨妻喚、此六字先訓におきへにはかもめよばひてといへり。奧邊とは奧と邊とのことにや、又かもめといふは鴎のこと歟、池に鴎すむべきにあらず。よりて鴨の妻をよぶをかもめよばひてといふ説あり。いかゞ辨へ侍るべきや。
答 奧邊は奧と邊とにはあらず、奧の方といふ義也。此集に行へといふへに邊の字を用ゐたることを考合せてしるべし。鴨妻は鴎とみるべし。香山の池甚大なるが故に奧も邊もよめるなり。常の小池には奧邊をよむべきことにあらず。如v海の池なれば水鳥皆集わたる景色をよめるとみえたり。大池には鴎もより來れる也。其證には此集第一卷舒明天皇の天香具山に登り給ひて國見し給ふ時の御製にも、海原はかもめたちたつと詠たまへる此海原は、香山に在池をのたまへること明か也。大和國に海はなし。人麻呂の歌に荒山中に海をなすかもとよめるも、獵路地の歌也。彼是を合せて大池を海とも歌には詠來れるは、池を稱美したる故としるべし。されば鴎すむことうたがふべからず。
問 味村左和伎と有味村とはいかなるものにや。
(545)答 鳧鴨の種類にあぢと云鳥有、必群をなす鳥故に、あぢむらと名附てよぶ。只あぢとのみもいふ也。俗にはあぢかもといふ是也。此集の末に山のはに味村さわぎとよめるも此鳥の事地。
反歌二首
258 人不榜有雲知之潜爲鴦與高部共船上住
問 有雲、此二字先訓あらくもとよめり、ありくるもといふ略にや。
答 あらくもあるもといふ詞をのべていふ詞也。古語にはのべてもいひ約めてもいふ也。
問 潜の字、いさりすると先訓にいへり、しかるべき訓にや。
答 しかるべからぬ訓也。あさりするとは義訓によむべき歟。たゞ正訓にかづきするとよむかたまさるべし。
問 鴦高部皆かづきする鳥にや。
答 高部は※[爾+鳥]也、沈鳥とあれば潜するとよむべし。潜はかづくともをよぐともよむ字なれば、水鳥は皆水にをよぎて、かしらを水の中へも入波をもかづくものなれば、かづきするとよむ義害有べからず。いさりすとはいふべからず。
259 何時間毛神左備祁留鹿香山之鉾椙之本爾薛生左右二
問 香山此二字をかぐやまと先訓にいへり。古本には香久山と有といふ人あり、しかりや。二字を正本とせんや、三字を正本とせむや。
答 香山の二寧正本なるべし。古本の一本に香久山と有は、香山の二字かぐやまとよむことをしらずして、久の字を傍注したるなるべし。日本紀には香山の二字を書給へり。此集の文字は日本紀を本として書るとみえたれば、漏脱にては有べからず。
問 鉾椙、此二字を先訓むすぎとあり。鉾の字をむとよむ義も椙の字をすぎとよむ義も心得がたし。或説にむすぎとはわかき杉の事也といへり。此古語有ことにや。又一説にはむすぎとよむは誤也、ほこすぎとよむべしといへり。杉の木はすぐに立のびて鉾をつきたてたるやうに見ゆる故地といへり。仙覺註釋には、むすぎかもとにこけむすまでにとはふる木にもあらず、お(546)ひつきたる木のもとにこけのむすとよめるにや。生ずるをばむまると云がごとし。人の子をむすこといひむすめなど云も生じたる義なるべし。苔などの生たるをもむ寸といふ。おひしげりたる木のもとに苔むしたるとよめる也。おい木をばいふにもをよばずふる木にもあらず、おひつきたる木のもとにこけのむすまでにといふことは、上の句にいつしかもかみさびけるかとよめる故也とあり。いづれにかしたがひ侍らんや。
答 鉾の字をむとよむは音讀也、訓義にはあらず。椙の字をすぎとよむは誤字也、椙の字也、字の字も杉にはあたらぬことなれども日本紀をはじめ古記にあまた※[木+温の旁]の字を杉のことに用ゐられたり。古き字書により所ありて用られたるなるべし。勿論杉の字をも用られたる上は、飜譯の誤りともいひがたし。※[木+温の旁]をあやまりて椙に作れるは、後世傳寫の非としるべし。む杉とよむ先訓しかるべし。鉾の字にしたがひてほこ杉といへるは誤訓なるべし。ほこ杉といふこと類語もなし。ただ此一首の歌にみえたれば證據なく、義もまたほこ杉とよめる歌に便りもなし。仙覺の説むすこむすめなどの語を證例とせられたれども、むすこむすめといふむは、む杉の冠辭の類にはなるべけれども、むすめむすこのむをむまるといふことにはなりがたし。うむうまるとこそ古語にはいへ、むまるといふことなし。うまをむまとかき、うまるをむまるとかき、うもれをむもれとかくは、皆後世のことにて、古記にはみえず。むすぎもたゞ杉といふまでの詞にて、むは冠辭なるべし。ま杉といふかごとし。まみむめもの通音にて古語は通用常のこと也。さればむすこもますこ、むすめますめ、むまごもこれにおなじかるべし。若古歌には五音相通してより來る詞の縁にいへる歟。此下句もこけむすまでにとよめるが故に、むすぎがもとゝもいひても杉といはざる歟。むすぎをしひて解んには、繁茂をもすといへば、もすの約言むなれば、繁茂の杉の義也といはむは語釋にはかなへども、古語の格例によれば、たゞ發語冠辭をまといひ、むといひ、もといふ類ひと解む説まさるべし。
或本歌云
260 天降就神乃香山打靡春去來者櫻花木晩茂松風丹池浪※[風+火三つ]邊津返者阿遲村動奧邊者鴨妻喚百式乃大宮人乃去出榜來舟者竿梶母無而佐夫之毛榜與雖思
問 仙覺抄釋云、先にはあもりつくあまのかぐ山とこそはべりつるに、これはかみのかぐ山といへるは天降りたれば神もあ(547)まくだり給へるものなれば、よそへて神のかぐ山といへるにや。又神祇の兩字はともにかみとよむにとりて、祇をばくにつかみとよみ、神をばあまつかみとよむ也。さればあまつかみの義にて、神のかぐ山といへるは、すなはちあまのかぐ山と云心也と思へりけるにや。先賢の毫筆その心とき定めがたしといへり。いかゞ辨へ侍らんや。
答 仙覺本邦の古記の意をしられざる故に、臆説にいへる義皆あたらず。神のかぐ山の神の字、神祇の二字の差別いふべからず。神の字を冠辭におきてかみ某といふは、皆尊稱していふ古語の例也。山にかぎらず人にても物にてもその物を尊稱としるべし。義あまのかぐ山にことならず。神號にも天香山あればもし神號かとおもへる誤りも有べし。香山天よりくだり就山なれば、人作の山にあらざるよしを尊稱して、神のかぐ山とよめるなるべし。
問 木晩茂、此三字の訓前の歌とおなじかるべきや。
答 おなじかるべし。
問 或説に、此或本の晩字を一古本には作v暗といへり、正本にや。
答 作v暗飜いまだみあたらねば、正誤をいひがたし。もし古本暗に作らば、前の歌の訓とは異なるべし。暗の字を末の意にはよみがたし。もししからばこぐらくしげりとよむべし。櫻花とあれば、こぐらくしげりは花の字にあたりがたければ、前の歌にては花の宇によりて先訓を用ゐず。しかれども一古本晩の字を暗にかゝば、くらくとよむべし。正本正字にしたがひてよむべし。
問 池浪※[風+火三つ]、此三字先訓いけなみたちてといへり。立といふ字をかゝずして、※[風+火三つ]の字をかける意はいかゞ。
答 ※[風+火三つ]の字をたつとはよみがたし。前の歌の立の字の訓を用ゐたるなるべし。或本の字のたがひにては※[風+火三つ]をさわぎとよむべし
問 阿遲村動、此動の字先訓さわぎとあり。上の※[風+火三つ]をさわぎとよまば、此動宇よみかへんや。
答 動字とよみとよむべし。異本のたがひとみるべし。
柿本朝臣人麻呂献新田部皇子歌一首並短歌
261 八隅知之吾大王高輝日之皇子茂座大殿於久方天傳來白雪仕物往來乍益及常世
(548)問 日之皇子茂座、此六字先訓ひのわがみこのしげくますなり。しげくますといふこといかなる義にや。
答 皇子の二字をわがみことはよみがたし。ひのみことよむべし。茂座の二字をしげくますとよめる語例もなく理もきこえずしきますとよむべし。
問 大殿於、此三字おほとのゝうへにと先訓あり。上にしきますとあらば、此三字も異訓侍るべしいかゞ。
答 大殿於の三字みやにとよむべし。
問 天傳來自、此四字先訓あまつたひこしといへり。いかなる訓義にや。
答 自の字はおほくしの濁音に用たれは、こしとよむ訓義ともに心得がたし。もし誤字歟。僻案には、自はよりともよるともよめば、來自にてこると用ゐたる歟。しからずばそらつたひくる雪とつゞけたる冠句にて、下の往來乍益といふ句を起さん爲の冠句とみえたれば、たゞ雪は空をへて來るものなれば、往來の冠句に用られたる歟、此新田部の宮へは、天といふ山をもへて徃來する義をよせてよめる歟、はかりがたし。
問 雪仕物徃來乍益、此七字先訓にゆきじものゆきゝつゝませとあり、可v然や。いかなる義にや。
答 乍の字を古本の一訓にかつとよませたれども、つゝとよみたる先訓まさるべし。雪仕物は雪のごとくに、といふがごとく、徃來したまひてましませとよめるなるべし。
問 及常世、此三字先訓、とこよなるまでとあり、とこよなるまでといふ句義心得がたし。
答 及の字此集にまでと用ゐたれば正訓なるべし。しかれども常世なるまでといふ詞、何とやらん祝稱にはなりがたくきこゆるなり。若千万世の後は常住不變の世となるといふ説も有てさはよめるか。僻案には、常字は萬の字の誤にて、及萬世の三字にてよろづよまでにとよめる歟とす。
反歌一首
262 矢鈎山木立不見落亂雪驪朝樂毛
問 仙覺註釋云、此歌古點には、いこまやまこだちもみえずちりみだれ雪のうさぎまあしたたのしもと點ず。發句いこま山、矢(549)の字をいとよめることはさもはべりなん、矢をいと云詞有が故也。鈎をこまと和せむこと其心を得ず、是やつり山なるべし。第十二卷にもやつり川とよめり。山河かはれりといへどもその所是同じきをや。腰句以後又ちりまがふ雪もはだらにまゐでくらしもと和すべし。長歌にすでに、久かたのあまつたひこし雪じものゆききつゝませとこよなるまでとよめり。きたる心是おなじかるべしといへり。この釋しかるべきにや。
答 矢鈎山をいこまやまとよむべき義なきことは明かなり。しかれども仙覺異本をみずして古訓を難ぜるは非也。古本に一本鈎を駒に作たれば、矢駒山ならばいこまやま正訓なるべし。句中に驪字あればい駒山は縁有、矢つり山は縁なし矢鈎川あれば八鈎山ともよむべけれども、第一句の詮下の句に聞えねば、矢駒山しかるべし。然れども矢鈎山眞本正字ならば一僻案有。日本紀を案ずるに、八鈎宮は近飛鳥に在て、顯宗天皇此八鈎宮に即位まし/\たれば、此八鈎宮天武天皇までもつたはりて、新田部皇子に傳りてましませる歟。しからばすこしより所なきにあらず。たとひ顯宗帝の宮はなくとも、その宮跡に宮を營給へることも有べし。是一僻案なれども、日本紀にも八釣宮と書、此集第十二卷の歌にも八鈎川とかければ、第十二卷の八鈎川は飛鳥に有べし。その證第十二卷の歌飛鳥川をよめる次に八鈎川の歌をつらねたり。今八の字をかへて矢とかけるをみれば、矢駒山にていこまやまをよめる歟。しからすば矢は矣の誤にて、矣駒山にていくやまのとよめる歟。八鈎山は宮には縁あれども歌の詞に縁なければ、やつり山にはしたがひがたし。いこま山いく山二の中なるべし。
童子問 雪驪、此二字先訓ゆきもはだらにとあり。さるべき訓にや。
答 雪驪の二字を義訓にせばはだらともよむべき歟。驪の字をはだらとよむべき理りなし。理は説文にも馬深黒色とあればくろうまとかこまとかはよむべし。はだれといふは雪の一名なれば、雪の一字をはだれとよみ、驪の一字をくろこまとよむべけれども、猶異訓有べき歟。
童子問 朝樂毛、此三字先訓まゐでくらくも也、可v然や。
答 右の三字はさもよまるべし、義有べし。歌の意は、人麻呂新田部皇子の宮にまうづることゝもきこえ、又は皇子の朝參のことゝもきこえて、いまだ一決しがたし。猶後按に決べし。
(550)從近江國上來時刑部垂麻呂作歌一首
童子問 此題の書樣は不v審、次にも柿本朝臣人麻呂從近江上來時至宇治河邊作歌とあれば、此題をも刑都垂麻呂從近江國上來時作歌と有べきことなり。しかるに次の標題とも異なるはいかゞ。
答 凡前後の例、姓名を上にあげて下に云々歌とあれば、此標題を垂麻呂從近江國上來時とはみえず、歌も亦馬莫疾打莫行といふ詞みづからのことにあらざる事明けし。
問 しからば上來とは誰人を指べきや。
答 柿本人麻呂なるべし。いかにとなれば、前の歌の題標に柿本朝臣人麻呂献新田部皇子歌と有次に載たれば、此從近江國上來るは柿本人麻呂、歌は垂麻呂也。されば人麻呂の歌は又次にみえたり。題と歌と合せてみるべし。
263 馬莫疾打莫行氣並而見※[氏/一]毛和我歸志賀爾安良七國
童子問 馬莫疾打莫行、此六字の二句、先生賢按によれば歌の詞うたがひなく、人麻呂を指て打莫行とよめる垂麻呂の意明かなり。只心得がたきは第三句に氣並而の三字也。これを先訓いきなめてと有、或説に息をしげく衝心也といへり。息をしげくつく心にて上下の句につゞきがたし。異訓有べし先生の賢按はなきや。
答 氣並而のうたがひうべなり。古語にも古句にも例證なければ、氣の字は馬の字を誤りたるなるべし。是僻案也。馬並而といひてこそ上下に柏應の句なるべし。先賢皆誤字かとうたがへる説なく、文字のまゝに釋したる故に、万葉集わけもなきことになるなり。古詠は平易常道の理りを存たるものとしらずして異句異道によみなせる故、後人のまどひとなるなり。万葉集中の歌に氣並而といふ句例あれば、氣並而といひて馬なべてと云也ともいふべき異義も有べけれども、氣並而と云は只歌一首にかぎりたる句なれば、氣は馬の字の誤りなる事明かなり。万葉集を見るならひは、句例なきことは誤字誤訓とうたがひて、正字正訓をもとむべし。是此集を見る僻案の一傳也。
童子問 歸の字を先訓此歌にてこむとよみ來れり。この訓も訓例有ことにや。
答 訓例なし。歸の一字にてこむとはよみがたし。しかれどもおもむくとよめば、徃歸することにゆくとはよむべけれども、こ(551)むとはよみがたし。將歸ともあらばさもよむべき。たゞ此歸の字正訓にかへるとよむべし。
童子問 歸の宇正訓にかへるとよむべき義にても、垂麻呂は志賀の住人とみえたり。しかれば見※[氏/一]毛と有はいづくをみてもといふ義にや。
答 いづくを見てといふべき證はなけれども、人麻呂と別るゝ時の歌なれば、人麻呂の故里を指ていふべし、これ一據也。大和歟、石見歟兩國の中と心得べし。
柿本朝臣人麻呂從近江國上來時至宇治河邊作歌一首
264 物乃部能八十氏河乃阿白木爾不知代經浪乃去邊白不母
童子問 物乃部能八十氏河、此句につきて或説に、むかし應神天皇の御宇に、やそ氏と云ものゝふに家所を給りて此河のほとりに置かせ給ふより、やそうぢ川とは云也といへり。此説有ことにや。
答 日本紀をはじめ正記にみえぬことなれば、とり用ゐるにたらぬ説也。
童子問 或説に、物部の氏姓おほき故に八十氏川とはつけたりといふ説有、此説可v然や。
答 しかるべからず。氏姓は一姓わかれて數氏ともなる故に、氏ほおほきといふ義ならばさもいふべし、物部氏にかぎりておほきといふ義なし。此説も取にたらず。
童子問 或説に物部は弓矢劔戟をとるものなれば、矢とつゞけむ爲に物部乃八十氏川といふ也といふ説有。此説しかるべき歟
答 此説はしかるべし、取用べし。
童子問 物部の矢とつゞけたる義はきこえ侍れども、宇治川を八十氏河といふ義はいかなる義にや。
答 此うたがひことわりしかり。古來八十氏川といふ義を解わびて、應神天皇の御宇にやそ氏といふ者此河の上に家所を給ふといふ妄説も出來るなるべし。此河を八十氏川といふに就ては僻案あり。古書に證明ありて、八十は八瀬なるべし。此宇治河大河をいはむとて八瀬河といふ義とみえたり。必瀬八にかぎるにはあらず、あまたの瀬有河といはむとて八瀬うぢ河といふなるべし。せとそと五音通用例すくなからず。八十瀬といふことも有は、八瀬よりおこれる古語なり。天安河是天八湍河といふ傳(552)有、これにしたがへば八瀬宇治河理りやすし。
童子問 此人麻呂の歌の意いかなる義あるや。
答 此物乃部の歌は、見る人の好む道に義を求むべき歌也。論語曰、子在2川上1曰、逝者如v斯夫、不v舍2晝夜1と有聖語の意とも解むにもたがふべからず。しかれどもかの聖語も註釋まち/\にして、いづれか仲尼の本意なりと決すべき。しかれば此歌の意も人麻呂の意にかなふかなはぬ、いづれの説にしたがはんや。只僻案には論語の聖語によらず、標題と合せて此歌を解べき、是人麻呂の本意ならん歟。されば此歌は晝夜を不v舍の義にはあらず。人丸近江國にも寄寓せられたるとみえて、從近江國上來とあれば、大和國へ上り來れるなるべし。その路なれば宇治河邊にて不知代經浪を見て、身上に比して去邊しらずもとよめる實意なるべし。冠句に物乃部能とよめるも身上に比する歌、故に人倫の冠句を置て、身上を網代木にいさよふ浪のごとく、我身此すゑの落着をもしらず、旅寓の題を詠じ給へるとみる也。此外の意は有べからず。強て義を求めばいか樣にもいふべけれども、題によりて歌は心得べき事なれば、旅行の意趣を全とすべし。前後旅行の歌なれば、只宇治河の邊にての詠ならば子在川上曰の題にも通じ見るべし。ゝからざれば旅情の題と見る也。
長忌寸奧麻呂歌一首
265 苦毛零來雨可神之崎狹野乃渡爾家裳不有國
童子問 仙覺抄釋云、三輪のさき五代集歌枕には大和國としるせり。然而此みわさき近江歟、近江に三和社あり。今歌の前後の歌近江の詞有故也とかけり。此説しかるべきや。
答 しかるべし。
童子問 或人の説に、此歌の神埼は近江にてもなし、大和にてもなし、紀伊國にさのといふ所近きわたりに三輪崎といふ所あれば紀州といへり。此説はいかゞ侍らんや。
答 紀州に三輪崎の同名もさのといふ地名も有べし。しかれども此歌の前後皆近江の歌を列られたれば、中に一首紀州の歌有べきにあらず。此歌より後他國の歌あらば紀州ともいふべし。勿論八十氏川の歌は山城なれども、標題に從近江國上來時至宇(553)治河邊作歌とあれば、近江國の歌に列すべきことなり。宇治河その末は近江國田上川の末也。彼是みな近江國の歌の列にあり。紀州の三輪崎の歌、中間に一首何の故を以て列ねんや。紀州の説は甚非也。近江國に三輪崎有事をしらざる人の説なるべし。文字に神之崎とあれば、これをみわとよまずかみとよむべしといはむには、證據にしたがふべし。神の字をかみとよみても三輪のことになる證例も有、又神の字を三輪とも訓來る據もあれば、いづれにても義にたがふべからず。古記の證明にしたがひ、此集中の例にもよるべし。
童子問 此集中に近江に三輪とよみたる證歌もありや。
答 第一卷にも據有ことなり。
童子問 正記の證明有にや。
答 延喜式神名帳近江國神前神社是也。此集第七卷の歌にも、神前と書てみわのさきとよめる歌あり。是も近江國なり。彼是古記の證明あれば、此歌の神埼は近江國に決すべし。
童子問 苦毛、此二字くるしくもと先訓にあり。旅行は雨のふるは苦しきこと故にさもよむべけれども、歌の上に苦といふほどのこともみえざれば、もし異訓などはなきことにや。
答 第二句にふりくる雨かとよめる、くる雨とつゞく詞の縁に、くるしくもとよむ義も有べけれども、僻案には苦毛の二字を義訓になして、あまなくもとよむべきかとおもふ也。苦は甘味無ことなれば、無甘の義に苦の字を用ゐたる歟。あまなくもといふ詞は、あは嘆詞にてあゝといふにおなじ、間なくもといふ詞なれば、ふりくる雨の冠辭、旅行野邊に家里もなき所にて間無ふりくる雨は、心うかるべき理をいはずして聞ゆべき也。
柿本朝臣人麻呂歌一首i
266 淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思努爾古所念
童子問 此歌の下句こゝろもしのにいにしへぞおもふとよみ來りて、或説に心もしのにといふは、しのとはしげきと云詞也といへり。心もしげくといふ義にてはつゞけがら心得られず。いかなる義ならんや。
(554)答 しのにといふ句をしげき心にてもしげくと解釋するは、和語のてにをはをしらぬ人の釋也。しげくといひてはにといふ詞を助語に用ゐがたし。しゞになどいふもおなじかるべし。此集の歌にあまた有詞なれば、全篇にわたりて釋すべし。先下の句の訓もしかるべからず。僻案の訓はこゝろもしぬにむかしゝのばるとよむ也。此むかしと指所は志賀の都のことゝ見るべし。人麻呂近江の舊都の歌上にもみえたり。そこと引合て見るべし。
志貴皇子御歌一首
267 牟佐々婢波木末求跡足日木乃山能佐都雄爾相爾來鴨
童子問 山のさつをとは、或説に薩人と云も同じ、弓をよく射て常に山に入て獵するものゝふの名也といへり、可v然や。
答 しかり獵人の事也。ことのおこりは神代卷にあり。
長屋王故郷歌一首
268 吾背子我古家乃里之明日香庭乳鳥鳴成嶋待不得而
童子問 仙覺注釋には、此歌第二句古點にはふるへのさとのと點ぜり、其詞よろしからず。いにしへの里のと和すべし。古家いにしへと和する事傍例是あり。しま待かねてとはしばまちかねてと云也。しばしをしまといふ同歌相通の故也とあり。此説しかるべきや。
答 仙覺注釋はしかるべし。
童子問 此歌に吾背子我とあるは、長屋王の妻を指てよめる歌ときこえたり。此歌男も妻を指て背子とよむ證明歟。
答 此背子を妻を指ていふ證明にはなるべからず。凡背子とは婦より夫を指ていふ古語なれば、此背子を妻と見るべからず。背子は父兄尊長の稱なれば、此歌則君父を指てよみ給へる歌の證とはすべし。長屋王は天武天皇の孫高市皇子の子なれば、天武天童皇居はあすか清見原なれば、天武帝にても高市皇子にても、古家の里とよみ給へるに相叶ふべし。古家の二字を仙覺いにしへと改めよめるは、かなにも相叶ひて去家の義も有べし。古注者の案に從明日香遷藤原宮之後作此歌歟といへるは、歌(555)意にかなふべし。嶋まちかねては明日香川の千鳥によせて、千鳥の川嶋もうつりかはりて淵となりて、今は嶋もなくなりたるを、二たび又嶋も出來むことをまつ心に、あすかの人民都の立かへらんことを待意によめる御歌と聞えたり。嶋を暫|暖《マヽ》々の意に相かよはせる歌なるべし。不得而の三字をまちかねてとよみても義あたるべけれども、まちわびてと義訓によまゝほしき歌也。
童子問 此歌に千鳥の歌にしては、嶋をまちわびてなくことわりはきこえ侍れども、此嶋をしばといふ義にては何をまちわびてなくにや。
答 第一句に吾せこがいにしへのとつゞけたる所にまちわびるせ子有べし。
童子問 此歌婦人の歌にしてみれば心得やすくきこえ侍れば、もし此長屋王の妻か又は女かなどゝいふ文字脱せるにてはなきや。
答 此發揮の疑問は理僻案にも相かなへり。此次の歌に阿倍女郎の歌入たれば、此歌婦人の歌にても有べし。しかれば吾背子我いにしとよめる所も理り相かなひ、歌の心も婦人の情にして、千鳥にみづからを比してよめる歌とみたき歌也。しかれども古注者の時分にも長屋王とのみありしとみえて、從明日香遷藤原宮之後作此歌とあれば、問をまちて答ふる也。古註者の釋も悉く相かなへるにあらざることあまたみえたれば、今疑問の脱字有とおもへる説にしたがふべし。後人知る人しるべし。
阿倍女郎屋部坂歌一首
269 人不見者我袖用手將隱乎所燒乍可將有不服而來來
童子問 仙覺注釋云、やけつゝかあらんきずてきにけりとよめるは、やけつゝとはよけつゝと云也。此歌詞かすか也といへども、よめる心は、やけつゝかあらんきずてきにけりと云は、かたみの衣の心也。發句人めにはと點ぜり。人不見とかけるはしのびにはと云べし、傍例あり、此歌の心は、かたみの衣をきたりともわが袖もちてかくさましを、かのかたみの衣をすてたるにやきもせできにけりとよめる也とあり。此釋あたるべきや。
答 かたみの衣何事ぞや。題の屋部坂歌と有を何と心得たるにや、甚僻事なるべし。
(556)童子問 此歌仙覺注釋の外に古人の釋もみえず。先生賢按の説ありや。
答 あり。しかれども尾の句、一本に來の一宇のみあり、普通の本には來來の二字あり。此來々の二字につきて猶異訓有べき歟。來々は有來の二字なるべし。ゝからば僻案の訓義あり。第二句の人不見者の四字古訓にひとめにはと云る事、字にもあたらず義にもそむければ、仙覺改めてしのびにはとよめるはまさるべし。古訓一本にはひとみずはとよめり。これも人めにはといふよりはまさるべし。僻案にはしのびなばとよむ。所燒の二字をこがれとよみ、不服而有來五字をきもせでありけりとよむべし。歌の意は屋部坂の歌と題にあれば、此歌の詞によりてみれば、此坂木不2生茂1して有をみて、戀歌の格によみなし給へるとみえて、しのびなば我袖をもちてもかくさんに、何とて來らざる事ぞといふを、木のおひしげらざるに比してよみ給へるとみる。こがれつゝはこひこがるゝおもひにはこがれて來らぬを、木枯て木不v繁とよみ給ふなるべし。木の生繁るをもすといふは古語也、茂の字の音にはあらず。神代下卷杜樹枝葉扶疏と有、扶疏の二字を古訓にしきもしとよむ。是にてしるべし。
高市連黒人※[羈の馬が奇]旅歌八首
270 客爲而物戀敷爾山下赤乃曾保船奧榜所見
童子問 仙覺註釋云、あけのそほぶねとは、そほぶねは小舟也、舟をばあかくいろどるものなれば、あけのそほ舟と云。山もとは所の名也、筑後の國に有にや。但是はあけといはん爲の諷詞に山下のとおけるにや、夜の明るには山のはよりしらみはじめてあけわたるによそへて、山下のあけのそほぶねとよそへよめる也。又此歌は戀の心とみえたれば、旅にして人をこふとて、いをもねずして山もとのあけわたるをみると云心も有べしとあり。此説いかゞ侍らんや。
答 あけのそほぶねは、船をばあかく色どるといふ説はしかるべし、そほ舟を小舟也といふ説はあたらず、小船を色どる物にはあらず、大船とはいふべし。歌の詞には奧榜所見と有にてしるべし。小船ならば奧に榜もみゆべからず。凡船を色どるは海獣をおどさん爲に龍頭鷁首なども書くことあり。又山もとの事所の名といふ義はしかるべし。※[羈の馬が奇]旅の歌にはおほくその旅行の地名を詠む古實なれば、此歌の山下も所の名をかねてみれば此所歌也。筑後の國に有にやといふ説はうけられず、山もとゝいふ所はいづ國にも有べし。此歌を筑後の旅行とみる證明有べからず。次に歌に年魚市方あれは、年魚市方同國と見るべし。然らず(557)ば國ならびに有所の名とみるべし。山本といふ地名は攝津國にも美野《マヽ》にも古名あり、山下といふ地名は下野國にあれども、年魚市がたにつゞく地名を求むべし。
童子問 そほぶねといふこと小船にあらずば、いかゞ解せんや。
答 そはさとおなじく發語の詞とみて、帆船と解すべし。
童子問 初句たびにしてといふ詞此集いく所もあり。時代の詞と見侍らんや、今の時には好むべき詞にもあらざるべき歟。
答 しかり。僻案には客の一字にてたびねと用ゐてたびねしてといふ五文字數とおもふ也。猶此集中の歌ども參考へて見るべし。
童子問 物こひしきにとは、故郷のこひしき心に見侍るべきや。
答 戀の字必こひと限りてよむべからず。此歌にはわびしきと訓方まさるべし。
童子問 此歌の物戀の二字をものわびとよまば、第一卷の高安大島の歌に旅爾之而物戀之岐乃と有句もさよむべきや。
答 大島の歌もゝのわびしきとよむ方まさるべし。彼歌に旅爾之而と有。此爾の字はねと通し用ゐたる歟、禰の字の誤字歟。猶集中の文字の例證にしたがふべし。
271 櫻田部鶴鳴渡年魚市方鹽干二家良進鶴鳴渡
童子問 櫻田部は三字にて地名にて候や。
答 いな櫻田といふを地名とみて、部は助語辭とみるべし。
童子問 櫻田或説に紀州といへり、しかるべしや。
答 紀州に同名有ことはしらず。歌の詞中に年魚市方あれば、紀州とみるべからず。年魚市方は尾張國に在證據明なれば、櫻田も尾張とみるべし。熱田と云所海邊なれば、櫻田もおなじく熱田につづきたる所なるべし。
272 四極山打越見者笠縫之島榜隱棚垂小舟
童子問 仙覺註釋云、此歌頭句古點にはよもやまをと和す。よも山いづれの山ぞや、荒凉なるにや。是をばしはつ山と云べし、(558)極の一訓ははつ也。その上古今和歌集第廿卷しはつ山ぶりの歌也。其理かた/”\しはつ山にあたれりとあり。此説しかるべきや。
答 仙覺説しかるべし、しはつ山とよむべし。
童子問 しはつ山は或説に豐後國に有といへり。八雲御抄には豐前の國のよしみえたり。兩國の内いづれに決侍るべきや。
答 豐前豐後兩國ともに此歌にかなふべくも覺ず。此歌古今集卷第二十大歌所御歌に入たり。あふみぶり、みづぐきぶり、しはつ山ぶりと出たれば、みづぐきぶり近江なれば、しはつ山ぶりも近江なるべし。鹽津山近江なれば、もし通音にていふ歟、鹽津山の外にしはつ山有歟、豐前豐後の國のふりを入べき理り有べからず。
童子問 四極山近江ならば、笠縫嶋も近江と決すべきや。
答 しかり。
童子問 古今集には此歌第二句打出てみればとあり。第三句笠ゆひのとあり。これは万葉と古今との差とみてさしおくべきや
答 万葉集は文字にかきてたがひなし。古今集は艸のかなにかきたれば證據になりがたし。古今集傳寫の誤り歟、又は撰者の考あやまりとみるべし。万葉集にいらぬ歌を古今集には撰まれたるよしあれば、此歌の入たるは撰者の考誤りとみるべし。古今集の歌墨減の歌とてある中にこの歌などいらばしかるべし。外の歌を墨減の歌とてすつることは心得がたき事也。撰入たしかならば、撰者の誤りとみて万葉集を本とすべし。
273 礒前榜手回行者近江海八十之湊爾鶴佐波二鳴 未詳
童子問 此歌玉葉集には、第二句をこぎてめぐればとあり。第三句をあふみぢやとあり。これらはいかゞ辨へ侍るべきや。
答 代々集皆万葉集を實にしられずして、みだりにその時代の風体に詞をあらためられたるものとみえたれば、論ずるにもたらざる僻事なり。古人の意に及ばずして、妄に添削せらるゝことは先達をはゞかることもなく、後賢を恐るゝ心もあらずして、我一人を歌の聖とおもへるなるべし。人麻呂赤人の歌をさへみだりにあらためられたるより、すゑ/”\の人の歌は、とかくその時代の撰者添削をくはへることを例と心得られたるものなるべし。その本のあやまりは拾遺集より起れるなるべし。かの玉葉(559)集に第二句をこぎてめぐればと有は、手回行者の四字さもよめることなれば、これを誤りとはいひがたし。しかれどもこぎたみといふ詞句例あり。此集卷第一大寶二年太上天皇幸于參河國高市連黒人の歌に、何所爾可船泊爲良武安禮乃崎榜多味行之棚無小舟とあり。此句例によれば、こぎたみゆけばとよめる作者の詞なるべし。又第三句近江海と有をあふみぢとあるは甚誤也。あふみぢといへば山野も有、此歌は八十之湊爾といふ句あるのみならず、礒前榜手回行者とあれば、海をこそ榜手回とこそいへ、あふみぢといふべからず。あふ坂山などにつゞけたるには、あふみぢのあふさか山とつゞけたる歌はあり。海上なれば波路とか船路と斗はいはず。これ皆古人の古實有句をしらずして、みだりて風躰のみにかゝはりて改められたるものなるべし。論ずるにもたらぬ僻事也。
童子問 八十之湊とは地名にや。
答 地名とはみるべからず。近江の湊あまた有故にいづれの所の湊をも八十之湊といふとみるべし。文字にかゝはりて八十の數多湊ごとに鵠なくには有べからず。一湊になく鵠をも八十の湊とよめるとみるべし。一湊をも八十之湊といふべき證は、此集卷第十三に、近江之海泊八十有八十島之島之埼邪伎ともよめる歌あれば、これによりて心得べき也。
童子問 鵠の字を此歌にたづと古來よめり。鵠にても田鶴となる字義有にや。
答 遊仙窟にも援v琴而歌、爲2別鶴操1、と有鶴を一本鵠にも作れば、古へは鵠を鶴にも用ゐたる也。五雜俎にも鵠即是鶴とあれば、古訓にはたづともつるとも用ゐたること明けし。
童子問 此歌の下に未詳の二字あり、これはいかなる説にや心得がたし。
答 此集歌の下に未詳の二字有は、皆作者未詳の義也。古註者作者をうたがへる所見有てしかせる歟、後人の傍註歟。未詳二字は削去べきこと也。
274 吾船者牧之湖爾榜將泊奧部莫避左夜深去來
童子問、 牧の字をひらと訓むはいかなる義にや。
答 牧は誤り也、枚の字にてひらと用ゐる古訓也。
(560)童子問 奧部莫避、此四宇先訓おきへなゆきそとあり。莫避二字をなゆきそとよむは義訓にや。
答 義訓といふほどのことにも有べからず。避の字はさるともよめば、去の字をゆくともよめば、なゆきそにてもあしからず。正訓にしたがはゞさりそとよむべき歟、もし古本避は逝の宇をも書誤りたる歟。
童子問 牧の湖あれば、八十之湊も地名とみても害あるべからざる歟。
答 地名の證あらばしたがふべし。
275 何處吾將宿高嶋乃勝野原爾此日暮去者
童子問 此歌の此日暮去者の五字を、或説にけふくれぬればとよめり。印本の訓はこの日くれなばと有。何れかまさるべきや。
答 これはしひて勝劣をわくべくもあらず、好むにしたがふべし。しかれどもくれなばといへば上の句に應ずべし。歌は高島の勝野原を歩行野とうけたる所、此歌の詮ときこゆる也。
276 妹母我母一有加母三河有二見自道別不勝鶴
一本云水河乃二見之自道別者吾勢毛吾毛獨可毛將去
童子問 一本には水河乃とあるを或訓にみかはのやとあり。乃の字をのやとよまるべきにや。
答 之、のならばなるともよみて本書の歌に、有とあると同じ訓にも用ゆぺけれども、乃とあればなるとよみ難し。のやは甚よみがたし。四言一句古例なればみかはのとよむべし。
277 速來而母見手益物乎山背高槻村散去奚留鴨
童子問 高槻村は何れの所に有村の名にや。
答 今高槻村とよぷ地名は津の國にあり。しかれども此歌に山背のとあれば、今の高槻村にはあらざる歟、もしはむかしは此高槻村山背の内にてありしを、後には攝津の國の内になりたるか、おぼつかなし。
童子問 此高槻村は村の字借訓て、此集第一に山常には村山ありともいへるごとくに、村は村邑の義にあらず、槻の木むらな(561)どをよめるにあらずや。全國にすぐれて大木高木の槻の木のありしをいへる歟。散去けるといふこと葉、村の字義にてはつゞくべからざる詞也。木むらといへばちりにけるかもといへるに相叶べし。いかゞ侍らんや。
答 一義はいはれざれども、散去の二字は義訓に用ゐたるなるべし。僻案には散去の二字をあせと訓て、高槻村あせにけるかもとよめる歟。槻の木にあらざる證據には、槻木紅葉を稱する證歌もなく、邑村の名に高槻とよべるは、高木の槻木有しより名だゝるとみえたり。村里のこと故に山背のといふ冠句あれば、むらを木むらとみずして、實に村里の村とみるべし。散去はあせにとよむ義は、此卷の末に泊師高津者淺爾家留香裳とある句例もあれば也。
石川少郎歌一首
278 然之海人者軍布苅鹽燒無暇髪梳乃少櫛取毛不見久爾
童子問 仙覺注釋に、この歌第四句古點にはかみけづりのをぐしと點ず。その和いたくながし。これをくじらのをぐしと和すべし。髪梳これをくじらと和すべき事は、大隅國風土記、大隅郡串卜郷、昔者造國神勤v使者遣2此村1令2消息1、使者報道、有2髪梳神云1、可v謂2髪梳村1、因曰2久四良郷1、【髪梳者隼人俗語、久四良今改曰串卜郷】とあり。此説と今の印本の訓と異なり。今は髪梳の二字をつげとよめり。兩訓いづれか是なるべきや。
答 印本の訓あたるべくもあらず。かみけづりのとよむは字のまゝによみて、歌の詞にあらず。一本の古訓にかなてとつけたるもあれども、これも句例なし。仙覺くじらとよむべしといへるは、風土記の證明あれば、仙覺注釋を是とすべし。
童子問 或説にくしげのをぐしとよむべきよしをいへり。此義はいかゞ。
答 訓義ともにくしげの小ぐしはやすく聞こえても、髪梳の二字をくしげとよむべき證明なければしたがひがたし。髪梳の二字をくじらとよまるべきことにあらざるをば大隅風土記の明證あれば古語にして、しかも細註に髪梳者隼人俗語と有明證正しければ、古實にしたがふべし。
童子問 髪梳を何とてくじらとはいへるにや。
答 隼人の俗語とあれば、眞求めがたし、強ていはゞもし海人などの櫛は鯨鯢の尾ひれにても作りたるより、さいひなせるな(562)るべし。黄楊の木を求めがたき海人などは、くじらのひれなどを用ゐたること有べき義なり。今鼈甲をさへ櫛に作れば、くじらのひげなどを用ゐんはたやすかるべきことなるべし。
童子問 軍布の二字をめとよみ來れるは、いかなる義有にや。
答 軍布の二字をめとよみ來れる義、いまだ明證を得ず。古一本には軍を葷に作れり。葷と軍いづれる正字是もいまだ考られず。昆布と軍布と音相近ければ通じ用ゐたる歟、誤字歟、後に考へていふべし。
童子問 少櫛とある少の字は小の字にて有べからずや。
答 小の宇の誤り也、古本には小に作れり。
右今案石川朝臣君子號曰少郎子也
童子問 君子の二字はきみことよむべき歟。
答 くしとよむべし。
童子問 少郎子の三字はすくないらつことよむべき歟。
答 古一本には少を水に作れば、水郎子にしたがふなるべし。水郎子三字をあまことよむべし、
高高連黒人歌二首
童子問 高高連と有心得がたし。高の一宇衍にや。
答 高市連を書誤りたる也。古本高市とあり。
279 吾妹兒二猪名野者令見都名次山角松原何時可將示
童子問 猪名野攝津國なれば、名次山角松原も津の國に有歟。
答 しかり。
童子問 將示の二字先訓しめさんなり。しめすといふ詞は歌こと葉に後世用ゐたることみえず。今用ゐてもしかるべきや。
(563)答 此歌の訓につきて、古詞とて今用ゐたりとても難有まじけれども、此將示の二字作者しめさんとよめるともおおほえず。後世の訓にさは用ゐたるなるべし。みせなんとかみすべきなどにても有べし。上の句にいひ出たることを、下の句に二たぴいふことは古葉の一格也。後世は同字の難となりて好まず、古新の差故也。
280 去來兒等倭部早白管乃眞野乃榛原手折而將歸
童子問 仙覺註釋云、まのゝはぎ原大和國、しらすげとは菅は花の白きものなればいへるにや。白萩白菊と云かごとし。みな花の色白きによりて云也。郭知玄菅を釋していはく、白花似v茅無v毛といへりとあり、此説しかるべきや。
答 眞野を大和といへる説心得がたし。津國にあり。白菅といへるは白花咲説はしかるべし。此眞野に白菅おほく生たる野故に白菅の眞野といふ名におのづからなりたる事なるべし。
童子問 去來の二字をいざとはよみきたれども、いざやとや文字をそへてよまるべきことにや。
答 去來の二字いざと訓來ること常のことなれば、やの字はそへられぬにてはなし。しかれどもこれはいざこどもと四字にもよむべき歟。
童子問 將歸、此二字をゆかむと先訓にあり、反訓の義にや。
答 將歸、二字此歌にてはいなむとよむべき歟。去歸の心なるべし。
黒人妻答歌一首
281 白菅乃眞野之榛原往左來左君社見良目眞野之榛原
童子問 往左來左の二つの左の字はさまの畧言歟。
答 只助語の辭とみるべし。此左といふ言を下に付る例あまたあり。
春日藏首老歌一首
282 角障經石村毛不過泊瀬山何時毛將超夜者深去通都
(564)童子問 此歌の石村の二字はいはむらとよまんや、いしむらとよまんや、地名とみえたればいかゞよみ侍るべき。
答 石村の二字、所によりてはいはむらとよみても、いしむらとよみても、義たがはぬことも有べし。しかれども此歌にては石村の二字をいはれとよむべし。磐余の地名を石村とも書たる證例あり。此石村は磐余の地のことなるべし。
高市連黒人歌一首
283 墨吉乃得名津爾立而見渡者六兒乃泊從出流船人
童子問 墨吉乃、此三字先訓にすみのえのとあり、又一訓にはすみよしのと有、兩訓いづれか是なるや。
答 すみよしのといふは後世の訓なり。古訓はすみのえの也。吉の宇をえと用るは古訓としるべし。
童子問 此歌の從の字を先訓にをと用ゐ、又一訓によりといへり。いづれか是なるや
答 古語はゆと用ゐてよりといふ意なり。從の字此集にをともよりともゆともにとも用ゐたり。正訓はよりなり。義訓はともにとも用る也。
春日藏首老歌一首
284 燒津邊吾去鹿齒駿河奈流阿倍乃市道爾相之兒等羽裳
童子問 此歌の尾句に羽裳と有はいかなる義にや。
答 此羽裳の結句古葉の一格なり。羽といふていひ殘して、もは嘆の意有詞也。後世は此てにをはを用ゐることなし。古今集には少あり、忠岑の歌に、春日野の雪間をわけて生出くる草のはつかにみえし君はもとよめる、おなじてにをは也。此集にはあまた有詞也。例してわきまへしるべし。一首にてはその意もとめがたかるべし。
丹比眞人笠麻呂往紀伊國超勢能山時作歌一首
童子問 此笠麻呂は沙彌滿誓が俗名といへり。しかるやいなや。
答 滿誓が俗名也。古本の傍註にも滿誓沙彌俗名と書たる本も有。
(565)285 栲領巾乃懸卷欲寸妹名乎此勢能山爾懸者奈何將有
童子問 栲領巾乃、此初四文字は何故に冠したる意にや。
答 領巾は婦人の肩に名くるものなれば、冠句にたくひれのとおきて、かけまくほしきとよめる也。
童子問 栲といへるはいかなる意にや、或説に栲は白きといふ意といへり、しかりや。
答 栲は衣服にする木の名にて、上古は領巾にも栲を織て作れば、絹※[糸+兼]にて造らず、栲にて造を栲ひれといふ、衾にもすれば栲衾ともいふ古語也。此古實をしらぬ人栲は白きといふ意といへるなるべし。栲にて作りその色白きが故に栲衾白きとつゞけ、栲つなのしらぎとつゞける也。只白きといふ意といふは非也。
童子問 懸卷欲すといへる意はいかゞ。
答 領巾は肩にかける物故にかけとつゞけたり。かけまくほしきとは妹といはん冠句也。かけといふ詞はおもひをかけ心をかけなどいふかけ也、まくほしきとは、妹はまくはひするものなれば、まくはしきといへる也。まくといふ詞は願ふ詞にて、ほしきといはずして、まくとのみいひてもほしき意に用ゐる也。此第二句までは妹といはん爲のこと也。
童子問 此せの山にいもの名をかけばいかゞあらんとよめる意は、いかなる義にや。
答 これは旅行の歌にて、妹戀る意よりせの山を妹山といはゞ慰むべき意にてよめるならし。
一云可倍波伊香爾安良牟
童子問 此一云説は意異なるや。
答 意異ならし。
春日藏首老郎和歌一首
童子問 老郎といへること例有や。
答 郎は誤也、即の字也。諸家古本皆作v即爲v是。
(566)286 宜奈倍吾背乃君之負來爾之此勢能山乎妹者不喚
童子問 此第一句はいかなる意にや。
答 よろしき名なれといふ詞也、背の山とよぶこそよろしき名なれの義也、句例有こと也。
童子問 吾背乃君之とは誰人を指ていへるにや、もし笠麻呂を指てよめる歟。
答 いな、藏首老いかでか笠麻呂を指て吾せの君とよぶべきや。これは老の君を指て吾背の君といへり。即時の大王を指ていへるなるべし。
童子問 負來爾之とはいかなる詞義にや。
答 凡せよとよぶは君長を指尊稱の辭なれば、せといふも君といふおなじ。されば君の稱にせとおひたまへる名を、妄りにあらためかへていもとよぶべきにあらず。せは君長の身に負名なれば、私にはかへてよばじと答和したる歌也。もし負の字をおはせとよむべき證例あらば、おふせきにしとよまゝほしき義も有。いかにとなれば、凡山河佳名私に名付るあらず、皆君命によれば、吾背の君のせの山とおふせ來にし名を、私に妹とはあらためかへてよばじといふ義もあしきにはあらねど、負來爾之の四字おひきにしはよみやすく、おふせきにしは例なくてはよみがたければ、前説を是とすべし。
幸志賀時石上卿作歌一首 名闕
童子問 名闕の二字は撰者の文歟。
答 しからず、後註者の文とみるべし。古本には小書なり、今の本大書は是にあらず。
287 此間爲而家八方何處白雲乃棚引山乎超而來二家里
童子問 此第一句こゝにしてと先訓にいへり。前に客爾爲而の四字をたびにしてとよみ來れるは、此歌のこゝにしてといふ句例相かよへるにあらずや。それを旅ねしてとよむべきやのよし賢按にいへり。しからば此第一句も異訓有べきや。此句こゝにして、ならば彼句もたびにしてといふ、しかるまじきや。賢按有や。
(567)答 彼句を旅にしてとよまば、此句をこゝにしてとよむべきよし、句例尤相かなひきこえたり。好む所にしたがふべし。葢此句もこゝにしてよりは、こゝにゐてと爲の字を音讀にする方まさるべき歟。此集卷第四に大納言大伴卿の歌に、此間在而筑紫也何處白雲乃棚引山之方西有良思とあり、此同類の歌也。彼歌には在而とあれば、此歌にこゝに居てよむも、義相かよひ句例も相かなふべき歟。
穗積朝臣老歌一首
288 吾命之眞幸有者亦毛將見志賀乃大津爾縁流白浪
童子問 眞幸有者、此四字先訓まさきくあらばといへり、或説にはまことさちあらばと古訓にあり、いづれか是なるや。
答 古本兩訓ともにあれども、まさきくといふは古語なれば、今梓行の本の訓を是とすべし。まことさちといふ古語はなし。
右今案不審幸行年月
童子問 幸行も行幸もおなじきや。
答 古本の一本には行幸と有、行幸にしたがふべし。
間人宿禰大浦初月歌二首 大浦紀氏見六帖
童子問 大浦紀氏見六帖、此七字は撰者の文とはみがたし、注者の文歟。
答 後人の傍注なるべし。注者の文にもあるべからず。
童子問 しからば大書すべきことにあらず、小書なるべし、いかゞ。
答 古本は二行小書なり。
又問 此七字其意を得がたし。大浦は名にて姓は紀氏といふことにや。紀氏なるよし六帖にみえたりと云ことにや。大浦は氏は間人にあらずや。いかが。
答 此不審有べきことなり。予も此七字の傍注心得がたかりけらし。よりて數本を校合せしに、古本おほくは、大浦【紀氏見六帖】如v此(568)紀氏にてあり。これにては間人宿禰と本文にはあれども、六帖には紀宿禰大浦と有ことを傍注にしたるとみしなり。しかれども六帖は後の書此集は古書、古書にしたがはずして後の書にしたがふべき理もなく、かゝるたぐひ傍注すべきことにあらず、猶うたがひを殘せしに、一本の古本をみて疑ひはれたり。その本には大浦の浦を輔に作れり。傍注に浦紀氏六帖とあり。これによれば、本文の大輔の輔、紀氏六帖には浦に作れることを傍注したるとみえたり。輔浦の字の異を註したるにて、姓の異を註したるにはあらず。しかれば大浦見紀氏六帖と有べきを、傳寫誤りて紀氏六帖と見の字のおき所をたがへたるより、疑問も出來姓氏の異同かと疑ひをなせり。
289 天原振離見者白眞弓張而懸有夜路者將吉
童子問 比歌訓のたがひも有べくみえざれども、初月の歌に上弦のことをよめるをめづらしきとせんや。これはことふりたるべし。いかなる所歌なるや。滿月などならば夜路もよかるべきに、初月などの夜路よろしかるべくもおぼえねば、此歌の意得がたし、いかが。
答 此歌月といはずして天原振離見者といひて、白眞弓張而懸有といひて上弦のことをあらはして、月の字も出さぬ一躰の歌也。そのうへ夜路の二字はもし義訓に用ゐて闇道とよむべき歟。やみぢなれば矢道をかねて、よけんといふに除むとよめる所古歌の一躰なるべし。しかれども一古本には吉の字を去に作れば、いなんとよみて去と射とを兼て歸去むとよめる歟。此兩義は文字の上にて決すべし。去の字正本ならば夜路の二字よみちとよむべし。吉の字正本ならば夜路の二字やみぢとよむべき也
290 椋橋乃山乎高可夜隱爾出來月乃光乏寸
童子問 椋橋乃山、これを或説にむかはしやまとよむといへり、印本の訓くらはしのやまとあり、いづれか是なるや。
答 むかはしは誤也、くるはしの山是也、大和に有。
又問 夜隱爾、此句の意はいかゞ心得侍らんや。三ケ月なればとく入たれば、月は夜照すべきを、かへりて夜に入てみえざればこれを夜ごもりといふにや。
答 いな、下の句に出來月のとあるを連ねてみれば、三ケ月とく入て夜ごもりといひて、出來る月とよむべからず。題に初月と(569)有は前の歌の題にて、此歌は必三ケ月にもあらず、月の歌にや。古今集の例は前の歌の題を次の歌にも用ることなれども、此集は必しかるにもあらざる歟。しかれども此集の例を用て古今集の歌をも列たる歟。三ケ月にあらずしてみれば、歌の詞猶明かなり。たとひ初月の題にても義のきこえぬにはあらず。僻案は夜隱は地名とす、隱の字異訓有べき歟。地名の證によりて改正すべし。古本の一訓によがくれともあれども、よがくれといふ地名みえず。隱の字はなばりとも古訓にあれば、よなばりといふ地名有歟、獅考て決すべし。椋橋といふも暗き意を兼たる地名なれば、よごもりも縁有地名にて、椋橋の山ちかき所なるべし。しからずしては椋橋の山よみ出すべき理りなし。
童子又問 光乏寸とは、月の光のすくなきをいふ義歟。
答 しかるべし。
小田事勢能山歌一首
291 眞木葉乃之奈布勢能山之奴波受而吾超去者木葉知家武
重子問 眞木葉と有は※[木+皮]の葉の事にや。
答 一木の名の※[木+皮]にはあらず、諸木をすべて眞木と云、眞は發語の辭なり。
問 まきの葉のしなふといふはいかなる義にや。
答 しなふはしげきかたちにて密隱をいふ詞なれば、諸木のしげりてかくしたる兄の山といふ義をせの山の名につきて、戀歌によみなしたる歌とみゆれば、かくすせの山の意を兼ていふなるべし。たれにかくすなれば、密夫を母にかくす意ならん歟。下の句にその詞あらはれたり。
問 下の句にその意顯れたるとはいかなる義にや。
答 木葉の二字をこのはゝとよみて、こは子にて女子をかね、葉は母の詞にかよへは、しのぶせの山をしのばずて、吾超去ば子の母しりけむとよめるなるべし。表の意の、木の葉のしげくかくせるせの山を、われは超去ることをかくさすして去は、木の葉はわれとしりけんとよめるなるべし。
(570)又問 木の葉はとはの詞をそへては、てにをはの詞を母となるべき句例有や。
答 此集をはじめ古今後撰集までの歌には、あまたてにをはの詞をかねてよめる句例枚擧にいとまあらず。後世は古葉の一格しらざる故にや、てにをはにかねることをよまざる也。猶此歌の超去の二字もこえゆけばとよみては、戀歌にしたしからず、こえぬればと、てにをはに寐をかねてよめるなるべし。去の字はぬるともいなともよむなれば、いなばにてはいは寐るを云古語なれば、いづれにてもてにをはに實意をかねたるなるべし。
角麻呂歌四首
童子問 角麻呂は名とみえたり、此人姓氏をくはへざるはいかなる義にや。此集おほく姓氏をあらはすに、名のみかけるは姓のしれざる人故にや。
答 僻案あり、此角麻呂は名にては有べからず、角と云氏あれば、麻呂といふ名あまた例あれば、角氏の麻呂といふ人とみるべし。もしは續日本紀に角兄麻呂といふ人あり、此時代の人なれば、兄の字を脱漏したるにても有べし。正本によりて決すべし。
292 久方乃天之探女之石船乃泊師高津者淺爾家留香裳
童子問 高津は摂津の國の高津にや。
答 しかるべし。
293 鹽干乃三津之海女乃久具都侍玉藻將苅率行見
童子問 鹽干力、此三字しほがれのと先訓にあり、今もしほひをしほがれとよむべきにや。
答 しほがれといふも義はたがはねども、古語にしほがれといふ事みえず。しほひとこそいひならはしければ、しほがれとよむべからず。鹽干乃三字、しほひのとよめば四言になりて五言ならねば、五言にかなへむとてしほがれとよめるなるべし。古歌は四言あまたあればしほひのとよむべし。
童子問 三津は津の國の三津にや。
(571)答 しかり。
又問 仙覺注釋に、くゞつとは細き繩をもち物いるゝものにして、ゐなかの者のもつなり。それをくゞつといふとあり、しかりや。
答 しかるべし。袖中抄に、顯昭云、久具都とはわらにてふくろのやうにあみたるもの也、それに藻などをもいるゝなりとあれば、仙覺註もこれによれる也。童蒙抄にはかたみをいふ也とあれば、少異なれども大概同じかるべきこと也。繩をかたみのごとくに造りたるものなれば也。
294 風乎疾奧津白海高有之海人釣船濱眷奴
此歌に疑問なし。
295 清江乃木笶松原遠神我王之幸行處
童子問 遠神の二字、印本にはとほつかみとかなつけたり、古本の訓にそのかみにとあるよしを或人はいへり、いづれか是なるにや。
答 とほつかみ是なるべし。其證には此集卷第一の歌にも懸乃宜久遠神吾大王とつゞけたる歌あれば、吾大王の冠句には逮神と古歌によめるなるべし。
又問 遠神とよめる義いかゞ。
答 帝王を神と尊稱する事は常のことなり。遠は猶天津神といふごとく、高く遠き尊崇の義と見るべし。
田口益人大夫任上野國司時至駿河淨見埼作歌二首
296 廬原乃清見之埼乃見穗乃浦乃寛見乍物念毛奈信
童子問 寛見乍、此三字ゆたにみえつゝと先訓にいへり、意は見穗の浦のひろく寛かにみえて物おもひなきといふ義にや。
答 上野國の浦ならば、ゆたにみえて物おもひなしともよむべき理りかなふべし。是は旅行の作なれば、さる心にては有べか(572)らず。見乍の二字もみえつゝとはよみがたし、見つゝとよめるなるべし。されば寛の字異訓有べし。ゆたかに見つゝとよみては浦のとつゞく詞にゆといふ縁もなきにも有べからねども、うらのうらゝに見つゝなどよめる歟。猶異訓を求めて見るべし。意は寛の字にてきこえたり。淨見之埼見穗の浦など、上野國司となりてくだればこそゆたかに見て物おもひもなしと也。けつして見えたるにては有べからず。
297 畫見騰不飽田兒浦大王之命恐夜見鶴鴨
此歌疑問なし、君命を恐て畫不v見、夜見るとよめる、尤可v然事也。
辨基歌
298 亦打山暮越行而廬前乃角太河原爾獨可毛將宿
童子問 此歌の亦打山は何國にや、仙覺注にはいほさきのすみだがはらは紀伊國也と有、此説可v然や。
答 亦打山、角太河、廬前等の事、古來説々多けれども、皆此万葉の歌の後に注したる書なれば決しがたし。いまだ正記をみざる間しばらく答を欠也。或は駿河に在といひ、或は武藏といひ、或は下總といひ、其説まち/\也。且暮越といふ二字ゆふこえ
とよみ來れるもうたがはし。もしゆふと《云脱カ》地名あらは、夕を地名に合せてゆふこえとよむべし。只夕暮のことをゆふこえといふ句いかゞときこゆる也。
大納言大伴卿御歌一首 未詳
童子問 未詳の二字是も撰者の詞には有べからず。注者の文歟。
答 註者の文なるべし。古本には小書也、今印本大書は非也。
299 奧山之菅葉凌零雪乃消者將惜雨莫零行年
童子問 奧山之、此奧山は深山のこと歟、何やらん深山の雪をゝしむ意得がたしいかゞ。
答 可v然うたがひ也、菅葉必しも深山に限るものにあらず、此奧山は地名とみるべし。大和に有とみえたり。奧山とよめる歌(573)あまた此集にみえ、古今集にもみえて、山の奧有を兼てよめるなるべし。
又問 菅葉凌といふ詞はいかゞ心得侍らんや。古今集には戀歌におく山のすがのねしのぎと有は、此歌の上の句を葉と根とをかへたる作にや。根をしのぎといふにては、葉凌といふとは義相かよひがたし。いかゞ辨へ侍らんや。
答 此しのぐといふ詞古來の説心得がたし。もしゝげきことに用ゐたらば、菅は葉しげるものなれば、雪のふりかさなれるをいふ歟、しからば菅の葉も菅の根も相かよはしよみても菅にかゝりたることにあらず、長きといはんとては管の根の長きといふごとく、根もころ/\になどよめる例によれば、ふりかさなる意より菅の葉菅の根ともに詠來れる歟、いまだ一決の辨なし。もしは誤りたるか。猶證句證歌を得て重ていふべし。しばらく管の葉しのぎ菅の根しのぎの辨明を欠べし。
長屋王駐馬寧樂山作歌二首
300 佐保過而寧樂乃手祭爾置幣者妹乎目不雖相見染跡衣
童子間 手祭爾とは手向山のことにや。
答 しかるべし。
童子問 目不雖、此三字をめかれずとよめることいかが。
答 雖は離のあやまりなり、古本には離に作れり。
童字問 此歌新千載集戀部に、下の句を妹にあひみんしるしなりけりとありて、聖武天皇の御製にして入たるは、聖武帝と長屋王の此歌同時の作なるべきに、此集に聖武帝の御製は載せず、長屋王の歌のみを載たるは、いかなる事にや心得がたく侍る、
答 新千載集など、此集をもとくと見られずして僞集歟、又は證記もなき聞傳を集られたる歟にて、聖武帝の御歌と實に心得て載られたるなるべし。新千載集にかぎらず、古今集以後撰集の時は代々集に万葉集を見明められたる撰者はみえず、皆あやまりて書入られたるは今論ずるにもたらず、
301 磐金之凝敷山乎超不勝而哭者泣友色爾將出八方
(574)童子問 仙覺注釋云、此歌古點には、いはがねのこりしく山をこえかねてなきはなくとも色に出んやもと點ぜり。こりしく山は和の詞なだらかなるに似たれども、古語の傍例見えず、又その心あまねからず、こゞしき山といへるは傍例みゆるうへに其心かなへり。こゞしきとはそこぱくと云詞なれば、岩がねのこゞしき山をこえかねてといはん事ことわりふかゝるべし。こりしくとてはすこしこりしきたることもありぬべし。なきはなくともといへる又よろしからず、ねにはなくともと和すべき也、又傍例おほかるべしとあり。此説ども是非いかゞ。
答 仙覺説句證あれば可v然。しかれどもこゝといふ詞を、おほき詞の義にそこばくと云ばかりにてはいひたらず、如v字こりしく山と心得てみるべし。
童子問 色に出めやはといふ義は、女子離別などの意にや。
答 しかるべからず。前後の歌を見るに、皆妹の詞あれば戀歌とみるべし。色に出るといふ句例皆戀歌に用る例なれば、離別の情をいふに句例なし。そのうへ離別のかなしみを心よはく色に出めやはといひては、ねにはなくともといふ辭きこえず、色に出るよりはねになくは心よはくつたなきなり。戀歌にては何故になくともしられず。艱難の山坂を越かねてなくとも、妹をおもふ色には出じとしのぴたる意なるべし。
中納言安倍廣庭卿歌一首
302 兒等之家道差間遠烏野干玉乃夜渡月爾競敢六鴨
童子問 兒等と指は、廣庭の子息あまた有を兒等といへるにや。
答 句例しからず、文字はさもみえても、借訓に用ゐたるなるべければ、妹のことをこらといふとみるべし。等は助語辭にて吾をわれともわろとも只わとのみもいふ古語の例にて、子とのみもいひ、子等ともいふと見えて妹の事なるべし。
又問 差間遠烏、此一句やゝまどほきをと先訓にあり、やゝといふ詞心得がたし。いかゞ心得侍らんや。
答 可v然うたがひ也。僻案には道左間違烏の五字を一句とみて、みちはるけきをとよむ也。間の字はへだつる心に書たるなるべし。
(575)柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首
303 名細寸稻見乃海之奧津浪千重爾隱奴山跡島根者
童子問 此歌の初句名細寸の三字、先訓なぐはしき也。しかれども玉葉集に此歌を旅部に入て、初句をなに高きとあり。名細寸の三字名に高きともよまれんや。
答 細の字を高きとよむ例所見なし。義訓に高きとよまばよまるべけれども、くはしきといふは古句の訓あることなれば、名に高きは非にして、名ぐはしきは是なるべし。
童子問 稻見の海は何國にや。
答 播麿也。
304 大王之遠乃朝廷跡蟻通島門乎見者神代之所念
童子問 遠乃朝廷を或説に、朝庭は内裏也、しかれども遠國といへども、此秋津島のうちは皆わか君のしきます國にして、朝廷の心也といへり。此説可ならんや。
答 可ならず。歌によりてさる心によめることは有べし。此歌は下の句に神代之所念と有、且題に下筑紫時とあれば、此遠の朝廷は筑紫の日向の朝廷を、今大和朝廷よりいへば遠の朝廷とよめるなるべし。速神と大王の冠句によむ遠の字とおなじく、尊崇の辭ともみるべけれども、尊崇をかねてはみるとも下の神代にかけては遠久の朝廷と見るべし。此下の神代は神武天皇以前の神代のことを念なるべし。
又問 蟻通とは、或説に蟻はおほく集りて行ちがふ也、これをばありの通路と云。其蟻のたえず行かよへるごとくにかよふ事也。又ありかよふともよめりといへり。此説可ならんや。
答 可ならず。此歌にてはさる義をつけてみるとても、自餘の歌にありと云詞あまたありて叶ひがたし。ありかよふには蟻のごとく通ともいふべき歟、それも如くといふ詞をそへずしてはきこえねばいかゞ。且ありたゝしといふ詞此集卷第一にも(576)有、蟻のごとくにたつといふべからず。蟻の字は借訓なれば字義によらず、在通ふといふ義にて、此集に在といふ詞は皆無に對したる有にてうつゝのことをいふ也。見在存在の意に其地も存在し人も見在して通ふとも立ともいふ義也。遠の朝廷と今人麻呂見在してかよひ古跡も存在してうせざるをいふ詞とみれば、自餘の歌の在とよめる歌皆相かよひて心得らるべし。
又問 神代之所念、此おもふといへるはいかやうにか、人麻呂のおもへるにや。
答 所念の二字はしのはるともよまるれば、必おもふとよむにかぎるべからず、神代をしたふ意まさるべし。
又問 大王之 此三字すめろぎのと先訓にあり。おほきみのとよまるゝ文字をすめろぎのとよむは、歌に義有や。
答 おほきみすめろぎ義おなじかるべけれども、おほきみのとよふ方まさるべし。
高市連黒人近江舊都歌一首
305 如是故爾不見跡云物乎樂浪乃舊都乎令見乍本名
童子問 本名といふ詞此集にあまたあり、いかなる義にや。
答 顯昭の説に、もとなとはよしなといふ心とみえたりといへり。此義しかるべき歟。俗によしなきとなどいひて、無益のことにいひなせる義相かなへり。
又問 今俗語文に心もとなきといふはあたらぬ義歟。
答 今俗文に心もとなきといふは氣遣はしなど云とおなじ詞にて、万葉集のもとなにはかなはず。
又問 よしなを何とてもとなといふにや、詞相かよふ習ひ有にや。
答 詞はかよはねども義相かよふこと有べし。本無はうきたることにて、本意にもあらず、由來もなく、甲斐もなく、盆もなくなど、義相かよふべし。
童子問 如是故とは指所有ていふ詞にあらずや。しかるに此歌のかく故にとは指所なきに似たり。舊都をみせてかなしみにたへがたきを、かく故にといふにあらずや。しかれば心上をいひてさす所なきに似たり、いかゞ。
答 舊都を指て心上をさすべからず。都舊ぬらんとおもへばみじといひしにみせたれば、案のごとく都の舊たるを指也。舊た(577)るといふ所に荒廢あらはれて、感慨にたへぬ意は有べけれども、如是と指所は舊都を指也。猶僻案には題は舊都にて、歌の舊都は荒都の誤りとおぼゆる也。舊荒字相似たれば、舊よりは荒し都をよめるにて有べし。
右謌或本曰小辨作也未審此小辨者也
童子問 右以下は注者の文欺。
答 しかるべし。
幸伊勢國之時安貴王作歌一首
306 伊勢海之奧津白浪花爾欲得※[果/衣]而妹之家※[果/衣]爲
童子問 家※[果/衣のなべぶたなし]と濱※[果/衣のなべぶたなし]とは意は同じくて、家と濱との義異なる歟。
答 しかり、家つとは家に持歸るつとの義也、濱づとは濱に有物を家づとにするを濱づとゝいふ也。
博通法師徃紀伊國見三穗石室作歌三首
307 皮爲酢寸久米能若子我伊座家留【一云家牟】三穗乃石室者雖見不飽鴫【一云安禮爾家留可毛】
童子問 仙覺注云、しのすゝきとはほに出ぬすゝきをいふ、しのといふはしのぶと云詞也、くめとはこむといふ詞なれば、くめといはむための諷詞にしのすゝきと置る也とあり、此義可ならんや。皮の字をしのといふ義いかゞ。
答 皮の字にしのといふべき訓例なし。これはゝたすゝきといふ古語あれば、はたすゝきはしのすゝきとおなじといふ義に、しのすゝきとよみ來れるなるべし。しかれども皮の字はゝたとよむ古訓なれば、直に義訓を用ゐずしてはたすゝきとよむべし。くめといはん冠句に皮すゝきとおけるは、仙覺説しかるべし。
童子問 久米能若子とは久米の仙人のことにや。
答 久米の仙人三穗石室にすめる古記あらばさも云べし。いまだ證記をみざるうへ、若子のいましけるといふ歌の詞によればこれは弘計天皇の事なるべし。弘計天皇を來目稚子と申せばうたがふべからず。天皇雄略天皇の世をさけ給ひて、播磨の國へ(578)のがれかくれ給へる事は日本紀にみえて、紀伊國にかくれ給へることはみえざれども、播磨へおもむき給へる間には、何國へもかくれ給へる事有べし。播磨にてはあらはれ給へる事日本紅にのせられたれども、自餘の國にのがれかくれ給へる事はくだ/\しくかきのせ給はざるなるべし。來目若子のいましけんと有詞、此稚子にあらずして又たれをかさゝんや。紀にもれたることの此集にあまたみゆるは、すなはち國史の補ともなるべし。
308 常磐成石室者今毛安里家禮騰住家類人曾常無里家留
童子問 此歌は義明かなるべし、只つねなかりけるといふ結句をみれば、仙人などといへども無常の意をよめるに似たれば、久米仙人のことにても有べきや。
答 證記にしたがひて決すべし。仙人を若子といへることも證例有べからず。且此常の字をつねとよむもとことよむもおなじことなれども、此歌にてはつねとよまんよりはとことよむべき歟、いかにとなれば、常磐成といふ初句もつねはといはず、ときはなるとよみたるより、尾句もとこなかりけるといひて、石室にすみける人の床なかりけるといふ義を、常にかねてよめるなるべし。此古葉の一格例也。
309 石室戸爾立在松樹汝乎見者昔人乎相見如之
童子問 汝とは松を指ていふにや。
答 しかり。
門部王詠東市之樹作歌一首
310 東市之殖木乃木足左右不相久美宇倍吾戀爾家利
童子問 東の字をひんがしのとよみ來れるは、初語のよみくせなどにこそひんとはねてはよむと先にうけ給り侍、歌にもひんがしとよむことにや。
答 可v然疑なり、歌にひんがしとはよむべからず、ひがしのと四言によむべし。しひて五言によまばにしむきのとよむべき也
(579)童子問 木足左右は木の垂るまでといふ義歟。
答 こたるは垂るまでなり、木は發語の辭とみるべし。こ高きこ垂る皆發語にて、木には縁有發語なるべし。うゑ木と上にあればしひて木垂るといふに及ばず。松の木高きなども、松の高きといふまでをしらずして、木高きと解するは拙劣也。
又問 不相久美宇倍、此六字先訓あはぬきみうべなり。久美は君といふ義歟、木を指て君といへるにや、人に比していへる歟、
答 君といはゞ木竹を指てもきみといふべけれども、久の字をきと用ゐたること此集に例なし。くとこそ用ゐ來れるを、此歌にかぎりて漢音のきうの音を用ゆべき理りなし。そのうへ句切たがへるなるべし。僻案の訓は不相久美の四字を句として、あはでひさしみとよむなり。宇倍吾戀爾家利の七字を一句としてうべわびにけりとよむ也。吾戀の二字わこひにけりとよみても言あまれるにもあらず。
又問 久美の二字をきみとよまずひさしみとよむべきこと賢按かなふべし。しかれども不相といふ詞何にあはぬことやらん、きみともいはずしてはいかゞときこえ侍る、賢辨もあるや。
答 あり、宇倍といふ詞はうめ也、うめは梅をかねて憂女《ウメ》の詞有故に、吾戀爾家利とも比してよめる歌也、此集の古葉一格例也。後世の歌人はしらざること也。されば不相の二字もあはでとよまんよりはならでとよむべき也。婚姻の事を古語にはなるならぬといふこと常のことなり、古葉にあまたあり。梅の實のなるとならざるとにかけて見れば、吾戀にけりとよめるも理明か也。
按作村主益人從豐前國上京時作歌一首
童子問 按作二字クラツクリト訓來れり。按は鞍の字の誤り歟。
答 誤りともいひかたし。倭古字通用たり。音通る故歟。
311 梓弓引豐國之鏡山不見久者戀敷牟鴨
童子問 仙覺注釋云、とよくにの鏡山と云は、豐前國風土記三河郡鏡山【在郡東】昔者氣足姫尊在2此山1、遙2覽國形1勅祈云、天神地祇爲v我助v福便v用。御鏡安2置此處1。其鏡即化爲v石。見在2山中1因名曰2鏡山1已上。と有。此本説にや。
答 眞風土記の文と見ゆれは疑ひ無し。本説とすへし。
(580)又問 同注釋に云、あつさ弓ひくとよくにとよめる事は、豐國とは男女婚姻の時を云といふ事あり。しかれはひくとよ國といはむ諷詞に梓弓とおける也となり。此説可なりや。
答 不可也。婚姻の事を豐國といふ事古記證明なし。たとひあればとて引といふ句證語例も見えねは用ゐるに足らす。引の字は俗音にていむとよむへし。いの冠句に梓弓とおけるなるへし。いむとは豐國にかゝらす、鏡山にかゝる詞にて、神鏡を稱尊することに忌豐國之鏡山とよめるなるへし。是僻案也。神器に齋の字を冠らするは古實なり。日本紀を見てしるへし。戀敷牟鴨もこひしからむかもとよむへし。
式部脚藤原宇合卿被使改造難波堵之時作歌一首
童子問 造難波堵とは難波宮の築地なとを造らるゝことにや。
答 續日本紀に、式部卿從三位宇合を以難波宮を造らせたまへることあれば、必しも築地とみるへからす。一本には堵を都に作りたれば、かの本にしたかひて都とみるへきか。
312 昔社難波居中跡所言奚米今者京引都備仁鷄里
童子問 今者京引都備仁鷄里、此九字先訓に、いまはみやひとそなはりにけりとあり。京の字をみやことばかりもよまるべきことにや。
答 京の字をみやとはかりによむ例証なし。もし宮の字の誤りなるへき歟。しかれとも都の字をとゝよむ例此集になし、皆つと用ゐたれば、京の字宮の字の誤りにても、みやひとにては有べからす。僻案の訓は昔者と書てむかしとよみたれば、今者と書てもいまとはかりよむへき歟。されは右九字を、いまみさとひきみやこひにけりとよむ也。若京の字宮の誤りならは、いまはみやひきみやこひにけりとよむへし。みやこひとはみやこふりといふこと也。此集おくにひきのくなとよめるも、都をひかしたることを兼てよめる歌あれは、それも句證たるへし。
土理宣令歌一首
(581)童子問 土理は氏にて宣令は名にや。
答 しかり。土理は借音字也。續日本紀には作2刀利1。
又問 宣令は訓獨歟。音讀か。
答 訓讀音讀いまた明證なし。
又問 訓讀ならはいかにかよみ、音讀ならはいかにかよまんや。
答 訓讀にはのふしとよむへし。音獨にはせりとよむへし。
313 見吉野之瀧乃白浪雖不知語之告者古所念
童子問 語之告者とは此告者は字の如みるへきや。借訓にて語り繼言繼ならむ繼者とみるへきや。
答 いつれにても聞ゆへけれとも、如v字にみゆれはつけはといふ詞つまりたれは、之の|物語《本マヽ》の辭ならて、かたりつくれはと有ぬへき句也。借訓にて繼者の義作者の意なるへし。
又問 古所念此三字、むかしおもほゆと先訓にはあり。いにしへそおもふともよまるへし。いつれか是ならんや。
答 むかしゝのはるとよむかた勝るへし。
波多朝臣少足歌一首
童子問 少足の二字いかにかよむべきや。
答 先訓にわたりとあり。僻案はすくなたりなり。
314 小浪磯越道有能登湍河音之清左多藝通瀬毎爾
童子問 磯越道、能登湍河、或説河内國|茨田《本マヽ》郡に在といへり。しかるへきや。
答 河内國の説あれとも、いそといふもこせといふも大和の地名の上前後の歌吉野なれは、大和なるへし。第一卷の歌に不知國依巨勢道從と云を、仙覺注釋に磯の國巨勢道並に大和國とみる説、此歌に合せては據有に似たり。
(582)暮春之月幸芳野離宮時中納言大伴卿奉勅作歌一首並短歌 未逕奏上歌
童子問 此大伴卿とは誰人にや。
答 大伴宿禰旅人也。
又問 幸はいつれの帝にや。
答 聖武天皇とみるへし。
又問 未逕奏上歌。此五字は撰者の文歟。後の注者の文歟。
答 僻案は注者の文とす。逕字は達の誤り歟。正本を校合て決すへし。
315 見吉野之芳野乃宮者山可良志貴有師、永可良思清有師天地與長久萬代爾不改將有行幸乙宮
童子問 永可良思清有師、此二句何とやらん連續よろしからずきこえ侍る。下に天地與長久とあれは、清有師は久有師なとと有て、重て長久と有ぬへき句にあらすや。もし文字の誤りには侍らすや。
答 可v然うたかひ也。永の字傳寫の誤りなり。先年春日若宮神主の家に傳へし古葉畧要集と云ものを門人祐字見せし時、此集の文字校合せしに、永を水に作りて、ミツとかなを付たり。水の字にて句調ひてきこゆる也。みつとよむはよろしからす。反歌にも昔見之象乃小河とあれは、水の字はかはと讀て、吉野の山川のことを貴かるらし清からしとよめるに、山水を對句に用ひたるなるへし。彼古葉畧要集には、やまからしたふとくありしみつからし、さやけくありしあめつちとなかくひさしくとよめり。然れとも訓は今の印本の訓まさりて古葉畧要の訓は劣れり。永の字は水の誤りなる事は、諸家の本にてはみえす。唯若宮神主の家の古葉畧要集にてみえたれは、秘藏すへき珍重すへき事は、古本に在ことをしるへし。
反歌
316 昔見之象乃小河乎今見者彌清成爾來鴨
疑問なし
(583)山部宿禰赤人望不盡山歌一首並短歌
317 天地之分時從神左備手高貴寸駿河有布士能高嶺乎天原振放見者度日之陰毛隱比照月乃光毛不見白雲母伊去波伐加利時自久曾雪者落家留語告言繼將徃不盡能高嶺者
童子問 白雲毛伊去波伐加利を、或説にふしの山の高く貴き事神の如くなれは、雲もおそれはばかりて、高ねをよきてたなびく心也。伊去の伊は例の發語也といへり。此説是ならんや。
答 是なるべし。しかれども必高ねをよきてとはみるべからす。天にひとしき高山故に、雲も立のぼることを、よばず去かぬるをはばかるといへるなるべし。
又問 時じくといふ詞はいかなる義にや。或説にふだんの心地。非時と書り。雪は惣して時有て降ものなれとも、此山ばかりいつと云事なく、時にあらずしてふるといふ心なりといへり。しかりや。
答 しかるべし。時に非ずしてとは、日本紀に非時香菓と有を、ときじくのかくのみとよみ來れる古語より、非時と書と云るなるべし。義はしかり。しかれども時ならぬを何とてときじくと云かと疑ひて、問人もなく釋したる人もなきこと遺恨なるへし。
又問 語告、此二字先訓かたりつきなり。告の字をつぎともよむはつげと同痛音故にや。
答 告の字をつぎとはよみがたし。つげとよむべし。
反歌
318 田兒之浦從打出而見者眞白衣不盡能高嶺爾雪波零家留
童子問 從の字長歌にてはゆとよみ、反歌にてはにとよむ、かはりはいかなる義にや。
答 長歌にても短歌にても共にゆとよむへし。よりの意に用る古詞なり。
童子問 眞白衣、此句を印本の訓にはましろにそとあり。撰集にはしろたへのとあり。眞白衣の三字にて、しろたへのともよまるべき事にや。
(584)答 白衣とばかりあらばしろたへのともよまるべけれとも、眞の字あればさはよまれず。ましろくそとよむにてこそ、赤人の歌の意も時代の風體も明かなるを、人丸赤人の歌をよくしらぬ先賢達よみあやまりて、わけもなきことによみなし來れる類是なり。白妙のふしのみねとつゝくべきことにあらず。雪のふりてこそしろ妙ともいふべし。ふしの山雪ならでしろたへなるべからず。されは白妙にといはゝいはるべし。白妙のふしとはつゝくべからす。先賢かなをわきまへしられずして、白妙のふぢといふことあれば、富士も藤もおなじことゝ心得違へて、白妙のふしとつゝけよめる歟。富士のかなはし、藤のかなはちなればおなしからず。新古今時代歌は工にすかたうるはしきことは皆しられたれども、かなをしりたる人其時代一人もみえず。萬葉にくらき故也。後京極攝政堪能の御作者にても、白妙のふじの高ねに雪つもるなどと、新古今の序にもかゝせられたることなれは、定家卿家隆なとの歌の名をえたる人、かなをしらずしてよみあやまられたる歌數すくなからねは、うたかふらくは藤ふし富士のたがひをもわきまへずして、白たへのふしともつゞくと、心得たがへられたるよりのことなるへき歟。實に赤人の歌をよくしられぬ證據には、此句のみにあらす、尾句の雪波零家留と有をもよみたがへて、雪波ふりつゝとなせり。いとかたはらいたきことなり。眞白衣とよみて、雪波零家留にて赤人の歌に此二句をよみたがへては、赤人の歌にはあらす。古學なき歌人の後の人をまとはし、聖ともよはるゝ人丸赤人の歌をも見誤りて、にげもなきことにしなして世に誤りを殘し侍へられしこと、そのかずあけ盡すべからす。可2悲嘆1事也。
詠不盡山歌一首并短歌
童子問 此歌の作者は誰にて候や。前の歌に山部宿禰赤人とあれは同人の作にや。
答 同人の作にて有へからず。其證には、此次の歌に山部宿禰赤人至伊豫温泉作歌とあれば、此歌は異人の歌なる事明けし。反歌の中一首高橋連蟲麻呂の歌とみえたれは、長歌反歌ともに蟲麻呂の作にても有歟。若古本には作者の名ありしを傳寫の時脱漏したる歟。作者不分明歌とみて可なり。
319 奈麻余美乃甲斐乃國打縁流駿河能國與己知其智乃國之三中從出之有不盡能高嶺者天雲毛伊去波伐加利飛鳥母翔毛不上燎火乎雪以滅落雪乎火用消通都言不得名不知靈母座神香聞石花海跡名付(585)而有毛彼山乃堤有海曾不盡河跡人乃渡毛其山之水乃當烏日本之山跡國乃鎭十方座神可聞寶十方成有山可聞駿河有不盡能高峯者雖見不飽香聞
童子問 仙覺注釋になまよみのかひの國とはつけたることは、甲斐の國のかといふを香ほりのかによそへとれり。ひと言ふをよしと云ことによそへとれり。かよしといふ心なり。このかをいひ出んとする諷詞なれば、なまよみのと置る也。なまよはみなるなど云詞也。かと云は好香惡香ともにあれども、香といふまさしき詞は好香をいふなり。惡香をはくさしといふといへり。此説是ならんや。
答 是ならず。仙覺和語格例をしられざる故、語釋の道なき説也。
又問 或説に香は生しきよしとす。よつて生しうてよき香火とつゝけたる詞也といへり。同し釋にきこえ侍れとも、首説にては香とばかりに聞えて、ひといふこときこえず。此釋は香火といへるに勝劣少有歟。いかゞ。
答 香火といふ義勝劣までにをよばず。和語の格例をしらざる説といふは、なまよみのといふ所にあり。よみを善好といひては、乃といふ語例なきことなり。論するにたらぬ語釋なり。すゑにいふべし。
童子問 打縁流駿河能國とは、仙覺注釋に駿河のすを海の例によそへたる也。洲は浪のうちよする物なれば、洲をいひ出んとする諷詞に、うちよするとおける也。うつとは波と云字の一の例なれば、うちよするといへるに波はおさまれる也といへり。此説の可否いかゞ。
答 此説心得がたし。洲は波のよするものならは、波よするといはばさもこそきこゆべけれ、打よするといひて波のよするともいひがたし。又うつとは波と云字の一の訓といふ義も、古語の證なきことなり。此説可ならずとて僻案いまだなけれは、うたがはしきは闕て後證出來るを待べし。
又問 同注釋に、又駿河の國には富士山葦高山とて高き山二つあり。ふしの山はいたゞきに八葉の嶺有。淺間大菩薩と申す神まします。本地胎藏界大日也。葦高山は五の嶺あり。葦高大明神と申御神まします。本地金剛界の大日也。この富士葦高兩山の間、昔は東海道の驛路也けり。さて其中によこはしりの關なんと云所も有ける也。あしがら、清見、よこはしりなんと云ことの(586)侍るは是也。横はしりの關は富士あしたかのあはひ也。さて此道をむかしの旅人通りける間重服觸穢の者共朝夕通りけるを、あしがらの明神いとはせ給ひて、今のうきしまか原と云は、南海の中に浪にゆられて有けるを、打よせさせ給ひてけり。さてし其後今の道は出來にけりとなむ申傳へて侍へる也。然れば打よする駿河の國といへるは、此本縁にもや侍らん。たゞにかゝること有けりと、すゑの世の人にしらせ奉らん爲に、古老の説をしるしつけ侍る也とあり。此説は何とやらんあやしく取用かたき説にあらずや。仙覺も信用せざるとみえたれども、古老の説故に一説をあげたるものとみえたり。可否いかゞ辨へ侍らんや。
答 此説はあやしき説なれども、古事の權輿には駿河國にかぎらず、神異の説あまたあれば還て本説なるべし。風土記の説は皆あやしき説なれども、古老の口實を書傳へたるにて、後世の人の道理を盡していへるには僞説邪説あまたあり。仙覺か打といふに、波の字の一訓有などいふ説のあやしきは、古老の説よりも甚しきもの也。富士の頂を八葉の蓮華といひ、淺間の神を菩薩といひ、本地金剛界胎藏界など兩部を習合する説は、風土記の時にはなき事なり。大事經など本邦に來れる時節をさへ辨へず、古説に混雜していへる邪説俗説などのあやしきよりは、古老の口實信ずるに足れり。出雲風土記などの例によれば、神の造化には浮島原を打よせたる説は、古説なるべければこの説にしたがふべし。淺間大明神忌服觸穢などの義兩部習合に異ならず。風土記の時も大明神といふ稱號も所見なく、重服觸穢の名目も有べからす。皆後人牽強の説まじりて、專ら古説にあらざる事は明けし。古記をひろく見る人は、おのづから新古の説わかるべし筆を勞するにもをよばす。
童子問 己知其智乃國とはいかなる義にや。をちこちの國といふこと歟。
答 をちこちとみて可なり。
童子問 國之三中、此四字をくにのさかひと先訓にあり。三中の二字さかひとよむ義有ことにや。
答 不可也。三中みなかとよむべし。古本の一訓にもみなかとあり。みなかは眞なかといふかごとし。
又問 出之有、此三字いでてしあると印本に訓あり。何とやらんあまりたる訓にきこえゆる也。いかゞ。
答 古本一訓にはいでゝあるとよめり。いだしたるともよまるべし。僻案には之は立の誤字にて、いでたてるにてはあらずやとおもふ也。正本を見て一決すべし。いづれにても義に害なければ、しひて異訓を沙汰むるにはをよぶべからず。
(587)又問 言不得、此三字をいひかねてとよめり。いかゞ。
答 下の句によればいひかねてはよろしからず、いひもえずとよむへし。
又問 名不知、此三字なをもしらせずとよめり。何とやらんよみがたく心得がたし。可否いかゞ。
答 名不知、三宇はなづけもしらずとよむべし。此山のことは言語のをよはぬを、いひもえず何と名つくべきこともしらぬ、神異の靈山と稱美したる句ときこゆる也。
又問 石花海跡、此四字先訓せのうみともあり。正訓にや。
答 正訓なり。石花は貝の名尨蹄子の事也。倭名鈔亀貝類にも載たり。
又問 仙覺注釋云、石花海と云は富士の山乾角に侍る水海なり。すべてふじの山の麓には山をめぐりて八の海ありとなん申す石花の海と申すはその八の海の一也とあり。爾v今八の海有ことにや。
答 予富士大宮司信章に請招れて、富士の大宮にしばらく滯留せし時、富士山にのぼりて見侍しに、若海といふものはなし。まして八海有べきにあらねども、むかしは大池を海といふこと、此集の歌にみえたれば八海といふも池のこととみれば、大山の内麓のめぐりには八池も九池も有べし。歌の詞にも石花海跡名付而有毛彼山之堤有海曾とあれば、富士山内に有こと明けし。其頂上匝v池生v竹と都良香の詩に有池のことなるべし。今は竹もなし。歌によめる富士の高ねの鳴澤といふも、此歌の海とよめるとおなじかるべし。石花海とかけるは、山頂の池のあやしきを顯はさんとて石花海とかける歟。石花貝の有べきことにあらざるを、さる名をおひたるは上古石花貝の此池にありしより名付たるもしるべからす。たゞせといふ名に借りて、石花の二字は用ゐたるとみる方まさるべし。しかれども石山奇山神山を稱して、直に石花の貝付たる石もありしより、名におへるといはむもあやしむべからす。富士山にかぎらす、かき貝など付たる石、高山に今も有ためしなきにあらず。たゞ風土記には眞記絶ぬれば、しるしとするにたらざる書の説まち/\なるべし。八雲御抄には石花海を神の名としたまへるは、證明の記なし。僻案には此山の背の方に有池故に、せの海と名付たるかとうたがふ也。
又問 水乃當烏、此四字先訓みづのあたりそとあり。當の字を曾とよむ義心得がたし。且當の字に異訓はなき歟。あたりといひ(588)てはおとれる句にきこえずや。いかゞ。
答 當の字正訓あたりにて、あたりわたりにかよへば水のわたりと直に訓べき歟。あたりとよみてわたりと心得たるもおなじ義なるへし。烏の字をうとよむは、此集にからすちふおほおそ鳥といふことあれば、おうを略してうと用ゐたるかともおぼゆれども、これは焉の字を烏にかきあやまれるなるべし。焉烏音相通して用ゐたる字例もあれば、烏の字にて焉の宇とおなじく用ゐたる歟。むかしそといふ詞は、今也の字をも用ゐるたぐひにて、決辭に、なりともそともいへば、矣耳焉也者皆決辭にて、なりともそとも用ゐたるとみるべし。
反歌
320 不盡嶺爾令置雪者六月十五日消者其夜布里家利
問 仙覺注釋に、富士の山には雪のつもりてあるが、六月十五日に其雪の消て子の時よりしもには又降かはると、駿河國の風土記にみえたりといへりと有。此事慥なることにや。
答 駿河國風土記にみえたりとあれば、さ有なるべし。仙覺も風土記をみたりといはず、風土記にみえたりといへりとあれば、人のいふ説をあらはせるなればたしかならず。今世にある駿河國風土記は僞風土記にて眞風土記なし。仙覺もみざるなれば仙覺時代も失はれたる歟。しからば眞風土記世にたえたるなるべし。たとひ風土記にあればとて、六月十五日の夜子の時より下といふ、さることむかし一時有しを書傳へたることも有べし。天地の時候きはめていふべき事にあらず。たゝふじの山の雪きえざる時より、降つきたるよしをいはむとて、十五日に消ればその夜ふりけりとよめるなるべし。風土記も此歌より書傳へたることも有べし。予先年富士に登りし時、山の雪を見しに、絶頂より下雪氷りて殘れる事壹二里にも過たり。その雪の上をふみてのぼりし也。其時六日二十一日なり。去年の雪の殘れるなれば、六月十五日にもきえざりし事をみたり。此雪七八月に及びても猶消べくは見えず。日影のあたらぬ所には、去年の雪殘りてその上に初雪ふりかさなること、むかしも今もおなじかるべし。
此山の臨望絶景筆の及ぶべきことにあらず。予も此山の記かきも傳ふべく、かの時草稿にあれども文拙なければ人にみせん、人にみせてはかへりて山のおもてふせなるべく、拙なき筆の及ぶことにあらねば、打すてゝやみぬ。のぼりし時
(589) 雲霧はふもとのものよ雪をふみあるしをわくる六月のふしと口號せしかども、かの山の半腹に室といふ所ありて、室より上は草木もなくたゞあらしのみなれば、かの愚詠をも
雲霧はふもとの物よ室よりはあらしを分るふしの芝山
かく書付て大宮司信章にはみせぬ。今又おもへば、雪をふみのかたまさるべき歟。もしいとまもありて、ふしの記の草稿をも綴りおほせて、書改めむとき改正しすべきもの也。
321 布土能嶺乎高見恐見天雲毛伊去羽計田菜引物緒
童子問 此歌の意はふじの山たかければ、雲も立のほりおほせずして、麓にたなびくといふ義歟。
答 しかり。立はのぼらで山にたなびくといへるにことならず。たゝ高きのみにはあらず。雲もおそれてのぼり憚り有にや。たなびくとよみて靈山のことわりを顯はせるなるへし。
又問 田菜引にて有へきを、田莱引と諸本にかけるは傳寫の誤り歟。
答 誤字也、菜に改正すべし。
又問 天雲の田莱引といふ詞なれば、立のほりがたき理り心得がたし。もし此天雲は雨雲とみるべきにや。
答 必雨雲にて天雲にあらずともいふべからす。雲は皆空に在ものなれば、天雲といふ名によべは、此山天より高くて、天雲ののぼりがたきといふ理りはあらず。たゝ天雲は雲の惣名とみてしかるべし。天にあらざる國物をもあまつといふ古語の例もすくなからねば、あまつ風あまつ雲のことにて害有べからす。歌によりて雨雲をかねて天雲とよめるもあれど、此歌の天雲を雨雲とみるべからす。
又問 物緒此説の詞てにをはいかに心得侍らんや。
答 これ常に、てにをはを合せてかへるてにをはのをにはあらず。詞の終の辭とみるべし。あなにえやうましをとこをとよみ給へる、をの辭の類にて嘆の意を含みて、終りにをと置古詠の一格とみるへし。後世そといふ詞ともかよひて心得るを也。此終のをの詞古葉にあまたあり。准てしるべし。
(590)右一首高橋連蟲麿之歌中出焉以類載此
童子問 以類載此あれは、後に注者此歌を書加へたるに似たり、いかゞ。此文いかゞ心得侍らんや。
答 後の注者補集とみるべし。若載此歟と古本にあらば、補集にはあらで注者の案を加へたる歟。諸本歟の字みえねば後の補歌とみて可也。
山部宿禰赤人至伊豫温泉作歌二首並短歌
322 皇神租之神乃御言乃敷座國之盡湯者霜左波爾雖在島山之宜國跡極此疑伊豫能高嶺乃射狹庭乃崗爾立之而歌思辭思爲師三湯之上乃樹村乎見者臣木毛生繼爾家里鴨鳥之音毛不更遐代爾神左備將徃行幸處
童子問 皇神祖の三字をすめろぎと訓來れるは、祝詞にかみろぎといふとおなじき義にや。
答 皇祖神祖皇神祖ともにおなじ義にて、かみろぎといふに用ゐ來れども、此歌にては天皇をすめらきといふ古語とおなじく心得て、神祖の義にはよるべからず。當今の御ことをも祖神のことをも兼合て心得させん爲に、皇神祖の字は用ゐたるまてにて、古今の天皇の上を指ていへるなるべし。
又問 神乃御言乃とあれども、神の尊のと心得べきや。
答 しかり。
又問 敷座國之盡湯者霜、此八字を先訓に、しきますくにしゝゆはしもとあり。心得がたき句なれは、賢按の訓有べくおぼえ侍る。いかゞ訓侍るべきや。
答 僻案には湯の字の上に三の字を脱せりとす。よりて右の八字をしきませるくにのこと/”\みゆはしもとよむ也。四言一句古葉の一格なれば、ゆはしもとのみよみてもあしからねども、下に三湯之上乃と有を句例にして、みゆはしもといふ句なるべしとす。湯の一字にみとつけてはよみがたし。直盡の字はかぎりにともよまばよむべき歟。こと/”\のかたまさるべき歟。好むにしたがふべし。(以下解闕)
(591)萬葉集童子問 終
2008年4月17日(金)午前9時30分、入力終了
荷田春滿全集第四巻、官幣大社稲荷神社編纂(代表鈴木松太郎)、六合書院発行、1944年4月1日、561頁7圓24錢
(1) 荷田春滿全集 第四卷
凡例
一、本卷には、萬葉童蒙抄の自卷第一至卷第十一の十一卷、即ち萬葉本集の第二、三、四の三卷を收めた
一、萬葉童蒙抄四十六卷は、春滿の弟暗滿(又倉丸、暗丸とも)信名の著である。信名は春滿に後るゝ十六年、貞享二年の生れ、同腹の季弟であつて、元禄九年十二歳にして父の信詮を失ひ、後長兄信友の猶子として社職を襲ぎ、稻荷社御殿頂職を奉仕し、春滿が倭學の興隆に專念したに對して、家門を株守して、世襲の神勤を勵んだ一面、最も長く、深く、春滿の學問に親炙した眞の高弟である。
童蒙抄は明治初年、羽倉可亭良信(春滿の弟宗武五世の孫)が福羽美靜に提出した、春滿遺稿目録に
一萬葉童蒙抄 信名筆記 四十二册欠本、春滿之所考講也、世所傳有全部八十卷云
と記され、又近世名家著述目録第一にも、春滿の著として八十卷と見えて居つたが、現存せる東羽倉家藏本の信名の自筆稿本は四十六卷で(四十一卷、四十四卷は半紙版で筆者が異なつてをる。これは後年他の所傳本に依つて補寫したるものゝ樣である)萬葉本集卷第二より、卷第十六及び、卷十七卷初、太宰帥大伴卿上京之時、陪從人等、各陳所心作歌十首の六首目多麻波夜須云々の歌迄の解で終つてをる。即ち現存の卷數を以て、假に萬葉全集を推算しても八十卷には至らない、先づ六十卷である。しかも最(2)終卷の四十六卷は右の歌の解を以て中絶せられてをつて、且若干の餘葉が存してをる所から考ふるに、恐らく八十卷は傳聞の錯覺より生じたものと思はれる。
本書は上記の如く、萬葉本集第二卷より書初められ、現に稿本の第一册目には、表紙に
本集卷第二
萬葉童蒙抄 一
と記され、且書中に屡第一卷にて釋せる通、第一卷にて紀を引て注せる通、など述べられてをるから、本集第一卷の釋は春滿の著たる萬葉に讓り、即ち此れに續くの意味を以て、本集第二卷よりものせられたものであらう。又童蒙抄に續いて、萬葉集剳記を第十七卷から二十卷迄、同じく信名が記してをる。要するに僻案抄、童蒙抄、剳記の三書を以て、萬葉全集の注解がなされてをるわけである。
本書中に於ては、概ね初めに、宗師案として春滿の案を述べ、次に愚案、予今案等として信名自身の案を述べてをり、本集卷第八の藤原朝臣八束歌一首、棹四香能云々の歌の相佐和爾の解につきて、宗師の案に、暗丸未2甘心1と特に自分の名を記し、他にも予未だ不2得心1など記してをる。又、宗師の説にたがふ事いかゞなれど、予得心無ければ愚案を云也。とか、宗師の意にたがひ、先達の意にたがふ拙見其罪難v逃など、記してをるが、中に一册
本集卷第四
萬葉集打聞 初捌
(3)と表紙が記されてをる(後に述ぶる松井本には、此内聞の題號について、「師本此題號計り如v此侍り、外は皆童蒙抄とあり、しかし是も童蒙抄也。本のまゝに書うつす也」と頭書がある)處から見て、宗師案の部分は春滿の講義の筆記であつて、それを基として自案を加へ注抄を記したものと思はれる。且書中には處々、或種の釋について、當家の師傳、家傳、一家の傳などの語が用ゐられてをるから、僻案抄が、春滿に依つて記され、童蒙抄が信名に依つて記された區別はあるが、何れも荷田一家の萬葉注釋書と見らるべきである。しかも僻案抄は單に本集第一卷に止まり、他に本集第二卷以下には改訓抄、童子問、問答等の零本はあるが、最も大量に、且詳細に、春滿の萬葉注解を傳へたものは、即ち此童蒙抄であるといふを憚らぬのである。
内容に就いて贅説の要は無いが、唯注目せらるゝのは、書中に明かに萬葉代匠記に就いて述べてをる事である。僻案抄、其他の中にも、仙覺抄、季吟の拾穗抄、長流の管見、又代匠記の釋も引かれてをるが、書名を現さず、ある抄とせられてあるのもある。しかし本書中には、明かに契沖又は契沖抄の字が見えてをる。例へば本集第五卷の初、太宰府大伴卿報凶問歌の報凶問の解について「契沖抄に能被v勘たり仍而略v之」とあり、又同卷卷ノ次「老身重病經年辛苦及思兒等歌七首」の中靈剋内限者云々の歌の、「たまきはる」の解につき、「大坂契沖程の萬葉者なれど、此本説をひらかずして、此歌にて此詞明らかなりと注せり云々」とあり、又東羽倉家藏本中には、春滿の自筆雇筆の萬葉代匠記が二十七册現存せるが、これらの事實は萬葉研究の學統上看過すべからざる現象である。尚書中同氏在滿發起也とか、門人等の説も見えてをる。(4)本書の傳本は、著者信名自筆の四十六册(東羽倉家所藏)の他に、文學博士松井簡治氏所藏の、本集卷第三より同第十卷までの二十七册がある。松井本は、もと四十四册あつたのであるが、終の十七册は震災にて失はれたのである。文學博士久松潜一氏が嘗て調査した所によると、松井本の元の四十四册の中に一册、十八卷異本と題して卷八前半の注があつたが、これは萬葉代匠記の初稿本であつたとの事であり、又第十七卷の注釋は無かつたとの事であつた。松井本は平縁信(石野氏、只軒石翁。在滿の門人)の筆寫で、往々「六友堂版」七行罫紙を用ゐてをり、第一卷本紙第一枚の冐頭に、「荷田先生藏本縁信傳寫」の寫あり、又
此書第一、第二は萬葉考ニ委記ス、サレバ第三卷ノ甲ヲ第一ト成ス
と記し、頭書に、
此童蒙抄一、二卷有るも荷田氏にも秘本とす。此本まことに日本に二ツあり。一本は此通、荷田先生亭に有。可v秘々々とあり、又
第四卷の奧書に、
安永三年九月十日書畢、小雲堂主人
同五卷に
明和八年秋九月小雲堂主人東只軒書
同七卷に
萬葉集童蒙抄本集卷第七
(5) 荷田先生日本二本目之内也
天明五年巳九月廿日書寫檢了 石翁
同二十三卷に
右寛政五年丑八月二日より三日に至り公用の間に書寫了
南叡吏隱 只軒石野縁信
同二十四卷に
寛政六年寅如月十三日寫 七十二翁只軒石翁平縁信
同二十六卷に
右寛政六年寅三月卅日書寫了
七十二歳小雲堂石野石翁
の奧書に據つて、少くも安永より寛政に至る十餘年の間、東羽倉信卿の時代(後の奧書に見ゆ。信卿は春滿の弟宗武の孫)に、借覽を請ふて暇を得る毎に書寫したものと思はれる。
此松井本と羽倉本とは編綴の區分を異にし、且兩者は内容に於て、前者は後者の抄本の樣ではあるが、處々に縁信の頭書があると、又第一卷一枚目の裏の頭書に
此本に△如v此點有は百ケ傳とて誓紙の上可2相傳1と信卿先生の傳へ也
とあるのは、羽倉本の本集第四卷廣川女王歌二首中「こひ草を力車に七車」の歌の解
(6) すべての草をさしていふとの事なれど、宗師案にはこひ草と云草あり。一種にはあらねど名付くる所故あり。集中百家の傳とす。秘傳書に注せり。
とあるのと符合してをつて、彼の宮内省圖書寮架藏の、春滿が、出羽國能代の門人村井政方に與へた古今和歌集の講義、又は眞淵の萬葉考に見えてをる萬葉卷第一の難解の歌、莫囂圓隣之云云の訓等と共に當時の學傳乃至歌道の上に、奧秘の相傳が存し、萬葉集の解にも秘傳を設けた事が注目せられる。
この百ケの相傳につきては、羽倉本には右の外、或は、神代上卷に奧秘の傳あることなれば略すとか、又社、さかき、御室、五十戸等主として神祇神祭の儀式調度につきて示されてをり、又寛永本に於て第十巻詠鴈歌、吾屋戸爾云々の歌の行の次「遊群」の二字を、國方可聞遊群(くにへかもゆく)と訓を下して
是今案發起は、數百年來の誤りを見ひらきたる宗師の案なれば、當集奧秘の傳來の中別而秘藏の義也疏略に他説に漏らすべからず
など、往々高潮の箇所もあるが、別に符牒は附せられてをらぬけれど、松井本には△(又ハヽ)の印を施る外、或は此歌秘傳別記に書べし、百ケ傳の内也。口傳也。師傳也可v秘々々。又は○印を附して此圏點は達意を解也、など頭書に記されてある。
本書刊行に就いては西羽倉家藏本に據つた。この西羽倉家所藏本は東羽倉家所藏原本の寫本である。原本は未定稿であつて、「淨書の時尚加v加2考※[手偏+僉]1、可2追考1、尚沈吟を以て決すべし、」等々記されあり、又處々に略筆した處が多い。勿論、寛永本を底本とし所持の本、一古本などと述べてをる處の古寫本を參酌して(7)記したもので、例へば書中歌を示すに、印本何枚目の表等記し、又、端書、序文、左注につき、淨書の時一字下げて記すべき等、十分に筆者の意が窺はれるから、考檢、追考(第五卷、山上憶良沈痾自哀文につきて、序文の注釋淨書の時可2書加1の如き、第十六卷竹取翁作歌の解を別注しれ省いてをる如き)を想像する事は難いが、略筆の部分は原本の體裁に反せない限度に於て、之を筆者の意に則つて校訂補筆した。即ち
一、寛永本に據つて目録を加へた。
これは書中目録の字句に就いて述べてをる處が多いからである。
二、歌、端書等一切の眞字も寛永本に據つて書加へた。
すべて寛永本の文字は大書とし、注解は小字とし、萬葉の本文と注解文との區別を明かにした。
但し寛永本に就いては脱字、衍字等、解に於て疑を挾んで特に述べてあるものは其儘とし、疑無く改めて釋を下したものは改めた。(十を千、黒を墨、干を千、于としたる如き)
三、歌の訓について
原本短歌には殆ど訓があるが、讀解明瞭なるものには、往々省略せられてをる、これは省略した。長歌に就ては、訓を仮名書にする筈で、書初められてをるものと、之を記さず、直ちに、語釋を述べてをるのとある。前者は解に依つて、全部その訓を知ることが出來るから、大部分眞字の次に訓を仮名書し且句讀を施した。後者は概ね讀解容易のものであるから省略したらしいから省いた。
(8) 四、引用書及引用文について
例へば、卷第三、天探女に就て、攝津風土記の書名のみを記し置き、解の中に前に引ける風土記の文の通也とせるが如きは、明かに風土記の文を、拔抄してのせる筈であつた著者の眞意が知られてをるから之を補筆した。又志貴皇子について
續日本紀卷第七云、二年秋七月庚子|−《イ》八月壬子|−《ロ》甲寅二月志貴皇子薨、遣從四位下|――《ハ》宿禰筑紫監護表事
とせるが如きは、明瞭なる略筆であるから、イ、ロ、は中略とし、ハは「六人部王正五位下縣犬養」の十一字を補つた。
書史名と引用文とを記して、卷名、紀の天皇名、令式の區分等を省略して線を引けるものも後に檢索挿入する筈であつたと思はれるものは書加へた。書名のみを記して引用文を記さざるもので文長きに渉るものゝ中には、要否を考へて書名に卷、條名等を附加して「に出づ」「に見ゆ」とのみ記すに止め、濫に新加の引用をなさゞる事とした。而して補つた部分については〔 〕を以て原本との區別を明らかにした。
又引用が記憶によつた爲、錯誤があると思はれた後撰集、(後拾遺集の誤り)、本朝文粹(該當の文見當らず)等につきては、同じく〔 〕に依つて其旨を附注した。
又本書には本集第四卷以後に、卷尾に難解記といふものを附して、其卷中の難解歌を擧げ、難解の字(9)句につきて、再び見解を下してをる、之も現存せるものは全部加へた。
本書の著述年代については、相當の卷數であることゝ、宗師後案とか、予後案とあり、書き加へや又上欄の書添、朱筆の書加へ等あり、到底短期の間に記されたものではない事は諾はれるが、恐らくは享保年中の僻案抄の後であつて、春滿の晩年から、或は歿後にも渉つて信名の記したものと思はれる。
卷頭寫眞版
一、萬葉童蒙抄が、萬葉集の第二卷より始められた證左として、首卷の表紙を掲げた。勿論本表紙も信名の自筆である。
二、童蒙抄の内容については、校本萬葉集の萬葉集諸本輯影二七四、二七五に掲載せられてをる。今重出を避けて、童蒙抄卷八、五音横通に對する説の見えてをる處を出した。他にも、春滿、信名が詠歌の時代推移及び上代の詠歌を通じての言語の原始的考察、即ち、歌論、語釋の上の興味ある諸説が見出される。
三、石野縁信抄寫の童蒙抄に就ても前述の通りである、茲には童蒙抄首卷〔本集卷第三、(石野本には卷第二は無い)〕の一部を出した。(萬葉童蒙抄 羽倉敬尚校訂)
(5)〔目次省略〕
(7)相聞
あいきゝとよむべし。古今集已來の集には相聞といふ部類はなく、戀の部と名付て、此集にて相聞と云類の歌を載せたり。しかれば後々の集にて、戀の部といふ類に同じかるべし。しかれども此集にて相聞と名付られたる部には、戀歌にあらざる親子兄弟姨姪などの、互に情をあらはし告る歌をも多く入られたれば、後世の戀歌の部類とはすこし違あり。奧に到りては、四季をわけて、春相聞、夏相聞とも名目をあげられたり。兎角互に情をかよはし、心中の事をあらはし告る事を、相聞と名付たるものと可v見也
難波高津宮御宇天皇代
なにはたかつの宮にあめのしたしろしめすすべらみことのみよとよむべし。人王第十七代にあたり給ふ帝にて、御諱大鷦鷯尊と奉v稱り御謚は仁徳と奉2追尊1也。應神天皇の第四の皇子也
大鷦鷯天皇
おほさゝぎのすべらみことゝよむべし。大鷦鷯の事は日本紀第十一卷に詳也。攝津國の難波高津の宮に、天下を治め給ふことも日本紀に見えたり。此五字は第一卷にもしるせるごとく、後人の加筆なり
磐姫皇后
いはのひめのみきさきとよむべし。日本紀には、磐之姫とあり。古事記には、葛城之曾都毘古之女石之日賣とあり。釋日本紀には盤足姫葛城襲津彦女としるせり。釋日本紀の足の字は之の字のあやまりたる歟。此集にまた之の字を脱したる歟。之の字なくては、いはひめとよむべければ、日本紀、古事記を證として、之を脱したると見るべし。皇の字はすべて尊稱して書たるもの也。二字合せてみきさきとよむ也
(8)思天皇御作歌四首
すべらみことをしたひ給ひてのみつくり歌よぐさ
85 君之行氣長成奴山多都禰迎加將行待爾可將待
きみがゆき、けながくなりぬ、やまたづの、むかひかゆかん、待にかまたん
君かゆき氣ながく成ぬとは、天皇の后の御方へみゆきのことひさしくと絶給ふことをの給ふこと也。尤此天皇八田皇女を寵愛ましませば、八田姫のかたへ、みゆきなりて久して還御もなかりしとき、皇后したひおぼしめしてよませ給ふか。しからば外へみゆきなりて、そのみゆきのながくなりぬとの義也。氣ながくといふことは、諸抄の説は、長吁大息などいふと同じ事にて、ものを待わび、おもひにせまりては大あくび大いきなどのつかるゝことのあるをいふとの説也。甚不v當義也。氣は發語にていきのかたへかゝることにはあらず、たゞながきといふ初語にけといふたるなり。古詠にはいかほども、けながく、け遠く、け近きなど證歌あり。旅行などの事には、日のことにいふこともあり。日はけとも、かとも、こともいふなり。こゝの氣は、長きといふの初語と見るべし。尤八田姫の方へ行幸のときの義にて、よませ給ふ歌ならば、御旅行の事にも侍らんか。しからば、みゆきの日長くなりぬとの御事か。いづれにても、大いきのつかるゝことなど云説は不v當事也
山多都禰迎かゆかん このやまたづのといふは、迎ひといふの冠辭にて、禰の字は能の字のあやまりたる也。此誤字をあやまりと不v見より、諸説にみゆきし給ふ山路をたづねてとの説有。甚歌詞の不v考の説なり。山たづねと云歌詞はなきこと也。山たづといふことは、むかふと云冠詞にて、此集第六、天平四年壬申、藤原宇合卿遣西海遺節度使之陣高橋蟲麿作歌の終の句にも、さくら花さくらんときに山たづのむかひまゐてんきみしきまさばとよみて、たづぬるの事にはあらず。たゞむかふと云までの冠詞也。そこにも山多頭能と能の宇ありて、禰とはなき也。古事記にも此歌におなじき歌ありて、此集此卷にすなはち古注者同類の故を以て證例の爲にか、また古事記にもかやうの歌あるといふの證にか注しのせられたり。則古事記には山たづの自注ありて、此云山多豆者是今造木者也と注せり。山たづは順和名抄には※[金+番]の字をあてゝ、廣匁の斧と釋せり。八等抄には杣人の(9)事との御説なり。これは兵仗を持ものをつはものといふにひとしく、山たづといふ木を造るはものを持もの故、杣人などの事にしてもいはるべきか。實はひろはの斧の事にて、此斧を持て使ふにはとかくむかふさまならでは、つかはざるもの故、むかひむかふといふの冠辭に、古詠みな山たづとはよめる也、この詠もたゞむかひといはんため計に、山たづのとある也。この山たづに意はなき事也。すべて上代の歌風みな如v此にて、三の句は四の句をおこさんための初語冠辭をもちゐたること也。是萬葉集時代の口風口躰みな此一格具れり
迎加ゆかんまちにかまたん 天皇のみゆきのあまりと絶給ふゆゑ、待わび給ひて、むかひ出給はんか、また待居給はんかと、み心のせつなるところをあらはし給ふ御歌也。とやせん、かくやし給はんと、おもひわび給ふ情をあらはしきこえ給ふ也。御歌の意、なに事もなきやうにて、よくきこえたる中に、むかひかゆかん、まちにかまたんとあるにて、到て待わび給ふ御心のせつ ることおのづからあらはれたり。御詠の歌は君のみゆきの久しくほどへだゝり給ふ故、こなたより御むかひに出給はんか、またまちしのび給はんやとの義也。かくれたるところもなくきこえたる御歌なり
右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉
これは萬葉の本文にはあらず。萬葉集撰者より後の人此集をみて、類聚歌林に載たることを書入置たる也。是を古注とはいふ也。撰者の筆にはあらざる也
86 如此許戀乍不有者高山之磐根四卷手死奈麻死物乎
かくばかり、こひつゝあらずば、かぐ山の、いはねしまきて、しなましものを
かくばかりこひつゝあらずば、このこひつゝあらずばといふこと、此集中にいくらもある詞にて、諸抄の説は、あるにもあらずばといふ義なりとの義、或こひてもこふるかひのあらずばとの釋なれど、それは詞を足して釋したる義也。此不有ばといふ事は、萬葉集中をよく/\熟覽してその意を得べき也。これは存在せずばといふ義にて、か樣にこびわびてとてもしなばと云義也。不有の二字義訓によまばしなばと可v讀也。如v此の釋にては集中の歌、此不有の二宇の意悉濟也。こゝの御歌かくばかりこ(10)ひつゝしなばかく山のと云義にて、歌の意滯る處なく聞え侍る也。次の歌に、在つゝもとあるも、存在してながらへての義也。
高山の 高山の二字は、たか山のと古本印本ともによませり。たか山にても意はおなじかるべけれど、第一卷にも高山と書て香山のことをよめる歌ありて、直にかぐ山とよませたり。香高音同じければ通ても書たるか。宗師の發起は、香山は今云金生山の事なるべし。いかんとなれば、日本紀神代のまきにも天香山の金をとりて、日ほこ作り玉ふ神わざもありて、もとより金生る山といふこといちじるし。しかれば大和一國の大山高山故、上古は高山と書て香山のことになりたると見えたり。諸説かぐ山は至極の高山故天に近くて、天の芳はしき香のする故、香きたる山とも書など云説あれども、其説は難2信用1ながら至極高山と云傳たるところ、げにも後世に云香山にはあるべからす。至つて高き山故上代高山の二字を用て、かぐ山の事としらせたるなるべし。今大和にある香山と差山は甚小山のよし也。如v此世に名高き山、さばかりちいさき山にはあるべからざるを、金生山と云名出來たるより取用ゐて、後世にまぎらはしたると見えたり。金生山、香山は同山にてあるべき也。さてこの歌にては高山を常の山にして、たか山とよみても、歌の意はおなじかるべけれど、上に如v此ばかりと讀み出給ふなれば、かぐ山とよむべき也。かやうのところ古詠の例格あり。詞の縁たか山とよみては歌の餘情なき也。かく山とよみ給ふところ、歌といふもの也。此續の事諸抄物にかつて不v考事也
磐根四卷手死奈麻死物乎 かぐ山とある故に、さがしき山の岩根をも枕にして死なましものと也。とてもかくこひつゝながらへずば、さがしき山路の岩ねをも枕として死なんと也。いはねしの四は助字なり。まきてとは、枕としての義なり。この御歌を考へみれば、初發の御歌の、きみが行とあるは、他所に行幸なりしことをよみたまへる歟。此歌のたゞ山のことをよみ出し給ふ意、行幸なりて還御ほどふることを待わび給ふより、さがしき山路の事も思召よられたるかと見えたり。まきてといふ詞は此卷の末、柿本朝臣人丸の歌にいくらもあり。奧の歌にては、枕にしてといふ意慥にきこゆれ共、こゝの岩根しまきてとばかりあるを、枕にしてといふ義には少ことたらざるやうなれども、歌の意さなくては不v通なり。奧の歌には、枕とまきてとあれば慥にきこえ侍る也。又鴨山の岩根之卷有ともあり。先いづれも枕にしての意と見るべし。しかれども奧の歌に少さしつかふることあれば、岩根にまとはり、いはねをいだきといふの義とも見るべき歟
(11)87 在管裳君乎者將待打靡吾黒髪爾霜乃置萬代日
ありつゝも、君をばまたん、打なびき、わがくろかみに、しものおくまでに
在官裳 ありつゝもとは、いつまでもまちこらへて存在して待たんとの事なり努。前の歌の不有ばといふうらなり。此ありつゝもと云事も、たゞなほざりに見ては不v濟。存在してといふ義と見るべし。これに不v限ありかよひなど云詞もあり。みな不有の二字の釋の意をうけて見れば濟なり
打靡 うちなびきとは、おしなべてといふの義也。くろ髪にかゝりたる打なびき也。髪はなびくの、みだるゝのといふことあるもの故、その縁をもつて、打なびきとはよみ出したるもの也。惣髪に霜の置までにと云の意なり。打なびき春さりくればなどよめる、此集にもいくらもありて、一まい不v殘おしなべてといふのこと也。しかればここも、惣髪白くなるまでもといふの義也
吾黒髪に霜のおくまでに 年を經て、くろかみも白くなるまでも君を待ちたへんとの御事也
御歌の意は、いつまでも君のみゆきなるまで御存命ましまして、君をば待つけ給はんとの義なり。くろ髪に霜の置までにとあるにて、年老て白髪になり給ふまでもとの意はあきらけし。しかるにこの初五文字の在つゝもの詞、古註者もとくと不v濟故にか、奧にある本の歌を被v載たり。奧の歌と此御詠とは大成意の違あることなり。此御詠は年久敷ことを云たる歌なり。奧の歌は一夜にかぎりたる歌也。までにといふ日の字は、今時の歌にては、如v此の字あまりは不v詠ことなれど、これらは時代の口風にて、實朴に意をのべたまふと云もの也。置までといひても聞え侍れど、上代の歌みな如v此首尾を丁寧によみとゝのへたるもの也。霜の置までに在りつゝも待たんとの意にて、且歎の意をもふくめたる詞也
88 秋之田穗上爾霧相朝霞何時邊乃方二我戀將息
秋の田の、ほのへにきりあふ、あさがすむ、いづこのかたに、わがこひやめん
此歌の釋諸説と、當家の傳とは、うらはらの違あり。諸説は秋の田の穗の上にきりかすみ、相かさなりて、おほひとぢたるごときの后の御思ひの、かた/\よりはれて、のちにはみなはれつくすごとく、いづかたよりかはれ給はんとの御詠と釋したり。宗(12)師の傳は、秋の田の穗の上一まいにくもりとぢたるごときの御おもひの、いづかたをみそなはしても、はるべきかたなきとの御歌とみる也。とかくおもひのやすまらず、やまぬといふことに如v此よませ給ふと見る也。これ諸家の説とは表裏の違也
秋之田穗上 別の意なし。古本點本ともに穗のうへにといふ點をなせり。穗のうへとは不v被v讀。穗すゑとか、ほのへとかはよまるべし
霧相 きりあふとよむべし。意はくもること也。此集にいかほども此二字を書て、くもると云意のところに用ゐたり。天霧相などともありて、とかく雲のはれざることを云たる義也。秋の田とよみ出したるもの故、きりとかすみとあひあふてくもりたるごときのおもひのはれがたきことに、たとへたまふと見えたり。兎角きりあふとは、くもりたることを云也
朝霞 あさがすむとよむべし。第四句へつゞく句故、すむとはよむべし。古本印本共に、あさがすみとあれど、それにては上へつゞくことばになる也。朝がすむいづこの方と下へつゞくよみやう、古詠の例格にて、又別にすむとよめるには一義の案有故也。霞は四季にわたるもの也。此集にいくらも春に不v限霞をよめる歌あり
何時邊乃方二 此邊の字難2心得1。處の字の誤と見えたり。しかるに古本點本共に誤字そのまゝに點を付て、いづへとよませたり。萬葉集中にいづへと云こと不v見。尤何時邊と書たることもなし。またいづへと云詞歌詞にあらず。いづくいづこと云詞はあり。決て處の字を誤りたると見えたり。處なればいづくともいづこともよむべし。諸説にも誤字をそのまゝ釋して、海邊、磯邊、奧邊、など云とおなじ義と云説は取にもたるべからず。
歌の全體の意は、秋の田の穗のへ一まいにくもりて霞めるごとく、いづくいづかたを御らんじても、はれぬべきかたなきごとくに、后の御おもひもいづかたにかはれ給ひて思ひのやすまり給はんと也。扨此歌に朝霞いづこのかたにとよませ給ふは、朝霞のことにして、下の心は吾夫が住拾ふ何方にと云の意なり。それゆゑ朝霞を取出して詠給ふなり。この御下心なくて、たゞあさがすむとはよみ出し給ふべきやうなきなり。古詠の格はみな如v此わけありて、此朝霞とよみ出給ふは、天皇の住給ふいづこのかたに后の思ひははれんやとの義也。奧に至ても、あさがすむかひやが下に鳴かはづといふ歌の意もおなじにて、あさもあせも同事にて、あせとは吾夫といふこと也。第一卷にて日本紀の字訓を引て注せる通也。しかれば、あせがすむいづこの方と(13)つゞけたる義にて、すむとよまねばならぬ意味ある也。此説他家の抄物にはゆめ/\おもひよらざること也
歌の一躰は、たゞ秋のころ穗のへ一まいにくもりたる朝霞の景色のごとくに、后のおもひはれ不v給、いづかたよりはるべきかたもなきとのなに事なき意にて、下には天皇の住ませ稔ふ何處のかたにか、如v此こひわび給ふおもひのやすまらんとの御歌なり
或本歌曰
萬葉集の別本地。是は此集を學びし人、前の在管裳の歌に同詞の古歌ありしを、似たる歌故傍註して置たる本あるを、古註者萬葉の別正本と心得て、如v此載たるもの也。これ正本の萬葉集の歌にはあらざる也。秋の田の前に書入置たるにてあるべし。古註者の時如v此奧に書直して板行せしと見えたり。前にもいへる如く、古註者も在管もの歌の意とくと不v濟故、此歌と類歌のやうに心得、傍註とも不v辨故此處に載たるなるべし
89 居明而君乎者將待奴婆珠乃吾黒髪爾霜者零騰文
ゐあかして、きみをばまたん、ぬば玉の、わがくろかみに、しもはふるとも
此歌は一夜のことをよみたる歌なり。ゐあかしてと云にて、一夜にかぎりたること明也。前の后の御歌は、幾年ものことをよみ給ふ歌にて、同じ事のやうにて格別意の違あり。しかれば同類の差別は、うたがふべくもなきことなるに、あるべきやと古註者は載たりと見えたり
右一首古歌集中出
古註者の文なり。若は是も傍註ならんか
古事記曰輕太子奸輕太郎女故其太子流於伊豫湯也此時衣通王不堪戀慕而遣徃時歌曰
此文は古註者同詞歌有を以、何とも難v辯て古事記日本紀を引て註せり。歌の行一宇下て書べきことなり。此註しひて不v及2解釋1事なり
(14)90 君之行氣長久成奴山多豆乃迎乎將徃待爾者不待 此云山多豆者是今造木也
きみがゆき、けながくなりぬ、やまたづの、むかへをゆかむ、まちにはまたぬ
右一首歌古事記與類聚歌林所説不同歌主亦異焉因※[手偏+僉]日本紀曰難波高津宮御宇大鷦鷯天皇廿二年春正月天皇語皇后納八田皇女將爲妃時皇后不聽爰天皇歌以乞於皇后之三十年秋九月乙卯朔乙丑皇后遊行紀伊國到熊野岬取其處之御綱葉而還於是天皇伺皇后不在而娶八田皇女納於宮中時皇后到灘波濟聞天皇合八田皇女大恨之云云亦目遠飛鳥宮御宇雄朝嬬稚子宿禰天皇二十三年春正月甲午朔庚子木梨輕皇子爲太子容姿佳麗見者自感同母妹輕太娘皇女亦艶妙也云云遂竊通乃悒懷少息廿四年夏六月御羮汁凝以作氷天皇異之卜其所由卜者曰有内亂盖親親相姦乎云云仍移太娘皇女於伊興者今案二代二時不見此歌也
近江大津宮御宇天皇代
あふみ大つのみやにあめのしたしろしめすすべらみことのみよと読むべし
天命開別天皇
あめみことひらかすわけのすべらみことゝよむべし。人王三十九代にあたり給ふ帝なり。人王三十五代舒明天皇のひとはしらにあたり給ふ皇子也。はじめのみ名は葛城皇子とも又中大兄皇子とも稱し奉りし也。御母は皇極天皇なり。此天命開別天皇の六字も茲に註せるごとく後人の加筆なり
天皇賜鏡王女御歌一首
是は集の標題なり。非2後人之筆1
鏡王 いづれの皇女王女か傳不v詳。追而可v考。日本紀の天武の卷にはじめて、娶鏡王額田姫王とあり。其後同卷十二年秋七月鏡(15)姫王薨とあり。前に記したる鏡王額田とある、此所には脱字ありと見えたり。鏡王女額田とありしを女の字を脱せるなるべし女 此むすめとあるは額田姫王のことか。また外の女子かうたがはしき也。此次のこたへ歌の下に、後人の傍註せるは額田姫王と記したれども、此集卷第八秋相聞のところに、額田王思近江天皇作歌一首、君待跡云々、鏡王女作歌一首風乎谷云々、如v此ひとゝころにならべてしるせり。いづれと分がたし。八卷目にも思近江天皇作歌とあれば、此所も額田姫ならんか。額田王の事は第一卷めに註せり。天武の夫人也。此所にも卷第八にも、女と計あげてすめの名を不v顯事は、いかなる意にてかありけん、不v詳也
91 妹之家毛繼而見麻思乎山跡有大嶋嶺爾家母有猿尾
いもがいへも、つきて見ましを、倭なる、大しまのねに、家もあらましを
山跡有 これをやまとなるとよむは、にあの約音な也。心は大和に有と云の義にて、當集に此例あげてかぞふべからず。御歌の意は、皇居は近江、女の家所は大和の國故、常にみそなはすことなりがたく、女をしたひおぼしめすより、その家所をも常に不v絶も御覽なさるべきを、程へだたればつきてもえ御らんぜられざる故、大嶋のねに皇居をもあらまほしく思召との御詠也。大嶋といふも大和の地名、その大嶋嶺といふ所のあたりに、鏡王女の家所ありしと見えたり。大嶋のねとあれば、大嶋といふところのことにもきこゆれども、和歌に秋山のと、山をよみ出したるを見れば、大嶋のねといふ山ありと見えたり
一云妹之當繼而毛見武爾
いもがあたりつきても見むに。これは第一二句のかはりたるをしるせり
一云家居鹿之乎
いへゐせましをと云義にて鹿の字は麻の字の誤なり。せましをとよみては、せの字不v足やうなれども、訓よみのときは義にかなふ一言は添てよまるゝ也。居の字をゐとよむは訓なり。しかれば家ゐすとか、家ゐしとかせとかよまるゝなり。此或説も尾の句のかはれるをしるせる也。歌の意は、上二句の替りも、尾の句の替りもさして勝劣もあるべからず。先本文にしたがふべし
(16)鏡王女奉和御歌一首
今云返歌のことなり。こたへ奉る歌とよむべし。御の字を書たるは天皇の御歌に和へ奉る歌故、天皇をさして御の字を用ゐて、天皇にこたへ奉ると云意にて、撰者心を得てしるせる歟。また衍字歟。女の歌に御の字はしるすまじきを、前の天皇の御歌の所御歌とありし故、板行のときにあやまりて入れたる歟
鏡王女又曰額田姫王也
後人の傍註なり。第八卷目の秋相聞に額田王思近江天皇作歌とあるを見て、此女とあるも額田にてあるべしと心得て傍註せしか。古本の書本には朱にて細字に傍註せり。既に印本には如v此本行大字にしるせり。後人の加筆傍註見わけざれば、此集をば誤ること多し
92 秋山之樹下隱遊水乃吾許曾益目御念從者
あき山の、このしたがくれ、ゆく水の、われこそまさめ、みおもひよりは
遊の字は逝の字の誤り也。古本の書本には直に逝の字をしるせり。歌の意は、天皇の女をしたひおぼしめして、大嶋ねに皇居だになさしめまほしく思召ども、それよりも人しれず下にこがれて、思ひ奉ることはわれこそまさめ、中々みおもひの樣なることにはなきとの義也。しかるに秋山の木のしたがくれとよみ出したるには、別に意ありての事かと云不審有也。たゞ行水のわれこそまさめといへる計にては、此水を取出したるところ心得難し。秋山とよめるは、天皇の御歌に、大嶋嶺と大和の地名をよませ給ひたる故、和歌にも同じ地名の秋山とはよめる也。此下かくれ行水とは、人しれず下にかくれしのびての意をこめたるなるべし。行水をよめることは、秋山といひて莊子の秋水の篇の意をとりて秋は陰氣こりて淋雨しげゝれば、水のますといふ事のあれば、それゆゑよめるかと見る説もあれど、宗師の傳それにあらず。古詠の格左樣に六ケ敷古事をたくみてはよみ出さず。唯われとうけん迄の冠詞に、行水のとはよめるとみるべし。尤その行水を秋山のこの下がくれとよめるは、意味ありて也。その意味は、秋のころは木葉もおちつもりたる、その木の下がくれ行水故、かなたこなたにせかれて一筋にはながれず、われて(17)行なれば、下の第四句の、われこそまさめといはんために、如v此はよみ出したるものと見るべし。詞花集に入たる崇徳院の御製にもよませ給ふ、瀬をはやみの御歌のわれての格也。末にあはんとの御ことばかりに、瀬を早み岩にせかるゝ瀧川とよみ出させ給ふごとく、此歌もたゞわれこそまさめとはいはん爲に、秋山の云々とはよみ出たるものと見えたり。古詠の格はみなかくのごとし
内大臣藤原卿娉鏡王女時鏡王女贈内大臣歌一首
内大臣藤原卿は大職冠鎌足公の事也。藤原卿と書るは至て尊稱したる義なり。内大臣藤原氏の事は第一卷に註せり
娉 めとるとも、よばへるとも、よばふともよむべし。禮記娉則爲妻とあり。字書に與v聘同、聘問也とあり。此女も名不v記ばいづれとわきがたし。極めて額田王にてはあるべからざる也。此集に娉の字に娶の字を用ゐたるには意味あること也。娉の字は忍びてむかふの事也。表面の婚姻にはあらざるべし
93 玉匣覆乎安美開而行者君名者雖有吾名之惜毛
たまくしげ、あけぬをやすみ、あけてゆかば、せがなはあれど、わかなのをしも
玉匣 は古來よりたまくしげとよめり。玉手ばこともよまるべけれど、古來よみ來るまゝによむ事可v然也。玉とよめるはくしげを稱美しての詞なり
覆乎 點本古本等にもおほふとよみ、おほひと躰によむなど云て、諸抄の説もみなおほふといふ文字のまゝによみ解たり。萬葉集は文字のまゝによみときては中々不v通こと多し。意をさとし義訓に書たる集格を不v知輩、すでに古來よりおほふのおほひのとよめり。おほふをやすみといふて、歌の意いかんとも不v通也。よつて宗師の傳はくしげを覆なれば、あけぬと云意をさとりて義訓にはよめる也。すでにあけてゆかばと下にうける詞あり。おほふをやすみといふ歌詞はなき也。おほふたるはあけぬ義也。しかれば夜のあけぬはやすきと云義也。あけて行通ひては、あらはれて名の立んことのをしきと也。あけぬうちに行通ふがやすきと也
(18)君名者雖有 君をせとよむことは、前にも毎度注せり。君夫をさして背といふは古語也。雖有の二字をあれどゝよむは、ありといふともの意也
此歌の意は玉くしげはあけてといはん迄の義也。玉くしげに意はなし。あけぬをと云は、夜のあけぬをやすきと也。あけては人もしり、顯れてそなたの名はともかくも、女の名のあらはれ、名の立んことのをしきと也。夜のあけあけぬといふことは、此歌にては不v見とも、次の報贈歌に、さねずばとあるにて、本歌のあけぬあけては夜のことに見ゆる也。愚案は此歌はもし又、夜のあけぬあくることにはあらで、藤原卿此女にひそかに通ひむすび給ひて、つひに事をあらはしてめとり給はんとし給ふときの歌か。娉時贈歌と標題にもあれば也。又女の内大臣の方へ行通ひし時のうたか。女の情、わかれををしみ夜のあくるをもいとはず、まだきになきてなどよめるは通情なるに、あけてゆかばといひて、歸すをいそげる意すこし戀の情にかなはざらんか。しかれば女のしのびて通ふときの歌とも見ゆる也。前にも註せるごとく、娉の字をしるせるは禮義をもつてむかへめとる義にはあらざる意を助て、此集にみな書たる也。如v此の宇格此集にはあまたあること也。心を付て可v見事也
内大臣藤原卿報贈鏡王女歌一首
報贈 こたへおくるとよむべし
94 玉匣將見圓山乃狹名葛佐不寐者遂爾有勝麻之目
たまくしげ、みむろの山の、さなかづら、さねずはつゐに、ありがてましを
歌の意は、本歌に玉くしげとある故、こたへの歌にも玉くしげとよみ出して、此玉くしげに意はなきなり。たゞみとうけんための計也。さねかづらにも意はなく、さねずばといはん爲までの事也。女のあけて行は、人めにはあらはれん名のをしきといへるにつき、枕をかはしいねずばありがてまじきとのこたへ也。これらも今時の序歌躰なるべし。たゞさねずばといはんばかりにみむろの山のさなかづらとはよみ出せり。しかれども古詠の格みむろとは地名ながら、室は家室の事にて家の事をいへば、さねずばといふ下の句の縁を上にむすびたるもの也。此返しの意にても、しのびてちぎり給ふことゝきこゆる也。女の歌に、あけ(19)ぬをやすみとありて、あけはてぬさきをやすみといへど、いねがたくはてはありがてまじきとこたへ給ふ意なり
將見圓山 これは古本印本ともに、みんまど山とよみたり。そのよみあやまりに付て、又後人の諸抄に、まどやまといふ地名なければ、高まど山の事にて、高くまろなる故知v此よめるか、まと山はかぐ山の事かなど、いろ/\の僻説をなせり。下のある説の歌のみむろ戸山といふにて、いちじるき事なり。將見山とあればみむ也。圓の字はまろとよめば、下のよみを一語とりてろとはよむ也。圓の字をまどかとよむ故、まどとならではよまれぬ事のやうに心得て、見んまど山と點を付たるは誤也
或本歌云玉匣三室戸山乃
古註者の一本に初五文字の違ある本を見たる故、その違ひたる義をしらしめん迄に如v此あげたり。此三室戸の或説の一本の説あるにて、將見圓山のよみやうもおのづからいちじるしき也。もし古註者も後人のよみあやまらざる爲に、一説をも註せる歟。此集中古註者の意に其意味あまた見えたり
内大臣藤原卿娶采女安見兒時作歌一首
内大臣藤原卿の事は前に同じ
釆女安見兒 傳不v知。何人の子といふ事、考ふる所なきなり。釆女は官女の號也。安見兒は其女の名也。兒といへるは女の通稱此集中女をさしてこといふ事數多なり
娶 めとるとよむべし
95 吾者毛也安見兒得有皆人乃得難爾爲云安見兒衣多利
われはもや、やすみこえたり、みな人の、えがてにすちふ、やすみこえたり
歌の意 釆女やすみこをめとり給ふに、何さはりもなく、やすみこもいなびにくゝ、藤原卿の心にかなひて、やすくめとられたる故、その義を心に悦給ふて、やすみこといふ名によそへて、人々は此やすみこを得る事得がたき事といへれど、如v此やすくえたりとの義也。別の意もなき歌なり。此安見兒何とぞ容儀もすぐれ、人々こひしたひし釆女なりしを、藤原卿如v此めとり(20)給へる歟
吾者毛也 と云はわれはと云の義也。もやの二語は助語也。もやと云はたんそくの詞にもなりて、此も歎の意もあり。ともに助語と見るべし
爲云 此二字をすちふとよむは、えがたにすると云の義也。との字はあらねど、するといふ事を訓にてよめば、との字一言はそへて不v苦なり
久米禅師 傳不知。久米は氏、禅師は名也。ぜんしとまぎらはしく僧徒沙彌かと誤事あらんか。禅師は背虫と讀むべし。背虫と云は人の身中にある虫の名也。よつて人の名に付たると見えたり。惣て上代此時分の人の名は、みなかくの如き草木禽獣虫魚その躰あるものを名としてよべり。是尤上古の古實なり。此古實をしらざる人、上代の人名をよむに甚あやまりたる事あげてつきず
娉石川郎女時歌五首
いしかはのいらつめをよばへる時のうたいつくさとよむべし
娉 前に註せるごとく、禮を以むかへるの婚姻にはあらず。しのびて情を通じたる相聞の歌なるべし
石川郎女 傳不v知。郎の字は賞美の意にて、女の通稱に用也。女郎と書ても同事なり。此集中女郎郎女不v定書たり
五首の歌は 背虫郎女贈答合せて五首也。せむしの歌三首郎女の歌二首也
96 水薦苅信濃乃眞弓吾引者宇眞人佐備而不言常將言可聞
みすゞかる、しなのゝまゆみ、われひかば、うまひとさびて、いなといはんかも
歌の意は郎女をむかへとらば、郎女よき人ぶりてせむしの心にしたがふまじきかと也。しかるを如v此みすゞかるといひ出していなといはんかと云までの句作の縁語、至て上手の歌也。歌はかやうに縁をもつてよみ出す事ならぬもの也。尤縁の詞なしに大樣によめる一格に、名歌と沙汰したる歌もあれど、それはまた時代の風、人の口風による事也。先萬葉の歌は大かた此歌の(21)ごとく、意はかるき事にてつゞけがらの詞にわけありてよめる歌多也。古歌はとかく古實をそんじ、ふまへどころを取てよみしと見えたり。
みすゞかるとは すゝきをかるしのとうけたる冠詞也。しなもしのも同事也。信濃の國は元來すゝき多生茂たる野と見えたりすゝきの名産のところ故、國の名ともなりたるか。しのとはすゝきの事にて、しのすゝきとも云なり。かるとは上代は信濃の國よりしのすゝきをかりて貢獻もしたるか。尤信州諏訪社のみさやま祭りといふは、すゝきをもつて神殿をかざりぬさにも用る也。よつて古歌にすゝきかることを信濃の事によめる此因縁也。まゆみとよめるは信濃の國の名物なり。上代は甲斐信濃奧州などより、名物故弓を貢獻したる事續日本紀をはじめ國史に見えたり。よりて國の名物故、信濃の眞弓とはよめる也。われ引は背虫の郎女を引とらば也。弓は引の、はるのと云ことあるもの故、郎女をむかへとらんとおもふことを、弓のことによせてひかばと也
眞人とは よき人と云古語也。上古はよき人と云事をうま人と云し也。ひつきやう苦辛になき、仁愛甘味の人と云意にてうま人といへるなるべし。こゝの意は先を賞美して云たる也。上にみすゝかるといふは、われを卑下しいやしめていへる也
佐備而 このさびといふことは、第一卷にも注せるごとく、ふりといふと同意、さびるさぶるみな同事の詞にて、今云よき人ぶりてと云義也。しかれば郎女のよき人がほしていなぶるにてあらんかと也。いなといはんかもといへるも、うま人と上にある故、馬のなくこゑはいと云より縁をふまへて如v此つゞけたる也。よく/\の上手ならでは如v此不v被v讀もの也。みすゞかるといふより古實のことをふまへて、さてみなその縁のはなれぬ詞を用ゐたる也
水薦の二字を 古本印本ともにみくさ或まこも、まくさなど點を付たり。諸抄に薦は草※[禾頁周]を曰v薦字義もあれば、草の事にてくさとよむと云。こもといひかやと云は草の惣名なりと解する説もあれど、今少し案不v中なり。惣て此集は日本紀の訓文字を用て書たる集なり。さるによつて薦は日本紀神代卷にすゝと訓せり。すゝきの事にてかやも同物也。すでに信濃の名目となり、今以神祭の古實殘りたる信州のすゝきの事なれば、古訓といひ遺風證明有義といひ、すゝきとならではよまれざる事故、水薦の二字をすゝきとはよむ也。水はみづのみに非ず、初語のみなり。みづと云和訓の一語をとりて、みとはつかひたるもの也。みと(22)云詞多くは初語に用ゐることなれども、所によりて神の略語に用たることもあり。天子の御事に何によらず御の字を用てみと訓ずることも神のものと云義とみゆる也。天子は直に神也。此水すゝかるも、みさやま祭りに國中のすゝきをかりて神物に用る事故、神のすゝかると云意にみすゞともいひたるなるべし。その意にあらざれども、今の人その意とみる事證明なきにあらざれば少も難あるまじき也
不言 いなとよむ事義訓也。不聞とも不知とも書、此集中に多し。不言、不聞、不知はいなむの義なれば、義をもつて訓ぜり。すべて此集中義訓の案なくては一首も義不v通也
禅師
古本には小字にて傍註せり。印本には本文の字に書たり。これみな後人の傍註也。此已下郎女禅師下にしるせり。みな後註也。撰者の筆にあらず
97 三薦苅信濃乃眞弓不引爲而強作留行事乎知跡言莫君二
みすゝかる、しなのゝまゆみ、ひかずして、をつくるわざを、しるといはなくに
歌の意は先のことばをうけて、みすゞかる信濃のま弓と也。不v引してはいまだ何ともいはず、引もせぬ弓にをゝつくるはわざをしるとはいはれぬと也。いなといはんもいふまじきも、引もせぬ弓にはそのことは何ともいはれぬと答へたる歌なり。此をつくるわざと云事は、夫をつくるわざと云事をふくめて、弓の弦にみせて云たる也。是みな前にも註せる通りの風格なり
強作留 此強の宇弦の字のあやまり也。或一本に弦の字を書たるものあるにて、彌明也。弦と云字の誤と不v見より、しひすると云點をそへたり。しひするわざと云事あらんや。又作留を矢作部とかきて失はぎ部とよみ來れば、つるはけると義訓をつけてよむ人もあるべけれど、つるはけるとよみては歌にならず。よつて當家の傳は、をつくるとよむ也。を作ると云は弓につるをつくること也。それを夫をつくることによせて云ひし處、古代の歌格也。つるをゝとも云て次の歌につる絃とりはけともよめり。つるはけるわざといふては歌詞に非ず。萬葉集の歌は上代の歌故、詞あげてめづらしき詞をよみたると計心得たるは大成(23)誤なり。よみとく人の心たらざるより、歌詞をもただことによみなせり。弦作ると云をのかなも。をつとのをもかな不v違。古人の詠にはいひかけの詞のかなもいさゝか不v違也
98 梓弓引者隨意依自友後心乎知勝奴鴨 郎女
あづさゆみ、引ばひくまゝ、よらめども、すゑの心を、しりがてぬかも
歌の意はせむしの引給ふまゝになびきよらめども、すゑはいかならんもはかりがたくしりはてぬと也。きこえたる通也
梓弓引者 上のしなのゝまゆみとあるより、此歌には略してすぐに、あづさ弓とはよみ出たる也
隨意 此二字古本印本ともにまに/\とよめれど、まに/\と云事、上に何ぞ一つ躰の物をすゑていはねばいはれず。古詠古語の例みな、神のまにまに風のまに/\とよめり。引はまに/\とは詞にて躰なき故、おなじ義訓なれど引まゝとはよむ也。意はまに/\の意も引まゝの意もおなじけれど、いはれぬ義訓と語例の義訓との違ある事也
後心乎 古本印本等にも、のちの心をとよませたれど、弓にのちといふ縁なきことば也。本のすゑのと云事はあり。よつて意はおなじけれどすゑとはよむ也。尤弓は引時末のかたよる物なれば也
知勝奴鴨 しりがてぬとは、今はかく引まゝによりなびけども、末とげん心の程はしりはてぬと也。見とゞけぬとの義也。是郎女歌なり。傍註にも下に郎女とあり
99 梓弓都良絃取波氣引入者後心乎知人曾引 禅師
あづさゆみ、つるをとりはけ、引人は、すゑの心を、しる人ぞ引
都良絃 つるをとよむ也。良の字にるの音はなけれ共、上代約音の一音をみな音に用ひたる事多し。これ日本の古書を見れば此傳をしる事也。りようの音を約すればる也。信濃の濃の字古代はぬと用たると同事也。上古呉音は多く約音を音に用たる也。此傳をしらざれば今時の音に合せては難2心得1事ある也
歌の意は 前の郎女の歌に、かく引まゝによらめども、すゑの心をしらぬとうたがひてよめる故、かく引人ぞ末の心のたがは(24)ぬをしりてぞ引との返歌也。人ぞとゝがめたるは、かく引人こそ末かけてかはらぬ事をしれりとの歌也
郎師 郎の字禅の字の誤なり。古本の書本に小字にて禅師と傍註したる本あるにて、彌禅の字のあやまりとはしるべし。尤後人の註を板行のときまたあやまりたる也
100 東人之荷向※[しんにょう+(竹/夾)]乃荷之緒爾毛妹情爾乘爾家留香問 禅師
あづまどの、のざきのはこの、にのをにも、いもはこゝろに、のりにけるかも
此歌少六ケ數解しがたし。もしくは誤字あらんか。しかれどもまづ本のまゝに解釋せば、石川郎女背虫にしたがひてめとられたるとき、背虫のよめる歌と見ゆる也。東人とよめる、前の歌ともみな東國しなのゝ事をよみ出したれば、そのつゞきのゑんをもて東人とはよめるなるべし。北國西國もあるに、東人とよみ出せるは、前の贈答の次第を守ての意と見ゆる也。尤東人のゝさきのとよめるに何の意もあるまじき也。下のいもは情にとよまん迄の序なるべし
荷向※[しんにょう+(竹/夾)] これは古は諸國より其としのはつ穗を朝廷へ奉りて諸神に供進せられ、御みづからもなめきこしめして、十陵九墓坏といひて供をせらるゝ使をたて給ふ也。それを荷前の使といひて十二月に此事ありけるによりて、其前に諸方よりはつ穗のみつぎものを奉る、その初穗物をしたゝめのぼす箱に、荷の緒のくる/\まとはれるやうに、ぜんしの心によりしたがひけるかなどよみし歌也。しかるにいもはこゝろにといふ事をいはん爲に、荷のをとはよみ出せり。心とはすべて紐緒糸をつける鐶をこゝろはといふ也。さるによりて、上代の歌には、いとひものことをよむに、みなこゝろといふ事をよみ入し也。此うたもいと紐にはあらねども、緒といふものをもて情に入りにけるかもとはいひ出したり。すべてふまへどころありてよみし也。古今集の離別の歌に貫之のよみし、いとによるものならなくにとよめるも、心葉といふものゝ縁をもつて也。此こゝろはといふもの、いとひも緒の類を付けたるといふ事大方の人はしらざる古實也。此古實を不v知ばいとゝひも緒などの事をよみ出して、こゝろとよめる歌のわけ不v濟事也
乘爾 此乘と云字不v濟也。心にのるといふ事いかんとも難2心得1也。なにぬねの通音にてなりにても不v濟。とかく寄と云字の(25)あやまりにやあるべからん。字形もまがひやすければ寄と云字の誤と見えたり。なれば背虫の情に郎女はよりにけるかもといふ歌にて、これはめとりたるときの歌と見えたり。前のしる人ぞ引と云歌の返歌を不v載は、もはや返歌なくして郎女のなびきしたかひたると見えたり。よりて此歌をよめるなるべし
歌の意は 是迄に註せるごとく、背虫の心に郎女よりけるかなと云の義也
香問 うたがひの詞にかもとあれども此かもはかな也。惣て此集中にはかもとよめるところ大方歎の意にて、かなと云義によめる歌多也。此歌もかなと云義と見ゆる也。全躰此歌すこし解釋しがたき所あれども、まづ如v此迄に見侍る也。にのをにもといへるも六ケ敷なり。爾毛の爾の字もしくは何の字のあやまりか。にのをかもなれば安くきこえ侍らんか。爾の字にては、にのをのやうにもと意に見おく也
大伴宿禰嫂巨勢郎女時歌一首
右大伴宿禰とは何の人の事歟難v知。名脱せると見えたり。古本書本細註云。大伴宿禰諱曰2安麿1也。難波朝右大臣大紫大伴長徳卿第六子也。平城朝任2大納言兼大將軍1薨也。如v此傍註せる古本あり。しかれば此大伴宿禰は安麿歟。本書に名を脱したれば、暫く古本の傍註に隨ひ置なり
巨勢郎女 傳不v知也。然共次の報贈歌の下に、古本傍註に云、即近江朝大納言巨勢人卿之女也。如v此傍註せり。此註は考ふるところありてかくはしるせる歟。即近江朝と書るは此歌の標題に、近江大津宮とある故によつて也
101 玉葛實不成樹爾波千磐破神曾著常云不成樹別爾
玉かづら、みならぬこには、ちはやぶる、神ぞつくちふ、ならぬこゞとに
玉葛 諸抄物の説は葛類のつるのことに釋せり。しかれどもこれは木のことゝ見えたり。すでにみならぬ樹にはとよみたるを、葛類とは見がたし。木にもかつらの木といふあれば、其木をいふたるかつらなるべし。尤かつらにも桂楓杜木の差別ありて、日本紀、神代卷下に被v書たるかつらは、濁音によむべき證明もあれば、もし此樹を云たる玉かつら歟。葛の字を用ひたれば、か(26)つらと清音にはよまれまじき歟。しかれども玉はほめたる詞にて、かつらは木のことゝ見ゆる也。且玉かつらとよめるは靈楓の意をこめて歟。たましゐの著かつらと云の事歟。楓の字は、漢土の字書にあやしきことに用ゐたる字註も見えたれば、靈楓の意もうたがはし。もつとも我朝神代にも彦火火出尊海祇宮に到り給ひて、先よりつかせ給ふも杜樹の木とあり。又無名雉、神使として葦原國へ下りし時も、杜木のすゑによれり。しかれば神のつくといふ由來、よりどころなきにもあらざるを以て、古代は古實をそんじて歌にもよめるなるべし。今の代とても、年老までをとこせぬ女には神のつき給ふとは、時俗のことわざにいへり。むかしよりの諺と聞えたり。しかれば此玉葛は、葛類のかづらにてはなく、木のことゝみるべし。猶かつらの事に付ては、かもの社にかつらを用る事も深きむねあるべきことなり。順倭名鈔云、葛、吾割、和名、久須加豆良乃美、葛實名也云云。しかれどもみならぬ木にはとよめるは、葛の類にはあるべからぬ事をしるべし。葛類は實なるものと見えたり。この歌のかつらは、とかくみのならぬ木の義と見るべし。楓、同抄云、和名、乎加豆良云云
實不成樹爾波 みならぬとは、木の實のならぬことにいひなして、意は女の夫をもたぬ事をいふ義也。古代は女の婚姻せぬをならぬと云し也。婚姻せしをなるとは云しゆゑ、こゝにも不v成とはよみて、夫をまうけぬ事にいへり。樹の字を古本印本ともにきとよめり。しかれども上代は女の通稱をこといひし故、此集中女のことをみな兒の字子の字を用てこといひ、すでに此集初發の御歌にもなつますことあり。その以下あげてかぞへかたし。よりて此も木のことにして、實に女の事をいへる歌なれば、きもこも同事故ことよめる事歌の意にかなふべき也。俗言にいはゞをつとせぬ女には神のつくといふとの義なり
千磐破神曾 ちはやぶる神といふ事古來説々多し。神代のむかし天照大神の御言のりに、ちはやぶるあしき神とありて、日本紀神代卷下卷にも殘賊強暴横惡之神とかゝせ給へり。尤此集中にもち早ぶるいはやぶる金とも人とも、うちともよみて、所によりてかはれり。しかれ共意はいづ方もひとつ事なるべし。まづ千磐破神とは文字の通にみるべし。最も人王の御代となりて出所をいはゞ、神功皇后の御時、つくしの松浦の迹驚の岡にて、雷電霹靂蹴2裂磐1令v通v水とあるをおこりとせんか。又古事記の景行紀に、日本武尊東夷をたひらげ給ふとき、相模國にて國造等詐白せしにも、此沼にすむ神甚道速振神也とあり。しかれば千々のいはをもけさきやぶり、あらぶるたけきすさみ、また火をちらし雨をふらし、さま/”\のあやしきことをなし給ふ神(27)をさして、千早振神とはいふなるべし。つらゆきが土佐日記に、ゆくりなく風ふきて、こげどもこげどもしりへしぞきにしぞきて、ほど/\しく打はめつべし。かぢとりのいはく、この住吉の明神はれいの神ぞかし、中略。さればうちつけに海はかゞみのおもてのことなりぬれば、ある人のよめる歌、ちはやぶる神のこゝろをあるゝ海にかゞみをいれてかつ見つるかな。如v此とかくあらけすさめることをなす神を、千早振とは云也。さて又むかし神と計いひ傳ふるところは、いかづちのことにして、すでにかみなりともかんどきともいひて、雄略天皇の御代に少子部連すがるをして、みもろの岳の神をとらへさせられし時にも、其雷※[兀+虫]※[兀+虫]目精赫赫《ソノカミヒカリヒロメキマナコカヽヤク》天皇|畏《オチタマフ》云云とありて、名を改て爲v雷とありて雷の字をかみと讀せたり。これよりして三諸山を雷岳と云なり。此集卷の第三にも、皇者神にましませば天雲の雷之上爾いほりするかも。ある本にはいかづち山にともあり。又みもろ山を神山ともよめり。則此卷の奧に見えたり。各由來あること也。歌にもいくらもいかづちの事を神と許よめる事多し。後撰集に、ち早振神にもあらぬ我中の雲井はるかになりもゆく哉。しかれば山しろにしては手早ぶる神と云は、かもの社にかぎりたる事ならんか、山の名をも神山といふ。あふひかづらをもちゐる由來も、此歌のかづらの事ならんか。また古今の歌にも、ちはやぶるかものやしろの木綿だすきとよめるも、よりどころなきにしもあらず。神とかける本もあれば、かもはかみのあやまりたるといへる説もあれど、之は神もかもゝ同事の事故、かもともかみとも書たる歟。其より所一つならず二つならぬ事なれば、ちはやぶる神とはかものいかづちの神のことゝも見ゆる也。しかれば天神の事にはあるべからず。尤上代の歌には、ちはやぶる天照神などよめる事無2所見1也。然ば今も國津神の事ならでは、ちはやぶる神とはよむまじき事歟。ちはやぶるは岩やぶると云義と見るべし。ちもいも同事也。ちはやぶるうぢなどゝよめる歌此集にもありて、之もうぢ川は近江の湖水の岩谷を經てうぢ河に流るゝ故に、かくはよめると見えたり。尚その所にしるせり
著常云 つくといふとの事也。常云《トイフ》はちふとよめる事前に注せり。むかしより神の女につくといふことあり。崇神天皇の御時、倭迹迹日百襲姫命大物主神の妻となり給し時の古事より、上古も今も云習ひたる諺なるべし
不成樹別爾 ならぬこゝとにとは、上の句を二度おこしていへる古歌の風也。歌の意はみならぬ木には神ぞつくといへば、郎女も大伴宿禰にしたがひ婚姻をなさずば、神のつき給はんほどに、したがひなびき給へといはずしてをしへたる意也
(28)巨勢郎女報贈歌一首
こせのいらつめこたへおくる歌一くさとよむべし
巨勢郎女 傳不v知。前にしるせるごとく、古書本に一首とある下に、小字にて【即近江朝大納言巨勢人卿之女也】如v此註せり。後人の傍証ながら勘ふるところありてしるせるなるべし
102 玉葛花耳開而不成有者誰戀爾有目吾孤悲念乎
たまかづら、はなのみさきて、ならざるは、たがこひならめ、わはこひしのぶを
玉葛 本歌の句を直にうけてなり。かつらとは靈楓のことか。又今俗にいふもくせいの木か。もくせいはゆつかつらといふ木なり。花は咲とも實のなるならぬといふ事を慥に不v考。楓はまた花の咲ことを不v知。いづれか兩木の中なるべし
花耳開而不成有 は花ばかりさきても、實のならざるはと也。實の事は本歌にゆづりて直にならざるはと也。不成有は、をつとをもたざるはといふがことし
不成有者 これを古本印本共にならずあるはとよませたれど、すあの約言はさなれば、例のごとくちゞめてはよむ也。意は同じけれど、詞やすらかにて耳たゝず。此集中皆如v此つゞめてよませたれば也
誰戀爾有目 此爾有目の三字も古本印本共、にあらめとよめれど、前に註せるごとくに、りあのことばをつゞめてならめとはよむ也。或人目はもと音をかなに用たり。もとよむべくめとよみてはてにをは違てあしきよしいへり。心得がたし。目の字音をとりて、もとよみてはかへつて此歌の意のてにをは不v合也
吾孤念乎 これをわはこひしのぶをとよめるは、古本印本諸抄の訓點とはことなれども、かくよまざれば歌の意通じがたかるべし。念の字はおもふとも、しのぶとも、こふともよみて、此集中に數しられず。此歌はおもふとよみても義はたがふまじけれど、しのぶとよみて義かなはゞ、字あまりにしひてよむべき事にあらず
此歌の意は 本歌に實ならぬこにはとある故、玉かつら花のみさきて實の不v成は誰れ人のこひならめ、われはかくばかりこ(29)ひしのぶなれば、かんにんをなして實はなるにてあらんをとの意也
明日香清御原宮御宇天皇代 天渟名原瀛眞人天皇
第一卷に註せる通なれば畧v之
天皇賜藤原夫人御歌一首
すべらみことふぢはらのおとしにたまふおんうたひとぐさとよむべし
天皇は天武天皇なり
夫人 おとしと訓ぜり。大夫人はおほとしと訓ず。夫人とは天子後宮の官女を云。妃の次也。後宮職員令云、夫人三員、右三位以上云々。此夫人は藤原大臣鎌足女氷上娘也。天武紀云二年二月丁巳朔癸未云々、夫人藤原大臣女氷上娘生2但馬皇女1云々、同十一年春正月乙未朔壬子氷上夫人薨2于宮中1云云
103 吾里爾大雪落有大原乃古爾之郷爾落卷者後
わがさとに、大雪ふれり、大原の、ふりにしさとに、ふりまかばのち
吾里 わかさとゝは、その時すべらみことのましませる所をさしてよませたまふ也。すべて人の住居する所は、帝都にてもさとゝ云の證明は此歌などをやいふべからん。尤郷の字はくにともさとゝも訓ぜり。やまとの訓釋に付てふかきむねある事也
大雪 つもれること尺におよへば、大雪とすること左傳隱公九年の傳に見えたり。續日本紀天平神〔護元年十月己未朔辛未、行2幸紀伊國1云云。是日到2大和國高市小治田宮1。壬申、車駕巡2歴大原長谷1、臨2明日香川1而還〕
大原 和州の大原也。氷上夫人此大原郷に住給ふと見えたり。大和に大原と云所あることは天平神護元年十月の所に見えたり
古爾之郷 夫人すみ給ふさとをさしての給ひし也。天皇の里は都なれば、それに對してふりにしとはの給へるなるべし
落卷 ふりまかばとよむべし。欲の字をまくとよむ意とはことなり。散蒔の意なり。古本印本共にふらまくとよみたれど、其意を得ざればふりまかばとはよむ也
(30)御歌の意は 折節雪のふかくおもしろうふりつみたるをみそなはして、夫人にたはむれ給ひて、こゝにはかくおもしろう雪ふりたれど、夫人の住るさとにはかやうにはふるまじ。ふるとてものちにこそふらめと、夫人へうらやましめてよませ給ふ也
藤原夫人奉和歌一首
ふぢはらのおとしこたへたてまつるうたひとさ
吾崗之於可美爾言而令落雪之摧之彼所爾塵家武
わかおかの、おかみにいひて、ふらしむる、雪のくだけが、そこにちりけむ
104 吾崗之 夫人の住ける大原の邊のをかに、※[雨/龍]の神の鎭祭りてありしか、また此神は時の間に雲をおこし雨をふらし、雪をもちらしむるごときの、あやしき神わざをなし給ふ神故、かくはよめる歟。おかみの事は日本紀神代卷に見えたり
令落 ふらしむるとも、ふらせたるともよむべし。いひてと上に下知したることばあれば、ふらしむるとよむべきか
摧之 古本印本共にくだけしとよみたり。しかれどもくだけしそこにとはつゞきがたし。勿論くだけのともよみがたし。よりてまづ之の字を我と濁音によむ也。しかれどもくだけがと云ことも言葉不v穩。もしくは摧々とゆりたるを傳寫にあやまりて、之の字にかけるか。しかれば下にちりけんとあれば、ちり/”\とよみて摧々は義訓に書たるなるべし。又は之は天の字の誤歟。しからばくだけてとよむべし。尚異本をまつもの也
彼所爾 そことは天皇の御許をさして也
歌の意は 天皇の里にふりし雪は、夫人の住る崗のおかみにいひてふらせたる雪のくだけちりて、そのあまりがそなたにはふりたるにてこそあれと、あざむきたはむれてこたへ奉れる歌なり
藤原宮御宇天皇代 天皇謚曰持統天皇
前に註せる通なれば重而釋するに不v及
大津皇子竊下於伊勢神宮上來時大伯皇女御作歌
(31)おほつのみこ、ひそかにいせのかんのみやにくだりてのぼりきたるとき、おほきのすめひめのみつくりのうた
大津皇子 天武天皇第三皇子、御母は大田皇女持統天皇の姉也。此皇子の事は日本紀卷第三十持統天皇の紀に見えたり。朱鳥元年冬十月二日に謀反の事あらはれて三日に死を賜はれり。此みこはみかたちきら/\しく、みこゝろざしも高くさとくて、世人にもすぐれ給ふことまし/\て、遠くもろこしのふみつくり、からうたをのべたまふことまでこのみ給へり。持統の卷にも及v長有2才學1、尤愛2文筆1詩賦之興自2大津1始とあり。よりて古今の眞名序にも自3大津皇子之初作2詩賦1とかけり
窺下於伊勢神宮上來時 此事日本紀天武持統の卷に見えず。ひそかにとあれば、勿論御謀反の事抔覺しめしたらんことをおなじはらからなれば、あねの大來の皇女にかたり給はんとて、しのびて下り給ふなるべし。しかれば標題に藤原宮御宇とはしるせれど、天武天皇は朱鳥元年九月朔日に崩御なりて、大津の皇子の御謀反のあらはれしは十月二日のことなり。此間に何とて神宮にいま/\しく下り給はんや。もしくは天武天皇の御病の中のことならんか。此標題は少いぶかしき也。且此次の歌もみおやのきみのかみあがりたまひて三十日の間に、石川の郎女をこひしたまふことのあるべき事にもあらず。かた/\不審也。藤原宮御宇天皇代とある標題は、奧の日並皇子歌の前にありしを傳寫のとき混雜せしか
大伯皇女御作歌 此皇女も天武天皇の第二の御子にて、御母も大津皇子とおなじ。日本紀第二十九ニ云、二年春正月丁亥云云先納2皇后姉大田皇女1爲v妃生2大來皇女與大津皇子1云云。紀には大來とあり。此集には伯の字をしるしたれど、ともにおほきとよむべし。日本紀は來の字の訓を被v用、此書は伯の字かみといふ訓ある故、かみを約すればきなり。よつて用たりと見えたり。天武天皇白鳳三年に齋宮に立せ拾ひ、朱鳥元年十一月に京に歸り給へり
105 吾勢枯乎倭邊遣登佐夜深而鷄鳴露爾吾立所霑之
わがせこを、やまとへやると、さよふけて、あかつき露に、われ立ぬれし
吾勢枯乎 わがせこをとは大津皇子をさして也。すべてわがといふ事はしたしみていひたる義也。弟のみこにてもをのこ皇子(32)ゆゑ賞美してせことはよみたまへり。上代は弟にてもせこといひし也。神代卷に天照大神の素神をさして、なせのみことゝさへ被v仰し也。先をほめての給ふ義也
鷄鳴 あかつきとよむ事は釋するに不v及。義訓にて日本紀をはじめ、手ぢかくみなさるゝふみどもに多くよみ來れる訓他
所霑之 ぬれしとよむ。この所の字を此集中にラリルレロの訓に用たることは、數ふるにいとまなく、第一卷にくはしく註せる通也
歌の意は大津皇子の歸り上り給ふに、夜ふかく曉のころ、とく立出給ふ旅行のわかれををしみおぼしめしかなしみ給ひて、露にぬれしとよそへてよみ給ふ也
106 二人行杼去過難寸秋山乎如何君之獨越武
ふたりゆけど、ゆきすぎがたき、あきやまを、いかにかきみが、ひとりこゆらん
二人行杼 ふたりゆけどゝあるは、下に獨りとよみ給ふに對して也。御兄弟もろともにつれだちていでまし給ふとも、ゆきすぎがたからんにとの意にて、ふたりゆくともと云の意也
秋山乎 地名のあきやまにはあるべからず。上り給ふころしも秋なりけらし。その秋の山路をおぼしやり給ふて也
如何 いかにかとはいかやうにしてかの意也
君之 きみがとあるは弟の御子なれども大津のみこをさして也。今とても歌には君臣の間ならでも、先を賞して君とよめる也
越武 古本印本共にこゆらんとよめり。らの字不v足やうなれど、越の字はこゆるともよめば、らんとよむ事難なし。その上前にも註せる如く、訓によむには、一ことそへてよむ事くるしからず
歌の意は御兄弟ふたりともにつれだちて行給ふとも、旅のならひ物うくさらぬだに行過がたからんに、いと物かなしき秋のころしも、露ふかき山路をいはんやひとりいかにしてかこえ給ふらんと、おぼつかなくあはれに覺しめしやり給ふてよみ給へる也。古今集に、夜半にや君のとよめるも之に同じき感情也。こと更むつまじき御はらからの中にて御むほんのことなどかたりきこえ給ふて、その事のなりならぬ事もはかりがたく、又御再會の事のいつともはかられざらんには、此御わかれの名殘のほ(33)ど今だにおもひやられて、此歌の感情はつたなき筆には中々にかきつくされぬあはれさ也
大津皇子贈石川郎女御歌一首
おほつのみこ、いしかはのいらつめにおくるおんうたひとくさ
石川郎女 傳不v知。奧にも大津皇子宮侍石川郎女とあり。同人にて大津皇子に仕る歟
107 足日木乃山之四付二妹待跡吾立所沾山之四附二
あしびきの、やまのしづくに、いもまつと、われたちぬれし、やまのしづくに
足日木乃 このあしびきの山といふこと古來より説々まち/\なり。先あしびきといふは木の名としるべし。山といふは病といふ義にて、やみやむの事と心得べし。諸説あるひは蘆を引の禹王のへんばいの義などとり合たる説々あれど、語例にのゝ字を入ていはるゝ義と、いはれざる義ある事を不v知の説どもにて信用しがたし。正説はあしびきはあせぼの木といふこと也。あせぼの木は到て毒木にて、これをいらへばかならず病を生ずる也。よつてあせぼの木のやまひと云の義也。古今六帖、あせみ。蛙鳴吉野の河の瀧の上のあせみの花そ手なふれそゆめ、即此集仙覺律師の抄にも證とすることあり。牛馬などこの木を喰ば忽ち死すと云傳たり。此集にては馬醉木と書てあせみとは訓ずる也。此あしびきの山とつゞく事いろ/\の説のあたらざることわりあれど、こと長ければ巨細の傳をこゝにはゝぶきて別にしるせり
山之四付二 山のしつくにとありて、木の葉草の葉などの雫といふ意にてきこえたる事なれど、今少何のしづくといふことたらざるやうなり。よりて上にあしびきのと、しかも木の字を書て歌の意をたすけたり。此集の字格也
吾立所沾 古本印本ともにわれ立ぬれぬとよめり。意はおなじけれど、和歌の意を見るに、君かぬれけんとあれば、當然のぬれ給ふにてはなく、ぬれ給てのちよみて贈り給ふ歌の意なれば、過去の詞にわれたちぬれしとはよむ也。山のしづくにわれ立ぬれしといふ意なるを、いもまつと第三句をてんじてよめる、みな古詠の格にしてまたこれらを隔句躰と云也。山のしづくにいもまつとはつゞかぬ也。いもまつとあしびきの山のしづくにわれ立ぬれしと云歌なり。あしびきと云は毒木の事をいへば、此(34)歌の意にも、郎女をまち給ふには、毒木のしづくをもいとはで立ぬれ給ふせつなる事をいはんとて、あしびきの山のしづくともよみ出し給へるならんか。古詠の格にはみなかやうの意を下にふくめる事あれば也。歌の意はきこえたる通也
石川郎女奉和歌一首
108 吾乎待跡君之沾計武足日木能山之四附二成益物乎
われをまつと、君かぬれけん、あしびきの、やまのしつくに、ならましものを
歌の意は釋するに不v及きこえたる歌也。本歌を直に引うけてよくよみこたへたる歌也
大津皇子竊婚石川女郎時津守蓮通占露其事皇子御作歌一首
おほつのみこ、ひそかにいしかはのいらつめにたはくるときに、つもりのむらじとほるうらへてその事あらはす、みこのみつくりうたひとくさとよむべし
竊 此ひそかにとあるにつきておもへば、奧に到りて大津皇子宮侍石川女郎とあるも同人にて、此ときはいまだ天皇の御かたの侍女なりしを、かくしのびてむつみ給て、のちに皇子のかたへ侍女となりしか。皇子のかたに仕ふる侍女にひそかにとはあるまじく、また通の占にかゝり給ふべき事にもあらぬに、此標題の趣は何とぞわけありての事と見ゆる也。前にも註せる如く御父きみの崩御なりてわづかに三十日の間に、かくのごとき御不行跡の事は心得がたし。もしくは御親の御病の中のことならんか
津守連通 續日本紀卷第七和銅元年春正月、〔正七位上津守連通授2從五位下1。〕同第九神龜元年冬十月云々、外從五位上津守連通姫云々、占の事に達せる事は紀に不v見。此集此所の文にてうらへの事に達したる人とはしる也
109 大船之津守之占爾將告登波益爲爾知而我二人宿之
おほふねの、つもりのうらに、のらんとは、まさしにしりて、わがふたりねし
大船之 おほふねとはたゞふねと云までの事にて、大の字にさして意はなき事なり。しひていはゞ、大ふねはめだちてみああら(35)はさるゝものと云意をふくみてよみ給ふか。郎女にあひ給ふ事のあらはれやすきといふことの意に、大ふねともありしか。されどもたゞふねと云義迄の事と見るべし
津守之占爾 攝津國住吉のつもりの浦と云地名あり。その浦を占のうらによせてよみ給ふ也。尤津守といふて船の出入を守る者あり。その津を守るものゝある浦といふことにもよせ給へる意なるべし
將告登波 古本印本ともに、つげんとはとよめり。しかれども第一卷の雄略天皇の御歌にて註せるごとく、つぐると云古語をのるともいひしなれば、こゝは大船のとよみ出し給ひて、しかもうらにとあれば、うらへにのると浦に乘との義をよせてよみ給ふ歌なれば、告はのるとよむべき也
盆爲爾知而 まさしにのしは助語也。まさしくしりてといふ意地。此爲の字少心得がたけれど、先は助語に見るべき也。爾の字もしくは久の字具抔のあやまりにてあらんか。まさしくしりてとあればやすき也
歌の意は石川郎女にひそかに通じ給ふ事は、かねてかくあらはれんとしろしめしてなし給ふと也。津守連通の占にあひてあらはれたる故、地名の津守の浦によそへて、大船のとよみ出し給ふ也。大津皇子は御歌も御上手と聞え侍る也
日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首
ひなめしのみこ、いしかはのいらつめにたまふみうた一首
日並皇子 天武天皇の太子草壁皇子尊之御事也。第一卷に柿本朝臣人麻呂の歌に日雙斯皇子命とよめる命の御事也。その所にくわしく註したれば不v及2再註1也
石川女郎 傳不v知也。前にある郎女と同人歟。又同名なる故を以、歌のなみにのせられたる歟、傳はしれざる也。女郎も郎女もおなじ義なれども此に、此いらつめにかぎりて女郎と書は別人としらしめんの筆力歟
女郎字曰大名兒也 古本には御歌一首の下に如v此小字にて傍註せり。尤後人の加筆也
110 大名兒彼方野邊爾苅草乃束間毛吾忘目八
(36)おほなこを、をちかたのべに、かるかやの、つかのあひだも、われわすれめや
大名兒 古本傍註にある通り、女郎の名故よみ出し給ふ也
彼方野邊 地名なるべし。山城のうちの彼方か、その所の野を彼かた野といふか。追而可v考。こゝは遠方の野邊とも見て濟也。この大なこをちかたに意はなき也。下のかるかやのつかの間といはん爲也
苅草 かるかやといふ草一種あるやうにいひふれたれど、すべてかりたるかやの事をいふたる事也。かるかやのみだれてとよみて、かりたるかやはみだれちりたるものなれば、みだれみだるゝと云事ばかりに、かるかやとはよみきたれるなるべし。此かるかやも勿論かやをかるにつかぬる間もといふの義也
束間毛 かやをかるには手にてつかねよせてかる也。そのつかねるあひだほどのすこしの間もわすれぬと也。此説いかゞ。をじかのつのゝつかの間ともあれば、一束二束の事ならんか。八つかなどゝ云て、尺をはかるを一つか二つかといふ、その短の字の方にてはなく、たゞつかねるあひだの少しの間もといふ義也。みじかきあひだといふても同じ事のやうなれど、すこし意違へり
歌の意は女郎をしたひおぼしめす事は、をちかたの野などにてかやをかるつかの間少の間もわすれたまはぬと也。かやなどかるのべは里はなれの遠きところなれば、をちかたのべとはよみたまへる也、
幸于吉野宮時弓削皇子贈與額田王歌一首
よしのゝみやにみゆきのとき、ゆげのみこ、ぬかたのおほきみにおくりあたふるうたひとくさ
幸于吉野宮 持統天皇の御代吉野へみゆきの事度々なれば、何のときのみゆきともしれがたし。然共ほとゝぎすよみ給ふ意あれば、朱鳥四年五月同五年四月のみゆきの内なるべし
弓削皇子 ゆげのみこと讀むべし。天武天皇第六の皇子にて、母は天智皇女大江皇女也。天武紀云二年春正月云々、次妃大江皇女生2長皇子與弓削皇子1云々。續日本紀卷第一云、三年春正月云々、秋七月云々癸酉淨廣貳弓削皇子薨云々
(37)額田王 前に註せり。天武天皇の妃也
111 古爾戀流鳥鴨弓絃葉乃三井能上從鳴渡遊久
いにしへに、こふるとりかも、ゆづるはの、みゐのうへより、なきわたりゆく。又むかしかくわぶる鳥かも
此歌古本印本とも初五文字と七文字、いにしへにこふるとりかもとよめり。諸抄物にもその通にて、意はいにしへをほとゝぎすのこひてなくといふ義に解せり。しかれども次のこたへの歌にも、いにしへにとありて爾の字を書たれば、いにしへをこふるとはいひがたし。なれば宗師の見やうと諸抄の説とは表裏の違あり。師の説は、天武天皇にもこひわび給ふ鳥がとの意に見る也。此論未v決也。先諸説にしたかふべし。しかれば諸抄の説のほとゝぎすがいにしへをこひて、三井のうへよりなき過るとの意とは甚違へり。諸抄の見やうは古をといふては歌の意やすくきこえ侍れど、古にとあるを古をとは釋しがたき也。此集中妹爾戀君爾戀などありて、妹をこひ君をこひとはなき也。それには別によみやうのわけあり。その歌のところ/”\にて釋すべし。まづ爾の字は此集中に、にともねともしかともかくともよむべし。そのところ/”\の歌によりてかはるべし。よりてこゝも上の句のよみやう別訓をしるせり
古爾 此二字をむかしかくともよむべきか。むかしかくは此にていはゞ、天武天皇のかくしたひわび給ふかとの意なり
戀流 わぶるとよむべき歟。戀の字はしたふとも、こふとも、わぶとも、しのぶとも、ところによりて讀やうかはるべし。此處のよみやうにては天皇のこひわび給ふといふにはあらず。たゞほとゝぎすの今なき過るごとくなきしがと云の意也。わぶと云はなやむことにて、ほとゝぎすはたゞひとつなきて、こゑをかぎりひたもの/\なくもの故、血になくなどゝもいひてあまりせはしくなきて、のちにはくちより血をいだすもの也。よりてこゝもわぶと云はなやむ方の意にて、むかしもかくなやみてなきしか、今三井のほとりをなき渡るはとの意也。此贈答の歌二首ともにいまだ見やう不v決なり
鳥鴨 和へ歌の意にて見れば、ほとゝぎすの事としられたり。前書に何とも不v見。歌にもたゞ鳥かもと計ありては何とも心得(38)がたし。然ども古爾戀流鳥鴨とよみて、何とぞほとゝぎすのことゝあらはれたる義もあらんか
弓弦葉 大和の國にある地名也。ゆづるはの峯といふあり。その所の邊に御皇居ありし時に被v用たる井ありと見えたり。三井とは皇居の御井の義なるべし
歌の意は、弓弦葉のみゐのうへより郭公の鳴渡るをきゝ給ひて、御親天武天皇の御時にもかくやなきわたりしと、過にし御事をしたひおぼしめし出されて、感慨のおこらせ給ふ故よみ給へるなるべし。ほとゝぎすの鳴音にはむかしも今も、人をしたひおもふ情のおのづからいでくる物故、此御歌も天武天皇の御事をしたひおぼしめしてなるべし。弓弦葉の三井とよみ出給ふには、何とぞゆゑありてか其意しれがたし。たどほとゝぎすの鳴渡りし所の當然をよみ拾ふと計見ておくべきか。先達の諸抄物等にもそれまでの事は見えざる也
額田王奉和歌一首
ぬかたのおほきみ、こたへたてまつりたまふうたひとくさ
從倭|京《重イ》進入 古本には和歌一首とある下に如v此註せり。これは王は供奉にてあらざる歌と云註歟
112 古爾戀良武鳥者霍公鳥盖哉鳴之吾戀流其騰
いにしへに、こふらんとりは、ほとゝぎす、けだしやなきし、わがこふるごと
又むかしかく、わぶらん鳥は、ほとゝぎす、あかずやなきし、わがわぶるごと
歌の意は、むかしも天皇のこひ給ふ鳥はほとゝぎすならん。すべてほとゝぎすはむかしもいまも人のこひしたひ待ものなればこふらん鳥はほとゝぎすとけつして、さてその鳥は今わがいにしへをこひしたふごとくなきしやと也。けだしやと云はうたがひの言葉也。此けだしやといふ言葉集中に多くあり。尤假名書にもけだしと書きたるところあり。なれども、ふたといふ字なれば、ところによりてあかずともよむべき也。此歌も別訓のよみやうにてはあかずの義訓によむ也。おほふなればあかぬ也。よつて不v飽と云意の義訓によむ也
(39)霍公鳥 ほとゝぎすと訓ずること出所本文未v考。ならびに杜鵑郭公子規等の字もみな、ほとゝぎすとよめる事不v詳也。順倭名鈔には〓〓鳥の三字を唐韻を引て和名保度々木須、今之郭公也と註せり。〓〓の二字ほとゝぎすにあたる事難2心得1。正字通
等の注にはほとゝぎすにはあたらざる趣也。霍公鳥の古事追而可v考
蓋哉 けだしといふことはうたがひの詞也。尤此集中十四五首余も此詞の歌あり。内十五、十七、十八卷の歌には三首ともに、氣太之、氣太之久毛と假名書ありて、けだしといふ詞によみ來れり。しかれども蓋といふ字をかきたる所は、けだしと計もよむまじきや。すでにこゝにも蓋哉とあり。此やの字心得がたし。けだしにてうたがひの詞なるに、やと重而うたがひたる事心得られねば、あかずと義訓によむべきや。あかずは不足にてひたもの/\なく意なり。しかれば王のむかしをしたひわび給ふごとく、ほとゝぎすもわびてなきしやとこたへたる歌也。古本に從倭京進入とある古註あれば、額田王は供奉にてはなく、京よりよしのへこたへ給ふ歌と見えたり
從吉野折取蘿生松柯遣時額田王奉入歌一首
よしのより、こけおひたる松のえだをゝりとりおくる時、ぬかだのおほきみ奉入うたひとぐさ
遣時 古本印本等遺の字を書たるは誤也。此遣すとあるは歌の次第を見れば、弓削皇子よりつかはされたると見えたり。尤折取てとあり。天皇より被v遣ならば令折取とあるべけれど、是は弓削皇子よりおくり給ふと見ゆる也
蘿 倭名鈔に松蘿女蘿同物にて和名萬豆乃古介と註せり。一云佐流乎加世とも註せり。古詠にまつのこけとよめる歌多し
113 三吉野乃玉松之枝者波思吉香聞君之御言乎持而加欲波久
みよしのゝ、たままつがえは、はしきかも、きみがみことを、もちてかよはく
玉松之枝 松をほめてなり。すべて玉としいふは賞美のことに添用る也
波思吉 これもほめたる詞也。うるはしきといふ意也。愛の字と云説もあれど心得がたし。愛の字はめぐみうつくしむなど云意地。此集中、はしきよし、はしけやし、はしきとよめる歌數しらず。皆かながき也。愛の字を用たるところ見えず。よしえやし(40)といふ詞に愛の字を用たるはあり。はしきかもとはうるはしきかなといふ意也。かもはかなの意にて歎のことば也
御言乎持而 松柯を給はるに付て皇子の口状もあれば、松柯の持て來れるとはいひなしたまふ也
加欲波久 かよふと云義也。はくを約すればふ也。しかればふを延たる詞也。いふと云ことをいはくと云がごとし
歌の意は、みよしのゝ松ケ枝はうるはしくよきかな、今かく皇子みことをもうけて、我かたにもち通ふなればと云義也。聞えたる通の義也
但馬皇女在高市皇子宮時思穗積皇子御歌一首
たじまのひめみこ、たけちのみこのみやにましますとき、ほづみの皇子をおもひ給ふみうたひとくさ
但馬皇女 天武の皇子也。御母は藤原夫人氷上娘也。叙2三品1文武天皇和銅元年六月に薨。續日本紀卷第四に見ゑたり
在高市皇子宮 たけちとよむべし。大和國の郡の地名なり。倭名鈔云、大和國高市【多介知】。天武天皇皇子御母胸形君徳善女尼子娘也。持統天皇四年秋七月丙子朔云々、庚辰以2皇子高市1爲2太政大臣1云々。後に皇子尊と申も此皇子の事也。但馬皇女の御爲には御兄なれば、おなじ宮殿にましましたると見えたり
思穗積皇子 ほづみといふも攝津國の地名なり。倭名鈔攝津國穗積保都美歟。此皇子も天武皇子なり。御母蘇我赤兄大臣女大※[豕+生]娘也。但馬皇女とは異母弟なり。續日本紀云、靈龜元年秋七月云々、丙午知2大政事1一品穗積親王薨云々。天武天皇之第五皇子也云々
114 秋田之穗向乃所縁異所縁君爾因奈名事痛有登母
あきのたの、ほなみのよりし、ごとよりし、きみによりなゝ、こちたくありとも
穗向 古本印本ともにほむけとよめり。ほむけといふ事ありや。またほむけのよるといふ事はいはれぬ事也。のゝ字不v續也。
向の字はさきともなんともよめば、さきとか、なみとかよまでは歌詞にあらず。さきといはゞ穗のさきといふものあれば、その(41)なびきよるといふ意にもなるべき歟。しかれども向の字なんとよめば、なんはなみと同事なれば、下によりしとよめる縁あれば波の心にて穗なみとはよむ也。詩抔にも向と書てなん/\とよめり。今もなみのよるといふ縁にて、穗なみのよりしとはよむ也
異所縁 此三字の訓點いまだ不v決。何とぞ別訓あるまじきか。しかれども先文字に從て訓をなして、ごとよりしとはよむ也。異の字ごとゝ濁音によんで如の字の意に見る也。清音の字をくんにはだく音によむ事古來くるしからざる也。ほなみのよりしごとくよれるの意也
事痛 言いたくなり。人にいひさわがるゝ事を云。といの約音ちなり。よりてこちたくとよむ也。ありとも、かりともとよみてもおなじこと也
歌の意は但馬皇女ほづみの皇子をおもひこひ給ふて、秋の田の稻穗の波のごとくになびきよりしごとく、おもひより給ひしこと、とても人の言の葉にかけていひさわがれ給ふともいとひたまはず。とかくになびきより給はんとの義也
勅穗積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首
ほづみのみこにみことのりありて、あふみのしがやまでらへつかはさるゝとき、たじまのすめひめのみつくりうたひとくさ
勅穗積皇子 これは但馬皇女とあらぬ御振舞の事あらはれしゆゑ、此しが寺へ籠居させしめられたるみことのりなるべし。しかれば此標題、歌ともに奧の歌の次に入べきを、混亂してこゝに被v入し歟。しが山寺へ被v遣しに付て此歌の意何とも心得がたし。とかくおしこめられたまふ義と見ゆる也
志賀山寺 號2崇福寺1天智天皇の勅願寺也。古は十二月三日天智の御正忌、此寺に被v行し事國史等に見えて、歌に志賀の山越とよめるも此寺にまうづる義也。聖武天皇天平十二年十二月幸2志賀山寺1禮v佛たまふ事も續日本紀に見えたり。遣の字誤て遺に作れり。
(42)115 遺居而戀管不有者追及武道之阿囘爾標結吾勢
のこりゐて、こひつゝあらずは、おひしかん、道のくまわに、しめゆへわがせ
遺居而 古本印本共におくれゐてとよめり。意はおなじけれど、此に遲速の意あるべきことにあらず。なれば字のまゝにのこるとよむ也。歌の意もほづみのみこは山寺へ被v遣て、皇女はやまとにのこり居給ふなれば、おくれ先だち給ふことにてはなきなり
戀管不有者 前に磐姫の御歌に注せるごとし。かくこひわびて存在したまはずばと也
追及武 古本印本共おひゆかんとあり。意はおなじけれど、及の字日本紀等にも行とよめる事不v見。しきしくとはよめり。日本紀に仁徳天皇の御歌にも、いしけ/\とよませ給ふもおなじ意にて、皇子のまします所いづかたまでもおひいたり給はんと也。おぼろ月夜にしくものぞなきとよめるもこのしくと同事にて、およぶものぞなきといふの事なり
阿回 くま/”\まわりとなど云の義也。くまとはいりこみまがりたるところなり
標結 しめゆへとはしるしをしておき給へと也。今もしをりをするなど云と同事にて、行過る路にしるしをゆひつけおくこと也
吾勢 穗積の皇子をさして也
歌の意は皇子は山寺へいでましければ、のこり居てこひわびてえしのびたへたまはねば、ともにみあとをしたひておひつき給はんほどに、みちのくま/”\まわり/\などにしるべをゆひおかせ給へと也。皇子の山寺へ引こもり給ふは、もはや死してわかれ給ふとおなじきやうに思しめして、よみ給へる意に見ゆる也。尤即日の御歌と見えたり
但馬皇女在高市皇子宮時竊接穗積皇子事既形而後御作歌一首
たじめのすめひめ、たけちのみこのみやにましましゝとき、ひそかにほづみのみこにまじはり給ふこと、すでにあらはれての御つくりうたひとくさ
(43)但馬皇女と穗づみのみことはことはらの御はらからなるに、かくの如きの御事あるべき御事にもあらぬ事なり。允恭の御時かるの皇子皇女の御ふるまひとおなじき御事也。これによりて志賀山寺へも被v遣しと見えたり。しかれば此歌は前にあるべきことに見ゆる也
116 人事乎繁美許知痛美己母世爾未渡朝川渡
ひとごとを、しげみこちたみ、いもせに、いまだわたらぬ、あさかはわたる
人事乎 すべて人とよめる事は外の事をさしていふことにみなよめり。他の字の意なり。事と書ても言の字の義也。外人の言にいひさわがるゝ義をひとことゝは云り
繁美 言のしげきなり。人にそしらるゝことのしげきと也
許知痛美 こといたき也。人にいひさわがるゝことのいとしげくゝるしきと也
己母世爾 古本印本ともおのがよにとよめり。母の字をがとよむべき義心得がたし。もし我の字のあやまりと見てよめるか。しかれどもおのがよにとよみて歌の意不v通也。われもよにとはよむべきか。いもせにとよめるは川の縁ある詞にて、いもは皇女、せは皇子にかゝる詞なれば、いもせにと四言一句によむ也。古詠四言によむ例數しらず。釋するに不v及也。しかれども此四字の訓いまだよみときやうあらんか。惣じて此一首しかと難v通歌也
未渡朝川渡 此いまだわたらぬあさかはわたると云事は、何ぞ難儀なる事の古事などあると見えたり。唐にても世人の朝川渡は難義なることのやうに作る詩もあれば、とかく古事あるごとく見ゆれども上古の事故不2考得1也
歌の意は皇女と皇子とあるまじき御事のあらはれて、他の人々にいひさわがれ給て、すでに皇子は志賀へ蟄居し給ふやうなる事のいでくる事、相ともに難儀にあひ給ふとの事地。いもせにとはいもせによりていまだわたらぬあさ河をわたる、一とき難儀にあひ給ふとの意也。末渡朝川渡といふ義分明に難v解故尚後案をまつもの也
舍人皇子御歌一首
(44)とねりのみこのおんうたひとくさ
舍人皇子 舍人の訓に説々あれども、皇子の御名には、乳母の姓氏を以て名づけ奉るの古實文徳實録に見えたれば、此みこの御名もとねりといふ乳母の氏を以て被2名付1たると見えたり。よりてとねりと訓ずること正統なり。やど、いへ人など云氏はなき也。尤古記等に舍人の二字を、いへひと、やど、しやじんなどよめることかつてなし。東山左府公の名目抄にもとねりと點あり。天武天皇第五皇子御母は天智皇女新田部皇女也。日本紀の御撰者にて、我朝神祇皇統の基本を興し立給ひて、後代萬也までものこし傳へ給ふ神祇道徳の太宗師とも被v仰させ給ふみこ也。右日本紀といふ國史を傳へおかれし故、我神國の御皇統不v絶由來神系正敷相繼せ給ふ事、いやしきやつがれまでも傳へ承り尊み崇め奉るなり。すでに其御功徳不v虚して崇道盡敬皇帝とおくりなし給られし也
117 大夫哉片戀將爲跡嘆友鬼乃益卜雄尚戀二家里
ますらをや、かたこひせんと、なげけども、しこのますらを、なほこひにけり
大夫哉 大の字は丈の字のあやまりたるか。大の字の下に丈の字を脱したるか。日本紀神武卷に慨哉大丈夫とあり。又皇極紀には大夫とあり。これともに不審也。此集は多分日本紀の文字を用ゐて書きたれば、皇極紀に從てかきたるか。此集中みな大夫とかけるは丈夫の二字をあやまりたるなるべし。大夫をますらをとよまんことも心得がたし。ますらをとはをのこの通稱にしてたけき人をいふ也。すでに日本紀神代卷神武紀皇極紀等に見えたり。さてこの哉の字は、かたこひやせんと云下につく也。古詠にこの格あり
片戀 とはかたおもひの義也。此方にばかりこひおもへども、先にはうけひかぬ事を片こひとはいふ也
將爲跡嘆友 たけきますらをがかたこひなどをやすべき。ますらをのちからをもておもひきり給はんと、なげきたまへどもといふの義也
鬼 これを古本印本ともしこのとよめり。鬼と云字しことよめる事古記に見えず。尤日本紀神代卷に醜女醜男と書て、しこめ、(45)しこをとよませたれど、鬼の字をしことよめる事なし。あしきものと云の義訓にて、しこともよむべきや。しかれどもこゝにてはしこと云は歌の意にあはざらんか。もしくはこひのしこるといふ意にてよめるか。それにてもおだやかならず。宗師の案には下にますらをとあれば、おもひのますといふ義にて思の字のあやまりならんか。しからばもひのますらをと云義なるべし。すなはちおもひのますとよみかけたまへる意ならん。しこのますらをと云ては歌の意にあはざる也。歌はかやうのところに少の意味ありて、たゞ一句のことにてうたになるとうたにならざる差別あり。よむ人能々可v味事也
御歌の意はますらをのかたこひなどはせまじとなげゝども、おもひのやみがたくてなほこひのますとの事也。そのますと云義をもひのますらをとよみかけさせ給ふ也。もひのますらをいよ/\こひしたふ故、おもひやませられがたきと也
舍人娘子奉和歌
とねりのいらつこ、こたへたてまつるうたひとくさ
舍人娘子 傳不v知。舍人氏のむすめと聞えたり
118 難管大夫之戀亂許曾吾髪結乃漬而奴禮計禮
なげきつゝ、ますらをがこひ、みだれこそ、わかゆふかみの、ひぢてぬれけれ
大夫之 古本印本共にますらをのこがとよめり。をのこは無用のことばならんか。ますらをにて濟義也。しかれどもこふれこそとよまんとて上を七言によめる也
戀禮許曾 古本印本共に此四字を五言にこふれこそとよめり。こふれこそといふ歌詞あるべきや。此戀の字は上につきたる字と不v見故如v此のよみやういでくる也。ますらをがこひと上へ付てよむべき也。亂許曾の三字をみだれこそと五言によむべしみだれは下の髪の縁にて也
吾髪結乃 古本印本ともにわがゆふかみのとよめり。もしくは結髪とありしを下上へあやまりて傳寫せしか。尤此通にてもゆふかみとよむべきか。髪結とあればもとゆひとよめらんことしかるべからんといふ説もあれど、髪の一字をもとゝよまんこと(46)いかゞ。二字合て義訓にもとどりとはよむべきか。しかれども日本紀天武卷に垂髪于背とかきて、すべしもとゞりと點をつけたれば、結といふ字にさし合べきか。古本の點にしたがふかたしかるべし
漬而奴禮計禮 ひぢてはひたして也。ぬれるの事也。何にてぬるゝとも上にぬれもの見えねども、なげきつゝとあるにて、先のなみだにて此方のかみもひぢると云の意也。奴禮計禮はまつはれけれ也。ぬれと云はまつはれると云ことなり。此奧の歌にもたけばぬれとあるも、あくればまつはれと云こと也。ぬれとあれば重ねことばのやうに見る人もあるべけれど、上にひぢてとぬれたることをいへば、無益に重ねていふべきにあらず。ぬれてまつはれけれと云の義也
歌の意はますらをの片戀などはせまじとなげきこひ給ふ、その戀の亂れの涙にこそわか髪もぬれてまつはるれと也。まつはるゝとはかくなげきこひわびらるゝゆゑ、われもともに思ひなびきて、そなたによりまつはるゝ心にてこそあれとの意也
弓削皇子思紀皇女御歌四首
ゆげのみこ、きのすめひめをおもひたまふおんうたよくさ
弓削皇子 前に注せり
思紀皇女 きのすめひめは天武皇女穗積のみこの同母妹也
119 芳野河逝瀬之早見須臾毛不通事無有巨勢濃香毛
よしのがは、ゆくせのはやみ、しばらくも、たゆることなく、ありこせぬかも
芳野河 大和のよしの川也
逝瀬之早見 ゆくせのはやみとは、流のはやきといはんがごとし
須臾毛 しばらくも、すこしのあひだもといふ意也
不通 義訓也。かよはぬは絶ゆる義也。
有巨勢濃香毛 ありとは助語のやうなるものなり。ありかよひなどゝも云て、たゞこせぬかもといはんとての序詞也。こせぬ(47)は來りぬ也。不の字のぬにはあらず。すぎぬといふばかりにやなど云のぬ也。かもとはかなの意也。
歌の意は、よしの川のはやきながれのたゆることなきごとく、しばしのほどもへだてずきたりたまへよとの意也。こせぬかもは來り給ひぬらんかもと云意也。此ぬの字見あやまりて不の字の意に見る人もあるべきや。その意にては此歌不v通也
120 吾妹兒爾戀乍不有者秋茅之咲而散去流花爾有猿尾
わきもこに、こひつゝあらずば、あきはぎの、さきてちりぬる、花ならましを
吾妹兒爾 紀の皇ひめをさして也。戀乍はわびつゝなり。戀の字のこと前にも注せり。此歌もわびつゝとよむべし。こひわびの意也。不有の事前にくわし
秋茅之 此茅の字は芽の字のあやまり也。倭名鈔云、鹿鳴草、辨色立成、新撰萬葉集等用2芽字1、唐韻、芽音胡誤反、草名也云々。芽の字はぎとよめる事字義不v詳。しかれども此集中多く此字を用てはぎとよませたり
咲而散去流 さきてとよめるは意味ありて也。われは花さくこともなく、しのぶおもひの下にこがれてしぬるにてあらんに、萩は一度花さきて盛をも得てだにちるなれば、その花にならましをと也
花爾有猿尾 花ならましをとは、にあをなと約してよむ也。あらましをと云も同意也
歌の意は妹をかく戀わびて遂にはとてもしぬるにて有べし。然らばせめて秋萩になりて花に咲てなりともしなん物をとの意也。さきて散ぬるといふ處に意味ある事は、花は咲て盛だに有ものなれば、せめてその花になりともならましをと也
121 暮去者鹽滿來奈武住吉乃淺香乃浦爾玉藻苅手名
ゆふされば、しほみちきなん、住のえの、あさかのうらに、たまもかりてな
淺香の捕 攝津國住吉なり。淺香とよめるに意味あり。上にゆふさればとよみたまふ故、下に朝の意をこめて淺香の浦とはよめる也。古詠のおもしろきと云はかやうのところ也。たゞふまへなく淺香の浦をよみ出たるにはあらず
玉藻苅手名 おもひをとげはらさんことによそへてよみ給ふ也
(48)歌の意はゆふさればしほみちきて玉藻をかる事もなるまじきほどに、あさとく玉藻をからんと云て、紀のひめみこにあひ給はんことのおそくては、さはりさまたげなどもいで來んまゝ、はやくあひたまはんとの事を玉藻によせてよみ給ふ歌なり。玉藻と云も皇女になぞらへ給ふ也。かりかるといふも、いもかりなどいふてもとめえること也
122 大船之泊流登麻里能絶多日二物念痩奴人能兒故爾
おほふねの、はつるとまりの、たゆたひに、ものおもひやせぬ、人のこゆゑに
大船之 大の字に意はなし。たゞふねと云はんまでの義也。しかれども下にたゆたひにといふて、ただよふことをいはんために大ふねともよめるなるべし。
泊流登麻里能 船のとまりをはつるといふ。あまをぶねはつせなどよめるも、はつといはん冠詞に船をいふ也。とまりとは重ねていふやうなれども、そのはてんとするときのとまりに、たゞよふとの事をいふたるもの也
絶多日二 たゞよふこと也。とやせんかくやせんと皇子のおもひまどひ給ふことにたとへ給ふ也。たゆたふなどゝも云て、ゆら/\としてあることを云也。大船のはつるとまりと云に意はなく、たゞ此とやせふかくやせんと船のたゞよふごとくに、物をおもひたまふといはんとての序他
人能兒故爾 わがものにあらぬ故にと云意也。兒とは女の通稱、我妻ならぬ故にこひわびおもひわづらひ給ふとの事也。歌の意は不v及v釋きこえたる通地
萬葉童蒙抄 卷第一終
萬葉童蒙抄 第二卷
(49)三方沙彌娶園臣生羽之女未經幾時臥病作歌三首
みかたのさみ、そのゝおみいくはがむすめをめとりて、いくばくもへずして、やまひにふしてつくるうたみくさ
右男女の傳不v知也。古本傍注に三方所の名と記せり。しかれども地名を姓氏によべる歟、傳不v知は不2分明1。また生羽をなりはと點を付たれど、なりはとはいふこと何の事にや。いくはと云は的の宇をも訓して、いくはの臣などいへることもあればまづいくはとはよむ也
123 多氣婆奴禮多香根者長寸妹之髪比來不見爾掻入津良武香 三方沙彌
たけばねれ、たかねばながき、いもがかみ、このごろみぬに、みだれつらむか
三方沙彌 右の歌の作者といふ義を注せり
多氣婆奴禮 あぐれはまつはれと云義也。かみはあぐると云。たけもあげも同意也。たぐればぬれと云説もあれどもあぐると云方義やすかるべし
多香根者長寸 あげねば長きなり
比來不見爾 このごろみぬにはやまひにふして見ざるにと也
掻入津良武香 掻人の二字を古本にはみだりとよみ、印本にはかきれとよめり。みだりはみだれと同じけれど、直にみだれとよむ方しかるべし。古本に※[獣偏+蚤]の字に書たり。もしくは猥の字歟。しかればいよ/\みだれの方義安也
歌の意は女をめとりてまなくやまひにふしたれば、女の心のいかにみだれかはりたらんかと、うたがひの意をふくめて女の髪(50)の事によそへて、このごろみざるうちにながきかみのみだれつらんかと也
124 人皆者今波長跡多計登雖言君之見師髪亂有等母 娘子
ひとみなは、今はながしと、たけといへど、きみかみしかみ、みだれたりとも
娘子 印本には此二字を脱せり。古本には注せり
人皆者 奧に至つてかながきにもひとみなはとかきたれは、義訓にはあるべからず。意はみな人はと云義也。しかるを上古は如v此人みなはとよめること古風の一躰なり
今波長跡多計登雖言 もはやながしといふの意也。あげたるかみのみだれたるほどに、いまはあげよと人みないへどもあげぬとの義也。あげぬといふことはいはねども、いへどと云にてふくめて見る也
君之見師髪 すでにめとられてきみがめにふれたるかみなれば、そのまゝにてあげまじきと也
亂有等母 みだれてありとも也。てあの約言たなれば、みだれたりともよむべし
歌の意はきみが見たるときあげたるかみなれば、いま病にふしてあれば、外よりなかくみだれたりといふともわれはあげまじ。夫にま見えもせねばかたちつくりすべきやうなしと、貞節の意をあらはしたる意也。君ならずしてたれかあぐべきとよめるこゝろもこれにおなじ
125 橘之蔭履跡乃八衢爾物乎曾念妹爾不相而 三方沙彌
たちばなの、かげふむみちの、やちまたに、物をぞおもふ、いもにあはずて
橋之蔭履 たちばなのかげふむといふ事すみがたき事也。これは史記李廣傳の桃李不v言、下自成v蹊といへる意とおなじ義にて、橘は本朝にて上古もめづらしきものなれば、諸方より賞翫して人々より來る故、かげふむみちのやちまたとつゞけたるものと見えたり。畢竟下のやちまたにものおもふと云んとてよみ出たる也
跡乃 古本印本共に跡の字を書てみちと點をなせり。決而路の字のあやまりと見えたり。
(51)八衢爾 やちまたとは四方八方に達する通路の事を云也。日本紀神代の下の卷天孫降臨のところにも、有2一神1居2天八達之衢1と見え、延喜式第三云、八衢祭、同式第八道饗祭詞にも大八衢と云古語は見えたり。爾雅云、八達謂2之衢1。諸方に通ずる道をやちまたといふによりて、一筋ならずさま/”\に物を思ふといふの序によめる也。此集第六にも、橘本爾道履やちまたに物をぞおもふ人爾不所知とよみて、とかくさま/”\に物思ふ意に、橘のかげふむみちのやちまたとよみ來れる事と見えたり
物乎曾念 此物をぞおもふとは、きみのこひもとめて妻をめとりたるに、いくほどもなくやまひの床にふして、相かたらふことも心のまゝならず、かつはいたはりの重りて、そひはてんこともはかりがたきなどおもひつゞけて、とやかくやとさま/”\におもひなやめるより、よみ出たる歌なるべし
妹爾不相而 めとりたる妻にあはずとは心得難けれど、病の床にふしたれば、心のまゝに相したしむ事もならざるにより、かくはよめるなるべし。此歌はいまだめとらざる前かまたは、病重りていのちのかぎりもすでにはかりがたきときなどよめる歌のやうにも見ゆる也
歌の意は妻をめとりたれど、いくほどもなくてかよふにいたはりになやみふしたれば、心のまゝにあひかたらふ事もなりがたく、また病のうへはいかになりはてんもはかりがたきなどとおもひつゞけて、さま/”\にものをおもふと也。橘のかげふむみちのやちまたとよめるは、むかしも立花はめづらしく、諸方の人より來れば、よもやもにみちをふみ通ひて、かなたこなたにかよへる故、そのごとくさま/”\におもひわづらふとの事に、橘をとり出したるなるべし
石川女郎贈大伴宿禰田主歌一首
いしかはのいらつめ、大とものすくねたぬしにおくるうたひとくさ
此石川女郎大伴宿禰田主ともに傳系不v詳。古本に歌一首とある下に、小字にて即佐保大納言大伴卿第二子母曰2巨勢朝臣1也。如v此田主の事を傍注あり。又女にても朝臣と書事きはまれる事也。田主の母巨勢氏にて姓は朝臣と見えたり。此注は考ふるところありたると見えたり
(52)126 遊士跡吾者聞流乎屋戸不借吾乎還利於曾能風流士
みやびとゝ、われはきけるを、やどかさず、われをかやせり、おそのみやびと
遊士跡 この三字を古本印本ともにたはれをと訓ぜり。尤下の風流士の三字をもおなじくたはれをと訓じて、後成恩寺兼良公の歌林良材に、俊頼の、世の中はおそのたはれのたゆみなくつゝまれてのみすき渡る哉と云歌を證と引給ひて、こゝもおそといふは河うそといふ獣也。獺之字也。此獣はじめはたはるゝやうにて後にはくひあふ物なれば、それを田主にたとへていへる也との御釋也。然れども遊士風流士の文字をたはれと訓ずる義理、又歌の意ともに相かなひがたく、おそとは獺の事といふ義も不v合。かた/”\もつて難2信用1ければ宗師案は各別の趣意也。遊士の二字はともあれ、風流士の三字をたはれをとよむべき義なし。惣て風流風雅風骨などいふてよき事には用來れり。たはれとは卑俗の人をいふ事にして、風流の字には甚だ表裏せり。しかれば左注にも容姿佳艶風流とあれば、これをよみ訓ぜんことすがたうるはしく、たはれたる事とよまんや。これはすがたうるはしくみやびやかなりとこそよむべき。むかしは風流風雅の事をなすを、みやびをするといへり。すでにいせ物語の詞にもむかし人はかくみやびをなんしけるといへり。よつて風流士の三字をみやびとゝは訓ぜり。これよりして歌の意をかんがふるに、遊士の二字も同訓によまざれば意通がたき故、ともに同訓にはよませり。みやびとゝは宮人といふの意にて、よき人といふ意をかねていふたる歌と見るなり。返歌の意にてよくそのことわりはきこゆべき也
於曾能 獺のことにて虚言うその意と見る義、兼良公の御説なれども、たはれといふこと心得がたし。順和名抄巻第十八毛群部獣類部、獺、兼名苑注云、獺【音脱和名乎曾】水獣恒居2水中1食v魚爲v粮云云。又虚言を俗にうそと云。此集卷第十四の歌に、からすとふ於保乎曾杼里能まさてにもきまさぬきみをころくとぞなくとよめるも、うそのとりといふこと也。なればこゝの於曾と云もうそといふ事か。もつともおうの通音は、奧、端のをともに通ふ也。又はおそろしのと云義とも見えたり。いまも東國の俗こはい人といふ事をおぞい人といへり。古語のゝこれるか。此歌の意も柔和にみやびやかなる人とこそきゝしに、おそろしのみや人といふのことに、おぞのとはいへるなるべし
(53)歌の意は柔和にみやびやかなるひとゝこそきゝしに、やどをもかさでかへせるはおそろしのみや人なりとの義也
大伴田主字曰仲郎容姿佳艶風流秀絶見人聞者靡不歎息也時有石川女郎自成雙栖之感恒悲獨守之難意欲寄書未逢良信爰作方便而似賤嫗己提鍋子而到寢側哽昔跼足叩戸諮曰東隣貧女將取火來矣於是仲郎暗裏非識冒隱之形慮外不堪拘接之計任念取火就跡歸去也明後女郎既恥自媒之可愧復恨心契之弗果因作斯歌以贈諺戯焉
是古注者の文なり。文字の音訓を交へてかきたる也。しひて訓義をなすに及ばず。文字の意をもつて義をしるべき也
成2雙栖之感1云々 夫婦になりて共にすまんとこひおもふの義也。獨守之難はひとりすまんことをえまもりかぬるの意也。雙栖獨守の字詩句に用ゐたること多き也
未逢良信 よき便宜を得ぬ也
似賤嫗 嫗は老女の通稱、倭名鈔に於無奈と訓ぜり。いやしき老女ににせて也
己提鍋子 己はみづからの意也
哽昔《キヤウイン》 世人の物にむせぶごときの聲をして也
跼足《きヨクソク》 跼は曲也と云てあしをかゞめる義、今ぬきあしなどゝ云の義也
諮曰 いつていはくとよむべし
冒隱 をかしかくすとよむ。字書に望は莫報切、覆也とありて、ものをおほひかくしての意、衣などをひきて形をかくしたるの意也
不堪拘接之計
右は古注者の文也。依2此注1宿戸不v借とよめる説きこえたり
大伴宿禰田主報贈歌一首
(54)127 遊士爾吾者有家里家戸不借令還吾曾風流土者有
みやびとに、われはありけり、やどかさず、かへせるわれぞ、みや人にはある
前にも注せる如し。宮人は神の宮殿など守る宮人と云迄也。遊人の二字前にも注せる如く、宮人とよむ義は此歌の意、みや人と不v讀ば不v通故、下の風流士をみや人とよむ縁によつてよむ也。尤和名抄には遊女と書てうかれめとよませたれは、うかれをともよむべけれどそれは證例なし。殊に歌の意不v通故みや人とはよむ也。後學の人的然たる別訓の案もあらば之をまつのみ
歌の意はおそのみや人とのたまふなる程われはみや人なり。その宮人故神の宮殿などには容易に人をとむるものにはあらず。そのかへせるところこそみや人にてあれとの返答也
同石川女郎更贈大伴田主中郎歌一首
おなじいしかはのいらつめ、さらに大ともの田ぬし中いらつこにおくるうたひとくさ
中郎 なかいらつことよむべし。前の注にも佐保大納言の第二の子とあれば、三人ありし中の子故中いらつことあざなをよびしか
128 吾聞之耳爾好似葦若末乃足痛吾勢勤多扶倍思
わがきゝし、のみにたがはず、あしかびの、あしひかばあせ、つとめたふべし
耳爾好似 これを古本印本ともに、みゝによくにばとよめり。歌言葉とも不v覺。いまだいかなる義ありてよめるや其意も心得がたし。好似の二字は訓よくにたるなれば、たがはぬといふ義をさとりてよむべきため書たると見えたり。よつてわがきゝしのみにたがはずとはよむ也。のみとはきゝたる通にたがはずばと也。仲郎足のやまひありときゝしが、いよ/\そのきゝし通にたかはずばといふの義也
葦若末 あしかびとはあしのはじめて生出るを云也。古事記上卷云、如葦牙云々。成神名字麻志阿斯訶備比古遲神。日本紀神代上卷云、如2葦芽1、和名抄卷第二十草木部云。蘆、葦、兼名苑云、葭一名葦家※[火+韋]二音、和名阿之云云。若末の二字はわかくいまだしき(55)と云意にて義訓にかきたる也。このあしかびのびを、通例みな清音にとなへ來れども、古事記に備の字を用ゐたれば、濁音にとなふべき也。此あしかびには何の意もなく、たゞ下の句のあしひかばといはんための縁に、第三句より改めたる句と見るべし
足痛 あしひかばとよむべし。此集中にあしびきの山とつゞけたる歌にも足痛の二字を用たり。尤も古注にあしの疾によりてとしるし、かつあしいたむなればあしをひくべき理なれば、かた/\”痛の字をひくと義訓せり
吾勢 あせとは、先を賞美したる詞なり
勤 つとめは、ゆめなどゝ云も同事にて、よくつゝしめといふことば也
多扶倍思 たまふべしと云義也
歌の意は、仲郎あしのいたはりありときゝしが、わがきゝし通にたかはず、あしのいたはりあらば、つゝしみて保養をなし給ふべしとの事也
右依中郎足疾贈此歌間訊也
みぎながいらつめ、あしをやむによりて、このうたをおくりとひとぶらふ也
足痛吾勢とよめるを以て、古注者如v此注を加へたり
大津皇子宮侍石川女郎贈大伴宿禰宿奈麿歌一首
おほつのみこのみやにはんべる石川女郎、おほとものすくねすくなまろにおくるうた一くさ
女郎字曰2山田郎女1、宿奈麿宿禰者大納言兼大將軍卿之第三之子也 古本傍注に一首とある下に、如v此注せり。かんがふる所ありてか
129 古之嫗爾爲而也如此許戀爾將沈如手童兒
としへにし、をむなにしてや、かくばかり、こひにしづまん、たわらはのごと
古之 古本印本共にいにしへのとよめり。しかれども下に嫗と云て老女のことをいへるに、いにしへのをむなとは不v續こと(56)ば也。よりてとしへにしと義訓によむかたしかるべからんか
嫗爾 をむなとは、としおひたる女と云義也。嫗の字は、前にも注せるごとく老女の通稱なり
爲而也 このやの字跡にかへるや也。丈夫やの類也。こひにしづまんやのや也
爾將沈 こひは泥土の事によせてしづまんやと也
如手童兒 たは初語の詞也。たゞわらはのごとくと云義也。童、和名抄云、禮記注云、童徒紅反、和名和良波、兒は添字也
歌の意は、土※[泥/土]のひぢりこなどへは、小兒わらべなどこそはまるべきに、としおいたるをんなの身にて、わらはべなどの如く、こひにしづまんや、しづむべきものにはあらぬに、かくばかりすくなまろをこひわびて、思ひにしづむと也。してやのやは、しづまんやといふに返りたるやなり。この詠格いくらもある也
一云戀乎太爾忍金手武多和郎波乃如
こひをだに、しのびかねてん、たわらはのごと
古注考一本に如v此あるを見てしるせり。しかれども本書の歌の意勝りたるなるべし
長皇子與皇弟御歌一首
をさのみこ、すめおとにあたへたまふみうたひとくさ
長皇子 天武天皇の皇子御母は大江皇女也。此歌すめおとにあたふとあれば、御同母弟の弓削皇子に被v遣たる御歌歟。此歌戀歌とも決しがたし
130 丹生乃河瀬者不渡而由久遊久登戀痛吾弟乞通來禰
にぶのかは、せはわたらずて、ゆく/\と、こひわぶわがせ、こちかよひこね
丹生乃河 大和にあり。丹生の河をよみ給ふに意はなし。もしくは長皇子と弟皇子とすみ給ふ所の間に此河ありしか
瀬者不渡而 古本印本等には、せをばわたらでとよめり。義は同じき事ながら、ずてといふことば古くいひ來りたる詞也。物が(57)たりなどによりて、文字の通に瀬はわたらずてとよむ也。瀬をわたらずてとは、河をわたりては心もとなきほどに、わたらずにかち路より來り給へと也
由久遊久登 ゆる/\とゝいふ義也。ゆくらかになどゝもいひて、いそがぬ事を云。事の急なる事を、ゆくりもなくと云も、ゆるやかになき不意の事を云也。いそぎて川をわたり給ふ事は、心もとなきほどに、河をわたらずに、ゆる/\と來り給へとの事也
戀痛 古本印本等にはこひいたむとよめり。しかれどもことばつたなければ、痛はなやむ義也。よりてこひわぶとよむべし。わぶはなやむ事を云、こひしたひ給ふとの義也
吾弟 前にも注せるごとく、先を賞してせと云也
乞通來禰 こちは此方へといふ義也。此方と云ことを、こちと古くいひ來りて、源氏物語等にも多く見えたり。いでともよまんか、出るの意地。且通の字道と云字にて、こちもかちも同事なれば、歩道の意かちぢとよめる義もあらんか。此終の句末v決也。先こち通ひこねとよみて、此方へかよひ來り給へとの事也。歌の意は河を渡り給ふてはあやうくおぼつかなき程に、急ぎ給はずとも、ゆる/\とかちぢを通ひ來り給へと他。御兄弟むつまじき御間がら、かくこひしたひ給ふて、よみたまへるなるべし
柿本朝臣人麿從石見國別妻上來時歌二首並短歌
かきのもとのあそんひとまろ、いはみのくにより、女にわかれてのぼりくるときのうたふたくさならびにみじかうた
柿本人麿 傳系不v詳、第一卷に注せり。生國は石見の國と見えたり。則此集の此所の文にしたがつてしる也
妻 和名抄卷第二人倫部夫妻類云、白虎通云、妻【西反和名米】者齊也、與v夫齊v體也云云。此妻の名傳系共に不v知也。人麻呂妻には前後妻あり。此妻は前妻と見えたり。後に京にてもとめられたる妻は依羅娘子といへり。此奧にいたりて見えたり
(58)131 石見乃海角乃浦回乎浦無等人社見良目滷無等【一云磯無登】入社見良目能嘆八師浦者無友縱畫屋師滷者【一云磯者】無鞆鯨魚取海邊乎指而和多豆乃荒磯乃上爾香青生玉藻息津藻朝羽振風社依米夕羽振流浪社來緑浪之共彼縁此依玉藻成依宿之妹乎【一云波之伎余思妹之手本乎】露霜乃置而之來者此道乃八十隈毎萬段顧爲騰彌遠爾里物放奴益高爾山毛越來奴夏草之念之奈要而志怒布良武妹之門將見靡此山
いはみのうみ、つのゝ浦わを、うらなしと、人こそみらめ、かたなしと【一云いそなしと】ひとこそみらめ、よしゑやし、うらはなくとも、よしゑやし、かたは【一云いそは】なくとも、いさなとり、うみべをさして、にぎたづの、あらいそのうへに、かあをなる、たまもおきつも、あさはふる、かせこそよらめ、ゆふはふる、なみこそきよれ、なみのむた、かよりこちより、たまもなす、よりねしいもを【一云はしきよしいものたもとを】つゆしもの、おきてしくれば、このみちの、やそくまごとに、よろつたび、かへりみすれど、いやとほに、さとはさかりぬ、いやたかに、やまもこえきぬ、なつくさの、おもひしなえて、しのぶらむ、いもがかどみむ、なびけこのやま
角乃浦回 倭名鈔卷第八國郡部石見那賀郡都農【都乃】。角里といふ所に妻の殘り居る故、角の浦わをよみ出せる也。或本の歌にはつのゝさとみんとあり
浦回 うら間といふこと也。浦のめぐりぎはの事也。うらの惣躰を云義也
滷 しほ水の就たり又さしたる處を云。此ろの字又瀉の字をかたとよみ來れる字義未v考
人社見良目 海上をもはるかにへだて來りたれば、人はうらもかたもなしと見るらめども、人丸は妻をしたふ心から、目にはなれぬとの義也
(59)一云磯無登 古注者の加へたる也。下みな小書これにおなじ。いそは海邊のいしある所を云
能嘆八師 今云よしやと云と同じ。ゑは助語と見る也。やとえと通ずるにてはあらず。むかしはよしゑやしといひたるを、今はよしやよしといひ來れり。うらはなくともよし、かたはなくともよしと云古風の重詞也
鯨魚取海邊乎 此いさなとりといふこと、古來説々あれどもみな信用しがたき義也。いさなとりとは鵜の一名をいさな鳥といふか。又漁梁のことをすなどりといふ故いすなどりといふ事か。僻説にいさなと云はくじらの事にて、それをとる海といふの事といへり。日本紀允恭の卷衣通郎姫の歌に、異舍儺等利宇彌能とあれば、取の字をかきても、りとよまざればならぬ義也。且此集にもいさなとりあふみのうみとよめる歌あれば、くじらをとるといふ義にはいはれざること也。いさなとりとはうとうけんための冠辭としるべし
海邊乎指而 見わたす所にうらもなく滷もなくとも、海邊をさして玉もおきつもの來よると也
和多豆乃 伊豫の熟田津也。此歌いよの國迄來りてよめると見えたり
荒磯乃 あらきいそのほとりと云義也。磯は前にも注せるごとくいしと云義地。海のはたにあるあらきいしのほとりと云義也
香青生 かは初語の詞にてたゞあをきと云事也
朝羽振 風にも波にもふりふると云事あり。これはものゝうごくことをふりと云也。あしたに風のうごきふれてよるといふ義也。貫之土佐日記にも、いそふりのよするいそには年月をいつともわかぬゆきのみそふるとよめるも、風波などのあらく吹よする事をよめる也
依米 風などこそよらめ、われはよらぬにと、うらやみしたふの意也
夕羽振流 ゆふべにはなみのふれよすると云義也。あしたには風のうごきより、夕べには波のうごきよりくるといふて、ことばをつがはしめたる也
浪之共 この共と云字を此集中にむたとよめり。これは仙覺律師よみ初たり。むたといふは、西國の俗語にして、意はともにと(60)いふ義也。西國にては、ものゝ無v別一つなる事を古むだといひたりと見えたり。よりて仙覺共と云字にむたといふよみを付けられたるは義不v合にてもあるまじ。如の字の意によみたきもの也。波のことゝいひて、波とゝもにの意なり。しかれども古くむたとよみ來りて、義不v濟ことなれば、點の通によむべし。今俗言に、めつたくたむちやなど云、物の混雜し一つに成たる事を云も此むたと云ふ俗語なり
彼縁此依 かしこによりこゝによりといふの意也
玉藻成 玉ものごとくにと云ふの義也
依宿之 これまでの詞みなこの依ねしといはんとての縁に、詞花をかざりたるものなり
一云波之伎余思 前に注せるごとくほめたる詞なり。すぐによしとあり。うるはしくよきといふ義也。此異句は、かよりこちより、はしきよしと續たる句と也。しかれども本書の句勝るべし
露霜乃 下の置てしといはん迄の料也
八十隈毎 多くのくま/”\のごとになり。數にかゝはりたる八十にはあらず。數多きくま/”\ごとにといふ義也
萬段 これもいくたびも/\、かへりみするの説也
里者放奴 このさとは妻の殘り居角の里也。放奴の二字にはなれぬさかりぬ兩點あれども、遠さかるの義なればさかりぬとよむべし。義はいづれにてもおなじ
益高爾 古本印本ますたかにといふ點はあし。前のくにいや遠とあれば、こゝもいや高にとよむべし
夏草之 妻をさしてなり。妻もおもひしなえてわれをしたふらんと也。しのぶもしたふも同事也
之奈要而 なやむといふと同事也
志奴布良武 此句あるより、反歌にしのゝ葉とはよめる也
靡此山 その當然の山也。したひおもふ情の切なるあまりに、なびくべき山にはあらねど、なびけと下知したる也。業平の山の端にげていれずもあらなんといへる意とおなじ雅情也。時代の口風にて當今はなびけこの山とは、つまりたるやうなる終の(61)句なれども、これらは時代の風也。今時は不v可v好終句歟
歌の意は、石見の國に妻をおきてわかれのぼるに、その國の海もうら回も遠く隔てつれば、うらもなくかたもなしと人は見るらめども、人丸は妻をしたふ心から、まのあたりはなれぬやうにて、よしうらもかたもなくとも、われはあるやうにおぼゆると也。いさなとりと云より、また言葉をおこして、波風にしたがひて、玉もおきつものうごきふれるかなたこなたになびきよれるごとく、むつまじくよりそひし妻をおきてくれば、その上り來る路次のくま/”\ごとに、いくたびも國のかたをかへりみすれども、くるにしたがひ彌々とほくへだたり、妻ののこり居る里も次第に遠ざかり、越來る山もいやかさなりてへだて見えねば、いよ/\したひ思はれて、國にのこれる妻がさぞ夏草のしなえるごとくに、うらぶれしのぶらんとさつしわび、そのしなえてしのぶらん妻のすむ門を見やらんまゝ、いや高くたちかさなり、へだたる山もなびきふして、妻のすむ門を見せよと、したひわぶる切なる情をのべたる也
反歌
反歌短歌のことは第一卷に注せる通なれば、重而注するに不v及
132 石見乃也高角山之木際從我振袖乎妹見津良武香
いはみのや、たかつのやまの、このまより、わがふるそでを、いもみつらんか
石見乃也 このやの字は助語也
高角山 石見の名所也
歌の意は長歌にある通、妻にわかれて上り來れば、石見のかたこひしくしたはれて、いく度も國のかたをかへり見しつゝ旅行するありさまを、高角山の木間より妻の見るらんかと也。此歌隔句躰の歌也。なほざりに見ては、人丸の木の間より袖をふるを、妻のみつらんかとよめるやうにきこゆれども、さにはあらず。木間より妻の見るらんかとよみし歌也
133 小竹之葉者三山毛清爾亂友吾者妹思別來禮婆
(62)しぬのはは、みやまもさやに、みたれども、われはいもしぬぶ、わかれきぬれば
小竹之葉者 是を古本印本共に、ささのはとよめり。しかれど此歌反歌と見るところは、此しぬとよみ出したる所を以て反歌とは見ゆる也。長歌に、志怒布良武とよみたる縁をうけて、しぬのはゝとよみ出したるもの也。且前にも注せる如く、此集は多く日本紀の文字をもつて書たれは、彼紀の訓にしたがふべき事、神功皇后紀云、小竹此云2之努1如v此字訓あれば、歌の意も相かなふ上は、しぬとならではよまれまじき事也。然共古今六帖また後成恩寺殿良材集などにも、此歌をみなさゝとよまれたるは、如v此の詮議に不v及歟
三山毛 みは初語の詞也。只山といふ義也。長歌に山も越えきぬとよみ、靡けこの山とよみたれば、反歌にも山とは讀る也
清爾 さやにとはさやかに也。そよともよませり。さやもそよも同事の詞なれども、そよとは音にかゝることば、さやには見る方にかゝる詞也。此歌はさやかに見たれどもと云歌の意地。故に清爾はさやにとよむべき也。さやにはあきらかに也
亂友 みだれともと濁音のたれなれ共、雖v爲v見の意にて此字を用ゐたり。ことばおなじければ、すみにごりにはむかしより不v拘也。此類いくらも例あり
妹思 古印本共に、おもふとよみたれど、長歌にしぬぶらんとあるをとりて、上にもしぬの葉はとよみ出したれば、しぬとよまではかなふまじき故、いもしぬぶとよめるなり
歌の意は長歌の意をおしかへして、尚餘意をのべたる也。まづ上に、おもひしなえてしのぶらんとあるゆゑ、その詞をとりて、しぬのはゝとよみ出して、しぬのはは越え來る山にもさやに見たれども、たゞわかれ來るいもをわれはしのぶとの義也
或本反歌
古注者異本の歌を後に載せたり。石見乃也とある歌の異説也
134 石見爾有高角山乃木間從毛吾袂振乎妹見監鴨
いはみなる、たかつのやまの、このまゆも、わがそでふるを、妹みけんやも
(63)此一本の歌本集の歌とさして勝劣もあるべからず。少づゝのかはりあるをしるしたる迄也、歌の意おなじ義也
135 角※[章+おおざと]經石見之海乃言佐敝久辛乃埼有伊久里爾曾深海松生流荒礒爾曾玉藻者生流玉藻成靡寐之兒乎深海松乃深目手思騰左宿夜者幾毛不有延都多乃別之來者肝向心乎痛念乍顧爲騰大舟之渡乃山之黄葉乃散之亂爾妹袖清爾毛不見嬬隱有屋上乃【一云室上山】山乃自雲間渡相月乃雖惜隱比來者天傳入日刺奴禮大夫跡念有吾毛敷妙乃衣袖者通而沾奴
つのさはふ、いはみのうみの、ことさへぐ、からのさきなる、いくりにぞ、ふかみるおふる、ありそにぞ、たまもはおふる、たまもなす、なびきねしこを、ふかみるの、ふかめておもふと、さぬるよは、いくばくもあらず、はふつたの、わかれしくれば、きもむかふ、こゝろをいたみ、おもひつゝ、かへりみすれど、おほふねの、わたりのやまの、もみぢばの、ちりのまがひに、いもがそで、さやにもみえず、つまこもる、やがみのやまの、くもまより、わたらふつきの、をしめども、かくろひくれば、あまつたふ、いりひさしぬれ、ますらをと、おもへるわれも、うつたへの、ころものそでは、とほりてぬれね
角※[章+おおざと]經 此つのさはふといふ義、諸抄まち/\にして一定し難し。古本印本共に、つのさふると點をなせり。これは日本紀仁徳卷仁徳天皇の御歌に、兎怒瑳破赴以破能臂謎、如v此あれば、ふるとは外に證明なければよみがたし。一説に何の代か強き牛ありて、池の堤の大石を角にてふり穿ちたる古事より、角障經岩とつゞけ來ると云説あれども、此論もし風土紀などにありて、古説ならばさもあるべけれど、此説の出所不2分明1、たゞ云觸したる迄の憶説故證明ともしがたし。よつて宗師案には、岩には岩綱といふ草生るもの也。我國の邦語いはをいはんとて、たゞいはと計はいひ出さず。何にてもその縁あるものをかしらにかうむ(64)らしめて、言葉を長くいひ來れり。此角さはふも、いはといはんとての冠辭に、岩に生ずる草の名をいひ出したるものと見えたり。角はつな也。今三角かしはなどいふも、元は御綱葉の事にて、すでに仁徳紀に御綱葉の三字見えたり。のもなも同音にて、つのはつな也。尤もつぬとも云也。つなといふ草のさはに生たる岩をいふの義と見る也。畢竟いはといはんまでの縁にいひたる義也。今もいはひばと云ものあり。これをばいはつなと云ふと見えたり。常磐草にて、いはづなのわかがへりなど古詠によめるも此草の事なるべし
言佐敝久 此ことさへぐといふ事は、ものゝあやのきこえぬ事を云也。日本紀景行卷にあるごとく、日本武尊のとりこにして、伊勢神宮へ奉らせたる東の國の蝦夷等昼夜|喧嘩《さへきて》出入無v禮云云、是今播磨讃岐伊勢安藝阿波凡五國佐伯部之祖也とある事よりおこりたる義にて、ものゝかまびすしく、ことばのあやめわかれぬことを、古語にことさへぐと云也。唐人の言語は、この國にては通じがたく、事のあやしれざる故、ことさへぐ唐とつゞけたる義也。高麗ともよむ也。こましらぎともに、ことばのあやきこえぬゆゑに、からこまなどといはん爲の冠辭に、ことさへぐとはよみ來れり
辛乃崎 石見の國の地名也。埼は碕と同字にて海際の岩頭を云也。日本紀には島曲と書てみさきと字訓あり。海際へ岩などの差出たる所を云也。此は惣名にて、その所の海のことを云たる義也
伊久里 伊は初語にて、くりと云事也。くりとは海中の石の事を云也。くりはくろきいしといふ約言也。ろしを約すれば里也
深海松 ふかみるは、海のふかきところに生るみると云意に、ふかとよめる也。みるは和名抄卷第十七海菜類部云、崔禹錫食經云・水松、状如v松而無v葉【和名美流】楊氏漢語抄云、海松【和名上同俗用v之】海の菜類也
荒礒爾曾 ありそとは、海邊に石ありて、なみのあらく立よするところを云也
玉藻者生流玉藻成 これまではみな序詞也。玉もなすは前にある通、玉ものごとくにと云義也
靡寢之兒乎 このなびきといはんための序詞に、上に段々と詞花をよみつらねたる也
深目手思騰 國にのこれる妻を、ふかくおもひしのぶともと云義也
幾毛不有 いくばくもあらずとは、いもとむつびかたらひしことは、心に思ふほどはなくてと云義也
(65)延都多乃 はふつたとは、わかれといはん爲の冠辭也。此集中いくらもあり。つたといふ草は、いく筋もあなたこなたへわかれてはふもの故、わかれと云冠辭によみ來れり。和名抄云、本草云、絡石一名領石、和名豆太、蘇敬曰、此草苞2石木1而生故以名v之
肝向 このきもむかふといふこといかんとも心得がたきことなり。諸抄等の説々も皆信用しがたき義なり。此集卷の第九の長歌にも肝向心とありて外にかながきも不v見、唯二首計なり。しかれば宗師案には此集中に、村肝の心とよめる歌四首迄あり。もしくは村の字を脱して向の字は乃をあやまりたる歟。また物といふ字のあやまりたる歟。心膽の座は、相對してむかふと云の義をとる説は信用しがたし
大舟之渡乃山 地名也。國所未v考
散之亂爾 ちりしみだれにもとよめり。意はおなじけれど古今集にも詞の例あり。古本にはちりのまがひにとあり。よつて古本にしたがふ也
妻隱有屋上乃山 つまこもるは、やといはんための冠辭也。屋上の山、地跡不v考
渡相 わたらふとはわたるといふ詞をらふとのべたるもの也。わたると云義也。月のわたらふとはかたぶき入義也。下のをしめどもといはん爲の序也
雖惜 月の入をゝしむといふ義にて、畢竟の意は、妻にわかれくるなごりのをしきことを云たるもの也。をしめどもやがみ山に月もかくれ、妹がかたも不v見、遠ざかり來ればと也
天傳 日といはん爲の冠辭、あまつたふとは日月は空を行もの故つたふと也
入日刺奴禮 入日さしくれといふ義也。ぬれはくれと同詞也
大夫跡念有 第一卷に軍王の歌によみ給へる意とおなじ義也。たけきますらをとおもふわれながら、妻にわかれ來る旅の心弱くて、こひしたふ夜ごとの涙に、しき妙の衣の袖もぬるゝと也。
歌の意は、きこえたる通に侍れば再釋に不v及也。畢竟石見國に妻を置て別來れば、心にはますらをとおもへども、旅行の事なればいとゞ心ぼそく、妻をこひしたふ涙にて、衣の袖もしたゝる計にぬるゝとの義也
(66)反歌二首
長歌一首に反歌二首づつよめる也。此時の歌以上六首也
136 青駒之足掻乎速雲居曾妹之當乎過而來計類【一云當者隱來計留】
あをこまの、あがきをはやみ、くもゐにぞ、いもがあたりを、すぎてきにける
青駒 あを駒に限らず、赤ごま黒ごまとよみて、これらは事實をいふたるものにて、その當然乘たる馬の毛色にてよめる也
足掻 あがきとはあしにてかくことをいふて、馬のあゆむは、前へかきよせるごとくなる物故、あゆむ事をあがきとは云也。しひてあゆみのはやきにてもあるまじけれど、したひおもふつまのあたりをはやく過來り、へだゝりし事をいはんとて也
雲居曾 遠ざかりへだてゝ來れるとの義也。馬のあゆみのすゝみて、俗にとぶがごとくになどいふごとく、はやく遠ざかりくる事をいふたるもの也
歌の意は、きこえたる通地。妻に名殘をしくしたひおもへども、駒のあゆみはやくて、妻のあたりを過來りし事、雲井の如く立隔たれるとの義也
一云當者隱來計留 一本の歌には、終の句如v此あると古注者しるせり。しかれどもあがきをはやみとあれば、本書の過てきにけるの方まされるならん
137 秋山爾落黄葉須臾者勿散亂曾妹之當將見【一云知里勿亂曾】
あきやまに、おつるもみぢば、しばらくは、なちりみだれそ、いもがあたりみむ
秋山爾 地名に秋山あれども、こゝは人丸の上り來るとき、折しも秋のころと見えたり。よりてなべての秋山の事と見ゆる也
落黄葉 長歌にわたりの山のもみぢばのとよみし故、反歌に如v此よめる也
須臾者 もみぢばのちりみだれたればとて、見ゆべきかたの見えざるべけんや。しかれども如v此幼き心によみなす事、雅情の至極なり
(67)歌の意は釋するに不v及。よくきこえたる歌也
一云知里勿亂曾 本書になちりとあるを、ちりなとかきたる本ある、かはりめをしるしたる也。いづれにてもおなじ意なり
或本歌一首並短歌
是古注者別本の長歌短歌をしるしたり
138 石見之海津乃浦乎無美浦無跡人社見良目滷無跡人社見良目吉咲八師浦者雖無縱惠夜思滷者雖無勇魚取海邊乎指而柔田津乃荒磯之上爾蚊青生玉藻息津藻明來者浪己曾來依夕去者風己曾來依浪之共彼依此依玉藻成靡吾宿之敷妙之妹之手本乎露霜乃置而之來者此道之八十隈毎萬段顧雖爲彌遠爾里放來奴益高爾山毛越來奴早敷屋師吾嬬乃兒我夏草乃思志萎而將嘆角里將見靡此山
いはみのうみ、つのうらをなみ、うらなしと、ひとこそみらめ、かたなしと、ひとこそみらめ、よしゑやし、かたはなくとも、いさなとり、うみべをさして、にぎたつの、ありそのうへに、かあをなる、たまもおきつも、あけくれば、なみこそきよれ、ゆふされば、かぜこそきよれ、なみのむた、かよりこちより、たまもなす、なびきわがねし、うつたへの、いもがたもとを、つゆしもの、おきてしくれば、このみちの、やそくまごとに、よろづたび、がへりみすれど、いやとほに、さとさかりきぬ、いやたかに、やまもこえきぬ、はしきやし、わがつまのこが、なつぐさの、おもひしなへて、なげくらむ、つのゝさとみむ、なびけこの山
浦津乃浦乎無美、本吉につのゝ浦回をと有。一本には如v此替りて記たり。つのゝ浦と云も、つのうらと云も同事也。無美とはなしといふを重て云たる迄也。元よりなきといふにはあらず。本書にて注せる如く、あれども人こそなきと見るらめと云の義也
(68)明來者浪己曾 本書に朝羽振風社よらめとあり。風となみとの上下になりたる替りにて、意は本書も一本もおなじ義也。明くればと來の字を書たれども、たゞあくればと云義也。下に夕去者と去の字をかきたるも、來去の二字を對して書たるまでにて夕になればと云義也。きたりたると云意にてはかつてなきとしるべし
靡吾宿之 本書には依宿之妹をとあり。同じ事なり。本書のかたは妹をおきてしくればと有。此は妹之手本乎とあり。尤上に宿之といふ言葉あるより、數妙ともよみたるなるべし。歌の意の勝劣はあるべからざる也
里放來奴 本書には里者放奴とあり。同じ意ながら、下に山も越來ぬとあれば、或本のかたしかるべき歟
早敷屋師 はしきやしは、前にも注せるごとく、うるはしくよしとほめること也。やしもよしも同事、又やしはいやはしきと云の意、重詞とも見ゆる也。いづれにても、たゞ賞美したることを古語にはしきやしと云也
吾嬬乃兒我 はしきやしわがつまの子が、此二句は本書になき也。一本には、此くのごとくありたると見えたり。兒我といへるは前にも注せるごとく、ことはをんなの通名也。此集中みな女のことをことあり。尤古來は女にこと云詞を悉く付ていふたる也。本書は山もこえきぬ夏草のと、直につゞけたり。一本には如v此二句いりたり。是も或本のかた、きゝやすきやうに侍る也
將咲 本書にはしぬぶらんとあり。上にしなへてとあれば、しのぶのかた勝らんか
角里 本書には妹之門とあり。國に殘れる妻のすめる所、角の里と聞えたり。石見の海、つのうらをとあるも、此角里に妻の居る故によみ出したると見えたり。しかれば此句は始終にかゝりて聞ゆれは、本書のかたしかるべからんか
反歌
139 石見之海打歌山乃木際從吾振袖乎妹將見香
いはみのうみ、うつたのやまの、このまより、わかふるそでを、いもみつらむか
打歌山 地名也。上に石見海とありて、うつたの山とはつゞきがたきやうなれど、海邊にある山故と見えたり。此打歌二字古本 なれば證據あるべけれども、いまだ不v考故、ま(69)づ古本の通にしたがふ也。此反歌は以上三首ありて、みな少づゝのかはりあり。しかれども歌の意はいづれも勝劣あるべからず。
右歌體雖同句句相替隱此重載
例の古注者の追加也
柿本朝臣人麿妻依羅娘子與人麿相別歌一首
かきのもとのあそん人まろの妻よさみのいらつこ、人まろとあひわかるゝ歌ひとくさ
依羅娘子 傳系不v知。前にも注せるごとく、人丸の妻にはさきのちあり。此妻は後の妻と見えたり
相別 これは人丸何方へぞ任におもむきしとき、わかれをかなしみて、妻のよめるなるべし。尤此時は倭にすめる妻ならん
140 勿念跡君者雖言相時何時跡知而加吾不戀有乎
おもふなと、きみはいへども、あはんとき、いつとしりてか、われこひざらんや
歌の意は、きこえたる通の歌也。君とは人丸をさして也。任國などのわかれならば、先は六年の間は相別れんこと、人の生死ははかりがたければ、如v此いつとしりてかとはよめるなるべし。
挽歌
ひくうた
挽 字書云、武館功、音晩引也。挽歌執※[糸+弗]者相和聲也云々。送葬のときひつぎに※[糸+弗]といふて、つなをつけてそれを引きてかなしみの歌を吟唱する也。その歌を挽歌といふ。死するときの前後當然のかなしみのうたをさして云也。後々の集には哀傷と部類をなせるにおなじかるべし
後崗本宮御宇天皇代 天皇財重日足姫天皇
(70)第一卷に注せるごとく、齊明天皇の御代也
有馬皇子自傷結松枝歌二首
ありまのみこみづからいたんで、まつのえだをむすぶ歌ふたくさ
有馬皇子 皇《マヽ》徳天皇の皇子也。母阿倍倉梯麿大臣女小足媛也。日本紀卷第廿五皇徳紀云、大化元年秋七月丁卯朔戊辰云々、立2二妃1元妃阿倍倉麿大臣女曰2小足姫1生2有間皇子1云々。斉明天皇四年に御謀叛の事あらはれて、紀州藤白坂にて絞て死せませるみこ也。此二首の歌も留守官蘇我赤兄に被v捕て、數千の軍兵に被v圍て都より紀洲の温湯の行在所へ被v送給ふときの御歌と見えたり
141 磐白乃濱松之技乎引結眞幸有者亦還見武
いはしろの、はまゝつがえを、ひきむすび、まさきくあらば、またかへりみん
磐白乃濱 紀州、第一卷にも注せり
松之枝乎引結 松がえを結て、ちかひを立給ふ也。一度御謀反をたくみ給へども向2赤兄臣家1登v樓まして、ことのなるまじきを御みづからはかり知り給ふて、倶に盟而おもひとゞまり給ふ事なれば、その申ひらきもたちて、あはれ今一度ゆるしかへされさせ給ふ樣にと、御心に祈り給ふてあはれみ、命のさきもあらせ給はゞかへり見給ひて、今むすび給ふ松が枝をもときゆるめ給はんと松に誓ひ給ふ也。しかれども遂に御ゆるされなくて、丹比小澤連國襲をしてくびられて死せさせられ給ふ也。これよりして、磐白の松を後世物のむすぼほれとけざる事の古事とせり。また祝歌などには、磐白の松不v詠事となれるも、これそのことのもとなり眞幸有者 此點初めは、まさしくあらばともよみ、まことさちあらばともよめるを、龜山院文永年中仙覺律師まさきくあらばとよみ改むるよし別抄に記せり。眞幸の二字、まさきくとよまん事勿論の事なるべし。すでに日本紀等に、幸の宇をさきくともさちともよみ、又此集卷第十七の長歌にも、麻佐吉久毛といふ詞ありて、まとは發語の詞、さきくはさいはひあらばといふ事也(71)仙覺まさきくとはよみたれども、まことさいはひあらばと釋せるは、不v可v然か。御命も全くかへり給ん事を、幸あらばと誓ひ給ふなるべし。まことにせちにあはれなる御意也。歌の意きこえたる通也
142 家有者笥爾盛飯乎草枕旅爾之有者椎之葉爾盛
いへならば、けにもるいひを、くさまくら、旅にしあれば、しひのはにもる
家有者 例の約言家にあらばと云義也
笥爾盛 飯物を盛るうつは物を笥と云也。仙覺はこれをくしげと心得たると見えたり。文永の頃迄は勸學院には此義ありと云て、笥は食物をもる物にはあらで、くしげの一種と見たるか。其意得がたし。もし笥の宇にくしげと後人點をつけたるか。其意心得難し。日本紀武烈卷、物部影妻が歌にも、玉笥には飯さへもりと有。和名鈔卷第十六云、笥、禮記注云、笥思吏反、和名計、盛v飯器也云々
椎之葉爾盛 上古は飲食物を旅行などにては、柏椎の葉にもりて食したることもあるべし。さまではあるまじけれど、此歌はたゞ旅のいぶせく、ものわびしき躰をよみ給ふ也。あながちそれと決したる事にはあらねど、とらはれ人となりての旅行なれば、いぶせさいはん方なき躰をよみたまへる也
此標題とは不v合歌也。結松枝歌二首とありて、此歌は難2心得1。もしくは標題の松枝の下に、時の字を脱したる歟。椎の字松の字の誤り歟。椎の字松にても、むすぶといふには不v合とも、松なればまだ縁あるか。時の字の脱ならば、二首と標せるもかなひ侍らんか。歌の意はたゞ旅行のいぶせく、あさましきありさまをよみ拾ふて、あはれによくきこえたる御詠也
長忌寸意吉麿見結松哀咽歌二首
ながのいみきおきまろ、むすびまつを見てかなしみむせぶうたふたくさ
長忌寸意吉麿 系傳不v知。奧にいたりて與麻呂ともしるせり。標題に後崗本宮御宇としるしたれど、前二首計にて此歌已下は後の御代の歌なり。しかれども結松につきてよめる故、此次にのせたると見えたり
(72)143 磐代乃岸之松枝將結人者反而復將見鴨
いはしろの、きしのまつがえ、むすびけん、ひとはかへりて、またみけんかも
岸之松枝 有馬皇子の御歌には、濱松がえとあり。此處にはきしとあり。海邊の惣体を云たるものなり。次の歌には野中にともあり。これ岩代の濱の邊の惣てを云たる也
將結人者 皇子をさして云たる也。み命さきくましまさば又かへりみんと、誓ひ給ひて結べる松が枝は今猶存せるが、そのむすび給ひし人は、返りてみたまひしや、見もしたまはでくびれさせられたる事の、いたましきよとかなしみたる歌也
歌の意別の義なくきこえたる通也
144 磐代乃野中爾立有結松情毛不解古所念 未詳
いはしろの、のなかにたでる、むすびまつ、こゝろもとけず、むかしおもはる
磐代乃野中 前の歌には濱岸とあり。此歌には又野中とあり。是は磐代の惣躰をいふたる義なるべし。此詠にては何本のまつともみゆるなり。然共一本の松にてあるべき也。磐代の濱の邊の野中にある松なるべし
情毛不解 いたましくかなしみのこゝろのむすぼれてとけぬと也。麻呂の心の不v解事を云ふたる也。心のとけぬとは、有馬のみこの古事をおもひ出て悲歎せる事を云たる義也
古所念 過にし有馬皇子のむすび給ひし事の、今も猶あはれにかなしみおもはるゝと也。歌の意聞えたる通也
未詳 此注何とも難2心得1義也。これは古注者の注にてもあるべからず。古本には細字にて書たれば、古注者より後人の傍注なるべし。未詳と書たる意は、作者の事を云たる事なるべし。前にも古注者如v此記したる例あり。それを以て又後人傍注したると見えたり。此歌拾遺集には人丸の歌にして、剰戀の部に入られたり。いかんとも心得がたし。よつて後人拾遺集を見て作者も違ひ部類も違ひたる故、不詳の二字を傍注したると見えたり。別而拾遺集に被v入たる萬葉集の歌心得がたき義、かず/\の事なれば、此事のみに不v限難有義なれば、花山法王御自撰との事も云傳へたるばかりにて、うけあひがたき事なり
(73)山上臣憶良追和歌一首
やまのうへのおくら、おひこたへるうたひとくさ
山上臣憶良 第一卷に注せり
追和歌 長忌寸の歌にこたへたる也
145 鳥翔成有我欲比管見良目杼母人社不知松者知良武
あすかなし、ありかよひつゝ、みらめども、人こそしらね、まつはしるらん
鳥翔成 此三字を古本印本共にとりはなすとよめり。然れども翔の字かけるとよみて、羽とよむべき義難2心得1。尤字書に回飛といふ字義あれども、はとよまん義訓にはとりがたし。とりの羽のごとく、有馬のみこのたましゐあまがけりて、かよひ給ふらんなどいふ説あり。意は其通の事にてもあるべけれど、つばさのはのと云義は、無理なる字義、殊に歌詞にとりはなすといふ語例なし。依て宗師の義訓は、挽歌といひ又追悲み和ふる歌なれば、その縁語なくては歌にならざる故、此三字をあすかとは訓ずる也。あすかなしは如2飛鳥1と云義也。とりのかけるなれば、これ飛鳥なり。飛鳥の二宇はあすかと訓ずる也。しかればこれかなしと云詞、挽歌の縁語にして義尤歌の意に相かなふべからんか
有我欲比 前にも毎度注せるごとく、ありは存在して也。不v絶に通ひてと云の義也。文選に蟻の如くあつまると訓ずる義、蟻の往通する事如2偶語1也と云て、蟻の不v絶通ふことをいふ義にとる説もあれど、迂遠の義也。古語にありと云ひたるは、存在してと云義と心得べき也。蟻通ともかきたる所、此集いくらもあれど、これ俗訓といふものなり。字にかゝはる事一向不v足v論事他
人社不知 上にこそといふたれは、えけせてねへめえの詞にてよめる例格故、不v知をしらねとよむべき也
歌の意飛鳥のごとく、有馬皇子のたましゐ存在して通ひ給はんずれども、人の目には不v見。知らずかへつて無情の松は知りてあらんと也。人はかへりてまたみけんかもと意吉丸のよめる歌にこたへたる歌也
(74)右件歌等雖不挽柩之時所作唯擬歌意以載類焉
みぎくだんのうたのしな、ひつぎをひくときつくるにあらずといへども、たゞうたのこゝろをなずらへ、かれもつてひくうたのたぐひにのす
柩、玉篇云、柩渠救切、尸在v棺其棺曰v柩。禮記檀弓下云、弔2於葬1者、必執引、若從v柩及v壙皆執v※[糸+弗]。白虎通云、柩究也、久也、不2復彰1釋名曰、柩究也、送v終隨v身之制、常究備也。例の古注者の文也。注者の意のごとく、有馬の皇子のうた二首の外は、はるかに後の歌なれば、挽歌とはいひがたし。しかれども此集中には、哀傷といふ後々の集のごとき部分なければ、みなかなしみいたむ歌のたぐひは、如v此次にしたがつてのせられたりと見えたり
大寶元年辛丑幸紀伊國時結松歌一首
大寶はじめのとしかのとのうし、きのくにゝみゆきのとき、むすびまつのうたひとくさ
大寶元年辛丑に紀伊國へみゆき、紀に不v見。九月丁亥天皇幸2紀伊國1冬十月丁未車駕至2武漏温泉1云云。此時のみゆきによめる歌なるべし。大寶元年には此みゆきより外無v之也。辛丑丁亥の違は、紀と此集と何方にぞ轉寫のあやまりあるべし。作者たれとも不v記されば不v知也
146 後將見跡君之結有磐代乃子松之宇禮乎又將見香聞
すゑ見んと、きみがむすべる、いはしろの、こまつのうれを、またみけんかも
後將見跡 古本印本等、のちみんとよめり。歌詞にはいかゞ、殊にまつの事をよめる歌なれば、すゑとよむべき也
君之 有馬皇子をさして也
子松之宇禮 うれは、松の上といふと同事也。松の末の事也
又將見香聞 有馬皇子またみたまはんか。松にちかひてむすびたまへども、遂にみたまはでうせ給ふことを、かなしみいたんでよめる也。歌のこゝろは、しれたる歌なれば釋に不v及
(75)近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇
天皇聖窮不豫之時太后奉御歌
すめらみこと、みやまひしたまふとき、おほきさきのたてまつりたまふみうたひとくさ
天皇は天智天皇也
聖窮不豫之時 此六字にきはまりたる訓はあらねど、義をとりてみやまひしたまふと、義訓によむ也
太后 通例は、先皇のみきさきを、太皇后といへども、此太后は、則當皇后倭姫の御事なり。古本傍注に、皇后倭姫王大兄皇子女也としるせり。天智紀七年二月丙辰朔戊寅、立2古人大兄皇子女倭姫王1爲2皇后1云々。同紀十年冬十月云々、庚辰天皇疾病彌留、勅喚2東宮1引2入臥内1詔曰、〔朕疾甚、以2後事1屬v汝云々、於v是再拜稱v疾〕固辭不v受曰、請奉2洪業1付2屬太后1令3大友王奉2宣諸政1臣請願云々。日本紀にも太后とあれば、これにしたがつて、此集にも太后と書るなるべし
147 天原振放見者大王乃御壽者長久天足有
あまのはら、ふりさけみれば、おほきみの、おはきいのちは、ながくてたれり
天原振放 ひろくかぎりなきそらをさして、あまのはらとは云なり。ふりとは詞の序也。さけといはんとての序詞にて、さけは遠ざかりへだゝりたる空を見たまへばと云義也
大王乃 天智天皇をさして也
御壽者 古本におほみいのちとよめり。みいのちはとよむべきなれど、七言の句なれば、古本の點にまかせよむ也。いづれにても天皇のみいのちのことなれば、尊んで云たる義也。御の字おほむともよみてむはみなれば、おほみいのちとよみてもくるしからざるべし
長久天足有 ながくてたれりとは、天皇の御病の時ゆゑ、天長地久といふ義に祝してよみたまへり。長久の二字もし別訓もあらんか
(76)御歌の意は天皇御不豫にまします故、天地のかぎりもなくひさしくとこしなへなるに、御命の長からんことをよそへてよみ給ふ也。よつて初五文字に、天原ふりさけみればとよみ出し給ふ也。天は廣大にしてひさしくかぎりなきものなれば、そのごとくに天皇のみいのちも、長くひさしく、天とゝもにつづきたらせ給ふらんと、祝し奉り給ふ也
一書曰近江天皇聖體不豫御病急時太后奉獻御歌一首
あるふみにいはく、あふみのすべらみこと、みやまひはなはだなるとき、おほきさきたてまつりたまふみうたひとくさ
此注は、前の歌の左注歟。また青旗乃木旗能歌と共に別本の歌歟不分明也。しかれども青旗の御歌崩御の後の歌の意なれば、御病のときの御歌には決而なき御歌也。しかれば前の御歌の前書の或説と見ゆる也。次の天皇崩御之時云々とある前書も、此御歌の前にありしが混雜したるなるべし
148 青旗乃木旗能上乎加欲布跡羽目爾者雖視直爾不相香裳
あをはたの、こはたの上を、かよふとは、めにはみれども、たゞにあはぬかも
青旗乃木旗 青はたの木はた、ともに葬具のはた也。仙覺律師抄云、常陸國風土記に、信太郡と名づくる由縁を記して云、黒坂命征2討陸奧蝦夷1、事了凱旋及2多歌郡角拈之山1、黒坂命遇2病身1、故爰改2角拈1號2黒前山1黒坂命之輪轜車發2自黒前之山1到る2日高之國1、葬具儀赤旗青幡交雜飄※[風+易]雲飛虹張瑩v野耀v路、時人謂2之幡垂國1後世言便稱2信太國1云云。此集第四卷目にも青はたのかつらぎとあり。第四の歌は木のしげりたる山の躰、青きはたなどのかゝりたるやうに見ゆる躰をよめる歟。第十三にも青はたの忍坂山とありて挽歌の中の歌なり。葬具のはた故こゝにも青はたの木はたとよみて、木はたは黄はたと云とも同事なるべし。今も葬禮の時色々の旗を用ゐるは、古き遺風と見えたり
上手賀欲布 青はた黄はたのうへを、天皇の通ひ給ふやうに面かげには見えたまへども、まことにはあひ給ふ事なきとなり
目爾者雖視 天皇の面かげの、青はたこはたの上に通ひ給ふごとく、太后のみおもかげにはみえさせられても、まことにはあひ給はぬと也
(77)直爾 此集中に此詞多し。今俗にぢきになど云と同事にて、まさしくあひ給ふことゝはなきと也
御歌の意は、すめらみことの崩じ給ふて、かなしみしたひ給ふから、御葬禮のときのいろ/\のはたの上にましますやうに、御面かげには見えさせらるれども、まことにはあらせられぬことのいとも悲しく、したはせ給ふことをよませ給へる也。前に注せる如く、此御歌の意は崩御なりての歌とみゆる也。然るに前書の趣とあはぬ也。なれば前書は前の歌の左注と見るべき也
天皇崩御之時倭太后御作歌一首
すべらみこと、かみあがりまし/\しとき、やまとのおほきさきのみつくりうたひとくさ
天皇 天智天皇也。日本紀卷第廿七云十年春云々、十二月癸亥朔乙丑、天皇崩2于近江宮1
崩 禮紀曲禮云、天子死曰v崩。左傳注疏云、天子崩若2山崩1。爾雅云、崩落死也。白虎通云、天子稱v崩、何別2尊卑1異2二生死1也、天子曰v崩、大尊豫崩之爲v言、崩伏強2天下1、撫撃失2神明1黎庶殞v涕、海内悲凉云々
倭太后 此倭とあるは、太后の御諱倭姫王と稱し奉る故、そのやまと姫王のみきさきといふの事歟。また太后の大和にましましてよませ給へるといふの事歟。一決しがたし。先は御名の義をあらはしたると見ゆる也。これによりて前の太后とあるも倭姫王の事とはしる也。
149 人者縱念息登母玉※[草冠/縵]影爾所見乍不所忘鴨
ひとはよし、おもひやむとも、たまかづら、かげに見えつゝ、わすられぬかも
人者縱 古本印本共に人はいさとよめり。縱の字をいさと訓ずる義心得がたし。此集に縱の字よしゑやしなどいひて、よしとよませたること多き也。延喜式卷十一縱【讀曰2與志1】縱は緩也。舍也。恣也。放縱也といふ字義ありて、ゆるすともほしいまゝともよませたり。然れば此よしと云詞は、今も俗言にまゝよなど云とひとしく、よしやなど云も同事也。なればゆるすと云字義の意より、よしとはよませたるもの也。こゝの御歌の意も、そのごとく人はとまれかくまれ、大后はわすれさせたまはぬとの事也
玉※[草冠/縵] たまかづらとは、仙覺抄などには冠の纓を云との説甚だ心得がたし。また或書に、かほよきうへに玉かづらなどかけた(78)らんは、まことに面かげに見ゆべき物なりなどいふ説あれど不v可v然。たゞ下に影といはんために玉かづらとは第三句に置たる迄也。古詠の格を不v辨故、いろ/\の説を立る也。影は懸といふことばの縁をうけたる計也。古は清濁不v拘よめることは、前にも後にも數多なる事不v及v擧也。尤太后のかけ給ふ玉かづらのかげにみゆるとの意をもこめて、面かげに見えさせ給ふとの事也
不所忘鴨 天皇の御面かげ立そひ給ふて、見えさせらるゝ故、わすれさせられぬと也
御歌の意はかみあがり給ふ天皇の御事をば、よの人はたとひおもひ忘れかなしみしたふ事のやむとも、太后の御心には、中々面かげに見えさせられて、少しも忘れさせられぬと也
天皇崩時婦人作歌一首
すべらみこと、かみあがり給ふとき、たをやめのつくれるうた一首
天皇 前に同じ
婦人 倭名鈔卷第二人倫部云、婦人、日本紀、手弱女人、和名太乎夜米
姓氏未詳
古本には小字に注せり。古注者の文なり。注のごとくいづれの婦人とも難v考也
150 空蝉師神爾不勝者離居而朝嘆君放居而吾戀吾玉有着手爾卷持而衣有者脱時毛無吾戀君曾伎賊乃夜夢所見鶴
もぬけせし、かみにたへねば、はなれゐて、あさなげくきみ、はなれゐて、わがこふるきみ、たまならば、てにまきもちて、きぬならば、ぬぐときもなく、わがこふる、きみぞきそのよ、夢にみえつる
空蝉師神爾 古本印本諸抄物共に、うつせみしとよみて、うつせみの世と云意に用ゐたる義など釋せり。いづれにもあれ、うつせみしといふこと何と云歌詞にや。語例句例もこれなき義、無理にうつせみの世と云意にと釋せるも心得がたし。師の字野の(79)あやまりたるかと見ても、うつせみの神といふ事難v濟。よりて宗師の訓傳はこれを、もぬけせしとよむ也。空蝉なればせみのぬけたるごときむなしきあとのからをさして云たる義、天皇のかみあがり給ふを、それに比して喪と云詞は則崩御に縁ある詞又物かだり等にも、もぬけると云詞は用ゐ來たれば、崩じ給ふ天皇をせみのぬけ出たるに比して、もぬけせし神とはつゞけたるもの也。神とは則天子の御事直に神と奉2尊稱1義不v及v云義也
不勝者 もぬけてかみあがり給ふ天皇には、附そひ從ひ奉ることのならねばと也
離居而 崩御したまふ君なれば、はなれ奉る也
朝嘆君 あした夕部の無2差別1歎き慕ひ奉る君と也
睨時毛無吾戀 玉になぞらへていはゞ、手にまきもてるごとく、きぬにしていはゞ、少しの間もぬぐときもなく、君を慕ひ詫びなげくとの義也
君曾伎賊乃夜 こひしたひ奉る君そきのふの夜といふ義也。きそはきのふといふ事也。ゆふべの夜といはんがごとし。上にあさなげく君とある故、きのふの夜と下によみたるもの也
夢所見鶴 こひしたひなげきかなしみ奉る心の、せつなるあまりに、かみあがり給ひし君の、夢に見えさせ給ふと也
歌の意はせみのぬけ出たる如く、むなしくかみあがり給ふ君に、つきそひしたがひ奉る事のかなはねば、はなれ奉りて朝夕なげきしたひ奉ることは、玉ならば手にまけるごとく、衣ならば少しの間もぬぐことなきごとく、なげきかなしむことの不v被v止、こひしたひ奉る君の、ゆふべの夢にさへ見えさせ給ふと也。慕ひ悲みたてまつることの切なる心をあらはしたる歌也
天皇大殯之時歌二首
すべらみこと、おほもがりのときのうたふたくさ
大殯 日本紀卷第廿七云、十年云々、十二月癸亥朔乙丑、天皇崩2于近江宮1、癸酉殯2于新宮1。おほもがりとは、尊骸を棺におさめ奉るを云ひ、いまだ禮を以て不v奉v葬、かりに奉v葬を殯斂と云。斂は收也。大とは尊稱して云たる義、又禮紀曲禮に、小殯大(80)殯と云事あれば、この大殯は先奉v葬ときの事と見えたり
151 如是有乃豫知勢婆大御船泊之登萬里人標結麻思乎
かゝらんと、かねてしりせば、大みふね、はてしとまりに、しめゆはましを
如是有乃 此乃の字、古本印本ともに同事也。及の字のあやまりと見えたり。乃の字とゝよまん義心得がたし。登の字か及の字の誤りと見るべし。かくあらんとはかねてしりせば也。もがりの時志賀より湖水をみふねにて、山科のみさゝきへ送り奉りしと見えたり。今時の通路とはちかひて、上古は志賀より大津の邊迄ふねにて通ひたる歟。禮記曲禮に天子舟車殯といふ事あり。これによつて殯の義舟の事をよめる歟
大御船 大は天子のみふねなれば尊んで也
泊之登萬里人標結麻思乎 みふねのつく所にしめをゆふて、天皇をあげたてまつらせまじきをと也。みふねとまりてあがらせ給ふてよりは、もはや二度かへらせ給はぬ事を、なげきかなしみて也
額田王
古本に如v此歌の下に注せり。本文にはあらず。古注者考ふるところありて記し置きたる也。いかさまにも、歌のすがた女子の意と見えて、あはれにもおろかしく聞え侍る也
152 八隅知之吾期大王乃大御船待可將戀四賀乃辛崎
やすみしゝ、わがおはきみの、おはみふね、まちかこふらん、しがのからさき
やすみしゝの事は、第一卷にくわしく注せる通也。近江の志賀の都のときなれば、からさきよりみふねにめさしめて、もがりなし奉りたると見えたり。もがりのときのみふねなれば、もはや二度かへらせ給はぬを、それとも知らで待ちやこふらんとおさなくよめること、あはれにきこゆる也
舍人吉年
(81)是も古本の注なり。古注者考ふるところありて如v此注せる也。舍人吉年か傳系於v今者難v考也
太后御歌一首
おほきさきのみうたひとくさ
此御うたあながちかりもがりの時の御歌とも見えねども、何とも標題なし。太后御歌とあれば前二首の歌の標題をうけて見るべき歟。此歌の終句如何とも解しがたき故、全躰の意難v決なり。よりてかりもがりのときの歌とも不v被v定。またそれにてあるまじきとも不v被v決。とかく裳中の御歌と見て置くべき也
153 鯨魚取淡海乃海乎奧放而榜來船邊附而榜來船奧津加伊痛勿波禰曾邊津加伊痛莫波禰曾若草乃嬬之念鳥立
いさなとり、あふみのうみを、おきさけで、こぎくるふね、へにつきて、こぎくるふね、おきつかい、いたくなはねそ、へつかい、いたくなはねそ、わかくさの、つまの念鳥立
鯨魚取 は前に注せるごとく、うといはんための冠辭いさなとり鵜とうけたる義、また鵜の別名をいさなといふ歟の兩義也
奧放而 遠ざかりて也
榜來船 すべての船をさして也。もがりのときのみふねと云にはあらず
邊附而 おきをさけてある故、いそばたにつきての意也
興津加伊 おきつは添たる詞也。下のへつも同斷かいといふ迄の事也。和名鈔云、棹、釋名云、在v旁撥v水曰v櫂、【直教反、字亦作v棹、楊氏漢語抄云加伊、】櫂2於水中1、且v進v櫂也云々。釋名曰【櫂濯也、濯2於水中1也】字書云、櫂進v船※[手偏+楫の旁+戈]也、在v傍撥v水、短曰v※[手偏+楫の旁+戈]長曰v櫂
痛勿波禰曾 いたくは、はなはだ敷など云と同事にて、俗にかさだかになどいふと同事也。はねそは、船をこぐわざの事也。櫂をもてふねを漕ぐとき、水中より櫂をあげるをはねると云也
邊津加伊 上と同事にて、重ねて言葉をながくのべたるもの也
(82)若草乃嬬之 夫婦を云古語也。こゝは則ち天皇をさしての給ふ詞也。日本紀卷第十五仁賢紀云、古者以2弱草1喩2夫婦1、故以2弱草1爲v夫
念鳥立 此三字の意、いかんともしれがたき也。宗師案にはもし一句脱たる歟。念の字命の字の誤り歟。たゞし此集十一卷目の歌の格をもて、通例意のしれたる歌は、てには詞をそへてよむごとく、此の歌もしのべるともこそたてとよまんか。又みことの鳥やたつらんとか。然るときは歌の意淡海のうみの奧邊より、こぎくるすべての船のかひをあらくさはがしげにはねそ、湖水にうかめる水鳥は、天皇の御遊覽ありて、したひおぼしめしたる鳥のたちさらんあひだ、鳥のたゝぬやうに、こぎ來れとの御歌と見る也。外に見樣なき歌なれば、古來如v此迄には解釋す。もし後學の發起あらば幸ならんかし。愚案此歌殯の時又御葬禮のとき、みふねにめさしめて送り奉る時の歌にて、ふねを速鳥と云古語あれば、鳥は船のこと歟。又鳧の字歟。立は出の字のあやまれる歟。しからばつまの命のみふね出にといふ事ならんか。天子舟車殯といふ事あれば、とかく舟の義と見ゆる也
石川夫人歌一首
石川のおとし、傳不v知
154 神樂浪乃大山守者爲誰可山爾標結君毛不有國
さゞなみの、おはやまもりは、たがためか、やまにしめゆふ、きみもあらなくに
神樂浪 近江國の地名第一卷目に注せり
大山守 地名歟。但し天子の御物の山故、大山と云か。夫木氷室の歌に、行家、六月の照日もとかすさゞ波や大山ふかくつめる氷室は
標結 しめゆふは、彼地と此地との堺を限つてしるしを立るを云也。前にいふしめゆふもしるしをつけおく義也。字書云、標、卑遙切、表也。立v木爲v表
歌の意は、天皇ましまさぬに、何のため、誰がためにか山にしめゆふて、御山をまもるぞと、かなしみてよめる也
(83)從山科御陵退散之時額田王作歌一首
やましなのみさゝきよりまかであらくるとき、ぬかだのおほきみつくりたまふうたひとくさ
山科御陵 延喜式第廿一諸陵式云、山科陵。【近江大津宮御宇天智天皇、在2山城國宇治郷1兆域、東西十四町、南北十四町、陵戸六烟】陵、字書曰、大阜也、後高也、又帝王所v葬曰2山陵1。釋名曰、陵、隆也、體隆高也。喪葬令義解云、帝王墳墓如v山如v陵故謂2之山陵1。此陵の事、水鏡の説により給ひて歟、一條禅閤も公事根源抄に、あやしき説をしるし給へども天皇崩御の事は紀に明文ありて、此集にも如v此御不豫の御ときより、崩御の義、御葬の事迄の歌どもありて、うたがはしき事もなき御事也。御沓を藏め奉りて、御陵となし奉るとの説は、沙彌延鎭が事をとりちがへたる義なり。松下見林考文あり。尤しかるべき説也。さて日本紀を考ふるに、天智天皇の御葬禮は紀に脱せり。天武帝と大友皇子との御軍によりて、御葬禮の儀式は史の闕文歟。しかれども御葬禮被v行し事は、此集に如v此あれば、此葬禮はありしと見えたり
退散之時 御葬の事につどひ奉る諸司百官の人々、みな事果てかへりしぞくの時也
額田王 前に注せり。王も御葬禮の供奉にしたがひ給ふ歟。たゞし退散の時を察し給ひてよみ給ふか決しがたし
155 八隅知之和期大王之恐也御陵奉仕流山科乃鏡山爾夜者毛夜之盡晝者母日之盡哭耳呼泣乍在而哉百磯城乃大宮人着去別南
やすみしゝ、わがおほきみの、かしこきや、みはかつかふる、山しなの、かゞみのやまに、くるればも、よのあくるまで、ひるはもは、ひのくるゝまで、ねのみおらひ、いさちつゝありてや、もゝしきの、おほみやびとは、ゆきわかれなむ
御陵奉仕流 みはかつかふるとよむべし。於2御陵所1つかへまつる儀式の事どもある也
鏡山爾 山科の御陵の地名也
(84)夜者毛夜之盡 これを當家の流には義訓によむ也。古本印本のよみも義はおなじけれど、歌詞にしてはおだやかならず。よりてくるればもよのあくるまでとよむ也。者毛の二字は助語也。盡の字古本印本等晝の字にあやまれり。一本盡に書るを以て證とす
晝者毛日之盡 上に準じてひるはもは、日のくるゝまでと義訓によむなり。意はよはよもすがら、ひるはひねもすといふの義なり
哭耳呼 古本印本等には晝なきとよめり。晝の字の誤れると不v考故、一句によめるはあまりにつたなからんか。當家の傳にはねのみおらひとよむ也。ねのみおらひとは、今俗にも云なきさけぷ事也。此集中いくらも如v此よめる句例等不v及v擧
泣乍在而哉 是を一句にいさちつゝありてやとよむ也。泣の字をいさちとよむ事は、日本紀をはじめ此集中めづらしからぬ訓なれば細注に及ばず。ねのみおらひもいさちといふも、みなかなしみのあまり、こゑを出し泣く事を云義也。ありてやは御陵の事につかへ奉る間は、おらひかなしみゐて、今はそれ/\にかへりわかるゝと也
百磯城乃 は第一卷に注せる通也
去別南 御葬禮の儀に、奉仕の諸司百官、其事終りぬれば、みなそこ/\にかへりまかると也
歌の意はきこえたる通也
明日香淨御原宮御宇天皇代
是よりまた天武天皇の御代の歌どもを擧られたり
十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首
といちのひめみこ、みうせ給ふとき、たけちのみこのみことのみつくりうたみくさ
十市皇女 十市は大和國郡の地名也。倭名鈔卷第五、國郡部云、大和十市【戸保知】。第一卷に注せる通天武のみ子にて母は額田王也
薨時 日本紀卷第廿九、天武天皇七年夏四月丁亥朔云々、癸巳云々、十市皇女卒然病發薨2於宮中1、云々。懷風藻葛野王の傳によ(85)るに大友皇子の妻也
薨 禮記曲禮云、天子死曰v崩、諸侯曰v薨、喪葬令云、凡百官身亡者、親王及三位以上稱v薨、五位以上及2皇親1稱v卒。延喜式云、六位以下達2於庶人1稱v死。白虎通云、諸侯曰v薨、國失v陽薨之言奄也、奄然亡也
高市皇子尊 天武天皇皇子也。母胸形徳善女尼子娘
尊 日本紀神代上卷、至尊曰v尊、自餘曰v命、並訓美擧等也。此皇子を尊と奉v稱事は、草壁皇子薨去の後、皇太子となり給ふ故也。尊稱して尊の字を加へたりと見えたり。持統紀に後皇子尊としるしたるも此み子の事也
156 三諸之神之神須疑巳具耳矣自得見監乍共不寐夜叙多
みもろの、神のかみすぎ、いめにのみ、見えけんながらも、ねぬよぞおほき
三諸之神之 古本印本には、みもろのやとよむ、四言一句の例を不v知歟。十市皇女このみもろの近邊にましませしか。また赤穗に葬ると紀にあれば、赤穗といふ所みもろの近所なるか。とかくさやうの縁にて、みもろとは端書したまふなるべし。尤みもろきといふ意をも含めて、みもろ三輪の義とも聞ゆる也
神須疑 みもろの杉は神木にて、上古も今も同體の神にて、しるしの杉などゝよめる也。神木なるゆゑ下にいめとありて、いめは齊忌の字の意にて、神すぎいむとうけたるもの也
巳具耳 これを古本印本ともに、いくにのみとよむ。いくにのみとの義は、何と云事ならんか。具の字は冥の字のあやまりと見えたるを、誤字のまゝにくとよまんこと其意得がたし。それも意通ずる義あらば、そのまゝにもよまんか。いくにのみといふ義いかんとも心得がたし。當家の傳に冥の字と見て、いめにとよむ意は、神すぎをいむとうけたる意にていめは夢也。いめと云までは何の意もなく神木の杉なれば、たゞいむといふ冠辭によみ出でたる義と見るなり。歌の意はいめにのみといふより夢にある也
矣自 古本印本ともにをしとよめり。いくにをしとはいかなる義をいふ事にや。矣の字は笶の字の誤れる也。よりて笶自の二(86)字は訓字と見てのみとよむ也。しかれば夢にのみといふ義也
得見監乍共 これを一句字あまりに見えけんながらもとよむ也
此歌の意は、薨給ふ十市皇女なれば、現には見給ふ事は不v成。ゆめにのみは見え給ふらんながらも、深くなげきかなしみ給ふて、いねさせ給はぬ夜の多ければ、その夢にさへ見給はぬとの御歌也。三諸の神の神すぎとは、皇女の御在所此三諸の邊か又奉v葬しところそのあたりかの縁をもつて三諸とよみ出し給ひ、さていめといはん爲に、神の神すぎとは冠辭に置きたまふと見えたり。此歌古來よりいかんとも解釋する人なく、たま/\ありといへども心得がたき義なれば、當家の傳は如v此よみ解也もし後學者正字の別本を得て後案を加へ、異見の解釋もあらば猶珍重ならんかし
157 神山之山邊眞蘇木綿短木綿如此耳故爾長等思伎
かみやまの、山べまそゆふ、みじかゆふ、かくのみからに、ながくとおもひき
神山之山邊 前の歌にもみもろのとあり。此神山もみもろ山の事を神山とよめると見えたり。皇女の御在所近きあたりか、またはふむりおさめし近所歟。さなくば山邊には神などまつり置物故に、かくよみ出たまふならん。みもろ山を雷岳ともいふ。よりて神山ともいふと見えたり。雷を神といふことは、前にちはやぶる神といふ歌の所に具さに注せる也
眞蘇木綿短木綿 神祭の具へ物也。仙覺抄に、筑紫風土紀に長木綿短木綿といへる是也と云て二物にはあらず、まそゆふ、みじかゆふと重ねたる意に注せり。風土紀の全文所見なければ決しがたけれど、仙覺は所見ありてこそ如v此引書したらんなれば、先此説に從ふべき也。然れば麻にてつくるを長ゆふといひ、眞苧にて作るをみじかゆふといふて、苧麻にても作りたるをいふと號し、穀《カヂ》に作りたるをゆふと計り稱したると見えたり
木綿 神代上卷一書云、日神之田有2三處1中略、下枝懸2以粟忌部祖天日鷲所v作木綿1云云。古語拾遺云、令3天日鷲神|及《マヽ》津見昨見神穀木種殖之、以作2白和幣1是木綿也云云。和名抄卷第十三祭祀具部云、木綿、本草注云、木綿【和名由布】折v之多2白絲1者也。今もめんといふ音を以て稱するものとは異也。もめんは桓武天皇の御代唐代より渡りて、其後世に弘まれり。此まそゆふは、みじかゆふといはんためによみ出たる也。みじかゆふは、皇女のいのちのみじかきになぞらへて也
(87)如此耳故爾 かくのみからにとは、皇女のみうせ給ふをさして、かくのごとき故にとの義也
長等思伎 かく皇女の命の短かりし故、常にながかれと祈りおぼせしと也。如v此みじかき命故に、前表にか常々長くもがなとおぼしめしたるとの意也。諸抄の説はかく短き命なるに、いつまでももながき事とおぼせしとの注なり。しかれども故にといふ詞、右の釋にて不v濟、故にとよみても、からにとよみても、諸抄の釋にて此故にといふ事不v濟也
歌の意は、みもろの山邊に祭れる神に奉るみじか木綿のみじかきといふによそへて、皇女の命のかくもみじかくて、はやくみうせ給ふゆゑにか、つね/\長かれとのみおぼせしと也
158 山振之立儀足山清水酌爾雖行道之白嶋
やまぶきの、にほへるいろの、やましみづ、くみにゆかめど、みちのしらなく
山振 倭名鈔卷二十草木云、※[疑の旁が欠]冬。本草云、※[疑の旁が欠]冬一名虎鬚。【一本冬作v東也、和名夜末不々木一云夜末布木】萬葉集云、山吹花。此集山吹とも書けり。是れ訓書なり。振の字はふりともふきとも訓ずる也。此集に山吹、山振と訓書にせり。振はふりとも、ふきとも訓ずる故、※[疑の旁が欠]冬の訓書に如v此書きたり
立儀足 古本印本共にさきたると義訓せり。又或説にしみづをばと云。をばの字も見えねば、此三字をかちよそひたるとよむべしと釋あれども、兩説共に立儀二字の熟字證例を見ざれば、宗師の案は光儀の二字なるべく、神代下卷云、時味耜高彦招神光儀花艶云々とありて、光儀の二字は日本紀に書例あれば、立と光と紛れやすき字形なれば、決して立は光の誤れると見て、光儀の二字を匂へると義訓によむなり。ひかるよそほひはにほへる色なり。にほひと云は、香の事計りにてはなく、色の事を云也。足の字は色の宇なるべし。これも誤りやすき字形也。よつて三字を一句ににほへるいろのとよむ也。山ぶきのにほへる色とは、黄泉の義を云たるもの也。山吹のいろは黄なるものなれば、黄なるいづみといふ意によそへてよめると見えたり。さなくてたゞ四月にかくれ給ふ故、山吹のある時節なればとの説計りにては其意得がたし。山吹をよみ出したるは、黄泉のことをいはん爲、にほへる色ともよみ出で給ふと見ゆる也
(88)山清水 やましみづと云て、下の意は闇きし水の義をふくみて也。死て行をやみ路に入と云。またやみくになどいへば也。やまもやもゝ同事にて、やもとやみと、同音なれば、下の意はやみ路の水といふ義也。且山清水の三字を谷水ともよむべき歟
酌爾雖行 くみにゆかめどみちのしらなく。死たる人に水を手向ることは、天竺の法にもある事にや。わが朝にては佛法の來渡せぬ已前よりあるわざにて、すでに日本紀武烈卷に鮪の臣が殺されし時、物部麁鹿火女影媛がよめる歌にも、玉笥には飯さへもり、玉もひに水さへもりとありて、上代より于v今猶のこれるわざ也。此歌の意は、水をも汲みそへ上げ給はんとおぼせど、よもぢに入たまふなれば、黄泉の水はくみに行き給はんみちのしられぬと也
古本には、小字にて紀曰七年戊寅四月丁亥朔癸巳十市皇女平然病發薨2於宮中1。如v此古注者の傍注あり。日本紀天武紀の文を書加へたる也。丁亥朔癸巳とあるは日本紀も如v此なり。しかれば四月七日なり。しかるに或抄等には四月朔日と書ける説あり日本紀を見あやまりたる歟
天皇崩之時太后御作歌一首
すべらみこと、かみあがり給ひしとき、おほきさきのみつくりうたひとくさ
天皇は天武帝也。朱鳥元年九月九日に、淨御原宮に崩じ給ひし事日本紀卷第廿九に審か也
太后は持統天皇也。崩御の時太后とは不v奉v稱れ共、後より尊稱して太后とは書たる也。日本紀卷第三十云、高天原廣野姫天皇、少名※[盧+鳥]野讃良皇女天命開別天皇第二女也
159 八隅知之我大王之暮去者召賜良之明來者問賜良志神岳乃山之黄葉乎今日毛鴨問給麻思明日毛鴨召賜萬旨其山乎振放見乍暮去者綾哀明來者裏佐備晩荒妙乃衣之袖者乾時文無
やすみしゝ、わがおほきみの、ゆふされば、召たまふらし、あけくれば、とひたまふらし、かみをかの、やまのもみぢを、けふもかも、とひたまはまし、あすもかも、めしたまはまし、そのやまを、ふりさけみつつ、ゆふされば、あやにかなしび、あけくれば、うらさびくらし、あらたへの、ころもの(89)そでは、ひるときもなし
神岳 仙覺抄にはみわ山とよむべしと釋せり。然れ共みわ山とみもろ山は別にて、ことに郡も違ひたれば、かんなびのみもろの山をよめる歌と聞ゆれば、文字の通かみをかとよむ也。神岳はみもろの事なり
召賜萬旨 上の召賜良之とあるも、この召賜ましとあるも同事にて、天皇の御在世にてましまさば、めしたまひ、とひたまはましに、崩れ給へばその事もなく、かへつてその山をもふりさけ見つゝと、よそに遠ざけみなすと也
綾はあなと云と同詞にで、嘆の詞かなしみの切なる義を云たる義也
裏佐備 第一卷にも注せるごとく、うらは初語の詞也。心をうらと云説あれども發語とみるべし
佐備 是も一卷の歌に注せり。ものゝかなしさの切なることをいふたる義也
荒妙乃 あらきゝぬの事、荒たへはふぢぬの抔云におなじく、崩御のときなれば、みなあらきぬのを着給ふ故に、縁あればよみ出し給ふなるべし
乾時文無 ひるときもなしと云て、天皇をこひしたひかなしみ給ふて、涙にくれて衣の袖のかはく間もなきと也
歌の意はきこえたる通かなしみの歌也
一書曰天皇崩之時太上天皇御製歌二首
あるふみにいはく、すべらみことかみあがり給ひし時、さきのすべらみことの、みつくりうたふたくさ
此標題萬葉の本文にはあらず。古注者の文にして、前に天皇崩之時太后のみつくりうたとあるによりて、別書に此二首のうた有しを所見して後に加へたる也。或本云とあらば此集の異本とも可v被v見也。一書とあれば別の書左の二首の御歌書きのせありしを所見と見えたり
太上天皇 持統天皇の御事也。日本太上天皇のはじめは持統天皇也。此崩之時太上天皇御製歌二首とあるも、後に書きたるも(90)のと見るべし。天武崩御の時太上天皇といふ號は無きなり。はるか後に書たるものなり。畢竟古注者尊稱してかきたる歟。また一書すぐに如v此かきたる書ありたる歟
160 燃火物取而※[果/衣]而福路庭入澄不言八面智男雲
ともしもの、とりてつゝみて、ふくろには、いるてふことは、おもしろなくも
燃火物 古本印本の點ともしひもであり。ともしびをつゝむべきやうやあらん。これは乏物といふ意にて、天皇の御秘藏なされし物を悉くおさめ入れて、送り奉るの義、今の世とてもある事也。かつ上古は火打などをも棺の内へ入たるごとくも聞ゆる也。やみぢに入るといふによりさだめて火打を入たる義もあるべし。さてこそとりてつゝみてふくろにはと下にあるなり。此ふくろは火打袋などを云たる義歟。生前の時の旅行には上代みな火打袋を持ちたる也。日本武尊の東征のとき倭姫命の被v遣し事な、ど、古事記に見えたり。しかれば送葬のときの具にも此歌を以て見れば棺中へ被v入たるやうにも聞ゆる也。火打と珍物との事をかねて、ともしものとはよみたまへるなるべし
入澄不言八 古本印本共にいるといはずやとよめり。かくよみては歌の義いかんといへる事か聞き得がたく、又聞えたる釋もなく、下の句の意も歌詞とも聞えず。いかんとも心得がたき點なり。當家の傳には、いるてふことはとよむ意は、火打あるひは珍物寶物等をとりつゝみて、ふくろにいるゝといふことは、御葬のときのことなれば、面白からぬ物うき事の義といふの意にて、入てふことゝはとよむ也。澄の字は※[徴の行人偏がさんずい]の字の俗字也。字書に※[徴の行人偏がさんずい]、直貞切、音里、水靜而清、徐鉉曰、今俗作v澄非v是云々。しかれば澄不の二字の音を借訓に書たると見る也。尤此集中に此澄の字をてと用ひたる事此外に不v見ば、若し片の水を誤りて添へたる歟。しからばとふとよむべし。とふといふもちふといふ轉語にて、といふといふことを等布ともいふこと則ち此集第十四卷の歌に、からす等布おほをそ鳥とよめる歌ありて、此とふもからすといふおほをそとといふ義也。いづれにまれ澄不の二字はといふといふの義と見ゆる也
面智男雲 古本印本共にもちおとこくもとよめり。如v此の歌詞あらんや。しかれども仙覺律師の釋に、葬禮のならひ二たび物(91)をあらため用ゐることを忌む事なれば、死人の枕上におもしたる火を以て葬所にて用ゐる故、それをもつべきをのこもきたるとの意歟と注せり。如v此釋しても全體の歌の意不v通也。よりて當家の傳はおもしろなくもよみて、全體の歌の意通する也。御葬送の時乏物どもをとりつゝみて、袋に入るゝといふ事は、おもしろからぬ物うき事と云の歌の意と聞ゆる也
智の字一本に知の宇に作れるもあり。因v茲則一僻案の釋あり。もし今の本の智の字知白の二字の合したる歟。なき本によりておもへば白の字を脱したる歟。智の字一字ならば、落すべき事にもあらねど、知白の二字故脱落あるまじきにもあらず。もしゝからげ下の句の意別案あり。入澄不言八百知白男雲を、いるといふことのやもぢしらなくともいふ義ならんか。男雲とかきてなくもとよませる事は此集中數多也。やもぢはやみぢなり。ともし物とり包みてふくろに入といふことの、やみぢはいかやうのところぞ。したひ行たまひてしり給はんとの意歟。しらなんとはよもつくにゝ追ひ行て、そのみちをしり給はんとねがひたまふ意なり。御かなしみのあまり、やみぢをもしろしめしたきと、ねがひ給ふ義歟
161 向南山陣雲之青雲之星離去月牟離而
北山に、たなびくゝもし、青ぐもし、ほしはなれゆき、月もはなれて
向南山 きた山と古點をなせる尤よき訓なり。又大内山とも訓すべきか。天子は南面してたゝせ給ひ、臣は後に從ふなれば向南山とは禁廷をさしていひし御詠と見えたれば、禁中を大内山ともいへば、直ちに禁中をさしてのたまひし歌の意にもきこゆる也
陣雲之 この陣の字つらなるともよむべき歟。諸司百官の禁庭につらなるの義をよそへたまふか。然れどもくもとある故、つらなるよりは古點の通たなびく雲しかるべからんか。好むところにしたかふべし。たなびくにてもつらなるにても意はおなじ事なるべし。雲之とある之の字を訓によまん事きゝよけれども、青雲のほしとつゞく事いかゞなり。此歌は月卿雲客の事をよそへよみ給ふ事なれば、青雲のほしとは、ほしにかぎるところいかゞ也。よりて助字に見てしとはよむなり。もしくは毛のあやまり歟。たなびく雲も青雲もとよみたまへるか、しかれば義安き也
(92)星離去月牟離而 三公九卿月卿雲客悉くはなれ奉りて、行てかへらせ給はぬよみぢへ、天皇たゞ御ひとりいてますことの、果敢なくかなしき御事におぼしめす、かぎりなき御かなしみの御歌也
歌の意は右に釋するごとく、諸臣悉くはなれ奉り、かくれまします事を、いたみかなしませ給ふて、よませたまへるいともあはれなる御歌也
天皇崩之後八年九月九日奉爲御齊會之夜夢裡習賜御歌一首
すめらみこと、かみあがりたまふてのち、やとせながつき九日、おほんためのみをがみのよ、ゆめのうちによみ給ふみうたひとくさ
天皇 天武帝也
崩之後八年九月八日 日本紀卷第卅持統天皇七年九月丁亥朔云々、丙申爲2淨御原天皇1設2無遮大會於内裏1云々。此外八年九月に齊會を被v行し事紀に不v見。此時の御齊會のことなるべし。尤崩御の年より八年にあたる故、後八年としるせる歟。又九日とあれども持統紀を考ふれば、十日にあたるなり。しかれば九日夜のみゆめに見給ふを、九日としるせる歟。御忌日は九月九日也
御齊會之夜 饗僧拜佛誦經施物等を賜ふて佛事を被v行し義也
夢裏習賜 此習の字難2心得1。誦の誤りなるべし。よつてよみ給ふと點をなせり
162 明日香能淨御原乃宮爾天下所知食之八隅知之吾大王高照日之皇子何方爾所念食可神風乃伊勢能國者奧津藻毛靡足波爾鹽氣能味香乎禮流國爾味凝文爾乏寸高照日之御子
あすかの、きよみはらに、あめのした、しろしめしゝ、やすみしゝ、わがおほきみ、たかてらすひのみこ、いかさまに、おぼしめしてか、かみかぜの、いせのくには、おきつもゝ、なびきしなみに、け(93)ぶりのみ、かをれるくにゝ、うまごりの、あやにとぼしき、たかてるひのみこ
明日香能淨御原乃宮爾 天武天皇の御在世の皇居の地宮殿の義を云たる義也
高照日之皇子 前にも度々注せるごとく、天照大神より御正統のひつぎをうけ給ふすめらみこと故、直ちに日神のみこと云義也。此歌には別而日のみことなくてはかなふまじき御歌也
鹽氣能味 古本印本ともにしほけのみとよめり。しかれども鹽の氣のたつは、けむりのごとくなるものにて、水のけむりなどゝ古詠にもよめば、鹽氣の二字義則にけむりとはよむなり。波のたつときは煙のたつにひとしく見ゆれば、なびけるなみにけむりのみとつゞけたると見えたり
香乎禮流國爾 かをれるは薫る義也。今通例にはかほると書けども、薫るのかなはを也。かほるとほの字を書たる證明不v見。よつて當家の流にはをのかなを用ゐる也。はねる音の字のをほのうたがはしき假名は、ほの字を書くと云ひならはせり。不v合こと也。既に薫の宇かなにほの字を書たる正記證明所見なく、既に此集如v此をの假名を用ゐたり
味凝文爾 うまこりとはあやといはんための冠辭にて、ほめたることば也。古本印本等にはあぢこりとよめり。あぢこりといふ義は何といふことわりにや心得がたし。當家の傳はうまこりとよむ、うまはほめたる義うま人のうましなどいふて稱美の詞也。こりはおりといふ義にて、うまおりの綾とうける冠詞也。あやとは感嘆したる詞あなと云も同事也
乏寸 は珍敷といふと同事にて、至つてほめたる詞也。如v此上より段々と、かをれる國にうまこりのあやにともしきと云下して、みな詞をながくほめたる義也
高照日之御子 天照大神の直にみことさしてのたまふたる義也。
この歌の意は、天武天皇のみたましゐ伊勢神宮にうつり入らせられ、直に日の神の御徳とひとしくならせ拾ふゆゑ、あやにともしく見奉ることも、ならせられねといふ義を御夢中によませ給ふ也。御夢の中の御うたなれば、始終の連續もあるまじき事なるに、しかもよくきこえて不思議なる御夢の歌也。かやうのこともありし故、御謚を天武とも奉2尊稱1られたると見えたり
藤原宮宮御宇天皇代 高天原廣姫天皇
(94)大津皇子薨之後大來皇女從伊勢齊宮上京之時御作歌二首
おほつのみこみまかれる後、おほきの皇女、いせのいつきのみやよりみやこにのぼり給ふときみつくりうたふたくさ
大津皇子 大來の皇女の事は前に審也
從伊勢齊宮上京之時 日本紀卷第卅持統紀云、朱鳥元年十一月丁酉朔壬子、幸2伊勢神祠1皇女大來還2至京師1云々
163 神風之伊勢能國爾母有益乎奈何可來計武君毛不有爾
かみかぜの、いせのくにゝも、あらましを、なにゝかきけん、君もあらなくに
此歌の意はきこえたる通地。此君とよみ給ふは大津皇子の事歟。また御父の親天武の御事をよませ給ふやわかちがたし。標題に大津皇子の事をあげたれば、皇子の事と見ゆれども、君とさし給ふことは前にもありといへども、このところにては、天武の御事ともきこゆる也
164 欲見吾爲君毛不有爾奈何可來計武馬疲爾
みまゝくはり、わがせしきみも、あらなくに、なにゝかきけん、うまつからしに
欲見吾爲 大來の皇子のみまほしくおぼしめすきみもましまさぬに、何しに京へのぼり給ひしことぞと也。これらの御うたをみても君とさし給ふは天武の御事のやうにきこえ侍る也。御父のみことをおきて、大津のみこをかくまでしたひ給ふべき事に も不v覺義也。歌の意はきこえたる通地
移葬大津皇子屍於葛城二上山之時大來皇女哀傷御作歌二首
おほつのみこのかばねを、かつらぎのふたかみやまにうつしはふむるとき、おほきのすめひめかなしみいたみたまふてみつくりうた二くさ
(95)屍 和名抄云、屍【音與v尸同、訓或通】死人形體曰v屍。禮記曲禮云、在v牀曰v尸在v棺曰v柩。白虎通云、尸之爲v言失也、陳也、失v氣亡v神形體独陳
葛城二上山 大和
移葬 一度被v葬てまた改葬ありしと見えたり。この葬の事前後とも紀に不v見ば年月時日難v考。次の羊醉木歌をもておもんみれば、翌年三月の頃ならんか
165 宇都曾見乃人爾有吾哉從明日者二上山乎弟世登吾將見
うつそみの、人なるわれや、あすよりは、ふたかみやまを、おとせとわれみん
宇都曾見 うつせみといふも同じ事にて、現の身といふこと也。第一卷にもくわしく注せり
人爾有吾哉 にあの約言なゝれば、なるわれやとはよむ也。意は皇女は現在の身なればと也。哉と云はわれはといふと同事也
二上山乎弟世登吾將見 過行たまふ弟のみ子を直に見給ふ事はもはやならねば、屍をおさめられたるふたかみ山を、おとゝのみこと見給はんと也。おとせといふはおとうとゝいふと同事也。せとはすべて女子より男子をさしていふ古語也。なせとわれ見んとよみて同じからん
歌の意は、おなじはらからの、おとのみこうせ給ひわけてもいたましきありかたちにて、かくれ給ひ、ことさらに改葬までありて、いとゞ御なげきのあまりに、皇女はかく現在まし/\ても、過行たまふ弟のみこを直に見たまふ事ならねば、今よりしては御はか所の二上山をおとのみこと見給はんと、したひかなしみ給ふて、よみたまへる也
166 磯之於爾生流馬醉木乎手折目杼令視倍吉君之在常不言爾
いそのうへに、おふるつゝじを、たをらめど、見すべききみの、ありといはなくに
礒之於爾 いしの上也。いそはいしといふ義也。水邊ならではなきものと心得たる人もあらんか。大なるたがひ也。石上ふるといふ地名にてもしるべき也。此いそのうへも、古注者もし海邊の事に心得たる歟。左注の趣心得がたき也
(96)馬醉木 馬の字は羊の字のあやまりならんか。馬なればあせみ也。毒木のあせみを折て、見すべき君かとよみ給ふ事あるべからず。あせみを此集に馬醉木と書て、牛馬此葉を食めば忽醉花と云傳へたり。又羊躑躅と書て、いはつゝじとも、もちつゝじともよめり。羊此花を喰はゞ、躑躅して忽死と云義あり。是によりてつゝじをもあせみの例にて羊醉木と書きたるを、羊を誤りて馬に作れる歟。されば古本印本ともに點にはつゝじとよめり
右一首今案不似移葬之歌盖疑從伊勢神宮還京之時路上見花感傷哀咽作此歌乎
みぎのひとくさ、いまおもふに、はふりをうつすときのうたにゝず、けだしうたがふらくは、いせのかんのみやよりみやこにかへり給ふとき、みちのほとりのはなざかりなるを見て、いたみかなしみむせびてこのうたをつくれるか
是古注者の文なり。此注心得がたし。二首ともなるほど移葬の時の歌と見ゆる也。しかるを伊勢よりかへり上り給ふとき、路次の花盛を見てといへること大成不v考事也。大來皇女いせよりかへり登り給ふは十一月なり。則年月前に注せり。しかればつゝじの咲くべき時節にあらず。古注者如v此見あやまりたるは、礒の於を海邊の事と見たる故なるべし
日並皇子尊殯宮之時柿本人麻呂作歌一首並短歌
ひなめしのみこの尊のもがりの宮のとき、かきのもとのひとまろつくるうたひとくさならびにみじかうた
日並皇子尊 草壁皇子の事也。第一卷に注せり。持統紀云三年云々、夏四月云々、乙未皇太子草壁皇子尊薨云々。もがりのみやの事は、紀に不v見故月日難v考也
167 天地之初時之久竪之天河原爾八百萬干萬神之神集集座而神分分之時爾天照日女之命【一云指上日女之命】天乎波所知食登葦原乃水穂之國乎天地之依相之極所知行神之命等天雲之八重掻別而【一云天雲之八重雲別而】神下座(97)奉之高照日之皇子波飛鳥之淨之宮爾神隨太布座而天皇之敷座國等天原石門乎開神上上座奴【一云神登座爾之可婆】吾王皇子之命乃天下所知食世者春花之貴在等望月乃滿波之計武等天下【一云食國】四方之人乃大船之思憑而天水仰而待爾何方爾御念食可由縁母無眞弓乃崗爾宮柱太布座御座香乎高知座而明言爾御言不御問日月之數多成塗其故皇子之宮人行方不知毛【一云刺竹之皇子宮人歸邊不知爾爲】
あめつちの、はじめのときの、ひさかたの、あまのかはらに、やほよろづ、ちよろづかみの、かみづとひ、つどひいまして、かむくばり、くばりしときに、あまてらす、ひなめのみこと【一云さしあぐるひるめのみこと】あまつをば、しろしめさむと、あしはらの、みづほのくにを、あめつちの、よりあひしかぎり、しろしめす、かみのみことゝ、あまぐもの、やへかきわけて【一云あまぐものやへくもわけて】かみくだり、いましつかへし、たかてらす、ひのみこは、あすかのきよめしみやに、かみながら、ふとしきまして、すめろぎの、しきますくにと、あまのはら、いはとをひらき、かみあがり、あがりいましぬ【一云かむのぼりいましにしかば】わがきみの、みこのみことの、あめのした、しろしめしせば、はるはなの、かしこからむと、もちづきの、みちはしけむと、あめのした【一云をしくにの】よもなるひとの、おほぶねの、おもひたのみて、あまつみづ、あふぎてまつに、いかさまに、おぼしめしてか、ゆゑもなき、まゆみのをかに、みやばしら、ふとしきまして、みあらかを、たかしりまして、あさごとに、みことゝはせず、よるひるの、あまたになりぬ、そのゆゑに、みこのみやびと、ゆくへしらずも【一云さすたけのみこのみやびとゆくへしらざりし】
初時之 天地開闢ありしはいつともしれず。そのはじめのときは遠くひさしき事なれば、ひさかたの天といはんとての序に、(98)如v此よみ出したるもの也
久堅之 これは古來より説々多し。しかれどもみな理屈の説にて難2信用1義也。先づ久かたとはあめあまといはん爲の冠辭にて、それよりうけて天象の物に直ちに久かたの月、ひかりなどともよみ來れり。あめの冠辭にひさかたとよむ義は、天はとこしなへにして天地ひらけわかれしとき、いつをはじめともしられず。初めより遠く久しきものなれば、久しき方といふ義に、あめ空などの冠辭にいへるものなり。堅といふ字は借訓にて字義の意にはあらず。堅のとつゞく義はならぬ也
天河原爾 上天の義をさして云。神代卷古語拾遺等に、天安川などしるされたるも同事也
八百萬干萬 數かぎりもなく、あまたの神たちをさしていふたる義なり
神集集座 神代下卷云、故高皇産靈尊召2集八十諸神1云々。延喜式祝詞部、高天原仁神集仁集賜比神議仁議云々
紳分分之時爾 かんくばり、くばりし時にとよむべし。此意は天地山川萬物をつかさどりしろしめす神々を、それ/\そこそこに八百萬千萬の神たちあつまりて、はかり從ひ給ひしと云義也。神代の卷等にては、伊弉二神のみことのりにては御子神々をそれ/\にことよさゝしめ給ふとあるを、此歌にてもろ/\の神たち寄集りてはかり給ふと也。神代上卷云、是共生2日神1號2大日〓貴1中略當d早送2于天1而授以c天上之事u云々。此神くばりの事をいふたる也
天照日女之命 天照大神の義を云也。神代上卷、一書云、天照大日〓尊云々。しかれば日女の二字ひるめとよむべき也
一云指上日女之命 一本にはさしあぐるひるめの命とありしを、古注者書入れたる也。神代卷に天照大神を天柱をもてあめに送上と云ことあるによりて、さしあぐるひるめの命ともよめる歟
天乎波 古本印本にあまつをばとよめり。津の字なくても、訓義によりて例あれば苦しからず。みそらをばとよみても同事なれば、聞きよきかたにしたがふべし
所知食登 延喜式大殿祭祝詞云、所知食 止、古語云、志呂志女須。 是迄天の事は天照大神の治めしろしめすとの事なり
葦原乃水穂之國乎 我國を稱讃したる國號なり。神代卷に委しき傳あることなれば、細注を憚る。先は我國の佳名と心得て、廣く及ぼしては一天地國土の義ともしるべし。日本紀且延喜式の祝詞の文等に多き言葉也
(99)天地之依相之極 あめつちのよりあひしきはみとは、一天地國土のあらんはてかぎりまでと云義也。延喜式祝詞の文にあまたあり
所知行 國土の極まるはてまでをしろしめすとの事也
神之命等 天地國土の限をしろしめすことは、中々凡人の徳にてはならぬ義、神明の御徳を具へたまふて、をさめしろしめすといふ義、もつとも上天は天照大神しろしめし、國土のかぎりは瓊々杵の尊より已來、御代々の天皇をさして神の命とはよめる也
天雲之八重掻別而 幾重ものあまぐもゝかきわけて、はるかに遠き天より降臨ましませし事を述べたる也。神代卷且宣命祝詞等の詞に多き詞也
天下座奉之 天孫降臨の義を云て、天武帝迄の事をうけていひたるもの也。瓊々杵の命より、天武天皇迄の義を云ひたる事と見るべし
高照日之皇子 至つて尊稱して天子を直ちに日のみこにして、奉v見べき事也。此高照は天武の御事とも見え、また日並皇子の御事とも見ゆる也。いづれに見ても同事の意なるべし
神隨 かみなるからにと云の義也。第一卷にも注せり
太布座而 第一卷に注せり。天子の天下を治め給ふ事の、大なる御徳の正しく確かなる事になぞらへて、ほめ奉りたる詞也。祝詞の文等に多き詞也
天皇之敷座國等 御代々の日嗣の皇子のしきをさめ給ふ國と、太布座而と上へかへりて見る意也。日並皇子の天皇となり給ふて、敷をさめ給ふ國なるにと云の意にも相通ふ也
天原石門乎開神上 是は天皇はもし日嗣のみ子にもあれ、かくれましましたる義を云ひたること也。天照大神のみたまの御座所は、高天原の岩屋戸也。そのみたまをうけつぎ給ふ日嗣の御子なれば、その本の御座所に歸り給ふ故、石門を開きとなり。上天歸天といふて上一人より下萬民までも、たましゐのかたちを離るれば、本の上天に歸る理、この歌にてもさとりしるべきこ(100)と也。此歌一首をもつて我國神道の教を解かんにはいかやうにもいひのべらるべけれども、歌は歌の道一筋の事に見るべし。歌の道をもて天下の治亂の事をとき、教へのことに解きなすは、かへつて道の妨げあるもの也
上座奴 神あがりまし/\ぬと、是迄にて天武帝の崩御の義をのべたるもの也。皇子のかくれたまふ事を述べたる義とも見ゆる也
一云神登座爾之可婆 一説には如v此あると也。此一説の趣をもつてみれば、天武帝の神あがり給ひたる事をいふ句にきこゆる也
吾王皇子之命乃 日並尊をさして也
貴在等 花の香とうけたる意也。かしこからんと云は、おそるゝ義をもいへども、こゝは花のうるはしくよからんといふの意にて、花の香とうけんためにかしこからんとはいふたるもの也
望月乃滿波之計武跡 もちづきは十五夜の月を云。その月のくもりなきごとく、あきらけき道をしきほどこされんと、天下の人のおもひをかけしといふ義をよそへてよめる也
天下 一云食國 意は同じき也。本文にてはあめのしたとよみ、一云の義にてはをしくにのと、のゝ字を添へてよむべき也
四方之人乃 是を古本印本共に、よもの人のと一字不足によめり。四言一句の例もあまたあれば難もなけれど、此集中に之の字をなるとよめばよく義通じ、又よまねばならぬ歌もありて、之の字はなるとよむべき也。にあるといふの義にて、此之の字を書たると見えたり。駿河なる、信濃なるなども、信濃にある、駿河にあるといふ義を約してなるとは云たるもの也。此處もよもなる人のとよめば、能く句意調ふ也
大船之思憑而 此詞集中にあまたあり。古本印本等にも、おもひたのみてとよめり。大船はたのみあるものなる故にと云意にて、かくよめると云義なれども、たのみと云詞、船に縁なき詞なれば、何とも解しがたき也。日本紀神代上卷に顯神明之憑談、此六字をかんがゝりとよめる字訓あれば、憑の字かけてとか、かゝりてとかよむべき也。よつておもひをかけてとよむ也。船はか とあれば也。又はおもひをよせてとよむ義もあらんか。依也託也といふ字義あれば、よせてもたのみと云(101)義とおなじ意にて、あめの下の人おもひよりて、たのみにしてと云義也
天水 あまつみづとつと云言葉をそへてよむべし。天水とは、雨の事を云たるもの也
仰而待爾 旱魃に雨を乞ふ如くに、皇子の天下をしろしめさんときをまちしにと也。又下の眞弓の岡より歸らせ給ふを、待つなど云の意をもこめたるか
由縁母無 何のよしもなきまゆみのをかの、もがりのみやにとゞまりましますことを云也
宮柱太布座 皇子のもがりのみや故、當然稱美してよめる也
御在香乎 御座所の事也。御殿をさしてみありかと云也。古語拾遺延喜式祝詞の文に、御殿の古語を、みあらかといふ事見えたり
明言爾 朝毎といふ意也。言の字もしくは暮の字の誤り歟。夜はいね給ふなれば、仰ごとあるはあさことゝもいはるべけれど暮の字なれば、明くれにと云ていよ/\義やすき也
御言不御問 みことゝはせずとは何事をものたまはずと也。不御問の字みとはずともよむべけれど、句例なければ天子の御事には御の字を添へ用ゐる事常のことなれば、とはせずとよむ也
日月之數 ひるよるのと、義訓に句を調へてよむべし
數多成塗 あまたになりぬとは、日並皇子かくれまして、もがりのみやへいでませしよりかへらせ給はず、仰事とてもなくあまたの月日のへぬればと也
其故 月日のあまたふれども、みことも問はせずして、かくれさせ給ふ故、皇子に奉仕の宮人どもみな離散すると也
行方不知毛 日並皇子尊うせ給へば、奉仕の宮人ども、みなちり/”\にわかれさりて、行へもしられずなり行事の、あはれにあさましき事をよめる也
此歌の意は、天つちひらけわかれて、たかく遠くひろき天の河原に、八百萬の神たちあつまりまして、それ/”\の神の御徳にしたがひて、つかさどり給ふ事を、ことよさし給ふて、そこそこにくばり給ふに、天照大神はみそらのことをしらしめ給へとの、(102)神はかりごと定まりて、一天地國土の君とならしめ給ふ事をはじめて、其御徳を今上皇帝までも、うけつぎゆづらせ給ふ事の、萬國にすぐれて尊くもかしこき我本邦の神系たゞならぬ趣をいひのべ、一天四海の夷八蕃までも、我神國の神の命の御徳をもて、惠み治めさせ給ふ儀と尊稱し奉りて、神代のふみにしるされたる天孫降臨まし/\てより、天武天皇まで神系たえず、神くだりいまし給ふ事をいひつゞけて、御代々のすめらぎば、すなはち御大祖の日の神のみ子と、尊みかしこみ奉る埋りを示して、高照日の皇子とよみ給ふ。その御徳のことなる事は、神あがり給ふも日の神のみもとに歸りをさまり給ふといふ義を、石門をひらき、神上り上りいましぬとよみきりて、さて日並皇子の御存命まし/\て、日嗣の御徳をうけつがせ給ひて、あめの下を治め給はゞ、春の花も香はしく、秋の月もさやかにあきらけき御代と、四方の國人もたのみをかけて待ち奉りしに、よしもなくかくれまして、眞弓の宮に移り給ひしより、歸らせ給ふこともなく、御言だにのたまひ仰せられず、あまたの月日のへぬれば、つかへまつりし宮人のみなちり/”\にわかれ行きて、いとあさましくあはれなる時のありさまを、かくつまびらかによめる也。何の事もなき事をかやうに連續分明によみつらねし事、まことに人丸の風骨ならではなりがたき事也
一云刺竹之皇子云々 例の古注者の一説也。古本には小字にて下に割書せり。尤可v然也。さす竹の事説々有て、竹は君の徳に比し、天子皇子をさしていふたるものと云傳へたれど、すべて上代の冠辭さやうの理をつめて、重き事をいふたる義かつてなきこと也。みな後世入りほかなる説をもつていひまはしたること多し。此さす竹も箕といふ冠辞と見えたり。箕は竹にてさすものなれば、たゝみとうけるまでのことゝみゆる也。この後の歌はみな大みや人とあり。舍人壯士と云歌一首あり。これはとねりとよまんや。みやび人おのこともよむべきや。又うしかひわらはをもとねりといへば、このさす竹は別の意あらんか。まづさすたけとは箕の冠辭と見るべし。のち/\の集に入りたる歌には、さゝ竹ともよめり。しかれども本語はさす竹也。此集十五卷目の歌に、佐須太氣のと書きたれは、これを證とすべし
歸邊不知爾爲 古本印本ともに、不知爾爲の四字をいさにしてとも、しらずにしとも點をなせり。難2心得1點也。此四字は、しらざりしとよむべし。しらざりしはしらずありしと云の意也
反歌二首
(103)人丸の歌也
168 久堅乃天見如久仰見之皇子乃御門之荒卷惜毛
ひさかたの、あめみるごとく、あふぎみし、みこのみかどの、あれまくをしも
本歌に天水の仰て待にと云詞あり。よりて此反歌にも、天を見るごとく、仰見しと縁を引てよみたり。歌の意は、日つぎのみこなれば、天をあふぐことく尊みかしこみ奉りし、日並のみこかくれ給ひておはしまさねば、その宮殿宮門もあれはてんことのをしきと、かなしみいたみてよめる也。もといふはすべて嘆の詞をしきと云義を切にいひたる詞也
169 茜刺日者雖照有烏玉之夜渡月之隱良久惜毛
あかねさす、日はてらすれど、ぬばたまの、よわたる月の、かくらくをしも
日者雖照有云々 是は日を天皇に比し奉りて、月を皇子になぞらへてよめる歌と見えたり。かくらくをしもとは、かくるゝをしもといふ義也。るをのふればらくといふ詞也。歌の意はきこえたる通也
或本云以件歌爲後皇子貴殯宮之時歌反也
古本には如v前小書になせり。例の古注者の文なり。一本には、のちのみこのみことのもがりのみやのときの反歌にしるせり。いかさまにも奧の高市皇子殯のみやのときの反歌と混雜せると見えたり。いかにとなれば、奧の歌に去方を知らずとねりは迷惑とあるは、こゝの歌の反歌の句にきこえて、上の句の日はてらすれどゝよめるも、草壁皇子の薨じ給ふときには、いまだ太后萬機を攝政したまひて、帝位には即かせ給はざりし時也。高市皇子のかくれ給ふときは、全く持統天皇の即位まし/\し後なり。後皇子貴、此貴の字は尊の字のあやまりなるべし。後のみ子の尊と稱し奉るは、いづれのみこの事とも雖v知事なるに、釋日本紀私記の説によりて、高市のみことは知らるゝ也。高市のみこ立太子の事紀に不v見。正敷闕文と見えたり。尤釋日本紀にも此事を釋せり。日本紀持統卷云十年春正月云々、秋七月辛丑朔云々、庚戌後皇子尊薨云々
歌反也 反歌の轉倒なるべし
(104)或本歌一首
170 嶋宮勾乃池之放鳥人目爾戀而池爾不潜
しまのみや、まがりのいけの、はなちどり、ひとめにもひて、いけにかづかず
古本には一行さげてしるせり。古注者の書添へたる歌也
島宮勾乃池 日並皇子のまし/\たる所をよみたる也
放鳥 庭水或は池に飼はせ置たまふ鳥を云也
人目爾戀而池爾不潜 古本印本ともに人めにこひてとよめり。人めにもひてともよむ也。もひてはみだれまよひてといふ義也。まよの約言はもなり。戀といふ詞は心迷ひ也。今云請乞の意と、上古の戀と云義とは意違ひたり。こゝも皇子のましまさねば見る人めもなき故に、恒にかはりたれば、まどひて鳥も池に浮沈をしてもあそばぬと也。古今集に、いつの人間にうつろひぬらんとよめる歌あり。こゝも人間と云ことにやあらん。意はおなじき義にて、見る人もなくてことかはりたる故に、心迷ひて鳥も水に浮沈して遊ばぬとの義ならんか
萬葉童蒙抄 卷第二終
(105)萬葉童蒙抄 卷第三
皇子尊宮舍人等働傷作歌二十三首
みこの宮のとねりら、かなしみいたみてつくるうたはたちあまりみくさ
皇子宮 日並皇子の御座所の義也
舍人等 春宮の雜使供奉禁衛等を勤むるもの也。禁中には、大舍人内舍人など云。春宮にてはたゞ舍人といひて數百人あり。東宮職員令云。舍人監正一人、掌2舍人名帳、禮儀、番事1、佑一人、令史一人、舍人六百人、云云
171 高光我日皇子乃萬代爾國所知麻之島宮婆母
たかひかる、あが日のみこの、よろづよに、くにしらさまし、しまのみやはも
高光我日皇子乃 あがひのみことは、あが大きみなど云意とおなじ義にて、たかひかる明とうける意にて、あがはしたしみの詞にいひたる義他
所知麻之 しらさましとよむ意は、しろしめさましと云義也。古本印本等には、しられましとよめり。しられましとよみては義解しがたき也
婆母 かなしみいたむ歎悲の詞也。はやわやなど云も、みなかなしみ慕ひて心に歎慨をなすを云ふことば也。日本紀等にあまたある義也。此歌の意は、皇子尊御存命ましまさば、よろづ代までも此島の宮に、天下をゝさめしろしめさましを、かくれたまひてましまさねば、今はあはれにかなしき宮かなと悲歎し奉りたる也
172 島宮上池有放鳥荒備勿行君不座十方
しまのみや、うへのいけなる、はなちどり、あらびなゆきそ、君まさずとも
(106)島宮上池 前の或本の歌にも、勾の池之よめり。此歌に上池なるとあるは、もし勾の字を上にあやまりたるか。うへといふてはほとりの義と見るべし。島宮の邊に勾のいけと云がありしと見えたり
池有 と云は、池にあるはなちどりと云義也。さして深き意味もなく、きこえたる歌なれば不v能2細釋1
173 高光吾日皇子乃伊座世者島御門者不荒有益乎
たかひかる、あがひのみこの、いましせば、しまのみかどは、あれざらましを
益乎 の益の宇盖に作れるは、益の字の誤也。よって盆の字に改る也。歌の意不v及v釋。島のみやはもの歌の意にかよひたる意也
174 外爾見之檀乃岡毛君座者常都御門跡侍宿爲鴨
よそに見し、まゆみのをかも、きみませば、とこつみかどゝ、とのゐするかも
檀乃岡 前の人丸の長歌にもよめる眞弓のをか也。此所にもがりなしたてまつれると見えたり
此歌はもがりのときの歌と見えたり。さるによりて、日ごろはこゝろをもとめず、よそに見し所なれども、皇子をもがりし奉るにより、其殯の宮をとこつみ門とおもひ宿直すると也。當分かりの事なるに、いつまでもましますことのやうに、果敢なくも宿直するかなと悲歎の意を下にふくみてよめる歌也
175 夢爾谷不見在之物乎欝悒宮出毛爲鹿作日之隅囘乎
ゆめにだに、見ざりしものを、こゝろうく、宮でもするか、さひのくまわを
不見在之 すめの約言さなれば、みずありしといふ義をみざりしとはよむ也
欝悒 此二字所によりて訓一定せざる也。此處にてはこゝろうくとよむべし。悒の字を把※[手偏+邑]に作れるは誤也
宮出 皇子の宮に仕へ奉りし時は、外出他行は成難かりしに、み子の宮人行方不v知とよめる如く、皆ちり/”\に離散する義也
佐日之隅囘乎 和州の地名也
(107)此歌の意は、皇子尊まします時は、外出他行をすることならざれば、さひのくまなども見もしらざりし所なるに、みこかくれましては、舍人等もみなちり/”\に行わかるゝ故、常にも不v見し所を、今はみることの心うきと也
176 天地與共將終登念乍奉仕之情違奴
あめつちと、ともにをへんと、おもひっゝ、つかへまつりし、こゝろたがひぬ
日並皇子の御在世、幾久しく限なくましませと願ひて仕へ奉りしに、思はずもかくみまかりかくれさせ給ふ故、かねて願ひ思ひしにたがひたる事共をあらはして、情たがひぬとはよめる也。奧の歌に、吾御門千代とことはにとよめる意と同じき歌也
177 朝日弖流佐太乃岡邊爾群居乍吾等哭涙息時毛無
あさひてる、さたのをかべに、むれゐつゝ、あらなくなみだ、やむときもなし
朝日弖流 あさひのさしむかひてらす、佐太の岡邊の當然の事實をもよみたるか。尤日嗣の皇子なれば、東の宮と稱し奉る意をもて、あさひは東をてらすなれば如v此よめるなり
吾等 あらとよむは嘆の意を含て也。歌はきこえたる通也
178 御立爲之島乎見時庭多泉流涙止曾金鶴
みたゝせし、しまをみるとき、にはたづみ、ながるゝなみだ、やめぞかねつる
御立爲之云云 皇子の御座被v成し島の宮の、作り庭泉水などをみる時にはと云義也。御立爲之は、被v成2御座1しと云と同じ
庭多泉 雨ふりて庭上路上などに水の流るゝを云也。和名鈔卷第一云、潦、唐韻云、潦音老【和名爾八太豆美】雨水也。字書曰、雨水大貌云云、にはたづみとはたまり水と云義也。下に、ながるゝなみだといはん爲に、庭たづみながるゝとはよみ出したる也。かなしみのいと切なるまゝに、涙も雨水のごとくながれてとゞめかぬると也。きこえたる歌也
179 橘之島宮爾者不飽鴨佐田乃岡邊爾侍宿爲爾徃
(108)たちばなの、島のみやには、あかずかも、佐田のをかべに、とのゐしにゆく
橘之島宮 皇子の常にましませる所、其近所にさたの岡べありて、その所にもがりし奉れると見えたり。眞弓のをかともいひ、さたのをかべともいへる歟。常にましましたる橘の島の宮に、あかずつかへ奉らんに、かへつてさたのをかべへとのゐをしにゆくと、なげきたる歌と見えたり
180 御立爲之島乎母家跡住鳥毛荒備勿行年替左右
みたゝせし、しまをもいへと、すむとりも、あらびなゆきそ、としかはるとも
御立爲之 前に注せるごとく、皇子被v成2御座1しと云と同じ
島乎母家跡 皇子の住給ひし宮に、島山池など被v爲v被v作てありし故、島の宮ともいひて、はなち鳥など被v飼しと見えたり
荒備勿行 これは皇子のましませし時とは、よろづの事うつりかはり行事をかなしみて、かはれし鳥にせめてみこのましまさずとも、さのみなあらびて、みあともゆかりもなきやうになり行にかしと、皇子をしたひ奉る情のふかきよりかなしみてよめる歌也。左右の宇はともとも讀べき義訓也
181 御立爲之島之荒磯乎今見者不生有之草生爾來鴨
みたゝせし、しまのあらそを、いまみれば、おひざりしくさ、おひにけるかも
島之荒磯乎 島池等をつくらせおかれたる宮と見えたり。皇子のましまさぬ故、草木庭の木立置石などもあれ行き、うつりかはれる景色をよめる也。如v此宮所のあれはて行故、前の歌に鳥に下知して、あらぴな行そともよみて、御座所の作庭迄うつりかはり行て、あれはつることをいたみてよめる也。かもはかなにて皆歎の詞也
182 鳥〓立飼之鴈乃兒栖立去者檀崗爾飛反來年
とくらたて、かひしたかのこ、すだちゆかば、まゆみのをかに、とびかへりこね
鳥〓立 鳥を飼屋也
(109)飼之鴈乃兒 此鴈の字鷹の字のあやまり也。鴈に鳥〓を立べき理なし。鴈は水鳥にて鳥屋に飼ふべきものならず。日並皇子狩を好ませ給ふなれば鷹にてあるべき也。よつて鷹の字に改むる也
來年 きたるべしと下知したる義也。ねと云詞は、すべてわれよりかれに下知する詞此集中多し
歌の意は聞えたる通也
183 吾御門千代常登婆爾將營等念而有之吾志悲毛
わがみかど、ちよとことはに、さかえむと、ねがひつゝありし、われしかなしも
吾御門 皇子の宮をさして也。前の天地とゝもにとよめる歌の意とおなじ
念而 ねがひつゝとよむべし。念の字而の字の訓、奧に到りても尚釋すべし
184 東乃多藝能御門爾雖伺侍昨日毛今日毛召言毛無
ひがしの、たきのみかどに、さむらへど、きのふもけふも、めすこともなし
東乃 ひがしのとよむべき也。ひんがしと皆よみ來れども、訓釋の義、むとはねては不v合也。いきしちにひみいりゐは、みな讀みくせにはねる故ひんとはぬるは讀みくせ也。義訓にみこのみやのとか、はるのみやのとかよみたき也。しかれども外に句例證例なき故、先ひがしのと四言一句によむ也
多藝能御門 是も皇子の御座ありし所と見えたり。歌の意はしれたる義なれは不v及2注釋1
185 水傳礒乃浦囘乃石乍自木丘關道乎又將見鴨
みづつたふ、いそのうらわの、いはつゝじ、こゞせきみちを、またみなんかも
水傳 水邊の岩山かげの岩ねなど、おのづから水したゝりつたふものなれば、礒の序詞にいへる也。外に義訓あらんか。まづ古本印本の點にまかせよむ也
礒の浦回 攝津國の名所也
(110)石乍自 和名鈔卷廿云、陶隱居、本草注云、羊躑躅、【擲直二音和名以波豆々之、一云毛知豆々之】羊誤食v之、躑躅而死、故以名v之。今つゝじといふに二種あり。もちつゝじといふはうすむらさき也。いかさま此つゝじには毒氣あるものか。さる國にて或僧童男女二三子つれてつゝじの花見に山中に行しが、わらべのためとて、さたうもち用意したりけるに、みな打寄りてくひけるが、あたりなるつゝじの花を、手ずさみにむしりてともにくひければ、たちまちその二三子のわらわべ、まのあたりに血をはきて死せり。かの僧もそのまゝにはえあり難ければ、同じくさとうにあえし餅とつゝじの花をくひければ、そのま1これも血をはきて死にきとなんかたりつたへたるものあり。のちのちも心得侍るべき事也
木丘開道乎 古本印本とも關の字開の字に作りて、もくさくみちをとよめり。茂の字の意にて、しげくさくことを、もくさくといふとの説などあれど、この集中にもまた外々の集にも、もくさくと云語例句例歌詞に不v見。よつて宗師案には開の字關の字の誤にて、こゞせきみちとよむ也。その意は、いはつゝじなどの、しげり生ひたるさかしきこゞしき道といふ義也。こゝは石乍自濃とうけたる詞にて、こゞせきはこゞしきといふと同じ。第一卷の歌にも、石根禁などよめるもおなじ意にて、山路の岩根などに、つゝじなどしげりて、こゞしきみちを云たる義也
此歌の意は、舍人の本國津の國礒浦なる故、皇子かくれ給ひしかば、みな離散して國にかへるなれば、島宮などの結構なるところにつかへしに、また引かへて本國にかへり、礒のうらわのさかしき道をみなんかと、かなしみてよめる歌也。さひのくまわをの歌と同じ意の格に見るべし。さなくては礒のうらわをよめる理、いかんともきこえざる也
186 一日者千遍參入之東乃太寸御門乎入不勝鴨
ひとひには、ちたびまゐりし、みこのみやの、たきのみかどを、いりたへぬかも
一日者千遍 ひとひの内には、いくたびも/\まゐり入まかで出たると也。千たびとは幾度もと云の意地。ひとひとよみ出たる故、數字の詞をもてちたびとはよめる也。あながち千度ときはめさだまりたる事にはあらず。幾たびもの事他
東 これを古本印本等の點、みなひんがしとよみきたれども、東の字義ひんとはねる義は不v叶。よみくせにひんとはいへども、義に於てはぬることはならぬ也。よりてみこのみやのと前にも點せるごとくよむべき也
(111)入不勝鴨 いりたへぬかもは、入はたさぬと云義也。よりてあへぬとも、たへぬとも、かてぬともよむべし。意はいりはたさぬと云の義也。此歌の意、皇子のましましゝときは一日に幾度ともかぎらす參入侍りし御門を、今はその通に入はたさぬとなり
187 所由無佐太乃岡邊爾反居者島御橋爾誰加住舞無
ゆゑもなき、さたのをかべに、かへりゐば、しまのみはしに、たれかすまはん
所由無 前に人丸の長歌にも、由縁もなきまゆみのをかとよめる意とおなじ。何のゆゑんもなきところに皇子をもがりし奉れる故に、よからぬといふ意にゆゑもなきとはよめる也
反居者 殯の宮に舍人等奉仕する義を反居者と也。島の宮檀の岡さたの岡べ皆一所の義にて、御座所の有ところ/”\の地名と見えたり。其内に橘のしまの宮、たきのみかど、檀のをかなど云は、常にみこの住み給ひし宮と見えたり。さたのをかべはもがり所と見ゆる也
島乃御橋爾 壇弓のをかの宮の内に、島を被v造たる所ありしと見えて、如v此池嶋御橋などよめる也
歌の意はゆゑもなきもがりの宮所へ皆まゐり仕へて居れば、皇子の常に住み給ひし島のみやには、誰つかへまつるものなく、折角造り置れたる嶋回御橋等もすむ人もなくなりて、むなしき荒地とならんとかなしみてよめる也
188 旦覆日之入去者御立之島爾下座而嘆鶴鴨
【しまかくれ・かつくらく・あさくもり】ひの【いりゆけば・いりぬれば】みたゝせし、しまにおりゐて、なげきつるかも
旦覆 此二字の訓點いまだ何とも難v決。古本印本の點はあさぐもりとよめり。夕部にこそ日は入といふに、あしたに日の入ゆけばと云義六ケ敷也。諸抄の説は、皇子の東宮にてましませば、日の出でさせ給ふごとくおもひ奉りしに、俄にかくれさせ給ひあさぐもれる日の出もやらせられずいり給ふと同じやうに思と云意にて、皇子のみことのかくれさせ給ふたる義によそへてよめるとの義也。しかれども詞を添てかくのごとくいはねば、聞得がたき義理故むづかしき釋也。尤次の歌にも、あさひてるといふに、旦日の二字を書たれば、こゝも旦の字にて、あさとよむべき歌ならんずれども、あさぐもりと云訓は心ゆかず。何と(112)ぞ別訓あらんか。師案には且《シヤ》の字歟。しからばしばとよむ訓あり。なればしばはしまなれば、嶋宮の地名あれば、しまがくれとよまんか。又の案|旦《タン》の字にて、かつとよむ意もあらんか。かつはかくといふ義なれば、かつくらくとは皇子のかくれさせ給へば、仕官の舍人等は闇夜のごとくかなしき意にて、かくゝらく日の入りぬればとよむべきや。右三點は後學の人尚後案の助けによるべし
御立之 爲の字なくても、前の例にてせしとよむべし
下座而 島にと有故、おりゐてとよみて、おり居に別の意はなく、たゞみこの住給ふ宮の作り嶋などに居て慕ひ悲むとの義也
歌の意不v及v釋也。旦覆の訓尚可v有2後案1こと也
189 旦日照嶋乃御門爾欝悒人音毛不爲者眞浦悲毛
あさひてる、しまのみかどに、こゝろうく、ひとおともせねば、まうらかなしも
旦日照 日嗣の皇子の宮故、前のうたにもよめる意におなじ。岡邊抔はあさひ殊にさし出るところゆゑよめると云説もあれどしまともあれば、とかく東宮の御座所を尊稱していふたる意と見るべき也
欝悒の二字は前の歌にもありて、此歌にてもこゝろうくとよむべき也。おぼつかなゝど云ては此歌の意心得がたし
眞浦悲毛 まうらかなしとは、まもうらも初語にてたゞかなしきといふ意也。しかれどもこのうらかなしき、うらさびしなど云は、歎の意をこめて、どこともなくかなしきといふ意のとき、うらと云詞をよめる也。こゝろかなしきと云義なりとの説もあたらぬにてもなし。何をそれとさすこともなく、いづかたともなくものかなしきこと也
190 眞木柱太心者有之香杼此吾心鎭目金津毛
まきばしら、ふときこゝろは、ありしかど、このわがこゝろ、しづめかねつも
眞木柱 まは初語也。たゞ木と云こと也。はしらとはふときといはんための序也。神代の古語にもはしらはふとくたくましくとあり。その外日本紀延喜式の祝詞にも、宮柱ふとしきなど云古語ありて、家居のはしらはふときをよしとし、たのめるも(113)のなれば、ふときといはん冠辭にまきばしらとよめる也。此集中にも宮柱太しきなどよめること數しらず
太心者 舍人等の皇子に仕奉るに、隨分勇者丈夫を守りて仕ふる身なれども、今この皇子のかくれさせ給ふかなしみの愁情は、しづめがたきと也。此わがこゝろとは、かなしみのころの義を云ふたる也。歌の意かくれたるところもなき也
191 毛許呂裳遠春冬片設而幸之宇陀乃大野者所念武鴨
けごろもを、はるふゆかけて、いでませし、うだのおほのは、しのばれむかも
毛許呂裳 鳥獣の毛をもつておりたるころも也。狩場抔に用ある衣、常服にはあらぬ衣也。衣を張といひ出ん爲の序詞也。尤も狩に出で給ふことを云たる歌故、狩場の衣をもてよみ出たる也
片設而 これを諸抄物尤も點本等みなかたまけてとよめり。時にさきだつて設おきて時をまつを、かたまけといふとの説也。何とも心得がたし。當家の流には、片設の二字は義訓と見る也。かた/\まうけるといふには不2同意1。決如の義にて掛の借訓とする也。闕掛義は異なれど、ことばおなじければ、春冬掛てといふ義と、闕の字の訓をかりてよむ也。春冬かけては、春から冬までと云意にもきこえ、また春と冬とにかけてと云の義にもきこゆる也。それはいづれにまれ、此皇子狩をこのみ給ふ故、春冬ともにいでませしといふ義を云たるもの也
宇陀乃大野 大和の地名也。狩をしたまふ野ときこゆる也
所念武鴨 皇子の度々みかりに出ませし野なる故、この後は皆人のしのぶにてあらんと、おしはかりたる也。しのばるゝかもと可v云樣なれど、大野を人のしのぶにてあらんと察したる歌也。きこえたる歌也
192 朝日照佐太乃岡邊爾鳴鳥之夜鳴變布此年己呂乎
あさひてる、さたのをかべに、なくとりの、よなきわびしき、このとしごろを
上の句はきこえたる通にて、下の句誤字有る故難v解。師の案には變の字誤れりと見る也
變布 此二字うつらふとよみて、歌の意不v通也。或抄に凶鳥の夜鳴せしことを、よめる歌と注せる尤可也。しかれども變布の(114)字の注解をなさず、いかゞ見置たるやいぶかし。此變の字は鯉の字の誤りと見れば下の句の意通也。變布はわびしき也。わづらはしきと云義也。しかれば此歌の意、此としごろさたのをかべに、ぬえふくろうなどの凶鳥夜なきせしことの、わづらはしくおもひつるは、かゝる凶事あらんとての沙汰なりしと、かなしみてよめる歌也
變布の二字一本には、變而布の三字に作れるもありし故、仙覺律師はかへてふとよめるを、自讃の改點とせり。其意得がたし。てふとよみて、下の句の意いかんとも不v通也。而布をあやまりて、又後に布を加へたる本なるべし
此年己呂乎 此乎の字古詠の一格にて、歎の意を云ふたるを也。嘆のを、嘆のう、歎のに、歎のもと云事此集中にあまたあり數知られず。たゞとしごろと計云意にて、歎の意をて念乎とは留めたるもの也
193 八多籠良家夜晝登不云行路乎吾者皆悉宮道叙爲
やたこらが、よるひると【なく・いはず】ゆくみちを、われはさながら、みやぢとぞする
八多籠良 或抄云、やたこは、たと、つと通へば、やつこらと云義となり。尤可ならん。宗師案は、やは發語にて、田兒子といふ義なるべし。さたのをかべとあれば、田夫のかよふをかべ、其邊田畠などありて、田子のよるひるとなく通ふ道をといふ義ならん
吾者皆悉 田夫のよるとなく、ひるともわかず行き通ふあやしき賤のかよひ路をも、舍人らは、もがりの宮所故宿直しに行かふ故、みやぢとぞすると也。皆悉の二字點本にも、さながらとよめり。さもあるべき訓也。さながらは、それながらと云義也。賤の行道ながら、今舍人等はみやぢとして、通ふ事のあさましき事哉と、なげきたる意をふくみて、わびしみてよめる也。皇都宮殿の通路ならば、田夫などの行かよふべきにはあらざるべきを、皇子かくれさせ給ひて、よしなきもがりのみやとなりたる故、田夫の通ふみちをみやぢとして、舍人等の通ふと也。はたこらと云説もあり。甚不v可v然よみやう也
右日本紀曰三年己丑夏四月癸未朔乙未薨
古注者文にて持統紀を引て、草壁の尊薨給ふ年月を釋したる也。前に則日本紀を引て注したる義也
柿本朝臣人麿獻泊瀬部皇女忍坂部皇子歌一首並短歌
(115)かきのもとのひとまろ、はつせべのひめみこ、おさかべのみこにたてまつるうたひとくさならびにみじかうた
泊瀬部皇女 天武天皇の皇女也。母は宍人臣太麻呂女擬媛娘也。日本紀卷第廿九に詳也。後注を案ずるに、天智天皇の皇子河島の御女となり給ふと見えたり
忍坂部皇子 此皇子も天武のみ子、泊瀬部皇女の同腹の兄忍壁皇子の義なるべし。紀には忍壁の二字を書せり。此集には坂の字を加へたる故うたがひあれども、外におし坂部といふ皇子見えざれば、忍壁の御子の御事なり。しかるに此みこなると云義御兄弟の事ながら心得がたし。尚後注にしるせり
194 飛鳥明日香乃河之上瀬爾生玉藻者下瀬爾流觸經玉藻成彼依此依靡相之嬬乃命乃多田名附柔膚尚乎劔刀於身副不寐者烏玉乃夜床母荒良無【一云何禮奈牟】所虚故名具鮫魚天氣留敷藻相屋常念而【一云公毛相哉登】玉垂乃越乃大野之旦露爾玉藻者※[泥/土]打夕霧爾衣者沾而草枕旅宿鴨爲留不相君故
とぶとりの、あすかのかはの、かみつせに、おふるたまもは、しもつせに、ながれふれふる、たまもなす、かなたこなたに、なびきあひし、いものみことの、たゝなづく、やはゝだすらを、つるぎたち、みにそへねゝば、ぬばたまの、よとこもあるらむ【一云かれなむ】そこからに、なぐさめてける、しば/\も、あふやとおもひて【一云きみもあふやと】たまだれの、をちのおほのゝ、あさづゆに、たまもはひづち、ゆふぎりに、ころもはねれて、くさまくら、たびねかもする、あはぬきみから
飛鳥明日香 大和の地名、前に毎度注せり
下瀬爾流觸經 かみつせに生ひたる玉もの、下つせにながれよりたると云義也
(116)玉藻成 上の流れよりたるたまものごとくにと也
彼依此依 かしこにより、こなたによる也
靡相之 河島皇子へ泊瀬部皇女のなびきあひまつはれ給ひしと也
嬬乃命 河島の皇子をさして也
多田名附 此詞は第一卷にもありて、そこに日本紀の歌を引て注せるごとく、たゝは楯の義也。名附は並べ衝の意也。楯をならべつくといふ義也。下の矢とうけんための冠辭也。日本紀の歌のたゝなづく青がきやまこもれるやまと云も、矢と云詞をうけんための冠辭と見るべし。經の名付と云説もあれど、これは時代の前後ありてつかへある也。此集の歌にては苦しからずとも、日本紀景行の卷の歌にては、成務のときにこそ日のたて日よこしといふ義を定めさせられたれ、景行の時分には其定めなければ、たては矢をふせぐためにつくものゆゑ、矢といふ詞の序にたてなづくとはよみ出せる也。かつ冠辭初語の間に、詞を入れてつゞくる事いか程も證例あり。考へ見るべし。ぬば玉のかひのくろこまなどの類にてしるべし。今楯は立るともいへど、つくと云が古語と見えたり。すでに日本紀當集等の歌につくとよめる也
柔膚尚乎 此やはのやとうけんための冠辭に、たゝなづくと上によめり。やはゝだすらは河嶋のみこのはだへをもと云義也
劔刀於身 つるぎたちは身にそふものなれば、つるぎたちに意はなし。たゞ身にそへといはん迄の事なり。河嶋皇子に、はだへを副ていね給はねばと也
烏玉 此訓に付きては色々説あり。先此はよるといはん爲の冠辭也
夜床母荒良武 一云何禮奈牟 本集ある説共に意はおなじ義なり。かれるもあるゝも同事也。人丸のおもひやりてよめる也
所虚故 そこからにとは、それからと云とおなじ
名具鮫魚天氣留 此詞は下に何ぞなぐさむる義を云ひし句あると見えたり。此下に句の脱あらんか。此本のまゝにては、下の句解釋むづかしき也
敷藻相屋常念而 これを古本印本共に、しきもあふやどおもひてとよめり。しきもあふと云いかなる事にや通じかたし(117)師案には敷の字はうつとよむなれば、うつしもの見るやと思ひてと云義にて、現在のものをみるやとおもひて、なぐさめてけるとよめる意か。みると云も海松の縁あれば、ものみるとつゞく詞にてよめるか。敷藻相の三字の訓點未v決。尚追而可v加2後案1もの也。しきもあふと上にてよむ故、屋どと下をよめり。一説にきみもあふやとあるなれば、宿の字の意にてはあるまじく、てにはの詞と見ゆる也。愚案には敷の字數の字の誤りにて、しば/\もあふやとおもひてとよまんか。しからば隔句体にて、しば/\もあふやとおもひなぐさめてけると云ふ意ならんか
一云公毛相哉登 あふやとよまんか。みるやともよまんか。兩樣によまるべき也。これはあふやと思ひてとよめば、敷藻の二字を一句に何とぞ義訓にして、下をきみもあふやとよめる一説也。點本の通なれば、やどとおもひてと云一句を、君もあふやと云句に替へたる一説を、古注者しるせりと見る也。しかれども此一説によりて見れば、相の字は下へ付く字と見ゆる也。愚案のしぱ/\もあふやとおもひてとよまん事、一理なきにしもあらざらんか
玉垂乃越乃大野之 此玉だれのをちと云義に付て、簾のことをこすと數百歳誤きたれることあり。越の字こすともよめば、みな玉だれのこすと心得て、後々には釣簾とも書くなどゝ云説も出來て、甚あやまりたること也。くだ/\しければ不v記v之。越の宇こすとも、をちともよむ。しかるに此越の大野は、則古注越智能と記し、一説に乎知野と書たる證明あれど、をちの大野とよむべきを、こすの大野とよみあやまりたる也。玉だれのをちとよめるは、玉を貫き垂れる緒とうけたる詞也。をちのをも玉をぬくをも假名同じければ、如v此冠辭に玉だれとよめる也。古今集に、玉だれの小瓶やいづらとよめるも同じ心也。こゝの、玉だれのをちの大野とよめる玉だれには、何の意もなく、たゞをちのをとうけん迄の事としるべし。すべて歌にも文にも冠辭を添ふる事は、本邦の古實雅俗をわかつの理、他にいさゝか此傳をしらざること也
越乃大野、大和の地名也。延喜式卷第廿一詔陵式云、越智崗上陵、飛鳥川原宮御宇皇極天皇、在2大和國高市郡1云々
旦露爾玉藻 朝の露に、皇女の玉藻のぬれひづるを云たる也
※[泥/土]打 これをひづちともひぢてともよめり。いづれもぬれたる義也。下に衣はぬれてとあれば、こゝはひづちとよむべき也
夕霧爾 上にあさ露とよみたれは、如v此あした夕部を對によめる也
(118)旅宿鴨爲留 皇女へ奉れる歌故、人丸察して、たびねをもしたまふらんとの意に、かもと疑ひの詞によめる也
不相君故 古本印本ともに、あはぬきみゆゑとよめり。ゆゑとよみて全体の歌六ケ敷也。故の字は、かれからとよめば、あはぬきみがらと濁音によむべし。からとはながらといふの意也。過ぎ去り給ふ君なれば、あひ給ふことはなけれども、それながらこひしたひたまひて、旅ねをもし給ふかとの意也。又見ざる背ながらともよむべし。相の字は上の敷藻相の相の字のよみにしたがひて、見るとあふとのよみやうかはるべし。いづれにても故の字はゆゑとはよまれず。あはぬ君ゆゑに、たびねをかもしたまふらんとは歌の意六ケ敷也。あはぬながらもしたまふと云の意やすき也
歌の意は、河嶋皇子かくれたまひて、をちのにおさめまつりし故に、皇女の慕ひ悲み給ふあまりに、あさ露夕ぎりにぬれしほれて、かのをち野にいでまして、あひ給ふべきことのあるべき事にもあらねど、悲み慕ひ給ふあまりに、現在の時のやう皇子にあひ給ふこともあらんやとおぼして、旅ねをもしたまふらんかと、人丸の察してよめる也
反歌一首
195 敷妙乃袖易之君玉垂之越野過去亦毛將相八方【一云乎知野爾過奴】
しきたへの、そでかへしせな、たまだれの、をちのすぎにし、またもあはんやも
敷妙 うつたへとも、しきたへともよむべし。きぬのことを云也。第一卷に詳也
袖易之 そでかはせしと云義也。はせを約すればへ也。枕をかはし袖をかはすなど云て、みな親み睦びしことを云義也。玉手さしかへなど云も同じ意也
過去 すぎにしとも過ぬともよむべし。すきにしはすぎいにしと云義也。河嶋のみこのかくれさせ給ふことゝ、皇女のをち野に出てたびねをしたまふかと云義をかねてよめる也
亦毛將相八毛 このあはんも長歌にしたがひて、みんともあはんともよむべき也。またもあはんやもは二度あひ給ふことのなきと也
(119)一云乎知野爾過奴 本集には越野過去と書きけるを、一書には假名書にして、爾の字を加へたる書あるを、古注者書加へたり。越の字長歌にても、此處にてもをちとよむべきの證明、かな書にしるしたるを以てしるべし
歌の意は、泊瀬部皇女の袖をかはして、むつまじくなれそひ給ひし夫君のみまかり給ひて、をち野に葬られさせ給ふによりて、皇女かなしみしたひ給ふあまり、をち野に出まし給ふとも、一度過ぎいにし君にあひたまはんや。二度あはせ給ふことのなきことを、人丸いたみなげきてよみて奉れる也
右或本曰葬河島皇子越智野之時献泊瀬皇女歌也日本紀曰朱鳥五年辛卯秋九月己巳朔丁丑淨太參皇子川島薨
みぎあるふみにいはく、かはしまのみこををちのにおさめまつりしとき、はつせべのひのみこにたてまつるうた也云々
是例の古注者の文なり。此文によりて見れば、忍坂部皇子に奉れるにはあらず。はつせべのひめみこばかりた奉れると見えたり。いかさま標題の文に忍坂部を加へたるは混雜なるべし。別に歌も不v見。また右の長歌反歌ともに、忍坂部へ奉る歌の意はいさゝかも不v見也
越知野 本集には越の字ばかりを書きたる故、古本印本等にもこすのとよみ誤れり。如v此一説にも注にも、知の字智の字を書きたるに、心もつけずしてよめる歟。皇子の薨は左注に記せり
河嶋皇子 天智天皇の皇子也。日本紀卷第廿七云、七年春正月丙戍朔〔戊子皇太子即2天皇位1中略、立2倭姫王1爲2皇后1遂納2四嬪1中畧〕有2忍海造小龍女1、曰2色夫古娘1、生2一男二女1、其一曰2大江皇女1、其二曰2川嶋皇子1、其三曰2泉皇女1、云云。懷風の傳には淡海帝の第二子也と記せり
泊瀬皇女 部の字を脱せりと見えたり。日本紀並前の標題にも泊瀬部と記せり。續日本紀卷第十二云、天平九年二月戊午天皇臨v朝中略、四品水主内親王長谷部内親王多紀内親王並授2三品1云云。しかれば此注に部の字なきは脱落也。或抄に天平九年二(120)月四品長谷部内親王薨と注せるは大成誤也。仝紀卷第十四、天平十三年三月己酉三品長谷部内親王薨云云とあり
淨大參 是は位の名也。訓せばきよきおほきみつのくらゐとよまんか。日本紀卷第廿九云、十四年春正月丁未朔云云丁卯更改2爵位之號1、仍増2加階級1、明位二階、淨位四階、毎階有2大廣1、并十二階、以前諸王已上之位云云。是日草壁皇損子授2淨廣壹位1中略川嶋皇子忍壁皇子授2淨大參位1云云。大、太に作るは誤なり
薨 前に注せるごとく、親王諸王三位以上身死るを薨といふ令の法也。古注者河嶋皇子のかくれ給ふ年月を日本紀を引て注せる也。懷風云、位終2于淨大參1時年三十五とあり。薨年三十五歟
明日香皇女木※[瓦+缶]殯宮之時柿朝臣人麻呂作歌一首並短歌
あすかのひめみこ、きがめのもがりのみやのとき、柿本あそんひとまるつくるうたひとくさならびにみじかうた
明日香皇女 天智天皇の皇女也。日本紀卷第廿七云、七年春正月丙戍朔中略、二月丙辰戊寅中略、次有2阿部倉梯麻呂大臣女1曰2橘姫1生2飛鳥皇女與新田部皇女1云云。續日本紀卷第一云、四年夏四月癸未淨廣肆明日香皇女薨遣v使弔2賻之1
木※[瓦+缶]殯宮 きがめは大和の地名也。その所にもがりの宮を作りて、もがりし奉りたると見えたり
196 飛鳥明日香乃河之上瀬石橋渡【一云石浪】下瀬打橋渡石橋【一云石浪】生靡留玉藻毛叙絶老生流打橋生乎爲禮流川藻毛叙干者波由流何然毛吾王乃立者玉藻之如許呂臥者川藻之如久靡相之宜君之朝宮乎忘賜哉夕宮乎背賜哉宇都曾臣跡念之時春部者花折挿頭秋立者黄葉挿頭敷妙之袖携鏡成雖見不厭三五月之益目頬染所念之君與時時幸而遊賜之御食向木※[瓦+缶]之宮乎常宮跡定賜味澤相目辭毛絶奴然有鴨【一云所己乎之毛】綾爾憐宿兄鳥之片戀嬬【一云爲乍】朝鳥【一云朝露】往來爲君之夏草乃念之萎而夕星之彼往此去大船猶預不定見(121)者遣悶流情毛不在其故爲便知之也音耳母名耳毛不絶天地之彌長久思將往御名爾懸世流明日香河及萬代早布屋師吾王乃形見何此焉
とぶとりの、あすかのかはの、かみつせに、いはゝしわたし【一云いはなみ】しもつせに、うちはしわたし、いしはし【一云いはなみ】の、おひなびきたる、たまもゝぞ、たゆればおふる、うちはし、なびきをゝれる、かはももぞ、かるればはゆる、なにしかも、わがおほきみの、たゝせれば、たまものごとく、ころぶせは、かはものごとく、なみあひし、よろしきゝみが、あさみやを、わすれたまふや、ゆふみやを、そむきたまふや、うつそみと、おもひしときの、はるべには、はなをりかざし、あきたてば、もみぢばかざし、うつたへの、そでたづさはり、かゞみなす、みれどもあかず、もちづきの、いやめづらしみ、おもほえし、きみとゝき/”\、みゆきして、あそびたまひし、みおしもの、きがめのみやの、とこみやを、さだめたまひて、味澤相、まこともたえぬ、しかあるかも【一云そこをしも】あやにかしこみ、ぬえこどりの、かたこひづま【一云しつゝ】あさがらす【一云あさつゆの】かよひしきみが、なつぐさの、おもひしなへて、ゆふづつの、かなたこなたと、おほふねの、たゆたふみれば、おもひやる、こゝろもあらず、そのゆゑの、すべもしるしや、おとのみも、なのみもたえず、あめつちの、いやとほながく、しのびゆかん、みなにかゝせる、あすかゞは、よろづよまでに、はしきやし、わがおほきみの、かたみかこゝを
打橋渡 古き名目にて、日本紀神代卷の下にも造2打橋1と出たり。神代の打橋はうつはしと云意にて、現在のはしと云義、またはしをほめて云たる義にもかなふ也。源氏物語桐壺の卷、うちはし渡どの、其外の卷にも見えて、その注には、假初にかけつ(122)はづしつする橋を云との説なり。枕草紙にも、ほと/\うちはしよりもおちぬべしなどいひて、むかしよりふるくもいひつたへたることなり。尤此集にいくらもある名目なれど、いかなるをそれといふ、慥なる先達の注釋もなければ究めがたし。神代にいへるごとく、うちはうつといふ詞にて、こゝによめるも、常にあらはし見せてわたせる橋をいへるか。たゞしうき橋といふ事にや。うきは慥にさだまらぬ義なれば、うつろげなると云意にて、浮橋をうつはしともいへる歟。假初の橋といひては、此歌の意には不v合也。假にかけはづせる橋ならば、玉藻の生ひなびけるとはあるまじければ、その説にはよりがたし。尚追而證例を考ふべき也
一隱石浪 此石なみの浪の字は並の字の義也。川なみといふ意と同じ心にて、石をならべて橋とせるをいふたる義也。また河づらにある石並といふ義とも見ゆる也
生靡留 おひ靡きたるとよむべし。靡を誤りて麿に作るあり
生乎爲禮流 古本印本ともに、おふるをすれるとよめり。いかにいへることにや。師案、生の字靡の訛、爲は烏の誤りにて、なびきをゝれるとよむ也。乎烏禮流と云詞は、此集中あまたありて、ものゝおひ重りてしげりたる事をいふ。花咲きをゝりなどよめるもおなじ義也
干者波由流 上よりよみつゞけたることみな序詞にて、皇女を河も、玉もになぞらへてよめる也。なれども河も玉もは、枯れてもまたあとよりはゆれども、みまかり給ふ皇女は、二度かへらせ給はぬといふかなしみの意を含めて、枯るればはゆるとよめる也
何然毛 なにとてかくのごとくにと云意なり。下の朝宮を忘れ給ふ、夕宮をそむきたまふやといふ句にかゝる、隔句のなにしかも也
吾王 皇女を尊んでいへる也
立者 たゝせればころばせばといひて、皇女の起居動作の御ありさまのうるはしきを、玉もにたとへいひたる也
靡相 なみあひしとも、なびきあひしともよむべし。夫君にむつびあひたまひしことを云たる也。此皇女いづれの人に嫁ぎ給(123)ふといふこともしらねども、此歌の詞によりてみれば、夫君のありしと見えたる也
宜君之 夫君をさしてかしこしとも、よろしきともほめたる詞也。よろしきともかしこしともよむべし。假名書によろしきといふ事あれば、かしこきよろしき二樣によむべし
念之時 現在ましませしとき也。うつの身とおぼしめしゝとき也
花折挿頭 かざしとは、かしらにさすといふ義、則文字の通也
袖携 夫君と相つれだち給ひてといふ意にて、鏡を袖に持そふといふの縁ともきこゆる也
鏡成 如v鏡といふ義也。みれどもといはん冠辭也
三五月 十五夜の月を云。三五合て十五の數といふ縁をもて義訓せり。望月、倭名鈔卷第一云、釋名云、望月、和名毛知都岐、月大十六小十五日、日在v東月在v西遙相望也。十五夜月のみちたるごとくあきらかに、きよらかに見えたまふと云義也。夫君の方から見れどもあき給はずや、また皇女の方よりめづらしみ給ふやと、兩方へかけて見ゆる也
君與時時幸 夫君と春の花の折、秋のもみぢのころいでまし給ふてと也
御食向 これを古本印本等みなみけむかふとよめり。すべて此集中に此三字をかきたるうた四首あり。此一首は、きとうけたる詞、今一首はみなとうけたる歌、二首は、あは、あちとうけたる歌也。しかるに諸説みけむかふとは、食を備ふるとき、み食にむかふごとく、前ちかくあるものをいふとの説也。しかれども四首の歌の詞一やうならず。別々のつゞきにて、食を備ふる時前ちかくむかふものならでもいへる歌あれば、此説も信用しがたし。假名書にみけむかふともあらば、異義あるまじけれど、四首の歌皆同字なれば、みけむかふにてはあるまじ。向の字物といふ字のあやまりと見ゆる也。よつてみおし物とよみて、みおしものは飲食どもの義なれば、四首の歌のつゞき、みなおし物の冠辭とみゆる也。こゝもみおし物きがめとつゞきて、きとは酒の古語、しかればかめも酒がめの意にて、みおし物に備ふるもの也。殘り三首の詞つゞきの釋は其所にて注すべし。みおし物なればひろくわたりて、四首の歌につかゆる所なき也。向と物とは、誤りやすき字形なれば、きはめて物の字のあやまりとは見る也
常宮跡 もがりの宮となし給ひて、此ところに葬られさせ給ふ故に、今よりのとこみやと定めたまふとの義歟
(124)味澤相 此三字いかんとも解しがたし。諸抄にあぢさはふといふて、あぢとはよきといふ義、そのよき事の多くあふたることをいふと也。さいふて此ところの義相聞え侍るにや。此三字此集中以上六首の歌ありて、多分は、めとか、まとかうけたる冠句也。一首宵とうけたる歌あり。かれこれをもつて何とよむべき義訓か、いまだ不v決故まづ除き置く也
目辭毛絶奴 まは發語にて、ことは言の義也。かくれ給へば、ものゝたまふ事も絶給ふと也
然有鴨 此句別して心得がたし。しかるからと云べきを、かもとうたがひたる意不審なり。人丸のしかるかもと、前の句どもの意はみな察していひたる義故、かもとうたがひたる歟
一云己乎之毛 此一説の句にて、義安くきこゆる也。上にいひのべたるその事ども、あやにあはれなると云の意也
綾爾 切になげきたる詞也。喜怒哀樂につきてみなせちに感嘆したることをあやにと云也
憐 哀の字の意とおなじ。あはれなると云義也
宿兄鳥 第一卷にて注せり。ものかなしき事によめり
片戀嬬 ぬえと云鳥は雌雄一所に不v居もの故、かたこひづまといふ縁によめり。嬬は夫君をさしていふたる義也
一云爲乍 かたこひしつゝともあると也。此一説も義安くきこゆる也
朝鳥 かよふの序詞也。鳥はあしたに、おのが行く道のかたへ立行くものなる故、通ふの冠辭に、あさどりのとあると云諸説なれども、此説しかと不2打着1也。師案は、朝鳥は朝烏にてあるべし。鳥烏の誤は擧て數へ難き也。烏はかゝとなく聲をもてなづけたる鳥也。されば烏は夜あくれば、そのまゝ鳴きて何方へも飛びかよふものなれば、かれこれ相叶ふ義をもて、かよふと云冠句に朝烏とはいへるなるべし。かゝとなくは、かとよぶの義なれば、あさがらすかよひとはよめると見えたり。皇女の御存在のとき、夫君の通ひたまひしことを、ことばの縁につれていひ出せる也
一云朝露 古一本に露を霧に作れるもあり。しかれども此ある説は、本集の朝がらすの句勝れたらんか
夏草乃 しなへといはんための冠句也
念之萎而 これより夫君のかなしみ給ふ事をのべたる也。しなへと云は、しをれたるといふ意に同じ。勢無きありさまを云た(125)る也
夕星 倭名鈔卷第一云、兼名苑云、太白星一名長庚、暮見2於西方1爲2長庚1、世間云2由不豆豆1。夕暮かたの星のかげ、彼方此方に、光のあらはれて、一所にさだかにも見えざる義をいへる也。かなたこなたといはんとて、夕づつとはよみ出たり
彼往此去 前の歌にも、彼依此依とありて、かよりかくよりとよませたれど、かゆきかくゆきと云詞、雅言證例もなければ、こゝもかゆきかくゆきとよませ、義訓によまんためにかく書きたれば、前もこゝも、かなたこなたとよまん事しかるべし。こゝかしこといふもおなじ義にて、此かなたこなたは夕づつの此處彼處にあらはれて一所に光も不v定義と、また大ふねのかなたこなたにたゞよふの義、兩方へかけて書きたると見えたり
猶預不定 これをたゆたふとよむ事、此集中數多也。たゆたふとは、たゞよふと云とおなじ義にて、大船はゆくこともゆるやかにして、たゞよふものなれば、夫君の悲みに沈み給ひて、此方彼方歎きまどひ給ふありさまを、たとへていへる也。あすか川とはじめによみ出したる故、此所に縁なきやうなれど、大船とはよみ出せり
見者 なげきかなしみ給ふ夫君のありさまを、人丸のみれば也
遣悶流情毛不在 おもひやるとは、かなしみなげきのこゝろをさりやりて、なぐさむこゝろもなきの義也
其故 そのゆゑのとよむべき歟。この以下の句少心得がたし
爲倍知之也 これは、すべもしるしやとよむべき歟。かくなげきかなしみまどひ給ふすべも、いちじるきぞといふの事ときこゆる也。師案は下へつゞくすべの印やといふ義歟と也。未v決
音耳母名耳毛不絶 これよりまた皇女のかくれ給ふあとを長く久しくいつまでも慕はんといふ事をいひたる也
思將徃 しのびゆかんとは、したひ奉らんとの義也
御名爾懸世流 みなに負せると義訓にもよむべきか。かゝせると云てもかけませると云義也。けまを約すればかなり。皇女のみなをあすかと稱し奉る故あすか川と云名は、天地とゝもに絶ゆることなくのこれる名なれば、万代までしのばんと也
早布屋師 前にもはしきかも、はしきつまなどよめる歌あり。その所に注せるごとくほめたること葉也。はしきよしとよめ(126)る歌もあり。同詞なり。皇女を稱美していへる也
吾王乃 あがもわがもおなじ義にて、したしみて云たる義也。おほきみとは、皇女をさして云たる也
形見何此焉 皇女の御名を、あすかと稱し奉りし故、此明日香川おなじ名なれば、万代までも皇女のかたみとしのばんと也。此焉の二字、こゝをとよむべし。烏焉は相通也。こゝをと云は、及2万代1にと云句へもかゝり、しのばんと云句へもかへるてにをは也
右長歌の意は凡てつゞめては解し難ければ、皆句の六ケ敷處々にて釋し侍る也。よまん人句々の釋を見て全躰を沈吟可v有也
短歌二首
197 明日香川四我良美渡之塞益者進留水母能杼爾賀有萬思
あすかがは、しがらみわたし、せかませば、ながるゝみづも、のどにかあらまし
進留 此二字義をもてかけり。水のすゝむは流の義なれば、古本印本にもなかるゝとよめる義可v然。今一訓は、急速にながるゝ水も、せきたらんにはよどみてのどやかにあらましとよめる意と見ゆれば、みなぎるともよむべからんか。のどにかあらましといふ句に對せんには、ながるゝよりみなぎるとよまんかたまさらんか。好む所にしたがふ也
能抒爾加 のどにといふは、すべてものゝしづかにおだやかにして、あらく急疾ならぬことを云也。拾遺集に、涙川のどかにだにもながれなんこひしき人のかげや見ゆるとゝよめるも、しづかにといふ意也。又拾遺集に、此歌の終の句を、のどけからましとしるせり。もし爾と氣とを傳寫に誤りたるか
一云水乃與杼爾加有益
例の古注者の或説を載せて、のどにかといふも、水のよどみの事と云意を注したるもの也。別の意なし
此歌の意は、あすか川のみなぎりて、とくながるゝ水もせかませば、のどやかにゆるみてよどまんに、御名を負せる皇女のみい(127)のちはとめてもとゞまらぬと、なげきの意を裏にふくめてよめる也。古今集に、忠岑かあねのみまかりけるとき。せをせけばふちとなりてもよどみけりわかれをとむるしがらみぞなき、とよめるも、此歌の意におなじ
198 明日香川明日谷【一云左倍】將見等念八方【一云念香毛】吾王御名忘世奴【一云御名不所忘】
あすかかは、あすだに【一云さへ】みむと、おもふやも【一云おもふかも】わがおほきみの、みなわすれせぬ【一云みなわすられぬ】
歌の意は、皇女の御名をあすかとしいふにつきて、その御名をわすれぬは、あすも見奉らんとおもふか、過行き拾ふ皇女は二度見奉ることはならぬに、あすか川のあすかと云み名のわすられぬと也。あすか川とよめるは、皇女のみなと同じければ、すなはちあすとうけんためによみ出せる也。一云の意は釋するに及ばず。おなじ義也
一云御名不所忘 木集の意とおなじ義也。本集のせぬと云よりは、わすられぬと云かたまさらんか。かつ古注者もわすれせぬと云は、わすられぬと云義なりとの注に、一説をもあげたるか
高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首並短歌
高市皇子 傳前に詳也。薨給ふ年月は古注者奧に注せる通に、持統紀に見えたり。尤釋日本紀私紀の説も同v之也
城上 大和の地名也。日本紀卷第十六、武烈天皇三年冬十一月、詔2大伴室屋大連1發2信濃國男丁1、作2城像於水派邑1、仍曰2城上1。倭名鈔卷第五國郡部云、大和國城上、之岐乃加美。元明天皇和銅六年夏五月甲子、幾内七道諸國郡郷名著2好字1事被v定、礒城上下と被v定其後又延喜の御時凡諸國郡内郡里等名並用2二字1必取2嘉名1とある式文によりて、礒の字は省かれてもしきと唱へ來れる故、和名鈔にも如v此しるせる歟。たゞし此歌にて見ればしきとはとなへず、木上とよめり。尤佳字に不v被v改已前の歌なれば、しきの上の郡の事にても、武烈紀に被v記たる通によめる筈也。もしくは郡の城上とは別所にて、かみもかめも同訓なれば、此も木※[瓦+缶]の事歟
199 掛文忌之伎鴨【一云由遊志計禮杼母】言久母綾爾畏伎明日香乃眞神之原爾久堅能天津御門乎懼母定賜而神佐扶(128)跡磐隱座八隅知之吾大王乃所聞見爲背友乃國之眞木立不破山越而狛劍和射見我原乃行宮爾安母理座而天下治賜【一云拂賜而】食國乎定賜等鳥之鳴吾妻乃國之御軍士乎喚賜而千磐破人乎和爲跡不奉仕國乎治跡【一云掃部等】皇子隨任賜者大御身爾大刀取帶之大御手爾弓取持之御軍士乎安騰毛比賜齊流皷之音者雷之聲登聞麻低吹響流小角乃音母【一云笛乃音波】敵見有虎可※[口+立刀]]吼登諸人之※[立心偏+協の旁]麻低爾【一云聞惑麻低】指擧有幡之靡者冬木成春去來者野毎著而有火之【一云冬木成春野燒火乃】風之共靡如久取持流弓波受乃驟三雪落冬乃林爾【一云由布乃林低】飄可毛伊卷渡等念麻低聞之恐久【一云諸人見惑麻低爾】引放箭繁計久大雪乃亂而來禮【一云霰成曾知余理久禮婆】不奉仕立向之毛露霜之消者消倍久去鳥乃相競端爾【一云朝霜之消者消言爾打蝉等安良蘇布波之爾】渡會乃齊宮從神風爾伊吹惑之天雲乎日之目毛不令見常闇爾覆賜而定之水穗之國乎神隨太敷座而八隅知之吾大王之天下申賜者萬代然之毛將有登【一云如是毛安良無等】木綿花乃榮時爾吾大王皇子之御門乎【一云刺竹皇子御門乎】神宮爾装束奉而遣使御門之人毛白妙乃麻衣著埴安乃御門之原爾赤根刺日之盡鹿自物伊波比伏管烏玉能暮爾至者大殿乎振放見乍鶉成伊波比廻雖侍侯佐母良比不得者春鳥之佐麻欲比奴禮者嘆毛未過爾憶毛未盡者言右敝久百済之原從神葬葬伊座而朝毛吉木上宮乎常宮等高之奉而神隨安定座奴雖然吾大王之萬代跡所念食而作良志之香來山之宮萬代爾過牟登念哉天之如振放見乍玉手次懸而將偲恐有騰文
かけまくも、いみじきかも【一云ゆゝしけれとも】いはまくも、あやにかしこき、あすかの、まがみのはらに、ひさかたの、あまつみかどを、かしこくも、さだめたまひて、かみさぶと、いはかくれます、やすみしゝ(129)わがおほきみの、きこしめす、そとものくにの、まきたてる、ふはやまこえて、こまつるぎ、わさみがはらの、かりみやに、あもりいまして、あめのした、おさめたまひし【一云はらひたまひて】をしくにを、しづめたまふと、とりがなく、あづまのくにの、みいくさを、めしたまひつゝ、ちはやぶる、ひとをなごしと、まつろはぬ、くにをおさむと、【一云はらへと】みこながら、まかせたまへば、おほみゝに、たちとりはかし、おほみてに、ゆみとりもたし、みいくさを、あともひたまひ、とゝのふる、つゝみのおとは、いかづちの、こゑときくまで、ふきなせる、くだふえのねも【一云ふえのねも】あだみだる、とらがほゆると、もろびとの、をびゆるまでに【一云きゝまどふまて】さしあぐる、はたのなびきは、ふゆごもり、はるさりくれば、のらごとに、つきたりしひの【一云ふゆこもり、はるのやくひの】かぜのつれ、なびくかごとく、とりもたる、ゆはずのうごき、みゆきふる、ふゆのはやしに【一云ゆふのはやしに】あらしかも、いまきわたると、おもふまで、きゝのかしこく【一云もろびとのみまどふまでに】ひきはなつ、やのしげらけく、おほゆきの、みだれてきたれば【一云あられなす、そちよりくれば】まつろはぬ、たちむかひしも、つゆしもの、けなばけぬべく、ゆくとりの、あらそふはしに【一云あさじもの、けなばきゆとにうつせみと、あらそふはしに】わたらひの、いつきのみやゆ、かみかぜに、いぶきまどはし、あまぐもを、ひのめもみせず、とこやみに、おほひたまひて、しづめてし、みづほのくにを、かみながら、ふとしきまして、やすみしゝ、わがおほきみの、あめのした、まをしたまはゞ、よろづよも、しかしもあらむと【一云かくもあらむと】ゆふはなの、さかゆるときに、わがきみの、みこのみかどを【一云さすたけのみこのみかどを】かみゝやに、かざりまつりて、つかはしゝ、み(130)かどのひとも、しろたへの、あさのころもき、はにやすの、みかどのはらに、あかねさす、ひのくるゝまで、しゝじもの、いはひふしつゝ、ぬばたまの、ゆふべになれば、おほとのを、ふりさけみつゝ、うづらなす、いはひもとはり、さもらへど、さもらひえねば、うぐひすの、さまよひぬれば、なげきしも、いまだすぎぬに、おもひもの、いまだつきねば、ことさへぐ、くだらのはらに、たまはふり、はふりいまして、あさもよし、きのうへのみやを、とこみやと、たかくしたてゝ、かみながら、しづまりましぬ、しかれども、わがおほきみの、よろづよと、おもほしめして、つくらしゝ、かぐやまのみや、よろづよに、すぎむとおもへや、あめのごと、ふりさけみつゝ、たまたずき、かけてしのばむ、かしこけれども
掛文 此詞祝詞宣命等にかぎりなくいひならはせること也。いかなる義をかけまくとはいふことゝ、むかしより解釋したる人もなければ、後學の人一己の勘案をもて、さとりしるべき事となれり。まづは尊み恐れていへる詞としるべし。その尊み恐れて云こと葉に如v此いへるは、義理はいかんぞと問答したらんには、其廨釋容易には解しがたきこと也。此釋は別に家傳にし傳ふれば此に除く。まづたゞたふとみかしこまりたる義をいふたる事としるべし。挂の字にかけるは誤り也。よって掛の字に改也
忌之伎鴨 是も尊稱のことば也。尊み崇め奉る神明を敬ひて遠ざけ奉るの意にて、いみはゞかりて、したしみなれ/\しからざる義をもて、いみじきとはいへるならん。いみじきとはすべてあがめほめたることゝしるべし
言久母 上は心にかけるもいみじく、下はことのはにいふもおそれあるとの義也
綾爾 前に度々注せる通、みな尊稱の辭也。あすか淨御原の御門を尊み崇め賞讃し奉る序の詞也
眞神之原爾 天武天皇の皇居大和の地名淨御原ともいひ、まがみの原とも稱せし也
神佐扶跡 第一巻に注せる如く、神すさびと云義也。天武帝の崩御まし/\て神靈とならせ給ひたることを、神さぶとはいへ(131)る也
磐隱座 崩御なりしことをいはかくれとは云也。神代の上卷岩戸の段に所以あること也。此處にいふ神さぶと、いはくれますとは天武天皇の義を申せしこと也
所聞見爲 きこしめすとも、きこしみすともよむべし。いづれも同じ意にて、天武帝の天下をしろしめせしといふ義也
背友乃國 五畿内の外の國をさして云義にて、近江の國をはじめ、東山道は大和の北うしろにあたる故也
眞木立 山といはんための冠辭也
不破山越而 美濃國不破山也。是より天武天皇の大友皇子とのみ軍の義を、いひつらねたる也。これより已下の義、日本紀卷第廿八の紀を引合せ見れば詳也。紀に洩れたることを此歌にあらはしよめる義もあり
狛劔和射見我原 狛劔とはわと云冠辭也。こまの劔には柄の頭に環あり。よつてこま劔わとはいひたる也。今用ふる太刀にも※[手偏+丙]に鐶あるは、今の太刀狛劔の形歟
和射見我原 美濃國の地名也。日本紀巻第廿八大友皇子とみ軍の時の文に云、高市皇子自2和※[斬/足]1參迎以便奏言云云。悉授2軍事1皇子則還2和※[斬/足]1云云。又云戊子天皇徃2於和※[斬/足]1檢2校軍事1而還、己丑天皇徃2和※[斬/足]1命2高市皇子1號2令軍衆1云云。このわさみのはら也
行宮爾 旅の皇居也。よりてみなかりみやと稱する也。日本紀巻第三神武紀云、乙卯年春三月甲寅朔己未徙入2吉備國1起2行宮1以居v之。字訓はなけれど、是より次に行宮の二字、悉くかりみやと訓ぜり。日本紀還第廿八天武紀の此歌によめる時の文(ニ)云、天皇於v茲行宮興2野上1而居焉云云。しかればこのうたの詞と紀の文とは少々たがへり。しかれどもわさみのはらへも軍のときより度々み幸ましませること、紀の文に見えたれば、暫時にても行在所の所をさしてかりみやとはよめる也
安母理座 古本印本ともに、やすもりましてとよめり。奧の歌ともに天降附とかき、又阿毛理之とかながきの語例の證あればあもりとよむべし。あもりとは天降附とかける字の意にて、あまくだりいましてと云の義也。天武天皇東國に入らんとし給ひて、不破關鈴鹿の關を越えさせられて、勢州桑名にましませしかども、軍の便行程へだゝりてはよろしからざる由、高市の尊(132)の御いさめにて、不破の關の近所此わさみのはらの行宮にまし/\て、みいくさの勝利を得させ給ひて後、大和の淨御が原の宮に入らせ給ふ也。大友皇子と御たゝかひの間は、此行宮に皇居なりし故、あまくだりましてとよめる也
天下治賜 これはみいくさの當然のことをいへるにはあらず。始終を遂げさせ給ひし後の事を云ひたる句也。よりて古本印本にもおさめたまひしとよませたるは可也
一云拂賜而 或説には、治を拂に書ける一本もありと也。此説には而の字を加へたり。本集のおさめ賜ひしとよめる方然らんか。はらひたまひて、其後あづまの國のいくさをめし給ふにはあらず。是迄にて大むねの義をのべて、これより以下、み軍の時のありさまこまかによみあらはしたる也
食國を 第一卷にも注せるごとく、をしくにとは我本朝の事を賞美していへる號也。をし物のみちたれるうましくにといふ義に、此國をさしてをしくにとはいへる也
定賜 しつめ給ふとも、さだめ給ふとも義はおなじ事也。前に注せるごとく、天下を治め賜ひて、其後又しづめたまふとて、あづまの軍をめすにはあらず。み軍の時の義をいふたる事地
鳥之鳴吾妻乃國 此とりがなくあづまといへることは、日本紀古事記の文且歌中にも不v見。此人丸の此歌にはじめて見えて、尤此集中にもあまたあり。仙覺律師の抄にも此釋くはしく注したれども、入組みたる意味をふくめる説ときこゆる也。まづとりとさすは鷄の事にて、にはとりはきはめてよあけんとするときなくものなれば、あかつきといふ詞の縁に、とりがなくあとうけたるものと聞ゆる也。尤あづまの國の事は、景行天皇のとき、日本式尊の橘媛の事を慕ひ給ひて、吾嬬者耶とのたまひし古語よりおこりて、山の東の國をさして、すべてあづまの國とはいへる也。これらの義につけてなくといふ悲みの詞により、色々の意味を添へていはゞ、いひよそへん義もあるべけれども、それみな穿説にて古義には叶はざる事也。たゞ鳥はあかつきになくもの故その詞の縁をもつて、あづまのあとうけんまでに、とりのなくとはよめる事と見るべし
喚賜而 大友の皇子との御戰のときの文に云。先遣2高市皇子於不破1令v監2軍事1、遣2山背部小田安斗連阿加布1發2東海軍1、又遣2稚櫻部臣五百瀬土師連馬手1發2東山軍1云云
(133)千磐破人乎 古本印本等に、人の字にかみと點をなせり。尤日本紀神代卷にも人をかみと訓せる一書あれども、こゝは字のまゝによむべし。千磐破人とは、千々のいはをもおし破る如きの、あらくたけきわざをなしてあらびすさめる人を云也
和爲跡 そのたけくあらびすさめる人をも、なつけしたがへしめ給ふ義をなごすといふ也。なごしのはらへなどいふも、あしきわざはひをなす神をはらひしづめるといふ義にて、なごしとは云也。なごし、なごすおなじき也
不奉仕國乎 王化の未だ及ばずして、君命に從ひ仕へざる國々を云也。かの御軍の時、天武天皇に歸服せぬ國々所々の義をさして也
治跡 或説に上のなごすと云點も、此のおさむと云も、皇子へ下知し給ふ義なれば、なごせと、しらせとよむべしといへり。いづれにてもおなじ義なり。みこ御一人のたゝかひにあらず。全躰天皇の御はからひの事なれば、古本印本の點にまかせよむべき也
一云掃部等 此等の字誤て本文に入れり。一本小書に書て一云の行に記せるを以て證とす。をさめもはらへも意はおなじき義あらけすさみ君命に從はぬあしきものをはら平らげおさめ給へと、皇子へことよさゝせ給ふと也
皇子隨 古本印本且近世の抄物等にもわがみこにとよめり。心得がたき點也。神ながらと云とおなじ意にて、みこなるからにまかせ給ふとの義なれば、みこながらとよむべき也
任腸者 みいくさの事を、高市の尊にまかせ給ふ也。日本紀卷第廿八この軍の時の文に、天皇謂2高市皇子1曰、其近江朝左右大臣及智謀群臣共定v議、今朕〔無2與計v事者1唯有2幼小少嬬子1耳〕奈之何、皇子攘v臂按v釼奏v言、近江群臣雖v多〔何敢逆2天皇之靈1哉、天皇雖v獨則〕臣高市頼2二神祇之靈1請2天皇之命1、引2率諸將1征討豈有v距乎、爰天皇擧v之携v手撫v背曰、慎不v可v怠、因賜2鞍馬1悉授2軍事1、皇子則還2和※[斬/足]1云云。如v此勇猛に諫言をも、奏せさせ給ふて、いきほひ勝れさせ給ふ故、此軍もすでに勝利を得させ給ひし也。此時いまだ廿歳にはならせ給ふまじきに、かやうの御武男、まことに日本武尊の御化身ともいふべからんか
大御身爾云々 これより已下、皇子の武備の事をのべたる也
(134)安騰毛比賜 此詞集中にあまたあり。あつめたまひと云義也。仙覺抄には、今はとおもひたまひと云義と釋せり。或抄には誘の字の意にて、日本紀にあとふとよませる此意なりと云説あり。心得がたし。あつめとゝのひ給ふといふ義を、あともひ給ひと云たる也。ともつも同詞也。もひとはめとを約すればも也。よりてあつめとゝのひといふ略語とする也
齊流 軍列を立て、前後左石の備へをとゝのへるとの義也。古詠の格、いも|ゐ《マヽ》とよめるかたしかるべからんか。つゝみとうけたる冠句也。いも|ゐ《マヽ》はつゝしみの事を云。つゝしみといふを、古語にはつゝみといへり。然れば古訓のいもゐとよめる方可v然也。此點は仙覺律師の改點也。其前はいも井するとよませたり
皷之音者 軍のときは、すべて笛皷太皷鉦等の器を以て進退を定むる也。皷、和名鈔卷第四音樂部云、蔡※[災の火が邑]獨斷云、皷、公戸反和名都々美黄帝臣岐伯所v作也。軍防令云、凡軍團各置2皷二面大角二口小角四口1云々
雷之聲登聞麻低 此時の紀の文にも、旗職蔽v野埃塵連v天、鉦皷之聲聞2數十里1云々。おびたゞしくすさまじき有樣をのべたる也
吹響流 ふきなせるは、ふきならせる也
小角乃音母 古本印本をつのとよめり。或抄には小ふえとよめり。いづれも心得難し。日本紀卷第廿九云、天武天皇十四年十一月丙午詔2四方國1曰、大角《ハラ》小角《クタ》鼓吹幡旗及弩※[手偏+施の旁]之類、不v應v存2私家1云々。和名鈔卷第十三征戰具云、兼名苑注云、角、本出2胡中1、或云、出2呉越1以象2龍吟1也、楊氏漢語鈔云、大角波良乃布江小角久太能布江。如v此あれば、くだぶえのねとよむ也
一云笛之音波 此一説は、本集に音母とあるを、或説には、音波とある異説をあげて、小角の二字くだぶえとよむ證明の爲にも注したると見えたり。くだの二言を略して、ふえと計り書したるはこれ異訓をふせげる古注者の筆義と見ゆる也。さなくては、ふえの音はとよみては、上に二言不v足句なり。是非とも、くだとか、何とぞ二語なければ續けられざるをもて、笛といふ字を書して倭名鈔に從ひて、くだぶえとよまん爲の説と見えたり。すべて此集中一説を擧げたるは、本集の義の語例になさしめん爲に、或説をあげたる事數多也
敵見有虎可※[口+立刀]登 虎に害をなさしめんずるあだを、とらの見て怒り猛りて吼る如くに、くだぶえのなりひゞけるとなり。軍陣(135)に皷ふえ鉦太鼓を用るは、進退をとゝのへ軍兵の機を進ましめ、かつ敵の氣を脅さんために備へし由軍書には見えたり
恊流麻低爾 おどろかすといふとおなじ義也
一云聞惑麻低 或の字を書けるは誤也。心を脱したる也
幡之靡者 旌旗の末の、靡き垂れたる躰を云ひたる義也。倭名鈔征戰具部云、孝二記云、幡、音翻和名波太旌旗精期二音之惣名也、唐韻云、旒音流、和名波太阿之旌旗之末垂者也云々。此靡者といへるは、旒の字の意なり
冬木成春去來者 これは野火の事をいはんとての序詞也。此軍春の事にはあらず
野毎 古本印本共に、のべごとにとよめり。おなじやうなれど、邊といふと、のらといふとは少し意味違ひあり。へといふては邊の字なくてはよみがたからん。よりてのらとはよむ也。のら毎とは野ごとゝいふと同意也
著而有火之 古印本等の點にては、たゞごとのやう也。義は同じけれど、つきたりし火のとよむ方やすらかならんか
一云冬木成春野燒火乃 此一説にて彌春去來ればとあるは、そのときの義にあらず。たゞ春野を燒く火にたとへいはん爲に、冬ごもり春さりくればとよめる義あきらか也。春になれば若菜蕨を早く生出させん爲に、野を燒く也。倭名鈔卷第十二燈火部にも野火といふ名目を擧げたり。烽火の義にはあらず
風之共 仙覺抄に筑紫の古語として、共の字をむたとよめり。前にも此義を注せし如く、むたと假名書の歌もありて、ともにといふ義をむたといひしごとく見ゆれども、こゝはつれと云義訓によむべき也。風につれそひて靡くと云義也。つれもともゝ同義也。さしあぐるはたのなびきひるがへる有樣、春野をやく火の、風にしたがひて靡ける如くに見ゆるとたとへてよめる也
弓波受乃驟 弓を射るに、※[弓+肅]の動き弦音のはげしきことをよめり。倭名鈔卷第十三征戰具弓條下、釋名云、弓末曰v※[弓+肅]、音蕭、倭名由美波數
冬乃林爾 弓はずのむら立てるさま、雪の降りかゝれる冬の林、梢のごとくなるにたとへたる也
一云由布乃林 此ある説は、木の躰白きにはあらねど、白ゆふはな、白たへのゆふなどいひて、白きことにいひ來れる故、み雪ふるとあるによりて、由布のはやしとかきたる一本ありしか、たゞ布由のかな書の轉倒歟。いづれにもあれ意はおなじ義也
(136)飄可毛 かぜのはげしく吹躰を云。よりて飄の字をあらしと義訓せり。あらしは嵐の字なれども、こゝは意をも義訓によみ來れり
伊卷渡等 いは發語也。まきは風のはげしく、吹わたる景色にたとへてよめる也。文選詩云、回※[風+火三つ]卷2高樹1云云、此意也。數萬の弓はずのむらだちたる有樣、みゆきふりかゝれる冬の林の梢の如くにもの凄じく、射はなつとき弓はずの動きなる音はげしき嵐の高樹をたゝき動かすにさも似たるやうに、兩方をかねてよみなせる也。天武紀の文にも、旗幟蔽v野埃塵連v天云云とあり
聞之恐 そのはげしき音をきく人、見る人おそるゝと也
一云諸人見惑麻低爾感 此ある説は、いまきわたると諸人のとつゞく句の一説也。後の感の字は衍字なり。一古本にはなき也
引放箭繁計久
大雪乃亂而來禮 紀の文にも、列弩發亂失下如v雨とありて、射はなつ矢の、間なくすきまもなくしげき事を、大雪の亂れふるごとくとよめる也。印本等には、みだれてきたれとよめり。或抄にはきたればといふを、きたれと計いへるは、古語の格といへる説あれども心得がたき説也。きたれとばかりありては、文句つゞかず。一説によりて案ずるに、もしくは、婆の字を脱したるか。此儘にては、きつれとよまば文句もつゞくべからんか。上の箭のみだれふる雪のごとくに、きつるとの義也
一云霰成曾知余里久禮婆 霰の如くにそなたの道よりよりくればと云義世。此一説をもてみれば、此集にも來禮婆とありしを、婆の字を落したると見えたり。此一説の句は、本集の句よりも勝りたるといはんか。脱字も見えねば詞のつゞきもやすらかに聞ゆる也
不奉仕 天武帝の御方に不v屬して、大友方となりて立むかひし敵兵をさして也
消者消倍久 味方より射放つ矢の大雪あられのごとくにみだれきつれば、立むかひし敵の軍兵のにげさりて露霜の消ゆるごとくほろぶべくと也
去鳥乃 にげちる軍兵のことを、立去る鳥に比して也
相競端爾 たち鳥はわれ先にと爭ふもの也。その如くにと比したる也。端にと云は間にと云義也。古今集に、木にもあらず草(137)にもあらず竹のよのはしにはとよめるはしも此はしも同意にて、あひだにと云義也。日本紀等にも間人と書てはしうどゝよませたり。此集第一にも、はしうどの連、はしうどの宿禰など云にみな間人と書り。川に渡をはしと云も、兩方のきしの間と云の意にて橋とはいひたるか。當集第十九卷家持の歌にも此詞ありて、みなあひだと云義をはしといふ也。然ればわれさきと先がけをこのむにもあれ、またにげさるときにてもあれ、そのあひだにと云義也
一云朝霜 これは一本には、立向之毛とある下の露霜とあるを、朝霜之云々とある異説を注せり
消者消言爾 とにと云は、ことゝ云とをとりて、本集の消倍久といふとおなじ意也
打蝉等 去鳥のとあるを、一説にかくのごとくありと也。うつの身といふ意、現在の軍兵どもの戰ふ間にと云義也。上にけなばけぬとにとあるにより、現在の身とあらそふはしにとよめり
渡會乃 上にはしとある縁をもて、わたらへとつゞけたり。人丸の歌、如v此のつゞく妙句を具へたり
齊宮從 伊勢神宮よりと云義也。從の字をゆとよむ事古語にして、きはまりたる約言といふもの也
神風爾伊吹 いぶきのいは發語の詞也。齊宮よりとあるによりて神風とはよめり。此時不意に如v此の風立たるなるべし
惑之 敵軍を迷はし給ふと也
天雲乎云々 これより已下、覆賜而と云迄の句紀の文には不v見。戰より前に風雨雷電等夥敷夜天武天皇神宮に向はせ給ひて、祈誓をなされしかば、忽然と天晴れたる事紀に見えたり。その義をこのところへ引直してよめる歟。たゞし紀の文には脱したれども、此歌によめるからは實に如v此の事有し故よめるか。何れにもあれ、此集の歌に如v此あれば實録とはすべき也
定之 伊勢の大神の宮より、神風をもて吹立て、天雲日をかくして、大友皇子のいくさを迷はし給ひて、かけまくもかしこき大神のみちからをそへ給ひ、此みいくさの勝利をあたへたまひ、天武の御代とさだめ給ひしと也
水穗之國 前に注せるごとく、我國を賞讃していへる國號也
太敷座而 天下をたしかにをさめしきまして也
八隅知之吾大王 これは天皇をさしていふたる事也。高市皇子をいふにはあらず
(138)天下申賜者 古本印本おさめたまへばとよめり。申の字おさめとよまん字義おぼつかなし。これは天下の事を、天皇へ高市の申給はゞとの義とは見えたり。給へばと云と、給はゞと云とに少し意の違あり。こゝは過去のことをよめる義なれば、給は《マヽ》ゞとよむべき也。高市のみこは、持統天皇の時太政大臣にもならせ給ひ、其後皇太子ともなり給ふ故、それらの事を引合せてよめるなるべし
萬代 これも、よにと云と、よもといふとに少し違ひあり。こゝは萬代もとよむべき也
然之毛 御代太平に、人丸の時分のやうに高代もかくあらんと也。天武のみ代とならせ給ひて、天下をたしかにおさめしきいまして、その天下の成敗を天皇高市のみこの申し給はゞ、今の代のごとく萬代もおだやかならんと也
一云如是毛安良無等 假名書にしたる一本もありし故、別に注せし也。印本等に本集をしかしもとよめり。かくしもと云詞もおなじき也。是迄にて句絶也。これより高市のみこのかくれ給ふ事をよめる也
木綿花 前に注せり。杜仲の義也。まさきともいふ歟。日本紀神代卷にうつゆふのまさきくにと續る文あり。しろき花咲きてよく榮ゆる木也。歌にしらゆふ花ともよめるこれ也。昔は葬具にも木綿を用ゐたる故、如v此よみ出たる歟。前にも挽歌の内に、山邊まそゆふみじかゆふなどよめり。これもゆふ花をもて、もがりの宮を飾りたるやうに聞ゆる也
榮時爾 高市皇子御齡も漸さかりに御徳義もいよ/\増し、すでに皇太子ともならせ給ひて、御威勢もことさらに、木綿花の榮ゆるごとくなる時に、あへなくもかくれさせ給ふことの、本意なくをしきといふ意を、ふくめてよめる也
者大王皇子之御門乎 高市皇子の御座所をさして御門と也
一云刺竹皇子云々 さす竹の事、前に注せるごとく、箕の冠句也。本集に吾大王、みこのとあるを、一説には刺竹のとある本を引ける也。或説の句可v然。上にも大王の歌しげくいでたり
神宮爾 高市皇子のましませる所を、直ちにもがりの宮によそひ奉りて也。かくれさせ給ふ故、神靈とあがめまつる義を以て神宮爾とよめり
遣便 此便の字は使の字の誤也。古本印本等たてまたす、又やるつかひなどよめり。難2信用1。是は皇子のみかどに、奉仕の(139)人をさして云たる義なれば、つかはしゝとか、つかはせるとかよむべし。
白妙乃麻衣着 たへはしろきものにて、衣服に作る物故、白妙の麻とはつゞくる也。是は喪服をいふたるもの也。ふぢ衣などいふにおなじ。倭名鈔巻第十四葬送具部云、※[糸+衰の過半が衣]衣唐音云、※[糸+衰の過半が衣]、倉回反、音催、和名、不知古路毛、喪服也
埴安乃御門之原 皇子の御座所の地名を云。大和の内にあり
赤根刺 日といふ冠句也。日の出づるには、四方にあかき光のさすをもていへる也。第一卷の茜さす紫といふは別の義也
日之盡 前にもよめるごとく、盡は字義を以てくるゝまでとよむ也
鹿自物 しゝのごとくにといふ義、自物といふ古語祝詞祭文等にもあまた見えて、そのごとくといふ義を、何じものと古語にいへり
伊波比伏管 いは發語はひふしつゝ也。此鹿のごとくにはひふすとよめるにつきては、やすみしゝとよめる義、しゝのふして、天皇をかしこみたると云古説正義にして、こゝもその古事によりてよめると見えたり。或抄どもには、鹿はよく膝を折りてふすもの故との義、古今の序、鳴鹿のおきふしはと書たるも、それ故との説あれば、さもあるべき事にもあらんずれども息しゝの古事あれば、かれこれを引合せてよめる義と見ゆる也。この句は皇子をかしこみて、もがりの宮に奉仕する躰を、且奉仕の人の悲み慕ひまつる意をのべたる也
烏玉能 鳥の字は誤れり。よりて烏に改むる也。ぬば玉の夜とつゞく義は前に注せし也。すべてくろきとつゞく詞故、よるともつゞけたる也
大殿乎 みあらかともよむべし。皇子の御座所をさして也
振放見乍 よるになれば、奉仕の人は退出して御座所より隔たれる所に侍る故、ふりさけ見乍と也
鶉成 うづらのごとくといふ義前に注せり。ひるは鹿のごとくはひふし、よるはうづらのごとくはひまわりと、律詩の對句のごとく、甚妙の詞をもてたとへよめる也。鶉は草の中をよくくゞりまわるもの故、そのごとくにと奉仕の人の躰によそへたる也。まわるといふも、もとほると云もおなじ義也。今も俗言に、舌などの不自由なるを、もとほらぬなどゝ云也
(140)雖待 みこかくれ給へは、遂にその宮に始終は侍らねば佐母良比えねばと也
春鳥之 倭名鈔卷第十八羽族部云、※[(貝+貝)/鳥]、陸詞切、韻云、※[(貝+貝)/鳥]【烏莖反楊氏漢語抄云春鳥子宇久比須、】春鳥也云云
佐麻欲此奴禮者 泣き悲むことをいふたる義也。吟の義を訓ぜり。西國の方にては、今も聲をたてゝうめくことを、さまよふと云也。神代下卷彦火々出見尊愁吟在海濱とあり。文選漁父が辭にも行吟澤畔とよませたり。此春鳥のさまよひぬればとよめる意は、鶯の聲を發せんとする時、くうといひて枝をくゞりつたふものなれば、その處をよそへてよめると見えたり。偖此者の字少し心得がたし。上にも不得者とあり。又此處にも、ばとありてはてにをは合はざるやうにて、詞重りて耳にたつ也。若しこれは堵の字のあやまりにてや侍らん。又者と云字は、人ともよむべき字なれば、その意にてどゝよませたるか。かりうど、かたうど、まろうどなどいふも皆人をさしてどとはいひし事あまたあり。はとよみては、てには調はざる樣に聞ゆる也
嘆毛未過爾 なげきあかぬにと也。此句をもて見るに、上のさまよひぬればとよみては句不v續。意も通せざる樣に聞ゆ。さまよひぬれどなげきあかぬと云義ならん。然れば上をばとよみたきもの也。印本にはなげゝどもとよめり。此よみ心得がたし。なげきもいまだあきたらぬにと云の義にて、なげきしのしは助字也
憶毛未盡者 これも同じくなげきのものおもひもつきせねばと也。このおもひしものしの字も助語也。此者の字も下へつきがたきは也。しかれどもこれはかけて將v偲といふところにかゝるつきねばのばと見るべし。惣体此佐母良比不得者といふより、これ迄の句のてには少し雖v調。もし誤字あらんか。誤字にしては、いづれの字をいふべきぞ。なれば愚案には不得者の者、未盡者の二字共、煮の字の火を脱したるか。しかればえぬにとよみ、つきぬにとよめば句意相調ふなり。しかればさまよひぬればの者は、本のまゝにはとよめばてにはよく調ふ也。さもあらずば、此未盡者のばは、懸けてしのばんといふ句にかゝるはと見るべき也
言右敝久 前にもことさへぐからの崎と續けたる所に注せる如く、ことさへぐ也。左を誤りて右に作り乍ら、印本の點にはさへぐとよませたり。くだらの冠句也。からとも續けくだらとも續くる也。何れも異國の人の言は、わや/\と計聞えて義通ぜすといふ義に、ことさへぐくだらとはつゞけたる也
(141)百濟之原 大和の地名、はら野など皆名所也
神葬 くだらの原にかくし奉れると見えたり
朝毛吉 第一卷に朝毛吉木人乏母とよめる歌の所に注せり。木といふ冠句に、あさもえとは置きたる也或抄の説には、麻裳吉と書たるを證として、麻は紀の國の名産なる故、紀伊國につゞくる詞につゞくる詞なれど、惣即立名の例と云事ありて、外の義にてもきと云詞につゞけん爲に用ゐたるとの義と釋せり。當家の師傳も之に同じく、きといふ冠句とする故、理に及ばず、いづかたにても不v障也。吉の字よしとよむべし。古訓はみなえと訓したり。日吉住吉みなえなれども、後世になりてあやまりてよしとは訓ぜり。すでに古事記等には、日吉を日枝と書るをもてしるべし。しかれどもことのほめたるところには、よしと用ゐる故此もよしとよむ也
木上宮乎 前の標題の所に注せる如し。木瓶も同所歟。標題には城上と有。歌には木上とあれば,今城上城下といふ磯城郡の地名とは別所にてあらんか。しかればくだらの原も木上もおなじ所にて、又別名ありしと見えたり。いづれが惣名にて、いづれが小名といふ義は難v考けれど、兎角さなくては、こゝの句ともいづれもひとつになりて、聞わけがたき也。木上宮は、もがりの宮にて、直ちにその所に葬りまつりて、常宮としたてまつりたるとの意也
常宮等 いつまでも神靈ましますとこしなへの宮と、高くあがめ奉りてと也
高久奉而 久の字之の字にあやまれり。高久とは尊んでいへる義、高くあがめ奉りてと也
神隨安定座奴 高市皇子を直に神と尊稱して、神なるからに神の如くにしづまりましぬと也
雖然 木上宮にかくしまつり、常宮とあがめ奉りて、此所に神靈はしづまりませどもと云義也。下の句に其意をのべたる也
吾大王之 高市皇子の義を尊稱していへり
作良志之 此句によれば、高市皇子萬代までもましまさんとおぼしめして、香來山に宮を建立させしめられしときこゆる也
香來山之宮 上にいへる如く、香來山と云所に萬代迄の宮と思召して、つくらしゝ宮を直ちにかぐ山と號せると見えたり
(142)萬代爾過牟登 此過の字難v通。遇の字のあやまりか、つくると云遏の字歟。過の字にてはおぼほしての解釋六ケ敷也
念哉 此二字も解しがたき也。然れ共と云より是迄の全躰の意、少し解しがたき也。追而熟見後考の上注すべし。先づは木上宮にしづまりましませども、高市のみこ御存生の御とき萬代迄もましまさんとおぼゝして建立なさしめられたる宮のあれば、この宮をいつ迄も天を仰くごとく尊みあがめて、御形見としたひ奉らんと云意とはきこゆる也。しかれ共、文句の内に紛らはしき詞どもありて、とくと徹底しがたし。又おもふやとよませたり。さよみては義不v通。おもへやとよむべきか。それにても打ちつかぬ句也
天之如振放見乍 香來山の宮を尊みなして、天を仰ぐごとく見奉りてと也
玉手次 かけてといはん序詞也
懸而將偲 おもひをこゝよりかしこにかけ通はして、したひ奉らんと也。なげかじと思ひしもいまだあきらめつきねば、いつ迄もおもひをかけてかなしみしたひ奉らんと也
恐有騰文 おそれ多けれども、香來山の宮を萬代までもの御かたみとおもひかけて、したひまつらんと也
短歌二首
目録には二首字なし。尤目録は後人の筆故、此歌或本反歌一首とある故、二首か三首か難v決故省きたるか
200 久竪之天所知流君故爾日月毛不知戀渡鴨
ひさかたの、あめをしらせる、きみからに、ひつきもしらず、こひわたるかも
天所知流 古本印本諸抄の説、神あがり給ふは、天子歸り給ふなれば、天にしられます君といふの義に釋して天にとよめり。しかれ共此義にてはとくと打つかぬ釋なり。よりて師傳は天をしらするとは、日嗣のみこにて、高光日のみこともよめれば、歸天し給ふて大空をおさめしろしめすといふ義に、天をしらせるとよむ也。上天をしりませるきみといふの義也
君故爾 諸本みな君ゆゑにとよめり。當家の傳はからにとよむ。その意は日月もしらずこひわたるかもと下によめる意をもつ(143)て也。天にしらるゝきみ故に日月もしらずといふ義如何にも正しくきこえたる也。からにとよむは、天をしらするきみなるからに、日のくれ夜のあくるわかちもなく、こひしたひまつるといふ意地。天をしらする君なるからに、日月もしらずとよめるところ此歌の手也。天にしらるゝ君ゆゑに、日月もしらずとはいはれぬ義也。よく/\沈吟すべき事也。日月もしらずとは、夜晝のわかちなく、月日の過行こともおぼえず。かなしみしたひ奉るとの義也
201 埴安乃池之堤之隱沼乃去方乎不知舍人者迷惑
はにやすの、いけのつゝみの、こもりぬの、ゆくへをしらず、とねりはまよふ
埴安乃池 大和の名所、長歌に埴安の御門のはらとよめるより、短歌にもその所をすゑてよめる也
隱沼乃 いけのつゝみのこもりぬのとは、沼といふもいけといふも同じ義にて、つゝみをめぐらしたる池の流るゝかたなく、こもりたるといふの義に、いけのつゝみのこもりぬとよめり。下に去方といはんための序詞也。こもりたるいけぬまは、いづかたへ流行くかたなきもの故、みこにつかへたる舍人どもの途方を失ひ、なげきさまよふといふ義によそへてよめる也
或書反歌一首
古注者の加筆也。口の目録には或本歌一首と計ありて、反の字なし
202 哭澤之神社爾三輪須惠雖祷祈我王者高日所知奴
なきさはの、もりにみわすゑ、いのれども、わがおほきみは、たかひしらしぬ
哭澤之神社 大和の地名、啼澤女命を祭りたる社と見えたり。仙覺抄には紀州と注せり。同名多き事なれば、紀州にもあらんかしかれども此森は大和ならでは、歌の意不v濟。日本紀神代上卷云。其涙墮而爲v神、是即畝丘樹下所v居之神、號2啼澤女命1矣。古事紀上卷云。於御涙所成神、坐2香山之畝尾木本1、名泣澤女神云云。右如v此あれば、此神を祭りたる杜にて、此集にては如v此もりの名をあげたれども、式の神名帳にもたしかにそれと見えざれば、此哭澤の杜いづ方とも分明に難v定。しかるに僞書ながらも、舊事紀に畝尾丘と書たるは、日本紀古事記の畝尾は、うねびのをかの木下にてあるべし。しからば神名帳畝尾都多本神社(144)とある此社の事ならんか。既に古事記には香山之畝尾とあり。尾はびなり。日本紀に尾の字を脱したるか。丘比のあやまりたるか。とかく廣く畝丘の木のもとにます神と云ては、神代の卷の釋も六ケ敷也。地名の畝比と見ればいと安き也。後成恩寺兼良公の纂疏の説も、吟澤畔と云漁父辭に混合して解釋し給ふ意と見えたり。啼澤は便化してなれる字なれば、哭きかなしむ事多といふの義、さはは多の字の意なるに、吟澤而無v所v歸焉との釋は難2信用1也
神社二字合せてもりとよむ。上古は社といふ義はなし。みな神を祭りたる所をもりといふたる也。今神社のもりに、森の字を用ゐるは不v當義也。森は字書に衆木貌と注せり。しかれば木のしげりあつまりたる所をいふべきを、神のます所はおのづから諸木繁茂して有故、此森の字を書來れる歟。元來※[土/木]と書てもりと義訓せるを、後に杜の字に作り直して書たる義、此類數多例有事也。榊木の類にて知るべし。唐土も本朝も上古は、土を高くつき木を植ゑて、神を祭りたる義也。和漢一義也。よりて杜の字を用ひ、神社の義をしらしめてもりと訓ぜり。是日本の作字にて、もりはみもろと云義、みもろはひもろと云義也。ぴもみも同音にて、實はみもろぎと云義也。みもろぎと云釋は別に秘傳あること也。此哭澤のもりとよめるは事實と見るべし。そのとき此近所に居住し給ふ人故、此神社に祈り申さしめ給ふ事と見るべし。哀情の歌故、此神社をよめるにてはあるべからず
三輪 酒の古語をみわといふ。仙覺律帥土佐風土記を引て、うまさけみわとつゞく由來を釋せる如く、土佐國三輪川の水をもて作れる酒至て佳味なる故、さけを三輪とは云來れるとの義、先從2此説1也。倭名鈔卷第十三、祭祀具部云、神酒、日本紀私記云、神酒和語云美和。神を祭る時のさけをみきみわとはいふ也。三輪にては、酒瓶を地にほりすゑて神に奉る也。此集中に三輪ほりすゑといふ歌もあり
雖祷祈 神代上卷岩戸の段に、相與致其祈祷焉。祷、字書曰、祈v神求v福也。祈、同云、渠宜切、音奇、祷也、求v福也。爾雅云、告也、叫也、郭璞曰、祈祭者、叫呼而請v事也。祈祷とも祷祈と連り字意同事也。此祷祈は高市尊のみいのちを、長かれと神に詣でいのりたれども、そのしるしもなく、神あがり歸天し給ふと云義也。わが王はといへるは、高市皇子をさしてなり
高日所知奴 上天まし/\て、あめをしろしめされぬといふ義、皇子のかくれ給ふたるといふ義也。古本印本ともに、高日しられぬとよませたれど、しられぬといひては義不v通。しらしぬと云ふは、しろしめされぬるといふ義なれば、當家の傳には、しら(145)しぬとよむ也
右一首類聚歌林曰檜隈女王怨泣澤神社之歌也
前略ひのくまひめおほきみ、なきさわのもりをうらめるうた
古注者の文也。此類聚歌林は、いづれの歌林歟難v知也。第一卷廿卷の初に注せるには、悉山上憶良太夫類聚歌林と記せり。此歌林も憶良の歌林ならんか。一本には、此歌一首人丸の短歌の次にのせてありしを、古注者所見と見えたり
檜隈女王 傳不v知。高市皇子の御妻歟、於v今は考ふるところなし。尤も此うた女王の歌なるべし。ひと丸のうたにはあるべからず
案日本紀曰持統天皇十年丙申秋七月辛丑朔庚戌後皇子尊薨
古注者の文也。日本書紀卷第三十持統天皇の紀に見えたり。後皇子尊と奉v稱るは、草壁皇子薨給ひて其のち、此高市のみこ皇太子となり給ふ故、如v此紀にも書かれたる也
但馬皇女薨後穗積皇子冬日雪落遙望御墓悲傷流涕作歌一首
たじまのひめみこかくれ給ふてのち、ほづみのみこ、ふゆのひゆきふりて、はるかにみはかをみて、かなしみていたみ、なみだをながしてつくりたまふうたひとくさ
但馬皇女 前に注せり
薨後 續日本紀卷第四。元明天皇和銅元年六月丙戌三品但馬内親王薨、天武天皇之皇女也、云云。標題に藤原宮の御宇とあげたれど、挽歌の類故、一所にあげたると見えたり。此已下の歌ども、皆持統の御代の歌にあらざるをあげたり。挽歌故類を集めたるなるべし
穗積皇子 前に注せり
(146)冬日云々 穗積皇子但馬皇女は、ことはらの御兄弟ながら、わけて御むつまじきわけ前にも注せり。かなしみしたひ給ふ所以あるなり
203 零雪者安幡爾勿落吉隱之猪養乃岡之塞爲卷爾
ふるゆきは、あばになふりそ、よなばりの、ゐかひのをかの、せきにならまくに
安幡爾勿落 このあはになふりそを、沫のやうになふりそと云の意と心得たれど、沫の字は波の音、幡は濁音、ばんはまん也。清音によむ故、歌の意をも無2考辨1。沫雪の意に釋して、沫の假名あはとも書くなどゝ注せる抄あり。大なる違なり。播幡相通じて濁音の婆武は麻武也。八まんのまんも此字なり。しかれば安婆になふりそは、あまりになふりそと云義也。此よみ誤りより、下のせきにせまくにと云あやまりの點も出來たる也
吉隱之猪養之岡 大和地名也。これを古本印本ともによごもりの猪養とよめり。よりて或抄に吉隱はよくこもると云義にて、猪のしゝの寢床はよくかまへて、ふすもの、かるもかきふす猪などゝつゞくると同意、猪養とつゞけん迄の冠句と釋せり。さもあるべからんか。しかれども日本紀卷第三十持統紀、九年十月幸2菟田吉隱1如v此あれば、吉隱も地名と見ゆる也。吉なばりにある猪養の岡と見る方安き也。隱の字なばりと訓する由來は、風土記等無2所見1故未だ考へざれども、先は日本紀によりてよなばりとは訓する也。又此集卷第八の歌に、古名帳乃猪養山爾云云とあり。古の字は吉の字のあやまりか。此集中に吉魚張と書る歌もあり。是はふなばりにてあらんか。これもよなばりともよまるれば、いづれとも決しがたし。尚其所にて可v考也。但馬皇女の墓此よなばりのゐかひの岡にありしと見えたり
追考、或抄に、これをふなばりとよむべしといひ、日本紀のよなぱりのかなは、さがしきものゝしわざにて、片假名のコの字に中の二點を以てヨとしたるから、よなばりとはよみ來れるならん。然れども、吉隱の字をふなばりとよむ由來義訓は考へざれども、當集に古名張と書ける歌あるを證とすとの説なれども、いかにとも難2信用1。吉隱の二字ふなばりとよむ義證明ありて、假名にてもあらばさもいはるべきや。當集に古名帳とある計りの證は用ゐがたし。古の字もし吉告の字などの誤りもしれず。(147)又吉隱はよごもりといふ地名あるかもしれず。いかにとなれば第三の歌に、掠橋の山をたかみか夜隱爾出來月乃光乏寸。如v此よめる歌あり。此夜隱も地名にあらざればこの歌不v聞。然ればよこもりといふ地名ありと見えたり。隱の字をなばりとよむ義所見なきうちは、則地名とならでは見がたし。よごもりの猪とつゞけたるといふ説、あたらざるにもあらざるか、また吉魚張はふなばりともよむべき歟。古名張は古の字、吉の字の誤りとも可v謂哉。所詮三名一所に有とも見るべし。吉臆をふなばりとは、いかにとも證明なければよみがたし。日本紀に吉の字はよとよみて、隱の字なはりとよめる事、後人の字訓釋もなく、たゞ假名づけに任せてよみ來れる事、證明にはしがたけれど、吉はよとかよしとよみ來れる字也。通例しれたる訓、隱をなばりとは何とぞ由來ありてよませたらんか。當集の吉魚張の訓書を證明としてよむ迄の義也
塞爲卷爾 これを古本印本等せきにせまくにとよませたり。是は上の安幡のよみあやまりより、爲の字をせとよむあやまり出で來りたる也。これはせきにならまくにとよまでは歌の意不v通也
歌の意は、但馬の皇女のみ墓を、速くのぞみたまひ慕ひ給ふより、ふる雪もあまりになふりそ、ふりつもりては、皇女の墓のせきとなりて、墓のかくれへだゝりて見えまじきとの意にて墓を慕ひのぞみてかなしみ給ふ歌也。せきにせまくにとよみては皇女をしたひ給ふ歌の意には不v通也
弓削皇子薨時置始東人歌一首並短歌
ゆげのみこかくれたまふとき、おきそめのあづまうどのうたひとくさならびにみじかうた
弓削皇子 傳前に注す。薨の年月も注せり
置始東人 傳不v知
204 安見知之吾王高光日之皇子久堅乃天宮爾神隨神等座者其乎霜文爾恐美晝波毛日之盡夜羽毛夜之盡臥居雖嘆飽不足香裳
やすみしゝ、わがおほきみ、たかひかるひのみこ、ひさかたの、みそらのみやに、かみながら、か(148)みといませば、それをしも、あやにかしこみ、あくればも、ひのくるゝまで、くるればも、よのあくるまで、ふしゐなげけと、あきたらぬかも
吾王 六言一句によみて、皇子を尊稱してよめる也。下の句も同事也
天宮爾 あまつみやともよむべけれども、みそらのみやにと、句をとゝのへてよむべし
神等座者 かみといませばと、これも句を調へてよむ意也
其乎霜 神あがり給ひて、かみとなりましませば、いよ/\それをもかしこみてと云の義也
文爾恐美 是迄の句釋みな前に度々注せる通也
晝波毛 これも前に義訓せるごとく、あくれはもとよむ也
日之盡 ひのくるゝまでとよむべし
夜羽毛 上の義訓とおなじく、くるればもと義訓せり
夜之盡 よのあくるまでとよむべし
右之歌はきゝやすく解鐸するにも不v及也
反歌一首
此次に又短歌一首とあれば、反歌短歌別のやうなれど、ともにみじかうたと訓して、同事と心得べし。古今の眞字序に三一十字の詠今反歌躰也と書けり。國史にみな、短歌を反歌と記せり
205 王者神西座者天雲乃五百重乃下爾隱賜奴
おほきみは、かみにしませば、あまぐもの、いほへのしたに、かくれたまひぬ
天雲之五百重之下爾 皇子を尊稱して、凡人に異なる意を述べて、上天したまひて、雲にかくれ給ふと也。凡下の人は死ては地下黄泉に沈むといへども、天子の皇子は殊に尊ければ、賞して神にしませばとよみて、上天空中の雲にかくれ給ひ、すなはち(149)神となり給ふといふ義を長歌反歌に述べあらはせり
又短歌一首
或説歟。此標題不審也
206 神樂波之志賀左射禮浪敷布爾常丹跡君之所念有計類、
さゞなみの、しがのさゞれなみ、うつたへに、つねにときみが、おぼしたりける
神樂波之志賀 近江の地名をいふ。下のさゞれなみをいはんための序とみるべし
左射禮浪 小浪也。さゞれいしなどと云も、ちいさき石といふ義をさゞれといへり。倭名鈔卷第一水泉類、泊※[さんずい+狛]、唐韻云、淺水貌也、白柏二音、文選、師説左々良奈三
敷布 此集中此二字をしるせること數しらず。みなしき/\とよませり。最しき/\はしげくたへぬことを云たる義也。此歌も常住絶えざることを敷布とよみて、すなはち常にとつゞけたり。しき波など云て、古語の例證もあれば、しき/\ともよむべき歟。同じくは、うつたへにとよまんか。うつたへも、常住不斷の義を云たる義也。布の字たへとも訓すべき字也。然ればしき/\うつたへ兩樣によむべし。意は兩義とも、常住不斷にと云意としるべし
常丹跡君之所念有計類 歌の意、如v此長からぬみいのちを、さゞれなみの不斷によするごとく、御身もいつ迄もましますことのやうに、おぼしたりけると、慕ひ歎ける歌也
柿本朝臣人麿妻死之後泣血哀慟作歌二首並短歌
妻死之後 此妻は依羅娘子の前の妻なるべし。依羅娘子は後妻と見えたり
泣血哀慟 悲み歎くことの、切なることを如v此文に書きたる也
207 天飛也輕路者吾妹兒之里爾思有者懃欲見騰不止行者人目乎多見眞根久往者人應知見狹根葛後毛將相等大船乃思憑而玉蜻磐垣淵之隱耳管在爾度日乃晩去之如照月乃雲隱如奧津藻之名延之妹(150)者黄葉乃過伊去等玉梓之使乃言者梓弓聲爾聞而【一云聲耳聞而】將言爲便世武爲便不知爾聲耳乎聞而有不得者吾戀千重乃一隔毛遣悶流情毛有八等吾妹子之不止出見之輕市爾吾立聞者玉手次畝火乃山爾喧鳥之音母不所聞玉桙道行人毛獨谷似之不去者爲便乎無見妹之名喚而袖曾振鶴 或本有謂之名耳聞而有不得者句
あまととぶや、かるのみちをば、わぎもこが、さとにしあれば、ねもごろに、みまほしけれど、やまずゆかは、ひとしりぬべみ、さねかづら、のちもあはむと、おほぶねの、おもひをかけて、かげろふの、いはがきふちの、かくれのみ、こひつゝあるに、わたるひの、くれゆくがごと、てるつきの、くもかくるごと、おきつもの、なびきしいもは、もみぢばの、ちりていゆくと、たまづさの、つかひのいへば、あづさゆみ、おとにきゝつゝ【一云こゑのみきゝて】いはむすべ、せむすべしらに、おとのみを、きゝてありえねば、わがこひの、ちへのひとへも、おもひやる、こゝろもあれやと、わぎもこし、やまずいでみし、かるのいちに、わがたちきけば、たまだすき、うねびのやまに、なくとりの、おともきこえず、たまぼこの、みちゆきびとも、ひとりだに、にてしゆかねば、すべをなみ、いもがなよびて、そでぞふりつる
天飛也 かるかりと云冠句也。空をとぶとりのかりとつゞけたる義也。何のふかき意もなく、古語皆かくの如く冠句をいひ來れり
輕路者 大和の地方也。かるの里と云所もありて、そこに妻のありしと見えたり。みちをばとよめるは。見まほしけれどとよめるにかけて見るべき也
(151)里爾思有者 さとなればと云義也。にしは助語也
懃 此集中に多き詞、したしくおろそかならずといふの義也
欲見騰 見たくおもへどゝいふの義也。かるのみちを見まくほしきと也
不出行者 人丸朝勤の身なれば心のまゝに里亭に行通ふこともならず。妻の住所輕市の邊にて、行かふ人の絶ゆる間もなきことゝいふ義をいへる也
狹根葛後毛 すべてくづかづら、つたかづらなど、こなたかなたにはひ絡ろひて、末はまた一所によりあふ物故、すゑもあはんと云序に、みなはふつたの、さねかづらのなどよめり 、
思憑而 前にも注せるごとく、おもひをかけてとよむべし
玉蜻 倭名鈔卷第十九蟲豸類云、蜻蛉本草云蜻蛉精靈二音一名胡※[(來+力)/虫]音勅和名加介呂布云々。玉蜻の二字をかげろふと訓ずること、何によれるか。出所未v考。かげろふはもと、かける火といふ義にて、こゝにあるかと見れば、かしこにちるごとく、ちらちらとする火をもていへり。此虫の飛かふありさまその如くなれば、名付けたるものなるべし。日本紀には、蜻蛉の二字をあきつと訓ぜり。和名鈔とは違へり。あきつは古名にして、かげろふは後の名か。今俗に野馬といひ、とんぼうと云、共にあきつの事也和名鈔胡黎赤卒、みな蜻蛉の類にして、小さきものと注せるを見れば、かげろふもあきつの後名と見えたり。種類多くして明らかにはわかちがたし
磐垣淵之隱耳 かげろふは右にいふごとく、かける火といふ事なれば、石の火のちらつくごとくなるといふ義にて、岩かきぶちとはつゞけたる義か。最もかげろふも石の火も、はかなきことにいひなせるもの故、妻のみまかりたる時の歌なれば、かくつゞけたるが。此いはがきとつゞく事少難2心得1。もし蜻の字限の誤りたるか。玉限の字なれば、いはとつゞく也。奧の歌に蜻火の字ある故、玉眼を蜻にあやまり、假名をもかげろふと附けたるか、いぶかし
隱耳 おもてにつゝみて、かくれに戀ひわびてありしと也。古今六帖、玉きはる岩かげふちのかくれぬまとよめる歌もあれば、此玉蜻は玉晴のあやまりにてもあらんか。尚後案後考を待也
(152)晩去之 日のくれゆくがごとく、妻のみまかりたることを、もみぢ葉の散りていゆくと段々にかさねてよめる也
過伊去等 すぎてとよみきたれども、もみぢばのと上によみたれば、意は同じけれど、義訓にちりてとよむべし。第一卷輕皇子あきのに宿り給ふときの歌にも、此過去の字を書きて、そこもちりゆくともよませて、則ち此歌を證例に引て、黄の字の脱ならんと注せり
玉梓之 つかひといふ冠句也。人丸他所にゆける故、妻の死したることをつげやりしと也
聲爾聞而 而の字はつゝとよむべし。印本等には音にきこえてとよめども、句意おだやかならす
一云聲耳聞而 耳の字をのみとよむで、而の字をてとよむの或説をあげたり。さなくては此一説本集の字と同じき也。これによりて本集の而の字つゝとよむべき也。つまのみまかりたると音にのみ聞きて、他所にあればいかんともすべきやうなく歎き悲めることを、これより下にいへり
聞而有不得者 妻のしゝたりと、音にのみきゝてあるにもあられねばと也
遣悶流 おもひを消しやりて、慰む心もあれやと也
不止出見之輕市爾 妻の常に出て慰むる市と見えたり。人丸朝庭よりか、他所よりか、輕の里にかへりてこのかるの市に立聞けるなるべし
玉手次畝火 此玉手次うねとつゞける義、田をすくうねとつゞく義と云説もあれど、玉田をすくといふ義心得がたし。又うねめは陪膳等の役につかふるもの故、ひもめも同音なれば、玉だすきをかくるうねめと云義あり。是はさもあるべけれど、當家の説は玉襁うてとつゞけたる義と見る也。うてとうねは同音にて、襁はつねにかけるものなれば、かくよみつゞけたるなるべし
喧鳥之 此うねび山より、なくとりといへるまでは、何の意もなき事也。たゞ下の聲もといはんまでの序也。音も聞えずば、妻の聲もせぬと云義也
玉桙道行 此玉ぼこの道とつゞく事も、いろ/\説ありて、或抄にも玉は鉾をほめたる詞、鉾は直なるもの、道の直なるに比し(153)ていふたる義、周之道如v砥其直如v矢と云へる、唐土の古語を引たる説もあれど難2信用1。上代の通路のしるしに、日本も唐土も幡鉾を立て置き、又は旅行には皆はたほこをもたせる故、玉鉾の道とは、つゞけたるならん。たゞ何の意もなく、當然にあることの縁を云たる事上代の風俗也。直きもの故などいへるおもしろき道理は上代かつてなき事也。すでに日本紀成務卷に、諸國に楯桙を賜はり、表とせる古事もあれば、桙をたてたるみちといふ事、正義なるべし
獨谷似之 人丸の妻に似たるものもなきと也
爲便乎無見 いかにせんかたもなきと也
妹之名喚而袖曾振鶴 せんかたなきあまり、妻の名をいひて、もしいづかたよりぞ來ることもあらんやと、袖にてまねきよばふと也。したひなげく事の、切なる意をのべたる也
或本有謂之名耳聞而有不得者句 此文不v詳。本集に聲耳乎聞而有不得とあるの異説を此所へあげるたもの歟。兎角不分明也
短歌二首
208 秋山乃黄葉乎茂迷流妹乎將求山道不知母【一云路不知而】
あきやまの、もみぢをしげみ、まどひぬる、いもをもとめむ、やまぢしらずも
迷流 人丸のまどひたるにてはなく、いものみまかりて見えざるは、山路に迷ひて不v歸といふ義によみなしたる也。第三より第四句へ續く古詠の法をもて見れば、人丸の迷ひたる義とは見えざる也
歌の意は、妻のみまかりて、もとむれども不v見事を、秋のころ山などに入りて、不v歸ばそれをたづねもとむれども、もみぢ葉などのちり亂れて、一筋ならぬ山路の、いづかたにありとも難v知やうなる義に、なぞらへてよめる也。秋山とよめるも、妻を山に葬りたる故、その縁をもてよめるなり。奧には引出の山に妹を置きてとあり
一云路不知而 (154)或本には如v此書たるもあると也。しかれ共本集の句しかるべし
209 黄葉之落去奈倍爾玉梓之使乎見者相日所念
もみぢばの、ちりゆくなべに、たまづさの、つかひをみれば、みしひしのばる
奈倍爾 此ことばの釋むつかしき也。すべて古詠どもに幾等も此詞あり。詞の意とくと難v解也。まづはちりゆくうへにとか、はてにとか云義と心得べし。ちり行ばすなはちと云意也。諸抄物の説は、からにとも、まゝにとも云の意に釋したれ共、語の釋さいふては不v通也。此意は妻の死したる事を、もみぢばのちるなへにとよみたる也
玉梓之使乎見者 長歌にも、玉づさの使のいへばとあり。妻のみまかれる時、人丸は朝に參勤の折歟、又公使にて外に徃きける時にて、死を告來る使をいへる義と見えたり
相日所念 いけりしとき、相みし折ふしの事を思ひ出て慕はるゝと也。相の字はみるともよめば、詞の縁聞きよければみし日とよむ也。古本印本には、あふ日と讀たれども、こゝは過去の事なれば、あひし日とは讀べきなれど、あふ日とは心得難し
歌の意は妻の死したるを、もみぢ葉のちりゆくになぞらへてよめる也
210 打蝉等念之時爾【一云宇都曾臣等念之】所持而吾二人見之※[走+多]出之堤爾立有槻木之己知碁智乃枝之春葉之茂之如久念有之妹者雖有憑有之兒等爾者雖有世間乎背之不得者蜻火之燎流荒野爾白妙之天領巾隱鳥自物朝立伊麻之弖入日成隱去之鹿齒吾妹子之形見爾置若兒乃乞泣毎取與物之無者鳥穗物腋狹持吾妹子與二人吾宿之枕付嬬屋之内爾晝羽裳浦不樂晩之夜者裳氣衝明之嘆友世武爲便不知爾戀友相因乎無見大鳥羽易乃山爾吾戀流妹者伊座等人之云者石根左久見乎名積來之吉雲曾無寸打蝉跡念之妹之珠蜻髣髴谷裳不見思者
うつせみと、おもひしときに【一云うつそみとおもひし】たづさへて、わがふたりみし、わしりいでの、つゝみにたて(155)る、つきのきの、こち/\のえの、はるのはの、しげきがごとく、おもへりし、いもにはれど、たのめりし、こらにはあれど、よのなかを、そむきしえねば、かげろふの、もゆるあらのに、しろたへの、あまひれがくれ、とりじもの、あさたちいまして、いりひなす、かくれにしかば、わぎもこが、かたみにおける、みどりこの、こひなくごとに、とりあたふ、ものしなければ、とぼしもの、わきばさみもち、わぎもこと、ふたりわがねし、まくらつく、つまやのうちに、ひるはも、うらさびくらし、よるはも、いきつきあかし、なげけとも、せむすべしらに、こふれども、あふよしをなみ、おほとりの、はがへのやまに、わがこふる、いもはいますと、ひとのいへば、いはねさくみて、なづみこし、よけくもぞなき、うつせみと、おもひしいもが、かげろふの、ほのかにだにも、みえぬおもひは
打蝉の事は前に注せり。存在の身の時にと云義也。一云は打蝉の二字を假名に書きたる一本もありて、それにはそみとありと也。そみもせみも同事也
所持而 此二字通本には取而と書きて、古本印本共にとりもちてとよめり。しかれども奧の或本の歌を見るに、携手とあり。しかればこゝもとりもちてとよみては、何をとりもちてといふ義、上に不v見。下のつきの木の枝をとりもちてといふ義なれども詞のつゞき心得がたし。或本によりて見れば、所持の二字義訓にたづさへてとよむべきか。取所の違ひは、いづれにても義はたづさへるの意なるべし。たづさへてとは、相つれだちそひてといふの意、今俗に手を引合てなど云とおなじ意にて、たづさへてとよめるならんか
※[走+多]出之堤爾 地名歟。又かるの里の近所に在山のすそ抔の出たるところにて、つねに立出見し所故、はし出といへる歟。堤は川池などの縁の士を高くきづきたる所を云也。倭名鈔卷第一河海類部云、陂※[こざと+是]、禮記云、畜v水曰v陂、音碑、和名豆々三※[こざと+是]又作v堤云々。同鈔云、塘、纂要云、築v士遏v水曰v塘、音唐、又謂2之※[こざと+是]1。字書曰、堤、典禮切、音邸、壅也、滯也、塞也、後人相承作v※[こざと+是]、字非(156)ナリ云々。令義解第六營繕令云、凡近2大水1有※[こざと+是]防1之處、【謂大水者、江河及海也、堤防者※[こざと+是]塘也、防障也云々。】同云。反堤内外并堤上多殖2楡柳雜樹1充2提堰用1云々。むかしは如v此堤に樹木を植させられたると見えたり
槻木之 よく枝葉のしげる木なるべし。倭名鈔廿木類部云、槻、唐韻云槻、【音規、和名豆木、】木名堪v作v弓也。俗(ニ)けやきといふ木なりといへる人あり。いかなる木をいふか未v考
巳知碁智乃枝之 枝のしげくかなたこなたへさかえたるを云也。あちこちといふにおなじ
春葉之茂之如久 槻の木の青葉の榮えし如く思ひし、うるはしき妻にはありしかども、かくばかり早く散り過ぎしと云意也
兒等 妻の事也。兒とは此集中すべて女の事をいへり。妹といひ兒といひかへていへる也
背之不得者 世の中の人の道にはそむかれねば、たかきもいやしきも定規ありて、老少不定のならひ、死する事はまぬかれざると也。世間の道理にそむく事ならねば、妻の死したるといふ意也
蜻火之燎流荒野爾 前の歌には、玉蜻の字を書きたり。此處に蜻火の字を書たるは、慥に此歌はかげろうとよむべき也。蜻の字一字にてもかげろうなれども、火の字を添へたるは、下にもゆるとよめるによりて、意を通はしたる此集の字格なるべし。荒野はひろくかぎりなき野といふの義、人のしらざる郊原にかくし埋む故、かくよみしと見えたり。此あら野は地名にはあらず。たゞひろき野をさしていふたる義也。上古の野といひしは郭外の外也。山野とわけたたにはあらず。くるわの外の牧野也
天領巾 領巾の二字ひれと訓せり。しかれば天のひれとよむべし。みまかりたりし故、天ひれとはよめり。死するを歸天といふより、天ひれともよみたり。畢竟かくれといふは、みまかりたるをいひたる也。十卷目の歌に、秋風にふきたゞよはす白雲は七夕つめの天つひれかも。領巾、日本紀卷第五崇神紀云、我聞武埴安彦之妻我田媛密來之取2倭香山土1※[果/衣の下半]2領巾頭《ヒレノハシニ》1云云。倭名鈔卷第十二衣服類云、領巾日本紀私記云比禮婦人頂上※[金+芳]也。上古は男女共にひれと云ものを、頭にかけたると見えたり。倭名鈔にも頭上の※[金+芳]と書せり。かしらをつゝむための服か。又延喜式大祓祝詞の文には、比禮掛伴男手襁掛件男とあり。此義外に不v見。祝詞文計にて男服のやうにみゆる也。此義に附きては別にわけあらんか。こゝによめるひれは死者のひれを云たるもの也
烏自物朝立伊麻之※[氏/一]云云 とりじものは、しゝじものと義おなじく、とりのごとくいふ義也。あさたちいましてと云ふより、か(157)くれにしかばといふまでは、つまのしゝたることを、とりのあさ立ちて、いづかたともなくゆけるごとく、日の入りはてたるごとくに、むなしくなり行きしとよそへよめる也。あさ立といふより、入日といふ詞の對の詞のやうによみたる也
若兒乃 此時みどりこありたると見えたり
乞泣毎 死したる母を、わがこのたづね慕ひ泣くたびごとに也
取與物之 はみまかりたれば、抱きはぐくむものゝなければ也
鳥穂自物 乏しもの也。珍敦ものゝやうに大切にして、わきはさみもつごとくに、みどりこをいだきと也
枕付嬬屋 前にも注せり。まくら付は、つま屋といふ冠句也。夫婦枕を着けていぬるやと云義也
浦不樂 うらは歎の詞ながら、おもてにあらはさず裏にかなしみのふかく切なることをいへる義也。不樂の二字を、古本印本ともにふれとよみたれど、ふれにてはあるまじ。さびにてあるべし。さびは淋敷の意、おもしろからぬ、心のなぐさまぬことをいひたる義也。奧の歌に不怜の二宇をも、ふれと音にてよみたれども、不樂の例を以ておもひのつもりしといふ義訓にて、これもさびにてあるべき也
氣衝 かなしみなげくことの、むねにたまりぬれば、自ら息を發生せざれば、胸せまりて苦しき故、いきをはくと也。これをいきつくと云也。今も俗言に、といきをつくといふ此事也。心中に悲みなげく事の切なる事を、いひたるもの也
嘆友世武爲便不知爾 いろ/\になきしたひかなしみても、せんかたもなく、何とすべきやうもなきと也
戀友相因乎無見 こひわびても、相見るよしのなきと也
大鳥羽易乃山爾 大和なるべし。地跡しかとは不v考なれども、大和の内とは見えたり。かるの里の近所の山歟。此所に葬りしか此事不詳。前の荒野がくれとよみたるは、野邊に葬りたるやうにもきこゆる也。奧の引手の山に妹をおきてともあれば、山葬したると見ゆる也
名積來之 艱難し、苦しみて來りしと也。ものになづむといふ事も、何にてもその事に拘束されて、外へ氣のはたらかぬ事をなづむと云。その意と同じく、險難の山坂路をのぼれば、その道路にかゝはりおさへられて、外へ氣のはたらくものならぬ道理(158)をもつて云ひたる也
吉雲曾無寸 よけくもぞなきとよむべし。能くもぞなきと云義也。かげろふのほのかにだにも不v見事を思へば、よけくもぞなきといふ義也
打蝉跡念之 羽易乃山爾妹の居るときゝて、山坂路をも厭はで、尋ね來りぬれど、よけくもなくうつの身とおもひしいもはかくれて、ほのかにだに不v見と歎じたる也
珠蜻 本集後には玉蜻とあり。此處には珠蜻の字を書たり。本集此所共二字の出所未v考。かげろふのほのかにだにも不v見とある、此かげろうはほのかにといはんための冠句也
歌の意は、所々の句釋にて聞え侍れば不v及2再釋1
短歌二首
211 去年見而之秋乃月夜者雖照相見之妹者彌年放
こぞみてし、あきのつきよは、てらすれど、あひみしいもは、いやとしさけぬ
月やあらぬ春やむかしのとよめるも、此歌のおもかげ也。こぞ夫婦詠めし月はかはらず秋のよをてらせども、相かたらひて見し妹はみまかり行て、日月の立つにしたがひて、年をへだたりさかると也
212 衾道乎引手乃山爾妹乎置而山徑徃者生跡毛無
ふすまぢを、ひきてのやまに、いもをおきて、やまみちゆけば、いけりともなし
衾道乎引手山 大和地名也。延喜式卷第廿一諸陵式云、衾田墓、手白香皇女、在2大和國山邊郡1去云。此邊の義なるべし。葬車を引出と云義にてよめるか。衾はよるの服、又は物を隔つる物覆なり。又衾路といふ所を經て、引手の山といふ所へ到る故かくよめる歟。ふすまぢを引手とは、縁語をもて云出したると見ゆる也。前に有大鳥の羽易山 別名か。奧の歌に大鳥の羽易山に汝戀云々とあれば、大鳥の羽易の山に葬りたると見ゆるに、こゝにも妹を置きてとあり。とかく同所異名と見ゆる也。本集の長(159)歌に、荒野に白妙の天ひれかくれとよめるは、野に葬りたるやうにもきこゆれども、上古の歌に野といふは、みな郭外をさしていひたれば、山岡林野相兼ねたる義也。しかれば天ひれがくれといひしは先みまかりたることをもいひて、葬りたる義をもかねていひたるなるべし。衾路は衾田也。田は手也。既に諸陵式にも衾田と有。然れば手引とうけたる義也。路を手と云也。行路の古詠に皆行手とよむはたちつてと同音故也
生跡毛無 人丸のいきたるこゝろもなきと也
歌の意はきこえたる通也
或本歌云
213 宇都曾臣等念之時携手吾二見之出立百兄槻木虚知期知爾枝刺有如春葉茂如念有之妹庭在雖恃有之妹庭雖有世中背不得者香切火之燎流荒野爾白栲天領巾隱鳥自物朝立伊行而入日成隱西加婆吾妹子之形見爾置有緑兒之乞哭別取委物之無者男自物脅挿持吾妹子與二吾宿之枕附嬬屋内爾且者浦不怜晩之夜者息衝明之雖嘆爲便不知雖戀相緑無大鳥羽易山爾汝戀妹座等人云者石根割見而奈積來之好雲叙無宇都曾臣念之妹我灰而座者
うつそみと、おもひしときに、たづさへて、わかふたりみし、いでたてる、もゝえつきのき、かちこちに、えださせるごと、はるのはの、しげれるがごと、おもへりし、いもにはあれど、たのめりし、いもにはあれど、よのなかを、そむきしえねば、かげろふの、もゆるあらのに、しろたへの、あまひれかくれ、とりじもの、あさたちいゆきて、いりひなす、かくれにしかば、わきもこが、かたみにおける、みどりこの、こひなくごとに、ゆたとりし、ものしなければ、男自物、わきばさみもち、わき(160)もこと、ふたりわがねし、まくらつく、つまやのうちに、ひるはも、うらさびくらし、よるはも、いきつきあかし、なげけども、すべのしらなく、こふれども、あふよしもなみ、おほとりの、はがへのやまに、ながこふる、いもはゐますと、ひとのいへば、いはねさくみて、なづみこし、よけくもぞなき、うつそみと、おもひしいもが、はいしてませは
出立百兄 つきの木の、生出でたる体をいふたる義也。百兄は百枝也。槻の木のしげりたる義をいへり
香切火之 蜻蛉の飛かふは、火のかけるごとくなるもの故、かげろふはかける火といふの義にて、則かぎるもかけるも同じければ、香切火之と三字訓書にはしたる也
乞哭別 こひなく毎也。度ごとにの意也
取委 本集には取與とあり。此處には委の字をかきたれば、ゆだねとよむで、みどりこをとりあつかふものしなきとの事也
男自物 此義少心得がたし。をのじものといふ義歟。またをのこじもとよむ義か。をのじものといふは、何の樣にといふ義歟不分明。をのこじもなれば、をのこながらもといふ義にて、しは助語と見る也。をとこながらも、乳母女のなどのやうに、みどりごをとりいだくとの事也
吾妹子與 これより旬を改めて、妻の存在の時二人みしと云事わざ也。はさみもちといふへかゝりたることにてはなし
不怜 音借訓の意にて古本印本共にふれとよめるか。しかれどもふれと云義は釋むづかしき也。不樂の二字をさびと此集中いか程もよみたれば、此不怜の二字もさびと義訓によむべき也。さびはさみしきと云かた也。この奧の歌にも、不伶彌可をさびしみかとよませたり
爲便不知 古本印本ともに、せむすべしらずと本集の通によめり。しかれども、本集には世武の二字かな書にて、下をすべとよみたり。此は本集の通にはよみがたし。こゝろは同じ義なれども、すべのしらなくとか、すべもしられずとかよむべき也。何とすべきかたもしられぬと云義也
(161)相縁無 相逢ふ事もなきと也
人云者 きはめて人のいひしにもあるまじけれど、歌の餘情なれば、如v此つらねたるもの也
好雲叙無 よくもぞなきといふ義也
宇都曾臣 現在してある身とおもひしに、妻を火葬にしたれば、よくもぞなきと、歎き悲みたる也
灰而 是火葬にしたると見えたり。前にかげろふのもゆるあら野などよめるも火葬にしたる故、その縁をもてよめると見えたり。火葬のはじまりは、續日本紀文武天皇の四年に、禅僧道昭より起りたること審也。しかれば妻のみまかりしも、文武帝の四年已後頃と見えたり。人丸の死去の事も、此火葬の義によりて見れば、文武元明の頃とみゆる也。はいしてませばとは、はひとなりていませばと云義也
短歌三首
或本には、短歌三首のりたると見えたり
214 去年見而之秋月夜雖度相見之妹者益年離
雖度 月日の過行をわたるともいふ也。本集に雖照といへるおなじ意也。本集の短歌の意と、させる替りもなき也
215 衾道引出山妹置山路念邇生刀毛無
ふすまぢを、ひきての山に、妹をおきて、やまぢおもふに、いけりともなし
引出山 本集には引手とあり。一説には、出の字を書せり。葬車を引出だす通路の衾道故、出の字を書きて、意をあらはしたると見えたり。よりて古注者も此一説を注せりと見ゆる也
山路念 やまぢしのぶにとも、おもふにともよむべし。畢竟妹をおさめし山を、慕ひ思ふにと云義也
216 家來而吾屋乎見者玉床之外向來妹木枕
いへにきて、わがやをみれば、たまゆかの、よそむきにけり、いもがこまくら
(162)家來而 妻の死せるときは、人丸外にありしおもむき、前の長歌にも見えたり。死して後歸り來て也
吾屋 家に來てと重言のやうなれど、わがねやといふ意也
玉床 床をほめて玉とはいへり。我床なれども卑下せぬは歌の雅詞也
外向來 ほかむきけるとよませたり。意は同じけれど世を背きて死したる妻といふ意をこめて、よそむきにけりとよむかたしかるべからんか
木枕 きのまくらといふ義也。つげのまくらなどともいへば、木にても枕はするものなれば、初語のことにては有べからず。いづれにても、此歌本集には不v見。一本には、如v此ありしと見えたり
歌の意きこえたる通也
吉備津釆女死時柿本朝臣人麿作歌一首并短歌
きびつのうねめまかるとき、かきのもとのあそんひとまろつくるうたひとくさならびにみじかうた
吉備津釆女 今云備前備中備後の内より、貢献したる采女と見えたり。吉備津といふところ未v考。津は、なには津、大津などの津にて、ひろくさしたる所の義か。但し三備の國の内に、吉備津といふところあるか未v詳
217 秋山下部留妹奈用竹乃騰遠依子等者何方爾念居可栲紲之長命乎露己曾婆朝爾置而夕者消等言霧己曾婆夕立而明者矢等言梓弓音聞吾母髣髴見之事悔敷乎布拷乃手枕纏而劍刀身二副寐價牟若草其嬬子者不怜彌可念而寐良武時不在過去子等我朝露乃如也夕霧乃如也
あきやま【のしほめるにしもふる】いろと、なよたけの、とをよるこらは、いかさまに、おもひをりてか、たくなはの、ながきいのちを、つゆこそは、あしたにおきて、ゆふべには、きえぬといへ、きりこそは、ゆふべに(163)たちて、あしたには、うせぬといへ、あづさゆみ、おときくわれも、ほのにみし、ことくやしきを、しきたへの、たまくらまきて、つるぎたち、みにそへねけむ、わかぐさの、そのつまのこは、さびしみか、おもひてぬらむ、ときならず、すぎにしこらが、あさづゆのごとや、ゆふきりのごとや
秋山下部留妹 此義諸抄の説もまち/\にして、正義難v決。たとなと同音故、しなへると云義との説もあれど、山のしなへるといふ義いかにとも心得がたし。宗師案は兩義也。この下部留は下のいろといふ冠句の縁とみる也。秋山とよみ出たるは、妹の字いろとゝよまん爲の冠句にて、秋山は露霜をうけて、木々のいろづきもみづるものなれば、下部るは霜降といふ意にて、いろとうけたる義ならんと見て、秋山にしもふるいろとゝはよむ也。又の一義秋山のしほめるいろとゝ、釆女を紅葉にたとへて、死したる釆女なれば、しほめるいろとはよむ也。愚案は秋山にしたへるいろとゝ云義ならんか。秋の山は紅葉すれば、したへるとよみ出たろか。又は釆女の故郷秋山といふ所なるか。その里へ朝勤暇あきてかへるさにみまかりたる故、秋山にかへるいろとゝよめるならんか。先づ宗師の説にしたがひて、前の両義をとりて、假名書には用ふれども、尚愚案をも左にあらはす也
奈用竹乃騰遠依子等 これは釆女の全躰をほめて云たる義也。女はすべてすがた、たをやかにしなへたるものなれば、たをやかにしなへたるすがたの女と云義を、なよたけのとをよるとはいひたる也。とをはたわゝなど云と同じ。枝もとをゝになどよめるも、しなへたれたることを云ふたる義也。或抄にあぢむらのとをよる海などよめると同意にて、遠く放るゝことをいふたるとの説は、假名違の釋なり。遠の字のかなはとほなり。とをゝ、をゝりなどいふ假名のをは此遠也。これは兎角たをやかにしなひたる子といふ義と見るべし
子等とは釆女をさして也。此集中女をすべてこといひたること不v及2細擧1也
栲紲之 ながきといはん爲の冠句也。栲紲は栲にて編みたる繩也。船をつなぐ綱あるひはあまのいさりするに用ゐ、水に入れても不v朽強きもの也。栲の字のこと前に注せり。楮の字を古來より誤れる也
露己曾婆 此婆の字波の字なるべき所、此集中悉くあやまれり。是傳寫の誤りたる歟。板行の時誤りたるかならん
(164)明者失等言 露はあしたにおきて、夕にきゆといへり。夕に立ちあしたにはうせぬとこそいひならはしてあるべきに、釆女のかく早世したる果敢なきことは、何とおもひ居てか、かくはあへなきことぞといへる義也
音聞吾母 初は音にのみきゝしに、後にほのかに見たればと今更にまかりしことをしりて、いたましければくやしきと也
手枕は たゞまくらと云義也。手は初語也。枕をかはしてねけんその夫のいたましきと云義也
釼刀 身にそへと云はんための冠句也。つるぎ太刀は身にそふものなれば、身にそへねけんとつゞけんため也
其嬬子者 釆女の夫をさして也。つまとはすべて夫婦の間を云由來の事は前に注せり。此れは釆女の夫の義也
不怜彌可 さびしくあらんと也
時不在 釆女のわかくて死したるか、また何とぞ逆死にてもしたる歟。海川谷などに落ち入て不意に死したるとも見えたり。此歌の並すべて不慮に死したる列に見ゆる也
朝露乃如也 前によみ出したる朝露夕霧を重ねてとり出して、首尾をとゝのへたる也。如也と云は、ごとくぞと云義也。すべて也の字はぞと云詞にあたる也。歌の意句釋にてきこえたる通也
短歌二首
218 樂浪之志我津子等何【一云志我津之子我】罷道之川瀬道見者不怜毛
さゞなみの、しがつのこらが【あるにいはくしかつなるこか】まかりぢの、かはせのみちを、見ればかなしも
樂浪 神樂の二字をさゝとよむは、神代のむかしゑらきことありし時、篠葉を手ぐさとして舞ひ給ひし神わざの義をもて義訓せる也。その神樂の神の字を畧して、樂の一字をもさゝとはよませたり。此集第一此卷の前には、神樂の二字を書て、其後は如v此畧せる也。比例此集中いか程もあり。全篇をよく學悟すべき也。さゞなみとよみ出たるは、しがといはんための序詞にて、さざ浪もしが津もともにあふみの地名を書きたる也
志賀津子等 此しが津子とよみ出したるは、貢る釆女の近江のしがつに居て、朝勤をしたると見えたり。あふみのしが津とい(165)ふと云は、今の大和の邊の事ならんか。次の歌にも凡津子之とあり。子等とは釆女をさしたる義也
一云志我津之子我 本集には志我津子等何と書たるを、一本には如v此書たることあるとの注也。しかるに此之の字を、こゝにてはなるとよむべし。此集、之の字をなるとよませたること數多にて、あるといふ義又なるといふ事を、のと一語につゞめていひたる義也。前にも注せるごとく、駿河のと云義を、駿河なるとよむたぐひ、此れも、しがにあると云義にて、之の字なるとよむべき也
罷道之 釆女朝勤の年限はてゝ、吉備津に歸へる道の事を云ひたる義と見えたり
川瀬之道 釆女の本國にかへるさの、道筋の名なるべし。或抄に、釆女の身を投げて死したる故、川瀬のみちともよめるかとの説有。いか樣長歌の意にも逆死などをも、したるやう聞え侍るところもあり。しかれども川瀬の道とよみたれば、通路の道の名なるべし。川邊のみちとあらば、入水したる川の義とも聞ゆべけれど、川瀬の道と云ひては心得がたし
不怜毛 此歌にては、かなしもとよまるべし。さむしもとよみては、歌の意不v通。此二字は、所により歌によりて訓可v違也。此もかなしもとよまざれば不v聞也
219 天數凡津子之相日於保爾見敷者今叙悔
あまつかず、おほつのこの、ありし日に、おほにみしかば、いまぞくやしき
天數 これを古本印本等其外諸抄にも、あまつかぞふとよめり。義は天の日月の行度星辰舍次の事をかぞふるは、細密にはなりがたく、おほよそなる物といふ義にて、天かぞふ凡とつゞけたるとの説也。いひおゝせぬ詞也。外にあまかぞふ空かぞふなど句語の例もあらば、さもあるべき歟。此歌の外にあまかぞふと云語例句例もなければ、此説難v信也。よりて當家の流にはあまつかずとよみて、天數は大なるものといふ意にて、數大とうけたる詞と見る也。凡は大也といふ字義ありて、大に通ずる也。國史等に凡河内直と云氏姓を、大河内と書たるところも多也。これ凡と大と通用の字故也。此も大なるといふ意に見るべし。然るに凡河内を、中世いつの頃よりか、おほしかうちと讀み癖をつけてよみて、凡の字おほしとよませり。出所いづかたより(166)何によりて如v此よめるか。正記の證明も無v之事也。凡河内もおほかうちとよむべき事也。さればこそ國史に大河内と書たるにて、しの字を入れてよむ事無2證明1事としるべし。一言たらざる故におほしかうちとよませたると見ゆる也。しかれば上の天數はおほといはん爲の冠句と見る也。一字たらぬやうなれど、古詠には、此格いくらもあること也。子の次に等の字などを脱したるにてあるべし
凡津子之 大津子なり。しかつの子とよめる意におなじく、しがの大津に居任したる釆女故、如v此よめる歟
相日 あひし日とよめる點あれども、存日の誤ならんか。しからば存在したる日にといふ義にて、ありしひにとよむべき也
於保爾見敷者 釆女の存在してありし日に、凡に見しことを、人丸くやしくいたんでとよめる也。此集中に、疎の字をも凡の意にもちゐたるところあり。今もことの疎畧なることを、おほよそなどいへる意とおなじ今叙悔 釆女のかく果敢なくなるべきともしらず、存在のときは、いつまでもながらへをる人のやうにおもひて、さのみ親しからず、おほよそにのみまみえしことの、今なき人と聞けば、慕はれて疎畧に打過しことのくやしきと也
讃岐狹岑島視石中死人柿本朝臣人麿作歌并短歌
をぬきのさみねのしまのいしのなかにしせるひとをみて、かきのもとのあそんひとまろつくるうたならびにみじかうた
讃岐 古事記上卷云。次生2伊歟之二名島1、此島者、身一而有2面四1、毎v面有v名、故伊豫國謂2愛比賣1【此三字以音下效此】讃岐國謂2飯依比古1云々。今四國と云内の一つ也。此歌の詞に、神乃面とよめる古事記の古語によりて也
狹岑島 讃岐の地名さみなの山、狹みねの野など云てありと見えたり。さみねの山といふは、此島の中にある山と見えたり
石中死人 誰人ともしれず。島の石の間に死したる人ありしを見て、よめる歌なるべし。柿本人丸四國西國へ故ありて徃來のとき、折節この死人を見ての事と見えたり
220 玉藻吉讃岐國者國柄加雖見不飽神柄加幾許貴寸天地日月與共滿將行神乃御面跡次來中乃水門從(167)船浮而吾※[手偏+旁]來者時風雲居爾吹爾奧見者跡位浪立邊見者白浪散動鯨魚取海乎恐行船乃梶引折而彼此之島者雖多名細之狹岑之島乃荒磯面爾廬作而見者浪音乃茂濱邊乎敷妙乃枕爾爲而荒床自伏君之家知者往而毛將告妻知者來毛問益乎玉桙之道太爾不知欝悒久待加戀良武愛伎妻等者
たまもよし、さぬきのくには、くにがらか、みれどもあかぬ、かみがらか、こゝらかしこき、あめつちと、ひつぎとゝもに、みちゆかむ、かみのおもあと、つきてくる、なかのみかどゆ、ふねうけて、わがこぎくれば、ときつかぜ、くもゐにふくに、おきみれば、跡位浪立、へたみれば、しらなみとよみ、いさなとり、うみをかしこみ、ゆくふねの、かぢひきをりて、をちこちの、しまはおほかれど、なぐはし、さみねのしまの、あらそもに、いほりしてみれば、なみのねの、しげきはまべを、しきたへの、まくらになして、あらどこと、ころべるきみが、いへしらば、ゆきてもつげむ、つましらば、きてもとはましを、たまぼこの、みちだにしらず、おほゝしく、まちかこふらむ、をしきつまらは
玉藻吉讃岐國 此玉もよしさぬきといへる事、いろいろの説ありて、慥に證明いづれと難v決。先は讃岐は海邊の嶋なれば、此海邊より海藻の名産を出せる國といふ義にて、玉は藻をほめていふたる義にて、海藻の能き國といふ義と也。空海の三教指歸にも、然項日間刹那幻住2於南宛閻浮提陽谷輪王化之下、玉藻所v歸之嶋、橡樟蔽v日之浦1云々。此玉藻屏v歸之嶋と云注にも、此集の此歌を引て、海藻の名産の事に釋せり。しかれども讃岐の國にかぎり、海藻の能といふ事難2心得1。元來空海も此集に、玉もよき讃岐とある古語によつて、指歸にも、玉藻所v歸之嶋と被v書たるにてあらんも難v計。麻もよしきといふ冠句にも、藻の字書きたるも有れば、これも麻と藻とのよき紀伊の國といふべきや。右の説も決着しがたき説なり。尤延喜式にも讃岐國中男作物云々海藻とあれども、他國にも何程歟其類あれば、此一國に定めん事もいかゞ也。宗師案にも、さぬきといふこのぬきぬくといふは、玉にそふたる詞故、元此國石玉貝玉等のよき國なる故、玉の最上の國、その國をぬくと云意にて、如v此冠句を置きたる(168)ものと見えたり。藻の字は最の字の意にて、玉の隨一の國といふ稱美の詞、さぬきと云玉の縁語あれば、かくよめると見えたり。もは初語の詞、まといふ義也。あさもよしも、麻まよしと云義と見る也。吉の字をゑとよむ事は、古實古語なれども、語例を考ふるに、あをによしあさもよし、玉もよしといふ同類の語と見ゆれば、矢張よしとょむべき也。藻の字は助字同意にて、たゞ玉よきくにといふ義なるも、尚此さぬきの事は例證を考ふべし
國柄加 くになるからと云義也
幾許 こゝらこゝた同事也。至て尊きと稱美していへる也
天地 との字を入てよむべし
滿將行 上に日月とあるより、みちとはよみて又道にいひかけたる也。皆國をほめて萬の事とゝのひみちたる國といふ義也
神乃御面跡 前に注せるごとく、古事記の古語をもて、直に此國を神面の跡と稱したる義にて、神のおもあとゝよむべき也
次來中乃 此義兩説あり。人麿西國にくだる行路の次第を、來るつぎ/\といふ義、また神のおも跡の次/\を來るに、さぬきは中にあたる國故、中のみとうけんための義ともきこゆる也。或説には、上中下始中終ともに、中は上に次ぎ始に次もの故、次て來る中といふとの釋もあれど、此義は入ほかなる釋にきこゆる也
水門從 船のよりあつまるところをみなとゝ云と同事也。印本にはみなとゝよませり。倭名鈔卷第一涯岸類云。説文云、湊、水上入所v會也、音奏和名三奈止
時風 此ときつ風といふは、あらき風の事を云。旋風といふ意なるべし。今時のときつかぜといふ意とは異意地
雲居爾吹 風のはげしく、海路遙に吹立つ躰を云たる義也
跡位浪立 此義つゞき難き詞也。古本印本ともに、あとゐなみたちとよみたれども、あとゐなみたちといふ義はいかなる事にや。語例語證もしらざれば、此よみも心得がたし。宗師案は、此句の前後ともみな風はげしく、波のたちさわぐよしをよめればはるかに風の吹たちて、奧の方を見やれば、鹽煙などのたつといへるごとくに、あらき波たちて、海上くらくみゆる躰をいひて暗く波立ちと云義歟。跡はしりを也。また語も跡を約すればをなる故、をくらゐと云の意にて、跡位の二字を書きたる歟。(169)または音暗波の畧語にて、とくらなみといふ事か。意は奧のかたなれば、しほけぶりなどのたちて、くらきやうになりて、なみのたつといふ義なるべし。第十三卷にも跡座浪之立塞と書きて、此句同意の義と見えたり。いづれにもあれ、こゝの意はとかく波のあらく立景色をいふたる義ときこゆる也。下の句にも則ちへた見れば白なみさわぎとよめり
邊見者 へたみればとよむべし。へとはへたの畧語、へたははたと云義也
海乎恐 前にあるごとく、奧邊の浪風あらき故、わきて海上のおそろしきと也。かしこみはおそるゝといふ義也
梶 倭名鈔卷第十一舟具部云、釋名云【音接一音集和名加遲】使2捷疾1也。兼名苑云。※[揖+戈]一名※[木+堯]奴効反一音饒梶の字は、和名にて訓をかりて書たると見えたり。梶の字義は和字なればこれなし。ある抄に櫓の事といへり。櫓は進v船所以のものとあれば、同じ義ともいふべからんか
引折而 船をこぐ躰を云たる也。かひのをれたるを云にはあらず。横に引をりて舟をすゝむる躰を云たる也
彼此 をちこちの嶋とは、見えわたるところの程近のしま/”\也
名細之 狹岑の島をほめたる義也。此集中なぐわしはなぐわしなどいふて、みなものをほめたる事也
荒磯面爾 面は回の字の誤りたるなり。あらそもとよむべし
廬作而 いほりしてとも、また義訓にやどりてともよむべし
見者 或抄にこの上に一句半の脱句あるべしとの釋あり。いかなる意にや。此句の通にてもさみねの島のあらいそのめぐりに人丸のとゞまりて見たればと云義にきこゆる也
爲而 なしてとも、しつゝともよむ。何れも意は同じ
自伏 二宇引合て義訓にころべるとよむべし。印本等にはころふすとよめり。或抄に自の字をころとよむは、おのづからと云古語といへり。此釋心得難し。且法租宗には自の字を聖教等にてもころとよむよし注せり。其義未v考。此に云ころぶは人の躰の不v立、横にふしたるを云義也。今も俗語に躰をよこにするを、ねころぶといふ也。石中に死て居る人をさしていへる也
君之家知者 死人の家を知りたらば、ゆきて告しらさんにと也
(170)欝悒 此にてはおほゝしくとも、いぶかしくともよむべし。いぶかしくとは、今俗に云、心もとなきと云意なり。おほしくと云義もおなじ意なり。此句は下の妻にかゝりたる句なり。妻のいぶかしくまつらんと也
愛伎 前にも注せる通妻を稱して云詞、うるはしきといふの略語也
歌の意は聞えたる通也、
反歌二首
221 妻毛有者採而多宜麻之佐美乃山野上乃字波疑過去計良受也
つまもあらば、とりてたげまし、さみな山、のはらのうはぎ、すぎにけらずや
妻毛有者 石中に死したる人のつまもあらば也。此歌つまとよみ出たるより、草の義を下に云て、死したる人を野原のうはぎの事によそへたる也。草の葉末をつまといふ也。その縁をはなれず、始終草の事にて首尾を調へたる古詠の歌格也
採而多宜麻之 これも死たる人の妻もあらば、此死人をとりて、いだきもたげましといふ義也。印本等にはたきましとよめりこれは下にうはぎとよみ出たれば、それをたきにるの義によそへてたきとはよめるならんか。しかれども實意は手にいだきもたげましといふ義也。よりてたげましとよむ也
作美乃山 標題には狹岑とあれば、こゝもさみねの山といふ義にて、ねの字を畧したるか。またにとなと同音通なれば、乃の字はなとよむべき歟。しかればさみな山とよむべき也
野上 これをのはらのうらはぎとよめり。上の文字はうへといふ義にはあらず。上の文字を用ゐたる所に、此意數多見えてあること也。心を付て可v見也
宇波疑 今俗によめうはげといふものあり。此菜草なるべし。延喜式卷三十九、内膳式云、漬年料雜菜薺蒿一石五斗と有。此うはぎの事なり。をはぎともいふ也。此集卷第十にもよめり
過去計良受也 うはぎのたけすぎざるや、もはやたけ過たるにといふ意也。うはぎのたけ過てかれたれば、葉末つまもなきと(171)いふ義をよそへてよめる也
222 奧波來依荒磯乎色妙乃枕等卷而奈世流君香聞
おきつなみ、きよるあらそを、しきたへの、まくらとまきで、なせるきみかも
奧波 海邊の島なれば、奧より波の打よする也。その所のあらきいしをまくらとして、死したる君かなといふ歌の意也。奈世流君香聞の事難v濟也
香聞 歎の詞也。かなといふと同事也
柿本朝臣人麿在石見國臨死時自傷作歌一首
かきのもとのあそむひとまろ、いはみのくにゝありてまかるにのぞむとき、みづからいたみてつくるうたひとくさ
在石見國臨死時 人麿の生國何國共難v知。後世石見國を本國と傳へ來れり。此集の前に石見國より別妻上來時の歌あり。こゝにまた臨死時の歌と標せり。因v茲後世本國とする歟。しかれども國史實録等にも分明に生國を不v記ば、いづくとも難v決けれど、先此集に上來時と終る時の歌の標題に從ひて、石見國と心得べき歟。且古今の序に、人丸をおほきみつのくらゐとあるよりして、後世の諸抄にも皆、三位の人と心得て書記せしことの數しれず。しかれども是も國史實録に不v見。剰へ薨年とても不v記。此集の標題にも如v此臨死時とあり。此次の標題にも、死時と記せるを以て、五位迄の人にあらざることを明辨すべき事也。しかれば古今の假名の序、後人の加筆たることあきらけし。人麿死期の事病死とも不v見。此集の歌の列前後、かつ此人丸の歌次の妻の歌の意ともを、よく/\考へあはするに、横死と見えたり。もしくは他所に出て卒病にて死したる歟。病死ならば病中の歌一首なりともあるべき事なるに、その歌も見えず。また死にのぞめる時の歌とても、たゞ此歌一首計なれば、とかく逆死頓病などにて死せると見えたり
223 鴨山之磐根之卷有吾乎鴨不知等妹之待乍將有
(172)かもやまの、いはねしまける、われをかも、しらずていもが、まちつゝあらん
鴨山 石見國の地名也。此山に葬りたる歟
磐根之卷有 前に注せり。此卷の最所磐之姫の御歌に見えたり
不知等 等の字不審。たちつてと通音故、とうの音のとをてに通じ用たる歟。歌の意はしらでと云義か。若くは寺の字のよみの一語をとりて書けるを、誤りて等の字になりたるか。又は傳の字の誤りたるか。いづれとも難v決けれどよむところはでとならでは難v讀所也。古本印本にも等の字なれども、點はてと假名をつけたる也。然れば文字のあやまりと見ゆる也
待乍將有 此句によりても、人丸病床にて死たるとは不v見也。次に妻の依羅娘のよのる歌にても、とかく病死とは不v聞也
歌の意は、鴨山の磐根にまとはれふして、われはかく死するをも妹の知らずして、今か/\とかへりを待ちつゝあらんと、いともあはれに聞え侍る也
柿本朝臣人麿死時妻依羅娘作歌二首
かきのもとのあそむひとまろみまかりしとき、めよさみのいらつこつくるうたふたくさ
死時 此卷の前十市皇女の薨時、高市皇子の御歌の標題の所に、延喜式を引注せる通、六位以下輩達2於庶人1を稱v死也。然れば人麿六位以下の人と見えたるを、後世擧而正三位と稱へ來る事何の證明ある事にや。すでに此集此標題にも如v是記したるをもて、五位迄の人にあらざる事をしるべし。此歌は人麿のみまかりたりし時よめる歌と見えたり。死ぬる時の歌にてはなく死したる跡のその當座によめる歌なるべし
224 且今日且今日吾待君者石水貝爾【一云谷爾】交而有登不言八毛
【あけくれといつか/\】わがまつきみは、いしかはの、かひにまじりて、ありといはぬやも
且今日且今日 此六字を古本印本共に、けふ/\とよめり。此訓點いづれか是ならん。未だわきがたし。且の字は將の字と通じて、上へかへりてはぬる訓のとき用ゐる字也。例へば今か/\と云事にあたる字也。尤字義は數多ありて、又と通じ此と通(173)じ、或は初語助語にも用る也。しかれども今日/\と書きても、けふ/\とよまるゝに、且の字を加へたるには、言葉の意を助けたる集格の例と見ゆる也。よりて宗師案には、兩樣の義訓によむ也。けふならん/\と待意なれば、あけくれの意、いつかいつかといふ意也。又六字五言に助語をいれて、いつしかともよむべきか。右三つの義訓いづれとも未v決、後學の好む所にまかす也
石水 地名と見えたり。奧の歌に、石川に雲たちわたれとあるにても地名と見ゆる也。水を川とよむ事は、日本紀神武卷雄畧紀等にも見えたり。尤此集にもあり
貝爾 倭名鈔卷第十九龜貝體部云。尚書注云、貝、音拜和名加比水物也云々
一云谷爾 谷の字かひとも訓せり。よりて一本には貝を谷の字にかへて書けるもありと注せり
交而 源氏物語宇治の卷に、此歌の意をとりて書けるか。いづれの底のうつせにまじりにけんと書けり
不言八方 いはぬかなと云意也。八方は歎息の詞にて、石水のかひまじりてなりともありといはゞ、せめてなぐさむ情もあるべきに、かひにまじりてだにありともいはぬかなと、かなしみなげきてよめる也。此集中やもといふ詞數多ありて、大かた歎の意によめる也
225 直相者相不勝石川爾雲立渡禮見乍將偲
たゞにあはゞ、あひがでましを、いしかはに、くもたちわたれ、見つゝしぬばん
直相者相不勝 此たゞといふ事に兩義あり。たゞちにと云意と、いたづらにと云との意有。此意はいたづらにと云意也。今俗にものゝあたひなきことを、たゞといふその意と同じき也。かつぢきにといふ義と同じ。ものにかはらずして、そのまゝにあふ事はなるまじきほどに、ものにかはりてあらはれよとの歌故に、たゞにあはゞとよめり。印本諸抄物等にもたゞにとよませたれど、その釋はつけざる也。物にかはらずありしまゝの直きにはあはれまじき程にと云の義地。此卷の前に、天智天皇の皇后の御歌にも、直爾あはぬかもとあるその意とおなじき也
(174)石川爾 石見國の鴨山の中にある川の名と聞ゆる也
雲立渡禮 人死ては雲となり、雨となるなどいふ古事もあれば、それによりてよめる也。一度みまかりし人なれば、直にあはれぬなれば、雲霧ともなりて立わたれと也。それなりともせめてのかたみと見て、悲み慕ふ思ひをしのびたへんと也。此二首の歌の趣を考ふるに、人丸の死は不慮の死と見ゆる也。もし鴨山川に入水などしたる歟。此歌石見國にて妻のよめるとは此歌にて知るべし。前の歌のあけくれいつか/\と待居りてと云意は、遠國へも行て歸るを待歌のやうに見ゆれば、大和にての歌かともおもへど、雲立わたれとあるにて、當國の石見にてよめるときこゆる也。大和なるを、石見の石川に雲たちわたるを見つつしぬばんはいはれぬ事也。後人の見誤り、娘子大和にてよめるやうにも注せる抄物もあれど、鴨山の歌の標題に在2石見國1とありて、此二首の歌の端書に、何國にありてとも不v記。こゝに死時とあれは、標題の通に心得て見るべきこと也。大和に居て娘子のよめる歌にてならば、娘子在2大和1とか、京にありてとか、標題あるべきなれば、同國にとよめる歌と聞えて、意もその通なれば、當家の流には他國の歌とは不v見也
丹比眞人 名闕 擬柿本朝臣人麿之意報歌一首
たぢひのまひと、なをかく、かきのもとのあそむひとまろのこゝろになぞらへてこたふるうたひとくさ
丹比 元は丹治比と書り。しかるを二字にてたぢひとよむ事は、續日本紀に依v願三字を二字に改め用る由見えたり。丹比は氏也
眞人 かばね也。朝臣宿禰と云に同じ。此姓の事も、御代によりて次第かはれり。眞人をかばねの第一にせられたる時もあり。第二第三になされたることもありて今にては朝臣第一となれり
名闕 古注者の加筆也
擬柿本云々 本集の文也。人丸になりかはりてよめる意也
226 荒浪爾縁來玉乎枕爾置吾此間有跡誰將告
(175)あらなみに、よりくる玉を、枕におき、われこゝなりと、たれかつげけん
玉乎枕爾置 此玉は石玉貝珠波の玉ともに、あら浪につれてよりくる川邊に、岩がねを枕として、みまかりふしたると云義也。置と云字もし四直の二字を誤りて一字になしたるか。もしさならばしてとよむべし。直は子ともよむ、子はあたひの〔虫クヒ〕手ともよむべき義なれば、枕にしてといふ義ならんか。尤おきと云も、枕しての意とおなじき也
此間有跡 こゝにありと也。石川をさしてのことなり。しかるを有と云字をなりとよむは、にあの約言なゝり。よつてこゝなりとはよむ也。意はこゝにありと云也
歌の意は、石川のあら波のよする川邊に死せば、玉をも且珠をも枕にして、かく死に伏したるを誰かつげしらせて、直にはもはやあはれまじきほどに、雲霧と變化して成りともあらはれよとは、いへるぞと答へたる也
或本歌曰
古注者の加筆也。古注者の時分までは、天離の歌を載せずしてありしと見えたり
227 天離夷之荒野爾君乎置而念乍有者生刀毛無
天離夷 第一卷にも注せるごとく、日は天にあるものなれば、すべてひとうけんための冠句に、あまさかるとはよみたるものと見ゆる也。天は違くさかりたるもの故、天にさかりたるといふ意也。帝都にはなれたる遠國外邦は、天子のみいづ不v及故、日の徳のなきと云義にて、天さかるひなといふとの説なれども、大和の帝都の時近江を天さかるとよみたれば、遠國にかぎりたる義とも不v見。なればたゞ日とうける迄の事と見ゆる也。神功皇后の紀にも、天さかるむかつひめの命とあるにても、とかくひと云一語にうける事ときこゆる也
荒野 葬り置きし所をさしてあら野といへり
念乍 しのびつゝは、人丸を慕ひ悲むのしのび也
有者 存在して殘り居ればと云義也
(176)歌の意きこえたる通也。此歌の作者、いづれとも不v知。則奧に古注者其趣加筆せり。娘子の歌とも見え、又人丸の從者の大和に歸りてよめるともみゆる也。いづれにても大和へかへる人の歌なるべし
右一首歌作者未詳但古本以此歌載於此次也
古注者の文なり。古き本には、娘子の歌の列に記せる本ありと見えたり。しからば娘子の歌にてもあるべき歟
寧樂宮 元明天皇の御代の皇居也。續日本紀卷第五云、元明天皇和銅三年三月中畧、辛酉始遷2都于平城1。寧樂の二字をならとよむ事兩義有。先はねいらくの假名書と心得べし。義此ねはなの音故也。一義はなんぞとよむ故又樂の一語ゑらきとよむ、らをとりてかくはよむ也。然れ共、是より已後元明天皇の御時代の歌どもを載せたる故、後人此標題を加筆せる欺。撰者の筆とは不v見也
和銅四年歳次辛亥河邊宮人姫嶋松原見孃子屍悲歎作歌二首
あかゞねのよつのとし、ほしのやどりかのとのゐ、かはのべのみやびと、ひめじまのまつはらにをとめのかばねをみてかなしみなげきてつくるうたふたくさ
和銅 續日本紀卷第四云。和銅元年春正月乙巳、武藏國秩父郡獻2和銅1詔曰云々、東方武藏國爾自然作成和銅出在止奏而獻焉中略、故改2慶雲五年1而和銅元年爲而御世年號止定賜云云
河邊宮人 河邊は氏也。宮人は名也。傳系不v知也。河の邊は攝津の國の郡の名也。姫島も同國なれば、此宮人は攝津國の人と見えたり
姫島松原 津國也。豐後國と云説もあれど、仙覺律帥抄に攝津國の風土記を引て注せり。尤可v然。其風土記云。比賣嶋松原者昔輕嶋豐阿伎羅宮御宇天皇世、新羅國有2女神1、遁2去其夫1來暫住2筑紫國伊波比乃比賣嶋1、地名乃曰、比賣嶋者猶不v遠、若居2此嶋1l男神尋來。乃更遷來停2此嶋1。故取2本所v住之地名1以爲2嶋號1。日本紀第六垂仁卷一書終云、所v求童女者詣2于難波1爲2比賣許曾社神1、且至2豐國國前郡1復爲2比賣語曾社神1、並二處見v祭焉。日本紀卷第十八安閑天皇二年秋八月乙亥朔中略九月甲辰(177)朔丙午中畧、丙辰別勅2大連1云、宜v放3牛於難波大隅嶋與2媛嶋松原1冀垂2名於後1。延喜式卷第九神名帳云、摂津國東生郡比賣許曾神社【並名神大月次新嘗】倭名鈔卷第九國郡部云。肥前國基肄郡姫社郷名なり。右日本紀風土記、延喜式、和名鈔の表不2一決1。今尚摂津國に姫嶋姫語曾社といふ所ある事にや。未v取v聞也。然れ共日本紀風土記の趣は、慥に攝津國に姫嶋松原在りしと見えたり。豐後といふ説も垂仁紀によりていへる義なるべし。なれども此姫嶋はきはめて津の國の義也
孃子 字書云、孃、少女之號と注せり。よりてをとめとよむ也
屍 大津皇子の所に注せり
此姫嶋松原美人 第三卷にも同人の歌四首載せられたり。その歌の意をみれば、宮人の悲忍びたる人の樣に見ゆる也
228 妹之名者千代爾將流姫島之子松之未爾蘿生萬代爾
いもがなは、ちよにつたへん、ひめじまの、こまつがうれに、こけむすまでに
歌の意は、姫嶋のあたりの海中に、沈みし孃子の屍、このひめじまの松原にあがりたるによりて、松は千年をふるものなればそれによせて、かく果敢なさにいたましきことのありしと云、をとめの名はいつまでもいひつたはりのこらんと、いたみてよめる也
229 難波方鹽干勿有曾禰沈之妹之光儀乎見卷苦流思母
なにはがた、しほひなありそね、しづみにし、いもがすがたを、みまくゝるしも
難波方 方は潟也。かたの事は前に注せるごとく乾たりさしたりするところを云。倭名鈔卷第一涯岸類云、潟、文選海賦云、海冥廣、潟、思積反、與v昔同、師説【加太】
有曾禰 あるなと下知したる詞也。ねと云詞はみな下知のことば也
見卷 見む事のくるしきと也。まくと云はむといふ詞をのべたるもの也。すべて歌に約言延言のある譯は、上代の歌は皆うた(178)ふたるものなれは、語呂のつゞきのよきあしきによりて、のべもしちゞめもしたる事也。此わけをしれる人稀也。このみまくも、見むが苦しきといふことを見まくとうたふたる也。歌の意きこえたる歌也
靈龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首并短歌
あやしきかめのはじめとし、ほしのやどりきのとのうあきながつき、しきのみこかくれたまふときつくるうたひとくさならびにみじかうた
靈龜 元正天皇の御代の年號也。續日本紀卷第六云、元明天皇和銅七年八月己未中畧、丁丑左京人大初位下高田首久比麻呂獻2靈龜1、長七寸闊六寸、左眼白右眼赤、頸著2三台1、脊負2七星1、前脚並有2離卦1、後脚並有2一爻1腹下赤白兩點相次八字。同紀第七元正天皇卷云、九月庚辰受v禅即2位于大極殿1、詔曰、中畧、粤得2左京職所v貢瑞龜1、臨位之初天表2嘉瑞1、天地※[貝+兄]施不v可v不v酬、其改2和銅八年1爲2靈龜元年1云云。とあり
志貴親王 第一卷の終にも出たり。其所に注せり
薨時 續日本紀卷第七云、二年秋七月庚子中畧、八月王子中畧、甲寅二品志貴親王薨、遣2從四位下六人部王、正五位下縣犬養宿禰筑紫1、監2護喪事1、親王天智天皇第七之皇子也。寶龜元追尊稱d御2春日宮1天皇u。右紀の文と此標題とは年月共に違ひあり。撰者何としてか誤りたりけん
230 梓弓手取持而大夫之得物矢手挿立向高圓山爾春野燒野火登見左右燎火乎何如問者玉桙之道來人乃泣涙※[雨/沛]霖爾落者白妙之衣※[泥/土]漬而立留吾爾語久何鴨本名言聞者泣耳師所哭語者心曾痛天皇之神之御子之御駕之手火之光曾幾許照而有
あづさゆみ、てにとりもちて、ますらをの、さつやたばさみ、たちむかふ、たかまどやまに、はるのやく、のびとみるまで、もゆるひを、いかにとゝへば、たまぼこの、みちくるひとの、なくなみだ、(179)をさめにふれば、しろたへの、ころもひづちて、たちどまり、われにかたらく、いつしかも、もとなといひて、きゝつれば、ねのみぞなかる、かたらへば、こゝろぞいたき、すめろぎの、かみのおほみこの、おほむたの、たびのひかりぞ、こゝたてりたる
梓弓 此五文字より立向といふまでに、何の意もなき也。これはたゞ高圓山といはんまでの序也。圓は的也。言葉おなじければ、如v此よみ出したるもの也
得物矢 のことは第一卷に注せり。ともやにてはなき也
高圓山 大和の地名也。志貴親王を此山の邊に葬りしと見えたり
野火登 此處にも春野やく野火とありて、春の頃うどわらび若なの類など生ひ出んために、山野をやく也。倭名鈔卷第十二燈火部にも野火といふ名目を出せり
燎火乎 葬禮の手火などの火、又は火葬にもしたる歟
道來人乃泣涙 葬禮の供奉の人に、高圓山にもゆる火は何ごとぞと問ぬれば、親王の葬儀のよしを云て、悲み歎くとの事也
※[雨/沛]霖爾 古本印本にはこさめとよめり。或抄にはひさめとよむとの説有。尤日本紀にひさめふるといふ古語ありて、倭名鈔にも※[雨/沛]霖の二字をひさながあめと訓せり。いづれも大雨長雨のことをいへり。しかれば此歌にては、涙の雨とふるといふまでの意にこそあれ、大雨長雨の義までには及ぶまじき所なれば、二字をあはせてたゞあめと心得て、初語を添へてをさめとはよむ也
衣※[泥/土]漬而 御おくりの人の泣きかなしみて、衣もぬれひぢつゝ立留りて、皇子のかくれ給ふ事をかたると也
何鴨
本名言 よしなき事を云を聞つればと也。もとなとはゆゑもなき、よしなきことゝ云義、皇子のかくれたまふことのよくもあらぬことゝ云義也
(180)泣耳師所哭 此歌のすべての意の、ねのみなかると也
語者 みこのかくれたまふことを、何かとかたりあへば、心のいたましきと也
天皇之神之 志貴のみこを尊稱の意にて、神のみこと也
御子之 おほみことゝよむべし。おほんこと云義也。むはみと同音なれば、おほんこもおほみこもおなじ詞也
御駕 おほんだといふは、葬車を云古語歟。すべて葬車をだといふこともあるか。しからばだは、なとも、のとも通ひてくるまといふことを、古はだとばかりもいへるか。今俗にいやしきものゝ屍などのせるをあをだといふ。あをは青にて卑賤のものを云義也。しかればむかしは、葬車をだといひしかともきこゆる也。此御駕もみくるまのとよむべきを、古本印本の點、おゝんだとよめるは、古語によれると見ゆる故、通本の點にしたがふ也。或抄に日本紀には車駕とかきて、おほんだとよむといへり。字訓に不v見點訓は證明ともなりがたし。日本紀のよみを證とするは、字訓を注せられたる分は證據ならん。字訓なき訓は後人の加筆加點なれば、誤りたる點も多かるべし
手火之光曾 葬儀の送り火の事也。是もおほんだと云につきて、もしだびといふ義歟。しからば野送り火と云畧ともきこゆる也。尤神代卷上伊弉※[冉の異体字]尊神去り給ふとき、諾尊だぴとしてみしかばとある古語もあれば、今云松明などの義をいへる歟。いづれにてもあれ、葬儀の送り火の多くてりひかれると也。こゝたはこゝらとおなじ詞にて數多きを云也
照而有 てりたるとよむ。たはてあの約言なり
歌の意、句釋にてきこえたる通也
短歌二首
231 高圓之野邊秋芽子徒開香將散見人無爾
たかまどの、のべの秋はぎ、いたづらに、さきかちるらん、見る人なしに
志貴の皇子を高圓山に葬る故に、かくよめると見えたり。見る人なしにとよめるは、皇子のかくれたまひてましまさぬといふ(181)ことを、なげきたる意也
232 御笠山野邊徃道己伎大雲繁荒有可久爾有勿國
御笠山 大和、春日山とも云也
野邊徃道 しきのみこの常に徃來し給ふ道のことをいへる歌也。皇子の御座好みかさ山の邊なりし故かくのごとくよめるか
己伎大雲 音訓交へて如v此かけること此集にはあまた也。これらをも萬葉書と後世にいふなるべし。前の歌の幾許といふと同じ義にて、ものゝ多き事をいふ也。しかれば道筋の物ことにあれたると云義也
繁荒有可 あるゝことにしげくとよめる意心得がたきやうなれど、のべ行みちとあるより、道筋の草木も人通はねば、しげりふさげることをふくめていへる義也。あるゝといふことは、ものゝいさぎよからず、雜物のまじりしげれるを云義也。よりてしげくあるゝかとよめる也
久爾有勿國 皇子のかくれたまひて、いまだひさしくもあらぬに、牲來の道のあれてあるかなといたみて也
歌の意きこえたる通也。扨この三首のうた誰人のよめる歌とも不v知也。尤古注者左に金村の歌集に載せたるよしは注せり
右歌笠朝臣金村歌集出
古注者の注也。歌集に出とばかりあれば、よみ人はいづれ共知れがたき也。先は金村の歌と見置くべきか。金村傳系不v詳。此集中數多載せたり。上代の歌人也
或本歌曰
萬葉の別本には左の歌を記せりと也。しかれば右二首の歌の左に記したる本もありと見えたり
233 高圓之野邊乃秋芽子勿散禰君之形見爾見管思奴幡武
たかまどの、野べのあきはぎ、なちりそね、君がかたみに、みつゝしのばん
此歌は本集の秋はぎのうたとは意異なり。此歌によりて見れば、いよ/\皇子を高圓山に葬り奉れるときこゆる也
(182)勿散禰 ちるなと下知の詞也。前のしほひなありそねといふ歌には曾の字を加へたれど、この歌にはその字なけれども、上にてなといふ時はきはめて下にそと云詞はそふ也。これ和語の例格也。よりて此集中その字なくても、上にてなといふときは、きはまりてそといふ詞のそふたる歌あげてかぞふべからず。此一本の歌本集の歌よりは義安く聞ゆれば、勝れりともいふべからんか
234 三笠山野邊從遊久道己伎太久母荒爾計類鴨久爾有名國
みかさ山、野べゆゝくみち、こきたくも、荒にけるかも、ひさにあらなくに
野邊從 本集にはのべゆくとあり。一本には從の字を置けり。古本印本には野べにとよめり。しかれども野べにと云意なれば從の字なくてもてには詞によまるべし。從の字を書たるは、のべよりと云の意にてあるべし。よりてゆとよむ也。よりといふ古語は伊と云也
歌の意本集の意におなじ。あれにけるかもとあるは、しげくあるゝかと云よりきゝ安き也。かもといふはかなの意歎の詞と見るべし
萬葉童蒙抄 卷第三終
萬葉栗 本衆卷第二終
2009年7月14日(火)午前11時8分、巻二入力終了
〔巻三の目次省略〕
(193)萬葉童蒙抄 卷第四
雜歌
四季相聞の部類にもあらざる、唯くさ/”\の歌を擧げたる也。よりてくさ/”\の歌と云標題也
天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首
すべらみこと、いかづちのをかに、みあそびのとき柿本朝臣人麻呂作歌ひとくさ
天皇 此すべらきはいづれの天皇をさしたる歟。難2一決1也。前の標題にゆづりて、いづれの天皇と云ことも不v記也。第二首目の歌にては、女帝ときこゆれば、持統の御事歟。もしくは元明元正歟。未v決也。第一第二卷の例によれば、何みやに御宇天皇代と云標題を落脱したると見えたり。尤も元明天皇已後の歌どもをあげたるぞならば、年號を標題すべき事也。既に第一、第二卷にも年號あるみ代のうたは、その年號をはじめにあらはせしに此卷の初に標題なきは、傳寫のとき誤り脱せるならん。此天皇とさすところ、いづれとさだめがたし。此奧に弓削皇子遊2吉野1時御歌を擧たれば、此天皇は先づ持統天皇と見るべき歟。弓削皇子は文武天皇三年秋七月に薨去也
雷岳 大和國三諸岳也。雄略天皇七年秋七月に、三諸岳神に改賜v名爲v雷と有より、いかづちの岳とも神岳ともいふ也。第二卷目の歌に、神岳とよめるも三諸岳の事也。改賜v名いかづちとし給ふ所以は、雄略紀に詳也。上古神とばかりいへるは雷の事也。第二卷に千早振神とよめる歌の所に記せり。持統天皇みもろ山に御遊の事、年月等紀に不v見ば何の比とも難v考也
235 皇者神二四座者天雲之雷之上爾廬爲流鴨
すめらぎは、かみにしませば、あまぐもの、いかづちのうへに、いほりするかも
皇者 時の天子を奉v尊稱號也
(194)神二四座者 御代々の天子は天照大神の御正統、幾萬世不v絶神系の尊き理を以て、みかどを直に神と稱し奉る也。天子を神と奉2尊稱1れる古語證例は、此歌に不v限、日本紀を始め國史宣命等にあまたあることなれば、わけて注するに不v及也
天雲之 雨雲と空のくもとをかねてよめり。いかづちの鳴らんとする時は、かならず雨雲のおこるなれば、いかづちとうくる詞の故也。俗言ながら頼政の謠に、あまぐものいなりとつゞけたる詞あり。これもいなびかりとつゞく詞と聞ゆる也。雷電は男女の差別ありて鳴動するは男雷、いなびかりといふは女電の事を云なるべし。さればこそいなづまともいふ、電の義なるべし
雷之上爾 日本紀神代上云、〔一書曰伊弉諾尊、拔v釼斬2軻遇突智1爲2三段1、〕其一段是爲2雷神1、云々。同紀卷第十四雄略天皇七年秋七月〔甲戌朔丙子、天皇詔2少子部連※[虫+果]羸1曰。朕欲v見2三諸岳神之形1。【或云。此山神爲大物代主神也。或云兎田墨坂神也。】汝膂力過v人、自行捉來。※[虫+果]羸答曰、試徃捉v之。乃登2三諸岳1捉2取大※[虫+也]1、奏2示天皇1。不2齋戒1、其雷〓目精赫々。天皇畏蔽v目不v見、却2入殿中1、使v放2於岳1。仍改賜v名爲v雷。倭名鈔卷第一鬼神部云、雷公、兼名宛云、雷公一名雷師。力回反、和名伊加豆知、一云【奈流加美】。電、堂練反【和名伊奈比加利】、一言【伊奈豆流比】、一言伊奈豆萬、電之光也。いかづちのうへにといふは、いかづちのをかといふ山の名によりて、直に空中になるいかづちの事にしてよめる也。神にしませばとよめるは、尊稱の意ながら、上古は雷を神ともいひたれば、神にしませばいかづちとうけたる意もあるべし
廬爲流鴨 雷岳に御遊行ありて行宮を造らさしめてましませるをいへる也。古本印本ともにいほりとよませり。倭名鈔の字義によれば、いほと計りよむべからんか。倭名鈔卷第十居宅部云。營。唐韻云、營、余傾反、日本紀私紀云。和名伊保利、軍營也。廬、毛詩注云、農人作v廬、以便2田事1。【力魚反、和名伊保。】如v此字義異なれども、こゝの意はたゞ當分のかりみやの事をいひたる義なれば、いほなせるかもとよみても、いほりするかもともよみても、おなじかるべし
歌の意は、天皇雷岳に行幸まし/\て、當分のかり宮を立てさせ御まし/\給ふを、雷のをかといふ名によりて、萬乘の君徳は靈妙不測の神靈なるから、空中に鳴動するいかづちのうへにもいほをしめさせ給ふと、帝位のかしこくも尊き事を尊稱して、いかづちのをかをまことの雷にとりなしてよめる也。鴨と云は、例の嘆の詞、かなと云義也
(195)右或本云獻忍壁皇子也其歌曰王神座者雲隱伊加土山爾宮敷座
みぎあるふみにいはく、おさかべのみこにたてまつる也、そのうたにいはく
おほきみは、かみにしませば、くもかくす、いかづちやまに、みやしきいます
右或本云 一本の萬葉集には天皇御遊のとき忍壁皇子に奉るとしるして、歌も皇者と云を王とあり。雷之上を伊加土とあり。終の句宮敷座と替れる異本有しを、所見故古注者如v此注せり。御遊の時本集の如くよめる歌を、首尾の句を替へて、皇子へ奉れる事もあるべし。よりて一本にまたその歌をしるせると見えたり
忍壁皇子 天武天皇の皇子也。母宍人臣太麻呂女擬媛娘也。日本紀卷第廿九に具なり
王神座者 本集の皇の字、一本には王の字を書たり。しかればおほきみとよむべし。皇子をさしていひたる義也。天皇のみこなるゆゑ、ともに神靈を尊稱してよめる也。第二卷の歌にも弓削皇子を王者神西座者とよめり
雲隱 古本印本ともにくもかくれとよめり。しかれども禁句のはゞかりもあれば、くもかくすとよむべし。第四句へのつゞきはくもがくれといひてはつゞかぬ也。くもかくすいかづち山とはつゞく也。くもこもるいかづちともつゞくべき歟
伊加土山爾 本集の意とおなじ。いかづちの岳といふより實のいかづちのことにとりなして、神にしませば雲中にかくれなりわたるいかづち山にも宮所を敷まします也
宮敷座 本集の廬といふよりも、此句はまさりたらんか。天皇皇子の御座所なれば、かりそめの所にても宮敷とあるべきこと可ならんか
天皇賜志斐嫗御歌一首
すめらみこと、しびのをんなにたまふ御歌ひとくさ
天皇 いづれの天皇とも分明には難v注けれど、先は持統天皇と申べからんか。老女など御側近く被v召て、物語などさせてきこえめさんこと女帝に似つかはしければ也。前の歌にも注せるごとく、標題を脱したる故決しては申がたき也
(196)志斐嫗 志斐は氏なるべし。續日本紀卷第八、元正天皇養老五年春正月、中略。算術正八位上悉悲連三田次云々。此氏の老女と見えたり。但しひなと云老女の名ならんか。傳不v知ば難v注也
嫗 老女の稱也。第二卷目石川女郎の歌の處にても注せり
236 不聽跡雖云強流志斐能我強語此者不聞而朕戀爾家里
いなといへど、しひるしひなが、しひごとを、このごろきかずて、われこひにけり
不聽跡雖云 不聽、不知と書きて此集中いなとよむは義訓也。これは天皇のいやと被v仰どもとの御事也
志斐能我 古本印本にはしひのがとよめり。しかれども端作にても注せるごとく、志斐氏の女か、又志斐魚といふ女の名ときこゆる故、能となとは同音なればしひなとよむ也。尤志斐を氏としてしひのをむなと云の略記と見る也。のがとよみては句意不v穩也
強語 天皇のいやと被v仰ても被2聞食1よとひたとしひ奉りて、物語を申せしことをと也。氏にまれ名にまれ、しひと云義によそへ給ひて、強語とよませ給へる也
此者不聞而 此のごろ嫗か不v參して、しひごとをも聞しめされぬ故、したはせらるゝと也
御歌の意きこえたる通也
志斐嫗奉和歌一首
此端書にも志斐と書たれば、しひなと云老母の名とも見ゆる也。氏ならば前にて知れたる義なれば、嫗と計りにてもすむべからんか
嫗名未詳
古注者の文也。志斐を氏と決したる注也
237 不聽雖謂話禮話禮常詔許曾志斐伊波奏強話登言
(197)いなといへど、かたれかたれと、のればこそ、しひいはまうせ、しほごとゝのる
不聽雖謂 嫗はいなびたれども、天皇のかられ/\とみことのればこそ、物がたりをも奏し奉れると也
志斐伊波 伊は初語の詞也。しひはまうせと云義也。語の中に初語を加ふること證例いくらもあり。此しひは強の義にあらず。嫗の自らを云義也。或説に伊は野と通じてしひやは申といふ義といへり。少迂衍の説なり。かたれ/\とのればこそ、しひ嫗はまうせ、それをこなたよりのしひごとゝのらせ給ふと、たはむれて奉v和れる歌也。伊波をやはとよみては、上に一句何とか申てとかいふて、しひやは申せといはねばきこえぬ也。のればこそしひは申せ、それをしひごとゝみことのらせらるゝと見れば義安き也
長忌寸意吉麿應詔歌一首
ながのいみきおきまろ、みことのりにこたふるうたひとくさ
長忌寸意吉麿 第一卷太上天皇幸于參河國時歌の處に注せる奧麻呂也
應詔 いづれの天皇のみことのりとも難v知。是も持統天皇の何かたぞ海邊へ行幸なりし時、行宮離宮などにて、何とぞみことのりありしときの歌歟。或説には難波宮へみゆきのときの歌ならんかといへり。いか樣大宮の内までとあればさもあらんか
238 大宮之内二手所聞網引爲跡網子調流海人之呼聲
おほみやの、うちまできこゆ、あびきすと、あみこしらぶる、あまのよびこゑ
大宮之内二手 いづかたにもまれ、行在所の皇居をさしていへるなるべし。海邊の歌なれば難波の宮の事ならんか。海近き宮故海人のあみ子をよびあつむる模樣殿中までも聞ゆると也
網引爲跡 天皇行幸まし/\し折しも、海人のあさりする時あみをひくにあまたの海士人をよぴあつめて、それかれとさし引をする義也
(198)網子調流 古本印本等にもあことゝのふるとよみ來れり。しかれどもとゝのふるとは、歌詞とも不v覺。あこはあみこの略語なれども、とゝのふるの詞俗語にちかし。しらぶるとは、何にても物をあきらかにわきまへることをいひて、別而物の音などをわかつことをいふ義なれば、こゝもあみ子どもを、それかれとあきらめわかちて、あみを引しむる義にて、上に引くとよみ、下に聲とあれば琴などを引しらべるとも云縁の言葉あれば、しらぶるとよむかたしかるべからんか。とかく縁語をもて雅情をあらはす處歌といふもの也。俗語雅言の別ちをしらぬ人は心得がたからんか
呼聲 大宮のうちまできこゆと云句へかへるてには詞也
歌の意きこえたる通也
長皇子遊獵路池之時柿本朝臣人麿作歌一首并短歌
ながのみこ、かるちのいけにあそび給へるとき云云
長皇子 第一卷に出ませり。天武天皇の御子也
遊獵路池 何れの國の地名とも難v決けれど、第二卷目に人麻呂の妻死したる時の歌にも、輕路輕の里輕の市などあればこれも大和の國の地名か。若本草後の名所抄等には加賀或ひは越前等と記せる物あれど、此の獵路池とは別處歟。此端作の所にては先大和國と見ゆる也。日本紀卷第十應神天皇十一年冬十月作2釼池輕池鹿垣池厩坂池1云々。此輕池の事ならんか。奧の或本歌に、あら山中に海成可聞とよめる意は此時の事歟。また後代に至て堀被v改たるか。詳に并v考
239 八隅知之吾大王高光吾日乃皇子乃馬並而三獵立流弱薦乎獵路乃小野爾十六社者伊波比拜目鶉己曾伊波比回禮四時自物伊波比拜鶉成伊波比毛等保理恐等仕奉而久竪乃天見如久眞十鏡仰而雖見春草之益目頻四寸吾於富吉美可聞
やすみしゝ、わがおほきみの、たかてらす、わがひのみこの、うまなめて、みかりにたゝる、わかゝやを、かりちのをのに、しゝこそは、いはひふせらめ、うづらこそ、いはひもとほれ、ししゞもの、(199)いはひふせりて、うづらなす、いはひもとほり、かしこしと、つかへまつりて、ひさかたの、あめみるごとく、まそかゞみ、あふぎてみれど、わかぐさの、いやめづらしき、わがおほきみかも、
八隅知之吾大王 長皇子を尊稱していへる詞也。毎度注せる義也
馬並而 第一卷に注せり。文字の通の意也
三獵立流 獵に出給ひて、その野の池にあそび給ひたりと聞ゆる也
弱薦乎 古本印本にわかくさまたはわかこもとよめり。薦の字の事第二卷久米のせむしの歌にて悉しく注せる如く、日本紀にすゞと訓ぜられて、すゞはかやの事を云なればこゝもわかゝやとよむべき也。尤くさと云ても同じなるべけれども、日本紀を證とせんこと正義たるべき欺。此わかゝやわかくさ何れにまれ、此事に意はなきなり。下の獵路とうけん爲の冠句也。かやをかるとうけたる詞也。奧の歌にも、刈薦と書きて點にはかりこもとよませたれど、これもかるかやのみだれと請たる詞也
獵路小野 池の地名も同前にて大和國なるべし。後世の名歌抄等には加賀とも越前とも記せり。加賀越前にもありけるか。此歌にては先大和と見ゆる也
十六社者 十六をしゝとよませたるは、四を四合せたれば十六になる故也。これらを萬葉書とは云也。社の字をこそとよむ事は、古來より難v濟事也。是はふかき故實あるべき事也。まづは木石と云義と心得べき也。いかんとなれば、上古の社は石をたゝみて土を高くし、木を植えたる所をやしろとは奉v稱る也。木と石との所といふの義訓なるべし。第二卷人丸石見より上れるときの歌にも、こそといふ詞に、社の字を書たり。そこに不v注故今こゝに注也
伊波比毛等保理 鹿鶉こそをがみふしもとほるものなるに、人としてかく鹿鶉のやうに、はひをがみもとほるは、王の尊くかしこき故との意也。よりて上の拜目はをがまめとよむべし。下の拜目はをがめりとよむ也。四時物鶉成は、前にも注せる通、しゝうづらのごとくと云古語也
眞十鏡 鏡を稱美していへる義也。日本紀神代上卷に、白銅鏡とあるも同じ義、延喜式第八出雲國造神賀詞の末にも、御表知(200)坐、麻蘇比乃大御鏡とあるも、わけありてかがみを賞讃してまそとはいふたる義、神代上卷に、白銅鏡と書給ふもあきらかにしろきかがみといふ義なる也。然るをかなづけにますみと有を、理屈をおもしろく附會して、眞にすむ鏡などいへる説は、本邦の語學を不v知人の、僻説としるべし。扨て鏡は日神の御正躰ともかたどりて奉2尊崇1ものゆゑ、此歌にても皇子をあふぎあがめ奉るといふことの冠句、又見るといふの序詞に、まそかがみ仰ぎてとはよめる也。此所にてまそかがみに深き意味はなき事也。下の見れどといはんための序詞ながら、鏡の徳の常ならぬものなるをもつて也
春草之益 わかくさとは義訓也。盆の字を古點等にもましとよませり。ましめづらしといふ歌詞とも心得難し。いやはいよ/\ます/\の意也。所によりてましますともよむべき縁もあるべけれど、此歌にてはいやとならではよみがたかるべし。ましめづらしといふ歌詞、集中にも古詠にもきゝ不v及也
歌の意は、長のおほきみのかるちのをのにみかりに出給ひて、その所の池に遊び給ふを、たゞなにとなくみこを尊みほめ奉りて、何程あふぎあがめてもめづらしくかしこき皇子とほめ奉れる也
返歌一首
240 久堅乃天歸月乎網爾刺我大王者盖爾爲有
ひさかたの、そらゆく月を、あみにさし、我おほきみは、きぬがさにせり
久堅乃天歸月 濱成和歌式には、ひさかたのあま行月とよみたるよし仙覺抄に見えたり。古點はそらゆくとよませたり。盖爾爲有を古點にはかさになしたりとよみ、和歌式にはきぬがさにせりとよめる趣、同樣にしるせり。久かたのあまくもぞ行も意はおなじ。古點のそら行のかた聞よければそれに從ふ也
網爾刺 月のまろなるを、皇子のさしたまへる蓋に見立てとりなしてよめるなり。皇子をほめ奉り、天徳のましますといふ意をこめてよめる也。月をかさにみなすより、あみにさしといへり。長歌にあめみるごとくとよめるから、反歌にも天行月をとよみ出せる也。あみにさしとよめる意少し解しがたし。きぬがさの模樣に月などを繍に編みつけたる意にてよめるか。さし(201)といふはかさといふ縁によりてなり。但あみにとよめるは、此意をもてよめるならんか。
盖爲有 儀制令運、凡蓋、皇太子紫表、蘇方、裹頂及四角覆錦垂總、親王紫大纈、一位深緑三位以上紺、四位縹、云云。倭名鈔卷第十四云、調度部服玩具云、兼名苑注云、華盖、和名岐沼加散、黄帝征2〓尤1時、當2帝頭上1有2五色雲1、因2其形1所v造也
歌の意はたゞ皇子をほめて月のまどかなるを、皇子のさし給ふきぬかさにとりなして、天子の皇子なるからそら行月をきぬがさにしてめさるゝと云意也
或本反歌一首
一本にはきぬがさのことならで、左の歌をのせたる本ありし故、古注者如v此注せり
241 皇者神爾之坐者眞木之立荒山中爾海成可聞
すべらきは、かみにしませば、まきのたつ、あらやまなかに、うみをなすかも
眞木之立 眞は發語の詞也。諸抄等に※[木+皮]のことにいへる誤也。一種の木にかぎる事ならず。只木の生い茂りたるあら山中に池を堀らせ給ふと云義也。あら山中に海をとよめるは、歌の餘情神徳なるといふ意にて、池をも海とよみなせる也
海成可聞 獵路池を此みぎり堀らさせ給へる故に、かくよめるか。獵輕同詞なれば應神天皇の時被v造たる輕の池の事ならんか。しかれども獵路池とあれば、輕池とは異所歟。此義分明には難v考。同じ池にて應神天皇の時に被v造たる事を、今よみても歌の意に相叶ひて聞ゆる也。いづれにもあれ、天子のみ徳を尊賞し奉りて、神にしませばとよめる也。可聞は例のかな也
弓削皇子遊吉野時御歌一首
ゆげのみこ、よしのにあそび給ふときの御歌ひとくさ
弓削皇子 前に注せり。天武の御皇子也
242 瀧上之三船乃山爾居雲乃常將有等和我不念久爾
たきのへの、みふねのやまに、ゐるくもの、つねにあらんと、われおもはなくに
(202)瀧上三船月山 吉野にある地名、第一卷に瀧宮杯とよめるもこのところなるべし。このみふねの山に何の意もなし。下の居雲より趣向をのべたまふ歌也。懷風藻正五位下圖書頭吉田連宜從2駕吉野宮1、五言詩云。神居深赤靜、勝地寂復幽、雲卷三舟谷、霞開八名洲云云とあり
居雲乃常時有云々 雲に御身を比してよみ給へる意也。みふねのやまにゐる雲も晴るゝときもあり、又きゆる折もありて、さだめがたき景色を御覽ぜられて、人の身の上もまことに浮べる雲の如くなるものなれば、かの雲の山にかゝりまた消えちる如くに、常しなへにはあらぬものと思ひなすとの事也。常にはとこしなへにの意也。常住不變にはあらぬとの義也。景色の面白きに付て、おのづから御感慨もおこらせられて、世の中のさだめなき事を當然御覽なされし雲になぞらへて、よませ給へる御歌と聞ゆる也。別の意なき御歌也。おもはなくには、御主の御身も常住不變にあるべきとはおぼしめされぬとの義也
春日王奉和歌一首
かすがのおほきみ、こたへたてまつれるうた一首
春日王 志貴皇子の御子也。天智天皇の御孫也。續日本紀卷第一、文武天皇三年六月庚戌、淨大肆春日王卒、遣v使弔賻云々
243 王者千歳爾麻佐武白雲毛三船乃山爾絶日安良米也
おほきみは、ちとせにまさん、白くもゝ、みふねの山に、絶ゆる日あらめや
王者 弓削の皇子をさして也
千歳 弓削の皇子の世のさだめなき事を雲に比して、御身の上をも感慨なさしめ給ふ故、引かへて祝し直し、いつまでもみいのち長くゐましまさん、みふねの山に居る雲もたちゐ絶ゆることあらんや。おほきみの千とせにまさんためしは、白雲もみふねの山にたえまじきと也。御こたへの歌には、如v此御挨拶あるべき御事、殊勝なる御和歌なるべし。歌の意、何のとゞこふるところもなくきこえたる通地
或本歌一首
(203)244 三吉野之御船乃山爾立雲之常將在跡我思莫苦二
みよしのゝ、みふねのやまに、たつくもの、つねにあらんと、わがおもはなくに
三吉野 太集には瀧上之と有。居雲を立雲と文字替れり。和我の二字を我の一字、不念久爾を思莫苦二とかはれる迄の事にて歌のこゝろは同じき也。よりて再釋に及ばず
右一首柿本朝臣人麿之歌集出
萬藥の一本に如v此本集とかはりて書たる本ありしを、古注者所見故左に注せり。右の歌は人麻呂の歌集に出でたる歌と有、
古注者再注也
長田王被遣筑紫渡水嶋之時歌二首
おさだのおほきみをつくしにつかはさるゝ時、みづしまをわたれるときのうなふたくさ
長田王 長皇子の孫にて栗栖王の事也。續日本紀卷第十二、聖武天皇天平九年六月辛酉、散位正四位下長田士卒云云
被遣筑紫年月不v詳也。筑紫とは今云筑前筑後の兩國也。偏僻を守る要害地故、むかしは筑前の國に太宰府といふまつりごと屋をおかれて、重きつかさ人を被v遣て、西海諸蕃を守護させしめ給ふ也。この王も任國の事に付て被v遣たるならん
245 如聞眞貴久奇母神左備居賀許禮能水島
きゝしごと、まことたふとく、あやしくも、かみさびゐるか、これのみづしま
如聞眞貴久 これは景行天皇の御時、水嶋の岸傍にふしぎの寒泉忽然と湧出したる古事ある也。その義を云傳ふるごとくまこと尊くあやしくもと也
奇母 暴行の御時忽然と泉の湧き出たることのあやしき事故、あやしくもと也。かつ水島を賞美したる義をかねて也
(204)神左備居賀 昔より不思議のきこえある此嶋なるが、今も不思議にのこりてその儘にあるかなと云の義也。あるかとはあるかなといふの賀也
許禮能 これやこれならんと云義也。能の字はもし也の宇、野の字の誤字にてもあらんか。またのはなとおなじ詞なればこれなとおさへたる詞ならんか。今一案はこれこのみしまといふ義にて、能の字の上に許の字を脱したる歟。尤此の書面にても歌の意は聞ゆる也。水島をみしまとよむかみづしまとよむべきかの兩読ある也
水嶋 肥後國にあり。日本紀卷第七景行天皇十八年夏四月壬戌朔中略。壬申自2壬申。自2海路1泊2於葦北小嶋1而|進〔食。時召2山部阿弭古之祖小左1令v進2冷水1。是等島中無v水不v知2所v爲。則仰之|祈2于天神地祇1。忽寒泉從2崖傍1涌出。乃酌以獻焉。〕故號2其嶋1曰2水島1也。其泉猶今在2水嶋崖1也。如v此不思議なる故事ある水嶋すでに元明天皇の時分迄も猶存せるをもて、舍人親王の御傳跡もありて、此歌にもきゝし如く、神さびあるかとよめる也
246 葦北乃野坂乃浦從船出爲而水嶋爾將去浪立莫勤
あしきたの、のざかのうらゆ、ふなでして、みしまにゆかむ、なみたつなゆめ
葦北乃野坂乃浦 肥後國にあり。仙覺抄云、葦北乃野坂乃浦は肥後國也。水嶋又同肥後也。風土記云。球磨乾七里海中有v嶋稍可2七十里1、名曰2水嶋1、島出2寒水1、遂v潮高下云云。倭名鈔卷第五國郡部西海郡部云、肥後國葦北【阿之木多】球麻久萬
水嶋爾將去 風土記の通、海中に離れてある嶋故、あしきたの野坂の浦より船にて通ふところと聞えたり。古本印本共にみしまにゆかむとよめり。前の歌はこれのみづしまとよませて、此歌にては同嶋の名をみしまとよめること仙覺抄にも不審の義にて、後賢の考を待つの由注せり。或抄には續後撰にみしまにゆかむとあることあやまれり。さきの歌これのみしまとよみてとまるべきやと難ぜり。しかれどもみしまとよみてみづしまの事になるまじきにもあらねば、先の歌も若し脱字ありてみしまとよみしもはかりがたく、また後の歌みづしまとよみては文字あまり耳に立ちて聞ゆれば、みしまともよみたきもの也。所詮後の歌は前の水嶋の訓にしたがふべき也。當流に於ても尚後案を待つものなり
(205)浪立莫勤 船出して水島にゆかん程に、海上もおだやかに波風のたつ事なかれと下知したる也。ゆめとはつつしめよと教へ示したる義也。つとめともゆめともいふて、何かによらず、つゝしめと制したる義也
石川大夫和歌一首
いしかはのまうちきみのこたへうたひとくさ
石川大夫 傳不v知。左注にも注せるごとく、いづれの人とも難v知也
名闕
古注者の加筆也
247 奧浪邊波雖立和我世故我三船乃登麻里瀾立目八方
おきつなみ、へつなみたてど、わがせこが、みふねのとまり、なみたゝめやも
歌の意は、おきつなみへつ波はたつとても、長田王の船出し給ふてみふねのとまるところには、いかで浪のたゝめや、波はたゝぬと也。船出を祝して和へたる也。八方のもは例の嘆の詞助字と同じき樣なるものなり。わがせことよめるは、今時の風体にていへば、夫をさしていふやうなれど、長田王を敬稱の詞也。せことは、すべて君長をさしていへる詞也
右今案從四位下石川宮麻呂朝臣慶雲年中任大貳
是より已下誰作此歌焉迄古注者の文也。讀日本紀卷第三、文武天皇慶雲二年十一月己卯中略、甲辰中略、從四位下石川朝臣宮麻呂爲2大貳1云々
又正五位下石川朝臣吉美侯神龜年中任少貳不知兩人誰作此歌焉
吉美侯 きみこ也。續日本紀卷第九神龜元年二月中略、石川朝臣君子並五五位下云々とあり。此人なるべし。しかれども此注は誤と見えたり。續日本紀を孝ふるに、吉美侯任2少貳1ぜし事、神龜年中は勿論紀中に不v見。此集の中にも石川朝臣足人(206)歌七首あれば、こゝにいふ吉美侯は足人のあやまりなるべし
又長田王作歌一首
是は撰音の標題也
248 隼人乃薩摩乃迫門乎雲居奈須遠毛吾者今日見鶴鴨
はやひとの、さつまのせとを、くもゐなす、とほくもわれは、けふみつるかも
隼人乃薩摩 隼人は兵士也。火酢芹命の裔也。日本紀神代下卷に見えたり。令義解卷第一末云、隼人司、正一人、掌d檢2校隼人1【謂隼人者分2番上下1、一年爲v限、其下番在v家者差2料課役1、又簡2點兵士1、一如2凡人1】及名帳教c習歌※[人偏+舞]u、佑一人、令史一人、使部十人、直丁一人、隼人。この隼人は大隅薩摩兩國より出て朝廷へ分番上下する兵士也。衛門府の被官也。此處に云隼人はさつまといはんための冠句也。薩摩の國より出るもの故、はや人のさつまとつゞくる也
迫門 すべて海中にて浪風などのたちやすく底深き處をいふ也。俗に大事の瀬戸をこすなどいふも、海路にて大切にするところ、浪潮のあらきところを、せとあるひは灘抔と云と聞えたり。せまき處といふ義にて左右に山島などありて、そのところの海せまくて、底深く潮はやき處ゆゑ、せとゝいふなるべし
雲居奈須遠毛 くもゐなすとは遠といはん爲の序詞にて、大隅さつまは帝都よりはるけき遠國なれば、雲ゐの如くに遠きとよめるも理也。歌の意は何となく只はる/”\の海路一入に便りなき旅愁の意地。鴨は例の歎詞今更に餘情の哀れに聞え侍る也
柿本朝臣人麿※[羈の馬が奇]旅歌八首
かきのもとのあそんひとまろ、たびのうたやくさ
※[羈の馬が奇]旅 二宇合せてたびとよむべき也。此八首の歌は、往來の旅の歌を載せられたりと見えたり。人丸の何國へ往來の時の事とも不v知れ共、歌の趣を考ふるに西國筋へゆきかへりの時の歌と見えたり。もし石見國よりの上り下りの時の歌ならんか。八首の全篇をよく考ふるに二首並べあげたるは、往來のときの歌を並べ載せたるかと見ゆる也
(207)249 三津埼浪矣恐隱江乃舟公宣奴島爾
みつのさき、なみをかしこみ。こもりえの、ふねこぎとめて、やどれぬじまに
三津埼 攝津國難波にあり。なにはのみつともよめるところ也
浪矣恐 なみあらかりし故おそろゝと也
隱江 なみをおそれてこもるとうけたる詞にて、此處にこもり居るにてはなく、このこもり江も地名なるべし。こもり江の船といへるは、なには船抔云と同じ意にて、その處の船を云たる義歟。先は波を恐れて、こもるといふつゞきにいへるこもり江也
舟公宣奴島爾 古本印本共にふねこぐきみがゆくかぬじまにとよめり。舟公宣の三字をかくよめることいかに共心得難し。とかく誤字脱字あらんか。此書面の通にて案をめぐらして見る師案には、公の字は泊の字にて船はつるなどよめる字なれば、泊の字にして見る時はふねこぎとめてとよむべし。宣の字は宿の宇なるべし。しからばやどれとよむべし
歌の意は、みつのさきのなみあらくてかしこき程に、こもり江の舟もまづこぎとめてぬじまにとゞまりやどれとよめる歌とみる也。點本の通のよみにては歌の意如何とも不v聞也。しかれば此歌は西國より上れる時の歌と見るべき歟。若し脱字ありて別の意もあらば、他國へ下向の歌にもあらんか。此歌は如何にもと未だ決しがたき歌也
奴島爾 淡路也。次の二首目の歌には直ちに粟路之野島とよめり
250 珠藻苅敏馬乎過夏草之野島之崎爾舟近著奴
たまもかる、みぬめをすぎて、なつぐさの、ぬじまがさきに、ふねちかづきぬ
珠藻苅敏馬乎過 敏島の浦なるべし。先は攝津の國の地名とす。但淡路にもあるか。仙覺律師抄云、攝津國風土記云、みぬめの松原云々。たまもかるみぬめとつゞくる外の意は不v可v有v之。玉藻は浦にてかるもの故みぬめの浦といふ意にてよみたる迄ならん。外に意はあるまじき也。浦といふ詞はなけれども、みぬめとよめば浦とか崎とかきはまりたること故、みぬめと(208)ばかりありても浦の義と見るべし
夏草之 の島とうけん爲の冠句也。夏草に意は無し
此歌は前の歌と次第して見る時は、前の歌は難v濟。前の歌ははとかく脱字ありて、京より西國へ下る時の歌ならんか。みぬめの歌は攝津國、津島は淡路なれば、みぬめを過ぎて野島とあれば、こなたより西國へ下れる時の樣に聞ゆる也。然れどもみぬめの浦も淡路の内にありけるにや、證明難v知。往來の歌を部類一つにあつめて、前の歌は上るときの歌、是は下る時の歌とて載せたる歟。次第して見る時は、前の歌何とぞ外に誤字脱字あるべき也。下るときの歌と次第して見る義も、奧に到りていまだ支へあり。天さかるひなの長ぢの歌は、上る時の歌と聞ゆる也。されば往來の歌を一つに載せたると見ざれば不v濟也。止る時の歌と次第して見れば、奧の歌どもにては次第連續して淡路より播磨播磨より津の國と次第すれども、此二首の歌不2連續1故不審おこれる也
或本云 處女乎過而夏草乃野島我埼爾伊保里爲吾等者
或本に云く、みぬめをすぎて、なつぐさの、ぬじまがさきに、いほりすわれは
處女乎 是を古本印本其外抄物等にもをとめとよめり。然れども本集にみぬめとありて、その或説の下の句の替りをあげたる歌なれば、處女とかきてもみねめめとよみたると心得べき也。但しみぬめの浦ををとめの浦としいへる何ぞ證明もあらば、處女とかきてをとめとよむ事は、此集にも奧にいたり毎度あれば、をとめとはよむべけれど、こゝにては心得がたし。此一字は若し敏女脱字にてあらんも知るべからず
野島我埼 淡路也
伊保里爲我等者 本集には船ちかづきぬとあり。或説はいほりすわれはとよめる、いづれもぬじまに船泊せしと見ゆる也。
此歌にて見れば初の歌の宿の宇脱字と見る意も叶ふべからんか
251 粟路之野嶋之前乃濱風爾妹之結紐吹返
(209)あはぢなる、ぬじまがさきの、はまかぜに、いもがむすびし、ひもふきかへす
粟路 あはぢと點をせる理を述のぶるにも不v及誤也。あはぢの事は、神代筌卷に見えたれば不v及。2細注1也
之 是をなるとよむ事前にも注せり。此集中なるとよまではならぬ義數多ある也。これをあはぢのと四言一句によめる句例多き事なれど、之の字なければ四言にもよむべき事なれども、なるとよむ例あれば五言によむべき事なり
野島之前 前は埼の義也。借訓にかきたるなり。前後のさきにてはなき也
此歌の意は、旅行の物うき有樣をよめる也。旅たつ節は身のいたはりを厭ひはかりて旅衣の紐などをも、妻のしめ結びしに、濱風の荒くはげしきまゝにとけやらぬ紐をも吹かへすにつけて、古郷の事をも思ひ出て慕ふ心の意をふくみてよめる也
252 荒栲之藤江之浦爾鈴寸鉤白水郎跡香將見旅去吾乎
あらたへの、ふぢえのうらに、すゞきつる、あまとやみらん、たびゆくわれを
荒栲 ふぢへつゞかん爲の冠句、第一卷あらたへのふぢゐが原とよめる意に同じ
藤江之浦 播磨國明石郡の内にあり。倭名鈔卷第八、播磨國明石郡葛江、布知江
鈴寸 鱸也、借訓書也。倭名鈔卷第十九、鱗介龍魚部類云。鱸、崔禹食經云、鱸【音盧、和名、須須木】貌似v鯉而鰓大開者地。四聲苑云似v※[魚+厥《あさち》]而大青色
歌の意かくれたる義もなし
一本云白栲乃藤江能浦爾伊射利爲流
一本云、しろたへの、ふぢえのうらに、いさりする
第一第三の句のかはりを説きたる意にて、歌の意は同じ義也
253 稻日野毛去過勝爾思有者心戀敷可古能島所見
いなびのも、ゆきすぎがてに、おもへれば、こゝろこひしき、かこのしまみゆ
(210)稻日野 播州印南郡にある野也。日は濁音によむべき歟。もつともひとみとは同音にて、濁音なればなり。倭名鈔卷第五國郡部云、山陽郡、中畧。播磨國明石安加志賀古、印南伊奈美
去過勝爾 いなみのゝ景色おもしろきによりて、旅行の愁情を忘れて行過がたく思ふと也
心戀敷 こゝら戀しきといふ意也。かなたもこなたもおもしろき風景あまたありとの意也
可古の島所見 可古も播州也。賀古郡の内にある島也。前の稻日野の處と同じく倭名鈔にも見えたり。日本紀卷第十應神紀十三年の條一書説云。一曰、日向諸縣君牛仕2朝庭1中略。便入2于播磨鹿子入門1中略。時人号2其著岸之處1曰2鹿子水門1也
一云潮見
鹽をうみとよむ事古訓に有。印本等にしほとよめるは、潮をうみとよむ古訓を不v知りし人の點をくだせし也
此歌の意は、いなみのゝ風景おもしろき故、旅行のうさを忘れて、ゆき過難く思ふ折ふし、かこのしま同じ國の海中にてま近く見ゆれば、またその處へもわたりて、景色をも見まほしかりけるにや、かくよめるなるへし。こゝろこひしきはこゝらと云意にて、かなたもこなたも行過きがたく、またゆきてみまほしきといふ義を、心戀ひしきとはよめる也
254 留火之明大門爾入日哉榜將別家當不見
ともしびの、あかしのみとに、いるひにや、こぎわたるらん、いへのあたりみず
留火之 あかしとうけん爲めの冠句也
明 播磨なり。前にひける倭名鈔の郡のうちにも見えて明石也
大門 大は水の字lの下迄筆つゞかざるを、のちにあやまりて大の字に作れると見えたり。古點はせとゝよみたるを、仙覺律師阿波國風土記を引て、奈汰と改點せり。大門をなだとよむべき義、證例も不v見。門の字はすでに迫門と書きてせとゝよみきたり。門の字計もとゝよめば、みとゝ云は、神代卷より始め古記いくらも證例すくなからざる古語なれば、大の宇の誤宇と見て水門とは訓ずる也。水門はみなとゝ云義にて、衆船のあつまりよる處也。歌の意も、海上よりは故郷のかたもはるけき
(211)ながら見わたさるべけれど、湊に入りては、家のあたりも隔たり見えまじければ、かくよめると見たる也
入日哉 みなとへ入日には、古郷のかたをも詠めやり來りしも、見えずなりて、こぎわたるらんとの意なるべし。然ども此句少六ケ敷聞えがたし
榜將別 此句難v濟。こぎわかるゝといふもの今一つ何ぞわかれるものなくては聞えざる句なれど、諸抄にもたゞ聞えたる様に釋し來れり。此分ばかりにては何とも聞得がたし。注釋の詞を入れて見ざればすみがたき歌也。上に船のこともなく、こぎわかれとよめるも心得がたし。若誤字などあらんか。然ども先詞を添へて水門に入る日には、詠めやりし古郷の家のあたりも見えずなりて、こぎわかるゝといふ義と釋し侍れど、實意はしかとすみがたき歌也。入日は入舟にてはあるまじきか。舟の字ならばこぎとうけたる詞は濟むべき也。それともに全躰の意はとくときゝ得がたき也
家當不見 この歌は倭より西國へ下る時の歌故、あかしのみなと迄は海上より大和のかたをも見やりゆきて、湊へ入ればもはや海山をも隔つる故、如v此よめる歟。次の歌にもあかしのとよりやまと島見ゆともあれば、あかしの浦からは大和のかた見やらるゝと聞えたり。前に注せる如く二首ならべあげたるはゆきゝのときの歌を載せたると見ゆる也
255 天離夷之長道從戀來者自明門倭島所見
あまさかる、ひなのなかぢゆ、こひくれば、あかしのとより、やまとしま見ゆ
天離夷之 此事は前に注せり。天に遠ざかります日とうけたる詞也。他家の説とは異意也
長道從 長き旅道よりと云義也。前にも注せる如く、よりといふ義を古語にはゆと云へる也
戀來者 こひくればとあるからは、此歌は上る時の歌と見ゆる也。長路よりこひ來ればとよめるからは、西國より登る時よみし歌なるべし
一本云家門當見由
一本云、やどのあたりみゆ
(212)歌の意は聞え侍る通也
256 飼飯海乃庭好有之苅薦乃亂出所見海人釣船
けひのうみの、にはよかるらし、かるかやの、みだれいでみゆ、あまのつりぶね
飼飯海 飼飯は越前なるに、此歌の次に入る事五文字心得がたし。一本歌に武庫とよめるはこゝの歌の次に相叶へり。攝津國泉川の浦の内に飼飯といふ處あれば、若し其處を略してけひとよめる歟
庭好 海上のことをにはと云也。にはとは波穗といふ義ならんか。この意は海上靜にて波風もなくよくあるらしといへる也好有之の三字は約言によみてよかるらしとよむ也。よくあるらしと云義也
苅薦 みだれといはん爲の序詞也。印點にはかりごもとよみたれ共、かるかやはみだれとつゞく後々の歌にも置例多ければかやとよむ方然るべし。その上薦はすゞ、かやとよむが古訓也
亂出所見 海上波靜なる故、海士のつり舟あまた出でたる景色も見えたれば、出見ゆとよめる也。つり舟のこゝかしこにあまた出みゆるにつきて、海上にはもよくあるらしと察したる也
一本云
異本には左の歌を載たると也。例の古注者の加筆也
武庫乃海舶爾波有之伊射里爲流海部乃釣船浪上從所見
むこのうみ、ふねにはあらじ、いさりする、あまのつりぶね、なみのへにみゆ
武庫海 攝津國也。倭名鈔卷第六國郡部云、攝津國武庫無古。郡にも郷にもあり。武庫郡の内の海なるべし
舶爾波 海上の事をふなにはともいふと見えたり
有之 借訓書にて荒しといふ義なるべし
伊射里爲流 海邊、海中、江、湖、川、惣而水邊にて魚をとる事をいさりといふ也。白水郎の所業を云詞也
(213)海部 白水郎、海人、海士、漁人、と書きて皆あまと訓せり
浪上從所見 浪のうへに見ゆるなれば、海上荒く波高き故、あまのつり舟も浪の止に漂はせると也。本集の歌とはうらはらの意也
鴨君足人香具山歌一首并短歌
かものきみたるひと、かぐやまのうたひとくさならびにみじかうた
標題に雜歌とあげたる通、かくの如く連續なきくさ/”\の歌どもをまじへて載せられたり
足人 傳不v知
257 天降付天之芳來山霞立春爾至婆松風爾池浪立而櫻花木晩茂爾奧邊波鴨妻喚邊津方爾味村左和伎百磯城之大宮人乃退出而遊船爾波梶棹毛無而不樂毛己具人奈四二
あもりつく、あまのかぐやま、かすみたち、はるにいたれば、まつかぜに、いけなみたちて、さくらばな、このくれしげに、おきべには、かもめよばひて、へつかたに、あぢむらさわざ、もゝしきの、おほみやびとの、たちいでゝ、あそぶふねには、かぢさほも、なくてさびしも、こぐひとなしに
天降付 天よりくだりつくといふ義也。これは阿波國の風土記に天より大なる山の降り下りて、一つは阿波國に止まりてあまのもと山と云ひ、又一つくだけて大和國に降り下れるを、香具山といふとの説あり。その説によりてよめる歌也。よりて天降付とよみなす也
霞立 霞立つ春の頃、此かぐ山に大宮人の出で來りて遊びし事のありしが、今は物ふりて面白かりし風景の處も、さびしくなりしことを云へる歌也。歌の意、これ已下聞えたる通也
池浪立而 香久山の内に大なる池ありと見えて、第一巻にも海原とさへよませ給へり。今時は、池のさゞ浪とはよめ共池波と(214)よむ事好まず。されど古は如v此よめる也。尤是は池の大なる由を云ひて奧邊などともよみたり
木晩茂爾 古本印本等にもこのくれしげにとよめり。尤奧の歌どもに假名書に許能久禮繁とも書、許乃久禮能之氣伎ともあれば、古點の通なるべし。然れどもこのくれと云事は、何と云へる事をこのくれと云との釋古來より無v之故、此詞如何とも解しがたき也。先づは物の重り茂りたる事を云ふ義にて、木の暮にて木のしげりたる處は日のくれたる如く暗き義をとりて、このくれといへる也。此詞より後世木の下やみ五月やみといふ事をよめるも、これよりおこりたること也。かつ木のしげりたる事を云ふにも限らず。思ひのしげき事にもよみたり。此れは櫻花の茂りて咲ける事を云ふたる義也
鴨妻喚 古印本點等にもかもめよばひと點せり。然れども鴎の字あるに鴨妻を書きたれば、かものつまよびともよむべきか。尤第一卷にてもかもめたちたつとよませ給へば、古點に從ふべきか。いづれにても意は同じきなれば、好む處に從ふべし
味村 鴨の類也。あしかもなどよむもこれ也。爲v群烏故むらといふか
百磯城之 此もゝしきと云義、いろ/\説有事也。古本に百官の屋敷所故百敷と書きて朝庭を云との説もあれば、只朝庭は百の城をめぐらせる處故、帝都の皇居をさして百敷とは云へる義なるべし。礒の字は石をかさね城となせる故、百の石の城ある大宮とつゞけたる義なるべし。礒の字は助字とも見ゆる也。助語に見ればいよ/\義あきらけし
退出而 まかり出ては、朝勤の暇には、諸官の人此地に出遊びしと也
無而不落毛 帝都の近かりし時は、宮人も出て遊びし船に、今はかぢ棹もなく誰こひ遊ぶ人もなければ、いと物ふりてさびしきと也
此歌の意は、左注に注せる如く、藤原宮を寧落にうつされて後は、此香具山の程隔たりて、みゆきなどもなく宮人の出て遊興せる事もなく、物さびたるを哀れみてよめると聞ゆる也
反歌二首
258 人不榜有雲知之潜爲鴦與高部共船上住
(215)ひとこがで、ありくもしるし、あさりする、をしとたかbと、ふねのへにすむ
有雲知之 ありきたるもしるしと也
潜爲 鳥の餌を求むるをあさりと云也。あさりはあしさぐると云義にて、あしにてかきさぐる也。潜はかづくともよみて、字義にはあたらざれ共、水鳥の水中に沈浮するも皆餌を求むる義故、義訓にあさりするとはよむ也
鴦與 倭名鈔第十入鳥部云。鴛鴦。崔豹古今注云、鴛鴦。※[う冠/免]〓二音和名、乎之。雌雄未2甞相離1、人得2其一1則其一思而死、故名2匹鳥1也
高部共 同云。※[爾+鳥]。爾雅集注云、※[爾+鳥]。音彌一音施、漢語鈔云、多加倍、多加閉、一名沈鳧、貌似v鴨而小、背上布v文
船上住 位の字に書ける本は誤也、一本住の字に作るを正とす
歌の意は、香具山の地にすて小舟はあれども、誰こぐ人もなければ、かもたかべのその船の上に住みて、人のこぐ事もなく、あり來れる儘にすて小舟となりてあることのしるきと也。帝都の遠ざかりぬれば宮人の出遊びし處も、今は人氣稀なる由をよめる也
259 何時間毛神左備祁留鹿香山之鉾椙之本爾薛生左右二、
いつしかも、かみさびけるか、かぐ山の、むすぎのもとに、こけむすまでに
何時間毛 いつかくかもと云義にて、はつきりと何時ときはの知れざる事を云ふたる義也。かもといふは疑ひの詞にて、今云ふいつしかもと同車の意也。はつきりといつ來りたり共見えず知れぬ事を、いつしかも秋は來にけり、冬は來にけりなどよむ意も同事也
神左備祁留鹿 神さびしく古びたるといふ義に神さびと也。鹿はかなの意也。神さびけると也
香山 日本紀神武卷云、香山此云2介遇夜縻1これによりて此集にも此一字を用ゐたり
鉾椙 むは、まと同じ詞にて初語也。眞椙と云ふに同じ。すぎの字は和名鈔には俗用v椙非也と注したれども、日本紀卷第十(216)五顯宗紀に椙此云須擬と書かせ給へる故、此集にもすぎと用たり
歌の意は、全體香山の物ふりてさびしき義をよめる也。別に意あるにあらず、森々と杉のはえ茂りて、行かふ人もなければ、おのづから薛苔もむすまで物ふりたる景色をよめる也
或本云
長歌の一説也
260 天降就神乃香山打靡春去來者櫻花木晩茂松風丹池浪※[風+火三つ]邊都返者阿遲村動奧邊者鴨妻喚百式乃大宮人乃去出榜來舟者竿梶母無而佐夫之毛榜與雖思
あもりつく、かみのかぐやま、うちなびき、はるさりくれば、さくらばな、このくれしげみ、まつかぜに、いけなみたちて、へつべには、あぢむらさわき、おきべには、かもめよばひて、もゝしきの、おほみやびとの、ゆきいでゝ、こぎこしふねは、さをかぢも、なくてさぶしも、こがむとおもへど
神乃香山 かぐ山 賞美して、神のかぐ山とも云へる也。天地萬物いづれか精靈神ならずと云ことなく、殊に此香山は正敷神明來降の山といふ事に、神のとはよめるなり
池浪※[風+火三つ] 本集には立の字を書けり。※[風+火三つ]の字は字書に暴風從v下而上也とある義をもて、波のたつといふ意に書きたると見えたり
阿遲村動 本集には、味村と書き、さわぎは假名に書きなせるを、一本には如v此あぢを假名に書きさわざを動に書きかへたり動の字も義訓にてうごきともどよみともよむべき也。本集にさわぎとあれば、こゝもやはりさわぎとよむべきか。とよみといふもあまりよき樣に聞え侍らんか
榜來舟 古點にはこぎくるとよませたるを、仙覺改めてこぎこしとよめる由、抄に注せり。尤可v然也。こぎけるともよむべき歟
(217)竿梶母 本集と上下によめり。意はおなじ。
榜與雖思 これ古點はこぐとおもへどとよめり。仙覺師改めて、こがんと思へどとよませたり。如何にも可v然也。本集の歌のこゝろざしと替る事なく、聞えたる歌也
右今案遷都寧樂之後怜舊作此歌歟
みぎいまおもふに、みやこをならへうつされしのち、ふるきをあはれみて作2此歌1歟
此歌ども注の通とも聞え侍る也。然れどもしかと未v決故古注者も此歌を作る事いづれと考ふる處なければ、於v今は尚遷都の歌とも決し難き也
柿本朝臣人麿献新田部皇子歌一首并短歌
新田部皇子 天武天皇之皇子也。日本紀卷第廿九云、次夫人氷上娘弟五百重娘生2新田部皇子1。人麿勘文抔云物に、新田高市の皇子にあふと書けるも、第二卷目の高市尊薨じ給ふ時の歌、此歌などによりて書きたる也
261 八隅知之吾大王高輝日之皇子茂座大殿於久方天傳來白雪仕物往來乍益及常世
やすみしゝ、わがおほきみ、たかひかるひのみこ、さかえます、大みあらかのへに、ひさかたの、あまつたひこし、ゆきじもの、ゆきゝつゝまず、ときはなるよと
八隅知之 皇子と云ふまでは、新田皇子を尊稱しての詞例也。賞讃の意也
茂座 印本等にはしげりませ、しきませなどとよめり。然れども、茂の字は繁茂とつゞく字、榮の字と同じければ、さかえますとよまん事然るべし
大殿於 古本印本共大とのをとよめるは、あまりに假名を不v辯の點なり。於の字をてにはのをによめる事、國史令式其外の古書尤此集中にも不v見。中世已來の古記の假名をも不v辯書にはこれ有も知らず。大殿の二字は、おほとのともよむべからんか。しかれども殿はみあらかといふ古訓あれば、おほみあらかとよむべし。於の字は上の字と通じて上とよむ也。うたの(218)意も御殿の上に雪のつみます如くとよめる意なれば、うへにとならではよまれまじき也
天傳來自 雪は空よりふり來るものなれば、霜雪雨の冠句に多くかくよめる也
雪仕物 前にも毎度注せるごとく、雪の如くにといふ義也。このゆきじものとよめるは、下の往きつゝますと云事の縁によみ出て、下の意天傳來るとは、遠國地境よりもみ子の御徳を慕ひて萬民のより來ると云ふの義を含めたる也
往來乍益 ゆきゝつゝますとは、人丸の當然行き通ふ事によみなして、扨多くの人の遠近となく天より雪のみあらかの上にふりつむ如く、みこを尊み慕ふて、行きかふ人のますと云事と、又皇子のときはかぎはに榮えまさんと云義を兼ねてよめるなり
及常世 此訓點古本印本も色々に詠ませたれども、難2信用1訓點也。尤宗師案には此外に未だ別案もあれど、先づ常の字は、ときはとよむ事知れたる訓義、不v攣不v改して常なき事なれば、ときはとこしなへの義也。及といふ字はとゝよむ事勿論なれば、古の三字を、ときはなる世とよむ也。とこよなるまで、いやとこよまでとよむ點もあれど、なる迄といふ義、又とこよまでといふ義、句釋六ケ敷也。千代萬代迄といふ義は、いはるべけれども、とこよまで、とこよなるまでといふては、歌の意如何とも六ケ敷難v濟也。此外に訓義もあらんずれど、於2當流1者先如v此訓ぜり。尚此歌全篇の意貫通の後學ありて、改點もあらば拜伏して從2其義1耳
此歌の意は、新田の皇子の方へ、雪の降ける日人丸參り合てよみて奉れると聞えたり。されば反歌にその意あらはれたり。よりて此長歌の、雪じものとよみ出たる義も、その當然の實事をよめる歌と聞ゆる也。上には段々と、皇子を例の詞に尊み稱讃し奉て幾久と榮えましますみあらかの上に、その當然久方の遠き空より降積れる雪の如く、遠國諸方の諸人の往來も、いやまして榮えましますから、誰々も絶ゆることなく、いつまでもかはらず、ときはのみ世と參り仰がんかしこきみことゝ、到て祝讃し奉れる歌なるべし
262 矣駒山木立不見落亂雪驪朝樂毛
いこまやま、こだちも見えず、ふりみだれ、はだれのこまの、まうでくらくも
(219)矣駒山 大和の國にある山也。此矣駒の二字、一本に矢釣と書ける有。其本に從へる或抄の説には、此集にやつり川とよめる歌も在りと云ひて、日本紀顯宗卷に、八釣宮とあるを引きたり。然れ共古本矣駒とありて、殊に矢釣と詠むべき縁、此歌により處なし。いこまとよめるは、歌に縁あれば、極めて矢釣山にてはあるまじ。矣の字のムを略し、駒の字のへんを、草字にては見誤り易ければ、一本に傳寫誤りたると見えたり。古語の格、ただ縁なき事を讀出せる事は稀也。古詠を見る事此の習ひ第一也
木立不見落亂 長歌にて注せるごとく、此歌雪のふりける日、新田部皇子の方へ參りて、其當然をよめる歌と見ゆる也。皇子の方へ往來の道筋、生駒山を通ひけるに、雪ふり亂れて、山の景色もさだかに見えわかぬと也
落亂 散りまがふとも、降りみだれともよめり。何れにても同じ意なれば、好む所に從ふべし
雪驪 これを雪もはだれとよみ雪のうさぎまなど詠める點もあれど、全體の歌の意をも不v辨、また雪をはだれと云事も不v知人のよみやう也。※[麗+鳥]は異本驪に作るを是とすべし。驪は説文云、馬深黒色と注せり。禮、檀弓云、夏后氏尚v黒、大事斂用v昏、戎事乘v驪云云、字書にも馬純黒色と注せり。然れば是はくろこまと詠むべき也。人丸の歌に、いそげ黒駒などとも詠めれば、人丸黒馬を好みて乘られたると見えたり。古代黒駒を愛するは、其能あるによりてなり。兎角黒駒に名馬有と見えて、源氏物語にも源氏君須磨にましませるを、頭中將たづね行き給ふとき、源氏の引手物に贈り給へるにも黒馬と有。平家物語等にも、くろきする墨など云て、名馬は大かた黒馬に有と見えたり。これによりて上古は黒馬を秘藏せしと聞えたり。然ればこゝの雪驪の二字は、はだれの駒と詠むべき也。雪は至つて潔白の色、驪は至つて黒色なれば、交はりたる色をもてはだれの駒とよませる義訓なるべし。偖雪をはだれと云義は、はなあめと云義也。はだは花也。凡て濁音は別の通青をも了解する法故駄と濁りたる音はなし。れと云はあめと云義也。あめを古語にれと計りも云也、しぐれ、みぞれ、五月雨にて知るべし。是當流師説の外知る人無き事也。又はだらはまだらと云義にも通ふ故、右兩樣を兼ねてはだれの駒のと讀むべき也。白墨相雜したればまだら駒也。且黒こまと云意にも叶ふ也。くろを約すればこ也。然らばはだれ黒駒とよむ意にも叶ふ也。いこま山とよみ出でたるも下の句のはだれのこまとよめる縁あるによりて、いこま山もとり出せるならん。往來の道筋はいくらも山のあらんに、いこま山を詠める意、雪の日に黒駒に乘りて。みこの方へ詣でる故はだれの駒と詠まんひかへに、いこま山と初五文字に(220)置けるなるべし。やつり山、何の縁なき山なれば難2信用1也
朝樂毛 朝の字は、萬國より參り仕ふる處と云ふ義にて、まうでとよむ字故、こゝもまうでくるといふ義也。くらくもとは、まうで來るといふ義也。るといふ詞をのぶれば、らくになるべし。もといふは、助語の樣にて嘆の詞也
歌の意は、新田部のみこを尊み慕ひて、如v此雪のふり亂れて、山の木立も見えわかず、乘れる駒もはだれになるをも厭はで詣來ると也。詩經葛※[潭の旁]篇。陟2彼高岡1我馬玄黄、我始酌2彼※[凹/儿]※[角+光]1維以不2永傷1此意をも含めてよめる歌ならんかし
從近江國上來時刑部垂麿作歌一首
あふみのくによりのぼりきたるとき、刑部のたるまろつくるうた
此端作心得がたし。これは上に柿本朝臣人麻呂の七字を脱したるか。たゞし前後に人麿の歌もありてたるまろの歌の意にて人麿近江の國より上り來る時といふ事明かなる故、略して書ける歟。人麿の近江の國より上る時、人麿へ贈りたる歌と見ゆる也。惣て此集の格法次の歌の標題にもある通り、旅行する人の歌なれば、その人を先に擧げたり。此垂丸に限りて後にあげたるは、これ此人の上る時にあらざる故也
刑部垂麿 傳不v知。おさかべは氏なり
263 馬莫疾打莫行氣並而見※[氏/一]毛和我歸志賀爾安良七國
うまないたく、うちてなゆきそ、けならべて、みてもわがゆく、しがにあらなくに
馬莫疾 いたくともとくともよむべし。意は同じ事也。乘れる馬を急がせて、繁く鞭などを打ちてないそがせそといふ義也。
打莫行 上にてなと云詞の時は、極めて下にそとおさへる詞の添ふ事はきはまれる語法也。上にてうちてなと云ひてゆきそとよめる類、きはまりたる義也
氣並而 これをいきなめてと詠ませたれども、いきと云ふて馬をならぶれば、いきをもならべつくもの故との諸抄の釋なれども心得難し。これは發語の詞にて、けといふ義と見れば義安かるべし。若しくは馬といふ字の誤り歟。けと云ても上に馬とい(221)ふ義あれば、馬を並べての事也
見※[氏/一]毛和我歸 垂丸の共に馬を並べて見ても、ゆくにはあらぬと也。垂丸は近江に留まり、人丸計り上る故、見ても我が行くしがにはあらぬと也
歌の意は、人丸の近江より大和へ上りけるを、垂丸別れを惜みてさのみいたく馬に鞭打ちて、急ぎてな行き給ひそ。われも共につれたちて見て過ぎ行しがにはなきそ、われは留まりぬる身なれば、しがは見て過行にはあらぬぞと、人丸に名殘を惜みて詠める歌也
柿本朝臣人麿近江國上來時至宇治河邊作歌一首
264 物乃部能八十氏河乃阿白木爾不知代經浪乃去邊白不母
ものゝふの、やそうぢがはの、あじろぎに、いざよふなみの、ゆくへしらずも
物乃部能八十氏河 此ものゝふのやそうぢと云義、古來より色々の説を立て、應神天皇の御時芳野より物の部集りける、その名をやそ氏と申と奏せしかば、それに處を給はりて、宇治に住まさしめ給ふ。よりて云ふとの説また舊事記を僞書と知らざるより、舊事記に從ひて天孫降臨ましませる時、廿五人の物乃部氏供奉せしより、此氏數多にして、他氏より多き氏といふ義などとの説々悉難2信用1。證記證明なき説ども也。宗帥案には物乃部とは、凡て兵士を指して云義なれば、武器の縁語を置きたる冠句にて、物の部は第一に弓箭を帶するもの故、弓箭の冠句にて、此處もものゝふの箭とうけたる義なるべし。すべて冠句はたゞ一語にうける事多し。然れば矢といふ一語にうけん爲の詞也。又ものゝふのいとうけたる詞もあり。これも弓射るのいにうけたる迄の事也。八十氏にかゝる詞ならば、此いとうけたる詞の義いかんとも不v可v濟也。ものゝふのいとうけたる詞の歌は、此集中にも其外古詠にも多き事なれば、引歌を注するに不v及。兎角武士は弓箭を第一に帶する物故、その縁語に云へる詞と見るべき也
阿白木爾 川の中に杭を打ち、竹を編み水をくゞらせて、魚をせき止めて取る物也。網のかはりに作りて魚をとるもの故、網(222)代とも書ける文字の意の如くなるもの也。網代の事は追而悉敷注すべし。大概如v此也。近江の湖の魚を、田上にとり洩したるを、宇治の川瀬の網代にかけてとると、古よりいひ傳へたるも、げに古き漁梁の義にて、如v此人丸の歌にも詠める也
不知代經波乃 いざよふとは、流るゝ水の止まりてある事をいふ。凡べて出んとしして未だ出てざる義、可v行して不v行義をいざよふとは云ふ也。こゝも可v流水のとゞこふりてあるを、いざよふ波のといへる也。よりて行方知らずもとありて、網代木にせかれて、水のとゞこふりて、行方知れぬを云へる也。去邊と云ふ義、後世にては行衛など書きて、行末のことゝ心得たるは大なる誤也。此歌の去邊にても可v知也。衛と邊とは甚かなの違あり。去邊はゆくかたの知らぬと云義也。此集中には方の字をへと用ゐたる歌多き也。行方と書きてゆくへとよめるは、義訓とも云ふべきか。又ハヒフヘの通音をもて、ハウの音故へに用ゐたる義とも見ゆる也。此歌の意もゆく方の知れぬと云義也
歌の意は、近江より大和へ上り來れる折しも、宇治川を經て通れるに川中の阿代に波のいざよふ景色を見て、その當然の風景をよめる也。下の意には人丸任國に從ひては彼方此方と轄變する、身の上のうちつきどころも不v足事など感慨して詠めるにてもあらんか。孔子の逝川の歎意を含みて詠めるなどいふ説もあれど、それは推量の義にて、當然の標題にも不v見事也。歌は只輕く當然の實事を詠ぜらわたる義と見るべき事也
長忌寸奧麻呂歌一首
前に出たる意吉麿也。第一卷にも是の通に奧と記せり
265 苦毛零來雨可神之埼狹野乃渡爾家裳不有國
くるしくも、ふりくるあめか、かみのさき、さのゝわたりに、いへもあらなくに
雨可 あめかな也。歎息の事也
神之埼 古本印本等にもみわがさきとよめり。且此地名五代集の歌枕には、大和國と記せり。或名寄には、紀州と記せり。仙覺律師も大和と云説を不2信用1して近江國に三和社あり。此歌の前後近江の詞ある故、此みわのさきは近江なるべしと注せ(223)り。然るに近江國に、三和社ありと注せる事、證明の引書無ければ此義不審なり。宗師傳には神之崎をかみのさきとよませるは、古點諸抄の釋とは異なれども、神の字はみわともかみともよめば、みわとよむべき證明未v決故、かみとよむ也。そのより處は、倭名鈔第七國郡部云、近江國神崎郡云云、即此郡の内の郷名にも、神崎、加無佐木とあり。又此集第一卷高市古人感傷近江舊都の歌に、さゞ浪の國つ美神の浦さびてとよめる美神の浦も、神の埼と同處のより處ならずや。又延喜式卷第十神名帳、近江國神崎神社とあり。これもみわさきとよむべきや。かみさきとよまんや。證明不v決れ共、倭名鈔の郡郷の地名と此集第一卷の歌を證明として、此神の崎は神のさきと詠むなり。若し美神の浦とよめるは、今三上山と云ふ所あれば、そのあたりの事にても侍らんか、その所はいぶかしき也
狹野乃渡 これは神の埼とあれば、先づは湖水のわたりの處か。古來わたりと云は、あたりと云義を云ひたれば、若しくはさのゝあたりといふ義にはあらぬか。後世の歌にさのゝ渡とよみ來れるは、皆此歌によりての事なれば、その根元の事はいぶかしき也。八雲御抄等にも渡とあげられて、源氏物語を引かせ給ひ、あたりといふ意を書き加へさせ給へり。然れども神之崎とあれば、水邊と聞ゆる故、先は水上のあたりの事と見るべき也。地跡の義は決して近江なるべし。仙覺注釋の通、前後の歌近江うぢの水邊の歌也。其中へ一首大和紀州の歌を入れらるべき事、きはめて有まじき也。尤紀州などにみわが埼さのゝわたりといふ處もありしより、此歌の神の字をみわと點を付けたるか。夫木集の崎の鳥歌に、權大納言實家卿、三輪か崎夕汐させは村千鳥佐野の渡りに聲つつる也。右の歌も、此集の神之崎狹野の渡を紀州と心得て、よみ給へるかも難v計ければ、證明にも難v成けれど、紀州の歌を此處へ一首可v被v入事は決してあるまじきなれば、地名は同名いか程もある事故、結局紀州の地名より此歌の神の字をみわとはよみなせるかと、疑ひおこれるのみ。定家卿の、駒とめて袖打ちはらふかげもなしとよみ給ひ、近世逍遥院實隆公、渡月に、あかす猶めてあかざらん月よゝし夜よしと告ぐる我はなくともと詠み給へる歌も、皆此歌を本としての詠なり
奧麿の歌の意は聞えたる通にて、旅行などにて立ちよるべき方もなく、宿るべき家もあらぬに、雨などふり來らば、いとも苦しかるべき事にて、いぶせく聞え侍る歌也。尤是も近江より大和への往來の時詠める歌と聞えたり
(224)柿本朝臣人麻呂歌一首
266 淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思努爾古所念
あふみのうみ、ゆふなみちどり、ながなけばこゝろもしぬに、むかしゝのばる
夕浪千鳥 夕浪のたちて、千鳥のなく當然をよめる也。夕浪の立ちてその姿のものさびしき折ふし、また千鳥の泣く聲の相まじはりて、一方ならぬ景色の義を夕なみ千鳥とは詠める也
汝鳴者 千鳥を指して汝がなけば也。夕浪の音に添ひて、また千鳥も泣けばと、いと物さびしき景色をよめる也
情毛思努爾古所念 此しぬにといふ事、此集中また古今集にても不v濟事也。諸抄の説は物悲しき事、又はしげきことに云ひなせり。然れども語釋にも不v合、歌の意にも不v合説ども也。このしぬにと云ふは、しどろにと云ふ義也。物の亂れ合ひて、しどろもどろなどいふ義にて、此歌の意夕波の立音に千鳥の鳴く聲相交はれば、心も一方ならず靜かに、あなたこなたに亂るゝばかりに、過にし方の事を慕ひ思ふとの義也。古今集の歌に、菅の葉しのぎといふも、しぬにといふ義にて、それも葉のみだれてしどろになりたることをいふたる義也。情毛思努爾は心もしげくといふ義といへる説あれど、しげくといふ義いかんとも不v合事也。心のしげきといふ事は、いかゞしたる事ならんや。しどろにといふ義なれば、いづれの歌にてもこと/”\く濟也。古所念とは、天智の朝の事などしのばるゝといふ意にてもあるべし
歌の意は不v及2細釋1、聞えたる通也
志貴皇子御歌一首
前に注せり。志紀とも書けり
267 牟佐佐婢波木末求跡足日木乃山能佐都雄爾相爾來鴨
むさゝびは、こずゑもとむと、あしびきの、やまのさつをに、あひにけるかも
牟佐佐婢 倭名鈔第十八毛郡類部云、※[鼠+吾]鼠本草云、※[鼠+田三つ]鼠。上音力水反、又力追反、一名※[鼠+吾]鼠、上音、吾、和名毛美、俗に云、無佐佐(225)比、兼名苑注云、状如v※[獣偏+爰]而肉翼似2蝙蝠1。能從v高而下、不v能2從v下而上1。常食2火烟1聲如2小兒1者也云云。字書云、※[鼠+吾]鼠。状如2小狐1云々。頂脅毛紫赤色云々、脚短爪長尾三尺許飛且乳亦謂2之飛生鼠1云々、一名夷由。朗詠には五枝※[鼠+吾]鼠笑2鳩拙1とも記せり
木末求跡 おのれの食物を求めんとて、高き梢を求むると也
山能佐都雄 獵人の事也。山に入りて獣類をかりとる事を業とする物を山のさつをと云也。このさつをといふ根元は、神代下卷彦火火出見尊得2山幸1たまふと云ふより起りたる事と聞ゆる也。火酢芹命の苗裔を隼人といふ。其隼人の居處をさつまといふも、此さつといふ義より名付けたる義ならんか
相爾來鴨 かもはかなにて歎息の詞、むさゝびは高きよりひきゝにはくだる事を得たる物の、登り難き木末を求むるから、思はずさつをに出合ひて命をも失ひ果す哉といふ事を、歎じて詠める歌也。此歌の意をもて人の身の上にも奉承して云はゞ、人もわれに能はざる義を、無理に求め得んと貪ぼる時は、必ずおのづから天の咎めをも蒙る理りある事を、思ひはかるべき事也。何事もなき歌にて、人事に奉承してかんが見れば、甚面白き意味ある歌なり
長屋王故郷御歌一首
ながやのおほきみふるさとのうたひとくさ
長屋王 天武天皇之御孫、高市皇子之御子也。左大臣正二位也。聖武天皇天平元年二月謀叛之企顯れ被v誅。御妻は日並知尊の御子吉備内親王也。續日本紀卷集第九云、神龜元年二月中畧是日一品舍人親王、益2封五百戸1、二品新田部親王授2一品1、從二位長屋王正二位。中畧又以2右大臣正二位長屋王1爲2左大臣1。同紀卷第十云、天平元年二月辛未、左京人從七位下漆部造君足无位中臣宮處連東人等、告v密稱d左大臣正二位長屋王私學2左道1欲uv傾2國家1、中畧。就2長屋王宅1窮2問其罪1、癸酉令3長屋王自2盡其室1云々。一古本朱書の傍注に被v誅時の年四十六と記せり。懷風には左大臣正二位長屋王三首、年五十四と記せり。何れか是ならんか不v盡也
(226)268 吾背子我古家乃里之明日香庭乳鳥鳴成島待不得而
わがせこが、いにしへの里の、あすかには、ちどりなくなり、しまゝちかねて
吾背子我 稱2君長1義也。つまをいふたる義との説あれど不審の義也。せことは、君をも指し父兄妻子をも指して云へり。此處のせこは全く君父を稱したる義也
古家乃 古點はふるへとよめるを、仙覺改點していにしへのとよめり。意は同じかるべし。點は好む所に從ふ也。當流はいにしへとよむ也
明日香庭 明日香清御原宮より、藤原宮に遷都ありて、此處ふる里となりし義をよめる也
千鳥鳴成 遷都の後はあすかの里荒れ果てゝ、千鳥などの集まりなく樣になりしと也
島待不得而 屡々待ちかねてと云義也。飛鳥河の邊なるぺければ、飛鳥の里には、千鳥など集りて、君のみゆきなりて、やがて還御ならんことの樣に思ひしに、歸りましまさんことの何時とも知れ難ければ、里は荒れゆくまゝ、屡々諸人の待ちかねて泣くと云義を、千鳥によそへて詠める歌と聞ゆる也。表は千鳥の事にして、明日香里もる民の屡々待ちかねることを譬へたる意と見ゆる也。鳴成はなくなすとよむ義もあらんか。千鳥の鳴く如くに、諸人のしば/\待ちわびる義を詠みたる歟。然らばなくなすとは、千鳥の鳴く如くと云の意にも見るべし
右今案從明日香遷藤原宮之後作此歌歟
みぎいまおもふに、あすかよりふぢはらの宮にうつるのゝち、このうたをつくるか
此注の意尤可v然也。歌の意遷都の後詠める歌と聞えたれば、此左注の通なるべし
阿倍女郎屋部坂歌一首
あべのいらつめやぶさかのうた一くさ
阿倍女郎 傳不v知。阿部氏の女あべのいらつめとは詠める也
(227)屋部坂 地名不v知。やぶ坂と云ふか。又やべ坂と云ふか。不2分明1れども、日本紀卷第廿四皇極天皇四年、蘇我入鹿被2誅戮1時前表謠歌に、はる/”\にことぞ聞ゆるしまのやぶ原と云ふことあれば、是をより所として、大和の内にやぶ坂と云所のあらんか。又此歌の意、やぶは草木の繁茂したる處を云ふ。然るに草木不v茂、はげたる坂の體を詠める意に聞ゆる故に、やぶ坂とは詠む也。此歌の全體の意は、不毛坂の體を詠めると見えたり。名はやぶ坂と云へ共、草木不2出來1してはげたる處故、人々其體を詠めるなるべし
269 人不見者我袖用手將隱乎所燒乍可將有不服而來來
しのびなば、わかそでもちて、かくさんを、こがれつゝかあらん、きてきざりけり
人不見者 これを古點にはひとみずばと詠ませたれど、仙覺師改めてしのびなばと義訓をなせり。然れ共全體の歌の意を不v通して、只しのびなはと改點せる故、今少不2相合1訓點也。此歌の意は、やぶ坂の草木不v生體を詠みてやぶ坂と云ふ名に不v似義を戀歌の樣にとりなして、やぶ坂を人にして詠める歌と見ゆる也。やぶといふは草木はえしげれるものなるに、そのはげたるをしのぶならばといふの義にて、しのびなばとよめると見ゆる也。よりて人不見者の四字をしのびなばとは訓點する也
我袖用手 女郎の袖にて、そのはげたるを隱さんをと也
所燒乍 これを古本印本共、やかれつゝかとよめり。然れども歌の意不v通也。當流にこがれと詠む意は、はげ山なる故こがれは木枯れつゝといふの意をもて詠める義と見る也。表の意は戀の意を含みて女郎を戀ひこがれつゝかあらむとの事に詠みなして、下の意は木枯れたるかとの義也。火に燒かれたるにかあらんと直ちに見る意もあり。火にてこがれたる所には草木不2出來1故、上にしのびと詠みて火と云ふ事あれば也
不服而來來 古本印本共にきずてきにけりと詠みて色々のとり合せたる心得がたき注釋どもあり。一つも歌の意不v通地。宗師案は木不2出來1けりといふの義を詠めるものと見る也。木枯て木出來ざるか、やぶさかといへども草木の不2出來1、はげ坂なるはと云意也。又別訓點には、きもせざりけりと云義かとも見ゆる也。然れ共來來の二字を詠む事少六ケ敷けれ共、來(228)の字一字を書る本もあらんかと、疑はしき事あり。仙覺律師注釋の本文には來の字一字を記せり。然れば一本一字の本もありしと見ゆれば、別訓點の案をも注し侍る也。きもせざりけりと讀む意は、表の意は女郎のかたへ來もせざりけりといふの義にて、下の意は木枯れてか木不v爲2繁茂1けりと云の義也。草木の生ひしげる事をしきもすといふは、神代下卷の古語にも見えて、語例なきにあらざれば、木の生しげらざる事を、きもせざりけりと詠める意とも見ゆる也。尤來の字一字にても、訓の一語をとりて詠む事あまた例あれば、普通の本の來々と書けるにても、かく詠まれまじきにもあらざるべし
此歌の意は、やぶ坂といふ地名の名にも不v似、草木不v生して不毛坂なるをもて、その體をよめるなるべし。そのやぶ坂を人にして、女郎のかたへ不v來事になぞらへ詠みなして、言句の中におのづから不毛坂の理をいひ述べたる歌と見ゆる世。題に屋部坂歌とあるからは、その題の意を能々案じて歌の情をさとるべき事也。先一通の意は、やぶ坂を人にして、阿部女郎のかたへ來る事をしのぶならば、女郎の袖にしてなりとも隱すべきに、來りたきと思ひこがれてやあらん、きたりもせざりけりといひて、偖下の意はやぶ坂と云ふ名は、草木のはえ茂る處の名なるに、それに木のはえざるは、木枯れてか、草木繁茂せざるといふ義を、いひ述べたる歌と見ゆる也。また所燒は火にて燒きこがれたるにかあらん。木のもせざりけりと云意とも見ゆる也。燒きこがしたる處は草木の不v生ものなり。上にしのびなばといふて、詞に火といふ事あれば、火にてこがれつゝかと云意に見ても苦しかるまじき也。雜歌の部故、如v此色々の歌共を無2連續1擧たると見えたり
高市連黒人※[羈の馬が奇]旅歌八首
高市連黒人 前に出たり
270 客爲而物戀敷爾山下赤乃曾保船奧榜所見
たびにして、ものわびしきに、やまもとの、あけのそほふね、おきにこぐみゆ
物戀敷爾 それとさゝれず、何となく廣く何方共わびしきを、ものわびしきとはいふ也。俗に何處ともなくわびしきなどいふ意とおなじ。旅行にては何となく心細く物悲しく、わづらはしき物なり。その景色を詠める也
(229)山下乃 地名なり。近江國より東のかたの地名なるべし。所は不分明也。
赤乃曾保船 赤土にて塗りたる船をいふ也。袖中抄歌林良材等にも此説ありて、しかとも難v決けれど、そほにをもて塗りたる船の事と見ゆる也。龍頭鷁首の船といふ類の如し。朱をもて船を色どり繪書きて、海獣の難を除く爲に、丹土にて塗れる事もあるべし。又は鹽水をふせぐ便にもなるもの故歟。或説に曾は發語にて赤の帆船と云義もあり。此説も義安也。兩義不v決。好む所に從ふ也
歌の意は、旅行の折節、海邊の眺望物哀れに、心細き景色を詠める也
271 櫻田部鶴鳴渡年魚市方鹽干二家良之鶴鳴
さくらたへ、たづなきわたる、あゆちがた、しほひにけらし、たづなきわたる
櫻田部 尾州なり。紀伊國と云へる説あれど、此櫻田は尾州也。紀州にも同名の處ある歟。地名には同名如何程もある事也
鶴鳴渡 倭名鈔卷第十八、羽族名部云、鶴。四聲宇苑云、鶴、何各反、和名豆流、似v鵠長嘴高脚者也。唐韻云、※[零+鳥]、音零、楊氏抄云多豆、今案倭俗謂v鶴爲2葦鶴1是也。鶴別名也
年魚市方 方は潟也
歌の意は、たゞ當然の景色を述べたるまでにて、瀉の鹽干たる故、たづの鳴きわたるを聞て詠める歌也
272 四極山打越見者笠縫之島※[手偏+旁]隱棚無小舟
しはつやま、うちこえみれば、かさぬひの、しまこぎかくる、たなゝしをぶね
四極山 此地名豐後豐前の内と云ひ來り、八雲御抄等にも豐前と載せさせ給へり。然れども此歌の處は近江美濃の内と見えたり。地名は同名多ければ、幾處もあるべきを、此しはつ山を豐前豐後と注せるは誤りなるべし。此集古今集第廿卷には近江ぶりの次にのせて、しはつ山ぶりと入れたり。尤古今集に、此集の歌の入れたる事心得難ければ、證明には引難かるべし。なれども於2此歌1は、極めて近江美濃兩國の内の地名と見ゆる也。愚案には若し鹽津山にてはあるまじきか。はとほと同音なれ(230)ば、はつをほつとも詠ませたる歟
笠縫之島 地名前に同じ。古今集にはかさゆひと書けり。此集に縫の字を書きたれば、ぬひと詠むべき也。但し昔はぬふもゆふも同じ義に用ゐたる歟。但しゆひとは書きあやまれる歟
糊無小舟 大船には兩脇に棚有。小舟には棚なき也。依てたなゝしをぶねとは小舟の義を云也。歌の意は聞えたる通也
273 礒前※[手偏+旁]手回行者近江海八十之湊爾鵠佐波二鳴
いそさきを、しきたみゆけば、近江海、やそのみなとに、たづさはになく
礒前 地名にはあらず。湖の磯ぎはの事を云へる也
手回行者 めぐりゆけばといふの義也
八十之湊爾 此集第十三卷目の歌に、あふみの海とまり八十あり、やそしまのとよめる歌もあれば、數多湊の有る事を指して云へる義とも聞ゆる也。然れども一處にしても同じ意なれば、地名と見るべき歟。なれどもたづさはに鳴くと詠めるは、湊の數多きといふ意に、詠めるとも聞ゆれば、凡ての湊の義を詠めると見るべし
鵠 これをたづともつるとも詠まん事心得がたし。今俗には鵠つるといふ。昔はこふつると云ひしか。日本紀にてはくゞひと詠みたり。くゞひと今云こふつるとは異ならんか。此歌の鵠はもし鶴の字を誤りたるか。倭名鈔卷第十八羽族部云。野王按鵠、胡高反、漢語鈔云、古布、日本紀私記云、久久比、大鳥也云云
歌の意は聞えたる通地
未詳
後人の加筆なり。鵠の字義不v詳といふ義歟。又黒人の歌といふ事未v決との義歟。若しくは衍字歟。いづれにまれ、本集の文にはあらず後人の加筆也
274 吾船者牧乃湖爾榜將泊奧部莫避左夜深去來
(231)わがふねは、ひらのみなとに、こぎはてん、おきへなさけそ、さよふけにけり
牧乃湖 近江の地名なり。牧は枚の字の誤り也。湖の字は古訓みなとゝよめり
奧部莫避 湖水の奧へはこぎ遠ざかりそ、既に夜も更け行きし程に、比良の湊に宿らんと也。聞えたる通の歌也
275 何處吾將宿高島乃勝野原爾此日暮去者
いづこにか、われはやどらん、高島の、かちのゝはらに、このひくれなば
高島乃勝野原 近江也。倭名鈔に、有2高島郡1と載せたり。高島郡の内の郷に高島【太加之末】と載たり
暮去者 くれいなばといふ義也。かちのゝ原なれば、宿るべき家もなき處ならんから、いづこにか宿らんと詠めるなり。聞えたる歌也
276 妹母我母一有加母三河有二見自道別不勝鶴
いもゝわれも、ひとつなるかも、みかはなる、ふたみゝちより、わかれかねつる
此歌は次第して見る歌にはあるべからす。旅立つ時三河にて詠めるを、旅の歌故一處に集めたるなるべし。數の詞を手にしてよめる歌也
歌の意は、妹とわれと、一つの身なる故、二見と云ふ處より別るゝ事をしかぬると、別を惜みて詠める也。一身なる故、二身となりて別るゝ事を得たへぬと也。夫婦一處に旅行せし時の歌ならんか。一本の歌の意、共に少心得難き歌也
一本云
異本に左の歌あぐる也。古注者の文也。此一本云の文難2心得1。歌の意は贈答の歌の樣に聞ゆる也
水河乃二見之自道別者吾勢毛吾毛獨可毛將去
みかはの、ふたみのうちゆ、わかれなば、あがせも吾毛、ひとりかもゆかん
(232)吾勢毛 此詞は女の歌と見ゆる也。但しあがせと詠みて、妻の事にもなる例あらんや。此詞不審也。依りて妻の贈答の歌かと見る也。獨りかも行かんとは、獨り行くにてあらんとの意也
277 速來而母見手益物乎山背高槻村散去留鴨
とくきても、見てましものを、やましろの、たかつきむらの、あせにけるかも
高槻村 今高槻といふ處は、攝津國の内に入りたり。今の高槻といふ處とは、此歌は別處か未v考。古は山州の内なりしか。中世攝津國へ入りたる事も知れず。黒人何とぞ此高槻といふ所に由緒ありたる故、かく詠めるなるべし。尤高き機の木ありし處故、地名ともなりたる歟。その高つきのむら立てる木のあせたるといふ義によそへて、處の荒廢したる事を悼みて詠める歌と聞ゆる也
散去 古本印本ともにちりにとよめり。高槻村のちるといふ事あるべき事にもあらず。尤槻の木の事にしても、木のちるといふ事は云はれまじ。散去の二字は、日本紀神代卷にもあらけぬとも詠ませて、あせるともあらけるとも、義訓すべきなれば地跡の荒れたる事を詠める歌なれば、あらけゝるとか、あせにけるとか可v讀也
歌の意は聞えたる通也
石川少郎歌一首
石川少郎 傳不2分明1。左注に古注者君子か別名と注したれば、先古注者に隨はん物か。然るに水郎と書ける本有。然らば少の字は、水の字を誤りたる歟。字形紛れ易ければ、古一本の方正義なるべし。左注に少郎子と書きたるは心得がたし。水郎子なれば、あまと詠む故、歌も我名によそへて詠める意と聞ゆれば、少は水の字の誤と見ゆる也。少郎なれば、わかことならでは詠まれまじ。尚異本を待つのみ
278 然之海人者軍布苅鹽燒無暇髪梳乃小櫛取毛不見久爾
しがのあまは、めかりしほやき、いとまなみ、くしげのをぐし、とりもみなくに
(233)然之海人者 しがは筑前の國の地名也
軍布苅 軍は渾の字のシを脱したる也。字書云、渾與v混通也。昆上聲云々。然れば昆布の意にて、混布と書けるを、渾の字のシを落したると見ゆる也。昆布は女といふ義訓也。
鹽燒 めをかりまた鹽を燒てと、ことわざのしげく忙はしき義をよせていへる歌也。此歌の意をもて見れは、少郎は水郎にてあまと云吾名によせて詠めると見えたり。古一本の水郎と書きたる本正義なるへし
髪梳乃 これを古本印本に、つげともかみけづりのともよめり。此二字をつげとよまん義、如何にとも心得難く、又かみけづりのとよまんもあまり俗語也。然れば仙覺抄に、大隅國風土記を引きて、久四郎と詠めるは古説尤也。其引書に云。大隅國風土記。大隅郡串卜郷、昔者造國神勤v使者遣2此村1令2消息1。使者報道有2髪梳神云1、可v謂2髪梳村1。因曰2久四郎1。【髪梳者隼人俗語久四良今改曰2串卜郷1】今も薩摩櫛とて、くしの名物とせるは、加樣の古説によりてか。此處にて作れるくし名物故、くじらの櫛とも詠める歟。義は髪をけづると云ふ事にして、此二字をくじらとよむ義理は知れ難けれども、此二字風土記にかく詠みなしたれば、古説に任かせ此二字くじらと詠むべき也
小櫛 普通の本は、少の字なれ共、一本少を小に作れるあり。爲v是也
取不見久爾 めをかわまたしほをやく故、いとまなくて、髪をけづり身を飾る事もならねば、櫛をとり見る事もなきと、身の業の暇なく忙かはしき事を詠める歌也
此歌を伊勢物語には、蘆のやのなだのしほやきいとまなみつげのをぐしもさゝず來にけりと引直して、業平の歌の樣に作れりこれによりて、新古今集には直ちに業平と作者を付けられたり。めを苅り、鹽を燒く事こそ暇のなき理りなるに、蘆のやの灘のしほやきいとまなみとよめる拙作は、いかで業平の自詠にはあるべき。全く此萬葉集の歌を、歌道雅情をも不v知好事者の惡敷直して、作りたるを新古今に業平を書たるは、在五中將の亡靈いか計りか惜かるべき事也
右今案石川朝臣君子號曰少郎子也
この左注の文、誤字ありと見えたり。號日の二字難2心得1。古一本に水郎と有本に基きて案ずるに、曰少の二字は、泉の字を誤(234)れると見えたり。さなくては左注の文不v聞也。泉郎子なれば、君子の異名をあまともいへるなるべし。石川君子は太宰大貳にも任ぜられたる事あれば、その任の時など詠めるか。國處多にしがの海人とよみ出たる事、任國の時の歌故、その國の事を詠めると見えたり
高市連黒人歌二首
279 吾妹兒二猪名野者令見都名次山角松原何時可將示
わぎもこに、ゐなのは見せつ、なつぎやま、つのゝ松はら、いつかみせなん
猪名野、名次山、角松原
猶名 延喜式卷第九神名帳云。豐嶋郡、爲那都比古神社二座。倭名鈔卷第五國郡部云。攝津國河邊、雄家、乎倍、山本【也萬毛止】爲奈云云猪名野は此郷之内の野なるべし。豐嶋と河邊とはつゞきたる郡故、式と鈔と混じたる歟
名次山 延喜式卷第九神名帳上云、武庫部名次神社
將示 見せなんとよむ、示は視と通也。正字通云。師古曰漢書多以v視爲v示云云
歌の意は別義なし。たゞ黒人の妻子相伴ひて、旅行の歌と見ゆる也。猪名野は、も早過ぎて、名次山、角松原を又いつか見せんといふ迄の意也
280 去來兒等倭部早白管乃眞野乃榛原手折而將歸
いさこども、やまとへはやく、しらすげの、まのゝはぎはら、たをりてゆかん
去來 いさとは誘ふ詞也。いさなふなど云ふも同意にて、すゝめ誘ふ事をいさといふ也
兒等 とは妻子を指して云へる義也
倭部早 歌の次第を見るに、攝津國より和州へ往く時の事と見えたり。然れども白菅のまのゝ地名不2分明1。若しくは近江より和州へ行くの時か
(235)白管乃眞野 諸抄物には大和と記せり。此歌の趣にては、大和とは聞えざる也。大和攝州に白管眞野といふ處ある證明未だ所見無ければ、いづくと決し難けれど、此歌の次をもて歌の意を見れば、兎角大和にてはあるまじきと見ゆる也。近江國には眞野といふ地名滋賀郡の内にありて、倭名鈔に見えたれば、此歌若し近江より大和へ往來の時の歌か。いづれとも難v定也
榛原 萩の多くはえたる處をいへるなるべし。白菅の眞野といふ處、芽子多き處なりし故、如v此詠めると見えたり
手折而將歸 榛原を通りて大和國へ行くによりて、そのはぎを手折りて行かんと、通路の面白き體を云ひたる也。榛原をたをりてとは心得難き樣なれども、はぎ原とあるより、その處の萩を折りてといふの意也
歌の意、外に替れる歌も不v見。聞えたる通の事なるべし
黒人妻答歌一首
くろひとのめこたふるうたひとくさ
答を※[草冠+令]に作れるは誤也
281 白管乃眞野之榛原往左來左君社見良目眞野之榛原
しらすげの、まのゝはぎはら、ゆくさくさ、君こそみらめ、まのゝはぎはら
往左來左 行くにも歸へるにもといふ義也。行くさき歸るさまと云ふも同じ。いづさ、いるさと云も同じ。さは助語の樣なるもの也
君社見良目 黒人こそ、大和へ往來に見給ふらめ。いさ子どもと誘ひいざなはれても、妻はつれ難き故ありて、在處に止まり居れば、榛原をも見る事なき趣を、少し恨みたる歌の意にて、君こそと咎めたるはわれは未だ見ざるの意をこめたる樣に聞えて、妻は在處に殘り居る由に聞ゆる歌也
春日藏首老歌一首
かすがくらのおほとおゆのうたひとくさ
(236)春日 氏也。藏首は姓也。老は名也。續日本紀卷第二。大寶元年三月壬辰、令d2僧辨紀1還俗u代度一人賜2姓春日倉音名老1。授2追大壹1。同紀和銅七年正月正六位上春日椋首老云々。懷風云、從五位下常陸介春日藏老一絶年五十二
282 角障經石村毛不過泊瀬山何時毛將超夜者深去通都
つのさはふ、いはむらもすぎず、はつせやま、いつかもこえん、夜はふけにつゝ
角障經 前に注せり。石といはん爲の冠句なり
石村 いはの集りたる處を云へるか。又石村といふ地名歟。群v考
泊瀬山 大和の地名也
何時毛云々 いつかもこえん夜はふけにつゝとは、石村のさかしき路を、行きなづみたる事を詠める歌と聞ゆる也。夜の行路の時詠める歌なるべし。別に替りたる意も無き歌也
高市連黒人歌一首
283 墨吉乃得名津爾立而見渡者六兒乃泊從出流船人
すみのえの、えなつにたちて、見わたせば、むこのとまり從、出づるふなびと
墨吉 攝津也
得名津 同所也。然るに倭名鈔住吉郡の内に榎津以奈豆といふ地名あり。此以奈豆の以は衣の誤也。武藏の國にも同字ありそこには衣と注して書けり。榎はえのきと云字にてえのはえつと同音也。然るを以なと書けるは衣を以に誤りたる事明也。然らばこゝに詠めるえなつなるべし。郡も住吉郡なれば、此歌にもすみのえのえなつと詠める故、とかく得名津は倭名鈔に載せたる攝津と見ゆる也
見渡者 中世以來の歌の見渡と云義は、物を二つ見くらべる事を詠めり。見渡せば柳櫻を、見渡せば花も紅葉も、如v此詠み來りて、此格を守れり。上古の歌は、此格には拘らざると見えて、、此歌二所を見渡す義にはあらず。唯武庫の浦を見たる體也
(237)六兒乃 攝津國武庫也。郡の名郷名にもあり。則倭名鈔にも見えたり
泊從 古本印本等に泊をとまりと詠ませたり。古本一點にうらよりともよめり。しかれば泊は浦の字歟。言葉のつゞきもうらよりとよめるかた、穩かなればうらと讀べき也
歌の意は、何事もなき書面の通の歌也
春日藏首老歌一首
284 燒津邊吾去鹿齒駿河奈流阿倍乃市道爾相之兒等羽裳
やいつべに、われゆきしかば、するがなる、あべのいちゞに、あひしこらはも
燒津邊 駿河國也。日本武尊の迎火にて燒給ふ所也。日本紀〔卷第七、景行天皇二十八年の條燒津の名出づ。又〕延喜式卷第九神名帳、駿河、益頭郡、燒津神社
阿部乃市道 同國也。倭名鈔にも駿河國の郡の内に見えたり。今尚阿部河といふ大河もあり
相之兒等羽裳 右藏首老、駿河國へ往きし時、あべの市道といふ處にて、女に逢ひし事を後に思ひ出して慕ふ意也。兒等と云ふは、凡て女の通稱也。羽裳は嘆息の詞也。はやと云ふも同じ。こらはもとは、今思ひ出て悲歎し慕ふ義也
歌の意、右の通地
丹比眞人笠麿往紀伊國超勢能山時作歌一首
たぢひのまつとかさまろきのくにゝゆくにせのやまをこゆるとき作歌一首
笠麿 傳不2分明1
勢能山 第一卷に見えたり
285 拷領巾乃懸卷欲寸妹名乎此勢能山爾懸者奈何將有
たくひれの、かけまくほしき、いもがなを、このせのやまに、かけばいかにあらん
(238)一云可倍波伊香爾安良牟
一云、かへはいかにあらん
拷領巾乃 たくの木にて作れるひれといふ義也。たくは凡て服になるもの故たくひれとは詠めり。ひれは女の服、前にも注せり。此たくひれは、妹と云事をいはん爲の縁に詠み出て、此句に意はなき也
懸卷欲寸 妹のかける物故、そのひれをかけたく思ふといふ意にて妹を慕ふたる義也。下の句に、せの山にかけばとよめる故こゝにもかけまくとは詠み出たり
妹名乎 せの山と云に依て、いも山と云ひたらば、せの山の面白く美しき景色尚いやまして、いか樣にかあらんとの歌の意也
一言可倍波云云 懸者とあるを、一本にはかへばと有を、古注者所見故知v此注せり。意は同じ義也。懸者といふ義は、せの山と云を、いも山といはゞいかにあらんとの義と云ことわりを釋せる意に、古注者此一説をもあげたるなるべし。かへばといふにてよく聞え侍る也
歌の意聞えたる通也
春日藏首老|即和《スナハチコタフ》歌一首
286 宜奈倍吾背乃君之負來爾之此勢能山乎妹者不喚
よろしなへ、わがせのきみの、おひきにし、このせのやまを、いもとはよばじ
宜奈倍 此句六ケ敷詞也。語釋未v決故先づよろしといふ事と計り見おく也
吾背之君 わがとは、親みの詞、夫の事にして勢能山をさしていへる也。或抄には笠麿をさしてほめたる樣に釋せり。少いりほかなる説ならんか
負來爾之 古より勢の山とおひ來りたる名なればと云義也
妹者不喚 古より勢の山と名付け來りたる名山の名なれば、今更妹山とはよぶまじきと、せの山を稱讃したる歌也
(239)幸志賀時石上卿作歌一首 名闕
しがにみゆきのときいそのかみのきみつくるうたひとくさ
名闕 古注者の加筆也
幸2志賀1 何の時とも難v知也
石上卿 誰人とも難v考。卿と書けるは八省の卿に任ぜし人か。また三位已上を卿といへば、三位已上の人なりし故、たゞ卿と計り記せるか。但し從三位中納言兼中務卿石上朝臣乙麻呂歟。懷風等に載せたる詩人也
287 此間爲而家八方何處白雲乃棚引山乎超而來二家里
こゝにして、いへやもいづこ、しらくもの、たなびくやまを、こえてきにけり
此間爲而 志賀にて、やまとの家はいづこと知られぬといふの義也
何處白雲乃 いづこと知れぬとうけたる詞也
歌の意よく聞えたる歌也
穗積朝臣老歌一歌
穗積朝臣老 傳末考。日本紀續日本紀を可v考
288 吾命之眞幸有者亦毛將見志賀乃大津爾縁流白浪
わがいのちの、まさきくあらば、またもみん、しがのおほつに、よするしらなみ
能聞えたる歌也
右今案不審幸行年月
古注者の文也
(240)間人宿禰大浦初月歌二首 大浦紀氏見六帖
はしひとのすくねおほうらみかづきのうたふたくさ
間人 氏也
大浦 傳系不v知。古一本に浦を輔に作れる也。是正本なるべし。下の傍注は本集の輔によつて、六帖には浦の字に書けると後人加筆したるものと見えたり。うらにもあれ、すけにもあれ、傳はいづれの人とも難v知也初月 古印本共にみかづきと點をなせり。月は三日に光をあらはさゞるものなれば、初月の二字三日月と義訓せるもことわりならんか。はつゞきと詠みても同じ意にて、三日より十日頃までの月を詠めるなるべし
大浦紀氏見六帖 これは、後人の傍注といふべし。古本に細字朱書にて傍注したるもあり。又一古本万葉には、紫墨にて浦紀六氏六帖と計り書けるもあれば、所詮後人傍注也
289 天原振離見者白眞弓張而懸有夜路者將吉
天のはら、ふりさけ見れば、白まゆみ、はりてかゝれる、やみぢはよけん
天原云々 前にも注せり。聞えたる二句也
白眞弓 三ケ月を弓にとりなしたる也。弓はり月などいふも、月の未v滿形は弓をはれるに似たる也
張而懸有 三ケ月のあらはれたる體をいひたるもの也。倭名鈔第一天部云。劉煕釋名云、弦月、月半之名也。其形一旁曲一旁直、若v張2弓弦1也。弦、和名由美波利有2上弦下弦1。これらの義によりて、初月を弓にとりなして詠める也
夜路者將吉 表の意は、三ケ月にもあれ十日頃までの月の、明らかにかゝりたる夜の道はよからんと云ふ事也。然れども古詠の格、下に意味をこめて、上の句にしらまゆみと詠めるより、下に矢といふ義をつらね、弓に矢をばかけてはりてかゝりたる矢の道は除んと云の義にいひなしたるもの也。かやうに詠みなせる處即ち歌の雅情と云ふもの也。一通の意は何の事なく、たゞ淺く輕きやみ路と云ひ出でたる處に、おもづから縁を不v離して、いひつらねたるところ、歌の格例也。能々心をつけて見るべ(241)き也
290 椋橋乃山乎高可 夜隱爾出來月乃光乏寸
くらはしの、やまをたかみか、よなばりに、いでくる月の、ひかりとぼしき
椋橋乃山乎 くらはしやま、大和也。はしだてのくらはしやまなどとも詠める地名也。一説にむらはしと云説あるは、椋の字むくとも詠む故、誤りたるなるべし
夜隱爾 古本印本共に、よごもりにと詠めり。然れども前にも注せる如く、大和の地名にて、日本紀によなばりと詠ませたれば、上にくらはしと地名を詠み出たれば、これも地名と見ゆる也。よごもり又はよぐもりと詠みては、其意解し難し。夜ぐもりは、花の曇りたる事をいふにしても、句例語例なき故、さは解し難き也
出來月乃 此句小題に不v合、不審也。初月の出くると云事義むづか敷也。十四日迄の月は、空中に出てあかるき光なれば、その儘光りのあらはるゝ物なれば、此句の意とは少不v合也。然れども夕月ながらも、くらはしの山に、隱れてよなばりへは、光のさしくる事乏しき事ある當然を詠めるなれば、みか月の歌にはあらで、三日より十日比までの歌と見るべし。題の初月といふも三日の月にかぎりては見難き故宗師案に、はつ月の意に見る也。しかし初月の二字、三日月と詠む義訓有まじきにもあらず、兩義に見るべき也
光乏寸 うときといふ意也。くらはし山高くてそれに遮られて、よなばりにてみか月の光の疎きと也。歌の意、この釋の通なるべし。間人宿禰よなばりに居候の人なる故、かく詠める歟
小田事勢能山歌一首
をだのつかふ、せの山のうたひとくさ
小田事 傳不v知
勢能山 前に注せり。紀州也
(242)291 眞木葉乃之奈布勢能山之奴波受而吾超去者木葉知家武
まきのはの、しなふせのやま、しぬばずて、われこえゆくは、このはしりけん
眞木 一名の木にあらず。すべての木を、さして也。まは發語也
之奈布 しなへると云ふ意なり。へるの約言ふ也。まきのはを女にして詠めると見えたり
之奴波受而 不v忍しての意なるべし
木葉知家武 此句不審也。木の葉は女の事になして、こなはといふ意とも見えたり。和家武の家の字、今時の意とは不v合。昔は家武といふて、らんといふに叶ふたる歟。此義末v考。此集中の句例全篇を不v辨。追而可v考也
歌の意はまきのはを女にたとへなして、その女のしなひしなへるをしのびかねて、それになづみてせの山をこゆるを、木葉は知りてかかくしなへるならんと也。木の葉はこなはと云義にて女の事と見る也。又の意は、木の葉を女にしてしなふとは、しのぶと云義にて、女のしのぶ勢の山をわれしのばずしてこえゆかば、木の葉は兒の母は、しりけんといふ意歟。此歌見樣未v決家の字良の字の誤にてもあらんか。尚追而考案を加へん歌也
角麿《ツノマロ》歌四首
これは角兄麻呂なるべし。兄の字を脱したると見えたり。兄麻呂は續日本紀に出でたり
292 久方乃天之探女之石船乃泊師高津者淺爾家留香裳
ひさかたの、あまのさくめが、いはふねの、はてしたかつは、あせにけるかも
久方之 天とうけんための冠句、天のひらけしは、いつを初めとも知らず。久しき方なる故、天象の物につゞくるの冠句には久方とよむ也。此文字の意の義也。いろ/\の説あれども、此に掲たる文字の意正義也
天之探女 天稚彦の侍女也。神代下卷、〔時天探女【此云2阿麻能左愚謎1】見而謂2天稚彦1曰云々。〕倭名鈔卷第二鬼神部魑魅類云、日本紀私記云天探女、和名阿乃佐久女、一云安万佐久女
(243)石船乃 神代の古天探女、石船に乘りて天降れるといふ事、攝津國の風土記の古説也。其れによりて詠める歌也。仙覺師抄に第一卷の歌の處に引ける攝津國風土記に云〔難波高津ハ天稚彦天降リシ時天稚彦ニ屬キテ下レル神天探女、磐船ニ乘リテ此ニ到ル。天磐船ノ泊ル故ニ高津ト號ク云云。〕
泊師高津 播磨の地名也。高津といふ處あり。前に記せる風土記に見えたり
淺爾家留香裳 荒れにけるかなと、嘆慨を起したる意也。五文字に久かたのと詠み出たるも代々を經て年限も知られぬ程、久しく年を經しかば、石船のとまりし處もあれにけると云意也。かもは例の歎息の詞、かなと云義也
293 鹽干乃三津之海女乃久具都持玉藻將苅率行見
鹽ひの、みつの海女の、くゞつもち、たまもかるらん、いさゆきでみん
鹽干 これをしほがれのとよめる、其意得がたし。外に句例なければ信用し難き也。よりて當家の流にはしほひのとよむ也
三津之 攝津國の地名也
久具津 海藻を入る籠の類也
歌の意聞えたる歌也
294 風乎疾奧津白浪高有之海人釣船濱眷奴
かぜをいたみ、おきつ白なみ、高からし、あまのつり船、はまにかへりぬ
風乎疾 風のはげしく吹體をいふたる也
歌の意は能きこえたる歌なり。あまのつりぶねの沖へ榜き出たりしも、風いたく波高故濱邊にかへりしと也
295 清江乃木笶松原遠神我王之幸行處
すみのえの、きしの松原、遠神、我王の、みゆきしところ
(244)遠神我王之 天子を直に神と奉2尊崇1りて、とほつ神とは詠める也歌の意聞えたる通也
萬葉童蒙抄 卷第四終
(245)萬葉童蒙抄 卷第五
田口益人大夫任上野國司時至駿河淨見崎作歌二首
たぐちのますひとのたいふ、かうづけの國のかみによさゝるとき、するがのくにきよみのさきにいたりてつくるうたふたくさ
田口益人 續日本紀卷第四云。和銅元年三月從五位上田口朝臣益人爲2上野守1云々
大夫 益人正五位上なる故、五位の唐名を以て益人を賞美の意にて、大夫とは書ける也。此歌和銅元年國守になりし時の歌なるべし
296 廬原乃清見之埼乃見穗乃浦乃寛見乍物念毛奈信
いほはらの、きよみがさきの、みほのうらの、ゆたに見えつゝ、ものおもひもなし
廬原 駿河國郡の名也。倭名鈔卷第六國郡部、駿河廬原郡、西奈世奈廬原【伊保波良】今清見寺とて小さき寺あり。昔は此處に關もありし故名詠多し。今は清見寺と三穗の松原といふ處は、行程余程へだたれり
見穗乃浦 縁起式神名帳云、駿河廬原郡御穗神社
寛見乍 浦のゆとつゞきたる語ありと見えたり。何とてゆとつゞくと云義は未v考ども、語格ありと見えたり。古本印本共にゆたにと詠ませたり。是ゆたかにと云義也。たゞよひてかなたこなたと處を不v定事をも、ゆたのたゆたになど云へど、此歌の意はさいふ事とは不v聞。たゞみほの浦の渺々と廣く、方處もなき景色の面白き體と、益人の心にもさはりなくゆたかに見る意なれば、とゞこふりたゞよふ事を詠めるとは不v聞也。廣くゆたかなるといふ事を詠める也。浦のとあれば、ゆたかに見えつゝと詠まざればなり難き也。源氏物語須磨の卷などには、廣くゆたかなることを、ゆほびかにと云へり。寛の字の意也。(246)浦をとあれは、ゆたかにと直ちに詠まるれど、浦のとあれば見えつゝとならでは詠み難かるへし。然ればたかの約言たなる故ゆたかなるといふ義をゆたとは詠めるなるべし
歌の意別の義なし
297 晝見騰不飽田兒浦大王之命恐夜見鶴鴨
ひるみれど、あかぬたごのうら、おほきみの、みことかしこみ、よるみつるかも
晝見騰不飽 是は多兒の浦を通りしときは、夜の旅行なりと聞えたり。國の守にて下向すれば、君命をうけての行程故、日數の限りありて心の儘にはなり難くて、ひる見てさへあかぬ面白き景色なるに、夜行に見ればいよ/\殘り多きとの意也。詩經の祗役の詩の句に只見行不v見v春と云句の意に同じ
田兒浦 名高き駿河國の名所也
大王乃命恐 君命をうけて國の司にて下れば、みことのりの恐ろしくて、夜行なれども晝に延ばして行事もなり難き故、面白きたこの浦の景色をも夜見る事の殘り多きとの義也。鴨は例の嘆の詞かな也
弁基歌一首
弁基還俗の事は前に注せり。則左注にも古注者記せり
298 亦打山暮越行而廬前乃角太河原爾獨可毛將宿
まつちやま、ゆふこえゆきて、いほざきの、すみだがはらに、ひとりかもねん
亦打山 此歌の列をもて見れば、此一首の地名先駿河と見ゆれども、後々の諸抄物或は物がたり物等に武藏下總などありて一決し難し。八雲御抄には此三處駿河と注せさせ給へり。惣て八雲御抄の説被v爲v訛られたること多けれど、この御説は此集の次第をもて注せられたる歟。しかるべき御説也。今武州江戸の内に角田川亦打山といふ處をこしらへたるは甚難2信用1處也。尚證明の所見を待て可v決也。先駿河と見ること歌の次第を證として難あるまじき歟
(247)暮越行而 此句はつまりたる句なれば、何とぞ暮越二字義訓もあるべき事なれど、古く詠み來りて衆人の耳に觸れたれば、先古點にしたがふ也
廬前 前の廬原と同處にて海によりたる處か。仙覺抄には廬前、角田川、紀州と注せり。証明なければいづれの國とも難v決也
角太河原爾 前に注せる通り何國とも難v定。東鏡に隅田川と出たり。何國とも不2分明1。追而可v考也
獨可毛將宿 弁基と標題したれば、法師にて諸國流行の時、此歌を詠めるなるべし。沙門の身なれば獨かもねんとは記也。ひとりねんとの意也。かもといへるは嘆慨の詞也
歌の意、旅行のものうき事をよめる迄の意也
或本云弁基者春日藏首老之法師名也
此古注者の文は弁基と計ありて、いづれの人とも難v知、殊に續日本紀には弁基と書ける故、旁々如v此或説を注せしと見えたり。弁基還俗の事は前にも注せる通、續日本紀に詳なれば、知れたる事也
大納言大伴卿歌一首
おほいもの申つかさおほとものきみのうたひとくさ
大納言職員令に出。又倭名鈔卷五職官部云、大納言【於保伊文乃萬宇須豆加佐】
大伴卿 大伴旅人の事也。如v此書れたるは尊稱の意也。續日本紀卷〔廿二天平三年秋七月辛未大納言從二位大伴宿禰旅人薨難波朝右大臣大紫長徳之孫大納言從三位安麻呂之第一子也。〕懷風藻云、從二位大納言大伴宿禰旅人一首【年六十六】
未詳
此注難2心得1也。一向はるか後の人の加筆なるべし
299 奧山之菅葉凌零雪乃消者將惜雨莫零行年
(248)おく山の、すがのはしのぎ、ふるゆきの、けなばをしけん、あめなふりこそ
奧山之 此奧山と云事、此集中に數多也。然るに菅はおく山ならではなきといふものならば、かく詠み出たるも理なれど、奧山に限るものならねば心得かたし。とかく大和の内にある山の地名と見えたり。さなくては奧山とよみ出たる意不v濟也
菅葉 倭名鈔卷第廿草部云、唐韻云、菅【音※[(女/女)+干]、字亦作v※[草冠/間]和名須計】草名也。奧山のすがのはと詠みたれば、山すげの樣に聞ゆる也。山すげは同鈔に麥門冬を和名、夜末須介と注せり。菅の宇とは異也。此集中山すげとまがふ歌多也。尤菅は山中滋潤の處にも多く生る草にて葉茅に似たるもの也。古今集の歌に、すがのねしのぎと書けるは誤字也。葉を根と書きあやまれる也
凌 此しのぎといふこと古人も不v通事にて、侵といふ意也といへる説もあれど、歌の意不v通也。しのぎはしのにと云義也。しのには前にも注せる如く、しどろといふ義也。雪ふれば菅の棄しどろにみだるゝをしのぎとは詠める也。菅のはもみだれてふりつもれる雪の、おもしろき景色なるを惜みて、雨のふることなかれとよめる也
雨莫零行年 雨ふるなといふ義也。なふりそといふ義を、雨なふりこそとは詠めり。去年のことを行年と書て、こぞとよむ義訓也。此集には清濁を不v構に用ゐたること數多也。なふりそといふ義にて、こは發語と見る也。或抄にこそといふは、乞の字の意にて願ふ事也と注せり。社の字をこそと訓ずるも、社には諸人の物を祈り願ふ故、其處をさしてこそと訓ずるとの説あり。意はいひまはせば同じきやうなれど六ケ敷説也。たゞ發語と見れば安也。また社の字をこそと訓ずる事は、當家の流に秘傳あること也。木石といふ事也。古今此訓義を知人なかりし也。願ふ處などといへる迂衍の説也。此集中に乞願ふことをよみて、社の字を書きてこそと訓じ用ゐたるところ多き故、それより思ひよれる釋ならんか
右歌の意は、きこえたる通也
長屋王駐馬寧樂山作歌二首
ながやのおほきみ、うまをならやまにとゞめてつくるうた
長屋王 傳前に注せり
(249)寧樂山 大和の地名、音借訓に書きたるもの也。ねいの音はな也。らくの一音をとりてらと用ゐたる也。なら山の事は神武紀に官軍の蹈みならせしより名付けられたる處也。馬をとゞめてとあるは、長屋王いづこへぞ旅行し給ふ時の事なるべし
300 佐保過而寧樂乃手祭爾置幣者妹乎目不離相見染跡衣
さほすぎて、ならのたむけに、おくぬさは、いもをめかれず、あひみしめとぞ
佐保 大和の地名也。佐保大納言といふも此處の名をとりて稱號とせるなるべし
手祭 手向山をさしていへる也。旅立のとき祭る神のます所也。物を神にさゝげ供するを手向といふ。神をあがめまつるの意を以て義訓に詠ませたり。たむけといふは、たは發語にてむけはむかへるの意也。神を天降しむかへたてまつるの意也。此手祭は手向山にと云義也。古今集に菅家素性等の詠める所も此手向山也
置幣者 ぬさとはきぬあさといふ訓にて、神への奉り物を云義也。奉りものにきぬあさを用ゐるは、畢竟御衣の爲に奉る也。今幣を奉るといふも、きぬあさをかたどりて奉れる也。官幣といふものは、皆絹布織物の類を卷物にして奉らるゝ也。幣は字書にも幣帛とつゞき、又帛也といふ注もありて、絹布の事をさしていふたる義也。神社に幣を安置して神體とあがめ奉るは畧式の事ながら、人のかたちに神明の御かたちをもなぞらへて、衣服になる物を以てしるしとはする也。神明を天降しまつる本式は深き傳ある事他
目不離 めかれずは、めもはなたず付そひて見せしめよとの義也
見染 みしめは見せしめよと願ひたる義也。見せのせを畧していへる詞也
此歌は旅行にての戀の歌と見ゆる也
301 盤金之凝敷山乎超不勝而哭者泣友色爾將出八方
いはがねの、こゞしきやまを、こえかねて、ねにはなくとも、いろにいでんやも
盤金之凝敷 岩ねのこりあつまりたる山といふ義也。こゞしきといふ詞は此集中あまた有。古點はこりしくと文字の通によ(250)ませたれど、かな書にいくらもこゞしきとよめる古語あれば、仙覺抄にもこゞしきと改めたるは尤可也。こゞしきとは、岩根のしるくこりかたまれるをいへる古語なり
歌の意は岩根のこりかたまり甚だけはしき山路を越ゆるごとく、苦み切なりとも、戀にまよふ景色をあらはさじと也。此歌も戀歌と見るべきか。また妻子にわかれて、他國に行き給ふに、さがしき山を越えかねて、心中には泣き給ふとも、名殘を慕ふ景色は、色に出まじきとの意ならんか。兩義と見ゆる也
中納言安倍廣庭卿歌一首
なかのものまうすつかさあべのひろにはのきみの歌ひとくさ
中納言 倭名鈔卷第五職官部云、二方品員云、令外置2中納言1。【奈加乃毛乃萬宇須豆加佐】
安倍廣庭 續日本紀に出たり。懷風藻云、從三位中納言兼催造宮長官安倍朝臣廣庭二首年七十四
302 兒等之家道差間遠烏野干玉乃夜渡月爾競敢六鴨
こらが家、ほどへだたるを、ぬばたまの、よわたる月に、きほひあへんかも又こらがいへぢほどへだたるを歟
兒等之家 こらとは妻女の義といへり。古本印本に家道と一句につゞけたれど、下のやゝま遠きと云句全體の意難v通故、當流にはこらが家と一句によみきる也。尤下にきほひあへんといふて、みちを行ことによみたれば、上にみちの事なくてはいかゞともおぼゆれば兩義によむ也
道差間遠烏 此五文字やゝまどほきとよみたれど、家ぢやゝま遠きといふ句難2心得1故、五字は義訓にかける字と見えたればほどへだゝるをとよむ也。然れども下にきほひあへむとあれば、こらが家にゆくことを競ふの義なれば、上にみちといふ事なくてもいかゞとおぼゆ。又道の字を上につけて、差間遠烏四字を、程へだゝるをと義訓すべき歟。いづれにまれ、やゝま遠きとはよみ難かるへし
(251)野干玉 是をぬば玉とよむ事は義訓也。野干は今からすあふぎと云草也。射と野と音通故、射干ともかく也。そのからす扇の玉至つて黒きもの也。その玉をぬば玉とは云也。倭名鈔卷第二十草部云、本草云、射干、一名烏扇【射音夜】和名加良須安布木。ぬば玉といふ事、いろ/\の説ありて難2信用1説多也。正義はいぬまたまといふ義也。明白の眞珠にあらぬと云義にて黒きといはん爲の冠句也。よるやみなどと詠めるも、皆黒きと云意よりつゞくる詞也。此も下の夜わたるとつゞけん爲の序也
競 あらそふにて、きほふともきそふとも詠み、月の空をわたり給ふにつれだちて、月におくれず兒等が方へいたりはせんかもと云也。くらべるともよみて、行程を月の光の内に月と共に到らんかと也
敢六鴨 月につれだちて行はてんか。程へだたれば月の光のうちには得いたるまじきかとの意、又かなの意をも兼ねたる鴨也
歌の意は、妻女または相慕ふ女にまれ、住家の程へだゝりたるを、よわたる月の光にいざなはれ、月と共にきほひ出て至りあへなんと也。月の光の内にかの家に至り著かんや、得いたるまじきかとの意を兼ねて詠めると見えたり。先は月にきほひては、月と共に急ぎて至らんかなといふ意と見ゆる也。得いたるまじきと云意は、少あはぬ意也。上をへだゝるをと詠みたれば、遠けれども月にきほひて行果てんと云意に聞ゆる也
柿本朝臣人麿下筑紫國時海路作歌二首
かきのもとのあそんひとまろ、つくしの國にくだるときうみぢにてつくろうたふたくさ
303 名細寸稻見乃海之奧津浪千重爾隱奴山跡島根者
なぐわしき、いなみのうみの、おきつなみ、ちへにかくれぬ、やまとしまねは
名細寸 此五文字は此集中にも多く、又古詠にあまたありて、はなぐわしなどともよめり。これはものをほめたる詞也。然れば稻見海をほめたる詞と見るべし。然るに何故稻見之海名細寸とほめたるといふ義、古今考辨する人なし。宗師一人の發明(252)此等の義當流の秘傳とする義也。千載の後迄も古今に獨歩せる人丸の詠、無益の五文字は詠み給ふまじきを、千載已來誰れもそれを甘心する人もなき事は歎ケ敷事ならざらんか。これはなみの海といふ意にて、名ぐわしきとは詠める歌也。いなみのいは發語にて、波の海故おきつ波にて千重にやまと嶋根をかくせれども、名にかなひたる波の海かなといふ意をもて、名のくわしきと詠み出たる也。さなくては、名ぐわしきとよみ出たる詮は、いづれか何にてあらんや知りがたし。この意を古今見辨へる人無かりし故、諸抄物等にもかつて注釋せざりし也
稻見乃海 播磨也。前に注せる稻日印南同處也。いなみと地名を詠み入れし也。いは發語にてなみのうみと云意也。古人の詠作には、かくの如く僅なる處に、言外の意をこめたる處あり。能々あまなふべき事也
千重爾隱奴 おきつなみにて、千へにやまとの方をも立へだてかくせると也。此歌はおきつなみを千重に隱れぬと云て、波のことをもつぱらと詠める故、名細寸とはよめる也。やまと島根はと詠みてしたひおもふ嶋根なれども、沖つ波にて千重にかくせしと、大和の方を慕ひたる意をこめたる也
304 大王之遠乃朝庭跡蟻通島門乎見者神代之所念
おほきみの、とほのみかどと、ありかよふ、しまとをみれば、かみよしゝのばる。又神代しおもはるともよむべし
大王之遠乃朝庭 大王はすめらぎみをさしていへる義、とほのみかどは、筑紫の都のとき、神武天皇已前のとき、神代の時分の事なれば、遠きみかどと也。とほと云義つまりて語例もすくなけれど、假名書きにも此集中にあまた書きたれば、古語の例ありと見えたり。筑紫の事をいひたる義也
蟻通 在通の意也。昔より今に存在してあるつくし故、あり通ふと也
島門 廣くさして昔よりあり來り通ふ、海路の嶋々、水門のことをいへる義也
神代之 神よしのしは助語にて、神武天皇の東征なされし已前のみかどは、つくしの日向なれば、その昔より今にあり來れる海路の嶋々水門を見れば、その昔の神代の事をおもふとの義也。神代しゝのばるとも、おもはるともよみて、意はいづれも同(253)じ義、むかしをしたふの意也
高市連黒人近江舊都歌一首
たけちのむらじくろ人、あふみのふるきみやこの歌一くさ
舊都歌 ふるきみやこの事をおもひ出て詠める歌といふ義なるべし。若し見2近江舊都1歌とありしを見の字を脱せる歟
305 如是故爾不見跡云物乎樂浪乃舊都乎令見乍本名
かくゆゑに、見じといふ物を、さゞなみの、ふるきみやこを、見せつゝもとな
此歌は黒人誰人かにいざなはれて、舊都を見し時の歌と聞えたり。あれはてし昔のあとを見ては、感慨の發せんことをおもひて辭退したりしを、とかくにいざなはれて見せられたる故、よしなくも見つるとの歌也
令見乍 とあるは、いざなはれし人にあたりたる詞也
本名 は前に注せるごとく、よしなきと云義也
歌の意みまじきといひしものを見せしめられて、よしなくも昔のことをおもひ出で、心を悼ましめ敷慨をなすとの義也
右謌或本曰小弁作也未審此小弁者也
古注者の文也。一本には黒人の作にあらず。作者小弁とありしが、此小べん誰人の事ともつまびらかならざる也
幸伊勢國之時安貴王作歌一首
いせのくにゝみゆきのとき、あきのおほきみつくるうたひとくさ
幸2伊勢國1之時 このみゆきは聖武天皇のとき也
安貴王 續日本紀天平元年三月无位阿紀王、授2從五位下1
306 伊勢海之奧津白浪花爾欲得※[果/衣]而妹之家※[果/衣]爲
(254)いせのうみの、おきつしらなみ、はなにがな、つゝみていもが、いへづとにせん
花爾欲得 花にてあれかしと願ふたる義也。かなとはねがふことを云。よりて欲得と云字を義訓せり。えまほしきは願ふ意なれば、かなと願ふ訓には用ゆる也
家※[果/衣の一画目なし]爲 今俗間に、外に出て歸るとき何にてもとりきて、家人に與ふをみやげといふ、その義也
博通法師往紀伊國見三穗石室作歌三首
はくつほうし、きのくにゝゆきてみほのいはやを見てつくるうたみくさ
博通法師 傳不v知
三穗石室 紀州の内三穗といふ處にあるいはや也。むかし仙人の往みし處といふ説もあり。然れども顯宗仁賢のかくれましませし處なるべし。そのむかしを慕ひて詠める歌ならん
307 皮爲酢寸久米能若子我伊座家留【一云家年】三穗石室者雖見不飽鴨 一云安禮爾家留可毛
はたすゝき、くめのわかこが、いましける、あるにいはくけんみほのいはやは、みれどあかぬかもあるにいはくあれにけるかも
皮爲酢寸 印本等諸抄物にもしのすゝきと詠めり。皮の字をしのとよむ事義むづかし。しのすゝきは穗の出でぬさきのかはをかうぶれる薄をいふとの義なれども、皮ははだとよめばはたすゝきなるべし。いづれも未だ穗に出でぬを云へる義也。檜皮とかきてひはだとよむ也。これらの類にて皮ははだとよむべき也
久米能 はたすゝきは未だ穗に出でぬをいふて、こめたると云意にて久米とはうけたる也。しのはしのぶの義にて、くめはこめるといふ意、しのびたる意との釋とあり。いづれか是ならん。難v決也。しかれども皮の字をしのと詠まん事義不v通也。
此久米の若子と云は、久米の仙人の事をいふ説もあれど、日本紀卷第十五云、弘計天皇更名來目稚子云云如v此あれは、顯宗天皇の御事と見えたり。はりまみやけに出給ふまで先この處にかくれまし/\ける所故、後世迄も云傳へて、博通か時分迄はよく(255)しれたる事故、如v此詠めるなるべし
不飽鴨 三穗岩や、古代の舊跡故、物ふりたる處にて、殊に古事ある處なれば見ても/\あかぬと、石室を稱美したる歌也
308 常盤成石室者今毛安里家禮騰住家留人曾常無里家留
ときはなる、いはやはいまも、ありけれど、すみける人ぞ、つねなかりける
309 石室戸爾立在松樹汝乎見者人乎相見如之
いはやどに、たてるまつのき、なをみれば、むかしの人を、相見るごとし
右二首の歌不v及2注釋1。能聞えたる歌也
門部王詠東市之樹作歌一首
かどべのおほきみ、ひがしのいちのうゑきを詠めてつくるうたひとくさ
門部王 續日本紀卷第六云、〔元明紀云。和銅三年春正月王子朔戊午、授2無位門部王從五位下1。聖武紀云。天平十七年四月戊子朔庚戌、大藏卿從四位上大原眞人門部王卒〕
東市之樹 京城の東西にある處の市也。樹はその處に何の木にもあれ、樹木のありしを眺めて詠めるなるべし。人に久しくあはぬ事をよそへて詠める歌と聞ゆる也
310 東市之殖木乃木足左右不相久美宇倍吾戀爾家利
ひがしの、いちのうゑきの、こたるまで、あはでひさしみ、うべわびにけり
東市之殖木 通例皆、ひんがしとよめり。尤もよみくせにてひんとはぬる事もあるべけれど、語釋の傳にはひんとはぬる事なりがたし。よりて四言の句によむ也。うゑきはその市にある何の木にもあれ、生立る木のありしを見ての歌なり
木足左右 この發語の詞、木の年を經、枝葉も茂りて葉垂るゝをいへる也。小の木の大木となりて枝などの垂れさかれる迄、(256)不v相人をわれひとり慕ひわぶると也。人に不v逢事の年月を經しを、木の年經て枝葉垂るゝによそへていへる歌也
宇倍は 尤といふ義也。諾の字をうべと訓する、其意也
吾戀爾 われこひにけりともよむべけれど、うべわびにけりと詠む方聞きよければ、われわびと云を、れとわとを畧して二字にてわびとよむ也
此歌の意は、誰とは知らねど人に久しく逢ぬ事を、木の年を經て、枝などの垂れたるを見て、其當然におもひをのべよそへて詠める也。人に久しく逢はぬ事を歎じて詠める歌也
按作村主益人從豐前國上京時作歌一首
くらつくりのすくりますひと、とよくにのみちのくによりみやこにのぼるときつくれるうたひとくさ
按作村主益人 傳難v孝。くらつくりは氏、すくりは姓也
從豐前國 和名鈔卷第五國郡部云、西海國、豐前、止與久邇乃美知乃久知
311 梓弓引豐國之鏡山不見久有者戀敷牟鴨
あづさゆみ、いむとよくにの、かゞみやま、みずひさならば、こひしけんかも
梓弓引 此句とよとつゞく事いろ/\の説あれども、皆あたらざる説也。古本印本等にはひくとよくにとよませたり。ひくとよとつゞく詞の義不v濟也。これは豐國の鏡山には、神功皇后の御時、鏡をいはひおさめられたると云古事あり。それよりいむいはひといふ義にぞ、鏡山といはんための冠句に、梓弓いるとつゞく詞の縁にて、引の字の音を訓に借りて、いむとはよめる義也。たちつてとは通音にて、ともても同音故、引てとうけたるといふ説もあれど、鏡山の古事ある事なれば、齋の字の意にて、弓、いとうけたる義也
鏡山 仙覺律師抄に云、鏡山と云は豐前國風土記云、田河郡鏡山、【在郡東、】昔者氣長足姫尊在2此山1遙覽2國形1、勅祈云。天神地祇(257)爲v我助v福。便用2御鏡1安2置此處1。其鏡即化爲v石。見在2山中1。因名曰2鏡山1。已上。此古事あるによりて、いむとよくにの鏡山とは詠める也。鏡山とよみ出たるは、下の不v見といはん爲の序也。豐前の國よりのぼるときの歌には、尤かなひたる趣向也
久有者 ひさしくあらばといふを、約言してひさならばと詠めり
戀敷牟鴨 戀しからんかも也。けんかもとよみても同じ意也。古本印本等にも戀しけんかもと詠みたればそれに從ふ也。かもは例の歎息のかなの意を兼ねたる義也
歌の意は聞えたる通、鏡山を久しく見ずば戀しからんとの意也
式部卿藤原宇合卿被使改造難波堵之時作歌一首
しきぶきやうふぢはらのうがふきやう、なにはのかきをあらためつくらしめらるゝときつくる歌一首
式部卿 職員令に出づ
藤原宇合卿 續日本紀卷第十二、天平九年八月、參議式部卿兼太宰帥正三位藤原朝臣宇合薨云々。懷風云、正三位式部卿藤原朝臣宇合六首
被使改造難波堵 續日本紀卷第九、聖武天皇神龜三年冬十月辛酉行幸中略。癸亥行還至2難波宮1。庚午以2式部卿從三位藤原宇合1、爲v知2造難波宮事1。陪從無位諸王六位已上才藝長上并雜色人難波宮官人郡司已上賜v禄各有v差云々
堵 難波宮のめぐりの垣を、改めつくらるゝ也。堵は説文に垣也と注せり。或抄に都の字と通ずるかとあれど難2心得1也。
右の改めつくらるゝの年月未だ不v考
312 昔者社難波居中跡所言奚米今者京引都備仁鷄里
むかしこそ、なにはゐなかと、いはれけめ、いまは〔以下記入ナシ〕
(258)此歌下の一句半いかにも詠みとき難し。よりて後案を待つ。歌の全體は、昔は難波も都にてありしかど、年久しく帝都を移されたれば田舍となりしが宇合卿知2造難波宮事1となり、其外官人も被v補て、難波の宮のみかきなどつくり改められたるによりて、みやこぶりてひなの樣にあらぬと云の意と聞えたり。然れども京引の二字いかにともよみときがたし。古本印本などにはみやびとそなはりにけりとよませたり。或抄には、みやひきといふをよみあらためて、みやこひきみやこひにけりとよめり。此義叶ひたる樣なれど、みやこひきとよめること心得難し。聖武の御時難波へみやこをひかれたる事なければ、みやこひきとはいはれまじ。もし此卿難波の知造宮事になりて、破壞の處々をも造修せられし故、今まではゐなかなれども、今は京の樣になりたれば、みやこをも此處にひけかしといふ意にて、みやひけみやこひにけりとよむべからんか。古點にみやびとゝよみたれども、都の字を、とゝよめる例、此集中且此集時代の書に例なし。つとならでは不v讀なれば、みやびとゝはよみ難し。終の句は兎角みやこひにけりとよむ一句なるべし。所詮後考を待つのみ
土理宣令歌一首
土理は氏也。續日本紀懷風には刀利と記せり。此氏同氏なるべし
宣令 甸不v知。此よみいまだ決せず。せれとよまるれ共せれと云名、昔此時代の人の名は,前にも注せる如く、何にても體ある物をもて、名によびたれば、せりなれば芹といふ草の名によりて、付けたるとも見ゆれど、せれといふ事はより處無し。又何のりとぞ讀むべきや。令の字は法令とつゞきて用ふれば、のりとは讀まるれど、宣の字訓いかによむべきかも未v決なり。續日本卷第八、養老五年春正月、戊申朔庚午、詔2從五位上佐爲王中畧刀利宣令等1退v朝之後令v侍2東宮1焉。懷風云、正六位上刀利宣令二首【五十九】續日本紀卷第五、和銅三年正月壬子朔甲子、正六位上刀利康嗣、授2從五位下1。懷風云、大學博士刀利康藤一首【年八十一】上野刀利同氏を此集には如v此書きたる歟
313 見吉野之瀧乃白波雖不知語之告者古所念
みよしのゝの、たきのしらなみ、しらねども、かたりしつけば、むかししのばる
(259)歌の意は、吉野の瀧は名瀧にて名高き處なるが、もはや瀧つの浪の流れもなくなりて、昔のあり樣は知らねども、いひ傳へ語り繼ぎたれば、昔いかやうにありけんと、慕ふ意をのべたる歌也。告者と書きたれども、つゞくの意を兼ねてよめる也
波多朝臣少足歌一首
はたのあそむすくなたるのうたひとくさ
波多は畠の字の意か。秦の字の意にはあらず。よりてたの字は清音に讀むべき也
少足 すくなたるか、わかたるか不v決也。傳不v知。續日本紀〔文武紀云〕波多朝臣牟後閉〔孝謙紀云〕波多朝臣足人と有。これらの類族父子兄弟にやあらん
314 小浪礒越道有能登湍河音之清左多藝通瀬毎爾
さゞれなみ、いそこせぢなる、のとせがは、おとのさやけき、たきつせごとに
小浪 さゞなみとよめる點もあれど、それにては地名になれば、さゞれなみとよむべき也。石をこす少しの浪をいふ義にて、いそこせぢといはん爲の序也。石のあるめぐりは、小さきなみのたつもの故、さゞれなみいそとはよめたる也
礒越道 これは大和と紀州の間の地名と見えたり。こせやまといふ處もあれば、其邊の地名と見えたり
能登湍河 能登の地名といふ説あれど心得がたし。大和紀州の間巨勢といふ處のわたりなる河なるべし。地跡分明に不v爲2所見1故注記未v引也。能登の國の地名、此處に入るべきにあらず。皆大和の歌の並也
多藝通 河のたきにながるゝ瀬ごとゝいふ事也
歌の意きこえ侍る通也
暮春之月幸吉野離宮時中納言大伴卿奉勅作歌一首并短歌 未逕奏上歌
やよひよしのゝかりみやにみゆきのとき中畧いまだまふしあげたてまつるにおよばざるうた
(260)暮春 義訓にやよひとよむ也
幸吉野離宮時 續日本紀卷第八、元正天皇養老二年三月〔戊戌、車駕自2美濃1至。〕此時のみゆきなるべし
中納言大伴卿 同紀云、大伴宿禰旅人爲2中納言1凡て此集中の官位を記せること後より記せるものなれば、非2其官位1ときの歌にも、後に任ぜる官位を記せると心得て見るべし。さなくては不v合事まゝある也
未v逕2奏上1歌 是れ古注者考ふる所ありて如v此注せるなるべし
315 見吉野之芳野乃宮者山可良志貴有師水可良思清有師天地與長久萬代爾不改將有行幸之宮
見よしのゝ、よしのゝみやは、やまからし、たふとかるらし、かはからし、いさぎよからし、天つちと、ながくひさしく、よろづ代に、かはらずあらん、みゆきせしみや
見吉野之芳野乃宮 前にも毎度注せるごとく、よしのゝ離宮をよめる也
山可良志 やまなるからといふ義にて、しは助語也。今處がらなどいふと同じ意也。やまなるからと云義也
貴有師 末の代までも如v今尊くあらんと也。名山なるから、いつまでもかくの如く尊く、よき處ならんとほめたる也
水可良思 此水の字、普通の本は古本印本點本ともに永の字に作れり。然るを南都春日若宮神主千鳥家に所持の古葉略葉集に水の字を記せり。よりて數本の訛を畧葉の一本にてあきらめ侍る也。水の字正義にて、此集中水の字を川と通じて書たる處數多也。日本紀にてもかはとよませたれば、古例疑ひ無く、此歌も川からしとならでは、下の句の清かるらしの句不v濟。又反歌のきさの小河とよめるも長歌に縁有ることを知るべし。古來より此一字にも誰不審をなす人なかりき。宗師獨歩の發明等是等のこと也。永の字にては不v濟と心をつけしより、數本をも遍覽し、已に略葉の正本を見あらはしたれば、數百歳の發起なるべし。かはからしは、山からしの義に同じ也
いさぎよからし、いさぎよくあるらしと也。上の意と同じく、清くいさざよき川なるとほめたる也
天地與長久萬代爾云々
(261)これ奉勅て詠奏の歌なれば、よし野のみやを祝讃してよめる意と見ゆる也。尚いつまでも不2相變1歳久々とみゆきもましまさんとの意をこめたる也
反歌
316 昔見之象乃小河乎今見者彌清成爾來鴨
むかしみし、きさのをがはを、いま見れば、いやいさぎよく、なりにけるかも
昔見之 そのかみ大伴卿、此離宮に詣りて見給ひしことありしと見えたり。いつにもあれ已前に見しと也
象乃小川 大和國吉野の内にある山川也。きさ山きさ川といへり。何とてきさ山きき川といへるか。此由來の事未v及2所見1也。さだめて因縁あるべし。若しくは山川の體形、獣の象に似たる地勢なるをもて名付けたる歟。上古象など渡り來り、此所にて被v放しより名付けたる歟。傳記所見なければ注し難き也。此反歌をもて見れば、長歌の永の字不審也。尤長歌の内にて永からしとよみて、いさぎよからしとよめる意、又長久万代と下によめることも、いかにとも聞えがたし。其上此反歌にきさの小河とよみ出でたること長歌に縁なき小河也。永は水の字にてかはと讀までは不v濟理を、此反歌を見ても知るべきこと也
今見者彌清云々 今度のみゆきに見れば、昔見しよりもいやましに、いさぎよくすみわたれる名川と賞讃して、その時の當然をも奉2賞美1れる挨拶の意をこめたる歌也
山部宿禰赤人望不盡山歌一首并短歌
やまべのすくねあかひと、ふじのやまをのぞめるうたひとくさならびにみじかうた
山部宿禰赤人 傳不v知。古今集假名序眞名序共に柿本人丸と無2勝劣1歌人と論ぜり。古往今來に名高き歌人也。しかれども傳記等國史にも不v載事遺念の至也。尤朝勤の人と見えて、此集第六卷目に載せられたる歌の端作にも、幸2于芳野離宮1之(262)時山部赤人應v詔作歌あり。後世百人一首といふ僞作の書に、此不盡山の歌の反歌をのせ、山邊赤人と書ける山邊の文字心得がたし。邊と部と音同じきと云へども、氏のときは姓異也。山邊氏のかばねは公也。山部氏は則此集こゝにも記せる如く宿禰也。後々の書に山邊赤人と書ける事は不v考のいたすところならんかし
望不盡山 倭名鈔卷第五國郡部云、駿河國富士【浮士】則富士郡に有。唐土天竺、我朝三國の大仙山名也。詩歌記文擧而不v可v數就中都良香富士山の記文本朝文粹にも載せたり。この望とあるは、高山大仙なれば、尤仰見るの意、かつ眺望の義をもかねての標題也
317 天地之分時從神左備手高貴寸駿河有布士能高嶺乎天原振放見者度日之陰毛隱比照月乃光毛不見白雲母伊去波伐加利時自久曾雪者落家留語告言繼將往不盡能高嶺者
あめつちの、わかれしときゆ、かんさびて、たかくたふとき、するがなる、ふじのたかねを、あまのはら、ふりさけみれば、わたるひの、かげもかくろひ、てるつきの、ひかりもみえず、しらくもゝ、いゆきはゞかり、ときじくぞ、ゆきはふりける、かたりつぎ、いひつぎゆかむ、ふじのたかねは
天地之分時從 あめつちわかれはじまれる時より、依然と高くあやしくあり來ると也
神左痛手 我神國山川萬物の精靈、いづれか神靈ならずといふ事無ければ、直に此名山も神として仰ぎ見るの意に神ふりてと也
駿河有 するがの國と名付くる由來を未だ所見せず。或説にいたりて早く鋭き河あるより、かく名付けたるとの事也。風土記等不2所見1故不2分明1也。駿河にある富士と云義也
天原振放見者 第二卷にも注せる如く、あまの原を仰き見ればといふ義也。ふじの山の空中に聳えたるを見ればと也。至りて高き事を言はんとて、高ねを天原ふりさけとはよめる也。ふりは詞の序也。さけは遠くへだゝりたると云義なり
陰毛隱比 ふじの山の高ければ、日の光をも覆ひて、その邊は陰となりて、日のめにあたらざると也。下の月の光も不v見と(263)いふも同じ意なり
伊去波伐加利 憚行事の意也。伊は發語の詞、あまりに山高くて、白雲ものぼりかねるとの義也。はゞかりは得行かぬとの義也。はびこる方にはあらず
時自久曾 日本紀には非時と書て、ときじくと讀めり。常住不變の事也。いつとても不v絶雪のふれること也
語告言繼將徃 萬國萬世までも言つぎ語り傳へん、此ふじの名山高嶺はと、至てほめたる歌也
歌の意別に釋するにも不v及。能く聞たる名歌也
反歌
318 田兒之浦從打出而見者眞白衣不盡能高嶺爾雪波零家留
たごのうらゆ、打出で見れば、ましろにぞ、ふじのたかねに、ゆきはふりける
田兒之浦 駿河國の名所也
打出而 うちはことばの序也。發語といはんが如し。たゞ出てふじの高ねを眺望したる義也。打あふぎうち眺めなど云ふも同じ詞の序也
雪波零家留 長歌ときじくぞ雪はふりけるとあるを以て、反歌にかくよめり
歌の意はかくれたる處も無く、ふじの高根に明白清々と空中に雪をあつめたる如くに、雪の降りたる高山の景色、えもいひがたき山の姿を、感嘆してよめる也。扨此歌を新古今集に、下の句を白妙のふじの高根に雪はふりつゝと引直して被v入、且世にもてはやす百人一首といふ僞作の書にものせて、心得難き引直しの句を、赤人の歌ともてはやさるゝ事、數百歳の僻説、今尚歎ずるにも餘りあり。先代の歴々も此集を悉くは見ざりけるにや。心得がたき事ども也
詠不盡山歌一首并短歌
ふじのやまをよめるうたひとくさならびにみじかうた
(264)此歌の作者は誰とも知れ難し。赤人の歌なれば、前の標題に可v被v載に、如v此別目に擧げたるは、作者不v知と見えたり。但前の歌は望2不盡山1とあり。此歌はたゞふじ山の事をよめる歌故、同人の歌ながら標題を別に擧げたる歟。いづれにもあれ、作者の無きは、此集篇撰の時名を脱したる歟
319 奈麻余美乃甲斐乃國打縁流駿河能國與己智其智乃國之三中從出之有不盡能高嶺者天雲毛伊去波伐加利飛鳥母翔毛不上燎火乎雪以滅落雪乎火用消通都言不得名不知靈母座神香聞石花海跡名付而有毛彼山之堤有海曾不盡河跡人乃渡毛其山之水乃當烏日本之山跡國乃鎭十方座神可聞寶十方成有山可聞駿河有不盡能高峯者雖見不飽香聞
なきよみの、かひのくに、うちよする、するがのくにと、こち/\の、くにのさかひに、いだしたる、ふじのたかねは、あまぐもゝ、いゆきはゞかり、とぶとりも、とびものぼらず、もゆるひを、ゆきもてきやし、ふるゆきを、ひもてけしつゝ、いひかねて、なをもしらせず、あやしくも、いますかみかも、せのうみと、なづけてあるも、そがやまの、つゝめるうみぞ、ふじかはと、ひとのわたるも、そのやまの、みづのあたりを、ひのもとの、やまとのくにの、しづめとも、いますかみかも、たからとも、なれるかみかも、するがなる、ふじのたかねは、みれどあかぬかも
奈麻余美乃 此冠句色々の説ありて、いづれも難2信用1説々也。宗師案は甲斐信濃よりは弓は貢献し出す事國史に明か也。然ればよみもゆみも同音の詞、生弓のかひといふ意なるべし。また眞弓のかひといふ事ある故、なまは發語の詞にて、只弓の國といふ義ならんか。いづれにまれ、弓のかひの國とつゞけたる義と知るべし
打縁流駿河能國 これはなみのうちによする洲とうけたる義と聞ゆる也。又古説に駿河國浮島がはらは南海より打よせたる嶋なり。それによりて打よするするがの國とつゞけると云説も有。此義未だ正説不v決也。波のうちよする洲と云義も、今少し(265)いひおふせぬところあり
己智其智乃 前にこち/\の枝などとよめるごとく、あちこちのくにといふの義也
三中從 みつの國の中よりといふにはあるべからず。かなたこなたのくに/\の中より出したる山と云義也
出之有 此之の字もし立の字ならんか。然らばいでたてるとよめる句也。普通の本如v此なれば先出したるとはよむ也
翔毛不上 あまりの高山故、とぷ鳥も得とびのぼらざると也。至つて高き體をよめる也
燎火乎 昔は常住もえて煙のたちし故、古詠にふじのけむりと歌によみ、文にも書けるをもて知るべし
火用消通都 上の句と文を互ひにするごとく、句を互ひにして、ふじの高根のたぐひも無く、あやしきまでに聞ゆる樣によめる也
言不得 言の葉にもいひつくされぬ、言語に不v及山と也
名不知 何と名をつけん樣も知らずと也
靈母座神香聞 ことばにもいひつくされず、何と名づくへき樣も無く、ふしぎ奇妙のあやしき名山、直に神靈かと思ふと也
石花海跡 石花とは貝の名也。倭名鈔卷第十九、龜貝類部云、崔禹錫食經云、尨蹄子、和名勢、〔貌似2犬蹄1而附v石生者地。兼名苑注云。石花【花或作v華】二三月皆紫舒v花附v石而生、故以名v之〕この貝多く生ずる海故、勢と名づけたるなるべし。昔此山の中にかくいへる海ありしが、いつの頃よりか埋りて今は無き也。此集中に石花海を詠める歌あり。仰覺抄云、富士山の麓には八つのうみあり。此水海もその一つにて、山のいぬゐの角にありしと也
堤有海曾 ふじの山の麓に石花海ありて、その海のめぐりを此山にてめぐらせると聞えたり。海をもつゝむ程の、大成山といふ義を詠める意也
不盡河跡 今に尚存して東西第一の大川也
水乃當烏 ふじ河といひて人の渡り通ふ大河也。かの山より流れ出る、川のあたりなるぞと云の義也。又石花のうみの水流れ出て、ふじ河となりし故、その川のあたりとつゞけたるか。いづれにまれ、人のわたり通ふ大河も、此山より流れ出づる河と(266)の意也。水の字前にもかはと詠める例、此にても同じ義也。當もわたりといふ義也。烏の字は焉の字なるべし。焉の字なればそとよみきる句也
鎭十方座神可聞 日本の守りともなり、實に神靈とも思ふと也
雖見不飽香聞 富士山の絶景は、何程見ても飽くこと無き不思議の名山、實に地祇の精靈と尊稱讃美したる名歌也。世の常の人、かくの如く詠みつらね難かるべき事也
反歌
320 不盡嶺爾零置雪者六月十五日消者其夜布里家利
ふしのねに、ふりおくゆきは、みなづきの、もちにきゆれば、そのよふりけり
歌の意聞えたる通にて、駿河國の風土記に六月十五日雪消えて、直に其夜またふり初むると云義ある由、仙覺抄に載せたり。風土記所見せざれば引喜不v記也
321 布士能嶺乎高見恐見天雲毛伊去羽計田奈引物緒
ふじのねを、たかみかしこみ、あまぐもゝ、いゆきはゞかり、たなびくものを
此歌の意、ふじのねのあまりに高くて、空にたちのぼる雲だにも、恐るゝ如くにて、中々たちのぼることならず。上へはあがらで、みねより下に靡きわたると也。たなびくとは、下へのぼる事をかしこみ憚りて、山に横たはり靡くと也。いたりて高山なる事を詠める也
右一首高橋連蟲麻呂之歌中出焉以類載此
此左注の文、前に如v此の類あり。虫麻呂の歌中に出づとあれば、決して虫麻呂の歌とも雖v決からんか。然れどもまづ虫麻呂と見るべき也。前の一首は誰人の歌とも知れがたき也
山部宿禰赤人至伊豫温泉作歌一首并短歌
(267)やまべのすくねあかひと、いよのでゆにいたりてつくるうた
至伊豫温泉 伊豫の國の事は、前の讃岐の國の處にもあらまし注せり。南海國の中の四つの國の一也。日本紀神代上卷古事記上卷に、諾冊二神伊豫二名洲を生む事見ゆ。延喜式神名帳に、伊與國温泉郡伊佐爾波神社、湯神社有。倭名鈔云、伊豫、伊與國、温泉湯郡。温泉と書きていでゆとよむは義訓也。此伊豫國の温泉は、よその國にもすぐれてよろしき温泉にや。むかしの天皇皇后を始め、數多みゆきなりしこと風土記に記されて、仙覺抄にも風土記の文を抄に引きたり。故に不v記v是
322 皇神祖之神乃御言乃敷座國之盡湯者霜左波爾雖在島山之宜國跡極此疑伊豫能高嶺乃射狹庭乃崗爾立之而歌思辭思爲師三湯之上乃樹村乎見者臣木毛生繼爾家里鳴鳥之音毛不更遐代爾神佐備將徃行幸處
すめろぎの、かみのみことの、しきませる、くにのかぎり、みゆはしも、さはにあれども、しまやまの、よろしきくにと、きはめけん、いよのたかねの、いさにはの、をかにたゝして、うたおもひ、いふおもひせし、みゆのうへの、こむらをみれば、をみのきも、おひつきにけり、なくとりの、こゑもかはらず、とほきよに、かみさびゆかむ、みゆきしところ
皇神祖之神乃 すめらぎの神と稱し奉るは、凡て天子のみおや/\の神明をさして、稱し奉ること也。皇統のみおやの神たちを廣く尊稱し奉る義と知るべし
御言乃 尊の字の義也。尊命の字をみことゝ訓じて神の御事と云の義は、尚深き旨ある事也。必竟みおや/\の神より、今上皇帝までしろしめし治め給ふ、我國々にといふの義也
國之盡 こと/”\くの國にといふ義、又國毎にとの意歟。此盡の字別訓あらんか。師案に、奧の句くにのしま山はとあれば、つくすと云字の意にて、國のしま/\か。然れば國島をつくすの意也。愚案は國の限りとよまんか。限りはつくすの意也。(268)奧の尼理願死たる時の歌の、有間温泉へ行きたる石川命婦へ遣す歌にも、人の盡とあり。これも人のかぎりならんか
湯者霜 奧の句には、三湯とあり。此處にも三湯とありしを三の字脱したる歟。但しみゆはとよまでは不v叶ところ故、湯の字計にても、發語を添へて讀むべき如く思ひ、撰者一字計に書きたる歟。いかにもあれ、みゆはと讀むべき也。しもは助語にて、み湯はといふ事也。諸々の國々にいでゆは多くあれどもといふ義也
島山之宜國跡 伊與はもと島國、南海郡の内、阿波讃岐伊與土佐とて海中にある四の島の内なれば、島山の宜しきとは詠めり。畢竟國をほめて、島山の風景佳勝の處と云義也。郷の名に島山といふ處あり。然れどもその處を云にはあるべからず
極此疑 これを古本印本等にも、きはめしかと讀めり。疑の字はうたがふとよめば、歟とよまんこと尤しかり。此字を助字のしと、此集中に用あたる例無ければ、此點も心得難し。よりて此疑《シギ》の二字直に疑ひの意に訓じて、きはめけんと讀むべし。此疑なればけんといふ詞に相叶ふべからんか。けんらしなど云詞は、疑ひのことに云詞なれば也。上古の昔より人々宜しき國と定めきはめたるかといふ義也
射狹庭乃 仙覺律師の引ける風土記文云、上畧立2湯岡側碑文1。其立2碑文1處、謂2伊社邇波之岡1也。所v名伊社邇波者、當土諸人等其碑文欲v見而伊社那比來、因謂2伊社爾波1本也云々
歌思辭思爲師 此句珍しき句也。いかなることゝもしかとは解し難けれど、先づは風土記にも記したるとて、仙覺抄に引ける如く、舒明天皇の御時、こゝにみゆきし給ひて、御製作もありしその歌をおぼしめし、歌の詞をもおぼしめぐらせし事をいへる義と聞ゆる也。若しくは上宮太子碑を立給ふ由、風土記にも載せたる事なれば、その時の御歌碑文の事を、歌おもひことおもひせしといへる義歟とも聞ゆる也。いづれとも決し難ければ、きはめては解し難けれど、まづ太子と舒明帝の古事を兼ねて、いへることゝきこゆる也。下の句の事は全く風土記の説の如く、舒明帝のみゆきの時椹有りて、それにいかるかひめの二鳥あつまりし事を言へると聞えたり。此句は聖徳太子の事とも聞ゆる也。畢竟歌を詠み給ひ碑文を作らせ給ひしことを云へる義也
三湯之上乃 いでゆのわきいづるほとりといふ義也
(269)樹村乎 倭名鈔卷第廿木類部木具云、纂要云、木枝相交、下陰曰v※[木+越]、音越、和名古無良。こむらとは木の茂りて、枝々相交れる處の樹陰を云へる也
臣木毛生繼爾家里 此臣木の事不v詳也。或抄には樅の事を云へりともあり。仙覺抄に引ける風土記には椹の字を書きて有v椹云2臣木1とあり。椹は今むくの木と訓ずる也。またさはら木とも訓ず。いづれのことゝも決し難し。むくには實なりてこれにつく鳥を俗にむく鳥といふ。これひめどりの事ならんか。此むくの木は枝葉はびこり榮えて大になる木なれば、臣木はもし巨木の誤りなるにやあらん。何の木にもあれ、臣木と書きてそれにあたる義未v考。よりて巨の木ならんかと今案をめぐらす也。此句の意は、全風土記の説によりて詠めるもの也。生繼にけりともいへる、昔より今につゞきて臣木の繁茂し榮えあると也
鳴鳥之音毛不更 舒明の御時、臣木に集りて木實稻穗をはみし鳥の聲の、今も不v更又遠き末の代までも變らざると也。これ前にも注せる如く風土記の説によりて詠める意、則終の句に行幸處と詠めるにても明らけし
遐代爾 今よりゆく末達き代に迄もと也
神左備 神さびとは、その處をほめて物ふりゆかんとの意也
行幸處 第一卷軍王の歌の左注の處に注せり
全體の歌の意は、皇統のみおやの神々、その御代々々のすめらみことを、凡てしき治めさせ給ふ此日のもとの國々に、いでゆは多けれど、くにところ島山の勝地風景迄ある、此伊與の温泉を、昔より宜き處ときはめられたりけん。まこともよろしき景色の處なれば、御代々の天子皇后太子皇子諸臣も、此處にいでまし/\て、殊に上宮太子の湯岡に碑文を立て給ひし古事、舒明天皇のみ幸まし/\て、をみの木に稻穗をかけさせ、比米鳥を養はせしめ給へる古事ある、みゆのほとりのかのをみの木の、枝々相まじはり茂りたるかげを見れば、遠き昔より今に不v枯木v凋葉つき榮えて、それによりくる鳥の音、今もかはらず、昔の説の如くにあつまりて、遠く行末の代々いつまでも不2相變1、上古の行幸ありし古事も殘りて、尚いつまでも物ふりてよき温泉の處ならんと也
(270)反歌
323 百式紀乃大宮人之飽田津爾船乘將爲年之不知久
もゝしきの、おほみやびとの、にぎたつに、ふなのりしけん、としのしらなく
飽田津 第一卷に注せり
年之不知久 舒明天皇のみ幸の時、從2御駕1群臣の飽田津より船乘りせし年月、遙かにへだたりぬれば、その年月いつと云ふ事知れ難しと也。知れ難からぬ事なれども、たゞ遙かに年暦の經たる事を云はんとて、かくは詠めるなるべし
登神岳山部宿禰赤人作歌一首并短歌
かみのをかにのぼりて、山べのすくね赤人つくるうた一くさならびにみじかうた
324 三諸乃神名備山爾五百枝刺繁生有都賀乃樹乃彌繼嗣爾玉葛絶事無在管裳不止將通明日香能舊京師者山高三河登保志呂之春日者山四見容之秋夜者河四清之旦雲二多頭羽亂夕霧丹河津者驟毎見哭耳所泣古思者
みもろの、かみなびやまに、いほえさし、しゝにおひたる、つがのきの、いやつぎ/”\に、たまかづら、たゆることなく、ありつゝも、やまずかよはむ、あすかの、ふるきみやこは、やまたかみ、かはとほじろし、はるのひは、やましうるはし、あきのよは、かはしさやけし、しのゝめに、たづはみだれて、ゆふぎりに、かはづはさはぐ、みるごとに、ねにのみなかる、むかしおもへば
三諸乃神名備山爾 大和國三輪山の事也。みもろ山とも、かみのをかとも、神なび山とも云と見えたり
五百枝刺 つがの木の生茂りて枝しげく榮えたる義を云へる也。五百枝の數にかゝはれる事にはあらず。これより以下止まず通はんといふ迄は、皆序詞に云ひつらねたる義也
(271)○都賀乃樹 第一巻に注せり。ものゝ絶えず續く事に、つがの木のよく茂り、枝々相つゞき繁茂する木をもてよそへ云る也
玉葛 下の絶ゆること無くと云はん爲の序也
在管裳 いつ迄も存在して不v絶不v止赤人の通ひ來んと也
明日香能舊京師者 天武天皇の天の下しろしめされし皇居の、舊都を慕ひほめて、これより以下その景色の義をつらねたり。明日香川はみもろ山の内にあると見えたり。みもろ山をおひて流るゝ川と見えて、此集中みもろ山に不v離、明日香川の歌どもあり。古今の歌に、立田河紅葉々流る神なびのみもろの山に時雨ふるらし、とある左注に、又はあすか川とあり。此左注の方正義なるべし。傳寫の誤りにてかやうに書き誤れる事は多き事也。此集の歌には、立田川とみもろ山と取合せたる歌は無く、皆みもろ山に詠み入れたれば、きはめて古今の歌もあすか川なるべし。能因法師の、あらし吹みもろの山の紅葉々は、立田の川の錦と詠めるも少不審のもの也。尤立田河に紅葉を詠める古詠數多なれば、因師はそれに從ひ、みもろ山を近き處なりと心得て詠み合せたるか、又はあすかの川の錦なりけりとよみしを、後人傳寫しあやまれるにやあらん。今尚立田川といふ川はあるかなきか、細き溝の如くなるよしなり
山高三 三諸山をほめて高みと也
河登保志呂之 明日香川をほめて遠白しと也。河水を遠く見やれば白きものなれば、見たる當然の景色をいひたる句也。とほ白しは、ろは助語にて乏といふて珍しとほめたる詞歟。日本紀神代下卷大小魚をとほしろのと讀ませたり。その意とは異なる義也。これはたゞ河の流の遠く清らに白く見えわたれる當然の景色をほめて、とは白しと讀める也
山四見容之 古本印本共に、山しみかほしと讀みて、或抄には見容之とはあれども、みまくほしと云義也と釋せり。心得がたき釋也。下の河四清之とある對句なれば、見まくほしと云てはかけ合はぬ也。宗師案は見容之の三字義訓あるべし。見の字美の字誤りてあるべし。此集中美の字を見の字に誤れる處數多あれば、こゝもきはめて見はうるはしきと云美の字の誤りにて、美容之の三字、うるはしと義訓に書きたるものと見ゆる也。然らば下の河四清之の對句にかなふべからんか。春の日は山色洋々と青くうるはしきとほめたる詞也
(272)河四清之 秋の夜は、水氣清々ときよらに、涼しくいさざよき景色なりと、あすか川をほめたる也。秋は水を專らと賞する時令故、河景のいさざよき事を、秋をもてほめたる詞に河しさやけしと也
旦雲二 古來よりあさ雲にと讀ませたり。宗師案にはあさ雲と云語例句例外に不v見。夕雲と云詞も無ければ、此旦雲の二字も義訓あるべし。東雲旦雲同じ意にて、此二宇しのゝめと讀むべし
夕霧丹 これも同じく、此集中に霧といふ字を暗陰の事に用ゐて書きたる處多し。然れば上のしのゝめに對して、夕ぐれにと義訓すべし。然ればしのゝめ夕ぐれにと、朝夕の景色を云ひて、上の春秋朝夕と對したる句也。雲に田鶴の亂るゝ景色はいはるべけれど、夕ぎりに蛙のさはぎといふ事心得難し。あしたにみだれ、夕にさはぐといふ對は云はるべからんか。こゝに本歌に雲きりの事を詠みたるに、反歌に霧のことばかり詠みて、雲の事を不v詠不審あり。赤人の歌仙何ぞ、さ程の事を詠み殘すべきや。然れば長歌にては、雲霧の事なしにたゞあした夕べの事にして見れば、反歌の不審も無き也。これらは當流一傳の歌詠の筋なれば、知る人ならではかやうの案は、得心し難からんか。古來よりたゞあさ雲夕霧と點のまゝに讀みて、其通をもて解釋もし來れども、宗師今案は古人の跡を不v蹈、只獨歩の發起より如v此の見樣も出來しもの也。あはれ赤人の存在ならば、問はまくほしきのみ
毎見云云 山河の景色の面白く、あはれにもおぼえて昔のことを慕ふと切なる感情をいはんとて、ねにのみなかる昔しのべばと也
哥の意は、神岳にのぼりて、明日香川の舊都を見下し、その景色の面白きにつけて、山川舊都の風景をほめて、古都を慕ひ歎きたる歌也
反歌
前のはし作には、短歌一首と記せり。此處には反歌と書けるは、前々にも注せる如く反歌短歌同意にて、みじか歌と讀むの證此等の處なり
(273)325 明日香河川余騰不去立霧乃念應過孤悲爾不有國
あすかがは、かはよどさらず、たつきりの、おもひすぐべき、こひならなくに
川余騰不去 流水のよどみて滯り去らざる樣に、霧の立おほふたる體に、なぞらへていへる也
立霧乃 おもひの晴れぬことに、深く霧の立つとなぞらへて詠める也。あながち如v此霧の立ちたるにはあらねど、よそへて詠める義也。河よど不v去立霧の樣に、古を慕ふ心のこなたかなたと、迷ふ義を思ひ過ぐべきこひにあらぬと也
念應過 思ひをやりすごすべき樣の無きと也。神岳に上りて舊都を見下したる景色の感情より古の事の慕はれて、その思ひ迷ふことの過しやる方の無きと也
孤悲爾 今時云戀の意とは、古詠の戀の字は違也。古は心のなやみ迷ふことを戀といへる也。此集中に皆何にこひといひて、人にこひ、妹にこひ、君にこひと有は、皆おもひに迷ひ悩むことを戀とは云也。此も古都を慕ふおもひに、心のかれこれと間違ふと云義也。その迷ひの心を何方へも過しやるべき樣の無きといふ義を、戀ならなくにと也。にあの約言な也。よりてあらなくにといふ義をつゞめて、ならなくにとは讀む也
歌の意は、たゞ舊都を慕ひ思ふ心の、河よどさらず立きりの如くたえずして、思ひのすごしやられず、心のこなたかなた慕ひ迷ふと也
門部王在難波見漁父燭光作歌一首
かどべのおほきみなにはにありてあまのともしのひかりを見てつくるうたひとくさ
門部王 前に注せり
漁父 日本紀に漁人と喜きて、あまと讀ませたれば、それに從ひてあまとよむ也。和名鈔の意とは少違なり。追而可v考
326 見渡者明石之浦爾燒火乃保爾曾出流妹爾戀久
みわたせば、あかしのうらに、たけるひの、ほにぞ出つる、いもにこふらく
(274)見渡者 遠く詠めやりたる體を云たる義也。今時は物ふたつを見くらぶるを見わたせばといへど、古詠はその事にはかゝはらざる也。今時は見わたせば柳櫻、見わたせば花ももみぢもの類を本として詠ずる、これらは時代の風體也。此見わたせばはたゞ難波より明石の方を詠めやりたる體也
燒火力 端作には燭光とあるを、たける火と讀めるはいかゞしたる意ならんや、辨がたし。漁人のいさり火などをたくを見て詠める歟
保爾曾出流 火をほともいへば、たける火の光のあらはれ見えたるを、ほにぞといへる也。何にても、ものゝあらはれるをほに出ると云へば也
妹爾戀久 漁人の妹にこひわぶることの、しのぶとも見たへかねて、色に出しあらはすにてあらんと、おもひやりよそへて詠める也。火の光の見ゆるにつけて、おもひのあらはれたることによそへ詠める也。こふらくとは、妹にこひわぶるにてあらんそれゆゑほにあらはれたるならんとおもひやりたる意に、こふらくとはいへり。尤我戀ることにも良久とよむ事もあれど、此は漁人のこふにてあらんと、察したるらく也
歌の意、別義無くたゞともし火の光の見ゆるは、海士の妹にこふおもひのほに出たるにてあらんと、よそへ詠める迄の歌也
或娘子等賜※[果/衣]乾鰒戯請通觀僧之咒願時通觀作歌一首
あるをとめらつゝめるほしあはびたまふて、たはむれにつうくわんそうに、いのりごとをこへるとき、つうくわんつくるうたひとくさ
或娘子 何人の事とも考ふる處無し
賜裹乾鰒 あばび貝のほしたるを、つゝみて賜ひたるなるべし
通觀 傳不知
咒願 まじなひごとの願文の事也。ほしたるあはび貝を生きかへらしめ給へと、たはむれて通觀に請ひたる義也。咒願の二(275)字佛經より出る處の義也
327 海若之奧爾持行而雖放宇禮牟曾此之將死還生
わたつみの、おきにもてゆきて、はなつとも、うれむそこれが、よみがへらんや
海若 うみの惣名也。日本紀には海童の二字をわたつみと訓せり。倭名鈔卷第二云、海神、文選海賦、海童於v是宴語【海童即海神也】和名和太豆美云々。海若の二字をわたつみと讀む事出處未v考也
宇禮牟曾 此ことは此集中にも此處計にて、且外にも所見無きめづらしき詞也。仙覺抄には、うれへの喪といふ義との釋なれども難2信用1。或抄には何ぞいかんぞなど云義と釋したれど、うれむそと云詞を何ぞ、いかんぞとは、何と釋してさはいへる義とも知れず。意は何ぞいかんぞといふ意にも通ずべけれども、うれむそといふ語、何ぞいかんぞとは釋しがたき也。宗師案には得もそといふ語なるべしと也。うれの約言えなり。わいうえおはやゐゆえよの通音にて、うれは得と云言葉也。むはもなれば得もそと云詞と見る也。いふ意はほしかれたるあはびを、海中へもちゆきて放つとも、得もこれか生きかへらんやといへる義也
將死還生 此四字義訓に讀む也。古本印本等にはしにかへりいなんと讀めり。歌の意通じ難し。よりて義訓に讀む也
此歌の意、ほしかれたるあはびなれば、たとひ咒願にて祈りまじなふて海中へ放ちたりとも、いかでこれがよみがへらんやといへる義也
大宰少貳小野老朝臣歌一首
おほみこともちのすないすけをのゝおゆあそむの歌ひとくさ
大宰 筑前國府の官名也。凡て九州を太宰といへども、大宰府と云館省は筑前國にかぎれり。異國邊鄙の第一の押へ故、外官にしては至而重き官也。職員令云、大宰府【兼筑前國】主神一人、掌2諸祭祠事1。帥一人、掌2祠社戸口簿帳1、字養2百姓1、勸2課農業1、糾2察所部1、貢擧、孝義、田宅、良賤、訴訟、租調、食廩、※[人偏+徭の旁]役、郵驛、傳馬、烽候、城牧、過所、公私馬牛、闌遺雜物、及寺僧尼名籍、小蕃客(276)歸化【謂遠方之人欽化内歸也】饗讌事。大貳一人掌同v帥。小貳二人掌同2大貳1。諸國の防人の相勤むる處も此府也
小野老朝臣 續日本紀卷第八養老三年二月、同卷第十天平元年三月、同第十一卷六年正月の條に小野朝臣老叙位の事見え、又同卷十九天平勝寶六年二月の條に、去天平七年故大貳從四位上小野朝臣老の名見ゆ
328 青丹吉寧樂乃京師者咲花乃薫如今盛有
あをによし、ならのみやこは、さくはなの、かをれるごとく、今さかりなり
青丹吉寧樂 第一卷に注せり
薫如今盛有 ならの都を賞讃して、如v此さく花の花盛のごとく、今帝都となりし繁榮のときと也
歌の意聞えたる通、當時の帝都の繁榮をほめたたる計の義也
防人司祐大伴四繩歌二首
さきもりつかさのすけおほとものよつな、うたふたくさ
防人司 太宰府の被官也。職員令云、防人正一人、掌防人名帳戎具教閲及食料田事、佑一人掌同v正。軍防令云、凡兵士向v京者名2衛士1、【中畧】守v邊者名2防人1
大伴四繩 大伴の尸は宿禰也。こゝには脱せる歟。四繩傳不v詳也
329 安見知之吾王乃敷座在國中者京師所念
やすみしゝ、わがおほきみの、しきませる、くにのなかには、みやこしのばる
國中 くに/\の中にては、帝都を慕ふと也
歌の意不v及v注。能きこえたる歌也
330 藤浪之花者盛爾成來平城京乎御念八君
(277)ふぢなみの、はなはさかりに、なりにけり、ならのみやこを、おもほすやきみ
此歌は太宰府にありて、藤の花の盛りなる頃、長官帥、大伴卿に詠みて贈れる歌と聞えたり。おもほすやきみとさせるところは、長官の帥をいへるなるべし
歌の意よく聞えたる通也
帥大伴卿歌五首
おほみこともちのかみおほとものきみのうた、いつくさ
帥 前に注せり。太宰府の長官也
大伴卿 前にも注せる如く大納言旅人也
331 吾盛復將變八方殆寧樂京師乎不見歟將成
わがさかり、またかへらんやも、ほと/\に、ならのみやこを、みずかなりなん
吾盛 大件卿の年の盛りの又二度かへらんや、かへることは無きと也。やもとは年若く盛んなる事の、又かへることの無きといふ義を、悲しみ歎息したる義也
殆 俗言にはほとんどといふ也。歌詞はほと/\といふ。此ほと/\といふ義何といふことか、古來より釋せるもの無し。此詞いかんとも解し難き也。字義は將也、危也、幾也、近也とあれども、ほと/\といふ語いづれの字義に當るべきとも難v定。先づは幾といふ意かと見るべき歟。兎角此語釋しかたければ暫くさしおくのみ
不見歟將成 年の盛りの二度かへる事無ければ、太宰府にありて年老いたらば、古郷の奈良のみやこを不v見なりはてんかと、古郷を慕はるゝ事の、切なる意を述べたる歌也
歌の意、畢竟古郷を慕ふ事をいひたる也
(278)332 吾命毛常有奴可昔見之象小河乎行見爲
わかいのちも、つねにあらぬか、むかし見し、きさのをがはを、ゆきてみんため
常有奴可 人のいのちは定め難く、常磐ならぬものなれば、常ならぬを常磐なれかしと願ふたる義也。昔見し象の小河を、今一度行て見まほしきゆゑ、不定の命を常磐なれかしと願ふと也
333 淺茅原曲曲二物念者故郷之所念可聞
あさぢはら、つばらつばらに、物おもへば、ふりにしさとの、おもはるゝかも
淺茅原 淺茅は茅のちいさきをいふ。茅、音バウ、和名をチと云也。古郷に縁ある句也。芝原の生じたる處と云義也。はらとは平らかに廣き處をいへる也
曲曲 此二字古本印本の點は、とざまかくざまと讀あり。あさぢはらに、とざまかくざまといふ事いかんとも不v續詞也。曲の字は日本紀にても、つまびらかと讀ませたれば、つまびらかに物思へばと云の義にて、つばら/\にと讀むべし。つばはつま也。畢竟つばらはつまびらかの略語にして、淺茅に縁ある詞也。淺茅より穗にたち出づるものを、つばな、ちはなと云也。然ればあさ茅に離れぬ詞にして、古郷の妻の事をも思ふといふ義と、また色々の事をつまびらかに思ひつゞくるといふ義をこめて、つばら/\にとは詠める義也。印點の、とざまかくざまといふ意も同じ意なれども、詞の縁いかにとも淺茅原と詠み出たる五文字につゞかず。何につけ、かにつけてものを思ひ出て、古郷の事の思ひしたはるゝことの義也
歌の意、右に注せる通、聞えたる義也
334 萱草吾紐二付香具山乃故去之里乎不忘之爲
わすれぐさ、わがひもにつく、かぐやまの、ふりにしさとを、わすれぬがため
萱草 倭名鈔卷第二十草部云。兼名苑云、萱草一名忘憂【萱音喧、漢語抄運、和須禮久佐、俗云如2環藻二音1、】毛萇詩傳云、萱草、令2人忘1v憂 の如くにて柔也。夏より秋にかけて、槍のごとき花咲草也。此集第四第十(279)二にも、忘れ草下紐につけるといふことを詠める歌どもあり
香具山乃云々 大伴卿の住處なるべし。昔より所領の處故、ふりにし里と詠めるならん
不忘之爲 忘るゝ爲に付るを、不忘之爲とあるは聞得がたき樣なれ共、不v忘故の爲にといふの義也。爲の字を故と云意に見れば濟也。古郷を慕ふ思ひの忘られぬ故に、何とぞ忘れんが爲に萱草を紐に付ると也
歌の意、古郷を慕ふ事の切なる義を詠める意也。別の意無し
335 吾行者久者不有夢乃和大湍者不成而淵有毛
わか【ゆき・たひ】は、ひさにはあらじ、ゆめのわた、せにはならずて、ふちにてあるも
吾行者 第二卷の初の、磐之姫御歌にも、君がゆきとあり。古事記の歌にも同詞ありて、ゆきといふ古語有也。よりて古本印本ともにゆきと讀めり。然共日本紀神代卷にて、行の字をたびと點をなせり。是は行度の意にて、たびと讀ませたる也。此處の行の字はたびと讀みて旅の字の意にとる義もあるべからんか。ゆきとよむ意は、大伴卿の太宰府より故郷へ歸り行の義と見ゆる也。然れば少六ケ敷詞ならんか。旅の意にてたびと讀みては太宰府に居ることを久しくはあらじと云意に見る也。太宰は邊土にて帝都にあらざれば、畢竟たびの意なる故、わがたびと詠めるにやあらん。二義の説好む處に從ふべし
久者不有 故郷へかへる事の、久しくはあるまじとの義なるべし
夢乃和太 是は地名なるべし。夢のわたりと云處もあれば、津の國の内にある地名と見ゆる也。第一卷にも夢といふ處あるべきと見ゆる歌あれば、此夢のわた兎角地名と見ゆる也。その夢のわたと云處を夢に見たるより、夢と云義を兼ねて詠める歌と見ゆる也。わたといふは、海の事なれば海邊の地名歟。已に淵湍といふことをも讀みたれば、兎角海邊の地名と見ゆる也。この夢のわたを夢に見しに、そのまゝふちにてありし故、世の變災も無く、大伴卿の本國へ歸り給ふ事も久しかるまじく、近きに太宰より上らん瑞夢と思ひて、詠める歌と見ゆる也。全體此歌の趣意は、少しとゞこほり推量の釋也。或説には夢のわたとは少の間夢の間といふ義との釋あれど、下の湍には不v成てと詠める意不v濟也。とにかく夢のわたといふ處を夢に見たるよ(280)り、詠める歌と見ざれは、下の句の意不v通地。淵は湍になると云は、世の變災の端なる故不v宜。大伴卿の意にはそのまゝ淵にてあるは、能瑞夢と思ふより、故郷へ歸國のこと、やがてにあるべしと詠めるなるべし
淵有毛 此句文字はすくなき故、よみ樣幾筋もあるべし。然れども歌の意に叶ふべからんは、淵にてあるもと詠める義安かるべからんか
歌の意上に釋する通、大伴郷古郷を慕ふあまりに、本國近き處の夢のわたといふ、水深き處を夢に見給ふに、未だ湍ともならずそのかみ見し如く淵にてありし故、さてはわがこの太宰府の旅館に居る事も、あまりに久しくはあるまじき、瑞たき夢と思ひて詠める歌と聞ゆる也。夢に見給ふ故、夢のわたを直ちにかねて詠み入れたるものなるべし
沙彌滿誓詠綿歌一首
さみまんせい、わたをよめるうた、ひとくさ
本文に一首とある下に、小書にて如v左後人傍注せり
造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也
如v此傍注せり。後人の加筆也。又朱書傍注に續日本紀云、養老五年五月太上天皇、元明不豫、大2赦天下1。戊午右大弁笠朝臣麻呂爲太上天皇出家入道勅許也。如v此朱書傍注、是亦後人の加筆也
沙彌滿誓 古本傍注朱書の通也。此集中に歌あまた入れられたり。續日本紀卷第九、養老七年二月の條に僧滿誓【俗名從四位上笠朝臣麻呂】の字あり
336 白縫筑紫乃綿者身著而未者伎禮杼暖所見
しらねひの、つくしのわたは、みにつけて、いまだはきねど、あたゝかにみゆ
白縫 不知火といふ借訓書也。つくしと云冠句也。日本紀卷第七、景行天皇十八年春三月、〔巡2筑紫國1。夏五月壬辰朔、從2葦從葦北1發船、到2火國1。於v是日沒也。夜冥不v知2著岸1。遥視2火光1。天皇挾杪者曰。直指火處。因指v火徃v之。即得v著v岸。天皇(281)問2其火光處1曰。何謂邑也。國人對曰。是八代縣豐村。亦尋2其火1、是誰人之火也。然不v得v主、茲知v非2人火1〕故名2其國1曰2火國1。この古事よりしらぬひつくしとはつゞくる也。此火の國とさす處は、今の肥後の國なれども、九州を惣てつくしとは云へる故、しらぬ火のつくしと云來れる也
筑紫 つくしと名付る事前に注せり。凡て西海國九ケ國をさしていへる也。釋日本紀の説三通ありて、木菟と云鳥に似たる國形を以て名付るとの説、又山路嶮難にて枝を衝て徃通ふ故との説、今一説もありて信用し難き説ども也。なれ共古注故一條禅閤も島の形みゝづくの鳥に似たる故、つくしと云説により給ふて、纂疏にも釋し載せられたり。宗師案は日に向ふといふ國の名もあれば、日は東にとりて、西を月にとれるから、月にしの國といふ義なるべしと傳へり
綿 倭名鈔卷第十二綿布類部云、唐韻云綿【武連反、和名和多云々】つくしのわたとほめて詠める意いかゞしたるならんや難v考。つくしの觀音寺の別當たりしとき詠める故、つくしのわたとはほめたるならんか。源氏物語末摘花卷に、松の雪のみあたゝかげにてふりつめると書けるも、此歌などの句によりて書きたるならん。花鳥餘情にも此歌の詞を引きたるは口惜し
歌の意、何の事もなく、たゞわたの多くつみたるを見てつくしのわたをほめたる迄也
山上臣憶良罷宴歌一首
やまのうへのおみおくら、うたげをまかるうた、ひとくさ
山上臣憶良 前に注せり
罷宴 饗宴の座をたち、退くを云。宴の字は古語にうたげと讀み來れり。飲食をして歌を謠ひ遊ぶ故、義訓にかくは讀ませたるなるべし
337 憶良等者今者將罷子將哭其彼母毛吾乎將待曾
おくらゝは、いまはまからん、こなくらん、そのかのはゝも、われをまたんぞ
其彼母毛 上にかくらんといへる、その子の母もと云義也
(282)歌の意、不v及v釋、きこえたる通也
太宰帥大伴卿讃酒歌十三首
おはみこともちのかみおほとものきみ、さけをほむるうた、十あまり三くさ
此卿は至つて酒を好める人と見えて、奧にも酒の歌あり
338 驗無物乎不念者一杯乃濁酒乎可飲有良師
しるしなき、ものをおもはずば、ひとつきの、にごれるさけを、のむべかるらし
驗無物乎不念者 しるしなきものといふは、無益の事をおもはじとならばといふ義也。物を思ひても、何のしるしも無きものなどをせじとならば、酒を飲めよと也。たゞ一つきの酒にて鬱を散じて物思ひを消しやる、至りて徳有ものとほめたる意也
一杯 杯は飲食物を盛器也。今俗に一ぱいといふは音をもていひ習へり
濁酒 酒をきともいひて、しろきくろきといふあり。こゝにいへる濁酒はくろきといふ也。今の俗、白酒をにごりさけといふは後世の俗語なるべし。清酒をしろきといふなり。諸白といふ俗言あるも、これよりいへるなるべし。くろきと云には、まぜものあり。延喜式に見えたり。倭名鈔卷第十六飲食部酒醴類云、食療經云、酒【和名佐介】五穀之華、味之至也、故能益v人、亦能損v人
飲有良師 飲むべくあるらしと云詞の、くあをつゞめてかといふ也。よりてのむべかるらしと讀む
此歌の意は、たとひ何程に物を思ひても、しるし無きものなれば、そのしるし無きことを思はじとならば、ひとつきの酒を飲むべきと也。たゞ一つきの酒にても、さま/”\の無益の事を思ふおもひをも、そのまゝ消しやる徳のあるものとほめたる意也
339 酒名乎聖跡負師古昔大聖之言乃宜左
さけのなを、ひじりとおふせし、いにしへの、おほきひじりの、ことのよろしさ
聖跡負師 これは唐土にて、古督、魏徐※[しんにょう+貌]、字は景山といふもの好v酒て、酒清者爲2聖人1、濁者爲2賢人1といふ古事あるを引て詠める也。酒は至つてよきもの故、ひじりと名をおふせし人こそ、尚大聖人にてよくも名付けし??
(283)340 古之七賢人等毛欲爲物者酒西有良師
いにしへの、なゝのかしこき、ひとたちも、ほりするものは、さけにしあるらし
古之七賢人 これは竹林の七賢、〓康、阮籍、山濤、劉伶、阮咸、白秀、王戎の言なり。後世までも賢人とよばれし人たちにても、酒を望み好むところの人情は離れざると也
341 賢跡物言從者酒飲而醉哭爲師益有良之
さかしらと、ものいふよりは、さけのみて、ゑひなきするし、まさりたるらし
賢跡 かしこしといふ點もあり。然れども酒の歌なれは、さかしらとよむ方よからんか。下へのうつりも酒の意とつゞけばさかしらとよむ也。さかしらとは、今俗かしこげにといふ事也。そのかしこげに物いはんよりは、酒を飲みてゑひつゞけて泣きさはぐ方まさると也。酒をほめたる意ながら、これらの歌には、少人の行跡の上に意をふくめて詠める歟。かしこだてをして物云ひちらけんよりは、酒に醉てゑひ泣きする方には、人をそこなふかひはあるまじきなり。その意をふくめて詠めるならんか
342 將言爲便爲便不知極貴物者酒西有良之
いはんすべ、せんすべしらず、きはまりて、たふときものは、さけにしあるらし
將爲便 上にて將言爲使と書きたる故、其例を以て爲の字を略したる歟。便の宇計にてはすべとよみ難からんを、上に准じて略せるなるべし。何といふべき樣も、又すべき樣も無く、たゞ至つてたつときものは酒にてあらんとほめられたり
343 中々二人跡不有者酒壺二成而師鴨酒二染甞
なか/\に、ひとゝあらずば、さかつぼに、なりにてしがも、さけにしまなん
人跡不有者 人にてあらずばと也。中々に人となりしゆゑ、今更さけつぼにもなり難きもの故、殘り多きと也。いか程飲みて(284)も飽きたらぬといふの意なるべし。鴨はにごりてよむかも也。願のかも也
344 痛醜賢良乎爲跡酒不飲人乎※[就/火]見者猿二鴨似
あなみにく、さかしらをすと、さけのまで、ひとをながむは、さるにかもにる
痛醜 日本紀卷第三神武紀云、大醜乎【大醜、此云鞅奈瀰※[人偏+爾]句】あなとはたんの詞也。よりてこゝにもいたむといふ字をあなと義訓に讀ませたり。せつに云ふ詞也
※[就/火]見者 よく見ばと讀ませたれど、それにては歌の意通じかたし。此歌はあしきものとてかしこだてをして、酒を飲まぬ人の酒飲みをつら/\見るは、猿の人を眺むるに似たるといふ意なれば、※[就/火]見の二字は、眺むと義訓に書きたるものと見ゆる也。よりて如v右讀む也
此歌の意は、下戸を譏り、下戸を猿にたとへて酒を賞美したる也。此歌少聞きまがふところあり。消飲む人の顔の赤きが、猿に似るといふ樣に聞ゆる處もあれど、さにはあらず。下戸を猿にかも似ると詠める歌也
345 價無寶跡言十方一杯乃濁酒爾豈益目八
あたひなき、たからといふとも、ひとつきの、にごれるさけに、あにまさらめや
豈 なんぞまさらんや。いか樣の寶とても、酒に過ぎたるものは無きとの事也。價無き寶といふ語は、佛經或は續博物志等に出たる語也
346 夜光玉跡言十方酒飲而情乎遣爾豈若目八目【一云八方】
よるひかる、たまといふとも、さけのみて、こゝろをやるに、あにしかめやも
一云八方 これは本集八目の二字、一本に八方と書けるもありと古注者の記せる也。八目の字は音訓を交へて書ける故、若しやめとよみ誤るべからんかと、一本を引て古注者が注せる意ならんか
夜光玉 夜光の名玉といふとも、酒の徳には若かざると也
(285)情乎遣爾 鬱憤を消しやるには、酒に過ぎたるもの無きと也
347 世間之遊道爾冷者醉哭爲爾可有良師
よのなかの、あそびのみちに、すさめるは、ゑひなきするに、あるべかるらし
冷者 すさまじとよむ事故、好求のすさむ訓に借り用ゐたると見えたり。すさめるとは、長ずるといふの意に同じ。世の中の人の遊びの中にすさみ長ずるは、只醉ひ泣きするに過ぎたるはあるべからずとの義也
348 今代爾之樂有者來生者蟲爾鳥爾毛吾羽成奈武
このよにし、たのしくあらば、こんよには、むしにとりにも、われはなりなむ
此の歌は酒の歌にはあらざれども、心のまゝに酒を樂みて一生を終らんとの意をのべたる意と見ゆる也。よつて酒をほめたる十三首の中に入たると見えたり。歌の意は聞えたる通地。老莊の悟通の意を借りて、酒を樂むの意を述べたるもの也。これらの歌は畢竟戯れに詠めると見えたり
349 生者遂毛死物爾有者今生在間者樂乎有名
いけるもの、つひにもしぬる、ものなれば、このよなるまは、たのしきをあらめ
生者必有v死。ものゝ必至也と云義をとりて、心にすき好むもの、心のまゝに樂みて、一生を終らんと、これも酒の事は句中に聞えねども、酒を樂みて終らんとの意を云へる歌也
350 黙然居而賢良爲者飲酒而醉拉爲爾尚不如來
もだしゐて、さかしらするは、さけのみて、ゑひなきするに、なをしかざりき
黙然居而賢良爲者 ものも云はず、うつくすみ居て賢人だてをせんよりは、只酒を飲みて、醉ひたふれて、泣く方がまし也との義也。不v如とは不v及と云ふの意也。醉ひ泣きする方まされりと、酒をほめたる歌也
(286)右十三首の酒を賞讃する歌には、唐土の詩等に引合せてよく相合ふ語釋等あまたあるべけれど、管見つたなく、また博覽をよそひても、させる盆無き事なれば不v能2細注1也
沙彌滿誓歌一首
首を誤りて前に作るは非也
351 世間乎何物爾將譬旦開※[手偏+旁]去師船之跡無如
よのなかを、なにゝたとへん、あさびらき、こぎゆきしふねの、あとなきがごと
何物爾 物といふ字をにとよむ字義は無けれど、此集中何物と書きて皆何と讀ませたるは義訓と知るべし。此集中に物の字を、にとも讀み事とも讀み、又事の字をものとも讀める處多し。これらはその處の義をもて讀ませたる也
旦開 このあさぴらきといふ事、何としたる事を云へるぞと知る人少し。中古已來此事不v濟故、皆朝ぼらけと讀める點あり。あさぼらけといふ事もいかゞしたる義とも不v知事也。この歌など殊にあさぼらけと讀みては、下の句いかんとも不v通也。然るに此歌を、拾遺集には、朝ぼらけこぎ行く舟のあとのしら浪と被v入たる事、歌の意を何と聞取給ふ義にや。いかにとも心得がたし。此あさびらきといふ事は、帆の事を云たる義也。あしたにはあさなぎとて、風も無く波しつかなるもの故、帆をひらきて舟を漕出す故、朝びらきこぎ行きしとは讀める也。此集中朝びらきと讀める歌多し。あさぼらけとよみては一つも義不v通に、無理に義を付けてあけぼのに船をこぐ義などと可v云歟。古詠の格さ樣にはし無き事を讀める事は、かつて無き事也
跡無如 拾遺集には、あとのしら浪と書けり。歌の意むつかしく聞え難き也。此通にては句の意も無くよく聞えたる歌也。
此歌の意は、自問自答の歌也。上に何にたとへんと問ひて、下の句にこぎ行きし船の跡無き如くなるものと、世の中の有樣を唯何とも定まらず見て、在る處はこぐ船の如く、無きところは海上の船の通り過ぎたる跡の如く、何の姿と目にとまる間も無きものと、悟道したる意をいへる得意をもこめたる歌也。萬誓の身の上の義、凡て人の過去の事を云ふたる歌也
若湯座王歌一首
(287)わかゆゑのおほきみのうた一くさ
若湯座王 傳不v知。湯座は日本紀神代下云、彦火々出見尊〔取2婦人1、爲乳母湯母及飯嚼湯座【疏曰、湯座謂洗欲兒者】〕新撰姓氏録〔河内神別に、若湯座連、膽杵磯丹杵穗命之後也云云とあり〕
352 葦邊波鶴之哭鳴而潮風寒吹良武津乎能埼羽毛
あしべには、たづがねなきて、しほかぜの、さむくふくらむ、つをのさきはも
葦邊波 これを古くは葦べなみと讀めるを、仙覺律師てには言葉に改點して、にはと讀ませたり。いかさまにも蘆邊なみといふ五文字、全體の歌の意に叶ひ難き發句なり。波はてには詞の字にてあるべき也
潮風 此潮の字本々不2一決1。湖の字に作れるも有て、是も仙覺抄に云、湖の字訓うしほ不審也と注せり。且みなとゝ書ける事は、阿波國の風土記に中湖具湖等にも用ゐたり。又第七卷歌に、美奈刀可世佐牟久布久良之余呉乃江爾都麻欲比可波之多豆佐波爾奈久ともあれば、みなと風と讀むべき由注せられたり。然れば何れとも定め難し。潮の字なればしほ風のと讀むべきことなる故、所持の本は潮の字故、先隨2所見之本1也
津乎能崎 仙覺抄には、伊與國野間郡にある由を注せり。或抄には近江國なるべし。倭名鈔に淺井郡の内都宇郷あれば、此處にして湖風と詠める、湖水の邊故なるべき趣注せり。いづれとも未v決。後考を待つのみ
羽毛 例の歎の詞也。つをの埼哉といふ意也
歌の意は、つをの埼の蘆邊に、鶴の鳴きよるを聞きて、しほ風の寒くならん蘆邊に、たづの音のみ聞ゆるつをの埼かなといふ義也。津平の崎にての當然の歌なるべし。或抄には、つをの崎を思遣りて、いか樣にかあらんと詠める意なりと見たる説あれども、それにては蘆邊をいづくの蘆邊ともさし處無き也。此あしべは若浦にしほみちくればの歌の意と、同じき意なるべし
釋通觀歌一首
しやくのつうくわんうた、ひとくさ
(288)釋通觀 前に出たる通觀同人なるべし
353 見吉野之高城乃山爾白雪者行憚而棚引所見
みよしのゝ、たかきのやまに、しらくもは、ゆきはゞかりて、たなびきみゆる
行憚而 前の富士の歌にありし意と同じ。高城の山の高き事を云はんとて、雲ものぼりかねてたな引との義也
歌の意何の事も無く、高きの山に白雲のたな引を見て、その當然のけしきを詠める歌也
日置少老歌一首
へきのすくなおゆがうたひとくさ
日置 へきとよむ
少老 傳不v知
354 繩乃浦爾塩燒火氣夕去者行過不得而山爾棚引
つなのうらに、しほやくけぶり、ゆふされば、ゆきすぎかねて、やまにたな引
繩乃浦 此浦いづれの國とも知れがたく、また古本印本等にもなはと讀めり。然れ共師案に此歌の續きども播磨あはぢの歌なれば、淡路にはつなの郡といふ郡もあれば、若しその處の浦なるべからんか。なはの浦と云處確かに不v知ばなはにてあらんや、つなにてあらんや、また網の字の誤りにてあみの浦にてあらんや。第一卷にあみの浦と云有。これらを以て見れば、いづれとも難v定なり。よりて此處の歌の次第をより處として、あはぢの都奈にてあらんやと見る也。尚証明の後考を待つのみ
夕去者行過不得而 煙はわきてあさ夕に立ちそふ物にて、殊に夕べになれば、しほ燒煙などは立ちそふもの故、夕さればとよみて、行過ぎかねては立そふもの故、散きえかねるといふ義を、行過きかねてと詠めり。過といふはちるといふ義きゆるといふ意に見れば濟也。煙の晴れずちらぬ景色をいへる也。散かね消かねてひたもの立添ゆゑ、自ら山などに、たな引く夕べの景色をよめる也
(289)歌の意きこえたる通なり
生石村主眞人歌一首
おふいしのすくりのまつとうたひとくさ
生石は 大石と同じ氏也。續日本紀卷第十八、天平勝寶二年正月庚寅朔乙巳、正六位上大石村主眞人、授2外從五位下1云々
村主 姓也。眞人は名也。姓にも眞人といふあれど、此眞人は名也。傳不v詳
355 大汝少彦名乃將座志都乃石室者幾代將經
おほなむち、すくなひこなの、いましけん、しづのいはやは、いくよへぬらん
大汝 日本紀神代上卷に、大己貴命少名彦命と共に、天の下を經營し給ふ由あれば、かく並べあげたる也
志都乃石室 地名也。播州に今も石の室殿とて不測の石殿ある由世に名高くきこえたる處也。決して此石室殿の義なるべしその處をしづといへる歟未v考。大己貴少彦名神社、播磨の式内には不v見。延喜式卷第十神名帳播磨宍粟郡内伊和坐大名持御魂神社名神大とあり。此社の舊都をしづのいはやといへる歟
幾代將經 神代より有來れる石室なる故、幾年をか經ぬらんとそのかみを思ひ感じたる歌也
歌の意は、たゞ昔より兩神のましませしと傳へ來れる石室の、其頃迄も存在して、神さびふりてあるを感じて、さていつの比よりかくあり來り、幾代を經ぬらんと、いはやの神座の物ふりたるを感じて詠める也
萬葉童蒙抄 卷第五終
(290)萬葉童蒙抄 卷第六
上古麻呂歌一首
うへのふるまろのうたひとくさ
上古麻呂 傳不v知。續日本紀卷第七、靈龜元年四月癸酉、上村主通政賜2姓阿刀連1
356 今日可聞明日香河乃夕不離川津鳴瀬之清有良武
けふもかも、あすかのかはの、ゆふかれず、かはづなくせの、さやけかるらん
今日毛河聞 けふもといふ義也。けふもあすもといひかけたる也
明日香河乃 けふもか、あすもか、かはらずかはづは鳴くにてあらんと也。あすか川は、うつりかはる事によむ事也。然るにこの歌けふもかもあすかの川とよめる意は、あすかの宮より藤原の都へ遷都の時の歌と聞えたり。歌の表に、遷都の事は見えねども、全體の歌のおもむき、あすかの都はうつりかはりしに、かはづはけふもあすもかはらず、かはり行く世の中の、かはれる事をも知らで鳴くらんと云意と聞えたり。さやけかるらんとは、かはづはかはらず聲さやかに鳴くらんと、川の瀬によそへて云へる歌と聞ゆる也
夕不離 古本印本等には、ゆふさらずと讀めり。かはづ嶋くねとあるなれは、かれずと讀まんこと然るべし
或本歌發句云
あるふみの歌のはじめの詞に云、これ古注者の追加也。一本の集には、左の如くに第一第二の句替れるを注せし也
明日香川今毛可毛等奈
あすかゞは、いまもかもとな
(291)本集のけふもかもあすかのかはのと云一二の句を如v斯替りて書きたる本ありしを、古注者所見あるゆゑ、こゝに注せし也。此或本の句にて、遷都の時節の歌と聞ゆる也
毛登奈 前にも注せし如く、よしなと云義也。よしなといへる意、あすかの都より、藤原へ被v遷たる此うつりかはれるあすかゞはなるに、けふもよしなく夕かれず鳴くかはづの川瀬のさやけかるらんとの歌也。しかれば兎角遷都の時節に詠める意ならでは、かくの如く詠める義心得がたし。よりて當家の流には、兎角遷都の時の歌と見る也
山部宿禰赤人歌六首
357 繩浦從背向爾所見奧島榜回舟者釣爲良下
つなのうらゆ、そむきにみゆる、おきつしま、こざまふふねは、つりしつらしも
繩浦從 つな、なはいづれとも決しがたけれど、前に注せる如く、この歌もあはぢの國より、のぼる時の歌と見る故、つなとは讀む也。ゆとは前にも注せる通り、よりといふ古語也
背向 そむきむかふ也。うしろざまにかへり見る義也。眞向に見ざるを、そむきてむかひに見ると云也。つなの浦を通るには海中のおき中の嶋は、うしろざまに見ゆると聞えたり
奧嶋 海中の沖の島也。その嶋をこぎめぐる舟は、つりをするにてあらめと也
歌の意聞えたる通也。つなの浦よりそむきにかへり見やれば、沖中の嶋に、ふねのこぎめぐれるは、定めて此舟はつりをするならんと、當然の景色を見やりて詠める他
358 武庫浦乎※[手偏+旁]轉小舟粟島矣背爾見乍乏小舟
むこのうらを、こぎまふをぶね、あはしまを、そむきに見つゝ、ともしきをぶね
武庫浦 攝津國也。赤人の西國より往來の時の歌にて、此歌は上るときの歌と聞えたり
※[手偏+旁]轉小舟 これは、赤人の乘りたる船をいへると聞えたり。武庫の浦をこぎめぐる折しも、あはしまの方を、後ざまにかへり(292)見る景色の、ところを詠めると聞ゆる也
粟島矣 紀州のあはしまか、あはぢのしま歟。不分明也。この浦からはそむきに見ゆるなるべし。昔と今とは、地理も同じからざるものなれば、今にてはあはざる方角の事もあらんか
背爾 前の歌に皆向とある故、向の字を畧せる也。此集の格也
乏小舟 ともしきは珍しきといふ義也。然ればこの浦をこぎめぐるをぶねの、面白き景色を見るといふの意にて、珍しきかなと感じて、二度上の小船をよび出せる也。赤人の舟にて、むこの浦をこぎめぐるに、あはしまのうしろ樣にかへり見えけるを、眺望して景色の面白き珍しき舟なりといへる意と聞ゆる也。都の方へのぼるには、むこよりは粟嶋は、後になりてかへり見る故、そむきにと詠めるなるへし
359 阿倍乃島宇乃住石爾依浪間無比來日本師所念
あべのしま、うのすむいしに、よるなみの、まなくこのごろ、やまとしゝのばる
阿倍乃鳥 攝津國なり。八雲御抄にも、つの國と有。尤此集この歌の列をもて、御抄にもつの國とのせさせられたる歟。外につの國と云證未v考也。武庫の浦のつゞきの歌ゆゑ、先はつの國と見ゆる他
宇乃住石爾 此句に意無し。下の依浪のまなくと云はんため迄の序句也
歌の意、たゞやまとの戀しき事、ま無くひま無く忘られぬといへる義迄の歌也
360 鹽干去者玉藻刈藏家妹之濱※[果/衣]乞者何矣示
しはひなば、たまもかりてん、いへのいもが、はまづとこはゞ、なにをかみせん
刈藏 古本印本共、かりこめと讀ませたり。これは刈りて來めといふの意にて、藏の字はをさむると讀む故、こめるの意を兼ねて、籠を來めとよそへて、讀める意ならんか。然れども少むつしき處もあれば、おさむの一言をとり、かりてのては付よみにして、かりてんとはよむ也。此方義もあかるく聞ゆべからんか。鹽ひなば海の藻をからんとの義也
(293)濱※[果/衣] 家づとなどいふに同じ。海邊へ往ける人の、家に歸るさのみやげの事を濱づとゝいふ也
何矣示 示は前にも注せり。視と通ふ也。よりて何をか見せんと讀み、又は何を見せなんと讀みても同じ意也
歌の意は鹽ひたらば、海藻を刈りてん。いもが濱づとを乞ひたらん時、何も見すべきものなければ、玉もを刈りて濱づとにせんと也
361 秋風乃寒朝開乎佐農能崗將超公爾衣借益矣
あきかぜの、さむきあさけを、さぬのをか、こゆらんきみに、きぬかさましを
朝開乎 あさといふ義也。夕けともいふ。いづれもたゞあした夕といふ義を、けといふ詞を添へたるもの也。これらを雅語といふ也。あさと計り夕と計にては、言葉短かくて、雅情無きゆゑ、我國の雅風は凡て詞を長くいふを雅言とする也。けといふに意は無き事也
佐農崗 仙覺抄に紀伊國と注せり。その外、近來の抄共にも紀の國と記せり。何ぞ證明所見ありけるにや。當家の流には歌の次第を相考ふるに、和泉河内の内にてやあらんと見る也。尤紀州にも此地名あるべけれど、既に今存在して、和泉にもさのといふ處有也。然れば此歌の列を見るに、武庫あべの次第なれは、いづみ河内の國のさぬにてあるべきと見るなり。猶追而可v考也。さて此佐農崗を讀み出せるは、何故詠めるぞなればさぬはねると云義也。此集の歌の格、凡て古詠の格、皆この格あることをよく/\味ふべし。これはさぬの崗にねて寒き朝けをおきて越ゆらんといふ義に、さぬとは詠み出せる也。上に朝けをと詠めるてには隔句の體也。さぬのをかに寢て、寒き朝けを越ゆらん君にと詠める意也。此歌はさぬとよみ入れたるところを專と見る歌也
362 美沙居石轉爾生名乘藻乃名者告志五余親者知友
みさごゐる、いそわにおふる、なのりその、なはのれしこよ、おやはしるとも
美沙 倭名鈔卷第十八鳥部云、爾雅集注云、雎鳩、雎音七余反、倭名美佐古、※[周+鳥]※[層+鳥]也、好在2江邊山中1亦食v魚者也云云。みさご(294)ゐるいそといふ迄皆序詞也
石轉爾 いそのめぐり也。さわぐといふ詞を、わとはいふ也。うらわなどいふも同じ
名乘藻 海の藻の名也。日本紀卷〔第十三允恭紀云、十一年春三月癸卯朔丙午、幸2於茅渟宮1、衣通部姫歌之曰。等虚辭倍邇、枳彌母阿閉揶毛、異舍儺等利、宇彌能波摩毛能、餘留等枳弘。時天皇謂2衣通郎姫1曰。是歌不v可v聆2他人1、皇后聞必大恨。故時人號2濱藻1、謂2奈能利曾毛1也。〕倭名鈔〔藻類云、本朝式云、莫鳴菜【奈々里曾】楊氏漢語抄云、神馬藻、【奈能利曾、今案本文未詳、但神馬莫v騎之義也。】〕この句も、名はのれといはん爲の序也。古詠の風格序歌體といふもの也
名者告 此句をいひ出でん爲に、上の句をだん/\といひ來りて、女の名はなのれといふの事也
志五余 須臾よといふ義也。しもすも同音にて、すこといふ義也。或抄のりし子よと云釋をなせれども心得違の説也。すことは此集中いくらも例あることにて、女の事をすことはいふ也。第一卷頭の歌にも、なつむすこと詠めるをはじめ、集中あげて數へがたし。しを助語と見るは、歌の意をいかゞ見たる説にや。のりしと助語に見ては、下の句不v續。歌の意不v通也。しと書きても、すこといふ義と心得べき也
親者知友 女の名を名のりて、われに從へよ、たとひ親は知るとも我つまとせんとの意也。これは海邊にて女抔を見て詠める歌と聞えたり
或本歌曰
363 美沙居荒磯爾生名乘藻乃告名者告世父母者知友
みさごゐる、あらいそにおふる、なのりその、のりなばのれよ、おやはしるとも
告名者告世 名をなのるそなたのれよと也。一説にのる名は名のれと云の意とも釋せり。いづれにても意は少の違計にて、同じ義也。本集の歌の意と同前の事にて、赤人海邊抔にて、をかしき女を見て詠める歌と聞ゆる也
笠朝臣金村鹽津山作歌二首
(295)かさのあそむかなむら、しほつ山にてつくうるたふたくさ
笠朝臣 前に注せり
鹽津山 近江國也。倭名鈔卷第七國郡部云、淺井郡鹽津【之保津】八雲御抄には、越前と注せさせ給ふは、此次の歌によりてあやまらせ給ふなるべし
364 大夫之弓上振起射都流矢乎後將見人者語繼金
ますらをの、ゆはずふりたて、いづるやを、のちみんひとは、かたりつぐかね
弓上 弓を射るには、本はずをふりおこしたてゝ、射るもの故、弓はずふりたてと也。上の字をはずと讀むは義訓也。日本紀神代紀に、振起弓※[弓頁肅]をゆはずふりたてとよめり
繼金 つくかにとも、かねとも、かなとも讀むべし。意はいづれも同じ事にて、かたりつぐにてあらんとの義也
比歌或抄には、いかなる心にて詠まれたるか、少し心得がたし。精兵故後世まで名をのこさんとて、彼山の木などに、矢を射込まれるにやと書けり。いかさまにも、此歌を詠み給ふ金村の意趣は知れ難けれど、歌の意は聞えたる通の歌にて、古代は旅行などする時、山路深林などを通ふには、きはめて魑魅魍魎の氣を退散せんが爲に矢を發し、鳴弦などをせしこと也。此歌もその當然の義を詠まれたる義と見ゆる也。いかさまにも精兵などにてありし故、木などに矢を射込みて、後の代にも知らしめんとの意にてもあるべき歟。施行の山中に入るとき、弓を尉發つ事は、此歌にても古實の義と知らるゝ也。矢の根には姓名を彫込み、あるひは朱などにて※[竹冠/矢]中にも記せる也。昔もさこそありしとおぼゆ。それゆゑ、のち見ん人はかたりつぐかにと詠みて、今かく射發てる矢の、木にもあれ射こみ殘りたるを、後に見ん人、誰れそれの射てる矢といひ傳へ語りつがんと也
365 鹽津山打越去者我乘有馬曾爪突家戀良霜
しほつやま、うちこえゆけば、わがのれる、うまぞつまづく、家にこふらしも
鹽津山 前に注せり
(296)馬曾爪突 これは旅行の時、家にこひしたふものあれば、其人路次にて蹶くといふ諺あり。その義によりて詠める也。乘れる馬つまづけるゆゑ、家にある妹のこひ慕ふにぞあらんと詠める也。今も旅行の跡にては、よろづの事をつゝしむと云ならはして、怪我あやまちなどあれば、かならず旅行の人に應ずるとて、つゝしむことのあるは、昔よりの諺と聞えたり。此集第七第十三にも、馬のつまづくといへることを詠める、皆家なる人の慕ふにてあらんとの意地。爪突は蹶、※[(壹の豆をヒ)/疋]、※[足+易]等の字也
政の意きこえたる通也
角鹿津乘船時笠朝臣金村作謌一頸 并短歌
つのがのつにてふねにのるとき、かさのあそぬかなむらつくるうた
角鹿津 越前國也。今は敦賀といふは訛也。日本紀卷第六垂仁天皇〔紀二年の條一云の中、額有v角人乘2一船1泊2于越國笥飯浦1、故號2其處1曰2角鹿1也。云々とあり〕倭名鈔卷第五國郡部云、北陸郡越前國敦賀【都留我】
366 越海之角鹿乃濱從大舟爾眞梶貫下勇魚取海路爾出而阿倍寸管我※[手偏+旁]行者大夫乃手結我浦爾海未通女鹽燒炎草枕客之有者獨爲而見知師無美綿津海乃手二卷四而有珠手次懸而之努櫃日本島根乎
こしのうみの、つのがのはまゆ、おほぶねに、まかぢさしおろし、いさなとり、うみぢにいでゝ、あへぎつゝ、わがこぎゆけば、ますらをの、たゆひがうらに、あまをとめ、しほやくけぶり、くさまくら、たびにしあれば、ひとりして、みるしるしなみ、わたつみの、てにまかしたる、たまだすき、かけてしのびつ、やまとしまねを
越海 北陸道越前加賀能登越中越後、この五ケ國をすべてこしの國とはいへり。此こしの海といふは、越前の國の海をさしていへる也。北陸道をさしてこしといへる義は、いかなる譯とも知れがたし。此歌の發句の意は、越前の國のつのがの濱より、ふねにのれることを先よみ出せる也
(297)貫下 此集中此句數多あり。古本印本ともにぬきさげと詠ませたり。然れどもかぢをぬくといふこと心得難く、その上ぬくと云こと船に縁無き詞なれば、さしおろしとよむ也。貫の字はさしさすともよむべき字也。今錢などを繋ぐものを俗にさしといふなれば、語例無きにあらず。さしさすは船に縁ある詞なり。直ちに船をもかぢにてさしつかふものなれば、貫の字は書きたれど、さしとよむ儀と見ゆる也
阿倍寸管 俗にすだくといふ義也。喘の字の意にて、息をせはしくつかふ義也。舟子どもの息をもやすめず船を漕ぐ躰を、我身の上にうけて、あへぎつゝとはいへり
大夫乃手結我浦 越前國つるがにあり。延喜式卷第十神名帳云、越前國敦賀都田結神社。ますらをの手ゆひとは、今兵士の着類具に有籠手といふもの也。男士の着物故、ますらをの手ゆひと讀める也。あしに着する物に、あゆひといふ有。日本紀に脚帶と書けり。然れば手帶と書くべからんか。脚帶は今俗に、もゝひききやはんといふもの也。古詠の風格、たゞ手ゆひといふ事をいはんとて、大夫とよみ出せり
海未通女 此集中に毎度よみたる義訓也
鹽燒炎 大夫のといふより、これまでの句皆意無く序詞にて、此鹽燒炎といふまでの序也
獨爲而 たどひとりといふ意也。ひとりしてとも居てとも可v讀。妻子をも故郷におきて、たゞひとり物うき旅なれば、海士の鹽燒景色などを見るに、心を慰むるしるしも無きと也
見知師無美 あまの鹽燒炎を見ても、心も慰まで、旅の物うきを消しやるしるしも無きとなり
綿津海乃 海神の義をさしてなり
手二卷四而有 海神の手にまかせる珠といふ義也。玉をつらねて足にかざり付くるを足玉といひ、手につらねてぬきもつを手玉といふ也。海神に限らぬ事なれど、萬の珠は海より出來るものにて、殊に日本紀神代下卷〔又問曰、其於秀起浪穗之上起2八尋殿1而手玉玲瓏織袵之少者是誰之子女耶、答曰云々〕如v此の縁ありて、此歌海路の詠なれば、かく詠めるも理也。必竟手すきには、何の意もなけれど、下のかけてといはん爲の序詞也
(298)懸而之努櫃 かけてと云義は、こゝよりかしこを思ひやり、心をかけりやりてとも云義地。第一第二卷の歌にも毎度注せり
日本嶋根乎 金村、大和國古郷なるゆゑ、こしの國へ下れる海路の景色を見て、たゞひとりのみ見る景色なれば、慰むるしるしも無く、身はこゝにありても、心はかけりて古郷にある如く、大和の妻子などを慕ひ思ふ意を詠めり
反歌
367 越海乃手結之浦矣客爲而見者乏見日本思櫃
こしのうみの、手ゆひがうらを、たびにして、みれば乏しみ、やまとしのびつ
乏見 たびにして見る景色の、めづらしきと也。然ればひとりのみ見れば、珍らしき景色につけても、古郷のしのばるゝと也。このともしみといふには、心細くものさびしきといふ意をこめて、詠めると聞ゆる也。乏は珍らしく物のすくなき事をいへる義なり。然ればおのづから心細く寂しきといふ意もある故、乏しみと詠めると見えたり
石上大夫歌一首
いそのかみのまうちきみのうた一くさ
此人誰れとも難v考。後注者左に注せる通ならんか
368 大船二眞梶繁貫大王之御命恐礒廻爲鴨
おほふねに、まかぢしゝさし、おほきみの、みことかしこみ、いそみするかも
大船二 大ふねなる故、かぢを何挺もしげくさして海路をわたると也
大王之命恐 天子の命をうけて、任國に下れる時か、何とぞおほやけの事につきて、海路の旅行をし給ふなるべし。かしこみとは、天子の命令をおそれて、あやうき海の上をもめぐるとの義也
礒廻 これをいさりするとも、あさりするとも讀ませたれど、兩義とも心得がたし。いそめぐりと書きたれば、めぐりの約言はみなり。國見をするといふ古語もあれば、礒廻の二字をいそみと讀むべし。意はいそめぐりをするかなといふ義也。天子(299)の命令をおそれて、あやうき海をも大舟にいくらものかぢをさして、いしなどそばだち、あらき波うつあたりをも、いとはでめぐるとの意也
此歌は、すこし旅行を辛苦に思ひなしたる意をふくめる歌也。さるによりて、次の和歌の意にもそれを示したる樣に聞ゆる也
右今案石上朝臣乙麿任越前國守蓋此大夫歟
みぎいまおもふに、いそのかみのあそんおとまろ任越前國守、けだしこのまうちぎみか
石上朝臣乙麿 此左注の通りにてもあるべき歟。石上大夫とばかりの標題にては、いづれとも難v考。前の歌の次第越前の歌なれば、いづくの海路とも知られねど、撰者歌の列を心得て載せたるか。然れば乙麿越前のかみにて下れる時の歌なるべし
和歌一首
369 物部乃臣之壯士者大王任乃隨意聞跡云物曾
ものゝべの、おみのをのこは、すめみことの、よさしのまゝに、きくといふものぞ
物部乃 前に人丸の歌にても注せる如く、ものゝふとも、ものゝべとも讀む也。武男のものゝ惣名也。尤饒速日命の御苗裔に、ものゝべといふ姓もありて、石上朴井など云氏にわかれたり。石上氏も同姓なる故に、かくよめるならんか
壯士 これを古本印本等たけをと讀ませたり。尤さかんなるひとならば、たけきをとことも云ふべけれど、上におみと詠める詞のひゞきには、假名は違ひたれど、をのこと讀まん方然るべからんか。をのこもたけをも意は同じかるべし
大王 これを此集中皆おほきみのと讀めり。こゝもさ讀むべけれど、古葉畧葉集に此三字の下に言之の二宇あり。通例の本には皆無v之。然れば正本には言之の二宇ありしを、今の本脱したるにてやあらん。おぼつか無し。よりて兩義をかねてすねにことのとは讀むなり。大王とは天子の御事をさしていへる義なれば、言之の二字をかねて、すめみことのとよむ義然るべからんか
任乃隨意 すめらみことのみことのり通にと云義也。よさしとは、國守などによさゝれし義をいへるるべし。何事にまれ、(300)天子の仰せごとにはそむかず、みことのりのまゝにしたがふとの義也
聞跡云物曾 王命にはたかはず、みことのりのまゝにうけたまはりつかふる筈のものと也
歌の意は、ものゝふのたけき臣下のうへにては、君の仰せごとにまかせて、心にかなはぬことをもしのび堪へて、みことのりのまゝきゝ仕ふる筈のものぞ。それをこそ臣たるもの道を守るといふものぞと、前の歌のいましめたる歌と聞ゆる也。不敬の意あるを、王命をおそれ、いそみをするかなとよめるは、おそれずばかく辛勞をもせまじきにといふ意を含みたる歌に聞ゆる故、かくいさめし歌なるべし
右作者未審但笠朝臣金村之歌中出也
みぎつくるひと、いまだつまびらかならず、かさのあそんかなむらがうたのなかにいづる也
例の古注者の文也。たれ人のこたへ歌とも知れざる也。金村の歌中に出づとあれば、古注者所見と聞えたり。然らば金村の歌にてもあるべきか。いかんとなれば、金村の鹽津山の歌前にありて、次に越前角鹿の歌を載せられたるは、此時金村同道にてもありしか。歌中に出るとあれば、少のより處也
安倍廣庭卿歌一首
あべのひろにはのかみのうた一首
安倍廣庭 前に中納言安倍廣庭と出たり
370 雨不零殿雲流夜之潤濕跡戀乍居寸君待香光
あめふらで、とのぐもるよの、しめ/”\と、こひつゝをりき、きみまちがてら
殿雲流 空の一まいに雲のたな引き曇れるをいふ也。たなぐもりといふも同じ。俗言にどろりと曇るなどいへる此事也。雲の晴れ間無くうつとう敷曇りたるを、古語にとのぐもり、たなぐもるなどいへり。尤此集中に多く詠めり
潤濕跡 これを古本印本等には、ぬれしかと、ひぢたれとなど詠めり。上にあめふらでとありて、ひぢぬれるとの義心得難く、(301)殊に潤濕の二字ぬれひぢる意には合がたく、ぬれんとするの意にはかなふべき字なれば、しめ/”\と讀むべからんか。歌の意にもしめ/”\と訓したらんには叶ふべくもあらんか。空一まいにくもりはてゝ、雨はふらで、たゞしめ/”\敷夜に、人を待心も同じく、はれ/”\しくもあらず、もの戀しき樣なる義をいふたる事と聞ゆる也。夜の景色と心と相ともにしめ/”\と君を特との義地。下の句意、ものをかねたることをいふ詞也。然れば夜の景色と心と相ともにかねていへる義也
君待香光 このがてらといふこと今俗語にも云傳へり。尤雅語にて古詠に皆詠み來れり。此集中にも多く有。又古今の歌にも、我宿の花見がてらと詠めるがてらも同じ義にて、かねたることをいふ詞也。がてらともがてにともいふ詞にて、これとかれとをかねあはせてなすことを、がてらといふ也。此歌も夜の景色と君を戀乍待居る心の、しめ/”\としたるといふ義に、がてらと詠めると聞ゆる也
歌の意はあめはふらで、雨雲一まいにたな引曇りて、うつとほしき夜、來るとも定まらぬ人を思ひこひ待ち居る心のしめ/”\しきは、うちくもれる夜の景色も相ともに同じければ、しめじめとして、君をこひつゝぞ待つと云義也。夜のしめ/”\しきと人をこひつゝ待ち居る心の、しめやかなるものわびしきと、相かねたることをいふ義に、がてらとは詠める也。畢竟の意は、雨空の夜の景色も、人をこひ詫び居る心も、相ともにしめじめしく待ゐるとの義也
出雲守門戸部王思京歌一首
いづものかみかどべのおほきみ、みやこをしたふ歌一首
出雲守門戸部王 傳前にあり
思京 出雲國の守となりて、かの國にありて、大和のみやこの古郷のことを、慕ふて詠めると也
371 飯海乃河原之乳鳥汝鳴者吾佐保河乃所念國
おうのうみの、かはらのちどり、ながなけば、わがさほがはの、しのばるらくに
飯海 出雲國意宇郡の海なる故、おうの海と也。倭名鈔卷第五國郡部山陰郡云、出雲國意宇【於宇】
(302)河原之 海邊よりつゞきたる河原ありしと見えたり
乳島 千鳥とも書皆假名書なり。千鳥といふには漢字いづれの宇あたらんや未v考。ちどりと名附くる所以はちよ/\となく聲によりて、ちどりとは號くる也。諸鳥諸虫大かた依v聲名を付くる也
汝鳴者 前に人丸の歌にも、夕なみ千鳥ながなけばと詠める歌に同じ意也
吾佐保河 わがとは、門部王の古郷の大和國をさして也。佐保河の邊に家居ありしか。さなくとも河原の千鳥故、佐保の河原の事を思ひ慕ふ心なるべし
所念國 われをおもはるらくとも、おもほゆらくとも詠ませたり。今しのばるらくと詠めるも同じ意也。おもふといふは、慕ひしのぶ義なり。おもふとばかりにては、とりとめて何をおもふ事にや、廣くわたる詞故、慕ふとは詠む也。したふは古郷をこひ慕ふの義也
歌の意はおうの海の河原にて千鳥のなく聲を聞けば、大和國の佐保の河にて、聞きける千鳥の聲を思ひいでられて、いとゞ古郷のことの慕はるゝとなり。一句に鳴かずあれかしといふ餘意をふくみたる歌也
山部宿禰赤人登春日野作歌一首并短歌
やまべのすくねあかひと、かすがやまにのぼりてつくるうたひとくさならびにみじかうた
登春日野 此野の字不審也。山の字の誤なるべし。あやまるべき字形にもあらねど、篇集の時山と書くを野と書きあやまれるを、その儘に用ゐ來れるなるべし。長歌短歌とも皆山の歌にて、野の歌かつて見えざれば、決して山の字の誤りとは見ゆる也。よりてかすが山にのぼりてとは詠む也
372 春日乎春日山乃高座之御笠乃山爾朝不離雲居多奈引容烏能間無數鳴雲居奈須心射左欲比其鳥乃片戀耳爾晝者毛日之盡夜者毛夜之盡立而居而念曾吾爲流不相兒故荷
はるのひを、かすがのやまの、たかくらの、みかさのやまに、あさかれず、くもゐたなびき、かほど(303)りの、まなくしばなく、くもゐなす、こゝろいざよひ、そのとりの、かたこひのみに、ひるはもひのつき、よるはもよのつき、たちてゐて、おおひぞわがする、あはぬこゆゑに
春日乎春日山 大和國添上郡にある山也。このはるのひをかすがとうけたる意は、少し心得がたけれども、古來よりの説ども春の日は霞みてのどやかにかすかなる物故、かくつゞくるとの義也。尤上代の歌は、如v此日をといひて、下へつゞくる例もあれども、今時の風體には合はざる讀み也。然れども先づ春の日のと云意と同じ事と見るべし。日本紀卷第四に、春日、此云2箇酒鵝1と有。この春の日のかすがを過ぎてと詠める義、古今不v濟事にて、春日の二字をかすがと訓しられたることも、如何なる由來と云事は知れ難し。これも春の曰は霞に映して、光おぼろにかすかなるもの故、かすがと義訓せられたるか。又かすがといふ地名の因縁は、新撰姓氏録、春日眞人、敏達天皇皇子春日王之後也。此古説を證として、傳へ來ること也。倭名鈔卷第六國郡部大和國添上郡山村、春日加須加添上郡にある郷地。その處の山を即ちかすが山と云ひて、四所太神も御鎭座まします山也
高座之 地名とも聞ゆれども、これはみかさへつゞく冠辭なり。高座は天子の御座所たかみくらの義をいひて、天子の高みくらにはかならず御蓋錦蓋といふものある故に、みかさといはん爲の序詞に高くらとはよみ出たる也。地名なれば何の意も無く理るにも不v及ことなれど、添上下郡に高くらといふ地名不v見。廣瀬郡の内には、上倉下倉といふ處あれども、春日山三笠山などとは、郡も道程も隔たれるなれば、上倉などの事とも不v見也。よりて兎角御笠の冠句と見る也。くらといふは、すべてものをじつとすえ置く處を云也。よりて座の宇をも義訓にくらとは讀む也
御笠乃山爾 春日山の中に又少ひきゝ山ありて、今は春日大明神の社のある處といひ傳ふる也。たゞかさ山と計云てみは發語の詞と聞ゆる也。則短歌の次の石上乙麿の歌には笠の山と詠めるにて、みは發語と見ゆる也。春の日をと詠み出せるより是までの句は皆此三笠山といふ句の序詞也。古來の歌は如v此次第をのべて地名を長々と讀みつらねたる歌多し。上古の風體と知るべし。上に何の意は無きこと也
朝不離 諸抄物等ににもあさくらずと詠ませたり。前の蛙の歌にてはかれずとよめり。こゝもかれずもさらずも同じ意にて、畢竟毎朝にと云意也。前にかれずとよめる故、こゝもかれずとよむなり。意はさらずとよみても同じ義也
(304)雲居多奈引 毎朝雲のたな引ける春の頃の景色をいへる也
容鳥能 この鳥の事古來より何鳥といふこと不v決。古今六帖にも人丸の歌に、かほとりとよみたる歌あり。源氏物語やどり木の卷にも、かほ鳥の聲も聞きしにかよふやとしげみをわけてけふぞ尋ぬるとよめり。定家卿も、このかほ鳥の事何共未v決由かきおかれ、その後諸抄物にも、いづれの鳥といふことを決せざる也。仙覺抄には容鳥とは、田舍人はかぽ鳥といふ是也。かぽ/\と鳴けば鳴聲を、名とせるなりと註したり。此説いかにも可v然なり。凡て語釋の傳にも鳥虫の名は皆鳴聲によりて、名を付くる也。此鳥も今山野林中などにて、かつぽ/\と鳴鳥の事を、容烏とは書きたる也。かつぽといふもかぽ/\といふも同じ事也。容鳥と書きたるより、うつくしき鳥などと云説あれども、これは文字によりたる説にて、難2信用1也。容の字は借訓に用ゐたを字にて、字義による事にはあらず。今一名を呼子鳥といふも、これなるべし。宗師年來の案に、稻負鳥と此容鳥の事諸抄諸歌に心をつくされしに、とかく此容鳥は呼子鳥同烏異名にして、三月の末より夏にかけて、かつぽ/\と鳴く鳥をいへるとの發起なり。倭名鈔普鳥の名をあげ、殊に喚子鳥稻負鳥を並べて、萬葉集を引きてあげたるに、此容鳥を不v載はいかゞしたる事にや。此集は勿論、後々の諸歌にもよめる事はすくなからざるに、何とて不v載ぞなれば、是呼子鳥をあげたる故と見えたり。古今傳授等の説、諸抄物に鶺鴒と稻負鳥を同烏と世擧げて傳へ來れども、倭名鈔には別鳥と記せり。然れば容鳥古詠諸歌此集に數多のれる鳥なるを不v載は、これ呼子鳥と同鳥故と知られたり。かつぽ/\と鳴く聲、人を呼ぶ聲にその儘なれば、これより名ともせるなるべし。此鳥はほとゝぎすの雌といひならはせり。いかにもさもあるべく、群比をなさず一鳥のみ鳴く鳥故、片戀妻などともよみ、人をこふことに詠めり。源氏物語の歌などによめる意は、※[白/ハ]といふ詞を縁にとりたる義にて、うつくしき鳥といふ義にはあらぬを、後人の見あやまりて、色々の説にとりなせることある也。兎角容鳥とは今かつぽ/\と鳴く鳥の事にて喚子鳥と同鳥と見るべし
間無數鳴 ひたもの/\鳴くとの詞也。かほ鳥の鳴く事如v此なるものとなり
雪居奈須 居といふは助宇にてたゞくもといふ義也。なすはごとくといふの古語、前に毎度注せり。雲居とはたゞ雲の名也。前にも雲居たな引と有。こゝに雲居なすとあり。皆雲といふ義にて、昔は雲とも雲ゐとも云へると聞えたり。今は空又はる(305)かにへだたり遠き事を雲井といふと心得ぬれども、古詠の意は皆たゞ雲といふ義ばかりに聞ゆる也。此歌の二つの居の字、さなくては不v濟こと也
心射左欲比 雲のかなたこなたに、たゞよひ靡き一所に定まらざる如くに、心のいざよふと也。いざよふとは一方にじつときはめ定めず、これかそれかとためらふことをいふ義也。射、この字を訓に讀みて、左欲比と書けること心得難き樣なれど、此集中此格數多なり。日本紀古事記等の格は、少違へる義なり。十六夜の月をいざよひの月といふも、月の出づるか、不v出かと暫ためらふをもていふなり
其鳥乃云々 容鳥は、群類をなさぬもの也。たゞ一鳥のみ鳴く鳥也。よりて如v此片戀耳とは詠めり。畢竟赤人の思ふ人に逢はぬ事を、容鳥の片鯉に鳴く樣にとよそへて詠める也
念曾吾爲流 容鳥の片戀してひた鳴きに人をよぶ如く鳴く樣に、赤人の思ひをなすと也
若兒故荷 兒故とは女の通稱にいへる事也。此集中の格也。我子の事にはあるべからず。反歌に鯉もするかもとよめるにて兎角戀歌と見ゆる也。兒故荷にと詠めるも、是容鳥はよぶ子鳥ともいへば、その下心をふくみたるか
歌の意は春日山に登りて容鳥の鳴くに付けて、我思ひの情を、その鳥によそへて詠める也。標題に登2春日山1とありて、さして山興風景のごとは無くて、たゞ人を戀ふおもひを述作せる歌なり。是等の事は、古代の風格を知らざれば心得難き樣なれど此集中此格多き事にて、上代は風景景色につけても、皆その身のおもひをのべたることにて、上古の歌は此義第一の見樣ある事也。既に此歌も、山色風景の事は一つも無く、たゞおもひの事を、段々と云ひ述べたる計なり。實は戀歌ともいふべき歌なれども、極めてそれと指せる處の無き戀の情を述べたる歌故、雜歌の部には入れたると見ゆると也。後の撰集の歌の格、此格に同じき也。其心得を以て不v見は後撰の歌も不v通事多也
反歌
373 高按之三笠乃山爾鳴鳥之止者繼流戀哭爲鴨
(306)たかくらの、みかさのやまに、なくとりの、やめばつがるゝ、こひもするかも
高按之 長歌の座之字も按之字も同意にて、高みくらの義をいひたるもの他
鳴鳥之 長歌の容鳥をさして云へる鳥也
止者繼流 かのかほ鳥の鳴きやむかとすれば、ひたもの/\あとよりつゞきて鳴くごとく、赤人の人をこひ思ふ心も、ひたもの跡より追つきて、そのおもひの情の不v絶、やまれぬこひをもするかなと、春日山にのぼりて容鳥の聲を聞きて、それより歎慨を起して情を述べたる也
哭 此字をもとよむ事前に注せり
歌の意聞えたる通、おもひの不v止、ひたすらに鳴く如く、おもひも止まざるといふことをよめる也
石上乙麿朝臣歌一首
いそのかみのおとまろのあそむうたひとくさ
石上乙麿朝臣 官中納言兼中務卿也。續日本紀卷第十八〔天平勝寶二年九月丙戌朔、中納言兼中務卿石上朝臣乙麻呂薨、左大臣贈從一位麻呂之子也云々とあり〕
374 雨零者將盖跡念有笠乃山人爾莫令盖霑者漬跡裳
あめふらば、さゝんとおもへる、かさのやま、人にさゝせな、ぬれはひづとも
將盖跡念有 赤人のさゝんとおもへる義也
笠乃山 みかさ、笠ともよみたるは、發語にてたゞかさの山といふ地名と見えたり。上に高按とある時は、天子のみ蓋の意にて、みかさとはよめるなるべし。後々みかさと地名に呼ぶも、か樣の歌にみかさとよみしによりてなるべし。實はたゞかさの山といへると聞えたり
莫令盖 此莫といふ字は、無、勿の字の意にはあらず。たゞてには詞にいへるなり。さゝしむること勿れと云義にては無く(307)なと教へたる詞にて、なんと乞ふ義也。さゝせよといふ意と同じ義と見るへし。此格此集中いくらもありて、てにはのなにて、なかれと躰にいひたる莫の字にては無き也。笠の山と名を負ひたる山故に、あめふらば誰もさゝんとおもふ程に、かさの山はぬれひづとも人にさゝせなんとよみたる歌也。此歌いかゞしたる事を詠めると聞き得難き歌なれども、右の如くに聞けば、笠の山といふ名目に基きて詠める歌也、此集中に此莫の字を書きたる此歌の格いか程もある也
歌の意たゞ笠の山と名におふたる山なれば、雨ふらば誰れにもさゝせ得ん、山はぬれひづともと云義也。歌の全體笠の山といふ名に本づきて詠める歌也
予思案、此歌前の長歌短歌も戀歌をつらねたれば、是も笠の山を女にして、戀の情をよそへ詠みたるにはあらざらんや。雨ふらざさゝんとおもへるとは、赤人の我方へ從へんと思ふといふ意にて、人にさゝせなは外人に手も觸れさすな、外よりたとひぬれひぢてこひわぶるとも、外人へは從ふなと、笠の山を女にしてよそへ詠める事にはあるまじき歟。ぬれはひづともとは、外人のこひ慕ふともと云義ならんか
湯原王芳野作歌一首
ゆはらのおほきみ、よしのにてつくるうたひとくさ
湯原王 傳不v知
375 吉野爾有夏實之河乃川余杼爾鴨曾鳴成山影爾之※[氏/一]
よしのなる、なつみのかはの、かはよどに、かもぞなくなるも山かげにして
歌の意不v及2注釋1。よく聞えたるなり
湯原王宴席歌二首
ゆはらのおほきみ、うたげのむしろのうたふたくさ
(308)376 秋津羽之袖振妹乎珠※[しんにょう+更]奧爾念乎見賜吾君
あきつはの、そでふるいもを、たまくしげ、おくにおもふを、見たまへあがせ
秋津羽 蜻蛉のはねの事也。蜻蛉はかげろふともあきつともいふ也。倭名鈔にてはかげろふと訓せり。日本紀卷第三神武紀に蜻蛉のとなめせるが如しの句あり。日本紀卷第十四雄畧紀三年八月の條、雄畧天皇御製にあり。今俗野馬、あるひはとんぼふなどいふ虫なり。その羽美しきものなれば、舞女の義に賞美してあきつはの袖ふるとはつゞけたり
珠※[しんにょう+更]奧爾 此玉くしげおくにとつゞけたる義、不v濟也。句例も外に不v見。若し奧の字何とぞ誤字ならんか。さりとて何といふ字とも案不v付也。ある釋に玉くしげといふものは、婦女の身にそふ物故、はし近くおかぬもの、居所にても奧ふかき所にあるもの故、おくとつゞけたるものといへど、外に句例稀なれば此説にも定め難けれど、別に考案無ければ先奧にとは讀みおき、後考の人を待つのみ。奧にといへる意は、宴に集へるまろうどを深くおもふとの意也と見る也。然れども玉くしげおくとは不v續詞也。なかとか底とかはつゞくべきか。しばらく待2後考1耳
見賜吾君 吾君は君長をさして稱せる辭禮、あがせは賓客を指していへる也。宴席を設けて客をみあへするに、舞女などを舞はしてもてなすは、客人を深く思ふ故と見給へとの義也
377 青山之嶺乃白雲朝爾食爾恒見杼毛目頻四吾君
あをやまの、みねのしらくも、あさにけに、つねに見れども、めづらしあがせ
青山之嶺 一山をいふにあらず。青き山の美はしき嶺に、白雲のたな引きたるを見る如く、朝夕に見なれても飽かぬとほめていへる義也。畢竟客人を美しき山の嶺に、いさぎよくたな引ける朝夕の雲に比していへる也
朝爾食爾 此句古人の説、夕にまさりてといふことゝいへり。又朝夕といふことゝ釋したれど、何としてあした夕といふ事をあさにけにとはいへる義との釋も無く、又朝夕といふ義ならば、あさ夕にと讀みてすむべき事なるに、夕のことをけにとは何とていへるやらん、不v濟義也。宗師案には、古記の重字を書く古實朝々食々と書くなれば、これも朝爾食爾と書きたるは、朝(309)々食々と書けるを訛りて爾の字に書き、又朝二食二と有けるを、あさにけにと心得て、朝爾食爾と書けるか歟。二の字は上をゆりたる字、古書皆何二々々と書ける例多し。然らばあさけ/\といふ義にて、あさに/\といふと同じ意也。古記古書に重詞を書例皆如v此なり。あさけ/\といふ義を、朝け夕けと書くは古實なれば。それを後人轉寫しあやまりて、如v今書けるにてやあらんと也。又一案に夏まけて冬まけてといふことあり。此あさにけにもその格の詞ならんか。然らばけといふはくれといふ約言也。夏まけ春まけと云ふまは發語の詞にて、夏くれ春くれてといふ義なり。此朝にけにもあしたにくれにといふ義歟。くれの約言けなれば、決してあしたにくれにといふことを、古語に約してあさにけにと詠めるなるべし。さなくては此あさにけにといふ釋いかんとも不v通地。此歌の意も、あけくれに見れどもあかずめづらしき賓客と、まろうどをほめたる歌の意也。細注に不v及、聞えたる通也
山部宿禰赤人詠故太政大臣藤原家之山池歌一首
故太政大臣 淡海公不比等也。續日本紀、文武紀、元正紀、考謙紀、廢帝紀に見えたり。律令之撰者也。延喜式卷第廿壹諸陵式云、多武岑墓【贈太政大臣正一位淡海公藤原朝臣在2大和國十市郡1】懷風藻序云、藤太政之詠2玄造1。謄2茂實於前朝1飛2英聲於後代1云云。同云、贈正一位太政大臣藤原朝臣史五首。或抄に故の字の下に、贈の字を脱せるやといへり。故の字あれば、苦しかるまじき歟。贈の字ありとも可v然也
藤原家之 淡海公の居所、藤原といふ處にありて、その作庭の池を見て詠ぜるなり。大職冠の時藤原の姓を賜ふ事は前に注せり
378 昔者之舊堤者年深池之瀲爾水草生家里
いにしへの、ふるきつゝみは、としふかき、いけのなぎさに、みくさおひけり
昔者之 古本印木共に、いにしへのと詠めり。尤此三字にては、かく読むべきことなれども、昔者と書きて古へと讀まんには、之の字はあるまじきことなるに、之の字を加へたるは、者の字若し見の字をあやまりたるにやあらんか。然らば昔見しにて、(310)歌の意もよく連續すべき也
年深 としふかみとも讀ませたれど、下の池につゞく句なれは、深きと讀むべき也。年ふかきとは年ふりたるといふ意也
池之瀲爾 瀲の字、日本紀神代下卷なぎさと讀ませり。倭名鈔には渚の字を記せり。字義同意なる故也。なぎさとは、波打ぎはといふと同じ所也。畢竟水際の事を云。汀といふとも同じ義ながら、少づつの違あると見えたり
水草生家里 大臣のましまさゞる故、庭の池などもあれ行きて年ふるまゝ、水草も生繁れることをいたみて詠める歌也。或抄には舊堤と詠めり。大臣の朝廷を、能守護し給ひしことをふくみて詠めるなどいふ説あれき、牽合附會の義也。たゞふりにし昔を慕ふ意はふくめる意と見えたり
大伴坂上郎女祭神歌一首并短歌
おほとものさかのうへのいらつめ、かみをまつるうたひとくさならびにみじかうた
大伴坂上郎女 傳不v祥。大伴氏誰人の女といふ事くわしくは難v考。家持駿河麿等と贈答の歌奧に至りてあまた出たり。坂上は地名也。そこにありし郎女故、如v此いへると見えたり
祭神 これは郎女戀ふ人ありて、それにあはんことを祈りて神をまつれるか。左注の趣は、大伴氏の神を供祭の時、聊つくるとあれども、歌の意は全く人にあはぬことを歎きて、神祭を設けて祈る歌の樣聞ゆる也
379 久堅之天原從生來神之命奧山乃賢木之枝爾白香付木綿取付而齊戸乎忌穿居竹玉乎繁爾貫垂十六自物膝折伏手弱女之押日取懸如此谷裳吾者折奈牟君爾不相可聞
ひさかたの、あまのはらより、うまれこし、かみのみことを、おくやまの、さかきのえだに、しらがつけ、ゆふとりつけて、いはひべを、いはひほりすゑ、すゞたまを、しのにぬきたれ、ししゞもの、ひさをりふせて、たをやめが、あふひとりかけ、かくだにも、われはをらなむ、きみにあはじかも
久堅之 神のみことゝいはんとて、神明は高天原より生出給ふたるといふ次第を、先よみ出でたる古詠の例格なり。神のみこ(311)とをといふ迄の次第序文也
神之命 神明を祭らん爲に、おく山の何に/\といへる也。神の命とは神を祭とてといふに同じ
奧山乃 これらの義、古代事實をおのづから詠める也。上古の神をいはひまつる神具に用ゆる木は、たゞ人の近くなれ、けがらはしき木を不v用、深山嶮難の坂路の人の踏みもし、けがさゞる處の木をとり牒て祭れる事也。この古實の義は、神代上卷にて奧秘の傳あることなれば畧v之。まづ何となく奧山のとあるはたゞ假初の事ながら、上古の事實をあらはしたる義と知るべし奧山といはず、おひ立るさか木のとも讀むべき事をかく詠めるは、おのづから時代の古實のそなはりたる事なり
賢木之枝 日本紀神代上卷云、堀2天香山之五百箇眞坂樹1、而上枝懸2八坂瓊之五百箇御統1、中枝懸2八咫鏡1【一云眞經津鏡】下枝懸2青和幣【和幣此云尼枳底】白和幣1。倭名鈔卷第十三祭祀具云、楊氏漢語抄云、龍眼木【佐加岐】今按龍眼者其實也見2本草1。日本紀私記云、坂樹刺立、爲2祭v神之木1。今按本朝式用2賢木二字1漢語鈔用2榊字1並未v詳。仙覺抄には、さかきはさかえたる木といへり。元來さかきと云文字は、漢字には不v見。榊の字は此方にて作りたる和字也。常盤にて枝葉繁茂する木なる故、神木に用ゐ來れるより、榊とは作れる字なるべし。實は坂木と書ける義本義なるべし
白香付 苧をつけたる義なるべし。仙覺抄にはしらかみの四手と釋せり。上古の神祭に紙を用ゆる事心得がたし。紙は木綿の代りに用ゆるなれば、此白香は苧の事なるべし。白香といふは松蘿、さかりごけの事をも云也。しらがの語釋はしらくさ也數十年を經たる古木には、きはめてさがり苔といふもの白く、白髪のさがりたる如くに、生たれる也。上代はこれをもて神祭の具に備へたる也。いたつて清潔のもの也。下に又木綿とあるは、青にぎてに用ゐたる歟。是紀にては青和幣は麻、白和幣は木綿也。此歌にての意少心得がたし
木綿取付而 仙覺抄に白にぎて、青にぎてなるべしと注せり。此處には不v合説也。あらたへ、にぎたへをもて神を祭るの義也。然れば白香といふは木綿のことにてあるべきを、この歌にては少紛らはし。然れ共或ひは同物を用ゐたるか。白にきて青にぎてと云は不v合也
齊戸乎 仙覺抄にも、み酒をかもする瓶と注せり。上古神を祭るには、極めて酒をもてまつれり。よりて先づ酒瓶をほり居て(312)まうけるなり。奧の歌にもみもろをすゑなど詠める皆此類也。然れば上代の古語に、神に奉る神酒を設ける處をいはひべといひしなり
竹玉を 仙覺抄に、陰陽家に祭りの次第を問ひ侍りしに、たかたまといへるは、我朝の祭の中に、昔は竹を玉の樣にきざみて、神供の中にかけて飾れる事有となん申。且たけたまとは云はず、たか玉と云と答へし由注せり。いかさま有べき事ならんか。然れ共、陰陽家は元來道家と云ひて、我本邦の神祇神祭の事を傳ふる家にあらざれば、此説本邦の古記證明無2所見1故、本儀とも難v決。よつて宗師案には、本邦の古實は鈴を玉として、神を祭れる事あれば、この竹玉の二字は、鈴玉の義訓に書きたるにやあらん。若し小竹と書きてしのとも讀み、しのはすゞとも讀めば、その略書にてすゞたまと読むべきこと也。此説古實に疎き人は心得難からんずれとも、神代の古風、上古の古事を考ふれば、鈴玉の訓書と見ること甚當理ならんかし。下の繁爾貫たれも別に案ある事也。是も上に引ける神代の日神を迎へ祭れる時の神事、上枝懸2八坂瓊之五百箇御統1とあるの遺風也
繁爾貫垂 歌の詞、此集中凡て其縁詞を不v離事を專とする習あり。よつて此しゝにぬきたれと有も、すゞ玉をすゝにぬきたれといふ義と見ゆる也。神代上卷岩戸の段に語例ありて、神祭の義なればすゝ玉をすゝに貫きたれと讀めるなるべし。しゝはすゝ、しぬと同じ詞也。しげにぬきとは、語例句例も無き詞なり。しゝにと詠める點は、尤然るべし。しゝはすゝ、しぬと同じ詞なれば、神代の五百箇のすゝの例をもて詠めると見えたり。すゝはすゝきの事、又しの竹のことをも云也。繁をしのとか、すゝとか讀まざれば此歌の次第不v濟也。いかにとなれば、上の白香木綿は賢木に付とよみて中に齊戸の事を云、句を隔て竹玉をぬきたれとは、何に貫きたれる事にや。これ貫きたれるもの無ければ、繁爾と云はすゝか、しのにて無くては不v叶義なり。然れば坂木としのとをもて、神を祭るの具相備ることを知るべし
十六自物 前にも注せる如く、しゝのかしこまりおそれて、膝を折て伏したる樣に、神を伏し拜むとの事なり
手弱女之 郎女の自身の事を云へる義也
押日取懸 押日は上着也。制未v考。男女ともに、上に着する衣也。うはおそひといふ是也。女服に限りたる樣にいふ説あれども、日本紀古事記によれば、男女の服と見ゆる也。〔古事記中日本武尊と宮簀姫との唱和に意須比能須蘇爾とあり。又日本紀(313)仁徳卷四十年の條の歌に、ひさかたの、あめかなはだ、めとりが、おるかなはだ、はやぶさわけの、みおすひがねと有〕
如此谷裳 かやうにもといふ義也。前段々と述べ來れる如くに、神祭をなしてといふ義也
吾者折奈牟 此折の字、重覆の無點本の第四巻目は悉三巻目の歌也。然るにその重覆の無點本に、此折の字祈の字なり。重覆のの益此一字也。先達諸抄にも是を不v考故、皆をらなんといふ點をなせれども祈の字にあらざれば聞得難ければ、決而祈の字と見ゆる故、當家の傳にはこひなんと讀む也。祈の宇はいのりとも、ねぎとも、のみとも讀まるべけれど、反歌乞の字を書きたれば、こひとは讀む也。偖このこひ奈牟といふ義、兩義とも三通にもよみ解かるゝ義ありて、いづれとも一決し難き也。いかにとなれば奈牟の字は左注の意によれば、大伴氏の神祭るとき、坂上郎女いさゝか此歌を作れる趣にて、身にとりて神祭をなしてよめるとは不v聞。同氏の男子先祖の神、或は詔神を祭れる折節、思ふ人に不v相ことを歎きて、かく祭れるごとくに、われも神に祈らなんと願ふ歌と見ゆる也。このなんと云は、われも君にあふ事を、前段々の神祭の次第の通執行にて祈らなんと願ふ詞と見る意也。又義は如v此だにもわれはとある詞は、直ちに郎女かやうにだにこひのめども、その神靈の君にあはぬかもと、君といふは直ちに祭るところの神をさしていへる義にて、その時の奈牟はなもといふ詞と見る義あり。これは本集に神祭歌と標せし儘に隨ひての見樣也。古注者所見ありて年月迄を注しておきたれば、兩義いづれとも難v決歌也。だにといふ詞はもといふ詞に通へる也。かやうにもといふ意也
君爾不相可聞 此きみとさせるは、前に注せる如く、祭るところの先祖の神靈をさしていへるか。又思ふ人ありていへる歟。兩義と見ゆる也。思ひ慕ふ人に不v相故に、如v此神祭をもなせる歌とも聞問え、又こひ慕ふ人に不v相故、神祭の時にあたりて、男子の神祭をなせるを見て、われも女ながら如v此にも祭らんならば、人にあふ事もあらんやと歎きて詠める歌歟。いづれとも決し難き歌也
反歌
380 木綿疊手取持而如此谷母吾波乞嘗君爾不相鴨
(314)ゆふだたみ、てにとりもちて、かくだにも、われはこひなん、君にあはぬかも
木綿疊 此ゆふだたみといふ事、古來不v濟事也。然れども後世の遺風ある物をもて相考ふるに、これは上古神を拜する時、平伏してぬかづく所にしけるものと見えたり。然れば木綿にてしたるたゝみといふ意にて、今なづらへ云はゞ風呂敷の如くなるものなるべし。佛家には座具といふといふものあり。此類なるべし。畢竟木綿は清淨のもの故、旅行などにて、神を拜し迎ふる時それを前に敷て、その所へ神を迎へておかむ爲に、人々手にかけて神に迎へたるものと見えたり。今の俗、神を拜するにあふぎを披きて、前に置、それにぬかづく事はこれ木綿だたみの遺風なるべし。此集中に五首あり。手向と續きて、旅行の時の歌に多く詠めり。此歌は神祭の當然の歌なれども、神祭の具、木綿だたみといふものある故、如v此詠めるなるべし
歌の意、長歌の意と同じき義に見ゆる歌也
右歌者以天平五年冬十一月供祭大伴氏神之時制作此歌故曰祭神歌
みぎのうたはおもんみるに、天平五年ふゆしもつきおほともうぢのかみをいはひまつれるとき、いさゝかこのうたをつくる、かるがゆゑにかみまつりのうたといふ
これ古注者かんがふる所ありて、大とも氏の祖神をまつれる時と注せる也
聊作此歌 いさゝかといふ義、此處にすこしかなはざる文也。こゝの意にては、わづかにといふの意に書きたると見えたり。本集の端作りには、大伴坂上郎女祭神歌と標せしかども、神を祭る歌の意には聞えず。後世の題にていはゞ祈戀抔ともいひつべき歌に聞ゆる故、古注者も如v比の注を加へたる歟。此注の意は、郎女實に神をまつるにはあらで、祭の時にあたりて、郎女の思ひをはづかに述べたる歌と見たる注也。歌の處に注せる如く、右の歌の意兎角一決し難き也。よつて兩義に注し侍る也
筑紫娘子贈行旅歌一首
つくしのいらつこたびゆく人におくるうた一首
筑紫娘子 傳不v知。古本には一首とありて、小書に娘子字曰兒島、如v此注せり。古注者の加入と見えたり。普通の印本等に(315)は不v見。奧に至りて、此兒島子の事入れたる歌あり
381 思家登情進莫風俟好爲而伊麻世荒其路
いへおもふ、とごころすゝむに、かぜまちて、よくしていませ、あらきそのみち
登情 此集中多き詞にて、とこゞろとは事に早まる事を云義とも聞ゆれども、發語と見るも然るべし。海路の旅行にて、古郷の家などを思ひ慕ひ、風波の荒きをも厭はず、心を早め進めて、怪我過ちなどをすな、時日をもよく見合て旅行をし給へと、示したる歌也。或抄に情進の二字を、さかしらと讀むとの説あれども、此點心得がたし。さかしらとはかしこだてをするをいふ義也。こゝにはあはぬ義也。理を付けていへば云はるべけれど、言葉を添へ、まはり遠に注せざれば聞え難し。失張とごころと古本印本にも讀み來れる通然るべし
伊麻世 出座といふ義にも聞え、また伊は發語にて、たゞ何事も、よくとゝのへてましませとの事と見てもよき也
荒其道 そのとさしたるは、その處々あやうからん道にて、と心を進むなと示して旅行の行先を思ひいたれる歌也。此句は少つまりたる樣なれども、此集第四卷の歌にも詠める詞也
すはうなるいはくに山を越えん日はたむけよくせよあらきそのみち
如v此句例あり
登筑波岳丹比眞人國人作歌一首并短歌
つくばねにのぼりてたぢひのまつとくにひと作歌一首ならびに短歌
筑波岳 常陸のつくば山の事也。岳の字は倭名鈔卷第一地部云、嶽、蒋魴※[土+力]、韻曰、嶽、高山名也。五角反宇亦作v岳云々。唐土の大山の名に用ゐたる字也。通例はをかとも訓ずれど、此義未v詳。こゝはたけとか、ねとか讀まむ爲に、此字を書きたると見えたり。尤筑波の大山をしらしめんとの意にも書きたる歟。ねと云はみねと云義なれ共、山の惣名をいへる義と見ても苦し(316)かるまじき歟。陽成院の御製に、つくばねのみねと詠ませ給ふも、ねは惣名と心得させ給ふ御歌と奉2拜聞1らるゝ也。さなくては、此御詠のみねよりと重ねて詠ませ給へる義濟がたし。よりて此端作りもつくばねにのぼりとよむ也。たけと讀みても然るべからんか
丹比眞人 丹比は氏也。眞人はかばね也
國人 傳不v知也。國人常陸のすけなどに任じて、在國せし時詠める歌と聞ゆれども、國史にも國人の傳不v見也
382 鷄之鳴東國爾高山者左波爾雖有明神之貴山乃儕立乃見果石山跡神代從人之言嗣國見爲筑羽乃山矣冬木成時敷時跡不見而徃者益而戀石見雪消爲山道尚矣名積叙吾來前二
とりがなく、あづまのくにゝ、たか山は、さはにあれども、ともかみの、たふときやまの、ともだちの、みぐはし山と、神世より、ひとのいひつぎ、くに見する、つくばの山を、ふゆごもり、ときじくときと、みずていなば、ましてこひしみ、ゆきげする、山みちすらを、なづみぞわれこし
※[奚+隹]之鳴東國爾 とりがなくと云義、第二卷目人丸の歌に注せり。東國の冠句也。あづまのくにの事も前に注せり。ひがしのくに/\にたかき山はあまたあれどもと也
明神之 是を古本印本等に、てる神又あきつかみなどよめり。歌の全篇を不v弁故歟。此所にてるあきつ神といふ義はより所なき句、不v續句也。筑波山はをつくば、めつくばといひて、二山相共に立ならべる山と傳へ來りたり。よりて此明の字は、朋の字の誤りにて、とも神のとよめる義也。相共に立ちならべる山をさして、とも神と也。山川を直に神と指す事は不v及v注。前にも皆例ある事也。已に次の句にも、詞の縁につれて、儕立のとつゞけたり
果石山 これを見かほし山と讀めり。よき山の男女立ちならべる山故、見まほしきといふ義にて、見かほしとの説あれども此句も心得難く續かぬ句也。これは果《クハ》の字の音を、借訓に讀ませたる義と見ゆる也。見ぐはしといふはまぐはしにてみといふても、まといふても同詞故、見の字にて、みとよみても意はまぐはしといふ意にて、まぐはしとは賞美の詞、前にも幾度か注(317)せる古語也。是までは皆つくば根をほめたる詞也
言嗣 代々人々いひつぎ傳へて、名高き名山と也
國見爲 高山故、此山に登りて、その一國をふせり見ると也。代々云つき傳へて、此國の守ともなれば、此つくば根に登りて國見をすると也
冬木成 此下に、春なに/\といふ句を脱したりと見ゆる也。冬ごもり春さりとか、春にもとか兎角春と續く冠句なるに、時じく時と云へるつゞき不v濟句也。句意もいかにも不v通。然れば時の字、晴といふ字にて、何とぞいへる句を脱せりと見ゆる故、此以下の句解釋なり難し。下の句にも、春の頃登山をせし歌の意なり
益而戀石見 國の守ともなりて、此山に登りて國見をもせずして、他の任國にもうつりゆかば、遣念にてわびしく、なやましからんとて、雪どけして登り難き山路をも登ると也
雪消爲 此句を見れば、前の脱したる句に、春のことを詠み入れたると見えたり。雪げするとは春は雪どけにて、山路はいよ/\通ひ難きものなれば、それをすら厭はで、行きなづみて登山すと也
吾來前二 古本印本等われ來さきにと詠めるは、何の考案も無き點なり。此集中に重二と書きて、四と讀ませたり。此も前の字は、并の字の誤にて、并二と書きて四とよませたる義なるべし。よりて當家の傳には、此四字をわれこしと讀む也
歌の意、はじめには、筑波ねの男女山とならび立てることをほめて、高き山と云事をのべ表して、代々云つぎ傳へて、國見をする山故、國人も國見せんとて春の雪どけの頃、險難の山路をなづみつゝ登りこしと也
反歌
383 筑波根矣四十耳見乍有金手雪消乃道矣名積來有鴨
つくばねを、よそにのみ見つゝ、ありかねて、ゆきげのみちを、なづみきたるかも
歌の意は、つくばねの名高き山を、平生よそに見なしてはあり難き故、今登り見んとて、雪げして山路の滑らかに登り難きを(318)も厭はで來ると也。なづみとは容易く登り難きことを云也。雪どけの頃なれば山路滑らかにして、こゝにとゞまり、かしこにたゝずみなどして、たやすく登り得難きことをなづみとは云也
山部宿禰赤人歌一首
384 吾屋戸爾幹藍種生之雖干不懲亦毛將蒔登曾念
わかやどに、からあゐはやし、かるれども、こりずてまたも、まかんとぞおもふ
幹藍 和名本草に、※[奚+隹]冠草、和名加良阿爲
種生 古本には蘇生と書けり。同じ意なるべし。種生蘇垂共にはやしと義訓に讀む也
歌の意聞えたる通也。何とぞよそへて讀みたる意あるべけれども、標詞にも不v顯は、たゞこのまゝ見置也。赤人の意には、何ぞ下心ありて讀めると見ゆる也
仙柘枝歌三首
やまびとつみえのうたみくさ
仙柘枝 吉野の仙女の名也。柘と云木は似v桑刺ある木と云傳へり。未2考見1。倭名鈔卷第廿六木類部云、玉篇云、桑柘、音射、漢語抄云、豆美、蠶所v食地。上古何の時代にかあるらん。つみえといへる仙女吉野にありしと見えて、此集にもかく載せたり。仙女の詠める歌にはあらず。かの仙女つみえのことを詠みし歌也
懷風藻贈正一位太政大臣藤原朝臣史五首之内五言、遊2吉野1二首句云
飛v文山水地。命v爵薛蘿中。漆姫控v鶴擧。柘媛接莫v通
煙光巖上翠。日影※[さんずい+緡の旁]前紅。翻知玄圃近。對翫入2松風1
如v此上代の詩にも、柘媛と被v作たれば至而上古の仙女と見えたり。續日本後紀卷第十九仁明天皇嘉祥二年三月、南都與福寺の僧の奉奏賀長歌にも、此柘媛の事に似たる趣あれども、これは天女とある故、慥に此仙女の事とも不v見也。たゞし仙女の事(319)をあまつをとめとも讀みたるや。此義は不v祥也。史公の漆姫控鶴擧とある句は、後紀の長歌に詠める趣に相かなへる也。然れども是は柘とは別人の事と見えたり。是柘枝か傳昔はありしと見えたれども、今は世に絶えて知る人も無ければ、いかにとも難v考也
385 霰零吉志美我高嶺乎險跡草取可奈和妹手乎取
あられふる、きしみがたけを、さがしみと、くさとるかなわ、妹がてをとる
霞零 此あられふると讀みたるは、きしみがたけの山路のあらくけはしきことを兼ねて、あられとよみ出でたると見えたり
吉志美 通例の本には、美の字を脱せり。一本にはこれあり。殊更此歌肥前風土記にも見えたり。其歌にも耆資態加多※[土+豈]塢とあれば、決してしの字を脱せりと見えたり。よりて今之を加へて記せり。倭名鈔卷第九國郡部云、肥前國杵島郡木之萬郷の名にもあり
高嶺乎 肥前風土記に、假名書にて右に記せる如く、多※[土+豈]塢とあれば、高嶺の二字たけと讀むなり。倭名鈔卷第一地部云、嶽蒋魴※[土+力]、韵日、嶽、高山名也、五角反、又作v岳、訓與v丘同、未詳、漢語抄云美太介
草取可奈和 一本には草取所奈と計あり。風土記には區縒刀理我泥底、如v此あり。いづれを正義とも難v考。先づ此本の儘にて釋せば可奈は兼也。和は吾也。然ればきしみがたけを登るに險難の地故、草をとらへ妹が手をもかねてとるとの義と聞ゆる也。さかしき山路故、いもをたすけて草をとりかねて、われは妹が手をとらゆるとの歌也。一本の草取所奈妹手乎とあるに從へば、草はとりそな、いもが手をとれと下知したる意と見ゆる也。此本の意は風土記の意は同じく、かねていもが手を取とよめる意に聞ゆる也。いづれにまれ、歌の意はきしみのたけはさかしき故、妹に怪我過ちなからん樣に、又草をもとらへ、又かねて妹が手をもとるとの義と聞ゆる也
此歌は左注、味稻與柘枝仙媛歌とあり。兩人とも吉野に住めるものなるに、はる/”\と肥前國のきしまがたけを詠める意、いかなる所以とも知れ難し。風土記に此歌を載せたるは、木島嶺を詠める上古の歌故、閭士女、春秋の樂飲の歌舞の曲となせる(320)事実を記したるもの也。男女携v手登山する時のことにかなへる歌故、此歌を歌舞の曲とはなせると見えたり。至つて古き歌と知るべし
肥前國風土記云、杵島郡縣南二里有2一孤山1、〔從v坤指v艮三峯相連、是名曰2杵島1、坤者曰2比古神1、中者曰2比賣神1、艮者曰2御子神1【一名耳子神、靱則兵與矢、】閭士女提v酒抱v琴毎v歳春秋携v手登望、樂飲歌舞、曲盡而歸。歌詞云、あられふる、きしまがたけを、さかしみと、くさとりかねて、いもがてをとる【これきじまふり】〕
右一首或云吉野人味稻與柘枝仙媛歌也但見柘枝傳無有此歌
みぎひとくさ、あるにいはく、よしのゝ人うましね、つみえのやまひめにあたふるうたなり。ただしつみえがつたはりのふみを見るに、このうたあることなし
右古注者の注釋也
味稻 何時代の人とも不v知。尤傳系考ふる所無し。上古吉野川に釣杯を業として居れる人歟。懷風藻云、大宰大貳正四位下紀朝臣男人三首、七言、遊2吉野川1
方丈崇巖削成秀、中畧 留斂美稻逢2槎洲1
同云從三位中納言丹※[土+穉の旁]眞人廣成三首、五言、遊2吉野山1
山水隨v臨賞、巖谿遂望新、中畧 栖2心佳野域1、尋2問美稻津1
七言、吉野之作
高嶺嵯峨多2奇勢1、【中畧】美稻逢v仙月冰洲
從五位下鑄錢長官高向朝臣諸足五言從2駕吉野宮1
在昔釣魚士、方今留風公、彈v琴與v仙戯、投v江將v神通、柘歌泛2寒渚1【中畧】駐v蹕望2仙宮1
右詩章皆味稻の事を作れると見えたり。遠くその聞えある人と見えたり。美も味も音通じ訓も皆うまと讀める事、日本紀已下古記に見えたり
(321)與柘仙媛歌也 古注者有2所見1右のきしみがたけの歌、味稻の歌にて、柘枝仙女に與ふる歌と知れり。然れば右の歌に、妹手乎取とあれば、柘枝仙媛をさして詠めると見えたり
但見柘枝傳無有此歌 古注者の時分までは、柘枝が傳と云記ありと聞えたり。今は絶えて無き書也。彼の傳に右歌不v載と也
386 此暮柘之左枝乃流來者梁者不打而不取香聞將有
このくれに、つみのさえだの、ながれくるは、やなはうたずて、とらずかもあらん
此暮 此夕部といふと同じ
梁者 倭名鈔卷第十五魚釣具部云、魚梁、毛詩注云、梁、音良、和名夜奈魚梁也。字書曰、魚梁、堰石障v水而空2其中1以通2魚之徃來1者
不取香聞云々 やな不v打して魚をもとらずあるか、如v此柘枝の流れ來るはと云意と聞ゆる也
此歌の意は柘の左枝とは仙女つみ枝がことをなぞらへて云ひ、やなは不v打てといへるは、味稻かことを云へるか。此夕に柘の枝の流れくるは河上に梁を不v打故、柘枝のかく流れくるかとの意に間ゆる也。柘枝傳を不v見。歌の意も解釋し難き也。流れくるとは、吉野川の事をいへるにやあらん
右一首 此下無詞諸本同
此七字は古注者の文にあらず。後人の加筆也。本書に作者を脱せると見えたり。誰人の歌とも難2考知1也
387 古爾梁打人乃無有者世伐此間毛有益柘之枝羽裳
いにしへに、やなうつひとの、なかりせば、こゝもあらまし、つみの枝はも
古爾梁打人 これは味稻のことをいひたるにやあらん。又すべての釣梁を業とする人をさせる歟。たゞし梁には柘を用る木故か。いづれの事とも難v決也。先は凡ての魚梁を業とする人を指したる義と見ゆる也
此間毛 こゝたくもの意也。只あらましと也
(322)柘之枝羽裳 仙女の名柘枝といへる故、木の柘になぞらへていへる也。梁には柘の木を用ゆる故、如v此よめるか。仙女柘枝と味稻との事に付、何とぞ古事もあるか。風藻の詩句を見るにも、其趣の意聞ゆる句あり。柘媛接魚通とあり。或は在昔釣魚士、方今留風公、云々。か樣の句をもて見れば、古事ありし樣に聞ゆる也
一連の歌の意は昔よりやな打人の無くば、柘の枝は榮えて繁茂してあらんに、やなにとりて打ちたる故、今は無きといへる意也。羽裳と云へるは枝はといふ義也。裳は助語、又嘆の言葉とも見ゆる也
右一首若宮年魚麻呂作
みぎひとくさ、わかみやのあゆまろつくる
若宮年魚麻呂 傳不v知
※[羈の馬が奇]旅歌一首并短歌
たびのうたひとくさならびにみじかうた
此※[羈の馬が奇]旅の歌注、何方よりいづれの國に行く時とも知れ難し。尤左注にも作者不審と注せり
388 海若者靈寸物香淡路島中爾立置而白浪乎伊與爾回之座待月開乃門從者暮去者鹽乎令滿明去者鹽乎令干鹽左爲能浪乎恐美淡路島礒隱居而何時鴨此夜乃將明跡待從爾寢乃不勝宿者瀧上乃淺野之雉開去歳立動良之率兒等安倍而※[手偏+旁]出牟爾波母之頭氣師
わたつみは、あやしきものか、あはぢしま、なかにたておきて、しらなみを、いよにめぐらし、ゐまちづき、あかしのとには、ゆふされば、しほをみたしめ、あけぬれば、しほなほさしめ、しほさゐのなみをおそれみ、あはぢしま、いそがくれゐて、いつしかも、このよのあけむと、まつからに、いのねられねば、たきのうへの、あさのゝきゞす、あけぬとし、たちさわぐらし、いさこども、あへてこ(323)ぎいてむ、にはもしづけし
海若者 わたつみの神靈はといふ義也
靈寸物香 あやしきとは、賞讃したる詞也。思ひはかられぬ靈妙不可思議のものかなと、歎賞したる義、ものかの香はかなにて歎の詞也
中爾立置而 海中に一島のそびえたちたる如くあるは、いかさまにも怪しく不思議なる事と感じて也
伊與爾囘之 いよゝかなど云て、和文にもいひならはせり。いよゝかといふ意は森の宇をも訓せり。森などの盛に高く見ゆる如くに、白きなみの島のめぐりにそびえて見ゆると云ふ義をいよにめぐらしと也。なみの高くさかんに、島のめぐりに立ちそふ景色の絶妙なるといふ義也
座待月開乃 ゐまち月は十八夜の月をいふ。日くれてしばらく座して待程に出る月故、居まち月とはいへり。十七夜は立待の月、十九夜はねまち月といふ。皆出來る月を待程の事に付ていへる名也。此居まち月其時の事實を詠めるか。旅行の節十八日などにてありし故詠めるならん。尤あかしとうけん爲の冠句なれども、その時たま/\十八日なりし故なるべし
暮去者 くれぬればしほをみたしめ、鹽は陰即月に隨ひて滿干あるものなれば、あさなぎてといふて、朝は鹽ひ波風も靜に、夕は鹽さし滿つるもの故、如v此よめり。尤文をたがひに詞の花に如v此よめり
明去者 あけぬればしほをほさしめ、上にみたしめと讀みたれば、これの對の詞に、くれあけと朝夕の事を讀みて、畢竟あはぢはりまの海路、島礒の風景の事を讀みたる也
鹽左爲能 第一卷にもある通り、左爲はさわぎ也。しほさわぎと云義也。波風など荒くて、海上のあれたることを云へり。しほをほさしめしほさゐとつゞかぬ義、朝なぎにしほさわぎとは、いかゞいへる不審もあるべけれど、上の句はあした夕を對にいひたる義にて、此句は別に下へ續く句と見るべし
浪乎恐美 鹽さわぐ故、あらき波のたちさわぐを恐れてと也
礒隱居而 鹽さわぎにて、波のあらく海上あるゝ故、あはぢ島の、礒邊にかくれて宿れると也
(324)待從爾 從の字を、此集中に毎度からと讀ませたり。からとは待故にといふの意、たゞまつにといふの意とも見るべし
寢乃不勝宿者 鹽さわげば海上あるゝなれば、波の早きを恐れて、磯邊に宿り居て、夜の明くるをまてば愈寢られぬと也
瀧上乃淺野 淡路島の内にある地名也。それに朝野を詠みかけたると見えたり
雉開去歳 雉は朝に早く鳴くもの故、朝の野のきゞすとうけたる也。毛詩の雉之朝※[口+句]と云句などをもおもひよりて、詠めるなるべし。歳は助語也。たゞあけぬとてと云義也
立動良之 夜明ぬと、雉も立ちさわぐらしと也
率兒等 旅行に隨身のものを指して也
安倍而 敢而也。すゝんでといふの意也。前によわたる月にきほひあへんかもといふの、あへも同じ意也。果してといふ意に同じ。或抄共にはあへぎての略といへるは心得難し。いさすゝんで今こそこぎいでんなど云如きの意也
爾波母之頭氣師 夜あけぬれば、例のあさなぎにて海上も靜かなる程に、ともなふ兒等いさや今こそと、こぎ出なんと也
歌の意所々の句釋にてきこえ侍るべし
反歌
389 島傳敏馬乃埼乎許藝廻者日本戀久鶴左波爾鳴
しまづたひ、みぬめのさきを、こぎまへば、やまとこひしく、たづさはになく
敏馬乃埼 前に注せり
歌の意、海路の旅行心細き折しも、たづの聲などをきゝて、感慨を發し、古郷の戀しく慕はるゝ意を述べたる也。船と云義は句中に見えねど、こぎまへばといへるにて、船中のことゝは知るべし。前の本歌にもこぎ出でんと詠めるも、船の句はなけれど通じてきこゆる也。この作例何程もある也。然れども今時の風格にはいかゞ侍らんか
右歌若宮年魚麻呂誦之但未審作者
(325)みぎのうた、わかみやのあゆまろこれをよむ、たゞしつくるものいまだつまびらかならず
誦之 年魚麻呂ずんし詠みたる也。自身吟詠せるにはあらず。他人の詠めるを口ずさみによみたるを誦v之と云へり。今ずんずると云此事也。作者は誰れとも難v考。已に古注者すら如v此の左注也
譬喩歌
六義にていふ興の歌也。かれをもて、こなたのことに譬へて思ひを述ぶる歌也
紀皇女御歌一首
紀皇女の御事は、第二卷にて委しく注せり。天武天皇の皇女也
390 輕池之納回往轉留鴨尚爾玉藻乃於丹獨宿名久二
かるのいけの、うちをゆきめぐる、かもすらに、たまものうへに、ひとりねなくに
輕之池 前に注せり。大和也
納回 これをいりえと讀ませたり。池に入江といふこと心得難く、又回の字の音をゑと用ゆる時はおくのゑ也。入江のえははしのえなり。然れば古書さやうの假名違の詞は無き事なり。よりて當家の傳には、うちをとよむ也。納内は相通じて、うちともいるゝともよむ也。回の字をてにはのをに用ゆることは、音借訓にて、日本紀神代の上卷素戔嗚尊の八雲の御歌の假名、終の句のをに被v用たり。此義を考へ心付く人稀也。廻の字を被v用たり。此回の字も、一本には廻の字に作れり。同事ながら日本紀の通に用ゐたるものと見る爲の證に、一本の廻の字を正本と見るべし。已に仙覺抄に、廻の字に作り、廻るの字ををと遣ふことは、アイウエヲのヲとワヰウユオノワと通ふこと、古記にまゝ見えたり。此廻の字も、ワといふよみある故に、乎に通ぜると見えたり
歌の意きこえたる通也。池の内をゆきめぐる水鳥の鴨すら、玉藻の上に雌雄羽をかはしてねるに、われはかたらふ人も無く、(326)ひとり寢ると、かもにたとへて我身の上の義を恨みて詠み給へるたとへ歌也
造筑紫觀世音寺別當沙彌滿誓歌一首
つくしのくわんぜおんじをつくるべつたうさみまんせいうたひとくさ
造筑紫觀世音寺 續日本紀第四元明天皇和銅二年の條に營作を令せらるゝ事見え、又同じく續紀元正天皇養老七年二月の條に丁酋勅2僧滿誓1【俗名從四位上笠朝臣麻呂】於2筑紫1令v造2觀世音寺1云云とあり
別當 職號也。惣而其官司の第一の人を云也。本朝文粹(以下ナシ)
391 鳥總立足柄山爾船木伐樹爾伐歸都安多良船材乎
とぶさたて、あしがら山に、ふなきゝり、きにきりよせつ、あたらふなきを
鳥總立 此集中第十七卷目の歌にもあり。登夫佐多底船木伎流等云々。後撰集〔後拾遺和歌集戀部輔親歌にも、わが思ふ都の宮のとぶさゆゑ君もしづえのしづ心あらじ。〕此とぶさたてといふ事、斧の事といふ説あり。また古説に、草木の末をとぶさといふとの義もあれど、語釋濟みがたき説なり。八雲御抄の御説にも、伐木の末を立て、山神を祭る義とあり。此御説相かなへる義ならんか。師案には、ともぬさ立といふ義なるべしと也。ともはむなり。むはふ也。夫といふ濁音はむなれば、ともぬさの略語と見ゆると也。御抄にも伐木の末を立て、山神を祭る義との御説なれば、義相かなへるならんか。又はふはぬなれば、とは發語にてたゞぬさ立といふ義歟。右兩義と見る也。いづれにまれ、杣人の山神を祭る事をいへる義也。古へ材木を伐るにも木の末をぬさとして、山神を祭る也。今とても杣人など木を伐り初めるには山入と云て、御酒を山人に供へて、あとを頂戴するなど云事あるも古の遺風なるべし
足柄山爾 伊豆國也。仙覺抄には木をきり、そのきりくずをあかしといふにより、とぶさはまさかりの事、其まさかりにてきる木のあかしといふ義に、あしからとつゞけたるとの事は、いかにとも心得難き注解也。十七卷に、能登のしま山ともあれば にはあらず。いづかたにても、繁茂したる山より伐り出せる處の當然を詠める義と見ゆる也。尤伊豆國(327)は船を作れる古例の所以もあれば、あしがら山は高山、しげれる山故、如v此よめる歟。船木は大木の杉を用意ゆるなれば、能登のしま山、此あしがら山、古大木の杉多くありしゆゑ、伐りたるときこえたり。その時代の事實と見るべし
樹爾伐歸都安多良船材乎 船に造る木は、山にて伐る時も、外に障る事を忌みける也。これは海路にて、船のものにさはれば反覆することをを忌みて也。切角船木にせんとて、伐りても外の木にかゝりよれるは、忌避けて不v用故、あたら船木乎とは詠める也
歌の意は、他覺抄には戀歌の樣に釋せられたれど、滿誓歌とあれば、此釋は心得難し。笠朝臣麻呂ともあれば俗の時の歌にもあらん。されば戀歌とも見らるべき歟。標題に別當沙彌などあれば出家の後の歌ときこゆる也。然らば唯その當然のものゝたとへと見ゆる也。譬へば觀世音寺をつくるに、外方の役にも不v立木をきりあつめたる當然を譬へいへる歟。又足柄山にて船木を切るを見て、外に何ぞ譬へ思ふ事ありて、かく答へたる歟。たとへたる意は、いかにとも難v知ければ注しがたき也
太宰大監大伴宿禰百代梅歌一首
だざいのたいけんおほとものすくねもゝよ、うめのうたひとくさ
太宰大監 太宰府の官人也。職員令云、太宰府、帶筑前。主神、一人云々。帥一人云々。大貳、一人云々、大監二人掌d糾2判府内審署文案1勾2稽失1察c非違u【中畧】小監二人、掌同2大監1
大伴宿禰百代 傳不v見
392 烏珠之其夜乃梅乎手忘而不折來家里思之物乎
ぬばたまの、そのよのうめを、たわすれて、をらずきにけり、おもひしものを
烏珠之 黒玉の事、うば玉といふ故、からすと云字を書きて、義訓には讀ませたり。凡てくらきくろきといふ冠句、よとつゞくるもくらきといふ義より、うば玉の夜とはつらねたる也。前にくはしく注せり
手忘而 手は發語也。手折といふことゝ同じ。手にて折るものなる故、かやうの發語はよく叶へり。發語を用ゆるにも、その(328)縁あることに使ふべき事也。尤發語冠句も、古詠の例格なくては不v用事也
思之物乎 手折らんと思ひしを、忘れたること也
此歌も何ぞ思ふ意ありて、たとへたるならんずれど、その意趣は知れがたし。先は女をこふ歌のたとへ歌なるべし。いかにとなれば、うめとよめるは、凡て古詠の格の妻といふ下心をふまへての句ときこゆる也
滿誓沙彌月歌一首
まんせいさみつきのうたひとくさ
393 不所見十方孰不戀有米山之末爾射狹夜歴月乎外爾見而思香
見えずとも、たれこひざらめ、やまのはに、いざよふつきを、よそに見てしか
不所見十方 月の光の見えずとも、誰れか月をこひ慕はざらんと也。山の端にほの見ゆれば愈々こひしく慕はるゝとの意也
孰不戀有米 誰れこひずあらめ、こふると也。すあの約言さなれば、こひざらめとはよむ也。月は誰れしもこふるものなるに、まして山の端に出かゝる月の光の画白き景色を、ほのかによそながら見しから、堪えがたく慕ふとの意也。いざよふとは欲v出の意なり。前に注せり
外爾見而志香 ほのかに見たるの意也。たとへば遠望などの氣味也。香は歎の詞、かなといふ義也。よそながらも面白き月かげの出でなんとするを見たるなれば、いよ/\月を慕ふとの意也
金明軍歌一首
かねのあきくさのうたひとくさ
金明軍 傳不v知。金は姓氏なるべし。明軍は名にて秋草に本づきて名付けたるなるべし
394 ※[仰の旁]結而我定義之住吉乃濱乃小松者後毛吾松
(329)しめゆひて、わがちぎりにし、すみのえの、はまのこまつは、すゑもわがまつ
※[仰の旁]結而 しるしつけてむすびおきし事也
我定義之 わがさだめてしなどよめる點あり。然れどもこれは戀歌のたとへ歌と聞ゆれば、契りにしとよむべき事可v然。尤古點にも、ちぎりにしと讀める點もあり。義之の二字をにしとはてには也。義の字の唐音をにいといふなり。又ぎといふ濁音は語釋の傳皆にと釋也。自然には本邦異國の音通ふこともある也。扨古は小松の末を結びて、ものゝしるしとしたることいづかたにもありしと見えたり。已に此歌もかくの如し。これ時の事實を詠める也。有馬皇子の初めて結び給へるにもあらず。上古のならはしに松を結びて、それにことをよせて、ちぎりおきし事ありと見えたり。今も邊土にては、却つて此事多くある由也。此定義之の三字もむすぴにしと義訓によむべき歟。しめゆひては、しるしをしての意にて、松に縁ある事なればむすびにしともよみたきもの也
小松者 幼稚の時約束せしといふ意なるべし。末かけてわか妻などにせんと、人の娘子などに契りおきしことを、松にたとへて詠めるなるべし
後毛 前にも注せる如く、松を結と詠みたれば末とよむべき也。のちと云縁は無ければ、木には末といふ詞縁ある也。岩代の結松は不凶の事によめり。此歌を見ては住吉の結松は、吉事のかたによむべき歟。住吉とよめるは、姫小松などいひて昔も松の名所と聞えたり
笠女郎贈大伴宿禰家持歌三首
かさのいらつめ、おほとものすくねやかもちにおくるうたみくさ
笠女郎 傳不v知。笠朝臣金村など同姓の婦人と見えたり。笠は氏也
大伴宿禰家持 續日本紀卷〔第三十八延暦四年夏四月條に、其名出づ〕
贈 笠女郎大伴家持をこひ慕ふて、おくれる歌なるべし
(330)395 託馬野爾生流紫衣染未服而色爾出來
つくまのに、おふるむらさき、きぬにそめ、いまだきぬとも、いろにいでけり
託馬野 近江國坂田郡にあり。紫の名所也。よりてつくま野を詠み出したるならん
批歌の意は、家持を戀したふ心をしのべども、たへかねて色にあらはれたるといふ義を、むらさきに染めたる衣にたとへたる也。紫の衣は、人にあへば色の變ずると云諺の古事などありてよめるか。尤むらさきは色の第一とするものなれば、かくたとへて女の事によめるか。きぬに染め未だきずと詠める意、別にわけあらんか。たゞ色に出にけりといふ事をいはんとての、序歌とも見ゆる也。尤紫を染むるには、その色を煎じ出して染むるならん。その衣に染めて未だきぬとは、たゞ色に出たる思ひにあらはれたることにたとへたる也。古今集戀、こひしくはしたにをおもへむらさきのねすりの衣いろに出なゆめ。これをはじめ、戀の歌に紫の色を詠める事古詠例多し。色の内の最上なるものから、かく詠みたるならんかし
396 陸奧之眞野乃草原雖遠面影爲而所見云物乎
みちのくの、まのゝかやはら、とほけれど、おもかげにして、見ゆといふものを
眞野乃草原 倭名鈔卷第五國郡部云、陸奧國行方郡眞野云々。白菅眞野といふは、攝津國大和の間なり。この卷の初めに見えたり
雖遠 みちのくにの眞野の原は、數十里を隔て遠けれども、心におもひ出て、面かげにしてまのあたり見ゆるに、まぢかくても相まみゆることのなりがたきことを譬へて恨みて詠める意也。これも古き古事などありて詠めるか。みちのくは遠國ならばさもあるべし。まのゝかやはらを詠み出せることも意知れがたし。みゆといふものをと詠めるは、これ古くいひふらしたる諺と聞ゆる也
397 奧山之磐本管乎根深目手結之情忘不得裳
おくやまの、いはもとすげを、ねぶかめて、かためしこゝろ、わすれかねつも
(331)奧山之 深き山といふ意にても濟むべけれど、此集中奧山と詠める歌多し。地名ならんか。いはもとすげを詠める、下のふかめてと云ふことの序と見るべし
根深目 ふかくちぎりかはせしことのありしと聞ゆる也
結之 これをかためしと讀むべし。結の字かたねると讀むは古訓なり。かたねるといふは、ものをとけぬ樣に結ぶこと也。江次第等に假名書にも見えたり。むすびと讀みてその義なれども、岩本と讀める縁にはかためしと讀むべき也。めもねも同じ
歌の意は、前かたに深くかはらじと契りかためし情は、今なほ忘れぬと也。皆これ物に比喩して讀める歌也
藤原朝臣八束梅歌二首
八束 後に號2眞楯1。贈正一位太政大臣房前公の子。續日本紀聖武紀云、天平十二年正月戊子朔庚子、正六位上藤原朝臣八束授2從五位下1。天平寶字四年名を眞楯と改む
398 妹家爾開有梅之何時毛何時毛將成時爾事者將定
いもがいへに、さきたるうめの、いつも/\、なりなんときに、ことはさだめん
何時毛々々々 いつにても/\といふの義也
將成 花ばかり咲きたるにては、末かけてとげん事も定め難ければ、實のなりなん時に、末とけての契りを定めんと也。なりなんとは、婚姻の調はん時にといふ義を、下に含みて云へる也。昔は凡て婚姻の事をなるならざるとは云ひしなり。表は梅に譬へて實の事にいひなしたる也
事者將定 表の意は、若木の梅は花のみ咲きて、容易に實はなり難し。その實のなりし時に、まことの治定を定めんとの事也。凡て女の通稱を兒といふ故、その事と又兒といふ義をかねて也。下の意は當然の花の色にめでて、云かはす事は頼み難きものなれば、眞實の心のきはまり調ひたる時、一生夫妻とも定まることの契をなさんとの意也。然るに此歌の意をよく考吟するに(332)發句いもが家にと詠み出せし事は、定めんと云へること、身分の婚姻などの事にては無く、これは人のむすめを八束の嫁に貰はんとの約束の歌なるべし。家に咲きたる梅とあれば、先の、むすめのことを梅と喩へしと聞え、事者將定といへるも、此方の子とは定めんとの意なるべし。然れば歌の意、先の娘未だ少年などにてある故、已に婚姻もなるべき時節になりたれば、いつにても嫁と定めんとの意と聞ゆる也。次の歌の意も同じく其意と見ゆれば、兎角娘に貰はんとの事を喩へたる歌なるべし。尤發句に妹がとよめる處、少は不審なれども、全躰の歌の意、人の娘を貰はんといふ意と聞ゆる也
399 妹家爾開有花之梅花實之成名者左右將爲
いもがいへに、さきたるはなの、うめのはな、みにしなりなば、もとこにはせん
妹家爾 前の歌にも此五文字あり。誰人を指したるとも知られず。前にも注せる如く、此妹と指したる所は人のむすめの事を云ひたるか。たとひ我妻の事にもせよ、又嫁の事にもせよ。兎角人のむすめの未だ不v嫁を、むかへ貰はんと云ふ歌と聞ゆる也。家に咲きたると云ふは、これその妹と指したる人の事にはあらで、そのむすめのことの樣に聞ゆる也。然れども喩へ歌故、如v此よめる歟
開有花之梅花 古詠には、如v此重ねて云へる事いくらもあり。然れども梅と詠めるは女の事故、その言葉に縁をふくめて詠める也。この花のうめの花とあるにても、兎角人のむすめのことに聞ゆる也
實之成名者 前の將成といふと同じく、この歌にて前の歌の意、實のなりなんといふ事と相兼合せて知るべし
左右將爲 古本印本等には、かもかくもせんと讀めり。尤左右の二字眞字伊物にも、かにかくとも讀ませたりt。然れども日本紀には、此訓不v見。もとことは讀ませたり。義訓にかもかくも、ともかくもとも讀まれまじきにもあらねど、古訓に從ふまじきや。かもかくもと讀む意は、實だに相定まりたらば、いか樣ともせんと云事に聞ゆれども、前にも注せる如く、これは我許の子にせんといふ義にて、嫁にとらんとの事をたとへたる歌ならんか。もとことは古訓といひ、歌の意、嫁にせさせよ、又わが妻のことにもあれ、女の通稱を兒といへば、わかもとすの兒にせんと云ふと見るによりて、當家の傳は、左右の二字はもとこと讀む也
(333)大伴宿禰駿河麿梅歌一首
駿河麻呂 續日本紀卷〔第十五天平十五年五月の條に其名出づ〕
400 梅花開而落去登人者雖云吾標結之枝將有八方
うめのはな、さきてちりぬと、ひとはいへど、わがしめゆひし、えだならめやも
梅花 五文字のうめと詠めるは、女といふ詞の縁をとりてなり。さくら花と讀みて同じ義なるべきを、梅と詠めるはこれ如v此のふまへによりて也
開而落去登 これは約束せし女の外へうつり行たると、人のいふ事に喩へたる意なり
吾標結之 標の字の事、第二卷にも注せり。ものゝしるし境目などの表に、木を立置くをしめと云也。物をじつと堅めることを、しめるといふ意も同じ義也。然ればこゝの意は、わか妻にもあれ、嫁にもあれ、一度しるしをさして堅めおきし人の、など外へうつり行かんや。わか約束せし人にはあらじ、人たがひなるべしとの意を、かく喩へたる也
枝將有八方 にあの約な也。意は枝にあらんや。わがしめゆひて約束せし人にはあらじと也。此枝とあるを見れば、これもむすめの事を詠める歟
大伴坂上郎女宴親族之日吟歌一首
おほともさかのうへのいらつめ、うからやからうたげするひ、によふうたひとくさ
大伴坂上郎女 大伴氏の郎女也。誰人の子とも傳不v知也。坂上は郎女の住所をさして記せり。坂上と云處に居住したる郎女故、如v此記せり
親族 むつまじきともがらともよむべき歟。日本紀等にうからやからと讀ませたれば、古訓に隨ふ也。宴は酒もりをして、歌を歌ひかなでて遊ぶ事なり。一門親類打寄宴をなせると聞ゆる也
吟歌 これは、我作れる歌をひたもの/\となへ歌ふたる義を云也。これをによふと讀むべし。古き點に片假名にて吟の字(334)にニヨフと付けたる點あり。みな人サマヨフのサを脱したるものと心得て、すませどもさにはあらず。によふと云古訓と見えたり。今も西國の方言には、人の煩ひなどにうめくことを、によふといふ也。これ古語也。によふと云ふ義は、なきよぶといふ義也。なきの約はに也。然れば歌を吟詠するも、昔はみな歌ひたるものなれば、今俗にいふうめく如くの音聲なるものなれば、吟の字を古くはみなによふと訓したると聞ゆる也。當集の歌、住吉のきしのはぎふににははさましをなど詠める歌あり。これも旅人と歌舞をなして、慰めましをといふこと也。歌を吟詠して舞曲などをせんといふことを、によふと云へるも吟の字よりいへること也。此宴は、駿河まろのかたへ娘を貰はんと約束せし折、一家一類のやからの祝宴などにもやあらん。郎女と云は娘の親、母の事ならんか。奧に至り大孃二孃とありて、姉妹ありし樣に見ゆれば、こゝに郎女とばかり記せしは、母親の事を云ひしものか。此義不審也
401 山守之有家留不知爾其山爾標結立而結之辱爲都
やまもりの、ありけるしらに、その山に、しめゆひたてゝ、ゆひしはぢしつ
山守之 これはすべて、山を守り領するものゝ事を云也。昔は諸國に、山守部といふものありし也。日本紀卷第十應神天皇五年秋八月庚寅朔壬寅、令3諸國定2海人及山守部1云云
結之 古本印本等には、ゆひのと讀めれど、ゆひのとは續かぬ詞也。過去の事を云ひしことにて、ゆひし也
此歌の意は、山守のありて領する山とも知らで、この山は、吾山なりとしるしのしめをたてゆへることのはぢを得たると也。その喩ふる意は、我夫にもあれ、むこにもあれ、それと定めんと約束せしに、外より聞けば、先だちて妻又は嫁ともならんときつと約束せし人のあるをも知らで、かく恥辱を得しと云へる義也
大伴宿禰駿河癖呂即和歌一首
おほとものすくねするがまろ、すなはちこたふうたひとくさ
即和歌 大伴氏打ち寄りて宴をなせしなれば、駿河麿も同じく宴席にありしと見えて、そのまゝ即席に返歌を作れると見えた(335)り
402 山主盖雖有吾妹子之將結標乎人將解八方
やまもりは、けだしありとも、わぎもこの、ゆひけんしめを、ひとゝかむやも
山主 守と相通じて、主の字を用ゐたり。尤も山ぬしともよむべきか。しかし主殿などいふ例もあれば、やはりもりと讀むべき事ならんか
盖雖有 けだしとは、たとひといふ意に用ゐたる也。外に約せる義は無けれども、假令ありともそなたと約束せしからは、誰れその約を變ぜんやと譬へ答へたる也
大伴宿禰家持贈同坂上家之大孃歌一首
おほとものすくねやかもち、おなじく坂上のいへのあねをとめにおくるうたひとくさ
同坂上家 大伴氏の娘にて、坂上といふ處に居任せられしと聞えたり
大孃 大とあれば、あねむすめの事と聞ゆる也。よりて義訓に姉をとめとは讀む也。この第孃又奧の二孃とある、二は次の字の意にて、兎角兄弟姉妹ありしと見えたり。前の郎女とはこれ母親の事なるべし。然れば家持は姉を娶り、駿河麿は妹を娶りたるか
403 朝爾食爾欲見其玉乎如何爲鴨從手不離良牟
あさにけに、みまくほりする、そのたまを、いかにしてかも、手にかれざらん
朝爾食爾 あけくれにといふ意也。又あしたくれにといふ意も同じき也
其玉乎 大孃を指して也。これ喩へ也
歌の意聞えたる通也。玉を娘に喩へていか樣にしてか、常住不2相離1なれそひぬらんと也。すあの約さ也。よりてすあらんをざらんとは讀む也
(336)娘子報佐伯宿禰赤麿贈歌一首
いらつこさへきのすくね、あかまろにこたへおくるうたひとくさ
娘子 誰人とも難v考。歌の次第によりて見れば、大伴氏坂上郎女歟
404 千磐破神之社四無有世伐春日之野邊粟種益乎
ちはやぶる、かみのみもりし、なかりせば、かすがのゝべに、あはまかましを
千磐破神之社 先は春日明神の社の事を云へると聞ゆる也。然れども春日社鎭座年月と、此娘子の時代と分明に前後の差別考へざれば、四所明神の事とも不v被v決。惣而その處にある、神のやしろを指して詠める歟。ちはやぶるの事は前に具らか也
社四 みもりしと讀むべし。上古は皆神の御座を杜と稱せり。若し杜の字をあやまりて、社に作れるならんか
春日之野邊粟種盆乎 神の社無くば、春日野に粟まかましを、其所を領し給ふ神のあれば、まかれぬと也。粟と詠めるは逢事によせて也。喩へたる歌は、先達而赤麿より此娘子にたはむれ言を云ひやりし、その返事と聞ゆる也。かく云ひわたり給へばぬしだに無くば逢ひもし、契りもかはさましけれど、そこには領する女のある故、中々逢ふ事は思ひもよらぬと云義を、あはぬ事を粟に喩へて詠める也
佐伯宿禰赤麿更贈歌一首
さへきのすくねあかまろ、さらにおくるうたひとくさ
佐伯 此姓の起は、日本紀景行卷に見えたり
赤麿 傳不v知
405 春日野爾粟種有世伐待鹿爾繼而行益乎社師留烏
かすがのに、あはまけりせば、まつしかに、つきてゆかましを、もりはしるから
此歌の意は、再答の意也。はじめに赤麿何かたはむれ言を、娘子の方へ云ひおくりし故、千磐やぶるの歌を詠みて報ひたるそ(337)の詞につきて、春日野に粟まけりせばと也。これは逢ふ事をもとめなさばといふ義を、粟まけりせばと比喩していへり
待鹿爾 古本印本等には、またんかにと讀ませたり。然れども、春日野は鹿の多くある處にて、粟はことに鹿の食み物なれば、粟をまかば、それを食まんと知りて、待つにてあらんといふことに、喩へたる歌なれば、まつ鹿にと下へつゞく詞をも、ふせたるものと聞えたり。よりてまつ鹿にと讀なり
一通の意は、逢はんことをもとめなさば、娘子の待つにてあらんにといふ義也。それを鹿の待つことに喩へ云へる也。今一義は、先鹿にといふの意をもかねたることゝ聞ゆる也。粟をまきたらば、先鹿の通ひて食まんと云意也。その鹿につゞきて、行かましをとうけたる詞とも聞ゆる也。古詠には、待、先の清濁にはかゝはらず、かねて詠める事此集中にもまゝ見えたり
繼而行益乎 つゞきて也。娘子の逢はんと待つならば、つゞきて不v絶通はんと云意也
社師留烏 古本印本諸抄物の點、やしろはしるをと讀めり。尤前の歌に社四とありて、やしろしと點せるも、此やしろはしるをといふ句も、古詠とても歌詞にあらず。社はもしくは杜の字の誤ならんか。尤社といふ字にても、もりと讀む事義訓なれば苦しかるまじきにや。よりて當家の傳には、もりはしるからと讀むなり。意は春日野の杜は知れたる處なれば、その所にいでませば、處をもたかへず、繼て出て逢はんにと云へる歌と聞く也。烏の字はからすと讀めば、故にといふ意にて、からとは讀む也
歌の意、尤もりはしるからと讀みて相通ずる也。或抄には、社はしるをと云ふは、春日明神も諫むる道ならねば、春日野に粟まけりともさして、咎めもあるまじければ、いであはんとのことゝ釋せり。しるをとは春日明神も此男女交際の道しるをと云義と釋せるも、あまり迂衍の説ならんか
娘子復報歌一首
いらつめまたこたふるうたひとくさ
右の如く、再答の歌、赤麿より詠みて贈れる、その又答へ也
(338)406 吾祭神者不有大夫爾認有神曾好應祀
わがまつる、かみにはあらず、ますらをに、とめたる神ぞ、よくまつるべき
認有 此とめたると云言詞、釋兎角いひとき難し。まづ從ひたるといふ意と見ゆるべし。古今集春部、たれしかもとめて折りつる春がすみ立かくすらん山の櫻を、これを初め、集共に何程も詠める詞也。もとめてと云ふ意にはあらで、そのものにより從ふことをいふ意也。此認有も赤丸により從へる神ぞといふ意也
歌の意は、赤丸の繼て行ましとあるに返して、そなたはわが祭る神にはあらず。そこによくより從ひたる人のあるにぞ、その人こそ、そなたをよく祭るべけれ。我はそなたに從ひてまつるものにはあらぬと、妬みて報答せる歌也。とめたるかみぞと喩へたるは、附き從へる妻こそ、そなたをよくもてなし睦じくもせられめ、そのぬしある人を我がまつるべきにあらずといへる歌也
大伴宿禰駿河麿|娉《ヨハフ》同坂上家之|二孃《オトムスメ》歌一首
娉 よばへるとあれども、此歌の意又奧の歌の次第を見るに、かよひ迎ふる前の歌と見えたり
二孃 前に大孃とあるに對して見れば、二は次の意なれば家持の歌贈れるは姉、此女は妹と見ゆる故、おとむすめとは義訓せり。尚また後考もあらばしかり
407 春霞春日里爾殖子水葱苗有跡云師柄者指爾家牟
はるがすみ、かすがの里に、うゑこなき、なへなりといひし、えはさしにけん
春霞春日 此はるがすみ春日とうけたる意は、かすみかすところの縁をもてつゞけたる義とも聞ゆる也。かすがといふ字は、春日と書く故、彼のはる霞は春立つもの故、春といふ文字によりて、詠めるといふ説もありて、一決せぬ也。或は春のひは霞みて微かに見ゆるもの故、如v此つゞくるとも云へり。いづれにも決し難く、正義の古説を所見せざれば、いかにとも辨じ難し。先はおもひよる處は霞かすがと、言の縁につゞけたる義と見る也
(339)殖子水葱 うゑしなきと讀める點あれども、これはこなぎにてあるべし。うゑたる子水葱といふ意なるべし。此水葱和名鈔には見えねども、水邊に生ずる水菜なり。今こなぎといふて、池澤などにも有て紫色なる花の咲くものといへり。木になぎの木といふあり。その葉に似たる草故、なぎとも云歟。當集第十六卷の歌にも、なぎのあつものと詠めり。延喜式卷第廿四主計式云、供奉雜菜水葱四把【准四升五六七八月】澤桔校、をもだかなどいふにはあらず。その類に少しは似たるものなるべし。尚追而可v考也。これは前に坂上弟娘を約束せし頃は、未だ少年なりしがといふ義をたとへたる也。子なきと、なへなりといひしと有は、前にも注せる如く、わが嫁などに貰はんと約束せしか。又駿河丸の妻にとらんと約せしか。兎角娘の親の方へ詠みて贈れる歌と聞ゆる也
柄者指爾家牟 枝はさしたるやらんと云意也
此歌の意は、前に駿河丸のかたへ貰はんと約せし時は、未だ少年にてなへなりと云ひしが、も早や枝さす程にも成人したるにてあらんと云ふ意也。標題に娉歌とあれば、迎へし時の歌と聞ゆれども、枝はさしにけんといふ意にては、標題に不v合。娉する前に詠みて遣したる歌故、標題に娉歌と記したるか。尤枝はさしぬらんといふ意は、迎へんとの意をこめたる故、娉歌と標せし歟。苗なりと云ひしとは、娘の少年なりと云ひしといふ義に喩へたる也。柄はさしにけんと云へるは、成人したるらんといふ事を比喩したる義歟
大伴宿禰家持贈同坂上家之大孃歌一首
おほとものすくねやかもち、おなじ坂上のいへのあねおとめにおくるうたひとくさ
前にも如v此の端作りありて注せり
408 石竹之其花爾毛我朝且手取持而不戀日將無
とこなつの、そのはなにもか、あさな/\、てにとりもちて、こひぬひなけん
石竹之 此字出所未v考。倭名鈔には、瞿麥の二字、なでしこ、あるにとこなつと和名あり。石竹の字は、いづれの出所にや。(340)追而可v考v之。古本印本等には、なでしこのその花にもかと讀ませたり。尤前にも注せる如く、坂上家の姉むすめを、家持の迎へんと慕へる歌に聞ゆれは、子といふ縁に詠める意もあるべけれど、なでしこを喩へるは、みどりこ至つて幼稚の娘などならばさもあるべけれど、これはも早や夫をもつべき程の女と聞ゆれば、やはりとこなつと讀まん事然るべし。常住のことに云へる縁なるべし。已に朝な朝なと下に詠みたれば、時などの意を兼ねてとこ夏と讀むべき也。常住不變變らぬ花にもかもと願ふたる意也
歌の意聞えたる通にて、大孃をとこ夏の花に喩へて、それにもあれかし。心のまゝになれ親みなば、かく戀ひ佗ぶることもあるまじきと也
大伴宿禰駿河麿歌一首
409 一日爾波千重浪敷爾雖念奈何其玉之手二卷難寸
ひとひには、ちへなみうつに、おもへども、なぞその玉の、てにまきがたき
一日爾波 一日のうちにはと云意也
千重浪 なみの幾度も/\重りうつ樣に、やまず思ひ慕ふと也
敷爾 此集中此詞多し。古本印本諸抄等これをしきと讀ませたれど、師案にはこの重、しきといふことは心得がたし。なみはうちうつ、よるよせるなどつゞく詞なれば、うつにと讀みて、うつゝにの意をかねて云ひたる義なるべし。うつゝは常住不v絶思ひの重なるといふの意をふくみていへる義也。しきと讀みて義しげきといふ釋に解する也。しきをしげきといふことゝは解し難きこと也。尤日本紀卷第六崇神紀に、常世浪重浪よするくにといふ義ありて、しき浪よすると讀ませたれど、此義しげきといふ義とは不v聞也。敷の字は令集解神祇令神衣祭條下庄に云、釋云、【上畧】敷和御衣織奉【中畧】敷和者宇都波多也。如v此古訓うつと訓したる證例もあれば、浪につゞく詞にて、現の字の意をかねてうつと讀むこと然るべからんか
奈何 なにとてといふの義になぞといひたり
(341)其玉之手二 浪には玉を打よする物なるに、何とて心のまゝに手にとられぬと云ひて、おもふ人の心のまゝになり難きといふ事に喩へたる也
是歌の意にては、前に詠める坂上の次孃を娉とあるは、駿河麿の妻にこひ取れるにやあらん。これらの歌は、未だよび迎へさる先の歌どもと聞ゆる也
大伴坂上郎女橘歌一首
おほとものさかのうへのいらつめ、たちばなのうた一くさ
大伴坂上郎女 前に出たる郎女也。駿河丸の妻の母親の事と聞ゆる也。二孃とある女をいふにはあるべからず。歌の意母親の事と見ゆる也
410 橘乎屋前爾殖生立而居而後雖悔驗將有八方
たちばなを、庭にうゑおほし、たちてゐて、のちにくゆとも、しるしあらんやも
屋前爾 古本印本等やどと讀ませたり。屋前の二字をやどとよむ義心得がたし。前の字若し所といふ字のあやまりにや。然らばところの一語をとりて、やど、とも讀むべき也。やの前なれば庭とか、のきとか讀むべき也。兩義好む處にしたがふべし
立而居而 常住座臥に付ての意也。悔ことの切なるを云たる義也
後雖悔 此句不審也。橘をうゑてとよめるは、名の立といふ事によせていへるか。その名の立事を後にくゆともといふ義歟
此歌全鰻の意難v濟也。若し漢の古事等によりて詠める歟。かの古事の田道間守が事をふくめる意とも不v聞也。橘の事に付後悔する義は、漢に古事あること漢書に見えたり。追而可v注。むかしの人の袖の香ぞするといふ歌も、漢の古事によりて詠める歌と聞えたり。世上諸抄の説は、田道間守の古事といひ觸らしたれど、歌の意たぢまもりがことゝは不v聞也。此集中に橘の歌あまたありて、おしなべて古事をふくめるにはあらねど、此後に悔ゆともと詠める歌は、兎角古事をふまへて詠めると聞ゆる也。古事の義未v考故、こゝの歌の意釋し難し。先一通の歌の意は、駿河まろりよばへる二孃の事を喩へて詠めると聞(342)えたり。下の意は、かの孃の婚姻をなしても、後にいかになりゆかんもはかられねば、引人になびきて名の立ちて末もとけざらん時には、立ちて居て悔ゆともしるしもあるまじと、末を思ひはかりて、少斟酌の意に詠める歌と聞ゆる也。又は娘の婚姻はなしても、行末何と成らんや。未だ年の程も若くて行跡も覺束無く思ひて詠める意か。じつとは聞き届け難き歌也。和歌の意をもて見れば、兎角女の婚姻の前に、末をいぶかしく思ひて詠める歌と聞ゆる也
和歌一首
誰人のこたへたるとも難v考。歌の次第を見るに、駿河麿の和と見ゆる也
411 吾妹兒之屋前之橘甚近殖而之《マゝ》故二不成者不止
わざもこが、庭のたちばな、いとちかく、うゑてしからに、ならずばやまじ
吾妹兒之 郎女をさして云へり
甚近 いとゞはことの切なる詞也。則ちはなはだと云字を用ゐて字意の通也。近くといふ意は、大伴氏同家親族なれば、女近くあるといふ義を、橘を殖たりし故にと喩へたる也
不成者不止 婚姻を不v調ばやむまじきといふ義を、たちばなの實のなることに喩へたり。郎女の歌の末の程を思ひやりて、悔むともかひあるまじと、行末を思ひはかりて、少し斟酌の意によめるこたへ故、いと近く橘を植ゑたるからは、その實ならずばあるまじきと云ふて、親族の間近き中に孃のあるからは、わがこひ慕ふまゝに、駿河麿のかたへ娶らずばおくまじと喩へたる和歌と聞ゆる也。とかく駿河丸の歌なるべし
市原王歌一首
いちはらのおほきみのうた一くさ
市原王 安貴王の子也。此集第六卷にも市原王宴祷父安貴王歌と出でたり。續日本紀〔卷第十五天平十五年五月無位高丘王林王市原王并に從五位下を授けらるゝ由見ゆ〕
(343)412 伊奈太吉爾伎須賣流玉者無二此方彼方毛君之隨意
いなたきに、きすめるたまは、ふたつなき、こなたかなたも、きみがまにまに
伊奈太吉爾 諸説いたゞきといふ義と釋し來れども、それにてはいだと上を濁らばならぬなり。だと濁りはならぬ也。然るにいたゞきとこそいへ、いたのたを濁りて下のたきのたを清音には不2唱來1也。これはいなづきといふ義なるへし。いは發語の詞、奈都氣といふ事と聞えたり。だといふ濁音は豆也。だもづも同音也。惣て人のかしらの眞中をなづきといふと聞えたり。なやむといふも悩の字を書きて、なづきを病といふの義、頭痛のすることをいふたる事也。古語に頭を打破などいふ事を、なづきをうちわりなどいへる也。今いたゞきと云ふは後の詞にて、本語はいなづき也。いたゞきといへるは、人の身體の頂上といふ義にて、いたゞきとは後にいへるならん。日本紀神代上〔に髻鬘と書けり〕。ただし又いだだきと、二のたをともに濁音にいひ來りしを、後に上を清音にとなへ來る歟
伎須賣流 きたるといふ義也
玉者無二 或抄に、文殊の頭にあることゝ釋せり。心得かたし。これは古代は男女ともに玉をもて頭を餝りし也。その玉は、眞中に唯一ツ※[金+芳]にしたる玉といふ義也。此集の中に、うすの玉かけと詠める歌もあり。然れば上古は、唯一ツ眞中に玉をかざれる事と聞ゆる也。はる/”\と法華經の文を引出して、詠めるにはあるべからす。唯上古の時代の事實をいへることゝ見ゆる也
此方彼方 頭上の※[金+芳]の一ツの玉は、頭を左右へ傾くれば、傾くにしたがふていづ方へもよるといふ義也。喩へたる意は臣の意にしては、一身は君に任せおくなれ。一ツの玉のあるさへも、こなたへも貰ふ如く、いか樣にも君の御心次第にしたがふとの意なり。戀歌の喩へにしては、おもふ先の人の心まかせに、此身をまかすとの意なるべし
大綱公人主宴吟歌一首
おほつなのきみ人ぬし、うたげによぶうたひとくさ
(344)大網公人主 傳不v知。大綱は氏也。續日本紀卷第三十五光仁天皇寶龜九年十二月〔正六位上大綱公廣道爲2送高麗客使1〕
413 須麻乃海人之鹽燒衣乃藤服間遠之有者未著穢
すまのあまの、しほやきゞぬの、ふぢころも、まどほにしあれば、いまだきなれず
藤服 ふぢぬのなど云ふて、今も至つてあらきぬのゝある也。さきをりともいふ。山かつなどの著る也。よみのあらきといふことを、間遠にしといひて、宴日にたま/\來れる人には、あふ事の間遠に相隔れることを、藤ごろものよみのあらきことに比喩したる也
歌の意、聞えたる通地。飲宴の日、來れる賓客のまれに逢ふたることを、人のまゝにはなれそはぬと歎きて、藤衣のよみのあらき事に比喩したる歌也。宴の事なれば戀歌とも決し難き也。古今集に、すまのあまのしほやきころもをさをあらみと詠める歌も、此歌に基づきて詠めるなるべし。をさをあらみといふ義、此歌の間遠にしと詠める意に同じ
大伴宿禰家持歌一首
414 足日木能石根許其思美菅根乎引者難三等標耳曾結烏
あしびきの、いはねこゞしみ、すがのねを、ひけばかたみと、しめのみぞゆはん
足日木能石根 此つゞきの事古來いろ/\説ありて心得難きつゞき也。此集中に嵐とつゞきたる歌もありて、古來よりの説に山と續く冠辭故、山といふ文字によりてつゞけたるとの儀也。木毎に花の格にて、昔は文字につゞけて讀みなしたるにもありと傳へたり。一説に高大有v岩曰v山といふ字義よりつきてよめるともいひ、又石根のこりしきたる險難の處は、足を悩み引といふ義につゞけたりともいへり。然れども嵐とつゞける歌あれば、外の説は心得がたし。古説の通文宇によりて讀めると云義、先づ然るべからんか。外にいかんともより處無きつゞき也
許其思美 こゞしみとは、岩のかたまりてこりしきたる樣にと云ふの義也。しきといふを、しみと云へるは、ことにより、きといふことを、みと使ふ事あり。山深き雪深きをふかみ、遠をとをみと詠める義あまたあり。此しみは、しきといふことをしみ(345)とつらねたるばかりにては無く、こゞしき樣にといふ意をもて、しみとは詠める也
菅根乎 これは女のことを、すげに喩へて詠める也
引者難三等 一通は、山中の岩根などに、根をからみたるすがの根を引けば、いはねのこりかたまり敷たる如くに、かたきといふの意也。下の意はわがおもふ女を外より引人ありとも、その方へなびを移らぬ樣に、竪くしめをゆはんとの義を、如v此喩へ詠める歌と聞ゆる也。然れば前のこゞしみといふは、こりしきたる樣にといふの意をこめて見る也。その樣に、女の心をもかためんとの意也
結烏 これをゆふと讀ませたれど、ゆふの假名にうとは續き難き也。これは無の字の誤りにて、ゆはんといふ義と見るべし
歌の意、我契りし人を外より引とも、その方へ靡き引かれぬ樣に、岩根のこりかたまりたる如く、堅く貞節を守らんとの事を、しめのみをいはんと譬へたる歌なるべし。愚案、此歌うらはらの意にも聞ゆる也。思ふ人を菅に喩へて、根ながら引かんとすれど、岩根のこゞしくからみて引得られず。なか/\靡き從はで、いよ/\固くしめを、女の方に結べるといふ事を詠める歌とも聞ゆる也。引けばかたみといふ詞、しめのみぞゆふとの句、家持のしめを結ぶ義とは聞えざる處あり。また烏は無の字の訛にしても、のみぞいはんとよめる句も、穩かならず。烏の字如何とも心得がたければ、衍字ならんか。兩義に聞ゆる歌也
萬葉童蒙抄 卷第六終
(346)萬葉童蒙抄 卷第七
挽歌
ひつぎをひくうた
第二卷に注せり
上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首
かんつみやひじりのいきほひますみこ、たかはらのゐにいでてあそびたまへるとき、たつた山にまかれる人を見たまひ、かなしみいたみ給ふつくりうた一くさ
目録には、一首とある下に、小墾田宮御宇天皇代と記せり。後人の加筆也
上宮 日本紀卷第廿一用明天皇紀云、元年春正月の條初居2上宮1云々、如v此皇子の御座所としたまふ故、上宮の聖徳太子と奉v稱也
聖徳皇子 同云、用明天皇元年春正月壬子朔、立2穴穗部間人皇女1爲2皇后1。是生2四男1其一曰2厩戸皇子1【更名聰聖徳或云豐聰耳法大王或云法主王】〔此之皇子初居2上宮1云々〕同紀卷第廿二推古天皇元年春正月壬寅云々。夏四月庚午朔己卯立2厩戸豐聽耳皇子1爲2皇太子1。仍録攝政〔以2万機1悉委焉。橘豐日天皇第二子也。母皇后曰2穴穗部間人皇女1〕皇后懷妊開胎之日、〔巡2行禁中監察諸司1至2于馬宮1。乃〕當2厩戸1而不v勞忽産之生而能言〔有2聖智1及v壯一聞2十人訴1以勿v失能辨兼知2未然1且習2内教於高麗僧惠慈1學2外典於博士覺※[加/可]1兼悉達矣〕父天皇愛v之令居2宮南上殿1。故稱2其名1謂2上宮厩戸豐聰耳太子1。
出遊竹原井 河内國にあり。皇子の出遊給ふ事、日本紀には不v見也。續日本紀〔元正紀云。養老元年二月壬午、天皇幸2難波宮1。丙戌自2難波1至2泉宮1。【中畧】庚寅、車駕至2竹原井頓宮1。聖武紀云。天平十六年九月庚子、太上天皇行2幸珍努及竹原井頓宮1。(347)光仁紀云。寶龜二年二月庚子、車駕幸2交野1。辛丑進到2難波宮1。戊申車駕取2龍田道1、還到2竹原井宮1。
時見龍田山死人 此事も日本紀に不v見。日本紀卷第廿二推古天皇紀には、二十一年冬十一月作2掖上池畝傍池和珥池1云々十二月庚午朔皇太子遊2行於片岡1時、飢者臥2道垂1云々。此事に能似たる義なれども、これとは別事と見えたり。歌も日本紀の御歌は長歌、此歌は短歌也。紀に洩れたる故、此集に載せたる歟
龍田山 大和國平群郡にあり。日本紀〔卷第三神武紀に勒v兵歩趣2龍田1とあり。〕延喜式〔神名帳大和國龍田坐天御柱國御柱神社二座【并名神大】〕
415 家有者妹之手將纏草枕客爾臥有此旅人阿怜
いへならば、いもがてまかん、くさまくら、たびにふしたる、このたびとあはれ
家有者 いへにあらばといふ義を、約めてならばとは例のにあの約言なゝり
手將纏 妻子などに、介抱せられてあらんにとおぼしはかり給ふて也。手まかんとは手をも枕にしてまかんにと也
阿怜 此集中※[立心偏+可]怜とも書、阿怜とも書けり。元は可怜の字を如v此記來れると見えたり。第一に注せるごとく、日本紀神代下卷に被v記たる、可怜の二字をもて、義訓にあはれとは用ゐられたるを、傳寫あやまりて、※[立心偏+可]阿等の字に成りたると見えたり。二字合せてあはれと義訓によむ也
歌の意きこえたる通也。聖徳皇子片岡山の飢人を見てよみ給ふ歌に付ては、元亨釋書等其外諸抄物などにも、南山大士の再來など奇怪の説をなせれども、難2信用1義也。此歌も紀には洩れたれども、此集に載せられたれば無v疑、御歌紀にのりたる長歌の事に能似たる義なれども、別事と見ゆる也。此御歌もたゞ當然の感慨をのべ給へる御歌也。聖徳太子の御事は、本朝文粹古今集眞字序をはじめ、台家眞言家の書、元亨釋書等太子傳抔云書にも、いろ/\附會の説々を記したれども、此に用なければ不v及v注。後世の俗古學古實を不v弁故、神靈佛化身など尊稱し奉れど、本邦神祇王道廢衰の基元は、正敷此皇子に始まり、殊には奉v弑2崇峻天皇1蘇我馬子にみしたしみ給ふ御下心の程も疎ましき御事、萬代の後にもこの御不徳を、上天精神も豈に允(348)し給はんや。終に山背大兄王をはじめ、嶋臣に亡され給ふて、太子の御系圖絶えはてたる天道の顯然たる理りを見ては、さのみ尊ぶべき皇子にもあらされば、無益の妄説書き添へん事も、詮無き事ならんかし
大津皇子被死之時磐余池蚊流涕御作歌一首
おほつのみこ、ころされたまふとき、いはれのいけのつゝみにてなみだをながしてつくりたまふうた一くさ
大津皇子の被v殺給ふ事は第二卷に詳也。不v及2再注1
磐余池 大和也。日本紀卷第三、【上略】因改v號爲2磐余1云々と有。同紀〔卷第十二履仲天皇三年冬十一月丙寅朔辛未、天皇泛2兩枝船于磐余市礒池1、與2皇妃1各分乘而遊宴云々〕
416 百傳磐余池爾鳴鴨乎今日耳見哉雲隱去牟
もゝつたふ、いはれのいけに、なくかもを、けふのみゝてや、くもがくれなん
百傳磐余池 百につゞく五十といふ義也。すべて數によりて、百につゞく詞に、百つたふ八十、三十とも冠句に据え來れり。日本紀神代下卷【上略】百不足八十隈隱去矣。此古語も同じ意也
去牟 いなんの畧語也。雲がくれいなんとは、殺され給はんとの義也
御歌の意聞えたる通、いたくもあはれなる御歌也。懷風藻云
五言臨終一絶
食鳥臨西舎、皷聲催2短命1、泉路無2賓主1、此夕離v家向
これ同時の御詩歌なるべし。千載の下今も尚いたましき御詠吟、聞人ごとに尚流涕難v止侍るのみ
右藤原宮朱鳥元年冬十月
これは後人の加筆ならんか。但し古注者の記せる歟。大津の皇子殺され給ふ年月を、日本紀によりて注せる也
(349)河内王葬豐前國鏡山之時手持女王作歌三首
かはちのおほきみを、とよくにのみちのくちのくにかゞみ山にあふむれるとき、たもちのひめおほきみの作り歌みくさ
河内王 日本紀卷第三十持統天皇三年〔八月辛巳中略丁丑、以2淨廣肆河内王1爲2筑紫大宰師1云々〕
豐前國鏡山 前に梓弓引豐國の鏡山と詠める歌の處に注せり。神功皇后の時、鏡を埋み被v齋し處との古説也
手持女王 河内王の御子か。傳不v知
417 王之親魄相哉豐國乃鏡山乎宮登定流
おほきみの、むつたまみゆや、とよくにの、かゞみのやまを、みやとさだむる
親魄 貴玉也。王の亡靈を尊んでいひたる詞也。むちもむつも同じ詞也。日本紀神代上卷、天日〓貴、大己貴などあり。皇親の二字をすめむつと訓ずるも、尊稱の義也。王のみたまを尊稱してむつとはいへる也。倭名鈔卷第二鬼神部云、靈、四聲字苑云、靈【郎丁反、日本紀私記云、美太万、一云美加介、又用2魂魄二字1】通神也
相哉 あふやともよませたり。鏡山と讀めるなれば、みゆやと讀むべき也
歌の意は鏡山に葬りて、宮と定めるからは、王のみたまの見ゆるや、見えはせぬにと歎きたる歌也
418 豐圀乃鏡山之石戸立隱爾計良思雖待不來座
とよくにの、かゞみのやまの、いはとたて、かくれにけらし、まてどきまさぬ
石戸立 石槨に入れて葬りし故、如v此詠み給へる歟。死たることをいはがくれと詠むも、石槨に納むるからいへる事と聞えたり。尤神代上卷、天照大神の天岩戸にこもらる給へる事に基きて、石戸立てとも詠める歟。人の死したることを右の神わざに比する事心得難けれど、作者の御意は、若しさやうの意をふくみて詠み給へる歟。先は石槨に納めて葬れるからと見る也
歌の意聞えたる通、鏡山に葬れるから二度相見たまふ事も無きを哀みて、待てど來まさぬと歎きたる歌也
(350)419 石戸破手力毛欲得手弱寸女有者爲便乃不知苦
いはとわる、たぢからもがな、てをよはき、をんなにあれば、すべのしらなく
手力毛欲得 石槨をもわりくだく程の力もがな。しからばかくれ給ふ王をも引出し奉らんにと也。女を手をやめと云も、手弱女といふ義にて、女は力無き者なれば、せんかたも無きとなきたる歌也。これも神代上卷の手力雄神の古事などをふくみて詠めるならん
歌の意聞えたる通也
石田王卒之時丹生作歌一首并短歌
いしだのおほきみまかるとき、にぶのおほきみつくるうた一くさならびにみじかうた
石田王 傳不v知。丹生の下に王の字を脱せる也。傳不v知
420 名湯竹乃十縁皇子狹丹頬相吾大王者隱久乃始瀬乃山爾神左備爾伊都伎坐等玉梓乃人曾言鶴於余頭禮可吾聞都流枉言加我聞都流母天地爾悔事乃世間乃侮言者天雲乃曾久敝能極天地乃至流左右二杖策毛不衝毛去而夕衢占問石卜以而吾屋戸爾御諸乎立而枕邊爾齊戸乎居竹玉乎無間貫垂木綿手次可比奈爾懸而天有左佐羅能小野之七相管手取持而久竪乃天川原爾出立而潔身而麻之乎高山乃石穗乃上爾伊座都流香物
なゆたけの、とほよるみこ、さにほへる、わがおほきみは、こもりくの、はつせのやまに、かみさびに、いつきいますと、たまづさの、ひとぞいひつる、およつれか、わがきゝつる、まがごとか、わがきゝつるも、あめつちに、くやしきことの、よのなかの、くやしきことは、あまぐもの、そぐへのきはみ、あめつちの、いたれるまでに、つゑつきもも、つかずもゆきて、ゆふげとひ、いしうらもちて、(351)わがやどに、みもろをたてゝ、まくらべに、いはひべをすゑ、たかたまを、まなくぬきたれ、ゆふだすき、かひなにかけて、あめにある、さゝらのをのゝ、なゝみすげ、てにとりもちて、ひさかたの、あまのかはらに、いでたちて、みそぎてましを、たかやまの、いほほのうへに、いましつるかも
名湯竹乃云々 第二卷に、吉備釆女か死したる時、人丸の詠める歌にも、此詞ありてそこに注せる如く、すがたのなよやかなるといふ義に、なぞらへてほめたる詞也。十縁もなびきよるといふの意、しなやかになよやかなどいふ意にて、みかたちの美はしく、しなよきといふ義を云ふたる義也
狹丹頬相 さは發語の詞にほへる也。紅顔などいふて、にほひある顔色の美はしきといふ義、いたく稱美の詞なり。御壯年にて卒し給ふと聞えたり
隱久乃 こもりくとは、はつせの冠辭也。地名を重ねていふたる義なるべし。古來説々難2信用1。剰へよみ樣さへ大成誤ある事也。人の口中には、齒といふものこもりてあるものから、口の齒とつゞけたる歟。古來説々不v决也。先は地名と見る方易かるべし
神左備爾 み子のかくれ給ひて、神といつき祭りたるといふ事也
玉梓乃人曾言鶴 みこのかくれ給ふといふ事を、丹生王へ被v赴たる使の義を言たる義也。玉梓のつかひとつゞく例を以て、人ともいふたる也。またつかひぞ云ひつるとも讀むべし。人といふ字を義訓に使とも讀むべき也。初瀬山に葬りたると聞えたり
於余頭禮可 およつれかは、虚言かといふ義也。日本紀に見えたる詞、前に注せり
吾聞都流 丹生王の聞き給ふはさかしまごとか。聞き違ひ給ふ歟といふの義也
枉言 すぐになき、きかせられやうかとの意也
我聞都流母 これは上の句へつゞきたる句也。重ねてのべたる句也。使の云ふもうそさかしまごとか。王の聞き給ふもきゝ(352)誤りて、まがごとに聞しめしたるかとの意也
天地爾悔事力 此天地により、句を改めてのべられたる也。これより以下畢竟石田王の存在にてましまさば、いか樣にもいのりねぎてなりともまします處に至りまさんを、かくれましまして高山の上に岩がくれます故、いたりまみえ給ふものならぬと悔み給ふ義を詠み給へる也
曾久敞能極 そぐへとは、そこばくと云語にて、天地の限りはてといふ意也。いづくいづ方までも、たづね行きてとの義也。祝詞の文にも、野のそぎ、山のそぎとあると同意也。野のはて山のはて也
天地至流左右二 これも天地の至りきはまれる處までにといふの意也
夕衢占問 ゆふげとひと云は義訓也。夕ぐれにちまたに出て、往來の人の言葉につきて吉凶を考ふることを、夕げのうらといふ也。上代はかくの如き愚かなる占をもし來れる也。これ古實也。御子の方へ尋ね行き給はんをと云の意也。くれを約すればけなり。よりて義訓約言をかねて、ちまたと云字を書て意を助けたる也
石卜以而 これも上代の占の法也。石を拾ひてその數によりて、吉凶善惡の義をかんがふる義也
御諸乎立而 是より以下、神祭祈祷の事にて、前にくわしく注せり
枕邊爾 我居處の上座とするところにと云意也。必竟まくらべといふに意無し。たゞ歌の雅詞の事也
天有左佐羅能小野之 上天に、此さゝらの小野といふ所あると詠み給へる意也。下の菅を詠まんとて、まづさゝらの小野と、處をすゑて詠み出せる也。古代の歌の格皆かくの如し
七相菅 七みすげといふは、何のよりどころにて、七とよみ給へるとも知れ難し。たゞ菅の葉をとも詠み拾ふてすむべきことなるに、七と詠める意、いかにともかんがへ難し。然れども、これは石田の王のかくれ給ふ時の挽歌故、句つゞきに七の數を詠み出し給へると見えたり。すべて本朝にては、死せる時のことに用ゆる數、皆七つ也。四十九日も七七四十九の數にて、七日二七日といふ。又生るゝ祝義にも、七夜二七夜といふて用ることにて、祓の地名にも七瀬の祓といふ事ありて、七の數をとり出たまふは古格也。上代は兎角生死の事の數に、七を用ゐたる也。これは神代よりの古實也。已に神代卷の上に、神代(353)七代と被v記たる本文によりて出たる義と知るべし。此處の七みすげも、卒去の時の歌故、させる故も無けれど、七と詠み入給ふなるべし。相菅のみは發語のみ也
潔身麻之乎 王の生きてさへましまさば、如v此みそぎ祈をもせんに、何事も詮無き事のくやしきとの義也
高山乃石穗乃上爾 石槨に埋葬まつる故、その意をもて、いはほの上にとは詠み給へるなるべし
右歌の意、句注にて聞えたる通也。かもとは歎息のかも也。かなといふ意也
反歌
421 逆言之枉言等可聞高山乃石穗乃上爾君之臥有
此歌の意は、高山の岩上に石田王の臥してましますと云ひ、ゐましもせぬを使の人の空言を云ふとの意也。然れば石田王のかくれまして、高山の石穗の上にかくしまつれると、告げしらしむるは、さか言のまが言か。伏してもましまさぬにとの意也
422 石上振乃山有杉村乃思過倍吉君爾有名國
杉村のとよめるは、下のおもひ過ぐべきと云はんとての序詞也
思過倍吉 過しやられぬといふ意也。忘れられぬといふ意と同じ。しのぶとも、慕ひとも、思ふとも讀むべし。いづれにても同意にて、兎角慕ひても/\、慕ひやまれぬ君との意也。しのび過ぐべき君にては無きと、いと深切に慕ひ給ふ意をのべ給へる歌なり
同石田王卒之時山|前《クマ》王哀傷作歌一首
おなじくいしだの王みまかり給ふとき、やまぐまの王かなしみいたみてつくるうたひとくさ
山前王 續日本紀卷第三云、慶雲二年十二月癸酉無位山前王云々。前の字はくまと讀むべき也。和名鈔國郡部云、但馬國氣多郡樂前【佐々乃久萬】大和國高市郡檜前【比乃久末】と出づ。いづれのみ子といふ傳未v考
423 角障經石村之道乎朝不離將歸人乃念乍道計萬四波霍公鳥鳴五月者菖蒲花橘乎玉爾貫【一云貫交】※[草冠/縵]爾將爲(354)登九月能四具禮能時者黄葉乎折挿頭跡延葛乃弥遠永【一云田葛根乃彌遠長爾】萬世爾不絶等念而【一云大船之念憑而】將通君乎婆明日從【一云君乎從明日香】外爾可聞見牟
つのさはふ、いはむらのみちを、あさかれず、よりけむひとの、おもひつゝ、かよひけましは、ほとゝぎす、なくさつきには、あやめぐさ、はなたちばなを、たまにぬき、かづらにせむと、ながづきのしぐれのときは、もみぢばを、なりてかざすと、はふくずの、いやとほながく、よろづよに、たえしとおもひて、かよひけむ、きみをばあすより、よそにかもみむ
角障經石村之道乎 つのさはふは、のとなと同音にて、いはづなといふものさはに生ひたる岩むらといふの義也。第二卷にくはしく記せり。石村の道を、いはれと讀むべしと云説もあり。心得難し。是はさかしき岩むらの道といふ迄の事也
朝不離 毎朝に也
將歸 これをよりけんと讀むべし。朝廷へ出仕の義と見るべし。それをよりけんと讀みたる也。山前王の方に、寄といふにはあらず。朝廷へ出仕の往來の事をのべ給へる也
念乍 とは此下の五月九月の佳節のよそほひのことをも、石田の王の心におぼしめして通ひ給ふらんとの意也
通計萬四波 通ひしあひだはといふ義也。けもしも助詞也
霍公鳥鳴五月者 五月といはんとて、ほとゝぎす鳴くと詠み出たる也
菖蒲 五月五日には、上代あやめのかづら藥玉などかける儀式、諸記に詳也。節物故、佳節の祝物に用ゐられて、那氣を除く祝物とせられたる也
九月能 なが月の頃、重陽の節抔紅葉を折かざして、朝廷に仕へ給ふらんことの、よそほひの事を思ひつゞけて、詠みつらね給へる也
(355)四具禮 和名鈔卷第一云、霖雨小雨也。之久禮。
彌遠永 いやをちながら、いやすゑながらとも讀べし。
將通君乎婆明日從外爾可聞見牟 石田王の存在し給ふ時は、いく千代迄も、いやをちながく不v絶朝參勤仕し給はんとおぼして、毎朝に通はせられ給はん人の、壯年にてみまかり給ひて、あすよりは外に見んことのいといたましきと也
右一首或云柿本朝臣人麻呂作
古注者の後注也。或説には、人丸の歌とも記せるものを所見と見えたり
或本反歌二首
此注も同じく、古注者の筆也
424 隱口乃泊瀬越女我手二纏在玉者亂而有不言八方
こもりくのはつせをとめがとは凡て難波泊瀬には、上代遊女のあまたありし故、はつせをとめとは詠める也。難波女といふも遊女の事にて、此越女も遊女の事を詠み給へるなり。泊瀬に戀を祈るといふことのあるも、上代遊女のありし故からのことなるべし。此事、いせ物語後撰集等にて、大成論ある事也。兎角泊瀬越女難波女などよみたるは、遊女の事と見るべし。その女の手にまきたる玉は、亂れてありといへども、かくれ給ひし人の、たましゐは無きにと歎じて詠める也。左注に紀皇女の薨じ給ふ時、石田王に代りて、山前王の詠み給ふとある注さもあるべき歟。女皇子のみまかり給ふことを、歎じて詠める歌故、女が手にまけるとも詠み出せるならんかし
有不言八方 ありといはずやもとありて、玉は手にみだれてあるといふにとの意歟。無き人の玉しゐは無きことの悲しきとの意也。又玉はみだれてなき故に、有といはぬかなと云の意とも見ゆる也。玉は亂れてなくなりし故ありとは云はぬを、ありといへかしと歎きたる意とも見るべし。人丸の死したる時、依羅娘子が歌にも同じ言葉あり。その意と同じ意に見る時は、ありと云はぬを歎じたる歌と見る也。八方といふ詞はいづれにても歎息の詞と見るべし。命を玉の緒と云へばそれにもよせ(356)てよみ給へる也。あかず思ふ人のうせ給ふを、手玉の緒絶えて無き如くに、惜み悼むの意也
425 河風寒長谷乎歎乍公之阿流久爾似人母逢耶
これも遊女のある處故、はつせを詠み出たるなるべし。公があるくにと云も、遊女にひかれて、うかれあるき給ふことを、なぞらへて詠める意他
似人母逢耶 かくれ給ひし人に、似たる人にも逢ふやとの義也。公之と指したるは、みまかりたる人をこひ慕ふ人をさして也
左注に、人にかはりて詠み給へる歌とある注にて見れば、いかにもあるべき歟。さなくては、公があるくにと詠める處むつか敷歌也。山前王の、石田王にかはりて詠み給ふなるべし。兩義ある歌也。なき人を慕ひさまよひてあるき給ふ程に、せめて無き人に似たる人なりとも逢ふや。さもあらば少し歎きを助けんこともあらんにと、思ひやりて詠める歌にもあらんか。然れども似人にもあふや。無き人なれば風寒き處をさまよひあるき給ふとも、何とてみまかりし人に逢ひ給ふべきや。逢給ふことはあるまじと、歎き悼める歌と見る方やすかるべし
右二首者或云紀皇女薨後山前王代石田王作之也
みぎ二くさはあるにいふ、きのひめみこみまかりたまふのち、やまくまのおほきみいしだの王にかはりてこれをつくる也
是古注者或説と所見ありて、如v此左注を加へたるなるべし。いかさま歌の趣、左注の意に相叶ひたる歌なれば、此説の通ならんか
柿本朝臣人麻呂見香具山屍悲慟作歌一首
426 草枕※[羈の馬が奇]宿爾誰嬬可國忘有家待莫國
くさまくら、たびのやどりに、たがつまか、くにわすれたる、いへにまたまくに
(357)誰嬬可 女の屍か。つまとは男女に通じて歌に詠めば、此屍いづれとも決し難し。泊瀬女の歌、本集の歌なれば、歌の次第女の屍とも見るべけれど、或説の歌故女子の事とも見難し。次下に田口廣麻呂歌あり。本集にて前に、石田王卒の時の歌あり。然れども、嬬の字を記し女子の事を知らしめん爲、歌の意を助けたりと見えたれば、いづれとも難v決也
國忘有 これは本國に歸らずして、しる邊も無き處にて、死したることの悼ましきといふ義を詠める也。狐丘に枕するといふ古事をもふくめたる歟。よりて忘れたるとは詠める歟
家待莫國 莫の字、古一本に眞の字に記せり。尤可なり。またなくにとありては義不v通。然るを諸抄に色々義を付けて記せるは、誤字の考なきより也。眞の字にすれば、よく聞えたる歌となる也。死人の家には、幾許待たんにといふ意也。待たまくにと詠める意、感情深し。待たまくと計も讀まれるども、まくにとよむ方然るべし
田口廣麿死之時刑部垂麿作歌一首
たぐちのひろまろしせるとき、おさかべのたるまろつくろうたひとくさ
田口廣麻呂、刑部垂麻呂 傳未v考
427 百不足八十隅坂爾手向爲者過去人爾蓋相牟鴨
もゝたらぬ、やそすみさかに、手むけせば、すぎにし人に、盖《ケダシ・マタ》あはんかも
百不足 やそと云はん爲の冠句也。前にも注せり。八十隅坂、此すみ坂は大和の地名也。上代旅行の時、此神に手向をなす事ありけるか。墨坂の神は、大物主神と云傳へたり。八十すみ坂と讀める意、心得難し。これは死したる人のことを詠める歌故、神代卷大己貴、八十隈ぢにかくれますと云義によりて、八十墨とよめろ歟。又幾重もの隅と、數限りの無きすみと云意歟。未v決
手向爲者 旅行などに手向をなして、往來安穩を祈る神なれば、此神に手向せば、黄泉に赴きし人にも又逢ふことのあらんかと也
過去 すぎにしと前にも讀み來れり。去はにしと讀む訓例多し。ゆきしとも讀むべけれども、字あまりて耳に立つ也。もみ(358)ぢ葉の散りにしなど讀み來れば過にしと讀むべし
盖 の字、奧にいたりて假名書にけだしと書きたれば、けだしと讀む事聞きにくけれども苦しからず。しかしふたと讀む訓あれば、またとも可v訓歟。又と云義訓もかひなかるべからんか
土形娘子火葬泊瀬山時柿本朝臣人麻呂作歌一首
ひぢかたのいらつこを、はつせ山にほゝむりしとき、かきのもとの朝臣人まろ、つくるうた一首
土形 日本紀卷第十應神紀に、大山守皇子、是土形君榛原右凡二族之始祖也。和名鈔に遠江國城飼郡士形【比知加多】見ゆ
火葬 此こと不審あり。上代は皆おさめまつる、かくしまつるとありて、ほうむるといふ語、古訓に不v見。然れば若し文武帝已後の詞にて、火葬の禮被v顯し時より、火葬の義をほゝむると云ふたる義ならんか。然れば語釋も濟安き也。さなくて凡て葬式の事をほゝむるといふ時は、語釋もむつか敷由也。先火葬の二字を合して、ほゝむるとはよみ置也。ひにほゝむると讀むべき事なれども、古訓新語は差別未v決故、先二字合せてほゝむるとは讀む也
428 隱口能泊瀬山之山際爾伊佐夜歴雲者妹鴨有
こもりくの、はつせの山の、やまのはに、いざよふ雲は、いもにかもあらん
能きこえたる歌也。死しては上天に登り、雲となり雨となるの古語もあれば、その義をもふまへて詠めるなるべし
溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麻呂作歌二首
おぼれしにたるいづものいらつこを、よしのにほうむるとき、柿本朝臣人麻呂つくるうた二首
429 山際從出雲兒等者霧有哉吉野霏※[雨/徽]
やまのはゆ、いづものこらは、きりなるや、よしのゝやまの、みねにたなびく
山際從 いづる雲とうけんと、山のはゆと詠み出でたる也。古詠の格皆如v此。ゆとはよりといふ古語也。立のぼる雲は、山(359)の端より出るごとくなるもの故、如v此は詠める也。火葬の煙などの、山の端に立のぼりたなびく景色を悲歎して、詠めるなるべし
聞えたる歌也
430 八雲刺出雲子等黒髪者吉野川奧名豆颯
やくもさす、いづものこらが、黒かみは、吉野の川の、おきになづそふ
刺 たつともさすともよむ也。雲による詞也。古事記の歌にも、八雲さすと讀める語例あれば、さすと讀むべきこと也。刺の字たつとは讀み難き也
奧名豆颯 川にも奧とよむ例の歌をはじめいくらもあり。水の深き、川の眞中といふべき處をさしていふ也。なづそふとは速やかに流れず、ゆるくたゞよひ浮きてあるをいふ也。なづむと云ふも、速かにとく行かず流れぬことをいふ也。その意と同じくなづみそふといふ義也。吉野川の水に溺れ死したると見えたり
よく聞えたる歌也
過勝鹿眞間娘子墓時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
かつしかのまゝのいらつこのはかをすぐるとき、山部宿禰赤人つくるうたひとくさならびにみじかうた
勝鹿眞聞 下總國の地名也。和名鈔國郡部下總國葛飾郡にあり
娘子 傳不v知。眞間といふ處の女と聞えたり
431 古昔有家武人之倭文幡乃帶解替而廬屋立妻問爲家武勝牡鹿乃眞間之手兒名之奧槨乎此間登波聞杼眞木葉哉茂有良武松之根也遠久寸言耳毛名耳母吾者不所忘
(360)いにしへに、ありけん人の、しづはたの、おびときかへて、ふせやたて、つまとひしけん、かつしかの、まゝのてこなが、おくつきを、こゝとはきけど、まきのはや、しげりたるらん、まつがねや、とほくひさしき、ことのみも、なのみもわれは、わすらえなくに
倭文幡乃 しづはた、しどりはた也。いやしきものゝ著るものをしづはたと云也。よりて賤しきものをしづのめ、しづのをと云も此名よりいふ義也。日本紀神代卷の下、倭文神、此云2斯圖梨俄未1
帶解替而 下のふせや立てといはん爲の序詞也。ふせやとは、ふしふすといふ義によりて、おびときかへて、ふせやと續けたる也
廬屋 のきなどのひきく垂れたる家を云也。こゝは夫婦ふすやといふ義也
妻問爲家武 これは昔の物がたりなどにいひ傳へたる事にて、下總國勝鹿郡眞間といふ處に美人ありしを、尊卑の男子こひ慕ひて、競望して、妻にせんと爭ひしことありしと也。その事によりて空しくなりしといふ事を、古人云傳へていつの比いつの時代といふ年暦も、不v慥古事ありし也。赤人時代よりも、尚はるかに前の事なりしと見えて、發句にも、いにしへにありけんと詠み出でたれば、遠き昔のことなるべし。かれこれ爭ひ競ひて妻にせんとこひ慕ひたる事を、つまとひとは詠める也。鹿の妻を戀を、妻とふなど詠めるも同じ。第十四卷にも、此娘子かことによせて詠める歌ありて、あしやのうなひをとめの古事に等しき也
手兒名 此こと色々説あり。人の妻となりたる女を、手兒といふと云説あり。然れども兒といふは女の惣名にて、ては初語とも聞ゆる也。女の通稱又は遊女などをいふとも見えたれば、いづれとも決し難く證例未v考。さればいづれを是とも決し難き也。先こゝにてば、此女の名とも聞えたり。又賤しき女の通名ともいはるべき歟。田子などといふ類にてもあるべき歟。第十四卷の歌に、てこにあらなくにと、詠めることもありて、いかにとも定め難し。名といふはをんなといふのなゝり
奧槨乎 墓所を、古語おきつきと云也。神代上卷奧津棄戸とありて、死人を奧深く埋藏所を云也。丘墓と書きて、おくつきと(361)も訓ぜり。然れば手兒名を葬りし墓所は、こゝと聞けどもといふ義也。槨和名鈔葬具部云、野王曰、槨【於保止古】周棺者也
此間登波聞杼眞木葉哉 すべて草木の茂りて、その墓どころしかともしれ難きとの意也。茂りたるらんといふは、かくはえ茂りてある、此あたりにてあるらんとの意と聞ゆるなり
松之根也遠久寸 はるかに遠き昔の事なれば、墓の上には松の年ふりて、はえ茂りたるらんと也
言耳毛名耳母吾者本所忘 此間に、一句脱あらんか。二言不v足やうに見ゆる也。遠久寸の三字、何とぞ別訓あらんか。不の字をなくにと讀むべき歟。然れば此通にても句連續する也。不はがたしともなくにとも讀める例あるべし。追而可v考。ことのみもなのみは吾はわすれぬとは、手兒名が古事上代はるかに隔たりたることなれば、はか所を過ぐるに、此ところとは聞けど、草木生しげりて昔の有樣さだかにも見えねど、そのことは古くも云傳へたれば、今過る時に望みて歎情の起れる意を、忘られなくにとは詠めるなるべし
反歌
432 吾毛見都人爾毛將告勝牡鹿之間間能手兒名之奧津城處
われもみつ、ひとにもつげん、かつしかの、まゝの手こなが、おきつきどころ
奧津城處 ひつぎを奧決く置ところといふの義にて、墓どころといふの義也。注釋に不v及、能聞えたる歌也
433 勝牡鹿乃眞々乃入江爾打靡玉藻苅兼手兒名志所念
かつしかの、まゝのいりえに、うちなびく、たまもかりけん、てこなしゝのばる
所念 しのばると讀むべし
不v及2注釋1歌也
和銅四年辛亥河邊宮人見姫島松原美人屍哀慟作歌四首
右の長歌第二卷にもあり。その所にくはしく注せり
(362)434 加麻※[白+番]夜能美保乃浦廻之白管仕見十方不怜無人念者
かまはやの、みほのうらわの、しらつゝじ、見れどもさびし、なきひとしのべは
加麻※[白+番]夜能 これを點にはかさばやと讀ませり。五文字假名書にしたるに、中に挾たる一字、麻の字を訓にて読むべき事心得難し。よりてかまはやとはよむ也。地名いづれの國とも難v考けれど、姫嶋は攝洲に極れば、攝津國の地名なるべし。尤三穗のうら紀州にもあるか。三穗の岩やの歌前に見えたり。地名は同名異所あまたあれば、一所に定むべからず
不怜 ※[立心偏+可]怜と書きて、面白しともうましともよむ。そのうらにて不怜と書たれば、さびしと義訓に讀む也。若しくはかなしと讀むべき歟。或説の歌にもかなしとあり
歌の意は白つゝじは面白く咲きたれども、空しき人の屍を見れば、慰む心も無きと悼みたる歌也
或云見者悲霜無人思丹
あるにいはく、見ればかなしも、なき人しのぶに
或説には、如v此書きたる本もあると見えたり
435 見津見津四久米能若子我伊觸家武磯之草根乃干卷惜裳
見つ/\し、くめのわくこが、いふれけん、いそのかやねの、かれまくをしも
此卷の前に、三穗岩やの所にも、くめのわか子の事有。みつ/\しとはくめと云はん爲のほめたる詞也。日本紀卷第三神武紀にも、みつ/\しくめの子らとありて、みつ/\しは稱美の詞也。此若子も、前の岩屋の若子と同人のことをよめる歟。前の歌みほのうらわとあるにより、博通法師紀の國の三穗石室を見て詠める歌あれば、若し混雜したる歎。此已下三首の歌、屍を見て詠める歌とも聞え難し。兎角混雜と見ゆる也。此歌の意も、若子を美人の事にして見れば、安く聞えたる歌なれど、若しくめの若子の事とせばむつか敷也。美人をほめて、女なれどもかく詠めるにやあらん。然らばその美人の袖ふれる礒の草の枯れなんこと惜しきとの意也。又は美人を草に比して詠める歟
(363)436 人言之繁比日玉有者手爾卷以而不戀有益雄
ひとごとの、しるきこのごろ、玉ならば、手にまきもちて、こひざらましを
人言之繁 人にいひさわがれて、思ふ人に會ふ事もまゝならぬとの義也。此集にあまたあり
手爾卷以而 必竟我物とせば、かく戀ひ佗ぶることはあらましをと、玉に比して云へる也。玉は手玉といふて、上代は皆身の錺にしたるなり。思ふ人の玉なれば、手玉にして常住にもてあそばんにと也。思ふ人を玉に比したる也
437 妹毛吾毛清之河之河岸之妻我可悔心者不持
いもゝわれも、みそぎし河の、かはぎしの、いもがくゆべき、こゝろはもたじ
清之 これはきよめしとか、すめりしと點せり。こは歌詞にあらざるを不v辨の説々なり。清之はみそぎし也。夫婦の約束をして、誓約の事をなしたるをみそぎしとは詠みたる也
可悔 は岸の崩れくるによせていふたる也。不實二心なる心は持たじと也
右の歌ども屍を見てよめる歌とは不v聞。是混雜と見えたり。されば左注者も歌辭相違の是非を難v別と注せり
右案年紀并所處及娘子屍作歌人名已見上也但歌辭相違是非難別因以累載於茲次焉
所處及 此及の字、乃の字に記せるは誤と見えたり
載於茲次焉 此焉の字不審。載の字呼の字ならんか。如v此ありては右注になるべからんか
神龜五年戊辰太宰帥大伴卿思戀故人歌三首
前略むかしひとをしたひこふうたみくさ
故人の歌の意を見るに、亡妻の義を慕ひ給ふ儀なり。死去わたる人故、故人とは書けるならん
438 愛人纏而師敷細之吾手枕乎纏人將有哉
(364)うるはしき、ひとのまきてし、しきたへの、わがたまくらを、まくひとあらんや
愛 神代上卷伊弉諾尊の冉尊を指して、美はしきと神勅ありし古語ありて、しかも愛の字を讀ませたり。うつくしむ、うつくしきなど讀める點あれど、古訓に從ひてうるはしきとは讀むなり。うるはしき人とは、過去し妻の事を指して云へる也
手枕 はたまくら也。手は發語也
纏人將有哉 うるはしき人はすぎさりて、又まく人あらんや。まく人無きと歎きたる歌也。能聞えたる歌也
右一首別去而經數旬作歌
此左注は、離別しての後詠める樣に聞ゆれど、死別の後の歌也。既に此集卷第八式部大輔石上堅魚朝臣の歌の左注に、大伴卿の妻長逝の事を載せたり。而れば死別の事明らけし。神龜五年に死別にて其年に詠める歌故、數旬を經と左注せる事可也
439 應還時者成來京師爾而誰手本乎可吾將枕
かへるべき、ときにはなりけり、みやこにて、たがたもとをか、われはまくらん
440 在京師荒有家爾一宿者益旅而可辛苦
みやこなる、あれたるいへに、ひとりねば、たびにまさりて、かなしかるべき
可辛苦 からくゝるしむと書きたれば、くるしとばかりは讀み難し。二字合せてかなしと可2義訓1也
二首とも歌の意聞えたり
右二首臨近向京之時作歌
みぎ二首、みやこにおもむくにのぞみ、ちかづくときつくるうた
これは、やがて任限果てゝ都に歸り上らんとする時の、近くなりて詠める歌との左注也
神龜六年己巳左大臣長屋王賜死之後倉橋部女王作歌一首
(365)前畧ひだりのおほいもうちきみながやのおほきみ、しを給ふのち倉橋部の女王つくれる哥一首
長屋王 此卷の前に委しく注せり
倉橋部女王 傳不v詳
441 天皇之命恐大荒城乃時爾波不有跡雪隱座
おほぎみの、みことかしこみ、おほあらきの、時にはあらねど、雲かくれます
大荒城乃 この詞難v濟。案には大あらきは墓所なるべし。天下露顯の墓所故、かく詠み給へる也。すべてきと云は墓所のことを云也。ひつぎをおさめ埋むところ故きと云。葬車をきくるまといふも、ひつぎをのせる故云也。然れば大いにあれたる墓所を、大あらきといふて、昔かくれなき墓どころなる故、その墓どころに、おさめかくす時節來りて、天命つき給はず非期の死をし給ふ故、そのきにおさむる時にはあらねどと、詠めると聞えたり。或説には、木の葉のあれて落葉するに喩へて、秋風もいたらで未ださかえ給はん身の、早くも過給ふといふ義に、時にはあらねどと詠める意に譯せるは、無理に義をつけたる意なるべし。大荒木のもりを詠ずることは、昔より用捨あることになれるも、墓所故の事なるべし。大あら木のもりの下草老ぬれはこまもすさめすかる人もなし、と詠める歌も、これ墓所故かる人も無く、馬をも不v飼と聞えたり
悲傷膳部王歌一首
かしはでの王を悲しみいためる歌一首
膳部王 膳部の二字、かしはでと訓せることは、續日本紀卷第九、元正紀に見えたり。是長屋王の御子也
左注作者不詳と記せり。何人が、かしはでの王を悼みてよめるか。歌主は不v知也。この歌を考ふるに、長屋の王の罪せられ給ふて、王等の威勢も衰へ給ふことをいためる意に聞えたり
442 世間者空物跡將有登曾此照月者滿闕爲家流
(366)よのなかは、むなしきものと、あらんとぞ、このてる月は、みちかけしける
物跡 此てには、今時のてにはには不2相合1也。古詠に如v此のてには、いくらもありし也。歌は時代によりて風躰相かはれば、今時にては世の中に空しきものにあらんとてと、詠むべき樣に覺ゆるてにをは也
歌の意、世の中は定め無き空しきものといふ理を知らしめん爲に、此圓滿の月も滿つればやがて闕くることを、あらはさせ給ふとの義、月のみちかくるを見て、世の中の定め無き、盛衰興廢のあることわりを知れよとの事也。死を悼める歌とは不v見也
右二首作者 未詳
天平元年己巳攝津國班田史生丈部龍麿自經死之時判官大伴宿禰三中作歌一首并短歌
前畧ふびとはせべのたつまろ、みづからくびれてしにしとき云々
班田 續日本紀卷十天平元年十一月癸巳、任2京内畿内班田司1。令義解卷第三田令、凡應班v田者、毎2班年1、正月卅日申2太政官1云々
史生 司中の事を一切書記す職也。日本紀卷十二履中紀四年秋八月辛卯朔戊戌、始之於2諸國1置2國司史1、記2言事1達2四方志1。今の代に云祐筆などの類也
丈部 和名妙に安房國長狹郡丈部波世豆加倍傳不v知。奧にて防人の姓に文部氏多く見えたり。此龍丸も安房國より出て史生に任じたる歟。此歌の主遠國より出身の者にや
自經 みづからくびると讀む。經は※[糸+至]の誤也
三中 傳不v詳。續日本紀卷第十三天平九年三月壬寅、遣新羅使副使正六位上大伴宿禰三中等四十人拜朝
443 天雲之向伏國武士登所云人者皇祖神之御門爾外重爾立侯内重爾仕奉玉葛彌遠長祖名文繼徃物與母父爾妻爾子等に語而立西日從帶乳根乃母命者齊戸乎前坐置而一手者木綿取持一手者和細布奉手間幸座與天地乃神祇乞祷何在歳月日香茵花香君之牛留鳥名津匝來與立居而待監人者王之命恐押(367)光難波國爾荒玉之年經左右二白栲衣不干朝夕在鶴公者何方爾念座可鬱蝉乃惜此世乎露霜置而徃監時爾不在之天
あまぐもの、むかふすくにの、ものゝふと、いはるゝひとは、すべろぎの、神の御門に、そとのへにたちさむらひて、うちのへに、つかへまつりて、たまかづら、いやすゑ長く、おやのなも、つぎゆくものと、はゝちゝも、つまにこどもに、かたらひて、たちにし日より、たらちねの、はゝのみことはいはびべを、まへにゐおきて、ひとでには、ゆふとりもたし、ひとでには、やまとほそぬの、まつろひて、まさきくませと、あめつちの、かみにこひのみ、いかならん、としつきひにか、つゝじばな、にほへるきみが、ひくあみの、なづさひこんと、たちゐつゝ、まちけんひとは、おほきみの、みことかしこみ、おしてるや、なにはのくにゝ、あらたまの、としふるまでに、しろたへの、ころもでほさず、あさよひに、ありつるきみは、いかさまに、おもひましてか、うつせみの、をしきこのよを、つゆしもの、おきていにけむ、ときにあらずして
天雲之向伏國 此訓より延喜式の祝詞部にも出でたり。古來よりあまぐものむかふす國と點して、諸抄の説、遠く空を望めば天雲も地におちて向ひ伏して見ゆる故、如v此云ふとの義なれども、雲のむかふすといふ詞、如何としても連續せぬ詞なり。別訓あるべき事なれども、何と可v訓とも不v決。雲につゞく訓あるべき也。師案には、たな引くのおりゐるのといふ詞あれば向伏の二字なびけると可v訓。昔よりかな書無ければ不v決。先づむかふすと古來點しおける通りに讀みおけども、是にてはあるまじき也
所云人者 いはるゝ人は、龍丸を指して云へる也
皇祖神之 これは朝廷の義を崇尊していへる義也。すめろぎのかみと續くるは、神の通稱尊ていひたる詞也。みおやの神を(368)すべて、すめろぎと云て、こゝの意は尊稱の通語と見る也。此かみはみおやの神に限りて云ひたるにはあらず
玉葛 彌遠長とよまん爲也。遠長、すゑ長とよむべし。かづらとよみ出たれば、末とかけ長くとうくべき事也。諸抄には、かづらは遠くながくはびろこるもの故との説なれども、遠長くとは詞拙く連續もせぬ也。義はしひて違ふべからず。先祖の名を子々孫々までとほく長く傳へんことは、禁庭に仕へまつりて功をもたてずしては、先祖の名もあらはれず、名も殘らぬによりて、はる/”\の國をへだてゝも朝に仕へ奉ると云て、故郷の父母妻子をなだめすかせしことを讀める也
立西日從 本國を立ちて、京へのぼりし日より也。これより母の、龍丸無難仕官の任はてゝさきへ歸りあはん事を、神祇に祈りしことを詠める也。長歌は皆かくの如き義を、言葉に花をあらせて詠みつゞくるもの也
前坐置而 前に居おきて、祈る神の前に供し備ふる義也
和細布奉手 やまとほそぬのまつろひて、古も今も國々に絹布の名あり。此やまとほそぬの我國のぬのといふ義歟。又大和國より織らせたる布といふ義歟。不2一決1也。いづれにまれ神祭の奉り物と見るべし
間幸座與 前に注せり
何在歳月日香 いかならん年月日にか、いつの時にかといふ義を、くわしく如v此詠みたるもの也
茵花 つゝじはな、和名抄云、本草云、茵芋【因于二音、和名仁豆豆之一云乎加豆々之】
香君之 にほへるきみが、紅顔の意、たつ麿のことにいへる詞也
牛留鳥 ひくあみ義訓也。あみを引よせるは靜かに引もの故、下の名津匝といふことによせて、引あみとは詠み出たり
名津匝 は前に注せり
立居而 たちゐつゝ、此而といふ字つゝと訓也。當集には如何程もつゝと讀まねば不v叶ところ多し。諸説にはたちてゐてと讀ませたれど、それにては上の而の字不v足也。若し立而居而とある古本にてもあらばさもあるべけれど、今本の字にては、つゝとならではよまれぬ也。本國故郷の親族の龍丸を待居たる事を詠める也
衣不干 勤仕にいとなく、衣裳もしほたるゝ程につとめ仕ふるとの義也。然れども衣不干の事少難2心得1也。皆悲歎の事な(369)らば、衣不v干、袖ほさぬとはよまざる例なるに、勤仕の事に衣不v干とよめる事、外に例無2所見1事なり。然れどもこゝの意、龍丸の死して悲しみに衣不v干と云ふところにても無ければ、先勤勞の無v暇事に解き置く也。若しくは、遠國より朝に仕へて、古郷を慕ふことにころもかはかぬとの事歟
在鶴公者 龍丸をさして也
往監時爾不在之天 いにけん時にあらずして、此世を背きて何と思ひてか、くびれて非期の死をなしけんと悼みてよめる也
反歌
444 昨日社公者在然不思爾濱松之上於雲棚引
きのふこそ、きみはありしか、おもはずに、濱松の上に、くもとたなびく
445 何時然跡待牟妹爾玉梓乃事太爾不吉往公鴨
いつしかと、まつらん妹に、たまづさの、ことだにつげず、いにしきみかも
右二首ともに不v及v注。能聞えたる歌也
天平二年庚午冬十二月太宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首
前畧みやこにおもむくみちたちのときつくるうたいつくさ
上道 みちたちと讀む也
446 吾妹子之見師鞆浦之天木香樹者常世有跡見之人曾奈吉
わきもこが、みしともうらの、やどり木は、とこよにあれど、見し人ぞなき
鞆浦 備後のともの浦なるべし。地名は同名異所あまたあれば、いづれとは決し難けれど、筑紫より京へのぼれる道の歌なれば、備後と聞ゆる也。ともの浦にて詠める歌故其地名をあらはしたれど、夫婦とも見しが今度は一人見ることの悲しみをふ(370)くめて、浦の名につけても古を偲ぶの心よりとはよみ出たるなるべし
天禾香樹 これをむろの木と訓せること、何の証明ありてか所見無し。次の歌ともに室木と書きたればこれによりてさは詠めるならん。然れどもむろの木をとり出たるも心得がたし。何によりてとり出たるや、或説にはその頃鞆浦に世にかくれ無き大木にてもありし故ならんとの義也。若し然らば外にかんがへよる所無ければ決し難し。師の案には天木と書きたれば、天然自然と生じたる木の葉と聞ゆる也。然ればやどり木にてはあるまじきや。やどり木は木の股、石の上などに、自然天然に生ずる木也。然れば天木の字義をもて書けるか。やどり木は枯れやすかるべきものなるに、それは行くさに見しまゝ、かへさにもときはにあるに、共に見し妻ははか無くなりて、見し人ぞなきと思ひ歎じて詠めるならんか。如v此見ればやどり木をとり出せる歌の情、理りも可v叶らんか。世に聞えある大木故との説は、今少甘心なき也
見之人曾奈吉 過き行し妻の義をのべたる義也。ともに見し人ぞ無きと歎きたる也
447 鞆浦之礒之室木將見毎相見之妹者將所忘八方
ともうらの、いそのむろのき、みむごとに、あひみしいもは、わすられめやも
室木 如v此書たる故、天木香樹をもむろのきと點せる也。むろの木は和名紗に※[木+聖]の字を記せり。此字も一名河柳とも訓せり。しかとむろに決し難けれど、※[木+聖]の字にて書きたらば、和名鈔をよりどころにてよむべからんか。室木は義訓をもて書けるか、また假名書に書きたるか、決しかたき也
將所忘八方 わすれんやわすられぬと也。やものもは歎息の詞古詠毎歌にある事也
448 磯上丹根蔓室木見之人乎何在登問者語將告可
いその上に、根はふむろのき、みしひとを、いかなりとゝはゞ、かたりつげんか
磯上丹 いそはいし也。岩石の上に生えたるやどり木すら、そのまゝにあるに、共に見し人の、今は無きことを悼みたる意をこめて詠める也。根はふといふにて、いよ/\やどり木の事ならん。やどり木は、木にも石にも根をまとふてゐるもの也
(371)語將告可 やどり木のかたより、何とて已前相ともに見給ふ人はいかにましますぞと問はゞ、悲しき事をあかし告げんかと、無心の木に心をあらせて、歎きの切なる情を愚かにのべたるもの也
右二首とも何の意も無く、能聞えたる歌也
右三首遇鞆浦日作歌
此古注者鞆浦と詠める歌によりて、注したると見えたり。理り過ぎたる左注ならんか
449 與妹來之敏馬能崎乎還左爾獨而見者涕具末之母
いもときし、みぬめのさきを、かへるさに、ひとりしてみれば、なみだぐましも
きこえたる歌也。みぬめの崎は攝津國也。前にも詠める歌なり
450 去左爾波二吾見之此埼乎獨過者情悲哀
ゆくさには、ふたりあがみし、このさきを、ひとりすぐれは、こゝろかなしも
情悲哀 古一本に喪に作れる爲v是也
一云見毛左可受伎濃
あるにいはく、見もさかずきぬ
これは二吾見之七文字を一本には如v此ありと也。さかずきぬはさけずきぬにうけて見も不v放來也
二首とも不v及v注、よく聞えたる歌也。みぬめの崎を詠めるも、妻の見えぬといぶ意にもよせて詠めるならんかし
右二首過敏馬埼日作歌
還入故郷家即作歌三首
ふるさとのいへにかへりいりて、すなはちつくるうたみくさ
(372)451 人毛奈吉空家者草枕旅爾益而辛苦有家里
ひともなき、むなしきいへは、くさまくら、たびにまさりて、かなしかりけり
きこえたる歌なり
452 與妹爲而二作之吾山齋者木高繁成家留鴨
いもとして、ふたりつくりし、わがやまは、こだかくしげく、なりにけるかも
與妹爲而 太宰府にて果給ひし亡妻とふたりして、作れる山齋なるへし
吾山齋 此山齋の二字、何とぞ別訓あらんか。點本にはやまと點なせり。よつて諸抄にも作り山の義と注せり。然れども表題に家に還入とある故、山の義とも難2一決1。第二十卷屬目山齋作歌三首とありて、其歌共皆あせびの木の歌にて、あせびの木はよくしげるもの也。こゝも木高くしげくと詠めるは、作庭などの事にて、莊觀などある所の故を以て、山齋の二字を書きて歌の意を助けたる歟。師案不2一決1也
木高繁成家留鴨 夫婦共にかたらひて合て、このめる家にもし庭にもあれ、任に向ひて他境にありし間に、荒廢して草木も茂りて、ありし昔の景色もなければ、亡妻の事抔思ひ合せて詠めるなるべし。木高くしげくといふは、草木などのしげりたる事をいへる義也
歌の意聞えたる通也
453 吾妹之殖之梅樹毎見咽都追涕之流
わぎもこが、うゑしうめの木、見るごとに、こゝろむせつゝ、なみだしながる
吾妹之 亡妻のうゑさせられたる梅の木なるべし。うめと讀めるはういといふ意を、ふくみて詠めるなるべし。空しくなり給へる人のうゑさせられたる木草を見るも、今はうきものとなりたると云こゝろに詠める歌也。聞えたる通也
右の歌どもは皆大伴卿の亡妻の事を悲しみ慕ひて詠める也。大伴卿の妻、病死の事は、此集第八の左注云、神龜五年大伴卿郎(373)女遇病長逝焉、于時勅使云々。如v此ありて、筑紫にてみまかり給ふ故、歸京の時昔を慕ひて悼める歌をよめると聞えたり
天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時謌六首
454 愛八師榮之君伊座勢波昨日毛今日毛吾乎召麻之平
はしきやし、さかえしきみの、いましせば、さのふもけふも、わをめさましを
愛八師 前にもくわしく注せる如く、ものをほめたることを、古語にはしきやしとは云ふ也
榮之 人の繁榮の事を草木などの生しげる如きことに喩へて云たる義也。よりて此歌も木とうけたる意に君とつゞけたる歟。
よく聞えたる歌也
455 如是耳有家類物乎芽子花咲而有哉跡問之君波母
かくのみに、ありけるものを、はぎのはな、さきてあるやと、とひしきみはも
如是耳 かくのみにと讀むべし。點本かくしのみと讀めり。同じ意なれども、のみにといふては少義理むつかしき也。かくのみと讀みても同じ意なれども、義やすかるべし。大伴卿の空しくなりけることを、かくのみにと云たる義也。かく空しき身にてありける物をといふ意をも含めて也
有家類物乎 芽子はかく存在してあるに、此はぎの咲ける頃花咲きたるやといひ給ひし、大伴卿はおはしまさぬと悲しみて詠める也
君波母 これ無き人を悲歎して詠める詞也。はぎのはなの頃は、花咲きたるやと問ひ給ひしことを、おもひ出て歎きたる歌也
此卷の奧の家持、悲緒不息時の歌にも、妻の死したる後、如是耳ありけるものを妹も吾も千とせのごとくたのみたりけると、詠める歌のかくのみもこの歌と同じ
456 君爾戀痛毛爲便奈美蘆鶴之哭耳所泣朝夕四天
(374)きみにこひ、いともすべなみ、あしたづの、ねのみぞなかる、朝ゆふにして
君爾戀 きみにこひともわびとも讀むべし。古詠は皆かくの如くきみに妹にといふてには也。今時のてにはとは大に違ひたること、古詠はわけあるべし。今は君をこひ、いもをこひならでは不v詠に、古詠の格何とぞ譯あるべし。先は君によりてわびなやむといふの義と見る也。前にも注する如く戀の字はわぶとよむ也。わぶはなやみわづらふといふ義と知るべし
痛毛 切なることをいともとはいふなり。切實にわび歎くといふの意也
蘆鶴之 下のねにのみなかるといふ冠辭也。たづのなくにはあらず。わがなくといふ義也
哭耳所泣 ねにのみぞなかると讀むべし。次奧の歌にも哭耳曾とよめる也。ねにのみぞなかる也
457 遠長將仕物常念有之君師不座者心神毛奈思
すゑながく、つかへんものと、おもへりし、きみしまさねば、たましひもなし
遠長 此二字此集中數歌に書せり。所々にてとほ長くとも又すゑ長くとも讀むべし。一ぺんに定むべからず。こゝは末長くと讀みて叶ふべし。いつまでも行末長く仕へんと思ひしといふ歌の意也
458 若子乃匍匐多毛登保里朝夕哭耳曾吾泣君無二四天
みどりこの、はひたもとほり、あさよひに、ねのみぞわがなく、きみなしにして
多毛登保里 多は初語也。はひもとほり也。日本紀卷第一神代上卷伊弉諾尊〔則匍匐頭邊、匍匐脚邊而哭泣流涕焉〕悲しみ歎くことの切なる義をよめる也。聞えたる歌也
右五首仕人金明軍不勝犬馬之慕心中感緒作歌
仕人古一本資人に作可v是。令義解〔軍防令に、資人、一品一百六十人【中略】大納言一百人とあり〕大伴卿の仕人の事也
金明軍 かねのあきくさ
不勝犬馬之慕心 漢の古事あり。愚智|春智《マヽ》にしたひ歎く義也。慕の字の下に述の字を脱せる歟
(375)459 見禮杼不飽伊座之君我黄葉乃移伊去者悲喪有香
みれどあかず、いませしきみが、もみぢばの、うつりいゆけば、かなしくもあるか
見禮杼不飽 大伴卿を見れどあかぬ也
黄葉乃 もみぢに喩へて、卿の過行たることをかなしみたる也
移伊去者 伊は發語也
右一首 勅内禮正縣犬養宿禰人上使※[手偏+僉]護卿病而醫藥無驗逝水不留因斯悲慟即作此歌
内禮 古一本内膳に作。國史を可v考
七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首并短歌
天平七年也
悲歎 かなしみ歎く也
460 栲角之新羅國從人事乎吉跡所聞而問放流親族兄弟無國爾渡來座而太皇之敷座國爾内日指京思美彌爾里家者左波爾雖在何方爾念鷄目鴨都禮毛奈吉佐保乃山邊爾哭兒成慕來座而布細乃宅乎毛造荒玉乃年緒長久住乍座之物乎生者死云事爾不免物爾之有者憑有之人之盡草枕客有間爾佐保河乎朝川渡春日野乎背向爾見乍足氷木乃山邊乎指而晩闇跡隱益去禮將言爲便將爲須敝不知爾徘徊直獨而白細之衣袖不干嘆乍吾泣涙有間山雲居輕引雨爾零寸八
たくつのゝ、しらぎのくにゆ、人事を、よしときかれて、門放流、うからはらから、なきくにゝ、わたりきまして、すめろぎの、しきますくにゝ、うちびさす、みやこしみゝに、さといへは、さはにあれども、いかさまに、おもひけめかも、つれもなき、さほのやまべに、なくこなす、したひきまして、(376)うつたへの、いへをもつくり、あらたまの、としのをながく、すまひつゝ、いませしものを、いけるもの、しぬちふことに、まぬがれぬ、ものにしあれば、たのめりし、人乃盡、くさまくら、たびにあるまに、さほがはを、あさかはわたり、かすがのを、そがひにみつゝ、あしびきの、やまべをさして、ゆふやみと、かくれましぬれ、いはむすべ、せむすべしらに、たちどまり、たゞひとりのみ、しろたへの、ころもでほさず、なげきつゝ、わがなくなみだ、ありまやま、くもゐたなびき、あめにふりきや
栲角乃 たくはきぬぬのになる木也。栲は楮の字の誤り來れる也。栲の字絹布の字義なし。古來より誤り來れると見えたり栲津布といふ義にて、衣とつゞく冠辭也日本紀神代〔卷下のはじめに、栲幡千千姫、即ちたくはた千々姫とあり〕
新羅國從 日本紀等可v考事なり。しらぎのくにゆ、前にも再度注せる、ゆはよりからといふ古語也。くにゝとは讀まれまじき也
人事乎 義訓あるべし。諸抄人のいふことを聞きてといへる説にて、人言と云義と也。難2信用1不v決也。なりはひなどと云義訓あらんか。人事と書きたれば人のなす業の義に付て、別訓あらんもの也。未v決故しばらく不v作v注也
古跡所聞而 人ごとをか、なりわひかをよしとぞ聞く也。日本の國はよき國と聞きて也
問放流 とひさけると讀ませたれど、句意不v通。これはうからはらからへ、續く縁語ならではならぬ也。然ればこれも問ひさけるにてはあるまじ。やはりなれ親しむかたなり。よりてとひなるゝにてあらんと也。下にうからはらからとあるにつゞく義の詞ならでは、ならぬところ也。或抄に、とひさくるはことゝひてうれひを遠ざけ慰むる義なりといふ説あれど、歌の意を不v辨説也。歌はさやうのむつかしきことを、句つゞきに詠むものにあらず。たゞうからはらからといふ詞に縁ある義にて無ければならぬ也。さけるといふ詞に、色々理をつけて講釋をせざれば、不v通説にては正義にならざるべし。訪放音相通ず(377)るをもて、若しとひとはるゝといふか。效といふ字を放の字に書あやまれること多ければ、とひなるゝにてもあるべし。字のまゝに讀みては義不2相叶1六ケ敷也
京思美彌爾里家者左波爾雖在 京にしげくさといへはあれどもと也
都禮毛奈吉 さびしきところ、同志の人も無きところといふ義也。獨にてたへて住むなどいふ説あれど、不2信用1義也。文句つゞかず義を不v辨説也。つれも無くなどとあらば、さも可v解歟。それすら難2心得1六ケ敷義也
哭兒成 ちごのなくごとくといふ義也。下の慕ひといふへつゞけん爲の冠句也
布細乃宅 これを皆しきたへのとよみて、敷座になどいふ意と同じ義にて、家は銘々に敷おさむるとの故といふ無理なる説あり。布敷の字の義訓を不v知説なり。これはうつたへの家といふ義也。たへはとこしなへの約言にて、現在常しなへにある家といふ義にて、家を祝賞したる詞なり。うつたへの家といふ義を、しきたへの家といふ義は無きことなり。家の冠辭と見るべし
人乃盡 此盡の字不v濟。別訓あらんか。赤人の伊豫温泉のところの歌にも、國の盡といふて此字を書けり。二字一字になりたる歟。四言一句の訓ある歟。いづれにもあれ、こと/”\にてはあるまじき也。此意は理願のたのみたりし人々皆たびに行きて、留主の間にといふこと也。石川命婦の、温泉の山へ湯治のあとのことを云ふたる義也
客有間爾佐保河乎朝川渡 たびにあるまにさほかはをあさ川わたり、夕やみの對句也。理願の死行し事をいへる也。屍をかくせし時の道すぢにてあるべし
晩闇跡 かくれましぬれと云はんとてゆふやみと也。尤死事をよみぢやみぢに行くとも云ふより也
直獨而 たゞひとりのみ、而の字此集にのみとよめる事不v可v數
有間山 石川命婦温泉にありし故に云也
雲居輕引 くもゐたなびき、居の字は雲につゞきたる言也。遠く空のことを雲居と云計にてはなく、雲といふ義とも聞ゆる也。尤もはるかに隔たりたることをいふ言葉に、雲ゐといふと見えたり。こゝも大和の佐保にて泣く涙、はるかに隔たりた(378)る有間山迄、くもゐにたな引き雨とふりたるやといふ意也。ふりきやとはかくばかり泣く涙、そなたにては雲ゐ棚引きて、雨に零りにたるやらん、ふりたるやと察し問ひたる意也
反歌
461 留不得壽爾之在者敷細乃家從者出而雲隱去寸
とゞめえぬ、いのちにしあれば、うつたへの、いへをばいでて、くもがくれにき
敷細乃 うつたへの、此敷の字うつとよむ事は、令集解に見えたり。神祇部、敷和は宇都波多なりとあり。古訓を不v知人しき細とよめり。しきたへの家とつゞく義はなき也。しきおさむるいへといふ義にたへの字不v濟也。うつたへは現在常しなへといふ、賞美の意といふを不v辨也
從の字を をとよむ事、此集中多事也。にとよんでは議不v濟事あり。にとをとのてには、歌の意大成違ある事也。ゆともよまれぬところ、をとならでは此處は不v可v讀也。かく現在とこしなへの家をいでて、死行きしことを歎きたる事也
右新羅國尼曰理願也遠感王徳歸化聖朝於時寄住大納言大將軍大伴卿家既※[しんにょう+至]數紀焉惟以天平七年乙亥忽沈運病既趣泉界於是大家石川命婦依餌藥事徃有馬温泉而不會此哀但郎女獨留葬送屍柩既訖仍作此歌贈入温泉
右新羅國尼曰 尼の下に名といふ字を脱せり。古一本には記せり
※[しんにょう+至]數紀焉 數年をふること也
忽沈運病 天運既に絶えんとする病氣に伏臥せしこと也
大家 一説に大家は曹なりと云。曹はつぼねの事也。これは命婦姉妹ありて、姉の家をいふならん。大孃と書きたること前にあり。若しその孃の字の誤れるか。兎角兄弟の内姉の方といふ義と見えたり。然れば石川命婦は大伴卿の妻なるべし
十一年己卯夏六月大伴宿禰家持悲傷亡妾作歌一首
(379)462 從今者秋風寒將吹烏如何獨長夜乎將宿
いまよりは、あきかぜさむく、ふくらんを、いかにかひとり、ながきよをねん
六月に詠めるなれば、もはや六月の末ごろにたやがて秋近くなれる頃なるべし。よく聞えたる歌也
如何獨長夜乎將宿 いかにして長夜をひとりねんと也
弟大伴宿禰書持即和歌一首
463 長夜乎獨哉將宿跡君之云者過去人之所念久爾
ながきよを、ひとりやねんと、きみがいへば、すぎにし人の、しのばるらくに
聞えたる歌也
又家持見砌上瞿麥花作歌一首
またいへもち、みぎりのなでしこをみてつくるうた一首
464 秋去者見乍思跡妹之殖之屋前之石竹開家流香聞
あきされば、みつゝしのべと、いもがうゑし、にはのなでしこ、さきにけるかも
見乍思跡、見つゝ偲べと、なでしこの咲きたるにつけて、亡妻をしのべと瞿麥の咲きけるかなと詠める歌也
石竹 なでしこと讀む也
香聞 例の歎慨の詞也。かなといふと同じ意也
移朔而後悲歎秋風家持作歌一首
ひかずうつりてのち、あさかぜをかなしみなげきて家持つくる歌一首
移朔而 義訓に日數うつりてと讀む也。亡妻の死て三十日も立ちて、秋にもなりて讀めるといふ義なるべし。朔望の日數を(380)へて後との義にかく注せるならん
465 虚蝉之代者無常跡知物乎秋風寒思努妣都流可聞
うつせみの、よはつねなしと、しるものを、あきかぜさむく、しのびつるかも
代者云々 世の中は定めなきものとさとりしりたるに、漸く日數もへだたれば、また秋風の吹きて世もさびしくひやゝかなるにつけて、再び思ひ出し亡妻を慕ふとの意地。端書に移朔而後と書けるも、歌の意に再び思ひ出してしのびつることを、あらはさん爲と聞ゆる也。此かもゝかなといふ意に同じく歎の詞也
又家持作歌一首并短歌
466 吾屋前爾花曾咲有其乎見杼情毛不行愛八師妹之有世婆水鴨成二人雙居手折而毛令見麻思物乎打蝉乃借有身在者露霜乃消去之知久足日木乃山道乎指而入日成隱去可婆曾許念爾※[匈/月]己曾痛言毛不得名付毛不知跡無世間爾有者將爲須辨毛奈思
わがにはに、はなぞさきたる、それをみれど、こゝろもゆかず、よしゑやし、いもがありせば、みかもなす、ふたりならびゐ、たをりても、みせましものを、うつせみの、かりのみなれば、つゆしもの、きえゆくがごとく、あしびきの、やまぢをさして、いりひさす、かくれにしかば、そこもひに、むねこそいため、いひもえず、なづけもしらず、あともなき、よのなかなれば、せむすべもなし
情毛不行 不v慰也。面白からぬことを心不v行と云也
愛八師妹之有世婆 妹をほめたる詞に、はしきよしと云也
水鴨成 水鳧のはなれず、雌雄並びゐる如くにと也
借有 かりなる也。かりのやどりなどいふ意と同じ。無常物なればと也
(381)露霜乃 古一本に、此二字を記せり。霜霑の字は誤也。或抄には誤字をそのまゝ訓せる注あり。此本第四巻重覆の本にも、露霜と記せり。點にもとけしものと讀みたり。一本露霜の字にてよく聞えたる也
曾許念爾 そこもひに、かくれ行きたるその所をおもふにと也
よく聞えたる歌也
反歌
467 時者霜何時毛將有乎情哀伊去吾妹可若子乎置而
ときはしも、いつかもあらんを、こゝろうく、いゆくわぎもが、みどりこをおきて
時こそあらんに、このみどりこをおきて過行きし事の心うく悲しきことゝ詠める也。みどりこのありけると聞えたり
情哀 こゝろうくとよむ也。悲しきといふ意也
468 出行道知末世波豫妹乎將留塞毛置末思乎
いでてゆく、みちしらませば、かねてより、いもをとゞめん、せきもおかましを
豫 かねてよりとよむ、此集中數ケ所也
469 妹之見師屋前爾花咲時者經去吾泣涙未干爾
いもが見し、にはにはなさき、ときはへぬ、わがなくなみだ、まだかはかぬに
屋前花咲 いもとが愛し見たる花の、庭に咲ける頃もすぎて、早く光陰のとゞまらず月日のうつり行て、歎き悲しみの涙は袖にかはかぬとの意也。妹と相詠めつる花の、庭に咲きて其時節には到來すれど、慕ふ涙はかはかぬと也。庭に花咲とよめるは秋の頃庭に草の花の咲たるを見て、悲しみ慕ふ情の出でたるなるべし。亡妻の過き行しは、春夏の頃にてもやありけん、時はへぬと詠めるところ、日數のたちたる意也。時は經たれども、慕ふ涙はかはかぬと也
(382)悲緒未息更作歌五首
かなしみのおもひいまだやまずふたゝびつくるうた五首
470 如是耳有家留物乎妹毛吾毛如千歳憑有來
かくのみに、ありけるものを、いもゝわれも、ちとせのごとく、たのみたりけり
如是耳 かくの如く定めなき身にてありける物をと云意也。亡妻の空しき身となりたることを云たる也。いもゝわれも、いつ迄も相ともにながらへむとたのみたりしことの、はかなきと也。此歌をもて、前の長屋王の資人詠める如是耳の歌の意も同じ意と見るべし。資人の歌も、長屋王のかくの如くの身にてましますにと云の意なり
471 離家伊麻須吾妹乎停不得山隱都禮情神毛奈思
いへをはなれ、いますわぎもを、とゞめえず、やまがくれつれ、たましひもなし
離家 いへをはなれとは死行きしことをいへる義也
山隱都禮 此句とくと聞えがたし。妹のかくれつらめといふことにや。又山にかくしおさめる故、山がくれつれといへるにや。愚意不v決也。先は山にかくしつればの意と見る也。墓所に藏めしことゝ聞ゆる也。長歌にも山道とあり
情神毛奈思 これは前にも心神もなしとありて、家持のかなしみにしづみて哭之慟の意にて、心もさだかならざる程にかなしめるとの意也
472 世間之常如此耳跡可都知跡痛情者不忍都毛
よのなかの、つねかくのみと、かつしれど、いたきこゝろは、しのびかねつも
世間之常如此耳跡 亡妻のみまかりて、定めなき世の中とくわんじさとりても、悲しみ慕ふ悼ましき心はしのびかねると也
痛情 悲しみの心はといふ義也。いたみ歎く心は也
(383)可都知跡 此かつに意なし。わづかに知れと云意にて詞のかつ也
不忍 或抄得の字を脱したるかといへり。さもあるべきか。不の字計にても、此集中かねると讀めること多し
473 佐保山爾多奈引霞毎見妹乎思出不泣日者無
さほやまに、たなびくかすみ、見るごとに、いもをおもひで、なかぬひはなし
思出 おもひいでゝ也。い、ひの内を畧して讀む也。佐保山と詠みたるは此所に葬りたれば也。前の歌にも見えたり
474 昔許曾外爾毛見之加吾妹之奧槨常念者波之吉作寶山
むかしこそ、よそにも見しか、わぎもこが、おきつきとおもへば、はしきさほやま
波之吉佐寶山 妹を藏めたる所とおもへば、何心も無くよそにのみ見て、心もとまらざりしが、今はなつかしく美はしき山と見ると也
十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舍人大伴家持作歌六首
安積皇子 聖武天皇の皇子也。追而可v考
475 掛卷母綾爾恐之言卷毛齋忌志伎可物吾王御子乃命萬代爾食賜麻思大日本久邇乃京者打靡春去奴禮婆山邊爾波花咲乎烏里河湍爾波年魚小狹走彌日異榮時爾逆言之枉言登加聞白細爾舍人装束而和豆香山御輿立之而久竪乃天所知奴禮展轉泥土打雖泣將爲便毛奈思
かけまくも、あやにかしこし、いはまくも、ゆゝしきかも、わがきみの、みこのみことの、よろづよに、めしたまはまし、おほやまと、くにのみやこは、うちなびき、はるさりぬれば、やまべには、はなさきをゝり、かはせには、あゆこさばしり、いやひけに、さかゆるときに、さかごとの、まがごとゝかも、しろたへに、とねりよそひて、わづかやま、みこしたてして、ひさかたの、あめしられぬ(384)れ、こひまろび、ひぢうちなけど、せむすべもなし
これは前にも注せる如く、心にかけておもふも、言にかけていふもおそれ多く、いま/\しきと、至つて尊崇尊敬したる義也。掛卷の事はかけ馬來の説よりも、やはり心にかけ、言にかけのかた義安かるべしと、宗師の後案也。よりて此に注しはべる也。いはくだすかしこきゝみと、日本紀にあるも、岩木成堅き木とうけたる義なるべし。岩木にては上に、山とか坂とか無くては、不v濟詞なれはいはくだはいは木也。くだすはなす也。濁音の左はな也。然れば岩木の如く堅きとつゞけたる意なるべし。成はごとくといふ古語也。これよりしてかけまくもの事も、やはり心言葉にかけるの方ならんかと也
食賜麻思 しろしめし給はまし也。畧してめし給也
大日本久邇之京者 續日本紀を可v考。聖武紀にあり
年魚小狹走彌日異爾 是迄の歌の意、畢竟皇子のさかえ給はんことを詠める也。年十七歳にて薨れ給ふ故、その學び給はん時もいたらずして、かくれ給ふと歎く也。彌日異には、日毎といふ義也。年魚小狹走、山川のことを詞の花に讀みてつゞけたるもの也。小狹は助語也。意は無きこと也
花咲乎烏里 此集中あまたあり。花の咲きしだれたる如きのことを、をゝりとは云也。或抄にをせりと云説大成誤也。烏爲の誤字を不v辨故也
逆言之※[手偏+王]言登加聞 前にも注せり。眞實の事とも不v被v思。そらごとさかしまごとかと也
白細爾舍人装束而 御葬送の躰の事也
天所知奴 上天して天をしらしめぬれと也
展轉 ふしまろびと讀むべし。詩經に展轉反側と記せり。ふしまろぶと點せり。ひらふしなげくなど云ふことありて、悲しみの切なることを詠める也
泥土打 ひぢはつちなり。ひぢをうちて歎くと云義也。衣などのぬれひたれてといふ義とも解せる説あり。いづれにまれ、いたりて悲しみの切なる事を、展轉泥打と書きたり。此集中に多き詞也。こゝにては、衣などのぬれひたれといふ義はつゞかず(385)ふしまろびとあれば土をうちての義也
反歌
476 吾王天所知牟登不思者於保爾曾見谿流和豆香蘇麻山
わか王、あめしるらんと、おもはねば、おほにぞ見ける、わづかそまやま
皇子にあめをしろしめさんとおもはざりし故、おほそに見たると也。わづかそま山、めづらしき地名也
477 足檜木乃山左倍光咲花乃散去如寸吾王香聞
いよやかにさかえましまさんと思ひし皇子の、かくれましたるをかく喩へたる也。よく聞えたる歌也。山さへ照りかゞやく如きさかりなる花の散れる如く、みこのかくれ給ふを喩へたる也
右三首二月三日作歌
天平十六年二月三日と也
478 掛卷毛文爾恐之吾王皇子之命物乃負能八十伴男乎召集聚率比賜比朝獵爾鹿猪踐起暮獵爾鶉雉履立大御馬之口抑駐御心乎見爲明米之活道山木立之繁爾咲花毛移爾家里世間者如此耳奈良之大夫之心振起劔刀腰爾取佩梓弓靱取負而天地與彌遠長爾萬代爾如此毛欲得跡憑有之皇子乃御門乃五月蠅成驟騷舍人者白栲爾服取著而常有之咲比振麻比彌日異更經見者悲召可聞
かけまくも、あやにかしこし、わがきみの、みこのみことの、ものゝふの、やそとものをゝ、めしあつめ、いさよびたまひ、あさかりに、しゝふみおこし、ゆふかりに、とりふみたゝし、おほみまの、くちおしとゞめ、みこゝろを、みせあきらめし、いくぢ山、こだちのしゝに、さくはなも、うつろひ(386)にけり、よのなかは、かくのみならし、ますらをの、こゝろふりおこし、つるぎたち、こしにとりはぎ、あづさゆみ、ゆぎとりおひて、あめつちと、いやとほながに、よろづよに、かくしもがなと、たのめりし、みこのみかどの、さばへなす、さわぐとねりは、しろたへに、ころもとりきて、つねにありし、ゑまひふるまひ、いやひけに、かはらふみれば、かなしめしかも
皇子之命 安積皇子を指て也
物乃負能八十件男乎 下のやといはん爲也。武士は弓矢を帶するもの故、ものゝふの矢とうけたること也。八十は數多の義まへに毎度注せり
朝獵 夕べに對して也。鹿猪 二字合せてしゝとよむ也
踐起 ふみおこし、朝ゆふに伏したるしゝを踏みおこし也
鶉雉履立 とりふみたゝし也。みこのみかりの躰を詠みたる也
御心乎見爲 此みせといふ事は、人に見せしめらるゝといふ義にてはなし。皇子のみ給ふといふの義也。四方を見わたし、み心をあきらかに晴らさせ給ふといふ義也。みかりに立給ふて御馬の口を抑へ駐め、四方を眺望し御心を晴らされしと也
活道山 此山にてみかりをさせられたりと見えたり
移爾家里 みこの空しくなり給ひ、うつりかはりたるといふ義を詠める也
如此耳奈良之 是までにて世の中の定めなきことゝいひきりて、此已下みこのましまさば、長久幾久と仕へんものをと悔ゆる歌也
丈夫之心振起 ますらをの心ふりおこし、勇猛の志をおこして也。家持内舍人の武官故、是より已下の詞に、弓箭帶劔等の事をいへり
劔刀 つるぎたちとなりとも、たちかたなとなりとも同事の詞也
(387)如此毛欲得跡憑有之 かくしもがなとたのめりし、かくのごとくましませかしと、思ひたのみしと也
皇子乃御門乃 安積皇子御座所の御門の五月のころ蠅のたちさわぐ如く、舍人共のこなたかなたと、皇子のかくれ給ふ故さわぎて也
五月蠅成は、さつきの頃の蠅の如きと云義也。日本紀神代下〔卷云、蠅聲邪神、即ちさばへなすあしき神とあり〕
白栲爾服取着而 葬喪の服を着たると也
常有之 つねにありし、皇子のましましたる時の賑ひたりし振舞は、日毎にうつりかはりて、悲しきあり樣になりたると也
更經見者 かはらふ見ればとも、かはれる見ればとも讀むべし。日々にかはり行きて悲しき由也
悲召可聞 此召の字、もしは留の字の誤、たゞ悲しみかなといふの義歟。かなしみのみをのべたる詞はめし也。然共此語例不v覺也。集中今一首もあらば、みをめしと延べたる詞ともすべし。さなくては留の字のあやまりたるかと見ゆべし
反歌
479 波之吉可聞皇子之命乃安里我欲比見之活道乃路波荒爾鶏里
波之吉可聞 みこをほめんとての冠辭也。皇子をほめてはしきかもとは云ふたるもの也。別の意なし
安里我欲比 御存在まし/\てといふ事也。御存在まし/\し時、み狩などをなされしいくぢ山の道も、今はたれ往來するものも無げればあれたると也
480 大伴之名負靱帶而萬代爾憑之心何所可將寄
大伴氏は武士の祖也。日本紀等可v考。よりて名負と也
憑之心何所可將寄 たのみし心いづこにかよせん、皇子をたのみにしたるに、かくれ給へば、心をよせんかたも無きと也
右三首三月二十四日作歌
悲傷死妻高橋朝臣作歌一首并短歌
(388)481 白細之袖指可倍※[氏/一]靡寢吾黒髪乃眞白髪爾成極新世爾共將有跡玉緒乃不絶射妹跡結而石事者不果思有之心者不遂白妙之手本矣別丹杵火爾之家從裳出而緑兒乃哭乎毛置而朝霧髣髴爲乍山代乃相樂山乃山際往過奴禮婆將云爲便將爲便不知吾妹子跡左宿之妻屋爾朝庭出立偲夕爾波入居嘆舍脇挾兒乃泣母雄自毛能負見抱見朝鳥之啼耳哭管雖戀効矣無跡辭不問物爾波在跡吾妹子之入爾之山乎因鹿跡叙念
しろたへの、そでさしかへで、なびきねし、わがくろかみの、ましらがに、なりはつるまで、あたらよに、ともにあらむと、たまのをの、たえLやいもと、ちぎりてし、ことははたさず、おもへりし、こゝろはとけず、しろたへの、たもとをわかれ、にぎひにし、いへをもいでて、みどりこの、なくをもおきて、あさぎりの、ほのかになりつゝ、やましろの、さがらのやまの、やまぎはを、ゆきすぎぬれば、いはむすべ、せむすべしらに、わぎもこと、さねしつまやに、あしたには、いでたちしのび、ゆふべには、いりゐなげくや、わきばさむ【ちごのいさつもこのいさつるも】をのこじもの、おひみいだきみ、あさどりの、ねのみなきつゝ、こふれども、しるしをなみと、ことゝはぬ、ものにはあれど、わぎもこが、いりにしやまを、よすがとぞおもふ
新世爾 よをほめて、目出たき代に相ともに、年老まであらんと思ひしと也
不絶射 このやは助語也
朝霧髣髴爲乍 火葬にて雲霧のごとなりて、立さりたると也。ほのかになりつゝと讀むべし。雲霧となりて山際を過ぎしと也
(389)嘆舍 なげくや也。このやも助語也。此やに意なし
脇挾 とは兒といはんとての冠辭也。少兒は脇にはさみ抱くもの故、いとけなき子のことをいふには、皆わきばさみと詠み出せる歌、此集中あまた也
雄自毛能 男ながらもといふ義也。をとこながらも女の如く、兒を負ひみいだきみ、いたましきわざをなすと也。妻なき故、物うきあり樣のことを切に述べたる也
朝鳥之 諸島は朝先づ音を立つるもの也。よる音を鳴くといふことを云はんとて、先づ朝どりのと詠み出たる也
辭不問 ものいはぬものなれども、相樂山をよすがとおもふとの義也
因鹿跡叙念 たよりと思ふとの意也。妹を葬りしところ故、心のよるところと云義也。形見と思ふなど云説あれど、其義は不2相叶1。たゞ心のたのみよるといふ義也。妹をなつかしく慕ふ心のよるところといふ義に、よすがとぞ思ふと也。このよすがといふ事、日本紀等にも資の字を被v記て、助となるといふの意也。たより所となる意也。然れば妹を慕ふ心の助となり、たより所となるの義に相通ふ故かく詠める也
反歌
482 打背乃世乃事爾在者外爾見之山矣耶爾者因香爾思波牟
うつのみの世の事也。現在したる世の中のさまなればといふ義也
山矣耶爾者 爾者、今者也。爾は今の誤也。一本には今と記せり。妹のみまかりたることは、うつせみの世の中のさまなれば、今まではよそに見し山をも、今よりは心のより所として見んと也
483 朝鳥之啼耳鳴六書妹子爾今亦更逢因矣無
音にのみ鳴かん也。畢竟妹を慕ふて、泣かんといふ事をいへる意也。泣かんと云義をいはんとて、朝鳥のねのみとよみ出たる也。死たる妹には、今更二度あふ事はならねば、たゞなき慕ふといふ事を切にのべたる也
(390)右三首七月廿日高橋朝臣作歌也名字未審但云奉膳之男子焉
天平十六年の七月なるべし。前の年號をうけて略して、七月廿日とは記せるならん
高橋朝臣 實名不v知也。此高橋氏は、内膳の職を掛る家也。安曇高橋兩家内膳正になれば、高橋奉膳安曇奉膳といふ事古實なり。他氏此正に任ずれば、何氏何家といへども、高橋安曇兩氏に限つて奉膳なり。然る《(マヽ)》に此左法難2心得1也
但云奉膳之男子 實名不v知也。高橋朝臣奉膳といはる事には無き也
萬葉集童蒙抄 卷第七終
(391)大納言從二位大伴宿禰旅人【大納言安麻呂第一男】
養老二年三月三日任中納言【不歴參議】
三年正月七日叙正四位下
五年正月七日叙從三位
神龜元年二月日叙正三位
天平二年十月一日任大納言
三年正月七日叙二位七月一日薨【在官二年】
中納言從三位大伴宿禰家持【大納言贈從二位安麻呂之孫大納言從二位旅人男】
天平七年正月叙從五位下
十八年三月任兵部大輔
天平寶字二年六月任因幡守
六年三月日任民部大輔
八年正月日任薩摩守
神護景雲元年八月日任太宰少貳
四月六日任民部少輔【日月并官不審可尋】
(392)九月日任左中弁兼中務大輔
寶龜元年十月日叙正五位下
二年十一月日叙從四位下
三年二月日兼式部權大輔
五年三月日任相模守九月日兼左京大夫上總守
六年十一月日任衛門督
七年三月日任伊勢守
八年正月日叙從四位上
九年正月十七日叙正四位下
十一年二月一日任參議同九日兼右大弁
天應元年四月十五日叙正四位上同十四日兼春宮太夫五月四日任左大弁【大夫如故】八月一日復任參議【大辨大夫如故】
十一月十三日叙從三位
延暦元年閏正月坐事除官位五月十一日兼春宮大夫六月日兼陸奧按察使二年七月十三日任中納言【春宮大夫如故】
三年二月兼持節征東將軍
四年八月日薨
(393)右大臣正二位藤原朝臣不比等【内大臣大職冠第二男子】
大寶元年三月十九日任中納言
同日停中納言叙正三位任大納言
慶雲元年正月七日叙從二位
五年五月臥重病詔賜度者二十人
和銅元年正月七日叙正二位任右大臣
養老四年八月三日薨【年六十二】
詔賜大政大臣正一位【謚曰淡海公以近江國十二郡封之】
萬葉集 本集卷第三終
〔394頁〜403頁の目次省略〕
(404)萬葉集|打聞《本ママヽ》 卷第八
相聞
あいきゝ前に注せり。大方戀歌をあげられたり
難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首
なにはのすべらぎのみいもと、やまとにますあにゝたてまつりたまふみうたひとくさ
難波天皇 仁徳帝の御義なり
妹 いづれの皇女と難v考
在山跡 跡の字不審。歌中の詞には跡の字書たる例あれども、標題にやまとゝいふ字に山跡の二字珍敷なり。若しくは山背の誤字歟。兄字やまとにますみあにと云ては、いづれの皇子とも難v指。仁徳帝大和へ行幸などなりし時、妹の皇女詠ませ給へるか。しからば表題の書樣、難波天皇在山跡時妹皇子御歌とあるべきことなり。在山跡皇兄としるせるは、仁徳帝の御事にはあるべからず。別の皇子の、やまとにましませるに詠て被v奉たるならん。もし又跡の字背の誤ならば、難波の天皇妹とありて、宇治稚郎子皇子に奉れる歌ならんか
484 一日社人母待吉長氣乎如此所待者有不得勝
ひとひこそ、人母まち吉、ながきけを、かくまたるれば、ありえたへずも
待吉 諸本告の字に作れり。此本吉の字に書不審。告の字ならばつげなり。吉の宇ならばまづよしとよむべきか。人もはなべての人をさしたるなり。すべての人もまちつげはつぐなり。繼の字なり。まちつゞけなり。一日などこそ誰れも待ちこたへめ。長き月日は中々待たへられぬといふの義なり
(405)長氣乎 ながき月日をといふ意なり。毎歌此詞あり。假名書に若しながきけとあらば、さ讀むべきことなり。けなれば音なり。きなれば訓なり。上をながきと讀んで下をけと音によむ事もいかゞなり。未2一決1なり。意は長き月日を待たへぬろ云義なり。長氣の二字假名がきなくば、何とぞ別訓あらんか。第二卷にある氣長は、けの字初語と見えたり。たゞながきと云義なり。けながきも、ながきけも共に、たゞながきと云ふ義を、古語には如v此いひたるか。物おもひの時は、長く息のつがるゝ故など云説は、取に不v足義なり
有不得騰 勝の字諸本勝の字なり。此本は誤りたるなり。ありもえたへず、ありえたへずも兩訓によんでも義はおなじ
歌の意は、一日などこそ人も待ちたへらるれ、かく月日をへてながく待ち給ふ事は、えたへたまはぬとの義なり
岡本天皇御製一首并短歌
をかもとのすべらきのみこと、みつくりうたひとくさならびにみじかうた
岡本天皇 舒明齊明の二帝、いづれと難v決。編列の次第を見て歌の趣を考ふれば、女帝の御歌と見えたり。しかれども表題端書には、たゞ岡本天皇と記せる故、古來より不2一決1。既に左註にも未定の話を下せり。
485 神代從生繼來者人多國爾波滿而味村乃去來者行跡吾戀流君爾之不有者畫波日乃久流留麻弖夜者夜之明流寸食念乍寐宿難爾登阿可思通良久茂長此夜乎
かみよゝり、おひつぎくれば、ひとさはに、くにゝはみちて、あぢむらの、いさとはゆけど、わがこふる、きみにしあらねば、ひるはひの、くるゝまで、よるはよの、あくるきはみ、おもひつゝ、いもねがてにと、あかしつらくも、ながきこのよを
生繼 あれつぎ、おひつぎ好むところにしたがふべし。歌は耳たゝず、きゝよき詞を專とすべし。義は同事なり。天益人とも稱せられて、生々不v絶生つゞきくる此國人と云事なり
(406)味村 かもの一名、前にもしるせり。群類多くつれだちとびかふもの故、多くつらなることによそへて詠みたまへるなり
去來者行跡 いさとはゆけどなり。さりきはゆけどとか、さはぎはゆけどなどよめる説あり。しかれ共去來の二字いさと訓せる事古訓にしていざなひさそふと云義なれば、いさとはと讀む方しかるべし。あぢむらどりのいざなひつれたつことに、人多く行通ふなれども、慕ひたまふ君のましまさねば、御心のなぐさむ事の無きとの御詠なり
君爾之 此詞にて女帝の御歌と見ゆるなり。舒明天皇の御詠にて、婦女をしたひ給ふ御歌ならば、妹にしとあるべきに、君にと被v遊しは、女帝の御詠なるべし。尤歌には婦女をも君とよめること常なれども、天子の御製にはあるべからず
寐宿難爾登 いもねがてにと、此登は衍字ならんか。しかれどもいねがてにとよむ意と、いもねがてにとよむ意は意味違あれば言もねがてにと詠ませ給へるならんか。ねがてにといふ意は、いねても/\いねがたき故、長夜をもあかし給ふとの意也
阿可思通良久茂 あかしつるとの義なり。つらきと云ふの義と云説あり。甚非なり。たゞあかしつるといふ義なり。もは歎の詞なり。あかしつるかもといふ意と同じ
反歌
486 山羽爾味村驂去奈禮騰吾者左夫思惠君二四不在者
出羽爾味村驂 長歌に味村によそへて人多く行き通ふことをよませ給へる故、反歌にその縁を引て、こゝは實にあぢむらの山のはにむれたつなれどと詠ませ給ふなり。あぢむらは前注せる如く群類つれとぶものにて、羽音など騷々しきもの故さわぎとなり。尤むれとぶをさわぎとよみ給ふなり。驂の字或抄本にはこまとよめる説なり。顯昭法師もこれを難ぜり。一本には騷に作れり
吾者左夫思惠 此惠の字助字ながら少心得がたし。古詠のたすけ詞の格何程もありて、尤歎の意をこめたるときの助語と見ゆるなり。然共たゞさびしきといふ事なるに、さぶしゑとあること珍敷詞なり。もし、へに通ふ例もあらんか。さびしへといふ義にてか。袖中抄にはやに通ふゑと解したり
(407)487 淡海路乃鳥籠之山有不知哉川氣乃己呂其侶波戀乍裳將有
あふみぢの、とこのやまなる、いさやがは、けのころごろは、こひつゝもあらむ
鳥籠之山 後世にては床の山と書、歌の意もねどこの事によせ詠ぜり。しかれども此にはかな書に鳥籠の二字を被v書たるは由來あらんか。御歌の意は、尤あふ寐床の義をよせてよませ給へると聞えたり。長歌並次の反歌にあぢむらの事ある故、此御歌長歌反歌に縁なき別義の御歌の躰なる故、鳥籠の字を書て反歌の意をたすけたる歟。いさや川をとり出たまふは、とこの山にある川故ならん。第十一には狗上之鳥籠山とあり。日本紀卷第廿八天武天皇〔紀元年七月條に、〕犬上川濱とありて、いさや川とも犬上川ともいへるならん。後々の集にいさゝ川、いさら川など詠めるはあやまりたるならん
氣乃己呂其侶波 此けのころころといふことは、古來よりあきらかには不v濟。先はこのころごろとかさねたる義と見るなりしかれども委しく問答しては分明には釋しがたきなり。いさや川、氣とつゞくこといかにとも不v濟。川のこふるといふ縁に、川のころごろとよませたまふものといふても、はつきりとは不v濟義なり。畢竟けのころごろは、こひつゝもあらんといふ義をよませ給はんとての序歌とは見えても、氣のころころと詠ませ給ふ譯不v通。けのは通音にてこのころごろといふ義にして見置なり。猶後案あるべし
全躰此御歌は解しがたき歌なり。先はこのごろはこひつゝもあらんつれど、かくこひては行末いかにたへんやとの意をこめてよませ給ふ歌と見るなり
右今案高市岳本宮後岡本宮二代二帝各有異焉但稱岡本天皇未審其指
古註者も聞えがたきとなり
高市岡本宮 後岡本宮といふあれば、只岡本宮との端作いづねとも決しがたきなり。御製の趣は女帝の御詠、集編の次第も婦人の歌なれば、先は齊明帝の御歌歟
額田王思近江天皇作歌一首
(408)額田王 前に注せり。或抄に額田王にてあるまじ。五世の王なる事なるべしといへり。心得がたし。額田王の事此集中を見るに、天智帝にもつかへ給ふと見えたれば、後にこそ天武の夫人とはなり給ひつらん。此歌は天智の時のなるべし
488 君待登吾戀居者我屋戸之簾動之秋風吹
きみまつと、われこひをれば、わかやどの、すだれうごかし、あきのかぜふく
此歌、六帖には簾の歌の部に載たり。上の句少違へり
秋風吹 あきの風ふくと點せり。六帖にもおなじくあきのかぜふくとしるせり。詞つまりて聞ゆれば、秋風の吹とよむべきか。秋にそふるも月にそふるも同じ事なれば、聞きのよきやうなれど第八卷に同歌をのせて、秋之風吹とあり。
歌の意は、君を待ちてこひわびて居るに、まつ君は來まさで、秋風のすをうこかし吹來るとの悲しき歌なり
鏡王女作歌一首、
此鏡王女とある女の字は皇女の格歟。鏡王は額田王の母なり。第八卷にも如v此あり。もし額田王の妹にてもあらんか。不審なり。いづれにともあれ。此の歌は前の歌の唱和の歌ときこゆるなり。さなくては風をだにとよみ出たる事不v濟なり。
或抄に風は天地の使故、君の使の事かとまつなど云説は、あまりなる入ほかなり
489 風乎太爾戀流波乏之風小谷將來登時待者何香將嘆
風乎太爾 此かぜをだにと詠めるは、これ前の秋の風ふくといふにもとづきて、風をさへまつとこふれはともしく吹來ぬをとくり返して、風をだにといへるなり。人をこひ待つはいかばかりともしく苦しきと、いはずしてふくめたるなり
將來登時待者 こんとしは、君か來んとし知れて待は、何のなげく事かあらん。こんもこざらんも知れぬ人を待つに、おそきはいかばかりなげかるゝとの意なり
吹黄刀自歌二首
第二巻に出たる婦人なり。傳不詳なり
(409)490 眞野之浦乃與騰乃繼橋情由毛思哉妹之伊目爾之所見
まのゝうらの、よどのつぎはし、こゝろゆも、おもふやいもが、いめにしみゆる
眞野之浦 攝津國なり。近江は、まのゝ入江なり。此まのとよみ出たるは全躰の歌により處ありてなり。まのとは地名なり。その地名をよみ出たるは、下の句のいめと見ゆると云ことの縁に、上の五文字よりひつぱりたる歌なり。まのはまぬなり。上古の字は皆ぬといふ詞なり。まは初語にてぬとは、ぬるといふことなり。ぬるうらの夜殿とうけたる縁語なり
與騰乃繼橋 所の名なり。よどといふ所は何方にもあり。まぬとよみ出たるから夜殿といふ詞を添たり。つぎはしとは、今も川々にあるかりに渡置はしばしつぎたるあり。そのころ定めてかなたこなたへつぎわたるのことの多き橋なるべし。よりてこゝろとうけたると聞えたり。こゝろゆもはこゝろにもといふ義にて、こゝはこゝらなどいふて多き事を云詞なり
情由毛 先の人の心にも刀自をおもふや。とじが夢にも見ゆるとなり
491 河上乃伊都藻之花乃何時何時來益我背子時自異目八方
かはかみの、いつものはなの、いつも/\、きませわがせこ、ときわかめやも
河上乃伊都藻 此河上の二字かはづらか、かばのべか不2一決1なり
伊都藻 藻をほめていつといへるなり。ゆつもおなじ。第二卷同人の歌故、いはむらとよめるにおなじかるべし。下にいつも/\といはん爲に、いつもの花とはよめるなり。藻の花をほめていつもの花とよみ出たるなり。尤も藻は四時とこなつにあるもの故、いつも/\かはらず來ませといふ意をよそへて詠めるなるべし。川上とよみ出たるは、藻といふことを詠める縁に五文字に置るなり。もの花は四季にあるものか、不v考。いづれにもあれ、藻はいつもあるものなり。よりて不v變事を詠める歌故、いつもと詠み出たるなるべし
何時々々 常住不變に來りませとなり
時自異目八方 ときわかめやも、きみのきますことのありたることは、いつと時わくこと無きまゝに、いつも時をわかず來り(410)ませとなり。自異の二字はわくと義訓によむ事可なり。ときじけめやもといふ點もあれど、義は通ふべけれど、自異の二字わくと訓せん事よろしき義訓なり
八方 といふ詞は、毎歌にありて歎の詞にて、此歌は尤君のきます事は、いつとてもあかぬといふ意をふくめたる詞と見ゆるなり
田部忌寸櫟子太宰時歌四首
たつのいみきいちゐなり。任の字を脱せり。普通の本には任の字あり。宰の字の下に官名の字脱せるなるべし
田部忌寸櫟子 傳不v知。舊一本に舍人吉年と書入の本あり。よりて後人此歌の作者を、舍人きねと注せる人もあり。しかれども書入は後人の加筆、本文田部忌寸と氏姓を被v擧たれば、此四首の歌吉年とは難v決。本文端作とかく脱字ありと見えたり。いかにとなれば、四首の歌二首宛夫婦よめる歌と聞えたり。しかれば本文端作に脱文ありと見えたり。後人舍人吉年と加筆しけるは、もし櫟子妻妾舍人氏にて、名を吉年といへる義考ふる所ありて加筆しけるや難v計
492 衣手爾取等騰己保里哭兒爾毛益有吾乎置而如何將爲
ころもでに、とりとゞこほり、なくこにも、まされるわれを、おきていかにせん
取等騰己保里 わらはべのころもにとりつき、引とゞめる如く、慕ひ歎くわれを捨起きて太宰府にゆき給はゞ、われはいかにせんとの歌なり。これ櫟子の歌とは見えず。妻妾の歌なるべし。次の歌は此歌に和へる歌なり
493 置而行者妹將戀可聞敷細乃黒髪布而長此夜乎
おきてゆかば、いもこひんかも、うつたへの、くろかみしきて、ながきこのよを
置而行者 此おきてゆかばとよみ出たるは、前の歌に和たる歌故なり。此の歌は夫の歌と聞ゆるなり
可聞 うたがひの詞にあらず。歎の詞かなとおなじ
敷細乃 此點普通には皆しきたへと點せり。しかれどもしきたへのくろかみとつゞくこといかにも心得がたし。白きとはつ(411)ゞく詞あれど、くろきとつゞくこと證例無し。敷妙の家とつゞく例にて、うつたへのくろかみとつゞけたる詞なり。髪をほめ
現在とこしなへなる髪といふの意と聞えたり。いかにとしてくろきとつゞ詞あらんや。楮はしろきとこそつゞくを、くろきとは語例無きなり。下に布而などよめるごとくの縁にて、しきたへとの説あれども難2信用1。上代は髪を不v結、皆すべらし居たれば、しきぬるもの故、しきてとよまむこと上に縁無くてもよむべき事なり。くろかみを詠み出たるは、下の長と云ん縁によりてなり
長此夜乎 上に置てゆかばとよめるは、夜を起てゆかばといふ意をもこめて詠めると聞えたり。もつとも妹を置て他國へ行はの義にして、兩樣をかねて詠める意なり
494 吾妹兒矣相令知人乎許曾戀之益者恨三念
わぎもこを、あひしらせたる、人をこそ、こひのまされば、うらめしみおもふ
相令知人乎許曾 妹をしらしそめて、かくむつまじくなしたる媒の人を思ひのつのりたるあまりには、かへりてうらめしく思ふとの切なる歌なり。よく聞えたる歌なり。此二首は夫の歌なり
495 朝日影爾保敝流山爾照月乃不厭君乎山越爾置手
あさひかげ、にほへる山に、てるつきの、あかざる君を、山越爾置手
朝日影 これは殘月に君をたとへたる歌と聞ゆるなり。朝日の出づるころ迄も、ありあけの月の照れるを、あかず詠むるごとき君をと云の意也。童蒙抄の説可v然也。にほへるは日の光と月の餘光映じあひたる景色をいへるなり
不厭君乎 なれそひてもあかざる君を、わかれへたゞりて、居んことの悲しきといふ意なり。照月のあかざるとは、月のあかきとつゞけたる詞なり。あかざるといはんとて、てる月のと詠み出たる古詠の格皆如v此なり
山越爾置手 此山越の字六ケ敷なり。山越の二字別訓あらんか。置手の手は都なり。おきつといふ止なり。山越の二字は、はるかにと可v訓歟。諸抄の説點のあやまりとも不v及2論辯1事なり。此歌は妻妾の歌にして、櫟子太宰府へ往くをかなしめ(412)る歌なり。歌の意はなれそひ居てもあかぬ人を、達くはるかに隔ておくことの悲しきといふ歌なり。悲しきともさびしきとも云はずして、その意をのべたる歌と聞ゆるなり。童蒙抄には、君の字をいもと書きたり。もしいもと書本ありしや。君とは男女共にさして歌によめば、櫟子の歌と見てさは詠みなせるにや
柿本朝臣人麿歌四首
496 三熊野之浦乃濱木綿百重成心者雖念直不相鴨
濱木綿 芭蕉のごとくにして、葉は八重に重なりて白き花の咲けるものなり
百重成 もゝ重なすはもゝへの如くにと云義なり。幾重も/\おもひしたへどもとの義なり
心者雖念 此四字何とぞ別訓あるべし。こゝろはもへどとよみては、歌の意に首尾不v叶。にはと云言葉を添ていはねば不v濟なり。字の儘の點にてはあるべからす。此集中心者の二字いかほどもあり。何とぞ義訓あるべし。まづこゝろはもへどとよみて、心は幾重にも/\慕ひ思へどもあふことの無きと云歌と見るなり
497 古爾有兼人毛如吾歟妹爾戀乍宿不勝家牟
此いにしへにありけん人と詠めること、古詠の風躰時代の差別ケ樣のところにて知るべし。今時の歌には古の人もとよみて、有けんの詞は無用の詞なり。三卷目の歌の勝鹿の手兒名を詠める歌の、有けんとは違なり。その歌にてはありけんとも詠むべきなり。こゝの歌には無用の詞なれども、古詠の風躰の一格を如v此の類にて知るべし。心はいにしへの人もといふ義なり然るをかく丁寧に古詠はつらねしとなり
如吾歟 わがやうにかとなり
宿不勝家牟 いねがてにけんいもをこひわびつゝ、いねがてたるにてあらんと、わが今こひわびて夜をもねがてにわぶるにつけて、古人をもさこそかくあらんと察したる歌なり
498 今耳之行事庭不有古人曾益而哭左倍鳴四
(413)いまのみの、わざにはあらじ、いにしへの、人ぞまさりて、ねにさへなきし
人ぞといふことは、今時のてにはとは少替れども、古詠には皆此てにはあり。集中能考へ可v見。今の人よりもむかし人は、ましてこひしたふことに、ねにさへあらはしてなきたることなり。此歌前の歌をうけてよめる歌なり。
と詠めるところ不v濟。此集中連續の次第此格いくらもあることなり。此歌も其例格なり
499 百重二物來及毳常念鴨公之使乃雖見不飽有武
來及毳 幾度も/\來りませかもとねがふ意なり。別訓あるべし。き及べといふ詞にては、歌詞とも不v覺。古來より讀解者なき故、きおよべかもと點ぜり。さにてはあるべからず。何とぞ工夫すべきなり
念鴨 おもふかななり。鴨は例の嘆の詞にて、疑の詞にあらず
公之使乃雖見不飽有武 武の字通本に誤りて、多く哉に作るは非也。みれど/\君の使のあかざらんと云意なり。見れどを中へ入れたる歌なり。此格いか程もあり。使のみれどといふ事は不v聞。見れども使の來る事のあかぬとなり。公とさしたるは、妹の方を云たるなり。人丸の妻妾の事を云たる公なり。如v此歌には男女をさしていへるなり
歌の意幾度も/\來りませとねがひおもふから、その使の來たるを見れどあかぬとの歌なり
基檀越徃伊勢國時留妻作歌一首
基は氏にて紀氏を字にかへて基とかける歟。檀越は谷丘か、またまゆみ緒か。紀氏故、まみゆの木の縁をもてまゆみをといふ名か。だんをつとよめるは音なり。だんをつといふ名はあるべからず
500 神風之伊勢乃濱荻折伏客宿也將爲荒濱邊爾
濱荻 葦の別名なり。あしはをぎに似たるもの故、殯邊に生ずるをもて、はまをぎともいへる歟。聞えたる歌なり
柿本朝臣人麿歌三首
(414)501 未通女等之袖振山乃水垣之久時從憶寸吾者
をとめとは少女とも書、未通女と書て、をとめと訓ずるは少女の意をもて、いまだ男に不v通の女といふ意にてなり。また神に使ふる女を乙女ともいふ。これも男に通ぜぬもの故、兩義をもて義訓に詠めるなり
袖振山 袖はふるといはんためなり。古山なり。石上の古山といふ地名なり。尤此歌戀故をとめらともよみ出て、歌の意をあらはせり。しかれども上の句に意は無く、たゞ袖ふるといはんためなり
水垣之久時從 此水がきの久時、古來説々まち/\なり。しかれども人丸の詠に、水垣のひさしきとつゞける義は、決して無き詞なり。垣に縁ある詞ならでは正訓になり難し。よりて古き時よりか、ふりし時よりとか讀むべし。古一本に久寸の二字あり。しかればふるきとならでは讀まれざる也
時從 此二字を、よゝよりと讀みきたれども、戀歌に代々をかけて詠まんこと不2相應1。尤夜をかねたる詞とも云ふべけれども、表の意不v濟。ふりし時よりといふは、袖をふれたる時よりといふの意なるべし。乙女が袖をふれたる時より、思ひしたふとの歌なるべし
此歌一首より後世數人の讀み誤れること多き也。ふる山をよまんとて、をとめらが袖とは詠めるなり。たゞ袖ふる川ともよめる歌、此集第十二卷にあり
502 夏野去小牡鹿之角乃束間毛妹之心乎忘而念哉
なつのゆく、をじかのつのゝ、つかのまも、いもがこゝろを、わすれておもへや
夏野去 夏至の節鹿の角脱してまた生出るよし、神紀月令に見えたり。それに本づきて、なつのゆくをじかのつのゝとよめるなり。また新に壁出る角の、わづかに一束程の間も忘れておもはんやとの歌なり
妹之心 此いもの心も不v濟なり。とかく毎歌此心といふ字には別訓あるべきなり。心を忘れておもはめやといふ事不v濟妹を忘れめやといひて濟べきに、心をとよめるは、前にも注せるごとく別訓を可v考なり
(415)念哉 此詞は通例にて不v濟詞なり。おもへやといひては、先へ下知したるやうに聞ゆるなり。しかれども左樣の義にては無く奧に假名書に念倍也と書たれは、おもへやとよまねばならぬなり。いかにとなれば、おもへやはおもはめやといふことなりはめの約言へなり。よりておもへやと幾所にもあるなり
503 珠衣乃狹藍左謂沈家妹爾物不語來而思金津裳
珠衣乃 此訓點通例は如v字玉きぬとよめり。もつともきぬをほめたる詞に玉ともいふべけれど、玉ぎぬと云詞、此外の歌に不v見。難2心得1なり。うつたへのとか、あらたへのとかよむべし。うつたへもほめたる詞にて、擣衣の縁あればうつたへのかた可v然や。あらき布をさよみともいへば、もしあらたへのといふか。十四卷の歌に、ありきぬとよめるもあらきぬにて、珠は現の字のあやまりならんか。また日本紀欽明紀に百濟より貢献のものに、※[搨の旁+羽]氈《アリカモ》一領と云事あり。珍物のものなり。もしそのきぬといふ義めづらしきものに比していへる故、珠ぎぬとよみてもたからものと云意をとりて、珠ぎぬともよめる歟
狹藍 さあはさよみと云略語に通ずるなり。さゐを約すればあになるなり。うつたへのか、あらたへのさよみとつゞけて、下のさゐを興さんための詞ならんか。さえさゐとあるはさゐをいはん迄の縁語ならん
沈家妹 此しづみいへのいもとつゞく古語の例不審なり。此歌第十四卷目にも東歌の中に重出せり。五文字安利伎奴乃とありて佐惠々々之豆美とあり。此歌に付ていかにとも此さえさゐ沈の事不v濟なり。此歌と十四卷の歌とかな違ひたれば、何と解せんやうなきなり。師案には此人丸の歌を本として、東歌には方言多々あれば、書あやまりて假名書にしてかな違ひたるか。奧の歌の意とおなじ意の歌にしては、さえさゐしづみいへのいもと云詞、いかにも解くべき案なき也。諸抄の説はきぬのおとなひさえ/\さは/\とする、そのおとの居しづまりたるいもにといふ無理おしの説也。いかんとも難2信用1、宗師案にこゝの歌は地名を云たる歌にて、さゐ川の家のいもと云義といふ字の誤ならんと也。一本淡の字に作れり。然ればいづれと雖v定けれど、所詮沈の字にてはあるまじとなり。河の字なれば、前後の歌みな地形をよめる歌の列なる故、篇集の次第も連續し歌もよく聞えるなり。然るに奧の歌のかな書にしたるは、此歌を、本とし書あやまれるにやあらんか。もし後賢の高案あらばそれに從ふべし。先此歌は何とも解釋なりがたき歌なり
(416)思金津裳 しのびかねつもなり
柿本朝臣人麿妻歌一首
504君家爾吾住坂乃家道乎毛吾者不忘命不死者
きみがいへ、われすみさかの、いへぢをも、われはわすれじ、いのちしなずば
吾住坂 前にある八十隅坂同所なり。人丸の家此所にありしと聞えたり。さゐ川の近所ならんか。如v此よめる歌の列を見れば、さゐ川の家のいもと人丸のよめるにてあらん
命不死者 是も字の如くにてあるべからず。義訓あるべし。まづはいのちうせずばとよむべし。いのち死なずばにてはあるまじきなり
安倍女郎歌二首
505 今更何乎可將念打靡情者君爾緑爾之物乎
いまさらに、なにをかおもはん、うちなびき、情はきみに、よりにしものを
何乎可將念 これは先の人の、何をか思ふらん、吾はそなたに打なびきよれるものをと詠める歌ときこゆるなり。女郎のおもはむといふにはあるべからず。次の歌の例を見て味ふべし
こゝろといふは、子らはといふ意をかねて詠めるなるべし。こらとはわれをさしてなり
兒は女の連稱なり
506 吾背子波物莫念事之有者火爾毛水爾毛吾莫七國
わがせこは、ものなおもひそ、ことしあらば、火にも水にも、わがならなくに
吾莫七國 此ならなくには、第一巻の御名部の皇女の御歌の意とは違たり。此歌の意は火にも水にもわれこそならむといふ(417)意なり。ならなくにといふは、あらなくにと云ふてにはにては無し。われならんといふ義を、ならなくにと歎の詞を添へていふたる義と見るべし。もし吾の字、君の字の誤字ならんか。第二巻の歌も君の字なれば、此歌も同意に見やうあるべし。しからば火にも水にも君ならなくては、外には無き君がためならば、火にも水にもわれならんといへる歌とも見ゆるなり。君より外はなくにといへる意と見れば、第一卷目の歌も神のさづけし君ならなくに、外には無きといふの意なるべし
駿河※[女+采]女歌一首
507 敷細乃枕從久久流涙二曾浮宿乎思家類戀乃繁爾
しきたへの、まくらをくゞる、なみだにぞ、うきねをしける、こひのしげきに
枕從 まくらゆと詠みては不v叶なり。從の字をとよまねば不v通處集中には多きなり。しかるをゆとも、にともよみ違ひたる歌多あるなり
浮宿乎 水にうきといふものあるをかねて、又憂とよせて詠めるなり。下の戀のしげきも水にこひといふものあるから、その縁を離れずよめるものなり
三方沙彌歌一首
508 衣手乃別今夜從妹毛吾母甚戀名相因乎奈美
ころも手の、わくこよひより、いもゝわれも、いたくこひんな、あふよしをなみ
衣手乃別 わかるゝと云縁に、古詠みなころも手とよめり。ころもの袖は、左右にわかれてあるものなり
戀名 こひしなとよみ來れども、此點難2心得1。已往の事をよめる歌なるに、こひしなとよみては、當然の義になるなり。こふらめとか、こひんとならではよまれざるべし。名の字をめとてにはの詞にても、こふらめとか、見つらめとかよめる例あらば、こふらめにてもあるべし。此歌は何とぞ無2是非1離別してよめるか。または他國へ行とての歌ならんか
丹比眞人笠麿下筑紫國時作歌一首并短歌
(418)前に注せり。笠麻呂の傳不v詳なり。
509 臣女乃匣爾乘有鏡成見津乃濱邊爾狹丹頬相紐解不離吾妹兒爾戀乍居者明晩乃旦霧隱鳴多頭乃哭耳之所哭吾戀流千重乃一隔母名草漏情毛有哉跡家當吾立見者青※[弓+其]乃葛木山爾多奈引流白雲隱天佐我留夷乃國邊爾直向淡路乎過粟島乎背爾見管朝名寸二水手之音喚暮名寸二梶之聲爲乍浪上乎五十行左具久美磐間乎射徃廻稻日都麻浦箕乎過而烏自物魚津左比去者家乃島荒礒之宇倍爾打靡四時二生有莫告我奈騰可聞妹爾不告來二計謀
臣女乃 此訓點不v濟也。臣の字歟、一本巨の字にもつくれるあれば、いづれとも決しがたし。何れにしても、まうとめとよむ事義不v通。まうとめは、眞乙女といふ義なれども、臣の字をまとよまんこと、當集中其外古記證例なければ讀みがたし。よりて未2一決1なり。諸抄にはまうとめとは官女の事をいふと計注して、臣女の二字をまうとめとよむ義を不v弁。推量の注解なり。宗師案は、日本紀にをみのこのと讀める古詠の例格あれば、此字やはりをみのめのと讀まんか。官女にかぎることにも有べからす。すべて賤女にあらずば、くしげに鏡をのすべきなれば、官女の事を云ふとの説も心得がたし。然れども鏡を臺にのするほどの女は、賤女にはあるべからねば、采女のあやまりなどにて、みやび女といふ事ならん、みやびは風流の義をいふなれば、みやびをする女のといふ義にもあらんか。いづれにもあれ、まうとめとはよみがたし
匣爾乘有鏡成 例のかゞみのごとくといふ義にて、下の見つといはんための序なり。海をかゞみの如くに見たてたる義なり土佐日記等にも此歌の意をとりて書ける文あり
見津乃濱邊 難波わみつなり。つくしに下るは、上代もまづ難波に到りて、それより下ると見えたり
狹丹頬經 にほへる日をうけたる詞也。此さにほへる、さにつらふ處により歌によりて、つらふと不v讀ば不v通歌、此句に付て師案あり。此歌にでは日の光のにほへることに、いひかけたる詞と聞えて、にほへるひとうけたる迄の詞なり。ひもをほめたることにはあるべからず。さにほへるさにつらふのたがひは、全篇に渡りて可v考なり
(419)紐解不離 此句はすみがたき續なり。句意は難波のみつの濱べにいたりても、打ちくつろぎて旅のつかれをやすむ心も無く、いもをこひ慕ふ心のみ止みがたきとの意なるべし。さけずは字意の通にて不v去の意也。不v下の意にてはあるべからず
明晩乃 朝夕のことにあらず。曉の事をあけくれと云なり
旦霧隱 あさぎりにこめて飛行すがたは見えねども、たづのなく音の聞ゆるごとく、ねにのみぞなくと云義なり。下の音のみしぞなくといはんとての序句なり
吾戀流 これより又言葉をおこしてよめるなり
家當 古郷の方を詠めやればといふ意なり
青※[弓+其]乃葛木山爾 此あをはたのかつらとつゞくこと少不v濟なり。尤はたの青きか、長くたな引たるか、木にかづらなどのかゝりたるやうなるものにたとへて、かつらといはんとて、青はたと詠めるにやあらん。然れども不2打着1なり。本によりて青※[弓+其]とかける本もあり。不2一決1ざれは師案には、青柳のかつらきとつゞけたるにてあるべし。然るを柳にても、楊にても、旗の字にあやまりたるより、又※[弓+其]の字に傳誤したると見えたり。青楊のかつらなれば、何の子細にも不v及つゞきなり
白雲隱 古郷のかたの雲にかくれて不v見との義なり
天佐家留 家の字、我の字に誤りたる本有。又傳誤して我に誤りて書る本あり。濁音の字にてあるべき事ならず。家の字の我にあやまり、それより我にあやまりたると見ゆるなり。扨あまさかるひなといふ事、古來より説まち/\なり。帝都は天子の居所故、雲の上といふは、天とも云はずして、その天のあめに遠ざかりたる邊鄙の國といふ義にて、あまさかるひなとはいふとの古説なれども、帝都に近き五ケ國の國をも、あまさかるひなとよめる證歌則當集にも見えたれば、遠ざかりたる國故の冠辭とは不v聞なり。これは遠くさかりたる天の日とつゞけたる詞と聞ゆるなり。ひなとは邊土の事を云。そのひなのひとつゞくまでの詞に、あまさかるとはいひ來れるならんとの師案なり。天さかるとは、さかりたる天といふの義となり。師案の説もいまだ不2落着1なり
國邊爾 此句不2雅言1。くにへとよみては卑しき歌詞なれば、もし別訓もあらんか。然れ共古風の躰なれば強ひてもいひがた(420)し。これより船中の旅行の景地をのべたるなり
直向 これをたゞむかふと點をなして、いづれの歌にても皆たゞむかふと讀ませたれども、たゞむかふにてはあるまじ。何とぞ別訓あるべきなり。まむかふるなりとも讀みたるもの、たゞむかふといふ歌詞はなるまじき詞なり。筑紫下向の船路、淡路島はまむかひに見え、阿波の國はわきめに見ゆるなり。仙覺抄に、讃岐屋嶋の北の阿波の嶋とあり
背爾 たがひにとよみ來れり。うしろざまにわきめに見ゆるとの義なり。そがひはそむきむかひといふの義なり。向の字なくても同字なり。萬葉の一格前に准じて讀むなり
水手 此二字を、かことよむ。此由來日本紀卷第十に見えたり
左具久美 行なづむ事なり。やすく行がたきことを云なり。浪の上岩の間をこぎめぐる事なれば、すぐは行きがたき躰を詠めるなり。船路の艱難の義をかく詠みたるものなり
磐間乎 いはの間をと讀みても、また四言に讀みても同事なり。いはのまをとは耳にたてば、四言にてもあるべきか
稻日津麻 これは地名にも、いなみといふところあれば、それを不v從していなむ妻といふ義によせて、下のうらみといはん爲なり。いなむ妻なれば恨むといふ義によせてなり
浦美 地名なり。そこを通てといはんために、上よりだん/\地名によせてよみ出せり
過而鳥自物 此鳥自ものといふ事不v濟なり。師案、而の字は留の字のあやまりならん。もしさもなくば、留の宇を脱したるならん。さなくては不v聞なり。留の宇なれば、留鳥と書て、前の歌にもあみじものとなつぞさびとよみたる歌あれば、こゝもその通と見ゆるなり。然るを而にあやまりたるか。留を脱したるかなるべし。稻見、浦箕、播州也。うらみはうらうみの略語にてもあらんか
家乃嶋 播州なり。八雲抄に、同嶋を別のやうにかゝせ給ふは、假名遣の御たがひより也。延喜式にも揖保郡家嶋神社とあり
四時二生有 繁く生たると云義なり
莫告我 此我の字哉のあやまりか。家の字を我に誤り、又轉じて我に誤りたるなるべし。濁音にては不v通なり。なのり(421)その事は、日本紀の歌に出て、今世に云、穗俵といふ海藻の事をいふなり。神馬藻とも書は、神の馬にはなのりそといふ義訓にて書なり
不告 點本みなつげすとあり。此不告とよまんとて、上になのりそとよみ出たるなり。然れば不告はのらずとよまでは不v叶事を、點本皆つげずとあるも拙き事どもなり
反歌
510 白妙乃袖解更而還來武月日乎數而往而來猿尾
解更而 ぬぎかへてとよむべし。或抄にときかへてふたりぬることをいへるとの注あり。心得がたし。無理なる注解なり。白妙の袖に意は無きなり。此上の二句は中途より、妻のかた旅行のすがたを改めて、いつのころかへりこんと云ことを、のりてきましをといふ義をよみ出たる二句の序なり。此二句は下の第四の句につゞく句と見ゆるなり
月日乎 義訓にほどと點をなせり。義はおなじ。然れども下の數の字、教といふ字の誤ならんと見る説からは、月日と字のごとくよむべきか
數而 諸抄の説ほどをかぞへてとは、いつまでありていつのころかへりこんと、行程歸路のほど、滯留の日數をかぞへてと云の説なり。師案は長歌に名のりそをよみ出て、のらずきにけんとよみ留たれば、反歌にも、のりて來ましをと讀むべきことなれば、この歌の字は勅の字のあやまりか、また教といふ字か、兩字の草も似たる字なれば、たがひならんと見ゆるなり。教勅の字ともに、のりとよむ古訓なれば、長歌に附合する説は、のりてとよまんことしかるべし
徃而來猿尾 是を諸抄の説は、筑紫へ行きて來ましをと解せり。さも聞ゆるところあれど、長歌の意をうちかへして、のらずきたる事のくやしきまゝに、中途より取てかへし、旅躰をあらためて、いつの月いつの日はかへりこんと、契りかはしてきましをと、愚かに詠める歌と聞ゆるなり。兩義いづれか是ならんか。諸抄の説にてはたゞかぞへてと讀みて、いよ/\歌の意通(422)じがたし。いづれにても、のりてとよまでは義不v可v通。一説に中途より妻の元へゆきかへるほどをかぞへて、つくしの任におもむくといひ知らせてきましをと、よめる歌とも見る説あり。しかしかへりこんは、つくしよりいつの月いつのころはかへりこんといひしらせてきましをと、詠める歌と見る説可v然なり
幸伊勢國時當麻麻呂大夫妻作歌一首
511 吾背子者何處將行己津物隱之山乎今日歟超良武
此歌第一卷に出て、作者も同人重複混亂と見えたり
草孃歌一首
かやのをとめ 傳不v知
512 秋田之穂田乃刈婆加香縁相者彼所毛加人之吾乎事將成
あきのたの、ほだのかりはか、かよりあはゞ、そこもか人の、われをことなさん
穂田乃苅婆加 此集中に二三首出たり。諸抄の説もとくとはすみがたき也。穗の出たる田の稻のかりしほの時をいふとの説また稻をかりもちよる所をかりといふとの説也。とくとはきゝ得がたし。然れども外に愚案も無ければ、先づ稻をかりもてあつまる所を、かりばといふとの説に從ひおくなり。師案に、加の字如の字ならんかとなり。然らばなすと訓して、かりばの如くによりあはゞとよめる意かとなり。字あまりにて耳立てども、此説は歌の意聞えやすきなり。穂田をかるかりばのごとくに人々よりあはゞ何事も無きわれを、事ありと人のいひたてんかと云歌の意に聞ゆるなり。かよりの香は助字、初語なり源氏物語等に、かよりかよれるなど多き詞なり。よりあはゞといふことなり
彼所毛加人之 そのところもといふ義、またそれもといふ義なり。かのよりあはゞそれをも事ありと人のいはんかと、穗田を苅りて、そのかり人のより合ふ事によせていへる也。かりばへ直ちにより合ふことにはあらず。その如くに、人にたゞよりあはゞことこそありと、あだ名をいひたてんかとなり。人々により合ば、われを好色人に人のしなさんかと云の意と聞ゆるなり(423)此歌全體不v應v聞なり。尚後案有べし
志貴皇子御歌一首
513 大原之此市柴乃何時鹿跡吾念妹爾今夜相有香裳
おほはらの、このいちしばの、いつしかと、わがおもふいもに、こよひあへるかも
大原 大和の地名なり
市柴 下のいつしかといはんための序詞なり。櫟柴のことなり。櫟をならかしはとも云なり。日本紀に歴木と有も此木と同じ。くぬぎともいひ俗にどんぐりの木とも云木なり。なら柴といふも此市柴の義なり
歌の意は明らかに聞えたる歌也。いつかあはんとこひ慕ひし妹に、今夜あふ事の嬉しき情をのべ給へる御詠也
阿倍女郎歌一首
514 吾背古之蓋世流衣之針目不落入爾家良之我情制
蓋世流 きせるのせは助語の格ありてきるといふ意なるべし。しかし盖の字は別訓あらんか。きませるとよみたきところなり。然れどもさは讀まれねば、何とぞ別訓あるべきなり
入爾家良之 これをいりにけらしなと文字不v足故、奈の字を添へて點をなせり。家良之とかな書に一字宛書て、なの字を添ることはならざることなり。はいりにけらしと讀むべからむか。これも別訓あるべき歟
針目不落 はりめごとにといふ義なり。一夜も不v落など前にもあり
我情制 普通の印本は、情副とあり。此本の劍は制のあやまりならん。わがこゝろさへとよませたれど、別訓あらんか。わがこゝろもといふ意と見ゆれども、別訓はかりがたし
歌の意は、夫をこひ慕ふ心のせつなるまゝに、夫のきるころものはりめごとに、心のそみ入てあるといふの意なり
中臣朝臣束人贈阿部女郎歌一首
(424)東人 傳續日本紀に見えたり。不v詳
515 獨宿而絶西紐緒忌見跡世武爲便不知哭耳之曾泣
ひとりねて、たえにしひもを、ゆゝしめと、せんすべしらに、ねのみしぞなく
絶西紐緒 ひとりぬる時、下ひものきれたるなるべし。おもふ人の中絶えんはしと忌む事也
忌見跡 ゆゝしめと讀むべし。ゆゝしめとはいめどもせん方の無ければ、悲みてねにのみなくと也。これは阿部の女郎をこひ思ふ東人なれば、その中の絶えなんしるしにやと、悲む意を述べたると聞えたり。點本には、ゆゝしみと讀めり。意不v通。みはめと讀む例多し。いめどもといふ義也
阿部女郎答歌
516 吾以在三相二※[手偏+差]流絲用而附手益物今曾悔寸
三相 みつのかたちあるものをいふたる義訓なるべし。然るをみつあひによれると點あれども心得がたし。三相は、かせか、たにの義なるべし。みつあひによれると云事難v聞儀也。かせとか、たにとかいふ義訓あるべし。かせもたにも三相のものなり。しかれば義訓に書きたるものと見ゆる也。みつあひにと云詞歌詞とも不v聞也
※[手偏+差]流 これも點本にはよれると讀ませたれど別訓あらんか。はへたると義訓すべきか。よると云詞は歌詞にあれば、歌の意強き糸をつけまし物と云意なれば、糸もより糸と云は強きものなれば、よれるとも讀みて可v叶か。後學の人尚可v案也
歌の意は、紐の緒のきれていま/\しけれども、きれたればせんかたなく悲しむとよめる答歌故、われはきるゝ事無き強き糸を持ちたるに、それをつけたらば切るゝこともあるまじければ、いま/\しきこともあるまじきに今更くやしきと、先の意を助けて詠める歌にて、下の心はそなたの紐はきれたるとも、わがもちたる糸は、なか/\切るゝことの無きといふ、心中の頼母敷ことをあらはしたる義と聞ゆる義と聞ゆる也
大納言兼大將軍大伴卿歌一首
(425)大伴安麻呂の事也
517 神樹爾毛手者觸云乎打細丹人妻跡云者不觸物可聞
さかきにも、手はふるといふを、うつたへに、ひとづまといへば、ふれねものかも
神樹 さかきと義訓に讀める也。一種ありといへども坂木也。神木の惣名と心得べき也。神木といへども手はふるゝことのあるに、ぬし定まれる人の妻には、常住とこしなへに、手をも觸るゝことのならぬものかなと詠める歌也。大伴卿思ひかけし人の、ぬし定まれることありしを、歎きて詠めるなるべし
打細丹 うつは初語と同じく現在明らかにといふ義、細は前にも釋せる如く、とこしなへにといふ義也。此詞此集中全篇にわたりてよく可v考。たへとは皆とこしなへといふ詞也。此打細も常住不變とこしなへにきはまりたる、今日の上の法則といふの打細也
石川郎女歌
古本書入、即佐保大伴大家也とあり。佐保大伴卿の妻也
518 春日野之山邊道乎與曾理無通之君我不所見許呂香裳
かすがのゝ、やまべのみちを、よさりなく、かよひしきみが、みえぬころかも
與曾理 諸説おそりなくといふ意と注也。師案、夜去無と云なるべしと也。よさりなくとは歌詞にて、夜毎不v去通ひたる人の此頃見えねば、いかゞし給ふかと氣遣ひて詠める歌也。或抄に十四卷東歌の詞によそりと云歌あるを引、おこそとの横通の音に解して、おそれなくといふ義と釋せり。古今の、龍田山よはにや君かひとりこゆらんの歌の裏を詠みて、河内國の女の詠まんずる歌と注せり。心得がたし。東歌のよそりは方言なれば、おそれといふ事もあるべき歟。横痛音にはなり難き事也。横通、竪通も通ふ詞と不v通詞の例あることを不v辨して、悉く痛音すると心得たるはひが事也。東歌のよそりはよるといふ意なるべし。おそるゝといふ意にはあるべからす。師案は夜さりなくと云意に見る也
(426)大伴女郎歌一首
古本書入今城王之母也。今城王後賜姓大原眞人氏也
519 雨障常爲公者久堅乃咋夜雨爾將懲鴨
雨障 あまつゝみと讀むべきか。あまさはりと云詞心得難し。後人追加歌に、雨乍見と讀みたれば、此もあまつゝみなるべし雨の爲に身をぬれぬ樣に、衣にてつゝむを云也
常爲 いかにとも讀み難し。つねすると點本にあれども歌詞にあらず。別訓可v案
咋夜雨爾 よふべの雨にと讀ませたれど、是も心得難し。此集に昨日と書きてきそと讀める歌あれば、こゝもきそのよさめと讀むべき也。はたは又也。又は過ぎしよさめともよむべき歟。過雨の意に大雨などの事をいへるにやあらん。しからば下のこりぬらんかもと讀める意もすこしは助らんか。點本の通の読み樣にては、歌の意いかにとも通じ難し。いろ/\の詞を添へて釋せざれば聞え難き也。歌は詞を入れずによく聞ゆる樣に詠みたるものなれば、詞を添へていへば、いか樣の歌にもいひまはさるゝ也。古詠などは左樣の義あるべき事にあらず。此歌も全躰聞得難き歌也。先大概は雨を平生厭ふて、來べき夜も不v來。きのふの夜雨に來あはせたれば、今夜も來んと契りしに不v來ば、その時詠める歌かと見ゆる也。ゆふべの雨に懲りて、今夜來まさぬと云意なるべき歟。如v此詞を添へて云はざれば聞得難き歌なり
後人追和歌一首
普通の本には、和の字を同の字に書けり。古一本に和に作るを爲2正本1
520 久竪乃雨毛落糠雨乍見於君副而此日令晩
ひさかたの、あめもふらぬか、あまつゝみ、きみにそひつゝ、けふをくらさめ
雨毛落糠 雨の降らぬかな、ふれかしと願ふたる意也
雨乍見 雨を避くる着物なり
(427)副而 點本にはたぐひてと讀めり。たぐひといふ詞はことつけてと云意也。尤さそひつれてといふの意なる故、君につれてと云心に如v此讀みたるか。しかれども六ケ敷意也。雨つゝみの衣にともにそひねて、けふをくらさめといふの意と聞ゆる歌也。雨ふりて打しめりたる日ならば、雨つゝみの衣などを共に着て、君にそひてくらさめと願ふたる歌也。雨つゝみ君とつゞけたるは、つゝみものを着とうけたる也
令晩 しめんと云意にてさんと讀むと云説もあれど、さめと讀むべし。伊勢物語等にも此格あり
藤原宇合太夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首
宇合 馬養の事也。のきあひなど讀める大なるひが事也。續日本紀に任官の事見えたり。太夫とは稱美の號也。まちぎみと讀む也
521 庭立麻手苅干布慕東女乎忌賜名
にはにたつ、あさたかりほし、しきし【たの】ふ、あづまをみなを、わすれたまふな
庭立麻手 十四卷の東歌の假名書に、にはに立つあさてこぶすまとあれば、庭に立つとも讀むべきなれど、この庭にたつ麻てといふ詞は不v濟也。何として庭にたひあさとはよみけるや。いやしき賤屋には前栽などいふものも無く麻を植うる故、庭に生たる麻をかるといふ義との説あれども六ケ敷義也。義を附くれはいか樣も附けども、何とぞ安き義あるべし。東歌に假名書あれば、先づ庭にたつと讀むべけれども、しかれば其意は、如何にども未v被v辨也。宗師案には潦淺田とつゞけたる意と見るは、庭たづみは雨など降りたるあとに、庭中などに少水のたまりたるを云て、いさゝかのたまり水にていたつて淺きものなれば、麻といはん爲の序詞に、にはたづみとは讀みたるものと見る也。麻の葉は人の手の形なるもの故、麻手といふとの説あれども、てはたにて麻の田といふことなるべし。これは手にしても、強ひて義にたがふべからねば、好む所に從ふべし
苅干布慕 下のしきしたふといはん料にかり干しとある也。麻は敷き並べて干すもの故、絶間も無く常住慕ひこがるゝといふ事を云はん爲に、干しと詠み出でたり。扨此布といふ詞は、如何したることをいふ義と不審の解き古來より不v濟詞也。ち(428)りしき重波重播しき/\になど云詞、只しげきといふ義と心得たる也。さにはあらず。これはすき間無きと云語釋也。すきの二言し也。まなきの上略き也。しげきの中略と解してあはぬ事ある也。すき間無きと云義なれば、こと/”\く合也
東女乎 をとめをと詠める意少心得難し。自稱にをとめと云事例無2覺束1也。追て類例あらんや可v考。例無くばをんなと讀むべきか。官女宮女などは自らをとめと詠むべけれど、東國の賤女の自稱にをとめと詠まんこといかゞ也
歌の意、卑しきわざを爲しても、君を常住すき間無き程に、慕ひしのぶ東女を忘れさせ給ふなと詠める也
京職太夫藤原太夫賜大伴郎女歌三首
京職大夫 右左京職を兼ねたる也。續日本紀〔卷第八元正天皇紀養老五年六月、從四位上藤原靭臣麻呂爲2左右京太夫1〕の文、右左の二字不審なりしも、此集にて晴れたる也。懷風にも京職太夫と記せるにて明らか也。風藻の万里は万呂の誤り也
藤原太夫 古本書入、卿諱曰2麻呂1也と有。太夫は前に注せる通、稱美の意にて書きたる也。賜大伴郎女の賜は贈の誤り也
522 ※[女+感]嬬等之珠篋有玉櫛乃神家武毛妹爾阿波受有者
をとめらが、たまくしげなる、たまぐしの、かみさびけんも、いもにあはずあれば
※[女+感]嬬 をとめとよむ事集中多し。細釋に不v及。以下は玉櫛といふ迄の序詞也。玉ぐしといふより下は神とうけたるもの也
神家武 神さびんと義訓に詠むべきか。神の家なればものふりたるといふの義訓にて、神さびとも讀むべし。尤髪のことを相兼ねたる義也。源氏物語若葉にも、さしながら昔を今に傳ふれば玉の小櫛ぞ神さびにけると詠めるも、此歌などを扣へにてやあらん
宗師後案、此歌玉くじけなると詠み出でたるは、日本紀崇神の卷の、玉緒の神の古事によりて詠めるか。くしげの内に小蛇となりて神のまし/\たる古事あれば、神家武三字は神すまむとか、神やどらんとか讀むべきか。久しくあはぬことを詠みたる歌なれば、神などのつきて、如v此あふ事の絶えぬるかと云意をのべたる歌ならんと也
毛 此字毳のあやまりと見えたり。普通の點にはめづらしけんもと讀めり。何と釋すべきや。毳の字なれば疑ふたる意にて(429)此歌の意濟也。神さびんかもにても又神やどらんかも、神すまんかもとよみても歌の意は通也。さなくて此歌めづらしけんもとは何といふ事ならんや。解し難き讀みやう也
妹爾阿波受有者 久しくあふことの、と絶えたることを恨みて詠める歌の意也。久しくあはざれば、髪けづる櫛も物ふりたるにてあらんといへる意か。又師案の如く神のつきたるにやあらんと疑ひたる意の歌なるべし
523 好渡人老年母有云乎何時間曾毛吾戀爾來
此好渡の二字いかんとも難v解。よく渡ると讀みては歌詞にあらず。何とぞ別訓なくては此歌一向不v濟也。愚案、このむは戀ふ意あれば、下にもこひにけると讀みたれば、こひわたると讀むべきか人の字は神と讀みて、これは七夕の事を詠める義と聞ゆる也
年母 年にもあるは、一年に一度天河をわたり、索牛織女相逢といふ世の諺の事を讀みたる義と聞ゆる也
何時間曾毛 此下の句全体聞得難し。後案すべし。若文字の違ありて如v此難v解歟。下の句一向不v濟也
524 蒸被奈胡也我下丹雖臥與妹不宿者肌之寒霜
むしぶすま、なこやがしたに、ふしたれど、いもとしねゝば、はだしさむしも
蒸被 むしぶすまと讀むべし。古事記の歌にあり。古語を不v知古事記を不v見故、あつぶすまと點を爲せり。むしぶすまとは暖かなるふすまと云義也。今もものを暖めることをむすとも云ひ、又熱きといふ事をむすと云、俗間にも云也
奈胡也 和の宇をなごむと讀む古訓也。やわらかなるといふ義を、なごやと云たる也
雖臥 ふせれどもと云點は、歌詞を知らざる人の讀みなしたる也。ふしたれどと讀む也
歌の意は、隱れたる處も無く聞えたる歌也。むしぶすまもやはらかに、暖かなる下にいねぬれど、妹と寢ねゝば肌の寒きと也
右三首とも久敷相逢ことのと絶えたる事を、歎きて詠める歌也
大伴郎女和歌
(430)麿は太夫の妻也
525 狹穗河乃小石踐渡夜干玉之黒馬之來夜者年爾母有※[米+康]
さほがはの、さゞれふみわたり、ぬば玉の、こまのくるよは、としにもあらぬか
狹穗河 郎女の居所にある河故也。久敷君の不v來して不v逢事を、七夕にたとへて恨みたる歌と聞ゆる也。天の河は渡り難き河ならんが、さほ川はさのみ渡り難き程の川にもあらず。さゞれ石さゞ波のたつ淺き川なれば、舟かぢをも頼まず、馬にても渡らるゝ河なるに、君の來給ふことは、年に一度もあらぬかなと恨みたる意也
小石 さゞれ右と云。いさごなどの類、如v字ちいさき石を云。すべてさゝと云は皆小物を云。さゞいの、さゞなみ、さゞめごとなどさゝやくのと云て、ちいさきことをさして云也。こゝも不v深渡の易き河と云意に、さゞれふみ渡りとは詠めると聞えたり。其渡りやすき河をすら年に一度も來まさぬかなと也。深く恨みたる意也
夜干 からすあふぎを射干と書也。文字の音ヤカン相通ずるをもて如v此書たると見えたり。夜はぬるもの干はほすと讀む故、ほははと同音と云説は六ケ敷也。夜射音通ずるを以て書きたると見る方義安也。ぬば玉の語釋はいぬば玉と云訓也。到て黒色なるもの也。眞珠といふは玉の本にて到つて明白のもの、そのうらにて到つて黒き玉故、いぬま玉と云訓也。此類言格語いくらも有こと也。已にヒシヤシヤキは非さかきにと云義也。非2本榊1よく似たる木を云也。犬たで、犬ざんせうなど云類多也。此ぬば玉も其類也。ぬば玉はいぬば玉といふ義と知るべし。ぬば玉のははま也。ぬはいぬ也
黒馬 は、こくば也。音を訓にかりたるもの也。ばといふ詞はまといふ詞也。こくのこの一音をとりて、ばはまなる故こま也。くろを約すればこになれどもそれは六ケ敷譯也。音をかなに借りたるものと見ゆる也
來夜者 此句に兩樣の見やうあり。過去の事に見る意もあり。こしよはとも見るべき歟。下の句の讀みやうも兩樣ある也
年爾母有※[米+康] 一通は書面點本の通、としにもあらぬかと讀みて、年に一度も無き哉といふ意也。今一通は、こまのこしよはとしにもなりぬると讀む見やうもあり。君が來りし事は一年にもなりぬるかと、程久しくあはぬ事をいへる意とも聞ゆる也。有の字はなりともよむこと也。しかれども聞えやすきは、年に一度も無き哉と恨みて詠みたる歌と見る方安からんか
(431)526 千鳥鳴佐保乃河瀬之小浪止時毛無吾戀爾
ちとりなく、さほのかはせの、さゞなみの、やむときもなく、わがこふらくに
小浪 さゞれなみと點には讀ませたれど、さゞ波のと讀むべき也
戀爾 こふるにと云義也。例のるをのべたる詞也
歌の意、さゞ波のやまずよする如くに、君を戀ふると云意也。爾と云言葉は嘆の詞にて、古詠皆たんの詞に添へたる歌多也。
淺くは人をわが思はなくに、われならなくにの類也
527 將來云毛不來時有乎不來云乎將來常者不待不來云物乎
こんといふも、こぬときあるを、こじといふを、こんとはまたじ、こじちふものを
歌の意は、來んと云たる時だに來ぬことのあれば、こじといふ時はきはめて來給ふまじければ、待たじとの恨みを含めたる歌也。
528 千鳥鳴佐保乃河門乃瀬乎廣彌打橋渡須奈我來跡念者
ちどりなく、さほのかはどの、せをひろみ、うちはしわたす、ながくとおもへば
例の意無き歌也。河門水門と云も同じ。水の出合所を云也。彼方此方より流れ合ところを河門と云也
打橋 かりはしなどの類を云也。前にも注せり
奈我來跡念者 は汝が來ると思へばと云義也
右郎女者佐保大納言卿之女也初嫁一品穗積皇子被寵無儔而皇子薨之後時藤原麻呂大夫娉之郎女焉郎女家於取上里仍族氏號曰坂上郎女也
無儔 たぐひなしとよむ也。郎女也
(432)又大伴坂上郎女歌一首
529 佐保河乃涯之官能小歴木莫苅焉在乍毛張之來者立隱金
さほがはの、きしのつかさの、わかくぬぎなかりそ、ありつゝも、はるしきたらば、たちかくるかに 第三句又 しばなかりそ
涯之官 このきしのつかさと云詞珍らしき詞なれども、此集中に野づかさ山のつかさと詠みたれば、假名書にてつかさとあるからは、古詠には詠み來れると見えたり。官の字クハンの音なれば、キハと讀むべき義もあれど、集中に作例あればつかさと請むべき也。然るにそのつかさといふは、いかゞしたることゝ云に、古來抄物等の説不v決。岸のつゞき、野のつゞきたる所を云との説なれども其埋不v明。師案には山守野守橋守關守といふもの有こと、古代は皆其所々を守居れり。然れば其處を守りつかさどる家居の宥所を指して、岸のつかさといへるなるべし。中古に至りても防河使など云官あれば、此岸の官といふも河邊の岸堤などを、守りつかさどる者の居所をさして云へると聞ゆる也
小歴木をわかくぬぎと讀み、しばと讀む兩説あり。いづれも意は同じかるべし。ちいさきくぬぎはならしばなど云て、柴に刈り取る木也。前の歌のいちしばといふも同じ。然れども何とて此しばと云ものをとり出、なにとてくぬぎといふものをとり出でたるぞと云所以離v知也。古抄等にもそれを辨じたる説無く、君し來らば立かくるかにと云歌もあれば、そのたぐひの義に解したる説のみにて、まつ人の來りなば、此木のかげにたちかくれてあはんとの意を詠めるとの説なれども、とくとは聞得がたし。全體此歌の意何の事を詠みたるか、趣意といふ事慥に聞き分け難き也。第一の趣向は、まづこの小歴木を主本として詠み出でたる歌なれば、何とぞ趣意あるべけれとも、何とも開明め難き也。愚案には、をくぬぎと讀むべきか。をつと女のこぬきなれども、しばらくはなかりそといふの意にて、小歴木と詠み出でたる歟。立隱と下に詠めるからは、しばなどの茂りたりとて、立かくるとはいはれまじきなれば、大木の本には立かくるといふ古實も、神武紀に見えたれはくぬぎと讀まんか。しかし刈りそといふ詞又柴に縁あれば、ちいさきくぬぎの意にかく詠みたる歟。なきりそとあれば、きはめてくぬぎと讀むべき(433)也。古人もなかりそとあるから、しばと點をつけたるか。後愚案、夫久宿木《ヲクヌキ》か。男來ぬる木にて、それ故なかりそと制して、今はあれたりとも、春の來りて君がたちかくれむかと、くぬ木によそへて詠めるか。
焉の字鳥の字に誤れり。これをかることなかれと勿れと書きて、なかりそと讀ます也。或抄のおそどりの説は非也
在乍毛 あり/\てもと云義つゝもといへり。しかれどもありつゝもと讀みては、全體の歌意ありつゝもと旋頭歌によまでも、歌の意聞え侍るべし。すべて旋頭歌に詠むといふは、五七五七七の句にて云ひ足らぬに依りて、かしらにめぐり返りて、又句を添ふるをもて旋頭歌とは云也。よりて旋頭の句をせんとするならひ也。然るにありつゝもとよみては、さのみ全體の歌のくゝりにもならざるべし。よりて在乍毛の三字は、ありつゝもと讀むべきか。今はあれたりとも春し來らばと云意と聞ゆる也
後案、在乍毛は年をふりてあるともと云義か。くぬぎは久しく繁茂するもの、年暦を經てもと云義か。此歌何とぞ古事か又詞により所ありて詠める歌なるべし。只一偏計りの事にてはあるまじき也
張之 春し來らば也。春は芽もはり草木の榮え茂るものなれば、今はかくあれたりとも、春になりたらば枝葉も茂りて、待つ人の來て、此木のかげに立ち隱るゝ事もあらんにといふの意と聞ゆる也
立隱金 來る人の立かくるゝか、又はわが立かくれてまたんと云の意か。いづれにても木かげに隱れん爲の木なる程に、刈りそと下知したる意也。かにと云はかなと云に同じく、凡て古詠に、にと詠めるは歎の意をこめたる也。此歌の意は前に引つゞきたる歌故、如v此此次に被v編たると見ゆれば、兎角夫の男の久しく來ぬ意をかねて詠めるか。又君が來て宿る木なる程に、な刈りそと詠めるか。くぬぎによそへて人を待意に詠みたる歌と見ゆる也
字句一通の意は何事も無く、たゞ佐保川の岸のほとりの木を、あまりにな刈りそ。春になりて茂りたらば、人の立ちよる爲にならんにといふ意の歌にして、底意は戀の情をもちて詠めるなるべし。それ故此歌の次につらねたると見えたり
天皇賜海上女王御歌一首
天皇は聖武天皇なるべし
(434)海上女王 うなかみのひめおほきみ、古本細注に志貴皇子之女也と、此次に注せり。考所ありしか。續日本紀に叙位の事は見えたり。元正紀養老七〔年正月從四位下、〕聖武紀神龜元〔年二月授2二品1と見ゆ〕
530 赤駒之越馬柵乃緘結師妹情者疑毛奈思
あかごまの、こゆる馬柵の、しめゆひし、いもがこゝろは、うたがひもなし
赤駒 すべて此集中に大かた赤駒のあかきなどと有。赤毛の馬は上足にてあがくもの故、古來かく詠めるか。日本紀應神天皇のみさゝきのはに馬も、如v龍とべるとありて赤馬とあり。若しこの古事によりて、早きことあがく事をいふにはあか馬と詠めるか。尤も下に赤きとよまん詞の縁には、赤こまともあるべきか。又こゝもあがきこまと云の意にて、赤駒と詠ませ給ふか。いづれ義あるべし。先達の賢案賢考無ければ、いづれとも難v決也。先づこゝもあがきうまと云意に、赤駒とはよめると見るべし。あがく馬なれば、垣をも越ゆる事あるべければ、越ゆるまがきとは詠めるか
馬柵 これはまをりと讀ませたり。まをりは馬を繋ぎ入る所を云。最もをりは木竹にて垣の如く、外へ不v出樣にしつらへたるものなるべし。しかれどもまをりを越ゆるとは詞不v續樣なれば、馬柵の二字は、馬がきと義訓に詠ませたるならん。畢竟はしめゆひしといふことの序詞也。天皇の領し給ふ海上女王は、外に異心あらんともおぼしめされず。吾駒としめおかせられたれば、御疑ひも無きと云の御製也
右今案此歌擬古之作也但以時當便賜此歌歟
是古注者の案注也
擬古之作 古風の作になぞらへて、被v爲v作たる御製也といふ義なるべし。文聞古にして辨じ難し。聖武天皇より古風体と云へば、孝徳天皇の時代此駒の御製有。かなきつけわがこふ駒はひきでせず、あがこふ駒を人見つらんかとある、御製などになぞらへさせられて詠ませ給へるとの注と見えたり
なるべし。その時に當りて、駒の義によりて何とぞたよりあるによりて、如v此の御詠を給へる歟との注也。(435)然れはこの注訓にて讀まば(以下文缺)
右今おもふに、此み歌は古になぞらへて作り給ふ也。但し時に當れる便あるをもて、此み歌を給ふかと讀むべき也。本によりて此注の文字違あり。一本には但徃當便賜此歌とある也。此注にてはそのかみ此歌を給はしむるかと讀むべし。注の意少違あり
海上女王奉和歌一首
志貴皇子の女也。古本書入如v此有也
531 梓弓爪引夜音之遠音爾毛君之御幸乎聞之好毛
あづさゆみ、つまひくよどの、とほねにも、きみがみゆきを、きくがうれしも
梓弓爪引 鳴弦のこと也。夜行隨人、宿直の武官など弦音して警衛する義をいへり。令式にも夜行宿直の武官の義見えたり。最も天皇夜のみゆきには、弦音をして邪氣を祓ひ避くる義あり。これは海上の女王のかたへ、夜のみゆきの時の義を詠めるなり
夜音 夜つるを引夜音の遠く聞ゆるといふ義也。爪引とあるにより、夜音とあるは妻引夜殿とうけたるつゞきと見ゆる也。宗師案には、爪引つるの遠音にともあるべきかと也。鶴の夜聲のことは、詩歌につらねて、おもひ深きことに云傳へ、遠音の聞ゆるものなれば、爪引は弓のつるを引ことなれば、夜音の二字は、つると義訓にも讀まれまじきにあらざる也
歌の意は、海上の女王のかたへ天皇のみゆきを、音の聞ゆる其音を聞きてもうれしきとの意也
大伴宿奈麻呂宿禰歌二首
佐保大納言第三子也。古本書入如v此考所有歟。任官叙位の事、續日本紀元明紀和銅元年、聖武紀神龜五年に見えたり
532 打日指宮爾行兒乎眞悲見留者若聽去者爲便無
うちびさす、みやにゆくこを、まかなしみ、とむればくるし、やればすべなし
(436)打日指宮 前に注せり。うちひる箕とつゞけたる冠詞也。日の光のさしかゞやく宮など云説は非也
行兒 仕官の女を指して詠める歌也。兒は女の通稱也
眞悲見 愛憐の義也。歎くかなしみの義にはあらず。歌に悲しくといふに兩樣あり。今は愛し憐む意也。眞は發語也
留者苦 とゞめ置くことはなり難ければ、それをとめるは苦しみあり。さりとて又許しやれば、いかにともせん方の無きとの意也。畢竟仕官の女を戀慕ふ歌也
聽去者 義訓にやればと讀ませたり
533 難波方塩干之名凝飽左右二人之見兒乎吾四乏毛
なにはがた、しほひのなごり、あくまでに、ひとのみるこか、われしともしも
難波方 下の鹽干の名殘と云はん爲の序なり。塩干の名殘といふは、下のあくまで人の見るといはん爲の序也。此歌は前の歌と引兼ねて見る歌也。仕官の女のことをさして詠める意也。人は名殘をあくまで見る兒なるに、われはとゞめも得で、ともしく見ることのめづらしきことを歎きたる歌也。なごり、日本紀にはなをりともあり。餘波と書きてなごりと讀めり
人之 ひとしと讀むべきか。下のわれしともしもとあれば、詞つゞきよろしき也
見兒乎 海松によせていへる也。鹽干のあとにはみるの藻などあれは、その縁によりて也。人の見ることをと讀ませたり。然れどもこれはひとし見るこかと、乎の字訓に讀む意あり。仕官の女なればわれ戀ひ慕へども、心のまゝにあくまで見ること難きに、人の見るための子、われこそ思ひしたふ身なれば、あくまで見るべきにといふ意をこめたる詞なりと讀む方意ふかし
吾四乏毛 われはともしもとあるべき句に、われしとあるは、もし四の字は也の字の誤ならんか。人のあくまで見る兒を、われはともしく珍らかに、相見るとの歌の意なり。しかるに詞不v調やうに聞ゆる也。人は見る兒とか、吾はもしもとか、人吾の内一所は、はとなくては聞えかねる歌也。しかれば也の字のあやまりにてもあらんか。也なれば者也。しかればあくまでに人見るこを、われはともしもといふ歌にて、よく聞ゆる也。正本あらは可v考也
(437)安貴王歌一首并短歌
あきの二字は、音を以て假名に借りたる也。此二字を訓に讀ませたる抄あり。あまりなる義なり
534 遠嬬此間不在者玉桙之道乎多遠見思空安莫國嘆虚不安物乎水空往雲爾毛欲成高飛鳥爾毛欲成明日去而於妹言問爲吾妹毛事事無爲妹吾毛事無久今裳見如副而毛欲得
此遠嬬の二字何とぞ別訓あるべき也。とほづまと讀みては俗言に近也。さかつめと讀むべき歟。古事記の歌に、くはしめ、さかしめと讀める古語もあれば、それをふまへて、さかつめはとほさかりたる女と云ことに読みたる歟。とほづまとは證例未v覺也
玉桙之道 前に注せり。行路のしるしに、上古ははたほこを立てられたるより、古事をもて玉桙の道とは讀む也。道は直なるものにて、玉のほこの如くなるものといふは心得難し
多遠見 多は初語也
思空安莫國嘆虚 此空に意は無き也。助語ともいひつべし。今俗語にも見る空の無き、聞く空の無きといへることあり。そこらといふ略語ならんか。たゞ妻をこひしたふものおもひに、やすき心も無きといふの義也
水空徃 水は初語也。たゞ空ゆく雲にもがなと願ふたる義也
明日去而 これまでの句聞えたる通也。安貴王の他國遠處へ被v移給ひて、本郷の方へ雲烏にもなりたらば、飛かけり行きてと願ひ給ふ義也
爲吾妹毛事事無爲妹吾毛事無 此句は畢竟文を互ひにしたるといふ如きの意也。たゞ互の安否を聞かましものをと也。此次に一句脱落したる樣に聞ゆる也。然れども此格の歌前にもあり。古詠の一格ならんか
今裳見如 現在今見るやうに遊びても哉といふ意也
副而 此字點本古本ともにたぐひてと讀ませたれど、義同じけれどもそひつゝと讀て然るべき也。畢竟つれだちそひてがな(438)と願ふたる意也
反歌
535 敷細乃手枕不纏間置而年曾經來不相念者
しきたへの、たまくらまかず、へだておきて、としぞへにける、あはぬおもひは
上の句は聞えたる通也。八上釆女を遠く隔て置きて、あはぬ思ひのいく年か經ること哉と、歎きたる歌也
不相念者 あはざる思ひ年ぞふると云の意也。あはぬものおもひの、かくいく年か經ると歎きたる歌也
右安貴王娶因幡八上釆女焉係念極甚愛情尤盛於時勅斷不敬之罪退却本郷焉于是王意悼怛聊作此歌也
係念極甚 おもひをかくることの、到て切なるとの注也
於時勅斷不敬之罪 八上釆女に溺れ給ふによりての不敬の罪か。未v考
退却本郷 都に在任したるを、遠國へ被v移たるか。又處を被v替たる義なるべし。流罪までは不v及義と見ゆる也
于是王意悼怛 いたみかなしむとの義也
門部王戀歌一首
536 飫宇能海之塩干乃滷之片念爾思哉將去道之永手呼
おうのうみの、しほひのかたの、かたもひに、おもひやゆかん、みちのながてを
飫宇能海 出雲の地名也。左注に見えたり
片念 片もひとも片こひにとも讀むべし。此かたもひといはんとて、塩干のかたのと詠出でたる也。もひとは藻の縁、こひとはどろの縁、ひかたの處なればかたまりたる故、堅こりとも讀むべし。然ば下も亦上に從ひて、こひやゆかなんと讀むべし
(439)道之永手 たゞ長きと云義也。手はすべて助語也。
右門部王任出雲守時娶部内娘子也未有幾時既絶往來累月之後更起愛心仍作此歌贈致娘子
聞えたる注也
部内娘子 は出雲の國の内の娘子也。誰とも名不v知也
高田女王贈今城王歌六首
高田女王 追而可v考。今城王は穗積の王の御子也。前に古本傍注に、大原眞人姓を賜ふと注せり。考ふるところありてか
537 事清甚毛莫言一日太爾君伊之哭者痛寸取物
こときよく、いともいはじな、ひとひだに、きみいしなくば、いたきゝずそも
事清 とは言いさぎよく、物おもひ無きなどいはじと也
君伊之 いしともに助語也
哭者 無くは、君に一日だにそひ侍らねば痛ましきと也。心かなしきとの義也
538 他言乎繁言痛不相有寸心在如莫思吾背
ひとごとを、しげみこちたみ、あはざりき、こゝろあること、なおもひわがせ
他言 われにあらぬことゝ云意にて、他の字をひとゝは讀ませたり。此集中ひとの國よりなどいくらも格例あり
心在如 外心ありてあはぬにては無き、人言のしげきこといたましき故也との義也
539 吾背子師遂常云者人事者繁有登毛出而相麻志呼
わがせこし、とげんといはゞ、ひとごとは、しげくありとも、いでてあはましを
(440)逐常 此二字別訓あらんか。とげんといはゞとは、俗語にちかし。まづはとくといひなばと讀むべき也。とく來るといはゞと云意に見ゆる也。下に出でてあはましをと云詞にかけあふ也
歌の意は、ことゝげて夫婦とならば、人ごと、人めをもつゝまず、出でゝあはんとの意也
540 吾背子爾復者不相香常思墓今朝別之爲便無有都流
聞えたる歌別に意は無き也
541 現世爾波人事繁來生爾毛將相吾背子今不有十方
このよには、ひとごとしげし、こんよにも、あはんわがせこ、いまならずとも
此歌も別の意無く、あきらかに聞えたる歌也
542 常不止通之君我使不來今者不相跡絶多比奴良思
とことはに、かよひしきみが、使不來、いまはあはじと、たゆたひぬらし
常不止 常に止まぬなれば、とことはと義訓に讀めることしかり。萬葉集はとかく如v此義をめぐらして書きたる集なれば、字義に不v叶事も、義に叶へば訓をなせり。字の儘に讀むことばかりにては、不v通事を可v辨
君我 此我の字此本印本にも、清音に家といふ字に、誤りたるところあり。皆我の字の誤と可v知。又濁音の處に、家の字を誤りたるところもあり。是は家の字を我にあやまりたると可v知也。誤字脱字の辨無くて、此集中不v濟事、枚拳に遑無きこと也
使不來 俗言に近し。もつとも語例もあらんか。しかしつかひこずとは、俗に近き也。別訓あるべし。おとづれずと可v讀か。使來らぬなれば音信も無きこと也
今者不相跡 かく久しくおとづれだにせざれば、も早やあはじと心替りしたるにてあらんかと也
絶多此 とゞこふりやみたる事を、たゆたひと云也。ためらふ義を云。猶豫の意也。とことはに不v絶來りし人の音信さへせ(441)ぬは、もはやあふまじきとの事ならんとの意也。あふことのためらひやんであるとの義也
神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時爲贈從駕人所誂娘子笠朝臣金村作歌一首并短歌
此行幸の事、紀を可v考也
543 天皇之行幸乃隨意物部乃八十件雄與出去之愛夫者天翔哉輕路從玉田次畝火乎見管麻裳吉木道爾入立眞土山越良武公者黄葉乃散飛見乍親吾者不念草枕客乎便宜當思乍公將有跡安蘇蘇二破且者雖知之加須我仁黙然得不在者吾背子之往乃萬萬將追跡者千遍雖念手嫋女吾身之有者道守之將問答乎言將遣爲便乎不知跡立而爪衝
すめらぎの、みゆきのまゝに、ものゝふの、やそとものをと、いでゆきし、うつくしづまは、あまとぶや、かるのみちより、たまだすき、うねびをみつゝ、あさもよい、きぢにいりたち、まつちやま、こゆらむきみは、もみぢばの、ちりとぶみつゝ、むつまじき、われをおもはじ、くさまくら、たびをよすがと、おもひつゝ、きみはあらむと、あそゝには、かつはしれども、しかすがに、もだえあらねば、わがせこが、ゆきのまに/\、をはむとは、ちたびおもへど、たをやめの、わがみにしあれば、みちもりの、とはむこたへを、いひやらむ、すべをしらにと、たちてつまづく
愛夫 うつくしむつま也。よりてうつくしづまと讀む也。娘子の夫諸司百官の中にまじりて、みゆきの供奉せると聞えたり
天翔哉輕路從 あまとぶやかるのみちより、雁かる同物也。また別にかるの子と云鳥ありともいへり。いづれにても、空を輕くとぶ雁と云冠辭に如v此詠めり。かるとはかるきと云意をもいへるか。輕路は前にも注せるごとく、大和の地名、かるちの池などとも詠めり
王田次畝 うねとうけん爲に、玉だすきと詠む冠辭説々あり。師案は兩義の内也。大和の畝傍山を誤りて、百濟の人うねめと(442)いひて、とがめられし事紀に見えたり。よりて其後うねめといふ義を、うねびともいひて、備と濁れるみ也。みはめ也。しかれば釆女は、陪膳御湯殿の奉仕をするもの故、玉襁をかけるもの故、玉手すきうねびとうけたる詞か。今一説うねは腕也。たすきは皆うでかひなに懸くるもの故、かくうけたるか。田をすけばうねといふもの出來る故、如v此うけたるといふ説もあれど、これは信用し難き也
畝火乎見乍 うねびは地名山の名也。行幸の道筋と聞えたり
麻裳吉 此は木とうける冠辭にて何とて木とうける詞に、麻裳吉とはいへるぞ。古説に從はゞ、先五卷抄の説古説地。その説に先從ふべし。袖中抄に此冠辭の論説いろ/\見えたり。五卷抄の説は朝燃木といふ義也。しかれども此吉の字印本古本書本にもよきと訓し來れり。此吉の字よきと讀むべしとも不v被v決。えと計り讀みたるか難v計。住江のえは吉也。住吉と書きたるより、すみよしとならでは不v云也。日吉もひえ也。比叡と書きてひえ也、。それを今は皆日よしと云也。此のもえもよきといふか。又五卷抄の古説にしたがひ、あしたにもやす木と云ふ義ならば、あさもえなるべし。麻の名産をいふたるものとの説もあれど、それは裳の字不v濟也。玉もよきさぬきの例によりて、如v此云説あれども難2信用1也。玉藻よきといへば、藻の名産の國といふべけれど、紀の國は麻のよき國といふ事といはゞ、もの字衍字にていかにとも不v知事也。師一案、淺萠木葷とうけたるかと也。葷《キ》の色はもえ黄の淺き色なるもの也。いづれとも未v決
入立 いりたつと讀むべし
眞土山 紀州の地名と傳へ來れども、大和といふ説もありて上古今來不2一決1。兩國の境なるか。みゆきの道すがらのことを詠める也
散飛 ちりかふと讀むべし。ちりといふ詞は雅言ならず。散亂と書きてもちりかふと讀む也
客乎便宜常 たびをよすがと讀むべし。たよりと云點は心得がたし。たびをよきとうけたる意をこめて、よすがと讀む也。
是迄の詞、みゆきの道すがら、山路の紅葉の散かふ景色など、おもしろく見つゝ行は、むつまじきわれをしたふ心も無く、旅を心たのみに面白く、わが方の事は忘れて行き給はんと也
(443)安蘇蘇二破 此詞不v濟詞也。仙覺抄に、あそ/\と云ことは、あさな/\といふ重詞の類にて、下を略する格言、心はさぞあるらんと云意也と注せり。然れどもあそゝといふこと、何とてさぞあるらんといふ意の、譯無ければ信じ難し。古語にさぞあるらんといふ義を、あそゝと云と傳へきたらばさもすまされんか。或抄には、うす/\にと云ことゝも注せり。之はあいうえを音通ふ故さも注せるか。これも語證外に不v見ば難v決也。先はうす/\には、かつは知れどもと云方の義安く聞えんか。さぞあらんと云方は、義はよく聞ゆれども、あそゝといふ言さぞあらんとは、何として云へるぞと云義不v濟故、その注にはより難き也。義さへ通ずることあらば、さぞあらんといへる方よく聞ゆる也。古説なれば仙覺説に任せおくべきか。追而可v考事也黙然得 もだして後あらねば也。俗にいふこたへてあられねばといふ意也
萬々 まんとはねたる、はに也。音を假名にかりたる書樣也。夫の徃くにまかせて、あとをしたひ追はんとはおもへどもと云義也
不知跡 しらにと讀むべし。此跡の字破の字の誤ならんか。字のまゝならば、すべをしらにと讀むべし。みゆきの道なれば、容易に人を徃來させざれば、夫のあとを追ひ行くとも、道を守るものゝ、何故何方へ通路の人と問ひし時、何とこたへて通らんそのすべも知らねば、とやせんかくやせんとおもひわづらひて、立ちて行かんとすればつまづくと也。心にまかせて誤りだにせぬと、切に讀める也
反歌
544 後居而戀乍不有者木國乃妹背乃山爾有益物乎
おくれゐて、こひつゝしなば、きのくにの、いもせのやまに、ならましものを
後居而戀乍不有者 夫の跡に殘り居て、夫をしたひわびて死なばと也。不有不在の字は前にも注せるごとく、死なばと義訓すべきこと也。諸説にあるあられずばとの義は六ケ敷也
妹背乃山 紀州也。いも山せ山とて、相向ひたる山といへり。古今の歌にても向ひたると聞えたり。いもせの名によりてかく歌に詠めること多し
(444)有益物乎 ならましもの也
歌の意は、かく夫をこひしたひつゝ思ひしに、死果てなば夫婦の名を得たるいもせの山となりて、長く相離れざらましをと也
545 吾背子之跡履求追去者木之關守伊將留鴨
木乃關守伊 紀州に上古關所ありしこと、皆古詠に見えたり。きの關守と詠める歌ありて數へがたし。此伊の字は上につけて讀むべし。下へ付く伊にても助字也。下へ付けてはいとゞめんかも、上へ付けてはとゞむらんかもと讀むべし。歌の意は別の義無し
二年乙丑春三幸三香原離宮之時得娘子作歌一首并短歌
笠朝臣金村
三香原 山城のみかの原也。古今の歌に、都出でゝけふみかの原いづみ川と詠めるも此處也
婦人を見そめて、こひもとめたる時詠めるなるべし。此端作目録の通にてあるべきを、書き誤れると見えたり。娘子の下に、笠朝臣金村の五宇あるべきこと也
546 三香之原客之屋取爾珠桙乃道能去相爾天雲之外耳見管言將問緑乃無者情耳咽乍有爾天地神祇辭因而敷細乃衣手易而自妻跡憑有今夜秋夜之百夜乃長有與宿鴨
みゆきの供奉の路次にて、よそながら見そめたる娘子を、こひもとめ得て、相逢夜の歌と聞えたり
天雲之外耳 天雲のよそにのみ見つゝ、始めは旅のことなれば、縁傳も無くたゞ見そめて、心にのみこひしたひたるなるべし。思ひ空しからずして、遂に娘子を手に入れて契りかはせるなるべし
天地神祇辭因而 神に誓ひて語らふ儀なるべし。辭因の二字は別訓あらんか。ちぎりとも讀まんか。今云神かけてなど誓ふ義なるべし。
有與宿鴨 あれとぬるかもと讀むべし。百夜をつぎたる程の長さにてかしと願ひてぬるとの意也。伊物に千夜を一夜(445)になせりともと詠める意に同じ
反歌
547 天雲之外從見吾妹兒爾心毛身副縁西鬼尾
あまぐもの、よそにみしより、わざもこに、こゝろもみをも、よせにしものを
天雲之外 よそといはんとて、あまぐものといひ出でたる冠辭也。旅行なればしかとも知らぬ娘子なれど、よそながらも見そめしより、心も身も思ひによせたると也。點本には身副の二字を、みさへと讀ませたれど、かく讀みては義不v通也。心を身もとなりとも、心も身をもとなりとも讀むべし
548 今夜之早開者爲便乎無三秋百夜乎願鶴鴨
こよひの、はやくあくれば、すべをなみ、秋のもゝよを、ねがひつるかも
今夜之 此初句四言に讀むべきか。點本印本には、このよらのと讀ませたるはあまりなる義なり。此歌時節春にて、夜の短き節なれば、いまのよのと讀むべきか。又今夜と書きて、義訓に春の花のと讀まんか。下に秋の百夜と對したれば、春の夜のと讀まれまじきにもあらず。何とぞ今夜之の三字は別訓あらんか。今の夜と讀まば、之の字ははと讀まんか。此集中之の字はと讀までは、義不v通歌數多あれば、上古之の字をはと讀ませたる例あらんか。然れば聞えやすき歌多也。此歌も今の世とは讀めば、歌の意いよ/\やすく聞ゆる也。春の夜は明け易きものなれば、こよひはじめてかくねんと云へども、いかに共せんすべ無げれば、あはれ契りかはらず、秋の百夜を重ねていねたきと、願ふたる意と見ゆる也
歌の意は聞えたる歌也。たゞし又開者の二字を、あけなはと讀む意もあらんか。それにては過去にならざる、當然の意になる少のちがひあり。あくればと讀みては、あしたの空あけたる時の歌になる意もある也。追而可v決也
五年戊辰太宰少貳石川足人朝臣遷任餞于筑前國蘆城驛家歌三首
五年とは神龜五年也
(446)石川足人朝臣 四品に昇進の人故稱美して、如v此端作にも足人朝臣と書きたる也。續日本紀元明天皇和銅四年四月丙子朔壬午授2正六位下石川朝臣足人從五位下1。聖武紀〔にも見ゆ〕
筑前國蘆城 里の名也。郡郷には見ざる也
驛 和名鈔卷第十道路具部云、驛、唐令云、諸道〔須v置v驛者毎2三十里1置2一驛1〕音繹无末夜云々とあり。むまや、今云、海道筋の馬驛の事也。人馬をつなぐ處也
549 天地之神毛助與草枕※[羈の馬が奇]行君之至家左右
あめつちの、かみもたすけよ、くさまくら、たびゆくきみの、いへにいたるまで
太宰府の官人の内より、足人遷任して都へのぼるにつき、餞別に旅行のことを祝して送る歌か。志いとねんごろに切なる歌也。若しくは婦女の歌ならんか。如v此旅行の無難を神に祈る程の、志をあらはせる切實の朋友などの作者ならば、至つて殊勝の歌也
歌の意よくきこえたる歌也
550 大船之念憑師君之去者吾者將戀名直相左右二
おほぶねの、おもひかゝりし、きみのいなば、われはこひんな、さらにあふまでに
大船之 前にも毎度あり。下のおもひかゝりと詠まん爲の料也
念憑師 此三字何とぞ別訓あらん。前にも注せる通、思たのみしと讀みては、船におもひたのむといふ縁難2心得1。海上にて小船に乘りたるは、心細くたのみ無きもの、大船はたしかにてたのみあるもの故、思ひたのみと詠めるとの儀は、難2信用1説也。憑の字は日本紀に、かゝりとよませたれば、船に縁の詞なれば、先かゝりと讀むべき也。然れども念の字に何とぞ別訓あるべき也
直相左右二 此たゞにといふ詞六ケ敷也。前々の歌にいくらもありて注せる通也
歌の意は聞えたる通にて、足人に名殘を惜みて、別れて後いかばかり戀ひしたはんとの義也
(447)551 山跡道之嶋乃浦廻縁浪間無牟吾戀卷者
やまとぢの、しまのうらわに、よるなみの、ひまもなからん、わがこひまくは
山跡道之嶋乃浦廻 天和の國には嶋も浦も無けれど、諸國より大和の都へ上るによりて、つくしより、のぼる道の、嶋々浦々の義をさして、やまと路の嶋うらとは詠める也
縁浪 點本にはよすろなみと讀みたれど、これは浪によそへて、よする浪の如くひま無くこひむといふ義なれば、よる浪のとのゝ字を入れて讀むべき也
間無牟 ひまも無からんと讀むべし。間も無けんとの點あれども俗言也
吾戀卷者 わがこひんはと云義也。まくといふ詞は皆助語也。いはまくきかまくなど、此集中の歌に多き詞也。たゞこひんはといふ義也
歌の意聞えたる通也。足人のぼりて後は、かへるさの道路の嶋々浦々によする浪の、ま無き如くにこひ慕はんとの、名殘を惜みたる歌也。男の歌か、女の歌か、聞き分け難し。尤古注者は不v考故、左注には作者未詳と注せり
右三首作者未詳
大伴宿禰三依歌一首
三依 續日本紀卷第二十二廢帝紀寶宇三年五月〔大伴宿禰御依の名見ゆ〕
此端作目録とは前後也。目録には、丹生女王の歌の標題を前に次でたり
552 吾君者和氣乎波死常念可毛相夜不相夜二夜良武
わがきみは、わけをばしねと、おもふかも、あふよあはぬよ、よまぜなるらん
和氣乎波 われをばと云義也。身を卑下して云古語を、わけといふと見えたり。第八卷に自注ありて、けぬといふことも、わ(448)れと云義也
死常念可毛 下にあふ夜もあり、あはぬ夜もあるなれば、物を思はせて、思ひ死ねとのことかとの義也。古今集に、戀ひ死ねとするわざならんなど、詠める歌もあり。此集中にも、戀しなばこひも死ねとやなどとも詠みて、思ひに死ねと思ふかとの義也
念可毛 點本には思へかもとあり。不v宜。おもふかも也。先の人のわれを死ねと思ふかもとの義也
二夜良武 普通の本には、二走と有て、ふたゆくならんと點をなせり。ふたゆくといふ義いかにとも難v解。然るに一本に、走を夜に作りてよまぜと點せり。此義正義なるべし。二夜と書きて、よまぜと義訓に讀ませたる義と見えたり。あふ夜とあはぬ夜となれば、よまぜと云義訓相叶ふ也
歌の意聞えたる歌也
丹生女王贈太宰帥大伴卿歌二首
丹生女王 孝謙紀天平勝寶二年八月〔從四位上丹生女王〕授2正四位上1云々とあり。第八卷にも秋相聞の歌に、同じ卿に贈り給ふ歌あり。六ケ敷見解し難き歌也。今の歌も誤字あらんか
553 天雲之遠隔乃極遠鷄跡裳情志行者戀流物可聞
あまぐもの、そぐへのきはみ、とほけども、こゝろしゆけば、こふるものかも
天雲乃 太宰府の遠く隔りたることをいひ出んとて、あまぐものとは詠出給ふ詞也
遠隔乃 此隔の字、障の字の誤ならんか。遠隔の二字をへだてと讀むは、遠の字あまれり。遠久弊と讀むは語例もあれば、遠隔の字にしてかくは讀む也。障の字ならば、義訓にて點の通へだてと讀むべき也。障の字に作れる異本、慥に不v考ば先そぐへとは讀む也。そぐへとは野山にてもはて末を指事也
極 きはみ遠きはてかぎりといふの意に、きはみと讀めり。いたりて隔りたるところといふ義を詠める意也
(449)遠鷄跡裳 遠かれどもといふ略語と見る也。古説皆かくの如し。不v穏説なれども、如v此證例集中にもあれば、遠けれども遠かれどもといふ義と見るべし。鷄の字音を用る例も、てには字なれば、此いくらも多き事故、音訓相交りても苦しからぬ也。何とぞ遠隔乃極遠鷄の六字誤字か。また別訓あらんか。後學の人考案あるべし
全体の歌の意は、宰府は遙に遠國にて、遠く隔たれども、心し通ひ行けば戀しさのやまず、かく戀ふるものかなと歎きたる歌也かもは例の歎息の詞也
554 古人乃令食有吉備能酒痛者爲便無貫簀賜牟
いにしへの、ひとのゝませる、きびのさけ、やまばすべなみ、ぬきすたまはん
古人乃 大伴卿をさして古の人と詠める也。むかし丹生の女王に酒をすゝめて、飲ませしといふは、丹生の女王を大伴卿の何とぞこひ慕ふことありて、いひ語らひ給ふことによせて詠み給ふ意也。大伴卿はあながちに酒を好み給ひて、第三卷に酒の歌十三首まて詠じ給ふ程の、洒このみの人故、酒のこと故よそへて詠みて贈り給ふと見えたり
令食有 食の字飲の字の誤也。或抄にのめるといふ義とあるは心得がたし。人の下知に應じて飲めるといふこと也。令の字あれば、のませるとならでは讀み難し
吉備能酒 筑前と吉備の二國は程近ければ、近國の名酒を云はんとてかく讀めるか。今も備後の三原酒などと賞する佳酒あれば、昔も名物なりしか。たどし黍にて作る酒はすぐれたる味あり。故にかく近き國の名をとり出でゝ讀めるか。吉備の酒と詠み給へるには、何とぞ別の意あらんか。酒の氣の強き酒をいひたるものならんか。仙覺抄には黍にて作れる酒にて、性の強き酒をいふと注せり
痛者 いたむといふ字なれども、病に通ひてやまばとも讀むべき也。いたまはすべなとも讀むべきか。酒に醉ひて悩まば、せんかたも無からんと也
爲便無 すべなみとはせん方無きと也。丹生女王のみづからは、今こひ慕ふことの、せん方無きとの意をよそへて詠める也
貫簀賜牟 ぬきす賜はんとは、酒の病にて嘔吐などありてはせん方無きに、いたはり給へといふ意也。貫簀といふものは、上(450)代高貴の御方、手水などめし給ふ時、盥の上に置きて、とばしるのかゝらぬ爲に設けたるもの也。延喜主殿寮式にも、貫簀といふもの、三年に一度づゝ請よし被v載たり。伊物、うつぼ、竹とり等の物がたりにも見えたり。此歌に詠める意は、酒に醉ひて吐きやくなどをせん程に、ぬきすを賜はれといふ義也
全体の歌の意、君に強ひられて、思ひよりたれば、今たゞこひ慕ふことの、せん方無きのまゝ、この苦しみ悩むことを救ひ給へと、大伴卿の愛v酒したまふ人故、酒によそへてこひ慕ふ意を詠みて贈れる歌と聞ゆる也。賜牟は賜はらんといふ意也
太宰帥大伴卿贈大貳丹比縣守卿遷任民部卿歌一首
丹比縣守卿 民部卿に任じたる故、卿と書けり。大伴卿より縣守卿へ被v贈たる歌也
丹比縣守 たぢひのあがた守也。元明紀和銅三年三月〔從五位下多治比眞人大縣守爲2宮内卿1。又〕元正紀靈龜元年正月、聖武紀天平元年三月〔の條にも見え、〕同紀天平九年六月丙寅中納言正二位多治比眞人縣守薨、縣守左大臣正二位嶋之子也云々。如v此あれば丹比と書きても、たぢひと讀むべき證也
555 爲君釀之待酒安野爾獨哉將欽友無二思手
きみがため、かみしまちざけ、やすのゝに、ひとりやのまん、ともなしにして
爲君 縣守をさして也。宰府の同官人なれば相ともに樂しまむと、縣守を待むかへ作りてし酒といふ義也
釀之 かみし酒をつくる古語を、かもすると云也。かもはかみ也。上古は米を人々かみて、水にはき入れて酒とせし故、酒を作るをかみかむと云との、大隅風土記の説と云傳へたれど、不v可v用。かもするといふ古語より、かもはかみかむ同音通故、かんがみとも云へるから、かくの如きの説も出來る也。釀の字、玉篇云、汝帳切作v酒也とあり
待酒 人をむかへんと酒を作れるを、まち酒と云へると聞えたり。今世にてはつまりたる詞なれども、古くはかく讀めると見えたり。人を待ち得る酒を、まち酒とはいへる也
安野爾 やすのゝに筑前國に野聚郡といふ郡あり。其内にある野なるべし。元來日本紀卷第九神功皇后元年に見えたり。(451)そゝきのといひしを、皇后の御時より、安野とはいへるなるべし。我心則安との給ふよりいへる也。郡の名となりしも是よりならん。八雲御抄の説は、此歌並に神功皇后の紀を、考へさせ給はざりしか。安野を詠み出でたるに意は無き也。宰府の地名を詠める迄也。和名鈔、夜須郡とあり
獨哉將欽友無二思手 ひとりやのまんともなしにして。縣守卿と相ともに、安野にて飲まんとつくりしまちざけをも、今よりは友なふ人も無く、大伴卿ひとりのみ給はんと、名殘を惜みて詠める也。大伴卿は、酒を愛し給ふ人故、かく酒の事を詠み出給ひし也。此前に吉備の酒の歌をあげたれば、類詞をもて此處に次でたると見えたり
歌の意聞えたる通なり
萬葉童蒙抄 卷第八終〔補〕
(452)萬葉童蒙抄 卷第九
賀茂女王贈大伴宿禰三依謌一首
賀茂女王 かものひめみこ、傳不v詳。古本傍注に、故左大臣長屋王之女也とあり。又第八卷に、同傍注長屋王之女、母曰2阿部朝臣1也と注せり
大伴宿禰三依 前に出たり
556 筑紫船未毛不來者豫荒振公乎見之悲左
つくしぶね、いまだもこねば、あらかじめ、あらぶるきみを、見しがかなしさ
筑紫船 太宰府より歸京せぬ事を待佗て、かくよめる歌と聞えたり。それゆゑ筑紫船いまだもこねばとよめる也
未毛不來者 點本にまだもこざればとあり。同じ意也。然共いまだもこねばと讀むかた聞よからんか、好處にしたかふべし
豫 かねてよりと讀べしといふ説もあれど、こゝは下の句の續に、あらかじめとよまんかた然るべし。意は前かたといふ義也
荒振公乎 あらぶる公をとは、前かた心にもそみ難く、睦からざるあらびたる公に、相見しことの悲きといふ意也。前かたにも荒びたる人なれば、かく歸京の遲きは、いよ/\心に逆ふ故、つくし船の歸り來る事の遲きかと嘆く意と聞ゆる也。然ればあらかじめといふは、前かた睦まじからぬ人といふ義と知るべし
見之悲左 見しがかなしさとは、前かた相見馴し故、今かく筑紫より歸京の遲きことを、嘆くとの意と聞ゆる也。又別意の見やうあり。筑紫より未だ歸りこねば、かく戀慕ひても、久しく別れ隔たりし人の、外心もありて親しみも疎くなり、睦まじかるまじく、邊鄙のひなに馴て、荒びすさめる心になりて、我にしたしからず。なごめる振舞もなく、荒ぶるきみを見むことの、かねて悲しきとの意とも聞ゆる也。然ば見之の二字は見んかとも讀べき歟。此歌は兩義あるべし。此見之のこ字を、見るが悲しさと點本に點をなせり。然共見るがとよみては、歌の意如何共聞えず。萬葉集の格にて、見るがとよむ事のならぬ歌故、はね(453)文字を不v書也。見んとか見しとかならでは、歌の意不v通所なれば、むとも、しとも助字を不v書類此集中の一格と知るべし。此歌に不v限ケ樣の類數多ある也
土師宿禰水通從筑紫上京海路作歌二首
はじのすくねみゆき、つくしよりみやこにのぼるふなぢにてつくるうたふたくさ
水通 みゆきとよむべき歟。傳不v詳
557 大船乎※[手偏+旁]乃進爾磐爾觸覆者覆妹爾因而者
おほふねを、こぎのすゝみに、いはにふれ、かへらばかへれ、いもによりては
大船乎 下にこぎの進といはん爲に、大船とよみ出たり
※[手偏+旁]乃進爾 此ことばつまりたるやうなれど、集中かな書にもあまたありて、古くよみつけたり。都にかへり、妹にあはん海上のあれしける折もいとはず、船を進めるとの意を述たる也。水上のあしきをもいとはず漕進むは、妹にあはんことを急ぐによりてとの義に、妹に因てはと詠める也。聞えたる歌也。不v及2細注1也。第十一卷にも、死にゝもしなん殊によりてはと、詠める歌の意も同じ
558 千磐破神之社爾我掛師幣者將賜妹爾不相國
ちはやぶる、神のやしろに、わがかけし、ぬさはたはゝん、いもにあはなくに
此歌は、京へ上る海路、波風の障りにて數日を數ふる故に、船のりの日、船路やすくはや都へ上りつかはさしめよと、諸神に祈をかけし幣をもかへし給はれと、恨みて詠めるか。但し海路の中おもふ人あれど、其人にあふことのかなはねば、その當然によめる歟。京へ上りての歌と見る説もあれど、はし作に不v叶は、海路にて女などに心がけしに、あふことのかなはざりし故、よめる歌と聞ゆる也
將賜 たはゝんは、たまはらん也。今卑しきものゝ詞には、たはるといふ也。これたまはるといふ義、古くはかくいひ來れる(454)と見えたり
太宰大監大伴宿禰百代戀歌四首
右傳不v詳
559 事毛無生來之物乎老奈美爾如此戀于毛吾者遇流香聞
こともなく、あれこしものを、おいなみに、かゝるこひにも、わはあへるかも
事毛無 何事もなく、これまでうまれきたりしにと也
生來之 ありこしといふ點あり。生の字ありとは訓じかたし。なりとかあれとか讀べし。尤有來の意なれども、生の字なればありとはよみ難し。在の字の誤ならんか。字形もよくまがふ字也。今迄は何の思事もなく來りしにといふ意なり。戀といふは、色慾のことに限りたる義計にてはなく、何事にても物思の事を云也
老奈美爾 なと、のと通ふ故、老の身といふ説あり。さもあらん。しかし年なみ、月なみなどいふこともあれば、老なみにてもあるべき歟
如此 かやうの物思をもする事かなと、嘆きたる意也。如是と書る一本もあり
戀于 此にの字漢文などにては于時于今、などと上に書字なれど、此集中に如v此の例あまたあり
560 孤悲死牟後者何爲牟生日之爲社妹乎欲見爲禮
こひしなん、のちはなにせん、いけるひの、ためこそ妹を、見まくほりすれ
此歌はよくきこえたる歌なれば、委注するにも不v及。いのちの内に思妹をあひ見たきと、切に戀慕ふ意也
欲見爲禮 此集中數多ある詞にて、古歌の一格、只見たきといふ事を、かく言葉を長くつらねたるもの也。見まくほしきといふこと也。そのまくほしきとしいふは、見たきといふ迄の事也。第十一巻にも此類の歌あり。すがた同じ意也
561 不念乎思當云者大野有三笠社之神思知三
(455)おもはぬを、おもふといはゞ、おほのなる、みかさのもりの、かみしゝるらみ
大野有三笠社之 筑前國の名也。倭名鈔卷第九筑前郡郷の部云、御笠郡、〔御笠、長岡〕次田、大野。怡土郡にも大野於保乃といふ郷の名あり。然れ共この大野はみかさ郡の大野と見えたり。御笠郡の内の大野といふ郷に、三笠の杜といふ社ありと見えたり。大野有とは大野にある三笠の杜といふ義なり。にあは例の約にて、な也。よりてあるといふ字をもてしらしめたり。御笠の號の初は、神功皇后記に見えたり。筑紫にての歌なれば、其國の地名をよみ出せる也
歌の意、しれたる通なり。我僞なき事は、三笠の杜の神ぞ知ろしめすらめと也
神思 此思は助字也。一本の點にかみぞと點せり。若曾の字の誤り歟。曾の字なればやすく聞ゆる也。日本紀齊明紀に、齶田浦神知矣、といふ事あり。これも契盟の詞也。これらに基きて詠める歟。常にも神のしるらんといふことは、盟の詞にいひならへり
562 無暇人之眉根乎徒令掻乍不相妹可聞
いとまなく、ひとのまゆねを、いたづらに、かゝしめつゝも、あはぬいもかも
無暇 いとまもなくと讀む説と、いとまなきといふ説とあり。心少違也。仕官のいとまなき身に、ひたもの/\眉根を掻かせつゝといふ意と、また眉根を掻くにいともなくといふ義兩説なり。先いとまなくとよむ方安かるべし
人之眉根乎 先に對してわがことを人のといひたる也。我ことをさしていひたる也
徒 いたづらにとは、まゆねをかきて詮もなき空しきことをしたるといふ義に、いたづらにとはいひたるもの也。眉かゆき時は、思ふ人來るといひならはして、昔よりかく歌にもよみ習へり。遊仙窟に、昨日|眼皮※[〓+閏]《マユメカユカリキ》今朝見2良人1といふ事ありて、古くいひ習ひたる諺也。しかるにその眉根をいとまなく掻ても、徒らごとにして思ふ人にはあはぬ事かなと、眉根をかきしも徒事にてありしと、かく古詠は心をおろかによみなせること、風雅の第一なり。夢と知りせばさめざらましをなどの意と同じき也
(456)令掻乍 かゝしめつゝも、眉のかゆかりしをもうれしく思て、おもふ妹に逢ふことの兆ならんと、ひたもの/\我からに眉をも態と掻しほどに、慕ひ思ふ義をあらはしたる意なり
大伴坂上郎女歌二首
563 黒髪二白髪交至者如是有戀庭未相爾
くろかみに、しらがまじりて、おいたれど、かゝるこひには、いまだあはなくに
黒髪二白髪交 くろかみにしらがみまじりおゆるまでともよめり。意同じければ好所に隨ふ也。然れども是までおいたれ共、かゝるくるしき戀にはいまだあはぬと、切なる意は、老たれどもと讀方ならんか
至耆 耆の字は、二毛を耆といふ字義を以ての上に黒白の事をよみ出たる故、かなの字にも心を得て書る歟
歌の意、何の義もなく聞えたる歌也。いかゞしたる戀にや。その事をあらはさねば知れ難けれど、たゞ思ひ事のありし時、よみたる歌なるべし。戀とは、色情の事には限らず。惣ての思あることを戀とはいふなり。此歌も、戀慕の歌にはあるべからず。二毛の身となりて、れんぼのことあるべきにもあらず。常の思ひごとありし歌なり。此奧に、沙彌滿誓の歌にても知るべし
564 山菅乃實不成事乎吾爾所依言禮師君者與孰可宿良牟
やますげの、みならぬことを、われにより、いはれしきみは、たれとかぬらん
山菅乃 和名鈔卷第廿草木部云、麥門冬、本草云、麥門冬【和名夜末須介】此山菅の事未v考。同名異物か。るり色の實なるものと云説有、心得難し。今山に生る山すげには實は生ぜぬ也。よりて此歌にも實ならぬとは詠たり。或抄には、山菅のみとばかりかけて、ならぬと云までにはかゝらぬことゝいへる説あれど、此説信用しがたし。冠字ならば一語に受ることなれど、みといふ冠字に、山すげとよめる例、語例無2所見1事也。これは實のなきものをいはんとて、やますげとはよめる歌と聞ゆる也。尚集中に、山管のみならぬと詠める歌多し。可v考也
(457)實不成事乎 これは坂上郎女によりて、人にいひ騷がれて仇名の立し人のことを年老て思出し、われによりてなき名の立ちし人は、今誰とか睦びぬらんと、いにしへを想出たる歌也
歌の全體よくきこえたれば不v及2細注1也
加茂女王歌一首
565 大伴乃見津跡者不云赤相指照有月夜爾直相在登聞
おほともの、みつとはいはじ、あかねさし、てれるつきよに、たゞにあへりとも
大伴乃見津跡 大とものみつといふは、攝津國の地名也。われはみつといはんためばかりに、大ともとはよみ出たり。此大伴のみつといふ事、古今説區々にて、大ともと云も地名といふ説外になき也。此歌の意は、深くしのぶ心をのべたる歌也。あからさまなる月夜にあひたりとも、みつとだにいふまじと、ふかくつゝしまんとの意也
照有月夜爾 明かなる夜に相見たりとも、みつとだにもいはじとの事をいはんとて、かくてれる月夜にとよめる也
直 このたゞにといふは前にも度々注せり。六ケ敷釋也。其まゝにといふ意にも通ふ也。代物なしにといふことを、たゞといひならはせり。なればそのまゝといふ意に通ふなり。此集中に此詞あげてかぞへかたし。古語にはかやうの詞云傳へたると見えたり。古今に、君か名も我名も立てじ難波なるみつとないひそあひきともいはじとよめる、又おなじ意也
太宰大監大伴宿禰百代等贈驛使歌二首
贈驛使歌 はゆまつかひにおくるうた。驛使とは朝廷より公用ありて、遠國の官廳所々へ使を被v遣を云也。今の代にては公傳馬使など云と同じ。諸國よりさし上すを云也。皆公用にて、驛馬をとりて徃來する類を云也。驛使の事、追而可2細注1也。
此驛使太宰府より京へ上る使の事也。奧に見えたり。京より來りたる使の歸る名殘を惜みての歌共也。古注者奧に注せり
566 草枕覊行君乎愛見副而曾來四鹿乃濱邊乎
くさまくら、たびゆくきみを、うつくしみ、たぐひてぞこし、しかのはまべを
(458)草枕羈行君乎 驛使をさしてたびゆく君と也。くさまくらたびといへることは前にあまた注せり。旅行のならひ、野に臥し山に臥して、木の根くさをも折敷て枕とすれば、かくはいひ習へり
愛見 うつくしみとは、親子兄弟の如くにしたしみむつびて、大切に思へる人といふ義也
副而 たぐひては、付添つれだちて鹿の濱邊迄來りたると也。今俗旅行の人を見立つるなど云義と同じ
鹿乃濱邊 筑前國の地名也。しかのはまべをといふてにはなれば、濱邊を連立ち付添ひ來れりといふ意也
右一首大塩大伴宿禰百代
前に注せる通古庄者の文也
567 周防在磐國山乎將超日者手向好爲與荒其道
すはふなる、いはくにやまを、こえん日は、たむけよくせよ、あらきそのみち
周防在磐國山 和名抄周防國玖珂郡、音如v鵞、石國、すはふにあるいはくに山也。さかしく難儀なるみちと聞ゆる也
手向好爲與 衢の神に幣などさゝげて、恙なからんことを祷りて通れと、驛便をいたはりてしめせる歌也。よくきこえたる歌なれば不v及2細注1也
荒其道 前にも出たり。つまりたるやうに聞ゆる詞なれど、第三卷にも海路の歌にあり
右一首少典山口忌寸若麻呂
以※[止/舟]天平二年庚午六月帥大伴卿忽生瘡脚疾苦枕席因此馳驛上奏望請庶弟稻公姪胡麻呂欲語遺言者 勅右兵庫助大伴宿禰稻公治部少※[丞/れっか]大伴宿禰胡麻呂兩人給驛發遣令看脚病而※[しんにょう+至]數旬幸得平復于時稻公等以病既療發府上京於是大監大伴宿禰百代少典山口忌寸若麻呂及嫡男家持等相送驛使共到夷守驛家聊飲悲別乃作此歌
(459)到夷守驛家 ひなもりのうまやにいたりてなり
聊飲悲v別乃作2此歌1
此注は考ふるところありて如v此注せり。所見なければ細注しがたし
太宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首
被v任2大納言1 續日本紀云。天平二年十一月廿一日任2大納言1、同三年七月辛未大納言從二位大伴宿禰旅人薨云々
府官人等 大宰府之官人也。則左に古注者記せり
568 三崎廻之荒磯爾縁五百重浪立毛居毛我念流吉美
みさきわの、あらいそにたてる、いほへなみ、たちてもゐても、わがおもへるきみ
三埼廻之 みさきといふところにして、わはあたりほとりの義なり。うらわ、くまわ、などいふに同じ。三埼といふは、金のみさきなどいふところならんか。筑前の内にある海邊の地名也
五百重浪 しげく起つ波といふ義也。下のたちてもゐてもといはん迄の序歌也
我念流吉美 念の字は、こふとも、しのぶとも讀むべければ、こふる君とよむべき歟
歌の意聞えたる通なり。名殘惜きことの深切なる歌なり。きみとは旅人卿をさしていへる也
右一首筑前掾門部連石足
傳未v考
569 辛人之衣染云紫之情爾染而所念鴨
から人の、こゝろもそむちふ、むらさきの、心にしみて、おもほゆるかも
辛人 唐人と書ける意も同じ。此歌も序歌也。下の情に染てといはん爲、かくよみ出たる也。旅人の卿を切に名殘惜く思ふとの義を詠る也。から人とよみ出たる、紫の色を最上とするは唐の法也。本邦は白を本とする也。よりて唐人とは讀出でたり
(460)染而 うはべならず、深切に慕ひ思ふとの義に、心に染てとは詠めり。かもは例の嘆の詞かなと同じ。上に染むといひて、下にしみとよめるところ歌上手といふもの也。ころも染む心にしむ同じ意也
570 山跡邊君之立日乃近者野立鹿毛動而曾鳴
やまとべに、きみがたつひの、ちかづけば、のにたつしかも、とよみてぞなく
山跡邊 大和國にみやこありしときなれば、大伴卿遷2任大納言1して京へ上り給ふ日の近づけばと也。邊といへるは助け詞と同じ
君之 旅人卿をさして也
野爾立鹿毛 しかもと云にて、我も人も名殘を惜みてなくといふ意を込たり
動而 鳴ことの夥しきといふ義にどよみてと詠めり。なりどよむなどいふて、大なることにいへり。こゝも鹿の鳴くことに詠て、わが名殘措きことの切なることをあらはしたる歌也
右二首大典麻田連陽春
あさ田のむらじひはるやすとよまんか。又はをはるか、姓麻田故也
大典 太宰府之官人也。職員令に詳也
麻田陽春 聖武紀云、神龜元年五月辛未正E八位上※[草冠/合]本陽春賜2麻田連姓1と見ゆ。天平十一年〔春正月甲午朔丙午、正六位上麻田連陽春授2外從五位下1〕懷風藻云、外從五位下石見守麻田連陽春一首【年五十六】五言、和d近江守詠2裨叡山先考之舊禅處柳樹1之作u。近江惟帝里、裨叡寔神山、〔山靜俗塵寂、谷間眞理等、於穆我先考、獨悟闡2芳縁1、寶殿臨v空構、梵鐘入v風傳、煙雲萬古色、松柏九冬專、日月荏苒去、慈範獨依々、寂莫精苒處、俄爲2積學※[土+穉の旁]1、古樹三秋落、寒草九月衰、唯餘兩楊樹、孝鳥朝夕悲。〕此詩を見れば比叡山には開基の人ありと見えたり。傳教は中興と見えたり。尚可v考也
571 月夜吉河音清之率此間行毛不去毛遊而將歸
(461)つきよゝし、かはおときよし、いさこゝに、ゆくもとまるも、あそびてゆかん
月夜吉 蘆城の驛にてはなむけして名殘を惜み、夜半に到るまで宴飲せし其夜の月もさやかに、その邊の川の音も清きを興に乘じてよめると見えたり
河音清之 かはおときよしと讀來れり。きよしといふ詞耳に立ちて聞ゆれば、河とさやけしとも讀べき歟
行毛不去毛 行は京へ登る人、とまるは殘れるをいへり。しばらくの名殘をも惜みて詠る歌なり。此歌續古今雜部に入る也
右一首防人佑大伴四綱
右一首さきもりのせう大とものよつな
四綱 一本に綱を繼にも作れり。しからばつぎか。傳不v詳は難v決
太宰帥大伴卿上京之後沙彌滿誓賜卿歌二首
一本賜を作v贈尤可也
572 眞寸鏡見不飽君爾所贈哉旦夕爾左備乍將居
まそかゞみ、みあかぬきみに、おくれてや、あしたゆふべに、さびつゝをらむ
眞寸鏡 は下の見といはんための冠句也。ましろの鏡との義に、まそかゞみとは云傳へたり。ましろの鏡とは、くもりなき明なる鏡といふ意也。かゞみをほめていひたる古語なり
所贈哉 都へともに得上らで、殘りおくれ居てあしたゆふべ、さびしくあらんとなげける歌也。大伴卿としたしく陸じかりしと聞えたり
左備乍將居 さびしく居らんとの義也。おきなさびなどいふさびにはあらず。徒然のさびしきかたのこと也。いたくさびしからんと、行末迄を思遣てさびつゝをらんと也。さびつゝぞ居るとありたき歌なれど、古詠の格當然のことにても、行さきのことの樣によめる歌多し
(462)573 野干玉之黒髪變白髪手裳痛戀庭相時有來
ぬば玉の、くろかみかはり、しらけても、いたきこひには、あふときありけり
野干玉 和名抄第廿草木部云、射干、一名烏扇【射音夜、和名加良須安布木】しかれば野射音通。仍て野干とも書たると見えたり。からすあふぎの實は、至りて黒きものなれば、くろきくらきといふことに、ぬば玉とはよみ來れり。語釋は犬眞珠といふ義也、ぬば玉の釋は前にくはしければ略v之
白髪手裳 年老くろかみもしらがになりても、おもひといふものはあるもの也との義なり
痛戀庭 いたきとは、心を痛ましむるほどの苦しき思にあふと也。大伴卿を深くこひしたふことをいたきとはいへり。こひとは色情戀慕の事のみにあらず。もの思ことをいへり。相聞の歌といふは、戀慕の情をあらはしたる計の事ならぬ義、これらの歌にても知るべし
歌の全體は、戀慕の情になして大伴卿をしたふ情の深切なることをよめり。前の坂上女郎の歌に同じき意によめり
大納言大伴卿和歌二首
これは京よりの答歌也
574 此間在而筑紫也何處白雲乃棚引山之方西有良思
こゝにありて、つくしやいづこ、しらくもの、たなびくやまの、かたにしあるらし
此間在而 都にありて、筑紫の事を思遣て也
方西有良思 一本方の字なき本あり。又此歌新古今に入り、下の句たな引山の西にあるらしとのせたり。何れか是ならん
歌の意はきこえたる通也。大和國よりも筑紫は西方にあたれば、にしにあるらしともいふべきか。又白雲と詠める意は、知らぬといふことを受ての意なるべし。白きは雲と云に意はあるべからず。白は金の色、西にあたるなど云説はあるべからず
575 草香江之入江二求食蘆鶴乃痛多豆多頭思友無二指天
(463)くさかえの、いりえにあさる、あしたづの、あなたづたづし、ともなしにして
草香江 河内國也。日本紀神武紀に見えたり、重而可v見
求食 あさるとは、諸鳥餌をはむには、あしにてさぐりもとむる故、あしさぐるといふ略語にて、あさるとはいへり
痛 とは嘆の詞也。訂なげきたる詞也
多豆多頭思 たどると云意と同じく打つかぬ意也。このたづ/\といはん爲に、あしたづとは詠出たり。ケ樣のところを歌とはいふ也。友鶴の如く打群たりし友どちに離れて、獨さびしげにもあるといふ意にかくよめり。滿誓としたしく友なひ給ひしが、いまは京と筑紫に別れ隔りて、友もなくたづ/\しくしたふとのこたへ歌也。此歌續後撰集に入れり
太宰帥大伴卿上京之後筑後守葛井連大成悲嘆作歌一首
大宰帥大伴卿みやこにのぼるのち、ちくごのかみくづゐのむらじおほなり、かなしみなげきてつくるうたひとくさ
葛井連 續日本紀聖武紀神龜五年五月〔正六位上葛井連大成授2外從五位1云々〕元正紀養老四年五月〔壬戊改2白猪史1賜2葛井連姓1〕孝謙紀寶字二年八月〔丙寅外從五位下津史秋主等卅四人言。船、葛井、津、本是一祖別爲2三氏1。其二氏者蒙2姓津連1〕桓武紀延暦十年正月〔壬戌朔癸酉、春宮亮正五位下葛井連道依、主税大屬從六位下船津今道等言、葛井、船、津等本出2一祖別爲2三氏1云々〕
576 從今者城山道者不樂牟吾將通常念之物乎
いまよりは、きやまのみちは、さびしけん、わがかよはんと、おもひしものを
從今者 大伴卿の上京し給ふてよりはと也
城山 筑前の國にあり。太宰府の邊か。八雲に出たり。和名鈔城邊とある郷の山か。和名城邊は【木乃倍】と注せり。大伴卿の許へ、大和より通はんと思ひし道の、最早徃來もせずば、さびしからんと也
(464)不樂牟 不樂の二字さびしとよむ事、此集中あまたなり。面白からぬと云意にて義訓をなせるか。さびしと訓する義末v詳
さびしけんとは、さびしからんと云意也。古詠の詞也。歌の意何事もなき歌也
大納言大伴卿新袍贈攝津大夫高安王歌一首
新袍 あたらしきうへのきぬ
袍 倭名鈔卷第十二衣服類云、楊氏漢語抄云、【薄交反、宇倍乃岐沼、】一云朝服著v襴之袷衣也云云
攝津太夫 令義解云、攝津職【帶津國】大夫《カミ》一人〔掌d祠社、戸口、籍帳、字2養百姓1、勸2課農桑1、糺2察物部1、貢擧、孝義、田宅、良賤、訴訟、市廛、度量輕重、倉稟、租調、雜徭、兵士、器仗、道橋、津濟、過所、上下公使、郵驛、傳馬、闌遺雜物、檢2校舟具1、及寺僧尼名籍事u〕
高安王
追而可v考。傳不v詳
577 吾衣人莫著曾網引爲難波壯士乃手爾者雖觸
あかぎねを、人になきせそ、あびきする、なにはをとこの、てにはふるとも
吾衣 大伴卿より贈れる袍をさして也。わがともあがとも讀べし。大伴卿よりおくれるきぬなればわがきぬと也
莫著曾 一本に莫の字魚の字に作れり。まがひやすき字なれば是非辨がたし。しかし莫の字なれば下に曾の字なくても、なきせそとよめる例なれば、曾を書たるは魚の字ならんか。いづれにてもさして別義はなけれど、魚の字なとよめること知る人すくなければ注を加ふる也。又はといふ詞を、なと云事多し。またたとも云習へり。これらは音便のひゞき也。人になきせそとは、我志しておくれる衣なれば、志を受けて心に不v入とも、きたまへとしたしみていへる意なるべし
網引爲 難波にあみ引ことを詠める歌、此集中あまた也
難波壯士 高安王攝津太夫故なにはをとことさしてよめる歟。然れ共あびきするといふ者は甚いやしきものゝ業なれば、高安王をさしてはいひ難きこと也。たゞいやしきものゝ手には觸るゝとも、袍のきぬを着べき外人には著せなと、卑下の意をも(465)込めてよめる歌也
雖觸 ふれたりともといふ意を込たる歟。あ引する男は至つて賤しきもの也。それ等の手には觸るゝとも外人には著せなと制したる歌也
大伴宿禰三依悲別歌
大伴卿の上京の時の歌ならんか
578 天地與共久住波牟等念而有師家之庭羽裳
あめつちと、ともにひさしく、すまはんと、おもひてありし、いへのにはゝも
天地與共久 いつまでも相ともに居らんと思ひしといふ義を、天地に擬へて詠めり。第二卷に、日並皇子の舍人のよみにも此詞あり。此歌太宰府にての歌か。何の時のうたといふ標題なければ決し難し。或抄には大伴卿の別を惜みてよめると注せりいへの庭はもとよめるは、ともに住なれし人の家を、わかれざるときよめる歌なるべし
家之庭羽裳 詞をのこして心を含めたる歌也。これらの歌古詠實朴の格にて、詞足らぬといはんか。いへの庭も、何とかなるらんといへる意と聞ゆる也。尤家の庭と計いふて、はもはなげきの詞也。相ともに久しく住まんと思ひし家の庭も、何とかなり行と別をなげきたる意と見るべし。はやはもといふ詞みな嘆息の詞也。畢竟庭翅裳と問ふたる歌也。大伴卿と相與に久しく住まんと思へる家を出て、京へ歸り給ふ別の時の歌なるべし
金明軍與大伴宿禰家持歌二首【古一本云明軍者大伴卿之資人也】
奉見而未時太爾不更者如年月所念君
見まつりて、いまだときだに、かはらぬを、としつきのごと、しのばるゝ君
不更者 此點諸本みなかはらねばとあり、。此集中後々の集にも此てにをはの歌あまたありて、はと讀ては、如何樣にいひまは(466)しても義不v叶歌どもなり。者の字をよみ誤り來れるより、外の集にも誤を證としてまた誤り來れると見えたり。此者の字はをとか、にとかよまでは不v通也。是をにと讀む義は者の字はなりとよむ字也。其を約してにとはよませたり。此卷に中々者と書たる歌有。煮の字の誤字又爾の字の書誤りとも見るべけれど、約言の例格和書に何程もある事を考へ合せて、者はにとよむ事相叶へり。伯の字をきとよむ。佐伯さいきとよむ。是伯の聲を約したるもの也。又をと讀む義は語のあまりといふことあり。唐の置字の格なり。此集中此格を不v知ば不v濟事也
如年月 としつきをふるごとに、したひおもふといふ義也。よくきこえたる歌也
580 足引乃山爾生有菅根乃懃見卷欲君可聞
あしびきの、やまにおひたる、すがのねの、ねもごろ見まく、ほしききみかも
生有 てあの約言たなる故、おひたるとはよむ也。此歌もねもごろといはん計の趣意に、上よりかくよみ出たる也
懃 菅の根といふものは、よく絡みたるもの也。依て歌にみなすがのねのねもごろと詠む也。ねんごろとはよくしたしく見たきとの意なり。古詠の風體見紛ふべくもあらぬ歌也。後世の風と違あることを辨ふべし
大伴坂上家之大娘報贈大伴宿禰家持歌四首
大娘 姉妹ありて此をとめは姉なる故、大の字を加へたりと見えたり
581 生而有者見卷毛不知何如毛將死與妹常夢所見鶴
いきてあれば、見まくもしらず、なにしかも、しなんよいもと、ゆめに見えつる
生而有者 いのちの内には、見ることもはかりがたしと也。相見る事のなりがたきよし見えたり
何如毛 なにしかもいきてあらんや。死てあらば相見んこともあるべけれ。なにの爲いきてあらんとの義也。今俗言なんのそのなどいふ意と同じ
將死與妹常 大娘と家持としなんと、家持の云たると夢に見つると也。大娘の歌に妹とよめるは、心得がたきやうなれど、此(467)ところ歌といふものなり。しなんよせなとよみては歌の情ならず。夢に見えつるとあれば、家持のさ云たると夢に見えつるといふ所歌の情也
582 大夫毛如此戀家流乎幼婦之戀情爾比有目八方
ますらをも、かくこひけるを、たをやめの、こふるこゝろに、くらべらめやも
丈夫毛 男子の通稱也。こゝは家持をさせり
如此戀家流乎 前のうたをうけてよめる義と見ゆる也。しなんよいもとゝいひしほどに、家持もわれをこひけるをとよめる事と見ゆる也。然れ共乎の字、歟とよむべきか。しかれば如v我こひけるかと自問自答の歌とも見ゆる也。然れば如v此とよめる意やすく如v我と聞ゆる也
比有目八方 何程丈夫の戀たまふとも、女のこふ情に比類せらるべきや。我こふ心は類ふべき事にあらずとの義なり。何ほどせちに戀ひ慕ふともますらをなるものを、たをやめのかひなき心にこふるとは如何でたぐへられんや。女の情まされりと也
583 月草之從安久念可母我念人之事毛告不來
つきぐさの、うつろひやすく、おもふかも、わがもふひとの、こともつげこぬ
月草之 あをばなといふ草なり。つゆぐさと云也。うつろひやすき花也。朝咲きて夕部には移ろふほどの花故、かくうつろひ易きと也。紙布などにうつしおきて、又水にひたして物をそむるによくうつるもの也。それらを兼て歌にうつろひやすきことにたとへよめるか
念可母 家持の心の外へうつりたると也
事毛告不來 音信の絶えたるによりて、外に心のうつりてかくおとづれもせぬかと恨たる意也
584 春日山朝立雲之不居日無見卷之欲寸君毛有鴨
かすがやま、あさたつくもの、ゐぬひなく、みまくのほしき、きみにもあるかも
(468)朝立雲 雲はあしたにはきはめて山の端にたちかゝるもの也。其雲おりゐることのなき如く、常住不斷に見まほしき君としたひたる歌なり。畢竟日毎に見まほしきといはんとて、雲の居ぬ日なくとよみ出で、こひしたはぬ日もなきといふ心をあらはせり。かもは例のかなと同じき意也
大伴坂上郎女歌一首
此郎女は妹を云歟
585 出而將去時之波將有乎故妻戀爲乍立而可去哉
いでゆかん、ときしはあらんを、ことさらに、つまこひしつゝ、立てゆくべしや
出而將去 此出でゆかんとは、たゞ打任せて何事にて出でゆかんといへることゝも知れず。夫の外國へ行しを慕ひての折によめるか。只下の妻戀して出で行くべしやといはんまでに詠いでたるか。然ればこの出でゆかん時しはとよめるわけも、何故何方へといふ義をたゞし考ふるには不v及歌也。何事にてまれ、出で行く事の時あらんに、今わざと家出するもかく妻戀するからといふ義を詠める歌と見るべし
時之波將有乎 時はあらんといひてすむべきことを、かく助字を入たるところ歌なり。時はあらんとよみては俗語只事になる也。然るを古人のしもじを入てよめる所、歌といふ義を知るべし。これ當流の秘傳、古今かやうのところに目をつけたる人なき也、歌の善惡、古詠、新歌を見分る事かやうのところにある也。後世の歌ははしかくなりて、雅情うすき也
故 ことさらにとは、出で行くべき時のあらんをも待たずして、わざと妻こひをして家出をもせんと也
立而可去哉 此立の字出の字の誤ならんか。此所に立てといふ義首尾不v叶。上に出で行かんとよみたれば、此もいでて可v去にてあるべし
可去哉 ゆくべしやとよめる、此哉は助字と見るべし。出でゆかんといふの意也
大伴宿禰稻公贈田村大嬢歌一首
(469)稻公 前に注せり。旅人の庶兄と古注者記せり
田村大孃 傳不v詳。古一本大伴宿奈麻呂卿之女也と注せり。考ふる所ありてか
586 不相見者不戀有益乎妹乎見而本名如此耳戀者奈何將爲
あひみずは、こひざらましを、いもをみて、もとなかくのみ、こふはいかにせん
本名 通例の説よしなといふ釋也。然れ共ところによりて不v合ことあり。まづこゝの意はよしなくも妹を相見しからに、如v此こふ事はいかにせんといふ意と聞ゆる也。此本名といふ義は未v決。うたがふたる訝かしきといふ意にかなふ歌ども多也。今俗に無2心元1といふことをいひならへり。此本證いかにといふことゝ不v知也。若くはこのもとなといふ古語に心を添て、こゝろもとなといひ傳へたるか
此歌の意は、よしなくも妹を見たるにより、如v此こひしたふことのあるに、見ざらましかば如v此迄に戀ふことはあるまじきと、相見そめしことを反りて恨たる歌也。相見ての後の心にくらぶればの歌も此意を詠なしたる也
右一首姉坂上郎女作
此古注不審。亂雜と見えたり。然れ共姉郎女稻公に代りてよめるといふこと歟
笠女郎贈大伴宿禰家持歌廿四首
587 吾形見見管之努波世荒珠年之緒長吾毛將思
わがかたみ、みつゝしぬばせ、あらたまの、としのをながく、われもしのばん
吾形見 ゆゑありて別るゝことにつきて、かたみなどとりかはしたる歟。見つゝとありて幾度も/\見てといふ義也
之努波世 しのべといふ義也。古詠の格これらににて知るべし。今時の歌はしのべよといひて、はしかくよむ也
吾毛將思 此思といふ字は、集中にしのぶと讀こと多し。此歌も上にしぬばせとよみたれば、われもしのばんにてあるべし
歌の意は、我かたみを見ていつまでも忘れず慕ひ給へ。我もいつまでも/\したひしのばんと也。忍ぶといふに色々のわけ(470)あり。心の儘にならぬことを耐へて居るを、たへしのぶといふ。こひしたふことをしのぶといひ、ものをかくしつゝむことをしのぶといふ。其の所々にて替ることあり。辨ふべし。こゝのしのばせ、しのばんはしたひしたふのしのぶ也
588 白鳥能飛羽山松之待乍曾吾戀度此月比乎
しらとりの、とば山まつの、まちつゝぞ、吾こひわたる、このつきころを
白鳥能飛羽山 山城の地名歟。鳥羽田といふ歌もあり。鳥羽山といふは外の地名歟。未v考。今の代にては鳥羽のあたりに山は無也。上代のこといかにとも難v知ければ、先山城の鳥羽のことゝ見るべき歟。十二卷の、霍公鳥飛幡の浦爾敷浪之屡君乎見んよしも鴨とよめるは、いせのことならんか。然れば此廿四首の内に、伊勢の海を詠める歌もあれば、これも伊勢の言葉ならんか。さてしらとりのとば山とよめるに意はなきことにて、鳥の飛といふことをうけん爲迄の料也。又とば山をよみ出たるには、別に意はなき也。山松のまつといはんため迄のこと也。古詠の傳こゝらの義也。鳥羽山といふ地名をよまんとて、しら烏とよみ出て、飛ともつゞき、又鳥ともつゞき、羽ともつゞく縁ある故也。しかれば三つのつゞきありて、いづれにまれ、たゞ鳥羽といふことをいひ出ん爲に、白鳥とは置たる也。白鳥にもかぎらず、ほとゝぎすとばたともつゞけたれば、しら鳥といふこと、心あるにあらざることを知るべし
月比乎 此をの字、今時のてにはにては月比はとよむべきを也。これは年月をこひわたると云意に乎とはあるなり。かやうの格あげて數へがたし
589 衣手乎打廻乃里爾有吾乎不知曾人者待跡不來家留
ころもでを、うちわのさとに、あるわれを、しらでぞひとは、まてどきざりける
衣手乎 下のうちわのさとゝいはんためによみ出たり
打廻乃里 大和也。笠女郎の住所か。此歌の次第よく見れば、第一の歌は、わかれ隔つる歌、次の歌は待佗る歌、此歌も同じき也。うちわの里に待て居ると不v知して、人の訪ひ來ぬとうらみて詠める也
不來家留 點本にはこすけると點をなせり。意は同じけれど聞よからねばこざりけると可v讀歟。上に衣手とよみ出たれば、(471)きざりけるとよまんこと可v然歟
590 荒玉年之經去者今師波登勤與吾背子吾名告爲莫
あらたまの、としのへゆけば、今しはと、ゆめよわがせこ、わがなのらずに
荒玉年之經去者 如v此年經る迄しのび來りたれば、わか名をあらはすなとの歌也
今師波登 或抄に、今はといふ義と注せり。年の經行けばたへかねて、今はとて名をもあらはすなと云義、歌の意もやすくきこゆれど、語例句例なければさは解しがたき也。いましばしなどよめる歌どもありて、しばしといふ義によみきたれり。然れば此歌の意、これ迄包み來れるわが名を、今しばしゝのぴてあらはすなと示したる意也
勤 ものをつゝしみてあらはさぬ事を、古語にゆめといふ也。つとめよやなどいふも同じく、つゝしめといふの義なり。つとめよと下知したる義也
吾背子 家持をさして也
吾名告爲莫 わがなつげずなとよめり。歌詞とも不v聞。わが名のりすなとか、なのらすなとかよむべし。告といふ字はみなのりとよむ也
591 吾念乎人爾令知哉玉匣開阿氣津跡夢西所見
わがおもひを、ひとにしらすや、たまくしげ、ひらきあげつと、ゆめにしみゆる
令知哉 しらしむるや也。しらしたるやといふてもおなじ詞也。しるを約すればす也。櫛筥などをあくると夢に見れば、名のあらはるといふこと、古くいひ傳へたりと見えたり
闇夜爾嶋奈流鶴之外耳聞乍可將有相跡羽奈之爾
くらきよに、なくなるたづの、よそにのみ、きゝつゝかあらん、あふとはなしに
歌の意、こゑのみよそにきけど、あふことのなきといへるよく聞えたる歌也
(472)593 君爾戀痛毛爲便無見楢山之小松下爾立嘆鶴
きみにこひ、いともすべなみ、ならやまの、こまつがもとに、たちなげくかも
痛毛 いともは嘆息の詞初語とも見る也。すべなみはせんかたもなきとの義也。こひわびまちわびてせんかたなきあまりになら山の小松のもとにも立出て、もし君か來るやとまちなげくと也。小松か下とよめるは待といふ意をこめて也。なら山をよみ出たるに意はなき也。小松が下と、待といふ意を、かねていはん迄の料也
594 吾屋戸之暮陰草乃白露之消蟹本名所念鴨
わがやどの、ゆふかげぐさの、しらつゆの、けぬかにもとな、おもほゆるかも
暮陰草 一草にあらず夕陰の草也。白露をよまんとての序也。白露はきゆるかにとよまんとての序也。古詠の傳此等を可v見
消蟹 きゆるかに也。身心も消ゆるほどにこひしのばるゝかなと也
本名 前にも注せる如く、よしなくもといふ釋なれど、このもとなはいぶかしく打著かぬ意にきこゆる也。身もきゆべく覺束なきほどに思ふとの意にきこゆる也
595 吾命之將全幸限忘目八彌日異者念益十方
わがいのち、またけんかぎり、わすれめや、いやひごとには、おもひますとも
將全幸限 別訓あらんか。まづ義訓にまたけんと點の通によむ也
日異者 日にけにといふ點なれども、いづれにても同じ義にて、日にまし夜にましといふ義也
歌の意は、いのちあらんかぎりは、戀慕ふ心の忘られまじきと也。日にまして思は増となり。忘るゝ事はあらじと也
596 八百日徃濱之沙毛吾戀二豈不益歟奧島守
やほかゆく、はまのまさごも、わがこひに、あにまさらめや、おきつしまもり
(473)八百日徃 長途の濱邊といふ義也。その日數をふるほどゆくはまべのまさごの數も、吾戀にはまさらざらめやと、島守に自問の歌也。神代卷の歌に、ほまつ千鳥にとひかけたまふ意と同じ。或抄に、島守は三女神の如くいへる説あれど、何の證明もなければ決し難し。たゞ島守人と見るべき也。強て島守に意なき事也。上に八百日行く濱をよみて、終に島守とよめるも、歌の首尾とゝのへるといふもの也
597 宇都蝉之人目乎繁見石走間近君爾戀度可聞
うつせみの、人めをしげみ、いしはしの、まぢかきゝみに、こひわたるかも
宇都蝉之 現の身の也。現在あらはれたる身の人といふこと也。はかなき身といふ説は非也
石走間近 此つゞきは當然の秘傳なり。石橋といふは、今石にて渡したる橋をいふにはあらず。上代のいしばしといふはみぞ川などに石をならべおきて、飛越るやうに据置たるを石橋とはいふ也。其故あひだとか、まとかつゞける冠辭に、石橋のとはおく也。また石走の甘南山とつゞけたる歌あり。此義不v濟也。師案には、いはゞしのかんなみといふ義なるべし。葛城山同國なればそのあたりなる故、地名ともなりていへる歟と也。此石ばし、間といはんための冠辭也。間近きといはん計に、いしばしのと置たる也
歌の意よく聞えたり。人目のしげき故ま近きゝみなれども、心のまゝにあひ見ることもならねば、こひわたると也。石ばしとよみ出て、こひわたると詠とちめたる也
598 戀爾毛曾人者死爲水瀬河下從吾痩月日異
こひにもぞ、ひとはしにする、みなせがは、そこにわれやす、よるひるごとに
人者死爲 こひといふものに、人の死ぬるといふがまことにさもあらん。われもそなたによりて、夜晝ごとに身もなくなりてやせ行けば、遂には死に果てんとの歌也
水瀬川 攝津國の地名、此水瀬川をよみ出たるは上にこひとある故こひは泥の事を云。その縁よりよみ出て、下の句のそこ(474)にといはん爲の料也。われやするといふことあるから、身のなきとうけたる詞也
下從 したにと點あり。此詞集中に數多ありて、しもともよみそことも讀べき處有。いづれとも決しかたし。こゝは底といふ縁を受て、先はそことさしていひたる意と見ゆれば、川とあるからは、底の縁をもて、そことはよむ也。川の縁にしたとはつゞけがたからんか。しかし集中に此詞多ければ一決しがだし。考へ合すべし。このうた底と其方故にといふ意をこめて、そことよまむこと然るべからんか。歌の連續うつせみの人目をしげみの歌の次に入たるにて、下從われやすといふ意も表にあらはしがたく、心の内にこひわびて、身もやせ命も死にはてんとの歌也
月日異 古本、印本、諸抄の點、みな月に日にけにとあれど、此ことはむつかし。義は月に日にましてことにといふ事との諸抄物の釋なれども、むつかしき義なれば、宗師の説は、義訓によるひることにとよませたり
笠女郎は至て歌の上手と聞えたり。此廿四首の歌何れもすぐれたる歌也
599 朝霧之欝相見之人故爾命可死戀渡鴨
あさぎりの、うつにあひみし、ひとゆゑに、いのちしぬべく、こひわたるかも
朝霧之 下の欝といはん料也。古詠の風雅かやうのところにあり。うつとは、うちつけまた現在のことなり。それをうつゝにとも、ほのかにとも詠出すは、あさぎりのとよみ出たるところを感すべき也
鬱 ほのにと點をなせり。しかれども朝霧のほのといふことは打つかぬ也。あさぎりの内に、ほのかにといふの義なれども、しかればうちにといふ詞を入れて釋せねば聞えざる也。よつて當流には、あさぎりのうちといふを兼てうつにと讀む。うつは、現在のことを云。うつの身などいへるうつ也。現在にみたるから、いのちもしぬべくこふとの歌也。ほのみしといふ義は面白きやうなれども義六ケ敷也。たしかにもみず、俗にいふちらとみし人なれどもと、いふやうなる説の點也。此意信用しがたし。古詠の格、うつといはん計にあさぎりとよみたる迄也。朝霧のうちに相見し故、たしかにあらねどといふやうなる深き意味を込たる義は後世の歌の格なり。うつはうちといふ義をかねたる故なり。古詠にこの格この差別多し。尤借音のよみ也。うつといふ音をかなに用ゐたる也
(475)600 伊勢海之礒毛動爾因流浪恐人爾戀渡鴨
いせのうみの、いそもとゞろに、よするなみ、かしこき人に、こひわたるかも
此歌かしこき人にこひ渡といふ迄の趣向の歌也。然るを如v此首尾をとゝのへたること上手の作也。伊勢の海と詠出たるは、いそとうけん爲也。いとうける詞の縁に、いせのうみをとはよめり。いそとは石也。そのいしも鳴り轟くほどの、おそろしき人にこふと也。戀とはなづみわづらふことを云也。それ故集中一首も人をとも、妹をともなく、人にこひ、君にこひとありて、にとばかりよみたり。をとよめること一首もなし。かしこきとは、かたきと云義、おそろしきといふ詞也。このかたきといはんとて、上に磯もとゞろにとよみたり。いそは石也。此石よりかしこきといふ縁をもとめたるもの也。兎角上代の歌ははじかく縁なき詞はよみ出ず。詞の縁につゞけてよめる也。これを歌とはいふ也。さなければつねの物語只事になる也。この差別を辨へたる人中世には一人も不v見也
動爾 うごくといふ字を書きて意をしらせたり。音の高くなりわたることを、とどろくとはいふ也。尤もものゝそのまゝになりうごきて、すさまじきことを云也。然ればあらきなみの鳴響く如き、おそろしき人といふ義也。かしこきとは、高貴の人をさしていひたる義也。われを卑下してよめる也
三首の歌きこえたる歌なれば不v加2細釋1。清書のとき書入べき也
〔此間三音訓釋缺〕
604 劔太刀身爾取副常夢見津何如之怪曾曾毛君爾相爲
つるぎたち、みにとりそふと、ゆめにみつ、なにの怪そも、君にあはんため
此歌の意は、つるぎたちを身にとりそへたると見し夜は何の前表にかあらん。戀しきせなにあはんためのしるましなれと、われとわが自問自答したる歌也。上古はつるぎたちをとりそふと夢に見つれば、思ふ事の叶ふしるましと云習へるか。唐土にも我國にも、昔よりかやうのさとしは如何程もある事にて、眉根のかゆかれば待つ人の來るしるしなどいふたぐひいくらもあ(476)ること也。今の世とても同じ。女の身にてつるぎたちをとりそふと見たるも、心得ぬことなれば、何のしるしにてやあらん。これはつるぎ太刀は男子の具なれば、さては君にあはんための夢也とさとりしとの歌也
怪曾宅 點本さとしとよませたり。かなへりとも不v覺。日本紀などには、物の前表夢の告抔をしるましといへり。別訓あらんか
605 天地之神理無者社吾念君爾不相死爲目
あめつちの、かみの理、なくばこそ、わがこふきみに、あはずしにせめ
この歌の意は、あめかみ、くにつかみといふ尊きおほんかみたちのあるからは、天地神明にかけて如此はかりおもひこふ、君に不v相して死なんに、天地神明といふことなくばこそ、神といふものゝあるからは、一度君にあはでははてまじきとの歌也
理 この訓、ことわりとありてまづきこえたれ共、何とぞ別訓あらんか。しにせめは死なめと云義也
606 吾毛念人毛忘莫多奈和丹浦吹風之止時無有
われもおもふ、ひともわするな、おほなわた、浦ふくかぜの、やむときなかれ
此歌の意、われもおもふほどに、そなたにもつねにわすれずおもへとのことを、大海のうらは風のやまぬものなれば、たとへていひたる歌也。うら吹風のやまぬごとくにやまず思へと也
多奈和丹 集中此一首なにといふ義か。古來より義の説見えず。八雲には、大和と云意と注せさせ給へども、浦吹風につゞき難し。浦吹風とよみ出たる趣意に、連續のことならねば信用しがたし。宗師案は大海といふ義也。大海の浦とつゞきたる義と見るなり。此四字を大海とよむ義は多は大也。奈は乃也。大なるわたと云義也。わたはうみ也。海を綿とかきたる語例もありて、濁音にてはなき也。外に能よみなしやうもあらんか。當然の點は如v此也。とかくうらふく風のよりどころにあらざれば、信用しがたき也。風をよみたるは音信使などの意をもふくめたるか
607 皆人乎宿與殿金者打禮杼君乎之念者寐不勝鴨
(477)みなひとを、ねよとのかねは、うつなれど、きみをしおもへば、いねがてぬかも
歌の意何の事もなくきこえたる也。寢よとの鐘は夜殿のかねといふ意也。それをねよとのとかけたる也
打禮杼 うちぬれどとも、打なれどとも、助語字を入れてよむ事くるしからず。いかほどもこの格あり。打禮にてうつなれとよみて苦しからざる也
608 不相念人乎思者大寺之餓鬼之後爾額衝如
あひおもはぬ、人をおもふは、おほてらの、がきのしりへに、ぬかづくかごと
歌の意は、わればかり思慕ひても先におもひもせぬ人をこひしたふは、佛には向はで、うしろざまにしてあさましきいみきらふがきに、拜禮をする如く詮なきことゝ也
餓鬼 佛家に云る事也。人死して苦をのがれぬものをさしていへり。我國の教え事にあらぬ事なれば不v詳。その餓鬼といふものゝしりへに拜禮をする如くといふは、無益の事をするにたとへたる也。垣にも寄せていへる也
額衝 これは神佛を拜む事を云也。ひたひを地につく如くする故、拜禮をするを古語には皆ぬかづくとはいへり。祝詞祭文等にもうじものうなねつきぬきと書けり。うなねはうなぢにて額の事也。神を拜し君を拜する禮也。ひたひを地の底までもつきぬくほどに尊み敬ふ意也。額といふ語は、なづきのきは下中といふ。いづれにても、きは、なか、したの約言か也。なつの約言ぬ也。なづきとは頭上をいふ。そのきはしたといふ義也。額は頭上の下中きは也。よりてぬかとはいふ也。そのぬかを地につくと云義也。ぬかづきとも、ぬかづくとも云也
609 從情毛我者不念寸又更吾故郷爾將還來者
こゝろにも、わはもはざりき、またさらに、わがふるさとに、かへりこんとは
不念寸 點本に、あるおもはずとよみては、寸の字あまれり
又更 これは始め別れて後あひて、また二度わかれたる時の歌と聞えたり。後注にもその趣を注せり。最初に載たる歌は、故(478)ありてわかれへだゝりたるときの歌ときこゆる也。其後またあひむつみて、二度目のわかれのときの歌歟。一説、思ひもよらずたまさかにあふたることをよろこびて、よめるやうにも見たる説あれど、次のうたにて兎角わかれへだたりたる意と聞ゆる也
610 近有者雖不見在乎彌遠君之伊座者有不勝自
ちかくあらば、みずともあるを、いやとほく、きみがいませば、ありもたへずも
此歌は、近くにありては相不v見どもしのひたふべからんも、遠く立隔りてましませば、音信便も稀にならんから、いよ/\しのびかねてあるにもあられぬと云意也。たへずもといふ此もは、古詠の格、嘆きたる意を此もの字一字に込ていひたるもの也
有不勝自 この自の字決めて目の字の誤也。古本印本ともに自の字を書たり。尤自の字にてからとか、われとか讀べけれど義六ケ敷也。めとか、もとか、よみてはやすらかなれば、決めて目の字と見る也。集中其例不v少也。自を書てからわれとよめる例は不v見也
右二首相別後更來贈
右二首あひわかれてのち、またきたりておくる
此左注の通にはじめ相かたらひしが、故ありて遠く隔りてまた中頃思かけず立かへりし時、よみて贈りたる歌ときこゆる也。古注者も其故を知りて書けるにはあらず。歌によりて注せるなるべし
大伴宿禰家持和歌二首
611 今更妹爾將相八跡念可聞幾許吾胸欝悒將有
いまさらに、いもにあはんやと、おもふかも、こゝたわがむね、いぶせかるらん
此歌、末の二首の歌の内、更に古郷に歸りし時の歌の返歌に當れり。最早あふ事はあらじと思絶しか。またあはんと思からに(479)や。如何計むなぐるしく、心のうちのさだかならんと也。おもふかもとは、かく胸いぶせきは、思絶たる人に二度あはんかとおもふから、かくいぶせかるらんと、われとわが心にとひたる意也
幾許 かず/\といふ義也。員數の多き事をこゝらこゝおと云也。然ればひたもの/\思の増と云義にこゝたとはよめる也
鬱悒 いぶせしと云點あれど、此二字且此歌にいぶせしと讀ては可v叶とも不v聞也。いぶせくと云事は、ものうきといふことに近き義也。むせぶなどいふ意と同じくて、胸の内の苦しき事をいへり。いぶせくあるらんといふを約して、いぶせからんとよめり。くあの約言か也
612 中々者黙毛有益呼何爲跡香相見始兼不遂等
なか/\に、もだもあらましを、なにすとか、あひみそめけん、不遂等
此歌の意は、何の爲にか相見そめたるぞ。只そのまゝにてあらばかく物思はあらまし。つれそひはてもせぬこともとげさるものを、詮なくも相みそめたりと悔む歌也
中々者 此者の字古一本に爾に記せり。しかれば爾の字正字歟。もしくは煮の字の火を脱したるか。尤者の字にても者也とつゞく字なればなりと訓ずる故、なりを又約すればにとよむべき事也。集中に者の字を用ゐて、にとよませたる歌あまたあるを、此約言を不v知人點を加へしより、みなはとよませたり。これは點の誤にて、此所に中々者とあるを集中の語ともすべき事也。中々はといふ詞はなき事なれば、これ者の字を記してにとよむの一證ともすべき事也
不遂等 此等の字莫の字の誤歟。とげざらぬからとよむべきか未v考
山口|女王《ヒメミコ》贈大伴宿禰家持歌五首
山口女王 傳未v考
613 物念跡人爾不見常奈麻強常念弊利在曾金津流
ものおもふと、ひとに見せじと、なまじひに、つねにおもへり、ありぞかねつる
(480)此歌、そなたをこひしたふ事を色に不v出して、ふかくしのばんとつね/\心につゝしみ思しかど、さおもひしよりも反つてたへ忍がたき故、なまじひに思ひ慎む事の詮もなく、今は思堪がたければつゝしみてもありがたきと云義也。ありぞかねつるとは、人目を忍び物思ふことをつゝしみてありしも、たへかねてさはありがたきと也
614 不相念人君也本名白細之袖漬左右二哭耳四泣裳
あひおもはぬ、ひとをやもとな、しろたへの、そでひづまでに、ねのみしなくも
此歌の意は、我はかく思戀れども、そなたにつれなくおもひよせんよしもなく、かく音にまでなきておもふと也。この本名といふは、すべて物憂き事をいふたる意に聞ゆる也。うきといふ詞から、根のなき浮たることゝ云意ならんか。此歌の本名も、うきといふ意に見ゆる也。よしなきと計も不v見歌多也
615 吾背子者不相念跡裳敷細乃君之枕者夢爾見乞
わがせこは、あひおもはずとも、しきたへの、きみのまくらは、ゆめに見えこせ
此歌の意、前の歌をかねて詠めり。集中篇集の次第にわけあること一傳とはケ樣の所也。前の歌に、あひおもはぬ人をと云歌を載せたる故、わが背子はあひおもはずともと云を次にあげて次第をなせり。せことは夫君の通稱也。わが戀ふ人はあひおもはずとも、せめて枕は夢に見えよと云義也
乞 の字はなと云肝もあり。又こせとよむ所も多也。こそとよむ義はなき也。こせとは願ひ乞意なる故字義相叶也
616 劔太刀名惜雲吾者無君爾不相而年之經去禮者
つるぎたち、なのをしけくも、われはなし、きみにあはずて、としのへぬれば
劔太刀 此名とつゞくる事は、刃物には皆その銘をしるすもの紋、名と受けんためによめり。また凡て切れ物の類をやいばといひ、はものといふ也。婆はなゝるが故、名とうける冠句につるぎたちとはいへるか
(481)此歌の意は、これまでは名の顯れん事をもつゝしみて忍びたれど、かく年月を經てもあふ事なければ、今はよし名のあらはれてうき名の立つ事もをしまれぬとの意也。つるぎたちとつゞくるはたつ名といふ義也
617 從蘆邊滿來鹽乃彌益荷念歟君之忘金鶴
あしべより、みちくるしほの、いやましに、おもふかきみが、わすれかねつる
此歌伊勢物語に、下の句を君に心をおもひます哉とのせたり。歌の意は二義に聞きやうあり。しほの滿來る如く、あとよりいやまし/\思の増るは、君も忘れずこなたをも思ふ故か、われかくいやましに忘られぬと見る義あり。また歟はかなの意にていやましにおもふ故に、君の事がわすれられぬと云意にも聞ゆる也。師案には念歟の二字よみやうあるべしと也。此歌不2一決1歌なれば一決の見樣あるべし。猶追而可v案也
大神女郎贈大伴宿禰家持歌一首
大神 大和國城上郡大神於保無知といふ地名あれば、おほむちとよむべきか。またみわとよまんか、未v詳
618 狹夜中爾友喚千鳥物念跡和備居時二鳴乍本名
さよなかに、ともよぶちどり、ものおもふと、わびをるときに、なきつゝもとな
物念跡 此跡の字心得がたし
此歌の意さよ中に獨ものおもひをるに、友呼ぶ千鳥のなく音を聞けば、いとど物佗しく物うきといふ意と聞ゆる歌也。物おもふとゝいふてには何と解すべきや。もしくは誤字ならんか
本名 此歌にてはよしなといふ釋は少かなひがたし。ものうきといふかたにはよみかなへり
大伴坂上郎女怨恨歌一首并短歌
おはとも坂上のいららつめ、うらみうらむるうたひとくさならびにみじかうた
(482)619 押照難波乃菅之根毛許呂爾君之聞四乎年深長四云者眞十鏡磨師情乎縱手師其日之極浪之共靡珠藻乃云云意者不持大船乃憑有時丹千磐破神哉將離空蝉乃之人歟禁良武通爲君毛不來座玉梓之使母不所見成奴禮婆痛毛爲便無三夜于玉乃夜者須我良爾赤羅引日母至闇雖嘆知師乎無三雖念田付乎白二幼婦常言雲知久手小童之哭耳泣管徘徊君之使乎待八兼手六
おしてる、なにはのすげの、ねもごろに、きみがきこしを、としふかく、ながくしかくは、まそかゞみ、とぎしこゝろを、ゆるしてし、そのあけくれも、なみながら、なびくたまもの、かにかくの、こゝろはもたず、おほぶねの、かゝれるときに、ちはやぶる、かみやさけなむ、うつせみの、人やいむらむ、かよひせし、きみもきまさず、たまづさの、つかひもみえず、なりぬれば、いともすべなみ、ぬばたまの、よるはすがらに、あかもひく、ひもくるゝまで、なげけども、しるしを無三、おもへども、たづきをしらに、たをやめと、いひくもしるく、たわらべの、ねにのみなきつゝ、たちどまり、きみがつかひを、まちやかねてむ
押照難波 前に注せり。押てるも地名也
聞四乎 吾か來越也。郎女のかたきこしを也
年深 菅の根よりいひ出たるもの也。深切の意也
長四 ながくしも、菅の根の縁をもていひたるもの也。君が深切にいつまでも、長くとかたらひしかばと也
云者 かくはとよむべし。如v此はといふ意也。いへばといふ點心得がたし。もしは去の字のしを脱して、云の字になりたる歟。しからばながくしぬればとよむべし。四は助字にて長く寐れば也
眞十鏡 とぎしといふべき料也
(483)磨師 かゞみをとぐといふ義にいひかけたる也。わがこゝろのときことをいへる也。利心などいふて、一筋にをつとをしたひこふ心、又は外へ心をうつさせじとふせぎかまふ事をいひたる義也。その利心をも、としふかく長く通ひむつみぬれば、夫君などの外心はあるまじとゆるめたると也
其日之極 これを義訓にそのあけくれもとよむべし。日のきはまりは、明けると暮るゝとなり。よりてその旦暮とはよむ也。その日のきはめ又かぎりなど云點は、歌詞には拙し。あけくれもなきとうけて、下の波之共とよみたる也。これより我心の外へなびかぬ義をよめり
波之共 波のむたといふ點あり。波と共にといふの義也。かながきに波のむたといふ事ある故仙覺師よりよみ來れども、何として共といふ字をむたとはよめるか。釋なければ此點も難2信用1也。よりて宗師はなみながらとよむ也。前に注せり。よつて不v記。波のつれともよむべからむか。波とゝもにといふ義をとりて也。意は波の寄り來るにつれて玉藻の靡寄といふ義也。あけくれのわかちもなくたゞ外へなびく心をもゝたす、君がとひ來るをまちゐたるの意也
云々 かにかくのと讀べし。とにかくといふ點はあしゝ。かながきに、此奧のうたにも鹿煮藻闕二毛とよめり。かにかくのといふ義は、とほくなりても人次第といふ義也。其心は不v變なれば外の人にはなびかぬとの義也
憑有時丹 古本印本ともにたのめるとあり。大船の王のめるとはつゞき難し。當流にはいづかたにてもかゝると讀むなり。此歌にてもたのめるときにとよみては不v聞。かゝれる時とか、かゝりしときとか讀むべし。かくあるときにといふ義をいはんとて、大船のといひたるもの也
千磐破神哉 前に注せり。あらぶる神の事也。天神にあらず、よからぬ事をなす神をいふ義也。その神の業にて中をしさきたるかと也
將離 さけゝんと讀べし
空蝉の 人といはんとてうつせみと也。うつの身現在の身といふ義也
人歟禁良武 人やとむらんとか、いむらんにても同じ。いむも、とむも、おなじ意にてふせぎとどむるの事也。今まで通ひた(484)る人の打たえて不v來は、神のさけたるか、人のいさめとゞめたるかと也
通爲 通ひたる人のかれ/\に成て遠ざかりたると聞えたり
赤羅引 古本印本共にあからと讀ませたり。上にてあかとよみ、下にてらとよまん事心得がたく、またあからといふは何事をいふにや。よりてあかも引とよむ也。此字をもとよむは、うすものとよめば赤きうすものといはる。然れ共書面にて赤き裳と心得べし。上を衣といひ下を裳といふなれば、引とつゞく理り裳とよむ事叶へり。下の日もといはんための序詞也
無三 なしみとよむはわろし。四言によむべし
言雲知久 いひ來れるも也。いひくもしるくと讀べし。たをやめといひ來れるも、しるしといふ義也
手小童 手は初語、わらはべの如くに音にのみ泣つゝと也
哭耳 ねにのみと讀むべし。たをやめといひ來るもしるく、われながらわらべなどの泣く如く、ねにのみなきてかなたこなたとさまよひて、思ふ人の方より音信のつかひを待兼ると也
手六 此てにをは聞えざるやうなれど、わらはべの如くにと、音にのみなく事にたとへて詠める歌なれば、こゝもまちかねる如くにとよそへたる意にて、てんとよめると聞えたり。畢竟わらはべのやうにといふ意と見るべし。しかれば待かねつらんと云意也
反歌
620 從元長謂管不念恃者如是念二相益物歟
はじめより、ながくといひつゝ、たのめずは、かゝるおもひに、あはましものか
畏謂管 汝來といひつゝといふ意を含みてなり。そなたの來んといひしことを頼まずば也。表の意は、年ふかくながくといひかはせし事を、頼まずばと云義也
物歟 ものをといふべきてにはなれど、かと凝ふ手にはにても歌の意きこえたり。歌の意書面の通きこえたる歌也
(485)西海道節度使判官佐伯宿禰東人妻贈夫君歌一首
右追而可v考
621 無間戀爾可有牟草枕客有公之夢爾之所見
ひまもなく、こふるにかあらん、草まくら、たびなるきみが、ゆめにしみゆる
此歌の意二義あり。こふるにかあらんとは、わがひまもなくこふ故にかあらん。旅の夫のゆめに見ゆるとよみしとも聞え、また夫のわれをこふるにかあらん。吾夢に君が見ゆるはと云意にも聞ゆる也
佐伯宿禰東人和歌一首
622 草枕客爾久成宿者汝乎社念莫戀吾妹
くさまくら、たび爾久、なりぬれば、なをこそおもへ、なこひそわぎも
客爾久成宿者 此爾の字心得がたし。たびに久しくなると云義いかゞ也。旅の久しくなるとはいふべきが、爾といへるといかゞ。族寐久しくとよまんか。なにぬねの通へばこれらはねとよむべきか。集中に此字、にとよみては歌の意不v通ところ多し
池邊王宴誦歌一首
いけべのおほきみうたげにうたふうたひとくさ
池邊王 追而可v考
623 松之葉爾月者由移去黄葉乃過哉君之不相夜多鳥
まつのはに、つきはゆづりぬ、もみぢばの、あきはつや君が、ひとりねがちそ
又一説
(486)まつのはに、月はゆづりぬ、もみちばの、ちりしや君に、あはぬよおほくて
此歌は饗宴にうたふたるうたなれば自歌とも不v聞。宴にうたふ歌は自歌をも誦するなれば、この歌も古歌をたゞ興に乘じてうたひたるならんか。歌の意は、たゞ秋過て冬になるまでも、思ふ人にもあはでひとりのみねがちにあるらんとの意也
松之葉爾 宴に誦する歌故祝意を込めて、色かへぬ松の葉に月もうつりやどれると云意也。ゆづりぬは、うつりし月日のうつり行事をこめてよめる也
黄葉乃 はじめはもみぢに照たるに今は月たち日もふれば、松の葉に月影のうつると也。秋を經て冬にも成ぬるといふ義をいひたるもの也
過哉 古本印本共にすぎぬや、すぐすやとも點ぜり。もみぢばのすぐすやといふことば、ならびにつゞけがらも心得難し。よりて宗師義訓は、もみぢばの秋とうけて、過ぐるといふ意をはつと讀て、もみぢばのすぐるなれば秋のはつる義になる故如v此義訓せり。後學何卒別訓のよみときやうもあらばと尚後案をまつ也。あきはつやきみとは、上のうつりたるといふ意をうけて、秋のはてたるといふ義をよめり
不相夜多鳥 これはあはぬ夜多くてとよみては、書面の通にて何の風雅もなく面白からぬ讀樣なり。宗師義訓のよみやうは、あはぬ夜多きなれば獨寐勝の道理なれば、ひとりねがてぞとはよむ也。ねがてはねがち也。鳥の字は、烏の字の誤にてをそ相通也。からすをおそどりといふ故くんをとりてそとよむ也。ちりしやとよむ説は、第一卷に過去とかきて散行しとよめる例も有れば、もみぢ葉のといふをうけて也。すぐるやと讀も、紅葉ばの落葉して、早や松の葉にみるはといふの意にてよめるならん。然れ共此讀解きやうは歌詞にあらざることを味ふべし
此歌の意、秋もはてもみぢ葉の月冬の松の葉にうつるまで、君がひとりねはあきはつるやと、秋のはつる事によみなして、ひとりぬる事の年月ふることをよみなしたる歌か。然らば烏の字はをとよみて、ひとり寐がちてあきはつるやといふ義と見るべし
天皇思酒人女王 御製歌一首
(487)すべらきみ、さかひとのひめきみをしたひたまふみうたひとくさ
天皇 聖武帝歟。いづれのすべらぎとも難v考
酒人女王 傳不v詳。光仁天皇白壁王と申せし時の女王歟。しからば、續日本紀寶龜元年十一月己未朔甲子、被v叙2三品1たる女王なり。酒人氏あり。外戚の氏故、御名につけられたる歟。古一本に、女王者穗積皇子之孫女也とあり。考ふるところありて追注せる歟
624 道相而咲之柄爾零雪乃消者消香二戀云吾妹
みちにあひて、ゑめりしからに、ふるゆきの、きえばけぬかに、こふちふわぎも
此和歌の意よく聞えたれば不v及2細注1也。けぬかにはおほん身もきゆるやう戀したひ給ふとの歌也。こふちふといふもこひ給ふとの義也。けぬかにの詞は此卷前に笠女郎の歌にも出たり
道相而 天皇の御歌にも、道にあひとのこといかゞ。別訓あらんか
高安王※[果/衣]鮒贈娘子歌一首
たかやすのおほきみ、つゝみふなをいらつこにおくるうたひとくさ
高安王 續日本紀、元明紀、和銅六年春、聖武紀神龜元年二月の條を可2相考1。天平十一年四月賜2大原眞人姓1。天平十一年四月より前のうたと見えたり
※[果/衣]鮒 藻にてつゝみたる鮒をおくれる也。すなはちうたに聞えたり
625 奧幣往邊去伊麻夜爲妹吾漁有藻臥束鮒
おきべゆき、へにゆきいまや、いもがため、わがすなどれる、もふしつかふな
伊麻夜 此夜の字は助語、うたがひの詞にはあらず
藻臥 もにふしてある鮒といふ義也。裳伏といふ義を含めて、つかふなはちかふなどいふ意にかくしてよめり。裳伏はあひ(488)かたらひねんといふ意也。その約をちがへなといふ意をふくめてよみたるものと聞ゆる也
束鮒 つりの一振の事也。藻にふしたる一にぎりの鮒を贈りしと聞えたり。おきに行へにゆきて心を盡してすなどれると也
八代女王獻 天皇歌一首
八代女王 聖武紀天平九年二月授2無位矢代女王正五位下1。孝謙紀云、天平寶字二年十二月毀2矢代〔女王位記1とあり。〕如v此なればやつしろとはよまれず。やしろとよむべし
天皇 聖武帝也。依2孝謙紀之文1明也
626 君爾因言之繁乎古郷之明日香乃河爾潔身爲爾去
きみにより、ことのしげきを、ふるさとの、あすかのかはに、みそぎしにゆく
君爾因 天皇の御寵愛によりて也
言之繁乎 人ことのしげくねたみそねまれて、いひさはがさるゝ故、わざはひをはらひに行くと也
古郷之 奈良の都にうつりて後は飛鳥の里は古郷となれり。尤八代王の住所なりしか
明日香乃河爾 あすか河にてみそぎの例は、履仲天皇の御時由來ある事故よみ給へるなるべし。古詠にはかやうの縁をもつて詠ぜる也。何の河にてもみそぎはすべき事なれども、少にてもその縁なき事はよみ出さず。おろそかならぬ事を知るべし。みそぎとははらへをして身のあしき事を拂ふ義也。河邊のはらへなどいふは皆みそぎはらへの事也。水にそゝぎはらへる事を云也。前に注せり
一尾云龍田超三津之濱邊爾潔身四二由久
あるをはりにいはく、たつたこえ、みつのはまべに、みそぎしにゆく
異説にかくの如くありしを古注者加載たり
龍田超三津之濱邊 これは大和より難波のみ津へ、たつたをこえてみそぎに出給ふと云義也。世のそしり多かりし故、身を退(489)き給ふ事などありkる折にやかくよみ給ひけん
娘子報贈佐伯宿禰赤麻呂歌一首
傳不v考。此いらつ子、たれともしりがたし。前に赤麻呂より歌を詠みて贈りたると見えたり
627 吾手本將卷跡念牟大夫者戀水定白髪生二有
わがたもと、まかんとおもはん、ますらをは、なみだにしづみ、しらがおふならん
此歌、前かたに赤まろより娘子をこふ歌に、白髪などの事をよみて、年を經て老なげく事などよみて遣せるか。報贈とあれば、返歌ときこえたり
吾手本將卷 袖をまきてまくらにして、打かたらふて我妻とせんと思はん人はと云義也。袂をまくとは妻にすることを云へり。よりてまかんと思はんとは、妻にせんと思ふ人はとの意也
念牟 おもふらんと云意、思ふとよむべき處なるに思はんとよめるは、別の意もあるべき樣なれど、まかんと思はんと云ても、思ふと云意也。われを卑下の意から、打つけて思ふ人はとは詠まざるか
戀水 義訓になみだとはよめり
定 しづまる、しづめると讀故しづみともよませたる歟。しづみなれば沈の字也。定の字にしづむ意をよまんこと不v可v叶。しかし訓を借りてよめる歟。又涙を止ての意にて鎭てとよめる歟。二義に見ゆるなり
二祐 ならんとよむべし。にあの約言なゝり
此歌の意は、郎女心強く人にたやすくなびかぬ意をよめる歌ときこゆる也。戀水にしづみこひしたふともわれ心強ければ、白髪生て年は老行とも、わが袖はまきかたからんといふ意にてかくよめる歌と聞ゆる也
佐伯宿禰赤麻呂和歌一首
628 白髪生流事者生不念戀水者鹿煮藻闕二毛求而將行
(490)しらがおふる、ことはおもはず、なみだをば、かにもかくにも、まきつゝゆかん
求而 一水求の字に作れり。しからば鎭めてゆかんとよむべき歟。まきつゝは紛はしつゝゆかんと也。借訓也。尤も妹をまきつゝといふ意に紛らかしてと云をこめて也。しづめてゆかんはとゞめての意也。ともかくもして、涙を紛はしゆかんと也
將行 こひゆかん也。白髪の生ることは思ばず。袂のまかるゝまでこひつゝゆかんとの意に、まきつゝゆかんと也
大伴四綱宴席歌一首
おほとものよつなうたげのむしろのうたひとくさ
四綱 傳不v詳
629 奈何鹿使之來流君乎社左右裳得難爲禮
なにがしか、つかひのきつる、きみをこそ、かにもかくにも、まちがてにすれ
此歌はしひて戀歌とも見えず。又戀歌に似通ひたる歌也。相聞といふ歌みなかくの如し。歌の意、宴席にかこつけて約束して待をるに、障ありて來らざるその使の來りしとき詠めると聞えたり。兎に角に君をこそ待兼るとの義也
佐伯宿禰赤麿歌一首
630 初花之可散物乎人事乃繁爾依而止息比者鴨
はつはなの、ちるべきものを、ひとごとの、しげきによりて、ゆかぬころかも
此歌の意は、めづらしきはつ花の咲たるを見に行かんと約せしかども、人の何かといひさわぐ事あれば、それにさへられてえゆかぬとの義也。止息の二字はゆかぬと義訓すべき也。とまるとは讀難かるべし。とまるとよまば意違ふべし
湯原王贈娘子歌二首 一本、湯原王志貴皇子之子地
湯原王 傳不v考
(491)娘子 いづれの娘子とも知難し。歌の始終、王の妻女とも不v見。外にある娘子と見えたり
631 宇波幣無物可聞人者然許遠家路乎令還念者
うはべなき、ものかもひとは、かくばかり、とほきいへぢを、かへすとおもへば
此歌の意は、娘子をしたひて王の來りたるを、むなしくかへしたるをうらみたる歌なり。はる/”\と慕ひて來りしをも、心づよくつれなくも、相かたらふ事もとげずかへせると聞えたり
宇波幣無物可聞 かくつれなき人は外に上もあるまじきと、つれなき人のうはもあるまじと娘子をさしていへる也
632 目二破見而手二破不所取月内之楓如妹乎奈何責
めには見て、てにはとられぬ、つきのうちの、かつらのごとき、いもをいかにせん
歌の意は、能きこえたり。前の歌を引合せて見るべし。あふ事のかなはで、目にのみ見ても相かたらふ事のとげがたきをなげきて、詮方もなきと也
月内之楓 古事可v考。楓はをかづら・今俗にかへでと讀は誤也。かへでの木と云は、俗にもみぢの木と云木、鷄冠木とかきてかへでの木とよむ也。或はかへるての木とも云。その葉の形鷄のとさか、蛙の手に似たるをもて文字に書訓によめる也。楓は和名抄云、兼名苑云、楓一名※[木+攝の旁]【風攝二音和名乎加豆良】桂といふは女かづらと云もの也。肉桂桂心など藥種にも用ゆる也。月の内のかつらと讀事、月のかつらとよむ事、古事をもつて也
娘子報贈歌二首
633 幾許思異目鴨敷細之枕片去夢所見來之
いかばかり、おもひけめかも、しきたへの、まくら片去、ゆめにみえ來之
此歌の意は、いかばかりおもひけめ、まくらさらず、王のゆめにみえ來ると云こゝろと聞ゆる也。又の意は、如何ばかり思ふらめど相かたらふ事のなり難ければ、枕さらず夢になり共見え來りませといふ意にも聞ゆる也。然らば來之の二字こせとよむ(492)べし。さしすせそは通音故、之にてもせとはよむ也。集中何程も其格あり
枕片去 かたさりといふ事心得難し。或抄に不2片去1といふ義にて、不の字を脱したると釋せり。かたは助語かたまけ片待などいへば、助語として不の字落たるべしと云説あれど、直に片の字不の字の誤字と見る方しかるべし。片去といふ事何とも解しがたく、語例もなきことばなれは、まくらさらずとよむべきこと也。尤片待片設などいふ詞あれば、かたさりにてもあらば、何とぞ義のとりやうあるべき歟。先かたさりにてはいかにとも解し難き詞也。かな書にても、かたさりといふ詞あらば、その通によむべけれど、此分計にてはかたさりとよむ義心得がたく、外に何とよまん別訓も未v案也
634 家二四手雖見不飽乎草枕客毛妻與有之乏左
いへにして、みれどあかぬを、くさまくら、たびにもつまと、あるがともしさ
此歌の意、いろ/\の説ありて一決しがたし。一説は、旅にも妻と一所にあるはめづらしくともしきと也。家にても見あかぬに、旅の心細きに相伴ふは、いよ/\夫をともしくめづらしきやうに思ふとの意に見る説あり。一説、旅行に相伴へども、心のまゝに相かたらひ交ることはなりがたきといふ義を、あるがともしさと見る説あり
宗師案は、家にして見るとも飽ざりしを、旅にて妻となることは相かたらふ事もまれにて、ともしくわびしきといふ意と也。然れば旅行の人の妻となるがともしきと見る意也
右之説々一決しがたけれは好所にしたがふべし
右二首の歌の意未v決。尚追而沈吟後案を加へ侍らんか
萬葉童蒙抄 卷第九終
(493)萬葉童蒙抄 卷第十
湯原王亦贈歌二首
ゆはらのおほきみまたをくるうた二くさ
635 草枕客者嬬者雖率有匣内之珠社所念
くさまくら、たびにもいもは、さそはめど、このうちなりし、たまとこそおもへ
此歌の意は、旅行にも思ふ人はいざなひ行かめども、行ことなり難き身にて、くしげの中にある玉の如くに思へば、つれ行かれぬと云義也。或説に、たびにさそひつれたれど、相かたらふことのなり難きことのありけるにや。交接する事もなり難ければはこのうちの玉の如きといふの説もあり。然れども次の歌を見てつれざる説とすべし
客者 これをたびにもと讀む事、者はものと讀む故もの一語をとるなり。此例數多也。旅へもおもふ妹はつれそひたけれどはこのうちの玉の如くなる人なれは、心にまかせぬと詠みたる歌也
雖率 いざなはめどもといふ義也。さそはめどと讀む也。いざなひたれどもといふ説は心得がたし。いへどもと讀む字なれど、どとばかりもつかふ字也。有といふ字を上へつけて、印本にはゐたれどもと點をなしたれど歌の意六ケ敷也。次の歌と意たがへば此點心得がたし。次奧の娘子復報歌の意にもあはぬ也
娘子復報贈歌一首
637 吾背子之形見之衣嬬問爾余身者不離事不問友
わがせこが、かたみのころも、つまどひに、余身はさけじ、ことゝはずとも
此歌の意は、前におくりしきぬを妻とおもひ、身をはなたずまとひきんと也。ことゝはずとは、きぬなればものいひかはさず(494)とも、身をはなたずまとひきんとの義也。つまとひはまどふによせて詠めり
嬬問爾
事不問友 ものをいはずともと云義也。此集にもことゝはぬ木すらいもとしと詠めり。ものいはぬ木といふこと也
湯原王亦贈歌一首
638 直一夜隔之可良爾荒玉乃月歟經去跡心遮
たゞ一夜、へだてしからに、あらたまの、つきかへぬると、おもほゆるかも
歌の意、たゞ一夜相見ざりしことありしを、月日も久しく經たるやうにおもふと也。なれそひてもなほ飽かぬ心故、少の間隔たりても程經しやうにおもふとの義也
心遮 此二字おもほゆるかもと讀める義、歌の意にはやすく聞えたれど、此二字おもほゆるかもと七言によむ義未v詳。字義も不v通也。こゝろさへぎるといふ義にて、おもほゆるといふ義に叶ふべしや。未v詳也。後學尚可v考也。或抄に心不遮といふ不の字をおとしたるかと也。然らばこゝろはなたずと讀まんかと也。師案はおもひもぞすると可v讀と也
娘子復報贈歌一首
639 吾背子我如是戀禮許曾夜干玉能夢所見管寐不所宿家禮
わがせこが、かくこふれこそ、ぬばたまの、ゆめに見えつゝ、いねられずけれ
此歌、前の直一夜の歌をうけて返歌せる也。よりて如v是こふれこそとありて、かくは前の歌をうけて詠める也。かくばかりこひ給へばこそ、まことにわれも夜の夢に見ゆるとなり。いねられずけれとは、夢に見え、さめて慕へばね難くおもひ佗ぶるとの意なり。ねざりけれどもと讀むべし。いづれも意は同じ。然れば寐一字にてもねと讀み、宿の一字にてもねと讀めば、二字書きたればいねと讀むべきか。こふれこそは、こふればこそ也。いねられずけれは、いねられざりけれ也
湯原壬亦贈歌一首
(495)640 波之家也思不遠里乎雲居爾也戀管將居月毛不經國
はしけやし、まぢかきさとを、雲ゐにや、こひつゝをらん、つきもへなくに
此歌の意は、相見し人の別れて里にありけるに詠みておくれる歌か。たゞし仕官などの娘子にて、互に心は通へども、相語らふことのならぬことを詠めるか。始終の歌兎角心は通へども、相かたらふことの叶はぬ事のみを詠める歌ども也。娘子を里といひなして詠める歌か。近所なれども遙かに隔つ樣におもひこふとの歌也
波之家也思 すべてほめたる詞也。こゝにはかけ相難き詞なれども愛し慕ふ心から、娘子の居る里をほめて詠めると見るべし。喜撰式にはよき女の事をはしけやしと云ふとあれど、兎角ほめたる詞と見るべし。女に限りたることゝはいひ難し
不遠里乎 ま近きと義訓に讀む也。間もさのみ隔たらぬ人を、雲ゐ遙かに隔たれるやうに慕ひおもふと他。月も不經國とは前の直一夜隔てしからの歌の意をもて詠める也
娘子復報贈和歌一首
641 絶常云者和備染責跡燒太刀乃隔付經事者幸也吾君
たゆといはゞ、わびしみせめと、やきだちの、とつかふことは、よしやわがきみ
此歌の意、全體これまでの贈答のくゝりと聞得る歌也。此娘子未だ王の妻とは不v成。外に仕へてあるか。何とぞ故ありて心計は通ひて、相かたらふ事のなり難き人と見えたり。此歌の意も、心の通ひも絶えんといはゞ、そなたにもわびたまはめども、心は絶えぬと也。然れども、とつぎあふことはゆるせ。なり難きとの歌と聞ゆる也
燒太刀乃 これは下の隔といはん爲の序詞也。隔とは、そとなどと云意にて、戸といふもものを隔つ物と云事にとゝ云意也。やきたちの研とつゞく義也。集中皆やき太刀と讀みては、刀とならではつゞかぬなり。とゝつゞきたる歌あまたあり。その例格をもてとつかふことゝ讀む也。とつかふことゝは、交合せんことはなり難きといふことによしやとは詠めり。然れば心は通へども、相かたらふことはゆるし給へ。よしやと打やりたる義なり。よしやといふ事は、打やりゆるしたる事を云也。よ(496)りて縱の字をも書けり。こゝは幸の字をもて義訓に讀ませたり。此燒太刀の事色々説あれども信用し難し。ものゝふの身にそふもの故、へつかふと云との説、鞘といふものありて、我身にへだてつくといふ義にとれる説々まち/\なれど、やき太刀のつとつゞきたる例も無く、へつかふといふ詞もめづらしき也。とつかふは、とつぐ、とつぎと云古語ありて、しかもやきたちと讀みては、集中皆刀とならでは不v續例をもてとつかふとは讀む也
湯原王歌一首
この一首の歌は、更に娘子へ被v贈たる歌か。たゞ詠み給へる歌か。諸抄前の歌をうけて詠めるやうに釋せり。端作に其趣も不v顯ば、たゞ戀の歌と見ゆる也。これまで贈報歌等の字を加へたれば、前の娘子へ贈れる歌ならば、又贈とあるべけれども、不v依v前贈答歌と見るべきか
642 吾妹兒爾戀而亂在久流部寸二懸而緑與余戀始
わぎもこに、こひつゝみだる、くるべきに、かけてよらんも、われこひそめし
此歌の意は、いもにこひわびてさま/\と思ひ亂るゝことは、くるべきに亂れたる糸をかけてよりあはす如くに、何とぞ遂にはおもふ人によりあはんとこひそめしとなり。くるべきのくる/\とめぐる樣に、おもひ亂るゝと云義をよそへて、何とぞたゞよりあはんとのみこひそめしと也。くるべきを詠めるは、おもひに亂れたる事を云て、かけてよらんといはん爲の料也。くるべきにしひて意は無き也
戀而 これを印本には、こひてみだるゝと讀めり。意は同じけれど、古詠は兎角第三の句は第四の句へ續くまでの事にて、しひて上へつゞく事を不v詠也。然れば其格をもて見れば、みだるとよみきりたる歌ならんか。而といふ字は此集中つゝと讀ませたる事不v知v數事也
久流部寸 糸をまきてよりあはす具なり。和名抄〔云、辨色立成云、反轉【久流閉枳】漢語鈔説同、※[糸+參]車、唐韻云【訓久流】格糸取也。〕枕草紙にいへるは今俗にいふ引うすの義なるべし
(497)戀而 このかけていふ詞毎度あり。かけておもひ、かけてしのぶといふ。こゝもくるべきにかけてといふをうけて詠める也。心をかけてといふ義と釋し來れり。凡てかけるといふことは、かれとこれとを離れぬやうに、物のつゞくことをいふ詞也
縁與 よらんとは、こふ人とより合はんとこひそめしとの意也。くるべきは、糸をかけてよりあはすものゆゑ、糸とはいはねどその縁の詞をもてよみ出たり。よしと云點は心得がたし
紀女郎怨恨歌三首
古一本に、鹿人大夫之女名曰小鹿安貴王之妻也云々。右古一本の後注考ふるところありてか
643 世間之女爾思有者吾渡痛背乃河乎渡金目八
よのなかの、をんなにしあれば、われわたす、あなせのかはを、わたりかねめや
この歌の見樣二義あるべし。わたりかねるといふとわたらんとおもふと意二義也
世間之女爾思有者 世の常の女ならば、夫のわたす川をわたりかねめや。われはよの常ならぬ身なれば、わたりがたき故ありてか、かく恨みて詠めるならし
有者 これをあらばとよむ義、又あればとよむ義二樣あるべし。あらばと讀むは右の通の意也。あればと讀みては、われも世の中の女なれば、夫の渡るべき程の川瀬を渡りかねめや。相ともにわたり行かましをといふ意にて詠めるとも聞ゆるなり。
此三首の歌は、兎角わかれを歎き恨みたる歌と聞えたり。たゞししのび妻などにて、一生夫婦となることの叶はぬ故ありて、中絶えぬることなどにて詠めるか
吾渡 われわたすといふ意はをつとの渡す也。あなせの川を夫に喩へて詠める也。われわたると讀みては意違ふ也。上の世の中の女と云意うらはらの見やうになる也。われも世の中の女なれば、いかなる深き瀬にてもあれ、わたりかねめやと云意と見ゆる也
痛背乃河 穴師といふ地名あれば、和州卷向の内にある川を詠めるなるべし。吾背によせて詠めり。あなし川は第七に、あなし川かはなみたちぬまきもくの、又まきもくのあなしの川にとあり。十二卷にも、まきもくのあなしの山とあり
(498)644 今昔吾羽和備曾四二結類氣乃緒爾念師君乎縱左思卷
いまはわれは、わびぞしにける、いきのをに、おもひしきみを、かにかくしのべば
和備曾四二結類 おもひあまりてなやみわづらふとの義なり。色にもいださず。人にも知られじとしのぴおもへども、たへ難きによりて今はと切なる意をあらはせり。しにけるとはわびるといふこと也。死によせてよめるといふ義もあれどしひて不v可v好
氣乃緒爾 いきのをと云は命にといふ義なり。命のことをいきのをと云也。集中あまたありて、いのちにかけてこひしのぶ義をいきのをにと詠めり
縱左思者 古本點本共にゆるさくおもへばと讀めり。歌詞とも不v聞。集中に皆かくの如くの讀ときありて、これらのあやまりより、此集は後世の歌のやうにはあらぬ義にいひならはせり。よみときやうを知らずして、此集の法例を不v知人の誤を萬世に傳ふること也。毎度注せる如く、歌詞にあらざることを、無理に歌に詠みなして點をなせる也。ゆるさくといふ詞歌詞にあらず。然れば縱左の二字をもて、歌詞に詠ませたることを知らざる也。此縱左の二字をかにかくしのべはとよむ理は、縱横左右にしのべばといふ義をもて、左右をともかくもとも、かにかくにとも讀む故、此二宇をも、かにかくとは讀むべき也。とにもかくにもこひ慕へば、今はわびなやんでたとへ難きとなり
此歌は任官などにつきて離別の時の歌か。次の歌も別れの歌也
前の歌もその意に見ゆる也
645 白妙乃袖可別日乎近見心爾咽飲哭耳四所流
しろたへの、そでわかるべき、ひをちかみ、こゝろにむせび、ねのみしなかる
所流 古一本所泣とあり。應v爲v是
袖河別 袖は左右へわかれたるものなれば、わかるゝといはん爲に、白妙の柚とはおけり。此歌の意、前にも記せる如く、旅行(499)離別の歌と聞ゆるなり。字句の通よく聞えたる歌也
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
646 丈夫之思和備乍遍多嘆久嘆乎不負物可聞
ますらをの、おもひわびつゝ、あまたゝび、なげくなげきを、おはぬものかも
遍多 上下にてあるべきかと云説あり。義訓に讀めば書面の如くにて可v然也
不負物可聞 なげきといふを木に云ひなしておはぬとは讀みたり
歌の意は、丈夫のかくばかり思佗びなげくむくひの、先へは通ひたるものかと、思ひのあまりに思ふ人にむくひのあれかしと念じたる歌なり。我なげきを負ふにては無く、先の人におはぬものかなと打歎きたる歌なり。源氏伊勢物語等に、うらみおふむくひなど書けり。のろひごと、むくひなとおふと云事あり
大伴坂上郎女歌一首
647 心者忘日無久雖念人之事社繁君爾何禮
こゝろには、わするゝまなく、おもへども、ひとのことこそ、しげきゝみなれ
人之事社繁 こなたには忘るゝこと無く、毎日こひしたへども、人に何かといひさわがさるゝ君故に、遠ざかりたるとの意也。又こなたにはかく忘るゝ日なくおもへども、外の人のことにいとまなくて、そなたにはおもひもし給はで、たゞよその事のみしげき君なりとの意とも見ゆる也
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
648 不相見而氣長久成奴比日者奈何好去哉言借吾妹
あひみずて、けながくなりぬ、このごろは、いかによぬるや、いぶかしわぎも
(500)氣長久成奴 氣長はたゞ長きといふ義也。けは初語也
好去哉 點本の通にては歌の心通じがたし。よりて當流にはいかによのよは夜によせて、ぬるは寢る事を云也。歌の意、久しく相見ねば、この頃はいかにしてか夜をもぬるや。心もと無くいぶかしきと也。いぶかしは不審の事也
大伴坂上郎女歌一首
649 夏葛之不絶使乃不通有者言下有如念鶴鴨
なつくずの、たえぬつかひの、かよはねば、ことしもあるやと、おもひつるかも
夏葛 くづかづらは夏はひ茂て、いつ方にても長くはひわたれば、なつくづとは詠み出たり。夏葛の二字、はふ葛とも讀むべきか。下の不v絶といはん爲に、夏葛とはよみ出たり
不通有者 或抄に、通はざればと讀むべきかとあり。ざれと云詞をねの如く辨へたる故か、通はねばと讀まんこと然るべし
言下 何とぞ故障もある如くにおぼつかなくおもふとの事也
歌の意よく聞えたり
右坂上郎女者佐保大納言卿女也駿河麻呂此高市大卿之孫也兩卿兄弟之家女孫姑姪之族是以題歌送答相問起居
佐保大納言卿 大伴安麻呂也
駿河麻呂 大伴宿禰駿河麻呂也
高市大卿 未v考。天武皇子の事か。或抄に安麻呂の弟かと也
姑姪 和名抄〔人倫部夫妻類云、〕姑、爾雅云、夫之母曰v姑【和名之宇斗女】如v此あれば姑は駿河麻呂の母か。且妻の母を指していへるか。尚可v考。
姪 同抄〔人倫部兄弟類云、〕釋名云、兄弟之女爲v姪〔【徒給反和名米飛】〕一云弟之女爲v姪
(501)大伴宿禰三依離復相歎歌一首
おほともすくねみよりわかれてまたあひてなげくうたひとくさ
三依 續日本記卷第廿二廢帝紀曰、天平寶字三年〔五月甲戌朔壬午、從五位下大伴宿禰御依爲2仁部少輔1〕
相歎 あふてよろこぶ歌と聞ゆれば、歡の字の誤りか。歎は哀樂ともあれば、嘆息の意にて書きたるか。歎の字よろこぶとは訓じ難ければ、なげくと點をなせり
650 吾妹兒者常世國爾住家良思昔見從變若益爾家利
わがせこは、とこよのくにゝ、すみけらし、むかしみしより、わかへましにけり
常世國 仙境にて不老不死の國といへり。凡見凡俗を離れたるところを云。日本紀にあまた出たり。よりて不v注v詳なり
住家良思 とこよの國に住みたるらし。昔あひみしより若がへりたりと、妹をほめて愛し賞する意を詠めり
大伴坂上郎女歌二首
651 久方乃天露霜置二家里宅有人毛待戀奴濫
ひさかたの、あめのつゆしも、おきにけり、いへなる人も、まちこひぬらん
此歌は、夫を家におきて妻の旅行などせし時の歌か。歌の意不v及v釋也
652 玉主爾珠者授而勝且毛枕與吾者率二將宿
たまもりに、たまはさづけで、かつかつも、枕とわれは、いさふたりねん
玉主爾 夫婦の上の歌ならば、夫をさして玉もりとはいへるなるべし。我たましゐは夫の方へわたしさづけて、旅ねなどする折故、枕とふたりねんとの意なり。前の歌、夫は家にありて妻は外にありし時詠める歌と聞ゆれば、この歌もその折の歌ならんか。若しまた第三卷めに、此郎女と駿河まろと二孃の事に付、贈答の歌などありし時の事か。然らばたま守りは駿河まろ也(502)娘をわたして郎女心ゆたかに、枕とふたりねんとか。むすめをたまに喩ふる事は、第三卷市原王の歌にも見えたり
大伴宿禰駿河麻呂歌三首
653 情者不忘物乎儻不見目數多月曾經去來
こゝろには、わすれぬものを、たま/\も、見ぬひあまたに、つきぞへにける
よくきこえたる歌也。不v及v注也
654 相見者月毛不經爾戀云者乎曾呂登吾乎於毛保寒毳
あひみしは、つきもへなくに、こふといはゞ、をそろとわれを、おもほさんかも
乎曾呂 仙覺説の如く俗にうそといふ義也。空言をいふとおぼさんかと也。からすをおほをそ鳥といふ。歌につきても、此集に乎曾は空言のといふ證あり。東詞に今も僞を云ふ事をおぞい言といふ義、おそろしきと云にも通ふなり。おそろしきといふおは奧のお也。詞にはよらず義は通ふと也。この歌の意は、あひ見しことは未だ間も無きに、こひ慕ふといはゞそらごとをいふとおもほしつれども、まことに一日もわすれず、こひ慕ふとの意をのべたる也
655 不念乎思常云者天地之神祇毛知寒邑禮左變
おもはぬを、おもふといはゞ、あめつちの、かみもしらさん、とまれかくまれ
不念乎 前の歌をなほ反して、こひ慕ふ心の僞りなき事をあらはせり
神毛知寒 我まことに、かく計おもふことのまことは神も遂には知らさしめん。おもはぬをおもふとはいはれぬ事と、神に誓ひていひたる義也。天地の神の知り給へば、遂にはそのまことをそなたに知らさんと也
邑禮左變 これを別點本その外古來よりの諸抄皆字のまゝに讀みて、歌にあらざる詞といふことを不v辨也。さとれさかはりといふ歌詞あるべきや。集中句例證例も無き詞也。神のさとり知れる如く、早くそなたにも心を入かへてさとれと云事など釋せるもあり。心得がたき説々なり。宗師案は邑の字誤れり。巴の字にてともゑと讀む字也。よりてともあれかくもあれと(503)いふ義を邑左變の三字にてよませたる義と見る也。もあの約言ま也。左の字はかくかくにと讀ませたれば、かくとよむ事勿論なり。變の字をかはりかはれと讀む、ばれのばはまと讀まるゝ也。此四字はとまれかくまれと讀までは歌の意通じ難き也
歌の意は、おもはぬ人をおもふとはいはず。その眞僞は天地の神も遂には知らしめん。ともあれかくもあれ、われはまことにそなたをこそおもふとの意也
大伴坂上郎女歌六首
吾耳曾君爾者戀流吾背子之戀云事波言乃名具左曾
656 われのみぞ、きみにはこふる、わがせこが、こふといふ事は、ことのなぐさぞ
言乃名具左曾 言のなぐさみぞといふ意也。今俗にも口慰みなど云て、眞實ならぬ事をもことのはに云ことのある、その事と同じ義也
657 不念常曰手師物乎翼酢色之變安寸吾意可聞
おもはじと、いひてしものを、はねずいろの、うつろひやすき、わがこゝろかも
聞 一本に問に作る。いづれにても、もなり
不念常 我心にておもひきりたれど、またしのびかねておもふ心を、われからうつろひやすきと戒めたる歌也
翼酢色 日本紀天武紀〔十四年秋七月己巳朔庚午、中略淨位以上並著2〕朱華1此云2波泥孺1とありて赤き色の花なり。第八家持歌も唐棣花と書けり。すべて赤色はうつろひやすきものにて、中にも此花の色うつろふ事の早き故、詠み出たるならん
658 雖念知僧裳無跡知物乎奈何幾許吾戀渡
おもへども、しるしもなしと、しるものを、なぞかくばかり、わがこひわたる
知僧裳 そふのこゑ故、そはしと同音故しと用ゐたり。日本紀にほうしといふ點をなせり。これも點にはあらざる也。僧の字の訓古より見えず。今訓せばよすてびとゝ讀むべきか
(504)よく聞えたる歌なり
659 豫人事繁如是有者四惠也吾背子奧裳如何荒海藻
かねてより、ひとごとしげみ、かゝりせば、しゑやわがせこ、おくもいかゞあらめ
豫人事繁 今よりかく人にいひさわがされては、末は尚いかゞと也
四惠也 よしやといふに同じ。打ふてたる詞也
如此有者 かくありせば也。かくしあらばの點は不v宜
奧裳 行末の事也。はし奧といふ事なり
海藻 もと點をなせれども、あらんとか、あらめとかならではよみ難し
歌の意、初からかく人ごとのしげくてはよしやおもひ絶えんか。行末もいかゞあるらめと氣の毒におもへる意也
660 汝乎與吾乎人曾離奈流乞吾君人之中言聞起名湯目
なをとわを、ひとぞさくなる、いでわがせ、ひとのなかごと、きゝたつなゆめ
汝乎與吾 なれとわれとゝいふ義也。夫君をなといふは親しみていふ義也。なを、わをのをは皆助語也
乞 いでとは、いだすてといふ義にて物をこひ願ふの意也。今物を乞ふことに、手を出してうくるやうにするこれよりいへる詞也。日本紀允恭卷の厭乞の字訓の所の義も物をこひしこと也。いでとじといひしはこふたる事也。刀自は女の通稱としにこふといふ義也。此歌の乞もこふ意也。此いでと云には、ところによりて初語にも聞ゆる也。いで/\何せんなどいふはみな初語なり。古今の、いで人はことのみぞよきと詠めるも初語なり
起名湯目 人の中ごとをいひて、きみとわが中をさくとも、そのことを聞き立ちて用ゐたまふなと示したる事也。ゆめは前にも注せるごとくつゝしめといふ義也。いめといふも同じ。ゆめつゝしめなどつゞくことは、人ごとに心をうつして中をさき給ふなど示したる義也
(505)661 戀々而相有時谷愛寸事盡手四長常念者
こひ/\て、あへるときだに、うつくしき、ことつくしてよ、ながくとおもへば
谷 とはたすけ詞也。此ところにてのだにと云ふてには、聞にくきやうなれど、助語とみれば此だには心は無き也。あへる時にと云意也
愛寸 俗にふびんがるといふ意也。親しくむつまじきことをつくしてと云義也
歌の意聞えたる通也
市原王歌二言
662 綱兒之山五百重隱有佐堤乃埼左手蠅師子之夢二四所見
あこのやま、いほへかくせる、さでのさき、さではへしこの、ゆめにしみゆる
網兒之山 伊勢也。第一卷にも宗師此地名の論を注せり。八雲にも伊勢とあり。此歌にあことよみ出たる地名に意あるにあらず。あこといふ詞によりて也。兒は女の通稱なれば也
左堤乃埼 下のさではへしといはんための序也。あこの山にて、五百重かくしたるところのはる/”\隔たりたれども、心にしみておもへば夢に見ゆるとの意に、五百重かくせるとは詠めり。此さきは山のさきにてあらんか
左手蠅師子之 左は初語にて、出ばへのしたる子といふこと也。今も物のはへあると云事あり。物のはつきりと目かどのありて、一きは美はしき事をいふ。こゝも出來ばへのあるうるはしき女子を見て、その人をおもひ慕ふから夢に見ゆると也。一説左手蠅は、小網をもてすなどりせし女子の夢に見ゆるとの義也。然らば此崎は水邊のさきと見ゆる也。小網はへしは、ちいさきあみをまきちらせし子といふ義と也。今も小網をさでといふ也。和名抄にも出たり。右兩説いづれか決し難し。ものをまきちらす事をいふは、ばえのかな也。打はへてなど云假名ははへ也。くずかづらなどのはふといふ時のはへもへ也
此歌の意、師説はたゞ出はへのしたる、うつくしき女子の夢に見ゆるといふ事を詠まんとて、あこの山をとり出てかくせると(506)詠みて、出はへのありし子といはん爲に、面白くよみくだしたる上手の作也。他説は小網を張つてすなどりなどをせし女の、忘れがたくて夢に見ゆるとの義也。あまの子などならばさもあらんを、たゞ女子の小網はへしといへるもいかゞあらんか。もつとも埼とよみ出たれば、そのあたりのあまの子の事にして詠めるか
安部宿禰年足歌一首
663 佐穗度吾家之上二鳴鳥之音夏可思吉愛妻之兒
さほわたり、わがへのうへに、なくとりの、こゑなつかしき、はしきつまのこ
作穗渡 さほと云ところよりなきわたる鳥也。佐穗は大和の地名也
音夏可思吉 此こゑなつかしきといはんために、なく鳥の序をよみ出たる也。上にこゝろはなくたゞ妻をうつくしむ心から、聲もあかずなつかしきといふ意計也。なつかしきといふ心にふたつあり。へだてさりて遠ざかりゐる人などをいふことに、なつかしきゆかしきなどいへども、此なつかしきはたゞうつくしむ心也
愛妻之兒 おもひづまのこといふ點は心得がたし。集中に愛の字、はしきともうつくしむとも讀みたれば、はしきと讀むべきなり。はしきはほめる詞也
此歌の意は妻をうつくしみたる義を詠める也
大伴宿禰像見歌一首
おほとものすくねかたみのうたひとくさ
像見 續日本紀卅五廢帝紀云、天平寶宇八年十月正E六位上大伴宿禰形見授2從五位下1。卷第二十九稱徳紀、神護景雲三年三月〔以2從五位下大伴宿禰形見1爲2左大舍人助1。〕卷第卅二、光仁紀寶龜三年正月〔大伴宿禰形見從五位上叙任の事見ゆ〕
664 石上零十方雨二將關哉妹似相武登言義之鬼尾
いそのかみ、ふるともあめに、さはらめや、いもにあはんと、ちぎりしものを
(507)石上 ふるといはん爲の序也。上代のうたの格皆かくのごとし。しかりとて當時またメッタと序詞をよむべきにあらす。縁をうけてよむべき也
歌の意よく聞えたり。妹と契りおきしからは、たとひ雨降ともたゞにはあらじと云意也。彼方より來るといひけるか。こなたよりゆかんとの意か。その意はわかち難し。妹と契りしとよみしやうに聞ゆれば、こなたよりゆかんとの意に聞ゆる也
安倍朝臣蟲麿歌一首
蟲麿 續日本紀卷第十二、聖武紀云、〔天平九年九月己亥、正七位上阿部朝臣蟲麻呂授2外從五位下1。〕孝謙紀云、〔天平勝寶四年三月甲午、中務大輔從四位下安倍朝臣虫麻呂卒〕
665 向座而雖見不飽吾妹子二立離往六田付不知毛
むかひゐて、見れどもあかぬ、わぎもこに、立わかれゆかん、たづきしらずも
田付不知毛 むかひあるほど、したしくおもふまゝなることはあらぬを、それにすらあかぬに、何とぞ故ありて任國におもむく日、別れねばなり難きによりて、立わかれなばいかばかり悲しからん。たよりもなくせんかたも知らぬと也。たづきとは何とせん方も無き事を云へり。たよるべき力もなき事といふ意なり
大伴坂上郎女歌二首
666 不相見者幾久毛不有國幾許吾者戀乍裳荒鹿
あひみねば、かくひさしくも、あらなくに、こゝたくわれは、こひつゝもあるか
歌の意書面の適地。あひ見ぬことは未だ久しくもあらぬに、かくばかりもわれは戀わびるもの哉と、われから心を制したる也
667 戀戀而相有物乎月四有者夜波隱良武須臾羽蟻待
こひ/\て、あひぬるものを、つきしあれば、よはこもるらん、しばしはありまて
(508)月四有者夜波隱良武 未だ月の殘りたれば、夜はふかゝらん程に、立かへるなと示したる也。夜はこもるらんとは、いまだ夜の殘りたるらんとの義也
右大伴坂上郎女之母石川内命婦與安倍朝臣蟲滿之母安曇外令婦同居姉妹同氣之親焉縁此郎女蟲滿相見不疎相談既密聊作戯歌以爲問答也
内命婦 婦人の五位に叙せられたるを云也。ひめまちぎみ、ひめとねとも讀む。日本紀の點也
外命婦 五位の人の妻を外命婦といふ
此左注の意にては、むしまろ大伴女郎との問答のうた、戀歌の情にはあらず。したしみうとからざる相聞の歌と見る也。相聞の歌は戀慕の情にかぎらざる義といふとは、前にも記せし通也
厚見王謌一首
厚見王 孝謙紀。天平勝寶元年四月〔庚午朔丁未授2無位厚見王從五位下1〕
668 朝爾日爾色付山乃白雲之可思過君爾不有國
あさひ/\、にほへるやまの、しらくもの、おもひすぐべき、きみにあらなくに
朝爾日爾 古本印本共に、朝に日にとよませたり。諸抄物にも、朝に日にとは朝ごと日毎にと釋せり。然れどもあさに日にといふ義心得がたし。朝ごとにか日ごとにかといふてすむべきを、朝に日にとは信用し難し。これは古實の書法を傳寫にあやまりて、朝々日々と書たるを、々を爾に誤りしより如v此の點も出來たるなるべし。朝々日々ならば、あさひ/\とよむべし。あさけ夕けといふことあり。このけは助語にて、あさ/\といふ義なるべし。此集にも朝日かげにほへるといふ詞もあれば、あしたごとに日かげに匂ふ山のとよみたると見えたり。語呂のつゞきはあさに日にとよむ事聞きよけれど義不v濟。古實の書法を考へ合せてあさひ/\とは讀む也
色付 諸抄の説はいろづくとよみてもみぢのことにいへり。この歌秋の景をあらはしたることも見えず、紅葉のことゝ決す(509)べき處もなし。秋にかぎりたるところいかゞなれば、宗師案には、四季をわけず、たゞいつにても朝ごとに匂へる山に、白雲のたな引すぐる樣に思ひやるべきにあらずとよめる歌と見る也。思ひすぐべきは思ひを消しやらぬといふ義也。白雲はゐると見れども消えちりて過行くものなり。その如くには思ひ過難きと也。過行くものもて過ぎざることにたとへたる、古語皆この一格あり
春日王歌一首
第三卷にある春日王とは異なるべし。此歌のつゞきみな聖武孝謙の頃の歌どもなれば、是は元正紀にある春日王なるべし。續日本紀卷第九元正紀云、養老七年正月〔に、春日王の名見ゆ。〕古一本志貴皇子之子、母曰2多紀皇女1。考ふる處ありてか
669 足引之山橘乃色丹出語言繼而相事毛將有
此歌の意、語言繼而此四字誤字あらんか。てには聞き得がたければいかんとも點なし難し。よつて除2注釋1也。追而可v加2後案1もの也。別に拔萃せり
山橘 岩根などに生ふる草は、莖葉ともに少しくあかくて、秋のころ南天の實のごとき赤き實のなるもの也。もつともときは草也。祝のことに用ゆる草也。延喜式大甞會の供物の内にも山橘子と出たり
湯原王歌一首
670 月讀之光二來益足疾乃山乎隔而不遠國
つきよみの、ひかりにきませ、あしびきの、やまをへだてゝ、とほからなくに
月讀 神代卷上云、〔復洗2右眼1因以生神號曰2月讀尊1中略伊弉諾尊勅任曰、月讀尊者可3以治2滄海原潮之八百重1也。〕これによりて月のことを月よみとも月人をとこともいへり
足疾乃 あし病めば引く理りをもて義訓によましたり。此集中にもあしの病をよめるにも、更にあしびきのやまひともつゞけたる歌あり。畢竟山とつゞけん爲まで也
(510)山乎隔而 山路をも隔てぬところと聞えたり。とほからなくにといふにて、山をも隔てず近きあたりの人を待ちこひて詠めるか。近きあたりなれば、月の光にうかれ出てもとひきませとの意なり
和歌一首
作者未詳と目録に注せり。古一本には不審作者と書けり。前に湯原王といづれの女郎か贈答の歌あまたあり。その女郎の和歌の内ならんか。しかし夜來れとの歌なれば、上郎へ詠みかけたりとも不v覺也
671 月讀之光者清雖照有惑情不堪念
つきよみの、ひかりはきよく、てらすれど、まよふ心は、たへずおもほゆ
此歌の心は、先より月よみの光に出こよと詠みかけられて、月よみの光をすぐにうけて答へたる也。月の光はさやかに清く照すれども、戀路に迷ふこゝろば得あきらめず。しのびかねて思ふとの義也。來り不來のことにはとりあへず、おもひのことに詠みなしたる歌なり。一抄に雖照有をてらせれどと讀むべし。てらせどもとは有の字すたるとの事なれど、てらすれどもといふを、てらせどもと讀む事苦しからず。すれをつめてはせになる也。照せどもは、照すれどもといふ義也
安倍朝臣蟲麿歌一首
672 倭文手纏數二毛不有壽持奈何幾許吾戀渡
しつたまき、かずにもあらぬ、いのちもて、などかくばかり、わがこひわたる
倭文 日本紀神代の下、倭文神の下に注出でたり。印本に父の字を書けり。一説に倭布を、しどりともいへば布父音通じてかけるかと云。きはめて文の字の誤字なるべし。しづ手まきは、しづのをだまきの事なるべし。をだまきは麻環也。和名抄に、卷子、へそともいふ。丸きかたちにて中に穴あれば、ほぞに似たるからへそともいふならん
數二毛不有 いやしきしづのたまきなれば、玉の數にもあらぬといふ義也。身を卑下していへり
壽持 かずもなきいのちといふ意、又數ならぬ身にてといふ意と兩義也
(511)歌の意は、數ならぬ卑しき身にて、何卒かくばかり戀ひわたるらんと、おもひの切なるあまりに身をも恨みて詠める意なり
大伴坂上郎女歌二首
673 眞寸鏡磨師心乎縱者後爾雖云驗將在八方
ますかゞみ、とぎしこゝろを、ゆるしては、のちにいふとも、しるしあらんやも
眞寸鏡 下のとぎしと云はん爲に、先づかく詠み出せり
磨師 といといふ意にかけたるもの也。利心疾心などいふ意他。疾心とは思ひにはやり進んで氣のせくなどいふ義也。それを鏡をとぐといふ義に云ひかけたり。またわが心に曇り無きといふ意にも詠めり
縱者 はやりすゝむ氣をゆるめて、なげやりにして後に、いかに云ふともしるしあるまじければ、とくと心をゆるめず思ふ人に逢はんとの意也
674 眞玉付彼此兼手言齒五十戸常相而後社悔二破有跡五十戸
まだまつく、をちこちかねて、いひはいへど、あひてのちこそ、くいにはありといへ
眞玉付 緒といふ詞にかけたるもの也
彼此兼手 かなた、こなたとかねていへどといふ義なり。行末今のことをかねて、かなたこなたといへどもと也
相而後社 あふて後に悔いもあらめ。かねてをちこちのことを云ふても、逢はぬさきは定まらぬ義、あふて後にこそ悔む義もあらめと云義にて、未だあはぬことを恨みたる歌の意なり。今かくかなたこなたと、行末當然の事は云ひは云へども、あひて後にこそ悔いもあるべけれと計の歌にて、さのみ深き意をこめたる歌とは聞えざる也
二破 今時の歌の風體には、心得がたき詞なり。上代の口風皆かくのごとく詞にタケをよみ入れたるは、上古はうたひたるもの故音便の短長によりて、かやうのてにはいか程もある也。唐の詩も同前也
五十戸 いはめといふ略也。はめを略すればへ也
(512)中臣女郎贈大伴宿禰家侍歌五首
675 娘子部四咲澤二生流花勝見都毛不知戀裳摺可聞
をみなへし、さきさわにおふる、はなかつみ、かつてもしらぬ、こひもするかも
娘子部四 戀歌にてしかも女の歌故、をみなめしを詠みいでたり。何草にてもよみ出づべき事なれど、をみなへしと詠み出たるはその縁をもとめてなり
咲澤 さきさわとよむべし。埼澤といふ地名有也。和訓の内也。佐紀王などと云名も地名によつて名付けられたるもの也。さく澤と云てはおしなべての澤になる也。尤地名とおしなべての澤のたがひによる事はなけれど、先地名あればそことさすべきこと也。さなければをみなへしと詠み出たるところすまぬを、をみなへしの咲く澤に、又かつみの花といふ事を入交へては六ケ敷也。たゞ地名のさき澤に生る花かつみをいはん迄の事故、女の戀歌故をみなへしとは詠み出たるなり
花勝見 まこもの事也。澤沼などに生る草也
都毛 此點にみやこもしらぬ、かつみもしらぬといふ點あり。さは詠み難し。かつてもしらぬといふにて、上のかつみを詠み出たる歌也。かつてといふはもとよりといふ意、又すべてといふ意もあり。この歌兩方ともに通ずる也。後の歌にも、花かつみを詠みて、それにはかつみもしらぬ、かつみる人などあり。その歌の意をもてかつみといふ點はつけがたし。都の字なればかつてとならではならぬ也
歌の意は、かつて兒も聞きも知らぬ人に戀もする哉といふ義也。序歌也
676 海底奧乎深目手吾念有君二波將相年者經十方
わだのそこ、おきをふかめて、わがおもへる、きみにはあはん、としはへぬとも
何のふかき意も無きよく聞えたる歌也。わたのそこ、わたつみいづれにても苦しかるまじき也
畢竟ふかめてといはん爲の序にてふかく思ふといふ義也
(513)677 春日山朝居雲乃欝不知人爾毛戀物香聞
かすが山、あさゐるくもの、欝、しらぬ人にも、こふるものかも
此歌の意全躰は、たゞ見も知らぬ人にも心迷ふものかもといふ、未だ見ぬ人をこふといふの意也。中臣女郎未だ家持を見も知らざれど、こひ慕ふと聞えて前のかつみの歌も同じ意也
欝 此點いかにとも決し難し。集中あまたありて先はおはゝしくと讀みて、その義いかにといふ事不v被v解。覆敷にてものゝおぼえたる樣にて、しかと見知らず。さだかならぬといふ義にて、おほゝしくと讀むと云説もあれど、未だ徹底せざれば訓をなさず。後案あるべき也。おぼつかなとも讀むべきか、雲のおほゝといふおほをうけて、知らぬ人をこふるはいかゞあらんやと、おぼつかなからんものなればかくも讀まんか。尚等類の歌あまたあり。引合せて可v考也
678 直相而見而者耳社靈剋命向吾戀止眼
たゞにあひて、みてはのみこそ、たまきはる、いのちにむかふ、わがこひやまめ
直相而 このたゞにあひては、いたづらにあひての意なるべし。たゞ見てのみなりとも、命にかはる程の戀をやめんとの歌なり
見而者耳社 今時の風体とは違ひたる詞なり。見てのみなりともやまんとの意なり
命向 此點いかにとも解し難し。然れ共先づ印本の點のまゝに附けおく也。命にむかふといふこといかにとも不v濟也。諸抄の説はいのち程大切なる捨てがたきものなけれども、それにむかふとは、それにあたる程の捨てがたき戀をも、見てはこそやまんとの義也と釋せり。此義難2信用1。いのちにあたるといふ義を、むかふとは外に例格あらばさもあるべけれども、いかにとも心得がたき也。よつて命向の字は注なしがたし。追而可v考
追考いのちにもかはる也。向、むかふはもかふ、むともと通ひ、ふははるを約していふ也。よりて向の字を書たる事當集の一格也
(514)679 不欲常云者將強哉吾背菅根之念亂而戀管母將有
いなといはゞ、しひんやわがせ、すがのねの、念亂而、こひつゝもあらん
此歌の意は、いなといひ給はゞ是非にともしひまじ。われのみおもひわびてあらんと也。然れども念亂而の字心得難し。すがの根の亂るゝといふ事心得ず。おもひといふ事も根によりどころなし。此三字誤字あるか。又は別訓あらん。ある抄には、はじめからいなとならば、無理にとはしひまじく、こひ亂れてあらんをと恨みたる歌と云説あれど、此始終の歌、皆いまだ見も知らぬ心の歌どもなれば、其意とも見えず。者の字は前にも注せるごとく、を、も、にとも讀むべきか
後案、念亂而の三字はこゝろ亂れてにて有べし。念の字意の字の誤か。また令の字衍畫かなるべし。すがの根は、こるとか、ころとかならでは續かぬ也。集中をかんがへ見るべし
大伴宿禰家持與交遊別歌三首
おほともすくねやかもち、ともどちとわかれてのうた三くさ
與交遊 朋友といふに同じ。しかればともどちと讀むべきか
680 盖毛人之中言聞可毛幾許雖待君之不來益
けだしくも、ひとのなかごと、きけるかも、こゝたまでども、きみがきまさぬ
盖毛 けだしくもとはうたがひの語也。何としてかといふ意に同じ。此意いかやうにか人の中言を聞きけるか。いかばかり待てど君の來り給はぬと也。幾許はかばかりともよむべし。かくばかりの略語也
歌の意注に不v可v及也
681 中々爾絶年云者如此許氣緒爾四而吾將戀八方
なか/\に、たえんとしいはゞ、かくばかり、いきのをにして、われこひんやも
(515)此歌の意は、通路をもたゆるとならばかやうにはこひ慕ふまじきを、さもなくて久しく隔りたれば、命にもかけて慕ひわぶると也
682 將念人爾有莫國懃情陣而戀流吾毳
おもふらん、ひとにあらなくに、ねもごろに、こゝろつくして、こふるわれかも
將念人爾有莫國 わがごとくおもふ人にはあらぬをといふ義也
歌の意は、われを思ふ人にはあらぬを、われはかくねんごろに心をつくしてこひ慕ふと也。かものもは例の嘆の詞なり
大伴坂上郎女歌七首
683 謂言之恐國曾紅之色莫出曾念死友
いふことの、かしこきくにぞ、くれなゐの、いろにな出そ、おもひしぬとも
恐國 さかなきくにと點をなせるは、歌の意は聞えたれど、恐の字さかなきと讀まんこと心得がたし。おそるゝともおそろしとも讀みたれば、おそろしきといふ心に通ふ義をもて讀ませたるか。かしこきとよみても、おそろしといふ意なれば、かしこきと讀まん方然るべからんか
歌の意、人のものいひさがなき國なる程に、色になどあらはして人にいひさわがれな。深くつゝしみてしのべと制したる歌也。拾遺集遍昭歌には、さかにくきとも詠めり。さかなきとの事也
684 今者吾波將死與吾背生十方吾二可緑跡言跡云莫苦荷
いまはわれは、しなんよわがせ、いけりとも、われによるべしと、いふといはなくに
云跡云莫苦荷 いふといはなくにとは、中だちの人のいはぬと云義なり。此句聞き得がたき句なれども、諸抄の説皆かくの如し
歌の意は、迚もこひ慕ひても、思ふ人のわれにより從ふべきとも、人傳だにもいはねば、今は思ひわびて死なんと也
(516)685 人事繁哉君乎二鞘之家乎隔而戀乍將座
ひとごとの、しげみやきみを、ふたさやの、いへをへだてゝ、こひつゝをらん
二鞘之家乎 下のへだてゝといはん爲の序也。刀を入るゝものをさやといふ。家も人の身を入る物故さやのいへとは讀める也。喩にとりて讀める也。一つ家なればへだてねど、二つの家故隔てゝとはいへる也。人ごとのしげきやのやは、助字なり。しげき故に家を隔てゝ居ると也。しげきにいふべきてにはに聞ゆる歌也。然れどもやとよめるは、歌の風躰時代によるてにはと見るべし。疑ひのやと心得ては歌の意違也。凡てこの集中かやうのてにをは多き也。心を付けて見るべし。此の二鞘といふ義に付て、日本紀に七枝刀をなゝさやかたなと點を付けたる事あり。これは七のまたある刃ものと見えたり。古今六帖にかたなの歌に、あふことのかたなさしたるなゝつこのさやかに人のこひらるゝかなとよめる歌あり。また同鞘の歌、なゝつこのさやのくちくちつとひつゝ、この二首も、日本紀の七枝刀といふをとりてよめる歌と聞えたり。二さやとよめるは、むかしはさやを二重にこしらへたるか。今も旅行には、ひきはだといふものを、皮にてこしらへさす也。上古はもし二重にさやをせし故かくよめるか。此歌の二さやは、二人別々に居て二つの家に隔てゝあるから、ふたさやとはよめると聞ゆる也。唐にては刀のさやを室ともかけり。史記荊軻の傳を可v見。又春申君傳にも見えたり。みな劍室と書けり
歌の意は、人ごとのしげければ一所にもあられねば、家を隔てゝこひ/\てをらんと也
686 比者千歳八往裳過與共吾哉然念欲見鴨
このごろは、ちとせやゆきも、すぎぬると、われやしかおもふ、みまくほりかも
千歳八徃 しばしあはざりしをも、千とせも過るやとおもはるゝは、見まくほしき故となり。かもは見まくほしきといふ意を嘆じて、かもとはとぢめたる當集の通例なり
然念 は、さおもふ也。千とせ過るやと思ふは、見まくほしき心にかく隔たりたるやうに思ふと也。毛詩に一日不v見如2三歳1兮といふ意もこれに同じ
(517)687 愛常吾念情速河之雖塞塞友猶哉將崩
うつくしと、わがおもふこゝろ、はや河の、せくともせくとも、なほやくづれん
愛常は 親しみうつくしみ慕ふこゝろ也。うつくしむともいひて、めで愛する義也。そのめでおもふこゝろをつゝみて、あらはさじとするとも、はやき川をせく如く、何程せきとめても跡よりくづるゝやうに、つゝみかねてあらはれんと也
猶哉 なほやまたといふ義也。然るにこゝの詞には、少し叶ひ難きやうなれど、くづれて又くづれ/\するといふ意にてなほやとよめる也
688 青山乎横※[殺の異体字]雲之灼然吾共咲爲而人二所知名
あをやまを、よこきるくもの、いちじろく、われとゑみして、ひとにしらるな
青山乎 あを山を雲のよこぎるは、あらはにいちじるきもの也。その如く思ふ人を見あはせて笑める顔は、知れやすきものなれば、相かまへてつゝしめと下知したる義也。よく聞えたる歌也
灼然 日本紀には尤といふ意にも通ひて、いやちこなりと讀ませたり。尤あきらかなりといふ意なるべし。字書に赧也といふ字義あれば、あきらかなる意なり
689 海山毛隔莫國奈何鴨目言乎谷裳幾許乏寸
うみやまも、へだたらなくに、いかにかも、見ることをだにも、こゝたともしき
海山毛 うみ山をも隔てず近くあるに、見ることだにもかくともしきぞと歎きたる也
目言乎谷裳 或抄に見ることをだにもとは不v可v然。日本紀に物いはぬを、まことゝはぬと讀ませたれば、まみむめもの通音にてまことをだにもとよむべしと也。然れどもこの歌上にうみ山もと詠み出でたれば、見ることをだにもと義訓に讀めること尤なるべし。このところものいふことは似つかぬ也。海山も隔てぬといふには、見るといふ義は縁あり。ものいふことの縁は無き也
(518)乏寸 は前にもいくらもありて、すくなきといふ義なり
大伴宿禰三依悲別歌一首
690 照日乎闇爾見成而哭涙衣沾津干人無二
てれるひを、やみとみなして、なくなみだ、ころもぬらしつ、ほすひとなしに
此歌はよく聞えたる歌なり。不v及2細注1也。ほす人なしにとはおもふ人にあたりて詠める也
大伴宿禰家持贈娘子歌二首
691 百磯城之大宮人者雖多有情爾乘而所念妹
もゝしきの、おほみや人は、おほかれど、こゝろにのりて、おもほゆるいも
雖多有 おほくあれども也。それをおほかれどとも讀む也
情爾乘而 此句難解詞也。先はこゝろに叶ひてといふ義、俗に氣に入てなどいふと同じ意と見る也。のりてといふ事すまぬ詞也。第二卷目にも、いもが心にのりにけるかもと詠めることあり。まづ心にかなひたるといふ義と釋して、その叶ひたるといふ義を、のりとは何とていへるぞといふ釋未v濟也
歌の意は大宮人はかず/\あれども、我心に叶ひておもふ人は妹ひとりといふの意他
692 得羽重無妹二毛有鴨如此許人情乎令盡念者
うはべなき、いもにもあるかも、かくばかり、人のこゝろを、つくすとおもへば
相羽重無 前にも注せる如く、うへなきつれなきの人といふ義也。つれなき人は、これより上はあるまじきとの義也
令盡念者 つくさしむればと云意なり。それを約してつくすとおもへばと讀む也。つくさすといふ詞を約すれば、つくすといふ詞になるなり
(519)歌の意は、つれなき事のうへもなき妹かな。かく人に心をつくさしむることをおもへばと也
大伴宿禰千室歌一首 未詳
693 如此耳戀哉將度秋津野爾多奈引雲能過跡者無二
かくのみに、こひやわたらん、あきつのに、たなびくゝもの、すぐとはなしに
秋津野爾 前に注せり。大和の地名雄略天皇の御時の古事ある野の名也
雲能過跡者無二 あきつ野にたな引雲は過行てちるもの也。その如くにおもひはさりやられずして、ひたもの/\跡よりはおもひのますといふ意也。過行もの故、わがおもひをけしやらぬことにいひなぞらへたる歌也。又一説雲は跡から/\過行ても、また立ちそひてたえぬといふ意に、わがおもひのやまぬことをたとへ詠める歌とも見ると也。好むところにしたがふべし
廣川女王歌二首
廣川女王 讀日本紀卷第二十四廢帝紀云。天平寶字七年正月甲辰朔、壬子、無位廣河王〔授2從五位下1。〕印本の續日本紀文字脱落多ければ、女王の女の字を脱せるか。古一本傍注に、穗積皇子之孫女上道王の女也とあり
694 戀草呼力車二七車積而戀良苦吾心柄
こひぐさを、ちからぐるまに、なゝぐるま、つみてこふらく、わがこゝろから
戀草 すべての草をさしていふとの事なれど、宗師傳にはこひ草といふ草あり。一種にはあらねど名付くるところゆゑあり集中百家の傳とす。秘傳書に注せり
力車 大車のことをいへり
七車 數多きことをいへり。大成車幾許にもつみて人をこふことの多きと也。たゞおもひの數々つもりてこふるといふ儀、つみて戀らくと也。畢竟わがこゝろからおもひのかず/\やまぬとの歌也。六帖には車の歌に載せて、下の句をつみてもあ(520)まるわが心かなと直せり。狹衣にも、なゝ車つむともつまじおもふにもいふにもあまるこひ草はこれと、此歌にもとづきてよめり
695 戀者今葉不有常吾羽念乎何處戀其附見繋有
こひはいまは、あらじとわれは、おもへるを、いづこのこひぞ、つかみかゝれる
戀其附見繋有 こひと云はどろのことなれば、このつかみかゝれるといふ義もいはるゝ也
歌の心は、戀といふこひはつくしたるわれなれば、もはやこひといふものは世にあるまじきと思へるに、かくおそろしく戀したふ事の切なるは、いづこよりか戀の出できて、熊わしなどのつかみかゝる如くに、われにこひの出來たるぞと俳諧によみなせる也。十卷目の歌にも、戀のやつこのつかみかゝりてと詠める歌あり。此意も同じ
附見 は※[爪+國]攫の字の意也。字書云、※[爪+國]、爪持也
石川朝臣廣成歌一首
古一本、後賜高圓朝臣氏也。續日本紀孝謙紀天平寶宇二年八月朔、〔從六位上石川朝臣廣成授2從五位下1〕
696 家人爾戀過目八方川津鳴泉之里爾年之歴去者
いへびとに、こひすぎめやも、かはづなく、いづみのさとに、としのへぬれば
家人 古里にのこし置たる妻をさしていへる也。家室を家童子などいへり。令條にある家人奴婢は家人にはあるべからす。尤も古郷をしたふ意なれば、いづれにても同じ意ならんか
戀過目八方 おもひ過やられぬといふ意也
泉之里 山城なり。天平十二年の冬、山城の恭仁の都へ遷都以後ならの都に妻をおき、その身泉の里にありて詠める歌なるべし。かはづ鳴くと詠めるに意はなし。下のいづみの里をいはん爲の縁まで也
(521)大伴宿禰像見謌三首
697 吾聞爾繋莫言苅薦之亂而念君之直香曾
わがきゝに、かけてないひそ、かりごもの、みだれておもふ、きみがたゞかを
繋莫言 わが聞くやうに云ふなどの意なり。われに聞けとものによそへていふなど云意とも聞ゆ。このかけてといふことば不v濟詞也。先これかれとッかけ合ひてといふの意、こゝからかしこへ離れぬことをかけてといふ也。集中にかけてといふ詞夥敷也。此釋未v決。前に釋たるはこゝよりかしこへかけりといふ意也。今少不v叶也
直香曾 一本に曾を乎に作れり。乎の字然るべし。句例多也。此たゞかといふ事不v濟也。假名書にたゞかをとあれば、別訓あらんとも不v覺。諸抄の説は、ありか、あたりなど云説あれど、何れも義相叶へりとも不v覺也。追而可v考。まさかと讀める歌もあり。同事の義といへる説あり。いづれも不v濟也。よりて此歌の注しがたし
698 春日野爾朝居雲之敷布二吾者戀益月二日二異二
かすがのに、あさゐるくもの、しき/\に、われにこひます、よひ/\ごとに
朝居雲之敷布二 朝ごとにある雲の絶ゆること無き如く、戀のしげくますとなり。しき/\はしげきと云ふ義、前に幾度も注せり
月二日二異二 此義いかにとも解し難き詞なり。諸抄の説月ごとに日ごとにといふ義と也。然れ共其分にてはいかにとも不v通也。月二日二は前にも注せる如く、古實の書法を誤りて二文字に書きなしたり。月は夜、日はひるの事を云たる事にて、夜日/\とは讀む也。異にといふことは、勝殊の字をけにとよむ意とは、此のけにはあはず。よりてことにとよみて、毎の字の意と見る也。尚此月二日二けにと詠める歌數多し。このところ/”\にて注すべし
歌の意はあさ毎にゐる雲の如く、しき/\にたえず夜に日に戀のますと云迄の意也
699 一瀬二波千遍障良比逝水之後毛將相今爾不有十方
(522)ひとせには、ちたびさはらひ、ゆくみづの、のちにもあはん、いまならずとも
此歌の意は、今は樣々のさはりありて、あふことの叶はずとも、末にてなりとも、とにかくあふべきといふ意なり。崇徳院の御製の瀬をはやみの御心と同じ歌也
良比 はり他。さはり也。岩にせかれものにせかれて、さはりゆく水の末は、遂にも流れあふものなれば、今こそかくさはりありてあふことならずとも、後には遂にあはんと也
大伴宿禰家持到娘子之門作歌一首
700 如此爲而哉猶八將退不近道之間乎煩參來而
かくしてや、なほやかへらん、ちかゝらぬ、みちのあひだを、なづみまうきて
歌の意は此まゝにや歸らん。はる/”\と遠き道をまうきて、あはで空しくかへる事を歎きたる也。端作りにかどに至てとあるにて、歌の意明か也
河内百枝娘子贈大伴宿禰家持歌二首
かはちのもゝえのいらつこ、おはとものすくねやかもちにおくるうたふたくさ
河内百枝娘子 未考
701 波都波都爾人乎相見而何將有何日二箇又外二將見
はつ/\に、ひとをあひ見て、いかならん、いづれのひにか、またよそにみむ
波都波都爾 わづかの意也。ものゝたらはぬ事をはつ/\といひ、すこしき事をはづかになどいふ意と同じ。然れども少の間あひ見たる意也
又外二將見 いつ方にてか又あひ見んと也。或説に外人にみん、はづかにあひ見てだに、おろそかには思ひ捨てられぬとの(523)意とも解したり。六ケ敷見やう也
702 夜干玉之其夜乃月夜至于今日吾者不忘無間苦思念者
ぬばたまの、そのよのつきよ、けふまでも、われはわすれず、まなくしおもへば
あひ見しその夜のことを、けふまでもおもひ出て忘られぬは、そなたをのみまなくも戀ひしたへばといふ意也。別意なき歌なり。はつ/\に相見し歌に都合する歌と聞ゆる也
巫部麻蘇娘子歌二首
かんなぎべのまさのいらつこうたふたくさ
未考
巫部 續日本紀文武紀に巫部宿禰博士と云者あり
703 吾背子乎相見之其日至于今日吾衣手者乾時毛奈志
わがせこを、あひみしそのひ、けふまでも、吾ころもでは、ひるときもなし
其日 その日よりけふまでもといふ意に見るべし。あふて嬉しき涙にぬれ、わかれて慕ふ涙にひぢて、けふまでも袖のひる時無しと也。よく聞えたる歌也。少し詞不v足やうなれど此格何程もあり
704 栲繩之永命乎欲苦波不絶而人乎欲見社
たくなはの、ながきいのちを、ほしけくば、たえずてひとを、みまほしとこそ
栲繩 たくの木は布絹になるもの也。たくにて糾ひたるなはを云。強きものなり。繩はたくるもの故との説は不v足v論也。栲の字前に注せり。楮の字のあやまり也。一本誤來りて數本こと/”\く同v之して萬世の誤になる也。永命といはんとてたくなはとは云いでたり
(524)欲苦淡 いのち長かれとおもひ欲するはと云義なり
不絶而 たくなはの縁ありて、命たえずまた中絶えず人を見まくほしきにこそ、命長かれとほりすると也。或説に命ながからんと願ふ人はあひも見ずたえもせずして、人をあひ見まくほしくてのみ戀ひをれとの意なりと云へり。聞き得がたし
大伴宿禰家持贈童女歌一首
705 葉根※[草冠/縵]今爲妹乎夢見而情内二戀度鴨
はねかづら、いませるいもを、いめに見て、こゝろのうちに、こひわたるかも
葉根※[草冠/縵] 花かづら也。なとねと通ふ也
今爲妹 童女の始めてかんざしする、そのかんざしのかざりに花をかざる也。それをいまする妹とは詠めり
歌の意聞えたる通也。歌をおくる童女の、かんざしをはじめてする姿の美はしき躰をば目に見しより、言にもいでず心の内におもひわびこひ慕ふと也
童女來報歌一首
706 葉根※[草冠/縵]今爲妹者無四乎何妹其幾許戀多類
はねむづら、いまするいもは、なかりしを、いかなるいもぞ、こゝたこひたる
此歌の和への意は、はなかづらをする妹を夢に見てこひ給ふとあれど、われはまだはなかづらはせぬが、その人は何の妹ならん。われにはあらじと也。夢には見たまへども、うつゝには花かづらをいまするもの無しと也
栗田娘子贈大伴宿禰家持歌二首
娘子 未v考
707 思遣爲便乃不知者片※[土+完]之底曾吾者戀成爾家類
(525)おもひやる、すべのしらねば、かたもひの、そこにぞわれは、こひになりにける
思遣 思ひをけしやるやうを知らねば也
乃 比の力の字なと讀むべきか。のと讀みては、下の不知者の三字を、知れねばと讀まねばつゞき難き詞也。又知れねばと讀みては歌の意おだやかならず。此義不v詳也。若しなければと義訓に讀む例もあらんか
片※[土+完] かた思ひによせて、わればかり戀ひわびて、おもひをけしやるすべも知らねば、かたおもひ也。それによせて也。片※[土+完]はかた/\に口のある水など入る器物也。倭名鈔巻第十六瓦器類部云、※[怨の心が皿]、説文云、※[怨の心が皿]【烏管反、字亦作椀、辨色立成云、末利、俗云毛比】小盂。神代下卷云、持2玉鋺1汲2玉水1。延喜式第一巻、神祇一、四時祭上、供2神今食1料の條に片椀【かたもひ】とあり。此歌の意をもて考ふれば、神代卷の玉鋺の類なるべし。罐の類をいふたるものか。孟と缶と通ずる也。和名抄に※[怨の心が皿]小孟也と記したれば、とかくつるべなど同類と見ゆる也
戀成爾家類 ※[土+完]の底にたまりてどろとなりたると也。こひとは※[泥/土]の事也。かたおもひ故、そこにたまりてどろとなると字義によせて讀めり
全躰の歌の意は、思ひをけしやるべきせん方も無ければ、かた思ひの戀にしづみ果つる也
708 復毛將相因毛有奴可白細之我衣手二齋留目六
またもあはん、よしもあらぬか、しろたへの、わがころもでに、いはひとゞめん
因毛有奴可 またあふ代又夜しもあらぬかと也。あらぬかとはあれかしと願ふ也。あふ夜よしもあらばと云意也
齋留目六 いつきとゞめんか。又いはひとどめんともか。いつきのいは寐のい也。寝付とゞめむいみとゞめむなれば、又別るゝ事無き樣にいみ止めむと也。此歌は全躰鎭魂の意をふくみて仕度したる歌也。衣手にいつきとゞめんといふ事、これ人だまの飛を見て讀む歌、俗にいひならへる如く、結びとめたる下|かへ《マヽ》のつまといふ諺あり。此意をもて詠みたると見ゆる也。復の字を書たるも、これたまよはひと讀ます字也。よりて鎭魂の意をもて讀みなしたる歌と見る也
(526)豐前國娘子大宅女歌一首 姓氏不詳
第六卷にも豐前國娘子月歌一首とあり。或抄に娘子字日2大宅1とあり。傳未v考
709 夕闇者路多豆多頭四待月而行吾背子其間爾母將見
ゆふやみは、みちたづ/\し、つきまちて、ゆかんわがせこ、そのまにもみん
此歌の意、夫婦ともなひ行かんに、夕闇は道もたど/\しければ、月を待ちて出行かん。その間も吾せこをあかず見行かんと云意か。至つてむつまじき意をいひたる歌也。又行の字をゆけやと讀む説もあり。それは月の出るを待つあひだにも、相見んと云意とも聞ゆる也
安倍扉娘子歌一首
傳未v考
710 三空去月之光二直一目相三師人之夢西所見
みそらゆく、つきのひかりに、たゞひとめ、あひみし人の、ゆめにしみゆる
歌の意かくれたるところも無くさやけくも聞えたり。戀わぶるといふことを云はずしてこひ慕ふ意、おのづから知られたり
丹波大娘子歌三首
目録には大女娘子と有也。傳未v考
711 鴨鳥之遊此池爾木葉落而浮心吾不念國
かもどりの、あそぶこの池に、このはちりて、うきたるこゝろ、わがおもはなくに
此歌の意は、たゞうきたる根の無き心には、思はぬ眞實深くおもひ入りたるといふ義を、池にこの葉の散りて浮きたる如く、そことしもさだかならぬ心にては無きと、たとへにとりて詠める也。うきたると云はんまでに、かくかも鳥から云ひ出たる序歌(527)也
712 味酒乎三輪之祝我忌杉手觸之罪歟君二遇難寸
うまざけを、みわのはふりが、いはふすぎ、てふれしつみか、きみにあひがたき
味酒乎 この冠辭の事前にも注せり。土佐風土記の説古説なれども、宗師案にはさかづきをみと云ふより、うまざけをみとうけたると聞ゆる也。此乎の字乃の字にてあるべきかと云説あれど、みとうけるなれば乎にても不v苦也
忌杉 齋杉も同じ。神としていはひまつる其の神木に手を觸れたる罪咎にや、思ふ人にあひ難きと也。第七卷旋頭歌にも、いはふ杉はらと詠めり。歌の意よく聞えたり
713 垣穗成人辭聞而吾背子之情多由多比不合頃者
かきほなす、ひとごときゝて、わがせこが、こゝろたゆたひ、あはぬこのごろ
垣穗成 かきほのものを隔つる如くと云義也。なすは如くといふ古語也
情多由多比 たゞよふといふも同じ。猶豫しためらふ也。中言をいふ人ありしか、そのことを聞きて、心にうたがひをなし、相へたゞりたると聞えたり
大伴宿禰家持贈娘子歌七首
714 情爾者思渡跡緑乎無三外耳爲而嘆曾吾爲
こゝろには、おもひわたれど、はしをなみ、よそにのこして、なげきぞわかす
縁乎無三 よしをなみと點あれども、上におもひわたるといふ縁ありて、縁の字はしと讀む事古訓の證あり。よしとも讀むべきところもあれど先は不v可v好。殊に此所は上にわたるとあれば、はしと讀む事可v然歟。次の歌に河の事もよめり
歌の意は心にいか計おもひわたれども、いひよるべきはしもなき故、たゞよそにのみ見なして心ひとつに歎き慕ふと也
(528)715 千鳥鳴佐保乃河門之清瀬乎馬打和多志何時將通
ちどりなく、さほのいはどの、きよきせを、うまうちわたし、いつかゝよはむ
河門 水門河門瀬門などいふてつけ詞也。尤もその所ありて水のさかんに流るゝ處をさして云ひたるもの也。門に意は無くたゞ河といふまでの事なり
清瀬 いさぎよく澄める瀬にて、思ふ人にあふことの叶ひて行通ふならば、心もいさぎよく、こゝろよく來よからんと云意を含めてきよき瀬と也。その瀬をいつか馬にて打わたり通はんと、未だ戀の叶はぬことを歎きて詠める歌也
716 夜畫云別不知吾戀情盖夢所見寸八
よるひると、いふわきしらず、わがこふる、こゝろはけだし、ゆめにみえきや
此歌の意は、かく夜昼のわきも無くこひ慕ふ心の、せめてそなたに通じて夢には見えずやと也。又の説、情にと讀みてはおもふ人のわが夢に見えけるにと云儀もあり。兩説と見る也。然れば心にと云てには也
717 都禮毛無將有人乎獨念爾吾念者惑毛安流香
つれもなく、あるらんひとを、かたもひに、われしおもへば、わびしくもあるか
都禮毛無 つれなくあらんを也。もは助字、言葉をゆるやかに讀める也。そなたには何とも思はず、われのみ獨りおもひわぶるをも知らで、つれなくあらんをと也
獨念 獨り思ふなれば片おもひの義訓にて、片※[土+完]と讀みし句例もあり
惑毛安流香 まどひもあるかとの點は心得がたし。第九卷にも惑者と書てわびと點をなせり。惑の字わびと讀むこともその義不v詳ども、先その例に准じてこゝもわびしくもと讀む也。わびといふは、なやみわづらふ義なれは、此歌の意も叶ふ也
歌の意は、かくばかりわれは獨りのみ思ひ慕ふことも知らで、つれなくあらん人を片思ひに思へば、さてもわびしくもある哉と歎ける歌也
(529)718 不念爾妹之咲※[人偏+舞]乎夢見而心中二燎管曾呼留
おもはぬに、いもがゑまひを、いめにみて、心のうちに、もえつゝぞをる
不念爾 おもひもよらず也
咲※[人偏+舞] ゑめるありさまを也。まひは振舞の事にて、ゑめるをといふても同じ
燎管 思ひのもゆると云義也。おもひのひを火にとりたる也。もえるは思ひのやまずつのると云ふ義也
歌の意聞えたる通也
719 大夫跡念流吾乎如此許三禮二見津禮片思男責
ますらをと、おもへるわれや、かくばかり、みつれにみつれ、かたもひをせん
大夫跡念流吾乎 われは丈夫と思ひたれど、かく思ひに疲れて甲斐無く、片思のみして、丈夫ながら思ひきりをだにせぬと也
三禮二見津禮 身やつれ疲るゝ也。日本紀に、羸の字をみつれと點をなせり。然ればみつかれの意なり。宗師案は、みだれに/\と云義とも見ゆる也。心の亂れにといふことを、つとたと濁音相通にいひたるものかと也。然れども羸、つかれと古く讀み、日本紀にもみつれと點をなせるをよりどころとすべき也
歌の意は、われはますらをと思ひしが、かく身やつれ疲れて得おもひもきえず。片思ひをせんと也
720 村肝之情摧而如此許余戀良苦乎不知香安類良武
むらきもの、こゝろくだけて、かくばかり、わがこふらくを、しらずかあるらん
村肝之 群|木《コ》物、木とうけたる冠辭也。こはこゝらといふ意、多きと云義にて、むらきもの心とは讀みたるもの也。尤前に此注悉しくあり
戀良苦乎 戀るを也。るをのべてひく也。歌の意、かくばかり心をくだきこひわびるをも、先には何とも知らずあるらんと也ますらをの歌と引合せ見るべし。同意也
(530)献 天皇歌一首 古一本 大伴坂上郎女在佐保宅作也
右坂上郎女の注古注者の注歟。後人の傍注歟。考ふるところ無し
721 足引乃山二四居者風流無三吾爲類和射乎害目賜名
あしびきの、やまにしをれば、みやびなみ、わがするわざを、とがめたまふな
風流 第二卷に、たわれをと讀ませたる處に注せる如く、此二字はみやびとよまでは不v通。既にこゝにては、よしをなみと讀み前にては惡しき名にたはれをと讀みては、處によりて違ふべき樣なし。みやびは都ぶり等云意にて、よき振舞わざの事なり
歌の意、則足びきの山にしと讀みて、賤しき山がつの身と卑下して詠める也。山に住居れば、上つ方のよき風流の事は不2存知1。賤しきわざのみをなし侍らん程に、見きゝ許させ給へと身をおとし恐れて奉れる也。何とぞ故ありて奉りたるならん
大伴宿禰家持歌一首
722 如是許戀乍二有者石木二毛成益物乎物不思四手
かくばかり、こひつゝあらずば、いはきにも、ならましものを、ものおもはずして
不有者 死ばの意也。存在せずばとの意也。歌の意は、かくばかり戀ひわびて、命も終りて死なば、木にも石にもならまし。然らばかく物おもひをして、苦しきこともあらましをとの義也
大伴坂上郎女從跡見庄贈賜留宅女子大孃歌一首并短歌
跡見 日本紀神武卷に烏見と有。此集中に跡見と書けるは此所なるべし。跡見赤檮氏も此地名をいへるか
723 常呼二跡吾行莫國小金門爾物悲良爾念有之吾兒乃刀自緒野于玉之夜昼跡不言念二思吾身者痩奴嘆丹師袖左倍沾奴如是許本名四戀者古郷爾此月期呂毛有勝益士
(531)とこよにと、わがゆかなくに、こがなどに、ものかなしらに、おもへりし、わがこのとしの、ぬばたまの、よるひるといはず、おもふにし、わがみはやせぬ、なげくにし、そでさへぬれぬ、かくばかり、もとなしこひは、ふるさとに、このつきごろも、ありがてましを
常呼二跡 とこよの國の事は前にも注せり。神代より不變の國也。仙境などと云べき所也。畢竟今日の世を離れ、凡見凡慮の不v及處と知るべし。方所をさしていはゞ至つて南ならんか。其故は、神代卷非本紀等の表をもて考へ知るべし。熊野の御崎などとあり。たぢ間守がよはの海をわたりてなどあり。伊勢の事にとこよのしき波よすると云ことなど引合、又垂仁天皇の時、たぢ間守が時じくの、かぐのみをとり來りし事、今きの國にみかんなど云名物の有につけても、と角南海の内にあること知らるゝ也。とこよにとわが行かなくにとは、二度あふことも無き戀愛の情も、離れたる國へ行く時は無きにと云意也
小金門 小は初語也。金門は、門戸はかねをもて餝り、くさり合するものゆゑ金とゝなり。日本紀第十三卷に、大まへの宿禰が歌にも、かねとかげと詠める也。金戸蔭也。しかれば母の郎女故ありて、とみの庄へ來りし時のわかれざまに、名殘を惜みて門戸に物わびしけに見送りたる時の有樣の、目に付くてふ心ちして忘られぬといふ義を、これより已下の句に詠みたり
物悲良爾 もの悲しう也。良はたすけ詞也。母のわかれ來し時、常よの國へも行く如く、死別のやうに女子の物悲しげにも歎きしありさまを思ひ出て、母の郎女のしたひ悲しむと也。このものかなしらは、むすめの悲みしことを云へる也。ものと云は惣躰をさして云へる也
念有之 むすめの思へりしと云義也。日本紀に、色の字を思へりと讀ませたるには別の義あらんか。歎きわびる景色の、あらはれたることを思へりといふ義ならん
刀自緒 女の通稱と聞ゆる也。老女のことをもとじといへども、此歌にて見れば通稱と聞ゆる也
念二思 母の女をしたひ思ふと也。にしは助語也
本名四 前にも注せる如く、よし無くとは解したれど未v決。先こゝもよし無くもかく戀ひぬればといふ意と見る也。かやうに戀ひわびるぞならば、やはりふるさとに此月ころもあらましをと也
(532)歌の意句釋にて聞えたる通也
反歌
724 朝髪之念亂而如是名姉之夢曾夢爾所見家留
朝髪の、おもひみだれて、かくばかり、名姉之戀曾、ゆめに見えける
朝髪 あさがみと讀むべきや。集中に類句無ければ別訓を可v案也。朝のかみはねくだれて亂れたるもの故、思ひみだれと云はん料におきたるとは見ゆれど、何かみとぞいふべき別訓あらんか。あさ髪とは少おだやかならぬ句也
名姉之戀曾 これを印本諸抄の點もなにのこひぞもと讀めり。心得がたし。先なにといふ義に名姉の二字を用ゐたるも珍らし。此歌ばかり也。用例外に無し。又そものもの字も無ければ、是を曾もと音の字につけ讀みはならぬと也。然ればなにの戀ぞもにてはあるべからず
名姉之戀曾 なねの戀はぞと讀むべき歟。なねは女をさして賞美して讀める意なるべし。名姉の二字を書きたるは、女をさしたる意を助けたる集格なるべし。何の戀ぞもと讀みては歌の意も聞き得がたし。後案可vレ有也。若しくは曾毛の毛の字を脱したらば、何の戀そもと讀むべき也。それにても戀ぞもとよみては歌の意聞えがたし
右歌報賜大孃進歌也
古一本に如v此注せり。普通の印本には無き也。衍文ならんか
献 天皇歌二首【古一本大伴坂上郎女在春日里作也】
725 二寶鳥乃潜池水情有者君爾吾戀情示左禰
にほどりの、かづくいけみづ、こゝろあらば、きみにわがこふ、こゝろしめさね
二寶鳥 倭名抄云、〔羽族部、鳥名、※[辟+鳥]※[遞の中+鳥]、訓、邇本杼理〕にほどりは水の底へかづき入て、深き心をも知るものなれば、わが心をこ(533)ひ奉る深き心を、心あらば君に告しらせ奉れと也。にほ鳥に下知したる歌也。一通にては、池水の情あらばと聞ゆれども、宗師は鳥に下知したると見る也。愚意未v決。池水の情とつゞくことは、すべて池、井には底にたまりたる泥のかたまりあるを心といふ也。井池にこゝろといふ事を讀むはそれ故也。こゝろはこるといふ意に讀みたる也。池井の底にはこりかたまりたる泥土のある、それをこゝろとは云也。こゝろあらばはあるならば也。しめさねはしめせよといふ意とおなじ
726 外居而戀乍不有者君之家乃池爾住云鴨二有益雄
よそにゐて、こひつゝあらずば、きみがへの、いけにすむちふ、かもならましを
不有者 死なばの意也。歌の意よく聞えたり。君にそひ奉らで如v此こひわび死なば、み池の鴨になりともなりて、君になれ奉らんをと也
大伴宿禰家持贈坂上家大孃歌二首 【離絶數年後會相聞徃來】
上略あまたのとしをたつといへども、またあふてゆきゝを相きゝ
727 萱草吾下紐爾著有跡鬼乃志許草事二思安利家理
わすれぐさ、わがしたひもに、つけたれど、鬼のしこぐさ、ことにしありけり
萱草 第三卷の歌に、わすれ草わが紐につくかぐ山のふりにし里を忘れぬか爲と詠めるところに注せり。おもひうれひを忘るゝ草と云傳へたり。毛萇詩傳等にも見えたり。何とぞ戀ひしたふことを忘れんと、下紐につけたれどといふ義也
鬼乃志許草 普通皆おにと讀ませ又しことも讀ませたり。おにと讀まんよりしこのかたよからんか。下のしこ草とつゞく縁に、しことも讀むべき事也。宗師案には、思の字などにてはあるまじきか。然らばもひのしこ草にて、おもひのしこり草といふ意にて、しこ草と詠めるかとなり。しことはあしきことをいへば、こゝも忘草を罵て詠めるとも聞ゆる也。しこ草はおもひこひの、猶しこるといふ意にて詠めるなるべし。扨しこ草を紫苑といへる説は、俊頼已來の説にて難2信用1也。此歌にては、(534)とかく忘草もしこ草も一種と見ねば歌の意不v通。或抄に事にしは異の字の意にて、惡草異にあると云の説は心得がたし。わすれ草といへ共かく思ひのしこり草なれば、言に云たる迄なりとの歌也。萱草をにくみて、しこのしこ草といへると見ゆる也
事二思安利家理 言ばかりなりと云意、此集中に此句數多也。異の意によみたり。歌不v覺也。ことにしとは詞にいひしばかりにて、その實は無きとの義なり
728 人毛無國母有粳吾妹兒與携行而副而將座
ひともなき、くにもあらぬか、わぎもこと、たづさひゆきて、たぐひてをらん
粳 もし糠の宇の誤歟。音通る政義も兼用ゐらるゝ歟。可v考。あらぬかはかな、願ふ意にも聞ゆる也。あらばつれゆきて人に騷がれず、心のまゝにそひをらんにと、人めにせかれて心のまゝならぬ事を歎きて詠める歌也。追考、一本粳作v糠本あり。是とすべし
副而將座 たぐひは偶居の意、相そひてともに居らんと也
歌の意は、人目にせかれて心のまゝならねば、人の歎くにはあらぬか。ありなば妹とつれそひて、心のまゝにたぐひ住まんをと也。人のしげく、さまざまといひ騷がるゝことをいとひて歎きたる歌也
大伴坂上大孃贈大伴宿禰家持歌三首
729 玉有者手二母將卷乎欝膽乃世人有者手二卷難石
たまならば、てにもまかんを、うつせみの、世のひとなれは、てにまきがたし
歌の意、玉ならば常住手にまきもちて離るゝこと無くあらんを、人なれば人めをかくれて、さすがに心のまゝになれむつみもなり難きと、心にまかさぬことを歎ける也
730 將相夜者何時將有乎何如爲常香彼夕相而事之繁裳
あはんよは、いつもあらんを、なにすとか、かのよにあひて、ことのしげきも
(535)何時 諸本皆いつしかと點せり。二字にていつ也。しかと二言を添へてはかへつて歌の意聞えがたし。いつもにてよく聞えたる也。いつにてもあらん也
彼夕 あひたる夜をさして也。何どきもあふ時のあらんに、たま/\あひし夜のことのあらはれて、人ごとのしげきかなと歎きたる也。しげきもといふことは上代の風躰也。これ皆歎息のこと也。ことのしげきと云義也。何すとかは、何するとてか、かの夜にあひてかく人ごとのしげきぞと也
731 吾名者毛千名之五百名爾雖立君之名立者惜社泣
わがなはも、ちなのいほなに、たちぬとも、きみがなたてば、をしみこそなく
千名之五百名爾 さま/”\にいかほどたつといふとも也。わか名は惜まじ。きみの名の立つこそ惜しくて泣き悲むと也。此歌の名者毛といへるも、古詠の風躰、毛は助字也
又大伴宿禰家持和謌三首
732 今時者四名之惜雲吾者無妹丹因者千遍立十方
いまはし、なのをしけくも、われはなし、いもによりては、ちへにたつとも
者の字一本有に作るあり
今時者四 印本古本等みな、いましばしと點をなせり。心得がたし。今しばしといふべき處にもあらず。歌の意聞えがたし。よりて四言に讀んでたゞ今はと云義と見る也。或抄には、しばしと云しは二のし文字助語也と無理押の説あり。助語を入るゝところと不v入ところあるべきを、いかに詞にことを缺けばとて、こゝに二のしを助語には不v可v入。宗師案には者の字有と書きたる一本もあれば、これを正本とせば今はあれしと讀むべし。あれはわれ也。下にあれはなしといふことばもあれば、有の字ならば、ありあれと讀む字故、吾の字の意にてあれしと讀まんか
(536)歌の意はわが名のたつ事は、いか程に立つとも妹故にたつ名は厭はじと也
733 空蝉乃代也毛二行何爲跡鹿妹爾不相而吾獨將宿
うつせみの、よやもふたゆく、なにすとか、いもにあはずて、わがひとりねん
代也毛二行 二度は無き一度生れ出でたる代を、二度ゆきかへりする事は無きを、何をするとか、かく代を憚りて、戀したふ妹にあはず、離れてひとり寐んにと也。もはや堪かねて、名の出でんことも厭はず、代をば憚らじとの意なり
734 吾念如此而不有者玉二毛我眞毛妹之手二所纏牟
わがおもひ、かくてあらずば、たまにもか、まこともいもが、手にまかれなん
如此而不有 かやうにて死なば也。このあらずばも存在せずば也。玉にも我はかな也。濁音の字を書たるは願のかなとしるべし
よく聞えたる歌也。わが思ひのかやうにて遂に叶はずして死たらば、玉にもなりてかな。妹の手にまかれんものをと也
同坂上大孃贈家持歌一首
735 春日山霞多奈引情具久照月夜爾獨鴨念
かすがやま、かすみたな引、こゝろくゝ、てれるつきよに、ひとりかもねん
春日山 この山に意は無し。下の霞みといふ詞の縁に、かすが山とは詠み出たり。かやうのところ歌なり。いづこの山にても、霞たな引ものを、春日山と詠める所が歌の風情也。尤はるひ山と書きたれば、その意をもふくめるなるべし
情具久 心にくゝ也。てれる月の夜にひとりぬる事は心にくきと也。この夜あはれなるに、君と相ともにいねずひとり寐んことの心にくきと也。一説心苦しきといふ義なりともいへり。集中に此詞多し。心苦しき方にてはあはぬ歌もあり。此歌は苦しきといひても叶へるか。しかし心にくきは、君が來ることもあらんやと、心もと無くひとりかもねんと云歌と聞ゆる也
(537)又家持和坂上大孃歌一首
736 月夜爾波門爾出立夕占問足卜乎曾爲之行乎欲焉
つきよには、かどにいでたち、ゆふげとひ、あなうらをぞせし、ゆくをほりとぞ
歌の意、前の歌をうけて、月夜には門に出立て今宵は行かん、又行かまじきかと、うらなひをして色々と行かまほしく思ふと也
同大孃贈家持歌二首
737 云云人者雖云若狹道乃後瀬山之後毛將念君
かにかくに、ひとはいふとも、わがさちの、のよせのやまの、のちもあはん君
云云 とやかくにの意也。如v此々々と云義、今文にしか/\など書くも同じ意也。人にいひさわかれて、別れ隔つるとも、後々も遂には會はんとの意也
後瀬山 若狹道とあるから彼國にあるべし。未v考
將念 あはんと讀ませたり。念の字誤歟。念の字あはんとは讀み難し。わびんせと可v讀也
738 世間之苦物爾有家良久戀二不勝而可死念者
よのなかの、くるしきものに、ありけらく、こひにたへずて、しぬべくおもへば
有家良久 ありける也
歌の意、戀ほど苦しきものは無きと也。こひこがれ思ひわびて命も絶え死なんと思へばと也。不勝て、こらへかねて也
又家持和坂上大孃歌二首
739 後湍山後毛將相常念社可死物乎至今日毛生有
のちせ山、のちもあはんと、おもへこそ、しぬべくものを、けふまでもいけれ
(538)前の大孃より贈れる歌の後湍に答へたる也
念社 はおもふにこそとも、おもへばこそとも云意也。今かくても後には遂にあはんと思ふにこそ、死ぬべき命けふまでもながらへをれといふの意也
740 事耳乎後毛相跡懃吾乎會憑而不相可聞
ことのみを、のちもあはんと、ねもごろに、われをたのめて、あはざらぬかも
事耳乎 言のみにねんごろに、後にもあはんと云ひて、それを頼みさせてとかくあはぬかも。かくあふ事の叶はぬはと恨みたる歌也
令憑 われをたのませて也。ませの約めなり。よつてたのめてと讀む也。たのめてはたのませて也。かもはかなの意歎きたる言葉也
更大伴宿禰家持贈坂上大孃歌十五首
741 夢之相者苦有家里覺而掻探友手二毛不所觸者
ゆめ之相者、くるしかりけり、おどろきて、かきさぐれども、てにもふれねば
夢之 この之字不審、仁の字の誤歟。印本古本諸抄の點皆之字にて、のと讀み下をあひと讀む。夢のあひはと讀むべき歌詞とも不v覺。夢にあふはとならでは讀みがたし。之の字正本なれば夢のみはと讀むべし。夢のあひとはいかにとも詠み難し。決して仁爾の誤字と見るべし
歌の意はよく聞えたる也
742 一重耳妹之將結帶乎尚三重可結吾身者成
ひとへのみ、いもがむすばん、おびをすら、みへむすぶべく、わがみはなりぬ
(539)將結 妹に結ばせたらば、かくまで痩せ衰へず。一重に結ぶべき帶を、三重までむすぶやうに思ひに痩せたると也。古本印本諸抄の點結びしとよめり。將の字をしと讀むこと心得がたし
743 吾戀者千引乃石乎七許頸二將繋母神之諸伏
わがこひは、ちびきのいしを、なゝばかり、くびにかけても、かみのもろふし
千引乃石乎 日本紀神代卷にあり。又古事記八千矛神の古事あり。此歌は、古事記の古事を引きて詠めると聞えたり。歌の意、諸共にねんことを願ひたる意にて、畢竟千人して引石を七つもつけたる如き苦みをするとも、もろふしをせん爲ならば厭はじと也。神のもろふだのもろふしといばんとて神のといへり。社をみもろ、みむろといふから、神のもろとつゞけん爲也。尤古事記の古事を讀みたるもの故かくはつゞけたる也
744 暮去者屋戸開設而吾將待夢爾相見二將來云比登乎
ゆふされば、やどあけまけて、われまたん、ゆめにあひみに、こんといふひとを
設而 むかへてといふ義、まうけてといふ義兩義也
相見二 此言葉不v穩也。みゝLにとよまんか。夢にあひま見えに來らんといひし人をと云意歟。相見の二字別訓あらんか。先今のよみやうは、あひ見に來んと人のいひしといめに見しから、ゆふべにならば戸をあけて待ち居んとの歌と見る也
745 朝夕二將見時左倍也吾妹之雖見如不見由戀四家武
あさゆふに、みんときさへや、わざもこが、みれどみぬごと、なほこひしけん
此歌の意は、朝ゆふに見ん時さへ見あくまじきに、妹がかく見けれども見ぬ如くにすれば、猶戀しさのいやますと也
妹之 といふ之の字、乎の字の誤ならばまた意違ふべし。此歌は全體聞えがたき歌なれば、若し誤字脱字などあらんか
戀四家武 この詞も解しがたき也。先こひしきといふ意とは見れど、けんと留めたる詞解しがたし。これも武は茂の誤り歟(540)然らば戀しかもと止めてよく聞ゆれども、けんといふ詞六ケ敷也。又朝夕に見ても見ぬ如くに、わぎもが戀しきに、見ぬ時はいかばかり戀しからんといふ歌歟。隔句體に見るべきか。後考、戀しけんはせん也。せをのべたる也
746 生有代爾吾者未見事絶而如是※[立心偏+可]怜縫流嚢者
いけるよに、われはまだみず、ことたえて、かくもあはれに、ぬへるふくろは
此歌は大孃のかたより、衣裳を遣したる時の返禮の歌なるべし。次の歌にもかたみ衣をおくれるよしあれば、若し衣などを入れておくりたるふくろか。また上袍にかくぶくろと云ものあれば、衣のふくろのこと歟。令義解衣服令云、朝服條に曰、袋准2文官1
事絶而 言葉にいひ出されぬとの事也。いふべき言の葉も無き程に面白くぬへると云義也
※[立心偏+可]怜 は面白きといふ意、ほめたる義也
747 吾味兒之形見乃服下著而直相左右者將吾將脱八方
わぎもこが、かたみのころも、したにきて、たゞにあふまでは、われぬがめやも
直相左右者 一すぢにあふまではぬぐまじきと也。この歌を見れば、はじめは相かたらひむつみしが、故ありて離別したるよし聞ゆる也
748 戀死六其毛同曾奈何爲二人目他言辭痛吾將爲
こひしなん、それもおなじぞ、なにせんに、ひとめひとごと、こちたくわれせん
同曾 こひ死にたりとも人に云ひさわがされん事は同じければ、今はつゝみしのびて何せん。人目人言いたくとむ打あらはして思ひをはらさんかと也。歌の意此通也
749 夢二谷所見者社有如此許不所見有者戀而死跡香
(541)ゆめにだに、みえばこそあらめ、かくばかり、見えずてあれば、こひてしねとか
此歌の意、夢にもせめて見えたらば、それをたのみに命もつゞきてあらんに、夢にさへ如v此見えて遠ざかれるは、われに死ねとの事かと也
750 念絶和偏西物尾中々爾奈何辛苦相見始兼
おもひたえ、わびにしものを、中々に、いかにくるしく、あひみそめん
此歌の意は、初はとても叶はじものと思ひたえて、思ひわびて過ぎしに、中々にあひみそめてより、いよ/\おもひのまさりて苦しめると也。あひ見ての後の心にくらぶればの歌の意也
751 相見而者幾日毛不經乎幾許久毛久流比爾久流必所念鴨
あひみては、いくかもへぬを、こゝたくも、くるひにくるひ、おもほゆるかも
久流比爾久流比 狂ひにくるひと云義と諸抄注せり。物ぐるはしき程におもひしたふ義と也。何とぞ見やうあらんか。未だ考ふる處無ければ先づ諸説にまかす
此歌の五文字あひ見てはと詠めること心得がたきやうなり。通例にはあひ見しはと讀むべき事也。然れども前の念絶の歌に次て載せられたれば、あはざる程はかく無かりしかども、相見てはいくかもへぬを、かく物苦しきやうに戀ひしたはるゝと聞ゆる歌故、印點の通に讀む也。尚後案あるべし。歌の意はよく聞え侍る也
752 如是許面影耳所念者何如將爲人目繁而
かくばかり、おもかげにのみ、おもほへば、いかにかもせん、ひとめしげくて
此歌の意、かくばかりおもかげに立ちそひて、思ふ人の見えて思ひ慕はるればいかゞせん。されども人めのしげければ、心のまゝにあひ見ることもならねばいかゞせんと也
(542)753 相見者須臾戀者奈木六香登雖念彌戀益來
あひみては、しばしもこひは、なぎんかと、おもへどいよゝ、こひまさりけり
奈木六 なぎんもなごむも同じ。俗にいはゞやはらぎ靜まるかとおもへどといふ義也。なほるかといふ意にも通ふ也。然れば戀のつのらずして、やみやむかと思へどと云義也。なごむはなだむるといふ義と同じ
彌 はいとゞともいよゝとも讀むべし。同音也。どは濁よは清音濁らぬ音故かよふ也
此歌も、相見ていとどおもひのますといふ意を述べたる也
754 夜之穗杼呂吾出而來者吾妹子之念有四九四面影二三湯
よのほどろ、わかでてくれば、わぎもこが、念有四九四、おもかげにみゆ
穩杼呂 はほど也。ろは助字也。夜のほどにいでて來れば也
四九四 この三字はいかにとも讀みとき難し。念有四九四とある故、ある抄には心におもはくの色もあらはるゝことをおもへりと云て、色の字を日本紀におもへりと讀ませたれば、心のうちにいぶかしくおもへり敷といふ義となり。いかにとも心得がたし
宗師案、念有はおもひますとよむべき歟。四九四は數をもて四十と讀みて夜色とよむ。四十を夜そと云意に讀むべきか。三十六に四をたせば四十也。然らばおもひますよぞおもかげに見ゆるとの歌かと也。おもひの益夜といふ心をもふくめて也
愚案、おもへりしこよと讀むべきか。九はこゝのつと讀むこ也。四はよつと讀むよ也。わびたりし顔おもかげに見ゆと云義歟。又こは女の通稱の兒にても同じ。しかしこといふ詞はかほといふ詞なれば、おもかげに見ゆといふ句に相かなふ也
歌の全躰は、夜深く出てくれはわぎもこが名殘をしくや思ひわびたるか、面かげにみゆると云義なり。四九四の三字未v決也
755 夜之穗杼呂出都追來良久遍多數成者吾胸截燒如
よのほどろ、いでつゝくらく、あまたゝび、なればわがむね、きりやくがこと
(543)遍多數 義訓にて讀みたれば、文字の顛倒にはかゝはるまじき也
此歌の意は、妹がかたへ通ひて人めをつゝしむ故に、歸さの折もよる/\かへりくれば、その度毎にわかれを恨み、さま/”\心をいたましむること多ければ、胸をきりやくばかり痛むと也。心のまゝにかたらひ、そひたきことの意をこめて歎きし歌也。くらくとは來るといふ義也。夜をこめていでて來ることのあまたゝびになれば、きぬ/\の名殘をしさのたび毎、又さま/”\とし人めをつゝむ心づくしに、胸をやきこがすばかりに苦しきと也。此歌の姿など、後世とても好むまじき也。あまたの歌の中なれば、かくの如きすがた好ましからぬもあるべき也
萬葉童蒙抄 卷第十終
(544)萬葉童蒙抄 卷第十一
大伴田村家之大孃贈妹坂上大孃歌四首
756 外居而戀者苦吾妹子乎次相見六事許爲與
よそにゐて、こふればくるし、わぎもこを、つきてあひみん、ことばかりせよ
事計爲與 ことをはかれよと也。れをのべたることはせよ也。集中此傳數多也
歌の意、よそに離れゐて戀しく物ぐるしき程に、一つところに相住まんことをはかれと也。姉妹むつまじく感情ある歌、これらをや歌道雅情の本ともすべけんか。當集のあひきゝと云は、戀慕の好色の輩のみにあらず。親子兄弟姉妹姨姪の互に訊問の情を相通じあひし歌とも也
757 遠有者和備而毛有乎里近有常聞乍不見之爲便奈沙
とをからば、わびてもあるを、さとちかく、ありときゝつゝ、みぬがすべなさ
歌の意、遠くへだたりたらば、思ひあきらめてあふ事も願ふまじ。思ひわびつゝもそれなりにあらんに、間ぢかくありと聞けば、かくへだたりあはぬことの詮方も無き事と、思ひきられず慕はるゝとなり
758 白雲之多奈引山之高々二吾念妹乎將見因毛我毛
しらくもの、たなびくやまの、たか/”\に、わがおもふいもを、見んよしもかも
高々二 此義古來より慥成説なき也。先は相かまへていふ詞にて、先を尊みていふ時たか/”\と云との説なれども、此歌にてさしつかふるなり。愚案には、山の如く思ひの重なりたると云意に、たか/”\と云へる義と見ゆるなり。此集中の歌皆人を待つこと、思ひの重なることに詠めり。此歌も慕ひ思ふことの山の如くに、つもり重れる妹と云義に、高々と詠めるならんか
(545)759 何時爾加妹乎牟具良布能穢屋戸爾入將座
いかならん、ときにかいもを、むぐらふの、あれたるやどに、いれてをらさん
牟具良布 和名抄草木部草類、葎草【上音、律、和名毛久良】ものに這ひかゝりて、よく茂りていといぶせく見ゆるもの也。葎の生ひたる所と云義にむぐらふとは云へり。蓬生もおなじ。その草の生しげりたるところといふ義にふとはいへり。布はそのところをさせる義と知るべし。草深くあれたる宿と卑下していへる意也
穢 古本印本ともに、けがしきやどと點をなせり。甚だ得がたし。穢の字けがれとよむは、汚穢とつゞく時ならば、けがれと讀むべけれど、葎生とあるにけがしきとは、文字の義を不v辨點也。※[草冠/歳]と穢と通じて穢蕪と連續する字、歳穢ともに田中の草生を云字義也。然れば荒蕪のかたに讀む字也。こゝにけがれのことのあるべき事ならず。よりてあれたる宿とはよむ也。むぐらの生繁りたる所の宿ならばあれたる義明也
歌の意きこえたる通、何の時にかかく草深くあれたる宿へ入れて、一つに相住をらんぞと戀ひしたひたる歌也
右田村大孃坂上大孃并是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也狹居田村里號曰田村大孃但妹坂上大孃者母居坂上里仍曰坂上大孃于時姉妹諮問以歌贈答
右の古注者の後注也
大伴坂上郎女從竹田庄贈賜女子大孃歌二首
竹田庄 大和。日本紀神武紀、猛田。延喜式神名帳、大和國十市郡竹田神社
760 打渡竹田之原爾鳴鶴之間無時無吾戀良久波
うちわたす、たけだのはらに、なくたづの、まなくときなく、わがこふらくは
打渡 田とうけんための冠辭也。上古は田を打つといひしなり。古事記日本紀仁徳卷の歌に、小鍬もち打ちし大根とよめる(546)歌にて知るべし。漢土にて田を耕す賤業をするを撃壤といふこともありて、田夫の賤しきわざの事をいへり。然れば田とうけん爲の詞とみる也。田面ひろ/\と見渡したるところの景色をいふたるとの説は、よりどころ無き説なり。後々の歌に、此竹田を山城と心得て詠める歌多し。所違也
鶴は諸鳥のうちにわきて子を悲む鳥なれば詠み合せたる也。古詠如v此の格ははずれぬ也。戀良久はこふると云義也
よく聞えたる歌也
761 早河之湍爾居鳥之縁乎奈彌念而有師吾兒羽裳※[立心偏+可]怜
はやかはの、せにゐるとりの、はしをなみ、わびてあるらし、わがこはもあはれ
早河之 はや河のせにゐる鳥なれば、一つ所にはあひより難ければ、かく隔たりゐることのわびしきに、思ひあはせて詠める也。早川の瀬は水たぎりて、うきゐる鳥も相ならぶことなり難し。親子の別れあることを比して他
縁乎奈彌 よしなみと讀ませたれど、鳥に縁無き詞也。鳥のとよみかけたれば、縁なき詞をよみ出すべきにあらず。縁の字此集中によしとよませたる所數多なれども、此訓心得難し。古訓は端とよむ字也。疊のへりなどいふ時此縁の字にて、物語ものなどにははしと讀ませたり。然ればはしは口ばしといふ鳥に縁ある詞也。又河にも橋といふ縁ある詞なれば、はしとは讀む也。よしとは諸説によるべ無くといふ義といへり。然れども歌のくだり、さやうに續き難き詞也。早河の瀬にゐる鳥の居るをよすがといふたるか。然らばよすがは便も無き、よりそふ方も無くといふ意に詠めるか。此詞決しがたし
有師 點本のありしとは心得難く、歌の意不v通也。あるらし也。女子が便よすが無く、われを慕ひわびてあるらしと思ひて、哀に悲しきと詠める歌也
羽裳 は例の此時代の風躰歎息の詞也
紀女郎贈大伴宿禰家持歌二首【女郎名曰小鹿也】
傳不v考
(547)762 神左夫跡不欲者不有八也多八如是爲而後二左夫之家牟可聞
かみさぶと、きかずばあらねばや、こゝらよゝ、かくしつゝのちに、さぶしけんかも
不欲 古本印本諸抄の點いなと訓せり。集中大かたいなと讀ませたり。然れども神さぶといなにはと云義つゞきがたし。神さぶるともいなにはあらじといふ心と釋せり。然らば雖の字を書べし。此集其例數多也。第八卷にもこれに同じき歌ありて不許と書きて聞かずと訓ぜり。神さぶといふなれば、きかずとはつゞきぬれば、比例をもてこゝもきかずとは讀む也。しかし古今不v續詞を不v捺。こゝも八卷めの歌もいなと讀める歟。心得がたし。今歌詞の上にて論ずれば、神さぶといなにはとつゞけ難ければかくは讀む也
多八 おほきはこゝら也。八は四を重ねたる也。夜々の意也
如是爲而 かくしつゝ也。隱密にして也。かくしてにてもおなじ。つゝはひたもの/\毎度の意につゝとはよむ也。かくよむ歌の意、神さぶは年ふりたる事をいふ。その年ふりたると聞きたまはずや。聞きたまへばそれをかくして、夜々あふことをせば、遂にはあかれてさぶしからんと也。右宗師案也。此歌の意未v通、諸抄の説にも難2信用1。後世の賢案をまつのみ。不欲の字きかずと讀める例無く、いなと讀める例多し。然れども神さぶといなにはと云續詞いかにとも解し難く、下の八也多八の四字も不2打着1也。誤字脱字のおもひはかりも無ければたゞ後案をまつのみ
763 玉緒乎沫緒二搓而結有者在手後二毛不相在目八方
たまのをゝ、あわをによりて、むす【ばれ・べれ】ば、ありてのちにも、あはざらめやも
玉緒は いのちのをといふ義也
沫緒 あわをにて合せ緒と云ふにはあらず。あわをといふは、かひなき弱き緒の事をいへるか。あはせをと云説は假名ちがひの説也。沫をといふもの一色あると見えたり。いかなるを沫緒といふものとの釋は、古來より不v知也。此歌の表にては、沫の如く消えやすきかひなきをにも、結ばれなばあり/\て、後にはあはずばあらましとの歌と聞ゆる也
(548)結有 此よみやう三通ありて、それ/\に歌の見樣違へり。まづむすべらばと普通の點に讀ませたり。これは何をにもせよ、たがひのいのちの緒をよせよりて、結びたらば年老て後にもあはざらめや。いつまでもあはんとの意と聞ゆる也。またむすべればとよむ意あり。これは今むすべばといふの意也。むすばればは、結はるゝものならばといふ意也。水の沫もむすぶもの故、をの縁に合せていへり。とかくこの歌も、あわをといふもの一しなありて、それは強きものか、又水のあわの如きとけ易く消え易きことをいふことか。その釋不2分明1ば此意解しがたし。此二首は難義の歌として、後案をまつのみ。とかく歌全躰釋濟みせぬ也。いせ物がたりに引直して載せ、拾遺集、春くれば瀧の白糸いかなれや結べどもなほあわに見ゆらむの歌、及枕草紙、うす氷あわに結べるひもなればかざす日かけにゆるぶばかりぞと詠める歌とも、引合せて見るにも心通じ難し
愚案、幾重も/\に結びたる緒といふことに、沫をによりて結びたればと詠めるか。ありて後にもあはざらめやもといふとめは、とけやすきかたの結びやうとは不v聞也。然れども沫は消えやすきものなればかく也。後案、装束抄にあはぢむすび、あはひむすび、あをひむすび、といふ事あり。こと/”\く不v濟事也。元來沫むすびよりいひあやまりたるか。沫はとかく消えやすきものなれば、とけやすきかたにいへる事也
大伴宿禰家持和歌一首
764 百年爾老舌出而與余牟友吾者不厭戀者益友
もゝとせに、おいしたゝみて、よゝむとも、われはいとはじ、こひはますとも
老舌出而 したゝみと云は、どもるやうにて、舌のまはらぬ事なり。出のては濁音故、だみと讀みてくるしかるまじ。古今六帖には、老い朽ちひそみとかきたり。老いては齒おちて口をつぼむから、舌出るものとの故、義にてかく讀ませたるか。舌出をくちひそみとは心得がたし。したゝむといふ詞は、古くいひ來れば義もかなふゆゑ、したゞみとはよむ也。おいした出でとといふ點あれど歌詞共不v聞也
與余牟友 よどむともといふ義也。諾抄の説も同じ。どとよはおなじ詞なれば、さもあらんか。よどむは、どもる樣の義にて、(549)老いては齒おちぬれば舌まはりかねて吃る樣になりて、云ふことも速かならず。よどむなればかくいへるか。尤よゝとなくなどいふて、聲のことにも云へるなり
此歌は、前の神左夫の歌に和へたる歌也。とし老て物いひよどむやうになりぬとも、われは厭はず。何ほどおもひはます事ありとも、心をたがへずあはんとの和也
右三首とも分明には聞得がたき歌也。追而考吟を可v加歌也
在久邇京思留寧樂宅坂上大孃大伴宿禰家持作歌一首
くにのみやこにありて、ならのいへにとまれる坂上おほをとめをおもひて、おほとものやかもちつくりうたひとくさ
久邇 山城〔國相樂郡也。續日本紀卷第十五聖武紀天平十五年十一月十二月の條に恭仁《クニ》宮と見ゆ〕
765 一隔山重成物乎月夜好見門爾出立妹可將待
ひとへやま、かさなるものを、つきよゝみ、かどにいでたち、いもかまつらん
一隔山 山城と大和の境にある山ならん。地跡未v考。歌の意、一重の山といへども、幾重かさなればたやすくこえ行がたきに、月のよき折は月に乘じてわれも行かんと、妹の待ちもやすらんとおもひやりて詠める也。妹可のかは清く讀むべき也
藤原郎女聞之即和歌一首
傳未v考
766 路遠不來常波知有物可良爾然曾將待君之目乎保利
みちとほみ、こじとはしれる、ものからに、しかぞまつらん、きみがめをほり
此歌は、家持の歌を外より聞きて中にたちてたがひの心を祭して詠める也。しかぞはさぞ也。ならの郎女のさぞ待つらんと(550)也。君がめをほりは、家持のめを見まほしく待つらんと也。日本紀齊明紀天智天皇未だ皇子にてましましたる時の御歌の詞、こほしきからに君がめをほりと詠ませ給へる、同じ詞なり
歌の意は、みち遠く隔たれば來給はじとは知りながら、君にあひ見まほしく、さぞ待ちぬらんと、外よりおもひやりて詠める也
大伴宿禰家持更贈大孃歌二首
767 都路乎遠哉妹之比來者得飼飯而雖宿夢爾不所見來
みやこぢを、とほくやいもが、このごろは、うけひてぬれど、ゆめにみえこぬ
都路乎 ならよりくにのみやこへの道を遠しとや思ひて也
得飼飯而 せめて夢になりともあひ見たきと、心にうけひ祈りてぬれども、夢だに見えぬとなり。うけひは祈りて也。日本紀にも神后紀にあり。古事記にも祈狩をうけひかりと讀ませたり。これもものゝうらにするかりにて願ふ方にかゝる也。ちかふちかひ誓約の事にもうけひといふ事あれど、こゝは願ふ方の義なり。神武紀に、自祈而寢、夢有2天神1云々とあり
768 今所知久邇乃京爾妹二不相久成行而早見奈
今所知、くにのみやこに、いもにあはで、ひさしくなりぬ、ゆきてはやみな
今所知 此五文字心得がたし。今ぞ知ると詠める意は、何をもていまぞしると云理り歌に不v見。前の歌をうけて道遠き故、夢だに妹が見えこぬから、心付てまことに久しく不v相事を、思ひ出して今ぞ知と詠めるか。今しれると讀むべきか決しがたし。今しれるくにのみやこに、居所をしめてゐることを知れると詠める事か。今ぞ知るとよみ出たる義いかにも濟み難し
早見奈 はやく見なんとねがふたる詞也。第一卷に今はこぎいでなとあるも同じ
歌の心よく聞えたり
大伴宿禰家持報贈紀女郎歌一首
(551)769 久竪之雨之落日乎直獨山邊爾居者欝有來
ひさかたの、あめのふるひを、たゞひとり、やまべにをれば、いぶせかりけり
能聞えたる歌なり。いぶせきはものうき事也
大伴宿禰家持從久邇京贈坂上大孃歌五首
770 人眼多見不相耳曾情左倍妹乎忘而吾念莫國
ひとめおほみ、あはざるのみぞ、情左倍、妹乎忘而、吾おもはなくに
此歌の意は、人め多きゆゑに、行きても得あはぬのみぞ、情にあきてあはぬにては無きぞといふ義を、情さへと詠めると聞ゆるなり。此情さへは、上へ上りたるさへと聞ゆる也。倍も波も同音故、情はまことゝ讀みて、まことさわと讀まんかとの師説なり。然れども倍の字波の字のあやまりとも見らるれば、倍の字にて歌の意可v被v解ば、その通に見たきものなり。もし誤字と見れば、左は尼の誤り、倍は信の字のあやまりと見ば、こゝろにしとも見れば、歌の意やすく聞ゆる也
771 僞毛似付而曾爲流打布裳眞吾妹兒吾爾戀目八
いつはりも、につきでぞする、うつしくも、まことわぎもこ、われにこひめやも
似付而曾爲流 まことらしく、につこらしくといふ義也
打布裳 顯しく也。げに/\敷の意、現の意也。うつ敷は現敷也。まことらしく也。まことにわれを戀ふにはあるまじと也
772 夢爾谷將所見常吾者保杼毛友不相志思諾不所見武
ゆめにだに、みえんとわれは、ほどけども、あはじとしおもへば、うべみえざらん
保杼毛友 古今難義の詞也。諸抄にも正義不v見。宗師案、紐とけ共也。ひもを約してほ也。これは夜の衣をかへしてきるなど云まじなひごとありて、昔は思ふ人に見えられんとには、こなたのきぬの下紐などときてぬれば、先の夢に見えらるゝ事あ(552)りと聞えたり。それをしてぬれども、そなたにあはじとおもふ心から、夢にも見えざらんとの義と聞ゆる也
773 事不問木尚味狹藍諸茅等之練乃村戸二所詐來
ことゝはぬ、こがみうまさけ《マヽ》み、むろほぎとの、のりのむらこに、あざむかれけり
宗師案云
木尚 木神といふ義なるべし。尚の字すらと讀むこと集中にもあまたあれど、其義未v辨。こがみといふは、ことゝは云ぬと義は神代の古事にて、木の本を云ひたるものなれば、木尚と書てこがみと讀まんか。ことゝはぬはこかみの冠詞也。そのこかみは濃釀の意也
味狹藍 藍は監の字なるべし。然らばうまざかみと讀むべし
諸茅 茅ははぎと讀む字也。此集中にもあまたあり。しかればほぎ也。しかればほぎごとは祝ごとを云義也。諸の祝言也。室祝の意也。さかもりをしていはひごとをいふ如きの義也
等之 ひとの義也。諸祝言の人かといふ意也
練之 ねりは、ねぎはのみといふ詞も同じ
村戸 群詞也。大勢相あつまりて、さかもりなどして、祝言をいひし如きのたはぶれごとに、うか/\とだまされたると云義也
歌の意は、室祝言のごとき、酒もりの上のたはぶれごとにいひそやされて、實にもあらぬ事にあざむかれしと也
774 百千遍戀跡言友諸茅等之練乃言羽志吾波不信
もゝちたび、こふといふとも、むろほぎらの、のりのことばし、われはたのまじ
歌の意、上の歌にてこれまであざむかれぬることをいひたれば、この後は百千度われをこふといひても、もろほぎごとの祝言をいふやうなることはたのまじと也。大孃のこふといふともまことゝはせじと也
(553)右二首共未2決着1。尤聞き得がたし。期2後賢之案1耳
大伴宿禰家持贈紀女郎歌一首
775 鶉鳴故郷從念友何如裳妹爾相緑毛無寸
うづらなく、ふりにしさとゆ、おもへども、なにそもいもに、あふよしもなき
鶉鳴故郷 ふるさとは荒れはつるものなれば、鶉のすみかとなる如く物ふりたることにいへり。ふるくあれたるところは、草生しげりて鶉のねどこをしむれば、ふりにしさとゝいはん爲に、鶉なくといひ出したり。意は昔よりおもふとの義也。年久しくおもひしたへども、今にあふよしの無きと恨みたる歌也。これより後の歌共に、この歌より故郷のあれゆくことに、鶉を詠み合せたり
紀女郎報贈家持歌一首
776 事出之者誰言爾有鹿小山田之苗代水乃中與杼爾四手
ことでしは、たがことにかも、小山田の、なはしろみづの、なかよどにして
事出之者 詞にいひ出しはたがことにかも。初め云ひ出でしとは違ひて、中絶えたると聞えたる言にあらはし云ひたるはといふ義也
小山田 苗代水といはんため迄の事也
中與杼爾四手 苗代水は流れぬもの、田にたまりてよどみてあるものなれば、はじめは水口に流れ入事のすみやかなれど、たまりては田に淀みてあるに、中たるみのしたる語らひの、隔たりたることを比して、恨みたる歌なり
大伴宿禰家持更贈紀女郎歌五首
777 吾妹子之屋戸乃笆乎見爾往者盖從門將返却可聞
(554)わぎもこの、やどのまがきを、みにゆかば、けだしかどより、かへすらんかも
歌の意、まがきに事よせて、妹にあひに行くに、内へも不v入して、かどよりかへすらんと、詰りて詠みかけたる也。笆とよみ出せるに別の意は聞えざる也
778 打妙爾前垣乃酢竪欲見將行常云哉君乎見爾許曾
うつたへに、まがきのすがた、見まくほり、行かんといへや、君をみにこそ
打妙爾 うつは現在の義、常といふ心也。打妙といふことは、常にとこしなへにといふ義也。なぞらへて此歌の意にていはゞ、あながち一むきに、籬の姿を見たきといふやとの義也
前垣 和名抄云、籬【青籬字亦作※[木+籬]和名末加岐一云末世言疎離説文云拵以柴※[雍/土]v之】
云哉 いへやはいはめ也。此語を不v知は集中迷へる如し。はめの約はへ也。いへやと云ては、今時の人は先の人に下知したる詞と聞くこと大成違なり。我いはめやと云事なり。歌の意はあながちひたすらに、籬のすがたを見たきといはめや。君をこそ見まくほりすれと云意也
779 板盖之黒木乃屋根者山近之明日取而持將參來
いたぶきの、くろきの屋根は、やまちかし、あしたもとりて、もてまゐりこん
板盖之 いたぶき、上古は木のかはをも不v削、そのまゝにて屋ねをも葺きしと聞えたり。黒木とはかはつきそのまゝの木を云なり。板盖の事、續日本紀神龜元年霜月〔條、板屋の字見ゆ。〕紀女郎此折ふし家作りをかしたらん。よりてかく詠めるなるべし。畢竟深切をつくしたる義をあらはせる也。笆の歌あるより、そのたぐひの事なれば、此二首も被2撰入1たる也
歌の意は不v及v釋也。山近ければやね葺き給はゞあすもふき板をとりてまいらせん。屋根を葺く折ふしにも、心をつくせるといふ意をのべたる也
780 黒木取草毛刈乍仕目利勤知氣登將譽十方不在【一云仕登母】
(555)くろきとり、かやもかりつゝ、つかへめど、いめしりにきと、ほめんともなし
不在は なしと義訓すべし
歌の意は、女郎の家作りの折からやね木をもとり、かやなどをも刈りて心をつくして仕ふをも、いめばかりも知りたりと祝着したる詞にもあはぬと恨みたるなり。畢竟われのみ心をつくせども、そこにはさのみは思ひもせで、わが志をもかつて知らぬと恨みて詠める歌と聞ゆる也
781 野千玉能昨夜者令還今夜左倍吾乎還莫路之長手呼
ぬばたまの、【きそよはかへす・よべはかへせる】こよひさへ、われをかへすな、みちのながてを
長手の手は助語なり。行手など云も同じ
歌の意きのふの夜も行きたれど、かへる今夜も又われをかへすな。程遠き道を思ひ立ちて來りたる程にと、下知したる也
紀女郎※[果/衣]物贈友歌一首【女郎名曰小鹿】
782 風高邊者雖吹爲妹袖左倍所沾而刈流玉藻烏
かぜたかく、へにはふけども、いもがため、袖さへねれて、かれるたまもぞ
烏 からすといふ字なれば、からすは、をそ鳥といふ故、そといふ一語をとりてそとは讀む也。袖さへぬれて、そなたの爲に、刈取れる玉もぞといへる義也。よく聞えたる歌なり
大伴宿禰家待贈娘子歌三首
娘子 いづれのいらつこといへること知りがたし
783 前年之先年從至今年戀跡奈何毛妹爾相難
をとゝしの、さきつとしより、ことしまで、こふれどなぞも、いもにあひがたき
(556)歌の意よく聞えたり。不v及2細注1。をとゝしはこぞの前の年を云也
784 打乍二波更毛不得言夢谷妹之手本乎纏宿常思見者
うつゝには、さらにもいはじ、ゆめにだに、いもがたもとを、まきぬとしみば
打乍二波 現在には也
更毛 あらためてうつゝにあひ見たきとは云ひても、中々なり難ければいはじと也。せめて夢になりとも妹がたもとをまきて寢ると見れば、思ひをはるけんにと也
785 吾屋戸之草上白久置露乃壽母不有惜妹爾不相有者
わかやどの、くさのへしろく、おくつゆの、いのちもをしからず、いもにあはざれば
惜を情に作れるは誤り也。歌の意はこひわびてもいもにあふ事ならねば、よしや命もをしからぬと歎きたる也。不v及2注釋1歌也
大伴宿禰家持報贈藤原朝臣久須麻呂歌三吉
久須麻呂 惠美押勝の二男也。續日本紀卷第廿一孝謙紀、寶字二年八月〔藤原朝臣久須麻呂叙位。〕同八年八月乙巳、〔太師藤原惠美朝臣押勝逆謀頗泄。高野天皇遣2少約言山村王1收2中宮院鈴印1。押勝聞v之、〕令d2其男訓儒麻呂等1〔※[しんにょう+激の旁]而奪v之。天皇遣2授刀小尉坂上苅田麻呂、將曹牡鹿嶋足等1射而殺v之云々。〕久須麻呂少年の時、家持男色にめでゝ詠みかはせる歌とも聞ゆる也
786 春之雨者彌布落爾梅花未咲久伊等若美可聞
はるのあめは、いやしきふるに、うめのはな、いまださかなく、いとわかきかも
歌の意、表はたゞ梅の花の春雨にぬれてもまだ咲かなくて、待遠なる心をのべたる迄也。然れどもこれは下心には久須麻呂をおもひかけしかども、いとけなくてなさけある別ちも知りたまはぬを恨みて、思ひのしげきをもの寂しき春雨によそへ、なさけあらんわきも見えぬいはけ無きさまを、まだ咲きあへぬ梅にたとへて詠める歌と聞ゆる也
(557)彌布は をやむまも無くしげくすきま無くふるといふ義也
787 如夢祈念鴨愛八師君之使乃麻禰久通者
ゆめのごと、おもほゆるかも、はしきやし、きみがつかひの、まねくかよへば
如夢 うつゝとは更に思はれず。うれしきの意也。久須まろのかたによび使の度々來りし時、詠みておくれる歌なるべし
麻禰久 まなく也。無間也。音通ずれば也
788 浦若見花咲難寸梅乎殖而人之事重三念曾吾爲類
うらわかみ、はなさきがたき、うめをうゑて、ひとのことしげみ、おもひぞわがする
浦若見 うらは初語、又嘆の詞に用ゐると知るべし。歎きたる詞と見るなり。上末といふ説もあり。末わかみといふ説あれどうら悲し、うらさびし、の詞不v濟也。よりて初語嘆息の詞とは見るべし
此歌の意も、久須まろに思ひをかけて、まだ花さき難きとは、いはけなき心を思ひ佗びて讀ると見ゆる也。人の事しげきは、表は梅は咲きぬや、まだしきやと問はる事をいひて、下の心は久須麻呂の方へ往來の事を人に云騷がるゝ事によせたるか。若し又前の歌に使のま無く通へばとあれば、くすまろの方より梅は未v咲やと問ひこしたるにつきて、かくよめるかとも聞ゆる也
又家持贈藤原朝臣久須麿歌二首
789 情八十一所念可聞春霞輕引時二事之通者
こゝろくゝ、おもほゆるかも、はるがすみ、たなびくときに、ことのかよへば
情八十一 心にくゝなり。いぶかしくおもふ意也。春霞のたな引打くもりたる折から、久す丸のかたへことの通じたれは、行末何とかあらんと、おもふ心と聞ゆる也
事之通者 おもひの程をかよはし、達しられたる時なるべし。前の歌に、夢の如くとある折の歌と聞ゆる也
(558)790 春風之聲爾四出名者有去而不有今友君之隨意
はるかぜの、おとにしいでなば、ありゆきて、いまならずとも、きみがまに/\
春風之聲爾四出名者 おとにしといはん料に、春風とは出せり。聲爾四は、來れど呼ひ迎へん音信あらばといふ意なるべし
有去 古本印本諸抄の點ありゆきてとあり。このありゆきてはいかゞといふ釋なし。あり/\てまちえて後にもと云意か。また吾徃てといふ義ならんか。歌の意はいつに限らず、呼び給はゞ何時もまかんでて、ま見えたきと也。呼び給はんことは君が心のまゝに、いつにてもそなたのまゝにと云意也
藤原朝臣久須麻呂來報歌二首
791 奧山之磐影爾生流菅根乃懃吾毛不相念有哉
おくやまの、いはかげにおふる、すがのねの、ねもごろわれも、おもはざらめや
此歌の意は、家持の春風の聲にの歌によりて、出來り給ひてこたへたる歌也。かくねんごろにおぼし給ふを、われとてもなどかおろそかに思はざらんやと也
792 春雨乎待常二師有四吾屋戸之若木之梅毛未含有
はるさめを、まつとにしあらじ、わがやどの、わかきのうめも、いまだつぼめり
有四 この四の字清みてよむべし。濁りては歌の意聞えず。此歌は、うらわかみ花咲き難きの歌に和へたる歌と聞ゆる也。うら若き梅のまだ咲かぬは、春雨を待つにてあるらし。わが宿の梅も未だつぼめりと、挨拶したる歌なり。下心は、家持のおもひの深切なる實を見とゞけてこそ、われも心の花をも咲かさめといふ意と聞えたり。春雨を待つとにしと詠めるは心をふくみたる意に聞ゆる也。我宿の若木の梅もといへるにて、家持のうら若みの歌にこたへたる歌と聞ゆる也
萬葉童蒙抄 卷第十一終
(559)第四卷萬葉難解記
669 足引之山橘乃色丹出而語言繼相〔四字傍點〕而事毛將有
677 春日山朝居雲乃欝〔傍點〕不知人爾毛戀物香聞
かすかやま、あさゐるくもの、おほつかな、しらぬ人にも、こふるものかも
欝の字、おぼつかなくとか、いぶかしくとか、いぶせくとか讀む。こゝはいぶかしくとも、おほへるなどとも讀むべし。雲のおほゝといふかと也
678 直相而見而者耳社靈剋命向〔傍點〕吾戀止眼
たゞにあひて、みてはのみこそ、たまきばる、いのちにもかふ、吾こひやまめ
向の後案、命にもかへるといふ義を、もかふとは詠む也。むともと、同音故むかふはもかふ也。かふはかへるといふ義也。へるを約すればふ也
679 不欲常云者將強哉吾背菅根念亂〔二字傍點〕而戀管母將有
いなといはゞ、しひんやわがせ、菅の根の、こゝろみだれて、こひつゝもあらん
念の字は意といふ字のあやまりならん。菅根おもひとはつゞかぬこと也。根もごろなどいふてこるとならではいはぬ事を、おもひとは心得がたし。心といふ字のあやまりか、意の字のあやまりかと見る也
732 今時者《一本有》四名之惜雲吾者無妹丹因者千遍立十方
(560)【いましはし・いまはし・いまはあれし・いまはよ】なのをしけくも、あれはなし、いもによりては、ちへにたつとも
741 夢之相者苦有家里覺而掻探友手二毛不所觸者
上略 くるしかりけり、おどろきて、かきさぐれども、てにもふれねば
744 暮去者屋戸開設而吾將待夢相見〔三字傍點〕二將來云比登乎
ゆふされば、やどあけまけて、われまたん、夢相見二、こんといふひとを
745 朝夕二將見時左倍也吾妹|之〔傍點〕雖見如不見由戀四家武〔四字傍點〕
あさゆふに、見んときさへや、吾妹之、見れど見ぬごと、なほこひしけん
此けんといふ詞は、せといふ詞をのべたる義也。せをのべてはしけ也。この歌も、なほこひせんといふ義を、こひしけんとのべたる也。通例戀しからんといふ義を、けんとゝめたるといへどもさにあらざる也
754 夜之穗杼呂吾出而來者吾妹子之念有四九四〔五字傍點〕面影二三湯
758 白雲之多奈引山之高々〔二字傍點〕二吾念乎將見因毛我母
762 神左夫跡不欲〔二字傍點〕者不有八毛多八〔四字傍點〕如是爲而後二左夫之家牟可聞
763 玉緒乎沫緒二|槎〔傍點〕而結有〔二字傍點〕者在手〔二字傍點〕後二毛不相在目八方
(561)768 今所知〔三字傍點〕久邇乃京爾妹二不相久成行而早見奈
770 人眼多見不相耳曾情左倍〔三字傍點〕妹乎忘而吾念莫國
772 夢爾谷將所見者〔四字傍點〕吾者保杼毛友不相志思〔八字傍點〕諾不所見
773 事不問木尚味狭藍諸茅〔六字傍點〕等之|練〔傍點〕乃村戸〔二字傍點〕二所詐來
774 百千遍戀跡云友諸茅等〔三字傍點〕之練〔傍點〕乃言羽志吾波不信
776 事出之者〔四字傍點〕誰言爾有鹿小山田之苗代水乃中與杼爾四手
萬葉童蒙抄 本集卷第四終
〔2009年12月18日(金)午後7時、入力終了〕
(4)萬葉童蒙抄 卷第十二
〔底本、官幣大社稲荷神社編集兼発行、吉川弘文館、荷田全集第三巻、1929年6月25日発行〕
〔目録省略〕
雜歌
第三の標題に同じ。四季相聞等の類にあらざる、くさ/”\の歌をあげられし也
太宰帥大伴卿報凶問歌一首
禍故重疊凶問累集永懷崩心之悲獨流斷腸之泣但依兩君大助傾命纔繼耳
大伴卿 旅人也
報凶間 旅人の妻の身まかりたる弔をえて、そのこたへ歌也。契沖抄に能被v勘たり。仍而略す。一首とある下並に序とあるべきを脱したる歟
禍故重疊凶問累集云々 諸抄に詳也。二字共わざはひの事の重りたると云義也
兩君 誰人とも不v知。稻公胡麻呂をさせる歟。しかれども弟※[女+男]に報辭不相應なれば、此兩人いづれとも知れ難し
793 余能奈可波牟奈之伎母之等志流等伎子伊與余麻須萬須加奈之可利家利
よのなかは、むなしきものと、しるときし、いよ/\ます/\、かなしかりけり
歌の意何のふかき事もなき能くきこえたる歌也。むなしきものと思ひさとりてなほ悲しきと也。悲しみにあへる時にぞ、いよ/\むなしき事を身にしみて知りつれば悲しきと也
神龜五年六月二十三日
これは凶問の報を都へ被v贈しときの日なるべし。大伴郎女の逝去は、神亀五年の夏の始の頃なるべし。その故は第八卷に式部大輔石上堅魚を勅使として喪を弔はせ給ひし時、紀夷城に上りて望遊のときの、贈答の歌を見て知るべし。しかればこの歌(5)は、勅使歸洛の後何ぞ兩卿へ被v贈たると見えたり
盖聞四生起滅方夢皆空三界漂流喩環不息所以維摩大士在乎方丈有懐染疾之患釋迦能仁坐於雙林無免泥※[さんずい+亘]之苦故知二聖至極不能拂力負之尋至三千世界誰能逃黒闇之捜來二鼠競爭而度目之鳥且飛四蛇爭侵而過隙之駒夕走嗟乎痛哉紅顏共三從長逝素質與四徳永滅何圖偕老違於要期獨飛生於半路蘭室屏風徒張斷腸之哀彌痛枕頭明鏡空懸染※[竹/均]之涙逾落泉門一掩無由再見嗚呼哀哉
この序の前に、年月作者を可v被v記事なるに普通には不v見。拾穗抄には記したり。しかれども彼本は全躰明壽院の新加の筆作あれば、證本とはし難し。目録にも序文詞あることを記さゞれば有無難v決。先此序詩歌ともに、終に山上憶良上とあれば憶良の作文とは見るべし。序文詩句の註は、契沖抄、拾穗抄にゆづりて略v之。清書の時尚可v加2考檢1也
愛河波浪已先滅苦海煩悩亦無結從來厭離此穢土本願託生彼淨刹
此詩の意、皆佛意をもて述作たれば強て不v及2解釋1。釋大坂契沖抄に詳也。しかし此詩の趣、歌の句中を勘合するに、憶良の妻憶良をしたひて、筑紫に來らんとて海路にて身まかりたると聞ゆる也。なほ歌の句中に見えたり
日本挽歌一首
前に詩を擧たる故如v是やまと挽歌とは題せり
挽歌はひつぎをひく歌とよめり。前に注せり。すべて身まかりたる人を嘆き悲しむ歌也
794 大王能等保乃朝廷等斯良農比筑紫國爾泣子那須斯多比枳摩斯提伊企陀爾母伊摩陀夜周米受年月母伊摩他阿良禰婆許々呂由母於母波奴阿比陀爾宇知那比枳許夜斯努禮伊波牟須弊世武須弊斯良爾石木乎母刀比佐氣斯良受伊弊那良婆迦多知波阿良牟乎宇良賣斯企伊毛乃美許等能阿禮乎婆母伊可爾世與等可爾保鳥能布多利那良※[田+比]爲加多良比斯許々呂曾牟企弖伊弊社可利伊摩須
(6)おほきみの、とほのみかどと、しらぬひの、つくしのくにゝ、なくこなす、したひきまして、いきだにも、いまだやすめず、としつきも、いまだあらねば、こゝろゆも、おもはぬあひだに、うちなびきこやしぬれ、いはむすべ、せむすべしらに、いはきをも、とひさけしらず、いへならば、かたちはあらむを、うらめしき、いものみことの、あれをはも、いかにせよとか、にほどりの、ふたりならびゐかたらひし、こゝろそむきて、いへさかりいます
大王能等保乃朝庭 大きみは天子をさしての義、とほのみかどは遠き朝庭の義也。つくしは上古の帝都也。これによりて遠きみかどと云意にてかくよめるか。又官廳をみかどといひて、遠國のみかどといへる義とも見ゆる也。庭の字は廷のあやまりならん。庭、廷音同じき故通じて用ひたるか
斯良農比筑紫國爾 不知火のつくし也。第三卷にくはしく注せり
泣子那須 したひといはん序也。なく子の如くといふ義也
斯多比枳麻斯提 憶良を妻のしたひ來れるといふ義か。また憶良の筑紫へ任にて下りしことをかくよめるか。兩方へかけて聞ゆる也。しかしきましとあれば妻の事なるべし
伊企陀爾母伊摩陀夜周米受 これは妻の來りていきだにもやすめず、年月も經ず、空しくなりたることをいはんとての序也
許々呂由母 或抄には心強くもと注せり。他國に來りて心細く、たより無く思ふうちにと云義歟。たゞ心よくも思はぬ間にといへる義歟。いづれにもあれ。憶良の心のわづらはしき由をいへる也
宇知那比枳 つかれたる體を云たるもの也。尤下のこやしぬれといふ序也
許夜斯奴禮 かほやせねると云義也。ぬるはねる也。諸抄の説こやしと云ふ事は、ふしたることゝ云へり。日本紀推古紀の聖徳太子の御歌を引て、其已來皆こやしと云ふは、ふしねたる事を云ふとの義也。ぬれはねるなれど、こやしとはねる事にはあらず。大なる心得違也。こやしは、顔やせ也。飢人なれば顔痩せねたる也。顔を約すれば、こ也。しかれば此句は憶良の妻(7)の疲れやせて、ふしたると云ふ義也。死したる事をかくよみなせる也。師案もし、こやしの上に、ふしの二字脱したらんと也。此句つまりて聞ゆる也
石木乎母刀比佐氣斯良受 せんかたもなく岩木を問さけんすべも知らずと也。遠國なれば、いづくへたづね問ひ行くべきかたも知らず也。此句によりて見れば、海路にて身まかりたると聞ゆる也。其故いづかたへ草木をわけて、問ひゆくべき樣も無きとの意也。或抄の説は、乎母をにもと云意にて、おもひを避ける事に釋せり。心得難し
迦多知波阿良牟乎 これ海路にて死たる故、その有樣、樣子も知れぬ事状の無きと云ふ義と見ゆる也。海中などにて溺れて死したるか。前のこやしぬれとよめるは、死したる時の事を云へる也。病氣などにて死したる樣子にも、歌のうちに聞えねば、船中などにて死したるならん
爾保鳥能布多刊那良※[田+比]爲加多良比斯 雌雄水上に、柏双居鳥を、夫婦むつまじく語らひし如きのことにたとへたり。にほどりは、今俗に云ふかいつぶりといふもの也。和名抄卷第八鳥部云、郭璞方言註云、※[辟+鳥]※[遞の中+鳥]、野鳧、小而好没2水中1也〔野王按※[辟+鳥]※[遞の中+鳥]其膏可3以瑩2刀劔1者也〕和名邇保
許々呂曾牟企※[氏/一] ちぎりかはし、本意もなく身まかりて永く離れ別れしと也
伊弊社可利伊麻須 死行きし事を云へり。さかりは、遠ざかり此世をへだていますと云ふ義也
反歌
795 伊蔽爾由伎弖伊可爾可阿我世武摩久良豆久都摩夜佐夫斯久於母保由倍斯母
いへにゆきて、いかにかあがせん、まくらづく、つまやさぶしく、おもほゆべしも
摩久良豆久都摩夜 まくらづくは妻やといふ冠辭也。妻は夫に枕をつきてねるもの故、まくらづくつまやとは詠めり。つくは、まくらを並ぶるの意、續くるの意也。歌の意は、都へ歸りて家に行きたらばいかにかもせん、ひとりのみ空しくなりし妻を戀ひ佗びて、淋しからんと今よりおもひやりて嘆きたる歌也
(8)796 伴之伎與之加久之未可良爾之多比己之伊毛我己許呂乃須別毛須別那左
はしきよし、かくのみからに、したひこし、いもがこゝろの、すべもすべなさ
伴之伎與之 いもにかゝりたる詞、妹をほめたる意也。集中皆如v此詞、ほめたる事に云へると聞ゆれ共、ところによりては憐れみ歎きたる事にも云へるか。此歌にても、俗に云はゞふぴんなるかな、あはれ悲しきなど云ふ意にも通ふ也。いもがかく慕ひ來りてはかなくなりしは、さてもふびんなる事やと云ふ、歎慨してはしきよしと詠み出したると聞ゆる也
加久之未可良爾 如v是なるべき故に、われを慕ひ來し心せん方もなき悲しさといふ歌也。長歌の意をもうけて、ふたり並び居と詠める意をもとりて、かくの事のみありしから、慕ひ來しとよめるとも聞ゆる也。或説には、むなしくならん故に、慕ひ來し心のせんかたもなき事と悲める歌と釋せり
須別毛須別那左 重詞によみて、悲しき心のせつなるを云へり。何ともすべきやう無きと云ふ義也
797 久夜斯可母可久斯良摩世婆阿乎爾與斯久奴知許等其等美世摩斯母乃乎
くやしかも、かくしらませば、あをによし、くぬちことごと、見せましものを
久夜斯可母 くやしきかな也。もは皆歎の詞、歎息の詞也
阿乎爾與斯久奴 このあをによしくぬとうけたる事、前にも注せるかと覺ゆ。くぬ木はならの木と一種なればかくはよめる也。青瓊吉也。どう栗の木といふこの木也。あをによしとは前にも注せる如く種々説々あれども、たゞ青き玉のよき木とほめたる義也。ならの木と云は、このくぬぎの事也。古今に所謂岡玉の木のこと也。こゝのくぬとよめるは國内也。にうの約ぬ也。然れどもくぬ木と云木の名あるにより、あをによしとはおける也。くぬちこと/\、國のうちこと/”\く見せまし物をと也。大和にありし時、相ともなひて名所古跡をも悉くに見せましと、過にしかたの事迄おもひ出て、慕ひ歎ける實情の歌也
798 伊毛何美斯阿布知乃波那知利奴陪斯和何那久那美多伊摩陀飛那久爾
いもがみし、あふちのはなは、ちりぬべし、わがなくなみだ、いまだひなくに
(9)阿布知乃波那 四月の頃むらさきのはな咲く也。俗にせんだんの木と云ふ。また樗の字をあふちとよます、心得がたき事也。
倭名抄卷第廿木部云、楝、玉篇云、楝、其子如2榴類1、白辭黏可2以浣1v衣者也、音練、本草云、阿布智。同云、陸詞切、韻云、樗、勅居反、和名本草云、沼天、惡木也、辨色立成云、白膠木和名同上。歌の意は、あふちの花の咲きし頃は、まだ妻ありて其花をも見つらんに、其花はもはや散りはてつべし。わがいもを慕ひて、泣く涙はなか/\未だひる時も無きと也。この歌をよめるは六七月の頃なるべし。妻の死たるは四五月の事と聞ゆる也
799 大野山紀利多知和多流和何那宜久於伎蘇乃可是爾紀利多知和多流
おほのやま、きりたちわたる、わがなげく、おきそのかぜに、きりたちわたる
大野山 筑前國御笠郡にあり。又怡土郡にもあり。これは御笠の大野也
於伎蘇乃 おきは息也。いきともおきともいふ。わがなげくおきそとはいきそ也。おきと云はんとて、わが歎くとは云へり。意は海の奧礒の風にて、大野山まで霧のぼりて欝蒙と晴やらぬ體を云へり。我歎の息の風にて霧を吹き立て大野の山迄も及ぼすと云ふ義にて、歎の大なる事を云ひたるもの也。息を霧によみよせる歌、集中にも數多あり。日本紀神代卷にも見えたり。
吹棄氣※[口+賣]之狹霧とあり。物をおもひ歎く時は、ためいきをつくといふ事ありて、ながき息をつくもの也。此歌も其息霧となりて、大野山迄もたちわたると歎たる歌也
神龜五年七月廿一日筑前國守山上憶良上
これは都の人へ送りたるか、また國府にて大伴卿などに見せらるゝとき如v此書たるか
令反惑情歌一首并序
まどへるこゝろをかへさしむるうた
これは序文にある如きの人へ、をしへしめしたる歌也
或有人知敬父母忘於侍餘不顧妻子輕於脱履自稱畏俗先生意氣雖揚青雲之上身體猶在塵俗之中(10)未驗修行得道之聖蓋是亡命山澤之民所以指示三綱更開五教遺之以歌令反其惑歌曰
注解追而可v加v之也。諸抄に見えたれば不v及2細注1
800 父母乎美禮婆多布斗斯妻子美禮婆米具斯宇都久志余能奈迦波加久叙許等和理母智騰利乃可可良波志母與由久弊斯良禰婆宇既具都遠奴伎都流其等久布美奴伎提由久智布比等波伊波紀欲利奈利提志比等迦奈何名能良佐禰阿米弊由迦婆奈何麻爾麻爾都智奈良婆大王伊麻周許能提羅周日月能斯多波阿麻久毛能牟迦夫周伎波美多爾具久能佐和多流伎波美企許斯遠周久爾能麻保良叙可爾迦久爾保志伎麻爾麻爾斯可爾波阿羅慈迦
ちゝはゝを、みればたふとし、めこみれば、めぐしうつくし、よのなかは、かくぞことわり、もちどりの、かゝらはしもよ、ゆくへしらねば、うきぐつを、ぬぎつるごとく、ふみねぎて、ゆくちふひとは、いはきより、なりてしひとか、ながなのらさね、あめへゆかば、ながまにまに、つちならば、おほきみいます、このてらす、ひつぎのしたは、あまぐもの、むかふすきはみ、たにくゞの、さわたるきはみ、きこしをす、くにのまほらぞ、かにかくに、ほしきまに/\、しかにはあらじか
米具斯宇都久志 めぐしうつくしは、皆めであいする義也。神代紀にも、めぐしとおほすみこゝろをとありて、いたはりめぐむ義を云ふ也。此集中には、愍の字をも用ひたり。憐愍と云ふもおなじ意、あはれみめぐむと云ふ意也
加久叙許等和理 世の中は如v此する筈の理と也。父母を尊み仕へて孝行を盡し、妻子をあはれみ愛するこそ、今日人道の常當然の道理と也。序の不顧妻子と云ふに合へり
母智騰利乃 下のかゝらはしと云はん爲の序也。もちには鳥のかゝるものなれば、かゝらはしと云はん爲也。此集中に此詞猶これあり
(11)可々良波志母與 かくあらしもよと也。もはしめ也。常道の如くあらしめよと也。母の字、女の字、毎の字の誤りたるか。母にても女なれば誤字と見ずても苦しからず
由久蔽斯良禰婆 此句解しがたし。決めて此上に一句脱したると聞ゆる也。尤下の句へつゞけたる五文字とも聞ゆる也。行方知らずも、世をふりすてゝ出行人はとよめる句とも見るべし
宇既具都遠奴伎都流其等久布美奴伎提 序文に、脱履よりも輕くすと云へるにあたりて、うきたるくつをぬぎすつるよりも、身を捨つることを、かろく心安くする人はと也。うきぐつとは、紐をも結ばず。かりそめにはきたるくつをいふか。うきぐつ共の一品ありと聞えたり。今は珍らしき名目也。雨※[泥/土]の時用ふるくつか。うきとは濁水を云。今淺沓と云ふ類か
由久智布比等波 行といふ人は也。父母妻子をも振捨てゝ世をも家をも捨てゝ出行人はと也。とひのかへしなれば、といふと云詞を、ちふと約めて云ふ也。此詞轉じて、てふとも、とふとも云へり。本語はちふ也
奈何名能良佐禰 かく人道の常を忘れて、身を心の儘にふるまふ人は、いは木の中よりなり出たる人か。其名を名のれと也。人間の道を離れたる人なれは、其理の名を名のれとせめたる意也。漢の古事佛書抔引合せて云はゞ、幾許も相叶ふ事あらんずれど、長文無益の事なれば略v之
阿米蔽由迦婆奈何麻爾麻爾 あめへゆくならば汝が心の儘と也。神通をも得て此國を去り、空天へもあがらばながまゝと也。國土にあるからは人道の常を行へと示せる也。史記曰、黄帝釆2首山銅1鑄v鼎。〔鼎成有v龍。垂2胡髯1下迎v帝騎v龍上v天云々〕
都智奈良婆大王伊麻周 つちにあらば、おほきみいますからは、おのがまゝにはなるまじきとの始終の意也
許能提羅周日月能斯多波 此照す也。日月の光のいたる限りはと云ふ意也
阿麻久毛能牟迦夫周伎波美 諸説天雲の向伏きはみといへり。此釋かなへりとも聞えず。むかひふすと云ふ義、いかにともすみがたき也。延喜式八、祈年祭祝詞〔白雲能墜坐向伏限、しらくものおりゐむかふすかぎり〕第三卷にもありて注せり
多爾具久能 この詞も第三卷目に注せり。かへるの如く云ひ傳へたり、。然しかやぐきといふ鳥ありて、かやをくゞる鳥の小鳥なるものあり。これによりておもへば、谷くゞも、いづこの山の奧谷の底にも、くゞり通ふ鳥の事にもやあらん。かへるの(12)さわたるかぎりと云ふ事、地のはてを云ふ事にはすこしかなひがたき也。尤蛙はぐくと鳴くもの故、ぐゝとも云ふなれど、ぐくはくゞると云ふ事にて、此集中にも木の間たちくゞなどよめり。神代紀には、漏の字をくきと讀ませたり。もれくゞる事をくゞとは云ふ也。當集に、上には蝦蟆の字を書きて、此には假名書にくゞときたれば、かへるの事にてあるべき也。くものむかふすは、廣く大なる事をいひ、たにぐくのわたる限りとは、いたつて小のところ、せまき溝河までもと云ふ意にて云へる義と聞え侍る也
伎波美 いづれもかぎり極りたるはてと云ふ義也。雲のおほひなびくかぎり、としむしにもあれ行き通ふかぎりはと云義也。
企許斯遠周 きこしめす也。天子のしろしめすかぎりと云ふ義也
久爾能麻保良叙 國の眞洞也。諸説まはらと云へり。日本紀應神紀にも、まほとあれば又まほらまとよませたまへる日本紀の歌あれば、はらにてはなき事を知るべし。まほらのまは間の義也。神武紀に、親王の書せ給へる墺※[土+區]の字の意とおなじくて國のま中、も中と云ふ義也。天ぐものむかふすきはみ、たにぐくのさわたるきはみとあるは、皆はてかぎりの事、まほらとはありとある帝都、もなかの地、みな大王のみこゝろのまゝなれば、其地のかぎりに住居すべくば、人道をはなれてはなるまじきとの意也
可邇迦久爾保志伎麻爾麻爾 とにもかくにも、我ほしきまゝにはなるまじきとの示したる意と聞ゆる也。下の句にて此句をむすぴたる詞と見ゆる也。尤上に、まほらそかにかくに大王のほしきまゝになれば、國のうちにすむからは臣として我まゝにはなるまじきと云へる歟
斯可爾波阿羅慈迦 しかはさ也。左樣にはあらじかと也。異俗先生と云はるゝ如く人倫の道を離れて、我まゝに高まん高ぶりのふるまひは、此普天の下にすみゐるからは、さはあるまじきぞと諫めたる意也
歌の意句釋にて聞えたり。とかく人道を守り、我ほしきまゝに世の中の事業をも棄て、父母妻子をもわすれて、身を塵芥より輕くする事はあるまじき事と、諫めてまどへる心をかへさしむる歌也
反歌
(13)801 比佐迦多能阿麻遲波等保斯奈保奈保爾伊弊爾可弊利提奈利乎斯麻佐爾
ひさかたの、あまぢはとほし、なほ/\に、いへにかへりて、なりをしまさに
阿摩遲波等保斯 天路地。長歌にいへる天にゆかばと云ふ義を、ふたゝびかへして詠める也。地のかぎり國の内にありては心のまゝにはなるまじきほどに、あめへのぼり行んは汝かまゝなれども、天路は高※[しんにょう+貌]なれば、入えざるものなれば、たゞすなほに家にかへりて、人道のつとむべき常行をつとめよと也。高遠なる異行をやめて、人道の常をまもれとの教となるべき歌也
奈保奈保爾 すなはに正道の道をまもれとの義也。なほくすなほにと云ふ義に重ねて云へり
奈利乎斯摩佐爾 業の字をなりとよませ、わざともよむ也。人のなすわざの事也。なりわひと云ふも同じ。人道のつとむるわざをしまさねと也。爾と云ふも禰と云ふも同じ詞にて、身分にそなはりたるわざをつとめよと下知し、しめしたる歌也
此歌などをもて、今日我國の教をもしめすべき也。神道の教のはしともなるべきはかやうの歌也。畢竟人道の常を守れよと示せる歌也
思子等歌一首并序
こどもをおもふうたひとくさ
これも憶良の歌也
釋遡如來金口正説等思衆生如羅※[目+候]羅又説愛無過子至極大聖尚有愛子之心况乎世間蒼生誰不愛子乎
金口は佛の口を尊んで云へる也。注釋諸抄に見えたり
802 宇利婆米婆胡藤母意母保由久利波米婆摩斯提斯農波由伊豆久欲利枳多利新物能曾麻奈迦比爾母等奈可可利提夜周伊斯奈佐農
(14)うりはめば、こどもおもほゆ、くりはめば、ましてしのばゆ、いづくより、きたりしものぞ、まなかひに、もとなかゝりて、やすいしなさぬ
宇利婆米婆 この婆は下の婆に混じたる也。波の字也。くりはめばに用ひたるにて知るべし。上の婆は波をあやまれり。うりはむにつけ、くりはむ折に付いて、都の子等を思ひ出でしたはるゝと也。うりと云ひ、くりと云ふ義に別に意はなき事也
斯農波由 しのばる也。つくしにてよめる歌故、都に殘せる子どもをしたふ也
伊豆久欲利枳多利新物能曾 この意は、かくうつくしみ思ひ慕ふは、何處より來る子ぞと思ふ意か。また下のまなかひとは、眼邊にと云ふ意ならば、遠き都をいづくより來りて、かくまなこにさへぎるぞと云へる意と聞ゆる也
麻奈迦比爾 下のかゝりてといふ詞のうつりによみ出たる詞也。やすいしなさぬと、下に云ひたれば、眼邊にと云ふ義なるべし。かもこも同音也。比は邊と同じ。都ひなとよむ詞也。しかれば、何處より來りて眼のほとり去らずかゝりて、よしなくも夜をだにやすく寢させぬぞと也。もとなとは、よしなと云ふ議と先は釋しつ。いぶかしく、心もとなきと云ふ義にも聞ゆる也。歌の意句釋にて能く聞えたり
反歌
803 銀母金母玉母奈爾世武爾麻佐禮留多可良古爾斯迦米夜母
しろがねも、こがねもたまも、なにせんに、まされるたから、こにしかめやも
能く聞えたる歌にて、親の恩惠おろそかならぬ事を、子たるものはおもひかしこまり、つゝしみつかふまつりぬべき手本の歌也
哀世間難住歌并序
よのなかのすみがたきをかなしむうた
此標題の意は、世中に住うろことはたやすくとげがたきものにて、人一生のうちには樣々無量の哀樂ありて、やすらかには世(15)へることの難きと也。即ち歌の中に苦しくよみ出せり
易集難排八大辛苦難遂易盡百年賞樂古人所歎今亦及之所以因作一章之歌 以撥二毛之歎其歌曰
くるしみいたむ事はあつまりやすくして、はらひ捨つることはかたきものなりと也
804 世間能周弊奈伎物能波年月波奈何流流其等斯等利都都伎意比久留母能波毛毛久佐爾勢米余利伎多流遠等※[口+羊]良何遠等※[口+羊]佐備周等可羅多摩乎多母等爾麻可志【或有此句云之路多倍乃袖布利可佯之久禮奈爲乃阿可毛須蘇毘伎】余知古良等手多豆左波利提阿蘇比家武等伎能佐迦利乎等等尾迦禰周具斯野利都禮美奈乃和多迦具漏伎可美爾伊都乃麻可斯毛乃布利家武久禮奈爲能【一云爾能保奈酒】意母提乃字倍爾伊豆久由可斯和何伎多利斯【一云都禰奈利之惠麻比麻欲毘伎散久伴奈能宇都呂比爾家利余之奈可伴可久乃未奈良之】麻周羅遠乃古佐備周等都流岐多智許志爾刀利波枳佐都由美乎多爾伎利物知提阿迦胡麻爾志都久良宇知意伎波比能利提阿蘇比阿留伎斯余乃奈迦野都禰爾阿利家留遠等※[口+羊]良何佐那周伊多斗乎意斯比良伎伊多度利與利提摩多麻提乃多麻提佐斯加閉佐禰斯欲能伊久※[こざと+施の旁]母阿羅禰婆多都可豆惠許志爾多何禰提可久由既婆比等爾伊等波延可久由既婆比等爾邇久麻延意余斯遠波迦久能尾奈良志多摩枳波流伊能知遠志家騰世武周弊母奈斯
よのなかの、すべなきものは、としつきは、ながるゝごとし、とりつゞき、おひくるものは、もゝぐさに、せめよりきたる、をとめらが、をとめさびすと、からたまを、たもとにまかし、よちこらと、てたづさはりて、あそびけむ、ときのさかりを、とゞみかね、すぐしやりつれ、みなのわた、かぐろ(16)きかみに、いつのまか、しものふりけむ、くれなゐの、おもてのうへに、いづくゆか、しわかきたりし、ますらをの、をとこさびすと、つるぎたち、こしにとりはぎ、さつゆみを、たにきりもちて、あかごまに、しづくらうちおき、はひのりて、あそびあるきし、よのなかの、つねにありける、をとめらが、さなすいたどを、おしひらき、いたとりよりで、またまでの、たまでさしかへ、さねしよの、いくたもあらねば、たづがつゑ、こしにたかねて、かくゆきは、ひとにいとはえ、かくゆきは、ひとにゝくまえ、およしをば、かくのみならし、たまきばる、いのちをしけど、せむすべもなし
周蔽奈伎物能波 せんかたもなきものは也。何とすべきやうなきものは、これより已下に云へる事ども也
年月波奈何流々其等斯 年月のゆきくるゝを、流水にたとへたる事、本邦も異國も同じく古語數多ありてあげてかぞへ難し。如v矢疾く過行にたとへたり
等利都々伎 とりは、すべて初語助語に云へり。年月はとゞまらず早く過ぎ行て、なすこと/”\は日にましよにまし絶ゆることもなく、引續き重り來ると、行と來る事をたゝかはして對によみ出でたるなり。つゞきは、ひたもの/\絶えざる意を云へり
意比久留母能波 生來也。追來にても同じ。然れども下にもゝ草とあれば、百種の事ながら生來るとはよみて、兩方をかねたる義也
毛々久佐爾勢米余利伎多流 百草の生ひ茂りかさなる如く、色々樣々の事のいやかさなり身をせめきたる如く、忽忙と過ることを云へり。もゝ草には、かず/\にと云ふ意也。此せめより來ると云ふ迄、この歌の序に云へる、あつまり易くしてはらひ難きは八大辛苦といへる惣結也。これより已下一生の有樣を云へり。先わらはべの時の事を云ひ出せり
遠等※[口+羊]良何 いとけなきときの、をとめらと打まじはりし事をのべたるはじめ也
速等※[口+羊]佐備周等 をとめぶりなり。をとめ、をきなさびといふ事は前々にも注せり。をとめだてをすると云ふと同じ。畢竟ふりはふるまひをすると云ふ義也。さは助語とも見る也
(17)可羅多麻乎 上代は身の飾りに玉をまきたる也。からたまとは、もろこしより來れる色々の名ある玉をよそほひたる事を、言葉の餘情にかくよめり。まくとは、まとふ事なり。身の餝に玉をせしことは、神代紀よりはじめ日本紀等に其證不v及v擧也。こゝの歌のことばは、天武天皇の吉野の瀧の宮に御幸の時、天女の降り舞妓をなせし時の御歌をうつしたる也
をとめ子がをとめさびすとからたまをたもとにまきてをとめさびすも
全くこの御歌の御言葉をかれる也
古注或説を加て
或有此句云 あるひとこの句ありといふ
袖布利可伴之久禮奈爲乃阿加毛須蘇毘伎 一本に伴を※[口+羊]に作れるは誤也。互に袖を振り交して、むれつれだちたると云ふ義也。くれなゐのあかもすそひきは女の躰をいひたる装束の事也
余知古良等 奴等也。よちはやち也。やちもやつも同じ。日本紀神功紀に、熊之凝の歌の、うまひとはうま人とちやいとこはもいとことち、といへるやいとこもやちと云ふ義也。しかればこゝも、よちこはやちこにて、やつこと同じ
手多豆佐波利提 手を携て也。童女童男打まじはりて、何心もなく遊びし折のありしと也
周具斯野利都禮 年月は流るゝ如くと云へる通、いつともなくその程も過ゆきて、思はずも年たけたる事を云ひ出せり
美奈乃和多迦具漏伎可美爾 みなのわたは黒きもの故、黒きと云はんための序也。此のみなと云ふものは蜷と云ふ河にある小貝を云ふと也。此説古來より云傳たる義也。然れ共※[魚+生]の背腸をみなわたと云へば、その義と云ふ説もありて、※[魚+生]の腸も至て黒きもの故、髪の黒きと云ふ冠辭に云ひ來ると也。いかさま蜷と云ふ貝は至て小貝なれば、腸などのあるべきものとも思はれず、※[魚+生]のわたの説しかるべからんか。知名抄〔本朝式云、年魚氷頭背腸、さけのひつのみなわた。年魚者鮭魚也。氷頭者比豆也。背腸者美奈和多也。或説云、謂v管爲v皆誤也。延喜式〔二十四、主計上、凡中男一人輸作物中畧鮭|骨觴《セワタ》各一斤八兩。〕如v此あれば鮭のわたなるべし。此已下集中此句多し
伊都乃麻可斯毛乃布利家武 これより年老て、かしらの髪も白くなりし事を云へり。いつのまにとは、心によるとも思はず、(18)年のよりにし事を云へり
久禮奈爲能 男女ともに、年若きときの紅顔美麗のうるはしかりし時の義を、詞のはなに云ひたり
一云爾能保奈酒 にかほなす也。には紅き色を云ふ。穗とはあらはれ出たる義を云。なすはごとくと云ふ義也。にの色のあらはれてみゆる如くと云ふ義也。紅顔と云ふ義と同じ。一本には、紅のと云ふ句、にのほなすとありしを、古注者或説に記し加へたり
意母提乃宇倍爾 顔面の事也。紅顔の上に也
伊豆久由可 いづくよりか也
新和何伎多利斯 皺也。倭名抄卷第三、肌肉類部出。※[峻の旁+皮]、唐韻云、※[峻の旁+皮]、七倫反、和名、之和、皮細起也。うるはしかりし紅顔に、いづくよりか來りけん、いつともなく、しわのよりたると也。是迄はをとめらがことを云ひしと聞ゆる也。或抄に皺掻垂しと釋せり。上にいづくゆかとあるにこの釋は心得がたし。來りしと云ふ義也
一云都禰奈利之惠麻比麻欲毘伎 此ある説は、しはかきたりしつねなりしとつゞけたる句ありと見ゆる也。本文に、紅のにのほなすなどあり。ゑまひまよひきなど一説にあれば、をとめのさかりのありさまを云へると聞ゆる也。さて此次に、またますらをのとよみ出て、男子のさかりの事を云へり
麻周羅遠乃遠刀古佐備周等 これより男子のさかりを云へり
佐都由美乎 得物弓也。神代下卷、山幸彦より起りたる義にて、ものをかり取弓矢を、さち弓、さつ矢とは云へり。至て上代よりの古語也
多爾伎利物知提 多は初語他。然れ共、手にきると云ふ意をかねて也。總て今時の歌にても、初語をおくにかやうのうつりの縁をかけておくに習あること也。此初語などよくかなへりと聞ゆる也
志都久良 諸抄の説、※[革+薦]と釋せり。下鞍計にてのらるべきものならず、下枝をしづえと云ふ事あるから、しづは下と解したるならんずれど此下くら心得難し。倭文くらなるべし。しどりにてかこみたる、そさうなる鞍を云ふたると聞ゆる也。古代(19)は素朴なれば、如2只今1美麗をつくさず。しづなどにてまきかためたるくらありて、それを用ひたる故かく云へるか。またいやしきものゝ乘鞍は、一品ありて、しづくらと云へる歟。和名抄に、下くらの事は見えたれど、下くら計にて乘らるべきよしなし。尚古制を考へ見るべし。しづくらの一種あるべき也。しづまきの胡床にたゝしなどいへる古語もあれば也。古事記雄略の卷の歌に見えたり。今昔物語、源頼信名馬を盗人取て※[しんにょう+外]しを、子息義家追掛ルとて馬やにて馬引出し、賤のくらありけるをおきて打乘りとあり。いやしきものゝ乘るくら一品ありける歟
波比能利提 たゞ乘りたる也。乘り遊ぶ躰を云ひたるもの也。はせのるなど云ふ説あれどその義にあらず
余乃奈迦野都禰爾阿利家留 如v此遊び歩ける事の世の常にある事と也。一説下のをとめらにつゞく句とも見ゆると也。つねの紅顔のまだ年たけぬをとめらをと云ふ事に、世の中のつねにありけるとは云へると也。好ところにしたがふべし
佐那周伊多斗乎 兩説あり。さす板戸ともいひ、ならす板戸とも云へり。先は日本紀古事記等の歌にてもならす義にとれば鳴すと見る也。をとめらがとひ來て、ならす戸をおし開き手とり引入てかたらふ有樣を云へり
伊多度利與利提 伊は初語にして、たどりより也。たどりもたより也。然ればいたの二字とも初語とも見るべし。たどりよりと云ふ意少しすまひてよる躰を云ひたる歟。たゞよりそふてと云ふ義と見るべし。かやうの長歌には、詞の縁にてとくと義にあたらぬことも、句つゞきにはよめる事多ければ、強てつまびらかに釋するにも及ぶまじきか。しのびわざなれば、しづかにひそやかによりそふ意にて、たどりともよめる歟。或説にいは發語にて、手をとりよりてとも釋せり。此説もいかゞ
摩多麻提乃 言葉のはなによめり。たゞ玉手と云ふ義也。玉手といふも言葉のはな也。雅言にかくはよめり
佐斯迦閉佐禰斯欲能 互に手をさし交しいねしと他。日本紀の歌等に、手をまかしなどよめる事多し。たゞむき不v卷などもよめり
伊久※[こざと+施の旁]母阿羅禰婆 いくたびもあらねばの意、とかくもあらぬの意にて、とかく多くもあらざるにと云ふ義也。このあらねばと云ふてには今時の心得と少違たり。いつまでもかくのごとくさかりのことのあらねばと云ふ義也。生とし老せず、かくする事のあらねばとの意にて、ねばとはよめり。此歌のつゞきにては、あらぬにと云ふべきところと見ゆる也
(20)多都可豆惠 手束杖也。手につかねる杖と云ふ義也。また手につく杖と云ふ義、また握といふ字をつかともよめり。然れば手につかねる杖の意なるべし。これより年老て、人にもきらはれ、にくまるゝありさまを云へり
多何禰提 これもたとつと通ずれば、腰につかねて也。腰につかねてとは、腰にあてゝ休息する事をいへるなるべし
伊等波延 人にいとはれ也。きらはるゝ也。下のいとはえも同じ。年老てはおのづから若きともがらは、よけさけてまじらはねば也
意余斯遠波 およそをば也。世の中皆かくの如くなりと也
遠志家騰 いのちをしけれど、世の中のならひ、かくいつともなく年よりて、遂にはいのちもかぎりあるべければ、せんかたもなくはかなきものと也
反歌
805 等伎波奈周迦久斯母何母等意母閉騰母余能許等奈禮婆等登尾可禰都母
ときはなす、かくしもかもと、おもへども、よのことなれば、とゞみかねつも
等伎波奈周 ときはのごとくしもとねがふ義也。年老ずいつも不v變にあれかしと也
余能許等奈禮姿 世の中のならひなれば、老行年もとゞめかねつると也。とゞめかねると云へば、とゞまるべきにもあるかと聞ゆるやうなれど、さにはあらず。これらを歌の風情といふべし。とゞめられぬ事を、かねつもとよめる所雅情也
等登尾 とゞみなるに尾の字を書きて、みとよまする事、古語皆かくの如く音の通ふたる事を知るべし。毘とにごりたる音はみ也。とゞびと云ひては義不v通。みとよまでは不v叶。然らばみの字をかくべき事なるに、上古は音通ふ事つねなる故、尾を書てもみのことゝ知れたれば也
神龜五年七月二十一日於嘉摩郡撰定筑前國守山上憶良
嘉麻郡 筑前の郡の内にあり
(21)撰定 古注者の考歟。憶良の筆記せるか。此哀世間難住の序文歌を記せる事を、如v此記したるか。またこれまでの詩歌にも悉く此年月に、此所にて憶良撰定られたるを万葉にそのまゝにのせたる歟。此文段不2分明1也
伏辱來書具承芳旨忽成隔漢之戀復傷抱梁之意唯羨去留無恙遂待披雲耳
これは太宰帥大伴旅人より、何方へぞ被v贈たる書通と歌との返翰返歌也。此伏辱來書と書たるは、先達而何方よりぞ來書ありと聞ゆる也。但し返翰の文かいづれとも分明には見分がたし。歌詞の下に、小書に大伴卿と記せるも後人の筆ならんか。先此序文は旅人の文と見る也。諸抄に大伴淡等の返翰とみるは、心得難し。奧に淡等とある故か。奧の淡等日本琴に付たる序の端書則和名抄にも載たり。此文は誰とも難v知也。但し憶良の文歟
歌詞兩首【太宰帥大伴卿】
806 多都能馬母伊麻勿愛弖之可阿遠爾與志奈良乃美夜古爾由吉帝己牟丹米
たつのまも、いまもえてしか、あをによし、ならのみやこに、ゆきてこんため
多都能馬 龍馬也。たつの馬は、能馬と云ふ義也。龍馬の事諸抄にくわし。引書を不v記。追可v加v之也。日本紀雄略紀にも見えたり。六帖にも欽明紀の馬の事をとりて、よめる歌をのせたり
愛弖之可 得てしかな也。龍馬をも得度きかな。はるけき奈良のみやこまでも、飛びかけらしてゆきて來んにと也。なり難き事をかくよみなせる處歌の風雅也。歌の意よくきこえたる歌也
807 宇豆都仁波安布余志勿奈子奴波多麻能用流能伊昧仁越都伎提美延許曾
うつゝには、あふよしもなし、ぬばたまの、夜のいめにを、つぎて見えこそ
いめにをのをは助語也。つきてはつゞきて也。幾度もの意也。許曾おこせ也。さしすせ通音にて、せなれどおこそを約したるもの也。あふよしもなしの余、夜にかけて由もなき也
歌の意きこえたる通也
(22)答歌二首
大伴淡等の返歌也
808 多都乃麻乎阿禮波毛等米牟阿遠爾與志奈良乃美夜古邇許牟比等乃多仁
たつのまを、あればもとめん、あをによし、ならのみやこに、こんひとのため
仁 一本作v女を正本とすべし
此歌の意は、たつの馬をわれこそもとめて、ならの都へ來りなんと云人をむかへんと也。先の歌を能く引受てよめる返歌也
809 多陀爾阿波須阿良久毛於保久志岐多閉乃麻久良佐良受提伊米爾之美延牟
たゞにあはず、あらくもおほく、しきたへの、まくらさらずて、いめにしみえん
多陀爾阿波須 ひたすらにあはぬ也
阿良久毛於保久 あるも多也。あはざる事のあるも多きと也。此おほくの詞少心得がたし。たゞにあはずにのみあるも、安否おぼつかなく思へばと云義歟。おほくは、おぼつかなくか。それゆゑまくらさらずて、ゆめに見えんと返したるか。いめにし見えんは、先のみえこその返し也
大伴淡等謹状
大伴淡等、傳不v詳。集中にも此外に不v見也。淡等は名か。是は左の梧桐日本琴を房前へ奉れる書翰の序也。和名抄に載たり。然るに目録には、帥大伴綱梧桐日本琴云々とあり。不審也
梧桐日本琴一面【對馬結石山孫枝】
きりのやまとことひとおもて
梧桐 倭名抄卷第二十木類部云、〔陶隱居曰、桐有2四種1、青桐、梧桐、崗桐、椅桐、梧桐者色白、有v子者、椅桐者白桐讐、三月花紫亦〕堪v作2琴瑟1者是也
(23)日本琴 倭名抄卷第四、琴瑟類部云、日本琴、萬葉集云、梧桐日本琴一面、注云、天平元年十月七日大伴淡等、附使監贈2中將衛督房前卿1之書所v記也。對似v筝而短小、有2六絃1、俗用2倭琴二字1、夜萬止古止。大歌所有2鴟尾琴1。止比乃乎古止。倭琴首造2鴟尾之形1也。延喜式卷第二十一、雅樂寮式云、凡樂器絃※[米+斤]絲和琴一面、長六尺二寸、※[米+斤]絲新二兩云々とあり。日本紀に、燒木をもて琴につくられしことをはじめ、あまた見えたり。上古よりありし物と知られたり。鴨長明無名抄に、弓六張をならべて引けるを後に和琴とはなせるよし書たれど、いつのころ作りはじめし年月も不v記ば、その元始もおぼつかなし
注にある、對馬結石山孫枝、此文不2分明1文也。右の琴は、對馬の結石山の梧桐孫枝をもて作れるといふ事と見ゆる也
結石山 對馬のある山の名なるべし。無2併見1
孫枝 琴の事に用たることからの書に多し。※[(禾+尤)/山]康琴賦〔に乃劉2孫枝1准2量所1v任とあり。〕又白氏文集〔に梧桐老去長2孫株1。〕十八家持橘歌に、はるされば孫枝毛伊都追保斗等藝須云々とある長歌あり。孫枝とかきて、ひこばえともよめり。此歌の點に當集は、まごえと點をなせり。文選銑注曰、孫枝側壁枝也
此琴夢化娘子曰余託根遙島之崇巒晞幹九陽之休光長帶烟霞逍遙山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐百年之後空朽溝壑偶遭良匠散爲小琴不顧質麁音少恒希君子左琴即歌曰
此文は文選※[(禾+尤)/山]康琴賦をうつして書たり。注解諸抄にゆづる也
810 伊可爾安良武日能等伎爾可母許惠之良武比等能比射乃倍和我摩久良可武
いかならんひの、ときにかも、こゑしらん、ひとのひざのへ、わがまくらせん
伊可爾安良武日能等伎爾可母 いかならんひの、如v此よむべし。いかならん日のとよむ義は、日のときにかもといふ歌詞はつまりたる詞也。日を上につけてよむかたしかるべき也
許惠之良武 琴の雅聲を聞しらん人のと云義也。列子曰、〔伯牙善鼓v琴、鐘子期善聽云々。〕及蒙求等の事を考ふべし
比射乃倍 ひざのうへ也。一説膝の邊ともいへり。然るべからず。まくらせんとあるからは、ひざの上なるべし。當集第七(24)にも、ふすたまのを琴のとよめり
和我摩久良可武 この可の字をせとよませたる事は、和書のならひ也。すべしとよむ字故、下知の詞に用る字なればせとよむ習也。此傳を不v知人は、誤字或はかんとよむべしと釋せり。當集此習いくらもありて、常應の字をべしともよみせともよむ也。和書にて皆かくの如し。當集は和書の法を守りて被v書たる事故、斯樣の古實を存せる事數多也。拾穗抄には、世の字に直したり。古實を不v知は論にたるべからず
歌の意は、いかならん時にか、わが鋤響雅音のたぐひなき事を聞きしらん人にあひてもてあそばれん。あはれわが音を聞き知れる人にもてあそばれて、その人の膝にいつか枕せんと也。これ琴の精靈、大伴淡が夢に見えてよめる歌と傳へり。實は淡がよめるを如v此作れるか。上古の時は人の心質素にして人慾少き故、かやうの事も數多ありけるならんか
僕報歌詠曰
この題目の文も不2分明1也。もし詠曰の二字は衍字か、誤字歟と疑はるゝ也。疑は報夢歌曰と云を誤れる歟
僕報 このやつがれとは、大伴の淡みづからの詞也。夢のうちによめるか
811 許等等波奴樹爾波安里等母宇流波之吉伎美我手奈禮能許等爾之安流倍志
ことゝはぬ、きにはありとも、うるはしき、きみがたなれの、ことにしあるべし
梧桐にて作れる琴なれば、ことゝはぬ木にはと也
宇流波之吉伎美我 うるはしきとは、ほめたる詞也。徳功あるきみと云ふ意也。よき人のもてあそばん琴ならんと也
手奈禮能 手にふれなるゝことにてあるべしと、娘子への挨拶のうた也。聲しらん人のとよめるにこたへて、よく聲をも聞り、徳あるうま人の手なるゝ琴なるべしとほめたる也
琴娘子答曰
夢にまた琴の娘子右の歌を聞きて、悦びてこたへしと也
(25)敬奉徳音 幸甚幸甚
毛詩谷風云、徳音莫v違、及v爾同v死。季少卿答2蘇武1書尾云。時因2北風1復惠徳音幸甚。この外追而可2引合1也。これまで琴の娘子の夢に答し詞也
片時覺即感於夢言慨然不得黙止故附公使聊以進御耳 謹状不具
これより夢さめて、娘子の夢中に告し語を歎息し、あはれと思ひて、そのおもむきをおほやけの使にことづけて、申おくれる事をのべたる序也
慨然 なげきてあはれとおもふ義也
不得黙止 そのまゝにやめおきがたきと也
附公使 太宰府より公用に付て、都へ登す使にことづてゝ、房前のかたへおくれると也。太宰大監大伴宿禰百代なるべし
進御耳 先を尊敬してすゝめたてまつると云ふ義也。進御の二字出所追而可v考
天平元年十月七日附使進上
謹通、中衛高明閣下謹空
此謹空の二字、或説紀室の誤かと云へり。通例の本言空に作れり。一本作v言を正とす。記室と見るも奧の例に準じては尤可也
中衛 今の近衛也
高明 高貴の人を尊稱して書たる歟。房前の家臣などを云へる歟。是迄淡の文也。至て尊敬の文也
跋承芳音嘉懽交深乃知龍門之恩復厚蓬身之上戀望念常心百倍謹和白雲之什以奏野鄙之歌房前謹状
これより房前公の返事の文なり。芳音は志の音問をうけて悦との義也
(26)嘉情交深 善事珍説を聞てよろこぶ事、相ともにまじりてふかきと也
知龍門之思復厚蓬身之上 古事あり。追而可2考記1也
奏野鄙之歌房前謹状 謙退卑下の詞也
房前 はぜと讀べきを、天下擧而ふさゞきとよめり。此時代の人の名につきては、別に傳あることにて、此名もはぜと見ゆる也。魚の名を以て名付けられたる也。淡海公、不比等第二の子也。懷風には總前と書せり。これも誤りて書たるか。またかへつて古語を知りて書けるか。ふさを約すればは也。然ればともにはぜとよむべき也。ふさとよむ字故、はと用たると見えたり。古書の例皆此古實を存せり。房前の傳續日本紀に詳也。追而可v記。伯の字きとよむ。當集に大伯皇女の名、おほきのひめみことよむ類を以て、ふさをはとよむ事を辨ふべし。伯はかみとよむ故約してき也
812 許等騰波奴紀爾茂安理等毛和何世古我多那禮乃美巨騰都地爾意加米移母
ことゝはね、きにもありとも、わがせこが、たなれのみこと、つちにおかめやも
和何世古我 此ことばすまぬ義也。先は先をあがまへて、淡等をさしてのたまへることゝ見るべし。婦人の歌なればかくあるべきも、房前公のうたにしては心得難けれど、昔は先を敬ふ事に男女にかぎらず、男をさしてはあがせとも云し事、第一卷に注せる如く、君士の稱と見るべし。此集中吾君を、あがせと男の歌にもよめる事多し。日本紀雄略紀にあせとよめる、君をさして男子のよめる也
美巨騰都地爾意加米移母 美は初語と見るべし。つちにおかめやもとは下にはおかれしと也。琴を賞して也
移母 此移の字、野の字の誤りと見ゆる也。然るにやゐゆゑおの通音にていもやも通ふと云ひ、日本紀の神功紀にある※[人偏+兼]人爾汝移と有、移の字普通の點本には、野と傍注したるを證として、移をやとよむとも云説有。心得難し。野の字の傍注は、公望の日本紀私記の事ならんか。私記には移の字野の字に作りたるとの義なるべし。さればこそ無點の日本紀には、その傍注もなき也。日本紀の點も私記に、移を野と記したるを見て、やと假名を後人つけ誤りたるか。やといと通ふこと外に例をしらず。(27)もし強ひて云はんには、やとゆと通ふ、ゆとうと通ふ例あれば、いとうと通ふ道理もあらんか。然れども外に古語の證例を知らざれば決し難し。野の字の誤と見る方義安かるべし。字形もまた誤やすき也。欽明紀のみやけの事後案すべし。
十一月八日附還使大監
還使 太宰府よりのぼりし先のつかひ此時かへるによりて、ことづけて返翰あると也。附とはことづくると云ふ義也
大監 大宰大監也。大伴宿禰百代此時の大監也。然れば百代公用に付徃來せしなるべし
謹通 尊門 記室
尊門は先を敬ひての義也。これによりてこれを見れば、前の高明も人名にはあらで先榮尊したる詞か。尊高貴明の意にて至て尊敬の意に高明とは記せしか
記室 これは其家の文書の事を掌る所をさして云也。たとへば祐筆などの如し。これも先へ直にあてず、文書を掌る人へさして通すと云ふ敬ふたる意也。事物紀元曰、漢書云、皆有2ニ記室1、掌v草2表書記1
筑前國怡土郡深江村子負原臨海丘上有二石大者長一尺二寸六分圍一尺八寸六分重十八斤五兩小者長一尺一寸圍一尺八寸重十六斤十兩並皆墮圓状如鷄子其美好者不可勝論所謂徑尺壁是也【或云此二石者肥前國彼杵郡平敷之石當占而取之】去深江驛家二十許里近在路頭公私徃來莫不下馬跪拜 古老相傳曰徃者息長足日女命征討新羅國之時用茲兩石挿著御袖之中以爲鎭懷【實是御裳中矣】所以行人敬拜此石乃作歌曰
つくしのみちのくにいとのこほりふかえむら也。ふおふのはら云々
怡土郡 日本紀第八仲袁紀云、筑紫伊覩縣主祖、五十迹手云々。倭名鈔卷第五國郡部云、筑前國 筑紫乃三知乃久知 怡土以企
長一尺 令義解第十雜令云、〔凡度十分爲v寸【注略】十寸爲v尺一尺云々〕
重一尺二寸 同云、〔一尺二寸爲2大尺一尺1云々〕
皆墮圓 形丸き石と也。即ちとりのこの如しとあるは、卵の如くに丸きと也。墮とは〔以下記注ナシ〕
(28)徑尺壁 大成玉と云ふ意也
或云此二石者 本文の二石也
肥前國彼杵郡平敷《ヒノミチノクチノクニソノキコホリヒラフ》之石當v占取v之 倭名鈔卷第五國郡部云、肥前國彼杵郡【曾乃木】右は神功皇后の御時、此所にてうらなはしめて、とらさしめたまふとの義也
息長足日女命 おきながたらしひめのみこと、神功皇后の御事也
征討新羅 日本紀卷第九〔に、既而皇后中畧躬欲2西征1、于v時也適當2皇后之開胎1、皇后則取v石挿v腰祈v之曰、事竟還日産2於茲土1、其石今在2于伊覩縣道邊1
爲鎭懷の下の注に、實是御裳中矣。此實の字は疑ふらくは懷の宇也。懷とは御ものうちと云の注と見ゆる也。此注不審故諸抄にも釋を不v加也
813 可既麻久波阿夜爾可斯故斯多良志比※[口+羊]可尾能彌許等可良久爾遠武氣多比良宜弖彌許々呂遠斯豆迷多麻布等伊刀良斯弖伊波比多麻比斯麻多麻奈須布多都能伊斯乎世人爾斯※[口+羊]斯多麻比弖余呂豆余爾伊比都具可禰等和多能曾許意枳都布可延乃宇奈可美乃故布乃波良爾美弖豆加良意可志多麻比弖可武奈何良可武佐備伊麻須久志美多麻伊麻能遠都豆爾多布刀伎呂可※[人偏+舞]
かけまくも、あやにかしこし、たらしひめ、かみのみこと、からくにを、むけたひらげて、みこゝろを、しづめたまふと、いとらして、いはひたまひし、まだまなす、ふたつのいしを、よのひとに、しめしたまひて、よろづよに、いひつぐかねと、わたのそこ、おきつふかえの、うなかみの、こふのはらに、みてづから、をかしたまひて、かむながら、かむさびいます、くしみたま、いまのをつゞに、たふときろかも
(29)可既麻久波 前に注せる如く至而尊而云ふ詞也。かけまくとはあやといはん序也。綾はものにかけて卷ものなれば也。そのまたあやは、あやしきばかりにおそろしく尊きといふの意也。
可尾能彌許等 あやしきとよめるにて、則神功皇后はおほん神と云ふの意也
可良久爾遠 新羅を攻めたひらげ給ふ事をいへり
武氣多比良宜弖 したがへおさめさせられて也
彌許々呂遠斯豆迷多麻布等 御心をしづめ給はんとて、かの二つの石をもて、ちかひ祈らせ給ひて、皇子のうむが月をのべたまふ也。天に祈り神に祈らせ給ふも、まことの至極をつくせば、如v此しるしのありけることをも感じてよめる也
伊刀良斯 伊は初語也。とらしめられて也
伊波比多麻比斯 神靈ともなして、いはひあがめたまひて也。齋の字の意祝の字の意とは違也
斯※[口+羊]斯多麻比弖 しらしめて也。をしへ給ふの意にもかなふ也。かくあやしき事のありし義を、万世迄も知らしめをしへさせられてと也
伊比都具可禰等 いひつがね、と也。いひつげよと云ふ意也
意枳津 下の深江を云はん爲の序詞也
宇奈可美 海のほとりと云ふ義か。海上と云ふ地名歟。此のつゞきはふかえ、うなかみ、こふともに、一所の地名と聞ゆる也
意可志多麻比弖 爲v置給て也
久志美多麻 二石をほめて、あやしき玉と也。くしは賞讃の詞也。神代紀の奇魂の意とは違也
伊麻能遠都豆爾 今の現也。あいうえを通音おつゝと書たれば通じ難けれど、古書假名を不v違は斯樣のところにて見るべし
伎呂可※[人偏+舞] 呂は助語也
歌の意きこえたる通地。神功皇后の神徳をほめ、奇石の由來をのべたる歌也
814 阿米都知能等母爾比佐斯久伊都夏等許能久斯美多麻志加志家良斯母
(30)あめつちの、ともにひさしく、いひつげと、このくしみたま、しかしけらしも
あめつちのと此のゝ字は、とゝあるべきやうなれど、あめつちのひさしきとゝもの意にかくは詠めるならん。右の歌は山上憶良のよめる也
志可志家良斯母 如v此なしけらしもと也。けらしもはける也。かの奇石を此所に敷置せ給ひけるならんとの意とも見るべし。しかしは如v此といふ意と、敷しとしいふと両説あり
右事傳言那珂郡伊知郷蓑嶋人蓑部牛麻呂是也
那珂郡 筑前國の郡の名也
伊知郷 所の名也
蓑部牛麻呂是也 何人といふ事を不v考。右二石の事を傳へ言ひし人は、此人と憶良の文と見ゆる也
梅花歌三十二首并序
天平二年正月十三日萃于帥老之宅申宴會也于時初春令月氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香加以曙嶺移雲松掛羅而傾盖夕岫結霧鳥對※[穀の左の禾が米+炎]而迷林庭舞新蝶空歸故鴈於是盖天坐地促膝飛觴忘言一室之裏開衿煙霞之外淡然自放快然自足若非翰苑何以※[手偏+慮]情請紀落梅之篇古今夫何異矣宜賦園梅聊成短詠
萃は聚と云字注ありて、帥の家に人々集まりて、うたげをなせる也
帥老 太宰帥旅人を云へり。老とは尊稱して云へる詞也
于時初春令月云々 序文の公事等追而考合すべし。此序文は旅人の作文歟。先達も不v考也
815 武都紀多知波流能吉多良婆可久斯許曾烏梅乎乎利都都多努之岐乎倍米 大貳紀郷
(31)むつきたち、はるのきたらば、かくしこそ、うめををりつゝ、たのしきをへめ
武都紀多知 むつきは正月の事也。正月になりたらばと云ふ義也。正月になり、春の來りたらば也。かくしこそと云ふにて、この後のとしごとの義を云へり。毎年如v此して樂しみを經んと也。古今集大歌所御歌に、新しき年の初にかくしこそ千歳をかねて樂しきをつめとよめるも、此歌の下の句におなじ。つめたのしきとよみ給へる故、木をつむの意をうけてかくあるか、若しつめ、へめ假名に書く時まがひ易き字なれば、右の御歌もへめにてやあらんかし
大貳紀卿 未v考。太宰大貳也。此以下皆如v比。小字にて記せり
816 烏梅能波奈伊麻佐家留期等知利須蒙受和我覇能官能爾阿利己世奴加毛 小貳小野大夫
うめのはな、いまさけるごと、ちりすぎず、わがへのそのに、ありこせぬかも
蒙の字は義の字の誤也
此歌の意は、かくさかりの梅をこのまゝにわが宿にうつし度との義也。ありこせぬかもは.わが家の園に來らぬかと願ひし意也。わがへは我家也
此作者小貳小野大夫 未v考。第三小野老といふあり。是なるべし
817 烏梅能波奈佐吉多流僧能能阿遠也疑波可豆良爾須倍久奈利爾家良受夜 【少貳粟田大夫】
うめのはな、さきたるそのゝ、あをやぎは、かづらにすべく、なりにけらずや
此歌の意、梅の花はかくおもしろくさきしが、あをやぎはまだかづらにする様にはならぬかと問ひし歌也。なりけるにあらずやと云義也
小貳粟田太夫 未v考
818 波流佐禮婆麻豆佐久耶登能烏梅能波奈比等利美都都夜波比流久良佐武 筑前守山上太夫
(32)はるされば、まづさくやどの、うめのはな、ひとりみつゝや、はるひくらさん
筑前守山上太夫 これは憶良なり。五位なる故太夫と書る歟
819 余能奈可波古飛斯宜志惠夜加久之阿良婆烏梅能波奈爾母奈良麻之勿能怨 豐後守大伴大夫
よのなかは、こひしげしゑや、かくしあらば、うめのはなにも、ならましものを
豐後守大伴太夫也。伴を※[口+羊]に作は誤也
古飛斯宜志惠夜 古本印本諸抄の點も、皆こひしきしゑやとあり。宜の字は濁音の字なれば、げと讀まではなりがたし。しかれば歌の意、世の中はいろ/\の事ありて思ひわぶる戀のしげければ、よしやかくあらば、人々にもてはやされて、めでらるゝ梅の花にもなりたきとの義也。惠夜は、よしゑやしの略語にて、よしやの意也。豐後守大伴太夫は三依にあらんか
820 烏梅能波奈伊麻佐可利奈理意母布度知加射之爾斯弖奈伊麻佐可利奈理 筑後守葛井太夫
うめのはな、いまさかりなり、おもふどち、かざしにしてな、いまさかりなり
斯弖奈 おもふどちかざしにせんと云義也。すべて、なとよめる詞は、それとおさへたる詞也。かざしにせんと云意也。
筑後守葛井太夫 未v考。くず井か、かづら井か、追而可v勘也。第四卷の大成の事歟
821 阿乎夜奈義烏梅等能波奈乎遠理可射之能彌弖能能知波知利奴得母與斯 笠沙彌
あをやなぎ、うめとのはなを、をりかざし、のみてのゝちは、ちりぬともよし
あをやなぎとも讀めり。あをやぎと讀めるに同じ。うめとの花、古詠の風體他。青柳と梅との花を也。のみてのゝちは、さかもりせしの後也。酒を飲ての後也
笠沙彌 滿誓歟
822 和何則能爾宇米能波奈知流比佐可多能阿米欲里由吉能那何列久流加母
(33)わがそのに、うめのはなちる、ひさかたの、あめよりゆきの、ながれくるかも
あめよりゆきのながれくる、めづらしき詞なり。後世よくおほせがたき詞也。きこえたる歌也。
主人 大伴旅人の事なるべし。歌の詞もわがそのゝ梅の花散ると詠める、あるじならではよみがたき不挨拶の歌也。あるじにてかへつて卑下の歌ともなるべし
823 烏梅能波奈知良久波伊豆久志可須我爾許能紀能夜麻爾由企波布理都々 【大監大伴氏百代】
うめのはな、ちらくはいづこ、しかすがに、このきの山に、ゆきはふりつゝ
ちらくはちるは也。るをのべたる詞前に注せり。しかすが、さすがに也。このきの山は、此城の山也。筑前國にある城山をさして、さすがに城山に雪の降る樣なると、梅花の散るを見立てほめたる歌也
百代 公使にのぼりし大監大伴百代也
824 烏梅乃波奈知良麻久怨之美和家曾乃乃多氣乃波也之爾于具比須奈久母 【小監阿氏奧島】
うめのはな、ちらまくをしみ、わがそのゝ、たけのはやしに、うぐひすなくも
此歌の意は、梅の花の散りなば、竹の林に鳴くうぐひすの音やみぬべければ、梅の花あらばこそ園の竹の林にも鶯もなけと、梅花とゝもにをしみたる歌也。古詠の格如v此鳴くもと計とめて心をこめたる也。もの字皆嘆息の詞にして、此歌の格集中數多也。或抄に梅の散をうぐひすのをしみて鳴くといふ歌とも云へり
阿氏奧嶋 未v考
825 烏梅能波奈佐岐多流曾能能阿乎夜疑遠加豆良爾志都都阿素※[田+比]久良佐奈 【小監土氏百村】
うめのはな、さきたるそのゝ、あをやぎを、かづらにしつゝ、あそびくらさな
くらさなは、くらさなん也。きこえたる歌也。梅とあをやぎとを賞したる迄の歌也
(34)土氏 心得がたき氏也。土師の師を脱したる歟。奧には土師氏御通と記せり。百村、未v考
826 有知奈※[田+比]久波流能也奈宜等和家夜度能烏梅能波奈等遠伊加爾可和可武 【大典史氏大原】
うちなびく、はるのやなぎと、わがやどの、うめのはなとを、いかにかわかん
うちなびくは柳のうちなびく也。うちは初語也。此歌も青柳の亂れなびく體と、梅の花の咲き匂ふえならぬ薫にあかぬ心はいづれおとりまさりてめでなんと、二色ともに賞愛したる歌也。大典は太宰の大典なるべし
史氏大原未v考
827 波流佐禮婆許奴禮我久利弖宇具比須曾奈岐弖伊奴奈流烏梅我志豆延爾 【小典山氏若麻呂】
はるされば、こねれがくりて、うぐひすぞ、なきていぬなり、うめがしづえに
はるさればは、はるになれば也。夕されば秋されば皆夕部になれば、秋になればと云ふ義也。春の過去事などに見る説あり。心得違なり。歌によりて、さもよめる事あらんか。その歌にて辨ふべき也。此歌は春になればといふ義也
許奴禮 梢也。奴禮もすえも音同じ、和名抄こむれと云ふ字を出せり。※[木+越]の字也。纂要云、木枝相交下陰曰v※[木+越]、音越、和名古無良、此義なるべし。ぬれもむらも音通ふ也。梢と云ふても同じ意也
我久利弖 かくれて也。我と濁れるは上に引れて音便濁る也
伊奴奈流 寢也。うめがしづ枝は下枝也。春になれば、梅か枝のしげり交りたる下陰の下枝に、いろ香に染めて、うぐひす老いぬる事をうらやみて、梅を賞しうぐひすを愛して詠める歌也
山氏若麻呂未v考
828 比等期等爾乎理加射之都都阿蘇倍等母伊夜米豆良之岐烏梅能波奈加母 【大判事舟氏麻呂】
ひとごとに、をりかざしつゝ、あそべども、いやめづらしき、うめのはなかも
よくきこえたる歌也
(35)大判事 太宰府の官名也。令義解〔職員令太宰府の條に出づ〕
829 烏梅能波奈佐企弖知理奈波佐久良婆那都伎弖佐久倍久奈利爾弖阿良受也 【藥師張氏福子】
うめのはな、さきてちりなば、さくらばな、つきてさくべく、なりにてあらずや
佐久良波奈 普通の本には佐の字を脱せり。古一本にはあり。つきてはつゞきて也。梅ちりなばまた櫻の花つゞきて咲くにてあらんと、春を樂しめる歌也。なりにてのには助字也。つゞきてさくにてあらふとの義也。なりてあらずや也
藥師 太宰府の官人也。醫師の義なるべし。未v孝
830 萬世爾得之波岐布得母烏梅能波奈多由流己等奈久佐吉和多流倍子 【筑前介佐氏子首】
萬世爾得之波岐布得母 きふともは、來經共也。きふるとも也だ 此歌一首萬世の二字を書たりけん。三十二首共皆一字がき也。祝言をあらはさん爲か
佐氏子首 未v者
831 波流奈例婆宇倍母佐枳多流烏梅能波奈岐美乎於母布得用伊母禰奈久爾 【壹岐守板氏安麻呂】
うべもは尤と云ふ意に同じ。春になれば理にもさける梅の花と云意也
岐美乎於母布得 梅を君と云ひたる也。梅が咲きたるにめでゝ、夜をもやすくは寢ぬと云ふ義也。唐の詩にも、竹を君と云ひ月を君と云ふ事もあれば、その例をもて梅をも君とよめるなるべし
壹岐守板氏安麻呂 未v考
832 烏梅能波奈乎利弖加射世留母呂比得波家布能阿比太波多努斯久阿流倍斯 【神司荒氏稻布】
よく聞えたる歌也
神司荒氏稻布 未v考。神司は主神の事也。太宰府の官人也
(36)833 得意能波爾波流能伎多良婆可久斯己曾烏梅乎加射之弖多努志久能麻米 【大令史野氏宿奈麻呂】
としのはに、はるのきたらば、かくしこそ、うめをかざして、たのしくのまめ
年のはは毎年の事也。此集中に則自注あり。一説としのはじめと云ふとあれど此歌にはかなはず。春の來る年毎にと云ふ義也。たのしくのまめは、飲酒の今日の如き宴會をせんと也
太令史 太宰府の官也。野氏宿奈麻呂、未v考
834 烏梅能波奈伊麻佐加利奈利毛毛等利能己惠能古保志枳波流岐多流良斯 【少令史田氏肥人】
うめのはな、いまさかりなり、もゝどりの、こゑのこほしき、はるきたるらし
毛毛等利 百鳥他。諸鳥の義也
己惠能古保志枳 聲のこひしき也。齊明紀に、天智帝未だ太子にてましませし時、きみのめのこほしきからにと詠ませ給へるも、こひしきからに也。上古の風體如v此也
良斯 春の來れるは知れたる事なれど、如v此不2打付1によめる事雅情の一格、如v此の類あまたある事也
小令史田氏肥人 夫v考
835 波流佐良婆阿波武等母比之烏梅能波奈家布能阿素※[田+比]爾阿比美都流可母 【藥師高氏義通】
はるにならばあはんとおもひしうめのはな也
藥師高氏義通 又藥師を擧たる事不審未v考也
836 鳥梅能波奈多乎利加射志弖阿蘇倍等母阿岐太良奴比波家布爾志阿利家利 【陰陽師礒氏法麻呂】
よく聞えたる歌也
陰陽師礒氏法麻呂 未v考。官は府の官名也
(37)837 波流能努爾奈久夜※[さんずい+于]隅比須奈都氣牟得和何弊能曾能爾※[さんずい+于]米何波奈佐久 【竿師志氏大道】
春の野になくうぐひすをなつけんとてや、我家の園に梅の花さきしと也
竿師志氏大道 末v考。官名は皆府の宮名也
838 烏梅能波奈知利麻我比多流乎加肥爾波宇具比須奈久母波流加多麻氣弖 【大隅目榎氏鉢麻呂】
まがひたるは、ちりあひたるの意、亂るゝの意、花の散りまじれる岡邊と云ふ義也。をかひは、をかべ也。うぐひすなくもは、たゞ鳴くと云計の意、もは嘆の詞也。はるかたまけて、かたと云事は六ケ敷也。まづは片の意にて、不全の義と云へり。然れども此歌には不v合也。たゞ春をむかへてと云ふ義と見る也。かたは初語とも聞ゆる也。片設と書きたるところもあり。假名書のところもありて此詞一決しがたし。かたは、かつと云ふ義とも見ゆ。此歌の意も、春になりぬれば、梅の花の散り亂れたる岡邊にはまだ鶯來鳴きあへると云ふ意と見るべし
大隅目榎氏鉢麻呂 未v考。筑前太宰府は西海の惣官所故、近國の官人寄集する故、如v此近國の官人の名をあげたるは、此時宴會に集りしと見えたり
839 波流能能爾紀利多知和多利布流由岐得比得能美流麻提烏梅能波奈知流 【筑前目田氏眞人】
春も霧をよむ事此集中に數多あり。霧の中に梅の花の散らば、雪の降るかとうたがはるべき也。聞えたる歌也
筑前目田氏眞人 未v考
840 波流楊那宜可豆良爾乎利志烏梅能波奈多禮可有可倍志佐加豆岐能倍爾 【壹岐目村氏彼方】
有可倍志 此可の字普通には脱せり。よりて或抄に、誰か植しさかづきのへにと心得たる説も有也。古本に可の字あり。あるべき筈也。此歌の意は、青柳と梅とを折りてかづらにせしが、その梅の花さかづきの上に浮めるを見て、たが浮べしぞとよめる也。柳も梅も折りてかづらにせしと也
(38)壹岐目村氏彼方 未v孝
841 于遇比須能於登企久奈倍爾烏梅能波奈和企弊能曾能爾佐伎弖知留美由 【對馬目高氏老】
おときくは聲音を聞くになり。なべにと云ふは、そのまゝすなはちと云ふ意也。先はからにと云ふ意に見る也。このなべにと云ふ語濟み難き語也。わぎへは我家也
對馬目高氏老未v考
842 和家夜度能烏梅能之豆延爾阿蘇※[田+比]都都宇具比須奈久毛知良麻久乎之美 【薩摩目高氏海人】
うめのしづえは梅の枝なるべし。下枝の義にはあるべからず。家は我の誤也。うぐひすなくものもは、例の嘆の詞也。梅は咲き鶯は鳴きて春の泉色の面白きを云ひて、梅の花の散らまくをゝしむとの歌也。鶯のをしみて鳴くと云ふ樣に聞ゆれど、をしみは我をしむの意なるべし
薩摩目高氏海人 未v考。梅人は、あまと云ふ名なるべし
843 宇梅能波奈乎理加射之都都毛呂比登能阿蘇夫遠美禮婆彌夜古之叙毛布 【土師氏御通】
うめのはな、をりかざしつゝ、もろびとの、あそぶをみれば、みやこしぞおもふ
太宰府にて官人のうち集り飲宴をするすら、かく面白きに、都にてはいかばかりにやあらんと、故郷の都をしたふ心さもありぬべし
土師氏御通 未v考。みゆきと云ふ名歟。第四卷に水通とあると同人歟
844 伊母我陛邇由岐可母不流登彌流麻提爾許許陀母麻我不烏梅能波奈可毛 【小野氏國堅】
こゝたもは、前に注せる如く、いくばくも、いかばかりもと云ふ義、多き事也。はなかものもは例の嘆の詞也。かなの意也
小野氏國堅 末v孝。無官の人にて、奧にも此氏無官にて此宴に相加はれり。最初第二番目にある小貳小野大矢の類族故歟
(39)845 宇具比須能麻知迦弖爾勢斯宇米我波奈知良須阿利許曾意母布故我多米 【筑前掾門氏石足】
うぐひすの、まちがてにせし、うめがはな、ちらずありこそ、おもふこがため
まちがてには、まちかねたる也。我待ちしを鶯におほせて詠みなせり。まちかねし梅の花咲きぬれば、その花散らずもあれかし。おもふ子のみはやさん爲にて惜める意也。おもふ子の爲とは思ふ人をさせるか。ことは女の通稱なれば、戀ひ慕ふ女などありてそれを待心にや。いづれにもあれ、たゞ梅の花の散らず、このまゝにもあれかしと願ふ歌也。ありこそはあれこそ也。こそは、ありおこせと云ふ義にも通ふ也
門氏石足 未v考
846 可須美多都那我岐波流卑乎可謝勢例杼伊野那都可子岐烏梅能波那可毛 【小野氏淡理】
かすみたつ、ながきはるひを、かざせれど、いやなつかしき、うめのはなかも
能聞えたる歌也。不v及2注釋1
小野氏淡理 未v考。太宰少貳小野太夫と前に出たる人の類族故、此宴會にもあへる歟
員外思故郷歌兩首
かずのほかふるさとをおもふうたふたくさ
員外 これは三十二首の外に、憶良の詠める歌と云ふ事なるべしと釋せる説あり。心得難し。此員外の字不v明也。然れども先右の通に見置は、諸抄の説也。宗師云、員外は旅人の事なるべし。太宰權帥なるべし。よりて唯員外郎と云ふ意に如v此記せるならん
847 和我佐可理伊多久久多知奴久毛爾得夫久須利波武等母麻多遠知米也母
わがさかり、いたくゝだちぬ、くもにとぶ、くすりはむとも、またをちめやも
(40)和我佐可理 我壯年のさかんなるもと云義也
久多知奴 降と云ふ字をもくだちぬと讀まして年のたけたる義、としふけ、くだりたると云ふ義也。よのふける事に、よくだちてなど詠めり。いたくは甚の意にて、年もいたくふけたればといふ義也
追考。師云。此二首の歌をちのかな心得難し。遠の字二首ともにかきたらば、意の誤とも見るべけれども、速越の字をわけてかきたれば、誤字とも決し難し。よりて此字のまゝに見るやうは、遠知は惜の義なるべし。知の字、しとよませる事集中にいくらもあり。然ればをしめやもは、をしまめやもといふ義と見て、歌の見やう違也。此案はいかゞ。愚案、故郷をしたふ歌なれば、落の字の意のかたに見れば安也。然れども越遠の字のたがひ何とも心得難し
久毛爾得夫久須利 仙術のくすり也。前の序文にありし如く、神仙傳、准南王割安の仙藥のうすにのこりしを、犬鷄のなめて雲にのぼりし事ありしその古事を云へる歌也。その藥をはみたりとも、勢力もおとろへくだちたれば地に落ちんと也。仙藥をのみて雲に飛ぶ通力自在を得ずしては、中々都にかへりのぼる事もなるまじけれど、今は年くだちぬれば、その藥を飲みたりともまたかへつて地におちんと也
遠知米 この遠の字誤宇と見えたり。意の字の誤りたるなるべし。落の字のおちは於也。遠ををちといふをははしのを也。こゝの假名には不v合。決めて意の字の誤と見るべし。落の字の意ならでは、此歌の意はいかにとも濟み難し。おちめやもといへる落ちるにてあらんとの意也。今時のてにはの意にては、おちまじきといふ意なれども、この歌の意はさにあらず。落ちんとの意也。思2故郷1といふ歌の意はきこえねど、次の歌にて相かねて聞えたる也
848 久毛爾得失久須利波牟用波美也古彌婆伊夜之吉阿何微麻多越知奴倍之
くもにとぶ、くすりはむよは、みやこみば、いやしきあがみ、またおちぬべし
久須利波牟用波 仙術のくすりをはむ世にはと云ふ意也。下のまたと云ふ詞をうけて見るべし。此用波のてには少打つかねども、世にはと云ふ意ならでは聞き得難し。波の字もし母の字の誤りならんか。字形もよく似たれば也
(41)美也古彌婆 藥をはむ世には、都を見たならば、かくこひ慕ふ凡情のいやしき心から、仙術通力も墮落して、折角雲に登りたりとも地に落ちぬべしと也。或説、用波はよりはと云ふ義と云へり。心得難し。よりはと云ふ意にては、此歌の意いかにとも聞き得難く六ケ敷説になる也。此歌にて都を慕ふ心あらはれたり。作者老年にて、遠國の任をとげず居たる義をなげきて詠めるなるべし。右二首共述懷の意を詠める歌なれば、旅人員外郎にてよめると聞ゆる也。をりぬべしの越は於の字の誤か
後追和梅歌四首
誰人の追和とも不分明也。或説前後の次第を見るに、憶良の追和と云へり。さもあらんか。然れども作者を不v記ば决し難く其上三十二首の歌の中に、憶良も人數に入て詠みたれば、外人の追和ならんか。思故郷歌に次て被v載たれば、これも旅人の歌ならんか。歌の意もわが宿抔よみて大伴卿の歌に聞ゆる也
849 能許利多流由棄仁末自列留烏梅能半奈半也久奈知利曾由吉波氣奴等勿
850 由苫能伊呂遠有婆比弖佐家流有米能波奈伊麻左加利奈利彌牟必登母我聞
851 和我夜度爾左加里爾散家留牟梅能波衆知流倍久奈利奴美牟必登聞我母
右三首の歌聞えたる也。不v及v注也
852 烏梅能波奈伊米爾加多良久美也備多流波奈等阿例母布左氣爾于可倍許曾
うめのはな、いめにかたらく、みやびたる、はなとあれもふ、さけにうかべこそ
いめにかたらくは 夢に相かたらふ也。かたると云ふるをらくと延べていへり
みやびたる 風流の二字をもみやびと読み、閑麗の二字をもよむ。いづれもうるはしく風雅なることに云ふ也。都びたると云ふ意也。然れば花のうるはしくよき姿と云ふ意也
あれもふは 我思也。これは梅花の夢に、云へる如くと聞ゆる也。然れども、いめにかたらくと云ふまでにて、梅の花の女子などになりて、梅にあひ語りしか。まことにみやびやかなる麗はしき花にてあれば、酒に浮めて今飲みなんと云へる歟。少し(42)聞え難き歌也
うかべこそ はうかべんと願ふ詞也。また花のうかめてと云ひたるか。詞不v足歌のやうなれば决し難し。先は作者の盃に浮めんと願ふ歌と見ゆる也。一説の歌の下の句なればよく聞ゆる也
一云伊多豆良爾阿例乎知良須奈左氣爾干可倍己曾
此一説は、本書のいめにかたらくの次をいたづらにあれをちらすな云々と詠める也。此下の句本書のかたより勝りて聞よき也。是にては全く終の句まで、梅花の夢に語りし詞首尾連續して聞ゆる也。本書の歌にては、梅花自身にみやびたる花とあれもふとは心得かたき詞なれど、夢中の言の事なれば道理を索むべきにもあらざる歟。さけにうかべこそは、盃にうかべて賞愛せよと也
遊於松浦河序
余以暫徃松浦之縣逍遥聊臨玉島之潭遊覽忽値釣魚女子等也花容無雙光儀無匹開柳葉於眉中發桃花於頬上意氣凌雲風流絶世僕問曰誰郷誰家兒等若疑神仙者乎娘等皆咲答曰兒等者漁夫之舍兒草庵之微者無郷無家何足稱云唯性便水復心樂山或臨洛浦而徒羨王魚乍臥巫峡以空望煙霞今以邂逅相遇貴客不勝感應輙陳歎曲而今而後豈可非偕老哉下官對曰唯々敬奉芳命于時日落山西驪馬將去遂申懷抱因贈詠歌曰
松浦河肥前國也。日本紀第九神功皇后紀に見えたり。和名抄卷第五國郡部、肥前國松浦【萬豆良】此郡の内にある也
序文追而可v考。諸抄にゆづり置也
853 阿佐里須流阿末能古等母等比得波伊倍騰美流爾之良延奴有麻必等能古等
あさりする、あまのこどもと、ひとはいへど、みるにしらえぬ、うまびとのこと
(43)あさりする 海邊にて、貝藻を海人の子のとりひろふ事也。あさりあしさぐる也。いさりとも云。すなどりなどするを云也。
しらえぬ みるにしられぬる也
うまびとのこ よき人の子としらるゝ也。うま人とは、名人貴人等をさして云へる也。神功皇后紀熊之凝の歌にも、うま人はうま人どちと詠めるよきひとゞち也。序文に、娘等皆咲答曰兒等者漁夫之舍兒云々と云へる詞につきて、あさりする海人の子とは云へど、容貌美麗にしてよしある人と見ゆれば、さやうの卑しき人にはあらじと也
見るにと云ふは、見るからに、そのまゝの意也
答待曰
待は詩の誤也。詩と云ふ字にても、こたへ歌に云ふとよむべき也
854 多麻之末能許能可波加美爾伊返波阿禮騰吉美乎夜佐之美阿良波佐受阿利吉
たましまの、このかはかみに、いへはあれど、きみをやさしみ、あらはさずありき
たましま 松浦川とも、玉嶋川とも云へり。日本紀卷第九神功皇后紀に、松浦縣に至て、進食於玉嶋里小河之側云々とあり。松浦川と同所也
きみをやさしみ 君をはづかしくて也。今俗語にやさしきと云とは、うるはしの意也。此集中にも世の中をうしとやさしとよみて、はづかしきといふ意也。古今の歌にも、なにをして身のいたづらにおいぬらん年のおもはん事ぞやさしきと詠めるはづかしき也。其外物語にも、はづかしきといふ事を、皆やさしとは書けり
蓬容等更贈歌三首
容は客の誤也
蓬客等 蓬莱の客といふ意にて、松浦川の娘子は仙女と見て、蓬莱宮に來りし意を以て、仙境の客と云義に如v此書けるなるべし。憶良自身の事をいへるから、等の字を被v書たると見えたり
(44)更贈 はじめ一首の歌を被v贈て返歌ありしに、また三首被v贈故更と也。更は再びの意也》
855 麻都良河波可波能世比可利阿由都流等多多勢流伊毛河毛能須蘇奴例奴
まつらがは、かはのせひかり、あゆつると、たゝせるいもが、ものすそぬれぬ
松浦川にて、あゆつる起りは、日本紀卷第九神功紀に見えたり。何事も無きよく聞えたる歌也。あゆは和名抄云、本草云、年魚〔上音夷、蘇敬注云、一名鮎魚、上、奴兼反、阿由、漢語抄云、銀口魚、又云、細鱗魚、崔禹食經云、貌似v鱒而小有2白皮1無v鱗。春生夏長秋衰冬死、故名2年魚1也。〕日本紀神功皇后紀、細鱗魚
856 麻都良家流多麻之麻河波爾阿由都流等多多世流古良何伊弊遲斯良受毛
まつらなる、たましまがはに、あゆつると、たゝせるこらが、いへぢしらずも
能きこえたり
857 等富都比等末都良能加波爾和可由都流伊毛我多毛等乎和禮許曾末加米
とほつびと、まつらのかはに、わかゆつる、いもがたもとを、われこそまかめ
等富都比等 へだたりさりたる旅行の人を待つといふ意に、下のまつらとうけん爲とほつ人とは詠み出たり
わかゆつる は若あゆつる也
われこそまかめ はおもひをかけし意也。わが妻ともせんとの意也
娘等更報歌三首
松浦川に魚を釣し娘子共也
858 和可由都流麻都良能可波能可波奈美能奈美邇之母波婆和禮故飛米夜母
わかゆつる、まつらのかはの、かはなみの、なみにしもはゞ、われこひめやも
(45)なみにしもはゞ 並々におもはゞ也。河なみのなみにうけて、並々に思はゞわれこひめや。なみ/\にはおもはぬからこふとの意也
859 波流佐禮婆和伎覇能佐刀能加波度爾波阿由故佐婆斯留吉美麻知我弖爾
はるされば、わぎへのさとの、かはどには、あゆこさばしる、きみまちがてに
加波度 瀬戸水戸などいふに同じ。鳴門などいふも同じく川に添たる所あり。たとへば水の早き所などを云也
あゆこ あゆの子也。さばしるははしる也。さは初語也。第三卷には小狹走ともあればこさともに初語歟
まちがてに まちかねての意也。まちかねてこなたかなたと立はしると云義を、あゆこによせて云へると聞えたり。またまちがてにと云ふ意にも見ゆる也。好所に可v隨也。一説、あゆこさばしるを見せましものをと、君をまちかねるの意とも聞ゆる也
860 麻都良我波奈奈勢能與騰波與等武等毛和禮波與騰麻受吉美遠志麻多武
まつらがは、なゝせのよどは、よどむとも、われはよどまず、きみをしまたむ
なゝせのよど 大河故七の瀬ありといひたり。さもあるまじけれど詞の花にかくはよめり。よどは水のたまりのところ也。
早き瀬の上下にはきはめて水のよどみたまりある也。その如く河瀬はよどみたるみありとも、君を思ふ心はたゆまず待たんと也
後人追和之詩三首都帥老
當集撰者の詞なれば、如v此もあるべき。然れども大伴卿と憶良同時の人を後人と書ける事不審也。此標題不審也。後人追加と書きて、下に都帥老とある義心得難き也。拾穗には追和歌三首と直したる書を證本としてのせたれど、これも彼明壽院の差略の本故正本とは心得難し。古本印本悉後人追加と記したり。いかさま誤字歟、衍字あるべし。目録には帥大伴卿追和歌三首とあり。これを可v取歟。拾穗はこれによれり
(46)都帥老 大伴旅人といひ傳へり。都は太宰府も九州もひなの都といふものなれば、太宰府のかみ故知v此記せる歟。菅家の詩に、都府棲唯看風色と作り給ふ事もあり。然れども古一本に都の字なき本もあり。然れば奧の歌の所に都の字一字脱したればこゝは衍字なるべし。上の後人追加の二字も衍字歟、後人の傍注歟なるべし。此端作全体心得がたし。目録には後人の二字なき也
861 麻都良河波河波能世波夜美久禮奈爲能母能須蘇奴例弖阿由可都流良武
まつらがは、かはのせはやみ、くれなゐの、ものすそぬれて、あゆかつるらん
阿由可都流良武 あゆかのかは助語也。あゆをつるらんと也
862 比等未奈能美良武麻都良能多病志未乎美受弖夜和禮波故飛都々乎良武
ひとみなの、みらんまつらの、たましまを、みずてやわれは、こひつゝをらむ
ひとみなのは此集中に數多ある詞にて、今時はみな人のとよむ詞に同じ。みらんはみるらん也。歌の意は不v及v注。能聞えたり
863 麻都良河波多麻斯麻能有良爾和可由都流伊毛良遠美良牟比等能等母斯佐
まつらがは、たましまのうらに、わかゆつる、いもらをみらん、ひとのともしさ
いもらをみらん人のともしさ いもらを見し人の少きと、見たる人をほめたる歌也。わが見ぬから見し人の少きかなといひて、見し人をうらやみし意もかねたり
宜啓伏奉四月六日賜書跪開對凾拜讀芳藻心神聞朗似懷泰初之月鄙懷除私若披樂廣之天至若※[羈の馬が奇]旅邊城懷古舊而傷志年矢不停憶平生而落涙但達人安排君子無悶伏冀朝宣懷※[擢の旁]之化暮存放龜之術架張趙於百代追松喬於十齡耳兼春垂示梅花芳席群英擒藻松浦玉潭仙暖贈答類杏檀各言之作(47)疑衡皐税駕之篇耽讀吟諷戚謝歡怡宜戀主之誠誠逾犬馬仰徳之心心同葵※[草がんむり/霍]而碧海分地白雲隔天徒積傾延何慰勞緒孟秋膺節伏願萬祐日新今因相撲部領使謹付片紙宜謹啓不次
これは吉田連|宜《ヨロシ》が憶良への返事也
宜 氏吉田、姓連世。續日本紀卷第壹文武紀及元明聖武紀に見えたり。追而可2書加1。懷風藻云、正五位下圖書頭吉田連宜【二首年六十】
封凾云々 序文の注解淨書の時可v加也。畢竟帥老宅にて、宴會の事と松浦川にて仙女に逢しことの返翰也
奉和諸人梅花歌一首
諸人はこの宴會の時の三十二人の人をさしていへり
864 於久禮爲天那我古飛世殊波彌曾能不乃乎梅能波奈爾母奈良麻之母能乎
おくれゐて、ながこひせずば、みそのふの、うめのはなにも、ならましものを
於久禮爲天 宜か都にのこりゐて、宴會にあはざりし事をいへり
那我古飛世殊波 この句六ケ敷也。諸抄の説は、梅の花が宜をのこし置きて、殘多とて宜をこひせずばといふ意也。然れども殊の字清音の字也。しかれば受と濁音には読みがたし。崇髪紀のやまと奈殊の殊も、大物主の神の作りなし給ふ大和國といふことにてなすといふ清音也。また神さび世殊と、此集中にも毎度詠めるも、神さびをするといふ義也。よりて宗師案は、汝がといふはもろ人をさしていへる義、こひせずは梅の花にもろ人のこひをするは、さても梅の花こそめでたきものなれば、かくおくれゐてその宴會などをうらやまんより、大伴卿のみその生の、その梅の花にもならましをと云歌と見るべしと也。然れども今少歌の意くだつきたるやうなれば、いづれとも意難v决。殊の字清音なれども、清音音便にて濁る事此梅の歌の内にもあげて數へ難ければ一决しがたし。尚沈吟の人可v加2後案1也。ながこびせずはといふ事は聞得難し。せずはさすといふ詞なれども、汝がといふ詞をもろ人にかけてはてには聞えず。汝にこひせずならばさもあらんか。また梅のこひをもろ人に(48)さすといふ義にても通じ難く六ケ敷也。もし誤字などありて一字の違にてかく聞まがふ事もあらん。安く聞ゆるは汝かは梅にかけておくれゐて、かく宴會の事をわれにうらやましこひさするはといふ意也。かく戀さするはみその生の梅になりたきといふ意也。諸人にもてはやされ、おくれゐるわれにも、かく汝が戀すれば梅の花になりたきとの意にも聞ゆる也
和松浦仙媛歌一首
まつらのやまひめにこたふるうた一首
865 伎彌乎麻都麻都良乃于良能越等賣良波等己與能久爾能阿麻越等賣可忘
きみをまつ、まつらのうらの、をとめらは、とこよのくにの、あまをとめかも
この歌は、前に松浦川の娘子更にこたふる歌二首の和歌也。右の二首に、きみまちがてにきみをしまたんと詠めるを直にうけて、きみをまつまつらとつゞけたる也
とこよのくには 仙人のすむ國といひ傳へたれば、世の常の人にはあるまじ。とこよの國の仙女のあまならんと也
思君未盡重題二首
これも吉田連宜憶良へ被v贈也
866 波漏波漏爾於忘方由流可母志良久毛能智弊仁邊多天留都久紫能君仁波
はる/”\に、おもほゆるかも、しらくもの、ちへにへだてる、つくしのくには
はるかに遠くへだてしことを詠めり。おもひ慕ふ事の限りなく盡きせぬ意をふくめて也
867 枳美可由伎氣那我久奈理奴奈良遲那留志滿乃己太知母可牟佐飛仁家理
きみがゆき、けながくなりぬ、ならぢなる、しまのこだちも、かんさびにけり
きみがゆきは前に注せり。行の字を書たる所あれば、たびとも讀むべきかと前に注せしかども、假名書あればきはめてゆき也
(49)つまりたる詞のやうなれど古語なれば用べし。憶良の太宰府へ行きし事の久しくなりたると也。
氣永久は けは初語也。たゞ永く久しくなりたる事を嘆きて詠める也
ならちなるは 大和路のしま/”\くま/”\などよめる意に同じきやうに聞ゆる也。もし嶋は所の名か。憶良の居所などにや共見ゆる也
神さびにけりは 太宰府に年久ゐたまへば、故郷のみちすがらの木立も古びたると也
天平二年七月十日
返翰月日付也
憶良誠惶頓首謹啓
これは國巡見ありしに、憶良は障ありて巡見せざりし故、その殘念を歌にあらはして都へ上せたる序の文也
憶良聞方岳諸侯都督判史並依典法巡行部下察其風俗意内多端口外難出謹以三首之雛歌欲寫五藏之欝結其歌曰
拾穗抄にくわし。よりて不v釋。尚清書の時可v加2再考1也
868 麻都良我多佐欲比賣能故何比列布利斯夜麻能名乃美夜伎々都々遠良武
まつらがた、さよひめのこが、ひれふりし、やまのなのみや、きゝつゝをらむ
麻都良我多 松浦なるといふ義也。難波がた、あかしがたなど詠めるも同じ。かたとは鹽のひかたをもいひたる事にて、すべて海路に付きたる所をいふとの説あれども、それに限るべきにもあらず。そこの國そこの浦といふ義なるべし。方の字の意にて、音便だくにて、我と濁ると聞えたり
さよひめのこ こは女の通稱也。たゞ左欲姫といふ義也。松浦の事は、前に注せる如く肥前の國也。さよひめの事は奧に委しくあり
(50)名のみやきゝつゝをらん 巡見に行かずして殘り居りたれば、得見ずて名のみ聞きてやをらんと殘念がりし意也
869 多良志比賣可尾能美許等能奈都良須等美多多志世利斯伊志遠多禮美吉
たらしひめ、かみのみことの、なつらすと、みたゝしせりし、いしをたれみき
たらしひめは 息長足姫命神功皇后の御事也。前に注せり。三韓御退治の時、玉嶋川にて年魚を釣らせ給ふ事也
なつらす なは魚也。日本紀神功皇后紀に、自注を被v擧たり。なつらすとは、魚をつり給ふとて立せ給ふ石はたれ見きと也。われはえ見ざる故にたれ見きと疑ひて詠めり。神功皇后の釣をさせられたる事は日本紀第九に詳也。その古事の石を詠める也
一云阿由都流等
本文なつらすといふ句を一本に如v此有と也
870 毛毛可斯母由加奴麻都良遲家布由伎弖阿須波吉奈武遠奈爾可佐夜禮留
もゝかしも、ゆかぬまつらぢ、けふゆきて、あすはきなむを、なにかさやれる
もゝかしもの斯は助語也。百日ゆかぬとは、近きといふ義也。太宰府より松浦までは、けふ行きてあすかへらるゝ一宿の行程なるにといふ義也
きなんは かへりなん也。かへりを約すればき也
さやれるはさはれる也。はとやと通ふ例多し。何の故障ありてかわれは巡見に洩れしと恨みたる意也。たゞし何かとさはりありてえ不v行といへる意とも聞ゆる也。何のさはりありてかといふ意にては、自分の歌にして聞きにくき所あり
天平二年七月十一日筑前國司山上憶良謹上
(51)大伴佐提比古郎子特被朝命奉使藩國艤棹言歸稍赴蒼波妾也松浦【佐用嬪面】嗟此別易歎彼會難即登高山之嶺遥望離去之船悵然斷肝黯然銷魂 遂脱領巾麾之傍者莫不流涕因號此山曰領巾麾之嶺也乃作歌曰
日本紀第十八宣化紀同第十九欽明紀等に、狭手彦の事委し。序文古事引書等追而可v孝
松浦佐用嬪面 肥前風土記には乙等比賣とあり
領巾 女のかしらをつゝむ服とあり。日本紀等に見えたり。ひれのはしにつゝみてなど云事見えたり。天武紀、又續日本紀文武天皇慶雲二年夏四月丙寅、是〔諸國釆女肩巾田依v令停v之、至v是復v舊焉云々。〕遊仙窟注曰、〔領巾袂曰2※[巾+皮]子1、春著2領巾1秋著2※[巾+皮]子1、皆婦人頭上巾也云々
乃作歌曰 如v此あるに拾穗抄にはすべて序の前にも作者の名を擧げ、又歌の前にも名を記せり。此集の格を不v辨後作也。當集は第二巻より悉作者の名は最初にあらはして、山上憶良何歌三首如v此ある也。しかるを後世の撰集の趣に擬へて歌三首と記し、其下に名を記せる事後作の證とすべし。此處のみに限らず。第一第二巻にても相違の事多し。然而此序文ともすべて後人後に附會したるにやあらん。作者の次第文義不審多也
871 得保都必等麻通良佐用比米都麻胡非爾比例布利之用利於返流夜麻能奈
とほつびと、まつらさよひめ、つまごひに、ひれふりしより、おへるやまの名
とほつびと まつとうけん爲也。尤さよひめは上古の事也。よつて遠き昔の人といふ意をもかねて也。まつは待といふ詞にかけて也。ひれふりの山と名づけたるは、このおこりよりとの義也
後人追加
憶良のよめる右の歌に追而和へたる也。作者たれとも知れず
872 夜麻能奈等伊賓都夏等可母佐用比賣何許能野麻能閉仁必例遠布利家無
(52)やまのなと、いひつげとかも、さよひめが、このやまのへに、ひれをふりけん
このやまのへは 山の上也。邊の意にも通ふ也
歌の意聞えたる通也。後の世までも山の名にのこりていひ傳へよとてか、此ひれふりの山の上にひれをふりけんと也
最後人追加
後人の又その後の人也。しかれば後人追加の歌にまたこたへたるといふ義也
873 余呂豆余爾可多利都夏等之許能多氣仁比例布利家良之麻通羅佐用嬪面
よろづよに、かたりつげとし、このたけに、ひれふりけらし、まつらさよひめ
このたけには ひれふるの嶺をさして也、。和名抄云、嶽、蒋魴切、韻曰、嶽、高山名也。五角反。〔宇亦作v岳訓與v丘同、未v詳。漢語抄云、美太介。〕或説に山上に池あるを獄といふと也。たけのたは清濁不v决也。此嶺に沼あり。肥前國風土記云。〔松浦縣之東三十里、有2※[巾+皮]搖岑1【※[巾+皮]搖此云2比禮府離1】最頂有v沼計可2半街1、俗傳云、昔者檜前天皇之世、遣2大伴紗手比古1領2任那國1。于時奉v命經2過此墟1。於v是篠原村【篠資農也】有2娘子1、名曰1乙等比賣1、容貌端正孤爲2國色1、紗手比古便娉成v婚、離別之曰乙等比賣登2此峯1擧v※[巾+皮]招、因以爲v名、藩國三韓之於2我朝1猶v有3家之有2藩屏1也。〕古は多氣、陀氣とも通じて清濁相かねていへる歟。和名の假名も濁音にあらず。和語には、初の音を濁る事少しと云へる説あり。一概にはいひがたし。大方は下につく詞を濁る也。からの音にいふ詞は、かしらから濁音多き也。らりるれろの詞と、濁音を頭におく事はまれなる也
最最後追和二首
古一本に後の字の下に人の字あり。三度めの追加の歌也。作者いづれとも不v知也
874 字奈波良能意吉由久布禰遠可弊禮等加比禮布良斯家武麻都良佐欲比賣
ひれふらしけんは 人にふらせしやうに聞ゆれどふりけんといふ義也。詞をゆがめて詠みたる迄也
(53)875 由久布禰遠布利等騰尾加禰伊加婆加利故保斯苦阿利家武麻都良佐欲比賣
ゆくふねを、ふりとゞみかね、いかばかり、こほしくありけん、まつらさよひめ
とゞみかねは とゞめかね也。尾と云濁音はみ也。みはめ也。
故保斯苦は こひしく也
書殿餞酒日倭歌四首
ふとのにうまのはなむけの酒もりの日云々
これは天平二年十二月大伴旅人大納言に任じ給ふとき、憶良書院にて餞別の宴を設けし日といふ義也
書殿 今の客殿の如き所也。書院とも今日云也。もしくは太宰府の書殿歟。國府には諸文書を集納の所ありて、文殿書殿といふものある也。諸抄の説は憶良の亭の書殿といひなせり
餞 説文云、送去也。玉篇云、自剪切、送v行設v宴也
876 阿摩等夫夜等利爾母賀母夜美夜故摩提意久利摩遠志弖等比可弊流母能
あまとぶや、とりにもかもや、みやこまで、おくりまをして、とびかへるもの
あまとぶや 鳥は天をとぶもの故、古詠にかく詠める歌數ふべからす。あまとぶやかるともかりともつゞきて、とりといふ冠辭に詠める也
とりにもかもやは とりにもなりたきかなと云意也。かもは皆願ふ詞也
とびかへるもの 此ものと止めたる義、とりにかへりたるてには也。畢竟かへらんものといふ意也。とりはとびかへるもの、鳥にもかもと願ふたる歌也
877 比等母禰能事良夫禮遠留爾多都多都夜麻美麻知可豆加婆和周良志奈牟迦
(54)ひともねの、うらぶれをるに、たつたやま、みまちかづかば、わすらしなんか
ひともね 人のむね也。或説に人皆のと云義と云へり。然れば皆は五音通ずれども、皆のといへる事は心得がたし。人皆はとあるべき也。人のむねの内は、名殘を悟みて悲しくなやみをるといふ意也
うらぶれ この詞毎度ある詞なり。うらは初語にもいへり。また心といふ義にもいへり。心悩といふ義をうらぶれと云と聞えたり。おもひありて、心の悩みある事をうらぶれをるとは云へり。もろとも思ひに悩むなれば恨むる意もおのづからこもれり。古今の、秋萩にうらぶれをればの詞も、とくとは濟みたる説なき也。先物を思ひ悩みゐる事と心得べし。然れば此歌の意も、太宰府に殘り止れる人々のむねの内には、名殘を惜みて慕ひわび思ひ悩みをるにと云義也
みまちかづかばとは 御馬近づかば也。立田山は故郷也。その邊に馬近かば、かくこなたには慕ひなやみをるに、そなたにはもはやこなたの事は忘れたまはんかと也。わすらしなんかのしは助語と同じ。忘れさせられんと云意也
878 伊比都々母能知許曾斯良米等乃斯久母佐夫斯計米夜母吉美伊麻佐受斯弖
いひつゝも、のちこそしらめ、とのしくも、さぶしけめやも、きみいまさずして
いひつ⊥もは 君のましませし事を跡までもいひ出しての義也。いひ出して慕ふの意也。よりてとのしくもと詠めり。わかれて後こそおもひ知らめと也
とのしくもは 乏數も也。さむしくものゝたらはぬ意他。珍らしき事、ほめたる事にも乏敷といふ事あれど、こゝはものゝ足らぬ方のともしき也。ものゝさびしき意也。則下にさぶしけめやもとあり。やもは例の嘆の詞也。此歌はいまだ別れざる前の歌也。立別れたらん後をおもひやりて悲みたる歌也
879 余呂豆余爾伊麻志多麻比提阿米能志多麻乎志多麻波禰美加度佐良受弖
よろづよに、いましたまひて、あめのした、まをしたまはね、みかどさらずて
いましは まし/\て也。いは初語也
(55)あめのしたまをしたまはね 天下の政を上へ奏上の事を下へのべ給ひてと也。大納言に任じて歸京なれば、大ものまをすつかともよばるゝ官なるによりて、かくも詠めるならん
みかどさらずて 朝廷をさらずして也。幾久しく君朝に仕へたまへと、祝して詠める也
聊布私懷歌三首
いさゝかわたくしのおもひをのぶうた二くさ
拾穗抄に御の字敢と作り、聊に作る本もありと釋せる心得難し。當集の端作り大方聊述心緒などとありて、敢の字書きたるは珍らし。これも明壽院の筆作ならんか。憶良の述懷の意をあらはしたる歌也
880 阿麻社迦留比奈爾伊都等世周麻比都都美夜故能提夫利和周良延爾家利
あまさかる、ひなにいつとせ、すまひつゝ、みやこのてぶり、わすらえにけり
あまさかるひなとは 前に注せり。天は遠くさかりたるものなれば、そこにます日といふ義をうけたる詞也
比奈爾 ひなの事前に注せり。都の外をひなと云也。つくしに下り居る故ひなにと也
伊都等世 筑前守にて、五年の間は太宰府に被v勤し也。令條の年限はすべて任官の交替六年を被v限也。然れども續日本紀を考ふるに、寶字二年の詔に、國司交替以2四年1爲v限ともあり。憶良老年にて、延任といふものにてや。受領にあらるゝ事の長を述懷の意に聞ゆる也。六年の年限の内故、いつとせとよまれたるなるべし
みやこのてぶり ては初語也。都の風俗振舞也。神代卷の歌の後注にひなぶりなどあるも同じ。古今集に、くに/”\の歌を、そのくにぶり、かのくにぶりとあるも同事也
わすらえは 例の通れ也。わすられに也
881 加久能未夜伊吉豆伎遠良牟阿良多麻能吉倍由久等志乃可伎利斯良受提
かくのみや、いきつきをらん、あらたまの、きへゆくとしの、かぎりしらずて
(56)いきつきをらん 都を慕ひ苦しみをらんと也。すだくなどいふと同意にて、物おもひなどある時は、ひたとゝいきをつくなどいふと同じ
吉倍由久 來經ゆく也。消の字の意にはあらず。諸抄の説は、古事記のみやすひめの歌、月は消ゆくと有を、作例に引ていへるは假名を不v辨故也。消のかなはきえ、こゝはき倍なれば、來りへるの義也。もし倍の宇延の字などの誤字ならば、消の字の意なるべし。いづれにても歌の意は同じき也。いつを限りとも無くかく計り遠國の受領にて、年月を過ぎ行く事かと、いきつきといひて、苦しみながら世を過ぐるとの述懷の歌也
後按、十五卷目の葛井連子老作挽歌、天地等中略安良多麻能月日毛伎倍奴可理我禰母、如v此あればこゝの吉倍由久も來徃也。消の事にはあらざる也
882 阿我農斯能美多麻多麻比弖波流佐良婆奈良能美夜故爾※[口+羊]佐宜多藤波禰
あがぬしの、みたまたまひて、はるさらば、ならのみやこに、めさけたまはね
あかぬしの みかどをさしてか、又は旅人をさしてか、とかく先を尊稱して也。あが主君といふ意也。天子をさし奉るははゞかりあれば、旅人をあがまへての義なるべし
みたまたまひて みことのりをといふ説もあれど、心をつけたまひてとの義と聞ゆる也。惠の心をもて何とぞ遷任をもなさゝしめて、都へめし上させ給へと願ひの意也。五年とありて春になりたらばとあるなれば、春の縣めしの除目に轉任させられて、めし上さゝしめ給へとの歌也
めさけは めしあげ也。たまはねはたまへといふ意にもかよひ、たまはれと云義にも通ふ也。いづれにても意同じ
天平二年十二月六日筑前國司山上憶良謹上
右は旅人へ被v贈し也
三島王後追和松浦佐用殯面歌一首
(57)みしまのおほきみの、のちにおふてこたふるまつらさよひめのうた一首
三嶋王 傳未v詳。續日本紀光仁紀〔寶龜二年七月〕從四位下三嶋王之女河邊王葛王〔配2伊豆國1至v是皆復2屬籍1〕
883 於登爾吉岐目爾波伊麻太見受佐容比賣我必禮布理伎等敷吉民萬通良楊滿
おとにきゝ、めにはいまだみず、さよひめが、ひれふりきとふ、きみまつらやま
ひれふりきとふ ひれふりきといふ也。第十四に、からすとふといふも、からすといふと云義也
大伴君熊凝歌二首【大典麻田陽春作】
これはくまごり天平三年六月に、相撲使なにがしに從ひて肥前國より都へのぼる時、安藝國佐伯郡にて煩出でゝ死けるを、後にいたみてよめる歌也と諸抄の説也。未v決。此歌麻田陽春と下に作者を記せる不審也。此集中の書法とかく作者を上に記したり。此歌熊凝の自身の歌にはあらざる歟。奧の歌は全自歌と見ゆれども、諸抄の説作者の名に心付て、陽春熊凝になりて詠める抔と釋せり。愚意難v定也。奧に詳也。大伴は氏、君は姓也
大典麻田陽春作
此作者付雄2心得1。後人の傍注ならんか
884 國遠伎路乃長手遠意保保斯久許布夜須疑南己等騰比母奈久
くにとほき、みちのながてを、おほゝしく、こふやすぎなん、ことゝひもなく
國遠伎 肥前より都へ上る路の事をいふにはあるべからず。黄泉の義なるべし。奧の憶良の歌にも、みちの長手をかれ/\とゝありて、黄泉の歌也
おほゝしく 欝の字也。うつもうと蔽ひたる如くおぼつかなき心也。迷途黄泉の路、いと遙かなりと傳へたれは、いか計おぼつかなくやおもひ侍らんよし、肥前より都への道路にもあれ、はるけき行程なれば、かくあるべき也
(58)許布夜 一本計に作るからけふやといふ説あり。けふと限るべきやう心得難し。こふやは、こひやにてあるべし。故郷をこふにて、程遠き旅行心細くて故郷をこひ慕ふ事尤ならんかし。過なんは戀ひつゝ行くならんとの意也
ことゝひもなく 事問ひともなく也。安否問ふ人もなく、心細くおぼつかなく行過ぎんと也。全く黄泉の遠行を詠める意と聞ゆる也。自歌にもあれ陽春が歌にもあれ、意は同じき也
885 朝露乃既夜須伎我身比等國爾須疑加弖奴可母意夜能目遠保利
あさづゆの、けやすきわがみ、ひとくにゝ、すぎがてぬかも、おやのめをほり
けやすき 消やすき也。きえやすきといはん爲に朝露とはおけり。人の身のはかなき事をいへり。すでに熊凝死にのぞめるはかなき當然をさして也
我身 諸抄熊凝になりてと注せり。他人の歌と見るから也。自歌と見る證は此詞也。此歌二首とも自歌にして、死にのぞめる時の歌と見ゆる也。奧の憶良の和歌も、熊凝に和ふる歌と聞ゆる也
比等國爾 肥前の事を此集中にひとくにと云へり。人の國と云意也。我住む國にあらぬと云意にて、かくいへるならん。此意は黄泉をさしていへるならん
すぎがてぬ 過行かねる也。前の歌の意を引合て詠める也。みちの長手を戀ひつゝ、おぼつかなくも行過ぎかぬる也。その過かぬるは兩親に二度あひまみえたく、戀ひ慕ふ心のまよひも晴れやらで行過かぬるとの意也
めをほり 前に注せる如く、相見る事を願ふ事をめをほりとは云へり、。ほしきといふも皆願ふ事也。ほしといふ詞を上代は皆ほりといへり
筑前國司守山上憶良敬和爲熊凝述其志歌六首并序
一本司の字なし。是ならんか
やまのへのおくらつゝしんでこたふ、くまこりがためにそのごゝろざしをのぶるうたむくさ
(59)大伴君熊凝者肥後國益城郡人也年十八歳以天平三年六月十七日爲相撲使某國司官位姓名從人参向京都爲天不幸在路獲疾即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也臨終之時長歎息曰傳聞假合之身易滅泡沫之命難駐所以千聖已去百賢不留况乎凡愚微者何能逃避但我老親並在菴室侍我過日自有傷心之恨望我違時必致喪明之泣哀哉我父痛哉我母不患一身向死之途唯悲二親在生之苦今日長別何世得覲乃作歌六首而死其歌曰
益城郡 和名抄卷第五國郡部云、肥國益城、萬志岐、國府。後に肥後國へ附たるから此序の語也
相撲使 ことりづかひと讀む。すまふつかひ也。前に注せり。すまふとは互ひにすまひて、倒さん倒れじとするもの故いへる名也。ためらふ事を云也。伊物にもめもいやしければ、すまふちからなしと書けり
拾遺集〔後拾遺集〕に、前律師慶暹の歌に
秋風にをれしとすまふをみなへしいくたびのべにおきふしぬらんと詠めるもためらひすまふ義也。たゞすまゐなど云詞は同じ詞のやうなれど、住居の事にて異なる義也
佐伯郡 おこり景行紀に見えたり。其後仁徳紀の佐伯郡の某も、安藝國ぬたに遠ざけられし事あれば、これらの因縁にて佐伯郡あると見えたり
身故 物故するといふ義、前に注せり。物の字脱したるか。但し身故とも書る例あるか。物故は物は無也。故は事也。死てはなすことなきといふ義にて、人の死を物故と云也。こゝにてはみしぬとよむべき歟。序文追而可v考
乃作歌六首而死其歌曰 如v此序文なれば、此六首の歌は熊凝になりて憶良の詠める也
萬葉童蒙抄 卷第十二終
(60)萬葉童蒙抄 卷第十三
886 宇知比佐受宮弊能保留等多羅知斯夜波波何手波奈例常斯良奴國乃意久迦袁百重山越弖須疑由伎伊都斯可母京師乎美武等意母比都々迦多良比遠禮騰意乃何身志伊多波斯計禮婆玉桙乃道乃久麻尾爾久佐太袁利志婆刀利志伎提等許自母能宇知許伊布志提意母比都々奈宜伎布勢良久國爾阿良婆父刀利美麻之家爾阿良婆母刀利美麻志世間波迦久乃尾奈良志伊奴時母能道爾布斯弖夜伊能知周疑南 一云和何余須疑奈牟
うちびさす、みやへのぼると、たらちしや、はゝがてはなれ、つねしらぬ、くにのおくかを、もゝへやま、こえてすぎゆき、いつしかも、みやこをみむと、おもひつゝ、かたらひをれど、おのがみし、いたはしければ、たまぼこの、みちのくまひに、くさたをり、しばとりしきて、とけじもの、うちこひふして、おもひつゝ、なげきふせらく、くにゝあらば、ちゝとりみまし、いへにあらば、はゝとりみまし、よのなかは、かくのみならし、いぬじもの、みちにふしてや、いのちすぎなむ
字知比佐受 前にも注せり。打ひぬ箕とつゞく詞也。うちびさつ、うちびさす、うちびさぬともあり。さすとあるは皆受也。
此に愛の字を書たるにて、悉清書に書きたるしも濁音と知れり。濁音の受はぬ也。ぬはるに通ふ事例ありて、さと初語を間に入る古語いくらもあり。よりてうちひる箕とうけたる詞也。日のさすみやと云ふ説いかにとも義不v通こと也
宮弊能保留等 みやこへのぼると也。ことり使に相從ふて都へのぼるとて也
たらちしやはゝ ちし父の事也。,父母に離れ別れて、常にしらぬ國の奧をもすぎてと也
(61)おくか くにのおくありかといふ義也。遠くへだてたるところと云ふ義を、おくかといへり。此詞とくとは濟み難き也。まづくにの奧、ありかをと見る也。
かたらひをれど 相伴ふ人々と、いつか都見んなどかたらふて也
いたはし 病吉になやめる也
くまびに 隈邊也。道の邊也。これより路頭にて病ふしたるあはれなる樣子をいへり
等計自もの 一本許に作れるを正とす。床じもの也。床のやうにと云義也。自ものといふは、そのものゝやうにと云古語前に注せり。草たをりしはとりしきて、床のやうにしてうちふしたると也
うちこい うちは初語、すべての冠辭にいへる詞也。こいはころびいねふすといふ義也。こいといふ義ねることをいへり。いはいねいぬるのいと聞ゆる也。此外こいふしといふ歌いくらも集中に見えたり
おもひつゝは 心の内にいろ/\のおもひをして也
よのなかはかくのみならし 世の有樣はいろ/\の事のあるならひなれば、如v此のみならんとさとり嘆じたる也
いぬじもの 犬などのやうに也。犬は道路にふし身をも終るもの也。その如くにと歎きたる也。前の床じものも、此犬じものにて、いよ/\あきらかなり。解霜などいふ説は仙覺のあやまり也。祝詞の辭などにも、うじものなどいふて古語ある事也
いのちすぎなんは いのちしなんと云義也
一云和何余須疑奈牟 一本には、いのちすぎなんを、わがよすぎなんともありと也
887 多良知遲能波波何目美受提意保々斯久伊豆知武伎提可阿我和可留良武
たらちゝの、はゝがめみずて、おほゝしく、いづちむきてか、あがわかるらん
たらちゝのはゝが ちゝはゝの事也。たゞはゝ計のやうに聞ゆれど、たらちゝのといふを下ののを、がにかへたる也。がはの也
(62)目美受提 對面せずしてといふ義也。人のおもてを見るは先目にあるより、相見ともいひて目を先とする故、古語皆目の事を專と云へり。めをほりなど詠める也
おほゝしく おぼつかなく也。いづかたに親のますらんとも知れねば、今黄泉におもむく長き別路、いづかたへむかひてか行かんと也。又いづかたへ向ひて親に別れを惜まんとの意とも見るべし
888 都禰斯良農道乃長手袁久禮久禮等伊可爾可由迦牟可利弖波奈斯爾 一云可例比波奈之爾
つねしらぬ、みちのながてを、くれ/\と、いかにかゆかむ、かりてはなしに
くれ/”\と 繰返し/\といふ意、來り來れと也。繰返し/\といふ意なれば、後のくは濁る也。すべてかさね詞は、後を濁る如く讀み癖也。たゞ遠くはるかなる事をいへる義也。糸をくると云はてし無く、きりのなき事をいふて、ものゝ長き事にいへるも、糸を繰り繰るといふ事よりいひ初たるにもやあらん
可利弖波奈斯爾 これは旅行の宿をかるあたひは無しにと云義也。弖と云はものゝ直の事也。ものゝ代物かはりの事を云也
いま物のあたひをねといふもこの詞より也。おもひてにせんなど古今の歌のてもね也。おもひのかはりにせんと云義也。くつてと云に菅家萬葉に沓代と書かせ給ふもその意也。宿料を用意なき迷途黄泉なれば、いかにして行くべきと也。此歌どもをめいどの事にあらざるとの説あり。心得がたし
一云可例比波奈之爾 餉はなしに也
889 家爾阿利弖波波何刀利美婆奈具佐牟流許許呂波阿良麻志斯奈婆斯農等母 一云能知波志奴等母
いへにありて、はゝがとりみば、なぐさむる、こゝろはあらまし、しなばしぬとも
とりみば 母がとりあつかはゝれなば也。たとへ死ぬるとも、命あるかぎりはなぐさむべきにと也
一云、のちはしぬとも
890 出弖由伎斯日乎可俗閇都都家布家布等阿袁麻多周良武知知波波良波母 一云波波我迦奈斯佐
(63)いでてゆきし、ひをかぞへつゝ、けふ/\と、あをまたすらん、ちゝはゝらも
いでてゆきし は國を出し時の日をかぞへ、いつ頃かへり來んと待らんと也
あをは あれを也。われを待つらん也
ちゝはゝらはも 父母たちのといふ義也。はもといふ詞、例の歎息の意也
891 一世爾波二遍美延農知知波波袁意伎弖夜奈何久阿我和加禮南 一云相別南
ひとよには、ふたゝびみえぬ、ちゝはゝを、おきてやながく、あがわかれなん
一度此世をはなれてはあふことならぬ也。人の一生涯を、一世といひたるもの也
意伎弖夜奈何久 父母を此世におきてや也。ながくとは、死別の義也
右六首とも熊凝が身になりて詠める也。よく心を得てよみし也
貧窮問答歌一首并短歌
まづしく、ともしく、くるしむのとひこたへをする歌也。まづしく困窮の至極の事を詠める也
貧窮問答歌一首
892 風雜雨布流欲乃雨雜雪布流欲波爲部母奈久寒之安禮婆堅鹽乎取都豆之呂比糟湯酒宇知須須呂比弖之可夫可比鼻※[田+比]之※[田+比]之爾志可登阿良農比宜可伎撫而安禮乎於伎弖人者安良自等冨己呂倍騰寒之安禮波麻被引可賀布利布可多衣安里能許等其等伎曾倍騰毛寒夜須良乎和禮欲利母貧人乃父母波飢寒良牟妻子等波乞乞泣良牟此時者伊可爾之都都可汝代者和多流天地者比呂之等伊倍杼安我多米者狹也奈理奴流日月波安可之等伊倍騰安我多米波照哉多麻波奴人皆可吾耳也之可流和久良波爾比等等波安流乎比等奈美爾安禮母作乎綿毛奈伎布可多衣乃美留乃其等和和氣佐我禮流可可(64)布能尾肩爾打懸布勢伊保能麻宜伊保乃内爾直土爾藁解敷而父母者枕乃加多爾妻子等母波足乃方爾圃居而憂吟可麻度柔播火氣布伎多弖受許之伎爾波久毛能須可伎弖飯炊事毛和須禮提奴延鳥乃能杼與比居爾伊等乃伎提短物乎端伎流等云之如林取五十戸良我許惠波寢屋度麻※[人偏+弖]來立呼比奴可久婆可里須部奈伎物能可世間乃道
かぜまぜに、あめのふるよの、あめまぜに、雪のふるよは、すべもなく、さむくしあれば、かたしほを、とりつゝしろひ、かすゆざけ、うちすゝろひて、しかふかひ、はなひしひしに、しかとあらぬ、ひげかきなでて、あれをおきて、ひとはあらじと、ほころへど、さむくしあれば、あさぶすま、ひきかゝぶり、ぬのかたぎぬ、ありのこと/”\、きそへども、さむきよすらも、われよりも、まづしきひとの、ちゝはゝは、うゑさむからむ、めこどもはこひ/\なくらむ、このときは、いかにしつゝか、ながよはわたる、あめつちは、ひろしといへど、あがためは、せばくやなりぬる、ひつきは、あかしといへど、あがためは、てりやたまはぬ、ひとみなが、われのみやしかる、わくらはに、ひとゝはあるを、ひとなみに、あれもつくるを、わたもなき、ぬのかたぎぬの、みるのごと、わゝけさがれる、かゞふのみ、かたにうちかけ、ふせいほの、まきいほのうちに、ひたつちに、わらときしきて、ちゝはゝは、まくらのかたに、めこどもは、あとなるかたに、かこみゐて、うれへさまよひ、かまどにはけぶりふきたて、すこしきには、くものすかきて、いひかしぐ、こともわすれて、ぬえどりの、のどよひをるに、いとのきて、みじかきものを、はしきると、いへるがごとく、いためとる、さとおさがこゑは、ねやとまで、きたてよばひぬ、かくばかり、すべなきものか、よのなかのみち
(65)物うき事の至極をいひ出たる也。風ふき雨ふりて、雪までまじりてふる夜のものさわがしく寒き體をいへり
すべもなく はいかに凌がんたよりも無く也。まづしければ、ものさびしく寒氣の防ぎかねる體也
堅鹽乎 和名抄卷第十六鹽梅類云、又有2黒鹽1〔余廉反、之保、日本紀私記云、堅鹽、岐多之。〕延喜式大膳上云、釋典祭料|石鹽《カタシホ》大顆和名抄と式の點とは違あり。いかゞ。壺に入て燒たる鹽を、堅鹽と云か。古代の事分明にわかち難し
とりつゝしろひ 此とりは初語也。惣ての詞の頭に置詞也。つゝしろひは、口をつぼみて鹽をなめる事をいふと聞えたり。堅き鹽故つゝきくふといふ義歟。つゝしりといふ事を、つしろひとは云たる詞也。りをのべてろひと云たる也。今ものをつむといふ事あり。また鳥のつゝくと云ふ事あり。然ればこのつゝしろひも、口をつぼめてくふ事を、古語につゝしりといふたると聞えたり。一説に、取しろひてと云義、取あへるの心也と云へり。つゝしろひの詞の義不v濟也
糟湯酒 さけのかすを、湯にたてゝのむ義也
須須呂比 すゝり也
之可夫可比 貝の名なるべし。しがみがほといふ義とも聞ゆれど、人の顔のしがみたるやうなる貝の事をいへると聞えたり。下にはなひし/\にとありて、鹽をなめかすゆ酒をすゝりて、鼻にひしぎたるやうに、顔をしかめたる體をいひたるもの也。しかふかひもしかみ顔とも聞ゆる也
可登阿良農 ひしひしにして、かとあらぬとうけて、かとあらぬは才學の無きといふ義をいひたる也。下の句にて明也
ひげかきなでて 自慢らしき顔をして、寒苦貧窮をも苦にせぬ體にかまへ居るをいへり
ほころへと ほこり居と也。然れども寒ければ堪へかねて、ありとしあらゆる布かたびらの類をとり出てかぶると也
ありのごと/\ ありたけ也
こひ/\なくらん 衣食を乞々て也
人皆可 人ごとにかくの如くか。われのみしかあるかと問ひたる也。如v此の句あるにより端作に問答と記せり
和久良婆爾 たま/\まれに人とは生れてあるをと也
(66)人なみにあれもつくるを 綿をも人なみにわれもつくれども、まづしきからその綿も無くて、布かたぎぬのやぶれさけたるを着るとの義也
美留乃其等 海藻の海松のごとく、はなれ/”\にやぶれそゝげたると也
和和氣 やぶれさかりたる事をいふとの説あり。又私の字の誤にて、そゝげと云義と釋せり。いづれとも難v決けれど、わゝけはわかれ/\にてやぶれ離れたる義なるべし。そゝけも義はおなじ事なれば、とかくいづれにもあれ、やぶれはなれてつゞかぬ布かたびらの、いたりてあさましきをいひたる義也
佐我禮流 下る也
可可布能尾 かゝふのみといふ點あり。かゝぬのをといふ點もあり。何の事とも不v被v決。八雲御抄の説、かゝふはつゞれの事をいふとあれば、まづその御説に從ふ也。外に思ひよるべき事なし
肩爾打懸 つゞれ布をのみ着てといふ義也。すそまでも及ばぬ肩ばかりに着たる體也
布勢伊保能 軒のひきくふせ屋などいふねぢまげたる如き、至つてあさましくいぶせき家のことを、ふせいほのまきいほとなり
直土爾 土間にすぐにといふ事を、ひたつちにと也。たゞちにといふ義に同じ。つち間に直に藁を敷て也。又ひぢつちにといふ義とも聞ゆる也。土を重ねていへる詞也。皆同音也
足乃方爾 あとのかたにとも、あとなるかたとも讀むべし。畢竟かしらと足方也
憂吟 聲をたてゝうめく如き苦しむと也
許之伎爾波久毛能須可伎弖 ものむす具也。その道具を用る事無ければ、くもの巣をかけて也
ぬえどりの能杼與比 ぬえどりのなく聲ひゆ/\となく故、のどよひとはいふ也。うらなきなどいひて、のどの内にてなく樣なる故、のどよひと也。俗にひい/\と鳴くなどいへる心也。至つてものわびしく、ひだるき體をいへり
いとのきて 集中に數多ありて、難解の言葉也。先はいとゞしくといふ義と釋せり。
(67)楚取 いためとる也。いばらとよむ字也。よりていためとると云義に用たり。若しくはしもとゝるとも讀むか。またすはえとるとも讀まんか。いためとるといふ義は、しもとなどをもちて、年貢或は出錢などをいだせとせめはたる義を云たる也。貧窮至極の上に※[土+力]なきものゝせん方もなき事をいひたるもの也
五十戸良我 これいとらとよめる點は、如何したる事にや。古來より諸抄此點を不v考なり。鷹のとるうづらなど釋せるは木に竹をつげる説也。當流秘事の訓也。これはさとおさがと讀む也。五十戸を里とよむ義訓は令條の戸令を見て知るべし。五十戸を爲v里といふ事あり。良は良民の良にて里の長也。今の代名主などの類也。もし又良の字長の字の誤りたるか。何れにてもさとおさとよむべし。これ出錢年貢などを、早く出せと責めはたるの義なり。よりていためとる也。此義古今不v濟事也。宗師數年の考案也。如v此の釋ならでは、外に此釋いかにとも可v解樣なき也
來立呼此奴 立を弖に作る一本あり。可v然歟。きたりてよばひぬ也。立の字なれば、きだちよばひぬ也。不v穩也。高聲を出し物をいだせと、未明よりも責かけるとの義也
かくばかり、すべなきものか、よのなかのみち かくの如くせん方もなきものは、世の中のならひとて是非なきものかなと、世の有樣を云つゞけたる他。まづしき事の限りを言ひて、世の有樣をしめせる歌也
893 世間乎宇之等夜佐之等於母倍杼母飛立可禰都鳥爾之安良禰
よのなかを、うしとやさしと、おもへども、とびたちかねつ、とりにしあらねば
うしとは 憂也。いとふと云意ともいへり。やさしとは、やつ/\しと云説あり。貧無v禮云v窶との意とも釋せる説あれどこれもはづかしとおもへどと云意なるべし。やつ/\しとおもへどもといふ義も同じ義也。すべき事をも闕き禮を失ふははづかしき也。物うくはづかしくおもへども、いづ方へとびたち行べきやうも、鳥にあらざればなり難きと也。せん方のなき至極難儀の體を詠める也。論語に邦有v道貪且賤恥也とある語によりて、やさしと詠めるか
山上憶良頓首謹上
(68)好去好來歌一首反歌二首
よしされよしきたれ。別訓あらんか
好來は よくかへれと云ふ意なり。これは遣唐使へおくらのよみて被v贈らるゝ也。天平五年に多治比眞人廣成遣唐使の時といへり
894 神代欲理云傳介良久虚見通倭國者皇神能伊都久志吉國言靈能佐吉播布國等加多利繼伊比都賀比計理今世能人母許等期等目前爾見在知在人佐播爾滿弖播阿禮等母高光日御朝庭神奈我良愛能盛爾天下奏多麻志比家子等撰多麻比天勅旨【反云大命】載持弖唐能遠境爾都加播佐禮麻加利伊麻勢宇奈原能邊爾母奧爾母神豆麻利宇志播吉伊麻須諸能大御神等船舳爾【反云布奈能聞爾】道引麻志遠天地能大御神等倭大國靈久竪能阿麻能見虚喩阿麻賀氣利見渡多麻比事了還日者又更大御神等船舳爾御手打掛弖墨繩袁播倍多留期等久阿庭可遠志智可能岫欲利大伴御津濱備爾多大泊爾美船播將泊都都美無久佐伎久伊麻志弖速歸坐勢
かみよゝり、いひつてけらく、そらにみつ、やまとのくには、すべかみの、いつくしきくに、ことだまの、さきはふくにと、かたりつぎ、いひつがひけり、いまのよの、ひともことごと、めのまへに、みましゝります、ひとさはに、みちてはあれども、たかてらす、ひのみかどには、かみながら、めぐみのさかりに、あめのした、まうしたまひし、いへのこと、えらびたまひて、おほみこと、のせもたしめて、もろこしの、とほきさかひに、つかはされ、まかりいませ、うなばらの、へにもおきにも、かみつまり、うしはきいます、もろ/\の、おほみかみたち、ふなのへに、みちひかましを、あめつ(69)ちの、おほみかみたち、やまとなる、おほくにみたま、ひさかたの、あまのみそらゆ、あまがけり、みわたしたまひ、ことをへて、かへらむひには、またさらに、おほみかみたち、ふなのへに、みてうちかけて、すみなはを、はへたるごとく、あてかをし、ちかのくきより、おほともの、みつのはまべに、たゞはてに、みふねはゝてむ、つゝみなく、さきくいまして、はやかへりませ
いひつてけらく いひ傳へける事也
虚見通 そらみつ也。空にみつると云點はわろし
伊都久志吉國 嚴の字の意いつくしきとは、いつ/\しきと云て、ほめたる詞よき國と云義也。皇神とは、みおやの神たちのおさめしづめ給ふ神のくにといふ義也
言靈能 師説は木魂といふ義と也。又は異靈といふ義か。大己貴の幸魂奇靈の國にて、幸ある國といふ義とも聞ゆる也。奇異靈妙の國といふ事にことだまと詠める歟。木だまと見る意は下のさきはふと云義、先はよばふとの事と聞ゆる故也。こだまは先によばふものなれば、いひつぎといふ義に、先々へよばふと詠めるか。然らばことは、木のおとたまといふ意にて、ことだまといへると見る也。大鏡に、いはひつることだまならば百とせの後もつきせぬ月を社見め、此御製の意も言靈の事に聞ゆる也。又たゞことはものいふ義にて、ものいふも皆神靈のなすところなれば、その言靈のまし/\て、先々までよばふ國故、かたりつゞくるとの事とも聞ゆる也。三説のうち尚追而後案して一決すべし。先は下のかたりつぎといふ義にかゝる事と見るべし
いひつかひ いひつぎ也。かひはき也
今のよの人もこと/”\ 今現在の人こと/”\、見聞知れる通のめでたき國と也
人佐播爾滿弖播阿禮等母 これより丹治比眞人の事を賞美していへる也。いくらの人々みちてはあれどもその中にといふ義也
御朝庭 集中みかどゝ云に庭の字を書けり。廷庭音通ずる故に書たるか。一所誤り來りしより、集中悉く基板梓を用たるか。尤此は御朝といふ二字をみかどと訓じ、庭はてには字に用たる也。日のみかどとあるは尊稱していへる也
(70)神奈我良 神なるからといふ義、神にてます故といふ義也
愛能盛爾 天子の御心にもかなひて、おほんめぐみも他に異なるさかりと也。繁榮の時といふ意也
天下奏多麻比志家子等 天の下のまつり事を奏聞し、とり行ふ由來ある臣下といふ義にいへの子といへり。丹治比は眞人廣成を稱讃して也。廣成は文武紀云、大寶元年七月壬辰左大臣正二位〔多治比〕眞人〔嶋〕薨。此左大臣の子か孫なるべし。懷風云、從三位中納言丹※[土+穉の旁]眞人廣威三首
勅肯 みことのりとも讀むべし
反云大命 反の字亦の字の誤り歟。或云と云義なり。又の字の誤なるべし。綸旨勅書の類をもたしめて也
麻加利伊弖麻勢 弖の字脱したる本あり。然れ共一本に弖の字あり。唐國へ出ませ也
邊爾母 海邊磯邊をさして也
神豆麻利 神集り也
字志播吉伊麻次 此詞古來より難v解義也。延喜式也。崇神遷宮の祝詞の文に出たり。此集中にも亦見えたり。古説播磨の牛※[窗/心]の説あり。神功皇后の三韓御退治の時、大牛來て御船をくつがへさんとせしを、住吉の御神投倒給ふ事のおこりより、うしはきいます神と云事ありと傳へたれど、實證の記を不v見は難2信用1。兎角惡しきもの、禍をなすものをはらひのぞき給ひて、諸神等の守ります義と見るべし。詞の解は如何にとも無2證明1故解し難き也。尤牛星の事は前にも注せり。第二十卷目の長歌に、久方の中畧まつろはぬひとをもやはし波吉伎欲米都可倍まつりて云々とある詞によれば、うつる時といふの義か。式祝詞の文には宇【須波岐】坐【世止】知v此あれば、式の詞はうつくしきとも不v見、尚可v考
道引麻志遠 みちびかせられんと察して詠めり
天地能大御神等 天神地祇を指して也
倭大國靈 帝都の地主のおほん神三輪明神の御事なれば、別而守りを加へ給へとの意也。天上空中をもかけりて見そなはし守らせ給ひて、事をゝへしめて、歸朝の時もまた諸神等船の邊に神力を添給ひてと也。天かけりは延喜式祝詞卷の文にも見え(71)たり。天翔國翔とあり。又同詞、遠國は八十綱打掛ともあり
墨繩 工匠の引すみなはの義也。枉曲を直し物を直にするもの也。和名抄卷第十五工匠部云、繩墨、内典云、端直不v曲、喩如2繩墨1【涅槃經文也、繩墨和名須美奈波】此集第十一にも出たり。雄畧紀にも工匠の歌に、あたら〔しきゐなめのたくみかけし〕すみなはと詠めり。眞直にとゝこふらず、たゞ一ずぢにといふの意也
播延多留期等久 わたし打のばしたる如くに也。大工のすみなはを引る如く眞直にさはり無く、とゞこふらずといふ義也。引わたす事をば古くは、はえるとも云ひしと見えたり
阿庭可遠志 庭一本遲に作る、此詞不v濟義也。諸抄の説は、あてかはしといふ義にて、木の本末に墨繩を當し歌也と注せり。義不v濟也。類語無ければ、如何にとも難v釋也。あは初語にて、手かぢをしてといふ義にて、諸神の手づからかぢをなされてといふ事ならんか。これも打つかぬ説也。此句一向解し難し。後賢の釋を待つのみ
知可能岫欲利 肥前の國ちかの嶋のくきなるべし。くは山のほらさし出たる所を云也。和名抄第一地部云。岫、陸詞云、岫似祐反【和名久木】山穴似v袖也。日本紀仲哀紀には洞此云2久岐1とあり。續日本紀、聖武紀〔天平十二年十一月丙戌、〕大將軍東人等〔進士无位阿部朝臣黒麿以2今月二十三日丙子1捕2獲逆賊廣嗣於肥前國松浦郡値嘉嶋長野村1。〕貞觀式追儺祭文云、〔穢久惡伎疫鬼能所々村々爾藏里隱布流乎波千里之外四方之堺東方陸奧西方遠値嘉南方土佐北方佐渡與里乎知能所乎奈牟多知疫鬼之住加登定賜行賜弖云々。たゞしくきの海といふは筑前にありと聞て、もし國近ければ、海つゞきにて、ちかの嶋へもちかき故かく詠める歟。昔は遣唐使肥前より渡り肥前國へ歸著し、それよりまた乘り出したると聞えたり
大伴御津濱爾 攝津の難波のみつへ也。肥前のちかの島よりたゞ一すぢに直ちに着き給へと也
たゞはてに たゞちに船はかへりつきはせんと也
つゝみなく わざはひさはりなく、何のつゝしむ事なくと也。惡しきさはりあれば、何事もつゝしむ故、無事安穩の事をつゝみなくとはいふ也。さきくといふもあしき事なく、幸ありて行先とゞこふらぬ事をさきくといふ也
伊麻志弖 伊は初語ましまして也。何事もなくましくて、早くかへりませと祝賀して詠める也
(72)反歌
895 大伴御津松原可吉掃弖和禮立待速歸坐勢
おほともの、みつのまつはら、かきはきて、われたちまたん、はやかへりませ
可吉掃弖 かきはらひて也
896 難波津爾美船泊農等吉許延許婆紐解佐氣弖多知婆志利勢武
なにはづに、みふねはてぬと、きこえこば、ひもときさけて、たちはしりせんこ
紐解佐氣弖 ひもあげてとも云説あり。あげてもさけても、ひもをもせず、とりあえず急ぎはしり出んと云意也。今俗に帶とりひろげなどいふにおなじ
たちはしり 立走也。急ぎてむかひまつらんと、喜びて奔走せんと也。日本紀景行紀日本武尊欲v往2上総1望v梅高言曰、是小海耳、可2立跳渡1。この意とは違ひたれど、たちはしりと云言葉を引也
右の歌は山上憶良筑前守を遷任して、京都へ上り居られたる時と聞えたり。天平三四年の内遷任ありしか。續日本紀を考ふべし
天平五年三月一日良宅對面獻三日山上憶良 謹上
大唐大使卿記室
良宅 此字不審。憶良の宅にして對面との事歟。よりて良の一字を記せるか。難2心得1文なり。良辰のあやまりならんか。
獻三日 此歌をよみて被v贈たる日三日といふ事なるべし
大唐大使 古一本に大使の二字脱せる本あり
卿 丹治比眞人廣成をさして也
(73)記室 前に注せり。先を尊敬して直に言はず。書翰の役所をさしていふたる義也
沈痾自哀文 山上憶良作
やまひにしづみてみづからかなしむふみ
痾 おもき病を云也。病の浸深を痾といふ也。憶良病にしづんで、自哀しみて文を作り歌をも詠ぜらるべき事なるに、何とて脱したるや。歌をのせざるに文計を此集にのせられたる事不審也。奧の靈剋の歌にてかねたる歟
竊以朝佃食山野者猶無災害而得度世【謂常執弓箭不避六齋所眉禽獣不論大小孕及不孕並皆殺食以此爲業者也】晝夜釣漁河海者尚有慶福而全經俗【謂漁夫潜女各有所勤男者手把竹竿能釣波浪之上女者腰帶監龕潜採深潭之底者也】况乎我從胎生迄于今日自有修善之志曾無作惡之心【謂聞諸惡莫作諸善奉行之教也】所以禮拜三寶無日不勤【毎日誦經發露懺悔也】敬重百神鮮夜有闕【謂敬拜天地諸神等也】嗟乎※[女+鬼]哉我犯何罪遭此重疾【謂未知過去所造之罪若是現前所犯之過無犯罪過何獲此病乎】初沈痾已來年月稍多【謂經十餘年也】是時年七十有四鬢髪斑白筋力※[瓦+壬]羸不但年老復加斯病諺曰痛瘡灌鹽短材截端此之謂也四支不動百節皆疼身體太重猶負釣石【二十四銖爲一兩十六兩爲一斤三十斤爲四釣爲一石合一百二十斤】懸布欲立如折翼之鳥倚杖且歩比跛足之驢吾以身已穿俗心思累塵欲知禍之所伏祟之所隱龜卜之門巫祝之室無不在問若實若妄隨其所教奉幣帛無不祈祷然而彌有増苦曾無減差吾聞前代多良醫救療瘡生病患至若楡樹扁鵲華他秦和緩葛稚川陶隱居張仲景等皆是在世良醫無不除愈也扁鵲【姓秦字越人勃海郡人也割※[匈/月]探心腸而置之投以神藥即寤如平也】華他【字無他沛國※[言+焦]人也若有病結積沈重者在内者刳腸取病繼縫復摩膏四五日差之】追望件醫非敢所及若逢聖醫神藥者仰願割刳五藏抄探百病尋達膏肓之※[こざと+奧]處【※[隔の旁]隔也心下爲膏攻之不可達之不及藥不至焉】欲顯二竪之逃匿【謂晉景公疾秦醫緩視而還者可謂爲鬼所殺也】命根既盡終其天年尚爲哀【聖人賢者一切含靈誰免此道乎】何况生録未半爲鬼枉殺顔色壯年爲病横困者乎在世大患孰甚于此
(74)恠記志云廣平前太守北海徐立方之女年十八歳而死其靈謂馮馬子曰案我生録當壽八十餘歳今爲妖鬼所枉殺己經四年此過馮馬子乃得更活是也内教云膽浮洲人壽百二十歳謹案此數非必不得過此故壽延經云有比丘名曰難達臨命終時詣佛請壽則延十八年但善爲者天地相畢其壽夭者業報所招隨其修短而爲半也未盈斯竿而※[しんにょう+端の旁]死去故曰未半也任微君曰病徒口入故君子節其飲食由斯言之人遇疾病不必妖鬼夫醫方諸家之廣説飲食禁忌之厚訓知微行難之鈍情三者盈目滿耳由來久矣抱朴子曰人但不知其當死之日故不憂耳若誠知羽※[隔の旁+羽]可得延期者必將爲之以此而觀乃知我病蓋斯飲食所招而不能自治者乎
帛公略説曰伏思自※[蠣の旁]以斯長生生可貪也死可畏也天地之大徳曰生故死人不及生鼠雖爲王侯一日絶氣積金如山誰爲冨哉威勢如海誰爲貴哉遊仙窟曰九泉下人一餞不直孔子曰受之於天不可變易者形也受之於命不可請益者壽也【見鬼谷先生相人書】故知生之極貴命之至重欲言言窮何以言之欲慮慮絶何由慮之惟以人無賢愚世無古今咸悉嗟歎歳月競流晝夜不息【曾子曰往而不反老年也宣尼臨川之嘆亦是矣也】老疾相催朝夕侵動一代歡樂未盡席前【魏文惜時賢詩曰未盡西花夜劇作北望塵也】千年愁苦更繼坐後【古詩云人生不滿百何懷千年憂矣】若夫群生品類莫不皆以有盡之身並求無窮之命所以道人方士自負丹經入於名山而合樂之者養性怡神以求長生抱朴子曰神農云百病不愈安得長生帛公又目生好物也死惡物也若不幸而不得長生者猶以生涯無病患者爲福大哉今吾爲病見悩不得臥坐向東向西莫知所爲無福至甚惣集于我人願天從如有實者仰顧頓除此病頼得如平以鼠爲喩豈不愧乎【已見上也】
(75)竊以朝佃食山野者云々
此文追而注すべし。長文の故除2注釋1。尤諸抄に詳也
朝 此下に夕暮の字脱したる歟。あしたと計は心得難き文也
志恠記曰云々 此文も憶良の自注歟。古注者の加へたる注とも見ゆる也。古一本に小字二行に記せるあり。正本たるべきか。然らば古注者の後注なるべし
帛公略説曰云々 是より又木文歟
以鼠爲喩豈不愧乎【已見上也】 これまで沈痾哀文也。此次に歌あるべき事なるに、文ばかりを被v載たるは不審也
悲歎俗道假合即離易去難留詩一首并序
ひとのみちかりにあひ、すなはちわかれさりやすく、とゞまりがたきをかなしみなげくからうたひとぐさ
俗道 拾穗抄には悲の字と此二字とを除く。諸抄にはこれあり。俗道の字難2心得1故、明壽院の被v除たる歟。全体無常佛意を述たる序文也。奧の詩の發句に俗道と書出せり。然れば此の俗道の字もあるべき筈也。拾穗には奧の俗道の字も世道とあり
竊以釋慈之示教【謂釋氏慈氏】先開三歸【謂歸依佛法僧】五戒而化法界【謂一不殺生二不偸盗三邪淫四不妄語五不飲酒也】周孔之垂訓前張三綱【謂君臣父子夫婦】五教以齊濟郡國【謂父義母慈兄友弟順子孝】故知引導雖二得悟惟一也但以世无恒質所以陵谷更變人无定期所以壽夭不同撃目之間百齡已盡申臂之項千代亦空旦作席上之主夕爲泉下之客白馬走來黄泉何及隴上青松空懸信劍野中白楊但吹悲風是知世俗本無隱遁之室原野唯有長夜之臺先聖已去後賢不留如有贖而可免(76)者古人誰無價金乎未聞獨存遂見世終者所以維摩大士疾玉體于方丈釋迦能仁掩金容乎雙樹内教曰不欲黒闇之後來莫入徳天之先至【徳天者生也黒闇者死也】故知生必有死死若不欲不知不生況乎縱覺始終之恒數何慮存亡之大期者也
竊以釋慈之示教中略但以世无2恒質1云々
但以 拾穂抄の本はこれ迄の文を除けり
無恒質 拾穂には是より發端として書たり。注釋從2諸抄1依不v注也
俗道變化猶撃目、人事經紀如申臂、空與浮雲行大虚、心力共盡無所寄
これおくらの詩也。世の中のうつりかはる事、年月の過行人の身のおとろへをはる事、浮き雲の空を過る如く、定めなき事共をいひたる七言絶句也。詩情委敷不v及v注
老身重病經年辛苦及思兒等歌七首【長一首短六首】
おいたるみやまひおもくとしをへてくるしむ事およびこらをおもふうた七くさ
長一首短六酋 此小注は後人の傍注なるべし。此標題は、憶良の身の上の事をいへる也。前の沈痾の文の前のうり波米婆の思子等歌、次の戀男子名古日の歌等を見て、此文の意をしるべし。憶良は名達文才ありて歌も達人なりしが、一生難苦に被v責たる人と聞えたり
897 靈剋内限者【謂瞻州人壽一百二十年也】平氣久安久母阿良牟遠事母無裳無母阿良牟遠世間能宇計久都良計久伊等能伎提痛伎瘡爾波鹹鹽遠灌知布何其等久益益母重馬荷爾表荷打等伊布許等能其等老爾弖阿留我身上爾病遠等加弖阿禮婆晝波母歎加比久良志夜波母息豆伎阿可志年長久夜美志渡禮婆月累憂吟比許等許等波斯奈奈等思騰五月蠅奈周佐和久兒等遠宇都弖弖波死波不知見乍阿禮婆心波母延農可(77)爾可久爾思和豆良比禰能尾志奈可由
たまきはる、うちのかぎりは、たひらけく、やすくもあらむを、こともなく、もなくもあらむを、よのなかの、うけくつらけく、いとのきて、いたきゝずには、からしほを、そゝぐちふがごとく、ます/\も、おもきうまにゝ、うはにうつと、いふことのごと、おいにてある、わがみのうへに、やまひをと、くはへてあれば、ひるはも、なげかひくらし、よるはも、いきつきあかし、としながく、やみしわたれば、つきかさね、うれへさまよひ、ことごとは、しなゝとおもへど、さばへなす、さわぐこどもを、うつてゝは、しなむはしらず、みつゝあれば、こゝろはもえぬ、かにかくに、おもひわづらひ、ねのみしなかゆ
靈剋内限者 此たまきはる内のかぎりと云ことにつきて、諸抄の説誤り來れり。たましひのかぎりのうちと心得て、下の傍注者の誤りを例證とせる也。畢竟此下の注より後人も見あやまりし也。たまきはるの事は、前に委しく注せる如く、玉き春、打といふ義也。此も内は現の義也。今日在の迄の限りはといふ事也。うつとうけん爲のたまきはると詠み出したる也。大坂契沖ほどの萬葉者なれど、此本説を見ひらかずして、此歌にて此詞明也と注せり。是も下の後人の傍注になづみたると見えたり
謂瞻州人壽一百二十年也 これ後人の傍注也。此注より世擧てたまきはるといふ事を、たまきはまるといふ事と釋し來れり。命とつゞく歌多き故、たまきはまるいのちといふ事との釋なれども、たまきはると云ふ事、いかにともあるべき事にあらず。元來の詞不v濟事也。玉き春、射、春、うつ、うちといふ義ならでは六ケ敷也。十節の説尤可也
瞻浮州 とは此世界の事をいひたる也。佛經より出たる語也。膽浮、膽部、閻浮みな同事にて、新譯舊譯の違あり。閻浮提或は南淵浮洲など云て、皆佛家より此世界の事を云たる義也。前の志恠記の文にも見えたり。たまきはるうつのかぎりとは、此世にある現在のかぎりはといふ義也。うつとは現在の事を云たる也。世上の説の如く、たまきはまるうちの限りはといふ義、(78)あるべき事とも心得ぬ也
事母無裳無母 此もなくもと云事諸抄の説は喪の字の義にて、わざはひもなくといふ義と釋せり。尤此集第十五葛井連子老が挽歌に、わたつみのかしこきみちをやすけくももなくなやみきていまだにも毛奈久ゆかんと詠み、伊物にわれさへもなくなど詠めることあるを證としていへり。さもあるべき歟。宗師案は、事もなくもなくと重ね詞にてあらんやと也。好む所にしたがふ也。如v此現在の世に住む限りは、たゞ何事にもやすくたひらかに、何のわざはひもなくあらんものをと、安穩ならん事を願ふたる意也。然るに、うきつらき事のありて、その上にと嘆じ詠み出せり。うけくつらけくは うくつらく也。古今集に、よの中のうけくにあきぬおくやまのこのはにふれる雪やけなまし
伊等能伎提 前にも注せる如く、いとどしくといふ義と釋せり。いとぬきんでてと云意か。此詞不v決也
いたきゝずには 今俗にも、いたの上のはりなどいふ意におなじ。いたきゝずには、から鹽をもてそゝぐ事あり。さなければきずいえざる也。その如くの世のありさまと云義也
灌知布何其等久 そゝぐと詠みたれど、つくらふと讀みてもよき也。しかればことば餘らざる也
重馬荷爾表荷打等 今俗に重荷に小付などいふ意也。いやが上に事のかさなる義をいひたる也
老爾弖阿留 老たる也。老衰したる上に也。後撰、太政大臣貞信公へ御返し、今上の御製、年のかずつまんとすなる重荷にはいとゞ小附をこりもそへなん
病遠等 やまひをらとよみて、をはてにをは、らは助語とも見ゆる也。然れども茂の字の誤りなどにてはあるまじきか。たゞし等の字は、ともがらもとも讀むなれば、等にてもとよむべき歟。をもといふてにはなれば、何の事も無く老衰したる上におもき病をも加へたればと云義也
なげかひは なげき也
息豆伎阿可志 物を思ひあるひは病に苦みて、いもねられねば、といきのみつくこと、今の世の人の上に知られたり
年長久 端書にある重病經年といふ所此義也
(79)憂吟比 苦しみて、聲をもたてゝ泣く如くに、此方彼方と悩む義也。さまよふと云事は、聲をいだし苦しむ事をいふ也。俗にうめくなどいふ也。西國にてはこれをにおふとも云也。うめく事をにほふといふは西國の言葉也
許等許等波 如v此はといふ意也。或説に異事はといふ釋あれど心得難し。六ケ敷釋也。かくのごとくにてはといふ意その事々にてはの意也。事のごとくはと云意にも通ふ也。かくの如くのくるしみにては、しなんとおもへどといふ義也
五月蠅奈周 夏のはへの如くといふ義也。なすといふ詞は、如といふ義也。神代下卷に、晝者如五月蠅〔而沸騰之〕。畢竟さわぐといはん序詞也
佐和久兒等遠 夏の青蠅のむらがり飛まじり、聲もやかましきまで飛びかふごとに、子供のなきわめき、また遊びたわむれてさわぐ體を云はんとて也
宇都弖弖波 うちすてゝは也。ちすの約つ也
死波不知 一向打すてゝ死なんは知らず。さなくては愛情の心はなれ難く、うつくしみふびんに思ふと也
見つゝあればこゝろはもえぬ つらく子供の有樣を見れば也。心はもえぬ、おもひにもゆる也。身は老衰したる上に、病にしづみ朝暮もしらぬ身なれば、いろ/\心のうちに、おもひわづらふ事のおもひにもゆると也
かにかくにおもひわづらひ いたりて苦しみ難義なる體を詠める也。端作にある如く、とし老てその上に重き病をうけなやみしづみて、子供の有樣を見ておもひつゞけて、兎にも角にもおもひわづらふ由也
なかゆ はなかる也。にごらぬ音相ともに横通する也
反歌
898 奈具佐牟留心波奈之爾雲隱鳴徃鳥乃禰能尾志奈可由
なぐさむる、こゝろはなしに、くもがくれ、なきゆくとりの、ねのみしなかゆ
何の意も無き歌也。たゞ下のねのみしなかゆといふ序に、雲がくれ云々と詠める也。わが身既に、死にのぞめる折故、くもがく(80)れなき行鳥とも詠めるか。鳥をわれにして詠める也
899 周弊母奈久苦志久阿禮婆出波之利伊奈々等思騰許良爾佐夜利奴
すべもなく、くるしくあれば、いではしり、いなゝとおもへど、こらにさやりぬ
せんかたもなくくるしければと也
出波之利 出ていづかたへもはしり行んとおもへどもと也。前の歌に立はしりともありて、古詠にはかくの如き詞をもよめり。いなゝはいなゝんと云意也
許良爾夜佐利奴 子供にさへられて。いづちへ出はしり行事もしがたきと也
900 富人能家能子等能伎留身奈美久多志須都良牟※[糸+包]綿良波母
とみひとの、いへのこどもの、きるみなみ、くだしすつらん、きぬわたらはも
伎留身奈美 此身の字心得難けれど、先はきるものなきと云義と見る也。きるみのなきといふ義少不v濟詞也。然れども富家の人の子は、よごれそこねたるものは着る身もなく、朽ちすたらんきぬわたもがな。我子等に着せんをと嘆き願ふたる歌也
※[糸+包]綿良波母 きぬわたらはもといふて、きぬわたらもがなといふ意也。良は助語、はもは例の歎息の詞にして、此は願ふ意を兼ねたる也
※[糸+包]の字 古葉略要に絶に作るを正とすべし。※[糸+包]の字きぬとよむこと未v考
901 麁妙能布衣遠※[こざと+施の旁]爾伎世難爾可久夜歎敢世牟周弊遠無美
あらたへの、ぬのきぬをだに、きせがてに、かくやなげかん、せんすべをなみ
あらたへは、あらきぬのきぬの事也。たへとはきぬ布の惣名栲の字と同じ。古語拾遺には織布を、古語、阿良多陪、祝詞の文等にも、毎にあらたへ、にぎたへの事あり。あらきぬのゝ着物をだにえきせぬとなげきたる也。前の歌の餘意をのべたるもの也。集中の連續に此例多事也
(81)伎世難爾 子どもといふ言葉もあらはれねども、此着せがてにといふをもて、子等をおもふ歌の意を知るべし。着せがてはえきせざる也
せんすべをなみ せんかたもなきと也
902 水沫奈須微命母栲縄能千尋爾母何等慕久良志都
みなはなす、もろきいのちも、たくなはの、ちひろにもがと、ねがひくらしつ
みなはなすは、水の泡の如くもろきいのちと也。水の泡はあえなきもの、消えやすき事、いはんかたなきもの也。のあの約言なゝり。よりてみなわと也
千尋爾母何等 いつまでもながかれと願ふ也。何等とは、がなと願ふたる義也
慕久良志都 慕ふと云字を願ふとよませたるは、義をもつて訓じたるか。冀の字の誤りならんか。慕ふと云意も願ふ意に通ふなれば、かくよませたるか。此歌の意慕ふと云ては意不v合也。憶良の老身病衰の、夕も知らぬ命も、一日なりともながかれと願ふとの、人情の實意をのべたる歌也
903 倭父手纏數母不在身爾波在等千年爾母何等意母保由留加母【去神龜二年作之但以類故更載於茲】
しつたまき、かずにもあらぬ、みにはあれど、ちとせにもかと、おもほゆるかも
しつたまき數にもあらぬ身にはあれど 前にも出たる義也。前にはいのちなれどとよめり。前の歌には壽の字を書きたり、その歌も身とよみたきところなれど、壽の字故いのちとよみおきし也。此例をもちてはみともよむべき歟。この歌も身を卑下して數ならぬ身といふ義也。いやしきものゝ環は、珠の數にはあらぬと云義也。一説しづの緒だまきの事をいへるとの説あり。心得がたし
父の字は文の字のあやまりなり。父布音通ふ故かといふ説は心得難し
歌の意よくきこえたる歌也
(82)去神龜二年作之但以類故更載於茲 此注古注者の加筆歟。憶良の記せる歟。不分明也。惣而如v此細字の注は後人の傍注と見ゆる事多し。これも後人の加筆ならんか。長一首短何首などかけるは、皆後人の傍注にて、古注者の筆にてもなき也。すでに此次の歌の細注にても明也。此注は倭文手まき一首の注と見ゆる也。然れども心得がたき注也
天平五年六月丙申朔三日戊戌作
右は老身重病云々の此六首の歌を詠ぜる年月を詠ぜる也。是は古注者の筆歟。考ふるところありてか。但し憶良の記し置たるを直に編集の時、如v此是迄の通書載せられたる歟。此注書分明に難v決也
戀男子名古日歌三首【長一首短二首】
をの子のなふるひをこふうたみくさ
これは憶良の子、古日といふ子煩ひにて死したるを慕ひ歎く歌也
904 世人之貴慕七種之寶毛我波何爲和我中能産禮出有白玉之吾子古日者明星之開朝者敷多倍乃登許能邊佐良受立禮杼毛居禮杼毛登母爾戯禮夕星乃由布弊爾奈禮婆伊射禰余登手乎多豆佐波里父母毛表者奈佐我利三枝之中爾乎禰牟登愛久志我可多良倍婆何時可毛比等等奈理伊弖天安志家口毛與家久母見牟登大船乃於毛比多能無爾於毛波奴爾横風乃爾母布敷可爾布敷可爾覆來禮婆世武須便乃多杼伎乎之良爾志路多倍乃多須吉乎可氣麻蘇鏡弖爾登利毛知弖天神阿布藝許比乃美地祇布之弖額拜可加良受母可賀利毛神乃末爾麻仁等立阿射里我例乞能米登須臾毛余家久波奈之爾漸漸可多知都久保里朝朝伊布許登夜美靈剋伊乃知多延奴禮立乎杼利足須里佐家婢伏仰武禰宇知奈氣吉手爾持流安我古登婆之都世間之道
(83)よのひとの、たふとびねがふ、なゝぐさの、たからもわれは、なにかせむ、わがなかの、むまれいでたる、しらたまの、わがこふるひは、あかぼしの、あくるあしたは、しきたへの、とこのへさらず、たてれども、をれども、ともにたはぶれ、ゆふぼしの、ゆふべになれば、いさねよと、てをたづさはり、ちゝはゝも、おもはなさかり、さきぐさの、なかにをねむと、うつくしく、しかゝたらへば、いつしかも、ひとゝなりいでて、あしけくも、よけくもみむと、おほぶねの、おもひたのむに、おもはぬに、よこかぜの、爾母しく/\ばかりに、ふきくれば、せむすべの、たどきをしらに、しろたへのたすきをかけ、まそかゞみ、てにとりもちて、あまつかみ、あふぎこひのみ、くにつかみ、ふしてぬかづき、かゝらずも、かゝりもかみの、まに/\と、たちあさりわれ、こひのめど、しばらくも、よけくはなしに、やうやくに、かたちつくぼり、あさな/\、いふことやみ、たまきはる、いのちたえぬれ、たちをどり、あしずりさけび、ふしあふぎ、むねうちなげき、てにもてる、あがことばしつ、よのなかのみち
七種の寶 金、銀、瑠璃、※[石+車]※[石+渠]、瑪瑙、珊瑚、琥珀也。或説には替りあり。委不v及v注。先通例この七寶を云也。これ人の願ふところ此外なきもの也。然れどもそれも何せんにと也。此卷の初に、白がねもこがねも玉もなにせんにとよめる同じ意也。則此歌の主也
われはなにかせん 七寶も望ましからず、たゞ子を寶とも思ふ意也
和我中能 此句の前に一句落ちたるか。和我の二字も心得がたし。尤假名書なれど、七言不v足やうなり。然れども如v此の躰集中に何程もあれば、古詠此一格ありとも見えたり。わがなかのは夫婦の間のと云へる義也。とかく上に何とぞいふ句なくては、此わが中のと云ふ事縁なく出たる句なれば、脱字落句などあらんか
(84)うまれ出たる白玉の わが子を自讃哥してしら玉のといへり。子を玉とよめる事集中にも多し。源氏物語桐壺に、玉のをのこみこさへとよめり。これはをの子といはん爲の玉の緒といひたるものなれど、源氏の君をほめて、玉の男みことも云たり
吾子古曰者 憶良の子の名也。下にあかぼしとよまんとて、ふる日とよみ出たり。またあくる朝とよまん爲あかぼしとよみ出たり。古詠の連續如v此縁を不v難事をよく考ふべし
明星之 あくるあしたと云はん爲の序也。あかぼしは、あかつき方に東にあらはれて、光衆星にすぐれて明也。夜の明けんとする時出る星也。爾雅云、明星謂2之啓明1、注云、太白星也。晨見2東方1爲2啓明1、昏見2西方1、爲2太白1。和名抄卷第一、天部云、明星、兼名苑云、歳屋、一名明星、此間云2阿加保之1。古今六帖星の歌にも、月かげにみかくれにけりあかほしのあかぬ心にいでてくやしき。みなあかと云詞をつゞけん爲也。此あかぼしもあくる朝と云はん料也
とこのへさらずは ゆかのほとりをさらず也。なれそひ愛する意を、これより以下だん/\とのべたるもの也
たてれども 立にも居にも、たちてもゐても、たはむれなつきたる有樣をいへり。居れどもといふ迄にて句をきるべし
夕星乃 第二に、人まろ明日香皇女のみまかり給ふをいためる歌のところに注せり。太白星ともいひ長庚ともいへり。夕暮にはやく西方にあらはるゝ星也。これも夕といはんとての序詞也
由布弊爾奈禮婆伊射禰余登手乎多豆佐波里 あくればあしたより父母のゆかのへさらず、立つにも居るにもたはぶれなつき、夕になればいざねんと父母にすがりなづむとの義也
父母毛表者奈佐我利 ちゝはゝもおもはなさかりとよむべし。表は面はの意也。顔は子を愛して寢さかりて、顔を下げていねばとすがる體をいひたるものと見ゆる也。顛鼻などに手をかけて、子供のねすがる有樣をいへる義也。此詞諸抄の説まち/\にして、義くわしからず。然れども父母の面をねさかりと見る義よくかなふべき也。なさかりはねさかり也。又なさかりにても同じ意也。なといふ詞は、はなれ、なづみたる事をいふなれば、父母によりそひなづめる體をいふたる義也。何れにもあれ、愛らしくすがりなじみて、父母の中に共にねんといふ有樣を詠める義也
三枝之中爾乎禰牟登 さゐぐさとは、古事記令義解等に出でて三つのえだをいへり。枝三ツならび出たるをいふ也。前に注(85)せり。中といはん冠辭也。父母の中にねんと也。にをの乎は助詞也。
愛久 うつくしく也。うつくしとは俗に云愛らしくかはいげなるなど云に同じ。愛らしくと云に近し。おもはしくといふ點心得難し。或抄には心にかなふ事を、おもはしくといふとの義なり。愛の字を書きてその意は不v可v合。此意は俗に云あいらいくといふ意安也。めであいする事をうつくしむといふなれば、うつくしくにてよく聞え侍る也
志我可多良倍婆 しかとは古日をさして也。佐我ともしやがともいひて、汝がといふにおなじ。小さきわらはべの親になづみし、なつかしくする有樣をいへり
何時可毛比等等奈理伊弖天 右の如く愛らしくなれむつみて語らへば、早く成長をもしたらんには、人となりの善惡をもいはず、生行さきを見まほしくこのみおもひしと也
大船乃於毛比多能無爾 この大船のおもひたのむといふ事、諸説蒼海にては心ぼそきものなれど、大船はたのみあるものにて水上海上にてはたのもしきものといふ意と釋せり。少入ほかなる義也。尤船中にての人情もさもあるものなれど、しかと打つかぬ説也。宗師案は、おもひたのみと假名書にあれば、馮の字かゝりとよむ説も立難し。これはおもひたのむは、重荷たのむといふ義にて、古詠にかくはよみ來れると見えたり。重荷は大船ならではたのむべきもの無し。ひとにとは通音なるから、おもひたのみとはよめると見る也。さなくてはおもひたのむといふ所打つかぬ也。おもひたのむといふ義をいはんとて、きはめて大船とよみ出たる古詠多し。此の義はおもひたのみてありしにといふ義也
横風乃 よこしま風の也。病などに古日冐されて死なんとする由をのべたり。是より已下の句解し難し。衍字誤字等ありと見えたり
爾母 この二字いかによみたる意か心得がたし。脱字誤字の案をつけていはゞ、爾の字の上に卒の字か俄の字を脱したるか。また爾の字は卒の字の誤りか。然らばにはかにもとよむべし。よこしま風の俄にも吹き來りてといふ義なるべし
布敷可爾 これはしく/\ばかりにとよむべし。おもひもよらぬよこしま風の、にはかにすきまもなく吹くと云義なるべし。可爾の二字はばかりにと讀まるゝ也。下の布敷可爾、慥に衍字なるべし。古一本には此四字欠けるをもて正とすべし
(86)覆來禮婆 ふきくれば也。風邪などに冐されて病める事をいへる義と見ゆる也。此句の上下に何とぞ一句あるべき樣なり。前にも斯樣の所ありて不審也。猶餘の卷にも如v比の體いかほどもあれば、是も古詠の一格ありしか。覆の字は音を訓にかりてよめる也。病のにはかに重來れば、せん方もなく嘆き憂へる體を、此以下に詠みつゞけり
志路多倍乃多須吉乎可氣 これより神祇に祈をなす有樣を詠めり。しろたへのたすきをかけ、まそかゞみなど手にもちて、神祇にこひのみ申よし、古實の體おのづからあらはれたり
天神阿布藝 天神は上天にむかひて祈るよし也
許比乃美 請祈也。請は願義、祈はいのりのみといふて願ひ事を神へ申すこと也
地神布之弖 地神なれば地にふして祈る也。天地と對に云たる也
額拜 拜禮の事を云てかうべ地に至を云也。地に頭額をすりつけてねぎのみこと也
可加良受毛可加利毛 如v此あるもあらぬもといふ義か。又諸説は神の惠にかゝらずもかゝるもといふ義と也。源氏物語須磨の卷にも
うみにます神のめぐみにかゝらずばしほのやほあひにさすらへなまし
と詠める事もあらば、惠みにかゝりもかゝらずもといふ事にもやあらん。それにてはめぐみと云詞を入れて不v解ばきこえぬ故、詞のまゝに解せんにはかくあらずもありともと見るべきか
立阿射里 たちあせりと云義也。心さためずあせりさわぐ躰を云へり
しばらくも 少しもしるしなくよからぬと也
漸々 ぜん/\にといふ今の俗語の通也。次第/\にすがたかたちも衰へつくぼると也
都久保利 やせすぼる體をつくぼるといひたる也。つくぼりといふ詞いかにも解しがたけれど、先はしほ/\つゝぼりなどいふとおなじ義にて、かたちのすくみつぼみたる義をいへりと見る也
いふことやみ 次第に元氣もおとろへて、ものもいはず、とひこたへもやみしと也
(87)いのちたえぬれ 古日死たると也。絶えぬれはいのち終りしと云義也
立乎杼利 立といふ字は、すべてものゝ切なる時の初語にいふ也。前にも既にたちあさりなどいひて、こゝの立おとりも、至つて驚き歎く切なる體をいはんとてたちおとりと也
あしずりさけび 至つて悲しみなげく有樣を云へり。當集第九、浦島子をよめるにも、こひまろびあしずりしつゝたちまちになど詠めり。伊物、源氏物語にも、切に嘆き悲む事にあしずりをしてと書けり
さけび 大に泣くを云也。聲をあらはしなげく體也
むねうちなげき 悲しみのあまり泣き叫ぶ時は、せきあげてむねもふたがるやうなれば、われとむねを叩きて嘆く也。今もこの有樣ある事也
手爾持流 今俗にも、手なるものをもがれたるなどいふ如く、鷹などすゑたるに、そらしとばしたる體にたとへて、せんかたもなき世の中の悲しき事の至極をいへり
世間之道 如v此悲しき事のあるも世の中の樣、いかにといふべき言の葉もなきとの意也
反歌
905 和可家禮婆道行之良士末比波世武之多敝乃使於比弖登保良世
わかければ、みちゆきしらじ、まひはせん、したべのつかひ、おひてとほらせ
わかければ 死したりし古日いまだいとけなしと聞えたり。黄泉の道行知らじとなり。悲しみのあまりに、死てよもぢに行道のことまでを思ひ嘆く也
まひはせん まひなひをせんと也。幣禮の義也。日本紀等にもこの詞あり。仲哀紀に、八年秋九月に其祭v之以2天皇之御船及〔穴門直踐立所獻之水田名〕大田1是等物|爲v筋也《マヒナヒタマヘ》。また神託などにもあり。幣物を遣さんほどにといふ義也
之多敞乃使 下邊の使也。黄泉の使といふ意也
(88)於比弖登保良世 負て通せ也。幼稚にて冥途の道も知るまじき程に、幣物を贈らんまムおひて通しやれと也。とほらせはとほせ也。續日本紀光仁紀藤原永手の薨じ給ふ時の宣命の文にも、幸 久 罷【止富良須倍之】とあり
906 布施於吉弖吾波許比能武阿射無加受多太爾率去弖阿麻治思良之米
ふしおきて、あれはこひのむ、あざむかず、たゞにゐゆきて、あまぢしらしめ
ふしおきては 伏起て也。仰v天伏v地也。前の歌の詞に詠める意也。こひのむいのり願ふ義也。前の歌の下邊の使へ頼み願ふ意也
あざむかず 不v欺也。幼稚のものをだまさずと也
たゞにゐゆきて すなほに直にひきゐゆきてと也
あまぢしらしめ 歸天の道を古日の靈魂に知らしめよと也。少し云足らぬ樣なれど、古詠の格みなかくのごとし。此歌は憶良の歌にはあらざるよしなれど、前の歌の意と同じければ、こゝにのせたるよし左注に見えたり。然れば本集には無きを撰集後に加へたる歟。古注はすべて撰者の注にあらざれば、此注も疑はしき也
右一首作者未詳但以裁歌之體似於山上之操載此次焉
此注は後注者の筆なれば、此歌は後に書きのせたるか
操 吟詠の曲節を云也。程拍子節のことを操といふ他。節操と云字注あり。風調を操といふともあり
萬葉童蒙抄 卷第十三終
(89)第五巻難解記
日本挽歌
794 大王能中略斯良農比。《のの字を脱せり》筑紫國爾中略石木乎母刀比佐氣斯良受〔石木〜傍點〕伊弊那良婆迦多知波阿良牟乎
石木乎母の乎はをとよむべきや。石木かもと讀まんや
哀世間難住歌
804 世間能周弊奈伎物能波年月波中畧意余斯遠波〔五字傍點〕迦久能尾奈良志以下畧
およそをばと釋し來れり。集中類句なければ決し難けれど、まづ諸抄の説に從ふ也
員外思故郷歌
847 和我佐可理伊多久久多知奴久毛爾得夫久須利波武等母麻多遠〔傍點〕知米也母
久毛爾得夫久須利波牟用波〔二字傍點〕美也古彌婆伊夜之吉阿何微麻多越〔傍點〕知奴倍之
886 常斯良奴國乃意久迦表〔四字傍點〕百重山以下畧
貧窮問答歌
892 風雜雨布流欲乃中畧寒之安禮婆堅鹽乎取都豆之呂比〔五字傍點〕糟湯酒宇知須須呂比弖之可夫可比〔五字傍點〕鼻※[田+比]之※[田+比]之爾可登阿良農中畧私私《和イ》氣佐我禮流可可布能尾〔五字傍點〕肩爾打懸中畧伊等乃伎提〔五字傍點〕短物乎端伎流等云之如楚(90)取五十戸良〔六字傍點〕我許恵波以下略
894 好去好來〔四字傍點〕歌
神代欲理云傳介良久中略言靈能佐吉播布〔七字傍點〕國等中略邊爾母奧爾母神豆麻利宇志播吉〔八字傍點〕伊麻須中略
又更大御神等船舳爾御手打掛弖墨繩袁播倍多留期等久阿|庭《遲イ》可遠志〔五字傍點〕知可能岫以下略
900 富人能家能子等能伎留身〔傍點〕奈美久多志須都良牟絶綿良母
戀男子名古日歌
904 世人之中略由布弊爾奈禮婆伊射禰余登手乎多豆佐波里父母毛表者奈佐我利三枝之中〔十字傍點〕爾乎禰牟登愛久中略於母波奴爾横風乃爾母布敷可爾布爾布敷可爾覆來禮婆〔横風〜傍點〕世武須便乃中略地祇布之弖額拜可加良受毛可賀利〔八字傍點〕毛神乃末爾麻仁等中畧可多知都久保里〔四字傍點〕朝々伊布許登夜美以下畧
萬葉童蒙抄 本集卷第五終
〔2010年1月31日(日)午後6時35分、巻五入力終了〕
(91)萬葉集卷第六
雜歌
養老七年癸亥夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首并短歌
或本三首
車持朝臣千年作歌一首并短歌
或本二首
神龜元年甲子冬十月幸于紀伊國時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
二年乙丑夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首并短歌
山部宿禰赤人作歌二首并短歌
冬十月幸于難波宮時笠朝臣金村歌一首并短歌
車持朝臣千年歌一首并短歌
山部宿禰赤人作歌一首并短歌
三年丙寅秋九月十五日幸于播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首并短歌
山部宿禰赤人作歌一首并短歌
〔92〜97、目次省略〕
(98)讃久邇新京歌二首并短歌
春日悲傷三香原荒墟作歌一首并短歌
難波宮作歌一首并短歌
過敏馬浦時作歌一首并短歌
(99)萬葉童蒙抄 卷第十四
雜歌
養老七年癸亥夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首并短歌
元正紀、養老七年夏五月癸酉、行2幸芳野宮1。丁丑、車駕還v宮云々。此時の事なるべし
907 瀧上之御舟乃山爾水枝指四時爾生有刀我乃樹能彌繼嗣爾萬代如是二二知三三芳野之蜻蛉乃宮者神柄香貴將有國柄鹿見欲將有山川乎清清諾之神代從定家良思母.
たきのへの、みふねのやまに、水枝さし、しゝにおひたる、とげのきの、いやつぎ/\に、よろづよに【かく/\しらみ・かくしゝるらみ】みよしのゝ、あきつのみやは、かみがらか、たふとかるらむ、くにがらか、みまほしからむ、やまかはを、【きよくきよらか・きよくさやかに】うべしかみよゆ、きだめけらしも
水枝 みえだともみづえともよむべし。たきの上の御舟山とある故、みづえともよみ、又瑞枝の意にて祝賞してよめるとも聞えたり。み枝といふ時も、水の意をうけてよめるなるべし。しかれどもみえだといふときは初語と見る也。水の意をこめて發語とすべし
四時爾 前に注せる如くしげりおひたる事也。生有はてあの約た也。よりておひたるとよむ也
刀我乃樹 前に注せり。下のいやつぎ/\といはん詞の縁に、つかの木ともよみ出たる也。しかるを栂の木の事にてとがと點を加へ、とがと讀み來れるに、色々説を添ていふなれど、都我の木と書きたる所ありて、下につぎ/\とうける詞を讀みたれば、此處もつがにて有べき也。都の字古來とゝ讀むことまれにして、尤集中みなつとならでは不v通。こゝに刀の字を書たれ(100)ば、となるべしといふ義は心得がたし。ツとトとは同音なれば、通じて讀まるべき也。しからば都の字をも、とゝ讀むべしといふ論あれど、此集中にとゝ讀ませたることまれなり。扨此つがの木は、よく茂りて枝葉榮えるもの也。よつていやつぎ/\にとも讀めり。今材木に用ふる栂の事にや。又ツゲといふて、よくしげりこもれる立花の前などに立つもの有、此事にや。和名には都我の木は不v見也
私云、つがの木のいやつぎ/\は祝言なれども、墳にかよふ故、つげの木のと讀むべし。惣じて歌の詞は人の耳立あしく、不祝言の事よむはあしゝ
如是二二知三 是はかく/\しらみと讀むのと、又かくしゝるらみと兩説也。二二なれば四也。此集中此例格數多也。奧にいたりて重二と書きて、しと讀ませたり。いやつぎ/\萬代まで、かくしげらめといふ義也。御代を祝ひ離宮を譽めていふ也
神柄香 かみがらかといひて、あきつの宮を尊賞したる詞也。神力のなし給ふからといふ意也。尤も君を神と尊賞し奉ること前々にも注せり。天子の御座所なるからといふの意也
貴將有 たふとかるらん、くあの約か也。神なるからかくたふとかるらんと也
国柄鹿 くにがらか、上の神がらに對していへり。よきくにがらかといふ義、所がらかもなどよめる意也
見欲將有 みまほしからん、かくよき風景の國所がらか、かやうに見まほしからんと也
山川を 山と川と二つ也。しかれば川をすみてよむべき也。すべて音便濁はかさね詞の下、又は物をふたつ合せいふ時は濁る也
清清 きよくきよらか、きよくさやかにとも讀む也。此次に一句落ちたるやう也。しかれども諸本如v此にて、集中かやうの所あまたあれば、前にも注せるごとく一格なるべし
諾之 誤りて、※[言+塔の旁]の字に作る本あり。不v可v用也。諾之は、ウベシにて尤もといふ義也
神代從 かみよゆさだめけらしも、ゆとはよりといふこと也
歌意 瀧の上の御舟山、川の流、他に異なる景色をほめて祝讃したる也
(101)反歌
908 毎年如是裳見牡鹿三吉野乃清河内之多藝津白浪
としごとに、かくもみてしか、みよしのゝ、きよきながれの、たきつしらなみ
見牡鹿 見てしかはねがふ意にて、見てかな也。しは助語也。見て哉也
清河内《キヨキナガレ》 口傳也。第一卷に注せるごとく、流《ナガレ》と義訓に讀むべき也
909 山高三白木綿花落多藝追瀧之河内者雖見不飽香聞
やまたかみ、しらゆふはなの、おちたきつ、たきのながれは、みれどあかぬかも
歌意 高きみねより瀧のしろく落つるけしきを、白ゆふはなに見なして、見ても/\あかぬおもしろき景色ぞと詠めり
或本反歌曰
前にいふごとく後人の加筆也。可v削
910 神柄加見欲賀藍三吉野乃瀧河内者雖見不飽鴨
かみがらか、見まほしからん、みよしのゝ、たきのながれは、みれどあかぬかも
神がらとは、瀧の流の絶妙なるけしきの、あやしきまでに見ゆるを賞美していへる也
911 三芳野之秋津乃川之萬世爾斷事無又還將見
みましのゝ、あきつのかはの、よろづよに、たゆることなく、またかへりみん
此歌は所の景色をほめて御代をも祝して、御幸の絶えず萬代もありて、いくめぐりも此面白きところを見んと也
912 泊瀬女造木綿花三吉野瀧乃水沫開來受屋
はつせめの、つくるゆふはな、みよしのゝ、たきのみなわに、さきにけらずや
(102)泊瀕女 はつせ女とは難波女と同じ。その所の人をさしていひたるものなれど、此はつせ女、なには女などいふは、いにしへの遊女のことをいへり。このはつせ女もそれなるべし。はつせ女と詠み出たるは、それをあらはしたるまでにて別の意は無き也
造木綿花 花をつくるにはあらず。はつせめの造る木綿のはな也。みよしのとうけたるも、見るによきといふ意をこめたる也
水沫 みなわと讀む、水淡也。ツアの約言ナ也。たぎりておつる水のあわは、初瀬女の造る木綿の花にひとしきと也。咲きにけらずやはさかずやさきたると也。瀧の水沫の白くきよらにすゞしく、いさぎよきを、白木綿花に見なしてほめたる歌也。
此集中に、波のたつを花の咲くに見たてたること數多也
右三首は或本の反歌也。後注者所見ありて如v此のせられたると見えたり
車持朝臣千年作歌一首并短歌
くるまもちあそんちとせつくるうたひとくさならびにみじかうた
車持千年、傳未v詳。車持は續日本紀聖武紀云、從五位下車持朝臣益、天平九年正月辛酉正八位下車持〔君長谷、賜2朝臣姓1。〕延喜式第七大嘗會式、車持朝臣一人執2菅蓋1云々
私云、菅蓋 (原本頭註) 〔菅蓋の図省略〕
錦蓋は日和の時用、菅蓋は雨義の日用。右錦蓋は加茂の御影祭に神馬の上へさしかけて行く也。むかしは神事に神馬を用ゆ。神輿は坂本山王祭より初て用ゆ
913 味凍綾丹乏敷鳴神乃音耳聞師三芳野之眞木立山湯見降者川之瀬毎開來者朝霧立夕去者川津鳴奈(103)拝辨詳不解客爾之有者吾耳爲而清川原乎見良久之惜蒙
うまごりの、あやにともしく、なるかみの、おとのみきゝし、みよしのゝ、まきたつ山ゆ、見降者、川の瀬ごとに、あけくれば、あさぎりたちて、ゆふされば、かはづなくなめと、ひもとかね、たびにしあれば、われのみにして、きよきかはらを、みらくしをしも
味凍 うまごりはうまおり、うまとはよきといふ詞ほめたる義也。おりは織也。綾をほめてうまおりのあやとつゞけたる冠辭地。諸抄みなあぢこりと點をなせり。あぢといふ詞心得がたし。畢竟あやにともしきといはんための序にて、此已下三芳野のといふまでは、みな詞のつゞきをうけて序歌に詠み出せり
私云(原本頭註)ウマゴリ、オリ、ゴリ同音也。錦織《ニシゴリ》殿といふ堂上あり。同意なり。この味織もウマオリ也。ウマイ/\と今の世、小歌淨るりなどをほめていふも同じ
綾丹乏 あやにといはんとてうまごりといひ、ともしきといはんとてあやにとよめり。みな序歌の詞也。ともしきとはめづらしきといふ義也。よしのゝ御舟山をほめたる序詞也
音耳聞師 おとにのみ聞し也。是迄は音にのみ聞しが、このたび御幸の供奉にてはじめて此佳景を見て詠めるならん
山湯 やまゆ山より也
見降 見くだせば、見おろせばとも讀むべきか。遊仙窟に、眞下を見おろしと點あり
開來者 あけくれば也。下の夕さればの對句也
夕去者 夕べなれば也
奈辨 なべ也。なめ也。へはメ也。古葉略要には奈利とあり。利なれば何の意もなくよくきこえたり。しかれどもなべといふて、辨の字を書きたれば別に義有。一本には詳の字を書きたり。此集中奈倍と署所多し。しかれども辨の字をこゝに書きたれば、すべて倍は皆濁る倍と聞えたり。濁音のへはめ也。已に一本に詳に作るもめ也。※[口+羊]の字なるべし。なべといふ詞い(104)かにも解しがたき也。辨なればめなる故別に詞の義ある也。先なべといふ詞は故からといふ義に解し來れり。それにては語釋不v濟也。先一通は故からと心得べき也。朝には霧立、夕には蛙の鳴風景の面白といふたる也
紐不解 ひもとかぬたびにしあればとは、旅なれば心のうちとけぬと也。ひもとかずたびにしあれば、われにしてとは心得がたき點也
菩耳爲而 われのみにしてとよむべし。こゝも上に何とも一句あるべきやうなるつゞき也。旅なればおもふ人をつれず、唯我のみ見ることのをしきと也
惜蒙 普通の印本情の字に誤れり。古本には如v此、正とすべし
反歌一首
914 瀧上乃三船之山者雖畏思忘時毛日毛無
たきのへの、みふねのやまは、かしこけれど、おもひわするゝ、ときもひもなし
かしこけれどは恐れ多けれどと云意也。天子の離宮所なれば、おそれ多くおもへども絶景の勝地なれば忘られぬと也
或本反歌曰
915 千鳥鳴三吉野川之川音成止時梨二所思公
ちどりなく、みよしのがはの、かはとなす、やむときなしに、しのばるゝきみ
ちどりなく よしの川といはん爲までの序也。千鳥に別の意は無き也
川音成 此三字諸本まち/\にして不2一決1也。川の脱したるもあり。如v此川之川音とある本もあり。しかれども成の字も茂の字に作れる本もあり。まち/\にして決しがたけれども、歌の意をいはゞ、川音のしげきといふこといはれぬこと也。木、草、人事のしげきとは云べき、おとのしげきといふ事作例未v考也。しかれば成の字しげみとよまれまじ。如といふ意にてなすとよむべき也。歌の意それにてはよくきこえ侍らんか。よりて宗師點はかはどなすとよめり。川音のやまぬごとく、した(105)はるゝきみとよめると聞ゆる也
所思公 このきみとさしたるは、天子をしたひ奉れるの意にて、御幸のことをしたふ心にや。いふれのきみをさせるとも決しがたし
916 茜刺日不並二吾戀吉野之河乃霧丹立乍
あかねさす、日不並二吾戀、よしのゝかはの、きりにたちつゝ
印本古本の點云、あかねさすひをもへなくにわかこふるよしのゝかはのきりにたちつゝ
日不並二 これをひをもへなくにと、點をなしたれど、集中に比奈良倍弖と書る歌あれば、ひならべずにとも讀むべきか。又別訓あらんか。下の、わがこふるよしのゝかはのきりにたちつゝも、きゝ得がたければ、いかにとも決しがたし。わがこひはよしのゝ河のきりにたちつゝとよまんか。それにても全體の歌の意首尾不2相調1ば、日不並二の四字にて、何とぞ全體の歌の意首尾不2相調1ば、日不並二の四字にて打つゞきて聞ゆる別訓あらんか。後賢の案をまつのみ
或説に日をへて見てだにあくまじき吉野河を、日をもへぬに霧に立かくしつゝ見せぬ心をよめると也。一説旅の内なれば、故郷をこひてなげく息の、きりに立てる意に見る義と也。詞たらぬ歌にして見ば後の説を取るべきか。しかれば千鳥なくの歌も故郷をしたふ歌と見るべきか
右年月不審但以歌類載於此次焉或本云養老七年五月幸于芳野離宮之時作
右後注者の文也。作者も不審なるべし
神亀元年甲子冬十月五日幸于紀伊國時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
續日本紀第九云、神龜元年冬十月丁亥朔〔辛卯、天皇幸2紀伊國1、癸巳、行至2紀伊國那賀郡玉垣勾頓宮1〕
917 安見知之和期大王之常宮等仕奉流左日鹿野由背上爾所見奧島清波瀲爾風吹者白浪左和伎潮干者王藻苅管神代從然曾尊吉玉津島夜麻
(106)やすみしゝ、わがおほきみの、とこみやと、つかひまつれる、さひがのゆ、そがひにみゆる、おきつしま、きよきなぎさに、かぜふけば、しらなみさわざ、しほひれば、たまもかりつゝ、かみよゝり、しかぞたふとき、たまつしまやま
安見知之 休獅子也。前に注せり
常宮等 ときはの宮也。祝していへる也
左日鹿野由 さひがのゆ、由はより也。さひがのは紀州にある地名也。御幸の時、此左日鹿野に行宮をたてられしと聞ゆる也。そのところより見やりたる景色のことを詠める也
背上爾 前に毎度注せり。うしろざまに見る體也。背向にとも書てみなそがひと讀めり。眞向に見ぬことをいへる也
清波瀲爾 きよきなぎさに、波打ぎはなどいふところ也。港のはた也。神代下卷、彦波瀲武〔※[盧+鳥]※[茲+鳥]草茸不合尊〕神號にもよませたり
玉津島夜麻 續日本紀第九、聖武天皇神龜〔元年冬十月甲午、至2海部郡玉津島頓宮1。留十有餘日。至2離宮於岡東1。是日從v駕百寮六位已下至2于伊部1、賜v禄各有v差云云。則此御幸のとき詔ありて、改2弱濱名1爲2明光浦1、〔宜d置2守戸1勿uv令2荒穢1。〕春秋二時、差2遣官人1奠2祭玉津島之明光涌之靈1云々。此續日本紀の文を見あやまりしより、玉津島の神を衣通姫といひふらし、世擧て大成異説を立つる也。追而續日本紀の文を引て其誤を可v明也。如v此紀にも玉津島之神とあるより見れば、上古より神靈を祭りし靈地故、此時の歌にも、神代よりしかぞたふときとは詠めるなるべし。右紀の文の事も則此歌の事を詠みし時の御幸の折也
918 奧嶋荒磯之玉藻潮干滿伊隱去者所念武香聞
おきつしま、あらいその玉藻、しほみちて、いがくれゆかば、おもほへむかも
潮干滿 干の字衍字なるべし。ひみちといふ詞あるべき歌詞とも不v覺。あまり急なる詞也
(107)歌の意何の事もなくたゞしほみちて玉藻のかくれ行くは、からましと思ひし名殘をしまれんと云ふ意を、おもほへんかもと詠める也。ひみちと見るから、いろ/\むつかしき意をそへて注せる説あり
919 若浦爾鹽滿來者滷乎無美※[草がんむり/壽]邊乎指天多頭鳴渡
わかのうらに、しほみちくれば、かたをなみ、あしべをさして、たづなきわたる
若浦 紀州の人の知り傳へたる地名也。然るに此地名につきては宗師秘説の案あり。前に注せる續日本紀聖武紀云、改2弱濱名1爲2明光浦1あり。しかれば古名和可の浦にてあるべからず。明光と被v改由來いかにとも心得がたし。わかといふ詞に明光の字何の縁なし。弱の字は余波とよむなれば、夜半の浦といふより、改名をも明光の字をもて、あかてりの浦とはつけられたる義と聞ゆる也。しかるに此集に若の字を記せるは、弱、若、音通ふ故用たるなるべし。日本紀たぢまもりが常世の國へ渡りしにも、弱の海を渡りとあり。尤仙境に入るとかきなして、弱海といふは凡俗のゆきいたらぬところの事に、あなたの書にもある事なれど、これらを引合せて考ふるに、常世のくにと云ふも南海の中に一嶋ありときこゆる也。たぢまもりがときじくの香菓をとり來しも、とかく紀の國の方角よりと見ゆる也。すでにいま紀の國みかんと名物になりて賞翫せらるるも、橘の類也。伊勢の事に日本紀に、とこよのくにのしきなみとあるも、伊勢は紀州に近し。南海の中にとこよの國あるから、如v此の辭もありと聞ゆる也
かたをなみ 渇を無み也。片男波など云俗説とるにもたらざること也。近世の歌學先達専男波女波など云、取りどころもなき説をいへり。此萬葉のこゝのうたの滷の字をしらざるか。又此集中に、かたをなみ浦をなみといへること、いくらもあり。なみはなきといふ事也。波の事にはあらず。この歌の意、若の浦にしほみちくれば、ひかたなくなる故、磯のかたあしべをさして鶴のなきわたる景色を詠める也
※[草がんむり/壽]は何ぞの字の誤也
右年月不記但※[人偏+稱の旁]從駕玉津島也因今※[手偏+僉]注行幸年月以載之焉
(108)此後注は若浦一首の注と聞えたり。此歌の年月を不v記ども、玉つ嶋の行幸の供奉にしたがふと云ふことありし故、年月を※[手偏+僉]合せて載v之との義也。後注者の文也。前の歌はすでに端作りに、神龜〔元年甲子冬十月五日〕幸于紀伊國時山部〔宿禰赤人作歌と有。〕しかれば若浦の一首の注と見ゆる也。たゞし端作の年月も後注者の筆か。此文不審也
神龜二年乙丑夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首并短歌
聖武紀に不v載v之也。史の脱文か
920 足引之御山毛清落多藝都芳野河之河瀬乃淨乎見者上邊者千鳥數鳴下邊者河津都麻喚百磯城乃大宮人毛越乞爾思自仁思有者毎見文丹乏玉葛絶事無萬代爾如是霜願跡天地之神乎曾祷恐有等毛
あしひきの、みやまもさやに、おちたぎつ、よしのゝかはの、かはのせの、きよきをみれば、かみべには、ちどりしばなき、しもべには、かはづつまよぶ、もゝしきの、おほみびとも、をちこちに、しゞにしあれば、みるごとに、あやにともしみ、たまかづら、たゆることなく、よろづよに、かくしもがなと、あめつちの、かみをぞいのる、かしこけれども
みやまもさやに みは初語也。さやはさやかに也。ものゝ音をさやけといふ。さやげり、さやぐなどいひて音聲のことをいへり。此處もたきのおつる音をさして也。音もさやかになどいへるにて知るべし。いさぎよき事をもさやけと云ふ也
越乞爾 をちこちにとは、こゝかしこにみゆきの供奉にて遊びてあるをいへり
思自仁思 すさび/\といふ義也。心々にこゝかしこ遊びゐると云義をかくいへり。此しゞといふことは、おのが寺師ともありて濟み難き語也。此にしゞと上を清て書きたれば、すさみ/\と云ことゝ聞ゆる也。すさの約し也。寺も漢音は志也
毎見 見ること/”\に、かなたこなたとあそびてあれば、見ること/”\に珍らしきおもしろきとの義也。幾年も不v絶、みゆきもあれかしと神祇に祈ること也
(109)反歌二首
921 萬代見友將飽八三吉野乃多藝都河内乃大宮所
よろづ代に、見るともあかんや、みよしのゝ、たぎつかうちの、おほみやどころ
よくきこえたる歌也
922 人皆乃壽毛吾母三吉野乃多吉能床磐乃常有沼鴨
ひとみなの、いのちもわれも、みよしのゝ、たきのとこはの、とこならぬかも
人皆乃 一本皆人とあり。此集かな書に人皆のとあれば、ひとみなのにてもあるべし。同意の事也。みな人の命もわが命もといふ義也
床磐 ときは也。きもこも同音也
常有奴鴨 とこならぬかも、つねならぬとよめるはあしゝ。上にとこはとよみたれば下にとことうけんため也。人の身はときはならぬかも、この瀧の常磐なるに、人は變化ありて、ときはに見ることのならぬ事を惜みて、常磐にあれかしと願ふ意也
山部宿禰赤人作歌二首并短歌
923 八隅知之和期大王乃高知爲芳野離者立名附青墻隱河次乃清河内曾春部者花咲乎遠里秋去者霧立渡其山之彌益々爾此河之絶事無百石木能大宮人者常將通
やすみしゝ、わがおほきみの、たかしらす、よしのゝみやは、たゝなづく、あをだてこもり、かはなみの、きよきながれぞ、はるべには、はなさきをゝり、あきされば、きりたちわたり、そのやまの、いやます/\に、このかはの、たゆることなく、もゝしきの、おほみやびとは、つねにかよはむ
高知爲 たかしらすとも、たかしれるとも
(110)立名付 楯並附也。下の青垣といふ序也。楯はつくといふ也。衝の字をつくとよむ也。たてをならべつきたる如く青山のめぐれると也
青垣隱 垣はたて也。へだてとなる物故楯に比していへり。前にも、たゝなづく、たゝなはるにこはたなどよめること、たゝなはるにこはたすゝなどいふ意はまた別也。此處はたての事也
はなさきをゝり をゝりは重なりいやが上にしげりたることを云ふ也
歌の意、吉野宮を祝讃して、大宮人も御幸の供奉していつまでも不v絶通はんと也
反歌二首
924 三吉野乃象山際乃木末爾波幾許毛散和口鳥之聲可聞
みよしのゝ、きさやまのはの、こずゑには、こゝたもさわぐ、とりのこゑかも
象山 名所、山のかたち象に似たる所か、若しまた上古象の渡りしをはなたれしより、負し山の名か。きさ川といふもあり。おなじところ也
よくきこえたる歌也。白鳥のさへづりてゆたかなるけしきを詠めり
925 烏玉之夜乃深去者久木生留清河原爾知鳥數鳴
ぬばたまの、よのふけゆけば、久木おふる、きよきかはらに、ちどりしばなく
久木生留 此句いかにとも難2心得1。何とて久木生留とはよめるぞ。諸抄の説歌の意を不v辨故、ひさ木生ると計よみて、ひさ木をよみ出したるは、何故よめると云ふ義を不v釋。杉にても松にても桐にても同じかるべし。しかればひさ木をとり出したるは何とぞ故あるべし。これよりおこりて楸の事にいひなし、又濱ひさしの説出來たり。久木の二字を用ひたるから、ひさ木とは讀み來れるなるべけれど、宗師案は久木の二字は何とぞ別訓あるべしと也。集中の歌みな不v濟ば此計にては難v解也
926 安見知之和期大王波見芳野乃飽津之小野笶野上者跡見居置而御山者射固立渡朝獵爾十六履起之(111)夕狩爾十里※[足+搨の旁]立馬並而御※[獣偏+葛]曾立爲春之茂野爾
やすみしゝ、わがおほきみは、みよしのゝ、あきつのをのゝ、のがみには、とみすゑおきて、みやまには、せこたちわたり、あさかりに、しゝふみおこし、ゆふかりに、とりふみたてゝ、うまなめて、みかりぞたてる、はるのしげのに
野上には のがみとも野べとも讀むべきか。邊の字の意か。上は小高き處を云ふ
跡見居置而 とみすゑおきて也。鳥見か、又はしゝけものゝ往來のあと見か。いづれにてもとみと讀むべし。たかゞりのときあること也。あとみといふ點はあしき也
立爲 たてると讀むべし。たゝすとも、いづれにてもみかりぞたゝせる也。春の若草しげる頃、みかりをなさしめらるゝその體を詠めり
反歌一首
927 足引之山毛野毛御※[獣偏+葛]人得物矢手挾散動而有所見
あしびきの、やまにものにも、みかりびと、さつやたばさみ、みだれたるみゆ
得物矢 きつや前に注せり
散動而有 みだれたると讀むべし
よくきこえたる歌也
右不審先後但以便故載於此次
金村の歌は端作に夏五月とあり。此歌は春のしげのとあり。前後不審也。赤人の歌は年月不v知故、以v類こゝにのすると後注者の注也。便の字類の誤か。此次一本に歟に作れり。いづれか是ならんや決しがたし
(112)冬十月幸于難波宮時笠朝臣金村作歌一首并短歌
神龜二年冬十月なるべし。聖武紀云、冬十月庚申天皇幸2難波宮1云々
928 忍照難波乃國者葦垣乃古郷跡人皆之念息而都禮母無有之間爾續麻成長柄之宮爾眞木柱太高敷而食國乎收賜者奧鳥味經乃原爾物部乃八十伴雄者廬爲而都成有旅者安禮十方
おしてる、なにはのくには、あしがきの、ふりにしさとゝ、ひとみなの、思息而、つれもなく、ありしあひだに、うみをなす、ながらのみやに、まきばしら、ふとたかしきて、おしくにを、おさめたまへば、おきつどり、あぢふのはらに、ものゝふの、やそとものをは、いほりして、みやことなせり、たびにはあれども
難波の國 むかしは郡郷をもくにといへる也。初瀬小國、吉野の國などいへるに同じ
葦垣乃 ふりふるとうけんための序詞也。前にも注せる如く、垣はふるといふ也。かきを結を上古はふるといひしと見えたり。瑞垣乃久時とよめるも、みづかきのふりにしといふ義と、こゝの歌にて彌證明あり。葦は難波の名物故、あしかきと讀むべし。或説に葦垣は物ふりたるふるさとめきたるもの故、かくよめるとは心得がたし
思息而 此詞この處にては決しがたし。諸抄の説おもひおこたりてといふ義と見る也。或は繁花の念もなくてと解せり。兩義いづれにかあらん。短歌にあらのらになどよめる意を見れば、あれはてたりとて、誰思ひつきて取立べきと、おもひよる人もなきといふ意にてかくよめるか。おもひやすみてとよめる意解しがたし。たゞし御幸の供奉して、しばらく先此所にかりずまゐのことをいへるか
都禮母無有之間爾 なさけもなきといふと同意にて、誰とひ來る人もなく、物さびたる處にも心強くありしあひだといふ義なるべし。第三につれもなき佐保の山べとあり。十三巻にも、つれもなき城の上の宮に大殿をつかへ云々とありて、ともなふかたもなき、ものをわびたることをいふ詞也。今俗に心強きものをつれなき人といふも、しのびたへ難きことをこたへて、か(113)んにんせる處をいふたると聞ゆる也。すげなきなどいふも同じ意也
うみをなす 長といはん爲の序也。うみをの如く長きと續けたり。うみをは長く續くものなれば也。續の字、第一卷に注せる如く、績の字なるべきを、義をもて日本紀等に從つて書けるならん
長柄宮 孝徳天皇の時都をうつされし、その跡に離宮を立てられて、折々御幸をもせさせ給ふ也
食國乎 長柄の宮に離宮をたてられて如v此御幸もあるを、天の下をおさめさせ給ふ義にいへり。おしくにとは天子のしろしめす國と云ふ義也。天子の領し給ひて御食ものとなさるゝ國といふ義にて、け國おし國などいへり
味經乃原 長柄、味經みな地名也。あぢとは水鳥の名也。よりて奧津島と冠辭を居たり。あぢ村と云ふ鳥也。味經此前にも詠めり。味原また鯵生とも書けり。日本紀延喜式等にも見えたり。和名抄云、攝津國東生郡味原とあり
都成有 御幸の間の都なれば、旅の内ながら都となせる也
反歌二首
929 荒野等丹里者雖有大王之敷座時者京師跡成宿
あらのらに、さとはあれども、おほきみの、しきますときは、みやことなりぬ
あらの 和名抄、曠野、日本紀私記ヲ引キテ〔安良乃良。〕さとはあらのになりたれどといふ義也
敷座時者 御徳のしき及びますときは也。しろしめせばといふ意也
930 海未通女棚無小舟※[手偏+旁]出良之客乃屋取爾梶音所聞
あまをとめ、たなゝしをぶね、こぎいづらし、たびのやどりに、かぢをときこゆ
あま 海士、海女と書きて、あまと讀せたり。しかるに海の字一字に書きたるは、もし女の字を脱せるか。義を通じて略せるならん
(114)未通女 小女は男女交合の道を未通といふ義をもて、をとめとは讀む也
棚無小舟 たなとは、ひろき板を舟の脇に打を船だなといふ。兩方を通るために打坂也。又やかた舟などいふて上に板をわたし置也。小船はそのなき船也。海士の乘る船なればみな小船也。ちいさき船をいはんとてたなゝし小船と也。日本紀崇神紀、人の名に板擧といふあり。自注※[手偏+它]儺
歌の意、何の事もなき書面の通り聞えたる也
車持朝臣千年作歌一首并短歌
931 鯨魚取濱邊乎清三打靡生玉藻爾朝名寸爾千重液縁夕菜寸二五百重波因邊津浪之益敷布爾月二異二日日雖見今耳二秋足目八方四良名美乃五十開回有住吉能濱
いさなとり、はまべをきよみ、うちなびき、おふるたまもに、あさなぎに、ちへになみより、ゆふなぎに、いほへなみよる、へつなみの、いやしく/\に、つきにけに、ひゞにみれども、いまのみに、あきたらめやも、しらなみの、いさきめぐれる、すみのえのはま
いさなとり うみと續く詞也。是先の歌皆いさなとりうとつゞけたり。しかるに濱べとつゞけるはうみと續ける詞なる故、海の事なれば濱とも讀めり。海の轉語と通る也。はまと續く義はなけれど、濱は海にそふたるもの故、かくの如きの例多事也。ぬばたまのくろきと續く詞を轉じて、夜ともいとも續けるが如し
浪縁 なみよりなり。あさなぎ、夕なぎの事は前にいくらも注せり。海部に添たる詞也
益敷布爾 いやしく/\に也。すきまなく不v絶にと云ふ義也
月二異二 宗帥案、月二の二衍字ならん。若くは異の字衍か。月月二日日と書きて、月ごとに日ごとにと讀むべきと也。月にけにと云ふ義はあるまじ、義も不v濟也。此異二の詞不v濟義也。集中に朝二異爾、日爾食爾などあり。又月爾日爾ともあり。此等は古書の書法を知りて濟也。あさけ/\と書くを、朝爾異爾と書て、爾の字朝の字略して同じきといふ字を用ひたるを(115)轉寫に誤りて爾の字としたる也。月爾日爾もおなじ義也。月々日々はよひ/\と讀む。日爾食爾は日々食々と書きたる也。ひけ/\と讀む也。あさけ/\日け/\といふ義は、あさ/\ひゝといふ義にて、けはたすけ詞也。あさな/\といふに同じしかるにこの月二異二と云ふ義いかにとも不v濟也。月け/\日びにみれどもと讀みても、月け/\といふ詞心得がたき也。
歌の意は月ごとに日ごとにと云ふ義と、諸抄の通りに釋し置かばすむべけれど、それを何とてけにとはいへるぞといふ義不v通也。先解べくは、月々は月ごとに、日々は日ごとに、見れどあかぬとの義に解する也。千五百重の波のよる如く、すきまもなく日々見れどもあかぬとの意也。その處の景色をほめたること也
今耳二 今にかぎりてあるべきや、月に日々に見てもあくまじきと也
五十開廻有 白波の立をもさくといふたると聞えたり。五十は初語にて、咲きめぐると云義也。日本紀神代下卷、其於秀起浪穗之上云々とあり。こゝもこれらの古語にもとづきて、五十さきと讀めるか。波のたちめぐりたる景色の面白き體をいへり
反歌一首
932 白浪之千重來緑流住吉能岸乃黄土粉二寶比天由香名
しらなみの、ちへにきよする、すみのえの、きしのはにふに、にほひてゆかな
黄土粉 萩部也。土屋のことにはあらず。住吉は萩の名物也。よりてきしの萩原に吟詠をなして遊びゆかんと也。粉の字の下に、にの字あるべくと不審の人あり。はね字をにと讀む傳を知らざる也。ふんの音故ふに也
にほひてゆかな 萩部故、匂ふといふ縁をもてよめり。にほふといふは吟詠をして遊ぶことを云ふ。今うたひまふてはなぐさむごとくの義也。聲をこもらせて歌ふことを吟といふ也。それを昔はにはふともによふとも云古語也。この古語を知らざれば、このにほひてゆかなといふ事不v濟。第一に清江娘子の處にも注せり。ゆかなはゆかん也
山部宿禰赤人作歌一首并短歌
933 天地之遠我如日月之長我如臨照難波乃宮爾和期大王國所知良之御食都國日之御調等淡路乃野島(116)之海子乃海底奧津伊久利二鰒珠左盤爾潜出船並而仕奉之貴見禮者
あめつちの、とほきがごとく、日つぎの、ながきがごとく、おしてるや、なにはのみやに、わがきみの、くにしらすらし、みけつくに、ひゞのみつぎと、あはぢの、のじまのあまの、わたのそこ、おきついぐりに、あはびたま、さはにかづきて、ふねなめて、つかへまつりし、かしこみければ
御代を祝質して也
臨照難波宮 おしてる、地名也。難波の宮はおし出したる處など云ふ説不v足v取。しほの光にて照すなどいふもなき事也。すべてケ樣の義はみな地名をつゞけていへること也。にほてるといふも近江の地名也。湖江の邊にある、にほてるといふ處也。こゝもおしてるといふ地名にて、則日本紀等におしてるの宮といふ事あり。追而考可v出。これはなにはのかりみやに御幸の時を、かく國しらすなど詠めると聞えたり
御食都國 御食國といふ義也
淡路乃 四音に讀むべし。無理に五音を合せんとあはみちと讀めるはあやまり也
野嶋之海子乃 日本紀履中紀云、〔自2龍田山1踰之時、有2數十人執v兵追來者1、太子遠望之曰、其彼來者誰人也。何歩行急之。若賊人手。因隱2山中1而待之。近則遣2一人1問云、曷人、且何處往矣。對曰淡路野嶋之海人、阿曇連濱子爲2仲皇子1令v追2太子1。於v是出2伏兵1圍v之悉捕v之云々〕
伊久利二 石をいぐりとは云ふ也。あはびと云ふものは石にとりつきあるもの也。それをはものにてこぢはなちてとる由也。それ故おきついぐりにとはよめり
船並而 さはにかづき出て、海子どものわれも/\と船をならべてと也
貴見禮婆 かしこみければと讀むべし。大王をたうとみ恐れ奉れば、如v此みつぎものを奉ると云ふ意也。かしこみつればとも讀べし
(117)反歌一首
934 朝名寸二梶音所聞三食津國野嶋乃海子乃船二四有良信
あさなぎに、かぢおときこゆ、みけつくに、のじまのあまの、ふねにしあるらし
何事もなき歌也
三年丙寅秋九月十五日幸於播磨印南野時笠朝臣金村作歌一首并短歌
聖武紀云、神龜三年九月〔壬寅、以2正四位上六人部王藤原朝臣麿正五位下巨勢朝臣眞人從五位下縣犬養宿禰石次大神朝乃道守等二十七人1爲2装束司1、以2從四位下門部王正五位下多治比眞人廣足縱五位下村國連志比我麿等一十八人1爲2造頓宮司1、爲v將v幸2播磨國印南野1也。〕
935 名寸隅乃船瀬從所見淡路島松帆乃浦爾朝名藝爾玉藻苅管暮菜寸二藻鹽燒乍海未通女有跡者雖聞見爾將去餘四能無者大夫之情者梨荷手弱女乃念多和美手徘徊吾者衣戀流船梶雄名三
なきすみの、ふなせゆみゆる、あはぢしま、まつほのうらに、あさなぎに、たまもかりつゝ、ゆふなぎに、もしほやきつゝ、あまをとめ、ありとはきけど、みにゆかむ、よしのなければ、ますらをの、こゝろはなしに、たわやめの、おもひたわみて、たちどまり、あれはぞこふる、ふなかぢをなみ
名寸隅乃 播磨の地名と云ひ傳り。なきすみは本朝文粹第一、三善清行意見封事之文に、播磨國魚住泊云々とある、此所の事にやあらん。魚は日本紀等、なと讀ませてあれば、國郡郷の字嘉字の二字に被v改て後、此なきすみの三字を魚住と被v改、きを付讀みにしたるか、此例多事也。此名寸隅の地名外に無2所見1也。船瀬より淡路島の景氣よく見ゆる所と聞えたり
松帆乃浦爾 定家卿の、松ほのうらの夕なぎにと詠み給へるも此浦の事也。詞も此歌の詞をとり給へる也
手弱女之念多和美手 をの子心はなくて、女のやうに思ひたわみて、甲斐無く思ひきりも無くてと云ふ意也
(118)徘徊 たちどまりとも、たちもとりとも讀むべし。たゝずみてながめやる體をいへり。のり行くべき船かぢもなければ、たゞ呆然とたちどまりこひしたひ思ふとの意也
反歌二首
936 玉藻苅海未通女等見爾將去船梶毛欲得浪高友
たまもかる、あまをとめらを、みにゆかん、ふなかぢもがな、なみたかくとも
欲得 かなと讀む事前々にもある通の義訓也
937 往還雖見將飽八名寸隅乃船瀬之濱爾四寸流思良名美
ゆきかへり、見るともあかん、なきすみの、ふなせのはまに、四寸流しらなみ
四寸流 しきると點あれども、上下に音を用ひて中に訓を交ること心得がたく、又しきるといふ詞もいかゞ也。よすると讀めば義安けれど、三言を下二言音を容ひたる例おぼつかなし。追而可v考。師云、集中此格多し。しきると云ふ歌詞あるべきとも不v覺。極めてよするとの義也
山部宿禰赤人作歌一首并短歌
938 八隅知之吾大王乃神隨高所知流稻見野能大海乃原笶荒妙藤井乃浦爾鮪釣等海人船散動鹽燒等人曾左波爾有浦乎吉美宇倍毛釣者爲濱乎吉美諾毛鹽燒蟻往來御覽母知師清白濱
やすみしゝ、わがおほきみの、かみからに、たかくしらせる、いなみのゝ、おほうみのはらの、あらたへの、ふぢゐのうらに、しびつると、あまぶねどよみ、しほやくと、ひとぞさはにある、うらをよみ、うべもつりはす、はまをよみ、うべもしほやく、ありかよひ、みらんもしるし、さよきしらはま
神隨 神のまゝといふ點あり。前にも注せる如く神なるからと言ふ點しかるべし。わが大王は神にてましますから、たかく(119)此國土をしろしめすとの義にて大王を尊賞し奉りし義也
荒妙 ふぢとつゞく冠辭也。今もふぢぬのと言ふものあり。もとよりあらき布をふぢごろもと言ふ也。たへとは、きぬ、ぬのゝ通稱也。和名抄播磨國〔明石郡葛江 布知衣〕
海人船散動 あまぶねどよみと讀むべし。しかし散動の字前にはみだれと讀ませたれば、みだれともまたさわぎとも、讀んか。次の反歌にふねぞどよめると讀めるあれば、どよむと讀む方よからんか
宇倍毛 もつともつりをなす事のよきと也。下の諾もしほやくと言ふ對也
蟻徃來 いくたびも行き通ひて也。ありかよひはいつまでも存在して也
御覽 みゝんもと讀む、又みらんもと讀む、又おほみと讀むべきと云ふ説あり。みらんのかた義安かるべし。今よりいくたびもあり通ひ來て、あかず見んもしるしと也
反歌三首
939 奧浪邊波安美射去爲登藤江乃浦爾船曾動流
おきつなみ、へなみしつけみ、いさりすと、ふぢえのうらに、ふねぞどよめる
安美 義をもてしづけみと讀むか。おきの波も邊つ波も靜かなるにより、海人共のいさりをするとて、船をよぴかはしどよむと也
いさり は魚をとり貝拾ふ事を言ふ。あさりも同じ。定家卿の、さわらびあさるとよみ給へるはいかなる義にや。その譯知れず心得難し
940 不欲見野乃淺茅押靡左宿夜之気長在者家之小篠生
いなみのゝ、あさぢおしなみ、さぬるよの、けながくあれば、いへしゝのぶる
おしなみ はおしなびけ也。旅行故野に宿ると也
(120)小篠生 しのぶる也。日本紀神代卷には、篠の一字をしのと讀ませたり。生はおふると讀む故ふるとは讀ませたり
941 明方潮干乃道乎從明日者下咲異六家近附者
あかしがた、しほひのみちを、あすよりは、したゑみしけん、いへちかづけば
不咲異六 したゑみしけん、このしけんといふ詞集中にあまたあり。こひしけんはといふ處もあり。延言の傳を知らざれば不v濟事也。せをのべたる詞也。しけをつゞむればせ也。せをのべてしけ也。こゝも下ゑみせんと言ふ義也
歌の意は、御幸の供奉にもあれ、都にかへるに、やがて都近くなりて家にも近づけば、心の中に喜びゑめるとの義也。あかしがた、はりまがたなどいふは、海邊の通路の國を言ふ也
過辛荷嶋時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
からにのしまをすぐるとき云々
辛荷嶋 播磨國風土記云、〔韓荷島、韓人破v船、所v漂就2於此島1故云2韓荷島1云々〕仙覺抄に見えたり。本朝文粹、善相公請v修2復播磨國魚住泊1文に、自2韓泊1指2輪田泊1云々。此からのとまりと云も、からにの嶋の事歟。昔は韓荷とも書きたりと見えて風土記に記せり。からかとも讀む事心得難し。後撰雅經のうた、清輔奧義抄にもからかと書けり。風土記の説に從ふべし。或抄に室の西にあたりて、からみ嶋と云ありといへり。にもみも同音なれば此嶋なるべきかといへり。しかれども歌の詞に、いなづまからにと讀みたれば、御幸の間日數なければ、室の西まではいたるまじ。いなみ郡にある嶋ならんか
942 味澤相妹目不數見而敷細乃枕毛不卷櫻皮纏作流舟二眞梶貫吾榜來者淡路乃野島毛過伊奈美嬬辛荷乃島之島際從吾宅乎見者青山乃曾許十方不見白雲毛千重成來沼許伎多武流浦乃盡徃隱島乃埼埼隅毛不置憶曾吾來客乃気長彌
あぢさはふ、いもがめしばみずて、しきたへの、まくらもまかず、かにはまき、つくれるふねに、ま(121)かぢぬき、わがこぎくれば、あはぢの、のじまもすぎぬ、いなみづま、からにのしまの、しまゝより、わがやどをみれば、あをやまの、そこともみえず、しらくもゝ、ちへになりきぬ、こきたむる、うらのこと/”\、ゆきがくれ、しまのさき/”\、くまもおかず、おもひぞわがこし、たびのけながみ、
味澤相 此詞未v考、たゞいもをほめたる詞と見おく也。いかにといふ義不v辨也
妹目 いもがめといふ。此目は、前にも後にも、目をほり、目みずてなど讀めり。いかにとなれば人の精神は目にある也。よりてまづめによらねば何事もわからず。人の生死も目にて見わくる也。よりて歌にもかくの如くよめる也
枕毛不卷 妹とまくらせぬ義也
櫻皮纏 かにははかは也。如v字さくらの木の皮也。和名抄云、樺〔和名、加波、又云、加仁波、今櫻皮有v之〕
伊奈美嬬 いなみづまも名所、からにの嶋同所か。いなみ妻の事は第四に注せり
吾宅 大和のかたを見やりたるか。跡を見やりたるか。印南郡より大和などを見やりたらんに、何とて見え侍らんや。青山乃云々と詠めり。しかれども詞のつゞき、跡のかたを見やりたるやうに聞ゆれば、赤人は明石などの生國にや、歌にあかしがたの歌にも不審あり
青山乃 地名か。播磨にあるよし聞たれど、所見なければ不v決。十月のことなれば、青山のめぐるといふにも叶ひ難し。紅葉も落葉してかれ山の時節なれば、とかく地名ならんか。いづれにもあれ、へだてゝ不v見義をいへり
白雲毛千重爾成來沼 此詞大和のかたへ上るには、わがいへとよめるなれば、跡になりたる樣に聞ゆる也
浦乃盡 浦のこと/”\と讀むべし。はてまでといふ點はいかゞ也
隅毛不置 くまものこさず也。第一卷にはくまもおちずと讀ませたまへり。隅の字は隈の誤りか。義をもてかけるか
憶曾吾來 おもひぞわが來とは、旅路故わが家をしひ思ふとの事か。又徃めぐりし浦々、島のさき/\の事を思ひつゞけて來るとの事か。二義をかねて見るべき也
(122)客乃氣長彌 氣は初語也。語のたすけともいふべし。旅のながきといふまで也。
行幸の供奉にて詠める歌か。諸抄は皆その通りに解したり。しかれども十月辛酉に御幸ありて、癸亥に難波宮へ還御なればたゞ三日のことなるに、如v此詠めること心得難し
反歌三首
943 玉藻苅辛荷乃島爾島廻爲流水鳥二四毛有哉不念有六
たまもかる、からにのしまに、あさりする、うにしもあるや、家おもはざらん
水鳥 鵜也。爾雅注云、※[盧+鳥]※[茲+鳥]は水鳥也。當集第十九卷、贈水鳥越前判官大伴宿禰池主とも有。古點はかもとありしを、仙覺以來うとは讀める事仙覺抄に見ゆ
有哉 諸抄共にあれやと讀めり。義はあればやといふ意と釋せり。それより直にあるやと讀みてうにて無きゆゑ、故郷の家をもしたひ思ふとの意と見るべし。鵜にてもあらば家を思ふこともあるまじきを、人情の常なれば家をも忘れずしたふとの義也
944 島隱吾※[手偏+旁]來者乏毳倭邊上眞熊野之船
しまがくれ、わがこぎくれば、ともしかも、倭邊のぼる、みくまのゝふね
乏毳 此ともしかも、とぼしき哉也。此ともしと言ふ事、こゝにては珍らしきといふ意にはあるまじ。少くさびしき方をいへると聞ゆる也。惣じて此ともしと云詞、遣所によりて意の違事あり。すくなくさびしきことをいふ。すくなきといふ意より、めづらしきとほめたる事に用たる事もあり。歌によりて分別あり
みくまのゝふね、これはくまうらを通路の事にはあるまじ。船の名をいふたる義と聞ゆる也。熊野山の木にて作りたる船を言ふとの説もあり。神代下卷にも、熊野のもろたふねとあり。且伊豫風土記にも、野間郡有2三船1名曰2熊野1。〔後化爲v石、葢此類也。諸手言2數多水手操1v舟也〕よし纂疏に引かれたり。此奧にても家持歌、伊勢へ行幸の時も、みけつ國しまのあまなら(123)しみくまのゝ小船にのりて沖へこぐ見ゆ。第十二卷にも見えたり。皆船の名なり。熊野船といへば、風波の難なく、とく走る船といふ事に、船名にいへるよし云傳へたり。
945 風吹者浪可將立跡伺候爾都太乃細江爾浦隱居
かぜふけば、なみかたゝんと、まつほどに、つたのほそえに、うらがくれゐぬ
伺候爾 別訓あらんか。まつ程にといふ爾の字、下の爾にさし合てきこゆれば若し誤字なるにや
つたの細江 播州か。八雲御抄に播磨とあり。うらがくれゐぬ、風吹故海のあるゝをかしこみて、つたの細江といふ内海の樣なる所に、見合てかくれゐるとの義也。うらかくれのうらはうちなど云ふ意か。拾穗は助詞と注せり。細江といひてうらがくれとある故なるべし。浦は惣名とも見ゆれば助語とも難v決也
居 諸本徃の字也。古一本には居の字也。拾穗も居也。居の字正たるべし。しかればいぬといふ點はゐると云意也。去の字の意にはあらず。徃の字の意にはあらず、徃の字の本を以て釋せる抄等は違なり
過敏馬浦時山部宿禰赤人作歌一首并短歌
946 御食向淡路乃島二直向三犬女乃浦能奧部庭深海松採浦回庭名告藻苅深見流乃見卷欲跡莫告藻之己名惜三間使裳不遣而吾者生友奈重二
みけ向、あはぢのしまに、たゞむかふ、みぬめのうらの、おきべには、ふかみるつみ、うらわには、なのりそをかり、ふかみるの、みまくほしみと、なのりその、おのがなをしみ、まづかひも、やらずてわれは、いけりともなし
みけ向の事前に注せり。物の字誤なるべし
直向三犬女 みぬめの嶋浦、前に注しき。こゝの意は、みぬめの浦とあはぢの嶋とは眞むかひて、直に見ゆると聞えたり。よ(124)りてたゞむかふとよめり
深見流乃 下の見まくといふ詞へうつらんとて、だん/\に詞の縁をうけてよみくだせり。此歌の意は、旅行にて故郷の妻をしたひてよめる歌と聞ゆる也。それ故はじめにみぬめの浦のとよみ出でたる、全體の趣意をこめたると聞ゆる也。不v見妻の意也
名惜 御行の供奉などにておのが名をあらはして、妻のかたへ使など出したてん事も、外聞のあしければえせぬとの意也
間使 まは初語也。あひだの使など心得ん事にはあるべからず
いけりともなしとは、こひ慕ふことの切なる事をいへり
重二 二二ノ四といふ義にて、しとはよませたり
反歌一首
947 爲間乃海人之鹽燒衣乃奈禮名者香一日母君乎忘而將念
すまのあまの、しほやきゞぬの、なれなばか、ひとひもきみを、わすれておもはん
なれなばか なれたらば、せめて一日も君を忘れて思はんづれとも、未だあひなれぬからかく慕ふと也。このなれなばかといへるは、つれともなひたらばといふ意よりよめるか。たゞし旅行にて見そめし人をこひ慕ふ歌か。しからば長歌の意にみるべし。故郷の妻をしたふにはあらず。旅行にておもひそめし人をこふ歌なるべし。諸抄には行幸の供奉にての歌と釋したれど、左注にも年月不詳の旨記したかば、供奉の歌とも決し難し。供奉にてなきとも決し難き也
右作歌年月未詳也但以類故載於此次
四年丁卯
春正月勅親王諸臣子等散禁於授刀寮時作歌一首并短歌
神龜四年也。左注に詳也。續日本紀には此事見えねど、三月に勅制あれば、此義によりてなるべし。此文とは正月と三月の違(125)あり
散禁於授刀寮 續日本紀、令式等可2考合1
948 眞葛延春日之山者打靡春去徃跡山上丹霞田名引高圓爾※[(貝+貝)/鳥]鳴沼物部乃八十友能壯者折木四哭之來繼皆石此續常丹有背者友名目而遊物尾馬名目而往益里乎待難丹吾爲春乎决卷毛綾爾恐言卷毛湯湯敷有跡豫兼而知者千鳥鳴其佐保川丹石二生菅根取而之努布草解除而益乎往水丹潔而益乎天皇之御命恐百礒城之大宮人之玉桙之道毛不出戀比日
まくづはふ、かすがのやまは、うちなびき、はるさりゆくと、やまのべに、かすみたなびき、たかまどに、うぐひすなきぬ、ものゝふの、やそとものをは、をりふしも、ゆきかよひせし、このつきの、つねにありせば、ともなめて、あそびしものを、うまなめて、ゆかましさとを、まちがてに、わがするはるを、かけまくも、あやにかしこく、いはまくも、ゆゝしくありと、あらかじめ、かねてしりせば、ちどりなく、そのさほがはに、いそにおふる、すがのねとりて、しのぶぐさ、はらへてましを、ゆくみづに、みそぎてましを、すめろぎの、みことかしこみ、もゝしきの、おほみやびとの、たまぼこの、みちにもいでず、こふるこのごろ
まくづはふかすがの山 歌の序詞也。全體の歌の意にかゝはる事にはあらねど、かく詠み出したるもの也。惣じてくづかづらは山にはびこりしげりて、大和の國の名産なるものから、かくよみ出たると見えたり
うちなびき、おしなべての意、詞のはじめにいふ義也
春去徃跡 はるになり行くと也
うぐひすなきぬ これまで、春になりぬれば野山の景色のどかに、鳥の聲々も豐かに春めきて、おもしろきといふ義をいひた(126)る也
折木四喪之來繼皆石此續 此十一宇いかにとも讀難し。諸抄の説無理讀みに讀みたれども、歌詞にあらず、義も不v通也。折一本に柳に作る也。木、一本に不に作る也。喪、通例哭に作る。集中哭の字皆もと讀めり。喪にはかなしみなくもの故、義を通じてもと讀ますと云説あれど、决めて喪の字の誤りたる也。一所誤りしより、数ケ所にそれを傳へたるなるべし。此十一字宗帥讀解傳追而可v注
宗帥案云、折不四哭、をりふしも、之來繼皆石、ゆきかよひせし、來繼は通ふ也。皆は背の誤か。又ゆきゝたえずなし、なはみなのな也。折木四哭、雁自物か。雁の友どちつれだちて來る如くにと云ふ意か。此續は此月也。訓は濁音を清音に讀める例あり。しかれば物部のやそとものをの折ふしも、ゆきかよひせしこの月の常にありせばと續くか。常にありせばは、前に遊びし如くならばと云義也
友名目而 馬なめてなどいふ意に同じく、つれだちならびて也。列の字の意也
遊物尾 あそぴしものを也。前のことを思ひ出て慕ふ也
待難丹吾爲春乎 馬なめて友どち打むれ行ましと、春の來るを待ちかねたりしにと云ふ意也
かけまくも 此以下は、勅の義をかしこみおそれていへる詞ども、みな前に注しき
湯々敷有跡 ゆゝしくありと也。かくいみつゝしむ如きの勅のありと、かねてしりたらば前かたにそのわざはひの無き樣にはらへをせんものをと悔いたる也。これより以下祓の事をのべたる也
兼而知者 かねてしりなばとか、しれらばとかよむべし
其佐保川丹 みそぎをせん、そのさは川に生るといふ意にてそのと也
石二生 磯の字と同じ。川邊の縁をいへる意也
菅根取而 すがのねとりつゝともよまんか。畢竟すがは祓の意に用ふるもの也
之奴布草 篠といふものは神祭の具に用ひて、このしのぶ草も、しのゝかやといふ義にてはあるまじきや。漢土にても、三月(127)上巳に蘭草をもて祓2不祥1といふ義あれど、此歌の外、しのぶ草を祭具に用ふること未v聞ば、かやは、のすゝといふて神代より用ひ來れり。先こゝはすがとしのぶ草とを取りてあがなひものにして、わざはひをはらはんものと也
御命恐 散禁の勅命をおそれて、道路へ出づることもならぬと歎ける也
反歌一首
949 梅柳過良久惜佐保乃内爾遊事乎宮動々爾
うめやなぎ、すぐらくをしみ、さほのうちに、あそびしものを、みやもとゞろに
梅もちり、柳もたけて春の面白き心も過なん事のをしきと也
佐保乃内 かの諸人の遊し處をさして也。かすがのさほ川のあたりにて、打毬をなす遊宴してたのしみし處也
遊事乎 これをことをと字の通點をなせり。しかれども物事通じて義訓に事の字ものとよみ、物の字ことゝ讀み來りて、こゝはものと讀までは聞えがたし。よりてものとよむべき也
宮動々爾 群集して、宮殿もなりどよめく程にさわぎ遊びしと也。雷にて宮もとゞろになりたるに、侍衛の人なきより、此散禁の勅命出でたると悔いたる意に、宮もとゞろにといふたる歌との説あり。入ほかの意なるべし
右神龜四年正月數王子諸臣子等集於春日野而作打毬之樂其日忽天陰雨雷電此時宮中無侍從及侍衛 勅行刑罸皆散禁於授刀寮而妄不得出道路于時悒憤即作斯歌 作者未詳
打毬 まりうちといふて初春にはもて遊びしことあり。今俗、童きてうといふものをもて、玉をうつなぐさみごとあり。是此遺風也。打毬の事は、唐土の出所本邦の古事等、日本紀和名抄等可2考合1。侍從及侍衛。令、式、日本紀等追而可2書出1
授刀寮。同斷
五年戊辰
(128)幸于難波宮作歌四首
時の字脱か。目録には時の字あり。作者も千年と記せり。月日未v考。紀に脱したるか
950 大王之界賜跡山守居守云山爾不入者不止
おほきみの、さかひたまふと、やまもりすゑ、もるちふやまに、いらずばやまじ
界賜 この説諸抄の意は、大王の境をわけ置給ふて、山守の守り居との義にとれり。さ様の意にては、集中の歌にさしつかゆる歌どもありて不v濟也。みさか賜てといふ事もあり。國方を見さし賜てなど節度使の歌にありて、これは御免を賜て心のまゝに見るといふ義也。そこの境かしこの境を賜りてといふ義也。しかれば境を賜といふて、行幸の供奉なれば山守を居て、人を禁ずる山々へも不v入ばやまじとの歌也
山寺居云山爾 無點本は如v此あり。これにては言葉あまらずよまるゝ也。山守の居ちふ山にとよみても義は同じ
此歌の意、行幸の供奉なれば、やまとより難波へ越來る道すがらの山々をも、御免をうけ給りたれは、心のまゝにいらずばやまじといふ意也。しかれども何とぞ戀の情になぞらへてよめる意あらんか。此歌は行幸の道すがらの歌也
951 見渡者近物可良石隱加我欲布珠乎不取不已
見わたせば、ちかきものから、いそがくれ、かゞよふたまを、とらずばやまじ
ちかきものから は石がくれにかゞよふ玉を見るに近く見ゆればといふ意也。いそがくれ、眞珠といふものは鰒にもあり。それらの意もこめてか
かゞよふ かゞやく意也。玉の光のほのめくをいふ也。この歌の意は難波はひな故、ま近く見ゆる光ある玉も、とる人なきとわびてよめるとも聞ゆる也。次の歌にて引合見るべし
やまじ 前の歌もこの歌もやまじと云とめには、何とぞ思ふ人ありて、その思をとげずばやまじといふ意を、かくよそへてよめる歌かと聞ゆる也。ある抄には、奉公の勞をいとはぬ意をよめると言へり。これも推量の意也。此歌は難波に來ての(129)來りての歌也
952 韓衣服楢乃里之島待爾玉乎師付牟好人欲得
から衣、きならのさとの、しまゝつに、玉をしつけん、好人もかな
からごろも きなるゝとかけて、ならの里といはんための冠也。十二卷目に、こひ衣きならの山ともよめり。きならといふ所をいへるか。たゞならといふ義か。いづれにもあれ、から衣には意なし
嶋侍爾 嶋松也。此島も地名と聞ゆる也。第五卷にも、なら路なる嶋の木だちとあり。此ならぢなる嶋のとよめるをもて思へば、きならの里はたゞならのさとゝいふ義なるべし。きは衣につきたる義なるべし
玉をしつけん しは助語也。松に玉をつけん也。松にも玉をつけて見ん風流の人もがな。ならの里は都なれば.みやびたる人多かれば、この難波のひなびたるを見て、みやびをしたふ意也。前のかゞよふ玉をといふ意を引合せて見るべし。松に咲く玉をつけてもあそばん樣の、みや人の此難波にもあれかしとの意也
好人 よきひとゝある點は心得難し。美人を好人とも書ることおはえたれど不v慥。追而可v考。若し然らばみやひめもがなとよむべし。みやびをなす人もがなといふ意也。すべて此四首の歌の意とくと不v通也。四首を前後引合せて聞えさせたる歌か
953 竿牡鹿之鳴奈流山乎越將去日谷八君當不相將有
さをしかの、なくなるやまを、こえゆかん、ひだにやきみが、あたり見ざらん
宗師の見樣は、さをしかのなくとよみたれば、山などさしていへるならん。難波よりかへりいなん時の事をよみて、なにはにある思ふ人をしたふ意をよめる歌にて、山を越ゆるまでは見かへり見やらんを、越えていなん日には、君があたりを見ざらんとの義と也
愚案、さをしかのなくなるとよみ出たるは、鹿は妻こひになくものなれば、われも妻をしたふ心を、鹿によそへてあらはさん(130)爲によみ出せるならん。越えていなんといふべきか。難波より供奉にて大和へかへらば、山をこゆる事勿論なるべし。よりて妻こふ鹿のなく如く、われもおもふ人をこひつゝ山を越えてかへりたりとも、そのまゝあふ事はあらざらんと歎きて、歎息の詞をはたといひて、切なる意をあらはしよめるにやあらん。尤も難波にて大和の事を慕ひおもひてよめるか。日だにやとよめる意をとくと考ふべき也
右笠朝臣金村之歌中出也或吉事持朝臣千年作之也
千年作之也 この後注によりて、目録には千年の歌と決して記せるか
膳王歌一首
第三に注せり。長屋王の子也
954 朝波海邊爾安左里爲暮去者倭部越鴈四乏母
あしたには、うなひにあさり、ゆふされば、山とびこゆる、かりしともしも
暮去者 無點本には去の字なし。なくてもゆふべにはとよまるゝ也。上も朝波とあれば、下も暮者にてもあるべきか。點本には去の字を加へたり。よりてゆふべになればと言ふ意に見る也
倭部越 山飛びこゆる也。大和へ越ゆると心得ては違也。上に朝には云々とありて大和へこゆるとは不v續也。朝には海、夕には山と對してよめる歌世。第三にも山飛び越ゆるとよみ、第十にも山とぴこゆると云に山跡部と書けり。部はび也。如v此書く事當集の一格也
かりしともしも これはめづらしきといふ計の意にあらず。さびしき意をこめたる乏しも也。前に注せる如く、このともしといふ義、大かたさびしき意をかねたる事あり
右作歌之年不審也但以歌類便載此次
如v此あるに、目録には同幸時膳王作歌と記せり。何を證とせんか
(131)大宰少貳石川朝臣足人歌一首
前に注せり
955 刺竹之大宮人乃家跡住佐保能山乎者思哉毛君
さすたけの、おほみやびとの、いへとすむ、さほのやまをば、おもふやもきみ
刺竹之大宮人 このさすたけの事諸説まち/\也。當流の説は、比2君徳1して宮殿をほめていへる事と釋したれど、宗師又後案、竹の古訓たか也。高く尊きとほめたる冠辭ならんと也。さすはしぬとも云竹の名によりていへるならん。さはし、すは濁音にてぬなるべし。又すもさなればさゝ竹ならんか。篠竹なるべし。さす竹の舍人とよめる歌あり。これもみやといふより轉じてよめるなるべし。君とよめる歌日本紀にありて、これさす竹のはじめ也。これも高き君、尊き君といふ義に、冠辭に用ひたるなるべし。さゝ竹にてあるべき證は、此集第十一巻に、刺竹の齒隱有わがせこか云々といふ歌あれば、此齒の字先は、はとよむべき也。葉がくれにてあるべし。しかればさゝ竹の葉とうけたる也。尤もよはひこもれるともよむべけれと、それにてもさゝ竹なるべし。さす竹といふ事心得難し。定家はさゝ竹に決しられて、さゝ竹のとよみ給へる歌あり。或抄には、さゝ竹の生ふとつゞく爲に、大宮といふとの義也。さゝの多くしげり生は、繁昌の意にもことよせていへるとの説あれど心得難し。さす竹のみことばかりつゞけたる歌もあり。兎角君徳に比したるか。又高き尊きと尊んでいふ義、たかといはん爲の義と見ゆる也。竹取翁の歌の、さす竹のとねりとよめるは、みやのとねりと云みやを略したると見るべし
歌の意は何の事もなく、故郷のさほ山を慕ひ給ふやとの義迄也
帥大伴卿和歌一首
956 八隅知之吾大王乃御食國者日本毛此間毛同登曾念
やすみしゝ、わがおほきみの、みけくには、やまともこゝも、おなじとぞおもふ
(132)この歌の意は、大王の御徳化いたらぬ國もなきといふ意をあらはして、君徳のみかげをかたじけなく思ふ意をよめると聞えたり
御食國 無點本には御の字無し。しからばおしくにと讀むべき也。いづれにても天子の御食物の國といふ義也。食に足りたる豐饒の國といふことにて、みけつくに御食國などいへる也
冬十一月太宰官人等奉拜香椎廟訖退歸之時馬駐于香椎浦各述懷作歌
右何年の事か未v考
香椎廟 筑前國也。日本紀仲哀紀神功皇后紀等可v考。延喜式同斷。和名抄追而可v考
帥大伴卿歌一首
957 去來兒等香椎乃滷爾白妙之袖左倍所沾而朝菜採手六
いさやこら、かしひのかたに、しろたへの、そでさへぬれて、あさなつみてむ
いさやこら 帥大伴卿に附屬の官人等をさして也
朝菜 一種あるにあらず。詞の縁に朝菜とも夕菜ともよめり。歌の意能きこえたり
大貳小野老朝臣歌一首
五卷目の梅歌の作者を引合考ふるに、任官等相違、何年の事にや、追而可v考。此大貳も、次の豐前守も、梅の歌の作者とは官違へり。梅の歌は天平二年正月也。此卷のこゝの歌は天平二年より前か。天平二年正月には此老は小貳小野大夫と記せり。心得難し。右梅の作者後人の筆か。不審多也
958 時風應吹成奴香椎滷潮干※[さんずい+内]爾玉藻苅而名
ときつかぜ、吹べくなりぬ、かしひがた、しほひのきはに、たまもかりてな
時風 疾つ風也。はげしき風のこと也。しかるを今の時つかぜとよむは、代のおだやかなることによめり。此集此歌などの(133)意とは違也。すでに頃も霜月なれば、海風はげしからん折也。前の歌に朝菜つみてんとありて、朝なぎの比もやがてすぐべきなれば、風立ぬあひだに早く玉もをからんとの義也
※[さんずい+内]《ゼイ》 字書注に、小水入2大水1、爾雅云、水※[涯の旁]也とあり。しかればきはとよめるも理り也。かたともよむべきか。しほの干かたをも※[さんずい+内]といふべき也。又※[草がんむり/内]と通ふよしも字書に見えたり
豐前守宇努首男人歌一首
傳未v考
959 往還常爾我見之香椎滷從明日後爾波見緑母奈思
ゆきかへり、つねにわがみし、かしひがた、あすよりのちには、見るよしもなし
歌の意何の義もなし。若し此人任はてゝ上京などするか。あすより後には見まじきよしをいへり
帥大伴卿遙思芳野離宮作歌一首
大伴卿太宰にありて、吉野の瀧宮のことを遙かに思ひしたひ給ひて也
960 隼人乃湍門乃磐母年魚走芳野之瀧爾尚不及家里
はや人の、せとのいはほも、あゆはしる、よし野の瀧に、なほしかずけり
隼人乃 薩摩の瀬戸の事也。第二卷に、隼人のさつまのせとゝよめる同じ所也。はる/”\遠所を引合て思ひ出でられたり。景色少し吉野離宮の瀧に似たるより、かく思ひ出たまへるならん
しかずけり 及ばぬと也。離宮の瀧の景色ことに勝れたりと也
帥大伴卿宿吹田温泉聞鶴喧作歌一首
前略すぎたのでゆにやどるとき、たづのなくをきゝてつくる歌一くさ
(134)次田 和名抄、御笠郡次田。今の和名抄には訓を不v被v記也。次の字古訓すぎ、すぐとよめり。つぎとはたま/\に讀めり。ゆき、すき、玉だすき等みな次の字也
961 湯原爾鳴蘆多頭者如吾妹爾戀哉時不定鳴
ゆのはらに、なくあしたづの、わがごとく、いもにこふるや、時わかずなく
不定 わかずとよむは義訓叶ふべし。歌の意何の事もなくよく聞えたり
天平二年庚午
勅遣擢駿馬使大伴道足宿禰時歌一首
みことのりしてときうまをひくつかひに大とものみちたり云々
擢駿馬 よき馬をえらびひかるゝ使也。諸國の牧へみことのりありて使を被v遣事、續日本紀、聖武紀、天平三年〔八月の條を〕可v考。擢は玉篇引也と注せり。駿は馬のとくはやきよき馬といふ美稱也
大伴道足 傳、續日本紀を可v考。此時は民部大輔にて四品か。道足の宿禰とあり
962 奧山之磐爾蘿生恐毛問賜鴨念不堪國
おく山の、いはにこけおひ、かしこみも、とひたまふかも、おもひたへなくに
おくやまのいはにこけおひ 下のかしこみといはん迄の序也。かしこみとはかたきといふ義にて、かしこみはかたじけなくもといふ義也。よりてかたきといふ縁にいはにとよみたり
念不堪國 廣成身を卑下して歌などにたへたるものにてはなきに、かたじけなくも詠吟をせよとの事は、中々思ひたへぬ不相應の義と也
とひたまふかも とは歌を詠吟せよといひ給ふとの義也
(135)右勅使大伴道足宿禰饗于帥家此日會集衆諸相誘驛使葛井連廣成言須作歌詞登時廣成應聲即吟此歌
前略かつらゐのむらじひろなりをあひいざなふて、うたのことばをつくるべしといふときに、こゑにしたがひてすなはちこのうたをうたふ
右古注者考ふる處ありて如v此注せるならん
葛井連廣成 績日本紀可v考。始は白猪史氏〔改めて葛井連の姓を賜ふ也。〕懷風藻云、〔正五位下中宮少輔葛井連廣成二首〕
冬十一月大伴坂上郎女發帥家上道超筑前國宗形郡名兒山之時作歌一首
上道 みちたちすとよむ也。上道、上路と書きていづれもみちたちとよむ也。諸抄の點に、ほとりのみちよりなどあるは、みちにたちとよむ古記を不v見なるべし。大伴坂上郎女は旅人卿の妹也。太宰府へ見舞のため下り給ふなるべし
宗形郡和名抄〔筑前國宗像【牟奈加多】〕
963 大汝小彦名能神社者名著始※[奚+隹]目名耳乎名兒山跡負而吾戀之千重之一重裳奈具佐末七國
おほなむち、すくなひこなの、かみこそは、名づけそめけめ、なのみを、なごやまとおもひて、わがこひの、ちへのひとへも、なぐさまなくに
大汝小彦名能神 日本紀神代卷上云、夫大己貴命與2少彦名命1戮v力一v心經2營天下1。此くには如v此二神のつくりなし給ふ故、そのときなづけゝめと也。畢竟なご山といふに、わが戀の少もなごまずなぐさまぬと言ふ意の歌也
同坂上郎女向京海路見濱貝作歌一首
964 吾背子爾戀者苦暇有者拾而將去戀忘貝
わがせこに、こふるはくるし、いとまあらば、ひろひてゆかん、こひわすれがひ
(136)こひわすれ貝といふを趣向にて詠める也。よくきこえて別の意無き也
冬十二月太宰帥大伴脚上京時娘子作歌二首
965 凡有者左毛右毛將爲乎恐跡振痛袖乎忍而有香聞
おほならば、かもかくもせんを、かしこしと、ふりたきそでを、しのびてあるかも
凡有者 大かたならば也。よのつねならば袖をもふりて、まねきかへさまほしく思へども、高貴の人故、おそれかしこみてふりたき袖をもこらへて居ると也
966 倭道者雲隱有雖然余振袖乎無禮登母布奈
やまとぢは、くもがくれたり、しかれども、わがふるそでを、なめしともふな
無禮登 これをなかれと云ふ點をなせり。無禮の事を古語になめしといふ。よりてこゝにも義訓に被v書たるを、なかれといふ點は誤れる也。或抄にはなめしの古語はしりながら、これはなかれと讀むとの義、歌詞を不v辨の義也。大和道は山をもへだて雲井にかくれたれど、しのびかねて、今は袖をふりて慕ひまつる程に、無禮を允したまへ。侮りていやなくし侍るにはなき、唯別れのしのび難きから、かくふる袖をなめしとおぼしめし給ふなと也。もふなは思ふな也
右太宰帥大伴卿兼任大納言向京上道此日馬駐水城顧望府家于時送卿府吏之中有遊行女婦其字曰兒島也於此娘子傷此易別嘆彼難會拭涕自吟振袖之歌
府吏は太宰府の官人をさしていへり。下司之事也
水城 天智紀云、是年【三年】〔於2對馬壹岐嶋筑紫國等1置2防與烽1。〕又於2筑紫1大堤1貯b水名曰2水城1。續日本紀天平神護元年二月〔辛丑太宰大貳從四位下作伯宿禰今毛人爲d築2怡土城1專知官u。少貳從五位下采女朝臣淨庭爲D修2理水城1專知官u〕和名抄云、下座郡三城【美都木】
遊行女婦 あそび女也
(137)大納言大伴卿和歌二首
967 日本道乃吉備乃兒嶋乎過而行者筑紫乃子島所念香聞
やまとぢの、きびのこじまを、すぎてゆかば、つくしのこじま、おもはれんかも
やまとぢ 前に注せり。大和の都の時なれば、諸國よりのぼる道皆大和路也
吉備乃兒島 日本紀神代紀等可v考
つくしの子じま かの袖ふりし娘子の名也。八雲に名所になし給へるは、よく考へさせ給はざりしか。筑紫に兒島ある事無2所見1也。此歌は水城にてよめる歌也
968 大夫跡念在吾哉水莖之水城之上爾泣將拭
ますらをと、おもへるわれや、みづぐきの、みづきのうへに、なみだぬぐはん
ますらをと云々 ますらをと思ひしに、かく別れの悲しきに、心よわくて涙をとゞめかねてぬぐふと也
水ぐきの 地名、水ぐきのをかのみなと也。第七卷によめるも同じ。前の歌は子島に別ををしめる歌、これは府吏の人々にも名殘を惜む意をこめてよめるなるべし
上爾 ほとりの事と見る也。丘の字の誤などにはあらざらんか
三年辛未
大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首
大伴卿の故さとは神名火と聞えたり
969 須臾去而見牡鹿神名火乃淵者淺而瀬二香成良武
しばらくも、ゆきて見てしか、かみなみの、ふちはあせつゝ、せにかなるらん
(138)見牡鹿 見てしがな也。願ふ意也
淺而 あさびてといふ點あり。さいふ歌詞をきかず。而の字はつゝとよむ。か樣の處につゝとよまねば不v叶ことを知るべし。よりてあせつゝとはよむ也。あせはあれる也。ふちのあせたればあさく瀬にかなるらんと也
970 指進乃栗栖乃小野之茅花將落時爾之行而手向六
さすゝみの、くりすのをのゝ、はぎのはな、ちらんときにし、ゆきてたむけん
指進乃 此詞古來より正義不v决。さしすみの、またますらをのなどよめり。義を不v解。一説は栗はいがといふものゝ中にあり。いがを栖にして生るもの故、いがにさはればむしの螫ごとくいたき也。よりてさす栖の實の栗といふ義と也。さすゝみのみはぎ也。よつてさす杉といふ義ともいへり。杉の葉はいたくさす樣なるもの故との義也。又ますらをは軍場にて不v退もの故、精進の二字義訓にますらをとよむともいへり。まち/\にして一向義を不v辨。すみのくりとつゞけたるは、若しその義もあらんか。日本紀應神紀、ひしからのさしけくとよめる歌もあれば、菱の穀も針ありていたきもの也。此詞いかにとも決し難し
愚案には工匠の墨尺を引く時、糸を繰り出してさすもの也。若し此義を言ひたるか。さすゝみのくると續けたるは、と角くり出すものなれば少より所あり
栗栖乃小野 和州也。山州にもあり。和州の内くるす原といふ處は別か。古事記雄畧帝の御歌の栗栖原は、泊瀬にてよませ給ひて城上郡也。和名抄云、忍海郡栗栖。大伴卿の住所近所也。神南備飛鳥の邊なるべし
將落時爾之 此卿今年七月に薨じ給へば、八九月の頃にも休息して、故郷を見てもがなど思ひ給ひしなるべし。手向六は神南備杜にあらんとの義なるべし。式には見えねど、神なびの杜には祭れる神のあるべければ也
四年壬申
藤原宇合卿遣西海道節度使之時高橋連蟲麻呂作歌一首并短歌
(139)續日本紀聖武紀天平四年八月〔丁亥云々、從三位藤原朝臣宇合爲2西海道節度使1〕
懷風云、往歳東山〔役、今年西海行、行人一生裏、〕幾度倦遷兵
宇合 前に注せり
節度使 天子よりしるしを給はりて、國々の有樣民間の苦樂を巡見の使、又征罸の事に被v遣也。節刀とも書く。令條に委し
971 白雲乃龍田山乃露霜爾色附時丹打超而客行公者五百隔山伊去割見賊守筑紫爾至山乃曾伎野之衣寸見世常伴部乎班遣之山彦乃將應極谷潜乃狹渡極國方乎見之賜而冬木成春去行者飛鳥乃早御來龍田道之岳邊乃路爾丹管土乃將薫時能櫻花將開時爾山多頭能迎參出六公之來益者
しらくもの、たつたのやまの、つゆしもに、いろづくときに、うちこえて、たびゆくきみは、いほへ山、いゆきさくみて、あだまもる、つくしにいたり、やまのそぎ、のゝそぎみよと、とものをゝ、わかちつかはし、やまびこの、こたへむきはみ、たにぐくの、さわたるきはみ、くにかたを、みましたまひて、ふゆごもり、はるさりゆけば、とぶとりの、はやくみきたれ、たつたちの、をかべのみちに、につゝじの、にほはむときの、さくらばな、さきなむときに、やまたづの、むかへまゐいでむ、きみがきませば
色附時丹 八月に發遣故也
五百隔山 いくへもの山也
賊守筑紫、西海異國の偏鄙の夷賊を守太宰府ある故、あだまもるつくしと也。あだ守るはつくしの冠辭とも見るべし。太宰府ある故也
山乃曾伎 前也。はての意也。そきもさきも同音也
(140)見世常 見よと也。今の世の國巡見などの義又制道の義、第一征罸の事に被v遣事多し
伴部乎 とものをゝ、ものゝふといふと同じ事ながら、武勇のいはれあるともがらの事に限るにては無し。朝に仕へ奉るともがら共といふ義に、とものをとはいへり。とものべと云はわろし。をとよむべし。をとはどもと云ふ義也。横通の音習あり
山彦 こだまのこと也
國方乎 くに/”\を也
見之賜 見ましたまひてと讀むべし
飛鳥乃 はやくといはんための序也
早御來 はやくみきたれは、見來れの意也。國々を早く巡覽して來れと也
龍田道 發遣の時越行し道なれば、歸り來らん時の道筋の折の事をよめり。已下の句皆前に注せる句ども也
反歌一首
972 千萬乃軍奈利友言擧不爲取而可來男常曾念
ちよろづの、いくさなりとも、ことあげせず、とりてきぬべき、をのことぞおもふ
千 誤りて干の字に書そこばくと點せり。千の字なれば、そこばくとも數多の事にいふべけれど、千萬の字をそこばくとは不v被v讀也
ことあげせず 一ことをいひ出すことも無く、我名をよび立ておどしおびやかす事もなく、むかふ處悉く慕ひ服するといふ義に、ことあげせずと也。ことあげといふ事は日本紀神代紀に數多出でたり。畢竟無道のあだ共、一言のことをも不v答したがふと也
男常曾念 諸抄の點、たけを、ますらをなど有。男の字ますらをとはよむべきが、たけをとは文字足らざれば心得難し。をのこ、をとことよめること古訓なれば、しひて外の訓をもとむべき事にあらず。尤も天皇の御製にも、ますらをとよませたれば(141)こゝもますらをよむべきか
右※[手偏+僉]於補任文八月十七日任東山山陰西海節度使
右續日本紀聖武紀を可2考合1。古一本に聖武之御製、如v此傍注あり
天皇賜酒節度使卿等御歌一首并短歌
此すべらきは聖武帝なるべし。左注者太上天皇と或説を注せり
973 食國遠乃御朝庭爾汝等之如是退去者平久吾者將遊手抱而我者將御在天皇朕宇頭乃御手以掻撫曾禰宜賜打撫曾禰宜賜將還來日相飲酒曾此豐御酒者
をしくにの、とほのみかどに、いましらが、かくいでゆかば、たひらけく、われはあそばむ、たむだきて、われはいまさむ、すめらあが、うづのみてもて、かきなでそ、ねぎたまはりて、うちなでそ、ねぎたまはりて、かへりこむひに、あひのまむさけぞ、このとよみきは
食國乃遠朝庭爾 右前に注せる詞也。天子の御歌にもかく遠のみかどとよませ給へり。國々の舘廳をさしてとほのみかどとよませ給へるか
汝等之 いましらが。如是退去者、かくいでゆかば
手抱而 たむだきて也。拱手といふの意と同じ。天子の御手をもやすめて御心安くまし/\てと也。書武成云、惇v信明v義〔崇v徳推v功垂拱而天下治。〕蔡注曰。垂v衣拱v手而天下自治。此意をとらせ給へるか。日本紀雄略紀には、むたかへてとよませたり
宇頭乃 現在のみ手と云ふ義、うづとはほめたる詞、御みづからの詞にはあるまじきことの樣なれど、これらが歌の雅情雅言也。神代卷には、珍の字を自注に宇圖と讀ませ給へり。日本紀第三、珍彦と云人の名もあり。祝詞にもうづのみてぐらなどあり。皆ほめたること也
(142)かきなでそ み惠み深き體を言ふ也。御親み深くなさしめ給ひてとの事也
ねぎ給りて 祈らせ給ひてといふにはあらず、ねぎのみ祈る皆ひとつ詞なれど、使の卿等をねんごろにいたはらせ給ひてといふ義也。勞問の意なるべし。よりてかきなでと有。ねぎらふといふてねんごろにみ詞を被v下たる義也
かへりこんひに相のまんさけそ 今御酒給りて、やがてかへり來らん日に、又賜はらんと祝なされてのみ詞也
此豐御酒者 豐みきとは酒をほめ祝はせられて也。みきとは神に奉るばかりをいふにあらず。みは初語にもいひ、また尊んでもいふ詞也。きとは酒の事也
反歌一首
974 大夫之去跡云道曾凡可爾念而行勿大夫之伴
ますらをの、ゆくちふみちぞ、およそかに、おもひてゆくな、ますらをのとも
凡可爾 おろそかに也。おほよそに思ひて、事を誤るぞ、よくつゝしめとしめさせ給ふ也
伴 ともがらとの義也。御使の官人共と云ふ義也
右御歌者或云太上天皇御製也
古注者所見ありてか。太上天皇は元正天皇也
中納言安倍廣庭卿歌一首
975 如是爲管在久乎好叙靈剋短命乎長欲爲流
かくしつゝ、あらくをよしぞ、たまきはる、みじかきいのちを、ながくほりする
在久乎 あるをよしぞ也。らくとは、るをのべたる也。かく蒙2王命1て誠忠をつくせるこそよけれ、短き命をながくとねがふも、か樣の御用を奉りて仕へまつらん爲にこそあれとの歌也。御酒を賜ふときの間の歌也
(143)超草香山時神社忌寸老麻呂作歌二首
草香山 河内也。日本紀〔神武卷云、三月丁卯朔丙子、遡流而上徑至2河内國草香邑青雲白肩之津1〕
神社 これをみわもり又かみこそなど云點有。故實を不v傳故也。すべて上古神を祭りたる處は杜といふて、土を高くし木を植ゑて神を祭れり。唐土にても同じ。本邦勿論の事也。杜といふ字をもりとよます事、字義には曾而無v之事にて、本朝にて義訓に訓したり。木と土とを合せたる字故もりとは訓せり。そのもりとはみな神のますとこかろ也。しかれば神社と書きては上古の姓氏に稱するときは、杜の字の意にてもりとよむべき事義訓の正義也。神籬といふもみもりといふ義、神社をみもろと云ふ。神を祭ることをみもろすゑなど當集によめるをもて、上代の古實を存すべし。ひもろぎと云ふもひはみ也。ろきは里也。これみもりみもろといふ古語也。此神社も、もりとかみもりと訓すべき也
老麿 傳不v詳。續日本紀孝徳紀元明紀等、此姓氏の福草、河内などいふもの見えたる迄也
976 難波方潮干乃奈凝委曲見在家妹之待將問多米
なにはがた、しほひのなごり、あかずみん、いへなるいもが、まちとはむため
奈凝 第四にもあり。しほのひたる跡の景色也
委曲見 諸抄の點まぐはしみんと有。別訓あらんか。つばらみん、またくみんとよむべきか、未v决。
集中可2考合1也。あかずみんともよまんか。第四に、しほひのなごりあくまでにとあり。しかればあかずみんとよむべし。前の縁あれば也
此歌は難波よりならへ歸るに、草香山を越える道ありと聞えたり。それより難波の海を見ゆる景色もよろしき處ときこえたり。第四卷にては、しほひのなごりあくまでに人の見るこをとよめり。よりてこゝもあかず見んとよまんか。なごりとは余波と書きたれば、ところ/”\たまりたる瀬などのある景色のことをいふならん
977 直越乃此徑爾師弖押照哉難波乃海跡名附家良思裳
たゞごしの、このみちにして、おしてるや、なにはのうみと、なづけゝらしも
(144)直越 古事記雄略卷云、初太后坐日下之時、自2日下之直越道1幸2行河内1云々。草香山を越ゆるみちを、たゞ越の道といふときこえたり。草香山の内にある地名か。今も大坂越山中越などいふに同じ。此所より難波を見る景色よき處故、定めて上古おしてる難波と名付けたるも、此處の景色より云そめたるならんといへる歌也。押照なにはといふにわけありて名づけたる樣に聞ゆれど、たゞ見やる處の景色のおもしろきによりてかくよめる迄の事なるべし
押照難波 宗師の説、おし、あし同音也。しかればあしたてる難波といふ義なるべし。あしがちるなにはと直によめる歌もあれば、あしがちるなにはを、おしてるともよめる、てるはちる也。あしちる難波か。とかく蘆は難波の名物なれば、なにはに付きていへる義也。尤も難波の海おしてる宮とよめる歌第廿卷目にあり。しかれば地名か。諸抄の説一向理屈まち/\也。抄物の説にては難波にかぎりていへる義不v濟也。とかく難波にかぎりたる義にてあらざれば、此おしてるの義は不v濟事と知るべし
山上臣憶良沈痾之時歌一首
左注によまれし時の事を記せり。第五に沈痾自哀文あり。歌はなかりしが、若し此歌抔その時によめるか。年齡七十有餘にて卒せられたる樣子なり。此歌をよめる時みまかられけるにや
978 士也母空應有萬代爾語續可名者不立之而
をのこやも、むなしかるべき、よろづよに、かたりつぐべき、なはたゝずして
士也母 古點印點などに、ひとなれば、ますらやもなどよめり。心得難し。ますらをやもとはよむべけれど、それは言葉あまれり。士は男子の通稱なれば、をのこやもとよむべし。此歌の意は、われをのこなるに何の功名もなくて、空しくかく病におかされて、死行かん事の非2本意1となげきてよめる也。擧名もなくてむなしくならんことを歎じたる也。第十九に家持此歌に和したる歌二首あり。そこの左注に見えたり。可2引合1也
右一首山上憶良臣沈痾之時藤原朝臣八束使河邊朝臣東人令問所疾之状於是憶良臣報語已畢有(145)須拭涕悲嘆口吟此歌
河邊朝臣東人 稱徳紀云、神〔護景〕雲元年正月〔己未云々、正六位上佐伯宿禰家主川邊朝臣東人吉備朝臣直事、笠朝臣麻呂並從五位下。〕光仁紀寶龜元年十月〔辛亥云々、從五位下川邊朝臣東人爲2石見守1〕
報語已畢有須云々 こたふることをはりあいばらくありて、なみだのごふてかなしみなげきて此歌をいふ。有須、或人云、須は項の誤りか
大伴坂上郎女與姪家持從佐保還歸西宅歌一首
大伴坂上郎女、おひやかもちとさほよりにしのいへにかへるときのうた
979 吾背子我著衣薄佐保風者疾莫吹及家左右
わがせこが、きるきぬうすし、さほかぜは、いたくなふきそ、いへにいたるまで
吾背子 男子をさして賞美の詞にいへり。すでに家持はおいなれども、郎女かくよめるをもてしるべし。此歌は郎女の歌也
安倍朝臣蟲麻呂月歌一首
980 雨隱三笠乃山乎高御香裳月乃不出來夜者更降管
あまごもる、みかさの山を、たかみかも、月のいでこぬ、よはふけにつゝ
爾隱 雨ふれば笠の下にかくれこもるもの故に、あまごもるみかさとつゞけたる也。歌の意は、みかさの山の高き故か月のいでこぬと也。月の出來るやとまつ程に夜のふけぬと也
大伴坂上郎女月歌三首
981 ※[獣偏+葛]高乃高圓山乎高彌鴨出來月乃遲將光
かるたかの、たかまどやまを、たかみかも、いでくるつきの、おそくてるらん
(146)※[獣偏+葛]高、高圓山 みな大和の名所にして、高きといふことをいひつゞけたり。歌の意別義なし
982 鳥玉乃夜霧立而不清照有月夜乃見者悲沙
ぬばたまの、よぎりのたちて、おぼろにも、てれる月夜を、見ればかなしさ
よぎりのたちて、かくよむ事例あり
不清 おぼろにもとよむべし
月夜乃 此乃の字決て乎の字の誤なるべし。月夜の見ればといふ詞のつゞきはなき事也。諸抄に此差別をしらざる故、字の如くに點をなせり
かなしさ かんじたる義也。歎き悲むの義にはあらず、歎息のかなしさ也。おもしろきといふ意也
983 山葉左佐良榎壯子天原門度光見良久之好藻
やまのはに、さゝらえをのこ、あまのはら、とわたるひかり、見らくしよしも
山葉に この點をやまのはのとも、山のはをともいへる本あり。しかれども下にとわたる光とあるからは、にとよむべし。山の端にみるがよきといふ義なれば、をはりの句までつらぬくてには也
左佐良榎 月の名と也。左注に記せり。天上にさゝらのをのといふ名もあり。さゝらえをのことは何故名付たると云事は不v傳也
門度光 とは助語也
右一首歌或云月別名曰佐散良衣壯士也緑此辭作此歌
當集廿卷目の奧に、桑門寂印の歌をかき置るに、左佐良之光と書きて、月の光とよませたる也。此別名によりて直に月の光とはよませたりと聞えたり
(147)豐前國娘子月歌一首【娘子字曰大宅姓氏未詳也】
第四巻にも此娘子あり
984 雲隱去方乎無跡吾戀月哉君之欲見爲流
くもがくれ、ゆくへをなみと、わがこふる、月をやきみが、見まくほりする
月の雲に入りて行方も知られずこふる月を、わがこひしたふ君もわが如く見まほしく思ふやと也。源信明の、こひしさはの歌と同じ意也
湯原王月歌二首
985 天爾座月讀壯子幣者將爲今夜乃長者五百夜繼許曾
あめにます、つきよみおとこ、まひはせん、こよひのながさ、いほよつぎこそ
幣者將爲 まひはせんともよむ。まへにもまひはせんとよめり。幣禮をせん程に、此夜を長く五百夜つぎたる程にと願ふたる也
許曾 皆ねがひ乞ひたる言葉也
986 愛也思不遠里乃君來跡大能備爾鴨月之照有
はしきやし、不遠里の、きみきぬと、大能備にかも、つきのてらせる
はしきやし は、はめたる詞、君とさす人をほめて云たる詞也。尤全體の月にかけてもほめたる意か
不遠里 これをまぢかきとよみたれど、まは初語、助語なるを實言に訓すること証例はかり難し。たゞ不遠の二字なれば、ちかしとは云べきなれど詞不v足。しかれば文字の如くとほからぬ里とよむべしや。もし義訓せば、となりの里とよむべし。前にも些三字まぢかきとよませたり。初語をも實語に用ひたる証例あらは可v用
(148)大能備爾鴨 此詞いかにとも解し難く、語例句例もなければ何といふ義か難v解也。諸抄の説にては義いかにとも不v通。又句例語例もなければ無理解といふもの也。ゆるやかに月のてらせるといふ義とはいかにとも義不v通也。後の賢案を待のみ。
因v此歌之全體難v解也。追而可2考案1也
藤原朝臣八束朝臣月歌一首
前に憶良の病をとひに使せし人也
987 得難爾余爲月者妹之著三笠山爾隱而有來
まちがてに、わがするつきは、いもがきる、みかさのやまに、かくれてありけり
きこえたる歌也
市原王宴祷父安貴王歌一首
いちはらの王、うたげしてちゝあきの王をいのる歌一首
988 春草者後波落易巖成常磐爾座貴吾君
わかぐさは、のちはふりやすし、いほほなす、ときはにいませ、かしこきわが君
春草 義をもてよむべし
落易 わか草も後は年ふりやすき物なればと也。落はみな降といふ字に通じて、こゝは古びるの意を含みて也
歌の意は、わか草は一端は美しく盛なるものなれど、終には古葉ともなりおとろふるものなり。たゞ常磐竪磐變らぬいはほの如く、堅固に何時迄も不2相變1ましませと祷り祝したる也。巖を嚴に作り磐を盤に作れるは誤也
湯原王|打酒歌《ウツサケノウタ》一首
打酒 さけを賞して云ひたる詞に打と也。珍の字の意也
(149)989 燒刀之加度打放大夫之擣豐御酒爾吾醉爾家里
やきたちの、かどうちはなす、ますらをし、うつおほみきに、われゑひにけり
やきたちの 刀のかどをも打はなつ程の猛勇のものなれど、此うつの酒にはゑひたると也
擣 祷につくるは誤也。尤ものむといふ飲の字の意にて書きたるとも見ゆれど、上にかど打はなつとあるは、下の擣大みきといはんはしに、打はなつとはよみ出したる也。しかれども題にも打酒とあれば、きはめて擣の字の方正字なるべし
歌の意、燒太刀のかどをもうちはなつ程のますらをなれども、うつの酒にはゑひたると酒を賞讃の詞世
紀朝臣鹿人見茂崗之松樹歌一首
きのあそむかひと、しげをかのまつのきを見てよめる歌一首
鹿人 傳不v詳。續日本紀聖武紀天平九年〔九月己亥云々。正六位上爲奈眞人馬養朝臣鹿人云々並外從五位下〕十二年十一月〔外從五位上〕十三年八月〔丁亥云々外從五位上紀朝臣鹿人爲〕大炊頭
茂岡 八雲に紀伊國とあり
990 茂岡爾神佐備立而榮有千代松樹乃歳之不知久
しげをかに、かみさびたちで、さかえたる、ちよまつのきの、としのしらなく
よくきこえたる歌也
同鹿人至泊瀬河邊作歌一首
991 石走多藝千流留泊瀬河絶事無亦毛來而將見
いしばしり、たぎちながるゝ、はつせがは、たゆることなく、またもきてみむ
たぎちは たぎりながるゝ也。又たきつながるゝとも云ふ意也。瀧の如く水のきほひ流るゝ體をいへり
(150)大伴坂上郎女|詠元興寺之里歌《アスカノサトヲヨメウタ》一首
元興寺 あすかでらといふ也。始は法興寺といふ。崇峻紀云〔蘇我馬子宿禰壞2飛鳥衣縫造祖樹葉之家1始作2法興寺1。此地名2飛鳥眞神原1。亦名2飛鳥苫田1。〕上古の飛鳥の里は高市郡也。ならのあすかは元正紀靈龜二年五月〔辛卯云々、始徙2建元興寺于左京六條四坊1。〕添上郡也
992 古郷之飛鳥者雖有青丹吉平城之明日香乎見樂思好裳
ふるさとの、あすかはあれど、あをによし、ならのあすかを、見らくしよしも
古郷之飛鳥者 古郷と書きたれば、ふるさとのにてあるべし。しかれば郎女の出生の所か。但し此飛鳥は高市都の義なれば飛鳥淨原のみかどの時分の都なりしを、今はならの都にてあれば、古さとのあすかはあれどとよめるなるべし。都の跡をすべてふるさとゝよめり
同坂上郎女初月歌一首
初月は三日月の事也。今も題詠に初月とあるには、みな三日月の事を詠ずる也
993 月立而直三日月之眉根掻氣長戀之君爾相有鴨
つきたちて、たゞみかづきの、まゆねかき、けながくこひし、きみにあへるかも
此歌の意は、三日月の月は女の眉の如くなるもの故、月のまゆねといひかけて、さて眉根のかゆきは、思ふ人にあふ前表といふ事ある故、その眉根をかきて、久しくこひわびし君にあへると、三日月を見しことをよろこびてよめる也。君とは三日月をさしていへり
月立而 日本紀にも月生二日といふことあり。追而可2考出1。古語あれば如v此の詞もよみ出でたり
直三日月之 下の長くこひしといふにかけ合て、たゞみか月之とはよみたり。三日月には一月を不v經ばあひがたし。よりてけながくとはよみたり。けは初語たゞ長きといふ義也。長息などいふ説不v可v用也。
(151)眉根掻 月を眉に見たてたること、和漢詩歌あげて數ふべからず。娟々如2蛾眉1など詩にも作り、月のまゆ引など毎詠古歌に見えたり。又月を君といひしこと李白の詩にも覺えたり
大伴宿禰家持初月歌一首
994 振仰而若月見者一目見之人乃眉引所念可聞
ふりさけて、みかづきみれば、ひとめみし、ひとのまゆひき、おもほゆるかも
振仰而 ふりとは振舞わざのことを云ふ。こゝもかしらをふり仰ぎて、月を見る躰をいへり。仰の字をさけてとよめる義末v考。はるかに遠きを見上るをいふ也
若月 みかづきとよむ義、月たちてたゞ三日といふ意にて、月のわかきといふ意をもてよませるか。未v考
眉引 眉のことをいへり。※[目+碌の旁]の字を日本紀仲哀紀によませり。麻用弭枳
歌の意、三日月のうるはしくほそき光の影、女の眉を引きたるにさも似たるから、一目見し人の事をも難v忘おもひ出しと也
大伴坂上郎女宴親族歌一首
995 如是爲乍遊飲與草木尚春者生管秋者落去
かくしつゝ、あそびのまんよ、くさきすら、はるはもえつゝ、あきはちりゆく
かくしつゝ 如v此打寄たのしみなぐさまんと也
あそびのまんよ 此詞いかにとも心得難し。遊飲の二字別訓あらんか
草木尚云々 この意は、草木といへども盛衰の變化あれば、いはんや人の上はかりがたき世の習なれば、かく親族無事安穩の折に、打あつまりあそびたのしまんと也。草木すらといへる詞、少解しがたけれど、この外の見やう思ひよられねば、如v此見侍る也。後賢の異見あらばしたがふべし
六年甲戌
(152)海犬養宿禰岡麻呂應詔歌一首
海犬養宿禰犬養 傳不詳
996 御民吾生有驗在天地之榮時爾相樂念者
みたみわれ、いけるしるしあり、あめつちの、さかえし時に、あへるを思へば あふらくおもへば、同意也
御民吾生 みたからのわれいけるともよめり。意は同じ事なれど、詞あまりて聞きよからねば、みたみわれと五言によみ、いけるしるしありと下へつゞけてよめり。いづれにても意は同じ。日本紀等に人民をひと草とよまし、百姓をおほんたからとよませり。勿論たみとよめる事は、童子もしれることなればかくはよみ侍る也
天地之榮時爾相樂念者 かく目出度御代に生れあひ、天地も祥瑞を出し、國民豐饒の時にあへることは、今にもいけるしるしありと、時代奉2祝讃1、樂み心に足れることをあらはしたるよき歌也。人は今日のやすきをよろこび、身の分限をおもひさとりことたりたのしみを專に奢らず、むさぼらす、身をへりくだり、時代をかたじけなく思ひたれるこそ、人道の常行道徳の本意此所ならんかし
春三月幸于難波宮之時歌六首
聖武紀云、天平六年春三月〔辛未、〕行2幸難波宮1。〔戊寅車駕發v自2難波1〕宿2竹原井〔頓〕宮1
997 住吉乃粉濱之四時美開藻不見隱耳哉戀度南
すみよしの、こはまのしゞみ、あけもみず、しのびてのみや、こひわたりなん
此歌古點諸抄の點右の通によみ來れり。しかれども歌の意いかにとも解し難し。諸抄の説はしゞみは蜆の事也。至而小貝口あく事なき故、あけも不v見と也。しのびてのみといはんための序に、口あかぬ蜆をいひて、あけも不v見とよめる也。若し蜆口あかぬものにて、常に隱りゐるといふことによみなせる例格もあらば、此説にしたがふべきか。或説に粉濱をこすとよみ四時美をとこなつとよみ、開をさくとよめる點あり。定家卿は此義につきたまひて、よみ給ふと見えたる歌其歌集愚草に見え(153)たり。濱の字すとよまんこと心得難し。若し洲といふ字に書る證本ありしを、濱に傳寫しあやまりたるか。洲の字の誤ならば、四時美の三字はとこなつともよむべきことなれば、此説もしかるべからんか。いづれも證明を不v考ば決しがたき也。よつて暫註解を除けり
右一首作者未詳
998 如眉雲居爾所見阿波乃山懸而※[手偏+旁]榜舟泊不知毛
まゆのごと、くもゐに見ゆる、あはの山、かけてこぐふね、とまりしらずも
如眉云々 遠くはるかに眺望するに、うす/\と山の海上にみゆるは、まことに女の黛の如くなる景色といへり。山を眉に見立たてたること詩文章古詠あまたの事也。引本擧ぐるに遑なければ略v之。雲居とは遠くはるかなることをいへり。遠く遙に見ゆるといふ意也。雲井にといふも同じ意にて、くもゐといふは雲の惣名と見るべし。空のことにいひ來れども、空をかぎりていふ事とも不v見。雲は空にあるものなれば、空をはなれていふにはあるまじけれど、そらを雲居といふとは決し難き也。空につゞきて、遠く隔たりて遙なる義をいふと心得べし
あはの山 津の國なにはの海より、眺望に見ゆる所ありと見えたり
懸而※[手偏+旁]舟 そこと目あてにしてこぎ行給と也。かけてと云義、すべてむかふに一つ目あてをしてなす事とかけてと云。こゝよりかしこにかけて、春より夏へかけ、宵より曉にかけてといひて、こゝとかしこと二つにかゝりたることをいふ也。かけてしのびつなどいふ詞も同じ義也
泊不知毛 雲ゐはるかにあはの山を目にかけ、こぎゆく船なれば、いづこにとまりぬべきかたも見えぬ景色をよめり
右一首船王作
聖武紀神龜四年正月〔甲戌朔庚子無位船王授2從四位下1。〕天平十五年五月〔從四位上、十八年四月彈正尹、天平〕寶字元年五月〔正四位下、〕二年八月〔朔從三位。〕廢帝紀三年六月〔詔兄弟姉妹爲2親王1、船王授2三品1。〕六年正月〔三品、〕八年十月〔壬甲、稱徳(154)天皇詔曰船親王波〔中略〕親王乃名波下※[氏/一]詔王等成※[氏/一]隱岐國爾流賜布〕
999 從千沼囘雨曾零來四八津之泉郎網手綱乾有沾將堪香聞
ちぬわより、あめぞふり來る、しはつのあま、網手綱ほせり、ぬれたへんかも
千沼回 茅渟といふ所なり。回はめぐりきわの事をばわと云ふ也
網手綱 無點本には細平綱と書けり。誤字か。又この三字にて何とぞ別訓あらんか。細く平なるあみと書きて叶ふ義あらば可v考也
四八津之泉郎 これをしはつのあまと上にあまをつけてよまんか。又しはつのとよみて下にあまをよまんか。四八津とかきたれば、八ははつともはと計もよまるれば、兩樣のよみやうあらんか。日本紀卷第十四、雄略紀、十四年春正月〔丙寅朔戊寅〕身狹村主青等〔共2呉國使1將2呉所v献手末才伎漢織呉織及衣縫兄媛弟媛等1泊2於住吉津1。〕是月爲2呉客道1通2磯齒津路1名2呉坂1
千沼回四八津 みな攝津國也。左注を見れば四八津は住吉と難波との間と聞えたり、
網手綱 あみてなはとよみ來れり。綱のおほづなを云との説ありて、あみたづなとよみて網子と書きてあこともよめは、あだづなとか、あでなはともよむべきか。宗師云、三字を義訓にたくなはとよまんかと也。しかれどもあまのたくなはといふは、水練するとき海士ども腰に付けて、海底へ潜入繩をいふと見えたれば、此三字には相叶ふまじきか。尤もあみの手繩も強きため、栲にてつくるべければたくなはの義訓もあらんか
沾將堪香聞 これを諸抄の説は、雨にぬれて用ゆるにたへんかもとの義に釋せり。心得難し。ぬれはつるの意にてぬれんといふ義也
右一首遊覽住吉濱還宮之時道上守部王應詔作歌
(155)還宮 難波のかり宮に還御なるべし
守部王 聖武紀天平十二年正月〔庚子云々無位奈良王守部王從四位下〕
1000 兒等之有者二人將聞乎奧渚爾鳴成多頭乃曉之聲
こらしあらば、ふたりきかんを、おきつすに、なくなるたづの、あかつきのこゑ
こらしあらば 妻の事をよめるか。夜の鶴は子を思ふことによめば子のことにや
歌の意よくきこえたる通也
右一首守部王作
1001 大夫者御※[獣偏+葛]爾立之未通女等者赤裳須索引清濱備乎
ますらをは、みかりにたゝし、をとめらは、あかもすそひく、きよきはまびを
御ゆきの供奉にてをのこらはみかりにたち、官女のともがらは、めかり貝ひらふ海べを、遊びめぐれるとの義也。清きはまべを遊びめぐる故あかもすそひくと也
右一首山部宿禰赤人作
1002 馬之歩押止駐余住吉之岸乃黄土爾保比而將去
うまのあゆみ、おしてとゞめよ、すみのえの、きしのはにふに、にほひてゆかん
此歌前に車持千年が歌にも注せる如く、住吉は萩の名所なれば、萩の花の咲きたる所に立とゞまりて、うたひ遊びてゆかんと云ふ義也。はにもはぎも同意也。義といふ濁音は仁といふ詞也。はぎふ也。ふとは萩の生ずる處を云ふ也。原の字もふとよむ也。黄土の二字をはにとよます事は、和名抄云、釋名云、土黄而細密曰v埴、常織反【和名波爾】
右一首安倍朝臣豐繼作
(156)豐繼 聖武紀天平九年二月〔戊午云々、外從五位下佐伯宿禰淨麻呂阿倍朝臣豐繼下道朝臣眞備並從五位下、〕
右是まで以上六首也
筑後守外從五位下葛井連大成遙見海人釣船作歌一首
1003 海※[女+感]嬬玉求良之奧浪恐海爾船出爲利所見
あまをとめ、たまもとむらし、おきつなみ、かしこきうみに、ふなでするみゆ
奧浪恐海爾 千尋の海の奧に、波のたつ上に船出するは、おそろしきものなればかしこき海と也
爲利所見 せりみゆといふ詞は無き也。類とあるべきことなるに利の字を書きたるは、りの通音故用ひたるか。利はかゞとよむ字なれば、すがとよみて、訓書にしたるかとも見ゆる故如v此よむ也。すがはするが見ゆると云ふ義也
按作村主益人歌一首
1004 不所念來座君乎佐保川乃河蝦不令聞還都流香聞
おもほえず、きませるきみを、さほがはの、かはづきかせず、かへしつるかも
右歌の意は左注に見えたり
右内匠寮大屬按作村主益人聊設飲饌以饗長官佐爲王未及日斜王既還歸於時益人怜惜不厭之歸仍作此歌
作爲王 葛城王の弟也。大和の國の地名にさゐといふ所あり。それをもて名とし給ふなるべし。後人すけためなど點を付けたるは古實を不v考故也
怜惜不厭之歸 あはれみ惜みて名殘ををしく、したひての意也。怜はかなしむともよみ、又おもしろきことゝ云ふ意にも用ふる也。此はかなしむ方の意也。飲宴することにあかずして、かへせることを、悲み惜める歌といふ義也
(157)八年丙子
夏六月幸于芳野離宮之時山部宿禰赤人應詔作歌一首并短歌
聖武紀云六月乙亥〔幸2于芳野1云々〕
1005 八隅知之我大王之見給芳野宮者山高雲曾輕引河速彌湍之聲曾清寸神佐備而見者貴久宜名倍見者清之此山乃盡者耳社此河乃絶者耳社百師紀能大宮所止時裳有目
やすみしゝ、わがおほきみの、見せ給ふ、よしのゝみやは、やまたかみ、くもぞたなびく、かはゝやみ、せのおとぞきよき、かみさびて、みればたふとく、よろしなべ、みればさやけし、このやまの、つきばのみこそ、このかはの、たえばのみこそ、もゝしきの、おほみやどころ、やむときもあらめ
見給 見せたまふとは見させたまふと云ふ義也。集中毎度見せ給ふとよませたり
宜名倍 よろしなべ也。よろしくうべといふ義也。うべはことわり也といふ意、俗にその筈といふ義也。尤といふに同じ。なべはからといふ義と釋し來れども、からといふを何とてなべとはいふと云ふ時不v濟也。うべといふ義をなべといふは〔以下記注無シ〕
盡者耳社 つきばのみこそ、つきばこそ也。のみは助詞也。山もつき、川もたえたらん時は不v知、山川のあらんかきりは此大宮所のみゆきのやむことのあらん。いつまでも絶える事無く、大宮所はあらんと祝讃賞美してよめる也
1006 自神代芳野宮爾蟻通高所知者山河乎吉三
かみよゝり、よしのゝみやに、ありかよひ、たかくしれるは、やまかはをよみ
蟻通 そのかみいつよりとも不v知。神代より存在してある、この芳野の山川の清き靈地と高くしられたると也。みゆきの(158)不v絶あるといふ意をもふくみて、あり通ひといへると聞えたり。山川清靜にて能き景地故、神代よりも芳野の宮と名高く被v知たるによりて、川を清てよむ也
市原王悲獨子歌一首
第三卷、いたなきにきすめる玉はふたつなしといふ歌の所に注せり。此ひとり子といふこと、身分の事をよませ給ふたるか。又御子五百井女王一人ばかりにて、御子のなき事をなげける歌か決し難し。いもとせといふ時は、妹と兄と兄弟の事にもきこえ、又夫婦の事にも云ふ詞也。しかれども獨子と子の字を加へたるは、只一人の息女をかなしみ給ふかとも聞ゆる也
1007 不言問木尚妹與兄有云乎直獨子爾有之苦者
ことゝはぬ、きすらいもとせ、ありといふを、たゞひとりごに、あるがくるしさ
歌の意は、ものいはね木草にも夫婦と云ふものゝあるに、われひとり子にあるは苦しきとの義にて、此歌の意、自身のことか、子を悲める歌か、兩樣にきこゆる也。妻女をもち給はぬはじめの歌か。子といふ事のあれば、ひとりの子計にて、兄弟もなきを歎き給ふとも聞ゆる也。木にも枝生、根より芽生ずるなれば、先に生、後生、若木枝、孫枝抔云事あれば、たとへていへるか。第九の長歌に、かごしものわがひとり子の草まくら云々ともあれば、子の事とも聞ゆ也
忌部首黒麿恨友※[貝+余]來歌一首
いんべのおふとくろまろ、とものおそくきたるをうらむるうた一首
忌部首黒麿 孝謙紀、寶字二年八月〔朔、正六位上忌部首黒麿授2外從五位下1、〕廢帝紀寶字三年十二月〔忌部首黒麿等七十四人〕賜2姓連1。六年正月〔爲2内史局助1〕如v此あれば此歌は未だ首の姓の時也
※[貝+余] 遲緩云v※[貝+余]
1008 山之葉爾不知世經月乃將出香常我待君之夜者更降管
(159)やまのはに、いざよふつきの、いでんかと、我まつきみの、よはふけにつゝ
此歌の意は待友を月に比してよめる也。君之夜とはつゞかぬ詞也。しかれども此君は月をいひたるものゆゑ、月の夜とつゞけたる也。月を君といふたるゆゑ不v苦也。いさよふはものゝとゞこふりよどむことをいふ也。月の可v出していまだ出でぬをいへり。十六夜をいざよひと云ふも、月のすこしためらひ出づる故也
冬十一凡左大臣葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首
天平八年冬十一月也。八年までは此左大臣葛城王と奉v號し也。母の橘三千代の姓を願ひ請て賜り、後に宿禰を改めて朝臣を賜へり。諱を諸兄と申し奉りしかど、此集中には尊稱して諱は不v書也。此左大臣葛城王と書きたるは難2心得1。左大臣の時は橘宿禰也。左大臣は天平十五年に被v任たる也。天平八年は左大辨の時也。然れども後より尊びて如v此注せるか
御製歌一首
古一本傍注肩書に聖武天皇と注せり
1009 橘花者實左倍花左倍其葉左倍枝爾霜雖降益常葉之樹
たちばなは、みさへはなさへ、そのはさへ、えだにしもおけど、いやときはのき
橘花者 橘の一字にてもたちばなゝれど、かくの如くも書也。橘の事は、垂仁天皇の御時田道間守常世より取り來るもの也。前に注せり。不v被v侵2霜雪1ときはなるものなれば、かくの如く實も花も葉も枝もと、のこりなくほめさせ給ひて、諸兄公の姓となせるは、君に忠功をつくし、子孫繁昌あるべきとの事によせさせ給ふ御祝言にてありがたき御歌也
枝爾霜雖降 枝に霜おけどと讀み來れり。降の字義訓におけともよまん事さもあらんか。しかれども霜ふれどともよみたき也。枝も年ふれどといふ意にて、星霜を經てもいやます/\ときはに榮る木と祝はせ給ふ御製と聞ゆる也。枝に霜おけどましとよめる人もありけるにや、中世已來の歌或ひは連歌等に、とまし常磐木といへる事を詠める歌あり。あまりに心得難きこ(160)と也。とまし常磐といふ歌詞あるべきとも不v覺。此點本のよみ誤りよりかく誤を傳へたるならんかし
萬葉童蒙抄 卷第十四終
(161)萬葉童蒙抄 卷第十五
右冬十一月九日從三位葛城王從四位上佐爲王等辭皇族之高名賜外家之橘姓已訖於時太上天皇皇后共在于皇后宮以爲肆宴而即御製賀橘之歌並賜御酒宿禰等也或云此歌一首太上天皇御歌但天皇々后御歌各有一首者其歌遺落未得探求爲今檢案内八年十一月九日葛城王等願橘宿禰之姓上表以十七日依表乞賜橘宿禰
葛城王 續日本紀元明紀云、和銅三年春正月戊午授2無位葛木王從五位下1。これより已下昇進の年暦續日本紀可v考略v之。清書の時可v記v之
辭皇族之高名 續日本紀卷第十二云、天平八年十一月丙戌、從三位葛城王、從四位上佐爲王等上v表曰。臣葛城等言。〔去天平五年、故知太政官事一品舍人親王、大將軍一品新田部親王宣v勅曰。聞道諸王等願d賜2臣連姓1供c奉朝廷u。是故召2王等1令v問2其状1者。臣葛城等、本懷2此情1無v由2上達1。幸遇2恩勅1昧死以聞。昔者輕堺原大宮御宇天皇曾孫建内宿禰、盡2事v君之忠1、致2人臣之節1、創爲2八氏祖1、永遺2萬代之基1。自v此以來賜v姓命v氏、或眞人或朝臣。源生2王家1、流生2王家1、流終2臣民1。飛鳥淨御原大宮御2大八洲1天皇、徳覆2四海1威震2八荒1、欽明文思、經v天緯v地。太上天皇、内修2四徳1、外撫2萬民1、化及2翼鱗1澤被2草木1。復太上天皇、無v改2先軌1、守而不v違、卒立2清淨1、民以寧一。于v時也葛城親母贈從一位縣犬養橘宿禰、上歴2淨御原朝廷1、下逮2藤原大宮1、事v君致v命、移v孝爲v忠、夙夜忘v勞、累代竭v力。和銅元年十一月二十一日、供2奉擧國大甞1。二十五日御宴、天皇譽2忠誠之至1賜2浮杯之橘1。勅曰。橘者菓子之長上、人所v好、樹凌2霜雪1而繁茂、葉經2寒暑1不v彫。與2珠玉1共競v光、交2金銀1以逾美。是以汝姓者、賜2橘宿禰1也。而今無2繼副者1恐失2明詔1。伏惟皇帝陛下、光2宅天下1、充2塞八挺1、紀被2海路之所1v通、徳蓋2陸道之所1v極、方船之貢、府無2空時1、河圖之靈、史不v絶v紀。四民安v業、萬姓謌v衢。臣葛城幸蒙2遭時之恩1、濫接2九卿之(162)末1、進以2可否1、志在v盡v忠。身隆降v闕、妻子康v家。夫王賜v姓定v氏、由來遠矣。是以臣葛城等、願賜2橘宿禰之姓1、戴2先帝之原命1、流2橘氏之殊名1、萬歳無v窮、千葉相傳。壬辰、詔曰。省2從三位葛城王等表1、因知2意趣1。王等、情深2謙讓1、志在v顯v親、辭2皇族之高名1、請2外家之橘姓1。尋2志所1v執、誠得2時宜1。一〕依v表、令v賜2橘宿禰1、千秋萬歳、相繼無v窮
外家之橘姓 諸兄公の親母は贈從一位縣犬養橘宿禰三千代也。此三千代は淡海公の室なり。初は美奴王に嫁し給ひて葛木佐爲二人の王を産めり。美奴王薨去の後、不比等公の室とはなり給へると見えたり
太上天皇皇后云々 此文不審也。無點本には天皇の下に太上皇后とあり。これは太上天皇天皇とあるを皇后に誤りたるか。下に共在2于皇后宮1とあれば、上の皇后は衍文ならんか。太上天皇は元正天皇也
以爲2肆宴1而即御製賀橘之歌 右の御製也
或云此歌一首太上天皇御歌 元正天皇の御製といふ或説あると也
但天皇々后御歌各有一首者 聖武天皇皇后の御歌別に一首づつ有v之との或説をあげたる也。然れども其歌遺落して不v知との古注者の斷り也
者 この字を、ていればとかなをつけたる本あり。此ていればといふこと後世の事にて上代の文に不v見事也。此注も各一首あるなりといふ意にて、切字を用ひたる者の字を如v此ていればと後人點を加へり。中世已來者の字ていればと多く被v書也。ていればといふ義はといへればといふ義也。然者このところの文義にはとくと不2和合1也。こゝは者也の切字の意にてよくきこえたり。然れどもといふべきところに、といへればといふ義は不v合也
其歌遺落未v得2探求1焉 尋求むれども不v知と也
焉 點本には爲の字に誤りたり。無點本には焉の字を記せるを證とす
今檢案内 此文和書の古文也。案内を考ふるとは、文案の内を考ふるにといふ義なるべし。令集解等此文多也。こゝにいふは葛木王等の表の文案の内を考ふるといふ義也
上表 表は明也。又標也。如2物之標表1。言標2著事序1、使2v之明白1也。以曉2主上1得v盡2其忠1曰v表。史記文選禮記等の注(163)を可v考也
以十七日 九月に奉られたる依2上表1十七日に賜2橘宿禰1と也。續日本紀に詳也
橘宿禰奈良麿應詔歌一首
たちばなのすくねならまろみことのりにこたへ奉る歌
奈良麻呂 諸兄公の男也。聖武紀天平十二年五月〔乙未幸2右大臣相樂別業1、宴飲酣暢授2大臣男無位奈良麻呂從五位下1。〕續日本紀可v考
1010 奧山之眞木葉凌零雪乃零者雖益地爾落目八方
おくやまの、まきのはしのぎ、ふるゆきの、ふりはますとも、つちにおちめやも
おくやまの 眞木といはんまでの序也。奧山に意は無し
眞木葉凌 此しのぎといふ詞解し難し。意はしなへる義、雪のふれば葉しだるゝ義也。諸抄におかすといふ義といへり。おかすは葉の上に物を置きてかくす意をいふ也。義は相通也。とかく葉のしなへしだるゝを云ふと心得べし
地爾落目八方 橘をとこしなへなるに、氏の人らの忠節を盡し朝勤せんことになぞらへていへる歌と聞ゆる也。たとひ霜雪降り積りて、葉をおかし埋むとも、色を變じて地に落ちる如く、誠忠の意を變じて不忠の意には墮落せまじきと、忠節の意を專らにあらはしたる歌也
冬十二月十二日歌※[人偏+舞]所之諸王臣子等集葛井連廣成家歌二首
歌※[人偏+舞]所 詠曲(カ)支樂等のことを司る官舍也。其所を預り支配する官人等を指して諸王諸臣と也。歌※[人偏+舞]所の事委は追而可v考
葛井連尋成 聖武紀云、天平十二年八月〔車駕幸2散位從五位上葛井連廣成之宅1、延2群臣1宴飲。日暮留宿。明日授2廣成及其室從五位下縣犬養宿禰八重並正五位上1。〕
比來古※[人偏+舞]盛與古歳漸晩理宜共盡古情同唱此歌故擬此趣輙獻古曲二節風流意氣之士儻有此集之(164)中爭發念心々和古體
古※[人偏+舞]盛與 其節歌舞の古風被2取行1しと也
古歳漸晩 十二月十二日なれば、年すでに暮るゝと也
共盡2古情1 集會の人相共に情を慰めて吟詠せよと也。古情といふは年末の心を盡してといふ義、たゞ心を盡しと云ふ義也
唱此歌 左の二首の歌を唱吟せよと也
故擬此趣 かれこのおもむきになぞらへて、如v此序詞にいふ心ばへになぞらへて也
輙獻古典二節 即ち昔ぶりの二ふしを奉る。左の二首の曲節吟詠の風體古きふしなりといふ義也。古の歌はみな發聲にて歌ひたる故、古曲二節と也
風流意氣《ミヤヒタルキサシ》之士儻 風雅やさしききざしの人といふ義也
有2此集之中1このつとひのうちにあらばと也
爭發念心々和古體 たれ/”\もあらそひて心の中の雅情を發して、心々に古き姿の歌を和へてうたひかなでよと也
1011 我家戸之梅咲有跡告遣者來云似有散去十方吉
わがやどの、うめさきたりと、つげやらば、こてふにゝたり、ちりぬともよし
こてふにゝたり こいといふに似たりと也。梅咲きたる程に、來たれと招くに似たれば、待人のこずて花は散りぬともよしといふ意也。梅咲きたりと告げやらば、來れと待つこゝろざしは通じたれば、花散りぬとも心は達したればよしとの意なるべし
或抄には先の人のこんといふに似たりといひて、むつかしく入ほかなる釋ありて心得難し。古今の、月よゝしの歌も此體をならひたる也。まことに古風の句體といひつべし
1012 春去者乎呼理爾乎呼里鴬之鳴吾嶋曾不息通爲
はるさらば、をゝりにをゝり、うぐひすの、なくわがしまぞ、やまずかよわせ
(165)乎呼理爾 此詞六ケ敷詞也。花などの咲には、いやがうへに咲かさなれるを、花咲をゝりなど集中にも毎度よめる、うぐひすのをゝりにをゝりとはいかにしたる義ならんか。釋し難し。一説にのぼりに/\といふ義にて、うぐひすは花の枝の下枝より、次第/\に上りうつるものにて、遷喬といふこともあれば、木の下枝よりのぼりにのぼりて鳴くといふ義也。詩にも出v自2幽谷1遷2于喬木1と作る事もあれば、この仙覺の説さもあるべきか。外のをゝりに/\といふと、歌どもの意同じ樣に通ずれば、詞の釋もかよふ語なれば、此説にしたがふべし。全篇の歌の意とくと不v考ば決し難し。追而可v考
鳴吾嶋 此詞もつまりたる句なれども、古體の風格には如v此の句もある也。わがしまは庭の作り嶋、池中などにある嶋をいへると聞えたり
やまずかよはせ 此集會の人々春になりたりとも、不v絶來り給へと、挨拶の歌と聞ゆる也
九年丁丑
春正月橘少卿并諸大夫等集彈正尹門部王家宴歌二首
橘少卿、橘宿禰作爲也。諸太夫等、四位五位の諸官人をさして云ふ也。彈正尹門部王、前に注せり
1013 豫公來座武跡知麻世婆門爾屋戸爾毛珠敷益乎
かねてより、きみきまさんと、しらませば、かどにやどにも、たましかましを
歌の意は今日の宴會思ひがけなき事故、何の風流のもてなしもなく、おろそかなりと謙退の意をのべたる也。客を尊稱して、玉をもしきて美麗をもつくさましをと也
右一首主人門部王【後賜姓大原眞人氏也】
後賜姓大原眞人氏也。後人の傍注也。文段不v濟義也。大原眞人姓氏をたまふとならば聞えたり。姓大原眞人氏也とは心得難き文段也
1014 前日毛昨日毛今日毛雖見明日左倍見卷欲寸君香聞
(166)をとつひも、きのふもけふも、みつれども、あすさへみまく、ほしききみかも
前日 をちつ日也。遠の意也。をとゝせもをちつせ也。日をへだて遠ざかりたる日といふ意也
歌の意は、主人を賞讃したる挨拶の意をのべたる也
右一首橘宿禰文成即少卿之子也
文成 あやなりと讀むべきか。訓書を不v見。佐爲の子と也。後人傍注あり。目録には文明とあり。誤ならん。孝謙紀天平勝寶三年正月、賜2文成王甘南備眞人姓1とあるは此人にやあらん。當集第二十にも甘南備伊香眞人といふ人あり。此人の子か
榎井王後追和歌一首
えのゐのおほきみのちにおふてこたふるうた一首
志貴親王之子也。古一本に如v此あり。考所あらん
榎井王 廢帝紀天平寶字六年正月〔庚辰朔癸未、授2無位榎井王從四位下1、五月戊辰散位從四位下榎井王卒。〕志貴親王の御子と古本傍注あり。紀に無位より被v叙2四位1とあれば、志貴王の御子にて光仁帝の御弟にもあるべきか
1015 玉敷而待益欲利者多鷄蘇香仁來有今夜四樂所念
たましきて、またましよりは、たけそかに、來有こよひし、たのしくおもほゆ
此歌、客のよめるか、主人の歌にして見るか、二義ありて不v决。和へ歌なれば主人門部王の、門にやどにもたましかましの和へ歌なれば客の歌也。歌の體は主人の句體にも聞ゆれば、いづれとも決し難き也。またましよりはといふ詞、主人の詞にきこゆ。然れども玉しかましをといふ歌にこたへたりと聞ゆれば客の歌也。下の來有の二字もきますともよむべければ、きたるとの點あれどこれも決し難し。此點者は客の歌にして見たるか。もつとも主人の句にても來たるともよまんか。しかし少無禮の詞也
(167)玉しきて 用意をして、取つくろひて待たんよりはと也
たけそかに 此詞解し難き詞也。先全體の意は、卒爾俄に何の支度用意もなく、ことおろそかにして來れる、こよひし樂しくおもほゆるとの意也。たくはへおろそかにといふ意か。くへを約してけけ也。何の用意も無くして、おもかげなく來る事かへつて樂しくおもふとの事也。たけといふ事すべて宴會のこと言ふ言也。日本紀等にも、相伴の人をあひたけの人といひ宴の字をうたげといふ事あれば、何とぞ宴會の事に付別義あらんか。延喜式ゆきすきの神供の事に、ためつ物といふ事あり。此儀い郁にとも不v濟詞也。しかるめといふ詞は、むけといふ詞を約すれば、めなり。よりてこれもたむけものといふ義なるべし。手向といふは自身手づからみけものをそなふる事をいふと聞えたり。すべて手向といふは、みづから直に神にもあれ、君にもあれ、人にもあれ奉り備ふることを手むけとはいふ也。なればこゝのたけそかにと言ふも、たむけをおろそかにといふ義をも云たるものか。今すこし慥成證例語例を不v考ば决し難き也。先大意は右の趣に心得べき也。一説にたけすがきにきたると云義ともいへり。香の字、我とにごる事もいかゞにて、惣體の句體六ケ敷解なれば難2信用1。外に例詞もあらば可v用か。先の客の歌と見ゆる也。門部王への和へ歌と見るべし
春二月諸大夫等集左少辨巨勢宿奈麻呂朝臣家宴歌一首
巨勢朝臣宿奈麻呂 聖武紀云。神龜五年五月〔丙辰、正六位下〕巨勢朝臣少麿等〔授2外從五位下1。天平元年三月從五位下。五年三月從五位上。〕孝謙紀云。勝寶三年二月〔己卯、典膳正六位下雀部朝臣眞人等言。磐余玉穗宮勾金崎宮御宇天皇御世雀部朝臣男人爲2大臣1供奉。而誤紀2巨勢男人大臣1。眞人等先祖巨勢男柄宿禰男有2三人1。星川建日子者雀部朝臣等祖也。伊刀宿禰者輕部朝臣等祖也。乎利宿禰者巨勢朝臣等祖也。淨御原朝廷定2八姓1之時、被v賜2雀部朝臣姓1。然則巨勢雀部雖2元同姓1而別姓之後被v任2大臣1。當今聖運不v得2改正1遂絶2骨名之緒1永爲2無v源之氏1。望請改2巨勢大臣1爲2雀部大臣1陳2名長代1示2榮後胤1。大納言從二位巨勢朝臣奈※[氏/一]麻呂亦證2明其事1。於v是下2知治部1依v請改2正之1〕
1016 海原之遠渡乎遊士之遊乎將見登莫津左比曾來之
(168)うなばらの、とほきわたりを、みやびとの、あそぶをみんと、なつさひぞこし
此歌は左注の題云と、仙媛の詠みたる歌にして見るべし
うなばらの 海路を經て來れる處にはあらぬをかくよめるは、心得難き樣なれど、仙女蓬莱宮より遠き處の海を渡りてきたるといふ意也。左注の意をもて歌の意を知るべき也
遊士 たはむれにあそぶをのこといふ義と心得てかくよみきたれども、大宮人のあそぶをみんと、仙女の海をもわたりて來れるとよみたれば、前にも注せる如くみや人と讀むべし
なつさひぞこし 第二卷に、よしのゝ川のおきになつそふといふ歌に注せる如く、なづみたゞよふことを云也。ゆる/\として速かならぬことを、なづそふといふなれば、上に海ばらの遠わたりとあるをうけて、海を渡る義によせてよめる也。遠きわたり故、なづみたゞよふて來りたるとの義也。畢竟蓬莱宮より來りたるとの意なれば、はる/”\と波にゆられたゞよひて來る意也
右一首書白紙懸著屋壁也題云蓬莱仙媛所嚢蘰爲風流秀才之士矣斯凡客不所望見哉
これ古注者の文也。如v此のことありしを古注者は所見せし故、かく注せるならん
蓬莱仙媛所嚢蘰 みやびをなす詩人、歌才ある人、見よとつけおきたるものと聞ゆる也。必竟たわむれのあまりに書付けたる義にて、仙女かしらをつゝむかづらは、風客の見る爲にあらず、風流秀才の人の見んために、かしらをもかざりつゝむかづらなりと云義也。此歌は蓬莱の仙媛のよみたると見るべしとの奧書也。大宮人の集宴する故、常世の國より仙女の見物に來れるとよみたる歌也。此注歌の見樣諸抄とは甚違也。可v秘々々
夏四月大伴坂上郡安奉拜賀茂神社之時使超相坂山望見近江海而晩頭還來作歌一首
賀茂神社 山城國の一宮也。神名帳云。山城國愛宕郡賀茂別雷神社亦若雷【名神大、相甞、新甞、月次】賀茂御祖神社二座【並名神大、月次、相甞、新甞】
超相坂山 日本紀神功皇后紀云。〔忍熊王知v被v欺謂2倉見別五十狹茅宿禰1曰、吾既被v欺。今無2儲兵1豈可v得v戰乎。曳v兵(169)稍退。武内宿禰出2精兵1而追v之。適過2于逢坂1以破。〕故號2其處1曰2逢坂1也。昔は大和より山城への通路、宇治川をさかのぼり、あふみ路へかけて來れると見えたり。日本紀等を見るに、今の往來筋とは違たり。相坂山は山城と近江との境なり。地は近江に附か
望見近江海 あふみはあはうみにて淡海也。湖ある國故國の名とせる也。和名集近江 知加津阿不三ちかつあはうみといふ義也。近江の二字をあふみとよますは、淡海の義訓にして遠江に對して也。近江とは書也。遠江は和名には止保太阿不三と書れり。尤も此集にはとへたあふみとも書きたり。遠州は都に遠ざかり、近州は大和山城の帝都の時いづれも近き故、遠近の二字をわけて書かれたると見えたり。然るに近江はちかつと云詞を略して、あふみとばかりいひ習へり。和名抄によればちかつといふべき事なり。然れども和名より已前に、たゞあふみとばかりいひたれば、遠江は近江に對して書きたるとも見えたり。順は近江の字を注したる也。近の字は帝都に近きといふより書きて、遠江は近江に對したる也
晩頃 くれの頃也。たゞくれといふ義也
還來 大和の國へ歸る也
1017 木綿疊手向乃山乎今日越而何野邊爾廬將爲子等
ゆふだたみ、たむけのやまを、けふこえて、いづれのゝべに、やどりせんこら
ゆふだたみ 此詞不v濟義也。尤下の手向とうけん序詞に上にすゑたる也。此木綿疊といふは何の事といふ義か。不v濟也。諸説木綿は神に手向るものなる故、手向の詞をおこさんとてゆふとはいへりと也。その義は聞えたるに、たゝみと云は何とていへるや。木綿たむけ山とはあらば、諸抄の説の如くにて可v濟。ゆふだゝみと云たゝみの詞諸抄の説にては不v濟。是は木綿たゝみといふもの一色神具にあると聞えたり。手にかけて神を拜する時敷もの也。手にかけゐるもの故、手とうけん爲の義にて、ゆふだたみとはいふたる也。ゆふをたゝんで手向るといふ事は濟難き詞也。第十二卷にも此句あり。又ゆふだたみたな上山といふ歌もあり。とかく手と受けたる迄也
(170)宗師案云、上古は旅行の時神社を拜する爲に、木綿にて敷物を用意せしか。それを敷きておがみたるならん。それをゆふ疊とはいひたると見えたり。今、順禮者肩敷といふものを腰に付て、廻國するは此木綿疊の遺風ならんかと也。しかれば神に手向をする時は、きはめて神をぬかづくなれば、木綿疊を敷きて手向するといふ義にもかくつゞけたるか。今出家の方にはけつくざゝといふて手にかけて持あるく也
手向之山 相坂山を云ふ也。端作の文にても明也。旅行するとき行程無難をいのる事は、何國にてもあるべき也。大和にもあるべし。すでに古今集にはならの手向山ともあり。序にいひたるは違ある事也。古來より古今の序相坂山にいたりてたむけをいのりとあるより、手向山は相坂にかぎり、相坂山にたむけをいのりたる樣に心得たり。かの古今の序は一字誤りありてかくの如く、數百年來のあやまりを傳ふる基とはなれり。古今の序の相坂山にいたりは離別の事也。離別の歌に此詞あるから、離別の目録をいはんための序の詞也。しかるを此萬葉集こゝの歌にもとづき、相坂山に手向をいのると古今の序をも心得たることは、數百年來の誤也。相坂山を手向山と名づけたる由來は、いかにといへることか不v知也。第十二に、ゆふだたみ手向の山を明日かこえゆかんとよめるも、大和山城の内か難v決也
手向之山 手向山を越え行は旅行の意也。此の意はたびだちそめての意と聞ゆる也。よりて下の句にもいづれの野邊とかきて、今日旅だちの手向の山を越えて、またいかなる野邊に宿りをすべきやと也。山を越えて野に宿りをせんとかけ合せたるところ歌の情深き也
廬將爲子等 いはりせんとよみては意少叶難し。旅行なればかりいほにやどるといふ義にて、いほりせんとよめると言ふ説あれど六ケ敷説ならん。家、舍、宿、廬、同意の字なれば、やどりと義訓にせんことしかるべし。いほりもやどるも同じ事なれども、家を作るをいほりするともいふなれば、やどりとよむべき也。子等とはともなふ人また自身のことをもいへる也
十年戊寅
元興寺之僧自嘆歌一首
(171)1018 白珠者人爾不所知不知友縱雖不知吾之知有者不知友任意
しらたまは、ひとにしられず、しらずともよし、双本われしゝれらば、しらずともよし
白珠 我才の世に不v顯をなげきてよめる歌也。卞和の玉の埋れたる意にて玉に比すか
縱 まゝよといふ意なり。よしやといふ意も同じ。ゆるすともほしいまゝとも讀める也。意通ふ也。下の任意といふ義も同じ。よりて義をもてよませたり
此歌の意は左注にある通り、我才學あれども人不v知してあなどらるゝことをなげきてよめる也。人は知らずとも我さへ事理を辨へ知りたればよしと打すてゝ、下の心には知られぬ事をなげきたる也。第三句を七言によむこと習也。濱成和歌式、双本といふ事あり。本を双ぶるといふ義也。常の歌は五言也。せん頭歌は本をならぶるといふなれば七言によむが習也。然者この歌もよしを上へつけてよむべき也。此双本といふ事を不v辨故、古今の旋頭歌のよみ樣當時皆違へり
右一首或云元興寺僧獨覺多智未有顯聞衆諸押侮因此僧作此歌自嘆身才也
獨覺 僧の名のやうなれど、さにはあるべからず。ひとりさとり知慧多きものなれど、その學才世にあらはれざるといふ義なるべし。此集を萬葉と名づけたるもケ樣の歌迄、その時節人のいひふれたるよろづの言の葉を集めたる義と見ゆる也。撰集といふにはあらで、時代に有としある詞を不v撰2善惡1集められたりと見ゆる也
石上乙麻呂卿配土佐國之時歌三首并短歌
乙麻呂 左大臣石上麻呂第三の子也。續日本紀聖武紀神龜元年二月〔正六位下石上朝臣乙麻呂等授2從五位下1、〕天平四年〔正月從五位上、〕孝謙紀天平勝寶元年七月中納言三年九月〔丙戌朔中納言從三位兼中務卿石上朝臣乙麻呂薨、左大臣贈從一位麻呂之子也。〕懷風にも見えたり。追而可2考出1也
配土佐國 久米連若女にしのび通ひ給ふ事上に聞えて、若女と共に流されたりしこと讀日本紀に見えたり。前に注出せり。懷風にも飄寓南荒と書けり。南荒は土佐の事也。延喜式追儺祭文に南方土佐とあり
(172)1019 石上振乃尊者弱女乃惑爾縁而馬自物繩取附肉白物弓笶圍而王命恐天離夷部爾退古衣又打山從還來奴香聞
いそのかみ、ふるのみことは、たをやめの、まどひによりで、むまじもの、なはとりつけて、しゝじもの、ゆみやかこみて、おほきみの、みことかしこみ、あまさかる、ひなべにまかり、ふるごろも、まつちやまより、かへりこぬかも
石上振 地名也。乙麻呂の氏石上といふ故に尊んでふるのみことゝはつゞけたり。ふるといふも石上にそひたる地名故、大方石上とよめばふるとつゞくる也。石上はもと物部氏なり。饒速日命の裔也。後に石上と朴井兩氏にわかれたり。その住所の地名をもて、稱號氏ともせられたると聞えたり。重代の居家ふるといふ所にありし故、尊稱してふるのみことゝはよめる也
弱女乃 久米連若女の事によりて也
馬自物繩取付 馬には手繩口縄手綱などいふもの付るものなれば、馬の樣にからめられてといふ義也。さもあるべけれど科ある人故、かくよみたる也。とりはなたぬ樣に用心したる義をかくはよみたるもの也
肉自物 しゝのやうに也。御狩の時しゝをとりかこめる如く、ものゝふどもとりまきてと也
退 土佐へさすらへたると也
古衣又打山 古きころもは洗ひて再びうつものから、又うちといふ詞にかけたり。まつち山は紀州也。大和の通ひみち也。
かへりきぬかもは歸參をせぬかと也。此歌は乙麻呂の家人などのよめると聞えたり
1020 王命恐見刺並之國爾出座耶吾背乃公矣
おほきみの、みことかしこみ、さすらへし、くにゝでますや、わがせのきみを
刺並之 さしなみしとよみ來れり。さしなみしといふ詞いかにしたる義にや。これは被v配ことをさすらへると云ふ古語也。並と云字を書きたるは惣而らりるれろの字は無き故、訓に用ゆる時すべて字を借りて用ふる也。例へば、る、りと云詞に有(173)の字を書きしことあり。あるとよむ字故、その一語をとりて訓字に用ひたるもの也。此並の字此義をもて知るべし。ならべならぶとよむ字故、らへのかなに用ひたり。此格を不v辨人さしなみとは點をつけたる也。さすらへしは流さるゝ國へいでますやと云ふ也
吾背乃公矣 乙麻呂をさして也。妻子か家臣などの歌と聞ゆる也。是より以下乙麻呂を無難に何とぞ二度歸參させしめ給へと、住吉の神に祈り申す事をよみたり。此歌反歌にてあるべきか、心得難し。或抄には反歌と見し也
1021 繋卷裳湯湯石恐石住吉乃荒人神船舳爾牛吐賜付賜將島之埼前依賜將礒乃埼前荒浪風爾不令遇草管見身疾不有急令變賜根本國部爾
かけまくも、ゆゝしかしこし、すみのえの、あらひとがみの、ふなのへに、うしはきたまはむ、つきたまはむ、しまのさき/”\、よりたまはむ、いそのさき/”\、あらなみの、かぜにあはせず、くさつゝみ、やまひあらせず、すみやかに、かへりたまはね、もとのくにべに
繋卷裳湯湯石恐石 かけまくもゆゝしかしこし、これは住吉の神を尊みおそれていひたる詞也
住吉 日本紀續日本紀等可2引合1。追而可2考出1也
荒人神 あらぶる神といふ義にはあらず。靈驗あらはれたまふ神とほめたる詞也。あしき神をあらひと神ともいへど、こゝはさにあらず。現在に尊き神徳をあらはし給ふ神といふ義也。和名抄云、現人神【和名、安良比止加美】
牛吐賜 あらぶるあしきものをはらひのけ給ひといふ義也。うしはきの事は前に注せる如く不v決義也
付賜將 乙麻呂の着給んしま/”\さ/”\と也
草管見 あらき波風に不v中やうに、旅行なれば草にて身をも包みて不v煩樣にとの義也。この事つゝみといふ義色々ありて、無v恙といふこともこれよりいふとの説などあり。義六ケ敷也。一説旅行には邪氣病をのぞくために、藥草をつゝみて持つこと古代のならひ故、草つゝみとはよめると也。此説はさもあらんか。安き義也。しかれども全體海路の歌なれば、波風にあた(174)らぬやうに草などに身をつゝみ用心してと、かるく見る方よき也。草居のつゝしみをしてなどいへる説は、入組みて六ケ敷也。海路一すぢの事に見るべし
令賜 かへり給はねとねがふたる也。すみのえの神にもいのりて、乙麻呂の歸參をすみやかになさしめ給へと願ふ歌にて、すみやかに歸り給ふらんといふ意もきこゆる也。かへり給はねとあれば、かへり給ふにてあらむと云ふ意也
1022 父公爾吾者眞名子叙妣刀自爾吾者愛兒叙參昇八十氏人之乃手向爲等恐乃坂爾幣奉吾者叙追遠杵土左道矣
ちゝぎみに、われはまなこぞ、はゝとじに、われはまなこぞ、まうのぼり、やそうちびとの、たむけすと、かしこのさかに、ぬさまつり、われはぞおへる、遠きとさぢを
父公爾 これはちゝぎみのためにわれは愛せられし子ぞと云ふ義也。下のはゝとじにも同事の義也
妣刀自 とじとは女の通稱老女をも云ふ詞也。はゝのために、われはうつくしみめぐまれたるまな兒ぞと也。愛兒とかきて語意をあらはしたり。うつくしまるゝ子ぞといふ義也
參昇ル 越行坂路にのぼる事也
恐乃坂 諸抄には目本紀にある懼坂のことに釋したれど、さにはあるべからず。たゞ險難のおそろしき坂路といふ意なるべし。八十もろ人はのぼり來るに手向をしていのり、何事なく行くべきやうにと、こはき坂路にはぬさをも手向けて、あらきかしこき道へ、我は追ひ下さるゝと也。恐乃、との字を書きたれは地名にはあるまじきか
吾者叙追 われほぞおはる也。乙麻呂の自歌と聞ゆる也。おへると云ふ點はあし。おひやらるゝといふ義也。しかればおはるとよむべし。これら隔句體の歌といふものなり。遠き土佐路をわれはぞおはると云ふ義也
反歌一首
1023 大埼乃神之小濱者雖小百船純毛過迹云莫國
(175)おほさきの、かみのをばまは、せまけれど、もゝふなかみも、すぐといはなくに
大埼乃神 土佐なるべし。尤も八雲に土佐としるさせ給へり。しかれども外に不v見ば決し難けれど、先八雲の御説にまかせすでに土佐への配流の歌なれば土佐と見る方義安き也。或抄には紀州の事にいへれど入組みて六ケ敷也
船純毛 これをもゝふなびとゝよませたり。純一とつゞく字義をかりて、一の字をひとつよよむ語をかりて、その外に人とよむべき義心得難し。神とよむ義は精也といふ字義あれば、百船の精靈といふ義、又上にも神の小濱出たるなれば神とよまんこと理相かなふべし。此卷の奧にも、百船純とありて、これも神とよまでは通じ難き歌なれば、神とよませたると見ゆる也。おさともよむべきか、百ふなおさとよみても義は同じかるべけれど、神の小はまとある故、百ふねの神も、此濱をへて泊つくべしとはいはなくにと也。土佐の國へさすらへられたる故、百船神も此處へはよりつきて、畢竟世の外へ我も來りたるといふ意をもて、よまれたると聞ゆる也
過迹云莫國 此小濱をすぎて外へゆかんとはいはぬと也
秋八月二十日宴右大臣橘家歌四首
諸兄公の事也。聖武紀云、十年正月庚午朔授2正三位1拜2右大臣1
1024 長門有奧津借島奧眞經而吾念君者千歳爾母我毛
ながとなる、おきつかりしま、おきまへて、わがおもふきみは、ちとせにもかも
ながとなるは ながとにある也
おきつかりしま 長門の地名也。作者長門守故、その國の地名をよみ出でたり。おきつかりしまは下のおきまへてといはんための序也。如v此の所歌也
奧眞經而 沖をへての意也。おきを深めてなどよめる此歌よりなるべし。遠く深くおもふとの義也。長門守がはる/”\と遠國よりも深切に思ふ君はといふ義也。かく深く思ふ君は長く久しく榮えたまひて、幾千年もましませよとねがふたる歌にて、(176)右大臣を祝賀したる歌、初五文字も長く久しきと祝ふ意を含みて也
右一首長門守巨曾倍對馬朝臣
聖武紀云、天平四年八月〔丁酉、山陰道節度使判官〕巨曾津島〔授2外從五位下1。〕
1025 奧眞經而吾乎念流吾背子者千年五百歳有巨勢奴香聞
おきまへて、われをおもへる、わがせこは、ちとせいほとせ、ありこせぬかも
おきまへて 和歌故前のおきまへておもふと云ふ意をうけて也。遠く深く不v淺思ふ人はと也
吾背子 男子の通稱にして先をあがめ賞する詞也。君長の稱と心得べし
千年五百歳 返歌故千歳を上を増してこたへられたる也。日本紀神代卷に諾尊の神勅の義にかよへり
有こせぬかも われを千歳にもと祝したまはるそなたは、千五百年ありこさぬか、ありこすにてこそあれといふ意也。我をいはひてよめる詞に、増して祝ひかへし給ふ也
右一首右大臣和歌
諸兄公の返歌也
1026 百磯城乃大宮人者今日毛鴨暇無跡里爾不去將有
もゝしきの、おほみやびとは、けふもかも、いとまをなみと、さとにゆかざらん
いとまをなみと里にゆかざらん 右大臣家の宴會に行きて、里へは公勤の暇なしとてゆかずあらんと也
右一首右大臣傳云故豐嶋釆女歌
此左注を心得違ひて、諸兄王の家持へつたへたまふと釋せる説あり。此集家持の撰と定めたる見解よりの説也。此集家持の撰と云事何の證明も無き事也。これは後人の注なれば難2信用1事多也。尤此注は諸兄の傳にいはくといふ義也。諸兄公の傳(177)を書きたる記ありて、その傳記には、故豐嶋釆女と記しあるを、古注者の見て如v此紀したる義也。左注者を家持と心得、且左注も萬葉集の本注と心得たるは大成誤也。古萬葉といふは、この或本歌云といふ義、如v此の左注なき萬葉集をいひたる義と見ゆる也
1027 橘本爾道履八衢爾物乎曾念人爾不所知
たちばなの、もとにみちふみ、やちまたに、ものをぞおもふ、ひとにしられず
橘本 これは橘本と云ふ地名あるか。すでに第二卷にも三方沙彌贈答の歌に、此歌と同じやうなる歌あり。そこには古事などあらんかと注したれど、とかくこれは地名ありと見えたり。たちばな寺などいふ所ありと見るべし。そのところは四方八方へ通路の道すぢあるところと聞えたり。もし又橘はいくまたもありて小枝しげく榮ゆるものなれば、その枝の八支といふ義をとりて、みちのやちまたの事によそへいひたるか。必竟の意は、樣々に物を思ふといふことを言はんとて也。そのやちまたといはんとて、橘の本とはいひ出でたるものながら、地名なくては橘をよみ出づべき事にあらず
人にしられず 我思ふ心を先にしられずして、さま/”\にものおもふと也。何とぞ宴會のときにこひしたふ人などを見そめて、釆女のよみたるか。また左注の如く時の興にうたひたるか。とかく歌は戀歌と聞ゆる也
右一首右大辨高橋安麿卿語云故豐島釆女之作也但或本云三方沙彌戀妻苑臣作歌也然則豐島釆女當時當所口吟此歌歟
是も古注者の文也。高橋安まろ卿語りしと也
高橋安麿卿 時代等追而可2考合1
或本云三方沙彌云々 これは第二卷に此歌と同じ歌ありて少違あり。似たる歌故或説を加へたるか
苑臣 古は女の氏をいへり。苑臣は氏姓也。二卷めには苑臣生羽之女とあり。こゝにも脱せるか。女にも皆氏をいひたれば、女氏にてもあるべし
(178)當時當所 橘家にての宴會の時節に相叶ひたる歌の詞故、興に乘じて歌ひたるかとの注也。しかれば歌は三方の沙彌が歌なるを、此義釆女が吟詠せしかと也。さもあるべきか
十一年己卯
天皇遊※[獣偏+葛]高圓野之時小獣泄走堵里之中於是適値勇士生而見獲即以此獣獻上御在所副歌一首【獣名俗曰牟射佐妣】
生而見獲 いきながらえられたり
御在所 みましのところ
1028 大夫之高圓山爾迫有者里爾下來流牟射佐妣曾此
ますらをの、たかまどやまに、せめたれば、さとにおりくる、むさゝびぞこれ
きこえたる歌也
右一首大伴坂上郎女作之也但未※[しんにょう+至]奏而小獣死斃因此獻歌停之
古注者所見ありて注せるなるべし
十二年庚辰
冬十月依太宰府少貳藤原朝臣廣嗣謀反發軍幸于伊勢國之時河口行宮内舍人大伴宿禰家持作歌一首
聖武紀云。天平九年九月己亥從六位〔上藤原朝臣廣嗣授2從五位下1。十年四月爲2大養徳守1。式部少輔如v故。同十二月丁卯爲2太宰少貳1。〕十二年〔八月癸未太宰少貳從五位下藤原朝臣廣嗣上v表、指2時政之得失1陳2天地之災異1。因以v除2僧正玄ム法師右衛士督從五位下下道朝臣眞備1爲v言。〕九月丁亥廣嗣〔遂起v兵反。勅以2從四位上大野朝臣東人1爲2大將軍1、從五位上紀(179)朝臣飯麻呂爲2副將軍1、軍監軍曹各四人徴2發東海東山山陰山陽南海五道軍一萬七千人1委2東人等1持v節討v之。十一月丙戌大將軍東人等言。進士無位安倍朝臣黒麻呂以2十月二十三日丙子1、捕2獲賊廣嗣於肥前國松浦郡値嘉嶋長野村1。戊子、大將軍東人等言、以2今月一日1於2肥前國松浦郡1斬2廣嗣綱手1已訖〕
廣嗣 式部卿馬養之第一子也。
幸于伊勢國時 聖武紀云、天平十二年冬十月壬申、任d造2伊勢國行宮1司u。丙子、任2次第司1云々。壬午行2幸伊勢國1。是日到2山邊郡竹谿村堀越頓宮1。癸未車駕到2伊賀國名張郡1。十一月甲申朔、到2伊賀阿保頓宮1宿。大雨途泥人馬疲煩。乙酉到2伊勢國壹志郡河口頓宮1也。謂2之關宮1也。丙戌、遣2少納言從五位下大井王並中臣忌部等1、奉2幣帛於太神宮1、車駕停御2關宮1十箇日。丁亥、遊2獵于和遲野1、免2當國今年租1。乙未從2河口1發到2壹志郡宿1。丁酉、進至2鈴鹿郡赤坂頓宮1〕
河口 紀文の通壹志郡にあり。せきのみやと云ふと也
内舍人大伴宿禰家持 家持此時内舍人にて供奉と聞えたり
1029 河口之野邊爾廬而夜乃歴者妹之手本師所念鴨
かはぐちの、のべにやどりて、よのふれば、いもがたもとし、しのばるゝかも
手本師 袂のことにもまた手は初語にて、いもがもとのしたはるゝといふ義とも聞ゆる也。よくきこえたる歌也
天皇御製歌一首
1030 妹爾戀吾乃松原見渡者潮干乃潟爾多頭鳴渡
いもねわび、あがのまつはら、みわたせば、しほひのかたに、たづなきわたる
此歌の意諸抄説は、いもにこひわがとうけたるとの説也。吾の松原、三重郡にあるとの義、名所抄等を引きて釋せり。また名所にはあらで、たゞいもにこふあがと請けたる詞ともいへり。第十七卷にも我せこをあが松原とよめり。第十にもわが松原(180)とよめる歌ありて、右二首はつくしにての歌と聞ゆれば、つくしにも吾松原といふ地名あるか。此御歌、河口のかりみやにてよませ給ふと決したる説あれども心得難し。家持歌はさもあるべし。此御歌に端づくりも無ければ、たゞ御幸の時、伊勢にてよませ給ふ歌と見るべし。しかれば吾松原はあこの松原か。此歌の意は、いもねわびといふ義なるべし。夜も御寢わびさせられて、曉方に夜もあくるやとおぼしめして、御寢所よりあこの松原など、御らんじわたされたるときの御製なるべし。御旅行のかりみや故、いもねわびさせられたるとの義に、いもねわびと被v遊しなるべし。さなくては御歌の意、何の御趣向もなき御製なり。いもにこひわがまつとも被v遊まじきにもあらねど、いもねのかた義やすく聞ゆる也。惣而此集中に爾の字をねとよみたる歌數多あれど、皆にとよみ來れり。にとよみては意不v叶歌多し。此御歌もねと讀ませたる歌と見ゆる也。諸抄の説も極めてあたらざるにはあらず。見わたせばとあるは、ひるの御製とも聞ゆる也
右一古今案吾松原在三重郡相去河口行宮遠矣若疑御在朝明行宮之時所製御歌傳者誤之歟
此注は、河口の行宮にての御製と決したるからの左注也。此注にて左注の文家持にあらざることを知るべし。家持供奉にてすでに河口にての歌あれば、如v此傳者誤歟といふ文あるべきや。とかく古注者も河口にての御製と見るから、いろ/\の注を被v加たり。たゞ伊勢へ御幸の時の御歌にて、吾松原を御覽被v成たる時の御歌と見るべし
朝明行宮 聖武紀天平十二年十一月丙午從2赤坂1發到2朝明郡
丹比屋主眞人歌一首
元正紀云、養老七年九月〔乙卯、出羽國司正六位上〕多治比眞人家主言云々、〔聖武紀云、〕神龜元年二月、〔從五位下。孝謙紀云。〕天平勝寶元年閏五月〔爲2左大舍人頭1、廢帝紀云、〕天平寶字四年三月癸亥、〔散位從四位下多治比眞人家主卒〕
1031 後爾之人乎思久四泥能埼木綿取之泥而將住跡其念
おくれにし、ひとをしのばく、しでのさき、ゆふとりしでて、ゆかんとぞおもふ
おくれにし人を みやこにのこしおきたる人をいへる也。おもはくとはよむべからす。下にしでのさきとよめればそのうつ(181)りに、しのばくとよみたり。しのばくにてあらねば、歌の意も不v通也。旅行故したひしのぶの意也
しでのさき 前にはさでのさきさではえしこよと詠めり。その所と同所なるべし。但別所か。しでさで同しければ同所ならんか。これは下のしでてといはんための縁に、しでのさきをよみ出したるときこえたり
木綿とりしでて 旅行にて路頭の神にぬさなど奉りて、古郷の人を無事ならしめ給へと、祈申をして行と也
取之泥而 木綿篠榊などに懸けて神に奉るを、取しでてと云ふ也。木綿をものにかけしだるゝを、しでてとは云ふ也。今四手をかけなど云ふも、しだるゝといふ義よりいふたる也。日本紀神代卷上云、中臣連遠津祖天兒屋根尊忌部遠祖太玉命、〔堀2天香山之五百箇眞坂樹1而上枝懸2八坂瓊之五百箇御統1中枝懸2八咫鏡1、一云眞經津鏡。下枝懸2青和幣1【和幣此云2尼枳底1】白和幣相與致2〕其祈祷1焉
將住 是は往の字の誤ならん。しかるを諸抄にも住の字と見ていろ/\の理をそへて釋せり。これらはうたがふべくもあらぬ往の字の誤也
右案此歌者不有此行宮之作乎所以然言之勅大夫從河口行宮還京勿令從駕焉何有詠思沼埼作歌哉
此注前にも此趣を記せり。然共一概には難v決。丹治比眞人は、御ともにしたがひしも知れぬ義也。既に續日本紀此時の行幸の紀を考ふるに、此注の趣とは違ありて、屋主眞人赤坂頓宮にて從五位下を授けられし事あれば、此左注難2信用1文也
狹殘行宮大伴宿禰家持作歌二首
此さゝのかりみやのこと紀に脱落あり。然共紀文にあやまりの趣見えたり。追而可v考
1032 天皇之行幸之隨吾妹子之手枕不卷月曾歴去家留
すめらぎの、みゆきのまゝに、わぎもこが、たまくらまかず、つきぞへにける
きこえたる歌也。
(182)1033 御食國志麻乃海部有之眞熊野之小船爾乘而奧部※[手偏+旁]所見みけくにの、しまのあまならし、まくまのゝ、をぶねにのりて、おきべこぐみゆ
御食國 行幸の時御食物を奉る國に、さゝれたるしまのくにのあまにあるらしと也。御けものを奉るしまのくになるらしと云ふ義也
眞熊野之小船 船の名也。此くまのゝふねといふ事、神代紀にもありて、船の名とせられたることは、熊の字を神代紀にわにと訓したり。これは海獣のおぢおそれて害を去るために、船の名とはなしたるか。くまの山の木をもて作れる船、自然と風波の難をさけるといふ事ありて、名付けたるとの説もあれど、正説いづれと決し難し。さゝのかりみやは、しまのくにの海邊に近かりしところなるべし
奧部※[手偏+旁] 奧をこぐ船のみゆると也
美濃國多藝行宮大伴宿禰東人作歌一首
多藝行宮 聖武紀云、己酉到2美濃國當伎郡1云々
東人 廢帝紀云、天平寶宇五年十月、〔爲2兵部少輔1。〕七年〔正月甲辰朔壬子、以2從五位下大伴宿禰東人1〕爲2少納言1。光仁紀云寶龜元年〔八月、爲2周防守1。五年三月、彈正弼。〕
1034 從古人之言來流老人之變若云水曾名爾負瀧之瀬
むかしより、人のいひくる、おいびとの、わかゆてふ水ぞ、なにおふたきのせ
むかしより 古來より養老の瀧と、云傳へ來りし名におふ瀧かなと、養老の瀧をほめたる也。唐土にも菊水などいふて、靈水ありて長壽をうる所あり。それ等のことを思ひ合せてよめるなるべし
わかゆ はわかやぐといふ俗の意也。やくはゆ也。尤もわかゞりともよむべし。養老の瀧の事。元正紀云。養老元年八月〔甲戌、遣2從五位下多治比眞人廣足於美濃國1、造2行宮1。九月丁未。天皇行2幸美濃國1。
甲寅、至2美濃國1。丙辰、幸2當耆郡多度(183)山美泉1。戊午、賜2從駕主典已上及美濃國司等物1有v差。十一月丁酉朔癸丑、天皇臨v軒詔曰。朕以2今年九月1到2美濃國不破行宮1、留連數日、因覽2當耆郡多度山美泉1。自盥2手面1、皮膚如v滑。亦洗2痛處1、無v不2除愈1。在2朕之躬1其驗。又就而飮浴v之者、或白髪反v黒、或頽髪更生。或闇目如v明。自餘痼疾、咸皆平愈。昔聞、後漢光武時、醴泉出。飮v之者痼疾皆愈。符瑞書曰。醴泉者美泉。可2以養1v老。葢水之精也。寔惟美泉、即合2大瑞1。朕雖v痛v虚、何違2天※[貝+兄]1。可3大2赦天下1。〕改2靈龜三年1、爲2養老元年1
大伴宿禰家持作歌一首
1035 田跡河之瀧乎清美香從古宮仕兼多藝乃野之上爾
たとがはの、たきをきよみか、むかしより、みやつかへけん、たきの野のへに
田跡河 元正紀養老元年九月〔丙辰〕幸2當耆郡多度山美泉1云々。此瀧川也
從古 元正天皇の御幸の時より、于v今至りて此瀧の宮につかふると也。天皇の御手水となりしことなどを、みやつかへとはいへるなるべし。天子の御遊覽なさるゝも此瀧のみやつかへ也
不破行宮大伴宿禰家持作歌一首
右同時の行幸也。紀を可v考
1036 關無者還爾谷藻打行而妹之手枕卷手宿益乎
關なくば、かへりにだにも、うちゆきて、いもがたまくら、まきでねましを
關無者 不破の關なくば也。關の事日本紀を可v考。日本三關の一也。行幸の御供ならば關に被v障迄もなく、心のまゝにはなりがたき事なれど、所の地跡によせてよめる也
かへりにだにも 今俗に立かへりにと云ふ意也。かへるさにもと見る意もあれど、此句意不2相合1。これはゆきてそのまゝかへる事を、かへりにだにもとよめると聞ゆる也
(184)打ゆき うちは發語の詞也。ゆきはいもが方へ行きて也
手枕 たゞまくらの義也。よくきこえたる歌也
十五年癸來
秋八月十六日内舍人大伴宿禰家持讃久邇京作歌一首
讃久邇京 聖武紀云。天平十三年十一月戊辰、右大臣橘宿禰諸兄奏。〔此間朝廷以2何名號1傳2於萬代1。天皇勅曰。〕號爲2大養徳恭仁大宮1也
1037 今造久邇乃王都者山河之清見者宇倍所知良之
いまつくる、くにのみやこは、やまかはの、きよきをみれば、うべしらるらし
今造 別訓あらんか。尤も此時分、山背國相樂郡恭仁郷に新都を造營したまふ故、かくいまつくるとはよめり
宇倍所知良之 かく山河ともに、おだやかにきよらなる佳勝の地なれば、世にたかく知られ、あらはれんも理りなりとの義也。うべは尤も理りかなといふ古語也。俗にいかにもなどいふ義に同じ。達2叡聞1かく帝都ともなりし事、又この行末世に廣く高く知らるらしと也
高丘河内連歌二首
高丘元は樂浪といへり。元明紀云、〔和銅五年〕七月甲申、播磨國大目從八位上樂浪〔河内、勤建2正倉1。能効2功績1。進2位一階1、賜2※[糸+施の旁]一疋、布三十端1。〕元正紀云。養老五年正月〔戊申朔庚午、詔2從五位上佐爲王、正六位下樂浪河内等1、退朝之令v侍2東宮1焉。同月甲戌、詔賜2※[糸+施の旁]十五疋、絲十五※[糸+句]、布三十端、鍬二十口1。〕聖武紀云。神龜元年〔五月辛未、〕正六位下樂浪河内、賜2高丘連1
1038 故郷者遠毛不有一重山越我可良爾念曾吾世思
(185)ふるさとは、とほくもあらず、ひとへやま、こゆわれからに、おもひぞわがせし
一重山 前にも見えたり。山城の内にある地名也。しかるを不v遠たゞ一重なる山といふ義によせてよみ出でたり
歌の意は、ならの故郷は日を經て行通ふ程の所にしもあらず。たゞ一重山を越計の程なれど、こひしたふ我心から、百里もへだたりたる如く、遠ざかれると思ひしたふと也。一重山にても隔て居るからに、かく遠くへだたれる樣に思をするとの義也。此歌は夫婦別れて居たりし時の事を、今一所になりし時によめると聞ゆる也。わがせしとよみとめたるは、過去の義をいへる歌也。次の歌にて一所により合ひたる歌と聞ゆる也
後案、山を越ゆる時思をせしといふ歌にて山を越えてならのさとへ行く時の歌ならんか。しからば一所の時の歌とも不v見也
1039 吾背子與二人之居者山高里爾者月波不曜十方余思
わがせこと、ふたりしをれば、やまたかみ、さとにはつきは、てらずともよし
わがせこと 夫婦一所に居れば、物思も無きの意、山高くて月をへだてゝ里はてらさでも、月に慰むまでもなく、夫婦相語らへば月の出來るをもまたずて、よし月はてらさでも、二人しあれば物思も無きとの義也。ならの里に行きてよめるか。又久邇の都へ一所により合ひての歌か、そのわけは考へ難し。いづれにもあれ、思ふ人と一所にありし歌とは見ゆれど、居者の二字のよみ樣にて、二人あらんことを願ふ歌にもやと聞ゆる也。二人之をらばとよみては、いまだ一所には不v居歌なるべし。前の歌も山を越から思をせしと、越來る時思をせしといふ歌とも聞ゆる也。此我せことよめるは、河内が妻をさしてよめる樣なれど、妻をせことよめるには論あることにて、※[女+夫]と妹との違より傳寫の誤りとも見ゆる故、此歌も妻の事なるべし。作者を不v擧して、夫婦よめる事集中に例格ある事也
安積親王《アサカノミコ》宴左少辨藤原八束朝臣家之日内舍人大伴宿禰家持作歌一首
1040 久方乃雨者零敷念子之屋戸爾今夜者明而將去
ひさかたの、あめのふりしく、おもふこの、やどにこよひは、あかしていなん
(186)零敷 ゆきあられならでもふりしくともよむべし。雨のしきりてすき間もなく降しきるといふ也。別の意なくよく聞えたる歌也。八束の家に遊びあかしていなんとの義也
十六年甲申
春正月五日諸卿大夫集安倍蟲麿朝臣家宴歌一首 作者未審
安倍蟲麻呂朝臣 前に注せり
1041 吾屋戸乃君松樹爾零雪乃行者不去待西將待
わがやどの、きみまつのきに、ふるゆきの、ゆきにはゆかじ、まつにしまたん
君松樹 人をまつと云かけたり。作者不v知歌なれど、主人蟲麿の歌なるべし。此歌は全體言葉の縁をとりてつゞけられたる歌、君まつの木とよみ、ふる零のゆきには行かじとよみ、また下にまつにしと、始終縁語をつゞけたる也。此一格有事也
待西 一本にかく有故記v之。普通には而の字也。しかれども上に松樹とよみ出たれば、まつにしとよみたるにてあらんと見る也。而の字なればまちつゝとよむべし。第二卷にも此下の句と同じ歌あり。そこには待ちにかとも、待ちにはともあり
同月十一日登活道岡集一株松下飲歌二首
活道岡 第三にもあり。久邇都の近所なるべし。第三にては山とよめり。點本にはいくみぢと假名をつけたり。心得難し
一株 一本の木なるべし。株はかぶとよむ
1042 一松幾代可歴流吹風乃聲之清者年深香聞
ひとつまつ、いくよかへぬる、ふくかぜの、こゑのすめるは、としふかきかも
一松 一株の松故ひとつまつともよめり。景行紀云。昔日本武尊向v東〔之歳停2尾津濱1而進食。是時解2一釼1置2於松下1遂忘而去。今到2於此1釼猶存。故歌曰。烏波利珥、多陀珥霧伽幣流、比苔菟麻菟《ヒトツマツ》、阿波例比等菟麻菟、比苔珥阿利勢磨、岐農岐勢(187)摩之遠、多知波開摩之塢〕
(187)聲之清 松風の音のさやかに聞ゆるは、老木の松のしるしかもと賞讃したる也
右一首市原王作
1043 霊剋壽者不知松之枝結情者長等曾念
たまきはる、いのちはしらず、まつがえを、むすぷこゝろは、ながくとぞおもふ
いのちは限りあるものなれば知らねども、松の千年に契りをかはして、ながかれと結ぶ也
右一首大伴宿禰家持作
傷惜寧樂京荒墟作歌三首 作者不審
1044 紅爾深染西情可母寧樂乃京師爾年之歴去倍吉
くれなゐに、ふかくそめにし、こゝろかも、ならのみやこに、としのふりぬべき
紅爾 ふかくといはん序也。かつ年のふりたるといはん爲、くれなゐとはよみ出でたり。すべて紅とよめば、大かたふりぬるといふ詞を結ぶと心得べし。此歌の意は、ならの都に深くそみし心かも、かく年月の、さのみへぬに、かやうに荒はてたる樣に心に思ふは、此ならの都に心の深くそみし故かといふ歌也。ならの都計りに、かく年のふりぬべき樣はなきにといふ意也。可母といへるは、此ふりぬべきと云止めにて味ふべし
1045 世間乎常無物跡今曾知平城京師之移徒見者
よのなかを、つねなきものと、いまぞしる、ならのみやこの、うつらふみれば
世の中の變化定めなき理りを、今ならの都のうつり替りて、さしも賑ひ榮えし帝都の荒はつるを見て、歎慨せし也。うつらふは例の延言也。るを延べたる也
(188)1046 石綱乃又變著若反青丹吉奈良乃都乎又將見鴨
いはづなの、またわかゞへり、あをによし、ならのみやこを、またもみんかも
石綱 岩に生る草也。俗にいはひばと云ふ也。檜の葉の如くにて、炎天のころ日にあひて枯萎みても、水を注けば忽ち青やぎかへりて美しきもの也。よりて石綱の若がへりとはよめり。何程かれしぼみても、跡より若やぎいき/\と生ずるもの也
歌の意はかく荒はてたりとも、うつり變る習ひなれば、石綱の生かへる如く、此ならの都も昔に立かへり、都にもならんかと也。和名抄云、本草云、絡石云々。或抄に此は蔦の事なりと云たれき、石綱とは別種ならんか
悲寧樂故京郷作歌一首并短歌
此端作りは目録と違へり。京故郷とあり。此義しかるべし。京故轉倒と見えたり
1047 八隅知之吾大王乃高敷爲日本國者皇祖乃神之御代自敷座流國爾之有者阿禮將座御子之嗣繼天下所知座跡八百萬千年矣兼而定家牟平城京師者炎乃春爾之成者春日山御笠之野邊爾櫻花木晩※[穴/干]貌鳥者間無數鳴露霜乃秋去來者射鉤山飛火賀塊丹芽乃枝乎石辛見散之狹男牡鹿者妻呼令動山見者山裳見貌石里見者里裳住吉物負之八十伴緒乃打經而思並敷者天地乃依會限萬世丹榮將往迹思煎石大宮尚矣恃有名良乃京矣新世乃事爾之有者皇之引乃眞爾眞荷春花乃遷日易村鳥乃旦立往者刺竹之大宮人能蹈平之通之道者馬裳不行人裳往莫者荒爾異類香聞
やすみしゝ、わがおほきみの、たかしける、やまとのくには、すめろぎの、かきのみよゝり、しきませる、くにゝしあれば、あれまさむ、みこのつき/”\、あめのした、しらしめませと、やほよろづ、ちとせをかねて、さだめけむ、ならのみやこは、かげろふの、はるにしなれば、かすがやま、みかさのゝべに、さくらばな、このくれがくれ、かほどりは、まなくしばなく、つゆしもの、あきさりくれ(189)ば、やつりやま、とぶひがくれに、はぎのえを、しがらみちらし、さをしかは、つまよびどよめ、やまみれば、やまもみかほし、さとみれば、さともすみよし、ものゝふの、やそとものをの、うちはへて、さとなみしけば、あめつちの、よりあはむかぎり、よろづよに、さかえゆかむと、おもひにし、おほみやすらを、たのめりし、ならのみやこを、あたらよの、ことにしあれば、すねろぎの、ひきのまに/\、はるはなの、うつろひやすく、むらどりの、あさたちゆけば、さすたけの、おほみやびとの、ふみならし、かよひしみちは、うまもゆかず、ひともゆかねば、あれにけるかも
高しける 高くしきおさめ給ふと也
炎 陽炎の義、今云糸遊の事也。かける火也。いとゆふは火ぴか/\とかける如きもの也。虫に蜻蛉と云ふものをかげろふと云ふ也。それにはあらず。この虫も飛かふ樣かける火の如くなるものから、名づけたるもの也
木晩 前の注に同じ。木末といふと同じ。春夏にかけて、木の梢茂りて暗くなる如き陰を云ふ也。木の下暗など云もこの故也
貌鳥 前に注せり。いづれの鳥といふ事不v决
射釣山 やつり山なるべし。釣は駒のあやまりと見るから、こま山とも點をなせれども、矢釣川といふ地名もあり。その上第二卷にも此まがひあり。伊駒山は河内國也。こゝは全く大和の國ならの都の事をよめるなれば、いこま山にはあるべからず。射駒山に蜂火をおかれし事、國史には不v見也
飛火賀塊 八雲に塊を隈とかゝせ給へり。是を證本とすべし。飛火はのろしの事、烽火の事也。日本紀天智紀三年に見えたり。續日本紀元明紀和銅五年正月壬〔辰、癈2河内國高安烽1、始置2高見烽及大倭國春日烽1以通2平城1也。〕亦延暦十五年山城大和兩國相共便所置2彼烽燧1
飛火 地名なるべし。烽火を置ける處なる故、その處のくまと云義也。古今集にも飛火の野守とよみたり。これは上代とぶ(190)火をおかれし野を、後に飛火野とは呼べるならんか。なれどもこゝも兎角地名也。烽火を置所は如2小山1土を高くもり上おく由也。然ればそのかげといふ義を隈とはよめるか
石辛見散之 鹿の踏しだき折伏せたる樣を云ふ也。川にゐせきにするしがらみの樣に、萩の入まじり折ふしたるを云ふ也
見貌石 見まほしの義也。前にもありし詞也
思並敷者 此句いかにとも難v解。一本思を作v里、是正本なるべし。然れば諸官人の打列りて、家居ならべしきてあればと云ふ義也。打經ては列りたるといふに同じ
大宮尚矣 頼みし大宮をも、久邇の都へ引うつされたると也。隔句體に見る也
新世乃 あたらしき世の事なればと也。その時の世をさしてほめたる詞也
皇乃引乃眞爾眞荷 この引乃と云ふ事、第十九卷にもありて、そこにはますらをの比支乃まに/\とあり。この詞古今釋違へり。これはひきゐのまゝにと云ふ義也。率ゐつれさせられてと云ふ義也。まに/\はすべらぎのみいづのまゝに、率ゐつれ給ひてといふ義也
村鳥 朝たちといはん爲の序也。朝たちゆけばは、ならの都より恭仁の都へ立ゆけば、あとは通ふ人もなく、荒はてたる事を悲みていへる也
反歌二官
1048 立易古京跡成者道之志婆草長生爾異利
たちかはり、ふるきみやこと、なりぬれば、みちのしばくさ、ながくおひにけり
1049 名付西奈良乃京之荒行者出立毎爾嘆思益
なづきにし、ならのみやこの、あれゆけば、いでたつごとに、なげきしますも
なづきにし なじみしと云に同じ。ならの都と名づけにしと云ふ意との一説有。難2心得1
(191)出立毎爾 故郷へ往來して出たつ毎に也。二首ともよく聞えたる歌也
讃久邇新京歌二首并短歌
1050 明津神吾皇之天下八島之中爾國者霜多雖有里者霜澤爾雖有山並之宜國跡川次之立合郷跡山代乃鹿背山際爾宮柱太敷奉高知爲布當乃宮者河近見湍音叙清山近見鳥賀鳴慟秋去者山裳動響爾左男鹿者妻呼令響春去者 岡邊裳繁爾巖者花開乎呼理痛※[立心偏+可]怜布當乃原甚貴大宮處諾己曾吾大王者君之隨所聞賜而刺竹乃大宮此跡定異等霜
あきつかみ、わがすめらぎの、あめのした、やしまのなかに、くにはしも、おほくあれども、さとはしも、さはにあれども、やまなみの、よろしきくにと、かはなみの、たちあふさとゝ、やましろの、かせやまのまに、みやばしら、ふとしきたてゝ、たかしらす、ふたいのみやは、かはちかみ、せおとぞきよき、やまちかみ、とりがね慟、あきされば、やまもとゞろに、さをしかは、つまよびどよめ、はるされば、をかべもしゞに、いはほには、はなさきをゝり、いとあはれ、ふたいのはらに、いとたかき、おほみやどころ、うべしこそ、わがおほきみは、きみなるから、きかしたまひて、さすたけの、おほみやこゝと、さだめせらしも
明津神 秋津州の神といふ義なるべし。あきらかなる神といふ意にはあらず。津の字を入れたるは、明の意にあらざる證也。しかれば國史の宣命等にある、明神とあめのしたしろしめすとあるも、秋津神とゝいふ義にてあるべし
八嶋之中爾 大八嶋の中也。日本國の中に也
鳥賀音慟 いたみとあれき、鳥がねどよむなるべし。若しくはさわぐとよまんか
乎呼理 をゝりとは下よりだん/\に上りたるといふ意也。をゝりはのぼりといふ詞に同じ
(192)君之隨 きみなるからとよむ。君がまゝとよみても義は同じ。君なるからみ心まゝに、萬事をきこしめされてと云義也
刺竹乃大宮 高く大なる宮といふ意にて、さす竹とほめたる也。竹はたかといふ詞也。さすは、さゝ又しぬ竹と云事とも聞ゆる也。高く大成と宮殿を讃美したる義也
反歌二首
1051 三日原布當乃野邊清見社大宮處定異等霜
みかのはら、ふたいのゝべを、清見社、おほみやどころ、さだめけらしも
三日原布當之野邊 皆山城の久邇の都の地名也
清見社 清くこそ也。清くよろしき處と定めさせ舊ふと也
一云此跡標刺 都を定め大宮をかく立て、その地をしめさせられしと也
さだめけらしも 清床宜所なればこそ、如v此都とは定めさせられたらめと也
1052 弓高來川乃湍清石百世左右神之味將往大宮所、
やまたかく、かはのせきよし、もゝよまで、かみしみゆかん、おほみやどころ
弓高來 やまたかくとよむ事心得難けれど、古點かくの如くにて、外に讀解べき義もなければ、古點にしたがふ。丘の字などの誤にて、山とよませたるか。※[山+穹、※[山/咢]、※[山+(雨/咢)]此字等の上を脱したるか。尤もゆみやま五音と同音なれども、外に用ひたる例なければ、同音通りにて書きたるとも定め難し。又高來と書きたるも不審なれど、下の河の瀬清しにも石の字を添へたれば、たかくとよませたること明也
神之味 神は天皇をさして稱し奉る也。之味はしげりといふ義にて、榮えまさんと云ふ義也。諸抄にしみはさびと同事といへり。音通じてもさにはなりがたし。第一巻藤原御井を詠ぜる歌に、春山之美佐備とよみたり。然ればしみとさびとは一義也。しみはしげり榮ゆるの義、さびは物ふりたる義を云ふ也
(193)1053 吾皇神乃命乃高所知布當乃宮者百樹成山者木高之落多藝都湍音毛清之※[(貝+貝)/鳥]乃來鳴春部者巖者山下耀錦成花咲乎呼里左壯鹿乃妻呼秋者天霧合之具禮乎疾狹丹頬歴黄葉散乍八千年爾安禮衝之乍天下所知食跡百代爾母不可易大宮處
わがきみの、かみのみことの、たかしらす、ふたいのみやは、もゝきなす、やまはこだかし、おちたぎつ、せおともきよし、うぐひすの、きなくはるべは、いほほには、やましたひかり、にしきなす、はなさきをゝり、さをしかの、つまよぶあきは、くもりあふ、しぐれをはやみ、さにつらふ、もみぢちりつゝ、やちとせに、あれつきしつゝ、あめのした、しらしめさむと、もゝよにも、かはるべからぬ、おほみやどころ
わがきみのかみの命 天皇をさし奉る也
百木成 百千の木の榮ゆるごとくと云ふ義也。山のしげりたるを云ふ也
花咲乎呼里 すべて山は麓より花咲き、だん/\に奧の峯々と咲上るもの也
天霧合 宗師傳は此字格皆曇るとよむ也
之具禮乎疾 しぐれをはやみ、秋はしぐれにてそめ/\しもみぢもちりつゝと、春秋のかはる/”\年をへる事をいへり
狹丹頬歴 さにほへるは色のこと也。さは初語にて、にほへる紅葉とは赤くてりたるといふ義也
安禮衝 生次也。あれつきまして幾代も不v令v絶天子の日つぎのつゞかせられて、天の下をしろしめさん大宮所と奉2祝參賛1也
反歌五首
1054 泉川往瀬乃水之絶者許曾大宮地遷往目
(194)いづみかは、ゆくせのみづの、たえばこそ、おほみやどころ、うつりもゆかめ
1055 布當山山並見者百代爾毛不可易大宮處
ふたいやま、やまなみゝれば、もゝよにも、かはるべからず、おほみやどころ
1056 ※[女+感]嬬等之續麻繋云鹿背之山時之往者京師跡成宿
をとめらが、うみをかくちふ、かせの山、ときにしゆけば、みやことなりぬ
右三首ともよくきこえて不v及v釋歌也。うみをかくかせとうけてよみたり。延喜式大神宮式云。〔金銅多々利二基、金銅麻笥二合〕金銅賀世比〔二枚、又同式に※[木+峠の旁]の字もかけり〕
1057 鹿背之山樹立矣繁三朝不去寸鳴響爲※[(貝+貝)/鳥]之音
かせのやま、こだちをしげみ、あさゝらず、きなきどよます、うぐひすのこゑ
1058 狛山爾鳴霍公鳥泉河渡乎遠見此間爾不通【一云渡遠哉不通有武】
こまやまに、なくほとゝぎす、いづみかは、わたりをとほみ、こゝにかよはず
狛山相樂郡にあり。和名抄第五國郡部云、相樂郡大狛、下狛【之毛都古末】此貳ケ所の内狛山なるべし。泉川を隔てたる故、久邇都へはわたりを遠みとよめるなるべし。こゝに通はぬはくにの京へ不v來とのことなるべし。泉川も同郡也
春日悲傷三香原荒墟作歌一首并短歌
荒墟 節一卷に注せり。續日本紀卷第十五聖武紀云、天平六年正月丙申朔〔二月乙末遣2少納言從五位上茨田王子恭仁宮1〕取2驛鈴内外印1、又遣2〔諸司及朝集使等於難波宮1〕庚申、〔左大臣宣v勅云〕今以2難波宮1定爲2皇都1、宜知〔此城京戸百姓、任意往來〕
1059 三香原久邇乃京師者山高河之瀬清在吉迹人者雖云在吉跡吾者雖念故去之里爾四有者國見跡人毛(195)不通里見者家裳荒有波之異耶如此在家留可三諸著鹿背山際爾開花之色目列敷百鳥之音名束敷在果石住吉里乃荒榮苦惜哭
みかのはら、くにのみやこは、やまたかみ、かはのせきよし、ありよしと、ひとはいへども、ありよしと、われはおもへど、ふりゆきし、さとにしあれば、くにみれど、ひともかよはず、さとみれば、いへもあれたり、はしけやし、かくありけるか、みもろつく、かせやまのまに、さくはなの、いろめづらしく、もゝどりの、こゑなつかしく、ありはてし、すみよしのさとの、あれらくをしも
故去之 ふりゆきし也。ふるされしとはいかゞ。ふるされしとはよまんか。古くなりしといふ義也
波之異耶 はしけやし也。こゝにてはほめたる詞とは不v聞、哀なるかたに聞ゆる也。嘆息の詞故兩方へ通ふか
三諸著鹿脊山際爾 みもろつくかと請けたるは、みもろは神もり也。神社を築くといふ義にて、神とうけたる也。かみの一語にうけたる義也。冠辭を一語にうける例いくらもあり。一語に不v請ばならぬ歌共證例集中に多し。已にとりがなくあづまと云もあと計うけたる義也。しながどりゐとうけたる義、又あとうけたる詞もあり。これはみさごの義に付て、日本紀の由來よりあはとうけたるといふ説あれど、これも附會の説也。しなが鳥あつまると云義にて、あと計うけたるとも聞ゆる也。先このみもろつく、かとうけたるは、神社築神と云ふ義のうけと見るべし。一語にうける冠辭の語集中數多也。第八の歌、たまくしげあしきの河をけふ見ればよろづ代までにわすられんたゞ、この玉くしげあしとつゞけたるも、あしと云あの一語にうけたる也
在果石 ありはてし也。杲に誤るを正本と心得、ありかほしといふ點あれど杲は果の誤也。下に住吉里のとあれば、ありはてし昔ありたりし、住よき里のあれたるをかなしめる歌也
反歌三首
(196)1060 三香原久邇乃京者荒去家里大宮人乃遷去禮者
みかのはら、くにのみやこは、あれにけり、おほみやびとの、うつりいぬれば
1061 咲花乃色者不易百石城乃大宮人叙立易去流
さくはなの、いろはかはらず、もゝしきの、おほみやびとぞ、たちかへりぬる
右二首ともよく聞えたる歌也
難波宮作歌一首并短歌
1062 安見知之吾大王乃在通名庭乃宮者不知魚取海片就而玉拾濱邊乎近見朝羽振浪之聲※[足+參]夕薙丹擢合之聲所聆暁之寐覺爾聞者海石之鹽干乃共納渚爾波千鳥妻呼葭部爾波鶴鳴動視人乃語丹爲者聞人之視卷欲爲御食向味原宮者雖見不飽香聞
やすみしゝ、わがおほきみの、ありかよふ、なにはのみやは、いさなとり、うみかたづきて、たまひろふ、はまべをちかみ、あさはふり、なみのおとさわぎ、ゆふなぎに、かゞひのおときこゆ、あかつきの、ねざめにきけば、うないしの、しほひなるから、納渚には、ちどりつまよび、あしべには、たづがねどよみ、みるひとの、かたりにすれば、きくひとの、みまくほりして、みけものゝ、あぢふのみやは、みれどあかぬかも
海片就 俗に云ふかたよりてと同じ。磯邊のかたにつきての意なり。山かたづき谷かたづきてなどよめる、必竟海邊にかたよりて也。乃ち玉ひらふ濱邊とある下の詞へ通也。濱邊にかたよりて玉を拾ふと也
あさはふり 第二巻に注せる如く、磯ぶりなどといひて風のことなり。朝風の吹によりて浪の音のさわぐと也
(197)擢合之聲 これはかゞひの音と點をつけたり。第九巻※[女+耀の旁]歌會と云ことありて、その所の左注に東俗辭に賀我比と注せり。しかるに此にまたかゞひと點をなせること、擢は※[女+耀の旁]の誤りと見てよめるか。心得がたし。かゞひとは卑しきものゝ云來りたれど、それはつくば根のかゞひの事より云たるならんか。此の釋には叶ふべくもあらず。擢合はかぢとよむべきか。又さをとよまんか。兩義の内なるべし。
後考、文選左太仲魏都賦曰、或|明發而《アケホノマデニ》※[女+耀の旁]歌或浮泳而卒歳云々。※[女+耀の旁]歌は□《不明》にかけ合うて歌ふもの故、今船うたなどの如くうたへることを、※[女+耀の旁]を擢に誤りてかけるか。音通じて用ふるか。合といふ字かぢさをの義に少叶ひ難し
海石之鹽 海中の石の事か、また地名か。あまいしといふ點は心得難し。うないしとよまんか
乃共 なるからとよむべきか。しほひと共の意也。ひとつ事といふ義なり。むたと云ふ詞もあれど、語の釋しかと不v決也
納渚 此二字心得難し。尤も入江といふ事あるからかくよませたるか。語例句例あらば、納の字のまゝにてもあるべし
御食向 向は前に注せる物の字ならんかし
味原宮 鳥魚の名なる故、みけものゝあぢふとうけたる也。あぢふは前にもあり
歌の意は難波の宮を讃美したる也
反歌二首
1063 有通難波乃宮者海近見漁童女等之乘船所見
ありかよふ、なにはのみやは、うみちかみ、あまをとめらが、のれるふねみゆ
有通 前にもありて難波の宮へみゆきなりて、諸官人の往來通ふ宮といふ義をこめて、存在してある當前現在のみやといふ義也。聞えたる歌也
1064 鹽干者葦邊爾※[足+參]白鶴乃妻呼音者宮毛動響二
しほひれば、あしべにさわぐ、あしたづの、つまよぶこゑは、みやもとゞろに
(198)白鶴 これをあしたづとよむこと所以未v考。馬の毛づけをいふに葦毛馬といふは、足の白馬をいふと覺えたり。定而此由來あるべき事也。二頸ともよく聞えたる歌也
過敏馬浦時作歌一首并短歌
みぬめのうらをすぐるときつくるうたひとぐさならびにみじかうた
此浦のこと前に毎度注せり
1065 八千桙之神之御世自百船之泊停跡八島國百船純乃走而師三犬女乃浦者朝風爾浦浪左和寸夕浪爾玉藻者來依白沙清濱部者去還雖見不飽諾石社見人毎爾語嗣偲家良思吉百世歴而所偲將徃清白濱
やちほこの、かみのみよゝり、もゝふねの、はつるとまりと、やしまぐに、もゝふなかみの、さだめてし、みぬめのうらは、あさかぜに、うらなみさわぎ、ゆふなみに、たまもはきよる、しらまなご、きよきはまべは、ゆきかへり、みれどもあかず、うべしこそ、みるひとごとに、かたりつぎ、しのびけらしき、もゝよへて、しのばれゆかむ、きよきしらはま
八千桙之神 大己貴命の事也。日本紀神代上卷云、〔大國主神亦名大物主神、亦號2國作大己貴命1、亦曰2葦原醜男1亦曰2八千戈神1、云々〕
百船純 もゝふなびとゝよむこと心得難し。純一といふ字注の意をもて、一はひとつとよむ故ひとゝはよみたるか。前にも注せり。神とよむ義は精也といふ字義あり。又神の字の注に純也とありしと覺えたり。然れば船の神の定めしと云ふ義也。日本國の船の神の此みぬめの浦を泊り處と定めてしと也
清白濱 清き白濱と、みぬめの浦をほめたる歌也
反歌二首
(199)1066 眞十鏡見宿女乃浦者百船過而可往濱有七國
ますかゞみ、みぬめのうらは、もゝぶねの、すぎてゆくべき、はまならなくに
眞十鏡 まそかゞみ、みと一語にうけたる也。不v見に請けたるにはあらず、これら一語に請たるの證也。すぎて不v往は、此處の景色もよき濱故、百船の船も皆此濱に泊ると所をほめたる也
1067 濱清浦愛見神世自千船湊大和太乃濱
はまきよみ、うらうつくしみ、かみよゝり、ちぶねのとまる、おほわだの濱
浦愛見 浦うつくしみはよき浦故、諸人の愛する處といふ意なるべし。なつかしみともよめり。意は同じ。然れどもなつかしとよめる例心得難し
神世より 今にはじめぬ事にて、遠き昔より千船百船のよりあつまる義をかねて、みぬめの浦を讃美したる詞の縁に、かく大わだの濱とはよみ出て、則大わた地名也。播磨にも攝津國にもよめる也。同名異所なるべし
湊 みなとゝよむ字也。然れども和名抄にも説文を引きて、水上入所v會也とあり。此字義によりてとまるとはよませたらんか。契沖抄には泊と書きて、和名集云、〔唐韻云、泊、傍各反、和名〕度末利也。と記したり。通例印本和名抄には不v見、心得難し。さて泊の字も通例の萬葉集には湊の字なり。契沖所持の本は泊の字に作りしか。不審也
右二十一首田邊福麿之歌集中出也
これは古注者福麿の家集を所見したると見えたり。福麿自作か、いづれとも知れ難し。悲傷寧樂京郷作歌と云より廿一首也
田邊福麻呂 雄略紀河内國飛鳥戸郡人田邊史伯孫。聖武紀云。天平十一年四月〔正六位上〕田邊史難波〔授2外從五位下1。〕此難波の子なるべし。越中守なりし時、諸兄公使に被v遣しことあり
萬葉集童蒙抄 卷第十五 終
(200)第六卷難解歌 (校訂者補)
916 茜刺日不並二〔四字傍点〕吾戀吉野之河乃霧丹立乍
925 烏玉之夜乃深去者久木生留〔四字傍点〕清河原爾知鳥數鳴
久木別訓あらんか
931 鯨魚取 云々 益|敷布〔二字傍点〕《しく/”\と読むべし》爾月二里二月日〔六字傍点〕《・十七卷の歌を證とす》雖見今耳二
卷第十七の歌云、夜麻未枳波比爾比爾佐伎奴宇流波之等安我毛布伎美波思久思久於毛保由
942 味澤相妹目不數見而〔九字傍点〕 云々
卷第九哀弟死去長歌云、春鳥能啼耳鳴乍味澤相〔三字傍点〕霄晝不云 云々
948 眞葛延〔三字傍点〕春日之山者打靡 云々
まくずはふかすがとつゞく事
(201)八十友能壯者折木《不イ》四哭之來繼皆石此續〔折木〜傍点〕常丹有脊者 云々
976 難波方潮干乃奈凝委曲〔二字傍点〕見在家妹之待將問多米
986 愛也思不遠里〔三字傍点〕乃君來跡大能備爾鴨〔五字傍点〕月之照有
997 住吉乃粉濱之四時○《美》開藻不見隱耳哉〔粉濱〜傍点〕戀度南
999 從千沼回雨曾零來四八津之泉郎網手綱〔三字傍点〕乾有沾將堪香聞
1015 玉敷而待益欲利者多鷄蘇香仁〔五字傍点〕來有今夜四樂祈念
1030 妹爾戀吾〔四字傍点〕乃松原見渡者潮干乃潟爾多頭鳴渡
1047 八十件緒乃打經而思《里イ》並敷者〔四字傍点〕天地乃 云々
(202)1062 前略 潮羽根浪之聲※[足+參]夕薙丹擢合之聲〔七字傍点〕所聆 中略 寢覺爾聞者海石〔二字傍点〕之鹽干乃共納渚〔四字傍点〕爾波 云々
1067 濱清浦愛〔傍点〕見神世自千湊〔傍点〕大和太乃濱
萬葉童蒙抄 本集卷第六終
(203)萬葉集卷第七
雜謌
詠天一首 詠月十八首
詠雲三首 詠雨二首
詠山七首 詠岳一首
詠河十六首 詠露一首
詠花一首 詠葉二首
詠蘿一首 詠草一首
詠鳥三首 思故郷二首
詠井二首 詠倭琴一首
芳野作歌五首 山背作歌五首
攝津作歌二十一首 覊旅作歌九十首
問答歌四首 臨時作歌十二首
就所發思三首 寄物發思一首
(204) 行路歌一首 旋頭歌二十四首
譬喩歌
寄衣八首 寄絲一首
寄和琴一首 寄月二首
寄玉十六首 寄山五首
寄木八首 寄草十七首
寄花七首 寄稻一首
寄鳥一首 寄獣一首
寄雲一首 寄雷一首
寄雨二首 寄月四首
寄赤土一首 寄神二首
寄河七首 寄埋木一首
寄海九首 寄浦沙二首
寄藻四首 寄船五首
旋頭歌一首
(205)挽歌
雜挽十二首 或本歌一首
※[羈の馬が奇]旅歌一首
(206)萬葉童蒙抄 卷第十六
雜歌
1068 天海丹雲之波立月船星之林丹榜隱所見
そらのうみに、くものなみたち、つきのふね、ほしのはやしに、こぎかくるみゆ
印本諸抄共にあめのうみにと假名あれど、語呂のつゞき、空の方聞きよければ、義は同じき故、空とは讀む也
月船星之林 星のあまた空にかゝれる景色をいへる也。全體の句作り、天象のものを以て、能いひおほせたる歌也。懷風に、文武天皇月詩御製に、月舟〔移2霧渚1、楓※[楫+戈]泛2雲濱1。〕拾遺には、此歌の下をこぎかへる見ゆと有。隱の字かへるとは讀み難し。若しくはかくるのくの字、へと紛れ易きを讀み誤りしか
右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
如v此あるより、集に皆人麻呂の歌にして被v載し也。然れども慥に人麻呂の歌と作者を不v記ば、决し難きこと也。されど先此左注をより處にして人麿と云ひ傳る也
詠月
1069 常者曾不念物乎此月之過匿卷惜夕香裳
つねはさも、おもはぬものを、この月の、すぎかくれまく、をしき宵かも
曾 そをのべてさも也。常にはさほどにも思はぬに、この月のとよめるは、その時の夜のおもしろくさやかなる景色をよめると聞えたり。よく聞えたる歌なり
1070 大夫之弓上振起借高之野邊副清照月夜可聞
(207)ますらをの、ゆずゑふりおこし、かるたかの、のべさへきよく、てる月夜かも
大夫 當集には皆この二字をかきて、ますらをとよませたり。遊仙窟にもこの二字をよめり。第一第二の句は第三の句を起す迄の縁也。借高の野邊のさやかなる月の景色をよめる歌にて、その借高の野をいひ出ん爲に、上に段々と序詞を据ゑたる也。
弓上振起 日本紀神代上卷にこの詞出たり。第三巻にも笠金村歌に見えたり。
借高の野邊 大和に有。弓※[弓+肅]をふりたてゝ獵をすると云義を云かけたる迄也。此の句意はなき也。然れ共古詠の格皆かくの如し。上古の歌はたゞ淺く輕き趣向也
1071 山末爾不知夜歴月乎將出香登待乍居爾與曾降家類
やまのはに、いさよふ月を、いでんかと、まちつゝをるに、夜ぞふけにける
第六卷に黒麿の歌にも此上句有。いさまふとは欲2月出1の意にて、やがて出べき月のおそき義也。十六夜の月をいさよひの月と云も此の意也
1072 明日之夕將照月夜者片因爾今夜爾因而夜長有
あすのよひ、てらん月夜は、かたよりに、こよひによりて、よひのながかれ
夕 印本點本に、よもと點をなせり。意は同じからんか。然れ共夕と云字は大方よひとよみたり。宵も夜のことなれど、今曉と宵との差別を云時は、宵と夜とは少し差別あれば先づ宵とはよめり。その上下の詞ともによひと讀みたれば、こゝも宵とよまん爲に夕の字をかきたるか。歌の意は今夜の隈なくさやかなる面白さに、明なん事の惜まれて、あすの夜ものべ續けて今夜の永かれと月の夜を賞したる也。前の歌に五百夜つげこせとよめる意に同じ
夜長有 これも夜半の長かれ共よむべきか。夜も宵も同じ事なれば、何れにても意にたがふことなし
1073 玉垂之小簾之間通獨居而見驗無暮月夜鴨
(208)たまだれの、をすのまとほし、ひとりゐて、みるしるしなみ、ゆふづくよかも
小簾之間通 印本點本皆こすとあれど大成誤也。玉だれの緒とうけたる義也。前に委敷注せり。間通は月影のをすの隙間を光の通り照らせるを、われ獨り見ることの面白からぬと也。見るしるしなきとは心も慰まぬとの義也。小簾ごしに見る故見る甲斐もなきと云ふ意も有か
1074 春日山押而照有此月者妹之庭母清有家里
かすが山、なべてゝらせる、この月は、いもが庭にも、さやけかりけり
押而 集中におしてとよみ、臨の字をもおしてる月と云てよませたり。然れ共此の歌におしてと云ては義六ケ敷也。おしなべての意なれ共やはりなべてとよむべし。義は言葉の通にて何方もなべて照せる月なればと云意也。拾穂抄には、春日山を越來て妹が庭にみれば、同じく月のさやかに照るを見たるにてあらんとの推量の説也。さなく共何方迄もなべて照せる月なれば、春日に見る月影も、妹が庭にて見るも共に明かなるとの義なるべし
家里 此の里の字、武の字などの誤にはあるまじきか。けりと云ては、妹が方にて見たると決したる歌に見る也。武の字ならば思ひやりたる歌とも見る也
1075 海原之道遠鴨月讀明少夜者更下乍
うなばらの、みちとほみかも、つきよみの、ひかりすくなき、夜はふけにつゝ
海原之 國のはては海なり。日月は海より出させ給ふ樣なれば、月の出來る道の遠きかもと也。團々離2海境1と云意にて、月の出來る東のはては海原なれば道遠みかもと也。月を詠る程なきを光すくなくと也
1076 百師木之大宮人之退出而遊今夜之月清左
もゝしきの、大みやびとの、たちいでゝ、あそぶこよひの、月のさやけさ
よくきこえたる歌也。退出は立出てとよむべし
(209)1077 夜干玉之夜渡月乎將留爾西山邊爾塞毛有糠毛
ぬばたまの、よわたるつきを、とゞめんに、にしのやまべに、せきもあらぬかも
月の更行くを惜みて、入なん山に關もなきと也
1078 此月之此間來者且今跡香毛妹之出立待乍將有
この月の、かくゝもりなぼ、こんとかも、いもがいでたち、まちつゝあらん
かく 如v此の意歟
此間來者 此よみ樣印本點本には色々によみたり。先通例はこのまにくればと木の間をよせてよみたり。又一説にはこゝに來ぬればとよませたり。諸抄の説木間に月すぎくれば、此の光につれ、わが來んかと妹が待らんとの義也
且今跡香毛 これを點本諸抄物皆伊麻とかもとよみて、今やと妹が待らんとの釋也。第二卷に人麿の妻の歌に、且今日且今日と書きて、けふけふとわが待君云々とよませて、決定して不v來や來や難v知ことに且の字を加へたるとの説也。此歌も今とかもといひて治定せぬこと故、且今と書きたると也。然れども妹とかもと云詞つまりたる詞也。よりて宗師よみとき樣は間來は隔て來ると書たればくもりと讀べし。此といふ字もかくとよみて、且今の字もこんとかもとよむ也。はねる詞は上に書事和書の格例此集中の例格也。且の字たん音なれば上へかへりてはねる也。よりてこんとかもとよむ也。此間來を義訓によむ也
歌の意は此の月のかく曇りたる夜は、忍びてわがこんかと妹の待にてあらんとよめる事也。點本の通にてもあるべけれど、歌の詞安らかならず。義も通じ難し。よりてかくはよめる也。此間來、且今の字外に別訓あらんか。此間、下の歌にも木間とよみたればこのまとよまんか
1079 眞寸鏡可照月乎白妙乃雲香隱流天津霧鴨
ますかゞみ、てるべきつきを、しろたへの、くもかゝくせる、あまつきりかも
(210)1080 久方乃天照月者神代爾加出反等六年者經去乍
ひさかたの、あまてるつきは、かみよにか、いでかへるらん、としはへにつゝ
久方 文字の通久しき方也。此の歌の意にもよく叶へり。萬古不易に幾萬歳ふりし月かもしらね共、不v變とこしなへに空天にかゝらせ給ふは、神代の昔に立歸り/\まして出給ふか、幾年ふれ共光り不v變と賞讃し奉りし歌也。神代の昔日神月神の神多ましますから、今日迄もかく照させ給ふかとなり。神代上卷、次生2月神1、〔一書云云々其光彩亞v日、可2以配v日而治1、故亦送2之于天1〕
1081 烏玉之夜渡月乎※[立心偏+可]怜吾居袖爾露曾置爾鷄類
ぬばたまの、よわたる月を、あはれみて、わがをるそでに、つゆぞおきにける
※[立心偏+可]怜 あはれみては面白くもてあそぶ意也。歎くと云もあはれむと云も二義ありて、こゝは面白き事をあはれみてとよめる也。月を面白く見て居る内に、いつともなくおもほえず袖に露の置しと也
1082 水底之玉障清可見裳照月夜鴨夜之深去者
みなそこの、たまさへきよく、見るべくも、てる月よかも、よのふけゆけば
玉さへは玉も也。王も清らにあらはれ見えぬべき程に、夜のふけ行に隨ひ月のさやかなる景色をよめり。風冷かに雲霧も晴れて、水邊など月深更さやかなる夜のすみ行景色をよみあらはせり
1083 霜雲入爲登爾可將有久竪之夜度月乃不見念者
しもぐもり、すとにかあらん、ひさかたの、よわたるつきの、みえぬおもへば
霜雲入 霜のいたく降りてその日必ず曇る事有。俗に霜をるゝ、霜をれたると云こと有。これも夕霜など強くおりて空の曇りたるを云なるべし。又霜のいたく降らんとて、嵐などはげしく吹立て曇ることもあれば、その折を云けるにや。兎角霜に(211)よりて曇れるをいへる義と見えたり不見念者 空曇りて月影の見えぬを思へば、霜曇りをするとやあらんと也。上下の句に少つまりたる詞ある也。古詠善惡を不v撰して被v集たる此集なればか
1084 山末爾不知夜經月乎何時母吾待將座夜者深去乍
やまのはに、いさよふつきを、いつとかも、わがまちをらむ、よはふけにつゝ
何時母 出る月をいつとかも待と也
1085 妹之當吾袖將振木間從出來月爾雲莫棚引
いもがあたり、わがそでふらん、このまより、いでくるつきに、くもなたなびきそ
いもがあたりわがそでふらん、妹があたりに行て袖振はへんと也。行振舞んと云意主聞えたり。月明ければ月に興じて妹があたりへ行かんとの義也。この歌にも木間と詠たれば、上の此間も同事の意ならんか
1086 靱懸流伴雄廣伎大伴爾國將榮常月者照良思
ゆきかくる、とものをひろき、おほともに、くにさかえんと、つきはてるらし
靱 武士背に負かけるものにて矢盛器也。前にも注せる如く、神代紀下卷、〔于時大伴連遠祖天忍日命帥2來目部遠祖天※[木+患]津大來目1、背負2天磐靱1云々。〕延書式〔第八、六月晦大〕祓祝詞にも、〔天皇朝廷爾仕奉留比禮挂伴男、手襁挂伴男、靱負件男、劍佩伴男、伴男能八十件男乎始※[氏/一]云々〕
伴雄 伴氏のをのこらと云義、又緒部の靱をかける緒と云意をもうけたり。伴のをとは諸々の氏人を云也。必竟下の大伴と云詞の縁に詠出たる也。八十伴のをと、諸氏の廣きと云意にて大伴とは請たり
大伴爾 大伴氏をさしてさて地名をいへる也。攝津國に大伴のみつと云地名有。其地名を云たるもの也。さなくては大伴に月の照るらしとはいはれぬ事也。國榮んとは其所の榮えんと云義に、大伴氏の榮えん事をかねて祝したる也。大伴氏の廣く(212)繁榮せんとてかく月の照るらしと也。大伴に國榮えんとあれば、兎角大伴は地名を云たるもの也
詠雲
1087 痛足河河浪立奴卷目之由槻我高仁雲居立有良志
あなしがは、かはなみたちぬ、まきもくの、ゆつきがたけに、くもたてるらし
あなしがは 大和の地名風の吹をもあなしと云事有か。あなし河をよみ出たるは何とぞ縁を求めたる事あらんか。但し由槻がたけより流るゝ河故よみ出たるか。又は河波立ぬと云かち、あなしは風の強く吹事をも云故詠出たる歟
河波立奴 夕立時雨抔にて水まして浪の立と云意か。下の雲居たるらしとは、由槻がたけに雲のあれば、雨など降ためし有をもてかくよめるならん。今もそこの峯に雲かゝれば、必ず雨降風立事抔有に同じ理りならん
雲居立有良 これを雲たてるらんとよませたれど心得難し。立の字は出の字而の字などの誤りたるか。又有の字都の字を誤れるか。下になみくら山に雲居者ともよめり。然れば出而の誤りならば雲ゐたるらし也
1088 足引之山河之瀬之響苗爾弓月高雲立渡
あしひきの、やまかはのせの、なるなへに、ゆづきがたけに、くもたちわたる
此歌も、水上雨ふりて山河の瀬音のするは理りかな。うべも弓月がたけに雲こそ立渡ると也。たけに雲の立渡るは水上雨ふりたると云の意也
右二首柿本朝臣人麿之歌集出
1089 大海爾島毛不在爾海原絶塔浪爾立有白雲
おほうみに、しまもあらなくに、うなばらの、たゆたふなみに、たてるしらくも
島もあらなくに 嶋なければ雲の立べきにあらず。雲は山よりか嶋よりか地より立もの也。よりて島もなきにと也。たゆた(213)ふはいづ方へも片寄らず。漂ひたる事を云也
立有白雲 これは波を雲と見立たる歌也。島もなきに雲の立べき樣なきに、立つはたゆたふ波也と云義也。童蒙抄には島もなけれど天の原とよみ、波に雲立つとよめり。萬葉をとくと見ざるか
右一首伊勢從駕作 いつのみゆきとも不v知。漠としたる左注也
詠雨
1090 吾妹子之赤裳裙之將染※[泥/土]今日之※[雨/脉]※[雨/沐]爾吾共所沾者
わきもこが、あかものすその、そめひぢん、けふのこさめに、われもぬるれば
者 一本名に作れり。いづれか是ならん。此歌は奧の歌と相通じて聞ゆる歌也。色々の點有て一決し難き歌也。通例には者の字ながら點にはわれとぬれぬなど有。又一點われとぬらすなと有。又われもぬれぬなどよめり。然れば名の字正本ならんか。此の一字にて歌の意決し難し。宗師案は次の歌と相通じて聞えたる歌と見る也。次の歌に、わきも子がかたみの衣われ下にきたりとよみたれば、この歌も形見の衣をきてこさめにぬるれば、わきも子の赤もの裾の色にわれ染ぬれんと詠たる歌ときく也
者の字、名の誤りならば此意不v合也。名の字ならば、たゞ何となく妹の赤もの裾もぬれむ小雨に、われもぬれめなど淺く輕き意の歌と見るべし。然者染ひぢんはしみひぢん共讀べし。泥などのしみぬれむの意なるべし
※[雨/脉]※[雨/沐]《マクモク》 小雨也。和名鈔云、〔兼名苑云、細雨一名※[雨/脉]※[雨/沐]、小雨也。麥木二音和名古左米
1091 可融雨者莫零吾妹子之形見之服吾下爾著有
とほるべき、あめはなふりそ、わきもこが、かたみのころも、われしたにきたり
妹が衣のぬれなんことを厭ひて詠る意、妹を思慕ふ心の不v淺義をよそへたり。前の歌の餘意と聞ゆる也。集中兩首相通はして聞ゆる歌何程も有
(214)詠山
1092 動神之音耳聞卷向之檜原山乎今日見鶴鴨
なるかみの、おとにのみきく、まきもくの、ひはらのやまを、けふみつるかも
動神 雷鳴すれば響き動くものなれば、義をもて書けり。音といはん迄の序也。能聞えたる歌也
1093 三毛侶之其山奈美爾兒等手乎卷向山者繼之宜霜
みもろの、そのやまなみに、こらがてを、まきもくやまは、つぎてしげしも
三毛侶之 これをみもろなると五言にも又四言にもよむ也。之の字なるとよめること集中多し
その山なみ そのとはみもろ山をさして也。山なみは山つゞき也。こらが手をは、わきも子の手を也。まきといはん爲の序也。手を卷とは枕としてぬる事をいへり。卷向山をほめて三諸山に續きて繁茂し宜しき山と也。つぎしよろしもと點をなせれど、宗師はしげしとよみて、よろしき事は不v顯して詞にこめたり。妹が手をまく事のよろしきと云意をもこめて、よろしもともよまんか。好所に從ふべし
1094 我衣色服染味酒三室山葉黄葉爲在
わがきぬも、いろづきそめね、うまさけの、みむろのやまの、もみぢしたるに
紅葉に飽かずなれそむるから、わが衣も色付と也。紅葉を愛する心の深き義をいへり
右三首柿本朝臣人麿之歌集出
1095 三諸就三輪山見者隱口乃始瀬之檜原所念鴨
みもろなる、みわやまみれば、こもりくの、はつせのひはら、おもほゆるかも
三諸に有るみわ山也。六巻目の歌にみもろつくかせ山とよめる歌有から、或抄には是もつくとよみて社を築く義に釋せり。
(215)心得難し。前の歌はみもろ付かせ山とよみて神と請たる事也。こゝは毎度三室のみわとよみ、みもろなるみわとよめる歌共もあれば、なるとよむべし。みわ山から初瀬の檜原近ければ、みわの檜原を見て初瀬の檜原を思ひやるなるべし。兩方の檜原を賞したる歌也
1096 昔者之事波不知乎我見而毛久成奴天之香具山
いにしへの、ことはしらぬを、われみても、ひさしくなりぬ、あまのかぐやま
そのかみ神代の遠き昔の事は知らねども、現在にわれ見ても久敷と也。古今集の、われみても久しくの歌も、此歌より住の江の松に詠合せたると見えたり
1097 吾勢子乎乞許世山登人者雖云君毛不來益山之名爾有之
わがせこを、こちこせ山と、ひとはいへど、せこもきまさぬ、山のなゝらし
乞 こちへ來せと云かけたる也。こちこせ山といへどせこが來らねば名のみの山と也。許世山と云は大和也。乞は云かけたる詞也。類字名所抄には近州比叡の山の内に有と記せり。大和の許世山をよめるとて乞と云詞をそへたる也。此前後の歌皆大和なれば大和に有べし
君 せことよむ事前に注しぬ。許世山をよめる詞の縁にせことはよむ也。女の歌と見る也
1098 木道爾社妹山在云三櫛上二上山母妹許曾有來
きぢにこそ、いもやまありといへ、みくしげの、ふたかみやまも、いもこそありけれ
木道 紀のぢの事也。妹背山有といへど也
串上 一本三櫛上と有を正本とす。みくしげとよむはあげのけをとれり。くし筥の蓋と請たる也。葛城のとよめること、くしあげると書たるを、葛城とは義訓心得難し。みくしげは下の二上山をいはん爲の序詞のうけ也。くしげとよめるにて二上山とはうけたり。又みくしげとよめるから、下に妹こそありけれとはよみて、此の二上山も峯二つに別れて相對して有山故か(216)くよめるならん
詠岳
1099 片崗之此向峯椎蒔者今年夏之陰爾將比疑l
かたをかの、このむかつをに、しひまかば、ことしのなつの、かげにならんか
將比疑 成んか也。比はならぶとよむ故訓の二語をかりて也。疑はうたがふと讀字故可とよむ也。可は未決詞也。比を並といふ意と釋せるは不v可v然。唯椎は茂りやすき物故、椎を蒔かば生出て夏をも凌ぐ陰になるべきかと也。別に意ある歌とも不v聞也
詠河
1100 卷向之病足之川由往水之絶事無又反將見
まきもくの、あなしのかはゆ、ゆくみづの、たゆることなく、またかへりみむ
卷向 むくと云字をもくとよませたり。まみむめも通音古語は皆かく通じ用たり。卷目ともかけり。然ればもくと云が本名と聞えたり
河由 河よりと云意にも聞ゆれど、こゝは、に、をと云べきてにはなるに、此由の字心得難し。由とよみて爾と云ふ詞に通ふ例可v考
1101 黒玉之夜去來者卷向之川音高之母荒足鴨疾
ぬばたまの、よるさりくれば、まきもくの、かはとたかしも、あらしかもとき
去來者 夜になりくれば也。川音、かはとゝよむべし
疾 はげしき意也。川音の高きは嵐かも疾く吹てはげしきかと也
(217)右二首柿本朝臣人麿之歌集出
1102 大王之御笠山之帶爾爲流細谷川之音乃清也
おほきみの、みかさのやまの、おびにせる、ほそだにがはの、おとのさやけさ
大王之 みかさの山をよまんとての序也
おびにせる 山の腰をめぐれる谷川抔いへる也。帶の腰を纏へる如くなるに喩へていへる也。此集中に毎度帶にせるとよめる歌有。史記の賛約の文にも、河は帶の如く抔いへることあり
清也 さやけさ也。さやけしやと云詞を約して也。しかる也は者也と續きて語決の字語終の字故、さやけさとは決定したる詞故、也の芋を書きてさとよませりとの説有。約言に心付かざるか
1103 今數者見目屋跡念之三芳野之大川余杼乎今日見鶴鴨
いましかば、みめやとおもひし、みよしのゝ、おほかはよどを、けふみつるかも
今敷者 存在してありたらばの意、座しゝかばの意也。印點に、いましくはとよませたるも其意なるべけれど少叶ひ難し
1104 馬並而三芳野河乎欲見打越來而曾瀧爾遊鶴
うまなべて、みよしのがはを、みまほしく、うちこえきてぞ、たきにあそびつ
瀧にあそびつ 吉野の瀧名瀧なれば也。遊鶴を字餘りによみても、又一語をとりてもよむべき也
1105 音聞目者未見吉野河六田之與杼乎今日見鶴鴨
おとにきゝ、めにはまだみぬ、よしのがは、むつだのよどを、けふみつるかも
六田之與杼 地名也。景色よき處か
1106 河豆鳴清川原乎今日見而者何時可越來而見乍偲食
(218)かはづなる、きよきかはらを、けふみては、いつかこえきて、みつゝしのばん
河豆鳴 印本諸抄には蛙なくと云意にて鳴をなくとよめり。蛙なくきよき河原と云つゞき心得難し。これは川津河門のさやかになる音の清きとよめる歌也。處によりて蛙のことにもよめる意有べけれど、清きとよめるは河の音の清きと云義也
偲食 今日の事を慕はんとの意、又面白き景色を慕はんと也。又いつ來て見つゝ慕はんの意も含めり
1107 泊瀬川白木綿花爾墮多藝都瀬清跡見爾來之吾乎
はつせがは、しらゆふはなに、おちたぎつ、せをさやけしと、見にこしわれか
白木綿花爾、おちたぎつ 水のたぎりて流るゝ景色、白波の立ちて花の如くに見ゆるを云たる也
1108 泊瀬川流水尾之湍乎早井提越浪之音之清久
はつせがは、ながるゝみをの、せをはやみ、ゐでこすなみの、おとのさやけく
水尾は水の深所也。井提、せきとめて外へ水を通ぜざる處を云也。何れも能聞えたる歌也
1109 佐檜乃熊檜隈川之瀬乎早君之手取者將縁言毳
さひのくま、ひのくまかはの、はやき《本マヽ》せを、せながてとらば、よらんちふかも
さひのくま 和名抄云〔大和國高市郡、檜前、比乃久末〕ひのくまを、さひのくまとも云か。又さひのくまと云處にひのくまと云地名有か。み吉野の吉野の例か。此集中にかくよめる歌共有。古今にさのくまとよみ、神樂の譜にも同じ。ケ樣の誤來りしこと多し。古今の歌も後人の書加へたるなるべし。歌の意はかく早き瀬にても、せなが手をとらば渡りえんと云意なるべし。下の句聞得難し。諸抄先如v此の説也
1110 湯種蒔荒木之小田矣求跡足結出所沾此水之湍爾
ゆたねまく、あらきのをだを、もとめんと、あゆひいでぬれぬ、このかはのせに
(219)ゆたねまきは 種をまきと云義に、ゆは賞してよき種といふ氣味也。ゆついはむら、ゆつかづらの類と見るべし。初語賞詞と見るべし。はやく※[草がんむり/夷]さんとて、物の種を湯に漬けて蒔けば速に生ずる、それを云との義あれど、ほめて云たる詞と見る方易かるべし
荒木の小田 大和の地名也。神名帳、宇智郡荒木神社、大あらきと云もこれ也。荒城とも書大荒城ともいへる也。此歌田を初而開き作るをあらきはりの田といふ也。其意をかねて荒木の小田はよめるならん。然ればゆ種蒔ともよまんか。下にもとめんと詠めるは、初而苗代などとせん、あらきはりの田を求めんといへる意也
足結出 あゆひいで也。あゆひは足の装束なり。古事記日本紀等に見えたり。日本紀には脚帶と書き給へり。今云|行滕《キヤハン》の類なるべし。河を越て田を求むるの意をあらはせり
此水之湍爾 水をかはとよめる事當集にも見えたり。日本紀にもよませたり
1111 古毛如此聞乍哉偲兼此古川之清瀬之音矣
いにしへも、かくきゝつゝや、しのびけん、このふるかはの、きよきせのおとを
しのびけんは 慕ひけん也。面白くさやかなる音を賞したる意也
古川 大和の地名、古河のへ抔云處と同じ
1112 波禰※[草冠/縵]今爲妹乎浦若三去來率去河之音之清左
はねかづら、いまするいもを、うらわかみ、いさ/\かはの、おとのさやけさ
はねかづら 花かづら也。いまする妹と云からうら若みと也。女の簪に花かづらをかざるを云也。今するとは未だ何方へも不v嫁、年若き女子と云義也。それをいさこなたへなびけと誘ふ意に、いさ/\川とよめり
去來率去河 大和添上郡に有。延喜式〔第九神名帳上云、大和國添上郡、率川坐大神御子神社三座、率川阿波神社〕いさ河と詠んとて上の句を作り出たる歌也
(220)1113 此小川白氣結瀧至八信井上爾事上不爲友
右一首はいかに共よみ解難し。諸抄の説一つもとり難し。追而可2考案1也。瀧、一本作v流
1114 吾紐乎妹手以而結八川又還見萬代左右荷
わがひもを、いもが手もちて、ゆふはがは、またかへりみむ、よろづよまでに
結八川 何國の地名か不v考。又ゆふや川か。ゆふは川か不2分明1也。仙覺抄には、ゆふは川肥後國と注したれど、此歌共のつゞき大和なれば心得難し。大和にいふや川と云川有と覺えたり。日本紀を可v考。此歌の意は、いもが手もちてゆふと云義を趣向計りの歌也
1115 妹之紐結八川内乎古之並人見等此乎誰知
此歌も、古之并人見等此乎誰知と云下の句、いかにともよみ解難し。諸抄の通にては歌詞にも不v穩。意も聞えねばいかにとも釋し難し。追而可v讀也
詠露
1116 烏玉之吾黒髪爾落名積天之露霜取者消乍
ぬばたまの、わがくろかみに、ふりなづむ、あめのつゆしも、とればきえつゝ
落名積 ふりつむ義也。なづむと云義はすべて止まりたる事を云也。ものゝ滯りはたらかぬ事を云詞也
天之露霜 露霜は天象の物なれば天のといへり。さて露霜と云て二つのことに聞ゆれど、露凝て霜となるとも云事有故、露の義を露霜ともいへる也。此義説有事也。追而可v決。此歌我黒髪とよみ出たる所何とぞ趣向あらんか
詠花
1117 島廻爲等磯爾見之花風吹而波者雖縁不取不止
(221)あさりすと、いそにみしはな、かぜふきて、なみはよるとも、とらずばやまじ
島廻 いさりと云も同じく、磯部に出てすなどりをする義、いさりは嶋をめぐり、かり、すなどりをする義故義訓によめり。六卷目の歌にかゞやふ玉をとらずばやまじとよめる歌に同じ
詠葉
1118 古爾有險人母如吾等架彌和乃檜原爾挿頭※[手偏+力]來
いにしへに、ありけんひとも、わがごとか、みわのひはらに、かざしをりけむ
みわの檜原の檜の枝を手折てかざせる時をよめる也。かく今わがする如く昔の人も折つらんと、當前の有樣に遠き古の事を思ひやりて也。何の意もなき詞の通の歌也
1119 往川之過去人之手不折者裏觸立三和之檜原者
ゆくかはの、すぎゆくひとの、たをらねば、うらぶれたてり、みわのひはらは
往川之 これは孔子の逝者如v此と宣ひし如く、古説は死行人を河水の流往ことに喩へいへる也。死去するものは畫夜すてず過行なれば、徃川の過行とうけたる也。みわの檜原の檜のしなひ垂たるを見て哀傷をいひたる歌也。過去人とは全死行し人をさしていひ、一度死しては歸らざるから、その人は手折ざれば檜枝もうらぶれしなひて有と、悲みの意を表したる也。うらぶれとはしほたれ萎ひたる體をいひて、物思ひ有景色を云也
右二首柿本朝臣人麿之歌集出
詠蘿
1120 三芳野之青根我峯之蘿席誰將織經緯無二
(222)みよしのし、あをねがみねの、こけむしろ、たれかをりけむ、たてぬきなしに
苔は青苔と云て青色なるものなれば、育根我みねをとり出たる處歌也。莚と云より織けんたてぬきなしにとよめり
詠草
1121 妹所等我通路細竹爲酢寸我通靡細竹原
いもがりと、わがかよひぢの、しのすゝき、われしかよはゞ、なびけしのはら
妹所等 妹がもとへと云義也。別業と云もことなりと云義にて處と云義也。かりもなりも同音也。處と云事を古語にはなりとか、がりといへり。わがかりなどともよめる歌有。わがもとゝ云義也
細竹爲酢寸 すゝきと云は俗に云かやの事也。茅のもとは篠竹の如く節有也。篠竹の細く少きもの也。必竟草ながら篠竹同類のもの也。下の篠原と云も同じすゝき原也。點本諸抄には、われし通はゞなびけとよめり。此方歌の意やすからんか。好所に從ふべし
歌の意は妹がもとへと通ふ道のすゝきも.わが通へばしなへなびくとたゞ何の事もなき歌也。點本の意は、われし通はゞ妨げずとも、す直に篠すゝをも靡けと云意也
詠鳥
1122 山際爾渡秋沙乃往將居其河瀬爾浪立勿湯目
やまのはに、わたるあきさの、ゆきてゐむ、そのかはのせに、なみたつなゆめ
山際爾 山ぎはともよむべし。源氏物語などにも、山ぎはよりさし出る日のはなやかなどいへり
秋沙 鴨の類にて小鳥也。群をなしむれとぶもの也。これによりてしなが鳥あはとよめる歌も、此あきさのあにうけたる一語かとも聞ゆる也。すべてはしなが鳥ゐとつゞくゐは、引ゐのゐにて、むれたつものをいふたる義なれば、あともうけたるか(223)此歌にも往てゐんとよめるも、その意をこめて引ゐむれ居るもの故かくよめるか
湯目 物を制したる義にて慎む事にゆめと云也。必ず波たつなと云の意也
1123 佐保河之清河原爾鳴知鳥河津跡二忘金都毛
さほがはの、きよきかはらに、なくちどり、かはづとゝもに、わすれかねつも
河津跡二 これを諸抄には蛙と二つ忘られぬと云意と釋せり。千鳥と蛙と二つかけ合難し。かはづは春夏のもの、千鳥は冬を專とするもの也。その二つを忘れぬとはいかに共心得難し。前に注せる如く、これは河津の音と共に忘れられぬと云義也。跡は音のと也。二はとも也。一説に蛙のあとに忘られぬと古點あり。あまりなる説也。津のとは音書にしたるに、のゝ字はそへられぬ事を不v辨點也
1124 佐保河爾小驟千鳥夜三更而爾音聞者宿不難爾
さほがはに、さわたるちどり、さよふけて、なるこゑきけば、いねられがてに
宿不難爾 一本難を勝に作れり。正本たるべし。しかればいねられがてにとよまるゝ也。此通にては今の點得難し。兎角誤字あるべし
思故郷
1125 清湍爾千鳥妻喚山際爾霞立良武甘南備乃里
きよきせに、ちどりつまよび、やまのはに、かすみたつらん、かみなみのさと
右山川の景色をおもひ出て古里を慕ふ歌也。久邇の都にてよめる歌か
1126 年月毛未經爾明日香河湍瀬由渡之石走無
(224)としつきも、いまだへなくに、あすかゞは、せゞにわたりの、いしばしもなし
都うつりありて未だいくぱくも經ぬに行かふ通ひもなきか。跳超えに渡しおきし石橋も早やなくなりしと也。石走とは、今云淺き河などに石をよき程に列べ置くとびこえと云もの也。如v今石をもて作りたる橋の事にはあらず。石走あふみといへる意も、間と云あの詞にうけたるならん。古説は宇治川へ落來る處、岩をはしりて瀧の如くなる處有との事也
詠井
1127 隕田寸津走井水之清有者度者吾者去不勝可聞
おちたぎつ、はしりゐみづの、きよければ、たびにはわれは、ゆきがてぬかも
度者 印本諸抄共わたらばとよみて、わたらば濁らん事をいとひて行がてぬとの□《不明》詞を入ていへばいか樣にもいはるゝ也。さにてはあるまじく宗師案は旅にはとよむべしと也。奧にもたびゆく人のたちがてにすると、宇治川の歌によめり。よりてこゝもたびには行難きと云意と見る也
1128 安志妣成榮之君之穿之井之石井之水者雖飲不飽鴨
あしびなす、はしけしきみが、ほりしゐの、いはゐのみづは、のめどあかぬかも
あしびはあせぼの木のことにて葉茂る木也。よりてはしけしと讀みてはしけしはほめたる詞、はしけやしの略語、はしけやし君とうけたる詞也。印本諸抄さかえしとよめる意心得難し。さかえし君と云義いかにとも不v濟詞也。あしびの花と云ふ歌奧二十卷に三首あり。あせみといふも語同じ。同木ならん。尚可v考。花の歌に少不審有。あせぼの花は白き也。二十卷にて可v注
石井 地名ならんか。いづこと定め難し。祝によせて井を祝したる也
詠和琴
(225)1129 琴取者嘆先立盖毛琴之下樋爾嬬哉匿有
ことゝれば、なげきさきだつ、あかなくも、ことのしたひに、つまやこもれる
嘆 悲みうれへの事にはあらず。感歎おもしろき方の嘆き也。感情の先だつと云義也。唱謌は吟じて彈ずるもの故、唱歌は彈ずる聲也。よりて嘆き先だつとはいへり。すべて琴に歎きと云事よむはこの理り也。歌ふ聲はなげきの聲也。物を感歎さす聲故、歎き先だつとはよめり。第十八にも、琴の歌になげきとよみ、古今集になげきくはゝるとよめるもこれ此故也
蓋毛 印本諸抄等皆けだしと疑ふ意によめり。歌の意を面白くとりなして見る時は色々に云まはさるゝ也。けだしくとよみて疑ふ意に見れば、この歌も六ケ敷詞を入て不v聞不v被v得v聞也。宗師案は覆と云字、ふたともよむなればあかなくもとよむ也。かく琴の音の面白くて飽かぬは、下樋に妻や隱れ居るかと云義に聞える也。あかぬは妻や籠れると云意也。妻の籠り居る故あかぬと、物のふたの開かぬと云義によせていへる也。歎き先だつは、けだし下樋に妻やこもれるとは、つまのこもり居れば歎きの先だつと云義六ケ敷聞ゆる也。兩義いづれか義安からん。沈吟の人可v辨也。尤文選夜琴賦等皆悲み※[立心偏+秋]愴の意を作れり。然共悲み歎きと云ことに二義有也
下樋 琴の腹を云也。その中は樋の如くうつろげなるもの故下樋とは云也
芳野作
1130 神左振磐根己凝敷三芳野之水分山乎見者悲毛
かみさぶる、いはねこゞしき、みよしのゝ、みづわけやまを、みればかなしも
水分山 大和也。みくもりとも、みくまりともよむ。延喜式神名帳祝詞卷〔祈年祭祝詞云、水分坐皇神等 能 前 爾 白久、吉野宇陀都祁葛木 登 御名者白 ※[氏/一] 云々〕分はくばるとよめばくまりくもり同音也。こもくも同音故、式の點にはこまりと有か
悲毛 これも歎きの悲しもにあらず。愛したる歎息の悲しも也
1131 皆人之戀三吉野今日見者諾母戀來山川清見
(226)みなひとの、こふるみよしの、けふみれば、うべもこひけり、やまかはきよみ
歌の意、諸人の戀慕ふ三吉野をわれもけふ見れば、まことに人毎に好ましかるも尤もの理りかなと、山川の風景を賞讃したる也
1132 夢乃和太事西在來寤毛見而來物乎念四念者
ゆめのわた、ことにしありけり、うつゝにも、みてこしものを、おもひしおもへば
夢の和太 吉野川の内に有地名也。今は夢の太回といふ由にて、入込みたる淵の樣なる處といへり。第三卷にも大伴卿のよまれたり。此わたは夢の渡りと云にやあらん。地名と見れば義は不v知。或抄にはわだかまりたる處、水入込たる處といへり
歌の意は、夢のわたといふ地名によせて夢と云は詞のみ也。現在うつゝに見たると也。見ましと思ひ/\たれば、今うつゝに見て來しと也。前の歌と相かねて見るべし。五首共芳野の風景を見たる當然をよめる歌也
1133 皇祖神之神宮人冬薯蕷葛彌常敷爾吾反將見
すめろぎの、かみのみやびと、さねかづら、いやとこしきに、われかへりみん
神宮人 よし野の宮の人をさして也。宮人を幾度もかへり見んと也
冬薯蕷葛 これをさねかづらとの點は如何したる義か。此四字をさねかづらとよむ伎未v考。さねかづらは、和名抄五味子をさねかづらと訓せり。五味の味あるから五味子とは書くと也。冬薯蕷葛の出所未v知。山のいもの葉に似たるか。冬も葉かへぬ物故かく書との説也。ゆふかづら共點せり。これは神の宮人とあるからゆふとも訓したるか。出所不v考れば決し難し。下にいや常敷と云詞の縁に、さねかづらとよめるとも見ゆる也。右點いづれとも決し難し
1134 能野川石迹柏等時齒成吾者通萬世左右二
よしのがは、いはとかしはと、ときはなす、われはかよはむ、よろづよまでに
石迹柏等 岩を云也。日本紀第七景行紀云〔天皇初將v討v賊次2于柏峽大野1。其野有v石。長六尺。廣三尺。厚一尺五寸。天(227)皇祈v之曰。朕得v滅2土蜘蛛1者將v蹶2茲石1如2柏葉1而擧焉。因蹶v之則如v柏上2於大虚1。故號2其石1曰2蹈石1也。〕いはとかしはと共に、常磐堅磐に萬代迄も通はんと也
山背作
1135 氏河齒與杼湍無之阿自呂人舟召音越乞所聞
うぢがはゝ、よどせなからし、あじろびと、ふねよぶこゑは、をちこちきこゆ
よどせなからし よどむ瀬なき故舟よぶ聲のよく聞ゆると云義也。よどまる瀬なき故、船もこなたかなたに能通ふ故、よぷ聲のをちこちに聞ゆるとの意にも見ゆる也
阿自呂人 氷魚を取もの也。第三、人丸の歌、あじろ木の所に注せり。網代を守る人を網代人と云也
1136 氏河爾生菅藻乎河早不取來爾家里※[果/衣]爲益緒
うぢがはに、おふるすがもを、かはゝやみ、とらできにけり、つとにしましを
菅藻といふ藻草一種有。菅に似たる藻故さいふか。つとにせましは家づとにせましをと也
1137 氏人之譬乃足白吾在者今齒王良増木積不來友
此歌誤字あらんか。如何にとも讀解難し
譬之足白 たとへのあじろ、此詞いかに共不v濟詞也。たとへの網代と云事何としたる事や、色々のことをとりよせて釋したる説あれど正義とも不v覺。宗師案は辟言の二字一つになりたるか。然らば網代と云ものは竹にて網の如くするものならんそれ故ひけの網代と續けたるか。今竹の筥を皆ひけごと云此ひけならんか。たけを細く人の鬚の如く※[列/刀]き削りたるものからひげとは云習へるか。又案、辟魚の字の誤か。然ればひなの網代とも、直にひうをの網代ともよみたるか。下の王の字の下に田の字を落せるか。一本に王の字田に作るもあり。又生に作るもありて一決し難し。諸抄の説はたとへの網代とは日を待と云義にて、氷魚を待われなれば、とひ來る人も少く、しづかに世を經んと云事に喩へたる歌也。今は來る人はよし、後に來る人(228)もなくならんと云義とも釋せり。一向聞得難き釋共也。宗師誤字にしてのよみ樣は二義あり
うちひとの|ひけ《辟言》のあしろとわれなれは|せ《令》のは|た《田》らましこつみなくとも
うちの人の|ひこ《辟言》とのあしろ|あれまさは《吾在者》いまは|わた《王田》らまし【こつみ《木積=船名として》・いかた】なくとも
如v此はよみたれど正義いかにとも決し難し。別本正字誤字を考合て後案をなすべき也。諸抄の説はいかにとも歌の意不v通也
譬 古一本に辟に作る。王、一本田に作る。古一本に王郎の二字を生即と作る。まち/\の誤字いかにとも難v考
1138 氏河乎船令渡呼跡雖喚不所聞有之※[楫+戈]音毛不爲
うぢがはに、ふねわたせをと、よばへども、きこえざるらし、かぢのおともせず
よべど/\共よむべけれど、濱成式によればをとよませたり。印本などには雖喚をよばへどもとよめり。然れ共重ね詞の方聞はよけれ共、濱成式にも古く不禰和他是呼等と書たれば、雖喚は印本の假名に可v從か
1139 千早人氏川浪乎清可毛旅去人之立難爲
ちはやびと、うぢがはなみを、きよみかも、たびゆくひとの、たちがてにする
うぢ川の清き流れの景色になづみて、道を急ぐ旅人も立去がてにするとの歌也
攝津作
1140 志長鳥居名野乎來者有間山夕霧立宿者無爲
しながとり、ゐなのをくれば、ありま山、ゆふぎりたちぬ、やどはなくして
志長鳥居名 此しなが鳥ゐとつゞく事色々説有。しなが鳥あはとつゞきたる歌あり。日本紀のかくか鳥の説あれど心得難し。兎角しなが鳥と云鳥は群類を率て立居する鳥と見えたり。みさご鳥と云説も有。决し難し。先づはゐとつゞく詞によりて考ふるに、群類を率ゐる鳥と見る也。もしあとりなどか。あとりと云もあきさの事か。此歌は居名野といふ詞にうけん爲にし(229)なが鳥とはよめり。此歌のしなが鳥に意はなきなり。惟いなの有間山をよみ出ん爲也。みな津の國の地名也。野を經てくるに、夕霧にたちこめて宿もなく、旅行の物うき景色をいへり
一本云猪名乃浦廻乎榜來者 是一説は海邊にてよみたる也
1141 武庫河水尾急嘉赤駒足何久激沾祁流鴨
むこがはの、みづをはやみか、あかごまの、あがくそゝぎに、ぬれにけるかも
赤駒 我こまによせたり。川わたる時あがく蹴あげの水のそゝぎ也。そゝぎは水のはね上るなど云義也。パツ/\とうちかくる如きを云也
1142 命幸久吉石流垂水水乎結飲都
ながらへて、ひさしきよしも、いはそゝぐ、たるみのみづを、むすびてのみつ
命幸 此二字にてながらへとよむべし。いのちのさいはひなれば也。ながらふる義也。よりて義訓に二字合てながらへてとよむ也
久吉 ひさしきよしも、清しもと云詞こもれり
石流 いはを流るゝなればそゝぐ也。いはたゝくともよめり。下のたるみとうけん爲也。岩をたゝきたるゝと云意也。垂水は攝津國の地名、延喜式〔神名帳上、攝津國豐嶋郡垂水神社【名神大、月次、新甞】當集第八の卷頭の歌にも、いはそゝぐたるみと有。此水瑞靈水と聞えたり。祝賀の歌によめる意也 命ながらへたれば、かく清らなる名にあらはれたる垂水の水を結びて飲みしと也
1143 作夜深而穿江水手鳴松浦船梶音高之水尾早見鴨
さよふけて、ほりえこぐなる、まつらぶね、かぢおとたかし、みをはやかみも
松浦船堀江 地名也。今も大坂に穿江と云處有。そこならんか。仁徳紀云。〔十一年夏四月戊寅朔甲午詔2群臣1曰。今朕視2(230)是國1者郊澤曠遠而田圃少乏。且河水横逝以流木不v※[馬+史]。聊逢2霖雨1海潮逆上而巷里乘v船。道路亦※[泥/土]。故群臣共視v之决2横源1而通v海。塞2逆流1以全2田宅1。冬十月堀2宮北之郊原1引2南水1以入2西海1、因以號2其水1曰2堀江1〕
松浦船 肥前國松浦にて作る船の名也。あしがら小舟など云に同じく、その處々の船のなりは替れり。水早き故かぢ音しげく高しと也
1144 悔毛滿奴流鹽鹿墨江之岸乃浦回從行益物乎
くやしくも、みちぬるしほか、すみのえの、きしのうらわに、ゆかましものを
潮の滿たざるさきに行かましものをと悔む也
1145 爲妹貝乎拾等陳奴乃海爾所沾之袖者雖凉常不干
いもがため、かひをひろふと、ちぬのうみに、ぬれにしそでは、ほせどかはかず
陳奴乃海 允恭紀云、天皇則更〔興2造宮室於河内茅渟1、而衣通姫令v居。因v此以屡遊2※[獣偏+葛]于日根野1。〕此海攝津和泉にかゝりてあるべし。よりて攝津作と書かれたり
雖凉常 令義解第四最條云、〔慎2於曝《凉1【謂曝者陽乾也凉者風凉也】明2於出納1爲2兵庫之最1〕延喜式には凉の字さらすとよめる點有。ほすもさらすも同事也。常の字衍の樣なれど當集いか程も此格あり。ほすといへどもと云てには字書事例格有
1146 目頬敷人乎吾家爾住吉之岸乃黄土將見因毛欲得
めづらしき、ひとをわぎへに、すみのえの、きしのはにふを、みむよしもがな
めづらしきひと、わがいへに住とうけたる也。萩の名所はにふとよめり。はにふも萩生も同じ。此はにふは所を云たる義也。戀思ふ女子抔を家に迎へて住て見たきとの意ならんか。日本紀神代下卷海宮の處に、希客者をめづらしきひとゝ點をなせり
(231)1147 暇有者拾爾將徃住吉之岸因云戀忘貝
いとまあらば、ひろひにゆかむ、すみのえの、きしによるてふ、こひわすれがひ
戀忘れ貝はうつくしき貝にて、それに心うつりて思ふことを忘ゝと云傳へり
1148 馬雙而今日吾見鶴住吉之岸之黄土於萬世見
うまなめて、けふわがみつるl、すみのえの、きしのはにふを、よろづよにみむ
馬雙而 馬をならべて也。はにふは萩部也
1149 住吉爾往云道爾昨日見之戀忘貝事二四有家里
すみのえに、ゆくちふみちに、きのふみし、こひわすれがひ、ことにしありけり
住の江へ往道にてきのふ忘貝を見しが、そのかひもなくきのふみし景色の忘られぬは名のみにて、まことに戀しきことを忘るゝにてはなく、云たる言計也と也
1150 墨吉之岸爾家欲得奧爾邊爾縁白浪見乍將思
すみのえの、きしにいへもがな、おきにへに、よするしらなみ、みつゝしのばむ
將思 その景色を慕はんと也。しのぶは慕ふと云義と同じ
1151 大伴之三津之濱邊乎打曝因來浪之逝方不知毛
おほともの、みつのはまべを、うつたへに、よせくるなみの、ゆくへしらずも
打曝 印本諸抄等にもうちさらしと有。心得難し。宗師案はうつたへにとよむ也。うつたへは現在まのあたりと云義也。集中此字をたへとよませたる例數多し。追而可v考。波のよりて引たるあとは行方知れぬものなればその當前をよめり。曝の字義可v考事也
(232)1152 梶之音曾髣髴爲鳴海未通女奧藻苅爾舟出爲等思母
かぢのおとぞ、ほのかにすなる、あまをとめ、おきつもかりに、ふなですらしも
よくきこえたる歌也
一云暮去者梶之音爲奈利
1153 住吉之名兒之濱邊爾馬立而玉拾之久常不所忘
すみのえの、なこのはまべに、うまなべて、たまひろひしく、ときわすられず
玉拾之久 玉拾ひしく、此詞少不v穩。久は初語か。此奥の歌、そがひに禰之久ともよめり。來の宇の意か。又敷と云意に見る説あれど心得難し。常をとことよみて玉しく床とうけたる義と云説有。上に名兒とよめるも女子の事に云なして、下を玉拾ひしく床とうけたるとの義あれど其説難2信用1
常不所忘 印本の點常忘れずと有。不v足v論點也。諸抄には前に注せる如く敷床とうけたると云説也。この義は少しより所もあらんか。然れ共此所に床などの縁出べき事ならねば、宗師は常はときとよむべしとなり。玉を拾ひ時を不v被v忘と云歌と淺く見る也
馬立而 立は並の字の誤ならん。よりて馬なべてとよむべし
1154 雨者零借廬者作何暇爾吾兒之鹽干爾玉者將拾
あめはふる、かりほはつくる、いつのまに、なこのしほひに、たまはひろはむ
吾兒之 あこなこ兩點有。此歌の列皆なこ也。奧三首目の歌阿胡とあり。何か共不v决。吾の字あとよめばあれとよめど、なとよむ義未v考。然れ共歌の次皆なこにて印本諸抄皆なとよみ來れり。追而可v考。續日本紀、いづ方にやらん五人と云人の名を又名人ともかけり。これは、吾、名、紛れ易き字なれば難v爲v證也
(233)歌の意、雨はふり刈庵は作りいとまなきよしをよみて、鹽干にも玉をひろふ事なき由也
1155 奈呉乃海之朝開之奈凝今日毛鴨礒之浦回爾亂而將有
なこのうみの、しほひのなごり、けふもかも、いそのうらわに、みだれてあらむ
此歌、あさけのなごり亂れてあらん、いかにとも心得難し。朝開しほひのなごりならん。潮朝音相同じき故通じて書るか。開はひらくとよむ故、ひの一語をとりてよめるか。あさけのなごりと云事はなき事也
亂而 何の亂れたる事ならんや。別訓あらんか。追而可v考
1156 住吉之遠里小野之眞榛以須禮流衣乃盛過去
すみのえの、とほざとをのゝ、まはにもて、すれるころもの、さかりすぎゆく
奥のうた遠津の濱とよめるも此遠ざとの濱ならんか
すれるころもの 比の過ぎ行によせたり。たゞ萩の花の盛の比も過行と云迄の歌也。昔は蓁にて衣を摺し也。萩ずりの衣と云天子も被v召しにや。天武紀に見えたり
1157 時風吹麻久不知阿胡乃海之朝明之鹽爾玉藻苅奈
ときかぜの、ふかまくしらず、あこのうみの、あさけのしほに、たまもかりてな
時風 點本諸抄時つ風とよめり。前にも此句あれど不v注りき。これは疾風のと云意にて、つの字を入てはやき風の事に今とてもよめるなれば、とき風のとよむべし。疾風の吹かんも不v知故吹かぬ間に玉藻刈らんとの歌也
1158 住吉之奥津白浪風吹者來依留濱乎見者淨霜
すみのえの、おきつしらなみ、かぜふけば、きよするはまを、みればきよしも
よくきこえたり
(234)1159 住吉之岸之松根打曝縁來浪之音之清羅
すみのえの、きしのまつがね、うちさらし、よりくるなみの、おとのさやけさ
打曝 布をさらし共いへばうつたへとよまんこと難有まじきか。曝水と書て瀧とよめる事抔あればたぎりともよむべし。さらしとよむ義は心得難し
清羅 きよしもと前によめるは清霜の字也。舊一本は羅霜に作れり。然ればこゝもきよしもか。但し、らとさとは通ひ羅は紗と同物故うすと讀む故さと約したるか。羅の字にてもさとよむ義有べし
1160 難波方鹽干丹立而見渡者淡路島爾多豆渡所見
なにはがた、しほひにたちて、みわたせば、あはぢのしまに、たづわたるみゆ
別の意なき歌也。しかしながら〔以下注ナシ〕
立而 といふ詞いかゞに聞ゆる也。たづ鳴渡ると有から、たづのたち行と云縁にかくよめるか
※[羈の馬が奇]旅作
1161 離家旅西在者秋風寒暮丹雁喧渡
いへさかり、たびにしあれば、あきかぜの、さむきゆふべに、かりなきわたる
家を離れ旅なれば、秋風もいと身にしみて物悲しき夕部に、雁のわたる聲に、愈旅愁の情を添ふる景色をよめり
1162 圓方之湊之渚鳥浪立巴妻唱立而邊近著毛
まどかたの、みなとのすどり、なみたてば、つまよびたてゝ、へにちかづくも
圓方 伊勢也。的潟とも書か
湊之渚鳥 渚に居る水鳥をさしていへる也。なみたちよする故、妻よび立て磯へ近より付と也
(235)1163 年魚市方鹽干家良思知多乃浦爾朝※[手偏+旁]舟毛奧爾依所見
あゆちがた、しほひにけらし、ちたのうらに、あさこぐふねも、おきによるみゆ
年魚方、知多乃浦 尾張國郡にあり
1164 鹽干者共滷爾出鳴鶴之音遠放礒回爲等霜
しほひれば、ともかたにいでて、なくたづの、おとゝほざかる、あさりすらしも
共滷 諸抄の説地名にあらず、しほひと共に干潟に出てと云義に釋せり。大成違也。歌詞に共潟にと詞に詠附く例なく、地名故しほひれば共にと云意をうけて、共潟をば詠出たり。尤共の字、ともとよめるも又別訓あらんや。決し難し。いづれにもあれ地名ならでは詠出難き也。鞆浦といふは備後にあれど、こゝの歌の次皆東國なれば、備後の鞆の潟とも決し難し。伊勢尾張三河の内に有地名なるべし
あさりは磯回爲とかきて義訓によませり。いそをめぐりて食を求める故也。一所に不v居あさりめぐる故聲遠ざかると也
1165 暮名寸爾求食爲鶴鹽滿者奧浪高三己妻喚
ゆふなぎに、あさりするたづ、しほみてば、おきなみたかみ、おのがつまよぶ
きこえたる歌也
1166 古爾有監人之覓乍衣丹摺牟眞野之榛原
いにしへに、ありけんひとの、まきしから、きぬにすりけん、まのゝはぎはら
まきしから 印本にはもとめつゝと讀めり。詞拙し。歌の意、後人のまきおきし故、衣にもすりけんとよめる也
1167 朝入爲等礒爾吾見之莫告藻乎誰島之泉郎可將苅
あさりすと、いそにわがみし、なのりそを、いづれのしまの、あまかゝるらむ
(236)あさりするとて磯邊に見し花の、色よき美しき花を思ひ出てのこり多がれる歌也。前に磯にみし花かと有て、波はよるともとらずばやまじとよめる歌の意に似通ひて、花を忘れず慕ふ意也
1168 今日毛可母奧津玉藻者白浪之八重折之於丹亂而將有
けふもかも、おきつたまもは、しらなみの、やへ崎のへに、みだれたるらむ
八重折 印本譜抄八重をりと訓せり。波の八重に立重りたるを云との説心得難し。歌の全體の聞えぬ理りを不v辨説也。歌の意を能不v考釋には無理おしの注有。これ迄の歌皆地名所を居てよめり。此歌いづ方とも所を不v居、何方の奧津白浪にや八重崎といふ所を不v居しては此歌聞えぬことを不v辨也。八重埼いづれの名とは知らね共、東國の内の地名又は近江の地名にあらんか。八重といはんとて白波のとよめり
1169 近江之海湖者八十何爾加君之舟泊草結兼
あふみのうみ、みなとはやそを、いづくにか、きみがふねはて、くさむすびけむ
八十 誤て八千と作れり。誤字のまゝにやそと點をなせり。前の歌にはみなとやそと有。やそくまのと讀めるにて知るべし。八十のみなとゝもよめり。廣き海邊故湖のあまたあるなれば、みなとは八十をと也。いづれの湊にか舟よせて草枕たびねをしつらんと也。此歌は旅行の人の妻など家に殘り居て、思ひやりてよめるか。次の歌も同意也
1170 佐左浪乃連庫山爾雲居者雨曾零智否反來吾背
さゞなみの、なみくらやまに、くもゐれば、あめぞふるてふ、かへりこわがせ
さゞなみのなみくらやま かくよみ出たる處歌也。外の山をよみては風情なきなり。尤時俗の諺になみくら山に雲のかゝれば、やがて雨ふると云ならひたるなるべし。くらと云も闇きと云をかねて、雨ふらんとすれば必ず天闇くなるものなれば縁を引てよめり。この歌も家に殘居妻などのよめるか。但し相伴ふ妻の歌か。わがせこ、君夫をさしていへり
1171 大御舟竟而佐守布高島之三尾勝野之奈伎左思所念
(237)おほみふね、はてゝさもらふ、たかしまの、みをのかちのゝ、なぎさしぞおもふ
佐守布 は侍ふと同じの事也。此歌の意きゝ得難し。案ずるに天智天皇の殯の御船の著きし事をよめるか。そのかみのことを思ひ出てか。大御舟とよめる事いかにとも心得ず。若しくは行幸などの供奉にての歌か。第二卷目の天智天皇崩御の時の歌に、大御舟ととめる歌共を考へ見るべし
1172 何處可舟乘爲家牟高島之香取乃浦從己藝出來船
いづこにか、ふなのりしけむ、たかしまの、かとりのうらに、こぎいでくるふね
此高嶋、下總といふ説有。八雲御抄にも記させ給へり。尤下總にも同名有べけれど、この歌の次皆近江大和なれば近江と見ゆる也。香取の浦に漕出くる船は、いづこにか船出をしたると也。尤香取は下總の郡の名、高嶋は常陸の新治郡の内の郷の名に竹島有。上古の事は難v計ければ、後世國つゞきなれば入交たるか。此次の歌、ひだびとのまきながすちふにふの川と有により、大和とみれど、上野にも甘樂郡の内郷の名に丹生と云地名あれば、一概にはいひ難し
1173 斐太人之眞木流云爾布之河事者雖通船曾不通
ひたびとの、まきながすちふ、にふのかは、ことはかよへど、ふねぞかよはぬ
斐太人 大工の事也。上古は飛彈國より大工人を麻庭へ貢献したり。大工の出る國故眞木をも流すとよめり。此にふは大和のにふか。又ひだの國の地名か。若しくは上野の國のことか不v決。此歌の次東國故上野の事にや。丹生はまづ近くとれば大和也。ふね不v通故木をも流すと也。すべて木をつくるものは大工の類なれば、杣をもひだ人とおつすゑに云たるならん
1174 霰零鹿島之崎乎浪高過而夜將行戀敷物乎
あられふり、かしまのさきを、なみたかみ、すぎてやゆかん、こひしきものを
あられふりかしま 音のかしましきと云にかけたり。鹿嶋常陸の國也
(238)すぎてやゆかん 波高き故あかでも過ぎんことの戀しきと也。景色能所故戀しけれども、波高ければ過ゆかんかと也
1175 足柄乃筥根飛超行鶴乃乏見者日本之所念
あしがらの、はこねとびこえ、ゆくたづの、ともしきみれば、やまとしおもほゆ
足柄箱根 相模の國也
乏はうらやましき意也。乏といふ事三義ありて、歌によりて珍しきと寂しきと羨ましきと歌によりて替り有。いひまはせば一つ道理より別る也。乏しきは少きこと也。少きから珍しき也。珍しきから羨ましき意に通ふ也。乏しきから寂しき意に通ふ。元は一義なれど流轉して通ふ故歌により替れり
此歌も大和を慕ひ思ふから羨ましく見る意也。鳥ならば飛びかけり、心まゝに古郷へも立歸らましをと、たづのとび行を羨みて、古郷を慕ふ意の愈起れるとの歌也。足柄のは此高山險難の山をも心易く飛超ゆるを羨みたる歌也
1176 夏麻引海上滷乃奧津洲爾鳥者簀竹跡君者音文不爲
なつぞひく、うなかみがたの、おきつすに、とりはすだけど、きみはおともせず
海上滷 上總也
なつぞひき うみとうけたり。苧をうみうむと云意にうけたり。麻は上總の名物古事有こと故自ら詠合せたり。尤上總に限りてなつぞひきと云にはあらねど、うな上潟をよまんと、なつぞひきとはよめる也。たゞうみとうけたる義と可v見也
鳥者簀竹跡 鳥の集り鳴ことをすだくと云也。だくはなく也。諸抄の説に數集ことをすだくと云との説はあしゝ。すだくとはとかく聲を出すことを云也。尤も多きことをこゝたくと云ことあれど、それは清音のたく也。すだくのたくは濁のだ故義こと也。殊にこの歌君は音もせずと云にて、鳥の聲はすれどもと云義明也
1177 若狹在三方之海之濱清美伊往變良比見跡不飽可聞
わかさなる、みかたのうみの、はまきよみ、いゆきかへらひ、みれどあかぬかも
(239)かへらひは かへり見を延たる詞也。別の意なき歌也
1178 印南野者往過奴良之天傳日笠浦波立見
いなみのは、ゆきすぎぬらし、あまづたふ、ひかさのうらに、なみたてるみゆ
印南、日笠 浦播磨也。海路にて印南野を思ひやりてよめる也
日笠 暈の字也。和名抄云〔郭、知玄切韻云、暈、氣繞2日月1也。音運、此間(ニ)云、日月 加左 辨色立成云、月院也。此日笠浦は明石也。日本紀卷第二十二推古紀云、十一年夏四月〔王申朔、更以2來目皇子之兄當麻皇子1爲d征2新羅1將軍u。秋七月辛丑朔癸卯當麻皇子自2難波1發船。丙午、當麻皇子到2播磨1時、從妻舍人姫王薨2於赤石1。仍葬2于赤石檜笠岡上1。乃當麻皇子返之遂不2征計1〕
一云思賀麻江者許藝須疑奴良思
同じく播磨也。しかまのかち路などよめる也
1179 家爾之※[氏/一]吾者將戀名印南野乃淺茅之上爾照之月夜乎
いへにして、われはこひむな、いなみのゝ、あさぢがうへに、てりしつきよを
旅行よりかへりて印南野の月の景色を思ひ出て慕はんと也
1180 荒磯超浪乎恐見淡路島不見哉將過幾許近乎
あらいそこす、なみをかしこみ、あはぢしま、みずてやすぎむ、こゝらちかきを
波の荒き故、恐れて淡路嶋の景色を見ずてや行過んと也。そのあたり近所を旅行の時の人よめるなるべし。こゝら近きとは物の多きことをこゝらといふ。至りて近きと云意、いかばかり近きとの事也
1181 朝霞不止輕引龍田山船出將爲日者吾將戀香聞
(240)あさがすみ、やまずたなびく、たつたやま、ふなでせむひは、われこひむかも
これは難波より海路の旅行する人、船だちせん日は、立田山の霞棚引たる春の長閑なる景色を不v斷見てあれば、船出の目などは故郷を思ひ出るものなれば、さてやこひんかもと也。かもは例の嘆息の詞也
1182 海人小船帆毳張流登見左右荷鞆之浦回二浪立有所見
あまをぶね、ほかもはれると、みるまでに、とものうらわに、なみたてるみゆ
波の高くたてるを、帆かけたる船にて見たてたる他。鞆之浦備後也
1183 好去面亦還見六丈夫乃手二卷持在鞆之浦回乎
すぎぬとも、またかへりみん、ますらをの、てにまきもたる、とものうらわを
好去面 面の字而に作る本多し。よりて此點を誤るか。よしゆきてと讀みては歌の意六ケ敷也。これより色々言葉を添て釋せる説有。又かへりみむとあれば、すぎぬともとよめること言葉不v入聞ゆる也。好はすきすくとも讀也。面はおもてのおもをとる也。面の字正本也。面の字をてとは不v被v讀也
大夫乃手二卷持在 鞆といはん爲の序也。弓射とき絃をはぢく爲に、上古は左の手に指たる也。第二卷、ともの音すなりと有御製の處に注せり
1184 鳥自物海二浮居而奧津浪※[馬+參]乎聞者敷悲哭
とりじもの、うみにうきゐて、おきつなみ、さわぐをきけば、こゝらかなしも
とりじもの 鵜とうけたる也。意は鳥の如く海に浮居波の立騷ぐを聞けばこゝら悲しきと也。海路の旅行の物うく、心細き有樣をいへり。數の字はこゝらと讀むべし。あまたよりもこゝらの方しかるべし
1185 朝菜寸二眞梶※[手偏+旁]出而見乍來之三津乃松原浪越似所見
(241)あさなぎに、まかぢこぎいでて、みつゝこし、みつのまつはら、なみごしにみゆ
下のみつの松原とつゞけん爲みつゝ來しとはよめり。ケ樣の處歌也
三津乃松原 攝津也
1186 朝入爲流海未通女等之袖通沾西衣雖干跡不乾
あさりする、あまをとめらが、そでとほり、ぬれにしころも、ほせどかはかず
別の意なきなき歌也
1187 網引爲海子哉見飽浦清荒磯見來吾
あびきする、あごとやみらん、あこのうらの、きよきあらいそを、みにこしわれを
海子 印本諸抄皆あまとよめり。然れ共下のあきのうらとよませたるも、是あことよむ處に飽の字を書たる也。是はあこにてあるべし。こゝの歌皆津の國の歌、前後皆攝津國の歌なれば、あことよみて津の國なるべし。あき、あく、あこ皆同音なれば也。然らば此海子もあごにてあるべきか。下のうけによみたるあごと聞ゆる也。あみ引するあごとゝのふるなど、前にも詠みたれば、その例をもてあごとはよむべきか。ケ樣の處歌の風情也。知る人は知るべし
右一首柿本朝臣人麿之歌集出
1188 山越而遠津之濱之石管自迄吾來含而有待
やまこえて、とほつのはまの、いはつゝじ、わがきたるまで、ふゞみてありまて
遠津之濱 攝津國なるべし。遠里小野ともよめる歌攝津也。此歌の次前後みな攝津也。尤近江にもあるか。然れ共歌の次をもて辨ふ事也
含而 ふゞみて也。つぼみての意也
(242)1189 大海爾荒莫吹四長鳥居名之湖爾舟泊左右手
おほうみに、あらしなふきそ、しながどり、ゐなのみなとに、ふねはつるまで
居名之湖 攝津國也。別の意なき歌也
湖 集中にみなとゝよめり。此歌をよみ違て湖上月と云説にいなの水海とよめる事有。袖中抄にいへり。大風を嵐と云字は有。和名抄には山下風と注せり。然れ共此歌にも嵐な吹きそとよめれば、山下風の注には不v合也。俊成卿も此歌など考へ給はざるか。又文屋康秀がむべ山風をの歌に執し給ふか。海に嵐はよまざるの事のよし宣へり。古詠海に嵐を詠みたる歌あるを、可v考。集中にも見えたり
1190 舟盡可志振立而廬利爲名子江乃濱邊過不勝鳧
ふねはてゝ、かしふりたてゝ、いほりする、なごえのはまべ、すぎがてぬかも
盡 はてる也。船の磯邊などにつきたるを云。直につきてとよみても同じ。然れ共船は、はつる、はてると云へば、義をもてはてゝとよむべし。幾しなも讀樣あれど、いづれにもあれ船のつきたることを云たる也
可志 船をつなぐ木也。※[牀の木が戈]※[牀の木が可]の字也。和名抄云〔唐韻云、※[牀の木が戈]※[牀の木が可]【柯※[月+〓]二音、漢語抄云、加之】所2以繋1v舟〕
名子江乃濱 攝津なるべし。備中にもあれどこゝは津の國也。前後の歌の次にて辨べし
過不勝 すぎかぬる也。いほりするは船つきてその濱邊に宿りする義也。又舟に苫などふきてかりの宿りをする體をいへるか
1191 妹門出入乃河之瀬速見吾馬爪衝家思良下
いもがかど、いでいりのかはの、せをはやみ、わがうまつまづく、いへこふらしも
妹門 いでいりといはん迄の五文字也。いりいづみかはとよめる意に同じ。出入の川、國不v知。歌のつゞきを見ていはゞ紀州か、津の國又大和の内なるべし
(243)爪衝 今俗にけ|しとむ《本マヽ》と云義也。これは旅行にて何とぞ怪我などあれば、その前表の故郷へひゞくなど云事有。何とぞ其故あるか
家思良下 吾故郷を思ふことを馬にいひなせり。かく馬のつまづくは、馬も故郷の家を慕ふ故、心空にてつまづくかと也。或説に旅行にて馬のつまづくは、家にある人の慕ひ思ふから、必ずつまづくと云事は心得難し。尤つまづくとよめる歌いくらもあり
1192 白栲爾丹保有信士之山川爾吾馬難家戀良下
しろたへに、にほふまつちの、やまがはに、わがうまなづむ、いへこふらしも
しろたへにゝほふ 白く美しき色の色々ににほふと也。此匂ふまつちといへること未だとくと不2打者1也。信土山ははげ山にて草木不v生、たゞ土計の山故まつち山と云て、しかも山の色白く赤きものなれば、はげたる山故かくよめるか。はげ山は白くうす赤なる也。草木は無くはげたるさかしき山故馬も行なづむか
吾馬難家戀良下 なづむは不v進事也。行なづむなどといふて不v進事也。山川をわたりかねるの意也。山川には故ありてなづむにはあらず。山川に望みて馬のなづむは故郷を思ふならしと、わが故郷を慕ふ意を馬に負せていへるか。今は君をこひこふ、妹をこひこふと詠めど、古は君に、妹にと詠みて、集中にをとよめる歌一首もなし。然れば家こふらしもとありては、をと云はねばならず。此句何とぞよみ樣あらんか。家にこふらしとよむべきか
1193 勢能山爾直向妹之山事聽屋毛打橋渡
せのやまに、たゞにむかへる、いものやま、ことかはすやも、うちはしわたす
直向 まむきなど云意也。義は背に向ひたる山と也。紀州に妹の山せの山とて、紀川と云川の芳野川の末に隔りて有よし也
事聽屋毛 これをことかはすやもとよむべし。下のうち橋わたすやもとよみたるに、川の縁なくてはなり難し。作者も決してことかはすやもとよめるならん。言をいひかはすやと云義也。事ゆるすにては義六ケ敷也。打橋はかりそめにわたす橋、(244)とりおきの橋を云との古説也
1194 木國之狹日鹿乃浦爾出見者海人之燈火浪間從所見
きのくにの、さひかのうらに、いでみれば、あまのともすひ、なみまよりみゆ
別の意もなき歌也。その時の當然をよめる歌なるべし
1195 麻衣著者夏樫木國之妹脊之山二麻蒔吾妹
あさぎぬを、きたればなつかし、きのくにの、いもせのやまに、あさまけわぎも
印點には衣をころもとよめり。下のきたればとつゞく縁には、きぬをと詠める方しかるべし
著者 これもきればとよみては意違へり。きたればとよめば來ればの意をこめて也。其所へ來りたればなつかしき程に、妹背の山へ妹にきて麻を蒔けといへる歌也。妹背山に我來りたればなつかしき程に、妹にもきて麻まけと也。麻は紀の國の名産故よみ出たるなるべし
右七首者藤原卿作未審年月
卿は房前也。もしくは卿の字の上に北の字など脱せるか。房前公は北家なれば也
1196 欲得※[果/衣]登乞者令取貝拾吾乎沾莫奧津白浪
いでつとゝ、こはゞとらせめど、かひひらふ、われをぬらすな、おきつしらなみ
欲得 いでとよむ義訓の意出る手と云義也。乞の字を日本紀にいでとよむ。手を出して招く義也。今も物を乞には手出して受くる樣にする、これより乞と云字をいでとはよむ也。然ればいでと云はものをこふ事と知るべし。旅行よりかへりて、いへづとをと乞人に遣し與へめと貝を拾ふと也
1197 手取之柄二忘跡礒人之曰師戀忘貝言二師有來
(245)てにとりし、からにわすると、あまのいひし、こひわすれがひ、ことにしありけり
手取之 手にとればそのまゝ、戀しき事を忘るゝ貝なりとあま人のいひしは、空言のいひしばかりなるとの義也
1198 求食爲跡礒二住鶴曉去者濱風寒彌自妻喚毛
あさりすと、いそにすむたづ、あけゆけば、はまかぜさむみ、おのがつまよぶも
たづの妻呼ふ聲も、朝風のはげしきにつれて寒きと也
萬葉童蒙抄 卷第十六終
(246)萬葉童蒙抄 卷第十七
1199 藻苅舟奧※[手偏+旁]來良之妹之島形見之浦爾鶴翔所見
もかりぶね、おきこぎくらし、いもがしま、かたみのうらに、たづかけるみゆ
いもがしま、かたみの浦 紀州、八雲に出たり。妹が島をよまんとてもかり舟と初句に居たり。女の裳によせて也。又藻をかりて入るといふ縁に形見の浦を詠入たり。かたみとは濱菜藻を入るゝ籠の名を云り。形見とありても濁音相兼通じてよめるならん。歌の意は、たゞもかり舟の奧のかたより漕くるならん。妹が島形見の浦さしてたづの飛渡る也と云義也
1200 吾舟者從奧莫離向舟片待香光從浦榜將會
わがふねは、おきになさけそ、むかひぶね、かたまちがてら、うらにこぎあはん
向舟 迎舟の義と釋し來れり。別訓あらんか
片待 潟によせてと云説有。片は半の意といへり。磯邊へかたよりて漕行け。迎船を相待がてら、浦に漕よらんとよめる歌と聞ゆる也。向舟片待の句心ゆかず。別義あらん
1201 大海之水底豐三立浪之將依思有磯之清左
おほうみの、みなぞこどよみ、たつなみの、よらんとおもへる、いそのさやけさ
豐三 響きの義、動の字もどよみとよませたり
將依思有 わがよらんと思へるを波のよるにかけていへり
1202 自荒礒毛益而思哉玉之裏離小島夢所見
(247)あらそよりも、ましておもふや、たまのうらの、はなれこじまの、ゆめにしみゆる
自荒礒毛 海路のならひ、荒き磯は心に危く恐れて、心にしみて思ふものなれど、それよりもまして玉の浦の景色は心にしみて思へるにや。離れ小島の夢に見ゆると也。或説に荒磯は危く恐ろしきもの故、海路にては別而心にかゝり思ふものなれど、離れ小島と云名の忌はしければ、故郷を慕ふ心深く、妻子を思ふ旅行の意深くて夢にも見ゆると也。子に離れると云名の忌はしく、別來し故郷を慕ふ感情増長の事もあるまじきにあらねば、荒磯よりもと詠出たる意さもあらんか。玉の裏離小島、紀州也
1203 礒上爾爪木折燒爲汝等吾潜來之奧津白玉
いそのへに、つまきをりたき、ながためと、わがかづきこし、おきつしらたま
いそのへは いその邊也。此集中上文字をかける所すべて邊の意也。上頭の字すべてほとりの意也。川上と書る處も、或ひはほとり面の字の意多し。尤磯とはいしの事を云。然ればいしのうへと云意にてもありつれ共、それも共にほとりの義と見るべし
爪木 小木の燒木也。詩注云、粗曰v薪、細曰v蒸。これは唐の字の義也。本邦は由來ありて木をつとは云也。爪木とかけるも、木の枝葉の意にてかけると心得るは大成誤也。木の神の名を爪津姫と云故木の惣名となれり。まきのつまでを抔よめるも其意也
爲汝 妹が爲と云義なるべし。旅行海邊にて妹に見せんと玉を取來し意なるべし
1204 濱清美磯爾吾居者見者白水郎可將見釣不爲爾
はまきよみ、いそにわがをれば、よそびとは、あまとかみらむ、つりもせなくに
見者 見ん人はと也。磯に居る我を見ん人はと云義也
1205 奧津梶漸々志夫乎欲見吾爲里乃隱久惜毛
(348)おきつかぢ□みまくほり、わがするさとの、かくらくをしも
漸々志夫乎 此五字點本諸抄の通にては義不v通。いかにともよみ難し。追而可v考。全體の歌の意は、別れ來し我故郷の見ゆる限り見まほしきと、その郷の立隔たりて隱行く事の惜しきと也
1206 奧津波部都藻纏持依來十方君爾益有玉將縁八方
おきつなみ、へつもまきもて、よりくとも、きみにまされる、たまよらんやも
此歌のてには、沖つ波邊つ波の、沖つ藻邊つ藻をまきもて寄來れど、君にまされる玉も藻もあらんやと云義也。一云の説にて見るべし。一説の句勝れるか
一云奧津浪邊波布敷緑來登母
1207 粟島爾許枳將渡等思鞆赤石門浪未佐和來
あはしまに、こぎわたらんと、おもへども、あかしのとなみ、いまださわげり
あはしま 阿波の國の内か。また紀州にも有。是は阿波の國か。淡路の内の粟嶋と可v見か。明石のとより渡る所なれば、紀州にては有まじき也
1208 妹爾戀余越去者勢能山之妹爾不戀而有之乏左
いもにこひ、われこえゆけば、せのやまの、いもにこひずて、あるがともしさ
旅行なれば故郷の妹に戀わび、紀の國のせの山を越行に、妹背山相並び依然として有を見て羨みたる歌也
乏左 此乏さは羨ましきの意也。珍しく少き意から羨ましき意に通ふ故、かく乏しさとよめる也。羨ましきと云意也。此乏
しきと云詞、歌によりて三品の違有。然れ共本は一義の意より流轉して夫々に用ひたりと聞えたり
1209 人在者母之最愛子曾麻毛吉木川邊之妹與背之山
(249)ひとならば、おやのまなこぞ、あさもよい、きのかはづらの、いもとせのやま
人にてあらば親のうつくしみ愛する子と同じきと也。兄弟ありて兄と妹との如く有山と、これも羨みてよめる意、麻もよいは木と云序詞、前に注せり
1210 吾妹子爾吾戀行者乏雲並居鴨妹與勢能山
わぎもこに、わがこひゆけば、ともしくも、ならびをるかも、いもとせのやま
此歌、前の余越去の歌の意を重複したる意也。作者異なるか
1211 妹當今曾吾行目耳谷吾耳見乞事不問侶
いもがあたり、いまぞわがゆく、めにだにも、われにみえこそ、ことゝはずとも
妹山を過るから其名によせて也。わが戀慕ふ妹が姿を、せめて目になり共面影の見よかし。もの云かはさず共と云意也。妹山に向ひて歎きたる也
1212 足代過而絲鹿乃山之櫻花不散在南還來萬代
あじろすぎて、いとかの山の、さくらばな、ちらずもあらなむ、かへりくるまで
足代絲鹿 紀州の地名也。足代は伊勢河内にもあれど、こゝの足代は決めて紀州の地名なるべし。絲鹿の山と詠めるは五日の意にてか。五日の行程をふる間と云意をこめてよめるならんか。一説、此足代伊勢の事なるべし。行程も五日路なれば、勢州より紀州へ往來の間不v散もと云意ならんと也。此説も一義なきにあらざるか
1213 名草山事西在來吾戀千重一重名草目名國
なぐさやまの、ことにしありけり、わがこひの、ちへのひとへも、なぐさめなくに
これも旅行にて名草山を越る時よめるなるべし。故郷を戀わぶる心は、千の中一つも慰まぬと也。名のみにてと云義を事に(250)しと也
1214 安太部去小爲手乃山之眞木葉毛久不見者蘿生爾家里
あたへゆく、をすてのやまの、まきのはも、ひさしくみねば、こけおひにけり
安太部 地名と見ゆる也。然るに諸抄の意は作v梁取v魚者の部類を云と釋して、安太氏の者の通る小爲手の山と云義と注せり。いかに共難2信用1。前の足代過絲鹿の山とよめる歌と同じ意と見ゆる也。あたへといふ處をへて、小爲手の山を越る時久しく見ざる間に、諸木の年經りたる義をよめると聞ゆる也。猶此歌あたへゆきとよまんか、ゆくとよまんか。追而可2沈吟1。また初句二句讀出したる處の意可v考也
1215 玉津島能見而伊座青丹吉平城有人之待間者如何
たまつしま、よくみていませ、あをによし、ならなるひとの、まちとはゞいかに
伊座 伊は初語也。此歌は相伴ふ人へよみかけたるか。また玉津島の人旅人へ詠かけたるかの差別あるべし
1216 鹽滿者如何將爲跡香方便海之神我手渡海部未通女等
しほみたば、いかにせんとか、わたつみの、かみがてわたる、あまのをとめら
方便海 わたつみとは義訓也。作り拵へたるたてもの也。龍宮界と云もの別に有にはあらねど、こしらへたてたる物と云義をもて書たる世。佛説によりてかける也。本朝にても此道理一致の事也。實にわたつみの宮、龍宮城など云處有にあらず。道理をもて立たるもの、畢竟高天原同事の處也
神我手渡 師案、神わた渡るにて地名なるべし。神小濱など紀の國によみたれば、神海といふて所の名と見るべし。尤もわたつみの神とうけて地名を云たるなるべし。我はわれと讀むわの一語を取り、手はた也。又は神潟にもや。潮みちばとよみたれば潟にてもあるべきか
(251)1217 玉津島見之善雲吾無京往而戀幕思者
たまつしま、みてしよけくも、われはなし、みやこにゆきて、こひまくおもへば
あまりよき風景故、京へ歸りても忘られずこひ慕はれんと也
1218 黒牛乃海紅丹穗經百礒城乃大宮人四朝入爲良霜
くるしのうみ、くれなゐにほふ、もゝしきの、おほみやびとし、あさりすらしも
黒牛 くろうしと點有。約言を不v知故也。これは黒石の海と云こと也。くろいしはくるし也。紀の國伊勢に白黒の濱と云處ある也。日本紀の歌の由良のとのいぐりと有も此處ならん。いぐりのいは初語くり也。くりはくろ石也。ろいの約り也。よりて今俗にも栗石といひ、歌に奧津いぐりなど云も黒石の事也
此歌黒石の海と云をもて、紅匂ふ共詠出、それより大宮人のあさり共よみ出たる處歌の首尾也。いづこの海も有るに、くるしの海を詠出で紅匂ふとよみたる處古歌上手の意、歌の雅情ケ樣の處に有。一首々々に此意を付て集中の歌を見るべきこと也。案不v足故古人の詠出たる趣向の雅情、歌と云本體を見つけぬ也。尤只一通迄にて何の意もなき歌も數多あり。その歌は字面にてよく聞えて明らか也。此次の歌抔何の意もなくよく聞えたる歌也。其中にも少づつ意味の有歌に心を付べき事也
1219 若浦爾白浪立而奧風寒暮者山跡之所念
わかのうらに、しらなみたちて、おきつかぜ、さむきゆふべは、やまとしぞおもふ
これらは何の意もなくよく聞えたる歌也。然れ共わかの浦とよみて、山と止めたる掛合の意を可v味也。故郷を慕ふ共なく、都をともなく、大和と詠止たる處すこしの趣向也
1220 爲妹玉乎拾跡木國之湯等乃三埼二此日鞍四通
いもがため、たまをひろふと、きのくにの、ゆらのみさきに、このひくらしつ
(252)此歌も何の意もなけれど、玉を拾ふと、きの國とうけたる處僅かの意有。妹が爲に珠を拾ひに來と云意也。ゆらの岬と云も一日を緩やかに旅行し、心急ぎもせず玉を拾ふ計りに暮しつと云意を合みて、ゆらの三埼をも詠出たると聞えたり
1221 吾舟乃梶者莫引自山跡戀來之心未飽九二
わがふねの、かぢはなひきそ、やまとより、こひこしこゝろ、いまだあかなくに
此歌地名いづことも不v被v顯。湯等玉津島の間を指して、大和より思ひ/\て來りし此風景未だ見あかぬとの意也。別の意なき歌也。次の歌を見るに、玉津島の景色にあかなくにと云歌なるべし
1222 玉津島雖見不飽何爲而※[果/衣]持將去不見入之爲
たまつしま、みれどもあかず、いかにして、つゝみもてゆかむ、みぬひとのため
此歌玉津島の景色をほめて、包まるべくは故郷へもて歸りたき程に賞したる也。これも包みて行かんと詠めるから、玉津島を上によみ出たる也
1223 綿之底奧己具舟乎於邊將因風毛吹額波不立而
わたのそこ、おきこぐふねを、へによせむ、かぜもふかぬか、なみたゝずして
わたのそこおき 深きと云ことにわたの底おきといへり。海の深き處と云義也。波たゝずして追風の吹けかしと願ふたる也。ぬかはふかぬ哉の意也
1224 大葉山霞蒙狹夜深而吾船將泊停不知文
おほばやま、かすみかゝれり、さよふけて、わがふねはてむ、とまりしらずも
霞 かくせりともよむべし。夜中なればいづこをそことも知れねば、大葉山をめあてにいづことも心ざすべきを、霞に隱したれば方所方角知れぬ故、いづこに舟をはつべき泊り知らざると也。大葉は紀の國也
(253)1225 狹夜深而夜中乃方爾欝之苦呼之舟人泊兼鴨
さよふけて、よなかのかたに、おほゝしく、よびしふなびと、はてにけんかも
夜中方 地名なり。近江と云傳たれど同名異所多ければ歌のつゞき紀州故不審也。第九卷に高島山によみ合せたり。それは近江と聞えたり。おほゝしくは覺束無きの意、いぶかしきと云意也。夜中方は潟によそへたるか。ふけて舟人のよばふ聲せしか。いづかたにか船のはてけんと心細く覺束無き體をよめる也
1226 神前荒石毛不所見浪立奴從何處將行與寄道者無荷
みわのさき、あらそもみえず、なみたちぬ、いづこよりゆかん、よきちはなしに
此神前、みわの崎か、かみの崎か難v定。尤紀州近江兩所にあればこれも定め難し。歌の意別の意なし。よきちはよき道也。荒き波風をよくる道無き故、いづこより行かんやと也。六帖の歌に、忘れ川よく道〔なしと聞てしはいとふの海の立はなりけり〕
1227 礒立奧邊乎見者海藻苅舟海人※[手偏+旁]出良之鴨翔所見
いそにたち、おきべをみれば、めかりぷね、あまこぎいづらし、かもかけるみゆ
海藻 和名抄云、本草云、海藻〔味苦鹹、寒無v毒、和名爾木米俗用2和布1。もかり船と點あれど、めかりとよまんか。尤もいづれにても義は同じけれど、海の字を添へたれば也。海人のめかり船を漕出るやらん、奧の方より鴨の跳立騷ぐと也。別の意なき也。尤かもとは舟のことをいへば、舟の海上を走る體を見て云へるか
1228 風早之三穂乃浦廻乎※[手偏+旁]舟之船人動浪立良下
かざはやの、みほのうらわを、こぐふねの、ふなびとさわぐ、なみたつらしも
此歌もかざはやのとよめる處より下の句を合せたる也。如v此少計の意有こと也。風早のみほの浦曲故舟人さわぐと也
1229 吾舟者明旦石之潮爾※[手偏+旁]泊牟奧方莫放狹夜深去來
(254)わがふねは、あかしのみなとに、こぎはてん、おきへさかるな、さよふけにけり
湖 此集中にみなとゝよませたり。潮の字は誤れるか。みなと濱とよむ事字義未v考。たゞし義をもてよませたるか。歌の意別義なし
1230 千磐破金之三崎乎過鞆吾者不忘牡鹿之須賣神
ちはやぶる、かねのみさきを、すぎぬとも、われはわすれじ、しかのすめがみ
千磐破金 此讀三義あり。神とかける一語にかとばかりうけたるか。又かねもかみに音通故か。又下のすめ神とある故か。また金はいはを破りて出るとの故といふ説も有。いづれとも決し難し。先は神とうけ、かの一語に請たる義と見るべし。金之三崎は筑前也。續日本紀二十八稱徳紀、神護景雲元年八月〔辛巳、筑前國宗形郡大領外從六位下宗形朝臣深津、授2外從五位下1。其妻無位竹生王從五位下、並以d被2僧壽應誘1造c金埼船瀬u也〕
過鞆 すぎぬともすぐれとも兩樣有
不忘 是も上の讀樣に應じて兩樣有。上の讀樣にて下の意も違べし。畢竟の意は海上の無難を祈るしかの神なれば、金之三崎は難所なれば專逸に願ふなるべし。然れどもそこをも過たりとも、すめ神の御惠みは忘れまじく、心に祈り申さんとの意也
牡鹿 筑前槽屋郡に有。延喜式〔第十神名帳下云、筑前國糟屋郡志加海神社三座【並名神大】表、中、底筒男三神を祭りし神社也
1231 天霧相日方吹羅之水莖之崗水門爾波立渡
あまぐもり、ひかたふくらし、みづぐきの、をかのみなとに、なみたちわたる
此集中天霧合、天霧相と書きて、霧あひとよませたれど、天きりあひと云こと心得難し。よりて當流には、くもり、くもるとよめり
日方 東風の事也。こち風と云。日出る方と云義をもて書たる也。範兼、清輔などは巽風坤風など説々有。然れ共今も空曇りて雨雪ふらんとするには、決めてこち風とて東風吹く也。ことに日方と書きたれば、東の方なり。東風とみる也
(255)水莖之崗 筑前也。別の意なし。第三に大伴卿の歌にも、水莖の水城の上にもと詠めり。くきとは岫の字をよむ。前に注せり。ちかきの岫よりなどよめる所に有
1232 大海之波者畏然有十方神乎齋禮而船出爲者如何
おほうみの、なみはかしこし、しかれども、かみをまつりて、ふなでせばいかに
よくをこえたる戰地
1233 未通女等之織機上乎眞櫛用掻上拷島波間從所見
をとめらが、をるはたのへを、まぐしとて、かゝげたくしま、なみまよりみゆ
拷嶋 出雲といへり。和名抄云、出雲嶋根郡、多久。たぐるの意也。たく島といはん迄に、上よりの序詞をのべたり。機の糸筋の亂たるを直すに、櫛をもてかき直す也。その時絲を掻上たぐる也。そのことを云かけたるもの也。※[木+陶の旁]の字也。玉篇に※[糸+※[楫+戈]の旁]者梳v糸具云々
1234 鹽早三礒回荷居者入潮爲海人鳥屋見濫多比由久和禮乎
しほはやみ、いそわにをれば、あさりする、あまとやみらん、たびゆくわれを
しほはやみ 滿潮などにて潮早き故礒のめぐりにゐると也
入潮爲 かづきとも、あさりとも讀むべし。此下の句集中に類歌多し。別の意なし
1235 浪高之奈何梶取水鳥之浮宿也應爲猶哉可※[手偏+旁]
なみたかし、いかにかぢとり、みづとりの、うきねやすべき、なをやこぐへき
此歌は※[手偏+(揖の旁+戈)]取を相手にして尋ねたる歌也。前の溯早みと有つゞきにて、滿潮の時船出して海上にうき宿りをせましや、又かゝらずに漕過んかと也
(256)1236 夢耳繼而所見小竹島之越礒波之敷布所念
ゆめにのみ、つきて見ゆれば、さゝじまの、いそこすなみの、しく/\しのばる
さゝ嶋の磯こす波の面白き景色の、目にも忘れず見ゆれば、さゝ島の事のしげく慕はるゝと也。一説に故郷の夢に不v絶見ゆればとの説有。さゝ島の磯こす波は、下のしく/\といはん爲と見る説有。いかゞ。故里の見ゆると詞を入て不v見ばならぬ也。字面の通なれば、さゝ島の夢につきて見ゆれば、礒こす波景色などしく/\とは深切の意、あとから/\慕はるゝとの意也
1237 靜母岸者波者縁家留家此屋通聞乍居者
しづかにも、きしにはなみは、よりけるか、このやすがらに、きゝつゝをれば
此屋通 このやすがらにとよむべし。やもよも同音夜すがらの意也。別の意なき歌なり
1238 竹島乃阿戸白波者動友吾家思五百入※[金+施の旁]染
たかしまの、あとしらなみは、さわげども、われはいへおもふ、いほりかなしみ
竹島 近江なるべし。八雲には備前と注せさせ給へ共、第九にも高嶋とありてあとかは波と有。又周防と云説有。難v決し。
阿戸白波 第九には高嶋之阿渡河波者と有。然ればあへとも紛るまじ。白波はいづれにても同じければ、こゝはしら波とよむべし。さなくては全く同歌也。第九の歌も宿加奈之彌と有
歌の意は川波は立さわげ共、その音ひゞきにも紛れず、旅の宿りに故郷を慕ひ悲むと也。竹の訓古はたか也。こゝも川波のたかきと云義によせて詠出たる也
1239 大海之礒本由須理立波之將依念有濱之淨奚久
おほうみの、いそもとゆすり、たつなみの、よらむとおもへる、はまのさやけく
(257)由須理 動の義也。鳴どよもすなど云意に同じ。將依、わがよらんと思ふ義を云て、波のよるとうけて兩方を兼たる也
1240 珠※[しんにょう+更]見諸戸山矣行之鹿齒面白四手古昔所念
たまくしげ、みもろどやまを、ゆきしかば、おもしろくして、むかしおもほゆ
たまくしげ 身とうけてふたみの身也。見諸戸山、山城宇治の北に有也
面白四手 此四字別訓有べし。みもろど山をよみ出たる趣向此四字に有。未v案也。字の如くにては歌の詮いかに共心得雖し
1241 黒玉之玄髪山乎朝越而山下露爾沾來鴨
ぬばたまの、くろかみやまを、あさこえて、やましたづゆに、ぬれにけるかも
何の意もなくよく聞えたる歌也。黒髪山は下野也。第十一にも同じ上の二句有
1242 足引山行暮宿借者妹立待而宿將借鴨
あしひきの、やまゆきくらし、やどからば、いもたちまちて、やどかさむかも
別の意なし。尤旅行の歌也。宿からばと有をもて知るべし
1243 視渡者近里廻乎田本欲今衣吾來禮巾振之野爾
みわたせば、ちかきさとわを、たもとほり、いまぞわれくれ、ひれふりしのに
たもとほり は立もとほり、こなたかなたと止まり不v進義也。又は初語とも見る也。ひれふりしとよむ縁に、袂といふことを詠入たる也。打見わたせる處は近き里めぐりなるに、こなたかなたともとほりめぐりて漸今こそ來れと也
ひれふりし野 肥前のひれふる山の麓などに有野を云にや。地名不v知。ひれふりの野とよむべきか。ひれふりの野とよめるには意有べし。ひれふれ招かれて漸今來れりと云意にや。此歌意少し聞え難き處有。尚可v案也。今ぞわれくれは、てに(258)は不v合。今こそのこの字を脱せるか。禮の字流の字の誤りたるか
1244 未通女等之放髪乎木綿山雲莫蒙家當將見
をとめらが、ふりわけがみを、ゆふのやま、くもなかくしそ、いへのあたりみむ
木綿山 豐前に有。八雲の御説也。類字抄には豐後と注せり。ゆふの山を詠まんとて、をとめらがふりわけ髪とはよみ出たり。歌の意別義なし
1245 四可能白水郎乃釣船之綱不堪情念而出而來家里
しかのあまの、つりぶねのつな、たへずして、こゝろにおもひて、いでてきにけり
しかのあま 筑前のしか也。次の歌の續き前後をもて可v知也
不堪 しのぶに堪へずして也。釣船の鋼は絶ゆることなき強きもの也。よりて思ひの絶えぬことによせてよめり。此たへはしのびかねてと云意也
情念而 すべて紐緒網をつくる環を、古語にはこゝろといひし也。よりて紐緒綱などの歌に心とよめるはその縁をもて也
1246 之加乃白水郎之燒鹽煙風乎疾立者不上山爾輕引
しかのあまの、しほやくけぶり、かぜをいたみ、たちはのぼらで、やまにたなびく
燒鹽煙 やく鹽けぶりと、字のまゝの點も有。然れ共鹽やく煙のかた然るべし
風乎疾 風のとく吹たつるから、空へは立登らで山にたな引と也。景色までの歌也。この歌第三卷日置の少老が歌に同じ
右件歌者古集中出
誰の家集ともなく、古來の古詠集の中に有と也。古注者の釋也
1247 大穴道少御神作妹勢能山見吉
(259)おほなむち、すくなみかみの、つくりたる、いもせのやまを、みればまぐはし
大穴道 前に注せり
見吉 これを點本諸抄とも見らくしよしもとよめり。尤さ詠める歌もあれど、此歌につきては宗師別義傳有。吉の字は細の字と通じて古記和書によませたり。細馬、よき馬と讀む類の如し。然れば吉の字も細の字のよみと通じてよむこと也。細の字を此集にまぐはしとよめり。花ぐはしなど共讀ませたり。よりて此の吉、若しくはまぐはしとよめる也。まぐはしとはよきと云義にて、さてまぐはしとは夫婦の語ひをなす事をいへり。みとのまぐはひと云古語をもて知るべし。よりて妹背の山を見ればとよめるから、此のまぐはしの詞は縁ある詞也。歌は如v此そのことに緑ある詞を求めてよむ處が歌也。見らくしよしもなど云ては一體聞えたる計にて、歌の風雅を知らざる也。古人はそこを詠おほせて後人にも傳へたれど、見る人知る人なければ古詠を下手にして、萬葉體などといひなせるは歎くべきの甚也。見る人の見解にてよくもあしくもなる、然らば能樣に見なし、よみ解べき事作者の本意にも叶ふべからんか。次の歌も此意をもてよめる歌也。よつて並べあげたるか
1248 吾妹子見偲奧藻花開在我告與
此歌よみ樣、てにはいか樣にもありて一決し難し。義の安からん方を取るべし。點本の通にても意は通ふべけれど、終の句四言に別訓有。點の通には讀難し
わぎもこが見つゝしのべるおきつものはなさきたりとわれにのらまく
わぎもこにみつゝしのべと 中略 われはのらまく
わぎもことみつゝしのばん 中略 はなさきたらばわれにのらまく
右てにはによりて歌の意かはれば一決し難し。好所にしたがはんのみ
告與 これをのらまくとよむも一傳也。歌詞とたゞ言の差別を知れる人は知るべし。與の字まくとよむも云つげよと云願ふたること也。見まくの、聞かまくのと云此集中の例語也。與の字まくとよむ義は、日本紀神代紀に相與と有を、みとのまぐは(260)ひとよませり。その外古記にも、みとあたへなど讀みてまぐはひと讀ます。此集中にまくと不v讀ば叶はぬ歌有。よりてこゝもまくとは讀ませたり
右兩首共諸抄と異也。宗師の一傳也。尤も二首とも旅行にての歌也
1249 君爲浮沼池菱採我染袖沾在哉
きみがため、うきぬのいけの、ひしとると、わがそめしそで、ねれにけるかな
浮沼池 八雲に石見と有。憂によせて也。採、つむ共よむべし。沾在哉、ぬれにけるかなとの點は心得難し。ぬれにたるかなとか、ぬらしたるかなとか讀むべし。別の意なき歌也
1250 妹爲菅實採行吾山路惑此日暮
いもがため、すがのみとりに、ゆくわれは、やまぢまどひて、このひくらしつ
此歌によれば山菅にも實はなるものと見えたり。たゞし今山菅といふは異にて、これ和名抄にいへる麥門冬の實の事也。今云山菅は實はならざるとおぼえたり。表の歌意は菅の實をとりに行ことによみなして、すがの實とるとは、夫婦にならんとこひ行との下心を含みてよめる也
右四首柿本朝臣人麿之歌集出
問答 此標題後人の筆ならんか。尤問と答を相置たる歌ども也
1251 佐保河爾鳴成智鳥何師鴨川原乎思努比益河上
さほがはに、なくなるちどり、なにしかも、かはらをしのび、いやかはのぼる
さほ河と詠出たるより、下にいや河上りと止たる也。佐保川はさ火也。あおの意を含みて下にのぼるとは詠めり。火はその性のぼるもの故也。うちのぼるさほなど詠めるにて知るべし。此歌の意、何とてさほ河を慕ひ上るぞと問かけたる也
(261)1252 人社者意保爾毛言目我幾許師努布川原乎標緒勿謹
ひとこそは、おほにもいはめ、わがこゝろ、しのぶかはらを、しめゆふなゆめ
ひとこそは 人にてあらばおほよそにも言葉に出て云表はさめど、鳥なれば云べくもなし。われいかばかり偲ぶ河原なる程に、領してせくなと下知したる返歌也。千鳥のしのびのぼる河原なる程に、そこにしめゆふて領してのぼさぬ樣にしふ給な、ゆめつゝしみ給へと也
我の字、師案は、かりとよむべし。雁の歌に見る也。然れ共千鳥へ問かけたる返歌なれば、われとよみて千鳥をさすべきか
右二首詠鳥
1253 神樂浪之思我津乃白水郎者吾無二潜者莫爲浪雖不立
吾無二 此三字別訓あらんか。點の通によみて一通は聞ゆれど、何とぞよみ樣有べし。追而可v考也。一通の歌の意は聞えたり
1254 大船爾梶之母有奈牟君無爾潜爲八方波雖不起
此歌も君無爾の三字何とぞ別訓あらんか。點本の通にて一通は聞えて、君なしにはいさりはせまじきとの答也。然れ共何とぞよせあるべき歌也。上の句聞き得難し。追而可2沈吟1也
右二首詠白水郎
臨時
時に臨みて何事の差別もなくよめる歌をあげたる也
1255 月草爾衣曾染流君之爲綵色衣將摺跡念而
つきぐさに、ころもぞそむる、きみがため、いろどりごろも、すらんとおもひて
(262)月草 つゆ草と云草、青花とも云也。うつりやすき色也。下の句は上の句を二度ことわりたる歌也
1256 春霞井上從直爾道者雖有君爾將相登他回來毛
はるがすみ、ゐのへにたゞに、みちはあれど、きみにあはむと、あだめぐりくも
春霞 ゐとうけたる也。雲ゐ、霞ゐとつゞく詞也
井上 ゐがみと讀まんか。ゐのへと讀まんか。未v考2證例1。大和の地名也。皇子皇女等の御名に奉v號られしも、皆地名をもて被v爲v稱たる事也
直爾 一筋にまぢかき道はあれどと云義也
他回 これを點本、諸抄共にたもとほりとよめり。たは初語にてもとほりと云義にて、すぐに一筋に行かで、かなたこなたと立どまり、何とぞきみにあはんと尋ねめぐり來ると云の説也。井上と云處へ一筋には來らで、思ふ人にあはんと、かなたこなたと尋ねめぐり來ぬとの意也。然共宗師案は他回はあだめぐり來もとよむべし。阿陀といふ大和の地名あれば、上によみ出たるも地名なれば、このめぐれる處も地名をよみ入て、心はあだにめぐり來しと云義也。此以下三首の歌みな、此阿だの地名を詞に詠入たる歌共と見ゆれば、此他回はあだめぐりにてあるべき也。さなくては歌の意面白からず。地名をふまへてよめる處歌也。上古の歌は皆如v此の格あることにて、萬葉集には此傳第一の義也
1257 道邊之草深由利乃花※[口+咲]爾笑之柄二妻常可云也
みちのへの、くさふかゆりの、あだゑみに、ゑみにしからに、つまといふべしや
道邊之草深由利乃花 ※[口+咲]といはん迄の序詞也
花※[口+咲]爾 これをあだゑみと讀むべし。花の字にあだと讀までは不v叶歌いくらも有。古今集にも花櫻とよめる歌有。櫻花と讀まではな櫻とよめる意すまぬ事也。これ上古は花と云字あだとよめると見えて、その外あだなる事に花と詠める歌あまた也。花櫻は花計咲きて實のならぬことを云との説なれど、それ共にあだと云義に叶ふ也。こゝの歌も、阿陀の地名をこめてあ(263)だゑみとはよめるならん。殊に歌の意も、あだにゑみしからつまといふべきや。あだごとなればつまとは云はれぬとの歌也。あだごとにてはつまとは云はじ。心實をもて語らひよらんとの意をもこめて、この歌もゑみにしからとよめるを本として、上の句をつゞけたる也
1258 黙然不有跡事之名種爾云言乎聞知良久波少可者有來
此歌初五文字ことたらじとよめり。源氏物語花宴の、なをあらじといふ詞に、諸抄此歌を引てなをあらじと書り。直あらしといふ意をとりて、黙然の二字をなをと引直してよめること心得難し。もだあらじとよめる、文字の意のまゝによめるなれど、これも別訓あるべし。前の歌の格を以てあだならじとよまんか。これ前の歌の例をもて地名をよみ入て也。然れ共此歌の全體聞得がたし。諸抄の説の如くは歌の意通じ難し
少可者有來 これをすくなかりけりとはよみ難し。此訓點未v決ばいかにとも讀解難き故、釋なし難し。若は誤あらん。すくべかりけりとは讀まんか。これも少六ケ敷也。追而可v考
1259 佐伯山于花以之哀我子鴛取而者花散鞆
さへきやま、たちばなもちし、かなしきか、みをしとりでは、はなちりぬとも
佐伯山 國不v知。八雲御抄に攝津國と註させ給ひ、しかも萬七と被v遊し也。攝津國にあるか未v考。八雲の御説も五月山と被v遊、共にうの花とありて乍v恐信用し難きことあれば、何れの國とも決し難く、殊に此于花の字をうの花と讀めることいかに共心得難し。于は音也。然ればのゝ字脱したりと云べきか。佐伯山のうの花とは何の縁ありて、はる/”\佐伯山を詠出給ふらん。佐伯山と詠出たるには、其縁なくては古詠めつたには詠出ざる事也。然れば卯花にあらざることを知るへし。全體の歌の意以ても考ふべき也
于花 これは橘也。いかにとなれば、干の字は干戈とつゞきてたてとよむ字楯の字と通也。然れば伊佐伯氏は、大甞會の時も四門に干戈を守つて固衛する官也。延喜式等可v考。たてはたちと同音にて、てもちも同じ詞故、橘花といふ義に干花とは書(264)きて佐伯山とは上に据ゑたる也。たゞ何となく縁はしもなき事に、さつき山を詠まん樣なきを、于花と讀まんとて也。此詠格當集第一の心得也
哀我 語例句例ありて、當集に哀の事大かたかなしとよみて此歌も悲しき也。悲しきとはうつくしむ妹をさして云たる也。十四卷の歌に此詞多くして、妻妾を悲しきと讀める例格ありて、こゝも妻女などをさして云たる義と見るべし
子鴛取而者 こをしとりてはといひては歌にあらず。何の事とも聞えず。實をしとりてはと云義みと讀むべし。立花は花より身をも賞翫のもの也。よりてその女の身をこなたへ領しとりては、花は散りぬともよしと云歌也。女の身を立花の實にとりなして詠める也。如v此よみては歌也。たゞ何とも縁もなく、于花をうの花と無理讀に點をつけ、歌の意も不v考、子をことよみては歌の意雅言俗語の差別もなき也。是等を宗師流派の傳歌とはする也
1260 不時班衣服欲香衣服針原時二不有鞆
ときならぬ、はなずりごろも、きほしきか、ころもはりはら、ときならねども
班衣服 まだらごろもと讀ませては、奧にまだらふすまなど云こともありて、まだら衣歌詞にあらず、はたれとはよむべけれど、おなじ義訓ならば雅言をもて訓じ、歌の意に相應の詞を用べし。よりて花ずり衣とはよめり。榛原を通りしかば、秋ならねども花ずり衣の著まほしきと詠める歌也。はりもはぎも同じ。を萩め萩の差別あり。木と草と違へ共意は萩原の意也
1261 山守之里邊通山道曾茂成來忘來下
やまもりの、さとべにかよふ、やまみちぞ、しげくなりける、わすれけらしも
里邊 さとめに通ふと云意也。へはめと同じ。里へ通ふと云計の意にてはなく、山守故山に住也。その里の女に通ふ路の草木の茂りたれば、行通ふ事絶えて女を忘れけるかと也
1262 足病之山海石榴開八岑越鹿待君之伊波比嬬可聞
此歌も六ケ敷歌也。點本諸抄の説にては歌といふ義不v通也
(265)足病之山 點本諸抄共にあしひきの山云々と讀めり。心得難し。山つばきの咲く八をこすとよめる意何といへる義にや。山つゝじさくとも、山櫻さく共讀みてすむべき事也。歌の全體の意、何をもて山つばき咲くやつの岑をこすとはよめるや。其意得難し。よりてこの足病之山、あなしの山ならんか。又あなの山か。二名の中と見る也。本自あなし山と云地名ある處を知らね共、あなし川と云處あればあなし山あるまじ共不v被v思。且あなしと風のことによめる歌有。風の名をあなし吹と云ことありて、あなしといふ處より吹風を云との古説なれ共、これもあな風と云事にもやあらん。あなしの事は風と云こと也。すべて風のことをしと云。あらし、つむじ抔云にて知るべし。然ればあな山と云處のあるまじきにもあらず。こゝもあなの山かあなしの山か。二つの内と見る也。あしひきの山つばきにてはあるまじ。山は上の地名に云たる山ならん。然れば海石榴は日本紀につばきと讀ませたり。つばきは爪木也。ばとまとは同音也。然るにあなし山とかあなの山とよみ出たるは、全體、しのぶ人かくれたるつまと云事を詠める歌故と聞ゆる也
開の字 誤字の疑ひも有。先開の字ならばわけてとよまんか。つま木をわけて也
八岑は 谷瓦也。谷岑をこす鹿とうけたる義也。八つのみねといふ事いかに共心得難し。谷をやつとは云也。なればあなの山の爪木をわけて谷岑をこす鹿を、勢子がはひ隱れて待つ如くに隱れゐるつま哉と、深く忍ぶつまかなと詠める意也。又開の字若しくは閉の字ならんか。然れば歌の意違也。君にかゝる詞に見るべし。開の字なればしかにかゝる詞也。君にかゝる詞といふは閉の字ならば爪木にこもりと讀むべし。せこが木の茂みにこもり、はひかくれて鹿を待と云意に見る也。全體の歌の意、かくの如き故あしひきの山にてはあるまじきと見る也。尤山爪木とよみても苦しからずば、あしひきともよまんづれ共山のつま木と云こといかにとも心得難き也。よりてこの歌の讀方二通有
あなしやまつまきをわけてやつをこえしかまつせこがいはひづまかも
あなのやまつまきにこもりやつをこす云々
右誤字と見る説と字の通りよむとの違也
1263 曉跡夜烏雖鳴此山上之木末之於者末靜之
(266)あけぬとや、からすはなけど、このみねの、こねれがうへは、いまだしづけし
あかつきとよからすなけど 歌詞にあらず。又あかつきとよみて夜烏と云事心得難し
山上 若しくは※[山/止]の字か。夫ならばをかなるべし
木末 こぬれと云も木の末のことを云也。こぬれはぬるといふ詞の縁あれば、夜のあくることを、よめる歌なれば、木ずゑよりぬれとはよむ也。歌の意は同じ。たゞ景色をよめる迄の歌也
1264 西市爾但獨出而眼不並買師絹之商自許里鴨
にしのいちに、たゞひとりでで、めもあはず、かへしきぬれば、あきじこりかも
此歌も表は絹を買ひし事によみて、裏には妻に不v逢と云事をよめる歌也西市 東西市とて帝都の左右に有。萬物を交易する處也。西の市をよみ出たるは、下にあきじと詠める秋の縁を含みてより秋を方角にとれば西方也
眼不並 これを諸抄の説は、ひとり出て目なれぬ絹を買ひし故、調ちがひて商ひにこりたるとの意と注せり。そればかりにて歌の意おも古くもなく、歌情と云ものなくてたゞごと也。表は諸抄の説にして、あしきゝぬと云こと不v見也。よりて不並は不v合とよむ也。目のあはぬあらき絹と云意にて、扨下の意は妻のあはぬといふ意也
買師 返しの意歸りしの意也。妻のあはでかへし來ればと云義也。表は買ひし絹なればと云義也。目もあはぬあしき絹なればと云意也
商自 あきじと濁りてよむべし。則濁音に用る字也。然ればにと云こと也。飽にこりたるかもと云義也。妻もあはずかへしきぬれば、もはや飽きこりたるかと云下心を含めよそへたる歌也
1265 今年去新島守之麻衣肩乃間亂者誰取見
ことしゆく、にひじまもりの、あさごろも、かたのまよひは、たれかとりみむ
(267)今年去新島守 東國よりつくしの島を守りに行防人の事をいへり。島守をさき守とよむも、邊鄙の島々を固め守る防人の事故、さき守とは義訓せり。にひさき守は初めて防人になされたるものをいへり。天智紀云。三年〔是年〕於2對馬〔島壹岐島筑紫國等1置v烽、又於2筑紫1築2大堤1貯v水曰2水城1〕と有
間亂 此點心得難けれど、和名抄※[糸+此]の字まよふと讀みて、やれよりたる事をいへる説あれば、先これに隨ふ也。日本紀紛亂と書きてまがひと讀ませたると覺えたり。追而可v考
許誰 許は衍字か。二字合せてたれかとはよみ難し。こゝたと讀みては歌の意通じ難し。追而可v考也
取見 第五卷にも、國にあらばちゝかとり見まし家ならば云々と詠める如く、旅の事なれば布衣の破れたるも、詳解洗ひても着せんやと也
1266 大舟乎荒海爾※[手偏+旁]出八船多氣吾見之兒等之目見者知之母
此歌點本諸抄の説の通にてはいかにとも通し難し。色々言葉をそへて云まはさねば不v聞也。第一多氣の字たけとよみては何事と云義不v知。土佐日記のたけど/\と云言葉にても此歌には不v合。全體の歌の意に不v合也。よりて宗師案は別傳ありて、八の字は入の字の誤りなるべし。其意左に注せり
大ふねをあらうみにこぐみなとかぜあれみしこらがまみはしるしも
如v此よむ意は上代の歌前にも注せる如く、第三の句より第四句へうける處を專とよみて、上によみ出る義はかつて意なく、此歌もたゞあれといはん詞のつゞきに、上を段々と詠出たる歌と見る也。歌の意は、たゞあれみし女子のまみのうるはしきは忘られず、いちじるきと也。若し防人の船津などにて相見そめし女の事に付て詠めるならんか。全體の歌、たゞ女を見たるその面かげの、目にとまりていちじろきと慕ふ意を詠みたる也
八 此字は入の字の誤にて、出入とつゞきたる字と見ゆる也。出入船多と書て、みなとゝ義訓によませたる事と見ゆる也。出入船の多處はみなと也
氣 此氣の字かぜとよませたる義と見る也。風は天地の氣人の氣息も風也。日本紀神代卷諾尊のふき給ふみいき、則級長の(268)二神となり給ふ義を考へ合せ知るべし。然れば出入船多氣はみなとかぜと義訓に書きたると見る也。其みなと風の荒くあれると云をうけて、あれみしとは詠出たる歌と見る也。大船をあら海にこぐはみなと風の荒き力なくてはなり難し。湊風のあれるから、大船を荒海に漕とも上に詠出たる也。上の句はたゞあれみしと云迄のうけに、縁語のつゞきを不v離詠たる也。歌の意にかゝはる事にはあらず。ケ樣に詠みては歌の意あさくて歌詞になり、しかも其意よく叶ふべし。點本諸抄物の如く、やぶねたきわがみし云々といひては、いかにとも歌の意不v通。又八船たきと云古語の例を不v聞ば、いかに共心得難し。此外に證例の古語出て、その義よくあひ叶はん讀解あらばこれを待つものなり
就所發思旋頭歌 ところにつきておもひをあらはす
これは地名につきて感情を表はす歌と云義也
旋頭歌 後人の作也。この旋頭歌といふは歌の體を云也。濱成和歌式には双本といへり。古くは旋頭歌といふ名目は無かりしか。双本と云は本を並ぶると云ふ義にて、第三句をも七文字によみ、第四句を五文字によみて以上六句によむ也。歌は上の句を本といひ、下の七々の二向を未といふ。神樂催馬樂等に本すゑと云も、上の句を歌ふものと下の句を歌ふものと有を云也。然れば初五文字を二度詠出る如きものを旋頭歌とはいひて、これ本を並ぶるの意也。然れば五七七とよみて又五七七とよむ事傳なり。双本とは上の句二通並ぶるの義を云。五七七五七七とよむ義也。今世間には五七五五七七とよむ也。これにては古今の歌の意に不v濟事を可v辨
1267 百師木乃大宮人之蹈跡所奧浪來不依有勢婆不失有麻思乎
もゝしきの、おほみやびとの、うちでのはまも、おきつなみ、よらざりせば、うせざらましを
此歌點本諸抄の如く蹈跡所を、字のまゝによみては、歌にては無く物語り咄などの如くなり、義訓をもて書たるもの也。此三字をかくよむ義は、上の大宮人と云詞に續く義ならではよみ難し。大宮人のとよみ出たるもの故、上古しかの都の時打出し處抔と云意を以、蹈跡所なれば打出はまとはよむ也。地名をいはでは就所發思とある題目に不v合也。若しくは難波抔の地名に(269)何とぞより所あらば、其地名をとり出てよまんか。且通路はとよまん義もあるべきか。なれどそこと名を指さゞればいかゞ也。よつて先打出の濱もとはよむ也。何にもあれ、ふむあとどころとよまん事決してあるべからず。大宮人の打出遊びし所など今はなくなりて、跡かたもなきことを歎きて、おきつ波の打よせてそこなはずば、今ものこりてあらましをとよめる歌也。大宮人をよみ出したれば、難波か近江ならではより所あるまじ、
右十七首古歌集出 普通の點本には首の字を脱せり。此十七首は問答の歌よりこなた十七首也。古注者の後注也
1268 兒等手乎卷向山者常在常過往人爾往卷目八方
こらがてを、まきもく山は、つねなれど、すぎにしひとに、いねまかめやも
過往人爾 これは死ゆきし人の事を云たる也。よりていにしとはよむ也。いにしも死にしも同事也
往卷目 これもいにまかめの意にて、いにもいねも同音也。上のこらがてをまきとうけたるもの故、手を卷とはいねて語らふこと也。玉手さしかへ抔よみて、ねることを云なれば、その縁にいねまかめとはよむ也。歌の意は、まきもく、今はとこしなへに卷と云名を負てあれども、死いにし人には卷かれぬと、死去し人を慕ひ、世は常なきと云事をいひたる歌也
1269 卷向之山邊響而往水之三名沫如世人吾等者
まきもくの、やまべどよみて、ゆくみづの、みなわのごとし、よひとわれとは
此歌も無常をいひて、前の卷向の山の次にあげたり。たゞし作者も同人の作故卷向とよみ出たるならん。此歌卷向に意なき歌也。然れば自作か。左注に人麿歌集出とあれど、此左注を證據に人麿の歌とも決し難き也。いづれも同時同作と見ゆる也。往水とよみて、世の中の常なきことを喩へたる歌、世と人と吾身と三つを、よ人われとはとよみたり。みなわは水の泡の如くと云義也
右二首柿本朝臣人麿歌集出 歌集に出とあれば、決して人麿の歌とも定め難き也
(270)寄物發思
1270 隱口乃泊瀬之山丹照月者盈※[呉の口が日]爲烏人之常無
こもりくの、はつせのやまに、てるつきは、みちかけするぞ、ひとのつねなき
月のみちかけするも、人の常なき理に同じきとの意也。人の常なきは、月もみちかけの理をもて知るべしと也
月者 この者の字、もと讀むべきか。此集中に者の字、もと讀までは不v叶歌多し
右一首古歌集出
行路
1271 遠有而雲居爾所見妹家爾早將至歩黒駒
へだたりて、くもゐにみゆる、いもがいへに、はやくいたらん、あゆめくろこま
遠有而 字のまゝによみては俗言に近し。義をもて別訓あるべきこと也。先づ隔たりてとよむ也。未だよみ樣あらんか
右一首柿本朝臣人麿之歌集出 人麿の歌には黒駒とよめる歌多し。歩め黒駒と云詞も雅言には不v聞共、外に訓義も不v考ばまづ普通の點にまかす也。何とぞ別訓あらんか。人麿は黒馬を好まれたるか。多く黒こまといふ歌有
旋頭歌
1272 劔後鞘納野邇葛引吾妹眞袖以著點等鴨夏草苅母
たちじりの、さやにいるのに、くずひくわぎも、まそでもて、くりてんとかも、なつくずかるも
劔後 下のいり野とよまん冠辭也。いり野とよめるも、野に入てくずをひくと云はん爲也
眞袖以 これもくりと云義の序也。手をもて繰ると云はん爲也。葛はいとに繰りて衣にする也。よりて引わぎもと詠めり。女のわざ也。此卷の奧にも、をみなへし〔おふるさはべのまくず原〕いつかもくりてわがきぬにせんと詠める歌有。衣にせん(271)爲に葛を引也
著 をくりと讀むはきといふ詞をのべるとくり也。集中に此格あげて數へ難し。古代は如v此語の通用をよく別ちたる也。くるといふ詞に著の字を置たるは、きと云詞をのべてよむ故也。さればこそ奧の歌に絡の字を書きてくりと讀ませたるを引合せて知るべし。點本の如くきてんとてかもとよみては、何をきてんと云ことにや。葛を引と計ありて、きてんとてかもとは衣にしてきてきてんとてかもと云はでは不v聞也。歌の全體を不v勘に、無理よみに點をなせること心得難し
夏草苅母 上に葛引と詠みて、又下に夏草といへること心得難し。これは葛と草との誤りなるべし。されば點にはなつくずと有。心をえて點をなせるにてはあるまじ。正本葛にてくずと點をなせると見えたり。これは二度上の葛引といへるを理りたる也。夏くずと云は、くずは專ら夏引ものと聞えたり。苅の字も引の字の誤にやあらん。かるにても意は同じ
(272)萬葉童蒙抄 卷第十八
1273 住吉波豆麻君之馬乘衣雜豆臘漢女座而縫衣叙
すみのえの、はづまのきみが、まそごろも、さにつらふ、をとめをすゑて、ぬへるころもぞ
波豆麻 地名なるべし。或抄には波雲のうつくしづまと云歌あれば、なみづま君にてあるべきなどいへり。心得難し。住の江にある、はづまと云地名故、住の江とはよみ出たるなるべし。さなくては、なには江の波づま君と讀まんこと然り。波は住江に限るべからず。然るに又はづまとは何故詠出たるぞなれば、馬乘とうけん詞の縁に、つまのまを上に据たるなり。尤その時にのぞみて、はづまの君といふ人の事をよめるにもあるべけれど、先よみ出たる詞の縁は、そのひかへをもてよめるなるべし。下次の歌にも、住吉出見の濱と詠みたれば地名と見るなり
馬乘衣 この乘の字そとよむこと心得難し。まのり衣にては有まじきか。尤剰と云字と相通ふ故か。音同聲なれば、みな通じて用ふれば、同音によむ事漢家の習なり
雜豆臘 雜の字さにとよむ事、當集中に例あり。よりてこれはさにつらふとよみて、をとめ、妹、つまなど云冠辭也。なにとて冠辭なればは、さねつれるといふ義也。さにつらふはさねつるゝと云詞なれば、これ妻妹をとめなど云冠辭の理り明らかなり
漢女 をとめと訓する事の義未v詳。女功女工のものをあやはとりなどいへるなれば、こゝも女工の事を專と云たることなれば、あやめなどよむべき歟。追而可v考。此歌も何とぞよせありてよめるか。其意未だ不v案也
1274 住吉出見濱柴莫苅曾尼未通女等赤裳下閏將徃見
すみのえの、いでみのはまの、しばなかりそね、をとめらが、あかものすその、ぬれてゆかむみむ
出見濱 をとめらの行を出見ると云義に、出見の濱を詠出たり
(273)柴莫苅曾尼 柴の陰に隱れて、をと女等が海邊に通はんを見むと也。それ故刈るなと下知したる也。前の歌に、岸のつかさの若くぬぎ、春し來たらば立隱るかに、と詠める歌を證例として、立隱れん爲にな刈りそとは下知せし也。そねと云詞、古詠の一格也。刈りそよと云も同じ意にて、たゞ刈るなと云下知の詞也
1275 住吉小田苅爲子賤鴨無奴雖在妹御爲私田苅
すみのえの、をだをかるすこの、やつこかも、なきやつこあれど、いもがみためと、われぞたをかる
すみのえの、をだからするこ、いやしかも、なきやつこあれど、いものみ民と、わたくしたかる
右二義のよみ樣あり。はじめの意は小田をかるすことは、わが身をさしてやつこかもなき、奴の無きにはあらねど、妹を思ふ心の切なることを見せんとて、いやしきわざをもして、われこそ田をも刈るとの意也。後の意も同じ樣なれど、のちの説公田私田の義に見なして、私田と書きたるは、田令の口分田の義に心づきて、妹が民となりて、口分田を自身に刈るも、妹に心をまかすると云意によめると見る也。御爲とかきたる義、御民の心にてもあらんかとおぼゆ。み爲はいもが爲といふ義にて、御は初語とみる也。御の字を用たるは、おほんたからと云の意を借りて書けるにもやあらん。おしはかりながらみたみとは讀む也。二義好む處にしたがふ也
宗師案、小田私田同訓によませたる訓あらんか。さゝ田とか、しのだの上、小田、小竹の竹をおとしたるか。私の字さゝともしのとも讀む義あり。すでに點本にも、しのび田と讀ませたれば、しのといふ地名をよみ入たる歌ならんかと也
1276 池邊小槻下細竹苅嫌其谷君形見爾監乍將偲
いけのへの、をづきがもとの、しのなかりそね、それをだに、きみがかたみに、みつゝしのばむ
池邊 地名なるべし。しのなかりそねとよみたれば、下にしのばんとはよみとめたり
1277 天在日賣菅原草莫苅嫌彌那綿香烏髪飽田志付勿
あめにある、ひめすがはらの、くさなかりそね、みなのわたか、くろかみに、あくたしつくな
(274)天在 下の日とうけん爲に、あめにあるとはよめり。天上にすがの原のあると云義にてはなし。冠辭の一語にうくるの語これなり。日は天上にあるもの故、あめにある日とつゞけたる也
日賣菅原 國所未v考
彌那綿 みなのわたとよむ。このゝの字の事少不審也。和語なればてには字を付る事極まりたれど、音書にそへ言葉を入る例未v考。みなわたは前に注せり。貝のわたと云説※[魚+生]の背腸と云との兩説也。※[魚+生]のせわたの事なるべし。くろきと云冠辭也
飽田志付勿 芥の髪につく程に、草な刈りそと云意と聞ゆる也。此勿の字兩樣に聞ゆれば也。意は同じ樣なれど、あくたしつくなと下知の詞にも聞え、又草を刈らばあくたのつく程にと云意とも聞ゆる也。よりてつくもと云點もあるべし。此歌の全體の意何を趣向によめりとも未2聞得1也。何とぞよせの意あるべき也。字面一通はたゞ黒き髪にちりあくたのつかん程に、すがはらに入りて草な刈りそと云意の歌也
1278 夏影房之下庭衣裁吾妹裏儲吾爲裁者差大裁
なつかげの、ねやのもとには、ころもたつわぎも、うらまけて、わがためたゝば、やゝひろくたて
夏影房之 此訓心得難し。女房は北にすむものなれば、俗の詞にも妻を北の方と稱す。よりて北窓の涼しきは夏によろしき故、夏かげのねやとはよめるか。何とぞ別訓あるべき也
下庭 したにはと云意心得難し。もとゝよむべきか。庭の字、にはとよむ義も不v通也。にはと讀みては、決して衣たつはずの處をいへるに聞ゆ。にてと讀まんか。にてと讀みては意かろし
うらまけて この言葉も難v濟。まづはうらをまうけてと云意と諸抄に注せり。うらかけてと云意か。然ればうらともにと云義なるべし。宗師點にはうらかけてとよめり。まうけるは兩方かけての意なるから、かけてともよむべき也
差大裁 やゝひろくたてとよむべし。點本諸抄にはやゝおほにたてと讀み、或ひはおほしさにと讀めり。詞雅言歌詞に不v聞也。第四卷の歌に此の言葉あり。その讀樣と同じことに心得て釋せるは心得難し。四卷の處に注せり。先通例に讀まば(275)なつかげの、ねやのもとにて、きぬたつわぎも、うらまけて、わがためたゝば、やゝひろくたて
1279 梓弓引津邊在莫謂花及採不相有目八方勿謂花
あづさゆみ、ひきつのべなる、なのりその、はなかるまでは、あはざらめやも、なのりそのはな
ひきつのべ 筑前也。なのりそのはな、濱藻也。ほだはらといふ藻草也。前に注せり
及採 かるまでとよむべし。もかりめかりといふ。すべて取ことを刈るといふ也。前に毎度注せり。此集中とると云事をかりかると讀までは不v通歌何程もありて、皆よみ違ひたる事多し。此歌もつむと點をなしたれど、わかな又は花にては紅の花抔にはきはめてさ讀めど、藻草の類をつむとは心得推し。よりてかるとはよめり。引つのべと云べはめ也
歌の全體の意は、引なびけたる女とわかつまとかりとる迄はあはまじ、必ずわがかたへ引ら《(マヽ)》れしと、人になのりそとしめしたる意を、なのりその花の上にいひなしたる歌也。よりてめといふことをいれて、ひきつのべなるとは詠めり。べはめ也。古語は、めと云ひてもべと云ひても通じたる也
1280 撃日刺宮路行丹吾裳破玉緒念委家在矣
うつひさす、みやぢのたびに、わがもやぶれぬ、玉のをの、おもひもゆたに、いへにあらましを
うつひさすみやぢ うつひさすは宮をほめ祝したる冠、うつは現在の義をいひて、ひさすはひさにふると云詞也。箕とうけたる冠辭とも釋せり。兩義好所にしたがふべし。前にくはしく注せり。宮路はみやこぢの義也。みやへのぼるなどよめるも同じ
行丹 これをゆくにと讀ませたれど、下のあが裳やぶれぬと云にかけ合す旅行なれば、裳のやぶるゝともいはるべし。たゞみやぢをゆくにやぶるゝとは云はれまじ。よりてたびとはよむ。集中に行の字をたびとよめる例多し
念委 これをおもひもゆたにとよむべし。義は玉のをのとよみかけたる義につゞかねばならぬ詞也。ゆたと云ふ詞はゆたゆたとゆるぐ義、うごくことを云也。それ故玉の緒にかけてゆたとはよみて、たびに出でず家にあらば、もの思ひもなくゆたか(276)にあらむをと云の意によむ也。點本の如く玉の緒のおもひすてゝと云ふ義、如何といふ義とも義不v通也。玉の緒のおとつゞけたる義など云説は假名遣を不v辨説也。おもひのおと玉の緒のをは、はしおくの違ひありて、さはうけられぬこと也。古詠の格例はかくの如く、思ひもゆたにといはん爲計に、上に色々とよみつゞけて、一句のうけを、あたらしくめづらしき詞の縁をつゞけたるを専逸とはよめる也
1281 君爲手力勞織在衣服斜春去何何摺者吉
せこがため、てづからおれる、きぬなめに、はるさらば、いづちのはなに、よりなばよけむ
衣服斜 これを通例の點諸抄皆きぬきなめとよみたれど、きぬきなめといふ詞外に句例なし。尤きなめは着給へといふ義と釋すべけれど、此詞例無ければ心得難し。次の歌に苗とよめるから斜はなめにとよむ也。なめはうべと云詞なり。なべと云詞の事前にくはしく注せり。苗はなめにてなめはうべと云義、尤もと云字、諸の字の意也。おりたるきぬなればうべと云意也。なべはうらとにといふ通用の釋なれど、それにては不v合處あれば、兎角なべはなめ、なめはうべといふ詞と見る也
春去何何 この春さらばといひて、下の何々の二字上につゞく縁の詞ならでは不v叶也。いかにやいかにとよみては歌詞にあらず。春になりたらばといふていかにやいかにとは縁なき詞也。よりて宗師案には花と云詞を入て義にかなふ様によむ也。しかれば何何とは、いづちの花にすりなばよけんとよめり。何の字をいづことも、いづくともよむ事常のことなり。何とていづちとはよむなれば茅の花といふ詞なり。春にはつばなといふものあり。つばなはちばな也。なれば何の花にきぬをそめたらばよけんとの意也。歌はかくの如く縁を離れずによみたるものを、後人歌の意を不v知故無理よみの點をなせり。一説いづれの花にすりなば、いづれはなにゝ、如v此ともよむべきか。しかれ共花の名の躰を居てよむべき事なれば、いづちの花にとよめるかた然るべし。なれ共いづちの花にと云義にてなければしかと詞不2打付1也。此所すこし不v居か
1282 橋立倉椅山立白雲見欲我爲苗立白雲
はしだての、くらはしやまに、たてるしらくも、みまくほり、わがするなべに、たてるしらくも
(277)此はし立のくらはし山前に注せり。大和の地名也。此歌の意は隔句体と聞ゆ。白雲のたてるくらはし山を見まくほりと云歌也。普通の點は山にとあれど、宗師案は山を見まくほりと見る也。雲を妻などに見る例もあれば、くもを見ほりといふ義のなきにもあるべからず
1283 橋立倉椅川石走者裳壯子時我度爲石走者裳
はしだての、くらはしがはの、石ばしはも、わかきとき、わがわたしたる、いしのはしはも
者裳 この詞集中に多くして、石ばしは何となり行しぞと問ひ歎きたる詞也。すべてはもと云はとひ歎く詞と知るべし
壯子時 みさかりにと云點いかにとも義不v通。身のさかりなる時と云義ならんか。然れ共さはいはれず。語例もなき詞也。まづ若き時とよめる也。未だ別訓を可v考也。若き時にては不2打着1也
我度爲 わがわたしたる、わがわたりたる、両點好むにしたがふべし
全體の歌の意、唯昔を思ひ出て、そのかみありしことのあれはてゝなきは、何とかなり行しやと問ひかへしたる歌也。下の句別訓のよみ樣あらんか
1284 橋立倉橋河靜菅余苅笠裳不編川靜管
はしだての、くらはしがはの、すがすげを、われかりて、かさにもあまず、かはのすがすげ
靜菅 しづすげといふこと心得難し。後世の歌には、この歌の誤字を不v辨よめる事もあるべけれど難v用。しづすげといふ語例句例、集中にも古書にも不v見也。これは淨の字の誤なるべし。靜の字の處に淨の字を書きたる事も多し。なればこゝは又淨を誤りて靜に書きたるならん。淨なればすがとよむ清きの意、菅への縁語也。川の清きすげといふ義にして、すげと云ふ詞のうつりにすがとはよめるならん
不編川淨菅 われ刈りつれ共清きすげ故、かさにもあまぬと二度理りたる也。物によそへてわがものと刈りとりたれど、打まかせて未だ心のまゝにはならぬと云義など釋せる説あれど、つけそへいへばいか様にもいはるれ共、六ケ敷説は古詠には不v(278)合事也
1285 春日尚田立羸公哀若草※[女+麗]無公田立羸
はるひふる、田にたちつかる、せこかなし、わかぐさの、つまなききみが、たにたちつかる
春日尚 點本諸抄皆はるひすらとよめり。意は春の花鳥に慰むべき時も、田にたち疲るとの意にかくよめるならんづれど、田にたちつかるといふ義、春日すらと計にては聞えず。立疲る難儀の理り上に無くては不v濟也。尤地名をよみたる歌のつゞき故、かすがべのと詠めるとの説もあれど、これも疲る處わけ不v濟なり。よりて宗師案には、春ひふるとはよめり。はるひは地名にして日本紀の歌にもある如く、春ひのかすがをすぎてとよめる歌もあれば、はるひと云は地名也。さてひふるとは大雨の事を云也。日本紀等に所見の事ひさめふると讀ませたり。尚の字ふると讀めることは久しとよむ字也。ひさしきもふるも意同じく、ふるとはよむ也。大雨ふる故田に立疲れるといふ義にて、はるひふるとは詠めるなるべし。氷降の意也。春は苗代水をまかすとて、大雨にも田にたち疲るとは詠めるならん
歌の意は、妻無きせこ故ひとり大雨にぬれ疲るとの事也。水にひたすをつかると云。勞の意をかねてつかるとは讀める也。疲れたるといふ義をかねて也
1286 開木伐來背社草勿手折己時立雖榮草勿手折
此歌五文字今世上通用の點本は開木代と記せり。古書本無點本は如v此伐の字也。然るに此三字をやましろのと點をなせり。此義いかにとも不v通。何とぞ別訓あるべし。未2成案1。何とぞくせと云詞につゞくよみ樣なるべし
來背社 これもくせと讀來りたれど、社といふ字古代はもりとならでは不v讀事也。自然にやしろとはよみたり。當集にもかな書にてやしろと記せる歌無v之。第三卷春日社の歌二首あり。これも點にはやしろとあれど、もりとよめるも知れず。然ればこゝもくるせのもりといふ處ありて、そこをよめるも難v計。尤神名帳に久世郡に久世社あり。水主神社といふにやあらん。決し難し。まづ久世の社の事と見る也。神のまします森の草故手折なとは詠める也。しかし何とぞよそへたる歌ならん(279)か。追而可v案也
己時 この詞心得難けれど、諸抄草の榮ん時ありとも手折なとしめせる義と見る也。暫く其説にしたがふべし
開木伐の三字は第十一卷にもありて、同じくやましろと點をなせり。其歌なほ不v濟歌也。伐代の説いづれか正本ならん。決し難し。開木を山とよむ義何といふ義ならん。其理不v通也
1287 青角髪依網原人相鴨石走淡海縣物語爲
此歌も全体の意不2相通1。注解未v定
青角髪 青海面といふ義にて參河の地名也。碧海郡の依網の地名をよみたる也。然るに角髪をみづらとよませたるは人のびんづらといふ意也。神代紀に天照大神岩戸の段に、結v髭爲v髻とあるみづらに同じ。今俗にいふちごわげと云總角の義也。ひたひの兩方へ髪をわけて角の如くわけたる躰也。よりて角髪と書きてみづらとは讀める也。義は海面の義なれど、訓借にて書たる也。海づらよするあみとうけたる義也。則同國同所の地名よく叶ひたる五文字也。これのつゞけ至極の歌也。義も叶ひ地名も離れぬ處をよみ出し上手なるつゞけがら也。うみづらよするあみとうけたる義也。和名抄に碧海依網ともにみえたり。委不v注也。河内にもあれど依羅とかけり。八雲に依網美と記させ給ふは、美濃か美作か心得がたく、尤も此處によめる依網は決て參河也。下に淡海とあるも遠江の事也。隣國なればよみ入たりと見えたり。近江と心得たるはあしゝ。或抄にあを海もあふみも同事といへるは大成誤り也。乎と波との音可v通也。遠江もあはうみなれど、都より遠近の字にてわかちたる事にて、實は同名のあは海なれば、參河にてもよめらんには、直に淡海とよむべき事尤也
人相鴨、縣物語爲 此字點本の通にては不v濟也。別訓あるべし。追而可v考。歌の全躰不v濟故注をなしがたし
1288 水門葦末葉誰手折吾背子振手見我手折
みなとあしの、うらはをたれか、たをりつる、わがせこが、ふるてを見むと、われぞたをれる
歌の意書面の通也。背子がなりふりを見ん爲に、通ふ海邊のあしの葉を手折ると也
(280)末葉 うらはとよむべし。少の縁をうけて也。下の句にみんと云詞を本として、初五文字にみなといふ詞をよみ出たり。わづかの處に離れぬ詞を据ゑたること古詠皆如v此也
1289 垣越犬召越鳥獵爲公青山葉茂山邊馬安君
かきごしに、いぬよびこして、とがりする、せこあをやまの、はしきやまべに、うまいこへせこ
垣越 此文字いかゞ、別訓あらんか
葉茂 はしげき山といふ義にて、はしきとよむ意は、下の山邊はやまめといふ事にして、はしきつまなどよみて、女を愛する詞ある故其縁をこめて也
1290 海底奧玉藻之名乘曾花妹與吾此何有跡莫語之花
わたつみの、おきつ玉もの、なのりそのはな、いもとあれと、こゝにありとな、なのりそのはな
此何 ある抄に何は荷の誤と注せるは心得違也。何はなにとよむ故、その一語をとりてにとはよむ也。またなの字をすてゝ六語によむべしと云へり。これも心得がたし。五言七言ともに餘りては讀むこと難なし。たらずによまんこと初五文字の外無きこと也。長歌などには一格ありて六言の例もあらんか。短歌に七言を六言とよめる例未v考也
1291 此崗草苅小子然苅有乍君來座御馬草爲
このをかに、くさかるわらは、しかなかりそ、ありつゝも、きみがきまさん、みまくさにせん
小子 をのこと云點もあれど不v可v然。小于と書てはとかく義訓に、わらはと讀ませたる義と見ゆる也
然苅 さなかりそといふ意と同じ。俗にさ樣には刈りそといふの義也。此歌婦人の歌と聞えたり
1292 江林次完也物求吉白栲袖纒上完待我背
えばやしに、やどれるしゝや、ねらひよき、しろたへの、そでまきあげて、しゝまつわがせ
(281)江林 地名なるべし。何國か未v考
次完也物求吉 點本諸抄物しゝやも求めよきとよめり。いかに共心得がたし。やもと讀みては下の義不v通。宗師案はしゝやと切りて、物求吉の三字は義訓に書きたる義と見る也。その意林中に宿り寢て居るしゝはと云意にて、しゝやときりて、下三字をものもとめよきと云意は、ねらひょきとよむべし。やどると云詞上にあれば、ねと云寢の意をこめて林の中に宿り伏したる師ゝは、ねらひやすく求めよからんもの、もとむるはねらふといふ義に叶へり。しかれば林中に宿りたるしゝはねらひやすき故、これを求めんと袖をもまくりあげて待との意にて、下の心は白妙の袖をまきあげて、妹を待わがせことよめる歌なるべし。上のねらひよきは、ねよりよきと云義にかけてよめる也。もとめよきといふ詞は歌詞にあらず。たゞ歌なれば決して如v此は詠まれざること也。此外に何とぞ義に叶ふよき訓もあらば可v依2後案1也
1293 丸雪降遠江吾跡川楊雖苅亦生云余跡川楊
あられふる、とほつあふみの、あとかはやなぎ、かりつとも、またもおふてふ、あとかはやなぎ
あられふる とゝうけたる音を、とゝ計よむこと集中に例あまたありて音とうけたる也
遠江 遠州の義なるべし。吾跡川も遠州の地名なるべし。近江にあるより遠州も同じあは海の國なる故、同名異處と見ゆる也。此歌遠つあふみとならではよまれず。吾跡川といふ處高嶋郡なれば、都よりは餘程隔たりてある故との説あれど心得がたし
此歌の意は、柳は苅とりても、跡よりひたかはりにかはりて生出ると云義をよめるに、あと川といふ地名をもて趣向によみ出たる歌也。跡よりかはり生出るもの故、それよりあと川の地名を專と趣向によみ出たる也。近江の地名にもあと川ありて、あと川なみとよめる歌二首あれど、此歌のあとかは、近江とは難v決。遠江とあるを證とするなり
1294 朝月日向山月立所見遠妻持在人看乍偲
あさづくひ、むかひのやまに、つきたちて、みゆとほづまを、もちたるひとや、みつゝしのばむ
(282)朝月日 むかふと云冠辭也。たゞあさひと云説は心得がたし。此歌にあさひといふこと何の爲によめるや。たゞむかひといはん迄のあさづくひ也
向山 地名なるべし。何國未v考
速妻持在人看乍偲 向山に月の出て見ゆれば、遠所に妻もちたる人は妻の出くるやと、此月に妻のこんかと待慕ふと也
右二十三首柿本朝臣人麿之歌集出
1295 春日在三笠乃山二月船出遊士之飲酒杯爾陰爾所見管
かすがなる、みかさの山に、月のふねいで、みやびとの、のむさかづきに、かげにみえつゝ
月船出 みか月は如2船舶1なる故、つきの船とは毎度よめり
遊士 前にも注せり。みや人也。月の船出見とうけてみや人とよめる也。酒宴の時の歌也。別の意なくよく聞えたる歌也
譬喩歌 ものによそへて心をのべたる歌を云也。表一通はあらはれたる事をいひて、下の心に意を含めてよせ詠ある歌をたとへ歌とは云也
寄衣
1296 今造斑衣服面就吾爾所念未服友
あたらしき、はだれごろもの、めにつきで、あがにおもほゆ、いまだきねども
今造 あたらしきとは義をもて詠めり。下にあがにとかけ合してよめると聞えたり
斑 前には花ずりごろもとよみたれど、はだれと云もはなごろもと云意也。れは助字に見て也。はだれ衣とは色々に染めたる衣といふ意也。まだらと云點は心得がたし。縁詞也
めにつきて 面はめに也。錢をぜに、丹をたになど云類にて知るべし。めにつくは目に付也。下の心はめに附也
吾爾 あがには、わがに、わがもにに思ふと云義にして、垢によせ不v飽によせたり。あかじと云義にも通ふ。表の意あたらし(283)き花ぞめころもの目につきて、わがものとおもほへて、未だきざれども、あかずめづると云意也。下の意は新婦などを未だ不v迎といへども、見そめしより目につきてあかずなれし樣に思ほゆるとの意也。あがにと云は赤にといふ色の縁もある詞也。すべて縁語をうけて不v讀ば歌にてなき也
1297 紅衣染雖欲著丹穗哉人可知
くれなゐに、きぬはそめまく、ほしけれど、きばかほにや、人のしるべき
表の意は聞えたる通也。下の意思ふ人になれそめたけれど、色にあらはれて人や知るべきと思ひ煩ふたる意也
衣染 ころもそめまくとも讀まんか。下にきはとある故也。いづれにても意は同じ
1298 千名人雖云織次我二十物白麻衣
ちゞになに、ひとはいふとも、おりつらん、わがはたものゝ、しろきあさぎぬ
千名 一本千各とあり。然らば兎も角とも讀まんか。十を百は千也。よりてともとよむ。各はかくの音借也。しかしながら此歌おりつかむといふ句、いかに共上下につゞくことはなし。何故おりつかんとはよめる意不v通地。雖云、此云の字立といふ字の誤りと見えたり。よりてちゞに名にとよみて、人はたつともと云義と見る也。名とよみて云とはよまれず。たつとならではよまれぬ義也。古人その格をたがふ事なし。さてちゞになにとよむは、千萬にいひたてらるゝ共なんぞと云意にて、なにとはよむ也。ちゞのなにともよむべきなれど、この意をこめてよむ故、のとはよませる也。 古詠をよみとくに、ケ樣のてには何程もあること也
雖立 如v此なれば立は裁の義をかねて、人はたつともわれはおりつかんとはいはるゝ也。さなくてたゞおりつかんとはいかにとも不v通也。若しこれを讀まんには、おりやすきとか、おりなめやと讀むべきか。つかんとよみては、上下にかけ合詞なき故六ケ敷也。おりやすきおりなめやと云は、たゞ人はちゞになにといふともおらめや、おりやすききぬなるをと云意なる故さよみては難なき也。扨古詠の格上に數の詞百千萬の詞、十二十の詞あれば、下にきはめて又數の詞を含みて詠める事きはまり(284)たる義也。それをキツとあらはれざる樣に詞の内に入て詠むこと、上手の句作り也。すでにこの歌も千名とよみ出たれば、下にはたものとよめるたぐひをもて知るべし。はた、機の義にて二十の詞也。則撰者も心を得て二十の字を書たる也。唐の古詩の格も上代の詩皆此格あり。飛花と作りたれば句中に風と云字を用來れること、古詩例格ケ樣の格をもて巧拙を別る事也。歌も上代古詠程そのキツとそなはれり。此歌表の意は我織はたの事にして、下の意思ふ人ありて、それよりあふことを人はたゞ/\名に立つるとも、思ひかけし人に志をとげずばはてまじ、中々思ひ絶まじきとの意也
右三首の歌寄衣とありて奧にまた寄衣とあり。その外二重にあげられたる歌共あり。これは古歌集に入りたるをわけたるものか。同卷の内にてケ樣に混雜の義は不審也。尤もきぬと云と、ころもと云とは少違あれ共、外の歌ども何の差別もなし。花の歌は花草と木花違も見えたり。奧のうたは皆草花也。木も奧の全躰木の歌、此次歌のは木の葉をよみ入たり。玉も石玉と貝玉との差別あれどもかく混じて見えたり。とかく分明にその差別し難し。しかれば古歌集家々の集をわけたるか。尤古注者も何者は誰歌集中出た注せり。先この三首目録の寄衣、未だ衣服にしたてぬ絹麻のことを詠めると見ゆる也。然ればころもと讀まずきぬと讀むべきか。詞はいか樣にもあはさるべし。第一の歌もあたらしきはだれのきぬ、第二の歌紅にきぬはそめまく、第三此歌白きあさぎぬ如v此よむべきか
寄玉
1299 安治村十依海船浮白玉採人所知勿
あぢむらの、とをよる海に、ふねうけて、しらたまとらん、ひとにしらすな
安治村 鳥の名也。とひよるとつゞけたる迄也。あぢむらに意はなし
十依海 此義諸抄の説は遠寄といふ事也と注せり。近寄と云ことある故とほよるとも云ひて、おきのかた遠き海上へよる鳥故十依海とつゞけたると也。たゞとひよるの意にて、とゝ云一語にうけたる義と見るべし。十の假名と遠の假名とは少疑ひあり。日本紀の數字の十の假名はとを也。和名抄第九國郡之部筑前國鞍手郡の郷の内に十市【止布知】と記せり。いづれを證とす(285)べきか決し難き也。よりて遠よるの義不v被v用。よりて地名にやあらんと見る也。あぢむらとよみ出たるは、とゝうけん爲の冠辭、とはとふの意と見るべし。遠の意にては假名不v定故決し難し此歌表の意は、海上に船をうけて玉をとらんとの意にて、下の意しのびて通ひなどする事のあるを、人に知らすなあらはすなとのしめしによめる歌也
1300 遠近礒中在白玉人不知見依鴨
をちこちの、いそのうらなる、しらたまを、ひとにしられで、見るよしも哉
此遠近はいそのをちこち也。すべての礒のうらなるとさしたる義也。中は浦と讀むべし。次の歌にも石のうらわと詠めり。
歌の意、おもては海邊の礒のうらなるたまを、われひとりしのびて見たきとよみて、裏の意は白玉を女に比したる也
1301 海神手纏持在玉故石浦廻潜爲鴨
わたつみの、てにまきもたる、たまゆゑに、いそのうらわに、あさりするかも
わたつみの神の手にまきもたしめる玉なれば、中々たやすくとり得べき樣なければ、幾度か磯の浦わにかづきをすると也。下の意は、思ふ人をたやすく手に入るゝことのなり難きと云ことに喩へたり
1302 海神持在白玉見欲千遍告潜爲海子
わたつみの、もたるしらたま、見まほしく、ちたびのりつゝ、かづきするあま
此歌前の歌をうけてよめる也。わたつみの持たる玉なれば、見ることたやすからざれば、いのりて千たびもかづきすれど、見ることなり難しと也。下の意前の意に同じ
告 いのりするの義也。點本諸抄等につげてとよめれど、海苔と云ものゝ名によそへて詞をまうけたる也。つげてといひては義いかに共不v濟也。海子はわれをあまに比して詠める歌也
(286)1303 潜爲海子雖告海神心不得所見不去
かづきする、あまはのれども、わたつみの、たまをしえねば、みるといはなくに
かづきをしてわたつみの神に祈れ共、玉をとり得ざれば見しとも云はれぬと也。下の意は思ふ人をえしたがへねば見しともいはれず、あふことなくて見しばかりにては、實に見しともいはれぬとの義也。心を玉とは玉しひとよむ故也。此句中に玉の事なければたまとは讀む也。尤前の歌の餘意をのべたる歌ともいふべけれど、心を字のまゝによみては義不v濟也。その上わたつみの心を得ずてといひては義六ケ敷也
寄木
1304 天雲棚引山隱在吾忘木葉知
あまぐもの、たなびくやまに、かくらくも、吾忘、こなばしるらん
あまぐものたなびく山 かくらくもといはん序にて、高山にかくゝるもと云の意也。かくれたるとあれどかくれたるとよみては義不v通。隱はかくるゝとよむ字故まくとよみ、在はあるとよむ。らりるれろ通じて、あるとも、あらとも讀む故らくとはよむ也。意はかく來るもと云義也。文字に隱在とあればとて、かくれたるとよみては義不v通樣なれば、宗師案は如v此來るもと讀ませたる義と見る也。尤かくれたるもと讀みても義は通ずべきなれど、首尾相調がたければかくらくもとよむ方しかるべし
吾忘 此二字心得難し。われ忘れめやと讀みては下の意不v通。或抄には志の字の誤りと見る説あれど、次の歌己心と二字に書きたるをもて見れば、この忘の字も己心の一字になりたると見ゆるなり。然れば吾己の字、皆かりともかるとも讀むなれば、かりかるとは、もとめえることを云。こゝも妹をもとめえるの心なれば、あがかる心とか、かりかる心とかよむべし。
知良武 良武二字舊一本にあり。普通には脱せり。然れ共點本にも知るらんと假名を付けたるは、良武の二字ありし證ならん
(287)木葉 第二巻に松は知るらん、第三にこの葉知けんとよめる歌もありて、この義不v濟事なり。とかくこの葉と讀みては不v通こなばとよむべし。是秘傳也。乃はなゝり。よりてこなとは女の通稱也。手こなと云にて知るへし。よりて木葉と書きてこなばとよむ也。のはなゝり。文字にはあらはれねど詞にのを入れねば木の葉とは不v讀也。しかればこなばとよみて表一通は木葉の事にして、下の意女の事と知らせたり。表の意は雲の棚引く高山にかく來て、木を苅とる心も木の葉は知るらんとの事也。下の意は高山にかく來りて妹をもとめかる心を、女は知るらんとよよせたる也。忘の字と見る説にしたがはゞ、歌情雅言は曾而なき也
1305 雖見不飽人國山木葉己心名著念
みれどあかぬ、ひとくにやまの、こなばをぞ、かるこゝろから、なつかしみおもふ
みれどあかぬ 人を見れどあかぬとうけて、心も表裏共にその意をよせたり
人國山 大和。八雲には紀伊と注せさせ給へり。考へさせ給はざるか。同名あらんか
己心 前に注せる如く、己と云字は、やつがり、おのれとも讀む。こゝにておのがと讀みては意叶ひがたし。木の葉は刈り刈るとも云ことありて、刈るは求むるの義をいふなれば、もとめ慕ふ心から、なつかしく思ふとの義也。表は木の葉のことにして、裏は女の事をよめる故こなばとは詠みし也
寄花
1306 是山黄葉下花矣我小端見反戀
このやまの、このはがくれの、はなをあが、ほのかに見つゝ、さらにこひしき
是山 地名なるべし。すべて是川是山とよめる歌とかく地名と見るべし。さなくてたゞこの山と詠出ることあるべからす。然るにこの歌にもこの山とよめるは、これもこな山と云意に詠めるならんか。すべて上古は、のとなと同事に通じて、大方はのと云詞をなといへり。のながは同詞也。この歌も女をほのかに見てこひわぶると云義を下によめる歌なれば、その縁にこ(288)な山ともよみ出らんか
黄葉下 これをもみぢの下と讀みては歌の全體その詮不v聞。黄は黄金《コガネ》などよめればこともよむ事明也。尤木のはがくれとよみても同じ。下をかくれと讀むは義訓也。古來は黄葉と書きて、この如きの歌には、もみぢとは讀まれぬ事をさとりたれば如v此書きし也。このはがくれと讀まねば外によみ樣なく、全躰の歌不v通故、きはめて人もこのはがくれと讀まんこと、その時代なれば平生の事になりしを、時うつり世へだたりては、讀解難き樣にはなりし也。もみぢ 下の葉など讀みては歌の意いかにとも不v通也
小端 はつ/\と讀ませたれど、端々の二字をはつ/\とも集中に讀みたり。尤假名書にもはつ/\といふ詞あれば、さも讀むべけれど、此小端と書きたるはほのかにと讀むべき義訓也。歌の意ほのかにと讀まではかけ合がたし
反戀 點本にはかへるこひしもと讀みて、山べなどにて花を見てわづかに見し故、見とげもせでかへるこひしきとの意ならんか。かへるこひしきといふてはいかゞしたる義歟、不v濟詞也。能々可v吟。かへりてこひしとか、かへりてしたふとなりとも讀むべきを、かへるこひしもとは餘りなる點也。更にこひしきと讀む義は、反の字を書きたれば反復の意にて、はじめよりこひせしが、ほのかに見しより二度戀しさの添ひたる意と見る也
寄川
1307 從此川船可行雖在渡瀬別守人有
このかはに、ふねのわたしは、ありといへど、わたるせごとに、もるひとぞある
此川 これもとかくうぢ川の事を云ひて地名と聞ゆ也。是川とはうぢ川の義を云也。注前にあり
古本の點にては義不v通。ゆくべくとありといへどと讀みて句不v續、てにはも不v辯點也。可行と書きたればわたしと讀むべし。下の詞につゞく縁もありて、ありといへどとうけ、詞の上のてにはは、はとなくてはつゞかぬ事也。外の義訓もあらんかなれど、わたり瀬毎にと讀みたれば、詞のうけ縁を不v離爲にわたしとはよむ也。能義訓あらば待2後學1のみ。表の(289)意は聞えたる通船わたしはありといへど、その瀬毎に吟味をするその所を守る人のありて、心のまゝには渡られぬ趣をいひて、下の意は人目の多くて、思ふ人にあひあふ事のまゝならぬ義をよそへたり、
寄海
1308 大海候水門事有從何方君吾率陵
あらうみの、かみのみなとは、ことあるに、いかさまにせば、あれゐしのがん
大海 あらうみとよむ、大海はあらきもの也。歌の意あるゝ義をよみたれば、あら海と讀ません爲に如v此書けると見えたり。物の大まかなる事をあらかたとも云事あり
候 かみとよむ字也。あらうみとよむからは、神のますといふ義をよまではなり難き歌の意也
事有從 事は死を云也。古代は死る事をことありと云へり。此歌もあらき海は神のますみなと故、死に及ぶ程の事の有をいか樣にしたらんには、このあれの靜まり難を免れんとの歌也
何方君 いか樣にせばと讀む意は、何方の二字をいかさまとよむ事此集中例數多也。君の字もせこせなとよむ事此集の習也。よりてかくはよむ也。あら海の恐ろしくあるゝ湊なれば、死に及ぶ程の此あれを、いか樣にしたらば靜まりて、こゝを凌がんとの義也。表の意は、いか樣にせばと、なすことに君の字の訓をかりてよみて、下の意は、君はわれを率ゐて今この事あらはれて、云騷がらるゝを忍びのがれんやと云の意をよせたると聞えたり
吾率陵 陵は凌の誤りと見えたり。吾をあれとよむ意は、海のあれによせて海上の荒をいかにしてか沈め凌がんとの意也。率はしづまることを云、居の字の意也。ゐすわるなど云てをさまることを云也
此歌全體の意は、海上のあれて危き湊をこすことの有樣に云なして、裏の意は、しのびてあひ語ふことのあらはれ、人にも云さわがれてこと有折の義に喩へ詠めるなり。いか樣にしてか君はわれを率ゐて今の難をのがれんぞとの、婦人の歌に見ゆる也
1309 風吹海荒明日言應久君隨
(290)かぜふきて、うみはあるとも、あすといはゞ、ひさしかるべき、いもがまに/\
君を いもとよむ意はいとは寢ること也。あすといはじと上によみたれは、今夜あはんと云意をいはでは不v叶。よりて詞にいといひてぬることをこめて、もと云ふも藻の義によせて上にかるべきといふ詞を設たり
表の意は前の歌をうけたる意もこめて、風吹きて海あらくとも、あすまで待ちてはいかゞなれば、けふ船出などせんと云義にて、下の意は、あすまでは待ちては久しき程に、こよひあはんとの意也。いもをかるべきと云詞を設て、女にあはんとの義にたとへたり
1310 雲隱小嶋神之恐者目間心間哉
くもがくる、をじまの神の、かしこければ、めはへだつれど、こゝろへだつや
雲隱 雲がくるの意也。海原遠き海中の嶋は、雲かゝりて見えわかぬ小嶋と也
小嶋神 古事記には本邦の嶋々皆神明の名として傳へたり。海中の嶋直に神と云し也。下のかしこければといはん爲の序に、をじまの神とは詠出たり
恐者 神なれば恐れかしこむべき理り、それ故目にて見あはすことはならねど、心には千萬里を隔てゝも隔てぬと也。表の意は雲かゝりて遠く遙かなる嶋の神にてあれば、おそれもありて目には見えねど、心には尊み思ふて隔てぬといひて、思ふ人にしのび相語らふことは、人目多き中などにて、はゞかりつゝしみてあふ事はあらね共、心は相通ひてへだてぬとよせてよめる也
目間といふ表の意海布によせ、下の意は女によせて也。心はこゝろふとゝ云海苔あり。その詞の縁をもて海によするの意をのべたり
右十五首柿本朝臣人麻呂之歌集出 如v此ある故寄玉寄木など二度あげたり
寄衣
(291)1311 橡衣人者事無跡曰師時從欲服所念
つるばみの、きぬきる人は、つみなみと、いひにしよゝり、きなまくほしぞおもふ
橡 櫟實也。衣服令云、〔凡服色、白、黄丹、紫、蘇方、緋、紅、黄橡、※[糸+馨]、※[草がんむり/補]※[草がんむり/陶]【注略】緑、紺、縹、桑、黄、楷衣、蓁、柴、橡、墨、如v此之屬、當色以下、各兼得v服v之、云々〕延喜式弾正臺〔云、凡赤白橡袍〕聽2參議已上着用1。和名抄染色〔具云、唐韻云、橡【徐兩反、上聲之重和名、都流波美】〕俗にどう栗と云これなり。楢の木の實也。橡衣と書きてつるばみのきぬきると讀まるゝ也。衣の字なくては不v被v讀をこれらのよみ樣此集の例格にて、着服の字を略して書ける此類多し
事無跡 諸抄の説わざはひにあふ事なしとの義、また童蒙抄仙覺抄など、四位の人これを着ば罪に被v行事ある趣を注したり。いかにも律令の法に此義ある事也。清少納言枕草紙に、白がしのきぬ二位三位の袍とかける事も有。此つるばみにも白つるばみ赤黒もあり。おしなめてつるばみを着る人免2刑罰1事にはあらず。律法三位已上の人は死刑無き事の法有とおぼえたり。然れば白橡など上古三位已上の人着用したる事あるか。とかく上代橡の衣を着用に官位の品ありて、その時着用の人は罪に不v被v行法ありしと聞えたり。事なみと云義心得難し。尤わざはひある義或死する義をことあるといへば、義はかなふべけれど、つるばみとよみ出たれば、罪といはん詞の縁に詠めるとも聞えたり。尤此法ありしをもて詠出たるにもあるべけれど、先は詞のうけよきを專とすれば、事の字古筆の字誤りにもやあらん。又事の字にてつみともよむまじきにあらねば、つみなみとはよむ也。罪せずとも讀みたき也
曰師 いひにしとよむ。未だ別訓あらんか
時從 からにと讀たき處なれど字例を不v覺。時よりとよみては歌の意聞得がたし。然れども橡を著る人は遁2刑罸1の法をたてられし代より、このきぬを人毎に著なまくほしく思ふとの意に讀おく也。時の字代とよむ義あるべし。久時と書きてふりにし代よりと義訓すべき歌あれば、こゝも夜のことを含めて代よりとはよむ也
欲服 きなまくほしとよむは着寢まくと云意含みて也。上に代よりと詠めるは、この意を含みて也。ころも故まくと云詞な(292)くて叶ふまじき也。表の意は橡のきぬをゆりぬれば、罪をも免れるとなれば、その代より于v今も着まほしきといひて、思ふ人を久しく戀慕ひて、あひねまくほしきと云意によせたり。此歌全體の表裏の意篤とは徹し難し。後案を待のみ
後案、此歌の意は衣を思ふ人に比して、橡の衣を看寢まく戀慕ふと云意なるべし。衣の中にも橡は高位の服故、罪科をさへ被v免といへば、ぞの昔より人毎にこひ慕ふとの意迄の事なるべし
1312 凡爾吾之念者下服而穢爾師衣乎取而將著八方
おほよそに、われしおもはゞ、したにきて、なれにしきぬを、とりてきんやも
凡爾 つねなみに思はゞとの意なり。深切に思へばこそとの義也
穢爾師 あかづきよごれしと云義也
取而將著八方 下に著たる衣を取りて上に著んやと也。深く思ふから、けがれよごれし衣を上には着ると也
表の意は右の通にて聞えたり。下の意ははじめはげすなりし女房なりしか共、官位など昇進しても、やはり本妻にせし如きの意也。若し内の女房などいへるを、本妻にせし時よめる歌ならんかし。此歌も多少不v決。待2後案1也
1313 紅之深染之衣下著而上取著者事將成鴨
くれなゐの、こぞめのころも、したにきて、上にとりきば、ことならんかも
深染 こははつことも見、またこく染たると云義にこそめとは詠めるならんか
下着而 古の下著は皆赤を用たり。女は衵といひて身近きゝぬとて赤染のきぬを著たり。その赤色の衣を下に着て、又上に取きばと云義也。あこめはあかぞめと云約語也
事將成鴨 異ならん鴨也。赤色の下着を上にとりきば、こと樣にあらんかもと也。下の意は、前の歌の意に同じく、問答の意をかねて詠めると聞えたり。上にとりきばは、はじめ美女なりし女房を、官位などして身高くなりて本妻にせば夫婦の道の事成就せんかもと也。事成とは婚姻の事調たる事をいへる義也。古來の通語也
(293)1314 橡解濯衣之恠殊欲服此暮可聞
つるばみの、ときあらひぎぬの、あやしくも、げにきまほしき、このゆふべかも
此歌上の句は何の意もなく、上代の一格を上手につゞけたる歌也。その譯は怪もとよめる義を專逸の趣意によみて、その怪しきと云詞に首尾を調へてよくつゞけたる歌也。思ひわびて頻に怪しき迄に、こひしくあはまほしく思ふ下の意を、たゞ衣の著まくほしきと云ことに詠なしたる也
怪くもといふはものゝ別れぬことを云也。そのもゝあやわかぬと云義に、ときあらひぎぬと詠出したる意の連續首尾を考ふべし。つるばみはそめ色のことにて、そのあらひたるきぬなれば、あや目もなく一つになりたるあやと云義をもて、あやしきと云かけたり。綾と云もきぬの縁を離れぬ詞とき洗ひぎぬなれば、これあやわかぬ怪しきものなるを、怪しきといはんとて、何となくつるばみのとき洗ひぎぬとよみ出たる所、古詠の上手の一格と傳ふる也。きまくと云も衣はまきまくといひ、また女をもとめ夫をもとむるをまぐとも云なれば、その詞の縁をもてよめる也。すべて當集の歌、その一首のうち歌の詞の縁ある詞離さず詠める也。古詠を見るにこれ第一の習也。下の意は前にいへる如く、怪しき迄にこひしく思ふと云意也
殊 ことに勝ての義也。とりわきて此夕部思ふ人にあひねまくほしと思ふ下の意を、衣を著まくほしきと云義に喩へたる也
1315 橘之島爾之居者河遠不曝縫之吾下衣
たちばなの、しまにしをれば、かはとほみ、さらさでぬひし、あがしたごろも
橘之嶋 仙覺抄には伊豫國宇摩郡にありといへり。風土記に此歌ある趣を記せり。風土記を不v見ば此歌一向釋し難し。橘の嶋にあれば河遠きと云義心得難し。抄物等の説の如くにてはいかにとも聞得難し。追而可v考也。後世賢案あらばこれを待のみ。地所も大知河内の内と見ゆれど、風土記を見ざれば決し難し。尤同名異所あるべし
寄糸
1316 河内女之手染之絲乎絡反片絲爾雖有將絶跡念也
(294)かはちめの、てぞめのいとを、くりかへし、かたいとなれど、たえんとおもへや
此歌の意は、かた糸と云迄は何の意もなく、たゞかた糸とつゞけん爲迄に、その縁を離れぬ樣によみたる也。例の當集の一格也。河内女とよめるは、河内にて糸綿などをつむぎ、女工を專として手染をする處故詠出たり。大和の都の時分なれば、まづ近き國なるから、そのわざをする處の地名を詠たる也
河内女 難波女、泊瀬女などいへる類也。これは古は遊女をいひしとも聞えたり。前の橘の嶋河内ならんかと思ふは、此歌を次であげられたるは、すべて撰集の習その國つゞき、同國の歌を多くは並べる事なれば也
片糸爾雖有將絶跡念也 かた糸はあはせぬ糸にてよわき糸と云義也。よわき絲なれ共絶んと思はめやたえられぬと也
おもへや はおもはめや也。例の約言、はめはへ也。我絶んと思はぬとの義也。表はたゞ河内女の手染の糸の事にして、下の意はわれのみ片思ひにしのび/”\に戀慕ふ事の、先にはつらけれど思ひ堪へられぬ忘られぬとの意也。畢竟忘られぬとの意也
寄玉
1317 海底沈白玉風吹而海者雖荒不取者不止
わたのそこ、しづぐしらたま、かぜふきて、うみはあるとも、とらずばやまじ
沈白玉 しづぐとよむこと古語也。此奧の水底爾沈白玉云々とある歌を、濱成和歌式に書のせたるに志津倶と書かれたり。しづぐと云はしづむと云詞也。倶を濁音によむ事習也。濁故む也。これを濁音に讀む語釋の傳を不v知しより、古來も色々の説をそへて云ならはせり。しづぐと云事はしづむと云詞也。上古はかく云てよく通じたり。今の世はその清濁の差別だに知人稀なるから、しづぐとはいか樣なるをいひ、しづむとはケ樣なるをいふなど説をなす事也。しづめる白玉といふ事をしづぐとはいひし也。ぐと云ふ濁音はむ也。むといふはめるといふ言を約したる義故、しづぐもしづむも同事にて、底に沈めるといふ事也。歌の意は表の通よく聞えたり。下の意もたとへいか程の苦勞難儀をする共、思ふ人をなびけしたがへずば止むまじ(295)きとの意也
不取 この二字は貝の珠をとる事につきては、海人の何とぞ用る詞あらんか。然らばその詞を用ゆべし。義訓あるべし。石にとりつきゐるものなれば、それをおこし放ちてとるよし也。然れば何とぞいふ詞あらんか
1318 底清沈有玉乎欲見千遍曾告之潜爲白水郎
そこきよし、しづめる玉を、見まくほり、ちたびぞつげし、かづきするあま
此歌は前に海神のもたるしら玉見まくほりといふ歌に同じ。別の意なき歌也。のりしは祈りをして海底へかづき入との義、下の意は心をつくして戀慕ふの意をいへり
1319 大海之水底照之石著玉齊而將採風莫吹行年
あらうみの、みなそこてらす、あはびだま、いはひてとらん、かぜなふきこそ
照之 てらすと讀ませたり。さしすせそ通音故也。下にあはび玉とよめる故、すならでは讀難し。尤通昔ながら之の字すと用たる事集中に多くもなければ、石著玉はしづくにてもあらんか。然らばしと讀むべき事也
石著玉 和名抄云、〔本草云、鮑、一名鰒【和名阿波比】崔禹錫食經云、石決明、食v之目※[目+總の旁]了、亦附v石生、故以名v之。四聲苑云、鰒魚名似v蛤、偏著v石、肉乾可v食〕此食輕の説の如く石に附てあるよし也。底深き海中の石にひつきたるあはびなれば、たやすくはとり難きから、祈りをしいはひなどしてとると也。よりて風吹き海あれなと願ふと也
行年 借訓をもて書きたり。去年今年などいふのこぞにて、義は違たれど訓をかりて也。風な吹きそといふ意也。こねと云點は六ケ敷也
1320 水底爾沈白玉誰故心盡而吾不念爾
みなぞこに、しづくしらたま、たがゆゑに、心つくして、わがおもはなくに
(296)此歌前にも注せる如く、濱成式に假名書にして載たり。誰故もたがゆゑと書きたれば、その通りのよみ也。今時はたれとよむ。たが故とよみては耳なれぬ樣なれど、古はかくの如く讀みたり。わが故たが故とよめり。歌の意は、たれ故にかく心をつくして水底の白玉をとり得んと、心を盡すべきや。われから心をつくして思ふとの義也。下の意もわが心からかく苦しき思ひをもして人に戀慕ふと也
1321 世間常如是耳加結大王白玉之緒絶樂思者
よのなかは、つねかくのみか、すまるべき、白玉のをの、たゆらくおもへば
結大王 是をすまるべきとよむ事は、玉をすまるといふ。神代記上卷云〔天照大神天石窟に入り給ひし條に、亦以2手力雄神1立2磐戸之側1而中臣連遠祖天兒屋根命忌部遠祖太玉命堀2天香山之五百箇眞坂樹1而上枝懸2八坂瓊之五百箇|御統《ミスマル》1云々〕此古語ありて此集奧〔中、注欠〕すまるべきとは讀む也。さ讀までは歌の意も不v通。假名付の通のよみにていかにとして歌の意可v通や。且むすぶ君と云歌詞は何程古風體にも句例なき事也。尚奧の歌をもて追而すまるべきと讀める義を注すべし。すまるべきといふ意は、かく戀わびてのみかあらん。かくては世に何とてすまはるべきと云意也。下に、白玉のをのたゆらくおもへばと、命もすでに絶ゆる計に思ふと也。下の意も常にかく計思ひ沈みては、もはや世に住まはるべくもなく、命も絶ゆべく人を戀わぶるとの義を喩へたり。此歌表裏の意しかと聞得難し。結大王の字別訓はあるまじきか
萬葉童蒙抄 卷第十八終
(297)萬葉童蒙抄 卷第十九
1322 伊勢海之白水郎之島津我鰒玉取而後毛可戀之將繁
いせのうみの、あまのしまつが、あはびだま、とりてのちもか、もひのしげらん
白水郎之島津 諸抄の説は、伊勢の海人の名をしまつと云へるものありしを詠めると也。鵜を嶋津鳥とも云から、よくかづきする海人故その名を得たるか。日本紀等にも、西國の海人のあはび玉をとりし事など被v載たれば、このしまつと云も海人の名ならんとの事也。右の説心得難し。ああはび玉をとること伊勢のあまに限るべからず。あまの嶋と云地名を詠みたるなるべし。嶋津は嶋人といふに同じくて、あま嶋の人の鰒玉をとりて後と云義なるべし。あまの嶋と云名によりて、海人はかづきして玉をとるもの故、伊勢のあま嶋を詠出たると聞えたり。さなくてはいづれの海の海人も珠はとるべき事なるを、此地名を詠めるは海人といふ名によりて也。是等の格當集の例格ある事也
戀之將繁 普通の假名はこひとあり。諸抄も同前なれど表の意一通の筋不v通。下の意はこひの事なるべし。表の意はあはび玉のこと計に見るべし。こひといふは※[泥/土]の事れば、繁といふ字をしみと讀まば苦しかるまじきか。なれどあはびをとりたるあとの岩には、藻などのしげらんずれば、その意もて詠める表の歌の意と見るから、もひのしげらんとはよめる也。先よせ歌は表の意一通をよみおほせて、下の意を考ふべき也
取而 前にも注せる如く、海人のしわざにつき珠をとる詞あらばそれを用べし。然らば歌の縁語になる義もあらんか。とるとか、かるとか、まくとか云詞あらばそれを用べき義也。まづ字のまゝによみ置也
表の意は、あま嶋のしま人のあはび玉をとりて、その跡にはあはびの付たる岩に藻などのしげらんと詠みて、下の意は一度相見て後愈々戀のしげくやならんと也
1323 海之底奧津白玉縁乎無三常如此耳也戀度味試
(298)わたのそこ、おきつしら玉、すべをなみ、つねかくのみや、こひわたりなむ
縁乎無三 よしをなみと讀みたれど、此縁の字處によりてよしとも讀みたれ共此義心得難し。とるべき縁つてもなきと云義なれば、すべき樣なきとの義をとりて、玉の縁ある詞をもてすべとは讀む也。玉をすまると云古語あればすべもすまも同音通也。すめすま同じ詞也。よしをなみとよむべき縁の詞無き也。はしをなみとはよまんか。疊などのはしと云詞に此字を用る事古記に證あれば、橋の意にはしとはよみて、下にわたりと云詞もあれば首尾をあらはすべきか。これらは好所にしたがふへし
常如此耳也 この詞集中に多き詞なれど心得難し。處によりて別訓などあるべき事也。こゝもとにかくのみやとも讀まるゝ也。歌の意は海底の白玉をとらまほしけれど、底深き海中の玉なればとるべき便りも無ければ、たゞとこしなへに戀わたるとの意なり。下の意は及びなき人などに思ひをかけつれど、云よるべきよすがのなければ戀わびたるとの義ならん
味試 これはあぢはひこゝろみると云義を、なめ、なむと云義訓によませたり。萬葉書といふはケ樣のこと也。古事記日本紀の例をもてかくの如く義訓に書ける也
1324 葦根之懃念而結義之玉緒云者人將解八方
あしのねの、ねもごろおもひて、むすびにし、たまのをといはゞ、ひとゝかむやも
あしのねの 下のねもごろと云はん迄の五文字也。この歌の趣向のはじめは、此ねもごろむすぴにしと云へる處を專と詠みたる也。あしの根はこると云て、よくからみあひてこゞしく組あひたるもの故、きはめて葦の根とよみては、ころとよめる例格也。ねもごろ思ひてとは、葦根の如くよくからみあふ如く、深切にとけざる樣に結びしとの意也
結義之 これをむすびてしといふ假名は心得難けれど、これは本は弖の字なりしを誤りて義に書ると見えたり。さればこそ仙覺抄には弖の字に書けり。然ればもと弖の字なりしゆゑ、てといふ假名をかへず付たりと見えたり。然れ共にしとよみても意不v替、詞もやすらかなれば、義の字のまゝによむ也。義の字なればにとよむ也
(299)玉緒云者 ねんごろにむすべる玉の緒といはゞ、誰れ解きはなたんやと也。下の意は深く契りむすべる中といはゞ、中をさく人もあらじとの義にたとへたり
1325 白玉乎手者不纒爾匣耳置有之人曾玉令詠流
しらたまを、てにはまかずに、はこにのみ、おけりしひとぞ、たまよばひする
手者不纒爾匣耳置 玉は手にまきかざるものなれど、それを手にはまかずにはこにおくとは、此歌次の歌ともに玉賣のことを詠める也。二首の意相合てよく聞ゆる也。たとふる意は、女子などを秘藏しかくしおきたる事に寄せたる也。隱し置き外人に慕はるゝ樣にするは、玉よばひして玉ありと知らしむるの意にたとふる也
玉令詠流 これをたまおぼれすると讀ませたれど、たまおぼれと云詞の例なし。かな付の本には泳の字を書たれど、かな付なき本は詠の字也。詠の字はよばふと讀む字なれば此の意によく叶へり。玉よばひとは死にる人を呼かへす時、聲をたてゝその名を呼ぶ也。その如く玉を賣る人は玉をよばふるゝ故、玉よばひするとはよめり。手にまかず箱に入置てよばふは、人の死て魂のなきによせて、たまよばひともよめる也
1326 照左豆我手爾纏古須玉毛欲得其緒者替而吾玉爾將爲
てるさつが、でにまきふるす、たまもがな、そのをばかへで、わがたまにせん
照左豆我 これを諸抄にはよきさつをと云ことゝいへり。照はほめたる詞といへり。不v考の説也。さつをといふ事はなべての男子をいふにもあらず。男子の美稱ならばさつをといはず共あるべし。てるとはてらふといふ義にて物を賣ることを云。此集中にもてらさひ行など詠めるにて考へ合すべし。これは玉賣人の事也。すべてものを賣る者の名をてるさつとは云也。さつとはかへつて賤者をいふ詞なるべし。此歌玉賣のことにあらざれば聞えざる也。前の歌とならべあげたるにても、玉賣りのことゝはしるき也。然るをよき男の持ふるしたる女も哉、われに得て改めて持なれんとの歌と、不義非道の意に釋せるは心得難し。まきふるすといふより人の持ふるしたる女をと云あしき意をつけたる説は、歌道の本意をも失ふ説なり。玉賣の(300)持たる玉は隨分よき玉を見せ、玉にもちふるすべければ、そのよき玉をこひのぞむ意を、女などを戀慕ふ意にたとへたる計に見るべし。持ふるすとは緒のことを云たる也。よりてその緒はかへてあが玉にせんとは明るき玉赤玉にの意也。下の意は前の歌の通、親のもとに秘藏しおける娘子の、好女などをこひ願ふの意によそへたる也
1327 秋風者繼而莫吹海底奧在玉乎手纏左右二
あきかぜは、つぎてなふきそ、わたのそこ、おきなるたまを、てにまくまでに
秋風と詠出でたるは、思ふ中のあきあかるゝ事の心のつくなと云意をこめて也。秋風はわきてあらきもの故、海の底なる玉をとらんには風ふけば海上あるゝ故、取得ること難ければ風吹くなと也
手にまくまでに 下の意は思ふ人を我手に入るゝ迄は、歎き悲みのさはりなく、波風もたゝすことなかれと願ふ意也。表は海底の玉をとる義によせたり
寄日本琴
1328 伏膝玉之小琴之事無者甚幾許吾將戀也毛
ひざにふす、たまのをごとの、ことなくば、いとかくばかり、わがこひんやも
事無者 琴なくば糸掛ばかり戀ひんやもとの意也。琴ある故絲をもかけたく思ふとの意、下の意は世の中妹脊の間に膝にふすと云こともあるから、人を戀慕ひ膝にもふすばかり、なれ親みたき思ひの有と云意によせたり。膝にふすと云事などなくば何とてケ樣にいたく戀ひんやと也。よく聞えたり。逢事などの無くばと云の説あれど、膝にふすことなくばと詠出たる通也琴は膝の上にて引くものから、その縁をもて詠出たり。膝にふすの事第五卷目にても注せり
寄弓
1329 陸奧之吾田多良眞弓著絲而引者香人之吾乎事將成
(301)みちのくの、あたゝらまゆみ、つるすけて、ひかばかひとの、われをことなさむ
陸奧之 かくよみたるは、思ひの深き事にと云仙覺説は入ほかなり。これはたゞ弓の出る所の地名を詠めり
吾田多良 地名也。上古能弓の出る所にして、たらと云はたらの木にても弓を作りたる事と古くいひ傳へたり。梓にて作りたるを梓弓といひ、槻の木にて作れるを槻弓といふ。まゆみの木にてのま弓といふとの説有事也。尤さも有るべし。つき弓とは上弦下弦のなりに似たる故、弓張り月などいふ事有。また弓を七尺五寸に作るも、上十五日の半、下十五日の半を取て、弓長定法七尺五寸とすると云こと也。三日より七日夜迄は半月の形弓に比したり。十六日後は段々缺て、廿日後の七日の間には弓の如くの月のなりをかたどりて、七尺五寸の法を立ると云傳へたり。是も後世の事也。上古弓のたけ極りたる制を不v聞。古は人の力相應に打たる也。又天竺の多羅柴の長七尺五寸なる故、それに形取りて弓のたけも七尺五寸としたりしと云など佛家の附會の説もあり。いづれも取用ひ難し。然れ共たらの木にて作れることは上古の法あるか。此歌もその縁ある故、多良眞弓とはよみて地名ながらそのわけある故、此地名を詠出たると見ゆる也。尤此所より貢献もし、弓を打出すからかく詠めると見る也
引者香 ひかばかと云よみ然るべし
ことなさんは琴になさんとの表の意も聞ゆる也。つるをはけて引かば事にならんと也。下の意は女を引得ば人々のわれを云さわがさんと也
1330 南淵之細川山立檀弓束級人二不所知
みなふちの、ほそかは山に、たつまゆみ、つかまくまで、ひとにしらるな
此みなふちの細川山を詠出たるは、先此所に弓になるよき檀の木ある處から、此時分弓を打出せる所故詠出たるならん。しかし下に人に知らるなと、深くしのべる意をのべたるは、みな淵にて細川邊の通ひ難き處と云意をこめてか
弓束級 此級の字をまくまでと讀ませたる義しかと辯じ難し。束及糸と云字をもてまくまでと讀めるその義、とくと徹し難(302)けれど、古く讀ませ來リて義も不v可v違故にかく讀置也。まくともと讀むべき意もあり。ともとよみては少意違也。先まくまでと云表の意は、木の成長して弓束をまかるゝ程になる迄、人に知られね、知られなば人のきりとらんずれば、われとりて弓にせんにと云の意にて、まく迄云々とは詠みたり。下の意は、わか手に握り得る迄は、相語らふ事を人にさとられなと示したる意也。男にもし、女にもあれ、弓にたとへたり
南淵細川 大和十市郡にあり。日本紀天武紀〔云、五年夏四月云々、是月勅禁2南淵山細川山1並寞2蒭薪1〕
弓束 和名抄云、〔釋名、弓末曰v※[弓+肅]、中央曰v※[弓+付]、【音撫和名由美都加】〕延喜式云、〔造弓一張料、弭絲二銖、※[弓+付]鹿革一條【圓四寸】文選四子講徳論云、扞弦掌拊、李善注云、鄭玄禮記註曰、拊、弓把也、李周翰曰扞〕
寄山
1331 磐疊恐山常知管毛吾者戀香同等不有爾
いはだたみ、かしこきやまと、しりつゝも、われはこふるか、ひとならなくに
いはだたみかしこき山 高く險難の山を云意にいはだたみと也。かしこきと云冠辭にいはだたみと置たり。いはゝかたきものなれば、かしこきはかたきと云義恐るゝと云意也。然れば岩巖石の重り高き山との事也。その山と知りながら人にてもなきに、その山に入來ると詠みて、下の意は、われに等しからぬ高貴の人に、思ひをかけたる事をたとへたる歌也。ひとにあらなくにと云は、等しからぬ高貴の人と云の意を含みて也。次の歌も同じ意にて兩首引合て意を知るべき也
1332 石金之凝木敷山爾入始而山名付染出不勝鴨
いはがねの、こゞしきやまに、いりそめて、やまなつかしみ、いでがてぬかも
石金之 岩根のこり敷たるさかしく險難の山と也。石金のこりしけるなど云説有。しひて云べきにあらす。たゞ險難さかしきことを云はんとて、石金之凝木敷山とは詠みたり。そのさかしく恐ろしき山に入て、たやすく出難く山路の險しくさかしきになづみて、出かぬるとの表の意也。裏の意は高貴の畏き人を思ひそめて、かつは恐ろしくかしこけれど、え思ひ止まらずな(303)づみ苦むと云意をたとへたると聞えたり
1333 佐保山乎於凡爾見之鹿跡今見者山夏香思母風吹莫勤
さほやまを、おほにみしかど、いま見れば、山なつかしも、かぜ吹なゆめ
佐保山 さほ山と詠出たるはすこしの火と云意にて也。下に風をよめるにて知るべし。風にて消ゆると云意をもて詠める歌也。さなくては佐保山と詠み出たる趣意不v立也。諸抄物にはかつて此意を不v辨故、花紅葉の色になづみしなど、句中にあらはれもせぬ事を付添て説をなせり。古詠は左様のことにあらず。一首の句中にて聞ゆる様によめる也
於凡爾 おほよそに也。はじめはさのみ心にそみても見ざれ共、今見れば山景のなつかしければ、風な吹きそ、風にて火の山を消すなつゝしめと示したる表の歌の意也。下の意は、はじめはおろそかなりしか共、なれそみてはなつかしみもいやませば、深切に思ひ入て中を隔つる人もなかれと、さはりなす人などを風に比してたとへ詠める也
1334 奧山之於石蘿生恐常思情乎何如裳勢武
おくやまの、いはにこけむし、かしこみと、おもふこゝろを、いかにかもせん
上の句は、第六卷驛使葛井連廣成吟詠の歌と全同じく、たゞかしこみと云詞を設ん爲迄の義也。前の歌共の餘意をつゞめたる歌也。當集如v此かれとこれとの意をあはせて聞えさする様に、同類の歌を並べ擧げたる事前々も委しく注せり。畢竟われにひとしからぬ高貴の人を思ひかけて、そのかしこみ思ふ心も又思ひ止難き心も、いかにしてをさめんと、心一つを定めかねて思ひわたる歌也。表の意は、たゞ深山幽玄の山中に岩石立そびえたるに、數年を經たる苔などの生繁りて、物すごきはいとも恐ろしかるべきその心を、いかにしてしづめむとの歌也
1335 思勝痛文爲便無玉手次雲飛山仁吾印結
しのびかね、いともすべなみ、たまだすき、うねびのやまに、われぞしめゆふ
思勝 印本諸抄には思ひあまりとよめり。且※[月+券の刀が貝]の字を書けり。然れ共※[月+券の刀が貝]の字をあまりとよむ義心得難く、また一本に勝の字(304)を書たれば此本證とすべし。勝の字正本にてもあまりとよまんこと義不v通。かね、がてなど讀める事は集中に數知れず。よりてしのびかねとは讀む也。表の意うねび山の大成をも景色のおゝしくよき山故、わがものとなしたく思ひてその望にたへかねてしめゆふと也。下の意も及びなき高貴の人を、いかにして得んと思ふ心のしのびかね、又高貴の人にていひよりとひよるべき樣なけれど、たゞわがものに領せまほしく、大山に※[片+旁]璽をしめる如く思ひをかけし意にたとへたり
吾印結 われしめむすぶと讀みたれど、しめ結ぶと云詞めづらし。よりてわれぞしめゆふと讀む也
寄草
1336 冬隱春乃大野乎燒人者燒不足香文吾情熾
ふゆごもり、はるのおほのを、やく人は、やきたらぬかも、わがこゝろやく
大野 すべての野をさして詠めるにもあらんか。先は諸抄物には筑前國と注せり。心得難し。大和の内に如何程も大野といふ地名あるべし。地名をさゝば大和の大野と見る也。すでに前後の地名皆大和也。その中へはる/”\の筑前を何とて詠出たらんや
燒人者云々 表の意は春は野を燒くこと今とてもあり。その野をやく事の燒きあかで、わか木までをやくと云義也。吾情と詠めるは、心は木々らと云義によせて、草を燒き飽かで木までを燒くとよみて、下の意はわが思ひにこひこがるゝ人を恨める歌也。此歌、草の義は表に見えね共、大野を燒くと云ものは、春草の爲に燒ものから寄草の部に入れられたり
不足香文 たらぬかもとよめり。俗言に近し。不足と書てあかぬと義訓に讀ませたる歌集中に毎歌也。よりてあかぬと讀むべきか
吾情熾 わが心はわが木々らと云意也。心もこゝらと同じ。燒人とはわが思ひをかけし人にたとへ、その人故にわが思ひの火にこひこがるゝと也
1337 葛城乃高間草野早知而標指益乎今悔拭
(305)かつらぎの、たかまのかやの、さゝとりて、しめさゝましを、いまぞくやしき
葛城乃高間 大和也。草野、かやとも草とも讀まんか。地名と見ゆる也。かつらぎの高間と云處のかや野なるべし。
早知而 印本諸抄物に皆はやしりてと讀みて、早く領しての義と釋せり。いかに共心得難し。早しりてと云詞も不v宜。又義も聞えがたし。何をはやく知りてと云、表の意不v濟也。これをさゝとりてと讀む義は、かやにもあれ、草にもあれ、ちいさく結びやすき時にしめをもゆはましものを、生しげりて高たけては、中々しめ結ぶことも、しのさゝなどもなり難き故くやしきと云意にて、さゝとりてとは讀む、早はさ也。知而はさとりさとると讀むなれば、篠とりてと云義にて也。下にしめさゝましと詠めるは、上のさゝの縁をもて也。しめゆふと云べきをさゝましと詠めるにて、上をさゝとりてと讀ませたる義と見る世。表の意如v此にて一通の義聞ゆる也。はやしりてと云事にてはいかにも義は不v通也。下の意は人の娘子にもせよ、小子いたいげなる時結びかはして契りおくべきものを、思ひかけし人を人に先だたれてくやしきと云意をよせたるなり。此歌はやしりてとよみては全躰の意不v通也
1338 吾屋前爾生土針從心毛不想人之衣爾須良由奈
わかやどに、おふるぬばりの、こゝろにも、おもはぬ人の、きぬにすらゆな
吾屋前 此前の字心得難し。集中數十ケの歌に有。所といふ字、※[所の草書]と喜たるを前と誤りたると見ゆる也。歌によりて屋前とありて庭とも讀むべき歌あり。それよりして所前誤りたると見ゆる也。屋前をやどとは讀難し。屋前と書ける歌もあまたあれば、きはめてこれ所の誤字と見る也
土針 和名抄云、〔王孫一名黄孫和名〕沼波利久佐〔此間云2豆知波利1一名〕【定知波利】然ればぬばりと云が本名也。ぬばりは野萩と云義也。上古はのと云詞みな皆ぬと云へり。集中にぬはぎと讀まねばならぬことありて、その野萩と云は今の萩の草の事也。榛の字は木のはぎの事也。然るに木のは實にて染v衣、草萩は直に衣に摺付る也。此差別ある事なれ共、集中には草木通じて野萩の歌にも榛の字用たり。これ訓借にて書たるもの也。土針と書てぬばりと讀むは、土はにと讀む、にはぬなり。よりて義(306)をもて訓借に土針とは書たるもの也。此土針と書てぬばりと讀ませたる事、集中の能き萩榛の差別の證也。玉萩と云もぬばりと云より云ならはしたる歟。これに木の榛の實玉の如くなるものなれば、木萩より云たるものか。尤ほめたるよみかける例もあれば、露の玉はぎなど詠みし也。且木萩にても衣にするとよめる歌有。これも花の時花にてすると見えたり
心毛不想人之衣爾須良由奈 さのみめであえぬ人の衣にはうつりすらるゝなと、表一通は、我宿に咲ける野萩を愛せぬ人の衣などにはうつり染るなと下知したる歌にて、裏の心は我娘子などのありて、なほざりに思ふあだ人などに靡き引かるゝなとしめしたる意也。すらゆなはすらるゝな也。深くもめで思はぬ、うはべなほざりの人などにうつり染むなとの下知の意也
1339 鴨頭草丹服色取摺目伴移變色登稱之苦沙
つきぐさに、ころもいろどり、すらめども、うつろふいろと、いふがくるしさ
つきぐさとは青花草つゆぐさの事也。鴨頭草と書くこと、あをぐひと云鴨のかしらの色に似たるをもて義訓に讀ませたると見えたり。此歌は女の歌と見えたり。表の意はつき草に衣は染めたけれど、うつろひやすきもの故外へうつらん事の疎ましきとの意にして、下の意は引かたありて靡きよりたきなれど、うつりやすき淺はかなる人と云ひはやされん事の苦しきと也
1340 紫絲乎曾吾※[手偏+義]足檜之山橘乎將貫跡念而
むらさきの、いとをぞわれよる、あしひきの、やまたちばなを、ぬかむとおもひて
表の意聞えたる通山たち花の實は赤き玉也。それをぬかんとて紫の糸をよると也。下の意、糸をよるは思ひをするの義、山橘を女にして詠める歌也。山橘は草の類也
1341 眞殊付越能管原吾不苅人之苅卷惜菅原
まだまつく、をちのすがはら、われからで、ひとのからまく、をしきすがはら
眞殊付越能 第二卷に注せり。玉だれのをち野とありしと同所也。大和高市郡にあり。玉を付る緒とつゞきたる義也。をちこちなど云義にはあらず。地名を云たる也。次の歌共皆地名をいへり。表の意聞えたる通也。裏の意は、菅原のいさぎよき(307)清らなるを女にたとへたる歌也
1342 山高夕日隱奴淺茅原後見多米爾標結申尾
やまたかみ、ゆふ日かくれぬ、あさぢはら、のちみんために、しめゆはましを
山高夕日かくれぬ まだ暮れまじきと思ひし原の、山陰になりて夕日のかくれぬれば、あさぢ原の見えわかぬことをのこり多く思ひて也。夕日かくれぬと詠めるから、あさぢ原と朝夕を對して、あさ日の時にしめをもゆひ置べきにと云意也。夕日隱れて淺茅原のうせたる樣になりたるを歎きて詠める表の意也
後見 これらが古詠の例格、のちは野路と云義也。日暮れてしるべなき野原なる故、暮ざる前に、しるべのしめをゆひ置かましものをと云へる意也。若しこの歌は、妻などの死たる時詠める歌ならんか。淺茅原を詠めるは、なき人のことに詠みあはすこともあれば、夕日かくれなどよめるも心にくき處あり。下の意もしからばその意をもて見るべし。先一通の裏の意は、思ひかけし人のいひもあはさず、いづ方へも行しことを惜みて、とく契りをも結び置ましをと悔めるか
1343 事痛者左右將爲乎石代之野邊之下草吾之刈而者
こちたくば、かにかくせんを、いはしろの、のべのしたくさ、かりしかりては
事痛者 事いたくば也。ことの甚しくなりたらばと云義にて、草の茂りはびこりたらば、とにもかくにもいか樣にもせんをと云義也
石代 此二字本に替りあり。一本伐の字に作れり。これによりて宗師案は石戍にてあるべしと也。戍はもりとよむ字也。もりにてなくては此歌下の句不v濟義あれ共、古今不番をなさず來れり
下草 この下草と云こと、上に木とか何とぞ無くて、野邊の下草と計にては首尾不v濟。古詠に友樣の不首尾の義は無き事なり。是は石もりと上に詠みたるから、下草ともよめる事を知るべし。その上にかりしかりてはと詠める意も、刈る事のならぬをいへる歌也。刈ることなりて、われ刈らばいか樣とも、何程事いたく繁りはびこりたり共刈りはらはんつれど、神のます森(308)の草なれば、おそれありてすべて刈らざるもの故、刈られぬとの義下の終の句にて知られたり。森とよまでは叶はざると云義は、これらの義によりて也。下の意は思ふ人を我手にだに入たらば、その後はいか樣に云さわがれ、いか樣のさゝはり事あり共、ともかくもせんをと云意也
吾之 集中この詞多し。上代は兎角身の事をかりといひたると見ゆれば、こゝも下のかりてはと詠める縁に、かりしと詠みたるにやあらん。よりてかりしかりてはとよむ也。やつがりと云義にて、兎角かりと讀までは歌の意不v通處多き也
一云紅之寫心哉於妹不相將有 或説を古註者記したる迄也。此三句は本文の句よりは劣れるならんか。先は男の歌と見る證には此一説を可v用也
1344 眞鳥住卯名手之神社之菅根乎衣爾書付令服兒欲得
まとりすむ、うなでのもりの、すがの根を、きぬにそめ付、きせんこもかな
眞鳥住 此眞の字心得難し。魚鳥ならんか。眞鳥と云鳥を何いへるとも無2證明1也。諸抄の説は鵜の一名といひ傳へたり。又鷲のことゝもいへり。説まち/\にして一決し難し。尤上古人名に大伴眞鳥といへるものありしは、鳥の一名とも聞えたり。然れ共何鳥と云考ふべきより處なし。いさなとり、うと云詞あり。又古事記の歌にも、なとりといふ事あれば、鵜の一名をなとりといへるならん。小魚をとりくらふ鳥なればなとりとも名を負たるらんか。此眞の字も魚の誤りと見ば、日本紀、古事記、當集にいさなとり又なとりと詠める、ともに相すむ也。こゝも鵜の一名と見て、うなでの森と詠出たる冠字に置ける五文字と見て濟也。すむとよめるは杜とあるより也。畢竟なとりのうとうけたる詞にて、住は森にかゝれり。うなでの森を詠める意未v遂v案也
卯名手之神社 八雲には美作と注せさせ給へ共、此の歌の次で皆大和なれば心得難し。延喜式和名抄にも美作の國中には不v見。和名抄に高市郡に雲梯と云をあげたり。兎角大和なるべし。日本紀には溝をうなでとよめり。石上溝などと云事あれば若しそのあたりにある森か。菅の根を詠めるも杜に菅根心得難し。尤山にもあれど、兎角すがも水濕の地に生ずるもの也。
(309)此歌の意、表の意すがの根を衣にそめつけとあるは一通聞えたれど、下意はとくと聞えず。宗師案は、貞潔をあやからしめたきとの意ならんと也。表の意は、神社とあるより清らなるものから、その根をとりて根すりの衣と云事もあれば、たゞ何の意もなく、きぬに染つけて著せん女子もかなと詠める也
菅根乎衣爾書付 此すがの根をもて染付んとの義心得難し。しかし古は菅根をもて摺衣にせしと見る也
書付 誤ならん。盡の字じむと云音なれば、じんもしみも同じければそめも同音也。且書の字も筆を染めると云故、その義によりて染と讀ませたるか。此歌全體表の意未v被v得v聞也
1345 常不人國山乃秋津野乃垣津幡鴛夢見鴨
つねならぬ、ひとくにやまの、あきつのゝ、かきつばたをし、ゆめに見るかも
常不人國山 諸抄の説、人は無常のものなるから常ならぬ人とうけたるとの説也。さもあるべきか。然れ共全體の歌常なき事を詠める歌なれば、その意をはじめに云かけたるもの、先人國山と云はもろこし山といふ意にて、人の國の山、他の國の山と云意にて名づけたる山の名と聞えて、此人國山古はもろこし山と稱せしも知れがたし。古今の歌に、もろこしの芳野の山と詠める歌に付、色々論あることにて説々まち/\なること有。唐に吉野山と云地ありと云説もあれど、宗師案は此人國といふがもろこしのと云義と見ゆる也。我國に對して人の國と書たるは、唐の事を云ひしと見ゆる也。然れば大和の吉野都の内に有地名にて、もろこしの吉野と詠めるも、是人國山のことなるべし。こゝの人國山のあきつのと詠めるは、もろこしと我國の惣名秋津と云を對して詠める、是常ならぬと云五文字にかけて詠めると聞えたり。唐と大和との野に、しかも時ならぬかきつばたを見るとは、常ならぬ事を專とよめる也。かきつばたは春の末夏の初に咲ものなるを、秋津野と詠みて時ならぬと云意をあらはせり。然れば思ひつかず似付ぬ事を詠める全體の歌故、初文字に常ならぬとは詠めるならん。尤常ならぬ人とうけたる所は人は變化ありて常なき世の習ひなるをもて、云かけたるにもあるべけれど、まづは歌の全體にわたりて置たる五文字と聞ゆる也。表の意如v此全體思ひよらず似つかぬ事をよめる歌也。下の意も思ひかけぬ人を見そめて、よしなく戀わぶる歌なるべし。かきつばたを女に比して云へるならん
(310)1346 姫押生澤邊之眞田葛原何時鴨絡而我衣將服
をみなへし、おふるさわべの、まくずはら、いつかもくりて、わかきぬにきん
をみなへし生る澤邊の 眞葛原の地名を云迄の事にて、女郎花も生ひまじりたる葛原に來て、その葛を刈取りていつか衣には著んと詠みて、下の意は女に思ひかけていつか我妻にせんと云義也。然るに女郎花と詠出たるは、女に思ひかけし事の縁をあらはして也
1347 於君似草登見從我※[手偏+票]之野山之淺茅人莫苅根
きみにゝる、くさと見るより、我※[手偏+票]之、野山のあさぢ、ひとなかりそね
於君似 女を草にたとへしこと古詠毎歌に有。詩經にも手如2柔※[草がんむり/夷]1など作れり。淺茅の白き穗の出てなよなかなる美しきを女子に似たると云ひたる也
我※[手偏+票]之 第十九卷にも、妹爾似草と見るより吾※[手偏+票]之野邊之山ぶきたれか手をりしと有。宗師案にはわがしめしにてはあるまじく、これはしめ野と云地名を詠みたるなるべし。しめ野と云は大和にあり。しめし野と古今に詠めるもしめ野の誤りならん。しめし野と云所なくしめ野と云はあれば、しめ野をわがしめのゝ野山と詠みたるならんと也。しめ野と云にわがしめたる野と云かけたる也。さなくては野山と廣く詠める處心得難く、又前後の歌皆地名をよめり。わがしめたるしめ野山の淺茅なるまゝ人な刈りそと讀みて、下の意は、われと契りそめし女の外に靡き引れなとの意なり。わがつまとしめ置きし女子なる程に、他人に隨ひそと示したる意をたとへたり
1348 三嶋江之玉江之薦乎從標之己我跡曾念雖未苅
みしまえの、玉江のこもを、しめしより、かり我とぞおもふ、いまだからねど
三嶋江之玉江 名所二所ながら攝津國也。これを詠出たるは別に意なし。たゞこもの名所なるをみしま江と云に見るの意(311)をこめ、玉江と云に女子の美しきをこめて、薦を女に比してよみ出たる也。表の意は薦の美しきを見て、われ刈とらむと、目じるしをしゝめ置きしから刈りはとらねど、わがものと思ふとの意也。下の意は、思ひかけし女子などに云かはして、未だむかへとらねど我妻と思ふとの意にたとへたり
1349 如是爲而也尚哉將老三雪零大荒木野之小竹爾不有九二
かくしてや、なほやおいなん、みゆきふる、おほあらきのゝ、しのにあらなくに
如是爲而也 隱してやの意によせて如v此してや也
尚哉將老 年ふりなんと也。下の小竹の埋れはてたけすぎんと也
三雪零 身の年ゆき經るの意によせて也
大荒木野 大和にも山城にも有。然るに此大荒木野と云は、大にあれたる廟社墳墓などのある森野を云と見えて、古來より大あらきの森野の草木は生茂るまゝにして、刈る事など嘗てせぬことに詠なせり。日本紀に墓をあらきと讀ませたり。然ればいづ方にてもあれたる古廟を云たるか。それ故一所に地名定まらざるかと見ゆる也
歌の意は、わが身かく思ひ出もなくいつまでもうもれて年老いはてんや、大あら木野の雪に降しかれて、埋れはつる小竹にては無きにと恨みて、大荒木の野に有る小竹草は刈る人も無く、すさむものもなく、雪霜に降しかれて埋もれはつるその如くにわれも老はてんやと也。下の意は、人を戀慕ふ思ひを忍びつゝみて、いつあらはし知らすることも無く、思ふ人によりあふこともなくて、年老はてんやと歎きたるたとへ也
1350 淡海之哉八橋乃小竹乎不造矢而信有得哉戀敷鬼乎
あふみのや、やばせのしのを、やにはかで、しのびはてんや、こひしきものを
あふみのや このやの字助語によむ事、日本紀の歌にも見えて古詠の格也。人にあふと云意をこめてあふみを詠出たり
八橋乃 下の矢と云事を詠出る縁、八はしをよめる橋と云もはせも同音也
(312)小竹 しのたけ矢になる竹也。下にしのびたへんとか、はてんとか讀む縁也
不造失 矢につくるをはくと云故義訓によむ也。矢になさでと讀みても同じ意也
信有得哉 これを印本諸抄物等にも、まことありとやと讀ませたり。それより色々の説を付添へて釋せり。まことありとやと云ては、歌詞にては無くたゞ言、物語詞、俗言也。歌と云ものは古詠新詠とても、風体時代は違ふ共左樣にたゞ言をよめるものにては無し。萬葉集を讀誤れるより、萬葉時代は歌詞如v此のものと心得られたるは、歌を不v辯より也。信の字しのとよむ奧州信夫郷の名にても知るべし。これは音を訓にかりて讀む也。信濃も同じ。しんと云音をもて借りて訓の詞に用たる也。こゝもまことありとやと云て、歌の意いかに共不v濟。すでに上に、しのを矢にはかずと詠出たれば、しのにとか、しのびとか讀までは歌の首尾不v叶、意も不v通也。しのにと云、にはび也。濁音のひはに也。にと云ても又びと通ずればしのび共讀む事苦しからず。しのにとよみて同じ。には付詞、てには詞なれ共てには詞を躰字に用ゆること當集あげて數へ難し。しのにはせんやと云て、矢にはかれずしのにて有りはてんやとの意也。戀しきものとは矢になしたきと云意也。有得哉の三字も義訓に讀めり。ありうるなれば、はてんとも云べき義也。またたえんとも讀む。有得の二字なればありえたると云は、ものにたへたるの意堪の字の意也。尤字の如くしのにあれとやとか、しのびてあれとや共讀むべし
歌の意同事也。矢にはかずその儘にてあれとや戀しきにとの意也。表の意は、矢一通の義にして、下の意はあふ事の願ひもとげず、事ならずしてこの儘にわが思ひの忍びはてんやとよせたる歌也
1351 月草爾衣者將摺朝露爾所沾而後者徙去反
つきぐさに、ころもはすらん、あさづゆに、ぬれてのゝちは、うつろひぬとも
表の意は、ころもに詠なして、裏の意は思ふ人に相なれん、なれ染ての後はたとひいか樣になりなん共と云よせ也。此歌古今集には秋の上にのせられたり。此集を貫之等不v被v考故か。又古今集後人の加入歟。心得難し
1352 吾情湯谷絶谷浮蓴邊毛奧毛依勝益士
(313)わがこゝろ、ゆたにたゆたに、うきぬなは、へにもおきにも、よりがたましお
ゆたに 一所に處をさし定めずゆらめきたゞよふ義也。たゆたは重詞たは初語也。たゞゆら/\とうかれたゞよふてゐる躰をいひたり
浮蓴 沼、江、水海などにある水草也。一定に不v定うきてあるもの也
奧にも 水の深き處をおきと云。池川共におきと云ものは有。大海に限らざる也
勝ましを たへましを共がてましをとも讀むべし。一方に何かたへなり共よりはたさましを、たゞ蓴のうかれたゞよふてある如くに、我心の定まらぬと也。表は蓴の事に詠みて、下の意はわが物を思ふことの一方ならず、かなたこなたに思ひ亂れていづかたへより付べき方も無く、思ひわきたる方無く、たゞうきたゞよふて居ると云義をたとへたり
寄稻
1353 石上振之早田者雖不秀繩谷延與守乍將居
いそのかみ、ふるのわさだは、ほでずとも、【なは・しめ】《兩樣好む方にしたがふ》だにはへよ、もりつゝをらん
石上振 地名也。きはまりたるふるの冠辭にいそのかみと詠める事也。石上ふるのわさ田と詠めるは、神のみとしろ田と云義也。よりて神田と云しるしにしめをも引はへて、人に刈らさして守らせよ、われ守りをらんと也。下の意は、未だ年若き娘子など遂にはむかへとりて、妻ともせんしるしを定めおけよ。然らば貞節を守りて神田を人に刈らさぬ如く守りゐんとのよせ也。女の歌と見ゆる也。若し男の歌にて穗出ずとも詠めるは、未だこと熟せず共互ひにそれと云かはしてしるしを定め置よ、我もたがへぬ心を守りてゐんとの歌歟
寄木
1354 白菅之眞野乃榛原心從毛不念君之衣爾摺
(314)しらすげの、まのゝはぎはら、こゝろにも、おもはぬ君が、ころもにすらん
白菅眞野 前にも注せる如く所々地名同名あり。こゝは歌のなみ大和津の國の内と見えたり。歌の意は、まのゝ萩原を通りし折から、木草の萩何れにもあれ、多く盛りなるを見て、われはかくめでぬるが、さまでも思はぬ人も此野を行は同じく衣にすりつゝならん、あたら萩原やと思ふ意を表の意に詠なして、下の意は、われはかく深き心に染て思へ共、かく迄も思はぬ人に靡きそみぬらんと、女の歌にて先の心を疑ふたる意をよせたる歌と見る也
1355 眞木柱作蘇麻人伊左佐目丹借庵之爲跡造計米八方
まきばしら、つくるそまびと、いさゝめに、かりほのためと、つくりけめやも
そま人は 木をつくるもの也
伊左佐目 いさゝかと云意に同じく、かりそめにと云事也。古今集物の名の歌にも詠める詞也。此歌の意、表は仙人の作る木はいさゝか假初の爲につくる柱ならんや。さにては無く宮殿を造立の木に作るとの事也。つくりけめやもは、刈庵の假初あだごとに作にはあらずと云義也。下のよせは、人に語らひよる事、假初の戯れごとにはあらず、彌とけていつまでもかはらじと云かはする義との事をよせたり
1356 向峯爾立有桃樹成哉等人曾耳言爲汝情勤
むかつをに、たてるもゝのき、なりぬやと、人ぞ耳言爲、ながこゝろゆめ
向峰 むかつをと讀む事日本紀第二十四卷に本づきて也。向へる峰也。峰は尾上とも云也。よりて古語にはをと云へり
桃樹成哉等 實のなりたるやとうかゞふ義をいへり
人曾耳言爲 印本諸抄物共に耳言爲の三字をさゞめくと讀ませたり。或はさゝやくとも讀ませたり。耳にいふと書たれば、私言私語の理に准じてさ讀むまじきにもあらねど、此義訓當れりとも不v聞。桃の樹をもて詠出たる歌の全躰なれば、その木か花かによる縁の詞無くては歌の意不v通也。よりて宗師案は、木か花に縁ある義訓あるべしとの案にて、ねためると讀む也。(315)桃の實のなりたるやと、人々木の根をたわめて見るの意をこめて、かつ下の意は嫉妬の意をこめて也。さゞめくさゝやくと云ひては、表の意も裏の意も不v通也。とても義訓すべくば、歌の全躰の義に叶ふ樣に案をつくべき事也。嫉むことは耳に云理也。うちあらはしては云はぬ事なれば、耳言の義にも可v叶。又人ぞと上によみたれば、ると止めざればてにをはも不v合也。尚別訓あらば可v隨2後案1也
汝情勤 桃をさしていへる也。實なりたるやと人々木をためて試みる程に、傾かざる樣に根を堅固に保ちつゝしめよと云表の意にて、裏の意は、われとかく相語ふことを人知りて妬みあへる程に、深くつゝしみて表にあらはれぬ樣にせよとの意、又は妬みて外よりも引たわむべき方あらん程に、その方に傾くなと云の意とも聞ゆる也
1357 足乳根乃母之其業桑尚願者衣爾著常云物乎
たらちねの、はゝのそのなる、桑尚、ねがへばきぬに、なるてふものを
其業 園にある也。たらちねの母とは前にも注せる如く極れる冠句也
桑尚 此二宇誤字と見ゆる也。尚の字子と云字なるべし。さなくては歌の意不v通。或抄には子の字脱したりと見る。さもあるべけれど直に誤字と見て、くわこをもとか、桑こしもとか讀みて歌の意通ず可き也
願者 土かひそだつればと云意也。乞願へばと云義をかねて也。くわことは蠶の事にして、母の園に生じたる桑の木も、根に土かひそだつれば、蠶となりてきぬになるものをとの意也。下の歌その意ある故かく詠なせるもの也
著 きるてふと讀ませたれど、定也といふ字義あれば、なるとも讀むべきなれば、桑をきぬきると云義は餘り六ケ敷聞ゆる也。蠶の絲をもて衣に織なして、さて衣にして着ると云義他。それよりはきぬになると云方義安し。つくと讀めばつくる共云ぺければ、なるとよみて義通也
表の意は、母の園にある桑の木も、根に土かひ養ひをしてそだつれば、蠶の食ものとなりて、遂にはきぬとなると云義にして、下の意は、親許に隱しそだてる娘子などを思ひかけて、われにえてしかなと願ふ意にたとへたる也。それ故母の園なると詠み(316)て下の意を含めたる也。畢竟親の元にあり共、思ひかけてこひとらば妻にならんものをと、娘子などに心をかけて詠めるならん
1358 波之吉也思吾家乃毛桃本繁花耳開而不成在目八方
はしきやし、わがへのけもゝ、もとしげみ、はなのみさきて、ならざらめやも
波之吉也思 は桃をほめたる詞、畢竟下の意女にたとへたれば也。表の意、桃の木の葉しげく茂りて花咲しが、花ばかりにてあるべきや實もなるべきと、木榮え茂りたるを賞美して詠たり。下の意は、思ひかけし女などの、美はしくよき姿にめでゝ、かくよき女の目を慰むる計にてあるべきや、事調てわが家の家童子ともなさんと、女をほめて花のみにて止むべきや、夫婦となりてまことの實をもなさんとたとへたり
1359 向岳之若楓木下枝取花待伊間爾嘆鶴鴨
むかつをの、わかゝづらのき、しづえとり、はなまついまに、なげきしつるかも
若槻木 葛の木也。和名抄云、〔兼名苑云、楓一名※[木+聶]、爾雅云、有v脂而香、謂2之楓、和名、乎加豆良1、又兼名苑云、桂一名※[木+侵の旁]、和名、女加豆良、又爾雅郭璞注云、樹似2白楊1葉圓、岐有v脂而香、今之楓是也〕此かづら本は正木のかづらの木の事也。同名種類多して、此木の事はいかにとも分ち難し。正木のかづらと云は、蔓のごとくしだりはびこるものにて常磐木也。然るに古今集の歌神樂の歌にある、外山なる正木のかづら色つきにけりと詠める義不審也。和名に女かづらと注せり。桂を男かづらと云へり。この桂は今云、もくせいの木のことか。いづれにもあれ、かづらの木は常磐なるものにて紅葉などはせぬもの也。然るを大かた紅葉の歌にも專と詠來れるは、正木の葉に似たる蔓の木の、しかも紅葉するかづらの木、垣あるひは山中の木などにはひかゝりてあるをいへるか。神代紀にある湯津かづらと云も、杜仲の事にして今世に云ふ所の正木也。此若楓の木もいづれの事とも決し難し。楓と云は葛といふ義、女のかざりにするものから、下の意女に比したる歌なれば、若かづらの木とも詠出たると見えたり。此木の事追而可2考辨1也
(317)下枝 しづえかりとも、した枝かりとも讀むべし。意はたゞ若かづらの枝をかりとりてと云義也
伊間 この伊は助語也。花待つ間也。
嘆鶴鴨 嘆きしつるかもとは、表の意は燒木にしつるかもと云義也。花の咲榮えん若木の枝をあえなくも刈りとりて、薪となしつるかもと云義にて、歎きは悲しみの義也。下の意は若女などの若死などをせしを、歎き悲しみて詠める歌と聞ゆる也。印本諸抄には歎きつるかもと讀たれど、歎きしつると云意なれば、しの文字を入れてよむ也。燒木にしつるかもの義也。すべてなげ木と云は燒木の事を云て、悲しみの歎きの事をよせて讀む也。小女などの生行先花やかに美しからん、その盛の折にはわれ戀よりて妻共頼まむと思ひて、盛の程を待ちし間に、空しくなりたりし事などによせたる歌ならんか。諸抄の説はまだかたなりなる女に契りおきて、盛の程を待ち歎くにたとへたるとの釋也。いづれにかあらん、いまに歎きつると云事抄物の説にては不v濟也
寄花
1360 氣緒爾念有吾乎山治左能花爾香君之移奴良武
いきのをに、おもへるわれを、やまちさの、はなにかきみが、うつろひぬらむ
氣緒爾念有 命にかけて思ふと云義也
山治左 ちさと云詞は、これも前の歌の如く小女の義抔にして詠める歟。山ちさの木と云は、うつろひやすき花の咲木と見えたり。今もあるべけれど不2見覺1也。白き花の咲くものといへり。和名抄云、本草云、賣子木【和名、賀波知佐乃木】此木の事なるべし。此歌は表裏分ち難く、表の意に直ぐに下のたとへの意をのべたる歌也。表の意はまづ山ちさの木の花のうつろひやすきことを詠みて、下の意は人の心のかはりてうつろふと云事を恨みて詠める也。命にかけてわれは思ふに、君は山ちさの花にか《(マヽ)》なか|ひ《ちカ》て、外にうつろひ給ふらんと也。此歌若し小女などの未だ盛りならぬを、盛にもなりなばと命にかけて思ひしに、山ちさの花の如く散やすくて外へうつり行しか、又早死などしたるを歎きて詠めるか。下の意しかとは見え難し
(318)1361 墨吉之淺澤小野之垣津幡衣爾摺著將衣日不知毛
すみのえの、あさゞわをのゝ、かきつばた、きぬにすりつけ、きんひしらずも
淺澤小野 杜若の名所故詠出たるなるべし。表の意は、かきつばたの花のこきうすき紫の色美しきを、衣にすりつけていつか著んと詠みて、下の意は、思ふ女などをいつかわが手に入て、衣に著卷ぬる如くせんと戀わびたる歌也。かきつばたを女にして詠める也
1362 秋去者影毛將爲跡吾蒔之韓藍之花乎誰採家牟
あきさらば、なりにもせんと、わがまきし、からあゐのはなを、たれかつみけん
影毛 古本印本諸抄物にも、かげにもと字のまゝに讀たり。かげにもと讀みて歌の義いかにとも不v濟。木などにて夏になりたらば陰にもと讀む義もあるべき歟。草花の影にもと云事いかゞしたる事ならんや。景色にもせんと思ひてと云義に釋せる説あれど無理なる説也。集中に此影と云字をよめる歌に難2心得1歌あり。朝影に我身はなりぬと詠める歌あり。此義もいかにとも不v濟也。諸抄に無理釋をなせれ共うけがひ難き説也。かれこれを考へ合するに、朝影とよめる歌の意も物思ひに痩たる事を詠めり。然ればこの影と云字は物をうつし形取りたる義に通ふなれば、麻影なるべし。麻のなりに痩たると云義にて、影はなりと讀ませたる義なるべし。然らばこゝも業の字の意にて、秋になりたらばなりはひの爲にもせんと蒔きしと云義なるべし。なりはひとはその花をもて、何とぞ家業の助けにもせんと蒔きしと云義也。秋はすべての田畑のものを取收むる時なれば、五穀の類に比して秋さらばとは讀みて、蒔きしとは云たれば、きはめてなりにと讀むべき義訓と見る也。當集の格皆かくの如きの例あまた也。宇義にかゝはる事はかつて無き也
韓藍 第三、第一にもから藍の花と詠みて鷄冠草花と書けり。今けいとう花と云花の事なるべし。尤色々ありて赤白黄の花也。韓國より出たるもの故からの藍と名付たるか。紅色も呉の藍と云義にて、呉國より渡海初めしより名付たるなるべし。きぬなどを染る事もあらんか。藍と云名あれば染物に入るべきものならん。それ故なりにもせんとは詠めるなるべし。下の意(319)は、うない子などの未だわらわべの時、人となりたらば、われに隨ひ妻ともなりねなど云置きし女子の、いつしか外人へとられしを恨みてたとへ詠めると見えたり。影の字の義訓此外に後案もあらばこれを待つのみ
1363 春日野爾咲有芽子者片枝者未含有言勿絶行年
かすがのに、ゑみたるはぎは、かたつえは、いまだふゞめり、ことなたえこそ
此歌の意は、女子の未だうら若きをつぼめる萩によせて、その女子の母などのよしある人に詠みて遺したる歌と聞ゆる也。表の意は、野萩の咲かゝりたれど、かた枝は未だ紐だにとかぬまゝ、やがて咲出んまで絶えず通ひきてめでよといへる意也。春日野より示したる歌也。裏の意はまだ中々いときなき女子にて、花の紐とく程にもあらず、つぼめる程なれば、盛立て咲なん比までもこと云かはす事を堪へなと頼める意也
1364 欲見戀管待之秋芽子者花耳開而不成可毛將有
みまほしく、こひつゝまちし、あきはぎは、はなのみさきて、ならずかもあらん
不成可毛將有 實のならずかもあらんと云義也。此歌の意前の歌をうけて贈答に詠める歌故、如v此次第して被v載たりと見ゆる也。つぼめる萩の咲出るを戀待ちしが、まち/\て花は咲たれど、それをだに見ることも心に任せねば、花は咲たれど空しごとにT、實のなることも無からんやと也。裏の意、折角思ひかけし女子の盛は來れど、思ふ事の遂げずやあらんと歎きて、萩の實のならぬことによせたり。此歌たゞ不v成かもといふ處ばかりをせんに詠める也。前の歌の餘意をのべて贈答の意の歌に聞ゆる也
1365 吾妹子之屋前之秋芽子自花者實成而許曾戀益家禮
わきもこが、やどのあきはぎ、はなよりも、みになりてこそ、こひまさりけれ
花よりも實になりてこそ 表の意花の咲きし時あかずめでしが、それよりも散り過ぎて花を戀めでしよりも慕はるゝとの意にて、裏の意は、事なりて、色々と心づかひ有て、昔は物を思はざりけると云歌の意と同じき意と見るべし。此歌の下の意は諸(320)抄の説色々の見樣有て一決し難し。こひまさると云は、思ひわびることあるを云たる義也。諸抄の説は、心ざしの深くなると云意に釋せる説もあれど心得難し
寄鳥
1366 明日香川七瀬之不行爾住鳥毛意有社波不立目
あすかゞは、なゝせのよどに、すむとりも、こゝらあるこそ、波たゝざらめ
不行爾 義訓によどと讀ませたり。七瀬は川の淀みて瀬の幾瀬も有と云意也。すゞか川八十瀬とさへ詠める意也。よどとは水の淀みたまれる處也。水鳥はそのたまり淀みたる處に居るものなればすむ鳥もと也。此歌の意、諸抄の説いと六ケ敷入ほかに注せり。然れ共古詠さのみ入ほかに詠める事なし。全躰の意は、七瀬の淀に鳥の住めるは、波の立たざる故に住むらめと詠める也
意有社 これを心ありこそと讀ませたれど、さよみては此歌六ケ敷色々と云まわさねば聞え難き也。意はこゝらと讀むべし。こゝろもこゝらも同じ意也。有の字もあると讀むべし。然れば鳥の多くあるは波のたゝざらめと云義也。波のたゝばこゝらの鳥は住むまじきと云意也。これ表の意也。諸抄の説の如くにては、鳥の心ありてこそ波のたゝざらめと云義いかにとも不v通義也。それ故鳥のたちさわぎて波を立たすを、心ありて立騷がぬから、波もたゝざらめと無理押の注解など有。歌は字面にて濟む樣に詠めるものなれば、言葉をそへ加て解せんにはいか樣にも解せらるべけれど、さはなり難き事也。裏の意は、幾瀬もの淀に住む鳥すら、夫婦つがひの心ありてこそ、ならびて立離れず淀みにも住みぬれとよせて詠める也。波たゝざらめといふ裏の意、ならぴたる番ひの鳥の離れ立たぬと云意を詠める也。波と並とを表裏によめる也。表は波、裏は並の意也。譬喩の歌は兎角表の意一通先濟して、さて裏の意とくと聞き得る事也。諸抄の説ども皆差別なき也。此鳥は鴛鳥など云色々の添こと無くては聞えざる註解は正義にあらざる也
寄獸
(321)1367 三國山木末爾住歴武佐左妣乃此待鳥如吾俟將痩
みくにやま、こずゑにすめる、むさゝびの、小とりまつごと、われまちやせん
三國山 攝の國なるべし。〔續〕日本紀云〔延暦四年正月丁酉朔庚戌、遣v使堀2攝津國下梓江鰺生野1通2于三國川1〕此川の水上なるべし。或抄其山知れがたきと細かに注したれど、千餘年以來の今何ぞ可v知や。三國山越前と云説心得がたし。此歌のなみ前後大和也。中に越前をはさむべきにあらず
木末 こずゑ、不來と云義を含めて也
住歴 これをすまふと讀みたれどさは讀まれず。すみへると書きてみへを約してめ也。よりて住めるとは讀む也
むさゝび 前に注せり。詩にも飢※[鼠+吾]と稱して鳥を取食ふことを作れる詩あり。とりを取食ふもの也
此待鳥如 此字ならび心得難し。或抄には、此字あまりたりと注せり。然れ共此まゝにして轉倒と見るべし。待と云字鳥の下に有りしをまがへたるなるべし。むさゝび、なべての鳥をとるには有べからず。小鳥をこそとるなるべし
俟將痩 これを諸抄の説は、むさゝびの小鳥を取得て飢やする如くに、われも痩せんと釋せり。然れ共痩すると云事詠出べき縁上に無ければ、古詠左樣にはしなき事を詠出る事にあらず。これはてにはに讀めるやせん也。痩の字をかきたればとて、人の身の痩する事にはあらず。裏の意は思ふ人の來ることを、われ待やせんと云迄の歌也。木ずゑと詠めるは不來と云義を含みて、こぬ人を待ちやせんと詠める歌也。此歌三國山を詠出たるは何とぞ意あらんか。其意未v考也。何とぞより處あるべき也
寄雲
1368 石倉之小野從秋津爾發渡雲西裳在哉時乎思將待
いはくらの、をのゆあきつに、たちわたる、くもにしもあれや、ときをしまたむ
(322)石倉之小野從云々 此石倉大和なるべし。類字に石倉の小野、山城とあり。同名異所と見るべし。此歌の石倉小野は大和也。暗といふ意をこめて石倉とは詠出たり。下のあきつと云は夜の明けるの意を云たり。此歌横雲の義をよめり。しのゝめの空の雲の立渡ることを詠たり。それ故くらと云詞は夜を云詞、秋津とよめるは、ほの/”\と明行空の雲の立渡ることに云なしたり。小野より秋つ野へ雲の立渡ると云義にして、含みをすゑてかく詞に縁をとりて詠めり。小野より秋津野へ雲の立渡る如く、時の來るを待んとの意也。暗きよりあかくなる時を待たんと詠める也。たゞふまへも無く、時をし待たんと云義は無き事也。夜の暗きも明けなん時を待たんとの表の意也。裏の意も思ひのむすぼほれて、暗くてわく方の無き事も、横雲の空の明行如き時節到來の折あらんと、雲にもあれかしと願ふたる意也。瑞雲などに云説は信用すべからず
寄雷
1369 天雲近光而響神之見者恐不見者悲毛
あまぐもに、ちかくひかりで、なるかみの、みればかしこく、見ねばかなしも
天雲に 雨ふらんとて、夏秋の空には必ずいな光りして、雷の鳴轟くを見る景色恐しきよしに云なせり。見ればは光るを見れば也。恐しきものは必らず又見たきものなれば、見ねば悲しきと表の意も裏の意もかねて詠めり。高貴の人などに思ひかけて、その人を見ればかしこく、見ざれば慕はしく悲しきと也
寄雨
1370 甚多毛不零雨故庭立水大莫逝人之應知
いたくしも、ふらぬあめから、にはたづみ、あまになゆきそ、ひとのしるべく
甚多毛 はなはだもと讀ませたれど、歌詞はよき上にも雅言を求むべきなれば、甚多の二字は、はなはだと讀まじきにもあらねど、いたくとも讀む字なれば、二字合てしの字の助語を入て讀む也
雨故、雨からとは雨なるからと云意也。いたく降らぬ雨なれば、あまりに庭たづみの流るなと、庭たづみに片付けていへる也。(323)わが身を外にとりなして心に示したる歌也
庭立水 和名抄〔唐韻云、潦、音老【和名爾八太豆美】雨水也〕
大莫逝 これを印本諸抄共にいたくなと讀ませたれど、庭たづみいたくとつゞく詞にあらず。大の字いたくと讀む義はありもすべけれど、歌はすべて縁なき詞をはしなく詠む事なし。にはたづみいたくとはつゞかぬ事なれば、縁ありてつゞく詞を詠たらんを、、後人の不都合の假名を付たる事は歎かしき也。水と云詞に縁をうけてあまになとは讀む也。心はあまりになの義也。雨に縁、海士の縁語をもてあまになと義訓に讀む也。大の字なればあまねしともあまりとも讀べし。若し又天の字の上の一點を脱したるも知らず。又はさわになと讀まんか。澤の意也。此歌も下の人の知るべくと云は、表裏を一つに詠たる歌也。表の意すこし聞えがたき歌也。裏の意は人の知るべくと云義はよく聞えたれど、庭たづみのいたくゆくを人知りぬべくと云事不2打着1。何を知りぬべきや。庭たづみのゆくを知りぬべくと云計にては、知りたれば何の難ありて庭たづみの行を戒むるや。その意不v聞也。裏の意は忍びて通ふ妻などのかたへ、させる表立てる用も無きに、あまりに繁くな行きそ、あらはれて人知りぬべしと、心にしめしたる歌也。後案、大の字いたくと讀む事庭たづみの縁無けれど、にはたと云たの詞のうつり有て、上にもいたくしもと詠たれば、詞のうつりに詠める事あまたあれば難あるまじきか
1371 久竪之雨爾波不著乎恠毛吾袖者干時無香
ひさかたの、あめにはきぬを、あやしくも、わがころもでは、ひるときなきか
歌の意、表はあやしくも袖の濡るゝはいぶかしきと云て、あやしくもと詠めるにてつゞめたる歌也。裏の意は思ひに沈みて涙に濡るゝ袖のいぶせきを云たる也。綾の詞をもてわが衣手とよめるつゞき、歌の上手と云もの也 此歌あやしくといふ處を句中の眼目とよめる古詠例格也
寄月
1372 三空往月讀壯士夕不去目庭雖見因縁毛無
(324)みそらゆく、つきよみをとこ、よひ/\に、めにはみれども、よるよしもなし
月よみをとことよめる事、前にもかつら男などとも、月人男とも云て皆月の異名也。此歌月を思ふ人に比して詠める也。夜々に月の光は見れど、空中にあればより近づくことの無きと詠みて、眞近く相見る人をこひ思へど、さはり憚る事ありて相逢事のなり難きによせたる也
1373 春日山山高有良之石上菅根將見爾月待難
かすがやま、やまたかゝらし、いはのへの、菅根將見爾、つきまちがたみ
石上 いはのへとはいはが根のほとり也。すが根と詠める表の意は、月のさやかに照らす清らなる管の根までもあらはれ見んをと、月を待てども春日山の高くあるから、月の出來る事の遲くて待かねるは山の高からしと也。山の高故とは詠まで、高くあるらしと思ひやりて詠める意、上代の風躰歌の情也。ケ樣の處を決せずに詠める處作者の心々也。畢竟菅の根見むと云處を專と詠める歌にて、下の意も菅の根見むといふ所に意味をこめたる也。寢見むと云意也。山路を越來る人の遲くて待かねる意を、月によせて月を人にして詠める也
1374 闇夜者辛苦物乎何時跡吾待月毛早毛照奴賀
やみのよは、くるしきものを、いつしかと、あがまつゝきも、はやもてらぬか
何時跡 暗なれば苦しきもの故、早くも月の出よかしと待て、いつか月の出ぬらんと戀わびたる意也
吾待月毛 あが待つ也。明をまつと云意をこめて也。月もと云にて人を待の意自づからあらはれたり。下の意、前の歌の意と同じく、來る人を月にして待わびるの意をよせたり
1375 朝霜之消安命爲誰千歳毛欲得跡吾念莫國
あさじもの、けやすきいのち、たがために、ちとせもがなと、わがおもはなくに
爲誰 誰が爲に命長かれと願ふべきや。そなたの爲にこそ消えやすき命をも、消えざるやうに長くあれかしと祈り願ふとの(325)義也。此歌古注者は譬へ歌にあらざる樣に注したり。いかにも月によせたる意は聞えねど、朝霜に譬へたる歌と聞ゆる也。わが思はなくにと云を、たが爲にと云ふにかけて見るべし。外人の爲に願ふべきや。そなたの爲にこそと詠める也
右一首者不有譬喩歌類也但闇夜歌人所心之故並作此歌因以此歌載於此次
これ古注者の注解也。闇の夜の歌の作者の思ふ處をあらはしたるとの義也。譬へ歌の類にはあらねど、同作者故次にのするとの義也。所心とは、思ふとも、思ひとも讀む也。此注の趣は撰者の注の樣に見ゆれ共、兎角左注は悉く後人の注なり。此朝霜の歌も本集にありしや、後人の添へ加たるや難v計。寄月と云歌にて無く、寄霜と云標題落脱したらんか。それよりして古注者此注を加へたるかと見ゆる也
寄赤土
1376 山跡之宇陀乃眞赤土左丹著者曾許裳香人之我乎言將成
やまとの、うだのまはにの、さにつかば、そこもかひとの、あれをことなさん
宇陀乃 赤き士の繪具抔になる名物の所故、歌を詠出たるなるべし
左丹著 さにつかばとしいふは、さは初語ながらすこしと云意をこめて也。下の意はさねつく也。つくと云詞を設て也。先表の意は赤き土の少にてもわが身につきたらば、それをも人の何とか云なさんと也。下の意はまはにの色によせて、少にてもねつきたる事の色に出ば人の云騷がさんと也
寄神
1377 木綿懸而祭三諸乃神佐備而齋爾波不在人目多見許曾
ゆふかけて、まつるみもりの、かみさびて、いむにはあらず、ひとめおほみこそ
木綿かけて 夕かけての意をよせて、神を祭るは白晝には恐れありて、火をも治して安鎭し奉るの意、夜ならでは人目多く見(326)奉る事を憚りて、|あらはあさまになき爲《本ノマヽ》、夜かけて祭ると云義をこめて、ゆふかけて祭るとは詠出たり
神佐備而 物ふりて神のます如くなると云義を神さびと也。すべてものふりたることを神さびとは云て、下の意思ひふるして忌嫌ふにはあらぬとの義也。此れはいむにはと云はん迄の事也
齋爾波 この詞を專と詠める也。忌みきらふにはあらねど、人目のしげくて心に任せざれば、睦まじからぬことがちにて、寄あふ事など無きことに寄せ譬へたり
許曾 こそと止たるも祭る御室と云縁によりて也。社といふ字をこそとよむ義と同じく、神を祭鎭たる所は杜也
1378 木綿懸而齋此神社可超所念可毛戀之繁爾
ゆふかけて【いめるいはふ】このもり、可超、おもほゆるかも、こひのしげきに
齋此神社 いみしやしろと讀ませたれど、此字助語のしに用たること集中不v覺。且神社の二字やしろと讀む義心得難し。神を祭りし所上代は皆森とならではいはず。よりて神社の二字を義訓にもりと讀みて、集中に其例あまた也。前の歌の三諸もみもり也
可超 此二字こえぬべくと讀ませたり。森をこゆると云義不v濟。下にしげきにと云詞もあればこれも別訓あるべし。いがき抔ならばこゆるとも云べし。森にもやしろにもあれ、こえぬべしとは讀難きなり。よりて先わけつべくとは讀む也。おもほゆるとよみて火と云詞もあれば、わけつと讀むべき事一理なきにもあらず。然れ共決したる訓とも不v被v定。又別訓あらんか
戀之 此詞表の意未v濟。表裏をこめて詠める歌と見る也
繁爾 もりと讀たれば木のしげりたる意也。神のます森なれば草木茂るべき事明也。表の意少不v聞也。裏の意は、思ひあまり、戀わびて、通ひ難き神のます森をも厭はず、境をも破りて戀路を通さんとの意也。神のい垣も超えぬべしと詠めると同じ意の歌也
(327)寄河
1379 不絶逝明日香川之不逝有者故霜有如人之見國
たえずゆく、あすかのかはの、よどめるは、ゆゑしもあるごと、ひとのみらくに
不逝有者 よどめらばと讀ませたり。未來の意也。よどめるはと讀むは當然現在の意也。らとるにて意違也。好む處に隨ふべし。歌の意、表裏相かねたる歌也。逢事のと絶えたるは、わが心に替ることもありてかと思ふらんと也。この人と詠めるはすべての人をさしていへるならん。相手の人のことには限るべからず
1380 明日香川湍湍爾玉藻者雖生有四賀良美有者靡不相
あすかゞは、せゞにたまもは、おひたれど、しがらみあれば、なびきもあはず
表の意 聞えたる通玉藻をもて詠みたり。裏の意も玉藻を女にして詠める歌也。思ひかけし女子はあれど、さはりありて靡きよることのなり難きを歎きて、男子の詠める歌と聞ゆる也
1381 廣瀬川袖衝許淺乎也心深目手吾念有良武
ひろせがは、そでつくばかり、あさきをや、こゝろふかめで、わがもへるらん
表の意聞えたる如く、川の淺きをわれは深きと思へると也。裏の意は先にはさのみ思ひもせまじきに、われは深くも思ひ入にてあらんと也。思へるらんとは先には淺く思ふらんと云意也
1382 泊瀬川流水沫之絶者許曾吾念心不逐登思齒目
はつせがは、ながるみなわの、たえばこそ、わがもふこゝろ、とげずとおもはめ
此歌も表裏相まじへて詠める也。表の意わけては聞難し。裏の意は泊瀬川の水の泡の流れ絶えずば、わが思ふことの遂げず(328)ばあるまじきとの意也。流れの絶えたらば思ひの叶はぬ事もあるべし。流の絶えぬからは遂には思ふ事を爲し遂げずばおくまじきと也。泊瀬川を詠出たるも、ことを果さずばあるまじきと云意をこめて也
1383 名毛伎世婆人可知見山川之瀧情乎塞敢而有鴨
なげきせば、ひとしりぬべみ、やまかはの、たぎちごころを、せかへたるかも
名毛伎世婆云々 下に山川を詠みしは、山川は深山より木をきりて流す也。此なげきと詠めるも川にきり流し出すの意にいひたり。下の意は歎の意也。忍ぶ思ひをあらはさじとつゝむ義を詠たる歌也。色にあらはす有樣に、物思ひわびる躰をせば人知らんと也。山川も木をきりて流したらんには、流れ出て人知るべき也。下のたぎち心と詠めるは木々ら也。木の多く流れ出たらばたぎり流るゝ山川も、木にせかれあえんと也。表の意如v此也。裏の意は戀わびて歎きたらば、表はれて人知るべければ、競ひつのりてたぎるばかりに思ふことをも、山川の木にせきあへられたる如くせきとめて、忍びつゝしめると云義にたとへたる也
塞敢而有鴨 せきあへてあるかもと云義也。きあの約か也。又てあの約た也。よりてせかへたるかもと讀めり。此約言は知りたる歟、如v此假名をつけし也
1384 水隱爾氣衝餘早川之瀬者立友人二將言八方
みごもりに、いきつきあまり、はやかはの、せにはたつとも、ひとにつげめやも
水隱爾 水中に入る義也。水中に入てためたる息をつくは苦しきもの也。其あまりに又早く流るゝたぎりたる瀬にたつは、苦しき事の至極也。その苦しきを凌ぐ共人に付めやも、身は流れ沈む共、外人には付從はじと也。此歌は貞節を守りたる歌也。言の字若し告の字の誤ならんか。云はめやもと云よみは表裏の意通じ難し。つげつぐると云義にてあらざれば下の意も濟難し。言の字にてもつげめと義訓によむべき也。表の意は流るゝ共人に取付めやもと云義にして、下の意は、人に從はめや、外へは從はじと云意也。貞節を守る歌と見て人の教ともなすべし。尤も忍ぶ中の事を告んや、姙身などして苦しむ共、あらはして(329)は人に云まじきなど云意をよせたるとも見るべけれど、歌は此方の見解によるなれば、人の教えとなる躰に見たきもの也。あしく見なさんより能き筋にみる事作者の本意ならんかし
寄埋木
1385 眞※[金+施の旁]持弓削河原之埋木之不可顯事爾不有君
まかなもち、ゆげのかはらの、うもれぎの、うもれはつべき、ことにあらなくに
眞※[金+施の旁] まは初語也。かなはかんなの事也。かんなをもて削る弓と云義にうけたる也。弓けづる河原とうけて、埋れ木の題にこの弓削の河原を詠出たること至極の歌也。まかなもちと詠出て、その削る縁に弓げとよめる處能々案じ出たるもの也。他の河原にては埋木の詮不v立。弓になるべき木の埋れて有と云を趣向によみて、埋れ果つべきことには無きとよせて詠める也。表の意、弓にもなるべき木の埋れ果つべき事はなき、終にはあらはれ出て弓にも削り可v被v用物をとの意にて、裏の意は思ひの埋れ果つべきや。かくては果てまじきことなるにと、埋れあるを下に歎ける歌也
※[金+施の旁] 此字和名抄に出所不詳と記せり。新撰萬葉にも此字かなと書れたり。和名の趣は短刀と注せり。和名抄云、〔唐韻云、〓【音斯、和名賀奈。辨色立成用曲刀二字。新撰萬葉集用※[金+施の旁]字。今案※[金+施の旁]字所出未詳、但唐韻有※[金+施の旁]、視遮反、一音夷、短矛名也。可爲工具之義未詳】平木器也〕當集新撰萬葉にもかなと讀せたること不審也。もしくは〓※[金+施の旁]音近き故通じてかんなと云に用たるか。飽の字歟。平木器なれば誤りて※[金+施の旁]の字を用たるか。短刀を注せるに平木器と云注不v合也。然れば鉋の字の誤りとも見ゆる也。能似たる字にて誤りやすき字也
不可顯 あらはるまじきと讀ませたれど、詞のうつりをもて義訓にはよむ。當集の字格如v此多し
寄海
1386 大船爾眞梶繁貫水手出去之奧將深潮者干去友
おほふねに、まかぢしゝぬき、こぎでにし、おきはふかけむ、しほはひぬとも
ふかけん は深からんとの意也。表の意聞えたる通にて、たゞ大船をこぎ出たる海なれば、奧は何程干潮の折にても深からん(330)と也。裏の意はかく思ひに入そめしからは、先には潮の于たる磯などの樣にあり共、われは思ふ事のいやましに深くあらんとよせたる也。潮はひぬともは、先の心は淺く共われは深からんとの意なるべし
1387 伏超從去益物乎間守爾所打沾浪不敷爲而
ふしごえに、ゆかましものを、あまもりに、うちぬらされぬ、なみならずして
伏超從 仙覺抄をはじめとして富士越の説を立て、昔は富士山と葦高山の中を通り、海邊を通る道は波荒くてその隙を考へて通ひし故、その道を行きしから、ひまもりと云波にぬれたると云の説也。いかにとも信用し難し。その條々、此歌のなみ東國の歌一首もなし。前後大和津の國紀伊近江迄也。然るにはる/”\駿河の富士越をよめる歌を載たること、心得難き也。寄海之歌なるに海の名、詞の内にも不v見事一ツ、第一の不審也。紀伊津國和泉の内に、ふしぶせの海と云地名抔を詠めるにやあらんと思ふ事一ツ。浪不數を、なみかぞへずしてと讀める義、詞の雅俗を不v辯義全く歌詞に無き詞也。此不審の事一ツ。歌の意いかに共聞得難き一ツ。右の條々によりて此歌諸抄の説いかにとも信用し難し。然れば此五文字何とぞ別訓あるべし。表の意いかにとも聞おほせ難し。富士ごしとか、ふせごしとか詠まん事も決し難し。裏の意は、富士ごしにといへる意、思ふ人のもとへふしに行かましものを、雨もりて並ならず我身の濡れけると悔める歌にて、行くべき方へ不v往して、思ひの涙になみならずぬれひたりたると寄せたる歌也。表の意は、内に居たる故守りて浪にあらでぬれたるとの義也。然ればふしごえは海路と見て、船にて行かばとく先へ行着て雨に濡れまじきをと云意ならんか。富士ごしを海路にて、船にてゆく道の所と見ざれば全體の歌の意不v濟也。此歌尚後案あるべし。愚意未v決
1388 石灑岸之浦廻爾縁浪邊爾來依者香言之將繁
いはそゝぐ、きしのうらわに、よするなみ、へにきよればか、ことのしげけむ
岸之うらわ いづみの地名なるべし。岸のわたと云あり。岸和田はきしの海也。うみはわた也
此歌は木の海邊によれると云事を表に詠みて、裏の意は女により合たらば、事繁く云さわがされんとよせたる歌也。來よれば(331)かの、きは木のことにいひ、言のしげけんもよりたる木のしるきと云意也。邊爾は女に也。いはそゝぐ岸のうらわ、よき詞つゞき也。浪にて岩をそゝぐ岸と云意也
1389 磯之浦爾來依白浪反乍過不勝者雉爾絶多倍
いそのうらに、來よるしらなみ、かへしつゝ、すぎがてぬれば、きしにたゆたへ
磯の浦 紀州なるべし。地名にて有まじきとの説は非也。決て地名なるべし。いその浦を詠出たるは、思ふ人の心強くかたきによせて、靡き難くつれなきことを含めるならん
此歌も例の古詠の一格、たゞかへしつゝと云より下を詠める歌也。そのかへしつゝと云迄につゞけん爲の上也。表の意は磯の海による波の、立かへし/\よせくる故、そこを通りかねてたゆみてためらひ居ると云義也。たゆたへと云もたゆたふと云義也。下知したる詞にあらず。はふは通音にてたゆたへと云て、たゞよひ、さまよふて居る意也。裏の意は、忍ぶ人の方へ通ひ行ども、あはでつれなく返しつればかへり過もえせで、ためらひて居ると云義によせたり。過がてぬれば、歸りかねぬればといふ意也
1390 淡海之海浪恐登風守年者也將經去※[手偏+旁]者無二
あふみのうみ、なみかしこしと、かぜまもり、としはやへなむ、こぐとはなしに
風守 は風立海の荒るゝをやめてためらふの事也。年者也、はやは歎息の詞前にも注せり。此卷の奧に有
將經去 へいぬらん也。表の意、風を待船待の事に年のふるとは、夥敷こと/”\敷樣なれど、かやうの處よせ歌の風體也。裏の意、思ひかけし人にあふ事の恐れる事ありてなり難き醉故、事とけやらで年月をふることの歎きたるによせたる也
1391 朝奈藝爾來依白浪欲見吾雖爲風許曾不令依
あさなぎに、きよるしらなみ、みまくほり、われはすれども、かぜこそよせね
表の意 聞えたる通也。裏の意、白波を女にしたる歌也。親みよりあひたけれど、さはり有て相見る事だになり難く、心に任(332)せぬ義をよせたり
寄浦沙
1392 紫之名高浦之愛子地袖耳觸而不寐香將成
むらさきの、なだかのうらの、まなこちに、そでのみふれて、いねずかならん
紫之名高浦 紀州か遠江か不v決。同名異所幾許もあれば一概に云がたし。此の歌の次第ども大方近國なれば、この歌は紀州ならんか。名高とつゞけたる意は、紀州ならば紫の色は名高き高位高宮ならでは允されず、着事不v成衣服の色故、名高とはつゞけたるならん。遠江なれば紫の名物今にしも實に名高き所也。これは紫の名物から名高の浦ともよめるならん。まづは名高の浦は二所にあると見るべし。尤むらさきは色の上にして女に比するものなれば、その緑をもて詠出たるとも聞えたり。紫の服色の制の事は、日本紀天武紀云、〔十四年秋七月乙巳朔庚午、初定2明位已下進位已上之朝服色1【中略】正位者深紫、直位淺紫云々
愛子地 和名抄云、〔繊沙。日本紀私記云〕萬奈古。沙をまなこと云也。これも賞美したる詞也。美しく清らなると云意にまなことは云へるならん。人の子のこともまなこといへり。これもうつくしみ思ふ意から云たる也。こゝもその意にて女に比していへる也。子は女の通稱砂子の子を通じて也。表の意は美しき紫色の清らなる砂子の處に行きしが、あかず美しけれどそこには寢ん事はなり難からんなれば、宿りもせまほしと思ふとの意にて、下の意は、美しき女子によりそひて袖などはふれても、實に相あふことはならず果てんやと歎きてよめる意によせたり
1393 豐國之間之濱邊之愛子地眞直之有者何如將嘆
とよくにの、きくのはまべの、まなこぢの、まなをにしあらば、なにかなげかむ
豐國 豐前なるべし
間之 聞の字の誤り也。此集中十二卷十六卷にもきくの濱をよめる皆豐國と有。令義解、規矩郷と書り。和名抄〔國郡部に豐(333)前國企救郡とあり〕
言葉を聞くと云意によせたるなるべし。きくの濱の無2曲隈1すぐ道ならば勞あるまじきを、何とぞ曲りめぐれる濱邊なるか。表の意はその意に聞えて、裏の意は、先の言の葉の聞きし如くたがはず直からば、疑ひ恨むこともあるまじく、歎き無からんとの意也。まなこを女子にたとへたる也。その女子のいへる言葉の、聞きし如く素直にしあらば歎かじと也
寄藻
1394 鹽滿者入流磯之草有哉見良久少戀良久乃太寸
しほみてば、かくるゝいその、くさなれや、みらくすくなく、こふらくのおほき
入流 いりぬるとよませたり。海に入ぬるの義なればむつかしくもやあらん。かくるゝと義訓せば潮みちては磯はかくるゝなれば也。好所にまかす也
草なれや 潮にかくるゝ磯の草なれば藻と云義也。磯のかくれて海となりたれば、見ること少く戀の多くますと也。戀はどろを云たる表の意也。下の意は戀慕ひし人の故ありて遠ざかり隔たりて、見る事だにならずて、いと戀しさの増りたると云義をよせたり。たゞ安く聞えたる歌を、袖中抄等にも色々と説をなして六ケ敷注せり。古詠左樣にいりほかの意はなき事也。
良久の二字は助語てには詞也。このらくの詞をとりて、定家爲家詠まれたる歌三首あり。追而可v考也
1395 奧浪依流荒磯之名告藻者心中爾疾跡成有
おきつなみ、よするあらその、なのりそは、こゝらのうらに、やまとなりたり
心中爾疾跡成有 印本諸抄共に、心の中にとくとなりぬると讀ませたり。さ讀みて歌の意いかに通ずべきや。とくとなると云詞歌詞にあらず。たゞごとにして然も歌の意まはり遠く、早くなのれと急ぐ心など云ふ説、いかにとも聞えぬ注也。此歌表の意は沖つ浪のよする荒磯故、よせくる毎に名のりその寄來て、そのあたりの浦の磯はひたもの/\重りて、山ともなる如くになのりそとよりたると云義也。心と云字こゝらとよむは、ろとらと同音にて多きと云義也。そのあたり多き浦の山共なる(334)程に、なのりそのよりたると也。中と云も浦と云も同じき裏の字、うらとも、うちともよむ故通じて此集には書けり。然れば浦と云意によむ也。疾はやみとも、やまひともよむ字、よりて山と云義にかりて書たる也。如v此よみて表の意一通よく聞えたれば當家の流にかく讀む也。外によろしき讀解樣別訓もあらば待2後案1也。裏の意は、わがこひしのぶ人は誰れとなのらじとつゝみ忍ぶことの、心の中にはさま/”\の思ひとなりて、やまひとなりたるとの意也。心にはやまひとなりたると云よせに、表は山となりたると詠みし也。又はそなたに思ひかけしとなのり出んことを、しのぶ思ひのつもりて、下にのみこがれて病となりたるとの意歟。早く名のれと急ぐとの意は表裏とも聞え難し
1396 紫之名高浦乃名告藻之於礒將靡時待吾乎
むらさきの、なだかのうらの、なのりその、いそになびかむ、ときまつわれを
紫之名高涌 前に注せり。いづれとも決し難き地名也。名高の浦の名物故なのりそを詠めるならん。尤名高と云より名のりそと詠めるならん。前の歌の餘意をうけて詠める同人の作なるべし。表の意は名物の名のりそのよるを待つと云迄の義也。裏の意も名のりそに女を比して、なびきよる時を待つわれと云義也
吾乎 これをわれをと讀むは古詠の格也。語あまりと云はケ樣の所也。がりをと讀んでも義通ずる藻を刈る男と云義にも見ゆれど、古點にも吾をと讀みたれば、古詠の風體に詞のあまりと見るべし。今時の風體にてはわれかと讀むべき樣なれど、時代の風體不v合也。前の歌の餘意とは、前の歌なのらぬことの思ひの山となると詠めれば、これはなのる事の時を待つわれとよめる歌なれば也
1397 荒磯超浪者恐然爲蟹海之玉藻之憎者不有手
ありそこす、なみぞかしこし、しかすがに、うみのたまもの、にくゝはあらずで
浪者 なみはと讀ませたれど、はとよみては外に又かしこきものある樣聞ゆれば、こゝは浪に決したる歌なればなみぞと讀むべき也。ぞと云は決したる詞、者也の二字は決定の言葉に用る字也。それ故集中にぞと讀まねばならぬ歌多し。古人はぞと(335)用たるを後人は不v覺故、其義を不v辨、はとならてば不v續樣に心得て、假名を一倫に、はと計り付たり。はとも、もとも、をとも讀む義あることをわかざる故也。ぞとよむ時はかしこしと讀むべし。なみはと讀まばかしこみと讀むてには也。
しかすがに さすがに也。波はかしこけれどさすがに玉藻のよるは慕はしきと也。玉もをほめたる意にさすがとも詠めり
憎者不有手 にくゝくはあらずてとは、きらはしくは無けれど、あらき波のよする事のかしこき故、より來る玉藻をもえ刈りとらぬとの表の意也。裏の意は、貴人などに思ひかけしかど、流石にかしこければ、思ふことをえ果さぬ意なるべし。若し又親など制して守る人などありて、恐れてえあふ事もせぬことによせたるか。一本不有手の手を乎に作りたり。この方然るべからんか
寄船
1398 神樂聲浪之四賀津之浦能船乘爾乘西意常不所忘
さゞ浪の、しかつの浦の、ふなのりに、のりにしこゝろ、つねわすられず
此歌も下のゝりにLと云はん爲迄の序也。表の意、たゞ船のりして面白くも危きこともありし時のことの忘られぬと詠みて裏の意、戀わびしことのなり調ひし心を忘れず喜ぶの意也。戀々し中のなり調ひしことの嬉しさは忘られぬとの意なるべし。すべて此のりしと云こと集中あたま有。皆ことの調ひ成就したる事を云へる言葉也。これはのりはなりと云言と聞ゆるに、妹が心にのりにけるかもなど詠める歌いくらもありて、すみ難き詞なれど、なり調ふたることをのりとはいへるならん
1399 百傳八十之島廻乎※[手偏+旁]船爾乘西情忘不得裳
もゝづたふ、八そのしまわを、こぐふねに、のりにしこゝろ、わすれかねつも
前の意、意詞少違たる迄にて同意也
1400 嶋傳足速乃小舟風守年者也經南相常齒無二
しまづたふ、あしはやのをぶね、かぜまもり、としはやへなむ、みるとはなしに
(336)あしはやのをぶね 集中にある詞也。船の疾く輕く走る船を云也
相常齒無二 みるとはなしと詠むべし。見るは海に縁ある詞、その上表の意も、あふと讀みて少叶ひ難し。裏の意はあふ事にも見るべし。前、の、淡海の海波をかしこみの歌と同意也。こぐとはなしにを、相とはなしにと替たる迄の義にて、意は同事也
1401 水霧相興津小島爾風乎疾見船縁金都心者念杼
みなぎらふ、おきつをじまに、かぜをいたみ、ふねよせかねつ、こゝろほおもへど
水霧相 日本紀齊明紀にある御製の詞也。みなぎると云て、風にて浪立さわぎて海のあるゝ義を云へる也。よりて風をいたみとありて、風のはげしく浪の立あるゝ義を云たる義也。それ故小嶋に舟をよせかねつと也。心には何程よせんと思へども、風はげしく浪けぶりなど云もの立ち、よせられぬと云ひて、裏の意も、さはりありて思ふ人によりあふ事の叶はぬに譬へたり
1402 殊故者奧從酒甞湊自邊著經時爾可放鬼香
ことさけば、おきにさけなめ、みなとより、へつかふときに、さくべきものか
殊放者 言放は也。船中にて忌む事をさけば、奧中にてこそ忌避くべきに、もはや邊につき湊に入たる時に避べきことにもあらずと云義也。然るを古人色々の六ケ敷説共を注せられたり。悉難2信用1。中言など云事にも注したる説あり。詞をそへて注せばいか樣の事も云はるべし。たゞ歌は字面にてよく聞えたるものなれば、いりほかに云べからす。裏の意も、忌避けて別るべき事などあらば、始めにこそあるべけれ、も早やかく女にむろつかふ時に及びて、互ひに恨みかこつべき事のあるべきか、聊かあらじと云意なるべし。邊つかふとは夫婦などになりたる時の事によせたりと聞ゆる也
旋顔歌 これはたゞ寄歌にもあらずよめる歌か。たゞしよせ歌の旋頭歌ならんか。歌の意はいか樣にもたゝへらるべき也
1403 三幣帛取神之祝我鎭齊杉原燎木伐殆之國手斧所取奴
みぬさとり、みわのほ|ゝ《(マヽ)》りが、いはふすぎはら、たきゞこり、ほと/\すごく、たをのとられぬ
神之祝 みわのほゝりと讀ませたり。かみのとよみても同じからんづれど、下に杉原と詠めるにて三輪とよむ也。その上み(337)わの祠官の本來祝也。日本紀に見えたり。太田々根子命祝となりたるを始とすれば也。ぬさを奉りていはひまつる神の森をさして杉原とはよめり
燎木伐 これは樵夫をしてたきゞこりと云たる也。人を名として見るべし。わざの事にあらず。畢竟きこりと云義也
殆之國 これをほと/\しくてと讀ませたれど、ほと/\すごくと讀むべし。意は神のます森の杉原なれば、恐しく凄くて中々斧などのとらるゝ事にはあらぬとの意也。ほと/\と云はほとろ/\など云と同じくて、恐しきと云義をほと/\と云たる也。音などのありて凄じきことをほと/\と云、ほどろ/\など云也。おどろ/\と云も同事也。古來より恐しき事にいひ來れり
之國 しくとよみては訓首相交る也。しは音、くは訓也。この例もあれど、義も聞えやすげれば、しはすなれば音借、國をこくと讀みて下の手の字は初語とみる也。たとか、てとか讀みて斧の不v被v取と云義にみる也
手斧所取奴 たをの取られずと云義也。奴はず也。心得違にてきこりの斧を人に取られし樣に見る説などあるは非也。斧を入れて木をきる事のならぬと云義也
挽歌 前に注せり。死人の棺を引く時うたふ歌也
雜挽 くさ/”\の挽歌と云義也。雜四季など云の雜の字にあらず
1404 鏡成吾見之君乎阿婆乃野之花橘之珠爾拾都
かゞみなす、わがみしきみを、あまのゝの、花たちばなの、たまにをさめつ
阿婆野 日本紀皇極記入鹿が前表の歌に出たり。大和なるべし。あまの也。婆の濁音はま也。此集中にあま野と云墓所をよめる歌あり。追而可v考。此歌も歸天の意をもてあま野を詠出たると聞えたり。橘の珠にをさめつと云も、歸天して常しなへの靈魂にをさめたるとの意也。野なる故橘をとり出たり。畢竟野の玉としづめをさめたると云義なれど、橘は常磐のものにてあま野とよめる縁に、甘の字意をうけて殊に野とある故、木の玉にしてをさめたると也。かゞみの如くに朝夕なれしたしみ(338)し君を、果敢なくもあま野の橘の實の如くにしてをさめたると也
拾都 これをひろひつと讀ませたれど、ひろひつとよみて義何と云義ならんや。いひまはさばいか樣にもなるべけれど無理義理をつくる也。拾は收也、斂也と云字義あれば、きはめてをさめつと讀みたる義故如v此書たると見ゆる也。ひろひつにては何とも義不v通也。一説、からしつとも讀むべきか。※[手偏+丙]と云字と通じて也。收拾と云て※[手偏+丙]の字の義に通ずればからとも讀む也。然れば墓所の橘はとる人なく空しく枯らして果つると云意、あま野に葬りおくと云意によめるか。斂收の字義あればをさむるとよむこと義も安かるべし
1405 蜻野※[口+立刀]人之懸者朝蒔君之所思而嗟齒不病
あきつ野を、かりとしかくれば、朝まぎし、せこしゝのばれて、なげきはやまず
※[口+立刀] 此字を集中にをと讀ませたり。其義いかに共心得難し。叫の字の誤にて呼と云字義ある故、呼ぶはをらふと云義にも通ふ故をと用たるか。不審也。歌にも、帛※[口+立刀]ならより出てと詠める歌あり。帛の字をみてぐらとよむ事なり難し。幣帛と書きたらばみてぐらとも讀まんか。又みてぐらをならとつゞく義も心得ず。然ればこゝもあきつのをとをの訓に讀めるも、何の義をもて讀めるか難v考。よりて宗師案は刈の字誤りか、刻の字の誤りか、然らば刈はかりと讀む字なれば、かり人と云義にて狩人のことゝ見る也。又かりは約言き也。古代は狩人をすべてき人と云たるか。第一卷の歌にても不審あり。き人ともしもとよめる歌にわけ有べき事也。帛※[口+立刀]の歌も刈刻の字ならば、うつきぬをきならと詠みたる義なるべし。きならるゝといふ事にて第六卷にも詠める歌有。これらの義によりて※[口+立刀]の字誤字と見て、をの事はつけ讀みにして、かりとか、き人とか讀むべきと也。さ讀めばこの歌よく聞ゆる也。その上秋津野はかり野のもと也。雄略紀にて知るべし。懸くれば、諸抄には人の詞にかけていへば、廟などありて人の云につきて參りたく思ひてなど云無理押の注あり。心得難し。かり人のかりしかけるを見て歎きをいへる歌と聞ゆる也。よりて君の字をもせことは讀む也。昔かりせし夫君などのしのばれて、悲しみ歎きの止まぬとの歌也
(339)1406 秋津野爾朝居雲之失去者前裳今裳無人所念
あきつのに、あさゐしくもの、きえゆけば、きのふもけふも、なき人しのばる
歌の意雲のきえちりたるを見て歎き催したると也。能聞えたる歌也。秋津野は大和也。前今をむかし今とよめる意不v通。よりてきのふもけふもと讀む也。昔もなき人をしのぶとの意不v聞也
1407 隱口乃泊瀬山爾霞立棚引雲者妹爾鴨在武
こもりくの、はつせのやまに、かすみたち、たなびくゝもは、いもにかもあらむ
歌の意かくれたる處なく聞えたり。初瀬の山をよめるは、身のはてしと云義を含みて也。此已下の歌皆この意をもて見るべし。尤はつせ山に墓所のありし故と聞ゆる也
1408 枉語香逆言哉隱國乃泊瀬山爾廬爲云
まがごとか、さかごとなるか、こもりくの、はつせのやまに、いほりすといふ
枉語香逆言哉 第二卷にも出たる詞にて、すぐならぬ曲りたるそら事僞りごとかとの意也。實なきことかと疑ふ義也。上古は皆死はてたることなど忌み嫌ひて、まがごとさかごとなどいへり
いほりすといふ 死たる人のはてたる處、また住みゐるといふはまことしからぬ義と云意也。又思ひがけもなく死たる人の事などを聞てかく詠めるか。二義の見樣あり。前の歌後の歌皆意を引合て見る歌共也。同人の作故かく列ね擧げたるか
1409 秋山黄葉※[立心偏+可]怜浦觸而入西妹者待不來
あき山の、もみぢあはれと、うらぶれて、いりにしいもは、までどきまさぬ
秋山 大和の地名也。頃しも秋に妻などの死たるを、この秋山に葬たるを、かく紅葉見に入て歸らぬ樣に詠なせり
※[立心偏+可]怜 紅葉を愛しめでてのあはれみ也。歎きの歌故あはれと云詞相叶へばかくよめり
(340)浦觸而 紅葉になれふれゐての意、悩み疲れたる體のことをうらぶれとは云也。物思ひの體を云詞也。こゝも紅葉になづみ物思ひの體にてと云意也。山に入りにし妹のかへり來らぬと也
1410 世間者信二代者不往有之過妹爾不相念者
よのなかは、まことふたよは、ゆかざらし、すぎにしいもに、あはぬおもへば
死別れたる妻の二度歸りあふことなきは、まことに二度往來する事のなき世の中かなと歎きたる也。信二代、此詞何とぞ別訓あるべきことなれど未2成案1。假名の通によみ置也
1411 福何有人香黒髪之白成左右妹之音乎聞
さいはひの、いかなる人か、くろかみの、しろくなるまで、いもがおとをきく
我不幸にて夫婦の間早く死別にあへることを歎きて、年老まで夫婦語らひ居るは、いかゞしたる幸の人ぞと羨みてよめる也
1412 吾背子乎何處行目跡辟竹之背向爾宿之久今思悔裳
わがせこを、いづちやらめと、さき竹の、そがひにねしく、いましくやしも
何處行目跡 いづちやらめとは、何方へも行ことはあるまじと思ひしと也。いづち行かめともよめり。何れにても同じ。いつまでも別れ離るゝ事はなき事と思ひしとの義也
さきたけの 下のそがひと云冠句也。集中に多き詞也。竹をさけばはだへに成て背くものなればかく云へり。歌の意、いつまでも離れず、なれそひていづくへも行べきものとは思はざりし故、背きにいねし事なども有りしを今更くやしと歎ける也
宿之久口旺 久は助語也。そがひにねし也
1413 庭津鳥可鷄乃垂尾乃亂尾乃長心毛不所念鴨
にはつどり、かけのたれをの、しだれをの、ながきこゝろも、おもほえぬかも
(341)にはつどり 庭家になれ住む鳥故、庭つ鳥とも家つ鳥とも云。庭鳥のこと也
可鷄 鳴聲かけと云によりて名づけたり。文字の音などにて家鷄などと云説はなき事也
長心毛 妻に別れしからは、命も夜も長かれと思ふ心もなきと也。前の歌をうけて餘意をのべたる也。集中如v此事あまた也
1414 薦枕相卷之兒毛在者社夜乃深良久毛吾惜責
こもまくら、あひまきしこも、あらばこそ、よのふくらくも、われをしみせめ
こもまくら 上古は菰菅なども枕にしたる也。菰は藥なるものから枕に用たると云へり。遠國田舍には今も用也
相卷 互ひに枕をかはし卷きしの義也。兒は女の通稱也。歌の意、二人ぬることもなき夜は、ふけゆく事を惜しむ事なきと也。妻にてもあらばこそ惜みもせめ、なきからは惜まぬとの歌也
1415 玉梓能妹者珠氈足氷木乃清山邊蒔散染
たまづさの、いもはたまかも、あしひきの、きよきやまべに、まけばちりぬる
たまづさのいも 此つゞきの事妹をほめたる詞にいへりと云説、又文章を通じたる妹と云義との説々不v決也。然れ共正義いづれと定難し。或説に梓と云は弓になる木にて、直に弓をあづさともいへることあれば、弓の射とつゞけたる義といへり。玉は弓をほめて玉づさといへり。この説尤然るべきか。十三卷目の長歌に、三雪零冬のあしたは刺楊根張梓を御手二所取賜而云々、如v此根張梓とあるは、弓の事を直にあづさとよめると見えたり。然るにこゝの歌玉梓のいもとあるを引合て見れば、いとつゞくこと弓の縁無くては云難し。此説しかるべきか。繼體紀に桑梓をふるさとゝ讀ませたる事あり。若しこの義に付て、何とぞ故事などありてよめるにもやと思ひたれど、右の説先安き説なれば此義にしたがふ也
珠かも 玉梓と詠みて玉かもとはよき縁語也。然れ共下の蒔ぱちりぬると云義、玉を蒔けば散るとの事不2相應1也。若しこれは求ればうせぬると詠たる義か。玉のを解けて、玉の朽ち散りたる如くなる人の命なると云義を譬へたる歟。歌の意は、妻の死たるを山邊に葬りたるを云たる義なれ共、詞の表濟み難き也。山邊に葬りたるをあるやと求めぬれば、散失せて無きと(342)云義をかくよめるか。又山にをさめたるを物種などを、土に埋み蒔きたる義に譬へて云たるか。聞わけ難し
散染 此染の字不審也。塗の字の誤ならん。ある説に漆の字と見たり。漆部と書きてぬり部とよめる故、漆字なるを染に誤れりと云説も有。兩字の内なるべし。蒔散らしむと讀むべけれど、或本の歌にまけばと假名書あれば、まけばと讀むべき事也
全體の歌の意は、死たる妹を山邊に埋み葬りたれば、あとかたも無く散失せたると歎き慕ひてよめる也。或本歌をもて見れば清の字は約言を用て書たるか。然らばこの山の邊にとよむ也
或本歌曰 一本の萬葉集の歌所見ありて、古注者如v此あげたり。或本とは萬葉の一本也
1416 玉梓之妹者花可毛足日木乃此山影爾麻氣者失留
たまづさの、いもははなかも、あしひきの、このやまかげに、まけばちりぬる
歌の意本集の意と同じく、玉を花に替て詠める本ありしを、古注者あげたり。此歌もまけば散りぬると云處不審也。求のまくにてあらんか。但し山邊にをさめたる事を蒔と云たるか。散たるは、埋みをさめたればうせ絶えたるとの義を云たる義也
覊旅歌
1417 名兒乃海乎朝※[手偏+旁]來者海中爾鹿子曾鳴成※[立心偏+可]怜其水手
なこのうみを、あさこぎくれば、うみなかに、かこぞなくなる、あはれそのかこ
名兒乃海 越中丹後攝澤等有v之海也。なこと詠出たるも女の通稱なれば、下のかこのなくと云縁に、母に離れて子のなく體に聞なしたる意を含みて也
鹿子曾 水手の事也。船をこぐ者を云。これをかこと云おこりは、日本紀第十應神天皇紀云〔一云。日向諾縣君牛仕2朝庭1年既老耆之不v能v仕。仍致v仕退2於本土1。則貢2上己女髪長媛1。始至2播磨1。時天皇幸2淡路島1而遊獵之。於v是天皇西望之數十麋鹿浮v海來之。便入2于播磨鹿子水門1。天皇謂2左右1曰。其何麋鹿也。泛2巨海1多來。爰左右共視而奇則遣v使令v察。使者至見皆人也。著角鹿皮爲2衣服1耳。問曰。誰人也。對曰。諸縣君牛是年耆之雖v致v仕不v得v忘v朝1。故以2己女髪長媛1而貢上矣。(343)天皇悦之即喚令v從2御船1。是以時人號2其着岸之處1曰2鹿子水門1也。凡水手曰2鹿子1蓋始起2于是時1也。〕是始也。播磨國にかこ郡あるも此事より也
鳴成 かこと云から、なくなるとよみて船歌など歌ふを云なるべし。又は呼かはす言葉をなくと云たるか
※[立心偏+可]怜 あはれとは兩方へかゝれり。悲しみの意又た面白き意をも云なれば、此歌の意は、旅の心細き折ふし、水手のよぶ聲を聞て悲しみを催したる歌にて、歎きのあはれと聞ゆる也。初五文字になこの海とも詠出たれは、海中にて子のなく聲を聞きては、もの悲しく哀れなるべき事なれば、その躰をよめると見る也。あはれそのかこと詠める格は、古詠の風體感情を深くのべたる也。第九、ほとゝぎすの歌に、なきてゆく也あはれその鳥といへる口風也
萬葉童蒙抄 卷第十九終
(344)萬葉集卷七難解之歌
1073 玉垂之小簾之間通〔傍点〕獨居而見驗無暮月夜鴨
1078 此月之此間〔二字傍点〕來者旦今〔二字傍点〕跡香毛妹之出立待乍將有
1090 吾妹子之赤裳裾之將染※[泥/土]今日之※[雨/脉]※[雨/沐]爾吾共所沾|者〔五字傍点〕《一本名》
1113 此小川白氣緒瀧至〔五字傍点〕八信井上爾事上不爲友
1115 妹之紐結八川内乎古之并人見等此〔五字傍点〕乎誰知
1124 佐保河爾小驟〔二字傍点〕千鳥夜三更而爾音聞者○《一本諸ノ字アリ》宿不難爾
1137 氏人之譬〔傍点〕乃足白吾在者今齒王良〔四字傍点〕増木積不來友
1151 大伴之三津之濱邊乎打曝〔傍点〕因來浪之逝方不知毛
1155 奈呉乃海之朝開〔二字傍点〕之奈凝今日毛鴨礒之浦囘爾亂而將有
1159 住吉之岸之松根打曝〔傍点〕緑來浪之音之清|羅《一本霜》
1236 夢耳繼而所見小竹島之越礒波之敷布〔二字傍点〕所念
十七卷の歌、思久思久於毛保由、かゝれば敷布の二字印本の假名にしたがふべきか
1240 珠※[しんにょう+更]見諸戸山矣行之鹿齒面白四手〔四字傍点〕古昔所念
(345)1243 視渡者近里廻乎田本欲今衣吾來禮〔傍点〕巾振之野爾
1253 神樂浪之思我津乃白水郎者吾無二〔三字傍点〕潜者莫爲浪雖不立
1254 大船爾梶之母有奈牟君無爾潜爲八方波雖不起
1258 黙然〔二字傍点〕不有跡事之名種爾云言乎聞知良久波少可者有來〔五字傍点〕
1262 足病之山海石榴開〔八字傍点〕八岑越鹿待君之伊波比嬬可聞
1264 西市爾但獨出而眼不並買師〔五字傍点〕絹之商目許里鴨
1266 大舟乎荒海爾※[手偏+旁]出八船多氣〔六字傍点〕吾見之兒等之目見者知之母
1267 百師木乃大宮人之蹈跡所〔三字傍点〕奧浪來不依有勢婆不失有麻思乎
1273 住吉波豆麻君〔四字傍点〕之馬乘衣雜豆臘漢女乎座而縫衣叙
1275 住吉小田苅爲子賤〔四字傍点〕鴨無奴雖在妹御爲私田〔二字傍点〕苅
1280 撃日刺宮路行丹吾裳破玉緒念委〔傍点〕家在矣
1281 君爲手力勞織在衣服斜〔三字傍点〕春云何何〔二字傍点〕摺者吉
1283 橋立倉椅川石走者裳壯子時〔三字傍点〕我度爲石走者裳
1284 橋立倉椅川河靜〔傍点〕菅余苅笠裳不編川靜〔傍点〕菅
1286 開木代〔三字傍点〕來背社草勿手折己時立雖榮草勿手折
1292 江林次宍也物求吉〔五字傍点〕白栲袖纏上宍待我背
(346)1298 千名〔二字傍点〕人雖云織次〔四字傍点〕我二十物白麻衣
1299 安治村十依〔二字傍点〕海船浮白玉採人所知勿
十依は遠依の説假名不v合也。地名か
1304 天雲棚引山隱在吾忘木葉知〔四字傍点〕
1308 大海候〔傍点〕水門事有從何方君吾率陵〔四字傍点〕
1315 橘之島爾之居者河遠不曝縫之吾下衣
1321 世間常如是耳加結大王〔四字傍点〕白玉之結絶樂思者
1344 眞鳥住卯名手之神社之菅根乎衣爾書〔傍点〕付令服兒欲得
1350 淡海之哉八橋乃小竹乎不造矢而信有得哉〔四字傍点〕戀敷鬼乎
1356 向峯爾立有挑樹成哉等人曾耳言爲〔三字傍点〕汝情動
1362 秋去者影〔傍点〕毛將爲跡吾蒔之韓藍之花乎誰採家牟
1387 伏〔傍点〕超從去益物乎間守爾〔三字傍点〕所打沾浪不敷〔傍点〕爲而
1395 奧浪依荒礒之名告藻者心中爾疾跡〔五字傍点〕成有
萬葉集童蒙抄 本集卷第七終
萬葉集卷第八
〔目次省略〕
(360)萬葉集童蒙抄 卷第二十
春雜謌 はるのくさ/”\のうた
春のものに付てくさ/”\の歌を撰ばれたる也。春夏秋冬につきて此標題をあげられたり
志貴皇子懽御歌一首 しきのみこよろこびのみうた一首
志貴皇子 天智天皇第七の皇子也。元正天皇靈龜二年八月甲寅薨去。光仁天皇寶龜元年追尊稱2御春日宮天皇1。白壁皇子の御父也
懽 玉篇云、懽、呼官切、悦也
1418 石激垂見之上乃左和良妣乃毛要出春爾成來鴨
いはそゝぐ、たるみのうへの、さわらびの、もえいづるはるに、なりにけるかも
石激垂見 いはをそゝぎたるゝ水とうけたる詞也。垂見は攝津國の地名也。第七卷いのちさしと云歌の處に注せり。則垂水神社といふ社、續日本紀延喜式等にも見えたり。たるみとうけん迄に、いはそゝぐとは詠たり。此石激の字第七卷には石流と書けり。第十二には石走と書けり。いづれもたる水と有。若しくはいしばしる瀧と云、たの一語にうけたる義か。激流の二字はそゝぐとも讀むべし。走の字そゝぐといふよみいかゞ也。よりてはしるとは讀ませたれど、同じたる水をわけて讀む事心得難し。激流の二字は、はしるとも讀まるべし。先づ古く讀來ればいはそゝぐと讀也。畢竟石よりたるゝ水といふうけ迄の詞也。たるひといふ説ありて、世に人多くたるひと心得たり。當集を不v考の説也。三所ともにたるみとありて、ひに粉るべきにあらず。水といふ字ならは、氷の字の一點を脱したり共疑ふべけれど、此歌正敷借訓に見の字を書きたれば、まがふべきにあらず。顯宗昭法師は行成卿の書かれたる自筆の和漢朗詠集に、たるみとある由をもて、證としてたるみと書かれし也。當集の證明をあげられぬは、顯宗も此歌を不v被v考か。此歌の意悦の御歌と云處、いづこをさして云べき處なく、たゞ全體によ(361)ろこびの意をよませ給へる御歌也。山水の岩が根などよりしたゝり、山邊の雪霜にとぢはてたる處も、春のめぐみにあひていとくきやかなる蕨などの、もえ出る比の世のゝどけさ、人の心もうちとけて、いはん方なき景色を悦びの歌によみなし給ふ古詠の風體、今の時の上手の歌にも及ぶべき事とも聞えず。これらを歌の手本ともいひつべし。よろこばしき有樣をかくのどやかに、ゆる/\とよませ給ふ事、凡俗の及ばぬ雅情也。能々感吟し奉るべき御詠也。これらの基にて、御子孫不v絶高き御位にものぼらせ給ひたるなるべし
鏡王女歌 前に記せり
1419 神奈備乃伊波瀬乃杜之喚子鳥痛莫鳴吾戀益
かみなびの、いはせのもりの、よぶこどり、いたくなゝきそ、わがこひまさる
神なびのいはせのもり 大和也
喚子鳥 此集中あまた有。古今集にはたゞ一首ならでは不v被v載。これによりて色々の傳受事となりて、三鳥の傳など云ならはせり。昔はよく人も知りたる鳥なればこそ、此集にはあまた詠める歌あり。今の世にては何鳥と云事知る人なし。和名抄にも此集を引て委しくは不v注也。かほ鳥といふと同事にてあらんか。尤後々の集に春の歌に入たるも、此卷に春の雜に被v載たるよりなるべし。此奧に聲なつかしき時にはなりぬと詠めるより、春のものとは賞し來りぬらん。然れ共春に限らず鳴くとも聞えて、よの常に聞けばとよめり。先は春より夏にかけて專らと鳴鳥か。よぶこ鳥とは子を呼ぶ樣に鳴くといふ説もあれど、いづれと決したる確かに證なければ云難し。よび鳥といふをよぶこ鳥とも云か。ぬえ鳥を此集には、ぬえこ鳥ともよめり。かつぽといふ鳥の聲、人をよぷ樣にて、しかもくわつこうとなく聲也。俗にかんこ鳥とも云、もの寂しきことに云なして、この鳥の音、ものさびしき音に聞ゆるものなれば、云ならへりと聞えたりだ 然れば子を呼ぶ樣なれば此鳥ならんか。又山鳩と云鳥の鳴くも、こふ/\となく音に聞ゆる也。これは春から秋の頃迄も鳴きて冬は鳴かず。としよりこいと嶋と、俗にも云ならはせり。これも人をこいとよぶ聲あれば、此鳥とも云べきや。きはまれる證なければ、知れぬことになしおく也
(362)痛莫鳴吾戀益 鳴く音のもの寂しきにつけてか、又こひこふとなく聲によりて、わが戀のますとよめるか。これも決し難し。その聲につきて、戀のまさるとよめるは、鳴音に感情の催さるゝ音と聞えたり。一通よく聞えたる歌也。いはせの森を詠出たるは、下にしのびて戀わびぬる意を含みて、いはぬ戀といふ意ならんか。詞にいはれず、心にしのびて戀したふに、こふ/\とか、こひ/\とか鳴く故、其聲詞に叶ふ故、わが戀まさるとはよめるならんかし。山中などばかりに鳴くにもあらず。春道列樹歌に、我宿の花にな鳴きそよぶこ鳥呼かひ有て君もこなくに、とよめり。素性法師か、戀せらるはたの歌も、これらの歌、此集の此歌などに基づきてよめるか。時鳥の聲を聞て、ぬしも定まらぬ戀せらるゝとは、少とりひろげたる歌なれど、此集の此歌などに基きけるかとおもほゆる也。顯昭注にもこゝの歌を引て注せり
駿河釆女歌一首
1420 沫雪香薄太禮爾零登見左右二流倍散波何物花其毛
あわゆきか、はだれにふると、見るまでに、ながらへちるは、なにのはなそも
はだれに 諸抄の説まだらにといふ事に釋せり。濁音を不v知から也。且れといふ詞は、あめといふ古語をも不v辨説也。はなあめにふると見るまでにといふ義也。第三卷にて注し置り。はだれの殘りたるかもとよめる歌もあるにて、雪の事と知るべし。雪ははなあめ也。然れば此歌の意は、泡雪の花雨の樣に降りたるは何の花にや。たゞしあわ雪かと疑ひたる歌也。實は梅の花などの散亂れるを見てよめる歌と聞ゆる也
流倍 ながれ也。れをのべたる詞也。奧に至りても此詞あり。天より雪のながれくるかもともよめり。空より降くるは、流るゝ如くなるもの故かくはよめり
何物花其毛 何物とかきてなにとよめる、此集の例格也。ものをにとよむにはあらず。二字引合て何とはよむ也。古今集の旋頭歌の、打わたすをち方人にものまふすわれ〔そのそこに白く咲けるは〕何の花ぞも。これに同じ。しかし此歌はあわ雪を花と見たる歌にも聞ゆる也。諸抄の説は、梅の花のちりたるをよめると釋せり。決し難し。一首の表にては、落下を見たる(363)ともきはめ難き也
尾張連歌二首 名闕 傳不v知
1421 春山之開乃乎爲黒爾春菜採妹之白紐見九四與四門
はるやまの、さきのをすぐろに【わかなつむ・あをなつむ・はるなつむ】いもがしらひも、見らくしよしも、
春山のさきの 大和の地名也。佐紀ともかき左貴ともかけり
乎爲黒 をは助語か、初語と見るべし。すも添たる詞にて畔のことなり。過る意に見し説は非也。くろ也。下のしら玉もとよめるにて知るべし。此をすぐろの義に付色々の説あり。古詠にもさきを關と見たる説あり。風雅集に藤原基俊歌、さき野のすゝきと詠まれたるは、地名と知れるより也。然るを顯昭は、春草の生出るは、末の黒く見ゆるをすぐろのすゝきと詠みたるといへり。又或説に春野をやくに、その灰殘りて萩すゝきなどの間に入てあれば、すぐろのすゝきとよめると云説有。まち/\にして難2信用1也。たゞ地名にて須畔なるべし。すといふ詞は物にそへて云こと有。須田、す芋、す走りなど云のすにて、とく畔のことなるべし。畔は和名抄云、〔陸詞曰、畔【音半和名、久路、一云阿】田界也。唐韵云、〓【食陵反又作v〓、稻田畔也、畦、音携、菜畔也、和名上同】〕如v此なれば若菜をつむ所も明也。後拾遺集權僧正靜圓歌にも、あはづ野のすぐろの薄つのぐめば冬立なづむ駒ぞいばゆる。如v此もよめり。これも地名と見て詠みたり。或抄に、此歌すぐろはこくりすと云所の義といへり。心得難し。兎角此歌すくろも畔の事と聞ゆる也
歌の意はよく聞えたる歌にて、何事もなき歌也。上にくろと詠たるから、下にしら紐とよめる所一體と見えたり
1422 打靡春來良之山際遠木末乃開往見者
うちなびき、はるはきぬらし、やまのはの、とほきこずゑの、さきゆくみれば
遠木末 十卷の歌にも、山際最木末之咲往見者とありて、木末のさきゆくとは、今時の風には聞めづらしけれど、古詠かくの如し。花のさきゆくと云義をかくは詠めり。かくれたる處もなき歌也
(364)中納言阿倍廣庭卿歌一首 前に注せり
1423 去年春伊許自而植之吾屋外之若樹梅者花咲爾家里
こぞのはる、いこじてうゑし、わがやどの、わかきのうめは、はなさきにけり
いこじ いは初語也。許自而は根こじにして植たるとの義也。神代上卷云、〔忌部遠祖太玉命掘2天香山之五百箇眞坂樹1云々よく聞えたる歌也。不v及v注也
山部宿禰赤人歌四首
1424 春野爾須美禮採爾等來師吾曾野乎奈都可之美一夜宿二來
はるの野に、すみれつみにと、こしわれぞ、のをなつかしみ、ひとよねにける
此歌古今の序に引歌に入たる不審也。貫之の書かれたるにはあらず。後人の書入たるならん。續古今集にのせられたり
須美禮 和名抄云、〔本草云、菫菜、俗謂2之菫葵1【菫音謹、和名須美禮】〕或抄に野菜故、春菜などつめるを兼ねていへる樣に釋すれど、皆花の歌なれば、つぼ菫などとよみて、花の美しきを愛してつめる也。紫の花咲ものなれば、野をなつかしみともよみて、此後野にねることをよめり。菫を女に比して、紫の色なつかしきなどよめる也
1425 足比奇乃山櫻花日並而如是開有者甚戀目夜裳
あしひきの、やまざくらばな、ひならべて、かくさきたらば、いとこひめやも
日並而 前に注せり。雅言ならねど、假名書あれば古語と見えたり。日をなべてと讀まんか。毎日々々の意也
如是開有 かく咲たらば、毎日々々かく咲くものならば、などか戀ふべきと也。これらも趣向一段上なる歌也。至て花を愛する心をよめり。あかぬの、えならぬなどいふこともなく、かく毎日々々咲くものならば、いたくも花を戀したはじと也。飽かぬ心を戀めやもと云にて深き意を知らせたり
(365)1426 吾勢子爾令見常念之梅花其十方不所見雪乃零有者
わがせこに、みせんとおもひし、うめのはな、それともみえず、ゆきのふれゝば
此歌雪のふれゝばとゝめては、詞足らぬ歌也。古詠はかくよみて其意を通じたる歌多し。家持の歌の風體も格あまた有。雪のふれゝばえ見せぬといふ意也。古今の序に、人丸の歌を引出して後人書加へたるも、此歌をつゞめて也
1427 從明日者春菜將採跡※[手偏+票]之野爾昨日毛今日毛雪波布利管
あすよりは、わかなつまんと、しめのゝに、きのふもけふも、ゆきはふりつゝ
標之野爾 しめ野也。大和に有。これをしめしと誤りて、古今の序にも後人書入たりしより、後世皆しめし野とはいひならへり。此歌わがつむべき處を、しめし置たると云にはあらず。しめの野に出て若菜をつまんと云地名をよみて、しめたる野と云意をよせて詠める歌也。しめし野と云地名は無き也。きのふもけふも雪ふる故、しめ野に出て若菜をえつまぬと也
草香山歌一首 作者左注に注せる如く不v知也。草香山は前に注せり。八雲には攝津とあれど河内なるべし
1428 忍照難波乎過而打靡草香乃山乎暮晩爾吾越來者山毛世爾咲有馬醉木乃不惡君乎何時往而早將見
おしてる、なにはをすぎて、うちなびく、くさかのやまを、ゆふぐれに、わがこえくれば、やまもせに、さけるあせみの、あしからぬ、きみをいつしか、ゆきではやみむ
打なびく 草といはん爲の序也。これら冠句を歌と云ものとたゞごとゝ云の違なることを知るべし。たゞ草香の山と詠出でては歌にあらざる也。うちなびく草香のとよみつゞけたる處を味ふべし
山毛世爾 おもゝ背もと云義にて、山中一ぱいなど云義也。野もせ庭もせも、前もうしろもと云義にて、もせと云也。こゝも山一ぱいに咲けるあせみと云義也
馬醉木 つゝじと讀ませたるは考違也。あせみ也。つゝじまじりにあせみ花さくと云歌もありて、馬に毒ある木也。あしび(366)きの山と續くも病と云義にて、馬この木の葉花にても喰へば、必ず醉ふ故馬醉木とは書けり。第十卷にあせみの花のあしからぬと有。同じく不v惡と書り。下に不惡と有もあしからぬと讀べし。あせみのあしからぬとうけたる詞つゞき也。つゝじは赤きもの故、丹とうけたる詞と云説あれど、馬醉木はあせみ也。然ればあしからぬと云詞の縁と見るべし
歌の意は草香山によせて、思ふ人の方へ行きて相まみえんと云意をよめる也
右一首依作者微不顯名字 左注者の筆也。左注者は作者を考ふる所ありて、如v此注せるか。此注の表は撰者の注の樣なれど、左注の分は、皆左注者且其後の人の傍注等を混雜したる也。古萬葉と新撰萬葉との義ケ樣の所に論有。世間の説新撰は菅家萬葉と云來れり。此義當家の流には信用せざる也。古新の論は難v決と可v知事也
櫻花歌一首并短歌
1429 ※[女+感]嬬等之頭挿乃多米爾遊士之※[草冠/縵]之多米等敷座流國乃波多弖爾開爾鷄類櫻花能丹穗日波母安奈何
をとめらが、かざしのために、みやびとの、かづらのためと、しきませる、くにのはたてに、さきにける、さくらのはなの、にほひはもいかに
遊士 前にも注せる如くみやびと也
敷座流 天子の敷ませる國と云義也。をさめしろしめしゝ國と云義、何國にもかけて也
波多弖爾 はつはてといふ義にて、これも國のこゝかしこに咲けると云義也。是も國一ぱいに咲みちたると云意也。大王のしろしめす國毎にと云意にはたてと也。雲のはたては蜘の機手と云事にて、かなたこなたに思ひかゝはる意也。此意は別也
丹穗日波母安奈何 此句は反歌をもて考ふれば、去年のことを思ひ出て、少女等みや人のかざしかづらにせし花の、今年も咲たらん。其匂ひはいかにかあらんと尋ねたる意と聞ゆる也。はもと云ことは、前にも注せる通、嘆息の詞にてあゝと云意と同じく、當前咲たるを見て感嘆する意にも通ふ也
安奈何 此三字皆なんぞいかにと咎めたる字也。然るを三語のいかにと云詞に用たる歟。若くは安の字は衍字歟。あなにと(367)讀む説もあれど、あなにといふて何と云義にか、詞の義理不v濟也。全體の歌の意、國のはてはし/”\迄も咲ける花の匂ひはいかにやあらんと、尋ねたる歌にて、花を賞愛の意を、はもと云詞にこめてよめり
反歌
1430 去年之春相有之君爾戀爾手師櫻花者迎來良之母
こぞのはる、あへりしきみに、こひにてし、さくらのはなは、むかへ來らしも
此歌諸抄の説不2一決1也。しかも全體の意をそれと確かに釋せず。大かたに注せり
一説、あへりしとは、櫻花を愛する人に花の相あふを云て、こひてしと云も、櫻が心ある人に賞翫せられしを、思ふ人に相逢ふ樣にいへり。むかへくらしもは、櫻の咲匂ふあたりの人を、見に來よかしと、迎ふるの意と注せり。かくいひて此歌とくと聞えたりとも覺えず
一説は、第一第二の句は戀にてしといはん序詞と也。その序詞の義不v濟也。あへりし君にと云序詞は、何と云ふ爲の詞にや、不v被2聞得1。待こひてし花は時を迎へ來りしと云歌と也。如v此いひて此歌聞えたりとは不v覺也
愚案は、去年の春花にことよせてあへりし君に、今年も見せなんとこひにし櫻の花は迎へ得て咲きしが、慕ふ君は來まさんやいかにと、花によせて思ふ人を慕ふ歌と聞く也。君をもこひ、花をもこひにしが、櫻の花は迎へ得たりと云歌と聞く也
來良之母 くらしもとよめり。愚案の意なればけらしもにてあるべし。くらしもならば花の君を迎へ待の意と見る也。然れば去年の春めで愛せし君を、櫻の花咲て呼迎ふるならんとの意也
いづれにもあれ、聞え難き歌也。後賢の沈吟を待のみ
右二首若宮年魚麿誦之 此注不審、左注者の時分に年魚麿誦したる歟。又何ぞの記にありしを見て、如v此注せる歟。古歌なるを覺えて、後に誦したると云義也。年魚麿が述作の歌にては無き也。左注者は考ふる所ありて注せる歟
山部宿禰赤人歌一首
(368)1431 百濟野乃芽古枝爾待春跡居之※[(貝+貝)/鳥]鳴爾鷄鵡鴨
くだらのゝ、はぎのふるえに、はるまつと、すみしうぐひす、なきにけんかも
百濟野 大和に有。第二卷に人丸のくだらの原と有歌に注せる如し。舒明紀云十一年〔秋七月詔曰。今年造2作大宮及大等1則以2百濟川側1爲2宮處1。中略十二月中略是月於2百濟川側1建2九重塔1。十三年冬十月己丑朔丁酉、天皇崩2百濟宮1。丙午殯2於宮北1。是謂2百濟大塔1〕物の腐り朽つるをくたすと云。其意をこめて、霜がれくたらす野の、しかも萩の冬がれし古枝と云意をこめて、冬枯たる萩の古枝に巣をくみて、春を待とて埋もれ居たるが、時節來りて今や鳴ぬらんかと也。くだら野の萩の古枝を詠出たる處、時節を待と云意味を深くこめたる歌也。一説有徳の賢人、明君の代にあひし意を含めて詠めるかといへるも、理りおもしろき意也
大伴坂上郎女柳歌二首
1432 吾背兒我見良牟佐保道乃青柳乎手折而谷裳見綵欲得
わがせこが、みらんさほぢの、あをやぎを、たをりでだにも、みるよしもがな
見らんは見るらん也。歌の意は、相共に見る事の叶はずば、せこが愛し見る柳なれば、折てなり共見たきと也
綵 縁の字の誤也。見る由もがなと讀べし。誤字のまゝに假名をつけたり。色にもかといひて、何と歌の意聞ゆべきや。然るを其まゝ理をつけて注せる説有
1433 打上佐保能河原之青柳者今者春部登成爾鷄類鴨
うちのぼる、さほのかはらの、あをやぎは、今ははるべと、なりにけるかも
打上佐保 前に注せり。此義一説舟のかぢ棹と云義、又機の具に梭と云ものある、それをなぐるさと云義との説も有。皆附會の説也。又船のさをと云は假名違の説也。さほは狹火と云義を不v辨也。此歌別而のぼる火とうけたり。下に春部と云は、部もひも同音にて春火と云言をこめて也。それ故打のぼるさほとは詠出たり。古詠は皆わけ有。少づつのより處ありてこそ地(369)名もよめり。梭の説は音をとれり。不v足v論也。
大伴宿禰家持三林梅歌一首
1434 霜雪毛未過者不思爾春日里爾梅花見都
しもゆきも、きえ【やら・ゆか】ざれば、おもはぬに、かすがのさとに、うめのはなみつ
思ひもかけぬに、梅の花の咲きしを見て悦べる歌也。未過を未だすぎねばと讀ませたれど、霜雪の過ぎぬと云こと極てなき事也。さは讀まれざる故未過の二字を書たり。古はその例格を明らかに辨たる故、如v此書なせしを後世に至りて不v考不v辨から、無理讀の假名を付たる也。消ゆると云詞なくては不v叶義をもて書たる也。不思の二字も別訓あらんか
厚見王歌一首
1435 河津鳴甘南備河爾陰所見今哉開良武山振乃花
かはづなく、かみなみがはに、かげ見えて、いまやさくらん、やまぶきのはな
よく聞えたる歌也。貫之の歌に、相坂のせきのしみづにかげみえて云々の歌も、此歌を駒迎の歌にとりなしたりと世擧て珍賞せり。まこと姿よくも似たる也。此歌は新古今朗詠などにのれり
大伴宿禰村上梅歌二首
續日本紀稱徳紀神護景雲二年七月〔壬申朔庚辰、日向國獻2白龜1。九月辛巳勅。今年七月十一日得2日向國宮崎郡人大伴人益所v獻白龜赤眼1。中略大伴人益授2從八位下1。賜2※[糸+施の旁]十匹、綿廿屯、布卅端、正税一千束1。中略又父子之際同心天性。恩賞所v被事須2同沐1。人盆父村上者恕以2縁黨1。宜v放2入京1。〕光仁紀寶龜二年〔四月壬午、正六位上大伴宿禰村上授2從五位下1。十一月癸來朔辛丑肥後介。三年四月從五位上大伴宿禰〕村上爲2阿波守1
(370)1436 含有常言之梅我枝今旦零四沫雪二相而將開可聞
ふゞめりと、いひしうめが枝、けさふりし、あわゆきにあひて、さきにけんかも
歌の意、何の趣向もなきよく聞えたる歌也。蕾ふくみてありし梅の枝に、雪ふりて花ともまがひ見えんかと云意也。若しくは泡雪にあひて、霑ひを得て咲ぬらんかとよめる意歟
1437 霞立春日之里梅花山下風爾落許須莫湯目
かすみたつ、かすがのさとの、うめのはな、やまのあらしに、ちりこすなゆめ
霞たつかすがとうけたる處歌也。同じ霞たつと、奧にもよめる歌あれど、かすがとうけたる處は、詞のつゞきを吟じたる歌也。霞のたつ景色のゝどやかなる、その里の梅の花なれば、別而賞愛すべき筈也。それ故風に散るをもいとひ惜める意、下の句に見えたり
山下風 山下風と讀ませたれど、嵐は山下風と云なれば、山の嵐と讀むべし。詞もきゝよく、義も山下風にとは不v穩也。嵐は山より吹來るものなれば、山の嵐とよめるならん。ゆめとは皆制しとゞめたる義也。つゝしめと云事をゆめと古語にはいへり。ゆめといへばつゝしめと云義也
大伴宿禰駿河麻呂歌一首
1438 霞立春日里之梅花波奈爾將問常吾念奈久爾
此五文字も前と同じ。此歌は春の里に來りて、思ひかけずも櫻の咲たるを見て悦びて、花を見んとて此里を訪ひしには無きと也。霜雪毛未過の歌の意に近き歌也
中臣朝臣武良自歌一首 傳不v考
1439 時者今者春爾成跡三雪零遠山邊爾霞多奈婢久
(371)ときはいまは、はるになりぬと、みゆきふる、とほきやまべに、かすみたなびく
高く遠き山は、春ながらも雪ふるものなれど、時節春とて霞の棚引くと景色をよめり。新古今にも載せられたり
河邊朝臣東人歌一首
1440 春雨乃敷布零爾高圓山能櫻者何如有良武
はるさめの、しき/\ふるに、たかまどの、やまのさくらは、いかにあるらむ
敷布は しき波などの意にて、晴間もなくしきりて降の義也。うつしくふるとも讀まんか。うちしきりの意也。高まどの櫻は、ちりうつろふたらんか。まだ咲かぬか咲ぬらんかと花を慕ふ心から、しづ心なき意なるべし
大伴宿禰家持※[(貝+貝)/鳥]歌一首
1441 打霧之雪者零乍然爲我二吾宅乃苑爾※[(貝+貝)/鳥]鳴裳
うちきらし、ゆきはふりつゝ、しかすがに、わがへのそのに、うぐひすなくも
打霧之 雪のふる時は、打曇りて霧のふる如く、ふゝり立如くなるを云ひたる義也。かきくらしと云詞あれば、うちくらしとも讀まんか。しかしみなぎらしと云古語あるから、古くよみ來れる假名にしたがひ、うちきらしとよむ也。きらしといふ詞六ケ敷也。空をきり隔つる如く、霧の樣にふるを云との説などあれど、きらしと云語六ケ敷也。雪はふれども、さすがに春のしるしに時をたがへず、鶯の鳴と也。もと云詞は語のあまり、嘆息の辭也。今時のてにはならば、かへる意を含みたるとも云べけれど、古詠の格は、たゞ鶯なくといふ迄にて、うたふ詞のあまりに裳とそへたる也
大藏少輔丹比屋主眞人歌一首
1442 難波邊爾人之行禮波後居而春菜採兒乎見之悲也
なにはべに、ひとの行れば、後居而、わかなつむこを、見るがかなしさ
(372)此歌いかにとも聞得難し。諸抄の説にても全體聞得られぬ歌也。詞を添て釋せば、いかにともいはるべけれど、字面にていかにとも聞えぬ歌也。追而可v考
丹比眞人乙麿歌一首 稱徳紀天平神護元年〔正六位下多治比眞人乙麻呂授2從五位下1〕
1443 霞立野上乃方爾行之可波※[(貝+貝)/鳥]鳴都春爾成良思
かすみたつ、のがみのかたに、ゆきしかば、うぐひすなきつ、はるになるらし
此歌も聞得難き歌也。旅行にて月日をもわかぬ折に、鷺のなくを聞てよめる歌と見るべきか。右二首はいかにとも聞え難し
野上 美濃の國の野上里にある野か。此歌風雅集に入讀人不v知と有。後案、冬の頃旅行して、野上のかたに行きたらば、鶯鳴きて春になるらしと思ひはかりてよめる歟。野上と云所へ行くにつきてよめる歌故、霞たつ野かみとよみ出たるは面白き歌也
高田女王歌一首 高安之女也
1444 山振之咲有野邊乃都保須美禮此春之雨爾盛奈里鷄利
やまぶきの、さきたるのべの、つぼすみれ、このはるさめに、さかりなりけり
山ぶきの咲たる野邊のつぼ菫 一方ならぬ春の景色を云はんとて、かく詠出たるならん。奧の歌にも、ち花ぬく淺茅が原のつぼ菫と、二色をよめり
つぼすみれ 花の形、つぼの如くなるもの有て、童べのすまひ取草とて、手ずさみにする也。其つぼの如くなる花故、つぼ菫とも云由也。尤もつぼみたる菫の雨にあひて、盛になりたると云の義につぼ菫ともよめる也。なべてつぼ菫と云は、花の形によりていへるなるべし
歌の意外に趣意ありとも聞えぬ歌也
大伴坂上郎女歌一首
(373)1445 風交雪者雖零實爾不成吾宅之梅乎花爾令落莫
かぜまぜに、ゆきはふるとも、みにならぬ、わかへの梅を、はなにちらすな
實爾不成 雪は花の如くに風にまじりて散來る共、まことの梅を花にして風に散らすなと、梅を惜みたる也。花に散らすなはあだに散らすなとよめる意とも聞ゆ。又未だ實にならざるさきの花を、あだに散らすなと云意にも聞ゆる歟。又風まぜに雪はふりて花の如くなれど、實にならぬ梅の花にして見むまゝ、風に散らすなと云意にも聞ゆる也。實にならぬと云は、雪の降かゝりたるは、まことの花にはあらねど、花と見るの意に、みにならぬとよめるか。此歌聞にくき歌也。尚後案あるべし。風まぜにふる雪を、實にならぬ梅の花にしてめづる心から、まことの花になして風に散らすなとよめる意歟。然らば實にならぬとは、雪の梅の花とふりかゝれるを愛する意也。實にならぬ花から、散ることをまことの花にして散らすなとの意歟
大伴宿禰家持養※[矢+鳥]歌一首 養一本作v春、何歟應v是
1446 春野爾安佐留雉乃妻戀爾己我當乎人爾令知管
はるのゝに、あさるきゞすの、つまごひに、おのがあたりを、ひとにしれつゝ
安佐留 求食と書きてあさると讀ませたり。字の如くにて、春の頃は若草をわけて己が餌を求める也。妻戀とは鳴ことをいへると聞えて、自づから鳴音におのがあたりも知らるゝ也。此歌拾遺には、己がありかと直して被v入たり。當の字ありかとよむ義心得難し
大伴坂上郎女歌一首
1447 尋常聞者苦寸喚子鳥音奈都炊時庭成奴
よのつねに、きけばくるしき、よぶこどり、こゑなつかしき、ときにはなりぬ
よのつねにきけば 此五文字心得難き也。呼子鳥は常もなくものにや。何鳥と確かに證明も不v定ば、常に鳴とも鳴かざる共(374)きはめ難し。先此歌によりては、常にも鳴と聞ゆる也。此歌の意は、花鳥の色音にいざなはれて、そこともしらぬ野山にもうかれ遊ぶ、春のうらゝかなる頃になりぬれば、人をしも呼ぶと云名の鳥音の、なつかしかるまじ樣なき折と賞して、春になりぬると云義を、呼子鳥の聲なつかしき時にはなりぬとよめる也。古今集已後の集共にも、呼子鳥を春の部に入られしはこの歌よりなるべし
右一首天平四年三月一日佐保宅作
左注者考所ありて如v此注せり
春相聞 はるのあひきゝ。春の節物をもて、聞えかはせる歌をあげられたるとの標題也
大伴宿禰家持贈坂上家之大嬢歌一首
1448 吾屋外爾蒔之瞿麥何時毛花爾咲奈武名蘇經乍見武
わかやどに、まきしなでしこ、いつしかも、はなにさかなむ、なぞへつゝみむ
撫子は夏のものなれど、春より蒔ものなればよめるか。尤床夏といひて、四季の内春夏秋三季は咲ものなれば、春相聞の内にも入たるならん
なぞへつゝみんは、大嬢になぞらへて愛しめでんとの意也
大伴田村家宅大嬢與妹坂上大嬢歌一首
1449 茅花拔淺茅之原乃都保須美禮今盛有吾戀苦波
ちばなぬく、あさぢがはらの、つぼすみれ、いまさかりなり、わがこふらくは
ち花も菫も、盛の春の長閑なる折からなれば、野遊などせんと、妹を戀慕ふ心もさかりなるとの意也
大伴宿禰坂上郎女歌一首
(375)1450 情具伎物爾曾有鷄類春霞多奈引時爾戀乃繁者
こゝろくき、ものにぞありける、はるがすみ、たなびくときに、こひのしげれは
情具伎 前にも註せり。心の晴れぬと云方也。心くらきと云義、心にくきと云義、いづれも思ひの晴れぬと云意にて、霞の立おほふて欝蒙としたる意を具伎とはいへり。然れば心くらき心にくきといふ方なり。苦しきといふ説も有。云まわせば同じ意ならんか。春霞の立おほふ折柄、思ひのしげれば晴にくきとの意也
笠女郎贈大伴家持歌一首
1451 水鳥之鴨乃羽色乃春山乃於保束無毛所念可聞
みづどりの、かものはいろの、はるやまの、おぼつかなくも、おもほゆるかも
かもの羽色は青く、緑の色深く霞こめて奧ある山の景色によそへて、あはでいかなるさはりもあらんやと、心もとなき意をかくよめり。家持の身の上にかはり變じたる事もなきやと、おぼ束なき心也。おぼ束なきとは、ものゝさだかに見聞定めぬ事を云。霞にこめて、緑も深き山のさだかにも見定められぬと云義にたとへて、春山のとは冠旬によめり。古事記に春山の霞男といふ古語有。それらの事など思ひよりてよめるならんか。此卷の奧に、水鳥の青きともよめり。かもの毛色は青きものなれば、それにたとへたり
紀女郎歌一首
1452 闇夜有者宇倍毛不來座梅花開月夜爾伊而麻左自常屋
やみなれば、うべもきまさず、うめのはな、さけるつきよに、いでまさめとや
麻左自常屋 自の字は目の誤りならん。然るを誤字と見わけざるから、まさじと濁音によみては、歌の意聞え難き故、拾穂抄等にも言外の意を添へて注せり。言葉をそへて無理押の注をなさんは、いかにともなるべけれど、目の字の誤りと見て、義安(367)き歌は決して誤字と見るべし。此歌も暗なれば、尤來まさぬ理り、梅かほり月あかき夜を待えて來まさめとや、暗には來まさぬと何の六ケ敷もなき意也。然るを月夜に來まじとはいかなる心にてやと、恨み疑ふ意など、言葉にもあらはれぬ意を添へて言へる事附會の説也
天平五年癸酉春閏三月笠朝臣金村贈入唐使歌一首并短歌
入唐使 此入唐使は多治比眞人廣成也。第五卷にも注せり。第九第十九にも此時の歌あり
1453 玉手次不懸時無氣緒爾吾念公者虚蝉之命恐夕去者鶴之妻喚難波方三津埼從大舶爾二梶繁貫白波乃高荒海乎島傳伊別往者留有吾者幣引齊乍公乎者將往早還萬世
玉だすき、かけぬときなく、いきのをに、わがおもふきみは、うつせみの、みことかしこみ、ゆふされば、たづのつまよぶ、なにはがた、みつのさきより、おほぶねに、まかぢしゝぬき、しらなみの、たかきあるみを、しまづたひ、いわかれゆけば、とゞまれる、われはゝらへに、いはひつゝ、きみをばやらむ、はやかへりませ
不懸時無 心にかけぬ時なく也。玉だすきと序をそへたる也
氣緒 命にかけておもふとの義也
うつせみの云々 此句心得難し。第九卷の歌二首とも此句ありて、世の人なれば大君のといふ句有。然ればこゝも同じことなるべき歟。尤うつせみの身とうけたる詞とも聞ゆれど、奧の歌の例によれば二句脱したると見ゆる也
二梶 おも梶、とり梶と云をとる義也。まは初語の詞にも見る也。左右の事をも云也。とかく船の左右の、梶をしげくつらぬきたるをいへり
繁貫 しゝといふ事はしき/\と云語に通也。しかくすき間なきと云意也。此集には櫓をもかぢとのみよめり
高荒海乎 高きあるみとよむべし。白波の高くあるゝ海を也。いわかれのいは發語也
(377)幣引 ぬさひきと讀ませたれど、義訓にはらへとよむべきか。上古祓の時ぬさを引といふ事ありし故、古詠に大ぬさの引手あまたとよめり。此大ぬさとは、ぬさをほめ賞讃して云詞に、おほと云たる義と云傳たれど、實に上古祓の時大成賢木に麻ゆふをつけて、それを諸官人ひきいたゞきたる義と聞ゆる也。一説はらへ串を諸官人へくばることを、引と云たるものとの説有。大とはそのぬさをほめたる詞との義也。然れ共今神前などに、鈴の緒といふものを付て、参詣の人ぬかづく前に俗人共引ならしいたゞく事、又佛家に開帳萬日などいふ時、柱をたてそれに布を引わたす、善の綱と云ものなどある、これも上代祓の時の大ぬさの遺風の混雜と見ゆる也。然ればぬさ引とかきて、はらへにと義訓に讀べき歟。船出旅立の所にみな祓を執行せし事也。はらへとは祈祷の事也
齊乍 神をいはひまつると也
將往 往の字若しくは待の字の誤ならんか。やらんとありても義は同じ。船中無難に御使無難につとめて早くかへり給へと、神々に祈り願ふと也。よく聞えたる歌也。是等の歌朋友の義を守り、實意をのべたる人の教へともなる歌也
反歌
1454 波上從所見兒嶋之雲隱穴氣衝之相別去者
なみのうへゆ、みゆるこじまの、くもがくれ、あないきづかし、あひわかるれば
氣衝之 思ひにせまりて、といきをつくなど云義也。胸せまりてひたもの/\息をつくこと也。物思ひの胸にせまれば幾度も/\息をつきたくなるもの也。よりていきづかしとはいへり。あなとは切なることを云歎息の詞也。あひ別れなばとよめば、いきづかしと云てには不v合也。然らば衝之の之は六の字の誤りならんか。しからばあひ別れなば共よむべし。しかしあないきづかしと云詞は珍しき詞なれば、いきづかしあひ別るればとよめるならんかし
1455 玉切命向戀從者公之三船乃梶柄母我
たまきはる、いのちにむかへ、こふからは、きみがみふねの、かぢからもあれ
(378)此歌諸抄の説印本共に、命に向ふ戀よりは、君がみふねの梶からもわがと讀ませたり。如v此よみて歌の意いかに共通じ難し。朋友の間にさ程に戀したひて、さ程に戀したはんよりは、せめて船の梶の柄にもなりなんなどいふべきことにあるべからす。尤歌は深切をつくして、言葉にあらはすものなれど、相應小相應有。夫婦父母の別れなどならばさもあるべし。此歌の意如v此よめるにはあるべからす。本歌にも神にいのりごとあれば、命にもかへてこふとは請祈ること也。無難をこひ祈るその力もあれと云歌と見る也。いのりの力もありて、船中無難にあれと願ふ歌と見る也。梶からのかは初語にして、船のかぢをよせてよめる古歌の通格也
藤原朝臣廣嗣櫻花贈娘子歌一首
1456 此花乃一與能内爾百種乃言曾隱有於保呂可爾爲莫
このはなの、ひとよのうちに、もゝだねの、ことぞこもれる、おほろかにすな
一與乃内 やゐゆゑよ通音にて、一枝といふ意をかねて也。花びらの一重一よといふ意にて、枝をかねたる義と見るべし。又一葉といふ義也。葉は世といふ字注ありて、人の世と云にも通じて用也。詞の縁には夜をもふくめて、下にたねとも詠ませたるなるべし
百種 一枝の花のうちには、いくぱくの種をもゝつて咲もの故かくよめり。諸抄印本共百草とよませたり。くさ/”\の言をこめたるといふ義に注せり。なる程下の言はさま/”\のことをこめたるとの義なれ共、百たねとよみても其義也。たねと讀まざれば、おもての意不v濟也
おほろかにすな おろそかにすなとの義也 云出づる事樣々數多けれど、此花の一枝の内にこめて手折遣す程に、おろそかにすなとの意也
娘子和歌一首
1457 此花乃一與能裏波百種乃言持不勝而所折家良受也
(379)このはなの、ひとよのうちは、もゝだねの、こともちかねて、をられけらずや
和歌の上手の作也。此手折ておくり給ふ一枝の花の内に、百種のこもりて有とのことなれど、その百種のことをえ保ちかねて折られたる花ならずや。然れば此花は頼みにはなり難きとの答也。普通の返歌とは一段打上りたる返答也
厚見王贈久米女郎歌一首
1458 屋戸在櫻花者今毛香聞松風疾地爾落良武
やどにある、さくらのはなは、いまもかも、まつかぜいたみ、よそにちるらん
今もかも 今やといふ意也
地爾 この詞心得難し。集中につちにと詠める歌、これより已下いくらも有。然れ共地の字にて有るべからず。他の字の誤ならん。然らばあだにとか、よそにとよむべし。わがやど、或ひは宿になどよめる、上の句にかけ合して、よそとかあだとか讀める故、他の字を書たるならん。それを地に誤れるなるべし。宗祇などの説は身をあしく、おとしもつべきかとの意に見たるは雅情無き説也
松風疾 松風はやみと讀ませたれど、これも松風はやみと云事心得難し。とく早きとよめる字故、かく假名をつけたらんずれど、いかにとも義通じ難し。風をいたみとはいふ詞あり。尤も風はやみ共よめる歌あれ共、松風はやみと云詞穩かならず。此歌は思ふ心のおはしまして、よそへて詠給て贈られたるならん。娘子の心の外に移り行らんと、疑ひの下の意と聞えたり。松風とよめるは、わが見にゆかんをも待かねて、よそにちるらんかとの意を詠出たるか
久米女郎報贈歌一首
1459 世間毛常爾師不有者屋戸爾有櫻花乃不所比日可聞
よのなかも、つねにしあらねば、やどにある、さくらのはなの、ちれるころかも
此返歌も、打かへして世を恨み、先を恨める意をふくみたる歌に聞ゆる也。人も頼み難き世の中にて常ならねば、宿にある櫻(380)もちるなりとの意也。ちれる頃かもとは、櫻の花もちる頃かなと云意、かもは疑ひの意にては無く歎の意也。一説には先の宿の花もちる頃かもと見る也。此説は心得難し。世上の花も常ならねば、我宿にある花も、ちる時節になりてちると答たりとも聞ゆる也
紀女郎贈大伴宿禰家持歌二首
1460 戯奴【變云和氣】之爲吾手母須麻爾春野爾拔流茅花曾御食而肥座
けぬがため、わがてもすまに、はるのゝに、ぬけるちばなぞ、めしてこえませ
戯奴 先をさしたること也。君といふと同じ詞也
變云和氣 この字、注か或説か難v辨、變の字一本に反の宇に作れり。前にも比例或云の誤りたる處有。此もさならんか。又云といふ意にて反云2和氣1と書たる歟。一決し難し。兎角けぬと君といふ詞と同事に見る也。然るに次の歌も、此和氣とある詞にていかにとも不v濟也。見そこなひよりかな付の誤りも出來る也。次の歌君耳の君は、決して吾の字なるべし。その所にて注すべし。諸説は此字注と次の歌にて、わけとはわが事をいふとの説也。さにて家持の返歌不v濟。此歌のけぬと云もすまぬ也。尤返歌我君の二字は、別訓を知らずして假名をつけたる故、愈歌の意不v濟。惣ての歌紛らはしくなりて、こゝの贈答の三首殊の外入雜六ケ敷也。次の歌の君耳の君の字、一字の誤を正すれば皆すむ歌也。能々可v考
手もすまに 手もひまなくと云意也。奧にも此詞あり
茅花 本草綱目に白茅根補2中益氣1とあり。よりて古くは茅花をも食すれば、肥ると云ならはせるか。此歌もめして肥えよと贈りたる也。古くは食物をめしめすと云たり。今飯をめしと俗言にのこれるも、これらの遺言歟
歌の意は、君が爲に春の野に出て、手も隙なくつめる茅花を奉る程に、これをきこし召して肥滿をもなさしめよと也
1461 晝者咲夜者戀宿合歡木花君耳將見哉和氣佐倍爾見代
ひるはさき、よるはこひぬる、ねむのはな、われのみ見むや、わけさへにみよ
(381)合歡木花和名抄云、〔唐韻云、※[木+昏]、【音昏、和名禰布里乃木辨色立成云、睡樹】合歡木、其葉朝舒暮斂者也〕文選※[禾+(尤/山)]叔夜養生論云、〔合歡※[益+蜀]v念萱草忘v憂、注引2神農本草1云〕又引2崔豹古今注1云、合歡樹〔似2梧桐1枝葉繁互相交結、毎2一風來1輙自相離了不2相牽綴1樹2之楷庭1〕使2人不1v念。古今六帖には、かうかの木と云題に書けり。心得難し。音をとりて用たるか。和名抄にはねぶりの木と注り。此木歌の通晝は葉ひらけ、暮るればしほれ卷くもの也。その如く人をこふ人の、ひとりぬる樣なるにたとへて、夜は戀ひぬると詠めり。わが身の上に似たるこの花をわれのみ見んや。君も見てわが身の上を思へよと手折て贈れる也。此意を色々六ケ敷注せる説あれど、君の字吾の字ならでは、色々詞を付そへて注せねば聞えぬから、誤字とえ見ずして入ほかなる釋をなせり。手折て贈るとあるからは、われのみ見んやとならでは讀難きなり
右折攀合歡花井茅花贈也 是左注者文也。撰者かくの如きの袖書何の爲にせんや。二首の歌にて茅花ねむの花を贈れることは明らかなるを、重て如v此注すべき樣なし
大伴家持贈和歌二首
1462 吾君爾戯奴者戀良思給有茅花乎雖喫彌痩爾夜須
われやせに、けぬはこふらし、たまひたる、ちばななくへど、いやゝせにやす
吾君 これを、われきみにと讀ませたり。下を又けぬはと讀みて、けぬはわがことゝ注せる抄共あれど、この歌さ讀みて一向きゝ得られず。前二首共にいかに共まぎらはし。この吾君の二字は傍訓に書てさは讀まれぬ故、わざと此二字を書ける當集の格を、全篇にわたらずして假名をつけたる也。われやせにとは、われをや夫にして、そなたに戀らしと云意をこめて、且痩せよとこふらし。さればこそ給はれる茅花をくへど、いややせに痩するは痩せよとそこにこふらしと云意也。此をわれやせにと讀までは、下のいやゝせに痩すと云こと、何のはしなく出たり。尤肥ませと詠かけたる返歌なれば、いや痩せにと云べけれど、いやゝせと云は、句中に痩せると云義を詠まではいひ難き詞也。よりて上に夫にこふらしと云意によせて、われ痩せにと云詞をまふけたると見えたり。此けぬをわが事にしては、前二首の歌不v通。又此歌のわが君にと云わがも不v濟也。然れば(382)前の歌の君は、吾の字の誤りと見てとくと濟也。且此けぬをわれと見ては、こふらしと疑ふたる詞も不v濟。こふらしは先へかけたる詞也。肥へよとてたびたれど、さにて無くわれ痩せよとこふならし。いやゝせに痩せるはと裏を和へたる、是贈答のおもしろき歌也
1463 吾妹子之形見乃合歡木者花耳爾咲而蓋實爾不成鴨
わきもこが、かたみのねむは、はなにのみ、さきてやけだし、みにならぬかも
形見 此句心得難し。何とぞ別訓あらん。奧の赤人の藤の歌にも此二字あり。此歌よりも尚別訓無くてはすみ難し。然れば此歌も何とぞ別訓を可v考。尤此歌は紀女郎が思ひに悩める姿に比して、ねむの木を贈りたれば、女郎が姿を見て、ねむの木ともいはるべきか。しかしそれ共にかたみとよむ事心得難し。花のみ咲て實にならぬかも、かく詞のはなのみにて、まことの心はあるまじきと詰りて和へたる也。晝はさき、夜こひわびねむると云たれど、眞實の心はさも有まじきと云意を、花の實のなりならぬ事によそへて和へたり
大伴家持贈坂上大孃歌一首
1464 春霞輕引山乃隔者妹爾不相而月曾經爾來
はるがすみ、たな引山の、へだたれば、いもにあはずて、つきぞへにける
よく聞えたる歌也。殊に袖書をさへ左注者加へたれば、歌の意明らか也
右從久邇京贈寧樂宅
夏雜歌 古本傍注云、明日香清御原御宇天皇之夫人也。字曰大原大刀自即新田部皇子之母也
藤原夫人歌 此夫人は第二卷に出たり。其所に注せり
1465 霍公鳥痛莫鳴汝音乎五月玉爾相貫左右二
(383)ほとゝぎす、いたくなゝきそ、ながこゑを、さつきのたまに、あひぬくまでに
鳴ふるしては、五月の玉に相拔かん時に枯れなんことを惜みて也。五月の玉にといへるは、五月五日の藥玉のこと也。風俗通に藥玉の事見えたり。一名長命縷、一名續命縷ともいへり。この玉に相ぬく迄に鳴ふるすなと、はかなき下知をも詠なせる事歌の情也。時鳥を賞翫のあまりにかくよめり
志貴皇子御歌一首
1466 神名火乃磐瀬乃社之霍公鳥毛無之岳爾何時來將鳴
かみなひの、いはせのもりの、ほとゝぎす、ならしのをかに、いつかきなかん
毛無乃岳 これをならしの岡と讀む義は、毛は草とよむ事あり。左傳曰、食2土之毛1〔誰非2君臣1〕【毛草也】又史記鄭世家云。錫2不毛之地1【何休曰、撓※[土+舟]不v生2五穀1曰2不毛1】如v此唐士にても毛といふ字を用、また五穀の實を流毛などいふ故、毛なしといふは、人の踏ならして草木も不v生所と云意にて、ならしと讀ませたるならん。奈良といふ古事も、本ふみならしと云義なれば、それらに基き書けるならんか。奧の歌には、假名書のならしの岳とよめる歌あり。同所なるべし。若しけなしの岡と云地名あるか。未v考。此歌の意は、ならしの岡とよめる意おもしろし。神なひから岩瀬の森とよみ出たるは、皆險難の所をいひて、森の所にて今鳴時鳥の、平均のならしの處にも、いつか來鳴かんと、險難と平らなる處をかけ合てよみ給へるは、此卷の卷頭にのせられ給へる、たるみの御詠の御作者なれば、理りに聞え奉らるゝ也。八雲には、をかの部にけなしと載せさせ給ひ、ならしを此歌をもて毛なしと入させ給ひて、或説に注せさせ給へり。然ればけなしともならしとも兩名あるか。不審也。御歌の意は、ならしの岡にて時鳥を待給ふ義也。それを神なひより岩瀬を詠出給ふは、さかしく岩木の茂りて、險しき所に鳴鳥の、此なるき平らかなる岡にはいつ來鳴かんと、何の事もなく、險難と平かなる所をかけ合て、よませ給ふ上手の御作意也
弓削皇子御歌一首
1467 霍公鳥無流國爾毛去而師香其鳴音乎聞者辛苦母
(384)ほとゝぎす、無流くにゝも、ゆきてしか、そのなくこゑを、きけばかなしも
無流 この二字をなかると讀ませたり。いかに共心得難し。なきと云ことをなかると云ことは、つまりて聞よからず。又集中にも此一卷の外なき詞也。然れば別訓あらんか
辛苦母 くるしもと讀ませたれど、一字にて苦しと讀むべきを、二字書たればかなしもと讀まんか。尤意はいづれにても同じきなれど、時鳥の音を聞くを、苦しきと云べき程の事にもあらねば、かなしもの方なるべし。歌の意は時鳥無き國にも行きてしかな。鳴聲を聞けば物思ひをまして感情をます故、悲しく物うしとの義也。時鳥は昔もなき人をこひ、あるは戀の思ひをそふるものなれば也
小治田廣瀬王霍公鳥歌一首 小治田廣瀬王。天武紀云、十年三月庚午朔丙戊〔天皇御2于大極殿1以詔2川島皇子忍壁皇子廣瀬王 中略 大山平群臣子首1令3記2定帝紀及上古諸事1〕持統紀云、六年二月丁酉〔朔丁未詔2諸官1曰。當以2三月三日1將v幸2伊勢1宜d知2此意1備c諸衣物1。三月丙寅戊辰、以2淨廣肆廣瀬王、直廣參當麻眞人智徳、直廣肆紀朝臣弓張等爲2留守官1。〕續日本紀文武紀云、大寶二年〔十二月乙丑〕從四位下廣瀬王云々。元明紀云、和銅元年三月〔丙午、從四位上廣瀬王爲2大藏卿1。〕元正紀云、養老二年正月〔正四位下。〕同六年正月〔癸卯朔庚午、散位〕正四位下廣瀬王卒
1468 霍公鳥音聞小野乃秋風芽開禮也聲之乏寸
ほとゝぎす、こゑきくをのゝ、あきかぜに、はぎさきぬれや、こゑのともしき
秋風にはぎ開ぬれや 秋風立ぬれば、萩の花咲ものなれば、未だ秋にはならねど、時鳥の聲すがりになりて、六月の末頃にもなれば、聲稀に成行、その折の歌なるべし。聲のともしきは、聲すくなくなりたると云意也。畢竟聲のまれになり、すくなくなりし事を云はん計の序歌にて、上の句つゞきに何の意はなき歌也
沙彌霍公鳥歌一首 此沙彌三方さみなり。氏を脱せるなるべし。三方沙彌は紀には見えず。此集第二卷に出たり。紀には三方宿禰廣名と云者見えたり。此末か
(385)1469 足引之山霍公鳥汝鳴者家有妹常所思
あしひきの、やまほとゝぎす、ながなけば、いへなるいもを、つねにしのばる
この常にしのばると云句心得難し。常の字別訓あらんか。全體此歌は旅行などにてよめる歌なるべし。家なる妹をと云句も平生一所にある妻をしのぶべき樣なし。旅行の山路などにて聞ける折によめるか。よりてあしひきの山とも、その當然をとりてよめるか
刀理宣令歌一首
1470 物部乃石瀬之杜乃霍公鳥今毛鳴奴山之常影爾
ものゝふの、いはせのもりの、ほとゝぎす、せめてもなきぬ、やまのとかげに
ものゝふのいと續く事は、ものゝふの矢とつゞく意と同じ。武士は弓箭を專として、弓射ることを業とするもの故、弓射るの射とうけたるもの也。此ものゝふと詠出たるは、下の句にせめといふ詞を設けん爲也。せめてといふ詞のひかへに、武士とは詠み出たると聞えたり。此歌の一句、金玉は此せめてもとよめる所なるべし。前に神なひのいはせの森あり。險難さかしき意をこめて、平の地にいつか來なかんとよめる歌あり。こゝは又武士のいはせとよみて、險難のさかしき地をも武士のせめはたわば、山のとかげに鳴くと云意也。時鳥をせめかけて聞かなんとせし甲斐ありて、せめても鳴きしと云意を含みて、かくはよめると聞ゆる也。たゞ何となく詞の通に聞ては、意味も趣向もなき歌なれど、古詠はケ樣の意を下に含みてよめる也。惣而の歌の意一句一言にてもふまへありて詠出たる也。尤も何の意なきすらりと聞えたる歌もあれど、下のよせ含みある歌は、又別に如v此其筋あることなり
今毛 これを印本諸抄共に今もとよませたり。今も鳴かぬかとよみて、此歌何と聞得べき樣なし。よりて宗師案には、今は令の字の誤りたると見て、初五文字の意をも引合て案を加ふる也
山部宿禰赤人歌一首
(386)1471 戀之久婆形見爾將爲跡吾屋戸爾殖之藤波今開爾家里
こひしくば、かたみにせんと、わがやどに、うゑしふぢなみ、いまさきにけり
戀之久婆 普通の印本には久を家に作れる也。無點本並に古一本には久の字也。家の字は誤りならんか。しかし十八卷目の歌戀之家婆と書る歌あり。若しこひしくばと云を方言にてこひしかばと讀たるか。心得難し
形見 前にも注せる如く、此形見の字別訓あるべし。此歌にてかたみにと讀みては、いかにとも聞え難し。諸抄の説は時鳥の時節なれば、時鳥の鳴すぎし聲のこひし時は、形見にせんと云義と押て釋せり。古今の歌に、池の藤波咲きにけり山時鳥いつか來鳴かんと云歌など引て、時鳥のかたみにせんとの説あれど、いかに共心得難し。何をこひしくば何のかたみにせんと云事にや。形見にせらるゝわけのことならば、はし作りなどありて聞えさせたるか。名達の赤人の詠なれど、此二字かたみと讀みては何の意とも聞得難し。藤波といふと、池水などの縁なくてはいかゞと難せる歌合など後世にありしかど、古詠かく證あれば憚るべきにもあらざるを、其時の判者此集をもよく見覺えざるか。藤は淵と云詞によりて、波とはよめる也。藤なみといひて、すぐに花の事になるの證も此例などをや取るべき
師後案、印本の戀之家婆正本ならん。こひしければの略也。こひしければ藤を植て、後々迄わがなくなりても形見にせんと思ひ、植ゑし藤の今咲きにけると云歌と見る也。形見はわが後の形見の意也。予末2甘心1也
式部大輔石上竪魚朝臣歌一首 此時未2四品1ども、後の官位を以記せり。續日本紀云、元正紀養老三年正月〔授2正六位下石上朝臣堅魚從五位下1〕聖武紀神龜三年正月〔從五位上〕天平三年正月〔正五位下〕同八年正月〔正五位上〕
1472 霍公鳥來鳴令響宇乃花能共也來之登問麻思物乎
ほとゝぎす、きなきどよます、うのはなの、共也こしと、とはましものを
共也 此詞心得難し。別訓あるべし。うの花のともにやと云つゞき何とも續かぬ詞也。諸抄の説も不v濟義ども也。一説は時鳥を、蜀魂と云古事などもありて、冥途の鳥と云習はせり。歌にも、しでの山、しでのたおさ、世の中に住わびぬなどよめる(387)歌もあれば、黄泉より來る鳥の樣に云ならへば、なき人と共にやこしと云意と注せり。一説には弔にや來しと云義、又竪魚の供奉にやこしと云の説々一義も信用し難し。うの花の共にやとよみたれ、なき人とゝもにやと云はるべき事にあらず。うの花の咲たる時節の、天氣と共にやと云意ならば、うの花のといはれまじ。兎角うの花の共にやといふて、此句いかに共聞えず、不v續詞なれば、別訓を可v案也。別訓か誤字かの待2後案1耳。此歌は袖書にある通、大伴卿の妻大伴郎女身まかり給ふ時、從2朝廷1御弔使として堅魚朝臣被v遣し時の歌也
右神龜五年戊辰太宰帥大伴卿之妻大伴郎女遇病長逝焉于時 勅使式部大輔石上朝臣堅魚遣太宰府弔喪并贈物色其事既畢驛使乃府諸卿大夫等共登記夷城而望遊之日乃作此歌
其事既畢 勅使之義相濟て也。登記夷城、水城の義なるべし。筑前國下座郡にあり。城邊と云も同所也。天智紀、於2筑紫1築2大堤1貯v水〔名曰2水城1。〕和名抄云、下座郡【美津木】記夷城といふは、紀伊國の例歟。古注者考ふる所ありて注せるなるべし。弔喪使の事は續日本紀に見えたり
太宰帥大伴卿和歌一首
1473 橘之花散里乃霍公鳥片戀爲乍鳴日四曾多寸
たちばなの、はなちるさとの、ほとゝぎす、かたこひしつゝ、なくひしぞおほき
橘之云云 五月頃さく花の、時鳥にそひたるものなれば、詠出て身まかり行きし妻に比したる也。時鳥をわれに比して、大伴卿の妻に離れて、ひとりのみ慕ひ鳴といふ歌也。片戀はひとりのみ慕ひ鳴くと也
大伴坂上郎女思筑紫大城山歌一首 坂上郎女は旅人の娘也。太宰府へ旅人を見舞に下されし事あり。則第六に天平二年を表してありし處に見えたり。歸京して詠給へる歌なれば、天平三年の歌ならんか
1474 今毛可聞大城乃山爾霍公鳥鳴令響良武吾無禮杼毛
(388)いまもかも、おほきのやまに、ほとゝぎす、なきどよむらん、われなけれども
大城山 第四卷に城山の道、第五に、此城の山と詠めるも此大城の山也。われはなくても時鳥は鳴きどよむらんと也。去年を思ひ出でて思ひやれる歌也
大伴坂上郎女霍公鳥歌一首
1475 何哥毛幾許戀流霍公鳥鳴音聞者戀許曾益禮
なにしかも、こゝたくこふる、ほとゝぎす、なくこゑきけば、こひこそまされ
何にしいたくこふる聲を聞けば、愈戀しくしたはるゝにと也
小治田朝臣廣耳歌一首 廣耳は廣千歟。聖武紀天平五年三月辛亥〔正六位上小治田廣千授2外從五位下1〕同十三年八月〔從五位下小治田朝臣廣千爲2尾破守1〕十五年六月〔從五位下小治田朝臣廣千爲2讃岐守1〕
1476 獨居而物念夕爾霍公鳥從此間鳴度心四有良思
ひとりゐて、ものおもふよひに、ほとゝぎす、こゝになきわたる、こゝろしあるらし
此歌の見樣兩義あり。物思ふ折から鳴わたるは、われも妻戀する音を聞けど、ひとりわびゐるを語らふの心あるらしと見る義有。又古詠の格さのみな鳴きそと詠める意の一義ありて、かくまでひとり物思ひ居夕なるにさのみに鳴きそ、心あるべきものをと云意にも見る也
大伴家持霍公鳥歌一首
1477 宇能花毛未開者霍公鳥佐保乃山邊來鳴令響
うのはなも、いまださかねば、ほとゝぎす、さほのやまべを、きなきどよます
未開者 此てには心得難し。咲かぬにとあるべきを、ばと讀ませたるは前にも注せる如く、者の字は、にとも、そとも、さとも、(389)もとも讀む也。集中にさ讀まで不v濟歌共いくらも有り。既に此歌のてにはも、にとならでは讀まれぬ歌也。然るにばとより外は讀まれぬと心得たる假名づけあるから、其假名付にお縛られ、注釋色々の僻説出來る也。しかし此歌はうの花未だ咲かねば、山にのみ鳴きて又里邊には出ぬと云義をよめるとも聞ゆる也
大伴家持橘歌一首
1478 吾屋前之花橘乃何時毛珠貫倍久其實成奈武
わかやどの、はなたちばなの、いつしかも、たまにぬくべく、そのみなりなむ
よく聞えたる歌にて何の意もなき歌也
大伴家持晩蝉歌一首 晩蝉、和名抄云〔爾雅注云、茅蜩一名、〓【子列反、和名、比久良之】小青蝉也、禮記月令云、仲夏之月蝉始鳴、季夏之月寒蝉鳴〕
1479 隱耳居者欝悒奈具左武登出立聞者來鳴日晩
こもりのみ、をればいぶせく、なぐさむと、いでたちきけば、きなくひぐらし
打こもりのみ居れば、鬱蒙としていぶせさに、出でて聞けばひぐらしと云蝉の鳴くと也。秋近く鳴く蝉なれば、慰心は無くて感情をもそふるの意なるべし
大伴書持歌二首
1480 我屋戸爾月押照有霍公鳥心有今夜來鳴令響
わかやどに、つきおしてれり、ほとゝぎす、こゝろあるこよひ、きなきどよませ
押照 おしは、臨みてらすと云意、おしなべてと云義也。又助語とも見るべし。わが宿に月のさやかに照る今宵し戀心ありてこそ、時鳥なきどよむと云歌也。心あれと今宵也。あれはあらめの約言也
(390)1481 我屋前乃花橘爾霍公鳥今社鳴米友爾相流時
わかやどの、はなたちばなにゝ、ほとトぎす、いまこそなかめ、ともにあへるとき
友爾相流時 たち花と時鳥相共に折あひたる時、今こそ鳴かめと也
大伴清繩歌一首
1482 皆人之待師宇能花雖落奈久霍公鳥吾將忘哉
みな人の、まちしうのはな、ちるといへど、なくほとゝぎす、われわすれめや
皆人はうの花ちるといへども、われは鳴く時鳥を忘れめやと也。うの花も時鳥も賞愛の心からは、ちりゆき枯行とも忘れまじと也
庵君諸立歌一首 男子か婦人か難v辨。歌は婦人の歌の樣也
1483 吾背子之屋戸乃橘花乎吉美鳴霍公鳥見曾吾來之
わがせこが、やどのたちばな、はなをよみ、なくほとゝぎす、みにぞわがこし
わがせこ これは男夫をさしていへる詞也。しかる故作者不審也。此奧にも宇合卿の歌にあり。然れ共宗師は不v用。女の詞なりと決して、此歌も婦人の歌ならんと也。此歌は婦人とも決し難き也
見曾吾來之 橘も咲、時鳥もなれ來て鳴けば、あかずして見にこしと也。庵君か見に來れるとの義也
大伴坂上郎女歌一首
1484 霍公鳥痛莫鳴獨居而寐乃不所宿聞者苦毛
ほとゝぎす、いたくなゝきそ、ひとりゐて、いのねられぬに、きけばくるしも
時鳥は聲を待かね鳴すぐるをも慕ふものなるに、いたくな鳴きそと詠めるは、物思ひをます鳥と云故也。ぬし定まらぬ戀せら(391)るはたなど詠めるにても知るべし。時鳥の声は、悲しき物思ひを添ふることにもよみなす故、ひとりねがちの物苦しきを添ふるなといふ意也。ひとりゐてと云處に物思ふ義を知らせたる也
大伴家持唐棣花歌一首 唐棣花説々決し難し。別に注せり。歌に、はねずと詠みたり
1485 夏儲而開有波禰受久方乃雨打零者將移香
なつまけて、さきたるはねず、ひさかたの、あめうちふらば、うつらふらんか
夏儲而 此まけてといふ事、儲設の字を書たる故、まふけてといふ義諸抄の説也。夏まうけてと云わけ心得難し。本の意不v濟義也。前にも注せる如く、これはむかへてと云義と見る也。かへの略言け也。むかの約ま也。又む、まは同音也。むかへを約し、かへと約すること、一語を兩用に用ゐる法例あらんか。可v考。あるべきことゝ思はれ侍る也。若し兩方へかね難くは、まはむにて通音と見るべし。此集中にいくらも此まけと云詞あり。むかへてと云義なれば悉濟也。まふけてといふては不v合歌あり
波瀾受 端作に唐棣花と書けり。日本紀には朱華と書て波泥孺と訓せり。赤花と見えたり。和名抄には此はねずを不v載。此唐棣花の事字書等まち/\にして一決し難し。棣の字和名抄には郁子の一名とせり。今の世いづれの花と云事をしかとは不v極也。まづ四五月のころ赤黒き花咲て、むくげの形に似たるもの也。唐棣をきはちすと讀めるは誤也。兎角赤き花にて、うつろひやすき色の花と聞えたり。尚追而可v考。當集に四首まで有。皆うつろひやすき意をよめり。此歌の意も雨ふらばうつろはんかと也
大伴家持恨霍公鳥晩喧歌二首
1486 吾屋前之花橘乎霍公鳥來不喧地爾令落常香
わかやどの、はなたちばなを、ほとゝぎす、きなかで地に、ちらしめんとか
地爾 前にも注せる如く、つちにと讀みては歌詞とも覺えず。集中此詞數歌あり。悉他の字の誤りと見る也。つちに散らし(392)めんと讀みては義の不v通歌多し。よし義の叶へりとても、きはめて他なるべし。他の字なればよそにとか、あだにとか讀むべし。それにてはよく叶ふて歌の意もおも白き也。歌の意は、これにてよく聞えたり。時鳥の晩く來るを恨むる意也
1487 霍公鳥不念有寸木晩乃如此成左右爾奈何不來喧
ほとゝぎす、不念有寸、このくれの、かくなるまでに、いかできなかぬ
不念有寸 これをおもはずありきと讀ませて、諸抄の説はかく木の茂るまで、來鳴くまじきとは思はずありきと云義に釋せり。然れ共いかで來鳴かぬと讀みたれば、このてには不2打着1也。よりて宗師案は、思はずやありきとか、こひやせざりきとか、こひずやありきとか讀むべしと也。然れば時鳥は常に妻こひするものなるに、妻こひはせず、おのが來ぬべき時とも思はざりきやと云意に見る也。思はずありきといふて、いかでと又讀みては、てには聞得難き也。かくなる迄に鳴かざらんとは云へば、今時のてにはにてはよく聞えぬれど、古代の風体其時の風格あれば、その意にてかくよめる事ならんか
木晩 こがくれと云も同じ語也。がと云濁音は、の也。夏の木々は緑に茂りて、木かげも暗くなるもの也。集中に此詞あまたあり。皆同じ意にて、木の枝葉茂りて下陰暗くなる事を云。木の下暗など詠めるも、このくれのと云と同じ。木の下暗の如くなる迄、いかで來鳴かぬぞとゝがめし歌也。おそきを恨むるの意明也
大伴家持懽霍公鳥歌一首
1488 何處者鳴毛思仁家武霍公鳥吾家乃里爾今日耳曾鳴
いづこには、なきもしにけん、ほとゝぎす、わがへのさとに、けふのみぞなく
いづかたには鳴きつらん。こゝにはけふこそ初めて鳴と、聲珍らしく聞得たるを悦べる也
大伴家持惜橘花歌一首
1489 吾屋前之花橘者落過而珠爾可貫實爾成二家利
わかやどの、はなたちばなは、ちりすぎて、たまにぬくべく、みになりにけり
(393)よく聞えたる歌也。花の散過たる事を惜みたる也
大伴家持霍公鳥歌一首
1490 霍公鳥雖待不來喧蒲草玉爾貫日乎未遠美香
ほとゝぎす、まてどきなかず、あやめぐさ、たなまにぬくひを、いまだとほみか
蒲草 菖の字を脱したるたらん
未遠美香 郭公は五月を專と鳴ものにて、わきて菖蒲、橘のかをりを慕ふ由詠みなせば、五月五日あやめのかづらの藥玉かくる日を專とあらはして、未だ五月に間もありとてや、待てども鳴かぬと也
大伴家持雨日聞霍公鳥喧歌一首 雨日、あめふる日也
1491 宇乃花能過者惜香霍公鳥雨間毛不置從此間喧渡
うのはなの、ちらばをしみか、ほとゝぎす、あまゝもおかず、こゝになきわたる
過者 此字多く皆すぎすぐと讀ませたれど、義訓にちりと讀むべき所多し。此歌もちりと讀むべし。花紅葉の歌に書たるは、皆義をもて散り散ると云義に書たるを、字のまゝに讀めるは、歌の意を不v辨故歟。あまゝも不置は、前にも毎度注せる如く、あめ降る日にもやまずと云義也。雨のあひだもおかぬとの事也
橘歌一首 遊行女婦 和名抄云、〔楊氏漢語抄云、遊行女兒、【和名、宇加禮女又云、阿曾比】〕
1492 君家乃花橘者成爾家利花乃有時爾相益物乎
きみがへの、はなたちばなは、なりにけり、はなのさかりに、あはましものを
成爾家利 花散て實になりたると也。花の盛にあはで、時過て見る事の殘多きと也。遊び女の誰人の家にてよめるか。難v考
大伴村上橘歌一首
(394)1493 吾屋前乃花橘乎霍公鳥來鳴令動而本爾令散都
わかやどの、はなたちばなを、ほとゝぎす、きなきならしで、もとにちらしつ
令動而 どよめてと讀ませたれど、どよもしめて、どよましめてと云義なれば同じ意なれど、どよむと云詞、もとはよぷと云語也。どは呼と云字の意なれば、どよめてと云事は少いひ難し。ことに來鳴きと上にある詞のつゞきも、ならしてと云うつりよければ、どよむと云もならすことなれば、失張ならしてと讀むべき也。どよむと濁音に云來れるは心得難けれど、前にも橘のもとに道ふみと詠める事もあれば、その通によむ也。外の字の誤りにはあらざらんか。然らばよそにとよむべし。歌の意もわが宿のと詠出たれば、よそにとよめる事かけ合たる樣に聞ゆる也
大伴家持霍公鳥歌二首
1494 夏山之木末乃繁爾霍公鳥鳴響奈流聲之遙佐
なつやまの、こずゑのしゞに、ほとゝぎす、なきどよむなる、聲のはるけさ
繁爾 しげにと讀ませて、諸抄にも假名付の通に釋したれど、しゞにと云詞は假名書にも見えたり。しげにと云詞茂みにと云義にや。語例もなければ心得難し。しゞにと云は、しき/\と云語の略語か。しきは隙間なきと云詞なれば、茂りたる木末の隙間なき如く、夏山になく聲、茂みに隔たりて聲遙かに聞ゆるとの義也。夏山と詠出たるは、未だ里に出鳴かぬを待心にや。遠く遙かなると詠めるならんか。又茂みと云意なれば、茂りたる木立に隔たりて、聲の遙かに遠く聞ゆるの意也
1495 足引之許乃間立八十一霍公鳥如此聞始而後將戀可聞
あしひきの、このまたちくゝ、ほとゝぎす、かくきゝそめて、のちこひむかも
あしひきの この間と續きたること珍し。山は木茂きものなれば、山と云を略して木《コ》と請たるもの也。尤きのこと請けたるものとも見ゆれど、山を略してこと受たるなるべし。それは例外の冠辭にもありて、ぬば玉のよと云べきを或ひは、ゆめ、いも(395)等請けたる類ひ、これ夜に付たる事、又いさなとり海とつゞきたる本語を略して
はま磯などよめる類に同じ
たちくゝは たちくゞる也。もるゝと云も同じ。日本紀神代卷に漏の字をくきと讀ませたり。もれくゞると云義也。ほとゝぎすの立くゞりと云と、聲もれ|くるゝ《本マヽ、くゝるか》と云と兼ねて立くゞとは詠めり。八十一と書きたるは義訓也。九々と云義をとりて此集におも白き書樣をなせり。これを萬葉書とは云也。しゝを十六と書けるに同じ。一説、たにくゝは木の間立にくゝ聲を愛して鳴く、木の間立さり難くと云意と云説あれど、入ほかなる説ならんかし
大伴家持石竹花歌一首 石竹、なでし子とよむ也。歌には瞿麥と有。此集には假名書に皆なでしこと書り。とこなつとは書かざれば、古くとこ夏とは讀まざりけるか。今も、床夏、瞿麥、同類にて少違有。なでし子は夏秋へかけて野山に咲もの也。床夏は前栽などに蒔て作る也。花形は同じきものながら少は違あり。此集床夏とは詠まずして、なでし子と假名書にしたるは若しくは別種ならんか
1496 吾屋前之瞿麥乃花盛有手折而一目令見兒毛我母
わかやどの、なでしこのはな、さかりなり、たをりてひとめ、みせむこもかも
能聞えたる歌也。不v及v注也
惜不登筑波山歌一首 筑波山に登らざることを惜む歌一くさ。筑波山、常陸、和名抄云、〔常陸國筑波郡〕袖書に右一首云々と有。高橋蟲麿の筑波山に登らざるを惜みて詠めるか。外人の詠めるを歌集に出せるか不v詳也。左注者は考ふる所ありて此歌虫麻呂歌中に所見也。歌中に出とあれば蟲麿の歌ならんかし
1497 筑波根爾吾行利世波霍公鳥山妣兒令響鳴麻志也其
つくばねに、わがのぼりせば、ほとゝぎす、やまびこどよまし、なきなましもの
行利世波 登りせばと讀むべし。印本諸抄共にゆけりせばと讀みたれど、端作りに登とあれば、ゆけりと云詞も不v好詞なれば、義をもて書きたるならん
(396)鳴麻志也其 これを、鳴かましやそれと讀ませたり。其の字いかに共心得難し。鳴かましやそれと云歌の意聞得られず。筑波山をさしてそこと云たる義、そのなく聲を打返して、そのとさしたるとの諸抄の説也。外にもかく詠める句例あらばさもあらんか。それとてもうけがひ難し。歌の意聞え難し。兎角母の字の誤なるべし。鳴きなましやもと云て、此也とは嘆の詞、鳴きなましものを聞かで殘多きと惜める意と聞也。然れば何の事もなく能聞ゆる歌也。それとか、そことかいひて六ケ敷詞をそへて云はねば聞きにくき也。古詠は左樣六ケ敷入ほかなる事は無き也
右一首高橋連蟲麻呂之歌中出 前に注せり
夏相聞
大伴坂上郎女歌一首
1498 無暇不來之君爾霍公鳥吾如此戀常往而告社
いとまなみ、こざりしきみに、ほとゝぎす、われかくこふと、ゆきてつげこそ
暇無くてや來まさぬ人の方へ鳴過る鳥に、こなたには、かくまでこひわびる思ひの程をつげよとあとなく詠める也。歌の意は皆かくの如きこそ雅情と云もの也。よく聞えたる歌也
大伴四繩宴吟歌一首
1499 事繁君者不來益霍公鳥汝太爾來鳴朝戸將開
ことしげみ、きみはきまさず、ほとゝぎす、なれだにきなけ、あさとひらかん
待戀ふ人は來まさず、誰を待つとて朝戸を開かんや。せめて時鳥なり共來鳴かば、朝戸開きて聞かんと也。開かんと云詞例あれば、假名の通に讀むべし
大伴坂上郎女歌一首
(397)1500 夏野之繁見丹開有姫由理乃不所知戀者苦物曾
なつのゝの、しげみにさける、ひめゆりの、しられぬこひは、くるしきものを
夏の野の草繁き中に咲ける姫百合は、百草にまじりて知れ難きもの也。我心の内に思ひわぶる戀をよそへて苦しきと也。姫百合とは小き百合也。すべていたいげなる小ものを姫小松、姫菅などいへり。道のへの草ふか百合と云歌の百合も同じ意也。草中にまじりてあらはれ難きもの也。姫百合は紅百合共山丹花共書けり
小治田朝臣廣耳歌一首
1501 霍公鳥鳴峯乃上能宇乃花之厭事有哉君之不來益
ほとゝぎす、なくみねのへの、うのはなの、うきことあるや、きみがきまさぬ
峯乃上能 峰のほとりの義也。此歌の意、たゞ憂き事ありやといはん迄に、時鳥の節物なれば、卯の花をとり合て、憂きことゝうけん詞の縁に詠合せたるもの也。上の句何の意もなし。古詠の格前々より注せる如く皆かくの如し。憂き事あるやの一句につゞめる迄の事に、上の句にその節物の離れぬ義を詠そへたり。今時の風體は上の句にも、意味をこめ理をつくしてよめる歌多き也。時代々々の風體也。第十の歌にも全此下の句あり
大伴坂上郎女歌一首
1502 五月之花橘乎爲君珠爾社貫零卷惜美
さつきの、はなたちばなを、きみがため、たまにこそぬけ、ちらまくをしみ
さつきの 四言の初句あまたあることなれば、四言にもまた、之の字は、なると讀ませたる事集中多し。兩樣に可v讀也
社 此の字普通の本には脱したり。一本に有をもて正本とす。なくても諸本皆こそとつけ讀僻名を付置たり。歌の意は、花橘の實を賞美して睦まじく思ふ人に見せん爲、珠に貫きて木にならし置と也。散落ちては惜しき故、君に見せん爲珠に貫き置(398)木になりたるを貫とよめる也。珠にこそと云にて、木になりたるをよめる意よく聞えたり。橘の實は赤き玉の如くなれば、皆玉とよみなせり
紀朝臣豐河歌一首
1503 吾妹兒之家之垣内之佐由理花由利登云者不謌云二似
わぎもこが、いへのかきちの、さゆりばな、ゆりといひて者、ふしなきにゝる
此謌きゝ得難き歌也。諸抄の説も不2打着1也。宗師案は、者の字皆はと計假名ある故、はとならでは不v續事と心得たれど、集中色々字義によりてよめる歌有。さなくては聞えぬ歌共數々の事なれば、字義に應じ、其歌によりてよむ事也。此歌もいひてもと讀たる歌と聞ゆる也。もと讀む譯は、ものと云字なれば上の一言をとれる也。扨又、不謌云二似の五字は節なきに似る也。ゆりといひてもと云ゆりは、曲節の事にて、歌を歌ふには節を附けてゆるものなれば、ゆりと云ても節無きに似るとは、ゆりとはよりよると云義にて、上の句はたゞ此ゆりと云てもと云一句にうけん爲に、さゆり花と詠たる也。第十八卷に百合の歌三首ありて皆よりよる事をいはん序によめり。此歌もその通也。さゆりを妹にたとへて、よりと云てもよりあはねば、歌いはずと書きて義訓節無きに似るとよみて、ゆりといひてゆらぬに似たるとは、よりあはぬと云の義ならんと也。印本等の假名の通に歌はぬに似ると讀みては、たゞごとにて歌にあらず。義訓に節なきに似ると詠める所歌也。無伏に似たると云意を詞に含みて也。よりあひてふしあはぬと云義を云はん爲に、ふし無きにとはよめるならん。兎角歌は如v此なぞらへのひかへなくては不v詠古詠の例格、集中の歌共いくらも此例ある事也。此歌もふし無きとよめるにて、無伏と云意をこめたる處歌也
高安歌一首
1504 暇無五月乎尚爾吾妹兒我花橘乎不見可將過
いとまなみ、さつきをひさに、わぎもこが、はなたちばなを、みずかすぐさむ
此歌兩樣に聞ゆる歌也。わぎもこが方の花橘を、高安が行きて見ずやすぎんとよめると聞ゆる也。然れ共又わぎもこが暇無(399)くて、高安の方の橘を、五月の頃だに見ずに過ぎんとよめる共聞ゆる也。よく聞えたる歌也。
大神女郎贈大伴家持歌一首 みわのいらつめ、大伴の家持におくる歌ひとくさ
1505 霍公鳥鳴之登時君之家爾往跡追者將至鴨
ほとゝぎす、なきしそのとき、きみがへに、ゆけとおひなば、いたりなんかも
時鳥に、わが思ふ人の方へ行けよと追やらばいたらんかと也。行けと追やる心には、數々の心こもりてあるべけれど、言外にあらはれざれば注し難し
大伴田村大孃與妹坂上大孃歌一首
1506 古郷之奈良思之岳能霍公鳥言告遣之何如告寸矢
ふるさとの、ならしのをかの、ほとゝぎす、ことづけやりし、いかにつげきや
奈良思之岳 大和、今ならといふ所あるその處の岳なるべし。ならしの岳とよみたるは、なれしと云意にて、古里のならしとよめり。田村大孃の古里なるべし。歌の意聞えたる通也
大伴家持攀橘花贈坂上大孃歌一首并短歌
1507 伊加登伊加等有吾屋前爾百枝刺於布流橘玉爾貫五月乎近美安要奴我爾花咲爾家里朝爾食爾出見毎氣緒爾吾念妹爾銅鏡清月夜爾直一眼令覩麻而爾波落許須奈由米登云管幾許吾守物乎宇禮多伎也志許霍公鳥曉之裏悲爾雖追雖追尚來鳴而徒地爾令散者爲便乎奈美攀而手折都見末世吾妹兒
いかといかと、あるわがやどに、もゝえさし、おふるたちばな、たまにぬき、さつきをちかみ、あえぬかに、はなさきにけり、あさにけに、いでみるごとに、いきのをに、わがおもふいもに、まそかゞ(400)み、きまきつきよに、たゞひとめ、みせむまでには、ちりこすな、ゆめといひつゝ、こゝたくも、わがもるものを、うれたきや、しこほとゝぎす、あかつきの、うらかなしきに、をへどをへど、なほしきなきて、いたづらに、あだにちらせば、すべをなみ、よぢてたをりつ、みませわぎもこ
伊加登伊加等 此詞諸抄の説いは發語にて門々と云義と也。門のとは濁音也。然るに二字とも清音の字を記せり。尤知れたる事故濁音によむ理にて書けるか。然らば門々とあると云は無2辭讓1詞也。我家の事をいふに謙退をこそ云べきに、いかと/\といかめしく讀める事不審也。よりて門々と云義にては、難儀あれば心得難き説也。宗師案はいは初語にして垣戸々々荒と云義なるべし。かきと/\と云は、下のあると有詞は、謙退の意にも叶ふ也。かき戸とは凡て門戸と云て家の義をさして也。それ荒《本マヽ》たる宿なれど、橘は百枝さし榮ふると云なるべし。百枝さしは橘の枝の繁茂の事をいへり。玉にぬく五月を近み玉にぬくは、くす玉にぬくの義也。未だ四月と云事也。あえぬかに、此詞も兩義の見樣有。一義は未だ熟せぬにと云義也。第十八卷の歌にて考へ合べし。家持の長歌に、袖にもこきれ〔かくはしみ〕おきてからしみあゆる實は玉にぬきつゝと有。これはおきてからしてよく熟したる玉と云義也。然ればこゝも五月を近みといひて、未だ時熟せぬに花咲にけりとの説有。又一説はあえぬかには賞美の詞にて、あえぬは外に似る香の無きと云義也。又がはなゝれば、はなにと云はを略したるかとも云説有。あえと云詞はにるといふ事にも用る也。あやかると云義にも用る也。又あえると云事源氏物語等にあまた有。弱くたをやかなる事を云。あは初語にてよわけやかと云義と釋し來れり。然れば熟せぬの方、又似ぬと云方、兩樣に右のあえぬかにと云詞聞ゆる也
朝々食々 朝け/\と云義也。氣緒爾、命にかけて慕ひおもふ妹にと也
銅鏡 眞白き鏡と云義鏡の明らかなるをほめて云たる也。たゞ鏡と計り云はず、如v此冠辭を居て云たる他。下のただ一目見せんといはん迄の序也。散すぎなゆめ、橘を散らすなと戒めて制して守り居りたるをと也
うれたきや 悲しみ嘆く意也。歎慨の詞也。日本紀神武卷に出たる詞也。引合見るべし
(401)志許霍公鳥 しこは、あしきと云義也。神代卷上下共に出たる詞にて、時鳥不善不好の詞也。心もなく情もなき時鳥と云が如し
地爾 これも他の字に見るべし。誤字なるべし。あだと讀むべし。此歌の意、我宿に咲にほふ世に類ひなき橘の花を、深切に思ふ妹に見せんと思ひて、花をかこひ守らしむれど時鳥の心なく花にむつれ來て、あだに散らしむる故、せめて手折てだに見せむと、折て遣すと云意をのべたる也
反歌
1508 望降清月夜爾吾妹兒爾令覩常念之屋前之橘
望降、きよきつきよに、わぎもこに、見せむとおもひし、やどのたちばな
望降 これをもちくだちと讀ませたり。然れば本歌に五月をちかみと讀みたる故、卯月の十五日過ての夜の月と云理りに、もちくだちとも置けるか。然れ共取しめざる句なれば、いつの夜とさしたる讀樣あらんか。十五夜已後の夜の名の、五文字に合ふ詞に詠たる歌ならんか。然らばいさよひとか、たちまちのとか讀みたきもの也。本歌に、ますかゞみ清き月夜にと詠みたるから、反歌にもかくよめる也。歌の意はよく聞えたる也
1509 妹之見而後毛將鳴霍公鳥花橘乎地爾落津
いもがみて、のちもなかなむ、ほとゝぎす、はなたちばなを、あだにちらしつ
妹が見てのちに時鳥の來鳴けかし。まだ見ぬさきに花を散らせし事の惜しきと也
大伴家持贈紀郎女歌一首
1510 瞿麥者咲而落去常人者雖言吾標之野乃花爾有目八方
なでしこは、さきてちりぬと、ひとはいへど、わがしめしのゝ、はなにあらめやも
(402)我領し置たる野のなでし子にてはあるまじ。外の花なるべしと也。約諾せし女子などの外へうつり行しと人のいへど、いかでそなたの上にてはあるまじ。外人の事ならんと云意によせてよめると聞ゆる也
秋雜歌
崗本天皇御製歌一首 舒明天皇也
1511 暮去者小倉乃山爾鳴鹿之今夜波不鳴寐宿家良思母
ゆふされば、をぐらのやまに、なくしかの、こよひはなかず、いねにけらしも
此御製第九卷にも少歌詞替りて載せられたり。第九には雄略天皇の御歌とあげたり。少の詞の違のみにて同類の御製なるか
小倉乃山 大和なるべし。異所多けれど此御製作のをぐらの山は決て大和也。いかにとなればこよひは不v鳴とあるは、夜毎に鳴を聞しめして、不v鳴夜によませ給へる御歌なれば、常の御所の御歌也。こよひ鳴かぬは、いねぬらしとの御製也
大津皇子御歌一首
1512 經毛無緯毛不定未通女等之織黄葉爾霜莫零
たてもなく、ぬきもさだめず、をとめらが、をれるもみぢに、しもなふりそね
たてもなくぬきも定めぬ、此等の詞古詠にあげて數へ難し。紅葉を錦に見たて、紅に見たてゝ詠めること、往古よりの見たて也。木々木末の染なせる如き黄葉は、たてぬきも無き織物の如きと見立て、その美しき織物に霜な降りそ。霜ふりて色あせ散過んことをいとひて也
黄葉 錦とよめる説もあれど、霜な降りそとよめるなれば、詞花言葉なれ共、やはりもみぢと讀むべき事也。たてぬき織の詞あれば、紅葉を錦と見立てよめる歌も、此後數々あれば不v苦らんか。然れ共古くもみぢと假名付來れば、先づ古點の儘に讀むべき也。紅葉の錦ともよみ、錦と直によめる歌共追而考出べし。大津皇子御作の天紙風筆畫2〔雲鶴1、山機霜杼〕織2葉錦1。此詩と同じ意也。同時の御作ならんか
(403)穗積皇子御歌二首
1513 今朝之旦開鴈之鳴聞都春日山黄葉家良思吾情痛之
けさのあさけ、かりがねきゝつ、かすがやま、もみぢにけらし、わがこゝろいたし
我心いたしとは光陰のとくうつり行て、物うき秋の草木※[木+高]落するを痛みおぼしめすとの意也。我情痛之、皇極紀云、古人大兄〔見2入私宮1謂2於人1曰、韓人殺2鞍作臣1吾心痛矣云々〕當集の歌はすべて如v此古事記日本紀の古語をとりて詠出せる詞多也
1514 秋芽者可咲有良之吾屋戸之淺茅之花乃散去見者
あきはぎは、さきぬべからし、わがやどの、あさぢのはなの、ちりゆくみれば
此御歌も時のうつり行を嘆じ給ひての御歌也。二首同意の御歌也。つばなの散ころ、大かた荻萩等の花咲頃をよく/\見給へる御歌也
但馬皇女御歌一首 一書云子部王作
1515 事繁里爾不住者今朝鳴之鴈爾副而去益物乎 一云國爾不有者
ことしげき、さとにすまずば、けさなきし、かりにたぐひて、ゆかましものを
世のことわざのしげけれは、心に任されずいづ國へものがれ難きと嘆じたる也
一云國爾不有者 里爾不住の或説也。此或説は雁の行く國安樂の處ならば、行かましものといふ樣に聞ゆれど、さにはあるべからず。現在今在所の事繁國と云義也
山部王惜秋葉歌一首
山部王 天武紀上卷にも見えたり。又桓武天皇の初の御名也、此御歌も桓武の未だ山部王と奉v稱し時よませ給へる御歌故、如v此あげたるなるべし。歌のつゞき共天武の時の御歌とは不v見也
(404)1516 秋山爾黄反木葉乃移去者更哉秋乎欲見世武
あきやまに、きばむこのはの、うつりなば、さらにや秋を、見まくほりせん
きばむは紅葉のはじめ也。かく木の葉も染かゝれど、やがて散りなば又二度秋を慕ひて見まほしからんと、未だ愛憐の深心から、行先の事迄思ひはかれる意也。うつろへばと讀ませたるは誤也。これは未來の義を云たる也。當然の事ならば見まくほりすると詠べきを、せんとよみ給へるは、うつりいなばその時は又更にしたひ給はんとの御歌也
長屋王歌一首
1517 味酒三輪乃祝之山照秋乃黄葉散莫惜毛
うまざけ、みわのはふりが、やまてらす、あきのもみぢの、ちらまくをしも
祝之山照 此句心得難し。諸抄の説もうけがひ難き説也。祝が領したる山と云の説也。社の字の誤りならんか。歌の意何の事もなくよく聞えたり
山上臣憶良七夕歌十二首
1518 天漢相向立而吾戀之君來益奈利紐解設禁 一云向河
あまのかは、みむかひたちで、わがこひし、きみきますなり、ひもときまけな
相向立而 あひむきたちてと讀めるは、詞つまれり。相むきと云詞あるべき共不v覺。見ると讀む字なれば初語に見と讀まんか。又あ向ひと讀まんか。こむかひと云假名も有。これは※[ミの草書]の假名字のコと誤りたるならん。よりてみむかひとは讀む也。まけなばは、むかへなば也。むかの約ま也。かへの約もけ也。此詞集中多き詞にて、むかへと云にて何方も叶ふ也。片まけなど云かたは初語と見る也。尤かた/\にむかへる意の處も有。一方へ片付る意に讀める片もあり。此歌はわが待戀し君が來ます今夜なれば、紐をも解きて迎へ待たんとの意也。すべて七夕の歌は七夕になり、又外より思ひやりてもよめる也
(405)右養老八年七月七日應令 應令、皇太子の仰によりて右の歌をよめると也。古注者考ふる所存ありてか。しかし此注は誤也。養老は七年にて終、神龜元年と注すべき事也。神龜元年二月に聖武帝御受禅九月に御即位也。年號は二月に被v改たり
1519 久方之漢爾船泛而今夜可君之我許來益武
ひさかたの、漢に、ふねうけて、こよひかきみが、わがりきまさむ
漢爾 これは天漢と書きて唐の字義によりて天の河と讀ませたり。それを略して漢の字計りにても天の河と讀む也。しかるにこゝは天の河と讀みても一音不v足也。よりて天の河瀬と讀ませたり。河瀬となりともかはどとなり共讀むべき也
我許 わがりとはわがなりへ來まさんと云義也。わが處と云義を古語にはわがりといへり。下屋敷と云を別業といふも、ことなりと云義也。わが事業をする處と云義にて、事業はなりはひと云義也。よりてその住所の事をかりなりと云たる也。かりもなりも同音也。十四卷目の歌にも、和賀利通はんなどよめる歌二三首もありて、わがりはわがところ、わがもとゝ云義也。い《本マヽ、い衍字カ》またかりと云て清音の時は人をこひもとめ行事を云也。いもがりゆくなど云はこひもとめる義也。この紛れあり。此わがりはわがもとわが所へこよひこそ來まさんと待よろこべる歌也。憶良七夕になりてよめる也
右神龜元年七月七日夜左大臣宅 此注前の注と相違也。此注可v然。養老八年の七月と云事はなき事也。左大臣宅は長屋王宅也
1520 牽牛者織女等天地之別時由伊奈宇之呂河向立意空不安久爾嘆空不安久爾青波爾望者多要奴白雲爾※[さんずい+帝]者盡奴如是耳也伊伎都枳乎良武如是耳也戀都追安良牟佐丹塗之小船毛賀茂玉纏之眞可伊毛我母【一云小棹毛何毛】朝奈藝爾伊可伎渡夕鹽爾【一云夕倍爾毛】伊許藝渡久方之天河原爾天飛也領布可多思吉眞玉手乃玉手指更餘宿毛寐而師可門【一云伊毛左禰而師加】秋爾安良受登母 一云秋不待登母
(406)ひこぼしは、たなばたつめと、あめつちの、わかれしときゆ、いなうしろ、かむかひたちて、おもふそら、やすからなくに、なげくそら、やすからなくに、あをなみに、のぞみはたえぬ、しらくもに、なみだはつきぬ、かくのみや、いきつきをらむ、かくのみや、こひつゝあらむ、さにぬりの、をぶねもかも、たまゝきの、まかいもかも【をさほもかも】あさなぎに、いかきわたり、ゆふしほに【ゆふべにも】いこぎわたり、ひさかたの、あまのかはらに、あまとぶや、ひれかたしき、まだまての、たまでさしかへ、よいもねてしかも【いもさねてしか】あきにあらずとも
牽牛織女 此二星の事は具しく注するに及ばず、世にあらはれたる事也。秋一夜の契はあめつちの別れはじまりし時よりの事と云義也
伊奈宇之呂 此義古來説々わりて、延喜式の神賀の詞に彼方古川席〔此方古川席 爾 生立若水沼間能彌苦叡爾御若叡坐云々〕と云詞もありて、水苔の水底におひ茂りたるが、稻の皮にて織りたる莚を敷たる樣なれば、いなむしろ川と云との説もあり。むしろに似たる河藻を云との説もありて一決し難く、其上うしろといふもむしろと云義との説也。横通音にてもあるべきか。或説には人の否ぶるは前に不v向、後にむかふ故いなうしろといふて、河と云枕詞など説も有。此詞は日本紀顯宗紀、天皇の御歌に、伊儺武斯盧〔※[加/可]簸泝比野儺擬《イナムシロカハソヒヤナギ》、寐逗愈凱麼《ミツユケバ》、儺弭企於巳佗智《ナビキオシタチ》、曾能泥播宇世儒《ソノネハウセス》〕とある古語より、當集をはじめ後々に到りても、いなむしろの河とうけたる詞によめり。然ればうしろと云義はなき事也。宇の字は牟の字の誤りと見えたり。延喜式祝詞の卷にも、此宇牟の誤りあまた有。當集にも此違ある事也。誤字と見ておくべし。横通にて、むしろも、うしろも同事と云ても、日本紀にむしろと有からは、むしろと讀べき事を横通を以てうしろと讀むべき樣なし。扨この詞不v濟事也。宗帥案、日本紀の歌に注せる如く、いねもいなも同じことなれば、ねむしろと云義なるべし。昔は寢莚に獣の革をしたると見えたり。濕氣邪氣を防ぐ爲に革をもてしたるを云て、河とうける冠辭となりたると見る也
愚案、席といふものは色々有り。然れ共上古の始は稻の藁莚なるべし。質素の時筵の本なるべし。その筵は稻の皮にて作り(407)たれば、稻席、かはと請けたるにやあらん。又出雲の神賀の詞の古川莚といふも、出雲莚と云ものありて、出雲より仕出したる歟。右祝詞の詞はわかえと云はん爲に、古川席とは云出でたると見ゆる也。水苔の生たるが、稻をしける樣なるから、いなむしろ河とつゞくとの説は心得難し
かむかひたち かはにむきたちと讀ませたれど、むきたちといふ詞心得難し。河にむかひ立といふ意にて、かむかひと讀むべき也。又かはむかひたちにても同じ義也。天川を隔てゝ互にむかひ立てこひしたふとの事を、以下の詞に段々句つゞき、くさりよく詠つらねる也
青浪爾望者多要奴 波のたつは還く見れば青くも見えて、水の色は青き物なる故かくよめり。下の白雲の對句也。のぞみはたえぬといふ意は、遠く隔たりてわたりあふ事のなり難きと云事也。天地開闢の時より、天則備りて年に二度わたりあふ事のならぬ事を歎ける意也
白雲爾※[さんずい+帝]者盡奴 これも遠く空を仰ぎこひて、歎きしたふ涙もつきはてたると也。いきつきをらんは、今も物思ふ時は胸迫りて、ひたもの息をつくの義をもて知るべし。その通に慕ひ思ふとの義をあらはしよめり
佐丹塗之小船毛賀茂云云 皆詞の餘勢也。船を賞めてその如くの船もあれかし。わたりえてあはんにと也
夕鹽爾 此鹽と云字心得難し。河にしほとは不相應なれ共、天海とも讀めれば、詞のはな如v此もよめるか。若しくは浪の字の誤り歟。いかきわたり、いこぎわたり、皆いは初語也。波路かきわけなどよめる意に同じ
天飛也 日とうけん爲の冠句也。天女のひらと云義に天飛やひれとつゞけたるとの説有。不v可v用。天つたふ干潟の浦抔詠める意にて、たゞひらのひとうける迄の冠辭也。ひれは女の頭頸などに卷くもの也
餘宿毛寐而師可聞 夜寢て也。かもはかなと云意、願ふ意也。秋にあらずともは、七月の一夜に不v限、常にも天河を小船に乘りて渡り來て、織女といねたきとの義也。彦星の歌にして憶良のよめる也
一云伊毛左禰而師加 少づつの詞の異あるを記せり。意は同じ義なれば具しく不v及v注也
反歌
(408)1521 風雲者二岸爾可欲倍杼母吾遠嬬之【一云波之嬬乃】事曾不通
かぜくもは、ふたつのきしに、かよへども、わがとほづまの、ことぞかよはぬ
風雲 風は天地の使と云故、天漢のことなれば、雲をもそへて彼方と此方の岸に通へ共と也。風は使に比してよめる歌此集にもあまた有。家風は日に/\吹くなどよめり。雲も使とよめる事有。よりて二つの岸に通へ共とはよめる也。畢竟通路はあれど、あひあふ事は年に一度ならではなり難きと歎ける歌也。遠妻とは隔たり居る妻の事を云也。此集にあまた詠めり。せまりたる詞なれど、古語なれば詠来れり。一云、はしづまのと云も、珍しき詞也。古語には隔たり遠ざかり居る妻を、はし妻ともいへる也。はしとは親しからぬ隔たりたる處と云意に、はしと云たるものならん
1522 多夫手二毛投越都倍伎天漢敞太而禮婆可母安麻多須辨奈吉
たぶてにも、なげこしつべき、あまのかは、へだてればかも、あまたすべなき
たぶては礫にも也。人の手に握られて、つぶてに投やられる程のまのあたりの川なれ共、天則ありてかく隔たりをれば、詮方も無きと歎きたる也。たぶてとつぶてとは音通ふ。古語には皆通音を用たる言多し。文選東京賦云、飛礫如v雨と云たるつぶての事也。文字には飛礫と書也
右天平元年七月七日夜憶良仰觀天河【一云帥家作】
此河の字下に作の字を脱せるならん。これも左注者の加筆也
1523 秋風之吹爾之日從何時可登吾待戀之君曾來座流
あきかぜの、ふきにしひより、いつしかと、わがまちこひし、きみぞきませる
立秋の日より今日々々と待得て、七日の夜をよろこびたる歌也
1524 天漢伊刀河浪者多多禰杼母伺候難之近此瀬乎
(409)あまのかは いとかはなみは、たゝねども、うかゞひがたし、ちかきこのせを
いとゝは甚といふ意也。最をも讀ませり。いたくと云意にも通ふ也
伺候難之 うかゞひ難しと讀みたれど、歌詞とも聞えず。何とぞ別訓あるべし。歌の意は、波もたゝず、瀬も近く見ゆれど、一度の外はわたりあふ事のなり難きと云義也。近き世なれ共、わたり見る事は年に一度ならではならざるを歎きて也
1525 袖振者見毛可波之都倍久雖近度爲便無秋西安良禰波
そでふらば、見もかはしつべく、ちかけれど、わたるすべなみ、あきにしあらねば
此歌も天河のま近く見え渡れ共、秋ならで一度の渡りも叶はぬと歎きたる也。袖をふらば、あなたもこなたも見かはす程の近き渡なれどと云義也。詞の中に川波と云ことを詠みて意を助けたり
1526 玉蜻※[虫+廷]髣髴所見而別去者毛等奈也戀牟相時麻而波
かげろふの、ほのかに見えて、わかれなば、もとなやこひん、あふときまでは
かげろふ ほとつゞく詞をもうけん爲に、かげろふと詠出たり。かける火也。春の陽炎の、夏にかけてきら/\ときらめくは火のかける如く也。その如く飛かふ蟲の名也。たゞほのかに相見て別れなば、来る秋まで覺束なくも待わびんと也。玉蜻※[虫+廷]和名抄云〔本草云、蜻蛉【精靈二音】一名胡※[勅/虫]【音※[勅/虫]、加介呂布】釋藥性云、一名※[虫+即]蛉※[上音即]兼名苑云、※[虫+丁]※[虫+經の旁]【丁馨二音】一名胡蝶、蜻蛉也〕あきつの類也。赤黄青の色あり。春の末より秋迄飛かふ也。かける火の如くなるもの故、かけるひと云意にて名付たる歟。ほとか、夕べとかつゞく也。夕部に飛かけりて蚊はむ虫也
右天平二年七月八日夜帥家集會
1527 牽牛之迎嬬船己藝出良之漢原爾霧之立波
ひこぼしの、つまむかひぶね、こぎいづらし、あまのかはらに、きりのたつれば
(410)天の河に霧たちぬれば、心もと無くて迎船の出らんと也。歌には互にゆきあふ樣によむ也。前の歌は、彦星の方より行く樣によみたれど、此歌はこなたへ迎へる樣によめり。これは歌の習にていづ方へも通ひてよめる也
1528 霞立天河原爾待君登伊往還程爾裳襴所沾
かすみたつ、あまのかはらに、きみまつと、いかよふほどに、ものすそぬれぬ
この歌は彦星を織女の待かくる意によめり。いかよふのいは初語也
1529 天河浮津之浪音佐和久奈里吾待君思舟出爲良之母
あまのかは、うきつのなみと、さわぐなり、わがまつきみし、ふなですらしも
天河浮津 天上の事ながら、國土にも地名ある故、歌にも詠出たり。畢竟船をうくると云の義に、うきつの波とはよめり。なみとは波の音也。おを略してよめる歌多し。歌の意はよく聞えたり
太宰諸卿大夫并官人等宴筑前國蘆城驛家歌二首
1530 娘部思秋芽子交蘆城野今日乎始而萬代爾將見
をみなへし、あきはぎまじり、あしきのゝ、けふをはじめて、よろづよにみむ
をみなへし、あきはぎ、芦、三色を詠み出て、下によろづ代とかけ合たる也。別の意なき歌也
1531 珠匣葦木乃河乎今日見者迄萬代將忘八方
たまくしげ、あしきのかはを、けふみれば、よろづよまでに、わすられめやも
玉くしげ開と云意にて、あと受けたるもの也。すでに冠辭は一語にうける事有と云證、此歌など證明也。玉くしげあしとはつゞく詞にあらず。あくと云詞ある故也
右二首作者未詳
(411)笠朝臣金村伊香山作歌二首 伊香山、近江伊香郡也
1532 草枕客行人毛徃觸者爾保比奴倍久毛開流芽子香聞
くさまくら、たびゆくひとも、ゆきふれば、にほひぬべくも、さけるはぎかも
往觸者 往來に衣袖をふれなば也。能聞えて別の意なき歌也
1533 伊香山野邊爾開有芽子見者公之家有尾花之所念
いかこやま、のべにさきたる、はぎみれば、きみが家なる、をばなしぞおもふ
所念 所の字を、そとも讀み又下へつけてしのばるとも、おもはるとも讀むべし。義は同じければ、好所にまかす也。旅行の野邊にて萩の咲亂れたるを見て、故郷の尾花のことなど思ひ出て、故郷を慕ふ意也。別の意なき歌也
石川朝臣老夫歌一首
1534 娘部志秋芽子折禮玉桙乃道去※[果/衣]跡爲乞兒
をみなへし、あきはぎをゝれ、たまぼこの、みちゆきつとゝ、こはんこのため
折禮 をらめといふ詞ををれとつゞめたる也。下知したるにはあらず。らめをれと云詞に約めたると知らぬ人は、下知の詞に心得るは誤也。手をれと讀ませたれど、同じ添詞なれば、手爾波詞を上に付る方然るべし。よりて秋はぎをゝれとは讀む也
藤原宇合卿歌一首
1535 我背兒乎何時曾旦今登待苗爾於母也者將見秋風吹
【かりせこ・わgせこ】を、いつかぞこんと、まつなへに【おもやせしけん・おもやはみえん】あきのかぜふく
我背兒乎 此歌は妹を思ひやりて宇合の詠める歌と聞ゆる也。妹がせこをいつか來んと待が、うべも程ふる故おも痩せすらん、時しも草木枯れ落てしぼめる秋の風寒く吹頃迄も、夫の行かざればと云意と見る也。さなくては女を背子とよむ事心得難(412)し。古今の、わがせこが衣はるさめの歌も、※[女+夫]の字と妹の字を誤りたると見えたり。若し此外に女をせことよめる古詠の證もあらば、此歌又古今の歌も、妹子をさしてもせことよめる義と知るべし。先づ女をせこと讀める義無きと傳へたれば、此歌も女子の上を思ひ察してよめる歌とは見る也
於毛也者 これを古本印本共におもやは見えんと讀ませたり。諸抄の説夫の來らで月日をふる程久しくて、痩せ衰へたるおもてに待わびる體のあらはれ見えんか。すでに草木|黄落《本マヽ》する秋風さへ吹けばと云意にて、秋の風吹くと云は、ものゝ衰へたる事を比してよめると注せり。此一義も不v聞にはあらず。然れ共少まはり遠き説なり。者をせとよむ事少六ケ敷樣なれど、しやとも、さとも、云音故せとも通ふ也。將の字も、さ|すすせ《本マヽ》の詞に用る字、しけんとは讀めり。兩義の説いづれとも未だ決し難し。おもやせ見えん共讀むべきか。此方義やすかるべし。人の來ぬをいつか/\と待わびぬるから、面痩せて人目にも見えんか。既に秋風の吹折なれば、草木迄も枯れ衰ふるにつけて、わが身も痩せ衰ふる事のあらはればと、よめる意とも聞ゆる也
縁達師謌一首
1536 暮相而朝面羞隱野乃芽子者散去寸黄葉早續也
くれにあひて、あしたおもはじ、かくれのゝ、はぎはちりにき、もみぢ早續也
くれにあひて 此歌の詞第一卷にも出てその所に注せり。かくれと云はん爲の序也。萩は散いにし程に、紅葉はつゞきて色を染やと云歌と見る也。然れ共早繼也、これをはやつげと讀ませたれば、此よみ樣心得難し。續也の二字をつけと計は讀難し。此三字何とぞ別訓あるべし。まづは紅葉はつぐやと讀みて、其意を注せるなり。萩は初秋の比咲、紅葉は中過ならでは不v梁物故、も早萩は散りしが、紅葉はつゞきて色を染なすやと詠める義と見る也。早の字は、はとよませたる事集中に見えたれば、如v此見おく也。尚別訓あらんか
山上臣憶良詠秋野花二首
1537 秋野爾咲有花乎指折可伎數者七種花 其一
(413)あきのゝに、さきたるはなを、ゆびをりて、かきかぞふれば、なゝぐさのはな
指折 これを古來より手を折と讀ませたり。指は手を附たるものから、さも讀むべきかなれど心得難し。尤手を折といふと指をりと讀むは、指の方は卑しく詞耳たつ也。手をゝりてといへば、安らかに雅言に聞ゆる故、義をもて讀ませたる也。しかし指を折てと讀むべき義也。伊勢物語にも、手をゝりてあひ見しの歌も手を折て也。畢竟此歌などよみ誤れるならんか。七種の歌に左に歌あり
其一とあるは後人傍注也
1538 芽之花乎花葛花瞿麥之花姫部志又藤袴朝顔之花 其二
はぎのはな、をばなくずはな、なでしこのはな、をみなへし、またふぢばかま、あさがほの花
其二は後人の注也。此歌は旋頭歌也。秋草の花の名を七つ詠出たる也。何の意もなき也
萬葉童蒙抄 卷第二十終
(414)萬葉童蒙抄 卷第二十一
天皇御製歌二首
聖武天皇なるべし。いづれとも極めてはさし奉り難けれど、此歌の並時代の人々を相考合見れば、御歌の御風躰も女帝の御製には聞えず。天平年中の歌ども前に擧たれば、聖武天皇ならんかと奉v窺也。或抄に此集此帝の時家特撰と決着せし意をもてたゞ天皇御製と計りあるは、前第四卷にも如v此の標題ありて、その撰集の時の天皇をさし奉る義と注したれど、此集家持撰と決する證明無く、且古今の序に平城帝と書たれば、證明なき事は決し難し。源氏物語梅が枝に、嵯峨天皇のえらぴかゝせ給へる萬葉集四卷と書たるも心得難き事也。平城帝大同四年の内には、撰集も終り難かるべし。勅の出でしは大同の帝にて、撰集の終りしは嵯峨帝にもやあらん。物語の文なれば證明には致し難けれど、より所なき事は書出すまじければ、聖武帝の御撰とは決し難ければ、天皇もその證にては、聖武とは奉v定がたけれど、此の歌の次第、人の時代を考へ合せて見れば、此天皇は聖武天皇ならんかと奉v窺らるゝ也
1539 秋田乃穗田乎鴈之鳴闇爾夜之穗杼呂爾毛鳴渡可聞
あきのたの、ほだをかりがね、あかなくに、よのほどろにも、なきわたるかも
秋の田の 秋は稻の穗なりとゝのへば即ち穗とうけたる也。穗田をといふは、刈といふ詞によせて雁が音をよませ給ふ也
闇爾 古本印本共に、くらやみにとは讀みたれど、歌詞とも聞えず。せめて闇なるにとなりと讀むべきを、くらやみとはあまり拙き假名也。定めて御製の御心は、あかなくにと云義ならんか。闇と云字なればあかく無きと云意にて、飽なくとゝいふ意を含ませ給ふならん。闇なるにと讀みても、夜のほどろとうけさせ給ふなれば、意は同じからんか。いづれにまれくらやみとは讀べからず。御歌の御意は夜もあけぬ、暗の夜の程にも鳴渡るかりのいづち行らんと、おぼしやらせ給ふ御感情より被v遊し御詠ならん。ほどろは前にもある詞、夜のほど也
(415)1540 今朝乃且開鴈鳴寒聞之奈倍野邊能淺茅曾色付丹來
けさのあさけ、かりがねさむく、きゝしなべ、のべのあさぢぞ、いろづきにける
けさ鳴渡りし鴈がねの、ことさらに寒かりしがうべも理りよ。野邊の淺茅の色附もみぢするとの御歌、よく聞えたる御製作也
大宰帥大伴卿歌二首
1541 吾岳爾掉牡鹿來鳴先芽之花嬬問爾來鳴棹牡鹿
あがをかに、さをしかきなく、はつはぎの、はなづまとひに、きなくさをしか
吾岳 地名ならんか。わが領地のをかの意とは聞ゆれど、地名あらん故かく詠出たるか
花嬬 萩は鹿の愛しなるゝもの故、古より鹿の妻になぞらへて詠來れり。よりて花づまとひにとはよめり。赤岳吾岳などいふ地名追而可v考
1542 吾岳之秋芽花風乎痛可落成將見人裳欲得
あがをかの、あきはぎのはな、かぜをいたみ、ちるべくなりぬ、みんひともかも
秋風はげしくなりて、萩の花はいたみて稍散りがたになるを惜みて也。よく聞え別の意無き歌也
三原王歌一首 三原王は舍人親王の御子也。續日本紀云、元正天皇養老元年正月〔乙巳授2無位三原王從四位下1。〕聖武紀天平元年〔三月從四位上。九年十二月壬戌從四位上御原王爲2彈正尹1。十二年紀云。治部卿從四位上三原王。十八年三月以2從四位上三原王1爲2大藏卿1。四月正四位下。十九年正月正四位上。二十年二月從三位。孝謙紀云、天平勝寶元年八月從三位三原王爲2中務卿1。同十一月正三位。四年七月甲寅中務卿正三位三原王薨、一品贈太政大臣舍人親王之子也〕或記云、天武天皇――舍人親王――三原王――小倉王――夏野 賜清原姓
1543 秋露者移爾有家里水鳥乃青羽乃山能色付見者
(416)あきのつゆは、うつしなりけり、みづどりの、青葉の山の、いろづくみれば
うつしとは青花の事を云也。うつし色とは紅の事を云。此うつしなりけりとは、青花のうつろひやすきと云意をもていへり。さればこそ下に青羽の山と有。水鳥の青羽のとは鴨の毛色は青きものなれば、青羽といはんとて水鳥とはよめり。此卷の上に水鳥のかもの羽色ともよめる也。第二十卷には、かもの羽色の青きともあり。みな青といはんとて水鳥とよめり。尤も此は夏山の青葉にしげれるも、今秋の露に和て、やがて紅葉すると云義也。源氏若菜に、紫上の歌にも、秋や來ぬらん見るまゝに青葉の山もうつろひにけりと書たり
湯原王七夕歌二首
1544 牽牛之念座良武從情見吾辛吉夜之更降去者
ひこぼしの、おもひますらん、こゝろゆも、みるわれくるし、よのふけゆけば
彦星のさぞ夜のふけ行を惜み思ひまさん心より、わが思ふ心の悲しきと也。辛苦の二字を苦しと讀みたれど、一字ならばさも讀まんか。二字書きたれば悲しきと云意なるべし。天河をながめて、身に引取りて七夕の飽かぬ別れのやゝ近くなるを歎きたる歌也
1545 織女之袖續三更之五更者河瀬之鶴者不鳴友吉
おりひめの、そでつぐよるの、あかつきは、かはせのたづは、なかずともよし
織女 古本印木共たなばたと讀ませたり。義は同じ事なれど、袖つぐとある詞を設たれば、おり姫と讀む方しかるべし。袖つぐとは男女の袖をつぎて、契りをかさぬる義を云也。互の袖をつゞけて離れぬ理りを云たる義也。畢竟よりそひふして、袖をつらねて離れぬと云義也。三更五更みな義をもて訓せり。よく聞えたる歌也
市原王七夕歌一首
(417)1546 妹許登吾去道乃河有者附目緘結跡夜更降家類
いもがりと、わがゆくみちの、かはなれば、ひとめつゝむと、よぞふけにける
いもがりは、妻を求めると云意、又妻のもとへと云意と有。畢竟は同じ意也。先は妻の所へといふ意と見るべし。しかれば濁音也
附目 此二字本々相違あり。一本目を固の字に作れるを證とすべし。上に川をよみたれば、人目といふに樋止堤と云義をよせてよめると聞えて、附固なればものをつけてつゝみを固めるの意、つきかためて樋をとめると云義の意を含みて、人目を忍びつゝしむ故に、おのづからとく來られて夜の更けぬると理りたる也。附固と書たる故、緘結の二字をもつゝむと義訓したる也。文などを封じこめたる意をもて、義訓につゝむと讀めり。是も堤によせて包の義をいへり。古詠はかくの如く、川と詠たれば其縁ある詞をひかへてよめる也。附目とありては附といふ字人とは讀難し。附は依也と云字義にて、物をよせ固めるの意を以て、樋留といふ義にとりて、固の字なれば義訓にひとめと讀ませたりと見る也
藤原朝臣八束一首、
1547 棹四香能芽二貫置有露之白珠相佐和仁誰人可毛手爾將卷知布
さをしかの、はぎにぬきおける、つゆのしらたま、相佐和仁、たれのひとかも、手にまかんちふ
此歌の意は、鹿のいね置きし萩の露もえならぬ花を、いづれの人か此草屋に來り、いねて妻にせんことの惜しきと云意也。人になぞらへていはゞ、わがしめおきし花づまをあえなくとりて、妻にもして卷きぬらんと惜みたる意地。然るに此歌の相佐和と云詞につきて色々引歌語類の事共あり。諸抄の説は相佐和とはあふ事の多き心といふ説も有。又大なわといふ意にて第十一卷にも同じ旋頭歌に、開木代のくせのわがこがほしといふわれ相狹丸に吾欲といふ開木代來世といふ歌有。又第四に、われもおもふ人もわするな多奈和丹浦吹風のやむ時なかれと云歌をも引て、大繩といふ意と釋せる説も有、いづれもあたらぬ義、先引歌の取樣から違たる義共なれば難2信用1也。多奈和丹といふ事は四卷目にて注せり。十一卷の歌も心得難き釋也。開木代(418)とあるを山しろと讀む義訓心得ず。古訓の證例も無し。當集に三ケ條如v此書きて山しろと讀ませたり。然れ共一本に代を伐に書る本もあれば愈疑はし。尤歌の意おほよそに思ひてたゞ何心も無く、誰れ人の手に卷きとらんと云意にて、大繩にと云義とも見るべけれど、詞の義いかにとも濟まざる也。拾穗抄には、あふな/\思ひはすべしと、伊勞物語にある詞と同じ義にて、戀るといふことゝ注せり。表裏の違まち/\也。宗師案はあふさわにてはあるまじと見る也。先相の字は十一卷のもこゝも同じ字也。佐和狹丸の違あり。然れば相は十一卷目もこゝもまくと讀むべし。相の字まくと讀までは此集中に不v濟歌多くして、まくと讀ませたる事證明あり。その所にて表すべし。尤あふと讀む字なれば、みとのまぐはひなど讀みて義相通ふ也。然ればまくとよむ事此義にてもあきらけし。さて又和の字はやと讀むべし。やと讀む義はやまとのやの一語をとりても讀まるゝ也。それよりも延喜式大殿祭の祝詞に、和の字をやわしと讀ませて、しかも古語やわしと注をあげたり。然ればやと讀む義苦しからず。又横通音にてやとわとは通ふなれば、わの訓にても、音にてもやと通ふ也。なれば十一卷目の相狹丸と云丸の字もぐわの音はわ也。濁音のぐわもわ、清音にも同じく通ふ也。神武紀のいさわ/\といふわに過の字を被v書たり。これらにて知るべし。氏にも和邇部など云に丸部と書、これぐわんと云音わ也。はぬる故にといふ也。しかれば此相佐和は馬草屋に刈こまんの意もあり。まぐさ屋にと讀むべし。眞草やと云意にて、鹿のぬきはねき也。鹿などの來りて寐たる草原の屋に、又たれ人のねて萩を妻ともして、手にまきぬらんと云意なるべしと也。十一卷目の歌も開木《アキキ》買木《アキキ》こるなるべし。くせのわかき子がほしといふわれ相狹丸にわれをほしといふ。この歌も買木こるくせと讀みて、あきなひのたきゞをこりくる、背子の若き子と云義なるべし。われほしといふは、かりほしと云義なるべし。欲と干との兩義をかねて、例の古詠の格にて、躰あることをひかへて、ほしきと云に木をかりほすと云意をよせたる也。まぐさや也。木を商ふ人の家なれば、馬草屋といふなるべし。あきなふ木をこりて、草屋にほして來るせこといふ義なるべしと也。これより古今の俳諧歌の、足曳の山田のそほつおのれさへわれをほしと云と云歌も、同じく干の字の意をこめてよめるなるべし。古來より此山田そほつの歌不v濟也。此萬葉のわれをほしと云とある詞より、よみたる歌と見えたりと也。暗麿未2甘心1也。源氏物語にもおほな/\と云詞あり。諸抄の説まち/\にして戀の意に注せり。然れ共假名いづれの字を書たる義か不v知ば、何といふ事とも解し難き詞也。此相狹丸(419)の詞も未だ不2打着1也
大伴坂上郎女晩芽子歌一首
1548 咲花毛宇都呂波厭奧手有長意爾尚不如家里
さくはなも、うつるはうきを、おくてなる、ながきこゝろに、なほしかずけり
うつるほうきをと云は、人も淺々しく早くなびきては、又うつろひやすきものと云意を合みて、おそく咲く萩によせて、遲れたる萩をほめたる也。稻に早稻晩稻といふことありて、早く出來るをわせと云ひ、晩く出來るをおくてと云から、草木にも同じくいへると聞えたり。奧手なるながきと云へるは、人の手の手頸より袖の奧に入る處までの長さと云意に、長きとはうけたるならん。心奧まりて長く替らぬことこそよけれと、萩の晩く咲く共うつろはず、久しく盛をたもてかしと云意より、しかずけりとはよめるならん
典鑄正紀朝臣鹿人至衛門大尉大伴宿禰稻公跡見庄作歌一首 いもしのかみと讀む。令義解云、寶龜五年〔併2内匠寮1〕職員令云、典鑄司、正一人〔掌d造2鑄金銀銅銅1塗2餝瑠璃1【謂火齊珠也、】玉作及工戸戸口名籍車u云々〕衛門大尉 令義解〔卷第二、職良令云、衝門府、管2司11。督一人、擧掌2諸門禁衛、出入禮儀、以v時巡檢、及隼人、門籍門※[片+旁]事1。佐一人、大尉二人云々
跡見庄 神武紀云、〔戊午年十有二月癸巳朔丙申、皇師遂撃2長髓彦1、連戰不v能2取勝1、時忽然天陰而雨氷乃有2金色靈鵄1、飛來止2于皇弓弭1。其鵄光※[日+華]〓状如2流電1。由v是長髓彦軍卒皆迷眩不2復力戰1。長髓是邑之本號焉。因以亦爲2人名1。及3皇軍之得2鵄瑞1也。時人仍號2鵄邑1。今云2鳥見1是訛也〕上古は長すね邑を、後に流轉し横訛りて、とみ邑と云へるか。延喜式神名帳上云、〔大和國添上郡〕登彌神社
1549 射目立而跡見乃岳邊之瞿麥花總手折吾者將去寧樂人之爲
(420)いめたてゝ、とみのをかべの、なでしこの、はなふさたをり、われはもてゆかん、ならびとのため
射目立而 狩のとき、鳥けものなどの、ゆく方ゆき通ふ道筋などに、隱れて見る人をさして云也。弓など射る人をも云也。いめ人とも云也。小柴などさしかこうて隱れあるもの故、その事などをもよめる歌もありて、とかく鳥けものゝゆきかふを見とゞく狩人の事と知るべし。第六に赤人の歌にも、とみすゑ置きてとよめり。又第九卷に、いめ人のふしみの田井とよめるいめ人は、夢人の事をいへる也。夢は伏して見るものから云へり。尤鳥見も隱れふして見るものなれば、これをもていめ人といへるか。畢竟跡見の岳のへと云冠句に、いめたてゝと詠出たり
總手折吾者云々 これを諸抄に、うつぼ物語のふさにたてまつりと云ことに引合ていへり。その外此集又枕草紙大和物語等にもふさにと讀みて、多きことにいへるになぞらへて、多分に手折と云義と釋せり。うまにふつま《本マヽ》になど云當集の歌第十七に家持の歌に、秋の田のほむきみかてりわがせこがふさたをりけるをみなへしかもとも詠みたり。その歌の意と同じ意にてふしたをり也。多分にといふ心ならば、にと云てには無くては云難し。ふさにとか、ふさやかにとかいはゞ、多分の事にも有べけれど、をみなへしの歌も此歌も、ふさ手折とあれば、ふしより手折の意也。なでし子も女郎花も節あるもの故かくはよめる也。ふさ手折と、てには無しに多分の事に云べき詞無き事也。ふさに手折とか、ふさに献るなどは多分にと云意なるべし。此歌と十七卷目の女郎花との歌は、ふし手折と見るべし。歌の意は聞えたる也。なら人に見せん爲に、とみの岳の撫子を手折ゆかんと也
湯原王鳴鹿歌一首
1550 秋芽之落之亂爾呼立而鳴奈流鹿之音遙者
あきはぎの、ちりのまがひに、よびたてゝ、なくなるしかの、こゑのはるけさ
落之亂 この詞心得難き詞也。萩の散まがひと云義なれ共、落花の事にはいひ難き詞也。塵の事なればまがひといはるれ共散の字の意にてはつゞかぬ事證例無き事也。古今にも、ちりのまがひに家路忘れてとありて、詞つゞき難き事也秋萩の散れ(421)るまがひにといへばいはるゝ詞也。然るに落のまがひといへる義、塵の事にして云たるものか。然れば上の秋萩とよめる義不v濟。此詞とかくいかにとも解し難き詞也。若しくは乃の字の誤字ならんか。之の字なればちりしと讀む也
音遙者 このはるけさは遠きと云意にてはなく、清かなると云晴と云意也。月のさやけさと云は清きこと、雲霧晴れて曇りなく晴れたるを云。その意にてさやけさと云と聞ゆる也。鳴鹿をよめる歌なれば、音を賞美の意也。者といふ字此歌にてもさと讀まねばならぬ、これらを證明とすべし。シヤの音はサなり。鹿のまがひと云事不v濟故、歌の全躰釋しがたし。まづは萩の散亂れたる中にまぎれて、つまをよびたてゝ鳴聲のさやかなるとよめる歌也。此はるけさは亮々と書きたる歌の意と同じ。はれやかなると云意に見るべし
市原王歌一首
1551 待時而落鐘禮能雨令零收開朝香山之將黄變
ときまちて、ふれるしぐれの、くもはれて、あさかの山の、うつろひぬらん
待時而 時雨の晴るゝ時待ちてと、時節到來してと、秋の紅葉の時節を待ちてとを兼て時待ちてと也
雨令零收開 此五字難2心得1。開の字無き本有。しかれば誤字脱字ありと見えたれば、此五字一字二字に別れ、又衍誤あると見ゆる世。雨令の二字は零の字の別れたると見えて、零の字亦衍字上の別れたるより、衍字も出來それを直ぐに假名をつけて雨やみてと讀ませたると見ゆる也。如v此くだ/\敷可v書樣心得がたし。正本は雲收開と書てふれるしぐれの雲晴れてと讀むべし。雲をさまり開くなれば晴れるの義也。よりてあかきと云意か。又夜の雨にしてあしたの山の景色を讀みて、朝香山之とうけたるならん。雨ふりをさめしめてと、くだ/\敷書やう心得がたく、また開朝を合てあさと讀める心得がたし。讀まれざるにはあらねど、外に例無ければ極めて誤字衍字とは見る也。歌の意は聞えたる通、時を待ちし時雨の晴れて、のち山の木の葉も色付らんと、日にまし紅葉せんことをいへる也。色の淺きもこくなりゆかんと云意に、あさか山をも取出たらんか
湯原王蟋蟀歌一首 蟋蟀、和名抄第十九蟲豸類云、蟋蟀、兼名云【蟋蟀二音】一名蛬【渠容反一音拱、和名木里木里須】如v此あれども上代はこふろ(422)ぎと訓したりと見えたり。今云きり/”\すとは不v合也。字書には蜻※[虫+列]《コフロキ》の一名を蟋蟀と注せり。しかれば紛れたる事あるか。當集の歌に、此蟋蟀をきり/”\すと讀みては歌の意合はず。こふろぎと讀までは聞えぬ歌共あり。後京極攝政の、きり/”\す鳴や霜夜の御歌も、こふろぎのなく霜夜にてあるべし。きり/”\すは霜など降る節鳴くものにあらず。これらも不審の義也。此歌の次第も、時雨のふる時節は、も早きり/”\すは聲を出すものにあらず。古と今とは時令も替りし故、その時代はきり/”\すの鳴きけるか。此義不審也。蜻※[虫+列]の一名を蟋蟀ともいひし故、こふろぎの字に用たるにもやあらん。此歌の詞は、きり/”\すと讀みても足り餘りも無く、一字餘り迄の歌によまるれ共、此集の歌によりて、きり/”\すとは讀難き歌あり
1552 暮月夜心毛思怒爾白露乃置此庭爾蟋蟀鳴毛
ゆふづくよ、こゝろもしぬに、しらつゆの、おくこの庭に、蟋蟀なくも
夕月夜心もしのにと詠出たる意は、夕月のかげも朧にもの悲しき折から、心も一方ならずしほれ亂れて、草葉の露も同じく亂れあひたるに、もの悲しき蟲の音のしどろもどろに亂れ聞ゆる景色をよめる也。しぬにと云詞前にもしるし集中あまたありて六ケ敷詞也。兎角しほれ亂れたる事を云たる詞也。一方に不v定、しどろと云詞に同じき也。しぬと云ものもしなひ亂れたるもの也。小竹に露のおきてしなへ亂れたると云意を兼て、心もしぬにと詠めるか。心の一かたに不v定、しどろに亂れたると云義也。きり/”\すの音にもあれ、こふろぎにもあれ、その鳴聲も亂れて物悲しきと云意、鳴くもと嗟嘆してよめる也。しぬと云詞は、すべてものゝ亂れたる事と聞ゆる也。古今の歌、奧山のすがの根しのぎふる雪の〔けぬとかいはん戀のしげきに〕と云歌の、しのぎもしのに也。そのしのは亂れてと云意也。菅の葉に雪ふりかゝりてはしなひ亂る也。しのに物思ふなどと云も同じく、亂れてものを思ふ意也
衛門大尉大伴宿禰稻公歌一首
1553 鐘禮能雨無間零者三笠山木末歴色附爾家里
しぐれのあめ、まなくしふれば、みかさ山、こずゑあまねく、いろづきにけり
(423)三笠山とよめる所此歌趣向也。雨にかさと云縁をうけて也。歌の意よく聞えたり。
大伴家持和歌一首
1554 皇之御笠乃山能黄葉今日之鐘禮爾散香過奈牟
おほきみの、みかさのやまの、もみぢばは、けふのしぐれに、ちりかすぎなん
三笠山といはんとて大君とはおけり。御の字をみとよむも、天子に限り用る字尊んで云詞也。尤もみとは發語の詞なれど、多くは天子の御物を云にはみと云詞を添也。此等の格古歌の風躰、たゞ三笠山と詠出でず皇の三笠の山と詠出たる處歌情也。天子の御笠をめしたる事、日本紀神功皇后紀云、〔戊子皇后欲v撃2熊襲1、而自2橿日宮1遷2于松峽宮1。時飄風忽起御笠隨v風、故時人號2其處1曰2御笠1也〕
黄葉 舊一本に秋黄葉と有。秋の字衍字なるべし。歌の意別義なし
安貴王歌一首
1555 秋立而幾日毛不有者此宿流朝開之風者手本寒毛
あきたちて、いくかも不有者、此宿ぬる、あさけのかぜは、たもとさむしも
此歌朗詠拾遺等には、幾日もあらねど袂すゞしもと有。此集を引直されたり
不有者 此者の字前にも注せる如く、煮の字の火を脱したるなるべし。集中に、をとか、にとか讀までは不v通歌いくらも有。こゝもその通なれば、一字板行の時脱してより、數歌も脱し來れりと見えたり。あらねばと讀みては、てには不v合。それを無理義を付ると詠歌不v聞也。誤と見るべし。尤をと讀む義はありて、第四卷の明軍の家持に贈りし歌の處に注せり。そこにも未だ時だにかはらねばとよめり。ばと云手爾波にてはいかにとも聞えざる也
此宿流 此詞不v濟義也。このねぬると云は、何としたる義と云釋諸抄にも不v見。只古來よりこのねぬると此歌にて讀來れり。假名付の本出來たるより、其譯をも不v考、先達の人々の歌にも毎度よみ來れり。今以而いかにとも解し難し。まづは今(424)宵ぬると云義と見る也
歌の意は、秋の來ていくかも無きに、今宵ねて明るあしたの風の寒きと驚きたる歌也。寒の字すゞしとも讀べきか。寒きと云までには時節不v被v到ば少不2相應1也
忌部首黒麻呂歌一首
1556 秋田苅借廬毛未壞者鴈鳴寒霜毛置奴我二
あきたかる、かりほもいまだ、こぼたねば、かりがねさむし、しもゝ置奴我二
此歌も者の宇、ばと讀みては不v合。煮の字の誤也
霜毛置奴我二 この句を霜おきぬらんと云義に諸抄注をなせり。我二といふ詞何とてぬらんと云義との釋無ければ、憶説推量の説也。濁音の字を用たれば、霜もおきぬと云義にもなり難し。我とまと通ずれば、霜もおかぬまにと云意なるべし。刈庵もこぼたず霜も未だおかぬ間に、越路をくる雁の音はいとも寒きは、かの國はいかばかりも早秋深くやあらん、それ故雁も越したるにやと云、感情をこめたる歌也。一説我は音便濁にて、霜もおきぬかにと云義、おきたるかと疑ひて詠める意と見る義も有。かにといふ詞は、此外にもありて、未だ事の不v決して、嘆の意をこめたる義もあれば、おきたるかと云意にも聞ゆる也
故郷豐浦寺之尼私房宴歌三首
日本紀持統卷云、天武十五年十二月丁卯〔朔乙酉、奉2爲天渟中原瀛眞人天皇1設2無v遮大會於五寺1、大官、飛鳥、川原、小墾田、豐浦、坂田〕光仁紀云、又嘗〔能潜之時〕童謡曰、葛城寺乃前在也豐浦寺乃西在也云々。推古天皇の時帝都〔豐浦宮と申ける〕所也。此故郷と云は藤原宮の方也。此時は奈良の都の時代なれば也。尼私房、誰人とも不v知
1557 明日香河逝回岳之秋芽子者今日零雨爾落香過奈牟
あすかゞは、ゆきわのをかの、あきはぎは、けふふるあめに、ちりかすぎなん
あすか河ゆくとうけたり。歌の意別義なし
(425)右一首丹比眞人國人
1558 鶉鳴古郷之秋芽子乎思人共相見都流可聞
うづらなく、ふりにしさとの、あきはぎを、おもふひとゝも、あひみつるかも
鶉はすべてあれ果てたる古郷に鳴ものによめり。野に住鳥、草深き野山に住んで秋の頃鳴く鳥故、ものふりて寂しき景色をいはんとて、鶉なくふりにしとはよみて、故里の意をあらはせり
秋はぎを思人とも 住人もなき古里なれば、萩を人とも見てしのぶと也。和漢朗詠に此歌をとりて、鶉鳴いはれの野邊の秋萩を云々とよめり
1559 秋芽子者盛過乎徒爾頭刺不挿還去牟跡哉
あきはぎは、さかりすぐるを、いたづらに、かざしにさゝず、かへりなんとや
徒の字 從に作れる本は誤也。挿の字搖に作れるも誤也。歌の意は宴果てゝ早く退散する名殘を惜みてよめる也
右二首沙彌尼等 端作に尼私房宴と有。宴主の尼などにや。歌の意宴主と聞ゆる也
大伴坂上郎女跡見田庄作歌二首 跡見田庄、大和の跡見の内の小名也
1560 妹目乎始見之埼乃秋芽子者此月其呂波落許須奈湯目
いもがめを、始見のさきの、あきはぎは、このつきごろは、ちりこすなゆめ
妹目乎 此句心得難し。坂上郎女の歌なるに、いもが目をとは讀難き詞なるが、如v此もよむ例や。若し妹の字の誤にて、せこが目をと云にはあるまじきか。男子の歌ならばさもよみ侍らんを、女の歌に妹が目をともよむ例あるや。未v考
始見之埼も心得難し。見始と書たらば、さも讀まんか。始見と書て見そめとは難2信用1。然れ共はつみとか、そめみとか讀むべきを、古くかくよみ來れるは、確かに其の地名ありし故か。是も未だ地名を考不v得ば、いづれ共決し難し。いづれにもあれ(426)上に目をと詠かけたれば、見と云詞無くては不v叶ば、はつみとか、そめみとか、又みそめとか讀べき事也
此つきごろ 此月中はなど云に同じ。早く散らすなと云意也。ゆめと云ことは、よくつゝしめと云語を約したる也。よくつゝと云ことをゆにつゞめたる也。しめといふ詞はめと云につゞまる故、つゞめて短くゆめと云也。散らすなよくつゝしめと下知したる歌也
1561 古名張乃猪養山爾伏鹿之嬬呼音乎聞之登毛思佐
ふなばりの、ゐがひのやまに、ふすしかの、つまよぶこゑを、きくがともしさ
猪養山なるに、鹿の妻こふと云か。珍しく寂しき意をかねたる也。此乏しさは寂しく珍しきと云意もこめたり。猪養の山なる故、鹿の鳴は珍しきと云意をこめたる歌と聞ゆる也。先はさみしき方と可v見也。飽かぬ心に、不足すくなきと云意也
巫部麻蘇娘子鴈歌二首
1562 誰聞都從此間鳴渡鴈鳴乃嬬呼音乃之知左守
たれきゝつ、こゝになきわたる、かりがねの、つまよぶこゑの、之知左守
此歌は印本假名付の通に讀みては義難2聞得1。之知左守、此四字を字の儘に讀みて、歌の義とも聞得られず。諸抄の説は、字の儘に讀たる假名付の本に從ひたる説にして、ゆくをしらさずは、鴈の妻よぶに家持を待心によせて、此鴈の音を家持聞給はゞ來給はんと誰か聞つらん、家持は聞給はぬにやと云の義に注せり。或説には之の字行へと讀むべきかとばかり注して、全体の意何と聞得たるか、其釋を知らず。右の注にて此歌の意聞えたり共おぼえず。宗師案には之の字は前の歌のなみもあれば、乏と云字の上の一點落たるなるべし。然らばともしと知らさんと讀むべし。守の字をむとよむ義は、まもるの約はむ也。よりて守の字を書きてむと讀ませたるなるべし。聲の之をと云續は無きこと也。つゞき難き句讀なれば、ともしと云字と見るべしと也。扨歌の意は乏とは聲のかすかに遠く遙かなるとと云心にて、乏と讀めるなれば、誰れか聞きつらん、鴈の妻よぶ聲のこゝにはかすかにともしく聞ゆるが、そこにはいかにやと云義也。予未2甘心1。全體此歌聞得難し。後賢の明辨を待のみ。之知(427)左守の四字いかにとも讀わけ難く、又正字とも不v見、誤字あるべし。追而可v考。一本守を寸にも作れり。これらをもて相考ふれば、きはめて誤字あるべき也。愚案は守の字乎の字の誤ならんか。然らば、誰れきゝつ、こゝゆなきわたる雁がねの妻ぶ聲のこのしるけさをと讀みて、われも妻を慕ふ心を思ひやり給へと、家持へしめしやりたる歌かと見る也。誰れ聞きつは誰れか聞きつらんと云意なるべし。それ故和へ歌にも聞きつやと詠みたると見えたり。まことも遠く雲かくるなりとは、さねも遙かにと讀むべきか。音も遙かに隱れし故、こなたには妻こふ聲とはさやかにも聞かぬと和へたると聞ゆる也。然れ共此案當れりとも思はれず。尚後案を待のみ
大伴家持和歌一首
1563 聞津哉登妹之問勢流鴈鳴者眞毛遠雲隱奈利
きゝつやと、いもがとはせる、かりがねは、まこともとほく、くもがくる也
郎女の詠みて贈るに、誰れ聞きつとある和へ故きゝつやと妹がとよめり。その雁がねは、遙かに雲に隱れて過行し故、しか共聞かぬとの返歌と聞ゆる也。宗師案の通の和へなれば、乏と知らされたるが、成程まことに遙かに雲に隱れて、こなたも乏しく聞えるとの返歌也
眞毛 さねと讀べし。遠の字も遙かにと讀みて、さねは音《ネ》と云を兼ねて即ちまことにと云義也。さねとはまことゝ云義なれば、兩義かねて云へる也との案也。和への意をもて前の歌を考ふべき也。和の歌はよく聞えたれど、前の歌とくと不v濟故、兩首とも決し難し
日置長枝娘子歌一首
1564 秋付者尾花我上爾置露乃應消毛吾者所念香聞
あきづけば、をばながうへに、おくつゆの、けぬべくもわれは、おもほゆるかも
秋付者 秋つくれば也。つは助け詞、くれを約してけ也。よりて秋つけばは秋くれば也。を花が上とは、家持を思ひわぶる意(428)に比したるなり。を花とはすべて男花と云事也。家持を戀慕ふから、涙の露のおきそふと云意をあらはしよそへて、けぬべく思ふとは、思ひの切なると云意を云たるもの也。秋くればなべて物思ふことの増して、露しげきものなれば、秋くればと詠出たる也
大伴家持和歌一首 すべて和歌の體に三體あり。先の詞をとりて和へる返し、又心をとりて答る體、又業平の一體はかけ離れて意を專としたる歌多し。此和歌もその體の和歌也
1565 吾屋戸乃一村芽子乎念兒爾不令見殆令散都類香聞
わがやどの、ひとむらはぎを、おもふこに、見せでほと/\ちらしつるかも
ほと/\とは いくぱく散らさじと云義也。ほと/\と云詞濟にくき詞也。近也幾也と云字注あれば、多き事に云詞、いくばくと云と同事に聞ゆる也。此歌のほと/\も餘程と云義と同事にて、多く散らせしと云意也。今俗語に殆んどと云詞これ也。此返歌の意も少聞き得がたし。歌の一體は聞えたれど、和たる意何共聞え難し。何と云處を和へたるにやあらん。可v加2後案1也。此和は尾花と萩とを對して、を花男花故然らば家持に比し、萩は女郎に比して、意をもて詞に不v預和たる歌也。女郎の歌は思ひの切なるが餘りて、露の身も消ゆべく思ふと詠かけたるを、思ひをとげずして散過さす事の、悲しく殘多きと云和へに、ほと/\散らしつるかもと答たる也。これらも業平の風體と同じき返歌也。あだなりと名にこそ立れの返答、今日こそはの返歌などに同じき風體也
大伴家持秋歌四首
1566 久竪之雨間毛不置雲隱鳴曾去奈流早田鴈之哭
ひさかたの、あまゝもおかず、くもがくれ、なきぞゆくなる、わさだがりがね
雨間もおかずは前にも注せり。雨のふるにも不v止鳴くと云義也。歌の意別義なき歌也
1567 雲隱鳴奈流鴈乃去而將居秋田之穗立繁之所念
(429)くもがくれ、なくなるかりの、ゆきてゐん、あきたのほだち、しげくしおもはる
此歌秋田の穗立までみな序也。下の只一句しげくし思はると云計の歌にて、しげくし思はるとは、物思ひの何となく増すもの故、秋の田の穗のしげりたる如く、わが物思ひのしげれると云義によそへたる也。此繁と云義別に宗師の案ある也。後の歌ども、前のしげきといふことの歌ども悉相揃へて可v考と也
1568 雨隱情欝悒出見者春日山者色付二家利
あまごもり、こゝろいぶせく、いでてみれば、かすがのやまは、いろづきにけり
雨ふる頃打こもりゐて、鬱陶敷いぶせさに出て見ればと也。秋の頃時雨の跡、日にまし紅葉する景色をいへる也
1569 雨晴而清照有此月夜又更而雲勿田菜引
あめはれて、きよくてりたる、この月よ、又更而、くもなたなびき
又更而 またさらにしてと讀ませたれど、如v此いふ事歌詞にあらず。又更にしてと云詞いかにとも無き詞也。更にといふて上に又といふ義無き事也。夜又と書たれば、夜と云字をゆりたる意にて、又といふ字も上の夜と云字と見る義と見ゆる也。よりて又更而の三字を夜はふくるともよむ也。而といふ字然れどもと讀む故、ともと讀む事例ある事也。かく讀みてよく歌の意は聞ゆる也。如v此照りたるさやけき月の夜更くる共、曇るなと惜みたる意也
右四首天平八年丙子秋九月作
藤原朝臣八束歌二首
1570 此間在而春日也何處雨障出而不行者戀乍曾乎流
こゝにありで、かすがやいづこ、あまさはり、いでてゆかねば、こひつゝぞをる
こゝにありて こゝからは春日はいづ方にあたりあるやと、方角を尋ね思ひやりたる義也。雨に降こめられ、雨にさへられて(430)籠りゐる故、春日の方の戀しきと也。出ても不v行故戀したひてあると也
1571 春日野爾鐘禮零所見明日從者黄葉頭刺牟高圓乃山
かすがのに、しぐれふるみゆ、あすよりは、もみぢかざさん、たかまどの山
春日野に時雨の降からは、高き山はもはや紅葉すらんと察して、高圓山の木々の紅葉するを見んと也。かざすは高圓山の木々の染るを、紅葉をかざすとよめる也
大伴家持白露歌一首
1572 吾屋戸乃草花上之白露乎不令消而玉爾貫物爾毛我
わがやどの、をばながうへの、しらつゆを、けたずてたまに、ぬくものにもか
聞えたる通の歌、別の意なき也
大伴利上歌一首 利の字或抄に村の字の誤りと注せり。追而可v考。尤目録にも利の字なれ共、目録は後人の加筆なれば信じ難し
1573 秋之雨爾所沾乍居者雖賤吾妹之屋戸志所念香聞
あきのあめに、ぬれつゝをれば、やつるれど、わぎもがやどし、しのばるゝかも
雖賤 いやしけれどと讀ませたれど、雨にぬれて賤しきと云義不v續詞也。これはぬれしほれてやつれよわりて、恥かしけれど、妹が宿の偲ばるゝと云意也。日本紀神代の上卷海神の段に、火酢芹命襤褸とある義に同じく、襤褸は蔽衣也と云字注ありて、衣の破れやれたる體の義を義訓にとりて、やつれと日本紀にても讀ませたり。此賤けれどとあるもその意と見るべし。諸抄の説まち/\にして難2信用1。やさしけれど共讀むべきか。はづかしけれどの意にて、賤の字の義を借りて也。いやしきは恥づるの道理なれば也
(431)右大臣橘家宴歌七首 諸兄公の家也
1574 雲上爾鳴奈流鴈之雖遠君將相跡手廻來津
くものうへに、なくなるかりの、とほけれど、きみにあはんと、たもとをりきつ
雲の上に鳴くなる雁とは遠きと云詞をもうけん迄の冠句也。程へだたり遠けれど、諸兄公にあひ奉らんと、かなたこなた廻りめぐり來ると也。手回廻りはすぐに來ぬ、めぐり/\て來りしと云義也。もとをりは、たゝずみとゞこふる意をこめて云也。すぐさまに往來せぬことに云詞也
1575 雲上爾鳴都流鴈乃寒苗芽子乃下葉者黄變可毛
くものうへに、なきつるかりの、さむきなへ、はぎのしたばは、もみぢせむかも
此已下の歌共宴の挨拶の詞も無く、その當前のことを思ひ/\に詠める歌共にて、皆秋の事をよめる也。此歌もたゞ當然の鴈の聲も寒きが上、萩の下葉も色付そむらんと也
右二首、作者の名を脱せる也
1576 此岳爾小牡鹿履起宇加※[泥/土]良比可間可聞爲良久君故爾許曾
このをかに、をじかふみたて、うかねらひ、かもかくすらく、きみゆゑにこそ
うかねらひ うかゞひねらふと云義也。日本紀推古卷九年秋九月〔辛巳朔戊子、新羅之間諜者、迦摩多到2對馬1、則捕以貢v之流2于上野1〕天武紀云、〔或有v人奏曰、自2近江京1至2于倭京1處々置v候《ウカミ》〕古くはうかみと云たる也。後々は物見といへる此義也。うかゞひみるの義にて、鹿をふみおこしうかゞひねらふ如く、諸兄公の爲にけふの宴會に諸人のもてなしを、とや角心を盡して相交と云義なるべし。宴會の人の心をもうかゞひ、とや角するも、主人諸兄の爲とにとの意なるべし。かもかくはとも角も也。すらくとはすると云義地。るといふ詞を延べてらくとは云也
右一首長門守臣曾倍朝臣津島 臣曾の臣は巨の字の誤也。此津島は第六卷にも同年同月宴席の歌とて詠まれたる(432)を載せたり。長門なるおきつかり島の歌同人作也。諸兄公を殊に頼める人と聞えたり。第六にては對馬と記せり
1577 秋野之草花我末乎押靡而來之久毛知久相流君可聞
あきのゝの、をばながすゑを、おしなべて、こしくもしるく、あへるきみかも》
尾花が末をおしなみては、諾官人のおしなみて來り、宴することのしるきと也。客人をよくみあへると、亭主への挨拶の歌也。遠所より野山を經て來り會するも尤理かな。かくあひ慕はるゝはと云意と聞ゆる也
1578 今朝鳴而行之鴈鳴寒可聞此野乃淺茅色付爾家類
けさなきて、ゆきしかりがね、さむみかも、このゝのあさぢ、いろづきにける
寒みかもは、嘆息の詞と伺ひの意を兼ねて也。けさ鳴きてゆきし雁がねの寒かりし方もおぼえねど、野邊の淺茅の色付ける事は、はや時令寒くなりし故かと云意也
右二首阿部朝臣蟲麿
1579 朝扉開而物念時爾白露乃置有秋芽子所見喚鷄本名
あさとあけて、ものおもふときに、しらつゆの、おけるあきはぎ、みえつゝもとな
此歌隔句體と云もの也。もの思ふ時朝戸をあけて見たれば、萩の葉に白露のおけるは、わが物思ふ涙やおちて萩におけるか、心元無く覺束なしと云意也。もとなと云は疑はしきことを云詞、今心元無きと云意と同じ由など云義と注し來れど、不v合義也。疑はしくいぶかしき事を、もとなといへる也。萩の露も何としておきつると云意也
喚鷄 つゝとは詞の義をとりて也。今も、とゝ、つゝと呼ぶ其の聲の義をとりて如v此書けり
1580 棹壯鹿之來立鳴野之秋芽子者露霜負而落去之物乎
さをしかの、きたちなくのゝ、あきはぎは、つゆしもおひて、ちりにしものを
(433)負ひては帶ての意也。此歌の意は鹿の萩を慕ひ來て鳴くは、露霜を帶て散いにしも知らず、來たち鳴ことの哀れ也と云意をよめると聞えたり。此乎の字古詠の格ありて、詞の餘りと嘆息歎きの意を述べたる乎也
右二首文忌寸馬養 ふみのいみきうがふ。文忌寸馬養、元正紀云、靈龜元年四月癸丑〔詔2申年功臣贈正四位上文忌寸禰麻呂息正七位下馬養等一十人1賜v田各有v差。〕聖武紀云。天平九年九月〔己亥從七上文忌寸馬養等授2外從五位下1〕十年閏七月〔主税頭〕十七年九月筑後守。孝謙紀云、寶字元年六月〔外從五位上文忌寸馬養爲2鑄錢長官1〕同十二月〔壬子太政官奏曰贈正四位上文忌寸禰麻呂壬申年功田八丁〕延暦十年四月〔戊戌左大史正六位上文意寸最弟、播磨少目正八位上武生連眞象等言。文忌寸等元有2二家1。東文稱v直西文號v首。相比行v事其來遠焉。今東文擧v家既登2宿禰1。西文漏v恩猶沈2忌寸1。最弟等幸逢2明時1不v蒙2曲察1、歴代之後申v理無v由。伏望同賜2榮號1。永貽2孫謀1。有v勅責2其本系1。最弟等言。漢高帝之後曰v鸞、鸞之後王狗轉至2百濟1。久素王時聖朝遣v使徴2召文人1。久素王即以2狗孫王仁1貢焉。是又武生等之祖也。於v是最弟及眞象等八人賜2姓宿禰1〕日本紀には書首根麻呂此根麿の子也
天平十年戊寅秋八月二十日
橘朝臣奈良麿結集宴歌十一首 たちばなのあそんならまろ、ちぎりてつどふうたげの歌
1581 不手折而落者惜常我念之秋黄葉乎挿頭鶴鴨
たをらずて、ちりなばをLと、わがおもひし、あきのもみぢを、かざしつるかも
何の意も無く能聞えたる歌也。けふの宴會を喜べる歌迄也
1582 布將見人爾令見跡黄葉乎手折曾我來師雨零久仁
しきてみん、ひとにみせむと、もみぢばを、たをりぞわがこし、あめのふらくに
しきては重て見ん人にてと云意也。重波のしきと同じく、飽かず愛して見ん人にと云意也。次の奧の歌にも、しきてみんとわが思ふとよめる意も不v飽の意也。此しきても同じ。歌の意よく聞えたり。雨のふらくには、雨のふるにもいとはずと云義也
(434)右二首橘朝臣奈良麻呂
1583 黄葉乎令落鐘禮爾所沾而來而君之黄葉乎挿頭鶴鴨
もみちばを、ちらすしぐれに、ねれてきて、きみがもみぢを、かざしつるかも
歌の意は雨に濡れてもけふの宴にあふ事をよろこぶの意也。紅葉を散らす時雨にぬれて、又こゝにては紅葉をかざすと云義を手によめる也
鐘の字をしくと讀めるは、音をかりて、シヤウ、シユの音なれば、ぐと濁音の時ゆに通ふ也。よりてしぐとは讀ませたり。シユのユはヤウの約ユ也。シグのグはユと通ふ也。ガギグゲゴはヤヰユエヨに通ふ故他。樂の調子黄鐘と書わうじきと唱ふ也。然れば、シキ、シクの音もあるか
右一首久米女王 聖武紀天平十七年正月無位〔久米女王授2從五位下1〕
1584 布將見跡吾念君者秋山始黄葉爾似許曾有家禮
しきてみむと、わがおもふきみは、あきやまの、はつもみぢばに、にてこそありけれ
布而みむは前の意也。不v絶飽かず見んと思ふ人と云意也。珍しく飽かぬ紅葉に比して、主人を賞美しての歌也
右一首長忌寸娘
1585 平山乃峯之黄葉取者落鐘禮能雨師無間零良志
ならやまの、みねのもみぢば、とればちる、しぐれのあめし、まなくふるらし
平山 これをひら山と讀ませたり。大和の内に平山と云地名ありや。未v考。奈良山にてあらんをかく假名をつけたるか。難2心得1。取者落もかれば散ると讀まんか。すべて取と云字此集中にて、かりかると讀ませたる歌多けれど、皆誤りて歌の心を得ずして、とると假名をなせり。こゝも紅葉狩の意にてかれば散ると詠めるか。とればと云詞平懷に近し。尤折取の意に(435)てもあるべし。紅葉々を手折取ばあへなく散るは、時雨のまなく降りて雨にいためるならんとの歌也
右一首内舍人縣犬養宿禰吉男 聖武紀云。神龜四年十二月丁丑、正三位〔縣犬養宿禰三千代言。縣犬養連五百依安麻呂、小山守、大麻呂等是一祖子孫骨肉孔親。請共沐2天恩1同給2宿禰姓1詔許v之。〕孝謙紀云。寶字二年八月〔庚子朔、正六位上縣犬養宿禰吉男授2從五位下1〕廢帝紀云。寶字八年十月〔從五位下縣犬養宿禰〕吉男爲2伊豫介1
1586 黄葉乎落卷惜見手折來而今夜挿頭津何物可將念
もみぢばを、ちらまくをしみ、たをりきて、こよひかざしつ、なにかおもはん
もみぢ葉のと云べき手爾波に聞えたれ共、下の手折來てかざしつといふへかゝる詞故、をといふてにはに讀みたる也。歌の意紅葉のあだに散りなんは惜しきに、今宵手折來て此宴會にかざしぬれば、惜しき思ひ無きとの義也
右一首縣犬養宿禰持男 此持男傳未v考。吉男の兄弟か
1587 足引乃山之黄葉今夜毛加浮去良去山河之瀬爾
足引の、山のもみぢは、こよひもか、うきていぬらん、やまかはのせに
此歌の意は、今宵かくこゝには紅葉を賞愛するが、見る人もなき山の紅葉は散浮きて、瀬々に流れ行らんと紅葉をいたく愛する心から、思ひやりて詠める歌と聞ゆる也
右一首大伴宿禰書持
1588 平山乎令丹黄葉手折來而今夜挿頭都落者雖落
なら山を、にほはすもみぢ、手をりきて、こよひかざしつ、ちらばちるとも
令丹 にほすと讀ませたり。語類ありといへ共つまりたる詞也。失張匂はすと讀みて義訓に書きたると見るべし。山の木々紅葉したるを云也。句ひとは色赤くなる事を云也。散らばちる共は散るともよしと云意也。此宴會の今宵かくかざしつれ(436)ば、よし散るとも今は惜まじと也
右一首之手代人名 之一本三に作。下の人名の二字も心得難き加筆也。三手代と云は人の名と云傍注か
1589 露霜爾逢有黄葉乎手折來而妹挿頭都後者落十方
つゆしもに、あへるもみぢを、たをり來て、いもにかざしつ、のちはちるとも
此歌も妹にかざしたる後は、散るともよしいとはじとの意也。前の歌の意に同じ
右一首秦許遍麿 古一本遍を部に作。傳不v知
1590 十月鐘禮爾相有黄葉乃吹者將落風之隨
かみなづき、しぐれにあへる、もみちばの、ふかぱちりなん、かぜのまに/\
十月をかみな月と云は、昔は雷を神とのみいへり。禮記月令、仲秋月雷始收v聲とありて、十月に至りて極て雷聲無きもの故、神無月と云意にて云來れりと見えたり。上陽の氣無き月など云ひ、或は天神地祇出雲國に集り給ふて、諸神ましまさぬ月など證明なき説は難2信用1也。且北國にては雪おこしとて、冬も雷聲のする由申傳たれど、邊鄙故奇異の事もあらんか。王都近國にては冬雷聲することは稀なる事也
吹者云々 下の意は君にまかするの意を含てならん。寶字元年奈良麿謀反の事の樣なる節も、此池主も方人と見えたれば、日頃も歸服の中と聞ゆる也
右一首大伴宿禰池主
1591 黄葉乃過麻久惜美思共遊今夜者不開毛有奴香
もみぢばの、すぎまくをしみ、おもふどち、あそぶこよひは、あけずもあらぬか
あけずもあらぬかは、あけずもあれかし也
(437)右一首内舍人大伴宿禰家持
以前冬十月十七日集於右大臣橘卿之舊宅宴飲也
諸兄公の舊宅にて、奈良麿約束ありて、右宴飲せられしと也。後注者所見ありて注したる也
大伴坂上郎女竹田庄作歌二首
1592 然不有五百代小田乎苅亂田廬爾居者京師所念
しかならで、いほしろをだを、かりみだる、かりほにをれば、みやこしゝのばる
歌の意鹿にはあらねど、數々の田を刈亂す物うき刈庵に居れば、花の都のいとゞ偲ばるゝと云意也。竹田庄に居て奈良の都を慕ふ歌也。竹田圧と云から田廬に居ればと詠たる也
然不有 たゞならずと讀ませて、いたづらには不v居、多くの田を刈亂し居るとの説、或はしかとあらぬと云説もあれど、義叶へりとも不v思也。よりて今案には、鹿にはあらで狩亂ると、田をかり亂したると云義に讀む也。五百代は十代田とも、五十代田とも讀む事也。代とは頃の字の意、地面の事を云義也。七十二歩を云v代車などありて、田の地面の總體を云也。五百代と云時は、幾らもの田、數多き田と云意と知るべし。此の事追而委可v注。今も斗代など百姓の云事あるも此しろと云義也。田廬は田を守る伏屋也。刈庵と云もの也。しかならでとよむ故、これをもかりほと讀みて獵の詞を用る也。十六卷目に、多夫世と自注をあげたり。こゝにも擧ぐべきを、十二卷にあげたれば、こゝに田ぶせとは不v續事明也。田はかりとも讀む、また田の廬なればかりほ也。いづれにてもかりほと讀みて、かり廬の意也。畢竟此かりほに居ればといはん序に、上の句を設たる歌也。たゞ都ししのばるゝ處の趣向をよめる迄の事也
1593 隱口乃始瀬山者色附奴鐘禮乃雨者零爾家良思母
こもりくの、はつせのやまは、いろづきぬ、しぐれのあめは、ふりにけらしも
よく聞えたる歌也。別の意なし
(438)右天平十一年己卯秋九月作
佛前唱歌一首 左注を見るに、維摩會の時音樂に合奏の歌也
1594 思具禮能雨無間莫零紅爾丹保敞流山之落卷惜毛
しぐれのあめ、まなくなふりそ、くれなゐに、にほへるやまの、ちらまくをしも
紅葉の散らん事の惜しきと也。よく聞えたる歌也
右冬十月皇后宮之維摩講終日供養大唐高麗等種種音樂爾乃唱此謌詞彈琴者市原王忍坂王【後賜姓大原眞人赤麻呂】歌子者田口朝臣家守河邊朝臣東人置始連長谷等十數人也 皇后宮、光明皇后也。淡海公第二之女也。維摩講の事、續日本紀にくわし。重而町2注出1。大唐高麗、大唐樂、高麗の樂の事也。市原王、忍坂王、續日本紀に見えたり。此維摩會は大織冠のはじめ給ふ大會也。式の文にも内藏省玄蕃式に見えたり。追而細注すべし。市原王の事、忍坂王の事〔注記ナシ〕歌子者、右の歌を唱へ歌ふ人のこと也。田口朝臣家守〔注記ナシ}
大伴宿禰像見歌一首 かたみと讀むか。傳不v知
1595 秋芽子乃枝毛十尾二降露乃消者雖消色出目八方
あきはぎの、えだもとをゝに、おくつゆの、消ばけぬとも、いろにいでめやも
十尾は枝のたわむ程におく共と也。たわゝとも讀む。同じ意也。たわみしなへる義也。其露の如く、命は消えうする共、我思ひを色に出してあらはさじと也
大伴宿禰家持到娘子門作歌一首
1596 妹家之門田乎見跡打出來之情毛知久照月夜鴨
いもがへの、かどたをみんと、うちいでこし、こゝろもしるく、てるつきよかも
(439)情毛云々 門田を見んと心ざしたる甲斐ありてと云義に心もしるくと也。その心ざしもしるくあらはれて、月もさやかに照ると也
大伴宿禰家持秋歌三首
1597 秋野爾開流秋芽子秋風爾靡流上爾秋露置有
あきのゝに、さけるあきはぎ、あきかぜに、なびけるうへに、あきのつゆおけり
秋の歌と云題故、秋の景色を詠みて皆秋と云詞、四句によみ入たるを手としたる歌也。別の意なく聞ゆる也
1598 棹《新古今に入》牡鹿之朝立野邊乃秋芽子爾玉跡見左右置有白露
さをしかの、あきたつのべの、あきはぎに、玉とみるまで、おけるしらつゆ
さを鹿は萩を妻とも愛して立なるゝもの故、露を專によまんとて、朝たつとはよめるならん。朝夕はわきて露深きもの故、朝たつ野邊とはよめる也。別の意無き歌也。鹿は夜野山に妻戀して、朝寢所に歸るもの故朝たつとか
1599 狹尾牡鹿乃※[匈/月]別爾可毛秋芽子乃散過鷄類盛可毛行流
さをしかの、むなわけにかも、あきはぎの、ちり過にける、さかりかもゆける
※[匈/月]別爾可毛 鹿は胸の出たるもの故、萩をも胸にておしわくる也。それ故古詠皆鹿の胸わけと云事をよめる也。歌の意鹿の胸別にすれて散たるか、又盛過たる故、かくは散ぬるかと兩方を疑ふたる意也
右天平十五年癸未秋八月見物色作 歌の意を見て後に左注者加v之たる注也。物色とは秋物の景色を見ての意也
内舍人石川朝臣廣成歌二首
1600 妻戀爾鹿鳴山邊之秋芽子者露霜寒盛須疑由君
つまこひに、しかなく山べの、あきはぎは、つゆしもさむみ、さかりすぎゆく
(440)露霜にあひて萩の花のうつろひ過るを、盛過行とよめる迄の歌也。露霜寒みと云迄は序也。山邊なれば、露霜も殊に深くて、時節も寒くなる折から、萩のうつろへる景色をよめる也
1601 目頻布君之家有波奈須爲寸穗出秋乃過良久惜母
めづらしき、きみがいへなる、はなすゝき、ほにいづるあきの、すぐらくをしも
人の家の尾花を賞美して、めづらしきとはよめり。別の意なし。花すゝきとよめる歌此集是計也。多くはたすゝきとよめり。穗出たる處を花すゝきとは云也。はたすゝき、花すゝき同物也。しのすゝきと云も、しの竹にあたるにより云也。同物也
大伴宿禰家持鹿鳴歌二首
1602 山妣姑乃相響左右妻戀爾鹿鳴山邊爾獨耳爲手
やまびこの、あひどよむまで、つまごひに、しかなくやまべに、ひとりのみして
此歌は、わが妻戀にひとり音をも鳴くと云意を、鹿によそへてよめり。我ひとり妻こひをしてと云意に、獨りのみしてとは詠めり。鹿鳴くは然なくのよせにて、われしか鳴くと云意也。しかの鳴く如くに、しかなくとよませたると聞ゆる也。妻戀になくは男鹿也。よりて家持の女のなくとの意なるべし
1603 頃者之朝開爾聞者足日木箆山乎會響狹尾牡鹿鳴哭
このごろの、あさけにきけば、あしびきの、やまをどよまし、さをしかなくも
此なくもとよめる詞今時なき事也。古詠の風體にてみな嘆息のこと也。なくもは、扨も物哀れなるかなと云意也
右二首天平十五年癸未八月十六日作
大原眞人今城傷惜寧樂故郷歌一首 孝謙紀云。寶字元年五月〔正六位上大原眞人今木授2從五位下1〕同六月治部少輔。廢帝紀七年正月〔左少辨〕三年九月駿河守
(411)1604 秋去者春日山之黄葉見流寧樂乃京師乃荒良久惜毛
あきされば、かすがの山の、もみぢみる、ならのみやこの、あるらくをしも
ならの都より春日は程近ければ、紅葉みると也。別の意なし
大伴宿禰家持歌一首
1605 高圓之野邊乃秋芽子比日之曉露爾開兼可聞
たかまどの、のべのあきはぎ、このごろの、あかつきづゆに、さきにけんかも
何の意もなく聞えたる通の歌也。曉と限りたる處少不審なれど、加樣の事は時に臨みて作者心に浮めるに任せ、何の趣向無くてもよめる事多し
秋相聞
額田王思近江天皇作歌一首 此歌は第四卷に出たり。然るに又此卷に出せるは亂雜なるべし
1606 君待跡吾戀居者我屋戸乃簾令動秋之風吹
第四卷にて釋したり。第四には我屋戸之簾動之秋風吹と書る違迄也
鏡王女作歌一首 第四卷にあり
第四、太爾 流者 之 小 登時
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1607 風乎谷戀者乏。風乎谷將來常思待者何如將嘆
第四卷之通也。しかし書樣少違ある迄也。第四にては只相聞の部に有。こゝは秋の相聞故二度被v載たるか
弓削皇子御歌一首
1608 秋芽子之上爾置有白露乃消可毛思奈萬思戀管不有者
(442)あきはぎの、うへにおきたる、白つゆの、けかもしなまし、こひつゝあらずば
此戀つゝあらずばの詞も前々注せると同じ意なれ共、上にけかもと云詞ある故、少聞にくき也。かく戀つゝ死なば、白露の消ゆる如く消えやせんと云意に聞ゆる也。又かく戀ひわびてゐるは、又思ひの叶ひもせんやとながらへぬるが、戀する事も無きと云ならば、露の如く消えんかと云意とも聞也。今少きゝおふせ難し
丹比眞人歌一首 名闕
1609 宇陀之野之秋芽子師弩藝鳴鹿毛妻爾戀樂苦我者不益
うだののゝ、あきはぎしぬぎ、なくしかも、つまにこふらく、われにはまさじ
宇陀之野と詠出たるは、妻戀するをういと云意をもてなるべし。但しあだと通ふ詞故、あだなる戀をすると云意にもやあらん。いづれにもあれ、妻こふと云義にういとか、あだとかよせて也。しのぎはしのになり。しどろにの意、聲も亂れて鳴の意なり。畢竟の意は、妻戀する鹿もわれには憂き思ひもまさらじとの歌也
丹生女王贈太宰帥大伴卿歌一首 第四卷にも同卿に被v贈たる此王の歌有。聖武紀天平十一年正月、〔從四位下丹生女王授2從四位上1〕
1610 高圓之秋野上乃瞿麥之花卜壯香見人之挿頭師瞿麥之花
たかまどの、あきのゝがみの、なでしこの、はなうらわかみ、ひとのかざしゝ、なでしこのはな
卜壯香見 此卜の字諸本には皆于又は下又丁に作れる也。于丁下の三字にてはいかにうらと讀むべき義不v被v考。よつて宗師案は下に作る。誤字によつて見れば卜の字正字なるべし。然ればうらと讀まるゝ也。古くは卜の字故うらわかみと四字を讀ませたりと見る也。うらわかみとは我身の事也。人のかざしゝとは、そのかみはわれめでられしにと恨みたる意を含める歌也。人とは大伴卿をさして也。さしもめでられし事もありしにと云意也
笠縫女王歌一首 《古一本》六人部親王之女、母曰2田形皇女1也。第一卷に身人部王と有。此六人部と御同人なるべし。田形皇女(443)は天武天皇の皇女也。天武紀云。次夫人〔蘇我赤兄大臣女大〓娘生2一男二女1。其一曰2穗積皇子1。其二曰2紀皇女1。其三曰2田形皇女1〕續日本紀云、慶雲三年八月庚子、〔遣2三品田形内親王1侍2伊勢太神宮1〕神龜元年二月〔授2三品田形内親王二品1〕同五年三月丁酉朔辛丑、二品田形〔内親王薨。遣2正四位下石川朝臣石足等1監2護裳事1。天渟中原瀛眞人天皇之皇女也〕
1611 足日木乃山下響鳴鹿之事乏可母吾情都末
あしびきの、やましたどよみ、なくしかの、ことゝもしかも、わがおもひづま
なく鹿のことゝは、鳴鹿の如く、わが思ひ妻にあふことは稀なると云意也。わが身を鹿に比して詠ませ給へる也。此ともしかもは、少く稀なると云方にて、妻にあふことの稀なるから泣戀ふとの意也。こゝろ妻とも讀ませたれど、情の字思ふとも可v訓字也。若しくは懷の字誤りか。心づまと云ては云はるべき事なれど六ケ敷也。思ひ妻なれば何の義も無くたゞわが戀思ふ妻と云義也
石川賀係女郎歌一首 よしつきか、傳詳ならず
1612 神佐夫等不許者不有秋草乃結之紐乎解者悲哭
かみさぶと、いなにはあらず、あきぐさの、むすびしひもを、とけばかなしも
此歌色々の聞き樣ありて一決し難し。先一説は我身媼になりて神さびたれど、君があはんと云を否と思ふにはあらず。されど霜置比の秋草の如く、むすぼほれたる紐を、今更解かんも恥しく悲しきと也。秋は草も老ゆくものなれば、わが身を譬ふる也と云説有。又一説忍びて語ふ人ある上に、又わり無く云人によみて遣したるか。我思ふ人の中は、神さぶ迄久敷を、聞かずばあらじを、さればその人と結びし紐を、我今解かんは悲しきとの歌と見る説有。前の説は然るべきか。宗師案は神さぶとは年たけたる事を云。年たけたれど君があふ事はいなにはあらず、年たけてむすぼほれたる紐を解けば嬉しきと云意と也。悲しきは嘆悦の悲しきにて、憂ふるの悲しきにはあらじと也。紐を解けば愈々愛情の増すとの意也
解者 とけば、とくは、とかば三品の讀樣にて意少しづつ違也。此歌六帖には秋草の部に入たり
(444)賀茂女王【長屋王之女母曰阿倍朝臣】
1613 秋野乎且往鹿乃跡毛奈久念之君爾相有今夜香
あきのゝを、且往しかの、あともなく、おもひしせこに、あへるこよひか
朝ゆくと云事、朝に限る意心得難し。しばらくと云字なるべし。然らばしばらくと讀べし。しば/\行くと也。後案、前にも朝立とありて、鹿は夜妻戀あるきて、朝住所に歸るもの故如v此よめるか、あとも無くとは、思ひもかけず思ふ人にあひしと云意也。あふ事は跡方も無く思ひ絶えしにと云意也。それに鹿の跡のあらば、それをとめてせこが尋ねも來るべきに、その跡も無ければ、たれ來る人もかりするせこも來べき樣は無きに、思ひかけぬに思ふ人にあふ事の嬉しきと云意なるべし
右歌或椋橋部女王或云笠縫女王作 異説をあげたる迄也
遠江守櫻井王奉 天皇歌一首 元明紀、和銅七年正月授2無位櫻井王從五位下1。元正紀養老五年〔正月從五位上〕聖武紀神龜元年二月〔正五位下〕天平元年三月〔正五位上〕同三年正月〔從四位下〕當集第廿卷大原櫻井眞人〔行2佐保川邊1之時作歌一首〕此櫻井王と同人か。續日本紀第十五天平十六年二月〔丙申〕大藏卿從四位下大原眞人櫻井。如v此あれば後に姓を賜へるにや
玉葉に載たり
1614 九月之其始鴈乃使爾毛念心者可聞來奴鴨
ながづきの、そのはつかりの、つかひにも、おもふこゝろは、きこえこぬかも
是は遠江守にて、彼國に在て政の義に付て、何とぞ奏せられたる事の御返り事無きにつきて奉れるか。鴈の使とは漢蘇武が古事によりてよめる也
天皇賜報知御歌一首 古一本に御製の下に大浦者遠江國之海濱名也。如v此傍注せり
1615 大乃浦之其長濱爾縁流浪寛公乎念比日
(445)おほのうらの、そのながはまに、よするなみ、ゆたけくきみを、おもふこのごろ
此御返しの趣も、何とぞ政務の事につきての御事ありてか。その事を急務におぼし召させられぬとの御返歌也。大浦、遠江歟。證記未v考。下のゆたにと被v遊ん爲の序也。大浦長濱皆豐かに穩かなる詞をもて、せは/\しくは思召さずとの義也。遠江の守の事を思召させらるゝにしても、一旦には無く長く緩やかに御惠なさせらるゝとの御歌と聞ゆる也。新拾遺集に載たり
笠女郎|賜《贈カ》大伴宿禰家持歌一首
1616 毎朝吾見屋戸乃瞿麥之花爾毛君波有許世奴香裳
あさごとに、わがみるやどの、なでしこの、はなにもきみは、ありこせぬかも
朝毎に見る此撫子の如くあらせたきに、その如くにはあらぬとの意也。こせぬ、見え來らぬと云意をこめて也
山口女王贈大伴宿禰家持歌一首
1617 秋芽子爾置有露乃風吹而落涙者留不勝都毛
あきはぎに、おきたるつゆの、かぜふきて、おつるなみだは、とゞめかねつも
涙のとゞめ難きと云事を專とよめる也。家持の外に心うつりて疎くなりたるを比して、風に露の落つるに譬へたるか。風吹ては何とぞさはることありて隔たれるをいへるか。物思ひに涙のとゞめ難きと云事を專とよめる也
湯原王贈娘子歌一首
1618 玉爾貫不令消賜良牟秋芽子乃宇禮和和良葉爾置有白露
たまにぬき、けさでたばらん、秋はぎの、うれわゝらはに、おけるしらつゆ
うれわゝら葉は萩の若葉の事他。うれは末のこと也。葉末の柔かなると云説も有。いづれも同じ意也。その若葉に置たる露(446)を消さずして、萩を賜はれとの意にて、幼き女郎をその儘にほしきとの心を譬へたる也
大伴家持至姑坂上郎女竹田庄作歌一首
姑はをばとも讀む。しうとめ共讀めり。此坂上郎女はをばながらしうとめなれば、何れにても同じ。和名抄云、叔母、九族圖云、叔母ハ乎波、父之姉妹爲v姑、一云阿叔母和名同上。同抄云、姑、爾雅云、夫之母曰v姑、和名、之宇止女、没則曰2先姑1、外姑、爾雅云、妻之母曰2外姑1與婦稱夫之母同、一云婦母也、一云、夫之敬2妻之父母1如3妻之尊2敬舅姑1、舅姑同2真名1加2外字1也
1619 玉鉾乃道者雖遠愛哉師妹乎相見爾出而曾吾來之
たまぼこの、みちはとほけれど、はしきやし、いもをあひみに、でてぞわがこし
妹とは女の通稱故、姑をもかく讀めるか。たゞし家持の妻姑と一所に竹田庄に在けるにや
大伴坂上部女和歌一首
1620 荒玉之月立左右二來不益者夢西見乍思曾吾勢思
あらたまの、つきたつまでに、きまさねば、ゆめにしみつゝ、おもひぞわがせし
久しく來らざりし事を云はんとて、月たつ迄にと也。いかゞしたるやと案ぜしと云意也
右二首天平十一年己卯秋八月作 二首共に秋の事歌の句中に不v見故、秋八月作ると理りたる注也。左注者所見ありてなるべし
巫都麻蘇娘子歌一首
1621 吾房前乃芳子花咲有見來益今二日許有者將落
わがやどの、はぎのはなさけり、みにきませ、いまふつかばかり、あらばちりなん
今二日ばかりとは、けふをさかりと云やれる意也。別の意なき歌也
(447)大伴田村大孃與<妹>坂上大孃歌二首
1622 吾屋戸乃秋之芽子開夕影爾今毛見師香妹之光儀乎
わがやどの、あきのはぎさく、ゆふかげに、いまも見てしか、いもがすがたを
庭の秋萩美しく咲亂れたる夕部、景色も面白きにつけて妹を思ひ出て、此折柄に相見てしかなと、萩の花に妹の姿をなぞらへて思ひ出て、見たきかなと願へる也
1623 吾屋戸爾黄變蝦手毎見妹乎懸管不戀日者無
わがやどに、もみづるかへで、みるごとに、いもをかけつゝ、こひぬひはなし
紅はすべてきぬを揉みて振立てゝ染る也。それ故紅と云ことを詠めば、もむとか、ふるとかよめる事多し。こゝも木の葉の紅に染るを云故、もみづるとはよめり。もみぢしつると云略語にも通ふ也。紅の色を直ちにもみとも云は、揉みて染める故也。又黄ばむと音借にも讀むべきか。黄ばむと云も赤き色の事也。皆火の色他
蝦手 鷄冠木の事也。俗に是をもみぢの木と云は諸木に勝れて紅葉の色能木故也。和名抄云、楊氏漢語抄云、鷄冠木加倍天乃木蝦手と書は蝦の芋に葉の形似たる故也。又鷄冠木と書故もとさかに似たる葉故也。かへる手の木共云か。十四卷東歌に、こもち山はふかへるてのもみづまでと詠めり。楓の木と同木か、未v考。いもをかけつゝ、こゝよりかしこへかけて也。又かへでの木の紅葉して美しきに付て、思ひ出て戀ひぬ日無きと也。かけては、こゝよりかしこを思ひやりての事にかけてとは詠める也。紅顔を思ひ出て、此美しき紅葉を見せもし相見たきと兩方をかけてこふる意也。姉妹の間かく陸じきことめでたくも聞ゆる也
坂上大娘秋稻※[草冠/縵]贈大伴宿禰家持歌一首 稻※[草冠/縵]、稻の穗にてかづらをつくる由也。今の世には無きものなれば、いかにしたるものか不v詳也。先此表にて見れは、穗にて作りたるかづらの類と見ゆる也。諸抄の説もかくいへり
1624 吾蒔有早田之穗立造有※[草冠/縵]曾見乍師弩波世吾背
(448)わがまける、わさだのほだて、つくりたる、かづらぞ見つゝ、しのばせわがせ
わがつくりし早田の稻穗を立てつくれるかづら也。これを見てわれを忍び給へと也。しのべとはわれを見たく思ふ心を、このかづらを見てこらへよと云意也。戀しき折は此かづらを見てしのびたへよと也。※[草冠/縵]は古點にほくみ共よめり。蒔一本に業の字に作る也。然らばなせると讀まんか。わがわざなると云假名あれど心得難し。次の和へに業跡と書たれば、それによりてこゝもわざなると假名を付たるか
大伴宿禰家祷報贈歌一首
1625 吾妹兒之業跡造有秋田早穗乃※[草冠/縵]雖見不飽可聞
わきもこが、わざとつくれる、あきの田の、わさほのかづら、みれどあかぬかも
わざとは事業として作れる田の稻穗と云意也。見つゝしのべとある故、見れどあかぬと答へたり。よく聞えたる也
又報脱著身衣贈家持歌一首 一本衣を夜に作るは誤也
1626 秋風之寒比日下爾將服妹之形見跡可都毛思弩播武
あきかぜの、さむきこのごろ、したにきむ、いもがかたみと、かつもしのばむ
下にきてと讀たき所也。將の字を書たればきんとならでは讀難し。古詠にはケ樣のてには毎度ある事也。かつもしのばんは寒きをも凌ぎ、又妹を慕ふ心をも忍び堪ふと也。しのばんは戀しきをも此衣を妹と思ひてこらへんとの意也
右三首天平十一年己卯秋九月往來 皆晩秋の歌也。よりて稻穂寒きなど云詞あるを以、左注者秋九月と晩秋の義を理れり
大伴宿禰家持攀非時藤花并芽子黄葉二物贈坂上大孃歌二首 非時は左注に六月往來と書にて、時過時ならぬ二物也
(449)1627 吾屋前之非時藤之目頬布今毛見牡鹿妹之咲容乎
わかやどの、ときならぬふぢの、めづらしく、いまもみてしか、いもがゑがほを
四月五月迄も小藤岩藤など云ものも咲きぬれど、六月に咲は時過し花也。時ならぬからめづらしきにつけて、妹が珍しきエガををも見たきと也。見てしかな也。めづらしく妹が笑顔を見たきといはんとて、時ならぬ藤を詠出たり。折かなひて贈物に應ぜる詞也
咲容乎 ゑまひとも讀む。いづれにても仝じ義也
1628 吾屋戸之芽子乃下葉者秋風毛未吹者如此曾毛美照
わかやどの、はぎのしたばは、あきかぜも、いまだふかぬに、かくぞもみてる
歌の意はそなたを慕ふ心の、早くも色にあらはるゝと云意をこめて也。未吹者の者は、前にも注せる如く煮の字の誤也。然るを古詠の手爾波はケ樣の事あるなど無理説をいへるは、誤字の心づかぬ人の見也。にとか、をとかならでは云はれぬ處也。きはめて誤字也。もみてるは紅の色に照らすの意、赤く照ると云義也
右二首天平十二年庚辰夏六月往來
大伴宿禰家持贈坂上大孃歌一首并短歌
1629 叩々物乎念者將言爲便將爲爲便毛奈之妹與吾手携拂而旦者庭爾出立夕者床打拂白細乃袖指代而佐寐之夜也常爾有家類足日木能山鳥許曾婆峯向爾嬬問爲云打蝉乃人有我哉如何爲跡可一日一夜毛離居而嘆戀良武許己念者胸許曾痛其故爾情奈具夜登高圓乃山爾毛野爾毎打行而遊徃杼花耳丹穂日手有者毎見益而所思奈何爲而忘物曾戀云物乎
【つくづくと・いたく/\】ものをおもへば、いはむすべ、せんすべもなし、いもとわれ、てたつさはりて、あしたには、(450)にはにいでたち、ゆふべには、とこうちはらひ、しろたへの、そでさしかへて、さねしよや、つねにありける、あしびきの、山どりこそは、をむかひに、つまとひすといへ、うつせみの、ひとなるわれや、なにすとか、ひとひゝとよも、はなれゐて、なげきこふらむ、こゝをおもへば、むねこそいため、そのゆゑに、こゝろもなくやと、たかまどの、やまにものにも、うちゆきで、あそびてゆけど、はなにのみ、にほひてあれば、みるごとに、ましておもほゆ、いかにして、わするゝものぞ、こひちふものを
此叩々の二字一本には町々とありて、古本印本共にいたみ/\と假名有。此字いたむと讀む義難2心得1。たゝくと讀む也。日本紀には叩頭と書てのみと讀ませたり。これは頭を地につけて從ひ應ずるの意にて、地にて頭を叩くと云義にて、得心したる事をのみと云たる義也。或抄にたゝけばいたく痛む理にて、いたみと讀ませたるかといへり。たとひ痛むと云字義ありても、こゝに痛み/\と云義不v合詞也。いたくと云意ならば、甚の字の意にて讀べき歟。たゝくは突と云義にも通ふて、若しくはつくと讀ませたるか。然らばつく/”\と讀みて義能叶へり。一本のまち/\と云義も義理不v通詞也。いはむすべせむすべも無きとは、切に物を思ふ意也。常にありけるは夫婦相離れず常にありしと也
山鳥許曾婆云云 山鳥は夜一所に不v寢、峰を隔てゝねるもの也。これによりて色々此事に比したる古詠ありて、古事なども有事也。六帖にも、ひるは來て夜は別るゝなどよせて詠たり。枕草紙にも山鳥は〔友をこひて鳴に、鏡をみせたらば慰むらんいとわかうあはれ也〕――谷隔てたる程など書り。和名抄卷十八鳥部云、七卷食經云、山鷄一名〓〓〔〓儀二音、和名〕夜萬止利云云。やまどりこそはといひて、山鳥は峰を隔て妻どひをするべけれ、人なる身のかく隔たりあるはと嘆きたる也
許己念者 これを思へば胸の痛きと也。それ故心の慰みもやせんと野山に遊び出ゆけど、妹無ければ慰まで花ばかり匂ふのみなれば、いとゞ思ひの増すと也。何としたらば戀と云ものゝ忘られんやと也
反歌
(451)1630 高圓之野邊乃容花面影爾所見乍妹者忘不勝裳
たかまどの、のべのかほはな、おもかげに、みえつゝいもは、わすれかねつも
この容花の事諸抄の説は、かきつばたともいひ、又こゝのかほ花は樣々の草花といへる也。長歌の心を略していへる故、何花とは指さぬ花といへり。かほ花と詠出でたれば、一名無くては叶ふまじけれど、それと決したる古來よりの證明も無し。容の字を書なれば、たゞ美くしき花とのみいへる説也。信用し難し。宗師案は、夕顔晝顔朝顔と云花の内なるべし。女に比したる花なれば、此三名をつゞめていへるなるべし。面かげなどよめる意もそれ故の詞ならんか
大伴宿禰家持贈安倍女郎歌一首
1631 今造久邇能京爾秋夜乃長爾獨宿之苦左
大伴宿禰家持從久邇京贈留寧樂宅坂上大娘歌一首
1632 足日木乃山邊爾居而秋風之日異吹者妹乎之曾念
あしびきの、やまべにをりて、あきかぜの、日異ふけば、いもをしぞおもふ
日異 前にも注せる如く日にけにと云事すまぬ詞也。よりて當流には日毎と云意と見る也。秋風の日毎に吹くにつけて、秋の物悲しく寂しきから、故郷の妹を慕ひわぶるの意也
或者贈尼歌二首
1633 手母須磨爾殖之芽子爾也還者雖見不飽情將盡
てもすまに、うゑしはぎなれや、かへりなば、みるともあかず、こゝろつくさん
手母須磨爾 手のひまも無くと云義也。前にも注せり
芽子爾也 これを萩にやと詠ませたり。にやと讀みては手爾波あはず。これは萩なれやと讀むべし。爾の字は汝と讀なれば(452)なれと讀む事苦しからず。此歌は始め戀もとめし妻など、故ありて尼になりしを還俗せよかし、さあれば飽かず睦じくせんと云の意也。手もすまにうゑしとは、はじめ樣々心を盡し求め得たると云義をなぞへたる他
還者 かへりてはと讀みては義通じ難し。かへりなばと讀むべし。萩を女にして詠める也。情つくさんは志の誠を盡さんと也。次の歌と引合て意を知るべし
1634 衣手爾水澁付左右殖之田乎引板吾波倍眞守有栗子
ころも手に、みしぶつくまで、うゑしたを、ひきたわれはへ、まもれるくるし
水澁 はみづさびの事也。水にあかく錆出來ること有。久敷田につかり居て植しと云意に、みしぶつく迄とは云也。夫婦あらば二人して植ゑし田をと云意也。辛勞をして植ゑし田に實のりて、又鹿鳥などを脅す鳴子と云ものを引はへて、守る事の苦しきと也。今獨り守ることに、ひきたわれはへとは詠めり。引板とは板に繩をつけて引、今の鳴子の事也。畢竟の意は、二人して水しぶつく迄辛勞して植たる田を、今實のる時となりて、我獨りその田を守る事の苦しきと也。始はいか計辛勞して相迎へし妻なれど別れて尼となり、我身は獨り世をふる事の苦しきと也
尼作頭句并大伴宿禰家持所誂尼續末句等和歌一首 あまはじめの句をつくりならびに大伴のすくね家持あまにたのまれ末の句をつぐこたへ歌
1635 佐保河之水乎塞上而殖之田乎 尼作 苅流早飯者獨奈流倍思 家待續
さほがはの、みづをせきあげて、うゑしたを、かるわさいひは、ひとりなるべし
うゑし田を これまでは序也。二人して植し田をと云義也。これ迄尼のよみ出たり。末の句を家持よみつぎたる也。苅早飯とは稻の初穗の事也
獨奈流倍思 苅藏むる事は一度うゑし田なれば、熟する事はおのづからひとり可v調也。われ還俗せず共ひとりして世をもふ(453)べし。それにて事なるべしとの返也。獨なるべしとは稻の熟せるにてあらんと云義と、我獨居するなるべしと云事にかけてよめる也。え還俗はせまじきとの意也。通用の印本に、佐保川を保佐川と書けるは誤也
冬雜歌
舍人娘子雪歌一首
1636 大口能眞神之原爾零雪者甚莫零家母不有國
おほぐちの、まがみがはらに、ふるゆきは、いたくなふりそ、いへもあらなくに
大口の眞神 昔明日香の地に老狼ありて、多くの人を取食ふ。土民恐れて大口の神と云、名2其住所1大口眞神原となづけし由風土記の説と云傳たり。狼は口廣き故大口とはいへるなるべし。神と云は狼は大かめ大かみとも言通じていへるか。又上代は龍虎の類も神といへり。日本紀に所々見えたり。此集にも十卷目の乞食の歌に、からくにの虎と云神をとよめり。狼を神と云事、日本紀欽明紀云。〔天皇幼時夢。有v人云。天皇窮2愛秦大津父者1及2壯大1必有2天下1。寢驚遣v使普求得v自2山背國紀伊郡深草里1。姓字果如v所v夢。於v是所v喜遍v身歎2未曾夢1。乃告之曰。汝有2何事1。答云。無也。但臣向2伊勢1商價來遠山逢2二狼相闘汗1v血。乃下v馬洗2漱口手1祈請曰。汝是貴方4貴神而樂2麁行1。儻逢2獵士1見v禽尤速。乃抑2止相闘1拭2流血毛1遂遣放之倶令v全v命。天皇曰。必此報也。乃令2近侍1優寵日新。大致2饒富1。及v至2踐祚1拜2大藏省1〕
歌の意は眞神の原を通りし時の歌と聞ゆる也。第三、奧麿の歌、さのゝわたりの意に同じ
太上天皇御製歌一首
元正天皇也。始は氷高皇女と申し也。草壁皇女文武天皇同母姉也。母阿閉皇女と申す。則元明天皇の御事也。元正天皇御在位十年二月位を聖武天皇に讓らせ給へり
1637 波太須珠寸尾花逆葺黒木用造有室者迄萬代
はたすゝき、をばなさかぶき、くろきもて、つくれるやどは、よろづよまでに
(454)波太須珠寸 尾花と云冠句によませ給へり。二名同物故かく重ねていへる事古詠の格也。此御製にて尾花はすゝきと云の證明となる也。はたすゝきとは前に注せる如く、皮の被りて未だ穗に不v出を云と云へり。こゝの御歌をもて見れば又一説の※[竹/旗]手の樣なると云説とも云はるゝ也。穗の出たる處幡の樣なるをもていへる共聞ゆれど、これは同物二名を重ねて被v仰しと見ゆる也。よりて尾花の冠句とは見る也
逆葺は穗の方を下にして葺もの故、如v此よませ給ふなるべし。又祝賞の御言葉にさかえのさかを取らせ給てか。榮の假名はえ也、逆の字の假名はへなれば、さかえとは云難けれど、さかんなると云意に訓を書かせ給ふてよませ給へるは、此次の御歌も共に、長屋王を祝なさせられての御詠也
天皇御製歌一首 前にも注せる如く聖武天皇の御製作なるべし
1638 青丹吉奈良乃山有黒木用造有室戸者雖居座不飽可聞
あをによし、ならのやまなる、くろきもて、つくれるやどは、をれどあかぬかも
黒木 皮つきの木也。上古の家宅は質朴を本として禁2彩色1。上代の風御製の御詞にても明也
居座 一字にてをれと讀むを二字書たるは衍字ならんか。若しくは御製歌故撰者心を得て座の字をわざと添られたるか。座はましますと讀む也。然れ共此歌にては二字引合てをれどと讀むべき也。御歌の意は前の歌に注せる如く、長屋の王の家に御座なさせられて、王の家を賞讃させ給ふ御歌也
右聞之御在左大臣長屋王佐保宅肆宴御製
右聞之 この聞之の二字心得難し。豐の明り聞し召す時と讀ませて注者書たるか。たゞこれを聞くにと云義か。拾穗抄には聞之の二字除たり。是は前に注せる如く妙壽院新作の差略の本故正本ともし難し
太宰帥大伴卿冬日見雪憶京歌一首
1639 沫雪保杼呂保杼呂爾零敷者平城京師所念可聞
(455)あわゆきの、ほどろ/\に、ふりしけば、ならのみやこし、おもほゆるかも
保杼呂々々々 或説にほとり/\と云ふ義と注せり。心得難し。はだれと云も同じ詞なれば、已にはだれと詠める歌もありて、同詞なればはだれ/\と云義と見るべし。此詞は筑紫にての歌なるべし。歌の意聞えたる通也
太宰帥大伴卿梅歌一首
1640 吾岳爾盛爾開有梅花遺有雪乎亂鶴鴨
あがをかに、さかりにさける、うめのはな、のこれるゆきを、まがへつるかも
吾岳 前に注せる如く一名の地名か。又我領知の所にある岳を見ての當前の事歟。心得難き詞也。地名の方なれば難なき事也。歌の意は梅の咲みちたる故、降しける雪の白妙の如くなるに見まがふと賞美したる也。殘れる雪とありて春の歌に聞ゆる也。冬ながら消殘りたるとよめるか
角朝臣廣辨雪梅歌一首 角朝臣、牡略紀可v考。廣辨は傳不v知。ひろさわと讀まんか
1641 沫雪爾所落聞有梅花君之許遣者與曾倍弖牟可聞
あわゆきに、所落開有、うめのはな、きみががりやらば、よそへてんかも
此所落開有の四字いかに共讀難し。古本印本共にふられて咲けると讀ませたれど、降られて咲けると云詞は無き歌詞也。四字引合て何とぞ義訓あるべし。まがへられたるとか、よそへられたると云義訓ならんか。下にもよそへてんかもとあれば、右兩義の内と見ゆる也
君之許 きみががりやらばとは、きみがもとにやらばと也
よそへてんかも 雪にまがへられたる梅なれば、君の元へ遣したらば、雪になぞらへて見給はんかと也
沫雪爾 とあるは、野を爾に誤りたるならんか。集中此誤りあまたあれば、若し野を爾に誤りたらば、泡雪の降に咲きたると詠める歌と聞ゆる也。然れば歌の意も彌々雪によそへてんかもとよめる意能聞ゆる也
(456)安倍朝臣奧道雪歌一首 稱徳紀云。神護景雲元年〔正五位上安倍朝臣奧道授2勲六等1〕二年十一月〔癸未、從四位下阿部朝臣奧道爲2左兵衛督1。〕光仁紀云。寶龜二年閏三月〔戊子朔乙卯。無位安倍朝臣奧道復2本位從四位下1。〕同九月〔甲申朔己亥内藏顔。〕同三年四月〔但馬守〕五年三月〔癸卯、從四位下安倍朝臣息道〕卒
1642 棚霧合雪毛零奴可梅花不開之代爾曾倍而谷將見
たなぐもり、雪もふらぬか、うめのはな、不開之代爾、そへてだに見ん
棚霧合 これは古本印本諸抄物皆たなきりあひと讀めり。いかゞしたるを棚霧合とは云ことにや。この詞語釋にも濟難き詞也。すべてきりあひと云事集中にもあまた有。この假名附より後世の歌、又は物語の詞にも霧合と云事いへり。その義も不v濟していへる事心得難し。これはたな曇りと云義なるべし。既にとの曇りと云事ありて、空一枚に雲のとぢて、あかるき方無き事を云たる義なるべし。との、たなは同音にて初語の詞、打曇り、かき曇りと云と同事なるべし。然れば語もすむ也。よりて先づたな曇りとは讀む也。若したな霧あひと云假名書の古記ありて、證明もあらば其義に隨ふべき事也
雪毛零奴可 ふれかしと願ふ意、雪降たらば咲かぬ枝にも花とよそへ見むとの義也
不開之代爾 これを咲かぬかはりにと讀めるは、いかに心得たる讀樣にや。先づ咲かぬかはりにと云詞歌詞にもあらず。たゞ詞にして不開之と三字に書たるを、咲かぬとは讀難し。然らば咲かざりしかはりと讀むべきかなれど、とかく歌詞にて無き事を辨ふべし。殊にさ讀みては下の句いかにとも不v通也。よつて宗師案には之の字は延の字の誤なるべし。之の字とはよく似て誤り易き字なれば、決て誤字と見る也。然らば咲かざる枝にそへて見んと云意にて、歌もよく聞ゆる也。咲きしには花有。雪降らば花無き枝にも花咲如く、咲し枝にそへて見むとよめる歌と聞ゆる也。さなくてはそへて見むと云意聞得難し。尤よそへてと云意とも聞くべけれど、それにては上の代りにと云義不v濟也。
若櫻部朝臣君足雪歌一首 履中天皇の御代に賜はれる氏ならんか。傳不v詳
1643 天霧之雪毛零奴可灼然此五柴爾零卷乎將見
(457)天霧之、ゆきもふらぬか、いちじるく、此いつしばに、ふらまくをみむ
天霧之 前にも注せる如く、此きらしと云事いかにも解難き詞也。これは天の字欠の字の誤字にて、かきくらしにて有べきを天と誤りしより假名付を誤りてより已來、如v此誤り來れるなるべし。天ぎりあひと詠める歌も有。これも欠曇ると讀むべき事也。尤天曇ると云讀みにてもあらんか。然れ共此天霧之とある之の字、ると讀む事はなると讀ます字故、此三字にても苦しかるまじきか。とかく欠の字の誤りか、又天曇ると讀まんか。兩樣の内なるべし。あまぎらしと云事は外の古詠古語の語例無き事也。語例語證無くても義の知れて聞ゆる詞は、集中にある詞をもて二首共あれば、それを准v例證明にも可v取なれど、詞の義いかにとも難v濟故、語例ある詞に見る事是ならんかと見る也灼然 明らかに隱れぬ事を云詞世。日本紀にはいやちこ也と神武紀にて讀めり。しかも自注有。いやちこと云意もいちじるくと云義に云まはせば通ずること也。尤也と云意に通ふ也。此歌のいちじるくは下の五柴とうけん爲の縁語にて、尤明らかに隱れ無く見むといへる意也。五柴は第四にもありて、そこに注せり。櫟の木のことにも云へる説有。いづれにもあれ白妙に降りしける雪ならば、明らかにまがはず見んと云意也。それをいちじるく五柴にと詠める所歌と云もの也
三野連石守梅歌一首 續日本紀第三十九、延暦五年十二月〔乙卯、陰陽助正六位上路三野眞人石守言。己父馬養姓無2路字1。而今石守獨著2路字1。請除v之許焉。〕當集第十七卷大伴卿太宰より上京の時、海路入京の輩十首の歌の初にも此石守歌あり
1644 引攀而折者可落梅花袖爾古寸入津染者雖染
ひきよぢて、をらばちりぬべし、うめのはな、そでにこきれつ、そまばそむとも
あだに散果てゝ水の泡ともならん事を惜みて、袖に匂ひをうつしてだに飽かぬ心を慰めんとや、かく詠めるならん。よく聞えたる歌也。ひきよぢてと云事毎度ある詞也。よぢるはたわめる意也
巨勢朝臣宿奈麻呂雪歌一首
1645 吾屋前之冬木乃上爾零雪乎梅花香常打見都流香裳
(458)わがやどの、ふゆぎのうへに、ふるゆきを、うめのはなかと、うちみつるかも
よく聞えたる歌也。不v能v注也
小治田朝臣東麻呂雪歌一首
1646 夜干玉乃今夜之雪爾率所沾名將開朝爾消者惜家牟
ぬばたまの、こよひのゆきに、いさぬれな、あけむあしたに、けなばをしけむ
ぬれなはぬれなん也。面白く詠める歌也。意は明らかなれば注するに及ばず
忌部首黒麻呂雪歌一首
1647 梅花枝爾可散登見左右二風爾亂而雪曾落久類
うめのはな、えだにかちると、見るまでに、かぜにみだれて、ゆきぞちりくる
よく聞えたる歌也
紀少鹿女郎梅歌一首 きのをじかのいらつめうめの歌
1648 十二月爾者沫雪零跡不知可毛梅花開含不有而
しはすには、あわゆきふれど、しらぬかも、うめのはなさき、ふゝめらずして
しはす 此義諸抄物等にも色々説ありて、童蒙抄奧義抄抔にも様々の釋ありて一決し難し。十二月をしはすと云義理はしかとしたる説無き事也。これはしはつと云義本義ならんか。歳暮且家祈祷師の走と云義にて、師走と云などいへり。いかに共心得難し。宗師案は年はつと云略語なるべしと也。然ればしはすは横音の音にて通じたるか。正義はしはつにてあるべき也。十二月の頃は、梅必咲くものなれば、泡雪の降りてもそれ共不v知、たゞ咲みちたる梅とのみ見て、つぼめる枝も無き迄に見ると云意也
(459)大伴宿禰家持雪梅歌一首
1649 今日零之雪爾競而我屋前之冬木梅者花開二家里
けふふりし、ゆきにきそひて。わがやどの、ふゆきのうめは、はなさきにけり
雪の降るに霑ひきほふて梅も咲き出たれば、雪と相交て色を爭ふ景色をよめり。競ひてとは両物白色の妙なるを爭ふの意也
御在西池邊肆宴歌一首 御在は天子の御座所をさして也。その西の池のほとりの、豐の明りの節詠める歌と也。肆の字は恣に飲樂するの意にて所る也。續日本紀卷第十三云。天平十年七月晩頭御2西池宮1とある、此所歟
1650 池邊乃松之末葉爾零雪者五百重零敷明日左倍母將見
いけのへの、まつのすゑ葉に、ふるゆきは、いほへふりしけ、あすさへもみむ
何の意も無くよく聞えたる歌也。宴會に飽かぬ意をこめて、あすをも宴を願ふ意にてあすさへも見むと也
右一首作者未詳但竪子阿倍朝臣蟲麻呂傳誦之
豎子 小さきわらはと讀む、官名也。内竪子と云官也。三(ツ)子に生れたるもの必此官に被v任也
傳誦之 蟲麻呂聞傳て宴會の時詠吟せしと也。誦しとは歌ひ吟じたる也
大伴坂上郎女歌一首
1651 沫雪乃比日續而如此落者梅始花散香過南
あわゆきの、このごろつぎて、かくふれば、うめのはつはな、ちりかすぎなむ
比日をひなべてと讀ませたり。是迄皆このごろと讀來れるに、此歌に限りてひなべてと讀める意心得難し。此頃續きて降雪に、早く咲きし梅の初花は、雪にしほれて散すぎんかと也
池田廣津娘子梅歌一首
(460)1652 梅花折毛不折毛見都禮杼母今夜能花爾尚不如家利
うめのはな、祈りもをらずも、見つれども、こよひのはなに、なほしかずけり
よく聞えたり。別の意無き也。折ても見其まゝも見しの意也。今宵と詠めるはこれも宴會の時よめる歟
縣犬養娘子依梅發思歌一首
依梅發思 これは人の心持の義をよめる歌也。すべて思ひおこすと云は、何にても心に思ふ事を、そのものによせて云出る義也。こゝも梅花を見て人情の上を引合てよめる也
1653 如今心乎常爾念有者先咲花乃地爾將落八方
いまのごと、心をつねに、おもへらば、まづさくはなの、地にちらんやも
如今 梅の花の盛を見たる當然也。花の咲たるを見る當前は、早く咲け共散るを惜しきとも思はぬ處也。なれば心に遲速の恨み散行嘆きも無く常の心と也。此心の如くならば、花も先に咲けるは、とく散る事も又遲く咲く事もあらまし。たゞ常にして常住不變ならんものと也。進む事疾きものは、必退事早き理は、これ常の心にあらざる故、梅も先に咲たるは、やがて土に散る也と、梅の上をもて人の上の事を思ひ合せたる歌也
地爾 前に注せる如く他の字にて、あだと讀べきか。然れ共假名書に土にと書たる歌あれば、一概にも決し難し。此歌も少は聞きえ難き處ある也
萬葉童蒙抄 卷第二十一終
(461)萬葉童蒙抄 卷第二十二
大伴坂上郎女雪歌一首
1654 松影乃淺茅之上乃白雪乎不令消將置言者可聞奈吉
まつかげの、あさぢがうへの、しらゆきを、けさずておかむ、ことはかもなき
此の言者可聞奈吉と云義、諸抄の説も不2一決1。仙覺假名付もいへばかもなきと讀み、又或抄の説は、いふはかもなきと讀べしといへり。淺茅の上に面白く降れる雪を、そのまゝけさでおかんと云は果敢無きと云の義と釋せり。はかなきこと云は甲斐無きと云義と同じくて、甲斐無き事を云との説也。又一説は言葉の無きかもと云義、かもは中へ入て助語にしたる義との説有。何れを是とも定難し。然れ共いふはかもなき、いへばかもなきと云讀みは心得難し。語例句例の無き事也。ことはかもなきと讀みて、かもは助語にて中へ入たると見る説は近からんか。事は無きかもと見る説も有。白雪をけさで其まゝおかん事はなきかも、おきたきものと云意と見る説有。此兩義は理安らか也。白雪の面白く降たるを、そのまゝに消さずして置ことはならねば、せめて詩歌に云殘したきが、其言葉も無きかと云意に見るべき歟。詩歌に云列ねたらば、せめて雪は殘らず共のこる理なれば、その詞もかなと願ひたる歌共聞ゆる也。此歌も何れを中りたる説とも決し難し
冬相聞
三國眞人人足歌一首 三國眞人、繼體天皇の皇子の椀子皇子より出たる氏也。繼體紀云、〔次三尾君堅※[木+威]女曰2倭媛1。生2二男二女1。其二曰2椀子皇子1。是三國公之先也。〕天武天皇白鳳十三年眞人の姓を賜はれり
1655 高山之菅葉之努藝零雪之消跡可曰毛戀乃繁鷄鳩
かぐやまの、すがのはしのぎ、ふる雪の、けぬと可曰毛、こひのしげけく
(462)高山 古本印本諸抄にもたか山と讀みて、古今の歌にては奧山とあれば、高山は奧山のことゝ注せり。高は奧の字の誤りと見る然らんか。高山を奧山と云義は心得難し。此集第一卷の歌にも、高山と書きてかぐ山と讀ませたれば、其例に准じてかぐ山とは讀むべからんか
之努藝 しのに也。藝と云濁音は爾也。こゝもしのぎはしのにと云義にて、しのには亂れてしなへたる義を云也。しどろもどろにと云と同じ義にて、亂れしなひたる事を云義也。然れば菅の葉に雪降つもりて、しどろもどろに葉のしなへ亂れたると云事也。古今集には奧山の菅の根とよめり。これは誤り也。元來この歌を古今集に入たるも、後人の加筆書入と見ゆる也。然れば古今集の歌は、此一首は取べからず。根も葉の誤りにて、初五文字も後人の此歌を直して入たると見えたり。根をしのぎと云事いかにとも不v濟事也
消跡可曰毛 けぬとか云もと讀ませたり。これは古今集にて讀ませたるは聞やすくて、如v此にては聞まがふ樣なれ共同じ意也。畢竟此けぬと云はんもと云ことを詠まんとて、上を詠出たる古詠の格にて思ひに堪かね命も堪へんとやいはん、戀のしげく切なればと云の意也。消ゆるとか云も戀のしげきからと云の義也
可曰毛はいはんも共讀み、いふべくもと讀みても同じ義也。又古點の假名付の通にても同じ意なれ共、古き詞は近世耳なれぬ故聞わけ難き樣なれ共つては皆同じ義也。さてすべて集中に戀のしげきとよめる事心得難き樣なれど、これは木檜《コヒ》の茂り茂ると云ふ義を體として、云ならはせる詞と知るべし。檜の木は枝葉茂るもの也。よりて其よせをもて、戀ぞ茂れる、しげき、しげし抔よめるは、檜の木のより所ある故と可v知也。戀のしげると云義とくと道理の濟難き事にて、草木抔の事には相應すれど、思ひ戀のことには不v合事の樣なれど、右のより處をふまへて、古詠には詠出たると見えたり。歌は何にても、體の備はらぬ事を口に任せて云ことはならぬ事也。尤上の句の菅の葉と云に意無く、まきの葉と詠みても同じ事也。降雪のけぬと云はん迄の序也。古今にては、けぬとかいはん、しげきにと讀ませて、戀の繁き故に、今は命も絶えんとかいはんと聞えさせたり。當集にてはその時代風體をもて、右の意にて詞閑古に情をこめて詠める也。古今集に加入せしは後人の所爲故、其時代の聞よき詞に引直して書加へたると見ゆる也。意は此集の歌が本也。然共時代の風體にて、末の詞をもて今の代の人の聞にはき(463)ゝ得やすき也。或説、曰毛の毛は牟の誤りなりとて、見せも聞かせもと云詞の例など引たる説有。これは知れたることにて、毛の字にてよく聞ゆる歌なれど、穿つて説を立たる義也。歌合などの時、其評難の無きなどいへるも心得難き説也。此歌は此文字の通にても聞えたる歌也
大伴坂上郎女歌一首
1656 酒杯梅花浮念共飲而後者落去登母與之
さかづきに、うめのはなうけて、おもふどち、のみてのゝちは、ちりぬともよし
此歌も宴會の時の歌と聞ゆる也。かく宴會する中は、散るなと云意をこめたる也。うけては梅の花をむしりひたしての義也
和歌一首 誰人の和歌とも知れず
1657 官爾毛縱賜有今夜耳將飲酒可毛散許須奈由米
つかさにも、ゆるしたまへり、こよひのみ、のまんさけかも、ちりこすなゆめ
官にも 朝廷よりも許されて、今夜親族一二人宴會するに限るべき事にもあらじとの義也。前の歌に、飲みての後は散りぬ共よしと許したる處を押へて、親族一二人飲む事は、公よりも許され給へば今宵に限るべきや、ゆめ/\散りこすなと制したる和へ歌と聞ゆる也。一説には公けよりも許されたる今宵の宴飲なれば、梅も散りこすなと詠める歌に見る也。然れ共和へ歌なれば、前の説叶へりと聞ゆる也。後の説に從はゞ、かもは助語にして、上の給へりと云も給へると讀むべき也。然らばこよひのみと云も、其夜一夜に限りたる夜なれば、梅も心して散るなとは詠めると見るべきか
右酒者官禁制※[人偏+稱の旁]京中閭里不得集宴但親親一二飲樂聽許者縁此和人作此發句焉
此時分如v此の御制法ありしと聞ゆる也。何の時分歟。國史には不v見也。追而可v考
藤原后奉 天皇御歌一首 目録には前皇后と記せり。こゝには皇の字を脱せり。前にも注せる如く、藤原の皇后とは(464)光明皇后の御事也。淡海公の御女也。廃帝紀云。寶字四年六月乙丑、〔天平應眞仁正皇太后崩。姓藤原氏、近江朝大織冠内大臣鎌足之孫、平城朝贈正一位太政大臣不比等之女也。母曰2贈正一位縣犬養橘宿禰三千代1。皇太后幼而聰慧、早播2聲譽1。勝寶感神聖武皇帝儲貳之日、納以爲v妃、時年十六。攝2引衆御1、皆尋2其歡1。雅閑禮訓。敦崇2佛道1、神龜元年聖武皇帝即v位、授2正一位1爲2大夫人1、生2高野天皇及皇太子1。其皇太子者誕而三月、立爲2皇太子1。神龜五年夭而薨焉。時年二。天平元年尊2大夫人1爲2皇后1、湯沐之外更加2別封一千戸1。及2高野天皇東宮1、封一千戸。太后仁慈、志在v救v物、創2建東大寺及天下國分寺1者、本太后之所v勸也。設2悲田施藥兩院1、以療2養天下飢病之徒1也。勝寶元年、高野天皇受v禅改2皇后職1曰2紫微中臺1。妙選勲賢、並列2臺司1。寶字二年、上2尊號1曰2天平應眞仁正皇太后1。改2中臺1曰2坤宮官1。崩時春秋六十。〕
1658 吾背兒與二有見麻世波幾許香此零雪之懽有麻思
わがせこと、ふたりみませぼ、いくばくか、このふるゆきの、うれしからまし
天皇と共に見そなはせたらば、いかばかりよろこばせられんを、御別居にまして慕ひおぼしめすとの御歌、よく聞えさせ給ふ御歌也
池田廣津娘子歌一昔 前にも梅の歌の作者也
1659 眞木乃於上零置有雪乃敷布毛所念可聞佐夜問吾背
まきのへに、ふりおけるゆきの、うつしくも、おもほゆるかも、さよとふわがせ
敷布 この詞不v濟也。頻りに不v絶ことをしく/\と云と聞ゆれ共、語の釋不v濟也。此卷の初にも春雨の敷布降るにと有。上は此敷布のことを設けん爲の序也。宗帥案はうつしくと云義なるべし。集中に毎度ある詞也。假名書無ければいかに讀ませたるにや心得がたし。うつしくと讀みては愛敷の意、又現然と表れてうつ/\敷も思ふと云意、又まきの上に降れる雪の美しく清らかに見ゆる背子と云義にて、背をほめたる詞に聞ゆる也。毎度問來るわがせこ故、一方ならず美しみ思ふと云意に見る也。或抄に、さよ問へと讀まんかといへるは心得難し
(465)大伴宿禰駿河麻呂歌一首
1660 梅花令落冬風音耳聞之吾妹乎見良久志吉裳
うめのはな、ちらすあらしの、おとにのみ、きゝしわぎもを、みらくしよしも
冬風 あらしと讀ませたるは義訓也。嵐は秋の物と云來れど、すべてはげしき風を云也。尤も冬の風に限るにはあらねど、すこしき風も冬ははげしければ、義をもて書ける也。冬の相聞の歌なるに、冬の歌慥に聞えねば、冬の字を用てその意を助けたる共見えたり。音にのみ聞きしといはん爲の序也。第二卷にて坂上の二女を、山守のありけるしらにと詠める折の歌ならんか。見らくしよしもは、見しがよきと悦べる歌也
紀少鹿女郎歌一首
1661 久方乃月夜乎清美梅花心開而吾念有公
ひさかたの、つきよをきよみ、うめのはな、こゝろ開て、吾もへるきみ
此歌の意は月のさえたる冬の夜に、折しも梅も咲あへて待えし人の來りしを、喜びてよめると聞ゆる也。然れ共心開而、これを心ひらけて讀める事いかに共心得難し。梅の花と詠かけたれば心はこゝらと云義にてひらけてとよめるか。心開けてと云語例の無き詞也。何とぞ別訓あらん也。心も晴れてと讀まんか。後案を待のみ
大伴田村大娘與妹坂上大娘歌一首
1662 沫雪之可消物乎至今流經者妹爾相曾
あわゆきの、けぬべきものか、いまゝでに、ながらへぬれば、いもにあへるぞ
人の上は果敢なきものにて、沫雪の如く消やすきものなるに、幸に消殘りてかく永らへぬればこそ、相逢事の嬉しきと、姉妹のさも睦じき實情をあらはせり。これらの歌をぞ教への詞ともすべきこと也。可v消ものをといへるは、消やすきものを幸に永(466)らへぬれば、かくあふ事の喜ばしきとの意也
大伴宿禰家持歌一首
1663 沫雪乃庭爾零敷寒夜乎手枕不纏一香聞將宿
あわゆきの、にはにふりしく、さむきよを、たまくらまかず、ひとりかもねん
手枕不纏は 思ふ妹とあはでと云意也。手枕のたは初語の詞也。思ふ人とも枕を卷かで、ひとりねんことの佗しきと也
萬葉童蒙抄 卷第二十二終
(467)萬葉集卷第八難解之歌
1430 ○去年之春相有之君爾戀爾手師櫻花卷迎〔右○〕來良之母
こぞのはる、あへりしきみに、こひにてし、さくらのはなは、むかへくらしも
1440 春雨乃敷布〔二字傍点〕零爾高圓山能櫻者何如有良武
はるさめの、しくくふるに、たかまどの、やまのさくらは、いかにあるらん
第十七の歌云、思久思久於母保由、此語例有。しく/\は、隙間無くしきりの意なるべし
1442 ○難波邊爾人之行禮波後居而春莱採兒乎見之悲也
なにはべに、ひとのゆければ、おくれゐて、わかなつむこを、みるがかなしさ
1443 ○霞立野上乃方爾行之可波※[(貝+貝)/鳥]鳴都春爾成良思
かすみたつ、のがみのかたに、ゆきしかば、うぐひすなきつ、はるになるらし
1445 ○風交雪者雖零實爾不成吾宅之梅乎花爾令落莫
かぜまぜに、ゆきはふるとも、みにならぬ、わがへのうめを、はなにちらすな
(468)1461 晝者咲夜者戀宿合歡木花君〔右○〕耳將見哉和氣佐倍爾見代
ひるはさき、よるはこひぬる、ねぶのはな、君耳みむや、わけさへにみよ
君は吾の誤歟
1462 吾君爾戯奴〔五字傍点〕者戀良思給有茅花乎雖喫彌痩爾夜須
吾君に、けぬはこふらし、たまひたる、ちばなをくへど、いやゝせにやす
1463 吾妹子之形見〔二字傍点〕乃合歡木者花耳爾咲而盖實爾不成鴨
わぎもこが、かたみのねぶは、はなのみに、さきてやけだし、みにならぬかも
1467 霍公鳥無流〔二字傍点〕國爾毛去而師香其鳴音乎聞者辛苦母
ほとゝぎす、無流くにゝも、ゆきてしか、そのなくこゑを、きけばかなしも
1471 ○戀之家婆形見〔二字傍点〕爾將爲跡吾屋戸爾殖之藤浪今開爾家理
こひし家は、形見にせんと、わがやどに、うゑしふぢなみ、いまさきにけり
1472 ○霍公鳥來鳴令響宇乃花能共〔右○〕也來之登問麻思物乎
ほとゝぎす、きなきどよます、うのはなの、共也來之と、とはましものを
(469)1487 霍公鳥不念有寸〔四字傍点〕木晩乃如此成左右爾〔五字右○〕奈何不來喧
ほとゝぎす、不念有寸、このくれの、かくなるまでに、などかきなかぬ
第十卷、春野爾霞棚引く咲花之如是成二手爾不逢君可母。如此成左右は、庭の諸木の陰深く繁茂りたる當然を見てよめる歟。十卷目の歌も、花の盛も過行し頃の當然をいへると見えたり。かくなる處のあや無ければ、少聞得難き義也
1497 筑波根爾吾行利世波霍公鳥山妣兒令響鳴麻志也其〔傍点〕
つくばねに、わがゆけりせば、ほとゝぎす、やまびこどよませ、鳴ましや其〔右○〕
某は母の誤歟。然らばなきなましやもと讀むべし
1503 ○吾妹兒之家之垣内乃佐由理花由利登云者不謌云二似〔七字右○〕
わぎもこが、家のかきちの、さゆりばな、ゆり登云者――――
1507 伊加登伊可等〔六字傍点〕有吾屋前爾百枝刺於布流橘玉爾貫五月乎近美安要奴我爾花咲爾家理朝爾食爾云云
1508 望清〔二字右○〕月夜爾吾妹兒爾令覩常念之屋所之橘
□きよきつきよに、わぎもこに、見せめとおもひし、やどのたちばな
1517 味酒三輪乃祝之〔二字右○〕山照秋乃黄葉散莫惜毛
うまさけの、みわの祝之、やまてらす、あきのもみぢの、ちらまくをしも
(470)1524 天漢伊刀河浪者多多禰杼母伺候〔二字右○〕難之近此瀬乎
藤原宇合卿歌一首
1535 ○我背兒〔三字傍点〕乎何時曾且今登待苗爾於毛也者將見〔六字右○〕秋風吹
我背兒の事男女を通じていふ也。すでに此卿の歌にも如v此。且此卷の初山部赤人歌四首の内、吾勢子爾令見常念之梅花其十方不所見雪乃零有者。又第十卷の歌に、戀しくばかたみにせよと吾背子我うゑし秋萩花咲きにけりとよめり。男夫のかたみに萩を植ゑしも不審有。後世の誤字もはかり難し。尚後案あるべし
1536 暮相而朝面羞隱野乃芽子者散去寸黄葉早續也〔三字右○〕
第十卷詠黄葉歌。かりかねは今は來鳴ぬ吾待之黄葉早繼待者辛苦母
1547 ○棹四香能芽二貫置有露之白珠相佐和仁〔四字右○〕誰人可毛手爾將卷知布
1549 射目立而跡見乃岳邊之瞿麥花總〔右○〕手折吾者|持《一本》將去寧樂人之爲
1555 秋立而幾日毛不有者此宿流〔三字右○〕朝開之風者手本寒母
1562 誰聞都從此間鳴渡鴈鳴〔四字右○〕乃嬬呼音乃之知左|守《一本寸》〔四字右○〕
(471)1569 雨晴而清照有此月夜又更而〔三字右○〕雲勿田菜引
1612 ○神佐夫等不許者不有秋草乃結之紐乎解者悲哭
1629 叩々〔二字右○〕物乎念者將言爲便――――
うちみだれか
1637 波太須珠寸尾花逆〔右○〕葺黒木用造有室者迄萬代
1641 沫雪爾所落開有〔四字右○〕梅花君之許遣者與曾倍弖牟可聞
1661 久方乃月夜乎清美梅花心開〔二字右○〕而吾念有公
萬葉集童蒙抄 本集卷第八終
〔472頁〜477頁、目次省略〕
(478)萬葉童蒙抄卷第二十三
雜歌 くさ/”\のうたをのせられたると也。四季戀その外一品に限らざる歌共也
泊瀬朝倉宮御宇【大泊瀬幼武天皇】此割書の七字は後人の傍注也。雄略天皇の御事にて前に幾度も注せり
天皇御製歌一首 すべらきみの大みうたといふ義也
卷界八の歌――倉乃 鳴 波 宿 思母
1664 暮去者小椋山爾臥鹿之今夜者不鳴寐○家良霜
ゆふされば、をぐらの山に、ふすしかの、こよひはなかず、いねにけらしも
此御歌第八卷には舒明天皇の御製とて擧げられたり。そこは秋雜と端作をなせり。御製の文字も右の通少し違あり。御代も十四代經させ給ひ、年月も百餘年も經給ふなれば、紀に洩れたる歌共にて知ろしめされぬ故、舒明帝も詠ませ給へるか。撰者若し取違へて標題を誤れるか。先御同製と奉v見べき也。宗師案には舒明天皇の御製なるべし。そのより所は、當集中に雄略天皇の御製短歌此外に不v見皆長歌也。乍v恐御製の風體も時代新しく、雄略帝の御風體より、感情深く新敷御言葉も聞ゆるなれば、岡本の天皇の御製なるべし。然れ共此集にかく別々に擧げたれば、先御同歌と見奉る也。御製の意は第八卷に記せる如くよく聞えたる也。小椋といはんとて、夕さればと詠出させ拾ひて、毎夜聞しめさせられし鹿の今宵鳴かぬは、妻戀得て、もろ寢をやすらんと思しやらさせ給ふ、御感情深き御製也。をぐらといふ處も大和小倉山の義なるべし。毎度御在所近く聞し召させられたると聞え奉るなれば也
臥鹿 この臥の字鳴の字の誤ならんか。ふすとありては此御製聞得難し。第八卷になくとあれば、よく聞えたる御製也。臥したるやら、臥さゞるや知れ難きを、何とてふす鹿とは詠ませ給はんや。これらは板梓の時誤りたると見ゆる也
右或本云崗本天皇御製不審正指因以累戴
(479)此注は一本には崗本天皇の御製とあるを所見して、後注者如v此袖書を加たり。然れば古く紛らはしき處ありしと見えたり兎角古萬葉の本絶えたる故、ケ樣の正僞も決し難し。此歌を載たるから、古萬葉新撰の疑ひあること也。古萬葉には無くて、此注者の所爲にて、此御製をも紛らは敷こゝに載せたるか測り難し。扨前にも岡本、後岡本二代二帝の事を注せり。これは心得難を注者の了簡也。崗本は決めて舒明、後岡本は決て齊明帝に知れたること也。崗本とあるからは、疑ふべくも無く舒明天皇の御事明らか也
崗本宮御宇天皇幸紀伊國時歌二首
此み幸のこと紀に洩れたり。しかし舒明紀を見るに三年秋九月丁巳朔乙亥、幸2攝津國有間温湯1。冬十二月〔丙戌朔戊戌、天皇至v自2温湯1。〕十年冬十月幸2有間温湯宮1。如v此あれば此時の幸をかく記せるにや。齊明天皇のみ幸は紀に見えて、則第二卷にて注せり。若しそれを岡本の宮の御宇と記せるにや。この紛れは計り難し。又後の字を脱せるか
1665 爲妹吾玉拾奧邊有玉縁持來奧津白浪
いもがため、あれたまひろふ、おきべなる、玉よせもてこ、おきつしらなみ
これはみ幸の供奉の人の詠たる歌にて、家なる妹につとにせん爲に、海邊に玉を拾ふ程に、寄來る沖つ波に玉をよせよと也。よく聞えたる歌也
1666 朝霧爾沾爾之衣不干而一哉君之山道將越
あさぎりに、ぬれにしきぬも、ほさずして、ひとりやきみが、やまぢこゆらむ
此歌は供奉の人の、留主の妻のよめる歌也
衣不干而 ころもほさずしてと讀めり。然れ共さ讀みては詞穩かならず。意は同じき樣なれど、きぬもと讀みては、旅行供奉の疲を思ひやりてよめる意深かるべし。きぬもと云にて、外の疲れをも供奉なれば厭はず、險しき山路をも獨り越給ふらんと氣遣敷思ひやれる實情の意深き歌也。立田山夜半にやの歌もこれらに基きてよめるならん。此歌新古今にも載られたり
(480)右二首作者未詳
大寶元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首
このみ幸の事は第一卷にも記せり。第一卷にては辛丑秋九月と記せり。これはみ幸の道すがらの歌をあげたる歌なるべし。こゝは紀伊國にみ幸なりての歌なれば、月の違あるべし。尤續日本紀卷第二云、大寶元年九月丁亥【中略】天皇幸2紀伊國1、冬十月丁未車駕至2武漏温泉1云々。如v此あればみ幸の内の前後の歌どもをあげたる故、如v此冬十月と記せるならん
太上天皇 紀には天皇と計あり。此集には、第一卷にもこゝにも天皇とは無くて、太上と記せるはいづれか是ならんや。尤も史の失錯もある事なれば、紀に洩れしこともあらんか。此集に二所迄に記したれば、天皇太上皇共にみ幸なりしと見るべし
大行天皇 これ又不審也。素本には無v之也。第一卷にも無し。然れば此卷の衍文か。勿論紀には太上皇さへ不v記ば、太上天皇は無き筈也。大寶元年に文武天皇を大行と奉v稱べき理なし。第一卷に注せる如く、大行とは天子崩御の後未だ謚號を不v奉とき、暫く稱し奉る號也。然れば此大行の二字何とて誤たるか。たゞ天皇の二字計りなるべきか。然れば太上天皇天皇と記したる義もあるべし
1667 爲妹我玉求於伎邊有白玉依來於岐都白浪
此歌袖書に記せる如く、上に見えて同歌、詞少違たる迄也。然れ共端作の年歴遙かに隔たれば、作者同人とは不v見。然れ共皆紀の國にみ幸の時の歌とあれば、撰集の時紛れたるを、後人さし加たるか、疑はしき歌也。歌の意は前に同じ
右一首上見既畢但歌辭小換年代相違因以累載
上見既の字次心得難し。見既は既見の顛倒ならんか
1668 白崎者幸在待大船爾眞梶繁貫又將顧
しらさきは、さきくありまて、おほぶねに、まかぢしゝぬき、またかへりみむ
此しらさき慥成地名國不v考。八雲に紀伊と記させ給へれば、それに從ふ也。紀伊にみ幸の時の歌にて、此續皆紀州なれ(481)ば、定めてかの國なるべし。八雲も此歌より紀伊とは記させ給ふならんか。歌の意はいつ迄も變事なくありて、又幾度ものみ幸をあり待てと也
1669 三名部乃浦塩莫滿鹿嶋在釣爲海人乎見變來六
みなべのうら、しほはなみちそ、かしまなる、つりするあまを、みてかへりこむ
みなべの浦かしま皆紀州也。歌もよく聞えたり
1670 朝開※[手偏+旁]出而我者湯羅前釣爲海人乎見變將來
あさびらき、こぎ出てわれは、ゆらのさき、つりするあまを、見てかへりこむ
朝開 前にも注せる如く、帆のこと也。前の假名には朝ぼらけと假名をつけたり。こゝには何とてかひらきと付けたり。帆を朝開くと云ことを知りてか。歌の意注するに及ばず
1671 湯羅乃前鹽乾爾祁良志白神之礒浦箕乎敢而※[手偏+旁]動
ゆらのさき、しほひにけらし、しらがみの、いそのうらみを、あへてこぎどよむ
湯羅乃前、白神之礒浦 紀州也。箕とは邊といふと同じ。うらび、うらべ、うらみ皆同音にて、うらみもうらびも同事と可v見。うらうみ、うらわなど云説もありて、箕はまわりたるものゝ曲りたる縁有もの故、廻と云と同じ義と云説もあれど、うがちたる説也。みもべもびも同音なる故、邊の字の意にて義安也。敢てとはそのまゝすゝみてと云義也。ものゝ極まり定めたる事をあへてと云也。此歌の意、ゆらの崎鹽干たる故、礒浦と云處を船共のこぎ行と云義を、こぎどよむとは詠めると聞えたり
1672 黒牛方鹽干乃浦乎紅玉裾須蘇延往者誰妻
くろしがた、しほひのうらを、くれなゐの、たまもすそひき、ゆくはたがつま
黒牛方 前に注せり。黒石潟なるべし
(482)鹽干乃浦 地名にあるべからす。たゞしほの干たる浦と云義なるべし。御幸の供奉の官女の海づらを行通ふを見てよめる也。紅の裳と云から、黒し潟をも詠出たる也。鄙ひたる黒き石の礒邊を、紅の赤裳を引て、目なれぬ官女の往かふは珍しき樣をよめる也。此赤裳の事すべて女の下のきもの也。今の緋の袴抔云と同じものにて、官女のきるは袴の如くなるもの也。又常の女の著たるは、今踐女のきる前垂と云もの也。下々の女の前垂と云もの、古代の赤裳と云もの也。昔は尊卑の差別なく、女はすべて赤き裳と云ものを着たる也。何とて赤きを用るぞなれば、毒虫蛇の類すべて紅を忌む。よりてこれを防がん爲に、到て踐女と云ても、赤裳と云ものは着したる也。其遺風今の前垂也。ころと裳と別にて、衣は上、裳は下と云説あれど、裳と云ものはすべて裏下に着、きぬは上表に着するをいへる也。兩品を合せて衣と云來れり。赤裳のこと奧にも注せり。至て卑しき女にても着用のもの也。尤緋紅赤と云色に差別有と見えたり。又地にも、布きぬ織物の差別は尊卑によりて有べし。下賤の女の着用は茜にて染るか、本紅の色にてはあるべからず
1673 風莫乃濱之白浪徒於斯依久流見入無
かざなぎの、はまのしらなみ、いたづらに、こゝによりくる、みるひとなしに
風莫乃濱 紀州也。風も無く靜かなる濱邊に、沖つ白波ゆら/\と寄來る景色、都に珍しき風景なれど、御幸の無き時は誰れ見る人も無く、いたづらに白波のよするにてあらんと、當然の景色を賞美してよめる也。見る人なしにとは、今見る人の無きとにはあらず。既に供奉の人の見てよめるなれば、行幸なき常に見る人の無き事を惜みて景色をよめる也
一云於斯依來藻 別本には如v此ありしを、古注者所見して書加へし也。凡て海邊の詞には、かくの如く見るめの、藻のと云詞を詠めること縁語也。よりくもは寄來るも也。浪の寄來るをも見る人無しにと云ふ義也。もと云は助語にも詠みたると聞ゆる也
右一首山上臣憶良類聚歌林曰長忌寸意吉麻呂應詔作此歌
これも古注者類聚歌林を所見にて如v此注せり。此注に隨はゞ、長忌寸意吉麿の歌とすべし。
(483)1674 我背兒我使將來歟跡出立之此松原乎今日香過南
わがせこが、つかひこんかと、出立之。このまつはらを、けふかすぎなん
これは供奉の人の留守に殘れる妻のよめる歌なるべし。歌の全體聞得難し。諸説共にとくと不v濟也
出立之 これをいでたちしと讀ませたり。或記にはいでたゝしと讀べしといへり。又いでたちのとも讀べきか。三品の讀樣いづれ共決し難し。歌の全體いかに讀みても聞わき難き故、いづれ共決し難し。つかひ來んかと詠出たれば、いでたちしとよめる方是ならんか。使の來らんかと出立ちて待ちしと云意なるべし。宗師案にはこの松原は地名なるべし。この松原と云地名を使を待と云意に云かけて、夫の今日か彼のこの松原と云所を過らんと、思ひやりてよめるか。この松原とよめる處いかに共聞得難し。一説には此は紀の松原と云事にて、音を通じよめるならんと也。一説には風無しの濱松故、前の歌をうけてこの松原とはよめるならん共いへり。説々まち/\にして歌の全體聞得たる説無き也
1675 藤白之三坂乎越跡白栲之我衣手者所沾香裳
ふぢしろの、みさかをこゆと、しろたへの、わがころもでは、ぬれにけるかも
三坂 三つの坂を超ゆる事にはあらず。みは初語也。紀のいで湯へ幸なれば、此藤白の坂は行幸路とならん山路なれば、露霜に袖のぬるゝ事、旅行の習ひなれば也。或抄には有間の皇子御謀反の昔、此所にて自らくびれてみまからせ給ひし事抔思ひ出てかとの説もあれど、詞に表れぬことなれば、無用の鑿意ならん。たゞ旅行の習ひ、露霜あるは時雨にもぬれつゝも供奉するなれば、其義をよめるなるべし
一説に此歌は前の歌の答歌にて、留守の妻の歌に供奉の夫の答たる贈答の歌故、二首並べたると見る義也。前の、爲妹貝をの歌と、朝霧にの歌と並べあげたるに等しきと見る説有。さも見らるべきか。此歌續古今にも載られたり
1676 勢能山爾黄葉常敷神岳之山黄葉者今日散濫
せな山に、もみぢ常敷、かみをかの、山のもみぢは、けふかちるらん
(484)せなとは夫をさして云。せの山と云もせな山と讀むも同音通也。紀州の妹山せ山のせの山也
常敷 此とこ敷と云事心得難し。集中に常の字をとこと讀ませたる歌共に濟難き事多し。第一卷の歌の、常滑のとこも永なへに滑かなると云の義なれ共、波の床波と云義すまぬ詞也。重波と云詞はありて、しき波よするなど云古語も有。然ればこゝの床敷も床によせてと云説あれ共、しきしくと讀まんか。常の字をしきと讀義少六ケ敷也。常はつねと云義なれば、四季と云義にて、音をかりて常なれば四季共と云義に通はして、しきと讀ませたらんか。此説は入ほかにて少六ケ敷けれど、ケ樣の例萬葉集の習なれば、自然其意にて四季と義をとりて、常の字をしきと讀めるか。さ讀までは通じ難き歌もありて、しきしくは隙間無きと云意なれば、せな山に際間も無く、紅葉の照れるを見てかくよめるか。故郷の神岳山を思ひ出て、今日か散るらんとよめるならん
歌の全體の意右の意也。常敷も、しきしくにもせよ、うつしくにもせよ、歌の一連は紅葉の散りしくを見て、故郷のみもろの岳の事を思ひし歌也
神岳 前にもみわ山と讀たれど、これはみもろの岳の事也。みもろ山の事雄略紀に委しくありて、第二卷にて雷岳ともよめり。雄略天皇より雷の岳と云由來ありて、雷をば故實神と云たる事也。既に第三卷に登神岳と云題にて、赤人の歌にみもろの神なひ山にと詠たり。これらをもて見る時は、雷岳と云よりかみ岡とも云なれば、字の如く讀べき也。みわ山ならば三輪山と書べき也。尤神の字みわとも讀み、みわ山をみもろ山とも云故、神岳をもみわ山と假名を付來れるか
1677 山跡庭聞往歟大我野之竹葉苅敷廬爲有跡者
やまとには、きこえもゆくか、おほがのゝ、竹葉かりしき、いほりせりとは
旅のいぶせき樣子、故郷へも聞えぬらんかとの意也
竹葉 さゝかりしきてと讀べきか。竹は刈りしきてと云假名あれど詞穩かならず。いづれにても義は同じければ、好む處に從ふべし
(485)1678 木國之昔弓雄之響矢用鹿取靡坂上爾曾安留
きのくにの、いにしさつをの、かぶらもて、しかゝりふせし、さかのへにぞある
或抄に昔弓雄とは風土記の説などとり交て、雄山に關ありし時、其關守に精兵の弓射るものありし故、如v此よめるなるべしといへり。又古歌に、きの關守がたつか弓ゆるす時なくなどよめるも、たつか弓とは弓のとつかを大にする紀伊關守が射る弓は各別のものゝ樣に云るも、手づか弓と云譯を不v辨から、風土記の説と信じていへるなるべし。たつか弓のことは此集中にもありて、弓に限らずたつか杖ともよみて、手に握るもの束ね持つものを云事にて、紀州の關守の弓に限るべき事にて無きこと此集中にても明也。弓雄は關守の中に上手の射手ありしなるべし。それをかくよめるとの説も心得難し。弓雄と云詞語例無き事也。古語にも不v聞詞、此歌にてかく讀ませたる計り也。然ればこれを弓をとよまん專心得難し。これは鹿かりふせしとあるなれば、獵師のことをいひたる義なれば、神代の古語の通に弓雄と書て、義訓にさちをと讀べきか。狩うどの義なれば義叶へり。且昔と云ふ字もいにしと讀べし。下のかぶらと有詞に讀く縁弓射しと云義にかけて、古の事をいへると聞えたり。古はいにしへにて、弓を射にしと云にかゝる詞也。響矢これも義をもて書たり。鏑矢はなり響くものなれば、此二字をもてかぶらとは讀ませたり。和名抄〔調度部、征戰具、鳴箭、漢書音義云、鳴鏑如2今之鳴箭1也。〕日本紀私記云、八目鏑【夜豆女加布良】漢には鳴鏑と書て鳴る意を表し、此歌には響矢と義を表せり。矢の根の處に、かぶらの形なるものに蟇の目の如くに穴ある故、ひきめのかぶらとも云へり。私記には八目のかぶらと云も、穴八つ有ると聞えたり。邪氣惡氣を追避くるもの也。神體などにも用ゐられし事古事記に見えたり
鹿取靡 假名付本には鹿とりなびくと有。これにては止らぬてには也。さつをは狩人の事なれば、取の字かりと讀む事前々にも注せる通也。靡くと讀みていかに共義不v通。これも義をもてふせと讀べし。歌の意は昔狩人の鹿を狩伏せしと云坂の上に、今宿りして居るとの歌也。たゞ坂の上に旅の宿りをして居ると云事をよめるに、かく上より序詞をのべ、旅行なれば、かくの如き山中のもの凄じき所にもあると云意をこめてよめる歌と聞ゆる也
1679 城國爾不止將往來妻社妻依來西尼妻常言長柄
(486)きのくにゝ【とはにやまず】かよはん、つまのもり、つまよりこさね、つまといふなから 一義つまてふなからは
此歌印本文諸抄の如くつまこそはと讀みて、挽歌の釋かつて聞えず。面白き所なれど妻の無き所故、常にも不v來程に妻もかな。われにより來らばその許へかねてとことはに通はんとの歌と注せり。全體の歌の意これにて聞得らるべきや。妻と云なからと云ふ終の句も右の釋にて不v通也。これは木の國故、木の神爪津姫と神社を被v祭たると云事を不v辨、その氣の付かざるより無理注をなせり。本紀伊國は木の國にて、則木の神を被v祭て其木の神は妻津姫と奉v稱也。延喜式神名帳云、紀伊國名草郡伊太祁曾大屋都都麻都比賣神社。木の神を都麻都比賣と奉v稱事は、神代紀に見えて前に注せり。妻木と云も此所以也。然れば此歌紀伊國は妻と云名の神ますなれば、とことはに通ひて祈らん程に、妻を依こさしめ給へ、妻津姫社へ詣來ん程に妻と云名を負給ふ社からは、妻をよせこさせ給へと云歌也。長柄は名|故《カラ》は也。名なるからはの意也。既に一説に嬬賜爾毛とあるにても考合すべし。行幸の供奉にて妻津姫神社に詣で、思ひよりて詠めるなるべし。名からはと云に長柄と書るは、當集風格何程も此例の文字遣多き事也。畢竟つゞめていふ時は此後も紀伊國には不v絶來ん、妻社と云神社のあるからは、能妻をもよりこさせよ。妻の社と云名あるからはとよめる歌也
一云嬬賜爾毛嬬云長柄 これも妻賜ふにも妻てふ名からはと云意也。終の句如v此替れる一本もありしを、古注者は所見故書加へたり。此加筆にて妻社の二字は妻森とか妻の森とか、又は妻やしろとか讀べき證明也。妻賜ふにもと云義諸抄の説にてはいかに共不v通。此賜ふにもと、或説にあるをもて、爪津姫神に寄來さねと乞祈る事を知らせたり。人の妻を賜ふも此の神の妻社と云名から、誰れ人も妻と云ものを得るならんとの義也
右一首或云坂上忌寸人長作
後人歌二首 後れたる人の歌と讀べし。行幸の供奉にはあらで、留主に殘れる人のよめる歌也。後人追加など云とは異なり
1680 朝裳吉木方徃君我信土山越濫今日曾雨莫零根
(487)朝も吉、きへゆくきみが、まつちやま、こゆらんけふぞ、あめなふりそね
朝裳吉 前にも注せり。此三字の訓讀朝もよきとも、朝もよいとも、朝もよしとも、朝もえとも讀まるれば、何れとも決し難く古來説々まち/\ありて、いづれを正義とも人々諸々の見識を立て証明を不v決也。所詮紀と云冠辭とは知れど、其云出し詞は、體を何をもて定たるとも極難ければ、暫く其注は除けり
木方 は紀邊也。紀伊國邊へ行君かと云義にて、大和より紀の國へ行には、まつち山を越る也。よりて如v此よめり。信土山は紀伊と大和の間にある山也。前にも毎度出たる地名也。そこを今日ぞ越らんに雨は降りそと、旅行の難儀を思ひやりいたはりて詠める也
1681 後《拾遺金葉兩集に入》居而吾戀居者白雲棚引山乎今日香越濫
おくれゐて、われこひをれば、しらくもの、たなびく山を、けふかこゆらん
われは後れゐて旅行に別れし人をのみ戀をれば、眺めやる空の白雲の棚引く方の山をもけふや越ぬらん、こなたには後れて戀をれば知らぬと云意に詠かけて、白雲のたな引とよめり。けふ超給ふや超給はぬや知らざると詠かけて、今日か超ゆらんと察したる也
献忍壁皇子歌一首 詠仙人形
忍壁皇子前に注せり。作者は誰とも雖v考
詠仙人形 此端書心得難し。若しくは後人の加筆ならんか。歌の趣もて跡にて注したる趣にも見ゆる也。歌の意は忍壁皇子を祝し奉りてよめる也。仙、釋名曰、老而不v死曰v仙。仙遷也。遷入v山也。故制v字人傍山也
1682 常之陪爾夏冬往哉裘扇不放山住人
とこしへに、なつふゆゝくや、かはごろも、あふぎはなたず、やまにすむひと
常之陪はとこしなへに也。日本紀に衣通姫の歌にも此詞あり。とこしなへと云古語也
(488)夏冬ゆくやとは革衣と扇を放たず持てれば、夏冬の差別無く、仙境は暑寒苦難も無く常住不變なるやと也。これは屏風抔の繪に仙人の形を書けるを見て、皇子を祝し如v此よみて奉れるならん
獻舍人皇子歌二首 誰人の奉れるか。作者は不v知也
1683 妹手取而引與治※[手偏+求]手折吾刺可花開鴨
いもがてを、とりてひきよぢ、うちたをり、わがかざすべき、はなさけるかも
とりてと云はんとて、妹が手をとは詠出たり。この歌は花の盛なるを告げ奉りて、皇子を請し奉らんの意と聞ゆる也
1684 春山者散過去鞆三和山者未含君待勝爾
はるやまは、ちりすぎぬれど、みわやまは、いまだふゞめり、きみまちがてに
春山 惣名にあらず。一山の地名と云証明此歌にても明也。君待がてには、君を待つが爲に未だ咲だにもせずつぼめると也。この歌も皇子を請し奉り度と願ふ意をよめる歌と聞ゆる也。春山は皇子御座所近所なるか。そなたの春山は花散り過ぬ共、こなたのみわ山は君を待ちがてに未だ咲だにもせぬとの義也。此歌の意或抄の意は皇子の恩光の〔以下注ナシ〕
泉河邊間人宿禰作歌二首 泉河は山城の國の河也。はしうどのすくねと計ありて名は難v考
1685 河瀬激乎見者玉藻鴨散亂而在此河常鴨
かはのせの、たぎるをみれば、たまもかも、ちりみだれたる、このかはとかも
此河常鴨 素本には此の字を脱せり。印本にはあり。あるべき事也。此河常は水間瀬間の事也。歌の意は河の瀬のたぎり流るゝ、水の白玉などの散亂れたるを、すぐに玉藻の如くなると見たてたる也
1686 彦星頭刺玉之嬬戀亂祁良志此河瀬爾
ひこぼしの、かざしのたまの、つまごひに、みだれにけらし、このかはのせに
(489)此歌彦星と詠出たる事珍しき義也。天河などの歌ならばさもあらんに、泉河の邊にとあるにはより所無き樣なれど、河と云を天河の縁にとりてよめるか。又天河も此邊にて近あたり故、かく詠出せるか。第十に、此夕部降來る雨は彦星の早やこぐ舟のかいちるがごとゝ詠める、櫂の雫の散るかと云意に、これは空より降くる雨なれば、七夕の夜ならず共詠まるべし。此歌は少珍しき五文字、より所少けれど、天の河の近所にて、しかも河と云を天河にとりなして詠めるなるべし。河瀬の波の玉の如くに見ゆる景色をかく詠なせるは、尤面白く珍しき也。清輔朝臣の、立田姫かざしの玉の緒をよわみ亂れにけりと見ゆる白露、と詠める、これらの歌によりて、思ひ付たるならん
鷺坂作歌一首 山城國久世郡に有。人の稱號に向坂と書てさき坂とよむ。此所の出所か
1687 白鳥鷺坂山松影宿而徃奈夜毛深往乎
しらとりの、さぎさかやまの、まつかげに、やどりてゆかな、よもふけゆくを
何の意も無くす直によく聞えたる歌也。印本の假名付に、宿りてゆくなとあるは、カの字クとなりたる也。夜もふけ行けば松の陰に宿りてあけてゆかんとの歌也
名木河作歌二首 和名抄云、山城國久世郡那紀。なき河の歌とあれど、歌の表はたゞぬれたる事計をあらはせり。名木は鳴と云意によせたる歌も有
1688 ※[火三つ]干人母在八方沾衣乎家者夜良奈羈印
あぶりほす、ひともあれやも、ぬれぎぬを、いへにはやらな、たびのしるしに
旅行の身なれば、誰あぶり干す人のあらんやも、名木河にてぬれたる衣を其まゝに家にはやらんと也。この歌の表にては、名木河の作といふ處は聞えねど、ぬれ衣と云にて知らせたる也。なき河を渡りてぬれたると云意、又なぎ河と云名によせて、ぬれ衣とは泣きてぬれたると云意にも聞えたり。あぶりほすと云ことは、珍しき樣なれど、古詠いか程もよめり。紀貫之歌には衣をあぶり干す事をよめる歌も有
(490) なには女が衣ほすとてかりてたくあしびの煙たゝぬ夜ぞ無き
拾遺集物名松茸をよめる歌、すけみ
足引の山した水にぬれにけりそのひまつたけころもあぶらむ
この末にもあぶりほすと云歌あり
1689 在衣邊著而※[手偏+旁]尼杏人濱過者戀布在奈利
ありそへに、つきてこぐあま、からびとの、はまをすぐれば、こひしくある也
ありそへ 地名と見る説有。又荒礒と見る義まち/\也。越中の國にあり。その濱と云所あれば、杏人の濱も、つのかあらしらの來りし所を云かとの説あり。杏人濱何の國にありとも不v知。此歌名木河とありて、荒礒邊杏人濱とよめる義心得難し。山城の地名ならば、杏人の濱云傳へざる事もあるまじ。數百歳を經ぬれば、云誤れる事もあらんか。おして云はゞ、名木河へ行道筋のあら礒邊、杏人の濱ともいふべきや。山城國中にはあらき礒と云べき程の大河も無く、宇治川を東國人は西國一の大河など、平家物語にも梶原が云へる計り也。此歌名木河の歌と云事、二首共に慥には聞き定難し。名木河に泉郎の住程の大河今の代に地名の不v殘濱いかに共心得難し。海湖には泉郎をも詠べきに、河にあまをよめる事も珍しき也。尤も極めて有まじとも云はれまじけれど、通例には覺えぬ義也。歌の意は、荒磯邊につきて漕まふあま船の、から人の濱を過來れば、そのあま船の戀しきと云意なるべし。あまの釣するを見つゝ過來るに、杏人の濱を過來れば、隔たりて不v見故、そのあま船の戀しきとの歌と見るべし。全體の意しかとは聞え難し。先一通はから人の濱を過て、名木河へ渡る時の歌と見置也
高嶋作歌二首
1690 高嶋之阿渡河波者驟鞆吾者家思宿加奈之彌
たかしまの、あとかはなみは、さわげども、われはいへおもふ、やどりかなしみ
此歌第七卷※[覊の馬が奇]旅の部に載られて、河波を白波とある迄のかはりにて尤書樣は違へり。別人の歌か。こゝは高嶋の作とある故、(491)二度あげたるものか。歌の意は別に注せる如く、河波は騷ぎてものさわがしけれど、旅宿の夜すがらそれにも紛れず、古郷を慕ふとの歌也。高嶋、あと河、皆近江の地名也
1691 客在者三更刺而照月高島山隱惜毛
たびなれば、よなかをさして、てる月の、たかしま山に、かくらくをしも
三更は夜半を義訓に讀ませたり。五更を曉とするから三更は夜半也。夜中をさしてとは兩義をかけて云へる義也。夜中と云所をさして云義と、又よるの夜半をさして、旅行するとの義をいへり。さしてと云事はすべて行事を云。神社などへ詣づることをもさしさすと云也。こゝはその兩樣をかねて、月のさし照らすと、人の夜中へ向ひて出て行との意也。よりて旅なればと云て、其旅行を照らす月の、高嶋山に隱れて暗からん事の惜しきと也。山高ければ月の隱れて見えざる也。それを高島山を取出て、同所地名夜中とかけ合てよめる處おも白き也
紀伊國作歌二首
1692 吾戀妹相佐受玉浦丹衣片敷一鴨將寐
わがこふる、いもにあはさず、たまのうらに、ころもかたしき、ひとりかもねん
玉の浦前にも出たり。第七にあり。第十五にもよめり。これは同名異所也。奧州にもあり。日本紀景行卷云、爰日本武尊則從2上總1〔轉入2陸奧國1、時大鏡懸2於王船1、從2海路1廻2於葦浦1横渡2玉浦1、至2蝦夷境1云云〕後京梅攝政の、きり/”\す鳴くや霜夜の下の句も、この歌の下の句一言不v違也。あはさずはあはず也
1693 玉匣開卷惜※[立心偏+(メ/広)]夜矣袖可禮而一鴨將寐
たまくしげ、あけまくをしき、あたら夜を、ころも手かれて、ひとりかもねん
此歌は前の歌の餘意を詠める也。玉の浦の景色の面白きを思ふ妹とも見ずして、妹の袖とも別て、たゞ獨りねん事の惜しきと也。あたら夜とはあたらしき夜と云心にて、夜をほめたる義也。夜をほむるとは、その所の景色の面白きを、見あかさんもの(492)をと云意也
鷺坂作歌一首
1694 細比禮乃鷺坂山白管自吾爾尼保波※[氏/一]妹爾示
【ほそ・たく】ひれの、さぎさか山の、しらつゝじ、われにゝほはて、いもに見せなん
細比禮 白細と書きて白妙と讀ませたり。よりて、たへもたくも同じければ、たくひれとは讀めるか。鷺の頭に細きひれの樣なるもの有。それを云義なれば、細ひれと讀まんことも事實に叶へり。細ひれと云ては、詞拙故印本に古くたくひれとは讀ませたるか。これらは何れにても苦しからぬ義也。好所に從ふべし。俗にこれを簑毛とも云なり。慈鎭の歌に、恐しやかもの河原の夕凪に蓑毛吹かせて鷺たてるめり。此歌の蓑毛は身の毛を兼ねて詠めるならん。今俗に恐しき事を、身の毛もよだつなど云也
白管自 第三卷にも、風はやのみほの浦回の白つゝじと詠めり。こゝは鷺坂山なる故、白き縁を求めて詠出たり
吾爾尼保波※[氏/一] この詞珍しき詞故、諸抄の説も色々也。大方※[氏/一]の字を濁音に讀みて、願ふ意美しき色の、我にうつれかしと願ふ詞と釋せる説あり。又匂はぬと云意、匂はぬ故殘多し、匂はゞ妹にしめし見せんをと釋せる説有。何れも心得難し。是は匂へと云詞をのべて云たると聞えたり。また※[氏/一]は助語にも聞ゆる也。匂へと云ふへを延ぶればはて也。然れば此義を取べし。われに匂へ、妹に見せんとよめる也。此集中には言葉を約めていひ、また延べていへる古語あげて數へ難し。然れば既に此匂はても、にほへの延言なるべし
泉河作歌一首 山城國泉河也。和名抄云、〔山城國相樂郡、水泉、以豆美〕
1695 妹門入出見河乃床奈馬爾三雪遺未冬鴨
いもがかど、いりいづみがはの、とこなめに、みゆきのこれり、いまだふゆかも
いもがかど入出 出入を顛倒に泉川と詠出んとてかく詠出たり
(493)床奈馬爾 此詞第一卷にも有て、濟難く續き難きことなれど、此にかく假名書の如くにあれば、とこなめと讀まではなり難し。河の床と書ける詞心得難けれど、今俗にも河床と云事あれば、古くより云來るか。諸抄物の説、川中にある石の、水の垢付きて常に滑かなると云義と釋せり。かく云ては、み雪の殘れると云義には少あひ難き也。一説には、とこしなへにと云義といへり。此義は此歌には叶へるか。床は敷ものなれば、こゝも義をもてしきなみと云に、床の字を用たるとも見ゆる也。重波と云ことは語例古語ありて、河のと云にも續く詞也。尤此歌、波の樣に雪の殘りたると見たてたる歌也。これは泉川の邊に春の頃雪の殘れるを見て、泉川の床波の樣に雪の殘れるは、こゝはまだ冬にもやと疑ひたる也。とこなめをとこしへにと云義には見らるれど、常に滑かなる義と云説は不v合義也。雪をなみと見る義、又常しなへと云方には叶ふべき也
名木河作歌三首 又此處に名木河の歌を擧られたるも不審也。前にあぶりほすの歌有。こゝにも有。前のあぶりほすの歌此所にありて、ありそへの歌は、杏人の濱の歌と云端作りを、名木河と誤りたるか。同卷の内、間も無く同所の歌をわけて擧たる事不審也。尤此卷には如v此の類あまたあれば、わけも意味も無く、たゞ作者別なる故、幾所にも別々にあげたるか。鷺坂の歌も幾所も有
1696 衣手乃名木之河邊乎春雨吾立沾等家念良武可
ころもでの、なぎのかはべを、はるさめに、われたちぬると、いへおもふらむか
衣手のなぎと續けたるは、泣きて衣をぬらすと云續きと、諸抄に釋したれど、さは續かぬ義也。衣手のなるゝと云、なの一語にうけたる續き也。衣手をと云手爾波なれば、泣きてぬらすと云續けと云はるべし。乃と云續きはなるゝと云義か。又袖をなぐと云事もあれば、袖のなぎたると云意にうけたるなるべし。然れ共衣の袖は皆着なれと云意によめる歌、又冠字にも詠めばなるゝの方なるべし。歌の意は旅行の物うきに故郷を慕ひ泣き、涙に衣手のぬれたるをも、春雨にぬれたるらんと、家人は思ふらんかとの意也
1697 家人使在之春雨乃與久列杼吾乎沾念者
(494)いへ人の、つかひなるらし、はるさめの、よぐれどわれを、ぬらすとおもへば
此歌の意、よくれ共かく濡るゝ春雨は、家人の使なるらん、よきてもかく迄慕ひぬるゝはと云意也。なき河の詮は聞えねど、ぬるゝと云を縁にして、前の春雨にわれ立ぬると詠めるをうけて、名木の作を知らせたる也。或抄によくれのくの字清濁の論を云へり。きはめて濁音也。物によそへる時は、濁音清音に拘らぬ事も有。一概とすべからず
1698 ※[火三つ]干人母在八方家人春雨須良乎間使爾爲
あぶりほす、人もあるやも、いへびとの、はるさめすらを、まづかひにする
前の歌の餘意をよめり。かく春雨の降りてぬらすは家人の使なるべし。旅なれはあぶりほす人も無きに、何とてかくは使にはするぞと恨みたる意也。春雨すらは春雨らをと云心他。間使のまは初語也。あなたとこなたとの間を通ずるもの故、間の使と云との説も有。さも云はるべけれど、初語の方然るべし。この歌も名木河の作とは、いづこをさして見る處無けれど、春雨すらをと云處、名木河にては衣のぬるゝものにして、その上に春雨すらをと云の意にて、名木河のことを、すらと云ふ詞に含みたる歌と聞ゆる也
宇治河作歌二首 山城のうぢ河也
1699 巨椋乃入江響奈理射目人乃伏見何田井爾雁渡良之
おほくらの、いりえひゞく也、いめびとの、ふしみがたゐに、かりわたるらし
巨椋入江 延喜式神名上云、山城國久世郡巨椋神社。また紀伊郡に大椋神社有。此巨椋の入江は久世郡也。伏見の内にも大椋の社の鎭跡ある由云傳へたり。これは紀伊郡大椋神社の鎭跡なるべけれど、實記無ければ決し難し。先此處の巨椋の入江は、向嶋など云所と聞ゆる也。いめ人の伏見、いめ人は、いめ立てゝとみの岡邊などよめると、同じきと云説もあれど、これは夢の義なるべし。夢は伏して見るものから、伏見が田井を云はんとて、いめ人とは詠出たる也。これらが歌の續きがらの至極の義也。いめ人は狩うどのことゝ云説ありて、いめと云ものを立て腹這伏して、鳥しゝなどの通ふ道あとなどを見るもの故、(495)ふし見と受けたるとの釋あれど、夢人の方然るべからんか。尤いめと計りよみても、ふし見とうけらるゝを、人と云たるは、いめを立てゝ伏はらばひて見るもの故、人のふし見とうけたるとの意に見るも一義無きにあらねば、これらはいづれとも決し難し。宗師説は夢を人の伏し見ると云うけに見る也。歌の意倉と云ものは、物をいるゝ物なる故、同じ冠辭にても其縁をうけて、大椋の入江と詠出て、即ち入江の事實をよみて、其入江の響き鳴るは、相向ふ處の伏見の田井に、雁の渡り來る響きならんとよめる也。然れば大椋の入江と伏見とは間隔たらぬ所と聞ゆる也。うぢ河は伏見の南を流て伏見の内を流行なれば、此歌の事跡も相叶へり。宇治川の流の末をよめる也
1700 金風山吹瀬乃響苗天雲翔雁相鴨
あきかぜの、やまぶきのせの、なるなへに、あまぐもかける、かりにあふかも
金風 四方四季を五行に配當して、義をもて秋風と讀ませたり。尤唐にても金風を秋風と用る例ありて、古く書來れると見えたり。秋風起白雲飛雁南に赴くの意をよめる歌也。さて秋風は、山より吹出るの意に山吹とうけたる也。秋の草木のしほるれば共云意をもて、山に吹と云續け也。則宇治川に山吹の瀬あれば、地名にあはせて也。天雲かけるは、風はげしければ自づから雲もかける如く、又雁もかけり渡ると云、兩方をかねてよめる也。あふかもは時節の來りたることを嘆息して、春過夏も去りて、今はた秋風起つて天をかけりて己が來る時ぞとて、はる/”\越路の雁にあふ事かなと、時節の過行來れるを感嘆して宇治川の地名によせてよめる也。雁を見るかも共讀むべし。いづれにても意同じき也。宇治川の河上をよめる歌也。前の歌河の末の地名をよめり
獻弓削皇子歌三首 誰人の奉れるか難v知。奧の袖書を証として注せば、此歌共も皆人丸の奉れるか
1701 佐宵中等夜者深去良斯雁音所聞空月渡見
さよなかと、よはふけぬらし、かりがねの、きこゆるそらに、つきわたるみゆ
此歌は古今集秋の部に入てあり。これ後人の書入たると見えたり。歌の意は聞えたる通也。皇子を待戀て、夜の更行を惜み(496)てよめるか。何とぞよせる處あるべけれ共、其意は知れ難し
1702 妹當茂苅音夕霧來鳴而過去及乏
いもがあたり、茂かりがね、ゆふぎりに、きなきてすぎぬ、ともしきまでに
此茂苅音と云茂の字いかに共讀難し。印本譜抄等にもしげきと讀ませたれど、しげき雁がねと云義は無きこと也。義訓の讀樣あるべし。とかくしげきにては決て無き事とは知れたれど、何と讀みたるか、別訓決着せぬ也。茂の字の字注共を考ふるに草木繁榮の字義、盛の義也。尤草木繁茂して夏鳥の爲v庇と云字義あり。然れば別訓是等の字義をとりて讀樣あらん。宗師案は盛と云字に通ずればさかると讀まんか。但し茂きと云詞集中にあまたありて、すまぬ處共多ければ、すごきすぐるなど音を通じて讀ませたるか。いづれにてもしげきとは續かぬ詞也。愚案には庇と通じて、義をとりて深きとか、宿るとか隱るとか讀まんか。庇の字の意に通ずる意字書に見えたれば、やどりとか、やどるとか、又陰の字に通じて隱ると讀みて、かけるの意を兼ねて讀まんか。然らば歌の意も濟むべきか。しげきと云ては菟角義通じ難し。尤雁の多く妹があたりはわたるべけれど、こゝは微かに乏しきと云意にて、しげきと讀める共云べけれ共、しげき雁がねとは何分にも不v續詞、語例句例無き詞は義通じても難v用也。夕霧の中に鳴過ぐる故、幽に遠ざかりて乏しきは遙なる意、友ほしきと云ことにも聞えて、こゝは寂しき方に見るべきか。前にも注せる如く、乏と云詞は歌によりて一樣ならず。色々に用たる詞也。この歌にては、微かなる意寂しき意によめる也。茂の字の訓は宿るか隱るかの内ならんか。奧の多武の山霧茂鴨の茂の字も、霧のしげきと云事は無き事也。これも深き鴨と讀まんか。隱るゝと讀む意を通じて深きと讀まるべし。しげきと讀みては歌の意いかに共不v通。又續かぬ詞語例無きことなれば、兎角的中の別訓を可v考。此歌の全體意味不2打着1也。尤なぞへ奉るの意有べし
1703 雲隱雁鳴時秋山黄葉片待時者雖過
くもがくれ、かりなくときに、あきやまの、もみぢかたまつ、ときはすぐれど
この雲隱れと讀ませたるも心得難し。雲に隱れて鳴と云心にてさ讀ませたらんか。然れ共これも雲翔の意に、隱ると兩方を(497)兼ねて雲かくる雁鳴くと讀まんか。雲は空と云に同じくて、雲をかける雁なれば、かくれよりかくるの方よからんか。これらは好所に隨ふべし。片待の片は助語初語也。たゞ雁の鳴につけて、も早時は過ぎたれ待との意也。これは皇子を待と云意を含めて、片待とはよめるならん。時は過ぐれどと云義少聞分難し。も早黄葉の時は過ぎたれどと云意と見置也。片待は片戀の意もありて、こなたにのみ待と云意を含めて詠めるか。右三首共よそへたる意はいかに共聞知り難し。何とぞ作者の意あるべき也
獻舍人皇子歌二首
1704 ※[手偏+求]手折多武山霧茂鴨細川瀬波驟祁留
うちたをる、たむの山ぎり、茂かも、ほそかはのせに、なみさわぎける
多武山 吉野也。多武の峰と云これ也。大和國十市郡に有。齊明紀云、於2田身嶺1冠以2周垣1【田身山名、此云2太霧1】此山也。たむと云はんとて、うちたをりと冠向に詠出たり。枝を折るには何にてもたわめて折るなれば、如v此續けたり。これらの續けがら上手の續けなり。たをる、たとうけたる詞の續きを、甘心すべし
茂鴨 この詞不v濟也。印本諸抄物にはしげきと讀ませたれど、霧のしげきと云事有べきや。何とぞ別訓あるべし。作者は何とぞよき讀樣ありて續けたらんを、今の世となりては、撰者書遺したる文字の讀解も正意を知らざる也。しげきと讀みては歌の意も不v通、詞も例無き也。然ればさは讀まれぬ故、撰者此字を書きて、此時代は紛るべくも無く作者の詠みし通に讀みなしたらんを、かく讀迷ふ事は拙き事なり。宗師案はしげきとすごきと音通ふなれば、山霧立ちて谷川などの水かさ増りて、波立騷がば凄からんなれば、すごきと讀べしと也。愚案は兎角茂の字は讀なすものによりて、其もの/\にて訓義替れると見る也。決してしげきにては無く、茂の字義を通じて盛の意、繁茂の意、又庇の字義を通じて、前の歌はやどる共讀べきかと注せり。此歌にては深きと讀まんか。繁茂盛庇の字の意をとりて、深きと云意無きにもあらず。霧の盛なるは深きといはるべし。
又庇の字の意も、深きと云はれまじきにあらざれは、深きと讀ませたるには有べからんか。霧深き故、草木の露したゝりて、細(498)川の谷川も自づからまさりて、波も靜ならざると云義察し難し。細川も大和の地名也。波さわぎける共、浪のさわげる共讀むべし。天武紀云、五年五月、勅禁〔南淵山〕細川山並莫2蒭薪1〔又畿内山野元所v禁之限莫2妄燒折1〕
1705 冬木成春部戀而殖木實成時片時吾等叙
ふゆごもり、はるべにこひて、うゑしきの、みになるときを、かたまつわれぞ
春べに戀ひてうゑし木の 上の冬ごもりは春邊といはん序也。成の字の事は、前に注せる如く、戍の字の誤りたる也。春べに戀てとは、冬の内はかぢけたる木を、春になりて植ゑんと願ひてうゑし、其木の花咲き榮えて、實なる事を待願ふとの義也。これは舍人親王の御出世の義を願ふ下心を、かくよそへたると聞ゆる歌也。愚案若し前の歌此二首共に、女などの皇子に思ひをかけて奉れる歌か。又皇子の兼て憐み拾ふ女子などありて、さはりつかへの事など有故、思召まゝにも成難き人故、女子の方よりかく詠て奉れるか。浪騷ぎけるなどよめるは、人の云騷ぐ事などによそへたるとも聞ゆる也
舍人皇子御歌一首、皇子の事は第三卷に注せり。此御歌は御返歌などにやあらん。但し奉れる歌を擧たる故、御和歌ならねど擧られたるか
1706 黒玉之夜霧立衣手高屋於霏※[雨/微]麻天爾
ぬばたまの、よぎりはたちぬ、ころもでの、たかやの上に、たなびくまでに
黒玉 ぬば玉は黒き玉なる故、義をもて直に書たる也。鳥玉と書も此埋也。夜は暗きもの故冠辭に据えたる也
ころもでの高屋とは、手のたと受たる迄也。一語にうけると云例是等也。高屋は大和添上郡に有。第一卷の終にも出たる地名也。この御歌の意も物に覆はれ、籠らせられて被v成2御座1樣子の歌に聞え奉る也。表一通は何の意も無く、たゞ夜霧の立て、高屋と云高き山迄も棚引くと、詠ませ給へる也。高屋と詠ませ給ふ所が、御趣向の所と聞ゆる也。先づは霧の高く立登ると云意に、表一通にても高屋とは詠ませ給ふ也。よそへ思召す御心は、何とぞわけ有ぬべし
(499)鷺坂作歌一首
1707 山代久世乃鷺坂自神代春者張乍秋者散來
やましろの、くぜのさぎさか、かみよゝり、はるははりつゝ、あきはちりけり
此歌には草木のこと無しに、春は張つゝ秋はちりと詠めり。何の事とも聞えず。第二卷にも有、高槻村の散りにける鴨と詠める例也。高槻と云槻の木の義を兼ねて、こゝもさぎ坂のきを、木と兼ねてよめると聞ゆる也。たゞ鷺坂の惣體を指して、草木の芽はり落葉する事にかくよめるか。歌の意は何の意も無く聞ゆる也。此歌新古今に入られたり。畢竟神代よりとよめるは、久しく變ぜず春秋を經來る處と云意にて、鷺坂をほめたる歌也。第十卷にもケ樣によめる歌有。其外長歌の詞の中にも集中に多き事也。拾遺集に元輔筑紫へ下りし時、かまど山の麓の木に古く書付たると有て、春はもえ秋はこがるゝ竈山と有。草木を表さずしてもかく詠來れり
泉河邊作歌一首
1708 春草馬咋山自越來奈流雁使者宿過奈利
はるぐさを、まくひやまより、こえくなる、かりのつかひは、やどりすぐ也
馬昨山 春草は馬の好み食ふ物なれば、かく續けたり。古詠の格皆かくの如し。馬昨山を雁の歸るさに飛超え來るを詠めるとて、さしつけて馬昨山とは續けず、先冠句を居て如v此よめること歌の第一の習也。これらを新しき冠辭と云もの也。しかも歸雁と知らせん爲の春草なるべし。馬昨とうけ續けん爲とて、春草をと詠めるは至極上手也。馬昨山は山城の内泉川の近所なるべし
雁使 これは歸雁の事を詠めると聞えたり。旅行にて泉河の邊にありて、雁の馬昨山を越鳴來るを聞て、故郷の便りをも聞べきやと、愚かに待つけしに、雁は越路へ歸るさを急ぎて、旅の宿りを名殘も無く過るを、かくよめると聞ゆる也
獻弓削皇子歌一首
(500)1709 御食向南淵山之巖者落波太列可削遺有
みけ向、みなふち山の、いはほには、ちるなみたれか、けづりのこせる
御食向 前に注せり。向は物の字の誤ならでは難v濟也。みなは御魚と受たる義なるべし。諸抄の説は眞向ふことに注せり。食物の膳に向ふ如く、相對し向ふ義に釋せり。當流には不2信用1也。扨此南淵とは、皆淵と云意と、藤と云意をかねてよめると聞ゆる也。ちる波とよめるも、淵藤の縁をもて岩ほの姿を、波の散かゝれる樣に見立たる歌なり
削遺 この削り遺せるとは、巖の姿の波の散かゝりたる如くに、誰人か削りなして、かくは世に遺せるぞと、巖の景色を賞したる義也。削と云義、唐の詩文等にも、山形岩象などのこと景色の事に云來れり。山海經に、太華之山削成而四方其高五十仞。左太仲魏都賦云、擬2華山之削成1。如v此云來れば、此歌もケ樣の文をふまへて削とは讀たるならん。尤皇子の御名の弓削をよせて、何とぞ奉2賞讃1意にかくよめるか
右柿本朝臣人麻呂之歌集所出 此袖書は此一首の歌の注か。但しこれ迄の歌共の事か、不2分明1。然しながら先指す所は此一首と見る也
1710 吾妹兒之赤裳泥塗而殖之田乎苅將藏倉無之濱
わぎもこが、あかもひづちて、うゑしたを、かりてをさめん、くらなしのはま
此歌刈て收めん倉無の濱をいはん爲、序に上は詠出たる也。泥塗の二宇前にも、ひたしひづちと讀みて、泥にぬれたるを云義をもてひづちと讀ませたり。ひぢぬれてと云意也。衣のぬれひぢて、田を植る程の賤女に、赤裳裾引とよめるは、不2似合1樣に不審をなす人有。古實を知らざる故也。上古は皆尊卑の差別無く、女は赤き裳と云ものを着用したる也。裳は腰より下の服也。衣裳と云時は、衣は上表、裳は下内の服也。官女は紅緋の絹織物の裳を着し、下女賤女は布麻の赤色の裳也。今下々の女前垂と俗語に云來れるは、こゝに云裳の事也。昔はおしなべて、今の前垂の如きものを着たる也。赤色を用たるは、毒虫の嫌ふもの故也。紅は蛇の類嫌ふもの故、此色を上古より用來れり。今田舍の女、惣て前垂を赤色に染て着する、是上古の遺(501)風猶存せり。倉無をくらなしと讀ませたり。濱と云地名をよめる歌なれば、波のよせにくら波と讀まんか。藏無の濱は豐前と傳來れり。今もあるか、未v考。
1711 百傳八十之島廻乎※[手偏+旁]雖來粟小島者雖見不足可聞
もゝづての、八十のしまわを、こぎくれど、あはのこじまは、見れどあかぬかも
此歌もたゞあはの小島の地名をよめる迄の歌也。八十の島廻は、幾嶋も廻り/\て漕來れ共、あはの小島の景色は、見ても見てもあきたらぬと、小嶋を賞美したる迄也。八十といはんとて、百づてと讀かけて、百傳の事は前にいくらも注せり。この二首共地名をよめる歌なるに、標題を擧げざるは脱落したるか。前の歌に准じていはゞ、弓削皇子に奉る歌と云べけれど、歌の意かつてさは聞えねば、端書を落せるならん。日本紀當集第三の歌にも、もゝつたふと讀ませたれど、百傳之とこゝには書たり。然ればつたふとは讀難し。此歌はつてのと讀べし。意つたふの義也
右二首或云柿本朝臣人麻呂作
登筑波山詠月一首 月の下に歌の字を脱せるならん
1712 天原雲無夕爾烏玉乃宵度月乃入卷惜毛
あまのはら、くもなきよひに、ぬばたまの、よわたるつきの、いらまくをしも
よく聞えたる歌也。不v及2細注1他
幸芳野離宮時歌二首
1713 瀧上乃三船山從秋津邊來鳴度者誰喚兒鳥
たきのへの、みふねやまより、あきつべに、きなきわたるは、たれよぶこどり
瀧のへ、三船山、秋つべ、何れも地名也。歌の意別義無し。呼子鳥の鳴過ぐるを、幸の供奉にて聞し折よめるならん
(502)1714 落多藝知流水之磐觸與杼賣類與杼爾月影所見
おちたぎち、ながるゝ水の、いはにふれ、よどめるよどに、つきかげみゆる
吉野の瀧の宮の景色をよめる也。別の意なし
右三首作者未詳 一本三首を二首に作る。是とすべし
槐本歌一首 えにすもとゝ云氏なるべし。すべて此已下の歌、氏計をあげ、又名計をあげて委敷不v記也
1715 樂波之平山風之海吹者釣爲海人之袂變所見
さゞなみの、ひらやまかぜの、うみふけば、つりするあまの、そでかへる見ゆ
さゞ波の比良近江の地名をよめる也。ひらの山おろしの海をふきわたれば、つりするあまの袖ひるがへす景色をよめる也。よくきこえたる歌也
山上歌一首 山上憶良をいへるか
1716 白那彌之濱松之木乃手酬草幾世左右二箇年薄經藍
しらなみの、はまゝつのきの、たむけぐさ、いくよまでにか、としはへぬらむ
此歌第一卷に被v擧て、又こゝに被v載。尤第一卷にて少詞違たり。左の注も作者はこゝとは裏表に注せり。何れ共決し難し。歌の意は第一卷に注せられたり
右一首或云河島皇子御作歌 右に注せる如く第一卷にては幸于紀伊國時川島皇子御歌。或云山上臣憶良作と端作に有。こゝの袖書端作とは裏腹也。又濱成式には角沙彌紀濱歌云々。かゝれば兎角いづれ共決し難き作者也。第一卷にては、白浪乃濱松之枝乃手向草幾代左右二加年乃經去良武。一云年者經爾計武
春日歌一首 これは藏首老が歌か。氏計を記したる也
(503)1717 三川之淵瀬物不落左提刺爾衣手湖干兒波無爾
みつかはの、ふちせもおちず、さでさしに、ころもでぬれぬ、ほすこはなしに
三河 參州の地名と云來れり。不v考。みつかはと讀までは地名になり難し。みかはと計りは讀難し
ふちせもおちず 淵も瀬も殘さずと云義也。一夜もおちずなどの義と同じ
左提 小網也。和名抄云、〔文選注云、※[糸+麗]【所買反師説左天】網如2箕形1、狹v後廣v前名也〕
湖 ぬれぬと讀べき義なし。沾の字の誤りたる也。此歌もみつ河と云地をよめる迄の歌也
高市歌一首 これは高市黒丸か
1718 足利思代※[手偏+旁]行舟薄高島之足速之水門爾極爾濫鴨
此歌の初五文字いかに共定め難し。印本諸抄の説はあしりをばと讀ませたり。一本代を伐に作れる有。假名にをばと讀來れるは、伐の字正本か。然れ共思の字、をと讀まんこと、無下に假名違也。思ふの假名は手爾波のをには用難し。又足利の二字をあしりと讀む義證明未v考。あとしともあとゝも讀べければ、これもいづれと定め難し。此卷の奧に今一首足利と書る歌あれど、これも共にあとしか、あしりか、あとか、決し難し。尚其所にて注すべし。宗師案、あとかは波などよめる地名のあとにて有べし。下の句にも足速と有。なれば思伐は四極と云地名近江にあらば、あと、しはつの二ケ所を云たる五文字ならんと也。第三、高市黒人羈旅歌八首の内に、近江の地名の列によめる、四極山打越見ば笠縫の島漕かくる棚なし小船。然れ共此四極豐前豐後近江論ある事也。八雲には豐前と有。顯昭は笠縫、豐前と注せり。此集の歌の次、尾張近江の歌を列ねたれば、此一首豐後尾張なるべき樣なし。近江なるべし。愚案は、あとしはつ漕行と云て、又あとの湊にはてんとよめる意心得難し。はてにのはてに極の字を書たるは、思伐はしはつと云地名をよめると云意を、下の極の字にて知らせたるか。しはつとは極月と書來れば也。豐後と近江にしはつ山と云地名ありと云來れり。然れど其所を不v知ば決し難けれど、通例云傳たれば、この思伐もしはつにてあらんかと覺ゆる也。若しは數の字の意ならんか。屡漕行と云義にて、思伐と書たるか。尚地名を考へて(504)後決すべし。あしり、あとし、あと何れも慥成地名に隨ふべし
春日藏歌一首
1719 照月遠雲莫隱島陰爾吾舟將極留不知毛
てるつきを、くもなかくしそ、しまかげに、わがふねはてん、とまりしらずも
いづこに船はてんも知れねば、とまる迄照月の曇るなと願ふたる也。島かげにとまれば、月曇りては海路暗くて漕迷ふらんやと、照月を惜みて、舟路の暗からんを厭ふて也
一首或本云小辨作也或記姓氏無記名字或稱名號不稱姓氏然依古記便以次載凡如此類下皆效
焉 聞えたる注也。後人の加筆也。作者の名字難v考也
元仁歌三首 作者考へ難し。元仁は名と聞ゆる也
1720 馬屯而打集越來今日見鶴芳野之川乎何時將顧
うまなべて、うちむれこえき、けふみつる、よしのゝかはを、いつかへりみむ
馬屯 こまなべて共讀べし。馬をならべて也。蒐むると云字なれば、義を通じてなべてと讀ませたると見えたり。み幸の供奉などの時の歌ならん
1721 辛苦晩去日鴨吉野川清河原乎雖見不飽君
辛苦、くれゆく日かも、よしの川、きよきかはらを、みれどあかなくに
辛苦 第三卷にても此五文字を注せり。辛苦の二字を書たれば、苦しくもと讀まん事少心得難し。一字にてよむ字也。然れ共くもと添へたる詞有故かく讀めり。苦しと計りなれば二字は書まじき也。前にも歌に依て悲しと讀める處有。第三卷に注せる如くあまなくもと讀まんか。辛くにがきと書たれば甘からぬ也。あは嘆の詞間なく也。日の間無きを惜むの歌なれば也(505)歌の意聞えたる通也
1722 吉野川河浪高見多寸能浦乎不視歟成甞戀布眞國
よしのがは、かはなみたかみ、たきのうらを、みずかなりなん、こひしきまくに
瀧の浦 瀧のうしろの義なるべし。海邊ならで浦とは心得難し。然れ共芳野の川のおきと讀める歌もあれは、かはづらなどを浦とも云たるか。八雲には名所に載せさせ給へり。此歌の外にたきの浦と云地名見えざれば、地名とせん事も管見には決し難し。八雲の御抄に任せて先づは名所とせんか
戀布眞國 この眞國の字、見まく聞まくのまくか。又は吉野を賞して、よき國と云意にまくにと讀めるか決し難し。欲の字の意ならば、布の字しかと讀べし。然れ共こひしかまくにと云語例珍しければ、たゞ戀しき國と云意ならんか。まは助語に用たるならん。河浪高くて心ざせし名所の風景も見ずや果さん。さあらば戀しからまくにと云意也。又ほめたる眞國なれば、たゞ見ずなりなば愈戀しき國也と云意也
絹歌一首
1723 河蝦鳴六田乃河之川楊乃根毛居侶雖見不飽君鴨
かはづなく、むつだのかはの、かはやなぎの、ねもごろみれど、あかぬきみかも
歌の意、たゞ飽かぬ君かもとよめる義を、かく段々と詞の續きよく詠出たり。六田も吉野の内に有。今はひとひ田と云と也
川場和名抄云、本草曰、水楊【和名加波夜奈木】川邊に生る柳也。芽發出の初め赤く生る也。柳は青く芽を出す也。楊柳少の違あり
島足歌一首
1724 欲見來之久毛知久吉野川音清左見二友敷
見まくほり、こしくもしるく、よしのがは、おとのさやけさ、見るにともしく
(506)見まくほりは見まほしく也、いか計見まほしくて來りしも理りかな。清水の流れ行音もいさぎよく、面白き景色の珍しく頼母敷佳景とほめたる也。此友しくは珍しきの意、たのもしきと云意を兼たる乏しく也
麻呂歌一首
1725 古之賢人之遊兼吉野川原雖見不飽鴨
いにしへの【さかしき・かしこき】人の、あそびけん、よしのゝかはら、みれどあかぬかも
吉野は上代より明君賢臣の住みもし給ひ、遊びもし給ふ萬國に勝て佳景勝地と云傳へたる如く、既に此時分の歌にもかく詠置たり。歌の意は能聞えたり
右柿本朝臣人麻呂之歌集出
丹比眞人歌一首 屋主か、又は乙麻呂か
1726 難波方鹽干爾出而玉藻苅海未通女等汝名告左禰
なにはがた、しほひに出て、たまもかる、あまのをとめら、ながなのりさね
玉藻を刈るあま共の名を名のれと也。さねと云ことは前にも毎度注せり。名のれよと云意也
和歌一首 海未通女の和へたる歌也
1727 朝入爲流人跡乎見座草枕客去人爾妻者不敷
あさりする、ひとゝを見ませ、くさまくら、たびゆくひとに、つまとはならじ
ひとゝをのをは助語也。たゞ人と見ませ也
不敷 これは效の字の誤り、ならふと云字にて、ならしと讀みて、不v成の意ならん。海女郎の名をのれと親み戯れて詠かけたる故、あさりする卑しきあまとのみ見てましませ、旅行く人に名をのりても、妻とはえなるまじきと、すげなく和へたる也。敷(507)の字數の字の誤か。それにてもならふと讀む故、ならじと讀ませたる字ならん。しかじと云意は、不及と云義と釋せる説あれど、六ケ敷也。兩字の内の誤と見ゆる也
石河卿歌一首
1728 名草目而今夜者寐南從明日波戀鴨行武從此間別者
なぐさめて、こよひはねなん、あすよりは、こひかもゆかん、こゝにわかれなば
何の意も無き聞えたる通の歌也。旅行抔にて遊女などによみて遣したる歌ならんか
宇合卿歌三首 世に大方のきあひと假名をつける也。馬養の事なるに假名書を不v知故也
1729 曉之夢所見乍梶嶋乃石越浪乃敷弖志所念
あかつきの、ゆめに見えつゝ、かぢしまの、いそこすなみの、しきてしおもはる
歌の意は思ふ人の夢にも見え、うつゝにも忘れず慕はるゝと云義を、梶島の地名によせてよめる歌也。思ふ人の敷てし所念と讀まんとて、かぢ嶋の磯こす波のと序に云かけたり。古詠の格皆これ也。上に心有にあらず
敷弖志 此詞印本の假名付の如くにてはいかゞ。上に夢に見えつゝと讀たれば、下にうつゝの事を掛合てよめるにはあらんか。波のしきてと云續き心得難し。たつとか、うつとか、よるとか、ならでは續かぬ事也。古詠は此格を違ふ事無き也。尤しき波とよむ故、しきとも續けたるか。集中此しきしくと詠める歌數しらず。悉くうつと讀まんか。敷の字はうつと読む事令義解神祇令の注に見えたり。然れば現の字の意に用たる處もあるべし。此歌も上に夢にと讀たれば、浪のうつとうけて、うつゝ現在の處の義にかねて云たるか。しきてし思はると云、しきてしの詞不v濟也。尤もしきは隙間無きと云詞なれば、隙間無く思ひ忍ぶ意と見るべけれ共、浪のと詠かけたれば、うつとうけたりと見ゆる也
追考、集中に志久志久所思ご書ける假名書あれば、敷の字しきてと讀まんか。しきては隙間無きの意ならん
てしのては初語に用ること多し。うつし忍ばると云意也。しきてしを強て釋せば、隙間もなく不v被v忘思ふと云意と見る時(508)は、しきて忍ばると讀まん方然るべしや。梶嶋丹後と云來れり。旅泊にて人を戀慕ふ歌なるべし。宇合卿行役に勞せられたる事、詩歌に表れたれど、丹後の國へ赴かれたる事は不v見。節度使などにて西國へは行かれたれば、西國の内に有地名か。八雲にも梶嶋丹後と有。考へさせ給ふ處ありてか
1730 山品之石田乃小野之母蘇原見乍哉公之山道越良武
やましなの、いはたのをのゝ、はゝそはら、見つゝやきみが、やまぢこゆらん
山品、のちの抄物集物等には山しろと記せり。當集を篤と考へざる故ならん。次の歌に山科と迄書たれば、まかふべくも無し。尤山城の地名也
石田 今はいし田とのみ云て、いはたとは不v稱。當集延喜式等にもいはたと假名をつけたり。今も石田の杜に社ありて田中の社 云。田中の杜故俗語に社號と云來れるか。延喜式神名帳去、宇治郡山科神社二座。和名抄云、宇治郡山科【也末之奈】小野【乎乃】石田。延喜式神名帳云、久世郡石田神社。かくの如くなるに、石田と山科とは南北の行程一里餘隔れり。山科は惣名にして石田は小名なるか。久世郡と宇治郡と別ちて延喜式にも載せられたるに、此集にかく山しなの石田と二首共によめり。十三卷にも山科の石田とよめり。これらは、惣名とその内の地名の小名との差別ならん。喩へば大和のふなばりを、日本紀にては菟田郡に被v記、延喜式には城上郡に載せられたる類にもや
母蘇原 今俗にはふその木と云。くの木の種類也。和名抄云、柞、四聲字苑云、音祚一音昨、和名、由之、漢語抄云、波々曾〔木名、堪v作v梳也〕此はゝそ原は地名にはあらず。林のある原と云義也。旅行にてはゝと云名を慕ひて、柞原を眺め過行らんと思ひやりてよめる歌と聞ゆる也。宇合の自身の旅行をよめるにはあらず。外人の旅行を思ひやれる歌也
1731 山科乃石田社爾布靡越者蓋吾妹爾直相鴨
やましなの、いはたのもりに、布靡越者、けだしわぎもに、たゞにあはんかも
此歌にも山科とよめり。石田社、前に注せり。今に社あり。社號を田中社と稱す。此社當集に兎角戀を願ふ事によめる事、(509)いかゞしたる意にてか知れ難し。何とぞ上古由來ありけるか。祭る所の神により處ありてか。此義未v考
布靡越者 これをふみこえばと讀ませたり。杜にふみこえばと云つゞきいかに共心得難し。又假名書にするにも、如v此の文字は遣ひつけざる事也。これは若し義訓に讀ませたるか。宗師案は布なびくと書たれば、布は木綿の類ひ、布靡くと云義にて、ゆふと讀まんか。木に麻布をつけて神に奉るは、布の靡くなれば二字の義をとりてゆふこさばと讀まんか。夕越の意也。ゆふ越くればなど古語有。然れば夕越と云をよせて、木綿をさゝげばと云義にこさばとよめる也。ふみこえばと云詞心得難し。此外に義訓あらば後案を待のみ
蓋 これもけだしと云は疑の詞、石田社に木綿を捧げたむけしたらば、若し妹にあふべきかと云意也。然れ共けだしと云字ふたと讀む字なれば、たゞ妹にかけて云詞にて、あかぬわきもと讀まんか。蓋と云字おほふと云心にて、不v明と云意に通じて不v飽と云訓に借用たる歌もあるべき事也。けだし/\と皆讀來れり。尤假名書にもあれど、此詞篤とは打つかぬ歌有
直相鴨 たゞには直ちにの意、障りとゞこほり無くあはんかもと也。此歌も石田社には戀を祈る意をよめり。此譯何と云由來ならんか。未v考
碁師歌二皆
1732 母山霞棚引左夜深而吾舟將泊等萬里不知母
おもやまに、かすみたなびき、さよふけて、あがふねはてん、とまりしらずも
此歌は、第七卷に、大葉山霞蒙狹夜深而吾船將泊停不知文。此歌全同歌と見えたり。大葉|母《オモ》も同音也。然るに此おも山を八雲には美濃と有。美濃は海無き國なれば、此歌にては合難し。或抄に美濃國の喪山を忌みて、後に二字嘉名を被v付たる時に、おも山と被v改、母の一字にて讀ませたるかと釋せる説有。然れ共第七卷の歌もこゝも、歌の次で皆山城近江の地名なれば、近江の國の内に有山ならんか。船はてんとよめる義、美濃にてはいかに共叶ひ難し。たゞ近江美濃と續きたる國なれば、湖水を渡る潮路に、此母山を目あてにして渡海する所あらんか。又信濃の諏訪の湖にも近き國なれば、ケ樣の所あらんか。既にきそ山(510)も、上古は美濃の内に入られたり。喪山の事にもあらんやと思ふは、第七卷の大葉山と書たるも、喪山の縁無きにあらず。神代紀下云〔時味耜高彦根神則拔2其帶劔〕大葉苅1〔以斫2仆喪山1。此即落而爲v山。今在2美濃國藍見川之上1〕喪山是也。とある此大葉の字縁所無きにあらねば不審ある也。又母の字おもと讀むことは、神武紀云。初孔舍衙之戰有v人〔隱2於大樹1而得v免v難。仍指2其樹1曰〕恩如v母〔時人因號2其地1曰2母木邑1。今云2飫悶廼奇1訛也〕古くおも共讀來れり。或抄に日吉明神の神詠とて、波母山やをみねの杉のみ山居は嵐も寒しとふ人も無しと云歌有。然れば又近江の内の山か。波母山ははゝ山か。尚後考を待つべき也。此歌の意は第七卷に注せし如く、海上にては夜方角知れ難ければ、皆高山を見あてに漕寄る也。其意にて見あての山霞に隱れて見えざれば、夜中にいづ方にとまりを定めんも知れ難き由をよめる也
1733 思乍雖來來不勝而水尾崎眞長乃浦乎又顧津
おもひつゝ、くれどきかねて、みほがさき、まなかのうらを、またかへりみつ
眞長の浦は故郷の方なるべし。それ故慕ひつゝ過行と、行かねてまなかの浦をかへり見ると也。まながは目長く見ると云意によせて、顧るとよめるならん。近江の地名と云來れり。次の歌も近江の地名を詠たればさも有べし
小辨歌一首
1734 高嶋之足利湖乎※[手偏+旁]過而鹽津菅浦今者將※[手偏+旁]
たかしまの、足利湖を、こぎ過て、しほつすがはら、今はこぐらん
此足利湖も前に注せる如く決し難し。いかにとなれば印本諸抄等には、あとのみなとゝ讀ませたり。前の足利にはあしりと假名をつけたり。又湖の字も一本浦に書る本有。又湖の字うみとも湊とも讀ませたれば、あしりの海と讀ても言葉合、あとの湊と讀みても七言になる、浦の字にては一言足らず。あしりの浦をと讀まねばならず。かれこれ決し難ければ、疑はしきは闕 然れ共高嶋のあと川波と云歌あれば、あとゝ讀まん方是を證とせんか。鹽津菅浦皆近江の地名也。歌の意は聞えたる通也
(511)伊保麻呂歌一首
1735 吾疊三重乃河原之礒裏爾如是鴨跡鳴河蝦可物
わがたゝみ、みへのかはらの、いそのうらに、かばかりかもと、なくかはづかも
吾畳 上古は唐も本朝も人の尊卑に從ひて、敷物に差別ありし也。至尊は八重畳、其次は五重、諸侯は三重と云制ありしこと、唐の書にも見えたり。神代紀にも、海神皇孫火火出見尊を尊敬して、鋪2設八重席薦1〔以延内之〕と有。然れば此わが畳と云は三重の河原と續けん爲迄に、三畳を敷位の人故、わが敷畳三重と云迄の義也。三重の河原は八雲には石見と有。伊勢に三重郡と云あれば、其所の河原ならんか。石見の國の三重河原外に所見なし
礒裏 これも地名か。たゞし礒のうちと云義ならんか。河にも磯は有。浦と云事心得難し
如是かもと、此詞いかにと云義共釋し難し。何をかくばかりと云事にや。蝦はかはらがりがりと鳴聲なれば、其聲のことを云たるものか。又三重の河原の景色かくばかりかもと云意か。作者の意察し難し。此集の歌にはかはづの聲を賞してよめる歌のみを擧たり。吉野河、歌に多く聲のさやかなることに詠めれば、述懷の意を含みていへるにはあらざるべし
式部大倭芳野作歌一首 此式部大倭の字いかに讀まんか。心得難く傳も難v考。式部は官にて大倭は名なるか。式部と計りあれば、何の官とも知り難し。たゞ大輔の誤りたるか。次にも兵部と計りあれば、こゝも同類か。式部の何と云官を略して、大倭と云名計をあげたるか
1736 山高見白木綿花爾落多藝津夏身之河門雖見不飽香聞
やまたかみ、しらゆふはなに、おちたぎつ、なつみのかはと、見れどあかぬかも
白木綿花爾 花の樣にと云意也。夏みの河山より流落て、水の白波花の樣に見ゆる景色の面白きを見ても/\飽かぬと世
兵部川原歌一首 一本に原の字無き本有。此端作も官名共名とも難v決
(512)1737 大瀧乎過而夏箕爾傍爲而淨河瀬見河明沙
おほたきを、すぎてなつみに、傍爲而、きよきかはせを、みるがさやけさ
大瀧、夏箕 吉野なるべし
傍爲而 印本諸抄共そひてゐてと讀めり。心得難し。傍の字は※[手偏+旁]の字なるべし。宗師案は義訓に讀べしと也。船さしてとか船出してとか讀むべしと也
歌の意は聞えたる通、夏箕河の清く河音のさやかなるを賞したる歌也
詠上總末珠名娘子一首并短歌 上總の末たま名のいらつこをよめる歌。これは上古上總の國に末たま名のいらつこといふ美女ありしことをよめる也。上總の事追而吋v記
1738 水長鳥安房爾繼有梓弓末之珠名者胸別之廣吾妹腰細之須輕娘子之其姿之端正爾如花咲而立者玉桙乃道行人者己行道者不去而不召爾門至奴指並隣之君者預己妻離而不乞爾鎰左倍奉人乃皆如是迷有者容艶緑而曾妹者多波禮弖有家留
しながどり、あはにつぎたる、あづさゆみ、すゑのたまなは、むなわけの、ひろけきわぎも、こしぼその、すがるをとめが、そのかほの、きら/\しさに、花のごと、ゑみてたてれば、たまぼこの、みちゆきびとは、おのがゆく、みちはゆかずて、よばなくに、かどにいたりぬ、さしならぶ、となりのきみは、かねてより、わがつまかれて、こはなくに、かぎさへまたし、ひとのみな、かくまどへるは、かほよきに、よりてぞいも者、たはれてありける
水長鳥 前に注せる如く何鳥と云事を決し難し。古來より/\説あれど、確かに當れる證極らず。水の字しと讀ます事は、しは、すいの約し也。よつて音を借りて讀めり。これもみなが鳥にてもあらんか。この下に續く詞につきても色々と説有。又(513)鹿のことなどと云、無下に心得難く無理なる説有。鳥とあるものを鹿と云は、差當りたる無理の説也。しなが鳥、ゐと續く前にも注しぬ。こゝにはあとうけたり。然れば此水長鳥と云は、前にも注せる如く、群類をなす鳥をさしたる義なるべし。みさごと云説有。詩經を引て雌雄不v離將をなす鳥と云義をとりて、ゐとうけたりとの義有。安房と續く縁もみさごの事より、日本紀のかくかの鳥の事を引ていへる説有。心得難し。宗師の説は兎角群をなす水鳥にて、此歌にあとうけたるは、あの一語にうけたる語にて、あとりの事を云たるかと也。あぎだ、あぢ村、皆群類をなして一鳥飛居ぬ鳥の名なるべし。いづれ共定め難けれど、あぎさ、あ鳥の類にて、あと續けたるは群をなす鳥と云義にて、率將の字の意、あ鳥あぎさの内にても皆群集する鳥と云ことにて、ゐともうけ、又本名にもうけてあとはうけたるか。日本紀のかくかの鳥、あはの水門の説は、入ほかにして六ケ敷説也。こゝの續けたる次第は、あとうけん爲にしなが鳥と詠出、そのあは安房と云義をよまんとて也。さて安房に繼有とは、上總は安房に續きたる國なれば、上總といはず、つぎたると云て、上總の國を表したる也。尤あづさと云もかづさと云も同じ音なれば、すぐに梓弓とはうけたり。然ればあづさはかづさとうけたる詞とも見るべし。何とて梓弓とはうけたるぞなればこれはたゞ末といはん爲計也。然るを上古安房上總梓弓の名物故、貢獻せしをもて梓弓とよめるとの説あれど入ほか也。たゞ末といはん爲迄の梓弓と見るべし。古詠の格は今の時代とは甚相違あれば、たゞ輕き續きを淺くうけたる也。此味を知らずば當集の意は不v濟也。深く巧みなる義はかつて無き也。その輕き處に、えも云はれぬ意味の自づから備りたる事也。女の名の末とうけん計の梓弓也。しかしかづさと云音自然と備りたる故、輕きうけにして其意を含みて詠出たる也
胸別之 郎女の容貌の事を云たるもの、胸の開きたる形容は、品能きものなれば、形のよき事をいはんとて、先づむなわけのと詠たり
腰細之須輕 これはすがると云蜂のこと也。此蜂の形身のなり、至つて腰の細きこと、糸筋程かゝりたる蜂也。郎女の腰の細と云はんとて、喩へて腰細のすがる乙女と也。雄略紀云、爰命2〓〓1【人名也、此云2須我屡1】聚2國内蚕1和名抄云、〓〔〓【悦翁二音、和名佐曾里】〕似v蜂而細腰者也、一名〓〓〔【果裸二音】〕和名にてはさそりと有。然れ共日本紀にすがると義訓有。和名と引合せ蜂のことゝ知るべし。古今集の離別の歌に、すがる鳴秋の萩原の歌につき、古來をかしき譯をなして、鹿の事と云へるも餘りなる事也。大江匡房も何と(514)心得給ふか。鹿と心得てや、堀川院に奉られたる百首に
すがるふす野中の草や深からんゆきかふ人のかさの見えぬは
ケ樣に心得違へられたり。此すがる鳴と云歌にも論有こと也。花には蜂蝶香を追て集まるもの故、秋萩の花ざかり、すがるむれ立鳴集まる秋の萩原と詠めると、釋したる説あれど、此通にても古今の歌濟難し。別に當流の秘有事也。古今にて傳ふればこゝには不v注也。此集十卷の歌にも、春之在者酢輕成野之時鳥ほと/\妹にあはず來にけりと有て、此なす野と詠めるも、古今の歌も同じ意と云事を知る人は知るべし。楊子が説、毛詩爾推捜神記和名抄等不2一決1ども、さそり、すがるは略同物、中にもすがるは別而細腰なるもの故かくよめり。女の姿のたをやかに品能ことをいへる也。唐の書にも美女の事細腰とのみも書ける事あまた也。當集第十六卷の歌にも、竹取翁が歌の詞に、わたつみの殿のみかさに飛かける、爲輕如來腰細丹取餝氷〔眞十鏡取雙懸而云々〕ともよめり。みな容體のよき事に喩へいへり
端正爾 これをうつくしけさに讀ませたれど、此二字は日本紀にてきら/\しと讀ませたり。よりてきら/\しさにと讀也。遊仙窟〔云、眉間月出疑v爭v夜、頬上華開似v闘v春〕
鎰佐倍奉 かぎさへまたしとは、これ迄守なれたる家財をも擲ちて、庫匣の鍵迄も郎女に與へてと云義也
如是迷有者 かくまどへるは、上にいへる如くなれそひたる妻をも去り、家財をも擲ちて、郎女に皆人のまどひたるは、郎女の容顔美麗形容端正なる故によりてと也
妹者多波禮弖 此句すこし紛らはし。常人のまどへるによりて、妹も自づからたはれて、彼方此方の人になれたはれたりと云義也。たはれと云は、濫りに遊び戯れることを云也。上の句續き、妹にたはむれたりけりと讀べき樣也。印本の通にて、よりてぞと云句を上へかへし見ねば聞え難し。この妹者の者もにと讀むべきや
反歌
1739 金門爾之人乃來立者夜中母身者田菜不知出曾相來
かなとにし、ひとのきたてば、よなかにも、みもたなしらず、でてぞあひける
(515)金門 門戸はかねをもて固め閉すもの故、かなどとは云へり。今も金にて包み固める通也。かどはかなどの略など云説は非也。かどせとゝ云語は別の事也。金どのとは門又戸の兩義をかねて云へる也。此歌抔に金門とよめるには少意有。かねにて包み※[金+巣]くろゝ抔云もてのをしてさし固めたる門戸を、隙を窺ひ入いらんと、志して來りたてばと云意に、嚴しき處をも厭はでと云意を含めて、かなどにしとは詠たるならん
身者 身もと讀べし。者はものと讀故也。第一卷にもこの詞あり。それに同也。たなは初語也。たゞ不知と云義也。身のいかになりなんも知らず出てあふと也
詠水江浦嶋子一首并短歌 これは雄略紀に有。水江浦島子の事也。雄略紀云〔二十二年秋七月、丹波國餘社郡管川人水江浦島子乘v舟而釣、遂得2大龜1、便化2爲女1、於v是浦島子感以爲v婦、相逐入v海到2蓬莱山1、歴2覩仙衆1、語在2別卷1〕雄略紀にも如v此語は別卷にある由を記されて、その別記不v傳ば、此歌をもて證とすべきか。元亨釋書第十八、如意尼傳之説は心得難し。釋日本紀云、〔浦島子傳云、妾在世結夫婦之儀、而我成天仙生蓬莱宮中、子作地仙遊澄江波上、乃至得玉匣了、約成分手辭去、鳥子乘v舟眠目歸去、忽至故郷澄江浦〕さて此浦島子の事、水江の浦の嶋子と云ものにて、島子と云が名也と見る説、宗師も浦は水江につきたる浦と也。愚案、日本紀の文又仙覺抄に引たる丹後風土記の歌の詞とを考ふるに、浦島子と云名とも聞ゆる也。日本紀の文、於是浦島子感以云々と有。嶋子と云名ならば、こゝに島子とあるべきに、於是浦島子と有。又仙覺が引ける詞にも浦島子傳云中略〔島子乘v舟眠v目歸去云々〕と有。これも浦の字無くて濟べきに如v此有。同じく引たる丹後風土記の歌、水の江の宇良志麻能古我多麻久志義。如v此有。これは江につきたる浦ならば、宇良能島子と有べき事也。これらを引合て見れば、浦島子と云が名と聞ゆる也
水江 日本紀には丹波國とあれど、後に割わけられて丹後の國へ入られたり。續日本紀元明天皇六年四月〔乙未割2丹波國五郡1始置2丹後國1云々〕
1740 春日之霞時爾墨吉之岸爾出居而釣船之得乎良布見者古之事曾所念水江之浦嶋兒之竪魚釣鯛釣矜(516)及七日家爾毛不來而海界乎過而※[手偏+旁]行爾海若神之女爾邂爾伊許藝※[走+多]相誂良比言成之賀婆加吉結常代爾至海若神之宮乃内隔之細有殿爾携二人入居而老目不爲死不爲而永世爾有家留物乎世間之愚人之吾妹兒爾告而語久須臾者家歸而父母爾事毛告良比如明日吾者來南登言家禮婆妹之答久常世邊爾復變來而如今將相跡奈良婆此篋開勿勤常曾己良久爾堅目師事乎墨吉爾還來而家見跡宅毛見金手里見跡里毛見金手恠常所許爾念久從家出而三歳之間爾墻毛無家毛滅目八跡此筥乎開而見手齒如來本家者將有登玉篋小披爾白雲之自箱出而常世邊棚引去者立走※[口+斗]袖振反側足受利四管頓情清失奴若有之皮毛皺奴黒有之髪毛白班奴由奈由奈波氣左倍絶而後遂壽死祁流水江之浦島子之家地見
はるのひの、かすめるときに、すみのえの、きしにいでゐて、つりぶねの、とをらふみれば、いにしへの、ことぞおもはる、みづのえの、うらしまのこが、かつをつり、たひつりほこり、なぬかまで、いへにもこずて、うなばらを、すぎてこぎゆくに、わたつみの、かみのをとめに、たまさかに、いこぎわしらひ、かたらひ、ことなりしかば、かきちぎりて、とこよにいたり、わたつたの、かみなるみやの、なかのへの、たへなるとのに、たづさはり、ふたりいりゐて、おいもせず、しにもせずして、ながきよに、ありけるものを、よのなかの、しれたるひとの、わぎもこに、つげてかたらく、しばらくは、いへにかへりて、ちゝはゝに、こともつげらひ、あすのごと、われはきなむと、いひければ、いもがいへらく、とこよべに、またかへりきて、いまのごと、あはむとならば、このはこを、ひらくなゆめと、そこらくに、かためしことを、すみのえに、かへりきたりて、いへみれど、いへもみかね(517)て、さとみれど、さともみかねて、あやしと、そこにおもはく、いへいでて、みとせのほどに、かきもなく、いへもうせめやと、このはこを、ひらきてみては、もとのごと、いへはあらむと、たまくしげ、すこしひらくに、しらくもの、はこよりいでて、とこよべに、たなびきぬれば、たちはしり、さけびそでふり、こひまろび、あしずりしつゝ、たちまちに、こゝろきえうせぬ、わかゝりし、かはもしばみぬ、くろかりし、かみもしらけぬ、よな/\は、いきさへたえて、のちつゐに、いのちしにける、みづのえの、うらしまの子が、いへどころみむ
出居而 此歌の作者住の江に出て也。この差別を篤と不v辨から、住の江水江の論有こと也。春の日の長閑に霞む海づらの景色を見て、折しも釣船の浮たゞよふて、海上を漕まふを見て、嶋子が昔蓬莱へ行たりと云傳たる事を、思ひ出して詠める歌也。嶋子が此住吉の浦にて釣せしにはあらず。それは丹後の國よさの郡の海にての事也。此住江は當然の今釣船の海上に居るを見て、古の事を思ひ出してと云事也
得乎良布見者 この詞心得難し。諸抄の説は通を見ればと釋せり。假名違たり。通はとほる也。をとは不v通地、。これはたゞ居を見ればと云義なるべし。得は初語也。流をのべて良布とは云也
矜 ほこりと讀む義、かねてと讀む義有。かねてと云意は憐む方也。憐矜と續きたる字故、魚をえ釣らぬを燐む意にて、かねてとは讀まんか。然れ共こゝは鰹つり鯛釣りとあれば、釣に長じてほこり荒びたる義也。すさびとも讀べしと也。後々の歌にもほこると讀める歌も有。源氏物語の詞に、明石の卷にも、あま共のほこると云詞を使へり。この歌より云ならひたるか。惠慶法師歌に
わかめかるよさのあま人ほこるらし浦風ゆるく霞わたれり
釣のおも白さに、七日迄家にも歸らず忘れて居たるとの義也
海界乎 海ぎはをと讀ませたれど、海原と讀みてもよからんか。こゝの意は海上遠く海のはて迄漕行たる意也
(518)伊許藝 伊は初語漕はしりあひ也。漕つれての意とも見るべし。或抄に親の許さぬ婚姻をわしると云。禮記、奔謁之妾。父母知らずして私にあふを云との説有。信用し難し。漕つれての意とも見るべし。かたらひは舟を漕つれわしり相て、相互ひに親しくかたりあふて也
言成之賀婆 夫婦のこと調しかば也。日本紀に、こゝに浦嶋子感以爲v婦とある文と同じ
加吉結 かきは初語、かき曇り、かきくらしなど云かき也。たゞちぎりて也。印本等には結びと讀ませたれど心得難し。夫婦の契りをなして、又わたつみに至らんと契りて也
神之宮乃 かみの宮と讀みては一言不v足。よりて宮なるとか、かみやゐとか讀むべし
わたつみの神宮 神代下卷云、〔忽至2海神之宮1、其宮也雉※[土+蝶の旁]整頓、臺宇玲瓏、海神於是鋪2設八重席薦1、以延円之、因娶2海神女豐玉姫1、仍留2住海宮1、已經2三年1、彼處雖2復安樂1、猶有2憶v郷之情1、故時復大息、豐玉姫聞v之謂2其父1曰、天孫悽然數歎、蓋懷土之憂乎、海神乃延2彦火火出見尊1、從容語曰、天孫若欲v還v郷者、吾當v奉v送云々
内隔之 一重二重の隔てのこと也。今一間二間と云に同じ。延喜式曰、凡中重庭者須v令d諸司〔毎v晦掃除u〕
細有殿 たぐひまれなる殿に也。携二人入居而、相離れずなれそひてと云意也
愚人 おろかなるひとゝ云古語也。愚痴なる人と云が如し。世に隱れ無き愚かなる人と云義也。歌の作者の嶋子をさしていへる義也。物語ものなどに、しれ人などと書けるも、愚か人と云事に用たる詞也
如明日 今日行きてあすは歸る如く容易くいへる也
如今 けふのごとゝ讀ませたり。上の明日のごとゝ云に對したる詞なれど、今のごとゝ讀べき也
そこらく そこばくと云意也。いか程も/\固めし義をいへり
墨吉爾 この義不審也。日本紀には既に、丹後國餘社郡管川人水江浦島子と有。丹波より攝津住吉迄來りて釣すべきや。丹後の國の海にて釣せるならん。然ればこゝは水江の書誤りなるべし。此歌の主住吉にて釣船をみて、昔のことを思ひ付て詠 水江墨江の説まち/\色々也。風土記の歌に假名書に、美頭能眷能〔宇良志麻能古我〕とあれば、水江と日(519)本紀にも被v記て紛ふべく無き事也。此歌の墨江に替れるは誤字なるべし。宗師一説には、嶋子心迷たる人にて、魑魅魍魎の類にかどはかされて、精神暗昧して攝津國の住吉を我故郷と思ひて、家所をも尋ねさまよひしをかく云傳ふるか。天長の頃三百四十四才をへて、嶋子常世より歸郷せしと云説有。論ずるにも不v足事也。此集は嵯峨天皇より前なる事明けし。然るにかくの如く歌を當集に載られたれば、淳和帝の頃歸郷と云事大なる虚説也。尤如v此の事は、嶋子仙境より歸りて右の次第を語り殘さずば、世にも傳はるべき樣なし。それとも日本紀の文に便りて、上古の人好事の餘りに、かくの如きの有樣に作り置きしか。先で日本紀と此歌とを證とすべき事なれば、ありしことゝはすべけれど、學者の迷ふべきことには有べからず。此の歌も歌に作れる故、詞の花も有べき事を心得わかつべき事也
見金手 尋えぬ也。恠常、あやしきことに思ひて也。立走※[口+斗]袖振反側足受利四管 皆驚き歎くの義也
情清失 こゝろ消えうせは、仙術の通力の消えうせ也。歎き悲みて、たましひも無くなりし如きと也
由奈由奈波 よる/\と同じく、よな/\と云義也。次第々々にと云が如し
家地見 いへどころ見んとよめる、此見んと云義、何と云意にてよめるか。聞え難し。丹後國の家所を見んとの義か。但し嶋子住吉に來りて住める處有けるか。これらの詞から紛らは敷なりて、水江住のえの論説出で來る也。水は澄む物故、すみのえと讀ませるなど云説有。心得難し
反歌
1741 常世邊可住物乎劔刀己之心柄於曾也是君
とこよべに、すむべきものを、つるぎたち、なが心から、おぞやこの君
劔刀 ながとうけて名と云詞にうけたる義也。劔太刀、名の惜しけくもとよめる歌有。劔刀にはきはめてその銘を彫りつけて、名を遺すものなれば、名とは請けたる義他。或説劔たちには中心と云て、今も俗言に、なかごと云。其義にうけたるとの事也。此歌にてはさも聞ゆれど、たゞ名と計りうけたる歌あれば、此説も決し難し。中心とうけるから、なと云一語にもうけた(520)る歌も有べし共云はんか。然らば兎角名と云言葉にうけたる義と知るべし
於曾也 これは遲と云の義といへる有。心鈍と云義にて、筥をあけずば矢張常世に住べきものを、心鈍き故、如v此なりたると云義と釋せり。此義も信用し難し。宗師説は、おそろしやと卑めたることゝいへり。然れ共歌の全體聞得難し。上になが心からと詠みて、又おぞやとは恐しき事と見てはかけ不v合樣也。愚案は、物乎と云乎の字は、かと讀ませたるか。然らば常世べに住まるべきものか、恐しくも暫く住來りたるは、なが心からの義、おぞき事やと云意ならんか。筥を不v開ば常世人にすむべきを、おぞやとは續き難き也。又おぞきと云は、鈍きと云義との説も、筥をあけたる事の、愚かなると云義を、云まはさねば解難き釋也。又案、東國俗言に虚言僞を云ものを、おぞきと云。筥をあけなと約せしを不v用して開きたる、約を變ぜし處をさして、僞りて約せしに似たれば、其義を取ておぞといへるか。前の歌におそろとわれを思ほさんかもとよめる歌も、僞り空事を云ものとおぼさんかと云歌也
是君 師云、このせなと讀みて、これは仙女になりてよめる歌と見るべしと也。島子をさして君とは詠まれまじ。常世の仙女になりてよむには、せなと詠まんこと理り也。然れば彌おぞやの詞も仙女の歌にして見れば、箱を開たるを恐しきとよめる方叶ふべきと也
見河内大橋獨去娘子歌一首并短歌
1742 級照片足羽河之左丹塗大橋之上從紅赤裳數十引山藍用摺衣服而直獨伊渡爲兒者若草乃夫香有良武橿實之獨歟將宿問卷乃欲我妹之家乃不知
しなてるや、かたあすはがはの、さにぬりの、おほはしのうへゆ、くれなゐの、あかもすそひき、やまあゐもて、すれるきぬきて、たゞひとり、いわたるすこは、わかぐさの、つまかあるらむ、かしのみの、ひとりかぬらむ、とはまくの、ほしきわぎもが、いへのしらなく
級照片足羽河之 此しなてると云詞片と云詞の冠辭と云ことは、既に日本紀推古紀にて聖徳太子の御歌によませ給へり。何(521)と云義にて、片と云冠辭と云釋古今決せず。いづれも憶説まち/\也。級はきざはしの事を云て、階は片たがひなる物故との通説也。難2信用1。證明無ければ決し難き也。ほめたる詞に照と云との義も心得難し。然れ共何と云義と今案も無ければ、其説を除く也。源氏物語早厥に、級照や鳰の水海こぐ船のまほならね共あひ見しものを。かくよめるも心得難き歌也。然るを河海抄に萬葉の歌とて、級照や鳰の水海こぐ船のまほにも妹に相見てしかなと云歌を引けり。今の本には集中に不v見。如v此きの歌有し本、古くは流布せるか。不審多きことのみ也。しなてる、おしてるの義はいかに共繹し難し。大和の片岡山の内の地名ともいはゞ義安かるべけれど、河内の國にてもよめれば、地名共云難く、兎角片と云冠辭にして、何とて片と云はんとて級照とは云へるぞとの義は不v濟事とすべし。級照はおし照宮と詠める歌もあれば、地名とも云つべけれど、これも難波を略していへる歌とも云はるれば、これを以ても濟難き詞也
片足羽河 何郡何方にあり共今は知れ難し。左丹塗、さは初語也。それ故音借に書き、下は訓にて書也。上古は橋をも塗たると見えたり
上從紅赤裳數十引 大橋の上よりくるとうけたり
山藍 此山藍の事多分神事の服を染る草也。こゝには女の常服によめり。延喜式民部下云、凡神祇官卜竹〔及諸節等所v須箸竹、柏、生蒋、〕山藍等類〔亦仰2畿内1》令v進〕如v此ありて先は神事の服をする草也。時にいかなるを山藍と云ぞなれば、これは自然と生じたる藍を云なるべし。芋を自然薯、蕷を山の芋といひ、常のをたゞ芋と云。里芋、つくね芋、長芋抔云也。本草等、藥種にも自然と生ずる種類に、山の字を副る類ある由也。山藍も田畑に作る藍は、不淨物をもて養ひをする故、神服に用る事を忌て、自然と生ずるこやしおろしを不v用藍をもて染摺と云義より、山藍とは云ふなるべし。これ同氏在滿發明也。三代實録等にも、山藍無き時は麥のめはしきをもて代v之由あれば、めはしきも作る藍の如く、葉に直にこやしはかけぬ物故なるべし
伊波爲兒者 いわたるすこはと讀む也。すこは女の通稱第一卷にも菜摘むすこと有に同じ。伊は例の發語也
橿實之獨歟將宿 獨りと云はん計りの初語に、樫の實のと置けり。古代の冠辭、かくの如く當然の實事をもて輕きことを云へり。樫の實はたゞ一ツづつ出來るもの也。その義をとりてかくよめる也。入組たる義は無きことなるを、後世色々理屈を添(522)て釋するは、皆後人の鑿説也。これらの義にて、他のことをも考ふべき事也。たゞ易く輕き事也
歌の意よく聞えたる歌也
反歌
1743 大橋之頭爾家有者心悲久獨去兒爾屋戸借申尾
おほはしの、へにいへあらば、こゝろうく、ひとりゆくこに、やどかさましを
頭爾をほとりにと讀ませたれど、義をもてへとは讀む也。ほとりは邊の事なれば、字餘りに讀までも直にへと讀べき也
見武藏小埼沼鴨作歌一首 小埼は埼玉郡の内に有地名と見えたり、沼はぬまとも讀めど、小池を云。沼とあれば池なるべし。此歌は旋頭歌也
1744 前玉之小埼乃沼爾鴨曾翼霧己尾爾零置流霜乎掃等爾有斯
さきたまの、をざきのいけに、かもぞはねきる、おのがみに、ふりおけるしもを、はらふとにあらし
前玉 延喜式神名帳云、武藏國埼玉郡四座、前玉神社二座
尾 を、みと讀ませたり。音通ずれば也。をと讀みても同じけれど、古くみと假名を付たれば、※[田+比]の音は美なれば、身のことゝも見るべし
翼霧 珍しき詞也。羽たゝきする義をいへる也。枕草紙に鴨は羽の霜打拂ふらんと書も、此歌等をや思ひよりけん
那賀郡曝井歌一首 此那賀、八雲には紀伊と有。凡那賀郡と云名は、紀伊石見阿波伊豆にありて、紀伊の國の郡には音付あり。和名抄第五國郡部云、紀伊國那賀【可尾と如鵝】如v此也。然るに此歌中に向へると詠めれば、少叶ひ難からんや。又那珂郡は武藏常陸讃岐筑前日向等にあれど、此那賀にては有まじ。賀と珂との違あれば、賀の字の方を寄所として、武藏の小埼の歌の次なれば、伊豆の那賀には有まじきか。曝井と云井ある所しかと不v考ざれば、先づ八雲の御説に隨ふべきか。しかし地名に(523)は歌をもて後世に拵へたる地跡多ければ、慥成證明無くては決し難し
1745 三栗乃中爾向有曝井之不絶將通彼所爾妻毛我
みつくりの、なかにむかへる、さらしゐの、たえず通はん、そこにつまもか
三栗 日本紀の十卷、應神天皇の御製に三栗の中枝と出たり。然るに八雲には、み栗すの中にとよませ給へるは、日本紀を考へさせ給はざるか。栗は栗毬の中に、極て實三つ出來る也。偶一つあるも、兩脇にへたの樣なるもの有也。よりて三栗の中とよみて中と云冠辭に、三栗とはよめり。これらもたゞ輕く安き義を取て云へる義也
中爾向有 那賀郡にあると云義をとりて向へると也
曝井 布など晒すに、水清く不v渇井故名づけたるか。既に不v絶とよめり。妻もあらは、不v絶此曝井に通はんと云て、曝し井を賞美したる也
手綱濱歌一首 八雲御抄に紀伊と有。證明未v考
1746 遠妻四高爾有世婆不知十方手綱乃濱能尋來名益
とほづまし、たかにありせば、しらずとも、たづなのはまの、たづねきなまし
遠妻 これは忍び妻の事にて、隔たり居る隱し妻抔をさして、古くは遠妻といへると聞えたり。又旅行抔にて故郷の妻の事を云との説有。旅行ならでも遠妻と詠る歌可v考
高爾有世婆 此たかにと云事難v濟き事也。諸抄の説は、天を高く仰て待あるをたか/\に待など詠める歌ありて、月等を仰ぎて待如くに夫を待ゐることを云。こゝも其如くに待てあらば、そことは解かに處を知らず共、尋來んとの歌と釋せり。如v此云て義通ぜりとも不v覺。此集中高々にとよめる歌、高にとよめる別に句類分類せり。兎角不v濟詞也。愚案は、たとちと同音なれば、ちかにありせばと云ふ義なるべしと思ふ也。遠妻と詠み、ちかにと對してよめるならんか。但しさだかにと云略か。歌の意は聞えたる通にて、何としてありせば、知らぬ處なり共尋ね來んと云ことに、手綱の濱を詠入て、尋ぬと云詞のうつりに(524)手綱の濱を詠出たり。古詠の格皆かくの如く、歌の縁うつりに手綱の濱の尋ねとうけたる、僅かに輕きことを趣向とせし也
春三月諸卿大夫等下難波時歌二首 何年の春の事か、考へ難し
1747 白雲之龍田山之瀧上之小鞍嶺爾開乎烏流櫻花者山高風之不息者春雨之繼而零者最末枝者落過去祁利下枝爾遺有花者須臾者落莫亂草枕客去君之及還來
しらくもの、たつたのやまの、たきのへの、をぐらのみねに、さきをゝる、さくらのはなは、やまたかみ、かぜしやまねば、はるさめの、つぎてしふれば、ほづゑえは、ちりすぎにけり、したつえに、のこれるはなは、しばらくは、ちりなみだれそ、くさまくら、たびゆくきみが、かへりくるまで
開乎烏流 烏を爲と誤りて書る本有より、をせると假名をつけ、その假名付に迷ひて、をせると云詞有と心得て、咲事をすると云義に釋せる抄も有。餘り無下なる僻事也。をゝりと云詞、鶯の歌にも此集中前にも何程か有て、花の重り咲て、下枝より上へ咲上り重りて、彌が上に咲る事を云詞也。今も俗にもゝくり上るなど云と同じく、下より上へ咲重り上る事を、をゝりに/\とは云古語也。山の麓より嶺尾に咲上ることなどをも云也。これ迄の地名、告吉野龍田のあたりに續きて有瀧峰ども也
最未枝 ほづえと讀ませたり。木の|いち《(俗語一番ノ略カ)》末の事を云。ほづゑえと云たるもの也。今俗にも《マヽ》末と云と同じくて、こゝはほずゑえはと讀べき也。印本の假名の通にては末の字無用にして、假名も違也。木の上の末の枝は早く咲し故、も早散過ぎしか共、下枝に殘りたる枝は、暫く散亂るなと詠める也。最末技は上枝と云に同じ
反歌 此反歌の事、前々より色々の憶説のみにて證明の説無き也。一説は長歌の意を繰返して短歌によむ故、反復の意にて此字を書と云説、又長歌は詞長くて、吟詠の時幾反も返す事ならず。短歌は短き故何反も返し歌ふもの故に、反の字を書かとの説、宗師案は長に變じたると云意にて、短歌に反の字を書かと也。如v此色々不2一決1。田一段と云に、反の字用。絹布一疋の半を反と云義不v濟事也。反にタンの音は決て無き也。然るに田、布等の反に、反の字を用る事いかに共心得難し。山名武内士案云、段の字の草字を誤りて反の眞字になせしと見ゆると也。※[草書]かくの如く段の草字を書たるから、反と書誤れるなるべ(525)し。如何となれば今假名書など云事を書時、決めて草字に書くに、仮の字を書てかと讀ませり。仮の字に加の音は無きを、世擧て仮の字をかの音に用來たれり。これ決めて假の字の草字を誤りたるなれば、反歌の反も段の字か又※[草書]と短の字を草に崩して書たるが誤り來れると見えたり。段の字は田の一反のたんの誤り、歌の反は短の字を※[草書]と書しを、反の字と心得て、眞字に直す時誤れると見る案、やすく輕き説也。前々の説共は皆憶説にして、類聚國史に短歌計り擧られたる處に、反歌とある義不v濟也。反短音通ずれば、反歌も通音を用てと云はるべけれど、反の字にタンの音は無き上は、草字の誤と見る説尤可ならんか。第一卷の反歌の處に注すべき也
1748 吾去者七日不過龍田彦勤此花乎風爾莫落
わがゆきは、なぬかはすぎじ、たつたひこ、ゆめこのはなを、かぜにちらすな
前の歌草枕旅行君がと詠たるは、諸卿の内の從者のよめると聞ゆ。われも共に難波へ下る身なるべし。此反歌もわがゆきはと詠めるをもて知るべし
七日不過 大和より難波へ行て滯留の間七日迄にはあらじと也。第十七卷にも家持歌に、近くあらば今ふつかだに遠くあらばなぬかの内は過ぎめやも來なんと詠めり。十三卷目の歌にも、夕占のわれにつぐらくひさにあらば今七日ばかり早からば今ふつか計り〔あらんとぞ君はきこしゝなこひそわぎも〕共詠めり。日を經ることの程有事に七日と詠める例也
龍田彦 風神を云也。延喜式神名帳云、大和國平群郡〔龍田比古龍田比女神社二社〕則級長津彦の神をさして奉v稱也。風神故風にちらすなと願ひたる也
1749 白雲乃立田山乎夕晩爾打越去者瀧上之櫻花者開有者落過祁里含有者可開繼許智期智乃花之盛爾雖不見左右君之三行者今西應有
しらくもの、たつたのやまを、夕ぐれに、うちこえゆけば、たきのへの、さくらのはなは、さきたるは、ちりすぎにけり、つぼめるは、さきつぎぬべし、こち/\の、はなのさかりに、雖不見左右、き(526)みがみゆきは、いまにしあるべし
夕晩爾打越去者 此夕ぐれに意は無し。其時の當然を詠めるなるべし
許知期智乃 をちこちと云義、此方彼方と云意也。一説悉と云意と釋せり。好む處に隨ふべし
雖不見左右 此句いかに共解し難し。若し脱句落字などあらんか。諸抄の説は君の幸はやがて有べきを、それを未だは見えね共、花は散らずして待てと云義と釋せり。如v此云て此歌聞えたり共思はれず。愚案、先讀解べくは、此五字をかく見ねどと讀まんか。前の句共を引うけて見るに、早く咲たる花は散過ぎ、ふゞめるはやがて咲つぎぬべく、此方彼方の花の盛は、今難波へ行けばかく見捨てゝわれらは行けど、君かみ幸はやがてにてあるべしと詠めるか。左右の字はかくと讀みて、當然過る處の事にあてゝ云へるならんか。然れ共かくみねどと讀む事、かへりすぎて當れり共不v被v覺也。落字脱句など有べき歌也。尚後案後考を待のみ
反歌
1750 暇有者魚津柴比渡向峯之櫻花毛折末思物緒
いとまあらば、なづさひわたり、むかつをの、さくらの花も、をらましものを
なづさひはなづみそひと云意にて、ゆる/\とふれそふ義也。速かに立去らず、彼方此方と漂ひ止まることを云也。前、人丸の歌に、よし野の河の奧になづそふと、よめる處にても注せる通也。こゝも難波へ公用にて行かず、暇あらばたゞかしこの峰谷をも巡り渡りて、花の枝をも折らましと也
難波經宿明日還來之時歌一首并短歌 前の諸卿の公用に下りて、暫く宿を經て大和へ歸る時也。此標題にては一日止まりて明くる日歸りし歌と見ゆる也。然るに經の字の意少不v叶か。左傳に、莊公三年曰、凡師一宿爲v舍、〔再宿爲v信、過v信爲v次〕然れば經の字は幾日も經たる意に聞ゆれど、明日と有。歌にも一夜のみと有。端書とは不v合也。經宿の二字をとまりてと訓ずべきか
(527)1751 島山乎射往廻流河副乃丘邊道從昨日己曾吾越來牡鹿一夜耳宿有之柄二岑上之櫻花者瀧之瀬從落墜而流君之將見其日左右庭山下之風莫吹登打越而名二負有社爾風祭爲奈しま山を、いゆきもとほり、かはぞひの、をかべのみちに、きのふこそ、わがこえこしか、ひとよのみ、ねたりしからに、みねのうへの、さくらのはなは、たきつせに、ちりてながれぬ、きみがみむ、そのひまでには、やまおろしの、かぜなふきそと、うちこえて、なにおへるもりに、かざまつりせな
島山 八雲には攝津國とあれど大和なるべし。當集第五、嶋の木たちと讀み、第十九に、嶋山にあかる橘と詠める處ならん。大和より難波へ行通ふ道筋なるべし
射往廻流 のいは例の初語、行巡りまわり也。もとほりはめぐりまわるの義也
河副乃丘邊道從 難波へ通ふ路次の事を如v此よめる也
吾こえこしが きのふこそと當り、たゞ一夜とまりし間にと云意也。此句共にては經宿と云ふにはあはね共、歌はかく詠なすも習ひなれば、委敷理をつめざる事もあるべし
柄二 あひだにと云義也。神代卷下云、〔時彼國有2美人1、名曰2鹿葦津姫1、皇孫問2此美人1曰、汝誰之女子耶、對曰、妾是天神娶2大山祇神1所v生兒也、皇孫因幸v之、却一夜而有v娠、皇孫未2之信1曰、雖2復天神1何能一夜之|間《カラ》令v人有v娠乎、汝所v懷者必非2我子1歟〕此集十八卷にも、あすよりはつきて聞えん郭公一夜のからに戀わたる鴨、とよめるも間の義也
岑上之 みねのへのと讀むべし。前に小くらの峯と詠めるに對すべし
落墜而流 ちりて流れぬは、瀧川に花の散うきて流るゝ當然を見て也
君之將見 これは天子の事を指して諸卿の詠めるか。前の歌の君とさせるとは異なるべし。行幸あらん迄は、風に散らすなと願ふたる也
名二負有杜爾風祭爲奈 名におへる森とは龍田の社の事也。延喜式卷第九神名上云、大和國平群郡龍田坐天御柱國御柱神社(528)二座、龍田比古龍田比賣神社二社。同卷第八祝詞部云、龍田風神祭。龍田爾稱辭竟奉〔皇神乃前爾白久、志貴嶋爾大八嶋國知志皇御孫命乃還御膳乃長御膳止、赤丹乃穂爾聞食須、五穀吻乎始※[氏/一]天下乃公民乃作物乎、草乃片葉爾至【萬※[氏/一]】不成、一年二年爾不在、歳眞尼久傷故爾、百能物知人等乃卜事爾出牟神乃御心者、此神止白止負賜支、此乎物知人等乃卜事乎以※[氏/一]【止母】、出留神乃御心母無止白止聞看※[氏/一]、皇御孫命詔久、神等【乎波】天社國止忘事無久遺事無久、稱辭竟奉止思志行【波須乎】、誰神曾、天下乃公民乃作作物乎不v成傷神等波、我御心【曾止】悟奉【禮止】宇氣比賜伎、是以皇御孫命大御夢爾悟奉久、天下乃公民乃作作物乎、悪風荒水爾相【都々】不成傷波、〕我御名者、天乃御柱乃命國乃御柱乃命止御名者悟奉※[氏/一]、〔吾前爾奉牟幣帛者、御服者明妙照妙和妙荒妙五色乃物、楯戈御馬爾御鞍具※[氏/一]、品々乃幣帛備※[氏/一]、〕吾宮者朝日乃日向處、夕日乃日隱處乃、龍田能立野乃、小野爾、吾宮波定奉※[氏/一]、〔吾前乎稱辭竟奉者、天下乃公民乃作作物者、五穀乎始※[氏/一]草乃片葉爾至【萬※[氏/一]】成幸閉奉【牟止】悟奉支、是以皇神乃辭教悟奉處仁宮柱定奉※[氏/一]、此乃皇神能前爾、稱辭竟奉爾、皇御孫命乃宇豆乃幣帛令2捧持1※[氏/一]、王臣等乎爲v使※[氏/一]、稱辭竟奉【久止】皇神乃前爾白賜事乎、神主祝部諸聞食止宣〕〔原本此處〕奉宇豆乃幣帛者比古神爾――比賣神爾――〔と有〕日本紀卷第二十九云、天武天皇四年〔夏四月甲戌朔、癸未遣2小紫美濃王小錦下佐伯連廣足1、〕祠2風神于新田立野1云々。如v此あれば祝詞にある天皇の御夢に顯しますみなの神徳を被v祭たるは、天武紀に被v載たる時の事なるべし。天武より先に被v祭たる事、紀にも古事記にも不v見ば此時なるべし。然れ共紀には事の由來を委敷不v被v記と見えたり。此風神は神代巻に被v載たる伊弉諾尊の息より生出給ふ神徳、級長戸邊命級長津彦命也。先達而顯れ給ふ處は、天柱と奉v稱りて日神を天に送り上げさせ給ふ時、被v副て天に上り給ふ也。國の朝霧を吹拂ふ息神と成給ふ處は、女神の徳にて、戸邊命と御名を名づけ奉りて、元來陰陽女男の二神也。依て被v祭處も天御柱國御柱又龍田比古龍田比賣とありて、如v此四神ある樣なるは、和魂荒魂幸魂奇魂と云理り也。神明はすべて御名の徳を以て祭たるもの也。天御〔柱國御柱〕と云て被v祭て、風神ならば龍田比古〔龍田比賣〕と云て祀られましきものなるに、式にも如v此別に被v祭たるは、元來立田の立野にましませし神徳を、龍田比古〔龍田比賣〕と奉v稱りて祭り奉り、天武の時告ありて被v祭たる神徳、是を和魂と云て、天御柱〔國御柱〕と奉2尊信1事也。是本朝の秘事神家の奧秘也。扨神代紀にて風神一神の樣に被v擧たるに付て不審有事也。彼義は文の脱落と見ゆる也。亦曰級長津彦級長戸邊命とあるべきを、彦命計亦説にあげられたるは、極て邊命を脱したると見るべし。其奧の磐筒(529)男命のある説をもて證とすべし。本文に邊命計を被v擧たるは、天御柱と稱して彦命既に前に顯れ給ひ、こゝは國の霧を拂ひ給ふ神化にてなり給ふて、女神の司どり給處故、邊命計を顯し給ふ義と傳へる也。國柱と云神號式の詞に出たる始は不v見也。前には國御柱の神號を不v被v顯、後には彦命の神號亦説にあげられたるをもて、式の詞と合て彼是通じて、風神は級長津彦級長戸邊命と奉v窺義也。一神二名と云不審あれ共、此傳を不v知ば不v濟義也。二神二名と奉v窺べき也。出入の息は一つなれ共、出と入との二つに陰陽を兼たる道理に比して、一神二名と云説あり。不v可2信用1
名におへる森にとは、龍田神風神の祭り預り給ふ事は令延喜式の通、上古は毎度五穀成就の祈を被v成官幣を被v奉し也。鎭華《本マヽ》祭も風神の祭也。よりて名に負へるとは詠めり。尚追而細密に可v注。風祭せなは、せん抔云義也。龍田の神に祈り申て花を散らさしめなと願はんと也。此歌共を考ふるに、この難波へ諸卿の下りしは、此節幸あらんとの事によりて下れるなるべし
反歌
1752 射行相乃坂上之蹈本爾開乎烏流櫻花乎令見兒毛欲得
いゆきあひの、やまのふもとに、さきをゝる、さくらのはなを、みせむこもがな
射行相乃 これを神武紀など引て、迫く險しき坂故往來の人行あふ坂なるべしなど云説あれど、射は初語の詞と聞ゆる也。坂上と書たるを、坂と心得たるも不v考の説也。坂上と書きては前にも山と讀ます義訓書也。坂上の麓といふ義有べきや。たゞ坂の麓ならば聞えたれど、坂上と有なれば義訓に山と讀ませたる也。坂上を山とよむ證明共なるべきは此歌也。上の麓と云事は無き事也。行相の山と云處、大和より難波へ越る路次に有けるか。然らばいの初語には及ばず、行相と讀べきを、いの初語を添へたるは.難波より和州へ越る山路は細く狹き故、往来の人行相故かくよめるか。下に見せん兒もかなと詠める故、行相と云義を詠出せるならん。行相て見せん兒もかなと願ふ意也。兒は女の通稱也。嶋山射行相を、八雲には皆紀州と被v遊しか共、難波より還來と端作にありて、君が見んその日迄などよめる歌なるに、いかで紀の路を經て難波へ回るべからんや。大和より難波へは一日路に越さるべし。さればこそ一夜耳ねたりしからに共詠めり。然れば紀伊國の地名にては有べからず
(530)※[手偏+僉]税使大伴卿登筑波山時歌一首并短歌 たぢからをかんがふるつかひ云々
※[手偏+僉]税使とは、税はたぢからと讀みて年貢の事也。民部省の被官の内主税頭と云官は、此事を司る故名付けたり。上古は年貢の損益を※[手偏+僉]校する爲、諸國へ此使を被v遣し也。大伴卿は安麿の事なるべし。然れ共旅人安麻呂共に※[手偏+僉]税使の事は國史に不v見也。東海東山の節度使按察使等の時か。追而可v考。此卷の奥、鹿嶋苅野橋にして別2大件卿1時歌一首並短歌とありて、高橋蟲麻且之歌集中出とあれば、大伴卿東國へ下り給ふ事ありて、此時と同時なるべし
1753 衣手常陸國二並筑波乃山乎欲見君來座登熱爾汗可伎奈氣木根取嘯鳴登岑上乎君爾令見者男神毛許賜女神毛千羽日給而時登無雲居雨零筑波嶺乎清照言借右國之眞保良乎委曲爾示賜者歡登紐之緒解而家如解而曾遊打靡春見麻之從者夏草之茂者雖在今日之樂者
ころもでの、ひたちのくにゝ、ふたなみの、つくばのやまを、みまくほり、きみがきますと、あつかひに、あせかきながし、きのねとり、嘯鳴登登、をのうへを、きみにみすれば、をのかみも、ゆるしたまへり、めのかみも、千羽日たまひて、ときとなく、くもゐあめふり、つくばねを、さやにてらしで、いぶかしき、くにのまほらを、まぐはしに、しめしたまへば、うれしみと、ひものをときて、いへのごと、とけてぞあそぶ、うちなびき、はるみましよりは、なつぐさの、しげくはあれど、けふのたのしさ
衣手常陸國 此衣手の常陸と續く事は、常陸風土記云〔倭武尊巡2狩東夷之國1幸2過新治之縣1、所v遣國造昆那良珠命新令v堀v井、流泉降澄尤有2好愛1、時停乘v輿翫v水洗v手、御衣之袖垂v泉而沾、依2漬v袖之義1以爲2此國之名1〕然れば倭武尊の御衣の袖、 泉に垂れて浸りしをもて、國の名とはなりける故、衣手のひたしとは云けると也。又ひたちと云來るは、し、ちは音も通ひ易く且古歌にも東路の道の果なる常陸と續けて、東海十五ケ國の果てなれば、旅行の日立と云義にて、古く常陸共云しと聞えたり。(531)陸の字をひだちと讀む義も不v知共、先風土記の説をより處とすべし
二並筑波乃山 男筑波、女筑波と云て、二峰相並たる山也。則歌にも、男神も〔許し給へり〕女神もと詠めり。第三卷にては、友達の見がほし山共よめる也
欲見君來座登 見まくほり君が來ますとは、筑波山を見たきとて大伴卿の來ませると也
熱爾 あつかひと讀む。神代卷上云、〔一書曰、伊弉册尊且v生2火神軻遇突智1之時、悶熱懊悩因爲v吐此化2爲神1曰2金山彦1云々〕とあれば、此古語によるべし。此登山の節夏の比故、暑さに苦みて汗かき流すとの義也。あつかひは、暑き日と云義をこめて奈氣はながし也。印本諸抄の假名に、汗かきなげきと讀ませたるは心得難き假名也。木は下へ續く詞也
木根取 山に登るに、木の根草の根に取付攀登るとの義也。諸抄に笛の音の事に釋せるも、嘯鳴の字に心をよせて也。ねとりうそぶきなど云詞有べきことにも無し。嘯鳴二字にてうそぶきと讀まん事心得難し。さかしき山路を登れば、息絶々敷すだくべければ、自づからうめく樣なるを云たる義なれば、義訓に吟の字の意にて、にほひとか、さまよひとか讀べし。うそむきなどと云假名もあれど、登の字のぼりとならでは讀難き處也
君爾令見者 君に見すればと詠める、國守又は下司など、大伴卿と同道して登りて詠めるなるべし
男神毛 山を直に神と稱せし也。尤延喜式〔卷第九常陸國筑波郡筑波山神社二座【一名神大、一小】男神は大社にして、女神は小社とありて、二つの峰の内男神と稱する峰は高く、女神の方はひきゝと也。此卷の奥の歌にも、男神爾雲立登りと詠めり
許賜 ゆるし給へりとは、登り得て順見する事を許し給ふ故、天氣もよく面白き景色を見せしと悦の意也。下に段々と其意を述べたり
女神毛千羽日給而 諸抄の説、いはひと云意いつくと云義と釋せり。然れ共こゝには意不v合義也。いはひいつくと云事は神に縁ある詞なれど、此歌のこゝには義合はず。何とぞ別義あるべし。上の許し給へりとあると同じ意の詞と見ゆる也。師案は、いはみ給ひてと云義にて、男神女神寄集まり給ふと云義なるべしと也。愚案ちなみ給ひてか。陸じくし給ふの意にて、上の許しの詞に相對する詞ならんか
(532)時登無 これより下の事をいへる句也。千羽日給ひて迄にて句を切るべし
雨零 雨ふる也。筑波根は時をもわかず雨ふれ共、男女神許し給ふ故、けふは晴天にて、雲霧もかゝらずさやかに見せさせ給ふと云事をよめり
清照 さやかにてらし也。言借石、これをことゝひしと讀ませたれど、ことゝひしと云義此所にて聞えず。其上借の字、とふと讀む義心得難し。いぶかしきと讀べし。いぶかしきは心憎きなど云意、無2心元1と同事也。雲霧かゝり雨など降りて、常はいぶかしかりし處も、今日は晴天故殘所無く、高山の峰より國の内を委しく見せしむる事と也。抄物の説は、文選東都賦の、山靈護v野〔屬御方神、〕雨師汎灑、風伯清v塵と云義をとりて、男女神の雨を俄に降らしめて、山を清める樣に釋せる事は難2信用1説也。且借の字をとふと讀む義も、借問と書ける文選謝玄暉、郭景純遊仙詩等の例を引て注したれど、此例は用ゐ難かるべし。如v此の書例はいか程もあれど、問の字を離れてとふと讀む義は成難かるべし。副字助字の例を訓義には用難き也。ことゝひしと云句、此所に續かぬ句也
國之眞保良乎 まは初語國原也。ほらもはらも同音同事也。日本紀景行天皇の國しのびのみ歌に、大和は國のまほらまと、賞めさせ給ふみことに詠ませ給へる詞也。國の眞中と云み歌とも聞ゆる也。こゝはたゞ國中を見せしめたると云義也
解而曾遊 とけてぞと云は、打解けて遊ぶとの義也
打靡 春といはん爲の冠句也。けふ打靡きて遊ぶと云義にもかけて也。打靡春と云は、押なべての春にと云意也
夏草之云々 登れるは夏のころ故、前にも汗かき流して登れる體を詠めり。萬草生茂りたる時節なれど、高山に登りて四方八隅を見晴かしたらんは、さぞ樂しかるべき也
反歌
1754 今日爾何如將及筑波嶺昔人之將來其日毛
けふの日に、いかでおよばん、つくばねに、むかしのひとの、きけむそのひも
(533)昔も登りし人有つらんづれど、今日大伴卿と登りて、かく晴天の心よき國原をも見る景色は、いかで及ぶ事あらんやと、當日を悦べる也。これ歌を六帖に紐の部に入たるは、長歌の意をとりて心得難き事也
詠霍公鳥一首并短歌 鳥の下に歌の字脱せる也。尤目録共に脱せり。外の例格を見て知べし
1755 ※[(貝+貝)/鳥]之生卵乃中爾霍公鳥獨所生而己父爾似而者不鳴己母爾似而者不鳴宇能花乃開有野邊從飛翻來鳴令響橘之花乎居令散終日雖喧聞吉幣者將爲遐莫去吾屋戸之花橘爾住度鳥
うぐひすの、かひこのなかに、ほとゝぎす、ひとりうまれて、ながちゝに、にてはなかず、ながはゝに、にてはなかず、うのはなの、さけるのべより、とびかへり、きなきどよまし、たちばなの、はなをゐちらし、ひねもすに、なけどきゝよし、まひはせむ、とほくなゆきそ、わがやどの、はなたちばなに、住度鳥
鶯之生卵 玉子をかひことも云也。霍公鳥の子の自然と鶯の巣に生ずること有由、昔より云傳へたり。當集第十三卷の歌にも、よごもりに鳴郭公昔より語りつぎつる鶯のうつしまこかも、とよめり。唐の詩にも鶯又百鳥の巣に生ぜる事を作れる事有
己父爾 この集に己の字をさがと假名を付たり。前に末の卷にも皆さと假名を付たるは、いかなる詞を取りてか心得難し。座と濁音に讀てなかと云意か。己れ汝と讀字なれば、なとは讀む也。さと讀む義未v考也。鶯の巣に生じたれど、父母には似て鳴かぬと也
幣者將爲 まひなひはせんと也。外へ不v行樣に、なづけん爲に、まひなひを強て何時迄も此宿りの橘に鳴わたれと、時鳥を愛せし歌也
住度鳥、此句は宜しくも聞えぬ句也。ケ樣の句作り後世とても好むべからぬ事也。第十卷の、住渡るかにと詠めるには劣れり
反歌
(534)1756 掻霧之雨零夜乎霍公鳥鳴而去成※[立心偏+可]怜其鳥
かきくらし、あめのふるよを、ほとゝぎす、なきてゆくなり、あはれそのとり
※[立心偏+可]怜 此哀れは悲しむ意計りにあらず。時鳥を賞愛の哀れを兼たるなるべし。尤表の意は雨にぬれて夜を鳴過るは、悼ましきと云意に聞ゆれど、愛の意をも兼て詠めるなるべし。長歌の意全體時鳥を愛憐する歌也。第七卷に哀れそのかこと詠めるに等し
登筑波山歌一首並短歌
1757 草枕客之憂乎名草漏事毛有武跡筑波嶺爾登而見者尾花落師付之田井爾雁泣毛寒來喧奴新治乃鳥羽能淡海毛秋風爾白浪立奴筑波嶺乃吉久乎見者長氣爾念積來之憂者息沼
くさまくら、たびのうれへを、なぐさむる、こともあらむと、つくばねに、のぼりてみれば、をばなちる、しづくのたゐに、かりがねも、さむくきなきね、にひばりの、とばのあふみも、あきかぜに、しらなみたちぬ、つくばねの、よけくをみれば、ながきけに、おもひつみこし、うれへはやみぬ
新治乃 常陸の郡の名。日本紀景行卷云、〔蝦夷既平、白2日高見國1還之西南歴2常陸1至2甲斐國1、居2宇酒折宮1、時擧v燭而進食是夜以v歌之問2侍者1曰、珥比麼利菟玖波塢須擬※[氏/一]異玖用加禰菟流、諸侍者不v能v答云々〕
淡海 湖水有と見えたり。全體の歌能聞えたり
反歌
1758 筑波嶺乃頑蘇廻乃田井爾秋田苅妹許將遣黄葉手折奈
つくばねの、すそわのたゐに、あきたかる、いもがりやらむ、もみぢたをらな
すそわの田井 長歌には所を表して師付の田井とよめり。こゝは筑波根のすそに有師付と云處の田井と云義に、すそわと計(535)り詠めり。田井とはふけ田など云て、不v斷水の溜りたる田を云たる義なるべし
妹許はいもがもとへ也。歌の意能聞えたり
登筑波嶺|爲《ナス》2※[女+曜の旁]歌曾《カヾヒノヱヲ》1日作歌一首并短歌 ※[女+曜の旁]歌は袖書に注せり。かゞひと云也。仙覺抄に、〔自坂以東・諸國男女、春花開時、秋葉黄節、相携飲食祭奠、騎歩登臨、遊樂※[手偏+丙]※[しんにょう+并]。又俗諺云、筑波峰之會、不得娉有財者兒女取意〕男女打混じて此日歌を歌ひ舞て、酒宴し遊ぶ書有しと見えたり。玉篇云、※[女+曜の旁]、徒了、徒聊二切、往來貌
1759 鷲住筑波乃山之裳羽服津乃其津乃上爾率而未通女壯士之往集加賀布※[女+曜の旁]歌爾他妻爾吾毛交牟吾妻爾他毛言問此山乎牛掃神之從來不禁行事叙今日耳者目串毛勿見事毛咎莫 ※[女+曜の旁]歌者東俗語曰賀我比
わしのすむ、つくばの山の、もはきつの、そのつのうへに、いざなひて、をとめをとこの、ゆきつどひ、かゞふかゞひに、ひとづまに、われもまじらん、わがつまに、ひともことゝへ、このやまを、うしはくかみの、むかしより、いさめぬわざぞ、けふのみは、めぐしもみるな、こともとがむな
鷲住 和名抄云〔唐韻云、※[咢+鳥]【音萼】大※[周+鳥]也、※[周+鳥]【音凋、和名於保和之、鷲、古和之】※[咢+鳥]鳥別名也。山海經注云、鷲【音就】小※[周+鳥]也〕。第十四卷の常陸歌にも、筑波根にかゞなく鷲と詠めり。高山故常の山に異なれば、鷲の住なるべし
裳羽服津乃 地名也。山の頂上に如v此の地あると聞えたり。此地名も※[女+曜の旁]歌の時男女集る處故、津と名づけたるか。水邊ならで津と云意心得難し。つどひ處と云意ならん
加賀布 此詞不v詳。かこふの義圍の字の意にて、歌垣等の如く、男女圍みて歌ひ舞義をかゞふと云へるか
吾毛交牟 われもまじらん也。男女打雜る事は非禮義の振舞なれど、今日は古よりの例ありて、かく交り遊ぶ也。通はんとの假名は不v可v然
牛掃神 前に注せる如く正説古來より不v詳也。先は惡牛星と云惡き災をなす神を、拂ひ除きてよき神の吾所と、その山を領(536)し給ふ神と云義と見るべし
目串毛 み目に委しくも不v見、大樣に見許し、男女物云交すをも咎むなと也。前に、他妻爾吾毛交牟云々と云にかけて也
※[女+曜の旁]歌者東俗語曰賀我比 古注者の袖書也。※[女+曜の旁]は玉篇に往來の貌と注すれば、今の踊などの如く、歌を歌ひ廻り舞ふ義と見えたり。田舍の社には今も花踊と云て、男女打混じ作花を笠に差かざして、扇をもて歌を歌ひ舞也。此かゞひも此等の類にて、今遺風有ならん。然るに東俗かゞひと云は、何と云義にて賀我比とはいへるか。此語不v濟事也。加賀布かゞひと有。注には二字共に濁音を書たり。賀の字多分は濁音也。清音に用たること希也。加我比なれ共東俗は訛りて濁音に賀我比と云來れるか。※[女+曜の旁]歌を東俗賀我比といへる義は不v詳也。十四卷の歌にも筑波ねに可加奈久和之のと詠みて、筑波根に可加とよめる處心得難し。此※[女+曜の旁]歌會前に注せる如く、仙覺抄には春秋の二季に有由也。神を祭る會と見えたり。此歌にては秋の祭と見ゆる也。此※[女+曜の旁]歌の遺風、今にも田舍には遺れり。神代紀に親王の注なされし、紀伊國有馬村の祭に、花の時は花をもて歌ひ舞て祭るとあるも、此義と同じ事と見えたり
反歌
1760 男神爾雲立登斯具禮零沾通友吾將反哉
をのかみに、くもたちのぼり、しぐれふり、ぬれとほるとも、われかへらめや
男神爾 山を直に神とよめる也。神を祭りたる山なれば也。此短歌の詞にては秋の祭と見ゆる也。歌の意は別義※[女+曜の旁]歌の面白き故、雨にぬれても飽かず遊び暮さんとの義也
右件歌者高橋連蟲麿歌集中出
詠鳴鹿歌一種並短歌
1761 三諸之神邊山爾立向三垣乃山爾秋芽子之妻卷六跡朝月夜明卷鴦視足日木乃山響令動喚立鳴毛
みもろの、かみなみやまに、たちむかふ、みかきの山に、あきはぎの、つまをまかむと、あさづくよ(537)、あけまくをしみ、あしびきの、やまびこどよみ、よびたちなくも
神邊山爾 かみのべも、なみも同音故、神邊と書て、のはつけて詞を添ふ例極れる事なる故、のはな、べはみ同音故、かくは讀ませたりと見ゆ。若し神のべ山と云地名、みもろ山の内にあらんか。然らば神のべ山とも讀べし。海邊と書てうなび共讀めば神なびなるべし
秩芽子之妻卷六跡 萩は鹿の妻とすると云來りて、萩の花を女に比して、妻を卷かんと詠めり。妻を卷くとは、衣の褄の身になれそふ如く、われに附從へんと云の義に、妻卷とは讀む也。古事記日本紀等の歌にもある古語也
朝月夜 月の曉迄ある夜をさして、朝月夜あけとうけたる也。夜の明けん事の惜しきと云を朝月夜と、月の夜は赤ければ冠辭によめる也。句中に鹿の事無けれ共、題に表したる故知v此よめる格も有し也
反歌
1762 明日之夕不相有八方足日木之山彦令動呼立哭毛
あすのよに、あはざらめやも、あしひきの、やまびこどよまし、よびたてなくも
山彦 今云木魂のこと也。鹿の鳴音のこ玉に響きどよみて妻戀ふと也。かく鳴どよませば、あすの夜は妻にあふらんやと思ひやり歎じたる詞に、呼たて鳴くもとよめり。この毛と云詞、皆歎きの意、感情をこめたる詞也
右件歌或云柿本朝臣人麻呂作
沙彌女王歌一首
第三卷間人宿禰大浦初月歌の内一首
掠 乃 可 隱 光乏寸
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1763 倉橋之山乎高歟夜※[穴/牛]爾出來月之片待難
くらはしの、やまをたかみか、よごもりに、いでくる月の、かたまちがたみ
(538)夜※[穴/牛]爾 月のこもりて出來る事の晩きと云意也。夜隱と云地名もあれば、そこをかねて詠めるならん
片待難 月の出くるを待かねると云意、かたみは待難き也。かたみは初語助語也。集中いくらも有詞にて意無き詞也。扨此歌第三卷に、間人宿禰大浦初月歌二首と有内の一首に、末の一句違たる迄也。袖書にも同歌作主兩人の違、作者も別に擧たれば別歌と見るべし。今の世にも大概似たる歌もまゝ有こと也
右一首間人宿禰大浦歌中既見但末一句相換亦作歌兩主不敢正指因以累載
如v此疑敷樣に注したれど、極めて別歌なるべし。末の一句にて歌の差別は有事也。大浦の歌は三ケ月の歌、光乏しきと讀みて光の少き意也。此歌はかた待難きと詠めり。三ケ月を待つと云べき理無し。これにて差別有ことを知るべし
七夕歌一首並短歌
1764 久竪乃天漢爾上瀬爾珠橋渡之下湍爾船浮居雨零而風不吹登毛風吹而雨不落等物裳不令濕不息來益常玉橋渡須
ひさかたの、あまのかはらに、かんつせに、たまはしわたし、しもつせに、ふねうけすゑて、あめふりて、かぜふかずとも、かぜふきで、あめふらずとも、もぬらさず、やまできませと、たまはしわたす
風吹而雨不落等物 雨降りて風吹てもと云義にて、文を互に云つくしたる詞也。假令雨降り風吹ても止まず來ませと云意也
雨降り風吹ても來れとなれば、雨降らず風不v吹ば勿論の事也
玉はしわたし 船をうけすゑてと有からは、いか樣にしても來れと願ふ意を詠める也。橋に玉を飾るべきことにはあらねど、此等を歌の雅情とは知るべし。玉橋とよめる義、又歌によりて船にも玉卷き小梶しゝぬきなどよめるも皆、雅言をよめる事と知るべし。尤上代は船には玉等餝り朱にて塗たる也。今も高貴の人の乘船には、善を盡し美を盡せるをもて思合すべし。もぬらさずとあれば、織女を彦星の待つ歌と聞えたり
(539)反歌
1765 天漢霧立渡且今日且今日吾待君之船出爲等霜
あまのかは、きりたちわたり、けふ/\と、わがまつきみが、ふなですらしも
霧立 天の河を渡り、今日か來る今日か來ると待意にて、霧は添言葉也。天川を渡りと云義に、霧は立たつもの故、立渡りと云はん序に、霧とは置けり。霧に深意は無き也。けふを/\と待し君が、今日こそ船出すらんと也
右件歌或云中衛大將藤原北卿宅作也 中衛、前に注せり。北卿とは房前の事也
相聞
振田向宿禰退筑紫國時歌一首 此振田向は何と訓ぜんも知らず。拾穗抄等にはふるたむかふと讀ませたり。傳可v考所無ければ、いかに讀まんこと定難し。筑紫にまかると有は、交代して本國に歸る時か、又太宰府抔の下司にて下る時の人の歌か。又筑紫より登る時か。難v考
1766 吾妹兒者久志呂爾有奈武左手乃吾奥手爾纏而去麻師乎
わぎもこは、くしろにあらなん、ひだりての、わがおくのてに、まきていなましを
久志呂 ひぢまきの事也。釧《セン》の字をくしろと讀む也。玉篇云、釧、充絹功、釵釧也云云。此字義は女の笄又兵器の樣に見ゆる也。袖中抄にもひぢ卷と云へり。釧、和名抄云、内典云、在2指上1者、名v之〔曰v鐶、在2臂上1者、名v之爲v釧〕比知萬岐。同農耕具云、※[金+爪]〔麻果切、韻云、※[金+爪]【普麥反、又普狄反、漢語抄云、加奈加岐一云久之路】〔鉤※[金+爪]也〕字書云、釧、枢絹切、音串、臂鐶。如v此なれば釧は肱卷に決せり。然るを和名には何とて肱卷と經文の語をとりて記して、釧の和名を脱せるならん。又農具の假名書の一名をくしろとは云へるならん。是一名二物と見るべし。くるしろと云名は古く備はりて、既に日本紀繼體紀にも、安閑天皇未だ太子にての時の御歌に、しゝくしろうまいねし時と云詞もあれば、既に此歌にも左手の奧の手に卷かんとありて、紛ふ處も無く、字書内典等の注にも出て、釧は肱卷の義訓の字に當れり。和名抄國郡部云、備中國下道郡郷の名に釧代【久之呂】と記せり。二字にてくしろと讀ませた(540)るは心得難し。※[金+瓜]の字にて久と讀べき義無し。或抄にくはしろと云義かと云へり。※[金+瓜]の字くはと讀まん義無し。※[金+瓜]は今土堀・草堀り抔云て、※[金+截の左]を曲て柄を着たるもの有。此類ならん。若しそれを誤りて鍬と心得て、※[金+瓜]の字に鍬の讀み有と云べきか。備中の國語誤りて用來りたる郷名の字故、和名にも記たるか。くしろにあらなんは、あれかしと願ふたる也
左手乃 此左手のと詠める義は、男子は左女子は右の手に嵌めたるか。追而可v考事也。左右共には嵌めざる樣に聞ゆる也。尤詞の續きにて、歌にはケ樣にも詠む事あれば、一定には決め難し
奧手 臂は袖の内奧に隱れたれば、奧の手と也。歌の意、肱卷のくしろにてもあれかし。然らば肱に卷きて人にも表はさず、なれて諸共にいなましをと也
拔氣大首任筑紫時娶豐前國娘子紐兒作歌三首 此拔氣の二字も何と讀まんか。所見無ければ訓し難し。大首も名か、かばねか難v決也。後考すべし
1767 豐國乃加波流波吾宅紐兒爾伊都我里座者革流波吾家
とよくにの、かはるはわぎへ、ひものこに、いつがりをれば、かはるはわぎへ
加波流波 かはると云所の名と聞えたり。紐の兒の居所を云か。歌の意、紐の兒を娶りて、それにいつき嫁づかれ居れば、かはると云。紐の子が居所は、拔氣大首が宅と思ふとの歌と聞ゆる也。かはると云地名追而可v考也
後考、和名秒國郡部云。田河郡の郷の名に香春、假名付にはカヽハルとあれど、かはるなるべし
紐兒爾伊都我里座者 此いつがりは、いつきかしづかれの意計にもあらず。女の名を紐の兒と云につきて、縁有詞を詠出たると見えたり。いつがりとは伊は初語にてかりは、き也。つきゐると云義也。袋などの口を鎖りの樣にゆふことをつがりと云也。然れば紐の子を思慕ふ心は、袋等の紐のつがりたる樣に、離れ難く思ひ居れば、紐の子に離れ居ても、心は一つ處に有て替るも、我家と一つ事に思ふとの意とも聞ゆる也。追而案ずるに此歌後説に從ひて見れば、未だ不v娶前の歌なるべし
三首共其意也
(541)1768 石上振乃早田乃穗爾波不出心中爾戀流此日
いそのかみ、ふるのわさだの、ほにはです、心のうちに、こふるこのごろ
石上振乃早田 これは葛飾早稻など云名物のわさ田なるにや。穗に出ぬ稻にはあらず。可v出筈の物の穂に出ぬと云意也。此歌などを能々玩味すべき事也。上代の歌の上手巧拙を見るは、ケ樣の歌をもて考ふる也。たゞ何共無く石の上振のわさ田と詠出たる處、後世の人の及ばぬ上手の作也。何の意味も詞のすがりも無くて、下に意をふまへたる也。先づ石の上振と詠めるは地名にして、早田と云も確かに振と云地名を据て、田を詠出で扨振とは、思ひの日を經る意を含みて也。扨穗に出でぬと詠めるも早田なれば、疾く出る筈の物なるに、其穗に出ぬは、わが思ひはいか計り日を經れ共穗に出さず、心の内に忍ぶ處の苦しく切なることを、自づから含ませて、表は何と無く安らかに詠出たる也。滯る處無く、する/\と聞えて、しかも意を確かにふまへたる詠樣也。聞き誤りて、振のわさ田は穗に出ぬかと思ふは、大成違ひ也。とく出る物なるに出でぬ處を、苦みたることの、切なるに喩へてよめる也
1769 如是耳志戀思渡者靈刻命毛吾波惜雲奈師
かくのみし、こひしわたれば、たまきはる、いのちもわれは、をしけくもなし
能聞えたる歌也。右三首共未だ紐の子を娶らざる前の歌と聞ゆる也。かく戀慕ひて後、終に娶り迎へたるなるべし。よりて標題には娶時と記せしならん
大神大夫任長門守時集三輪河邊宴歌二首 みわの大夫なかとの守によさゝれしとき云云
大神《オホミワノ》大夫 傳末v考。大神の二字おはみわと讀むか。たゞみわと讀べきか。追而語例を可v考也。いづれにても此氏は大物主の大神のみ子大田々根子の苗裔也。事は崇神紀に委しき也。こゝに大夫と記せるは名か官名か。何ぞの大夫に任じて其後の官名をもて、前の任國の時の事を記せしか。追而可v考也
後考、延喜式卷第八祝詞部、出雲國造神賀詞云、倭大物主〔櫛〓玉〕命登名乎稱天大御和乃神奈備爾坐云云
(542)1770 三諸乃神能於婆勢流泊瀬河水尾之不斷者吾忘禮米也
みもろの、かみのおはせる、はつせがは、みをのたえずば、われわすれめや
於婆勢流 帶せる也。みもろ山を回りて流るゝ川と云義也。三輪山は山を神體とする也。古來より宮殿無く山を神として被v祭、今も人の拜禮するも山に向ひて拜み奉る也。惣而神を祭る事、山に木を植て奉v祭事、本朝の古實也。奧秘傳共ある事也。帶にせるとよめる、歌集中にも數多有。古今集にも見えて前に注せり。歌の意は流行みわ川の、しかも水深き處の水尾の絶えぬ限りは、みわの神恩を忘れま敷との意、又けふの宴の事をも、はる/”\の長門へ下りぬとも、故郷の事と共にいかで忘れめやとの歌也。大神の氏人なれば、かく誓ひの心をもて詠めるなるべし
1771 於久禮居而吾波也將戀春霞多奈妣久山乎君之越去者
おくれゐて、われはやこひん、はるがすみ、たなびく山を、せこがこえゆかば
此歌は大夫の妻などの詠めるなるべし。遲れゐてといひ、君之越行かばと有にて知るべし。其の宴にある人の餞の歌か
右二首古集中出 古の下に歌の字を脱せり
大神太夫任筑紫國時阿部太夫作歌一首 任2筑紫國1とは長門守にて下る時の事なるべし。阿部太夫未v考
1772 於久禮居而吾者哉將戀稻見野乃秋芽子見都津去奈武子故爾
おくれゐて、われはやこひん、いなみのゝ、あきはぎみつゝ、いなむこゆゑに
吾者哉 われは戀ひん也。はやと云は歎の詞に詠める也。凡てはやと云詞は歎の詞也。前に日本紀の詞等を引て注せり
稻見野乃 地名前に注せり。筑紫へ下る路次なれば詠出て、下のいなんと云縁なるべし。歌の意よく聞えたる也。子故にとは大神大夫をさして也。子の字は前にも注せる如く、賞美してよめる事も有。君子夫子などの如し
獻弓削皇子歌一首
(543)1773 神南備神依板爾爲杉乃念母不過戀之茂爾
かみなみの、かみよりいたに、なるすぎの、おもひもすぎじ、こひのしげきに
神南備神 三輪の神の事也。みもろの内皆神なびと云か。延喜式祝詞卷、出雲國造神賀詞云、乃大穴待命乃申給久〔皇御孫命乃靜坐牟〕大倭國申、己命和魂乎、八咫鏡爾取託天、倭大物主櫛〓玉命登名乎稱天大御和乃神奈備爾坐〔己命乃御子阿遲須伎高孫根乃命乃御魂乎〕高木乃鴨能神奈備爾坐須〔事代主命能御魂乎宇奈提爾坐〕、賀夜奈流美命能御魂乎飛鳥乃神奈備爾坐天、〔皇孫命能近守神登貢置※[氏/一]云云〕如v此あれば、此邊の地名の惣號を神なびと凡て稱せしと見えたり
神依板 これは神を移し奉る板を神より板といふ也。依とは神を天降しまつる義也。今も祈祷者など佛家の法によりを立ると云事有。尤陰陽家立言家などに此事有。上古は本朝の法にも有て、神功皇后の卷に出たる儀、佛家に云、より人と同じく、神のかゝり給と云義有も同じ事也。今湯神子などの神託を述べる義も此事也。然るに此神依板と云はいか樣のものぞと云時、その制は不v被v傳共、只板を立置てか、持てか叩たることゝ見ゆる也。發動させて神を降すの道理にて、物の音を響かして騷々敷する事と見えたり。今も其遺風は神事に大太鼓を叩き立る事、又田舍にて神殿を叩く事有。是古實の遺れる世。こゝの神依板も其板にて、即ちなる板と讀みて、鳴の字を兼たると聞ゆ。神依板は叩く板なるべし。社壇神殿をも叩きて、神を天降し祭りたる事は、上古の習はしと見えて、歌にも神垣うち叩きと詠める、此たゝくの義不v濟事也。こゝに有神依板と云も、此歌などにて考へ知るべし。神代上卷、岩戸の段神事にも有し也。うけふせ踏とゞろかしは、後世神殿社壇瑞垣等を叩きたつる事となりし始め也。岩戸の神事の遺風と知るべし
爲杉 する杉と讀ませたれど、前に注せる如く、これは鳴の意を兼ねてなると讀べき也。杉は三輪の神木なれば也。畢竟下の思ひも不v過といはん爲迄に、杉のとは詠出たる也。前々よりの例格の通、古詠の格皆かくの如し
念母不過 思ひを過しやらぬと云義也。思ひを消しやる事無く、戀慕ひ佗ぶるとの歌也。思ひもはるけず、すごしやらぬ事也。思ひをはるけず、心の晴れぬ事を思ひ過ぬと云義、集中に何度も有。引合考ふべし。此歌は弓削の皇子を戀慕ひ奉る意を表し(544)て奉りたる歌也。男子か、女子か、不v知。袖書に人丸の歌集中出とあれば、先は人丸の歌とすべきや。然れ共歌集中出と云注不v合事多ければ、左注は証明に成難し
獻舍人皇子歌二首
1774 垂乳根乃母之命乃言爾有者年緒長憑過武也
たらちねの、はゝのみことの、ことなれば、としのをながく、たのみすぎむや
此歌諸抄の説は、皇子を恨み奉りて母のみことの云ける詞の樣ならば、わが願ことをも叶へさせ給へ。かく年月經る迄は、打捨置かれまじきにと云意と釋せり。當家の流とは裏表との違也。宗師見樣は皇子を奉v頼歌也。次の歌も同意にて、みこを頼母敷思ふ歌と見る也。母の如くならばいかで年月長く過んや。皇子の仁徳ませば、我母親の如く人を憐み惠み給へば、年月長くは過ぎまじ。やがてのうちに頼み奉れる事も叶ふべきとの意と見る也。次の歌の意と同意に不v見ては不v濟也
1775 泊瀬河夕渡來而我妹兒何家門近舂二家里
はつせがは、ゆふわたりきて、わぎもこが、いへのかどにも、ちかづきにけり
夕渡 妹が方へ通ふ夕部の義に詠なせり。忍妻の方へ通ふは夜なる故、夕わたりと詠みて艱難苦勞の義をこめて也。川を渡りて來るは勞ある事也
我妹兒何家門近舂二家里 忍び通ふ妹が家の門にも來り着たるは、嬉しかるべし。其意をもて、よそへたる歌也。願ふ事も皇子の惠みによりて、近付よりて既にことなるべきと、頼母敷喜べる意を如v此よそへたる也。これも前の歌と同じ意ならでは、二首奉る處の歌に別意は有べからず。近づきにけりと詠めるにて、年緒長く頼み過ぎんやと詠める意と同意の意也。何とぞ皇子を奉v願る事ありし人の、よみて捧げたるなるべし。先は人丸と見るべき也
右三首柿本朝臣人麿之歌集出
石川大夫還任上京時播磨娘子贈歌二首 石川大夫誰人か。此卷には大夫と計り記せるはいかゞしたる事か、心(545)得難し。官名か。たゞ五位の人と云しるしにか。太夫は四位五位の唐名なれば也
選任 國守にて有りしが、外の官に遷りたる故、京へ上る也。播磨守などにてありしが他官に遷りたるか
1776 絶等寸笶山之岑上乃櫻花將開春部者君乎將思
たゆらぎの、山のをのへの、さくらばな、さかむはるべは、きみをおもはむ
絶等寸笶山 八雲に播磨と注せさせ給へり。未v見2証明1ば先御抄に隨ふべし。たゆらぎをわざ/\詠出たるは思ひ絶えぬと云意をこめて也。たゆらぎの山と云へど、われは不v絶忍ぶと云意をよそへて也。歌の意聞えたる通也
1777 君無者奈何身將装※[金+芳]匣有黄楊小梳毛將取跡毛不念
きみなくば、なにみよそはん、くしげなる、つげのをぐしも、とらんともはず
奈何身將装※[金+芳] なぞ身飾らんと讀ませたれど、さにては有べからず、詞拙し。將装餝の三字よそはんと義訓に讀みて然るべし。歌の意よく聞えたり。情深き貞節の婦人の歌也。是らをもて詩經の教えを立つる如く、いか樣にも婦人の教ともなる歌也。此類の歌又奧に有。追而引出すべし
小梳毛將取毛不念 梳、唐韻云、細櫛也。取らんともはずは、取らん共思はず也。毛の字一字衍字なるべし
藤井連遷任上京時娘子贈歌一首 葛井連廣成か。葛井もふぢゐと讀べき也。和名抄〔云、播磨國明石葛江【布知衣】〕藤の字は字書に蔓の惣名とも注せり。元正天皇養老四年五〔月壬戌、改2白猪史氏1賜2葛井連姓1。〕此廣成ならんか
1778 從明日者吾波孤悲牟奈名欲山石踏平之君我越去者
あすよりは、われはこひんな、なほりやま、いはふみならし、きみがこえいなば
名欲山 尚戀ひんと云意に、名欲山を詠出たると聞ゆる也。別の意無く聞えたる也
藤井連和歌一首
(546)1779 命乎志麻勢久可願名欲山石踐平之復亦毛來武
いのちをし、させくねがはね、なほり山、いはふみならし、また/\もこむ
命乎志 しは助語也。命を也
麻勢久 是をませ久しかれと詠ませたれど、命をしませ久しかれと云意、句義不v濟也。麻勢久、勢もさも同音也。依りて幸の字の意にて、眞佐貴久也。きの一語を略しいへる詞也。命をまききくと願はねと云義也
可願云云 かれと讀ましたり。かれは願ふ詞故、義訓との説あれど、可の字は下知の詞に用る字なれば、額はねと讀む也。互の命を幸と願はんとの義也。下句は先の歌に對して和へたる歌也。また/\もこんとは、又再び來てあはんとの義也
鹿島郡苅野橋別大伴卿歌一首并短歌 和名抄云、常陸國〔鹿島郡輕野〕前に筑波山に登るの歌有。當國の順寮の事終て、下總へ被v越時の歌と聞えたり
1780 牝牛乃三宅之酒爾指向鹿島之崎爾挾丹塗之小船儲玉纏之小梶繁貫夕鹽之滿之登等美爾三船子呼阿騰母比立而喚立而三船出者濱毛勢爾後奈居而反側戀香裳將居足垂之泣耳八將哭海上之其津於指而君之己藝歸者
ことひうしの、みやけのさけに、さしむかふ、かしまのさきに、さにぬりの、をぶねまうけて、たまゝきの、をかぢしゝぬき、ゆふじほの、みちの登等美に、みふなこを、あともひたてゝ、よびたてゝ、みふねいでなば、はまもせに、おくれなをりて、ふしまろび、こひかもをらむ、あしずりし、ねのみやなかむ、うなかみの、そのつをさして、きみがこぎいなば
牡牛 倭名抄云、〔辨色立成云、特牛【俗語云古度比】頭大牛也〕玉篇云、特、徒得切、牡牛、又獨也。こゝに牝の字は誤れり。然れ共字書等 の字義説々有て不2一決1ば、古くは牝をも男の字に用たるか。扨三宅と續けたる事諸抄の説まち/\也。先仙覺説(547)は、、牛は酒を好みて糟を食へば、醉て猛り誇りてかしましきもの故、三宅の酒にかしまとよそへたりと云へり
一説牛は熱を苦むものにて、酒を飲めば身の焚くが如くに悶えるもの故、身燒の酒と續くると也
一説さし向ふは、鹿島の崎に差向ふ下總國海上郡の内に、三宅と云處ありて、盃を差向ふ如く、對せし處より船出すると云義に、かく續けたるとの説
一説三宅は宮家と書きて、國々の政屋を云へば、此酒は公義よりのもてなしの酒にて、唯今別るゝ鹿島の崎に差向へば、かく續けたるかとの説、右の説々いづれもより所無きにはあらねど、しかと打付かぬ説々也。愚案は、ことひ牛のみやけの酒と續けるは、古の諺にことひ牛酒を飲めば、身の焚如くあへぐものと云習たれば、それを取りてみやけの酒とは續けて、扨そのみやけは則下總の國海上郡に有地名なれば、鹿島の崎と差向ひたる崎あると聞えたり。さなくては諺に云觸れたる言にても、地名のより所無くては詠まじき也。然れば牡牛はみやけと云はん爲の冠句、みやけは鹿島の崎に向ひたる崎、さる故酒も崎も同音なれば、牛のみやけと詠むから、崎を酒と讀なせるなるべし。殊に酒は、飲宴にも、さしつ酬ひつするものなれば、相對する意を兼ねて、さし向ふとは讀める也。和名抄國郡部云、下總國海上郡、三前、三宅、船木。同抄云、常陸國鹿嶋郡鹿嶋、高家、三宅、宮崎。如v此あれば、常陸の内の三宅にて、鹿島の崎と相對したる所にても有べきや
鹿嶋之崎爾 前に地名を注せる如く、此處より般乘して、下總の海上へ越せるなるべし。さにぬりの、さは例の初語、小船のをも同じ。玉まきは船のかざりを云へり。此等皆歌の雅言也。詞花言葉と云義ケ樣の事也
小梶繁貫 小は初語也。諾抄梶を多く貫つらねてと云説也。師説は、しゝはすゝと云ことにて、船に鈴をつけて餝として、海獣を脅しの爲に、上古はかくの如く怖れると也。鈴船と云古説ある由也。予未だ所見せざれば此義未2甘心1也
しゝぬきと有は、今も梶を船のはたに緒をつけ、つゝ《本マヽ(すゝカ)》の樣なるものに貫置、それにて漕也。大船程いくらも其かぢを列ねて、何丁だち等云て漕なれば、しゝぬきは繁くぬくと云義に叶ふべきか。祈祷の時たか玉をしゝぬきと云こと有。これはしのにぬき也。此奥の歌にも、竹珠乎密貫垂と有、密の字忍ぶと讀む字なれば、小竹にぬきたれと云証ともすべし。尚其處にて注すべし。こゝはしげきの方ならんか。尚追而可v考
(548)夕鹽之滿乃登等美爾 これは諸抄の説は、鹽の滿ちて船出の滯る故、數多の舟子を集も誘ひと云義と釋せり。然れ共潮のみちのとゞみと云詞心得難し。道のとまりと云義を、潮のみちと云かけたるならん。玉鉾のみち來、しほみちくるかをりなど詠める事もあれば、道のとまりに舟子を集め催してと云ふ義と見る也。夕部は即ちとまりの縁に、夕鹽のと詠めるなるべし。旅路のとまりにてと云義也。三船子。和名抄第二、人部、微賤、舟子【附水手】文選江賦云、舟子【和名布奈古】於v是搦v棹
阿騰母比立而 このことは第二にて人丸の長歌にみ軍をあともひ給ひと有。第十七にも大伴池主の布勢海の長歌にも、白妙の袖ふりかへしあともひてわが漕行けば、と有。第十、第十四、第十五卷に跡もふと詠める詞もありて、其處々にて歌により差別有詞也。然れ共第二の詞、此歌、卷第十七、地主の歌詞とは同じ事と聞ゆる也。此歌の義も諸抄説々にて、一説は今はと思ひてと云説有。又日本紀に誘と云字をあとふと讀ませたれば、誘ふと云心也と云説有。六帖の歌に、時鳥春を鳴けとはあとふ共人の心をいかゞ頼まん、と詠めるも同じき義と注せる抄も有。まち/\にして叶へり共不v聞也。第二卷に注せる如く、これはあつめとゝのひてと云詞也。つととは同音通、めととを約すればも也。よりて集めとのひと云略語と見る也。義も又能叶へり
立而 下の呼たてゝと云へ績く縁に詠める也。濱毛勢には野もせ庭もの詞と同じく、濱も狹き程に皆打並居てと云意也。反側は、ふしまろび也。毎度有る文字詞也
足垂之 垂の字をずりと讀まするは、ものゝ垂下ることをずりさがるなど云義より、借訓に讀ませたる也。これも足摺にては有まじ。あしたつのと云義ならんと云説有。垂の字たつと讀む意心得難し。ねのみとうける處はさも讀みたき處也。殊に足摺しと云に、之の字を書きて、爲のしに讀ませたるも、少珍しき也。印本には足摺のと讀ませたれど、足摺のねとも續かぬ詞也。此句少不審有續き也
海上 上總下總兩國共に有。倭名抄可v孝。其津於指而、此於の字心得難し。弘の字の誤りか。遠の字か兎角誤字也。歌の意は句釋の通にて、別を惜める歌と聞えたり
反歌
1781 海津路乃名木名六時毛渡七六加九多都波二船出可爲八
(549)うなつぢの、なぎなんときも、わたらなむ、かくたつなみに、ふなですべしや
海津路 うな上へ渡る海路の事なれば、うなつぢと讀べき也。惣體の海路の風波のなぎたる時もと云義なれ共、海上の津に越るなれば、其地名を兼ねて讀むべし。海つ道のと云義也
時毛 時にと有べき樣なれど、時にもの意也
多都波二船出可爲八 別を惜みて少なり共止めん爲に、かくは詠めるなるべし
右二首高橋連蟲麻呂之歌集中出 蟲麻呂此時國守抔にてもありける故詠めるか
與妻歌一首
1782 雪己曾波春日消良米心佐閉消失多列夜言母不往來
ゆきこそは、はるひきゆらめ、こゝろさへ、きえうせたれや、こともかよはぬ
此歌は、妻の方より音信の遠ざかりしを恨て與へたる也。歌の意は聞えたる通、雪ならば春の日に消失せるも理りなるに、そなたの心の變じてわれを慕ひ思ふ心さへ消失せしや、音信だに無きと也
妻和歌一首
1783 松反四臂而有八羽三栗中上不來麻呂等言八子
此歌いかに共聞得難し。諸抄の説も色々説々有て、篤と理り明らめ難し。先印本諸抄の通にて讀まば
まつかへりしひにてあれやはみつぐりの中上こずてまろといはゞこ
かく讀みて其意、まつかへりしひにてあれやはとは、待に晩く來るをしひにてあれやはとよめり。急ぎ來んともせで、心緩かに有を、しひにてと云と也。三栗などの樣に來ず共、麿がいはゞ來よと云義と也。いはゞこと云は、云はゞ來よと云義也。如v此注して此歌何と聞えたるや心得難し。又一説に松は色の變ぜぬ物なるを、變ずと云樣にをしふると云て、誣の字の意也。松を變ずと云は誣る事故、しひてと云はむ爲に、松反とは云へると也。そのしひにてあれやはとは、思はぬを思ふと強ひて云へる(550)にてあらんやはと云心也。上の歌に消失せたれやと云へるに、さは無きと答ふると也。三栗の中上とは、第五卷に憶良の歌の、さき草の中にをねんと云歌の意と同じくて、此下句は、中うへ來ぬを麿といへやこ、と讀べきかと也。中上とは、一月を三つに割りて、中の十日を中とすれば、上旬下旬皆上也。然れば我れは思はぬを思ふと、しひて云へるにあらず。君こそ來んと頼み置ても、初め、中、終り、待ちに待たれても來ずして、猶待と云へとや君と云心也。子は男子の通稱にて、君子共いへば君と云に同じ。云へやは云はんや也。丸とは、ろは助語にて、眞人と云義と也。始終來ぬを誠あるつまと云はんや。君こそ人を誣ては有れと返せると也。如v此の釋にて此歌聞得たりとも不v覺也。先四臂而を誣の字の意と見ること、いかに共心得難し。第十七卷の歌にも此詞あり
麻追我弊里之比爾底安禮可母さやまたのをちかそのひにもとめあはずけん
如v此有て同じ詞也。よりて師案は、此歌の見樣一字誤字有と見て釋せる也。其誤字は上は出の字の誤りと見る也。よつて讀み樣は
まつかへりしひにてあれやはみつくりの中にも出きでまつといふやせ
如v此讀みて、まつかへりしひにてあれやはとは、さもあらぬことを、却りて裏腹なる、筋無き事を云へると云義に喩へたる義也。松變じて椎にあらめやは、しひにはあらぬと也。われ心も變じて音信もせぬと云おこし給ふは、かへりてそなたにこそ、心も變じて待てど來まさぬを、われを心さへ消失せたれやと宣ふは、あちらこちらなる義と云の和へ也。あれやは、あらめやはの約言也。らめをつゞめてれ也。奧の歌にも、あれ可母と書たれば、こゝもあれと讀べし。あるやも、ありやもと讀誤るまじき也
三栗 これは上に松椎を詠出たれば、中と云冠辭に、幸と三栗とを詠出たりと聞ゆ。三栗は決めて中圓きもの也。いがの中に大方三つ生るもの故、三栗とは詠みて、中の冠辭とはせり。三つ出來ずても、兩樣にへたの如く有もの也。杓子の如くなるもの故、直に杓子共云也。然れば其三栗の中にも、不2出來1ものをも麿と云べきや。中にも不2出來1て、そなたには麿と云如く、わが忘れもせぬ心を消えたれやと、筋無き無理なることを宣ふ背子かなと、返して恨みたる和へ歌と聞ゆる也。子と云字は先(551)をさして、さしすせそ通音にてもせと讀む。せとは夫の事也。又男子の通稱なれば、義訓にせと讀んでも苦しかるまじき也。
しひにてのてはつけ讀み也。而の字はにと讀む也。にを付る事は、上を音に四臂と書たればなり難し。奥の假名書の歌に、爾底とあればこゝも准じてにてとは讀む也。若し又上文字を其儘にて、何とぞ讀解樣あらば後案を待のみ。先師説かくの如し
右二首柿本朝臣人麿之歌集中出 此注にて袖書の注に、何の歌集中出と有ても、其人の歌と決し難き證明明か也。既に妻和歌と有からは、人麿にて無き歌も歌集中に入たると見えたり。然れば人麿妻との問答の歌と見て、前の雪こそはの歌人麿の歌とすべきと云べけれど、口風違たる事を知るべし。凡て左注の義は後人の筆相混じたれば、難2信用1事有。又可v取事もありて取捨ある事也
贈入唐使歌
1784 海若之何神乎齊祈者歟往方毛來方毛舶之早兼
わたつみの、いかなるかみを、まつらばか、ゆくさもくさも、ふねのはやけん
海若 海の惣名也。海の一字にてもわたつみとは讀む。古代より如v此二字にも書來れり
何神 住吉明神知夫利の神等皆海路を祈る神也。其外にもいか樣の神を齊ひ祭りて祈らば、風波の難無く往來滯り無く早からんやと也。上古遣唐使出船の時は、難波住吉等に官幣を被v奉被v祈し事、國史等に詳也。延喜式祝詞の卷にも見えたり
往方毛來方毛 方の字さまと訓ずる故、行き樣歸る樣もと云義にて如v此讀む也
右一首渡海年紀未詳
神龜五年戊辰秋八月歌一首井短歌 これは三越の國の内へ、國守に被v任て下る人を、京に留り殘る人の詠みて贈れる歌也
1785 人跡成事者難乎和久良婆爾成吾身者死毛生毛君之隨意常念乍有之間爾虚蝉乃代人有者大王之御命恐美天離夷治爾登朝鳥之朝立爲管群鳥之群立行者留居而吾者將戀奈不見久有者
(552)ひとゝなる、ことはがたきを、わくらはに、なりしわがみは、しにもいくも、きみがまゝにと、おもひつゝ、ありしあひだに、うつせみの、よの人なれば、大きみの、みことかしこみ、あまさかる、ひなをさめにと、あさどりの、あさたてしつゝ、むらどりの、むらだちゆけば、とまりゐて、われはこひんな、みずひさにあらば
人跡成事者 人と生るゝことは容易くは成難きを、われ偶々人となりしと也
和久良婆 前に注せり。病葉の事也。たまさかに有もの故、稀なる事に喩へ云也。わづらひ葉と云義を、わくら葉とは云也。その病葉を稀なる事に云義は、しかと濟難き事也。病葉はたまさかに有物故、云との事計りにてはしかと打着難し。何とぞ義有べき事也。わくら婆と濁音にて無ければならぬ詞故、集中皆濁音の字を用たり。然るを今はわと聞ゆる樣に云習へり
死毛生毛 死にも生も君がまに/\と思ひつゝ、朋友にもし夫婦の間にもあれ、到りて睦じく思ふ間と聞えたり。第十六卷竹取の翁に仙女が答へし歌にも、しにもいきも同じ心と〔結びてし友やたがはんわれもよりなん、と〕詠めり
うつせみのよのひとなれば云云 今現在の世の中に住人なれば、一天の君の命令を背き難くてと也。みこと畏みとは、みことのりの恐しければ、何事も君命に任すとの意也。已下の詞聞えたる歌也。これは京に止まれる人の詠める也
反歌
1786 三越道之雪零山乎將越日者留有吾乎懸而小竹葉背
みこしぢの、ゆきふる山を、こえむ日は、とまれるわれを、かけてしのばせ
此三越と云は、越前越中越後の三越の國の道と云義也
雪零山乎 今雪の降にはあらず。越の國は雪深き國なれば、行經ると云意によせて詠める也
懸而しのばせ 越の國よりこなたに心をかけ渡してと云意也
(553)天平元年己巳冬十二月歌一首并短歌
1787 虚蝉乃世人有者大王之御命恐彌礒城島能日本國乃石上振里爾紐不解丸寐乎爲者吾衣有服者奈禮奴毎見戀者雖益色二山上復有山者一可知美冬夜之明毛不得呼五十母不宿二吾齒曾戀流妹之直香仁
うつせみの、よのひとなれば、おほきみの、みことかしこみ、しきしまの、やまとのくにの、いそのかみ、ふりにしさとに、ひもとかず、まろねをすれば、わがきたる、ころもはなれぬ、みるごとに、こひはまされど、いろにでば、ひとしりぬべみ、ふゆのよの、あけもえざるを、いもねずに、われはぞこふる、いもがたゞかに
磯城島能日本國乃 敷島は大和の國の地名にして、日本の惣號共なれり。依て大和の冠ともなれり。すべて地名は二つ重ねて云也。これを雅言雅語とする也。然るに餘の別名もあれど、大和と續けることは、此敷島計にて、本邦の惣國號にも呼ぶは秋津島大和と續く義と同じ理りにて、島と云名によりてか。秋津島も惣號也
振里 ふりにし里にとよみて、詞を合せたれど、反歌を見れば、振山とあれば、石上の布留の里に居て、奈良の都の妻を戀て詠める歌也。冠辭に詠べきふるにあらず。地名を直に詠べき事也。ふりにし里と云ては、故郷の事を云義に間ゆれば、此讀みはいかゞなれど、帝都を離れたると云意、又布留の都は上古の事にて、今はふりあれたる處となりたれば、上古の都の事に對して、ふりにしと詠めるか。不審有。此歌の作者、何とぞ公け事に從ひて、都を離れ石上の布留の里に居て詠めると聞えたり。天平五年の比は奈良の郡の時なれば、反歌にもよめる如く、ま近き處なるに、かく詠める意不審ある歌也
服者奈禮奴 着古して垢付たると云義也。衣服は妻のしわざにて、裁縫たる物にて、垢づけば解洗ふなるに、ひとりのみあれば誰取認むる者も無きから、見る毎に妻を戀慕ふ思ひの増と也
色二山上復有山者 これは色々に山の上又ある山はと、文字の通に讀めり。諸抄にも出の字の義訓の意には心得で、失張文字の如く讀める也。(554)歌詞を不v辨より、出の字を形にして詞に延たると云義を不v辨故也。山の上に又有山はと讀みて、歌の詞に何と通ずべき。當集の書體書法を不v考釋也。此は色二山上復有山者の八字を、五言に讀める詞也。出と云字を山の上に山有と、字の形を云て色に出ばと義訓に讀ませたる義也。是萬葉書とて世にも一格立たるはケ樣の書法によりて也。馬聲蜂音をいぶと讀ませ、喚鷄を、つゝと讀ませ、其外あげて數へ難き書ざま有を、此集の筆力古語の傳來の証明共する事也。毛詩文選古樂府唐詩等の文を引、出の字の義も色々注せし抄共あれど、口惜しき義たゞ心安く色に出ばと讀みて、歌の詞安らかによく通ずる事を不v辨事、流石の博覽の先達も、歌の筋を不v辨から、句例語例を知らざる也。出の字は字書等にも、山を重ねたる點畫にはあらず。中の一點は後筆に貫きて、字畫も近代の字書には※[口の上の横線なし]《カン》の字畫部に入たれ共、是は代によりて違あれば、今の字書等は証明とはなし難し。古樂府にも、藁砧今何在、山上更有v山と記し、唐詩の内にも、山上有v山不v得v歸と書て、出と云字の意を述べたる義あれば、古字は山に從ひたり共見えたり。此歌の意、見る毎につれて戀慕ふ思ひは増せ共、色に出でば人の悟り知らん事を、包むも尚物うきと云義也
一可知美 外人の知るべきと也。是等も萬葉書の一格也。一の字、ひとゝ云字義は無けれど、一つと讀む字なれば、人の字に訓を借用る也
明毛不碍呼 あけもえざるをとか、あけもかぬるをと讀みて、長き夜をいも寐ずして戀ふると也
妹之直香仁 此直香の事前にも注し、此後あまた有詞にて、慥には解釋し難く、先づ推量にねやの事をたゞかと云と釋し來れり。何とてありかと云も同じくて、こゝも妹がありかに心迷ひて歎くと云義と見る也。今時の手爾波にては、たゞ香をと有べき樣也。然れ共前にも注せる如く、古詠には戀と云義を、何に戀とのみ云來りて、何を戀とは一首も無き、是後世の歌と大成違ひ也。こゝも上にわれはぞ戀ると詠たれば、たゞかにと詠める也
此歌の全體は、公事につきて大和の石上の布留山里に獨り居て、都に有る妹を冬の夜の長をもいねがてに、人目を包み心にのみ慕ひ戀ふとの歌也
反歌
(555)1788 振山從直見渡京二曾寐不宿戀流遠不有爾
ふるやまに、たゞに見わたす、みやこにぞ、いもねずこふる、とほからなくに
振山從 石上の布留山より、一筋に直ちに見渡せば、奈良の都はいと近き處と聞えたり。古今には奈良の石の上とさへ書たれば、程近かりしと聞ゆる也
京二曾 此ことに付ては不審有。京をぞと云手爾波ならでは此歌聞え難し。若しは乎の字の誤りたるか。にぞと有てをぞと云心に見よとの説あれど、さは成難し。さ無くて妹が戀ふらんと見る意も有。若し其意にて詠めるか。但しは誤りか二義の内なるべし。妹がこふらんと見る意は、長歌にはわが戀慕ひて、夜をいねず思ひ佗ぶる事を詠たれば、短歌にて妹もかく戀らんやと、思ひやりてよめる義も有べし。戀流と云詞は、こふらんと云、らんの二語を約していへば流也。よりて京にぞ妹不寢戀らんと云意に詠たるか。戀流とよめるは詞を約したるかと見る也
遠不有爾 石上と奈良とはさのみ遠からね共、わけありてこそ隔たりかく戀慕ふと聞えたり
1789 吾妹兒之結手師紐乎將解八方絶者絶十方直二相左右二
わきもこが、ゆひてしひもを、とかむやも、たえばたゆとも、たゞにあふまでに
歌の意はよく聞えたり。不v及2細注1者也
右件五首笠朝臣金村之歌中出 如v此左注に注せるは、古注者見る所ありて注せるなるべし。師案、天平元年十一月に、京及畿内に班田司を被v置たる事紀に見えたれば、若し金村此時其司に任じて、幾内を巡行せし時詠めるか
萬葉童蒙抄 卷第二十三終
(556)萬葉童蒙抄 卷第二十四
天平五年癸酉遣唐使舶發難波入海之時親母贈子歌一首并短歌 續日本紀卷第十三、天平五年夏四月己亥、〔遭唐四船自2難波津1進發〕前にも委敷注せり。此時の歌、第五、八、十九卷等に混じて被v載たり。大使は多治比眞人廣成也
1790 秋芽子乎妻問鹿許曾一子二子持有跡五十戸鹿兒自物吾獨子之草枕客二師往者竹珠乎密貫垂齊戸爾木綿取四手而忌日管吾思吾子眞好去有欲得 奴者多本奴去古本
あきはぎを、つまとふかこぞ、ひとりごふたりご、もたりといへ、かごじもの、わがひとりごの、くさまくら、たびにしゆけば、たかたまを、しゝにぬきたれ、いはひべに、ゆふとりしでて、いはひつゝ、わがおもふわご、まさゝきてあれかな
秋芽子を云云 鹿は萩を妻とし、なれ添ふもの故、妻とふと詠みて、其鹿こそ子を一つ二つも持ちてつるれ。其鹿の子の如きわれも、たゞ獨りの子を唐へ遣はす事の覺束無さに、神々に祈をするとの歌也。我一人子のと云迄は、一人の子を旅にやると云ことの序也。古詠はかくの如く何になり共喩へて詠める也。鹿と云ものは、わきて子を愛して、つれて離れぬもの故、よそへて詠めるなるべし
鹿兒自物 牝鹿の子を※[鹿/兒]と云。和名抄云、〔牝鹿曰v※[鹿/ヒ]、其子曰v※[鹿/兒]〕その如くと云意也。自物の事前に注せり。如と云義也
竹珠乎 注前に有。珠をほめたる詞か。又陰陽家に竹の輪玉に形取りて、祭具に用たる由も云へり。神社には此古實は不v知。追て可v考こと也
密貫 これは、前々より繁く貫きてと云義に云來れり。繁の字を書て皆しゝぬきと讀ませたれど、繁と云字をしゝと讀む義不v濟。しげきとは古く讀來れり。繁きはしぬと云詞に通ずれば、これは小竹にぬきと云義ならんか。こゝに密の字を書たる(557)にて、愈繁は、しの、しぬと云義に用たる共見ゆる也。密の字は、しのぶと讀む字なれば、しぬと用たると見えたり。珠を小竹に貫たれて、神を祈り祭り奉るものとしたる義也
後案、密の字は細常と續きて繁きことにも通ずるなれば、繁き意なるべし。第十三卷の歌に、什珠乎無間貫垂天地之神祇乎〔曾吾祈甚毛爲便無見〕と詠めり。同卷或本歌、竹珠呼之自二貰垂〔天地之神呼曾吾乞痛毛須部奈見〕、如v此あれば、しのにと云義には決し難し。歌に依て小竹とも見るべきか
齊戸 神を鎭めまつる家也
吾子眞好去有欲得 これを古本印本諸抄共に、わが子まよしゆきてかなと讀めり。心得難き讀み也。又眞好去有欲得を、まよしゆけれかなと讀べLと云説も有。皆歌詞を不v辨讀み樣也。當集の格を熟讀無き人の、義訓書法を不v辨して文字になづみて無理讀に訓じ、語例句例歌詞にあらぬ事を讀めり。尤此好去の字古來より誤字相混じて本々不2一決1か。古注者も下に傍注をせり。其後注共に誤字正字難v決好の字奴と記せり。此好去の字は第五卷にも、好去好來の歌とて、則此遣唐使の時なるべし。山上憶良此遣唐使の大使廣成へ被v贈歌の標題にも、被v擧たる字也。そこにも注せる如く、よしゆきよしきたれと讀べき共不v覺。別訓あらんと注せり。その別訓今に不2成案1也。然れ共此歌にては、わがおもふわごまさゝきてあれかなと、義訓に讀べき也。好去の字を正字と見る也
奴者多本奴去古本 是古注者迄も無く、後人の加筆なるべし。本文の字は好の字なるに、注には奴の字に書たり。如v此傳寫の誤り有ものなれば、書の儘に書を用ひば、實に書無きには若かじ
反歌
1791 客人之宿將爲野爾霜降者吾子羽※[果/衣]天乃鶴群
たびびとの、やどりせんのに、霜ふらば、わがこはぐくめ、天のつるむら
羽※[果/衣] 鳥の羽を覆て包める如く、かひこ雛を育てる意をもて義訓に讀ませたり。今人をはぐくむと云詞も、これより出たると(558)見えたり。羽含と云意なるべし
天鶴群 珍しき詞なれど、鶴はわきて子を思ふもの故也。尤唐國にても、后稷を諸鳥の育てしなど云古事もあれば、かく詠めるなるべし。天とよめるは霜は天象の物なれば、詞の餘情によめる也
思娘子作歌一首并短歌
1792 白玉之人乃其名矣中々二辭緒不延不遇日之數多過者戀日之累行者思遣田時乎白土肝向心摧而珠手次不懸時無口不息吾戀兒矣玉※[金+爪]手爾取持而眞十鏡直目爾不視者下檜山下逝水乃上丹不出吾念情安虚歟毛
しら玉の、人のその名を、なか/\に、ことのをのべず、あはぬひの、あまたすぐれば、こふるひの、かさなりゆけば、おもひやる、たどきをしらに、むらきもの、こゝろくだきて、たまだすき、かけぬときなく、くちやまず、わがこふるこを、たまゝきて、てにとりもちて、まそかゞみ、たゞめにみずば、したひやま、したゆくみづの、うへにいでず、わがおもふこゝろ、なぞむなしかも
白玉之 娘子をほめて也
人の其名を中々にことのをのべず ことの緒のべずは、詞に云表はさずと云義也。のべと云んとて、言の緒とは詠める也。思ふ人の名を詞に云出でぬとの義也
思遣 おもひをけしやる便りも知らずと也
肝向田付乎白土 前にも注せる如く、村肝物と云義なるべし。きも向ふ心と云義不v濟詞也。先諸抄の通心と云冠句と見て置とも、きも向ふ心とうける義不v通也。村肝の心とうけたる義は濟也。群木物|多《コヽラ》と云義也。肝向と云義は、五臓の神は悉く一神に約まり何ふと云義に、肝向ふ心と續くるとの諸説は、いかに共義不v通釋也
(559)心摧而 思ひの切なる義をいへり。詩文等にも、心肝をくだくと云事數多遣ひたる詞也。遊仙窟にも、心肝恰欲v摧、又心膽倶碎と有
珠手次不懸時無 思ひ忘るゝこと無くと云意也。こゝよりそなたへかけて思慕ふとの意也
口不息 此句難2心得1けれど、第十四卷に、春野に草はむ駒の久知夜麻受安乎しぬぶらん家のこら共、と詠める歌もあれば、先づ字の如くよめる也。獨りごちとか、もださずもとか讀む義訓あらんか。口やまずと云意は、思ひの餘りにくど/\と、ひとりごちなど云義をいへるなるべし
玉※[金+爪] 肱卷の鐶の事也。釧の字の誤りなるべし。和名抄の農具の※[金+脈の旁]《カナカキ》の別名をも、くしろとあれば、その訓を借りて書たるか。手と云はん爲の序也。取持は下の鏡にかゝる詞也。娘子を取持ちと云説あれど心得難し
直目爾 今俗に、ぢきにと云の意也。直ちに目に見ねばと也
下檜山 攝津國に有。攝津風土記云、〔昔有2大神1云2天津鰐1。化2爲鷲1而下2此此山1。十人往者五人去五人留。有2久波乎者1來2此山1伏2下樋1而屆2於神許1。從2此樋内1通而祷祭。由v是曰2下樋山1。〕下ゆくと云はんとて、下檜山とは詠みて古事をふまへたる也。下樋は土の中に伏せて下を行物なれば、表に表さぬ、忍ぶ事を下樋によそへて詠める歌多し。日本紀允恭紀にも、木梨輕〔太子容姿佳麗見者自感。同母妹輕大娘皇女艶妙也。太子恒念v合2大娘皇女1。畏v有v罪而黙之然、感情既盛殆將v至v死。爰以爲徒非2死者1雖v有v罪何得v忍乎。遂竊通乃悒懷少息。因以歌v之曰〕足びきの山田を作り山高み下樋をわしせ、とも詠ませ給ふ也。或抄に陰溝をいふ共云へり
安虚歟毛 安き空かもと讀たれど、此義心得難し。歌の意は心の安からぬと云義也。空かもと云へる義いかに共不v通。心も空になど云事あるから、かくも詠める事あるや。語例を不v考。師案、まみむめも同音通なれば、やすみなしかもと讀べしと也。此詞も珍しければ、何とぞ別訓あらんか。やすみなしと讀める義共不v覺也。なぞ空しかもと讀まんか。われかく思慕ふ事の、上にも顯さで、などかくも下にのみ空しく戀渡るかもと云義に詠めるか
反歌
(560)1793 垣保成人之横辭繁香裳不遭日數多月乃經良武
かきほなす、ひとのまがごと、しげきかも、あはぬ日あまた、月のへぬらむ
聞えたる歌也。垣ほなすの事は知れたる詞也。垣の物を隔つる如く、人の中言の横しま言を云けるか、かく隔たればと云迄也
1794 立易月重而雖不遇核不所忘面影思天
たちかはり、つきかさなりて、あはざれど、さねわすられず、おもかげにして
核 眞の字をもさねと讀む意と同じ。まことに忘られぬと云義に、寢を兼ねて云へる也。いねても忘られぬと云意をこめて也。面影の忘られぬと云義、忘られぬ面影と云義也
右三首田邊福麻呂之歌集出
挽歌
宇治若郎子宮所歌一首 宇治若郎子 應神天皇の太子也。應神紀に詳なり
宮所 挽歌と擧たれば、此宮所と云は皇子薨去まして奉v葬たる喪所をさして云義と見えたり。もがりの宮など云義と同前也。常居の宮殿の事を詠める歌の意にも見えず。奉v葬たる所の義と見ゆる也。然るを諸抄には、大和の今木に御座所の有し樣に注せるは、今木と云詞になづみて、此詞の意を不v辨よりなるべし。宇治若郎子は山背の宇治にまし/\て薨去なりし也。
大和にましませる事は、紀にも不v見事也。但し上古の大和今來郡の内の山に隱し奉れるか。それにても兎角葬し處につきて詠める歌也。いま木と詠めるに譯あれば也。仁徳紀に葬2於蒐路山上1。又延喜式第二十一の諸陵式云、宇治墓、兎道稚郎皇子在2山城國宇治郡1云々
1795 妹等許今木乃嶺茂立嬬待木者古人見祁牟
いもらがり、いまきのみねに、なみたてる、つまゝつのきは、ふるひとみけむ
(561)妹が許に今來とうけたる迄にて、妹に意は無き也。今來の峰、此地名を紀州と云説有て、八雲にもさ記させ給へれど、今來は大和也。日本紀に毎度見えたり。上古は郡の名にも見えたれど、今は不v見。名目の替りたるか。日本紀雄略紀黒彦皇子眉輪圓大臣と新漢《イマキノアヤ》〔擬本南丘に合葬〕と有。欽明紀七年秋七月、倭國今來郡言云云と有。此已下歌の詞にも見えたり。然れば今來と云所は大和也。こゝに云へる今木と云義は、右の地名も有故に寄せてかく詠めるか。又上古毎度人を葬し山なる故、名付もし此歌にも詠出たるか。今木と云は、今柩を藏る處の峯をさして今木とは云へる也。きとは墓の事を云事神代よりの古語也。おきつきと云事、此集中にも手兒奈が歌にも見えて、上古は墓をつきとも、きとも云へり。大あらきの森など詠める歌の處にても注せり。さ無くては此歌何をもて挽歌と云べきや。今木の峯とよめる處にて、挽歌のしるし有。※[木+皮]と云も柩に造る、きの木と云ことにて、まは初語にして、きの木と云名と聞えたり。※[木+皮]を棺槨に作る由來は、神代上卷に見えて、土に入て不v朽木故、上古より用來れる也。棺槨をきと云事は前にも注せり。そのきを葬藏む處の山を指して、きの峯とは詠める他。墓の事を指して、其墓の上に標として木を植たてる、その木を古人と成給ふ皇子の見給ふらんと也。嬬待の木とは、上にいもらがりとよめる縁を離れず、妻を待とうけて、木の惣名なればかれこれ合せて待の木とよめり
古人見祁牟 見るらんの意也。古詠には此詞多し。いかにと云手爾波ならんか。未v考共兎角見るらんと云義にも、見けんと用來れり。古人とは身まかり過さり給へば、も早や古き人にならせ給ふと云義に、ふる人見けんと詠めるならん。死人を物故と書くも此意也
紀伊國作歌四首 此題にて前の歌の今木をも、諸抄に紀州に誤りいへるか
1796 黄葉之過去子等携遊礒麻見者悲裳
もみぢばの、すぎいにしこらを、たづさへで、あそびしいそを、みればかなしも
能聞えたる歌也。過ぎにし子等をと云にて挽歌の意有。紅葉々の過去と云詞いかゞなれど、古くはすぎと詠めるか。義をもて書たるか。然らばちりゆく也。第一卷に葉過去と書ける處にて、黄の字脱したらんと云へるも、此歌等に基きて也
(562)1797 鹽氣立荒礒丹者雖在往水之過去妹之方見等曾來
しほけたつ、あらそにはあれど、ゆく水の、すぎゆくいもが、かたみとぞくる
荒き波のたつは、煙の立如くなるもの也。其事を鹽けたつとは云へり
方見等曾來 過去し妹を葬し荒磯邊故、影見ぞと思ひて來ると也
1798 古家丹妹等吾見黒玉之久漏牛方乎見佐府下
いにしへに、いもとわがみし、ぬばたまの、くろうしがたを、みればさぶしも
古の字計にてもいにしへと讀むに、家の字を添たり。當集にはケ樣に色々に書なせり。此類何程もあれば、その例に隨ふべし。何の意も無き歌也
1799 玉津嶋礒之裏未之眞名仁毛爾保比去名妹觸險
たまつしま、いそのうらまの、まなごにも、にほひてゆかな、いもゝふれけむ
裏未 浦まわりと云と同じ。うら邊と云ても同じ。邊と云ならば、未はいまだと云字にて、ひと讀む濁音の字なるべし。うらみ共云。ひ、み、邊、同音也
眞名仁毛 名仁の間に、ごと云假名一字落たり。まなごも也。眞砂の事也。妹と共に遊びなれて、妹も來、ふれたる眞砂の浦まなれば、挽歌を詠吟して行かんと也。にほひては吟の字の義にて、うめく事をも云は、歌を吟詠するはうめく樣なるものなれば也。妹もふれけんは、其まなご路に來ふれし處と云意也
右五首柿本朝臣人麻呂之歌集出
此左注にても、歌集出とありても、その人の歌とは不v被v決証明共なるべし。いかにとなれば、右の歌の内に、妹と携はりて遊びし磯の事など詠める也。然れば人丸前妻後妻共に、夫婦伴ひ紀州の海邊に遊びつる事、前に歌にも詠まれ、集中にも可v被v出事なるに、その趣嘗て無ければ、集中出とありても、極て其の人の歌と云義には成難し。外人のよみし歌共をも、集置かれ(563)たると見えたり
過足柄坂見死人作歌一首 あしがらのさかをすぐるに、まかれるひとを見てつくれるうた
足柄 相摸國也。今は箱根山をのみ越る也。昔は足柄箱根と云て、續きてありし故、足柄山をも東海道往來筋として、通ひけるなるべし
1800 小垣内之麻矣引干妹名根之作服異六白細乃紐緒毛不解一重結帶矣三重結苦侍伎爾仕奉而今谷裳國爾退而父妣毛妻矣毛將見跡思乍往祁牟君者鳥鳴東國能恐耶神之三坂爾和靈乃服寒等丹烏玉乃髪者亂而郡問跡國矣毛不告家問跡家矣毛不云益荒夫乃去能進爾此間偃有
をがぎちの、あさをひきほし、いもなねの、つむぎおりけむ、しろたへの、ひもをもとかず、ひとへゆふ、おびをみへゆひ、くるしきに、つかへまつりて、いまだにも、くにゝかへりて、ちゝはゝも、つまをもみむと、おもひつゝ、ゆきけむきみは、とりがなく、あづまのくにの、かしこきや、かみのみさかに、にぎたまの、はださむしらに、ぬばたまの、かみはみだれて、くにとへど、くにをもつげず、いへとへど、いへをもいはず、ますらをの、ゆきのすゝみに、こゝにふしたり
小垣内之 古語にかきち、かいちと云たる詞と聞えたり。今も田舍にては家邊屋敷の巡りを、かいちと云也、田畑の外に家廻りの地を云也。なればかきち、かいちと云古語と聞えたり。歌にも庭にたつ麻手など詠めるも、此かきちの麻をとよめるも、同事の意也。上古は屋邊に皆作れると聞えたり。古風質素自然と備はれり
麻乎引干 麻は刈て水につけてさて苧に引て干すもの也。よりて引ほしと云へり。妹名根はいもうとあね也。兄弟をさして云へり
作服 これをつくりきせけんと讀ませたれど、細をきせけんと云義心得難し。二字合て義訓に讀む也。服に造るなれば、つむ(564)ぎ織と云義なるべし
三重結 苦勞に疲れやせて二重の帶も三重廻る如くになりたると云意也
今谷裳、今死せる時も、國へ退出してと云義也。恐耶は神と云はんとての序也
神之三坂爾 足柄坂に祭る神もありて、險しき處は皆神龜のましますなれば、神のみ坂とは詠あり。みは初語也
和靈之 死たる人をさして云へり。眼前に見ゆる身をにぎたまと也。和みたま、荒みたまの理をもつて也。當然に見え顯れたる、身にそひたる神靈をさして和靈とは云也。荒みたまとは見にあらはれず、元より隱れにそなはります神靈をさして云事也。こゝに和靈とよめることなど、古實の存じたる義也。畢竟死人の身をさして云たる也。此詞などを出さんとて、上に神のみ坂など縁を求め出したり。龍田彦立田姫の事に付て前に注せし如く、神明の上にても當然奉2鎭齋1處の神靈を、和靈と稱し奉り、未2發顯1前元來まします神靈をさして荒靈とは奉v稱事也
服寒等丹 はださむしらにと讀べし。死人は肌冷え氷りて陽氣無きもの也。下の詞に髪は亂れと、身の上の事をもてよめり
去能進爾 ゆきのすゝみには、丈夫のと詠出て、靱とうけ寄せたる也。進は故郷へ歸らんと思ひ立、進みてかく路頭にて空しくなり伏たると也。歌の全體句釋の通にて聞えたる歌也
過葦屋處女墓時作歌一首并短歌 これは攝津國兎原郡葦屋のうなひをとめを藏めし塚の事也。此卷末に至りてもうなひをとめと讀み、第十九卷にも家持の歌有。此處女の事に付て、大和物語に書けり。いつ頃のこと共知れぬ古事也。古事有こと故、かの處女の墓を過るとてかく歌を詠める也。あらましの由來は歌の中に詠あらはせり
1801 古之益荒丁子各競妻問爲祁牟葦屋乃菟名日處女乃奧城矣吾立見者永世乃語爾爲乍後人偲爾世武等玉桙乃道邊近磐構作冢矣天雲乃退部乃限此道矣去人毎行因射立嘆日惑人者啼爾毛哭乍語嗣偲繼來處女等賀奥城所吾并見者悲裳古思者
いにしへの、ますらをのこの、あひきほひ、つまとひしけむ、あしのやの、うなひをとめの、おきつ(565)きを、わがたちみれば、ながきよの、かたりにしつゝ、のちのひと、しのびにせむと、たまぼこの、みちのへちかく、いはかまへ、つくれるつかを、あまぐもの、そぐへのかぎり、このみちを、ゆくひとごとに、ゆきよりて、いたちなげかひ、わびひとは、ねにもなきつゝ、かたりつぎ、しのびつぎくる、をとめらが、おきつきどころ、吾并、みればかなしも、むかしおもへば
ますらをのこ 男子の通稱也。丁子と書けるは、丁は強也、壯也と字注ありて、本朝にては昔廿一歳以上を上丁とせられたる也。朝廷へ被2召仕1にも、上中下の差引ありて、それより段々進士を經て官位にも進む也
菟名日處女 うなひと云は海邊故名とせるか。うなひはなりとも云て、少女の事をも云へば、未だ嫁せずして居たる女故云へるか。奧城矣、既に前にも注せり。墓を云也
偲爾世武等 うなひをとめがことを、後の世の人にも慕はせんと、造り置きし墓と云事也
磐構 別訓あらんか。いはかまへと云詞穩かならず
退部 そぐへ世。前に注せり。天雲のはてと云意也。なげかひは歎きと云義也。かひは、き也
惑人者 思ひの人を云也。身に引合て、感情も深き故、ねにのみなくと也
吾并 われしまたと讀ませたれど、并の字大方さへと讀ませたる處あれば、われさへにとか、又われも亦と讀まんか。ならびと云字なれば、われ共にと讀まんか。尚追而可v考。畢竟歌の意はうなひ處女が墓を、今見て過れば哀れに悲しきと也
反歌
1802 古乃小竹田丁子乃妻問石菟會處女乃奥城叙此
いにしへの、しのだをのこの、つまとひし、うなひをとめの、おきつきぞこれ
妻問石はつまにせんと慕ひこふ事を、妻とひしと云也。歌の意よく聞えたり
(566)1803 語繼可良仁毛幾許戀布矣直目爾見兼古丁子
かたりつぐ、からにもこゝた、こひしきを、たゞめに見けん、むかしのをのこ
今語りつぎて聞だに、をとめと云へば心苦しく哀れに戀しきを、直ちにまのあたり見し男子の心の、痛ましき哉と詠める意他
哀弟死去作歌一首并短歌 師云、弟と書たれど訓を借りて妻などの死たるを詠めるかと也。歌の意、弟のことゝは不v聞也
1804 父母賀成之任爾箸向弟乃命者朝露乃銷易杵壽神之共荒競不勝而葦原乃水穗之國爾家無哉又還不來遠津國黄泉乃界丹蔓都多乃各各向向天雲乃別石往者闇夜成思迷匍匐所射十六乃意矣痛葦垣之思亂而春烏能啼耳鳴乍味澤相宵畫不云蜻※[虫+廷]火之心所燒管悲悽別焉
ちゝはゝが、なりのまに/\、はしむかふ、おとのみことは、あさづゆの、けやすきいのち、かみながら、あらそひかねて、あしはらの、みづほのくにゝ、いへなしや、またかへりこぬ、とほつくに、よもとのくにゝ、はふつたの、おのがむき/\、あまぐもの、わかれしゆけば、やみよなす、したひはらばひ、いるしゝの、こゝろをいたみ、あしがきの、おもひみだれて、うぐひすの、なきになきつゝ、あぢさあふ、よるひるいはず、かげろふの、こゝろもえつゝ、いたむわかれを
成之任爾 家業のまに/\と云義なるべし。諸抄印本等はなしのと讀めり。然れ共なりはひのまゝにと云意から、はし向ふとも、食物の事にかけて詠めると聞えたり。箸向と云こと珍しき詞也。これは箸は二本を一膳とするもの故、兄弟二つのことを云、冠辭に云かけたるか。今俗にもはしをりかゞみと云事有。たゞ二人ある兄弟を云ならへり。是等古語の遺れるならんか。弟をなせとは心得違也。よりておとゝ讀む也。畢竟食物もなりはひのまに/\出來侍るものなれば、はし向ふとよめるならん。なしのまに/\と云詞は語例句例珍しき事也。命とは賞美して弟の事にても歌にはかく詠める也
(567)神之共は神ながらと讀べし。人は神靈の宿れる也。上古は龍虎をも神とはいへり。爭ひかねては、命の終へんとするを、爭ひかねて消ゆる命をえとゞめずと也
よもとの國にと讀べし 神代卷に、よもとに、ふさがりますと云古語あれば也
各各向向 此訓何とぞあるべし。おのがむき/\とは餘りに平懷ならんか
思迷 二字合せて慕ひと讀べし。腹ばひゐるしゝのは、しゝを射るには腹這ひて射るもの故、かくは續けたり。畢竟心を痛と云はん迄の詞の縁語也。暗の夜の如く慕ひ悲み、腹這歎くの義也。一説には思迷匍匐の四字をまどはひと讀むと釋せり。いかに共聞得難き注也。暗夜なすと讀たれば、思迷の二字を合せてまどひと心を得て讀まんか。匍匐の句は下へ附べき詞也。只射るしゝの心を痛みとは、心を痛むものは、此外にいか程も痛ましき事あるべし。まどふから腹這とうけ、腹這て射るもの故、しゝとうけたる縁語ならん。いめ立てふし見など云事もあれば、鹿は伏してねらひ射るものと聞ゆる也。身をかゞめ腹這ふ如くにして、狙ひよりて射るもの故、かくは續けるなるべし
味澤相 この詞不v濟詞也。諸抄の説はよき事の多く寄集まると云ことに、云たる詞と繹せり。さ計りにては濟まぬ詞也。追而可v考。あぢさあふ、いとも續き、こゝにては、よと續けたり。いかに共不v知詞也
悲悽別焉 いたむ共歎く共讀むべし。焉の字を烏とも書る本有。いづれにても語の餘り也。別れをと、かへる手爾波の言葉と云計りにても無き也
反歌
1805 別而裳復毛可遭所念者心亂吾戀目八方
わかれても、またもあふべく、おもほへば、こゝろみだれて、われこひめやも
又あふ事のありだにせば、かく迄は歎き悲まじと也
一云意盡而 本集心亂の一説也
(568)1806 蘆檜木笶荒山中爾送置而還良布見者情苦裳
あしひきの、あらやまなかに、おくりおきて、かへらふみれば、こゝろくるしも
かへらふはかへる也。延べたる詞也
右七首田邊福麿之歌集出
詠勝鹿眞間娘子歌一首并短歌 勝鹿は下總國葛飾郡也。第三卷にも此娘子の事赤人の歌有。第十四卷にも東歌の内二首有
1807 ※[奚+隹]鳴吾妻乃國爾古昔爾有家留事登至今不絶言來勝牡鹿乃眞間乃手兒奈我麻衣爾青衿著直佐麻乎裳者織服而髪谷母掻者不梳履乎谷不著雖行錦綾之中丹※[果/衣]有齊兒毛妹爾將及哉望月之滿有面輪二如花咲而立有者夏蟲乃入火之如水門入爾船己具如久歸香具禮人乃言時幾時毛不生物乎何爲跡歟身乎田名知而浪音乃驟湊之奥津城爾妹之臥勢流遠代爾有家類事乎昨日霜將見我其登毛所念可聞
とりがなく、あづまのくにゝ、いにしへに、ありけることゝ、いまゝでに、たえずいひくる、かつしかの、まゝのてこなが、あさぎねに、あをゑりつけて、ひたさをゝ、もにはおりきて、かみだにも、かきはけづらず、くつをだに、はかでゆけども、にしきあやの、なかにつゝめる、いはひこも、いもにしかめや、もちづきの、みてるおもわに、はなのごと、ゑみてたてれば、なつむしの、ひにいるがごと、みなといりに、ふねこぐごとく、ゆきがくれ、ひとのいふとき、いくときも、いけらぬものを、なにすとか、みをたなしりて、なみのおとの、さわぐみなとの、おきつきに、いもがふさせる、とほきよに、ありけることを、きのふしも、みけむがごとも、おもほゆるかも
(569)青衿著 あをゑりつけて也。青き襟つけ共讀むべし。衿をふすまと讀めるはあまり也
直佐麻乎 たゞ麻計をと云意也。ひたすらと云も一筋と云意也。まじり物無しに麻計をと云義をひたさをと詠めり。ひたと云詞はひとゝ云詞也。さは助語初語にも遣也。如v此云意は、粗き布麻を裳に織りて著ると也。身をも飾らず、衣裳も粗き物を着たれどと、よき女と云ことの序詞也。畢竟衣裳の良からぬを著たると云義也
齊兒毛 いつきかしづきおく兒といへ共、此娘子には及ばじと也。歸香具禮、娘子の許へ諸人の慕ひ行くと也
人乃言時 此意不v濟。閑古なる句也。上に何とぞ句有たるが脱したるか。先づは人の迎へんと云時にと云の義と釋し來れ共、閑古の句なれば聞え難し
幾時毛不生物乎何爲跡歟身乎田名知而 此句意不v詳也。先づはいくばくも不v生人の身なるに、何せんとか身を知りて入水はせしと云義に見る也。然れ共句意篤と解し難き也。身をたなの、たなは初語也。前にも注せり。或抄にたなしりは、身を輕くしてと云かと釋せり。穿ちたる説也
浪音乃驟湊之奥津城爾 人の妻とせんと、彼方此方より爭ひ競ふをうんじて、身を投げて死たる事を云へり。おきつきは墓也
臥勢流 ふさせる也。ふせる也。遠代爾は昔の事を、昨日今日見たる樣に哀れに思ふと也
反歌
1808 勝牡鹿之眞間之井見者立平之水※[手偏+邑]家牟手兒名之所念
かつしかの、まゝの井みれば、たちならし、みづをくみけむ、てこなしぞおもふ
きこえたる歌也
見菟原處女墓歌一首并短歌 前にありし、うなひ處女の事と同じ。此歌にはをとめの死にし其樣子を詠める也。原はふと讀む故、菟のふと云によりて、のはな也。ふはひなり。うなひと讀む也
1809 葦屋之菟名負處女之八年兒之片生乃時從小放爾髪多久麻庭爾並居家爾毛不所見虚木綿乃※[穴/牛]而座(570)在者見而師香跡悒憤時之垣廬成人之誂時智奴壯士宇奈比壯士乃廬八燎須酒師競相結婚爲家類時者燒太刀乃手預押禰利白檀弓靱取負而入水火爾毛將入跡立向競時爾吾妹子之母爾語久倭父手纏賤吾之故大夫之荒爭見者雖生應合有哉完串呂黄泉爾將待跡隱沼乃下延置而打嘆妹之去者血沼壯士其夜夢見取次寸追去祁禮婆後有菟原壯士伊仰天※[口+斗]於良妣※[足+昆]他牙喫建怒而如己男爾負而者不有跡懸佩之小釼取佩冬※[草がんむり/叙]蕷都良尋去祁禮婆親族共射歸集永代爾※[手偏+栗]將爲跡遐代爾語將繼常處女墓中爾造置壯士墓此方彼方二造置有故縁聞而雖不知新裳之如毛哭泣鶴鴨
あしのやの、うなひをとめの、やとせごの、かたなりのときゆ、をはなちに、かみたくまでに、ならびゐて、いへにもみえず、うつゆふの、かくれてませば、みてしかと、いぶかるときし、かきほなす、ひとのいふとき、ちぬをとこ、うなひをとこの、ふせやもえ、すゝしきほひて、あひよばひ、しけるときには、やきだちの、たがひおしねり、しらまゆみ、ゆぎとりおひて、みづにいり、ひにもいらむと、たちむかひ、いそひしときに、わきもこが、はゝにかたらく、しづたまき、いやしきわがゆゑ、ますらをの、あらそふみれば、いけりとも、あふべからんや、しゝくしろ、よみにまたむと、かくれぬの、したはへおきて、うちなげき、いもがいぬれば、ちぬをとこ、そのよゆめみて、とりつゞき、おひゆきければ、おくれたる、うなひをとこも、いあふぎて、さけびおらひて、つちにふし、きばかみたけびて、もころをに、まけてはあらじと、懸佩之、をだちとりはき、さねかづら、つぎてゆければ、やからどち、いゆきあつまり、ながきよに、しるしにせんと、とほきよに、かたりつがむと、をとめづか、なかにつきおき、をとこづか、こなたかなたに、つくりおけり、故縁きゝて、しらねど(571)も、にひものごとくも、ねなきつるかも
葦屋之 地名をよめる也
片生 は未だとくと成就せぬと云意也。源氏物語等にまだ片なりなど書ける也
小放爾 ふりわけ髪と云に同じ。たく迄はたくる迄也。漸十二三歳の時を云へるか。其頃も並び居る隣家へも見せずと也
虚木綿 これをそらゆふのと讀みて、陽炎の事に云て、糸ゆふの事を云説とあれど心得難し。無き詞也。うつ木綿とは日本紀にも見えて古語也。うつは賞めたる詞、下の掛と云に※[穴/牛]を寄せたる也。ゆふを掛と云義を、隱れたると云義に云かけたり
見てしかと 見てしかなと願ふ也。いぶかる時は、意を發して見んと願ふ時也。見たきと憤る時と也
誂時 此字心得難し。前の歌に人の言時とあれば、語の字の誤にて、云ふ時にてあるべし。此句意は誰も見んと慕ひ思ふ時、中言を云て彼は見し、彼には靡くなど、中を裂く樣に云時にと云の意也。ちぬ男とうなひ處女と中を隔てられて、互ひに競ひ爭ふと也
ふせやもえ これは、廬の字は蘆の字の誤りにて、葦の屋燃ゆると云ならんか。然らば葦屋もえと云義か。伏屋と云も卑しき屋の事にて、すゝしと詠めろ縁にかく詠み出たるか
須酒師 煤の如く也。伏屋の燃えて煤び黒みたる如く、腹を立てゝ爭ふと云義也。怒り憤る時は、色も黒く顔赤む也。その如くに憤りと云義也。下の意は伏して思ひに燃ゆるの義をよせて也
相結婚 印本諸抄等皆あひたはけと讀めり。然れ共よばひと讀む方然るべし。兩方より娶らんと爭ひよばふ義也。その爭ふ時には、互ひに火に入、水に入とも厭はじと、いどみあふ由を云述べたり
燒太刀乃 太刀と其儘に云出でず、燒太刀と詠出る事古詠の習ひ也。太刀はくろ金を燒きて作る物故、燒太刀のとは詠出る也
手預 たがひとは太刀の柄と云義也。物の柄をかひとか、からなど云は古語也。古本には穎と云字を書けり。訓を借りて書くと見えたり。通例には手預と有。何れか是ならん。日本紀等に、劔のたがひ取しはりと云假名あり。神武紀には撫劔と書て右の如く讀ませたれば、かひと云は古語と聞えたり。又つかとも云。手にて振り束ぬる物故束とは云也。然ればこゝも手は(572)初語にて、柄を握りてすぐに打果すべきなど、競ふ體を云たるか。然れ共古一本に頴の字を書たり。祝詞の文抔に、汁にもかひにもと云詞に此字を用て、此かひは稲穗ながら用る義を云也。其訓を借りて書しと見ゆれば、かひと讀まんこと然るべし。たかひと云は、たかみと云詞なるべし。和名抄調度部云、※[木+覇]、唐韻、※[木+覇]〔【音覇、太知乃都加】劔柄也〕頭の字をたかみと讀ませたると覺えたり。追而引書すべし。然れば※[田+比]と云濁音はみと同音也。本語はたかみか。其たかみは手づかみか。手にて束ねる物故、手つかみと云を略し、手かみとは云へるなるべし。預と云字は頻の誤字共見え、又是も訓借をもて書たるか。あづかりと讀む字故、つを略してかりと云も、かひ共横通音にて、ひとりとは通ずる同音にて書たる共見ゆる也。然ればかひも、かりも詞は同じく、束ねるも手かねるも同音也。たもつも同音也。只つかおしねりと云義とも見ゆる也。然らば手は發語也。おしねりはひねり也
白檀弓靱取負而 武具を身に具束してと云義也。時の事實なるから如v此事々しく詠なせり。ケ樣にもあるまじき事ならんを、言葉の餘情にも云續けたる事ながら、古代は男子は、假初にも如v此武器を身放たず帶したる事故、如v比はよめり。此等にて上古の風俗を知るべき事也
倭父手纏 賤しきと云冠辭也。しづとはあらき布類の事也。賤卑の者の着する也。よりて上古は尊卑の差別を着物につきて別ち、其名をも直に云しと聞えたり。源氏物語にも、よき人をも装束につきて云事なれば、唐土にも賤を布衣と云へり。されば本邦にも賤卑のものをしづのを、賤のめなどと云へるなるべし。たまきとは身の飾りにする物をたまきと云。賤しきものは其環をしづにてする故、しづ環とは云へり。又しづのをだまきと云も同じ事にて、卷子と書きて、絲をくる/\と幾巡りも卷たるもの也。俗には、へそと云也
賤吾之故 これを八雲にはわろきわが故とあれど、しづたまきあしきとは續かぬ詞なるべし。賤はこゝにては矢張卑しきと讀むべし。身を卑下して、卑しきわが故とは云へる也
應合有哉 あふべからんや、此詞しかと聞わけ難し。二夫の内一方にあふべからんやと云義との事と釋し來れ共、こゝの次第さは聞えぬ詞續き也。かく二男の爭ふては、生きて居たり共母に會ふべくもあらず、いかに成果てんも知れぬと云事にも聞ゆ(573)る也。この已下、下延置てと云義詞も不v濟事有。意もしかと不2打着1、聞得難き也。諸抄物の通に無理押に注し置かば濟むべけれど、いかに共語例句例言葉の續き、分明に聞き定め難し。尚後案すべし。下延置と云迄は、母へ密かに語り置きしと云義なれ共、其詞の内に濟難き古語共ある也。先づ此完串呂黄泉爾將待と云、しゝくしろの事いかに共不v通。完の字は宍の字の誤り也。されば假名にもしゝと訓し來れり。此宍くしろの事日本紀安閑天皇の、未だ勾大兄と奉v稱し時詠ませ給ふ御歌の詞にも、しゝくしろうまいねし時とありて、此しゝくしろは何の事にてとの義不v決也。日本紀にてはうまいねしと續き、こゝにては、よみにと續きたり。然れば夜と續くことか。又能と云よの一語に續く事か。此義も不v決ことには、しゝくしろと云ものは何を云たる義とも不v知也。皆推量の説也。一説には肉奇よきと云事と云ひて、何共難2聞得1義を云へり。一説には繁齒の櫛と云義にて、よき櫛と云ことゝ釋して、神代紀或は大隅風土記を引て、くしらの郷の證抔引たる説あれど、皆證明無きことにて牽合附會の説と云もの也。師説は、前にも眞帆しゝぬきと云事に付て注せる如く、しゝは鈴と云義にて、鈴付たるひぢ卷の事と云へり。勾大兄皇子の、うまいねと詠ませ給ふも、くしろの肱卷にすゞのより當りて、其音のよきと詠ませ給ふ事ならん。それを此歌にては、たゞ鈴のくしろに當りよると云ことに、すゝくしろ、よとうけたる義と聞ゆる由也。予は不2甘心1也。然れ共すゝくしろ叩くと云古語、國史の内に所見あるとの事也。予不v覺ば引書未v記。追而可v考。右の古語あれば鈴と釧とよりあふと云意にも叶ふべきや。上にあふべからんやと詠みて、しゝくしろと續けたるは、そのより所無き意とも不v聞也。然ればよみといはん迄の冠辭と見ゆる也
黄泉爾特待跡 よみは前に注せり。死て去行處の國をさして云處也。此の意は此世の現在にては心の儘ならねば、所詮身を果てゝよみの國にて待たんとの義也
下延置而 此義もいかにと云事共聞得難し。かくれぬのは下といふ序詞也。はへおきてと云ふ義何と云事とも知れ難し。身を捨てんと云事を、密かに云置きしと云事にやあらん。諸抄には、生田川に身を投げたる事を、下はへ置てと云義に注したれど、其義とは合ぬ詞也。俗に下地を云置など云意に聞ゆる也
妹之去者 これは妹が死にいぬればと云義なるべし。身を捨てたる事を約めて、いぬればとよめる也
(574)血沼壯士 ちぬは處の名也
追去祁禮婆 これも娘子の出で去し跡を追慕ひ行て、身まかりたる事を云へる義也
伊仰天 いあふぎては、空に仰ぎて歎く體を云へり。いは例の初語也
叫於良妣 重ね詞也。なくこと音を高く切に啼く事をおらふと云也。前に何程も注せり。印本等には、下の妣に助語を付て妣てと讀ませたり。諸抄にも假名書の處に、助語を添る事のならぬと云義を不v辨皆添たれど、假名書に書下したるに助語を添る事はならぬ事也。こゝも上にて叫におらひと讀めるは不v合也。※[口+立刀]の字なるべし。尤俗に叫に書來れり
※[足+昆]地 つちにふしと讀ませたり。然れば他の一本に地に苦る本有を正本とすべし。※[足+昆]の字の義末v考。〓と云字の誤ならんか。今俗に地團太を踏みて泣き悔むなど云事有。上に仰とあれば、對合して土に伏しと云義相叶へり。然れ共※[足+昆]の字をふすと讀む字義未v考也。此歌の意は聞えたり
牙喫 一本に牙を弟に書は大成誤也。はがみとは、今も俗に齒がみをなし怒るなど云義也。切齒咬v齒磨v牙など唐の文にも書ける也。至つて怒り憤る事也
建怒而 此をたけびてと讀ませたり。意は同じき事ながら、建怒の二字をたけびと讀む義心得難けれど、これは意を得て怒れる時の義に、たけぴと云事有を以て、如v此書たるか。牙喫をきばかみと讀み、此二字をたけび怒りて共讀むべきか。意は同じ義なれば好所に隨ふべし。たけびと云は怒れる聲を發する義也。はげしき勢をも云也。日本紀に、いづのをたけぴをなすと有下に、雄誥、此云2烏多稽眉1と有と同じく、古語はたけると云へる也。神武紀にも五瀬命の怒り給ひての御言葉に、雄誥之曰と有も同じ意也
如己男爾 此もころと云詞は如くと云古語也。神代紀に、夜者若2※[火+票]火1l〔而喧響之云々〕と云にて、如くと云古語と云傳たり。又當集第十四卷にも、かなしいもをゆつかなへまきもころをのことゝしいはゞいやかたましに、またを鴨のもころとも詠みて、皆如くと云義に叶ふ處に云へる詞也。然る如くと云義に、叶ふ處に云へる詞也。然る如くと云事を何とてもころと云たるや。其意不v濟事也。白氏文集に、匹如v身、譬如v身、比如v身と書て、するすみと假名を付て訓じ置けり。これも濟まざる事也。(575)然るに如くと云義は、彼と此と一つにして、物の不v替義を如くと云て、相同じきと云意を、如し、如くと云なれば、物の別ち無くあや無きと云意をもつて、黒色の義に譬へ云たる義故、するすみと訓じて人の心を不v變ことを云たる義か。一本に如己呂男と書たる本有。然ればこれを正本とすべきか。然れ共如の字を訓の一語を取りて、ころの二語を假名書にしたるも珍しき書樣なれば、未だ書例を不v考故決し難し。知己男此三字にても心得難し。如の字一字にても、もころと云詞に合せ云來れるに、己の字を添へたる意濟難し。字の儘にて意を云はゞ、己れ如きの男の子に我まけんやと、怒り面ほてりして出たる義と聞えたる事也。匹如v身を、するすみと古く讀みたる義をもて見れば、もころをばまくろをと云義にもあらんか。黒き色は變ぜぬ色なれば、する墨と義を取りて訓じたらば、其如く此歌のま黒をも、志を飜さずと云義と、又怒り憤る時は、人の面色赤み黒むなれば、怒れる顔面をさして、ま黒をと云へるか。今も俗の言葉に黒くすぼりになりて、或ひはま黒になりて、腹立つ、むくろ腹を立つなど云へること有。此詞の横訛れるか。もころのもは、おものも、面の義共通ふて、面黒き男と云意か。怒れる時は面黒めるから云たるか。かくの如く色々と通ふ義ありて、何れ共極め難し。然れ共もころをにまけてはあらじと云意は、勇み猛りて一筋に思ひ極めたる、志を不v變男女を、ちぬをとこにまけてあらじと云義と見るべき也。如v字に、なんぢ如きの男にはまけてはあらじとの意に見ても、義は同じかるべけれど、それにてはなんぢ如きと云義を、もころと云詞釋六ケ敷也。もころと云詞は如くと云古語故、こゝにもころと云へる意、汝如きと云の事故、己の字心を得て相添たると解釋せざればならぬ也。此釋六ケ敷也。然れ共後學の人何なり共賢案あらば相決すべし
懸佩之 これをかけはきのと讀ませたり。然れ共かけはきのと云のゝ字の續き心得難し。太刀は懸置きて用の時佩く物故、かけはきのと云義と釋し來りたれど、のと云詞は續く處と續かぬ處有。かれとこれとを放たず續ける詞なれば、體を備へて云事にあらざれば、十言九言はのと云はぬ詞也。サシスセソ同音なれば、しの音なる故かけはきすと讀ませたる之の字ならん。然れば懸けつ、佩きつする太刀と續けたるか。但し小劔の小は緒太刀と云意に、懸けるも佩くも緒を以てするなれば、かけはきの緒太刀と續けたるか。此義も一決し難き也。然れ共此義も語例無きことなれば決し難し。小は初語と見れば義安けれど、かけはきのとうけたる處心得難き故、今案を加ふる也。かけはきの緒とうけたるは能言葉の續き也。かく續ける例もあ(576)らば、此義然るべき也。さ無くてはかけはけるとか、かけはかすとか讀までは聞えざる也。はかすは放すと云義也
冬※[草がんむり/叙]蕷 七卷目の歌にも、此三字をさねかづらと讀ませて、ゆふかづら共一説の讀みありし也。此三字をさねかづらと讀む義未v考。下のつきてと云冠辭也。さねかづらと云ものは長く續くもの故、唯續くと云詞の縁によめる也。たづねてと云説も有て、後撰集に、足ひきの山下しげくはふ葛のたづねて戀ふるわれと知らずや、とよめる歌もあれば、葛の此方彼方と別れ這行くは、物を尋ねる如くなるもの故、此歌も娘子尋ね行と云序詞に置たると云釋あれど、尋の字はつぎ、續くと義訓する字なれば、つぎてと讀む方、然るべし。尋ね行と云義も、こゝの事にはよく叶ひたる義なれど、さねかづら尋ねると云續きの事六ケ敷也。冬※[草がんむり/叙]蕷と書けるは、かづらの葉、山の薯の如くにて、冬も枯れぬ物故如v此書けるか。第七卷には葛の字を書てかづらと讀めり。此處には假名書に都良と計りあるは、可の字を脱せるか。古本印本に可の字無し
去祁禮婆 ちぬ男、處女のあとに續きて、ゆき死たる義を約めて如v此云へり。歌林良材には、自害して三人共死たりと有。大和物語には、生田川に身を投げて死せるとありて、古き事なればこれらも定まれる説無き也
やからどちは 親兄弟類族寄集まりて也。處女壯士子の親族の來集てと云義也
※[手偏+栗]將爲 しるしにせんと也。しめさんと云假名も一義無きにはあらず。かくの如きの由無き事を後人に示して、謹ません爲にと、一女二男の塚を一所に並べ築たると云義にも聞ゆる也。※[手偏+栗]の字はしめとも、しるし共讀めば、後人に教示の意に書けるか
造置 つきおき也。築き置と云義也
故縁聞而 これをふるよしきゝてと讀ませたれど、かく云歌詞は、いかに古風詞にても決して無き詞也。何とぞ別訓あるべし。此處一句か二句脱したると見ゆる也。いかにとなれば、下の知らね共とよめる句いかに共心得難し。此句の上に一句か二句無くては、此知らね共と云句、聞きて知らね共とは續かぬ句也。故縁の二字も、下の何とぞ云へる句によりて讀樣もあるべけれど、此通にては何共讀難し。先づは此儘にて讀まば、ふりにしことの由聞きてと讀まんか。然れば何とぞ七言の句を一句入て讀まざれば聞えぬ也。此通に句を合せては、故縁の二字を四言に讀まねばならぬ也。昔を聞きてとか、ふるごと聞きて(577)とか讀まんなれど、聞きて知らね共とは續かぬ詞也。其死たる時の當然の事は知らね共、今あらたに其時にあへる如く、歎かしきとよめる意と見る也。さは聞えぬ詞の續きなれば、兎角愚案は一句か二句落たりと見る也
新裳の如くとは、喪の字の意也。故過ぎたる事なれ共、今更あたらしき悲しみの樣におぼえて泣きつると也
此一首全體の義は聞えたる事なれど、句意とくと解し難き詞共ありて、其上歌も云足らぬ句共ある樣に聞ゆる歌也。尚追々可v加2後案1もの也
反歌
1810 葦屋之宇奈比處女之奥槨乎往來跡見者哭耳之所泣
あしのやの、うなひをとめが、おきつきを、ゆきくと見れば、ねのみしなかる
葦屋之 地名也。あしやの里など云所なるべし。おきつきは墓の事前に毎度注せり
往來跡 ゆくとては見、かへるとては見ると云意也。今の歌ならばゆきゝにと讀むべし。古體はかくの如き也。是時代の風體と云もの也
1811 墓上之木枝靡有如聞陳努壯士爾之依倍家良信母
つかのへの、このえなびけり、きゝしごと、ちぬをとこにし、よるべけらしも
三つの塚の上の女塚の木の枝、ちぬ男の塚の方へ靡きたれば、かくよめるならん。大和物語など、ちぬをとこになきたる由あるか。又此歌の時分迄は、左樣に云傳たるなるべし。塚の上の木の枝、今もかくちぬ男の方へ靡きたれば、昔をとめの心も、ちぬ男には寄りもこそしたらめと云義也。或抄に宋太夫韓憑か古事など引る物あれど、こゝに用なき事なれば無盆の義也
右五首高橋連蟲麻呂之歌集中出
萬葉童蒙抄 卷第二十四終
(578)萬葉集卷第九難解之歌
○1674 我背兒我使將來歟跡出立之此〔四字右○〕松原乎今日香過南
1676 勢能山爾黄葉常敷〔二字右○〕神岳之山黄葉者今日散濫
1694 細比禮乃鷺坂山白管自吾爾尼保波※[氏/一]〔四字右○〕妹爾示
波※[氏/一]ハ約言歟。※[氏/一]之字濁音之字歟
1702 妹當茂〔右○〕苅音夕霧來鳴而過去及乏
茂之字不審。越之字歟
1704 ※[手偏+求]手折多武山霧茂〔右○〕鴨細川瀬波驟祁留
1718 足利思代《一本伐》〔四字右○〕※[手偏+旁]行舟薄高島之足速〔二字右○〕之水門爾極爾濫鴨
1731 山科乃石田社爾布靡〔二字右○〕越者盖吾妹爾直相鴨
(579) 1734 高島之足利湖〔三字右○〕乎※[手偏+旁]過而鹽津菅浦今者將※[手偏+旁]
1737 大瀧乎過而夏箕爾傍爲〔二字右○〕而淨河瀬見河明沙
1740 春日之霞時爾墨吉之岸爾出居而釣船之得乎良布〔四字右○〕見者右之事曾所思云云
○1741 常世邊可住物乎劔刀己之心柄於曾也〔三字右○〕是君
1742 級照〔二字右○〕片羽河之――
1746 遠妻四高爾〔二字右○〕有世婆不知十方手綱乃濱能尋來名益
1747 白雲乃立田山乎夕晩爾打越去者瀧上之櫻花者中略花之盛爾雖不見左右〔五字右○〕君之三行者今西應有
1753 衣手常陸國中略女神毛千羽日〔三字右○〕給而――
1779 命乎志麻勢久可願〔八字右○〕名欲山石踐平之復亦毛來武
○1783 松反四臂而有八羽三栗中上不來麻呂等言八子〔中上〜右○〕
1787 虚蝉乃世人有者中略冬夜之明毛不得呼五十母不宿二吾齒曾戀流妹之直香仁〔三字右○〕
(580) 第十三卷ニモ吾者曾戀妹之正香爾、同例ノ詞也。戀トイフ語ハ、コヽロ、コヨヒト云義ナレバ、タヾカヲト云テハ續カヌ故、如v此仁ト云手爾波ナルベシ
1790 秋芽子乎妻問鹿許曾一子二子〔四字右○〕持有跡五十戸鹿兒自物吾獨子之草枕中略忌日管吾思吾子眞好去有〔六字右○〕欲得
1792 白玉之人乃其名矣中略思遣田時乎白土肝向〔二字右○〕心摧而珠手次不懸時無口不息〔三字右○〕吾戀中略吾念情安虚〔二字右○〕歟毛
1804 父母賀成乃任爾箸向〔二字右○〕弟乃命者中略銷易杵壽神之共〔三字右○〕荒競不勝而中略黄泉乃界丹蔓都多乃各各向向〔四字右○〕天雲乃別石往者闇夜成思迷匍匐〔四字右○〕所射十六乃意矣痛――
○1807 鷄鳴吾妻乃國爾中略水門入爾船己具如久歸香具禮人乃言時〔四字右○〕幾時毛不生物乎何爲跡歟身乎田名知而〔幾時〜傍点〕浪音乃驟湊之奥津城爾――
見菟原處女墓歌之詞之内
1809 吾妹子之母爾語久倭父手纏賤吾之故大夫之荒爭見者雄生應合有哉宍串呂〔七字右○〕黄泉爾將待跡隱沼乃(581)下延置〔三字右○〕而打嘆妹之去者中略牙喫建怒而如己〔七字右○〕○《呂一本》男爾負〔三字右○〕而者不有跡懸佩之〔三字右○〕小劔取佩中略處女墓中爾造置壯士墓此方彼方二造置有故縁聞而〔四字右○〕雖不知――
萬葉童蒙抄 本集卷第九終
昭和四年六月二十日印刷
昭和四年六月廿五日發行
荷田全集第三卷
官幣大社稱荷神社蔵版
京都府紀伊郡深草町福稻
編輯兼發行者 官幣大社稱荷神社
東京市神田區小川町一番地
印刷者 筒井久太郎
發行所 東京市京橋區鈴木町十一番地 吉川弘文館
振替貯金東京二四四番
電話京橋一四一番
〔荷田全集第四卷、凡例及び、目次、目録の一部省略〕
(4)寄衣一首 問答四首
譬喩歌一首 旋頭歌二首
冬雜歌
雜歌四首 詠雪九首
詠花五首 詠露一首
詠黄葉一首 詠月一首
冬相聞
相聞二首 寄露一首
寄霜一首 寄雪十二首
寄花一首 寄夜一首
(5)萬葉童蒙抄 卷第二十五
春雜歌 これは春の歌の惣標也。此卷の歌、自餘の卷とたがひて、標題を顯して、作者を不v顯。袖書に古注者誰の歌集中出と注せり。目録に雜歌七首詠鳥何首と書たるは、後人の所爲也。よりて本集と違あり。既に此雜歌と標せるも、譬喩と云までにかゝる標題なるを、雜歌七首と注せり。詠鳥二十四首と目録には注すれど、是も十三首にて、打なびき春去來者と云よりは雪の歌にて詠雪といふ標題を脱したるをも不v考して、廿四首とは記せり。是等にて後人の作意と知るべし
1812 久方之天芳山此夕霞霏※[雨/微]春立下
ひさかたの、あまのかぐやま、このゆふべ、かすみたな引、はるたつらしも
此歌後々の集にて題をあらはさば立春の歌也。立春の歌に天のかぐ山を取出でゝ、霞を棚引かせて、春を立たしめる處おも白き風體也。天芳山は、香の字芳に通じて書たる也。香山は在2十市郡1。霏※[雨/微]の字をたなびくと讀ませたるは、霞の立たる景色をとりて義訓せると見えたり。二字とも雨雪の少降義也。然れば霞立たる體を見立て書たる義訓也
1813 卷向之檜原丹立流春霞欝之思者名積米八毛
まきもくの、ひはらにたてる、はるがすみ、おほにしおもはゞ、なづみこめやも
此歌諸抄の意は欝の字をくれしと讀みて、霞の立て晴やらぬを、我思ひの晴れぬに寄せてよめると注せり。くれし思ひはなづみけめやもと讀みて、其の意に通じたり共聞えず。又欝の宇くれしと讀めること、いかなる義をとりてさは讀まん歟。心得難し。さ讀みても歌の全體の意不v通也。これは思ふ人の許に到りたる事を、槍原に立おほふたる霞によそへて、詠める歌と聞ゆる也。欝の字は前にも毎度讀みて、いぶかしくとか、おほふとか、覺束無くとか讀みて、檜原を霞みて覆ひたると云義にて、そのおほの詞を凡の字のことに借りて、大凡に思はゞはる/”\の處をも、なづみつゝ來めやも、不v疎思へばこそ、霞に立かくしたる處をも、なづみて來たりと云意と聞ゆる也。米の字はこめと讀みて來めの義也。欝之をおほにしと讀みて、凡に思はゞ(6)也。凡は大方おろそかにの意也。かく讀めば米の字も其儘にて、義も安く聞え侍らんか。諸抄の説にては、六ケ敷して訓例無き讀樣なれば義も難v通也
1814 古人之殖兼杉枝霞霏※[雨/微]春者來良之
いにしへの、ひとのうゑけん、すぎがえに、かすみたなびき、はるはきぬらし
此歌の意は、そのかみ植し人は過行し杉の枝にも幾春變らず霞は棚引て、同じ春は來らめ共、人ふり行て過し代となれると、歎の意を含めて、過にしことを云はんとて杉を詠める也。師云、人の字神と讀まんか。神の植ゑし杉枝故、幾年か過ぎこしか共春は變らず立かへり來て、霞たな引と云なるべし
1815 子等我手乎卷向山丹春去者木葉凌而霞霏※[雨/微]
こらが手を、まきもく山に、はるされば、このはしのぎて、かすみたなびく
子等 女の通稱を、こと云。手を卷くとは、妹背の中には女の手を卷きぬるものなれば、卷向の地名を詠まんとての冠辭也。下に木の葉と詠めるから、こらが手とも詠みて、こらと云も女の通稱也。木の葉のことゝして、下によせる處ある詞故、かく詠たるもの也
凌而 をかし、しのぐなど云て、其儘で置かずにと云義也。しのぎはしぬにと云も同じ詞にて、其儘にて無く、しなひ靡きてと云意、又霞に隱してと云意也
1816 玉蜻夕去來者佐豆人之弓月我高荷霞霏※[雨/微]
かげろふの、ゆふさりくれば、さつひとの、ゆづきがたけに、かすみたなびく
玉蜻 前に注せり。蜻蛉の事也。玉の字を用ゆる義未v考。かげろふは夕部に出で飛かふ虫也。よりて夕とうけん迄の冠辭也。さりくればは、なりくれば也
佐豆人 獵人の事也。弓と云はん爲也。弓月の地名を詠めるから、夕さりと上に詠出て、縁を求めたる也。歌の意、たゞ弓月(7)がたけに霞棚引景色を詠たる迄の義也
1817 今朝去而明日者來牟等云子鹿丹旦妻山丹霞霏※[雨/微]
けさ【いに・ゆき】て、あすはきなんと、しかすがに、あさづま山に、かすみたな引
旦妻山 大和也。新撰姓氏録卷第二十五云、太秦公宿禰同祖、秦始皇帝之後也。物智王、弓月王〔譽田天皇謚應神十四年來朝上v表。更歸v國率2百二十七縣狛姓1歸化並獻2金録玉帛種々寶物等1〕天島嘉v之賜2大和朝津間腋上地1居v之焉。日本紀天武天皇九年九月に幸2于朝嬬1とあるは近江と見ゆる也。同名二所ありて此歌の朝妻は大和なるべし。地名の續き皆大和也。歌の意は、朝妻と云より朝立てと詠出て、あす來んと契りしにたがはぬ如く、さすがに朝妻山に朝毎に霞の棚引と詠める意也。印本には、いひしかにと讀めるは心得難し。いひしかにと云語例無し。きなんと云所に契りたると云義はこもりて聞ゆる也。云の字は日本紀にて、しか/”\と讀ませたり。よりてしかすがにと讀む也。あすはきなんと契りしに、さすがにたかはず來る如く、朝な/\朝妻山に霞棚引と云義也
1818 子等名丹開之宜朝妻之片山木之爾霞多奈引
こらが名に、かけしよろしく、あさづまの、かた山ぎしに、かすみたなびく
開之 此あけしと云義語例無き詞也。尤下の朝とうけたる處の縁には、あけしとも讀みたき處なれど、集中に皆かけてかけしなど讀みて、あけしと讀める例無ければ、これは闕の字の誤と見ゆる也。闕は訓を借りて掛の字の意、女の名にかけてよき朝妻と云はん迄の冠句也。只妻と云名のよき山と云義也。朝妻山のきしに霞の棚引くと云事迄の義を詠める也
右柿本朝臣人麻呂歌集出 これは子等名丹の歌人丸の集に出たると云注也。前の六首共にはあらず。然らば右何首と有べき例也
詠鳥
1819 打霏春立奴良志吾門之柳乃字禮爾鶯鳴都
(8)うちなびき、はるたちぬらし、わがかどの、やなぎのうれに、うぐひすなきつ
打靡 おしなべてと云も同じ。靡の字なびくと讀む義未v考。霏※[雨/微]を棚引と讀ませたるから義を通じて書たるか。又靡の字の誤りたるか
1820 梅花開有崗邊爾家居者乏毛不有鶯之音
うめのはな、さけるをかべに、すみをれば、ともしくもあらぬ、うぐひすのこゑ
鶯の聲のともしからぬ也。珍しからず、すくなからぬの意也
1821 春霞流共爾青柳之枝啄持而鶯鳴毛
はるがすみ、たなびくからに、あをやぎの、えだくひもちて、うぐひすなくも
流共 諸抄印本共に、ながるゝむたにと讀ませたれど、霞の流るゝと云事句例語例無き事也。これも棚引たる躰をとりて義訓に讀ませたる義也。即ち柳の靡くと云詞を縁に、靡くからに、青柳とうけたる義にて、棚引と讀むべし。共の字は前にも注せる如く、色々讀樣ある字也。歌によりて義訓ある字也。ともがらと讀む字故、此歌にても、からと読む也。歌の意は、霞の棚引長閑なる頃は、柳も共に靡きあひたるに、鶯の戯れなれ來て遊び鳴くと云意を、枝くひもちてとは詠めるならん。鳴毛といふ此の毛は、前にも注せる如く感嘆の詞也
1822 吾瀬子乎莫越山能喚子鳥君喚變瀬夜之不深刀爾
わがせこを、なごしのやまの、よぶこどり、せこよびかへせ、よの不深刀爾
此歌二義の聞き樣あり。一義書面の通にては、來しせこの夜も更けしとて急ぎて歸るを、まだ夜はふけぬ程に立かへれと呼返せよと云義、又一義は、も早夜の更けたる程に、山路をな越しそと呼かへせとの義に見る也。然るに更けたる程にと云義に、不深と書ける事心得難き義也。是は刀の字万の字の誤れると見ゆる也。後の説に從ふべくは、万の字にて更けぬまに呼かへ(9)せと云意と見る也。名越の山と云を、夜の更けしに、な越しそと云意、又ふけぬに、な歸りこしそ、まだ早きと云意と、二義ながら、なこすなと云義を云かけて詠める意也。夜の更たるに歸れと云義に不深と書きても、詞の義通ずる故、かくも書ける例あらんか。なごしの山は大和也。こそ山、こさ山など云て、何れか決し難し。追而可v考。なこその關と云もあれば、なこそ山と云か。一説夜のふけぬとには、夜のふけぬ時にと云義と云へり。心得難し
1823 朝井代爾來鳴杲鳥汝谷文君丹戀八時不終鳴
あさゐでに、きなくかほどり、なれだにも、きみにこふるや、ときをへずなく
朝井代 田に水をまかし入るゝ爲に、堰あげる堤をいふ也。行水をせきとめて淀ます處也。然るに此歌、此朝井出を詠出たる意、何といふ義にや心得難し。諸抄の説は只朝日の指向ふ井でに來りなくと云へれ共、夕ゐでとも讀べし。朝ゐでと讀める處に趣意ありて詠める歌ならん。然れ共杲鳥の事何鳥の事にや。集中此鳥の事不v知。只うつくしの鳥共の鳴くを云へる義と釋したる説あれ共、容の字を書ける所も有から云へる説なるべし。井代に來嶋とあれば水邊に居る鳥か。しばなく共讀みたれば、せはしく鳴く鳥とも聞えたり。兎角何鳥と云義慥に證明無ければ定め難く、又歌の意も聞得難し。先朝井でと讀出たるは、朝疾くより來り鳴くと云意にて、下に時不v終鳴と詠みとめたれば、一日も鳴くらすと云意にて、我れ人をこふ計にもあらず。なれもかく君をこふやとなぞらへて詠める意にて、此君は鳥の妻をこふ事を、君に比して云へる也。只朝疾くより何鳥にもあれ、井での邊に來て鳥の鳴くは、なれも妻をや戀ふる、かく時をもわかず鳴くはと詠める歌迄に見ても濟べけれど、朝井代と詠み、かほ鳥とよめるは、譯ありて詠めるにやと見るからは、此歌の意濟難き也。又杲鳥もかほ鳥と讀むや、別訓あらんや。かほと假名書の歌を見ざれは決し難く、文字も杲の字をも書たれば、果杲何れ共決し難けれど、容鳥とも書き、朝杲、美杲志《ミカホシ》など書たれば、かほ鳥ならば杲の字なるべし。音を以て借たる也。杲は、古老切、高上聲と字書にもあれば、此音借訓に書たり。此杲鳥の事追而可v考也
1824 冬隱春去來之足比木乃山二文野二文※[(貝+貝)/鳥]鳴裳
(10)ふゆごもり、はるさりくらし、あしびきの、やまにも野にも、うぐひすなくも
能聞えたる歌也。鳴くもの裳は、古詠の一格歎息の餘音也
1825 紫之根延横野之春野庭君乎懸管※[(貝+貝)/鳥]名雲
むらさきの、ねはふよこのゝ、はるのには、きみをかけつゝ、うぐひすなくも
紫のと詠めるは、女に比して也。根はふは、諸抄の説は、紫の根は、横に這ふものから、横のとうけたると也。僻事の説也。寢はふ夜とうけて柴草には根もある物故、體あるものを添て云かけて、下は夜と云にうけたる義也。古詠の格皆下に餘勢をふまへて詠める也。君をかけつゝと詠める歌故、上に紫のと詠みて女のね這ふ夜と續けたり。歌の義に意有にはあらね共、詞の縁の下に含める詞をまうけたる也
横野 大和也。後々の歌に、攝津河内によめり。又上野ともいへり。然れ共春野とよめる地名あれば大和也。此歌の並共他國には不v移。皆和州なれば、此横野も極めて大和也。尚追而類歌を可v考。尤日本紀仁徳紀十三年冬十月、築2横野堤1。延喜式神名上、河内國澁川郡横野神社
君乎 妹をと讀まんか。紫のねはふ夜とうけたる歌故、寢はふと云詞につきて妹の事をかけて鶯も鳴と云意也。かけては、思ひをこゝよりかしこへかけて也。然れば此歌横野の春野に鳴鶯故、妹が事をもかけて、戀慕ひて鳴くかなと詠める意也
1826 春之去者妻乎求等※[(貝+貝)/鳥]之木末乎傳鳴乍本名
はるされば、つまをもとむと、うぐひすの、こずゑをつたひ、なきつゝもとな
春之去者 一本去を在と書る同意也。しあ、しさの約はな也。よりて春なればと云意也。此歌本名と留めたる意解し難し。諸抄の意は、本名はよしなと云事と注し來れ共、よしの無きと云義にあはぬ歌多し。其上何とて由無きと云事を、もとなと云へるや、語釋濟難し。此歌も鶯の木末傳ひ妻をもとめ鳴に催されて、由無くもわれも妻戀の心の發すると云義と釋したれど、色々詞を入添て云はねば濟まぬ意なれば、聞得難き釋也。然りとて此歌何と解すべくも不v決故暫く釋を除く也
(11)1827 春日有羽買之山從猿帆之内敝鳴往成者孰喚子鳥
かすがなる、はがひのやまゆ、さほの内へ、なきゆくなるは、たれよぶこどり
春日にある羽買の山也。春日は惣名にして、其内に有山也。第二卷に大鳥の羽かへの山と詠めるも同じ處也。猿帆は訓借書と云もの、猿はさると云字の上の一語、帆は船のほ也。和名抄に、下總國猿嶋【佐之萬】郡と書ける例也。さほは色々に書ける也。佐保、狹穗、藏寶山續日本紀訓書音借入交て書來れり。歌の意は何の義も無き也
1828 不答爾勿喚動曾喚子鳥佐保乃山邊乎上下二
こたへぬに、なよびどよみそ、よぶこどり、さほの山べを、のぼりくだりに
此歌は前の歌の餘意を詠めると聞えたり。前に佐保のうちへと詠みて、此歌にて佐保の山べを上り下りに鳴と詠めり
動の字 どよめ、どよみと讀む。なりどよむ抔云て、物を響かし動かす意をもて、動の字を書けり。發動と續き音を發すれば、必動搖する理をもて也。どよめどよみと、讀む義は、第十八卷の歌に、うの花のさく月たちぬ時鳥伎奈吉等與米余ふゝみたりとも、とよめれば、どよめ、どよみと云古語也
上下 別訓あらんか。上り下りとは平懷に近し。峰に麓に共讀たき也
1829 梓弓春山近家居之續而聞良牟鶯之音
あづさゆみ、はる山ちかく、いへゐせば、つぎて聞良牟、鷺のこゑ
家居之 これは之の字の下に※[氏/一]の字落たると云説有。さもあらんか。然れ共之の字は日本紀等に、ばと講ませたり。當集は日本紀の書法文字を本として書たる集なれば、之の字をせばと讀ませたり共見ゆる也。之の字を手爾波字に被v書たる事、日本紀熟覽にて明也。此歌の意もせばと讀までは下のきくらんと云意に不v叶也。古今集の野邊近く家居しの歌も、此歌等を借たるにや
續而 つぎてとは不v絶續きて聞かんとの意也
(12)1830 打靡春去來者小竹之末丹尾羽打觸而鶯鳴毛
うちなびき、はるさりくれば、小竹の未に、をはうちふれて、うぐひすなくも
打なびきは おしなべての意也。春になり來れば也
小竹之末丹 一本に末を米に書ける也。よりて師説は曉の事に見るべきかとあれど、予不2甘心1。上に打靡きと詠めるは、しのゝ葉とか、うれとか詠める故と見ゆる也。小竹はしなへ靡く枝葉のもの故、打ふれてと讀みて、しの竹の事と見ゆる也。横雲のしのゝめにと云意は、歌の意面白き處も有べけれど工に聞ゆる也。しのゝ葉しなひふれて春になりたるから、鶯の鳴く當然を見て詠める歌ならんか。しのゝめと見ては、尾羽打ふれてとよめる處の意本v据樣也。さゝの葉とか、しのゝ葉とかに打ふれるにてあらずば、据わらぬ也
1831 朝霧爾之怒怒爾所沾而喚子鳥三船山從喧渡所見
あさぎりに、しぬゝにぬれて、よぶこどり、みふねのやまゆ、なきわたるみゆ
之怒々爾 しどろ、もどろにの意、亂れしほれたる義を、しのゝ、しぬゝ、しどゞと云也。鳴渡ると云から、三船の山と詠める也。何の意無きよく聞えたる歌也
此間に詠v雪と云標題落たる也。此已下雪の歌なるを、目録に鳥の歌廿四首と書けるは、後人の不v考也
1832 打靡春去來者然爲蟹天雲霧相雪者零管
うちなびき、はるさりくれば、しかすがに、天雲霧相、ゆきはふりつゝ
天雲霧相 此四字古本印本は勿論諸抄物皆字の通に、あまぐもきりあひと讀めり。さ讀みて此歌聞え侍らんや。春になり來れば、さすがに天雲霧あひ、雪は降ると云義、いかに共不v聞。冬ならばさすがに、空も曇りあひて、雪の降と云義も云はるべし。春の來ればさすがに、雪のふると云事不v濟也。依て此四字は、義訓に讀ませたると見えたり。空は霞みてと讀まんか。雪霧あふなれば、空打曇りたる體にて、霞たる景色を、義をもて霞と讀ませたるなるべし。春になりくれば、流石に霞みて雪もふる(13)と云へば、歌の義聞えたり。天雲きりあひと云事は、春に限りたる事の古語ありてかく讀める歟。さなくては如何に共心得難し。或抄、者の字を春さりくれどと讀えきを、此集の第四卷にも、此手爾波のたがひありて、今時の手爾波とは違たりなど云へる説有。どと讀みても、にと讀みても、をと讀みても、さすがにと云句にては不v濟。天雲霧相の四字に心を付る事の説口惜し
1833 梅花零覆雪乎※[果/衣]持君爾令見跡取者消管
うめのはな、ふり覆雪を、つゝみもて、きみにみせんと、とればけにつゝ
零覆雪乎 印本諸抄皆おほふと讀みたり。義もて書たらば、下のつゝみもてと續く縁に降りつむと讀べき也。歌は兎角雅言を專に讀むを本とする也
1834 梅花咲落過奴然爲蟹白雪庭爾零重管
うめのはな、さかりはすぎぬ、しかすがに、白雪庭爾、ふりつもりつゝ
咲落過奴 さきちりすぎぬと讀ませたれど、これも義訓をもて書けるなるべし。咲き散り過奴と云義餘り拙き詞也。咲落の二字にて盛と讀むべき歟。さ無くば咲きて散すぎぬと、ての字を入て讀まんか。さきちり過ぬとは餘り穩かならぬ詞也
白雪庭爾 是もはだれの庭にとか、み雪は庭にとか讀むべし
零重管 これも重の字つもりと讀まんか。尤梅の散たる上に、春の雪の降重ねたると詠める歌なれば、かさねにてもあらんか
1835 今更雪零目八方蜻火之燎留春部常成西物乎
いまさらに、ゆきふらめやも、かげろふの、もゆる春ひと、なりにしものを
かげろふは、かける火と云意、直に火と云字を用ひて蜻蛉の夕部に飛かふは、かける火の樣なるをもて云かけたり。下の詞も又もゆる春火と詠みて、春ひは春べ也。歌の意は、冬こそ雪降りしに又かく長閑なる春に再び降らんやと也
1836 風交雪者零乍然爲蟹霞田菜引春去爾來
(14)かぜまぜに、ゆきはふりつゝ、しかすがに、かすみたなびき、はるさりにけり
風まじりに又雪は降れ共、流石に春とて霞たな引、春の景色になりにけりと也。春さりにけりは、春になりにけり也。凡てさりは、になると云詞、是にて知るべし
1837 山際爾鶯喧而打靡春跡雖念雪落布沼
やまのはに、うぐひすなきて、うちなびき、はるとおもへど、ゆきふりしきぬ
よく聞えたる歌也
1838 峯上爾零置雪師風之共此間散良思春者雖有
みねのべに、ふりおけるゆきし、かぜのつれ、こゝらちるらし、はるにはあれども
峯上爾 峯のほとりの意也。峯のべと讀むべし。うへと云てもほとりの意也
雪師 此師の字當集の古格也。惣而古詠の定格後世此格を知る人稀也。三の句へ不v續爲也。三の句へ續く手爾波字を入て歌の不v聞事ある時上二句にて切て、三句より意をのべる時、此助語をよみたる古格、いか程も有v之事也。氣をつけざる故、其歌共を不v辨也。此歌も雪のと云べきを、雪しとよめる事古詠の習也。のと云ふては、其のゝ詞に意をつけねばならぬ也。たゞ降おける雪と云意を詠む歌故、師の助語を入也。尤此助語を入るにて、歌とたゞ言の差別を知るべき也
風之共 前にも波のつれ抔よめる通也。共はつれると云義をもて詠む也。風につれてこゝら散るらしと也。こゝにと讀ませたれど、あまた散るの意に見るべし
右一首筑波山作 注者所見ありて歟
1839 爲君山田之澤惠具採跡雪消之水爾裳裾所沾
きみがため、やまだのさはに、ゑぐつむと、ゆきげのみづに、ものすそぬれね
(15)惠具 芹と云説又一種惠具と云菜類有と云。未v考。和名抄には茄子と書けり。茄子今なすびと云來れり。芹は水邊に生ず。然れ共ゑぐき物ならず。茄子は夏の瓜類也。然れ共ゑぐき物也。いかゞまぎらはしき也。和名抄云〔※[酉+僉]【唐韻、力減反、鹹味也、鹹音初減反、酢味也、俗語云、惠久之】第十一卷に、山澤惠具をと讀めり。芹は冬賞翫し、春はさのみ賞翫もせざれば、此ゑぐは芹の事ならんか。追而可v考
1840 梅枝爾鳴而移徙※[(貝+貝)/鳥]之翼白妙爾沫雪曾落
うめがえに、なきてうつろふ、うぐひすの、はねしろたへに、あわゆきぞふる
よくきこえたり
1841 山高三零來雪乎梅花落鴨來跡念鶴鴨
やまたかみ、ふりくる雪を、うめのはな、ちりかもくると、おもひつるかも
同斷
一云梅花開香裳落跡 此或説古一本には小字二行に書けり
1842 除雪而梅莫戀足曳之山片就而家居爲流君
ゆきをおきて、うめをなこひそ、あしびきの、やまかたづきて、いへゐせるきみ
山片就 やまべに共讀むべき歟。尤片つきてと讀ませたる歌共多けれど、皆べにと讀みても義通る歌多し。片づきてといふ義少六ケ敷也。片よりそふて家居などするとの意なれ共、山邊に續きてと云方義安し。歌の意は、山里は雪深ければ、雪ふりつもる景色を外より賞して、梅にまさりたる此景色なるに、梅をば、な戀ひ給ひそと、山里に住める人に、よみて遣せる歌と聞ゆる也。前の歌に和へたる意也。左注にも問答と見て注を加へたり
右二首問答
詠霞
(16)1843 昨日社年者極之賀春霞春日山爾速立爾來
きのふこそ、としははてしか、はるがすみ、かすがのやまに、はやたちにけり
古今集にきのふこそ早苗とりしかと詠める、此歌に基き半年の暮れしを驚きぬ、これはいと早やも春を迎へて、霞の立をよめる也。極の字、くれしと義をもて讀ませたる歟。當集に四極山舟極など書て、しはつ山、船はつ、などよめる歌あれば、こゝもはてしとは詠める也。尤くれしと讀まん事も義訓なれば然るべき歟。春霞かすがと續きたる所よきうけ也
1844 寒過暖來良志朝烏指滓鹿能山爾霞輕引
ふゆすぎて、はるはきぬらし、あさひさす、かすがの山に、かすみたなびく
來過暖來 義をもて書けり。文選、左太仲呉都賦に、露柱霜來と書きて、秋過多來れる意を述たるも同じ義也。あなたにても如v此意を通じて書けり。此卷末にも寒過暖來者と書けり
朝烏 漢家の字義によりて書けり。金烏の事也。出所追而可v記。歌の意聞えたる通也。春來るらしと愚かによめる所歌の雅情也。春の來りたるは知れたるを、來るらしとよめる處歌の風情也。持統天皇の春すぎて夏來るらしと詠ませ給へるに同じ
1845 ※[(貝+貝)/鳥]之春成良思春日山霞棚引夜目見侶
うぐひすの、はるにきぬらし、かすが山、かすみたなびき、よめにみれども
鶯の春にきぬらしとは、鶯の春になりぬと思ひて來るらしと云意也。諸抄には、成の字を正本として、春鳥の内鶯は別而春にもてはやす烏故、時鳥のおのが五月とよめる意と同じく、おのが春になるらしと釋せり。然れ共、舊本には來の字を書たれば春とおもひて來るらしといふ義なるべし。さなくては下の句の意不v適也
夜目見侶 夜目に見れ共と云は平懷なる詞也。尤義は夜目に見ても霞める空は春の來れるしるし明なれば、鶯も谷の戸を出くるならしと詠める意と聞ゆれ共、夜目に見れ共とは、つまりたる歌詞也。宗師案は、四方に見るからと讀まんか。然らば霞棚引き四方に見るから也。まみむめも通音なれば、めも、もゝ同じ。もくの音にては讀まれず、春日山霞棚引けるは四方に見(17)ゆるから、鶯も山を出くるならんとの意也
詠柳
1846 霜干冬柳者見人之※[草冠/縵]可爲目生來鴨
しもがれし、ふゆのやなぎは、見人の、かづらにすべく、もえにけるかも
見人之 此句心得難し。みは本美の字の畧字なれば、美の字の草字を書誤りたる歟。然らば美人と書て義訓に讀ませたるならん。たをや女とか、みや人とか讀べし。美の字はみやびやかと讀む故也。見る人のと讀む義心得難し。歌の意は、聞えたる通也。目生と書きて、もえとは義訓也。色々六ケ敷相通の説を云人あれど、義訓の方安也
1847 淺緑染懸有跡見左右二春楊者目生來鴨
あさみどり、そめかけたりと、みるまでに、はるのやなぎは、もえにけるかも
此歌もかくれたる處無き也
1848 山際爾雪者零管然爲我二此河楊波毛延爾家留可聞
やまのはに、ゆきはふりつゝ、しかすがに、このかはやぎは、もえにけるかも
河柳 かはやぎと讀むべし。青柳の讀みと向じ。聞えたる歌也
1849 山際之雪不消有乎水飯會川之副者目生來鴨
やまのはの、ゆきはきえぬを、□かはの□は、もえにけるかも
此歌水飯合川之事未v考。源氏物語胡蝶に〔以下注ナシ〕〔校訂者補胡蝶は常夏の卷を思ひ誤られしものならん。常夏の卷の初に、氷水めして水飯などとり/”\にさうどきつゝくふ、と有。〕或抄に水飯とは今ひめと云て食ふものと注せり。今の俗六月の頃、水に冷して用ゆる道明寺と云もの也。道明寺と云寺にて(18)ほし飯にする名物と聞えたり。それを古くはひめと云たる由也。然れば、こゝもひめ合川と云地名か。此義いかに共決し難し。印本諸抄には、水飯合を、ながれあふと讀ませたれど、水飯合の三字を流れあふと云義、何としたる事にて讀ませたるや其釋なし。水をもて飯をのんきに入るゝは、流れる如くなる義と注せるも、あまりなる作意也。水飯の二字何とぞ古訓あるべし。此訓にて上の句の意も濟むべし。先は地名と見ゆる也。或抄物に、いひや川と云大和の地名と書けるものあれど、證據實書無ければ不v被v信。水飯合三字なれば、水は氷の誤りにて、ひいや川とは讀むべけれど、いひと讀まん事も不2心得1。暫く後考を待のみ
不消有乎 是も消えぬをと讀める事少心得難けれど、不v消あるをと書て、義を取て讀ませたる歟。歌の意は大方聞えたれど水飯合の三字不分明にて釋し難し。且副の字も、柳の字の誤りならん。脱字ある本も有。彼是極め難き歌なれば、知らざるを知らずとして待2後考1耳
1850 朝旦吾見柳鶯之來居而應鳴森爾早奈禮
あさな/\、わが見るやなぎ、うぐひすの、きゐてなくべき、もりにはやなれ
森 説文曰、木多貌。柳と鶯を共に愛して、柳の緑そひ行かん事を願ふ意也
1851 青柳之絲乃細紗春風爾不亂伊間爾令視子裳欲得
あをやぎの、いとの□春風に、みだれぬいまに、みせんこもがな
細紗 ほそさをと讀めるはあまり拙なからん。何とぞ別訓あるべし。宗師案は、細の字は賞美の詞に用ゆる字、まぐはしなどとも讀み、又能とも讀む。細馬と書きてよき馬と日本紀等にも讀ませたれば、糸絹の縁に幸と用て、賞美の詞に讀樣あるべく、紗は同v羅字義にて薄絹布の惣名也。然れば、うす物と讀む字なれば、女の裳と云義にとりて、玉もなど讀まんか。玉柳とも云なれば也。猶別訓あらば雅言に隨ふべし。作者現在せば問はまはしき別訓也。何人の歌にもあれ、細さとは讀給ふまじき也
伊間 此伊は例の發辭也。子も女子の通稱也
(19)1852 百礒城大宮人之蘰有垂柳者雖見不飽鴨
もゝしきの、おほみやびとの、かづらなる、しだれやなぎは、見れどあかぬかも
かづらなるは※[草冠/縵]になる也。にを約せるな也。例の約言に書たる也
1853 梅花取持見者吾屋前之柳乃眉師所念可聞
うめの花、とりもちみれば、わがやどの、やなぎのまゆし、おもほゆるかも
吾宿と詠めるは、妻女のたをやかなる美眉を、梅花の薫香にひかれて思ひ出たるなるべし。梅とかねて柳をほめたる意也。柳の眉と讀む事今更釋するにも及ばす
詠花
1854 ※[(貝+貝)/鳥]之木傳梅乃移者櫻花之時片設奴
うぐひすの、こづたふうめの、うつろへば、さくらのはなの、ときかたまけぬ
片設 注に不v及。毎度ある詞也。櫻の花の未だ盛りには不v成折を云へば、かた/”\の意をかねて、初語ともせる歟。まけては迎へての義也。時は折とも讀むべし
1855 櫻花時者雖不過見人之戀盛常今之將落
さくらばな、ときはすぎねど、見る人の、したふさかりと、いましちるらん
飽かれぬさきにと今し散るらんとの意也
1856 我刺柳絲乎吹亂風爾加妹之梅乃散覽
わがかざす、やなぎのいとを、ふきみだす、かぜにか妹之、うめのちるらん
此妹之梅の散るらんと云事心得難き歌也。當集の例文字には拘らず、音通をもて借書ければ、いもゝいまも同音歟。今之と云(20)事に書ける歟。歌の意は、我方の柳の絲を吹亂すにつけ、戀慕ふ妹の家の梅も散らんと、思ひやりて詠める意と聞ゆれ共、この所へ妹を端なく詠み出たる所、古詠の風格には心得難き也
1857 毎年梅者開友空蝉之世人君羊蹄春無有來
としのはに、うめはさけども、うつせみの、よのひときみし、はるなかりけり
羊蹄 は草の名、借訓にて助語に書けり。此歌も世人きみしと云事一通は聞えたれど、いかに共歌詞にあらず。別訓ありて書たるなるべし。追而可v考
歌の意は、年毎に梅はかはらず咲け共、世は變化盛衰ありて、人も去年ありしはなくなり、盛りしも零落して、過ぎし春は此春に同じからぬ事のある、世の中の樣を詠める意也。然れ共、世人君羊蹄の句は、決て別訓ありてかくは讀まじき也
1858 打細爾鳥者雖不喫繩延守卷欲寸梅花鴨
うつたへに、とりははまねど、しめはへて、もらまくほしき、うめのはなかも
うつたへは不斷の意、常住など云俗言の意也。うつとは、凡て表れたる現在の事を云詞也。たへとは、とこしなへと云約語也。となの約た也。依りてたへと畧する也。なれば不斷に鳥は食まね共、若し花になれ來る鳥ありて、散さん事の惜ければ、しめはへて守りたきと云ひて、梅を深く秘藏し愛する歌也
1859 馬並而高山部乎白妙丹令艶色有者梅花鴨
□たかきやまべを、しろたへに、にほはせたるは、うめのはなかも
馬並而 此五文字心得難き也。諸抄の説は、乘馬の人を常に見るは聳えて高きもの故、高きと云はん爲の冠辭といへり。此歌の外に一首も無き五文字。用右の説不v被v信也。宗師案、當集の字法書法すべて音通を以て借訓に書ける事、擧て數へ難し。然れば、これも、ま、め同音なれば、うめなべてと云義ならんと也。愚案未v決。若しくは馬は烏の誤りにて、日をなべてと云義歟 日ををべにほはすとかゝる詞也
(21)1860 花咲而實者不成登裳長氣所念鴨山振之花
はなさきて、みはならねども、ながきけに【したはるゝ・おもほゆる】かも、山ぶきの花
山振は花のみ咲きて實はならぬもの也。依て戀の意をよせてよめり。實なる實ならぬとは、戀の叶ひ叶はず、妹脊の間の事調ふ不v調ことに詠める義也。此歌も下に其意を含みて詠める也。それ故慕はるゝかも共、思はるゝかも共讀べし。畢竟愛する意を云たる也。長氣は前々にもある如く、長くと云義、氣は發語助語也。長き息をつく事など云説は非也
山振 詩に※[疑の旁が欠]冬花と書たり。今云山吹とは異也。前に具しく注せり。黄金色なる物故、金の山より吹出でたる色に似たるとて山吹の字も書と云説あれど、皆借訓に書たるもの也。※[疑の旁が欠]冬花は今つわと云草也。或抄に、此事色々説を書けり。依て畧v之
1861 能登河之水底并爾光及爾三笠之山者咲來鴨
のとがはの、みなぞこさへに、てるまでに、みかさのやまは、ゑみにけるかも
能登川は大和高圓山と三笠山との兩山の間より西へ流るゝ川と云へり。藻鹽草に新登河と記せるは誤れり。此歌に三笠の山は咲きにけるかもと詠たれば、兩山の間の川此能登川なるべし。山は咲にける鴨とは、例の通前の歌と同人の作にて、二首引合て見るべし
三笠山者咲來鴨 ゑみにけるかもと讀まんか。春山の咲と云事古き詩にもあれば、春山草木の美しきを賞して、ゑみと讀たるか
1862 見雪者未冬有然爲蟹春霞立梅者散乍
ゆきみれば、いまだふゆなり、しかすがに、はるがすみたち、うめはちりつゝ
雪の消え殘れるを見れば、春共わかねど、さすがに霞の立ちて、梅も散る頃の景色を詠める也。よく聞えたる歌也
1863 去年咲之久木今開徒土哉將墮見人名四二
こぞさきし、久木いまさく、いたづらに、つちにやおちん、見る人なしに
(22)久木の事前にも注せる如く、宗師は一種ある名とは不v決。先達は皆木の一名として、濱ひさ木と云説を立て來れり。宗師案は、久木は義訓にて書て、椿の事ならんか。つばきなればつま木にて、木の惣名にもなれば、椿木を義をもて久木とは書けるかと也。八千歳をふる木と云て、唐土にても祝木とし、我朝にて玉椿など云て、祝言に用ひ來れり。依てひさしき木と云義をもて椿を久木とは書けるか。或説には凡ての木の年久しく不v枯ある木をさして、何木にもあれ、祝ひて濱久木といふも濱邊に生立て年久しき木を云たる義と也。何れとも決し難き也。第八卷にも遠木末の開ともよめる、此遠木も久木と意を通じてか末はうれとも讀みてつまき歟。久木遠木と書て椿の事にして椿はつまきと云義、二段に義をとる事も六ケ敷ければ、此義も不2落着1也。椿を久木遠木と義訓に書たるは、一通の義聞えたれ共、久木遠木を又妻木とする意は少心得難し。此歌の意は、去年咲きて今咲くとよめるは程經て久しきと云意にて、今咲く共よみたるか。なればひさ木と讀むべき義共見ゆる也。歌の意は何の事も無く聞えたり
1864 足日木之山間照櫻花是春雨爾散去鴨
あしひきの、やまのはてらす、さくら花、このはるさめに、ちりゆかんかも
能聞えて別意無き歌也。間を山あひと讀ませたれど、はしうどなど讀める字也。なれば、はと讀みて然るべし
1865 打靡春避來之山際最木末之咲往見者
うちなびき、はるさりくらし、山のはの、最木末の、さきゆくみれば
最木末之 此訓何れ共決し難し。印本諸抄等には、ひさきの末のと讀ませたり。最の字をひさと讀む意も如何したる義ある歟。最の字はいとも共、うべも共讀みて木末の咲きゆくと讀む義もあるべければ、此最木ひさ木と讀む事も決し難し。ひさ木と讀べき證ある迄は、いかに讀まん共決し難し
1866 春※[矢+鳥]鳴高圓邊丹櫻花散流歴見人毛我裳
きゞすなく、たかまどのへに、さくらばな、うつろひゆくを、みむひともがも
(23)春の歌故、春の字を添て書けり。雉の字計にて濟むべきを、二字書たるは當集の書格也。これをもて用無き字をも添へたる處あるを可2辨知1也。然れ共、義に當らぬ處に添字を書ける事は無き也。きゞす鳴と云に意は無き也。春日の長閑なる景色を云はんとて、かく詠出たる也。若草がくれにきゞすの聲聞く頃、櫻の花も散かふ野邊の景色は、云べくもあらぬ長閑さならんを、見る人もかなと願ひて、待設くる人やありて詠めるなるべし
散流歴 これを印本諸抄にも、ちりながらふをと讀たるはいかにぞや。、梅櫻の流らふと云事、句例語例も無きこと也。殊に歌詞共聞えられねば、かく讀たるには有べからず。三字合て義訓に讀ませたる義と見る也。依てうつろひ行をと讀む也。流歴は行の意、散はうつろふと読む字なり。三字合せて句意を助けて書たると見えたり
1867 阿保山之佐宿木花者今日毛鴨散亂見人無二
あほやまの、さねきのはなは、けふもかも、ちりまがふらん、みるひとなしに
阿保山 在所不v決。和名抄に、播磨飾磨郡英保安母。又云、伊賀國阿保郡あり。八雲にはあを山播磨と有。拾穗抄には大和と注せり。何所か未v知。實所追而可v考
佐宿木 木一種ありと云來れり。或抄に眞木と云義に同じく惣名かと云へり。これもさね木といふ木未v考。ねぶりの木榊等云説々有
散亂 散まがふらんとか、らしとか讀むべし。まがふと云義少心得難し。矢張みだるらしと讀まんか。らんの字まがふ共讀たり。されどこゝにまがふと云ふ詮何の爲とも聞えねば、みだると讀まんか
1868 川津鳴吉野河之瀧上乃馬醉之花曾置末勿動
かはづ鳴、よしのゝかはの、たきのへの、あせみのはなぞ、てなふれぞゆめ
かはづ鳴 此川津鳴も、川の門のなると云意なるべし
置末勿勤 馬醉木はつゝじにては無き他。あせみ也。惡木にて人馬共に害ある毒木也。其意を詠める歌多し。此歌も其意に(24)て手な觸れなと讀みたる也。おく末も無きと讀ませたれど、歌詞共不v覺、歌の意も聞えぬ也。毒木故、手なふれそと讀める義然るべく、末におくと書たる義も、手をふれぬ道理をもて義訓に書たると見えたり。近くおかぬなれば、手に觸れぬ筈也。ゆめとは制したる詞、つゝしめと云義也。六帖には、當集の歌を讀誤りたる事多けれど、此義訓は然るべき也
1869 春雨爾相爭不勝而吾屋前之櫻花者開始爾家里
はるさめに、あらそひかねで、わがやどの、さくらのはなは、さきそめにけり
相爭と書きてあらそふと讀ませたるは、春雉の例と見るべし。爭ひかねては、雨に降催されて、含まんとすれどふゞまれず、自づから花の紐解くをいへり。能聞えたる歌也
1870 春雨者甚勿零櫻花未見爾散卷惜裳
はるさめは、いたくなふりそ、さくらばな、いまだみなくに、ちらまくをしも
同じく能聞えたる歌也
1871 春去者散卷惜櫻花片時者不咲含而毛欲得
はるされば、ちらまくをしき、さくらばな、しばしはさかず、ふゞみてもかな
片時 は、しばしは也。少の間はと云義也。春なればも早や悉く梅は咲滿ちて稍散りがてなる故、待しもかへりて暫く開花をのべて、めで飽かじとの意也
1872 見渡者春日之野邊爾霞立開艶者櫻花鴨
みわたせば、かすがのゝべに、かすみたち、さきにほへるは、さくらばなかも
何の意も無くよく聞えたる歌也。開艶者は咲匂へるは也
1873 何時鴨此夜之將明※[(貝+貝)/鳥]之木傳落梅花將見
(25)いつしかも、このよのあけん、うぐひすの、こづたひちらす、うめのはなみん
梅を愛する情の切なるから、夜の明くるをも待との意也。鶯の木傳ひ散らすと詠めるも、面白き風情をあらはせり。たゞ風に散なんなど詠める意とは、甚違へる情也。ケ樣の歌に心をつけて、雅情の差別を可v辨事也。鶯の木傳ひ散らすと云所には、言外の雅情ある、此味をあまなふ人は少し
詠月 春の月を詠める歌共を被v擧たる也。月と計りありては秋に限りたれど、此所は皆春の部の歌也。よりて惣標に、春夏秋冬の差別を被v載たる也
1874 春霞田菜引今日之暮三伏一向夜不穢照良武高松之野爾
はるがすみ、たな引けふの、ゆふづくよ、きよくてるらん、高まどのゝに
春がすみたなびく 此句に意は無く、たゞけふのと云はん迄の序也
三伏一向 これを、つくと讀むことは、十訓抄第二に一伏三仰と書て、月よと讀めり。つくね人形と云物ありて、一度ころばせば三度ころびかへりて、元の如く向ふ樣に仕掛たる物有。古く玩び來りたる物と見えて、其名より云たる義也。奧の歌には、一伏三向と書て、ころと讀ませたるも、此人形より義をとりて讀ませたる事と傳來れり。一度ふして三度起かへる樣に仕掛たる物也。古制の物にて、昔より弄び物にもてはやし來れるから、此義をとりて書たる也。此三伏一向の事、十訓抄に嵯峨帝の御時、小野篁によみとらしめ給ふ歌に、一伏三仰不來待書暗降雨戀筒寢と書て給はせたまひしを、月夜にはこぬ人またるかきくらし、雨もふらなん佗つゝもねんと讀めりければ、かの無惡善をよみし御疑ひも晴れさせ拾ひて、御景色直りけりとなんと書たり。童べのうつむきさいと云物に、一つふして三つあふぬけるを月よと云也。如v此有。然るに此集には三伏一向を、つきと讀ませ、一伏三向をころと讀ませたるは、彼の人形の體をもて書たるか。一度伏して三度かへる樣に仕掛たるものか。つきころと讀む出所の義は、しかとは知れ難し。うつむきさいを、何とてつきよとは云ぞとの義はしかと知れ難し。うつむきさいを何とてつきよとはいふぞとの義は知れざる也。つくね人形とも云俗語有。此ねも伏すの義を云たるものか。奥の歌には一(26)伏三向と書て、ころと讀ませたり。然れば十訓抄に云へる如く、人形の事によりて詠ませたる義有べし
不穢 と書きて清くとは義訓なり
歌の意は、春霞の棚引く空は、雲も無く風も凪ぎて長閑なれば、けふの夕月夜いか計り清く、うらゝかに照らんと高まどの風景を思ひやりて詠める也
1875 春去者紀之許能暮之夕月夜欝束無裳山陰爾指天
はるされば、紀之このくれの、夕つくよ、おぼつかなくも、山かげにして
紀之 此言葉不v詳。この暮と云はん序に木のこと詠たると見て濟むべきか。きしこの暮にて、來りしと云義を云たる義歟。又地名抔にや。何れ共決し難し。この暮は前にも出て、木の繁りたる陰と云義也。こぬれ共云也。のくの約ぬ也。さらぬだに夕月はほのかなる光を、春なれば木陰茂りて暗きに、山陰のいとゞ覺束無きと也。山陰にしてとは、歌の始終留り難き樣なれど、古詠には此格いくらもありて、面影にして、河よどにして、中よどにしてと當集に詠める歌有。覺束なき山陰と云意也。上の句の紀之は來りしと云義と見れば、山陰にしても止り、確かに聞ゆる也
一云春去者木陰多暮月夜 このくれおほみとか、こかげをおほみとか、此或説によれば、紀之は、只ことうけん爲迄にきのこのくれと詠たると見ゆる也
1876 朝霞春日之晩者從木間移歴月乎何時可將待
あさがすみ、はるひのくれば、このまより、うつろふつきを、いつとかまたん
朝霞春日之晩者 此朝霞春日と詠み出たる意、少聞得難し。一説に、朝霞張とうけたるかと云説有。宗帥案は、朝霞と詠出たるは、春の永日は朝より霞にて日の暮たる樣なれば、月の出來るわきも知られず、いつとか待たんと云意に、朝霞とは詠めると也。くるればの意也。霞にて日の暮れたる樣なればと云意に見るべしと也
詠雨
(27)1877 春之雨爾有來物乎立隱妹之家道爾此日晩都
はるのあめに、ありけるものを、たちがくれ、いもが家ぢに、このひくらしつ
ありけるものをとは 春雨ははか/”\敷も降らず、とくは晴れぬものなる故、間なく晴れんかと思ひて、雨宿りせし間に、妹が許へも行かで、道にて日をくらせしと也
詠河
1878 今往而※[米/耳]物爾毛我明日香川春雨零而瀧津湍音乎
けふゆきて、きくものにもか、あすかゞは、はるさめふりて、たぎつせおとを
今往而 今ゆきてと讀ませたれど、あすか川と讀みたれば、かけ合の詞に、けふゆきてと讀む方然るべし
※[米/耳]物 ※[米/耳]は聞の字の異字也。ものにもかと云へるは聞べきものかなと云意也。たぎつ瀬音は春雨にて河水増してたぎり流るゝ音をと云義也。河のたぎり流るゝ瀬の音を、今日行きて聞ましかと云義也
詠煙
1879 春日野爾煙立所見※[女+感]嬬等四春野之菟芽子採而煮良思文
かすがのに、けぶりたつみゆ、をとめらし、はるのゝうはぎ、採てにらしも
菟芽子 一本免にも作れり。うはぎとは今よめ菜と云菜也。和名抄云、〔莪蒿〕【於八木】。第二卷にも注せり
採而煮良思文 野遊に出て乙女らが野菜の羮を※[者/火]るならしと也。春の煙を詠めるには珍しき趣向を詠みたる也。第十六卷竹取翁の事を記せる序に、季春之月登v丘忽値2※[者/火]v羮之九箇女子1也と書けり。本朝文粹菅家の句にも野中※[草がんむり/毛]v菜〔世事推2之※[草がんむり/惠]心1〕爐下和v羮、〔俗人屬2之※[草がんむり/夷]指1云々〕空穗、源氏物語等にも若菜のあつものと書けり。昔より若菜を羮にはしたると見えたり
野遊
(28)1880 春日野之淺茅之上爾念共遊今日忘目八方
かすがのゝ、あさぢが上に、おもふどち、あそべるけふの、わすられめやも
よく聞えたる歌也。淺茅が上とよめるにつきて、佛の座に敷れるもの故、清らかなるもの抔云説をなせる抄あれど、別の意あるにあらず。只春日野の若草の、美しき野邊に、遊びたる義を云たる義也。無益の事にとりそへて云べきも云はれざる事也
1881 春霞立春日野乎往還吾者相見彌年之黄土
はるがすみ、たつかすがのを、ゆきかへり、われはあひみん、いやとしのはに
これもよく聞えて千歳の春も心をのばへたる祝歌也
1882 春野爾意將述跡念共來之今日者不晩毛荒粳
はるのゝに、こゝろのべんと、おもふどち、きたりしけふは、くれずもあらぬか
くれずもあらぬか、くれなかしと願ふたる意也。粳は俗糠の字也。※[米+亢]と同じ字也
1883 百磯城之大宮人者暇有也梅乎挿頭而此間集有
もゝしきの、大みや人は、いとまあれや、梅をかざして、こゝにつどへり
暇あれやを、あるやと讀べきと云へる説もあれど、これはあれやと讀む方風情よき也。あるやと云詞は俗に近地。ありやはあらめやと云詞にて、あるやと云意と同じ。ケ樣の處に雅俗の違ある也。歌の意は、朝勤の人々も、春なれば暇あるらめ。花をかざして野遊をせると也。道ある御代の豐かなる春にあへる心の緩かなる由を、自づからに詠み出たる也。世によく人の覺えて、赤人の歌とていひはやす歌、上の句は同じくて、下を櫻かざしてけふもくらしつと云ならはせり。此歌を引直して、赤人の歌と云ならはせるか
歎舊 賞嘆愁嘆感歎の差別有。悲み憂へる計りの歎きにはあらず。即ち歌も物を感歎したる歌也
(29)1884 寒過暖來者年月者雖新有人者舊去
ふゆすぎて、はるのきぬれば、としつきは、あらたなれども、人はふりゆく
寒過暖來 前にも注せり。義をもて書けり。歌の意、能聞えたり
1885 物皆者新吉唯人者舊之應宜
ものみなは、あたらしきよし、たゞひとは、としふりたるし、よろしかるべし
ふりたるのみしとも讀まんか。上にたゞと讀たる故、下にのみと讀まん事然るべしと也。然れ共のみしと云事聞よろしくも無ければ、年ふりたるしとは讀む也。好む處に隨ふ也。同じ作者前の歌の餘意を詠めるなるべし。春と云事無けれ共、通じて春の歌と見る也。尚書盤庚上云、遲任有v言、人惟求v舊、器非v求v舊惟新。此文の意をとりて詠める歟
懽逢
1886 住吉之里得之鹿齒春花乃益希見君相有香聞
すみのえの、里をえしかば、はる花の、いやめづらしみ、きみにあへるかも
住吉之 これを地名とさゝず、只住よき里と云義にて、廣く云たる義より、住よしと讀べしと云説あれど、吉の字古來よしと讀める事稀也。其上よしの里と續く事無き事にて、地名ならでは下への續きならぬ也。えと云もよきと云詞なれば、古訓の通に住のえと讀むべき也。地名として住よきと云意を含めて讀めるとは見るべし。歌の意は、時にあひ、所を得たる故、慕へる君にもあへると悦びて、時と所を悦びたる歌也
益希見 ましめづらしみと讀ませたれど、まし珍しと云詞、此歌の珍しきより尚珍しき事也。假名書にてもあらばさも讀むべきか。とまし常磐木抔よめる誤を不v辨して如v此讀來れり。益の字はいやと讀べき也。珍しみは珍しき也。春花の二字若しくは春草の誤り歟。第三卷人麿の歌にも、春草のいや珍しとあれば、こゝも若草のいや珍しみにてもあらんか。歌の意は、春の花の見ても飽かぬ色香の如き、珍しき人にあふ事の嬉しきと也。かもと云ことは、皆感歎の詞、かなと云と同じき也
(30)旋頭歌
1887 春日在三笠乃山爾月母出奴可母佐紀山爾開有櫻之花乃可見
かすがなる、みかさのやまに、つきもいでぬかも、さき山に、さけるさくらの、はなの見ゆべく
隱わたる處も無く、月をも待たず、心明けき歌也。外の山も有べきを、さき山を詠めるは、開るとうける縁語也。ケ樣の處に歌の巧拙ある也。春日は添上、佐紀山は下の郡なれば、一所にして、尤も近所なれ共、言葉の縁に詠出たる意を賞すべき也
1888 白雪之常敷冬者過去家良霜春霞田菜引野邊之鶯鳴烏
しらゆきの、常敷ふゆは、すぎにけらしも、春霞、たなびくのべの、うぐひすなくを
常敷 前にも注せる如く、とこしくと云詞いかに共不v濟。時じくか、しきじくかにて有べし。時は常なれば、義訓に讀ませたるか。又四季の意にて、常をしきと讀ませて、しきじくは、ひたもの隙間無くと云意か。時じくのかぐの實と云時じくも、常住不斷の意也。こゝも冬は不斷に雪降ものなれば、白雪のときじく冬とは詠める歟
鳴烏 烏の字一本には焉と有。焉の字は、言葉上にかへると云字義あれば、かへる手爾乎波抔の時、そとか、をとか、つけたる義も有べけれど、こゝは餘音の字と見るべし。詞の餘り也。烏焉の字何れにても苦しかるまじ。只意無き添字語の餘り也。唐土の詩文の助字置字に同じ。尤も鳥と云字にても、てと一音をとりて、歌の意には合べけれど、語の餘と見る方能き也。いくらも此字を書たる歌ある也。何方も皆一所に見るべし
譬喩歌
1889 吾屋前之毛桃之下爾月夜指下心吉菟楯頃者
わがやどの、けもゝのしたに、つきよさし、したごころよき、うたゝこのごろ
毛桃 仙覺云、實なれるを、毛桃と云て表したる意也と。尤桃の實にはうぶ毛の如くなる毛ある物也。毛無き桃有、不2一概1。(31)然れば、これは初語のけなるべし。さもゝ、をもゝなど云意と同じきか。但し實に成たるを云はんとて添たる詞か。初語と見れば義安き也。喩へたる意はいかに云義ありてか察し難し。先歌の趣にては、茂りたる桃の木の下に月のさしたるは、下心底意清きと云意に喩へて、何とぞ心よき事あるを、かく底意の心よきと詠めるなるべし。うたゝと云詞は、ひたもの/\と云義也
春相聞
1890 春日野犬※[(貝+貝)/鳥]鳴別眷益間思御吾
かすが野に、いぬうぐひすの、なきわかれ、かへりますまに、おもひますわれ、
犬 去の字の意也。若むくは去の字の誤りたる歟。一説に下に留の字何れにても落たるといへり。無くてもいぬと云にて義通ずれば、脱せると見ずても濟むべき也。思ふ人にあひて、飽かで別るゝ時、泣別れをして其歸る間に、愈慕ふ思ひの増と云義を、鶯に寄せて詠める相聞也
1891 冬隱春開花手折以千遍限戀渡鴨
ふゆごもり、はるさくはなを、たをりもて、ちたびのかぎり、こひわたるかも
よく聞えたる歌也。渡鴨の二字普通の素本には無し。脱たるなるべし。古一本にあるを正しとす。戀渡るは、人を戀わたる義なれ共、よびかけし人は聞得ても、外の人の聞ては言葉足らざる也。惣標に相聞とあるをもて、呼びかけし人を戀ふ義とは聞ゆる也
1892 春山霧惑在鶯我益物念哉
はるやまの、かすみをわくる、うぐひすも、われにまさりで、ものおもはめや
霧惑在 霧にまどへると讀みたり。義はよく聞ゆれ共、春の霧と云は、霞の棚引こめたる空は、霧の降たつによく似たるものから、義をもて書たる共見ゆる也。霞と云ものゝあるに、霧をわざと詠むべき事にもあらねば、此義疑はしき也。霧にまどへ(32)ると云詞より、霞をわくると云方聞よからんか。音借に詠める事あまたあれば也。わが思にまどひて行先わかぬいぶせさを、山路を出る鶯の、霞める雲路をわけくるは、物うくもあるべくや。されどいかでわれにまさりて、物うかるべきと寄せて詠める也。朗詠に、咽v霧山鶯(ハ)啼(コト)尚少とも作り、霧霞深き山路をわけくる鶯も、戀路にまどふわれには及ばじと云意也
1893 出見向崗本繁開在花不成不止
いでてみる、むかひのをかの、もとしげく、さきたる花の、ならずばやまじ
思ひそめし人を花として、實ならずば止まじと也。實ならぬは妹背のこと、調はずば、戀やまじと云義也。凡て夫婦のことの調たるを成といひ、戀の叶はぬを不v成と云也。古語の定法也
1894 霞立春永日戀暮夜深去妹相鴨
かすみたつ、はるのながきひ、こひくらし、よのふけゆかば、いもにあはんかも
別の意無き歌也。こひくらしは、戀くれぬとも讀むべきか
1895 春去先三枝幸命在後相莫戀吾妹
はるされば、まづさいぐさの、さきからば、のちにぞあはむ、なこひそわぎも
先三枝 前に注せり。三枝は山百合の事にて左右と中に枝さす物故云來れり。古事記に由來あり。此歌は只さきくあらばとよまん爲の序に詠みたる迄也。歌の意は、何とぞ障りありて、今あふ事の成難きにより、命だに全からば、末にてこそあはめ、さのみな戀ひそと示したる也
1896 春去爲垂柳十緒妹心乘在鴨
はるされば、しだれやなぎの、とをゝにも、いもがこゝろに、のりにたるかも、
春の柳のしだれ靡きしなへたるは、妹が心のしなひ靡きたるに似たりと云意也。凡てこの妹が心に乘にけると詠める歌あま(33)た有。第二卷に先づ出たり。此歌を証例として在鴨とあれど、のりにける鴨と讀べきか。此のりにと云義は、似たると云義と見る也。先には心に任せ叶ひたると云意と見たれ共、此歌等を考合するに似たる鴨と云義と聞ゆる也。爲垂柳、和名抄云〔兼名苑云、柳、一名小楊【和名之太里夜奈木】云々〕
右柿本朝臣人麻呂歌集出
此一首計りの左注なるべし
寄鳥
1897 春之在者伯勞鳥之草具吉雖不所見吾者見將遣君之當婆
はるされば、もずのくさぐき、見えずとも、われは見やらん、きみがあたりは
伯勞鳥 前に注せり。鵙《ケキ》也。和名抄卷第十八云〔兼名苑云、鵙一名鷭【漢語抄云、伯勞、毛受】〕周書月令云、反舌有v聲、讒人在v側此反舌鵙。と云説あれど、禮記月令云、仲夏之月鵙始鳴、反舌《ウクヒス》無v聲。周書月令と、禮記月令とは相違せり。反舌は鶯と云説有。これも此方にては鶯六月迄も鳴くなれば、月令の表には國により所によりて合難き事も有也。又鵙も七八月の頃より渡りて、春の頃も偶々鳴也。本朝と異國唐土とは、一概に極め難き事有。此もずの草ぐきの事、古來より色々説有。八雲御抄仙覺抄共、清輔奧義抄の趣を記されたり。其後兼良公も歌林良材に其趣を載せられたり。猶顯昭法師自見をあげて、當集の歌を引き、草ぐきは草くゞるとの事、たゞ見えず共と云はん爲の義迄に釋したり。其理り無きにあらね共、今も田舍に云傳へて、鵙の雲をしるべに、己が餌を尋ぬることを、あてど無きことの譬へに云ならへる所もあれば、奥義抄の説、古説といひ、實事にもや侍らん。歌の上にても、百舌鳥に限りて草をくゞるとよめる意も心得難し。雉子の雛も、春は草をくゞり、又其外にも、小鳥の内何程も草をくゞる鳥けものあらんに、鵙に限りたるは如何にかあらん。詞の縁うつりなどの便にて、あまた有中にも其鳥をとよむ事もあれど、此歌もこゝにさしたる縁語も無ければ、古事あるをもて詠めるやと聞ゆれば、當流も奧儀抄の説に隨ふ也。尤歌の意は、たゞ見えずともと云はん爲め計の草ぐき也。上の句に意味有にはあらず。古詠の格皆かくの如し。霞がくれに隔たりて、君が(34)あたりの見えず共、あくがれ慕ふ心から、其處共わかず只徒に見やらんとの義也。諸抄に引けるは、君があたりをと書たり。此集にはあたりはとありて、然も濁音の婆の字を記せるは、焉雖等の字を誤りたるならんか。此婆の字不審無きにあらざる也
1898 容鳥之間無數鳴春野之草根之繁戀毛爲鴨
かほどりの、まなくしばなく、はるのゝの、くさねのしげき、こひもするかも
かほ鳥も忙しく鳴鳥と聞えたり。即ち此歌第三卷赤人の歌等を證とすべし。わきて春の野に鳴くと聞えたり。尤此歌の意、容鳥の屡鳴く如く、又草の根の繁きと兩義にかけて我戀の切なる事を詠める歌也。戀のしげきとは、前にも釋せる如く、檜の木の義をよせて也。此歌にも直にしげきことうけて、山は木と云義、檜と云木によそへて詠める也。扨其しげきと云意は、戀の後より/\いや増しそふ義を云也。此等の歌によりて、かほ鳥は春の頃美しき小鳥の鳴ことを云て、一つの鳥にはあらず。惣ての鳥と云説もあるか。兎角かほ鳥は、何れの鳥共決し難く、和名抄も不v見ば、いかに共定め難き也
寄花
1899 春去者宇乃花具多思吾越之妹我垣間者荒來鴨
はるされば、宇の花くたし、わがこえし、いもがかきまは、あれにけるかも
宇の花 春卯の花の咲ことあるまじ。是は決して梅の花にて、毎の字落たると見ゆる也。諸抄には卯の花にして釋せるも有。又不審をなせるも有。當集を始め後々の歌集にも、卯の花は夏に詠みて、既に四月を專とし、月をも卯月とさへ名付くるなれば、春さればとよみ、春の部の歌に入べき樣なし。尤此卷末に至りて、鶯の往來かきねの卯の花のうき事あるや君が來まさぬ、と詠めり。これも夏の歌也。夏鶯を詠めるもいかゞなれど、是は夏までは居る鳥なれば、云はるべし。此歌の卯の花と詠める事心得難し。當流には、めの字脱したりと見る也
くたし そこねたる事を云。尤くさりたる事をもくたすと云へり。第十九卷に、卯花を令腐《クタス》ながめのと詠みて、なが雨にてくたらすと云へる義也。こゝにくたしと詠める意は、何をもてくたしたる事共不v聞。抄物等には、雨ふりし上に、度々我垣を越(35)通ひし袖にすれて、つぼめる花をも、くさらしめたる義と釋したるも、あまり云まはし過たり。こゝは花をそこなふたる義と見るべし。梅花の咲きし頃は、花にことよせ度々通ひし時、垣根の花をもおし手折、妹に會ふべき事のみ心を進めば、咲たる花には心も無く、損なひ來しが、其垣根の荒たりとは、遠ざかりてあはざりし間も、かれ/”\になりしと云義によせて詠める也
1900 梅花咲散苑爾吾將去君之使乎片待香花光
うめのはな、咲散そのに、われゆかん、きみがつかひを、かたまちがてら
此歌第十八卷に假名書にて載られたり。袖書に田邊史福麿と注せり
片待香花光 片は、かつと云意、又の意也。なれば一方は花を見ん爲、且吾が使をも待ちがてらと云意に、かたとは讀みて意を得て片の字をも書たるか。花の咲ちる園に出て、使を待たんとの義不v詳也。花の盛なれば、花見にこせよと、先より使の來らんと待居しに、未だ不v來は、出行く道にて使にもやあふらんとの意にて、片待ちがてらとよめるか。或抄には、宿に居て待ち堪へ難きから、花にことよせて、立出て待たんとの意と釋せり。さも有べきか。作者の意、句中に表れざれば不v詳也。花光の二字にて、てらと讀義も、花の字衍字にやと云説あれど、義をもて意を通じて書たるならん。花にも光と讀む事ありて、下てる計りなどとも詠めるは、其意にて書たるならん
1901 藤浪咲春野爾蔓葛下夜之戀者久雲在
ふぢなみの、さけるはるのに、はふくずの、下夜之こひは、久雲在
此歌も聞得難き歌也。下夜之こひと云義いかに共解し難し。諸抄には、藤浪は常に陰の暗き事に詠なし、たそがれ時に寄せてよみて、葛は物のこかげ下陰に這ふ物から、下よとうけて暗きと云意に夜とよみて、色にも不v出下に待夜の戀の久敷程ふる意に寄せて詠めると注せり。かく言葉を入れて釋せば、如何樣にも云まはさるべけれど、下夜の戀と云例、語例珍しければ、解し難き詞也。宗師案は、下夜は賤屋が戀は古くもぞあると讀まんかと也。葛抔這ふ宿は賤屋にて、古く荒れたる義を云て、我思の晴やらぬ事の程經る義によせたるか。藤波の咲けると云は、藤の花と云はずして上古の歌には浪と計りも詠みて、既に第九(36)卷の歌にも、みなふち山の巖には散る浪とよめる、散る花の意也。みなふちは藤によせて也。其故下に散る共よめる也。又此卷の末にも咲ける藤浪とも詠めり。久しきは古き義なれば、久の字、ふるとよめる義訓は毎度有べき事なれど、古人の義訓を考辨無き故、讀違へたる歌共多し。此歌の、下夜之の句も、いかに共心得難し。此歌次のかくなる迄にの歌と同作の歌ならんか
愚案、下夜之の夜は延の字の誤りか。下はへしか。うなゐをとめが歌に語例あれば也。下に忍びて戀ふ事を、下はへしとか云べし
1902 春野爾霞棚引咲花之如是成二手爾不逢君可母
はるのゝに、かすみたなびき、さくはなの、かくなるまでに、あはぬきみかも
此かくなる迄と云句心得難し。かくなる迄とは讀ませたれど、別訓もあらんか。霞に隱して見せぬ如くにと云意、成はなすと讀まんや。尤第八卷の歌にも、郭公不念有寸木晩乃如此成左右爾奈何不來喧とよめる歌もありて、此木晩のかくなる迄とよめる意も、今此歌の如v此なる迄も同意也。然れば、其の當然見たる處の義を述べたる事にて、ふる年より音信絶えて逢はざりしが、春にも移り花も咲散る頃になりぬれど、あはぬと云意に、如v此なる迄とよめる歟。少し云足らぬ歌也
1903 吾瀬子爾吾戀良久者奥山之馬醉花之今盛有
あがせこに、あがこふらくは、おくやまの、あせみの花の、いまさかりなり
奥山のあせみは見る事安からず。稀にならでは見ぬ意をこめて、あせみも吾背を見まくほしきと慕ひ戀ふ心の、今あせみの花の咲ける盛の如く、吾戀ふ心も切なると云意をよそへたる也。あがせ子を見たきと云義を、あせみの花と云名に合せてよそへたるを主意と詠める歌也。少の意なれ共、只奥山のあせみの花と詠める處、古詠の上手の風格也。奥山は、見る事まゝならぬ理りをこめて也。諾抄等にはつゝじと讀ませたれど、あせみと讀までは歌の趣意不v聞。馬醉木はあせみの事也
1904 梅花四垂柳爾折雜花爾供養者君爾相可毛
うめのはな、しだりやなぎに、をりまじへ、はなにそなへば、きみにあはむかも あふかもびても同じ(37)意也
供養 そなへばとは、祈る處の神に奉り供へるの意也。春の節物梅柳を神に奉りて祈らば、戀思ふ人にあふべきかと也。供養の二字は佛教の字なるべし。手向ばと義訓すべき歟
1905 姫部思咲野爾生白管自不知事以所言之吾背
をみなへし、咲野におふる、しらつゝじ、しらぬこともて、いはれしあがせ
姫部思咲野 此續きいかに讀べきや、不v決。さき野と讀みて、大和の佐紀野の地名を詠めるや、又ゑみ野と云地名もありてそこを詠たるや、又只廣く凡て女郎花の咲野と詠める意か。此廣くさして詠めるとの意は、諸抄にも云へる説なれど心得難し。尤女郎花を詠めるは、女の義をこめて詠める歌ならん。され共廣くさしては秋の歌になる樣なれば、さきの、ゑみのにてもあらんか。女の笑みしから心に思はぬ名を云騷がされたると云意ならんか。一説には女の異心も無きを知らぬ事をもて、恨みかこちを云へりしあがせこと云意共見ると也。兩義に見ゆる歌也。あがせとよみたれば、此かこちたる説叶ふべからんか
1906 梅花吾者不令落青丹吉平城之人來管見之根
うめのはな、われはちらさじ、あをによし、ならなる人の、きつゝみるがね
平城之 此之の字を當集にては、なると讀まねばならず。日本紀等にても、なると讀ませたる故、此集にてもさ讀ませたる證明等は、此歌にても知るべし。なるともならでは讀まれざる之の字也。見るがねは見るかに也。見るかには見るにてあらんにと云義也。古語にはかくの如き廻り遠なる樣に聞ゆる詞多し
1907 如是有者何如殖兼山振乃止時喪哭戀良苦念者
かくあらば、いかにうゑけん、山振の、やむときもなく、こふらくおもへば
山振と詠めるは、やむ時も無くと云はん縁也。ケ樣の續きを能く味ふべし。山吹の花を戀ふると云義によせて、何とて思ひ初め馴れそめけん、かく笑む時も無く、戀慕ふ事を思へば、思ひそめ馴れそめましをと、山吹を植たるに寄せて詠める也
(38)寄霜
1908 春去者水草之上爾置霜之消乍毛我者戀度鴨
はるされば、みくさのうへに、おく霜の、きえつゝもわれは、こひわたるかも
霜は秋冬を專と詠むべきに、春に詠合せたるは、春の霜と云趣の意歟。其上消えやすきと云意を、專と詠みし故也。心も消ゆる計りに戀佗る思ひの切なる義を、消えつゝもと詠める也。水草と詠めるは、水邊に生ふる草と云義に意あるにあらず。戀渡ると云下の句の縁を、上に結びて、水と云義を詠める也。畢竟みと云詞は、初語共見ゆる也。然れ共、戀とは泥の事を云から、水の縁を詠めるなるべし
寄霞
1909 春霞山棚引欝妹乎相見後戀毳
はるがすみ、山にたなびき、おほゝしく、いもをあひ見て、のちこふるかも
春霞の山に棚引隱し、おぼろげなる如く、確かに相見ずして、後愈戀のいや増すの意也。鬱の字は覺束無き共、ほのかに共讀ませて、霞に隱せる山を見る如く、さだかに見ぬと云義、たゞ假初に見し心也
1910 春霞立爾之日從至今日吾戀不止本之繁家波
はるがすみ、たちにし日より、けふまでに、わがこひやまず、もとのしげけば
今日までと詠めるは、その當然の日を詠める也。暮春の比とも云べき也。程ふる意也
本之繁家波 こひと云に木《コ》の詞ある故、もとの繁ければと也。本の繁きとは、思ひかけし心の深くてなほざりならざるから、日を經ても、思ひ捨て難くやまれぬと也。しげけば、しげければと云略語也
一云片念爾指天 或説の終の句、本集よりも聞安かるべし。われのみ戀慕ふ、片思ひにしてといふ義也
(39)1911 左丹頬經妹乎念登霞立春日毛晩爾戀度可母
さにつらふ、いもをおもふと、かすみたつ、はる日もくれに、こひわたるかも
さにつらふは、さねつるゝ妹と續く詞、前々にも注せり。さにほへる共讀む説有。紅顔の妹と云意にて、妹を賞美の詞共見る也。何れにもあれ、妹を愛賞の詞にて、妹の冠句也。歌の意は、美しき妹を戀慕ひ思ふ故、永き春の日も霞みて暮たる如く、心の闇の晴れず戀渡るとの義也。霞に曇りて、日の暮たる事と、思ひの晴れぬ義を比して、くれにとよめる也
1912 靈寸春吾山之於爾立霞雖立雖座君之隨意
たまきはる、いくやまのうへに、たつかすみ、たつとも居とも、きみがまに/\
吾山之 これを古本印本諸抄物等皆わが山と讀ませたり。たまきはる吾がと續くべき事は無し。いとより外續ける事、決して無き事也。其上吾山の上とよみて、其わがと詠出たる義も不v濟。これは五口の二字、一字になりたる也。若し又二字にて無く共、吾と云字形をもて、直にいくと讀ませたる義共見るべし。山の上に又山ありと書きて、出と讀ませたる義と同じき意にて、幾山の義也。いくらもの山の上に、立ゐる霞の如くと讀みて、畢竟たつ共居とも君のまに/\とよめる爲の上の句也。古詠の格皆かくの如く、只立とも居ともと云はんとして、幾山の上に立霞とは詠かけたる也。然るを、わが山とわざと讀むべき義無き事也。いくらもの山と云計りの義也
1913 見渡者春日之野邊爾立霞見卷之欲君之容儀香
見わたせば、かすがのゝべに、たつかすみ、みまくのほしき、きみがすがたか
此の歌もたゞ見まくのほしきと云はんとて、立霞とうけたる迄の義也。立隱れたるを見まほしきと云意を含めたる意也
1914 戀乍毛今日者暮都霞立明日之春日乎如何將晩
こひつゝも、けふはくらしつ、かすみたつ、あすのはるひを、いかにくらさん
よく聞えたる歌也。春日をと詠めるは、長き日をいかにしてかと云の意迄也
(40)寄雨
1915 吾背子爾戀而爲便寞春雨之零別不知出而來可聞
わがせこに、こひてすべなみ、はるさめの、ふるわきしらず、いでて來るかも
吾せこを宿にこひ居て、詮方無くて春雨をも厭はず、雨の降る共降らぬ共わかず、只思ひにのみ迷ふから、其別ちも知らす背子の方へ出來ると也。春雨と云めは、わがことに云たる也。凡て此さめと云は、女の事に比して云たる義と見ゆる古詠多し。後撰の、さくさめのとじと云歌も、其意にて、しうとめの事か。先の女の刀自ならん
1916 今更君者伊不往春雨之情乎人之不知有名國
此歌きゝ得難し。諸抄の説は左の通りに讀ませたり
いま更にきみはいゆくな春さめのこゝろを人のしらざらなくに
かく讀ませて説々不v決。先一説は春雨の降るべきや、降るまじきやの心を人の知らぬにはあらず。降べき空なるに、ないにそと云の意と也。二説は春雨に降こめられてとまりぬると、世の人の知らぬにはあらず。なればとまる共人咎めじ、ないにそと止めたる歌と也。かく云ひて此句釋聞えたり共不v覺。上に今更にとよみ出たる釋聞えず
宗師案は、前の歌の返歌の意なるべし。前に春雨のふるわき知らで、出來りし妹に今更歸るなと云意か。然らば情は晴の誤字歟。春雨の晴るゝや晴れぬやは、人の上にては知れ難ければ、出行きて晴れずば、苦しからん程に、いでいぬな、晴れて出でよと云意、知らざらなくにと云此、には、今時の手爾波とは古詠の格甚だ違ありて、語の餘りに用たる歌多し。古詠の格は大方其意也。然れば只知らぬと云義に、知らざらなくとよめると見る也。にといふを返る手爾波に聞時は、此歌も、知りてあるにと云意に聞ゆる也。さ讀みては歌の意聞得難し
又一案には、前の歌の答にあらず。やはり女の歌にして、夫の來りしを今更に歸るな、春雨の降る共降らず共わかち難きものなるに、雨の降るとて、今更歸るな。降りても降らでも、わが心は變らぬをと云意にて、人の知らざらなくとは、せこを指して(41)云たる義、春雨とは、妹のわが身をさしていへる義、わが情を君が知らざるから
いなんともし給ふとの意と也
右何れも予未だ得心せず。後案を願ふのみ
1917 春雨爾衣甚將通哉七日四零者七夜不來哉
はるさめに、ころもはいたく、とほらんや、なぬかしふらば、なゝよこじとや
春の雨はさのみ強からぬものなるに、いたくぬれ通らんや、かごとにてこそあらめ。七日降らば七夜來るまじきとの事にやと、春雨をかごとにして、行かんと契りし約を變ぜし人を、恨みて遣したる歌と聞ゆる也。七日七夜と詠めるは、日を經る事の長き事を云はんとての詞にて、數を限りて意味ある事には無し
1918 梅花令散春雨多零客爾也君之廬入西留良武
うめのはな、ちらすはるさめ、いたくふる、たびにやきみが、やどりせるらん
多 これをさはに降と讀ませたれど、雨のさはに降ると云事心得難し。物に應ずる言葉と不v應言葉と有。雨雪霜抔に、さはに降る、多く降る抔云義は無きこと也。深くとか、いたくとか、ならでは云はれぬ事也
此歌は旅行の人など春雨の物靜けき折節、思ひやりて詠めると聞えたり
寄草
1919 國栖等之春菜將採司馬乃野之敷君麻思比日
くすびとの、わかなつむらん、しばのゝの、しば/\きみを、おもふこのごろ
國栖等之 これをくにすらと讀ませたるは、あまりに拙し。或抄には、くす共がと讀ませたれど、これも聞にくき詞也。歌は雅言又耳立たぬを專とする也。然れば等の字ひとしく共、直に人と云意にも讀める事多し。よりてひとゝは可v讀也。尤くす人は蝦夷の内にて卑しきものなれば、卑しめてくす共 が共云べけれど、歌には兎角聞えのよき言葉をよむを歌とすれば、(42)と讀むべき事也
國栖 神武紀云、更少進〔亦有v尾而披2磐石1而出者。天皇問之曰、汝何人、對曰、臣是磐排別之子、此則吉野國※[木+巣]部始祖也〕應神紀云、十九年冬十月戊戌朔、幸2吉野宮1、〔國※[木+巣]人來朝之。因以2醴酒1獻2于天皇1而歌之曰【云々中略】歌之既訖、則封v口以仰咲。今國※[木+巣]獻2土毛1之日、歌訖即撃v口仰咲者、葢上古之遺則也。夫國※[木+巣]者、其爲v人甚淳朴也。毎取2山菓1食、亦※[者/火]2蝦蟇1爲2上味1、名曰2毛瀰1。其土自v京東南之隔v山而居2于吉野河上1、峯嶮谷深、道路狹※[山+獻]。政雖v不v遠2於京1、本希2朝來1。然自v此之後、屡參赴以獻2主毛1。其土毛者栗菌及年魚之類焉〕延喜式第二十二民部式云、凡吉野〔國栖、永勿2課役1云々〕
司馬野 八雲御抄にはしめ野とあれど、此歌は下のしば/\と讀むべき爲計り也。上を詠出でたる歌の第一の詞の縁なれば、漢音に讀べきこと決定なり。しまとは讀べきか。呉音にても、しまと讀みては、下の數々も、しま/\と讀べし。兎角此歌は數と云詞にうける迄の序歌也。ケ樣の歌、集中の歌を見る手本也。上の句に少も意あるにあらず。只數君をと云事に續く爲迄の事に詠出たると云義を、よく辨ふべき事也。しば/\は、ひたもの/\難v忘戀慕ひ思ふ事の切なる事を云へる也。春菜は皆わか菜と義訓に讀ませたると見ゆる也
1920 春草之繁吾戀大海方往浪之千重積
わかぐさの、しげきわがこひ、おほうみの、へにゆくなみの、ちへにつもれる
春萠出る若草の茂れる如く、いや増しに積る思のやる方無き事を喩へたる也。方往は、邊によるとも讀まんか
1921 不明公乎相見而菅根乃長春日乎孤悲渡鴨
ほのかにも、きみをあひみて、すがの根の、ながきはるひを、こひわたるかも
能聞えたる歌也。孤悲の悲戀の字に誤れる本多し。一本悲の字に書けるを爲2正本1也
寄松
1922 梅花咲而落去者吾妹乎將來香不來香跡吾待乃木曾
(43)うめのはな、さきてちりなば、わぎもこを、こんかこじかと、わがまつのきぞ
梅の花の盛の頃は、花によそへて來もしなまし、散りての後はいか計り來なんや來るまじやと云意に、松をよせたり
寄雲
1923 白檀弓今春山爾去雲之逝哉將別戀敷物乎
しらまゆみ、いまはるやまに、ゆくゝもの、ゆきやわかれん、こひしき物を
しらまゆみ射とも張ともうけたる也。ゆく雲のゆきや、と云はん爲迄の上の句にて、別の意なく、別れん事を惜めるとの歌也
贈※[草冠/縵]
1924 丈夫之伏居嘆而造有四垂柳之※[草冠/縵]爲吾妹
ますらをの、ふし居なげきて、つくりたる、しだれやなぎの、かづらせわぎも
妹を戀慕ひてふし居嘆の意也。深く慕ひ思ふから、かく作りたる※[草冠/縵]なる程に、せめて手にふれて※[草冠/縵]にせよとの歌也
悲別
1925 朝戸出之君之儀乎曲不見而長春日乎戀八九良三
あさとでの、きみがすがたを、よくみずて、ながきはるひを、こひやくらさん
儀 はよそひ共姿共讀むべし。朝とく歸る人の姿を見ずて、長き春日を慕ひや暮さんと也。朝とでは逢後の朝の歸るさ也
問答
1926 春山之馬醉花之不惡公爾波思惠也所因友好
はるやまの、あせみのはなの、あしからぬ、【きみ・あせ】にはしゑや、よりぬともよし
(44)あせみの花は毒木にて、あしきとて前にも手にふれそと詠みし也。よりて惡からぬと云はんとて、あせみの花とは詠みし也。下の意も、あせみの花は忌嫌ふ物にて、より添はぬ物なれど、君はあしからでよき身なれば、寄りあふ共よしや厭はじと也。しゑやは、よしやと云て、打捨てたる詞也。かさて《(マヽ)》下によしと云ひて、假令如何になりぬ共、よし厭はじと云意をこめて也。此外にもあしからぬと續けたる歌有。追而可v記
1927 石上振乃神杉神備而吾八更更戀爾相爾家留
此歌讀解難し。神備而は一本神佐備と有。正本なるべし。印本諸抄には
いそのかみふるのかみすぎかみさびてわれはさら/\こひにあひける
如v此讀ませて、前の歌の返歌なれば、上の句は皆年ふりたる事を云へる義にて、われかく年經る迄も、かゝる戀にはあはざりしが、今かくよりぬ共よしとあるは、まことにもあるまじきに、更に今戀にあひけるかなと云意と釋せり。かく云て此歌さら/\と云詞の意全體の意聞えたり共不v覺也。しかし年經て思ひかけぬ戀にあひけると云意とは見ゆる歌なれど、更々と云句意とくと聞得られず
宗師案は、更更の二字は夜々と讀べし。相の宇まきまくとも讀までは濟難き歌共あれば、これもまけと讀みて、負の字の意にて、われはよる/\戀にまけにけると讀むべしと也。戀にまけるとは、あはで年經たると云義也と也。予未だ心を得ず。後案を待のみ。更更の二字、何とか別訓に讀ませたらんか。宗師の意にても、諸抄の意にても、和へ歌の意打付かざる也。第十一卷にも、石上振神杉神成戀我更爲鴨と書て、假名には、いそのかみふるのかみ杉かみとなる戀をもわれはさらにするかもと讀ませたり。此歌も別に讀解樣あらんか。更と云字は、よとも、ふくる共讀べければ、讀解く處の意によりて別訓あらんか
石上振神 日本紀崇神紀云、先v是天照大神〔祭2於天皇大殿之内1。然畏2其神勢1共住不v安。故以2天照大神1託2豐鍬入姫命1祭2於笠縫邑1、仍立2磯堅城神籬1。【神籬此云2比莽呂岐1】顯宗紀云、石上振之神※[木+温の旁]云々。延喜式神名帳〔大和國山邊郡石上座布留御魂神社。〕布留と云地名によりて、年ふりたる事に詠來りて、此歌も我身の老ふりたると云事の序に詠出たる也。然れ共下の句の意とくと聞得難き也。後案すべし
(45)右一首不有春歌而猶以和故載於茲次歟 右ひとくさは春のうたにあらず。しかれどもなほこたへにもちゆ。かるがゆゑに載於茲歟。句中に春の事無ければ、前の歌の返歌とも不v見共、和へ歌に用たれば、此並に載たるならんと後人の注也。撰者の注にはあらざる事を、猶以和と云にて知るべし
1928 狹野方波實爾雖不成花耳開而所見社戀之名草爾
さぬはりは、みにならずとも、はなにのみ、さきてみえこそ、こひのなぐさに
狹野方 これを印本諸抄物等にも、さのかたと讀みて、藤の別名と云説有。又春花の咲く木也と云説有。藤の別名と云と云事證明不v正説なれば信用し難し。春花の咲く木と云へるは尤なる義なれど、何の木とさゝざれば何共知れ難し。宗師案は、是ははりの木の事なるべし。野はりの木と云ものか。又たゞ野はりと云草などの義と聞ゆる也
方の字は万の字の誤也。万の字は、國史等に萬万ともにまろ、まり、と讀ませたり。此は音借にて、凡てまんの音をまろとも讀む古實を知る人少し。それは和書の古記を不v見故也。古記には、万の音を借りて、人のまろと云名に用たる事、國史古記等にあまた有こと也。然れば木にも草にも、はぎ、はり、と云物あれば、此も野はぎか野はりと云草木の名なるべし。萩もはりも同物也。これは秋の物なれば、此歌の野はりと云は、春咲くはりなる故、ぬはりとか、のはりと云か。但し秋の野萩か。此卷の末に、汐額田乃野邊云々と詠める歌有。此は額田と云地名にて。大和國平群郡に有。沙は初語か。又第十三卷の歌に、師名立都久麻左野方息長之遠智能小菅云々と詠たるは、近江國の地名を詠める歌と聞えたり。此等の詞あるから、此狹野方も、万を誤りてかたと讀なせると見えたり。此歌にて地名と見ては、いかに共濟まず。極めて万の字の誤りたると見ゆる也
歌の意は、まことの事は遂げ難く共、せめて目にだに見えて心を慰めよと云へる也。實にならず共とは、野はりと云ものは、春咲きて實のならぬものか。但し秋の物なれば、春咲きては實なるまじけれど、花にのみ咲きて慰めだにせよと云義歟。然らば萩の内、野萩と云物有べし。其萩秋ならねば、花咲きても實はなるまじけれど、せめて花咲けとよみたると聞ゆる也。秋野の萩と見る方然るべきか。萩の實ならぬといふを、まことの語らひは不v調共、せめて目にだに見えねと云義を、かくよそへて詠め(46)る也
返歌の意にては愈秋の野、萩のことゝ見ゆる也
1929 狹野方波實爾成西乎今更春雨零而花將咲八方
さぬはりは、みになりにしを、いまさらに、はるさめふりて、はなさかんやも
實になりにしとは、秋の野萩は既に花咲て、實なりしと云て、われはも早やそなたに隨ひて、誠の心の變らぬを、又今更に女ぶりて色めかんやと云意也。秋花咲て今春に又咲かんやもとは、今更女ぶりて色めかしくせんやと答へたる意也。春雨降りては、さめは狹女の意、さは助語、女ぶりてと云意を含みて、表は春雨零とよめる也
1930 梓弓引津邊有莫告藻之花咲及二不會君毳
あづさゆみ、ひきつのべなる、なのりその、はなさくまでに、あはぬきみかも
引津邊 第七卷の旋頭歌にも出たり。なのりその名物の所歟。第七卷の歌も此歌の如く、なのりその花を詠めり。此引津邊は攝津の國と云傳へたり。紀州と云説も有。証明追而可v考。第十五卷にも、引津邊は出たり。國所追而可v決。なのりその花は、つぼみて細く咲ものか。又年を經て、ひねゝば花咲かぬものか。此歌の意程へて咲ものと聞ゆる也。追而可v考也
1931 川上之伊都藻之花之何時何時來座吾背子時自異目八方
川上の、いつものはなの、いつも/\、きませわがせこ、ときじかめやも
此歌問答の標題あれば、其意をもて見るべき歟。然らば、引津邊の歌は男の歌、此歌は女の答歌と見ゆる也。始めの歌は名のりそをもて喩へ、これはいつもをもて和へたり。前歌に不v會君と詠かけし故、こなたには時わかず待佗れど、そこに來まさぬとの意、いつにても來りまさば、あはん時をわくべき事にはあらずとの答也。此歌第四卷吹黄刀自が二首の歌の一首にて、二度茲に出たる也
川上 これを川かみと讀める事心得難し。前に釋せる如く、川かみと讀みては、其所に限る意不v得v心。前に讀める如く、川(47)づらとか、川のべとか讀むべき也
伊都藻之花 これはいつもと云藻一種有と聞ゆる歌也。さにはあらず。前にも第四卷ふき刀自が歌に出たり。いつもの花と云事をよめり。此歌同歌也。然るに、此いつもの花とは、何の藻を云事にや。尤も八雲等にも只藻の事と有。然らばいつと云へるは、いかなる事にや。此伊都とよめる意知れず。下のいつも/\とよめらん爲に、いつもとよめると云ひても、何とぞ云べき譯無くては、云出られぬ事也。此義に付ては宗師深き考案ある事也。先いつもと云義は、五十百と云義と心得て、數々の事を云たる義と知る也。伊勢物語にも、つゝゐつの井筒とよめる歌につきても論有事にて、其義は彼物語にて傳ふべし。いつもと云事を、數の多き事と云義は、五つ十百と重ねて云たる義也。又五十をいとも云。つは初語にて五十もゝと云事也。神代紀を始め、五百津と云事、數限りの無き數々の事に云たる義と、古來より傳へ來れども、數多き事を五百に限りて云へる義不v濟六百も七百も有べき事を、五百に限れる義不審ある事也。こゝをもて考へ見れば、五十をいと古語に云來れるから、いとは五十の義、ほとは百のことにて、一數に限らず、五つより十、十より百と云意にて數々の義を云たる詞也。八百萬抔云は夥しき事なれ共、此義はいやほよろづと云義にて、八の字は書たると見えたり。然れば此歌のいつもの花とは、數々の藻の花と云義と見る也。五百をいほと云ほは濁音と見るべし。濁音なれば、も也。もは百の義也。神代紀岩戸の所の、五百津のすゞの八十玉串と云も、數々のすゝ竹に、いや玉を貫たれて天神に奉ると云の義也。此歌の、いつもの花とよめるは、何時々々とよまん爲迄の序詞也。いつも/\は、不斷に時をもわかず來り給へ、相ま見えんと云義也。不會君かもと云かけられたる故、裏を返して答へたる歌也。此歌は第四卷に出たる吹黄刀自の歌を、二度贈答によりてか此處に出せり
1932 春雨之不止零零吾戀人之目尚矣不令相見
はるさめの、やまずふりふる、わがこふる、人の目すらを、あひみせしめず
春雨は毎日々々無2晴間1降りふるから、來るべき人も不v來して、戀慕ふ人の目をもえ見あはさぬと也。春雨にさはりて、戀ふる人に久敷不v逢との歌也
(48)1933 吾妹子爾戀乍居者春雨之彼毛知如不止零乍
わぎもこに、こひつゝをれば、はるさめの、ひともしるごと、やまずふりつゝ
彼毛 そこもと讀めり。誰れもとも讀むべけれど、ひともと詠めるは、春雨の日と云詞の續き也。畢竟妹も知れる如くと云意也。われかれと云彼なれば、義訓にそこも共誰れもとも讀むべき也。春雨の晴れず降るから、雨にさへられて得出行かぬと答へたる也
1934 相不念妹哉本名菅根之長春日乎念晩牟
あひおもはぬ、妹をやもとな、すがのねの、ながきはるひを、おもひくらさん
此もとなは、果敢なき事を云たる意也。本の無き浮不v定る事をもとなと云へば、果敢なき事にも通ふなるべし。諸抄の説の通り、由なきと云事にも、此所は叶へ共、よし無きと云義を、もとなと云へる義不v濟ば、その義とも決し難き也。もとなと云事は兎角根本の無き浮たる事不v定事を云たる義と見るべし。こゝもわれのみ獨果敢なくも、春の長き日を戀暮さんやと嘆たる歌也。菅の根とは長きと云はん序也。これは男のよみて贈れると聞えたり
1935 春去者先鳴鳥乃鶯之事先立之君乎之將待
はるされば、まづなくとりの、うぐひすの、ことさきだちし、せなをしまたん
春になれば、諸鳥の囀聲をもてはやす中に、鶯獨り己が春ぞと、諸鳥に先だちて鳴聲を、人にも被v賞もの故、先づ鳴鳥とはよめり。既に前の歌にも、鶯の春になるらしとさへ詠みて諸鳥の中に、わきてもてはやさるゝ春鳥故、かくも詠めり。春鳥と書きて鶯とも義訓せる也。よりて先鳴鳥とは讀めるならん。その如く、妹に早く言を云通はせし人を待たんと云意也。早く思ひを表せし人を、せなとし待たんと答へたる也。第四卷に、こと出しは、誰がことにあるかと詠める意と、此こと先だちしと云ふ同じ意也
事先立之 神代紀上卷云、〔如何婦人反先v言乎。〕此古語もあるから、かくこと先だちしとは詠めり。相思はぬと讀みたるから(49)にては無く、誰彼とわくべきにはあらねど、先に言通はせし人をこそ相思ふて、せなともして待たんと也。是等はかけ放れたる贈答格也
1936 相不念將有兒故玉緒長春日乎念晩久
あひおもはず、あらんこゆゑに、たまのをの、ながきはるひを、おもひくらさく
前の歌と同意にて男子の詠みかけたる歌也。此答無をは一首脱せるか。前は菅のねの序詞をよみ、此は玉緒の序詞の違ばかり也。歌の意に違ふ事無ければ、同歌同作故定めて擧たるか
夏雜歌 是れも最初の惣標と同じく、夏のくさ/”\の歌共と云惣標也。然れば、前の題のものにて、皆夏の季節ものを詠める也
詠鳥
1937 丈夫丹出立向故郷之神名備山爾明來者柘之左枝爾暮去者小松之若末爾里人之聞戀麻田山彦乃答響萬田霍公鳥都麻戀爲良思左夜中爾鳴
ますらをに、出たちむかふ、ふるさとの、神なび山に、あけくれば、つみのさえだに、ゆふされば、こまつがうれに、さとびとの、きゝこふるまで、やまびこの、こたふるまでに、ほとゝぎす、つまこひすらし、さよなかになく
此ますらをに出立向ふと云事、諸抄の説、ものゝふ勇者の軍に出立向ふ如く、故郷の飛鳥と、神南山と相對してあると云義にて、只立向ふと云はむ爲の序詞と釋し來れり。詳ならぬ義なれ共、未だ考案出でざれば、先古説に隨ふ也。立向ふものは丈夫ならず共、外の事にもあるべき義、且ますらをにと讀めるも不審也。をとあらば、凡てのますらをにかゝるべし。丹とありては、丈夫に外の者の立向ふ事に聞ゆる也。何が立向ふ義歟委しからぬ也
(50)柘之左枝 前にある柘の木の事也
若末爾 うれと讀む。義をもて書けり。松の若芽の末の事也。うれうらとは木の枝の末を云古語也。答響は二字合せて答ふると讀む也
歌の意は、朝夕夜かけて不v絶郭公の鳴くは、妻戀こそすらめ、夜晝をもわかず鳴と云義也。柘の木松のうれ意ある歌にあらず。只當然の節物景色を其儘に詠める也
反歌 後撰に入也
1938 客爾爲而妻戀爲良思霍公鳥神名備山爾左夜深而鳴
たびにして、つまこひすらし、ほとゝぎす、かみなみやまに、さよふけてなく
郭公の旅にて己が故郷の妻を戀ふらし、夜ともわかず鳴くは、獨り音をやうし共思ひて鳴らんとの意なるべし。蜀望帝旅行を好んで途中にて終り、その亡魂故不如歸と鳴鳥となりし故、客にしてとよむとの説有
右古歌集中出 此注者の時代迄は、古歌集と云書もありて、世にもてはやしたりと見えたり。今は世に絶えて一紙一葉も無き事也
1939 霍公鳥汝始音者於吾欲得五月之珠爾交而將貫
ほとゝぎす、ながはつねをば、あれにかな、さつきのたまに、まじへてぬかん
五月之珠爾交而將貫 郭公の聲を賞美して、五月にもてはやす藥玉の事を兼ねて、もてあそびものにせんと也。聲をぬかるべきものならねど、ケ樣に詠める事歌の風雅也。歌は、幼く跡無き樣に、詞を安らかに詠むを專とす。玉に交へて聲をぬかんとはあまり跡無き事の樣なれど、かくはよまれぬもの也。聲を賞愛の意を云はずしてあらはせる也。畢竟珍しきものと賞翫せんの意也
1940 朝霞棚引野邊足檜木乃山霍公鳥何時來將鳴
(51)あさがすみ、たなびくのべに、あしびきの、やまほとゝぎす、いつかきなかん
これは郭公を待歌にて、春の頃よりも待居し意をこめて、朝霞とは詠めるなるべし。尤霞は夏も立なれど、下の心をこめたるならん。野邊と云て、山時鳥とよめるを、手にしたる歌也
1941 旦霞八重山越而喚孤鳥吟八汝來屋戸母不有九二
あさがすみ、やへやまこえて、喚孤鳥、なくやながくる、やどもあらなくに
旦霞八重山 八重山は、幾重もの山越てと云意也。よりて朝霞と序詞を据て詠めり。朝霞は八重と云はん縁也
喚孤鳥 此鳥の歌廿六首は皆霍公鳥の歌也。此歌一首呼子鳥を詠める事不審也。或人云、これも霍公鳥の歌なれば、題も霍公鳥と擧べけれど、此歌一首にて廣く詠鳥とはあげたる歟と也。さもあらんか。然るに此喚孤鳥は、前によぶ子鳥と讀みて、聲なつかしき時は來にけりと有を以て、春の部に入て、後々の集にも皆春の物也。尤常に鳴くと理りたれど、節物にする時は春の鳥也。それを又夏の部に入れたるは、心得難き事也。既に第八卷の春雜歌の第二の歌に、神なひのいはせの森の喚子鳥痛莫鳴吾戀まさると詠みて、春の物なるも、此卷に夏の雜歌に被v入たる事不審也。扨此鳥を今かつぽ鳥と云。俗にかんこ烏とも云ひ、郭公の雌鳥と云ならへり。此鳴聲くわつことも聞え、かつぽ共聞ゆる故、かつぽ鳥と俗に云來れり。若し此呼子鳥の事ならんか。郭公の女と云習たれば、此卷此歌の次に入たるには寄所も有なればとは、心にくき俗説也。或人又喚孤の字霍公に音相近し。よりて音を通じて、ほとゝぎすと讀ませて、此字を書たるか共云へり。しかし此説は心得難し。呼子鳥と云から、汝來るやどもあらなくにと讀みて、誰れ呼迎へる宿も無きに、はる/”\の八重山を越て、なれは鳴來ぞと云へる也
1942 霍公鳥鳴音聞哉宇能花乃開落岳爾田草引※[女+感]嬬
ほとゝぎす、なくこゑきくや、うのはなの、さきちるをかに、たぐさ引いも
霍公鳥は、卯の花によると云來れば、卯の花の咲散る折に、草取る妹はいか計り時鳥を聞くやと羨みても聞え、又田草引とよめるは、卯の花の咲散る頃、岡べに時鳥鳴らん面白き景色を、賤女も聞知るや、心無き賤は知らずやあらんと、心を深く詠める歌(52)共聞ゆる也。唯一通に見ば、何の意も無く聞えたる歌なれど、聞人の情によりては、深くも淺くも聞ゆる歌也。又われは五月ならねば聞かぬを、うの花の咲散る折なれば、田草引女も、此處には聞つるやと詠める共聞ゆる也
1943 月夜吉鳴霍公鳥欲見吾草取有見人毛欲得
つきよゝし、なくほとゝぎす、みまくほし、わがくさとるを、見る人もがな
吾草取有 わがさを取れると讀ませたれど、第十九卷に、草取らんとよみたり。あれ草取れりとか、草とるをとか讀べし。此歌の意は、月も清く折から郭公鳥も鳴夜頃なれば、戀慕ふ人をも見まくほし、若しや訪來んかと、われはかく庭の草をも刈拂ふて待居るを、訪來て見る人もがなと詠める也。月よき夜、鳴く時鳥の音に催されて、思ふ人をも待居る情さも有べき也
1944 藤浪之散卷惜霍公鳥今城岳※[口+立刀]鳴而越奈利
ふぢなみの、ちらまくをしみ、ほとゝぎす、いまきのをかを、なきてこゆなり
ふぢなみは 藤の花を直に詠めり。前にも有。時鳥の藤の花になれ來て鳴かんに散なば疎かるべしとて、散なんことを惜める也。今城岳は大和也。第九卷に注せり。こゝは時鳥の今來ると云に詠みかけたり
1945 旦霧八重山越而霍公鳥宇能花邊柄鳴越來
あさぎりの、やへやまこえて、ほとゝぎす、うのはなべから、なきてこえきぬ
旦霧の八重山越えて 前に朝霞共よめる意に同じ。幾重もの山を越えて也。卯の花になれ來るもの故、越來る山も卯の花の咲たるあたりより鳴來ると也。何の意無き歌也
1946 木高者曾木不殖霍公鳥來鳴令響而戀令益
こだかくは、かつきはうゑじ、ほとゝぎす、きなきならして、こひまさらしむ
曾木 これをかつて木植ゑしと讀ませたれど、かつて木植ゑしとは不v穩詞也。かつ木はと讀べし。此歌はわれに思ひのある(53)から、霍公鳥の鳴音にいとゞ思ひの増すから、今よりは霍公鳥の宿りとなる木は植ゑじと、郭公をわが思ひあるから疎みたる歌也。疎みながらも、霍公鳥の音を哀れに感嘆せるから、如v此よめる意をこめたる歌也
1947 難相君爾逢有夜霍公鳥他時從者今社鳴目
あひがたき、きみにあへるよ、ほとゝぎす、あだしときゆは、いまこそなかめ
よく聞えたる歌也
1948 木晩之暮闇有爾【一云有者】霍公鳥何處乎家登鳴渡良哉
このくれの、ゆふやみなるに、ほとゝぎす、いづこをやどと、なきわたるらん
木晩之 前にも注せり。夏の木立の茂りて陰囁くなりたる義をば、木陰暗き夕暗なるにと云義也。家はやと讀べし。哉は武の誤りなるべし
一云有者 或説には夕暗なればとあると也
1949 霍公鳥今朝之旦明爾鳴都流波君將聞可朝宿疑將寐
ほとゝぎす、けさのあさけに、なきつるは、きみきくらんか、あさいかしぬる
疑 は、うたがふと云字故義をもて歟と讀む也
將寐 將は、しとも、すとも、めとも所によりて讀む字也。寐は借訓也。いぬると讀字故、ぬると云詞に借り用て讀べし。此朝に誰が方よりの歸さにや、鳴く霍公鳥の哀れも一方ならぬ音を、戀慕ふ人のいかにや聞給へるや、朝いをやして、かく哀れむべき聲をも聞かでや過し給はんと思ひやれる也。朝いかぬらんと讀ませたれど、さは詠める句例無し。又詞の義も六ケ敷也。朝いかしぬると讀めば、何の義も無く義安也
萬葉童蒙抄 卷第廿五終
(54)萬葉童蒙抄 卷第二十六
1950 霍公鳥花橘之枝爾居而鳴響者花波散乍
ほとゝぎす、はなたちばなの、えだにゐて、なきならすれば、花はちりつゝ
響者 これは集中あまたある義也。宗師案は、鳴なれたると云意をこめ、又詞の續きも、なきならと續く處よければ、凡てならすと讀むべしと也。然れ共どよめばと云ふ假名書あれば、どよむれば共讀べけれど、先づ此歌などは、橘になれそひなく意と見るべき歌なれば、斯く讀む也。花になれむつれて鳴くから、花も散るとよめる歌也
1951 慨哉四去霍公鳥今社者音之干蟹來喧響目
此歌は、上二句のよみ樣未v決。諸抄にも兩義に釋せり。何れか是ならん。宗師説の讀樣は
よしゑよしゆくほとゝぎすいまこそは聲のかるかにきなきならさめ
斯く讀む意は、己がさ月と今こそは聲のかるゝ計りにも、きなきならすらめ。なれば何處へ行ともよしやいとはじと、外へ行くをも今は厭はじとの意と也。拾穂抄には、よし/\今こそ聲のかるゝ迄に鳴かめ、いつ鳴べきにやと云意と注せり。予未だ得心せず。一説、慨哉四去、これは第八卷にも有詞にて、うれたきやしこ郭公と云ひて、郭公を戒め罵りたる詞と見て、歌の意は、聲のかるゝ程にも鳴き盡さで、よくもあらぬしこ時鳥と云ふ意と也
愚案、よしゑやしと讀むならば、よしゑやしいぬ郭公今社者聲の干蟹きなきどよめばと如v此讀む意は、今こそはよしやいぬる共、よしや聲もかるゝにてもあらん、いか計り來鳴きどよめたれば、今は聲もかれたらんに、いぬる共よしやとよめるか。聲のかるかには、聲のかるゝ計りに來鳴きどよめたればと云ふ意と、聲もかれぬるかと云ふ意を兼ねてよめるならんかし
此説は、慨哉の字、日本紀の字、四去霍公鳥と云事も、前に句例あれば、かく讀まれまじきにもあらず。殊に、慨哉四の三字、よしゑやしと讀む義も、少し心得難し。又ゆく郭公は、あてども無くゆくと詠める意も心得難ければ、うれたきやしこ、とよめる(55)義可v然らんか。然れ共歌の注は心得難し。とくと聞えたる共不v覺。愚案は、うれたきやとよめるは、待てどつれなき餘りうれたきやと卑しめ罵しりて、今こそは聲のかるゝ計りにも來鳴どよますらめものをと、時鳥を待ちて叱りたる歌と見る也。右の聞き樣何れか是ならん。宗師の説に違ふ事いかゞなれど、予得心無ければ愚案を云ふ也。第八卷の長歌、いかと/\中畧わがもるものを宇禮多伎や志許霍公鳥〔以下畧〕
1952 今夜乃於保束無荷霍公鳥喧奈流聲之音乃遙左
このよはの、おぼつかなきに、ほとゝぎす、なくなる聲の、おとのはるけさ
夜なれば、何處に鳴や覺束なきに、夜は覺束なくても、聲は明らかにはるけきと云意也。亮さと書と同じ意也。暗と明と掛合せたる意也。はるけさは、遠の意にては無く、清明の意と見る也
1953 五月山宇能花月夜霍公鳥雖聞不飽又鳴鴨
さつきやま、うのはなづきよ、ほとゝぎす、きけどもあかず、またなかんかも
五月山 諸抄には、地名とはせず、やよひ山共よめる歌あれば、只五月の頃の山とよめる義と云へり。完師案は、卯花月夜とよめるは卯月の事にて、此歌五月山の地名、卯の花月夜とよめる取合せ上手の作と也。五月は時鳥の、己が五月とさへ詠みて鳴きふるす月也。卯月は珍しき也。五月山にて卯月に聞く處、珍しく飽かすと詠める處面白きと見る也。又鳴かんかもは、尚鳴けと願ふ意也。此歌新古今に入たり
1954 霍公鳥來居裳鳴香吾屋前乃花橘乃地二落六見牟
ほとゝぎす、來居も鳴香、わがやどの、花橘の、地二ちらんみん
此歌二つの聞き樣有。此本の通りにては、時鳥の來り居て鳴から、橘の地に落ちんを見んとの意に見ゆる也。宗師案は、來りて鳴かぬと見る也。奴香の奴を脱したると見る也。然らば花橘もあだに散らんを見むに、來ても鳴かぬとよめる歌と見る(56)也。地の字もつちにと讀むと、あだと他の字の誤と見る兩義也。つちと云ふ假名書き、土の字を書ける歌もあれば、此もつちと讀べきか。尤歌によりては、他の字の誤りとも見るべき事也
1955 霍公鳥厭時無菖蒲※[草冠/縵]將爲日從此鳴渡禮
ほとゝぎす、いとふときなし、あやめぐさ、かづらにせん日、こゝになきわたれ
時鳥はいつをとわかず珍しけれど、わきて五月五日の菖蒲の※[草冠/縵]かけし日、相共に鳴渡りたらんは、いか計り面白く珍らしからんと也。いとふ時なしとは、いつにても厭ふ時日は無けれ共と云意也
1956 山跡庭啼而香將來霍公鳥汝鳴毎無人所念
やまとには、なきてかくらん、ほとゝぎす、ながなくごとに、なきひとおもほゆ
山跡庭 此五文字心得難し。前にも、やまとには鳴きてかくらん喚子鳥きさの中山なき《本マヽ》てこゆ也と云ふ歌有。此意とは、歌の意異なり。是は他國に居て、故郷の大和を慕ひて詠める歌として見れば、何の義も無く聞ゆれど、只いづ方にて詠める共無くては聞え難き歌也。諸抄の説は、なき人を思ひ出て詠めるにや。しでの山より來ると云から、山とゝは、山外に鳴きてやくらんとの説なれど其意不v詳。愚案は、庭と云ふ字、從と云字の誤りたるか。然らば四手の田長とも詠み、蜀公の亡魂とも云來れ共、迷途の鳥など俗諺もあれば、上古も云ふらしたる事にて山跡は、よもと也。當集に同音通を用ふる事、歌毎にあれば、よもとより嶋きてか來つると云歌歟。さなくては下の句の意いかに共不v濟也
1957 宇能花乃散卷惜霍公鳥野出山入來鳴令動
うの花の、ちらまくをしみ、ほとゝぎす、野にも山にも、きなきならせる
野出山入 義をもて書きたると見れば、野にも山にもと讀む也。尤、野にで、山にり、きなき共讀べけれど、意同じければ、義をもて野にも山にもとは讀む也
(57)1958 橘之林乎殖霍公鳥常爾冬及住度金
たちばなの、はやしをうゑて、ほとゝぎす、つねにふゆまで、すみわたるかに
住渡れかなと乞たる意也。橘は常磐木なれば、時鳥も四季共に住渡れかしと愛するあまりに、願ひたる歌也
1959 雨※[日+齊]之雲爾副而霍公鳥指春日而從此鳴度
あめはれし、くもにたぐひて、ほとゝぎす、はるひをさして、こゝゆなきわたる
※[日+齊] 此字、はるゝと讀む義未v孝。霽の字の誤り歟。通じても書歟。歌の意は聞えたる通也。こゝよりと指す處は、作者の居所より、はるひと云所へ向つて鳴き行と也。春日は、かすがにても有るべきか。然れ共雨晴れてと詠出たるから、同じ地名にても晴るゝ日に鳴渡ると云意をこめて、はるひをさしてとは詠む也。古詠ともに、はるひとかすがと相まじりてわき難き歌多し。然れ共歌の意を疎かに見來れるより、押なべてかすがとのみ讀み來れ共、歌の言葉續く言葉の縁につきては、はるひと讀までは不v叶歌共有。尤此歌も悲の意にて、聲高くかすかなると云意にても有らんか。宗師の意は、はるゝ日にと云意也
1960 物念登不宿旦開爾霍公鳥鳴而左度爲便無左右二
ものもふと、いねぬあさけに、ほとゝぎす、なきてさわたる、すべなきまでに
物思ふとて夜をいねざりし朝にと云ふ義也。すべ無き迄とは、愈物思ひの催されて、いかにせん方も無きと、郭公の聲に益々我思ひの増したる意也
1961 吾衣於君令服與登霍公鳥吾乎領袖爾來居管
わがきぬを、きみにきせよと、ほとゝぎす、われをしらせて、そでにきゐつゝ
此歌いかに共心得難き歌也。時鳥の袖に來居る事あるべき事にあらず。諸抄にも釋し難き由注して、口釋など云て遁れたり宗師某は左の如し
(58) かりごろもせこにつけよとほとゝぎすかりをしらせてそでにきゐつゝ
予未2得心1。何とぞ誤字脱字あらんか。せこにつけよと讀みて、かりをしらせてと云義聞え難し。言葉の縁等は無2餘義1聞えたれど、全体の歌の趣意書樣心得難し。宗師の説は、郭公の音を、我思ふ人に告げよとおのが居所を知らせて、既に來居つゝとの義也。此來ゐつゝもと云義も聞え難し。鳴くとか、來鳴くとあらば、知らせてと云意も聞えたれ、只來居つゝと計りは心得難し。君につけよと云ふ義も、下の句と首尾せぬ樣なれば、誤字脱字有べき也。かりと云ふには所と云字を多く書きて、吾と云字を訓借に書ける事も、集中に稀なれば、此も不2打着1。兎角、別訓脱字の後案を待のみ。領袖爾の三字何とか別訓あらんか
1962 本人霍公鳥乎八希將見今哉汝來戀乍居者
本人、ほとゝぎすをば、まれにみん、今哉汝くる、こひつゝをれば
本人 此二字心得難し。當集に此|本《モト》つと云事、時鳥の歌に何首もありて、いかゞしたる事と云ふ釋先達も注せず。只時鳥の聲を、もとより聞きなれたれば、時鳥をさして本つ人と注せり。鳥獣をも人と云事、古詠に多き事なれば、こゝも時鳥を指して云へるとの説有。又もとの人、古人の事と云説もありて、確に定まれる正説不v決也。古事などありて、時鳥を、もとつ人とよめる事にもあらば、時鳥の事に見る方、義安かるべし。然れ共其譯なければ、本つ人と云義いかに共釋し難し。宗師案は、みやこ人と云義なるべしと也。國の本と云は王都なれば、みやこ人と云義訓と見るべしと也。歌の意、都人は時鳥を稀に見るらめ。山里なれば、戀をれば今やなが來るとの意と也。予未2得心1。歌の意、とくと首尾聞え難し。如v此にては、山里にてよめる歌と理りて見ざれば聞えざらんか。今やなが來ると云ふも少しむづかしからんか愚案は、何とぞ古事ありて、もとつ人とは時鳥の冠辭なるべし。然らば只時鳥をや今偶々も見ん、既に戀ひつゝをりてなれくればと云意ならんか。只作者の、時鳥今や稀に見んと云意ならんか。今哉汝來も、今やなれくると讀みて、馴れ來るの意をこめて詠めるならんか。戀ひつゝをれば今はなれ來て、時鳥を稀にも見んとの歌と聞ゆる也。又本人は昔人と云義か。昔の人も時鳥稀にや見つらん、今やのやは助語の格あれば、只今汝が來れと云ひて、戀つゝをれば、久しく待戀ひし心を云へるか。是(59)にても不2打着1也。本人は時鳥の冠辭と見る方の義は最も安き也
1963 如是許雨之零爾霍公鳥宇之花山爾猶香將鳴
かくばかり、あめのふれるに、ほとゝぎす、うのはなやまに、なほかなくらん
よく聞えたる歌也。雨の降るにも卯の花山には聲かれず嶋くらんと也。此歌玉葉には、人丸の歌にして入れられたり
詠蝉
1964 黙然毛將有時母鳴奈武日晩乃物念時爾鳴管本名
たゞもあらん、ときもなかなん、ひぐらしの、ものおもふときに、なきつゝもとな
物思はずたゞあらん時にも鳴けかし、物思ふ折にさし合て、日ぐらしの鳴音にいとゞはかなく物うきと云意也。此もとなと云事は、こゝにてはよしなくも鳴くと云意に叶ひたれど、よしなくと云事に通ひ難き詞故、いかに共此詞歌によりて六ケ敷也。此歌にては、よしなきと云義に叶ふ也。よしなくも鳴くかなと、怨みたる意に聞ゆる也。凡て此類句追而可v考也。日ぐらしは茅蜩又※[截/虫]の字也。和名抄〔蟲豸部云、※[截/虫]【比久良之】小青蝉也〕
黙然毛 もだもと讀ませたり。意は同じ義なれ共、同じ義なれば直にたゞもと義をもて讀べし。もだと云もたゞ居る事を云義也。尤假名書に、もだもと書たる歌あれば、もだと讀べき事ならんか。宗師は、たゞと讀むべきの義と也
詠榛
此ははりの木と云ふもの也。此實をもて衣を染める也。はり、はぎ同音故萩の事にも詠來れる也。然れ共是は木也
1965 思子之衣將摺爾爾保比與島之榛原秋不立友
おもふこの、きぬにすらんに、匂ひてよ、しまのはりはら、あきたゝずとも
爾保比與 これをにほひてよと讀ませたり。凡て集中に假名書に、手爾乎波の詞を添へて讀ませたる事甚不v考の事也。訓字(60)には添へらるべけれど、一字假名書に添る事はならぬ義也。讀様又誤字の考案なくて、諸抄等にも此誤りあまた也。此てよと讀ませたるも如v此にては讀難し。此は南の字の誤り歟。宗師案は、乞の字なるべし。与の字と見誤りて乞を與に書きたるから、かく誤りたるならんと也。既にてよと假名を付けたれば、乞の字いでと讀みて、集中に願ひ乞ふ事にも用ひたる例數多なればこゝも匂へと願ひ乞ふ義なれば、乞の字を、てよと讀ませたると見ゆると也。榛ははぎと通じて、秋賞翫するもの故、既に秋不v立ともと詠めり。木榛は夏花咲くものなれ共、はぎ、はり同じ言葉故、秋萩になぞらへて、斯く詠めるなるべし。嶋のはぎ原は大知の地名也
詠花
1966 風散花橘※[口+立刀]袖受而爲君御跡思鶴鴨
かぜにちる、はなたちばなを、そでにうけて、きみがみためと、おもひつるかも
聞えたる歌也。爲君御と書たるは、珍らしき書樣なれど、當集いか程も如v此の例あれば、君がみ爲と讀むべき也
1967 香細寸花橘乎玉貫將送妹者三禮而毛有香
かぐはしき、はなたちばなを、たまにぬき、おくらんいもは、みつれてもあるか
かぐはしき 匂はしきと賞めたる詞也。今俗にかうばしきと云ふに同じ
三禮而毛有香 物思にやつれ疲れてあらんやと慰めの爲に贈らんと也。前にも、みつれに/\と詠めるみつれと同じ
1968 霍公鳥來鳴響橘之花散庭乎將見入八孰
ほとゝぎす、きなきならせる、たちばなの、はなちるにはを、みん人やたれ
郭公も馴れきて、鳴きならして橘を散らせる此面白き庭を誰が來て見ん、來て見る人もがなと願ふ意也。心あらん人は來ても見よかしとの意をこめて也。又心ありて來て見はやさむ人は誰なるらんとの意にも見る也
(61)1969 吾屋前之花橘者落爾家里悔時爾相在君鴨
わがやどの、はなたちばなは、ちりにけり、くやしきときに、あへるきみかも
とく來りなば、せめて橘をもゝてなしにせんに、あやしき宿なれば、いぶせき様を見する事の悔しきと也、
1970 見渡向野邊乃石竹之落卷惜毛雨莫零行年
見わたせば、むかふのゝべの、なでしこの、ちらまくをしも、あめなふりこそ
雨はなふり來そといふ義也。聞えたる歌也
1971 雨間開而國見毛將爲乎故郷之花橘者散家牟可聞
あまゝあけて、くに見もせんを、ふるさとの、はなたちばなは、ちりにけんかも
あまゝあけては、雨の間を見て也。雨の霽れなば國廻りをもして、故郷へも廻らましをと也。雨降り續きし五月雨の頃、故郷などを思ひ出て詠めるならん
1972 野邊見者瞿麥之花咲家里吾待秋者近就良思母
のべみれば、なでしこのはな、さきにけり、わがまつあきは、ちかづくらしも
秋は千種の花咲かん野邊なれば、我待つ野邊ともよめるなるべし。よ、く聞えたる歌也。後撰、なでしこの花散かたになりにけり吾待つ秋ぞ近くなるらし。此歌などによりて詠める歟
1973 吾妹子爾相市乃花波落不過今咲有如有與奴香聞
わぎもこに、あふちのはなは、ちりすぎず、いまさけるごと、あり與ぬかも
相市 わぎも子にあふとうけたり。あふちの花と云はんとて、わぎも子にと詠出たり。珍らしきと云ふ意をも含めたるか。(62)和名抄、草木部木類云、楝、玉篇云、〔音練〕本草云、阿布智、其子如2榴類1、白而黐〔可2以浣1v衣者也〕今樗の字をあふちと讀ます、これはぬでと讀む字也。然るを何としてか、ぬでとあふちを取替たる事不審望。扨又今世に云ふ處のあふちは、俗に栴檀の木とも云也。此誤ども未2考定1也。楝の子如2榴類1、とあれば、今云栴檀とも不v合也。落不v過なれば今を盛と云ふ意也。よりて直に今咲ける如くとよめり
有與 ありたへぬかもと讀ませたるか。此通にてあらぬかもあれかしの意也。興の字の誤りにてこせぬか、おこすと讀む故さしすせ同音也。又た輿の字の誤り歟。これにても、こしぬかも、こしぬも、こせぬも同前也。なれ共字の儘にて、たへぬと讀みて義通ずれば、たへぬと讀ませたる義ならんか。此字は樣々に誤りたる事あまた有。歌によりて辨ふべき事也
1974 春日野之藤者散去而何物鴨御狩人之折而將挿頭
かすがのゝ、ふぢはちりゆきて、なにをかも、みかりのひとの、をりてかざさん
何物鴨 なにものをかもと云ふ意にて、義訓になにをかもとは讀ませたり。歌の意は聞えたり
1975 不時玉乎曾連有宇能花乃五月乎待者可久有
ときならぬ、たまをぞぬける、うのはなの、五月を待ば、ひさしかるべき
五月五日には、菖蒲の玉かづら橘を玉に貫くなど云ふ事ある故、卯の花は四月の物にて、既に卯月とさへ云へば、時ならぬとよめり。卯の花の五月とは續かぬ續きなれど、これは上にかづらうの花の玉をぞ貫けると云意也
不時とは、五月ならぬにより玉に貫けるを、卯の花を玉に貫けると也。卯の花をもて囃す意の歌也
問答
春の歌にも有。之は其時の節物に事寄せてよめる問答の歌故、かく擧たるなるべし
1976 宇能花乃咲落岳從霍公鳥鳴而沙渡公者聞津八
うのはなの、さきちるをかゆ、ほとゝぎす、なきてさわたる、公は聞つや
(63)何の意も無く、只卯の花の咲きたる岳邊から鳴渡る折にあひたる郭公の、珍らしき音を、相思ふ人も聞きしや、花鳥の色香に付ても、思ふ人の事心に浮み、先だつ情をよめる也
1977 聞津八跡君之問世流霍公鳥小竹野爾所沾而從此鳴綿類
聞つやと、きみがとはせる、ほとゝぎす、しのゝにぬれて、こゆなきわたる
しのゝとは、なきしほれてと云意也。鳴渡ると云ふから、思ひの涙などにぬれ、又五月雨の頃鳴くものから、雨と云はずしてもよめるならん。和へ歌故、そなたを慕ふ悲みの意をも合みてなるべし。第八卷の雁の問答の歌に相同じき歌贈答の歌也
譬喩歌
1978 橘花落里爾通名者山霍公鳥將令響鴨
たちばなの、はなちるさとに、かよひなば、山時鳥、將令響かも
此歌色々の聞様ありて、諸抄の説も不v決。一説、橘の花ちる里と詠めるは、昔を慕ふ形見もふりゆく宿に喩ふ也。山郭公どよませんと詠めるは、妻戀して夜晝分す鳴き渡るに喩ふるとの義也。一説、花ちる里に通ふをば、戀思ふ人の、時を過さむ事を惜みて、わが行通ふによせ、山時鳥どよませんとは、里もとゞろに云騷がれむかと喩へたりと也。表は郭公の通ふ也。時鳥の鳴どよます如く、われも人の許に通ふから、人の物云ひも有べければ、斯くよめるならんと也。宗帥見樣は、郭公は、人遠く馴れ親み難き鳥なれ共、橘の花散る里に通ひなば、馴れしめんかもと云ふ意にて、われも思ふ人の方へ絶えず通ひなば、終には馴れそまんかもと云ふ意と見る也。愚意何れとも決し難し。後賢可v決也。此歌にては將令響の三字を、ならしめんと讀むは、宗師の案の意には叶ふべけれど、なきならしめんなど續く時は、ならすと云義も苦しかるまじき歟。只ならしめんとは、少し叶ひ難からんか。何れにても、ならす物一つ据ゑてよまざれば、いかゞに聞ゆる也。どよ|ほ《本マヽ》すと云假名書あれば通例は、どよませんと讀むべきか。此差別は歌によりて見樣有べき也。初の一説は如何にとも心得難し。中の説と宗師の案と未だ何れとも愚意に落着せず
(64)夏相聞
寄鳥
1979 春之在者酢輕成野之霍公鳥保等穗跡妹爾不相來爾家里
はるされば、すがるなすのゝ、ほとゝぎす、ほと/\いもに、あはずきにけり
此歌は、旅行任國などに赴く時、思ふ妹にも逢はで來しと云意をよめる歌にて、下のほと/\と云はんとて上を詠かけたる歌也。ほと/\とは、今俗に、ほとんどと云義にて、ほとんどとは、はたとなどゝ云意にて、物のせはしき、まの無き事を云詞也。扨此春之在者、春さればと云ふ事は、しめの約言さ也。さを濁る也。濁る故に、なればと云義也。夕されば秋さればと云ふも、夕になれば、秋になればと云義也。さと云ふ濁音は、皆なと云詞也。此歌の春之在者と書たるも、清濁は訓にかまはず、濁音の義なれば濁音に用、清音の義なれば、清て用る也。之阿の約佐也。よりて春なればと云ふ事を、かく書ける也
酢輕成野 是はすがると云ふ蜂の事を云へり。なす野とは、すがるの如くの野と云義也。然ればすがると云は、腰細とも云ひて、蜂の名にて、その蜂の如くと云ふは、如何したる事ぞなれば、時鳥は鶯の巣をかりて生ずるもの也。當集にも前に既に見えたり。又蜂と云ふものも※[虫+逢]の生めるものにあらず。外の虫を集めて、蜂の巣をかりて遂に蜂となるもの也。よりて巣をかると云ふ義によせて、すがるなすとはよめる也。然れば春になれば、すがるの巣を借りて生ずろ如く、鶯の巣をかりて生る野の時鳥と云義と見る也
右宗師の説也。或説には春の頃※[虫+逢]のなく野と云ふ義と釋して、たゞ野と云はんとて、春の頃野に花の香を慕ひて、すがると云蜂の鳴集まるものなれば、成は羽にて聲を出し鳴らすもの故、なるとは云へると也。鳴く事をもなる共云から、此成は鳴事を云ひたる事と注せり。尤もと見るべし。咲澤姫部之、さき野なると讀める野と同じく、たゞ野と云べきとて、すがるとはよめる也。此説心得難し。野の郭公とよめる事、當集數多あれば、擧ぐるに遑あらず。扨此すがるなすと云義に付ては、古今集の歌に、すがる鳴秋のはぎはら朝たちてとよめる歌の注に、色々の説ありて、鹿の名とするを正説など古來より云ひ來れり。諸抄(65)の説樣々ありて、信用し難き事のみ也
右古今集のすがる鳴も、すがるなす也。鳴と云字をなすと讀む事、古事記に証明ある事を知る人なし。古今集のも此歌と同じくすがるの如くと云事也。すがると云蜂は、夏生じて秋の頃巣を立ちて、ちり/”\に立別るゝもの也。花の香により來るから秋萩の原によみ合せて畢竟はすがるの巣立ちて立別るゝ如く、秋の萩原を立出づる旅行の別れの事をよめる也。なほ其義は彼集にて釋せり。此歌の意も、立別るゝ意をもこめて詠めると聞ゆる也。下の、ほと/\妹にあはず來にけりと喩へたる意は、上のすがると詠出たる處、巣を借ると云ふ義計りのたとへにはあらざるべし。此歌又後案の見樣あるべき歌也
1980 五月山花橘爾霍公鳥隱合時爾逢有公鴨
さつきやま、はなたちばなに、ほとゝぎす、隱合時に、あへるきみかも
此歌隱合の二字如何に共讀難し。印本諸抄物には、かくらふと讀みて、隱れたる時思ふ人に逢ふて、嬉しきと喩へたるなど云ふ説あれど、かくらふと云ひては歌の意聞え難し。五月山はたゞ五月の頃の山と云事と釋したれど、此も地名と見ゆる也。五月山といふ地名あるから、時鳥は五月をせんとするものから詠出たるなるべし。古今集にも、五月山梢を高み云々とよめる也五月の時節にあはせてよめる事也。なれば此歌の意は、五月の花橘の頃折にあひて、時鳥の橘にこもり隱れて鳴時節に、我も思ふ人に逢ひて、嬉しきと云意と見る也。然れ共隱合の二字かくらふと讀める義、詞の釋、濟み難き也。歌の意は右の如くにて大方聞えたれど、詞の意不v濟也
1981 霍公鳥來鳴五月之短夜毛獨宿者明不得毛
ほとゝぎす、きなくさつきの、みじかよも、ひとりしぬれば、あかしかぬつも
此歌は、たゞ短夜も一人ねぬれば、明しかねると云義迄に、郭公の來鳴く夏の夜もとよそへたる也。よもの意此歌にては少しうすき也。色々巧拙はあるべき事也
寄蝉
(66)1982 日倉足者時常雖鳴我戀手弱女我者不定哭
ひぐらしは、ときとなけども、われこひに、たをやめわらは、ときならずなく
日倉足 和名抄、蟲豸部云、爾雅注云、茅蜩、一名※[截/虫]、和名比久良之、小青蝉也。或抄に、寒蝉と同じ樣に書たれど、和名等に別種に擧げて似v蝉而小青赤と有。禮記云、仲夏之月蝉始鳴孟秋之月寒蝉鳴。凡て蝉の種類數々也。※[虫+乍]蝉、馬蜩、※[虫+召]※[虫+燎の旁]等皆同じ物なれ共、鳴く時に少しづゝの遲速又聲に違ひある也。日ぐらしも蝉の内にて晩景に鳴くものか。よりて日ぐらしとも名付けたるなるべし。此歌にも、ときとなけどもとは、時に應じて己が鳴べき時節を定めて鳴く也。已に禮記月令の如く、仲夏の時始て鳴き、孟秋に寒蝉鳴くなどの如し。※[虫+召]※[虫+燎の旁]は八月に鳴く如き、其時節ありて鳴くもの也。よりて時と鳴け共とは詠めり
我戀手弱女我者 此を諸抄等、わがこふると讀みたり。下を、手をやめわれはと讀みたれば、歌の意如何に共解し難し。それ故、事由女へ呼かけて云たる詞など無理なる釋有。此意は、我は蠍に沈みて、手弱女童の如くいつを限りとも無く、時折をも定めず泣くと云義也。我者は借訓にて、われと讀む字、れとらと同音故、手弱女童の如く泣くとよめる義也
不定 これも義訓にて、時ならず泣くと讀む也。歌の意は、注せる如く、日ぐらしは時を知りてその時に應じて鳴け共、我は戀故に時をも定めず、女童の如く何時をも分かず泣くと也
寄草
1983 人言者夏野乃草之繁友妹與吾携宿者
ひとごとは、なつのゝくさの、しげくとも、いもとわれとし、たづさはりねば
人は如何に云ひ騷ぐ共、妹と我と携はりてねなば厭はじと也
1984 廼者之戀乃繁久夏草乃苅掃友生布如
このごろの、こひのしげけく、なつぐさの、かりはらへども、おひしくがごと
(67)此頃の戀のいや増しにまさる事は、夏草の苅り掃へ共/\、後より生ひ繁る如しと也。廼者の二字、此頃とよむ義は〔以下注記ナシ〕
1985 眞田葛延夏野之繁如是戀者信吾命常有目八方
まくずはふ、なつのゝしげみ、かくこひば、さねわがいのち、つねならめやも
眞田葛 此田の字を添へたる義末v考。尤意なき字也。くずかつらは、夏繁る物から、夏野の繁とうけん爲、又はくずかつらの夏野に繁る如く、わが戀のかく繁く思ひわびては、命もあらめやも、命も絶はてんとの義也。信の字さねともまことゝも讀む。まことは俗言、さねは雅語なれば、意は實にと云ふ義なれ共雅語に讀むべき也
1986 吾耳哉如是戀爲良武垣津旗丹頬合妹者如何將有
われのみや、かくこひすらん、かきつばた、にほへるいもは、いかにかあらん
我のみやかく一人戀するか。わが思ふ紅顔の麗しき妹は、何心も無くやあらんと也。にほへる妹とは、紅顔などによそへて、妹を賞美したる義也。類令と書けるは誤り也。然るを令は善也と云字義ある故、令妹二字引合て訓むべきなど云ふ説有。當集に格例無きこと、令は合と云字の誤りと見て、丹頬合の三字にてにほへるとは讀む也。合はへると讀む例格を不v辨故、色々の説ある事也。合の字にても、へると読むべき事也。せしむると讀む字故、類と云ふ言葉に用也
寄花
1987 片搓爾絲※[口+立刀]曾吾搓吾背兒之花橘乎將貫跡母日手
かたよりに、いとをぞわれよる、わがせこが、はなたちばなを、ぬかんとおもひて
かたよりには、女子の片思の義に寄せたり。花橘をぬかんとは、男子を戀ひて、わが夫とせんと思ふに譬へたり。寄v花歌なれば、橘の花を玉にも貫かんとのよそへ也。下の意は、夫にしてより逢はんと思ふとの意也。母日手の母を、おもとも讀む也。(68)第八卷の歌、母山を、おも山と讀ませたるにて知るべし。もひてと云ふも、思ひてと云ふ義なれば何れにても同じ
1988 鶯之往來垣根乃宇能花之厭事有哉君之不來座
うぐひすの、かよふかきねの、うの花の、うきことあれや、きみがきまさぬ
鶯之 夏の歌に、鶯のとよめる不審なれど、鶯は夏までも居るものなれば通ふとも讀むべき也。此歌は卯の花を專によめる故詞のうつりよき故、鶯のとよめるなるべし。別に意あるに有べからず。此歌によりて、前の卯の花くたしの歌も、春も咲く花の樣に釋せる説あれど、此歌と前の歌の意は違ひある事也。此歌は、うと云詞の縁を、始め專らとよめる歌なれば、斯くもあるべき也
有哉 あれやと讀むは、手爾波不v叶樣なれど、此等も雅言を用る也。あると云ふは俗に近し。あれやは穩かなる詞にて、あるらめやと云義也。同じ詞の意なれば、俗を遠ざけたる方可v然也。何とぞさはりいとふ事有りてやと云意也。或抄に、こなたを厭ふてやなど云へる説は執るべからず。第八卷の歌にも、下の句全く同意の歌有。古今集雜下に躬恒歌にも、水の面に生ふる五月の浮き草のうき事あれやねをたえてこぬ、此もあれやとよめるを見るべし。鶯の通ふとは、人は來ぬ、鶯は通へ共と云ふ意と釋せるも不v可v然。只上の句には意無き也。うき事あれやと云はん迄の序也
1989 宇能花乃開登波無二有人爾戀也將渡獨念爾指天
うのはなの、さくとはなしに、有人に、こひやわたらん、獨念爾指天
卯の花の咲くとはなしにとは、わが思ひの開くるを、花の咲くにたとへ、咲かぬを思ひの晴れぬに寄せたる意也。咲くとはなしになれば、思ひの晴るゝ事無しにと云意也
有人 此詞心得難し。或抄には、花の咲くとはなしに、ある人にとは、つれなき人にと云意と云へり。宗師の説現在の人と云ふ意にて、有の字を書きたるなるべし。然れどば現《ウツ》人にと云うて、現とはまのあたりに見はれある人と云意、又先をほめたる意にもなる也。兩義愚意に不v決。
(69)獨念爾指天 此も諸抄印本等には、片思ひにしてと讀ませたり。獨のみ思ひ忍ぶの意なれば、片思ひと云義訓に讀ませたるか。獨り寢にしてとも讀むべければこれも決し難し。然れども一人ねにしてとは、はしなき一人ねの云出で樣なれば、片思ひの方可v然らんか。歌の意は、卯の花の咲く如くに、花も咲き出でず、我思ひの晴れぬをも、つれなく心強き人に我のみ一人戀渡らんやと嘆きたる意也
1990 吾社葉僧毛有目吾屋前之花橘乎見爾波不來鳥屋
われこそは、にくゝもあらめ、わがやどの、はなたちばなを、みにはこじとや
我にこそつれなくとも、花橘をなど恨み給ふ事あらんや。何とて見には來り給はぬぞと恨みたる也
1991 霍公鳥來鳴動崗部有藤浪見者君不來登夜
ほとゝぎす、きなきならせる、をかべなる、ふぢなみ見には、きみはこじとや
前の歌に同じき意也。郭公も鳴き藤も盛りの岡邊に、何とて君は來まさぬぞ。哀れかく面白き折の景色をも見に來給へかしと念じたる意也
1992 隱耳戀者苦瞿麥之花爾開出與朝旦將見
かくしのみ、こふればくるし、なでしこの、はなにさきでよ、あさな/\みむ
かくしのみ は如v此のみと云意を合みて也。しのびのみとも讀べけれど、如v此のみと云意をふまへての意なるべし。花に咲き出よとは、思ひのとゝのひ叶へよと也。先をなでし子によせて、事の調ひなば目かれずも見んと也。朝な/\見んは飽ず馴れそひ見んとの意也
1993 外耳見筒戀牟紅乃末採花乃色不出友
よそにのみ、みつゝやこひん、くれなゐの、すゑつむはなの、色に不出友
(70)よそにのみとは、それ共打あらはさで、先にも知らせず、我のみ心の中に戀ふ事也。紅の末採花は、紅花の事也。べにの花は末より咲き初め、つむも末より摘取から、末つむとよめり。紅色に出ずして、我のみ心の中に戀ひ居らんかとの意にて、末つむ花は色に出でず共と詠まん爲の序也
友 此字不審也。※[氏/一]の字の誤りにやあるべき。友と云ふ手爾波にては、歌の首尾とまり難き樣也。色にも出ずして見つゝや戀ひんとよめる歌と聞ゆる也。友と云字にては、我と我を制したる意に聞ゆる也。只われと制したる歌ならんか
寄露
1994 夏草乃露別衣不着爾我衣手乃干時毛名寸
なつぐさの、つゆわけごろも、きもせぬに、わがころもでは、ひるときもなき
戀に沈みて、袖のみぬれて乾かぬとの意也。露わけ衣ならば、ぬるゝも理りならんを、それを着もせぬに涙にぬれてひる時もなきと也。山わけ衣など共讀めり。一本、不着爾と有。爾の字あるを爲v是
寄日
1995 六月之地副割而照日爾毛吾袖將乾哉於君不相四手
みなづきの、つちさへさけて、てる日にも、わがそでひめや、きみにあはずして
いたく照る日には、土乾きて割れ裂くる也。禮紀月令、仲冬之月冰益壯也、地始拆。寒天炎天共に到て盛なれば地裂くる也。それ程に照る日にも、思ふ人に逢はでは、袖のひる事あらんやと、戀佗ぶる事の甚切なる事を云へる也。於君と書きて、君にと讀ませたるをもて、於の字を上に据ゑて、にと讀ませたる證と知るべし。或抄に、手爾乎波のをに於を用ふる事當集にありと注せるは不v考の義也。皆にと用ひたる也
秋雜歌
(72)七夕
1996 天漢水左閉而照舟竟舟人妹等所見寸哉
此歌、諸抄の説、印本の假名等左の如くにて、其心得難し
あまのかはみづさへにてるふなよそひふねこぐ人にいもと見えきや
牽牛の舟を飾りて渡れば、水さへに照る船わたりとは云ふ也。舟漕ぐ人は彦星にて、七夕つめの今宵彦星に妹なりとて、相まみえきやと云義と也。又一説、其輝く姿かくれなく、舟漕ぐ人にも妹と見えきやとの説也。如v此説々不2一決1也。舟人と書きて、舟漕ぐ人と讀む事も、義訓にて苦しからざるべきや。未v考。下の妹と見えきやの説も、舟人を彦星として、相まみえきやと云説適ふべくや、決し難し。宗師説は
あまのかはみづさへながらてらせるにわたる舟人いもとみえきや
と讀みて、上の舟は丹の字なるべし。而と云字は日本紀などに、ながらと讀ませたれば、此歌にてもながらと讀むべし
所見寸哉 前の説の如く妹と相まみえきやと云意と也。愚意未v決。水さへながらと云義心得難し。此句の意未2甘心1。又照らせるにいもと相まみえきやと云意も聞え難し。妹と見えきやと云事は、相まみえたるやと云義との説愚意不2得心1。妹に逢ひきやと云べきを、みえきやと讀める意聞えず。何とぞ見る見えと讀まで叶はぬ縁語言葉つゞきあらば、さもあるべしや。さも無きなれば、逢ひきやとか、妹を見つるやとか、聞き易く讀たきものなるに、見えきやとよめる意不2打着1也。何とぞ今一義見樣あらんか
竟の字一本に競の字に作れるも有。然れば、わたるとも訓じ難く、よそふとも訓み難し。あらそふとか、きそふと讀までは不v可v成也。なれば此歌まち/\の見樣ありて、如何に共決し難し。宗師の説も此歌の解は未2得心1也。羈案は
天のかはみづさへ【しかもてる舟をこぐ舟人をいもとみえずや・にてる船よそひかぢとる人もいもと見えきや】
此意は 水さへに照る美麗の飾り舟故、人も美女の躰に見ゆると也。是は織女の乘れる船と見る意也。彦星のつま迎船など(72)よめば、彦星より迎へとる船と見る也。水さへ照ると詠出たるからは、此照ると云義の詮立べき歌と見る也。宗師の説にたがひ、先達の意にたがふ拙見其罪幾難v逃けれど、愚意に不v落ば、愚案を述ぶるのみ。然し竟の字よそふと讀み、こぐと讀む字義未v考。古く讀ませたるに從ひて也。見えきやのやも助語とも見る也。此格當集其外古詠に何程もある事也
1997 久方之天漢原丹奴延鳥之裏歎座津乏諸手丹
ひさかたの、あまのかはらに、ぬえどりの、うらなきをりつ、ともしきまでに
久方の天の河原と云はん序也。戀ひわびをる事の久敷と云意をこめて也。ぬえ鳥のうらなきは、わがうら泣きと云意也。うらなくと云ふ序に、ぬえ鳥のとはよめり。此序詞は前にも毎度ありし也。うらなきとは、うらは發語にも云ひ、又忍びしほれて泣くと云ふ意にもよめる也。乏はともほしきと云意、此歌にては寂しき意也。左右の手と書きても、までと訓む、二手と書きても讀む義をもて、諸手と書きてまでと也。清濁は其義に從ひて讀む也
1998 吾戀嬬者知遠徃船乃過而應來哉事毛告火
わがこひを、つまはしれるを、ゆくふねの、すぎてくべきや、こともつげ火
此火の字いかに讀まんか。印本等には、つげらひと讀ませたれど、語例無く珍しき言葉也。此歌諸抄の説まち/\也。彦星の歌にて、わが戀わびる心は、織女の知れる事なれば、こざ行船は過ぐるの序詞にて、一度逢事過ぎて、年の内に又逢ふべきや、言の葉をもつげよとの義也
又一説は、我戀心を知りながら、時過ぎて來べき事かは、わが戀ふ事も既に告げたるにと云ふの意と也。後の説は殊に聞え難し。宗師説は、わが戀を妹は知れるをかく過ぎ行て、又來るべきや、來るまじ。されば來べき共ことを告げなくと云意にて、火の字は哭の字の誤りなるべしと也
1999 朱羅引色妙子敷見者人妻故吾可戀奴
あかもひく、うつくしき子を、しば見れば、ひとづまからに、われこひぬべし
(73)朱羅引 皆あからひくと讀ませたり。無下に不v考の假名也。女服にあからと云ふ物ありや。うすものと讀む字故、あかもとは讀む也。赤裳也。句例あげて數へ難し。
色妙子 しきたへの子と訓ませたり。是も心得難し。しきたへの子とは何と云義にや。色妙の二字は、女子の通稱、美の字なれば賞讃の別訓あるべし。先づ美しき子と讀め共、日本紀等又遊仙窟など追而可v考。美はしき子とか、まぐはしき子とか讀むべきか。うつくしき子と計りには決すべからず
人妻故に 世の中の人の妻なるべき子なるからと云義第一卷にても注したり。第十二卷にも人妻故にわれ戀にけりと云歌有、皆同じ意也。彦星の七夕女を見てよめる歌と見る也。七夕の歌は其身になり思ひやり色々によめる也。此歌七夕の歌と不v聞共、只戀の意をよみて、七夕の意通る歌もある也
2000 天漢安渡丹船浮而秋立待等妹告與具
與具を誤字と見ず、よくと讀めり。告げよくと云詞あらんや。眞の字の誤りにて、妹にのらまく也。此等は極めたる誤字也。告げまくも、のらまくも同事也。船うけてと上に有から、縁語にのらまくとは讀べきか。安渡は、神代記諸神集會の所、畢竟高天原と云ふて、同所天上の義也。古語拾遺に八湍と書けるを正義と見るべし。いくせもの川にて廣大の河原也。さしすせそ通音の古語にて、やせともやすとも稱し來れり
2001 從蒼天徃來吾等須良汝故天漢道名積而叙來
おほぞらに、かよふわれすら、なれゆゑに、あまのかはぢに、なづみてぞくる
彦星織女何れの歌にしても、大空に通ふと讀むべき也。天上の人にして云へば也。空天を通ふ通力自在の身なれ共、戀路には悩み嫌ふもの故、天の河路に今夜汝に逢はんとてなづみこしと也。彦星織女の二星の内になりてよめる也
2002 八千戈神自御世乏※[女+麗]人知爾來告思者
やちほこの、かみのみよより、ともしづま、ひとしりにけり、告思者
(74)やちほこの神 前にも注せり。卷第六に見えたり。大己貴神を奉v稱也。遠く久しき神世よりと云はんとて也。八千戈の神に意あるにあらず
乏※[女+麗] 珍しきつめ戀わびる妻と云ふ義也。乏しきものは少く珍しき意をもて、ともし妻共云へる也。※[女+麗]、一本に孃とあり。然るべし。又一本儷に作る心得難し。孃は少女の通稱也
告思者 此句心得難き句なれ共、古來よりつぐるとおもへば共、つげてしもへば共訓みて、抄物の意、世々人知りて云つぎ來りて、神代の昔より今に人知りて、七夕に逢ふ習とはなれるとの意と釋せり。今少し聞きおほせ難き意也。告げてし思へばと云ひて、さは聞え難し。告思者の三字何とぞ別訓あらんか。告の字苦の字にて、苦しきこひはと讀まんか。苦しきもひはと讀みて、年に一夜逢瀬の乏しき妻を戀慕ふ事は、神代の昔より人々知りたる苦しき思の戀路と云意にも見ゆる也。童蒙抄に八千戈を八千歳と云へるは心得難し。久しき事を云はんとて、八千歳の神とよめるとは難2心得1説也
2003 吾等戀丹穗面今夕母可天漢原石枕卷
わらこふる、にのほのおもは、こよひもか、あまのかはらに、いはまくらまく
吾等 印本等には、わがこふるとも讀ませたり。同意なれ共、等の字を書たれば、わらと訓みて、ラリル同音なれば、われ戀ふると云義と見るべし。然れば等の字虚字にならぬ也。集中吾等と二字に書きて、われとか、わがとか讀ませたる歌多し
丹穗面 織女をさして賞美して、丹のほのと讀む也。面とは面躰を云には有べからず。妹と云義と同じにて、乳おもなど共云へば、女子をさして云たる義と見る也。今宵もかと詠めるは、年に一度の今宵もか。石枕卷は、まかんの意なるべし。二星を思遣りて、察して詠める歌歟。わらこふると云ふは、廣く云たる意か。さなくては彦星の歌と見る也。然らば面はと讀まんか。
2004 己※[女+麗]乏子等者竟津荒磯卷而寢君待難
此歌も色々見樣ある歌也。尤印本諸抄の通の假名附けにては、歌にても連歌にても無き讀み樣也。宗師案は竟の字一本に競の字也。正本なるべし。よりて左の如く讀み解也
(75) おのがつまともしきこらはあらそつのあらそまきてぬせこをまたなん
おのが妻とは、彦星の織女をさして、打つけにわが妻と云義也。ともしきは賞して也。あらそ津は
荒磯の津に、荒き石を枕として寢ん彦星を、今宵も/\と待つらんと云意也
己※[女+麗] 此をながをとめとも讀みて、織女の通稱に云へるか共見ゆる也。ながをとめは、長少女にて、七夕は天女なれば、神代の昔より今に不v絶夫婦の語らひある女子なるから、通稱に云ひて汝が女と云意によせて、ながをとめとか、なが妻とか讀む義もあらんか。次下の歌にも、天地等別れし時より共有。自※[女+麗]、ながをとめと義訓に讀まるべき也。日本紀によの長人と云古語有。武内大臣を賞し給ふ御言葉也。なれば天地開けし時より今に不v絶七夕つめなれば、斯くよめる意も計り難し。次の歌の意別而長女と讀めば、歌の意も聞ゆる也
愚案、此歌は織女の歌にして見るべきか。然らば君待難を、せこまちがたにと讀みて、背子を待ち兼ねての意に見るべしや。まちがてとは、かねてと云義に毎度よむ詞也。然らば上のおのが妻乏しきとは、夫の乏しきからと云ふ意にて、彦星に逢ふ事の珍しく乏しき我等は、あらそつの荒き磯に出て石を枕として、君を待ち兼ねてぬると詠める意にも見ゆる也。荒磯をまきてぬる脊子を待たんと云意少し心得難し。荒磯をも卷きて、背子を待つと云意は、聞安からんか。然ればおのがつめ乏しき子らとよめる意兩義也。夫にともしき我と云ふ、自身を云ふ意、我妻の乏しき女と云意との違ひ、又下の寢の字の見樣、我夫を待ち兼ねてぬると云意と、荒磯にぬる夫を待たんと云意との差別有。後賢の人可v辨也
2005 天地等別之時從自※[女+麗]然叙手而在金待吾者
此歌も印本諸抄の意にては如何に共通じ難し。先づ、しかぞてにあると云ふ義歌詞にあらず。義も又如何に共通ぜず。宗師案は、手の字は年の字の誤字と見る也。扨此自※[女+麗]も長をとめとか長妻とか讀まんと也。上に天地と詠出たれば、長久の意をよめると聞ゆ。自の字は、ながくと讀めば、ながと借訓に讀まるゝ也。汝とはわれをも自語に云へば、長と己とを兼ねて也。年と云ふは豐年の義也。稻をとしと云故、年なるとは豐年の事を云也。稻の熟し調ひたる秋を待つと云義也。下の意にい寢る(76)事のなる秋を待と云意をこめてか。諸抄の説は天地の別れし時より、我手に入れたる織女なれば、秋毎に逢ふ事を待つとの意と釋せり。然れ共しかぞてにあると云詞歌には無き詞也。宗師の讀樣は左の如し
あめつちとわかれしよゝりながをとめかくぞとしなる秋まつがりは
がりとは自稱の詞也。年あると讀むから、年は稻の義、稻は刈取ると云事あれば、その縁ある言葉にかりとは讀む也
總ての意は、織女にかく障り無く年毎に逢ふ事は、年なると同前の義、彦星の意には悦の意也。よりて年なる秋を待つとの義迄の歌と見る也。七夕の夜織女に逢ひて喜べる歌と見る也。よりてかくぞとよめる也
2006 彦星嘆須※[女+麗]事谷毛告余叙來鶴見者苦彌
此歌も如何に共解し難し。諸抄の説も一定せず。一説は、二星の間の使の詠める意と見ると有。一説は、彦星の自身に來りて織女物をだに云はんとて來つるとの義、向ひの岸よりよそ目に嘆くを見れば苦しきから、天川を渡りて來るとの意と釋せり。如何に共聞え難し。宗師案も不v決也。琴の義をよせてよめる歌か。七夕の夜の歌には有べからず。七夕過ぎては逢ふ事ならねば、見れば苦しみと詠たるならんづれと、告余叙來鶴と云ふ詞如何に共解し難く、尤余の宇爾の字の誤又茶の字の誤などにても讀み解樣不v濟也。後案を待つのみ。押而釋せば一説の、抄物の意の如く二星の使になりてよめる意に見れば
ひこぼしのなげきすいもにことだにものれとぞきつる見ればくるしみ
彦星のなげきすは、彦星のうつくしみ慕ひ思ふ妹にと云義也。歎きすとは愛しうつくしむ妹と云意也。諸抄の意は彦星を歎かし、悲しまする妹が事をと云意は不v合義也。其意から彦星をとよめり。彦星を嘆かすと云詞如何に共あるべきに、愚案の讀み樣にては、愛しうつくしむ妹と云義と、又慕ひ悲しむ意とを兼ねて嘆きすとは讀む也
事谷毛 逢ふ事は七夕夜過ぎぬれば、成難かるべければ、せめて言葉をだにも云ひ交せよと、使に來つる彦星の戀慕ひ歎くを見れば、苦しきにと云意ならんか共見る也
2007 久方天印等水無河隔而置之神世之恨
(77)ひさかたの、あめのしるしと、みなしがは、へだてゝおきし、神よしうらめし
水無河 一本水無瀬河と有。不v可v然か。然し今國土にも水無瀬河と云ふ地名あるは、天上の地名を移したるか、たゞ天上の川故、水無河と書て義訓にあまの川と讀ませたるか。又神代紀、天のやす河にあるいほつ岩村となると云古語によりて皆石の河と云ふ義の略語にて、みなしとは云へるか。此等の義は何れとも外に證據なければ極め難し。所見の證明に從ふ也。歌の意は、天上の定法とて、七夕の昔より天の川を中に距てゝ、年に一度ならでは逢ふ事ならぬ掟の、その初めし神代の昔今更恨めしきとの意也。恨はつらしとも讀まんか
2008 黒玉宵霧隱遠鞆妹傳速告與
ぬばたまの、よぎりこめつゝ、とほくとも、いもが傳、速つげてよ
此歌も諸抄の説不v決。妹傳とは使の事共注し、又使の義共釋せり。宗師案、傳の字にて、かしづきと讀むべしと也。夜霧こめて遠く共、かしつきのもの、妹に早く出ませと告げよとの意に見る也。速は疾と讀みて、早く出立よと、とく告げよと願ふ意と也。愚意未v決。妹がたより、つ手はと云方然るべからん。とくと告げよとは、とく出立よと告げよとの義と云ひては、言葉を入れて、とくと告げよと云ふ義と釋せねば成難し。便りつ手と見れば、妹の方よりの傳ふる事、便を早く滯らせず、こなたに告げよと見る也。尚後案を待つのみ
2009 汝戀妹命者飽足爾袖振所見都及雲隱
ながこふる、いものみことは、あきたりに、そでふるみえつ、くもがくるまで
汝戀は、わが戀ふる也。彦屋の織女へさして、自身に戀ふると云へる也。是にて前の己が妻自※[女+麗]の義もながと讀む例知るべし
飽足爾 あくまでにと讀ませたれど、宗師案、たりにと讀べし。あきたりなしと云義也。なしと云詞を約すればに也。なれば飽足らぬから雲隱るゝ迄見送る意と見るべしと也。諸抄の説も惡しきには不v可v有か。心に飽かぬから飽迄に見るの意也。
(78)2010 夕星毛往來天道及何時鹿仰而將待月人壯
ゆふづつも、かよふあまぢを、いつまでか、あふぎてまたん、つきひとをとこ
夕星 太白星とも長庚とも云ふ。前に注せり。歌の意兩案ありと見ゆる也。諸抄の意は、織女の彦星を月人杜と稱して詠める歌と注せり。宗師案は、夕星も通ふ天路なれ共、道あかゝらん爲に、年に一度の七夕の夜を待ちわびるとの意にて、いつ迄かとは、待つ事の久しきと云へる意と也。愚意未v徹
愚案は 夕づつさへ通ふ天道を、何とて月人杜は年に一度ならでは來らずして、斯く何時までか仰ぎて待たんと、恨みたる歌とも聞ゆる也。又月人男の、織女を何時までか待たんとよみて、星だに通ふ天道なるに、月人の何とて斯く待つやと星と月とを戰はしてよめる共聞ゆる也。又愚案、星だに通ふ天道を、月の何時までかく仰ぎて待たん出てゆかんにと、七夕の夜にならぬ前をよめる意とも聞ゆる也。後二義の案は、人の牽牛織女を思ひやりて、よめる意也。其身になりてと見ても意は通ふらんか
2011 天漢己向立而戀等爾事谷將告※[女+麗]言及者
あまのかは、こむかひたちて、戀等爾、ことだにつげめ、つまとふまでは
歌の意は、天の河原に向ひ立ちて待つ程に、言の葉をなりとも通はさめ。年に一度の逢ふ夜まではと云意と見る也。逢ふまではせめて言葉なり共聞え通はさんと云意也。※[女+麗]言は何れの方へなり共、二星の内行きてとふ迄はと云意也。先づは彦星の歌と見んか。つまとは男女通じて云へば、決しては云ひ難けれど、先※[女+麗]の字に付て織女の方へ來りとふ迄はと見る也
己向 己は發語也、。此字は同形宇あり。いと云字又みとも訓ず字ありて、三字ながら初語也。己已巳如v此紛敷字也。然れ共皆發語に被v用、被v訓る字也。字義は字書にて可v考也。此歌にては發語の詞に用ひたり。射向立而とも書けり。相向立とも書く、是もみむかひ也
戀等爾 此は戀ふるからとか、戀ふるとにとか讀べし。印本には戀ふらくにと讀むは無理也。久の落たりと見ての意か。戀(79)ふるとには、戀ふと云意、爾は助語と見る也。ともがらと讀む故、戀からに共讀べしと也。戀ふるとには、我かく河向立てこふと、妹に告げんとの意から、にと讀む意は、妹を戀慕ふ故に、ことだに告げんとの意と見る也。好む所に從ふべし
2012 水良玉五百都集乎解毛不見吾者于可太奴相日待爾
しらたまの、いほつゝどひを、ときもみず、われはをかたぬ、あはん日までに
水良玉 すいの約し也。よりてしら玉のしに水の字を用ひたり。當集毎度如v此の義有。水長鳥にも用ひたり。此しら玉のいほつとは、いくらもの白玉を聚めつどへて、身の飾りにしたるを云へり。其貫きたる緒をも解見ずと也
于可太奴 かゝたぬと訓ませたれど、緒を結ぶと云義也。緒と云ふ詞無くては解も見ずと云義も不v通也。于の字は、をと訓む事知れたる義則端のを也。かへり字に用るも、をと云時此字を用るにて、をと讀む義知るべし。當集第十八卷にも思良多麻能伊保都都度比乎手爾牟須比云々とよみて、いくらもの玉をよせて貫たると云義也。上古は皆身の飾りに玉をしたり。をかたぬは逢ふ日までは、その飾りの玉の緒を結置と也。かたぬるとは結と云字を讀む也。節會の次第物等に見えたり。諸抄にも引たる義也。或抄にはかゝたぬと讀みて、かゝの初のかは初語と見る説有。又一説、かこたぬと云ふ義とは心得難き説也。待と云ふ字は、たちつてと同音にて、まてとも訓まるべし。印本等の通に、あはん日まつにと讀みてはとまらざる也
宗師云、第十八卷の都度比と云ふ假名書き無ければいほつすまるを共讀べけれど、既に假名書あれば、つどひなるべし。都はすぶると讀み、集あつまると云ふ字、已に日本紀に、みすまると云古語あれば、斯くも讀まるゝ也
2013 天漢水陰草金風靡見者時來之
あまのかは、みづかげぐさの、あきかぜに、なびくを見れば、ときはきぬらし
水陰草 水に陰をうつして生る水邊の草を云との説有。又稻のことを云ふ共云へり。歌の意は、秋風に靡くをとよめる意、穗たりてしなひなびく躰を云へる義とも聞ゆれ共、正説不v決。何として稻を水かげ草と云ふぞ。其譯不v詳ば先づは水草の義と見るべし
(80)時來之 七夕の天の川に出て逢ふ時は來ぬらしと也
2014 吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇
われまちし、あきはぎさきぬ、いまだにも、にほひにゆかな、をちかたびとに
吾等 らりるれろ通音にて、らをれと通じて讀む也。二字引合て、われらと云意にてもあらむか。添て意を助けたる書樣集中あまた有。其格と見れば、わがとも讀べし。等の字に當りて是非用に立て讀むには、わら、われと讀べし
白の字秋と讀むは 五色を五行、五方に配當すれば、西方秋の方にて、金に當る。金は白色西方も白色と立る故、秋とは義をもて讀む也。此歌は七夕の夜の歌にはあらず。七夕の前後の歌也。なれ共七夕の意をよめる也。越方人とは織女をさして云へるなるべし。萩の咲けるにつきて、秋と知りて織女の方へ詠吟し、慰みに行かんとの義也。ゆかなは、ゆかんな也
2015 吾世子爾裏戀居者天河夜船※[手偏+旁]動梶音所聞
わがせこに、うらこひをれば、あまのかは、よふねこぎどよみ、かぢおときこゆ
裏戀 前に注せる、うらぶれ、うれなきなど同じ。うらは無下に戀ふの意也。此歌は織女の詠める歌也
2016 眞氣長戀心自白風妹音所聽紐解往名
まけながく、こふ心から、あき風に、いもがおときこゆ、ひもときゆかな
眞氣長 ま、け、共に初語也。只長く戀ふ心から、秋風も妹が音に聞ゆると也。琴の音になどよせたる意とも聞ゆる也。秋風松風は、琴になぞらゆるなれば、此歌の妹が音とよめるも琴の音に比したるか
2017 戀敷者氣長物乎今谷乏牟可哉可相夜谷
こひしきは、けながきものを、いまだにも、まづしむべしや、あふべきよだに
こひしさは、長く思ひわびしものを、今夜あふ夜だに、待ちしむべしや、今宵は逢べき夜なれば、待ち久しき事はあらましをと(81)云意也
今だにも逢ふべき夜だにもと、重ねて云へるは、待居し事の切なる事を云はん爲也。乏の字は、まづしきと讀む字也。此歌にて待しむと云ふ意にかけてよめると聞ゆる也。ともしきと讀みては義六ケ敷也
戀敷者 戀しければと云義と釋せる心得難し。戀しきは、是迄も長く戀ひわびしものをと云意也。奥にも此意の歌有。戀日者氣長物乎今夜谷令乏應哉可相ものを、同事の意也
2018 天漢去歳渡代遷閉者河瀬於蹈夜深去來
あまのかは、こぞのわたりは、うつろへば、かはせをふむに、よぞふけにける
代 一本に伐に作る本有。然れ共代遷閉の三字にて、うつろへと讀べき也。代は下へ付字なるべし。はは上へ付讀みて、よく聞ゆる也。伐の字にて、わたりはと讀んで遷閉の二字にてもうつろへばと讀めるなれば、何れにても構ひは無き也。こぞのわたりの瀬の變りたらば辿べき事と也。よく聞えたる歌也。此歌人丸集拾遺集には、こぞの渡りのと有。是は何れにても意は同じき也
2019 自古擧而之服不顧天河津爾年序經去來
むかしより、あげてしはたも、かへりみず、あまのかはづに、としぞへにける
七夕つめは神代機を司ると云ひ傳へたれば、昔よりと也
服 はたと讀むべし。直に、はたはとなど讀む字也。きぬころもなど讀みては、はたにあげしと云はねばならず。よりてはたと直に讀む也。服の字を書きたるは、衣を磯にあげ置しと云ふ意を助けて書きたると見ゆる也。歌の意は、年久しくあげ置きし服ものをも織果んともせず、男星を待つとて、天河に年を經たると也
2020 天漢夜船※[手偏+旁]而雖明將相等念夜袖易受將有〔此歌注解無シ〕
2021 遙※[女+莫]等手枕易寢夜鷄音莫動明者雖明
(82)とほづまと、たまくらかへて、いぬる夜は、とりがねなくな、あけはあくとも
遙※[女+莫] 隔て居妻の事をさして、遠妻とは云也。旅行などにてもよむ也。歌の意はよく聞えたり。相隔り居て、たまさかに年に一夜逢ふ夜の鷄は、たとひ夜は明けぬ共音を鳴くなと也
莫動 鳴くなと讀むは義訓也。鳴動とも續く字故、なるも鳴くも同じ意也
2022 相見久※[厭のがんだれなし]雖不足稻目明去來理舟出爲牟※[女+麗]
あひみらく、あきたらねども、いなのめの、あけゆきにけり、ふなでせんいも
相見久 あひ見るはと云義也。るを延たる詞也
稻目 しのゝめと云義、いねさめの時と云事也。いなもいねも同音、稻も、しの、しね同音也。稲をしねと云事常にも知れたる詞也。此しのゝめと云事、色々の説々ありて、夜の明る時細目の如く開る時を云ふて、天照大神の岩戸に籠らせ給ふ時、諸神の祈りによりて、岩戸を細目に開けさせ給へると云ふ時の義と等しく、僅かに蒼天のあかく成りし時を云義なれば、しのすゝき稻の葉などの細き如く、あかるき時と云ふ義と釋せる牽合附會の説共あれど難2信用1義、面白き樣に云なせる事也。宗師説は、いねさめの時と云義と見る也。世の人の寢て既に目覺る時也。此歌に稻目と書けるも其證也。すゝき稻の葉の細きと云はゞ、之より細き物いくらもあるべき也。此説は附會の説也。此歌の意は、あひ見る事はいか計りも飽ざるに早や東雲明行ば、限りある契なれば、悟しき名殘りながら船出して歸らんと織女へ彦星の示したる歌也
2023 左尼始而何太毛不在者白拷帶可乞哉戀毛不過者
さねそめて、いくたもあらねば、しろたへの、おびこふべしや、こひもつきねば
不在者 此はの字、にとか、をとか讀べき手爾波の樣に聞ゆる也。者の字にと讀むべし。なりの約言か、又にの字の誤りかと見る事前に注せり。然れ共此歌、はと讀みても、さねそめて間も無く夜の明けぬれば、戀もつきずして別るれば、かたの帶を乞ふべしとの意と聞ゆる歌也。戀ふべしやは、乞んと云ふのやには有べからず。助語のや、こはんとの意也。彦星の帶を織女の(83)隱し置けるを、乞まど云説あれど、入ほかの意に聞ゆる也
不過者 一本遏に作るを正本とすべし。すぎねばと云ひては歌の意如何に共不v通也
2024 萬世携手居而相見鞆念可過戀爾有莫國
よろづよに、たづさひをりて、まみゆとも、念可過、こひならなくに
携手 義をもて書きたれば、たづさひと計讀みても同事也。隔て離れず、何時まで居る共思ひの盡き飽くべき戀に無きと也
念可過 此過の字も遏の字の誤りならんか。思ひの過ぎると云義六ケ敷也。遏は、晴れ、つきの意にて、詞不v入して聞えたる也
2025 萬世可照月毛雲隱苦物叙將相登雖念
よろづよに、てらせる月も、くもがくる、くるしきものぞ、あはんともへど
可照 てるべきと訓ませたれど、可の字は下知の詞に用ふる字にて、既に、かづらせん、枕せんと云處に可牟と書けり。此歌も、てるべきと云ふては意少六ケ敷、てらせると云へば萬古不易に照る月もと云意也。少の違なれ共、照る月と云ひては、此後照りの止る意にまがふ處あり。照らせるは、暫く曇るの義也。歌の意は、萬古不易に照る月さへ、浮雲に支へられて、雲に隱るゝ事ある理りと同じく、常住不斷にも相まみゆべきものなるに、年に一度ならではあふ事ならぬは苦しきと也。前の歌の意をうけてよめると聞えたり
2026 白雲五百遍隱雖遠夜不去將見妹當者
しらくもの、いほへにかくれ、遠くとも、よかれせず見ん、いもがあたりは
遙かに隔て遠ざかりたると云義に、白雲の五百へと云へり
(84)夜不去將見 よかれせずみんとは、晝夜をもわかず慕ひみんとの意也。不去をかれせずと讀むは義にて讀ませたる也
萬葉童蒙抄 卷第二十六終
(85)萬葉童蒙抄 卷第二十七
2027 爲我登織女之其屋戸爾織白布織弖兼鴨
わがためと、たなばたつめの、そのやどに、おるしらぬのは、おりてけんかも
彦星になりて詠める歌也。只織女我を慕ひ思ふから、なす業の事も如何にぞやと、思ひやれる處に、自ら戀慕の情こもれる歌也
2028 君不相久時織服白栲衣垢附麻弖爾
きみにあはで、久時、おるはたの、しろたへごろも、あかづくまでに
久時 此二字別訓あるべし。前にみづ垣の久時とあるを、ふりにし代よりと讀おきたり。世説は、久しき時ゆと讀ませたれど此義につき不v濟事ある也。依而ふりにしとは讀ませたれば、こゝも、ふりにしよゝりと讀まんか。夜を經たるの意也。然れ共此歌にては此句にてよみ切りたき也。上下に云ひ、よゝをぞ經ぬると讀みたき也。久時の二字義訓に讀むなれば、ふりにし共よゝをぞ經ぬるとも讀みて、苦しかるまじきか。前の訓と上下になる故、此義未v決也。歌によりて意同じければ、かく義訓 しても苦しからざらんか。歌の意は、七夕の逢ふ事久敷月日を隔てゝ、著たる衣も垢づく迄になりしと云義也。印本諸抄の通りに、久しき時にと讀みては、歌の意少し濟み難き也。君に逢はで久しければと云ふ意にあらざれば聞え難き也。然れば久時の二字別訓あるべき事也
織服 おりきたると讀みたれど、義六ケ敷也。たゞ織るはたと云ふには義安かるべし。身のはだへの意をもこめて、白き身も黒む計に程經たると云意をこめて、織るはたのと讀む方然るべからんか。惣體の意は、たゞ逢はでふると云ふ事を詠める意也
2029 天漢梶音聞孫星與織女今夕相霜
あまのかは、かぢおときこゆ、ひこぼしと、たなばたつめと、こよひあふらしも
(86)此歌は七夕の夜を思ひやりて詠める也。別の意なし
孫星 和名抄〔人倫部子孫類云、爾雅云〕子之子爲v孫〔音尊和名無麻古〕一云比古、同云、孫之子爲2曾孫1、和名比々古。今の俗孫の子を比古と云ひて、孫をひことは云はざれど、此歌に孫星と書きて、ひこぼしと讀ませたるをもて、上古は孫の字ひこと訓じたる事をば知るべし
2030 秋去者河霧天川河向居而戀夜多
あきされば、かはぎりたちて、あまのかは、かむかひをりて、こふるよぞおほき
河霧 霧の下に立の字を脱せるなるべし。諸本かはぎり立ちてと讀ませたり。決て立の字脱せるならん。七夕の前後とも戀ひ慕ひて、天川に向ひ立ちて戀ふると也。河霧たちてとは、天河とよむ時節縁語、河霧に意あるにあらず。川に向き居てと讀ませたれど、かむかひと讀むべし。かは發語にして、こむかひ、いむかひ、みむかひなど讀める類也。河の字を書たるは、天川に向ひあるの義を助けて書ける也
2031 吉哉雖不直奴延鳥浦嘆居告子鴨
よしえやし、たゞならずとも、ぬえどりの、うらなきをると、つげんこもかも
此よしえやしとは、打捨たる詞にて、かく戀わびても、よしや逢事はならず共、うらなきをりて戀ひ慕ふとだにも告ぐる人もがなと云意、又たゞにあらず共、せめて此うらなき居、戀ふる事を告ぐる子もがなと云意にも聞ゆる也。兩義共好所に從ふべし。かもは例の歎の詞、ぬえ鳥は別に注せる如く、戀の事、思ひの事によみ合する鳥にて、うらなきと云はん爲の序也
2032 一年邇七夕耳相人之戀毛不遏者夜深往久毛
ひとゝせに、なぬかの夜のみ、あふひとの、こひも不遏者、よはふけゆくも
不遏者 此者の字前にも云へる如く、を、ど、に、とか讀までは、手爾波叶ひ難し。然し此歌も、戀はつきずも夜は更けゆくもと(87)よめる意にて、昔は斯くよめる手爾波もありしか。さ無くては約言のにか、煮の字の誤り歟にて有べし。歌の意は一年にたゞ一夜のみ逢ふ人の戀なれば、中々つきはつる事も無きから、長き秋の夜も早や更けゆきぬと嘆ける意也。此者の字の手爾波は當集に疑はしき歌數多ある也。猶後案不v可v怠也
一云不盡者佐宵曾明爾來 ふけゆくもと云終の句、あけにけると云違ひ迄也。此或説にも者の字を書る也。ばと讀みて通ずる義もあるか。心得難し。後案すべき也
2033 天漢安川原定而神競者磨待無
比歌諸抄の説まち/\にして聞え難し。一説は、心くらべと見る説ありて、互の戀しき心は時も待たなく競べると也。一説は日本紀に、明神の字をあらかゞみと讀ませたれば、鏡くらべと見て、互の心の實をとき比べる事は、何時ともわかずとぐ事を待たぬと云ふ義ならんかと見る説有。印本の假名は
天のかはやすのかはらの定まりてこゝろくらべばとぎもまたなく
とぎは磨の意也。右の通にても聞え難し。宗師案は
あまのかはやすのかはらにちぎりつゝたまの荒磯はみがきてまたな
如v此讀み解也。安川原、神代紀上卷、天安川邊所在五百箇磐石也。天川の同名也。前に注せる如く、古語拾遺は湍川にて、幾湍もある川と云義也
定而 是を諸抄皆さだまりてと讀むから、神代の昔安川原と神の定め給ひし時よりかはらずなど、色々の事を付添へて釋せる故六ケ敷也。天河安川原と重ねて云ひて、天河に年に一度あはんと契り置きて、今夜逢ふ夜なれば、玉の荒磯を祓ひ清めて、みがきて待たなんと云ふ意に見る也。萬葉の文字は、色々風流に書なしたれば、文字に惑ひて六ケ敷義を見ては、歌の意入ほかになりて不v被2聞得1也。只義を安く見るを當流の秘事とす。尤皆かく讀む處の義は證明有。讀來りたる古訓義訓をもて、歌詞に合ふ詞に讀みなす也。義あふても歌詞句例語例無き詞は成難し。定而も契りと云義あり。神の字も、玉とも、たましひ(88)共讀む字也。神競の二字、こゝろくらべと讀める義訓當らざるにはあらず。古訓通例の訓なれ共、歌の義釋する詞を入れて六ケ敷解せざれば聞えざる也。愚案、宗師の説の外に若し他説になずらへて讀まば
あまのかは安のかはらにちぎりおきし心くらべば時もまたなく
此已下七夕の歌に時を待つ待たぬと詠める類歌數多あれば、相思ふ戀しさの心は何時をもわかず、初秋の時をも待たぬ、と云意に詠める歟。宗師の解は、至極の上品の歌と聞ゆれば、疑ふべくもあらぬ歟
此歌一首庚辰年作之 此注何の爲に記せる共心得難し。或抄に、此庚辰は天武の白鳳九年に當る。奥の注に、人麿歌集出とあるからは、此歌人丸の歌にて、人麿は持統の御世に都に上られたれば、石見國にての歌かと見ると釋せり。是も推量の説、庚辰の年何の御世の庚辰に當れるや、此等の注は不分明の左注也。左の歌集出とあるも、漠としたる義、人丸の歌とも決し難き事也。既に第十四卷の東歌、人丸歌集に出とあれば、集中にあればとて其人の作とも不v被v決事明他
右柿本朝臣人麻呂歌集出 此注も不分明の注也。是迄の歌共の注か。又此一首歟。紛敷也
2034 棚機之五百機立而織布之秋去衣孰取見
たなばたの、いほはたゝてゝ、おるぬのゝ、あきさりごろも、たれかとりみん
五百機、數多き機を立て也。秋去衣、畢竟此秋さり衣を云はん迄に、いほはた立ておる布共よみ出たり。秋去衣は秋の衣と云義、秋になりて着る衣と云意と見るべし。袷を云ふとの説あり。後に名付けたるならん
孰取見 彦星ならでは誰か取り見んと云意なるべし。第七卷の歌に、ことし行にひさきもりがあさころもかたのまよひは誰か取見んと詠める意も、我妻に離れて行かば、やれぎぬをも、とき洗ひ著する人もあらじと嘆ける歌なれば、此歌の取見んの意も同じきか
2035 年有而今香將卷烏玉之夜霧隱遠妻手乎
としにありて、いまかまくらん、ぬばたまの、よぎりこもれる、遠づまの手を
(89)年有而 一年のうちにあり/\て、今夜と云意也。夜霧こもれるとは、年一度の逢瀬の外、遠く隔て戀わびし遠妻と云意にて、程隔てしと云はんとて、夜霧こもれるとは詠めるならん。七夕の夜を思遣りて詠める歌也
2036 吾待之秋者來沼妹與吾何事在曾紐不解在牟
わがまちし、あきはきたりぬ、いもとわれ、何事有曾、ひもとかざらん
何事有曾、宗師案は、かごとあるにぞと讀むべし。かごとはかこち恨むる事ありてこそ、紐をも解かざらめ、待えし秋の來りぬれば、いかで紐解かずあらんやとの意と見る也。諸抄の説はたとへ如何樣の事あればぞ紐解かざらん、待えし秋の來れば、などか紐解かではあらじとの意に釋せり。兩義さのみの違もなからんか。あれぞと讀ませたるはありてぞの約也。りての約れ也
2037 年之戀今夜盡而明日從者如常哉吾戀居牟
としのこひ、こよひにつきて、あすよりは、つねのごとくや、わがこひをらん
としの戀とは、去年の秋より此初秋迄一年の戀わびし事、七夕の夜一夜に盡きてと也。又明日からは、今まで戀ひし如く戀をらんと也。よく聞えたる歌也
2038 不合者氣長物乎天漢隔又哉吾戀將居
あはざれば、けながきものを、あまのかは、へだてゝまたや、われこひをらん
不合者 諸抄の説は、あはざれば思ひわびて、長息嘆悲すると云ひて、長き息をつきて思ひわびる物をと云ふ説也。當流は氣は初語と見るから、只あはざるは秋から秋迄にて、只一夜なれば長きと云ふ意に見る也。氣は、け近き、け遠きと云けと同事也。今夜過ぎて又天河を隔てゝ長く戀をらんと歎ける歌也
2039 戀家口氣長物乎可合有夕谷君之不來益有良武
(90)こひしけく、けながきものを、あはるべき、よひだにきみが、きまさゞるらん
戀しき事は長きものを、今宵逢ふべき夜だにかく待わぶるは、君が來らんかと、來るを遲きと、待ち恨める歌也。戀家口の家、良の字の誤りにては有まじきか。然らば、戀ふらくはと讀むべし。こふるは長きものを、早く來まさで今宵だに來ずやあらんかと待ちわぶる心から、七夕の夜だにも氣遣はしがりたる意也
2040 牽牛與織女今夜相天漢門爾波立勿謹
ひこぼしと、たなばたつめと、こよひあはん、あまのかはとに、なみたつなゆめ
何の意もなく能聞えたる歌也。七夕の當然を思遣りて詠める歌也
2041 秋風吹漂蕩白雲者織女之天津領巾毳
あきかぜの、ふきたゞよはす、しらくもは、たなばたつめの、あまつひれかも
たゞよはすは、一所に定まらず、彼方此方とうかれて所を定めぬ事を云也。白雲を織女のひれかと見立たる景色の歌也。第三卷に、白妙のあまひれこもりとよめるも、白雲に隱れしと云意をよめる義、此歌と引合せ知るべし。ひれは女の頭の服地。注に及ばず前に詳也
2042 數裳相不見君矣天漢舟出速爲夜不深間
しば/\も、あひ見ぬ君を、あまのかは、ふなではやせよ、よのふけぬまに
此しば/\は、度々緩やかにも相見ず、たゞ一夜の間のみ相見る君をと云意也。それ故とく船を出して行き逢はんと也
2043 秋風之清夕天漢舟※[手偏+旁]度月人壯子
あきかぜの、きよきゆふべに、あまのかは、ふねこぎわたる、つきひとをとこ
七夕の夜の景色を詠める也。月を彦星にしてよめる歌也
(91)2044 天漢霧立度牽牛之※[楫+戈]音所聞夜深往
あまのかは、きりたちわたり、ひこぼしの、かぢおときこゆ、よのふけゆけば
是も七夕の夜景、天河を仰て心靜けき折、秋風の凉しき音などを聞て、梶音によみなせる也。人靜而水音高しなど、後々の人詩句にも作なせる意也。夜更けゆけば、水聲流響などいづ方ともなく聞ゆるもの也。天上の※[楫+戈]音聞ゆべきにあらねど、如v此よみなせる所歌の情也
2045 君舟今※[手偏+旁]來良之天漢霧立度此川瀬
きみがふね、いまこぎくらし、あまのかは、きりたちわたる、此かはのせに
七夕の夜霧たちたるを見て、此霧立渡るは、君が舟漕ぎ來るから、水氣の立ちて霧立ち渡るならんと察したる也。別の意なき也
2046 秋風爾河浪起暫八十舟津三舟停
あきかぜに、かはなみたちて、しばらくは、やそのふなつに、みふねとゞまれ
此歌は逢ひて別るゝ後朝の歌也。歸る船を惜みて、しばしだにとまれと願たる歌也
2047 天漢川聲清之牽牛之秋※[手偏+旁]船之浪※[足+參]香
あまのかは、かはとさやけし、ひこぼしの、あきこぐふねの、なみのさわぐか
秋漕ぐ船、おも白き詞也。七夕の夜ならでは、漕渡らぬ船故、秋漕ぐ船とはよみて、川音のさやかに聞ゆるは、漕船に波立ちて、騷ぐ故かと也
2048 天漢川門立吾戀之君來奈里紐解待
あまのかは、かはとにたちて、わがこひし、きみきたるなり、ひもときまたん
(92)天の河に立ちて戀わびし君が今夜來るなり。下紐をときて今やと待たんと也
一云天川河向立 何の意もなき義、川門と云ふも川に向ひ立ちてと云ふ義と見る迄の事也。此河向も初語のかと見るべし。川に向き立ちと云詞聞きよくも無き詞也
2049 天漢川門座而年月戀來君今夜會可母
あまのかは、かはとにゐつゝ、とし月を、こひこし君に、こよひあふかも
七夕の夜の歌にて、彦星織女の内何れにてもの歌也。能聞えたり。あふかもとは、悦嘆したるかも也
2050 明日從者吾玉床乎打拂公常不宿孤可母寐
あすからは、わが玉とこを、うちはらひ、きみとはいねず、孤かもねん
君とはいねで共、ねずに共讀むべし。意は同じ事也。七夕過て八月よりは又一人ねをせんと也。かもねんと云へるにて、嘆きたる意こもれり
2051 天原往射跡白檀挽而隱在月人壯子
此歌諸抄の説まち/\にして聞え難し。印本の假名は
あまの原ゆきてやいるとしらまゆみひきてかくせるつき人をとこ
一説七日の月はとく入るを、引てかくせるとよめるか。今宵は何事もなく、たゞあひ見る事のみを思ふ餘りに、弓をだに射させじとする心にやと釋せり。如何に共聞え難き釋也
又一説全くは聞え難し。試に釋せば、彦星の妻に逢ふを、狩人の鹿にあひて射るに喩へたるか。ゆきてや射るとも云句を、いるとや見るべし。ひきてかへせるは、七日は夕月夜也。月の入りて後逢ふと云へば、弓張月の人をひきて隱すとは云なるべし
斯くの如きの釋も聞え難し
宗師説云、ゆきているやと讀むから、此歌聞えず。射の字は借訓の字寢の字の意也。ゆきていぬるとしらまゆみ云々と讀みて(93)彦星のゆきてぬると知りて、月のつれひきて、隱したると云意と也。白檀とよめるから、射の字を寢ると云義に借用ゐて書ける當集の例格也と也。愚意未v落。宗師の説に、今少し句意の譯有べし。愚案は、月人をとこを牽牛として、只何の意味も無く七日の夜の月の入りたるを見て、よめる歌と見て、今宵天の原を行きて織女と寢るとや、上絃の弓張月の引入て、最早隱れたりと云意を詠める歌ならんか。上絃の月故、かくるゝと云はんとての縁に、しらまゆみ引きてとよめるならん。何となく淺く見る方意安からんか。尚後案有べき也。又七日の月の入て隱れたるを、弓を隱して見せぬと云意に詠なせるか。今宵織女の方へ行きて、弓を射て引隱して、月の入たるか共見ゆる也。宗師の説、彦星を月の引連れ往きて隱せると云處、少し聞得難し。五文字に彦屋のゆき寢ぬるとあらば、さも聞えたり。月人壯を彦星に比して見ざれば聞にくき歌也
2052 此夕零來雨者男星之早※[手偏+旁]船之賀伊乃散鴨
このゆふべ、ふりくるあめは、ひこぼしの、はやこぐふねの、かいのちらすかも
散鴨 此句心得難し。印本等には散るかもと讀めるは愈心得難し。しづくと云字の誤と見れば安けれ共、字形似よらぬ字なれば、誤字共決し難し。よりて先づちらすかもと讀みて、此降る雨、は、天上にて彦星の天川よりかいにて散すにやと見る也。かいの散ると云ふ義は如何に共無き事也。此夕とよみ出たる故、早こぐ船と云ひて、未だ夜に不v成に、も早や急ぎて、漕出づる船のと云ふ意をこめて、早や漕ぐと也。新古今には下の句を、と渡る船のかいのしづくかと直して、然も赤人の歌と記されたり。證記ありてか。古今、伊勢物語に、わが上に露ぞおくなるあまの川とわたるふねの櫂のしづくかの歌も、此歌よりよめるか
2053 天漢八十瀬霧合男星之時待船今※[手偏+旁]良之
あまのかは、八十瀬霧合、ひこぼしの、時待船は、いまやこぐらし
霧合 諸抄には、きりあひ共、きりあへる共讀めり。きりあふと云義何と云義にや。不v濟也。宗師説は兎角くもれりと讀む也。然れ共歌によりて、くもると讀みて少し不v合義も有。尚後考あるべし。此歌などは、天漢の曇りたるを見て、今や彦星の船出する故曇れるかと詠める歌に聞ゆる也。時待船、秋七月七日の時を待船と也
(94)2054 風吹而河浪起引船丹度裳來夜不降間爾
かぜふきて、かはなみ起、ひくふねに、わたりきませ、よのふけぬまに
此河浪たちとよめる意少し聞え難し。立ちぬと早く渡り來ませと云意にて詠めるか。只河浪立は、引船に乘りて渡り來ませ、かち渡りは、し給ふなと云意にて、わたりもとよめるか。わたりもと云もの字助語と見るべきや。歌の意はたゞ早く夜の更けぬ間に、天の川を渡り來ませと云意也
2055 天河遠度者無友公之舟出者年爾社候
あまの川、とほきわたりは、なけれども、きみがふなでは、としにこそまて
さのみに河の廣き遠き處は無けれども、七夕の船出は、一年に一度ならではならぬ故、年にこそまてと也。年にこそは、年に一度こそ待てと云意也
2056 天河打橋度妹之家道不止通時不待友
あまのかは、うちはしわたし、いもがいへぢ、やまずかよはん、ときまたずとも
かけはづしの安きうち橋を渡して、七月七日の夜に限らず共、いつにても止まず心の儘に通はんと也。戀慕ふ餘りの意をかく愚かにも詠なして、牽牛になりて詠める歌也
2057 月累吾思妹會夜者今之七夕續巨勢奴鴨
つきかさね、わがおもふいもに、あへるよは、今之七夕、つぎこせぬかも
今之七夕、けふの七夜共、此七日の夜とも讀むべし。意は一年のうち、わび慕ひ來し妹に會ふ夜は、七夜も續きて長かれと願ふたる意也。幾度も續きてあけずもあれの意也
2058 年丹装吾舟※[手偏+旁]天河風者吹友浪立勿忌
(95)としによそふ、あがふねこがん、あまのかは、かぜはふくとも、なみたつなゆめ
年毎に一度飾りよそふ船と也。下句の意はよく聞えたる歌也
2059 天河浪者立友吾舟者率※[手偏+旁]出夜之不深間爾
あまのかは、なみはたつとも、わがふねは、いさこぎいでん、よのふけぬ問に
よく聞えたる歌也。不v及2注釋1
2060 直今夜相有兒等爾事問母未爲而左夜曾明二來
たゞこよひ、あひぬるこらに、ことゝひも、いまだせざるに、さよぞあけにける
只一夜の契りの今夜なれば、物云ひ交す事もつきぬに、夜のあけぬると嘆きたる也。こらとは織女をさして彦星になりての歌也
2061 天河白浪高吾戀公之舟出者今爲下
あまのかは、しらなみたかし、わがこふる、きみがふなでは、いまぞすらしも
白波高くと讀めるは心得難し。高しと讀切りて見るべし。別の意も無く、天の川の波の高きは今ぞ船出をするからに、浪の騷ぐならんと察したる歌也。七日の夜上天の事を思遣りて詠める歌也
2062 機※[足+榻の旁]木持往而天河打橋度公之來爲
はたものゝ、ふみきもてゆきて、あまのかは、うちはしわたせ、きみがこんため
※[足+榻の旁]木 何とぞ機の具の名目あらんか。先づ古く説き來れば、ふみ木とは讀む也。別訓あるべきか。織女になりて詠める歌也
2063 天漢霧立上棚幡乃雲衣能飄袖鴨
あまのかは、きりたちのぼる、たなばたの、くものころもの、かへるそでかも
(96)霧の立上るは、織女の袖の飜へるならんと也。七夕の夜秋霧の立ちたる景色を見て詠める也
2064 古織義之八多乎此暮衣縫而君待吾乎
いにしへに、おりにしはたを、このゆふべ、ころもにぬひて、きみまつわれか
古に 其かみより、織來りし織女の業のはたものをと云意也。彦星に着せんと織おきし機物を、衣に縫ひて待つわれかなと也われをと云假名は心得難し
2065 足玉母手珠毛由良爾織旗乎公之御衣爾縫將堪可聞
あしだまも、てだまもゆらに、おるはたを、きみがみけしに、ぬひたへんかも
足玉母手珠毛由良爾 神代下卷云、〔天孫又問云、其於秀起浪穗之上起2八尋殿1而手玉玲瓏織袵之少女者、是誰之子女耶〕仁徳紀云、爰皇后奏言〔雌鳥皇女寔當2重罪1、然其殺之日不v欲2露皇女身1、乃因勅2雄※[魚+郎]等1莫v取2皇女所v賚之足玉手玉1。雄※[魚+郎]等追v之至2菟田1云々〕當集第十一卷の歌〔新室のふむしづけこが手玉ならすも〕玉のゆらめき動く事を、ゆらにとは云也。ゆらぐ玉の緒ともよめり
御衣 みけしと古語に云來れり。伊勢物語にも、君がみけしと奉りけりと有。衣の古語也
縫將堪 今宵こそ縫ひはたすと云義也。今宵君が衣に縫ふと云意也
2066 擇月日逢義之有者別乃惜有君者明日副裳欲得
此歌心得難き歌也。別の字の下に、路、道の字一字脱せる歟。さなくては別の一字にては、わかれぢとは讀難し。且欲得の得を待に作れる一本有。是をよしとせんか。然らば宗師案は
つき日ゑりてあふにしからもわかるいましをしめるきみはあすしもまたん
七月七日と、年に一度の日をゑりてしも、別るゝから名殘の惜しき君なれば、明日も待たんと也。又の説
月日ゑりてあひにし吾《アレ》は別れなんをためるきみはあすしもまたん
(97)月日を選びて逢ふ事ありし吾は、又別るゝ理りもあるべければ、よしや別れなんと思ひ切りたる意、そこには斯く別れを惜めるなれば明日しも吾をや待らんと也。愚案未v落也。別の字の下に、道、路の字脱せりと見る説あらんか。然れば月日ゑりて逢ふにしなればとは、年に一度七月七日に、偶々逢ふ中なれば、わきて別れの惜しき君なれば、明日もがなと、戀慕ふ意と見るべき也
2067 天漢渡瀬深彌泛船而掉來君之※[楫+戈]之音所聞
あまのかは、わたるせふかみ、ふねうけて、掉來君が、かぢのおときこゆ
渡る瀬の深きから船渡りにて來ると也。掉來を諸抄印本等に皆さしくると讀めり。漕くるにても有べきか。若しくは古本は指の字なるを掉に誤りたるか。歌の意は不v及v注聞えたり
2068 天原振放見者天漢霧立渡公者來良志
あまのはら、ふりさけ見れば、あまのかは、きりたちわたる、きみはきぬらし
天河に霧の立渡るを見て、此霧のまがひにや渡り來ぬらんとの意也。又河を渡り君が來ると云意迄に、霧立渡るとも讀めるか別の意なき歌也
2069 天漢瀬毎幣奉情者君乎幸來座跡
あまのかは、せごとにぬさを、たてまつる、こゝろはきみを、さきくきませと
幸來座跡 さきくいませ共讀ませたり。愚意は、瀬毎に手向けをなすは、渡り來る瀬毎に難なく、さきく來れと祈る心からなるべし。常の幸を祈るに、瀬毎に奉れる義心得難し。天漢を渡來る故に、瀬毎に幸あれとの意と見る也。好む所に從ふ也
2070 久方之天河津爾舟泛而君待夜等者不明毛有寐鹿
ひさかたの、あまのかはづに、ふねうけて、きみまつよらは、あけずもあらぬか
(98)別の意なき歌也。不v明もあれかなの意也
2071 天河足沾渡君之手毛未枕者夜之深去良久
あまのかは、あしぬれわたり、きみがても、いまだまかぬに、よのふけぬらく
未枕者 例の、に、をの手爾汝ならでは不v聞歌也。者也の約言に用ひたると見ゆる也。若しくは煮の火を脱したるかなるべし。よりて先づにとは讀む也。ぬらくは、ぬる也。るを延べたる詞也。足ぬれわたりは俗に近けれど、古詠は實朴の詞によみ來れる共聞ゆる也。手もまかぬと云とかけ合ひてよめる意共聞えたり
2072 渡守船度世乎跡呼音之不至者疑梶之聲不爲
わたしもり、ふねわたせをと、よぶこゑの、いたらざればか、かぢのおとせぬ
是は彦星織女何れの渡り來んとて、渡守をよばふ共知られず、二星の内船出を急げ共、渡守の未だ船よせ來ぬとの義也。渡せをとよめるは古詠の格にて、是等を雅言の助語とは云也。前に、宇治川の作にも此詞有。和名抄云〔日本紀、渡子〕【和名和太之毛利一云和大利毛利】
2073 眞氣長河向立有之袖今夜卷跡念之吉沙
まけながく、かむかひたちし、なれがそで、こよひまかんと、おもへるがよさ
こぞの秋より今日まで天河に向ひ立ちて、戀わびし事の長きと云ふ義を、まけながくと也。眞氣共に初語の詞也。たゞ長くと云迄の事也。思へるがよさは不v可v好詞也。よろしさとよめる歌もあれば、此外の讀み樣も有べからず
有之袖 ありし袖と讀ませたれど、此は、なれが抽なるべし。わが袖と云義也
2074 天漢渡瀬毎思乍來之雲知師逢有久念者
あまのかは、わたるせごとに、しのびつゝ、こしくもしるし、あふらくおもへば
(99)渡る瀬毎に、あひ見ん事々を慕ひ/\來しも理りかな。年に一度ならでは逢ふ事難き今宵なれば、斯くは逢はん事の嬉しさを思へばとの意なるべし。又しのぶは、物を堪忍するの意なれば、瀬毎の苦しみをも堪へ忍びてこしくるも、今宵一夜の契りに、逢はんと思ふからの意共聞ゆる也。相見ん事の嬉しさを思へば、瀬毎に忍びて來りしも、誠に理りかなと云意か
2075 人左倍也見不繼將有牽牛之嬬喚舟之近附往乎 一云見乍有良武
ひとさへや、みつがずあらん、ひこぼしの、つまよぶふねの、ちかづきぬるを
人左倍也 此也の字は、下のあらんやと云詞に續くや也。古詠に此一格有。下に云言葉の切れ字を上にて讀切る事例多き事也。此歌も其格也。人も見不v告あらんや告ぐるにてあらんとの意也
見不繼將有 は諸抄の説まち/\也。一説は、七夕の妻迎船を、人も見付やらん、見付たらばとく告げよとの意と見る由注せり。一説、妻迎船の近づく嬉しさを、人さへ見とゞけずあらんやはの意と注せり
宗師案、後の説に近し。妻迎船の近よるを、人も見て不v告やあらん、告げ知らすらんとの意也。往乎は、ぬるをと讀べし。いぬると讀む字也。ゆくと云ひては、如何に共聞え難し
一云見乍有良武 是は見不繼將有の句の異説、此一説の意にては只何の意も無く、妻迎船を人も見つゝあらんとよめる意にて義安く聞ゆる也。本集の詞にては、釋するに言葉入て六ケ敷也
2076 天漢瀬乎早鴨烏珠之夜者闌爾乍不合牽牛
あまのかは、せをはやみかも、ぬばたまの、よはふけにつゝ、あはぬひこぼし
夜は更けぬれど未だ彦星の來り逢はぬは、河の瀬早くて渡りかねて隙どるならんかとの意也。渡り瀬早ければ渡りなづむものなれば早きかもと也
2077 渡守舟早渡世一年爾二遍往來君爾有勿久爾
わたしもり、ふねとくわたせ、ひとゝせに、ふたゝびかよふ、きみならなくに
(100)よく聞えたる歌也
2078 玉葛不絶物可良佐宿者年之度爾直一夜耳
たまかづら、たえぬものから、さねぬるは、としのわたりに、たゞひとよのみ
年に一夜の契りから、幾萬世も不v絶逢瀬なりと思ひ辿れる歌也。年の渡りとは、年にと云意也。天河を隔てゝ渡りあふ七夕故、其縁に渡りとはよめるならん。年にと云意也
2079 戀日者氣長物乎今夜谷令乏應哉可相物乎
こふるひは、けながきものを、こよひだに、まづしからんや、あふべきものを
戀わぶる事は、此迄いか計り長きものを、今宵逢ふ夜だにかくまづしむべきや。早く逢べきものを、など遲くは來りたるやらんと、來る人を遲きと恨める歌也。乏の字は此歌にても待の意に借訓したる也
2080 織女之今夜相奈婆如常明日乎阻而年者將長
たなばたの、こよひあひなば、つねのごと、あすをへだてゝ、としはながけん
七夕を思遣りて詠める也。七日過ぎては、又來る秋迄戀わびん事の長からんと也。いか計り待ち久しからんと思ひはかりし也
2081 天漢棚橋渡織女之伊渡左牟爾棚橋渡
あまのかは、たなはしわたせ、たなばたの、いわたらさんに、たなはしわたせ
棚橋渡せと下知の詞に讀べし。下も同じく、い渡らさんの、いも、さも助語也。只渡らんにと云義也
2082 天漢河門八十有何爾可君之三船乎吾待將居
あまのかは、かはとやそあり、いづこにか、きみがみふねを、われまちをらん
(101)よく聞えたる歌也。多くの河門なれば、何處にきはめて待ち居らんと也
2083 秋風乃吹西日從天漢瀬爾出立待登告許曾
あきかぜの、ふきにしひより、あまのかは、せにいでたちて、まつとつげこそ
待つとつげおこせと云義にて、此は先へ告げよと云意を如v此よめる也
2084 天漢去年之渡湍有二家里君將來道乃不知久
あまのかは、こぞのわたりせ、あれにけり、きみがきまさん、みちのしらなく
聞えたる歌也
2085 天漢湍瀬爾白浪雖高直渡來沼待者苦三
あまのかは、せゞにしらなみ、たかけれど、たゞわたりきぬ、まつはくるしみ
此歌兩義に聞ゆる也。來沼のぬの字、根の字の誤りならんか。只渡りきぬ迄は、苦しみと云ひては聞き惡き歌也。吾待ち居るは苦しき程に、たとひ波高く共、たゞ一筋にとく渡り來せよとか來ねとか云はでは手爾波叶ひ難し。上の高けれどと云ふも、高く共と讀までは、待てば苦しみと云ふとめにては、渡り來る人の待てば苦しみと云事心得難し。宗師案は、波の靜まるを待てば待ち久しからん故、それを苦しみと云義と見るべしと也。愚案未v落。言葉を不v入、待つは苦しみとか、待てば苦しみと讀みて、渡り來る人を待てば苦しみと見たき歌也。然らば沼の字根の字か。又沼の字に勢の音ある歟。然らば音に讀みて、こせにて上をたかく共と讀みて義安く聞ゆる也。此歌後撰には、せゞの白波として侍つみ苦しみと直して入れられたり。是も逢事を久しく待つに苦みて、波の高きをも厭はず渡り來ぬと云意と見たるならんか
2086 牽牛之嬬喚舟之引綱乃將絶跡君乎吾念勿國
ひこぼしの、つまよぶふねの、ひきづなの、たえんときみを、あがおもはなくに
(102)引網のと云迄は序也。絶えんと云はん迄の序詞也
2087 渡守船出爲將出今夜耳相見而後者不相物可毛
わたしもり、ふなでしつらん、こよひのみ、あひみてのちは、あはぬものかも
此歌諸抄の意不2一決1也。一説は、別を惜みて渡守を恨みしが思ひ返してよし/\船を出せ。今宵のみ限りの契りにはあらじ。來ん秋も亦逢べき中なればと云心と注せり。一説は、裏腹の意、七夕過ぎて又船出して出んと云意に釋せり。此説然るべきか。下の句の、のちはあはぬものかもは、あはぬものかも行てあはんと、思ひの切なる義をよめる歌と聞ゆる也
宗師案、船出爲將出と云二の出の字は、手爾波字にて、只出づらんと云字意に見るべし。渡守は多くの人を渡すものなるに、われは只今宵のみ渡すとの意にて、あはぬものかもは、あはぬものかなの意と見る也
愚案未v落。二度船出せんと云説然るべからんか。今夜耳とよめる處、少し二度の義に不v合か。尚後案すべし
2088 吾隱有※[楫+戈]掉無而渡守舟將借八方須臾者有待
わがかくせる、かぢさほなくて、わたしもり、船かさんやも、しばしはありまて
渡守りの梶棹を隱して、返さじと名殘を惜める意也。梶棹を隱したれば、渡守もいかで船かさんや。しばしは待どまれと、別を惜める事の切なる義を云へる也。古今集に、君わたりなばかぢ隱してよの意もこれらの意をとりてならん
2089 乾坤之初時從天漢射向居而一年丹兩遍不遭妻戀爾物念人天漢安乃川原乃有通出出乃渡丹具穗船乃艫丹裳舳丹裳船装眞梶繁拔旗荒本葉裳具世丹秋風乃吹來夕丹天川白浪凌落沸速湍渉稚草乃妻手枕迹大船乃思憑而※[手偏+旁]來等六其夫乃子我荒珠乃年緒長思來之戀將盡七月七日之夕者吾毛悲烏
あめつちの、はじめのときゆ、あまのかは、いむかひをりて、ひとゝせに、ふたゝびあはぬ、つまごひに、ものおもふひと、あまのかは、やすのかはらの、ありかよひ、でゞのわたりに、そほふねの、(103)ともにもへにも、はぬよそひ、まかぢしゝぬき、はたすゝき、もとはもそよに、あきかぜの、ふきくるよひに、あまのかは、しらなみしのぎ、おきたぎつ、はやせわたりて、わかぐさの、つまたまくらと、おもひたのみて、こぎくらむ、そのつまのこが、あらたまの、としのをながく、おもひこし、こひはつきけむ、はつあきの、なぬかのよひは、われもかなしを
物念人 ものおもふ人、彦星をさして云へる也
有通 前にもある詞、昔より今に不v絶存在してある所と云義也
出出 之を諸抄の説は、七夕の互に出でて待戀ふ所故、ででと云との説也。でゞの渡りと云詞此外に聞覺えざる詞、出見濱と云所もあれば、其等の類と釋せる説もあれど、如何に共心得難し。是は世々の誤字なるべし。世々はよく字形も似たるから、誤りたると見えたり。瀬々の渡りと云ふ義は有べし。でゞの渡りとはいかに共心得難し。古記證例ある迄は誤字と見る也
具穂船 之を印本諸抄抔にも、皆くぼ船と讀みて、易の繋辭などを引て窪船と釋せり。之も今一首くぼ船と集中にもあるか、古詠あらば從ふべけれど、此一首のみにては難2信用1。具は、そなふると云字也。然ればあけのそほ船など云語例あれば、そほ船なるべし。そほ船は帆船と云義也。そは、さと同じ發語也。尤前にあけのそほ船の處に注せり。可v考。即ち下の詞にも具の字を、そと讀ませたり
繁拔 前にも注せる如く、しゝぬきは鈴《スヽ》ぬき共、又しげくかぢをぬく義共聞ゆる也。鈴ぬきと云義此歌にては叶ふべからんか。如何にとなれば、はたすゝきと下に讀ませたる縁語あれば也
旗荒 之をはたあらしと讀みて、初嵐と云義にこま/”\と釋せる説あれ共、歌を不v辨釋なり。下に秋風吹來夕爾とあるに、上に初嵐と讀べき樣なく、はつあらし、もとはもと云詞何と解すべき樣なし、是は上に船装とよみたれば、旗と云事をよみて、はたすゝきとよめる義也。荒の字をすゝきと讀ませたるは、物の荒れ繁りたる所に生ずると云義とも、荒蕪の二字の字義を借りて讀ませたる共見えたり。薄の字をすゝきと讀ます義も同意也。すゝきと云正字不v考。和名抄にも慥成出所を不v書。日本(104)紀には荻の字を被v爲v書たり。正字未v考。當集にも字は無く假名書ばかり也。是れ惣而義訓に讀ませたると見えたり。尚追而可v考。一本の假名にすゝきと讀ませたれば正義とす。すゝきと讀まざれば下の詞如何に共より所なし
本葉裳具世丹 是を古來先達も何と心得てか、もとはもくせにと讀めり。何と云へる義にや。色々六ケ敷釋をなして、語例句例もなき義理を注せり。是は、はたすゝき、もとはもそよに秋風と續きたる詞也。是によりて上を、はたすゝきと讀までは不v叶義と見る也。そよにと云はんとて、はたすゝきもとはと讀み、秋風と云はんとてそよと共續け來れり。そよには、そよぎと云共同じ詞也。はたすゝきの本葉もそよぎ、秋風の吹來る宵とはよみ續けたる也。素本には吹の下に來の字を脱せり。一本に有。正本とすべし
吹來夕丹 ふきくるよひに也
白浪凌、しのぎはしのにと云ふも同じ意なれど、こゝの意は白波を分け凌ぎの意也
落沸 おちたぎつ、河瀬の早くたぎり落つる如きの瀬をも渡りて也
妻手枕跡 わかぐさの妻とは例の冠辭也。妻の手まくと、はや河の瀬を渡り越して、二星會ひて、かたみに手をまき寢んと云意也
其夫乃子我 彦星をさして也
戀將盡 去年の秋より今夜迄戀慕ひ越しぬる戀の、今夜一夜に盡きんと也
七月七日 初秋のなぬかの宵は也
吾毛悲烏 われもかなしを也。二星を思遣りて、此歌を詠める人も七月七日の夜を喜びめで愛するは悲しをと也。憂へ歎くの悲しにはあらず。よそに思遣る我さへめで喜ぶとの意也。烏の字は例の餘音、語の餘り也
薄の字の事、沸の字の事、追而吋v考
反歌
2090 狛錦紐解易之天人乃妻問夕叙吾裳將偲
(105)こまにしき、ひもときかはし、ひこぼしの、つまとふよひぞ、われもしのばん
狛錦 紐と云冠辭也。高麗の錦の紐と云義也。上古より名座ともてはやしたる錦也。から錦とも讀む。からは異國の總名也。只紐と云はんとて、錦の出る所を添へて、錦の紐とは云習はせる也。是等は前に注せる如く皆雅言の習也。和名抄云、本朝式〔有2暈※[糸+閭]錦、高麗錦、軟錦、兩面錦等之名1也〕允恭紀、天皇御製〔さゝらがた錦の紐を解きさけてあまたは寢ずとたゞ一夜のみ〕
天人 義訓に書きたり。次下の歌に、大玉は大白の誤りにて、大白と書けるも同じ義にて、ひこぼしと讀む義をもて書たる也。
われもしのばんは、七夕の夜を思遣りて、此歌の作者の身にも今宵の事を思ひ慕ふと也。吾身の戀路に引うけて思ふ意也
2091 彦星之川瀬渡左小船乃得行而將泊河津石所念
ひこぼしの、かはせをわたる、さをぶねの、とゆきてはてん、かはづしぞおもふ
得行而 とゆきてと讀ませたり、義は同じけれど義訓にわたりて共讀むべきか、とゆきてのとは初語なるを、とくゆきてと云義と釋せる説も有。不v可v然。たゞゆきてはてんと詠めるなるべし。かはづしぞ思ふとは、いか計嬉しからましと思遣らるゝと也
2092 天地跡別之時從久方乃天驗常弖大玉天之河原爾璞月累而妹爾相時侯跡立待爾吾衣手爾秋風之吹反者立坐多士伎乎不知村肝心不欲解衣思亂而何時跡吾待今夜此川行長有得鴨
あめつちと、わかれしときゆ、ひさかたの、あましるしとて、ひこぼしの、あまのかはらに、あらたまの、つきをかさねて、いもにあふ、ときをしまつと、たちまつに、わがころもでに、あきかぜの、ふきまきぬれば、たちてゐて、たづきをしらず、むらきもの、こゝろおもほえず、ときゞぬの、おもひみだれて、いつしかと、わがまつこよひ、このかはの、たゆることなく、ながかれとかも
大玉の二字は大白の誤りにて、大白星を彦星と義訓に書きたるならん
(106)吹反志 ふきまきぬればと讀むべし。袖吹卷の意と吹來ぬればの意を合せて也。第一卷にても、みや人の袖吹まけばと義訓に讀みし例に同じ。諸抄には、ふきかへすればなど讀めるから、手爾波の釋など色々注を入て六ケ敷意也
心不欲 別訓あらんか。まづ心おもほえずとは讀む也。天河原に立て居ていかにせん術も知らず、秋風の吹けば、早く七夕になりて逢はんと、心も浮かれて思はずも心の亂るゝと也。とき衣は、おもひ亂れてと云はん序也
此川行長 此句を此川のゆきながくと讀みて、詞足らぬから一句脱せしかなど云ふ説有。行の字は運行と續きて、物の行めぐりて絶えぬ事を云字なれば、義をもて讀ませたるを、義訓には讀まで色々の説を注せり。此行の字は、絶ゆる事なくと一字にて義をもて讀ませたる字也
長有得鴨 長かれとかも也。長くあれとかもと願ふ義也。年に一度の逢瀬の今宵なれば、天の川の絶ゆる事なく、天地開闢より此方絶えぬ流れの長きが如く、今宵一夜の千夜も續けかしと願ふ意也
反歌
2093 妹爾相時片待跡久方乃天之漢原爾月叙經來
いもにあふ、ときかたまつと、ひさかたの、あまのかはらに、つきぞへにける
片は助語也、七月七日の夜を彦星の待つとて月日を經しと也。よく聞えたる歌也
詠花
2094 竿志鹿之心相念秋芽子之鐘禮零丹落僧惜毛
さをしかの、心相おもふ、あきはぎの、しぐれふれるに、ちらまくをしも
志鹿 男鹿、牡鹿と書きてしかと讀む。又如v此書きても、しかと讀む也心相念 こゝら相思ふの義也。多く慕ひ思ふの義也。諸抄の説は、鹿は萩を妻とするものから、相思ふと云ふと也。然れ共心相思ふと云義聞得られぬ詞也。こゝらと云義なれば安き也。一句にうらぶれ慕ふと義訓に讀まんか。しぐれふれるにちらま(107)くをしも。此僧の字心得難し。諸抄印本等には、ちりそふをしもと讀ませたり。ちりそふと云事は無き詞也。兎角誤字なるべし。ちるらむと讀まんか。僧の字日本紀にはうしと讀ませたり。訓にはあらねど、古く讀ませたる假名あれば、其義をもて見れば、僧の字上古は、しと音を通はせたる事もあるか。さなくば信の字にてちかひしと讀みたるかなるべし
2095 夕去野邊秋芽子末若露枯金待難
ゆふされば、のべのあきはぎ、うらわかみ、つゆにやかれん、あきまちがてに
秋の夕部は露深ければ、又初秋の萩の末葉は若葉なれば、露にぬれ朽ちて枯れて花咲く頃も待ちかねぬるらんかと也
右二首柿本朝臣人麻呂之謌集出 如v此二首とあるに、前に只員數無しに注せるは、其歌の歌一首の注と見ゆる事此等の注にて知るべし
2096 眞葛原名引秋風吹毎阿太乃大野之芽子花散
まくずはら、なびくあきかぜ、ふくごとに、あだのおほぬの、はぎがはなちる
阿太乃大野 大和の地名也。和名抄云〔大和宇智郡阿陀と有〕此歌と古今集の、かたみこそ今はあだなれ〔これなくば忘るゝ時もあらましものを〕定家卿、かたみこそあだの大野の萩の露移らふ色は〔云かひもなし〕此歌の講師のさた、仇の説有。此處に用無ければ不v注。和名抄に濁音と注したれば濁るべし。定家卿の詠も地名を詠入れられたれば、あだの意なるべし。仇の意なれば和名抄を不v考なるべし。此歌の意は不v及v釋。聞えたり
2097 鴈鳴之來喧牟日及見乍將有此芽子原爾雨勿零根
かりがねの、きなかんひまで、みつゝあらん、このはぎはらに、あめなふりそね
よく聞えたり。萩は六月の末頃より咲き初て、八月の末つ方もあれば、月令に、仲秋之月鴻雁來と云意を心得て見るべき也
2098 奥山爾住云男鹿之初夜不去妻問芽子之散久惜裳
(108)おくやまに、すむちふしかの、よひかれず、つまとふはぎの、ちらまくをしも
初夜不去 前にも夜不去をよかれせずと讀たり。ぬる夜おちずなど詠める意と同じく、夜毎にと云意也。萩の縁によひかれずとは讀む也。歌の意はたゞ山に住む鹿の夜々集ひすれば、萩の散り果てん事の惜まるゝと云計りの意也
2099 白露乃置卷惜秋芽子乎折耳折而置哉枯
しらつゆの、おかまくをしみ、あきはぎを、をりにをりつゝ、おきやからさん
露のいたく置きたらば、しほれて遂に枯れん事の惜しければ、とても枯れなん萩が枝なれば、折置きてや枯らさんと愛するあまりの心なるべし
2100 秋田苅借廬之宿爾穗經及咲有秋芽子雖見不飽香聞
あきたかる、かりほのやども、にほふまで、さけるあきはぎ、見れどあかぬかも
よく聞えたれば別の注なし
2101 吾衣摺有者不在高松之野邊行之者芽子之摺類曾
わがきぬを、すれるにはあらず、たかまどの、野べゆきゆけば、はぎのすれるぞ
行之者 ゆきしかばと讀めり。惡しきにはあらねど、下に萩のすれるぞとよめる意なれば、ゆきゆくねんごろに、萩にゆき觸れたる意に讀む方然るべからんか。之の字は而の字に通じて用ゆるなれば、しかと讀む事和書の例格也。戯れ共此歌にては重ね詞に讀む方歌の意に叶ふべき也
2102 此暮秋風吹奴白露爾荒爭芽子之明日將咲見
このゆふべ、あきかぜふきぬ、しらつゆに、あらそふはぎの、あすさかん見む
秋の夕は露深きものなれば、置おもる萩の枝に風吹き渡れば、かつ散り亂れても尚おき添ふる景色をあらそふとは詠めり。あ(109)す咲かん見むとは、少し穩からならぬ末の句ながら、古詠に多く詠習へる詞也
2103 秋風冷成奴馬置而去來於野行奈芽子花見爾
あきかぜの、すゞしくなりぬ、こまなべて、いさのにゆかな、はぎのはなみに
野分たちて秋もやゝ更け、風に散りあせんも惜しき、萩の花移ろはん間に思ふどち駒打並めて見に行かんと也
2104 朝杲朝露負咲雖云暮陰社咲益家禮
あさがほは、あさづゆおひて、さくといへど、ゆふかげにこそ、さきまさりけれ
朝杲 此あさがほと讀諌めるは、今云牽牛子の事には不v聞、心得難き歌也。木槿の事ならんか。木槿はむくげの事也。此木槿も唐の説にては、此歌にも合ひ難し。朝に生じて夕落つとあれば、牽牛子と同じ花也。尤むくげは朝夕共に咲きて一日の榮と云ふて、翌日迄は榮えずそのきりの花世。牽牛子は朝かげにのみ咲きて夕には不v咲也。然れば、木槿の義にもあらんか。今秋の題に朝がほと云ふに、諸集皆槿の字を用來れるも、より所あるか。和名抄には、牽牛子を朝がほと訓じて草の部に擧げたり。蕣、木槿等の和名別に擧げられたり。此義に付ては色々紛敷一決し難き事有。追而詳しく注すべし。先此歌の朝がほは、むくげの義と見るべき也。蕣、木槿、牽牛子の差別は追而可v注也。後撰の歌にも。ひとり侍りける比、人のもとよりいかにぞととぶらひて侍りければ、朝がほの花につけてつかはしける。讀人知らず
夕暮のさびしきものは朝がほの花をたのめる宿にぞ有ける
此等も聞きまがふ處ある歌也
2105 春去者霞隱不所見有師秋芽子咲折而將挿頭
はるされば、かすみにこめて、見えざりし、あきはぎさきぬ、をりてかざさん
霞も霧も打晴て、今更かくれたる處なき歌也
(110)2106 沙額田乃野邊乃秋芽子時有者今盛有折而將挿頭
さぬかたの、のべのあきはぎ、ときなれば、いまさかりなり、をりてかざさん
沙額田 大和の地名也。平群郡に有。只ぬか田とも云。さは自然と初語にも付たる歟。此集中にも額田の王の歌とてあげたる皇子の御名も、此地名をもて名付けられたる也。此地名をもて前の万を誤りて、かたと讀みたるなるべし。それは万にて、はり、此は地名のぬかた也。歌の意は能く聞えたり
2107 事更爾衣者不摺佳人部爲咲野之芽子爾丹穂日而將居
ことさらに、ころもはすらじ、をみなへし、さくのゝはぎに、にほひてをらん
別而衣はするまじ。をみなへし萩の色にうつらんとの意也。女郎花咲く野の萩と云へる義、別に意ある樣に聞ゆれど、たゞ女郎花も咲き、萩も咲く野に詠吟して居らん。然らば色には移るまじ。自づから萩に衣は摺らんとの意と聞ゆる也
2108 秋風者急之吹來芽子花落卷惜三競竟
あきかぜは、急之吹來、はぎのはな、ちらまくをしみ、あらそひかねて
此歌の意は、秋風の、ひま無くか、いたくか、早くか吹き來りぬれば、咲き亂れたる萩の、風にこたへかねて散らなん事の惜しきと云義也
急之吹來 此讀み樣印本諸抄物等には、はやし又はやくし吹きけりと蹟ませたれど、さにてはあるまじ。はやし、はやくしとよめる詞診らし。別訓あるべし。之の字久の誤りなれば、早く吹きゝぬと讀まんか。さ無くばまなくし吹きけりとか、吹きぬとか讀まんか。何れにもあれ、はやし、はやくしと云ふ義にては、之の字如何にとも不v濟也。誤字別訓あるべし
2109 我屋前之芽子之若末長秋風之吹南時爾將開跡思乎
わがやどの、はぎのわかなへ、あきかぜの、ふきなんときに、さかんとおもふを
(111)未長 一本末に作るは誤也。末の字にて是をわかたちと讀む義心得ず。詞に不2聞習1也。未だ不v長と書きしなれば、わかなへにて義よく聞えたり。若たちと云ふ詞の例無き也。
2110 人皆者芽子乎秋云縱吾等者乎花之末乎秋跡者將言
ひとみなは、はぎをあきと云ふ、縱われは、をばながうれを、あきとは云はん
此歌の意は、世の中の人皆秋の賞翫は萩と云へど、よしや我は尾花がうれを秋の賞翫とは云はんとの義也。專ら秋の弄び物と云はんとの義也。縱の字いなと讀む義未v詳。ほしきまゝと讀む字故、ものをわが儘にするは、人に逆ふていなむの義なるから讀ませたるか。よしと讀みては、人は如何に云ふ共よしわれはと云ふ意に聞ゆる也
2111 玉梓公之使乃手折來有此秋芽子者雖見不飽鹿裳
たまづさの、きみがつかひの、たをり來る、このあきはぎは、見れどあかぬかも
人の許より萩を折りて、玉章に添へて送りける返しと聞ゆる也。玉章の使とつゞくる中に、君と云ふ詞を入れて緩やかに詠める詞也。歌の意は不v及v釋明らか也
2112 吾屋前爾開有秋芽子常有者我待人爾令見猿物乎
わがやどに、さけるあきはぎ、つねならば、あがまつひとに、見せましものを
秋萩の常しなへにあらば、待える人の來れる折に、美しき花の飽かぬ色をも見せなんをと也
2113 手寸十名相殖之名知久出見者屋前之早芽子咲爾家類香聞
此手寸十名相の五文字不v濟詞也。印本古本諸抄にも二樣に讀なせり。二義とも當れり共不v聞。たきそなへ手もすまにと讀みて、ひま無く植ゑしと云ふ義と釋したれど、たきそなへと云詞如何に云ふ義共不v考。又手もすまにと云詞はあれ共、手寸十名相の五字をかく讀むべき樣心得難し。宗師案別に有。追て可v考。宗師後案、争寸十名相はときとなみなるべし。無2時節1早く植ゑしもしるく、初萩の早咲きたると云義也。たと、とゝ同音也。皆訓書也
(112)殖之名 此名の字は之の字と同じく我と云詞也。古くは、のとも、がとも、なとも云ひし故、うゑしがしるくと云義也。君が代はと讀むもきみの代と云義也。我と云ふ濁音はなと云詞也。うゑしのと云詞は無き故、うゑしがと云事をうゑしなとも詠める也。此植ゑしなと云詞などをもて、きみが代と云詞は、君な代と云義の證共すべし。ナニヌネノは通音故、うゑしなはうゑしのと云義と知るべし。なれば名目のなにはあらで、手爾乎波のな也。刑部卿範兼の童蒙抄には、てもすまにと讀置かれたり。然れ共、右の五字さは讀離し。然るを範兼などの先達の古人讀置かれたるを、仙覺など改めてたきそなへと讀み、たきは、あぐる祇抔憶説を附會するは、僻事と難ぜし抄もあれど、當集文字に當らぬ讀解樣は一首も無き事にて古語古訓語例句例有。又漢文の熟字の法、和文の義訓等悉古人古實を存して書たる此集なれば、文字文義に音借訓に不v當義は無き事也。後人不v考不v學故、文字の讀解樣、義訓の讀樣、皆無理讀みに假名を付置きしを、假名に任せ誤字脱字の考辨も無く讀置かれたれば、範兼卿童蒙抄の讀樣とても、本集の意とは甚相違の義多ければ、如何に範兼卿古先達にても證明にし難き事は不v被2信用1也。右の五字、手もすまにと讀む義、今以て如何に共心得難し。文字に關はらぬ讀樣あるとの説は、誤りの上に誤りを重ねたる不v考の説也。當集を假名付に任せて讀まば、當集はわらはべの弄び草になるまじきを、堂々たる先達假名に任せ歌の義理をも辨不v明。古點新點など無理讀みの諸説の誤り、改むるに暇なし。今更論ずるに足らざらんのみ
早芽子 之を童蒙抄には、わさはぎと讀置かれたり。通例の印本皆初萩と讀めり。初萩の意然るべし。或抄に早田と書きて、わさ出と讀み、早稻をわ世と讀む。早苗早蕨皆わを略して云へる義と釋せり。さも云て義叶ふべけれど、正義さには有べからず。先わさと云詞は如何にしたる義を云や、其本語の釋濟まず。わさは若と云語にて、かを略して少く小さき事を、さと云。物の初めて生ずるは、少く小さきものなれば、さと云詞は初語に用て、僅かなる事に云語なるから、さなへ、さわらびなど云義也。早田はわせ田也。わさもわせも同音也。わせはわかしね也。わかしねはわか稻也。此歌早はぎ、わさ萩とは、語呂も聞きよからねば、初萩の方然るべし。歌の意、上の五文字不v濟ば分明には注し難し。然し書面の通りにて、萩を愛して手ずさみなどに植ゑおきしが時來りて今咲きにけるかなと、飽かず愛する迄の意也
2114 吾屋外爾殖生有秋芽子乎誰標刺吾爾不所知
(113)わがやどに、うゑおほしたる、あきはぎを、たれかしめさす、われにしらせで
萩は總て女に比して詠める物なれば、其下心を含みて詠める也。しめさすは、境を限りてしるしを立て人にいらはせじと領する義也
2115 手取者袖并丹覆美人部師此白露爾散卷惜
てにとれば、そでさへにほふ、をみなへし、このしらつゆに、ちらまくをしも
并をさへと讀む事前にも毎度出たり。副の字そふると云義と通じて、さへと讀むなるべし。歌の意は聞えたる通也
2116 白露爾荒爭金手咲芽子散惜兼雨莫零根
しらつゆに、あらそひかねて、さくはぎの、ちらばをしけん、あめなふりそね
雨降らば移ろひあせて散りはせん事の惜しきと也
2117 ※[女+感]嬬等行相乃速稻乎苅時成來下芽子花咲
をとめら【にが】行相乃わせを、かるときに、なりにけらしも、はぎのはなさく
行相 諸抄の説まち/\にて一決せず。一説は、稻を苅るには兩方より苅り行きて、中にて行合ふもの故、ゆきあふと云ふべき爲に、をとめらにと讀むとの説有。又の説は、苗を植うる時苗不足したるに、外の苗を取りて植ゑたる稻の出來たるを、ゆきあひの稻と云ふとの説也。何れも正義正論共不v聞、不v詳釋説也。宗師案は、此行相は、郷飲酒抔云事ある其類の事にて、民間にて秋物の熟し調たるを祝し悦びて、早稻を苅りて女の歌合遊ぶ事のあるなるべし。第十八、十九卷の歌、かつしかわせをにへすとかなど詠める歌もあれば、之は飲宴の爲にわせを苅事有べし。其時節萩の咲出る頃なるべし。下の句に苅時に成に來らしもなど詠めるなりには、物の熟し調ひたる義に寄せて詠めるならん。然れば、行相の二字に何とぞ別訓もあらんか。行の字は、かり共讀めば、かりあへのわせと讀まんか。早稻を苅りてあへをなすと云義とも聞ゆる也。歌の意は、彼飲宴をなす稻を苅る時節となりけり。時令を不v違萩の花も既に咲きたると也
(114)2118 朝霧之棚引小野之芽子花今哉散濫未厭爾
あさぎりの、たなびくをのゝ、はぎのはな、いまやちるらん、いまだあかぬに
朝霧の棚引は、たゞ小野のと云はん迄の義也。歌の意は、飽かず愛する萩の花霧深く立つ野邊なれば、秋も深くなり行から、めで飽かぬに、花のも早や散りもやすらんと惜める意也
2119 戀之久者形見爾爲與登吾背子我殖之秋芽子花咲爾家里
こひしくば、かたみにせよと、わがせこが、うゑしあきはぎ、はなさきにけり
亡夫か亡妻の植置し芽子の咲けるを見て詠める歌と聞えたり。然るに芽子は女に比する花なるに、わがせこがと有義心得難し。背の字妹の字の誤りにて、亡妻の植置きしを、後れたる夫の詠めるならん。せこの事、當集に不審の歌前にも有。第八卷藤原宇合卿歌云
我背兒乎何時曾且今登待苗爾於毛也者將見秋風吹
此歌は、女の事を思遣りて詠める歌と釋し置きたれど、未だ落着せざる也。今の歌も男子のかたみに萩を植置きし事少し叶ひ難し。尾花などならば相應ならんか。然し其辨へも無くたゞ植置きしを、かたみとしたる迄の事ならんか。尚後案あるべし追而考、男女通じて云へる歟。第八卷赤人の歌、吾勢子爾令見〔常念之梅花其十方不所見雪乃零有者〕と有。宇合の歌の處にて忘失、今茲に注せる也。此歌共わがせこの事三首也。然れ共、せことは君長の稱と見る時は、女の事には有べからざる義も有。又誤字の論有。未だ如何共決し難し
2120 秋芽子戀不盡跡雖念思惠也安多良思又將相八方
あきはぎに、こひつくさじと、おもへども、しゑやあたらし、またあはんやも
此歌の意は、秋萩に思ひは盡さじ、なほざりに賞愛して置かんと思へ共、惜しき萩なれば、散り過ぎては又來る秋ならでは、逢はざる花なれば、よしや散り過ぐる迄慕ひ合せんとの意也。あたらしのしは助語にて、惜しきと云詞をあたらとは云也。今俗(115)に、あの音をつめて、アッタラと云也。しは、あつたらし也。
2121 秋風者日異吹奴高圓之野邊之秋芽子散卷惜裳
あきかぜは、日ごとにふきぬ、たかまどの、のべのあきはぎ、ちらまくをしも
日異 諸抄の説ひにけにと讀めり。けにと云詞濟み難ければ、當流には毎の字の意と見る也。歌の意は明らか也
2122 丈夫之心者無而秋芽子之戀耳八方奈積而有南
ますらをの、こゝろはなくて、あきはぎの、こひにのみやも、なづみてありなん
秋萩の戀にのみと云へるは、萩は女に比して女を戀ふ心にのみなづみて、丈夫の心無くてやありなんと、萩を貰愛すろ意を、女を戀ふ義に寄せて詠める也
2123 吾待之秋者來奴雖然芽子之花曾毛未開家類
わがまちし、あきはきたりぬ、しかれども、はぎのはなぞも、まださかずける
花ぞもは、花しも也。ぞは助語也。萩を愛する心からまだ咲きあへぬを待つ意也
2124 欲見吾待戀之秋芽子者枝毛思美三荷花開二家里
みまほしと、わがまちこひし、あきはぎは、えだもしみゝに、はなさきにけり
見まほしく思ひて待わびし萩の、時來りて思ひの儘に枝さしてしなひ咲き亂れたると也。しみゝは前々にも多き詞、しげりしなひたると云義也
2125 春日野之芽子落者朝東風爾副而此間爾落來根
かすがのゝ、はぎのちりなば、朝東、風爾副而、こゝにちりこね
歌の意は聞えたる歌なれど、朝東風爾云々とあるを、あさこちの風にたぐひてと讀ませたる印本諸抄の説なれ共、東の字一字(116)をこちと讀まん事心得難し。東風の二字をこちと訓ぜり。然れば風の字一字脱したると見るか。又朝の字副の字義訓の読樣あらんか。先副の字、吹さそはれてと讀むべき歟。古本印本共に、朝こちの風にと讀たれば、古本正本には、風の字二字有りしを、同事故脱したると見るべき歟。尚異本可v考事也。春日野より西なる所にて詠める歌と見ゆる也
2126 秋芽子者於鴈不相常言有者香【一云言有可聞】音乎聞而者花爾散流
あきはぎは、かりにあはじと、いへればか、こゑをきゝては、あだにちりける
言有者香 此句珍しき句なれ共、一説、云へるかもとある或説をあげたり。此一説の句決定の詞にはあらず。此句の意に見るべし。雁の物云ものならねど、歌には如v此跡なき事をも詠みなすを歌の情とはせるなり。かりにあはぬとは總て萩は六月中頃より咲き初めて、八月初頃には散也。仲秋之月雁來と云へる時節をもてかくは詠める也。花に散りけると有、此花はあだと讀ませたる義と見る也。此あだと読む義前に注せり。此歌も花に散りけると讀みては歌の意不v通也
2127 秋去者妹令視跡殖之芽子露霜負而散來毳
あきさらば、いもに見せめと、うゑしはぎ、つゆしもおひて、ちりにけるかも
秋さらばは秋にならば也。萩は咲きたれどいつしか間もなく散り過ぎたると也。かもはかな也
詠鴈
2128 秋風爾山跡部越鴈鳴者射失遠放雲隱筒
あきかぜに、やまとべこゆる、かりがねは、いやとほざかり、くもがくれつゝ
山跡部越 山飛越也。前に倭部共書たり。當集は古語の證明の所となる事如v此の所樣に毎歌語例有。ひとへと通音故、如v此書きて飛と云義に通ずる事、上古の語の證明となる事を知るべし。山を越行雁が音の雲井に隱れて、遠ざかりたる景色を詠める也。下の歌に、秋風に山飛越るかりが音の聲遠ざかる雲かくるらし。同じ樣なる歌也
(117)2129 明闇之朝霧隱鳴而去鴈者言戀於妹告社
あけくれの、あさぎりがくれ、なきてゆく、かりはわがこひ、いもにつげこそ
あけくれは夜の明けんとする時也。明方には却つて暗くなる時有り。其時をあけくれとは云也。古歌に、あさぼらけ日ぐらしのこゑきこゆ也こやあけくれと人や云ふらん。此等にて辨ふべし。朝霧がくれ鳴きて行くは、秋の霧深き曉方の景色を云ひて、わが思ひの晴れぬ事もよそへたるなるべし。雁の使など云ふ古事有から、戀慕ふ妹に我思ひの晴れぬを告げよとはよめる也。言の字をわれと讀む事詩經文選等にも數多見えたり。一本には吾の字に書けるもあり。然れ共言の宇毎度われわがと讀み來れば、何れにても同事也
2130 吾屋戸爾鳴之鴈哭雲上爾今夜喧成國方可聞遊群
わがやどに、なきしかりがね、くものうへに、こよひなくなり、くにへかもゆく
此歌の事集中の難義にて、古來先達遊群の二字行を亂して書きたるから、見誤りて遊群と云題目と心得て遊群の歌と云ひて別目を立來れる事大成僻事也。拾穗抄などには新目を立て遊群歌十首など記したる事、誤りに誤りを重ねたる僻事也。遊群と云ふ題何事にや。其義せめて僻説なり共、注釋あらば今案も添へたると見ゆべけれど、決定して遊群歌何首など記せること餘りなる未熟の義也。或抄に何の事とも難2心得1との説は、不v知を不v知とせし義可2感心1也。一首の歌の文字如v此別れたると案をなさゞる古先達の不v考可v謂v無v志乎。古遊群の二字は、讀解きたる通りにて、一首の内の詞辭ならでは、如何に共不v濟也。歌の意は、わが宿近く鳴きし雁の音の、今夜は空の雲居に鳴きゆくは、なれし故郷の國へかも行くやらんと、感情を催して詠める歌にて、然もよく聞えたる歌也。國つかたかもと讀みとちめて、何と云意と見るべきや。歌の意をも不v辨義共也。國へかもゆくとならでは、讀みとめ難き歌也。此今案發起は、數百年來の誤りを見開きたる宗師の案なれば、當集奧秘の傳來の内別而秘藏の義也。疎略に他説に洩らすべからず
2131 左小牡鹿之妻問時爾月乎吉三切本四之泣所聞今時來等霜
(118)さをしかの、つまとふときに、つきをよみ、かりがねきこゆ、いましくらしも
切木四之泣 此をかりがねと讀める義心得難き義なれ共、此は四之の二字誤字なるべし。匹夫の二字なるべし。切木匹夫にてやつがりと云意にて、かり共讀ませたるなるべし。第六卷の歌にも、折木四哭之云々と書たる歌ありて、其所に注せる如く、之も雁がねなるべし。四の字は匹の字の誤りと見ゆる也。歌の意は、さを鹿の音と雁の音を共に聞きし夜の景色を加へて詠める歌也
2132 天雲之外鴈鳴從聞之薄垂霜零寒此夜者
あまぐもの、よそにかりがね、きゝしから、はだれ霜ふり、さむきこのよは
從聞之 之を聞しからとは、心得難き讀樣なり。手爾波字を添へて上に返りて讀む事有べきにあらねど、當集には歌書故其例ありしとも覺えたり。尚可v考。宗師云、若し例なくば、きくからしと、しは跡の助語に讀べきと也
薄垂 は霜雪の名也。前の歌に、はだれの殘りたるかもと詠めり。然ればこゝも霜の名と見るべし。まだらと云説も有。然れ共、時雨の雨とよめる類ひにて、はだれ霜ふりと有からは名と見る方可v然也
歌の意は、雁の音を雲居の空に聞くから、秋も漸く更けゆく頃なれば、夜寒の霜の零りぬると云意也。天雲の外とは、只遙に隔たりて、雁の音を雲居の空に聞し折の當然也
一云彌益益爾戀許曾増焉 聞きしからいやます/\に戀こそまされ也。別の意無き句也
2133 秋田吾刈婆可能過去者鴈之喧所聞冬方設而
此歌わがかりばかの退去者と云句如何に共心得難し。第四卷にも、わがかりばかのかよりあはゞと詠み、第十六卷にも、草苅婆可爾うづら立らしもと詠みて.苅場と云ふ義と釋し來れ共、場と云意との義も不v濟也。尤もかりばと云義何とぞ民間の諺にあるべし。此歌にてもわがかりばかの過行くと云ふて、かるばと云義と計りにては、わがかりばかと云義不v詳也。惣體の歌の意は、いかさまにも秋の田を刈る折も過ぎ行けば、雁が音の聞えて、秋も末になり、冬景をも催し設けると云義の樣に聞ゆれ(119)共、全體の詞不v濟ば注し難き也。宗師案は冬の字夕の字の誤りならんか。かりばかは何とぞかりばと云稻を刈る時の諺あるべし。追而考可v出也
2134 葦邊在荻之葉左夜藝秋風之吹來苗丹鴈鳴渡
あしべなる、をぎのはさやぎ、あきかぜの、ふき來るなべに、かりがねわたる
左夜藝 そよぎと同じ。風の音を云ひたる義也。さわぎと云ふも同じ。神代紀に、さやげり也と云ふ詞有。是もさわぎと云ふと同じ
一云秋風爾鴈音所聞今四來霜 聞えたる下の句也
2135 押照難波穿江之葦邊者鴈宿有疑霜乃零爾
おしてる、なにはほりえの、あしべには、かりやどるかも、しものふらくに
難波穿江を詠出でたるは、葦邊にはと詠まんとての序也。葦は難波の名物故也
疑を、らしとも、かもとも讀むべし。義訓也。不v決の詞なれば、疑ふと云字をもて義訓せる也。秋も夜寒の霜の降るに、葦邊には鴈の宿るかもと思ひ計りて詠める也。ふらくには零るにと云詞を延べたる也
2136 秋風爾山飛越鴈鳴之聲遠離雲隠良思
あきかぜに、やまとびこゆる、かりがねの、こゑ遠ざかり、くもかくるらし
前の歌の意と同じ。不v及v注也
2137 朝爾往鴈之鳴音者如吾物念可毛聲之悲
つとにゆく、かりのなくねは、わがごとく、ものおもふかも、こゑのかなしき
物思ふわれから聞聲も物悲しき故、わが如く鴈も物をや思ふかと也。つとに往くとは、別に意有にあらず。鳴行く雁の音を聞(120)きし其當然を表はせし迄なるべし
2138 多頭我鳴乃今朝鳴奈倍爾雁鳴者何處指香雲隱良武
たづがねの、けさなくなへに、かりがねは、いづこさしてか、くもがくるらん
哉は武の誤り、一本武に作れるを正本とす。此歌は少し聞得難き歌也。鶴の空天に鳴く當然を見て、たづはけさ雲ゐに鳴くかうべも鴈はいづこをさしてか雲隱れて行くらんと、たづの音に引かれて、鴈の行を思ひやりて詠める歌と聞ゆれ共、たづの音の今朝鳴くと云義、何の縁、より所にか詠出たるや不v詳也。たづは今朝鳴くが、うべ雁が音は鳴かぬは、何處をさしてか雲隱るらんと云意とも聞ゆる也
2139 野干玉之夜度鴈者欝幾夜乎歴而鹿己名乎告
ぬばたまの、よわたるかりは、おぼつかな、いくよをへてか、おのが名をのる
おぼつかなは、夜をへて暗きも厭はず、鳴き渡るからかくよめり。幾夜を經てはおぼつかなとよめるに續く詞、遙かの越路を幾ばくの夜を經てか、此處にかり/\と鳴き渡るぞと也。己が名をのるとは、鳴く聲かり/\と聞ゆる故也。後撰集に
行かへのこゝもかしこも旅なれやくる秋ごとにかり/\となく
秋ごとにくれどかへれば頼まぬを聲にたてつゝかりとのみなく
ひたすらにわがおもはなくにおのれさへかり/\とのみ鳴き渡るらん
是皆かり/\と鳴聲につきて、假の世の事を含みて詠めり。今の歌も幾夜をと書きたれど、此は世を經ての意と聞ゆる也。然れば此歌の意後撰などの歌の意とは異なる歟。表の一通は、數多の夜を經てかこゝには鳴くぞと云意也。かり/\と名をのれど、幾夜を經てか鳴渡るらんとの意とも聞ゆる也。次の歌と問答の樣に聞ゆる歌也。又後撰の歌に、貫之
秋風に霧とびわけてくる雁の千世にかはらぬ聲きこゆ也
此の歌の意に近き歌ならんか。幾世を經てかとよめるも、千世に變らぬとの聲同じ意に聞えたり。前の歌共の、かりと云ふ意と(121)は異なるべし
2140 璞年之經往者阿跡念登夜渡吾乎問人哉誰
あらたまの、としのへゆけば、あともふと、よわたるかりを、とふ人やたれ
あら玉の 年と云ふ冠辭也。中世已來あら玉の春と詠める人あれど、萬葉古今集等に、春と詠める歌は一首も無し。年月日ならでは詠まず。玉の縁に詠める詞也。月日星ともに圓にして、玉に形どりたる形象をもて、あら玉のとは冠句に詠める也
阿跡念登 此詞前後にある詞にて、集め催しと云義に用ひ、又此歌にてはさは聞えぬ詞也。大方は何と思ふと云義と釋せり。又日本紀に誘の字をあとふと讀ませたれば、さそふの意に詠めるかとも云説ありて不2一決1也。此歌は前の歌と問答の意をもて篇列せると見ゆる也。幾夜を經てか己が名をのると詠めるを、問ふ人や誰れと答へたる意に聞ゆる也。扨歌の意は、印本諸抄の通に讀みては聞え難き歌也。宗師案は、としの經往者と云義をよみなし樣にて、色々意六ケ敷聞ゆる也。此は只前の歌に、世渡る雁は幾世を經てか己が名をのると問かけしを、答ふる詞に、かりの世とのるに、年の經ゆくは何と思ふぞと間給ふ人は、誰なるらんと答へたる迄の歌なるべし。無常を觀じて人をかり/\と驚かす我を問ふは誰なるぞなど、色々入ほかなる六ケ敷説を云へる注もあれど、古歌は左樣に經説を述べる如くに詠める事曾て無き事にて、只當然の輕き義を詠めるなれば、入ほかに深意を添へて見る事曾て無き事也。然るに此歌、往者の二字ゆけばと讀むから義六ケ敷聞え難し。ぬればとか、ゆかばとか、ゆくをとか、へぬるをとか讀みては義聞え安し。なれば、聞得難き樣に讀べき理り無ければ、右三通の中何れにも安き方に讀なすべし。畢竟鴈の事にして我身の上に比して詠める歌と聞えたり。吾の字をわれと讀みては、此歌詠鴈題に叶ふべくもあらず。此歌に限らず、毎度吾を己の字かりと讀むべき事多し。既に此歌かりと讀までは題に合はず。よれてかりとは讀む也。前の歌の答にしても、愈かりと讀まではよ渡ると云義聞えず。あともふと云詞も、あともへと云義か。假名書ならねば別ち難し。あともへと云事なれば、又意違ふべし。全體聞定め難き歌なれば、猶心をとめて後案すべし。類句を考合すべし。先づ一通の見樣は宗師案の説かくの如し
(122)詠鹿鳴
2141 此日之秋朝開爾霧隱妻呼雄鹿之音之亮左
このごろの、あきのあさけに、きりこめて、つまよぷしかの、こゑの亮左
霧隱妻呼 霧がくれと云假名有。聞にくを詞珍しき詞也。よりて霧こめてと讀む也。尤霞がくれとよめる事もあれば、霧がくれとも詠める例あらんか。覺束なし
亮左 はるけさと讀たり。遙の字の意に見るべき歟。上に霧こめてと讀みたれば、隔てこめたる意なれば、遠く遙に聞ゆる意と見ゆる也。一説に晴の意又寥亮と書きて、仁徳紀には、さやかなりと讀ませたれば、身は霧に隱れこもりたれど聲のさやけさとよめる意ならんか。又義訓に悲しさとも讀むべし。面白きと云意の義にとりて見るべきか。是等も後生好む處に任す也。雄鹿の二字を、しかと讀む格は、前に注せる如く妻呼は皆雄鹿也。よりて字を添へて意を助けたるならん。牡鹿を、しかと讀むに同じ
2142 左男牡鹿之妻整登鳴音之將至極靡芽子原
さをしかの、つまとゝのふと、なくこゑの、いたらむかぎり、なびけはぎはら
つまとゝのふとは、妻に逢ふ事の成就する事を云也。物の成就したる事を、とゝのふと云也。妻戀の聲の及ぶ限り靡きて、妻に聞かせよとの意也。前の歌に、靡けしのはらと詠める意も同じ。今時の風體には不v好終の句也。此集の時代は幾らも此句有。靡けこの山とさへ詠めり
2143 於君戀裏觸居者敷野之秋芽子凌左牡鹿鳴裳
きみにこひ、うらぶれをれば、しきのゝの、あきはぎしのぎ、さをしかなくも
人を戀慕ひて居れば也。うらぶれとは前にも注せり。悩み煩ふ體を云也。折しも鹿の萩原をしのぎ、妻戀ひの聲の悲しき景(123)色を詠める也。敷野は大和なるべし。磯城郡上下の内にある野なるべし。敷野を詠出でたるは、しのぎと詠める縁なるべし。しのぎは、しのにと云ふも同じ。萩を亂して、しどろもどろに掻き分け鳴きさ迷ふとの事也。人を戀詫び悩みやつれて居る折ふし、又鹿の同じく妻戀する聲の、物悲しさを添へ加ふる哀れさを詠める也
2144 鴈來芽子者散跡左小壯鹿之鳴成音毛裏觸丹來
かりはきぬ、はぎはちりぬと、さをしかの、なくなるこゑも、うらぶれにけり
うらぶれは前にある如く悩める體、此歌にては弱りたる體を云へり。秋も漸く末になり、夜寒頃の物憂き妻戀の聲も弱りたるとの意也
2145 秋芽子之戀裳不盡者左小鹿之聲伊續伊繼戀許曾益鳥
あきはぎの、もひもつきぬを、さほしかの、ねいつぎいつぎ、こひこそまされ
戀裳 もひもと讀む義は、思ひもと云義にて、もと云事は、草などの茂る事を云也。神代下卷に、枝葉扶※[足+疏の旁]と書て、枝葉しきもしと讀ませたり。然れば、はぎは草なれば、もひと續くる義然るべし。水草などの歌には、又戀ともつゞくべけれど、萩に戀と續くるは緑無き詞也。よりて、もひとは續くる也
不盡者 此者の字集中に、をとか、にとか讀までは不v通歌擧げて數へ難し。然れば前にも注せる如く、焉者也の字義をもて、語の餘りに用ひて、をと讀ませたると見えたり。若しくは緒の字の誤りて片を脱したるとも云べきか。をとか、にとか讀までは叶ひ難き事多し。然るを無理に、はと讀まねば叶はぬ事に覺えて、無理成義を付けたる説もある也。此歌とても、にとか、をとか讀までは聞えざる歌也。扨秋萩のもひも盡きぬとは、萩は女に比して、女を戀慕ふ物思ひも盡きざるに、鹿の妻戀する聲のひたもの續き/\て不v絶ば、憂草の茂れる如く、跡より思ひのいやましに茂るとの意也。伊續の伊は二つ共初語也。つき/”\にて不v絶ばと云義也
益鳥 此鳥の事烏鳥焉三字を誤りたる所幾所と云ふ數知らず。歌によりて三字の内替る事有り。此歌は禮と云ふ訓字に焉の(124)字を借りて用ひたり。これと讀む故、れの一音をとりたる也。此下の歌に欲鳥と書たる、とりと云も、りの一音を用たる也。ほしともほるとも、讀むべきを、ほりと讀むべき爲鳥の字を書たるとは見ゆる也。此歌もまさるとか、まさりとか讀むへきを、まされと讀む爲に、焉を用たる也。此差別他家の説に固く知らざる事也
2146 山近家哉可居左小牡鹿乃音乎聞乍宿不勝鴨
やまちかく、いへやをるべき、さをしかの、こゑをきゝつゝ、いねがてぬかも
家や居るべきは、例の下に付くや也。家居るべきや居るまじとの意也。鹿の聲にていのね難ければ、家居るべき居らじとの義に斯く詠める古詠の一格也。前にも何程も此格有。いねがてぬかもは、いね難きと云義也。かもはかな也
2147 山邊爾射去薩雄者雖大有山爾文野爾文沙小牡鹿鳴母
やまのべに、いさるさつをは、おほかれど、やまにも野にも、さをしかなくも
射去 あさると云義と同じ。あさり火をいさり火とも云。あさるとは獵漁の事を云。食物を求める事を云也。さつをは獵する人の通稱也。雖大有とは、多くあれど也、大と多とは通じ用る也。山野に獵人も多く入り狩すれど、鹿の鳴く音は野にも山にも不v絶と也
2148 足日木笶山從來世波左小鹿之妻呼音聞益物乎
あしびきの、やまよりきせば、さをしかの、つまよぶこゑを、きかましものを
來世波 きたりせば也。珍しき詞の樣なれど、住の江のきしせざればなど詠める例あれば、きしせば共きせば共讀べき也。意は來りせば鹿の聲をも聞ましものをと、鹿の音を慕ひたる歌也
2149 山邊庭薩雄乃爾良比恐跡小牡鹿鳴成妻之眼乎欲鳥
やまべには、さつをのねらひ、かしこしと、をじかなくなり、つまのめをほり
(125)妻に逢はんとて慕へば、獵人のねらひて取られん事の恐ろしきと鹿の鳴くと也。目をほりとは凡て精神は目にあるものから、只あひ見たきと云事を云に、目をほりとは詠める上古よりの通語、既に日本紀に天智天皇の御製にも見えたり。鳥の字は一本焉にも作。然れ共此歌は鳥の字なるべし。ほりのりは、とりのりを借りて也。ほしとも、ほるとも讀まんを、ほりと讀めるしるしに鳥の字を書けると見えたり
2150 秋芽子之散去見欝三妻戀爲良思棹牡鹿鳴母
あきはぎの、ちりゆく見れば、いぶかしみ、つまこひすらし、さをしかなくも
欝三 一説には、心元なく思遣る義と注せる説有。又鹿の心の欝陶敷結ぼれたると云説有。云まはさば義は叶ふべき歟。然れ共いぶせきと云ふと云意なるべし。いぶせきは物憂き事を云。欝陶の意は近き説なれ共、うつもふの意此所には叶ひ難し。物憂きと云意ならでは有v合也。覺束なくもと云意然るべき歟。萩の散りゆけば、便りなく覺束なくや鹿の妻戀すらんと也
2151 山遠京爾之有者狹小牡鹿之妻呼音者乏毛有香
やまとほき、さとにしあれば、さをしかの、つまよぶこゑは、ともしくもあるか
京の字、日本紀には、さとゝ讀ませたり。山に遠き里なれば、鹿の音の珍しきと也。乏しきは少き珍らしき意也
2152 秋芽子之散過去者左小牡鹿者和備鳴將爲名不見者乏焉
あきはぎの、ちりすぎぬれば、さをしかは、わびなきせんな、みねばともしを
萩を見ねば友ほしく寂しきから、鹿のわび鳴きすらめと也。鳥の字は烏焉の誤り一本焉に作る也
2153 秋芽子之咲有野邊者左小牡鹿曾露乎別乍嬬問四家類
あきはぎの、さきたるのべは、さをしかぞ、つゆをわけつゝ、つまどひしける
よく聞えたる歌也
(126)2154 奈何牡鹿之和備鳴爲成盖毛秋野之芽子也繁將落
などしかの、わびなきすなる、けだしくも、あきのゝはぎや、しげく散るらん
何とて鹿の物悲しく鳴くならん。さては秋野の萩の繁く散るから、惜みて鳴くかとの意也。斯く鹿の鳴くは、秋野の萩の繁く散るにてこそあらんとの意也
2155 秋芽子之開有野邊左牡鹿者落卷惜見鳴去物乎
あきはぎの、さきたるのべを、さをしかは、ちらまくをしみ、なきゆくものを
此歌は隔句體と云ふ句作り也。秋萩の咲きたる野を鹿鳴行くは、萩の花の散らまくも惜しきと云意也。それを散らまくをしみ鳴ゆくものをと句を隔てゝ詠める也
2156 足日木乃山之跡陰爾鳴鹿之聲聞爲八方山田守酢兒
あしびきの、やまのとかげに、なくしかの、こゑきかすやも、やまだもるすこ
聲きかすやもは聲聞くやも也。毎度ある詞也。聞くやもと云事を古詠には聞かすと詠める也。聞くのくを延べたる也。聞けるやも共讀む也。聞けるにても聞く也。爲の字はすると讀むるの一音を取る也
詠蝉
2157 暮影來鳴日晩之幾許毎日聞跡不足音可聞
ゆふかげに、きなくひぐらし、こゝたくも、ひごとにきけど、あかぬこゑかも
日ぐらしは蝉の類にて、初秋中秋の頃夕方に鳴くものから斯く詠めり。歌の意隱れたる處もなし
詠蟋蟀
蟋蟀の事前に注せる如く、きり/”\すと讀みては此歌とも不v合也。こほろぎの事と見ゆるを古く誤り來れる也
(127)2158 秋風之寒吹奈倍吾屋前之淺茅之本蟋蟀鳴毛
あきかぜの、さむくふくなべ、わがやどの、あさぢがもとに、こほろぎなくも
歌の意は、秋風の寒く吹くが、うべ蟲の音も如何にも悲しげに、更け行く秋の哀れも添へて聞ゆるとの意也。鳴くもと詠みとめたる詞は前にも毎度注せる如く、嘆息の意をこめて歎意深き詞と見るべし。此歌きり/”\すと讀みては、時節も秋更けたる時節、又詞も餘れり。後京極殿の、霜夜のさむしろにと詠給ふも、こほろぎにて無ければ不v合義此歌に同じ。和名にも、きり/”\すと擧げたれば、順も考へ洩らされたる歟。兎に角きり/”\すは、仲秋の頃は最早稀に鳴く也。夏專と鳴くなれば、時代の變化にて、昔と今とは時令もたがへる事あらんか。なれど歌の詞悉くきり/”\すと讀みては字餘りになる也
2159 影草乃生有屋外之暮陰爾鳴蟋蟀者雖聞不足可聞
かげぐさの、おひたるやどの、ゆふかげに、なくこほろぎは、きけどあかぬかも
素本には不足の不の字を脱せり
影草 日の當る所に生る草を云ならん。山のかげ木の陰など云説もあれど、影の字を書きたれば日影なるべし。詞林采葉には夜一夜草と云物にて、夕陰に花咲と云へり。如何なる草を云ふか未v考。此歌はこほろぎの聲を愛せる意也。歌の情はさのみ面白からぬ色音をも、飽かぬさまに詠なせるを本意とし侍る也
2160 庭草爾村雨落而蟋蟀之鳴音聞者秋付爾家里
にはぐさに、むらさめふりて、こほろぎの、なくこゑきけば、あきづきにけり
庭草 庭上に生ひたる總ての草を云へるなるべし。尤和名抄にも邇波久作と云ふ一名を擧げたり。俗に、はゝき木と云ふもの也。それに限るべき要なし。和名抄云、本草云、地膚、一名、地葵【和名邇波久作、一云、末木久作】是箒木と云草也。此歌の庭草一草には限るべからず
蟋蟀之 此之の字助語などと注せる説有。是きり/”\すにて有まじきと見る證也。きり/”\すと讀まば、之の字無くてもき(128)り/”\す鳴く聲聞けばと讀みて濟むべきを、之の字を加へたるはこほろぎのと讀める故也。此題三首の歌皆きり/”\すと讀みては字餘り也。心得難し。こほろぎと讀まではならぬ樣に書たるを、助字或ひは字餘りなど無理なる説をなせり
秋付 諸抄は秋になりたると云意と釋せり。秋も夜寒に霜降る頃の意によめる歌もあれば、秋盡にと云意か。又秋暮にけりと云意共聞ゆる也。付は盡の借訓又秋つくれにけりの詞共聞ゆる也。暮を約すればきにつゞまる也。尤秋になりにけりと云ふ共、さしてかひ無かるぺけれ共、付を成と云の義不v詳也。きり/”\すは夏こそ鳴くなるを、これが聲を聞けば、秋になりけりと云ふ譯如何にも不v濟説也
萬葉童蒙抄 卷第二十七終
(129)萬葉童蒙抄 卷第二十八
詠蝦
2161 三吉野乃石本不避鳴川津諾文鳴來河呼淨
みよしのゝ、いはもとさらず、なくかはづ、うべもなきけり、かはをさやけみ
うべも鳴きけりとは、川津と云名に負て、川に鳴は、尤も河のさやかにいさぎよきから也と、兩樣を兼合て也。さやかに清き河故、石本さらず鳴くか。尤もかはづと云名を負からとの義也。今はかはづを春に限りて、題詠にも詠侍れど、昔は秋迄も鳴しから、かく標題をもし、歌にも詠める也
2162 神名火之山下動去水丹川津鳴成秋登將云鳥屋
かみなみの、やましたどよみ、ゆく水に、かはづなくなり、あきと將云鳥屋
山下どよみは、川の流るゝ音のことをいへり
秋登將云 此詞心得難し。諸抄には何と心得てか、何の沙汰なく、たゞ聞えたると見えたれど、秋と云はんとやと云義、何と云義ならんや。水に住む川津の聲も、皆人の物云に等しく、歌の意と同じきなど云意にて、川津の鳴も今こそ秋よと、云はんとやと云義に見置たるから、不審もせざりしか。秋と云はむとやと云義は、いかに云回しても、歌の意義不v通也。宗師案は、云は去の字なるべし。字形紛敷字なれば、毎度誤りたる事あるべし。よりて秋といなんとやと讀む也。歌の意もよく聞え侍らんか。殊に上にゆくと云詞も添たり。秋と共にいなんとてか、鳴くかはづと云意なるべし
2163 草枕客爾物念吾聞者夕片設而鳴川津可聞
くさまくら、たびにものおもふ、われきけば、ゆふかたまけて、なくかはづかも
(130)此歌は、川津の聲に客愁の悲みをも呼かとの意也。旅行の夕部に、そこともわかず、川津の鳴くは、物思ふ旅の思を添ふべき風情也。夕片設而は、前に注せる通也。夕部を迎へて、折にあひて物悲しき躰を詠める也
2164 瀬呼速見落當知足白浪爾川津鳴奈里朝夕毎
せをはやみ、おちたぎちたる、しらなみに、かはづなくなり、あさゆふごとに
此歌川と云ふ事を、直に川津の名に寄せて詠める也。たぎちも、たぎつも、同じ詞也。きりを約すればち也。こゝはおちたぎりたると云意也。おちたぎるとは水の速かに流れ落ちて、瀧の如くなる處を云へる也。歌の意はたぎりて落つる瀧津の如く、滯りたる處も無く、よく聞えたる歌也
2165 上瀬爾河津妻呼暮去者衣手寒三妻將枕跡香
かみつせに、かはづつまよび、ゆふされば、ころもでさむみ、つまゝかんとか
上瀬と詠出たるに、別に意あるにあらず。只川の瀬に蝦の鳴くは、漸く秋も更け行頃の、寒くなる折なれば、妻を卷きねんとか鳴ならんと、妻と云はんとて衣手寒し共詠出たり
詠鳥
2166 妹手乎取石池之浪間從鳥音異鳴秋過良之
いもがてを、とりしのいけの、なみまより、とりがねけなく、あきすぎぬらし
取石池、八雲には、取古池と書かせ給ひて、近江と記されたり。或抄に、河内にところ沼といふ、往來の道の傍にありしと書るもの有。地名未v詳。仙覺律師は、とりしと讀みて、取石池正本也と説きしも、古、石、誤り易き字なれば、何れ共決し難けれど訓書に三字書たる方然るべし。取古と有ては、三字の中に一字音を交ては書まじき事也。然し地名の語追而可v求2正記1也。何れにもあれ、妹が手をとりと、うけたる迄の冠句にして、とりし、とりこ、何れにまれ、鳥の題故、とりと云言葉の地名を設けて詠める迄にて、別の意は無き歌也。異なくをば一説に、いなくと讀みて發語の詞としたり。けにても同じく、きなく抔讀來れ(131)るも、元來は氣なくにて發語なるべし、此歌勿論發語のけ也。水鳥は冬に到りて、水に寄り來て鳴もし住もの故、秋過ぬらしとは詠める也
2167 秋野之草花我末鳴百舌鳥音聞濫香片聞吾妹
あきのゝの、をばながうれに、なくもずの、こゑきくらんか、片聞わぎも
草花 曰本紀神代上、草祖草姫、是よりして草の本はかやと云に始まると云の意にて、草の字を後々に至りても、かやと讀ませたらん。を花は萱とも云から、草花の二字を尾花と讀ませたるならん。山草と書き山すげとも讀ませたり。草の本をかやの姫と稱し奉るにより、凡て萱の事に草の字を用て、義をもて訓ぜしと見えたり
舌百鳥 これは、百舌鳥の誤りなるべし。日本紀私記、百舌鳥と書けり。通例百舌鳥とは伯勞と書也。和名抄云〔鵙、一名※[番+鳥]【上音覓、下音煩、楊氏漢語抄云、伯勞、毛受、一云鵙】伯勞也。〕若し比例にて、百舌鳥共書ける事ありしか
片聞吾妹 かたきくわぎもと讀みては、いかに共歌の意聞得難し。前々にも、片設片聞抔ありしか共不2打着1也。且きくわぎもと云義と釋したる説もあれど、それ共歌の意不v通也。片聞の二字にて、何とぞ義訓に讀ませたると見えたり。集中に片設、片聞、夕片など書きたるには、義訓有べけれど、古人皆義訓の案をなさず。かたとのみ讀來れり。さ讀みて通ずる歌も有べけれど、此歌にては、兎角かた聞くにては有まじきと見ゆるなり。先づはひとり聞くわぎ妹と讀みて、われ獨りのみ聞くぞわぎもと、あたりて讀めるか。何とぞ別訓有べし。後案すべき也。若し又誤字歟。誤字の思寄は、嘗て思付無き也。此集中には前にももずの草ぐきと詠みて、戀の歌にかく詠合せ、此歌も戀の意を合みて讀める事如何したる事歟。不v詳也。もずの音は、物悲しきものにもあらず。歎情を催す鳥の音にもあらぬに、かく詠めを事由來あらんか。心得難し
詠露
2168 冷芽子丹置白露朝々珠斗曾見流置白露
あきはぎに、おけるしらつゆ、あしたあした、たまとぞみゆる、おけるしらつゆ
(132)能聞えたる歌なり
2169 暮立之雨落毎【一云打零者】春日野之尾花之上乃白露所念
ゆふだちの、あめふるごとに、かすがのゝ、をばなのうへの、しらつゆおもほゆ
暮立 秋にも詠む也。普通には夏に限りたる樣に心得ぬれど、古詠如v此。此後の歌にもいくらも秋に詠合せたる事有。歌の意は、尾花が上に白露の玉ぬく計り置重りたるは、いかに面白からんと思ひやりし歌也。別の意無かるべし
2170 秋芽子之枝毛十尾丹露霜置寒毛時者成爾家類可聞
あきはぎの、えだもとをゝに、つゆしもおき、さむくもときは、なりにけるかも
枝毛十尾 枝もたわゝと同じ。たわみしなへたる躰を云へり。秋も末に成り露霜置て、稍寒さも催しぬると也
2171 白露與秋芽子者戀亂別事難吾情可聞
しらつゆと、あきのはぎとは、【こひ・おもひ】みだれ、わくことがたき、わがこゝろかも
いづれ勝劣の思わきも無く、悲み愛するの意なり
2172 吾屋戸之麻花押靡置露爾手觸吾妹兒落卷毛將見
わがやどの、をばなおしなみ、おくつゆに、てふれわぎもこ、ちらまくもみむ
押靡は押並とおし靡けてとの三つを兼ねて云へり。露に靡きしなひたるに、妹が手ふれて露散らば、尚面白かるべきとの意也。尾花は、男花と云意にて、妹に手をも觸れよとの、願ひたる意也
2173 白露乎取者可消去來子等露爾爭而芽子之遊將爲
しらつゆを、とらばけねべし、いさやこら、つゆにきそひて、はぎのあそびせん
萩の上の、露を折取らば消ぬべし。露ながら競ひ進みて、思ふどち秋の野遊びを萩原にせんとの意也。又萩に往觸れて、置け(133)る露の散りぬ共、いさや打むれ遊ばんとの義にて、爭ては勇み進むの意、いそひてとも讀む説有。意は同じ事也。
2174 秋田苅借廬乎作吾居者衣手寒露置爾家留
あきたかる、かりほをつくり、われをれば、ころもでさむし、つゆおきにける
歌の意は能聞えたり。世上流布したる後撰集に載せられたる、天智天皇の御製とて、何人のしわざぞや。僞作せる、彼秋の田の刈庵の庵の苫をあらみの歌は元此歌を横ざまに作りなせし歌也。中世已來百人一首と云て、僞作の書にも卷頭の歌として其釋説樣々の事を附會せる也。此歌すら天智天皇の御時代の口風とは、既に風躰甚違へり。况んや千餘年を經て僞作せる、刈庵の庵抔、わけも無き歌をもてはやす事、歎くにも餘り有事也
2175 日來之秋風寒芽子之花令散白露置爾來下
このごろの、あきかぜさむみ、はぎのはな、ちらすしらつゆ、おきにけらしも
風の散らすにはあらず。秋深くなるまゝに、風も稍身にしむ頃は露深く置添ふから、露に濡しほれて、うつろひ散る故、白露置にけらしもと也
2176 秋田苅※[草がんむり/店]手搖奈利白露者置穗田無跡告爾來良思
あきたかる、とまでうごくなり、しらつゆは、おくほだなしと、のりにきねらし
※[草がんむり/店]手搖 此※[草がんむり/店]の字心得難し。或抄に苫の字の誤りならんと釋せり。さも有べけれど、苫の動くなりと云義、無理に義を付て、秋田を刈る庵には、風抔防ぐ爲苫をさげ置、其苫の風に動くを云との諸抄の説也。詞を添へて釋せば、此外にもいか樣共云はるべければ、歌は一首の内にて、詞を不v入して聞ゆる樣に詠むが歌なれば、左樣に六ケ敷、解きほどきの詞を入れて、理るべきにあらず。何とぞ※[草がんむり/店]手の二字搖の字共に別訓あらんか。後案すべし。先諸抄の意にて云はゞ、秋田を刈頃、刈庵にかけし苫の風に動くは、穗田を刈盡しぬれば、露の置所無きとて斷り來れるにて有らんと云意と也。然れ共秋田かる苫手動と云句は、いかに共不v聞也
(134)一云告爾來良思母 のりにくらしも、露の置べき穗田無しと、苫を動かし露の來りたるにてあるらしとの一説也
詠山
2177 春者毛要夏者緑丹紅之綵色爾所見秋山可聞
はるはもえ、なつはみどりに、くれなゐの、にしきにみゆる、あきのやまかも
綵色 にしき共、色々とも讀べし。綵色の二字、前に色どりごろも等讀めば也。歌の意能聞えたり。詞過ぎて感情は餘り深からぬ歌也
詠黄葉
2178 妻隱矢野神山露霜爾爾寶比始散卷惜
つまごもる、やぬのかみやま、つゆしもに、にほひそめけり、ちらまくをしも
妻がくるとも讀べきか。此續は妻のこもるやとうけ、ぬると云詞にうけたり。又矢を爪にかけて、歪みをためす事有。すゝのいたづき爪ならす也抔詠める歌もありて、つまよると云事もあれば、矢を爪にかくると云ふうけに、矢野と云所を云はんとて詠出でたるにもや。やぬの神山を詠出でたるは、何の意味ありて詠出でたり共不v見也。何とぞ下の句によせありて詠める意有べき事也。妻ごもるやがみの山共讀めり。何れの國の山にや未v考。宗祇が説には、伊豫と書ける物もあれど、實證を不v見ば、決し難し。下の句の意は、露霜に色染かけたれば、いつ迄も散らずもあれかし。えならぬ色に染初めし故、早めで飽かぬ心から、散るべき事を惜めるとの意也。此露霜の事、露と霜と二つにあらず。露霜と云物一種有と云説も有。心得難し。神山と詠出たる意、何のより處共不v聞。若し露の縁に、たま山抔にはあらざらんか
2179 朝露爾染始秋山爾鐘禮莫零在渡金
あさづゆに、そめ/\にけり、あきやまに、しぐれなふりそ、あれわたるかに
(135)時雨降りては落葉して山の荒れ行かんまゝ、時雨な降りそと也。かねはかにと讀みて、かには只荒渡るに時雨降るなと下知したる義也。かは助語にて、嘆の意をこめて云詞也。秋山の荒れ渡るに、時雨な降りそと云義也
右二首柿本人麻呂之謌集出
2180 九月乃鐘禮乃雨丹沾通春日之山者色付丹來
ながづきの、しぐれのあめに、ぬれとほり、かすがのやまは、いろづきにけり
沾通 此詞心得難き詞なれ共、毎度かく詠來れり。別訓あらんか。衣抔に詠める歌も有。これすら不v可v好詞也。况や山のぬれ通と云義心得難き句也。此歌前の歌に反して詠めり。前の歌は、露に沾れて時雨に散あせんことを惜みたり。此歌は時雨に染めて色付にけりと詠めり。今は時雨を冬の物に詠めり。古詠皆秋にも詠入れたり。尤秋の末に詠めると聞えたり。此にも長月のと詠出たり童蒙抄には時雨の雨に染かへりと有。沾通の二字を染めかへりと義訓せる歟。又染變と書たる本ありてか
2181 鴈鳴之寒朝開之露有之春日山乎令黄物者
かりがねの、さむきあさけの、つゆならし、かすがの山を、もみづるものは
露ならしは、露にあるらし也
令黄 もみづる共、もみ出ださしむるものはと云意也。紅は染るに揉みて色を出す也。よりて直にもみ共云也。其のわざをもて名共せり。歌の意聞えたる通也。春日山を紅葉さするものは、雁が音の鳴渡る頃、朝毎に置白露にて有るらしと云義也
2182 比日之曉露丹吾屋前之芽子乃下葉者色付爾家里
このごろの、あかつきづゆに、わがやどの、はぎのしたばは、いろづきにけり
吾屋前 此前の字、前にも注せる如く、所と云字の誤也。さなくばわが庭と讀べし。屋前を、やどと讀べき義無し。前、所、紛れ安ければ、極めて誤りたるなるべし。歌の意は明也
(136)2183 鴈鳴者今者來鳴沼吾待之黄葉早繼待者辛苦母
かりがねは、いまはきなきぬ、わがまちし、もみぢはやつげ、まてばくるしも
早繼 前にも有。別訓あらんか。鴈の鳴渡れば、紅葉の色付ぬべき時も來りぬ。早く紅葉せよと云義なるべし。早經と云詞いかに共心得難し。雁に續きて早く紅葉せよとの意と聞ゆれ共、はやつげの詞穩かならねば、別訓を後案すべし
2184 秋山乎謹人懸勿忘西其黄葉乃所思君
あきやまを、いめひとかくな、わすれにし、そのもみぢばの、しのばれらくに
いめ人かくなは、謹みて秋山の事を言葉にかけて云なと也。紅葉を愛し慕ふ心を忘れてあるに、秋山の事を云はゞ思出て慕はるゝにと云義也。紅顔の人抔の事に寄せて詠めると云説もあれど、句表に表れぬ事なれば、只紅葉を愛し慕ふ義と見るべし。秋山は地名と時節の山とを兼ねて詠める也
2185 大坂乎吾越來者二上爾黄葉流志具禮零乍
おほさかを、われこえくれば、ふたがみに、もみぢばながる、しぐれふりつゝ
二上山と云は、前にも出たれど川と云所未v見。此歌にては川も有と見るべし。二上爾と計りあれど、二上川に紅葉の流るゝを詠める也。大坂二上とも葛城郡也。和名抄云〔大和國葛上郡〕
2186 秋去者置白露爾吾門乃淺茅何浦葉色付爾家里
あきされば、おくしらつゆに、わがかどの、あさぢがうらは、いろづきにけり
能聞えたる歌也
2187 妹之袖卷來乃山之朝露爾仁寶布黄葉之散卷惜裳
いもがそで、まきゝのやまの、あさづゆに、にほふもみぢの、ちらまくをしも
(137)卷來乃山 何國とも不v考。大和の内なるべし。妹が袖とは卷まくと云はん序也。まきまくは枕にするの意也。まき木の山か、まき木の山か、外の例證を不v見ば極め難し。卷向山の事を卷來とも書ける歟。朝露に匂ふは、色付初むるの義也
2188 黄葉之丹穗日者繁然鞆妻梨木乎手折可佐寒
もみぢばの、にほひはしげし、しかれども、つまなしのきを、たをりかざさん
者繁は、はしけやしと云詞と同じく、はしけしと云て紅葉々をほめたる詞也。然るを諸抄の説は、紅葉々の茂りたる事に釋せり。匂ひのしげきと云事有べき事にあらず。語例句例の無き詞と云事を不v辨。當集の歌は歌詞にあらぬ詞もよめる事に釋せるは、悉後人よみ解樣を知らざる不v考不v案のなす所也。匂ひは色の事也。香の事にしては、しげしと云詞は續かぬ義を不v辨から、者の字を手爾波字に見たる也。歌の意は、紅葉々の匂ひは、はしけしと云ひて、何れも美しく飽かぬ色なれ共、ぬし無き木を手折てかざさんと云義也。梨の木をわきて賞せるにはあらず。只妻なしと云かけて、主無き紅葉をかざさんとの趣向にて、主無き紅顔美麗の人を折取らんと比したる下心の歌なるべし。凡て梨の木をも花をも詠めるは、妻の無きと云意を詠かけたる也。當集第十九卷に、家持の詠める紅葉の歌の袖書にも、當時梨の紅葉を見て詠めると注せり。是は只何の意も無く詠める也。尚其所に注すべし。濱成和歌式にも、梨の歌を詠める歌を擧げて、躰の式を述べたり。全文略v之
2189 露霜|乃《本マヽ》寒夕之秋風丹黄葉爾來毛妻梨之木者
つゆしもの、さむきゆふべの、あきかぜに、もみぢにけるも、つまなしのきは
來毛 けるかもの意也。印本等にはけりもと讀ませて、もは助語にて紅葉にけりと云意と釋せり。さも聞ゆる也。然れ共けりもと云と、けるもと云とは、詞の續に少し譯有。例へば鶯鳴くもと云の、もと同じ意のも也。然れば詞の例、なきもと云詞は無く、無くもとは云べし。此例に准じて、けりもとは續難く、けるもとは云はるゝ也。けるもはけるかもと云義にて、直にけりと云意に嘆の詞を添て、かもとは云義なるべし。此妻梨の木と詠めるに意は無く、只前の歌並びに、妻梨と詠める歌を、並べ擧られたる迄の義也
(138)2190 吾門之淺茅色就吉魚張能浪柴乃野之黄葉散良新
わがかどの、あさぢいろづく、吉魚ばりの、なみしばのぬの、もみぢちるらし
吉魚張 大和の地名にて、第二卷にては吉隱之猪養の岡とありてふなばりと讀ませたり。日本紀にも、ふなばりと有。吉隱の二字をふなばりと訓ずる義未v詳也。追而可v考。第八卷にも又此卷末に到りても有。彼是引合追而可v考。宗師は、よなばりと可v訓旨也。然共日本紀にふなばりと讀ませたる義不審也。其上奥に到りては古名張とも書たり。彼是心得難し。師云、古名張の古は吉の字の誤りと見ゆると也。歌の意は、吾門の淺茅さへ色付頃なれば、並々の野の紅葉は最早散なるべしと云義也。それに波柴の野と地名をさして、下の心はなべての木草の黄葉は散らしと也。淺茅は茅の至りて少き草芝と云に同じ。それは紅葉するも遲き物と見えたり。芝草さへ色付頃は最早なべての紅葉は散る時節なるべし
2191 鴈之鳴乎聞鶴奈倍爾高松之野上之草曾色付爾家留
かりがねを、きゝつるなへに、たかまどの、ぬのへのくさぞ、いろづきにける
別の意なき歌也
2192 吾背兒我白細衣往觸者應染毛黄變山可聞
わがせこが、しろたへごろも、ゆきふれば、うつりぬべくも、もみづやまかも
此吾背兒と詠めるは女の歌か。女は衣服の事を業とする者なれば、只打任せて白妙衣と詠めるは、女をさして云へるか。此義不審也
應染の二字別訓もあらんか。先づさし當る處、うつりぬべくと義訓に讀めり。歌の意は、黄葉の盛なれば山路に行ふれなば、誰が袖もうつり染るべくも見ゆる景色を詠める也
2193 秋風之日異吹者水莖能岡之木葉毛色付爾家里
(139)あきかぜの、ひごとにふけば、みづぐきの、をかのこのはも、いろづきにけり
日異 前にも注せり。諸抄は日にけにと讀めり
水莖能岡 第六卷にある水莖の所は筑前也。此歌の續皆大和なれば、はる/”\水莖の岡を筑紫まで求め出べきにもあらず。いかに共定め難し。八雲御抄又勅撰名所抄等には豐前豐後とありて不v決。古今集のあふみぶりの歌に續きて水莖ぶりとて、水莖の岡のやかたに妹とあれとねての朝けの露のふりはも。此歌を古來より近江の國の歌と傳へ來れり。然れ共近江ぶりとあげて、又別目に水莖ぶりと擧る事少心得難し。尤今も近江國に僅に少の岡ありて、水莖の岡と傳る由なれど、是は古今の歌を世に彼國と云習せしより、後に名付たるも知らず。勿論同名異所ある事はあげて數へ難ければ、此水莖の岡は何處とも決し難し。尚後考有べき也。歌の意は、紅葉は赤くて火の色也。なれ共秋風の日毎に吹から、水莖の岡に木の葉も火の色に染なすとの意迄の歌也
2194 鴈鳴乃來鳴之共韓衣裁田之山者黄始有
かりがねの、きなきしからに、からごろも、たつたのやまは、もみぢそめたり
歌の意聞えたる通也。唐衣は立由の山を詠まん爲の序也。黄の字一字にても紅葉と讀ませたるは、前に黄葉黄變と書たれば准じて略したる也
2195 鴈之鳴聲聞苗荷明日從者借香能山者黄始南
かりがねの、こゑきくなへに、あすからは、かすがのやまは、もみぢそめなん
苗爾 前に幾度も釋せり。聲きくが上と云意也。歌の意は能聞えたる也
2196 四具禮能雨無間之零者眞木葉毛爭不勝而色付爾家里
しぐれのあめ、まなくしふれば、まきのはも、あらそひかねて、いろづきにけり
(140)ま木の葉、凡ての木を指して云へる也。まは發語也。然るに※[木+皮]のことに、心得たる説もあり。不v可v信。※[木+皮]は常磐木色付べき樣無し。爭ひかねては、前にも後にもいくらも有詞堪へかねて也
2197 灼然四具禮乃雨者零勿國大城山者色付爾家里
いちじろく、しぐれのあめは、ふらなくに、おほきのやまは、いろづきにけり
いちじるくは、さのみ顯れて知らるゝ程雨も降らなくに、早もみぢせしとの意也。前の歌と表裏を詠める也
大城山 前にも注せり。第五、第八卷等に見えて何れも筑前の國にての歌也。此歌も筑前の大城なるべし。然し皇女の御名に大伯のみ子と云有。大和の國の地名によりて、多く皇子皇女の御名を稱せさせ給ふたれば、筑前の國の地名迄には及ぶまじき樣なれど、和州の地名あり。松原も筑紫の内の名所なれば、此大城筑前か。證明無ければ、強ては云難し。次の一本の注に、大城山者在筑前國御笠郡之大野山頂と書たるは後人の傍注也。古注者の筆記せるにも有べからず
2198 風吹者黄葉散乍小雲吾松原清在莫國
かぜふけば、もみぢちりつゝ、しばらくも、あがまつばらは、きよからなくに
吾松原は紅葉の色のあかとうけたる意なるべし。紅葉の散かゝるから、松原も赤くなりて、木葉にて清からぬと云意なるべし。散る木葉を掃拂ふを朝清め等いへば、清からなくにと云詞も、掃ひ捨てられざる義を詠める也。此吾松原も筑紫にある地名也。尤前に伊勢に御幸の時の御製にも見えたれど、大城山の續をより處として云はゞ、筑紫と見るべき也
2199 物念隱座而今日見者春日山者色就爾家里
ものおもひ、しのびをりつゝ、けふみれば、かすがのやまは、いろづきにけり
古今に、待ちし櫻もうつろひにけりと詠める、此歌等によれるか。歌の意句面の通にて能聞えたる也。物念隱座而、此二句は、色々の讀み樣あれ共、意は只物念ふ事ありて、とぢ籠り居たれば、徒らに過行月日のいつと無く過行て、春日の山も、秋の紅葉の時節になりけるかなと、歎じたる意也。春日山凡て集中に、はるひと讀までは歌の意面白からぬ歌あまた有。然れ共先達皆(141)かすがとのみ讀來りたり。此歌も、はるひの山と讀たき歌、はる日の山も秋の紅葉の頃にしもなりけると、時節のおし移り變り行を籠りて知らぬ間に、今日しも見て驚くの意も能籠れる也
2200 九月白露負而足日木乃山之將黄變見幕下吉
ながづきの、しらつゆおひて、あしびきの、やまのもみぢん、みまくしもよき
見るもよきとの意也。別の意なく能聞えたる歌也
2201 妹許跡馬鞍置而射駒山撃越來者紅葉散筒
いもがりと、うまにくらおきて、いこまやま、うちこえくれば、もみぢちりつゝ
いもがりとは妹が許へと云義也。がりとは前にも毎度ある如く、所をさして云古語也。伊駒山を越ゆると云はんとて、馬に鞍置てと詠出たる也。歌の始終の意は、只紅葉の散ると云事を詠める迄也
2202 黄葉爲時爾成良之月人楓枝乃色付見者
もみぢする、ときになるらし、つきひとの、かづらがえだの、いろづくみれば
月人楓枝 これは兼名苑云、月中有v河河水上有2桂樹1云々。是より月のかづらと云事を云習ひ、月をかつらをとこ共云來れり。然れば此歌は古今集に、久方の月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらん、と詠める意の如く、月の桂の光もさやけき秋の頃なれば、なべての木々も紅葉する時にはなりぬらしと詠める意也。古今の歌もこれらを考へて詠みなせる歟
2203 里異霜者置良之高松野山司之色付見者
さとごとに、しもはおくらし、たかまどの、やまのつかさの、いろづくみれば
山司之 第四卷に岸司と詠み、第十七、第二十卷に野司と詠める、皆野山岸の高き所を指して云へる義と見えたり。歌の意は、里毎に最早なべて霜の置べし、高圓山は紅葉さへし初めたるとの意也
(142)2204 秋風之日異吹者露重芽子之下葉者色付來
あきかぜの、ひごとにふけば、露しげみ、はぎのしたばは、いろづきにけり
秋風の日毎に吹とは、秋冷の氣の日に増から、露も深く秋も更行故、草木も紅葉するとの意也。諸抄の假名は、日にけにと云説なれど、日にけにと云義不v濟ば、日日毎日の意と義を安く見る也
2205 秋芽子乃下葉赤荒玉乃月之歴去者風疾鴨
あきはぎの、したばいろづき、あらたまの、つきのへゆけば、かぜをいたみかも
下葉赤 古本印本等したばもみぢぬと讀ませたり。同じ義訓なれ共、下葉色付と讀みても然るべし
風疾鴨 風のはげしくなりたるとの義也。なれば下葉色づきと讀む方連續せるか
2206 眞十鏡見名淵山者今日鴨白露置而黄葉將散
まそかゞみ、みなふちやまは、けふもかも、しらつゆおきて、もみぢちるらん
まそかゞみは、見なの見と云詞に續けたる也。眞十鏡に意あるにあらず。此歌露にて紅葉の散と詠みたり。露霜にて染とも詠み、かく散とも表裏詠みなせり
2207 吾屋戸之淺茅色付吉魚張之夏身之上爾四具禮零疑
わがやどの、淺茅色付、よなばりの、なつみの上に、しぐれふるらし
吉魚張 ふなばりと讀ませたれど、吉魚二字合て、ふなと讀ませたる證例未v考。よなばりなるべし。古名張と書しを其儘に見て讀みなせるか。又よなばり、ふなばり、別地なるか、決し難し。吉の字、よと讀事當然知れたる事也。フと讀事心得難し。吉の字と見る方安からんか
夏身 地名、其邊を指て上にと云へる也。なつみ川と云も有。此歌、前の歌共に淺茅色付と詠みて二首共によな張のなみしば(143)なつみと詠める義いかゞ、別意あらんか。作者の意を不v知、よなのなに、なつみのなを承たるか。前の歌もなみしばと承たり
疑 らしと疑の詞故、義訓に讀ませたり。此後幾度もある字也
2208 鴈鳴之寒鳴從水莖之岡乃葛葉者色付爾來
かりがねの、さむくなくから、みづぐきの、をかのくずはも、いろづきにけり
水莖乃岡 前にも注せる如く、前後皆大和の地名、其中にはる/”\筑前の地名を詠める事も不審也。後々の歌に、水莖の岡に葛葉を詠合せる事は、此歌より也。歌の意は聞えたる通也。葛葉の紅葉を詠める事、染め安きもの故歟。奥に寄黄葉歌にも、第一、第二卷に葛かづらを擧られたり
2209 秋芽子之下葉乃黄葉於花繼時過去者後將戀鴨
あきはぎの、したばのもみぢ、はなにつぎ、ときすぎゆかば、のちこひんかも
花散りて下葉紅葉したらんか。其も散過行かば、花につぎていとゞ戀慕はんかと也。花につぎは、飽かずめでし花に續きてめでなんに、それも續て散過行かば、後戀ひんと兩義を兼ねての續き也。飽かずめづる心から、未だ散らざるに思ひ煩ふ意也
2210 明日香河黄葉流葛木山之木葉者今之散疑
あすかゞは、もみぢばながる、かつらぎの、やまのこのはは、いましちるらし
歌の意は聞えたり。古今集に、立田川の歌餘りに近き歌也。古人も當集を委くは見ざる歟。古人は詞の似通ふことをさのみに厭はざる歟。袖書には尚飛鳥川とさへ載せたり。葛木山を思遣りて詠めるなるべし。尤〔以下注ナシ〕
2211 妹之紐解登結而立田山今許曾黄葉始而有家禮
いもがひも、とくとむすびて、たつたやま、いまこそもみぢ、はじめたりけれ
妹之紐解登結而 此句解し難き句也。諸抄の説もとくとても、むすぶとても、袴の紐は立て解結するもの故、立と云言葉を設(144)けんとての義と釋し、清輔、仙覺の説も不2一決1也。後撰にも、解と結と立田山今も紅葉の錦おりけると詠める歌有。清輔は、此後撰の歌に基て、此歌をも、とくとむすぶと、假名に書置かれたるが、而の字、とゝはいかに共讀難し。通音にても例無ければ結而の二字むすぶとゝは讀まれまじ。故ありてかく讀置きたる歟抔奥義抄を立てゝ注せる抄もあれど、若し而の字、との字の誤りと見る説はあるべし。此儘にては、清輔の假名書は信用し難し。或説に説文の紐の字の字注を引て、結而可v解者也とあれば、此句は隔句に心得べしとの説有。結びしを解とて、立田山と續けたるの句と見るとの事也。いか樣にも解し難き句故、色々の説ある也。愚案は、只紐の解くると結びて立田山とうけたる句と見る也。解くれば結びて立つと只安く見たる也。何れか是ならんや。歌の意は、只立田山の紅葉し初めたると云迄の義也。立田山と云はんとて、妹が紐解と結びてと詠出でたる也。上の句に意は無き事なれ共、句の義理六ケ敷故、後案樣々まち/\也
2212 鴈鳴之喧之從春日有三笠山者色付丹家里
かりがねの、なきにしからに、かすがなる、みかさのやまは、いろづきにけり
別の意なき歌也
2213 比者之五更露爾吾屋戸乃秋之芽子原色付爾家里
このごろの、あかつきづゆに、わがやどの、あきのはぎはら、いろづきにけり
別意なき歌也
2214 夕去者鴈之越往龍田山四具禮爾競色付爾家里
ゆふされば、かりのこえゆく、たつた山、しぐれにきそひ、いろづきにけり
此軟も龍田山の時雨に競ひて、木の葉の染る景色を詠める迄にて、上は龍田山を詠出づる迄に續きて別の意なき也
2215 左夜深而四具禮勿零秋芽子之本葉之黄葉落卷惜裳
(145)さよふけて、しぐれなふりそ、あきはぎの、もとはのもみぢ、ちらまくをしも
さ夜ふけてと詠めるに意有るにあらず。本葉、毎度歌に詠める詞也。末葉と詠めるに對して本葉共詠める也
2216 古郷之始黄葉乎手折以而今日曾吾來不見人之爲
ふるさとの、はつもみぢばを、たをりもて、けふぞわがくる、見ぬひとのため
けふぞと詠めるは其當然の義を詠める也。古里と有るから、初紅葉と詠める處の趣意迄の歌也
2217 君之家乃黄葉早落之者四具禮乃雨爾所沾良之母
きみがいへの、もみぢのはやく、ちりゆくは、しぐれのあめに、ぬれにけらしも
よく聞えたる歌也。雨にぬれ弱りたる故早く散行と世。此歌素本印本等文字顛倒あり。一本如v此有るを正本とす
2218 一年二遍不行秋山乎情爾不飽過之鶴鴨
ひとゝせに、ふたゝびゆかぬ、あきやまを、こゝろにあかず、すぐしつるかも
秋山の黄葉を賞愛して過しつるとの意也。別意なき歌也。ゆかぬとは往來せぬとの意也。前にも、まことふた世はゆかざりし等、詠める意に同じ
詠水田 陸田に對しての水田也。稻を殖る田也。和名抄云〔漢語抄云、水田【古奈太】田填〕
2219 足曳之山田佃子不秀友繩谷延與守登知金
あしびきの、やまだつくるこの、ひでずとも、しめだにはへよ、もるとしるかに
ひでずともは、苗生立て穗には未だ出でず共と云意也。仙覺は稻の好からず共と云意と注せり。いか樣にても意は同じ。鹿など荒さゞる樣に、繩など引廻して不v入樣にせよと也。さあらば守る人もありと知らんにと也
知金は 知るにてあらんにと云意也。古歌の詞也。ねとにと通ふ詞也。鹿等の知りて恐れて來じと云意と釋せる人もあれど(146)入ほかなる説也。只人の知るかにと云迄の意也
2220 左小牡鹿之妻喚山之岳邊在早田者不苅霜者雖零
さをしかの、つまよぶやまの、をかべなる、わさだはからじ、霜はふるとも
早田はわせ田也。此歌は感情深き意をこめて詠めると聞えたり。妻戀する鹿の立隱れん山田なれば、鹿に情をかけて、霜は置とも妻戀果つる迄は苅らじと也。新古今には、妻とふ霜はおく共と直して載せられたり。當集の歌を引直して、後々の集に載せられたる事心得難き事也。時代の風體と云事を不v考の仕業也
2221 我門爾禁田乎見者沙穗内之秋芽子爲酢寸所念鴨
わがかどに、もるたをみれば、さほのうちの、あきはぎすゝき、おもほゆるかも
是は門田の熟したる頃は萩薄の咲亂るゝ折なれば、元居し處抔の事を思遣りて詠めるなるべし
詠河
2222 暮不去河蝦鳴成三和河之清瀬音乎聞師吉毛
ゆふさらず、かはづなくなり、みわがはの、きよきせおとを、きけばしよしも
夕さらずは夕毎に也。又夕部までもと云ふの意にも詠める也
詠月
2223 天海月船浮桂梶懸而※[手偏+旁]所見月人壯子
そらのうみに、つきのふねうけ、かつらかぢ、かけてこぐみゆ、つきひとをとこ
月を舟に見立て、月の桂を梶に取なして、全體月にて仕立たる歌也。第九卷の、空の海に雲の波たち月の船の歌の姿に同じき歌にて、今時は好ましからぬ風體ならんかし
(147)2224 此夜等者沙夜深去良之鴈鳴乃所聞空從月立度
このよらは、さよふけぬらし、かりがねの、きこゆるそらゆ、つきたちわたる
能く聞えたる歌也
2225 吾背子之挿頭之芽子爾置露乎清見世跡月者照良思
あがせこが、かざしのはぎに、おくつゆを、さやかにみよと、つきはてるらし
別の意なき歌也
2226 無心秋月夜之物念跡寐不所宿照乍本名
こゝろなく、あきのつきよの、ものもふと、いのねられぬに、てりつゝもとな
此歌のもとなと云詞聞え難し。歌の意は、由無くも心もなく月は物思ふに、猶悲しき秋の哀れを添へて照りつゝと云意也。此歌にては、由なくと云意に叶へる詞なれど、語釋不v濟ばそれと定め難し
2227 不念爾四具禮乃雨者零有跡天雲霽而月夜清烏
おもはぬに、しぐれのあめは、ふりたれど、あまぐもはれで、つきよすめるぞ
時雨は時の間に晴れ曇るものなれば、思はぬにと詠めるは理り也
清烏 すみけり共讀べき歟。諸抄の讀樣は、すめるを、きよきを抔讀めり。歌の意いかに聞きなせるにや。けりとか、ぞとか止めては歌の意不v通也。烏の字をぞと讀めるは、からすを、おそ鳥と云そを取りて也。前にも毎度烏焉鳥の三字の違あり。此歌もけりと讀まば鳥の字にて、りの一語を取れる也。ぞなれば烏と云字なるべし
2228 芽子之花開乃乎再入緒見代跡可聞月夜之清戀益良國
はぎのはな、あきのをはりを、みよとかも、つきよのすめる、こひますらくに
(148)此歌古本印本諸抄讀み樣いかに共心得難く、歌詞にもあらぬ假名を付たり。咲くのを二人を抔讀みて、句中無き詞を添へて色々と憶説を注せる抄共多し。いかに共不v聞也。宗師案、再の字は羽の字の誤りなるべし、さなくて如何に共讀解樣なき歌也。正本の出て歌の義相聞ゆる迄は羽の字と見て歌の意安く通ずる也。秋も稍更行く頃の、月さやけくも照するは、飽かずめで馴染みし萩の花の、既に移ろふ秋の終をも、猶飽かなくも見よとか照すらん、いとゞ名殘の思の益にと聞得たる也。此外に義安く聞ゆる説あらば、それをこそ乞願ふ耳
2229 白露乎玉作有九月在明之月夜雖見不飽可聞
しらつゆを、たまともなせる、ながづきの、ありあけのつきよ、みれどあかぬかも
月の光の白露に映じて、共に磨ける玉共見ゆるさやけき月夜は、幾夜見るも飽かぬ氣色を詠める也。玉作有は玉にもすれる共玉につくれる共讀べし。意は同じ
詠風
2230 戀乍裳稻葉掻別家居者乏不有秋之暮風
こひつゝも、いなばかきわけ、いへゐせば、ともしくもあらじ、あきのゆふかぜ
此歌現在と未來と讀樣有。今讀みたる假名は未來の讀樣なれど、現在の歌ならんか。然らば家居者を、住みをれば乏しくもあらぬ秋の夕風と讀べし。乏もあらぬは珍しくもあらぬと詠べし。乏もあらぬ意、又寂しくも無きの意なるべし。戀つゝもと云は、田家の秋興を好み慕ひての意なるべし。侘つゝもと云意にもあらんか。然れば元より住佗びて住居るの意也
2231 芽子花咲有野邊日晩之乃鳴奈流共秋風吹
はぎのはな、さきたるのべに、ひぐらしの、なくなるからに、あきかぜのふく
當然の景色を詠める歌也。萩の花の咲頃は、日晩之も鳴きて、稍秋深くなり行から、秋風寒く吹く折の景色を云へる也
(149)2232 秋山之木葉文未赤者今日吹風者霜毛置應久
あきやまの、このはもいまだ、そめざれば、けふふくかぜは、しもゝおきぬべく
此歌の手爾波少し聞得難し。此歌の者の字も前にも注せる如く、にとかをとか讀までは成難き歌也。木葉も未だ染ざるに、けふ吹風はと讀べき歌也。未だ木葉も不v染に、今日俄にも風はげしくて、秋も夜寒に霜も置ぬべく、驚かれたる歌と聞ゆる也。然れば者の字は、※[者/火]の字を誤りたるならんか。應の字を鴈の字に誤りたれど、一本應の字に記したるを正本とすべし
詠芳
薫芳の義を詠める也。芳草芬地などと云時は、その物を賞めたる詞也。之は香芳の義也
2233 高松之此峰迫爾笠立而盈盛有秋香乃吉者
たかまどの、このみねもせに、かさたでゝ、みちさかりなる、あきのかのよさ
笠立而、借訓に聞説有。又或説に木々の紅葉を、錦の笠を張りて峯を挾みて立たる如く、紅葉の盛りの景色を詠たると有。一筋無きにもあらず。然れ共秋の香のよさと詠たれば、峯もせにとは狹きと云意と同じく、峯一杯にと云義にて、秋風の吹立る芳草薫木の香のよきと詠める意と聞ゆる也。然れば風立の意と見るべし
詠雨
2234 一日千重敷布我戀妹當爲暮零禮見
ひとひには、ちへしく/\に、わがこふる、いもがあたりに、しぐれふれ見ん
しく/\は、際間も無く思慕ふ義也。下の句の時雨降れ見んと云句、不v穩句也。歌の意も斯く讀みては少叶ひ難き樣也。らりるれ通じて、れもると通じて讀まんか。然らば只戀慕ふ妹があたりに、時雨の降るを見ると云迄の歌に聞ゆる也。時雨降れと下知したる意難2心得1也。殊に觸れ見むと云詞餘りにつまりたり。尚後案すべし。或説に、一日には千重しく/\に慕思(150)ふから、たゞも見やられねば、時雨の降れかし。それをかこつけに見やらんとの意と云へり。六ケ敷見樣也。古詠は只淺きを本とすれば此説もいかゞ
右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
2235 秋田苅客乃廬入爾四具禮零我袖沾干人無二
あきたかる、たびのいほりに、しぐれふり、わがそでぬれぬ、ほすひとなしに
家を出て外にあるは、暫くにても旅也。よりて田を苅所をも旅の庵とは詠めるならん。此下にも、田鶴が音の聞ゆる田井に庵してわれ旅なりと詠る歌も有。歌の意は能く聞えたり
2236 玉手次不懸時無吾戀此具禮志零者沾乍毛將行
たまだすき、かけぬときなし、わがこひは、しぐれしふらば、ぬれつゝもゆかん
玉襷はかけぬの冠辭也。たとひ時雨の降りたり共、沾れて思ひわぶる方へ行かんと也。別意無き歌也
2237 黄葉乎令落四具禮能零苗爾夜副衣寒一之宿者
もみぢばを、ちらすしぐれの、ふるなへに、夜副衣さむき、ひとりしぬれば
夜副衣寒 此をふすまぞ寒きと義訓せる説も有。又夜さへぞ寒き、よるもぞ寒き共讀めり。何れも意は同じくて、少計の違有。好所に從ふべし。歌の意能く聞えたり
詠霜
2238 天飛也鴈之翅乃覆羽之何處漏香霜之零異牟
あまとぶや、かりのつばさの、おほひばの、いづこもりてか、しものふりけん
何の意も無く、何處より漏りてか霜の降りたるならんとの歌也。何處漏りてかと詠まんとて、天飛やから詠出でたる也。此(151)詞共皆前に出たる詞也。覆羽とは、只廣げたる羽の義をさして云へり。鳥の羽をば開きたるは物を覆ふに等しければ、おほひばとは雁に限らず、諸鳥に云事也
秋相聞
2239 金山舌日下鳴鳥音聞何嘆
あきやまの、したひのもとに、なくとりの、こゑだにきかば、なにかなげかん
舌日 下樋也。日本紀の歌には、下樋をわしせと云古語有。下光なりと云鑿説もあれど、信用すべき事にあらず。金山は義訓にて秋山也。秋の相聞なればかくは詠出でたり。五文字にて秋の相聞には入れたる也。鳥はいつも鳴もの也。歌の意は思ふ人を見る事はさら也。聲をも聞かず隔て慕へば、せめて下樋の下に鳴く鳥の如く、其聲だに聞きなば、か計りは歎き慕はじとの義也。此卷末にも、朝霞かひやがしたの歌の意も是に同じ。鳥を戀慕ふ人にして詠める也。金山を、かな山のと讀める説も有。論ずるに足らざる義也
2240 誰彼我莫問九月露沾乍君待吾
たれかれに、われをなとひそ、ながづきの、つゆにぬれつゝ、きみまつわれを
此歌初五文字色々の見樣有。何れをか是とせん。後人の好所に可v從。たそがれにと讀む意は、たそがれ時に門などに出て、露霜にぬれ萎れて、人を待居る我なる程に、何をかもして待てるなど問ひ表すなと云意也。又たそがれもと讀説有。又たそがれとゝ讀説有。各意異也。たそがれも、たれかれも我を問ふなとの意、たれかれとは、誰なるぞ、彼なるぞと、咎め問ふ抔の意也。然れば黄昏時は、物のあやめの見え分かぬ時なるから、其名を負へるなれば、時にして見る方問ふと有義には叶ふべからん歟。白日ならば間ふべき理も無からん歟
2241 秋夜霧發渡夙夙夢見妹形矣
(152)あきのよの、きりたちわたり、ほのかにも、ゆめにぞみつる、いもがすがたを
夙夙の二字を朝な/\と讀ませたり。心得難し。上に秋の夜のと讀みて、朝な/\夢に見るとは續かぬ義、一首の内、上と下と別々に意を見るべきや。一首の全體只仄かにうす/\と云意にて、夢に見たると詠める歌也。よりて上の霧立渡りも、を暗く、鮮かならず、それかあらぬかと云如く、夜の夢に見たるとの歌也。夙夙の字は覺束な共、ほの/”\共讀まんか。音を借て、しく/\にと讀と云説もあれど、しく/\の意に叶ふべくも不v有也
夢見 此を、ゆめのごと見しと讀ませたれど、如の字無くては讀難し。凡て當集の歌、三十一字を十宇、十一、十二字にも書きて讀みなしたる歌共數多あれ共、前に書記したる例に叶ふ歌は、其例をもて略して書ける事多し。然れ共文字少き歌は、添へ詞少く読みなすを、當集を讀解く習とする也。歌の義通ずるなれば、添詞は、一言にても少く讀むを專とすれば、此歌も如くと云字無ければ、無くて歌の意聞ゆる樣に讀べき事也。歌の意は、秋の夜に霧立ちて、仄かに物の定かならぬ如く、夢に見つるとの義也。只夢の如く見たると云義ならば、夢までには及ぶまじ。只はつ/\に見し抔にて、上の霧立渡ると云にて、仄かなる意は聞えたれば、夢の如くと云迄には及ばぬ也。然れ共、夢に見たる處を詠める歌故、如v此は詠める也
2242 秋野尾花末生靡心妹依鴨
あきのゝの、をばながうれの、おひなびき、こゝろはいもに、よりにけるかも
尾花のしだり靡ける如く、妹に心のよると也。なびくと讀める本もあれど、然る不v可
2243 秋山霜零覆木葉落歳雖行我忘八
あきやまに、しもふりおほひ、このはちり、としはゆくとも、われわすれめや
年老いて頭に霜は置共、思ふ中の事は忘れずあらんと也。髪も白け、齒も落たり共と云意を寄せて也
右柿本朝臣人麻呂之歌集出
寄水田
(153)2244 住吉之岸乎田爾墾蒔稻乃而及苅不相公鴨
すみのえの、きしをたにほり、まきしいねの、しかもかるまで、あはぬきみかも
住のえの岸を田にはるとは、別に意有て詠めるにはあらず。只海邊の岸を田にはるは。水田と有故、水邊を縁に詠みて、辛勞して作りし田を苅る迄も、連ふ事無き苦しき意をよせて詠める也。逢はで程經る義を田によせて也
墾 は田をすき返し、好く調へ收むるを、はると云也。にひばりの今つくる道抔詠みて、作りならす事也。玉篇云、墾、苦根切、耕也、治也、發也、云々。此歌拾遺には、人麿の歌にして、きしをたにほりと直し、苅乾す迄も逢はぬ君かなと直して載せられたり。心得難き事也。ほると、はるとは同じ樣なれど心少違也。而及苅をかりほす迄とは讀み難き也。しかもと讀みたるにて、歌の意深切に聞えたり
2245 劔後玉纏田井爾及何時可妹乎不相見家戀將居
たちのしり、たまゝくたゐに、いつまでか、いもをあひみず、家こひをらむ
たちのしりたまゝく田井とは、上古は皆、劔の鞘に玉をもて飾れり。史記申春君傳云、刀劍室以2珠玉1飾v之云々。室とは鞘の事也。たまゝきの田井と云地名在りて、其所を云はんとて、たちのしりとは詠たる也。玉まきの田井國不v知。凡て古詠の格何の由來も無き地名を詠むには、其詞の縁を請けて詠める事多し。此歌も、田井と詠まんとて、たと云詞を、上より詠出したると見えたり。歌は此續うけを詮とするものなれば、ケ樣にはうけ續けたるなるべし。家と云字は、我の字の誤りなるべし。家戀をらんと云義心得難し。決て我の字の誤りなるべし
2246 秋田之穗上爾置白露之可消吾者所念鴨
あきのたの、ほのへにおける、しらつゆの、けぬべくわれは、おもほゆるかも
人を戀佗び、思ひに死ぬべく思ふとの義を、露のけぬべくと寄せたり
(154)2247 秋田之穗向之所依片縁吾者物念都禮無物乎
あきのたの、ほむきのよれる、かたよりに、われはものおもふ、つれなきものか
穗向は稻の穗のしなひ片寄るは、なべて一方へ片寄る也。よりて我獨の片思に物思ふ事に譬へたり。片思に思ふは、つれ無きものかなとの意也。素本には吾の字、五の字に誤れり。一本吾の字を爲2正本1也
2248 秋田※[口+立刀]借廬作五百入爲而有藍君※[口+立刀]將見依毛欲得
あきのたを、かりほにつくり、いほりして、あるらんきみを、みんよしもかな
歌の田をかりとうけたる也。かりの庵をしてゐる人を見たきと也。田を詠める歌故、秋田と云義を何ぞに寄せて詠める歌共也。句中に詳しき意を含めて、詠める歌共にはあらず。此歌は、女の歌ならんか。次の歌贈答の樣に聞ゆる歌共也
2249 鶴鳴之所聞田井爾五百入爲而吾客有跡於妹告社
たづがねの、きこゆるたゐに、いほりして、われたびなりと、いもにつげこそ
此歌もたづと詠めるに、別に意あるにあらず。詞の縁迄也。われ旅なりとは、旅にありと云義也。常居の外、皆旅と云意也。尤旅は、田べの意をも兼ねて、田邊にゐると、妹に告げこせと也。上にたづが音と詠たれば、たづに告げよと云へる義と聞ゆる也。前の歌の見むよしもがなと詠めるは、女の歌に聞え、此歌は返歌の意に聞ゆる也
2250 春霞多奈引田居爾廬付而秋田苅左右令思良久
はるがすみ、たなびくたゐに、いほづきて、あきたかるまで、しのばしむらく
久しく戀慕ふ意也。春より秋過迄も逢はざる事を詠める意也。いほづきては、庵を作りて也
2251 橘乎守部乃五十戸之門田早稻苅時過去不來跡爲等霜
たちばなを、もりべのいへの、かどたわせ、かるときすぎぬ、こぬとなるらしも
(155)橘をもりべ、此も守部と云所の名なるべし。橘の實を人に取らせじと、守ると續けたり。守部は地名なるべし。守部王と云有。當集に見えたり。此王子の名も、此地名をおもて名付られたるか。然らば大和の内にあらんか。早稻を苅時だに過ぎたるとは、久敷來ぬとの事、橘をもるとは、春夏より秋過る迄の意也。來ぬとなるらしとは、來ぬにてあるらしと云義也
寄露
2252 秋芽子之開散野邊之暮露爾沾乍來益夜者深去鞆
あきはぎの、さきちるのべの、ゆふづゆに、ぬれつゝきませ、よはふけぬとも
能く聞えたる歌也
2253 色付相秋之露霜莫零妹之手本乎不纏今夜者
いろづける、あきのつゆしも、なふりそね、いもがたもとを、まかぬこよひは
色付相 色づきあふと讀ませたれど、心得難き讀樣也。只秋と云縁に詠める五文字也。秋の草木紅葉すなれば、只色づくと云へり。あふと云ひて、彼と此と相あふ事の義無くては六ケ敷也。相の字は、りとも、るとも讀む字なれば、安く讀べし。妹が袂を枕として寢ぬ今宵は、露霜も置くな、置かば夜寒ならんにと云の意也。露霜と云て一品霜のあると云説の有も、ケ樣の歌よりならんか。零と計にては、霜にかゝりて露にかゝらぬ詞故也。露もふる共讀べき事也
2254 秋芽子之上爾置有白露之消鴨死猿戀爾不有者
あきはぎの、うへにおきたる、しらつゆの、けかもしなまし、こひにあらずば
此歌戀にあらずばと云義、通例に聞きては六ケ敷也。當集中に此詞擧げて數へ難し。前にも注して第八卷に、弓削皇子の御歌同歌にて、戀爾は、彼の御歌には、戀管不有者とある計りの代り也。戀爾しなばと云意也。戀に堪へ兼ねて、得不2存有1ばと云意也。次の歌にも有
(156)2255 吾屋前秋芽子上置露市白霜吾戀目八面
わがやどの、あきはぎのへに、おく露の、いちじろしくも、わがこひめやも
聞えたる歌也
2256 秋穗乎之努爾押靡置露消鴨死益戀乍不有者
あきのほを、しぬにおしなみ、おくつゆの、けかもしなまし、こひつゝあらずば
秋の穗とは、凡て千草の穗に出たる種々の穂をさして也。稻穂には限るまじ。しぬには、しどろに亂れ押靡けて也。戀つゝあらずばとは、前に注せる通也。戀に死ぬるものならば、露の如く消果ましと云意也
2257 露霜爾衣袖所沾而今谷毛妹許行名夜者雖深
つゆしもに、ころもでぬれて、いまだにも、いもがりゆかな、よはふけぬとも
今夜の更けたり共、妹が許へ行かんとの意也
2258 秋芽子之枝毛十尾爾置露之消毳死猿戀乍不有者
あきはぎの、えだもとをゝに、おくつゆの、けかもしなまし、こひつゝあらずば
十尾爾 たわむ樣にと云義也。五音通にて同じ詞也。歌の意は前の歌共と同じ
2259 秋芽子之上爾白露置毎見管曾思努布君之光儀乎
あきはぎの、うへにしらつゆ、おくごとに、みつゝぞしぬぶ、きみがすがたを
光儀乎 よそひを共讀べき歟。萩の上に白露の置たるは、えも云はれぬなよやげに、はえあるにつけて、戀慕ふ人の姿を慕ふとの意也
寄風
(157)2260 吾妹子者衣丹有南秋風之寒比來下著益乎
わぎもこは、ころもにあらなん、あきかぜの、さむきこのごろ、したにきましを
衣にあれかし。寒き夜々は、心の儘に着ましと、我ものとして寢たきとの意也
2261 泊瀬風如是吹三更者及何時衣片敷吾一將宿
はつせかぜ、かくふくよるは、いつまでか、ころもかたしき、わがひとりねん
初瀬風は、はげしき事に詠み來れり。よりて夜寒の風の吹くに何時迄か我獨り衣片敷きて寢んと歎きたる也。夜はと云者の字、少不v合手爾波也。前々の者の字の如く、夜をと讀度き處也。衣はと讀みても、ねんと有から晝いねぬものなれば、よるはと斷りたる意にも聞ゆれ共、をとあらば聞き安かるべき也
寄雨
2262 秋芽子乎令落長雨之零比者一起居而戀夜曾大寸
あきはぎを、ちらすながめの、ふるころは、ひとりおきゐて、こふるよぞおほき
長雨は物寂しきもの故、いとゞ人を戀慕ふ心にて、戀ふる夜ぞ多きと也。別の意無し
2263 九月四具禮乃雨之山霧煙寸吾告※[匈/月]誰乎見者將息
ながづきの、しぐれのあめの、やまぎりの、いぶせきわがむね、たれをみばやまむ
煙寸 けむきと讀ませたり。けむきと云も、思ひに迫りて、心の晴れず物憂き意、いぶせきも同じ意也。歌の意皆思ひに迫りて心の晴やかならぬ義を、雨霧の降り續きつゝうつ/\たることに寄せて詠める也。誰れを見ばやまんとは、思ふ人を見ぬ迄は、誰を見る共、など此思ひの止まんやと、云へる意也。誰を見ても止まぬとの意也
一云十月四具禮乃雨降 此れは上の二句の或説也
(158)寄蟋
蟀の字を脱したると見えたり。目録には二字を記せり。目録は證明にはならねど、直ぐに歌に二字を用ひたり
2264 蟋蟀之待歡秋夜乎寐驗無枕與吾者
こほろぎの、まちよろこべる、あきのよを、ぬるかひもなし、まくらとわれは
待歡とは、文選等にも蟋蟀俟v秋※[口+金]と有。蟋蟀は秋待ちて鳴くものなれば也。歌の意は蟋蟀は秋の長き夜を待ちて鳴くも、喜び鳴くなれど、吾は蟋蟀の喜ぶ夜のしるしも無く、只獨りのみ寢るとの義也、。蟋蟀の喜ぶ甲斐も無きとの意也。枕とわれはは、枕と我とのみ寢るとの義也
寄蝦
2265 朝霞鹿火屋之下爾鳴蝦聲谷聞者吾將戀八方
此歌は古來説々區々世。俊成卿の説爲v是。各其説に隨而釋せり。鹿蚊を追ふ火の屋と云義也。尤此外色々説有て一決もせざれど、多分蚊を遣り鹿を追ふ火の事に云來れり。仙覺律師偶朝霞、かと續く事の釋を云へり。尤可ならんか。朝霞、かとうけたる義不v濟義也。是は當集中にいか程も有て、霞は日邊の餘光、目の光の餘りと云義が正義にて、古來の説皆これ也。歌に詠めるも其意也。かとうけたるは其意にて也。あかと云かの一語にうけたるか。又かゞやくと云意にうけたるか。兎角上の一語にうけん迄の朝霞と見る也。朝霞かすか抔詠める歌も數多有て、今の世の霞を詠める意と、古來の字義且歌によみしも意違たり。諸抄の説は、鹿火の煙の立ちて、山腰などに霞の如くなるから、朝霞と詠めるとの義心得難し。仙覺説の如く、只かがやくとか、又あかのかにかうけたる迄の詞は、下の火やと云迄には不v及義也。かひやを人の居る家所の屋と見ては、蝦の住み鳴く義心得難し。宗師發起は山のかひ、谷と云義と見る也。谷を屋と云也。かひは間也。山の間にの、下に鳴かはづと云義也。蝦の火により家屋によるものには非ず。谷川溝にこそは住もの也。これにて可v辨。若しかひやがもと、地名などならば、朝霞は吾背が住也。あさも、あせも同音にて、あが背の住む處と云義なるべけれど、山の間谷と見る方義安かるべし。下の(159)句の意は、前にある舌日下の歌の意に同じ
寄鴈
2266 出去者天飛鴈之可泣美且今且且今且云二年曾經去家類
此歌諸抄の説と宗師案とは表裏せり。諸抄は初五文字を、我出て行事に讀みて、全體の意其意をもて釋せり。宗師の意は、人の出ていにし事に見る。鴈と云詞は、我事によそへて詠めると見る也。先世間の説は
いでていなばあまとぶかりのなきぬべみけふ/\といふにとしぞへにける
如v此讀みて、我出て行かば殘る人名殘惜みて、泣きぬべき故、今日はいで行かん明日は出んと思ひ、人も今日は/\と留めるに引かれて、年を經るとの意也。然れ共、出去者の三字、如何樣にも讀まるれば、此意全躰の首尾を調へたる共不v聞也。出去者の三字は、いでさらば共、いでてゆけば共、いでぬれば共讀めば、意彼と我との意に違有。扨且今且の字も難2心得1。一本には且今日且今日共有。如v此にては、けふけふ共讀まるべし。然れ共、且の字餘れり。又、且今の二字なれば、前にもこんと讀ませたり。且今且の三字にては、けふ/\共讀難し。又けふ/\と云にと讀みて、此歌の意聞えず。今日出いなん、けふいでいなんと云にと、詞を添へて不v解ば不v聞也。なれば宗師案は、下の且の字は二字共衍字なるべし。如v此書ける處には、毎度誤字衍字あるものなれば、且今の二字を重て書たると見ゆる也。それなれば
いでていねばあまとぶかりのなきぬべみこん/\といひしにとしぞへにける
君がいでていにたれば、我は名殘を慕ひて泣きぬべみ、こん/\と云ひても來ざりければ、待わぶるに年を經るとの意に見る也。天とぶ雁とは、我事に比して云へると聞えたり。いかにとなれば、かりとは我事を云詞なれば也。愚意未2落付1。雁のと云詞我事に比したらば、雁はと云たきもの歟。亦且今の二字且今日の三字の事、集中此書法の例未v遂2精考1。如v此の類の字法、當集の中あまた有。追而可v考。且こんこんと云しにと、詞を餘す事不審、何とぞ別訓あらん歟。二の事外にも、てと讀までは義不v通歌有り。而の字に通ふ義ありて、古くは而の字に用たる歟。不審追考すべき歌也。且今且の三字にては、いかに共不v(160)通。誤字衍字の内は免るまじき也
寄鹿
2267 左小牡鹿之朝伏小野之草若美隱不得而於人所知名
さをしかの、あさふすをのゝ、くさわかみ、かくろひかねて、人にしらるな
能聞えたり
2268 左小牡鹿之小野草伏灼然吾不問爾人乃知良久
さをしかの、をのゝくさふし、いちじるく、われはとはぬに、ひとのしるらく
吾は問はぬには、物云かはさぬにと云義也。事問はぬなど云義と同じ。不v問は云はぬと同じ。歌の意聞えたり
寄鶴
鶴は四季に渡りて歌にも詠侍るを、當集には秋の部に載せたり。今の世には冬を專とする、此等時代の風躰異なる也
2269 今夜乃曉降鳴鶴之念不過戀許増益也
このよるの、あかつきくだち、なくたづの、おもひはすぎじ、こひこそまされ
鶴は夜子を思ふと云事ありて、多く歌にも夜毎の子を悲む義を詠めり。此歌にも、曉くだちと有りて、曉まで鳴と云意、思ひありて鳴く意に詠める也。よりて念不過とありて、鶴の思ひを我思に喩へて也。此不過と云は過しやらぬと云義にて、不v盡の事と釋し來れり。不過の字集中にあげて數へ難し。若遏の字の誤ならん歟。然らば不v盡の意安き也。不v過とは不v盡と云義と釋して義は濟め共、遏の字にては釋不v入に義安く聞ゆる也
益也 此益の字決語の字故、助語の意にて、れと讀むは、らりるれろは同通にて、なりと讀む字故、れと云詞の助字に用たると見えたり。
(161)寄草
2270 道邊之乎花我下之思草今更爾何物可將念
みちのべの、をばながもとの、おもひぐさ、いまさらになに、ものかおもはん
此歌の思ひ草に付ては、色々論ある事也。諸抄の説は、古今の歌に付て、此思草も龍膽の事と釋せり。仙覺は、なでし子共注せり。一決せず。先古今集の戀の部第一に、秋の野の尾花にまじり咲花の色にや戀ひんあふよしをなみ、と云歌に付て、まじる草花は龍膽と定家卿も書給へり。それは古今の歌の釋也。其後の人、此歌の思草も龍膽と見る由抄物に記せり。其より處は本院左大臣時平公の歌合の歌に、下草の花を見つれば紫にと詠めり。又源氏夕霧に、かれたる草の下より、りんだうのわれ獨り云々と有。又八雲御抄第三、龍膽物名外不v聞。但時平歌合に、下草の花を見つれば紫にと詠めりと有。八雲御抄、思草と云は露草なりと、通具卿の説也と、露草の所に記されたり。是皆此集をふまへて云たる義と見て、定家卿も古今の、尾花にまじり咲花龍膽とは決せられ、其後の人誰れかこれを可2改考1や。それより此思草も龍膽と見るなるべし。然共時平の歌、源氏物語の詞、決して此歌の思草の事を云たる義共難v定。且古今集の尾花にまじり咲花の歌に付ては、數百歳見損じ來れりと見えたり。彼集にて論辨を傳ふる義なれど、序なれば注する也。宗帥傳は、古今のを花にまじり咲花とは、女郎花の事と見也。男花にまじるなれば、これ女郎花ならでは義叶はず。まじるは交合の意也。其上彼の歌の見樣、先達の歴々篇列の例を不v辨して、正意に叶はざる説々也。口なし色には得堪へまじと云意を、得見わかぬから色々の説も出來る也。此歌は、口なし色に戀ひんや云はでは得たへまじきとよめる歌也。前後の歌を引合て見るべし。あふ由の無ければ、色に出でても云表さんと云意の歌也。然るに、諸抄の見樣はあふ由の無ければ、紫のゆかしき色にや戀ひわぴんと見たる説也。大成見樣のたがひ有。此は篇列の辨無きから、古來からの見損じ也。この萬葉の思草も、尾花がもとのとあれば、尾花が初めより思ひ戀ふ草なれば、女郎花と見ゆる也。其上兼良公の曉筆記にも、女郎花とある由也。を花は男花也。を花の思草なれば、女郎花と見る義當理なるべし。一義、を花が下のとあれば忍ぶ草にては有まじき歟。思ふと云ふ字は、忍ぶと讀む。を花の根莖はしのと云なれば、若し忍草(162)にもやあらん。龍膽と云義は心得難し。扨此歌の意は、物もひ草と云名に寄せて、本よりそこをこそ思へ、今更に何の外の物を思はんや、只そなたをこそ思へと詠める義也。然ればを花になりて詠める歌也。を花がもと思ひ初めしは女郎花にてこそあれ、それを今更に何の外に心を變じて思はんやと詠める也。歌の意は安く聞えたる歌也。思草の木躰論判不v決也。宗師傳は如v此也。此上説明の後考あらば幸甚なるべし
寄花
2271 草深三蟋多鳴屋前芽予見公者何時來益牟
くさふかみ、こふろぎいたく、なくやどの、はぎみにきみは、いつかきまさむ
蟋の字計を書たる事心得難し。蟀の字を脱せるなるべし。是も假名本、諸抄物には、きりぎりすと訓じたり。是迄の歌、悉皆字餘りに讀まねばならぬ歌也。こふろぎと讀みては、一首も字餘りの歌は無き也。さればこふろぎと訓ずべき事明也。能聞えたる通、こふろぎも鳴き、萩の花も盛りの頃しも、待つ人の不v來を恨みて、いつか來まさんと也
2272 秋就者水草花乃阿要奴蟹思跡不知直爾不相在者
あきづけば、みくさのはなの、あえぬかに、思跡不知、たゞにあはざれば
此歌いかに共解し難し。諸抄の通にては歌の意不v通。いかにとなれば、あえぬかにと云義、此歌にてはとくと不v濟也。前の家持の長歌、橘を坂上大孃へ被v贈時の、五月を近みあえぬかに花咲にけりと詠める意と、此歌の意とは不v同也。前の歌にては、未だ不v熟に早や花の咲たると云意也。こゝには合はぬ詞故、此歌の見樣未v決也。追而可v考。前の歌の詞も、時不v至間に咲と見たれ共其意不v叶歟。此歌にて同じ詞なれど、其義に聞えては歌の意不v通故、前の歌共に別意の聞樣あらんか。水草は薄の事と云説共也。これも何れとも不v被v決。水は發語の、みならん歟
2273 何爲等加君乎將厭秋芽子乃其始花之歡寸物乎
(163)なぬすとか、きみをいとはむ、あきはぎの、そのはつはなの、うれしきものを
君を何の爲にか厭ひ嫌はん、假令名も立ち、人目にあらはるゝ共、逢事の嬉しさは、秋萩の初花を見る如くなるものを、人目も恥をも君には厭はじとの意也
2274 展轉戀者死友灼然色庭不出朝容貌之花
こいまろび、こひはしぬとも、いちじるく、いろにはいでじ、あさがほのはな
展轉の二字、こいまろぶと文選などにても毎度訓ぜり。こいとは、伏す事を云古語也。こいの借字《カナ》未だ不v考、追而吋v考。義は、伏しまろぶ事也。戀の切なる義を、云たるもの也。たとへ佗び戀こがれて死す共、色に出してそれとは不v被v顯と也。顔色に不v出と云意に、朝顔の花と詠みてよそへたり。色に不v出と云より、朝顔の花と詠たる歌なり
2275 言出而云忌染朝貌乃穗庭開不出戀爲鴨
ことにでて、いへばいみじみ、あさがほの、ほにはさきでぬ、こひをするかも
穗庭開 朝顔の穗には咲出ぬとは珍き詞也。然れ共凡て物の顯はるゝを、穗に出ると云。日本紀にては、浪秀と書きて、なみほと讀ませたる通、ひいで顯れたる事を、穗に出るとは云也。薄のみに限るべからず。云忌染は、云顯しては忌み憚る如き事も有故、言にあらはして云はず忍び戀わびるとの意也
2276 鴈鳴之始音聞而開出有屋前之秋芽子見來吾世古
かりがねの、はつこゑきゝて、さきでたる、やどのあきはぎ、みにこせあせこ
始音聞而 鴈の渡り來る聲に、萩の咲頃を思ひ出て、今我庭に盛なる萩を見に來ませと也。初音を萩の聞きて咲出たると云意をも兼ねて云へる歟。無情の物に打つけて、初音聞てとは心得難けれど、ケ樣の處を歌の風情とはする也
2277 左小牡鹿之入野乃爲酢寸初尾花何時加妹之將手枕
(164)さをしかの、いるのゝすゝき、はつをばな、いつしかいもが、たまくらにせん
入野 前にも釼後の鞘に入野とよめり。丹後國竹野郡の網野ならんか。掉鹿の妻戀するとて、わけ入野の尾花を、いつか妻に逢て枕にはせんと、我戀を鹿によそへて、尾花の事を詠める歌也。或説に、初尾花の如く、柔かなる妹が手を卷きていつかねんと云意と釋せり。さは入組たる聞樣也。手如2柔※[草がんむり/夷]1など云詩の意を取り附會の説有。入ほかにて六ケ敷也。すゝき初尾花は重詞、眞玉手の玉手の類也。手枕の手は初語なるを、右附會の説共あるは心得難し
2278 戀日之氣長有者三苑圃能辛藍花之色出爾來
こふるひの、けながくあれば、みそのふの、からあゐのはなの、いろに出にけり
三苑圃のみは初語也。からあゐ前にあり。久敷戀佗ぶるから、つゝめ共自づから思の色に出ると也
2279 吾郷爾今咲花乃女郎花不堪情尚戀二家里
わがさとに、いまさくはなの、をみなへし、たへぬこゝろに、なほこひにけり
此歌の意は、女を慕ひ戀ふ心の、得忍びあへぬ故、得思ひ切らす戀ふと云意也。下の堪へぬ情に戀ふと云はんとて、女郎花と詠める也。上の句に別の意有にあらず
2280 芽子花咲有乎見者君不相眞毛久二成來鴨
はぎのはな、さけるをみれば、きみにあはず、眞毛ひさに、なりにけるかも
春夏をも經て、秋になる頃迄も不v相なるべし。それ故久になりたりと歎ける歌也
2281 朝露爾咲酢左乾垂鴨草之日斜共可消所念
あさづゆに、さきすさびたる、つきぐさの、ひたくるからに、けぬべくおもほゆ
咲すさびは進むの意也。盛に咲たる義と見るべし
(165)鴨草 頭の字を脱せる歟。一本には頭の字有。青花の事也。露草とも云。此歌も下にけぬべくと詠みたれば、露草と讀まんか。つき草、つゆ草共に義訓なれば也。朝に花咲き夕にしぼむ花故かく詠める也。歌の意は只わが思の弱りて、露の命もけぬべく思ほゆるとの意を、露草のあした咲て夕にしぼめる、果敢なき事によせて詠める也。夕部は秋のいとゞ物悲しき故、人の物思も消ゆる計に、心細くなるをよそへたるなど云説もあれど、歌は左樣に入ほかに、六ケ敷詠むものにあらず。古詠の格は、たゞ可v消と云意計りを云はんとて、上を詠出たる也。然れ共、上の露を結て、消ゆべきの縁は放たず詠める也。月草とは、日蔭に咲かで夕邊に咲、月の光に咲など云説あれど、此歌にてあしたに咲、夕邊にしぼむ事を知るべし。奥にも、あした咲き夕邊にしなえと詠めり。こゝも奥も露草と讀むべき也。消と云詞の縁に詠めると聞えたり。奧歌尚露草と詠める意也
2282 長夜乎於君戀乍不生者開而落西花有益乎
ながきよを、きみにこひつゝ、不生ば、開而ちりにし、はなゝらましを
不生は別訓あらんか。いきざらばと云義いかゞ也。あらざらばと讀まんか。歌の意は、前にも毎度ある通、死なませばと云意也。義訓に、死なませばと讀まんか。長夜をと詠めるにて、秋の意は聞えたり。戀に死なば、人にめでられん花になり共ならましをと也
2283 吾妹兒爾相坂山之皮爲酢寸穗庭開不出戀渡鴨
わぎもこに、あふさかやまの、はたすゝき、ほにはさきでず、こひわたるかも
あふ事を戀慕ふと云意に、相坂山とは詠出たり。皮ははだ也。檜皮など書にて知るべし。しのすゝきと讀ませたれど、はだと讀むべし。はだは、はな也。穗に出ぬ一種のすゝきと云説は僻事也。穗に出るものなれ共、包みて不v出は尚苦しき意也。歌の意、色には顯さず、心にのみ忍びて戀渡ると也。われをすゝきに比して也。此等の歌をもても、尾花は男花と云語と知るべし
2284 率爾今毛欲見秋芽之四搓二將有妹之光儀乎
□いまもみまほし、あきはぎの、しなひにあらん、いもがすがたを
(166)此初五文字諸抄物皆いさなみにと讀みて、いざなひと云義と注して置けり。率爾、いざなふと讀む事は通例の事、注にも不v可v及也。然れ共いざなみにと讀む義、終に句例語證を不v聞其上いざなみと讀みて歌の意聞えたるや、率爾の二字何とぞ別訓あるべし。四瑳二の三字も心得難し。思ふ人の姿は、秋萩のしなひたる樣にあらんを、あから樣に見たきとの意也。宗師は率爾の二字あから樣にと讀まんかと也。しなひの假名に二義有。此卷此奥の歌に之奈要うらぶれと書けり。又しなひとも書たる歌ありて、二樣に書る事いかゞ、不審也。之奈要と之要非とは假名不v合。然れば義も違ふべし。いかなるをしなひと云ひいかなるをしなえと云義、不2分明1也、追而可v考。其儘にとか、すみやかに共讀まるべき歟
2285 秋芽子之花野乃爲酢寸穗庭不出吾戀度隱嬬波母
あきはぎの、はなのゝすゝき、ほにはいでゞ、われこひわたる、しのびつまはも
これも色にも出ず、言にも顯さず、忍び渡るの意也。忍び妻はも、かくし妻共讀むなれど、すゝきと讀める縁に、しのびとは讀む。意は何にても同じ。花野と云はんとて秋萩とは詠出たり。これらも萩の花と、うけの言葉續き迄に、詠めると聞ゆる也。波母とは例の嘆のこと、歎きたる義也
2286 吾屋戸爾開秋芽子散過而實成及丹於君不相鴨
わがやどに、さけるあきはぎ、ちりすぎて、みになるまでに、きみにあはぬかも
あはぬ事の久敷程經たることを、詠める迄の歌也。此實になる迄は、萩の花散て、實のる頃迄も逢はぬは、いか計り日を經るの意を詠める也。夫婦の事とゝのふ迄と、云にはあらず。只萩の實迄の意也。開の字脱したる本有。一本開の字のあるを爲2正本1也
2287 吾屋前之芽子開二家里不落間爾早來可見平城里人
わがやどの、はぎさきにけり、ちらぬまに、とくきてみませ、ならのさとびと
歌の意別義なし
(167)2288 石走間間生有貌花乃花西有來在筒見者
いしばしの、まゝにおひたる、かほはなの、はなにしありけり、ありつゝみれば
貌花 注前に有。一種ありと見えたれど、何れの花と不v知也。只美しき花と計りにては不v濟義也。世説は、かきつばたなど云へるは、謠に出づるより俗人云習へる歟。歌の意は、思ふ人とありつゝ眺め見れば、顔よき花の如く美しく、紅顔美麗の人なりとの義也
2289 藤原古郷之秋芽子者開而落去寸君待不得而
ふぢはらの、ふりにしさとの、あきはぎは、さきてちりにき、きみまちかねて
古郷之 別の意無き也。藤原とは、ふりにしと續けん爲の、語の響きの縁に詠出たり。歌の意不v及v注也
2290 秋芽子乎落過沼蛇手折持雖見不怜君西不有者
あきはぎを、ちりすぎぬべみ、たをりもち、みれどもさびし、きみにしあらねば
此歌隔句體也。萩をと云たるは、一句隔て手折持に續く詞也。待ちつれ共來らざれば、今は散過んやと、手に折持て心の儘に見れ共、思ふ人の無ければ、心の慰まで寂しきと也。不怜の字はさびしきと讀む、集中毎度例あり
2291 朝開夕者消流鴨頭草可消戀毛吾者爲鴨
あしたさき、ゆふべはきゆる、つゆぐさの、けぬべきこひも、われはするかも
思ひわびて、露の身も消ゆる計りに、われは戀をすると也。前にも云通り、鴨頭草は露草と讀むべき也。上の句にも下の句にも、消と云詞あれば也
2292 ※[虫+廷]野之尾花苅副秋芽子之花乎葺核君之借廬
あきつのゝ、をばなかりそへ、あきはぎの、はなをふかさね、きみがかりいほ
(167)思ふ人を萩に喩へ、尾花は吾身に喩へたるならん。畢竟男花女花を取合せて、屋を葺かさねと、男女寄り合ひたきと云義によそへて、かくは詠める也。君の字は、せこと讀まんか。然らば萩を吾身に比して、女の歌と見るべき也
2293 咲友不知師有者黙然將有此秋芽子乎令視管本名
さきねとも、しらずしあちば、もだにあらん、このあきはぎを、みせつゝもとな
中々に萩を見しより、たゞはあられず戀慕はるゝと也。此本名と云事兎角もだにと云意と、凡てのもとなの詞を聞べき也。此歌にても、もだなと云意によく聞ゆる也。秋萩を人の見せずば、たゞ何とも無く有べきに、見しよりもだなくてと云ふて、もだなは、たゞにあられぬと云意と聞ゆる也。思ふ人を見ずば、何の事も無く啻に有らんを、見しより啻ならず其儘にてはあられぬとの意也
寄山
2294 秋去者鴈飛越龍田山立而毛居而毛君乎思曾念
あきされば、かりとびこゆる、たつたやま、たちてもゐても、せこをしぞおもふ
よく聞えたる歌也。立而も居てもと云はんとて、龍田山とは詠出たり。雁とび越と詠みたる故、下の君をせことは讀む也。女の歌なるべきか。せこの事なほ不審多ければ、女の歌とも不v可v決也。日本紀に、たちておもひなどいふ山背大兄王の御言葉などあるから、かく詠出たる歟。君を思ふ事の至りて切なる意を詠める也
寄黄葉
2295 我屋戸之田葛葉日殊色付奴不來座君者何情曾毛
わがやどの、くずはひごとに、いろづきぬ、きまさぬきみは、なにごころぞも
待人の日を過ても來ぬを、恨むるに寄せたる也。紅葉に葛を先と詠めるは、早く染るもの故なるべし。曾もとは、かもと云と(169)同じ意、いかにしたる心にやと云意也。
2296 足引乃山佐奈葛黄變及妹爾不相哉吾戀將居
あしひきの、やまさなかづら、そむるまで、いもにあはでや、われこひをらん
黄變の字はもみづとも讀み、又義訓に染るとも讀べき也。此歌も逢はぬ事の久しきを歎きて、詠める意を寄せたる也
2297 黄葉之過不勝兒乎人妻跡見乍哉將有戀敷物乎
もみぢばの、過不勝こを、ひとづまと、見つゝやあらん、こひしきものを
過不勝 是を諸抄の説、すぎがてぬと讀みて、紅葉の美はしき色の、過ぎぬ如くなる女子をと云義と釋せり。美はしきが過ぎぬとは聞えぬ詞也。當集は義訓をもて長き詞を文字數少く書きなして、しかも其義よく通ずる樣に、さ讀まではならぬ、當然紛れぬ書き樣なれ共、後拾遺の序文の如く、そのかみの事今の世に知る事難くして、其かみは人毎によく心得て、知れたる事なれど、時世移り來りて、色々義をも取違へたり。諸抄の如くにても、言廻せば同意なれど、理り直に當れりとは不v聞也。此過不勝の三字は、此歌に限らず毎度ある字也。其の所々にても、よく案をなすべき事歟。先此歌にては、過不の二字は物の不v過の意、勝はすぐれたるの意也。然れば紅葉の散りもせず、染も殘さず殊にすぐれたると云意をもて、盛なると讀ませたると見ゆる也。過不及に勝たるは盛りの意、勝の字に賞美の意を込めて、盛なると義訓する爲、かくの如くは書たる也。然れば女子色よく頃も盛りなるを、我ものとも不v見人の妻と見做して居らん、戀しきものをと詠める歌也。紅葉々の色よく、散も始めず染も殘さぬ如きの人をと寄せたる也。然れば過がてぬと云ふては義六ケ敷、盛なると讀みては直に詞に義理釋して聞ゆる也。然れど、さ讀まれぬ字なれば讀み難けれど、かく讀むべき爲に、古人は義をよく合せて書かれたりと見ゆる也
寄月
2298 於君戀之奈要浦觸吾居者秋風吹而月斜烏
(170)きみにこひ、しなえうらぶれ、われをれば、あきかぜふきて、つきかたぶきぬ
之奈要 志奈非とも有歟。此假名不審也。しなへると、しなゆるとは別義歟。しなゆるは、しぼむ方の事を云、しなへ、しなひは、たをやか、しなやか抔云義歟。よりて假名も異なる歟、未v詳也。しなえうらぶれは、物思にやつれて、悩居る躰を云也。歌の意は、月を詠むにも戀しき人の事を思出て、慕ひ佗びて居るに、猶物悲しく風さへ吹渡りて、更行く空の月も傾く氣色を詠める也。烏の字は焉の字の誤りなるべし。前に注せる如く、鳥、烏、焉の三字を誤りたる事毎歌に多し
之奈要 當集卷第二人麿の歌、夏草之念之奈要而志怒布良武云々。又云、夏草乃思志萎而將嘆。萎は、しぼむと讀む字也。古事記下雄略記云、於是赤猪子以爲望命之間、已經2多年1姿體|痩萎《ヤセシホム》云々。古今眞字序云、如d萎花雖v少2彩色1而有c薫香u云云
2299 秋夜之月疑意君者雲隱須臾不見者幾許戀敷
あきのよの、つきかもきみは、雲がくれ、しばらく見ねば、こゝたこひしき
疑意は義をもて讀みたり。此卷の奧雪を詠める歌にも、此二字を書て、かもと讀ませたり。或抄に、意を裳の字の誤りと見る説有。二字にてかもと讀事、何の滯りあらんや。明なる義訓也。歌の意不v及v注、能聞えたり
2300 九月之在明能月夜有乍毛君之來座者吾將戀八方
ながづきの、ありあけのつきよ、ありつゝも、きみがきまさば、あれこひんやも
ありつゝもと云はんとて、有明の月を詠出たり。ありつゝもとは、在存して變らず通ひ來まさばの意也。若此歌は無き人を戀悲しむ歌ならんか。然し乍ら、戀ひん八方共あれば、末かけていつ迄も不v變來まさばの意なるべし。長月と詠める意も、長く久しく不v變の意を含めての意と聞ゆる也
寄夜
2301 忍咲八師不戀登爲跡金風之寒吹夜者君乎之曾念
(171)よしゑやし、こはじとすれど、あきかぜの、さむくふくよは、きみをしぞわぶ
忍の字、おしと讀む。横通音の字なれば、よしと通ふ故書たると見えたり。歌の意は、よしや最早や戀ひじと思捨ても、秋風のいたく吹きて、夜寒むの頃は忍びかねて戀侘びると也
2302 惑者之痛情無跡將念秋之長夜乎寐師耳
此歌假名づけ本諸抄の讀様、無き文字を入れて、而かも義の聞えぬ讀樣を注せり、上の句は、佗人のあな心なと思ふらん秋の長夜をと、讀むべけれど、寐師耳の三字を、寐ざめしてのみとは、如何に共讀難し。音に詞を添て讀まば、如何樣にも讀まるべけれど、さ讀む事は成らざる事を、知らぬ人の無理讀みの假名を付置しを、其れに從ひて、又後の人注を加ふる事慨かしき事也。妹の字をねざめと讀む義あらんや。又寐覺と讀みて歌の意如何に聞ゆるぞや。上の句の意、物思ふ人はあな心無しと思ふらんと詠出たる下なれば、佗人とは物思ありて夜をもいねがてにする人を云也。其人の心無きと思ふらんなれば、長夜をも寐覺もせで、よくぬると云意ならでは、歌の意不v通也。然るを寐覺のみしてと讀みて、全體の歌の意何と通ずるや。此三字は義訓に書たると見えたり。宗師案は、ふしあかしけりとか、又は、しとすと同音なれば、ふしあかすのみとか讀まんかと也。愚意未だ不2落着1。只ぬる事計りの義訓に讀みたき也。あかすと云事如何也。しとすと通ずる語なれど、同じくは師の字訓、にとか、しとか讀樣あらんか。後案すべし。先いねあかしけりと讀置也。貧賤の人は、晝の家業によく寐るに、物思ふて長夜をも寐ね覺めて寐ぬるを心なしと思はんとの説あり。餘り心得難き説也
2303 秋夜乎長跡雖言積西戀盡者短有家里
あきのよを、ながしといへど、つもりにし、こひをつくせば、みじかゝりけり
戀思ふ人に、逢ひし夜の事を寄せて詠める也。たまさかに逢ふ夜なれば、積れることをかたみに語り盡さんとするから、長き夜も、間なく明くる事を惜みて也。古今集小町が歌に、秋の夜も名のみなりけり會ふといへばことぞともなく明けぬるものをと詠めるも、此歌の意に同じき也
(172)寄衣
2304 秋都葉爾爾寶敝流衣吾者不服於君奉者夜毛著金
あきつはに、にほへるきぬは、われはきじ、きみにまたせば、よるもきるかに
あきつはとは、とんぼうの羽色は美はしく光るもの也。其如くなる美しき色のきぬと云意にて、衣を賞めて云へる也。吾は着まじ、思ふ人に奉らば、定めて夜も着て寐給はんに、せめて吾こそ寐ねず共、此衣なり共君に馴添ひ寐させねとの意也。きるかには、着るにてあらんにと云意也。奉は、またす共讀む事、日本紀等に有
問答 戀の歌の意を問答したる歌也
2305 旅尚襟解物乎事繁三丸宿吾爲長此夜
たびにすら、ひもとくものを、ことしげみ、まろねあがする、ながきこのよを
歌の意は聞えたる通也。襟の字はゑりと讀字也。ひもと讀義未v考、義を通じて讀ませたる歟。わがするを、あがすると讀むべし。明すの意を兼て也。ケ樣の事は、歌によりて讀樣の心得ある事也
2306 四具禮零曉月夜紐不解戀君跡居益物
しぐれふる、あかつきづきよ、ひもとかず、こひぬるきみと、をらまし物を
時雨降るあかつき月夜と云にて、秋の長夜を丸宿あがすると云に答へたる也。紐不v解は、紐解かで丸ねと云に直に和へたり。戀君跡は戀しききみと讀ませたれど、さ讀みては答の意不v通。前の歌に答たる歌なれば、先の心をうけて、吾を戀慕ふ君と居らましとは和へたる歌と見る也。さ無くては、紐不v解と云義不v濟。是は紐解かず、丸ねわがすると云義を請けて、和へたる歌なれば、紐解かずは、先のことを云へると見る也。或抄には、此歌、詠かけの歌にて、此の歌の和へは、第四首目の雨ふればの歌に注したる注有。心得難き見樣也
(173)2307 於黄葉置白露之色葉二毛不出跡念者事之繁家口
もみぢばに、おくしらつゆの、いろはにも、いでじとおもふに、ことのしげけく
色葉にもは、紅葉は露しぐれにて色の出る也。其色にも出でまじと、忍び包め共、如何にしでか、人の言の葉の繁く云騷がさるゝと也。者の字此歌にても、にと讀までは不v通也
2308 雨零者瀧都山川於石觸君之摧情者不持
あめふれば、たぎつやまかは、いはにふれ、きみのくだかん、こゝろはもたじ
此歌は、事の繋けくと詠かけたる意をうけて、よし人は何と云騷がされて隔たる共、吾はこと心など有て、そなたに心を摧かし物思はすべき心は持たじと也。上の句は、君のくだかんと云迄の序乍ら、石に觸れなと云へるは、人の云騷ぎて思ふ儘ならず彼方此方に障りあることによそへて云へるならん。此歌を四具禮ふるの歌の和へと見るは、雨の縁計りをうけての意也。問答とあるに、隔て答をなすべき樣無し。心得難き注もある也
右一首不類秋謌而以和載之也 句中に秋の季のことは無き故、如v此注せる也。古人の贈答には、ケ樣に意を受て和へる事多し。此注は後人の注にて、撰者の注にてはあるべからず
譬喩歌
2309 祝部等之齋經社之黄葉毛標繩越而落云物乎
はふりらが、いはふやしろの、もみぢばも、しめなはこえて、ちるてふものを
神を祝ひまつれる處の木には、人に手折らさじと境を隔てゝ、しめ繩を引、不淨を避け禁ずる也。神の杜、社頭の神木等、今とても如v此する古風の遺れる也
標繩 注連、或ひは尻目繩等の字を、しめなはと訓ず。日本紀には、左繩端出と書きて、しりくめなはと讀ませたり。境を限る(174)爲に引くもの也
神代紀上云、〔於v是中臣神、忌部神、則界2以端出之繩【繩亦云2左繩端出、此云2斯梨倶梅儺波1〕此標繩は字の通の意、凡て境をきはめて限る事をしめしむると云。其義に同じく、此木は神の木としめて、外より手折り取らざる爲、又は不淨などを爲さゞる爲に、しるし置く意也。然れ共紅葉々の時來れば、しめ置きたる繩をも越えて、外へ散り出る如に、人の引かば靡かんと思ふ意か。又親のいましめなど有り共、心れに引かれ寄ると云意に譬へたる歌也。紅葉の色にも出で、ことにも顯して、よしや人目人言をも厭はず、思ひを晴らさんなど、身を振捨てゝの意共聞ゆる也
旋頭歌
2310 蟋蟀之吾床隔爾鳴乍本名起居管君爾戀爾宿不勝爾
こふろぎの、わがゆかのへに、なきつゝもとな、おきゐつゝ、きみにこふるに、いねがてざるに
君に戀佗て、いのね難きに、蟋蟀の床の邊りに鳴けば、愈もだされず、たゞ居り難くて、戀佗るとの意也。もとなと云詞は、兎角其儘にあられぬものからと云意と聞ゆる也。よしなくもと云意に叶ふ歌有ても、前にも注せる如く、語の釋不v濟也。よし無をと云義を、何とてもとなとは云へると云義、いかに共濟まぬ也
2311 皮爲酢寸穗庭開不出戀乎吾爲玉蜻直一目耳視之人故爾
はたすゝき、ほにはさきでぬ、こひをわがする、かげろふの、たゞひとめのみ、みしひとからに
はたすゝき穂には咲出ぬは、前に注せる如く、穗に出ざるものにはあらねど、可v出穗の未だ不v出如く、心に包み苦みて、戀佗るの意也。色にも詞にも云出あらはさぬことを、よそへて斯くは云へり。畢竟只一目見しから、其面影も忘られで、思ひ忍ぶとの義也。玉蜻の只一目と云は、かげる日の、ちらり/\とする火の如くなるに譬へたり。定かにも見ず、只有か無かそれかあらぬかと云如く見し人なれ共戀慕ふと也
冬雜歌
(175)2312 我袖爾雹手走卷隱不消有妹爲見
わがそでに、あられたばしる、まきかくし、きえずもあれな、いもに見せなん
手走は、只はしる也。たは助語、とばしる共云、同じ義也。卷隱の二字別訓有らんか。先讀み來れる通に讀也。妹が見ん爲と讀ませたるは心得難し。見爲とか、爲吾見とかあらば、さも讀まんか。爲見と書たれば、兎角見せとならでは讀まれぬ也。よりて見せなんと讀む也。見せんに共讀まんか。歌の意は聞えたる通也
2313 足曳之山鴨高卷向之木志乃子松二三雪落來
あしびきの、やまかもたかき、まきむくの、きしのこまつに、みゆきふりけり
高山は常に雪降るものなれば、卷向山のきしの小松に雪降りたるを見て、山高きかもとは詠める迄の歌也。只小松に雪の降りしを見たる、當然の歌也
2314 卷向之檜原毛未雲居者子松之末由沫雪流
まきもくの、ひはらもいまだ、くもらぬに、こまつのうれゆ、あわゆきのふる
未雲居者 此者の字、例のそとか、をとか不v讀ば此歌聞えざる也。※[者/火]の字か緒の字かの一所誤りし故、集中如v此なるべし。くもらぬには義訓讀み也。雲ゐぬに共讀みて義同じ。檜原も曇らぬに、小松がうれは沫雪の降れるは、いぶかしき意に詠みたる也。流の字は、雪の空より降り來るは、ものゝ流るゝ様なれば、是も義をもて讀ませたり。此歌新古今に、家持の歌とて春の部に入れて、くもらねばと直して、不v霞の意にして被v載たるも心得難き事也。是程冬の雜歌に被v載たるを、引直して春の部に入らるゝ事心得難き事共也。歌の意不v通、者の字の案不v足故也
2315 足引山道不知白杜※[木+戈]枝母等乎乎爾雪落者
あしびきの、やまぢもしれず、しらゆふの、えだもとをゝに、ゆきのふれゝば
(176)白杜※[木+戈]をしらかしと讀ませたり。杜※[木+戈]の字、かしと讀める義、何の書に有てか。是は日本紀等に、杜木杜樹とあるを見て考合すべし。樹と※[木+戈]とは字義相通。然れば白ゆふなる事明か也。是程に知れたる事無きを、不v考の人、しらかしと假名付をせしから、此歌を手本として、後々の人しらかしとは心得て、此歌に依りて詠める歌も有。尤しらかしを歌に詠める事無きにあらず。日本紀景行紀、天皇思邦の御製歌にも、しらかしがえをと詠ませ給へり。然共杜※[木+戈]の二字をかしと讀める義、何の字書にも不v見事也。後拾遺集に、法印清成、落葉道をかくすといふ心を詠める歌
紅葉散る秋の山邊は白かしの下ばかりこそ道は見えけれ
是等此歌に基きて詠めると聞えたり。それより、けしかるは、清少納言が木はしらかしなど云もの、まして〔深山木の中にも、いと氣遠くて、三位二位の上の、きぬ染むる折計ぞ、葉をだに人の見るめる。めでたき事をかしき事に取出づべくもあらねど、いつとなく雪の降たるに見まがへられて〕素盞嗚尊の出雲國におはしける御事を思ひて、人麻呂が詠たる歌などを見る〔いみじう哀れ也〕此事は、餘りなる不v考の事也。尤も此歌に本づきて書けると見えたれど、とり處も無き不v考の事なるべし。若何卒古き物語もの抔に、ケ樣のみだりなる車抔、古く書たりしもの有けるにや。歌の意は、雪降り積みて、山路もそれと知れわかぬとの義也。しらかしのは、知れぬと云縁をうけて詠める意也
或云枝毛多和多和 とをゝにと云を、或本にはたわ/\とありしと也。たわゝとよめる意に同じ
右柿本朝臣人麻呂之歌集出也但一首或本云三方沙彌作 冬雜歌四首の内、三首は人丸、一首は沙彌の作と也。左注著考ふる處有ての注なるべし。然共不分明なる注也。一首は何と云差別もせざれば、何れの歌ならんや知れ難し。凡て後注は、撰者は不v注後人の追加故、如v此不v慥事のみ也。然共左注なれば今以は人丸、沙彌の歌とすべきを、新古今集には、何とて家持として、歌の詞も少引直し、春の部には入れられたるならん。此集をもよく不v考、又讀不v解故、色々違もありける歟
詠雪
2316 奈良山乃峯尚霧合宇倍志社前垣之下乃雪者不消家禮
(177)ならやまの、みねなほくもる、うべしこそ、まがきのもとの、ゆきはけずけれ
奈良山の峯の晴ぬは理りよ。まだ雪の降るなるべし。さればよ、まがきのもとの雪の消えざりけれと也。雪のまだ降らんては、先に降りし雪の消えぬもの也
2317 殊落者袖副沾而可通將落雪之空爾消二管
けにふらば、そでさへねれて、とほるべく、ふるらんゆきの、そらにけにつゝ
殊の字ことふらばと讀ませたれど、如の字の意に讀まんことも心得難し。ことにふらばと云義を、ことふらばとは讀まれぬ言葉也。ことにと云意にて、けにとは讀む也。けには、わきてと云意也
可通の二字毎度あり。何とぞ別訓有べけれど未v考。歌の意、はげしく降らば袖もひぢ通りて沾れぬべけれど、空に消えていたくも降らぬと詠める也。雪の降る空はかき曇りて、あやわかね共降り來る處は、曇れる程も無きものなれば、其氣色を詠める也
2318 夜乎寒三朝戸乎開出見者庭毛薄太良爾三雪落有 一云庭裳保杼呂爾雪曾零而有
よをさむみ、あさとをあけて、いで見れば、にはもはだらに、みゆきふりたり
庭もはだら 斑らと云詞も同じ。はだれと云は、はな雨と云言葉にもなり、亦まだれと云ことにもなる也。此はだらは、積りたる處、積らぬ處などある庭の躰を云へる詞也。亂れたる有樣を云詞にも通ひて、既に下に一説を擧て、ほどろとも有て、ほどろも、はだらも、同音の詞にて、一まいに敷みちたる義にはあらず。積れる處もあり、又積らぬ方もある、庭の躰を云へる也
一云庭裳保杼呂爾雪曾零而有 前にも有てほど/\にと云詞とも同じく、亂れたることを云へる也。よのほどろと云は別の詞也。此ほどろは、まだらなど云に同じ。次奧の歌にも庭もほどろにと詠みたり
2319 暮去者衣袖寒之高松之山木毎雪曾零有
ゆふされば、ころもでさむし、たかまどの、やまのきごとに、ゆきぞふりたる
(178)木毎に雪の降りたるは、いと高く聳えて見ゆべければ、高まどのと詠めるも理り也
2320 吾袖爾零鶴雪毛流去而妹之手本伊行觸糠
わがそでに、ふりつるゆきも、流去て、妹がたもとに、いゆきふれぬか
歌の意は聞えたる通、わが袖にふれる雪の、妹が袂にもゆき觸れよとの意也。面白き雪を、思ふ人にも見せまほしく。又吾につきたる物の、思ふ人に添ひしませたきも、戀慕ふ心の淺からぬからなれば也。然るに流去の二字を、ながれゆきと讀ませたれど、ちりゆきてと讀まんか。又別訓もあらんか。流行きにては有まじき詞也。流の字、歌によりて、色々に義訓せらるゝ字也。此歌にては、ちりゆきてと讀まん事、同じ義訓にも然るべからんか。流れゆきてにても、歌の意は同じき也
2321 沫雪者今日者莫零白妙之袖纏將干人毛不有惡
あわゆきは、けふはなふりそ、しろたへの、そでまきほさん、ひともあらなくに
聞えたる歌なれど、作者の詠める折の意心得難し。旅行などにての歌か。亦妻などに立別れ居る處にての歌ならんか。今日と限りたるは、その時の當然の義也
2322 甚多毛不零雪故言多毛天三空者陰相管
いたくしも、ふらぬゆきから、こちたくも、あまつみそらは、くもりあひつゝ
甚多の二字を、はなはだと讀ませたり。第十一卷にても、前にも如v此讀ませたり。多の字衍字になる也。其上はなはだと云は俗言也。古詠の風躰如v此と心得たる人の、ケ樣は詠める歟。然れ共、一字にて讀む言葉を、二字にかけて讀む事もあれど、此二字は、いたくしもと訓ずべき事也。意は甚だの意にても、歌詞とたゞ言との違有。ゆきからとは、俗に云はゞ、ゆきなるにと云べき詞、雪ジヤにと云俗言の意也。こちたくもと云も、いたくしもと云も同じ意、こと/”\しくも抔云意也。さのみも降らぬ雪なるに、空は甚だ曇りたるとの義也
2323 吾背子乎且今且今出見者沫雪零有庭毛保杼呂爾
(179)あがせこを、こんか/\と、いで見れば、あわゆきふれり、にはもほどろに
且今の二字、此歌にて見れば、こんと讀までは不v通也。いまと讀みても、けふと讀みても、こんかと云詞に副はでは聞得難し。なれば、こんかと讀ませたる義と見るから、こんか/\と讀める也。歌の意は別に不v及v注也。凡て後々の集、先達者も、沫雪は春ならでは降らぬ事と心得たる歌も有り。此集を古人も委敷は不v見しなるべし
2324 足引山爾白者我屋戸爾咋日暮零之雪疑意
あしびきの、やまにしろきは、わがやどに、きのふのゆふぐれに、ふりし雪かも
昨日暮、きのふゆふべ共、きのふのくれ共、好む處に任すべし。朝に詠める歌ならんか、能聞えたる歌也
詠花 冬の花也。よりて悉く梅を詠める歌也。梅計りは冬にも咲くもの故如v此冬の部に被v入たる也
2325 誰苑之梅花毛久竪之清月夜爾幾許散來
たがそのゝ、うめのはなかも、ひさかたの、きよきつきよに、こゝたちりくる
何の意も無き歌也。久方の清きと、中に詞を入れて、月とうけたる事好き也。凡て冠詞を云に、中に一言二言詞を入れて云事、歌の姿好きものなれど、上手のわざ故成難きもの也
2326 梅花先開枝手折而者※[果/衣]常名付而與副手六香聞
うめのはな、まづさくえだを、たをりては、つとゝなづけて、よそへてんかも
是は人の梅を手折る歌なるべし。家づとゝ名付て折らんとの意なるべし。よそへてんは、家づとゝ名付け、よそへてをらんと也。諸抄の説は、きみよそへてんとの意と注せれど、君と云詞なくては心得難き説也
2327 誰苑之梅爾可有家武幾許毛開有可毛見我欲左右手二
たがそのゝ、うめにかありけん、こきたくも、さきてあるかも、見かほしまでに
(180)咲きてあるかもは、咲てあるかな也。かもは凡て歎息の詞也。人の家の梅を見やりての歌なるべし
2328 來可視人毛不有爾吾家有梅早花落十方吉
きて見べき、ひともあらぬに、わぎへなる、うめのはつはな、ちりぬともよし
人の訪ひ來ざるを怨みたる歌也。意は能聞えたり
2329 雪寒三咲者不開梅花縱比來者然而毛有金
ゆきさむみ、ゑみはひらかで、うめのはな、よしこのごろは、かくてもあれかに
待ちし梅も、此頃の寒さには、よし不v咲してかくてもあれとの意也。あれかには、かくてもあれ也。かく寒ければ、とても咲きても、もてはやすべき折ならず。雪に交りてあたらしき花も、詮無かるべければ、よし此折は、かくてもあれとの意也。先には、咲かずして、さてもあるかにと詠ませたれど、歌の意不v通重ね詞も何の用なき重詞也。咲の字、ゑみと讀事集中多し。然るを皆さくとのみ讀置きしは、歌によりて差別ある事を、不v辨假名づけ也
詠露
2330 爲妹未枝梅乎手折登波下枝之露爾沾家類可聞
いもがため、ほづえのうめを、たをる登波、しづえのつゆに、ぬれにけるかも
末枝は上枝と同じ。梢と云説は非也。梢の假名はすゑ也。末枝はほづえ也。古事記下雄略卷、三重釆女歌云、麻岐牟久能〔日代乃宮波中略都紀賀延波〕本都延波阿米袁〔淤幣理〕那加都延波阿豆麻袁〔淤幣理〕志豆延波〔比那袁淤幣〕云云
歌の意は、聞えたる通地。然るに手折とはの手爾波如何に共心得難し。波の字底の字の誤りか。登は爾の字の誤り歟。二字の内兎角一字誤りと見えたり。然るを諸抄皆其儘に釋し置かれし事心得難き也。若しくは脱字あるか。登波の間に、れの字など落たる歟。さなくては歌の意如何とも不v通也。ほづえとは、いち末の枝を云也。最枝とも書く也。梢と同じと云説は非也。假名違、上つ枝と同じ意也
(181)詠黄葉 もみぢは秋を專と詠じ來れり。此紅葉は、冬に至りても遲く色付もの、草木にも有けるを詠める也
2331 八田乃野之淺茅色付有乳山峯之沫雪寒零良之
やたのゝの、淺ぢいろづく、あらちやま、みねのあわゆき、さむくふるらし
八田の野、有乳山、共に越前也。北國なれば、異國にすぐれて雪も早く降るから、淺茅の色付を、みね有乳の高ければ雪も降るらしと詠める也。あらち山を詠めるは、時令の、すぐれてはげしくある野の意を含みてなるべし。凡て淺茅は、遲く色付ものと見えたり。前の歌にも秋の末に詠めり。新古今には、人丸の歌として載せられたり
詠月 冬の月を詠める也。月は四季に渡りて詠めば也
2332 左夜深者出來牟月乎高山之峯白雲將隱鴨
さよふけば、いでこん月を、高山之、峯の白くも、かくすらんかも
何の意も無き歌也。高山は香具山の事歟。只何方とも指さず、高き山を云へるは心得難し。惣ての高山にては有まじきか。香具山なるべけれど、香具山を詠出たる意味も歌に不v見ば、古く假名付しけるに任せ讀む也
冬相聞
2333 零雪虚空可消雖戀相依無月經在
ふるゆきの、そらにけぬべく、おもへども、あふよしをなみ、つきぞへにける
ふる雪の降とはすれど、空にて消ゆるが如く思侘ぶれ共、逢ふべきよるべ無く、空しく月日を經にけると歎きたる也。虚空の二字をそらと約めて讀むべし。一字にては外に通ふ由も有。二字を書たるは空と讀むべき爲なるべし。あだ空しき共讀まるべければ也。二字なれば空とならでは讀まれまじき也
2334 沫雪千里零敷戀爲來食永我見偲
(182)あわゆきの、千里ふりしく、こひしきに、氣ながくわれや、みつゝしのばん
千里は千重の誤りにあらんか。然し沫雪なれば、千重にとは讀まれぬか。沫雪とは、強ち消易きと云意計りにても無く、雪の惣名共見ゆる也。歌の意は、世の常にすら戀しきに、雪さへ降りしきたれば、愈遠ざかり隔たれるから、尚長くや雪をも見つゝ忍ばんとの意也。諸抄の説は、六ケ敷入組たる見樣なれど、安く聞えたる歌なるべし
右柿本朝臣人麻呂之歌集出
寄露
2335 咲出照梅之下枝置露之可消於妹戀頃者
さきでたる、うめのしづえに、おくつゆの、けぬべくいもに、こふるこのごろ
置露のは消ぬべくと云はん迄の序也。能聞えたる歌也
寄霜
2336 甚毛夜深白行道邊之湯小竹之於爾霜降夜烏
いたくしも、よふけてゆくな、みちのべの、ゆざざのうへに、しものふる夜を
湯小竹 ゆとは初語也。五百津湯津など云とは異なり。湯津岩村など云と同事と云説あれど、ゆつと云は賞めたる詞、ゆと計は只初語と見るべし。いたく夜更けて、いでかへるな。路邊の小竹が上には、霜の降る夜を凌ぎて行くなと、夫などの忍來て歸らんとするを留めたる歌なるべし。寄するとあるは、皆戀の意によそへたる也
寄雪
2337 小竹葉爾薄太禮零覆消名羽鴨將忘云者益所念
しのゝはに、はだれふりおゝひ、けなばかも、わすれんといへば、ましてしのばる
(183)はだれは花雨にて雪を云。是燈明とする歌也。當集に二首まで、雪をはだれと詠める歌をもて、はな雨の證とすべし。小竹をさゝとも讀め共、下にしのばると讀む縁には、しのと讀まん事然るべし
零覆の二字、ふりしきと讀まんか。おほふと云詞はよろしからぬ詞也。然れ共、意は同じければ、諸抄にもさ讀みたれば通例に從ふ也。歌の意は、降り積りたる雪の、消なば忘れんか、命のうちは忘れぬと人の云から、いやましに我もそなたを、戀慕ふとのよそへ也
2338 霰落板敢風吹寒夜也旗野爾今夜吾獨寐牟
みぞれふり、いたくかぜふき、さむき夜や、はたのにこよひ、われひとりねん
板の字、枝に書たるは誤り也。敢の字を、くと讀むは、かんと云詞は、く也。約て云へる也。かきくけの通音にて、くと通ふ故抔云説は迂衍の義也。かんと云音は、約めて云へば、くになる也。旗野末v考。第一卷に波多の横山と云所を擧られたり。伊勢にある歟。霰はみぞれ也。和名抄云、〔爾雅注云、霰、冰雨雜下名【和名美曾禮】〕此歌旅行などにて詠める歟。はたと云詞は、嘆息の詞なれば此處もはた也。今夜獨り寢んかと、歎きたる意をこめて、旗野を詠出たるならんかし
2339 吉名張乃野木爾零覆白雪乃市白霜將戀吾鴨
よなばりの、ぬきにふりおほふ、しらゆきの、いちじろくしも、こひんわれかも
市白と云はんとて、上を詠出たるもの也。打表はして、言にも出して戀ひん哉と云へる意也。野木と云へるは、穩かならぬ詞なれど、よなばりの野の木に、雪の降積みたるを見て、よそへ詠めると聞ゆる也。地名に意あるにはあらじ。よなばりの事、吉魚と書たらば、義訓にてふなばり共讀べからんを、吉名と書て鮒と讀義未v考。前に注せる如く、よなばり、よごもり、ふなばり三ケの地名か。其内よなと、ふなとは文字の誤りもあらんか。此事未v決也。古名張とあるは、ふなばりなるべし。吉名をふなばりとは吉の字の義を釋せずしては讀難し
2340 一眼見之人爾戀良久天霧之零來雪之可消所念
(184)ひとめ見し、ひとにこふらく、天霧之、ふりくるゆきの、けぬべくおもほゆ
歌の意は、聞えたる通也。只一目見し人に戀佗びて、雪の消ゆる如く身も消ぬべく思ふとの事也。天霧之の三字、前にも注せる如く、かきくらしと義訓に讀まんか。あまぎらしといふ詞、如何共心得難し。假名書の證歌あらば、何疑ひあらん。未見ば此訓心得難し。尤人丸の歌とて、あまぎる雪のなめてふれゝばと、詠める歌もあれば、古語にあまぎらしと讀み來れる歟。然れ共當集其外古詠に、假名書の歌を不v見ば、うけがひ難き也
2341 思出時者爲便無豐國之木綿山雪之可消所念
おもひ出る、ときはすべなみ、豐國の、ゆふやま雪の、けぬべくおもほゆ
豐國 壹國にてやあらん。前にも、ひとくに山と詠める歌あれば也。人を戀慕ふ意を寄せて、ひとくにの木綿山雪と詠めるにやあらん。思出る時はすべなみとは、思出て戀佗びる時は詮方も無き計りに思佗て、雪の消ぬべき樣に思ふとの意也。木綿山雪とは、穩かならぬ詞なれど、ゆふこえくれば抔詠める詞、又此下に窺良布跡見山雪とも詠めり。古詠例句あれば、此時代の風躰なるべし。木綿山、第七卷に、はなちの髪をゆふの山と詠める所なるべし。然らば西國の内にて、豐前豐後の内歟。此歌を證として見るべし。宗師の案、豐は壹の誤りかとの意も、歌の意にてはさもあらんかなれど、第七卷の木綿山の歌の名は筑前なれば、豐國の方なるべし。歌の意は皆消ぬべく思ほゆると云迄の寄せ也
2342 如夢君乎相見而天霧之落來雪之可消所念
いめのごと、きみをあひみて、あまぎらし、ふりくるゆきの、けぬべくおもほゆ
前の歌共同じ意也
2343 吾背子之言愛美出去者裳引將知雪勿零
あがせこが、ことうつくしみ、いでゝゆかば、もひきしられん、雪なゝふりそ
吾夫の言の美はしく睦まじければ、今又出行かんに、雪降りては裳を引跡の顯れんまゝ、雪は降りそと也
(185)2344 梅花其跡毛不所見零雪之市白兼名間使遣者
うめのはな、それとも見えず、ふるゆきの、市白けんな、まづかひやらば
雪降れば、梅は色同じきものなれば、何れ共わき難けれど、此降る雪に思ふ人に來ませと使を遣らば、その跡は著く顯れ見えんと也。下の一説の歌にて、愈其意明也
一云零雪爾間使遣者其將知名 ふるゆきにまづかひやらばそれとしれなん。前に注せる意、此一説にて、彌明かなるべし
2345 天霧相零來雪之消友於君合常流經度
あまぐもり、ふりくるゆきの、きゆるとも、きみにあはんと、ながらへわたる
能聞えて、別の注に不v及歌也
2346 窺良布跡見山雪之灼然戀者妹名人將知可聞
此歌の五文字、如何に共心得難し。うからふとゝ云は、うかがふと云事と、先達の歴々も注し給ふを、數百歳の今、愚なる心にうけがはぬは憚多けれど、たぐひも聞馴れぬ歌詞也。其上前にも、木綿山雪と地名を詠みて、珍しき詞ながら例あれば、是もとみ山ゆきなるべきを、見る山ゆきと讀めるも猶更うけがひ難し。大和の跡見山の雪を詠めるなるべく、窺良布と云義は、何とぞ鳥見の縁につきて別訓あるべし。窺良布と詠みたるから、とみ山共續けたるならん。然ればうからふと讀みては、如何に共不v通。何とぞ別訓を後案すべし。歌の意は、句面の通、聞えたる歌也。只いたく戀佗びなば、妹が名のあらはれて、人の知らんかと也。窺良布、此別訓後案すべし
2347 海小船泊瀬乃山爾落雪之消長戀師君之音曾爲流
あまをぶね、はつせのやまに、ふるゆきの、けながくこひし、きみがおとぞする
(186)此歌は、雪の消ゆると云詞を、初語のけと云にかけたる迄の歌也。船の港に着く時は騷がしくて、人音の定かなるものにて、且嬉しく悦ばしきものなる故、深く意を含めて、あまを船はつ瀬の山をも詠出て、君が來る音のするとは詠みとめたるならんか
2348 和射美能嶺往過而零雪乃※[厭の雁だれなし]毛無跡白其兒爾
此歌諸抄の如く讀みては、色々の詞を添て釋せざれば聞えず。然りとて、慥に聞とゞけたる證明の類歌も無ければ、如何に共注し難し。先諸抄の説は、初五文宇は四言に讀みて、わさみのは美濃にある山にて、此歌は、美濃に妻ある人に、つかひに云心也。汝わさみの峯行過てと云心によみ切りて、ふる雪の疎ましく厭ふ事無きが如く、吾は何時も飽かず思ふ由を、妻の子に申せよと教てやる心に見るべしとの説有。又わさみのゝと五文字に讀める説有。一字音の假名書に書きて、みのゝとは讀難し。扨歌の意は、嶺行過て猶やまぬ雪は疎ましきと、上の句に詠みて、其女子は疎ましからぬと、云ひ傳へよと見る説有。かく見て、此歌とくと聞えたり共不v覺。使の事句中にも不v見。おして美濃に妻ある人の歌と云べき事も心得難く、嶺過て尚降る雪は、疎ましけれどと云事も句中に不v見。歌は詞を不v入不v添して、其意安く聞ゆる樣に、詠みもし聞もすべき事也。言を漆へ詞を加へて云はゞ、如何樣にも理屈を添へて注せらるべきなれば、さは云ひ難けれど、此歌如何に共解し難き故、先達もかく色々の案を加へて釋し置たり。※[厭の雁だれなし]毛無跡、此四字の讀樣あるべし。此四字にて、下の白の字の意も知れ侍らんか。白の字は申とも讀みたれば、さも讀べきか。雪に寄せたる歌なれば、同意ながらしらせと讀まんか。しろきと云事を詠める共見ゆる也。曰の字の誤とも見ゆる也。愚案、讀むべくは、わさみのねゆきすぐれどもふる雪のいとひもなしとしらせその子に。意は、わさみのねは、美濃國にある山にして、忍逢ふ女子と我中の事につきて、災もあらんかと、互に氣遣ふ中なるが、其わさみの山を、過行とも雪降りて、山路の過ちも無く、厭ひ嫌ふ事も無きと云事に、女子と我中との事のあらはれ、わざにも逢ふ事無きを喜ぶ義に寄せたるかと見る也。雪中に山など越ゆるは、吹雪、雪なだれなど云て、わざのある物なるに、何の災と云事も無く行過ぬと云事を、思ふ中の間に、さはりわざある事も無きと云義に寄せたるか。しらせと云は、廣く誰れとも無しに、只打任せて詠めるか。何にしらせと、さしつくる處の無き義濟難けれど、前の説の如く使にもして見るべき也。全體如何樣に聞きなしても不2打着1歌也。尚後案すべし
(187)寄花 冬の歌故梅を詠める也。並べての花とは見難し。冬咲く花ならでは、なり難かるべし
2349 吾屋戸爾開有梅乎月夜好美夕夕令見君乎社待也
わがやどに、さきたるうめを、つきよゝみ、よな/\見せん、せをこそまたな
月のあかきよ、宿に咲たる梅を見せまほしと、月夜頃の夜々思ふ人を待つと也。歌の意は、不v及v注聞えたり。社の字、祚の字に書たる本も有り。何れか正本ならん。その字なれば、君の字せな共きみ共讀みて句を調ふべし。意は同じ事地。也の字は決語の字に書たる歟。語の餘りに置たる字にして讀まば、假名付の如く、君をこそ待てと讀みて歌の意よく通ずる也。待たなと讀みては歌意少し紛るれ共、決語、語の餘に書きたると決し難きは、待の字一字にて、待て共、待つ共讀まるれば、也の字無用の字を書べき用無し。依りてまたなとは讀也。なりと讀む字故、なと計りは讀まるゝ也。祚の字にして句を調ふれは、せをぞ待つなりと讀みて能聞ゆる也。此歌は如何樣にも聞えたる歌也。尚義の安き方に見るべし
寄夜 此題も冬の意を以て見るべし。歌にも其意の歌を擧げられたり
2350 足檜木乃山下風波雖不吹君無夕者豫寒毛
あしびきの、やました風は、ふかねども、きみなきよるは、かねてさむしも
山下風、やまのあらし共讀まんか。何れにても意は同じ。吹かねどもとあるから、かねてと云ひて、常に獨寐の夜は寒きと也。況や、冬の夜のはげしき嵐の吹く夜は、尚夜寒むならんと嘆きたる意をこめて詠める也
萬葉童蒙抄 卷第十終
(188)萬葉集卷第十難解之歌
1817 今朝去而明月者來牟等云子鹿丹〔四字傍点〕旦妻山丹霞霏※[雨/微]〔三字傍点〕
旦妻山、日本紀卷第十一、大鷦鷯天皇之御歌、阿佐豆磨能避箇能烏瑳箇烏云々此地名大和か難波か未v決
1832 打霏春去來者然爲解天雲霧相〔四字傍点〕雪者零管
1849 山際之雪不消有乎水飯合〔三字傍点〕川副着目生來鴨
1851 青柳之絲乃細紗〔二字傍点〕春風爾不亂伊間爾令視子裳欲得
1859 馬並而高山〔五字傍点〕部乎白妙丹令艶有者梅花鴨
(189)1866 春※[矢+鳥]鳴高圓邊丹櫻花散流歴〔三字傍点〕見人毛我裳
譬喩歌
1889 ○ 吾屋所之毛桃之下爾月夜指下心吉〔六字傍点〕菟楯頃者
1893 出見向崗本繁〔二字傍点〕聞在花不成不止
1901 藤浪咲春野爾蔓葛下夜〔二字傍点〕之戀者久雲在
1916 ○今更君者伊不在春雨之情乎人之不知名國
1927 石上振乃神杉神佐備而吾八更更〔二字傍点〕戀爾相爾家留
1951 ○慨哉四去〔四字傍点〕霍公鳥今社者音之干蟹〔二字傍点〕來喧響目
1961 ○吾衣於君令服與登霍公鳥吾乎領袖爾〔三字傍点〕來居管
(190)1979 春之在者酢輕成野〔五字傍点〕之霍公鳥保等穗跡妹爾不相來爾家里
1996 ○天漢水左閉而照舟竟舟人妹等〔八字傍点〕所見寸哉
1998 吾戀嬬者知遠徃船乃過而應來哉事毛告火
2003 吾等戀丹穗面〔三字傍点〕今夕母可天漢原石枕卷
2005 天地等別之時從自※[女+麗]然叙手而在〔五字傍点〕金待吾者
2003 彦星嘆須※[女+麗]事谷毛告余叙來〔四字傍点〕鶴見者苦彌
2066 擇月日逢義之有者別〔傍点〕乃惜有君者明日副裳欲待
一本、待作v得
2092 天地跡別之時從久方乃天驗常弖大王〔二字傍点〕天之河原爾璞月累而妹爾相時候跡立待爾吾衣手爾……《中略》吾
(191) 詠花
094 竿志鹿之心相念秋芽子之鐘禮零丹落僧〔傍点〕惜毛
2108 秋風者急之〔二字傍点〕吹來芽子花落卷惜三競竟
2113 手寸十名相〔五字傍点〕殖之名知久出見者屋前之早芽子咲爾家類香聞
2133 秋田吾苅婆可能〔四字傍点〕過去者鴈之喧所聞冬方設而
2140 璞年之經往者阿跡念登〔四字傍点〕夜渡吾乎問人哉誰
2167 秋野之草花我末鳴舌百鳥音聞濫香片聞吾妹〔四字傍点〕
2176 秋田苅※[草がんむり/店]手※[手偏+垂]奈〔四字傍点〕利白露者置穗田無跡告爾來良志
※[手偏+垂]、一本作v搖
2284 率爾〔二字傍点〕今毛欲見秋芽之四瑳二將有〔五字傍点〕妹之光儀乎
(192)2302 惑者之痛情無跡將念秋之長夜乎寐師耳〔三字傍点〕
2330 爲妹末枝梅乎手折登波〔二字傍点〕下枝之露爾沾家類可聞
2346 窺良布跡見山〔六字傍点〕雪之灼然戀者妹名人將知可聞
2348 ○和射美能嶺往過而零雪乃※[厭のがんだれなし]毛無跡白其子爾
2349 吾屋戸爾開有梅乎月夜好美夕夕令見君乎祚待也〔三字傍点〕
祚一本作v社
萬葉童蒙抄 本集卷第十終
(193)萬葉集卷第十一
古今相聞往來歌類之上
旋頭歌十七首
正述心緒歌百四十九首
寄物陳思歌三百二首
問答歌二十九首
譬喩歌十三首
(194)萬葉童蒙抄 卷第二十九
古今相聞往來歌類之上 此目録別而心得難し。是より上の卷に毎度相聞の歌あるに、此卷に限りて此の如く標題せる事有るべき樣無し。惣て目録は後人の加筆なれば、今更評するに不v可v及事なれど、近世の諸抄には、是等の目録をも本文と心得、撰者の筆と見て、注解をもなせる故、此後の學生猶惑ひあらんかと、筆を加へ侍る耳
寄物陳思歌三百二首 是も數へ違也。貳百八十貳首也。上の卷共にも、ケ樣の違は數多有りしを、目録の沙汰は無用の事なれば注せざりき
旋頭歌十七首 前にも注せる如く、歌はそのかみ何句と云限りも無かりしか共三十一字の歌を短歌と定めて、五七五七七と言を連ねたり。長歌は其五句にかゝはらず、五七五の詞をいくらも續くる也。然るに此旋頭歌は、濱成和歌式にも頭にめぐらすと云意にて、双本とも記せり。然れば此頭にめぐらすと云も、双本と云も、三十一字の五句の歌を、本として云へる義にて、五句の頭とは初五文字を云也。五句の内上三句を上の句とも頭とも云ひ、下二句を下の句とも尾とも云。和歌式に頭尾と云へるは此義也。其頭にめぐらすとは、五句に一句添て、上の句と同じく讀むをもて、頭にめぐらすとは云也。双本と云も、上の句を本と云ひ、下の句を末と云。神樂に本末と云も是也。然れば、本にならぶと云意にて、五七七五七七と詠むを旋頭歌とは云也。五言七言心に任すなど、奥義抄に云へるは誤也。旋頭歌と云字の意、濱成式の双本の義を證とせば、六句にて上下同句の歌をこそ、旋頭歌とは云べき也。古今集の旋頭歌、古人の歴々讀みたがへり。双本と被v書たる意も、古今集の
うちわたすをち方人にものまふすわれ、そのそこに白くさけるは何の花そも
此歌にて明也。然るに、歴々の先達皆われそのそこにと續けて讀來れり。われそのそこにと續く詞は無き詞也。此われは上(195)に付かねばならぬ詞を、下に續け讀める事大成誤也。奥義抄の説にも、心得難き事共あり。委敷不v及v注。橘貞樹、小野小町等の歌に付ても、心得難きことを注せり。所詮旋頭歌は、濱成式と、古今の、をち方人の歌とを手本として心得べき也。五七七五七七と六句に詠めると見るべし
2351 新室壁草苅邇御座給根草如依逢未通女者公隨
にひむろの、かきくさかりに、みましたまひね、くさのごと、よりあふをとめは、きみがまにまに
新室 新しく作れる屋を云へり。日本紀清寧紀云、二年冬十一月〔依2大甞供奉之料1、遣2於播磨國司山部連先祖伊與來目部小楯於赤石郡縮見屯倉首忍海部造〕細目新室1。見2市邊押磐皇子億計弘計1。顯宗紀云〔適會2縮見屯倉首縱賞〕新室以v夜繼1v晝。神代紀下卷云〔故鹿葦津姫忿恨。乃〕作2無戸室1〔入2居其内1。而誓之日〕云々。室の字は、むろ共云へ共、さやとも讀めり。釼室と書く時はさやと讀也。意は人の家の意也。扨此歌は、新しき家を作れる時祝して、其處の人を饗宴する事古實也。既に右に引ける如く、日本紀に見えて、室ほぎの歌と云古事さへ殘りたり。今とても此遺風は有事也。棟上の祝など云事も此遺風也。此歌も、新室の祝宴をなせる事を詠める也。然るを目録に後人の加筆しおける、古今相聞など云事あるに氣をふれしより、此二首も、戀の意を專として見たる抄物説々のみにて、古來より室ほぎの古實を詠めると辨へたる人無し。新室と詠出たるは、何の爲に詠めるや。室ほぎの事を詠める歌ならで、此歌いかに共聞き得難し。然るを色々の寄せ詞を加へて、注釋せられたる抄共、無益の事實に勞して無功の義也。何程言葉を添て云廻されたり共、鮮かに歌の意不v通ば、うけがはぬ人はうけがひ難き也。室ほぎの事を詠めると見つけたらん人は、歌の意もいと安らかに聞え侍るべし
壁草 かきくさと讀也。楚辭屈原が九歌(ノ)點に、※[草がんむり/全]壁《クサノカキ》ニ紫壇如v此古く讀ませたり。何とてかきくさとは詠み出たるや。新室ならば、草など生ずべきならずと云不審有。是は只それまでの沙汰には不v及義、下の刈りと云はん迄の縁に、かき草とは詠みてかりとは假初に見まし給ひねと云ひて、假に來りてましませと云義にて、高貴の人を請待する義をかくは詠める也。祝宴に來り給へと云事を、來る人を尊んで假初に御座被v成よと云たる詞也。よりあふとは祝宴に寄合て、歌舞抔をなす女子と云義也。(196)上にかき草と詠みし故、其草の如くしなやかに寄り集まる乙女らは、歌ひつ舞つせん事も、君が心任せにせんと、請する人を崇敬してかく詠める也。諸抄の意と引合て辨ふべし。諸抄の如くにて此歌濟むべきや。人麿歌集に出と、後人の追加乍らも細書に注したれば、げにも時代は古き歌ならんかし。然れば古實を存したる歌なれば、中世の意をもて推量の注解は叶ひ難かるべし。次の歌は直に日本紀顯宗仁賢の御事を、乍v恐もよそへて詠める歌に聞ゆる也。此歌の意は右の通りにて聞えたらんか
2352 新室踏靜子之手玉鳴裳玉如所照公乎内等白世
此歌も室祝の事を專と詠みて、然も顯宗仁賢の御事を詠める共聞ゆる也。餘り恐もあれば、あらはには釋し難き也。先づ新室をほむと讀むべし。假名付け抄物等の説の通りにては、新室のふむしづけ子がと讀ませたり。如v此讀みては歌と云ものにあらず。踏の字をほむと讀む事を不v知からの説也。踏の字は神代上卷の神號にも、熊野忍蹈尊と有て蹈の字ほむと讀ませたり。比も新室をほむるしづけ子と云へる義也。ほむは、ほぐと同じくて祝ふ事也。歌舞をなすしづまりたる子と子を賞めて、しづけ子とも詠めるなるべし。又顯宗仁賢の二君の事を、乍v恐も指して詠める意歟
手玉鳴裳玉如 舞兒の飾りの玉の鳴るもと云義、裳は嘆の詞とも聞え、又下へつく初語とも聞ゆる也。上につけては助語にして嘆の詞感じたる詞也。下に付ては眞玉と云と同じ。彼舞兒の飾りの玉の、鳴る其玉の如くと云義也
所照公乎内等白世 此句少聞き得難し。若し是は、日本紀の室祝の事を引て詠める歟。然れば顯宗仁賢の二聖君の事をよそへ奉りたると聞ゆる句也。諸抄の讀樣は、入組たる詞を添て釋して、照せる君をうちにと申せと讀みたれど、讀樣はさもあらんかなれど、釋し樣いかに共句中に見えざる意を添て注せり。よりて聞え難し。二君の事を引て詠奉りたる意に見れば、歌の意甚安き也。玉の如く照り給ふ君は、此新室の内にましますと帝都へまうせと、其時の意をこめて詠める歟。現日としらせと云意歟。然らば直に、うつ日としらせと讀みてよく聞えたり。天下を照し臨ましめ給ふ、日のみ子としらしめよと云意也。然れば、此歌の讀樣下の句色々の讀樣有るべし。先一通り讀まんには、二君の事を詠める意と見れば
にひむろをほむしづの子の手玉ならすもたまのごとてらせるきみをうちにともうせ。又はうつ日としらせ、うちにとあかせ
(197)此外もまだ讀樣にて、二君の事にあらず、主人を賓客より祝讃して詠める歌と見る義有るべし。後案すべし
2353 長谷弓槻下吾隱在妻赤根刺所光月夜邇人見點鴨 一云人見豆良牟可
はつせの、ゆつきがもとに、わがかくせるつま、あかねさす、てれる月よに、ひとみてむかも、
長谷 はつせと讀ます義、いかなる故共未v考。日本紀古事記等に、此二字をはつせと讀まし來れり。古事記には、雄略天皇の御名大長谷若建命と記し、坐2長谷朝倉宮1治2天下1也とも書き、坐2長谷之百枝槻下1爲2豐樂1之時云々如v此書て、はつせと假名を付けたり。日本紀當集には初瀬泊瀬など書けり。長谷の二字を、はつせ又ははせと計りも讀む義、何と云へる所以共知り難し。昔は、ながたに共云ひたるか。又こもり口の泊瀬と續く事も、長谷の二字の意縁ある樣に見ゆる也。籠りたる口にて、奥深く長き谷の地を云へる事にや
弓槻下 足も地名と聞ゆる也。第十卷目の歌に、玉蜻夕去來者佐豆人之弓月我高荷霞たなびく。此如く詠めるなれば、弓槻と云所あると見えて、直に槻の木の下にと云意を兼ねて、詠めると見ゆる也
所光 ひかるとも讀べし。然れ共あかねさす日とうける義にはあらず。月にうけたる赤根さす也。よりて照れると讀む也。歌の意は何の意も無く聞えたる通、弓槻下に隱しおける妻を、さやかなる月夜には人の見あらはさんかもと、氣遣ひて詠める迄の歌也。弓槻とは弓にするによき木と云事にて弓槻と云との事は心得難し。弓槻の地名を歌によそへたる義と聞ゆる也
2354 健男之念亂而隱在其妻天地通雖光所顯目八方 一云大夫乃思多鷄備※[氏/一]
此歌は前の歌に和へたる歌也。いかにとなれば隱在其妻と詠めるは、前の、わが隱せる妻と云處をとりて、和へたると聞え、月夜に人見てんかもと詠めるに、所顯目やもと云ふて和へたると聞えたり。然れ共、天地通雖光の五字いかに共心得難し。諸抄の如くに讀みて、月の天をも照らし、地をも照らすともあらはれめやもと云義にて、天つちに通り照る共と讀むとの注釋なれ共いかに共心得難し。天地に通り照る共と云詞、いかに共續かぬ詞也。宗師別案有、追而可v考也。上の句は勇猛の男子心を摧きて、隱しおきたる妻なれば、たとひいかなる事にもあらはれじと、妻貞節の意をもあらはして、和へたる歌とも聞ゆる也
(198)一云大夫乃思多鷄備※[氏/一] たけぴは進みてと云意と同じ。ますらをは猛く勇むを本とす。其猛き事を進むの意たけぶると云意也。神さぶるなど云と同じく、神ぶる翁ぶる、たけぶる皆同じ意にて其わざふるの意也。今俗にも、たかぶるなど云義と同じ。其事に勇み進む義を云也
2355 惠得吾念妹者早裳死耶雖生吾邇應依人云名國
此歌もいかに共心得難き歌也。諸抄物假名付の通にては、俗言ながら一通聞えたれども、はやもしねやと云事、如何共歌詞に聞えず。何とぞ別訓あらんか。尚追而、可v發2後案1歌也。諸抄假名付の通りにては、わが惠まめと戀慕ふ妹の、兎角吾には心通ぜすして、たとひ生き永らへたり共、送に吾には隨ふべきとも云はぬ由なれば、とても永らへてわれに物思ひをさせんよりは、早く死ねよと思ひ慕ふ事の深き餘りに、却りてつれ無き心の出來ぬる意を詠めると釋し來れり。かく讀みてはさも聞え侍れど、句體歌詞にあらず。連續せぬ詞共あれば、ケ樣にては有まじき也。然れ共未だ今案も無ければ後案に殘す也
2356 狗錦紐片叙床落邇祁留明夜志將來得云者取置待
こまにしき、ひもかた/\ぞ、とこにおちにける、あすのよし、こんといひなば、とりおきまたん
狗錦紐片叙 こま錦は前にも注せる如く、高麗の錦の紐はよき物故、紐を賞して狗錦とは詠出て、紐と云冠辭に詠みたる也。日本紀の歌に、さゝらがた錦の紐とも詠給ひて、歌には凡て如v此一物を云とても、皆風雅をあらはして詠むを習とはする也。たゞ事と歌との違ひは、此等にて知るべし。此歌狗錦の事の入事にはあらねど、只紐と云ぎを詠むまでの事なれ共、如v此雅辭を詠出るを歌とは云也。紐には雄紐雌紐と云て二筋有由也。さればこそ此歌にも片と讀たれば、つがひたる紐と聞ゆる也。今とても裳袴の紐は左右にわけて著くる物なれば、古制もかくの如くなるべし。歌の意は、紐の落ちたるは、あすの夜もこんと云事にや。さも云給はゞ止め置きて、來るをも待たんを、さも云はねばいかにやせましの意をこめて、取置待たんと詠める也。こんと云なば取置き待たんと計りにて意止らねど、意を含めて來給はんや來給ふまじやと、思ひ佗たる意に詠めると聞ゆる也
2357 朝戸出公足結乎閏露原早起出乍吾毛裳下閏奈
(199)あさとでに、きみがあゆひを、ぬらすつゆばら、とくおきて、いでつゝわれも、ものすそぬれな
通へる人の朝とく出て歸るを、われも見送らんに、裳の裾をも濡さんと也。夫の足結を濡らすなれば、われも共に裳の裾ぬらさなんとの義也。足結は前に注せり。日本紀等にも見えたり。今の脚絆の類也
2358 何爲命本名永欲爲雖生吾念妹安不相
なにせんに、いのちもゝとな、ながくほりする、いけりとも、わがおもふいもに、やすくあはぬに
此歌のもとなは、よしなくもと云に能叶へり。又詞の、命をもなど云義にも聞ゆる也。心もとなくたゞならぬと云方には不v通本名也。これらの詞未だ決し難き也。然れ共ただも居ずして、何の爲命を永かれとは願ふぞと云意に見る也。此意は少し六ケ敷也
歌の意は何の爲に命をも長かれと思ふらん、生永らへたりとて、戀佗ぶる妹に安く逢はざるに、よしや今は命を長かれ共願はじとの歌と聞ゆる也
2359 息緒吾雖念人目多社吹風有數數應相物
いきのをに、われはおもへど、人めおほみこそ、ふくかぜに、あらばしばしば、あふべきものを
命にかけて思へ共、人目多くて逢ひ雖ければ、吹風にもがな、それにもあらば逢はるべきにと也
2360 人祖未通女兒居守山邊柄朝朝通公不來哀
ひとのおやの、をとめごすゑて、もるやまべから、あさな/\、かよひしきみが、こねばかなしも
此歌は守山といふ地名によりて詠める也。地名の守山を詠まんとて、上の句を詠出たる也。尤も打かへしてあさな/\通ひし人の、をとめ子をすゑかへして守らすから、不v來と歎きたる意をも含て聞ゆる也。をとめ子の詠める歌也
2361 天在一棚橋何將行穉草妻所云足莊嚴
(200)あめにある、ひとつたなはし、いかにゆかん、わかぐさの、つまがりといへば、あしをうつくし
此歌諸抄の説は、天河に在る一つ橋の危うきをいかで渡り行かん、いつくしき足にて、危き橋を越えん事のいつくしみと、いたはりたる歌との説也。諸本の假名右の如し。かく讀みて歌の意聞えたり共不v覺。宗師説は、惣て當集の假名の書樣一格ありて、字句にて一通り意を含て、上に行と云字を書けば、下に足といふ字を書きて、歌の義は外の意をあらはせり。此格を不v知人は文字に氣をふれて迷ふ事有。此歌も上に行と云事を詠める故、下に足と云字を書きたれど、あしと讀む義は有べからず。これはそこと讀ませたる義と見る也。歌の意、天河に在る如き只一つのわづかなる橋なれ共、妹がもとゝいへばそれをも厭はじ、そこも美はしくよき處と思ふと云ふ意に、そこも美はしと詠めるならんと也。天在とは日とうけたる迄の義と云説もよき説なれど、此歌のなみ悉く地名を詠みたる歌なれば、天河の事にして山城大和に天河と云處あるをもて、空天の天川になぞらへて詠めると見るべし
あめにあるひとつたなはしいかでゆかん穉《ワカ》草のつまがりといへばそこもうるはし
一棚橋 板一枚をかけ渡して、狹く細き橋を云たる義と聞ゆる也。唐の詩にも、水棚と記せる此事ならん。橋は棚を釣りたる樣なるものなれば、水棚とも云ひ我朝にては棚橋とも云へるならん。此歌愚意未v落。一棚橋いかに行かんと詠めろ意は、天に在る只一つの棚橋何とぞ行通ふべき。中々行かれまじきと云意に、いかにゆかんとは詠めるならん。然らば上の句に對して下の句の見樣何とぞ有べきか。宗師説にてもいかに行かん妻がりと云へば、そこも美はしと云ては、上下首尾せぬ樣に聞ゆる也。一ツ棚橋にて、殊に天に在る橋なれば、中々行かるべき處ならねど、妻の居るもとゝ云へば、それをも渡り行かんと云意に詠める歌ならんか。莊嚴の二字よそほひと讀むべき字也。なれば足よそひせんと詠めるにはあらましや。尚後案すべし。天に在る一ツ橋は、中々いかに共行かるべきにあらねど、妻の居る處と云へば、いで行かんと足のよそほひをもすると云意共聞ゆる也
2362 開木代來背若子欲云余相狹丸吾欲云開木代來背
(201)此歌諸抄の説と、宗師案と甚だ相違せり。先諸抄の説の讀樣左の如し
やましろのくせのわかこがほしといふわれあふさわにわれをほしといふやましろのくせ
如v此讀みて歌の意は、山城の久世と云ふ處の若き男の子が、われを戀慕ひてほしと願ふ。あふさわにとは大方凡に打なづみても願はず。只凡にわれをほしきと云と重ね詞に云ひてよめる歌と釋せり。再應返して云事は、古詠の格何程も有事也との注也。然れ共、開木と書きて山と讀む義、いかに共未v通。其の上開木代の三字、一本には代を伐の字を書きたるあれば、何れ共難v決。且相狹丸の義もいかに共難2心得1。大さわと云語釋、何とも義不v通ば此説難v用也。よりて宗師讀樣は
あき木こるこせのわかこがほしといふかりまきさをにかりほすといふあきゞこるこせ
開木伐は、商なふ木をこると云義。來背は巨勢山など云前にもある大和の地名。其こせのわか子とさして云へるならん。若子は男子を賞讃して云へる義也。古語拾遺に脇子と云古語の轉也と云へる也
欲云余 われをほしきと云との義にて、木を伐と詠出たれば、かりとは讀む也。切も苅も同事義を云詞なれば、ほしとは商ふ木を切りて、干枯らすと云義に云なしたる義也
相狹丸 相はまきまくと讀む事前にも注せり。みとのまぐはひ等讀める事日本紀に見えたり。こゝは眞木青にと云義によそへたり。丸の字はわにと讀むぐわんの音故わ也。わとをと同音故、さをにと讀みて青にと云意也。商ふ木をま青に伐りて、干こせと重て云たる義にして、下の意はこせと云處の山の木は、諸人の薪に伐りて賣る故、あき木こるこせと地名を呼出したる也。其こせの若男がわれ妻にせんと戀ほしがりて、眞木の青木を伐りて干すと、重ねて繰言に詠める也。當集の歌は、惣て如v此一つものに寄せて、下に意を隱して詠める也。惣じて古詠の格皆かくの如し。今の歌にも、其ふまへある歌は上手の作也。古今集の歌に此歌の意をとりて
あしひきの山田のそほつおのれさへわれをほしといふうれはしきこと、と詠めるも此歌等に基きてなるべし。此歌の事は彼集に釋しつ。又第七卷にも開木伐來背と詠める歌ありて、そこにも注せり
右十二首柿本朝臣人麿之歌集出
(202)2363 崗前多未足道乎人莫通在乍毛公之來曲道爲
をかざきの、たみたるみちを、ひとなかよひそ、ありつゝも、きみがきまさん、よきみちにせん
崗前 は大和の地名なるべし。山城にもあれど、此時代の歌山城の地名を、ケ樣の歌に詠出づべきにもあるまじ。大和の内にも有るべき也
たみたる は、こきたみなど云ふて、入まがりたる處の道と云義也。廻りめぐる事をたみたむと云也。日本紀神武卷には、丘岬、此云2塢介佐棄1。如v此ありて山などの入曲りたる處を、岡ざきとも云へど、此歌の岡前は地名なるべし
在乍毛 此儘にありて、ひたもの/\公が通路にせんとの義也。人通ひては忍びて來る君が通路になり難き故、人な通ひそと示せる也
曲道はよき道と讀むべし。前にもよき道は無くてと詠める例有。よけ道なり。忍通ふよけ道にせんと也
卷第七、神前あらそも見えず波立ちぬいづこよりゆかん與寄道者なしに。多未足道を、俊頼朝臣は、おほみあしぢと讀まれたると聞えたり。心得難し。散木集に歌有
2364 玉垂小簾之寸鷄吉仁入通來根足乳根之母我問者風跡將申
たまだれの、をすのすけきに、入通こね、たらちねの、はゝがとひなば、かぜとまをさむ
玉だれのをずと續く事前に委しく注せり。諸抄の説片腹痛き事いかに共云盡し難く、歎かしき事也。假名本にも皆こすと假名をつけたり。數百歳の誤りいかん共し難し。玉だれと計りさへ讀みたり。此等は又上古玉すだれ等云ひて、餝に玉をも垂れたれば、通じてよめるとも云べきか。當集等の玉垂のをすと詠める意、必しもさにはあらず。只をと云ふ初語に、玉を貫き垂れる緒と云うけ迄の冠辭也。玉を垂れたるす故云にはあらず。みすともこすとも云皆初語也。上古は兎角初語を用て雅言とし、其初語も上に縁を詠み出で詠める義と知るべし
(203)寸鷄吉仁 すけきの、けは助語すきに也。すきは隙間のこと、ひまをすきすくと云也
入通をいりかよひと讀ませたれど、通の一字にて通ひこねと讀まれて句も調ひたるに、入と云字を加へていり通ひと讀ませたるは、忍びこねと讀むべき爲、入通の二字を書きたると見えたり。入と云も、通ひと云にて濟むべきを、無用の言葉也。なれば二字を合て義訓に、しのびと讀ませたる義と見ゆる也。歌の意はよく聞えたる也。玉垂れのをすの事は第七卷にも注せり。此下にも有
2365 内日左須宮道爾相之人妻※[女+后]玉緒之念亂而宿夜四曾多寸
うちひさす、みやぢにあひし、ひとづまゆゑ、たまのをの、おもひみだれて、ねぬよしぞおほき
人づまとは人の妻を戀ふと云にはあらず。只なべて妻となるべき女子と云義也。第一卷にも其後の卷にも、人妻から抔詠める同じ事也
※[女+后] 珍しき字也。奥に至りても一所有。ゆゑと讀義未v考。故の字の誤りにや。※[女+后]、玉篇云、古侯切、遇也、又易卦名也。字書云居後切、音構、遇也、陰陽相遇也、又云好也。管子曰、其《(其ノ次人脱カ)》彜※[女+后]又胡口切、遇也。ゆゑと讀む字義無2所見1。兎角故の字の誤りなるべし。玉の緒は亂れてと云序也。念ひに續く詞にあらず。冠辭は凡て二言三言を隔て詠む事上手の業也。既に此歌も玉の緒の亂れてと云はず。念ひと三言を隔てたり。例へば玉手次思ひかけずも抔詠むを、優美の言葉とはする也
2366 眞十鏡見之賀登念妹相可聞玉緒之絶有戀之繁此者
まそかゞみ、見てしかとおもふ、いもにあはむかも、たまのをの、たえたるこひの、しげきこのごろ
まそかゞみは、見てしかの序也。見てしかと云はがなと願ふ意也。せめて見てしか抔願ひしか共、それさへ叶はねば由無しと思絶えにしを、又此頃の頻りに戀しくなりたるは、若しもや逢事有らんとの事にやと云意と聞ゆる也。宗師云、絶たると云事心得難し。玉の緒の絶えたると云ては續かぬと也。亂るゝと讀まんかと也。愚意未v落。奥に至りて絶と續ける歌第十二卷(204)にも毎度出たり。玉の緒、玉かづら抔上に詠みて、たえ、たゆると詠める事數多有
2367 海原之路爾乘哉吾戀居大舟之由多爾將有人兒由惠爾
うなばらの、みちにのりてや、吾こひをらむ、大ふねの、ゆたにあるらん、人のこゆゑに
海原の路にのりてやとは、下に大舟のゆたにあるらんと詠める首尾也。心浮きたる人の子故に、大舟のたゆたふ如く定らずして、何時を泊りよるべ共無く、廣き海路の船に乘りたる如く、何時を限り共無く戀居らんとの意也。ゆたとは漂ひ浮きたる事を云。大舟のと詠めるはよるべ定めず、ゆら/\として定かに極まらぬ義を譬へて云へる也
右五首古歌集中出 古歌の集中にも此歌出たるとの古注者の加筆也。凡て歌集に出など云も、其歌集を所見したるとの注也
正述心緒 正しくおもひを述ぶと讀む也
2368 垂乳根乃母之手放如是計無爲便事者未爲國
たらちねの、はゝが手はなれ、かくばかり、すべなきことは、いまだせなくに
漸く人と成りて母の手をも放れて、獨り食みをもせしより此方と云意也。斯く詮方なく物苦しう物思ふ事は此迄は無かりしが、さても戀路と云ものは詮方なく心の儘ならぬ、如何に共すべき樣の無きものと嘆きたる歌也。事と云へるは、戀の事也。手放をてそぎしとも、手さげし共讀むべけれど、第五卷に山上憶良大伴熊凝の爲に詠まれし長歌の詞にも、宇知比佐受みやへのぼるとたらちしやはゝが手波奈例御手しらぬ共詠みたれば、此例に準ずべし
2369 人所寐味宿不寐早敷八四公目尚欲嘆
ひとのぬる、うまいはいねで、はしきやし、きみがめをなほ、ほりとなげきぬ
夜の目をもえ寐ねず、人ぬる如く二人相共に能思ひの儘ぬる事も得せで、却りて又君を見たきとのみ願ひて嘆き明かすと也。(205)はしきやしとは、公と云べき冠辭にて賞めたる詞也。凡て先を賞めて云詞に、古語に、はしけやし、はしきやしのとは云へり。今時絶えて無き詞也。尤今時の歌にケ樣の事を詠ずる事は甚だせぬ事也。目をほり抔云詞も、天智天皇の御詠より初まりて、古き詞也
或本歌云公矣思爾曉來鴨 きみをおもふにあけにけるかも。一本には、きみが目を尚ほりと歎きぬと云を、如v此君を思ふに明にけるかもと有りしと也。或説の下の句然るべく聞ゆる也
2370 戀死戀死耶玉桙路行人事告兼
こひしなば、こひもしねとや、たまぼこの、みちゆきびとに、こともつげかぬ
こひしなば云々 此下にも有詞也。第十五卷にも同じ上の二句あり。古今集にも
こひしねとするわざならしぬばたまのよるはすがらに夢に見えつゝ
同じ意の歌也
道行人に事も告げかぬとは、往通ふ人にも斯く共告げこさぬは、迚も戀佗びて戀死ねとの事にやとの意也。古今に、するわざならんと云意も同じ。こともは來とも也。安否の事もと云て、下の意は來《コ》とも云ひ、おこさぬとの義也。かぬはつげぬと云意前にも毎度注せし也。かは助語と可v見。諸抄にはつげけんと讀みて、なほざりに思ふから、假初の道行き人に來んと告げこしたれど、不v來ば死ねとの事にやとの説也。此説も事もは、來ともと見ればさも見ゆる歌也。何れか好む所に從ふべし
2371 心千遍雖念人不云吾戀※[女+麗]見依鴨
こゝろには、ちへにおもへど、ひとにいはで、わがこふつまを、見るよしもかも
よくきこえたる歌也
2372 是量戀物知者遠可見有物
(206)かくばかり、こひしきものと、しらませば、よそにのみゝて、あらましものを
可をのみと讀むは、ばかりと讀ませたる字にて、當集にもばかりと讀み、せとも讀ませたれば、又みとも義訓には讀む也。歌の意は能聞えたり
2373 何時不戀時雖不有夕方枉戀無乏
いつとても、こひざるときは、あらねども、ゆふかたまけて、こふるすべなさ
こふはすべなき共讀むべし。夕部を迎へて戀佗ぶるはいとゞ物悲しく、今宵や來まさん今宵は來ませかし抔、思佗ぶる切なる事をすべなきとは詠める也。如何に共詮方無きとの義也
2374 是耳戀度玉切不知命歳經管
かくばかり、こひやわたらん、玉切、いのちもしらず、としはへにつゝ
玉切 假名本にはたまきはると讀ませたり。尤いとうけん迄の冠句前に數多有詞なれど、玉切の二字を斯く讀事未v考。玉剋玉割と書ける歌も有。其例にや。又此玉切の二字は、かげらふと讀事にや。未v決。全篇に渉りて可v考也。此下に年切と書きて、年きはると讀ませたるから、心得難き訓也。かげらふなれば果敢なき命も知らず、戀佗びてのみ年を經るとの意、玉きはるなれば、只いとうけたる迄の冠句、命と云はんとて詠める五文字と見る也
歌の意は、何時迄かく戀渡らん、命の絶え果てん事も知らず、只戀わびてのみ年を經る事かなと歎きたる歌也
2375 吾以後所生人如我戀爲道相與勿湯目
わがのちに、うまるゝひとは、わがごとく、こひするみちに、あひまくなゆめ
與の字をまくと讀事は前に注せり。みとのまぐはひ抔讀ませたる字也。上に道にと有故、來と云詞無くてはなり難し。假名本 るべけれど、與の字をあふとは讀み難からんか。義訓に讀まれまじきにもあ(207)らねど六ケ敷義也。こずなど讀める説も有。此説は然るべからん歟。あたふと讀字故、義訓にさも讀まるべし。此字は眞の字と紛ひたる歌も有。毎度此字につきて訓義の差別ある也。此以下にも數多あり。歌の意は能聞えたり。以後の二字を書たる事、當集に此格あまた有。別に字格を擧たり
2376 健男現心吾無夜晝不云戀度
ますらをの、うつし心は、われはなし、よるひると不云、こひわたりつゝ
健 建同字歟。未v考。現心は明なる確かなる心も無く、夢の如く心も空にうか/\共、いつを夜、いつを晝ともわからぬ如くに戀渡ると也。現とは、顯の字をも讀む。神代紀、顯《ウツシ》國玉など讀ませたり
2377 何爲命繼吾妹不戀前死物
なにせんに、命繼、わぎもこに、こひせぬさきに、しなましものを
命繼の二字いのちつきけんと讀ませたれど、穩かならぬ詞也。命絶えざるとか、永らへにけんとか、永らへぬらんとか、義訓あるべき歟。歌の意は、何の爲に命を永らへゐるぞ、かく妹に戀わびぬ先に死にたらば、かゝる思をせじをと也
2378 吉惠哉不來座公何爲不厭吾戀乍居
よしゑやし、きまさぬきみを、なにすとか、うとまずわれは、こひつゝをらん
此歌は少し手爾乎波六ケ敷歌也。戀ひつゝ居らんと云を打返して二度見るべし。畢竟の意は、何すとか來まさぬ君を戀ひつゝは居るぞ、よしやよし來まさず共疎まずして、何時迄も戀ひつゝをらんと、打返して云へる吉ゑやし也。よしゑやしはよしやよしと打捨たる詞也
2379 見度近渡乎回今哉來座戀居
見わたせば、ちかきわたりを、たもとほり、いまやきますと、こひつゝぞをる
(208)近きわたりなるに、早くも來ぬを恨みて戀ひつゝぞをるとは詠めるならん。見渡せば近きわたりなる故、今もや來まさんと戀わびつゝをると也。たもとほりは、めぐり/\ての意也。乎の字は手の字にもや。古くたもとほりと讀み來れるは、回の字一字にては少しいかゞ也。渡りをの乎はつけて讀まるゝをなれば、手の字の誤り共見ゆる也
2380 早敷哉誰障鴨玉桙路見遺公不來座
はしきやし、たれさはるかも、たまぼこの、みちをわすれて、きみがきまさぬ
此はしきやしは公と誰とへかゝりたる義也。誰と云も人と云意なるから、賞めそやしたる詞を設けてさて隔句體にて、はしけやし君來まさぬと續く歌と見るべし
2381 公目見欲是二夜千歳如吾戀哉
きみがめを、見まくほりして、このふたよ、ちとせの如く、われはこふるかな
逢はで二夜を經るを、千歳も逢はぬ如く戀慕ふとの義也
2382 打日刺宮道人雖滿行吾念公正一人
うちひさす、みやぢにひとは、みちゆけど、わが思ふ人は、たゞひとりのみ
うちひさすみやぢとは朝廷の往來の道也。都路など云に同じ。道ゆけどと云詞は集中數多有。人さはに滿ちてはあれど抔も詠める詞有。此歌意、第四、第十二、第十三卷等にも有て、幾許の人ありても唯思ふ人は只一人ならでは無き故、外人には目もつかず、何人なり共あり共思ほえず、心淋しき抔詠める意也。此歌にては唯一人の外は思ふ人無きと、貞節の意を現はしたる歌也。是等を女の歌情の手本共すべき歌也
2383 世中常如雖念半手不忘猶戀在
よのなかは、つねかくのごと、おもへども、はたわすられず、なほこひにたり
(209)常如 常のもころにと讀める説も有。又常かくのみに共讀める説有。然共意は同じき事なれば、いか樣共好む所に從ふべし。もころと云も、ごとくと云古語也。半手を、はてと讀ませて、世の中は常の樣に物思ひせしと思ひわきても、遂には後へ戻りて又戀ひてあると云意に見る也。然れ共はてと云事六ケ敷也。是は當の字の意にて、嘆息しては、はた、わすれぬと詠める義と聞ゆる也。意は人を戀慕ふに、思ふ樣に叶はで、心に任せずあるを、世の中の習ひ心に任せぬものと思ひ諦めても、はた戀佗る事は、あとから忘られずして愈戀居るとの意なるべし。はたと嘆息したる意也。はてと云ひては面白き樣なれど、不意に出たる詞なれば心得難き也。はたと云にて歌情も深くなる也
2384 我勢古波幸座遍來我告來人來鴨
わがせこは、さきくゐますと、ゆきかよひ、我につげくる、ひとのこんかも
遍來の字、かへりきてと讀みては歌の意不v聞。二字にてゆきかよひと義訓すべき也。我夫の方より音信の使の來るにてあらんと待居る意也。旅行抔にある人の妻の詠める歟
2385 麁玉五年雖經吾戀跡無戀不止恠
あら玉の、いつとしふれど、わがこふる、あとなきこひの、やまぬあやしさ
五年と詠めるは、此時分は諸官人交代、官位の轉任、五年を限れる令の法制ある故、それに准じて詠める也。跡無とは、戀佗ぶるしるしも無く戀のならざると云意也。しるしも無きに、思辨へず、え思も消えで、不v止戀佗ぶるは、いかゞしたる事ぞやと怪しき迄に我からも思迷ふ意也
2386 石尚行應通建男戀云事後梅在
いはほすら、ゆきとほるべき、ますらをも、こひちふことは、のちのくいあり
磐石をも踏み裂き通るべき健き男子も、戀路には踏み迷ひて行まじき道に入りて、返り見して、跡より悔む事の有と也。是等(210)を戀歌の實情とは云べからん。建健は相通ずる歟。前には健男と書、此には建男とありて、各ますらをの事に用ひたり
2387 日位人可知今日如千歳有與鴨
自位なば、ひとしりぬべみ、けふの日の、ちとせのごとく、あらまくもかも
日位、一本位を低に作るあるか。拾穗抄には低の字を書けり。然共、拾穗の本は理を不v顯、明壽院自身の了簡に書面を被v改て、凡而誤りを傳へたる事數多あれば、此低の字もくれと假名を付置きたるを以て、位の字には、くれ、くるゝの意無き字故、低はくだると讀み、たるゝ共讀字義あるから、改められたる歟。歌の意をも不v辨、且古人義訓を以て書たるをも不2考辨1、被v改たると見えたり。數本皆位の字也。位の字然るべからんか。位の字にくれと假名をつけたるは、義訓の案不v及人の、外に讀樣も無き推量に付たるなるべし。日くれなばと讀みては、此歌如何に共不v聞也。凡ての歌、夜の明るを厭ひ忍ぶ事を通情とするに、日くれなは人可v知とは如何に共理り不v通。是は日を繼たらば人知りぬべしと云義にて、日位と書たるは、天子を日嗣の命と奉2尊稱1、日の御位に比し奉れば、其訓義を借りて、日位の二字にて、ひつぎなばとは讀ませたるならんかし。されば、下に今日のと有て、あす又日をつぎては、人の知り咎めむと云へる義也。日の暮れなば、人の知らんと云義は、何共濟まざる義也。よく/\歌の意を考へ見るべし。日位の字を日つぎと讀まする事、當集の義訓の格全相叶ふ也。若し又さなくては、誤字ならば竝の字歟。然れば、日ならべばと讀べし。當集に日ならぴと讀める詞、前に二首迄有。尤も假名書にもあれば、けふあすと日を並べて、思ふ人と寄り合ひ語らはゞ、人知りなんとの意歟。何れにもあれ、日くれと云義にては無き也
有與鴨 宗師は、あらまくかもと讀べしと也。或説に、前にも與の字をこせと讀むと云説有。あたふと云字なれば、こせは、よこせと云義なれば、義當らぬにもあらず。此歌にても、ありこせぬかもと讀みて、能歌の意に叶へり。是等は好む所に從ふ也
2388 立座態不知雖念妹不告間使不來
たちゐする、わざをもしらず、おもへども、いもにつげねば、まづかひもこず
起居進退の業をも忘れて、何とする共知らず、只夢の如くに耳、思侘ぶれ共と也。それと妹に告げ知らさねば、先よりは何の音(211)信の使も不v來と也。ま使のまは助語也。あひだの使と云説もあれど、初語と見るべし
2389 烏玉是夜莫明朱引朝行公待苦
ぬばたまの、このよなあけそ、あけゆけば、あさゆくきみを、まてばくるしも
此歌の意は、朝歸りて又來る事を待つは苦しき程に、何時迄も明けなと、夜を惜める意也。然るに朱別の二字をあからひきと讀ませたり。此歌女の歌にて、男の立歸るを惜める歌也。然れば朱引はあかも引とならでは讀難し。男子に裳と云物あらんや。あけを引くと云にて、裾を引き歸ると云義か共見ゆれど、此奧の歌に同じく、朱引の二字を書きて、赤もひくはだもふれずにと讀ませたり。外々には皆赤羅引と書て、羅はうすものと讀む故赤も引也。此二首朱引の二字を書たるは、意異なると見えたり。此歌にては、赤尾引と讀まば、男の引にもなるべけれど、奥の歌、赤も引はだと云事云はれぬ事にて、如何に共不v續義なれば、曉の赤雲棚引の意にて、義訓にあけゆくと讀ませたると見えたり。即古き假名にも、あけゆくと此歌を讀みたる一本有。よりて此古點に從ふ也
2390 戀爲死爲物有者我身千遍死反
こひをして、しにするものに、あらませば、わがみは千たび、しにかへらまし
第四卷に笠女郎の歌、おもひにししにするものにあらませばちたびぞわれは死にかへらまし。同じ意の歌也
2391 玉響昨夕見物今朝可戀物
たまゆらに、きのふのゆふべ、見しものを、けふのあしたに、こふべきものか
玉ゆら 此詞心得難し。玉ゆらとは暫しの事に云來れり。然るに玉響の字を玉ゆらと讀みて、暫しと云義にとる事、理り不v通也。定家卿の歌に たまゆらにつゆもなみだもとゞまらずなき人こふるやどのあきかぜ(212)と、詠み給ふも、しばしの意と聞えたり。神代紀の下に、手玉玲瓏識※[糸+任]少女と有。是は動の意、玉のゆらぎて音ある事也。同云、臺宇玲瓏、是又照りかゞやくと讀みて、玉の光ある義を云也。如v此字義不2一定1ば玉響の字も玉ゆらと讀めるが正義歟。何とぞ別訓有て、此歌の意叶ふべき讀樣あらん歟。玉ゆらと讀みて、しばしの事と計り云ひては、如何に共不v被2聞得1詞也。是は只きそとか、きのふとかへ續く迄の義に讀樣あらんか。偶々の事にも、しばしの事にても、此歌には不v合也。追而後案あるべし
歌の意は、昨日の夕部あひ見て、最早や今朝戀慕ふべき。せめて一日二日も隔てゝは、戀ふべきも理りなるべきに、餘り間もなく戀佗ぶる事かなとの意也。玉響の事は追而可v考也
2392 中中不見有從相見戀心益念
なか/\に、見ざりしよりも、あひ見ては、こふるこゝろの、ましておもほゆ
昔はものを思はざりけりの歌の意も同じ。此歌の意集中にあまた見えたり。聞えたる通也
2393 玉桙道不行爲有者惻隱此有戀不相
たまぼこの、みちゆかずして、あらませば、いたくもかゝる、こひにはあはじ
道行きぶりに見初めし人を、戀ふ歌なるべし。惻隱の二字をしのびと讀ませたり。奧に至りても、すがの根の事に、此二字を書ける歌有て、皆忍ぶ意、隱れたる意に詠めり。然れ共此歌にては不v合也。よりていたくもと義訓に讀べきか。いたくとは切なる義、甚と云と同じくて、いたましくもと云意也
2394 朝影吾身成玉垣入風所見去子故
朝影に、わが身はなりぬ、玉がきの、すきまに見えて、いにしこゆゑに
此朝影の事前にも注せり。如何に共濟まざる詞也。あさかげになりたるとは、いかゞしたる事を云へるにや。思に痩せたる(213)と云事を、如v此云との説なれど、只朝かげと計りにては、いかに共痩せたると云義には通じ難し。愚案、是は如v麻になりたると云義にて、あさかげ共詠みたるか。又かげは其物を映したる事を云義なれば、あさなりにと讀べき歟。俗に痩せ衰へたるものを、麻がらの如くなりと云も、寄り處のある俗言也。かげと云字は實の無き事を云意なれば、俗言の如くあさがらに共讀まんか。兎角あさかげと讀みては其義不v濟也。古今集の歌にも
戀すれば我身はかげとなりにけりさりとて人にそはぬ物ゆゑ
是は朝影とも夕影とも無く、下にそはぬとさへ詠みたれば、影の如く衰へたると云義慥に聞えたれど、朝影と云ては朝のわけ不v通也。只詞續きに云へるかなど云説も不v濟事也。無用の詞、初語にもあらぬ事を詠むべき樣無し。あさかげと詠める意、一義わけ無くては叶ふまじき義也。尤前にも注せり
玉垣 垣をほめ賞して雅言に云ひたる也。神社の外、玉垣と云へる事珍し。尤も神社に限らぬ事なれば、既にかくは詠める也。入風をすきまとは義訓也。假初に垣の隙より見初めし人を思佗び戀慕ひて、身も痩衰ふる迄に戀佗ぶると也
2395 行行不相妹故久方天露霜沾在哉
ゆけ/\ど、あはぬいもゆゑ、ひさかたの、あのつゆしもに、ぬれにたるかな
心淺く能聞えたり。天露霜は雨露霜也。別に意無き歌也
2396 玉坂吾見人何有依以亦一目見
たまさかに、わがみし人を、いかならん、よすがをもちて、またひとめ見ん
聞えたる歌也
2397 暫不見戀吾妹日日來事繁
しまらくも、見ねばこひしみ、わぎもこが、ひに/\きなば、ことのしげけむ
日日來りたらば人目繁くて、見聞き現はされて、云ひ騷がれん事の繁からんと也
(214)2398 年切及世定恃公依事繁
此歌年切の字、前の歌に玉切と書きて、たまきはると読みたる例をもちてか、としきはると讀ませたり。前の玉きはるも不審ある事にて不v決。然れ共、玉剋、玉割とも書きたれば、彼歌は玉きはるにてもあらんか、。此歌はとしきはると云ては、語例語證無き故、いかに共難2信用1。宗師案は、ねんもごろによと共に契り頼まゝし君によりては事しげくとも、と讀まんかと也。尚後案すべき歌也。先づ年切をねもごろと讀む意は、懇意なる事を深切と俗に云ふ。深切も義訓に讀めば、ねんごろ共讀むべし。然れば、年切もねもごろと讀む義ある也
2399 朱引秦不經雖寐心異我不念
あけゆけど、はだをもふれず、ねたれども、こゝろに異に、わがおもはなく
前に注せる如く、朱引はあからひくにてもあるまじく、あかもひくにても無かるべし。はだへは續かぬ義也。前の如く、あけゆくにとか、あけゆけどとか讀べき也。秦人のはだをさして、借訓に書たる也。明けゆく迄も肌をも觸れず、よそにのみして寐たり共、誠の思ひは解けぬとても外心はうつさぬとの義也。けしき心は抔詠める意と同じ。相見し儘にて誠の契りは遂げざれ共、仇し心は持たぬとの實義を云たる歌也
2400 伊田何極太甚利心及失念戀故
此歌假名本の通りに讀みては、歌にては無く、たゞ事を云へる也。きはみ、はなはだなど云事は歌詞にて無く俗言也。然るを如v此假名付をせし事餘りなる事共也。宗帥案如v左
いでいかにこゝたにへさにとごゝろもうせぬるまでにこひわぶるから
愚意未v落。いていかにと詠出して、戀佗ぶるからとは今少とまらざる樣也。後案すべし。思案は
いでいつとかぎらんいたくとごゝろのうせぬるまでとおもふこひから
2401 戀死戀死哉我妹吾家門過行
(215)こひしなば、こひもしねとや、わぎもこが、わがへのかどを、すぎてゆくらん
待ちゐたる家へも入らで、外に行くを見せて、我門を通る妹は、我を戀死ねとの事かと也
2402 妹當遠見者恠吾戀相依無
いもがあたり、とほく見ゆれば、あやしくも、われはこふれど、あふよしをなみ
近くあらは相見ることもあるべけれど、遠く見ゆるから怪しき迄に戀慕ひぬれど、程をも隔て遠ければ、逢ふよしの無きと歎ける意也。怪しくとは、何とてかくは戀ふるぞと思ふ程我から戀ふる意也
2403 玉久世清河原身祓爲齋命妹爲
此歌の初五文字、諸抄には例の通りたまくせのと讀みたれど、久世と假字書に書きて、のと續ける事はならざれ共、それをも不v辨讀みて地名と注せり。山城の久世と云處を賞めて、云ひたる義抔無理押の説をなせり。如何に共心得難し。上の玉に言葉を添へて、玉のくせとか、玉つくせとか讀まば讀むべけれど、何と云義共解し難し。宗師案には、若し是は招魂の意を詠める歌にて、久と云字はふると義訓に讀まんか。玉ふりと云古實古語もあれば、たまふる瀬とか、たまふる世とか讀みて、命をのべつがんと祈るは、玉よばひする祈りなれば、玉よばひの業には、玉を振る事なれば、玉振よと詠めるか。清河原とあれば、世は瀬の意か。何れにまれ、玉くせのと云義とは不v見也。何とぞ別訓あらんか。猶後案すべし
清河原 是もすがの河原なるべし。菅は祓の具に用ゆる物なれば也。みそぎは祓への事也。祓へは、惡しき息、横ざまの息觸れの穢れをはらへて、千歳の命をも延ぶる事を、神に祈る業をなすを云義也。いはふも祈るも同じ意也。幾久々と命のまたかれと祈り齋ふも、妹と諸共に永らへ契らんと願ふ意也。但し妹が命の、またく良かれと祈る意にも聞ゆる也
2404 思依見依物有一日間忘念
此歌も諸抄の説は、思ふより見るよりものはあるものを一日隔てゝ忘ると思ふなと讀みて、外より思ふより見るより我思ひは深きものを、たとひ一日隔てたり共我忘ると思ふなとの意に釋せり。ケ樣に詞を入れて釋せば、如何樣の義も云はるべし。此(216)釋も心得難し。宗師案は、依はまゝと讀む字、國史令等にも、依請と書て、まふしのまゝと讀むなれば、思ふ儘見んも儘なる人ならば一日の暇も忘れて思はん、と讀みて、意は我思ふ儘に、見る事も逢ふ事も儘ならん人ならば、一日などは忘れてあらんづれど、思ふに儘ならぬから、一日の間も忘られぬと云の意と見る也。物と云字は義訓に人とも讀べき也。人の死したるを物故などと云事も唐土の文章にあれば、ひとゝも讀まるべき也。愚意未v落。後案すべし
2405 垣廬鳴人雖云狛錦紐解開公無
かきほなし、ひとはいへども、こまにしき、ひもときあくる、きみはあらぬに又せなはあらぬにか
歌の意は、垣ほの如く中を隔つる樣に人は云立つれ共、更に異心有て紐解き開ける人は無きにと云の意也。狛錦の事は前にも注せり。源氏繪合卷にも、うちしきはあをぢの狛の錦など書けり。又の意、人は樣々云ひさわがすれど、我は紐解き開けて、逢ふ人も無きにとの意共見ゆる也
2406 狛錦紐解開夕戸不知有命戀有
こまにしき、ひもときあけて、ゆふべだに、しられざるみに、こひつゝぞある
諸抄の説は定め無き命を持ちながら、夕べの間も知れざるに、紐解きあけて戀ひゐるとの説也。然共命と云事、はしなく出たる處心得難し。命なるにと云はゞさもあらんか。さも無く知られざる命とは云難し。歌の意は諸抄の意も同じからんか。待人も可v來哉、不v可v來哉、不v知にと云意をこめて、夕部もはかられぬ人の身なるに、果敢なくも紐解きあけて待事哉と詠める意也
2407 百積船潜納八占刺母雖問其名不謂
此歌諸抄の説は、百尺の船を漕入るゝ浦をさして、我に通ふ人は誰それと占とふ共、忍びて契れる人の名は現さじとの意に釋したり。百積船の義、色々の説を立て云ひなせり。一義も難2信用1。百尺の船と云事は、日本紀に十丈の船をつくらさるゝと云事あれば、若しそれによりて百さか船とも詠める歟。此歌の外遂に聞き習はぬ名詞なれば信じ難し。宗師案は、
(217) わつみぶねかづきいるればうらさしておもはとふともそのなはのらじ
かく讀む意は縁語を設て讀める也。船のかづき入と云事、諸抄の説は船の泛べるは、水中に水鳥抔のかづき入る如くなれば、かづき共讀めると注したれど、船を漕ぐ事をかづくと云へる例未だ所見無し。よりて藻をかづきて船へ入る義に、かづき入るればと讀也。占刺は浦を差而の義によせて也。さしてと云は、船の浦をさして入來るの由にては無く、どこそこの浦の藻刈船ぞとさして問ふ共との意に見る也。第十六卷の志賀の白水郎の歌に、大ふねに小船引副可豆久登毛志賀のあら雄に潜將相八方。此歌と二首にして外に不v見。第十六卷の歌は海人の歌故、下のかづきあはんやもと詠める縁を以て詠める也。此歌打任せてかづき入ると詠める處心得難し。母雖問を、おもはとふともと讀むは、藻と云詞の緑をとりて也。はゝはと讀みては、はしなく出たるはゝなれば心得難し。よりておもとは讀也。不謂を、のらじとは、海苔の縁をもて詠める也。上の句の釋、師案も、愚意には未v落。猶後案すべし
百積船は米百石を積む船と云ひ、潜は船に米を積む事を云との説、又船の水上に泛ぶは水鳥の水底にかづき入ると同じき故、かづき入ると云説、百尺の船と云説、古人今案區々にして愚意いかに共決し難し。日本紀顯宗紀欽明紀等には、斛の字をさか共讀ませたり。斛と石とは通じて、異國の書には千斛萬斛など記せり。或は尺をさか共讀むは音通ずれば也。一説百積船は帆柱十丈の高さを立つる船共云。文選海賦に候2勁風1掲2百尺1抔云を寄り處として云へる注も有。一義も決したる説無し。愚案は百津船と云ひ只數多き船と云へる意と見る也。納八もは、いれやと讀まんか。數百艘の船をもかづき入るゝ程に苦しみ問はるゝ共、忍びて逢ふ人の名は名乘らじとの意ならんか。然らば、かづきは身にかづきて海にも入、又浦にもつけ入る共の意と見る也。よりて左の如く讀侍らんか
もゝつふねかづきもいれやうらさしておもはとふともその名はのらじ
此意ならば百積は百石の船、百尺は船の論をも不v構。何れの船にても、又數多き船として、自身にかづき入れんはいと切なき事なるべし。それはよし知り侍らん共、名は現さじとの意にあらんか。後生猶賢案あるべし
2408 眉根削鼻鳴紐解待哉何時見念吾君
(218)まゆねかき、はなひゝもとけ、またなんや、いつしかみまく、おもふわがせを
まゆねかき、はなひゝもとけ、皆思ふ人に逢はんとての前表の事を云へり。此歌は自らするにあらずして、逢はん爲に我と如v此の事をもして、何時逢ふべき共知れぬ人を待たなんやと詠める意也。讀み様にて先の人の待つらんやと見る意にもなる歌なれど、こゝの歌の並み皆我意を現せる歌共なれば、我待の歌なるべし。然れば是も女の歌と見る也
2409 君戀浦經居悔我裏紐結手徒
此歌、如何に共心得難く聞え難し。諸抄の説は二義に見る也。一説は下紐を解けば逢はんかと解きても、其しるし無ければ悔の意、自ら解けたるにても、同じ心にて解くれば結び/\すれど、其しるし無きを悔むとの説.又結びたる紐の解けたらば、先にも我を戀るやと思ふ頼みもあらんに、たゞに結べる儘にて、片思に結ぼほれて有事の悔しきとの意に見る也。何れも結びてたゞにと讀める也。然共結びてたゞにと云詞は、いかに共有べき歌詞に不v覺。かく讀みては歌の意もとくとは不v通ば、意は右の通にも有べけれど、何とぞ讀み解き樣有べき也。宗相案は結手徒の三字を義訓に讀べしと也。結ぶ手いたづらなる義を讀む義訓有べし。然れば、結びたる事の徒らなれば、解くると云義をかく書たるかと見る也
きみにこひうらぶれをるはくやしかも我した紐のむすべばとけぬ
かく讀まんか。我下紐の解けぬるは確かに君が來まさんに、今迄戀佗びをるは悔しきかもとの意と也。愚意未だ不v落。結手徒の三字何とぞ義訓有て書ける歟。宗師案の通にても悔と云意不2打着1也。後案すべし。何れの説も悔と云處の意とくと不v通也。若しくは怪の字の誤字ならんか。然らば宗師案の通にて、怪しくも我が下紐の結べば解けぬと讀みて、此歌聞えんか。いかに共聞得難き歌也。第十二卷に、みやこべにきみは去之乎これ解可わがひものをの結手解毛。此歌も下の七文字義訓有べし。同じ意の七文字と見ゆる也
2410 璞之年者竟杼敷白之袖易子少忘而念哉
(219)あらたまの、としはゝつれど、しきたへの、そでかへしこを、わすれておもへや
竟はくるれ共をはれ共讀べし。意は月日は經れ共袖を交せし子を忘れて思はめや、不v被v忘との意也。袖かへしは袖を敷かはせし也。一度契り交せし子と云義也
2411 白細布袖小端見柄如是有戀吾爲鴨
しろたへの、そでをはづかに、見しからに、かゝるこひをも、われはするかも
小端は前にはつ/\と四字にて讀みたり。歌の意は聞えたる通り也
2412 我妹戀無乏夢見吾雖念不所寐
わぎもこに、こふはすべなみ、ゆめにみむと、われはねがへど、いねられなくに
無乏 すべなしと讀ませたる義は、貧乏困窮の身は何共詮方なきものなれば、せん術も無きと云義を以て讀ませたる歟。字義慥に當れる義訓共覺えざれ共、前に夕方まけて戀無乏と詠みたれば先それに從ふ。此下にも、すべをなみと讀みたり。歌の意は妹に戀佗びても、逢ふ由も無く詮方なければ、せめて夢になり共見まほしく願へ共、物思をれば寝ねもやられねば.それだに叶はぬと也
2413 故無吾裏紐令解人莫知及正逢
ゆゑもなく、わがしたひもの、とけぬるを、ひとにしらすな、たゞにあふまで
人に知らすなは下紐に下知したる義也。思ふ人あればこそ、下紐の故無く解けたると人に知らすな、無き名も立たん、思ふ人に實に逢ふ迄はと云意也。諸抄印本には、解かしむると試みたれど、解かせて無くては、しむると云事いかゞ也。殊に上に故も無くと詠出たれば、とけぬると讀むべし
2414 戀事意追不得出行者山川不知來
(220)こひしさを、なぐさめかねて、いでてゆけば、やまかはをしも、しられざりけり
印本等には、こふることと讀みたれど、戀ふる事と云義不v被2聞得1。事意追の三字にてなぐさめと讀むか。戀事の二字にて戀しさをと讀むかなるべし。戀ふる事と云ては歌詞にあらず。義も亦聞えざる也。意追の二字も心得難けれど、遣の字と追の字と意通ずるか。若くは遣の字の誤り歟。意遣はなぐさむと讀む義叶ふべし。不知來は知らず來にけりと讀ませたれど、是も上に出てゆけばと讀みて、きにけりとは讀み難し。思にのみ心の入て、出で來る道の山川のわきも知られぬと云意なれば、知られざりけりと讀也。きにけりならば、上をも出で來ればと有るべきに、出行者とあれば、下に來にけりとは讀まれぬ也
寄物陳思 心に思ふ事を何にもあれ、物事によそへて詠める歌を擧られたる也
2415 處女等乎袖振山水垣久時由念來吾等者
をとめらを、そでふるやまの、みづがきの、ふりにしよゝり、おもひきわれは
此歌拾遺集には
をとめらがそでふるやまのみづがきのひさしきよゝりおもひそめてき
と載せられたり。當集に如v此書載せられたるを、ケ樣に引直して載せらるゝ事心得難き事共也。此歌より後世の歌、皆水垣の久しきと詠みて、諸抄の説水垣宮に天下を知ろし召されしは、垂仁の御宇なれば、久しき事なるから、久しきと讀むとの説なれ共、餘り附會の説也。宗師傳は此儀を不v用。久しき事を云はゞ、それより久しき事何程も有べし。それより前の帝都の事は何とて久しきとは云はざるや、心得難し。是は前にも注せる如く垣をゆふ事を、古くはふると云たる也。よりて垣のふりにしと續けん爲に、袖振山の水垣とは詠出たるもの也。第六卷の歌にも、あし垣のふりにし里と詠める歌抔を以て辨ふべし。下のふりにしを云はんとて、上の振山とは詠める也。布留山は大和の石上の地名也。次下の歌に、石上振神杉とも詠めり。をとめらをと讀までは、下のふりにしよゝり思ひきと云手爾波不v合也。をとめらがと讀みては歌のとまり所無き也。上へ返る手爾波の歌也。ふりにし時ゆ共讀べし。何れにても、意はふりにし時より、をとめらを思ひき我はと、返る意也。然るををとめ(221)らが袖と續けては、全體の歌のとまり所無き也。歌によりて、一二句の續きを詠める事も多けれど、此歌はさは續かぬ事を辨ふべし。布留山によせて、我戀の意を述べたる也
2416 千早振神持在命誰爲長欲爲
ちはやぶる、かみのたもてる、いのちをも、たがためにかは、ながくほりする
人の命は限り有て、長きも短きも、神明の保ち給ひて、わが私の儘に、伸べ縮めはならぬ命をすら、長かれと乞願ふも、誰の爲にこそ思ふ人と長くそひもし、又思ひの叶ふ迄との爲との意也。我命を長かれと祈るも、思ふ人によりてとの意也。此類歌毎度有。詳しく注するに不v及
2417 石上振神杉神成戀我更爲鴨
此歌諸抄の説は、いそのかみふるの神杉神となる戀をも我は更にするかもと讀みて、年ふりて又再びあらぬ思ひをすると云事に釋せり。宗帥案は、いそのかみふるの神杉神のなす、うらもひをわれよるはするかも。如v此讀みて戀の字をうらもひと讀みて、占の事によそへて、神はうらに寄るものなる故、神の如と云義に、神のなすと讀み、上の神杉迄は、神のなすと云迄の序にて歌の本意は、只うらもひを、われ夜すると詠める迄の歌と見る也。愚意いかに共不v落。第十卷目の歌にても、石上ふるの神杉神さびて、われは更更戀爾相爾家留と云歌の處にても、更の字よと讀みたれば、こゝも同事の意に讀べしと也。右兩首とも後案すべし。尤兩首共難解の卷に釋する也。後案すべし
2418 何名負神幣嚮奉者吾念妹夢谷見
いかならん、なにおふかみに、たむけせば、わがおもふいもを、ゆめにだに見む
此五文字、諸抄印本等には、いかならん神にと讀みて、第二句に、ぬさをも手向なばと詠めり。さも讀べき也。然共何名負の三字をいかならんとは讀難し。負の字何とぞ別字の誤りたる字歟。如何ならん名におふ神と讀事も、少心得難けれど、名負の二字、ならんとは讀み難き故かくは讀む也。此五文字も愚意未v落。後案有べき也。或説には、何となおふと讀べしと云へり。(222)此説も不v穩也。歌の意は聞えたる通也
2419 天地言名絶有汝吾相事止
あめつちと、いふなのたえて、あらばこそ、なれにわがあふ、こともやみなめ
天地のあらん限りは、汝に逢事はえ止むまじと也。少心得難き歌也。何とぞ別訓もあらんか
2420 月見國同山隔愛妹隔有鴨
此歌諸抄印本等の假名は
つきみれば國は同じく山へだてうつくし妹をへだてたるかも
かく讀ませたり。然共かく讀みては歌と云處無き也。いかに上代の風體にても、山隔てうつくし妹を隔てたるかもと云下の句、いかに共有べき共不v覺。宗師案は國同山とあれば、前にも書たる、ひと國山と云地名を、詠めるなるべし。よりて左の通りに讀まんかと也
つきみればひと國山を雲ゐなすうつくし妹を隔てたるかも
隔と云字を雲ゐなすと讀めるは、第二卷にも有る古語なればかく讀むと也。愚意未v落。同國とあらば、ひとつ國やまと云意にて可v通歟。國同と書て、ひとくにとは義不v通歟。何とぞ別訓の地名追而後案すべし。當集第十八卷の歌に、古人云
月見ればおなじくになり山こそはきみがあたりをへだてたりけれ
答2古人1云、家持
足引の山はなくもか月見れば同じき里をこゝろ隔てつ
此の歌の意に似通ひたる歌也。ケ樣にも詠みたれば、國同も失張國は隔てず抔讀む義訓有て、山隔の二字何とぞ別訓あらんか。又國同山と云三字、地名にして別の義訓あらんか。後案すべし。何れにもあれ、山隔てと云詞は有べからず。宗師案、雲ゐなすと云訓義も、愚意には未v落。力不v及故歟。其上歌の全體聞え難し。後賢の案を待つ耳
(223)2421 ※[糸+參]路者石踏山無鴨吾待公馬爪盡
くるみちは、いはふむやまの、。なくもかも、わがまつきみが、うまつまづくに
歌の意は能聞えたり。然共、くるみちと云事心得難し。※[糸+參]の字をくると讀義未v考。是も地名を詠めるか。くる道と云往來通路に地名有て、それを寄せて詠めるならば、繰と云字の誤り歟。宗師案、※[馬+參]の字にて、そへまぢと讀める故、今東國相馬と云所有。そへうまをそふまと云は、へうの約ふ也。本そへ馬と云地名故、そふま共云來りて、相馬とは音借に書ける歟。此五文字不審也。尚追而可v考也
2422 石根踏重成山雖不有不相日數戀度鴨
いはねふみ、かさなる山に、あらねども、あはぬ日あまた、こひわたるかも
高く重りたる山を、岩が根木の根を踏分て、越行程の隔りたるには有らねど、たやすく逢ふ事無くて、戀佗び渡る日の數多になると云意にて、能聞えたる歌也。只逢はでのみ過ぐる月日多く戀渡るとの歌也。此歌を拾遺集には、坂上郎女の歌として
岩根ふみかさなる山にあらねどもあはぬ日多くこひやわたらん
と直して入れられたり。伊勢物語には、男、女をいたう恨みて
岩ねふみかさなる山にあらねどもあはぬ日多く戀わたる哉
かくの如く引直して入れたり
2423 路後深津嶋山暫君目不見苦有
みちのしり、ふかつしまやま、しまらくも、きみがめみねば、くるしかりける
此みちのしりと云は、仙覺抄には常陸國と云へり。奥州を道の奥と云なれば、常陸は道のしり共云べき義、風土記の歌に、道のしり、たなめの山共詠みて、たなめ山は常陸多珂郡柝藻山の歌と注せり。然共道のしりと云事、およそ前後の字の付たる國々は、皆道のくち道のしりと讀みて、尤其國々の添ふて、吉備の、豐の、こしの抔云へれば一決し難く、特に深津島山と讀みたれば(224)備後の國と見ゆる也。備後の郡に、深津と云地名有て、和名抄にも見えたり。深津となくば、仙覺説もさもあらんかなれど、深津島山と詠めれば、先は備後とは定むる也。催馬樂の道口歌にも、みちのくちたけふのこふにわれはありと云々。是も、たけふと云所は不2分明1ど、越前の國府は不富《(當ラズカ)》武生なれば、是も越の道の口と云はねど、越前とは知られたり。是等の例を以て、深津島山と詠みたれば、先備後と見る也。宗師は、道のしりと始より詠出たれば、東國にて有べしと也。然共仙覺の説の外、東國を道のしりと云事不v聞。且東路の道の果なる常陸帶抔詠める歌もあれど、道のしりなる常陸とは讀まざれば、先は深津と云郡名あれば、吉備の道のしりを上を云はず、只道のしりとのみ詠みて、備後と知らせたる樣に見ゆる也。然し尚後考有べき事也。歌の意は何の事も無く能聞えたり
2424 紐鏡能登香山誰故君來座在紐不開寐
ひもかゞみ、のとかのやまは、たれゆゑに、きみきませるに、ひもとかずぬる
のとかの山、地名未v知v國。此紐鏡と云事、仙覺抄には氷の事と云へり。是よりして、後世の歌紐鏡と詠めるは、皆氷の事に詠みたり。いかに共心得難し。古實を不v存の説也。上古の鏡には環有て紐を付たる也。日本紀等の、賢木に八咫鏡をとりかけと有も、紐無くてはとり懸けられまじ。如v此證據有て紐のつきたる鏡は上代の物也。よりて歌にも如v此紐鏡とは詠めり。此紐鏡と云は、のとかと云はん爲の序に詠出たる也。能登香山とは、のとなと同音にて、なとかの山と云義也。紐鏡と云よりな解かぬと云義にうけて、紐解かぬ事によせて詠める也。組をな解かぬ山と云を取り、誰故にか紐を解かぬぞ、君が來ませるに紐をも解かでぬるぞ、其は誰故の事ぞと云へる意也
諸抄の意は少違有。のとかは、なとかと云意にして、なとかの山と云へば、君が來ませるに誰故にとりて寢ざらん、紐解きて寢んと、我身の事にして、のとかの山の名を取りて、只な解かぬと云事によそへて詠める歌と見る也。然共のとかの山と詠出たるは、山に對して、な解かでぬると云方義安からんか。宗師云、能登の國にもかぐ山と云名あるを詠める歟。香の字は古來より音訓を通じて用來れり。菊、氣色、香等音を直に訓に取りて、歌に詠み、文章にも用たれど、詳しく云時は、香の山とのゝ字を(225)添ふる事いかゞ也。尤當集に香の字計りには例もあらんか。かぐ山なればのゝ字は不v入也。尚後考すべし
2425 山科強田山馬雖在歩吾來汝念不得
やましなの、こはたの山に、うまはあれど、かちよりわがく、なをしのびかね
後々の物には、山背の木幡の里に馬はあれど、かちよりぞ來るきみを思へばと直して、人丸の歌として載せたり。歌の意は、逢事を急ぐの切なる意を、馬にも乘らでかちはだしにて、急ぎ來ると云義也。山科と詠める事心得難し。料の字にてしろと讀ませたるを、科の字に誤れる歟。木幡の山は宇治都に有。其上廣く指すに山科とは有まじきと也。山城にて有るべきを、科料の字能似たれば誤りたる歟
2426 遠山霞被益遐妹目不見吾戀
とほやまに、かすみたなびき、いやとほに、いもがめ見ずて、われこふるかも
遠山は何の國ぞの地名なるべし。此歌の次第皆地名を詠めり。今も人の稱號に遠山と云稱號あれば、地名有と見えたり。歌の意は聞えたり。いもが目不v見と云處別訓あらんか。なれど前にも君が目みねばと詠み、毎度妹が目不v見と詠める例あれば此通なるべし。いや遠ざかりて、妹に逢ふ事の隔たりたる故、愈戀佗ぶるとの歌也。上の句は序に詠出たる迄也。いや遠と云はんとての義也
2427 是川瀬瀬敷浪布布妹心乘在鴨
このかはの、せゞのしきなみ、しく/\に、いもがこゝろに、のりにたるかも
是川 うぢ川の事也。直にうぢ川と讀みて苦しからず。和漢共に古來是と氏通じたり。諸家の記にも氏の字を用ゆる處に、皆是の字を記せる事多し。橘氏是定と云事職原抄にも書かれたり。其本古記實録等に、橘氏公藤原氏公を是公と書たる事の毎度有。然れば、確に氏と是と通じたる也。異國の書にもまゝ是有。中古已來不v考より珍しき事になれり。又宇治を木《コ》の國と云事風土記に有由、詞林釆葉に見えたるから、この川とは宇治河の事とは傳へたり。兩義に讀みて苦しからざる也
(226)妹心乘、此詞前にも毎度有て、妹が心に叶ふと云事也。のりは、なりにて、妹と我中の成調ひたると云義を、のりにたるかもとは詠めり。此歌もしく/\と云はんとて、宇治川の瀬々の敷波と詠出て、上の句に意は無く、しく/\とは間無く隙間無きの義、束の間も妹を隔てうつくしみ愛するとの意也
2428 千早人宇治度速瀬不相有後我※[女+麗]
ちはやびと、うぢのわたりの、はやきせに、あはずありとも、のちはわがつま
千早人宇治 此續きの事古今不v濟義也。第七卷にも有て、慥成正義不v決事也。岩谷に住む人と云事歟。宇治川の上は湖水より流落ちて、其水上は岩谷をさぐり流れて、上古はうぢ人は皆岩谷に住したる故、いはや人共云ひたる歟。此外の案、寄り處は無き也。千早振宇治と續く義も此義に同じ。岩谷を經而流るゝ川、又岩を裂分け破り通る川故、岩破、岩谷經の義にて云へる共云べけれど、千早人と云事いかに共知れ難き也。歌の意は、宇治の渡りの早き瀬とは、其時人に云ひ騷かれて障り有て今は逢ふ事ならず共、遂には我妻ならめと云義を、早き瀬には物の止らず、渡りかねたる事をよせて、逢ひ難き事になぞらへたる也
2429 早敷哉不相子故徒是川瀬裳襴潤
はしきやし、あはぬ子ゆゑに、いたづらに、うぢがはのせに、ものすそぬらす
はしきやしとは子にかゝりたる詞、子を賞めて云へる詞を中に逢はぬと句を隔てたる也。此卷の例にて前卷に出たる詞は、文字を略して書たる也。集中前に有る詞は、畧して書たる事毎度有る中に、此卷には別而此一格を記せる也。畢竟聞える樣に詞を足して見る事、此卷の習也。歌の意、此川の名うぢと云から、思ふ人に逢はんとて渡れ共渡れ共逢はぬから、徒らに河瀬に裳の裾をも沾らして憂きと云意を、河の名によせて詠める也
2430 是川水阿和逆纏行水事不反思始爲
うぢがはの、みなわさかまき、ゆくみづの、ごともかへさじ、おもひそめしは
我思染めし事は、宇治川の水泡逆卷き、速やかによく流るゝ水の行きて歸らぬ如く、思ひ返されず戀初めしと云意也。思初め(227)し戀路は、行水の歸らぬ如く何程思止らんとしても、思ひ返されぬとの義也。事は如の字の意也。ごとゝ濁にて讀べき也
2431 鴨川後瀬靜後相妹者我雖不今
かも川の、のちせしづけみ、のちもあはん、いもにはわれは、いまならずとも
後瀬とは川の末の瀬をさして云ひたる事にて、後も逢はんと云下の句への續きの爲也。河の瀬の末はぬるくて靜なるもの也。今は人目人言の繁くて障る事もあれば、末の靜なる時節に逢はんとの意也。有躰に律義なる歌也
2432 言出云忌忌山川之當都心塞耐在
ことに出て、いへばいみじみ、やまかはの、たぎつこゝろは、せきぞかねたる
歌の意は、言に出で云はゞ憚り事も有て障れば、言に出てはえ云はず。さりとて止まれねば、心は山川のたぎりて流るゝ如く、急ぎ進む故、それをえ靜めかぬるとの義也。然るに耐の字を、せきかぬると讀ませたる事、字義に不v合心得難し。是は極めて不耐と有る不の字落たると見る也。せき耐へぬなればかねるの意同事也。耐の字計にては、いかに共義不v通也。かねたると古く假名をも付たれば、若しくは兼の字の誤りたるか、不の字を脱したかと見るべし
2433 水上如數書吾命妹相受日鶴鴨
みづのうへに、かずかくごとく、わがいのち、いもにあはんと、うけひつるかも
水の上に數書くとは、果敢なく祈りても、しるしも見えぬ事をよそへて云へる也。うけひは祈の字の意也。命乞をして妹に逢はんとうけひたると也。日本紀古事記に祈狩と書きて、うけひがりと讀ませたり。是も祈る意ある也。前表を見る狩を云へり。祈る意に通ふ也。神功皇后の卷に見えたり。伊物に、水の上に數書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけりと、果敢なく驗し無き事に詠めり。水上にものを書きては、跡形も無くしるし無きもの也。此歌も命をかけて妹に逢はんと祈りても、驗し無きと云事をよせて詠めると聞ゆる也
(228)2434 荒磯越外往波乃外心吾者不思戀而死鞆
あらそこえ、ほかゆくなみの、ほかごころ、われはおもはじ、こひてしぬとも
歌の意は聞えたる通也。貞義を述べたる意也
2435 淡海海奥白浪雖不知妹所云七日越來
あふみのうみ、おきつしらなみ、しらずとも、いもがりといはゞ、なぬかこえこん
あふみの海と詠出たる事は、逢事に寄せて、知らぬ處なり共、妹があり處と聞けば、幾日をも續けて越え來んと也。七日と詠めるは、日本の日數生死共に、七日を限りと用ゐる故、五日になり共讀べき事なれど、物の日數を限るは、先七日を定來れるから、此歌にも七日越え來んと也。生祝の日數も、七夜と云て限り、死日の式日も一七ケ日と定むる、是本邦の例也。歌の意は幾日をも續きて越え來んとの意也
2436 大船香取海慍下何有人物不念有
おほふねの、かとりのうみに、いかりおろし、いかなる人か、ものおもはざる
大船には※[楫+戈]取と云物あり。よりてかく續く。香取海は淡海に有。第七卷に高嶋の香取の浦と詠み、又こゝ前後近江の海を詠みたれば、極めて淡海の海の内也。下に近江の海沖漕ぐ舟にいかりおろしと有。碇り下しとは、泊を定めて船を動かさぬ義を云へり。此歌の意も、案居して何の物思ひもせぬ人もあらんや、我はかく物思ひに心も定まらず、彼方此方と心を苦むにと云へる意也。物思をせぬ人はあらじと云意也
慍 音借書也。憤怒の義にはあらず。船の碇の義也。和名抄云、碇、〔四聲字苑云、海中〕以v石駐v舟曰v碇。【丁定反、字亦作v※[石+丁]、和名伊加利】
2437 奧藻隱障浪百重浪千重敷敷戀度鴨
おきつもを、かくさふなみの、百重なみ、ちへしく/\に、こひわたるかも
(229)序歌也。波の繁く立ちて、沖つ藻を隱せる如く、我戀の跡より止まず追來る如く、戀の増すと云事によせたる也。古詠の格、百重浪と詠みて、千重しく/\と、極めて數の詞を詠める事、今とても此風體は殘れる也。古文古詩とても如v此の例格は極まりたる事也
2438 人事暫吾妹繩手引從海益深念
ひとごとは、しばらくわぎも、つなでひく、うみよりまして、ふかくぞおもふ
人の云騷がずは暫くの事ぞ。必しも心にかけそ。忍びて慎みたらば海より深く思ふからは、終には親み解けて、末長く契らんと思ふとの意也。綱手引海よりは深く思ふと云べきの序也
2439 淡海奥島山奥儲吾念妹事繁
あはうみの、おきつしまやま、おきまけて、わがもふいもが、事ぞしげれる
おきまけてはおきを迎へて世。迎へてとは深めて抔云と同じく、深く思ふ妹が事の、とやかく人の云ひ騷ぎて思ふ樣にならざるとの意也。しげれるとは障りの多くなりたる義也。事は言也。人に云立てらるゝと云意也。淡海の二字を、あふみの海とは讀難し。是は前に讓りて略書したるか。又約めずにあはうみと讀みたるかなるべけれど、先づ字の如く、あはうみと句を調へて讀也。何れにても苦しからざる事也
2440 近江海奧※[手偏+旁]船重下藏公之事待吾序
あふみのうみ、おきこぐふねの、いかりおろし、かくしてきみが、ことまつわれぞ
此歌の意、諸抄の説は、碇を下して、碇の海底に隱れし如く、我も隱れ忍びて、君がなす業を待つぞとの意と釋せり。いかに共聞得難き意也。宗師説は、藏の字をかくしてと讀み、事の字は來《コ》と云義に見る也。かくしては如v此してと云意也。船の碇を下したる如く、心を靜めていづ方へも心を散らし移さず、只君をのみ思ひいれて、來まさんと云を待つぞと云意に見る也。隱れて君が事待つと云ひては義不v通也
(230)2441 隱沼從裏戀者無乏妹名告忌物矣
かくれぬの、したにこふれば、すべをなみ、妹名告、いみじきものを
此歌諸抄の説は、いもがなつげそと讀み、又つげつと讀み、ゆゝしきものをと讀み、いむべきものを共讀みて、區々の讀樣一決せぬ也。かく讀みて歌意も説々不v定也。宗師案は隱沼はかくれぬのと讀べき歟。此已下こもり處隱津など詠める歌も有て、皆こもりつ、こもりぬと讀みたり。然共是はかくれぬと云地名か共見ゆる也。此歌皆地名を詠みたれば、此歌も地名を詠めるならんか。童蒙抄には、草など茂りたる沼をこもりぬと云と釋せり。かくれぬと讀みても意は同じき也。したと云はん冠辭也。裏の字をしたと讀ませたるも義訓也。歌の意、忍びて心の中に戀佗ぶるは、詮方も無く物憂く苦しきから、いみじく憚りあれど、妹が名を今はのり現さんとの意と見る也。いみじきは畢竟惣體へかゝりて、忍びて下に戀ふれば、いみじく嫌はしきものなれば、それと思ふ人の名をも、のり現さんとの意と也。此歌も愚意未v落、詞不v足歌也。いみじけれ共妹が名のらんと讀みたらんは聞え安けれど、妹が名のらんいみじきものをと讀める故聞き惡き也。只古詠の格にて、右の意なれ共かく詠めるもの歟。いみじけれ共妹がなのらんと云意に見れば、聞えたる歌也。尚後案すべし
2442 大土採雖盡世中盡不得物戀在
おほつちも、とればつくれど、よのなかの、つきせぬものは、こひにぞありける
能聞えたる歌也
2443 隱處澤泉在石根通念吾戀者〔注解ナシ〕
2444 白檀石邊山常石有命哉戀乍居
しらまゆみ、いしべのやまの、ときはなる、いのちをもがな、こひつゝをらん
石邊山 今の江州の石部山なるべし。石はときはなる物なれば、下の常磐なると云べき爲の石邊山也。弓いとうけたる序歌也。常住不變の命もがな、何時迄も戀ひをらんに、かく戀侘びても常磐ならぬ命なれば、命も軈て盡果てなんと思ふから、命を(231)も哉とは願ひたるなるべし。諸抄の意は常磐ならぬ命なれば、いとゞ心のいられて戀しきとの意也。此意にて聞ゆる也。好む所に從ふべし
2445 淡海海沈白玉不知從戀者今益
あふみのうみ、しづくしら玉、しらずして、こひせしよりは、いまぞまされる
上は不v知してと云はん迄の序也。近江の國を詠みたるは、前に注せる如く逢事を戀佗ぶるの意をこめてなるべし。それ共知らで名のみ聞きて戀ひせし人の、それと知りあひて愈思ひのまさると也。沈の字をしづくと讀事は、濱成式に假名書に見えたり。前に注せり
2446 白玉纏持從今吾玉爲知時谷
しらたまを、まきてもたなん、いまよりは、わがたまとしも、しれるときだに
今迄は吾手に入らざりし玉なれば、とる手にも卷かざりしか、今は我物となれば、せめて我物としも知りたる時になり共、手に卷きて持たんと、女を玉にして詠める歌也。第六卷の歌の、てるさつが手にまきもたるの歌に同じ意の歌也
2447 白玉從手纏不忘念何畢
しらたまを、てにまきしより、わすれじと、おもひしことの、いつかはつべき
是も女を玉に比して娶りしより、何時迄もと忘られじと思ふ心の、いつか變るべきとの意、又忍びて逢ふ女にしても逢初めしよりの意也
2448 烏玉間開乍貫緒縛依後相物
ぬばたまの、よはあけながら、たまのをの、まつひよりなん、のちもあふとも
諸抄の説は、別れを惜みて後逢はれんものかと詠みたる抔云ひて、詞を添へて釋せり。又貫緒を紐の緒と讀めるも心得難し。(232)つらぬく緒なれば玉を貫きたる緒也。歌の習ひも皆白玉を詠めり。然れば玉の緒とならでは読み難し。歌の意は、夜は明けたり共、玉の緒のまとひよりて先づ逢はん、後にも逢ふ共今先づ逢はんと詠める歌と聞ゆる也。又何して後も逢はなんものをと詠みたる歟。後案すべし。兎角聞き易き樣に讀べき也。間の字よと讀事は集中毎度あり
2449 香山爾雲位桁曳於保保思久相見子等乎後戀牟鴨
かぐやまに、くもゐたなびき、おほゝしく、あひみし子らを、のちこひんかも
おほゝしく おぼろ/\に、確かにあらね共あひ見し女を戀ひんかと也。かもは歎きたる意、さだかにも見ぬ人を後々迄かく戀ひん事かもと云意也。かぐ山にと云は、如v此不v止と云意をも含める也。雲ゐは雲と云義、又雲の居ると云譌義兩樣に見ゆる也。先雲居とは雲の事を云也
2450 雲間從狹徑月乃於保保思久相見子等乎見因鴨
くもまより、さわたる月の、おほゝしく、あひみしこらを、見るよしもかも
仄かに見し女を、又さだかに見る由もかなと也
2451 天雲依相遠雖不相異手枕吾纏哉
あまぐもの、よるはへだてゝ、あはずとも、あだしたまくら、われまかめやも
諸抄の説は、依相遠を、よりあひとほみと讀みたり。歌詞とも不v覺。其上下にまくらと云事あり。然れば衣と縁無くてはあるまじ。よつて三字を、夜は隔てゝと義訓に讀めり。天雲と詠めるは、隔てゝと云はん爲と見ゆる也
2452 雲谷灼發意追見乍爲及直相
くもだにも、しるくしたゝば、意追、見つゝもしてん、たゞにあふまでに
雲だにしるくし立たばとは、思ふ人の方にそれと知れて立たばとの意也。意追の二字前にもなぐさめと讀ませたり。宗師は(233)此歌にては事の字無き故、事意追にてなぐさめと讀むべきから、おもひやりと讀まんと也。思ひやりも思ひをけしやるの意にて慰めの意と同じ。是等は好む所に從ふべき歟
2453 春楊葛山發雲立座妹念
はるやなぎ、かつらぎやまに、たつくもの、たちてもゐても、いもをしおもふ
春やなぎは青やぎの共讀べきか。春草と書きてわか草とも讀む例也。かつらぎ山と云はんとて春柳とは詠出たり。立ちてもゐてもと云はむとて、たつ雲のと詠めり。古詠は皆如v此、序歌也
2454 春日山雲座隱雖遠家不念公念
かすが山、くもゐかくして、とほけれど、いへはおもはで、きみをしおもふ
聞えたる通りの歌也
2455 我故所云妹高山之岑朝霧過兼鴨
われゆゑに、いはれしいもは、たかやまの、みねのあさぎり、すぎにけんかも
高山を第一卷にてかぐ山と假名を付來りて、香山の事と見置きし也。然れ共たか山と云地名も有らんか。廣くさしたる高山には有まじく、名所を詠めるにて有べし。歌の意は我故に無き名をも云ひ立てられし人の有りしが、今は最早その無實も晴れぬらんかと、人を勞りて詠める意と聞ゆる也。過と云事聞え難けれど、是れは義をもて書たると見えて、はれにけんかもと讀べき事也。毎度此過の字を書きたるは如v此の義訓なるべし
2456 烏玉黒髪山山草小雨零敷益益所思
ぬばたまの、くろかみやまの、やますげに、こさめふりしき、いやましぞおもふ
此歌只思のいや増す事を詠める迄の意なるに、黒髪山の山すげを詠出たる意、何とぞ故有歟。心得難く引合すべき考も無き(234)也。草の字はすげ共かや共讀也。草の精靈の神をかやの姫と奉v稱れば、草の字かや共讀來れる也。かやとすげとは種類同じき物故、是又通じて詠めるならん。尤山くさ山かや共讀べけれど、古く讀來れば古點に任せ置也。山すげに小雨ふればとて思ひの増すとの寄せ少し聞き得難し。如何なる處の義をとりて云へるにやあらん。尚後案すべし
2457 大野小雨被敷木本時依來我念人
大野に、こさめふりしく、このもとに、より/\きませ、わがこふる人
大野は、ひろき野に共讀まんか。又大野と云地名を詠みたるか。四言に讀む事多ければ何れにても苦しからぬ也
被 は時に從ひて義訓に讀ませたり。雲霞にはたなびくとも讀ませ、こゝはふると讀也
時依 諸抄の説は、ときとよりこよと讀みて、小雨の降るを時として、此もとへより來る如く、我方へ寄り來れよとの意と釋したれど、時と依り來よと云事心得難し。時の字は、より/\共よゝ共義訓に讀みたれば、よゝより來ませとか、よる/\來ませとか讀べき也
2458 朝霜消消念乍何此夜明鴨
あさじもの、けなばけなまく、おもひつゝ、いかにこのよを、あかしなんかも
命も消えなば消えねと、思佗びつゝあれば、いかにしてか此夜を明さんやと也
2459 吾背兒我濱行風彌急急事益不相有
わがせこが、濱行風の、いやはやに、はやことまして、あはずやあらん
此歌濱行風と云事珍しき詞也。第一卷に、つとみ濱風と詠める事有しが、それとは異なる義にて、濱ゆく風とは、速かなる事によそへて云へる歟、さはる事のいや増して夫婦となりし間も無きに、逢ふ事の障り出來たるを歎きたる歌と聞ゆる也
2460 遠妹振仰見偲是月面雲勿棚引
(235)とほづまの、ふりさけ見つゝ、しのぶらん、このつきのめに、くもなたなびきそ
仰の字をさけとは義をもて讀むめり、ふり仰ぎ見て共讀むべし。何れにても意は同じければ、古點に任する也
月面 つきおもてにと讀ませたれど、日の目と云古語有。元日月の神は、御眼を洗給ふて生じ給へる神徳なれば、日の目月の目と云て難有まじく、唐土にても日月は天眼と云事あれば、本邦にても通じて云べき道理も有事也。面の字音借に、めにと讀む也。上に、見て忍ぶらんと詠める縁もあれば、月の目にと云て叶ふべき也。然れ共此方より見る月なれば、月の目にと云て、あの方の目にと云樣に紛らはしければ、おもにと讀みて義は叶ふべければ、是も好む所に從ふべき也
2461 山葉追出月端端妹見鶴及戀
やまのはに、さしいづる月の、はつ/\に、いもをぞみつる、こひしきまでに
山の端に出かゝる月の出も離れず、半ば空に現れたる時の氣色に譬へたる也。追の字、さしと讀める事如何なる義にてか不v考。月の出かゝるは物を追ひ出す如くなる、しづ/\とさし昇る體を、義にとりて見立て讀ませたる、さだかに見ざるから戀しき迄にはづかに見たると也。端の字前に、はつと讀ませたり。絹布類をたち切るに、餘計無きをばはつ/\抔云ひ、糸のはつるゝ抔云詞も、是等より出たるものと聞ゆる也。はつかに見しから、さだかに見定めたく戀しき迄と云義也
2462 我妹吾矣念者眞鏡照出月影所見來
わぎもこが、われをしたはゞ、まそかゞみ、てり出る月の、かげに見えこね
聞えたる通也
2463 久方天光月隱去何名副妹偲
ひさかたの、あまてる月の、かくれなば、なにゝなぞへて、いもをしのばん
物思ふ有樣も月を眺めて紛らかし、來らんを待つも月になぞらへて待ちゐるに、月の入り隱れなば、何によそへて妹を待ち慕ふかこつけにせんと也
(236)2464 若月清不見雲隱見欲宇多手比日
みかづきの、さやかに見えで、くもがくれ、みまくのほしき、うたゝこのごろ
三日月なれば有るか無きかの光のみ間なく隱れぬれば、愈見まほしき此頃と、思ふ人を三日月に比して云へる也。うたゝとは愈と云意と通ふ也。日本紀には轉の字をいよ/\と讀ませたり。古點なれば其義に從ふて見るに、愈と云意に通ふと見えたり。尚後案すべし
2465 我背兒爾吾戀居者吾屋戸之草佐倍思浦乾來
わがせこに、わがこひをれば、わがやどの、くさゝへもひに、うらがれにけり
思は、も火にうら枯れるとの意をこめたる也。思ひうら枯れると云事有べきや。草の秋過て稍うら枯れる折の氣色を見て、よそへて詠めるなるべし。尾花が本の思ひ草も、此草の事なるべし抔云説は不v可v足v論。思ひうら枯れと云詞は續かぬ詞也
2466 朝茅原小野印空事何在云公待
此歌印本諸抄の續樣は、あさぢ原をのにしめゆふそらごとをいかなりといひてきみをばまたんと讀みて、此卷の末にも、あさぢ原かりしめさしてそら事をよせにしきみがことをしまたんと有。又第十二卷目の歌に、あさぢ原をのに標結空言毛あはんときかせ戀のなぐさにと云歌、同意の歌に見る也。當卷の格にて、印の字計りにてもしめゆふと讀は、是迄の歌皆かくの如く、文字を略して他の例の格を以て書たり。歌の意は、をのにしめゆふと、あさぢ生ひたる野を我が野として、人を入れじとしめゆひ廻す義、又此野を我が爲にせんと思ひ置きて有を、空にしめゆふ共云と釋して、さて人を待つ宵の景色を、人には何と僞り事を云ひて、君待つ事を隱さんとの意と注し、又しめゆふとはそら事をゆふと續けて、足引の山より出る月侍つと人には云ひて君をこそ待てと、云歌の意と等しき心と釋せり。然共かく釋しては、あさぢ原小野にしめゆふと詠みたる詮如何に共聞えず。宗師案は
あさぢ原をのにしめゆふむなごともいつなりといはゞきみをし待たん
(237)と讀みて、空事はむなし事と云事に讀む也。淺茅には實の無きもの也。それを寄せて云へる事にして、淺茅原にしめゆふは、とりしめなき空し事也。其空し事の如くなる徒事なり共、いつとさして云はゞ空し事にて有り共、先づ君を待たんとの意に見る也。此末の歌共も此意に聞ゆる也。空敷事なり共逢はんと聞かせよ、戀の慰めにせんと詠める意也。此歌も其意に見る也。諸抄の意にてとくと不2打著1也
2467 路邊草深百合之後云妹命我知
此歌も色々の聞き樣有歌也。手爾波にて如何樣にも聞ゆる也。諸抄印本等の讀樣は、道のべの草深ゆりの後にちふ妹のみことをわれは知らめやと讀みて、草深百合とは夏草の茂みに咲て、人に知られぬもの、それに妹が心の知られぬと云事を寄せたる義と見る也。のちにと云は後に逢はんと云の事にて、其事のさだかには我は知られぬと詠める意に注せり。みことは御言葉也。妹が云へる詞と云義と見る也。又道のべの草深ゆりののちと云へば妹のみことは我れは知りなんとも讀みて、草深ゆりは草の中に咲きて、顯れ知られぬ隱れたるものなれど、後に逢はんと云へば我が物と知られたりと云意にて、我は知らなんと讀める意にも聞ゆる也。然れば命は妹をさして弟命など云へる古語の如し。又いのちと讀みて、後に逢はんと云へど、妹が命もわが命も、知られぬものなれば、定難き世の中に、頼みなき事と云意にも聞え、幾筋にも聞く人の心によりて難v決。簡略に書たる歌は如v此聞惑ひある也。よりて此意とは決し難し。然共道のべと詠み後と詠めるは、野路と云意を縁に詠める一格也。草深ゆりと詠めるも、隱れたる事に云ひなせる義と見ゆる也。遲く咲く百合を草深ゆりと云は、のちと云はん爲の序と云説も有、心得難し。前の歌草深ゆりのゆりと讀めば、後といふ序共云ひ難し。後といふ共後にちふ共讀めるは、意同じかるべし。是等の歌は、只意の安く聞ゆる方に從ふべき也
2468 潮葦交在草知草人皆知吾裏念
みなとあしに、まじれるくさの、しりぐさの、ひとみなしれり、わがしたもひは
潮は湖の字なるべし。湖の事は前にもみなとゝ讀ませたり。知草は藺の事と釋し來れり。さもあらんか。鷺の荒せし草と云(238)故、しり草と計りよめる歟。和名妙云〔玉篇云、藺、音吝、和名爲、辨色立成云、鷺尻刺似v莞而細堅、宜v爲v席〕畢竟わが下思をも人皆知たりと云はん爲のしり草也。古詠の格也。した思ひ共讀みて有也。又したもひも共讀べし。人に知らせぬ心の中の下思ひなれ共、人皆知りぬと云意に、もひもと詠めるか。もひとは、藻に寄せて縁語をとりて云へる也。葦は高く、藺はひきゝ物故、下もひと云など詳し過たる意也。只人皆知りぬと云はん計りに、しり草のとは詠みて、外に六ケ敷心を寄せたるにはあらず。古詠は皆只一句に移る處計りの意を專とは詠めり
2469 山萵苣白露重浦經心深吾戀不止
やまちさの、しらつゆをもみ、うらぶれて、こゝろにふかく、わがこひやまぬ
山萵苣、第七卷にも有。ちさの木と云て白き花の咲くものなるべし。未v考。此歌山ちさの白露と詠めるは、白き花咲く木と聞ゆる也。歌の意は聞えたる通也。浦經てと云は思侘び悩みたる體を云也。白露おもみうらぶれと有るにて、しなへ垂れたる體を云と知るべし
2470 湖核延子菅不竊隱公戀乍有不勝鴨
みなとに、さねはふこすげ、しのばれず、きみにこひつゝ、ありたへぬかも
根はふこすげの忍ばれぬと云へる事、少聞きにくき歌也。根はふは土※[泥/土]に這ふなれば、隱れて見えぬ物なるに、忍ばれぬとはたゞ忍ぶと云事計りを借りて云たるものか。山田の穗にはでてなど詠める意、隱れて忍べるものなれど、忍ばれぬと云意歟。そこを苦しきと云意に詠めるもの歟。戀に忍び堪へられぬとの意也
2471 山代泉小菅凡浪妹心吾不念
やましろの、いづみのをすげ、おしなみに、いもがこゝろを、わがおもはなくに
歌の意は、世のなみ/\には思はぬ、大切に思ふの意也。山代の泉の小菅と詠出たる意未v詳也。若しは小菅の名物故泉と詠めるか。蛙鳴いづみの里と詠める所也。攝津國境に有所也。泉河と云も此所歟。几浪は押並の意也。泉とある故浪と云字を(239)書たり。此集に此字格あること也。浪の字義には不v寄事也。小菅はこすげと讀べし。前の歌の例あり。初語の辭也
萬葉童蒙抄 卷第二十九終
(240)萬葉童蒙抄 卷第三十
2472 見渡三室山石穗菅惻隱吾片念爲
みわたせば、みむろの山の、いほほすげ、しのびてわれは、かたもひぞする
此歌も、忍びて我は片もひぞすると云迄の義に、上を詠出でたる也。見渡せば見ゆると續けて、菅の生靡きたるを見渡したる當然の事にも有るべし。菅に忍びてと云事を多く詠めるは、菅も、小竹薄などの類にて、しなひたるもの故、皆忍びてとよめり。忍びも、しなひも同じ詞也。石ほ菅と詠出たる故、下に片もひと詠みて、堅の縁語に我のみ片思ひするとの義を詠める也。忍びては、隱れて現れぬの意と、しなひ弱りての意と也
一云三諸山之石小菅 三室三諸同事也。大和のみもろ山の義なるべし
2473 菅根惻隱君結爲我紐緒解人不有
すがのねの、しのびてきみが、むすびたる、わがひものをを、とくひとあらめや
聞えたる歌也。忍びては密かに隱しての意也
2474 山背亂戀耳令爲乍不相妹鴨年經乍
やますげの、みだれこひのみ、せさせつつ、あはぬいもかも、としはへながら
山菅は亂れと云はん序也。しの、すげは皆亂るゝ物なれば也。歌の意は我には戀佗び、思ひ亂れさせて、兎角に逢はぬ妹かな。かく年は經ながらつれなきと恨みたる歌也
2475 我屋戸甍子太草雖生戀忘草見未生
(241)わがやどの、のきのしたくさ、おひたれど、こひわすれぐさ、見れどもおひず
甍 いらか共讀字也。軒とも讀べし。子太草、下草也。しのぶ共云説有。是は我戀の月日を經る理りになぞらへて云へるなるべし。人の家も年經古びぬれば、軒に苔むし忍ぶ草の樣の物生ずる意を寄せて詠める也。戀忘草とは忍ぶ草を云也。古今、伊勢物語の歌にて見れば、兎角二名同物と見えたり。戀忘草見れ共生ひずとは、思ひの叶はぬ事を詠める意也
2476 打田稗數多雖有爲擇我夜一人宿
うつたにも、ひえはあまたに、ありぬれど、えられしわれぞ、よをひとりぬる
我一人えりのけられて、思ふ人にえ逢はで寐ると寄せて詠める也。打田と云事は前にも注せる如く、日本紀の歌にも、小鍬もちうちしと詠ませ給へり。田を耕へすをうつ共云也
2477 足引名負山菅押伏公結不相有哉
あしびきの、なにおふやますげ、おしふせて、きみがむすばゞ、あはずあらめや
名に負ふ山菅と詠める意心得難けれど、山菅と云物の一種山に生ずる草なれば、名に負ふと詠める迄の事か。畢竟一筋に君が思ひ入て契らば、我とてもいかで靡かではあらじ。押伏せられて從ひ靡かんとの義也
2478 秋柏潤和川邊細竹目人不顔面公無勝
此歌抄物印本等には左の通りに讀めり
あきがしはぬるやかはべのしのゝめに人にはあはじきみにまさらじ
意は、しのゝめと云はん爲に上は詠出て、川邊には篠の有るもの故川邊のしのゝめと詠み、ぬるや川とは、秋の柏の葉の夜露夜霧に沾れて、手を卷きたる樣なる處をさして、ぬるや川と云はんとて寄せたるとの釋也。偖しのゝめにとは細目にも人には逢ふまじ。君にまされる人の無ければとの意と釋せり。いかに共聞え難し。此卷奥に、朝柏閏八川邊のしのゝめに忍びてぬれば夢に見えけり、と云歌有によりて、此秋柏も朝柏なるべし。和名抄に、飛騨國益田郡秋秀【阿佐比天】如v此讀みたる例もあれば、秋(242)とは書きたれど朝柏にて、奥もこゝも同じ地名なるべしと云へる説有。能考へたれ共、こゝは秋、奥は朝なるべし。秋朝に心有る歌にあらず。只忍びてと云序に地名を詠出たる迄にて、其詞の吟味を云はゞ、秋は商の意、朝は吾背と云意なるべし。當集の書樣皆此格ある事を不v辨から、考案は廣く渡りたる説なれど、歌の義には叶へり共見えず。此歌の讀樣は宗師案は
あきがしはうるやかはべのしのゝめにしのびてのみぞきみをまく也
秋柏は商柴と云意にて、うるや川と續けん爲に、あきが柴とは詠出たり。當集の格此類毎度あり。只うるや川と云はん迄の冠句に、秋柏とは置ける也。其うるや川は、何の意に詠めるや不v詳共、是は、しのと云物の縁に詠めるか。川邊杯には篠の必ず有ものなれば、上のうると云事に對して、かは邊と續けたるなるべし。買ひ、買ふと云縁を兼ねて他
人不顔面と云四字にて、しのびと讀べき事也。しのゝめと詠出たるは、此忍びつゝと云はん爲の上のしのゝめなるべし。然るを諸抄に、しのゝめに人に逢はずと讀める事心得難く、又歌のつゞけがら古詠の風格を不v考の義也。人に忍びてとは若しも讀みたるか。義訓は四字にて忍びと讀む事能當れり
無勝 二字をまく也と讀むは負の宇の義訓にて、詞は求の意君を待ち設くるの意にも見る也。此義訓少愚意に不v落。忍べる事は君にまけぬると云義訓ならんか。まけるなれば得忍びおほせで堪へかぬるの意也。君を戀忍ぶ事をえ忍び不v通して、おもてにも現し知らるゝとの義歟。未だ後案ある歌也
2479 核葛後相夢耳受日度年經乍
さねかづら、のちもあはんと、ゆめにのみ、うけひぞわたる、年はへにつゝ
さねかづらは後と云はん冠辭也。野路と云意をうけたるか。集中多き續き也。夢にのみとは、誠現つには相逢ふて契り交す事もあらで、只夢にのみ誓ひもし、或は祈り願ふ也。只逢はでのみ年の經ると云義を詠める也。かづらの類の物は、這ひ纏ひて末は一つに會ふもの故、かく後もと詠めると云説も有。さも有べき歟。蔦葛共にかく詠む也
2480 路邊壹師花灼然人皆知我戀※[女+麗]
(243)みちのべの、いちしのはなの、いちじるく、ひとみなしりぬ、わがおもひづま
いちしの花は苺の花と云へり、此歌も只いちじるくと云はん爲に、いちしの花はと詠出て、上に別の意無き也。只我が戀忍ぶ妻は、人皆知りたるとの義迄の歌也。苺にも草苺木苺と云物有。いちしと云たれば草苺の花を云ひたる歟
或本歌云灼然人知爾家里繼而之念者 此異本の下の句は心得難し。何を人知りたる歟。其體を据ゑざれは、本集の歌勝りて聞ゆる也
2481 大野跡状不知印結有不得吾眷
大野に、あとかたしれず、しめゆひて、ありはえずとも、われかへりみむ
大野 前にも注せる如く廣き野と讀まんか。跡状の二字もそこともしれずと讀まんか。跡かた知れずと云事は歌詞ならず。何とぞ別訓あらんか。此歌の意いかに共聞得難し。如何樣の事を寄せて詠める歟。知れ難し。諸抄の説は得難き人に思ひかけたり共、廣き野にそことも知られず印ゆひたる如く、中々われ領し知る事は難かるべければ、身の程を反り見て思ひ止まんとの意と見る由を注し、又は得難きとは知りながら、さてもありかぬれば、若しやしめゆひし跡の殘るやと反り見て尋ぬる如く、繰返して人に云ひわたるの意と釋せる説も有。ケ樣の意句面にも見えず。樣々の詞を入れて注せるなれば、信用し難き説々也。押して作者の意を察せば、廣き野にそことも知らずしめゆふは、ことの定まらぬ、うはの空など云事と同じ意にて、我は思ひかけて、つまとも夫ともせまじと心にしめゆひねれど、先に通ぜざれば、廣き野に結びたるしめの如くにて、其のしるしもあらね共、其心を止まず慕思ふと云意によせて、我反り見んとは詠めるか。とりしめたる事も無く、廣き野にそれ共不v覺、しめゆひたる如くなる人を反り見慕思ふ意を、かく寄せたる歟。ケ樣の歌は、如何樣にも云廻せば云はるゝものなれば、何れが當れり共決し難し
2482 水底生玉藻打靡心依戀此日
みなそこに、おふるたまもの、うちなびき、こゝろをよせて、こふるこのごろ
(244)歌の意は只打靡きと云はん迄に玉藻を詠出で、それ一つの趣向に深く心に思ひ入れて、戀ふと云義を詠める也
2483 敷栲之衣手離而玉藻成靡可宿濫和乎得難爾
しきたへの、ころもでかれて、たまもなす、なびきかぬらん、わをまちがてに
敷栲の衣手かれてとは、我に別れてと云義を衣に放れてと寄せたる也。玉藻成は、玉藻の如くしなひ靡きて、妹が寐ぬらんと思遣りて詠める也。わを待ちがてには、待かねて待ち堪へ難くてとは云意也。此靡もしなひと讀べき歟。しなひは忍び也。うらぶれ抔云へる意に同じき也
2484 君不來者形見爲等我二人植松木君乎待出牟
きみこずば、かたみにせんと、わがふたり、うゑしまつのき、きみをまち出ん
君を待ち出んと云はんとて、松の木を詠出でたる也。松の木の出むと云義にはあらず。前の歌に答へたる樣に聞ゆる歌也
2485 袖振可見限吾雖有其松枝隱在
そでふるを、見るべきかぎり、われあれど、そのまつがえに、かくれたりけり
是れは歸る人を見送るか、外へ行くを見送るかの時詠める歌と聞ゆる也。柚を振るを見ゆる限りは見送りてあれ共、松に隱れて見えぬと也。其松の木と云へるは、そこの松にと云意迄也。其と指したるに意味有にはあらず。撰列の例にて如v此松の類の歌は一列に編める故、此歌も亦前の歌に答へたる樣に聞ゆれど、さには有るべからず
2486 珍海濱邊小松根深吾戀度人子※[女+后]
ちぬのうみの、はまべの小まつ、ねをふかみ、われこひわたる、ひとのこゆゑに
此歌も根を深みと云迄を趣向に詠みて、深く戀渡ると云計りの歌也。※[女+后]の字は故の字歟。※[女+后]の字前にも注せる通、ゆゑと讀める字義不v考也。既に或本の歌は故の字を書たり
(245)或本歌云血沼之海之鹽干能小松根母己呂爾戀屋度人兒故爾 本集の歌の意とは少し違ひたれど、畢竟人の子故に深く思渡ると云義を詠める也
2487 平山小松末有廉叙波我思妹不相止者
ならやまの、こまつがうれに、あれこそは、わがおもふいもに、不相止者
有廉叙波、此廉の字を、こと讀ませたる義は心得難し。若しくは庫の字の誤歟。文字を助けて見る時は、かどと讀字故、こと約して讀ませたる歟。當集に此一格もまゝ有。見る事多けれど、此傳は古來より知る人少なければ此案をなす人無し。偶々有廉の二字をあれと讀みて、古許等の字を下に脱したるかと云説有。有廉二字音訓合せてあれと讀める事は有べからず。あれこそと云義は、あらばこそと云義と聞ゆる也。不相止者をあはずやみなめと讀める事も、者の字をなめとは難v訓。あはでやまめやもと讀まんか。ものと讀事故、めやの二語を略して讀めるか。小高き松の末ならばこそ、手も屆かで得手折らざらめ。さもなき事の常の人なみの事なれば、いかで思ひかけし妹に逢はで止まんや、逢はではえ止むまじとの意と聞ゆる也
2488 磯上立回香瀧心哀何深目念始
いそのうへに、立回香瀧の、こゝろいたく、なにを深めて、おもひそめけん
立回香瀧此四字を、たちまふたきと讀ませたれど、いかに共心得難し。惣て是迄の歌皆草木によせて詠める歌なるに、此一首に限り瀧をたきと讀める義心得難し。瀧水の事に寄せたる義不審也。宗師案は、回香の二字は、わがと讀べし。後案、回香の二字まふと讀義も心得難し。尤香の字、にほふと讀故、下の一語を取りて、ふと讀める例もあらんか。珍しき讀方なれば心得難し。瀧は竹と讀べきか。然らば、磯の上に立てるわか竹にて有べし。下にも心痛く何を深めてと詠めるは、石の上に生る竹なれば、根を深く入るべきにあらず。よりて何を深めてとは咎めて詠める也。或抄には※[木+龍]の字にて松にて有べく、まとは高松を高圓の訓に借用るのうらにて、つととゝ同音故、※[木+龍]と云を松に用ひたると見たる説も有。能案ながら誤字に不v見、共儘にて竹と見る義安かるべき歟。歌の意は、思佗びても、我のみ悩みて先には相思はぬ戀を、何とてかくは心痛く、深く思ひ初めけん(246)と自問に歎きたる歌也
2489 橘本我立下枝取成哉君問子等
たちばなの、もとにわれたち、しづえとり、なりぬやきみと、とひしこらはも
橘は實のなるものなれば、戀の調ふやと云事に寄せて、女子の手などをとりて、我に從ふべしや否やと問ひし子等は、如何にやと思歎く意也。君と問ひしとは、子等が手をとりて君とさして問ひたると云義也。はもは例の歎息して思ひ出たる意也。尚戀慕ふ意をこめて云たるもの也
2490 天雲爾翼打附而飛鶴乃多頭多頭思鴨君不座者
あまぐもに、はねうちつけて、とぶたづの、たづ/\しかも、きみいまさねば
たづ/\しきと云はんとて、上の句を詠出たる也。上の句は序にて意有にあらず。たづ/\はたど/\しきと云と同じく、便りなく物心細き意也。思ふ人無ければ、心のたしかならず心細きとの歌也
2491 妹戀不寐朝明男爲鳥從是此度妹使
いもにこひ、いねぬあさけに、をしどりの、こゝにしわたる、いもがつかひか
妹を戀慕ひて夜をも寐ぬ朝に、をしの渡れるは、我が戀慕ふ心を通じ知りて、我を問ふ意にての妹が使にや有らんと也。をし鳥を詠めるは深き意有べし。鴛鴦は雌雄の思ひ深きものにて、常住むとても雌雄相連て不v離ものにて、唐土にても色々古事を云ひふらせる鳥なれば、夫婦の親み深き意を思込めて詠めるなるべし。こゝにわたるは共讀まんか
2492 念餘者丹穗鳥足沾來人見鴨
おもふにし、あまりにしかば、にほどりの、あしぬれくるを、ひと見けんかも
鳰は、かひつぶりと云鳥の事也。此沾と云字若し誤などにはあらぬか。鳰鳥は常住水中にかづきて足はひぢたるものから、足(247)ぬれ共讀べきか。なれ共足ぬれ來ると云事、河瀬など渡り凌ぎて來ると云義ならば聞ゆれ共、只足沾れ來るとは何にて沾れ來るや。朝露夕露などに沾るゝと云はずして、心を通じて詠めるか。水鳥の陸歩と云事は、痛ましくなづましき事に譬へ云たる事あれば、何とぞ其意にて餘り忍びかねて難苦をも厭はず、水鳥の陸歩の如くに、從ひ來ると云義によせて詠める歌にて、沾の字外の字ならん。不審ある歌也
2493 高山岑行宍友衆袖不振來忘念勿
たかやまの、みねゆくしゝの、ともおほみ、そでふりこぬを、わするとおもふな
相伴ふ人の多くて人目の繁ければ、つゝみてえ忍びも來ぬを、心變り忘れて來ぬとな思ひそと斷りたる也。高山の峰ゆくしゝとは、連れ伴ふ人の多きを云はん迄の序、しゝは己がどち連れて群れ通ふもの故、それに我が伴ふ人の多き事を寄せて也
2494 大船眞※[楫+戈]繁拔※[手偏+旁]間極太戀年在如何
おほふねに、まかぢしゝぬき、こぐほどを、いたくなこひそ、としにあるいかに
此歌の意いかに共聞得難し。諸抄の説は、七夕の年に一度逢ふ事の如くならばいかにせん。大船に眞梶繁くぬきて漕ぐ如き捗取らぬ事を甚くな餘り歎き佗びそ。年に一夜の七夕の如くならば、いかにぞと諫めたる歌と釋したれど愚意未v落。何とぞ別意の聞樣見樣によりて讀樣有べし。尚追而可v加v案也
2495 足常母養子眉隱隱在妹見依鴨
たらちねの、はゝがかふこの、まゆごもり、こもれるいもを、見るよしもかも
たちつてと同音の語、如v此ちねの假名に常の訓借字を書けり。乳をたるゝ母と續けたる也。かふ子の眉ごもりは、蠶の眉に籠ると云事有から、籠れる妻とか妹とか云はんとての序に詠めり。畢竟隱れ籠りたる妹を、憐みる由もがなと願ひたる也
2496 肥人額髪結在染木綿染心我忘哉
(248)【こま・うま・から・はだ】びとの、ひたひかみゆへる、そのゆふの、そみしこゝろを、われわすれめや
此歌も染めし心を我忘れぬと云意を詠める迄の事に、上は序に云ひたる也。此うま人と云事説々有りて一決し難し。日本紀にてはよき人、高貴の人をうま人と讀ませたり。一本には、肌人とも有。是によらせ給ふてか、八雲御抄には、はだ人と讀ませられたり。諸抄の説は、から人と云義にて、唐人は三韓唐國共に肉食に飽きて、其形象身體太りて肥えたるもの故、古より鳥獣の肥えたるは喰に味能き故、見る處の體を義にとりて、肥人と書けると云説也。假名本には、こま人と讀ませたり。高麗の人は額に髪結る故、ひたひ髪ゆへると讀めるとの説も有りて、いかに共決し難し。古事記景行卷日本武尊の御車にも、當2此之時1其御髪結v額也。如v此あれば、日本紀にては高貴の人をうま人と讀ませたるに引合せて見れば、上古は高貴の人ならでは額髪は結ばざりしか。日本紀に何人の傍注か、十五六才の人額に結v髪と注せり。肥人と書きて、うま人と讀義は、諸抄の説の如く鳥獣の肥えたるはうまきものから借訓に書たる歟。釋日本紀肥人の字と云事あり。是によれば三韓の人は其頃も能肥え太りたる故、高麗人と云事に肥人と記したるか。此説々いかに共決し難し。歌の意は、只下の染めし心を忘れぬと云迄の事に、其義に親しく續く事の義を案じて、ケ樣には詠める也。そめゆふとは初元結の小紫抔詠める意と同じく、昔は紫の糸をもて髪をあげたる也。今は漸く冠下を結ふ小元結と云ものに用て、平生は紙ひねりを用る也
一云所忘目八方 思ひ初めたる事は、忘られぬとの意、本集の意と同じ
2497 早人名負夜音灼然吾名謂※[女+麗]恃
はやびとの、なにおふ夜こゑの、いちじるく、わが名をのりて、つまとたのまん
早人は隼人也。朝廷護衛の武官の者也。夜行の時名謁と云事、令式にも見えたり。其名のりする聲の如く、いちじろく我名をあらはし、名のりておもふ女に知らせ告げて、妻と頼まんとの義也。令式等の文重而可v加v之也
2498 釼刀諸刃利足踏死死公依
(249)つるぎたち、もろはのときに、あしふみて、しぬともしなん、きみによりては
君によりてならば、たとひ釼刀にて身は切り裂く共、厭はじとの義也。釼刀と云は、兩方に刃の有るを云と聞えたり。今の俗に、けんと云此の義なるべし
2499 我妹戀度釼刃名惜念不得
わぎもこに、こひわたりつゝ、つるぎたち、なのをしけくも、おもほえぬ也
釼刃は刀の誤りなるべし。名の惜しけくもは前に注せり。釼刀には刀師の銘を記すもの故、名とは續け來れり。思佗び戀渡れば、忍びかねて名の立ち現はるゝ事も思はぬと也
2500 朝月日向黄楊櫛雖舊何然公見不飽
あさ月日、向つげぐし、ふりたれど、いつしかきみは、見れどあかれず
此朝月日向を、諸抄諸本共にあさづくひむかふと讀みたり。朝には日と月と向ふもの故、かく續けたると云釋也。其轟は聞えたれど、向ふつげ櫛と云事不v聞。諸抄の説は、あしたには髪くしけづるにも鏡にも打向ふもの故、向ふつげと云との無理なる義釋也。宗師案、是はつげ櫛へかゝる言葉に詠出たるなれば、黄楊櫛と云物は日向の名物なると、前にも風土記の説有て、大隅の國くしらの里の事に此くしの義を注せり。風土記の謂れもあれば、日向は黄楊櫛の名物なるから、上古も日向黄楊櫛と云ひ觸れたる歟。然らば朝月の日向と讀べきか。朝月は日向と云はん爲に、五文字に据ゑたる歟。あしたの月は日に向ふ故、夕月日など云と同じ意也。日向とは黄楊櫛の名物なる故也。又向は、むかと讀みて眞櫛と云事か。初語の意にてまつげ櫛と云べきを、むにては足らぬを調へてむかと云へる歟。むかと云詞はまと云詞也。日本紀正妣と書きて、むかひめと訓じて、むかひめ眞ひめと云義也。然れば、まと云詞をのべて、むかつげ櫛と云へるか。兎角むかふつげ櫛とは讀べき義無き也。或説に朝月日の三字を、朝かゞみと讀まんかとの案有。次の歌の縁も有から面白き義訓なれど、是もむかふと云事つげ櫛に續かぬ故、さも讀まれまじき歟。畢竟馴れ古りたれど見飽かぬとの意を詠める歌也。つげぐしは平生女の手馴るゝ物なれば、馴れ古りた(250)れどと云事に寄せたる也。次下の歌に、見れ共君を飽く事もなしと詠める、同じ意也
2501 里遠眷浦經眞鏡床重不去夢所見與
さとゝほみ、したひうらぶれ、ますかゞみ、とこのへさらず、ゆめにしみえよ
里遠眷の三字を、さとゝほみと讀みたれど心得難し。里遠みうらぶれとは詠出難き續き也。前にも吾眷と書て、かへりみんと讀ませたれど、是も義訓に讀みたるにはあらざらんか。こゝも慕ひと讀までは、歌の姿も惡しく意も聞え難ければ、反り見ると云意慕ふ意に通ふ義なれば、義をもて慕ひとは讀也。遠ざかり隔たりたれば、あひ見る事もならねば、慕ひうらぶれて、せめてうちぬる夢になり共見えよかしと佗びたる歌也。眞鏡と續くはとくと云ふ意にて也。尤下に夢にし見えよと詠めるから、上に鏡とも詠める也。所見與とある與の字、若し興の字の誤りたるか。然らば見えこせと讀べし。おこせ也。おこすと讀字故也
2502 眞鏡手取以朝朝雖見君飽事無
ますかゞみ、てにとりもちて、あさな/\、見れどもきみを、あくこともなし
眞鏡と書きてます鏡と前の歌にも讀めるは、此卷の例且當集の格例也。歌の意は黄楊櫛の歌の意と同じ
2503 夕去床重不去黄楊枕射然汝主待固
ゆふされば、とこのへさらず、つげまくら、いつしかなれが、ぬしまちがたみ
今宵や來まさんと、夕なれば來る人を待ち戀佗びて待ちかねると云意を、枕に云ひかけたる歌也。我が待ちかねるを枕に負ふせて詠みなせり。なれがとは枕をさして也。いつしかと待ちかねたるとの意也。
2504 解衣戀亂乍浮沙生吾戀度鴨
ときゞぬの、こひみだれつゝ、うきにのみ、まなごなすわが、こひわたるかも
(251)解衣は亂るゝの序、浮きも戀も泥の事に寄せて、又憂にも寄せて也。まなごなすは、心を碎き樣々に思ひ亂るゝと云事を、まなごの如くに戀渡ると也。能く詠みなしたる歌也
2505 梓弓引不許有者此有戀不相
あづさゆみ、ひきでゆるさず、あらませば、かゝるこひには、あはざらましを
梓弓引きて許さずとは、逢ふ事を許さず心強く引はりこらへば、今かゝる思ひはあらましを、うけひきて逢ひも初めしから、かゝる戀に苦むと也
2506 事靈八十衢夕占問占正謂妹相依
ことだまの、やそのちまたに、ゆふらとひ、うらまさにのれ、いもにあひよると
事靈は第五卷好去好來の歌にも有て、そこには言靈と書けり。依て今云山彦こだまの義と釋したれど、此歌によりて見れば、人の言語をなすも神靈の業なれば、言の靈神をさして云へる事と聞ゆる也。巷の占と云は、往來する人の言葉を聞きて、吉凶をさとる事を云。今も辻占と云此義也。然れば、言靈と書ける字義の通りにて、言を云はさしむる神靈と云義なるべし。宗師案は、異靈幸靈の事と見るべしと也。第五卷目、さきはふ國と詠める、是もさきよばふの意なるべし。言語をなさしむる神靈と云義と見ゆる也。目に見えぬ神靈なりと云説あれど、漠としたる説也。神靈に見ゆる神靈あらんや。當集には、ことだまと詠める歌此外にもまだ有。完師の説幸靈と云義は、何れにても當るべき歟。前にも注せし如く、大鏡にも村上の帝生れさせ給ふ時、五十日の餅を諸卿に給ふ時、伊衡中將歌つかふまつれるに
一とせにこよひかぞふる今よりはもゝとせまでの月影を見む
御門の御かへし
いはひつることだまならば百年の後もつきせぬ月を社みめ
此御歌も、いはひつる言靈と被v遊しは、言靈の事に聞ゆる也。祝言のたまと聞え侍る也。此歌も八十巷にて人の言を聞く歌(252)也。なれば言靈をさして云へる歟。歌の意は、占を聞くに妹に相よると云ふ辻占ありて、其占言の如く、正しく妹に逢事のあれと也。正謂は占にのると云と、物を云事をのると云とにかけて云へる也
2507 玉桙路往占占相妹逢我謂
たまぼこの、みちゆくうらに、うらなへば、いもにあはんと、われにのりつる
聞えたる歌也
問答
2508 皇祖乃神御門乎懼見等侍從時爾相流公鴨
すめろぎの、かみのみかどを、かしこみと、さむらふときに、あへるきみかも
すめろぎの神とは前に注せり。文字の如く御祖の神を尊むでさし奉る詞也。然るにこゝにすめろぎのと詠めるは、畢竟神と云冠辭に、上古は皆すめろぎとは詠めると聞えたり。こゝの神と云は朝廷をさして稱し奉りたる神の御門也。畏み慎みて朝勤せる身なるに、朝勤の折から逢そめぬることかなと云歌也。能慎みて人に洩るなと示したる意也
2509 眞祖鏡雖見言哉玉限石垣淵乃隱而在※[女+麗]
まそかゞみ、みともいはめや、たまきはる、いはがきふちの、かくれたるつま
前の朝勤の時に、畏くも憚らずして逢ひたる事を、恐れたる意を詠みかけたる故、逢事はさら也、見たり共云はめや、深く隱れたる妻なれば、見もせぬと云はんとの答也。まそ鏡は見ると云はん爲の序也。玉きはるはいはとうける爲、いはかげ淵は隱れと云はん爲の序也。いはかげの淵なれば、隱れて有から、隱れたる妻と云はんとて、石垣淵と也。玉限をかげろふと讀める説も有。前に玉蜻と書たる歌あれば、其の誤字と見てさも讀める歟。かげろふのいはかげと云續きは、少六ケ敷也。石の火と云事の義をとりて、續けると也。然共玉限と書きて、毎度たまきはると訓借に詠める歌數多あれば、たまきはると讀みたるなるべし
右二首 是は下に誰の歌集中出と云字の落たる歟。如v此注したる處數多也、是より奧此注有。何の爲に注せる共難v知け(253)れば、下の注脱したると見る也
2510 赤駒之足我枳速者雲居爾毛隱往序袖卷吾妹
あかごまの、あがきはやくば、くもゐにも、かくれゆかんぞ、そでまくわぎも
赤駒は我駒によせて也。かくれは驅けりの意也。かけるを、かくり、かくれ共云也。同音の詞也。いづこ迄も我駒の足早くば求め行きて逢はんぞと也。袖まくわぎもとは、我と袖を卷寐ん妹と云意也
2511 隱口乃豐泊瀬道者常滑乃恐道曾戀由眼
こもりくの、とよはつせぢは、とこなめの、かしこきみちぞ、こふらくはゆめ
前に馬の足だに早くば、いづこ迄も驅りり行かんぞと云へる故、戀慕ひ來らば、初瀬路はさかしき道の恐ろしき道なる程に、ゆめ慎しめとの答也。常滑のこと、前にも注せる如く、とこしなへに滑かなると云事心得難し。常滑とは、石に水垢の溜りて、すべる如く滑かなるを云との説也。此歌川とも無きに、川の石の水にひたり、苔むして滑かなるとは六ケ敷説也。一本濟の字を書けり。滑濟何れか是ならん。濟の字なれば、なみと讀みて、泊瀬と有るを川の縁に取りたるもの歟。然らば、常の字も、しきと讀みて、しきなみと云事か。尚後案すべし
2512 味酒之三毛侶乃山爾立月之見我欲君我馬之足音曾爲
うまざけの、みもろのやまに、たつゝきの、みかほしきみが、うまのあしおとぞする
此歌も赤駒の歌の答に聞ゆる也。歌の意は何の義も無く、見かほし君が馬の足音ぞすると云はんとて、上より序を云ひ出たる也。味酒は、みもろとうけん爲の冠句、立月は見かほしと云べきの序也
右三首
2513 雷神小動刺雲雨零耶君將留
(254)なるかみの、しばしどよみて、さすくもの、あめのふりてや、きみがとまらん
刺雲のは、雲のたつは上へ昇るを云。さすもたつも同事也。古事記日本紀等の歌にも、八雲さす出雲と續けたり。歌の意は聞えたる通り、夕立などして雷鳴り、雲も湧き出る如く立昇りて、雨の零る氣色を云ひたる也
2514 雷神小動雖不零吾將留妹留者
なるかみの、しばしどよみて、ふらずとも、われはとまらん、いもしとゞめば
能聞えて隱れたる處無し。直答の歌也
右二首
2515 布細布枕動夜不寐思人後相物
しきたへの、まくらうごかし、よもいねず、おもふ人には、のちあふものか
寐ねがてなれば苦しくて、枕も彼方此方と打返し定めぬものなれば動かしと也。如v此戀思ふ人には後逢ふものか、逢はぬものかといぶかしく歎き恨みたる也
2516 敷細布枕人事問哉其枕苔生負爲
しきたへの、まくらせしひと、ことゝへや、そのまくらには、こけむしにけり
返歌也。先の詞をうけて心は格別の意を答たる也。此一格有。後逢ふものかとあるを、意を引違へて此方にこそ待ちをれ。一度枕交せしより音絶て來まさねば、其枕には苔さへ生ひたると、此方をかさをかけて返したる歌也。負爲を、にたりと讀ませたり。負は荷と云と義同じき故、荷と云意にて詠みたるか。負の字、にと讀義未v詳也。けりと讀義はまけと讀事故、其けの一語をとり、爲は、たり共せり共讀む其の一語を引きて讀也。畢竟久しく君が來らざりし故、枕に苔さへ生ひたると、不v來不v逢事の程經し事を詠める也
(255)右二首
以前一百四拾九首柿本朝臣人麻呂之歌集出
古注者考ふるところありて如v此注せるなるべし
正述心緒 前に毎度有し端作り也。まさしく思ひを述ぶると讀まんか。是は思ふ事を物に寄せ擬らへては云はず。直に心に思ふ事を顯したる歌と云意。用何事に寄らず心の中の思ふ事を言葉に顯し述べたる歌にて、比喩よせ歌とは違ひたる歌共と云義也
2517 足千根乃母爾障良婆無用伊麻思毛吾毛事應成
たらちねの、はゝにさはらば、いたづらに、いましもわれも、ことやなるべき
母の氣にさかひ障りたらば、いかで思ふ事の成りぬべきと也
2518 吾妹子之吾呼送跡白細布乃袂漬左右二哭五所念
わぎもこが、われをおくると、しろたへの、そでひづまでに、なきてしのばる
別れ來るに、妹が送り來るとて、我袖のぬるゝ迄別れの悲しくて、慕はるゝと也。おくると詠めるは、我袖の涙に沾れて、慕ひ嘆かるゝは、妹が心の添ひて送るからにやと云意共聞ゆる也。跡の字の手爾波心得難き也
2519 奥山之眞木乃板戸乎押開思惠也出來根後者何將爲
おくやまの、まきのいたどを、おしひらき、しゑやいでこね、のちはなにせん
奥山はまきと云はん爲迄の五文字也。歌の意只今來りて逢へかし。此所を過ぎての後は何せんにと云意也。しゑやとは何事もあらばあれ、よしやと打捨てたる事を云古語也。諸抄の説に、事の顯れて後は如何に共せんとの釋有。心得難き意也
2520 苅薦能一重※[口+立刀]敷而紗眠友君共宿者冷雲梨
(256)かりごもの、ひとへをしきて、さぬれども、きみとしぬれば、さむけくもなし
聞えたる通也
2521 垣幡丹頬經君※[口+立刀]率爾思出乍嘆鶴鴨
かきつばた、にほへるきみを、率爾、おもひ出つゝ、なげきつるかも
にほへる君とは、紅顔の美しき女をさして賞美して云へる也。かきつばたは匂へるを云はん序也。率爾此二字を、にはかにもと讀ませたり。前にも此二字をかく讀ませたれどさは讀まれぬ也。或ひはいさなみ抔讀みたり。語例句例無きこと也。此二字何とぞ別訓あるべし。先は急卒早速の意を加へて讀べき義訓なるべし。然らばそのまゝに共讀べき歟。思出てと有故、紅顔を見しその儘にと云意にて、その儘に共讀まんか。又何とぞ別訓有べし
2522 恨登思狹名盤在之者外耳見之心者雖念
此歌いかに共解し難き也。諸抄の説印本假名付の通に讀みて、聞えたり共思ほへぬ也。若しは誤字脱字あらんか
うらみんとおもへるせなはありしかばよそにのみ見しこゝろはもへど
と讀みてはいかに共義不v通也。宗師案は盤の字二字一處になりし誤あらんか、然らば般血の二字にてたひちと讀ませたる歟。旅路の意也。恨登思の三字を五文字に讀む讀み有て、例へば、うしと思ふせなはたびぢにありしかばとか、ましゝかばと讀まんか。然れば下の、よそにのみ見し、とうけたる意も叶ふ也。是迄の讀樣にてはいかに共義理不v聞。詞を入れて云廻さば如何樣にも無理押しの義も付べき也。それは歌の意に不v叶。外より意を付添て云ひ廻す也
2523 散頬相色者不出小文心中吾念名君
さにほへる、いろにはいでじ、すくなくも、こゝろのうちに、わがおもはなくに
色には出さね共、心の中にはなほざりにこと淺くは思はぬ、深く思ひ入れて有ると也。上の五文字さにつらふと讀める説あれど、歌によりてさも讀べき文字なれど、此歌にては色とうけん迄の初五文字なれば、にほへると讀むべし。にほふとは色の事(257)也
2524 吾背子爾直相者社名者立米事之通爾何其故
わがせこに、たゞにあはゞこそ、なはたゝめ、ことのかよひに、なにぞのゆゑぞ
逢ひもしたらば名の立つも理りならんに、只言を云ひ通ふのみなるに、かく名の立つは何の故ぞやと歎ける也。なにぞの故とは何の故と云義也。ぞは助語の如し。其故は何事ぞやと云意也
2525 懃片念爲歟比者之吾情利乃生戸裳名寸
ねもごろに、かたもひするか、このごろの、わがこゝろとの、いけりともなき
ねもごろは深く戀ふの意也。淺はかならず思侘ぶるの意、思佗ぶる餘りに、此頃は生きたる心地も無きとの義也。心とゝいへるは處と云と同じく、初語助語と聞ゆる也
2526 將待爾到者妹之懽跡咲儀乎徃而早見
まつらんに、いたらばいもが、うれしみと、ゑめるするがたを、ゆきてはやみむ
能聞えたる歌也
2527 誰此乃吾屋戸來喚足千根母爾所嘖物思吾呼
たれかこの、わがやどにきよぶ、たらちねの、ほゝにいさはれ、ものもふわれを
いさはれは諫め責められると云義也。諫め云はるゝと云詞歟。母に制し諫められて、物憂く思ひ煩ふ折に、猶うるさくも戸など叩きて呼びたらんは、いとも苦しかるべき也。嘖、側格切、音窄、大呼聲、又爭言貌
2528 左不宿夜者千夜毛有十方我背子之思可悔心者不持
さぬねよは、ちよもありとも、わがせこが、おもひくゆべき、こゝろはもたじ
(258)くゆべきは恨み悔むべき歟也。能聞えたる歌也
2529 家人者路毛四美三荷雖來吾待妹之使不來鴨
いへびとは、みちもしみゝに、きたれども、わがまついもが、つかひこぬかも
家人は凡て人の使ひ人をさして也。下に使來ぬと云に對して、外の召使人などは、道路もしげく滿ちて有如くに往き通へ共、思ふ人の方よりの使は來ぬと也。かもは例のかなにて歎の詞也
2530 璞之寸戸我竹垣編目從毛妹志所見者吾戀目八方
あらたまの、きべがたけがき、あみめゆも、いもしみえなば、われこひめやも
あら玉のきべとは、遠江國郡郷の地名也。竹垣と云から、其所を据ゑて詠めり。故有て詠めるにはあらず。古詠の格皆かくの如くにて、其の地名を据たる迄にて、竹垣の編み目よりなり共、思ふ妹をせめて見てだにあり共、思ひのはるけくかくは戀ふまじきにと也。諸抄印本等の假名には、あら玉のすこが竹がきと讀ませたれど、あら玉のすこと續くべき謂れなく、正しく遠江國の地名にて、當集第十四卷の東歌遠江國歌に、阿良多麻能伎倍乃波也之爾〔奈乎多※[氏/一]天由吉可都麻思自移乎佐伎太多尼〕。伎倍比等乃萬太良夫須麻爾〔和多佐波太伊利奈麻之母乃伊毛我乎杼許爾〕、と有て、皆是遠州の地名を詠めり。和名抄云〔遠江國麁玉郡、【阿良多麻今稱2有玉1】〕あら玉郡のきべと云所にある竹垣と云意也。然らば其きべにわけありて詠めるかと見れば、さにあらず。只地名を指せる迄也。第二十卷の歌に、常陸國久慈郡にある人をさして、くじが母と詠める類に同じき也。遠江國麁玉郡木部と云所にて詠める歌なるべし。正述心緒と題目あれば、其詠みし處の當然の事也
2531 吾背子我其名不謂跡玉切命者棄忘賜名
わがせこが、その名をのらじと、たまきはる、いのちはすてん、わすれたまふな
命は捨つる共そこの名は洩らすまじ。必ずそこにも我を忘れ給ふなと也
2532 凡者誰將見鴨黒玉乃我玄髪乎靡而將居
(259)おほよそは、たれか見むかも、ぬばたまの、わがくろかみを、なびきてをらむ
凡は大方の意と聞ゆる也。黒髪を取亂してをる共、誰れ見咎めむやと云意に聞ゆる也。思ふ人の見ればこそ形つくりもせめ、見る人も無き身は髪をも引き靡きてをらんと也。靡の字毎度なびきなびけと讀ませたれど、心得難き也。しなひてと讀べき歟。しなひては忍びても同じ詞にて、思ふ人を忍びてうらぶれをる抔云如くに、物思ひ佗びて居らんとの意に見ゆる也。諸抄の説も、君なくばなに身よそはんくしげなるつげのをぐしもとらむとおもはずと詠める第九卷の歌の意、或ひは詩に、自2伯之東1首如2飛蓬1、豈無2膏沐1誰適爲v容《タレヲアルシトシテカタチツクリセン》此意と釋し來れり。同じ樣にて少しは意異る歟
2533 面忘何有人之爲物烏言寄爲金津繼手志念者
おもわすれ、いかなる人の、するものぞ、われはしかねつ、つぎてしもへば
能聞えたる歌也。只我は深く戀思へば中々面影も身を放れず、忘られぬとの意也
2534 不相思人之故可璞之年緒長言戀將居
あひおもはぬ、ひとなるからか、あら玉の、としのをながく、われこひをらん
我が如くさきには思ひもよらねば、我のみいつ迄か戀ひ居らんと也
2535 凡乃行者不念言故人爾事痛所云物乎
おほよその、わざはおもはじ、われからに、ひとにこちたく、いはれしものを
思ふ人によりては、世の常なみなる事は思はぬ、既に我が能思ひ入りしから、世上の人にもこちたく云騷がされし程の事なれば、並々の事に心は觸れぬとの意と聞ゆる也。諸抄の説もまち/\也。わが故と讀みて、わがとは君と云義、君故に世の人にも云ひ騷がされし事を心憂く思ひて、外の大方の事は思はぬとの意と云説有。大方のつらき事は思ひ咎めず、我故にそなたの名も、世の人にこと/”\しくも云ひ騷がさせしを、堪へ忍びて來つるものをと、人のつらさも許して思ふ義と見る説有。此義共は心得難し。左樣入りほかに六ケ敷は聞え難し
(260)2536 氣緒爾妹乎思念者年月之往覽別毛不所念鳧
いきのをに、いもをおもへば、としつきの、ゆくらんわきも、おもほへぬかも
いきのをは前にも注せる如く、命をもかけてと云義と釋し來れり。語釋の事は不v濟共、先づ古く釋し來れば其義に見る也。思念者は二字にておもへばと讀めるも、衍字の樣なれど、此集にはケ標書たる處幾らもあれば、當集の例格共見るべし。尤妹をしもへば共讀みても能き歌也。歌の意は、聞えたる通也
2537 足千根乃母爾不所知吾持留心者吉惠君之隨意
たらちねの、はゝにしらさず、わがもたる、こゝろはよしゑ、きみがまにまに
親に許しうけず、人に從へる女子の詠める歌と聞ゆる也。よしゑは打任せて何となる共まゝよ抔云意也。たとひ母の知たり共、よしや君に從ふ心は、君に任すとの義也
2538 獨寢等※[草がんむり/交]朽目八方綾席緒爾成及君乎之將待
ひとりねと、※[草がんむり/交]くちめやも、あやむしろ、をになるまでに、きみをしまたむ
思ふ人を待ちて來ぬ事の程經れば、遂には寐床も朽ちて、床に敷く綾むしろも緒計りになる迄も、君をこそ待ためと也。貞節をも守るの意をこめて詠めると聞ゆる也
※[草がんむり/交]朽 こもくちめやもと讀める事心得難し。※[草がんむり/交]は乾芻と云。又名、牛※[歡の欠が斤]、似v芹可v食、細葉鋭子アリ。入v藥、又曰2彫※[草がんむり/瓜]1と字書に見えたり。※[草がんむり/交]、居肴切、音交とあればカウの音也。是をこもと讀義心得難し。然れば等※[草がんむり/交]の二字にてとこと讀たる歟。※[草がんむり/瓜]と通ずる故コの音に用たる歟。若し又※[草がんむり/瓜]の字の誤りたる歟。然らば、獨りぬる床くちめやもと讀みたるならん、さなくては※[草がんむり/交]の字こもとは讀み難し。且こもと讀みて歌も聞えず。濁りぬるこもとはいかで續かんや。極めて等※[草がんむり/瓜]の二字合せてとこと音借に書きたると見えたり。古は※[草がんむり/交]、※[草がんむり/瓜]通じて用たる故、コの音にも遣へるか。こもにてはあるまじき也。然共古く讀誤りたるから、鎌倉右大臣の歌に此歌をとりて、あやむしろをになる迄に戀侘ぬしたくちぬらしとふの菅こも。綾むしろは色々文を織(261)付たる席と云へり。直に綾の莚にもあらんか。緒になる迄とあれば、今云繪莚の類なるべし
2539 相見者千歳八去流否乎鴨我哉然念待公難爾
あひみしは、ちとせやいぬる、いなをかも、われやさおもふ、きみまちがたに
君を待ちかねぬるから、相見し事も千歳も過去りたるかと思ふと也。さ程に程も經ね共、君を待ちかねる故から、我からにさ思ふかと也。歌はかく愚なる心に詠める事雅情とする也
2540 振分之髪乎短彌青草髪爾多久濫妹乎師曾於母布
ふりわけし、かみをみじかみ、わかぐさの、かみにたくらん、いもをしぞおもふ
此歌の意諸抄の説一決ならず。短き若草の如き髪の妹か、生先しるき妹か、たぐりあげんを忘れず思ふと注せるも有。若草を髪にたぐりそふ心也と計り注せるも有。心得難き見樣也。此歌の意は、振分け髪の時はさも短かりしが、今は若草の生ひのぼれる如く長くなりて、たぐりあぐらん髪の妹をぞ慕ひ思ふとの意に聞ゆる也。又若草の妹と云意共聞ゆる也。隔句に置たる青草と聞ゆ也。人の髪も草の如くなるものなれば、若草の髪共續ける歟。兎角短かりし髪の長くなりて、今はたぐりもしつらん妹を、慕思ふの意と聞ゆる也
2541 徘徊往箕之里爾妹乎置而心空在土者蹈鞆
たちもとり、ゆきみのさとに、いもをおきて、こゝろそらなり、つちはふめども
ゆき見の里、八雲御抄には山城と有。いづこにか有けん。未v考。たちどまりゆきみの里と續けて讀める假名も有。然共徘徊の二字を、たちもとほると讀來たれば、たちもどりと讀べきか。もとほるも、止まりしゞまふ意なれば意は同じかるべし。徃來するに行きては又返りてたち戻り、妹が方へ心を引かるゝの意にて、ゆきみとは續けたるならんか。下の句の意は、能聞えたり。源氏、伊勢物語等にも、心空なる抔云事は毎度云へり。俗に、うてむになりて抔云意也。妹が方にのみ心の引かされて足の踏みども不v定、心空にのみありくの意也
(262)2542 若草乃新手枕乎卷始而夜哉將間二八十一不在國
わかぐさの、にひたまくらを、まきそめて、夜をやへだてむ、にくからなくに
若草の妻と云事を、直に新手枕と詠みて其意に見る也。新婦などを迎へてか、又忍びて逢ふ女などの事をさして云へるか。歌の意は能聞えたり
2543 吾戀之事毛語名草目六君之使乎待八金手六
わがこひの、こともかたりて、なぐさめむ、きみがつかひを、まちやかねてん
此歌の手爾波少心得難し。今時の等爾波には聞得難し。今時の手爾波にては、先の人の我方よりの使を待ちやかねんと云へる樣に聞ゆる也。奥に至りても此手爾波の歌有。尚後案すべし。我方への使と見る時は、君が使ひを待ちぞかねつると云、手爾波ならでは聞き得難し
2544 寤者相縁毛無夢谷間無見君戀爾可死
うつゝには、あふよしもなし、ゆめにだに、まなくみむきみ、こひにしぬべし
ゆめにだには、夢になりと共間無く見む、かく戀ひては遂には死ぬべく思ふと也。間無見の三字何とぞ讀樣あらんか。ゆめにだにと詠めるは、夢になり共の意とは聞ゆれ共、夢にも不v見と詠める歌の樣にも聞ゆる也
2545 誰彼登問者將答爲便乎無君之使乎還鶴鴨
たそかれと、とはゞこたへむ、すべをなみ、きみがつかひを、かへしつるかも
人の誰にや彼にやと問はん時、いかに包み隱すべき樣の無き故、思ふ人の方より來りし使をも、留めで返せると也
2546 不念丹到者妹之歡三跡咲牟眉曳所思鴨
おもはぬに、いたらばいもが、うれしみと、ゑまんまゆひき、おもはるゝかも
(263)妹が思ひ寄らずあらんに、我が到らば如何計り妹が嬉しがりて笑まん。眉ひきの至らぬ先より懷しく思はるゝと也
2547 如是許將戀物衣常不念者妹之手本乎不纒夜裳有寸
かくばかり、こひんものぞと、おもはねば、いもがたまとを、まかぬよもありき
かく戀しきものぞと始めは思はざりし故、自然には妹が快を卷かざりし夜もありし事の、今更くやしき意を詠める也。か計り戀しきものと思はゞ、など一夜も不v落妹と卷きねんをと云意也。何とぞ隔たりて逢ふ事稀なる妹を、慕ひて詠めるなるべし
2548 如是谷裳吾者戀南玉梓之君之使乎待也金手武
かくだにも、われはこひなん、たまづさの、きみがつかひを、まちやかねてん
此歌の手爾波も心得難き也。此歌も我はかくてだにも戀佗びあらんが、君が我方よりの使を待ちやかねてんと思遣りて、詠める樣に聞ゆる也。或抄に、こひ南とは書きたれ共、戀のむにて、のむは祈る事と注して、君が我が使ひを待ち兼ねて、あはれ逢ふ事をかへさせしめ給へと、神祇に祈る事を戀南と書たりと注せり。心得難し。此手爾波の事は尚追而後案有べき也
2549 妹戀吾哭涕敷妙木枕通而袖副所沾
いもこふと、わがなくなみだ、しきたへの、こまくら通而、袖さへぬれぬ
木枕通而 此通の字、前にも注せる如く何とぞよき別訓も有べき歟。此歌にても、とほりてと讀みては句不v調、口にはゞる也。歌の意は能聞えたる歌也
或本歌云枕通而卷者寒母 或説によれば本歌の木まくらのこは無用の詞也。尤こは初語の詞也。枕をまくと云也。卷き重ねて枕とするもの故、枕する事をも只まくと計りも云也
2550 立念居毛曾念紅之赤裳下引去之儀乎
たちておもひ、ゐてもぞおもふ、くれなゐの、あかもすそひき、いにしすがたを
(264)妹が忍び來りて歸りし其姿を、忘れず戀慕ふ意他
2551 念之餘者爲便無三出曾行之其門乎見爾
おもふにし、あまりにしかば、すべをなみ、いでゝぞゆきし、そのかどを見に
思餘りて只も居かねて詮方なく、思ふ人のあたりを見に迄出て行きしと也。思の切なる事を詠める也
2552 情者千遍敷及雖念使乎將遣爲便之不知久
こゝろには、千へしくしくに、おもへども、つかひをやらん、すべのしらなく
別の意無く聞えたる字面の通り也
2553 夢耳見尚幾許戀吾者寤見者益而如何有
ゆめにのみ、見るすらこゝた、こふわれは、うつゝに見ては、ましていかならん
夢に見てさへいか計り戀慕はるゝ人の、實に現にあひ見ての後は、いかにやあらんと也。字面の通り能聞えたり
2554 對面者面隱流物柄爾繼而見卷能欲公毳
むかへれば、おもがくれする、物からに、つきてみまくの、ほしきゝみかも
是は女の歌と聞ゆる也。思ひ/\ても逢ふ時は、女子は弱き心から、面恥してあからさまに、え見交はさぬから、別れては又只管に、戀しく見まほしく思ふとの意也。女子の實情を詠める有體の歌也
2555 旦戸遣乎速莫開味澤相目之乏流君今夜來座有
あさとやりを、はやくなあけそ、味澤相、目のほろきみが、こよひきませる
あさとやりとは、あしたの遣戸を早く開けな、見る事の乏しき君が來て寐ねませる程にと云歌と聞ゆる也。然れ共味澤相と云詞、前にも注せる如く、いかゞしたる事にや。濟み難き詞也。諸抄の説の如くにては、いかに共義不v通故、先不v知v義は知れ(265)ぬ事と除く置く也。何とぞ別訓有べき詞也。めのほるとは見る事の稀なる人と云義と聞ゆる也
2556 玉垂之小簀之垂簾乎往褐寐者不眠友君者通速爲
たまだれの、をすのたれすを、ゆきがちに、いをばねずとも、きみはかよはせ
ゆきがちには聞き樣兩義有て、此歌しかとは聞得られぬ歌也。一説には、簾をあぐる音を人に聞付られて、咎められん事を佗びて、我はえ行かで寐ねもせね共、其簾をあげて來ん人は通はせんと也。又の説、君が來るやと行きて見がちに待ちうかがひて、いも寐ね共君は來ずと也との説也。兩義共聞得難き釋也
愚案は、君が寢所には、簾にて徃通ふ事成り難き故、我はかくいをもねゝ共、君が方より通ひ來ませと云意歟。但し守人など有て、簾を越えては徃きがちにして、守人の寐ねずゐる共、我思ふ君が來ば通はせよと云意か。とくとは聞き應じ難き歌也
2557 垂乳根乃母白者公毛余毛相鳥羽梨丹年可經
たらちねの、はゝに白者、きみもわれも、あふとはなしに、としぞへぬべき
此歌も、女子の歌と聞ゆる他。白者は、しらせばと讀まんか。まふさばと讀まんか。兩樣の意は同じかるべし。逢ふ事ならずして年の經んと也
2558 愛等思篇來師莫忘登結之紐乃解樂念者
うつくしと、おもへりけらし、わするなと、むすびしひもの、とくらくおもへば
篇の字はへんの音故へにけらしと讀める歟。ひとへと通音なれば、はひふへ同音通をもて、思ふに共讀べし。には、んと云詞故へに共、ふに共、ひに共、讀まん事苦しかるまじ。我をうつくしみ思ふらし、結びし紐の故も無く解くるを思へばと也。思へりけらし共讀べし。へんはへり也
2559 昨日見而今日社間吾妹兒之幾許繼手見卷欲毛
(266)きのふみて、けふこそへだて、わぎもこが、こゝたくつぎて、見まくほりかも
只今日一日隔てつるに、妹がこゝたくも見まほしきと也。間の字、あひだと讀ませたれど、あひだと讀みては、歌の意聞えかねる也。へだつると讀む字なれば、へだてと讀べき也
2560 人毛無古郷爾有人乎愍久也君之戀爾令死
人もなく、ふりにしさとに、ある人を、めくゝや君が、こひにしなしむ
人も無くとは誰訪ふ人も無く、又見咎むる人目も無き古里にと云意なるべし。有人とは我をさして云へる歟。かくものふりたる處にある人を、哀れや君が訪ひ來もせずして、遂には死なしめんとの意と聞ゆる也。めくゝやは、あはれやと我から歎きたる詞と聞ゆる也。諸抄の説色々心得難き注あれ共聞得難し。何とぞ外に聞き樣もあらんか。後案を待つ歌也
2561 人事之繁間守而相十方八反吾上爾事之將繁
ひとごとの、しげきまもりて、あへりとも、やへわがうへに、ことのしげけん
人の云ひ騷ぐをも忍びて、其ひまをもりて逢ふ共、彌人に云ひ騷がされんと也。八反吾上と云詞は、穩かならねど、諸抄も八重の意、彌の意に釋し來れば、先づ其意に從ふ也
2562 里人之言縁妻乎荒垣之外也吾將見惡有名國
さとびとの、いひよるつまを、あらがきの、とにやわが見む、にくからなくに
里人の云ひよるは、誰々も心を通じて戀求むるの意也。云ひ寄りて妻と戀求るの義を、いひよるとは云へり。ことよせとは心得難き詞也。其誰々も云ひ寄るから、我も思入りて戀慕ひても、よそにや我見ん憎からぬものと也。又の意は誰々も云ひ寄る人なれば、我とてもよそにや見ん、憎からねば我も云ひ寄るとの意にも聞ゆる也
2563 他眼守君之隨爾余共爾夙興乍裳裾所沾
(267)ひとめもる、せこがまにまに、われむたに、つとにおきつゝ、ものすそぬれぬ
此歌の表の意は、人目を守るから君がとく起きて、歸るその君に從ひて見送るから、裳の裾の朝露などに沾れたるとの意也。然共下の意は物に寄せてふまへて詠める歌也。さなくては裳の裾沾れぬと詠める意不v通也。是は田夫の事にしなして詠める歌也。先づ人目守とは田に水をはせ入る樋を止めて、其水を守るとて夫のとく起きて行くに、我も田に從ひ行きて、裳の裾の沾れたると云義也。共の字をむたと讀む。此歌にてもむたと讀みて叶へり。むたはもた也。われもたにと云に詠みなしたる也。如v此のふまへ有故、裳の裾の沾れたるとは詠める也。さなくては此裳の裾は、何にて沾れたらんや。言葉を入れて朝露などにて沾れたると、無理に釋せるは詞に見えぬ義也。當集の格如v此の歌多き事也。ケ樣にふまへて詠める歌ならでは、實の歌とは云はれぬ也。古詠は皆かくの如きのふまへをもつて詠める也
2564 夜干玉之妹之黒髪今夜毛加吾無床爾靡而宿良武
ぬばたまの、いもがくろかみ、こよひもか、われなきとこに、靡てぬらん
能聞えて哀れなる歌也。此歌も、靡てはしなひてと讀みて能叶ふ也
2565 花細葦垣越爾直一目相視之兒故千遍嘆津
はなぐはし、あしがきごしに、たゞ一め、あひみしこゆゑ、ちへになげきつ
はなぐはしは葦の花をかぐはしと賞めたる意、又女子をも賞めたる意、兩樣にかけて詠めると聞ゆる也。一目と詠める故、下に千遍にと詠める、古詠は此格を離るゝ事無し。歌の意は能く聞えたり
2566 色出而戀者人見而應知情中之隱妻波母
いろにいでゝ、こひば人見て、しりぬべし、こゝろのうちの、こもりづまはも
色に出なば人知るべければ、只心の中にのみこめて、思佗ぶる妻かなと歎じたる也。はもとは例の歎息の詞也
(268)2567 相見而者戀名草六跡人者雖云見後爾曾毛戀益家類
あいみては、こひなぐさむと、人はいへど、みてのちにぞも、こひまさりける
人は相見ては慰むと云へど、我はいとゞ戀の増すと也。後の心に比ぶればの歌の意也
2568 凡吾之念者如是許難御門乎退出米也母
おほよそに、われしおもはゞ、かくばかり、かたきみかどを、まかりでめやも
出で難き門をも忍び出づべきや。なほざりならぬ心から、閉ぢ固めたる門戸をも、忍びて思ふ人の方へ出で來れりとの意也
2569 將念其人有哉烏玉之毎夜君之夢西所見
おもひけん、そのひとなれや、ぬばたまの、よごとにきみが、ゆめにしみゆる
我を思ひけん人にあるや、夜毎に我夢にも君が見ゆると也。其人有やとは我を思ふ人にあるやと、其人が夢にも見ゆると也。君とさしたるは夢に見ゆる人をさして也。思ひけんとは、我思ひけん人なれやと云事にも聞ゆる也。後案すべし
或本歌云夜晝不云吾戀渡 此或本の下の句は上の句にかけあひ難からんか。上に思ひけんと詠みて、夜晝わかずわが戀渡るとは、かけ合はぬ下の句に聞ゆる也。夢に見ゆると云にて、上の句の意通ずる也
2570 如是耳戀者可死足乳根之母毛告都不止通爲
かくばかり、こひばしぬべし、たらちねの、はゝにもつげつ、やまずかよはせ
母にもつげつは告げての意か。さなくては上の句のかく計り戀ば死ぬべしと詠める意に不v合歟。然れ共かく計り戀佗びては、命もつゞき難かれば、今は包みかねて母にも知らしめたれば、許したる儘止まず通へとの意か。何れにても聞ゆる也
2571 大夫波友之驂爾名草溢心毛將有我衣苦寸
ますらをは、ともの驂に、なぐさむる、こゝろもあらん、われぞくるしき
(269)此驂の字假名本にはぞめきにと讀ませたれど、此字をさ讀べき字義未v考。又ぞめきと云詞歌詞に有事を聞かず。日本紀にざわめくと云事は見えたれど、ぞめきと云言葉何を云事にや。ざわめくの音通音故云たる事歟。然れ共語例詞此歌の外不v聞詞殊に驂の字をぞめきとはいかなる義有て讀ませる歟。諸抄にも其字義を不v注。尤騷驟と云字の誤りにて、さわぐと讀めるか。此一首の詞より後世の歌學者流萬葉の詞とてよめるは、いと片腹いたき事也。騷驟の誤字にても、さわぎと云詞此所に叶へり共不v聞。何とぞ別訓もあらんか。全體の歌の意は、男の子は己がどちの交らへに、心も慰み紛れてあらんづれど、われは女子の甲斐なき心故、獨りのみ戀わび思ひ慕ひて苦むとの意也。飽かぬ中など故有りて引分けられし女の、詠める歌なるべし
2572 僞毛似付曾爲何時從鹿不見人戀爾人之死爲
いつはりも、につきてぞする、いづくにか、みぬひとこふに、ひとのしにせし
僞りも似つこらしき事にこそするものなるに、未だ見もせぬに戀死ぬると有は空事にこそ、見もせぬ人を戀ひて死ぬると云へる事いづ方にやあると、人の戀慕ひ命も絶ゆる抔、云よこしたるに返せる歌と聞ゆる也。何時從鹿をいづくにかと讀事少心得難し。いづくならば時の字は處の字歟。何時の二字をいつとは讀み來れり。いづこ、いづく、とは所の字無くては義當らず。此歌の意はいづくにても聞ゆれ共、字義合ひ難き也
2573 情左倍奉有君爾何物乎鴨不云言此跡吾將竊食
こゝろさへ、奉有君に、なにをかも、いはでいひしと、われ將竊食
歌の意は大方聞えて、心さへ君に任せたれば、何事をか僞りて契りし詞をたがへんやと云意と聞ゆれど、奉の字をまたすと讀み、竊食の二字をぬすまはんと讀める義、詞共に心得難し。またすは奉の字、たてまつると讀む字にて、古語にもまたすと云事あれば、君に捧げ奉れると云事を、またす共云たるならん。ぬすまはんと云事、いかに共歌詞とも聞えず。何とぞ別訓あらん歟
2574 面忘太爾毛得爲也登手握而雖打不寒戀之奴
おもわすれ、だにもえすやと、たにぎりて、うでどもこりず、こひのやつこは
(270)おも忘れだにもえすやと、珍しき詞也。前に面忘いかなる人のするものぞと詠める意と同じく、我と我を諫めて面忘れをえてするやと、拳をもて人を打つ如く、我心を諫め制すれど、中々其しるし無く、ひたと思ひの不v止事を、戀の奴とは卑しめて詠めり。當集に多き詞にて、戀の奴とは、身に添ふて放れぬものは戀と云もの故、奴と云ひ又我身の使はるゝもの故、我身をさして云抔説々あれど、只戀と云義を卑めてかく詠める也。奴と云義に義理は無き事也。日本紀にては、賤賤の二字をいやしきやつこ共讀ませたり。制し諫めても其しるし無き故、卑しき者の恥をも知らず、義理をもえ辨へぬ事に譬へて、奴とは云へる也。不寒の字をこりずとは不v懲の意也。寒には水凝りて氷となる、其義をとりて義訓せる也
2575 希將見君乎見常衣左手之執弓方之眉根掻禮
まれに見む、きみを見むとぞ、ひだりての、ゆみとるかたの、まゆねかきつれ
まゆ根かゝるれは、稀れ/\に見る君を見んとの前表にや、まゆ根のかゝるゝと也。戀慕ふ餘り諺の事をも心にかけて、思ふ意を顯はせり
2576 人間守蘆垣越爾吾妹子乎相見之柄二事曾左太多寸
ひとまもる、あしがきごしに、わぎもこを、あひみしからに、ことぞさたおほき
人間守蘆垣 此五文字兩義あり。人の守る蘆垣と見る義、又人目の間を守りて蘆垣越しにと見る義、何れをとるべき歟未v決。愚意は人目の間を守りてと云義に心よれり
左太多寸 此詞は珍しき詞なれ共、さたと云詞は古語と聞ゆる也。此卷の奥にも、おきつなみ邊なみのきよるさたの浦の此左太すぎてのちこひん八方と詠みて、さたと云古語有と聞えたり。今云沙汰の字は音借書にて字義によれる事にはあらず。其さたと云事姿模樣形の事を云たる義と聞ゆる也。語釋は其なり姿と云略語なるべし。畢竟今云沙汰の詞に能叶ひたるこゝの歌の意也。云ひはやす事と聞えたり。蘆垣越しに相見し故、其事洩れ知れて、世に其有樣の事を、云ひはやすと云義也。今は歌詞には珍しき詞也。古くは云ひ來れるから、當集に二首迄然も地名をよそへ詠めるなれば、全く古語と聞ゆる也
(271)2577 今谷毛目莫令乏不相見而將戀年月久家眞國
いまだにも、めなとぼしめそ、あひみずて、こひんとしつき、ひさしけなくに
此歌の意とくと聞え難し。諸抄の説は、今も目に見る事をさのみともほしますな。まみゆる事を厭はず共めでしめよ、かく逢ふ事無くては戀佗びて、我は死なん程の年月も久しくも有まじきに、さのみ目にだに見る事を、ともほさしめそと云意と釋せり。今だにもと詠める意先づ聞き得られず。目なともしみそと云意も、諸抄の意とは裏腹に聞ゆる也。今もさのみ見る事をともしがるな。やがて逢はん程にと云意に間ゆる歌也。今相見る事もさのみともしがるな。逢はずして戀佗びん事は、さのみ久しかるまじと云意に聞ゆる也。然共、今だにもと詠める意、しかと聞得られねば不2打着1也。尚後賢の案を待つ也
2578 朝宿髪吾者不梳愛君之手枕觸義之鬼尾
あさねがみ、われはけづらじ、うつくしき、きみがたまくら、ふれにしものを
うつくしきは、わがいとしみ愛する人の枕に觸れし髪なれば、其ゆかりのゝかん事を厭ひて、髪をもけづらじと也
2579 早去而何時君乎相見等念之情今曾水葱少熱
はやゆきて、いつしかきみを、あひみむと、おもひしこゝろ、いまぞなきぬる
此歌は思ふ事成りて、戀佗びし人に逢へる時詠める歌と聞えたり。歌の意は、能聞えたり。水葱、少熱は皆借訓書也。なぎはあらびすゝみたる心の、やみやはらぎたる義也。をさまり靜まりたる事を云也。少熱と書きてぬると讀は義訓也。湯などのとくとわき熱せぬをも云言葉也。又少兒など少し熱あるを、おぬる有抔俗語にも云ひ來れり
2580 面形之忘戸在者小豆鳴男士物屋戀乍將居
おもかげの、わするとならば、あぢきなき、をのこじものや、こひつゝをらん
あぢき無くは、詮方も無く物苦しくと云義也。文選古詩には、無爲と書きて、あぢきなくと假名を付たり。神代上、素神のしわ(272)ざよろしからせられぬを、汝甚無道と書ていましははなはだあぢきなしと假名を付たり。相當れる訓義ならんか。此歌にては詮方もなく物苦しく氣の毒なる事を云意也。歌の意は、思ふ人の面影さへ忘られば、物苦しく男の子たる者の、戀佗びてやをらんと也。面影の忘られば戀ひつゝはをるまじけれど、其面影のいかに共忘れ難くて、戀侘びをるとの歌と聞ゆる也。をのこじものやと、上にて疑ひのやを云ひたれば、面影の忘られたらんには、などかく戀をらんやと云意に見ゆる也。をのこじものやは、をのこたるものと云意也。或抄におもなりと讀べきと注したれど、おもなりと云詞聞不v覺詞なれば、面影の方然るべし
2581 言云者三三二田八酢四小九毛心中二我念羽奈九二
ことにいへば、みゝにたやすし、すくなくも、こゝろのうちに、わがおもはなくに
言葉に顯し云へば、安く耳には聞ゆべけれど、わが心中に思ふは、中々深きと云意也。言葉に顯して云ごときの義にては無き、心の中は深く大いに思ふとの意也。珍しく字ならぴを書ける也。當集にかくの如き風流の書樣共、前にも後にも有也
2582 小豆奈九何枉言今更小童言爲流老人二四手
あぢきなく、などまがごとを、いまさらに、わらはごとする、おいびとにして
まがごとは、横逆の事と云にはあらず。たはごと抔云意にて、なすべき事にあらで、不相應なる事と云の意也。よこしま曲りたる事と云意にはあるべからず。實事にあらぬ事と云と同じ意也。畢竟年たけても戀路に溺れて、童べのする如きの事を、物苦しくするとの義也。印本等には何のまが事と讀ませたれど、何のまが事と讀みては義不v通。何とて年長てもかく小童の如くなる、仇事のまが事をかするぞと、我と身を咎めたる歌なれば、などとかなぞとか讀べき也。下の童べ事と云も、童べの如と云意と聞ゆる也。既に上に何まがごとと詠みて、又童べ事と云ても二重に聞ゆる也。尚後案すべし
2583 相見而幾久毛不有爾如年月所思可聞
あひみては、いくひさしくも、あらなくに、としつきのごと、所思可聞
相見しお事はさのみ久しくもあらざるに、年月を隔てたる樣に、慕はしく戀しきと也。能聞えたる歌也
(273)2584 大夫登念有吾乎如是許令戀波小可者在來
此歌、小可の二字いかに共讀み難し。諸抄の注の如く讀みて、此歌の意聞えたり共不v覺也。歌の意大夫と我から思へる我なるに、如v此戀に惑はしむるはと云意也。小可の二字にて、上の句の意を聞えさせしめる詞也。宜《ウベ》とはと叶ひたる樣なれど、全體の歌に不v合故、いかに共聞えず。後案すべき也。諸抄の説は我は大夫と高慢をもせしが、實に大夫ならぬ底意を知りて、かく戀佗びさせしむるは、尤にぞ有けると云の意と也。六ケ敷説也
2585 如是爲乍吾待印有鴨世人皆乃常不在國
かくしつゝ、わがまつしるし、あらんかも、世のひとみなの、つねならなくに
此歌の意も聞きまがふ處有て、二義に聞ゆる也。かく計りわがあやなくに、待つに驗しも有て、思ふ人に逢はんかも、世の中の人にては常に其驗しも無きから、いかゞあらんやと云意共聞え、又我は世の人なみにて無く、待事の至りて切なれば、其驗しもあらんかと云意歟。世の人皆のと云言葉心得難き詞也。悉皆と書きてさながらと讀ませたれば、世の人からのと讀まんか。からのと讀みては、世の人なみの事にはあらぬにと云意に聞ゆる也
2586 人事茂君玉梓之使不遣忘跡思名
ひとごとの、しげくてきみに、たまづさの、つかひもやらず、わするともふな
聞えたる通の意也
2587 大原古郷妹置吾稻金津夢所見乞
おほはらの、ふりにしさとに、いもをおきて、われいねかねつ、ゆめにみえこそ
寐ねかぬるから夢にも見ねば、せめて夢になり共見えこせと也。此大原は大和の大原なるべし。大原のふりにしと續く事は、原は荒廢の所なるものからかく詠めるなるべし
(274)2588 夕去者公來座跡待夜之名凝衣今宿不勝爲
ゆふされば、きみきますやと、まちしよの、なごりぞいまも、いねがてにする
夕になれば待人の來るやと待ちし名殘有て、今逢ふ夜にも寐ねかねぬるとの意也。今と詠めるは逢ふ夜をさして、待たぬ夜の事をいへる也
2589 不相思公者在良思黒玉夢不見受旱宿跡
あひおもはず、きみはますらし、ぬばたまの、ゆめにもみえず、うけひてぬれど
うけひてぬれどは、夢になり共見よかしと祈てぬれ共、先に思はぬから夢にも見ぬと也
2590 石根蹈夜道不行念跡妹依者忍金津毛
いはねふみ、よみちはゆかじと、おもへども、いもによりては、しのびかねつも
身を顧みていはねさかしき夜の道は、恐れて行かじと思ひやみても、戀しさの忍ばれずてやみて居られぬと也
2591 人事茂間守跡不相在終八子等爾忘南
ひとごとの、しげきまもると、あはざらば、つひにはこらが、おもわすれなん
人言の繁き間を守りて、時を窺ひて、かく逢事の隔たらば、終には我面をも忘れて、逢事は有まじきと也。面忘れなんとは、女の方より我を忘れんかと歎きたる也
2592 戀死後何爲吾命生日社見幕欲爲禮
こひしなん、のちはなにせん、わがいのち、いける日にこそ、みまくほりすれ
能聞えたる歌也。此歌拾遺集にも載せられたり
2593 敷細枕動而宿不所寝物念此夕急明鴨
(275)しきたへの、まくらうごきて、いねられず、ものもふこよひ、とくあけんかも
物思ひにいのねらねば、夜の早く明けよかしと也。宿不所寢と書きても、宿はいと讀み、寢はねと讀む也。一字にても濟む字なれど如v此書ける類當集にいか程も見えたり
2594 不往吾來跡可夜門不閉※[立心偏+可]怜吾妹子待筒在
ゆかぬわを、くとかよるとも、さゝずして、あはれわぎもが、まちつゝあらむ
あはれは悲しみ思遣りたる意也。嘆息の詞故歎き悲むの歌へも通じ、面白き方へも通ふ詞也
2595 夢谷何鴨不所見雖所見吾鴨迷戀茂爾
ゆめにだに、などかもみえぬ、見ゆれども、われかもまどふ、こひのしげきに
などか夢にも見えざる。されど見えても戀佗ぶる餘りに、それ共思ほへず迷ふかもと我と心をあやぷめる意也。戀に迷ふ心の切なるをかく愚しく詠める也
2596 名草漏心莫二如是耳戀也度月日殊
なぐさむる、こゝろはなしに、かくしのみ、こひやわたらん、よるひるごとに
月日殊を諸抄印本の説は、月に日にけにと讀みたれど、當家の傳は此詞不v濟故、殊には毎にの意に見置也。けにとは優れたる事を云詞に用ゆれ共、此所に優れたる意も不v合ば、夜晝毎にと云意、毎夜毎日の意に見る也。歌の意は能聞えたる也
或本歌云奥津浪敷而耳八方戀度奈武 一本にはかく有て、下の句の意沖つ浪の隙間無く寄り來る如く、忘るゝ間も無く、戀ひやわたらんとの意也。異本の下の句勝れるならんか
2597 何爲而忘物吾妹子丹戀益跡所忘莫苦二
なにをして、わすれんものか、わぎもこに、こひはまされど、わすられなくに
(276)能聞えたる歌也
2598 遠有跡公衣戀流玉桙乃里人皆爾吾戀八方
とほかれど、きみをぞこふる、玉桙の、さとびとみなに、われこひめやも
此歌諸抄の説は、遠き所に居ませど君をのみぞ戀ふる、近きとて里人をおしなみに我戀ひんや、君をこそ戀慕へとの意と注せり。さもあらん歟。宗師案は、遠くありとと讀みて、隔てたる樣に戀ふとの意と見るべしとなれど、愚意不v落。下の里人みなにと詠めるは、遠けれ共君をぞ戀ふと云義安かるべし。扨玉桙の里と云事心得難し。是は玉梓さととつゞけたるならんか。つさのさと受けたる處も歌也。さて又繼體紀に、桑梓と書きて、もとつくにと讀ませたる事あれば、古里と云意にて、玉づさの里人みなと云事ならんか。成務紀に、五年秋九月、令2諸國1以國郡立2造長1〔縣邑置2稻置1並〕賜2楯矛1以爲v表。とあれば、玉桙の道とも云ひ里とも云たるかとの説有。又行程を一里二里と云から、玉桙の道と續けたるを略して、道の事によりたる義を云へるかとの説もあれど、里と續く詞は玉づさの里とうけたる義と聞ゆる也。里人みなにとは、里人ごとにと云義也。是にて上の遠かれどと詠出たると聞ゆる也
2599 驗無戀毛爲鹿暮去者人之手枕而將寐兒故
しるしなき、こひをもするか、暮されば、ひとのてまきて、ぬらんこゆゑに
しるしなきとは、かく戀ひても其の甲斐も無きとの意也。何とぞ別訓もあらんか。人の手まきては、押並て終には人の妻とならん兒故にと云義也。我に馴れて、又異心有て他人にと云意にはあらず。惣じての人の手まきてと云の意也
2600 百世下千代下生有目八方吾念妹乎置嘆
もゝよしも、ちよしもいきて、あらめやも、わがもふいもを、おきてなげかん
此歌諸抄の意は、とても生果てぬ世に何ぞ世を憚らんや。わが思ふ妹を据置て世を嘆かんと云意と注せり。然れば生きてあらめやもと云意はあらんや、あり果てぬものをと云意に見たる説也。愚案は、百代も千代も妹を置きて、相共にうつくしみ歎(277)かんと云意に見る也。嘆は愛嘆するの歎き、憐み喜ぶの歎きにて、百代も千代も生きてあらん妹を置て、楽み歎かんと云意に聞ゆる也。後賢の人辨ふべし
2601 現毛夢毛吾者不思寸振有公爾此間將會十羽
うつゝにも、ゆめにもわれは、おもはざりき、ふりたるきみに、此間將會とは
ふりたる君とは、中絶して年ふりたる君と云意也と注し來れり。珍しき詞也。何とぞ別訓もあらんか。端無くふりたる君と出たる詞心得難し。此間將會をこゝに逢はんと讀めるも心得難し。こゝと指す所上に据ゑずして、フツと出たる樣也。しまと音に讀めるにやあらん
2602 黒髪白髪左右跡結大王心一乎今解目八方
くろかみの、しらかみまでと、結大王、こゝろひとつを、いまとかめやも
此歌の意は、直に白髪になる迄變るまじと契り交はせし心を、今更解きかへんや。其契り結べる事は、解かれまじきと云意の歌と聞ゆる也。心一乎と云も、上に結ぶと云詞によりてか。紐緒を結び付るものを心と云也。糸によるものならなくに別路の心細くも抔詠めるも、此縁又荷前のはこの荷の緒にも妹が心など詠めるも、故有て詠める事なれば、此歌抔も其心有て詠めるか。されど結大王の三字、いかに共印本諸抄の通にては心得難し。結の字は、ちぎりと讀ませたる歟。大王の二字、きみと讀みては餘り急迫なる詞也。前にも此詞有しを、宗師案ありてすまるべきと讀みたり。こゝはさは讀み難し。すまるべきと讀める意も未v詳共、すはる星と云もの有。玉を多く集めて括りたる如くに、一所に集れる星有。それに譬へて義訓せる歟と見て、其歌の義に叶へば可v住と云意に讀みたれど、此歌にては又合はず。愚案は、若し大玉大留の字の誤りたる歟。然らば結びたるとか契りたるとか讀みて、此歌の義通也。諸抄の通りに結ぶきみと讀みて、一通の意は聞ゆれ共、いかに共心得難し
2603 心乎之君爾奉跡念有者縱比來者戀乍乎將有
こゝろをし、君に奉跡、おもへれば、よしこのごろは、こひつゝかあらん
(278)前にこゝろさへ奉有きみにと詠めり。心をも君に任すと思へば、よしや戀佗ぶる事も君故かく苦しむものをと思ひ諦めて、戀佗ぶる事も苦むまじきとの意也。逢事のまゝならで、如v此戀慕ふ事も、君からと思ひ直してあらんとの意也。乎の字、をと讀める方よからんや、かと讀める義よからんや、愚意は歟と讀方然るべしと見る也。いかにとなれば字餘りの言葉をわざと初語を入るべき樣無し。戀つゝあらんにて聞えたるに、をあらんとは無益の初語なるべし。戀ひつゝかと云ひては、未だ戀ひつゝ有るに決せざる意、歌の意も穩かならんか。尚後賢を待つ也
2604 念出而哭者雖泣灼然人之可知嘆爲勿謹
おもひいでて、ねにはなくとも、いちじるく、ひとのしるべく、なげきすなゆめ
たとひ音には泣く共それ顯れん、歎きなすなと沈く慎みたる意也。ゆめは新めと云義也。つとめつゝしめと云義を約めて云ひたる也
2605 玉桙之道去夫利爾不思妹乎相見而戀比鴨
たまぼこの、みちゆきぶりに、おもはずに、いもをあひみて、こふるころかも
能聞えたる歌也。道ゆきぶりは道行振舞に也。振はわざと云意と同じ。道を行くとての意也
2606 人目多常如是耳志侯者何時吾不戀將有
ひとめおほみ、つねかくのみし、またませば、いづれのときか、われこひざらん
人目多くて、常住不斷にかく計りいつか相見んと、時節を待ちゐてはいつの時に戀佗びずてあらん。我は一日も戀ひぬ時は無きとの意也。志侯者の三字別訓有て讀ませたるか。先づ諸抄の説如v此なれば其義に從ふ也
2607 敷細之衣手可禮天吾乎待登在濫子等者面影爾見
しきたへの、ころもでかれて、わをまつと、あるらんこらは、おもかげに見ゆ
ころもでかれては、中絶えて別れ放れたる義也。我を待つとにやあらん、其子等の面影に見ゆると也。假名にはありけんとあ(279)れど、濫の字なればらんとは讀めど、監の字を誤りたる歟。歌の意はありけんと云方に聞ゆる也。あるらんは打ち付たる意、有けんはあるにてやありけんと云意にて未だ不v決詞也。此歌の意は未だ治定せぬ意に聞ゆる也
2608 妹之袖別之日從白細乃衣片敷戀管曾寐留
いもがそで、わかれしひより、しろたへの、ころもかたしき、こひつゝぞぬる
逢ふて別れし後の歌也。片敷は獨りのみぬるの意也。よく聞えたる歌也
2609 白細之袖者間結奴我妹子我家當乎不止振四二
しろたへの、そではまよひぬ、わぎもこが、いへのあたりを、やまずふりしに
まよひぬとは、糸のよりやれたる事を云也。第六卷の歌に、かたのまよひと詠める處に注せり。亂の字をも讀ませたり。和名抄云、〔※[糸+比]【万與布、一云與流】繪欲v壞也〕此歌の意は、戀慕ふ妹が邊りを相見る事もあらんかと、袖振りありきし故、やれ迷ひたる也。袖のそこねしと云意也
2610 夜干玉之吾黒髪乎引奴良思亂而反戀度鴨
ぬばたまの、わがくろかみを、ひきぬらし、みだれ而反、こひわたるかも
我黒髪を、思ふ人が引きたるやらんと云説も有。又引まどはして思亂て戀ふと云義とも釋せり。第二卷に、たけばぬれと詠み、第十四卷に、いはゐつらひかばぬる/\とも詠みて、惑ふ事をぬるぬれと詠めば、いか樣にも引まどはしの義なるべし。畢竟心の亂れて戀佗る事をよそへて云へる歌也。然るに亂而反の字、いかに共心得難き讀樣也。何とぞ別訓有べし。亂れてかへりと云事は、つゞかぬ詞也。反の宇耳の字の誤りたる歟。然らば亂れてのみぞと讀みてよく聞ゆる也
2611 今更君之手枕卷宿米也吾紐緒乃解都追本名
いまさらに、きみがたまくら、まきねめや、わがひものをの、とけつゝもとな
今更にとは、一度別れし人に又逢はんとや、わが紐の緒の解きもせぬに、獨り解くるは前表にやと、もだしてもあられねとの意(280)也。紐の緒と詠める義少心得難し。只紐の事なるべきか。又古代の紐と云ものは、今時云凡べての紐とは違て、紐に又結び合はする緒など有し故かく詠める歟。追而可v考也
2612 白細布乃袖觸而夜吾背子爾吾戀落波止時裳無
しろたへの、そでをふれてや、わがせこに、わがこふらくは、やむときもなき
袖をも觸れぬに、などかくも戀佗るの事の止まざるやと云意也
2613 夕卜爾毛占爾毛告有今夜谷不來君乎何時將待
ゆふけにも、うらにものれる、こよひだに、きまさぬきみを、いつとかまたん
よく聞えたる歌也。うらかたにも今宵來まさんとのりしに、來らぬ人なれば、もはや絶えても來まさぬにや。いつ來ます事のあらんやと恨み歎ける也
萬葉童蒙抄 卷第三十終
(281)萬葉童蒙抄 卷第三十一
2614 眉根掻下言借見思有爾去家人乎相見鶴鴨
まゆねかき、したいぶかしみ、おもへるに、いにしへびとを、あひみつるかも
思ふ人にあはんとては、眉根のかゆき事有と昔の諺に云習はせり。依て覺束なく不審の意に思へりしが、思ひもよらず昔あひて中絶えたる人にあひて、悦べる歌也。いにしへ人とは別れし人と云意なるべし。但或本の歌の意を引合て見れば、久敷戀古したる人と云義にも聞ゆる也
或本歌曰眉根掻誰乎香將見跡思乍氣長戀之妹爾相鴨
まゆねかき、たれをかみんと、おもひつつ、けながくこひし、いもにあへるかも。眉根のかゆかりし故、眉根をかきて誰れにか逢ひもやすると、いぶかしく思へるに、久敷思佗びし人にあへると也。此或説の歌によりて見れば、いにしへ人と本集によめるも、久敷思ひ戀し人と云事に聞ゆる也
一書歌曰眉根掻下伊布可之美念有之妹之容儀乎今日見都流香裳
まゆねかき、したいぶかしみ、おもへりし、いもがすがたを、けふ見つるかも。此或書の歌は少心違たり。下いぶかしみ思へりしと云義を、兩方へかけてよめる意に聞ゆる也。眉根をかきて如何なる人にか逢はんやと、いぶか敷思ひしと、又日頃見まほしくいかなる姿ならんと音にのみ聞きて、戀居たる女の姿を今日見つると、いぶかしみを、上と下へかけて詠める意に聞ゆる也。一本と有と、一書と有は同じ意なれ共、若し此二首は此集の異本にては別の歌集に有しを所見にて、同歌の意に見て、古注者の載せたる歟。眉根かきいぶかしと云義の類歌と擧たる意歟
2615 敷栲乃枕卷而妹與吾寐夜者無而年曾經來
(282)しきたへの、まくらをまきて、いもとわれ、ぬるよはなくて、としぞへにける
よく聞えたる歌也
2616 奥山之眞木之板戸乎音速見妹之當乃霜上爾宿奴
おくやまの、まきのいたどを、おとはやみ、いもがあたりの、しものへにねぬ
此歌の上の句いかに共聞得難し。諸抄の説皆かくの如く讀たり。歌の意は板戸をあくる音のとく聞ゆる故、え内へも入らで妹があたりの霜の上にいねしとの義と注せり。又一説板戸をさしたる音の早く聞えたる故、忍びて行たれど、も早や板戸をさせる故、内へもえ入らで外にいねしとの義と釋せり。いかに共聞得難き歌也。然れ共外に今案も未だ不v出ば、先後案に遺す也
2617 足日木能山櫻戸乎開置而吾待君乎誰留流
あしひきの、やまざくらどを、あけおきて、わがまつきみを、たれかとどむる
戸をあけ置きて待居ても、待人の來ざりし故、かく戸まであけて待居るに、誰れ人かさはりて止めけんと恨める也。足曳の山櫻戸、奥山の槙の板戸、皆序に詠出たる也。曾根好忠の歌にも、君待と閨の板戸をあけおきて寒さも知らず冬の夜な夜な
2618 月夜好三妹二相跡直道柄吾者雖來夜其深去來
つきよよみ、いもにあはんと、ただちから、われはくれども、よぞふけにける
ただちからは道よりもせず、回り道無しに直ぐにと云義也。其儘と云意も同じ。よく聞えて別の意も無く字面の通也。
寄物陳思
2619 朝影爾吾身者成辛衣襴之不相而久成者
あさ影に、わがみはなりぬ、からごろも、すそのあはずて、ひさしくなれば
朝影の二字あさかげと讀む義いかに共不v通。何とぞ義有べけれど、其釋未だ不v考。やせ衰へたる事に喩へ云たる義也。唐(283)衣すそのあはぬとは、思ふ人にあふ事の遠ざかりたると云事によせて詠めり。久敷あはぬから、戀わびてあさ影の如くやせ衰へたると云へる意也。麻形と云義と見置也。俗に瘠たる人をあさがらの如きなど云來れり。此案の外未だ案無ければ決し難し
2620 解衣之思亂而雖戀何如汝之故跡問人毛無
ときぎぬの、おもひみだれて、こふれども、などながゆゑと、とふひともなき
解衣は亂れてと云はん序也。などは隔句の意に見るべし。なんぢ故となど問人の無きと云意也。汝とは思ひわぶる人を指して也
2621 摺衣著有跡夢見津寤者孰人之言可將繁
すりごろも、きるとゆめみつ、うつつには、いづれの人の、ことかしげけん
摺衣を著るとは、思ふ人に逢ふたる事を云へる義か。紫の根する衣下に着てなど、人に逢ふ事に詠める歌あれば、人に逢ふたると夢みたると云義を、摺衣きると讀めるか。さ無くては、さめてのうつつには、誰れ人の事か繁からんと云へる下の意不v通。思ふ人忍ぶ人に逢ふと夢見しが、うつつには何れの人か云騷がされんとよめる意と聞ゆる也。諸抄の説はまちまちにして難2信用1也
2622 志賀乃白水郎之鹽燒衣雖穢戀云物者忘金津毛
しがのあまの、しほやきごろも、なれぬれど、こひてふものは、わすれかねつも
此歌も説説ありて見樣まちまち也。一説は我身のふり行事を、鹽燒衣の着ならしたるに譬へ、又鹽燒衣は只なるれどもと云はん爲にて、なるる萬のもの、身はならはしの物なれど、戀と云事計りは慣れても忘れ難きと詠める心かと注せり。又の説、未v逢程は相馴れなば、戀をも忘れんと思ひしに、なるるに隨ひても戀と云ふものは、忘られぬとの意と見る説有。何れ共決し難し。好む所に從ふべし。此しがの白水郎は筑前の志賀也
(284)2623 呉藍之八鹽乃衣朝旦穢者雖爲益希將見裳
くれなゐの、やしほのころも、あさなあさな、なれはすれども、いやめづらしも
前の歌のなれると云と同じく、ただなるれ共飽かず珍しと云はんとて、紅の八鹽とも詠出たり。相思ふ人は何程なれても飽かず珍しきとの意也。然るに希將見裳の四字を珍しもと詠める意未v考。兄の字誤字ならんか。追而可v考也。
2624 紅乃深染衣色深集鹿齒蚊遣不得鶴
くれなあの、こそめのころも、いろふかく、そめにしかはか、わすれかねつる
こそめ、こく染めたると云義と釋し來れり。こは初語とも聞ゆれ共、強て論ずべき事にもあらず。兩義にて通ずる事也。前の歌の意と同じ意の歌也
2625 不相爾夕卜乎問常幣爾置爾吾衣手者又曾可續
あはなくに、ゆふげをとふと、ぬさにおくに、わがころもでは、またぞつぐべき
あはぬ故いつか逢べきと、夕べ夕べ占をとふ神に手向くる幣に我袖をきりて奉れば、跡よりはつぎつぎするとの義也。又ぞつぐべきと云にて、あはで程ふるからひたもの夕卜をすると云義を知らしめたり
2626 古衣打棄人者秋風之立來時爾物念物其
ふるごろも、打ちすつひとは、あきかぜの、たちくるときに、ものもふものぞ
年ふりたりとて打捨たる人は、物悲しき時に思ひ出て慕ひ思ふものぞと云義を、衣の古くなれしとて捨たる人は、秋風の凉しき時になりて、衣を戀ふものなるに譬へよせたり。うちすつは思ひ捨つるの義也。古今集に素性法師
秋風の身に寒ければつれもなき人をぞ頼むくるる夜毎に
此歌の意は同じきに似て違へり
(285)2627 波禰蘰今爲妹之浦若見咲見慍見著四紐解
はねかづら、いまするいもが、うらわかみ、ゑみみうらみみ、いてしひもとく
花かづら也。なにぬねの通音故、はなともはねとも云。さねかづらをさなかづらとも云へり。今するとは始而簪をする時、※[草冠/縵]をも著そめるなるべし。又年若き女子なれば、心の定まれるにもあらず。或時は悦び、恨むまじき事をも恨みつくして逢ひもし又隔たりもする事を、きてし紐とくとよせたるなるべし。着てしは花※[草冠/縵]を著るとも云か。さ無くてはつけし紐とくと讀まんか。來ると云義によせて、著て又※[草冠/縵]の紐をとくの意か。上のゑみみ恨みみに對すれば、着て又着たる紐を解くと云意と聞ゆる也。來てしと云歌言葉は不v穩ば、着の字の意に來るの意をこめて詠めるか
2628 去家之倭文旗帶乎結垂孰云人毛君者不益
いにしへの、しづはたおびを、むすびたれ、たれてふひとも、きみにはまさじ
此歌は、誰れと云とも君に勝れる人はあらじと、我思ふ人をほめんと、只上に、しづ旗帶を結びたれとは詠たる也。此等の格古歌の例式也
倭文旗帶 第三卷にも赤人の歌に、古にありけん人のしづはたの帶ときかへてと詠めり。帶の一名と聞ゆる也。日本紀武烈天皇の未だ太子にてましませし時の贈答の歌にも、大王のみ帶のしづはた結びたれと詠めり。然れば一名と聞ゆる也。賤女の械織る時腰にまく帶など云説あれど、右の古詠共を引合て見るべし。帶の一名と聞ゆる也
一書歌古之狹織之帶乎結垂誰之能人毛君爾波不益
いにしへの、さおりのおびを、むすびたれ、たれしのひとも、きみにはまさじ。本集にも一本の歌にも、いにしへのと讀み、前の赤人の歌にも古のと詠めるは、も早や此頃には如v此の帶は織らざりしか。さ織とは、せま織と云事にて、何とぞ狹く織りたる帶の一種ありたるを、賤機帶とも又さ織とも云へるか
誰之能人 たれ人も也。古代はかくの如く助語を入れて歌詞をのべて詠める也。日本紀安閑天皇勾大兄皇子と奉v稱時の御(286)歌にも、此歌の如く誰れと云はん計りに、ささらのみ帶結びたれ誰れやしひとも上に出て歎くと詠ませ給へり
2629 不相友吾波不怨此枕吾等念而枕手左宿座
あはずとも、われはうらみじ、このまくら、われとおもひて、まきてさねませ
逢ふ迄のかたと思ひて卷きて寐よと也。互ひに心だに替らずば恨みじとの意也
2630 結紐解日遠敷細吾木枕蘿生來
むすびひも、とかんひとほみ、しきたへの、わがこまくらに、こけおひにけり
結紐を結ぶ紐と讀ませたれど、つまりたる詞也。ゆひし紐とか、字餘りに、結びし紐と讀むべし。歌の意は、久しく逢はぬ義を云へり。前にも此下の句と同じ歌有。天武紀の結紐長紐の義とは違へり
2631 夜干玉之黒髪色天長夜※[口+立刀]手枕之上爾妹待覽蚊
ぬばたまの、くろかみしきて、ながき夜を、たまくらのへに、いもまつらんか
是は妹が我を、髪をも枕のあたりに打敷て今や來らんかと、長き夜を寐がたに待ちや居らんと思ひやりて、感情を起したる歌也
2632 眞素鏡直二四妹乎不相見者我戀不止年者雖經
ますかがみ、ただにしいもを、あひみずば、わがこひやまじ、としはふるとも
ただにしとは一筋に兎に角妹を見ずば、幾年ふるとも止まじと也。思ひかけし戀を遂げずばおくまじきとの意也
2633 眞十鏡手取持手朝旦見人時禁屋戀之將繁
まそかがみ、てにとりもちて、あさなあさな、みむときさへや、こひのしげけむ
と似たる歌有。見む時さへやは常住なれそひ見ても、戀の茂らんと也。見人の二字にて見むと讀ませたるは、音を上略して書たるか。但し衍字かなるべし。當集中に此歌一首計り也。在るを不v捨して云はば、じんにんの音を上略したると(287)見る也。禁の字はせくとも讀む。制し止めるの義をもて、物にさへるの理にて、言葉の義を取りてさへとは讀ませり
2634 里遠戀和備爾家里眞十鏡面影不去夢所見社
さととほみ、こひわびにけり、まそかがみ、おもかげさらず、ゆめにみえこそ
逢ふ事しげくも成難ければ戀佗びる程に、せめて夢には面影去らず見えこせと也。まそ鏡は面影と見えこそと云縁に詠めり。こそは、おこせ也。此歌は前にも同じ意にて出たれど、句躰少違たる故、再び載せたるか。左注にも其由を注せり
右一首上見柿本朝臣人麻呂之歌中也但以句句相換故載於茲
2635 釼刀身爾佩副流大夫也戀云物乎忍金手武
つるぎたち、みにはきそふる、ますらをや、こひちふものを、しのびかねてん
釼太刀身にはきそふるは、勇猛のたけき武士も、戀といふものには心後れてえ堪かねると云序也。欽明紀に、紀男麿軍中に下知せし語にも此意有。略v之。此歌の手爾波少聞にくき樣なれど、古格ケ樣の歌多し。全躰の歌の意は猛き武士と云へ共、戀にはまけて心弱く忍びかねると云義也
2636 釼刀諸刃之於荷去觸而所殺鴨將死戀管不有者
つるぎたち、もろはのうへに、去ふれて、しにかもしなん、こひつつあらずば
とても戀に死ぬる身ならば、かく思ひをせんよりは、釼の上にふれて、早くも死なんかと也。此歌も前に出たり。前の歌は足ふみてと有
2637 哂鼻乎曾嚔鶴劍刀身副妹之思來下
うちゑみて、はなをぞひつる、つるぎたち、みにそふいもが、おもひけらしも
哂鼻をうち歎きと讀ませたれど、歎くと云義心得難し。玉篇云、哂、式忍切、笑也とありて、鼻ひる時は顔面も笑ふ樣なれば、う(288)ちゑみてと讀べき也。鼻をひれば女にあふと云諺ありしなるべし。眉根かき鼻ひ紐解きなど詠める歌多し。今は俗語に、くさめをすれば、人に譏らると云習はせるも、此遺風にて取違へたる諺となれると聞えたり。歌の意はよく聞えたり
2638 梓弓未之腹野爾鷹田爲君之弓食之將絶跡念甕屋
あづさゆみ、すゑのはら野に、とがりする、せこがゆづるの、たえんとおもへや
末の原野は地名なるべし。諸抄物に三河の名所と注せり。未v考。とがりと云に鷹田と書けるは、鳥の獵には凡て鷹を使ふ故、字を以て義を助たるか。とがりと云は初鷹狩を云。秋、戸屋出の鷹を使ひ初むる狩故、とがりとは云。鷹狩には小鷹狩大鷹狩と云事有。初鷹狩を小鷹狩と心得たる人もあれどさにては無き也。大小は鷹の大小によりて云へる事と見えたり。鳥狩故とがりと云義とも聞ゆれ共、只鷹をさして、とがりとは云也
君之、狩には極めてせこと云もの有。依てせことは讀む也。これをきみがゆづると讀みては歌の意不v聞、六ケ敷也。然れ共君の字をせな、せこ、せと計りも讀む事を不v辨故、諸抄物等きみとならでは不v訓。歌によりてせこと讀までは不v叶義有。既に此歌などせこと讀までは不v通。弓食の食の字を、つると讀む義如何とも不v通。古くは何とぞ叶ふ義ありしか、又字義にも其理ありしか、未v考。若しくは誤宇ならんか。堪へんと思へやは、おもはめや也。前にも注せる如く、思へやと云詞皆心得違ひ有。約言を知らざるから、無理義を付そへて釋せり。此歌の意は上に段段と序を述べて、只たへんと思へやと云はん迄の事也。君と我中、中中絶えんとは思はぬと云義、思はめや絶えはせじと云也。はめの約言へと云事を知らざるから、色々の釋をも注せり。仁徳帝の御歌には、うさゆづるたゆまつがんにと詠ませ給へり。うさゆづるは儲絃と書けり。用意の絃の義と聞えたり。なれば絃を絶え絶ゆるのと云來るは古語也。此歌のは、思ふ中は絶えまじき、絶えんとは思はぬと云歌也、
2639 葛木之其津彦眞弓荒木爾毛憑也君之吾之名告兼
かづらきの、そつひこまゆみ、あらきにも、よらめやきみが、わがなのるかに
此歌たやすくは聞得難き歌也。然れ共勇猛のあらき人も、名をのりて我を思ふとなれば、引かれてよらめや、と靡く心を詠め(289)る歌と聞ゆる也。此歌は何とぞ古事をふみて詠めるかとも覺ゆる也。先葛木の其津彦眞弓とは、弓の強くあらき弓の一名か。そつ彦は、神功皇后紀應神紀履中紀等に見えたる人にて、仁徳天皇之御后磐之姫の父也。勇猛の人故、爲2武將1毎度新羅へも被v遣し人也。襲津彦と書けり。そつ彦ま弓あら木とも云は、強くあらき事を喩へて云へる義と聞えたり。其あらきにもわれよらめやと云義也。吾名告兼、これを吾名つげけんと讀まして、諸抄の説は頼む心のありてや、其名を告げ知らせけむ、末終に頼むまじと思ふ妻には、先名をも聞かせぬが、昔の人の習ひなど云説有。頼む心あるから、打付けに頼みはてんとて、其名をのりしと云へり。同じ樣なる意なれ共、入ほかに六ケ敷説也。宗師は、只先の名をのりて思ふと表せるからは、何程荒き人なりとも寄らめやと見る也。吾名告兼は先の名をのるからに也。かは助語とも見て、のるにと云義共聞ゆる也。あらき人なれ共、名をのりて頼むやと見る説もあれ共心得難し。わがのるかには、君が名を自身とのるにと云意也。少しは疑ひの意をこめて、自ら名をものるからは、われもよらめやと云意と見ゆる也。扨此吾名のるかには、上古は弓射る時、戰場などにても皆自身名を名のりて、矢を發せしと見えたり。其義は日本紀大彦をはじめ、末に至りても、天には知らず國にては、われならずばなど名のりて、勇猛を顯せし事見えたれば、其古事をふまへて、吾名のるとも讀めると聞えたり。さなくては此吾名のると云事端無くてはよみ出べき事にあらず。古詠は皆古事古格をふまへて詠めるもの也
2640 梓弓引見絶見不來者不來來者其其乎奈何不來者來者其乎
あづさゆみ、ひきみゆるべみ、こずばこじ、こばこそをなど、こずばこばそを
此歌の意は見捨てて來ずばこじ。こばくると一方には定まらできもしつ、又こずもして、物を思はせるかななど、何れになり共片づけと云意を詠める也。よりて梓弓引みゆるべみとは云たる也。ひくはあなたへ引て慕はるの意、ゆるべみは離れて遠ざかるの意、引は來る、ゆるべみは不v來の義にかけて云へる也。終の句の、不來ば來ば其乎とは、上の句を返して重て云たる義也。不來ば不來とか、來ばくるとか、そをとなど、別ちを立てぬぞと云事を、重ねて詠める也。讀樣も風流なる詞續き、書樣も風流に書きて言葉足らざる樣なる歌故、聞まがふ樣なれど、別の意無く右釋せる通の義と聞ゆる也。完師の案は、來者其と云(290)を、こばぞそをと讀べしと也。愚意不v落。上に不來ば不來と讀みて、來者ぞとは讀まじく、上の詞に從ひて、こばこと對せし詞と聞ゆる也。今時の歌にても、見も聞に風薫り月に匂へる、かくは讀まず。見も聞も風薫り月さやかなる、如v此は讀む也。上に手爾波字無く、次の詞に手爾波字を用ること、重ね詞には不v用例あれば、此格によらば上に不來ば不來と讀みて、下の次に來ばこそをとはかけ合難からんか。不v來ば不v來、來ばこそをとは連續する樣に聞ゆる也。下にそをなどと云へる詞無くば、下のこばそと云句續きもあらんか。そをなどと引續けて詠めれば、こばこと讀む方聞安き樣也。尚後案すべし
2641 時守之打鳴皷數見者辰爾波成不相毛恠
ときもりの、うちなすつつみ、かぞふれば、ときにはなりぬ、あはぬもあやし
時守は漏刻を守るもの也。陰陽寮の屬官也。令式等に見えたり。追而可2書加1。齊明紀云、〔又皇太子初造2漏刻1、使2民知1v時天智紀云、十年夏四月丁卯朔辛卯、置2漏刻於新臺1始打2候時動鐘皷1、始用2漏刻1云云〕數見者は數へみればとも讀べし。又かぞふればと讀むれの言葉は、見れのれの詞を上略したる也。いつの時こんと約したるに、其時も過れど、來らで逢はぬは怪しく心元無きと也
2642 燈之陰爾蚊蛾欲布虚蝉之妹蛾咲状思面影爾所見
ともしびの、かげにかがよふ、うつせみの、いもがゑまひし、おもかげにみゆ
かがよふは、第六卷かがよふ玉と讀めると同じく、光の事を云へり。かがやくと云意か。空蝉の妹と續くは、うつの身の妹と云義、現在したる妹と云義なれ共、女の飾りに蝉鬢と云物ある、それを兼ねて云へるなるべし。魏文帝の時始て被2作爲1たる物の由云傳たり。燈火の影に輝きたる美はしき、蝉妍たる蛾眉の面影、うつつの目にも立去らで見ゆるとは、戀慕ふ心の餘り、自づから面影も立そふ如くなるべし。慕ふ心の切なるを云へる也
2643 玉戈之道行疲伊奈武思侶敷而毛君乎將見因母鴨
たまぼこの、みちゆきつかれ、いなむしろ、しきても君を、みんよしもかも
(291)いな莚は敷きてと云はん爲の序也。敷きては敷なみなど云意と同じくて、不v絶隙間も無く見む由もかもと云意也。又道行疲れと詠めるは、其方へ行疲れても、不v絶通ひて見む由もかなと云義をこめて也。いな莚の事はいね莚寢莚と云義、又稻莚かはと續く事は、皮革等の意、又は稻の袴にて作る莚と云意か。藁をの稻の皮お云なれば、稻莚かはとはうけたるならん。此處のいな筵は、いね莚にて疲れたるより、いねると云意をうけて、實意は敷きてと云は義を云ん迄の序也
2644 小墾田之板田乃橋之壞者從桁將去莫戀吾妹
をはりだの、いただのはしの、こはれなば、けたよりゆかん
をはりだの これを、をはたたと讀める説、又基俊仲實等の歌にも、拾穗抄に引ける如くをはたたと讀めるは、此歌を讀そこなへるか。八雲には攝津國とあれど、小墾田は大和也。延喜式にも小治田宮とありて、推古天皇の皇居も有。拾遺集にも、をはたたのとありて、末の句をも直して、人丸の歌として載せられたり。當集の歌を直して、後後の集に載せらるる事いかに共心得ぬ事也。歌の意は、をはりたの橋の板は、朽ちておつる共、桁を渡りて行かんと也。橋行とは板をうけるものある也。それを渡りて行かん程に思ひ佗びそと也
2645 宮材引泉之追馬喚犬二立民乃息時無戀渡可聞
みやぎひく、いづみのそまに、たつたみの、やむときもなく、こひわたるかも
宮木引泉の柚杣とは、大内の宮殿を被v造時、材木を伐出して泉河より溯す古事を云へり。第一卷に見えたり。これを始めとして後世宮木引泉の杣とは詠めり。此泉の杣の地跡説説有。大和國和泉國山城國と説説不v決。然れ共これは山城の泉郷の義正説なるべし。第一卷の歌も泉川の義なれば、宮木引とあれば、相樂郡の泉郷の事なるべし。民のゑだちに仕へて不v止如く、戀の止まぬによそへたる也。第一卷の歌と引合て見るべし。民の役に出て吾も吾もとくだちし事に喩へたるなるべし。然れば此歌は、第一卷の歌の時代より後の人の詠めるならん
2646 住吉乃津守網引之浮笑緒乃得干蚊將去戀管不有者
(292)すみのえの、つもりあびきの、うけのをの、うかれかゆかん、こひつつあらずば
住吉、津守、地名也。あびきは網を引には網のうけと云物ある也。うかれと云はん爲の序世。とてもかく戀佗びつつ死なん身ならば、うけのをの如くいづ方へなり共うかれて行かんかと也
2647 東細布從空延越遠見社目言疎良米絶跡間也
よこぐもの、そらになびくを、みてこそは、まことにそらめ、たゆとへだてても
此歌を印本諸抄の説は、横雲の空にひきこすとほみこそまこと疎からめたゆと隔つやと讀めり。かく讀みて歌の意いかに通ずるや、無理に詞を添て解けばいか樣にも云回さるべけれど、歌詞語例句例の無き差別をも不v辨、又歌と云處を不v知から、色色のよせ事をもて無理なる注解をなせり。先ひきこすと云事は、歌に詠める例有や。雲は、立つとか、棚引とか、立渡る、ゐるなど、靡くなど讀む事はあれど、引こすと云詞、集中にも後後の集にも無き詞也。延越の字の儘に讀めるから、かくならでは讀得ざるから、ケ樣の拙き説をなせり。二字をもて義訓に讀べし。よりて靡くとは讀む。遠の字は手爾波のを也。とほみと詠めるもつまりたる詞義も不v通也。歌の意は横雲の空に靡くを見ては絶えぬものなるに、それは絶えぬと見しはそらめ、そなたは絶えんとてかくは隔たり給ふと云意也。東細布と書きて横雲と讀めるも、其体をとりて義訓に讀ませたり。明方の頃東の方に棚引雲は、細き布などを引如くなるを見立てて、かく詠ませたり。此歌尚後案あるべし。先一通はかくの如く也。今少後案すべき處有v之也
延越遠見 四字に別訓義訓未だ有べきか
よこぐものそらになびくを見るこそはまことにそらめたゆとへだつや
かく讀む義もあらんや。此見樣は前の説とは裏腹也。是は先よりかく隔たれるは中絶えんとの事なるべし。横雲の空に雲の靡くは、別るると云義に譬へて、別れんとの事ならんと云かけしを答たる歌にて、横雲の空に別れんとて、雲の靡くと見しは空目なれ、絶えんとて隔つには無きをとの意をよめるか。まだ可v有か
(293)2648 云云物者不念斐太人乃打墨繩之直一道二
かぬかくに、ものはおもはず、ひだびとの、うつすみなはの、ただひとみちに
とやかく外に思ふ事は無く、只そなたをこそ一筋に思ふとの義也。斐太人とは工匠を出す所、令義解延喜式等に見えたり。追而可2書加1。今世に飛騨のたくみと云名工匠ありし樣に老人の言に云へるは大成僻事也。上古飛騨國にては工匠を庸調の代りに朝廷へ貢仕せし也。よりて大工の事を昔は直に飛騨人共云へり。墨縄の事は、第五卷に墨縄をはへたる如くと詠める處にも注せり
2649 足日木之山田守翁置蚊火之下粉枯耳余戀居久
あしびきの、やまだもるおの、おくかひの、したこがれのみ、わがこひをらく
山田もる翁の蚊遣火を置を、おく蚊火とは詠めり。物をふすべて鹿や蚊を去らしむる也。兩義を兼ねて云へる也。鹿を追火と云説蚊を拂ふ火と云説説あれ共、所詮兩用の爲に置火なるべし。蚊は八九月の頃迄も有。又夏も山田は守ものなれば也。第十卷のかひやが下と云説も前にありしか共、其所に注せし如く別義なるべし。此歌のかひは、下こがれと云はん爲のかひ也。蚊火はもやしはせでふすぶる物故、下にくゆるなど詠みて、下にこがるるは心の内に戀こがるると也。をらくはをる也
2650 十寸板持蓋流板目乃不令相者如何爲跡可吾宿始兼
【すぎそぎ】たもて、ふけるいたまの、あはざらば、いかにせむとか、わがねそめけん
十寸板云云 下のあはざらばと云はん迄の序也。すぎ板、そぎ板兩説有。何れにもあれ意無き詞なれば強而決に不v及。かく戀慕ふ心の深ければ、若し逢事の成難き事のあらん時はいかにせんや、何とかせんとて逢初めしぞと、深く行末を思ひはかりて也。これも思ひ淺からぬよりの意也
2651 難波人葦火燎屋之酢四手雖有己妻許増常目頬次吉
(294)なにはびと、あしびたくやの、すしたれど、おのがつまこそ、とこめづらしき
なには人とは攝津難波に住む人をさして云へり。葦火たくとは難波の名物なれば、幸に詠合せて卑しきものの家には、葦をたき木として燒なれば、難波人葦火たくやとは續けて、いぶせきさまに詠なせり。仁徳天皇の御製にも、難波人すすふねとらせ云云と詠ませ給ひて古き言葉也。第二十卷防人の歌にも、葦火を詠める事有。いはろにはあしぶたけどもすみにけを云々。今此歌も葦火をたく屋の、いぶせくすすびて住ふるしたれど、飽かず語らふ妹はいつも珍しくうつくしみ思ふとの意也。すしたれは、すすびて住古したれどと云意也。畢竟なれふりたれ共飽かぬ中故、とこはに珍しきと也。すしは、さしすせ通音にて煤の事也。和名抄云〔唐韻云、※[火+台]煤【臺梅二音和名須須】灰集v屋也〕。此歌拾遺には、葦火たくやはすすたれどとこめづらなれと改めて、人丸の歌として、載せられたり。何を證明には人丸とは考へられけん
2652 妹之髪上小竹葉野之放駒蕩去家良思不合思者
いもがかみ、あげささは野の、はなれごま、あれゆきけらし、あはぬをおもへば
放駒までは序也。荒びてあふ事も無く遠ざかり行事に喩へたり。放駒の荒れたるは詮方も無きものから、遠ざかり隔ててあはぬ事に寄せてかく隔たりあはぬは、放駒の如く我を放れてこと方にあれ行くならしと也。妹が髪は、あげささは野を云序也。此ささは野、攝津國と云來れり。俊頼の歌に
網引するみつの濱べにさわがれて上ささは野へたづ歸る也
此歌によりて攝津と云來るか。未v考。證明は先攝津國と知るべし
2653 馬音之跡杼登毛爲者松陰爾出曾見鶴若君香跡
うまのおとの、とどともすれば、まつかげに、いでてぞみつる、もしはきみかと
よく聞えたる歌也。ととと云は音の義を云たり。とどろくなど云詞と同じ。音の聞ゆるを云也。訟陰にといふ處歌也。待居るの意をよせて松陰とはよめり。若しはきみかと、今時不v用終の句也。第十五卷にも、ほとほとしにき若しはきみかと。古風(295)の一躰也
2654 君戀寝不宿朝明誰乘流馬足音吾聞爲
きみにこひ、いねぬあさけに、たがのれる、うまのあしおと、われにきかする
若し君來れるやと驚き、いとど佗びしく思ひ出るにと恨みたる意也
2655 紅之襴引道乎中置而妾哉將通公哉將來座
くれなゐの、すそひくみちを、なかにおきて、われやかよはん、きみやきまさん
此三首歌は女の歌也。襴引道、地名なるべし。引道と計云地名か。國所未v知。われと云字に妾の字を書き、君と云に公の字を書たるは、字をもて意を助けて男女の差別を知らしめたりと見ゆる也
一云須蘇衝河乎又曰待香將待 すそつくかはを又云まちにかまたん。これは第二句と第五句と如v此替りたる歌の一本あるを、古注者所見ありて注せし也。すそつく河も地名か。ただこれは川を隔て住ける女の詠めるか
2656 天飛也輕乃社之齋槻幾世及將有隱嬬其毛
あまとぶや、かるのやしろの、いはひつき、いくよまであらん、こもりづまそも
天とぶやは、かり、かると受けん爲也。雁を、かるともかりとも云ひて、いそのかみ、ふりともふるとも詠めるに同じ。延喜式神名帳云、〔大和國高市郡輕樹村坐神社二座【並大、月次、新甞】〕槻は常磐木故神木として齋ひたるなるべし。ただ幾世までと云はん爲槻の木のつきぬと云意をよせて、いつ迄かくこもりて隱し置く妻ならん、逢事も忍ぶ妻なれば、心の儘ならぬを歎きて詠める也。そもとは、そと云意、もは助語にて歎の意を含める也
2657 神名火爾紐呂寸立而雖忌人心者間守不敢物
かみなみに、ひもろぎたてて、いむといへど、ひとの心は、まもりあへぬかも
(296)神名火の社の事は前前にも注せり。ひもろぎとは、あへずも共みもり木共云義、正説奧秘の事也。神代紀下卷に始て被v記て、人王の卷にては崇神紀に出たり。神籬と書て則字訓をも被v擧たり。人王紀の、しかたき、ひもろぎの事にも、神代紀の神籬磐坂の事にも、世上に不v考秘事の家傳ある事なれば、容易に不v注義なれど、ひもろぎと云は、神木を植て爲v神祭り奉る義と知るべし。色色理屈附會の説説あれ共、信ずるに足らぬ事也。三寶木と云もひもろ木と云も同事の義と知るべし。神社をみもろとも奉v稱なり。此歌にても明らかなる也。ひもろぎ立てとありて、神の宿ります木を植立て、忌み憚り祈れ共人の心はわが儘にならで、思ふ事の叶はぬと歎きたる也。守りあへぬかもは、戀の叶はぬを恨み歎きたる意也。いむと云へどと云も、いはへ共と云も同じ意也
2658 天雲之八重雲隱鳴神之音爾耳八方聞度南
あまぐもの、八へぐもがくれ、なるかみの、おとにのみやも、ききわたりなん
音にのみ聞きて逢事無きと云義也
2659 爭者神毛惡爲縱咲八師世副流君之惡有莫君爾
あらそへば、かみもにく【めるます】よしゑやし、よそふるきみが、にくからなくに
此歌聞得難し。世副流と云事いかがしたる義か。諸抄の説もまちまち也。一説は、よそふる君とは、其人と逢ふならんなど押當てによそへ云はるる也。強ひてあらがへば神も眞僞を知りて我を惡むべければ、よしよしよそへられん、憎からぬ君なれば厭はじとの意と云へり。又の説は、爭者はある事を無しとの樣にあらがへば、神明も憎み給ふなれば、よしや人の我と君とは心を合せたりとよそへ云はるるも、君によりてはさもあらばあれ、憎からぬ君なるをと云義と注せり。何れか是ならんや。兩義共しかとは聞得難し。後案すべし
2660 夜並而君乎來座跡千石破神社乎不祈日者無
よならべて、きみをきませと、ちはやぶる、かみのやしろを、ねがぬひはなし
(297)よならべては、日ならべてと云詞あるより詠めるか。夜をなべてとも讀べきを、ひならべと云語例にてかく詠めるならん。夜毎に不v説來ませと神に祈らぬ日は無しと也
2661 靈治波布神毛吾者打棄乞四惠也壽之※[立心偏+?]無
此初五文字説説あり。然れ共何れとも決し難し。近く取べきは、たまいはふと云義也。前に、神もちはひてと云有。それもいはひてと云義と釋せる説有。又いはやぶる、ちはやぶる共云へば、ちはひは、いはひと同じ詞と云義先は安からんか。何とぞまだ義あるべければ不v決也
たまちはふ神をもわれはうちすてきしゑやいのちの惜しけくもなし
乞の字をきと讀む事は、こひと讀む字、こひは約言き也。此格當集にあまたあれば、此義にて、きとは讀ませたりと見る也。いでとも讀めば捨てて共讀べけれど、きと讀む義外の例格もあれば、捨てきとは讀む也。前の歌の餘意を述べたる歌也。同人の作ならずとも、撰者意を得て次列せると見えたり。前にねかぬ日は無しと詠みて、ねきてと記して無きから、打捨てきと云意を通じて次第したる也。たまちはふの事は、範兼卿顯昭の説仙覺説とありて一決し難し。つくばねの歌、いはひは、いはひと云義は不v合。ちなみかいはみかにて有べければ此歌の例語には引難し
2662 吾妹兒又毛相等千羽八振神社乎不祷日者無
わぎもこに、またもあはんと、ちはやぶる、かみのやしろを、ねがぬひはなし
よく聞えたる歌也
2663 千葉破神之伊垣毛可越今者吾名之惜無
ちはやぶる、かみのいがきも、こえぬべし、いまはわがなの、をしけくもなし
神のい垣とは神前の瑞垣也。いは初語也。不淨を防ぐ神社の垣は、人の越入事成難きものなれど、戀佗び堪へかねて、よしや(298)それをもこえて思ふ人にあはんかし。それ故にいかなるたたり咎めにあひ、名の汚るる事も、今は厭はじと忍びかねたる意を詠めり。第七第十卷等にも、此意に似たる歌あり。引合て見るべし
2664 暮月夜曉闇夜乃朝影爾吾身者成奴汝乎念金丹
ゆふづくよ、あかつきやみの、あさかげに、わがみはなりぬ、なをおもふかに
夕月夜の曉は暗のものなれば、かく續けて畢竟あさと云詞を設けん爲の序也。曉暗のは、朝と云はん迄の義也。此朝影の事此歌にても心得難し。あかつき暗の朝影はいかがしたるものや。義は思ひに悩みて痩せ衰へたると云義に喩へたる義なれ共朝影の義やせ衰へたると云事にはかけ合はぬ也。兎角これは麻形と云意と聞ゆる也。上は朝と云はん迄の序なれば、あかつき暗に意は無き也。汝を思ふかには前にも注しつ。からにの略言又思ふ故にと云意に、少疑の意を含めたる時遣へる言葉と聞ゆる也
2665 月之有者明覽別裳不知而寐吾來乎人見兼鴨
つきしあれば、あくらんわぎも、しらずして、ねてわがこしを、ひとみけんかも
月夜には夜の明くるわきの知れ難くて、いねすごして明けはてて歸りしを、人の見咎めんかと也。新古今、藤原惟成歌に、まてしばしまだ夜は深し長月の有明の月は人まどふ也。これも月夜には夜の明くるとまがふ意を詠めり。今の歌とは表裏也。明ても月夜故あけぬと思ひて寐すごせしと也。第十四卷の歌、こひこひて明たる物を月しあれば夜はこもるらんしばしは有まてと有。新古今の歌の意と同じ
2666 妹目之見卷欲家口夕闇之木葉隱流月待如
いもがめの、みまくほしけく、ゆふやみの、このはこもれる、月待がごと
風雅なる歌也。夕暗の頃木の葉隱れにいでがての月を待心に比して、妹を見まほしく戀わびると也。木葉はこなはと讀まんか。女の通稱なれば、この葉に、こなばを寄せたるか。隱れこもりたる女を、夕暗に月待つ如く見まくほしく待つとの意なる(299)べし
2667 眞袖持床打拂君待跡居之間爾月傾
まそでもて、とこうちはらひ、きみまつと、をりしあひだに、つきかたむきぬ
よく聞えたり。かたぶくまでの月を見しかなの歌も是等の意也
2668 二上爾隱經月之雖惜妹之田本乎加流類比來
ふたがみに、かくろふつきの、をしけれど、いもがたもとを、かるるこのごろ
二上山に隱れ入る月の惜しき如く、名殘惜しさはやらむ方無けれど妹と別るると也。袂をかるるは離るると云事を云也。別れ離るる事を衣手かれ、袖かるるのと云へり。一説に二上山に隱るる月も惜けれど、それよりまして惜しきはと云意にも見る説有。好所に隨ふ也
2669 吾背子之振放見乍將嘆清月夜爾雲莫田名引
わがせこが、ふりさけみつつ、なげくらん、きよきつきよに、くもなたなびき
此なげくは兩樣を兼ていへるか。愛しかなしむの歎きも、月には物を思ふものなれば、月に向ひて我方を思遣りて歎くらん、其月に雲なかかりて妨げそと云意也
2670 眞素鏡清月夜之湯徙去者念者不止戀社益
まそかがみ、すめるつきよの、ゆつらへば、おもひはやまず、こひこそまされ
月夜のゆつろへばとは、一夜の事に限りたる樣なれど、月日の移り行はと云意をも兼て、一夜の更行ことにも云へると聞えたり。うつると云事を當集には大方ゆつると詠めり。うとゆと通ふ故也。月日は移り行、待つ夜は更行と、待つ人の來ねば、戀は増すと也
(300)2671 今夜之在開月夜在乍文公乎置者待人無
このよはの、ありあけのつきよ、ありつつも、きみをおきては、まつひともなし
ありつつと云はんとて、有明の月とは詠出たり。有明の月に意は無し。只かくありありても君より外に待人は無きと也
2672 此山之嶺爾近跡吾見鶴月之空有戀毛爲鴨
この山の、みねにちかしと、わがみつる、つきのそらなる、こひもするかも
初めは山の端に近く見つる月の、中空に立昇りて彌高く成行に、我戀も思ひ初しははつかなりしが、彌増し勝りて心も空に成行に譬へたる也。古今集貫之、五月山木末を高み時鳥鳴く音空なる戀もするかな。此古詠抔に本やつきたらん
2673 烏玉乃夜渡月之湯移去者更哉妹爾吾戀將居
ぬばたまの、よわたるつきの、ゆつろへば、さらにやいもに、わがこひをらん
宵の間は此月には妹が來らんと戀ひゐたりしか共、來ぬ人を待ちて夜更るにつけて、更行しかば若しや來んかと思ひ返して、待ちをらんと也。此歌よせの心少確ならざるか。人の心の移り行ことに譬へたる意を兼たるか。初め戀ひ戀ひて又心變りする妹をと云意か
2674 朽網山夕居雲薄徃者余者將戀名公之目乎欲
くたみやま、夕ゐるくもの、うすらがば、われはこひむな、きみがめをほり
朽網山は何の國と未v決共、八雲御抄に豐前とあれば、外に證明無きなれば、先豐後豐前と見るべし。景行紀、留2于來田見邑1權2興宮室1と有る此所か。是はおほき田の國と云て今の豐後也。本は豐後なりしかども、後に豐前に割入れられたるか。延喜式に、伊勢國度會郡朽羅神社、因幡に八上郡久多美神社あり。是等の内にもや決し難けれど、先八雲に豐前と有て、日本紀に來田見邑と云地名豐の國のうちにあれば、八雲の御説に可v從か。尚追考すべき也。前の意は朽網山の邊にある忍び妻を戀慕(301)ふ義にて、濃き中の薄き樣に成行くは、我は戀ひんと云の意に譬へたると聞えたり。夕ゐる雲は、薄らげばと云はん爲の序也。雲に意は無き也。朽網山を詠めるは、其所に忍び妻のある人の當然を詠めるなるべし。一説には朽網山の雲晴行くは、君が邊り懷しく見まほしき心と云へり。物に寄せて思ひを述ぶると云ふ題なれば、是にては寄せたる處聞えず。君が目ほりと云詞は古き詞也。天智天皇未だ太子にましましし御時の御歌に、初めて見えたり。日本紀の歌に有。人の精神は目に有から、古詠に皆君が目を見まほしの、妹が目を見まくほし抔詠める也。只其人に相見まほしきと云事也
2675 君之服三笠之山爾居雲乃立者繼流戀爲鴨
きみがきる、みかさのやまに、ゐるくもの、たてばつがるる、こひもするかも
戀のたち消ゆるかとすれば、跡より雲の立續く如く、ひたものもの續きて止まぬと云事に寄せたる也。第三卷に、赤人の歌に、高くらの三笠の山に鳴鳥のやめばつがるる戀もするかもと詠める意と同じ
2676 久竪之天飛雲爾在而然君相見落日莫死
ひさかたの、あまとぶくもに、ありてしか、きみぞあひみん、おつるひなしに
空天に通ふ雲にもあれかな。隔てたる所なり共立渡りて、我思ふ人に相見んをと也。落日莫死は、一日も不v落など詠めるに同じ。毎日の意也
2677 佐保乃内從下風之吹禮波還者胡粉歎夜衣大寸
此歌如何共讀解き難し。諸抄の通に解釋せばいか樣にも云はるべけれど、無理讀みと云もの也。下風之三字をあらしと讀事いかに共不2得心1。之の字はあらしのしには難v用。下風にて、あらしとは讀べし。之の字をまぜては如何に共讀難し。宗師案は、さほのうちゆおろしの風の吹きぬればかへさは胡粉なげく夜ぞ多き。胡粉の二字くだけと讀事心得難し。何とぞ別訓有べし。先諸抄の通り心のくだけてと云義に見置也。然れ共此歌いかに共開き得難し。かへさはくだけ歎く夜ぞ多きと云はでは、寄せたる處聞えず。何をくだくや其理りも聞えねば全躰不v被2聞得1也。何とぞ見樣有べき歌也。追而可v加2後案1也。(302)誤字脱字有と見えたり。胡粉の字は奥の卷に到りても心くだけてと詠めり。此二字心くだけとは如何に共義不v通。くだけと計りは讀まんか。然らば心の字を脱したるか。風之の二字も、之の字若くは風風を風之と誤りたるか。本は風風なるを略して風々と書き、それを又誤りて之の字にしたるか。還者の二字も別字又は別訓あらんか。此儘にては如何に共讀解き難く、歌の意も不v通也。還者胡粉の四字別訓有て、歌の意聞ゆる事有べし
2678 級子八師不吹風故玉※[匣の甲が更]開而左宿之吾其悔寸
まてどしばし、ふかぬかぜゆゑ、たまくしげ、あけてさねにし、われぞくやしき
印本諸抄には、よしゑやしと讀めり。級子の二字をよしゑとはいかで讀まんや。又はしこやしと讀むと云説有。はしこやしと云詞の義はいかなる義を云へるにや。はしこやしと云詞も例無し。はしきやしとは賞めたる詞を云。きとこと通音に用て云たるか。さは讀まれぬ義、はしきやしにても此歌にはしきやしと云、賞めたる詞の入べき歌にあらねば、諸抄の説難2信用1。まてどと讀は級の字を弓つかまくまでと讀ませたり。までと讀字義未v考れ共、前の歌にては及束糸と云字形にて、卷までと讀ませたるならんか。然れば其集中の義訓の例に准じて、字義には合はねど若しくはまてどと讀みたるか。まてどは雖v待也。又風神の御名、しなつと奉v稱は、風の冠辭を古くは、しなと詠出たるか。しばしと受けたるも、しと云詞のうつりと聞ゆる也。風の名をしな共云へるか。尤も、しと計り云て、風の事になる、風の惣名をしと云也。あらし、つむじ、おろし抔にて知るべし。然ればしなと云まじきにもあらねば、しな、しばしとは風しばしと云義にて、しな、しばしと讀める五文字か。何れにもあれ、よしゑやしと讀む義は極めて無き也。歌意は、待つ人來んかと戸をもささで置きていねしに、來もせざりければ切角戸もささで待ちねし事の悔しきと云意を、風の吹かざりし故、暫く戸をもささで有しが、いつしかいねたるが、悔しきと云迄の寄せ歌也。風の吹かぬを來ぬ人に比していへる義共聞ゆる也
2679 窓超爾月臨照而足檜乃下風吹夜者公乎之其念
まどごしに、つきおしてりて、あしびきの、あらしふくよは、きみをしぞおもふ
(303)月の夜雨嵐も打添ひて、吹過ぐる物淋しきにつけて君を慕ひ思ふと也。寄せの事は少しも聞えねど、月照り嵐の吹くに寄せて云ひたる處、寄せの意に叶ふか。月押照りを、さしてりて共讀めり。何れにても只月の照りたる影の窓にさし入りたる景色を云へる迄也。足曳の嵐と續く事は嵐の字に依て也。古詠には嵐に依て言葉を設けたる事毎度有。木毎にと讀みて梅の事と知らせたる類に等しき義也。ぬば玉の黒きと續きたる本語なれど、夜夢など云て其意を通ぜり。臨照をおしてると讀事字義未v考。臨は大也。偏向也。此字義に依て、おしと讀ませたる意に叶ふ義有か。未v遂2考案1也。臨照の字は熟字故用ふるを、おしと讀意はおしなべの意、大也と云字義に通ずる意也
2680 河千鳥住澤上爾立霧之市白兼名相言始而者
河千鳥、すむさはのべに、たちくらし、いちじろけんな、かたりそめては
歌の全躰の意は、戀忍ぶ人と語りそめては、終には顯はれていろ白からんとの義也。然るをかく詠めるは、只いち白きと云はん爲の序也。印本諸抄の説にては歌の意いかに共不v通。霧は黒きもの、暗き事には寄せらるべきを、立霧のいち白けんとは、其理りいかに共聞えず。此歌は宗師秘藏の案有て右の如くは讀めり。先かはち鳥とは河つ鳥と云義か。しまつ鳥と云事有。然れば河津鳥とは、白鷺をさして云たるか。但し鷺の一名を河千鳥と云へるか、二義の内なるべし。澤のへに立霧は澤の邊に立暮し也。鷺は沼澤に立暮すもの也。霧の字當集にきりと讀みては義不v通、くらし、くもると云義ならでは歌の意不v通事多し。依て此立霧之も立暮らしにて義訓に讀たるもの也。然れば白鷺の白きが立くらしたるは、いちじろからん寄せに相叶ふべし。立くらしと云は、即ち我戀に立くらすの義に寄せて也。白鷺の澤邊に立暮す如く、思ふ人を戀ふとて、立暮らしてさて語りそめなば、自らいちじろく人の知り顯さんと寄せたる歌と聞ゆる也。霧の字をきらしと讀みて、きらきらとする事に詠みもし、物語りにも其意に書けるは大成誤りなるべし。白霧白氣など云事ある故、いちじろしと云事と云へる説有。無理の説也。あまぎる雪の歌の釋も古人皆見損じられたり。當集の歌の意を不v辨故也。あまぎるとはきらきらとしたると云事に云ひなせり。實は天曇り也。源氏物語抔涙にて目も暗みたる事を、目もきりてと云へるも曇りて也。然るをきらきらとす(304)ると云義抔、先達の歴歴云ひ置けるから、此歌の立霧之も立きりのと讀みたる也。たつ霧のいちじるしと云ひて、其理りいかに聞えんや。又何故に河千鳥住澤の人とは詠出たらんや。白鷺の事ならでは此歌の意不v通也
相言 是はきはまりたる義訓、かたるとならでは不v被v讀義也。然るを相言ひそめてとは歌詞にあらぬ事也
2681 吾背子之使乎待跡笠毛不著出乍其見之雨落久爾
わがせこが、つかひをまつと、かさもきず、いでつつぞみし、あめのふらくに
聞えたる歌也。第十二卷に重出の歌也
2682 辛衣君爾内著欲見戀其晩師之雨零日乎
からごろも、せなにうちきせ、みまくほり、こひぞくらしし、あめのふるひを
雨の降る日なれば、いとど物淋しきから、きぬをも打着せてしめやかに見まほしく戀暮らししと也。きぬは背に打着せる物故君の字此歌等にては別而せなにと讀べき也。雨の降る日きぬをも打著せ見まほしく、戀暮らしたると云意也。君が雨にあひし故から衣を送る抔云説は入ほかなる注也
2683 彼方之赤土少屋爾※[雨/脉]※[雨/沐]零床共所沾於身副我妹
をちかたの、はにふのこやに、こさめふり、とこさへぬれぬ、みにそへわぎも
是は戀佗びて涙の雨にて、床も沾るる計りなる程に、我にそへよと云意か。全躰聞得難き歌也。只はにふの小屋はいぶせきものなるを、戀の物憂き事に寄せて云たるか。をち方のはに生と詠める意得難し。尤をち方は宇治の地名なれば、所を指して云へるか。床さへぬれし程に身にそへと詠める處も不2打着1也
2684 笠無登人爾者言手雨乍見留之君我容儀志所念
かさなしと、ひとにはいひて、あまつつみ、とどめしきみが、すがたししのばる
(305)あまつつみとは前に有て、あまつつみつねする抔詠めり。雨につつしみて出でぬ事をあまつつみとは云也。忌むと云義をもつつみと云義に通じて云へるか。歌の意は能聞えたる也
2685 妹門去過不勝都久方乃雨毛零奴可其乎因將爲
いもがかど、ゆきすぎかねつ、ひさかたの、あめもふらぬか、そをよしにせん
よく聞えたる歌也。雨降りたらばそれをよるべにして、立寄留まらんとの意也
2686 夜占問吾袖爾置白露乎於公脊視跡取者消管
【ようらゆふけ】とふ、わがそでにおく、しらつゆを、きみに見せんと、とればきえつつ
ゆふけとふとは、夕に君が今夜來んか來ざるかと物に占問ふ義也。歌の意は句面の通也
2687 櫻麻乃苧原之下草露有者令明而射去母者雖知
さくらあさの、をふのしたくさ、つゆしあれば、あかしていゆけ、はははしるとも
櫻麻乃苧原の事、あさの苧と續きたる詞に依て詠出て、櫻麻とは櫻の葉に麻の葉も似たるもの、又櫻の咲く頃蒔くもの又麻の一名兎角説説有て不v決。愚案、麻は水に浸して皮をさき苧とする物故、麻を皮をさく共云習へれば、らは助語にて、裂く麻の緒と云義か。苧原は所の名を詠めるなるべし。芝生など云と同じ義にて、通路の地名、をふと云所を指して云はんと、櫻麻のと詠出たるなるべし。歌の意は歸る人を留める歌也。範兼卿童蒙抄袖中抄などには、自身にあかして行かんと詠める意に注せられしは不v考の案也。い行けと初語を字餘りに讀むべき樣なし。止めたる歌故、い行けと初語を入れて句を調へたる也
2688 待不得而内者不入白綿布之吾袖爾露者置奴鞆
まちかねて、うちへはいらじ、しろたへの、わがころもでに、つゆはおきぬとも
よく聞えたる歌也。古今集にも此歌の意をとりて、君こずばねやへもいらじこむらさき〔わがもとゆひに霜はおくとも〕同じ(306)意也
2689 朝露之消安吾身雖老又若反君乎思將待
あさづゆの、けやすきわが身、おいぬれど、またわかがへり、きみをしまたん
消え易き身なれ共、かく老いぬれど、二度若き心に成返りて思ふ人を待たんと也。是は久しく戀佗びての歌と聞ゆる也。朝露に我身を寄せたる事を云へる迄の歌也。此歌第十二卷にも、露霜と云ひて二度出たり
2690 白細布乃吾袖爾露者置妹者不相猶預四手
しろたへの、わがころもでに、つゆはおきて、いもにはあはず、たゆたひにして
涙の露のみ柚にはおきしげれ共、逢事は滯ふりてやみたると也。たゆたひは留り滯る事を云へり。尤定まらぬ事をもたゆたふと云也。ここにては兎角逢事のやみ滯ふりたる事を云へり
2691 云云物者不念朝露之吾身一者君之隨意
かにかくに、ものはおもはじ、あさ露の、わがみひとつは、きみがまにまに
何かと物は思はじと也。前にも云云の二字出たり。朝露の我身とは、果敢無き身はとてもかくても君に任せたれば、しかじかに物は思はじと也
2692 夕凝霜置來朝戸出爾甚踐而人爾所知名
ゆふごりの、しもおきにけり、朝戸でに、いたくなふみて、人にしらるな
能聞えたり。露結爲v霜と云意をとりて夕ごりのと詠めるか
2693 如是許戀乍不有者朝爾日爾妹之將履地爾有申尾
かくばかり、こひつつあらずば、あさにひに、いもがふむらん、つちにあらましを
(307)戀ひ戀ひて此世にあらずば、土にもなりて妹に踏付けられましをと也
2694 足日木之山鳥尾乃一峰越一目見之兒爾應戀鬼香
あしびきの、やまどりのをの、ひとをこえ、ひとめみしこに、こふべきものか
一目見しと云はんとて、一を越えてと上を詠出たり。山鳥は夫婦峯を隔てぬるものの由云傳たり。依て山鳥の一峯を越隔てと云義に、わが隔てて居る妹を一目にて、かく戀ふものかと我と我を制せし也
2695 吾妹子爾相縁乎無駿河有不盡乃高嶺之燒管香將有
わぎもこに、あふよしをなみ、するがなる、ふじのたかねの、もえつつかあらん
思ひに燃え焦れてやあらんかと也。よく聞えたり
2696 荒熊之住云山之師齒迫山責而雖問汝名者不告
あらくまの、すむてふやまの、しはせやま、せめてとふとも、ながなはつげじ
師齒迫山、八雲御抄に駿河と注せさせ給へり。此歌の續きに依てか、しはを山とも注せさせ給ふは、せ、をの誤字の本をも其儘に用ひさせ給ひて、兩義にとり給ふか。迫の字、をと讀訓不v覺。歌の意は能聞えたり。責め問はるる共、云はじとの義に、荒熊のと詠出て、恐ろしき事を盡して詠めるは、古詠上手の風格也。前の歌に、八占刺母はとふともと詠めるに同じ
2697 妹之名毛吾名毛立者惜社布仕能高嶺之燒乍渡
いもがなも、わがなもたつは、をしみこそ、ふじのたかねの、もえつつ渡れ
立者の者の字、をと讀む手爾波也。前にも注せる如く、にとか、をとか讀までは叶はぬ處多し。二人の名の立つを惜みてこそ忍び忍びて燃えつつ渡ると也。名を惜まずば、打顯して逢ひもし、添ひもせましきにとの意也
(308)或歌曰君名毛妾名毛立者惜己曾不盡乃高山之燒乍毛居
歌の意本集に同じ。然れ共詠人男女の違有。本集は男歌、或説は女歌と見ゆる也。君妾の字をもて見るべし
2698 往而見而來戀敷朝香方山越置代宿不勝鴨
ゆきてみて、きてぞこひしき、あさかがた、やまごしにおきて、いねがてぬかも
思ふ人の方へ行きて見て來て、それより戀しさのそひて夜をもいねあへぬとの意也。朝香方は播磨と云傳へたり。第十四卷にも東歌に、あさか瀉しほひのゆたに〔思へらばうけらが花の色に出めやも〕是等の歌數首有て、奥に注云、以2歌詞1未v得v勘2知國土山川之名1也と有。奥州に淺香山あり。東歌にあさか瀉と詠める、世に云傳ふるは播磨、山と瀉との違あれば、何れか是ならん。東歌のあさか瀉は海邊也。此歌は瀉とも云はれまじや、山越しにおきてと有。それも海山を隔てたる意にて、瀉ながらも山越にと詠めるか。所詮不分明の地名とすべし。扨此歌に妹とも背とも無く、山越しに置きてとは何を山越に置たるにや、聞えぬ歌也。愚案には、あさか瀉と詠めるは、あせか瀉と云義にて女歌ならんか。あせか瀉を山を隔てて慕ふの意なるか。あさはあせと讀んで義通ふ歌、集中に數多あれど、古來より此發起宗師の外心付ける人一人も無し。此歌もあさかはあせか瀉と云意をこめて、地名を表には詠めるならんか。第四卷に此歌に似たる歌有。朝日影匂へる山に〔照月のあかざる君を山ごしにおきて〕此歌は聞えたる歌也。是迄の五首は山に寄せて詠める歌也
2699 安太人乃八名打度瀬速意者雖念直不相鴨
あだびとの、やなうちわたす、せをはやみ、こころはおもへど、ただにあはぬかも
安太は紀州と云習へり。然れ共大和ならんか。やなの事も前に注せり。あだ人と詠出たるは仇なる人と云意を兼ねてか。梁は早き川の瀬にうつ物故、我思ひの切なる忙しき事に寄せて、早き水の瀬を流るる如く、心せき思へ共、仇なる人故逢事の無きと云に寄せたり。我はかく迄切に思へど、先には心無きあだ人と云意に、あだ人の共詠めるならんかし
2700 玉蜻石垣淵之隱庭伏以死汝名羽不謂
(309)かげろふの、いはがきふちの、かくれには、ふしてしぬとも、ながなはいはじ
忍びとけて死に果つる共と云意、石垣淵の隱れと寄せたり。玉蜻の岩と續く義はかける火の石と云意、石火のあるか無きかの如く、ちらめくに譬へてかくは續けたるもの也。たとひ淵瀬に身は沈む共、つつむ人の名は告らじと也
2701 明日香川明日文將渡石走遠心者不思鴨
あすかがは、あすもわたらん、いしばしの、とほきこころは、おもほへぬかも
あすも渡らんは、あすも逢はんと思ふと云義に寄せて也。石ばしの遠きとは續かぬ義、石ばしの近きとか、間とか續くを、遠きと詠めるは近きと續く意也。遠き心は思ほへなくと詠めるにて、近きと云意に續けたる也。若しくは此歌は石ばしる疾きと云續きにて、遠きと詠めるか。日を隔てまじきと思ふとの義也
2702 飛鳥川水徃増彌日異戀乃増者在勝申目
あすかがは、みづゆきまさり、いやひけに、こひのまされば、あり勝申も
戀の彌増してあるにも、あり堪へぬと云意を、飛鳥川の水の行きまさると云に寄せたる也
在勝申目 是をありがたぬかもと讀ませたるは心得難し。あり堪へぬはありこたへぬの義也。然れば不の字無くては堪へぬとは讀難し。不の字無くては、ありこたへるかも共讀める也。不の字を脱したりと見ばさも讀べきか。然し申目をかもとは讀難し。若し甲の字か。不の字を脱し、申は甲と見ば印本の假名付の如くにも讀べし。書面を助けて本の儘に讀まば、申の字はさると云字にて、ましと讀字なれば、しを濁音に讀みて、ありがてまじもと讀めば、あり堪へぬになる也。いや日けには日毎に彌増しにと云意にて、日にそひて戀の彌増せば、あるにもあり堪へまじと云意也
2703 眞薦刈大野川原之水隱戀來之妹之紐解吾者
まこもかる、おほのがはらの、みごもりに、こひこしいもが、ひもとくわれは
大野河原、八雲には石見と有。或抄に野は音によみて大や川原ならんか。第十四卷武藏國の歌に、いりまぢのおはやがはらと(310)詠める歌有。入間郡にある川と聞えたり。高野天皇と奉v申は、大和國添下郡作貴郷|高野《タカヤ》に奉v葬しより、高野天皇と奉v稱也。高野高屋とも書けるにて、たかのにあらざる事を辨ふべしと云説有。然れ共兎角此高野川原は大和の内に有地名ならんか。歌の並み共皆大和國也。此一首隔たりたる武藏の地名の歌を入らるべき共覺えぬ也。八雲に石見と有は何の證をとらせ給へるや計り難し。水隱と云は、こめ隱れたる女をと云意を含みて也。尤も戀とうけん爲也。戀は※[泥/土]の事にて水に隱れこもりて有ものなれば、かくはうけたる也。隱れ忍びて戀來しと云意にも聞ゆる也。尾の句は四言三言をわけて句に讀める也。思ふ人に逢ふ事の成りし時の歌也。如v此の尾句は初心の者の通例には不v可v好風躰也。
2704 惡氷木之山下動逝水之時友無雲戀度鴨
あしびきの、やましたどよみ、ゆくみづの、ときともなくも、こひわたるかも
時とも無くもは常住不斷にと云意也。何時の別ちも無く戀渡ると也。古今集の、いつはとは時はわかねどと詠めるに同じ
2705 愛八師不相君故徒爾此川瀬爾玉裳沾津
はしきやし、あはぬきみゆゑ、いたづらに、このかはのせに、たまもぬらしつ
はしきやしとは君を賞めて云へる詞也。不v相と云詞を中に隔てて、君を賞して云詞也。はしきやし君に逢はぬ故と云意也。此川瀬と詠めるは、何れの川とも難v知。若し前の格をもて云はば、うぢ川の義を指せるか。此川と云は宇治川と見る説前に注せり。戀の調はぬを、川を渡り渡らぬと云事に寄せて云へば、逢ふ事叶はぬ故、玉裳のみ沾らして徒らに戀渡るとの意也
2706 泊湍川速見早湍乎結上而不飽八妹登問師公羽裳
はつせがは、はやみはやせを、むすびあげて、あかずや妹と、とひしきみはも
はやみはやせとは、水の流れの早き瀬の結び難きを結び上げしとは、切なる戀をして契り初めし事に寄せたると聞えたり
不飽八妹登問云々 互ひに飽かじ飽くまじと契り交せし君は、いかにやなりけん。今は中絶えたる事かなと歎きたる意に聞ゆる也。はもは歎息の詞故、神にたがひたるを歎きし歌と見ゆる也。さて此水と云詞に、兎角あかと云續きを詠める事は、垢(311)をそゝぐものは水なる故、かく續けたる古詠、大方水を結びて飽かでや飽かずや抔續けたる也。人丸の歌とて或抄に
行水のいしまをせばみ山川のいはがきし水あかずもあるかな
古今集にも
石間行水のしら波立かへりかくこそはみめあかずもある哉
同貫之歌
むすぶ手のしづくににごる〔山の井のあかでも人にわかれぬるかな〕
是等の歌皆あかと云事を續け、又は詠入れたり
2707 青山之石垣沼間乃水隱爾戀哉度相縁乎無
あをやまの、いはがきぬまの、みごもりに、こひやわたらん、あふよしをなみ
青山 大和の名所か。或抄に地名にあらずと注せるは誤也。地名ならで打任せて青山のと讀べきや。おしなみの青き山と云義ぞならば、其青きと云義に意を讀べし。只青山とのみ詠出たるは地名故也。石垣沼を上野の名所とも云傳へたるは證明有か。未v考。水隱りは石垣沼なれば、外に流るる事無く、隱りたる水の如く思ひの流行く事無く、心の内にこめて戀渡ると也。逢ふ由の無ければ、思ひの晴るると云事無きに、沼水の籠れるに寄せたる也
2708 四長鳥居名山響爾行水乃名耳所縁之内妻波母
しながどり、ゐなやまどよに、ゆくみづの、なのみぞよりし、こもりづまはも
しなが鳥はゐとうけん序也。ゐとうける意は前にも注せる如く、此義説説有事にて難2信用1事のみ也。ひきゐと云ゐにうけたる義にて、群鳥の事を四長鳥とは云なるべし。さなくては群をなす言葉を置きては不v濟事有。居名山、地名未v考。猪名野など同所にて播攝の内ならんか。第十六卷に、猪名川の沖を深めてと詠めると同所なるべし。猪名川の流るる音にて、其山も響くと云義也。行水の流れと云詞のうけにて、名のみと云はん迄の序也。ゐ名山と詠出でたるも、下の名のみとうけん縁也。(312)凡て當集の歌義に拘らずして、同音の言葉の縁のみをうけて詠める歌多し。能々心を付て可v見也。兎角下に詠める詞の同音の縁を上にふまへたる歌、大方難き事は無き也。既に此歌にても名のみぞと詠まんとて、猪名の名を詠出たる類也。義に拘らずして詞の縁によれる事多し。名のみぞよりしこもり妻はもとは、我によりくると名のみに云ひて、實にはよらず隱れてのみ合はざると云歌と聞ゆる也。名のみぞよりしを諸抄印本等の説は、名にのみ寄せしと讀める義は、里人のこと寄せ妻と云と同じくて、多くの人の心を寄せし妻と云義と釋せり。さ讀みて歌の意聞えたり共不v見。よると云名のみにて、忍び隱れて見る事も逢ふ事もなさぬ妻と云事に、こもり妻はもとは歎息せしと聞ゆる也。猪名山どよみと詠めるも、いなむと云義を寄せて詠めり。然し其譯下の句にも有べけれど、只名のみぞよりしとあれば、其意も聞取り難し。何とぞ見樣有べき歟。一云の説にても愚案の意に可v叶歟
一云名耳之所縁而戀管哉將在 なのみしよせてこひつつやあらん。此意は我方より名を顯しよせて、本意を遂げず戀ひつつやあらんと也。此一説によれば本集の意も兎角よると云名のみにて、實にはよらで忍びこもれると云意と聞ゆる也
2709 吾妹子吾戀樂者水有者之賀良三超而應逝衣思
わぎもこに、わがこふらくは、みづならば、しがらみこえて、ゆくべくぞおもふ
戀ふらくは戀ふるはと云義也。我戀ふる心は水にてあらば、堰止めらるる柵をも越えて行き逢はんをと云義也。前の歌の餘意を詠める樣に聞ゆる池。名のみよせて、こもり妻の許に行かましをと云意に聞ゆる歌也
或本歌句云相不思人乎念久 あひおもはぬひとをおもはく。是は第一第二句の異説也。如v此ある一本も有と後注者注せし也
2710 狗上之鳥籠山爾有不知也河不知二五寸許須余名告奈
いぬかみの、とこのやまなる、いさや川、いさななきこす、わがなものらな
此歌に付て古來説説まちまちにして、地名さへ不2一決1れ共、いさや川いさといけん爲の上の句なれば、いさや川に紛るべき(313)樣無く、第四卷岳本天皇の御製、淡海路の乃鳥籠之山有不知哉川氣乃己呂其侶波戀乍裳將有。如v此あれば、いさや川紛るべきにもあらぬを、古今集墨けしの歌に
いぬかみのとこの山なる名取川いさとこたへてわがなもらすな
如v此ありて名取河の傍注にいささと異説を注したり。袖書に、此歌或人あめのみかどの近江の采女に給へると有。返しに釆女の奉れるとて
山しなの音羽の瀧の音にだに人のしるべくわがこひめやも
六帖には名ををしむ あめのみかど
いぬかみのとこの山なるいささ川いさとこたへて〔わがなもらすな〕
源氏物語紅葉賀には、まことによしや世の中よと云合せて、とこの山なるとかたみにくちかため給へり。〔槿に〕世のためしになりぬべき有樣洩らし給ふなよ。ゆめゆめいさら川もなれなれしやとて云云。枕草子には、とこの山はわが名洩らすと帝の詠ませ給ひけむ、いとをかし
後拾遺集の序に、よしの川よしといひながさむ人に、あふみのいささ川いささかに此集を撰べり。又源氏抄物の引歌に
玉さかにゆきあふみなるいさら川いさと〔こたへてわがなもらすな〕
如v此まちまちに云ひなし詠みなせり。いさや川を名取川とも別名有か。此義は各別いさら川をいささ川と書たるは、いさらの字の見誤り書きたがひには無くて、筆のまはり兼ねたるなるべし。日本紀天武紀上云、近江命2山部王蘇我臣〔果安巨勢臣比等1率2數萬衆1將v襲2不破1而〕軍2于犬上川濱1云云。如v此もあれば、いさや川とも云ひ、犬上川共云か。古今の名取川も准v之へて別名とは云はるべきか。いさら川、いささ川と云事、何のより處か不v詳也。扨此歌の解又まちまちにして、慥成證解無し二五寸許須の五字の讀解き次第にて見樣違有べし。宗師案は、二五は七つの數なれは、名取と云訓借に書たると見る也。寸許須は通音に讀みて爲聞と云意聞かせなるべし。いさそなたの名な聞かせよ、我名も告らなと云意と見る也。古今集已下の歌にては、我名を洩らすなと云意なれば、我名を告るなと讀べけれ共、古今集の歌も確かにはとり難し。墨けしの歌なれば、後(314)人の加筆とも見ゆる也。諸抄の説は二五を十と訓じて、いさとをにて、をは初語と釋し來れり。然れ共さは見難き歌也。能々玩味すべき也。文選の文にも、知2二五1而未v識2於十1其敝也。如v此あれ、二五は十と云意に見る説有て不2一決1也。然れ共いさとをきかせと云ては歌の意聞えず。下にも我名とあれば、二五は七と云義と見ゆる故、當家の流には名なと云意に見る也何とぞ、十と見る語例も有て、歌の意通ぜは、其義に從ふべき也。此歌の前後餘意を顯したる歌共の樣に見ゆれば、既に此次の歌に、音聞きしより忘れぬと詠める歌有て、此歌の餘意を詠める樣に見ゆれば、そなたの名な聞かせ、我名も告らなと詠める意叶ふべくやあらん。古今已下物語等の詞の意は、古今集の歌に基きて云ひもし書きもしたる義と見えたれば、古今の墨けしの歌心得難ければ、證明には取り難く、殊に名取川と詠めるも、當集日本紀等に違たれば心得難く、されどそれは別名も有べければ、許さるべけれど、不知二五寸許須を、いさとこたへよと讀める義いかに共不v通。告奈をもらすな共讀難ければ、彼是信用し難く、又袖書も心得難し。天智天皇の御製の御口風とは大成違有て、歌風躰合ひ難く、其上古今に載せらるべき樣なし。序文たがへり。此歌天皇の御製ならば當集の端書に其旨を可v被v記。既に集中皆天皇の御製歌其標題を顯せり。但し此歌と古今の歌とは別歌と云べきや。然れ共全躰同歌の句作りなれば、一句二句の同歌は如何程もあれど、かく全躰の同歌は別歌とも云ひ難からんか。然れ共一向別歌とせば各別の沙汰なるべく、古今の歌は古今にて立べき也。然れば川も別所か異名同川と見るべきか。二五をななと讀意は汝が名聞かせ我名も告らなんと云意と見る也
2711 奥山之木葉隱而行水乃音聞從常不所忘
おくやまの、このはかくれて、ゆくみづの、おとききしより、とこわすられず
奥山とは深く、隱れ忍びてある人の事を聞き初めしより戀慕ふとの云意を詠みて、奥山と詠めるは、奥深き人の隱れて、たやすく人にも相ま見えもせぬと云意を含めて也。木葉とは女を指して云へる詞也。こなはと云義也。それを木の葉に埋れ隱れて谷川清水抔の流るる音に寄せて也。畢竟音と云はん迄の義に、如v此詠みて其續けがらに、少づつの意味をこめたる也。とこ忘られぬは、とこしなへに思ひ侘ぶる也。常忘られぬ共讀べけれど、音と云との音の響きをうけて也
(315)2712 言急者中波余騰益水無河絶跡云事乎有超名湯目
ことときは、なかはよどます、みなせがは、たゆちふことを、ありこすなゆめ
歌の意は事の速かけやきは、必ず中絶えて淀みの有ものなる程に、たゞ常住不變にして流れの絶えざる如くに、我中をもしたまへ、努々中絶ゆる事抔あらすな、よく慎み給へと、男女は不v知示せる歌と聞ゆる也然るに此歌諸抄まちまちの説有て、一説は、言急はこちたきと云義にて、世の人の言いたく云騷がされるぞならば、暫し中は淀ませて、下の意は必ず絶る事をあらすなと云意と見る説有。又の説は、言急とは事を鈍くなほざりにせず共、何事も速かに心を働かせば中は淀まじ、淀むは絶ゆる初めなる程に、絶ゆる事をありこすなと云意と見る注有。是等の意難2信用1。言痛はと云方の説は少叶ふべくもあらんか。後の説はいかに共義不v通也。水無河を詠めるは、水無ければ流絶ゆる故、水無くなりて絶ゆると云事をあらすなと、思ふ中の實なくなりて、中のかれ/”\に絶ゆる事なかれと云に寄せたる也
2713 明日香河逝湍乎早見將速見登待良武妹乎此日晩津
あすかがは、ゆくせをはやみ、はやみむと、まつらんいもを、このひくらしつ
歌の意は只早く見んと、妹が待ちつらんに、とやかく障り有て、けふを暮らしたると云迄の義也。早く見んと云はん迄のうけに明日香川ゆくせを早みと詠出たる也。集中の風格皆かくの如し
2714 物部乃八十氏川之急瀬立不得戀毛吾爲鴨
もののふの、やそうぢがはの、はやきせに、たちえぬこひも、われはするかも
宇治川の早き瀬には、立ちえ難く苦しきものなるを、我戀の切なる事に寄せたる也。其立ちえぬ如きの憂き戀を我はすると也。うぢ川を詠めるは、ういと云意を兼てなるべし
一云立而毛君者忘金津藻 たちてもせなはわすれかねつも。苦しき瀬に立ちても君は忘られぬと也
(316)2715 神名火打廻前乃石淵隱而耳八吾戀居
かみなみの、うちわのさきの、いはふちに、かくれてのみや、わがこひをらん
かみなみのうちまふさきと讀ませたれど、第四卷の歌笠郎女の詠めるに、衣手をうち廻乃里にと詠たれば、ここも打わのさきか、くまにて有べし。うちまふさきと云義いかなる事にや、義不v通。是は地名を詠める義なれば、打わの里と云地名前にも出たればかくは詠む也。即ち前に此歌を引て注せり。前はさきとか、又くまと讀まんか。くまは入り曲りて隱れたる處を云へば、下の隱れてのみやと詠める意に通ふ也。深く底に隱し忍びて、戀佗びをらんとの意他
2716 自高山出來水石觸破衣念妹不相夕者
かぐやまゆ、いでくるみづの、いはにふれ、われてぞおもふ、いもにあはぬよは
高山をたかねと讀ませたれど、此歌の次皆地名を讀めり。其上高山と書きて前にもかぐ山と讀めるなれば、地名の次によむ地。何れにもあれ意は同じ義強而論ずる義なし。只山水は岩に觸れさはりて、われ碎けて物思ふと云義に寄せたる也。曾丹が歌に、香山に瀧を詠める歌有。此歌抔に本づける歟。元より瀧も有なるべし。第十卷に、悶降れば瀧つ山川岩にふれ君が碎かむ心はもたじ。われくだくと讀む也
2717 朝東風爾井提越浪之世蝶似裳不相鬼故瀧毛響動二
あさこちに、ゐでこすなみの、たつひにも、あはぬものゆゑ、たきもとどろに
朝東風云云 假初にもと云意、少の事にも云へる意也。あしたには多く東風の吹くもの故詠めるならん。朝こちに意は無し。然れ共少の事と云義に寄せて云ひたる義と聞ゆる也。世蝶、此詞不v濟義也。諸抄には色色の説を云ひて、逢瀬の事を云へる義、又は息を安める瀬など附會の義を釋せり。先せてうと云詞を、せといふにもと解する事時代の違有。此時分と云ふと云事を、てうとは云はず。ちふとのみ云へり。其上世蝶と云詞此所に續かぬ言葉也。浪の瀬と續きたる樣に注せれ共、浪はたつとか、かへるとか、よるとか、つゞく詞の縁には詠めど、瀬と云うけは無き事也。それともに、せてふと讀みて、歌の義安く聞なば(317)さも有べしとも見るべけれど、此所にて、せてふにもと讀みて歌の意不v通。此二字は宗師案は、田螺と云二字の誤なるべし。上の浪の立つひとうけたる義ならん。波の立日と云義なるべし。螺の字はつひと讀む、貝の名也。瀧もとどろには瀧の音のする如く、假初の事にも云騷がさると云義に譬へたる也。遂に逢はぬものながら、假初の事にも夥しく云立てらるると、名の立つ事に云ひたる歌也。ゐでこす波のたつ如き、少の事にもと云義に、ゐでこす波の立日にもと寄せたり。逢はぬ物故と云を、ものから共讀べきか。ものながらの意也。尤ものじやにと云事をもの故共云也。意は同じ。逢はぬものながらと云も、ものじやにと云意も、もつては同意。如v此見れば此歌一通は濟也。諸抄の説にては如何に共歌の意不v通也。世蝶の誤字、正本無ければ猶待2後案後考1耳
2718 高山之石本瀧千逝水之音爾者不立戀而雖死
かぐ山の、いはもとたぎち、ゆくみづの、おとにはたてじ、こひてしぬとも
此歌もかぐ山と讀めるなるべし。香山に瀧ありと見えて、此の如く詠めれば前の歌引合せ見るべし。歌の意は能聞えたる也
2719 隱沼乃下爾戀者飽不足人爾語都可忌物乎
かくれぬの、そこにこふれば、あきたらず、ひとにかたりつ、いむべきものを
心の内に戀佗びては堪へかねる故と計りを、人にも洩れ語りしを悔むと也
2720 水鳥乃鴨之住池之下樋無欝悒君今日見鶴鴨
みづどりの、かものすむいけの、そこひなく、いぶかしきいもを、けふみつるかも
下樋を色色の説を付添へて、池には水を拔樋あるものなるが、其樋無き故深さ淺さの知れ難き事に云ひ、又思ひの積れるに樋無くて、池の水の湛へたることに寄せたると云説も有て、皆歌の意を不v辨説也。鴨の住む池と有から、底ひなく共讀みて、底の干ぬと云義を寄せたるもの也。水の底干ては水鳥は住まぬ也。殊に鴨は水に浮居鳥なれば、鴨の住む池なるからそこ干なく也。底が干ぬからいぶかし深しと云縁をうけたるもの也。いかがに思ひ心遣ひせし妹を、今日見つると安堵したる歌也。(318)いぶかしきとは、心許なく不審に、何とかかとか思ふ事をいぶかしとは云也。君の字もいもと讀べし。藻にとは歌に依て義をもて讀ませたる事當集の例格也
2721 玉藻刈井提乃四賀良美薄可毛戀乃余杼女留苦情可聞
たまもかる、ゐでのしがらみ、うすきかも、こひのよどめる、我こころかも
此歌は少不v足v詞歌也。依て諸抄の説もまちまちの了簡也。思ひをけしやる事のならで、戀ふる心の淀めるを云との説、又水のかく淀まぬに付けて、我戀の淀める心かは、我心の薄きやらん、戀の暫し淀めると云意也と注せるも有て、如v此注してはいかに共聞得難し。此歌の意は如v此戀佗ぶれ共思ふ事の叶はぬは、我思ひの未だ足らざる故か、すらすら滯らずにものの叶はぬは思ひの薄く戀する心のたゆめる故かと、深く思ひ入て云ひたる義と聞ゆる歌にて、玉藻かるは妹をかりかると云義を、玉藻にして云ひ、柵は竹を杭にからみ付て水をせくもの也。井手とは水を堰ためて田などへ入る爲に、堤の様に据るもの也。水を溜めて其溜りより水を流して取をゐでと云。地名にしては山城井手の玉水など云て、名高き所有。其地名をも詠めるか。其柵の薄ければ、水の溜り少くて漏り流る故、井での水は流れぬるくなりて、かへりて滯るもの也。それを我戀の思ふ樣に叶はぬ、つかへ障り有て逢ふ事抔ならぬ義に寄せて詠めるか。吾情かもとは、戀の心の切ならぬか、淺き心かと云意にて、水の垢殘りて、かく樋の滯るかと云意をもこめたる樣に聞ゆる也。全躰不v足v詞歌故、如v此聞きても不2打着1歌なれ共、諸抄の通にては普通に不v聞也。尚後案すべし
2722 吾妹子之笠乃借手乃和射見野爾吾者入跡妹爾告乞
わぎもこが、かさのかりての、わさみのに、われをいれよと、いもにつげてな
諸抄の説はわれはいりぬと讀ませたれど、いりぬと云ひては義不v通。妹がぬる野に我も入れよと告げよかしと云意也。入りぬと告げて、其上の何とぞ義無くては不v聞。野はぬと云詞にて、ねる處へ入れよと云義をかく寄せたる歌と聞ゆる也。入りぬと告げよと讀みて、待て居なと云意を、後に添て釋せねば全躰の意不v通也。諸抄の説皆如v此六ケ敷釋せり。笠のかりてと(319)は、笠に紐を付、左右の緒をかりてと云、かりの手と云義にてかりてと云なるべし。かりに持つ處也。手にて持つ處故、直に躰の詞をとりて、何にも手と云事を云也。是もかりに手に持つものを付たるを、直に手とは云しならん。其手を付く輪と云うけ也。笠の頂きに輪を付て、それにかり手と云物を付也。其輪とうけん爲に、美濃國の地名の和射見野を詠めり。和射見野は美濃也。前にもわさみが原など詠める所天武紀に見えたり。紀には和※[斬/足]と書けり。高市皇子の軍をなされし所也。此わさみ野を詠めるには意は無く、輪とうけん爲の義、野とはぬると云義を寄せん爲迄の義也。所に付て意味有にあらず
2723 數多不有名乎霜惜三埋木之下從其戀去方不知而
あまたあらぬ、なをしもをしみ、うもれぎの、したにぞこふる、ゆくへしらずて
歌の意は名を惜むから、忍びつつみて色にも出さず、言にも顯さず下にのみ戀佗ぶるとの意、ゆくへ知られぬは、思ひの晴れず心のゆく方なき義を云へり。何となり行かんやも知られぬとの義也。數多あらぬ名と云事不v濟也。諸抄の説はよき名は多くも無く、惡しき名は千名の五百名なども云との説也。何共不v通也。宗師案は、不有の二字無と云意にて、無實の名を惜みと云義か。さはに無きが、數々の無き名を云立られん事を惜みての義かと也。愚意未v落。愚案、多の字は耳の字の誤りたるか。然らば數ならぬ名をしもと詠めるなるべし。名をしもと詠めるしもの詞不v通。數にもあらぬ名をもと云義ならばよく通也。多、耳、よくまがふ字也
2724 冷風之千江之浦回乃木積成心者依後者雖不知
あきかぜの、ちえのうらわの、こづみなす、こころはよりぬ、のちはしらねど
秋風の千枝と續けて、風は常にも吹け共別而歌の風は千枝にわたるものと云から、かくうけたるなるべし。別の意あらんか。後案すべし。千江の浦近江と云説有。八雲には石見と有。惣而八雲御抄には多くの地名を石見と注せさせ給ひて、正敷違たる處もあれば、何れ共決し難し。可2後考1也。木積は船の別名、木くずの板切れ抔の浮寄れるを云。畢竟は船の名と見ゆる也。此木くず板などの寄れる如く、我心も思ふ人に寄せたると也。變化するものなれば、後の程は知らね共、今寄りたる處の當然(320)を詠める也
2725 白細砂三津之黄土色出而不云耳衣我戀樂者
しらまなご、みつのはにふの、いろにいでて、いはざるのみぞ、わがこふらくは
しろまなご三津とうけたるは、三津の濱邊には、しらまなごの有から、かく續けたるなるべし。まなごの滿ちてあると云義など云説はいかが也。三津は攝津、黄土は萩生也。萩の生ずる所と云義也。只色に出てと云はん迄のはに生也。はにははぎふ也。切に思へ共、色にも言葉にも出でては云はぬ計りぞ、深く思ふ我心と云義也。戀ふる心は深きと云義也
2726 風不吹浦爾浪立無名乎吾者負香逢者無二
風不吹、うらになみたち、あらぬ名を、われはおへるか、あふとはなしに
風不吹浦爾、此五文字別訓有べし。是迄皆地名を詠めり。然れば是も何とぞ風なしの浦とか、かざなきの浦か、地名の浦なるべし。歌の意は風の吹かぬとか、風の無きとか云意をうけて、風の吹きてこそ浪も立つべきを、さもなき浦に浪立つ如く、我が逢ふ事もあらぬに、無き名の立事を歎きての歌也
一云女跡念而 此一説いかに共難2心得1。誤字と見えたり。何と云べき案も不v付也
2727 酢蛾嶋之夏身乃浦爾依浪間文置吾不念君
すがしまの、なつみがうらに、よるなみの、あひだもおきて、わがおもはなくに
すが島、八雲には紀州とあれど、此歌の續き二首共近江なれば心得難し。菅嶋なるべし。近江に菅浦と云も有。鹽津菅浦と詠める歌有。紀州ぞならば名高浦の次に有べし。酢蛾畠、夏身に意無き也。寄浪の暇と云迄の事にて、浪のかつ寄するには、一度寄せてはかへりて又寄する間有もの也。其間と云迄の事にて、隙も無く思ふと云意を、暇もおきては思はぬとよそへたる也。思はなくに共、もはぬせこ共讀べし。何れにもあれ、間隔てては思はぬ、隙間も無く戀思ふとの意也
(321)2728 淡海之海奥津島山奥間經而我念妹之言繁
此歌は前に出たる歌重出也。歌の意も同じ意也
2729 霰零遠津大浦爾縁浪縱毛依十方憎不有君
あられふる、とほつおほうらに、よるなみの、ただもよるとも、にくからなくに
霰降る音と云義に、ととはうけたり。音を古語には、とと計り云ひたるなるべし。音よりも、とと云方本語か。とどともすればとどろく抔詠めるにて知るべし。一語をとる例格はケ樣の歌にて考へ知るべし。縱毛、よしもと讀める事心得難し。よしもよるともと讀みては歌の意不v通。いたづら共、まま共讀む字也。ただと云は爲す事無く徒らの意にて、何の義も無く、ただ寄りそふ共憎からぬと云意なるべし。遠津大浦は第七卷にも出たる、とほつ江など詠める處にて近江なるべし
2730 木海之名高之浦爾依浪音高鳧不相子故爾
きのうみの、なだかのうらに、よるなみの、おとたかきかも、あはぬこゆゑに
むらさきの名高の浦とも詠める、紀州遠州兩所の名所何れ共決し難き也。然れ共此歌によれば、紀州と決すべきか。然し紫の名高と云時は遠州歟。此歌此名高は木の海とあれば紀州に紛れず、名高と云名につきて我名の世に云ひ騷がさるる事を云へり。逢ひ馴れもせぬ子なるにと云意也
2731 牛窓之浪乃鹽左猪島響所依之君爾不相鴨將有
うしまどの、なみのしほさゐ、しまならし、よれりしきみに、あはずかもあらん
牛窓は備前の地名、何の意有て牛窓を詠めるか難v知けれど、うしと云物うきと云意を含めてか。しほさゐはしほさわぎ也。さわぎの浪にしまじま音を立てと云義也。響きと云詞よろしからず。鳴らしと讀べき也。人にも云騷がされ、音立てよりし人に名を立てられながら、逢はずかもあらんやと、心許なく氣遣ふ意の歌と聞ゆる也
(322)2732 奥波邊浪之來縁左太能浦之此左太過而後將戀可聞
おきつなみ、へなみのきよる、さたのうらの、このさたすぎて、のちこひんかも
左太能浦前に出たる也。云騷がるるにより、ことしづまりて戀をせんかもと也。おきつ波へ波と云にて、ことの騷がしく云ひ沙汰なさるる事に寄せたり。さだと濁音に讀來れば、さなりと云義か英見ゆる也
2733 白浪之來縁島乃荒磯爾毛有申物尾戀乍不有者
しらなみの、きよするしまの、あらそにも、ならましものを、こひつつあらずば
白浪のきよりの嶋と云地名にもや。只浪の來よすると、凡ての海中の島をさして云へる歟。上の歌ども皆地名を云へるなれば名所ならんか。然れ共きよりの島いづこにあり共不v考れば、決し難き故諸抄に任せ置く也。歌の意は聞えたる通、かく戀佗びて死に果なば、き寄すると云名につきて、君が來よらん嶋の荒磯にもならんものとの意也
2734 潮滿者水沫爾浮細砂裳吾者生鹿戀者不死而
しほみてば、みなわにうかぶ、まなごにも、われはならんか、こひにはしなで
潮滿ちたらば、みぢんの如きまなごにもなりてうかれん。かく思ひ碎けて苦しむ身なればと云意也。一説戀には死なず共、細砂になり共なりてしかなと、願ふたる意共いへり
2735 住吉之城師乃浦箕爾布浪之數妹乎見因欲得
すみのえの、きしのうらみに、しくなみの、しばしばいもを、見るよしもがな
しばしばと云はん計りに上を詠める也。うらみはうらわをと云と同じ。まはりめぐりと云時はみ也。めりを約すればみ也。數の字は敷の字にて、しきても妹をと詠めるか。上にしき波のと詠みたれば、其言葉にうつりてと見る意もあれど、しき浪のしばと云ても意同じ。言葉の縁をしの字にうけたるもの也
(323)2736風緒痛甚振浪能間無吾念君者相念濫香
かぜをいたみ、いたふるなみの、ひまもなく、わがもふきみは、あひおもふらんか
風をいたみは風をはげしみと云と同じ。風のはげしく荒く吹く事を、風をいたみとは云也。風はげしければ、波荒く立つものなれば、必ず波の立つ事を詠む也。岩打浪などと詠める歌も有。甚振浪、いたふる浪也。浪の打つをふりふる共云。風に從ひて浪立ち寄する事をふると云也。第十四卷東歌にも、おしていなといねばつかねど浪のほのいたふらしもよきそひとりねて。或抄に、相模風土記を引而云、鎌倉郡見越崎毎有2速浪1崩v石、國人名號2伊曾布利1謂振v石也。貫之土佐日記にも、いそふりのよするいそにはとしつきをいつともわかぬ雪のみぞふる。かく詠來たれば、浪寄するを、ふりふる共云へる也。震動の意にて、岩岸に叩きいたくふるふ意から云ひしか。又相模の風土記の説より云ひし歟。兎角古語と聞ゆる也。歌の意は只荒き浪の寄するいとも無き如く、我は思佗ぶれ共先にもかく相思ふらんか、思ひはせまじきをと云意也
2737 大伴之三津乃白浪間無我戀良苦乎人之不知久
おほともの、みつのしらなみ、あひだなく、わがこふらくを、ひとのしらなく
此歌も前の歌と同じ意、我かく思ふ事は先には知らじと云意也。
2738 大船乃絶多經海爾重石下何如爲鴨吾戀將止
おほふねの、たゆたふうみに、いかりおろし、いかにしてかも、わがこひやまん
前にも大舟の香取の海にいかりおろしと詠める歌の意にて、此歌の意も知るべし。大船のたゆたふとは、浮かれ漂ふ船の、そことも定まらぬを、碇下して泊りかかるは、漂ふを止めて安堵したる義也。我母も碇を下して安堵したる如く、思ふ事調ひて思ひのやむ事は、如何にもたらばやまんぞと也。只いかにしたらば我かく思佗ぶる、戀のやみつらんと、思ひの切なるままに詠める也
(324)2739 水沙兒居奧麁礒爾緑浪往方毛不知吾戀久波
みさごゐる、おきつあらそに、よるなみの、ゆくへもしらず、わがこふらくは
歌の意は只波の行方も知らず、我が戀ふると云意也。何となり行事やらん、知れぬ戀をすると云迄の歌也
2740 大船之舳毛艫毛依浪依友吾者君之任意
おほふねの、へにもともにも、よるなみの、よるともわれは、きみがまにまに
兎も角も君に此身は任すると云意を、かくよる浪に喩へて云へる也
2741 大海二立良武浪者間將有公二戀等九止時毛梨
をほうみに、たつらんなみは、ひまあらん、きみにこふらく、やむときもなし
此歌は是迄の歌共の上を詠める意也。是迄の歌の意は、皆浪の寄する暇なき事に譬へて、我戀の繁き事を云へるに、此歌は、波には寄せてはかへす暇あれ共、我戀は暫しの暇もやまぬと、到て戀の切なるを云へり
2742 牡鹿海部乃火氣燒立而燎鹽乃辛戀毛吾爲鴨
しかのあまの、けぶりやきたて、やくしほの、からきこひをも、われはするかも
上の句は只からきと云はん爲の序也。からきとは至つて苦しき戀と云意顯さんとて、鹽の辛きと云に寄せて詠める也
右一首或云石川君子朝臣作之 古註者見る處ありてか如v此注せり。石川君子は第三卷に、古注者石川朝臣吉美侯と注せる同人の義なるべし。その所に注を加へたり
2743 中中二君二不戀者牧浦乃白水郎有申尾玉藻刈管
なかなかに、きみにこひずば、ひらのうらの、あまならましを、玉もかりつつ
此歌は玉藻を女に比して男の詠める歌ならんか。君をのみ戀侘ぶるから、外人に心の移らぬ也。君に戀ひせずば、他の女をも(325)得べきをと云意と聞ゆる也。但し又君を戀ふ事の心だにやみなば、海人にもなるべきものをと云意歟。戀の叶ひても早や戀ふ事なくば、海人になり共ならんと、女の歌に見る意も有。ひらの浦は近江也
或本歌曰中中爾君爾不戀波留鳥浦之海部爾有益男珠藻刈刈
あみの浦は第一卷軍王の歌にも出たり。讃岐と云説也。さもあらんか。伊勢にあるはあご也
2744 鈴寸取海部之燭火外谷不見人故戀比日
すすきとる、あまのともしび、よそにだに、見ぬひとからに、こふるこのごろ
海士の燭火は遙かに海邊に見やるものなれば、よそにだにと云はんとて、海士の燭火を詠出たり。只それと見るだにあらず。相見る事の成難き人を戀ふとの意也
2745 湊入之葦別小舟障多見吾念公爾不相頃者鴨
みなといりの、あしわけをぶね、さはりおほみ、わがもふきみに、あはぬころかも
葦をわけて湊へ漕ぎ寄する船ならば、葦にさはる事繁かるべし。それに我が逢事の成難き、さはり有事を譬へたる也
2746 庭淨奥方※[手偏+旁]出海舟乃執梶間無戀爲鴨
にはきよみ、おきべこぎいづる、あまふねの、かぢとるまなき、こひをするかも
庭きよみとは海上の波靜かなる事を云へる也。第二卷にも庭よくあらじなど詠める也。海の上の穩かなる、靜かなる事を庭のよきと云。きよみと云詞心得難けれど、古人はかくも詠める歟。川きよみなどとも詠めるから、義は異れ共海の荒けぬ靜かなるを、きよみ共云ひたるなるべし。歌の意は只隙間もなく鯉の責めくる如く、慕ひ焦るると云義をよそへたる也。海上靜かなれば、海人の業を急ぐから、梶をとるも隙間なき事を、戀の責めかけ責めかけ止まぬ義に譬へたる也
2747 味鎌之鹽津乎射而水手船之名者謂手師乎不相將有八方
(326)あぢかまの、しほつをさして、こぐふねの、なはのりてしを、あはざらめやも
味鎌之鹽津此地名近江と云説有。鹽津海津など云所あれば、さもあらんかなれど、當集第十四卷東歌に、あぢかまのかたにさくなみとも、あぢかまのかげのみなととも詠めり。その多くの歌の後の注に、以前の歌詞未得勸知國土山川之名也と古注者記す。近江の地名を不v勘事も有まじき歟。又東歌に詠たれば坂東の地名とは見えたり。證記を不v考ば決し難し。射と云字をさしてと讀めるも、珍しき義訓也。弓を射るは皆そこと指して射る、何をさしつけて射るなど云故にか。但しシヤの音故サと音借にて、而の字はしてと訓ずる字故、音訓を交て讀ませたるか。水手をかこと讀也。依て義をとりてこぐとも讀ませたるならん。名はのりてと云事を色色説をなせり。船には大液池乃鳴鶴舟容與船など、唐土にても船の名を付呼ぶ事有。本朝にても、かもふね、はとふね或ひは枯野など、日本紀又は風土記等にも見えたれば、其名を云ひてと云義との説、又一説には、船には繩と云物の幾らも有。とも綱、へ綱、帆なはなど云ひ、ひき繩なども有から、なはと云詞を設けたるとの義也。云まはせばさも云はるべけれど、此義も入ほかなる義也。是はのりと云事を云はん爲迄也。船には、のりのると云故、名を告げる事をのりのると云て、名のると云也。人に我名を告げたるを名をばのりてしとは云ひたる義にて、船に乘りたると云意によせて、なははなんぢはと云意をも兼ねて詠めるなるべし。名を顯し告げたるからは、逢はではあらましと云意也。それを、なはのりてしとは、汝は乘てしをと云意によせて、汝とは我身をさしても云へるか。我名は名のりたるからは、逢はではあらじをとの歌也
2748 大舟爾葦荷刈積四美見似裳妹心爾乘來鴨
おほふねに、あしにかりつみ、しみみにも、いもがこころに、のりにけるかも
大船に葦の荷を刈積める如く、繁く妹が心に我心のうつりのりたると也。のりにけるかもと云事は、毎度前にも見えたる義也。此歌も舟を詠出たるから、のりにけるかもと詠めり。前の歌の、名はのりてしをと云へる義を知るべし
2749 驛馬路爾引舟渡直乘爾妹情爾乘來鴨
はいまぢに、ひきぶねわたし、ひたのりに、いもがこころに、のりにけるかも
(327)はいまぢは旅行の海川を渡す船の事義を云へり。往還通路の所々に驛と云て、人馬を出す役所を置かれし也。驛馬、はゆま共云ひて、早き馬を出す所と云義なるべし。其馬やどりを置かるる所、渡しある所は水驛と云て、船にて人を渡す役所を置かるる也。船を置ける事也。令義解第八厩牧令云。凡水驛不v配v馬處、〔量2閑繁1驛別置2船四隻1。丁二隻以上、隨v船配v丁【謂船有2大小1、故隨v船配v人、令v應v堪v行。若應2水陸兼送1者、亦船馬並置v之】〕引舟渡しとは船はひく共漕ぐ共云故、然るに引と詠めるは、戀路にひけば靡く、引けばよるなど云から古く船とも云たる也、急ぐ時は引のぼる船の事を云へる也。畢竟船を詠めるは、のりのると云事を云はん爲迄の義也。のりにけるとは、妹にうちなづみ、妹が心任せに心を一つにするとの義也。なりにけるかも也。戀の事調ひたると云義也
2750 吾妹子不相久馬下乃阿倍橘乃蘿生左右
わぎもこに、あはでひさしく、うましもの、あべたちばなの、こけむすまでに
馬下乃、味自物と云意也。うじもの共うなねつきなど祝詞に云へる詞と同じ。美味なるものと橘を賞めたる詞也。あべ橘は和名抄云、七卷食經云〔橙【宅耕反、和名安倍太知波奈】似2柚1而小者也。〕仙覺抄の意は、からたちと云へり。兎角橘柚の類也。今云花柚の事歟。さのみうまからね共、歌の習ほめて詠事雅情也。此木元來年をふるものと聞えたり。其久しく年經たる木に、わが久に逢はぬ事を寄せて云ひたる義也。凡て此類の生木さのみ大木なるものにあらず。小木なるもの也。其木に苔むす迄とは、不v相事の久しきを云はん爲也。是より以下木に寄せて詠める歌也
2751 味乃住渚沙乃入江之荒磯松我乎待兒等波但一耳
あぢのすむ、すさのいりえの、あらそまつ、われをまつこらは、ただひとりのみ
あぢはあぢむらと云て、鴨の類の群類をなす鳥也。畢竟あらそ松を云迄に、地名の序詞に詠める也。群類群れ居るもの故むらとは云ひたるなるべし。一鳥の名あぢと云也。八雲には鯵の事に注せさせ給へれ共、鳥のあぢ村の事なるべし。常に海河の洲に住ものなれば、すさの入江を云はんとて、あぢの住むすさとはうけたる也。第十四卷にも、あぢのすむすさの入江のこもりぬのあないきづかし見ず久にしてと詠めり。後の注に國土山川名を不v勘と注しつ。坂東の地名と見えたれど、何國とも慥(328)成證書を不v見ば定め難し。八雲には攝津國と有。第十四卷東歌にあれば、東國ならでは心得難し。延喜式神名帳、有田郡須佐神社と云あれば、紀伊國にもやあらんと云べき歟。當集東歌によれば、坂東にも有。又攝津國紀伊國の内にも有と云はんか決し難し。歌の意は只わが待つ兒等はと云、子の待つと云事を云はん迄の序也
2752 吾妹兒乎聞都賀野邊能靡合歡木吾者隱不得間無念者
わぎもこを、ききつがのべの、しなひねむ、わはしのびえず、まなくおもへば
吾妹兒の事を聞きつくと云うけ也。聞き都賀野と云所未v考。諸抄にも不v得v考也。靡の字はなびきと讀みたれど、前にも注せる如く、下の忍びえずと云はん爲の序なれば、しなひと讀べし。ねむりの木は、風雨に從ひてしなへるもの也。依てしなひねむと讀みて、わが思ひに忍びかねると云義をよそへたり。ねむはしなひ靡くものなれど、我は思ひにえ堪へぬと云意を云へる也。忍びえずと云詞をうけん爲迄に、しなひと云事を上に詠出たる也。此歌の並み悉く其助に義をとりて詠めるにはあらず。皆詞の縁をうけて詠める歌共也。一説、聞都賀野、攝津國と云へり追而可v考
2753 浪間從所見小嶋之濱久木久成奴君爾不相四手
なみまより、みゆるこじまの、はまひさぎ、ひさしくなりぬ、きみにあはずして
此歌も君に逢はぬ事の久しく成と云事を云はん迄の詞の縁に、濱久木とは詠めり。此歌伊勢物語には少引直して業平の歌と作りなし、拾遺集にも載せられたり。此集に載れる歌業平未v生已前の事也。作り物語故此集の歌を色々に引直し入れたる事數多也。久木の事は前に注せり。楸と云一種の事に見る説も有て決し難し。又はまひさしと讀める取り違の説も有。尚後生の人可2考知1也。歌の意は只君に逢はぬ事の久しくなりたると云事を詠める計り也
2754 朝柏閏八河邊之小竹之眼笶思而宿者夢所見來
あさがしは、うるやかはべの、しののめの、おもひてぬれば、ゆめにみえけり
此歌前にも秋柏と出でたり。吾背が柴賣と續たる詞と聞ゆる也。ぬると讀て色々説あれど、潤の字相通じて、うるほふと云義(329)に、うるとは讀みて、賣の意を取りて云へる也。ぬると讀義は心得難し。あさのかしはの葉はぬるぬるとするとの説は迂衍の説也。地名知れ難し。畢竟思ひてぬればは、夢に見えしと云事を云はん迄の事にて、しののめと詠めるも、見えけりと云義を云はんとて、目と云事を設けたる也
2755 淺茅原苅標刺而空事文所縁之君之辭鴛鴦將待
あさぢはら、か少しめさして、むなごとも、よせにしせこが、ことをしまたん
淺茅原は實なしと云はん爲也。實なきもの也。依てむな事と云詞をも云ひたり。刈しめは淺茅を刈取のかりと、又狩場にするのかりと、又假令の假初のかり何れも通じて、意をこめてかりしめとは讀みて、實意は假初に來んと云約束のしめをさして、實事ならぬ事ながら來んかと思ひて待たんとの意也。言をしとは來と云ひしをと云義を兼ねて、ことをし待たんと空し事ながらも、君がこと云ひしに依りて待たんとの義也。鴛鴦の假名をしと書證明など、此歌にて知るべし。手爾波のをしに鳥のをしの字を書けり
2756 月草之借有命在人乎何知而鹿後毛將相云
つきぐさの、かりなるいのち、なるひとを、いかにしりてか、のちもあはんちふ
月草もうつろひ易きもの、朝に咲きて夕部にしぼむ花也。人も其如く假初の世の中の人の命なるものを、今の間計り難き人の命なるに、何と知りてか後も逢はんとは契り交せるやと、我と愚かなる心を咎めし也
2757 王之御笠爾縫有在間菅有菅雖看事無吾妹
をほぎみの、みかさにぬへる、ありますげ、ありつつみれど、ことなきわぎも
王之御笠、此みかさと云は御蓋の事也。延喜式卷第七、踐祚大甞會式云〔車持朝臣一人、執2菅蓋1。子部宿禰一人、笠取直一人、並執2蓋綱1、膝行各供2其職1〕同主殿式云、正月元日〔執2威儀物1殿部左方十一人、一人執2梅枝1二人紫繖、三人紫蓋三人菅繖、三人菅蓋云々〕神宮への奉り物の注文にも菅笠有。上古は有馬より名物故、伽蓋に被v用菅を奉りて被v令v縫たると見ゆる也。(330)ありつゝと云はん爲也
歌の意は、馴れ添ひて見れ共見おとす事も無きとの意なるべし。又一向うらを云たる歌か。ありと見ても逢ふ事も無き事、なす事のならぬを事なきと云たるか。王のみかさと詠出たるは、諸人の手に觸れられぬもの故、手に觸れ難きと云意に寄せたる共聞ゆる也。諸抄の説は難なき妹と云義賞めたると注せり。王のみかさと詠出たるも、賞めたる意にても叶ふべき歟
2758 菅根之懃妹爾戀西益卜思而心不所念鳧
すがのねの、ねもごろいもに、こひせまし、うらもふこころ、おもはれぬかも
戀せましは淺墓には戀ひまじ。ね深く懇ろに戀せんと也。下思而と有本も有。一本下を卜に作るを正本とすべし。さればこそ古くうらとは讀ませたり。而の字心得難し。布の字の誤りならんか。文章の法にて助字歟と云説もあれど、集中に其例も不v見ば、布の字紛ひ易き字形なれば誤字とは見る也。さてうらもふと云意は、一説は、うらなひ思ふて物を猶豫する義と注せる説有。心得難し。心のうらの事を云て、うらとは末と云義にも通ふなれば、根と云上の言葉に對してねもごろに戀せんと云ひて、うらには思はなくと云意、うらに思はれぬかもとは、疎かには思はれぬと云意なるべし。根深く大切に思はんとの義と聞ゆる也。猶豫の事と云へるは六ケ敷説也。只表裏には思はぬ實に一筋の意なるべし
2759 吾屋戸之穗蓼古幹採生之實成左右二君乎志將待
わがやどの、ほたでふるから、つみはやし、みになるまでに、きみをしまたん
此歌の意は年月を經て久しくなる迄も、君を待たんとの意を、たでの古枝をつみて若め生て其實になる迄程經る共待たんと云意に寄せて、實になるとは穗蓼には實のなるもの也。秋の末に至りて實を生ず。春若芽の生じてより、實のなる迄は久しき程をと云ひて、實になる迄と云へるも、戀の調ふ迄と云意を云へる也。全躰の意は、久しくなる共戀の成調ふ迄待たんとの意と見ゆる也
2760 足檜之山澤回具乎採將去日谷毛相將母者責十方
(331)あしびきの、やまさはゑぐを、つみゆかん、ひたにもあはん、はははせむとも
ゑぐは前に注せり。芹の一名共云へり。日谷と云へるはひたすらにの義也。ひたものものと云意を、ひだにとは寄せて云ひたる也。表の意はゑぐを摘みに行かん日も、それに事寄せて逢はんとの義にして、實意はひたものと云ひたに也。依て母はせむともと有て、親は制し諫むるともとの義也
2761 奥山之石本菅乃根深毛所思鴨吾念妻者
おくやまの、いはもとすげの、ねぶかくも、しのばるるかも、わがこひづまは
何の意も無く只深く忍び慕はるると云意を詠める迄也。深切に戀慕ふと云意を、奥山の石本より云ひ出して、奥深き意を知らしめたり。奥山と云ひ、石本と云へるにて、其奧深き事を含みたる歌也
2762 蘆垣之中之似兒草爾故余漢我共咲爲而人爾所知名
あしがきの、なかのにこぐさ、にこよかに、われとゑみして、ひとにしらるな
にこ草、何事と云事未v考。凡て柔かなる草をさして云へる歟と云説有。八雲には柔かなる草の中に包まれたるを云由、萬葉に有と注せられたれど、にこ草の事此歌と第二十卷大伴家持七夕の歌に、秋風になびく川邊のにこ草のにこよりにしもおもほゆるかもと詠める計りにて、若草の中に包まれたる義も不v見也。かほよ花、にこ草共に諸抄の説不v決。然れ共一種無くては詠まじきか。考ふる處至らざるなるべし。歌は、にこよかにと云はん爲の序詞なれ共、一種の草の名なるべし。一説にかづら草と云もの歟共云へり。如何樣今童子のかづらにして玩ぶ草、垣根に生るしなへたる草有。古くは其草などを云ひけるにや。歌の意は聞えたる通、ゑみ顔をおもほへず、人に悟られなと誡めたる歌也
2763 紅之淺葉乃野良爾苅草乃束之間毛吾忘渚菜
くれなゐの、あさはののらに、かるかやの、つかのあひだも、わはわすれずな
(332)紅之淺葉野、信濃の由諸抄に云へり。淺葉野と云地名也。第十二卷に、あさは野にたつみわこすげと詠める一所なるべし。紅は色の濃き淺きあれば、それに依て淺葉と云はんとて、紅とは冠詞に置けるなるべし。野良とは只野と云事也。古今集にも、あきの野らなる抔詠て良は助語也。束の間もは前にも有言葉、少の間も忘られぬと云義、草は刈る時手にて束ぬるもの、其束ねたる手のたけ程の短かさも、忘れずなど云義也。訓借は清濁を不v構云へる也。渚は清音の訓なれど、濁音の不の字の意にかりて書ける也。不v忘など云意也
2764 爲妹壽遺在苅薦之念亂而應死物乎
いもがため、いのちのこせり、かりごもの、こひにみだれて、しぬべきものを
妹に逢はん事あらんやと、つらき命も永らへぬると也。然れ共戀の叶はざれば、とく戀に死なんものとの意なるべし。苅薦のは亂れてと云はん序也。戀にとは※[泥/土]中に亂れてと云意也。それを戀にと兼ねたる也。戀と※[泥/土]とを兼ねて云へる也。薦は※[泥/土]中に生ずるもの故、其縁をとりて念の字こひとは讀也。諸抄はおもひと讀めり。歌はケ樣の處に少しの意味を含める也。壽遺在の三字は何とぞ別訓もあらんか
2765 吾妹子爾戀乍不有者苅薦之思亂而可死鬼乎
わぎもこに、こひつつあらずば、かりごもの、こひにみだれて、しぬべきものを
戀つつあらずば、此心は前の歌に、妹が爲命のこせりと詠める意をもて見れば、妹に戀ひをる故、かくつれなき命も永らへて、せめて戀の叶ふを頼みて永らへ居る、さなくば戀に亂れて死ぬべきものをと云意に聞ゆる也。又戀つつあらずばとは、戀の調ひならずば、所詮戀に亂れて死なんものをと云意か、死ぬべきものかと讀意も有べし。然らば上を死なばと義訓に讀まんか。諸抄の説、あるにもあられずばと云意と釋せり。在るにもあられずばと云意にて、死ぬべきものをと云意、とくと不2打着1也。此詞集中擧而難v數。能々考辨すべき詞也
2766 三島江之入江之薦乎苅爾社吾乎婆公者念有來
(333)みしまえの、いりえのこもを、かりにこそ、われをばきみは、おもひたりけれ
三島江は攝津國也。かりにと云はん爲迄の序也。苅は假令の意、君は我を假初にこそ戀ひてあれ、根深めて思ひ給ふには無きと恨みたる歌也
2767 足引乃山橘之色出而吾戀南雄八目難爲名
あしびきの、やまたちばなの、いろにでて、われはこひなむ、をやめがたしな
山橘前に出たり。赤き實なるもの也。其赤き色に付て色に出てと云へり。戀のやめ難き故、色に出ても猶戀なんを、やめ難しと云意也。然るを雄の字發語と不v見、上へ付て手爾波のをに釋せる説有。入ほかなる説にて、剰へ六ケ敷説也。只をやめ難き戀故色に出ても我は戀なんと云歌なるべし。歌は兎角義を易く見るを本とすべし
萬葉童蒙抄 卷第三十一終
(334)萬葉童蒙抄 卷第三十二
2768 葦多頭乃颯入江乃白管乃知爲等乞痛鴨
あしたづの、さわぐいりえの、しらすげの、しられんためと、こひいたむかも
白菅のしられんとうける爲迄の序也。葦たづは入江沼澤に住むものなれば、入江を云はんとて田鶴をとり出、白菅を云はんとて入江を詠出、知られんとうけんとて白菅は詠めり。菅は刈てさらせば眞白になるもの故、白菅とは云へり。知られんとは、我かく迄深く戀侘ぶる心の程を、思ふ人に知られんとて、偶々に戀ひいたむとの意也。知らせんと讀みても意は同じ。古今集に、あしかものさわぐ入江のしら波のしらずや人をかくこひむとは。句躰同じき樣なる故也。右は意は異也
2769 吾背子爾吾戀良久者夏草之苅除十方生及如
わがせこに、わがこふらくは、なつぐさの、かりはらへども、おひしくがごと
第十七卷にも、此比の戀のしげけく夏草の刈はらへどもおひしくがごと、も同じ意の歌也。除の字は解除と續きてはらへと讀也。そげばと讀と云説あれど、よろしからぬ説、十方と有にそげと讀みては句續かぬ詞、其上歌詞にあらず。然し續けがらに依て、のぞけばと云略語になることもあるべけれど、此歌にては甚よろしからず。歌の意は句面の通にて能聞えたり
2770 道邊乃五柴原能何時毛何時毛人之將縱言乎思將待
みちのべの、いつしばはらの、いつもいつも、ひとのゆるさん、ことをしまたん
道のべのいつ柴原、第四卷に出たり。そこに注しつ。櫟しば原と云義也。いつもいつもと云はん言葉の縁を引かんとて詠め たんとは、何時迄もいつ迄も人のうけ引て我心に從はんと云迄、戀佗び待たむと也。許諾せし言葉を待たんとの義にて、いつもいつもは、いつ迄もいつ迄もと云意也
(335)2771 吾妹子之袖乎憑而眞野浦之小菅乃笠乎不著而來二來有
わぎもこの、そでをたのみて、まののうらの、こすげのかさを、きずてきにけり
妹に逢はんと急ぎて、笠をだにとりきず來れるは、人に忍ぶには妹が袖に隱れんと頼みてと也。若し雨の爲ならば、かづきて歸らんとの頼みなるべし。眞野浦は、攝津近江に有。菅の名所なるべし。同名二所に有也。此眞野を攝津と云説有。近江と云説有。一所に片付べき證明何に依て辨へんや。知れ難き地名所詮二所の内と見置くべし
2772 眞野池之小菅乎笠爾不縫爲而人之遠名乎可立物可
まののいけの、小すげをかさに、ぬはずして、ひとのとほなを、たつべきものか
眞野池、攝津と云來れ共、眞野浦近江にも攝津國にもあれば、此池もいづ方共決し難し。前の歌も兩所の説不v決。前の歌にも菅を詠み、此歌も同じく詠めり。同所の地名なるべし。菅によりて名物わけあらば、今にても考へらるべきか。笠に不v縫してとは、思ふ人を手にも入れずしてと云意に譬へたる也。遠名とは未だより逢はぬ人の、遠くへ隔たりたる名をと云意なるべし。十名と云説有。假名違の説也。十の假名はとを、遠の假名はとほ也。合はぬ説也。隔たりたる人の名をと云意なるべし。遠近のとほ也。とほき名と云義也。思ひかけし人を我手にも入れで、其人の名を立つべきものか、名は立つまじきとの意也
2773 刺竹齒隱有吾背子之吾許不來者吾將戀八方
さすたけの、はにかくれたる、わがせこが、わががりこずば、われこひんやも
さす竹はささ竹と云義なるべし。既に葉に隱れたるとあれば、ささの葉に隱れたると云意にて、只隱れて人知らぬ背子なるをわが許へ一度來りてより、今訪れねば戀佗びる也。葉に隱れてのみ有て、わががりに來ずば知らずしてあらんを、知り初めてよりかく戀ふと云義を詠める也。知らずば戀ひんやも、わが許へ來りしから今戀佗ぶるの意也
2774 神南備能淺小竹原乃美妾思公之聲之知家口
(336)かみなみの、あさささはらの、をみなへし、しのべるきみが、こゑのしるけく
此歌の意、聲のしるけくば、喜怒哀樂の聲自ら知れるものなれば、我を慕ひ思ふ人の聲の、自らしるきと云意と見る説も有。如何好む所に從ふべし。忍びて訪ひ來し聲のしるきと也。をみなへし忍べると云言葉の縁をとらん迄に、上は詠出たり。前の刺竹もささたけと云は、此歌の次にても知るべし。美妾の字ををみなへしと讀めるは義訓ながら、少しかんこなる書き樣也。女郎花と書てをみなへしと讀ませたるより、又轉じてかく書たる也。淺ささ原とよみて、をみなへしを詠めるは、緑と黄との色わかれてしるきと云縁ならんか
2775 山高谷邊蔓在玉葛絶時無見因毛欲得
やまたかみ、たにべにはへる、たまかづら、たゆるときなく、みるよしもがな
歌の意は只無2間斷1思ふ人を見る由もがなと云迄の義也。絶える事なきと云はんとて、上を段々と詠出たる迄也。第十二卷にも、谷せばみ峰へにはへる玉かづらはへてしあらば年にこずとも、と詠めるも序歌也
2776 道邊草冬野丹履干吾立待跡妹告乞
みちのべの、くさをふゆのに、ふみからし、われたちまつと、いもにつげこせ
冬野に踏枯らしは、冬の時節を詠めるのみならず、多野の如くに踏枯らし立まつと云意也。立待つ事の切なる意を顯せる也
2777 疊薦隔編數通者道之柴草不生有申尾
たたみごも、へたてあむかず、かよひなば、みちのしばくさ、おひざらましを
前の歌の返歌の意に聞えて、撰者の集列の次第も意を得て見ゆる也。疊薦を編むは、一通一通糸にてしめよせて隔つる也。藺一筋を隔てて編む其數程、ひたものもの通ひ來らず。道のべの柴草も生ずまじきとの意、前の冬草の如く草も枯れて有程に、立待つとの返答に通ひ、繁からば草は生ずまじき也。履からしと有は、又切に思はぬと云意を答たる歌の意に聞ゆる也。別の(337)意無し。かくの如く繁く通はば、草は生ずまじきにとの意也。第十二卷にも、疊薦かさねあむ數と詠めり
2778 水底爾生玉藻之生不出縱此者如是而將通
みなそこに、おふるたまもの、おもいでず、よしこのごろは、かくてかよはん
生も出でずは、顯れず忍びて通はんとの意に寄せて云へる也。前に、水底に生る玉藻の打靡き心を依て戀ふる此頃、と詠めり。此已下五首とも藻に寄せて詠めり
2779 海原之奥津繩乘打靡心裳四怒爾所念鴨
うなばらの、おきつなはのり、うちしなひ、こゝろもしぬに、しのばるるかも
繩のりのしなへたる如く、心もしなへ亂れて戀慕ふと也。靡の字、歌に依てなびく共しなひ共讀べき也。此歌しぬにと讀まん迄に、打靡と詠たれば、うちしなひとは讀也。假名書になびきと書きたる歌もあれば、歌に依て此字なびき共讀べし。次下にも此字あり。兩義に讀みて、歌の意は同じけれど、詞の續きに從ひ語路のよろしきに從ひて、しなひなびきの讀樣差別すべき也。繩乘は海藻の一種也。海苔を乘の借訓に書きたる也
2780 紫之名高乃浦之靡藻之情者妹爾因西鬼乎
むらさきの、なだかのうらの、靡藻の、こゝろはいもに、よりにしものを
紫之名高浦、第七卷に貳首、此卷前に木の海の名高とも續けたり。其所々に注せり。先は紀の國と見る也。然れ共今の世にては遠州にも此地名有事不審也。名高の浦と紫の名高と別なる歟。追而可v考。扨靡藻と有は、藻草の一種歟。又しなへもと云義か。なびくともと云義か。下に續く言葉の縁も無ければ、しなへ、なびく何れに讀まむも定め難し。只此歌にては、印本の假名に任せ、なびくものと讀みて、藻の流るに從ひて、いづ方へも靡きしなへるものなれば、其藻の如く、妹に情は靡きよりしと云意歟。妹に心はよりにしものをと云迄の歌也
(338)2781 海底奥乎深目手生藻之最令社戀者爲便無寸
わたつみの、おきをふかめて、おふるもの、いとせめてこそ、こひはすべなき
海底と書きてわたつみと讀事前にも注せり。精靈の神靈のまします所と云義をもつて、讀ませたるならん。おきを深めてとては、沖は海中の至而深き處なれば、深めてと云へり。生藻のは、沖中の底に生たるもの表るべき樣無きに、我戀の打表し難く先に通ずべき樣なき事に譬へて、いとせめてと至つて切なる處を云ひて、いかに共詮方の無きと歎きたる意也。印本の諸本令の字を今の字の誤まりと見て、いまと讀ませたれど、令の字正字なるべし。令の字故せめてと讀みて、歌の意至而切なる處の意を述べたるものと聞ゆる也。いまと讀みては今の意、色々詞を入れて釋せねば六ケ敷也。令の字なればせめてと讀ませて、戀の切なる處の意を表せしと義安く聞ゆる也。前の卷にも今令の字の見樣に違ある事也
2782 左寐蟹齒孰共毛宿常奥藻之名延之君之言待吾乎
さねかねば、たれともねめど、おきつもの、なびきしいもが、ことまつわれを
いねかぬるぞならば誰れ共寢め共、心解けて靡き逢はんと云妹がことをこそ、待ちて居るとの義也。われをのをは詞の餘りにて歌ふ時の助音、意無き詞是今時の風躰に無き言葉也。只こと待つわれと云意の歌故、をと助語を置きたる也。言《コト》は來と云を待と云意にも通ふ也。言葉と來んと云を待つと云事にかけたる義と見ゆる也。かにはかねも同じ。金の字を書きて、かに共讀ませたれば、蟹の字をかね共讀む。通じ通ふ也
2783 吾妹子之奈何跡裳吾不思者含花之穗應咲
わぎもこが、なにともわれを、おもはずば、ふくめるはなの、ほにさきぬべし
是迄こそ妹が爲をも憚りて、しのぎて包み居たれ共、我のみ戀ひて妹は何とも思はざれば、今は含める花の咲如く、我思ひも色に出て顯れなんと也。是より花に寄せて詠める也
(339)2784 隱庭戀而死鞆三苑原之鷄冠草花乃色二出目八方【類聚古集云鴨頭草又作鷄冠草云云依此義者可和月草歟】
能聞えたる歌也。忍びて戀死ぬる共、色に出ては顯さじと、ふかみ包みて思ひ慕ふ意を顯せり。鷄冠草は今云鷄頭の花の事也。至而赤きもの也。依てからあゐとは云。紅は呉の藍と云義と同じ意也。からとは惣名を云へるもの也。宗祇の抄には、月草花と書けるは、歌の意をも不v辨歟。色に出ると云からは、から藍ならではならず。鴨頭草と紛ふべきものか。うつろひ安き事抔の意ならば、つき草とも云べき歟。但し日本紀に桃花鳥と書きて、つきと讀ませたるに紛ひたる歟。是は今云ときと云鳥の名也。尤白あかき鳥うす紅なるもの故、桃花鳥とは書きて、義訓に讀ませたり。鴨頭草は青花の事にて、此歌には合はぬ也。然るに敦隆類聚古集又作2鷄冠草1と有、傍注は後人歌の意を不v辨人の誤注と云もの也。可v和と云義にても可v知。類聚古集の説も悉く取不v被v用事のみなれば、可v信に足らぬ也。から藍と月草とは歌の意にて可v辨。今又鷄頭花の花を見ても知るべし。此歌も撰者問答の意を合て、次第したると見ゆる也
2785 開花者雖過時有我戀流心中者止時毛梨
さくはなは、ちるときあれど、わがこふる、こゝろのうちは、やむときもなし
歌の意は明也。過の字ちると讀事歌の前共に幾らも義訓せし也。もみぢ葉の過など詠めるも皆、ちると讀ませたる義と見ゆるを、義訓を知らぬ人假名を付て、すぐるとならでは讀まざりしは、力の足らざるならんかし。集中によく目をさらさば、當集は皆義訓をもて風流筆力を盡して書たる集なれば、無量の義訓有べき事也
2786 山振之爾保敞流妹之翼酢色乃赤裳之爲形夢所見管
やまぶきの、にほへるいもが、はねずいろの、あかものすがた、ゆめにみえつつ
山振の匂へるは、妹が容顔美しきを賞めて也。只匂へると云はんとて山振とは云へり。山吹の花は唐棣花と云説有。是等(340)の歌にて紛敷誤るべき人もあらんや。はねずを唐棣花と云也。山吹は黄色也。はねずは紅也。依て赤裳とも詠める也。可v混にあらず。歌の意は明也
2787 天地之依相極玉緒之不絶常念妹之當見津
あめつちの、よりあふかぎり、たまのをの、たえじとおもふ、いもがあたりみつ
たとひいづくに隔たりぬ共、天地の果ある限りは中絶えまじと思ふ、妹が邊りを見しを喜べる意也。玉の緒とは不v絶と云序也
2788 生緒爾念者苦玉緒乃絶天亂名知者知友
いきのをに、おもへばくるし、たまのをの、たえてみだれな、しらばしるとも
いきのをとは命の緒と云義、玉の緒と云も同じ義也。玉の古語をきと云ひしなれば、いは發語にしてきのをと云義にて、玉のをと云同事の詞歟。いきのをに思へばとは、命にかけて思へば苦しきとの義也。玉の緒とは不v絶と詠みたる歌も有に、是は又たえてと讀めるは、命の絶えると云義にはあらず。此絶えては、玉貫きたる緒の切れては、玉の散り亂れる義を譬へ云へり。尤下の意はかく戀ひては苦しき餘り、よしや命も絶えてそこ故に戀死にたりと人に云ひ立てられ、我思ひの表れる共、厭はじと云意をよせて也。表の意は玉の亂れてそれと知られ顯るる共、厭はじとの意也
2789 玉緒之絶而有戀之亂者死卷耳其又毛不相爲而
たまのをの、たえたるこひの、みだるれば、しなまくのみぞ、またもあはずして
玉の緒は絶えたると云はん爲の序にして、中絶えて戀亂るれば、命も絶えまくぞ思ふとの意也。又もあはずしては、中絶えて二度つがで死なまくと也。中絶え果てんかと也
2790 玉緒之久栗縁乍末終去者不別同緒將有
(341)たまのをの、くくりよせつつ、すゑつひに、ゆきはわかれで、おなじをならむ
此歌の並みも問答の意につらねたると見えたり。前の歌は中絶して玉の亂れて戀死なんと思ふ意の歌也。此歌は玉の緒の括り寄せて置きしからは、暫し離れたり共、末は遂に寄合ふて同じ緒に貫ぬかんと云意也。思ふ中の暫し離れたり共、末は終にひとつ所に相寄らんと云意を、玉の緒に寄せたる也
2791 片絲用貫有玉之緒乎弱亂哉爲南人之可知
かたいともて、ぬきたるたまの、ををよわみ、みだれやしなん、人のしるべく
亂れやせんと云て、死なんの意に寄せたり。片糸は堅糸と我のみ獨り戀侘びて、命も絶え絶えに思ひ亂るれば、終には死にもやせん、戀死なば人の知るべきにと也
2792 玉緒之島意哉年月乃行易及妹爾不逢將有
たまのをの、しまこころにや、としつきの、ゆきかはるまで、いもにあはざらむ
をの嶋と云地名も有にや。未v考。歌の意は、玉の緒のしまりたる故にや、解けて逢ふ事の年月を經れ共無きと也。心と云は括りと云詞と同じ詞故、をのこころとは詠みて緒を括り付る環を云也。心はと云も、緒の事に縁有から、緒の心とは詠めり。歌の意は何の事も無く、只玉の緒のしまりかためて解けぬから、思ふ人に年月經れど逢ふ事の無きと云義也。命の事にかけて寄せたる意にはあらず。只玉を貫きたる緒の事計りに寄せて詠める歌也。或説に玉の緒の引しめたる如く心をしめて忍ぶから年月の行變りてもこたへて、命も絶えてある、さなくては中中玉の緒の命も續くまじきをと云意に見る注もあれど六ケ敷聞ゆる也
2793 玉緒之間毛不置欲見吾思妹者家遠在而
たまのをの、あひだもおかず、みまくほり、わがもふいもは、いへ【さかれとも・へだたりて】
(342)玉の緒と云事を、命の事に計り見ては不v叶とは、此歌杯にても知るべく、只玉の緒の事に云ひたる迄也。玉を括り貫きたる間はあかぬもの也。其間もあかぬ如く思ふ妹を見たきと也
家遠在而を、いへとほくありてと讀みたるも、餘り拙き詞也。家隔たりてとか、家さかれ共とか讀べき義訓也。玉の緒の隙の程もおかず、相見まくほしと思ふ妹なるに、遠く隔たり居るとの意、又家をさかり居れ共心は不v離して、平生に見まほしく思ふとの意にか見るべき也
2794 隱津之澤出見爾有石根從毛遠而念君爾相卷者
こもりつの、さはいづみなる、いはねゆも、とほしでおもふ、せにあはまくは
此歌前にも出て少の違迄也。重出共見えたり。尤下の句違たれば別歌なるべき歟。諸本出を立に書誤りたると見えたり。さはたづみと云義、いかに共心得難く、前の歌泉の字を書きたればいづみなるべし。こもり津は隱れこもりたる處の義、又は地名なるべき歟。石根をも思ひは通じて君に逢はんとの意也。此歌の意は、君にさへ逢はばいかなる隱れたる石根水の底なり共心を通じて逢はんものをと云歌と聞ゆる也。前の歌の意とは少心違たり。前のは只至りて深く思ひ入たるの意計り、此歌は逢はんとならば、いかなる石根水底をも心を通ぜんものをとの意也
2795 木國之飽等濱之忘貝我者不忘年者雖歴
きのくにの、あくらのはまの、わすれがひ、われはわすれず、としはふれども
あくらのはまを詠めるは、人に飽くの意に寄せて、飽きて忘れぬとの義を云はんとての序也。飽かで忘れぬとの義也。世の中の人は飽きて忘るゝ事有り共、我は忘れじと也
2796 水泳玉爾接有礒貝之獨戀耳年者經管
みなそこの、たまにまじれる、いそがひの、かたこひのみに、としはへにつつ
水泳をみな底と讀み、又或抄にはみなくぐる玉と云は、波の事と云へる心得難し。兩義とも難2信用1けれど、泳の字は水練の(343)時又海士の水をかづきくぐると云も、水底に入を云なれば義をもてみな底とは讀ませたる歟。又海中の玉は水をくぐりて探り取もの故、水くぐる玉と云たる歟。みなくぐる玉とは、波と云義いかに共心得ぬ説也。古今集物の名の意を見損へるからの説ならんか。獨戀は片戀の義訓也。我のみ戀思ふは片戀也。礒貝は石貝にて、鰒の事と云説有。然るべし。石着玉と第七巻にも書て、あはびたまと讀ませたり。片片なるものにて、海中の石に着ゐるものなる故、礒貝の片とも續けたるならん。鰒の事は和名抄に四聲字苑を引て注せり。前にも注せし也
2797 住吉之濱爾縁云打背貝實無言以余將戀八方
すみのえの、はまによるちふ、うつせがひ、みなきこともて、われこひめやも
うつせ貝はうつろげなるものにて、實の無き物と聞えたり。未v見v考也。誠なき空事をもて我戀んや、眞實からこそ戀ぬるとの意也。うつせ貝は、實のぬけてからになりたる貝の、波に寄り來るものを云ひたる歟
2798 伊勢乃白水郎之朝魚夕菜爾潜云鰒貝之獨念荷指天
いせのあまの、あさなゆふなに、かづくちふ、あはびのかひの、かたもひにして
歌の意明也。朝な夕なは不斷の意、なとは助語、あさ夕と云義也。あさけゆふ食の菜肴の爲に、かづくと云意から抔云説は無益の事也。只鰒の只の片思ひにして、我のみ戀佗ぶるとの事也
2799 人事乎繁跡君乎鶉鳴人之古家爾相語而遣都
ひとごとを、しげしときみを、うづらなく、ひとのふるへに、相語てやりつ
我宿にて云騷がさるる專有から、外の住古したる家へ行相て、相語りてかへせるとの義也。相語の二字何とぞ別訓有べき也。相云ひてやりつとは讀み難し。語りてとは、相の字餘れば、ちぎりてと讀まんか。やりつとはかへしたるの義と聞ゆる也
2800 旭時等鷄鳴成縱惠也思獨宿夜者開者雖明
(344)あかつきと、とりはなくなり、よしゑやし、ひとりぬるよは、あけばあくとも
歌の意は聞えたる通也
2801 大海之荒礒之渚鳥朝名旦名見卷欲乎不所見公可問
【あら・おほ】うみの、あらそのすどり、あさなさな、みまくほしきを、見えぬきみかも
歌の意は毎日毎日も見たき君なるに、兎角に見えぬ君なるかなと、戀慕ひたる歌、然るにおほうみのあらそのす鳥と詠出でたる意、いかに共知れ難し。あと云一語にうけん爲計りとても、す鳥と云事何の縁うけ有てか。雎鳩の事と云説有。みさごに限りて云へる意、雄雌相双てゐる鳥故さも有べし。荒磯には朝毎に鳥の集りぬるものにや。第一第二句の意未v詳後案すべし。下の歌に、みさごゐる、すにをる船など共詠める歌もあれば、渚鳥とはみさごと云へる歟。大海と書きて、あら海と讀ませたる共見えたり。荒海のあらそとうけたる縁也。渚鳥の二字若し別訓あらんか。追而師云、水鳥のあさると云縁にて、あさとうけたる迄也
2802 念友念毛金津足檜之山鳥尾之永此夜乎
【しのべ・おもへ】ども、【しのび・おもひ】もかねつ、あしびきの、やまどりのをの、ながきこのよを
此思ひもかねつと讀事いかゞ也。義不v通。しのべともしのびとも可v讀。歌の意長夜獨りねがてに思ふ人を、忍びかねるとの義也。永夜を獨りぬる物うさの、思ひに堪へかぬるとの意を述んとて、足びきの山鳥の尾の長きと詠かけたり
或本歌曰足日木乃山鳥之尾乃四垂尾乃長永夜乎一鴨將宿
あしびきの、やまどりのをの、しだりをの、ながながきよを、ひとりかもねむ
或本には、初五文字よりあしびきのと詠出て、中の五文字にしだりをのと入て、一向の序歌に詠める也。さて此歌を範兼卿の説にも委しく注せられて、人丸の歌と云傳へて、後々の集にも入れられて、世擧而柿本人丸歌と傳へたり。何を證明には云傳る(345)か。童蒙抄の説より云へるか。此卷の前の、たらちねの母之手放如是計すべなきことはいまだせなくに、と云ふ歌より初而、敷細布枕人事問哉その枕には苔生ひたりと云迄、凡百四拾九首右柿本朝臣人麿歌集中出と、古注者も注しつ。其中にも不v入其外五首三首或ひは一首二首の左注にも、毎度古歌集中に出、何人の集に出と注せるは、所見を以て注せるならん。後世人丸の歌と慥に云傳る程の事ならば、已前百四十九首の内にも入るべきに、古注者も所見無き由に見えたり。さて此歌を世に云傳ふる處は、ながながし夜を獨りかもねんと詠み來れり。既に世にもてはやす百人一首にも入れて、女文字に書くにもながながし夜をと書き、是よりして後世歴々の歌にも、ながながし日も抔詠來れり。心得難き事也。ながながしと讀み切りて、夜を獨りと切つて讀むべき樣なし。ながながし夜とは續かぬ詞也。語と云ものは續くと續かぬ詞有。ながながき夜、ながながき日とは續く也。長夜長日とはつゞく。しと云ては句を切らねばならぬ也。さればこそ此歌にも前の本歌にも、永此夜長永夜とあれば、しとは讀べき樣なし。長き此夜ながながき夜と可v讀事也。助の之師等の字にてもあらば、ながながしとも讀べき事なるに、これをながながしと讀む事、古語古句の辨なきから誤りを傳へて、于v今おいてはそれだに改むる事も成難く成來る事、歎かしき事甚しき也。長々しき夜をと云義と、助けて云説あれ共、さ讀みたらば助字のしの字を書くべき事なれど、ながながきとこそ讀みたればこそ、助語の字を不v書也。ながながし夜と云詞は、古語古句に無き讀きと云義を、考へ辨ふ人だに無き也。山鳥の尾のと云尾は雄鳥の尾と云説有。此歌人丸の歌にもせよ、至極の古格の名歌也。只長きと云事迄に、如v此續けたる事上手の作也。山鳥は峰を隔てゝぬるもの也。それらの義迄を合みて也
2803 里中爾鳴奈流鷄之喚立而甚者不鳴隱妻羽毛
さとなかに、なくなる【かけ・とり】の、よび立て、いたくは不鳴、しのびづまはも
里中に鳴く鷄は、心儘に鳴くもの也、其如く音に立てゝもえ鳴かぬ忍び妻を戀ふとの譬へ也。鳴くもの故鳴かぬ事の成難き忍びわざの妻を戀ふ事かなと歎きたる義也。わさ田の穗には出ずと云意と同じく、出でるものをもて、出でぬ事に譬へたる義也。かけとも、とりとも讀べし。鷄の事也
(346)一云里動鳴成鷄 さとどよみなくなるかけの 本集の上の五文字の替りたる一本ありしと見えたり
2804 高山爾高部左渡高高爾余待公乎待將出可聞
たかやまに、たかべさわたる、たかだかに、わがまつきみを、まち出んかも
高山、此歌は言葉の縁を續けたると聞えたれば、たか山と讀まんか。前の歌共にては、地名の次第有て、地名をつらねる歌共の次に、かぐ山と詠める處も有。尤たか山とも詠みし歌有。此歌もたか山なるべし。高部とうつる爲也。たかだかにと云事前にも毎度有。人を待つには足をもそばだて、面をも仰ぎて遠見やるものなれば、身を高くし空をも仰ぐは、皆高きものを見る躰なるをもて云へるか。此詞しかとは濟まぬ詞、前には愚案ちかぢかと云意か共釋したり。此歌もちかぢかと云ひ、義相叶ふ歌なれど、不2相叶1歌も有。依て決し難し。此歌の意は、上はたかだかにと云はん迄に、たかべさわたると詠みて、たかべは小鴨の事也。鴨の内色々種類有。名異なり。然れ共皆鴨の種類也。人を待つ頃山の端を高べの群れて渡るを見て、わが待居る人も追付け出で來らんかと也。待出んとは待つけて人の出來らんかと云意也
2805 伊勢能海從鳴來鶴乃音杼侶毛君之所聞者吾將戀八方
いせのうみゆ、なきくるたづの、おとどろも、きみがきかせば、われこひんやも
伊勢の海よりと云に意は無し。音どろは音どもと云意、只おとづれをもと云義也。ろは助語也。とどろにもと云義と云説あれど、音を重ねて云ひたる意と同じく、只おとをもの義、おとづれなりとも君が聞かせたらば、かくは戀佗びまじを、打絶えて訪れだに無き人を恨める歌と聞ゆる也
2806 吾妹兒爾戀爾可有牟奥爾住鴨之浮宿之安雲無
わぎもこに、こふるにかあらん、おきにすむ、かものうきぬの、やすけくもなし
浮寐の安けくなしと云はん爲に、鴨の浮ききねのと云ひて、吾妹兒に戀侘びるから、夜をいぬる事も安けくもえいわぬと也。そ(347)ら恐れして戀ふるにかあらんと詠めるは歌の餘情也
2807 可旭千鳥數鳴白細乃君之手枕未厭君
あけぬべく、ちどりしばなく、しろたへの、きみがたまくら、まだあかなくに
思ふ人といねし夜の早く明くるを歎きて、まだ飽き足らぬに、千々の鳥の音のすると歎ける也。千鳥は百千鳥の千鳥也。一鳥の川瀬に住む千鳥には有まじ。第十六卷、我門に千鳥しばなくおきよおきよわが一夜づま人にしらるな。同卷、我門のえのみもりはむ百千鳥千鳥はくれど君ぞ來まさぬとも詠みたり。第十七卷に、いほつ鳥たて夕かりに千鳥ふみたて、抔共詠める千鳥と同じかるべし
問答
2808 眉根掻鼻火紐解待八方何時毛將見跡戀來吾乎
まゆねかき、はなひひもとき、まためやも、いつかも見んと、こひ來吾乎
此前にも出たり。六葉目に出て人丸歌集中出とある歌の内也。然れ共其歌とは作者も異にして意も不v同歟。前の歌は、待つらんやいつしか見むと思ふわがせをと詠みたり。此歌の下の句は、いつかも見んとこひこしわれをと有。是も吾の字君の字の誤りたるか。戀ひこし我をと讀みては、先の人が鼻ひ紐を解きて待ためやもと云意に聞ゆる也。然れば歌の意決し難き也。只われをのをは語の餘りにて、只われと云計りに讀みて、をは例の音の餘り歟。さなくては兩樣に聞ゆる歌也。何れ共決し難し。聞得難き歌也
右上見柿本朝臣人麻呂之歌中但以問答故累載於茲也 此注心得難し。下の句の意違あれば、決して前の歌と同歌とは云難し。此歌とくと聞得難き歌也。問答の歌なれば、返歌の意にて聞ゆべき筈なれど、返歌の意も聞き得難き歌也。兩首共誤字にて讀みなし樣惡しき歟。尚後案すべし
(348)2809 今日有者鼻之鼻之火眉可由見思之言者君西在來
此歌印本諸抄の説は、いかに共心得難き讀樣也。先第一の五文字を、けふなればと讀みて今日逢ふなればと云事と釋せり。今日なればと云て何事の今日なればと云事ならんや。文字左樣に讀まるる字なればとて、餘りなる無理讀也。當集の歌の書樣千變萬化無理の筆力、義訓を盡して、後世迄も萬葉書と云書法の綱紀ともなる此集なれば、有體計りに讀みて歌の意に叶ふべくも無し。既に此歌もけふなればと讀みては、色々言葉を添へて注せざれば義不v通也。然れば、けふなればと云義には不v書と云事を辨へざるから、今日とあればけふと計り讀事と見し人の假名付を、又後人力無きから誤りに誤りを添へて傳へたり。宗師案は、此四字をこひぬればと讀ませたると見る也。人を戀ひぬれば鼻しはなしひてと云義也。思之言者、是もおもひしことはと讀みては、何を思ひし事やらん、義不v通。宗師案は、しのべることはとか、しのべるわれはとか讀べし。君にし有けり、相見たきと戀佗びぬれば、はなひ眉根もかゆくて、あはんやあはんやと忍ぶ事は、只君こそあれと云意と見る也。君西在來の四字若くは君にましけりと讀むか。然らば忍べる事は君にましけると云義にて、眉をかき鼻ひて逢はん事を忍ぶは、我こそ君に勝れと答へたる歟。諸抄の意は、今日かく逢ふなれば、前相の有し事は、君がことにし有けりと云意との説なれ共、言葉を添へて注せる事は、如何樣にも注せらるべし。此句躰さはいかに共聞えぬ也。歌は詞の通にて、外より添言なしに聞ゆる樣に詠しものなれば、古詠尚以而其通なれば、諸抄の添言の意は信用し難き也。然れ共此歌問答ともとくと聞き得難し。追而後案すべし
右二首 如v此注せるは、此二首にて問答したる歌と云理りに古注者加筆したる也
2810 音耳乎聞而哉戀犬馬鏡目直相而戀卷裳太口
おとのみを、ききでやこひむ、まそかがみ、めにただにみて、こはまくもいたく
此歌の意も聞き得難き歌也。先づ句面にて云はば、音のみを聞きて戀ひをらん、目に只見る計りにては、猶戀ふる事のいたく 目にのみ見て相語らふ事もならでは、かへりて戀事のいたく苦しからんとの意を云へると聞ゆる也。犬馬の二字をまそと讀ませる事心得難し。然れ共當集の格前に書たる連字は略して書ける事、此卷の一躰也。依て(349)前の第七葉に、いづみのそまと云に、追馬犬呼と書きてそまと讀ませたり。其處に義訓の釋は記せり。其熟字を略して書きたると見えたり。此歌一説に音のみ聞て戀ふべきや、目に直ちに見しからかく戀ふ事の多きと見る説も有り。何れか作者の意に叶ふべからん。好所に從ふべし。
2811 此言乎聞跡乎眞十鏡照月夜裳闇耳見
かくいふを、きくらんとてか、まそかがみ、てれるつきよも、やみにのみみつ
答の意、目にただに見ては、いとど戀ふ事のいたくあらんに、音のみを聞きて戀ひむと云事を恨みて、如v此云を聞かんとてか、明月も暗く見えしと云意と聞ゆる也。然れ共諸抄の説は、君がかく我を戀ふよし聞かんとてか、我も君を戀ひて、明月も暗くのみ見しは、互ひの心の通へるにやと云意に見る也。何れか是ならん。答る歌は先の詞を咎めて返すを本意とすれば、先の言葉につきて恨むる事か、それより我はいや増など云事を答ふべき事也。眞十鏡と云事をうけたる迄の返歌にては、答の意薄き歌に聞ゆる也。清き月を闇に見ると云事は、第四卷第十二卷にも詠める歌有。印本には、きくとにやあらんと讀ませたるは心得難し。無き字を入れて讀める也。聞くらんとか、聞きなんとにやとか讀は、皆手爾波字を添へたれば苦しからず。乎の字は大方をと讀みたれど、此歌にては、やとか、かとか訓に不v讀は歌の意不v通也
右二首
2812 吾妹兒爾戀而爲便無三白細布之袖反之者夢所見也
わぎもこに、こひてすべなみ、しろたへの、そでかへししは、ゆめに見えきや
戀しき時は夜の衣をかへして着れば、夢に見ると云諺有故、戀ひこひて詮方無き餘りに、袖をかへせしが、そなたの夢には見えずやと也。こなたにも見、先にも見ゆると云諺有より詠めると見えたり。袖計り返したるにも、又衣の全躰をかへしたるにも、袖と詠める事例多し。ゆびは手につきたるものから、指を折を手を折りてと詠める類也
2813 吾背子之袖反夜之夢有之眞毛君爾如相有
(350)わがせこが、そでかへすよの、ゆめならし、さねにもせこに、あひたるがごと
よく聞えたる返歌也。袖かへしは夢に見えきやと云ひかけたる故、實に其夜の夢ならし。實に君に逢ひし如く夢見しと也
右二首
2814 吾戀者名草目金津眞氣長夢不所見而年之經去禮者
わがこひは、なぐさめかねつ、まけながく、ゆめにも見えで、としのへぬれば
まけながくは只長く也。夢にも見えずして年を經れば、慰む方も無きと也。別の意無き歌也
2815 眞氣永夢毛不所見雖絶吾之片戀者止時毛不有
まけながく、ゆめにも見えず、たゆれども、わがかたこひは、やむときもなし
逢事は夢にだに中絶えずと云へ共、心には忘るる事無きとの答也。能聞えたる返歌也
右二首
2816 浦觸而物魚念天雲之絶多不心吾念魚國
うらぶれて、ものなおもひそ、あまぐもの、たゆたふこころ、わがおもはなくに
うらぶれては心を悩ましてと云義、天雲のたゆたふとは、事のそことも定まらず浮きめぐる如く、浮かれ心に我は思はず、ねざして實にそなたを思ひしめつれ、浮かれては思はぬと云義也
2817 浦觸而物者不念水無瀬川有而毛水者逝云物乎
うらぶれて、ものはおもはじ、みなせがは、あり【つゝ・ても】みづは、ゆくちふものを
水無川と讀みては、極めてありと下に讀事古例となりて、古今集にも、水無瀬川ありて行水なくばこそ終にわが身をたえぬと(351)おもはめと詠めり。此集の此歌に依てならんか。凡て水無瀬川と詠みては極めて有りと讀事習也。此歌の意は、うらぶれて物思ふなどの示しの如く、眞に水無瀬川と名には云へ共、水はありつつも行と云ものからは、暫し絶えたる中と見ゆる共絶えはせまじ。既に水無瀬川と名には云へ共、水はありつつも行なれと云意也。而の字はつつと讀む方聞き安からんか。ありてもと云ては義少六ケ敷樣也
右二首
2818 垣津旗開沼之菅乎笠爾縫將着日乎待爾年曾經去來
かきつばた、さきぬの菅を、かさにぬひ、きんひをまつに、としぞへにける
かきつばたとは、さきぬを云はん序ながら、開沼と云地名有てか。又女にかきつばたを比して、同じ沼に咲く草なれば詠める歟。歌の意は、我思ひかけし女を事にも不v入して、時節をいつか來と待程に、年月を經るとの義也。かきつばたを詠出たるは、をみなへし咲く沼と詠める類ならんか。兎角女に送れる歌なるべし。さき野と云野もあれば、さき野にある沼の菅と云意歟。きん日と詠めるは、互に通じ合せても、逢事成難くて、年を經るとにや。垣津旗は訓借書也。和名抄云、蘇敬、本草注云、劇草一名馬蘭【和名加木豆波太】中世は杜若の字を書く也。當れり共不v見也。追而可v考
2819 臨照難波菅笠置古之後者誰將著笠有魚國
おしてる、なにはすげがさ、おきふるし、のちはたがきん、かさならなくに
おしてるの事は前に注せる如く、先は地名と見る也。諸抄の説色々あれど、難波に限りたる言葉なれば、諸説の義は心得難し。臨照の二字をおしてると讀む義は、押なべての意和漢共通じて用來れりと見えたり。日本紀神代卷にも天下をしらしめと有に、此二字を被v用たる也。然れば天子の天下をしろしめす如く、押なべてと云義を取りて、照は大也と云字注も有故、おしと云言葉に照の字を書て讀ませたると見えたり。難波菅笠、古より名物と見えたり。東西生兩郡、難波の大郡と云へり。東生にます生魂社を、延喜式にも難波大江と被v載たり。然れば此地先難波の本名の地と見ゆる也。于v今東生郡に菅笠を仕出す由(352)申せば、古よりの名物の處なるべし
置古之 今俗にも物を納め置てふるはすを、置ふるしと云如く、約束はして呼び取りもせずか、又逢はんと互ひに契り交はしても、逢はでのみ過ごすを、笠をぬひながら着もせで置ふるしにせる如くと譬へて、答る意はおきふるしになりても誰かは着ん、君ならでは着る人はあらじ。たが着る笠ならなくと云へる意と見ゆる也。たが着る笠にあらなく、君にこそ着らるる笠也と云義をかく詠めると見る也。又後には着るべくもあらぬ笠なるに、かく置きふるしになると歎きたる意共聞ゆる也
右二首
2820 如是谷裳妹乎待南左夜深而出來月之傾二手荷
かくだにも、いもをまたなん、さよふけて、出くるつきの、かたぶくまでに
かくだにもとは、かく月は傾くともいつ迄も待たんとの意也。傾く迄に待ちつれ共、尚來る迄も待たなんとの事也
2821 木間從移歴月之影惜徘徊爾左夜深去家里
このまより、うつろふつきの、かげをしみ、たちやすらふに、さよふけにけり
とく來なんを月の木の間に移り行を惜みて、たち休み居たる故、小夜更けて君に待たせしと答たる也
右二首
2822 拷領巾乃白濱浪乃不肯縁荒振妹爾戀乍曾居
たくひれの、しらはまなみの、よりもあへず、あらぶるいもに、こひつつぞをる
身の寄りあはぬ事を、波の不v寄と云にかけて也。浪のみは身の事にうけたる也。白濱は地名有べし。所未v考。しらこの濱などと云地名有。そこか。あらぶる妹は、古語に心に從はぬ事を、あらぶると云ひしと聞えたり。第六卷にも、つくしふねの歌にも、あらぶる君を見るが悲しさと詠める歌有。心に從はぬ妹を戀ひをると云歌也
(353)一云戀流己呂可母 下の七文字の或説也。歌の意は同じき也
2823 加敝良末爾君社吾爾拷領巾之白濱浪乃縁時毛無
かへらまに、きみこそわれに、たくひれの、しらはまなみの、よるときもなし
あらぶる妹を戀つつと讀める故、それはかへさま也。君こそ我につらくて、浪の寄る時も無きとの答也。此返歌の意にても見れば、白濱と云所は浪の寄來ぬ所か。尤寄來るもの故、不v寄と云譬へに詠む例も多也。其意は、只寄りよると云詞をとりて云迄也。若しくは此二首の白濱は、波の寄らぬ濱などに詠める歟
右二首
2824 念人將來跡知者八重六倉覆庭爾珠布益乎
おもふひと、こんとしりせば、やへむぐら、とぢたるにはに、たましかましを
聞えたる歌也。思ひもかけず思ふ人の來りしに、疎かに待うけしとの意也。覆の字は、はひたるとは讀難し。義訓に、とぢと讀べき歟。第六卷に、宿ににはにも玉しかましをと詠める同じ
2825 玉敷有家毛何將爲八重六倉覆小屋毛妹與居者
たましける、いへもなにせん、やへむぐら、はひたるこやも、いもとしすまば
よく聞えたる返歌也。不v及2注釋1也。むぐらの宿に寢もしなんの意と同じ
右二首
2826 如是爲乍有名草目手玉緒之絶而別者爲便可無
かくしつつ、ありなぐさめて、たまのをの、たえてわかれば、すべなかるべし
(354)かく今はあり慰みて中絶えて別れなば、いかに詮方も有まじと、深く思ふ餘りに、末の事迄を思ひやれる切なる歌也
2827 紅花西有者衣袖爾染著持而可行所念
くれなゐの、はなにしあらば、ころもでに、そめつけもちて、ゆくべくぞおもふ
衣でに思ふ人を比して答へて、心得て詞にすがらで答へたる返歌也
右二首
譬喩 たとへ歌と云標題也。歌の字を脱せる歟
2828 紅之深染乃衣乎下著者人之見久爾仁寶比將出鴨
くれなゐの、こそめのきぬを、したにきば、ひとの見らくに、にほひでんかも
こそめは濃く染めたると云義也。濃き色の衣をと云意、たとふ心は深く色に染みて、人を下心に戀ひ思はゞ人の見とりて、自ら色に顯れんかと也。にほひ出んかもとは、色に顯れんかと云義に譬へたる也。印本假名付の諸本人之の之の字を者に誤れり。素本には之の字を書けり。之の字正本たるべし
2829 衣霜多在南取易而著者也君之面忘而有
ころもしも、さはにあらなん、とりかへて、きなばやきみが、おもわすれたる
此歌の見樣兩義有。先づ而有の二字をせんと讀める義は、いかに音通ずればとて、終に例無き讀樣也。しはせに通ひ、うはむに通ふと云了簡から、さ讀めるならんか。集中に無き例音也。是はたると約言に讀みたるもの也。たとふ意は一義、諸抄の意は數多衣の有如く、君は思ふ人何人も有から、わが面をも見忘れて有に、我も數多衣もかなと替へ着る如くにして、君の事を思 と注せり。不2打着1説也。宗師意は、表は衣の數多あれかし、珍らしく取替へ着むにと云意にて其珍らしく取り替へ着んとは、今我思ふ人に忘られて有に、華かに珍らしき衣をも着たらば、目に立ちて面忘れしたる人も(355)思ひ出んにと云意と見る也。尚後案有べき歌也。面忘れと云事は前にも二首有
右二首寄衣喩思
2830 梓弓弓束卷易中見判更雖引君之隨意
あづさゆみ、ゆづかまきかへ、なかたえて、さらに引とも、きみがまにまに
此歌を中見判と書きては、義訓にならでは讀まれぬを、諸抄假名付の諸本には、あててみばと讀ませたり。あてて見ばと云義何としたる事ならんか。只讀樣なき故、無理なる推量讀也。見わると云義にて、物をわると云は、續きたるものの絶えるの意有をもて、中絶して又更に引とも、君がまにまにと詠める也。此歌などや教えの歌にもなるべき歌也。弓束まきかへは一度外へ心をかへし、人の又引かへり我を引とも恨みを含まず、君が心の儘にと云譬へ也。弓の上にて云ひたる歌也
右一首寄弓喩思
2831 水沙兒居渚座船之夕鹽乎將待從者吾社益
みさごゐる、すにゐるふねの、ゆふじほを、まつらんよりは、われこそまさめ
歌の意はよく聞えて、しほの于瀉にすはりたる船の、潮のさしくるを待つよりも、我思ふ人を待こそまさめと也。夕鹽と詠めるは朝夕にさし引の時刻有て、別而夕部には潮の滿つるもの也。それのみならず人を待つも夕暮よりのものから、其意を含みて也。水沙兒を渚鳥と云説有。是等の歌より云ひたるか。采葉には雎鳩關雎の事になぞらへて注せり。我朝のみさごも雌雄相双て河中の洲に有りと也。戀の事に縁ある鳥故かく詠みしと云へり。いかさま諸鳥多き中にみさごを詠めるも意あらば、雌雄相双て住むを羨みたる心からにもやあらん。古詠そこら迄は至らず、只洲にゐる船と云はん迄の事に詠めるならん。又みはまと同じくて、眞砂のある洲と云説も有。此注は心得難し
右一首寄船喩思
(356)2832 山河爾筌乎伏而不肯盛年之八歳乎吾竊舞師
やまかはに、うけをふせつつ、もりあへず、としのやとせを、吾竊舞師
和名抄云、野王按、筌、且※[さんずい+玄]反、和名、宇倍云々。魚をとる竹の簀也。此歌の意聞得難し。諸抄の説の通にては何共通じ難し。ぬすまひしと云詞珍らしき詞也。尤日本紀の歌に、ぬすむと云事を詠める歌あれ共、ぬすまひしと讀める事心得難し。諸抄の意は、女を魚に譬へて、山川にうけを伏せて、それを守る如く親などの守れる女を、此八歳の間われ忍びて相語らひしを、ぬすまひしとは云との説也。いかに共心得難き説也
宗師某は竊の字はぬを略して、住居しと云事にて書たるならん。然らば筌をも不v盛ば我意に思ふ人の事を專にせず、怠りて戀に情を不v入故、八歳の間徒らに過し來れるとの意と見る也。愚意未v落。追而可v考
右一首寄魚喩思
2833 葦鴨之多集池水雖溢儲溝方爾吾將越八方
あしかもの、さわぐいけみづ、まさるとも、儲溝方に、われこえめやも
此歌まけみそかたと云事いかに共心得難し。歌詞にあらず。此三字別訓有べし。池には水の溢れて堤の崩るる時有故、十分に滿水の時はよけ溝と云物を拵へ置きて、水を漏らす也。其事を云ひたる義なれば、何とぞ其義に叶ふ義訓有て書けるなるべし。まけみぞかたとは、いかに共聞き習はぬ詞也。譬への意は池水は池に滿つれば、外へ漏れ流るる事もあれど、我は外に心を通す事は無き、只一筋にそなたにこそ思ひ込みて、心の變ぜぬと云意を池水に譬へて云ひなせり。前に、荒礒こすほかゆく波のほか心云々、と云へる歌の意に同じ
右一首寄水喩思
2834 日本之室原乃毛桃本繁言大王物乎不成不止
(357)やまとの、むろふのけもも、もとしげみ、きみちふものを、ならずばやまじ
室原は大和國城下郡室生山と云有。其地名をさして詠めり。毛桃は只桃と云義、毛とは發語也。ももを譬へたるは、もと云詞は女に縁有から、前々の歌にも戀の事を寄せて云へる歌共有。譬への意は桃は木の實と云ものを、然らば遂には實のならずばやまじ、我戀の終には成就せずばおかじ、思ひやむまじとの義也。言大王、きみちふと讀は世間には不v通義訓也。上へかへりて云言葉故、君と云と云義に如v此書たると見えたり。わがきみ物はと讀みてはいかに共義不v通也。桃も木實と云ものを、然らばならずばやまじとの義と聞ゆる也
右一首寄菓喩思
2835 眞葛延小野之淺茅乎自心毛人引目八面吾莫名國
まくずはふ、をののあさぢを、こころゆも、人ひかめやも、われならなくに
上の句に意は無し。只心ゆもと云はん迄也。心ゆもとは心より眞實に引かめや、人は皆空言に云ひかける也。我こそ實に思ひ入ぬれと云意也。我ならなくには我より外には有まじきと云意也。此引は葛を引事に譬へたる也。色々入組たる設を云釋あれど、入ほかなる意也。淺茅原の葛を眞實に引人は、我ならではあらじと云義迄の歌也
2836 三島菅未苗在時待者不著也將成三島菅笠
みしますげ、いまだなへなり、ときまたば、きずやなりなん、みしますががさ
此は未だいとけなき女を見て、生行さき人となりてわが妻にもせんと思ふ故、其時を待なば人に引かれてわれは著ずやならんかと也。いとけなき女子などをさして、菅の苗に譬へたる也。草木の生出てちいさきを苗とは云也。然るに稻に限りて苗と計り云。外の苗は、何の苗かの苗と上に其名を云也。古へはさも無かりしか。三嶋菅は攝津國の三島と云所の名物也。難波菅笠共詠める同事なるべし
(358)2837 三吉野之水具麻我菅乎不編爾刈耳苅而將亂跡也
みよし野の、みくまがすげを、あまなくに、かりのみかりて、みだれなんとや
水くまは河の入り曲りたる所、隈の義と云と諸抄の説也。名所ならんか。さなくては三吉野のと詠出て水隈とは心得難し。水の隈の事ならば、吉野河水隈とも讀べし。尤も三吉野のと云から、みくまともうけたるなるべけれど、前の歌も三嶋菅とあれば、ここも吉野郡の内に、みくま江のくまの沼澤など云所古くは有しを、今は古跡舊地も皆とり失へば知れ難き也。譬ふる意、みくまが菅を編まずとは、わが思ふ人を我物共えせで、只戀ひてのみ心も亂れんとするとの意也。かりのみかりては戀ふ事也。表の意は、菅を刈置て笠にも編まずして取亂し置ける義と詠みて、下は思ふ人を手にも入れず、只ひた戀に戀佗びてあらんやと也。戀ふ事をも又ものを得る事をも、かりかるとは云也。表は刈置の意下は戀々てのみ居るとの義也
2838 河上爾洗若菜之流來而妹之當乃瀬社因目
かはかみに、あらふわかなの、ながれきて、いもがあたりの、せにこそよらめ
只妹によらめと云義を云はん迄の義に譬へたり。わが妹に寄らんと云事を、若菜にして詠める也。古今千載等の歌にも、よる瀬はありてふ、川の瀬によるなど、戀の事を川瀬に寄せて詠める歌多し。此河上に洗ふ若菜と詠出たるは、若し古事などに心を寄せて詠めるか。新撰姓氏録に、應神天皇の御時自2崗邊川上1青菜葉流下ると云事有。委不v及v注也
右四皆寄草喩思
2839 如是爲哉猶八戍牛鳴大荒木之浮田之杜之標爾不有爾
かくしてや、なをやもりなむ、おほあらきの、うきたのもりの、しめに【ならなくに・あらなくに】
大荒木のうき田の森は大和也。大あらきの内にある浮由の杜也。それを大あらきの杜共直ぐに云へるか。尤此大荒木と云義に付きては、廟所を云ひたる事多し。凡て墓を城《キ》と云て、大にあれたる荒蕪の地と云事にも云ひたると見えたり。大あらきの森の下草生にけりなど詠めるも、常の處の事とは不v聞。此事は前に注せり。然れ共此歌の大荒木は、上古の由來は知らねど、(359)延喜式に、大和宇智郡荒木神社と被v載たる所なるべし。小名をうき田の森とも云へるか。杜とは凡て神社をさして云へる也。しめと云へるも、神社に引たる人の手をさへぬものと云義に譬へたると聞ゆれば、荒木神社の大荒木なるべし。浮田を詠めるるも、叶はぬ戀の憂きと云に寄せたるならん。扨此歌を印本には、なをややみなんと讀みたり。歌の意は思ふ人を手にも入るる事なくて、守り果んかと歎きたる意を譬へたる義に聞ゆれ共、下にもりと云詞を設けたれば、成の字は戍の字なるべし。戀思ふ人に手をもささで、神社のしめに人の手を添へぬ如くにして守りや果ん、杜のしめにてはあらぬにと云意と聞ゆれば、もりと讀べきか。若し戍の字にて、まみむめも通音故、やまやみ同音故、かくしてややみ果なんかと云意に詠たるか。やみなんと云古點の有も、成は戍の字を誤りたるかと見ゆる也。或抄に成と云字にして、戀のなりなんと云意と釋せる、殊の外入組六ケ敷義を云添へての説也。なをやと云は、又やつらくまもりてのみ逢事も無くしてやまんかと云の意也。扨牛鳴と書きて、もとか、むとか讀むは、鳴戸につきて云ひたる義也。もうと鳴くもの故、まみむめも同音に、むとは讀と聞えたり。一説に此浮田森山城と云説、今加茂の西にあると云へ共、大和なるべし
右一首寄標喩思
2840 幾多毛不零雨故吾背子之三名乃幾許瀧毛動響二
はなはだも、ふらぬあめから、わがせこが、みなのそこぱく、たきもとどろに
歌の譬へ云義は、相逢事のさのみ繁くも無き事に名の立事は、瀧つ瀬音の如く騷がしき程に、虚名を云立てらるると云義也。それを雨を寄せて、雨の甚だも降りたらば、瀧の音の騷がしきも理りなるに、さのみもふらぬ雨なるに名の立事は瀧の音の轟く如くと云義を譬へたり。みなのそこぱくは、みな底と云縁にうけたる迄也。前に、朝こちにいでこす波のたつ日にもあはぬ物から瀧もとどろにと詠める意に同じ。不v零物故はものなるにの意也。なるからにと云詞也。ジヤにと俗に云言葉と同じ義也
右一首寄瀧喩思
萬葉童蒙抄 卷第三十二終
(360)萬葉集卷葉十一難解之歌
2352 ○新室蹈靜子之手玉鳴裳玉如所照公乎内等白世
2354 健男之念亂而隱在其妻天地通雖光〔五字傍点〕所顯目八方
2355 ○惠得吾念妹者早裳死耶雖生吾邇應依人云名國
2361 天在一棚橋何將行穉草妻所云足莊嚴〔三字傍点〕
2362 開木代〔三字傍点〕來背若子欲云余相狹丸〔三字傍点〕吾欲云開木代〔三字傍点〕來背
2366 眞十鏡見之賀登〔四字傍点〕念妹相可聞玉緒之絶有戀之繁此者
2391 玉響〔二字傍点〕昨夕見物今朝可戀物
2398 年切〔二字傍点〕及世定恃公依事繁
2400 伊田何極太甚〔三字傍点〕利心及失念戀故
(361)2403 玉久世〔三字傍点〕清河原身祓爲齋命妹爲
2404 ○思依見依物〔五字傍点〕有一日間忘念
2409 君戀浦經居悔〔傍点〕我裏紐結手徒〔三字傍点〕
2414 戀事意追不得出行者山川〔二字傍点〕不知來
2417 石上振神杉神成〔二字傍点〕戀我更爲鴨
2420 月見國同山隔〔四字傍点〕愛妹隔有鴨
2421 ※[糸+參]路〔二字傍点〕者石蹈山無鴨吾待公馬爪盡
2456 烏玉黒髪山〔三字傍点〕山草小雨零敷益益所思
2478 ○秋柏潤和川邊細竹目人不顔面公無勝〔七字傍点〕
2481 大野跡状〔二字傍点〕不知印結有不得吾眷
2488 磯上立回香瀧〔三字傍点〕心哀何深目念始
(362)2492 念餘者丹穂鳥足沾〔二字傍点〕來人見鴨
2494 ○大船眞※[楫+戈]繁拔※[手偏+旁]間極太戀年在如何
2496 ○肥人額髪結〔六字傍点〕在染木綿染心我思哉
2521 垣幡丹頬經君※[口+立刀]率爾〔二字傍点〕思出乍嘆鶴鴨
2522 恨登思狭名盤〔六字傍点〕在之者外耳見之心者雖念
2556 玉垂之小簀之垂簾乎往褐〔二字傍点〕來者不眠友君者通速爲
2571 大夫波友之驂爾〔二字傍点〕名草溢心毛將有我衣苦寸
2577 今谷毛目莫令乏〔四字傍点〕不相見而將戀年月久家莫國
2584 丈夫登念有吾乎如是許令戀波小可〔二字傍点〕者在來
2585 ○如是爲乍吾待印有鴨世人皆乃常不在國
2601 現毛夢毛吾者不思寸振有公爾此間〔二字傍点〕將會十羽
(363)2602 黒髪白髪左右跡結大王〔三字傍点〕心一乎今解目八方
2616 ○奧山之眞木之板戸乎音速見〔三字傍点〕妹之當乃霜上爾宿奴
2623 呉藍之八鹽乃衣朝旦穢者雖爲益希將見裳〔四字傍点〕
2638 梓弓未之腹野爾鷹田爲君之弓食〔傍点〕之將絶跡念甕屋
2647 ○東細布〔三字傍点〕從空延越遠見社目言疎良米絶跡間〔三字傍点〕也
2659 ○爭者神毛〔四字傍点〕惡爲縱咲八師世副流〔三字傍点〕君之惡有莫君爾
2661 靈治波布〔三字傍点〕神毛吾者打棄乞四惠也壽之〓無
2677 佐保乃内從下風〔二字傍点〕之吹禮波還者胡粉〔四字傍点〕歎夜衣大寸
2678 級子八師〔四字傍点〕不吹風故玉※[しんにょう+更]開而左宿之吾其悔寸
2683 彼方之赤土少屋爾※[雨/脉]霖零床共〔二字傍点〕所沾於身副我妹〔五字傍点〕
2687 ○櫻麻乃苧原〔傍点〕之下草露有者令明而射去母者雖知
(364)2710 狗上之鳥籠山爾有不知也河不知二五寸許須〔五字傍点〕余名告奈
2721 玉藻刈井提乃四賀良美薄可毛〔三字傍点〕戀乃余杼女留吾情可聞
2723 數多〔二字傍点〕不有名乎霜惜三埋木之下從其戀去方不知而
2726 風不吹〔三字傍点〕浦爾浪立無名乎吾者負香逢者無二 一云女〔傍点〕跡念而
2774 ○神南備能淺小竹原乃美妾〔二字傍点〕思公之聲之知家口
2799 人事乎繁跡君乎鶉鳴人之古家爾相語而〔三字傍点〕遣都
2817 浦觸而物者不念水無瀬川有而毛〔三字傍点〕水者逝云物乎
2832 山河爾筌乎伏而不肯盛年之八歳乎吾竊舞〔二字傍点〕師
2833 葦鴨之多集〔二字傍点〕池水雖溢儲溝〔二字傍点〕方爾吾將越八方
2834 日本之室原〔二字傍点〕乃毛桃本繁言大王〔三字傍点〕物乎不成不止
萬葉童蒙抄 本集卷第十一終
(365)萬葉集卷第十二
古今相聞徃來歌類之下
正述心緒歌一百十首
寄物陳思歌二百五十首
問答歌三十六首
※[羈の馬が奇]旅發思歌五十三首
悲別歌三十一首
(366)萬葉童蒙抄 卷第參拾參卷
正述心緒 たゞちにおもひをのぶる 此題目は前前にも卷毎に有りて、委しく注せり。思ふ事を物に比喩寄などする事も無く、ありの儘にあらはし述べたる歌を指して云へる題也
2841 我背子之朝明形吉不見今日間戀暮鴨
わがせこが、あさけのすがた、よくみずで、けふのあひだを、こひくらすかも
是は朝別るる時の姿をとくとも見送らで、心殘りて一日の中戀慕ふと也。夜々通ひ來る夫を思ふ歌也。是物に寄せ比喩などもせず、心に思ふありの儘の事を詠める也。朝明と書きたれば、あさあけ共讀むべけれど、只あしたに別るる時の姿をもよく見ざるとの事に、外に意無き義なれば、あけと讀みては、其詞に義を云事あれば六ケ敷かるべき故、あさけとは只朝のことを云事なるから、あさけとは讀也。然れ共土御門院の御製に、あさあけの露の衣をほしそめてと詠ませ給へる事もあれば、朝あけ方歸り別るるの時の義に、朝あけ共詠めると見るべきか。此御製の意は色にかかりたる義と見ゆる也。然れ共此集の本語に寄らせ給ひての御製なるべし。下の意は淺緋の義と聞ゆる御製歌也
2842 我心等望使念新夜一夜不落夢見
此歌第一二の句いかに共心得難し。印本諸抄の如くにては歌詞にあらず。何とぞ別訓有べし。歌の意は、我心に深く思ひ慕ふから、毎夜毎夜夢に見ゆると云意也。あたら夜とは毎夜毎夜あたらしき夜と云意也。然れば我が心とのぞみ思へばと讀みては歌にならず。一二の句の讀樣有べし。追而可v加v案也
2843 愛我念妹人皆如去見耶手不纒爲
うつくしと、わがもふいもを、ひとみなの、もしゆきみんや、てにまかずして
(367)此歌の意も二義の見樣ありて諸抄の説も不2一決1。宗師説は先如v此見るから右の如く讀ませたり。わがうつくしみ思ふ女を外人も行き見て、若し其方へも亦心移りもやせん、我手にも卷かずしてあれば、心元なくいぶかしきとの意と聞ゆる也。然るに一説には、わがうつくしと思ひて、引靡けたる妹今皆人の行きて見るや、手にもえ卷かで、只行見る迄の事ならんに、我は賢くも早く手に入れしと、誇りて云意との説あれ共、如の字いまと讀事心得難し。詩文章等に如を今の字に遣ふ事は別段の事にて、如の字一字を取りはなして今と讀まん事證例覺束なし。歌の意は、我はも早や手に入れてうつくしみ思ふ妹を、今行きて皆人々は見て戀慕ふや、手にも不v入しておくれたる事をやすると、我を自賛の意に詠める共見ゆれ共、如の字を今とは讀み難ければもしとは讀也。歌の意、我を自讃の意よりも覺束なく思ふ意は戀の實情也
2844 比日寢之不寢敷細布手枕纏寢欲
このごろの、いのねられぬに、しきたへの、たまくらまきて、ねまほしとおもふ又ねまくほりする
下七文字は兩義に讀べし。歌の意は明也。此頃はわきて戀慕ひていの寢られぬから、いとど枕を並べて寢まほしきと也。手枕の手は發語也
2845 忘哉語意遣雖過不過猶戀
わするやと、物がたりして、こころやり、すぐせどすぎず、なほぞこひしき
思ふ人の事を忘るるやと、外人と物語りをもし心をやりすぐせ共、中々やり過ごされず、猶戀しさの彌ますとの歌と聞ゆる也。此歌も或説は、忘を忌に見て、ゆゆしくやと讀める抄も有。歌の意もまちまち也。何れか是ならん。知る人は知るべし
2846 夜不寢安不有白細布衣不脱及直相
よもいねず、やすくもあらず、しろたへの、ころももぬがじ、ただにあふまでは
歌の意は明か也。獨りぬればいねがてに心も安き事なく、相見し夜の衣も又逢ふ迄はぬかで、まろ寢をせんと貞節の意を兼て逢はぬ事を歎ける歌也
(368)2847 後相吾莫戀妹雖云戀間年經乍
のちにあはん、われをこふなと、いもはいへど、こふるあひだに、としのへにつつ
第二卷に人丸の歌に、思ふなと君はいへどもあはん時いつと知りてかわが戀ひざらむ、と云へる歌に同じ。逢はんと云ひても其時を待ち得る間に、年の經る事を歎ける也
2848 直不相有諾夢谷何人事繁
ただにあはで、あるはうべなり、ゆめにだに、いかなる人の、ことのしげけん
現には人目繁くて逢はずあるも理り也。夢にも逢ふとだに見ぬはいかなる人の云騷がしてにやと也。夢にだにと云にて、夢にもあひ見ぬと云意を知らせたり。せめて夢になり共見まほしく戀ひぬると見ぬ故なるべし。何人を、なにしか人のと讀説も有。なにしかとは、何とて思ふ人のことわざ繁くて、夢の間も見えぬぞと云意に見る也。何れなり共好む所に從ふべし
或本歌曰寤者諾毛不相夢左倍 うつつにはうべもあはずていめにさへ、本集の意彌よく聞えたり。寤を誤りて寢に作るは惡しゝ。本集の何人の二字は人の字通本には脱せり。一本人を加へたる本を正とすべし
2849 烏玉彼夢見繼哉袖乾日無吾戀矣
ぬばたまの、そなたのいめに、見えつぐや、そでほすひなく、わがこふらくを
我かく袖の乾く間もなく泣き慕ふ程に、戀ふる心のそなたの夢には見えも續けぬやと也。至りて切に戀佗ぶる意を述べたり
2850 現直不相夢谷相見與我戀國
うつつには、ただにもあはず、ゆめにだに、あふとはみえよ、わがこふらくに
現には兎角に逢はれざれば、せめて夢にだに逢ふと見えよかし、我かく迄に戀佗ぶるにと也。相見與はあふと見えこせ共讀べし。あたふるはよこせなど云意と通じ、又興の字の誤りたると見ゆる處も有て、與興の字にてよこせと讀べき義もあれば也
(369)寄物陳思 注前に委
2851 人所見表結人不見裏紐開戀日太
ひとめには、うへはむすびて、しのびには、したひもとけて、こふるひおほき
人所見人不見。義訓にて書たる也。あらはには共讀べきか。下の對に、あらはとしのびとを云へる也。何れにても意は同じ。下紐に寄せて、わが思ひは人目には何共なくて、下の心には思ひ餘りて、下紐まで解ける程に戀ふとの意を寄せたり。人を至つて戀ひ、人に戀ひらるると、自ら下紐の解くと云諺あるに依てかくは詠めり
2852 人言繁時吾妹衣有裏服矣
ひとごとの、しげれるときに、わぎもこの、ころもなりせば、したにきましを又二句しげきときには
衣に寄せて詠める意也。意は明也。しげき時には共讀まんか
2853 眞珠眼遠兼念一重衣一人服寢
しらたまの、まどほさくかに、もふひとと、かさねしきぬを、ひとりきてぬる
此歌諸抄の説印本の假名とは甚相違なる讀樣也。諸抄印本の如くにて、いかに共義不v通。歌の詞にあらざる讀樣也。しらたまも目にはとほけんと思ひつつ一重衣をひとりと讀みては、歌の意いかに共不v通也。色々の事を附添て云廻せば、いか樣にも云はるべけれど、意を添ても此歌の意は諸抄の如くにては義不v通也。しら玉も目にはとほけんと云事何共とりつかぬ事也。佛經など引合て釋せる説あれ共、皆附會の説古事をふめる歌の一體左樣の事にはあらず。歌は只縁を離れず言葉のつゞきにわけ有事也。玉は身の飾物にて身に纏ふ物也。衣と詠める下の句の緑も有から、間遠さく故にひとりぬると云事を、夜の衣に寄せて詠める歌にて、思ふ人と重ねし衣を、今われ只獨り着てぬる事の佗しきと云意也。目には遠けんと讀みていかに共歌の意不v通事を、樣々の事を寄せて釋せる説有。又一重衣をひとりと云事も歌の意不v通。思ふ人と重ね着たる衣をま遠さくから、われ獨り着てぬると云てこそ歌の意も可v聞か。一重と書たる程に其通りに讀べきや。古人はさ讀みては歌の意不v聞事(370)を知れる故、歌に依りて文字は色々と風流に書るは此集の一格也。重ねしきぬを一人きると云處が歌と云事を知らずんばかく詠む意は通まじきや。眞珠と書てしら玉と讀も義訓也。白玉は眞珠、黒玉はいぬまだまと云から、義をもて書たるもの也。眞珠と云は※[虫+包]の玉也。※[虫+包]にある清白の珠を今も眞珠と云也。ま遠さくかには、かなの意也。なにぬねのは同音也。かねを、かに共かな共云ひて通ずる也
2854 白細布我紐緒不絶間戀結爲及相日
しろたへの、わがひものをの、たえまなく、こひむすばれん、あはんひまでは
我紐の緒は唯紐の事也。紐と緒と二つを云にあらず。絶ゆる間も無く戀ひ結ぼほれると云べき爲の紐のを也。紐緒は、結ぶの、絶ゆるのと云言葉の縁に詠出る也。諸抄印本等の説は心得難き讀樣也。歌詞に無き假名付を證として釋をなせる故、色々附會の説をなせり。此歌は唯逢はん日迄は紐の緒の絶ゆる間も無く戀佗びて、心の解けず結ぼほれんと云事を寄せたる歌也
2855 新治今作路清聞鴨妹於事矣
にひばりの、いまつくるみち、さやかにも、きこえけるかも、妹がへのことを
此歌にひばりとは新しく作りひらく事を云也。凡て土をうがち開く事をはるとは云也。はるは元濁音なる故まり也。依て今作るとはうけたるもの也。尤も義も道を新しく造ると云事ながら、詞のうけは、まりつくと云縁にて詠める也。日本紀景行紀に日本武尊新治筑波をと詠ませ給ふ、連歌の初として學者のもてはやす事なれど、此まりつくと云續きの歌の意を知らざる事也。此御歌も、にひばり筑波をと地名を被v爲v詠たる處が歌也。今此歌も其御言葉を慕ひて、新治の今作るとはつゞけたる也。歌の意は新しき道なれば人の知るべき事ならず。未だ知り顯はれぬべきをあざやかにも世に顯れて、妹とわが上の事を聞えさするかなと云歌也。路とあるから來越《キコエ》とは詠めるならん。來越《キコエ》の意を兼ねて其來越る事にはあらね共、詞の縁を離れず詠める也。事をと云手爾波なる故、わが聞きし事の樣にも聞ゆる歌也。然らば歌の意少違あり。新しく作る道なれば、芝草など(371)も無くあざやかに清らなるもの也。それを只さやかにと云べき事迄に、上の句を詠出て、わが戀思ふ妹が事をよく聞きにけるかなと云迄の歌とも見ゆる也。兩義好む所に從ふべし
2856 山代石田杜心鈍手向爲在妹相難
やましろの、いはたのもりに、こころおそく、たむけしければ、いもにあひがたき
山代の石田の杜、第九卷に注せり。今俗いしだの杜と云ひ、社の名も田中社と奉v稱。田中に一構の杜ある也。依て田中社とも云習せり。歌の意能聞えたり。岩田の杜を詠出たる下に、あひがたきと云かた木の縁を求めてなるべし。但し此神は夫婦愛情を守り給へる神靈にや。古詠に多く戀を祈る事を詠める歌あり、不審也。鈍をおそきと讀めるは義訓也。不v利ものはおそき也。利のうら也
2857 菅根之惻隱惻隱照日乾哉吾袖於妹不相爲
すがのねの、しのびしのびに、てれるひに、ほすやわがそで、いもにあはずして
すがの根は土に隱れて知れぬものなれば、しのびと云事を云はんとて詠出て、此しのびは照る日に忍び忍びと云隔句に見るべし。人に隱し忍びて我袖を乾すとの意也。歌の意は句面にて明也
2858 妹戀不寢朝吹風妹經者吾共經
いもにこひ、いねぬあしたに、吹風の、いもにふれなば、われにもふれよ
妹に戀佗びて夜もいねぬあしたの風の吹過につれて、妹の方にも通ひふれなば我にもふれそへよと、風に寄せて妹にふれ添ひたきの意を述べたる也。第十一卷の歌に、我袖にふりつる雪も流行て妹かたもとにいゆきふれぬかと詠める意も同じ
2859 飛鳥河高河避紫越來信今夜不明行哉
あすかがは、たかがはとほし、こえてきぬ、さねもこよひの、あけゆかざれや
(372)諸抄印本の説は、信の字をつかひと讀みて心得難を樣也。歌の意いかに共不v通。信の字つかひと讀事も當集に例不v見、音信と書ておとづれと讀義をとりて、つかひ共假名を付たらんか。然れ共此歌に端無くつかひの事を詠み出たる義上に聞えず。是は只思ふ人の方は遠し、河瀬をも越え來りたれば、逢間も無ければ、夜も不v明あれかしと詠める歌と聞えたり。不v明行哉を明けゆかざれやと讀めるは、上に越えてきぬと詠める對に、ゆかざれやとは詠めるならん。高川遠越えて來しつかひのあけずゆかめやとは義不2相通1。歌の首尾いかに共聞きわくべき所無き讀樣也
2860 八鉤河水底不絶行水續戀是此歳
やつりがは、みなそこたえず、ゆくみづの、つぎてぞこふる、このとしごろは
つりはつゞくの事を云。其つり彼のつりにと共云て續きたる事也。依て八鉤河を詠みて下の續きて戀ふると云の縁を据えたると聞えたり。やつりは、いやつり不v絶行水と云の縁也。此年月忘るる事も無く戀慕ふとの意也。八鉤河は大和也。第三卷に失鉤山とも詠めるにつき、此歌の八鉤川の事をも引けり。第三卷目は矣鉤山と有説不v決也
或本歌曰水尾母不絶 みをもたえせず。本集の第二句の異説也
2861 礒上生小松名惜人不知戀渡鴨 或本歌云巌上爾立小松名惜人爾者不云戀渡鴨
いそのうへに、生るこまつの、なををしみ、ひとにしらせず、こひわたるかも
此歌の意は名の立つ事を厭ひ惜みて人にも語り云はず、心にのみ戀渡るとの義也。然るを礒の上に生る小松の名を惜みと寄せたるは、或説立小松と有。本集も生は立か。立てるは名の立つ事を惜みてと云義に、小松の音と云處をとりてかく詠めるものか。又生る小松と云時は石上に生る小松などは、人に見あらはさるゝ程のものにもあらざれば、わが戀思ふ心の人に知らさず、先にも知らぬと云事に小松を詠みたるか。歌の意はよく聞えたり。小松を詠める意未v詳也。小松を思ふ妻に比して、其名の立つを厭ひてわれ獨り戀渡ると云説もあれど、無理なる釋不v可2信用1也
宗師案には、惜と云字はあたらと讀也。古語にをしき事をあたらと云。今の俗をしき事をあつたらと云。此歌も名たらしく(373)と詠みて、小松の人の目にも立たざるものの、名立がましくと云意にて、なたらしくと詠めるかと也。愚意未v落
後案、此歌は隔句體か。礒上に生る小松は人に不v知と云詞を云はん爲か。石など上に生る小松は人の目に不v被v知小きもの也
2862 山河水隱生山草不止妹所念鴨
やまかはの、みかげにおふる、やますげの、やまずもいもを、おもほゆるかも
上の句序也。不v止妹を戀思ふと云事を云はんとて詠める也。水隱を水陰と書たる本もあれど、隱の字の方然るべし
2863 淺葉野立神古菅根惻隱誰故吾不戀
あさはのに、たつ神古すげ、根惻隱、たれゆゑにかは、吾こひざらん
此歌愚意未v落。宗師云、神古菅はしこすげと讀めるか。すげは根の殘たるもの故根もころころに抔詠めば、しこると云意を兼ねてか。思ふ人と寢ん事を、しこり忍ぶと云義に云へるか。歌の全體の意は、ねん事を忍び戀ふも、誰故戀ひずあらんや。そこ故にこそ夜深くも戀忍べと云の意也。但し神の字は當集に多分物のふりたる事に詠みて、直ぐに假名にも用たれば、神古二字にてふるすげと讀まんか。惻隱の二字も、心を取りてふかめてとか、ふかくもとか讀まんか。然ればあさは野にと詠出たるも深くと云對に聞ゆる也。淺は野なるに深くもと云趣向にて、誰故にかばかり忍びざらんと讀まんか。誰故かは深く忍ばずやあらん、そこ故にこそかくは忍べと云意に見るべきや。淺葉野は信濃と云へり。證跡未考。第十一卷には、淺葉乃野良とも詠める歌有。同所か。千載集には、あさまのと詠める歌有。是は淺間のたけと云山あれば、其麓をや云らん。又此あさはのは濁音なるか。然らば同所なるべし。諸抄印本の説は、神古菅を、みわこすげと讀みて、すげは神のめで給ふ事故※[禾+祓の旁]等にも用ゆるから、神をみわ共云につき、みわこすげと云との説也。此説にはより難し。然れ共三輪こすげと云一種菅の種類に有けるか。然らば我身の事に云なして、身はこすげの如くと寄せたる意なるべし。淺葉野もあせは野にと云意にて、淺葉野を詠み出たるか。兎角淺葉野を詠める意何とぞ縁無くては詠むまじ。此歌の意未v決也
(374)或本歌云誰葉野爾立志奈比垂 たれは野にたちしなひたる。此誰葉野を印本諸抄には、たがはのと讀みて、竹葉野にて有べき抔云説もあれど、是は下のしなひたると有からは、たれは也。葉の垂れたると云縁に、しなひたるは、しなだれたるとの事也。直に、みわこすげたれゆゑにかもと讀み續くるならん。此或説にては吾不v戀を、かり忍びざらんと讀べきか。しのびもしなひも同じ言葉、菅を刈る事に寄せて也。又夫にも妻にも乞ひ求むるを、かりかると云事あればそれに寄せて也
右二十三首柿本朝臣人麻呂之歌集出 古注者所見有てかく注せるならん。前にも注せる如く、人丸歌集出と有ても人丸の歌とは決し難かるべし。他人の歌をも集めおきたる集の中に出たると云義にも聞ゆる也
正述心緒
2864 吾背子且今且今跡待居爾夜更深去者嘆鶴鴨
わがせこを、こんかこんかと、まちをるに、よのふけゆけば、なげきつるかも
歌の意は明也。且の字は前にも注せる如く、將の字と通じて、むとはねる時上に据えて讀ます字也。旦の字は、たんの聲、且は上の日に下の一畫不v離也。今はこと讀む和訓あれば、こんかとは讀む也。こんのこゑにはあらぬ事を可v辨也
2865 玉釧卷宿妹母有者許増夜之長毛歡有倍吉
たまくしろ、まきぬるいもも、あらばこそ、よのながきをも、うれしかるべき
玉くしろは前に注せり。諸抄印本に玉つるぎと讀ませたるもあまり也。女の劍をまきぬる事や有べき。又男士にても劔を卷きぬると云義は一向不v足v論説也。劔の字金片に書くべき樣なし。決て釧の字の誤字也。くしろは女の飾物故玉とも賞めたり。歌の意は注に不v及、聞えたる歌也
2866 人妻爾言者誰事酢衣乃此紐解跡言者孰言
ひとづまに、いふはたがこと、さごろもの、このひもとけてと、いふはたがこと
(375)此人妻と云は前々に詠めるとは異也。他人の妻なるに衣の紐解けと云はたがことぞ。主ある妻に紐解けとはわがことにはあるまじ。誰に云ことぞと咎めたる歌と聞ゆる也
2867 如是許將戀物其跡知者其夜者由多爾有益物乎
かくばかり、こひんものぞと、しらませば、そのよはゆたに、あらましものを
其夜はとは逢ひし夜の事也。逢ひにし夜はせはせはしからず、緩やかに心を解けていねてあらましをと、逢ひて後のくやみの歌と聞ゆる也。とく起きて別れしを悔める歌共聞ゆる也
2868 戀乍毛後將相跡思許増己命乎欲爲禮
こひつつも、のちにあはんと、おもへこそ、おのがいのちを、ながくほりすれ
能聞えたる歌也。思へこそは思へばこそ也。戀々て遂には逢はんものをと、心長く命を惜みて後を頼みに戀ひ居るとの意也
2869 今者吾者將死與吾妹不相而念渡者安毛無
いまはわれは、しなんよわぎも、あはずして、おもひわたれば、やすけくもなし
よくきこえたる歌也
2870 我背子之將來跡語之夜者過去思咲八更更思許理來目八面
わがせこが、こんとかたりし、よはすぎぬ、しゑやよるよる、しこりこめやも
しこりこめやもは、頻りにこめやもにて、來んと約せし夜の過たるは、夜々頻りに來んとての事なるべしと了簡して云へる也。約せし夜來ずて過ぬれば、此後は毎夜來んとの事なるべしと也
2871 人言之讒乎聞而玉桙之道毛不相常云吾妹
ひとごとの、しこちをききて、たまぼこの、道にもみしと、いへるわぎもこ
(376)人の中言など言ひて間をさくる樣に讒言するをまことと思ひ、聞入て道路にて行逢ひたり共、目も見あはさじと云へると也。讒の字日本紀にてしこちと讀ませたり。或説に讒はよこすと云事と、色々引事を添て云へる説あれど此義難2信用1。此歌しこちと云ちは、みちの事を兼て云へる詞の縁に、下の道にもみしと云詞も出たると見ゆる也。しこち、よこすの事追而可v考。義も假名も違たる説也。歌の意は何れにても同じき也。讒の字の訓義尚可v考也
2872 不相毛懈常念者彌益二人言繁所聞來可聞
あはぬをも、うしとおもへば、いやましに、ひとごとしげく、きこえくるかも
中絶て逢はざるをも物うく心苦しく思ふ折から、人の何かと云ひ騷ぐ事の聞え來るにつけて、いやましに思ひ歎くとの意也。さらでも逢はで居る事の物憂きに、人の云騷がば愈逢事の絶なんやと歎く意也
2873 里人毛謂告我禰縱咲也思戀而毛將死誰名將有哉
さとびとも、いひつくるかね、よしゑやし、こひつつもしなん、たが名ならめや
里人とは凡ての人の事也。世の人の云ひつがねば云たて語り告げんかと云意也。然れ共よしままよ誰が名ならめやは、それも君故に立名なれやいとはじ戀ひ死なんと也。戀ひ死にたらば里人の云ひたて語りつがん、其名も君故立名なれや厭はじとの意也。印本諸抄には云ひつぐかねにと讀ませたるは、音訓の讀樣を不v辨也。我禰は、音なるに、にと詞を添る事はならぬ義を不v辨から、毎度此誤りも有事也。古今集に、たがなはたたじと詠める歌も同じく、わが名こそ立ため、それも君故ならば厭はじとの意なるべし。古今の歌は、そこ迄ではゆかず、只我名の立つならんと云迄の事か。此下にも此歌の意有
2874 慥使乎無跡情乎曾使爾遣之夢所見哉
たしかなる、つかひをなしと、こころをぞ、つかひにやりし、ゆめにみえきや
面白く云まはせし歌也。わが戀佗びる事を、心にせめてそなたに通ぜよと念じゐるを、心を使ひにやりしとは云へる也。心を使ひにやりつるからは夢にさこそと見えつるやと也。慥かなる使をなしとは當然の意も聞えたる義ながら、古事などを含み(377)て詠める事もや。唐の書にも守約使ことなど書たる文も有べし。それらの事を思ひよりて詠める事もあらんか。然し此歌の一體にて古事古文による迄も無く聞ゆる也。慥、玉篇、七到切言行相應貌と注せり。依てたしかと訓ずる也。今慥に作るは誤字ならんか。遣之も諸本遺に作るは誤也。後拾遺集に
若菜つむ春日原に雪ふれば心づかひをけふさへもやる
好忠集に
おもひやる心づかひのいとなきを夢に見えずと聞はあやしき
全く此歌をとりて詠めるならん
2875 天地爾小不至大夫跡思之吾耶雄心毛無寸
あのつちに、すこしいたらぬ、ますらをと、おもひしわれや、をごころもなき
少いたらぬとは高慢の意也。大丈夫と思ふ心は、天地の廣大なる少しき及ばぬ迄にて、至りて丈夫勇猛の我と思ひしが、戀には其雄心も無く思ひよわれるとの意也。此下に、ますらをのさとき心も今は無しと詠める意も同意也
2876 里近家哉應居此吾目之人目乎爲乍戀繁口
此歌諸抄印本の通にてはいかに共意不v通。此わがめのと云事古歌の詞にもあらず。又下のひとめをしつつと云義もいかに共義不v通。兎角義訓か誤字か。此通にて諸抄の説の如くにては歌の意不v通也。歌の意は、中二句を除きても大方は聞えたれど此二句いかに共不v通地。思ふ人と里近くや居べき。遠く隔りては戀の繁くて忍びかねるとの意に聞ゆる歌也。諸抄の説は、此我目を持ちながら人の目の如く見る事も遠くてならねば、近く家居をもせばやとの意に注せり。然れ共句例語例無き無理押しの義を釋すべき樣なし。人めをしつつと云事句例無き事、同じ義にてはよそ目をしつつとは云はるべし。人目ならばわが目ならぬよその目と云義にて、よそ目をしつつとは讀べけれど、上の五文字いかに共不v通。此わが目のと讀みては義も不v聞。詞も歌詞にあらざれば、何とぞ誤字有べしと見る也。目の字呂の字などにて、このごろのと詠める義か。然れ共よ(378)そ目をしつつと云義理少不v通故それ共決し難し。よそ目をしつつとは、隔たり遠ざかりたる事を云たる事にてさ詠めるか。然らばこのごろはと讀むべきを、このころのと讀める手爾波又不v濟也。兎角後案すべき也
2877 何時奈毛不戀有登者雖不有得田直比來戀之繁毛
いつとなお、こひずてありとは、あらねども、うたたこのごろ、こひのしげきも
いつとても忘るゝま無く戀佗びてはあれど、わきて此頃は頻りに戀の繁きと也。うたたとはうたてと云意と同じきか。直の字ただとも讀み、てとも讀む。すべててと云事は、物の代あたひの事をも云也。かりてはなしに沓てなど詠める事も、皆物の代り價ひを云詞也。直段など云俗語の字もこれより書たる也。日本紀に玉代と書きて玉てと讀ませたり。第十第十一卷にも此詞有て、そこには菟楯とも書き、假名書に宇多手とも書きたれば、此もうたてと云意なるべし
2878 黒玉之宿而之晩乃物念爾割西※[匈/月]者息時裳無
ぬばたまの、いねてのよるの、ものおもひに、さけにしむねは、やむときもなし
よく聞えたり。もの思ひには心肝胸膈をも切りさく如くなるものから、毎度いたきわが胸きりさくがごとなど共詠める也。晩の字ゆふべと讀ませたれど、義をもて、よべとか、よるとか讀べし。尤もぬば玉と讀みては黒と云詞に續く義なれ共、其黒き事に付たる義をとりて讀めるも意を通じて也。夢とも續く事有。いもとも續く、皆夜と云事に付たること故也。ここもゆふべは夜につきたる物から、ゆふべとも讀べけれど、上にぬばたまと詠みたれば、よとうけたる義安き故いねてのよべとかよるとか讀む也。これらの事は好む所に從ふべき也。此下にも、わが胸はわれてくだけて共詠めり
2879 三空去名之惜毛吾者無不相日數多年之經者
みそらゆく、なのをしけくも、われはなし、あはぬひあまた、としのへぬれば
聞えたる歌也。み空ゆく名とは高く名の立つ事も惜しからず、かく年月を逢はで戀慕ふよりは名は立つとも逢ひ見たきとの意なるべし。同じく名の立事にも空たつなど詠める事も有。ここは只空までも云立てらるる名も惜しからぬとの意なるべし
(379)2880 得管二毛今毛見牡鹿夢耳手本纒宿登見者辛苦毛
うつつにも、今見てしか、ゆめにのみ、たもとまきぬと、みればくるしも
夢にのみ逢ふと見るが苦しきに、現にもあひ見たきかなと願たる意也。見てしかな也。今の字令の字にてせめてと讀めるか。不審也。今と讀みては歌の意不2打着1。いまはと讀みてもとくと不2打着1也。全體の意只うつつに何とぞあひ見たきとの義計也
或本歌發句云吾妹兒乎 發を誤りて登の字に作れり
2881 立而居爲便乃田時毛今者無妹爾不相而月之經去者
たちてゐて、すべのたどきも、いまはなし、いもにあはずて、つきのへゆけば
いかに共詮方なく戀慕ふの意也。戀慕へ共あはでのみ年月を經るを、切に歎きたる歌也
或本歌云君之目不見而月之經去者
2882 不相手戀度等母忘哉彌日異者思益等母
あはずして、こひわたるとも、わすれめや、いや日ごとには、おもひますとも
不v及v注。よくきこえたる歌也
2883 外目毛君之光儀乎見而者社吾戀山目命不死者
よそめにも、きみがすがたを、見てばこそ、わがこひやまめ、いのちしなずば
よそ目にだにも、せめて君を見たらは、此戀のやみもやせん、命の限りはさなくやむべきにもあらぬとの意也。此下にも、まそかがみたゞ目に君を見てばこそ命にむかふ我戀やまめ
一云壽向我戀止目
(380)2884 戀管母今日者在目杼玉匣將開明日如何將暮
こひつつも、今日はあらめど、たまくしげ、あけなばあすを、いかでくらさん
きこえたる歌也
2885 左夜深而妹乎念出布妙之枕毛衣世二嘆鶴鴨
さよふけて、いもをおもひいで、しきたへの、まくらもそよに、なげきつるかも
妹を慕ひぬる夜ふけ、思ひ出て枕も動く計りに歎くと也。枕もそよとは響きにつれて動く事を云。打そよぐ抔云も風にて葉の動く義を云ひて音を兼ねて云義也。泣く聲にて其響き枕の動くと云意に、枕もそよにと詠める也。戰の字を書べきか。彼と是とあたりて鳴る意也。戰慄と云も恐れわななくと云ひて、わくわく震ひ動く事也。音と動くを兼たる義を云へば、戰の字抔あたるべし。第二十卷の歌、おいそやのそよと鳴るまでと詠めるも、音と動くの二つを兼ねて云へり
2886 他言者眞言痛成友彼所將障吾爾不有國
ひとごとは、さねもこちたく、なりぬとも、そこにさはらん、われにあらなくに
人の云ひ騷がさるる事はいか計りこと甚敷なりぬ共、其事にさはりて我心の變るべき我には無きと也。彼所をそれと讀べきと云説あれど所の字れとは讀み難し。義訓にそれ共讀まれんや。其事にと云義也。そこと云ひては耳立ちて言葉卑しきからそのひとごとにと云意なれば、それにと讀みたきもの也
2887 立居田時毛不知吾意天津空有土者踐鞆
たちてゐて、たどきもしらに、わがこころ、あまつそらなり、つちはふめども
能聞えたる歌也。立ちても居ても詮方の無き心は空に思ひ惑ふと也。第十一卷に、心空也つちはふめどもと詠める意に同じ
2888 世間之人辭常所念莫眞曾戀之不相日乎多美
(381)よのなかの、ひとのことばと、おもほすな、さねもぞこひし、あはぬひおほみ
世間なみの空言と思ふな眞實に戀慕ふぞ、逢はぬ日多くて月日を送ればいたく戀しきと也
2889 乞如何吾幾許戀流吾妹子之不相跡言流事毛有莫國
いでいかに、われここたこふる、わぎもこが、あはじといへる、こともあらなくに
此歌はわれとわが心を示せる也。吾妹子が逢はじと云事も無きに、かく鯉慕ふは何故ぞと、心にて心を示したる歌也。乞とは發語、ものを誘ひ起す詞也。允恭紀には厭乞の二字をいでと讀ませたり。前にも詳しく注せり。第十一卷にも、いでいかにと詠める歌有
2890 夜干玉之夜乎長鴨吾背子之夢爾夢西所見還良武
ぬばたまの、よをながきかも、わがせこが、ゆめにゆめにし、みえかへるらん
此歌の手爾波少不2打着1樣なれど、夜の長きから戀慕ふ妹が幾度も夢に見ゆると云意也。夜干と書てぬばたまと讀むは、からすあふぎの實をぬばだまと云。射干の二字を、からすあふぎと讀ませたる故夜射音通るを持て書たる也
2891 荒玉之年緒長如此戀者信吾命全有目八目
あらたまの、としのをながく、かくこひば、さねわがいのち、またからめやも
よくきこえたる歌也
2892 思遺爲便乃田時毛吾者無不相數多月之經去者
おもひやる、すべのたどきも、われはなし、あはであまたに、つきのへぬれば
おもひやるは思ひを消しやるの義、慰む方も無き詮すべも無く戀慕ふとの事也
2893 朝去而暮者來座君故爾忌忌久毛吾者歎鶴鴨
(382)あさゆきて、くるればきます、きみからに、ゆゆしくもわれは、なげきつるかも
あしたにかへりて夕べには來ませる君なるに、いまいましくも歎く事かなと思ひ改めたる歌也。長き別れにてもあらばこそ、朝にいにて夕べには來る人を遠くも別れし如く歎くは、いまいましくもと思ひ改めし也
2894 從聞物乎念者我※[匈/月]者破而摧而鋒心無
ききしより、物をおもへば、わがむねは、われてくだけで、とごころもなし
思ふ人の名を聞きそめしよりとの義也。とごころとは、とき心也。勇み猛き心も無く、思ひに弱りて雄心も無きと云意と同じ、又胸くだけては心魂の宿り處も無きと云意にて、只心も無きとは魂も無きとの意共聞ゆる也。鋒は、ほこさきと云字なれば、ときと讀べき義訓也
2895 人言乎繁三言痛三我妹子二去月從未相可母
ひとごとを、しげみこちたみ、わぎもこに、いにしつきより、まだあはぬかも
人ごとを繁みは、人の口さがなく言を云騷ぐからさはりと也。過ゆきし月より逢ふ事なり難きと也。言くちさがなく云ひ立つると云から人言をとは云へり。人言のと云べき手爾波なれど、をと讀來れる也
2896 歌方毛曰菅毛有鹿吾有者地庭不落空消生
うたかたも、いひつつもあるか、われならば、つちにはおちじ、そらにけなまし
うたかたとは軒より落つる玉水の沫の、盆をうつぶせたる如きものを云也。依て覆盆と書きてうたかたと義訓す。又沫雨とも書。和名抄云〔淮南子註云、沫雨、雨2潦土1、沫起若2覆盆1、和名宇太加太〕又遊仙窟には、未必と書きてうたかたと讀ませたり。著時禾必相2著死1と書きて、よりつかん時うたかたもあはんとは思はざりきと讀ませたり、然れば物の不v定はかなき事、あだなるもろき事に譬へ云義也。水の沫を云なればもろくはかなき不定の筈の義也。當集にも第十五、十七卷にも詠みて、此歌共に三四首有。皆はかなき脆き事に詠める也。語釋の義未v考共當集假名書の歌によるに、がたは我多と書ける歌あれば(383)濁音と聞えたり。後撰伊勢が歌
おもひ川たえず流るる水の泡のうたかたびとにあはで消めや
此あはでは、はかなく、空しく、もろくも消えんかとの意也。水の泡のうたかたと續きたり。源氏物語
ながめする軒の雫に袖ぬれてうたかた人をしのばざらめや
軒の雫にと云縁よりうたかた人とも詠みて、あだに消えにし人をと云意なるべし。狹衣に
いつまでとしらぬながめの庭たづみうたかたあはで我ぞけぬべき
此歌は假名違ひの歌ならんか。意ははかなく逢はで消ゆべきと云義ながら、うたかたあはでと詠める處は假名違と聞えたり。凡てうたかたを詠めるは、皆是はかなき定めなき事に詠めり。遊仙窟に、未必と書きてうたかたと讀ませたるも、定めなきはかなきと云意に通じて讀ませたるならん。ここの歌の意少聞迷ふ所有。いひつつもあるかと云ひて、われならばと詠める所聞定め難し。はかなくも言にあらはして云ひつつもあるかとは、人のわれに云立たるをさげしみて云へるか。又人に云ひし事を悔いて云へる事也。聞定め難く、既にわれならばと詠める意は、われならば云はで消えはてんをと云樣に聞ゆる也。宗師案は、われならばと云へるは、うたかたにてわれあらば、地におちてはかなくものは思はじ、雨にて空に消えなましをと云意と也。然共云ひつつもあるかわれならばと詠める處少聞とり難き也。所詮の意は、はかなくも言葉に出して云あらはしてもあるかな。われ沫雨ならば、かくつちにおちてはかなき思ひをせんよりは、空にてけなましをと云意とは聞ゆる也。尚可v加2後案1歌也
2897 何日之時可毛吾妹子之裳引之容儀朝爾食爾將見
いかならん、日のときにかも、わぎもこが、もひきのすがた、あさにけに見む
よく聞えたる歌也。あさにけに見むは朝毎に見む也。あさあさ見むとの意にて食の字に意は無し。いつか我手に入て思ふ儘に見んとの意也
(384)2898 獨居而戀者辛苦玉手次不懸將忘言量欲
ひとりゐて、こひばくるしみ、たまだすき、かけずわすれん、ことはかりもか
常住心に懸りて忘れぬから、何とぞ心に懸けず忘られんはかりごともがなと、思ひの切なるままに詠めるならん。此下に、ことはかりせよと云は先へ下知せし也。此歌の我身にうけて煩ふたる意也
2899 中中黙然毛有申尾小豆無相見始而毛吾者戀香
なかなかに、もだにもあらましを、あぢきなく、あひ見そめても、われはこふるか
あひみそめずただにあらばかく戀佗びまじきを、なまじひにあひみそめしからあぢきなく戀佗びると也。あぢきなくとは物憂きと云義心よからぬ事を云也
2900 吾妹子之咲眉引面影懸而本名所念可毛
わがせこの、ゑめるまゆひき、おもかげに、かかりてもとな、しのばるるかも
あひ見しとき笑める顔の面影にのみ立て、もだし難くただもあられず戀慕はるると也
2901 赤根指日之暮去者爲便乎無三千遍嘆而戀乍曾居
あかねさす、ひのくれゆけば、すべをなみ、ちへになげきて、こひつつぞをる
晝は人目をも忍ぶから堪へてもあらんづれど、よべはいとどさびしくて千變萬化に思ひ亂れて、戀ふるとの意也。千遍とは樣々に思ひ亂れて戀慕ふの義也
2902 吾戀者夜晝不別百重成情之念者甚爲便無
わがこひは、よるひるわかず、ももへなす、こころしもへば、いともすべなし
聞えたる通也。もゝへなすは、幾重も幾重も物を重ねたる如く、心のふさがりて晴れず思へばと云意也。第四卷にも人丸の歌(385)に、浦の浜ゆふ百重なすと詠めり
2903 五十殿寸太薄寸眉根乎徒令掻管不相人可母
いとのきて、うすきまゆねを、いたづらに、かかしめつつも、あはぬひとかも
いとのきては、第五卷にも出て語釋は未v考ざれ共先いとどしきと云義と見る也。諸抄の説も同じ。いとど薄き眉根をあひもせで掻かしむると也。眉根のかゆければ思ふ人に逢はん前相と云諺ある故、われから逢はんやと思ひて、眉根を掻きても逢はぬ故、かく掻かしめつつも逢はぬ人かもと也。第四卷に、いとまなく人の眉根を徒らに掻かしめつつもあはぬ妹かもと詠める歌に同じ意也
2904 戀戀而後裳將相常名草漏心四無者五十寸手有目八面
こひこひて、のちもあはんと、なぐさむる、こころしなくば、いきてあらめやも
かく戀々て末に兎角逢はんと頼むを、心の慰みにてこそ戀忍びても堪へぬれ、逢ふ事絶てなきとならばいかで命も續かんやとの意也
2905 幾不生有命乎戀管曾吾者氣衝人爾不所知
いくばくも、いきざるいのちを、こひつつぞ、われはいきつく、ひとにしらせず
いきつくは生繼の意を兼て幾程も生きぬ命なるに、戀に苦しみて息も絶ゆる計なるを、ひたものつぎつぎて、人に知られぬ思ひに苦むの意也。物思ふ時は大息をつくと云事あるから、胸に思ひとまれば息も絶ゆる樣なれば、ひたものもの息の疲るる故其事を詠める也
2906 他國爾結婚爾行而太刀之緒毛未解者左夜曾明家流
ひとくにに、よばひにゆきて、たちがをも、いまだとかぬに、さよぞあけにける
(386)此歌は古事記の神詠古詠をとりて詠める也。未解者の者の字前々にも注せる如く、にとか、をとか讀む手爾波也。誤字なるべし。緒煮の二字を誤りたると見えたり。よばへ、よばひ同事にて外の國へ妻を慕ひゆき逢事を云へり。結婚と書たるは女をむかへとるから、婚姻をむすぶと云義をとりて、義訓に讀ませたり。第九卷の、うなひをとめの歌には、たはけと云假名をつけたれど、古事記の古語をふみて詠める歌なれば、此歌にては極めてよばへと讀べし。前にも娉の字をもよばへと讀める也。夜延と書きたる借訓にても知るべし。古事記の歌に〔さよばひにありたたし、よばひにありかよはせ、たちがをもいまだとかずて、おすひをもいまだとかねば云々。〕太刀之緒、太刀には平緒と云もの有。又腰に佩くにも緒をもて纏ふ也。延喜式、云、凡衛府舍人刀緒〔左近衛緋※[糸+施の旁]、右近衛緋纈、左兵衛深緑、右兵衛深緑纈、左門部淺縹、右門部淺縹纈〕
2907 丈夫之聰神毛今者無戀之奴爾吾者可死
ますらをの、さときこころも、いまはなし、こひのやつこに、われは可死
此可死は、わはまけぬべくと讀まんか。まかると讀字なればかもけも同音なれば、ますらをと詠出て、戀と云奴には劣り負けるの意にて詠めるか。戀の奴とは卑しめて也。戀には丈夫の猛き心も負けてえこたへぬと也
2908 常如是戀者辛苦暫毛心安目六事許爲與
つねにかく、こふるはかなし、しばらくも、こころやすめん、ことはかりせよ
とこしなへにかく計り戀ひては苦しく堪へかねる程に、しばしだに心の安からん計り事もせよと、先へ示したる意也。いかにもして、せめて心を安める事をせよとは、逢事をも許せよとの意なるべし
2909 凡爾吾之念者人妻爾有云妹爾戀管有米也
おほよそに、われしおもはば、ひとづまに、ありちふいもに、こひつつあらめや
此歌抔は集にも入間敷歌なるを、巧拙をも選ばれず只萬の言の葉をあつめし集故か、心得難き歌也。尤人情はさる事なれ共、假初にもかく不本意歌は忌みさけたきもの也。歌の意は聞えたる通也。人の妻と云ものを戀ふべき樣なき事なるを、有躰に(387)載せたる集故、かく詠める歌ありしをも被v入たると見えたり
2910 心者千重百重思有杼人目乎多見妹爾不相可母
こころには、ちへにももへに、おもへれど、ひとめをおほみ、いもにあはぬかも
不v及2注釋1歌也
2911 人目多見眼社忍禮小毛心中爾吾念莫國
ひとめおほみ、めこそしのぶれ、すくなくも、こころのうちに、わがおもはなくに
人めおほみと、すくなくもわが思はぬと云を對にして詠める歌に、人め多き故其めをこそ忍びて心の儘に逢事も無く、振舞も睦じからね、心中になどおろそかに思はめや、おろそかには思はぬと也
2912 人目見而事害目不爲夢爾吾今夜將至屋戸閉勿勤
ひとめみて、こととがめせぬ、ゆめにわれ、こよひいたらん、やどさすなゆめ
よく聞えたる歌也。實に逢事は人目繁くて忍び行難き故、心を通じて到らんと也。心通なばそなたの夢に見えんとの意也。歌は、かくわりなくおさなき心に詠めるを雅情とはする也。此下にも、人の見て事とがめせぬ夢にだにやまずを見えよわが戀ひやめん。第四卷に、夕さればやどあけまけてわれまたん夢にあひ見にこむといふ人を、と詠める歌も有
遊仙窟云、今宵莫v閉v戸、夢裏向2渠邊1。古今集小町歌にも、かぎりなき思ひのままによるもこん夢路をさへに人はとがめじ。宿閉ぢなゆめ共さすな共何れにても意は同じ。とぢなゆめとは諫め制したる意也
2913 何時左右二將生命曾凡者戀乍不有者死上有
いつまでに、いきんいのちぞ、おほならば、こひつつしなば、しぬぞまされる
幾程も生きぬ命いつ迄生きんや、大方ならばかく戀佗びてあらんよりは、死にたらんこそましならめと云義也。(388)不有の二字此歌にてしなばと讀までは、下の死上有と詠み續かせたる義不v濟。集中に毎度有詞也。しなばと讀む語例此歌抔にて見るべし、あらずばと讀みては義いかに共不v通也
2914 愛等念吾妹乎夢見而起而探爾無之不怜
うつくしと、おもふわぎもを、ゆめにみて、おきてさぐるに、なきがさびしき
よく聞えたるはかなき愚かなる歌也。第四卷家持の歌、遊仙窟等に此意有。前に注せり
2915 妹登曰者無禮恐然爲蟹懸卷欲言爾有鴨
いもといへば、なめしかしこし、しかすがに、かけまくほしき、ことにあるかも
妹と云はいやなく畏れ多けれど、さすがに思ひ入たる人なれば、妹と云たきとの意也。言の字われと讀ませたれど、かけまくほしきと讀みたれば、妹と言に出て云ひたきと云意と聞ゆる也。言にかけまくほしきとの事也。きなくては此かけまく、何をかけまくと云へる事とも聞えず。無禮をなめしと讀める事は第六卷に注せり。源氏物語にも數多ある詞也。日本紀にては輕の字をも讀む。かろんずるは無禮の意なる故也。是は我よりあがりたる人を戀する男の詠めるなるべし
2916 玉勝間相登云者誰有香相有時左倍面隱爲
たまかつま、あ【へる・あはん】といふは、たれなるか、あへるときさへ、おもがくれする
玉かつま、此義色々説有て、玉の緒と云事と決せる説も有。又口訣秘事など云て脱れたる説も有。他説の秘事口決は不v知是は玉籠と云事也。かたま、かつまも同音也。玉は賞めたる雅言人のあふと云は、目を見合す事を云から、妻と云縁をもて、かたまを、かつまと讀みたる義と聞ゆる也。相登云者、みたるといふはとも讀べし。只逢ふとか見るとか云事の冠辭に詠みて、つまと云事を云はん爲のかつまなるべし。玉かつましまくま山、あへしま山など此卷にも詠めるは、皆あとかまとか云縁と聞えたり。しまはしまる意夕とよみたれば、結の意にて玉の緒と云説あれど附會説也。緒をかつまと云べき義いかに共心得難し。扨歌意も愚意にとくと不v落也。諸抄の説は、君にあはんと云はわれながら誰なるやと心に咎めたる義也。逢へる時さへ恥ぢ(389)て面がくれするとて、あはんと云は誰ならん。我にてはあるまじきと自問自答の意に詠めると注せり。又一説、あへるとふはと讀みて今にあへるといふは誰があへるや。我にあへる時面隱れして自らもあはさゞるにと云義との説有。然らば面隱れすると留めては手爾波あはず。しぬとか、してとか讀べきか。さ讀みても全體の歌の筋趣向の意聞得難し。何とぞ聞樣あらん。先づはあへると云ふは誰れなるやと詠みて、あへる時さへおも隱れしてと讀事聞えたる樣なれど、時さへと詠める意不v通也。さへはもと云詞にして見んか
2917 寤香妹之來座有夢可毛吾香惑流戀之繁爾
うつつにか、いもがきませる、ゆめにかも、われがまどへる、こひのしげきに
此歌逢て別れし朝の歌ならんか。伊勢物語の、君やこしわれや行けんの歌の意也。戀の繁きから、偶々逢ひし事も夢現ともわき難きとの意也
2918 大方者何鴨將戀言擧不爲妹爾依宿牟年者近侵
おほかたは、なにかもこひん、ことあげせず、いもによりねん、としはちかきを
是は童女などに約束して、やがて逢ふべき年の近づくものを、大方ならばとやかくと言を云ひ擧げて戀ひまし。やがて寄り寐ん程の近きをと云意なるべし。言擧げせずとは、ものを云立てゝあらはす事也。此言擧げと云事しかとは不v通義也。譬へて云はば、早くあはんいつの夜あはんなど云事をも云はずに、やがて逢はんとの意也。侵の字を、をと讀めるは、をかすと云字故也。をかすとは、はしのをを書故手爾遠波のをに用たる也。是等がをかすの假名の證也
2919 二爲而結之紐乎一爲而吾者解不見直相及者
ふたりして、むすびしひもを、ひとりして、われはときみじ、ただにあふまでは
伊勢物語あひみるまではとかじとぞ思ふと直して作り入たる歌の意也。よく聞えたり
2920 終命此者不念唯毛妹爾不相言乎之曾念
(390)しぬるとも、かくはおもはじ、ひたすらも、いもにあはざる、ことをしぞおもふ
身のをはる事にてもかく計り一筋には思ふまじきに、われは只妹に逢はぬ事をのみ、命の事も思はず歎き思ふと也
2921 幼婦同情須臾止時毛無久將見等曾念
たをやめは、おなじこころに、しばらくも、やむときもなく、みんとぞおもふ
此歌幼婦者と詠出たるは、女の自ら卑下して詠めるか。下に止む時もなくと云言葉の響きに、手弱女と詠まん事然るべからんか。たをや女とは思ひきる強き心も無く、いつ迄も同じ心に思ひあきらめせず、ひたものもの思ふ人を見んとのみ思ひ慕ふとの意なるべし。印本にはをとめごはと讀ませたり。さ計りにては同じ心にと詠める意、何の趣向も無く聞ゆる也。童女の果敢なき心とひとつ心に見ても見てもやむ事なく、わらべ心の様に思ふとの意にて、をとめ子もおなじ心にと讀まんか。者はものと讀故もとも讀める事集中にまま有。然れ共義少六ケ敷か。只女は同じ心に思ひあきらめる強き心も無く、ひたものもの見まほしく思ふと云意安かるべし。やめもやむと同じ詞の響きにたをやめと讀まん方然るべし
2922 夕去者於君將相跡念許憎日之晩毛※[立心偏+呉]有家禮
ゆふされば、きみにあはんと、おもへこそ、ひのくるらくも、うれしかりけれ
聞えたる歌也。日のくるらくは暮るるも也
2923 直今日毛君爾波相目跡人言乎繁不相而戀度鴨
ただにけふも、きみにはあはめど、人ごと乎、しげみあはずて、こひわたるかも
ひたすらに今日も君に逢ふべきを、人言の繁きを厭ひてえ逢はずして戀渡ると也。言乎の乎の字之の字の誤りなどにや。尤人言を繁みと云ひても義は聞ゆれ共、之と云詞なれば安く聞ゆる也
2924 世間爾戀將繁跡不念者君之手本乎不枕夜毛有寸
(391)よのなかに、こひしげらんと、おもはねば、きみがたもとを、まかぬよもありき
かく戀の繁からんとは思はざりし故、逢はでも過し夜のありしを、今更惜みくやみたる也。第十一卷に、かく計り戀ひんものぞと思はねば妹が袂をまかぬ夜も有りきと云へる歌に同じ
2925 緑兒之爲|杜《社カ》乳母者求云乳飲哉君之於毛水求覽
みどりこの、すもりちおもは、もとむちふ、ちのむやきみが、おももとむらん
すもりのすは發語也。卑めたる詞と云説は心得難し。只發語と見る方安し。乳母を、めのとと讀ませたり。和名抄云、日本紀師説、乳母【毎乃於苔】言2妻妹1也
此和名の説に依てめのとと讀ませたると見えたり。然れ共此歌にてはやはりちおもと讀べし。下にうけたる詞あれば、作者も、ちおもとは讀めるならん。日本紀にも、ちおも湯おも共出たれば、ちおもと云も古語也。此歌にて下に、おも求むらんと詠みたるは、上をも、すもりちおもと詠める響きをうけて、小兒を守りて育つるもの也。※[女+爾]の字當れり。則和名抄にも擧たり。畢竟おも求むらんと云はん爲也。歌の意、緑兒こそちおもをも尋ね求むるものなるに、君のかくわが面を見たきと求むらんは、あはんと戀事を面を求むらんと云意にて詠める也。緑兒の乳母を求むる如く、我にあはん事を求め乞ふとの意也。次の歌にて又其意を云ひておもと云詞の縁をとりて云へる歌也
宗師案、爲杜は社の誤なるべし。みどりこのためこそと讀みて義安也
2926 悔毛老爾來鴨我背子之求流乳母爾行益物乎
くやしくも、おひにけるかも、わがせこが、もとむるちおもに、ゆかましものを
是はおどけて詠める歌と聞ゆる也。あふ事なり難き事有て、あはざるをかく乳母の事にとりなして云へるならん
2927 浦觸而可例西袖※[口+立刀]又卷者過西戀也亂今可聞
(392)うらぶれて、かれにしそでを、またまかば、すぎにしこひや、みだれこんかも
今は令の誤りにもや。然らば、しめんかもと読べしと也。然れ共戀やと讀みたれば、こんと讀まん方聞え安からんか。上の過にしにも對する詞なればこんの方なるべきか。歌の意、久しく中絶して別れし袖を更に又まかば、思ひやり過せし戀の亂れきて悩まんかと也
うらぶれては思ひに悩み弱りて、思ひ絶たる戀の又逢ふ由出來て、更に逢ふならば、思ひ過し思ひの又亂れてと也。うらぶれてと詠めるも袖を云事の縁あるから詠める也
2928 各寺師人死爲良思妹爾戀日異羸沼人丹不所知
おのがじし、人しにすらし、いもにこひ、日ごとにやせぬ、人にしられず
各寺師、第六卷にも出たり。そこには思自と書きたり。そこに注せる如く是はおのがすさびすさびと云事也。然れば人々の思ひつきつぎにと云意也。源氏物語に云へる詞の意は、同じの意にて少違へる也。諸抄の説は源氏の詞の意と同じ意、おのれどちと云意に釋せり。式部も其心にて書けるか。又式部の意は思ひ思ひの意にて書けるか。おのがどちと云意にてはここの歌通じ難し。此歌の、人しにすらしは、世の中の人をさして、又我獨り人には不v被v知死ぬにてあらん。かく日毎に戀に痩する身はと云意に聞ゆる也。羸の字はつかれると讀字故、義をもてやせぬとは讀めるならん。つかれぬと讀みても同じかるべし。世に云習たるは、じしと上を濁て下をすめども顛倒なるべし。上をすみて下を濁るべき也
2929 夕夕吾立待爾苦雲君不來益者應辛苦
【ゆふべゆふべ・よひよひに】われたちまつに、くるしくも、きみきまさずば、かなしかるべし
苦雲を若雲と誤りて書たるを、其儘にそこばくもとは假名を付たり。ここにそこばくもと云事は、いかに共讀べき事にあらず極て苦若の誤りと見ゆる也。辛苦と書きては、くるしみとも讀べけれど、一字にてくるしきと讀字なれば、上にて苦しくもと讀みたれば、悲しかるべきとは讀める也。此二字を書る事數多なり。大方悲しきと讀ません爲二字を書たるならん
(393)2930 生代爾戀云物乎相不見者戀中爾毛吾曾苦寸
いける世に、こひちふものを、あひみねば、こひのなかにも、われぞくるしき
是迄に遂に戀と云ものにあはぬから、かく苦しきものとは知らざる故、戀する中にも我はわきて苦しきと也
2931 念管座者苦毛夜干玉之夜爾至者吾社湯龜
おもひつつ、をればくるしも、ぬばたまの、よるになりなば、われこそゆかめ
夜爾至者を例の通無理なる假名付をしたれど、にしと讀事は成難き也。依てよるになりなばと義訓に讀む也。歌の意はよく聞えたり
2932 情庭燎而念杼虚蝉之人目乎繁妹爾不相鴨
こころには、もえておもへど、うつせみの、ひとめをしげみ、いもにあはぬかも
此歌もよく聞えたる歌也。不v及v釋
2933 不相念公者雖座肩戀丹吾者衣戀君之光儀
あひおもはで、きみはいませど、かたこひに、われはぞこふる、きみがすがたを
君は何共相思はでましませ共、われのみ片戀に君が姿を見まほしく戀わびると也
2934 味澤相目者非不飽携不問事毛苦勞有來
あぢさはふ、めにはあけども、たづさへて、こととはざるも、くるしかりけり
あぢさはふの事は諸抄の説は、よき事の多くあつまりたると云を云との説也。いかに共義不v通。然れ共何と云義別に今案語例も無ければ、先づものをほめたる事との冠辭とは見ておく也。追而可v考。此歌はめと續けたり。妹と續けたる歌も有て一決せざれば、何と云事ともきはめ難し。目には飽け共とは、常にま近く目には見て居れ共、よりそひてもの云事は人目有て包(394)むからや、なり難き事を苦しむ也。飽かざるにあらずと書きたれば飽くの意也
2935 璞之年緒永何時左右鹿我戀將居壽不知而
あらたまの、としのをながく、いつまでか、われこひをらむ、いのちしらずて
命のうちに逢事もあらんや。今も定めなき命の程も知らずして、かく年月を經て變ひざらんやと歎きたる也
2936 今者吾者指南與我兄戀爲者一夜一日毛安毛無
いまはわれは、しなんよわがせ、こひすれば、一よひとひも、やすけくもなし
思ひに迫り今はもはや戀ひ死なんと也。我兄とは夫をさして云へる義也。歌の意よく聞えたり。上にも同意の歌を擧げられたり
2937 白細布之袖折反戀者香味之容儀乃夢二四三湯流
しろたへの、そでをりかへし、こふればか、いもがすがたの、ゆめにしみゆる
前にも注せる如く、衣を裏がへし着てぬれば、思ふ人の夢に見ゆると云語ある也。それに依てかくは詠める也。戀しき餘りにせめて夢になりとも逢ふと見たきと、衣を折かへしぬれば妹が姿の夢にし見ゆると也。袖と云て衣の事也。袖は衣につきたるものなれば、繰返し繰返し戀佗びると云意をこめて、袖折かへしとは詠めり
2938 人言乎繁三毛人髪三我兄子乎目者雖見相因毛無
ひとごとを、しげみこちたみ、わがせこを、めにはみれども、あふよしもなみ
人言乎を前にもかく人言をと有て、今時の手爾波なれば、のと云つべき樣なれど、人の言語を繁みと云意故乎とある也。歌の意は明也。毛人髪三と書てこちたみと讀ませたるは、毛人國の人の髪甚あつくしげり、惣身皆毛深く言語不v通也。言語もしたらむなれど、言の亂れて物のあやわかぬ義をとり、こちたみとは義訓せる也。髪も蓬頭の如くに、繰りあげなど云如くにし(395)て、物のあやわかたぬ如きものなるを、わが身上を人の云ひ騷ぐこと何のはしも知れず、樣々に云立る事の亂れたる義にとりて、こちたみとは詠める也。山海經、毛人國〔爲v人身生v毛在2玄股北1〕と有。敏達紀云、十年春閏二月〔蝦夷數千寇2邊境1。由v是召2其魁師綾糟等1、魁師者大毛人也云々
2939 戀云者薄事有雖然我者不忘戀者死十方
こひといふも、うすき事あり、しかれども、われはわすれじ、こひはしぬとも
戀と云ても樣々有て、世に云けなせるは淺はかにうすき事あれど、われにおいては戀ひ死ぬる迄も淺はかに、君が事は忘れじと也。戀と云へばと讀ませたれど、者の字此歌にても、もと讀までは詞不v通也
2940 中中二死者安六出日之入別不知吾四久流四毛
なかなかに、しなばやすけん、いづるひの、いるわきしらず、われしくるしも
かく思ひに悩み苦まんより、死にたらば安からんにと也。夜晝の明暗をも知らず、思ひに沈み苦むと也
2941 念八流跡状毛我者今者無妹二不相而年之經行者
おもひやる、あとかたもわれは、いまはなし、いもにあはずて、としのへゆけば
念八流、是をおもはると讀ませたるはいかなる意にてか、心得難し。思ひを消しやるべき跡かたちも無きとは、詮方の無きと云と同じ。思ひやる術の知らなくなど詠める意と同じ。跡状の二字は猶別訓に讀ませたるならんか。歌の意はよく聞えたり
2942 吾兄子爾戀跡二四有四小兒之夜哭乎爲乍宿不勝苦者
わがせこに、こふとにしあらし、みどりこの、よなきをしつつ、いねがたらくは
わがせこは前に注せる如く、男女共に云へるか決し難し。何れにまれ、戀佗びて夜々泣きあかしていね難きと也。それを夜泣きと云はんとて、緑兒のと上に詠出たり。緑兒の泣くにはあらず、緑兒の夜泣きするは苦しきものなる故、泣くと云はん縁に(396)緑兒の夜泣きとは續けたり。清少納言も、苦しげなるもの、夜泣きと云物するちごのめのとと書けり
2943 我命之長欲家口僞乎好爲人乎執許乎
此歌下の七文字いかに共讀み難し。諸抄の説の通にては僞りをする人は、にぐる人を追かける如く、事を改めても、あとからは云まがへ云まがへしてとらへ難き如くなるから、命ながらへて心長く正さではなり難き故、命を長くと願ふとの事と釋せり。いかに共心得難き釋、第一歌詞にとらふばかりと云事歌にて無く、又僞りをする人をとらふと云義いかに共不v通事也。誤字か。又別訓の義あらんか。追而可v考。此儘にではいかに共聞き得難き歌也。可v加2後案1也
2944 人言繁跡妹不相情裏戀比日
ひとごとを、しげしといもに、あはずして、こころのうちに、こふるこのごろ
能聞えたり。人言の繁きから逢ふ事もなり難ければ、忍びて心の内にのみ戀佗ぶる也
2945 玉梓之君之使乎待之夜乃名凝其今毛不宿夜乃太寸
たまづさの、きみがつかひを、まちしよの、なごりぞいまも、いねぬよのおほき
玉梓の使とは極まりたる冠句也。君の詞を中に入たる也。一通は只今も夜のいね難きは、はじめ玉章を取かはせし時、其使を待ちしが、其名殘ありて今も夜のね難き事有と也。能聞えたり。名殘ぞ今と詠める處には含みたる意も聞ゆる也。今は來る夜を待つと云意を詠めるなるべし。君が來るを待ちていね難き夜の多きと云意を、今も不宿とは詠めるならんかし。君が中絶て來ぬを恨みて詠めると云説も有。さもあらんか
2946 玉桙之道爾行相而外目耳毛見者吉子乎何時鹿將待
たまぼこの、みちにゆきあひて、よそめにも、みればよきこを、いつとかまたん
いつか云なびけて我方に通ひ來るを待たんと也
(397)2947 念西餘西鹿齒爲便乎無美吾者五十日手寸應忌鬼尾
おもひにし、あまりにしかば、すべをなみ、われはいひてき、いむべきものを
念西はしのびにしとも讀べし。忍ぶに餘りて言にあらはして云出たり。忌み慎むべきものを、忍ぶに堪かねて詮方なく言に出しと也
或本歌曰門出而吾反側乎人見監可毛可云無乏出行家當見 あるふみの歌にいはく、かどにいでて、わがこひふすを、ひとみけんかも云々
此或説は後の五文字よりかくよめる本も有と也。反側の二字はふしまろぷとも讀みて、思ひの切なる餘りに門に出てふしまろぶを人の見けんかと恥たる也。みらんかもとよめるか。まが心安き字也
可云、一本一云とあるを正本とすべし。或の字の誤りたるにてもあらんか。然し一本に一云とあるを證として、あるにいはく也
無乏出行家當見 すべをなみいでつつゆきていへのあたりみし 是も後の五文字よりの異説を擧げたる也。いであるきてぞ共讀ませたり。何れにても同じ
柿本朝臣人麿歌集云爾保鳥之奈都柴比來乎人見鴨 上略にほどりのなつさびこしをひとみけんかも
人麿の歌集には第三の句より如v此あると也。是は同歌と云にはあらず。念西餘西かばにほどりのあしぬれくるをひとみけんかもと有歌も、人丸歌集に所見と云詞の例を云ひたる義とも聞ゆる也。歌の意同じき樣なれば、似たる歌共を後注者加筆したる迄の義なるべし
2948 明日者其門將去出而見與戀有容儀數知兼
あけんひは、そのかどゆかん、いでてみよ、こふれるすがた、あまたしるけん
夜のおもひは來ぬ人を戀佗びるから、あけんあしたはつれなき人の門を行過ん程に、空ごとかまことか出て見よ、かく戀佗び(398)る事の眞實なるから、わが痩せ衰へたる姿を見ても、戀佗ぶる事は姿にても大方はしるからんと也
2949 得田價異心欝悒事許吉爲吾兄子相有時谷
此歌印本の假名に從ひ、諸抄の説はいかに共歌の意不v通。先諸抄の假名は、疑へる心いぶかしこと計りよくせよわがせこあへる時だに、と讀みて、意はわれを常々疑へるそなたの、いぶかしく思ふ心の晴るる樣、よくことのはかりを今逢ふたる時によく爲し置きて、わが疑はるる事の無き事を見よとの義と釋せり。云まはせばいか樣にも云はるべけれ共、此歌左樣にはいかに共聞えぬ詞共也
宗師案は、初一二句は只序詞に云たる迄にて、義を含みて詠める歌にてはあるまじ。只不飽と云事を云はん迄の序に、疑へるとこごろと讀みたるものと見る也。あかぬと云は嬉しき心に叶ふ事計をして、互ひに心にさかふいぶかなる事をせず、よく睦じき事をつくせよと云事と見る也。日頃は戀佗びて物憂きに、せめて逢へる時だに陸じき事のみをよくせよと云意にて、とごころと云はんとて疑へると讀みたる也。とごころとは外心也。外心と云も戸をあくるあかぬのと云べき序にて、とごころとは詠出て、欝悒の二字は義訓にて物の覆かくれたる義を云字なれば、不明不開の意にとりて、不飽と云意を此二字の義にて讀ませたると見えたり。畢竟の意は只あかぬ事計りをよくして、心にさかふ事は今逢へる時にはすなとの義と見る也
或説、異は累の字の誤りにて、疑へるの義なるべしとも云へど、さ讀みてはいかに共歌の意不v通也。宗師案の通なれば一通はよく聞ゆる也。然れば異の字誤字とも不v被v見也。なれば疑へると心と云迄は序にて、此詞の義無きと見る也。疑ふなれば外心あるかと疑ふ義、その戸心は戸を云義にて、あかぬと云はん爲の序と見る也。何れか是ならん。後世の達人可v決也
2950 吾妹子之夜戸出乃光儀見之從情空成地者雖踐
わがせこが、よとでのすがた、みてしより、こころそらなり、つちはふめども
夜戸出は朝戸出と云も同じく、別れ歸る明くれの夜とく出てかへる時の姿を見てより、いとど戀慕ふ心空にて魂も身に添はぬとの意也。心空なりつちはふめどもと詠める下の句は、集中に數多有
(399)2951 海石榴市之八十衢爾立平之結紐乎解卷惜毛
つばいちの、やそのちまたに、たちならし、むすびしひもを、とかまくをしも
海石榴市、大和國泊瀬の邊りにある地名、上古の市場、人の寄り集まる所を市と云。依てたちならしとは詠みて、畢竟なれしと云意を云はん爲のつば市也。武烈紀云〔於v是太子思欲v聘2物部麁鹿火大連女影媛1、遣2媒人1向2影媛宅1期會。影媛會※[(女/女)+干]2眞鳥大臣男鮪1【鮪此云2茲寐1】恐v違2太子所期1報曰、妾望奉v待2海柘榴京巷1。〕用明紀敏達紀等に見えたる所也。源氏物語玉鬘の卷、つばいちと云所に、四日といふ巳の時ばかりに生ける心ちもせで、いきつき給へりと書けり。逍遥院の細流と云注に、當時俗に丹波と云へる此所かと注せらる。後世にては、つば市を、たには市とも云へるか。此歌は武烈紀の歌垣の古事を含みて詠める歌と聞ゆる也。影媛の事など思ひよりて詠めるならんか。八十衢も市は方々より寄り來る人の道筋あるから、かく云へるなるべし。上古より名に高き道路ある所なるべし。古今にも、いその上ふるの中道中々にと詠めるも此八十の衢の道路なるべし。海石榴市の邊也。影媛歌にも、いそのかみふるをすぎこまくら高はしすぎ云々など道路の筋を詠めるは、八十の衢の道ある所と聞えたり。歌垣の古事を含めるから、立ならしとも詠みて、なれにし紐を、別れて獨り解かん事の惜しきと云意の歌と聞ゆる也。二人して結びしを獨りして今更解かまく惜しきとの義也
2952 吾齡之衰去者白細布之袖乃狎爾思君乎母准其念
わがとしの、おとろへゆけば、しろたへの、そでのなれにし、せをもしぞもふ
おとろへゆけば愈々馴れそひたるを惜み、大切に思ふとの義にて、狎にしと云はん迄に白妙の袖とは詠める古詠の例格也。其の字を衍字と見る抄あれど、せをもしぞと讀みて、歌の意通ぜるなれば有る字は助くべき事也
2953 戀君吾哭涕白妙袖兼所漬爲便母奈之
きみにこひ、わがなくなみだ、しろたへの、そでさへひぢて、せんすべもなし
さへはもと云と同じ意の詞、ものを兼ねるは、彼れと此れと共にするの意を以て、ともにと云意にて、兼の字をさへとも讀也。(400)集中に多き格也。歌の意はよく聞えたる歌也
2954 從今者不相跡爲也白妙之我衣袖之干時毛奈吉
いまよりは、あはじとするや、しろたへの、わがころもでの、ひるときもなき
今よりはも早やあはじとするならば理りならん、さもなきにかく戀佗びて袖の乾かぬ事哉と、われと心を咎めたる也
2955 夢可登情班月數多二干西君之事之通者
此歌諸抄の説假名づけの通りに釋したれば、いかに共聞え難く、殊に可登班三字をかともわかめやとはいかに共讀難し。わかめやとは訓のことなれば、讀みもすべくや。音書に書たるに、もの詞は不v被v添。毎度此義は注せる通り也
宗師架は、いめばかりとごころあかつつきひさにかれにしきみがことのかよへばと讀みて、打おほひたる欝悒の心もいめ計り開け、明くなりし心地すると云意に詠める歌と見る也。古詠の格は皆如v是内に物をよそふ事なくては、歌と云ものにては無くたゞ言物語など同前也。と心はとは、發語にして詞の縁は戸也。戸と云詞の縁に依て、あかつと戸をあくると云義あるから其詞につゞく縁をもて詠める也。假名づけの通りにても一義は聞ゆれ共、さは讀難き字なれば、辭を添へては釋し難き也。可の字をばかりと讀事を不v辨ざるから、毎度よみ誤有事也。此歌は可の字はばかりと讀べき歌と聞ゆる也。數多の二字ひさと讀事未v詳。然れ共古く假名づけにあれば、先其儘に從ふ也。尚別訓あらんか
2956 未玉之年月兼而烏玉乃夢爾所見君之容儀者
あら玉の、としつきかねて、ぬばたまの、ゆめにぞみゆる、きみがすがたは
年月兼而は年比月頃の事をもあはせて夢に見るとの意也。君を思ふ事の年月つもれる事を、共に見るとの意也。又年月を經ても不v絶見るとの意にも聞ゆる也。兼てはかけての義に見る説も有。然れば程ふる意也
2957 從今者雖戀妹爾將相哉母床邊不離夢所見乞
いまよりは、こふともいもに、あはめやも、とこのへかれず、ゆめにみえこせ
(401)仔細ありて別れし歌と聞えたり。今より戀慕ふとも逢事あらんや、逢事あらじ。されば床のへさらず夢になりとも見えよこせよと也
2958 人見而言害目不爲夢谷不止見與我戀將息
ひとのみて、こととがめせね、ゆめにだに、やまずをみえよ、わがこひやまん
よく聞えたり。人めを忍べばうつつには相見る事もならねば、夢にだに止まず見えよと也
或本歌頭云人目多直者不相
2959 現者言絶有夢谷嗣而所見而直相左右二〔此歌記シアラズ、脱セルカ〕
2960 虚蝉之宇都思情毛吾者無妹乎不相見而年之經去者〔同右〕
2961 虚蝉之常辭登雖念繼而之聞者心遮焉
うつせみの、つねのことばと、おもへども、つぎてしきけば、こころはやみぬ
歌の意、上のうつせみは常と云はん爲の序、うつの身の常と云義、うつとは現在あらはれたる處の義、世の中の常の言葉と思へどと云義にて、われを思ふと戯れ云詞は、世の常のことのなぐさ事と思へ共、ひたすらつきて聞けば、おのづからげにもさもやあらんと心を病しめるとの義也。遮焉の二字を諸抄の意は、なきぬと讀みて慰むとの意に釋せり。印本の假名にもなきぬと讀ませたるから、其説を立つるならん。然れ共此字なきなくとは讀難し。尤もさへぎると讀みて斷也と云字注も有て、ものを斷ちきりおさへる意から、なくと意を通じて假名を付たるか、義不v當也。遏也と云説文の注に從ひて、やみぬと云意をとり借訓に書きたるもの也。止遏の意にては無く、悩むの意に詞を借りたる也。止遏の字は止と云意に用る也。物の音などをおさへ止める字義有。此歌にては去聲の訓に借りて書たる也。事のなぐさと思へ共、ひたと續きて聞けば、さすがに心を悩ましむるとの義也。焉の言葉終に用る字故、畢のぬと云意にて添たる也。やむをと云ても同じ。烏と通ずる字也。何れにても語の終に用たる義にて意は無き字也。第四卷にも此遮の字を書き、さへぎると讀ませたれど、其處にても注を殘せり。そこも病ぬと云(402)意にて歌の意可v通也
2962 白細之袖不數而宿烏玉之今夜者早毛明者將開
しろたへの、そでまかでぬる、ぬばたまの、こよひははやも、あけばあけなん
不數の字まかでとは索の字と通ずる故、求のと云事をまくと云。索は求也と云字注有。索數と通ずるなれば、まくとは讀。是も卷《マク》の訓借也。歌の意はよく聞えたり。不數而と書きたる故まかでと讀まる也。假名づけにはかずしてと讀ませたるは不v宜
2963 白細之手本寛久人之宿味宿者不寢哉戀將渡
しろたへの、たもとゆたけく、ひとのぬる、うまいはねずや、こひわたりなん
世上の人は何心なくうまいをするに、われは物思ひに夜をもいねず戀わたるならんと也。ねずやと云やは、只ねぬと云意也。疑ひのやにはあらず。物を二つ云時それやこれなど云やと同じ
寄物陳思
2964 如是耳在家流君乎衣爾有者下毛將著跡吾念有家留
かくのみに、ありけるきみを、きぬならば、したにもきんと、わはもへりける
われは身をもはなたず睦じからん事を思ふべきに、先にはつれなく疎きを恨みて詠める意也。かくのみにありけるとは、つれなき事を指して云る也
2965 橡之袷衣裏爾爲者吾將強八方君之不來座
つるばみの、ふたへごろもを、うらにせば、われしひんやも、きみがきまさぬ
此歌諸抄の説假名づけの通にては鵜の意いかに共通じ難し。先つるばみの衣を詠めるは四位已上の人の通例の物故、色々染(403)色あれ共、通用多き處をもてありふれたる衣故詠出たるなるべし。橡の衣に心はあるまじきか。袷の裏にせばわれしひんやもと詠める意六ケ敷也。一説には袷の衣は薄き義に譬へて、われを薄き心にせば、しひまじと云意に釋せるも心得難し。一重衣こそ薄き共云はるべけれ、袷の衣は冬の袍にて厚き也。それを袷は薄きとは裏表の説也
宗帥案には、次下の歌に一重衣と詠める格あるに依て、袷の字はふたへと讀ませたる義訓書なるべし。ふたへ衣とは二心の義に寄せて云へるならん。君が二心ありて然かも其心を内に隱し包みて、二重のみならずそれを裏にせば、われ何の爲に無理にと強ひんや。中絶ゆる迄君が來まさぬは、二心あるからなればよしやわれも強ひはせじと云意ならんか。來まさぬは衣を不v着事に寄せて、不v來事を恨みたる歌と見ゆる也。又の意、裏にせばとは、二重の衣を裏につけるは猶しつこき事なれば、それをわれ何の爲に二心を持ちて君にしひんや。二心ありて裏にせんとするには無きに、君が來まさぬと云意共見ゆる也。然し如v此にても未2打着1歌也。尚後案すべき也。印本の假名付の通にて衣のと云手爾波にては、何を衣の裏にせばと云ふ事にや不v聞。二重衣を裏にとは二重の衣を裏にするなれば、三重になりて夫婦の間又一つ物のまじれる義なれば、われ何の爲にしひんやと云意也。衣のと讀みては兎角不v通也。あはせと讀みても何と讀みても衣のと云手爾波にては有まじき也
2966 紅薄染衣淺爾相見之人爾戀比日可聞
くれなあの、うすぞめごろも、あさはかに、あひみしひとに、こふるころかも
うすうす相見し人をあさはかにも戀佗ると也
2967 年之經者見管偲登妹之言思衣乃縫目見者哀裳
としのへば、みつつしのべと、いもがいひし、きぬのねひめを、みればかなしも
別れし時形見に送りしきぬを取出て、われは久しく逢はぬ事を歎ける歌也。縫目と詠めるは衣の縫目はあふてあるに、われと妹とは逢はで離れゐると云義を、思ひ合せて歎く意なるべし
2968 橡之一重衣裏毛無將有兒故戀渡可聞
(404)つるばみの、ひとへごろもの、うらもなく、あらんこゆゑに、こひわたるかも
此歌にては一重ころもと詠みて、無裏と云ひたれば、一筋に二心なく、われを頼みてあらんものをと云意也。それ故われを戀わたると也
2969 解衣之念亂而雖戀何之故其跡問人毛無
ときざぬの、おもひみだれて、こふれども、なにのゆゑぞと、とふひともなし
ときぎねは思ひ亂れと云はん料也。問人もなしとは思ふ人のつれなきを恨める意ならん
2970 桃花褐淺等乃衣淺爾念而妹爾將相物香物
あらそめの、あさらのきぬの、あさはかに、おもひていもに、あはんものかも
桃花褐 紅の薄き色のかちのきぬの事也。延喜式には退紅と云ひ番丁の類のものを、あらそめと讀ませたるも、着る處の衣の色に依て名とせる也。如木退紅白丁の類皆是也。然るに退紅と書きてあらそめと云は、紅の色のおめりたるは桃花の色也。然れば此集桃花褐と書きて、あらそめと假名をつけ來るも退紅の一證なるべし
日本紀天智卷に桃染布〔五十八端〕と有り。延喜式にも桃染と書きて直にももそめと讀ませたり。此あらそめとは別なるか不審也。但し桃そめとも云ひ、あらそめとも云か。一色にて二名と見るべきや可v考
令式等には毎度桃染と出たり。退紅の着服の色は桃色とは少し違て濃きかたなれば、若しくは別染色か。此集に桃花褐をあらそめと讀ませ來れる事不審也。此集の假名は證明にはなり難し。假名のつけ誤ならんも無2覺束1也。今俗に桃色と云は至つて紅の薄き色也。退紅の色ともあはぬ也。江次第大臣大饗の所には仕丁二人著2荒染1とあれば、あらそめの名目古く無きにしもあらず。縫殿寮式に染色の事種々注文あれど、桃染は不v見事不審也。此歌の意と今俗に桃色と云とは相叶へり。赤色甚だ薄き色也。あさらのきぬと讀みて、紅の淺き色を桃花褐とは云へると聞えて、あらそめと慥に可v訓義か不v詳也。尚装束抄等可v考也
(405)歌の意は、容易に思ふて妹に逢はるべきものか。深く心を染めてこそは逢はるべけれと云意也
2971 大王之鹽燒海部乃藤衣穢者雖爲彌希將見毛
おほぎみの、しほやくあまの、ふぢごろも、なれはすれども、いやめづらしも
大王之鹽燒、天子供御の鹽燒所昔は所々に定被v置し也。日本紀仲哀紀武烈紀等に見えたり。供御の鹽燒は無2間斷1海部の身を焦がして燒く、そのわざになれなれて外に心を移さぬ義をとりて詠めるなるべし。畢竟藤衣なれはすれどもと云はん迄の序也。鹽燒衣はよごれなれて身しみつく計の物なるから、なれると云事の序に詠める歌多し。此集第三卷にも第六卷にも鹽燒衣と詠みて、皆なれたる事に詠める也。此歌の意も不斷になれなれても、益々珍らしきと愛し憐みたる意也。將見毛は義訓にて、めづらしもと讀べき也。いやまれに見んもと讀べき抔云説あれど、義訓にめづらしと讀みて歌の義能相叶ふ也。希將見毛の四字合ての義訓とすべし
2972 赤帛之純裏衣長欲我念君之不所見比者鴨
あかぎねの、ひとうらごろも、ながくほしと、わがもふきみが、みえぬころかも
純裏すみうらと假名つけたれど、すみうらと云事あるべく共不v覺。純一と續く字にてひとつ裏のきぬと云義に詠めるなればひと裏と讀べし。前にも、ひとともかみとも讀ませたる義あり。ここは裏表とも同じ色の衣と云意也。夫婦相替らぬ事の長くあれかしと願ふと云義に、ひとつ裏の衣の長かれと願ふ君が、此頃來まさぬはいかにしてか、心變りやせし、さはりやありてかと氣遣したる歌也。長欲とは、きぬの長と云縁に、われと君との中の長く替らずあれと願ふと云意を寄せたり
2973 眞玉就越乞兼而結鶴言下紐之所解日有米也
まだまつく、をちこちかねて、むすびつる、わがしたひもの、とくるひあらめや
ま玉つくは緒と云はん爲、遠近かねては長く當然をあはせて堅く契りし下紐の、二人して解かん迄は獨りしてあだに解くる日はあらじと也。心の不v變事を云へる也
(406)2974 紫帶之結毛解毛不見本名也妹爾戀度南
むらさきの、おびのむすぶも、とくもみず、もとなやいもに、こひわたりなん
紫の帶とは紫は色の第一なるから、凡て女の上の事に寄せたり。結ぶも解くも不v見は、逢ふ事も無き人をもだし難く心元なく戀わたらんかと也。又逢ひも見もせぬ人を覺束なくも戀わたらんかと也。むすぷは契を結ぶ義、とくは心の解くる義を含みて、結ぶも解くもとは詠めるならん
2975 高麗錦紐之結毛解不放齋而待杼驗無可聞
こまにしき、ひものむすびも、ときさけず、いはひてまてど、しるしなきかも
高麗錦は上古高麗より貢獻の錦を賞美してもてはやしたる也。紐と云はん爲の序也。日本紀允恭紀天皇の御製にも、ささらがた錦の紐をときさけてと詠ませ給へり。ここにときさけず齋ひてと讀めるは、何とぞ古事を詠めるか。又二人して結びし如くに思ひて、さくと云義を忌みて、解けずに待てどと云意か。とくは別れる義にとりて忌めるか。かく物いはひ迄して待てど、君が不v來逢事の無きをしるし無きかもと歎きたる也
2976 紫我下紐乃色爾不出戀可毛將痩相因乎無見
むらさきの、わがしたひもの、いろにいでず、こひかもやせん、あふよしをなみ
歌の心あきらか也。人めを忍ぶから色にも不v出戀ひやせんか。かく逢事のよすがも無ければと歎ける也
2977 何故可不思將有紐緒之心爾入而戀布物乎
なにゆゑか、しのばずあらん、ひものをの、こころにしめて、こひしきものを
しのばではあられぬ心にしみこみて戀しきと也。紐の緒の心と續く事は前に注せる如く、紐を結びつける鐶の事をこころわと云」から、糸紐の事に心と云事を詠める也。入の字をしめてと讀も紐をしめるの縁をうけて也。染こみての義をとりて也。
(407)2978 眞十鏡見座吾背子吾形見將持辰爾將不相哉
まそかがみ、みませわがせこ、わがかたみ、もたらんときに、みえずあらめや
別れる時形見に鏡をやりてわが形見として見給へ。此形見を見給ふ時、わが面影も見えずあらめやと也。形見の鏡をわが面影とも見よと云へる意也。此已下皆鏡に寄せて詠める歌也
2979 眞十鏡直目爾君乎見者許増命對吾戀止目
まそかがみ、ただめにきみを、みなばこそ、いのちにむかふ、わがこひやまめ
只目にだも君を見なばこそ命にもかはる戀のやまめ。目にだにも見る事ならぬ戀のやまぬと也
2980 犬馬鏡見不飽妹爾不相而月之經去者生友名師
まそかがみ、みあかぬいもに、あはずして、つきのへぬれば、いけりともなし
きこえたる歌也
2981 祝部等之齋三諸乃犬馬鏡懸而偲相人毎
はふりらが、いはふみもろの、まそかがみ、かけてぞしのぶ、みるひとごとに
みもろは神社の事を云。社をみもろと云證此歌などにても知るべし。凡て神社の神前には今も神鏡を懸る古來よりの遺風也。其神鏡を諸人の仰ぎ見る如く、相見し人の戀忍ばぬものは無きと也。畢竟かけてと云はん爲に上の句は詠みて、見る人毎に我が物にせんと乞ひねがふ義を、神前にかかれる神鏡に向ひて、ものねがふ如く心をかけて戀ふと云義を寄せたり。第十卷には祝らがいはふやしろとも詠めり。一説に思ふ人に似もしあるは、同じ年比の人などを見る度毎に、其人を忍ぶと云意とも釋せり
2982 針者有杼妹之無者將著哉跡吾乎令煩絶紐之緒
(408)はりはあれど、いもがなければ、つけんやと、われをなやまし、たゆるひものを
針はあれ共妹が無ければ何とてつけんやと、紐のわれを悩まし苦ませて、絶ゆる如く人の間の絶ゆる事を寄せて云へる也。第二十卷に防人の妻の歌
草枕たびのまろねのひもたえば吾手とつけろ此針持
古詠にはかく色々の寄せ事を詠める也
紐と云縁から針はあれ共も詠みし也。此歌は妹の無きにつけて紐の切れたるを恨みて詠める歌とも聞ゆる也。妹の無き悲しみを紐に寄せたる歌とも聞ゆる也
2983 高麗劔己之景迹故外耳見乍哉君乎戀度奈牟
こまつるぎ、ながこころから、よそにのみ、みつつやきみを、こひわたりなん
高麗劔前にもわさみと續けたる歌有。第九卷に、劔たちなが心からおそやとも續けり。次下に直に、名のをしけくもと續けて詠めり。然るに第二卷にては高麗劔わさみが原とある處に注せるは、高麗の劔には柄に輪有故、わと續けたる也。ここも己れと云字を書きたれば、わが心と讀べきか。諸抄の説宗師案も劔太刀には凡て、なかごと云物あるから、なが心からにて、ながとは汝の心からにて、先をさして云へる義と見る也
愚意には、第二卷の例をもて云はば、わかとうけたるにてはあるまじきや。高麗つるぎと詠みたれば、わがとうけたる共見ゆる也。尤第五卷の例によれば、なが心とも云べけれ共、そこは只劔たちと有。高麗劔と云ては輪とうける例ならんか。此歌なが心からと讀みては、下の戀わたりなんと詠みとめたる手爾波少不v調樣也。又わが心からと讀みては、よそにのみ見つつと詠める義六ケ敷故此所未v決也
先歌の一通は、君がつれなき心からよそにのみ見て、われは戀わたらんと云意と見る也。今少不2打着1處あるか孰吟すべし
2984 劔太刀名之惜毛吾者無比來之間戀之繁爾
(409)つるぎたち、なのをしけくも、われはなし、このごろしばし、こひのしげきに
しばしはしばしばの意也。間の字をはしと讀事前に注せり。印本等には、このごろの間にと讀みたれど、さ讀みては義不v通しばしばと云意ならでは、戀の繁きにとはとまらぬ也
2985 梓弓末者師不知雖然眞坂者君爾緑西物乎
あづさゆみ、すゑはししらず、しかれども、まさかはきみに、よりにしものを
はしのしは助語也。端の意にはあるべからず。まさかとは眞中と云義なるべし。ざかとにごりてなか也。弓の眞中は弦の形によりたるもの也。握の處は強てたゆまぬもの故、眞中はよりにしと云へるか。俗に其時に當り、切なる時の事を、まさかの時はなど云語有。事に的中したる時はと云意に云習せるか。俗通にてはまこと眞實にはと云意に聞ゆる也。まさしくはと云詞にも通ふ也。此歌にては弓によそへて云たれば、中と云詞かと見ゆる也
一本歌云梓弓末乃多頭吉波雖不知心者君爾因之物乎
歌の意本集よりもよく聞えたり
2986 梓弓引見縱見思見而既心齒因爾思物乎
あづさゆみ、ひきみゆるべみ、おもひみて、すでにこころは、よりにしものを
靡くとも見せ、又こばみても見つ、樣々に心に試して心を寄せにしは容易の事にあらず。深く心を盡して心は寄せしと也。深くと、淺はかには從はざりしと云意也
2987 梓弓引而不縱大夫哉戀云物乎忍不得牟
あづさゆみ、ひきてゆるさぬ、ますらをや、こひちふものを、しのびかねてん
ますらをの引つがふたる弓は、いか樣の事ありてもゆるめね共、戀と云ものには心引れて、心弱くなりて忍びかぬると也。て(410)んと云詞は忍びかぬると云意也。かぬらんと云ても同じ
2988 梓弓末中一伏三起不通有之君者曾奴嘆羽將息
此歌印本諸抄の説いかに共心得難き読み樣也。末中ためてと云事いかがしたる事にや。一伏三起を、ためてと讀める義何と云義ありてか。三伏一向夜と書きて、つく夜と讀ませたる義は、つくね人形の義に依りて、十訓抄に見えたる通つく夜とは讀みたる事前に注せり。それよりして第十三卷に一伏三向凝呂爾と書きて、ねもころころにと讀ませたり。なれば一伏三向はころと讀ませたり。是も人形の起上り小法師と云物の體につきて、義を借りたる讀樣と見えたり。然れば一伏三向も三起も同事の義と見えたれば、此歌にてもころと讀べき義と見ゆる也。弓に末中をためると云事いかに共心得難し。其上末中ためてたえたると云續きも、ためとたえと詞の響きはあれど、ためてたえと云義弓の上に不v見事なれば、此義も信用し難き讀樣也。宗師案には、二義の讀樣有。末なれば物の盡きたる處をとりて、義訓に讀ませて月の訓借に讀ませたる義か。弓に縁ある言葉なれば、月の中ごろと詠めるか。一伏三起も意を得て義訓に書て、十五夜の月の夜頃は一度伏て三度も起くべき事なれば、意を得てころと云義訓に一伏三起とも書けるかと也。今一義は末の字なれば、本にて無きと云義をとりて、もとな、なかごろたえたりしと讀ませたるか。兎角一伏三起はころとならでは讀難し。既に十三卷に一伏三向をころと讀める例にても知るべし。末中の二字何とぞ別訓あらんか。たえたりしと云義に續く事なれば、中頃とならでは續かぬ事也。末の字をつきてと訓せん事今少愚意に不v落也。もとなと云方然るべからんか。然らば不通の字をゆかざりしと讀べしと也。歌の意は、中絶したる君には逢ひければ、歎きはやまんと云てよく聞えたる歌ながら、先の事を云ひたるにわが歎きはやめんとの義未v決也。先づはわが歎きはやめんと云と云歌と聞ゆる也。先の事に云へるならばやまんと讀べきか。此歌も未だ不2打着1歌なれば尚後案有べき也
2989 今更何壯鹿將念梓弓引見縱見縁西鬼乎
いまさらに、なにをかおもはん、あづさゆみ、ひきみゆるべみ、よりにしものを
(411)したがひつそむきつ色々と心を試してかくよりにし中に、今更二度君をおきて外に何の物思ひのあらんやと也
2990 ※[女+感]嬬等之續麻之多田有打麻懸續時無二戀度鴨
をとめらが、いみをのたたり、うちをかけ、うむときなしに、こひわたるかも
多田有は糸苧を繰る時の具也。令義解第二云〔凡天皇即位※[手偏+總の旁]祭2天神地祇1散齋一月致齋三日其大幣者、三月之内令2修理1訖。【金水桶金線柱奉2伊勢神宮1、楯才奉2住吉神1之類是也釋云伊勢大神奉2金麻笥金多多利1住吉奉2楯才1之類也〕延喜式九月神甞祭金銅多多利〔二基金銅麻笥二合金銅賀世比二枚云々。〕和名抄云〔絡珠、楊氏漢語鈔云【多多理、下他果反】玉篇云、※[土+朶]、亦作v〓。六帖に
たじま絲のよれどもあはぬ思をば何のたたりにつけてはらはむ
たゝりは※[木+端の旁]※[木+而]の二字をもたたりと讀み、絡※[土+朶]の二字にても讀ませたり。燈臺の上の臺の無き樣なるもの也。糸苧に用る具也。打麻かけ麻をはぎて苧にするには、幾度も打ちてやはらげ晒す也。依てうちをとは云。第一卷に、麻續王のいらこが嶋に被v流給ふ時の歌にも見えたり。苧をうむと云字は、和名抄云、績〔【則歳反宇無】〕續2麻苧1名也〕日本紀此集共に續の字を讀ませたり。令義解にも續の字を書けり。草字に續績よくまぎるる字なれば誤りたるか。但しつくと云義をもて、苧をうむは長くつゞける事なれは義をもて讀ませたるか。うむ時なしにとは倦あく時なしに也。うむとは飽きやむ事を云。其飽き止む事なく戀わたると也
2991 垂乳根之母我養蠶乃眉隱馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿異母二不相而
たらちねの、ははがかふこの、まゆごもり、いぶせくもあるか、いもにあはずて
此歌の意は、いぶせくと云はん迄にたらちねの母と詠みて、妹に逢はぬ事の物憂きと云意を云たる迄也。蠶の眉に隱りたるは欝陶しくいぶせきものなるをとりて、妹に逢はぬ事の物憂きに寄せて云へり。蠶の事も前に注せり。いぶせきの義訓も今更注するに不v及、馬の啼く聲すがる蜂の鳴く音を義にとりて書ける也。石花の事は第三卷にも注せり。石花と云貝あり。石花海とて富士山の麓に海ありし事も前に注せり。此歌は古今の序の後人の注にも書入て世に流布の歌也。誤りていぶせうもあ(412)るかと讀む人もあらば、此集のくもと云字を書ける正字を知らぬ人の事也
2992 玉手次不懸者辛苦懸垂者續手見卷之欲寸君可毛
たまだすき、かけねばくるし、かけたれば、つぎてみまくの、ほしききみかも
かけねばとは心を通はさねは悲しく、先よりもしたがひて心を通ずれば、ひたものもの引つぎて見まくほしきと也。手に入れねば苦しく、入たればと云説もあれど、かけてと云詞は彼と此とをかけて、二つにかかりたる事を云たる義なれば、心を彼と此方と通じてと云義然るべし
2993 紫綵色之※[草冠/縵]花八香爾今日見人爾後將戀鴨
むらさきの、ふぢのかづらの、はなやかに、けふみし人に、のちこひんかも
此第二句諸抄假名付の本に綵色の二字をいろのと讀ませたり。色の字ばかりならばさも讀べし。綵の字あまりたれば色と計りは讀み難し
宗師案、紫の綵色と書たれば、紫のふぢのかづらと義訓に讀ませたるならんと也。愚意未v落。紫綵色と三字にて、ふぢのとは義訓すべきか。上に紫と詠みて、綵色をふぢとは少當るまじをか。綵色二字共に色どる、色と讀字なれば何とぞ別訓あらんか。かざりのかづらとうけたるか。綵色の二字かざりとも讀べし。然ればかづらと清る詞の縁にもよければ、かざりと讀まんか。然れ共先づ宗師の案に從ひ、ふぢのかづらとは讀めり。愚意未v決。歌の意は何の意も無く今日珍しく見そめし人を、今より後戀侘びんかなと云意也。かづらは花やかに美しきかざりをしたる人をほめて云たる義ながら、華やかにと云はん爲の序也
2994 玉※[草冠/縵]不懸時無戀友何如妹爾相時毛名寸
たまかづら、かけぬときなく、こふれども、などかもいもに、あふときもなき
心に思ひかけぬ時なくいつをもわかず戀侘びぬれど、何とてか逢ふ事の無きと歎きたる也。玉かづらはかけぬと云はん序也。(413)上古は女の飾りに常に色々の玉を貫きてかけし也。日本紀安康卷雄略紀等に見えたり。かけぬかけると云詞の縁に詠めるも女の飾りの具なるから直に詠出たる也。かけぬかけるとはわが心をさきに通じかける也。我と彼と兩方に心の通ふ事、ここよりかしこへ心のはたらく事を云也。駈けると云ふ意にも云たる詞也
2995 相因之出來左右者疊薦重編數夢西將見
あふよしの、いでくるまでは、たたみごも、かさねあむかず、いめにしみえん
實に逢ふ迄は、せめて幾度も數限りも無く夢に見えんと也。疊薦は第十一卷にも、たたみこもへだてあむかずとも詠みて、そこに注せる如く、ひたものもの重ねて編む物故、ものの度を重ね數を云事に譬へ云へる也
2996 白香付木綿者花物事社者何時之眞枝毛常不所忘
しらがつく、ゆふははなかも、かみもりの、いつのさねきも、つねわすられぬ
白香の事は、第三卷大伴阪上女郎祭神歌の詞に始めて出て、そこに具しく注せり。松蘿の事をもしらがと云ひ、麻苧の事をも云。ここにしらが付木綿と詠めるは、杜樹に松蘿を付たるを云たる義と聞ゆる也。杜樹を本朝にては神木に用、湯津かづらの木とも云故、直ぐにゆふとも詠めるか。第三卷の歌にて、しらがつけゆふとり付てと詠みたり。ここにては、ゆふにしらがを付たる樣に聞ゆれば、此歌にても紛らはしけれど、杜仲にしらがを付たるを云ひたるか。又賢木に苧麻木綿を付たるを云たるなるべし。童蒙抄に此所を注せるに、呉録地理志を引木綿樹の事を釋せり。然れば此木綿は杜仲の義と見て然るべき。下に眞枝と詠めるも此木綿の事にて無ければ、歌の意通じ難き也。然れば此しらかづくゆふと云へるは、麻苧又は松蘿をつけたる杜仲の木の事を云へると見るべし。全體神祭の事にてしたてたる歌也。依て悉く詞神祭に預る縁の詞也。本づく所は此木綿に思ふ人を寄せて、花かも常に思ひ忘られぬと云事を云はんとて、神祭に縁ある事をもてつらねたる古詠上手の作也。歌の全體の意は、祭v神に神主の持扱ふゆふは花かも、いつとても見る度に目につきて、常に忘られぬと云表にして、わが思ふ人は花かも、いつさねても其事の忘られず慕はるると云意を寄せたり
(414)事社者 是は字の儘に、ことこそはと讀みて此歌何と可v濟や。此集の格皆義を以て書たるなれば、社に仕ふるもの、社をつかさどる者と云義にて、訓を付たると見えたり。依て神もりとは讀む。神もりは神主の事にも亦宮を守る者の事にもあれ、神祭をなす人をさして事社者と書きたると見る也。何時之と云詞も、嚴のと云神具に添ふたる詞也。清濁には訓義は不v構也。日本紀に見えたる通、いつのかしり、いつのおものなど云義と同じくて、いつとはほめて云言葉也。いつとてものさねきと云事に寄せて、縁ある詞を云ひたる也。眞|枝《エダ》とは上の木綿をさして云たる義、既に花かもと詠みたる其木綿をさしてさねきとは云へるならん。尤枝と云字をきと讀事は婢本紀にも、仁徳紀に桑枝と書きてくはの木と讀ませたり。又さねきと云詞は當集第十卷にも出たれば、眞木と云と同じ意にて、いつの祭に用る木綿も常に忘られぬとの表の意にして、裏の意は寢たる事の忘られぬと云意を含める也。又さなきと云意にも見ゆる也。鐸をさなきと云て神祭には賢木につける也。直ぐに、しらがと共に杜仲の木につけたり。嚴の鐸も音も忘られぬと云意に寄せたりとも聞ゆる也。ねぎと云詞も神に祈る事を云詞なれば、是も縁ある詞也。如v此一首の詞悉く神祭の事にて仕立たる歌にて、上古の上手の作と云はケ樣の歌なるべし。然れ共句釋入込一筋の意とくと不v被2聞得1故、尚後案のあるべき句釋也。先大概は如v此の意と見る也。上古の歌には、如v此詞のうつり縁計をのみ續けて義に寄せたる事も多ければ、此歌の句釋も微細には釋し難き歌と見ゆる也。此歌の意を白ゆふを白ゆふ花と云へど、われは花かは人の詞の花こそ得ては常に忘れぬと云義、いつさねきもと云は詞のまことの花にして、それを折ておこするいつの一枝も珍らしくて常に忘られねと、使に云おこせたるを、花の枝をえさせたる樣に云ひなしたる歌と釋せる説有。如v此云ひて句釋も歌の意も聞えたりとは不v覺。何をとりて聞とどむべき處も無き釋也
2997 石上振之高橋高高爾妹之將待夜曾深去家留
いそのかみ、ふるのたかはし、たかだかに、いもがまつらん、よぞふけにける
石上振は前にも出たり
高橋 延喜式第九神名上云、大和國添上郡高橋神社。たかだかにと云はん爲の序也。歌の意はよく聞えたり。然れ共此高(415)高にと云詞とくと服すみ《本マヽ》のせぬ詞也。是は人を待時の體を云ひたる詞か。人を待時はのび上りのび上り身を高くして見るものなれば、それより云ひたる義か、又高く仰々てみ見る也。何れも身仰のきのび上る體は、高くする體なれば、それにつきて云へるか。ちかぢかと云義か共見れど、不v合歌もあれば兎角決し難き也。石上は山邊郡、高橋は添上郡に有。然れ共程近ければ歌には如v此詠める事毎度例多し。古今には、ならのいその上とさへ詠みたり。山科の石田の小野などにても此集に例有。後撰の歌には、いその上ならの都とも詠める也
2998 湊入之葦別小船障多今來吾乎不通跡念莫
みなといりの、あしわけをぶね、さはりおほみ、いまくるわれを、たゆとおもふな
みなと入の船は心せくものなれど、多くの船も集ひ又葦をわくる船なれば、思ふ儘には入り難きもの也。依て思ふ人の方へ通ひ來るに、やむ事を得ず障の多くて、久しくえ來らざりしと云事に寄せてさはり多みと也。只障り多みと云はん迄に、湊入の船を詠みたれど、湊入の船は誰も誰も急ぎ入たけれど、集たる船もあり、葦をもわくれ共思ふ樣にならぬ義を委しく寄せて、思ふ人の方へは心せきて船の湊へ入如く行たけれど、不v得v止事障りあるから、遲くなりたるとの意を含みて詠めると聞ゆる也。障ある事を云はゞ、外にも云べき事何程もあらんづれど、下の心に含みをふまへてなるべし。然れ共古詠には強ひて左樣の事迄に含みをもて詠めるは少き也。自然にはあるから、此歌抔我意もあらんか。諸抄の説は、今こんわれをこじと思ふなと讀みて、歌の意とくと不v釋也。こじと思ふなとも讀み、こずと思ふな共讀みて、不2一決1。不v通の二字こじこずと讀べき義心得難し。前々にも絶ゆるとは讀みたり。尤よどむ共讀べきか。こじこず共云まはさば讀まるべけれど、此歌にてこじこずと讀みては歌の意いかに共六ケ敷也。此歌の意は、湊へ入船の葦をわける如くさはり多くても來らずして、今こそ來れ、おそく來るとて此後絶んとての事とな思ひそ、障る事多くてえ來ざりし程にと斷りたる歌と聞ゆる也。依て不通はたゆと義訓に讀べき事也。前にもたゆと讀める例いくらもあれば也。こじこずと讀みては、先から漕來るなど思ふと云意になる也。來れる人の先へ云へる詞也。なればわがたゆると思ふな、絶えはせぬ程にと斷りたる障り多みの詞也
(416)或本謌曰湊入爾蘆別小船障多君爾不相而年曾經來
或説の歌はみなと入にと詠める也。いりのと云と入にと云は少意違たれど、只さはり多みと云べき迄の事なれば、何れにても同じかるべし。下の句の意は一向別の意也。是は同歌にては無く上の句の似たる迄の歌を擧たるか
2999 水乎多上爾種蒔比要乎多擇擢之業曾吾獨宿
みづをおほみ、あげにたねまき、ひえをおほみ、すてられし業ぞ、わがひとりぬる
土に種まきは高田と云是也。あげたと云て、かはきたるあしき田民間にいふ畠田也。水多きから高田の水無き處に種を蒔きたれば、又畠田のあしき田なるから、稗の多く生交へてその稗をぬき捨てし如く、われも世に捨られて思ふ人に嫌はれて、獨り寐をすると云事をかく寄せたる也。捨られしと云迄は、只其事の續きに云ひたる迄にて、義をつめて云へる事にも無く、釋する事にも無き也。只水つきたる故、高田の乾たる田に種を蒔きたれは、稗多く生まじりたるを、拔き捨らるる如く嫌はれてと云事を、かく段々と續けたる也。第十一卷にも此歌の意に同じき歌有て、打田にもひえはあまたにありぬれどと詠みたり。そこには擇爲我夜一人宿と書たり。此歌には擇擢の二字を書きたれば、印本假名付の通にえられし故とは、いかに共讀難し。前の歌はあれどと讀みて、其中にて、えられたると歎きたる意は聞えたり。此歌にては稗を多みと云てえられしとは不v合詞也。依て宗師案には、えらみぬくと書きたれば、捨てられしと讀べしと也。業の字をゆゑと讀べき義はいかに共不v通。葉の字の誤と見る也。然らば世と通じて用る字なれば、捨てられしよぞと讀んで、直ぐに夜ぞひとりぬると續く縁共聞ゆる也。若し業の字ならばかりと讀む字也。なりかりと讀べき字なれば、かりとからは同音故、捨てられしからと讀ませたるか。此二義の内なるべし。ゆゑと讀義いかに共心得難し
3000 靈合者相宿物乎小山田之鹿猪田禁如母之守爲裳
こころろあへば、あひぬるものを、をやまだの、ししたもること、ははがもらすも
たまあはばとも讀べし。第三卷に、むつたまあへやと詠める歌も有。然れ共たましひは心なれば、直に心と讀みても同じかる(417)べし。心神と書きてたましひと讀めば、又靈の字を心とも讀む義相通ずる也。母之守爲裳はもらすとも云意也。もるともと云ても同じかるべし。洩らすと云意にて、凡て古詠のもの字は、詞の終わに歎の意をこめて云へる事多し。此のもも其意也。歌の意は互の心さへ相通じなば、いか程に山田のしし田を守る如く守りせく共逢ふべきに、心通はぬから母のせき守らすにさへられてこもり守らするから、逢事叶はぬを歎き恨める歌也。山田は鹿猪の荒すものなれば、世の常の如くにてなり難く、守人をはなたず、きびしく守り防がすものなれば、人の女子を母の守らす事に譬へたり。女子は母の育て養育するものにて、深窓にかくし置ものからかく詠める也
一云母之守之師 もらするの意也
3001 春日野爾照有暮日之外耳君乎相見而今曾悔寸
かすがのに、てれるゆふひの、よそにのみ、君をあひ見て、今ぞくやしき
暮日之外耳 是は親疎の方にて云へる義也。一日の日の夕部になりたるは、最早や疎くなりし意、眞向にあらず傾き離れたる意から、よそと疎を方に云ひたる義也。傾きたるなれば、よそと云意に通ずる也。朝夜晝迄の日をよそとは云難し。暮日故によそとは續けたる也。歌の意は、初の疎く過ぎて、今慕ふ事を悔める也。相見而は初めは疎かにのみ君を見しと云意也
3002 足日木乃從山出流月待登人爾波言而妹待吾乎
あしびきの、やまよりいづる、つきまつと、ひとにはいひて、いもまつわれを
歌の意は隱れたる處も無く、待えて見ば明かなる事月にひとしからん。われをのをは時代の風體にて、今時の手爾波にてわれはと云意と同じ。語の終りに置きて無心のを也。何程も此格有
3003 夕月夜五更闇之不明見之人故戀渡鴨
ゆふづきよ、あかつきやみの、ほのかにも、見しひとからに、こひわたるかも
(418)歌の意は、只ほのかにおぼろげに見し人なるに、戀わたるかなと云意、夕月夜なれば曉は闇のもの也。畢竟ほのかにと云はん迄の序也
3004 久堅之天水虚爾照日之將失日社吾戀止目
ひさかたの、あめのみそらに、てらすひの、うせんひにこそ、わがこひやまめ
日月の空にかからん限りはわが戀のやまぬと也。第十五卷にも此心に似たる歌、わたつみの海に出たるしかま川たえん日にこそあが戀やまめ
3005 十五日出之月乃高高爾君乎座而何物乎加將念
もちのひに、いでにしつきの、たかだかに、きみを座而、何をかおもはん
仙覺抄には、十五夜の月のとく出る如く、君が來らげ何事をか思はんと釋せり。或説には君を遠く望みて高々に待外は、何事をか思はんと云意に釋せり。、愚案はたかたかと云詞は先に注せる如く、一決し難き詞なれば、いかに共云ひ難し。此歌のたかたかは、十五夜の月の空高く出たるによそへて云へる詞にて、上は高々と云はん爲の序也。其たかだかはたちつてと同音にてちかぢかと云義ならんか。然らばま近く思ふ人を据ゑ置きては、外に何事をか思はんやと云意と聞ゆる也。又は君を除きては何をか思はんとの意にて、さしのぞきおきては、外に思ふ事の無きと云意共聞ゆる也。前の兩説は信用し難し
3006 月夜好門爾出立足占爲而徃時禁八妹二不相有
つきよよみ、かどにいでたち、あうらしで、ゆくときさへや、いもにあはざる
月のあかき夜は一入思ふ妹の方へ行くと、心進み足うらをして行けど、逢はざりし故歎きて詠める也。第四卷に家持の歌にも
月夜には門に出たちゆふげとひあしうらをぞせし行まくをほり
と詠める、そこに足うらの事をも注せり。續古今集に定頼の歌
(419) 行ゆかず聞かまほしきはいづ方にふみ定らんあしの占山
あしうらの山と云いづこの地名にや
3007 野干玉夜渡月之清者吉見而申尾君之光儀乎
ぬばたまの、よわたるつきの、さやけくば、よく見てましを、きみがすがたを
月のさやかに照らせたらば、思ふ人の姿を、かへるさの折もよく見てましを、折しも月や曇りけん、とくとも見おかざりしと悔める也。此歌若し君が姿をよく見おかましをと云はん迄の歌にて、上は序に詠めるか。然らばあざやかによく見てましをと云義を云はん計の義ならば、月のさやかにもと讀べきか。さやかに明らけく見てましをと云は、月の明なる義にて、云ひかけて詠める歌兩義に見らる也
3008 足引之山呼木高三暮月乎何時君乎待之苦沙
あしびきの、やまをこだかみ、ゆふづきを、いつとかきみを、まつがくるしさ
此歌、ゆふ月をいつとかと詠めるは、廿日過の月の事を云へり。暮月は元より出てあるものなれば、出でくるを待つと寄せたるにはあらず。出てある月故只いつと云詞計をとりて詠めるか。ゆふ月を待つと云事は無き也。歌の意は、君が來る事をいつとか待つが苦しきと云計の義なれ共、山を木高み暮月をと詠める句釋いかに共解し難し。山の高きに障りて出で來る事の晩き月は、廿日前後の月ならでは云はれぬ義也。十七夜も漸く立待の月と云て、立ちて待つ程なれば、此の上の句いかに共解し難き也
3009 橡之衣解洗又打山古人爾者猶不如家利
つるばみの、きぬときあらひ、まつち山、ふるきひとには、なほしかずけり
つるばみのきぬとは前に注せる如く、櫟の實にて染めたる衣也。下に又うつと云事を云はん爲に、橡のきぬ解きはらひとは詠みたり。とき洗ひて又打て仕立つるもの故、まつち山を云はん爲の序也
(420)たうの約つ也。依て又うちを約めてまつち山と也。是も古と云はんの序也。解き洗ひて又うつは古き衣也。依て古人と云はん迄のまつち山也。さて古き人とは慣れたる人と云義也。古くなれ染めたる人にしかぬと也。或抄には、中絶して異人に逢ひて比べ見て尚昔なれふれたる人に不v及と云義と釋せり。迂衍の説也。直に古くなれそみし人には若かぬと淺く見るべし
3010 左保河之河浪不立靜雲君二副而明日兼欲得
さほがはの、かはなみ不立、しづけくも、きみにそひつつ、あかん日もがな
是を諸抄印本等には、君にたぐひてあすさへもがなと讀ませたり。宗師案には、さ讀みて歌の全體不v聞。文字の上計にてあり體に讀みたる故,歌の意いかに共聞えず。明日とあればとて、あすと讀まで叶はぬにはあるべからず。當集の格さ讀みては歌の義不v聞事は、色々に義訓借訓に書なせるを不v辨、歌の意をも不v考文字の通例に任せて讀める也。君にたぐひてあすさへもかなと讀みては、何としたる義を云たる事にや。歌の意不v通。君にそひつつ飽ん日もかなと云ては歌の全體聞ゆる也。明は飽の字の借訓也。兼の字はかねると云字なれば、もと云詞に通じて續也。河浪不v立とは人に云ひ騷がされず、互ひの名も立たず思ふ儘、君になれそひてと願ふ義也
3011 吾妹兒爾衣借香之宜寸河因毛有額妹之目乎將見
わぎもこに、ころもかすがの、よしきかば、よしもあらぬか、いもがめを見ん
思ふ妹に衣をかして、着する由のよる邊つ手は有らぬか、然らばあひ見むにと願ふたる也。よしき川は大和春日の内にあるべし。かく詠めるを證とす。外には未だ所見なし。よしもあらぬかと云はん計に、よしきの河を取出て、衣をかす由とあひ見る由とを兼て、よしき河よしもとは詠める也。古詠の格皆かくの如し
3012 登能雲入雨零河之左射禮浪間無毛君者所念鴨
とのぐもり、あめふるかはのさざれなみ、まなくもきみは、おもほゆるかも
との曇りは空一枚に曇りはてたる事也。たな曇り共云。第二卷にも出てそこに注せり。間無もと云はん迄の上の句の序也。(421)ふる川は大和也。古川のへなど詠める同じ所也。只思ひやみ難く君を慕佗びるとの義也
3013 吾妹兒哉安乎忘爲莫石上袖振河之將絶跡念倍也
わぎもこや、あをわすらすな、いそのかみ、そでふるかはの、たえんとおもへや
思へやは前に注せる如く思はめや也。はめの約へ也。あれを忘るなわれも中絶えんと思はめや、いつ迄も抱えぬ心ぞと也。袖ふる川と詠めるも絶えんと云はん爲の序也
3014 神山之山下響逝水之水尾不絶者後毛吾妻
みわやまの、やま【した・もと】どよみ、ゆくみづの、みをたえせずば、【すゑ・のち】もわがつま
すゑも共讀べし。山下山も共讀むべし。三輪川の事也。水尾は水の深き所みわ川の水尾さへ絶えずば、いつ迄もわが妻と心を不v變との歌也。のちもわがつまと詠める歌、集中數多ある古詠の一體の句也
3015 如神所聞瀧之白浪乃面知君之不所見比日
かみのごと、きこゆるたきの、しらなみの、みなれしきみが、見えぬこのごろ
如神とはいかづちの鳴る如く落つる瀧と云義にて、古代は雷を只神とのみ云へり。瀧のたぎり落つる音の、いかづちの如くなるに譬へて、白浪のと云べき爲迄の義也。面知をおもしろと讀ませたれど、此詞心得難き詞也。おもてしるなれば見なれたる義なれば、白浪のみなとうつる詞に詠めると聞ゆる故、みなれしとは義訓に讀也。下に見えぬと續くも、愈此義訓に書きたると見ゆる也。歌の意白波白く明らかなる歌也。不v及2細注1。此下にも、水ぐきの岡のくず葉をふきかへし面知こらが見えぬ比鴨。是はおもしろと讀みてははし無く出て、下にも寄り所なき詞なれば、みなれし子らが見えぬとうけたる詞と見る也。古詠の詞の續きを辨ふ人は知るべき也
3016 山河之瀧爾益流戀爲登曾人知爾來無間念者
(421)やまかはの、たきにまされる、こひすとぞ、ひとしりにけり、まなくおもへば
山河の瀧に勝るとは、名立て高く聞ゆると云事に譬へ、瀧の音よりも高く誰人も知れると也。忍ぶとすれど、をやむ間も無く戀慕ふから、色にも出で、言にもあらはるるから、人知れず名の立たるなるべし
3017 足檜木之山河水之音不出人之子※[女+后]戀渡青頭鷄
あしびきの、やまかはみづの、おとにいでず、ひとのこゆゑに、こひわたるかも
※[女+后]の字は前に注せる如く故の字の誤り也。音不出は音に出でぬものを譬へたるにはあらず。山川水は音するものなれど、それを音にも不v出忍び忍びて戀たると、苦しき意をこめて詠める也。ふるのわさ田の穗に不v出と詠める格也
3018 高湍爾有能登瀬乃河之後將合妹者吾者今爾不有十方
たかせなる、のとせのかはの、のちにあはん、いもにはわれは、いまならずとも
第三卷に、いそこせぢなるのとせ川と詠めり。宗碩の名所抄には、河内の國と記せるは誤なるべし。此たかせと云もこせと讀べきや。たかせにあるのとせ川と云なれば、大和國高市郡の内に又高湍と云所ありて、そこにある故かく詠めるか。第三卷にこせと讀みたる故、ことかとは音同じければ、通じて、かうせんをこせとも讀ませたる樣に聞ゆる也。高き瀬のある河とも云べけれどさは云はれぬ也。爾の字を入たれば、たかせにあるのとせ河也。畢竟後にあはんと云べき迄の序也。歌の意は、何の心も無く、今障りありて逢ふ事ならずば、いつにても後に逢ふべきと云へる迄の歌也。第四卷にも是に似たる歌有。のとせのとはちと同音なれば、のちせ河と云意にも通ふと云へる説有。下ののちと續くる處はさもあるべし。のと、のち同音なるが故に、のちともうけたる也。第十一卷に、鴨川ののちせしづけみとも詠める歌有。然ればのちせと云句例も有事也
3019 浣衣取替河之河余杼能不通牟心思兼都母
あらひぎぬ、とりかへがはの、かはよどの、よどまむこころ、しのびかねつも
たえん心を共兩義有。此歌の意説々有。思ふ人の方へ通ふ事をやめんと思へど、え忍びかねるとの説、又思ふ人を戀佗ぶる心(423)を淀まして、思ひをやめんと思へど、え思ひかねると云説、又思ひを斷て思ひを絶えきらんとすれど、え思ひ堪へられぬとの意、色々の見樣有。然れば普通の二字前々にもたゆると讀みたり。又第七卷に、不斷不逝と書きて、よどと讀ませたれば、此歌も河の洲淀のよどまんとうつりたる詞共聞え、又たえんと義訓に書たる共見えたり。愚意は、上にとりかへ河を詠めるは、思ひかへらるる事を含みて詠めるか。又我思ひかへて戀路を思ひ絶えんと心をとりかへるの意を含めるか。兩義共好所に從ふべし。思かねつもは忍びかねると云義也。しのびと讀む。思ひと讀みては、心と上に詠みて思ひどよみとは續かぬ詞也。しのびは堪へかぬるの意地。心を忍びかぬると詠みたれば、戀佗びる事を思ひやまんと云歌ならんか。取替川筑後にありと云説有。證明を擧げずば決し難し。八雲にも載させ給へ共、何れの國とも無し。追而可v考。取替川を詠まむとて、あらきぬとは詠出たり。衣を洗ふには取り替へて着るなれば也
3020 班鳩之因可乃池之宜毛君乎不言者念衣吾爲流
いかるがの、よるかのいけの、よろしくも、きみをいはねば、おもひぞわがする
斑鳩は大和國也。聖徳太子の住給ふ所也。そこにある池を云たる也。或説にいかるがと云鳥は、友の音を聞て多く寄集まるもの故、いかるがのよるかの池と續けたり共云へり。斑鳩によるかの池と云ふあれば、地名を云ひて下のよろしくもと云はん爲迄のよるかの池なるべし。兩義何れにても苦しからぬ義也。宜も君をとは、われ故君が名をも云ひ立つるから、いとどわれは思ひをすると也
萬葉童蒙抄 卷第三十三終
(424)萬葉童蒙抄 卷第三十四卷
3021 絶沼之下從者將戀市白久人之可知歎爲米也母
かくれぬの、したにはこひむ、いちじろく、ひとのしるべく、なげきせめやも
絶沼 人の死たるを、たえたりと云ひ、かくれたると云。此義をとりて、絶ゆるはかくれたるなれば、かくれぬとは讀べし。歌の意は、したにと云べき爲也。忍びて下に戀佗ぶる共、顯れて人に云ひ騷がさるる歎きはせじと也
3022 去方無三隱有小沼乃下思爾吾曾物念頃者之間
ゆくへなみ、こもれるいけの、したもひに、われぞものおもふ、このごろはしば
上三句は下思爾と云べき迄の序也。人しれず下思ひに、われのみ此頃はしばしば思ふと也。之間の二字前にも出て此頃の間にと讀みたれど不v可v然。之間は、しば/\と云語の略と知るべし
3023 隱沼乃下從戀餘白浪之灼然出人之可知
かくれぬの、したにこひあまり、しらなみの、いちじろくでぬ、ひとのしるべく
いちじろく色にも出でぬれば人の知るべしと也
3024 妹目乎見卷欲江之小浪敷而戀乍有跡告乞
いもがめを、見まくほりえの、ささらなみ、しきてこひつつ、ありとつげこそ
見まくほりえは云懸けの詞、地名にもほりえと云所はいくらもあるべし。先は難波の地名也。しきてと云はん爲の序也。しきては隙間なくの意、しきり、繁くの意をも兼ねて也。繁くしきりて戀佗びてありと、妹に告げよと云意也
3025 石走垂水之水能早敷八師君爾戀良久吾情柄
(425)いはばしる、たるみの水の、はしきやし、君にこふらく、わがこころから
石ばしる垂水は、第七卷第八卷にも出てそこに注せり。是ははしきやしのはしと云詞に、縁を求めたる迄の上の句なるべし。尤たるみの水は志貴皇子の懽の御歌に詠ませ給ふ、第七卷の歌も嘉吉の事に云へる水也。然れば古來よき事に云習はせる地名の嘉詞か。此歌も、たるみの水何の用無き水也。君をほめんとて、はしきやしと云、其序に云ひたるたるみの水也。然ればよき事に云習はせる古實となれるか。はしきやしと云詞も只君をほめたる詞にて、別に義は無き也。只わが心から忘るる間も無く、繁く君を戀ふとの歌也。別の意は無き也。石走の事は前に注せり。石ばしるたきと云一言にうけたる義か。まなく隙間も無く君を戀ふと云意を兼ね、石ばしる共詠出たるは、水の石をはしるは淀みとどこふる事も無く、速かなるもの、世話敷ものなるから、戀のひた思ひに隙間も無き意をこめて詠出たるか
3026 君者不來吾物故無立浪之數和備思如此而不來跡也
きみはこず、われはゆゑなみ、たつなみの、しばしばわびし、かくてこじとや
われはゆゑなみは、われは詮方も無き也。此儘にて來じとやと歎きたる歌也
3027 淡海之海邊多波人知奥浪君乎置者知人毛無
あふみのうみ、へたはひとしる【おきつなみ・おきなみに】きみをおきては、しるひともなし
此歌の意は、兩義に見ゆる處有。先はあふみの海と云へるは、君に逢ふと云事を寄せて、逢ふ事のはし近くては人知り安かるべけれど、奧深く忍びて通ひあへば、知る人も無しと云意を寄せたると聞ゆ。又表に顯れたる事は、人もさとり知るべけれど、奥深く我心の内の事は君を除く外に知る人も無しと云意か。へたとは海の汀、磯邊などの事をへたと云也。あさき目に近き事に寄せたり。奥とは深き意、人しれぬ事に寄せたる義也
3028 大海之底乎深目而結義之妹心者疑毛無
(426)おほうみの、そこをふかめて、ちぎりにし、いもが心は、うたがひもなし
底ひなく深く契約したれば、移り變るべき淺はかなる心のあるべきとは思はぬと也
3029 貞能※[さんずい+内]爾依流白浪無間思乎如何妹爾難相
さだのうらに、よするしらなみ、ひまもなく、おもふをなぞも、いもにあひがたき
貞能※[さんずい+内]、前にも出たり。さだの浦を詠出たる意如何にとか知れ難し。直ちに名を詠出たる計か。歌の意は忘るる際も無く思ひ慕へ共、何とてか逢事のなり難きにやと歎ける也。さだの浦は波風荒き所にて、波のけはしく寄る所か、それ故詠めるか。※[さんずい+内]の字は瀉と通じて讀ませたる歌前に見えたり。水際などの事に詠めるに、ここにはうらと讀ませたるは浦の字の誤たるにや。既に印本には納の字にも誤りたれば、浦の字書誤れるか
3030 念出而爲便無時者天雲之奧香裳不知戀乍曾居
おもひ出て、すべなきときは、あまぐもの、おくかもしらず、こひつつぞをる
上の句は聞えたる通也。おくかもは前にも出たる詞、限り果ての事を云。しらずなれば、天雲の果て限りも無き如く、いたく戀ひをると云意也
3031 天雲乃絶多比安心有者吾乎莫憑待者苦毛
あまぐもの、たゆたひやすき、心あらば、われをたのむな、まてばくるLも
此歌の意聞得難し。諸抄の説は、天雲のたゆたひ安きとは、定まらず浮きたる心あらばと云義也。たゆたひは定まらず浮きたる心あらばと云義也。たゆたひは定まらず浮かれたる事を云義、然るに其心あらばわれを頼むな、頼みて來んと云ひたり共、定まらぬ心なれば、慥に思ひ定め難くて、待たん事の苦しき程にとの意と注せり。此義いかに共入組たる意也。莫憑の字何とぞ誤字ならんか。又何とぞ別訓あらんか。此儘の歌ならば心餘りて言葉足らぬと云歌ならんかし。愚意には不v落。一説、われは不v變貞義を守るからは、浮きたる心の變りたる事ありて、其人を待つは苦しきにと也。共に不v通也
(427)3032 君之當見乍母將居伊駒山雲莫蒙雨者雖零
きみがあたり、見つつもをらむ、いこまやま、くもなかくしそ、あめはふるとも
伊物には見つつををらんと直して入たり。歌の意は、よく聞えたり
3033 中中二如何知兼吾山爾燒流火氣能外見申尾
なかなかに、なににしりけん、吾山に、もゆるけぶりの、よそにみましを
何とては知りそめけん、知らずばかくは思ひはせじに、よそに見てのみあらんにと云意也。然るに吾山の事いかに共心得難し。吾妹と書てわぎもこと讀むなれば、ここも其の語例又わがもわざも同意故、わきと讀むで脇の意に讀めるか。尤わぎ山と云地名なるべし。脇と云縁より外に見ましを共詠めるか。思ふ人をわぎ山のもゆる烟に譬へて詠める也。吾山吾嶋吾岡など詠める歌も、わかにてはあるべからず。尤いく山と云五口の一字になりたる歌もあれば地名と見て後案すべき也
3034 吾妹兒爾戀爲便名鴈胸乎熱旦戸開者所見霧可聞
わぎもこに、こひすべなかる、むねをやき、あさとあくれば、見ゆるきりかも
わぎもこに戀佗びて、夜もすがら思ひ燃ゆる火にて、胸をこがして明くるをも待ちてあさ戸を開見れば、朝霧の蒙々敷立ちたるは、夜部わが燒きし胸の烟の朝霧とも立つかと歎慨したる意也。又思ひ佗びいねがてにして明くるを待ちて、戸を開き大息する息の白く見ゆるをも云との説有。第十卷にも、山霧のけふわが胸と詠める意を引合て見るべし
3035 曉之朝霧隱反羽二如何戀乃色丹出爾家留
あかつきの、あさぎりこもり、かへる羽に、いかでかこひの、いろにいでにける
往來も忍びて、朝歸へるさにも夜深く霧こめて人に見られじと歸りしに、何とて我戀の顯れて色にも出、人に知られけんと也。然るに印本諸抄の通、反羽二を歸るさにと讀みては歌の意聞え難し。羽は濁皆に讀みてかへるまにと云義なるべし。さと讀(428)義も心得難く、又歸るさにと云ては歌の意も不v通也。往きて歸るまに顯れ知れたると云意にて、まと讀みては義も通也。つばさと讀む字故、さとも讀みたるか。され共それにては歸るさに戀の色に出たると云事聞え難し。かへるまにと云ひては、早くも戀の顯れたると云意に詠めると聞ゆる也
3036 思出時者爲便無佐保山爾立雨霧乃應消所念
おもひいづる、ときはすべなみ、さほ山に、たつあまぎりの、けぬべくおもほゆ
戀慕ふ人の事を思ひ出る時は、いかに詮方も無く心も消えんと計思ふと也。佐保山の雨霧に意は無し。只消えんと云意の序也。佐保山は大和也
3037 殺目山往反道之朝霞髣髴谷八妹爾不相牟
きりめやま、ゆきかへりぢの、あさがすみ、ほのかにだにや、いもにあはざらん
殺目山 奥義抄には、いため山と讀めり。八雲には、きりめ山とありて紀伊國と有。第四卷に大伴坂上郎女の歌に、青山をよこぎる雲のいちじるくとあるにも、横殺と書たれば、きりめ山なるべし。歌の意は、妹を戀ひて往來すれど、兎に角逢はざるを歎きて詠めるならん。きりめ山を詠出たるもほのかにと云縁也。霞霧などの中に見るは、ほのかなるもの也。其ほのかにも妹にや逢はざらんと也。谷八のやは下につく八也。ますらをやなど云類の八にて、古詠には此格有。妹にや逢はざらん逢はざると云義也
3038 如此將戀物等知者夕置而旦者消流露有申尾
かくこひん、ものとしりせば、よひにおきて、あしたはきゆる、つゆにならましを
歌の意は聞えたる通也。思ふ人を戀佗びる事のいたく苦しきから、消えやすき果敢なき露になり共ならましをと也
3039 暮置而旦者消流白露之可消戀毛吾者爲鴨
(429)よひにおきて、あしたはきゆる、しらつゆの、けぬべきこひも、われはするかも
露の身の消ゆる計に思ひ亂れ、戀慕ふとの意也
3040 後遂爾妹將相跡旦露之命者生有戀者雖繁
のちつひに、いもにあはんと、あさづゆの、いのちはいけり、しひはしげれど
戀は彌増し苦しけれど、忍びて末には兎角あはんをと、消えやすき命をも永らへゐると也
3041 朝旦草上白置露乃消者共跡云師君者毛
あさなあさな、くさのへしろく、おくつゆの、けなばともにと、いひしきみはも
かく契りおきし君なるに、如何にかなりしやと慕ひ歎ける歌也。凡て君はも、妹はも、子らはもと云事は、集中に數多ありて皆歎慨悲歎の詞にて、慕ひ歎きたる意也。俗に云はば、かく云かはせし君は何とかなり給ひぬらんと云義也
3042 朝日指春日能小野爾置露乃可消吾身惜雲無
あさひさす、かすがのをのに、おくつゆの、けぬべきわが身、をしけくもなし
露は日影に忽消やすきものから、人の命の消え安き事に譬へて、とても思ふ事も叶はぬわれならば、露の如く消え安くわが身の命も何せん、惜しくもあらぬと也
3043 露霜乃消安我身雖老又若反君乎思將待
つゆしもの、けやすきわが身、おいぬれど、またわかがへり、きみをしまたん
此歌は、第十一卷に出てあさ露と詠出たり。そこに注せり
3044 待君常庭耳居者打靡吾黒髪爾霜曾置爾家類
きみまつと、にはにのみをれば、うちなびき、わがくろかみに、しもぞおきにける
(430)句面の通の意也。打靡きとは髪のしなへ亂れたる躰を云義凡て髪に靡くと詞を遣ふ事也。此歌の次第年老て頭の白くなりたる意を云へる樣なれど、庭にのみとあれば、當然來る人を待つ夜の霜の置きたるを詠めるなるべし
或本歌尾句云白細之吾衣手爾露曾置爾家留 しろたへのわがころもでにつゆぞおきにける。本集より此歌の方聞え安也
3045 朝霜乃可消耳也時無二思將度氣之緒爾爲而
あさしもの、けぬべくのみや、ときなしに、おもひわたらん、いきのをにして
命にかけて何時とも無く戀度らんと也
3046 左佐浪之波越安暫仁落小雨間文置而吾不念國
さざなみの、なみこすあせに、ふるこさめ、あひだもおきて、わがおもはなくに
安暫をあさと讀みて、遠淺の事など云説あれど、さんせんの聲なれば田などのあぜの事也。波越すとあるにあさと云事あるべきや。田疇の義ならでは越すと云義不v通也。此歌の意は、只まなく繁く戀慕ふと云意を詠める共聞え、又心變れる人を恨みて詠める共聞ゆる也。浪越すとは心變りする事を詠來れり。間もおきてとは隔てなくわれは思ひしに、思ひかへられしと云意にも聞ゆる也。一通にては只間なく繁く思ふと云の序に、あせ小雨などを詠める歌と見る也
3047 神左備而巖爾生松根之君心者忘不得毛
かみさびて、いほほにおふる、まつがねの、きみがこころは、わすれかねつも
年ふり久しく契りかはして、共に不v變事をかたき意にとりなして、かたじけなき君が志は忘れぬとの歌也。神さびてより松が根迄、皆ものふりてかたき義不v變事に寄せて云へる也。君が心ざしも堅固にして、變らぬ事を喜びて詠める意と聞ゆる也
3048 御獵爲鴈羽之小野之櫟柴之奈禮波不益戀社益
(431)みかりする、かりばのをのの、ならしばの、なれはまされで、こひこそまされ
鴈羽と書たれど、獵場の借訓也。櫟柴これをいつしばと讀べしと云説有。尤前にいつしばと云事を詠める歌共あれど、此歌はならしばとならでは讀まれず。下になればとうけたる詞は、上にならと云たる縁をもて、全體の歌の歌の趣、なれはと云一句を主として詠める歌なれば、なら柴と詠める事尤也。櫟の字はいちひとも讀事故、前の歌共にいつ柴と讀める例もあるから其説あれど、昔はなら共、いちひ共云ひたるなるべし。凡てならの木と云ものは種類数多ありて、大なら小ならなど云も有。ならとも讀みたると知るべし。日本紀和名抄等にては、いちひと有。然れ共當集には委敷無2吟味1書る事もあれば、ケ接の類あるべし兎角歌に依て見る義も有。文字に依て歌の意を悟る事もありて、此歌は歌に從ひて見るべし。ならかしは、はゝそ、くぬぎ皆同類の物にて、※[木+歴]櫟音相通ずる故、ならとも讀ませたるか
3049 櫻麻之麻原乃下草早生者妹之下紐不解有申尾
此歌いかに共聞得難し。諸抄の説もいかに共信用なり難く、前にさくら麻のをふの下草と詠める歌ありて.其所にては地名と見て、一通に注せしか共、さくらあさのをふと云義いかに共不v濟。はらと云原の字を、ふと讀事生の字の意にて、草の生ずる所故ふと讀むと云計りの説なれ共、原の字をふと讀義も慥に何と云義不v知。櫻麻のをと續けたる意も不v濟義なれば、いかに共釋し難し。尚後案あるべき也。印本諸抄には、生の字をおき共讀ませたり。尚以聞得難し。おそいねをせし故、妹が下紐を解かして悦ぶ歌と云説も有。又前の、露あればあかして行と云歌をふみて、とく起きて歸りたらば、親も知らで妹と二人して結びし下紐、獨りしては解くまじをなど、よりつかぬ事をとり寄せて釋したれど一義も不v通也
3050 春日野爾浅茅標結斷米也登吾念人者彌遠長爾
かすがのに、あさぢしめゆふ、たえめやと、わがおもふ人は、いやとほながに
斷えめやは別訓もあらんか。義をとりてからめや共讀べしや。尤中の絶ゆる絶えんの意なるべけれど、はし無く出たる詞也。かるは草に縁ある詞なれば、人の刈取らめやなど云意に寄せて、わが中のかれがれにもならんやと、いつ迄も長く久しく中の(432)不v絶樣に變らぬ樣にと、しめゆふとの意に聞ゆる也。しめゆふは我領したる所と人に知らせて、しるしをさす事也。思ふ人も外へ移られしとかためをなすの義を寄せたる也
3051 足檜之山菅根乃懃吾波曾戀流君之光儀乎
あしびきの、やますがのねの、ねもごろに、われはぞこふる、きみがすがたを
よくきこえたり
或本歌曰吾念人乎得見因毛我母 わがもふ人をみんよしもがも
本歌のわれはそと云句よりの替りたる異説也。歌の意は同じくて、能聞えたり
3052 垣津旗開澤生菅根之絶跡也君之不所見頃者
かきつばた、さくさはにをふる、すがのねの、たゆとやきみが、みえぬこのごろ
歌の意聞えたる通也。中絶えんとや此頃君が見えぬと、氣遣ひしたる意也。上は絶えんと云べき迄の序也
3053 足檜木之山菅根之懃不止念者於妹將相可聞
あしびきの、やますがのねの、ねもごろに、やまずおもはば、いもにあはんかも
よく聞えたる歌也。心に懸てねんごろに止まず戀慕はば、遂に逢ふ事のあらんかと也
3054 相不念有物乎鴨菅根乃懃懇吾念有良武
あひおもはで、あるものをかも、すがのねの、ころねもごろに、わがもへるらん
先には何共思はであらんものを、われはねもごろに思ひ慕ふらんと也。らんと云意、先には相思はざらんをと云意をこめて也
3055 山菅之不止而公乎念可母吾心神之頃著名寸
やますげの、やまずてきみを、おもふかも、わがたましひの、このごろはなき
(433)山すげは不v止と云はん序詞の響きを云たる也。忘るる間なく不v止戀ひ思ふ故かも、心も見にそはぬ、神魂も慥ならんと也。おもへかもと讀ませたり。おもへばかもと云意なれ共、思へと云事は思はめと云約言なれば、まぎらは敷也。思ふ故かもの意に見るべき也
3056 妹門去過不得而草結風吹解勿又將顧
いもがかど、ゆきすぎかねて、くさむすぶ、かぜふきとくな、またかへりみむ
妹があたりの立去り難く、慕はしからめ。しるしをしてここぞと知らん爲に、草を結びおきしを風に吹き解くなと也。幾度も慕ひ見むとの意也
一云直相麻※[氏/一]爾 たゞにあふまでに
歌意聞えたり。又かへり見むと云尾の句をかへたる異説也
3057 淺茅原茅生丹足踏意具美吾念兒等之家當見津
あさぢはら、茅生に足踏、こころくみ、吾もふこらが、いへのあたりみつ
此歌の意は、妹があたりの心にくゝ、慕ひ思ふから、淺茅原をふみわけて勞煩をも厭はず家のあたりを見しと也。歌の意は聞えたる樣なれど、句意未だとくと不v通。先淺茅原ちふにと云事心得難し。淺茅原にて濟むべきを、ちふと云は重言也。生は所を云義なれば、淺茅の生所と云事ならん。然らば淺茅原と云ひて、又ちふとは心得難し。足ふみと云事も歌詞にあらず。足ふみと書たれば、あるきとか、あゆみとか讀むべきか。又意くみも諸説は心にくゝと云意、又心苦しみと云説ありて不2一決1也。いゆきさくみてと云事前々の長歌にも出たれば、さくみは岩根木の根を踏わけ踏さけてと云事なれば、こゝも苦みの方ならんか。意さくみての意にて、心を苦めて勞煩してと云事ならんか。然らば茅生ははりふと讀ませたる義にて芽の字か。然らば足踏は其儘に、はりに足を踏みては意苦しかるべき義也。はりふははぎふ也。はり共萩共云なれば、はりはぎ同事也。さなくては義不v通歌也。後案すべし
(434)一云妹之家當見津 是はわが思ふこらがと云よりの別歌也。わが思ふ妹が家のあたり見つと續けたる下の句の歌もあると也
3058 内日刺宮庭有跡鴨頭草乃移情吾思名國
うつひさす、みやにはあれど、つきぐさの、うつしごころは、われおもはなくに
うつ日はほめたる詞也。宮にはあれどは心得難き也。然れば朝庭宮内にありて色好き女官等を數多に見ても、それに移る心はわれは思はず、只そなたの外に心の移る事は無きと云意に、つき草のうつしとは詠みたり。鴨の頭の毛は青花の色の如くなるもの故、義をもて鴨頭草とは書たる也。宮にはあれどと云へる事少聞え難けれど、諸抄の説も如v此にて此外の意無ければ諸抄の意に從ふ也。少詞足らぬ義也
3059 百爾千爾人者雖言月草之移情吾將持八方
ももにちに、ひとはいふとも、つきぐさの、うつしこごろは、われもためやも
ももちぢに人は云ひさへる共と云意、又外より百言千言に云ひ來る共、、其方へわれ靡かんとの情をもためや。中々うつろひ安き心は持たぬと也
3060 萱草吾紐爾着時常無念度者生跡文奈思
わすれぐさ、わがひもにつく、ときとなく、おもひわたれば、いけりともなし
忘れ草の事は前に多し。歌の意は、時もわかず人の戀しくて思ひわたれば、忘れもやせんと紐に付けたれど、其甲斐も無くて忘られぬ故、生たる心ちも無きと切に歎きたる也
3061 五更之目不醉草跡此乎谷見乍座而吾止偲爲
あかつきの、めざましぐさと、これをだに、見つついまして、われししのばせ
(435)此歌は別るる時形見など遺したる時詠める歌と聞ゆる也。直に目ざまし草と云草をやりたるか。目ざまし草と云草一種有と聞えたり。未v考。こひ草おもひ草の如しと云説有。それ共に一種無くては聞え難く、又月草の一名と云説あれど、説明を不v引ば信用に不v足。これをだにと云はかの目ざまし草をさして云へると聞ゆる也。然れば目ざまし草をおくりたると見ゆる也。われと思ひて偲び堪へよと云へる意也。五雜爼に有2醉草1、亦有2却v睡之草1〔有2酢草1、亦有2醒v醉之草1、有2宵明之草1、亦有2晝暗之草1、有2夜合之草1、亦有2夜舒之草1、物性相反有2如v此者1〕と云事あり。不v醉と書たれば醒の意をもて義訓せり
3062 萱草垣毛繁森雖殖有鬼之志許草猶戀爾家利
わすれぐさ、かきもしみみに、うゑたれど、しこのしこぐさ、なほこひにけり
戀しきを思ひ忘れんと垣も繁る計りに植ゑたれど、しこのしこ草とは卑めてのりて云ふたる詞、思ひのしこりしげりたると也。鬼のしこ草と讀ませたり。然れ共前にもしこのますらを尚戀にけりと詠める例も有。又しこのしこ草と續けたる詞也。前にも注せる如く、鬼の字若しくは思の字の誤て、もひのしこり草と云意か。しこ草とはのり卑めてしこると云義をこめて也。繁森の二字は義をもて、しみみとは讀ませて、しげる義を、しみみと云也。前にも多くある詞也。もりを約すればみと云詞になる故也。字義約言を兼て書きたる也。字義も森は森々と云は物の茂り増長する義を云詞也。もりを約するとみと云詞になる故相兼たる也
3063 淺茅原小野爾標結空言毛將相跡令聞戀之名種爾
あさぢはら、をのにしめゆふ、むなごとも、あはんときかせ、こひのなぐさに
小野に標結ふ空言は前にも注せり。第十一卷に二首有。とりとめも無き空し言也。廣野にそことなく標結ふはおほけなき事に譬へて云へるならん。其果敢なき空し言にもあはんと聞かせよ、せめて空し言なり共戀の慰めにせんと也。そらごととも讀みたれど、淺茅は實の無きものなれば、縁の詞にむなごとと讀む。みなし事にて實なき事と云義也
或本歌曰將來知志君矣志將待又見柿本朝臣人麻呂歌集然落句少異耳 こんとしらせし、きみをしまた(436)ん云々
3064 皆人之笠爾縫云有間菅在而後爾毛相等曾念
みなひとの、かさにぬふてふ、ありますげ、ありてのちにも、あはんとぞおもふ
ありて後にもと云はんとて、有間菅とは詠みて、有摩管は笠に縫ふ事を戀の成る事に詠みなせり。永らへて居て後にも逢はんとぞ思ふとの意也
3065 三吉野之蜻乃小野爾刈草之念亂而宿夜四曾多
見よしのの、あきつのをのに、かるかやの、おもひみだれて、ぬる夜しぞおほき
よくきこえたる歌也
3066 妹待跡三笠乃山之山菅之不止八將戀命不死者
いもまつと、みかさのやまの、山すげの、やまずやこひん、いのちしなずば
是も隱れたる處なく聞えたる歌也。只不v止戀ひんと云事を專に詠める迄也
3067 谷迫峯邊延有玉葛令蔓之有者年二不來友
たにせばみ、みねべにはへる、たまかづら、はへてしあらば、ねにこさずとも
谷せばみは、谷に餘りて峰べ迄はへのぼるの意也。第十一卷の歌には、山高み谷べにはへる共詠みたり。第十四卷にも、谷せばみ峰にはひたる玉葛と有。古今集の歌に、谷せばみ峰まで〔はへる玉かづら絶えんと人をわが思はなくに〕〔校訂者、補、此歌古今集ニ無シ。伊勢物語ニアリ〕はへてしあらばねにこさずとも、諸抄印本に、としにと讀みて注を下せ共、此所にとしと云事端なく出たれば心得難し。はへてしあらばねにと讀までは續かぬ詞也。根をと峰とを兼て寢には不v來とも、心だに絶えせず通ひてあらば嬉しからんとの意也。峰まではへると詠みたるものなれば、はへてしあらば峰まではひのぼらずとも絶えまじと、葛(437)の上の事には詠みては、下の寄せたる意は心だに通ひて絶えざらば、寢には不v來とも頼まんの意也。歌は前々毎度注せる如く、物語などする樣にとりあはぬ事、縁はし無き事を云ひ續くるものにあらず。縁ある詞を續くるを歌と云也。歌とのみ思ひて其さま知らぬなるべしと書きしも、げに理りなる事多き也。然し知る人は知りぬべく、其目の開けざらん人は、宗師の傳をも僻説異道と見る人は教ゆるに力なし
一云石葛令蔓之有者 蔦も葛の類なれば通じて讀ませたるか。第六卷には、いはづなと詠みたる歌あれば、岩綱は今いはひばと云もの有。蔦とは別種也。諸抄には同物と注せり。心得難し。かづら、つた、つな、皆同類の物なれば、同じきと云ひても苦しかるまじきか
3068 水莖之崗乃田葛葉緒吹變面知兒等之不見比鴨
みづぐきの、をかのくずはを、ふきかへし、【おもしる・みなれし】こらが、みえぬころかも
水莖の崗は筑前に有。前に委敷注せり。此歌もみづと云は初語、見なれしと詠める縁を上より引て、歌の意もみづは水の事ながら見つと云意を含みて詠出たる也。さなくて此崗を只詠出づべき樣なし。此集には、少の縁の寄所を以て詠める事毎度の事也。吹かへしと詠めるも、見なれしを引かへて見えぬと云義に、心變じてや來り見えぬと云意をこめて也。風と云はねど、古詠の風體かく吹きかへしなど云事も詠めり。今時の風體には、時代の格風ありて不v好事也。面知を、見なれしとは、此歌などにても義訓に讀める證と見るべし。吹きかへしおもしるとは續かず端無く出たる詞、見なれしとは、下に見えぬとうけたる縁也。面を知るなれば見慣れたるの意をもて義訓に書たるもの也。此卷の前に見えたる所にも委しく注せり
3069 赤駒之射去羽許眞田葛原何傳言直將吉
此歌は、日本紀天智天皇崩御の時の童謠にて、則紀に見えたり。日本紀の歌當集に此歌唯一首混雜してか載せたり。わざ歌なれば慥成を解釋すべきにもあらねど、先句面にて考へ見るに、眞田葛原は駒の心儘に往きかけるべき所、行きなづむは何のつて言ありてにやと也。たゞにしえけんと云ふは、何とて傳言をか得たりけんと也。まことに天皇の凶事ある驗しを告るなら(438)んとのわざ歌と聞ゆる也。つて言は流言とも書、飛聞とも書きて、日本紀雄略卷にも見えたり。此歌此集にて釋すべき事にもあらねば不v具也。日本紀の歌注に具し
3070 木綿疊田上山之狹名葛在去之毛不會有十方
ゆふだたみ、たなかみやまの、さなかづら、在去之毛、不令有とも
此歌諸抄印本等の解釋訓讀如何難2信用1。第四句五言の讀樣何と云たる事共不v聞。宗師案、在去の二字義訓に讀ませたるならん。ありさりてしも、あらしめずともとは同じ事重ねて云ひたる詞にして、さねかづらに續く詞ならねば、いかに共さは讀難し。宗師案は、在は不v絶と云意をとりて書、去の字はいぬと讀字いぬはねる事にて、又ねも、ぬも同音なれば絶えぬねもかもと讀べきか。絶えぬは、さな葛に縁ありて續きたる詞、ねも同じく續く詞、寢に寄せて云へる義也。不令の令の字は極めて今の字の誤りと見えたり。然れば、今ならず共と讀みて、さな葛の不v絶根もかな、たとひ逢事は今ならず共、絶えぬ心だにあらばと云意を、かく詠めると見ゆる也。木綿疊田上と云は前に注せる如く、座具と云物の遺風は、此木綿疊の遺風と見えたり。上古は旅行などには、木綿疊と云物を持ちたると見えたり。神拜などする時、下に敷ものなるべし。手に懸け持ちて居たる物故、たとうける詞の冠句に木綿づつみ、木綿だたみなど詠めり。上古は木綿を疊みて神に手向るもの故と云説、則たなかみは、田の神と云義との説あれど、是は只手とうけたる迄の義なるべし。木綿は今も幣と云物の上に疊みて、木に挾みたる物ある其事と云義も有。左右の脇には四手を垂れて、眞中に疊みて挾みたるを木綿疊と云ひて、神に手向くる物故、たゝみ田上と續けたるとは、細か過たる説なるべし。尤木綿は神祭の具なれば、上と云も神と云も平上聲の違にて品は不v同。され共詞は同義なれば、さも云ひつべき事也。然れ共たと一語にうけたる義安也。在去之毛の四字は兎角未だ義訓もあるべきか。當集の格、義訓の事を大方次の歌、下の歌にては義に當る字を書て、前の義訓の義を得る事まゝある也。次の歌同じ樣なる歌にて、眞玉葛絶えんの心云々と有。然れば絶えんたゆると云義に、在の字を書たると見えて、次の歌にて、さとさしめると見ゆる也。在去の二字此別にも何とぞ能義訓あらんか。後案すべし
(439)3071 丹波道之大江乃山之眞玉葛絶牟乃心我不思
たにはぢの、おほえのやまの、さなかづら、たえんのこころ、われはおもはず
序歌也。只絶えんの心を思はぬと云事迄の歌也。よく聞えたり。此歌にて次上の歌の意も通也。在去の字を、ありさりてしと讀みては義いかに共不v聞。絶えぬとか、ながくとか云義訓ならでは不v濟也。此歌に不v絶心を思はずとあるにて、上の歌も葛には絶え絶えぬと云詞の縁を知るべし。大江山は丹波桑田都に有。天武紀八年冬十一月初而被v置v關し事見えたり。此大江山か。大江山幾野の道と詠めるも是也
3072 大埼之有礒乃渡延久受乃往方無哉戀渡南
おほさきの、ありそのわたり、はふくずの、ゆくへもなくや、こひわたりなん
有磯の渡りは地名にて紀州なるべし。第六卷に大崎の神のわたり共詠める紀伊國也。越中と云説あれど、大崎のありそとあれば、當集にては紀州と見ゆる也。然し同名異所數多ある事なれば一概すべからず。歌の意は、海邊の磯に這ふ葛は、いづ方へ這ひ行くべき樣も無き筈也。先は海なればゆくへも無くやと讀みて、わが戀慕ふ心の、何共行衛も知れぬに譬へたる也。なくやのやは、渡りなんやと云下に付て見るや也
3073 木綿※[果/衣]【一云疊】白月山之佐奈葛後毛必將相等曾念
ゆふだたみ、しらつきやまの、さなかづら、のちもかならず、あはんとぞおもふ
たと、とは同音なれば、木綿づつみもだたみも、同じ意なるべし。然れ共つゝみと云事所見無けれは、若し字形よく似たる字なれば誤りたるにもや。依て或説をさへ注せり。後人の加筆なれば、疊の字を誤りたるなるべし。白月山とは、木綿は白きものなればかくうけたり。比後と云字末と讀べき所多し。尤野崎と云を寄せてのちと詠める歌も有。葛は這ひわかれ、末は又一所に這ひ寄る事もある物なる故、かくは詠めり。歌の意は、後迄も不v絶逢はんと云迄の意也。白月山は近江と諸抄には云へり。未v考2證明1也
(440)或本歌曰將絶跡妹乎吾念莫久爾 聞えたる通也。第四、第五の句の異説あるを擧げたる也
3074 唐棣花色之移安情有者年乎曾寸經事者不絶而
はねずいろの、うつろひやすき、こころなれば、としをぞきふる、ことはたえずして
定り難き心故云ひ通すことは絶えせねど、親みあふ事は無くて、逢はんと云ひても來んと云ひても、移り變りて年月を經ると也。少聞き應じ難き歌にて、詞を足して見ざれば不v通也。何として年を寸經ことにや。其わけは不v知共逢はで過る事を云へると推量して、諸抄にも釋をなせり。はねずは赤き色、移り安き色故かく詠めり。はねずの事は前に具しく注せり
3075 如此爲而曾人之死云藤浪乃直一目耳見之人故爾
かくしてぞ、ひとのしぬちふ、ふぢなみの、ただひとめのみ、見しひとからに
我戀佗びる如く、ケ樣にしてこそ世の人も淵瀬に身をも投げ思ひこがれて死ぬると云。まことにさもこそと、今身に思ひ合して歎じたる歌也。藤波は女に譬へて色好く美しき義、女子に比して云へる迄の事也。只ひと目見し人なるにかく戀ふると云意也
3076 住吉之敷津之浦乃名告藻之名者告而之乎不相毛恠
すみのえの、しきつのうらの、なのりその、なはのりてしを、あはぬもあやし
既に互ひの名をのり合ひてしも、逢はぬ心はいかなるにやと怪める也。名のりそは、のらぬ筈の事に云ひたる古事なれ共、のるまじき名さへのりたるにと云意をも兼て、尤名のりそと云詞の縁をうけて、のりてしとは詠める也
3077 三佐呉集荒礒爾生流勿謂藻乃吉名者不告父母者知鞆
みさごゐる、あらいそに生る、なのりその、なきなはのらじ、おやはしるとも
歌の意は、たとへ親は知りて、如何なる咎めを受くる共、仇なる虚名は名のらじ、實の名こそ名乘らめと云義也。然るを諸抄の(441)説は、吉の字を、よしと捨てたる詞に見なして釋せり。此所によしと云詞を用ゐて通ずへき歌にあらず。尤のらじと云ひて、親は知る共は、都合せぬ詞、義も不v通也。名のりそののは付讀みて、乃の字をなと讀む事を不v案から歌の意不v通也。此歌第三卷に、第四句迄は同じ詞の歌有。重出の樣なれど下の一句にて意異なり。此歌は無き名はのらじと云へる事を專一に詠みたる迄也
3078 浪之共靡玉藻乃片念爾吾念人之言乃繁家口
なみのむた、なびくたまもの、かたもひに、わがもふ人の、ことのしげけく
浪につれて靡く藻の如く、しなひわびて我のみ片思ひに思ふ人の事を、人の云ひ立てる言の葉の繁きと也。玉藻の片もひにと詠めるは女の歌なるか。靡の字前には、しなひと詠める歌共有。歌に依て又なびく共讀むべき也。兎角其歌の詞のつゞきに從ふべし。此歌にては、浪のむたと詠出たれば、靡きと讀事、詞の響き聞えも好き也。當集の歌前にも注せる如く、詞の響きを專一と詠める歌多し。惣て古代上世の歌風、詞の響きうつりを、もはらに詠めると聞ゆる歌多し。むたは、浪につれ、浪と共にと云意也
3079 海若之奥津玉藻之靡將寢早來座君待者苦毛
わたつみの、おきつたまもの、なびきねん、はやきませきみ、まてばくるしも
よくきこえたる歌也
3080 海若之奥爾生有繩乘乃名者曾不告戀者雖死
わたつみの、おきにおひたる、なはのりの、名者曾のらじ、こひはしぬとも
なはのりとは一種の海藻の名也。名はのらじと云はん爲の上也。名者曾を印本諸抄共、なはそもと讀みたれ共、もの字付難しなをはぞとか、名はかつのらじとか讀べし。かつは曾ての意也。歌の意は聞えたる通也
3081 玉緒乎片緒爾搓而緒乎弱彌亂時爾不戀有目八方
(442)たまのをを、かたをによりて、ををよわみ、みだるるときに、こひざらめやも
亂るる時に戀ひずばあられぬと也。片緒によりては弱き也。あはせ搓らぬ故、緒の弱きとは我のみ片思ひにするから、心の亂れて戀はではあられぬとの意也。先にも相思はゞ、かく亂れる事もあらましを、我計り片思ひするから、心の亂れて苦しきとの意を、あはせぬ玉の緒故、弱くて亂れ絶えんとするとの事に云ひなせる也。玉の緒とは命の事に多く云ひなせり。此歌にては只玉の緒にして云へる也。命の事共不v聞也
3082 君爾不相久成宿玉緒之長命之惜雲無
きみにあはで、ひさしくなりぬ、たまのをの、ながきいのちの、をしけくもなし
緒の長きと讀く詞也。此玉の緒は命の事の冠辭に云へる也。歌の意は不v及v釋也
3083 戀事益今者玉緒之絶而亂而可死所念
こふことの、いやましいまは、たまのをの、たえてみだれて、しぬべくおもほゆ
此歌も聞えたり。思ひの切に苦しくて、命絶ゆべく思ふとの意也
3084 海處女潜取云忘貝代二毛不忘妹之光儀者
あまをとめ、かづきとるちふ、わすれがひ、よにもわすれず、いもがすがたは
忘られぬと云事を云はんとて忘貝を詠出たり。代二毛とは、げにもと云と同じ樣なる詞にて、切に云ひたる詞也。歌の意能聞えたり
3085 朝影爾吾身者成奴玉蜻髣髴所見而往之兒故爾
あさかげに、わがみはなりぬ、かげろふの、ほのかに見えて、いにしこゆゑに
朝影の事前にも注せり。痩せ衰へたる事を云義也。麻形と云義と聞ゆる也。歌の意はよく聞えたり。ほのかに、はづかに見(443)えそめて、いづ方へぞ往きし女を戀慕ひて、身も痩せ衰へたると也
3086 中中二人跡不在者桑子爾毛成益物乎玉之緒許
ななかかに、ひととあらずば、くはこにも、ならましものを、たまの緒ばかり
を戀佗びても思ふ事叶はぬ身なれば、かく憂き身の人にてあらんよりは、蚕になり共ならましをと云義也。蚕は目をふたごもりなるもの故、桑子にと願ひたるならん。但し中々に人とあらずばと詠める意、若しくは思ふ人とならび居ずばと云意にもやと聞ゆる也。人とと詠める處疑はしき詞也。玉の緒計りとは、しばしの程なり共と云義也。凡て玉の緒ばかりとは、僅かの間の事を云義也
3087 眞菅吉宗我乃河原爾鳴千鳥間無吾背子吾戀者
ますげよき、そがのかはらに、なくちどり、まなしわがせこ、わがこふらくは
眞菅よきそが、大和國の地名也。八雲御抄已來諸抄の説出雲とあれど、次の歌も大和國の地名也。延喜式第九神名帳上云、大和國高市郡宗我坐〔宗我都比古神社二座【並大、月次新甞】推古天皇の御製、摩蘇餓豫そがのこらは云々。是は蘇我の大臣をほめさせ給ふての御言葉也。此蘇我も地名を稱號とせられたるならんか。延喜式の文字と當集の文字と同じければ、彼是まぎるべからず。すげ、そが音通ずれば、詞の響きのうつりに眞菅よき其詠み、又菅の名物なる事もあるべし。ますげ、すが、音聲の響きのうつり好きに從ひて詠出たる也。歌の意は、只間無し吾背子と詠みて、千鳥のちよちよと鳴く聲のせはしくひま無き如く、吾背子をわれ戀ふると也
3088 戀衣著楢乃山爾鳴鳥之間無時無吾戀良苦者
こひごろも、きならのやまに、なくとりの、まなくときなし、わがこふらくは
上の歌の意に同じ意也。戀衣とは戀をする身の上の事を譬へて、ならと云はん爲の序也。是に意は無し。濃き紅の衣など云は附會の説、意味ある事にあらず。かり衣きならの里とも第六卷には詠めり
(444)3089 遠津人獵道之池爾住鳥之立毛居毛君乎之曾念
遠つ人、かりぢのいけに、すむとりの、たちてもゐても、せこをしぞおもふ
此遠つ人かりと云は、雁は遠國より渡り來るもの故と云説也。心得難し。鳥を人と讀むべきわけなし。遠つ鳥と讀みたらば其理ならんか。是は雁と續く詞の冠句なれば、さつ人と云義なるべし。獵人をさつと云ひ、さち人とも云。神代下卷の古事よりの古語也。但し遠人の字を書きて、さつ人と讀む義は慥なる説を未だ見ざれ共、考案するに、遠の字はとほざくると讀字なれば、さくるの一言、さを取れるか。又薩摩の國は大和の帝都已來至極の邊土遠國なれば、遠津人と書きて、きつ人とも義をもて通じ來れるか。第二卷に、隼人のさつまのせとをくもゐなす遠くもと詠めるに付ても、上古は遠津人と書きて、さつひとと讀ませたれど、古實をとり失へるか。さつ人の獵道とは續く詞、遠つ人かりとは如何に共績くべき義無き也。古人古く誤り來ればとて、義の不v通事を其儘に見聞置くべきにもあらねば、宗師考案發起を述る也。輕路の池は大和也。第三卷にも出たり。八雲には石見と注せさせ給へど、當集の上を能く勘へさせ不v給か。かるの池惶ぢなど皆大和に明也。歌の意は、よく聞えて、立ちても居ても思ひ忘られぬと也
3090 葦邊往鴨之羽音之聲耳聞管本名戀渡鴨
あしべゆく、かものはおとの、おとにのみ、ききつつもとな、こひわたるかも
おとにのみ聞きて目にだに見ぬ故、心元なく又もだにも有難くて戀ひわたると也。此歌にては、もとなは心元無き意に近く聞ゆる也。よしなくと云には不v聞也
3091 鴨尚毛己之妻共求食爲而所遺間爾戀云物乎
かもすらも、おのがつまどち、あさりして、おくるるほどに、こふちふものを
雌雄の鳥相並びてあさるに、片々の鳥の遲れても其並び添ふ迄、聲を立て呼ぶもの也。それを譬へて、人の上に戀佗ぶる事のあるも理りと思ふ意也。尤われ相並び添はぬ事を、歎ける意共聞ゆる也
(445)3092 白檀斐太乃細江之菅鳥乃妹爾戀哉寢宿金鶴
しらまゆみ、ひだのほそへの、すがどりの、いもにこふるや、いをねかねつる
白檀ひだは、諸抄の説は弓を引くとうけたる詞と云へり。然れ共上古甲斐飛騨東國の國々奥州など弓を貢獻せし也。飛騨國よりは白檀名物故獻ぜしから、冠辭にも用たるならんかし。陸奥のあたたらま弓など云も同じ義也。菅鳥一鳥ありて夜をいねず夜すがら鳴きわたる鳥などにや。又我身の事を鳥にも比して云へるにや。夜すがら妹を戀ふと云意にて、菅鳥とも詠めるか。戀ふるやは戀ふる故にや、夜のいね難きと云意也。細江は即ち飛騨の國にあるか。八雲には飛騨と被v載たり。ひだの細江とあるなれば、直に其國の地名と聞ゆるから、さは注せさせ給ふらん。八雲の外無2所見1也
3093 小竹之上爾來居而鳴鳥目乎安見人妻※[女+后]爾吾戀二來
【ささの・しのの】うへに、きゐてなくとり、めをやすみ、ひとづまからに、われこひにけり
此歌の意いかに共聞得難し。諸抄の解の通にては不v通歌なれど、今案無ければ先達の説に任せ置く也。諸抄の意は、さゝの葉の上に美しき鳥の鳴くは、見にくからず、目安きもの也。其如くの人にて、人の妻になるべき人から戀慕ふと也。目を安見とは、見にくからず美しく見安きと云義と也。愚意には聊不v落歌也。※[女+后]の字はゆゑと讀ませたり、。前に注せる如く心得難し。故の字の誤りならん
3094 物念常不宿起有旦開者和備※[氏/一]鳴成※[奚+隹]左倍
ものもふと、いねずおきたる、あさけには、わびてなく也、かけのとりさへ
物思ふとて夜もすがらいをねぬ朝けに聞から、鷄の聲も物陀しく聞ゆると也。第十一卷に、草さへもひにうらがれにけりと詠める意も同じ。見るもの聞ものに付て、我に思ひのあるから、佗しきものならん〔以下尚注記書キ記サルヽノ意アリシモノナラン〕
(446)3095 朝烏早勿鳴吾背子之旦開之容儀見者悲毛
あさがらす、はやくななきそ、わがせこが、あさけのすがた、見ればかなしも
旦に別るゝ時の姿を見る事の悲しもと也。遊仙窟に、可憎病鵲夜半驚v人と書たる意に似たり。第十一卷にも、朝戸やりを早くな開けそ云々の意も同じ
3096 ※[木+巨]※[木+若]越爾麥咋駒乃雖詈猶戀久思不勝烏
ませごしに、むぎはむこまの、のらるれど、なほもこひしく、おもひがてぬを
※[木+巨]※[木+若]の二字ませと讀む義未v考。今俗にのませ垣と云物あり。古くもませ垣と云來りしか。今のませ垣は少の垣を云、花など圍ふ垣を云也。まは初語にて、せは、さと同音まさ垣にて少の垣を云へるか。此※[木+巨]※[木+若]の二字ませと計り讀ませたる事字義未v考。第十三卷目の歌に、※[木+若]垣《ミヅガキ》の久しきと詠ませたり。※[木+若]の字は、しもと共讀む。延喜式の印本の假名にも見えたり。兎角垣と云方の義なるべし。歌の意は、垣など結び圍ひたる麥を駒の喰を、叱りのれ共後より後より食む如く、われも忍びて思ふ人を守る人よりのゝしり制せられても、思ひやまれずひたものもの戀しくてえ忍びがてぬと也
3097 左檜隈檜隈河爾駐馬馬爾水令飲吾外將見
さひのくま、ひのくまがはに、うまとめて、うまにみづかへ、われよそに見む
われよそながらも見送らんとの意、名殘を惜める意也。さひのくま、ひのくまは第二、第四卷に出て注せり。三吉野のよしのと云に同じ。此歌古今集に亂雜して、しばし水かへ影をだにと直して迄入たり。後人の杜業ならん
3098 於能禮故所詈而居者駿馬之面高夫駄爾乘而應來哉
此歌左注にも其所以を注して、高安王と紀皇女と密通の事顯れて、紀皇女被v責てまします時の歌と也。古今不審の歌也。先達の説々も如何に共不v通也
諸抄の説は、一説は、己れ故のられて居ればとは、高安の王故われ責めはたられてをれば、荷負ひ馬などに乘りて通ひ行べきや(447)と云意にて、高安の王は漸從五位上の頃の事なれば、位ひきゝ人を馬に寄せてかく詠給ふか。又荷負馬に乘て通ひ給ふに付て何とぞ故ありて事顯れたるかとの説有。又一説は我れ故高安の王咎められのられて、蟄居の身なれば馬のつらつき高くだに乘りては、えも來り通はじとの意と云説ありて、まちまちにして不2一決1。後の説は少寄所もある説に聞ゆる也。然共句面とくと不v通。先おもだかふたと云事、あしげ馬を詠出たる事、いかゞしたる義と云事、古來より解釋無し。いかに共不v通也
宗師案は、あしげ馬とは、公の打顯れて目に立つ公用馬など云、馬にて隱れ忍ばぬ事に用る馬をさして云たる義と見ゆる也。あしげ馬は字注を見るに青白の毛也。正字※[馬+總の旁]の字にて※[馬+総の旁]は※[馬+總の旁]の通用俗字也。今の世にも此毛の馬は稀にして白き馬なれば、打見るもいちじろく目立つもの也。然る故公用を務むるに用たる古來の掟もありしか。字注に不v阿2宦官1常乘2※[馬+總の旁]馬1通行など云注解もあれば、此注の意に依れば、稀れなる馬に官者内宮などの事に不v用v揚。晴て表向の用達の馬と聞ゆる也。白馬の節會の事は、祝義の故事より被v行由諸説云來れり。然れ共其本青陽の氣を得て祝すると云も稀れにして、用あるをもて祝賞せられしか。兎角※[馬+總の旁]馬は公の事打晴れたる事の序に云ひたる義と見ゆる也。馬は頭を高くするを、勢力ありて逸物の形相とす。頭をたるゝを不v用。然ればあしげ馬の面高き如くに、打晴れて紀の皇女の方へ來れかし。本われ故にこそのられて己れにこそ罪咎はあれ、高安の方に憚り忍び給ふ事はあらじと云意にて、應の字は、べし、べくと計り讀と心得ぬるから、聞きまがふ事も有。下知の詞に用る字なれば、來なんやと讀みて願ふたる意と見るべしと也。夫駄爾の夫は濁音なればむ也。然れば面高の二字を、もだけくと讀みて公馬なれば、おもて高く勢猛きもの也。其如くそれと共にと云意にて、むたにと云意もだけくむたに乘りて來なんやと讀べしと也。歌の意、※[馬+總の旁]の字の注は至極の發起なるべけれど、愚意に不v落也。待2後賢の案1而已。木に竹をつぎたる見樣ならんづれど、愚意の趣は左の如し
おのれからのられてをればあしげ馬のもだかきせだにのりてくべしや。意は、己れからは紀の皇女のわれからかく詈り責められて居れば、其方には咎無き身なれ共、あしげ馬の公馬に乘る如く打晴れては來り給はじ。われにこそ罪はあれ、男子には咎無き事なれば、來り通ひ給へかしと、下には願へる意を含みて、來べしやと詠みて、のられてと云より下の乘りても詠出たるか。あしげ馬は、宗師の發起の如く面高く威勢ある馬にして、も高きとは王を賞して、名の高安の高きと云詞をも取りて、あし(448)げ馬のも高きと續けて、あしげ馬はのられのりてとあるから、詠出たるものなるべし。夫駄爾をむだふだと讀む義は愚意には落ちず。ふたと云詞外に句例無し。宗師の案なれ共むだと讀まん事も珍しき書樣、是迄の夫駄も皆共の字か。牟多と一所計り書きたるなれば、夫駄と二字共濁音の字を好んで書くべき樣も心得難し。又應の字も集中に大方べしとならでは讀難き歌共也。愚意の不v及故か。師説末v落、依て愚意の趣片腹いたけれど述べ侍る也
夫は、をつとと云字なれば、世と讀む事高安王をさして難あるまじきにや。駄の字も大方濁音に用る字なれば、此も濁音ならんか。扨下に含める意、われからかく責めのられて居れば、咎無き夫だに公義よりのりせめて來るべきやと、歎きたる意ならんか。又のられて居ればとは、高安王の被v責て居給へばと云義か。それなれば注に少不v合。然れ共歌の意は聞安也
右一首平羣文屋朝臣益人傳云昔聞紀皇女竊嫁高安王被責之時御作此歌但高安王左降任之伊與國守也
平群文屋朝臣盆人。傳未v考。紀皇女。第三卷譬喩の歌最初に出たり。そこに注せる如く天武天皇の皇女也
高安王 紹運録には從三位川内王の子にて正四位下と有。續日本紀卷第六元明天皇和銅六年春正月戊辰、備前國獻2白鳩1云々丁亥授2無位高安王從五位下1云々。同卷第八、元正天皇養老三年秋七月、令d伊豫國守從五位上高安王管c阿波讃岐土佐三國u云々
左降 左遷と同じく官位をそぎ落し、或は流罪などに被v行事也。秦漢の時分は官職凡て右を尊として左を卑とす。右官を左官に落し降す事を、左遷左降とは稱せし也。然るに高安王左遷の事紀には漏脱せしか。紀皇女との密事も不v見也
3099 紫草乎草跡別別伏鹿之野者殊異爲而心者同
あきはぎを、くさとわけわけ、ふすしかの、のはことにして、こころはおなじ
紫草を秋はぎと讀む事第六卷にても注せり。既に此卷の此歌秋萩と讀べき證也。此歌紫と讀みては如何の共不v聞也。歌の意は、鹿の萩によりて妻を戀ふとて、野毎に踏み分けてぬれ共、互ひに通ふ心は同じく、相思ふと云義を人の上にとりて、人も(449)隔たりて、別居に別れゐても、そなたを思ふ心は相同じと云義に比したる也。牝牡別れ伏とも、心は互に同じ心に通ふと云と人の心も鹿に同じきと云と、兩義を兼ねて詠めるならん。上は只鹿の親み睦む草なる故、萩をわけわけとは詠める也。紫草の二字を和名抄にては、無良散岐と訓じたれど、是は染色の部にての和名なれば、此歌の證には引難し。草とわけわけとあれば、鹿のわくるとあるから秋萩と讀べし
3100 不想乎想常云者眞鳥住卯名手乃杜之神思將御知
おもはぬを、おもふといはば、まどりすむ、うなでのもりの、神もしるらん
慕ひ思ふを僞り言と思ふな。心に思はぬを思ふと云はゞとの意也。うなでの杜前に有。何とぞ思ふ所ありて、うなでの杜を詠出たるか。量り難し。眞鳥は鵜の冠辭と云へ共、只鳥と云て外の鳥も續けて云べきか。上に眞鳥と云て、まは初語、鵜も鳥の内なるから、只うなでとは續けたるならん
將御知 御の字を書くは凡て天子の事に用。此字に心は難けれど、凡て下と差別の爲に書例也。和訓に讀時は、しろしめすとも讀ませたり。依て二字を連續して書たるか。神の知るらんと云義なるから、神を尊んでの意に書くか。衍字の樣にも見ゆれ共此集に此例擧げて數へ難し。則此部類を注せり。尤此歌は神とあるから、神とは天子をも指せる事也
問答歌 贈答の歌の意を次第して擧げたる也。作者の問答して的答したるを擧げたるにはあるべからず。撰者心を得て集列したるならん
3101 紫者灰指物曾海石榴市之八十街爾相兒哉誰
むらさきは、はひさすものぞ、つぼいちの、やそのちまたに、あへるこやたれ
灰和名抄卷第十二燈火部云、灰、陸詞切韻云灰【呼恢反波比】火燼滅也。同卷第十四云、※[木+令]灰【伶音靈】燒2※[木+令]木葉1作v之。並入v染用。今案俗所謂椿灰等是也。紫を染むるには椿の灰を合するもの故、海石榴市の八十のちまたを云はんとて、かく詠み續けて、下に含める意は、女子を紫に譬へて、女子には人々思ひ寄るものぞ。心をかける事を、はひさすと云事に比して、われならず人々も思(450)ひかけん我も思ひそめつるぞ。名をも聞かせよと、行路の巷にて見そめし人に詠みかけたる意也
3102 足千根乃母之召名乎雖白路行人乎孰跡知而可
たらちねの、ははがめすなを、しらずとも、みちゆく人を、たれとしりてん
あへる兒や誰れと問ひかけし故、母が常に我れを呼ぶは何と云と知らずとも、道行く人なれはいづくの誰れとか知り給はん。わが名計りを云ひたり共、往かふ人の名なれば、さだかに誰れそこの人とは知り給ふ由と也。知りてか共讀ませたり。意は同じ。誰れとか知りてかあらん、知るまじと云意也。てんと讀む方聞安し。可の字は牟と讀事多し。知人は少き故、牟とは讀まぬ事と心得たり
右二首 前にも注せる如く、此二首贈答と云の注也
3103 不相然將有玉梓之使乎谷毛待八金手六
あはざらし、しかはあらめど、たまづさの、つかひをだにも、まちやかねてん
あはざらししかはあらめとは、逢はぬ事ありてさもありぬべけれど、使ひの不v來ば待かねぬるにてあらんとの意也。此だにもと云意、今時の通用とは古來の詞は違有。源氏物語箒木の卷にも、母君無くてだにらうたくと云。此だにの詞只助語、輕き意に云たる也。古語比例多し。此歌も其意也。此歌全體の意愚意不v落。下のてんと云詞も、此方より思ひやりたる歌の意に聞ゆる也。尚後案すべし。一説あはざる事のそれはさもあらんを、使をえて慰む程の言傳てはあるべきを、それをだに待かねんやと云意を注せり。此義然るべからんか
3104 將相者千遍雖念蟻通人眼乎多戀乍衣居
あはんとは、ちへにおもへど、ありかよふ、ひとめをおほみ、こひつつぞをる
ありかよふ往來に現在見聞き人目多けれと云意也。歌の意はよく聞えて前の歌に答たる意也
右二首
(451)3105 人目多直不相而盖雲吾戀死者誰名將有裳
ひとめおほみ、ただにあはずて、けだしくも、われこひしなば、たがなならんも
君が名こそ立ためと云意、勵まして恨める意也
3106 相見欲爲者從君毛吾曾益而伊布可思美爲也
あひみまく、ほしみしすれば、きみよりも、われぞまさりて、いぶかしみせり
いぶかしみは心遣心元無く思ひて氣遣をすると云義也。人目多くて逢ひ難き故とや、かく心元なく思ふ事も、相見んと思ふ心から、そこより我こそまさりて苦むと云義也
右二首
3107 空蝉之人目乎繁不相而年之經者生跡毛奈思
うつせみの、ひとめをしげみ、あはずして、としのへぬれば、いけりともなし
よくきこえたる歌也
3108 空蝉之人目繁者夜干玉之夜夢乎次而所見欲
うつせみの、人のしげくば、ぬばたまの、よるのゆめにを、つきてみえまく
つぎてし見えよと也。夢にをのをは助語也。つぎては不v絶の意續きての意也
右二首
3109 慇懃憶吾妹乎人言之繁爾因而不通比日可聞
ねもごろに、おもふわぎもを、ひとごとの、しげきによりて、【たゆる・あはぬ】このごろ
聞えたる歌也。不通の二字は、あはぬと讀ませたれど、前に絶と義訓せり。此歌にてはあはぬとも讀むべきか。答の意に絶え(452)んと云ひてと讀みたれば、是もたゆるこの頃ならんか。好所に從ふべし
3110 人言之繁思有者君毛吾毛將絶常云而相之物鴨
ひとごとの、しげくしあらば、きみもわれも、たえんといひて、あひしものかも
人言の繁きとて可v絶物か。初に逢時人言繁からば、直に絶んと云ひて、逢ひそめしやとかへし恨みたる意也
右二首
3111 爲便毛無片戀乎爲登比日爾吾可死者夢所見哉
すべもなく、かたこひをすと、このごろに、わがしぬべくは、ゆめにみえきや
死ぬべくも共讀むべし。此頃は片戀をするとて、われ死ぬべくも思ふ。かく苦しき事のそこに通じて、夢になり共見ゆるやと也
3112 夢見而衣乎取服装束間爾妹之使曾先爾來
ゆめにみて、ころもをとりき、よそふまに、いもがつかひぞ、さきだちにける
先きに來れり共戀佗びるとか、又妹の上の事を夢に見し故、いさ行かんと装束などしけるに、此歌の使先だちて來れると返答せる也
右二首
3113 在有而後毛將相登言耳乎堅要管相者無爾
ながらへて、のちもあはんと、ことのみを、堅要管、あふとはなしに
緊要の二字かたみにと讀ませたり。其意を不v考。要の字かなめと讀む故、めの一語を取りて、かたみと用たるか。かたみにしつつと云事もとくと不v通。直にと云意を兼ねて、形見にしてあはで過ると云事か。頼みにしつつと云義訓などはあらぬか(453)在有の二字をありありと讀む事歌詞共不v覺。是極てながらへてと義訓すべき也。歌の意は、永らへて後々迄も逢はんと、詞には云ひかはしても言のみにて、逢ふとはなしに月日を經る事を歎きたる歌と聞ゆる也
3114 極而吾毛相登思友人之言社繁君爾有
極而、われもあはんと、おもへども、ひとのことこそ、しげききみなれ
返歌の意聞えたり。後も逢はむと、言のみにして逢ふとはなしにと詠みかけたれば、我も逢はんとは思へ共、人言の繁き故未だえ逢はぬとの答也。五文字の極而の二字いかに義訓せんや。きはまりてと云事は決して無き詞歌詞にあらず。義訓書に書きたると見えたれば、何とぞ歌詞の義訓あらん。先づは、いとせめてとか、契りおきてとか讀むべきか。是にても未だ不2打着1。何とぞ別訓あるべし。後案すべき也
右二首
3115 氣緒爾言氣築之妹尚乎人妻有跡聞者悲毛
いきのをに、わがいきづきし、いもがみを、ひとづまなりと、きけばかなしも
命にかけて思ひ入、大息する程に慕ひ思ふ妹の、人の妻になりしと聞けばいとど悲しく苦しきと也。妹すら共讀みたれど、すらと云事は解し難し
3116 我故爾痛勿和備曾後遂不相登要之言毛不有爾
われゆゑに、いたくなわびそ、のちつひに、あはじとちぎりし、こともあらなくに
人妻なりと聞けば、悲しもとは人言の空ごとを聞きて、いたく悲み佗び給ふな。終には逢ふまじきと約したる事は無きにと答たり。要之の二字を云ひしと讀ませたるは心得難し。云ひしと讀みては歌の義は安く聞ゆれど、要の字を云ふと讀むべき義未v考
(454)右二首
3117 門立而戸毛閉而有乎何處從鹿妹之入來而夢所見鶴
かどたてて、ともとぢたるを、いづくゆか、いもがいりきて、ゆめにみえつる
よく聞えたる歌也。上にも度々ある意也
3118 門立而戸者雖闔盗人之穿穴從入而所見牟
かどたてて、とはとぢたれと、ぬすびとの、ゑれるあなより、いりて見えけん
聞えたる歌也。今時の風體には不v可v好體也。盗人、和名抄〔世説、園中夜呵云有2偸兒1【和名奴須比止】竊盗【和名、美曾加奴須比止】〕
右二首
3119 從明日者戀乍將在今夕彈速初夜從緩解我妹
あすよりは、こひつつあらん、こよひだに、はやくよひより、ひもとけわぎも
偶々逢ひし夜の歌と聞えたり。歌の意は句面の通、緩の字ひもと讀事未v詳。誤字ならんか
3120 今更將寢哉我背子荒田麻之全夜毛不落夢所見欲
いまさらに、ねんやわがせこ、あらたまの、ひとよもおちず、ゆめにみまほし
早く宵より寢んと詠みかけし故、是迄夜々いねがたに思ひ佗び明かしつるに、今更ねられめやと云て答へたり。下の意は別れて後は一夜も缺けず夢にだにも見まほしと也。歌の意、諸抄共に如v比の説也。少首尾不v調樣也。今更にと詠みたれば、其意下迄叶ふ意の見樣あるべきか。是まで毎夜毎夜夢にのみ見し我背子なれば、今宵もいねたらば逢ふとは無しに夢にのみ見てや果てん、いねずに明かさんの意か。紐は解きても契り明さんと云意か。いねたらばいつもの如く夢に見えん、まことに逢ふを夢に見ん事の本意無き故、今更にいねんやと詠めるか
(455)全夜を諸抄印本の假名、また夜と讀みたれど、此集中にも、此後の集にも此歌の外又夜の詞を不v見。然れば語例句例無き詞なれば、また夜と讀事心得難し。宗師案には、あらたまの年、月、星は詠める歌有。日をも讀むべき事なるに集中に不v見。然るに此歌あらたまの日とうけたる歌ならんか。全は一つの意也。半割ざるの意にて、一夜もおちずなるべし。義訓に書たると見えたり。また夜と云語例句例無く、あら玉の日とは續くべき事なれば、歌の意も全夜とは一夜もの義なれば、彼是引合思ふに、ひとよなるべし。尚後案すべき也。一説、一夜も不v置夢にだに見まほしき君を、逢へる時何とてねんや。契りあかさんの意と見る也。此説可v然
右二首
3121 吾勢子之使乎待跡笠不著出乍曾見之雨零爾
わがせこが、つかひをまつと、かさもきず、いでつつぞみし、あめのふらくに
降れるに共聞えたる歌也。第十一卷に出て重出也。尤文字は異なれ共詞は同じ歌なれば、重出と見えたり
3122 無心雨爾毛有鹿人目守乏妹爾今日谷相牟
こころなき、あめにもあるか、ひとめもる、ともしきいもに、けふだにあはん
人目守 人目を忍ぶを人目もるとは云へり。人の目を守りて忍ぶ故也。人目を忍ぶから珍しく乏しく思ふ妹と云義也。今日だにあはんと云、此だにの言葉は前にも注せる如く、今時通用の詞にては意不v通。歎息の意又もと云事に用たる事多し。今日ぞと云意に詠める此だにか。又雨の降るだに逢はんに、心無く雨降ると云へる意か。答の歌なれば、雨の降るに蓑笠も着で背子が使を待つと詠みし答故、今日行て逢ふべきなるに、心無く降る雨と恨みたる歌也。だにの事は歌によりて慎重の意ある事を辨ふべし
右二首
3123 直獨宿杼宿不得而白細袖乎笠爾著沾乍曾來
(456)ただひとり、ぬれどねかねて、しろたへの、そでをかさにき、ぬれつつぞくる
獨り寢なれば、寢てもいねかねて雨にもぬれて來ると也
3124 雨毛零夜毛更深利今更君將行哉紐解設名
あめもふり、よもふけにけり、いまさらに、きみがゆかめや、ひもときまけな
ゆかめやと詠めるは、來て歸りゆかめと云意也。前の歌に乘りし事を詠みたれば、來て歸るさの時を詠める答也。同も降り夜も更け行きたれば、又雨に沾らして歸さんや。紐解き迎へて止めんとの意也
右二首
3125 久堅之雨零日乎我門爾蓑笠不蒙而來有人哉誰
ひさかたの、あめのふるひを、わがかどに、みのかさきずて、くるひとやたれ
伊物に、蓑も笠も取あへず、しとどにぬれてまどひ來にけりと作れるも、此歌などやふまへて書きなしけん。歌の意は句面の通也
3126 纒向之痛足乃山爾雲居乍雨者雖零所沾乍烏來
まきもくの、あなしの山に、くもゐつつ、あめはふれども、ぬれつつぞくる
歌の意、答の意よく聞えたり。第七卷にも、此歌に同じ樣なる下の句有。それは近江の地名此は大和也
右二首
羈旅發思
3127 度會大河邊若歴木吾久在者妹戀鴨
わたらへの、おほかはのべの、わかくぬぎ、わがひさならば、いもこひんかも
(457)度會、大河邊、伊勢也。大河邊は何れの河か。宮川などならんか。若歴木は吾と受ける縁にして、くぬぎは歴木と書く故、年をふる木と云意にて、旅行などに久しく年を經ば妹戀ひんとの意也。一説、若歴木と詠めるは、若くしありなばと下を讀むべきか。わが年若くあらば妹戀ひんかと云意と云説あれど取得難し。羈旅の歌なれば、ひさならばと讀までは意不v通。前々の歌にも君が行ひさにけながくとか、わがゆきはひさにはなど句例あれば、ひさと讀むべき世。わかくぬ木は只吾とうける縁迄ならん。ならば、にあらばの約言也
3128 吾妹子夢見來倭路度瀬別手向吾爲
わぎもこを、ゆめに見えこと、やまとぢの、わたりせごとに、たむけわがする
よく聞えたり。妹夢路にもこえん爲に、渡瀬毎に幣奉りて祈る意、又夢になり共見せしめよと云の祈と、兩義を兼ての意也。歌はかく愚かに詠める事、今も昔も同じ雅情也、打聞きたる所は果敢無く愚かなる事に聞ゆれど、夢と知りせばさめざらましをなど云如く、何となく果敢なき事をも詠める處が實情也
3129 櫻花開哉散及見誰此所見散行
さくらばな、さきてやちると、見るまでに、たれかここにて、ちりゆくを見ん
此歌諸抄の意まちまち也。心を安く不v聞ば六ケ敷入ほかになる歌也。一説に是迄とも靡來れる人の、それも日比より行く方變りて別るるとて詠めるか。意は古里を出し時は櫻の散るを惜む如く、妹が別を惜みしを、今こゝにて心細くちりぢりになれど、誰が櫻の散る樣には見て惜むらんと、故郷の妹を思ひ出て戀ふるとの説有。餘り入ほかなる見樣也。此歌の意は、只旅行にて櫻を見て、此櫻の早や咲きて散るやと、咲き散るを此所にて見る人もやあらん。我も旅なれば、心はとまりて名殘なく行過る旅の習の事を、當然の意に任せて詠める迄の歌と聞ゆる也。旅行の歌なれば、あながち故郷を慕ひ妹を戀ふ事のみを云べきにもあらず。當然の景色をも讀べき事也
一説に、面白き櫻の咲けるを見て、散る迄とどまりて見る人はあらじと、心を殘して詠めると云説も有。是等の意然るべし。(458)兎角歌は輕く淺く見るべき事也
3130 豐州聞濱松心喪何妹相之始
とよくにの、きくの濱まつ、こころうく、いかなるいもが、あひしそめけん
此歌いかに共聞え難き歌也。押而釋せば云ひほどかるべき筋もあらんづれど、一應の句面にては何共聞得難し。尤まつと云事の名に寄せて詠める歌なるべし。とよ國を詠出たるは、旅行故か。若し豐國のきくの濱松は、世に名高き松などありて、濱邊に立並びたる並木の名所などにや。人を濱邊に待つと云は心憂き樣に見立てて詠めるか。妹か共妹に共讀むべし。がと、にとにて妹が待つと夫の待つの違有。此卷奥に至りて二首の歌は、豐國のとありて、乃能の字を加へたり。此歌はのの字無し。然れば豐國に共讀べきか。豐國に元に聞えたる濱松ありて、豐國にきくとは續けたるか。濱邊の松の並木の立てるを、人の來る人を待ち居る體に見なして、感情を催して旅行に歸國せば、かくの如く妹が立ち待ちなんをと思ひ出ての意か。又只立並居る木の人を待つ體なるを、心憂くいかなる妹があひそめて、此松のかく立待ち居るやと見立てたる意か。兎角言葉を添へて釋せざれば、聞得難き歌故、定りたる説は決し難し。人々の心に依て見樣差別異見あるべし。後生の發超を待つのみ
右四首柿本朝臣人麿歌集出
3131 月易而君乎婆見登念鴨日毛不易爲而戀之重
つきかへて、きみをば見むと、おもふかも、ひもかへずして、こひのしげきに
旅行に別れて月をも隔て見む哉。日毎にて相見てだに戀しさの繁るにてと也。思ふかもとは別れて行人に云へる也。我は日も不v易相見ても戀しきにと云意也。不v易は隔てず日毎にと云の意也
3132 莫去跡變毛來哉常顧爾雖往不歸道之長手矣
なゆきそと、かへりもくやと、かへりみに、ゆけどかへらず、みちのながてを
此歌も句面六ケ敷聞にくき歌也。先諸抄の説、旅立に送り來りし人の、別れて今日はなゆきそと立かへりて止めもやすると、(459)我もかへり見すれど、さもなく送り來れる人は古郷へ歸るに、我は旅行に別れ行心細さに、かく詠める人情の實意を顯せし歌と注せり。さもあるべきか。作者は何とぞ當然含める意ありて詠めるならん
3133 去家而妹乎念出灼然人之應知歎將爲鴨
たびにして、いもをおもひ出、いちじるく、人のしるべく、なげきせんかも
去家の二字は義訓にたびとは讀む也。家を去るは旅也。後京極攝政良經の歌には、庭にさへたびねと詠ませられたる歌有。歌の意はよく聞えたり
3134 里離遠有莫國草枕旅登之思者尚戀來
さとはなれ、とほからなくに、くさまくら、たびとしおもへば、なをこひにけり
さのみ遠くも無き旅行の折詠める歌なるべし。歌の意は聞えたる通也
3135 近有者名耳毛聞而名種目津今夜從戀乃益益南
ちかからば、なのみもききて、なぐさめつ、こよひゆこひの、いやまさりなむ
近くあらば名なり共聞きて慰まんに、旅に行別れて今夜より戀しさの彌増すと也。今迄も一所にはあらで、近きあたりにありしかば、名のみも聞きて是迄はせめて慰みたるに、今日より旅行せる人の遠く隔て行けば、いとど戀のまさると云意共聞べし
3136 客在而戀者辛吉何時毛京行而君之目乎將見
たびにありて、こふるはくるし、いつしかも、みやこにゆきで、きみがめをみむ
よく聞えたる歌也。仕官の夫など都に上番にて居るを、妻の詠めるか。又常人の妻を京に殘して渡世につきて旅行せし時詠めるか
3137 遠有者光儀者不所見如常妹之咲者面影爲而
(460)とほければ、すがたはみえず、つねのごと、いもがゑまひは、おもかげにして
旅行にて遠く隔てたれば、姿は見えねど妹が笑みし面影は、常見し如く立さらぬと也。面影にしてと云、此しての詞、前に毎度出たり
3138 年毛不歴反來嘗跡朝影爾將待妹之面影所見
としもへず、かへりきなめと、あさかげに、まつらんいもが、おもかげにみゆ
朝影は前にある通り麻なるか。意は痩せ衰へて待つらん、其面影の見ゆると也
3139 玉梓之道爾出立別來之日從干念忘時無
たまぼこの、みちにいでたち、わかれこし、ひよりおもひに、わするときなし
別れし日より思ひに忘るる事無く慕ふと也。日より思ふにとは讀み難し。思ひに沈みて、故郷の妹が事を忘るる時無きとの意也。梓の字は桙の誤り也
3140 波之寸八師志賀在戀爾毛有之鴨君所遺而戀敷念者
はしきやし、しかあるこひにも、ありしかも、きみにおくれて、こひしきおもへば
はしきやしは下の君にかかりたる詞、當集毎度此例格有。此外古詠に此格有事也。しかある戀にもありしかもは、始めよりかかる戀にてありしか。かく君におくれゐて戀しきを思へばと歎きたる意也
3141 草枕客之悲有苗爾妹乎相見而後將戀可聞
くさまくら、たびのかなしく、あるなへに、いもをあひみて、のちこひんかも
旅の物憂く悲しき上に、旅行にて又妹を見そめて後戀ひんかと也
3142 國遠直不相夢谷吾爾所見社相日左右二
(461)くにとほみ、ただにはあはじ、ゆめにだに、われに見えこそ、あはんひまでに
隔てて遠國に行きたれば、ただには逢ふ事は成難ければ、夢になり共見えよと也。よく聞えたる歌也。だにと云詞此歌にては夢になり共と云意也
3143 如是將戀物跡知者吾妹兒爾言問麻思乎今之悔毛
かくこひん、ものとしりせば、わぎもこに、こととはましを、いましくやしも
別れ來る時とくと物語りをもして、言を問ひかはしてあらん物を、疎かに別れ來れると悔む意也
3144 客夜之久成者左丹頬合紐開不離戀流比日
たびのよの、ひさしくなれば、さにほへる、ひもときさけず、こふるこのごろ
さにつらふとも、さにつらふは、さぬつるる也。ひとうけたる一語の續きなれば、さ匂へるならん。紐と云はん迄の序詞也。ときさけず夫婦の中施行にて別れ居れば、紐の緒も解きさらず獨りのみ戀慕ふと也
3145 吾妹兒之阿乎偲良志草枕旅之丸寢爾下紐解
わぎもこが、あをしのぶらし、くさまくら、たびのまろねに、したひもとけぬ 又とくるとも讀むべし
人に戀慕はるれば、おもほへず下紐の解くると云諺に依りて詠める也。我下總の自然と解くるは、家なる妹があれを戀慕ふらしと也
3146 草枕旅之衣紐解所念鴨此年比者
くさまくら、たびのころもの、ひもとけて、したはるるかも、このとしごろは
紐の緒の結びても、解け解けて、古郷のいたく慕はるるとの意也。戀ふにも戀はるるにも、自ら紐の解けると云諺に依りて詠める歌也
(462)3147 草枕客之紐解家之妹志吾之待不得而嘆良霜
くさまくら、たびのひもとく、いへのいもし、吾之まちかねて、なげきすらしも
此歌も旅にておぼえず紐の解くるは、故郷の妹し待ちかねて慕ひ歎くらしと云意也。吾之の之の字乎の字の誤なるべし。毎度誤り安き字形也。此歌われしと讀むべき助語にあらず。決て乎の字なるべし
3148 玉釧卷寢志妹乎月毛不經置而八將越此山岫
たまくしろ、まきねしいもを、つきもへず、おきてやこえん、このやまのくき
玉釼と書たる故諸抄たまつるぎと讀める也。玉つるぎまくと云事あるべきや。其上つるぎと云字は劔也。金片に書たるにて愈々くしろと云釧の字と云事明也。釧はひぢ卷きとて身の飾り物卷き卷くとも云也。是等の誤りを不v考、先達皆玉つるぎと讀み、又まきと讀む無理の義理を付てそへ釋せる片腹いたき事也。是は妻を迎へて間もなく夫の旅行に別るるの歌と聞ゆる世。岫は前に注せる也。此くきと云に心あるにあらず。畢竟山を越え行かんやと云義也
3149 梓弓末者不知杼愛美君爾副而山道越來奴
あづさゆみ、すゑはしらねど、うつくしみ、きみにたぐひて、やまぢこえきぬ
梓弓は末とよび出す迄の詞、末は知らねどと云意は、此末は何となりゆくか、いづこに行くか知らね共、親しみ思ふ人に添ひいざなはれて、さかしき山路をも越え來りぬると也。日本紀の隼別の皇子雌鳥の皇女をいざなひて、菟田のすみ山を越させ給ふ時の御歌の意に似たり
3150 霞立春長日乎奥香無不知山道乎戀乍可將來
かすみたつ、はるの長ひを、おくかなく、しらぬ山路を、こひつつかこん
長日をながひとはつまりたる樣なれど、長夜とも短夜とも讀む例也。奥香無とは、奥果ての無き事を云也。果て限り無き事を(463)おくかなくとは讀也。今東方の卑語に、恐ろしくこはきと云詞を、奧《オク》かないと云也。是等の方言縁所あらんか。覺束なくと云意、無2心元1と云事にも通ふか。遠所より戀慕ひて來るらん人を思ひ遣りて詠める歌か。羈旅の意碓き歌なれど、知らぬ山路をと云にて、羈旅の部に入たるならん
3151 外耳君乎相見而木綿牒手向乃山乎明日香越將去
よそにのみ、きみをあひみて、ゆふだたみ、たむけのやまを、あすかこえなむ
手向の山は相坂山をも云也。又大和にもあるか。第六卷の手向山は相坂山也。端作の文にて明也。此手向山は何れ共決し難き也。旅行には街の神に祈をするものなれば、なべて手向山と云共云はるべし。其手向をする所の山をさして云たるか。此歌も既に旅行の事故、手向の山をとは詠みて、あながち一所の地名共不v聞。旅立の事を詠めると見えたり。相見而の相は添詞也。助語に同じ。逢合のあひと云とは意異也。歌の意は聞えたり。明日からは旅に赴けば、思ふ人をもよそにのみ見んとの義也
3152 玉勝間安倍島山之暮露爾旅宿得爲也長此夜乎
たまかつま、あべしま山の、ゆふづゆに、たびねはえすや、ながきこのよを
玉勝間あと云は、籠には目と云ものありて、あひだ間のあるもの故、あとはうけたる也。かつまも、かたまも同じ。あべ嶋山は第三卷にも出たり。八雲には攝津國かと有、夕露にとは、旅行は山野に寢るものから、草枕とも云て、物憂き體を云たる也。えすやと云事は、第十一卷の、面忘れだにもえすやと手にきりてと詠めると、此歌二首也。珍しき詞也。助語初語共見るべきや。不v應事に今時は用たる也。是も發語なるべし。えあはぬ、えゆかぬなど云也。逢ふ事をえぬ、ゆく事をえぬと云義共云はるべけれど、當集の二首に依て見れば初語助語と聞ゆる也
3153 三雪零越乃大山行過而何日可我里乎將見
(464)みゆきふる、こしのおほやま、ゆき過て、いづれのひにか、わがさとをみむ
三越北國は雪深き國なれば、雪降るとは呼びかけたり。大山は三越の何れにあるか、未v考。歌の意は聞えたり。京より北越に下向の人の歌か
萬葉童蒙抄 卷第三十四終
(465)萬葉童蒙抄 卷第三十五
3154 乞吾駒早去欲亦打山將待妹乎去而速見牟
いであがこま、はやくゆかまく、まつちやま、まつらんいもを、ゆきてはやみむ
いでとはものを乞願ふ詞、允恭紀に厭乞の二字を被v書て、字訓をも被v擧たる事、第一第四卷にても注せり。此歌催馬樂には、いでわが駒早く行こせまつち山待らん人を行てはやみんと少引直して書り。歌の意はよく聞えたり。待らんと云はんとて、まつち山を詠出でたり。まつち山は同名異所有。こゝは大和か、紀伊の國かの中なるべし
3155 惡木山木末悉明日從者靡有社妹之當將見
あしきやま、こずゑことごと、あすよりは、なびきたれこそ、いもがあたりみむ
あしき山は筑前に有。第八卷に葦城野と出たり。そこなるべし。然れ共此あしき山と詠める事心得難し。凡て地名を詠出るも、下に續く詞の縁に依て皆詠み出る古詠の格也。此あしき山と云事、下に引く縁も無く、あしとあすと同音故、此詞の縁にて詠めるか。不審也。示師案は、足曳の山の端ごとにあすよりはと詠みたるにてはあらんか。木末の二字は葉と云義訓に讀まるべきなればさ讀みたるか。歌の意は聞えたる通也。人丸の歌に、なびけこの山と詠み、第十三卷にも、心なき山のおきそ山みのの山と云歌にも詠めり。なびき、しなひ兩樣に讀むべし。誰れこそは、靡きてあれこそ也。あれよと願ふたる意也
3156 鈴鹿河八十瀬渡而誰故加夜越爾將越妻毛不在君
すずかがは、やそせわたりて、たれゆゑか、夜ごえにこえん、つまもあらなくに
鹿河は伊勢也。上古は大河にてもありけるか。歌共皆八十瀬を詠める也。催馬樂の歌にも
すずか川八十瀬の瀧をみな人のあくるもしるく時にあへるかも
(466)源氏物語にも、八十瀬の浪にぬれぬれてと詠めり。此歌の意は、妻も無き旅なるに、八十瀬を越て夜迄行ことやと、旅の物憂きを苦める意也
3157 吾妹兒爾又毛相海之安河安寢毛不宿爾戀渡鴨
わぎもこに、またもあふみの、やすかはや、やすいもねずに、こひわたるかも
近江の安川を詠めるは羈旅の歌故也。下のやすいも寢ずと云はん爲、安川を詠出たり。歌の意は別義なし
3158 客爾有而物乎曾念白浪乃邊毛奥毛依者無爾
たびにありて、ものをぞおもふ、しら波の、へにもおきにも、よるとはなしに
行方の定め無き事を思ひ續けて、旅の物憂き意を云へると也
3159 湖轉爾滿來鹽能彌益二戀者雖剰不所忘鴨
みなとわに、みちくるしほの、いやましに、こひはますれど、わすられぬかも
鹽の滿ち來る如く、後よわ後より戀はつのり増せ共、退き止む心は無しと也。剰の字をますと讀む義未v考。あまつさへと讀む義より、まさると云意に通ふ義にて讀ませたるか
3160 奥浪邊浪之來依貞浦乃此左大過而後將戀鴨
おきつなみ、へなみのきよる、さだのうらの、このさだすぎて、のちこひんかも
此歌第十一卷に出て重出也。さだの事未だ音書にすれど、古語にさだと云來れると見えたり
3161 在千方在名草目而行目友家有妹伊將欝悒
ありちがた、ありなぐさめて、ゆかめども、いへなるいもは、いぶかしからん
在千方は何れの國か未v詳。八雲には筑前と有。あゆちかたは尾州也。同所をありち共云へるか。あり慰めてとうけん爲の(467)ありち方を詠出たり。いもいと云いは發語也。やいゆえのいと通音にて、やと讀むと云説あれど、此義不審ある事也。上古は、伊とやと若し通じたる事もあるか。日本紀に此事に不審有。此歌にては發語と見ても濟む故、先初語とは見置け共、やと讀みても聞ゆる也。妹がいぶかしからんとは、我は此處にて此景色を見慰みて行かめ共、家にある妻の如何に待ち憂からんと云意也。いぶかしきと云は心元なく氣遣する義を云。物憂きと云意にも通ふ。ここは俗語にて云はば、妹が氣遣して待つらんと云意也
3162 水咫衝石心盡而念鴨此間毛本名夢西所見
みをつくし、心つくして、おもふかも、ここにももとな、ゆめにもみゆる
みをつくしは水の深みを知らす杭木也。延喜式卷第五十雜式云、凡難波津頭〔海中立2澪標1。若有2舊標朽折者1捜求拔去。〕顯注密勘には國史には難波に始て澪標を被v立の由注したれど、日本紀、續日本紀共其始の事無2所見1也。澪標は見をしるしと云義と顯注にも釋したれど此義心得難し。つくしを、しるしと云義不v通也。水の深き所を水尾と云義也。水尾引のぼるなど當集にも見えたり。然れば水尾に立ちたる串と云意にて、津は助語にして水尾津串と云義にもあらんか。大方は澪標は攝州難波に限りたる樣に云ひ習へり。是は式にも被v載たる故ならんか。いづ方に限るべき事にあらず。六帖にみをつくし
川浪もうしほもかゝるみをつくしよする方なき戀もするかな
海河共立る物なれば如v此も詠める也。土佐日記には、六日澪標のもとより出て難波の津を過ぎて河尻に入ると書けり。源氏物語の卷の名にも澪標を入たり。然るに咫の字を、をと訓ずる事如何共不v通。音は、シの音也。日本紀にては義訓を以て、たと訓じ、八咫鏡、八咫烏、長さ七咫など訓じられたり。をと云ふ訓何と云義か不審血。是は尾の字の誤字と見ゆる也。字形紛れ安き字也
此間毛 このまと讀みたり。このまと讀みては義如何に共不v通。ここにも讀むべし。旅行のここにもと其旅寢の所を指したるここなるべし
(468)此歌前に注せる如く、澪標は大方難波を初めとする樣に云ひ習はせたれば、難波などにて詠めるか。歌の意は、心盡して思ふかもと云はんとて、澪標を詠める也。筑紫より都へ上番などに上れる人の、難波の津まで來て詠めるならんか。思ふかもを思へかもと讀ませたり。思へばかもの意にて、思へかも共讀むべきか。思へと云詞は、思はめと云約語の歌もあり、又思へばかもと云意の處も有。思ふかもと云意は、故郷の人の心盡して思ふ故かも、こゝに夢に見ゆると云意、思へばかもは、わが思へばかもの意に聞ゆる也。何れ共決し難し。好む所に可v隨也。此本名は、もだし難くと云意に叶ふべし。宗師案は、心つくしにと而の字を讀べしと也。然れば筑紫にて故郷を思へばかもの意也。此義も一決し難し。兎角兩義に見ゆる歌也
3163 吾妹兒爾觸者無二荒磯回爾吾衣手者所沾可母
わぎもこに、ふるとはなしに、あらそわに、わがころもでは、ぬれにけるかも又ひたれぬるかもとも
吾妹兒には觸れはせで、旅行にてあらば、其波こねれひたれると也
3164 室之浦之湍門之崎有鳴島之磯越浪爾所沾可聞
むろのうらの、せとのさきなる、なきしまの、いそこすなみに、ぬれにけるかも
室の浦は播磨也。故郷を慕ひ泣くの意に寄せて、鳴嶋を詠出たるならん。磯越浪爾と云にて、旅行の意を表せり
3165 霍公鳥飛幡之浦爾敷浪之屡君乎將見因毛鴨
ほととぎす、とばたのうらに、敷なみの、しばしば君を、みむよしもがも
霍公鳥飛ぶとうけて、飛幡の浦を詠出たり。其所の當然の地名と見るべし。飛幡の浦に意は無し。旅行の歌なれば、其所々にて詠める地名也。八雲には石見と有。別に白鳥のとは山松とも云歌有。石見と云事八雲には大方の地名、兎角石見と被v載たれ共不v合事もあれば、外に慥成證例を不v見ばいづく共難v決。伊勢の國にも鳥羽と云所有。此歌は飛幡とあれば別所か。(469)敷浪をしきなみのと讀ませたり。浦に敷浪とは、第三句より改りたる句にて、下のしばしばと續けん爲の句也。今時の歌にては浦の敷浪と讀べき手爾波也。浦にと云なれば、うつとならでは讀難き處なれど、此下のしばしばとうけたる處ある故、敷浪のと詠みたるものか。此意も兩義に見ゆる也。敷の字はうつと讀める事令義解等にても見えたり。畢竟しばしばと云はん迄の上の句也。飛幡の浦を旅行する折柄、波の隙間も無く打つを見て、思ふ人の事を思ひ出て感情を催せしなるべし
3166 吾妹兒乎外耳哉將見越懈乃子難懈乃嶋楢名君
わぎもこを、よそにや見らん、こしのうみの、こがたのうみの、しまならなくに
趣の海のこがたの海、八雲には筑前と有。越の海とあるを筑前とは、考へさせ給ふ處ありてか。第十六卷に、紫のこがたの海とも詠める同所か。北國の内に在べき地名なれど式、八雲に筑前とある故不審也。此歌の意一通はこがたの海の嶋にては無きに、よそにのみや見んと詠める意に聞ゆれ共、さ讀みて歌の義不v通。句意不v聞樣也。旅行にて越の海路を行けは、こがたの海の嶋は目に近く見るべきを、よそにのみ見らんとは、こがたの海の嶋を見ずて通ると云の意ならんか。愚案は、古詠になくにと詠む意は、皆歎息の詞に、にと詠める事多し。亂れそめにしわれならなくにと云も歎の詞也。然れば是もこがたの嶋にあれかしと願ふ意に詠める歌ならんか。嶋にあらなくにあれかし。嶋ならば通路の日毎に見つつ行かんをと云意に詠める樣に聞ゆる也
3167 浪間從雲位爾見粟島之不相物故吾爾所依兒等
なみまより、くもゐに見ゆる、あはしまの、あはぬものから、われによるこら
此歌説々ありて一決し難き見樣也。一説は、われには逢はぬものなるに依て、かけも離れず又つれなき意共見る也。粟嶋のわれに寄らぬもの故、よれる兒等を思ひ慕ふ歌と云説有。宗師案は、われによれこらと讀みて、旅にて女子を戀ひ思ふの意、逢はぬものながらよりこよと云意と見る也。いづれ共決し難し。後案に決すべし
3168 衣袖之眞若之浦之愛子地間無時無吾戀钁
(470)ころもでの、まわかのうらの、まなごぢの、まなくときなく、わがこふらくは
直若之浦 八雲に是も石見と有。外に考ふる所無し。畢竟まなく時なくと詠まんとて、愛子地を詠める迄の歌也
3169 能登海爾釣爲海部之射去火之光爾伊往月待香光
のとのうみに、つりするあまの、いさりびの、ひかりにいませ、つきまちがてら
旅行の夜道に行事を詠める歌也。只旅行の意計りの意也。いゆくのいは發語也
3170 思香乃白水郎乃釣爲燭有射去火之髣髴妹乎將見因毛欲得
しかのあまの、つりにともせる、いさりびの、ほのかにいもを、みるよしもがも
聞えたる歌也。射去火とは、漁りの火と云義ならんか。凡ていさる共、あさる共云、食を求る事をあさると云。あさりをする火と云義なるべし
3171 難波方水手出船之遙遙別來禮杼忘金津毛
なにはがた、こぎいづるふねの、はるばると、わかれてくれど、わすれかねつも
是は筑紫の方へ行く時の歌なるべし。難波潟を漕ぎ出てはるばると別れ行と、故郷の事を忘れかねるとの意なるべし。難波方と詠出たれば、難波の景色を忘れかねたるとの意ならんか
3172 浦回※[手偏+旁]能野舟附目頬志久懸不思月毛日毛無
うらわこぐ、よしのふなづき、めづらしく、かけておもはぬ、月もひもなし
能野舟附とは、一説に出雲の地名能野の般若と云説有。又附は人と云説有。第八卷に附目と書きて、ひとめと讀ませたるに准じて人と讀むべしと云説もあれど、能野を地名、附を人と讀む説難2信用1也。五文字に浦わこぐと詠出たれば、龍野舟着とは續かぬ地名也。浦わ漕ぐ舟と續く詞ならでは詠出で難し。能野は熊野の※[れっか]を脱したるなるべし。熊野船とは船の名也。次に(471)も松浦船と有如く、前にも眞熊野の船と詠める義に同じく、伊豆手舟など共詠める意也。熊野舟の由來の事は前に注せり。神代紀より始て當集にも毎度詠めり。然れば浦わ漕ぐ熊野船つきにて、着岸の所を指して云へる也。船の着く浦々珍しき所々の事、ここよりかしこへ心をかけて、其所々の景色の忘られぬとの義なるべし。故郷の事を慕ひ思ふなど云の意には見えず。着岸の所々の事の忘られぬ意と見る也。羈旅の歌なれば實情の歌也
3173 松浦船亂穿江之水尾早橄取間無所念鴨
まつらぶね、みだれほりえの、みなはやみ、かぢとるまなく、おもほゆるかも
亂れほり江とは亂帆とうけたる詞也。水脉の早き所は船の入亂るるものなれば也。此ほり江は難波の地名也。畢竟の意は、旅行にて故郷妻子の事の忘るる間も無きと云事を詠める也。橄取る間無くと讀みかけたるも、皆間無くと云はん爲、其間の無き事を上に段々と云續けたる當集の歌の例格也。松浦船は船の名、肥前の松浦にて造りたる舟と云義也。これにて前の能野船附の義も船の名と云義可v辨也
3174 射去爲海部之※[楫+戈]音湯鞍于妹心乘來鴨
いさりする、あまのかぢおと、ゆくらがに、いもがこころに、のりにけるかも
此歌は羈旅の歌共不v聞、心得難き歌也。おし計りて云はば旅行の海路にて、海人の漁りするを見て、故郷の妹が事抔思ひ出て詠めるか。旅行の意は曾て不v聞也。我心のかけり行て、妹が心に添ふと云の意にてかく詠めると云べきか。是は押量りの意句面にては如何に共旅行の意は不v見也。ゆくらかには、漁りする船はゆるやかに靜かに漕ぐものなれば、ゆくらかにとは詠めり。今俗にゆつくりとするなど云が如し。大船のゆくら共詠めり。然るに羈旅の歌なるに、ゆくらかに妹が心にのると云義如何に共聞得難き歌也。のりにけるは、心にかかると云説あれど、ゆくらかに心にかかると云ても不v通義也。此歌何共解し難き歌也。若しくは旅行にて妹を戀求めたる歌と見るべきか
3175 若乃浦爾袖左倍沾而忘貝拾跡妹者不所忘爾
(472)わかのうらに、そでさへぬれて、わすれがひ、ひろへどいもは、わすられなくに
妹を忘れぬと云べきとて、忘れ貝拾へどと詠出たり。よく聞えたる歌也。故郷の妹の事を不v忘の意也
或本歌末句云忘可禰都母 本集の忘れなくにと詠めるを、一書には忘れかねつもと也
3176 草枕※[羈の馬が奇]西居者苅薦之擾妹爾不戀日者無
くさまくら、たびにしをれば、かりごもの、みだれていもに、こひぬひはなし
よく聞えたる歌也。心亂れて故郷の妹を戀佗びぬ日も無きと也
3177 然海部之磯爾苅干名告藻之名者告手師乎如何相難寸
しかのあまの、いそにかりほす、なのりその、なはのりてしを、などあひがたき
此歌も旅行にて人を戀求めたる歌か。旅の意不v聞也。數百首の事故亂雜などもや、おして云はば云はるべけれど、しかと旅行の意句面に不v被v顯歌也。常の戀歌に名は顯し告りたるに、何とてかくは逢事の成難きにやと恨みたる歌也。旅の意は磯に刈干すと云所に少こもれるとや云べき。それも慥にはすわらざる也
3178 國遠見念勿知備曾風之共雲之行如言者將通
くにとほみ、おもひなわびそ、かぜのつれ、雲のゆくごと、ことばかよはめ
國を隔て遠く行き別るれ共、風の便には雲の行通ふ如く、云通はす言葉不v絶と諫めたる歌也
言者 われは共讀ませたり。羈旅の歌なれば常の如く行き通ふ意は不v叶也。言は便の義於とを云ひ通はすの義と聞ゆる也。但し歌は跡なく詠む習ひなれば、風につれて遠く共われ通ひ來んとの意ならんか。さ讀みては詞を入れて六ケ敷見る也。言葉と云義は安き也
3179 留西人手念爾※[虫+延]野居白雲止時無
(473)とまりにし、ひとをおもふに、あきつ野に、ゐるしらくもの、やむときもなし
故郷に留れる人を思ひ慕ふ心は、雲の立居の止まぬ如く、後よりは追つく如く忘られず止み難きと也。※[虫+延]野に意は無し。何れの野にても山にてもの意なるべし。大和の國の人故古里の地名を詠めるか
悲別歌 此歌始終を考ふるに離別の當然を悲む計りの歌にあらず。別れたるを悲み慕ふ意をも詠める歌多し。歌共熟覽の上にて知るべし。其意を得て不v見ば不審ある歌多し。別れて後の歌いか程も有。然れば別れたるを悲む意の歌をも同列に被v載し也
3180 浦毛無去之君故朝旦本名烏戀相跡者無杼
うらもなく、いにしきみゆゑ、あさなさな、もとなぞこふる、あふとは無杼
浦毛無くと云義説々有。深く吾を思ふ心も無く、つれなくいにしと云意に見る説有。又恨み思ふ事の無く、あかで別るる君故と云説有。後説によるべし。飽かで別れいにし君故、別れし朝を思ひ出ての意をこめて朝旦と也。朝旦は毎日不斷の意也。あひて別れしからもだし難く戀慕ふと也。下の句の無杼と書たる義不審也。あふとはなしに戀慕ふと云べきに、なけれどと云事聞えにくき也。逢ふ事は無けれどと云義にても義不v通。杼の字は濁なれば、上古はにとも讀めるか。どとのとは通ずれ共、にに通ふ例未v考。此歌なけれどと云ひては義不v通也。逢ふ事は無しに戀慕ふとは讀むべき事也。印本の假名には清音になしとと讀みたれど、杼の字は濁音の字なれば清音には讀み難く、其上なしとと讀みては歌の意も聞えず。若しくは誤字などにや。なしにと讀までは如何に共歌の意不v通也
3181 白細之君之下紐吾左倍爾今日結而名將相日之爲
しろたへの、きみがしたひも、われさへに、けふむすびてな、あはん日のため
われさへには、君も我もの意也。別るる今日結びおきて、又逢ふまでの形見の爲にと云の意なるべし。尤君ならでは解かぬと云意をこめて、われさへにと詠めるならん
(474)3182 白妙之袖之別者雖惜思亂而赦鶴鴨
しろたへの、そでのわかれは、をしけれど、おもひみだれて、赦つるかも
別れの悲しく惜しきに、思ひ亂れて別るると也。赦の字を書たる故、ゆるしつると假名を付たり。放の字の誤りと見ゆる也。思ひ亂れながら、別れを許してけると云意は六ケ敷也。放の字なれば、はなれとか、わかれならば、直に義安く聞ゆる也。決て放の字と見ゆる也
3183 京師邊君者去之乎孰解可言紐緒乃結手懈毛
此歌諸抄の説假名付の通にては如何に共不v被v得v聞。假名付を本として文字歌の意をも不v辨、無理釋を注したる説々如何に共難2信用1。先諸抄の説一説には、誰れ解けかはは君は都へ行きて解く人も無きに、誰れ解けとてか我紐の緒の結びて有事の憂きと云義と釋せり。解けとてかと詞を入れて、下の句も結びて憂きもと云ては、歌と云ものにはあらず。いかに古詠は實朴に詠むとても、左樣には讀べからず。結べるも憂しと云樣には讀むべきに、結びて憂きもとは歌の詞にあらず。此説も難2信用1。一説は假名付の意、結びて解けもは如何に共解し難き讀樣也。解の字とくと讀むべき義不2心得1。是は解の字と見誤りたるか。解の字の誤りと見たる意にてかく讀めるか。何れにても義不v通也。宗師案は或抄の意に相似たり
みやこべに君はいにしをたれとくかわがひものをのゆふてたゆしも
意は、君は都べに去しかば、誰れ解く人も無き、誰れ解く人ありてか、結びても後より解けて手もたゆきと云意也。君を戀慕ふ故、下紐の自づから解くると云義を、ゆふてたゆしもと讀みて、都べにいにし人を戀慕ふ心を明せる歌にて、面白く上手に詠みなせし感情ある歌なるべし。古今集に、ゆふてもたゆく解くる下紐と詠める、下の句の意に同じ意也。結手懈と書きて、おこたるはたゆき意也。手だるければ自らやむ義をとり、たゆしもとは義訓せると見えたり。結ぶ手うむもと讀むべしと云説もあれど、近き樣にて義不v中説なるべし
3184 草枕客去君乎人目多袖不振爲而安萬田悔毛
(475)くさまくら、たびゆくきみを、ひとめおほみ、そでふらずして、あまたくやしも
別るる時袖振り招き慕ふ事を、人目を憚りてえせざる事のいとも悔しきとの意、又不振はふれずと云事か。下のあまたと詠めるは、あまたにも袖を振れざると云意に、あまたと詠める共聞えたり。數多とも書きたらば、いともとか、いたく悔し共讀むべけれど、假名書なれば、不v振はふれずと讀むべき爲に書ける共見えたり。歌の意も、振れずの方よく聞えたるか。諸抄の説は、第六卷、遊女兒嶋が歌の意に准じ、或ひは佐用姫が、ひれふりし類の意をとりて釋したり。何れか是ならん。好所によるべし。
3185 白銅鏡手二取持而見常不足君爾所贈而生跡文無
まそかがみ、手にとりもちて、みれどあかぬ、きみにおくれて、いけりともなし
見れどあかぬと云はんとて、上の句は詠出たり。歌の意よく聞えたり
3186 陰夜之田時毛不知山越而往座君乎者何時將待
くもるよの、たどきもしらず、やまこえて、いにますせなは、いつとかまたん
曇る夜のとは、たどきも知らぬと云序也。夜山を越え往くと云迄にはあるべからず。曇る夜山を往けばいとゞたどたど敷ものなれば、頼りなく海山越て別れ行くせなを、又いつ來まさんとか待たんと、名殘を惜みたろ歌也。います君とも讀みたれど略語に讀みては紛らはしければ、いにますとか、ゆきますと讀みて、下をせと讀むべし。せとは君長を指す稱也。第二十卷防人の歌に、やみの夜のゆくさき知らず行われをいつきまさんと云ひしこらはも。此歌の返歌の樣なる歌也
3187 田立名付青垣山之隔者數君乎言不問可聞
たたなづく、あをがきやまの、へだた【ら・れ】ば、しばしばきみを、こととはじかも
たたなづくはたてならべ衝也。前に注せり。日經の名付の説は非也。時代相違の事有。隔者、へだつればと讀ませたれど、悲別の歌なれば、別れの時詠める意にては、今よりは隔てたらば、しばしば言も問はじと歎きたる意と見ゆる也
(476)3188 朝霞蒙山乎越而去者吾波將戀奈至于相日
あさがすみ、たなびくやまを、こえていなば、われはこひんな、あはぬひまでに
よく聞えたる歌也。朝霞棚引く山に意は無し。只山を越え隔ていなばと云意に、霞の棚引く山とも詠める也
3189 足檜乃山者百重雖隱妹者不忘直相左右二
あしびきの、山はももへに、かくすとも、いもはわすれじ、ただにあふまでに
きこえたる歌也。男の歌也
一云雖隱君乎思苦止時毛無 やむ時もなしとは、別れの歌なれば意不v叶か。あらじと義訓すべき也。思苦も、こふらくと讀むべし
3190 雲居有海山越而伊往名者吾者將戀名後者相宿友
くもゐなる、うみやまこえて、いゆきなば、われはこひむな、のちはあひぬとも
雲居なるは遠く隔たりてあると云義也。遙かに隔てさかりたる海山は、雲中にある樣なればかく詠めるならん。歌の意はよく聞えたり
3191 不欲惠八跡不戀登爲杼木綿間山越去之公之所念良國
よしゑやし、こひしとすれど、ゆふまやま、こえいにしせが、おもほゆらくに
不欲をよしと讀む意、おもはじと打捨たる意を通じてよしと云義は、打ちやりたる事に云事あれば、善惡のよしと云方にては無く、捨てたる方にてよしと讀ませたる也。八跡をやしとは、せきの音は約すればし也。水をもしと讀ませたる例なるべし。若は趾の字の誤りか。趾はしの音なれば右兩義の内なるべし。木綿間山を詠出たる意寄所ある事不v見。其當然の山を詠めると見る世。越去し當然の山故詠めると見て置也。歌の意に寄所は不v聞也。おもほゆらくは思はるると云詞を延べたる也。(477)忍ばるとも讀むべき也
3192 草陰之荒藺之崎乃笠島乎見乍可君之山道越良無
くさかげの、あらゐのさきの、かさじまを、みつつかきみが、やまぢこゆらむ
草陰の荒藺とは草の陰となる程なれば、荒蕪の地なる故、あれ、あら、野らなど云意にて、草陰の荒藺とは續けたる也。一説に藺は枝葉も無きものなれば、陰の荒きあらはなるものと云説は非なるべし。荒藺の崎笠島共に武藏也。八雲の外所見なし。一説の三坂越らんとあるにて武藏とも見ぬる也。和名抄卷第二國郡部云、武藏國横見郡、高生、御阪【美佐加】旅行の別の歌にて、旅行の末を思ひ遣りて詠める歌也。荒藺の崎、笠島を詠める寄所歌の意には縁ある義共不v聞。是も實に其行路を越行當然の路次の義を詠めるなるべし。然れ共此歌武藏の名所と見ては山路越ゆらんと詠める意不v濟也。武藏にはさして苦勞すべき程の山路は無き國也。遠江國本阪越などの義を詠めるにや。違州の荒井の海など云は後世の事か。和名にも荒井と云地名は不v見。城飼郡の郷名に新井【爾比井】と云は有。是を後に誤りて荒井とは云へるか。然し今の荒井は敷智郡也。城飼郡と敷知郡とは今にては餘程西東の違有。此歌の荒藺の崎の笠嶋の事、歌の意と地跡の義不v合。今にては武藏には道灌山の外阪など可v趨山は不v見。中古にも山路の事は不v見。野は歌にも文にも見えたれば不審也。尤當集に武藏ねと詠める歌有。是に依て上古は小高き山もありたるか。當集卷第〔以下注記ナシ〕
一云三坂越良牟 本集の山道越らんの異説也
3193 玉勝間島熊山之夕晩獨可君之山道將越
たまかつま、しまくま山の、ゆふぐれに、ひとりかきみが、やまぢこゆらん
玉勝間は前に注せる如く、まと云詞へ續く義、島のまに續く爲め玉勝間とは置きたるならん。玉の緒と云説しまると云義と云事は難2信用1説也。あべ島島熊と續けたるは外に義あらんか。此義未だ決着せぬ義也。追而可2考案1地
歌の意は聞えたる通、別れの時旅行の末を思ひ遣りて詠める意也。島熊山は攝津と八雲に有。然れ共前後の歌東國なる中に、(478)津の國を混雜の事も不審也。あべ嶋山をも津の國と注せさせ給ふ故か
一云暮霧爾長戀爲乍寢不勝可母 暮霧には、らりるれろ通音故、矢張夕ぐれと讀むべきか。夕霧に長く戀ひと云意不v濟詞也。但し夕霞に立隔たりて、遠く長途を行て戀佗びつついねんかもと詠める意ならんか。長戀と云詞も少し心得難き詞なれば、本集の歌に從ふべき也
3194 氣緒爾吾念君者※[奚+隹]鳴東方坂乎今旦可越覽
いきのをに、わがもふきみは、とりがなく、あづまのさかを、けふかこゆらん
命にかけて思ふ人はと也。東方の二字にてあづまと讀ませたる事、此集に二字相連事意ありて書けるにもあらず。又意を含めて書ける所もありて一概ならず。東方の坂とありては何國の坂とも知れず。おしなべて逢坂より東の方は阪東と云ひてあれば心得難き讀樣也。あづまと云事の起りは、日本武尊上野國碓日嶺に上りまして、吾嬬者耶と宣ひしより、凡て山東の諸國をあづまとは云ひ來れり。本來によらば上野の碓氷坂より東國をぞ云べきにや。然れば其本源を指して云へる意にて、あづまの坂と詠みたるは碓氷の坂を詠めるか。只指す所も無く、あづまの坂と廣く詠める事心得難し。近江の逢坂より東を凡て阪東と云ひ、あづまの方と云へば、古今の歌にも旅行悲別の事を詠めるに相坂山を詠めれば、相坂の事とも見ゆる也。古今の序相坂山にいたりと書けるは、離別の歌の事手向を祈りは旅行の事也。然れば今日か越ゆらんと詠めるは、悲別の歌なれば別れの當日の事ならば、題にも合ひ難ければ相坂と聞ゆる也。あづまの坂をと詠めるは、關西にて別れし人の詠めると聞ゆる也。旅行を思ひ遣りて碓氷の坂を今日か越ゆらんと詠みたらば、別れの歌には不v可v入。羈旅の部に入べき也。東方坂と云て古は露顯の所ありしか。猶可2後考1也
3195 磐城山直越來益礒崎許奴美乃濱爾吾立將待
いはきやま、ただこえきませ、いそざきの、こぬみのはまに、われたちまたん
磐城山礒崎こぬみの濱、八雲等には何れも駿河と有。然れば此歌は東國の女の夫君に別るる時の歌と聞えたり。磐城山を直(479)ちに越えて早や歸り來ませ、我はこぬみの濱に出立ち待たんとの歌也。磐城山と詠出たるは、嶮難の意を含みて、さかしき山坂路をも無v難直切に越えて歸り來ませと云意を兼たるならん。こぬみの濱を詠めるは別に意あらんか
3196 春日野之淺茅之原爾後居而時其友無吾戀良苦者
かすがのの、あさぢがはらに、おくれゐて、ときぞともなく、わがこふらくは
吾戀ふらくはは、吾戀ふるはと云義也。別れて獨り淺茅が原に何時を限りともなく、戀慕ふらん事の悲しきと也。此者の字も若しくは、をとか、にとか讀めるか。前々の不審に同じ。尤もはと讀みても聞ゆる歌なれど、にとか、をとか讀みては彌義安也。淺茅が原は故郷の荒れ行て爲淋しき意をこめたるならん
3197 住吉乃崖爾向有淡路嶋※[立心偏+可]怜登君乎不言日者無
すみのえの、きしにむかへる、あはぢしま、あはれときみを、いはぬひはなし
淡路島あはれとうけたる迄の歌也。別れて後の歌也。世上にては此歌人丸の歌の樣に物にも書きなせ共、何の證明も不v見。是は筑紫へ下れる人に別れし時の歌か。さなくては住の江淡路鴫を詠出たる意打付かず。只哀れと云はん迄の事と聞ゆる也。筑紫へ下る人に別れし歌なれば意味深き也
3198 明日從者將行乃河之出去者留吾者戀乍也將有
あすよりは、いなみのかはの、いでていなば、とまれるわれは、こひつつやあらん
將行乃河 是をいなみの河と讀める義は、行は義をもていぬるの意にとり、將の字はむとはねる詞に讀む字故、まみむめも通音にて、上へはねたる詞の讀み也。ひきゐるの方にては無く、有去と云義をなみとは讀みて也。播磨の稻見野など云所の川と聞ゆる也。ひきゐるのゐなれば假名違也。下に出でていなばと有をもて、いなんをいなみと讀みたる義とは見る也。歌の意は聞えたる通也
3199 海之底奥者恐磯回從水手運往爲月者雖經過
(480)わだのそこ、おきはかしこみ、いそわより、こぎこそいませ、つきはへぬとも
悲別の歌には能叶たり。別れの惜しきを云はず、夫君などの旅行の行路の事を思ひ遣れる情尤哀れ也
徃爲 いきませ也。經過は、へ過ぎぬ共と云意にて過の字を添たる也。此連字前にも注せる如く當集に毎度有。此歌は經過ぐ共と云意をこめてかくは書けると見えたり
3200 飼飯乃浦爾依流白浪敷布二妹之容儀者所念香毛
けひのうらに、よするしらなみ、しくしくに、いもがすがたは、おもほゆるかも
飼飯乃浦第三卷にも出たり。越前也。飼の字をけと讀む義未v考。凡て上古は食物をけと云ひし也。豐受氣姫の氣より、食の事を朝け夕けとも云也。飼ひ養ふは食を與ふる事なれば、此義に通はしてけと云ひたるか。或説に筥の字の誤りにもやと云説あれど、第三卷にも毎度如v此あれば誤字とは難v見也。此歌の意は旅行の歌と混じたる樣に見ゆる也
歌の意は、浪の隙間なく寄り來る如く、妹を戀慕ふとの義也。別れ來し妹が姿の目に離れぬ如く、思ひ出ると云にて、別れを悲むの意を表せるか。飼をけと訓ずるは、かへと云ひ、かふと云より約したり。かふはかへに通ふ故、かへを約すればけ也
3201 時風吹飯乃濱爾出居乍贖命者妹之爲社
ときつかぜ、ふけひのはまに、いでゐつつ、あがふいのちは、いもがためなれ
時風 前にも注せる如く、今の世の時つ風と云とは意異也。此時つ風は疾津風也。風波荒き濱邊へ出てみそぎをして、命長かれと贖ふも、別れて來し妹に又逢ふ事を願ふ心からとの義也。贖ふは物をもて命に贖ひて神に祈る事也。命の代りに物を流し捨つる事を贖ふと云也。贖ふ命とは、祈る命と云と同じ事也。是も別れし事を歎き慕ふ歌にて、別るる當然の歌にはあらず。此悲別の歌には、當然と別れて後其別れし事を歎く意を詠める事を相交へて載せたると見ゆる也。已に此二首の歌其意を詠める也。吹飯の浦は和泉也。同名異所あれ共ここの歌の次和泉なるべし。紀伊丹後にもあるか。當集地名追而撰集を考ふべし。其時考辨すべき也。吹飯、或抄に大和物語を引、清正家集を引て紀伊の由あれど追而可v考也
(481)3202 柔田津爾舟乘將爲跡聞之苗如何毛君之所見不來將有
にぎたづに、ふなのりせんと、ききしなへ、などかもきみが、みえこざるらん
柔田津は伊豫、第一卷に有也。此歌も悲別の處不v見。然れ共別れし事を悲む意から、歸り來る事を待つ義をもて悲別に入れたるか。聞之苗は聞きしがうべ待居に、などかも君が見え來ぬと云意也。此苗の詞此歌にては少々聞え難き詞也
3203 三沙呉居渚爾居舟之※[手偏+旁]払去者裏戀監後者會宿友
みさごゐる、すにをるふねの、こぎいでなば、うらこひしけん、のちはあひぬとも
みさごゐるは、渚と云はん爲の序、渚にゐる共、をる共讀べし。只船乘りして漕ぎ出でいなばと云意也。若し旅人のとまりにかゝりゐて、なれし人の時待ちて漕ぎ出ゆく別れを惜めるか
出立者 去の字無くても所に依てはいでなば、いでばと讀む也。然るに如v此去の字を加へてなばと讀ませたるは、かかりゐたる人の去ぬるか、行くかと云義を知らしめん爲に意をとりて書たるか。うらは歎の詞前に毎度ありて、うら悲し、うら戀ひしと云事、うらぶれなど云て、切に戀ひしからんと云義にうらとは云たる也。尤海邊の歌故浦と云縁の詞を用ひたる也。戀ひしけんはからん也。前にも此歌ありて略して云へる詞也。此歌は悲別當然の意に聞ゆる也。後には逢ふともそれ迄いか計り戀ひしからんとの意也
3204 玉葛無怠行核山菅乃思亂而戀乍將待
たまかづら、無怠ゆきさね、やますげの【しのび・おもひ】みだれて、こひつつまたん
無怠 たえずと讀ませたり。義訓さもあらんか。別に義訓もあらんや。おこたりなくは不v絶の意、能き義訓ながら歌の首尾六ケ敷樣なれば、若し別訓もやと後案を殘す也。歌の意は、行方無v障行程無v滯行てとく歸りませ、我は【したひ・しのび】亂れて戀つつ待たんとの意也。山菅のは忍び亂れてと云はん序也。思ひ軋れと讀ませたれど、忍びはしなひと云詞なれば、下に戀ひつゝとあれば思ひと云は重詞の樣なれば、山菅のしなひ亂れとかける意、又慕ふの意を合せて忍びと讀まん方然るべからんか。上の(482)句は旅行の人を祝したる意もこめて詠める意に聞ゆる也
3205 後居而戀乍不有者田籠之浦乃海部有申尾珠藻苅苅
おくれゐて、こひつつあらずば、たごのうらの、あまならましを、たまもかるかる
苅々は義訓かりつつと讀むべきか。ひたものもの刈るの意を取て書けるか。刈るかに共讀まんか。いきしちにひみゐり通音なれば也。別れ殘りて戀ひ死なんものならば、海人にもなりて夫君の居る浦の海人ともなりて、玉藻を苅りてもあらましをとの意也。駿河の國へ行きし人を戀ひ慕ふの歌と聞ゆる也。尤悲別の當然又別れて後の意を兼ねたる歌也
3206 筑紫道之荒磯乃玉藻苅鴨君久待不來
つくしぢの、あらいそのたまも、かりてかも、きみがひさしく、まてどきまさぬ
是を抄物等には、かりにかもと云假名の誤やになづみて、色々六ケ敷意を注せり。筑紫へ行たる夫の久敷歸らざるを慕ひて詠める歌と聞ゆれば、筑紫にて玉藻を苅りてゐますかも、かく久しく歸らぬはと云迄の歌にて、下の意は玉藻は女に比するものなれば、彼國にていかなる思ひ人をや求めて、故郷をも忘れたるかと、いぶかしむ意を含みてかく詠めるかと聞ゆる也。此歌を悲別當然の歌にはあらで、別れたるを悲みたる意をもて、此部に入られたる歌也
3207 荒玉乃年緒永照月不厭君八明日別南
あらたまの、としのをながく、てるつきの、あかれぬせにや、あすわかれなん
月のはあかきと云詞にうけたる也。飽かぬと云迄には不v及。只あかと云詞に續けん爲上を詠出たる也。此一格を覺悟すべし。ふるのわさ田の穗に不v出と云意の續けと同じ意味也。上の年の緒長くとは、照る月にかかりたる義にはあらず。別るる人に永く別れんやと歎きたる永也。君八のやは別れなんやのやにも見るべし。なんやと下より返りたるやにて、悲みを深くこめたる意になる也。印本には、君やと讀みたり。君やと計りにては句意不v續也。畢竟の意は、飽かぬ人に明日より別れんや、別るる事の悲しきと云意也
(483)3208 久將在君念爾久堅乃清月夜毛闇夜耳見
ひさにあらん、きみをぉもふに、ひさかたの、きよき月よも、やみにのみ見ゆ
別れて他處に久敷あらんと思へば、照り渡る月夜も涙にくれて闇に見ゆると也
3209 春月在三笠乃山爾居雲乎出見毎君乎之曾念
かすがなる、みかさの山に、ゐるくもを、いで見るごとに、きみをしぞおもふ
此ゐる雲を見ると云義説々有。諸抄にも決せず。一説は雲は居るかとすれば立行きて、窓の邊より山にかかり居るものなるに、別れて行きし人は歸りもせず、家に居たれば雲を見るに付けて君を戀慕ふとの説有。遠く別れ居ば、三笠の山の雲をそなたとのみ見て戀思ふとの説有。後の説近からんか。人情旅行の人を思ひ遣るには、雲の氣色に付けて思ひ慕ふの意なるべし
3210 足檜木乃片山雉立往牟君爾後而打四鷄目八方
あしびきの、かたやまきぎす、たちゆかむ、きみにおくれて、うつしけめやも
片山雉、顯宗紀云、脚日木此傍山、此古語に依てあしぴきの片山とも續け來れり。山と續く詞の中へ二言を入たる也。凡て冠辭に此格有
打四 現にあらめやと云意をうつしけらめやもと云を、けめやもと約めたる詞、からめやもと云ても同じ詞也。現の心にてはあられまじ。夢の心地ならんとの意、現在せる意は有まじきと云意にも通ふ也。珍しき詞也。此歌の外當集にも不v見也。上の句は、只立ちゆかんと云事を云はん爲の序也。打四の詞未v詳。折の字の誤にて惜しと云意の見樣あらんか
問答歌 前にも此標題有。二度擧げたる樣なれど、是は離別の問答の歌故如v此次第して載たる也
3211 玉緒乃徒心哉八十梶懸水乎出手船爾後而將居
たまのをの、うつしごころや、八十かぢかけ、こぎ出んふねに、おくれてならん
(484)玉緒 緒はうつとも云事あればかく續けたり。緒を組むをうつと云。今も打紐など云也。うつし心やとは、うつの心にや也。意はうつの心にてや居られんと此やは下より返りて見るや也。船に後れてとは旅行人に後れ殘り居てと云義をかく詠みなせる也。八十梶をやそかと讀ませたれど、やかぢかけ共讀むべし。五十を伊と讀む例もありて、やはいや梶にて、いくらもの梶をかけての義也。梶は櫓の事也。八十かかけも梶をかと計りも讀む例、大舟のかとりと詠める事也。上の句は皆序也。只漕ぎ出んと云迄の義也。をらんはをられんやの意也。やは上にて讀みたり。此格古詠にある也
3212 八十梶懸嶋隱去者吾妹兒之留登將振袖不所見可聞
【八十か・やかぢ】かけ、しまがくれなば、わぎもこが、とまれどふらん、そでみえじかも
答の意よく聞えたり。八十梶はやそか共讀むべし。梶をかと計りも讀む事、當集に、大船のかとりの海に碇おろしとも有。かとりは梶とり也
右二首
3213 十月鐘禮乃雨丹沾乍哉君之行疑宿可借疑
かみなづき、しぐれのあめに、ぬれつつや、きみがゆくらん、やどりからまし
十月をかみな月と云事古來説々有。極陰の月など云説、童蒙抄、範兼卿、清輔奧儀抄等にも説々あれど慥なる正説未v決。宗師案は不雷鳴月と云義なるべしと也。古は雷を神とのみ云へり。然れば此説義安き也。鐘をしくと讀ませるは音借也。古くは鐘の字、しくの音はしやうを入聲に用ひたると見えたり。樂譜の黄鐘葛鐘等同じ。疑の字をらん、らしと讀むも皆義を通じて讀ませたり。當集にては義訓を專逸と心を不v付ば不v濟と云事は、ケ樣の歌にて思ふべし。字義計りに依て訓ずる事にあらず。萬葉集は謎々の樣なる事ありと書たるものあるも、ケ樣の義訓に依て也。文字の儘に讀みては歌の意一つも不v通事也
3214 十月雨之間毛不置零爾西者誰里之間宿可借益
(485)かみなづき、あめのまもおかず、ふりにせば、たがさとの間に、やどかからまし
聞えたる歌也。雨の間もおかずは、前にもあま間も不v置と詠みて、をやみも無く雨降らばと云意也
之間の二字は若し音にて、たが里にしかと助語に讀ませたるか。里の間と讀める意不v通也。尤誰が里にかの意なれ共まと云事難2心得1
右二首
3215 白妙乃袖之別乎難見爲而荒津之濱屋取爲鴨
しろたへの、そでのわかれを、難見爲而、あらつのはまに、やどりするかも
歌は筑紫より都へ上る人の別れ惜みて、荒津と云所迄、送り來りたる人に詠みて遣せる歌なるべし。荒津濱は筑前也。第十五卷にも有。難見爲而、これをかたみしてと讀ませたれど、かたみしてと云句例語例無ければ、如何に共心得難し。宗師案は、見せがてにと讀まんかと也。見はなれ難くしての意也。愚案、見の字具の字ならんか。別れを難くしてと讀みたるか。具の字無くても難の字がたくと讀む字なれ共、前にも注せる如く、當集如v此書ける所卷毎あげて數へ難し。難の字計りにて外に通ふ讀みもあれば、かたくと讀む爲に具の字を添たるを、傳寫誤りて見に書きなせるか。見せかねても不2打着1也。別れを見かねると云義も續かぬ詞なれば、誤字と見る方安からんか。別れ難くして、荒津の濱に止るべき所ならねど、一夜宿れるとの意なるべし。返歌にて送り來し人に別れ難きとの意は聞えたり。句中に送り來しとは不v見ど、答に詠めるにて知るべし
3216 草枕羈行者乎荒津左右送來飽不足社
くさまくら、たびゆくきみを、あらつまで、おくりきぬれど、あきたらねこそ
答の意の歌にて、荒津迄送り來しとは聞えたり。歌の意はよく聞えし也
右二首
3217 荒津海吾幣奉將齋早還座面變不爲
(486)あらつのうみ、われぬさまつり、いはひなん、はやかへりませ、おもかはりせず
海路無難にしてとく故郷の筑紫に歸り給へ。面變りもせずしてとの意也。海神に風波の難無き樣に祈らんと也。荒津の海にて別れしから、荒津の海とも詠みたらんづれど、荒るる海の神にと云意をも含みてならん。前の歌と同人の作か
3218 早早筑紫乃方乎出見乍哭耳吾泣痛毛爲便無三
あさなあさな、つくしのかたを、いで見つつ、ねのみわれなく、いともすべなみ
筑紫より都の方へ上れる時の歌故、筑紫の方をと也。歌の意聞えたる通也
右二首
3219 豐國乃聞之長濱去晩日之昏去者妹食序念
とよくにの、きくのながはま、ゆきくらし、ひのくれゆけば、いもをしぞおもふ
筑前より豐前の國へ旅行する人の別の時詠めるか。聞之長濱は豐前也。企救郡にある濱なるべし。旅行の夕暮は、一日一夜隔つる旅にても故郷の慕はるるものなれば、日の暮れゆけばと詠める也。尤妹は二人連れ添ぬるものなれば、旅寢の獨りの物憂きに付て思ひ出る情さもあるべし
3220 豐國能聞乃高濱高高二君待夜等者左夜深來
とよくにの、きくのたかはま、たかだかに、きみまつよらは、さよふけにけり
歸るさを待の夜なるべし。高々の事前に注せる如く、如何に共決し難し。人を待には仰て見るもの故、わが身を高くして伸び上り伸び上り待つと云義に高々とは詠めるか。夜等の等は助語也
右二首
萬葉童蒙抄 卷第三十五終
(487)萬葉集卷第十二難解之歌
2842 我心等望使〔三字傍点〕念新夜一夜不落夢見
2843 與愛我念妹人皆如去見耶〔四字傍点〕手不纒爲
2853 眞珠眼遠兼念〔四字傍点〕一重衣一人服寢
2863 淺葉野立神古菅〔三字傍点〕根惻隱誰故吾不戀
2876 里近家哉應居此吾目之人目乎爲乍〔九字傍点〕戀繁口
2896 ○歌方毛曰管毛有鹿〔五字傍点〕吾有者地庭不落空消生
2916 ○玉勝間〔三字傍点〕相登云者誰有香相有時左倍面隱爲
2943 我命之長欲家口僞乎好爲人乎孰許乎〔三字傍点〕
(488)2949 得田價異心欝悒事計〔九字傍点〕吉爲吾兄子相有時谷
2955 夢可登情班〔五字傍点〕月敷多二千西君之事之通者
2965 ○橡之袷衣裏爾爲者〔五字傍点〕吾將強八方君之不來座
2988 梓弓末中一伏三起〔六字傍点〕不通有之君者會奴嘆羽將息
2993 紫綵色〔二字傍点〕之※[草冠/縵]花八香爾今日見人爾後得戀鴨
2996 ○白香付木綿者花物事社者〔三字傍点〕何時之眞枝毛當不所忘
2999 水乎多上爾種蒔比要乎多擇擢之業〔四字傍点〕曾吾獨宿
3031 ○天雲乃絶多比安心有者吾乎莫憑待者苦毛
3049 ○櫻麻之麻|原〔傍点〕乃下草早生者妹之下紐不解有申尾
(489)3057 浅茅原茅生丹足蹈意具美〔五字傍点〕吾念兒等之家當見津
3113 在有而後毛將相登言耳乎堅要〔二字傍点〕管相者無爾
3114 極〔傍点〕而吾毛相登思友人之言社繁君爾有
3130 ○豊州聞濱松心喪何妹相之始
3180 浦毛無去之君故朝旦本名烏戀相跡者無|杼〔傍点〕
3210 足檜木乃片山雉立往牟君爾後而打四〔二字傍点〕鷄目八方
3215 白妙乃袖之別乎難見爲而〔四字傍点〕荒津之濱屋取爲鴨
萬葉童蒙抄 本集卷第十二終
〔2011年4月29日(金)午前10時18分、巻十二、入力終了〕
〔荷田全集第五卷、写真、凡例及び、目次省略〕
(1)萬葉童蒙抄 卷第十三
雜歌二十七首
相聞歌五十七首
問答歌十八首
譬喩歌一首
挽歌二十四首
(2)萬葉童蒙抄 卷第三十六
雜歌 是中長歌十六首 注前に有。是中長歌十六首と小書せるは後人の傍注也。此卷には、別而左注にも一向近世の傍注混雜せると見えたり。入道殿詠出給ふ抔有注は、仙覺以後の加筆と見ゆる也
3221 冬木成春去來者朝爾波白露置夕爾波霞多奈妣久汗湍能振樹奴禮我之多爾※[(貝+貝)/鳥]鳴母
ふゆごもり、はるさりくれば、あしたには、しらつゆおきて、ゆふべには、かすみたなびく、汗湍の振、こぬれがしたに、うぐひすなくも
冬木成は前に注せる如く戍の字の誤りにて、千歳ふゆこなりと誤り來れり。此歌首尾心得難き一句有て、汗湍の二字も印本抄物等に皆あめと讀ませ、或抄には、かぜとも讀み不2一定1。汗湍の二字あめとはいかで讀まんや。風とは上は晋音、下は訓に讀めば讀まるゝ也。然れ共下に、こぬれと讀める縁は、元來作者は雨と讀みしを、湍の字誤りて湍の字になりたる歟。雨なれば宗師案には、嬬の字を誤れると見る也。汗はあせのあ、嬬は、めと讀む字なれば、古く雨と假名付あるは、元來は汗嬬の二字なりしを傳寫の時誤りしと見る也。なれど霞棚引く雨のふるとも句不v讀也。若し誤字脱字有てか。又衍字有て地名を詠めるを、後にかくは讀みなせる歟。汗嬬の字正本などにて振の字衍字にもあらば、朝づまのこぬれが下とも見ゆる也
次注、奥の歌皆地名山川を詠める歌なれば、此歌も地名ならんか。全体の歌の意は、冬ごもりし天地草木もめでたき春になり來れば、自ら長閑に雨露の惠みも時に叶ひ、霞の立靡く四方の景色もたゞならず、百鳥の聲やはらぎて殊更に鶯の木傳ふ聲、えも云はれぬ景色の意を述べたる也
右一首 前に注せる如く後人の加筆也。何とぞ下に作者の名か、又誰家集中に出と云事を注せんとて、先此三字を注し置しを、傳寫の時其儘に寫せしを、それより又次第に如v此傳へて板行にもせし物と見えたり
3222 三諸者人之守山本邊者馬醉木花開末邊方椿花開浦妙山曾泣兒守山
(3)みもろは、人のもる山、もとべには、あせみはなさき、すゑべには、つばきはなさき、うらぐはし山ぞ、なくこもるやま
三諸は大和國三諸神、神代紀に見えたる通、日本第一の地主の神社ある名山前に毎度註せり
人之守山 ひとのもる山と讀來り、諸抄の説も、神靈まします山故、人守りあがめ奉る山と云義と釋し來れり。宗師案は、人の字は神とも此集にても讀ませ、和書毎度よみ來れり。然れば神靈の守ります山、靈山名地を稱讃する歌にて、神の守ります山と云義にて詠める歌なれば、神と讀べしと也。山守部を被v置し事は應神紀に始て見えたり。其後諸山に山守ありて、歌にも毎度守部すゑなど詠めり。當集第十一卷旋頭歌にも、人の親のをとめごすゑてもる山べから朝な/\云々。第十四卷東歌にも、つくばねのをてもこのもにもりべすゑ共よめる如く、上古は野山川澤岸堤などにも、そこをもる守人と云ものを被v置し也。諸抄の説の意にては其守部と心得たるなれど、此歌の人の守と詠めるはさにてはあるまじ。神の守りいます山と云意歟。又人の字を書たれは、やはり人々神山靈地と尊敬し、荒廢せざる樣に忌み守る山と云意と見る也
本邊末邊は山の麓峰尾の義を云へり。本邊は麓、末とは峰をさして云へる義なる也。もとべすゑべと云詞は古き詞にて、菟道稚郎子皇子の御歌に、望苫弊破、枳瀰焉於望臂泥、須惠弊破、伊暮烏於望比泥云々。あせみ花咲き、椿花咲き、山の茂りて萬の花の盛なる景色を云へり
浦妙はほめたる詞也。凡てうらとは發語と同じく嗟嘆して云詞、くはしとは、よきと云ふと同じ意にて賞讃の詞也。既に雄略天皇の御歌にも、こもりくのはつせの山はあやに于羅虞波斯云々と詠ませ給ひて上代よりの古語也。なく子もる山とは、よくこもりたる山共云べきとて、乳母の泣く兒をすかし守ると云事のあれば、其詞を借り用て冠句に置たるもの也。前に人のもる山と詠出て、二度重ねてもる山と云たるは古語の例格也。よくこもりたる山と云義を云はんとての、なく子もる山とはよそへて云へる也。或説に、いときなき子の泣を、乳人がよく慰めてもる時は泣をとどむる也。かくの如くに此山の慰み多きをほめたると云義有。入ほかなる意に聞ゆる也。こもりたる山と云義に、なく子もると冠句を置たる迄と見る方安からんか
(4)右一首
3223 霹靂之日香天之九月乃鐘禮乃落者鴈音文未來鳴神南備乃清三田屋乃垣津田乃池之堤之百不足三十槻枝丹水枝指秋赤葉眞割持小鈴文由良爾手弱女爾吾者有友引攣而峰文十遠仁※[手偏+求]手折吾者持而往公之頭刺荷
なるかみの、ひかる天の、ながつきの、しぐれのふれば、かりがねも、いまだきなかず、かみなびの、きよきみたやの、かきつだの、いけのつゝみの、もゝたらぬ、みづきがえだに、みえださす、あきのもみぢを、まさけもち、をすゞもゆらに、たをやめに、われはあれども、ひきよぢて、すゑもとををに、うちたをり、われはもてゆき、きみがかざしに
霹靂 日本紀にては、かんどき、かんどけと讀む。雷鳴して落つる時は物にあたりては、萬物とけさけぬと云事無き故、かんとはいかづちを云ひ、とけときとは右の義にて云たるものと聞ゆる也。いなづまと云もいかづちの内也。雷に雌雄ありて雷鳴するは雄にて、音せず光るを、めいかづちと云べき歟。いなづまをいなびかりと云ひて此いなづまと云義不v濟事也。雷の妻なる故云へると聞ゆる也。和名抄云、霹靂、辟歴二反、俗云【加美於豆、】一云【加美止介】霹折也、靂歴也、所v歴皆破折也。日本紀には靂を※[石+歴]に作れり。此歌の霹靂は、かみとけと云ひては歌詞にあらず。歌にはなるかみとか、いなびかりとか、いなづまとか讀むべき也。先づなるかみとは讀也。雷の鳴る時は必ず光のあるものなれば、なるかみのと讀みても苦しかるまじき也。雌雄をわけて云時は光は女にて、いなづまいなびかりと云べけれど、歌にては左樣に詳しくわかずしても讀む習なれは、なる神のひかるとも讀まんか。ひかると讀みたれば、いなびかり光ると續けたる歟
天之 みそらのと假名付あれ共、みの詞を添へて讀めることいかゞ也。尤添へても苦しからね共、前に訓義も無くばさもあらんづれど、既に相叶ふ義訓もあれば、みそらのと讀まんよりは、くも井のと讀べき歟。雲井と云ては遠く長きと云詞にも續く(5)縁あれば、長月のとも續きよき也。長歌にても第三句は上へ續かぬ事苦しからね共、詞の縁はあるをよしとすれば、雲井と讀む方然るべからん歟
かりがねも未だ來鳴かず。此三句いかに共心得難し。時雨のふればと云手爾波にて、未だきなかぬとはいかに共不v濟。※[者/火]の字の誤歟。集中に此手爾波の是迄も毎度有し也。此格は古詠の手爾波と今時の手爾波とは時代の違にて、一格別段の意有て下へか上へか句を隔てゝ續く意ありて、かくよめる義と見ゆる也。此歌にても、しぐれのふればみえださす秋赤葉をと云句に續く、降ればの手爾波と聞ゆる也。然るに此の、雁が音も未だき鳴かぬと云の二句、いかに共心得難し。何とぞ誤字落句あらんか。此二句何の無v用の句也。此歌全体、神なびのかきつ田の赤葉の景色を詠める歌にて、其事を云はんとての序也。然れ共此、雁がねも未だきなかずと云二句は無用の句なれば、時雨のふりたれば雁が音もまだ來鳴かね共、紅葉せしと云意を詠めるか。然らば未來鳴の三字まだきなかねどと讀まんか。それにても歌の句くだ/\敷也、兎角此二句不審也。清きみたやとは、垣津田と云はんとて、やの垣とうけん爲也。尤みたやの垣津と云地名とも聞ゆる也。垣津田は地名にて、上は垣津を云べき序なれば、神供田を守屋と云義なるべし。神なびは神社のある所前にも毎度注せり。大和に青垣山みかきの山と云地名ある其所を云歟。又垣津田の池と云一名の地跡とも聞ゆる也。何れにもあれ地名也
三十槻枝丹三枝 此みそのつきえと讀ませたる事不審也。諸抄の説、三十と書たる數には限らず。數多き槻の木の茂りたるを云義と注せり。さもあるべけれど、三そつきと讀事歌詞にあらず。三十と書きても唯みと計り讀ませたる義と見ゆる也。みとは發語に用ひたるみ也。然るを、みそのつきえと後人假名を付けたるから、世こぞつてかくは讀み來れり。卅と書きたる本も有、是皆傳寫の誤りを傳ふる義也。三十に限りたる槻と云義あるべき事ならず。みそのみは發語と見れば何の障りつかへ無き也。五十をいと讀事古今の難義也。此をもて見れば、上古日本紀より以前に八十と書ても、やと讀み、五十と書ても、いと讀み、三十もみと讀めると見えたり。然れ共十文字を添へずしても、みと讀字に十文字を添へて、みと計讀ませ、いと計讀み、やと計讀む義いかに共難v濟也。百不v足と云時は十文字を添る事數にかゝり、十をへずして百には及び難き故、意を助けて、みと云詞にも十の字を加へたり共云べけれ共、五十猛五十鈴等の義不v濟也。然れば上古の格にて五十をい、三十をみとも、八(6)十をやとも讀ませたる例にて、其十の宇を添たる譯は不v知事と見置也。此歌の、みその槻枝と讀める義は兎角あるまじき詞、義も不v通、詞も歌詞とも不v聞ば發語と見る方可v然也
水枝指も、三枝なりと云説なれど心得難し。是も發語也。枝は左右兩方に生じ、本木と三つの物なれば、みつ枝と云義とは入ほかなる説也。本木をえだと云べきや。みづのみと云一語をとりて讀事擧げて數ふべからず。池の堤の槻の木に枝さし茂りたるか。其紅葉したるをと云義也。眞割持小鈴文由良爾、此義色々の説有。先づ紅葉を折てもつと云事を、まさきもちと云たる義と釋有。又只折取迄は云はず、提げもつと云義共聞ゆる也。又此眞割は鈴の事を云たる義にて、日本紀神功紀に、拆五十鈴と云事ありて、口の少しさけたるもの故、さけ持と讀みたると云とありて不2一決1。然れ共鈴のかたへ云たる説取難し。歌の句更に續かぬ也。歌の句さは續かぬ差別を不v辨人は、色々の鑿説を入ほかに釋する也。此眞割は、提の意折取の意二義に通ふ義なるべし。此處はうはさの義也。奧に打たをりと云處もみぢを現在に折取りたると云義、此には只噂を述べたる處也。小鈴文由らには、鈴は玉にて身の飾り、手などに卷き持ちたるもの也。手弱女故少しの赤葉の枝をさげもちても、身に飾れる小鈴のゆらぐと云意也。小鈴もゆらぐ手をやめなれ共、赤來をとりさげもちて、君がかざしの爲にもて行かんとの義也。こゝはまだ今折とりて持ちたるにはあらぬ也。此次の句にて打折りとよめる處折取りたる義也。二度いひたるにはあらず。此は噂に云たる詞也。手弱女爾、女をたをやめとは力無き弱き者なれば也。第三卷に注せり
引攀而 ひきよせたわめてと云義也
峯文 是はみねと云字を書て、義訓にすゑと讀ませたる義と見ゆる也。此所に峰と云義取合はぬ事也。筆の峯などと云て、さき、端の事に文章に書く事あれば、先も端も、末と通ふ意にて、紅葉の枝の末と云意なるべし。とををはたわゝと同じく、しだれたわみたるの意也
※[手偏+求]手折 うちは發語也。往は、ゆくと讀みては當然、ゆかんと讀みては未來也。何れにても全体の歌の意は同じ。公之かざしにとは、君長大兄等をさしたる君也。歌の意は句釋にて聞えたり
反歌
(7)3224 獨耳見者戀染神名火乃山黄葉手折來君
ひとりのみ、みればわびしみ、かみなみの、山のもみぢを、たをりてくらく、又たをりくらくに歟
戀染は、わびしみと讀べし。わびしみは心面白く無き事を云義也。わびしみと讀ませたれど、紅葉を見るにつけて戀しみと云意六ケ敷也。ひとりのみ見ては心面白からぬ故、手折て君に見せんと來ると云意也
來君 くるきみと讀みては君と云事離れて、例格無き詞續き、さ讀む歌はなき事也。手折こよ君と云義と見る説もあれど、長歌の餘意をのべる反歌に、來よ君と云ては長歌と反歌との意別々になるなれば、さにてもあるまじ。若しくは吾と云字の誤歟。さなくば手折てくらくと讀ませたる義と見ゆる也。くらくは前に毎度注せる如く、手折て來ると云ふ、るを延べたる詞也。凡てらくと讀事あるは、るを延、べたる義、又言葉の初にも云事有。こゝも其意也。又は手折くらくに共讀べし。にとは嘆息の詞也。きたりしと云義にて、其來りしと云事を歎じて云詞也。毎度ある詞也。吾の誤字か。右兩義の讀樣の内なるべし。來るきみと讀事は極めて無き詞也
此一首入道殿讀出給 凡て左注の分は、後人の傍注に混雜勿論古注者の加筆等もありて、本文にてあらぬ事は如v此の傍注にて辨ふべし。此注何共難2心得1取所もなき傍注也。もし仙覺法師などの時節加筆せし歟
右二首
3225 天雲之影寒所見隱來笶長谷之河者浦無蚊船之依不來礒無蚊海部之釣不爲吉咲八師浦者無友吉盡矢寺礒者無友奥津浪淨※[手偏+旁]入來白水郎之釣船
あまぐもの、かげさへ見ゆる、こもりくの、はつせのかはは、うらなきか、ふねのよりこぬ、いそなきか、あまのつりせぬ、よしゑやし、うらはなくとも、よしゑやし、いそはなくとも、おきつなみ、ゆたにのりこよ、あまのつりぶね
(8)影寒 影さやかに見ゆると云義也。清淨はあきらかにと云意、副の字をさへと讀む、其さへとは異也。寒の字を書きたればさやかにと云意也。泊瀬河のいさぎよくさやかなる景色を詠める義也
浦無蚊云々、第二卷人麿の歌に此詞見えて、畢竟海人の釣せぬ事の惜しきと云義をのべたる歌也。然るに此歌の全体反歌の意にても、何とぞ思ふ事ありて、泊瀬川になぞらへて詠める歌と聞ゆる也。千歳の今になりて其作者の意味は知り難けれ共、此歌の句中兎角人をこふ意を合みてか、何とぞ心に思ふ事ありて詠める歌と聞ゆる也。つゞまりの意、白水郎の釣船の來より集ひてあれかしと願ふたる意也。釣すべきから、磯のなくとも、海人の釣船のゆたやかに靜かに漕ぎ來れかしとの義を、かく重ね詞を續けて面白く詠める也
奥津浪淨榜入來 淨の字一本靜に作るを正本とすべし。おきつ浪とは靜かならぬもの也。凡ておきつ浪と云事は、荒き事に云ひ續ける事なれど、此歌にては、そこを裏腹に云ひて、荒きもの故大にゆたやかなる意にとりて、靜※[手偏+旁]と書て義訓に、ゆたにのりこよ天の釣船と讀べし。是にて歌の首尾相聞ゆる也。印本等の假名に、いそひこぎいりこと讀みたるは、歌詞を知らず只事に讀みなせる也。歌と云事を不v辨から、如v此の讀樣も出來る也。入はのりと讀事古事記日本紀等に見えて古語也。歌の意は、浦もなく寄り集ふ磯も無く共、只天小船のゆらぐ共沖より浪の寄來る如く、ゆたやかにのりて此河づらに來通へかしと云意と聞ゆる也。いかさまにも何とぞ思ふ處ありて詠める意に聞ゆる也
反歌
3226 沙邪禮浪浮而流長谷河可依磯之無蚊不怜也
さざれなみ、うきてながるる、はつせがは、よるべきいその、なきが【わ・さ】びしな
さゞれ浪うきてとは、水の早き河は浪も浮きて流るゝ樣なるものなれば、かくは詠みてよりつくべき磯の無きは、すげなく寂しきとの歌也。不怜の二字をさびしと讀める意とくと不v通。わびしなと讀まんか。長歌に白水郎船のより來ぬを歎きて、よりこよと云意をよみたれば、此長谷河の佳景清流を賞愛する人の無き事を歎きての意に、さびしなと詠める歟。也と云字をさ(9)と讀ませたれど、さとは讀難し、なりと訓に讀める其一語をとりて、さびしなと讀べし。シヤの者なれば、さとも讀べけれど、者也の二字は通じて文章等にも書くといへ共、其義に依てさとは讀難し。シヤを略言すれば、サなれば、こゝもさびしと上に讀みて又しを重ねて、ししやと云詞は無き詞なれば、さびしなにてあるべし。集中に此也の字を用ひたる事數多也
右二首
3227 葦原※[草がんむり/矢]水穗之國丹手向爲跡天降座兼五百萬千萬神之神代從云續來在甘南備乃三諸山者春去者春霞立秋往者紅丹穗經甘甞備乃三諸乃神之帶爲明日香之河之水尾速生多米難石枕蘿生左右二新夜乃好去通牟事計夢爾令見社劔刀齋祭神二師座者
あしはらの、みづほのくにに、たむけすと、あもりましけん、いほよろづ、千よろづ神の、かみよより、いひつぎきてある、かみなびの、みもろのやまは、はるされば、はるがすみたち、あきゆけば、くれなゐにほふ、かみなびの、みもろのかみの、おびにせる、あすかのかはの、みをはやみ、いきためがたき、いはまくら、こけむすまでに、あたらよの、すぎさりゆかむ、ことばかり、ゆめにみえこそ、つるぎたち、いはひまつらむ、かみにしませば
手向爲跡、此句通例にては神に物を捧奉る事を手向ると云に、此にて手向すとあるは心得難き詞也。是は至極古實に叶ひたる義也。凡て神にものを奉るは、神を迎へまつり祈り申事を云。今も人の兩手をさし上て顔にあて、地に伏て祈請するは神を迎へ奉るの義也。此手向と云は其義也。手さしのべて迎へ奉るの意、それより物を捧奉るも手向とは云。迎へ奉らん爲に物を捧ぐる也。依て義をとりて、神に物を捧げる義は迎へ奉るの爲の事也。此葦原の國中に、諸萬民ども迎へ奉り尊崇する故に、神靈も天くだりますと云義也。手向はたむかへるの意、手向をする故にと云義也。葦原のみづほの國に、前に注せし通我國の美稱也。手向すとは、手迎へをするとて天下ります神と云義也。あもりましけんは天降りましけんと云が如し。其昔幾千萬(10)の神の、天降りましましし神代よりと云義也
甘南備乃三諸山者 三輪の事也。三諸山の事は前に毎度注する如く、大已貴幸靈くしみたまの鎭座まします、神代よりの御鎭座所也。依て神代より云つぎ來ると也。神代上卷の末に見えたる義也。三諸山の景色麓に流るゝあすかの川の佳景を賞讃して、賞讃する身もいつ迄もとこしなへに、毎夜毎夜行通ひて見ん事を願ふ意を詠める歌也
春去者 春になれば霞立ち長閑なる風景、秋は紅葉の景色をのべて、皆山景をほめて、長く久しく我身も不v絶往來通ん事を願ふたる也
三諸乃神之帶爲 三輪山の麓にめぐり流るる川故帶にせると也。おばせるとも前に讀みて、山の麓をめぐり流るる躰を云たる義也。神の帶にせるとは、三諸山を直ぐに神として云たる也。三輪山は直に山を神靈として奉v祭たる神山故、かくは詠める也。さなく共神靈のとゞまります所なれば、直に神とさしても云べき也
水尾速生多米難石枕 水尾は水の深き所と云なれど、ここは全體の川の流の早きと云意也。水はやみと云と同じく、早くけはしき流は、渡る人の息のため難きと云意也。ためらひ難き事を云たる義也。前の歌共にも此意に同じき有。第十一卷に、ものゝふの八十氏川のはやき瀬にたちあへぬ戀もわれはする鴨と詠めるも同じ。ためらひ難きの意也
石枕 河中に岩のありて、水の高くあがる流のはげしき體を云たる也。下にあたら夜と云詞の緑に、いは枕と詠出たる也。瀬枕などとも云ひて、河水の滿ちて流のはげしき事にいへり。いは枕とは先づ河中にある大石の事也。其苔むすまでにとは、長久を云たる意也。下に到りて段々其幾久敷往通ふ事を願ふ意をあらはせり
新夜乃 あらたなる夜あたらしき夜と云意也。毎夜毎夜と云心也
好去通牟 此好去の二字前にも出たり。第五卷好往好去と云事を詠める所にも注せる如く、よしゆきよしされと讀事心得難し。所によりては、さりくともと義訓に讀める事も見えし歌有。此歌にては、すぎさりゆかんと讀べし。石枕の苔むすまでに絶る事なく、夜毎に通はん事計りを夢に見せ給へと願ふたる義也。好と云字は、すき、すくと訓ずれば也
事許 此詞諸説まち/\也。いかにしすぎゆかん、其ことのはかり事をと云説有。夢にみえこそと願ひたる意は、只いつ迄も(11)と絶えず通はん事計をりを見せよと云の意と倆義也。事計り夢に見せよといひたる處も、少聞得難き歌也。何とぞ別訓もあらんか。全體此歌は、日本紀の古事を含みて詠める歌の樣に聞ゆる也。崇神紀の古事を引合見るべし。事計とは事のみをと云意と同じく、幾久敷すぎさりゆかん事を、夢に告見せしめよと神に願ひ祈れる意也
劍刀齋祭神二師産者 是を、つるぎたちいはひまつれる神にしませばと讀義、いはひまつらん神にしまさばと讀みて意少違たり。先づ劍刀いはひと讀めるは、神社へは上古劔刀を奉られて齋ひ祭られたるなれば、如v此よむと云諸抄の説也。其事は日本紀に、劔刀楯矛兵具等を奉り被v祭たる故かくよめると云説也。兵器横刀弓矢を諸社へ奉り給ふ初めは、日本紀垂仁紀に見えたり。二十七年秋八月の所を可v見。如v比の古實あるから、此歌も夢に見えこさば劍太刀を奉りて、此三輪神を齋あがめ祭らんと云意、又祭りたる神なれば、靈驗ある神ながら其驗しを顯させ給へとの意、説々不v決也。宗師案は、劔刀を神社へ被v奉し事は勿論の事也。然れ共此劔太刀齋ひとあるは、只いはひと云詞を詠出ん迄の劔刀なるべし。上古は劔も鑄ると云ひしと見えたり。唐の文章にも出たり。今は打とならでは不v云。然れ共本朝にても上古は鑄ると云たる歟。日本紀崇神紀に鏡劔を鑄改られたるとあるにても、古くは鑄といひたる事と聞ゆる也。然れば齋ひと云はん迄の冠辭と見る也。尤奉りたる義をもてよめるならば、其劔刀につきてわけ無くては詠むまじ。只劍刀齋ひ祭りれる神なれば、夢に見せしめ給ふべき理りあるや。さなくて只劔刀齋ひ祭れる神と云義不v濟事也。いと云はん迄の冠辭と見れば、至つて義安き也。本邦にても、上代は劔刀をも鑄と云ひしと聞ゆる證據は、崇神天皇の御時御璽の鏡劔を鑄改てと有。劔は打とか作るとか鏡は鑄改と有べきを、一列に鑄改てとあるは、是劔刀も昔は鑄と云たると聞ゆる也。職原抄にて此論ある事にて、色々の説あれ共、此歌をもて考ふるに鑄と云たる義と聞ゆる也
反歌
3228 神名備能三諸之山丹隱藏杉思將過哉蘿生左右
かみなみの、みもろの山に、いむむすぎ、おもひすぎんや、こけむすまでに
(12)諸抄假名付の讀樣説々ありて、いかに共心得難し。先づ通用の假名付には、隱藏の二字を、かくれたると讀みて、すぎしすぎんやと讀ませたり。隱藏の二字をかくれたるとは讀べけれど、杉を離して杉思の二字を、すぎしすぎんやと讀義、いかに共心得難く語例無き詞にて、義も不v被2聞得1。其上前に出たる歌の格、皆思ひすぎんや戀のしるきなど讀みて、思の字助語に讀める例も無し。杉しすぎんと云言葉の例無ければ、此假名付は誤りと見るべし。又一説に、かくすすぎと讀べしと云へり。三諸山の杉は神木なれば、神の秘藏して隱します杉と云義と釋せり。何共神の隱す杉と云事あらんや。隱藏の二字隱すと讀むはさも有べけれど、いかに共義不v通。三諸山に續き難く、前の長歌の餘意をのべたる反歌なれば、長歌にもより所無し。いはふとか祭るとか讀までは、長歌の縁離れては讀難し。依て宗師案は、いむむすぎとは讀みたり。隱は音借にて齋の字の意、いつき祭り、いはひ祭るの意也。むすぎとは眞杉と云義にて、第三卷目の、香山之鉾※[木+温の旁]之本爾こけむすまでにとよめる先格ありて、然かも下に續く詞も同詞なれば、彼と是とをかね合ていむむ杉とは讀める也。神木なれば忌み齋ふ眞杉と云意也。いもむすぎと云ても同じく、是は歌詞也。諸抄の通にては語例も無く又歌詞にもならざれば、歌と云事を知れる人は是を辨ふべからんか。思將過哉も前の例あれば、思ひすぎんやと讀べし。尤慕ひすぎんやとも讀べけれど、前の歌の例あれば、思ひ忘られず苔むす迄に、いつ迄も三諸の山を心にかけて思ひ忘れじと、彼神山の靈地を尊敬し、賞讃の意を詠める也。長歌の意勿論なれば其餘意を述べたる也。思ひ過んやと云はんとて、杉とは詠出でたるならし。神木の杉の幾年月をふる迄も、忘れず尊み思ふと云義也。別に入組たる義あるにあるべからず
3229 五十串立神酒座奉神主部之雲聚玉蔭見者乏文
いぐしたて、みわすゑまつる、かみもりの、うずのたまかげ、見ればともしも
此歌の意は神明を齋祭る神司さの、冠の飾りのうずと云ものの、玉のきらきら敷光あるを見れば、さすがに感應もありつべく、殊勝頼母しきと云事を詠める歌也。先づ五十串と云いは發語にて、いみぐしと云義にも通うて、凡て神明を祈啓する時齋ひ祭る時は、木に麻木綿を付て幣とも名付け又神體ともし、※[禾+祓の旁]へ串共して用る也。五十と云數にかゝれる事にはあらず。只いみ串(13)と云義也
神酒座 文字の通白酒黒酒抔云て、酒を神に奉る其酒瓶をほり据ゆるを見て、すゑとは云也。みきをみわとも古語に云ひ、酒のみわと續くも、酒の名を、みわと古語云ひし故也。前に毎度出たれば不v及v注也
神主部 是を印本の假名諸抄の説は、かんぬしのと讀ませたれど、部の字を添用たるは意ありて書ると見えたれば、神もりのとは讀也。神もりとは、神を守の意にて、冠と云義を兼て也。冠と云詞を兼ねざればうずと云義讀まれず。かんむりのうずとうけたる義に、かんもりとは讀める也。むりももりと同音也
雲聚とは冠の餝の玉の名也。日本紀卷第廿二推古天皇十一年〔十二月戊辰朔、壬申始行2冠位1云々。並十二階並以2當色※[糸+施の旁]1縫之。頂撮※[手偏+總の旁]如v嚢而著v縁焉〕唯元日著2髻華1【髻華此云2于嬬1】同第廿五孝徳紀云、三年〔是歳制2七色一十三階之冠1云々其冠之背張2漆羅1、〕以縁與v鈿異。其高下形〔以v蝉。小錦冠以上之鈿雜2金銀1爲v之。大小青冠之鈿以v銀爲v之。大小黒冠之鈿以v銅爲v之。建武之冠無v鈿也〕如v此あれば神官も正敷官位の高下に從ひて、髻華をかざせしと見えたる其うずの事也。玉蔭とは金銀にて作りたる鈿を云歟。又玉をも用たるから、直に玉蔭とはよめる歟。見ればともしもは、美しく珍しと云義との説也。それにても濟むべし。頼母しと云意とも聞ゆる也。珍しきと云方なれば、見あかぬたらはぬ方にて云たる也。雅歌故凡て何と云差別なく、ケ樣の歌を擧げられたれ共、前の長歌反歌は三諸山の事を詠める歌なれば、神祭の事を詠める歌の次に擧げたる事、縁なきにもあらねど、此歌此次には連續なき樣に聞ゆる也。依て古注者も一本の或説を擧げたり。強ひてこゝに載せまじき共いひ難し
右三首但或書此短歌一首無有載也 古く通用せし一本の萬葉集に、此歌此所に不v載本を所見の由也。有無の義差而可v辨事にもあるまじ。一本には脱漏したる歟
3230 帛※[口+立刀]楢從出而水蓼穗積至鳥網張坂手乎過石走甘南備山丹朝宮仕奉而吉野部登入座見者古所念
此初句五文字印本諸抄共に、みてぐらをと讀ませたり。帛の字をみてぐらと讀む義何の語例ありてや、心得難し。幣帛と續く(14)事ある故、其義をとりて讀ませたる歟。無理なる讀ませ樣也。古人の假名付なればとて、無理なる義は信じ難し。宗師案は、白巾の二字一つになりたるか。只帛の字一宇にても、白ぎぬと讀まん事はかひ無かるべし。※[口+立刀]の字の事刈の字の誤まりて、かりの二言を約すれば、きと云言なれば、白きぬをきならゆ出てと讀ませたるならんか。但し楢一字をすぐにきならとも讀べき歟。ならの木と云字なれば、衣を着馴とうけたる詞に、きならゆと讀めるならん。然らば
しらきぬをきなら【より・ゆ】いでてみづたての穗積《ホツミ》にいたりとあみはる坂手をすぎて石はしのかみなびやまにあさみやにつかへまつりてよし野へといりますみればむかししのばる
此歌は、天子方々へみゆきなりし事を詠める歌と聞ゆる也。先づ奈良の都より出させ給ひて、水蓼穗積とは、たでの穗とうけて、穗積と云名所を云はんとて、水蓼の穗とは云ひかけたるもの也。水蓼と云ものは俗に犬蓼と云ひて、葉に黒點あるもの也。細かなる花の穗出る也。常の蓼にも穗蓼とて、穗の如くに實の出來る前先白赤き花咲也。當集第十六卷には、八穗蓼を穩積の朝臣ともよみたり。穗積皇子と奉v稱し天武の皇子も此所にましませる故奉v號たる歟
是より以下、行幸のありし所々の地名を續けて云擧げたる也
鳥網張坂手乎過云々 鳥を取には小高き所、坂などの上に、網を張りて飛び越る處をとる也。依て鳥網を張る坂手と續けたる也。石はしのかんなみ山には、岩橋の有べきなれば、いははしの甘南備山とは續けたり。神は神變通力の自由なさしめ給ふなれば、岩石嶮難の所も走り通ひ給ふと云義にて、いは走る神とうけたるとの説は、取られざる義也。かみなみ山と續けたる山の縁に、いははしとは詠めるならん
朝宮仕奉而 朝宮とは、天子の御座所をさして云へる義なるべし。朝廷と云意に同じくて、暫時まします皇居をも、朝宮と云たる義と聞ゆる也
諸抄の意は、朝廷より諸神社へ幣帛を奉らるゝ勅使の路次を云たる義と釋せり。みてぐらをならよりと云も、みてぐらを並べると云義と見る也。帛の字みてぐらと讀まるる義あらばさもあらんか。帛の字をみてぐらとはいかに共讀まれざれば、此説いかに共取雛し。幣帛の二字なるを幣の字を脱したると見んは各別、さなくてはさは讀まれぬ義故右の説用ゐ難し。然れば(15)朝宮に仕へまつりと云義は、みゆきの道々いでまして、神南山に暫くとまりましてそこに仕へまつりて、さてそれより又吉野へと入らせ給ふ、御幸の通筋道々を見來れば、名所古蹟共通り來て、古りにし事、昔の事共の忍ばるゝを詠めるなるべし。朝宮に仕奉りてと云たるは、全體御幸の供奉せし事を、此一句につゞめて云たる義と聞ゆる也。諸抄の説は、神南山に朝ぬさを奉りて、扨吉野へ 勅使の通るを云たる義と也。入座と云事は勅使の入を云たる義共聞えざる也。反歌の或説に古き都のとつ宮處と詠めるを、天子行幸の離宮の事を詠める朝宮と聞ゆる也。仕奉而も供奉の全體の事を、離宮に仕奉る事と兼て云へる義と聞ゆる也。決而幸の事を詠めると見る證明の義は、慥にも句中に不v見。され共外事の義に見るべき筋も見えねば、先行幸の路次離宮の事を詠める歌と見置也。次の斧取而一云々の歌、直に吉野の作也。離宮にまします時、供奉の人吉野の瀧の景色を、止め置きし妹に見せまくも思ひ慕ふの意をのべたれば、歌の集列も兎角行幸の供奉の人の詠める樣に聞ゆる也
反歌
3231 月日攝友久經流三諸之山礪津宮地
つきもひも、かはりゆくとも、ひさにふる、みもろの山は、とつみやどころ
年暦を經ても三諸の山はとこつ宮處にて、天子行幸の離宮ともなりし、めでたきよき靈地也と祝讃したる也
攝 是をかはりゆけ共と讀める義未v考。天子に代て萬機を司るを攝政と稱す。彼をまじへ是をも兼ると云意にて、變りゆけ共と讀める義有歟。師案も未v決也。古く讀來れるをしるべに先づ其通に隨ふ也。何とぞ別訓有歟、追而可v案。普通の素本には悉く流經と書けり。印本假名付の本、古書本等皆流經と有。是を正本とすべし。とつ宮處は、とこつ宮處と云義也。年月幾久敷ふりても、變替せぬよき奧山名地と云意也。三諸の神のまします神の宮どころと云説あれ共、長歌に注せる如く、勅使官幣巡使の義と見る説、天子行幸の離宮の義に賞讃したる義と見る兩説の違有。奧或本の説に依ては、勅使の巡廻の事とは不v聞也
此歌入道殿讀出給 前に注せり。後人の傍注也
(16)右二首但或本歌曰故王都跡津宮地也 このふるき都のとつ宮どころとある説を注せるを見れば、離宮の事と聞ゆる也。凡て左注に或説を擧げて、本集の意をあらはし助けたる事多き也
3232 斧取而丹生檜山木折來而機爾作二梶貫磯※[手偏+旁]回乍島傳雖見不飽三吉野乃瀧動動落白浪
をのとりて、にぶのひやまの、きさききて、いかだにつくり、まかぢぬき、いそこざまひつつ、しまつたひ、見れどもあかず、みよしのの、たきもとどろに、おつるしらなみ
斧とりてにぶのひ山、歌の序を云たるもの也。吉野の瀧の景色を云はんとて、先づ餘情をあらはしてかく詠出たり
丹生は吉野山の中にある地名、檜の多き所なるべし。木折をきこり共きさき共讀めり。凡て木を伐を、こる共さく共云同事也
機 此字いかだ共ふね共讀難し。※[木+伐]の誤りにてあるべし。第十九卷にも※[木+伐]の字を書て船と讀ませたれど、是も※[木+伐]の字なるべし。※[木+伐]は筏と通ずるなるべし。然ればいかだと讀みて句も調ふ也。若しくは※[木+孚]の字歟。※[木+孚]は和名抄にも、いかだと讀ませて、小※[木+孚]といひて小きいかだと云字也。歌の意は吉野河の磯邊を筏に乘りて漕ぎめぐりて、面白き瀧つ瀬の景色をほめたる歌也。
旋頭歌
3233 三芳野瀧動動落白浪留西妹見卷欲白浪
みよしのの、たきもとどろに、おつるしらなみ、とどめにし、いもに見せまく、ほしきしらなみ
歌の意はよく聞えたり。吉野の瀧の宮の離宮にましましける時、供奉の人の詠みて瀧の景色の面白きを、殘しおきし妻に見せまほしく思ふとの意也。諸抄の意は、瀧の景色の面白きにつけて、家なる妹を戀慕ふとの意にて、妹を見まくのほしきと讀ませたり。餘り入ほかなる見樣也。瀧の景色の面白ければ、家なる妻に見せまほしきと見る、當然安き意をうがつて、妹を見たきとは六ケ敷意也。此歌の次第前にも注せる如く、兎角行幸の供奉にて詠める歌共と聞ゆれば、帛の歌勅使巡回の歌とは見難き也
(17)右二首
3234 八隅知之和期大皇高照日之皇子之聞食御食都國神風之伊勢乃國者國見者之毛山見者高貴之河見者左夜氣久清之水門成海毛廣之見渡島名高之己許乎志毛間細美香母挂卷毛文爾恐山邊乃五十師乃原爾内日刺大宮都可倍朝日奈須目細毛暮日奈須浦細毛春山之四名比盛而秋山之色名付思吉百磯城之大宮人者天地與日月共萬代爾母我
やすみしゝ、わがおほぎみ、たかひかる、ひのみこの、きこしをす、みけつくに、かみかぜの、いせのくには、くにみればしも、山みれば、たかくたふとし、かはみれば、さやけくきよし、水門成、うみもゆたけし、みわたせる、しまのなだかし、ここをしも、まぐはしみかも、かけまくも、あやにかしこき、やまのべの、いそしのはらに、うつひさす、おほみやづかへ、あさひなす、まぐはしも、ゆふひなす、うらぐはしも、はるやまの、しなひさかえて、あきやまの、いろなつかしき、ももしきの、おほみやびとは、あめつちと、ひつきとともに、よろづよにもが
之毛 此二字の上に五言の句一句落たりと見えたり。是までの句は皆序詞にて、伊勢國の山川の事を云ひたゝへてほめたる詞也。
水門成 海と云はんとての序也。みなとなすとも、みとなせるとも、みなとなるとも讀みて、畢竟湊津をなす海の廣く豐かにして、國富み人民住居のしやすく、繁榮の國と賞美したる義也。此歌も天皇行幸ましませし時、供奉の人詠める歟。但し五十師の原の御井を稱しほめて詠める歟。反歌によればさも聞ゆる也。然れ共大宮仕へとよめるは、行幸の時五十師の原に、行宮抔被v構し所を、當然の歌故詠出たると聞ゆる也
(18)島名高之 伊勢島志摩國と別れし程の名高き島ある國と也。伊勢志摩は一所也。後に別國とはなりしなるべし。元來伊勢の内なる故島の名高しと也
己許乎志毛 其伊勢の國のいそしの原をさして、こゝをしもまぐはしきかもとほめて也。凡て此已下の詞共皆其所を質讃したる詞也
挂卷毛 かしこきと云はん爲の冠辭也。文にと云もほめ尊んだる詞、かしこしと云も恐れあがめたる義、大宮仕へとあるは行宮抔の事と聞ゆる也
内日刺大宮都可倍 うつ日さすは此詞前に注せり。一決し難しと雖、先づは宮殿をほめ賞したる詞祝言等同じ。宮と云はん冠辭とすべし。現日に光り輝く宮と云意共聞ゆる也。又打ひる箕とうけ、又うつはほめたる詞、ひさすはひにふると宮殿を祝賞したる詞とも聞ゆる也。此所も大宮と云はん序に、うつ日さすとは詠出たり
大宮都可倍 離宮行宮の事と聞ゆる也。或説には齋宮の事にして、神官等の仕ふる義と云へり。又奉幣使抔の、伊勢神宮に詣る時の事を詠める歌とも釋して一決せざる也。全體の意兎角頓宮の事を詠める義と見ゆる也
朝日奈須云々 朝日夕日の照り輝く如くと云義也。まぐはしもうらぐはしも皆同じ詞にて、繰言に云ひてほめたる義也
春山之四名比盛而秋山之色名付思吉 春は花咲草木若芽たちたち榮る氣色、秋は紅葉の美しくなつかしきと云義、かのいそしの原には山もありて、其景色の面白き靈地なるとの義也
百磯城之大宮人者天地與云々 此詞行幸供奉の時の歌ならでは、此處によりつかぬ縁なき詞也。大宮仕へをする百敷の大宮人は、千萬代の限りもなく、幾久敷と此清淨名境の靈地に行幸の供奉をして、いつにても不v變あれかしと願ふたる詞に、よろづ代にもがといふてがなと願ひたる義也
反歌
3235 山邊乃五十師乃御井者自然成錦乎張流山可母
(19)やまのべの、いそしのみゐは、おのづから、なれるにしきを、はれる山かも
本歌に、春山のしなひさかりて秋山の色なつかしきと、詠める餘意をのべたる也。五十師の井の邊の景色濃かなる事をかく詠める也。蜀都を錦城と名付るに同じ意也。山川の美景を實讃して云へる義也。春秋の景色を兼ねて、自なれる錦とよめり。山邊御井とは第一卷にも詠みたり。天子離宮の時被v用御物の井故に、み井とは稱し來れる歟。大神宮の神物のみゐなる故歟。名水の井あると聞えたり
此歌入道殿下令讀出拾 後人の傍注也。より所もなき新敷妄注也
右二首
3236 空見津倭國青丹吉寧樂山越而山代之管木之原血速舊于遲乃渡瀧屋之阿後尼之原尾千歳爾欠事無萬歳爾有通將得山科之石田之森之須馬神爾奴左取向而吾者越往相坂山遠
そらみつ、やまとのくに、あをによし、ならやまこえて、山しろの、つづきのはら、ちはやぶる、うぢのわたりの、たきのやの、あこねがはらを、ちつとせに、かくることなく、よろづよに、ありかよはんと、やましなの、いはたのもりの、すめがみに、ぬさとりむけて、われはこえゆかむ、おほさか山を
血速舊于遲乃 此續の事前に注せり。うぢ川は江州の湖より田上山の谷中の岩を破りて落ちくる大河なる故、ちはやぶるはいはやを經るうぢと云義と聞ゆる也。千早振うぢの橋守なれをしぞと云歌の、千早振は橋守を神にして見る説有。當集を知らぬ人の臆説也。當集には、千早振うぢともかみとも、ちはや人うぢとも云へる歌ありて、神と計り云に限らざる事也。瀧のやは今も岡のや、瀧のやなど云所は有。あこねは、あこにとも讀めり。今はあり所不v知。地名もとり失ひし歟。此歌大和山代近江をへて何方へぞ行路の時詠める歌、何によりて詠めるとも知れ難し。依て雜歌の部には入られたるならん
(20)萬歳爾 よろづよにと讀べし。歳の字を代と讀める事毎度ある例也。大和の皇都の時、東國筋へ公事に付て往來せし人の詠める歌なるべし。石田森、相坂山、古來大和大路の道筋也。石田森の神靈は上古より驗靈の神明故歟。當集にも毎度幣帛を捧げ、行路の安穩を祈り、あるは戀を祈れる歌多し
或本歌曰
3237 緑青吉平山過而物部之氏川渡未通女等爾相坂山丹手向草糸取置而我妹子爾相海之海之奧浪來因濱邊乎久禮久禮登獨曾我來妹之目乎欲
あをによし、なら山すぎて、もののふの、うぢ川わたり、をとめらに、あふさか山に、たむけぐさ、絲取置而、わきもこに、あふみのうみの、おきつなみ、きよるはまべを、くれぐれと、ひとりぞわがくる、いもがめをほり
緑青吉 これをあをによしと讀む事、ある抄物にはあをによしと云正字と云へり。あをによしと云は青土のよきなら山と云義との説也。宗師説は、青瓊吉と云義にて、どう栗の木のならと續けたる義と見る也。然れば青玉のよき楢の木と云事也。諸説は青土よき平山と云釋也。然るに此緑青吉と書るを正字との説は、今俗に給の具に緑青と云物有。即ち此文字の音也。青土也。是に依てあを土よきと云義と見るから、此字を正字とは云へるなるべし。訓に正字と云事は無き事也。赤土を、あかに共云ひ、黄土を、はにふ共云から、青土を、あをにとも云べき事也。然りとてあをによしの義は、青土よきと云證共し難し。然れ共緑青の二字を青にと読めるは、青土を古來より緑青と書ける歟。依て義は違はざれ共、借訓に青によしと讀ませたるかと見ゆる也。宗師の説は、緑青の二字只青と讀字にて、には付讀めにて青によしと云事、前より皆露顯したる知れたる詞なれば、には付讀みにしたるものと也。
愚意未v落。愚案は、古來より青士を緑青の二字を書て青にと讀せたる故、借訓に青によしの音に此二字を書たるかと見る也。(21)今も俗に青土を、あをにとは云はず、ろくせうと云習せるは古くより書つけたる故と聞ゆる也。にを付け詞にしては、玉と云詞を添詞の手爾波に云事も、いかに共心得難し。あをきによき、あかきによきと云にならば、付け詞にも云べきなれど、には玉と云躰の詞なれば、宗師の案なれど才の不v及歟。未v落也
物部之氏川 八十うぢ川と續けたる本語の略也。本は物部の矢とうけたる詞、流轉して直にうぢとも讀める事は、外にも此格例多き事也。此歌も旅行抔する人の大和より出て、山背近江を經て東海道を行路次の事を詠める歌にて、前の歌の或説也。相坂山を云はんとての序に、をとめらにと也。手向草、何にても神に捧げる物の事をさして、手向草となる也。相坂山は東國へ行路頭の畿内を離るゝ最初の地なれば昔より旅行の時此山にます神を齋ひ祭りて、行程の恙無からん事を祈りし也。手向山共よめる也。相坂山に限れる名目にもなし。手向山は何れにても神靈座山に手向をして、旅行の無事を祈る所の山をさしても云べき也。然れ共先づ旅行の道立ち、東國へ往來の時は古より相坂山に祈をせしと見えて、詠める歌數を知らぬ也
絲取置而 是を或説に糸の字音をとりて、しとりおきつつと讀べしと云説有。倭文と云ふあづま布の事を云ひたる義ならんと也。宗師案は、いとと云は最の字の意歟。又いとりおきてと、いとのいの一語をとりて發語によめる義と見る也。愚案飾の字の誤りにて、木綿を略してゆふとり置てと云義共見る也。何れ共一決し難し。反歌にも白木綿花と詠みたれば、ゆふと云事と見ゆる也
久禮久禮 來れ共來れ共と云意にて、遙かなる事を云たる意也。第五卷にも、道の長手をくれぐれと詠めり。妹が目をほりは、旅行故我獨行道の心細くて妻を思ひ慕ふとの義也
反歌
3238 相坂乎打出而見者淡海之海白木綿花爾浪立渡
あふさかを、うち出て見れば、あふみのうみ、しらゆふはなに、なみたちわたる
白波の立渡れるが、白木綿花の如くに見ゆると云義也。相坂山を打越ゆる所に、今も湖水の青青と見えて、白浪の立よる景色(22)えも言難き風景の所あり。ここを打出の濱と云也。世に此歌より、打出の濱と云來れりと云習はせり。又石場と云所あり。そこを打出の濱と云共云へり
右三首
3239 近江之海泊八十有八十島之島之埼邪伎安利立有花橘乎末枝爾毛知引懸仲枝爾伊加流我懸下枝爾比米乎懸己之母乎取久乎不知已之父乎取久乎思良爾伊蘇婆比座與伊加流我等比米登
あふみのうみ、とまりやそあり、やそしまの、しまのさきざき、ありたてる、はなたちばなを、ほづえに、もちひきかけ、なかつえに、いかるがかけ、しもつえに、しめをかけ、さがははを、とらくをしらず、さがちちを、とらくをしらに、いそばひをるよ、いかるがとひめと
泊八十有 廣き水海故湊津あまたありて、舟の着岸する所幾所もあると云事に、泊り八十有と也。古詠の風格にて歌の序詞と云もの、此歌の意は、湖水の濱邊嶋々を、小鳥狩などしてありきめぐれる事を詠める也。何とぞ身の上をも知らで、世を浮かれ渡るはか無き事抔に、よせて云へろ歌ありて詠める歌と聞ゆる也。花橘の木に鳥をとるもちと云ものを引かけて、鵤鴒の二鳥をとり慰む事を詠みて、其同じ子の鳥の親鳥を捕るをも知らで、いそひ木傳ひ遊ぶはかなき事を詠める也。此意は何とぞ寄する事ありて詠めるが如し。其時の當然の躰をのべたる歟
毛知 第五卷にても、もちとりのかゝらはしもよと詠める所に注せる如く、ねばりありて鳥の羽にかかりて働かれぬ物也。和名抄卷第十五※[田+犬]獵具に見えたり。黐の字也。末技中枝下枝とは皆歌の餘情につらねたるもの也
仲枝爾 上枝中枝下枝と云事日本紀神代紀より應神紀等にも見えて、鏡劔玉抔かけられたる事にも此詠有、應神天皇の御歌の詞に、ほづえ、しづえ、なかつえと詠ませ給へり。それらの古語に依て此歌にもよめるならん
伊加流我 日本紀には班鳩の二字を被v用、和名抄には鵤の字出せり。第一卷に具注せり
(23)比米 和名抄には鴒の字を出せり。音は、こんきんの音也。尤もこれも第一卷に注せり。此米と書る舊本は誤也
伊蘇婆比 そばひ、そばへる抔云事は、ざれわざをして戯れて遊ぶ有樣を云。今も俗間に人そばへをする抔云事あり。ここも其事と同じく、おのがどちいそひ爭ふ樣に、木傳ひ飛びまはる有樣を云へる也。おのが父母を黐にかけて、中枝下枝にとらるるも知らで、其子鳥共のそばへ遊ぶ、はかなき有樣やと云事を詠める也。終の句の比米を一本には此米と書る本も有。此米は〓の字也。何れにても同じ義、鳥の少違ひたる迄の事也。然れ共前の句に比米とあれば、比米の方正本ならんか
右一首
萬葉童蒙抄 卷第三十六終
(24)萬葉童蒙抄 卷第三十七
3240 王命恐雖見不飽楢山越而眞木積泉河乃速瀬竿刺渡千速振氏渡乃多企都瀬乎見乍渡而近江道乃相坂山丹手向爲吾越往者樂浪乃志我能韓埼幸有者又反見道前八十阿毎嗟乍吾過往者彌遠丹里離來奴彌高二山文越來奴劔刀鞘從拔出而伊香胡山如何吾將爲往邊不知而
おほぎみの、みことかしこみ、見れどあかぬ、ならやまこえて、まきつめる、いづみのかはの、はやきせに、さをさしわたり、ちはやぶる、うぢのわたりの、たきつせを、みつつわたりて、あふみぢの、あふさか山に、たむけして、わがこえゆけば、さざなみの、しがのからさき、さきくあらば、またかへりみむ、みちのくま、やそくまごとに、なげきつつ、わがすぎゆけば、いやとほに、さとさかりきぬ、いやたかに、やまもこえきぬ、つるぎたち、さやゆぬけいでて、いかご山、いかがわがせむ、ゆくへしらずて
此歌は反歌の左注に穗積朝臣老配流の時の歌と注せり。短歌一首に限るべきにあらず。此長歌も同作なるべし。歌の意も其趣意に聞ゆる也。王命恐と云も依2君命1馴住みし見馴れ飽かぬなら山をも打捨て越えて、東海道に越ゆる道筋の事を詠出たる也
眞木積泉河乃 杣木を伐出し積流泉川と云義也。第一卷藤原宮役民の歌抔の古事を思ひよりて、まきつめる泉川とも詠める歟。藤原宮造營の御時、近江國より宇治川を流し、それより泉川に移して、大和へ宮木を運送せしから、みや木泉川とも詠み、又山背國の都を被v作し時の宮木をも、泉川より泝されたるより、眞木積泉河など詠來るなるべし
(25)幸有者 此詞など流罪の時の意を含める詞に聞ゆる也
道前 みちのくま也。第二卷人麻呂の歌にも、この道の八十くまごとになど見えたり。前に毎度ある語也
劔刀鞘從拔出而 いかご山と云はん序也。いは發語にて上古はたちを打振を、かき、かくと云也。日本紀卷第五曰〔會明兄豐城命以2夢辭1奏2于天皇1曰、自登2御諸山1向v東而八廻弄v槍八廻撃v刀。又馴れ住みし古里の家をぬけ出でて、配流に赴く行方いかゞせんと云意をも兼て、鞘ゆぬけ出てともよめるならん。伊香胡山近江也。下のいかにわれせんとよめる序也。第八卷にて笠金村も伊香胡山にて詠める歌有
往邊しらずとも詠める意、いとも哀れによみとちめたり。老の配流の時の歌とは、此等の句にても見ゆる也。全躰の意住馴れ見馴れし古里を立離れ、行方もしらぬ國にさすらふ意をのべたる、哀れに心細き事を詠める也
反歌
3241 天地乎難乞祷幸有者又反見思我能韓埼
此歌印本諸抄の説、こひのみ難しと讀みて、穗積朝臣老流罪にあふ。今の災難は、天神地祇にこひのみてもうけ給ふ程はこひねぎ難し。若し幸もありて命ながらへば、又かへり見んと云義と釋して、いかに共六ケ敷見樣也。難の字惟と云字か、唯と云字の誤字なるべし。天地乎とは天神地祇を也。只こひのみてさきからばと云義なるべし。天神地祇をこひ祈りて、命もさきくあらば、又かへり見むと詠める歌なるべし。こひのみ難しとは六ケ敷見樣也。若しくはこひ祈らなんと、上へかへりて讀例もあらんか。然らばさ讀みても聞ゆれ共、なんと云音を上へかへりて讀事例覺來なければ、唯の字の誤りと見て安かるべし。さきからばと詠めるから、さきと云事を詠める也。是ら古詠風躰也。から崎に限るべき事ならねど、古詠に皆さきくあれど、さきからばと上下によみて、から崎とよめる歌多し。さきと云詞の縁をうけたる迄の風躰也。既に第一卷人丸の歌にも有。第三卷に此老の歌に、さきとは無けれども、さきくあらば又も見むしがの大津にと詠める歌も有。此歌によく似たる歌也。いかにも穗積の老の流罪の時の歌なるべし。第三卷の句風同じき也
(26)右二首但此短歌者或書云穗積朝臣老配佐渡之時作歌者也 元正紀云、養老六年正月癸卯朔壬戌、正四位上多治比眞人三宅麻呂、坐d誣2告謀反1正五位上穗積朝臣老指呼c斥乘與u並處2斬刑1、而依2皇太子奏1降2死一等1、配2流三宅麻呂於伊豆島老於佐渡嶋1。太子のなだめさせ給ふ御惠によりて、一等を降されて遠流に被v處し也。天神地祇に唯乞祈りし驗にや、其後天平十二年六月十五日の大赦にあふて、被2召返1しこと聖武紀に見えたり
3242 百岐年三野之國之高北之八十一隣之宮爾日向爾行靡關矣有登聞而吾通道之奧十山三野之山靡得人雖跡如此依等人雖衝無意山之奥礒山三野之山
ももしねの、みののくにの、たかきたの、くぐりのみやに、ひむかひに、行靡闕を、ありとききて、わがかよひぢの、おきそ山、みのの山、なびかすと、ひとはふめども、かくれよと、人はつけども、こころなき、山のおきそやま、みのこのやま
百岐年三野之 印本諸抄の説は、ももくきねと讀みて、みのの國はきそ山を始め惣じて山の多き國也。ねとは峰の事を云て美濃は岫峯多き國故、百の岫峰あるみのとうけたる義と釋せり。然るに此卷の奧に、もも小竹のみのと續けたる歌有。しねと假名書にしたる歌もあれば、岐の字枝の字の誤り歟。岐はきの音也。支の字を片を添たる歟。くきとは讀難し。此一首に依て釋したる説也。集中全篇にわたらずしては、差支へる事多し。前にも此事を注せる如く、もも稻の蓑と續けたる事と聞ゆる也。小竹と書きたる事さなくては不v濟。小竹は、しの、しね也。然れば岐年の二字音借書と見ゆる事明けし。扨此歌の全躰諸抄の説何共極めたる見樣なく、戀歌などの趣きに見たる説も有。又何共取極めたる趣向を見付たる説も無く、句釋計の抄物もありて決し難き歌也。宗師案は、是は天武天皇の御時など、八十一隣之宮にしばしましませし時の事抔を詠める歟。又泳宮を行宮ともなさせられて、何れの天子ぞ行幸抔ありし時の事を詠める歟。二義の内なるべし。先はくぐりの宮の事を詠めると見る也
(27)日向爾行靡闕矣を、ひむかひにゆきなびかくをと讀める、餘りなる讀樣也。なびかくと云詞は語例も句例も無く、尤いかにと云義も不v通言葉也。日向にと云事も色色の見樣ありて、くぐりの宮の北に當りたるを云抔いへる説有。先八十一隣之宮とは景行紀云、四年春二月甲寅朔甲子、天皇幸2美濃1。居2于泳宮1。【泳宮此云區玖利能彌揶】然るに此歌にては八十一隣と書たるは、數に依て書きたる也
日向爾行云々 は天地萬物にむかふて從ひ靡く如くの宮と云義に、ひむかひにとは讀みて、くぐりの宮へ萬民の從ひ靡き仕ふると云事なるべし。萬木萬草皆日の光の方へならでは靡き向はぬ也。依て日に向ふ如くにと云義なるべし。式祝詞の、朝日の日向處、夕日の日隱處など云事を引て、八十一隣の宮の北をさして云ひたる事抔云説あれど、心得難し。直に泳宮の事を云たる義ならでは、下の詞不v濟。行靡の二字は義訓に仕ふると讀べき歟。尤行なびく宮をと讀みても、萬人の行從ひ靡き奉ると云事に詠める共聞ゆれ共、行靡くなれば仕ふるの義詣ると讀まんか。何れにもあれ、闕の字は殿闕樓閣など云て、みやと讀む字なれば、まふづる宮とか、仕ふる宮とか讀べき也。なびかくと云詞は無き詞也。なびかくをありと聞きてとは、下の句も續かぬ也。宮をありと聞きてと云へば、句もよく調ひ義も通ずる也。此歌八十一隣之宮の事を詠める歌と見ざれば、全躰の筋いかに聞わくべき樣なき也
闕矣 みやを也。泳宮をさしてありと聞きてと也
吾通道之 わがかよひぢ共わが行みち共當然今行く所の義を云へる也
奥十山 おきそやま、美濃國にある山也。直に下にみのの山と續けたり
靡得 宗師案には、上に行靡と書きし通にて、行の字を脱したる歟。只なびけよと人はふめどもと讀まんか。彼泳宮へは早く行仕へんと、心せきて奧十山みのの山のそなたへ靡き伏して、行程近からしめよと、足もてふみ、手持てつき倒す如くにすれ共、心なき山の動きえぬと云ひたる歌也。行靡二字ならば、上の通に仕へんと義訓すべき歟。行なびくと讀みても同じからんか。若し靡の字計りならば、なびけよと讀むべし。如v此よれとは今わが行き從ふ如く、彼宮の方近より倒れよと、手もて突き(28)倒す如くに心せくとの意也。元來大山高嶺何ぞ可v動可v倒や。然るをかくよめる事歌の至情、歌は如v此跡蕪き事を、幼なく詠出すを雅情とはする也。唐の詩文などにも、力拔山や、氣蓋世。或ひは擧v臂則倒之など云ひ、蹴2崑崙1使2西倒1※[足+榻の旁]2太山1令2東覆1など書ける意も同じ
雖跡と書きたるは義訓にて書ける歟。若し蹈の字誤りたる歟。集中に此不審毎度有
右一首
3243 處女等之麻笥垂有續麻成長門之浦丹朝奈祇爾滿來鹽之夕奈祇爾依來波乃波鹽乃伊夜益舛二彼浪乃伊夜敷布二吾妹子爾戀乍來者阿胡之海之荒磯之於二濱菜採海部處女等纓有領巾文光蟹手二卷流玉毛湯良羅爾白栲乃袖振所見津相思羅霜
をとめらが、をけにたれたる、うみをなす、ながとのうらに、あさなぎに、みちくるしほの、ゆふなぎに、よりくるなみの、なみしほの、いやますますに、そのなみの、いやしくしくに、わぎもこに、こひつつくれば、阿胡のうみの、あらいそのうへに、はまなつむ、あまをとめらが、まつひたる、ひれもてるかに、てにまける、たまもゆららに、しろたへの、そでふりみせつ、あひおもふらしも
第三句迄皆序也。長門之浦丹と云は、ながきと云はん爲迄の序詞也
長門之涌 八雲には長門國とあれど、當集第十五卷に、安藝國長門嶋舶泊磯邊作歌五首從長門浦舶出之夜仰觀月光作歌三首と有。是を以て見れば安藝國と見ゆる也。然るに此歌のなみ伊勢美濃の歌なるに、隔て藝州迄飛越ゆる事も少心得難く、又阿胡の海と詠めるも、伊勢のあごの海か何れ不審ある歌也。同名異所いくらも有事なれば、長門の浦と云所も伊勢にもありしか。八雲にて長門國、當集によらば第十五卷の端作を證として安藝と云べく、又此卷の歌の次第、歌の内のあごの海と詠めるによりて見れば、伊勢とも聞ゆる故何共決し難し
(29)波鹽乃 此詞外に句例なし。波は彼の誤にて、其鹽のいやますますと續きたる詞なるべし。上よりの續きは、きよれる波の彼鹽と續く詞の縁よき續き也。然れ共なみ鹽のと云語例無き故心得難き也。しきしきにわぎも子にと云て、畢竟吾妹子を慕ひ戀ひつゝ來る事の、切なる事を云はん序詞也。鹽滿ち來る如く、波の隙間なく寄り來る如くに、妹を慕ふ心の止まぬと云事を云へる義也
阿胡之海 あぎの海か。ごも、ざも同音をもて云ひたる歟。又あごの海と云所ある歟。伊勢にはあごの浦と云有りて、第一卷に注せり。只西國の内にもかく云地名ある歟。長門の浦より通ずる海路の海と聞えたり。其所の當然を詠めるなるべし。あごの海の磯邊にあさりする海人處女共の有樣を見て、其風情を詠める也。袖振見ゆるとは其時の景氣の躰を詠める也。見も知らぬ旅行の人を招き返すべきにもあらねど、如v此風情を求めて詠める所歌也
相思羅霜 我も海人處女を床しく慕ひ見るから、そなたに袖振りはへて濱菜など摘む有樣は、こなたを慕ひて袖を振りけるにやと云意、相思ふらしもと也。玉もゆららにとは、飾りの手玉もゆらめきて、たゞならずあると云義也。西國より上る人の、海路にての歌と聞ゆる也。阿胡海伊勢ならば東海道の海路を行人の歌なるべし
反歌
3244 阿胡乃海之荒磯之上之小浪吾戀者息時毛無
あごのうみの、あらそのうへの、ささらなみ、わがこふらくは、やむときもなし
石の上に寄來る浪の隙間無き如く、わが古里を戀慕ふ心はをやみだにせぬとの義也
右二首
3245 天橋文長雲鴨高山文高雲鴨月夜見乃持有越水伊取來而公奉而越得之早母
あまはしも、ながくもがも、たかやまも、たかくもがも、つきよみの、もたるこしみづ、いとりき(30)て、きみにまつりて、こえむとしはも
天橋文は空天に通ふ橋にて、譬へて云はゞ、伊弉二神の國土造化させられし時、初めて立せ給ふ、天の浮橋などの義を指して云へる義なるべし。高山も高くもがもとは、空天の橋に續くべく、高嶺もいや高く天橋にも續けかしと願ふたる義也
月夜見乃持有 神代紀上卷一書説云、天照大神者可3以治2高天原1也、月讀尊者可3以治2滄海原潮之八百重1也。是水の精靈の神徳、因v茲唐土にても月は水氣之精とする由也。准南子等も水氣之精爲v月云々。今も水をとらんとするに清淨の水精石をもて月に向へば、その石玉より水したたる也。依て上古より如v此月よみのもたるこし水とはよめり。もちこせる水と読みたるは心得難し。月は水の精靈なれば、元より持ませる水也。こし水のこは眞と同じく、こ、ま、を皆發語として小清水と云意なるべし。こせる、神靈擁護の天水をもて、人の壽命をのばへん等尤然るべき事也。山高く空天に通ふ天橋も長かれかし。月宮に至りて根元天水をとり來て、我仕奉る君長の人に捧げて、幾千萬歳をのばへまさしめんにと願へる歌也。越んとしはもは、千萬歳を經ん年齡もがなと云義を、としはもと云へる、はもと云ことは嘆息願ふ意に云古語也
反歌
3246 天有哉月日如吾思有公之日異老落惜毛
あめなるや、つきひのごとく、わがおもふ、きみがひにけに、おうらくをしも
天有哉 あめにあるやと云詞也。やは助語とも見るべし。神代下卷、天稚彦妻下照娘の歌にも、あもなるやと詠める古詠の詞也。天にある月日の如く、あがめかしづき思ふ人の、日にまし老い行事の惜まれて、不老不死の天元水をもとり來て、いつ迄もましまさしめたきとの至而忠孝の歌也。指す處の公は、天子共何れ共知らね共、天子の御事にはあるべからず。然らば君の字をも書き、又句中に其差別すべき句あるべけれど、是は只尋常の人の君長をさして云へるなるべし。何れにまれ至而忠誠の歌詠める人の行跡、いとも床敷頼母敷也。千歳の後迄も一言一句の至忠至孝、貫通する事いとめでたき言の葉也
右二皆
(31)3247 沼名河之底奈流玉求而得而之玉可毛拾而得之玉可毛安多良思吉君之老落惜毛
ぬなかはの、そこなるたまを、こととめて、えてしたまかも、ひろひてし、得てしたまかも、あたらしききみが、おうらくをしも
沼名河 何れの國にあり共難v知。神代よりある地名と聞えたり。既に神武のみ子綏靖天皇の御諱を、神沼名河耳尊と奉v稱るも、ぬな河と云へる地名ありし故、神の字を添奉v稱られしと聞えたり。此歌に沼名河と詠めるは、ぬば玉の事なれば、玉のながるる河と云意を含みて、沼名河の底と詠出たる歟。何とぞ作者の思ふ處ありて詠めるか。畢竟わが仕ふる處の君長を玉に比して、得難く拾ひ難きを得たる大切の玉の如くに、思ふ人の年の老行く事の惜しきと惜める也
安多良思吉 とは惜しきと云意と同じく、又珍しく大切なると云意にも通ふ也。日本紀にては惜の字をあたらしと讀ませたれば、惜しきと云方也。今俗にあったらしきと云も、物のをしきと云事を云へり。此前の歌と同作の歌なるべきに、別に右二首と注を加て擧げたるは、後人の加筆共に誤りたる歟。長歌に續きて二首の反歌同作の歌と聞ゆる也。何れも賢君を深く惜める歌也
右一首
相聞 此中長歌一十九首 此相聞とあるは本集の端書也。下の此中長歌一十九首とあるは後人の傍注也
3248 式島之山跡之土丹人多滿而雖有藤浪乃思纒若草乃思就西君自二戀八將明長此夜乎
しきしまの、やまとのくにに、ひとさはに、みちてあれども、ふぢなみの、おもひまどひし、わかぐさの、おもひつきにし、きみよりに、こひやあかさむ、ながきこのよを
式島之山跡 大和の地名に敷島あり。大和勿論の事也。然れば日本の總號を敷島の大和共云へど、此歌の意は只大和の國の敷島の事なるべし。人多くありと云へ共、わが思ふ人は只一人のみにて、思ひかゆべき人も無くて、晝はひねもす夜はよもす(32)がら戀慕ひ明さんと也。藤浪の思ひ惑ひ若草の思ひつきにしとは、外に思ひかはすべき人も無く、只一筋に思ひ入たる人からにと云餘情の續け詞也
反歌
3249 式島乃山跡乃土丹人二有年念者難可將嗟
しきしまの、やまとのくにに、ひとふたり、ありとしおもはば、なにかなげかん
人二人云々 外に思ひかゆべき人無く、一國に人はさはに滿ちたれ共、只一人ならでは思ひなづめる方無きから、今一人もあらば思ひ慰みて、かく迄は戀慕はまじと也。餘りに切に思ふから、かく今一人もあらば、かく迄は戀慕はじと思へる意なるべし
右二首
3250 蜻島倭之國者神柄跡言擧不爲國雖然吾者事上爲天地之神毛甚吾念心不知哉往影乃月文經往者玉限月文累念戸鴨胸不安戀列鴨心痛未遂爾君丹不會者吾命乃生極戀乍文吾者將度犬馬鏡正目君乎相見天者社吾戀八鬼目
あきつしま、やまとのくには、かみがらと、ことあげせぬくに、しかれども、われはことあげす、あめつちの、神もいたくは、わがおもふ、こころしらじや、ゆくかげの、つきもへゆけば、かげろふの、ひもかさなりて、おもへかも、むねやすからず、こふれかも、こころいたまし、すゑつゐに、きみにあはずば、わがいのちの、いけらむきはみ、こひつつも、われはわたらむ、まそかがみ、ただめにきみを、あひみてはこそ、わがこひやまめ
あきつしま 日本の惣號の事にして、我住國の大和の事を兼て云へる意なるべし
(33)神柄跡 神の國なるからと云意也。言擧せぬ國とは、萬物よく調ひて云べき事の無き國なれ共、われは思ひのあれば、言を擧げて君に逢事を乞ひ願ひ云との義也、天地之神毛いたくとは、天神地祇もわれかく戀侘ぶる心とは知り給はぬや、さればこそかく年月の過行とも、思ふ人に逢事の隔たる事の歎きをすると也
往影乃 空行月の影の滿ち缺けして、月の經行はと云意に、往影のと詠めるならん。若し往の字の誤りたるか。月の澄影のと云義に云へる歟。往の字を書ける本あるから不審有
念戸鴨 思へばかも也。月も經行日も徒らに過重りて、慕ひ戀ひ思へば、胸も安からぬと也
こふれかも 戀ふれぼ鴨也。戀佗ぶればかも心を痛ましむると也。かく心を痛ましみ胸安からしめずしても、末終に思ふ人に逢ふ事も無くば、命の限りいつ迄も得思ひ止まずして、一生涯戀ひわたらん、唯一目なり共思ふ人を見ずしては、わが戀はやまじ。まさ目に見てはこそ、かく戀侘びる思ひも晴れ、戀しさもやまんと也。正目には、たゞ目に共讀べし。隔て無く只一筋に直に逢ふてこそと云意地。句中能聞えたる戀の歌也
反歌
3251 大舟能思憑君故爾盡心者惜雲梨
おほふねの、おもひたのみし、きみゆゑに、つくす心は、をしけくもなし
大舟能思憑云々 前に毎度出たる詞也。海上にては大成船は頼もしきものから、思ひたのみと云との諸抄共の説也。然れ共宗師案は、重き荷を運送するは大船にしくもの無し。依て思ひは、いきしちにひみいりの通音にて、おもに憑みと云義にて思ひ憑みと詠みたるならんと也。已前は憑の字かゝると讀む字故、かゝりてと云船に縁ある詞故詠めると見たれ共、假名書にたのみとある歌あれば、たのみならでは成難し。右兩義何れか好所に從ふべし。畢竟たのむと云べき冠句に、大方大船の思ひとは詠めり。思ひはおもにか、又海上にて頼母敷思ふもの故との義か未v決也。兎にも角にも逢事を憑む君なるから、樣樣に心を盡す事も惜しからず厭はぬと也
(34)3252 久竪之王都乎置而草枕羈往君乎何時可將待
ひさかたの、みやこをおきて、くさまくら、たびゆくきみを、いつとかまたん
久竪のみやこ、帝都の長久堅固にして變易無き方と祝讃して云へる也。天象の事を指して久しき方と云義に云習はせたれど.一概ならぬ事也。既に當集に久堅の都と續けたれば、久しき方と祝讃したる義にも、久堅と詠めると聞えたり。尤王都は雲の上月の都抔云から、轉傳して云ひたる義にもあらんか。なれど一首の歌の上にて見る時は、祝讃の冠辭と見るべき也。此歌は前の歌には續かぬ歌に聞ゆれ共、前の長歌も、往影の月文經往者と詠める所に、旅行して思ふ人に隔たり逢はぬ意もこもれり。反歌に、大舟のと詠出たるも、旅の意無きにもあらねば、全躰旅行にて人を戀ふ歌ならんか。又此歌は女の歌と聞ゆれば、相聞の歌故前二首の長短歌は男の歌にて、是は留れる妻などの歌ならん歟
柿本朝臣人麿歌集歌曰 是は前の歌の類を、古注者の引准じたると見えたり。本集の歌と云には有べからず。前の歌の詞同じき樣なる詞の歌故、人丸類集には如v此あると、加筆したる左注と見ゆる也
3253 葦原水穗國者神在隨事擧不爲國雖然辭擧叙吾爲言幸眞福座跡恙無福座者荒磯浪有毛見登百重波千重浪爾敷言上爲吾
あしはらの、みづほのくには、かみながら、ことあげせぬくに、しかれども、ことあげぞわれする、ことさきく、まさきくませと、つつがなく、さきくいまさば、あらそなみ、あるをも見むと、ももへなみ、ちへなみにしき、ことあげするわれ
葦原水穗國 我國の惣號神代に起りて潤澤奇瑞の靈國、神の名付てなし給へる神國なるから、言擧げして如何に云べき事の無きめでたき國也と也。然れ共われ今思ふ事あるから、乞ひ願ふ言擧げをぞすると理りたる也。其言擧げとは、只旅行などする人の別れに臨みて、無事安穩にて命長く身全くて幸くありて、又めぐり逢ふ時迄恙無くましませと、祝言を云との事、百重浪千(35)重浪の繁く重り寄する如く、其言擧げを繰り返し云との義也
荒磯浪は、下のあるをも見んと云はん序、無事安穩にてあり共、見ん迄恙も無くましませよと、千重浪の寄する隙間無きが如く、ひたものもの言擧げして願ふと也
反歌
3254 志貴島倭國者事靈之所佐國叙眞福在與具
しきしまの、やまとのくには、ことだまの、たすくるくにぞ、まさきくあらまく
志貴嶋倭國 長歌の意をうけて見れば、日本惣國を指して、扨此歌人大和の國の人故、住國の事をかねこめて詠めるならん
事靈之所佐國 こと靈の事前にも出て、言靈の神と云義共見えたれど、此歌によれば助くる國とあるからは、幸靈奇靈の事と聞ゆる也。言に怪しき神力を加へて守れる此神國故、異靈の助くるとは詠めるなるべし。神代卷上に、大已貴尊の我幸みたまくしみたま也と宣ひて、御祖神を指して三諸山に齋祭給ふ、本朝神祭の基元の神言ある倭國なれば、上古もかく古詠にも詠じ來れると見えたり。言靈と奉v稱るは、先祖の神靈を指して云ひたる義と見るべし
在與具 與は眞の字誤りたる也。あれよくと云詞は無き事也。まさきくあらまくと云は、あれかしと願ふ意也。又言靈の助け守り給ふ國なれば、まさきくあらんと祝したる意共聞ゆる也。何れにまれ、あれよくと云詞は無き事也。あらまくとならでは讀まれぬ也。與の字にまくと讀ませたる事もあれば、具は添字に書る事例多ければ、與の字にても直ぐ、まく共讀べき也
右五首
3255 從古言續來口戀爲者不安物登玉緒之繼而者雖云處女等之心乎胡粉其將知因之無者夏麻引命號貯借薦之心文小竹荷人不知本名曾戀流氣之緒丹四天
むかしより、いひつぎ|けらく《くらくは來るの意也兩義也》、こひすれば、やすからぬものと、たまのをの、つぎてはいへど、をと(36)めらが、こころをしらに、そをしらん、よしのなければ、なつそひき、うながしなづみ、かりごもの、こころもしぬに、ひとしれず、もとなそこふる、いきのをにして
昔より云ひつぎける也。戀をするは昔より云ひつぎける也。玉の緒のは、つぎてと云はん序也。昔より云ひ傳へて戀すれば、安からず苦しきものと、今に續きて云へ共、今も止まず戀をして戀慕ふ處女等が心をも知らで、兎や角と我は戀路に思ひ亂るると云義也
胡粉 是をくだきと讀ませたれど、粉と云一字ならば、くだけ、くだき共讀むべけれ共、胡の字を添たればしらにと読むべし。今給の具に、ごふんと云ふは白土の事也。即ちここに、しらにと云ふに此字を書來れり。第十一卷に、さほの浦從嵐の風吹ぬれば還者胡粉歎く夜ぞ大寸。此歌にても、かへさばくだけてと讀ませたれど、そこにも注せる如く、かへさば碎けと云詞歌詞にあらず。義も亦いかに共不v通。尤しらにと讀みても義は通じ難し。何とぞ別訓もあらんか。伐て彼歌も難解後案の部に指挿せり。ここの歌にては、しらにと讀までは歌の意不v通也。第一卷にて、わづきもしらず又鶴寸乎白土と書たる、しらに也。直ぐに上のしらにをうけて、そを知らんと也。そをしらんは、其心を知らんよるべ、傳手、縁の無ければと歎きたる意也。
夏麻引命號貯 是を、夏ぞひくみことにつみてと讀み、又いのちなづみて共讀む説有。如何共難2心得1。さ云歌詞は無き也。無きは無きとして捜つて無理に説を立つる事は、すべからぬ事也。凡て夏麻引うみ、うなとうけたる歌、是より前、此後第十四卷の歌にも數多有。うとをとは同音通にて、夏ぞひく苧と云事と諸抄の説なれど、さも云まじきにもあらねど、上に夏そと云が麻《ヲ》の事なれば、又をと云事も心得難し。是は夏そひき、うみと云義と聞ゆる也。績と云意也。苧をうみ、うむと云義なるべし。然ればこゝも、うとうけたる詞ならでは續かぬ義也。然るを麻の皮を引たる跡の殻を、みことと云故、みことなづみてと詠めるとの、語例句例義も不v通説有。日本紀の古語古訓に疎きから也。命の字は、日本紀天武紀の上、六月辛酉朔壬午、詔村國連男依〔和珥部臣君手身毛君廣1曰、今聞近江朝廷之臣等爲v朕謀v害、是以汝等三人〕急往2美濃國1告2安八磨郡湯沐命臣治1云々と云所に見えて、令の字の誤字也。尤命の字にても命令と續く字義同意なれば通ふ歟。湯沐令は、ユウナガシと讀みて、ゆと(37)云所の奉行の事也。それより奧に至りても、湯沐と云所の名見えたり。但し是は温泉の湯などの所を司どる奉行の事歟。運2湯沐之米1、伊勢國駄五十匹遇2菟田郡家頭1とあり。又同紀に、國司守三宅連石床介三輪君子首及|湯沐《ユウナカシ》令田中臣麻呂〔等參2遇于鈴鹿郡1云々〕如v此うながしと古く讀み來れり。然ればこれ此歌も、夏そひきうながしなづみと詠みたる義也。うながしは流也。苧《を》流しにても同じ意、なづみは滯る義也。留滯の義、心を樣樣に思ひ悩まし亂るる義を、うながしなづみと續けたる事にて、歌の意も能聞えたり。直ちに下の、刈薦の心もしぬにと詠みて、樣樣に心の亂れしなひて、戀ひ迷ふとの義也。しのには繁きと云義と諸説にあれど、しなへ亂るるの義也。悩みてしなへたる躰を云たる義也。しげと、しぬとは音通ずれば、さも云はれまじきにもあらねど、集中此詞多し。皆しなへ悩みたる意に聞ゆる也。もとなそこふるいきのをにしてとは、もだし難く只にもあり難く、命にかけて戀慕ふと也
反歌
3256 數數丹不思人者雖有暫文吾者忘枝沼鴨
しばしばに、おもはぬ人は、ありといへど、しばしもわれは、わすれえぬかも
數數 かずかずにと讀ませたれど、下にしばしもと詠める言の縁もあれば、しばしばと讀むべし。かずかずと云事此歌の何の寄り所無き也。しばしばとは、ひたものものと云意也。思ひの止まず忘れ難く、跡より跡よりひたものもの戀慕ふ心のやまぬと云義也
不思人者 此者の手爾波心得雜き樣也。もと有べき手爾波に聞ゆる也。又不思をおもはでと讀まば、者の字、はと讀みても叶ふべき歟。思はずと讀みても叶ふべし。ぬと讀みて、もと云手爾波ならでは聞きにくき也。宗師は、古詠の格ケ樣の手爾波いか程もあれば、苦しかるまじとの意也。返る手爾波にて、人は思はずありと云へどと云手爾波と見れば、能聞ゆる歟。人はと云ひては、直ぐに讀む手爾波にては聞にくき也。下の句は能聞えたり
3257 直不來自此巨勢道柄石椅蹈名積序吾來戀天窮見
(38)ただにこぬ、ここゆこせぢから、いしばしふみ、なづみぞわがくる、こひてすべなみ
此歌は左注の通、奧の歌の反歌に出たり。此に出たるは亂難なるべし。ここの長歌には不v合反歌也。窮見の二字すべなみと讀事は、事迫切に迫りては、何事もすべき樣無きと云の義を取りて詠ませたる也。困窮する時は事成し難き義をもて詠ませたるならん。歌の意は直ちには來られぬ、ここよりかしこの巨勢道を經て川瀬抔の石橋を蹈み渡り悩みつつも來る事は戀しき故、詮方も無くて、さかしき道をもなづみて來るとの義也。然ればここの長歌の意に不v合反歌也。奥の、きの國の濱にと云歌には叶へり。尚そこに注すべし
或本以此歌一首爲之|紀伊國之濱爾縁云鰒珠拾爾登謂而往之君何時到來《キノクニノハマニヨルトイフアワビタマヒロヒニトイヒテユキシキミイツキマサムト云》歌之反歌也具見下也但依古本亦累載茲
凡て當集の左注此集撰者不v注v之證明等、此注にても知るべし。但し古本亦と云古本は、萬葉集の古本を指して云へる義也。然れば古萬葉と云は此左注等の無き本ありしと見えて、それを云たると知るべし。此注等を左注とは云べし。全く撰者の注にあらざる事を可v辨。然れ共所に依て疑敷事あるは、其所にて分別すべき事也
右三首
3258 荒玉之年者來去而玉梓之使之不來者霞立長春日乎天地丹思足椅帶乳根笶母之養蠶之眉隱氣衝渡吾戀心中少人丹言物西不有者松根松事遠天傳日之闇者白木綿之吾衣袖裳通手沾沼
あらたまの、としは來ゆきて、たまづさの、つかひのこねば、かすみたつ、ながきはるひを、あめつちに、おもひたらはし、たらちねの、ははのかふこの、まゆごもり、いきつきわたり、わがこふる、こころのうちを、ひとにいふ、ものにしあらねば、まつがねの、まつこととほし、あまづたふ、ひの(39)くれぬれば、しろたへの、わがころもでも、とほりてぬれぬ
荒玉の年は來ゆきては、去年と暮れ今年にもなりぬれど、わが戀慕ふ人の方より音づれの無き故、思ひ佗び慕ふと云事を全躰に云ひ述べたる歌也
霞立長春日とは、上に年は來ゆきと詠出たるも、此詞に依て也。春の長日を待ち佗ぶるの意也
天地におもひたらはし、わが思ひの空にも滿ちる如くにと云の意、又春の長日を天長地久と云如く、長く思ひてと云義を兼ねて也。古今の歌に、思ひの空にみつらんと云事も詠めり。それらの意に同じ。眉隱、前にある詞也。人に忍びて、心の内に戀ひ佗ぶると云事をなぞらへ云たるもの也。又其身直に深窓に深くこめ置かれて、思ひ佗ぶるの義にも有べし。白木綿之、白たへのと讀むべし。木綿も、たへの内なれば、義訓に讀ませたるならん。歌の意は、只戀ひ佗びる人の方より、年經れ共便りだにも無く、妹に逢事無ければ、心の中に樣樣に思ひ煩ひ、大息をつく如く慕ひ歎きて、夜になれば人めも無ければ、涙に衣の袖も沾れ通ると也
反歌
3259 如是耳師相不思有者天雲之外衣君者可有有來
かくのみし、あひおもはざれば、あまぐもの、よそにぞきみは、あるべかりける
わが斯く思ふ如く、先にあひも思はずあれば、よそにのみ心の移りて有べきと也。それ故かく音づれもせぬと恨める意也。よそにぞとは疎くなり行かんとの意也。わが如く相思はずあらば、終には疎くなり行かんにて有べきと云共聞ゆる也。一説如v此われのみ戀ひ佗び思ひて、先には相思はざらば、一向天雲の速く隔ててもあれかし、思ひ堪へなんにと云意共云へり。兩義愚意未v落。何れか是ならん、後賢の人可v決也
右二首
3260 小沼田之年魚道之水乎間無曾人者※[手偏+邑]云時自久曾人者飲云※[手偏+邑]人之無間之如飲人之不時之如吾妹子(40)爾吾戀良久波已時毛無
をぬまだの、あゆちのみつを、ひまなくぞ、ひとはくむてふ、ときじくぞ、ひとはのむてふ、くむひとの、ひまなきがごと、のむひとの、ときなきがごと、わぎもこに、わがこふらくは、やむときもなし
小沼田所不v知。或抄に紀伊名所と云へる未v考。下にあゆちの水と有。是は尾張の地名なれば、小沼田も其邊りにて此歌は全躰序歌にて間無く時無く妹を戀ふ事の止まぬと云事を、段段と詠める歌也。不時もときじくぞと、日本紀の古語の通に讀むべし
反歌
3261 思遣爲便乃田付毛今者無於君不相而年歴去者
おもひやる、すべのたづきも、いまはなし、きみにあはずて、としのへぬれば
思遣は思ひを消しやる仕樣も道筋も思ひ計りも無きと也。思遣と云には前々にもある通兩義有。思ひはかり、先の事を汲み量りて思遣ると云と、わが歎き悲みの思ひを消しやると云の差別有。ここは消しやろ事の詮方も無きと也。田付毛、此詞不v濟也。田時とも有。同詞にていかに共解釋無き也。諸説便もと云義なれ共、義に不v合事有。又逢事共尤たのみなど云方の義と聞ゆる也。わかち道筋など云方共聞ゆる也。たよりつきつくと云義歟。詮方の便りつくべき樣も無きとの事と聞ゆる也。
今俗に、それを便りに思ふなど云義もあれば也。歌の意は能聞えたり
今案此反歌謂之於君不相者於理不合也宜言於妹不相也
此注後人の筆也。古注者の注とも不v見也。勿論の注にて此當集中を遍く不v考人の注也。當集は皆義訓をもて書たれば歌によりて君と云字を、いもとも、せこ、せな共讀まざらば不v合事擧げて數へ難し。然れば勿論の注也
(41)或本反歌曰
3262 ※[木+若]桓久時從戀爲者吾帶緩朝夕毎
みづがきの、ふりにしよより、こひすれば、わがおびゆるぶ、朝ゆふごとに
※[木+若]垣二字をみづがきと讀ませたる事未v考。第四卷に袖ふる山のみづ垣の共詠みたり。第十二卷目にては、拒※[木+若]こしに麥はむ、ませこしと讀ませたり。※[木+若]はしもと讀む。延喜式に見えたり。前に注せり。桓は垣の誤也。こゝも、ませ垣のふりにしと讀まんか。久時從を、ひさしきと讀みたれど、みづ垣ませ垣共にひさしとは續かぬ也。第四卷のみづ垣のふりにしといふ歌に注せる如く、垣はふりふると云。柵をふるなどと軍書にも見えたり。第六卷の歌に、あし垣の古郷にと詠めるにても知るべし。ふりにし世より戀すればは、年久しく戀すればと云意也。歌の意思ひに痩せて日毎に帶の緩くなると也
右三首
3263 己母理久乃泊瀬之河之上瀬爾伊杭乎打下湍爾眞杭乎格伊杭爾波鏡乎懸眞杭爾波眞玉乎懸眞珠奈須我念妹毛鏡成我念妹毛有跡謂者社國爾毛家爾毛由可米誰故可將行
此歌は全く古事記の木梨輕太子の御歌也。左注にも見えたり。歌の意句面の通能聞えたる歌也。古事記には假名書にて被v記し也。日本紀安閑紀等引合可v見也
※[手偏+僉]古事記曰伴歌者木梨之輕太子自死之時所作者也
反歌 此反歌は古事記には洩れたり。歌の意も本歌には都合せぬ歌也。次の或書の歌は都合相合ふべきか
3264 年渡麻弖爾毛人者有云乎何時之間曾母吾戀爾來
としわたる、までにもひとは、ありといふを、いつのままそも、われこひにける。わはこひにける
此歌少し聞得難き歌也
(42)年渡【云々】是は七夕の年に一度天河を渡りて逢ふと云事迄はありと云へど、われはいつのままそも、いつ逢ひしままそも絶えて逢事遠ざかりぬれば、戀ひ渡ると也。かく迄にては聞得難き歌也。愚案は、年わたる迄にもと云は、年をはつる迄も戀をせずある人もありと云に、われはいつのまにならひ戀をしにけるぞと、思ひの餘りにわか戀に悩むをうんじて、詠める意共聞ゆる也。第四卷の藤原麻呂大夫大伴郎女に被v贈し歌、よくわたる人は年にもありといふをいつのままそもわが戀ひにける。此歌よく似たる歌也。此歌もとくとは聞不v得也。然しよくわたるの歌、七夕の事を引ける共聞えたり。年にありと云ふ、年に一度渡り逢ふ事のありと云義なるべし。兩首共わが戀にけると云句を離れて、一句計にて見ざれは聞えぬ歌故、いかに共不v落也
或書反歌曰
3265 世間乎倦跡思而家出爲吾哉難二加還而將成
世の中を、うしとおもひて、いへでせし、われやなににか、かへりてならん
此歌は出家したる人の還俗などするとて詠める歌ならん。日本紀には出家度者出俗と書きて、いへでと讀ませたり。此歌前の長歌には不v合。二首の反歌共古事記又長歌には不v合也。亂雜と見えたり
右三首
3266 春去者花咲乎呼里秋付者丹之穗爾黄色味酒乎神名火山之帶丹爲留明日香之河乃速瀬爾生玉藻之打靡情者因而朝露之消者可消戀久毛知久毛相隱都麻鴨
はるされば、はなさきををり、あきづけば、にのほにきばむ、うまざけを、かみなびやまの、おびにせる、あすかのかはの、はやきせに、おふるたまもの、うちなびき、こころはよりて、あさづゆの、けなばけぬべく、こふらくもしるくもあへる、こもりづまかも
(43)秋付は前に注せる秋つくれば也。くれの約け也。丹之穗に、赤き色に顯れると云義也。黄色はもみぢすると也。神なみ山の春秋の景色を云ひて、只助詞を述べたる也。此等の歌古風の一格上代の風躰也
味酒乎神名火山【云々】酒を造るを、かもと云ひ、かみと云故にかくうけたるもの也。あすかの川の早き瀬と云はん迄の序、早き瀬は玉藻の打靡きと云はん迄の序に、春されば花さきををりと、思ひもつかぬ處より詠出て、段段と續けたる也。只打靡き心はよりてと云一句を云べき迄の序也
戀ふらくもは戀ふるも也。知久《しるく》もあへる、戀佗びしも理と著るく相見て、いとど思ひの増してやみ難き意をこめて也。こもりづまは忍びて奥深く隱り居たる妻と云義也
反歌
3267 明日香河瀬湍之珠藻之打靡情者妹爾因來鴨
あすかがは、せぜのたまもの、うちなびき、こころはいもに、よりにけるかも
よく聞えたる歌也
右二首
3268 三諸之神奈備山從登能陰雨者落來奴雨霧相風左倍吹奴大口乃眞神之原從思管還爾之人家爾到伎也
みもろの、かみなみやまゆ、とのぐもり、あめはふりきぬ、あまぎりあひ、かぜさへふきぬ、おほぐちの、まかみのはらに、おもひつつ、かへりにしひと、いへにいたりきや
とのぐもり、空一まひに雨雲の棚引き曇れるを云古語也。たなも、とのも同語也。雨露相、あまぐもりとも讀むべし。あまぎりあひと讀み來れど、此義とくと濟み難き詞也。尤あまざる雪のなど古今にも詠めり。雨雪の降る時、風の打そひて霧の立つ(44)如くなるを云義と聞えたり、依て雨と霧と相まじれると云義に、あまぎりあひとも云ひ來れるか
大口乃眞神乃 大口にて噛と云の續け也。大口のまがみが原とは、眞神之原と云地名を云はんとて、大口とは詠出たり。原より歸る人を思遣りて、雨風荒くはげしき夜に、歸りし人の何事無く、家に至りきやと氣遣たる實情の歌也。思管はしのびつゝ歟。したひつつか。但しこなたを思ひながら、此雨風はげしき夜にも、歸れる人の安穩に歸り着きしやと也
反歌
3269 還爾之人乎念等野于玉之彼夜者吾毛宿毛寢金手寸
かへりにし、ひとをおもふと、ぬばたまの、そのよはわれも、いもねかねてき
いかゞしたらんと慕ひ思ふと、夜もいねられぬと也。人情の實意をあらはせる歌也
右二首
3270 刺將燒少屋之四忌屋爾掻將棄破薦乎敷而所掻將折鬼之四忌手乎指易而將宿君故赤根刺晝者終爾野干玉之夜者須柄爾此床乃比師跡鳴左右嘆鶴鴨
ささたかむ、をやのしきやに、かきすてん、やれごもをしきて、かかれをらん、おにのしきてを、さしかへて、ねなむきみゆゑ、あかねさす、ひるはしみらに、ぬばたまの、よるはすがらに、このとこの、ひしとなるまで、なげきつるかも
刺、さしはささ同音也。篠の訓借也。わびしき賤が屋の有樣、貧しき者の家などの事に詠みたる也。しきやと云も、しこやと云義にて、惡しく卑しき者の住む家と云義也。卑しめて云事に、しきやとは云へり。しこやいなしこめきのしこ也。きたなく卑しき家と云事と知るべし。かきはきすてん破れ薦の如きを敷きて也。所掻、かかれをらん鬼のしき手、皆卑しく拙き有樣を云ひて、左樣の所にても卑しき我等如きの者と、手さしかへては、互ひに手を入交して一つに寐ん君故にと也。君からに共讀(45)むべし。君なるからに也
晝者終爾 ひるはしみらにと讀むべし。奧に至りて假名書あり。しみらとは、ひめもすと云が如く、其事に離れず、ひたものもの戀慕ふとの事也。しみらは其事にそみつきて離れずにと云意也。比師と鳴までひしひしとなる迄歎くと也。泣き慕ふ響きにて、寢床のひしひしと鳴る如く歎くと也。ひしと鳴る迄と云事、海中の洲をひしと云事、大隅の風土記にあるを仙覺抄に引たり。然れ共此歌にては不v合也。第十四卷の歌に海中の淵の意に合ふ歌有。ここはひしひしと鳴る音に云ひなしたる歌なるべし。源氏物語夕顔総角などにもある詞也。第十二卷に、枕もそよに歎きつるかもなど詠める意と同じ。そよと云も動き鳴る事也。風などの物に激して、音のありて動く事を云。戰の字、そよと讀む也。此のひしと鳴るは音の義なるべし。或抄に、よき女の卑しき男によばはれたるを、外人の戀慕ひて詠める歌と云説有。是は不義の意を釋する説也。さあり共見樣あるべき事也。假初めにも不義の意に見る事不v可v好也。卑しきむくつけき物にも貧しき家居にても、戀路は隔てぬから小屋のしき屋にても、しこの手さしたがへて友寐をせんと慕ふ意に見るべし
反歌
3271 我情燒毛吾有愛八師君爾戀毛我之心柄
わがこころ、やくもわれなり、はしきやし、きみにこふるも、わがこころから
本歌に、ささたかんなど詠出たれば、其縁にわが心燒くもとは詠出たり。或抄に卑しき氣もちたるよき女と云へる、いか樣にもはしきやしと詠めるは、我れよりあがれる人などにや。尤歌は雅言を專に先を尊稱し、賞讃して詠むを通例とすれば其義によるべきにあらねど、はしきやしとは賞め敬ひたる義也。よしゑやしと愛の字を讀む事不2心得1。歌の意は、我情を燒くとは思ひに胸をこがすなど云義と同じ思ひ、こひとは皆火に譬へて云へる也。やくわれなりとは、われとわが心を苦しめ胸をこがすと也。君に戀ふるもわが心から、わが情をやくも我からとの意也
右二首
(46)3272 打延而思之小野者不遠其里人之標結等聞手師日從立良久乃田付毛不知居久乃於久鴨不知親親己之家尚乎草枕客宿之如久思空不安物乎嗟空過之不得物乎天雲之行莫莫蘆垣乃思亂而亂麻乃麻笥乎無登吾戀流千重乃一重母人不令知本名也戀牟氣之緒爾爲而
うちはへて、しのぶのをのは、とほからぬ、そのさとびとの、しめゆふと、ききてし日より、たつらくの、たづきもしらず、をるらくの、おくかもしらず、親親、ながいへすらを、くさまくら、たびねのごとく、おもふそら、やすからぬものを、なげくそら、すごしえぬものを、あまぐもの、なびきしなひて、あLがきの、おもひみだれて、みだれをの、をのけをなしと、わがこふる、ちへのひとへも、ひとしれず、もとなやこひむ、いきのをにして
打延而思之小野 是は印本諸抄の説、おもひしをのと讀めるは、歌を知らざるとや云はん。不v考とや云はん。うちはへて思ひし小野と續くべきや、語例句例の無き事也。是は忍ぶと云事を云はんとて、しのぶの小野と云地名に寄せて云へる義に、忍ぶと云事を其儘云ひ出るも、はし無く歌情拙き故、古詠の風體例格にて打はへてとは置きたる也。しのぶと云ものは、垣衣と書て垣岸などにて這ひかかりてつるめる草也。繩系などを延ばへたる如く、かづらの類なる物から、打はへてとは冠句を据たる也。扨下の意に、人を思ひ忍ぶと云意を含みて、實に心に思ひ偲ぶ事あれば、本體にして忍之小野と云地名を取出てよそへ詠める、上古の風格上手の仕業也。既に標結ふと詠まんとてのしのぶの小野也。下に其里人の標結ふと詠めるも、小野と詠出たるから、其小野を其邊り近き里人の標結ひ領すると聞きてとよそへて、わが思ひかけし人を人のめとり迎へるとか、外にかしづくとか聞きて、歎き慕ふの意を全體に詠み列ねたる歌也
おくかもしらず おくかもと云事前に出たり。をるおく假名は違たれ共、音の響き同じければ、をるらくのおくかと續けて、おくかもは居折のおく限りと云意、海山などにても奥はての事をおくかと云へり。居所の限りも不v知と云の意也。ありかと(47)と云義もこもりておくかと云へるか。おくかのかはありかの略歟。
親親 是もおやおやと讀みたれど歌詞にあらず。何とぞ別訓あるべし。諸抄の説皆親の代代伝へし家と云事に、おやおやのと讀めるとは餘り拙き事也。當集は悉く義訓を專と書たる、上古和書の名書なれば、心を得て義訓をよく書たる此書、日本紀に相並ぶの集篇、後世の明證となる上古我朝の和書の隨一の集なれば、隨分義訓に心をつくべき也。親の親先祖より傳はりし家と云事を云へるか。又睦まじく親しみ慣れ來れると云事を云たるか。親親の二字に含めて、其義に叶ふ意をもて義訓に讀む事也。上古は親親と書きて義よく知れたる事に讀み解たれど、世下り人愚かになりては、尋ねても知れ難き如くなりし事、我本邦の學問すたれ神の教へ埋もれ絶えたる故也。宗師は、むつましみと讀まんかと也。愚意未v落、馴れ馴れしながとうけたるか。なれなれは、親親の意、親み親みたる我家と云へる義あらんか
己之家尚乎 己之を、おのがと讀みたれど、ながと讀まんか。ながとはわが事をも云へり。毎度此字を、ながと讀ませたれば、ここも、なれなれしながとうけたるにやあらん。持ち傳へなれ住みしわが家すらも、旅の宿りの樣に心打着かぬ意を云へり。すごしえぬものを、世の中を過しえぬ也。思ひ佗び戀ひ歎きてあるにもあられぬとの意也
天雲之行莫莫 是を、あまぐものゆかまくまくにと讀みて、かく思ひわび住み馴れし家をも、旅宿の如く心もここにあらず、空にのみうかうかとすれば、其思ふ人の方へ行かまほしく思ふとの意と見る説有。宗師意は、只思ひに心も亂れて打着かぬと云事を、雲などの棚引き亂れたる景色に、譬へたる義と見る也。愚意未v落。此天雲之、行莫莫の三字、宗師案は、つらもしなひと讀まんかと也。愚意は、旅宿の如くと讀み、過しえぬものをと讀みかけて、天雲のと詠みたれば前の説にもあらんか。己之家すら旅の如く思ひ、心も空にして過しえぬものを此儘にあらんより、戀慕ふ方へ行かまほしけれど、足だに立ちえず、亂れて男の子心も無く悲しむと云義に聞ゆる也。然らば天雲のゆかまくまくもと詠めるならんか。蘆垣のと詠めるは、下の思ひ亂れと云はん爲也共聞ゆれ共、蘆垣の亂れると云事も少し叶ひ難く、此の蘆と續けたるは、上の行と云事に續けたる意と聞ゆる也。行かんと思へど、足もしどろもどろに亂れと云意に、蘆垣の思亂れと續けたるにはあるまじきや。譬へにして雲の棚引き亂れたる景色を、わが思ひにて心の亂れ悩める義によそへ云たらんに、又蘆垣の亂れをの亂れる事を云ひ續くる事、合はぬ樣に聞(48)ゆる也。行かんと思ふと云體の事に詠みたるには、上に空と詠める緑もあるから、かく詠めるとも聞ゆる也。此師説末だ愚意には不v決。後案すべし
後案、行莫莫は、なびきしなひてと讀まんか。莫莫の二字日本紀神代卷上に見えたり。雲の靡くと續く例多し
みだれをのをのけをなしとは、心の亂れて、うみをのをけも無く、俗に糸を亂したる如くなど云如く、只思ひにのみ心の染みて、正體無き體の事を云へる也
麻笥乎無跡 をけをもなみと讀みたきものなれど、さは讀まれねば、をのけをなしと讀み來れり。是は男の氣をなしと云義を兼ねて詠めると聞ゆる也。を笥あらば亂るべき樣無けれど、をを入るる器ものも無き如く、とり亂したると也。無跡の二字何とぞ讀樣もあらんか
人不令知 我戀ひ思ふ事は、千が一つも先に知られてもだし難く、よし無くも命にかけて戀ひん事の悲しきと也
3273 二無戀乎思爲者常帶乎三重可結我身者成
ふたつなき、こひをしすれば、つねのおびを、みへむすぶべく、我身はなりぬ
此長歌と此歌の間に皆反歌の二字の標題有。此歌に限りて無きは脱落と見えたり。此歌の意戀にやつれて身も痩せて、常の帶だに綬ぶと也。二つ無きとは又類ひ無く並び無き思ひをすればと云義也。二無を、ふたなみにと讀めるは惡し。下にみへ可v結と詠めるも、上に二つ無きと詠めるから、數の言葉をも詠出たる也。帶の緩ぶ事當集に毎度見えたり
右二首
3274 爲須部乃田付呼不知石根乃興凝敷道乎石床笶根延門呼朝庭井出居而嘆夕庭入居而思白栲乃吾衣袖呼折反獨之寢者野于玉黒髪布而人寢味眠不睡而大舟乃往良行羅二思乍吾睡夜等呼續文將敢鴨
せんすべの、たづきをしらに、いはがねの、こごしきみちを、いはどこの、ねはへる門を、あさには(49)に、いでゐてなげき、ゆふにはに、いりゐておもひ、しろたへの、わがころもでを、をりかへし、ひとりしぬれば、ぬばたまの、くろかみしきて、ひとのぬる、うまいはねずて、おほふねの、ゆくらゆくらに、おもひつつ、わがぬるよらを、かぞへあへむかも
石根のこごしき 毎度ある詞也。いはのこりしきたるさかしき事を云へる義也。人を戀慕ふ思ひに沈みて、いかにせん筋道の別ちも無く、岩が根のさかしき道をも艱難苦勞をして往き通ふ如くに、身を苦しむとの事にかく詠み出たる也。此已下の言葉皆險難の地を出入して、身を苦む事に云ひなして、戀路に悩める事を述べたる也。石床根延門は、皆岩のこりかたまり、木の根のはへわたれる如くなる、岩のさかしき門を朝に出夕部にはかへり入て、かなたこなたとさ迷ひ迷ひて思ひ慕ふとの義也
人寢味睡不睡而 世の人の何心無くよくぬる樣にうまく寐る事はせで、大舟の海上にゆらゆらと何處によりつくともなく、うかれ漂ふてある如く、思ひに心はうかれ漂ひて、何もとりしめたる業をもせず、浮きてゆらゆらとのみ定まれる事も無く、思ひわたりて夜をいねぬと也。其物思ひにいねぬから、其夜毎の思ひに堪へかねて、夜も續きあへぬと也。思ひ佗びていねがての夜を、忍び堪ふる事の續かぬと云義に、つきもあへぬかもと也。かもはかなと同じ意也。或抄に反歌の夜を算と云言葉にすがり、續は讀の字の誤と釋したる説も有。此説も理無きにあらず。然れ共讀みもあへぬと云義ここに續かぬ句也。つきとつくと云義は續ける句なれば、續の字正字ならんか。反歌の算の字によれば、讀の字にてかぞへならんか。本歌に一眠の夜を數ふる意も聞えず。夜を數ふると云義ならば、あへる夜もありし意を詠むべき事なるに、長歌の意いつあひしと云意も見えず。只獨り思ひに苦みて、夜もいねぬ義を詠める故、何とぞ算の字は別訓あらんか。又誤字ならんか。疑はしき也。然れ共奥に挽歌にも此歌と同じき歌有。わがぬるよらをかぞへあへぬかもと詠める歌あれば、讀の字ならん
反歌
3275 一眼夜算跡雖思戀茂二情利文梨
(50)ひとりぬる、よを算跡、おもへども、こひのしげきに、こころともなし
算跡 此字かぞへんと讀みたれど、何とぞ別訓あらんか。又誤字などにや。尤かぞへんと讀みても歌の意不v通にはあらねど、長歌により所無き詞、其上面白からぬ趣向に聞ゆる也。何の風情も聞えぬ句故、若し別訓誤字などにやと疑ふ也。然れ共本歌の續の字を讀の字と見る説有。本歌の意さ讀みては六ケ敷、殊にはし無く詠出たれど、奧の挽歌にも、わがぬるよらを數不敢かもとあれば、讀の字此れもかぞへあへぬかもと讀むべき歟
情利もなしとは、とごころも無しと云に同じ。數へんと思ふ心の進みも無きと云義也。とき心無きは、進む心無きと同じ意也。尤初語にとと云事も有。只心も無きと云迄の義にても安き也
右二首
3276 百不足山田道乎浪雲乃愛妻跡不語別之來者速川之往文不知衣袂笶反裳不知馬自物立而爪衝爲須部乃田付乎白粉物部乃八十乃心呼天地二念足橋玉相者君來益八跡吾嗟八尺之嗟玉桙乃道來人之立留何常問者答遣田付乎不知散鉤相君名曰者色出人可知足日木能山從出月待跡人者云而君待吾乎
ももたらぬ、やまだのみちを、なみくもの、うつくしづまと、かたらはで、わかれしくれば、はやかはの、ゆくをもしらず、ころもでの、かへるもしらず、うまじもの、たちてつまづき、せむすべの、たづきをしらに、もののふの、やそのこころを、あめつちに、おもひたらはし、たまあはば、きみきますやと、わがなげく、やさかのなげき、たまぼこの、みちくるひとの、たちどまり、いかにととへば、こたへやる、たづきをしらに、さにつらふ、きみがないはば、いろにいでて、ひとしりぬべみ、(51)あしびきの、やまよりいづる、つきまつと、ひとにはいひて、きみまつわれを
百たらぬ山田の道を、是は別れし來ればと云句へ續く發句也、浪雲のうつくし妻、此浪雲のを、浪と雲とは白くたへなる麗はしきもの故、うつくし妻と云枕詞など云説有。第六卷に、住吉の波豆麻の君と云事あるをも、波妻と心得て、なみつまきみとも讀みて、波の白く美しきから、妻を賞美して波雲波妻など云との説は、語例句例を不v勘釋也、先づ第六卷の、波つまきみと云へる義も不v決、はづまの君と云ひて地名にもや。尤つまのと云のの字音、假名書に豆麻と書たれば、つまのとは讀み難けれど、地名計には當集にのの字を入れて讀來れる事も見えたれば、はづまと云地名共聞ゆる也。なみつまと云事いかに共不v可v有v之詞也。又此歌の浪雲のは靡物と云義也。つまと云ものは、夫にもあれ、妻にもあれ、靡き寄るものと云事にて、うまじもの、ししじものむらきもの、など云語類にて、靡くものと云義也。なみは、なびと同音也。備と云濁音は、み也。上古は皆如v此びと云事をみ共云ひて通じたり。尤語例句例の詞也。雲の波など云ふて、雲の立つは浪の五つに似て、美しきものとの説は信用し難き句例語例無き事也、既に〔以下缺、脱文アル如シ〕
馬自物 馬の如くと云古語也。たちてつまづきと云はん序也。
物部乃八十乃心乎 此句わがもののふにてと云義にはあらず。只樣樣に天地にも思ひの滿ちて、心をくだくとの義也。此歌は男の歌共女の歌共聞分難し。大方は男は女の方へ通ひ行く事に詠めり。此歌も君待吾乎と詠み止めたるは、女の歌かと疑はるる也。然るに初句には、うつくし妻と語らはで、別れし來ればと詠める處は男の歌と聞ゆる也。依ていかに其定め難き歌也
玉相者 玉とは魂の通じあはゞ、わが戀慕ふ心の通ひて、先にもわが如く思はば君が來ますやと待ち歎くと也。第十二卷にも、玉あへばあひぬる物をと詠めり。互に心の往き通ひて思はばと云義也
八尺のなげき 此やさかと云事、古來より讀み來れ共是はシヤクと云音也。和語にはあらず、古くは、さかとは讀むまじき也。寸をきと云へば十寸を尺と云へば、尺の字は、ときと讀むべき也。然れ共古くさかと讀み來れば、此集にも皆中世已來の假名付に、やさかとは讀ませたり。やさかの歎きとは、長く息をつきて歎く事と云ひ來れり。元來の訓義違たればいかなる義を云(52)共釋し難し。やときの歎きと云義も、古來よりさ讀む人も無ければ釋は勿論無き也。やときは、いやときにて、きとは物の速かなる義、せはしく切なる事を云へば、いやましに切なる歎きと云事を、やときの歎きと云か。病などの重きを疾病と云。風などのはげしきを疾風と云て、皆とき病、とき風と云事也。借訓に書きたる義歟。只多き歎きと云義に云ひ來れる古語と見るべき歟。此下にも、杖たらぬ八尺の歎と有。是も寸尺の事より云ひたる義也。一丈を一つゑと云故、八尺は一丈に足らざればかく云へり。第十四卷の、をかものもころ八尺鳥いきつくいもと云、此八尺鳥も不v濟事也。尚そこに注すべし。此歌八尺のなげきは、數數の歎きの切なると云義と見置べし
古事記の八尺瓊の曲玉は、坂を音借に書きたる也。此古事記の音借を見誤りて已來、寸尺の尺を、さかと訓ずると心得たるならん。又八時の歎きか、八時泣き悲しむは甚敷歎き也
足日木能山從出云々 此五句は第十二卷目に出たる一首の全體也。歌の意は句釋句面にて聞えたり。初句には一度あひし人に別れて山田の道を只獨り心細く來れば、行方もそこと覺えず、衣手の風に吹き返す事も知らず、身のなりふりもとり亂して、心も空に歸り來ると云義を、衣手のかへるも知らずと云ひかけて、別れて歸る事をもそこと知らぬ義を云ひて、其歸るさの道にて、人の何とてさのみには歎き慕ふ有樣やと問はば、いかに答へ云べき、別ちも知らず、又其人を戀佗び待ち歎くと云はば、人の知りて名の立ちぬべければ、何故と人の問はば、月を待と僞りて待ちゐんと也
反歌
3277 眠不睡吾思君者何處邊今身誰與可雖待不來
いもねずに、わがこふきみは、いづこべに、今身誰與可、まてどきまさぬ
此歌第四句の一句いかに共讀み解難し。諸抄の説は、この身たれとかと讀みて、わが身を誰れとか思ひて、かく待ち慕ふ事は知らで、外人の如く思ひて何處に心移りしてか、待てど來まさぬとの義と釋せり。いかに共聞得難し。何とぞ別訓あらんか。又誤字ならんか追て案をなすべし
(53)右二首
3278 赤駒厩立黒駒厩立而彼乎飼吾往如思妻心乘而高山峰之手折丹射目立十六待如床敷而吾待公犬莫吠行年
あかごまの、うまやなたてて、くろごまの、うまやをたてて、それをかひ【かりゆくごとく・かりにゆくごと】おもひづま、こころにのりて、たかやまの、みねのたをりに、いめたてて、ししまつがごと、とこしきに、わがまつきみを、いぬなほえこそ
赤駒黒駒に意は無し。赤色黒色の馬は間勢の妙ある歟。大方名馬と云もの昔の物語等に見えたるは、黒駒、又書紀に見えたるは赤駒也。依て此歌にもかく赤黒の二色を云へる歟。赤黒の二毛の駒を飼ひなづけて、それに打乘りて遊行する如く、思ひ妻のわが心にのりし人と云事の序也。然るに古詠の歌は表の意一通は只何と無く外の事によそへて、裏に今釋せる如きの意を含めて詠める也。表一通は此歌全體男子の獵をする事をよそへて詠める歌にて、皆歌の詞狩の事に云なしたる歌也。下の意は飽かず思ひ入て、心に叶ひたる夫を戀慕ひ來る夜を待居る義也。それを鹿狩などの事に取なして、悉く其詞を續けて詠める也。既に初句も戀の歌とは不v聞、先づ駒を飼立る事を詠出て、それに乘りて狩に行く有樣に譬へて、皆吾往如く、しし待つ如くなど詠めり
吾往如、是を、わかゆくごとくと諸抄讀みたり。然れ共前に注せる如く、全體狩の事に寄せて仕立てたる歌なれば、狩に往く事とか、狩往く如くとか讀むべし。かりとは、わが事を云詞、やつがりと云略語、又所の事をも、かりと云へば、兩義に通じて狩に往く如くと表は聞えさせたるもの也。わがゆく如くと云ひては、女の歌にて夫を待歌なれば、厩を立てそれを飼ひ、わがゆく如くとは義不v通。尤如くと譬へたる言葉なれど、厩を立て駒を飼ふは其身に當りたる義なれば、わかゆく如くと云ひて女の飼べき義不2相應1也。狩にゆく事なれば、厩を立て駒を飼ふと云ふも全體の噂の譬へになる也。此差別を可v辨。かりゆく如(54)くと云ても、わが往く如くと云詞になる詞也。依てかり往くとか、かりに往くとか讀むべき也。かりにと云は、狩にと所にとを兼て云義也。所は思ふ人の許へ也
心に乘りては前前毎度ある詞にて、わが心に叶ひて一致同心になりてと云義也。上は駒と詠めるから、のりてと云此詞も出たる也
峰のたをり 是は句を改めて、是より狩の事の樣子に云へり。峰のたをりは、折曲りたる所也。いめたてては前に見えたり。第八第九卷に注せり。こ柴など圍ひて鳥けものの通るを見る事也。床敷而は常《とこ》しきにと讀む説有り、又ゆかしくてと云説も有。不v可2信用1。寐床を敷て待つと云意なるべし。狩の詞にしては不2相應1なれど、所をしきてと云意、しきては狩場をしきかまへてと云義に通ふ故、不相應の詞にもならぬ也。吾待公は、かり待つせこにと讀むべし。我待つ君と云義に通ずる也
犬莫吠行年 いぬなほえこそ、此歌かりの事によそへたれば、此一句はし無く出たる事にていかに共つかぬ句也。然れ共全體獵の事に云ひなして詠み出たる歌故、よく叶ひたる終也。意はわが待居る君が來らば、犬の吠えかかりて驚かすな。又人も知らん事のうるさきとの意也。犬は必ず見なれぬ人には吠えかかりて、おどすものなれば也。清少納言、にくきものの部、忍びてくる人、見知りて吠ゆる犬は、うちも殺しつべしとも書けり。此見知りての、りは、見知らでと書かれけるを、りと見誤りしより、傳寫誤り傳へて云ひ來るならん。見知らでなるべし。戰國策云、假産謂2新城君1曰、夫宵行者能無v爲v※[(女/女)+干]而不v能v令2狗無1v吠已。宵の間に往來するものは、惡しき事をなさざれば、犬をして吠えさしむなとの制也。唐土も我國も昔より、要心の爲又爲v無v令3狐狸馴2近家邊1に、手飼ひの犬と云ものを飼しと見えたり。神代紀にも、夜々に犬してみかきのもとを守らしめらるるの起りも被v記し也
又狩には極めて、しし犬、鷹犬など云てつるるもの也。第七卷の歌にも、垣越しに犬よぴこしてなど、狩の事によそへて詠める歌有
反歌
(55)3279 蘆垣之末掻別而君越跡人丹勿告事者棚知
あしがきの、すゑかきわけて、せここすと、ひとになつげそ、つげばたなしる
人になつげそとは、本歌の犬なほえこそと云ふをうけて、犬に教へし義也。なが聲立ててなけば、人に告げ知らすると同じければ、な泣きそと云の意也
事者棚知 此句濟まぬ詞也。事の字は、つかふ、つかへると讀む也。依てつかへを約すればつげ也。告げそ、つげばたなしると續けたる句也。是を、ことはたなしると讀みては、いかに共義不v達也。こととは、忍び來る事の一枚に知れるとの義と云説あれ共、さ讀みては歌と云處無き也。つげそ、つげばとうけたる處肝要の所也。棚知は、たなぐもりなど云て、たなとは一枚にいづ方迄もと云義也。身もたなしらずたなゆひなど詠みて、只發語に詠める意もあれど、いづ方へも往き及びて、よく知れると云の義を、たなしるとは云たる也。催馬樂に、あしがきまかきかきわけててふこすとおもひこすとはれてふこすとたれかこのことをおやにまうよこしけらしもと歌ふは、此歌をとりてならん
右二首
3280 妾背兒者雖待不來益天原振左氣見者黒玉之夜毛深去來左夜深而荒風乃吹者立留待吾袖爾零雪者凍渡奴今更公來座哉左奈葛後毛相得名草武類心乎持而三袖持床打拂卯管庭君爾波不相夢谷相跡所見社天之足夜于
わがせこは、までどきまさず、あまのはら、ふりさけ見れば、ぬばたまの、よもふけにけり、さよふけて、あらしのふけば、たちどまり、まつわがそでに、ふるゆきは、こほりわたりぬ、いまさらに、きみきまさめや、さなかづら、のちもあはんと、なぐさむる、こゝろをもちて、みそでもて、とこうちはらひ、うつつには、きみにはあはず、ゆめにだに、あふとみえこそ、あまのあしやに
(56)此歌は女の歌にて、卑しき海人の葦屋に雪霜氷を凌ぎて人を待つと云事を、面白く連ねたる也。歌の意句面にて能聞えたれば不v及v釋也。畢竟現つにはとても逢ふ事なるまじければ、夢になり共見えこせと願へる歌也
或本歌曰 異説を擧げたる也。萬葉一本の説也
3281 吾背子者待跡不來鴈音文動而寒烏玉乃宵毛深去來左夜深跡阿下乃吹者立待爾吾衣袖爾置霜文氷丹左叡渡落雪母凍渡奴今更君來目八左奈葛後文將會常大舟乃思憑迹現庭君者不相夢谷相所見欲天之足夜爾
わがせこは、までどきまさず、かりがねも、どよみてさむし、ぬばたまの、よもふけにけり、さよふくと、あらしのふけば、たちまつに、わがころもでに、おくしもも、ひにさえわたり、ふるゆきも、こほりわたりぬ、いまさらに、きみきまさめや、さなかづら、のちもあはんと、おほぶねの、おもひたのめど、うつつには、きみにはあはず、ゆめにだに、相所見欲、あまのあしやに
阿下乃吹者 阿隈と同義の字故、嵐は山氣山下の氣と云字注あれば、阿下と書て、あらしと讀むべき義也。くまくまの氣と云意にて、あらしと讀ませたる也。山下と書きても、あらしと反歌に讀ませたり
氷丹左叡 氷とは訓也。こほりとも、ひとも云也。ひの雨のふるなど云へる、霰の降るを云も、ひは氷の事故也。ひやうと云音を云にあらず。うすらひなど云にても知るべし
相所見欲 あふと見まほしとも讀まんか。所を、とと讀むは、ところと云一語をとりて也
反歌
3282 衣袖丹山下吹而寒夜乎君不來者獨鴨寢
ころもでに、あらしのふきで、さむきよを、きみきまさねば、ひとりかもねん
(57)よく聞えたる歌也
3283 今更戀友君二相目八毛眠夜乎不落夢所見欲
いまさらに、こふともきみに、あはめやも、ぬるよをおちず、ゆめに見えまく
歌の意は聞えたり。現つには逢事あらじと詠める本歌の意をうけて、今更にと戀ひ佗ぶる共、君に逢はめやもと也。ぬる夜をおちずは夜毎にと云意、一夜もおちずなど前に詠める意と同じ。無2問斷1不v欠と云意也。此反歌二首は、前は前の本集の反歌、此歌異本の反歌を一所に擧げたるか。但しは本集に二首ありしか。左注無ければ不審也
右四首
3284 菅根之根毛一伏三向凝呂爾吾念有妹爾縁而者言之禁毛無在乞常齋戸乎石相穿居竹珠乎無間貫垂天地之神祇乎曾吾祈甚毛爲便無見
すがのねの、ねもごろごろに、わがもへる、いもによりては、ものいみも、無在乞と、いはひべを、いはひほりすゑ、たかだまを、まなくぬきたれ、あめつちの、神をぞわがいのる、いともすべなみ
言之禁毛は、何事の、わざはひも、さはりも也
無在乞常 なくあれかな共なくあれこそ共讀むべし。何れも願ひたる義也。いとねんごろに思ひ入たる妹によりて、何事も障りつかへ無く、名さがもあらはれずあれかしと、神祇に迄祈ると也。いともすべなみとは、思ひ餘りて、詮方無さにと云意也。能聞えたる歌也
今案不可言之因妹者應謂之縁君也何則反歌云公之隨意焉
反歌に、君によりてはと云に、公の字を書きたるは誤り歟。又此本歌に妹と書けるを、君と改むべき歟との不審也。一理無きにあらず。公の字を女の事に用ゆる事不相應なるとの注なれ共、當集には其差別無く書きたり。もとより借訓書なれば差別(58)あるべきにもあらず。今も母公尼公など俗文にも書來れり
反歌
3285 足千根乃母爾毛不謂※[果/衣]有之心者縱公之隨意
たらちねの、ははにもいはず、つつめりし、こころはゆるす、きみがまにまに
つつめりしは、慎しみ憚りし心も也。よしや兎も角と許して君に任すると也
或本歌曰
3286 玉手次不懸時無我念有君爾依者倭文幣乎手取持而竹珠呼之自二貫垂天地之神呼曾吾乞痛毛須部奈見
たまだすき、かけぬときなく、わがもへる、きみによりては、しづぬさを、てにとりもちて、たかだまを、ししにぬきたれ、あめつちの、かみをぞわがこふ、いともすべなみ
之自二貫きたれは、しげく隙間無く貫きたれと云義共釋し、又すす竹に貫きし事を云共傳へたり。しの竹をすす竹とも云へば、此説然らんか。歌の意は能聞えたり
反歌
3287 乾地乃神乎祷而吾戀公以必不相在目八毛
あめつちの、神をいのりて、わがこふる、きみにかならず、あはざらめやも
天神地祇に祷りまふしをして、遂にわが戀ふ人に逢はんと也
或本反歌曰
(59)3288 大船之思憑而木始已彌遠長我念有君爾依而者言之故毛無有欲得木綿手次肩荷取懸忌戸乎齋穿居玄黄之神祇二衣吾祈甚毛爲便無見
此歌木始巳の三字いかに共讀み難し。こしおのがと讀みては歌にあらず。餘り拙なき讀樣也。此三字別訓あるべし。上の船による言葉歟。下の、いや遠長に付く冠句歟。何とぞ義訓あるべし。宗師云、木のはじめをはりと書きたれば春秋をと讀むべき歟。愚案、こしのみかと讀まんか。是迄思ひたのみて來しのみか、行末も長くと云意歟。尚後案すべし。歌の意は本集に同じ。無有欲得、なくもあれがな共なからまほし共讀まるる也。何れにても願ひたる意也
右五首
3289 御佩乎劔地之蓮葉爾浮有水之往方無我爲時爾應相登相有君乎莫寢等母寸巨勢友吾情清隅之池之池底吾者不忍正相左右二
みはかしを、つるぎのいけの、はちすはに、たまれる水の、ゆくへなみ、わがせるときに、あはんとあひたる、きみをなねよと、ははきこせども、わがこころ、清隅のいけの、いけのそこ、われは不忍、ただにあふまでに
御佩乎 此みはかしをと云へる手爾波、古詠には如v此の言葉いくらも有りて時代の風格也。今時の歌にては如v比の手爾波無き也。畢竟をと、のと通音の義なるべし。みはかしのと云べきを、をと云へる也。みはかしとは劔刀の事を云也。日本紀に御刀、此云【彌波迦志】劔池、應神紀云、十一年冬十月作2劔池〔輕池鹿垣池厩坂池1。〕舒明紀云、七年秋七月瑞蓮生2於劔池1。〔一莖二花。〕又皇極紀三年夏六月癸卯〔朔戊申、於2劔池蓮中1有2二莖萼者1。〕大和國高市郡にある池也
渟有水之云々 是を諸抄の説は、はちす葉に水のたまれるが、風など吹きてこぼれ、さりげも無く跡の殘らぬをゆく方なみと云へる義と釋せり。かく云ひては、下のわがせし時にと云詞不v濟也。思ひ佗びて、思ひの遣方無く、ゆく方も無き樣にわがせ(60)し折を先にも哀れみ、心解けていざや逢はんとて、逢ひし時にと云義と聞ゆる也。我切に思ひし時に當りて、逢はんと契りて逢ひし事と聞ゆる也。たまれる水は、はちす葉の上にたまりたる水なれば、いづ方へも流れ行べき方無きものなれば、ゆくへなみとは詠めるならん。第十六卷に、久方のあめもふらぬかはちす葉にたまれる水の玉に似んみん共詠めり
ははきこせともは、母いさめすかせ共と云義也。又云ひ聞かすれ共の意歟
わが情清すの池の云々 きよすみと読みたれど、きよすと讀まんか後考あるべし。此池も大和に有。堀川の後度百首顯仲歌にも
みぎはには立もよられぬ山かつの影はづかしき清隅の池
此歌は證明にはなり難し。此時代の人の歌、此集の假名付を證として讀み違ひたる事枚擧に遑なし。古語によるべし。先此歌にては、すみと讀める也。扨わが心きよすと詠めるは、あひにし人の爲に心の底井清く澄みて、外心無く逢ふ迄は變らぬ心にて、其人の事を忘れじと也
不忍 此忍の字不審也。忘の字の誤なるべし。但しただに逢ふ迄は、慕ひ忍ばず心をすましをらんとの事歟。それにては義六ケ敷也。忘の字の誤りと見る方義安き也。又あひし人を慕ひ戀ふ事を、得忍ばぬとの意なる歟。此義も安し。然れ共反歌に念の字を書きて、忘られずと假名を付けたれば、念の字忍の字共忘の字ならんか
反歌
3290 古之神乃時從會計良思今心文常不所念
いにしへの、かみのみよより、おひけらし、いまの心も、つねわすられず
此歌少聞き得難き歌也。先一通に釋せば、かく逢ひし人はそのかみ神代の時知らぬ昔より逢ひけらし、今現在にもかく常に忘られぬ心は、因縁ある事ならんとの意に聞ゆる也。是等の歌本邦の道の殘りて、上代佛陀の邪法無かりし時の證明の歌也。今時ならば未來來世現世後世など云詞を云べきに、其上身の生出でぬ先の事を云へるに、神の御代より詠める事至つて殊勝なる(61)歌也。常忘られずと云此常といふ事何とぞ別訓あるべし。前々にも此訓の事注せり
右二首
3291 三芳野之眞木立山爾青生山菅之根乃慇懃吾念君者天皇之遣之萬萬【或本云王命恐】夷離國治爾登【或本云天疎夷治爾等】群鳥之朝立行者後有我可將戀奈客有者君可將思言牟爲便將爲須便不知【有る書有足日木山之木末爾句也】延津田乃歸之【或本無歸之句也】別之數惜物可聞
みよしのの、まきたつやまに、あをくおふ、やますがのねの、ねもごろに、わがもふきみは、すべらぎの、やりしまにまに、ひなさかる、くにおさめにと、むらどりの、あさたちゆけば、おくれたる、われかこひんな、たびなれば、きみがおもはむ、いはむすべ、せむすべしらず、はふつたの、かへりにし、わかれの數、をしきものかも
ねもごろにと云迄は序詞也。わが思ふ君と云はん迄に、ねもごろと云詞を設くるに、其句にとくと打つく義を段段と詠み列ねたり
夷離 しなさかる、ひなさかると云て、邊土田舍の速く隔たり遠ざかりたる國の事を云冠句也。ひなとは帝都に離れたる田舍の事を云。其田舍のさかり隔てたる國と云義也。天さかるひなと云義も同じ意也。然れ共ひなさかると云語釋は未だ不v考。先づ遠く都にさかりたる國と云義を、古語に、ひなさかると云と心得べし
或本云王命恐 如v此の句ある一本もありと也。天皇のやりしまにまにと云迄の異句也
萬の字を上古はまんとも、まにとも音借に用たり。凡てむの音と、にの音とは同音に通じ來れり。牽牛子を、けにこしと云類、丹波をたにはと云如し。萬もまんの音故まにと云也。天子の勅のまにまに隨ひて、ひなの國治めにと也
後有 おくれたるとは共に不v行て、殘り居妻の義也。われかこひんなの句を互ひにして、君か戀ふらんわれか慕はんと也。(62)思の字前にも注せる如く、しのび、したふ、こふとも讀む也。こふらんにてもあるべし
延津田乃別之數 はふつたは、末あなたこなたに這ひわたるもの故、別れと云はん序に毎度詠める詞也。諸抄の説別れのあまた惜しきと讀みたり。別れのあまたと云詞平懷にて、ただ事に聞ゆれば、何とぞ讀樣あるべし。數の字は、しばと讀む字なれば、別れゆきしは惜しきものかも共讀むべきか。又なべてもと讀む義あれば、別れのなべてと讀まんか。別れのあまたにては餘り拙き詞也。津田の下に歸之二字あれど、古注の通衍字あるべし。既に一本には無き由を注せり。依て無きを爲v是除v之也。歌の意は句面の通にて聞えたる也。國の守などになりて、遠國へ下りし人の妻の詠める歌なるべし
反歌
3292 打蝉之命乎長有社等留吾者五十羽旱將待
うつせみの、いのちをながく、あれこそと、とどまるわれは、いはひてまたん
よく聞えたる歌也
右二首
3293 三吉野之御金高爾間無序雨者落云不時曾雪者落云其雨無間如彼雪不時如間不落吾者曾戀妹之正香爾
みよしのの、みかねのたけに、ひまなくぞ、あめはふるといふ、ときじくぞ、ゆきはふるちふ、そのあめの、ひまなきがごと、そのゆきの、ときならぬごと、ひまもおちず、われはぞこふる、いもがまさかに
御金高 延喜式〔第九神名上云、大和國吉野郎吉野水分神社吉野〕山口神社金峰神社。かねのみたけと云。きんぶせんと俗に云此山也。源氏物語夕顔、清少納言枕草紙に、みたけさうしと書けるも此金峰の事也。第一卷に、天武天皇の御製に見えたる(63)詞に、相替らぬ續けがら也。ひまもおちずと云はん迄の序に、かく長長と句を續けたる、上代の風格紛れ無き古詠也。妹之正香爾と有が寢所など共云説説ありて不v濟義也。此歌にては反歌の意引合見るに、ありさまにと云意に聞ゆる也。此のまさかの詞不v濟也。第十四卷にては、まさかしよかば共讀みたれば、其歌にては未だによくばと云意に聞え、其外に數多ありて、在りか住みかの事にも聞ゆる也。此歌にては容貌有樣の事に聞ゆれば不v決也。畢竟の意、忘るる暇も無く妹に戀佗ぶると云意也
反歌
3294 三雪落吉野之高二居雲之外丹見子爾戀度可聞
みゆきふる、よし野のたけに、ゐるくもの、よそに見しこに、こひわたるかも
御金高をよしののたけ共よめり。吉野郡にあれば也
外丹見子爾 よそにとは、おふよそに見し子也。外にと云はんとて、吉野のたけに居る雲を詠みて、よそと云詞に續けたる迄の事也。假初に見しなど云意と同じ
右二首
3295 打久津三宅乃原從當土足迹貫夏草乎腰爾莫積如何有哉人子故曾通簀文吾子諾諾名母者不知諾諾名父者不知蜷腸香黒髪爾眞木綿持阿邪左結垂日本之黄楊乃小櫛乎抑刺刺細子彼曾吾※[女+麗]
うちひさつ、みやけのはらゆ、當土に、あしをつらねて、なつぐさを、こしになづみて、いかなるや、ひとのこゆゑぞ、かよはすも、わがこうべうべな、ははにはしらず、うべうべな、ちちにはしらず、みなのわた、かぐろきかみに、まゆふもて、あささゆひたれ、やまとなる、つげのをぐしを、おさへさす、さしもよきこは、それぞわがつま
(64)此打久津を諸抄には、うつくしき沓と云事に釋したり。いかに共心得難し。毎度うちひさす打日佐受、又第十四卷目の歌にも、字知比佐都美夜能云々とありて、みと續く冠數多ある也。然れば極めて是も沓と云義にてはあるまじき也。みやとうけたる冠句也。扨うちびさつは兩義有。祝賞の詞又うちひさる箕とうけたる義と、兩義の内何れ共不v被v決也。ものを打ひさると云詞也。都《ツ》と類《ル》と通ふ也。箕にて物をひると云也。一義の箕とうけたると云釋は、うちひさる、みとうけたる也。うちひは、ほこり塵也。ほりを約すれは一言にしては、ひ也。都は類と同じ、さるの上略也。又祝賞の詞に讀める義は、うちひさすと云濁音の受の字を書ける歌有。都にても濁音に讀まるれば、須受都の字共に濁音に讀まるる也。すも、つも濁音にては同音にてぬになる也。是なればうつは現在のうつの事、ひさづ、ひさずはひさぬ也。ひさぬと云詞は、にふると云三語を約すればぬ也。にるはぬ也。依て宮殿みやこなど續けたる歌あれば、うつにひさにふるみや都にと云祝言に、續けたる冠句とも聞ゆる也。此歌も箕の事共又みやけと云から、みやとうけたるものなれば、祝言の方より云ひたる歟、兩義と見るべし。久津とあるから沓の事に釋せる説は、いかに共心得難し
三宅乃原 大和の國添下郡にあると云説有。何によりてか證明を不v顯ば信じ難く、又河内國共云也。武烈紀の、影の歌に詠める、大やけすぎと云大やけをも、みやけと云べきと云説有。何の國共決し難けれど、此歌の列皆大和の地名なれば、大和の内にあらんか
當土 是をひたつちにと讀ませたり。ひたつちと云義如何共解し難し。語例も無き詞也。ひつちと云事有。それに准じてひたつち共云歟。宗師案は、當はすなはちと讀む字なれば砂土にか。すな原共云なれば、三宅の原の砂原を行かんには、足の砂に入て捗らぬものなれば、行なづむ事に砂土に足ふみぬきてと詠めるならん。或抄に當は常の誤常の字はひたと讀む、常陸のひたにても知るべしと云へり。然れ共ひたつちとは如何なるを云との釋無ければ用難し。尤ひたつちと云語証もあらば、當は常とも見るべし。又當にてもひたつちと云義に當る義あらば可v用也
夏草乎腰爾莫積 夏の草の繁りたる野原を行かんには、腰にまとひなづむべき也。第十九卷に、ふる雪をこしになづみと詠める、こしには腰か越しかわき難し。仁徳天皇の御製にも、すずふねとらせこしなづみと詠ませ給ふも、越しか腰か不分明也。(65)先づ此處のこしになづむは、腰に草のもつれてなづむ事と見るべし。三宅の原を行通ふに、なづめるとの事也。
如何有哉 何とてかかくは辛勞をしつつも行通ふぞと也
人子故曾 人妻からにと云と同じ
通簀文 行通はするも也
吾子 此下に故曾の二字を脱したるならん。さ無くては句不v調也。吾子故曾とは、我妻故曾と云の意也。是をあ子ゆゑにぞとか、あこからにぞとか讀むべし。あ子とはそなたと云と同じ意也。吾妻と云義より、あこからにぞと云方然るべし。第十九卷に光明皇后の御歌にも、先の人をさして詠ませ給ふにも此吾子と有。先を指してそなた故と云意也
諾諾名 もつとももつともと云義也。もつとも母だけには知らせずと云義也
不知母 ははにはしらずと読むべし。知れずは知られずの意也
眞木綿もて もとゆひに木綿をしたるならん。昔は皆糸の類にて髪をあげし也
阿邪左結垂 水草の※[草がんむり/行]菜の事と云説有。あさざの如くに美しく、髪を結垂れたると云釋あれど、いかに共心得難し。今もさげ髪と云ものには、かもじと云物を入れて長く垂るる事あれば、若し上古も如v此の類ありて、白髪を、あさざの如くに揃へて結ひ添へ垂れたる歟。其名をあさざと似たる躰なる物故、名付けたる歟。髪母とあるから、又一つ物を添へて結垂れたる事に聞ゆる也。宗師の案は朝朝なるべし。朝な朝なと云を、あさざ共云たるならんと也。朝朝と限る事心得難く、夕部と對する句もあらば、極めてさとも見ゆれど、髪にとありて結垂れとある故、此義未だ不2落著1也
日本之 やまとなると讀むべし。之の字はなると讀める事多し
小櫛乎抑刺 皆女の飾りの躰の事を云へる也
刺細子 是を、さすたへのこと讀めり。さすたへの子と云詞ある事にや。いかなる義を云事か未v知、心得難き讀みやう也。上のさしと云事をうけて、さしもよき子はと云義なるべし。さしもと賞めて云へる義ならん。如v此のよきは、さしもわが妻なれと云意也(66)細の字はよきとも、くはしとも讀みて賞めたる義也。かくよき于故、三宅の原をもなづみ通ひて父母にも知らせず慕ひ戀ふ、さしも美しくよき子なればこそ、わが妻なれと自讃せし歌也
反歌
3296 父母爾不令知子故三宅道乃夏野草乎菜積來鴨
ちちははに、しらせねこゆゑ、みやけぢの、なつののくさを、なづみくるかも
三宅路と云所を隔て、通ふ處なるべし。是は寄せ事に云ひたるには無く、事實を云へる也。父母の不v許忍通ふ隱し妻故、辛勞をして砂ひぢにも足蹈みぬき、夏草の茂れるをも押し分け、分けなづみて通ふと也
右二首
3297 玉田次不懸時無吾念妹西不會波赤根刺日者之彌良爾烏玉之夜者酢辛二眼不睡爾妹戀丹生流爲便無
たまだすき、かけぬときなく、わがおもふ、いもにしあはねば、あかねさす、ひるはしみらに、ぬばたまの、よるはすがらに、いもねずに、いもをこふるに、いけるすべなみ
思ひかけぬ時無きと云事を、古詠に皆斯く詠めり。かけぬは、ここよりかしこへ心をかけ渡し慕ふの意也。其かけぬ時無くと也。戀慕ひ佗びて、命も絶えぬべし、生き永らふべき仕樣も無きと他無き意を云へり。能聞えたる歌也
反歌
3298 縱惠八師二二火四吾妹生友各鑿社吾戀度七日
よしゑやし、しなんよわぎも、いけりとも、かくのみこそわが、こひわたりなめ
(67)火をなんと讀むは、五行を四方に配當して南を火の方とするから、義をもて書けり。上野二二は數を以て二二は四也。音借也。歌の意は能聞えたり。とても生きてあり共、かくのみにこそ戀ひわたらんずれば迚もよ死なんと也
右二首
3299 見渡爾妹等者立志是方爾吾者立而思虚不安國嘆虚不安國左丹漆之小舟毛鴨玉纒之小※[楫+戈]毛鴨※[手偏+旁]渡乍毛相語妻遠
みわたりに、いもらはたたじ、このかたに、われはたちつつ、おもふそら、やすからなくに、なげくそら、やすからなくに、さにぬりの、をぶねもかも、たままきの、をがいもかも、こぎわたりつつも、あひかたらめを
みわたりとは川の渡りの事也。みとは初語の詞にして、此歌は川を隔てて住む人を戀ひする人の詠める也。此歌の詞共、第九卷第十卷の七夕の歌等にも其外毎度出でたる詞也。歌の意も能聞えたる也
或本歌頭句云
己母理久乃波津世乃加波乃乎知可多爾伊母良波多多志己乃加多爾和禮波多知※[氏/一]
異本を擧げたり。見渡りにと云から、吾名立而と云迄の句替りある一本を所見せしと見えたり
右一首
3300 忍照難波乃埼爾引登赤曾朋舟曾朋舟爾綱取繋引豆良比有雙雖爲曰豆良賓有雙雖爲有雙不得叙所言西我身
おしてる、なにはのさきに、ひきのぼる、あけのそほふね、そほふねに、つなとりかけて、ひきつら(68)ひ、ありなみすれど、いひつらひ、有雙すれど、有雙えぬぞ、のられにしわがみ
赤曾朋舟 第三卷高市連黒人羈旅の歌に見えて、そこに注せる如く此義兩説有。丹土にて塗たる船とも云ひ、又朱塗りの舟に帆を擧げたるを云て、曾はさと同じくて、さほ船と云の義兩説也。あけとは赤く塗りたる船と云義、そほは赤く丹土にて塗りたると云義にて、赤土を、そほにと云事は、日本紀神代上卷にも見えたり。然れば赤と云事を重ねて、そほ船と云たる也。兩義は好む所に從ふべし
引豆良比 ひきつらなり也。同じ樣に引並び通りて、たぐへんとすれどと云義也
有雙雖爲 是をありなめすれどと讀ませたれど、ありなめすると云詞珍しき詞也。何とぞ別訓あるべし。宗師案は、たぐへんとすれどと讀むべしと也。ならぶ事ありと書きたれば、倶にならばんとすれどと云義訓に讀ませたるにてあらんと見る也。猶後案すべし
所言西我身 のられしわがみ也。いはれしとは讀み難し。罵れしの意也。のられしは叱られしと云義也。制し被v禁し我身故、戀ひ思ふ人と相共に打並び居らんとすれど、外より制し諫められし我身故、えたぐひ得ぬと也。全體にて云ひなせる歌故、終の句も、のられしとは詠める也。云事をのるとも云。告るの字を毎度のると讀みたるにて知るべし
ひきつらひ、いひつらひは、引つらなり、物云ひつれだたんとすれどの意也
右一首
3301 神風之伊勢乃海之朝奈伎爾來依深海松暮奈藝爾來因俟海松深海松乃深目師吾乎俟海松乃復去反都麻等不言登可聞思保世流君
かんかぜの、いせのうみの、あさなぎに、きよるふかみる、ゆふなぎに、きよるまたみる、ふかみるの、ふかめしわれを、またみるの、またゆきかへり、つまといはじとかも、おもほせるきみ
(69)深目師 此ふかめしと云はん爲に、上よりゆるゆると序詞を云ひ連ねたり。第二卷の人丸の歌によく似たる句續き也。若し此歌も人丸の歌などにや。第二卷にて注せる如く、深みる長みるなど云て、海藻の内にありと延喜式にも見えたり。深めしわれをとは、深く思ひ染しわれをと云義也。俟梅松は、また去反と云はん爲の序、またみるに意は無し。全體の歌の意は、深く思ひ頼みし人の、又ゆき離れ中絶て、妻とは云はれじとかもと、疎くなりし人を恨みたる意也。妻とは云はじと思ほす君かもと、深く恨みたる意也。或抄に暫く絶えたる人も、又立ちかへる意也と云説は、不v言かもと云句を何と見たる歟。心得難し。深く思ひ染めし人の又去かへりて、つまとは云はれまじと思ほせる君かなと、歎き恨みたる歌とならでは見難し
右一首
3302 紀伊國之室之江邊爾千年爾障事無萬世爾如是將有登大舟乃思恃而出立之清瀲爾朝名寸二來依深海松夕難伎爾來依繩法深海松之深目思子等遠繩法之引者絶登夜散度人之行之長爾鳴兒成行取左具利梓弓弓腹振起志之岐羽矣二手挾離兼人斯悔戀思者
きのくにの、むろのうみべに、ちとせに、さはることなく、よろづよに、かくしあらむと、おほぶねの、おもひたのみて、いでたちし、きよきなぎさに、あさなぎに、きよるふかみる、ゆふなぎに、きよるなはのり、ふかみるの、ふかめしこらを、なはのりの、引者絶登夜、さとびとの、行之長に、なくこなす、ゆきとりさぐり、あづさゆみ、弓腹ふりおこし、志之岐羽矣、ふたつたばさみ、離兼、ひとしくやしも、こひしとおもへば
後案、此歌次の歌と引合て見るべし
江邊爾 是を、えのへにと讀ませたれど、海の字の誤なるべし。深海松繩のりなど讀みたれば、江にては不2相應1也。偖此歌は全體聞得難き歌也。先は宗師案に紀伊國の海邊にありし人、役に召されて關守などに行きし時の別れの歌と見る也。諸抄(70)の説は、室の海邊にありし女子を深く思ひかけしに、其里人も數多寄り集ひ爭ひ慕へば、終に中を裂かれし事を詠めるとの義也。何れか正義ならん。猶後案すべし。室の海邊は牟漏郡の海邊也
如是將有登云々 牟漏郡の海邊に住める人の、いつ迄もかくあらんと思ひ恃めしと也
出立之 はしり出のなどとも云ひて、其所の景色をほめて云ひたる義也。此卷の奥に、忍坂山を出立のくはしき山とも詠めり。地形風景の清くいさぎよき湊と云義也
深海松繩法 皆ふかめてと云ひ、引ば絶とかと云下の句の縁語、序詞に詠出でたる句也。繩法も借訓書にて海苔の事也
深目思子等遠 深く思ひし子ら也。千世萬歳迄も連れ添ひあらんと思ひし子らをと也。子らは女子の通稱なれば、妻女の事を云へるなるべし。然れば此歌は男子の歌にして、其妻子等に別れる事を歎ける歌と見る也。此句にて少紛らはしく聞ゆる也。深めし子らをと云は、深めしわれらをと云句勢にも聞ゆる也。奧の離れけんと詠める詞は、女子の詠める詞に聞ゆる也。公役にて別れ行男子の詞ならば、別れ來ると詠むべきに、別れけんとは外人の別れしを噂に云へる句也。依て全體の歌の意とくと聞き得難き詞共有。尤ししきはなど云句もいかに共知れ難し。諸抄の説は、しのぎはと云て、矢は敵を犯し凌ぐ物故、しのぎはと云は、矢の名と釋したれど一向難2二信用1也
後案、此歌次の歌と引合見るべし。然らば女の歌なるべし。然らば此子らは自身の詞ならん
引者絶登夜 此句不v濟也。繩法は此句の爲に上に詠出たり。然るに此ひかば絶とやと云は、いかにしたる義を云ひたるや。此所にての趣意何共聞わけ難し。公役にて關守などに行く事を、引けばたゆとやと云ひたる義歟。深めし子らを振り捨てて、直ぐも早や中絶えんとや引別るると云事を、かく詠めるそれにては句意不v通也
散度人之行之長爾 諸抄の説は、里の人人の行き集ひてと云意にて、里人のゆきのつどひにと讀ませたり。長の字の字義に多也と云義あるから、つどひは多集の事と釋せり。然れ共ゆきのと云詞無き詞也。尤旅の事を、ゆきの長きなど詠める事は、前にも見えたれど、只そこへ行集ふ事などに、ゆきのとは云ひ難し。ゆきしと云義に云はるべき義あらば、ゆきしとは云べし。或説には行きしつどひと讀ませたれど、其義いかにしたる事と云釋も不v濟ば、此説も信用し難し。里人のゆき集ふ所へは、わ(71)らわべの寄り集るもの故、なく子なすと詠めるなど云へる説也。いかに共不v濟義也
宗師案は、さと人とは凡ての人の事を指して云へる義、行之長爾とは、旅のつかさにと云義なるべしと也。愚意未v落。行之長は關守の事ならんか。關守を、旅のつかさと云事を未v聞ば追て可v考也。旅のつかさに行とて、童の泣きて手さぐりする如く、弓やなぐひ取りさぐりてと詠める意也。直に關守故、弓矢を持ち、ゆきを負て行體の義を云かけたる也
弓腹振起 此腹と云字心得難し。假名には、はずと讀ませたれば、※[弓+肅]の字を誤りたる歟。腹の字をはずと讀むべき義未v孝。誤字と見る也。はずと讀む義あらんか。後賢の人可v考也。當集第十九卷にも、弓ずゑふりおこしと有。日本紀神代上卷に振起弓※[弓+肅]と有
志之岐羽矣 此義いかに共不v知。或説には矢の名と云。矢は敵を凌ぎ犯す物故、しのぎ羽と云との説、いかに共難2信用1也。志之岐と書たれば、之の字をはさみて訓に讀む義も不v可v好。しのぐ物故矢の事と云も證明無き説也。一説に、鷹の羽にて剥ぎたる上指しの矢を云との説も有。いかさまにも矢の名とは見ゆれ共、いかがしたる矢を云との證明無ければ決し難し。二手挾、是をふたつたばさみと讀みたれど、ふたつと云事矢に不v合詞也。是は、ま手にはさみてとか、ともにたばさみにてあるべし。ま手の、まは初語のま也。兩手をま手と云から、二手と書きて毎度ま手とは讀ませて、處によりて左右の手とも書きて、ま手と、いくらも讀みたり。其ま手は事によりて兩方の手の事になり、又此歌の如く眞手の心にて、發語のまともなる也。只手に挾みてと云義也。手ばさみも、たは發語、只はさみと云事にも聞ゆる也。尤手に挾みと云事にもなる也。たと云發語を云事に習ある事也。手に持ち手に取物に付て、手ばさみの、たわすれぬなど云事也。メツタと發語とても其縁によらぬ事には用ゐざる事習也。枝を手折など云も、手にて折物故たは發語にて云事也。手にて折と云事にはあらず。發語に云たるた也。是等の類にて辨へ知るべき事也
離兼 此句聞きにくき也。宗師案は、そのかみ別れそめし人の例をくやみたる義と也。人しくやしも戀ひしくおもへばとか、おもひしたへばとか讀むべし。此歌の全體の趣意※[耳+定]と聞分難き也。尚後案すべし
別れて殘り居てくやしきとの意か。共に行ましをの意ならんか。然れば女の歌と聞ゆる也。次の歌此餘意を述べたると聞ゆ(72)る也
右一首
3303 里人之吾丹告樂汝戀愛妻者黄葉之散亂有神名火之此山邊柄【或本云彼山邊】烏玉之黒馬爾乘而河瀬乎七湍渡而真觸而妻者會登人曾告鶴
さとびとの、われにつぐらく、ながこふる、うつくしづまは、もみぢばの、ちりまがひたる、かみなびの、そのやまべから、ぬばたまの、くろうまにのりて、かはのせを、ななせわたりて、うらぶれて、つまはあひつと、ひとぞつげつる
此歌は前の歌の餘意を述べたる樣に聞ゆる也。撰者も心ありて別歌なれ共、如v此次第に列ね入たるならん。凡て歌集を見るには此列ねの列に心を付くべき事也。古今集等にては、別て此辨を知らざれば歌の意不v通事擧げて數へ難し。當集にても其次第に付きてわけある事、前に皆注しあらはせる通の事也。紀の國の牟漏郡の海邊の人、公役に召されて都へ上りしか、其人往來せしを里人の見てつけたるから、いよいよ戀慕はるる事を詠める歌なるべし。然れば前の里人の旅のつかさと詠めるも、公役にさされて上れる其人の中にて、長となりて上れる人の妻などの歌ならんか
此山邊柄 一本彼山邊とある古注の通、彼山邊の本正本たるべし
七湍渡て 此七湍とあるにて明日香川の事と見る也。尤神南火のとあれば同所也。第十七卷に、あすか川七瀬わたりとあれば、ここと引合せ知るべし
ぬば玉の黒馬にのりて、此黒馬の事前にも注せる如く、其當然の事實を云たる義ならん。尤かひの黒駒など云て、名馬にすぐれたる馬あるから、自然と何色にてもあるべきを、赤黒を專と詠めるならん。妻の字は借りて書たる夫婦互にの詞也。歌の意は聞えたる通也。此歌の意死別の體に詠みなせる處心得難し。もみぢ葉の散り亂れたると云ひ、其山邊からなど云へる處、疑(73)はしき詞あれ共、挽歌にも不v入ば定め難し
反歌
3304 不聞而黙然有益乎何如文公之正香乎人之告鶴
きかずして、もだにあらましを、なにしかも、きみがまさかを、ひとのつげつる
もだにあらまし、もだならまし共讀むべし。字餘り耳に立てば、もだならましの方然るべからんか。かの告げし事を聞きしより、いとど戀ひ慕ふ事のつのれるならん。もだにあらましは、何事もせず只あらんを也。なまじひに戀ひ思ふ人の樣子を聞きしから、いとど慕はるるの意をあらはさずして知らせたる歌也
正香乎 此詞不v濟也。宗師案、まは發語さか也。人のさがと云事有。さがのかは濁音さ也。有樣容貌の事を指して云ひたる事也。又性質の事をも云から、人の有樣の事と知られたり。神代紀に、かんさがてりうるはし、神さがしからしむるなど云古語ありて、氣質振舞わざの事を、まさかとは云と見えたり。此歌にても能合たる也
右二首
問答
3305 物不念道行去毛青山乎振放見者茵花香未通女櫻花盛未通女汝乎曾母吾丹依云吾※[口+立刀]毛曾汝丹依云荒山毛人師依者余所留跡序云汝心勤
ものおもはで、みちゆきなんも、青山を、ふりさけ見れば、つつじはな、にほへるをとめ、さくらばな、さかりのをとめ、なれをそも、われによるちふ、われをもぞ、なれによるちふ、あらやまも、ひとしよるには、わがもとに、とどむとぞいふ、ながこころいめ
(74)みちゆきなんも 物を思はずに道をも行かんものを也。此歌少六ケ敷聞定め難き歌也。此毛の字乎の字を誤りたるならんか。紛れ安き字也。青山を見ずば物も思はざらん物をと云意に詠みかけたる義と聞ゆる也。尤下の乙女故に行路にも心不v安物を思ふとの義なるべし
茵花香云云 第三卷目の歌に此句の有。櫻花盛のをとめ、思ふ女の容姿の美しく色よき事を譬へ云たる也。青山をふりさけ見ればに意は無し。匂ふ、盛の、二つを云はん爲の序也
汝乎曾毛 なれもそもは語助也。なれもわれによると云、われもなれによると云世の習なるをと云義也
荒山毛云云 荒き無心の山も、人寄り來ればわが許にとどむとぞ云と也
余所はわがもとと讀みて山をさして也。無心の荒山と云へど、人の寄り來ればそこに止むると云に、われから妹を戀慕ひて通ふ道すがらも、かく物思ひ續けて來る、何とてかとどめぬぞ、とどめよかしと諫め制して、汝心勤と教へし也。なが心いめとは戒めつとめよ也。止めぬ心を戒めて、勤めよと教へたる也。ゆめとも云、ゆといとは通ずる故也
反歌
3306 何爲而戀止物序天地乃神乎祷迹吾八思益
なにをして、こひやむものぞ、あめつちの、神をいのれど、わはおもひます
天地の神をのみ祈りても、我が思ひはいや増せば、何をしてか戀のやまんと也
萬葉童蒙抄 卷第三十七終
(75)萬葉童蒙抄 卷第三十八
3307 然有社歳乃八歳※[口+立刀]纉髪乃吾同子※[口+立刀]過橘末枝乎過而此河能下文長汝情待
反歌
3308 天地之神尾母吾者祷而寸戀云物者都不止來
柿本朝臣人麿之集歌
3309 物不念行去裳青山乎振酒見者都追慈花爾太遙越賣作樂花在可遙越賣汝乎叙母吾爾依云吾乎叙物汝爾依云汝者如何念也念社歳八年乎斬髪與和子乎過橘之末枝乎須具里此川之下母長久汝心待
〔右の三首注解の紙葉脱落す〕
右五首
3310 隱口乃泊瀬乃國爾左結婚丹吾來者棚雲利雪者零來奴左雲理雨者落來野鳥雉動家鳥可鷄毛鳴左夜者明此夜者旭奴入而且將眠此戸開爲
こもりくの、はつせのくにに、さゆばへに、われきたれれば、たなぐもり、ゆきはふりきぬ、左雲理、あめはふりきぬ、のつとり、きぎすもどよみ、いへつどり、かけもなきつつ、さよはあけ、このよはあけぬ、いりてかつねむ、このとひらかせ
左結婚 古事記の神詠にもある詞也。古語毎度、よばへゆばへと詠める也。呼び迎へに來れば也。妻を求めに來ればと云義也。むかは、まなり。依て濁りてゆばへとは云也
(76)左雲理 ともぐもりか。とのぐもりか。兎も角もの、とも、兎に角にの、とに也。には、のなれば、上にてはたなぐもりと云ひ、此處は、とのぐもりか。二義共に空一枚に打曇りたる事也
可鷄毛鳴 なきつつと讀むべし。かけも鳴きとばかりにては言葉不v足。さよはあけ、此夜は明けぬとあれば、上も雉子はどよみと云句に對したる句なれば、鳴きつつと讀むべき也
入而かつねんこのとひらかせ 歌の意は、大和國泊瀬に思ふ人ある故それとゆばひにとは逢ひに行きし事也。よび迎へと云ふも、妻にせんとて逢ひに行きし事を云也。然るに雪降り雨降りて辿り行きし故、夜も既に明けぬ、されどいねて行かん程に、朝戸を開けよと也。句面にて能聞えたる歌也
反歌
3311 隱來乃泊瀬少國爾妻有者石者履友猶來來
こもりくの、はつせをくにに、つまあれば、いしはふむとも、なほぞきにける
よく聞えたる歌也
3312 隱口乃長谷小國夜延爲吾天皇寸與奧床仁母者睡有外床丹父者寢有起立者母可知出行者父可知野干玉之夜者昶去奴幾許雲不念如隱※[女+麗]香聞
こもりくの、はつせをぐにに、よばひして、わがすめろぎよ、おくとこに、はははねてあり、そととこに、ちちはねてあり、おきたたば、ははしりぬべし、いでゆかば、ちちしりぬべみ、ぬばたまの、よはあけゆきぬ、ここたくも、おもふことならぬ、こもりづまかも
吾天皇寸與 我が家の司さなれば、すべらぎの如く敬ひかしつきて、夫を尊敬して也。家の内にても奥深き所に寢所を搆へ置きて、いねたると也。父母に知らせず忍びて通ひ逢ふ妻故歟
(77)不念如 思ふ事ならぬ隱り妻かも、わが思ふ如くに、心任せにならぬ忍び妻かなと云義也。句面にて聞えたる通也
忍びて逢ふ夫來りし時の歌と聞ゆる也。此歌は女の歌歟。隱り妻かもとは、わが隱りて居人の妻かなと云意共聞え、反歌の意も駒の來る夜はと詠みたれば、女の歌の樣に聞ゆる也。殊に問答の歌なれば、女の歌と見ゆる也。女の意に見れば、其意に見らるる也。決て女の歌なるべし
反歌
3313 川瀬之石迹渡野干玉之黒馬之來夜者常二有沼鴨
かはのせの、いはふみわたり、ぬばたまの、こまのくるよは、つねにあらぬかも
石迹渡りは岩角を蹈み渡りての意と云説なれど、蹈の字の誤りならん。只いは蹈み渡りにて義安き也
黒馬之來夜者 くろまのと讀むべき由云説あれど、くろまを約して、こまとも讀みたると見えて、茲に限らず集中に數多有
常二有沼鴨 常には無き、不斷にあれかしと願ひたる意にてよめる、常にあらぬかも、常にあれかしと也
右四首
3314 次嶺經山背道乎人都末乃馬從行爾己夫之歩從行者毎見哭耳之所泣曾許思爾心之痛之垂乳根乃母之形見跡吾持有眞十見鏡爾蜻領巾負並持而馬替吾背
つきねふ、やましろみちを、ひとづまの、うまよりゆくに、さがつまの、かちよりゆけば、みるごとに、ねのみしなかる、そこもふに、こころしいたし、たらちねの、ははのかたみと、わがもたる、まそみかがみに、あきつひれ、おひそへもちて、うまかへわがせ
次嶺經山背道 大和より山背へは山の嶺續きてあるから、續ける嶺を經て來ると云事にて、續く嶺の山背とは詠める也。日本紀の歌を始め當集にも詠み來れり。人妻の馬より行くに、よの人の夫は馬に乘りて行くにと也。そこもふには、それを思ふ(78)に也
蜻領巾 とんぼうの羽の如く、美しき女の頭に纒ふきぬ也
負並持而 親の形見の鏡と領巾とやらんづるに、二色を並べ持ちて、それを代として馬を買取りて乘れと也。夫の大和より山背へ公役などにつき往通ふ時、歩行にて行をいたはりて也
反歌
3315 泉河渡瀬深見吾世古我旅行衣蒙沾鴨
いづみがは、渡るせふかみ、わがせこが、たびゆくころも、蒙沾鴨
山背への來る道の泉河也。昔は渡しありし也。延喜式第〔五十、雜式云。凡山城國泉河樺井渡瀬者、官長率2東大寺工等1、毎年九月上旬造2假橋1、來年三月下旬壤收。其用度以2除帳得度田地子稻一百束1充v之〕
蒙沾鴨 これをぬれぬらんかもと讀む事蒙の義未v考。若しくは誤字ならんか
或本反歌曰
3316 清鏡雖持吾者記無君之歩行名積去見者
まそかがみ、もたれどわれは、しるしなし、せこがかちより、なづみゆくみれば
見ればと云詞に續けん縁に、又鏡を詠出て、本歌に親の形見に貰ひ持ちたれど、寶とする甲斐も無く、我大切の夫の苦勞するを見れば悲しきと也
3317 馬替者妹歩行將有縱惠八子石者雖履吾二行
うまかはば、いもかちならん、よしゑやし、いしはふむとも、われふたりゆかん
是は問答の歌に詠みて、反歌は問答したる歌をのせたる一本ありしと見えたり。妹が二色の價物にて馬を買たり共妹は歩行(79)にて行かめ。然らば石を蹈みて苦しき道なり共、二人諸共に歩行にて行かんと也
右四首
3318 木國之濱因云鰒珠將拾跡云而妹乃山勢能山越而行之君何時來座跡玉桙之道爾出立夕卜乎吾問之可婆夕卜之吾爾告良久吾妹兒哉汝待君者奥浪來因白珠邊浪之縁流白珠求跡曾君之不來益拾登曾公者不來益久有今七日許早有者今二日許將有等曾君者聞之二二勿戀吾妹
きのくにの、はまによるちふ、あわびたま、ひろはむといひて、いものやま、せのやまこえて、ゆきしきみ、いつきまさむと、たまぽこの、みちにいでたち、ゆふうらを、わがとひしかば、ゆふうらの、われにつげらく、わぎもこや、ながまつきみは、おきつなみ、きよるしらたま、へつなみの、よするしらたま、もとむとぞ、きみがきまさぬ、ひろふとぞ、きみはきまさぬ、ひさにあらば、いまなぬかばかり、とくあらば、いまふつかばかり、あらむとぞ、きみはきかしし、なこひそわぎも
よく聞えたる歌なり
木國へ行し夫を待ち佗びて詠めるならん
君者聞之二二 きみはきかししと讀むべし。君が未だ歸るまじきと聞えさせしと也。きこししとは拙き詞也
反歌
3319 杖衝毛不衝毛吾者行目友公之將來道之不知苦
つゑづきも、つかずもわれは、ゆかめども、きみがきまさむ、みちのしらなく
杖をつきてなり共、つかず共道の勞は厭はねど、君が歸り來ん行路の知れざれば、え出立ちもせず佗び慕ふと也
(80)3320 直不往此從巨勢道柄石瀬蹈求曾吾來戀而爲便奈見
なづみくる、ここゆこせぢから、石瀬ふみ、とめぞわが來る、こひてすべなみ
此歌は前に出たり。亂雜と見えたり。此長歌の反歌なるべし
直不往 是れを、ただ行かぬと讀ませ、前の歌にては直不來と書たり。たゞにこぬ、たゞに行かぬと云義、いかに共不v濟詞也。是は義訓になづみ行くとか、なづみ來るとか讀むべき也。直ちにす直には不v往不v來ば、なづみ苦む意なれば、なづみくると讀む也。こせぢは、大和の内木の國への遺也。前に毎度出たり。求曾吾來は、その道を尋ね求めて來ると也。戀ひてすべなみは、戀佗びてすべき樣無ければ也。是は待居ても待ち堪へられぬから、迎ひに出行の意なるべし。從柄の二字何れぞ衍字ならん。然らば、このこせぢからと讀むべし
3321 左夜深而今者明奴登開戸手木部行君乎何時可將待
さよふけて、いまはあけぬと、とをあけて、きべゆくきみを、いつしかまたむ
木部は紀伊國へ也。聞えたる通也
3322 門座郎子内爾雖至痛之戀者今還金
かどにませ、いらつこうちに、いたるとも、いたくしこひば、いまかへるかに
此歌聞にくき歌也。如v此讀みては問答の歌なれば、前の歌にいつとか待たんと詠みしをうけて、門にませ我れ行先の内に至りぬ共、いたくし戀ひ給へば、やがて歸りこん、内へも入給ふならん、送りて門にいませ、今の間に歸りこんと返したる歌と聞也。又女の歌にして聞ば讀み樣あるべし。隔句體に見れば女の歌にもなるべし。かへり金を、かへるかにと讀むべし。かどに居ていらつこ内に至る共いたくしこへば、今かへるかに、門に居ていたくし戀へば也。これ隔句體に見る讀樣也。郎子を、をとめはと讀みたれ共、それにては義も不v濟。此二字ををとめとは讀み難し。上郎郎女の二字は、をとめと讀みたり。此(81)二字日本紀等にても男子の通稱にて、いらつこと讀み來れり。此歌も、朝戸出の男を云たる郎子ならん
右五首
譬喩歌
3323 師名立都久麻左野方息長之遠智能小菅不連爾伊苅持來不敷爾伊苅持來而置而吾乎令偲息長之遠智能小菅
しなだてる、つくまさのかた、おきながの、とほちのこすげ、あまなくに、いかりもちき、しかなくに、いかりもちきて、おきて、われをしのばむ、おきながの、とはちのこすげ
しな立は、下の小菅にかかる詞也。しなへ立ちたる小菅と云義也。諸抄の説も同じ。愚案、師名の二字何とぞ別訓はあるまじきか。楯を衝間とうけたる詞の樣に聞ゆる也。第十二卷に、あさは野にたつ神こすげとも詠みたれば、しなへ立ちたる菅と云義ならん。つくま、さのかた皆地名近江の國坂田郡の内也。遠知は、とほちと讀みたれど、をちの小すげならんか。息長遠知共に地名也。或説に、遠知は池と云は、菅は水邊に生ずるもの故さ云へるか。池共沼共知れ難し。延喜式諸陵式云、〔息長墓【舒明天皇之祖母名曰2廣姫1在2近江國坂田郡1】〕
不連爾 席にあまず敷かずしてと云義也。菅は前の歌共に笠席に作る事を詠めるは、女に比して戀の調ひたる事に譬へたる也。此歌の譬へし意は、息長の遠知と云所に住める女の、まのあたり見え來りて心ありげに見すれ共、實に逢事無くて、只戀慕はしむると云義を、菅になして詠める也。別の意無き歌也
右一首
挽歌
前に毎度注せり。此挽歌は、第二卷にある人丸の高市尊を悼み奉りて詠める歌と同じくて、高市皇子を悼める歌と聞ゆる也。(82)作者は誰とも知れねど、第二卷の人丸の歌と引合せて見るべき歌也
3324 挂纒毛文恐藤原王都志彌美爾人下滿雖有君下大座常在向年緒長仕來君之御門乎如天仰而見乍雖畏思憑而何時可聞曰足座而十五月之多田波思家武登吾思皇子命者春避者殖槻於之遠人待之下道湯登之而國見所遊九月之四具禮之秋者大殿之砌志美禰爾露負而靡芽子乎珠手次懸而所偲三雪零冬朝者刺楊根張梓矣御手二所取賜而所遊我王矣煙立春日暮喚犬追馬鏡雖見不飽者萬歳如是霜欲得常大船之憑有時爾涙言目鴨迷大殿矣振放見者白細布飾奉而内日刺宮舍人方【一云者】雪穗麻衣服者夢鴨現前鴨跡雲入夜之迷間朝裳吉城於道從角障經石村乎見乍神葬葬奉者往道之田付※[口+立刀]不知雖思印乎無見雖嘆奥香乎無見御袖往觸之松矣言不問木雖在荒玉之立月毎天原振放見管珠手次懸而思名雖恐有
かけまくも、あやにかしこし、ふぢはらの、みやこしみみに、ひとはしも、みちてあれども、きみはしも、おほくいませど、ゆきむかふ、としのをながく、つかへきて、きみがみかどを、そらのごと、あふぎてみつつ、かしこけれど、おもひたのみて、いつしかも、ひたしゐませて、もちづきの、たたはしけむと、わがおもふ、みこのみことは、はるされば、うゑづきのうへの、とほつびと、まつのしたみちゆ、のぼりゆきて、くにみあそばせ、ながづきの、しぐれのあきは、おほとのの、みぎりしみみに、つゆおひて、なびけるはぎを、たまだすき、かけてしのばし、みゆきふる、ふゆのあしたは、さすやなぎ、ねはるあづさを、おほみてに、とらしたまひて、あそびし、わがきみを、かすみたつ、はるのひぐらし、まそかがみ、みれどあかねば、よろづよに、かくしもがなと、おほふねの、たのめ(83)るときに、なげくわが、めかもまよへる、おほとのを、ふりさけみれば、しろたへに、かざりまつりて、うちひさす、みやのとねりも、たへのほに、あさぎぬきるは、ゆめかもや、うつつかもやと、くもりよの、まよへるままに、あさもよい、きのへのみちゆ、つのさはふ、いはむらをみつつ、たまはふり、はふりまつれば、ゆくみちの、たづきをしらに、おもへども、しるしななみと、なげけども、おくかをなしみ、おほみそで、ゆきふれしまつを、こととはず、きにはあれども、あらたまの、たつつきごとに、あまのはら、ふりさけみつつ、たまだすき、かけてしのばな、かしこけれども
大座常 多くいませど也。人もみちみちてあれども也
君下 尊崇し奉る皇子達は多くましませ共、皇子も此皇子人もわれこそ別而尊みあがめて、いつ迄もと仕へ奉り來りと也
雖畏 かしこけれどもは、憑みをうけて也。いつしかもは、御幼生の時より、附添ひ奉りてとの意也
日足座而 是を、いひたらはしてなど讀ませたれど、此所に續かぬ詞也。是はひたしいませて也。そだてましてと云事也。曰の字は日の誤り也。日たしと詠めるから、もち月と云句も續けたり。たたはしけんは、圓滿しけんと也。物の滿ちたる事を、たたへると云。水などの浸漫とたたへたるなど云たたはしにて、十五夜の月の滿ちたる如くに、此み子のわが思ふ樣に、帝位にもつかしめんと願ひしと也。殖槻は大和の地名也。神樂歌にも、小奈張にうゑづきや田中杜やと歌ふも此所也
遠人は待と云はん序也。第五卷にも、遠津人松浦と詠めるに同じ。松の下道ゆ也。並木の松原などある處より、み遊びに通ひ給ふたる義を云へる也
登之而 のぼりゆきて也。國見あそべるは、國見は前にも注せり。高き所などへ登りて、國の中を眺望して遊山なされし事を云へる也。是より以下皇子御存命の時、遊覽なされし事を云へる也
懸而所偲 しぐれの秋の頃は、大殿の御庭に茂りあひたる萩を愛し給ひしにと、皇子の事と其萩とをかけて、忍ばるるとの義也。かけてと云は、彼と是とへかけて、二つへかかる事を云。ここよりかしこへを、遠き處抔へも心をかけ渡してと云意に、(84)毎度詠みたる事前に注せり。刺楊は根はると云はん序也。柳は枝を折りてさすに、よくつきて根のはびこるもの故、下の根はると云はん序にかくは詠めり。第十四卷にも、小山田の池の堤にさす柳と詠めり。此句は根はると云事歟。根は上へつきて、はれる梓と云義としかと不v決也。後案すべし。根張梓とは弓の事を直に梓共云へると聞えたり。梓は弓の良材故、直ぐに弓の名とせる歟。第七卷にても、玉梓の妹は玉かもと詠める事ありて、是も弓の事にあらでは此歌不v通也。其處に注せり。ここの句も、張れると云にて、弓の義を知らせたる句とは見ゆれど、古くは梓とのみ云て、弓の名となりたると聞ゆる也
御手二 おほみ手にと讀むべし。遊ばせるは遊び給ひし事を云へり。是は冬は御狩などにたたして、此人も供奉し奉りし事を詠める也
煙立春日暮 霞たつ春の日ぐらし、煙は霞と讀ませたる事詩文等にも毎度例有。山頭水色薄籠v煙と云へるも霞の事、煙霞と連續して通じ用る也。霞の立つ長き春の日も、終日遊び暮らし附添ひ奉れると也。下の見れどもあかぬと云句へ續く意也。
喚犬追馬鏡 前に毎度出たる詞、文字を略して犬馬鏡とも書ける所あり
涙言 此二字何とぞ別訓あらんか。先づなげくわがと讀來れり。なみだいふと讀めるは餘り拙し。なみだいふとは語例句例も無き詞也。義をもて涙言の二字を、なげくわがとは讀むべし
目鴨 まどへると云句に續く詞也。歎くから涙にくらみて目かもまどへると也。目かもまどへるは、又下の大殿を見誤れる歟と云意也
白たへに飾りまつり、葬儀の時の御殿の搆飾を云たる也
雪穗 たへとは、白色をさして云義、栲は白きものなれば、雪と云字を義もて讀ませたり。第一卷にも、たへの穗に夜の霜ふりとありて、穗はあらはれたる義を云て、白き色と云意に穗とは詠めるならん
麻衣きればは、裏服也
夢鴨 驚き歎きたる意也。第一卷にも、白妙のあさごろもきてと詠めり
迷間 まどへるほどにと讀みては義不v通。ままにと讀んで、まどひまどふままにの意なるべし。まどひながらと云意にも聞(85)ゆる也
城於道從 きのへのみちゆ、凡て墓所を、きと云也。地名にてもあるべけれど相兼てきのへとは云へるならん。へは邊の事也。上の字の意、於もうへと讀む也。よりて城於とは書けり
石村は、いはれと云所なるべし。但石むらと云所もあるか
神葬 たまはふりとは、はふむりと云義也。かくしとも讀むべし
奧香乎無見 奧限りも無しみ也。歎き悲しむ果て限りも無くとの意也。御袖、これは、おほみ袖共み袂の共讀むべし。前に松の下道と詠める松也
思名 しのばな也。皇子の袖を行觸れ給ひし松を、物も云はぬ木なれ共、御形身と思ひて、月日の立ちても恐れながら皇子の事を思ひ出て、松とかけ合て慕ひ奉らんと也
歌の意は句釋にて聞えたり。これは岩村山に葬りし歟、何れの皇子の事か知れ難けれど、先は高市の皇子か、又日並知皇子歟、帝位をもしろしめさるべき皇子の事と聞ゆる也
反歌
3325 角障經石村山丹白栲懸有雲者皇可聞
つのさはふ、いはむらやまに、しろたへに、かかれるくもは、おほきみにかも
天子の崩じ給ふを上v雲とも云ひ、雲隱れ共云ひて、凡て人の死せしを煙霞に譬へる事は、和漢通例也。日本紀齊明天皇の御製建皇子の薨給ひて慕ひ給ふ時も、いまきなるをむれがうへに雲だにもしるくし立たば何か歎かん。と詠ませ給ふを始め、如v此集中人丸の歌にも見えたる也
右二首
3326 磯城島之日本國爾何方御念食可津禮毛無城上宮爾大殿乎都可倍奉而殿隱隱在者朝者召而使夕者(86)召而使遣之舍人之子等者行鳥之群而待有雖待不召賜者劔刀磨之心乎天雲爾念散之展轉土打哭杼母飽不足可聞
しきしまの、やまとのくにに、いかさまに、おぼしめしてか、つれもなく、きのへのみやに、おほとのを、つかへまつりて、とのぐもり、こもりいませば、あしたには、めさしてつかへ、ゆふべには、めさしてつかへ、つかはしし、とねりのこらは、ゆくとりの、むらがりてまち、ありまてど、めしたまはねば、つるぎたち、とぎしこころを、あまぐもに、念散之展轉、ひうちなけども、あきたらぬかも
何方 何と思しめしてかと也。いか樣になど云と同じ。第一卷に、人麻呂近江舊都を通る時の歌にも此詞有
つれもなく 相語らふ者も無く、寂しくえ住み堪ふべき所に、一人ますと云意也。第三卷に、坂上郎女新羅理願が死せし時の歌にも、いかさまにおもひけめかもつれもなきさほの山べにと詠めり
城上宮 前に注せる如く墓の上の宮也。廟殿を造りて也。隱りいませばは、葬奉りたればの意也。朝にはと云よりは、前の奉公したる義を云義他
念散之 思ひをちらしか思ひ亂れか、忠勤を励まして心をとぎ磨きしも、空し事となりて、心も空に歎きて、雲の散亂する如くにして、ふしまろび土を打ちて歎きても歎きても飽きたらぬと也
右一首
3327 百小竹之三野王金厩立而飼駒角厩立而飼駒草社者取而飼旱水社者※[手偏+邑]而飼旱何然大分青馬之鳴立鶴
ももしのの、みののおほきみ、にしのうまや、たててかふこま、ひんがしのうまや、たててかふこ(87)ま、くさこそは、かりてかふかに、みづこそは、くみてかふかに、なにしかも、あしげのうまの、いばへたてつる
百小竹之 此冠句の事前にも注せり。諸抄の説は、ももささと云て、美濃は小竹の多き國と云義と釋せり。無理なる義に聞ゆる也。蓑とうけたる冠ならでは集中の歌不v通也。百岐年も支の字を誤りて岐の字に書きしより也。此小竹と書きたるにて、しねも、しぬ、しの、同音なる故、皆簑は、百の稻にて作りたる物故、蓑の冠辭と知るべき也。扨此三野王は何れ共決し難し。天武紀にも二人有。美濃王三野王と見えたり。然れ共三野王と此集にも書きたるは、天武紀に任せて書たる歟。然らば栗隈王の王子の三野王歟。然れば左大臣橘諸兄の親也。天武紀上云、亦徴2美濃王1〔乃參赴而從矣。同下云、小紫美濃王。又上云、且遣2佐伯連男於筑紫1、男至2筑紫1時栗隈王承v符對曰云々〕時栗隈王之二子三野王、武家王、佩劔〔立2于側1無v退云々〕如v此なれば先づ文字をしるべに此三野王と見るべきか
金厩の金は、五行を四方に配當して西にあつる故也。前にも注せり。角厩の角は、音律の配當宮商角徴羽五行五色にあてて、角の音聲東にあつる故、ひんがしとは讀ませたり。杜預左傳注云、青聲角云々。此義に依て角の字をひんがしとも讀ませたり
草こそは取而 此取の字かりと讀までは不v通事多し。尤物により事によりて義をもて讀むべし。此歌にても草とあるからは、とりてとは不v合、かりて也。第一卷の、村山あれどとりよろふの取も、かりよると云義なるべし。然れ共集中の假名皆取りてとならでは讀まざるは、義訓に心無きから、歌の意をも見損せるならん
飼旱 かんと云音を音借訓に書きて、かんは、かになる故、手爾波詞に書たる也。かには、ただ飼ふに也。馬は喰物の乏しき時、又かひばをはます時になれば嘶くもの也。草を刈り水を汲み遣りてこそ飼ふに、何とてか斯く啼きて立ちたるぞと也。是は葬場へは極めて馬を引かるるものなれば、引かれし馬の啼き立つるを、かく悲みの事に詠みなせるならん。犬馬は主をよく知るものなれば、王のみまかり給ふも、彼さへ悲しみて斯く啼くならんとの意に詠めるなるべし。詩經文選等にも又古詩等にも、馬悲鳴する事を記たり。神樂歌に
(88) そのこまや我に草こふ草はとりかへ水はとりかはむ
此とりも取の字※[手偏+邑]の字を書きたるを、後に讀誤りて、假名にて、とりと書きたるならん。大分青馬、是れを葦毛の馬と讀ませたる事、何によりてか未v考。和名抄に※[草がんむり/炎]騅を出せり。和名を云はず、すいと音を擧げたり。然れ共古く葦毛馬と云事は云ひ來れり。然れば和名抄に※[草がんむり/炎]騅と云を、葦毛馬と云はんか。和名抄卷第十一牛馬部云、騅附※[草がんむり/炎]騅、毛詩注云、騅【音錐、漢語抄云、騅馬鼠毛也】蒼白雜毛馬也。爾雅注云、※[草がんむり/炎]騅【今案※[草がんむり/炎]者蘆初生也、吐敢反、俗云2葦毛1是也】青白如2※[草がんむり/炎]色1也。※[草がんむり/炎]は、あしつのと讀む也。則和名に見えたり。如v此あれば葦毛と云事は慥なる物にも無く、俗に云ひ來れるならん。大分青馬を葦毛と讀める事は未v詳也。あし鶴と云事あるも、此毛詩注に鼠毛とあるにて思へば、まな鶴と云ものは薄鼠色也。是を、あしたづと云と見えたり。多分青と云義訓に、あしげと讀ませたる歟。今青馬と書きて白馬共讀む。節會の名目にも見えたり。是等を引合て思ふに、青毛勝ちにて白き毛のまじれるを云故、多分青と書て葦毛と讀ませたるならんか。葬儀には白色を用る故葦毛馬をも詠める歟。反歌の初句によれば、若しくは、大分青は、しろけと讀みたるを、葦毛と後に推量にて假名を附たるにや。猶語例を可v考也。反歌の、衣手の葦毛と續ける事も不審也。古今六帖には、まなづるの葦毛の駒とも詠める歌あり。前に云如くまな鶴白鶴、あしたづと云也
反歌
3328 衣袖大分青馬之嘶音情有鳧常從異鳴
ころもでの、あしげのうまの、いばふこゑ、こころあるかも、つねにけになく
衣袖の葦毛の馬の、此つづき不審也。葦毛馬は白きもの故、衣手の葦毛と續けたる歟。白きと續くべきを、白き物故體を云て續けたると見置也。大分青は、しろけと讀みたるにはあらざらんか
嘶 いばふ、和名抄牛馬部云、伊波由。いななくとも讀めり。なく聲もと讀ませたるも義は同じ。歌の意は、葦毛馬のいななくも、皇子のみまかり給ふを悲み歎く心ありてかも、かく鳴くや常に異なる音に聞ゆるかと也
右二首
(89)3329 白雲之棚曳國之青雲之向伏國乃天雲下有人者妾耳鴨君爾戀濫吾耳鴨夫君爾戀禮薄天地滿言戀鴨胸之病有念鴨意之痛妾戀叙敍日爾異爾益何時橋物不戀時等者不有友是九月乎吾背子之偲丹爲與得千世爾物偲渡登萬代爾語都我部等始而之此九月之過莫乎伊多母爲便無見荒玉之月乃易者將爲須部乃田度伎乎不知石根之許凝敷道之石床之根延門爾朝庭出居而嘆夕庭入座戀乍烏玉之黒髪敷而人寢味寢者不宿爾大船之行良行良爾思乍吾寢夜等者敷物不敢鳴
しらくもの、たなびくくにの、あをぐもの、むかふすくにの、あまぐもの、したにあるひとは、われにかも、きみにこふらむ、われのみか、つまにこふれば、あめつちに、ことばをみてて、こふればかも、むねのいためる、おもへかも、こころのいためる、わがこひぞ、ひにけにまさる、いつはしも、こひぬときとは、あらねども、このながつきを、わがせこが、しのびにせよと、ちとせにも、しのびわたれど、よろづよに、かたりつかへと、はじめてし、このながづきの、すぎまくを、いともすべなみ、あらたまの、つきのかはれば、せむすべの、たどきをしらに、いはがねの、こごしきみちの、いはどこの、ねはへるかどに、あさにはに、いでゐてなげき、ゆふべには、いりゐこひつつ、ぬば玉の、くろかみしきて、ひとのぬる、うまいはねずに、おほぶねの、ゆくらゆくらに、おもひつつ、わがぬるよらは、かぞへもあへずなく
白雲之棚曳國之、天の覆ふ限り地の載すはてを云たる義也。前前に出たる詞也。畢竟天の下には我ひとり戀に苦しむかと云意也
妾耳鴨 われにかも、われのみか兩樣に讀みて、意は天の下にはわれのみ物思ひをするものかと云義也。外に人は無きか、外(90)にも人は滿ち滿ちてあるに、我れのみか君に戀ふらんと也。妻に戀ふれば、上の君とよめるも、をつとの事を重ねて如v此詠める也
天地滿言 天地に詞を云ひ滿たしめて也。樣樣に言を云ひ盡してとの義也。くどき言など俗に云が如し。此句は、戀ふれば天地に言を滿ててと續けたる句也。戀鴨は、戀ふればかも也。戀ふればかも胸の痛める也。下の痛の字も通じて二つ共痛めると讀まんか。やみたると讀みては句不v續。胸のやむと云事云ひ難し。痛むとは云べし
念鴨、おもへばかも也
是九月乎 此月死たるなるべし。此九月之すぎまくを、九月の過ぎんとするを、惜しめ共すべき樣も無しと也。夫君の死たる月なれば、其月だに懷しく慕はしくて、過行事の惜しきとの意也。あら玉の月の變れば、かの死月の移り行て變れば、とど詮方も無く歎きの増さると也。前の日にけにと云にかへりて見るべし。日にけには、日に日に也。日にかに共云べし。けとかと同じ。日を、かとも、ことも、けとも云たると聞えたり。いくか、二日をふつか、三日をみかと云。又日讀を、こ讀みと云。當集に、日にけにと云此けには、かに也。日に日にの事を云たる義也。
將爲須部乃、是より以下の詞は前に、我がぬる夜らは讀もあへんかもと詠みて、反歌に、一眠夜を算んと思へどもと詠める歌と同じ詞、一句も不v違也
大船之行良々々 只浮き漂ふて打着かぬ義を云たる事也。敷物不敢鴨、是を、かぞへもあへぬかもと讀みたり。義はぬる夜の無くて悲みに沈みて、ねぬ夜の多き故かぞへもあへぬと也。此句何共心得難き句なれ共、前にもひとりぬる夜を數へんとおもへ共と詠み、長歌にも續讀の疑はしき事あれど、此歌を證として續は讀の誤りとして、よみもとか、かぞへとか讀むべき也。然れ共、數の字何とぞ別句もあらんか。よみもと讀まんは、是は前の續の字を寄り所とし讀まんか。かぞへもとは口にはばむ也。此歌は夫の死たるを妻の歎きたる歌也
右一首
(91)3330 隱來之長谷之川之上瀬爾鵜矣八頭漬下瀬爾鵜矣八頭漬上瀬之年魚矣令咋下瀬之鮎矣令咋麗妹爾鮎遠惜投左乃遠離居而思空不安國嘆空不安國衣社薄其破者繼乍物又母相登言玉社者緒之絶薄八十一里喚※[奚+隹]又物逢登曰又毛不相物者※[女+麗]山志有來
こもりくの、はつせのかはの、のぼりせに、うをやつひたし、しもつせに、うをやつひたし、かみつせの、あゆをくはしめ、しもつせの、あゆなくはしめ、くはしめに、鮎遠惜、なぐさの、とほざかりゐて、おもふそら、やすからなくに、なげくそら、やすからなくに、きぬこそは、いともやぶれば、ぬひつつも、またもあふといへ、たまこそは、をのたえぬれば、くくりつつ、またもあふといへ、またもあはぬものは、つまにしありけり
鵜矣八頭漬 八頭と書けるは、鳥獣を云には皆頭と云事を添て云也。何頭と云故此集にも頭の字を添書たる歟。八にてやつと讀めるに頭の字を添たり。八つと云數には限らぬ事也。いやつと云意にて、いくつもいくつもの義と見るべし。凡て數の限り無き事に八と用たる、いやつと云意也。當集第十六卷には虎の事を詠める歌にも、からくにの虎と云神をいけどりに八頭とりもちてとよみ、第十九卷にも鵜の事にやつと有。是皆頭の字を添たるは數ふるに八頭と文字にも書故ならん。ひたしは水につけて鵜を使ふ事を、ひたしと雅言を云ひたる也。鵜を遣ふを漬るとは歌詞には云はれぬ也。扨此歌に珍しく鵜の事を詠みたるは、食はしめと云事を云はん爲の序迄也。外に此鵜につきで義は無き事也。鮎を食はしめと云も、麗妹と云詞を云はん爲に、段段と序を續けたる也。古詠はかくの如く主本とする句を詠出ん爲計りに、樣樣の詞を序に云續けし也。麗妹は、くはし妹共讀まんか。上に食はしめと讀ませたる詞をうけん爲なれば、くはしめと義をもて讀むべき也
鮎遠惜 此句いかに共不v通也。諸抄の説はあゆとは和の字の意にて、あえると云も彼と是をよく調和しまじゆる事なれば、妹にあゆる事をせぬを、あつたらしく惜しきと釋せり。此説當れり共不v聞。然し鮎を詠出たるは、何とぞ此あゆと云詞につ(92)きて縁を續け、此詞を役に立べき爲に詠出たると見えたり。さ無くては何のしほもつきもなく、鮎をとる事を詠列ぬべき事共不v被v思。此説の樣なる義あるべし。外に案も無ければ先づ和の字の意に見置く也。何とぞ別義あるべき也
投左乃 遠ざかりと云冠句にて、是は矢の事を云たる義也。諸説は機織梭の事と云ひ來れ共、梭はさのみ遠ざくるものにあらず。手をさくる迄の事を遠ざくるとは云難し。是は矢を云たる義也。矢を左と云は征箭の事也。そやを左と云也。日本紀には一發と書て一さと讀みて、一矢二矢の義に用たれ。そやを約すればさ也。投矢もちと云句此奧にもある也。此投箭と云は流矢の事を云歟。射ながす矢と云事にて、戰場にて目當ても無く、メツタと射發つそ矢を云と見えたり。神武紀に流矢と書ていた矢ぐしと讀ませたり。是も投やにてあるべき歟。なぐはながす也。がすを約すれば、ぐ也。流鏑馬を、やぶさめと讀ます是も射すてる失也。是等を引合せて見るに、投矢は流矢と聞ゆる也。ここも投ぐそやと云事に投左とは詠みたる也。第十九卷にも、なぐ矢もち千尋いわたし共詠みたり。然れば、これを遠ざかるの冠辭とするも理相合ふ也。神代紀の高産靈尊投下給ふと云古事など云は入ほかなる事也。兎角投左は遠ざかるの冠辭にて矢の事と見るべし
其破者 其の字は甚の字の誤りならん。いともやぶれば共讀み、又いたく破れば共讀むべし。いともと云方衣に縁ある詞也
またもあはぬものは云々 前の二色の物はやぶれても絶えても、又結ひ續けらるれ共、一度死せし人には二度逢ふ事のならぬと、いたく歎きたる歌也。此歌は妻の死たるを悼める挽歌也。歌の意句釋にて聞えたり
3331 隱來之長谷之山青幡之忍坂山者走出之宜山之出立之妙山叙惜山之荒卷惜毛
こもりくの、はつせのやま、あをはたの、おしさかやまは、はしりでの、よろしきやまの、いでたちの、くはしきやまぞ、あたらしきやまの、あれまくをしも
青幡之忍坂山 此青幡の忍坂山と詠める事は、地名ながら葬儀の具に青幡を用る故、幡を押し立てて行と云意にて、青幡の忍坂山とは續けたるならん。凡て群列して行ふ事を、おすと云也。葬儀の群列の人の行事を兼ねて、青幡のおしと詠める歟。但し青幡の忍坂山と云ふ元來の地名か。第四卷に、青幡のかつらぎ山共詠みたり。是は青幡し垂れたるは、かつらの如くなる(93)もの故、其體を冠辭にして、かつら木山と續けたると聞ゆる也。然共同國の地名然かも近所の山號に如v此あれば、青幡も共に古來よりの地名か。先づ第二卷にて、青幡の木幡の上にかよふとはと、天智帝の大皇后の詠ませ給ふも、葬儀の旗の事なれば、此挽歌に又如v此詠みたるも葬儀の具なる故と見ゆる也。本より青幡の押坂山と云地名にても、時に叶ひたる名故詠出たるなるべし
宗師案、幡のあしと云事あれば、おしもあしも同音故あしとうけたるか
一説に草木の茂りて、青き旗を立たる樣なると云義にて詠めるかと云へ共、青幡のかつら木と續くる意とは違ひて、山を旗を立たるに似たるとは心得難し。忍坂山は和名抄に城上郡長谷【波都勢】恩坂【於佐加】如v此あれば此所なるべし。此歌に忍の字を書きたるは、おしと讀むべき爲歟。忍の字は大方忍照なにはなど云ふにも用たり。元來は、お坂なれ共、おし坂とも云へる歟。青幡のおと續く義も無2所見1也。然れば先づ幡をおし立ると云義に見る也。猶後案あるべし。泊瀬山を詠出たるは、忍坂山の續きにて、和名に長谷恩坂と續きてあれば、此歌にもかく續けし歟。泊瀬山には上古高貴の人の墓所多き所なれば、此挽歌も兩山の間に葬りし人の歌なるべし
走出之宜山 山のさし出たる麓などの景色の宜き所を云たる義也。はしりでは山のそば抔さし出たる事を云なるべし。雄略天皇の御歌にも見えたり。日本紀を考ふべし。一説に山の高く顯れ出たる形を賞めて云義と云へり。先景色の宜しきを賞めたる事と聞ゆる也。當集にも毎度ある詞也。下にも直ぐに出立の妙山と云て、山の姿を賞めて云たる也
惜山之 あたらしきは前に注する如く、惜しきと云義是も賞めたる詞也。直ぐに下にあれまく惜しもとよみて、をしきと云事をあたらしきと云也。なれそひて美しく盛りなる人の身まかりて、その山に葬りぬれば跡形も無くなり行て、終に荒廢せん事の惜しきと、おさめし山になぞらへて、過行きし人を惜み歎ける歌也
3332 高山與海社者山隨如此毛現海隨然直有目人者充物曾空蝉與人
たかやまと、大うみこそは、やまながら、かくもありなん、海ながら、しかなほあらめ、ひとこそ(94)は、あだなるものぞ、うつせみのよひと
海社者 これをおほうみこそと讀むは、高山の上にもたかと云詞を添へて詠みたり。その對なれば海にも詞を添へて讀むべき事也。入海湖などは變化して變る時もあれど、大海の變易する事無ければ、山に對して大海とは讀む也。さ無くは山と海とこそと讀むべきに、上に高山あれば下も海と計りは讀み難し。古人は其格をよく辨へたるから、文字をも略せしならん
山隨 山なるからにの意にて、神からに、神ながらなど讀むと同じく、山ながらとは讀みて山のままにて不變との意也。現の字うつなひと讀みたり。うつは聞えたれど、なひと讀む義未v通也。よりて義訓に、ありなんとは讀む也。現在してと云義を取りて、ありなんとはよめる也
然直有目 しかすなほあらめと讀みたれど、すなほと云詞此所に出づべき詞にあらず。上の、かくもありなんと讀める如く、義訓にて、なほあらめとは讀む。上に、かくも有りなんと讀みたれば、下も、かくもとか、しかもと讀むべし。しかはさと云詞に云也。直の字猶と云字の意なるべし。なをとは、まだと云義也。山のまま海のまま變替せず、常住不變にてあらんにと云義也
充物曾 充の字花と云字に書たるもあれど、入ほかなる説を好む者の書誤りたるならん。花は散り行ものなれば、榮花幾許も無き仇なるものと云義を取りて書きたると云べけれ共六ケ敷義也。只充はあつると云字なれば、あつもあだも同音故、借訓にて書たる共見ゆる也。歌の意は、山海は山のまま海のままにて不v變物なるが、うつせみの世の人はかく過行き變替するこそ、實に仇なる世の中仇なる人かなと歎思して詠める意なるべし。うつせみは、うつの身の世と續けたる句也。世説には、蝉の脱け殻の事と心得たるは大成誤り、是は現在存してある此身と云事也。世と云冠辭とも見る也
右三首
3333 王之御命恐秋津島倭雄過而大伴之御津之濱邊從大舟爾眞梶繁貫旦名伎爾水手之音爲乍夕名寸爾梶音爲乍行師君何時來座登大夕卜置而齋度爾枉言哉人之言鈎我心盡之山之黄葉之散過去常公之(95)正香乎
おほぎみの、みことかしこみ、あきつしま、やまとをすぎて、おほともの、みつのはまべゆ、おほふねに、まかぢししぬき、あさなぎに、かこのおとしつつ、ゆふなぎに、かぢのおとしつつ、ゆきしきみ、いつきまさむと、大夕卜おきて、齋度爾、まがごとや、ひとのいひつる、わがこころ、つくしのやまの、もみぢばの、ちりてすぎぬと、きみがまさがを
此句共前前幾度も出たる詞也。筑紫へ任國などにて往きし人の、彼國にて死したるを歎きたる歌也
何時來座登 いつか歸りきまさんと也
大夕卜置而 此句不v濟、誤字ならんか。太占の二字を大夕と誤りたると見えたり。然らば、ふとまにのうらをおきてと云義ならんか。又太占卜の三字にて、ふとまにおきてと讀める歟。おほゆふうら大ゆふけなど云句語の例無き事也。兎角ここには誤字脱字ありと見えたり
齋度爾 いはひわたるにと讀みたり。然れ共齋ひ渡ると云渡るの句心得難し。是迄齋ひ渡ると云事を所見せざれば難2信用1。いみぬるたびにか、いはへる度にとか讀むべし。意は、いつか安穩にて歸り來るやとうらをおきて、うらなひ忌み謹む度にと云義なるべし
枉言哉 不v宜ことをまが事と云也。およつれ言かまがことか抔前にも毎度詠める也。そのまが言を人の云ひしと也。我心盡之山、心を盡して待ちわびてうらを置き、物忌みなどし樣樣に心氣を盡したる義を兼ねて、筑紫の山とは云ひかけし也。此句によりて、筑紫へ下りし人の死せしを悼める歌とは見る也。此人の云ひつるは、下よりかへりて聞ゆる句也。公之正香を人のつげつると續く隔句の意也
散過去常 ちりてすぎぬとは、死したる事を紅葉の散り果し事に譬へて云たる也
正香乎 まさがと濁りて云べし。香の字大方濁音に用たる字也。然れば是は人の有樣の事を正香とは云たる義と見るべし。(96)人の性質しわざの事をさがと云。神代紀に、かんさがと云に、質性とも、神性とも又性の字計りも書て、かんさがと讀ませたり。然れば此正香と云は、其有樣しわざの事を云事と聞ゆる也。まは發語の事今と云義、當然の有樣と云意と聞ゆる也。此外にはいかに共解し難き詞、有樣樣子の事と見れば集中の歌の句悉く濟也。諸先達の説は語釋を不v辨説にて推量義にて、ありかね處など云説あれど、ありかね處など云語に、正香と云詞通はぬ也。當然の有樣の事を云に、さがと云義と見れば皆義濟む也。さがと云古語の證明あれば也。ありかね處の事を、何とて正香とは云ぞと尋たる時、いかに共詞の釋濟まぬ也。神さが、まさが、みさが共云事は古語あれば、此義を證明とはする也。まさがは、みさがと云ても同じき也。今俗言に、さがをあらはす、さがの見ゆるなど云詞も引合せて辨ふべし。人の行跡振舞わざの事をさがと云也。此歌の意も死たると云有樣樣子を云たる也
反歌
3334 枉言哉人之云鶴玉緒乃長登君者言手師物乎
まがごとや、ひとのいひつる、たまのをの、ながくと君は、いひてしものを
枉言哉 實言にてあるまじ、僞り枉り言か虚言をや云ひつると也。命長く契り交して永らへんと云ひにしものを、今更死したりとは、まこととも思はぬと、深く歎き悲める意也
右二首
3335 玉桙之道去人者足檜木之山行野往直海川往渡不知魚取海道荷出而惶八神之渡者吹風母和者不吹立浪母踈不立跡座浪之立塞道麻誰心勞跡鴨直渡異六
たまぼこの、みちゆきひとは、あしひきの、やまゆきのゆき、直海、川往渡、いさなとり、うみぢにいでて、かしこみや、かみのわたりは、ふくかぜも、のどにはふかず、たつなみも、おほにたたず(97)と、跡座浪之、ふさげるみちを、たがこころ、いたはるとかも、ただわたりけむ
直海川 是を、ひたすかはと讀ませて、流るる裾のやがて海へ落入川を云など釋せり。奧或本の歌、野行山行潦川往渉とあるにも、ひたす川と讀ませたり。ここにひたす川と讀みしより、奧の潦川も、ひたす河とは讀めるならん。ひたす川と云事此歌の外に聞及ばす。此句ひたす川と讀みては不v調。殊に山行のゆきと讀みて、ひたす川と云ふ續きもいかが也。然れ共下に、海道に出でてと詠みたれば、海の事をここに云べきにもあらず。何とぞ別訓あらんか。宗師案は、亘の字の誤にて、海渡り川ゆき渡りと、山野海川と續けたるならんと也。何れにかあらん。下の、海道に出てと云句ある故、ここに海渡と云僞少不2打著1也。ひたす川と讀みては、往渡の二字詞を添て、ゆき渡りつつとか、ゆき渡りてはとか讀までは句不v調也。此亘海川の義尚後考すべし
かしこみや 神の渡りと云はん爲也。神渡は下の歌にて注すべし
和者 奥のある本の歌に、のどにと假名書あれば、義訓にのどと讀むべき也。のどかには不v吹、荒く吹くと也。踈不立、是もおほにはと假名書有ればおほには也。凡の心にて、高く荒く立の意也。神の渡り故かしこみやと詠みしも、此句を云はん爲也。おほよそ、おろそかに不v立也
跡座浪之 此詞不v濟也。諸抄の説も既に跡の字を上へ付けて、たたすと讀ませたる説有。又あとゐ浪と讀む説有。然れ共いかがしたる事をあとゐと云義と釋せざれば、其義知れ難し。此詞は第二卷人丸の歌にも、跡位波と詠みたる詞と同じくて、とくら浪と讀む義ならんか。そこにも注せる如く、あとくら浪、浦浦をくら浪此のうらの意なるべし。とは發語にて、ぐと濁りたれば、う也。うらなみか。波の高く荒く立つ時は、鹽煙立つなど云ひて、暗き樣なるものなれば、只暗波と云事にて、とは發語歟。あとゐ波と云て、義は何と云事共知れねば此説も難v信。或本歌にては腫浪と書て、たか浪と讀ませたり。是は此歌にて座浪を、たか浪と假名付げたれは、此歌の假名付けより讀ませたると見えたり。腫の字を、たかと讀む義も、腫瘍したるは形の高くなりたると同じければ、此義をとりてか。此訓も證例無ければ何とぞ別訓あらんか。後案すべし
誰心勞跡鴨直渡異六、たが心いたはるとかもとは、誰れ人の心をいたはりて、荒波の立ち塞ぎたる海路を、ひたすらに急ぎて渡(98)り溺れしぞやぞと也。此歌は海中に溺れて死たる人を悼みて詠める歌也
3336 鳥音之所聞海爾高山麻障所爲而奥藻麻枕所爲蛾葉之衣浴不服爾不知魚取海之濱邊爾浦裳無所宿有人者母父爾眞名子爾可有六若蒭之妻香有異六思布言傳八跡家問者家乎母不告名問跡名谷母不告哭兒如言谷不語思鞆悲物者世間有
とりのねの、きこゆるうみに、たかやまを、へだてとなして、おきつもを、まくらとなして、ひひるはのきぬ、あらひきずに、いさなとり、うみのはまべに、うらもなく、いねたるひとは、ははちちに、まなこにかあらむ、わかぐさの、つまかありけむ、したはしき、ことづてめやと、いへとへば、いへをもつげず、なをとへど、なだにもつげず、なくこなす、ことだにつげず、おもへども、かなしきものは、よのなかなれや
鳥音之所聞 此鳥の音の聞ゆる海と云義、諸説まちまちにして不v決。先づ通例の説は人倫絶えて鳥の音計聞ゆる海と云義也。此説も難2信用1。愚案、船の古名を鳥と云事あれば、船の音の意に、鳥の音の聞ゆる海と詠める歟。又一説、景行天皇の時鵙の鳴きし古事によりて云たる説あれ共、此歌筑紫の海の歌と聞ゆれば不v合義也。海路にて鳥の音を聞こしめしたるとあるから、凡ての海の事にかけて云ひたる義なれど、上總抔か東國の海路を詠める歌ならば、此古事共云はるべけれど、此歌には不v 合樣也。宗師案は、音《ネ》は名と同音なれば、句は音《ネ》と讀みて、鳥の名の聞ゆるなるべし。然らば筑紫と名づけられたる風土記の説によりて、つくの鳥の名の聞ゆる海と云義にて、筑紫の海と云事なるべし。筑紫の國の形木兎に似たると云から、つくしと名付られたると云古説あれば、此義によりて詠めると聞ゆる也
高山を隔てとなしては、伏しどの事に云ひなしたる也。古郷の隔てとなしてと云意也
蛾葉之衣 是れをがはのきぬと音にて讀みし也。諸抄も亦是を是として、かはごろも抔云説を云へり。和名抄云、説文云〔蛾(99)【音峨、和名比日流】〕蠶作2飛虫1也。然ればひひると云訓あるからは、ひひるはのきぬあらひきずにと讀むべし。峨葉のきぬは、峨と云虫の羽に似たる美しき衣と云事に、歌の餘情に如v此詠める也。仁徳天皇の皇后の、夏虫のひむしの衣と詠ませ給ふも此事也。※[虫+蜀]峨とも蛾とも云也。後後の歌には、音を直に用たる歌も有。六帖のつき歌に、人の心をいかゞ頼まむと云下句に、上をつけたる在原の重はる、蛾の眉にくにこほりをばたてつとも。眉に詠みたれは蠶の事と異なれ共、音を用たるの證には云也。ひひると云訓を不v考から、かはと音にのみ讀み來れり。うらもなくは心も無く也。海の濱邊と詠みたれば縁語を引きて也。いねたるひとは也。父はまな子もある歟と也
母父爾まなこにか 父母うつくしみ思ふ子にかあらんと也。奥或説の歌に、母父のとあるにて可v知也
思布 したはしきと讀むべし。古郷を慕はしく思ひ殘す事などあらば、云ひ傳へてやらんと問ひしと也
哭如 なく子なす也。文字の如く、なく子の如くにして物をも答へ云はぬと也。とやせんかくやせんと思へ共、いらへ答へもせず、只海邊に死臥たるは世の中の樣悲しきものと也
反歌
3337 母父毛妻子等毛高高二來跡待異六人之悲沙
ははちちも、つまもこどもも、たかだかに、こんとまちけん、ひとのかなしさ
歌の意は能聞えたり。此待ちけんと詠める義、今時の手爾波にては聞にくし。異は、良の字男の字の誤りにや。待ちなんか待つらんと讀みたるなるべし
此本歌反歌共に海邊に人の死たるを見て詠める也。海に溺れて死したる人のありし、其屍を見て詠める歌共也
3338 蘆檜木乃山道者將行風吹者浪之塞海道者不行
あしびきの、やまぢはゆかん、かぜふかば、なみのふさげる、うみぢはゆかじ
(100)人の海に溺れて死たるを見て、戒め慎める意を述べたる歌也
或本歌
備後國神島濱調使首見屍作歌一首并短歌 ひのみちのくにかみしまのはまにてみつぎつかひのおふとかばねを見てつくるうた一首並短歌
神嶋 延喜式神名帳下、備中國小田郡神嶋神社。續拾遺集賀部、建久九年大甞會〔主基方の御屏風に〕備中國神嶋有2神祠1所を、前中納言資實
神しまの波のしらゆふかけまくもかしこき御世のためしとぞ見る
此注とは相違せり。此集の比までは備後に屬せしか
調使首 みつぎつかひのおふととは讀みたれ共、人の名又みつぎつかひの上首の人と云事か、考ふる處無し。此注者は別本の萬葉集ありしを所見か。又別に歌集のありて注せしか不分明也
3339 玉桙之道爾出立葦引乃野行山行潦川往渉鯨名取海路丹出而吹風裳母穗丹者不吹立浪裳箆跡丹者不起恐邪神之渡乃敷浪乃寄濱邊丹高山矣部立丹置而※[さんずい+内]潭矣枕丹卷而占裳無偃爲公者母父之愛子丹裳在將稚草之妻裳將有等家問跡家道裳不云名矣問跡名谷裳不告誰之言矣勞鴨腫浪能恐海矣直渉異將
たまぼこのみちにいでたち、あしびきの、のゆきやまゆき、ひたすかは、ゆきわたりては、いさなとり、うみぢにいでて、ふくかぜも、おほにはふかず、たつなみも、のどにはたたず、かしこみや、かみのわたりの、しきなみの、よするはまべに、たかやまを、へだてにおきて、いりふちを、まくらにまきて、うらもなく、ふしたるきみは、ははちちの、まなこにもあらむ、わかぐさの、つまもあら(101)むと、いへとへど、いへぢもいはず、なをとへど、なだにもつげず、たがことを、いたはしとかも、ゆふなみの、かしこきうみを、ただわたりけむ
潦川往渉 是をひたす川ゆき渡りてはと讀みたり。本集に、直海川とあるをもひたす川と讀みたれば、本集によりて此處も斯く讀ませたる也。然れ共此二字ひたす川と讀む義いかに共心得難し。宗師案には、僅かなるいささ水をも蹈み渡り行くと云事にて、いささ水と讀まんか。潦は、にはたづみと云て、雨水の溜りたるを云也。然れば少しの水也。何とぞ別訓もあらん。本集の直海川より後考すべき事也
神之渡 端書を考へ合せて見れば、備後の神嶋の義と聞ゆる也。其邊りに神の渡りと云所あるなるべし。前前に、神の崎神の渡りと詠める歌あれど、ここは端書に神嶋と出で、本集に鳥音とありて、筑紫の海の事なれば、前の紀伊國の邊と見ゆる所とは異也
※[さんずい+内]潭矣 いりふちと云事外に不v聞。入海入江など云事あるから、いりふち共讀める歟。神代紀に、石川かたふちと云古語は有。※[さんずい+内]の字河水入v海を云と云字義あるから、いりふち共讀ませたる歟。此義もいかに共難2心得1後案すべし。若しくはかたふちならんか。枕に生きては、其處に臥したる義を云たる也
誰之言 本集には誰心と有。同じ意也。早く渡れと云ひしたが言を也。いたはりてか、かしこき荒波をも厭はず渡りて、溺れたるやと也
腫波 是を、ゆふ波と讀ませたれど、是は腫の字ゆふと讀む義無し。和名抄病部に、身體〔※[暴+皮]起虚滿曰v腫【波留】〕はるは肉高くなる義なれば、たか波と讀まんか。猶後案すべし。本集にて跡座浪と讀みたるを、此或説は句替りてかく有。歌の意は本集に同じ
反歌
3340 母父裳妻裳子等裳高高丹來將跡待人乃悲
ははちもも、つまもこどもも、たかだかに、こんとまつらん、ひとのかなしき
(102)歌の意能聞えたり。人の悲みを感じて悼み詠める也。本集に、待ちけんとあれど、ここに待つの字計りあれば本集もまつらんか
3341 家人乃將待物矣津煎裳無荒磯矣卷而偃有公鴨
いへびとの、まつらんものを、津煎裳なく、あらいそをまきで、ふせるきみかも
此津煎もなくと云事、諸抄の説も、人の寄りつどふ湊津の事と注したれど、奧に、きよする濱に津にもなくと詠める歌あれば、さは聞えず。愚案は、煎は烈の字の誤りなるべし。つれもなくと云にて能叶へり。挽歌衷情の歌に、此集中にも、つれもなくと詠める詞毎度有。さあらずば、常もなくにてあるべし。なにぬね通音にて常もなくにてあるべし。第十九卷の長歌にも、行水のとまらぬ如く常もなくと詠める詞もあれば、右兩義の内なるべし。つにもなくと云義はあるべからず
3342 ※[さんずい+内]潭偃爲公矣今日今日跡將來跡將待妻之可奈思母
此※[さんずい+内]の字の事前に注せる通也。歌の意は能聞えたる也
3343 ※[さんずい+内]浪來依濱丹津煎裳無偃有公賀家道不知裳
此歌の、津にもなくにて湊津の事と不v聞也。※[さんずい+内]は歌によりて義訓に詠ませたる歟。いる浪と云事も無き詞也。浦波と讀まんか。歌の意は、つにもなくはつれもなくか。常もなくと讀みて能聞えたる也
右九首
3344 此月者君將來跡大舟之思憑而何時可登吾待居者黄葉之過行跡玉梓之使之云者螢成髣髴聞而大士乎太穗跡立而居而去方毛不知朝霧乃思惑而杖不足八尺乃嘆嘆友記乎無見跡何所鹿君之將座跡天雲乃行之隨爾祈射完乃行文將死跡思友道之不知者獨居而君爾戀爾哭耳思所泣
このつきは、きみかきなんと、おほふねの、おもひたのみて、いつしかと、わがまちをれば、もみぢ(103)ばの、すぎてゆきぬと、たまづさの、つかひのいへば、ほたるなす、ほのかにききて、ますらをを、いたくしのぶと、たちてゐて、ゆくへもしらず、あさぎりの、おもひまどひて、つゑたらぬ、やさかのなげき、なげけども、しるしをなみと、いづくにか、きみがまさむと、あまぐもの、ゆきしまにまに、いるししの、ゆきもしなむと、おもへども、みちのしらねば、ひとりゐて、きみにこふるに、ねのしみしなかる
太穗跡 はたととのふとは如何なる義にや。あこととのふなど云義とは大成違也。宗師案は、穗は隱の字の誤也。太隱にていたくしのぶと讀ませたる義なるべし。さなくては此句續かぬ也
杖不足八尺 十尺を一丈と云。丈と杖通へる故つゑと云也。杖とは大夫の衝くものから云など云説は、丈と云文字によりての説也。衝杖と、男子の丈夫と云訓は甚異也。ここに杖たらぬと云は、百不足八十と、五十三十など云義と同じ意也。十尺を一丈と云から、それに足らぬ八尺のと云たる也。八尺をやさかと云事前に注せり。やときにてあるべき。八時の借訓にて、長く大いに歎くの意を云たる義ならんか。一説、坂を越ゆる如く苦しく歎くの義と云へるは、音を用たる説也。音を訓に用ひたる事數多例あれば、是も古く誤り來れるか。兎角切に歎く事を云たる義と見るべし。嘆は長息と云義と釋し來れり。悲み歎く時は、長き息をつく故、歎きと云説は語釋を不v辨説也
天雲乃行之隨爾 此句ゆきのと續けたる詞心得難し。此歌の意ゆきしと讀までは叶はぬ所なれば、ゆきしとや讀むべき。天雲行くとは毎度詠む事にて、行きと云はん序に天雲と置きし句也。是れによりて前に、天雲の行莫莫を讀めるにも、つらと讀むべきかと宗師の案あれ共、此歌にもゆきと讀ませ、此外にも毎度あれば後案すべし。何とぞ別訓あらんか。此歌は兎角ゆきと讀までは、下の、行文將死と云句に續かねば、ゆきしと讀むべき也。君がゆきしまにまに也。ゆきし方に任せてゆきて死なんと他
所射完乃 手を負たる鹿は、己が勢力の續くだけはいづ方とも分かず、息を限りに行きて、遂に死ぬるもの也。よりて如v此ゆ(104)き死なんと云冠句に、いるししとは置ける也
哭耳思所泣 ねのみしなかる、哭は聲の出づる物故、義をもて哭の字を、なくとも、ねとも、こゑとも讀ませたり。此歌は防人の妻の歌と左注にも注せる如く、其意に聞ゆる也。歌の意は句面にて聞えたり
反歌
3345 葦邊從鴈之翅乎見別公之佩具之投箭之所思
あしべゆく、かりのつばさを、見るごとに、きみがよそひし、なぐやししたはる
雁之翅乎 葦遠に飛行く鴈の翅を見る度に也。防人故や凌ぐひなど負へる故、鴈の翼を並べて飛行有樣、やなぐひの矢の列れるにも、又矢は鳥の羽をもてはけるなれば、羽につけて思ひ慕ふの意なるべし。然るに此見別と云を、見わかれと讀みて、鴈の諸共にあさりしが、つがひ離れてひとり立行を見る如くに、見別れてと云義と釋せる、入ほかなる六ケ敷説有。別の字は毎の字の借訓にて見る度の意也。旅にて死せし事を云へる歌なれば、見る度にとは義訓に読むべし。見別れてと云詞も例無き詞、義も六ケ敷入ほかなる説也
佩具之、おひこしと讀みたれど、義訓によそひと讀む。又おひにしとも讀むべし。こしと云ては又義六ケ敷也。佩具の二字にて、おひにしとも讀むは義訓也。やなぐひは負ふものなれば也
投箭は、諸抄の説は矢を射發つは、なぐる樣なれば云との義、又神代紀に、天稚彦へ給ひし矢を、投げ返し給ふと云事より云ふ名目抔云へる説あれど難2信用1。是れは射流す矢と云義なるべし。征矢の事を云と見えたり。神武紀に、流矢と書かせ給ふも征箭の事也。いたやぐしと讀ませたれど、是もなぐやと訓ずべき。軍箭を征矢と書きて、そやと云、又さと訓ず。さは、そやと云約言也。前の鵜川の歌に、投左の遠ざかりと詠めるも、そやの事也。第十九卷にも、なぐやもち千尋射わたしと有。前にも委敷注せり。歌の意は句釋の通、雁の翼を見る毎に、夫の負ひし矢の事を思ひ出て慕ふとの意也
右二首但或云此短歌者防人妻所作也然則應知長歌亦此同作焉
(105)左注の通長歌短歌共同人の作なるべし、前に、海上に溺れ死にたる人の妻などにや、歌の次第其意を含みて撰者も如v此列ねしか。さ無くても斯くの如く列ねしは好き次第也
3346 欲見者雲井所見愛十羽能松原少子等率和出將見琴酒者國丹放甞別避者宅仁離南乾坤之神志恨之草枕此覊之氣爾妻應離哉
みまほしは、くもゐに見ゆる、うつくしき、十羽のまつばら、みどりこら、率和いでみん、ことさけは、くににさけなむ、わかれなば、いへにかれなむ、あめつちの、かみしうらめし、くさまくら、このたびのけに、つまかるべしや
此歌の意諸抄の説不v決。旅行にて夫の死したる所を慕ひて、子等といさや出で見んと妻の詠める歌と見る説有。又旅行にて連れ立ちたる妻を失ひし歌共聞ゆる也。宗師案は、共に旅行せし道にて、妻を失ひたる歌と見る也。然れ共愚意未v落。初句より五句迄の意聞得難し。愚意は旅行にて男子の死なんとせし時詠める歌と聞ゆる也。初句より五句迄の見樣何とぞあるべき歌也。然れ共先づ宗師案の如く、我古郷にて見まほしくは、子等をも連れて出見べき十羽の松原なるに、旅行にて別るる事の悲しきと詠めると見る也。此意愚意には不v落。いさや出で見んの二字、さそやとか、いさわとか讀む義あらんか。此率和出將見と云迄の句不v濟故、此歌の意、男子の歌か、妻女の歌か聞分難し。後案すべし
琴酒者 人事の事をさけ離れて死なば、本國同所同家にてこそと云意也
たびのけと云は、旅の日にてと云義と聞ゆる也。日にけにと云も、日に日にと云たる重ね詞を、詞を替て云たる義ならん。此歌の旅のけは、旅にてと云義と見て濟むべき也。反歌にても同じ意也
反歌
3347 草枕此覊之氣爾妻放家道思生爲便無
(106)くさまくら、このたびのけに、つまさかれ、いへぢおもへば、いけるすべなし
家道思 此句にて、男子の旅行にて死なんとする時の歌と聞ゆる也
或本歌曰覊乃氣二爲而
二句の異説を擧げたり
右二首
萬葉童蒙抄 本集第十三卷終
(107)萬葉童蒙抄 第十四卷
東歌
上總國雜歌一首
下總國雜歌一首
常陸國雜歌二首
信濃國雜歌一首
遠江國相聞往来歌二首
駿河國相聞往来歌五首
伊豆國相聞往來歌一首
相模國相聞往來歌十二首
武藏國相聞往來歌九首
上總國相聞往来歌二首
下總國相聞往來歌四首
常陸國相聞往來歌十首
(108)信濃相聞往来歌四首
上野國相聞往来歌二十二首
下野國相聞往来敬二首
陸奥國相聞柱來歌三首
遠江國譬喩歌一首
駿河國譬喩歌三首
相模國譬喩歌三首
上野國譬喩歌三首
陸奥國譬喩歌一首
未勘國雜歌十七首
未勘國相聞往来歌百十二首
未勘國防人歌五首
未勘國譬喩歌五首
未勘國挽歌一首
(109)萬葉童蒙抄 卷第三十九
東歌 近江の國より東方の國を、凡てあづまと云ふ事、前にも注せる如く、事の起りは日本武尊の、あづまはやと宣ひしより始まれり。此東歌は五音通又らりるれの助語を、よく勘辨して見るべし。大方五音通をもて不v見ば通じ難き歌多し。五音通も帝都の本音は竪通ならでは通じ難く、いきしちにひみいりの外は横通は稀にて、尤横通にも習ある事也。然るに此東歌には、横通音もまま多し。是は東の方言故と見えたり。此覺悟を以て、此卷の歌を辨ふべき也
3348 奈都素妣久宇奈加美我多能於伎都渚爾布禰波等杼米牟佐欲布氣爾家里
なつぞひく、うなかみがたの、おきつすに、ふねはとどめん、さよふけにけり
奈都素妣久宇奈加美我多 此なつぞひく、うと續く事前にも注せり。苧をうむと云ふ一語にうけたる義と見るべし。然れ共此儀説説ありて、何れも一理有。東國の音は皆通音をもて云ひぬれば、うとをと通音故、苧とうけたる義共云説有。又仙覺説に、麻の生ずる所を、うと云事常の事也と注せり。仙覺時分迄は、麻の生ずる所を、うと云ひ習せる歟。今もさ云事にや未v考ば難v決けれど、此義慥に古語にてあれば、此説は最も安き説也。然れ共仙覺説に古今集の、さくら麻のをうと詠めるも、此事也と注せるは、疑はしき事有。此櫻麻の事、をふか、をうか未だ正義を不v考ば、仮名違を注せるにやあらん。疑は敷故決し難し。うみ、うむと云事に、うとうけたるとの義、をとうと音通の義、苧の本は麻也。其麻の苧の生ずる所苧と云との三義の内、生ずる所を、うと云から、麻は苧なるから、それを引く處のうとうけたる説は安き説也。猶後案後考すべし。偖うなうみとは、上總下總共に郡の名也。かたとは、難波潟明石潟と云のかたにて、鹽の干潟など云と同じ意也。なつぞ引うとうけたる歌は、第七、第九卷にも出でてそこにも注せり。此卷前に、夏麻引命號貯と詠めるも、うなかしなつみと詠みたる義也。諸抄には、みことなど讀める事誤り也。何れも皆うとうけたる冠句也。此下にも、うなひ共詠めり。兎角うと云一語にうけたる義にて、皆海の言に通ふ詞なれば、苧を績と續けたると云義不v合にも無けれど、三説の義各一理無きにあらざれ(110)ば、好む所に従はん也。歌の意は能聞えたる通也
右一首上總國歌
3349 可豆思加乃麻萬能宇良未乎許具布禰能布奈妣等佐和久奈美多都良思母
かつしかの、ままのうらまを、こぐふねの、ふなびとさわぐ、なみたつらしも
かつしかのまま 前に毎度注せる所也。歌の意能聞えたる歌也。第七卷に、風はやのみほのうらわをと詠める下の句に同じ詞也
右一首下總國歌
3350 筑波禰乃爾比具波麻欲能伎奴波安禮杼伎美我美家思志安夜爾伎保思母
つくばねの、にひぐはまよの、きぬはあれど、きみがみけしし、あやにきほしも
にひぐはまよ まよはまゆ也。是通音の東詞也。蠶は春夏飼ふて、糸を引かしめて絹にする也。にひぐはまゆは、春の蠶のなせし絹也。まゆとは神代上云、時保食神實已死矣 中略、 眉上生v※[爾/虫]。和名抄云、桑※[爾/虫]、唐韻云、※[虫+椽の旁]音象、和名、久波萬油。桑※[爾/虫]也。蠶の巣をなして其内に隱り居、其作り始めの形象、人の眉を作りし如くなるもの也。保食神の眉上に生ぜし由來と其形象の眉に似たるとをもて、桑眉とも云へるならん。其始めて先作る糸にて織りたるを好き絹とする故、にひぐはまゆのよき絹はあれど、それよりも我戀思ふ君のみけしの、あやしくも着まほしきと也。あやにとは賞めて云詞、嘆美の詞、ああ、あな、あや皆賞めたる詞也。すぐれたる絹を云はんとて、にひぐはまゆのきぬとは云へり。それよりも君が衣の着度きと願ひたる意也。みけししとは、衣の事を云。日本紀に衣裳と書てみけしと讀ませたり。伊勢物語にも、君がみけしと奉りけりと詠めり。當集にも、みけしと讀むべき歌如何程も有。第十卷の歌に御衣と書きて、みけしと仮名附け有。あやにと詠めるは、ひたすらにと云意をこめて也。又あやしくもと云意にも聞ゆる也。衣の歌故縁ある詞也。みけししの、後のしは助語也
或本歌曰多良知禰能又云安麻多伎保思母 たらちねの、初五文字をたらちねのと讀める一本もありと也。本集(111)のつくばねの五文字然るべし。さなくては國の歌には成り難し。又云あまたきほしも、是は五句目の異説也
3351 筑波禰爾由伎可母布良留伊奈乎可母加奈思吉兒呂我爾努保佐流可母
つくばねに、ゆきかもふらる、いなをかも、かなしきころが、にのほさるかも
ふらるはふれるか也。いなをかもは、いなかも也。さにはあらぬかも我が憐み思ふ女の布を干せるかと云ふ意也。いなをのをは助語、是等の詞東歌也
右二首常陸國歌
3352 信濃奈流須我能安良能爾保登等藝須奈久許惠伎氣婆登伎須疑爾家里
しなのなる、すがのあらのに、ほととぎす、なくこゑきけば、ときすぎにけり
此ときすぎにけりを、時來りたると云ふ義と釋せる説あれど、ときすぎとあるを、時の來れるとは差し當りて無理なる説也。時過ぎたるとなれば夏もたけ秋の頃にもなれる意なるべし。さるによりて、すがのあらのと詠みて、あれ過ぐるの意を含みて、あら野を詠出たるなるべし。すがのあら野は信州にある野の名也
右一首信濃國歌
相聞
國歌ながら相聞の意を詠める歌也。此標題に從ひて歌の意を見るべき也。相聞の歌には紛らはしき意ある也。別て東歌の詞は、聞慣れぬ詞共にて、聞きまがふ事有。聞不v得歌も数多有也
3353 阿良多麻能伎倍乃波也之爾奈乎多※[氏/一]天由吉可都麻思自移乎佐伎太多尼
あらたまの、きべのはやしに、なをたてて、ゆきかつましし、いをさきだたに
阿良多麻能伎倍乃 是は遠江國麁玉郡にある伎部と云所の林と云義也。前にも、あら玉のきべが竹がき抔詠める歌の所に注せ(112)り。和名抄國郡部に見えたり。然し伎部と云地名は、和名抄には見えざれど、今猶存せる地名、人の稱號にも木部と稱するものの今に有りて、其所の住人也。扨此歌の意諸説まちまちにして、聞得難し。一説は伎部の林に名をたてては、林と云名をたて雪が積れる庵崎も、一つに平らかなる如く、岡林も一枚に雪が積ませしと云義と也。然れ共相聞の歌なる意、其意如何に共聞えねば此説も心得難し。又或説は、なをたてては林に汝は立て我がゆくかと待ちしと也。いをさきだたにとは、駿河庵崎より直ちに來るを待ちしと云義にて、いほさきなるを、東歌故、ほとをと同音に横なまれるとの説有。兩義共難2心得1説也。然れ共、未だ決着の案をせざれば如何に共釋し難し。追而後案すべき也。宗師案も未v決故注解を除く也
3354 伎倍比等乃萬太良夫須麻爾和多佐波太伊利奈麻之母乃伊毛我乎抒許爾
きべびとの、まだらぶすまに、わたさはた、いりなましもの、いもがをとこに
まだらぶすまは、色々染め色のまじれる衾也。前にも出たり
わたさはた 綿多に也。太は、なにぬね通音にて、なともにとも通ぜる故、さはにと云義也
いりなましものを 綿多く入れたる如くにして、妹が寢床に我も入りなましものをと云意也。畢竟妹が寢床に入らんとの意也。をとこのをは助語也
右二首遠江國歌
3355 安麻乃波良不自能之婆夜麻己能久禮能等伎由都利奈波阿波受可母安良牟
あまのはら、ふじのしばやま、このくれの、ときゆづりなば、あはずかもからむ
しば山 柴草《しばくさ》山と云義歟。島山と云義歟。しばしばの意かと云説は心得難し。ふじ山は半腹より上は皆砂地。草木は無き也。然ればしば山はすな山と云義歟。語通ずれば也。芝草山と云義と聞ゆれ共、兩義の内好所に從ふべし
このくれの このくれのと云は、木の茂りたる事を云て、木の下暗等云て、夏の歌に詠來れり。然れば富士は禿げ山なれば、(113)麓のこのくれの夏の茂みの時過ぎなば、隱れ所無ければ逢はずかもあらんかとの意也。富士山は夏ならでは、山上に登る事ならざれば、木くれと云は、夏の木の枝葉茂れるを云たる義なれば、夏過ぎては富士山へは登る事ならぬ義を兼てかく詠めるならん。此暮のと云説もあれど、このくれのときすぎと云義不v合。其上此暮と限れる義聞き得難し。木の繁れる事を云のこのくれなるべし。天のはらとは、いたく聳えたる高山なれば、空天にも接する如くにて、天の原にも見上ぐる山故かく詠めり
3356 不盡能禰乃伊夜等保奈我伎夜麻治乎毛伊母我理登倍婆氣爾餘婆受吉奴
ふじのねの、いやとほながき、やまぢをも、いもがりとへば、けによばずきぬ
妹がりといへば 妹がもとと云へば也。けによばずは、聲に呼ばはらず忍びて來ると云義也。遠く長途のはるばるとしたる、山中をも忍びて來るから、聲に立てて呼ばはり來ぬと也。けには、こゑと云ふ詞を約したる詞也。諸説は、けはきりと云事にて、霧に迷はず來るとの説なれど、よ婆受と濁音の、はの迷ふの方にはならず。東歌故濁音多くて、清音をも濁音に云との説なれど書く所に何ぞ其義あらんや。今も山中にては、聲を立て後より來る者のしるべに呼ばはる事ある也。然れば是はよばはる方のよばずと云義なるべし
3357 可須美爲流布時能夜麻備爾和我伎奈婆伊豆知武吉※[氏/一]加伊毛我奈氣可牟
かすみゐる、ふじのやまびに、わがきなば、いづちむきてか、いもがなげかむ
霞居るふじの山邊也。女の許に往きて歸る折しも、霞にこめていづ方共わかたねば、いづち向きて女の歎かんと也
3358 佐奴良久波多麻乃緒婆可里古布良久波布自能多可禰乃奈流佐波能其登
さぬらくは、たまのをばかり、こふらくは、ふじのたかねの、なるさはのごと
さぬらくはとはさは發語寢ば也。ぬる事は少しの假初めの間と云事を、玉の緒ばかりと也。玉の緒ばかりとは、少しの間と云事に皆詠めり。こふ事は音たかく聞ゆる鳴澤の如くに、いたく戀慕ふと也。畢竟の意戀ふる事は夥敷て、ぬる事は稀れま(114)れに、少しの間ならではなきとの事也。鳴澤とは、富士山の頂上に女湖水なる澤ありて、山の燃ゆる火氣相迸りて凄じく鳴りしと也。よりて鳴澤と云也。都良香富士山記前にも注せり。其外古詠共に鳴澤を詠める歌も多し。
津守景基歌 ふじのねの雲ゐなりとも忘れなてなる澤水のたゆなとぞ思ふ
後鳥羽院御歌 煙たつ思ひも下や氷るらんふじのなる澤おとむせぶ也
俊成卿鳴砂と詠める事ある由、長明無名抄に見えたり。それより人誹謗して、なるさの三位と云ひ立てし由傳へ流布せり。なるさと云事あらんや。砂の降りて鳴音を云との義心得難し。當集に既に假名書に、さはとあれば、紛るべくも無く、なるさはなるを如何に心得られたらんか。是を助けて云ひまはせる説あれど、此義實事なれば、俊成卿の僻事ならんか
或本歌曰麻可奈思美奴良久波思家良久奈良久波伊豆能多可禰能奈流左波奈須與 まかなしみ、ぬらくはしけらく、ならくは、いづのたかねの、なるさはなすよ
まかなしみ まは發語也。悲しき也。ぬらくしげらくは、ぬらくしくすると云を、ぬらくしげらくと也。ねんとして其事のならぬはと云義也。いづの高根の富士山は三國にかかりたる山なれば、いづの高根共云へる歟。なるさはなすよは、なすもなるさはの如くよと云義也。此意少し聞分け難し。ねんと云事をすべき樣にして、事事敷云ひなして、鳴澤の如くに鳴りさはがしくしてもさはせぬと云の事歟。印本假名付の本には此歌、ぬらくはしげらくならくはいつしとあり。亂雖なるべし
一本歌曰阿敝良久波多麻能乎思家也古布良久波布自乃多可禰爾布流由伎奈須毛 あへらくは、たまのをしけや、こふらくは、ふじのたかねに、ふるゆきなすも
又の一本には斯くの如くあると也
思家也 玉の緒の如くと云義也。前に注せる如く、玉のをしく何しくと云詞有。其樣にと云義をしけしくと云也。如の字は及の字の意にて、ひとしく、ひとしきと云意也。逢へる事は假初めの少しの間にて、玉の緒の如くと云義也。戀ふる事は、高く積もれる雪の如くも、常に不v絶戀慕ふとの義也。此或本の歌は能聞えたり。畢竟三首共此歌の意に見るべし
(115)3359 駿河能宇美於思敝爾於布流波麻都豆良伊麻思乎多能美波播爾多我比奴 一云於夜爾多我比奴
するがのうみ、於思べにおふる、はまつつら、いましをたのみ、ははにたがひぬ
於思敝 諸抄の説岸邊と云へ共、あしべなるべし。あいうゑをのあと、わゐうゑおのおとは、古より通じたり。又わとをと通ふ筋違に通ひ來れり。たををを、たわわと云類也。然れば是もあしべなるべし。海の岸べと云義いかが。磯邊共通ふならば磯邊に共見んか。濱つづらは、濱邊に生るあをつづらの義なるべし。但し濱つづらと云一種ある歟。百部は、ほとつらと訓じて、一種にて百部ある由和名抄に注せり。此内に一種あるなるべし
歌の意、濱つづらと詠めるは堪へぬ心を云て、汝を頼みて親にもたがひしと也。宗師云、ははにたがひぬとは、葦の葉とつづらの葉とは異なるものから、葉葉不v同と云義にて、ははにたがひぬ共詠める也。そなたの心の變らじと思ふを頼みてと云義に、いましを頼みと也
右五首駿河國歌
3360 伊豆乃宇美爾多都思良奈美能安里都追毛都藝奈牟毛能乎美太禮志米梅楊
いづのうみに、たつしらなみの、ありつつも、つぎなむものを、みだれしめめや
ありつつもは、あれつつもと、永らへてありありてともを兼ねて云へり。たとへ波の荒れたり共、續きて不v絶あらんと、夫婦の間の事に云ひたるならん。みだれしめめや、心の亂れて變るべきや、變絶する事はせじと也
或本歌曰之良久毛能多延都追母都我牟等母倍也美太禮曾米家武 此歌の意心得難し。いづの海と詠みたれば、白波とならでは續け難し。終の句も聞え難し。本集の歌正義なるべし。よりて撰者も前の歌を本集に撰びしなるべし
右一首伊豆國歌
3361 安思我良能乎※[氏/一]毛許乃母爾佐須和奈乃可奈流麻之豆美許呂安禮比毛等久
(116)あしがらの、をてもこのもに、さすわなの、かなるましづみ、ころわれひもとく
をてもこのもは をちもこのも也。このもかのもと云が如く、おちこちここかしこと云義也。此下にも筑波ねのをてもこのもと詠み、第十七卷にも足曳のをてもこのもに共詠めり
佐須和奈乃 和名抄卷第十五畋獵具云、蹄、周易云、得v兎忘v蹄。神代紀下云、時有2川雁嬰v羂困厄。神武紀云、千〓能多かきにしぎわなはる云々。鳥けものをとる具也。かなるましづみと云冠句也。偖此かなるましづみと云事不v濟。第二十卷に防人の歌にも、いをさ手はさみむかひたちかなるましづみ出てとあが來る。此二首の歌かなるましづみ如何に共不v通也。或説にはけものを取る具なる故、わなにかかり、鹿の鳴く間しづめて待つ如く、人の許に至りても、人のぬる間を待てと云義と云へり。何共義不v涌釋也。防人の歌の意此釋にては不v濟也。或説にわなのはづるる時は、鳴りて紐の解くれば、こらとわれと、紐解く事に喩へ云と也。又一説わなに鈴をつけて、其鳴る音の靜まりてから、其わなを解く如く、人靜まりて後妹と脊と紐解くと云事を喩へたると也。斯くの如くにて不2一決1ば如何に共決し難し。防人の歌かなるましづみと云義不v濟ば、此歌義濟みて正義ならず。兩首一致ならではならぬ事也。むかひたちかなるましづみと詠める、防人の歌如何に共不v濟也。追而可v考
3362 相模禰乃乎美禰見所久思和須禮久流伊毛我名欲妣※[氏/一]吾乎禰之奈久奈
さがみねの、をみねみそぐし、わすれくる、いもがなよびて、わをねしなくな
をみねは尾峯也。みそぐしは見過し也。見過ぎ來る也。相模ねを見過ぎ來て、漸忘れたる妹が名を呼びて、又思出させて我をねに鳴かすなと也
或本歌曰武藏禰能乎美禰見可久思和須禮遊久伎美我名可氣※[氏/一]安乎禰思奈久流 むさしねの、をみねみかくし、わすれゆく、きみがなかけて、あをねしなくる
見かくしは、尾峰に隱れて思ふ人の事を忘れ來るに也。かけてはきけて也。なくるはなかする也。あれをねに鳴かすると也
(117)3363 和我世古乎夜麻登敝夜利※[氏/一]麻都之太須安思我良夜麻乃須疑乃木能末可
わがせこを、やまとへやりて、まつしたす、あしがらやまの、すぎのこのまか
大和の都の時なれば、諸國より參勤の時也。まつしたす此詞説説有。鳥を取る者の、まぶしをさして窺ふ如く、足柄山の杉の木の間より待見れば、杉の木の間をまつしにたつると云心也と云説、又は待て立つと云義共釋し、仙覺は待つ間の栖と云義抔注して各義理不分明也
宗師案は、まつしのしは助語にて太須はなす也。太は多く濁音に用ふる字なれば、濁音のだはな也。然ればまつの如くと云義にて、人を待つに云ひかけて、杉は時の過ぐるに云ひなして、杉の木間なれ共松の如くなるかなと云義と也
3364 安思我良能波姑禰乃夜麻爾安波麻吉※[氏/一]實登波奈禮留乎阿波奈久毛安夜思
あしがらの、はこねのやまに、あはまきて、みとはなれるを、あはなくもあやし
粟とは逢はんにと云事をこめて也。それを粟を蒔きし事に添へて云へり。蒔きし粟さへ實のりたるに、我逢ふ事の無きはあやしきと也。實とはなれるをとは、既にうけ引て心は通じぬれど、事の障りありて、逢ふ事の無きは、如何なる事にやと怪みたる義也、
或本歌末句云波布久受能比可利與利己禰思多奈保那保爾 箱根のやまにはふくすのと云句也。したなほなほには、下の心すなほに外心無く、只一筋にの意也
3365 可麻久良乃美胡之能佐吉能伊波久叡乃伎美我久由倍伎己許呂波母多自
かまくらの、みこしのさきの、いはくえの、きみがくゆべき、こころはもたじ
いはくえの 相模國風土記云、鎌倉郡見越崎毎有2速浪1崩v石。國人名號2伊曾布利1。謂振v石也。是に依りていはくえと詠出たり。下のくゆべきと云はん爲の序也。君がくゆべき、妹がくゆべき抔詠める事、前に第三、第十卷等にも見えたり。心變り(118)て君にくやましむる如きの不實の意は持たじと也
3366 麻可奈思美左禰爾和波由久可麻久良能美奈能瀬河泊爾思保美都奈武賀
まかなしみ、さねにわはゆく、かまくらの、みなのせがはに、しほみつなんか
まかなしみは悲しき也。思ふ人の方へ我は行くに、みなの瀬河に潮の滿たんかと悲める義也。瀬河と云へば川なるべきに、潮滿つらんとは海に近き川なるべし。海に潮滿つれば直ぐに水も増すもの也
3367 母毛豆思麻安之我良乎夫禰安流吉於保美目許曾可流良米己許呂波毛倍杼
ももつしま、あしがらをぶね、あるきおほみ、めこそかるらめ、こゝろはもへど
ももつしまあしがら とは、百の島島を足輕く走ると云意にて、ももつ島足柄とは續けたるならん。但し足柄山の名をも、ももつ島と云歟。ふじのしば山も嶋山共聞ゆれば、足柄山の名にもや。八雲には百津嶋と云一嶋、相模にある樣に注せさせ給へり。然れ共此歌の意は、數々の嶋と云義に聞ゆる也。八十嶋と云如くに見ゆる也。第七卷に、島つたふあしはや小船と詠める意と同じく、百の嶋を足輕く行くと云意に見ゆる也。既に下にあるきおほみと也
めこそかるらめ 海布を刈に寄せて、妻をかり求むる事を云也。心はもへど、我は心には思へど、思ふ人はあなたこなたに心多くて、女をこそかり求めめ、我はかく心にのみ思へどと云意也。めこそかるらめは、今相見る事を遠ざかりかれゆくは、方方と歩きおほきからにてこそあらめと云事にも通ふ也
3368 阿之我利能刀比能可布知爾伊豆流湯能余爾母多欲良爾故呂何伊波奈久爾
あしがりの、とひのかふちに、いづるゆの、よにもたよらに、ころがいはなくに
あしがり あしがらもあしがりも同事、足上郡足下郡に分ちて有。とひのかふちも同じ地名也。上下郡の内何れにか屬したらん未v考
(119)いづる湯 今も塔の澤、底倉、熱海伊藤など云て温泉の有。昔より出湯ありしと聞えたり。其湯の絶ゆべき樣には子等が云はざりしと也。たゆらは絶ゆる樣にはと云意也。たゆらと云べきとて、いづる湯とは詠出たり。たゆらとは、たひらかに云義との説は意外ならん
3369 阿之我利乃麻萬能古須氣乃須我麻久良安是加麻可左武許呂勢多麻久良
あしがりの、ままのこすげの、すがまくら、あぜかまかさん、ころせたまくら
ままは地名、菅の生ずる所なるべし。あぜかまかさんは、なぜにかまかさぬぞ、こらせよ手枕と也。歌の意は、菅枕を何故に卷き寢ぬぞ、ころはこらにて女の通稱、此菅枕をして我と共にいねとの意也。なぜかまかさんは、我と何故に枕を卷き寢ぬぞと也
3370 安思我里乃波古禰能禰呂乃爾古具佐能波奈都豆麻奈禮也此母登可受禰牟
あしがりの、はこねのねろの、にこぐさの、はなつつまなれや、ひもとかずねむ
にこ草一種あると見えたり。苔と云説萩と云説あれど、分明の證無ければ決し難し。第十一卷にも、あしがきの中のにこ草にこよかになど詠めり。一種あると見るべし
波奈都豆麻 此句聞き得難し。花の心よくも咲かぬ草を、ここ草と云かとの説ありて、花つつましくあれやと云義に見る説有、又兩字の内一字衍字にて、花づまなれやと云義、仇なる妻なれば、打とけて紐をも解かずねんと云意と見る説有
宗師案は、にこ草の如く、美しくわが愛する妻なれば、早く紐をも解かずねんとの意に見る也。愚意何れ共未v決、尚追案すべし
3371 安思我良乃美佐可加思古美久毛利欲能阿我志多婆倍乎許知※[氏/一]都流可毛
あしがらの、みさかかしこみ、くもりよの、あがしたばへを、こちてつるかも
(120)みさかかしこみは、世を憚り恐ろしき故、くもり夜のしたばへと云て、忍びて下によばへる心をあらはして、ことにてつると也。下ばへは下よばへ也。よばへは古詠に毎度有りて戀慕ふ事也。古事記の神詠此集にも數多出たる詞也。したばへは忍びてよばへ戀ふ事也。依りてくもり夜のと。忍ぶと云義に、曇り夜のとは詠める也
3372 相模治乃余呂伎能波麻乃麻奈胡奈須兒良久可奈之久於毛波流留可毛
さがみぢの、よろぎのはまの、まなごなす、こらはかなしく、おもはるゝかも
よろぎのはま餘綾郡をよろぎ郡と訓せり。和名抄國郡部、相模國餘綾【與呂岐】郡。こゆるぎの磯と云も、此よろぎの轉語也
まなごなす 織沙は美しきものなれば、其如くと云義、又まなごとは愛子共書きて、わが美しむ秘藏の子を指しても云なれば、子らとは女の通稱にて、うつくしみ不愍に思ふ子の如く思ふ女と云義也
兒良久を、こらはと讀ませたれど、らくは皆詞の餘り、東歌に、こふらくは、しげらくはと詠れば、文字の通に讀みて濟む也。はの假名を付けたるは手爾波を能聞えさせんとての義なれど、此卷の歌を能勘へ不v辨人の所爲なるべし。悲しく思ふは、うつくしみめで思ふの義也
右十二首相模國歌
3373 多麻河泊爾左良須※[氏/一]豆久利佐良左良爾奈仁曾許能兒乃己許太可奈之伎
たまがはに、さらすてづくり、さらさらに、なにぞこのこの、ここたかなしき
多麻河泊 和名抄卷第五國郡部云、武藏多麻郡、太麻。たばと濁るは、まと云音故也。此太麻郡の川なるべし。手づくりは布也。和名抄云、唐式云、白絲布【今按俗用2作布三字1云2天都久利乃沼1乃是乎】武藏に限るべき布ならねど、此所の名物歟。さらさらと云はんとて、さらすと云。是等の詞は其事に縁有りて、下に續く詞也。歌の續けがら詞の縁、ケ樣の所を能心得べし。さらさらと云はんとて、外の詞のさらと云事を云ひては布にかけ合はず。布をさらすと云て、其縁をうけて、さらさらと詠めるは金言也、さ(121)らさらは、ひたものものの意也。思ひ改めては、又又の意也。
なにそこの兒乃 何其子也。又何故ぞ、此子のいくばくもうつくしみ不愍に思ふらんと云意ろも聞ゆる也。ここらと同じ意多くと云意也
3374 武藏野爾宇良敝可多也伎麻左※[氏/一]爾毛乃良奴伎美我名宇良爾低爾家里
むさしのに、うらへかたやき、まさでにも、のらぬきみが名、うらにでにけり
宇良敝かたやき 是は占の古實也。天照大神岩戸に隱らせ給ふ時、諸神等の占ひ給ふ占の古實也。古事記云、召2天兒屋命布刀玉命1而内2拔天香山之眞男鹿之肩1拔而取2天香山之天婆婆迦1而令占令2麻迦那波1云云。如v此の神わざありて、神樂と云事も始まり、大神も二度岩戸を出させ給ふ也。此うらへかたやきとは、鹿の肩の骨を拔取りて、はばかの木をもて燒く事也。其燒樣に從ひて、吉凶善惡を顯すしるしある也。今も東國には此古實殘りて、常陸の神社の内には、此占の古實を傳へたる神官もある由也。うらへかたやきとは、凡て占を司るものは卜部氏也。即ち氏の名とも成れり。うらへとは、うら氏のものと云事也。龜卜と云は後の事にて、神代の占は、此かたぬきのうらと云か本始と見えたり。此歌にも如v此詠みたれば、武藏野は鹿多き所なりし故、上古も古實を存して、肩拔きの占などせし事常の事と聞ゆる也
まさでにも 正敷わざにも也。此下にも大をそ鳥のまさでにもと詠めり。のらぬは、人には告げ聞かさぬ君が名と云事也。それを占にはのりのろと云事有。占に叶ふをのると云事あるから、縁の詞故、親などにも包みて告げぬ名のと云事也。人には告げぬ君が名の、占のまさでに顯れたると也。第二卷に、大津皇子石川の女郎を召しけるを、津守連通が占の名人にて事の顯れし事、第十一卷にも、占さして母はとふとも抔詠める也。奥義抄童蒙抄袖中抄等にも、此集の此歌の事を注して、肩燒の占の事を釋したり。童蒙抄袖中抄仙覺抄に、うらゑと讀める事は誤れるならん。堀川百首匡房郷の歌、
かこ山のはばかが下にうらとけてかたぬく鹿は妻戀なせそ
3375 武藏野乃乎具奇我吉藝志多知和可禮伊爾之與比欲利世呂爾安波奈布與
(122)むさしのの、をぐきがきゞし、たちわかれ、いにしよひより、せろにあはなふよ
をぐきはをか岫也。きゞしは雉也。たちわかれと云はん序也。せろはせな、夫を指して也。逢はぬと云義也。日本紀顯宗紀には、少郊と書きて、をぐきと讀ませたり
3376 古非思家波素※[氏/一]毛布良武乎牟射志野乃宇家良我波奈乃伊呂爾豆奈由米
こひしけば、そでもふらんを、むさしのの、うけらがはなの、いろにづなゆめ
こひしけば、戀しくは也。又戀しければの意にも聞えたり。招きかへす如く袖を振らんずるを、必ず色にな出て人にさとらるるな、ゆめゆめつつしめと也。うけらは、白朮の事也。をけらとも、うけらとも云也。蒼朮白朮同物也。新を白朮と云ひ、去年の古ねを蒼朮と云由也。本草等には赤朮とも出たり。赤朮は蒼朮か、あざみに似て山中に生ずる由、和名抄に注せり。よりて山あざみとも名付よし見えたり。和名抄云。爾雅注云、朮、儲律反和名乎介良、似v薊生2山中1故亦名2山薊1也。本草等には淡紫碧紅の花咲く由を注せり。然るに此歌にも、うけらが花の色にづなゆめと詠めるは、色に出顯れぬもの故、出づなと云喩へに詠める共聞え、此下の歌二首の意も紛らはしくて決着し難し。色に出るもの故、出でなと讀む例も有。又出でぬもの故、其如くに出でなと云ひたる歌も有。中世已來は千載集源俊頼臣述懷の長歌に、うけらが花の咲きながら開けぬことのいぶせさにと詠めるを證明として、只つほみてとくと不v開、色にも出でぬものに云ひ習はせり。本草等とは相違也。いか樣にも色の事を云はば、外に何程も紅紫の花あるべきに、わざわざうけらを取出したるは、若し色に不v出物故ならんか。或説の歌も色に出ずあらんと詠めるは、不v出物の意に聞ゆる也。此卷の下にうけらが花のときものをとも詠める意引合可v考。開榮の時無き事を云ひたる歟
或本歌曰伊可爾思※[氏/一]古非波可伊毛爾武藏野乃宇家良我波奈乃伊呂爾低受安良牟 いかにして、こひばかいもに、むさしのの、うけらがはなの、いろにでずあらん
(123)いか樣に戀ひなば、色に出ぬ樣に忍ばれんと也。此歌は返歌の意に聞ゆる也
3377 武蔵野乃久佐波母呂武吉可毛可久母伎美我麻爾末爾吾者余利爾思乎
むさしのの、くさはもろむき、かもかくも、きみがまにまに、わはよりにしを
まろむきとは、いづ方へもなひ靡くの義也。吾が引く方へ、いか樣にも從ひ向ふとの義也。片向諸向と對したる諸向也。片ぶくと書たる、むくと書べきにと難ぜる人有。却つて心得違也。ぶくと云濁音は、むくと云詞也。ぶと云濁音はむ也
3378 伊利麻治能於保屋我波良能伊波爲都良比可婆奴流奴流和爾奈多要曾禰
いりまぢの、おほやがはらの、いはゐづら、ひかばぬるぬる、わになたえそね
伊利麻治は地名、郡の名也。和名抄云、武藏國入間郡【伊留末】。おほやがはらは、同抄郷の名に大家於保也介。此所にある原歟。又大野河原か。第十一卷に、大野河原のみもりにと詠めると同所歟
伊波爲都良 いはにはへるゐ葛と云物ありと見えたり。如何なるものを云歟、未v考共此卷の奥にも出たり。ゐづらと書きたれば、藺などの類ひか。兎角かづら類に一種あるべし。百部あると云程のつらの内にあるべし。ぬるぬるは、前にも第二卷の歌に、たけばぬれたかねばぬれと詠み、第十一卷に髪の事に詠めり。まつはると云詞也。まつを約すればぬ也。まつはりまつはりて我になたえなと也。ゐづらを女に喩へて詠める也
3379 和我世故乎安抒可母伊波武牟射志野乃宇家良我波奈乃登吉奈伎母能乎
わがせこを、あとかもいはむ、むさしのの、うけらがはなの、ときなきものを
あとかもは何とかも云はん、善惡を云べきやう無く、常住不變に思ひ入てあればと云意と聞ゆる也。如何なる意をもて斯く詠めるや、其意は知り雛けれど、歌の表一通はかく聞ゆる也。うけらが花のときなきと詠める事、前の歌にも注せる如く、つぼみて開くとも無き花故、ときなきものをと詠めるか。然らば何とぞ恨める意を含みて詠めるならんか。又めづる意に言の(124)葉云べきやうも無く、常住不斷にうつくしみ思ふとの義歟。決し難し
3380 佐吉多萬能津爾乎流布禰乃可是乎伊多美都奈波多由登毛許登奈多延曾禰
さきたまの、津にをるふねの、かぜをいたみ、つなはたゆとも、ことなたえそね
佐吉たま、郡の名前に注せり。かもぞはねきると云歌に有。歌の意は能聞えたり
3381 奈都蘇妣久宇奈比乎左之※[氏/一]等夫登利乃伊多良武等曾與阿我之多波倍思
なつぞびく、うなびをさして、とぶとりの、いたらむとそよ、あかしたはへし
うなびをさしては、海邊さして也。但しうなびと云地名にもあらん。とぶ鳥のいたらんと云序也、飽かず慕ふ心の切なる餘りに、うなびをさして飛ぶ鳥の往く如くにも、思ふ人の方へゆかんと慕ひ思ふと也
右九首武藏國歌
3382 宇麻具多能禰呂乃佐左葉能都由思母能奴禮※[氏/一]和伎奈婆汝者故布婆曾母
うまくたの、ねろのささはの、つゆしもの、ぬれてわきなば、なはこふばぞも
宇麻具多は上古の上總の郡名也、今は望陀郡と云有、此所なるべし。古事記云、天津日子根命者馬來田國造等祖云云、日本紀繼躰紀云馬來田皇女。同天武紀云、大伴連馬來田。同紀十二年六月丁巳朔己未大伴連望多薨。是今の望陀郡の地名を名とせる也。始めは馬來田と書きしを、天武の比望多と音借訓にも書き語も略して書きしを、和名抄にも望陀の二字を音借訓と心得て、末宇太と訓を書きしならん。末宇太は、う馬くさの略語也。つゆしものは、なにぬねの同音にてしもに也。露霜に沾れて也
和伎奈婆 わけなば也。若し笹葉野と云地名歟。そこを露霜に沾れて分けなば也
汝者こふばぞも もは助語にて汝を戀へばぞ也
(125)わきなばは、われ來なば共聞ゆれど、笹葉のとあれば、そこを分くると云意、來る事は不v云して知れたる義ならん。わけと云て、其内に往來の意は聞ゆれば、分なばにてあるべし。方言故今時の歌の樣に、言をきつと手爾波あふ事は無き也
3383 宇麻具多能禰呂爾可久里爲可久太爾毛久爾乃登保可婆奈我目保里勢牟
うまくたの、ねろにかくりゐ、かくだにも、くにのとほかば、ながめほりせん
うまくたのみねにかくれゐ也。住所馬來田の峰に隱れて、斯くの如く國の遠からば汝の目をほしくあらんと也。目をほりとは逢ひたきとの事也。前に毎度ある古語也。此歌は防人などに上京する時の歌歟。公役につき暫らく夫婦相隔り居んとする時の歌と聞ゆる也
右二首上總國歌
3384 可都思加能麻末能手兒奈乎麻許登可聞和禮爾余須等布麻末乃※[氏/一]胡奈乎
かつしかの、ままのてこなを、まことかも、われによすとふ、ままのてこなを
手兒奈の事、第二、第九卷の長歌等に見えたり。彼の美女の如くに、我をなぞらへて云と悦びて女の詠める也。まことかもは眞實に戀ひ思ふからか、又たはぶれての事かと、疑ふ意にまことかもと也
3385 可豆思賀能麻萬能手兒奈家安里之可婆麻末之於須比爾奈美毛登抒呂爾
眞間の手兒奈が今もありなば、眞間と云所へ多くの人の集り遊びて騷がん事、波もとどろにうちさわぐ如く遊び寄らんとの譬へ也。おそひはいそ邊共云説有。波と云事あれば、さもあらんか。あし邊共云べき歟。然れ共第二卷の歌に、宮もとどろに遊ばんものをと云意の歌あれば、遊びの句例ある故遊びとは見る也。波と云物は鳴るものなれば、あしべ磯邊にてもあらんか。意は人の集り寄らん事、葦邊礒邊にうつ波の轟く如くならんとの義也
3386 爾保杼里能可豆思加和世乎爾倍須登毛曾能可奈之伎乎刀爾多※[氏/一]米也母
(126)にほどりの、かつしかわせを、にへずとも、そのかなしきを、とにたてめやも
にほ鳥は潜てと云義に續けたり。水中へ能かづき入るものなれば、地名の可豆しかを云はん爲の序に、にほ鳥とは置けり
和世乎、早稻乎也。室のはやわせ抔云類也。にへずともは、上古は郷飲酒と云事令等にも其法見えて、里々にて饗宴をして、その所の尊長なるものを祝賀などせし也。其遺風にて、東國の俗其外田舍には、田造る時雇ひたる人々を集め、初めて刈りたる稻にて贄をして饗する也。此事諸抄にも委し、不v及v注也。戸をさして人を内へは不v入とも、うつくしむ人の來りなば、そがにへず共外に立てめや内へ入れんと也
3387 安能於登世受由可牟古馬母我可都思加乃麻末乃都藝波思夜麻受可欲波牟
あのおとせず、ゆかんこまもか、かつしかの、ままのつきはし、やまずかよはむ
足の音せず行かん駒もがな也。忍びて通ふ故、音せずば止まず通はんと也。眞間と云所に忍び戀ふ人のある男の詠めるならん
右四首下總國歌
3388 筑波禰乃禰呂爾可須美爲須宜可提爾伊伎豆久伎美乎爲禰※[氏/一]夜良佐禰
つくばねの、ねろにかすみゐ、すぎがてに、いきづくきみを、ゐねてやらさね
かすみゐは、霞の晴れやらぬ如く、妹があたりを行過難くして行悩める故也。息つくと、息つくとは、息づかしきなど云て、息の絶える如く苦しむ義、悩む事に云也
爲禰底は將v寢て、率の字の意也。つれねてやらねと云義也。或説に戀はるる女に外の女のすすめて示せる歌と云へり。やらさねと詠めるから、此説にも聞ゆるなれど、自身にゐねてやらねと云歌なるべし。旅行などする人に詠みて遣はせる歌ならんか
(127)3389 伊毛我可度伊夜等保曾吉奴都久波夜麻可久禮奴保刀爾蘇提婆布利弖奈
いもがかど、いやとほそぎぬ、つくばやま、かくれぬほどに、そではふりてな
いやとほそぎぬは、いやとほざきぬ也
かくれぬほど かくれぬ間に也。かくれぬ間は、袖を振りて招かんと也。此歌の次第、前の歌は、女の歌、此歌は男の歌にて、旅などへ行時、互ひに詠める樣に聞ゆる也。撰者も其意を得てかくは連ね編みしか
3390 筑波禰爾可加奈久和之能禰乃未乎可奈岐和多里南牟安布登波南思爾
つくばねに、かがなくわしの、ねのみをか、なきわたりなむ、あふとはなしに
かがなくわし、和名抄云、嚇、【呼格反加加奈久】鳥の餌を奪はれんやうにとて、外鳥の翔るを見ては鳴くを云也。然し鷲鷹の鳴く聲キヤキヤと鳴く也。キヤの音はカ也。カカと鳴く音によりても、かかなくと云へるならんか。筑波山は高山にて、鷲も多く鳴く山なれば、其當然の事に喩へて詠めるならん。鷲に意あるにあらず。只音のみを鳴き渡りなんと云べき迄の序也。歌の意は、能聞えたり
3391 筑波禰爾曾我比爾美由流安之保夜麻安志可流登我毛左禰見延奈久爾
つくばねに、そがひに見ゆる、あしほやま、あしかるとかも、さねみえなくに
そがひに見ゆるとは、あしほ山は筑波禰より見れば、ま向ひには見えず。脇樣に見ゆるなるべし。それに思ふ人と我が中との事を喩へて、そがひに見ゆるあしほの山の如く、そむきなして親しからぬは、何故ならん。惡しきとかも、實に見えぬにと云義也
3392 筑波禰乃伊波毛等杼呂爾於都流美豆代爾毛多由良爾和家於毛波奈久爾
つくばねの、いはもとどろに、おつるみづ、よにもたゆらに、わがおもはなくに
(128)とどろは音の轟き鳴る義、又亂れまじりたる事をも云也。絶えず音して水の落つる如く、わが君を思ふ事は、絶えまじきと也。代にもとは、よもやなど云詞と同じ。惣て、おしなべての代にと云意也。おつる水は、瀧水を云へるならん。陽成院の御製も是等を本として被v遊しにや
3393 筑波禰乃乎※[氏/一]毛許能母爾毛利敝須惠波播己毛禮抒母多麻曾阿比爾家留
つくばねの、をてもこのもに、もりべすゑ、ははこもれども、たまぞあひにける
をてもこのも前に注せり。をちもこのも也。をちこち、この方あの方と云が如し。もりべすゑは守る人を置也。山には山守と云者あるから、もりべすゑと也。敝と云は凡て人を指して等類者を云也。守る人を置て母は籠れ共心だに逢へば、互の志は通ふと也。たまぞあひにけるとは、心の通ひ合ふと也。第十二卷にも、玉あはばあひぬるものを共詠めり。
母こもれ共は、母と籠り居れ共か。只母の守りて、外にも不v出奧深く籠めおけ共と云意なるべし
3394 左其呂毛能乎豆久波禰呂能夜麻乃佐吉和須良延許波古曾那乎可家奈波賣
さごろもの、をつくばねろの、やまのさき、わすらえこばこそ、なをかけなばめ
此歌如何に共解し難し。諸抄の説は、わすらえこばこそは、忘られて來らばこそ也。なをかけなばめは、汝を心にかけずあらめと也と釋せり。此通にては句釋雖2信用1也。なをかけなばめと云詞如何に共聞得難し。後案すべし
3395 乎豆久波乃禰呂爾都久多思安比太欲波佐波太奈利努乎萬多禰天武可聞
をつくばの、ねろにつくだし、あひだよは、さはだなりぬを、またねてんかも
つくだしは月出でし也。を筑波の峰に月の出て逢ひし夜は、間隔たりて程經しか、又寢てんかと云ふ意也。逢ひしあひだの夜はと云ふ義を、東歌故あひだ夜と云へると聞ゆる也。間と逢ひたる夜とを兼ねて云ふたる事と聞ゆる也。言葉急にして、少し足らぬ樣なる歌也。然れ共、諸抄の意も如v此也。只逢ひし夜は多くなりしに歟。逢ひぬる事の重なりて多くなりしに、又(129)寢んかもと言ふ歟
つくだしは月立か。月日の立ちて程經たる共蘊ふ意か。奧の歌に、いづちむきてを、いづしむきて共よめり
3396 乎都久波乃之氣吉許能麻欲多都登利能目由可汝乎見牟左禰射良奈久爾
をつくばの、しげきこのまを、たつとりの、まゆかなをみむ、さねざらなくに
繁き木の間を、立つ島は見えにくく見えわかぬもの也。然れば戀しくても見ぬと云ふ事に例へたるか。目由可は夢にか汝を見んと云ふ意歟。未ださねたる事も無きに、夢にか見んと也
3397 比多知奈流奈左可能宇美乃多麻毛許曾比氣波多延須禮阿抒可多延世武
ひだちなる、なさかのうみの、たまもこそ、ひかばたえすれ、などかたえせむ
玉藻こそ絶える事あらめ、わが中のなどか絶えんや也
右十首常陸國歌
3398 比等未奈乃許等波多由登毛波爾思奈能伊思井乃手兒我許登奈多延曾禰
ひとみなの、ことはたゆとも、はにしなの、いしゐのてこが、ことなたえそね
ひとみなの、皆人の事は絶ゆる共也。事とは思ふ中の事なるべし。波爾思奈のいしゐ地名也。手兒は女の通稱、眞間の手兒奈も同じ。自身の事を云たるか。但し男の歌ならんか。歌の體女の詞に聞ゆる也。いしゐは和名抄等を見るに、水内郡に芋井【伊井曾】と云地名有。いしいそ同音也。然るに埴科郡には磯部と云ふはあれど、いし井は無き也。古は入まじりたる歟
3399 信濃道者伊麻能波里美知可里婆禰爾安思布麻之牟奈久都波氣和我世
しなのぢは、いまのはりみち、かりばねに、あしふましむな、くつはけわがせ
はりみちは今つくれる道と云事也。田畠道を開きをさむる事を、はりはると言ふ也。かりばねに、此義説説有。輕埴にと云(130)説有。新治の道は土固まらずして、深深しく足を踏み込ものなればと言ふ説あれど、あしふましむなとあれば、足にて蹈ゆかずして、靴はきても足にて歩むなれば此義心得難し。足踏ましむなど詠めるからは、刈場の木草の根に足を踏み立てて怪我をすなと教へたる意なるべし
3400 信濃奈流知具麻能河泊能左射禮思母伎彌之布美※[氏/一]婆多麻等比呂波牟
しなのなる、ちくまのかはの、さざれしも、きみしふみてば、たまとひろはむ
筑摩郡にある川なるべし。さざれ石も君がわたり踏みたる石ならば、玉とも思ひて拾はんと也。第四卷にも、さほ川のさざれ踏み渡りとある如く、君が蹈み渡らば也
3401 中麻奈爾宇伎乎流布禰能許藝※[氏/一]奈婆安布許等可多思家布爾思安良受波
なかまなに、うきをるふねの、こぎでなば、あふことかたし、けふにしあらずは
中まなは地名也。さなくては信濃の國の歌とは云ひ難し。湖の内に中麻など云所ある歟。信濃には海無き國なれば、諏訪のうみと云ふ湖水の内なるべし。歌の意はいづ方へぞ出で行く人に、逢ほんとての歌と聞えたり
右四首信濃國歌
3402 比能具禮爾宇須比乃夜麻乎古由流日波勢奈能我素低母佐夜爾布良思都
ひのくれに、うすひのやまを、こゆるひは、せなのがそでも、さやにふらしつ
せなのがののは助語也。ふらしつは振らせと云の義にて、つは助語と見るべし。日の暮るれば見え難き故、さやかに振らせと云意なるべし。連れだち往きても、袖振方をしるべにする爲也。第二十卷に防人の歌には、ひなぐもりうすひの坂と詠めり。これは、曇りて日の光の薄きに寄せたり。此處は日の暮るれば光の薄きと言ふ心に續けたると聞えたり。日本紀に碓日坂と有。和名抄には碓氷と書けり。
(131)3403 安我古非波麻左香毛可奈思久佐麻久良多胡能伊利野乃於父母可奈思母
あがこひは、まさかもかなし、くさまくら、たこのいりのの、おふもかなしも
まさかは今のさがとも同じく、まは發語共見る也。當然のさまと也。差し當りたる樣も也。草枕たこのいりの、此續きは旅行には草を枕とし寢るもの故、草枕と云ふて旅の事を知らせたる也。然れ共此たとうけたる詞は、旅のたと云ふ一語にうけたる共聞ゆる也。凡て冠辭冠句は一語にうける事多し。なつぞひく、う、玉くしけ、あしきなどの類、其外にも一音にうくる事古語の例格也。畢竟たこのいりのと詠まん冠辭にして、たこのいりのは、おくもと云ふべき爲迄の義也。草枕よりいりの迄に意あるにあらず。多胡は上野國の郡の名、續日本紀、和名抄等にも見えたり。於父もかなしもは、横通音にておくも悲しも也。又久の字を父と誤れる歟と云ふ註有。さもあるべし。何れにても、いりのと讀みたるは、おくもと云はん序なれば、おくも悲しもにて、歌の意、今當然の有樣も心のおくも悲しきとの義也。心の奧とは底意と言ふが如し。
3404 可美都氣努安蘇能麻素武良可伎武太伎奴禮抒安加奴乎安抒加安我世牟
かみつけの、あそのまそむら、かきむだき、ぬれどあかぬを、あどかあがせん
安蘇能下野にある都の名也。古は上野に屬せしか。又上野にも郷の内にある歟。何れにまれあそは地名也。同じ地名なれ共まそと云ふ言を求めん爲のあそ也。又あそと云ふ詞はあさと云詞なれば、是等の意をこめて讀めるなるべし。國歌にても古詠の古實如v比の格自然と相備はれり。まそむらは眞麻也。むらは集まれるを云ふ詞也。綿糸などの一抱をむらと云ふ也。圍の字屯の字をむらと言ふ也。麻を刈り集めてかき抱きて、ぬれどもと言ふ義也。思ふ人をかき抱きてぬれ共、飽き足らねば何とかせんと也。此の歌少し聞き迷ふ義有。かきむだきは、かきみだきと云ふ事ならんか。然らば又何とぞ見樣の義理あるべし。むらとは一まとめにしたるを、糸綿の類を幾むらと云へば、まろめたるをかきむだきと云義ならんか。後案すべし
3405 可美都氣乃乎度能多杼里我可波治爾毛兒良波安波奈毛比等理能未思※[氏/一]
(132)かみつけの、をどのたどりが、かはぢにも、こらはあはなも、ひとりのみして
此の歌聞え難し、諸抄の説たどりがとは田作るものを指して云へる義にて、田夫の作れる川路にも往きて逢はんとの義と釋せり。かばぢのちは道にて、其道にてなり共思ふ人に逢はなん、獨り往きてもと云ふ義と釋せり。一説たどりは地名かと云へど、たどりがと云へる我の字は、人を指して云へるがと聞ゆる也。我は余にて又のと通ずる故、たどりのと云ふ義共見るべけれど、いかに東歌にても、のとか、ぬとかは云ひて濟むべきを、一轉して、我はな、なはのと通じさする事も六ケ敷也。それ程ならば、なとか、ぬとか書くべき也。たどりとは其所を守り司る者の名にもや。兎角知れ難ければ歌の全體不2打着1也。或る本歌には安波治と書きたり。此處も可は阿の字を誤まりて片を晩せしか。をとは小野なるべし。既に或説を證とすべし。度と言ふ濁音は能也。上野緑野郡に、小野と云ふ郷名和名抄に見えたれば此の所なるべし。歌の意は後案して決すべし
或本歌曰可美都氣乃乎野乃多杼里我安波治爾母世奈波安波奈母美流比登奈思爾
3406 可美都氣野左野乃九久多知乎里波夜志安禮波麻多牟惠許登之許受登母
かみつけの、さののくぐたち、をりはやし、あれはまたんゑ、ことしこずとも
左野は郡の名也。くぐたちは菜の※[草がんむり/豊]の事也。和名抄云、唐韻云、※[草がんむり/豊]【音豐、和名久久太知、俗用2莖立二字1】拾遺集物の名に歌有
山高み花の色をもみるべきににくくたちぬる春がすみかな。をりはやしは折りて料理したる事を云ふ也。物を切割く事をはやすと云ふ也。生ずるものを切からすは絶斷なれば返祝して言ふたる詞歟。此處は※[草がんむり/豊]を料理して待ち設けんとの義也。またんゑは持たんよと言ふ義也。又話の助け共聞ゆる也
3407 可美都氣努麻具波志麻度爾安佐日左指麻伎良波之母奈安利都追見禮婆
かみつけの、まぐはしまどに、あさひさし、まぎらはしもな、ありつつ見れば
(133)かみつけのまぐはし、仙覺説には※[窗/心]は壁の半より上につけたるが好きものなれば、上につける間能きと云ふ義にて續けたるとの事也。くはしと云は好きと云ふ詞也。此の義餘り入ほかなる義也。然れ共かみつけのまぐはしと續けたる義、如何に共心得難し。或説にかみつけと計り云ひて、郷名も地名も無きは、あら玉の木部が竹がきと續けたる類ならんと云。此義も心得難し。馬具と言ふ地名などあるか。眞木橋など云ふ所を指して云ひたるか。かみつけのまぐはしと初めより云へる句、何共續かぬ義、地名にあらでは續かぬ詞也。地名の義追て考ふべし。まぐはしとは賞めたる詞也。遊仙窟等にも窓に日の映ぜる事を賞めて書きたる事有。美しく好き窓に、朝日のさして輝く體を云ひたる義也
まぎらはしもな 諸抄の説は美しき窓に朝日のさして、照り輝きてまばゆき程に美女の見ゆると云ふ事に喩へて、文選の内に日光の事を、詳而視v之奪2人目精1と云ふ意にて、まばゆきまでに見ゆるとの義と釋せり。まぎらはしきとは、まばゆくて目にきらはしきと云ふ義と釋したり。宗師案分明の意也。よき窓に朝日差入りて明かに見ゆると云意と見る也。ありつつ見ればは、深窓に二人隱り居て、つらつら見れば美女の美しき容貌明かに見ゆると也。然れば紛らはしもなは、紛らはしくも無きとの意に見る也。宗師案も紛らはしもなと言ふ詞に當れり共思ほえず。愚意未2落着1也。しもなと云たればまばゆきと云ふ方にもあらんか。語釋の意未v通ば難v決也。後案に決すべし。此卷の詞なくと言ふ事告なふもと詠めり。然ればなくもならば紛らはしなふもと讀まんを、紛らはしもなとあれば、なきと云ふ詞とは聞えざる也
萬葉童蒙抄 卷第三十九終
(134)萬葉童蒙抄卷第四十
3408 爾比多夜麻禰爾波都可奈那和爾余曾利波之奈流兒良師安夜爾可奈思母
にひたやま、ねにはつかなな、わによそり、はしなるこらし、あやにかなしも
此歌諸抄の意は、にひた山の峰に雲のつかぬ如く、獨り離れて人にも逢はず、親の逢はせんとするに從はずして、我に寄りてあるが、哀れにめで思ふて悲しきと賞め愛したる意と云へり。宗師案は、うつくしみ悲しく思ふ好き女故、我に寄りて寢よと云ふ意に詠める歌と見る也。ねにはつかななとは、にひた山と云ふて、みねと云ふ縁をうけて、寢につけなと乞たる義也。一のなの文字は助語也。外の寢にはつくなと云意にもあらんか。只われにのみ寄り添ひて、外へはつくなと云へる義共聞ゆれど、是にては六ケ敷也。只我に寄りて寢よと云ふ迄の意と見ゆる也。はしなるこらしは、離れてゐ、未だ何方へも寄らずして、はしたなる子らと云ふ義也。此の卷の下にも、人目をおほみ汝をはしにおけりと詠めり。離れて置と云ふ意也。古今集高津王の、はしに我身と詠み給ふはしも同じ意也。あやに悲しは歎息して賞めたる歌、あゝ美しみとめで賞したる詞也。新田山は彼國に、新田郡の名郷名にも有。和名抄に出たり
3409 伊香保呂爾安麻久母伊都藝可奴麻豆久比等登於多波布伊射禰志米刀羅
いかほろに、あまぐもいつぎ、かぬまづく、ひととおたはふ、いさねしめとら
此諸抄の説はいかに共聞え難し。かぬまづくとは、一説は沼になりたりと云ふ詞、いつぎのいも、かぬまづくのかも詞の助、歌の意は伊香保の沼に棚引き下れる雲の、水に浮び慣れたる人の如くにて、おたはふとは、そばへたる事を云義にて、いさねんとかとよそへ詠めると也。又一説、天雲のいつぎは、いは發語にて、雲の續きてゐる義、かぬまづくは彼眞附にて、人ぞおたはふは、人ぞのたまふ也。歌の意は、天雲の伊香保の山に續て立つ如く、彼れ我にまことに附けよる人ぞ。いさ寢しめよと宣伝ふとは云へるなるべしと釋せり。かくて此歌くえたりとも覺えず。かぬまづくと云詞、何共解し難し。(135)追て後案すべし。かぬまづくと云詞は、此の卷の下にも今一首出たり。引合可2後案1也
宗師案、いかほろは、伊香保を也。をは岑の義を云へる也。いつぎはいつみ也。いは發語、つぎはつみ、つむ也。雨雲積り雨降りて也。可は陸也。くがも沼の如く水つく也。ひととおたはふは、人々騷ぐ也。おたはおち騷ぐのさを略して、はふと云也。はふははく也。皆音通ぜり。いさねしめは、かへるべきと云兒をすかして、雨降り水つきて人おち騷ぐ程にいねて留まれとの義と也。愚意未v落
3410 伊香保呂能蘇比乃波里波良禰毛己呂爾於久乎奈加禰曾麻左可思余加婆
いかほろの、そひのはりはら、ねもごろに、おくをなかねそ、まさかしよかば
はりはらは榛原也。萩原にてもあるべし。はり原に意あるにあらず。只おくをなかねそと云はん序、原野山には奧口と云物ある故、其おくと云はん爲也。ねもごろに奧をなかねそとは、譬へ云はば今逢ふ事に行末の事を兎や角思ひ計りて、後に事顯れなどしていかがせんなど案じて、心をかねる事なせそ。今當然の有樣だによくばと云義也。まさかしは今の有樣さへよくばと云義也
3411 多胡能禰爾與西都奈波倍※[氏/一]與須禮騰毛阿爾久夜斯豆之曾能可把與吉爾
たこのねに、よせつなはへて、よすれども、あにくやしづの、そのかほよきに
あなにくや沈みたる石の重くて寄らぬと也。かほよきには、顔色美しき人の、我に寄りこぬと云意を、石に喩へて斯く云ひたるならん。諸抄の説は、大獵には大綱を張廻し、獣を追廻し寄せる事有。其如く寄綱はへて寄すれ共、鹿などの寄らぬ如く、わが思ふ人の寄り來らぬ事を云へると也。顔よきは、鹿の皮は美しく好き物をと云義など、取合難き説々也。斯豆之も、しづか共しづの共讀みて、賤女賤夫にも云ひなせる説有。いかに共心得難し。別義の見解もあらんか。宗師案は右の通り也
3412 賀美都家野久路保乃禰呂乃久受葉我多可奈師家兒良爾伊夜射可里久母
(136)かみつけの、くろほのねろの、くずはがた、かなしけこらに、いやさかりくも
旅行に別れ來る歌歟。又忍びて通ふ女に朝立ち別れ來る折の歌などにや。別れの意無き歌也。悲しけ子らは、美しみ愛する女を云たる也。くろほのねろ、葛の葉がた、皆地名也。別れ來ると云詞の縁を、葛の久にうけたる古詠の例格也
3413 刀禰河泊乃可波世毛思良受多多和多里奈美爾安布能須安敝流伎美可母
とねがはの、かはせもしらず、ただわたり、なみにあふのす、あへるきみかも
刀禰河は上野に利根郡有。そこにある大河也。かはせもしらず、深き瀬、淺瀬をもわかず、只一筋に渡りしの意也。河瀬も知り辨へず、只渡りに渡りて、荒き波に逢ふ如き、恐ろしき人に逢ふと也。如何なる禍ひの出來らんも知られぬ樣なる人に、忍びて逢へる人などの詠めるならん
3414 伊香保呂能夜左可能爲提爾多都弩自能安良波路萬代母佐禰乎佐禰※[氏/一]婆
いかほろの、やさかのゐでに、たつのじの、あらはろまでも、さねをさねてば
たつのじは虹也。なにぬねの音通也。あらはるる迄もと云はん序也。虹は水氣に日の光影の映りて立つ物也。和名抄第一、雲雨部云、毛詩注云、〓〓、虹也、帝重二音、〓炙作v〓【和名爾之】兼名苑云、虹一名〓、五稽反、與v〓同。又五結五撃二反、今案、雄曰v虹、雌曰v〓也。虹は凡て水邊に立つ物也。遊仙窟云、梅梁柱棟、疑2飲v澗長虹1。三體詩にも虹〓出v澗雲。ゐでは田などへ水を通じ入れん爲、流水を堰き止めて水を溜める所也。歌の意は、忍ぶ事の顯るる迄も寢んと也。さねて婆と云濁音なれば、さねなど云義也。顯るゝ迄寢んとの義也
3415 可美都氣努伊可保乃奴麻爾宇惠古奈宜可久古非牟等夜多禰物得米家武
かみつけの、いかほのぬまに、うゑこなぎ、かくこひんとや、たねもとめけん
うゑこなぎは植小葱也。第三卷にも、春霞かすがの里にうゑこなぎと詠める所に注せり。下のこひんとやと云詞のこの文字(137)に縁をうけて、こなぎを詠める也。又こなと云は女の通稱故、女に比ぢて詠めり。前のこなぎの歌も其意也。たねもとめけん、其人を思ひ初めしはかく戀ひんとや、我から思ひの種を求めけんと云意を、こなぎの種を求めたる事によそへたり
3416 可美都氣努可保夜我奴麻能伊波爲都良比可波奴禮都追安乎奈多要曾禰
かみつけの、かほやがぬまの、いはゐづら、ひかばぬれつつ、あをなたえそね
いはゐづら前に出たり。一種の葛の類なるべし。奴禮はまつはれつつ也。まつはれて縁を切れず絶ゆなと也。あをなは、あれをな也
3417 可美都氣奴伊奈良能奴麻能於保爲具左與曾禰見之欲波伊麻許曾麻左禮
かみつけの、いならのぬまの、おほゐぐさ、よそに見しよは、いまこそまされ
於保爲具左、和名抄云、唐韻云、莞【音完、一音丸、漢語抄云、於保井】日本紀には莞子と書きて、がまと讀たり。和名抄には於保井と出せるを引合見れば、今云かまの事なるべし。俗には丸すげ共云。然し藺の大成ものなれば、丸すげは俗語の誤りならん。即ち此大藺の義なるべし。和名莚とすべしと有v之に、今がま莚とてあれば、がまの事なるべし。一種二名なるべし。よそにみしよは、よそに見しよりは序などにして、今敷慣れては愈うつくしみの増すとの意也
柿本朝臣人麿歌集出也 後人の傍注也
3418 可美都氣努佐野田能奈倍能武良奈倍爾許登波佐太米都伊麻波伊可爾世母
かみつけの、さぬたのなへの、むらなへに、ことはさだめつ、いまはいかにせも
八雲御抄にはさや田とあり。野を音に詠ませ給へる歟。然れ共さののくぐたち、さのの橋抔あれば、のなるべし。むらなへは群集の事をむらむれと云也。其むらなへはぬしぬしありて、定まれる苗主有る也。依りて我が思ふ女をも、親などのさして定めたる方のあれば、今はいかに詮方無きと歎ける歌と聞ゆる也。いまはとは、いもはと云ふ事歟。せもはせん也。音通に(138)て云へる也
3419 伊加保世欲奈可中次下於毛比度路久麻許曾之都等和須禮西奈布母
此歌はいかに共聞え難し。諸抄印本等の詠みなしやうは
いかほせよなかなかしけにおもひとろくまこそしつとわすれせなふも
歌の意説説にて、いかに共聞え難し。いかほせよとは、いかにある背なよと云義と也。第二十卷防人の歌に、久自がははと詠めるも、常陸の久慈郡に有る母と云ふ義と准據せり。くまこそしつとは、くまとは山を云詞、山をししと云事也。山をしゝと見しとて忘らすなと云義との説有。いかに共心得難く句釋一義も不v通也。又の説中次下は、汝か中と云事也。くまこそしつとは、曲こそにて隈の意、汝が中に思ひ事の有り共、忘れぬと云義と釋せり。中次下を、なかなかしけにとは如何に共讀み難し
宗師案讀解きは、いかほせは、いかふね也。横通にてねなるべし。中次下中は半の意なれば、はと讀むべきか。物の端にて不v調のは也。然ればなかはと讀みて、次下はつぐだし也。つぎ出だし也。伊香保の峰に半ば月出でし也。思ひとろは、思ひ渡れ共也。思ふ人の方へ往かんと思ひ渡れ共早や半ば月出でし故夜も更けぬれば、え往かず心には忘れはせね共、くまこそしつと云て、心の隈をしてえ往かぬとの意ならんかと也。愚意未v落。後案すべし
3420 可美都氣努佐野乃布奈波之登利波奈之於也波左久禮騰和波左可禮賀倍
かみつけの、さののふなばし、とりはなし、おやはさくれど、わはさくるがへ
ふなはし 舟にて橋を作れる也。船を浮め並べ續けて、其上を渡り通ふ也。昔は此の所に船橋ありしを、故ありて取り放したる歟。此の事につきては古物語ありと云傳へたり。何とぞ古事などありける歟。此の歌に付由來ある事に云習はせり。正記實録に無2所見1事なれば注し難し。歌の意もいか樣由來あるべき一體に聞ゆれ共、句面の通にても忍びて通ふ人を親の罵りて、渡りの橋を引き放し、其中をさくれ共我が心の劈くるやはと云意也。船橋取放しとは、よそへ云ひたる歌にも見ゆ(139)る也。又古事など有りし事も計り難し。賀倍と書きたれば、はと通ふ音也。かはとは清音に通じ難く、我と濁りたる音は、なとか、やとかならでは不v通也。奧にも我倍と書きたる歌有。是も同事也。がへは、やは也。清音の加なれば、倍ははと同音故、かはと云義也
3421 伊香保禰爾可未奈那里曾禰和我倍爾波由惠波奈家抒母兒良爾與里※[氏/一]曾
いかほねに、かみななりそね、わがへには、ゆゑはなけども、こらによりてぞ
雷は鳴りそ、家の妹がおぢ恐るるによりて厭ふと也。我がへには故は無け共は、恐るべき故は我が上には無けれ共、妹を思ふからと也
3422 伊香保可是布久日布加奴日安里登伊倍抒安我古非能未思等伎奈可里家利
いかほかぜ、ふくひふかぬひ、ありといへど、あがこひのみし、ときなかりけり
よく聞えたる歌なり。不v及v注
3423 可美都氣努伊可抱乃禰呂爾布路與伎能遊吉須宜可提奴伊毛賀伊敝乃安多里
かみつけの、いかほのねろに、ふるよきの、ゆきすぎがてぬ、いもがいへのあたり
ふろ與伎は雪也。行き過ぎがてぬと云はん爲也。がてぬはかねぬるの意、過ぎ難きと云義也。能聞えたる歌也
右二十二首上野國歌
3424 之母都家野美可母乃夜麻能許奈良能須麻具波思兒呂波多賀家可母多牟
しもつけの、みかものやまの、こならのす、まぐはしころは、たがけかもたん
こならのすは、うつくしと云はん序也、小楢の如く也。青丹よし奈良と云も、青玉の美しきが好きと賞めたる義、是も其如く小ならつやつやとなりたるが、美しく美しきと云義にまぐはしとは續けたり。まぐはしは毎度出たる詞、鮮かに美しきと(140)賞めたる詞也。其まぐはしく美しき事を、たがけかもたんは、ささけてかもたんと也。かざしなどにする如く捧げて持たんと云て、實は秘藏し愛して、我が妻にかせんとの義也。高くか持たんと云意にても捧けるの意也。上に小ならの義を詠みたれば、かざしなどにし捧げ上ぐるの義ならでは不v合也。又誰が子か持たんと云ひて妻にすらん、我が妻にもと願ふ意を含みてか。一説に誰が子か待たむと云意にも云へり。然れ共楢の木を云たれば、持の詞も苦しかるまじきか。尤も妻などに持と云は俗言なれば待たむと見しか。たかだかに待つと云句例あれば、たかくか待たんと云義にもあるべし。然らば思遣りて詠める歌也
3425 志母都家努安素乃河泊良欲伊之布麻受蘇良由登伎奴與奈我己許呂能禮
しもつけの、あそのかはらよ、いしふまず、そらゆときぬよ、ながこころのれ
下野に安蘇都有。其處の河なるべし。空よりときぬは、心も空に思ひ侘びて來しと云意にて詠めり。汝心のれは汝我を思ふ心を顯し言へ。我はかく心も空に飛び立つ許りに來りしと也と云義にも見ゆれど、のれはなれにて、わが心に從へと云義なるべし。心にのりてなど詠める意と同じ。又か計り戀慕ひて來るも、そなたの心故と云意にも聞ゆる也。是等は何れ共決し難し。心々の好所に從ふべし
右二首下野國歌
3426 安比豆禰能久爾乎佐抒抱美安波奈波婆斯努比爾勢牟等比毛牟須婆左禰
あひづねの、くにをさとほみ、あはなはば、しぬびにせんと、ひもむすばさね
あひづねのくにをは奥州の會津の峯也。それをあひづねの國とは、會津の國にある峰を隔てて遠きと云意也。國遠み會津ねの逢はざらばと云意に心得べし。此國と云は、吉野泊瀬の國抔云ふに同じ。昔は郡縣をも皆國と云ひし也。逢はざらばと云一句の詮を云はんとて、會津ねを詠出でたる也。會津根と云ふは、あひぬると云詞なるにあはざらば忍びにせんと也。忍(141)びにせんとは畢竟忍ぶ時の思出、形見にせんと下紐を結ばねと云義也。さ遠み、さねのさ皆助語也。なはばと云詞はあはざらば也。ざと云濁音はな也。はは、らと横通音東國の詞横通を專らとする也。なはは、ざら也。後撰集に
君をのみ忍ぶの里へゆくものをあひづの山のはるけきやなぞ
3427 筑紫奈留爾抱布兒由惠爾美知能久乃可刀利乎登女乃由比思比毛等久
つくしなる、にほふこゆゑに、みちのくの、かとりをとめの、ゆひしひもとく
此の歌は防人など筑紫に往きて、彼國にて色能き女を得て逢ひ初めし時詠める歌なるべし。にほふ、色よき女と云義也。かとりは所の名なるべし。其處より織出す絹※[糸+兼]と云なるべし。和名抄云、毛詩注云、※[糸+肖]所交反、又音消和名加止利、※[糸+兼]也。又逢ふ迄は解くなと契り交して、結びし下紐を今筑紫にて色能くうるはしき兒故に解くと也。或説は、香取の女の恨みて詠める歌共見る也。何れか作者の意ならん。好む所に從ふ也
3428 安太多良乃禰爾布須思之能安里都都毛安禮波伊多良牟禰度奈佐利曾禰
あだたらの、ねにふすししの、ありつつも、あれはいたらん、ねどなさりそね
あだたらは地名奥州也。其峰に伏す猪のありつつもとは、鹿は寢所を變へぬもの也。一所に七日も寢しむるものと也。よりてありつつもと詠みて、たとひ猪の伏しある所なり共、恐れずして我は至らんまま、其寢所を變へ給ふなと云義也。ねどなは寢所を去るなと云義也
右三首陸奥國歌
譬喩歌
3429 等保都安布美伊奈佐保曾江乃水乎都久思安禮乎多能米※[氏/一]安佐麻之物能乎
とほつあふみ、いなさほそえの、みをつくし、あれをたのめて、あさましものを
(142)遠江に引佐郡有。或説に逢ふ事の遠きと云意、逢ふ事をいなむと云義を合みてかく詠みしかと有。古詠さ樣に入ほかに含める事あるまじ。あさましは、あはましにやと云へり。横通音なればさもあらんか。一説にあらましと云へり。我は頼まずしてあらましものをと云義、みをつくしは水潮の滿ち干に從ひて、深さ淺さの定まらぬは、それを人の心の移り變るに喩へたりと云へり。此説にて此の歌の意聞えたらんか。愚意には聞得難し。宗師案は、あれを頼みては、水をつくしを指して、なれを頼みてと云義、あさましものはあせましもの也。あせはあれそこねる事、昔は彼細江にも標を立て水の深みをも量りしか。細江の水かれてあせ行く頃、我思ふ人の中もかれがれになり行くを喩へて、其みをつくしのあらば、其あるを頼みあせましものを、みをつくしだにあせ行く如きの中になると、歎きて喩へたる意と也。愚意一向不v落。諸抄の説まちまちにして、いかに共聞え難し。愚案只淺く何の深き意無き歌と見る也。いなさ細江は水をつくしを云はん迄の序にして、是にて遠江國歌と擧げたり。みをつくしは逢ふ事に身を盡して、思ひ渡るを頼みて終には逢はましものをと只輕く詠める歌ならんか。後賢の人後案に決すべし
右一首遠江國歌
3430 斯太能宇良乎阿佐許求布禰波與志奈之爾許求良米可母與奈志許佐流良米
しだのうらを、あさこぐふねは、よしなしに、こぐらめかもよ、なしこさるらめ
しだの浦駿河國に志太郡有。朝漕ぐ舟も故あればこそ漕げ、君が來ぬも故あればこそ來ざるらめ。さなくば何ぜ來ざらめと云意也。君が來ぬを船に喩へて云たる也。入ほかに六ケ敷見る説あれど右の意安かるべし
右一首駿河國歌
3431 阿之我里乃安伎奈乃夜麻爾比古布禰乃斯利比可志母與許己波故賀多爾
あしがりの、あきなのやまに、ひこぶねの、しりひかしめよ、ここはこがたに
(143)あしがりのあきなの山相模國也。此の歌愚意に聞得難し。諸抄の説も不2一決1。一説に、あきなの山の麓は海にて、其の山へ寄せんと引舟の纜を引く如く、ここばくに思ふ子が爲寄り來よと云譬へと見る説、又船とは舟木の事にて船木を引締める事を、子が方へ寄り來よと云義に見る説、又船を山へ引く事はあるまじきなるを喩へて、思ふまじき人に思ひ懸けて思ひ叶はねば、思ひかへして尻へに引きかへさしめて、思ひ改めよと云譬へと見る説有。宗師案は山に船を引くべき樣無し。前説の如く是は足柄山にふな木切とも詠ませたれば、船木の事を直ぐに船とのみも云たるならん。其船木を引くにあきなの山のここは越え難き所なる程に、後跡よりも引締めよと先手計り引きては、難所故越え難き所なると云事に云ひなして、思ふ人の女の方に通ひ來らんには用心をして越し給へ。難所用心も惡しき所越し難き所なる程に、其心得をせよと云義を喩へたる歌と見るなり。句意未v詳。尚後案すべし。宗師案の外は一向信用し難し
愚案あきなの山と詠出でたるは、吾背來なと云意に寄せて歟。然らば通ひ來る人に、引きかへして暫らく此處は越すなと云義に喩へたる歟
3432 阿之賀利乃和乎可※[奚+隹]夜麻能可頭乃木能和乎可豆佐禰母可豆佐可受等母
あしがりの、わをかけやまの、かづのきの、わをかづさねも、かづさかずとも
わをかけ山は地名なるべし。然るを或説にわをは、詞を添へたる義、陰山と云説は非なるべし。わをかけとは我を戀ふると云義を、わをかけと詠みたる也。則ち地名にわをかけ山と云所ある故也。かけて思ふはかけて忍ぶなど云かけにて、心をかけてと云義なるべし。扨此歌の説も諸抄まちまちにして不v決。先づかづの木は樫と云説有。穀木と云説有。穀木本義なるべし。頭と濁音の字を書きたればかぢ也。是は下の可豆と云べき爲の序也。さかずともと云義を遠ざけずともと云義に見る説有。文花の咲かぬと云意に見る説ありて、まちまち決し難し。且と云詞は元兼ぬとの義、彼れと是れとを兼たる事をかつと云。元來つは濁音なる歟。此歌の可豆さねも、かづさかず共と詠める義によりて案ずれば、豆の字大方濁音に用ひ來れり。語釋も兼と云義なれば、濁音の方相叶ふ也。またと云義兼たる事に且つと云也。然るに此歌かづさねかづさかずと云義、い(144)かに共義通じ難し。畢竟かつと云事を專一と詠める歌也。然るに只ねるとも、ねずともと云計りの事に、斯くの如く重ね詞に迄詠める意聞き分け難し。只一通に釋せば我を心にかけて戀ひらるるは本望の事にて、其の人と寢て、いねずても喜ばしきと云義と見る也。佐可受の可はねと訓に讀むべき歟。前にも注せる如く、下知の詞の字なれば、せとも、ゑとも、ねとも讀まるる也。然れ共上下をば絶えて中に訓字を書くべき事も不2心得1。何程も書くべき字あるに、わざわざ入交りて殊に珍しき訓字なれば此義も心得難し。遠ざけずともの方ならん。然ればさねもと上に詠みて、又遠ざけず共と云ては歌の義首尾不2相調1故、此歌も愚意未v落也。後案すべし
3433 多伎木許流可麻久良夜麻能許太流木乎麻都等奈我伊波婆古非都追夜安良牟
たきぎこる、かまくらやまの、こたるきを、まつとながいはば、こひつつやあらむ
たきぎこる鎌とうけたる也。木たるは木の枝葉の茂りて垂るると云義、其茂る木を、まつと汝が云はば、我も戀ひつつあらんと也。人を待つ事を木の松に譬へて詠める也。能聞えたる歌也
右三首相模國歌
3434 可美都家野安蘇夜麻都豆良野乎比呂美波比爾思物能乎安是加多延世武
かみつけの、あそやまつづら、野をひろみ、はひにしものを、あぜかたえせん
あそ山つづらと云物、彼の國の名物の一種有りと聞えたり。さなくては野をひろみと詠める義不v濟也。つづら葛の類を云也。あぜかは、なぜにか也。つづらの野を廣く這ひ廣ごりたる如く、睦まじき仲のなどか絶えせん絶えじと也
3435 伊可保呂乃蘇比乃波里波良和我吉奴爾都伎與良之母與多敝登於毛敝婆
いかほろの、そひのはりはら、わがきぬに、つきよらしもよ、たへとおもへば
いかほろのそひは伊香保山のそば也。傍らをばそばと云也。いかほろとは伊香保ねと云と同じ。ねとろとは不v通共をとろと通(145)ずる故、いかほをと云ふを、いかほろと此卷には毎度讀ませたり。はりはらは榛原、萩原と同じ。衣に染めつく物也。栲と思へば也。歌の意は、思ふ人の我に寄り靡けよ、我を栲と思はばと云義也。我をたへと思はばは、心にかけて思はばと云義也。たへとは凡ての絹布の事を云也。尤白妙白細など共云て、白ききぬの事にもなる也。外色に未だ染めぬきぬと思はば我に寄り親めよと云意に聞ゆる也。宗師案は、たへは旅と思へなりと云義、旅行と思へばと見る也。愚意未v詳
3436 志良登保布乎爾比多夜麻乃毛流夜麻能宇良賀禮勢那奈登許波爾毛我母
しらとほふ、をにひたやまの、もるやまの、うらがれせなな、とこはにもがも
しらとほふ 此詞いかに共解し難し。或説に白珠通す緒とうけたる義と云へり。然れ共下にうらがれせななと詠みたれば、このしらとと云物は何ぞ葛かづらの類、又は草などの類にて、はひのばへるものを云たる事と聞ゆる也。然れ共先達下の歌の意をも不v辨、遠白に面白山と云義、又珠を通す緒と云義など釋せるは、歌の意に不v通人の説也。今と卷きなど云事有。藤葛の類なる物也。其性を未v考。和名抄等にも不v見れば、何の義共決し難けれど、しらとと云物一種あると聞ゆる也。をにひた山の名産物故、如v此詠めるなるべし。凡て産物の義は難波の蘆、みくまの浦の濱木綿、伊勢の濱萩の類にて、其時節その所にて名産とせし物故詠める也。昔はありて今は絶えたる物も多き也。此白登も其類と聞ゆる也。もる山は守山か、小新田山の内の、又小名ある山か未v詳。守山にてもあるべし。うらかれせなな、うらは初語の詞にも云ひ、又木草の末の事を云ひたる義也。尤とこはと詠みたれば、葉の事をも兼ねて云へるならん。譬ふる意は、思ふ間のかれたえず、いつ迄もときはに變らずあれかしと願ひたる義也。それをしらとのうらかれず、とこなつにしてありえてしがなと云義に譬へたり。せななは、すななど云義也
右三首上野國歌
3437 美知乃久能安太多良末由美波自伎於伎※[氏/一]西良思馬伎那婆都良波可馬可毛
(146)みちのくの、あだたらまゆみ、はじきおきて、さらしめきなば、つらはかめかも
あだたらは所の名也。第七卷にも出でたり。其處に注せり。是れも奥州の名産物也。はじきとは弦音をさす事を云。然るに諸抄の説は弦をはづし置事と釋せり。此歌の意はさもあらんか。琴、琵琶など彈くを皆彈ずると云は、緒を鳴らして音を立つる事也。此意には不v合釋也
中絶えたる間の、二度又寄り合ふべき樣やはあると云事に、弓弦をはづし置きてそりかへりたるには弦のはけられめや、はけられまじと云義と注せり。此意心得難し
宗師案は、譬喩の歌なれば、先面て一通は弓の事にして意を解すべし。あだたらま弓と詠出たる、あだたらの詞には意ありて、あつたらと云を含みたるならん。又あたらしきあら木の弓と云義歟。手入をもせで綱をもはづし置きたらんには、弓そりて弦かけにくき物故、さらしめきなば弦はけめや、はけられまじきと云意也。譬ふる意はあつたら思ひかけし人をも手にも入れず、なほざりにし置きては、寄り合ふ事のならんや。弦はけるは、逢ふ事に譬へて、相逢ふ事はなるまじきと云意ならん。思ふ人をなほざりにしなさず、慕ひ戀ふと云義に譬へたるならんと也
右一首陸奥國歌
雜歌
3438 都武賀野爾須受我於等伎許由可牟思太能等能乃奈可知師登我里須良思母
つむがのに、すずがおときこゆ、かむしだの、とののながちし、とがりすらしも
つむが野、かんしだ共に地名也。然れ共何れの國共知れず。既に奥に注せる如く、國土山川の名勘へ知る事を得ずと古注者も注せり。尤知れたる地名等もあるべけれ共、諸抄共に古注者の前注に讓りて、後勘をもせざれば今更強ても注せざる也。東國の内心を付けて勘へんに、不v知と云事はあるまじき也。とののながちしは、高貴の人を尊稱して云ふたる義也。東國に(147)威勢ある人を指して云へるなるべし。とのは殿の字の意、上古は春宮皇太子をさして稱したる事也。それより准じて人を尊み云とて、凡て主君或ひは高貴の人を殿とは云ひ習へり。此とののと云も右の意也。ながちも長ち也。ちとは凡て貴の字の意、むちとも云て、尊んで云たる也。長はおさと云てその所の頭立ちたる人を云詞也。然れば此歌つむが野に鈴の音の聞ゆるは、かんしだと云所にある其所を領知して、長となりたる人の鳥狩をするならんと云歌也。とがりは贋狩の事也
或本歌曰美都我野爾又曰和久胡思 初五文字の異説なり又「和久胡思長ちしの異説也。わがこし也。しは助語にて、宇治の若郎子のわかと同じく尊んで云たる義也
3439 須受我禰乃波由馬宇馬夜能都追美井乃美都乎多麻倍奈伊毛我多太手欲
すずかねの、はゆまうまやの、つつみゐの、みづをたまへな、いもがただてよ
はゆまうまやは、昔所所驛舍と云ものを置かれし時の、其驛馬を出たす旅屋也。今馬驛と云て國國往還の道筋には、旅人の人馬を差出し、公役等を達する會所の如きものある其の所也。いもがただ手よは、女の手より直ちに水を與へよと也。すずがねのはゆまと續けたるは、鈴の昔の早馬と云義也。驛の字直ぐにはい馬と讀む也。驛路の鈴と云も、公義より印符として鈴を定め置かれて、旅行の人馬何疋取用ゆるには、鈴何刻のしるしを出して、其驛舍より馬を出ださしむる定めありし也。急走する馬を出す所故、驛舍の字を、はいまやとも讀ましめたるならん。はいまは早馬也。早馬には水を呑ませて息をつかしむるもの故かくは詠める也。驛舍の事は前にも注せり。第十七卷にも、驛路に引舟わたしと詠める、はゆま路も同じ驛舍の事也。令義解第八厩牧令云〔凡諸道須v置v驛者、毎2三十里1置2一驛1、別地勢險及無2水草1處、隨v便安置不v限2里數1。其乘具及蓑笠等各准2所v置馬數1備v之【謂下條云、驛長替代之曰、馬及鞍具缺闕、並徴2前人1、即知乘具是官司備、蓑笠者驛子私備、其驛子替代之日亦雜人自備】各驛各置2長一人1、取2驛戸内家自富幹v事者1爲v之凡諸道置2驛馬1大路【謂山陽道。其太宰以去即爲2山路1也】二十疋、中路【謂東海、東山道也自外皆爲2小路1也】十匹、小路五匹、使稀之處國司量置、不2必須1足、皆取2筋骨強壯者1充、毎v馬各令2中々戸養飼1〕一説すすがねは鈴鹿山の事と云説有。心得難し。我と云濁音の字を書きたれば、地名の鈴鹿とは見え難し。鈴の音と云義なるべし
(148)3440 許乃河泊爾安佐奈安良布兒奈禮毛安禮毛余知乎曾母※[氏/一]流伊低兒多婆里爾
このかはに、あさなあらふこ、なれもあれも、ちよをぞもてる、いでこたばりね
此歌は朝毎に互に出て、朝菜を洗ふ女子を見て、心をかけて我に得させよと女子の親などに乞たる義也。朝菜とは若菜の事を云て、若葉は春の初に祝物にする物なるから、千世をぞもてるとは詠みて、互に朝菜を洗へば、千歳の齡ひをも保てる子なる程に、我に賜へよと云義也。いでとは發語の詞ながら物を乞ふ事にも通ずる詞也。日本紀允恭卷には厭乞と書きて、いでと字訓を擧げられていでとしと云たる義も、元來物を乞ひたる事なれば、此の歌のいでも其意を含みて我に賜へよと乞ひたる歌故、いでとは詠める也。爾はね也。ねは賜へよと云義也。伊勢物語に此歌の意に相叶ふ一段の物語あり。此歌などに基きて書けるにもやあらん。一説にいでこたばりね、手にはばる程朝菜を賜はれと云事と注せるは、いかに共心得難し
一云麻之毛安禮毛 ましもとは先を賞美し尊びて云たる詞也。いましと云と同じ
3441 麻等保久能久毛爲爾見由流伊毛我敝爾伊都可伊多良武安由賣安我古麻
まどほくの、くもゐに見ゆる、いもがへに、いつかいたらむ、あゆめあがこま
まどほくのと云詞珍しき詞也。東歌故なるべし。此のの字通例には續かぬ詞也。還き雲ゐにと云義也。歌の意は不v及v釋。能聞えたる也
柿本朝臣人麿歌集曰等保久之※[氏/一]又曰安由賣久路古麻 人麻呂の家集には斯くの如くあると也。此歌は東國の人の歌、家集の歌は人麻呂の歌ならんか。此處の歌の異説と云にはあるまじ。同じ様なる歌なるから、古注者如v此注を擧げたり
3442 安豆麻治乃手兒乃欲妣左賀古要我禰※[氏/一]夜麻爾可禰牟毛夜抒里波奈之爾
あづまぢの、てこのよびさか、こえかねて、やまにかねんも、やどりはなしに
(149)此歌並びに下の、あづまぢのてこの歌此二首、或抄に駿河國風土記に異説ある由にて、神詠と云へる説有。手兒の呼坂は駿河國うつの山また碓氷山など云説有。八雲にも東國と計り有。然れば古注者奧に注せる如く國所不分明也。歌の意何の意も無く手兒とは女の通稱にて、女の呼坂と云意にて、女の呼び招くから越えかねて山中にや寢んと云へる意なるべし
3443 宇良毛奈久和我由久美知爾安乎夜宜乃波里※[氏/一]多※[氏/一]禮婆物能毛比豆都母
うらもなく、わがゆくみちに、あをやぎの、はりてたてれば、ものもひつつも
うらもなくとは、諸抄の説心も無くと云義に云へり。うらと云義を心の事に云語通ひ難し。然れ共歌に依りて、大方心の事に詠める様に聞ゆる歌有。よりて諸抄共皆うらとは心の事と注し來れり。此義語釋に不v合義なれば決し難し。表裏の義にて無v裏一筋と云事に、うら無くなど云たる事と聞ゆる也。物によりては末の事になる也。草木にては末の事を、うらうれと云也。此歌にて末も無くと云ては義不v通。是れは一向にと云義にうらも無くと詠めると見る也。無v裏一筋の意、二心咋き事を云ひたる義と聞ゆる也。此詞當集數多あり。第十二卷にては、つるばみのひとへ衣の裏も無くと詠み、うら無くいにし君故共詠めり。第十三卷にては、いさなとり海の濱邊のうらも無くねてある人は共詠める、是等皆縁語を求めて詠める詞にて、義は心も無くと云義に聞ゆる也。なれ共無v裏一向にと云意にも叶ふ也。心無きと云方にては語釋に通じ難き也。青柳のはりて立てればものもひつつもは、柳のたをやかなる糸のしだれて美しく芽もはりて見ゆれば、女の姿に思ひ合されて、我が心に思ふ人などの事を思ひ出で物を思ふと也。第十九卷に、花のごとゑみて立てればなど詠める意に近し
3444 伎波都久乃乎加能久君美良和禮都賣杼故爾毛乃多奈布西奈等都麻佐禰
きはつくの、をかのくぐみら、われつめど、こにものたなふ、せなとつまさね
きはつくの岡は諸説常陸と云へり。證記未v考。風土記に有る由也。未v見。くぐみらは、くきたちたる韮也。にらはみらと同じ詞也。常にはみらと云也。こにものたなふは、籠にも溜らねばせなと摘まんと也。獨り摘めば籠にも無き程に二人摘まんと、畢竟夫と二人何事をもせんとの意也。多の字は助語にて、物無くと云事也。然し此歌も今少し聞え難し。尚後案すべ(150)し
3445 美奈刀能也安之我奈可那流多麻古須氣可利己和我西古等許乃敝太思爾
みなとのや、あしがなかなる、たまこすげ、かりこわがせこ、とこのへだしに
みなとのやは前にも毎度ある詞にて助語也。東歌は凡て無用の語を入れて、三十一文字の句を詞へたる詞多し。みなとのあしの中なる玉菅と云義也。玉菅は菅を賞美して玉と云詞を添へたる也。床の隔てにとは莚にせんとの事也。へだしは隔て也。床は木にて作れる物、其上に敷莚に編みて、背子と二人寢ん程に玉菅をかりて來れと也
3446 伊毛奈呂我都可布河泊豆乃佐左良乎疑安志等比登其等加多里與良斯毛
いもなろが、つかふかはづの、ささらをぎ、あしとひとごと、かたりよらしも
此歌いかに共聞え難し。諸説まちまちにして何れを是とも決し難く、宗師案は、いもなろは妹と吾我と云事にて、妹となれが誓ふ河門とは、誓ひする河門と云義、誓とはみそぎをする事を誓ふと云たる義と見る也。ささらをぎとは、祓の具に用ふる物故、ささらをぎとは詠みて、前にもささらの小野の眞菅など詠める歌ありて、是は川邊にて祓をする義を詠める歌にて、あしとひとごととは、をぎを蘆と人の言に云如く、色々と二人の間を語り寄るものあるから、互の實をあらはし清めん爲、河邊にて誓ふとの歌と見る也。一體はさも聞ゆべき歟。然れ共句釋不v詳故愚意未v落也。然りとて別の案無ければいかに共聞え難し。追て後案すべき也。諸説もまちまちにして剰へ其の釋不v詳也。諸抄の説は、いもなろは妹なねかと云事と云へり。第九卷に、いもなねと云へる歌有。其詞と同じと云へり。是はさも云べき歟。東詞に、ねをろと云たる歌共前に見えたり。都可布は遣ふの義、今も水を遣ふと云の遣ふと也。妹がつかふ水の流るる川の小荻と云事を、ささら荻と云と也。和名抄云、野王案云、荻【音狄、字亦作v適和名乎木】與v※[草がんむり/亂]相似而非2一種1矣。又云、※[草がんむり/亂]【音亂】※[草がんむり/炎]也、※[草がんむり/炎]【音※[毛+炎]和名阿之豆乃】如v此にて荻と蘆と續けて云ものにて、能似たる物なればそれに譬へて、我と妹とを人言に心を通じて、後は夫婦となりぬらんと云ひ寄するとの事也と云ふ説有。上に里人のことよせ妻とも詠める事あれば、其の義と同じと注せり。又一説、上の句はみな荻蘆を云はん序にて、人言を(151)惡しとは語りよらじと云義と釋せる説も有。何れも句釋不v詳して聞え難し
3447 久佐可氣乃安努弩奈由可武等波里之美知阿努弩波由加受※[氏/一]阿良久佐太知奴
くさかげの、あぬのなゆかんと、はりしみち、あぬのはゆかずて、あらくさたちぬ
くさかげのあぬの、地名なるべし。諸説はあぬどなど讀みて、先の人を指してあぬと云へる義と釋せり。宗師案は、表の意は、草陰のあぬのと云ふ所へ行かんと約し置きても、障る事ありてえ行かずして治りし道も草繁く生ひたち荒れしと云意にて、下の意は相語らふ人と逢はんと約し置きし事ありしか共、あふ事ならずして逢ひぬる事もならずなり行きし事を、譬へて云ひたる義と見る也。草陰のあぬと詠みたれば、あぬのと云ふ地名ならでは不v濟也。人をさしてあぬとゝ云との義は當らざる説也。但し草陰と云所にある人をさして云たる義歟。然らば行かんと云は、いづ方へ行かんと云へる事歟。行く所不v見故、はりし道と云義不v濟。あぬ野へ行かんと思ひて、造りし道の行かずして、荒れ行きてあら草たちぬと云ふ義ならば、理りも聞えたらん歟
3448 波奈知良布己能牟可都乎乃乎那能乎能比自爾都久佐麻提伎美我與母賀母
はなちらふ、このむかつをの、をなのをの、ひじにつくさまで、きみがよもかも
此歌も説説まちまち也。山の峰の海中の洲につく迄、君が代の久しかれと願ふ意に見る説も有。又晋王質山中に入りて仙翁の碁を打つを見て、斧の柄の朽ちし久しき代迄と云意に見る人も有。然れ共何れも祝願の意には不v叶意也。山は塵積りて高くなる事を云べき祝言を、海中の洲となる迄とは禁句に近し。斧の柄の朽ちつくると云も禁句也。兩説共難2信用1。宗師説は、をなのをのは、峰の尾のと云義、又小嶺の事を小峯尾のと詠みたる歟。小峰の高く重なり登りて、大山名山の富士にも續く迄、君が代もがなと願ふたる歌にて、初句に花ちらふと詠めるも、雪花の重り散る景色を見立てたる義にて、嶺の首尾も能相調ふ也。花の散る小嶺を見て、富士山の雪の花とも散りまがふ景色を思ひ出て、とり合ひたるものと見る也
(152)3449 思路多倍乃許呂母能素低乎麻久良我欲安麻許伎久見由奈美多都奈由米
しろたへの、ころものそでを、まくらがよ、あまこぎくみゆ、なみたつなゆめ
白妙の衣の袖をとは、下のまくらがと云はん序也。袖を卷くと云義に續けたり。卷の意枕とすると云意に續けたると云説あれど、只卷と云迄のうけなるべし。まくらがは所の名也。枕がのこがの渡りと詠める所也。下野の地名也。枕がよと云へるは、枕がゆと云詞也。此卷にては由と云詞を皆よと云へり。是は東歌故通音の詞多し。ゆと云詞はよりと云古語也。よりと云事を由と古語に云ひ來れり。よとあれば、よりと云ふ、りを略したる事と心得ん人は意少し違べし。歌の意は能聞えたり。枕がの渡りより海人の漕ぎ來るが見ゆると云義也
3450 乎久佐乎等乎具佐受家乎等斯乎布禰乃那良敝※[氏/一]美禮婆乎具佐可利馬利
をぐさをと、をぐさすげをと、Lをぶねの、ならべてみれば、をぐさかりめり
此歌諸抄の説は、濁音清音の差別をせず、假名違の辨も無く卑しき業をなす三品の事を比べて見る事に釋せり。草を刈る男と菅を刈る者と、鹽船を漕ぐ者とをた比べ見るに、卑しきわざをなす中にも、草を刈るわざの者ましなりと云事と注せる説は、清濁の意を不v辯假名違の事を不v辯也。すげをのすの字は濁音の字にて、菅の事には成り難し。しを船のをは鹽の事には不v合。東歌故横通音にて通ふと助けたる説あれ共、歌の全體を不v辯無理了筒の説也。宗師説は、乎久佐乎、具佐受家は皆地名と見る也。如何にとなれば、前後の歌皆地名を詠めり。此歌一首挾みて草菅の事の歌を可v入事選者の本意たるべからず。集中撰列の次第を見て可v知。能く其列次第は並べ入れたる次第共なれば、極めて地名を云ひたる歌也。乎久佐乎は、草の生へ茂りたる岡歟。山の尾と云義なるべし。受家乎はぬげをにて禿げたる山か、岡の義を云たる事と聞ゆる也。受は濁音故ぬ也。ぬげをなれば禿げ山か、禿げたる岡を云ひたる義也。草の茂りたる岡と草の無き禿げたる岡を並べて見れば、禿げたる所は見苦しくて、景色劣りたれば小草のある岡勝ちめりと云ふ義と聞ゆる也。斯乎船は洲小船也。ならべと云の冠辭と知るべし。洲崎にすはりたる船は皆並び居るもの故、並ぶと云序詞に洲小船とは云ひたる也。しは、すと同音也。是等の説(153)は諸説に甚だ違ひたる發起也。能々可2觀味1也
3451 左奈都良能乎可爾安波麻伎可奈之伎我古麻波多具等毛和波素登毛波自
さなづらの、をかにあはまき、かなしきが、こまはたぐとも、わはそともはじ
左奈都良能乎可 國所不v知也。悲しきがは、めで愛する夫のと云意也。前にも其悲しきを詠めると同じ義也。駒はたくともは此詞解し難し。第十卷の歌にも此詞に同じき樣なる詞有。秋つけば萩咲き匂ふいはせ野に馬たきゆきてと詠めるたきと云詞も、此駒はたく共と云詞に同じ。手綱を手繰り來ると云義にて、たくと詠める歟。たぐりはたき也。又馬は將v來ともと云意歟。またせめはたくと云事もあれば、馬をば乘り込み荒らす事を云たる詞にたぐと詠める歟。語釋未v決也。歌の意は、彼の岡に粟を蒔きしが、わが大切に思ふ夫の馬を乘り込みて荒らしそこなふ共、我は何共思はじと云意也。そともはそれ共也。夫君を大切に思ふと云意をよそへ詠める也。田中に馬を放ちて令v臥などする事は、甚だ惡しき事に戒められたる事は、神代上卷素神の神紀に見えたり。古今の歌にも、蜑のなはたきいさりせんと詠めるも、なはたぐり也。馬たき、馬はたくと云も、手綱繰りてと云義歟
3452 於毛思路伎野乎婆奈夜吉曾布流久佐爾仁比久佐麻自利於非波於布流我爾
おもしろき、野をばなやきそ、ふるぐさに、にひぐさまじり、おひはおふるがに
古今集に、春日野はけふはな燒きそと詠めるも同じ意也。春の野の景色の面白きにな燒きそと也。おふるがにのがは助語也。只おふるにと云義也。歌の意何の事も無く句面の通り也
3453 可是乃等能登抱吉和伎母賀吉西斯伎奴多母登乃久太利麻欲比伎爾家利
かぜのとの、とほきわざもが、きせしきぬ、ころものくだり、まよひきにけり
かぜのとのは、風の音の也。風のとの遠きとは、便の遠き所に隔たり居れる妻と云意也。衣のくだりは地名なるべし。それ(154)を衣の領と云ふに詠みなせるならん。まよひは第七卷に防人の歌にも出て、新島守がかたのまよひと詠みたる歌に注せり。※[糸+比]の字を讀ませたり。衣のやれてなみよりたるを云也。それを行路を迷ふ事に寄せてかく詠みたる也。衣のくだりとは衣の襟の事を云たる義也。凡ての意は、衣の事にして下の意は行路に迷ひ來ると云義也
3454 爾波爾多都安佐提古夫須麻許余比太爾都麻余之許西禰安佐提古夫須麻
にはにたつ、あさでこぶすま、こよひだに、つまよしこさね、あさでこぶすま
にはにたつあさで、第四卷にも出たる詞也。諸抄の説は、家の庭に植ゑて作るもの故、庭にたつ麻と云義と云へり。第九卷に、小垣内の麻を引と詠めるも、是家邊の庭に植うるものからとの説あれど、此義正義共不v覺。如何なる義共未v決也。宗師案には、庭に立つはあさのあと一語にうけたる義ならんか。庭に立つ、わが庭なれば我心の儘に立つなればと、廣く云たる義にて、あとうけたる事也。此義も未v落也。尚後案考辯すべし
全體の歌の意は、小衾を着て寢ん程に、今宵も妻の寄り來て寢よと云義なるべし。こ衾のこは發語也。妻よしこさねは、こせよと云義也。下のこ衾は古詠の例格の重ね詞也。衾は夜の服、物を覆ふきぬ也。上に着るをも敷くと云べければ、妻よ敷かせねと云義と見たる説もあれど心得難し。妻寄り來て寢よと云意に聞ゆる也
萬葉童蒙抄 卷第四十終
(155)萬葉童蒙抄 卷第四十一
相聞
3455 古非思家婆伎麻世和我勢古可伎都楊疑宇禮都美可良思和禮多知麻多牟
こひしかば、きませわがせこ、かきつやぎ、うれつみからし、われたちまたん
戀しかばは、戀しからば也。戀しくばと云義共聞ゆれど、婆の字を書たればからばとならでは解し難し
かきつやぎは垣津柳也。あをやぎと讀むに同じ。うれつみからしは、しだれたる柳の枝の末をはらひて來るを、待受て立持たんと也。立待たんと有から、柳のしだれて來る方の見えぬから、うれ《末》をはらひて來るを見んとの意也
3456 宇都世美能夜蘇許登乃敝波思氣久等母安良蘇比可禰※[氏/一]安乎許登奈須那
うつせみの、よそことのへは、しげくとも、あらそひかねて、あをことなすな
意は空蝉の世の人の詞は繁く共、それに爭ひ負けて、そなたと我との中を顯して、我を難に逢はする事を出來すなと也。夜蘇は世の事也。ことのへは人言也。人々云ひ騷がさるる共、それに忍びかねて、事を顯して我を事に逢はすなと云意也。うつせみは現在の世と云はん爲の序詞、前にも數多有
3457 宇知日佐須美夜能和我世波夜麻登女乃比射麻久其登爾安乎和須良須奈
うちびさす、みやのわがせは、やまとめの、ひざまくごとに、あをわすらすな
此歌は大和の都の時、東國より仕官に登り居る男の妻の詠なるべし。大和女は大和の國の女に相馴るる度毎に、東國の我を忘るなと戒めたる也。凡て此大和女、河内女、難波女と詠めるは、先づ其所の女子を指したる事にして、昔は遊女を云ひたる也。此歌遊女を指したるにはあるまじけれど、押付て膝|枕毎《マクゴト》にと詠めるは、其心にやあらん。膝まく毎には、膝を枕とす(156)るは、親しみ睦める事を云へり。第五卷にも、人の膝のへわが枕せんと詠めり。第七卷にも、膝にふす玉の緒琴と詠みて、皆睦みて打解ける事を云也。此卷の上に、筑紫なるにほふ子故にと詠める歌の意に近き也
3458 奈勢能古夜等里乃乎加耻志奈可太乎禮安乎禰思奈久與伊久豆君麻※[氏/一]爾
なせのこや、とりのをかぢし、なかたをれ、あをねしなくよ、いくづくまでに
なせのこやは、夫を指して云へり。神代卷上に、册尊曰、吾夫君尊何來之晩也とあるにて、夫を云古語なるべし
とりのをかぢしは地名也。岡路しのしは助語也。なかたをれのたは發語共聞え、又たわみ折れたる道と云事共聞ゆ。上り下りのある廻りたる道を云也
宗師案は、鳥の尾と云峰の名にて、かちしは歩行して往來する、馬乘物なども不v通、中のたをれる路を行く如く、息づかしくて我を泣かすかと云義也。せなを慕ひ思ふ事の苦敷と云事を、鳥の尾のかちにして越る如く、息づかしく苦ましめて、我を音に泣かすよと云義と見る也。諸抄の説に、中道よりたをり歸る事を、中たをれと云など釋するは非也
3459 伊禰都氣波可加流安我手乎許余比毛可等能乃和久胡我等里※[氏/一]奈氣可武
いねつけば、かかるあがてを、こよひもか、とののわくこが、とりてなげかん
いねつけば稻舂也。かかるわざをすれば、手の荒れてあかがりなどある荒々敷手と云義也。和名に、皹、音軍【和名阿加々利】手足拆裂也云々賤き女に高貴人相馴しに、其女身を恥ぢてかく云へるならん。いねつけばと云詞、寢着ばと云事にも通ふならんかし。兩義を兼て云へるか。おしていなと稻は舂かねどと詠めるも、舂く女の事に云ひなせる也
とののわくこ、前にも出たる詞也。其處にて威勢有る長たる人を云也。取て歎かんは、荒れたる手をとりて愛し哀れまんと也
3460 多禮曾許能屋能戸於曾夫流爾布奈未爾和我世乎夜里※[氏/一]伊波布許能戸乎
(157)たれぞこの、やのとおそぶる、にふなみに、わがせをやりて、いはふこのとを
屋の戸は家の戸を推す也。此家の戸を押すは誰なるぞと也。にふなみは、新甞か贄甞なるべし。上に葛飾わせをにへず共と詠める、にへ也。事の障り無き樣にと、戸をさし固め會合する事にて、主をやりたる後にても、戸をさして忌み慎みてゐるなるべし。然るに誰ぞ此の屋の戸を押すやと也
3461 安是登伊敝可佐宿爾安波奈久爾眞日久禮※[氏/一]與比奈波許奈爾安家奴思太久流
あぜといへか、さねにあはなくに、まひくれて、よひなはこなに、あけぬしだくる
あぜといへは、何と云事にか也。さねにあはなくには、實に逢はなくに也。まひくれては、日暮て也。まは發語也。よひなはこなには、宵には來なくに明る朝來るぞと也。宵に來て逢はんものを、何と云心にか、實に逢はなくてかく明くる朝に來るぞと恨める意也
3462 安志比奇乃夜末佐波妣登乃比登佐波爾麻奈登伊布兒我安夜爾可奈思佐
あしびきの、やまさは人の、ひとさはに、まなといふこが、あやにかなしさ
山さは人物の多き事也。俗に山程ある澤山など云に同じ。世の中の多くの人の、其多くと云意也。重詞に人さはにと云へり。まなは、誠にと云に同じ。賞めたる義也。人をよき人と賞めたる詞也。然れば人さはに賞めるかあがめて、飽かぬ哀れなる兒かなと、愈賞めたる詞也。あやに悲しきと也。悲しきは歎息の詞也。感嘆するをあやと云也
3463 麻等保久能野爾毛安波奈牟己許呂奈久佐刀乃美奈可爾安敝流世奈可母
まどほくの、野にもあはなん、こころなく、さとのみなかに、あへるせなかも
まどほくの、此のと云詞東歌の詞也。凡て東國は、のと云詞を添へて云へるなるが、歌に列る句を調へんとて、無用の所にも、のと云詞を添へたる事多し。此のも其意也。只間遠き野にてと云義也。尋常にては此のの字云はぬ所也。里の中にて、(158)人目繁き所にて逢ひしを、心よからず思ふ意也
3464 比登其等乃之氣吉爾余里※[氏/一]麻乎其母能於夜自麻久良波和波麻可自夜毛
人言の、しげきによりて、まをごもの、おやじまくらは、わはまかじやも
人言の繁き故、逢事のなり難きと云事也。おやじとは同と云義か。まをごもの、まをは助語こもは薦也。第七卷に、こも枕あひまきし子と詠める也
3465 巨麻爾思吉比毛登伎佐氣※[氏/一]奴流我倍爾安抒世呂登可母安夜爾可奈之伎
こまにしき、ひもときさけて、ぬるがへに、あどせろとかも、あやにかなしき
打解けてぬるが上に、何とせん樣も無きに、何とせうとてか猶飽かぬ心のいや増しにめで思ふと也。此あやにもは嘆の詞也。怪敷迄に猶切なる意を顯せる詞也。古今集にも此歌の意を詠める事多し
3466 麻可奈思美奴禮婆許登爾豆佐禰奈敝波己許呂乃緒呂爾能里※[氏/一]可奈思母
まがなしみ、ぬればことにづ、さねなへば、こころのをろに、のりてかなしも
ぬれば人言に出づる也。さねさへばは、心の緒にかかりて悲敷と也。よりて初五文字にまかなしみと置て、二度下にも詠める也。心のをろにとは、思ひの結ぼふれる端と成りて悲敷と云義を、心のをろにとは云也。のりはなりてと云詞に同じ
3467 於久夜麻能眞木乃伊多度乎等杼登之※[氏/一]和我比良可武爾伊利伎※[氏/一]奈左禰
おく山の、まきの板戸を、とどとして、わがひらかむに、入來てなさね
まきと云はん序に奥山と云へり。とどとしては、音する事を云也。凡て音の事をとどろかすなど云也。音をして我開かんに、早く入來ていねよと云也。入來て、なと上に付たる也
3468 夜麻杼里乃乎呂能波都乎爾可賀美可家刀奈布倍美許曾奈爾與曾利※[奚+隹]米
(159)山鳥の、をろのはつをに、かがみかけ、となふべみこそ、なによそりけめ
山鳥の雄鳥の最長尾にと云義也。はつをは、ほつをと云意と同じ。當集に木の枝を云て、最末枝と書てほつゑと讀めり。畢竟山鳥の長き尾に鏡を懸てと云義也。偖此尾に鏡を懸る事は諸抄に出て詳也。魏時南方獻2山鷄1〔帝欲2其歌舞1而無v由、公予蒼舒令d以2大鏡》1著c其前u、山※[奚+隹]鑑v形而舞、不v知v止遂至死。韋仲將爲v之賦〕此古事にて詠めり。鏡を懸て己が形を見て、雌を戀ひ友を慕ひて鳴由にて、古來詠來れり。枕の草紙にも、山鳥は友を戀て鳴くに、鏡を見せ〔たれば慰むらん。いとわかう哀れなり。谷隔てたる程などいと心ぐるし〕鸞鳥の古事も是に同じき事有となふべみこそは、鳴事を云たるは夫唱婦和と云意にて、となふべみとも詠みて、意は音に立てて鳴く計にこそ汝に心を寄せけると也。畢竟音に立て鳴きぬべき程に、そなたに心を盡し思ひよりけると也。をろのろはをどりのをと云義と聞ゆ也。東俗は横通音を云ひ習はせり。又助語共聞ゆ也。此卷東歌の詞大方ろと云助語に云ひたる也。兩義に見るべし。二義の内助語の方初心の人も聞安かるべし
けめもけれと云義と聞ゆる也。音に立てて鳴きぬべきこそ、汝によりけれと云迄と見る也
3469 由布氣爾毛許余比登乃良路和賀西奈波阿是曾母許與比與斯呂伎麻左奴
ゆふけにも、こよひとのらろ、わがせなは、あぜそもこよひ、よしろきまさぬ
ゆふけは、夕占也。辻占など聞に、今宵は來んと占にのりしに、など今宵よくも來まさぬと也。よしろのろも助字也今宵の夜來まさぬと云意にて、しろの二語共に助語と聞ゆ
3470 安比見※[氏/一]波千等世夜伊奴流伊奈乎加母安禮也思加毛布伎美末知我※[氏/一]爾
此歌第十一卷には訓書にして同歌也。其處に注す
柿本朝臣人麻呂歌集出也
3471 思麻良久波禰都追母安良牟乎伊米能未爾母登奈見要都追安乎禰思奈久流
(160)しまらくは、ねつつもあらんを、いめのみに、もとなみえつつ、あをねしなくる
しまらくは暫也。古語は暫をしまし共しまらく共云へり。歌の意は寢るうちは暫くなり共忘れてもあらんに、もだし難く夢にのみ見えて我を音に泣かすと也
3472 比登豆麻等安是可曾乎伊波牟志可良婆加刀奈里乃伎奴乎可里※[氏/一]伎奈波毛
他妻《ヒトツマ》と、あぜかそをいはん、しからばか、となりのきぬを、かりてきなばも
安是可《アゼカ》はなぜか也。人の妻となぜか云はんや我妻なるをと也。人妻ならば隣の衣を借りて着せんを、さもなく我妻なる故借りても着せぬを、なぜ人妻とは云ぞとの意也
はものもは付たる詞也。きなばもは着ねばと云意也。此歌の諸抄の説は猥なる意を注せり。心得難し。人妻にても戀まじきや、然らば寒冷の時人の衣を借りて着ましや、寒氣凌ぎ難く思ふ時は、隣の人の衣を借り着る物をなど云ふ歌と見るは大成僻説也。假にも非義の意と見るべからず
3473 左努夜麻爾宇都也乎能登乃等抱可騰母禰毛等可兒呂賀於由爾美要都留
さぬやまに、うつやをのとの、等抱《トホ》かども、ねもとかころが、おゆにみえつる
此歌諸抄區々にして不2一決1。おゆに見えつるは、老に見ゆると云説有。又山の尾より來り見つると、假名違の説有。何れも心得ず。先をのとのとほかどもは、さぬ山に木伐斧の遠けれ共と云意也。ねもとしてかころがは、寢んと思ひてか女の來り見ゆると云義也。おゆに見えつるの詞いかが聞き定め難し
宗師案は、凡に見えると云義なるべしと也。凡は大方にと云意、慥にそれとは無しに、大方に其體の見ゆると云義なるべし。上の句は序にて、遠けれ共と云はんとての序詞也。歌の意は、さぬ山と詠出たるも、寢る事に寄せて也。いねし子とは、遠ざかりたれ共又寢んと思ふにや也。其體の大方に見ゆると云意に聞ゆ也。句意詞聞屆かざる歌也。猶可2後案1也
(161)3474 宇惠太氣能毛登左倍登與美伊低※[氏/一]伊奈婆伊豆思牟伎※[氏/一]可伊毛我奈藝可牟
うゑたけの、もとさへどよみ、いでていなば、いづしむきてか、いもがなげかん
うゑたけは、植竹也。わが出でて歸りこずば、殘れる妻のいづ方へ向きてか、我を慕ひ歎かん、其聲に植竹の枝葉風にさやぎて音するもの也。木迄も響きどよみて歎かんと也。いづしは、いづち上に、富士の山邊にわがきなばと詠める歌の下句と同じ
3475 古非都追母乎良牟等須禮杼遊布麻夜萬可久禮之伎美乎於母比可禰都母
こひつつも、をらむとすれど、ゆふま山、かくれしきみを、おもひかねつも
思ふ人に別れて、後戀つつも忍び堪へて居らんとすれど、夕間山を隔て隱れて、別れし人を忍びかねると也。思ひかねつもは、忍びこたへかねると云義也。夕間山は地名也
3476 宇倍兒奈波和奴爾故布奈毛多刀都久能奴賀奈敝由家婆故布思可流奈母
うべこなは、わぬにこふなも、たとつくの、ぬがなへゆけば、こふしかるなも
うべこなは、諾尤兒はと云義也。兒なはは女の通稱也。尤女は我に戀ふるかもと云義也。たとつくは立月の事也。ぬがなへゆけばは、半經行ば也。逢樂みし事の月も早經行て隔てたれば、戀しかるかもと也。うべは下よりかへり、月の半ば立ち行ば戀しかるも尤うべなる哉と云意也。わぬはわれに也。此にの手爾波前にも有る如く、今時はをと云を古詠は皆にと云也
或本歌末句曰努我奈敝由家抒和奴賀由乃敝波 ぬがなへゆけどわぬがゆのへば 我よはひのべをれば也。よとゆ通じて、よはひと夜との意を兼ねる也
3477 安都麻道乃手兒乃欲婢佐可古要※[氏/一]伊奈婆安禮婆古非牟奈能知波安比奴登母
あづまぢの、てこのよびさか、こえていなば、あれはこひむな、のちはあひぬとも
(162)手兒の呼び坂は地名也。田子の呼び坂は手兒の呼坂か。てこは女の通稱也。呼び坂は女の呼びかへすを振り別れて、越えていなばと懸けたる意に、手兒の呼び坂を詠めるならんか。駿河國田子の浦と云あれば其邊の地名か
3478 等保新等布故奈乃思良禰爾阿抱思太毛安波乃敝思太毛奈爾己曾與佐禮
とほしとふ、こなのしらねに、あほしだも、あはのへしだも、なにこそよされ
とほしとふは遠しと云ふ也。こなのしらねは、越《コシ》の中の白山を云也。然らば越中の立山なるべし。こなは越の中の白根と云義也。あほしだもは、逢ふてもあはでもなるべし。だもはあはでも也
なにこそよされは、汝にこそ寄れと云義也。逢ふても、逢はでも心は汝にこそ寄れと也。越の白山は遠き處に有と云へ共、雪華美麗の名山故、見ても見ずても人々心を寄すると云意によそへて詠めり
3479 安可見夜麻久左禰可利曾氣安波須賀倍安良蘇布伊毛之安夜爾可奈之毛
あかみやま、くさねかりそけ、あはすがへ、あらそふいもし、あやにかなしも
あかみ山地名也。不分明也。かりそけ刈り除き也。あかみ山の草を刈り拂ひて也。第十一卷に、夏草のかりそへれどもと有。刈り除く也。あはすがへ、逢はするがうべにと云義也。一説、あはぬが上には、清濁を知らぬ説也。歌の意不v通也。あやにかなしもは、さてもうつくしみ思ふ妹と云義也。逢はすがへはあらそふ逢へるがうべに爭ふと也。人の云ひ騷がすれど、みて顯さぬ心ざし深きを歎じて飽かず思ふと也
3480 於保伎美乃美己等可思古美可奈之伊毛我多麻久良波奈禮欲太知伎多可母
おほぎみの、みことかしこみ、かなしいもが、たまくらはなれ、よだちきぬかも
かなし妹は、我めでうつくしみ思ふ妹が枕を離れて徭役につきて來ぬと也。欲だちは、役にさされて公用につかはるる事をえだちと云也。一説にた枕と詠出たれば、夜だち來ぬ共見ゆると也。何れにもあれ妹に別れ來るには、大君のみことを畏み(163)と詠めるも、東國の人防人にさされて筑紫に來りたる時の歌也
3481 安利伎奴乃佐惠佐惠之豆美伊敝能伊母爾毛乃乃伊波受伎爾※[氏/一]於毛比具流之母
ありぎぬの、さゑさゑしづみ、いへのいもに、ものいはずきにて、おもひくるしも
此歌第四卷に川て、人丸歌三首とある中に其處に訓して、朱衣乃狡藍左謂沈と書て、此歌の假名とは假名違にして、此歌の義いかに共解せず。第四卷に詳しく注す。ここに、ありぎぬと云はあらぎぬか。又ありかものきぬと云物は、大切なる百濟より貢獻の稀の物故、寶物と云義にて、きぬを賞め妹を賞めんとて斯く詠めるか。第六卷に竹取翁の歌有。ありぎぬの寶の子と詠めるを合せ見るに、若し其意か。第四卷にては珠衣と書たれば、現の字誤かとも見し也。此處にありぎぬとあれば、愈現はあらとも、うつつとも讀むなれば、第四卷の歌は誤字ならんか。第四卷には物不語とあり。もの不v云と云ても、義同じければありても不v苦他
柿本朝臣人麻呂歌集中出見上已詮也
此注後人の加筆故第四卷目に出たるを以如v斯注せり。撰上の注にあらざる義と知るべし。同歌にてあらんか。作者の歌ならんか。人丸の歌を東歌に可v混樣無し。第四卷の歌は人丸、是は東國の人の歌か。後注を見誤りて、人丸の歌を重出とみては愈撰者の難ならんか。別注と見れば撰者の難有べからず。歌の一體は同樣なれ共、書樣文句も已に、珠衣、ありぎぬ、さゐさゐとさゑさゑと違有。思ひかぬつもと、思ひくるしもと少づつ達有。同作にて有まじ。是は東國、彼四首は人丸の歌と見るべき也。何れも、さゐさゐさゑさゑ沈の詞いかに共解し難し。人丸の歌は沈の字何と云漢字にもやと見しかど、此歌は東歌故さゐさゐの義共見られざる也
3482 可良許呂毛須蘇乃宇知可倍安波禰抒毛家思吉己許呂乎安我毛波奈久爾
からごろも、すそのうちかへ、あはねども、けしきこころを、あがもはなくに
(164)裾の打かへ、裾の打違て合はぬを、人の逢はぬ事に寄せて云也。裾は入違てあはぬもの故打違あはぬと云へり
或本歌曰可良己呂母須素能宇知可比阿波奈敝波禰奈敝乃可良爾許等多可利都母 からごろも、すそのうちかひ、あはなへば、ねなへのからに、ことたかりつも
うちかひは打違也。ことたかりつもは、こちにたかりつも也。逢はぬものながら言痛く苦しきと也。言痛くは人言の繁きと云義也。諸共に寢ぬに、人言の繁きが苦敷と也
3483 比流等家波等家奈敝比毛乃和賀西奈爾阿比與流等可毛欲流等家也須流
ひるとけば、とけなへひもの、わがせなに、あひよるとかも、よるとけやする
晝とけば解けぬ紐の、夜自づから解けるは、せなに逢はんとやと也
3484 安左乎良乎遠家爾布須左爾宇麻受登毛安須伎西佐米也伊射西乎騰許爾
あさをらを、をけにふすさに、うまずとも、あすきせさめや、いさゝをとこに
あさをらは麻の苧也。遠家《ヲケ》は苧笥也。布須左《フスサ》は、ふさやかと云と同じ。多く集りたるを云。ふさたをりなど云歌有。是はふしたをり、ふせたをりなど云事共聞え、又ふさやかになど云て多き事共聞え、兩義に聞ゆ也。此ふすさは多き方也。うみためず共明日著せさめや也。さは助語也。いさゝ男は、いさせ男に也。女の歌なるを男の歌と見る説有。いさゝ男とは小男と云義にて、卑下して云詞也と云説は心得難し
3485 都流伎多知身爾素布伊母乎等里見我禰哭乎曾奈伎都流手兒爾安良奈久爾
つるぎたち、みにそふいもを、とりみかね、ねをぞなきつる、てこにあらなくに
思ふ人を手にえ入れずして、聲立てゝ泣つるはいともわりなき事かな。稚兒童にもあらぬに、音に立てゝ泣く子の如しと也
3486 可奈思伊毛乎由豆加奈倍麻伎母許呂乎乃許登等思伊波婆伊夜可多麻斯爾
(165)かなしいもを、ゆづかなべまき、もころをの、ことゝしいはゞ、いやかたましに
傳云、此歌一決し難し。一説はなべての男かしましく弓取持て、爭ひ勝たましきと云義と釋せり。句釋も不v詳。歌意も聞得難し。又一説若し男どちの爭ひならば、弓束を並べ卷き押張向立て、彌々勝たましものを、悲しく思ふ妹に向ひてはかへり見せられて、萬づに負けて止むと云心と釋せり。此説も、若し男どちの爭ひならばと云詞を入て釋せねば不v通也。其上彌勝たましと云義彌々勝たましくを、負けてのみ止むとの義も句面にあらざる事なれば聞えず。愚案、一女を二男の爭ひし義を詠めるならん。尤男の歌とは聞えたり。悲し妹をと詠めるは、めでいつくしむ妹を也。なべまきは並卷也。二男に譬へて云へるは、弓束は革にて並べ卷く物故、並ぶると云はん序也。もころをは、眞黒男と、已に第九卷にも、女己男と書き、もころをと讀ませたり。其所に注せる如く、怒憤る男の事を、もころ男と云か。色ま黒になりて爭ふの義、今世俗の諺にもある古語か。尤もころとは、雄かもの、もころ共讀たり。如と云義に詠める事も有。尤古語にごとくと云義をころと云事あれば、もころと云も如と云義、ことに通ずる義も有べし。然れ共此歌にては男の如くと云義は不v合。爭ふ男と云義は合也。然れば競ひ爭ふ男の言を云へば、彌かしましく和談せぬと云義を詠めると聞ゆる也。さなくて悲し妹をと詠出たる手爾波不v濟也。めでうつくしみ思ふ妹を、爭ふ男の事を云へば、互にかたくなに腹を立て云ひ爭ふとの義也
3487 安豆左由美須惠爾多麻末吉可久須酒曾宿奈莫那里爾思於久乎可奴可奴
あづさゆみ、すゑのたままき、かくすゝぞ、ねなゝなりにし、おくをかぬかぬ
すゑにたまゝきかく鈴とは、上古は弓を金玉を以て餝りたる也。第九卷に、梓弓すゑの玉など詠めるも、皆古實によりて也。弓釼とも皆金玉を以て飾りたる故、太刀のしり玉まくなども詠めり。かくすゞは掛鈴也。すゞは玉の事也。玉まきと云玉はすゞの事也。かくは鈴を隱すと見るは非也。畢竟は、下のねなゝと云はん爲の序也。鈴のねとうけて寢る事也。詞は同じくて義は別也。歌は皆ケ樣に詠む事也。ねなゝは、不v寐成にしと云義也。奧をかぬかぬは末の事思ひ量りて不v逢なりにしと云義也。前に、おくをなかねそまさかしよかはと詠めると同じ。行末の事を思ひてえ逢はずなりしと也
(166)3488 於生之毛等許乃母登夜麻乃麻之波爾毛能良奴伊毛我名可多爾伊※[氏/一]牟可母
をふしもと、このもとやまの、ましばにも、のらぬいもがな、かたにいでむかも
おふしもと大|※[木+若]《ズハエ》生※[木+若]兩義を兼ねて也。何れにても、木のもと山を云はん序也。しもとは、ずはえと云と同じく細き木也。又若枝の立延びたる也。延喜式に※[木+若]の字を讀ませたり。若枝若木の意にて、字によりて訓ずるか。日本紀景行紀日本武尊の東國征伐の時の處に出たり。雄略紀にも弱木弱枝とも書たり。若立の木也。凡て細きずばえの木を云也。爰には、しもとと云也。後撰集(引歌記シアラズ)
此歌のしもとは笞杖の事を云にはあらず。生立たる木と云也。しもとの木のもとゝ續けたる序也。木の本山は東國の内何れか不v知也。筑前にもありと云へり。然れ共此歌東歌なれば、東國の内なるべし。但此相聞の詞になりては東國に不v眼載せたるか。此事不2分明1也。古注者も國所山川の名を不v知と書たり。諸國を亂雜して載せたるも難v知也。しもとは柴になる木也。家造等に不v用也。依りて、ましばにもと詠めり。しばは、暫らく少しの間を云也。少しの間も慎みて、言に顯さぬ妹が名の、うらかたに出でんかもと氣遣ひしたる也
3489 安豆左由美欲良能夜麻邊能之牙可久爾伊毛呂乎多※[氏/一]天左禰度波良布母
あづさゆみ、よらのやまべの、しげかくに、いもろをたてゝ、さねとはらふも
此歌諸抄の説々落着せず。一説よらの山邊に家を建ていねんと、訪はんと云義と注す。一説は妹をうつし置て、寢處をはらふと云義と釋せり。さねとはらふもと云心未だとくと聞得難し。とはんと云字も度の字は多く濁音に用ゆ。はらふもを、はんと云詞に通ふと云も心得難し。可v有2後案1也。あづさ弓よらとは、弓は引時本末よるもの故也。但弓のゆとうけたる詞か。ゆとは對と云に通ふ也。いくをゆくと云と同じ。只ゆと云詞の響きに、やいゆえよ通音にてゆと云一説にうけたりと聞ゆる也。諸抄の説に引時よるもの故と云へば、先其義に任す也。よらの山大和と云説有
3490 安都左由美須惠波余里禰牟麻左可許曾比等目乎於保美奈乎波思爾於家禮
(167)あづさゆみ、すゑはよりねむ、まさかこそ、ひとめをおほみ、なをはしにおけれ
今の有樣こそ汝をはしだてておけ、遂には寄り合はんとの義也。前に、はしなるこらしと詠めるはしも同じ
柿本朝臣人麻呂歌集出 此注にても人丸歌集中出とある歌同歌にあらず。他人の詠めるをも集に入置たると見えたり。此歌人丸の口風にあらず。おけれなど云詞東俗の詞也
3491 楊奈疑許曾伎禮婆伴要須禮余能比等乃古非爾思奈武乎伊可爾世余等曾
やなぎこそ、きればはえすれ、よの人の、こひにしなむを、いかにせよとぞ
柳は切りても跡より芽のよく出づるもの也。人は一度死て二度は歸らぬものなるに、かく戀佗びて死なんを、つれなく何とてかくはつらきぞと恨みたる也。第四卷に、空蝉の世やもふたゆくと云歌の下句と心同じ
3492 乎夜麻田乃伊氣能都追美爾左須楊奈疑奈里毛奈良受毛奈等布多里波母
をやまだの、いけのつゝみの、さす柳、なりもならずも、なとふたりはも
さす柳のつぎて生する共生せず共と云義は、戀の成就す共せず共、兎に角に二人ありたきかなと願ひたる也。はもと云詞は、かも我もと云に通ふ詞也。助語の時も有
3493 於曾波夜母奈乎許曾麻多賣牟可都乎能四比乃故夜提能安比波多家波自
おそはやも、なをこそまため、むかつをの、しひのこやでの、あひはたがはじ
遲く共早く共汝を待つ間の程は、少ならでは違まじきと也。しひのこやではこえだ也。此やとえと通音少心得難し。可2追考1也。やとゑとは通ふ也。えと通ふ義他例考ふべき也。先づ何れにもあれ、此歌の、やではえだと聞ゆ也。已に或説に、えだと讀めり。椎の枝は至て小枝の繁くあるもの也。其少しの間程もたがはじと也。一説に約は違ふまじと云義に釋せり。心得難し。待たんと詠みて上におそはやもと云ひたれば、間程の事也。色の不v變義などに譬へたるものとの説は義不v合也。已(168)に或説さえだの時は過ぐとも有りて、小枝の少間の時刻は移る共と云義と也
或本歌曰於曾波也母伎美乎思麻多武牟可都乎能思比乃佐要太能登吉波須具登母 おそはやも、きみをしまたむ、むかつをの、しひのさえだの、ときはすぐとも よく聞えたり。時は過ぐ共小枝の間程少計りの時は過る共、出で待つ事はたがはじと也
3494 兒毛知夜麻和可加敝流※[氏/一]能毛美都麻※[氏/一]宿毛等和波毛布汝波安抒可毛布
こもちやま、わかかへるての、もみづまで、ねもとわはもふ、なはあどかもふ
こもち山不v知也。わかかへるて、若蝦手の木也、今俗に云もみぢ也。かへるの手に葉の形似たる故也。和名抄に以下ナシ〔四字□で囲む〕若かへでの紅葉する迄は、久しき事を譬へて云也。わが久しく見んと思ふが、汝は何と思ふと也。共に寢ばやの意也
3495 伊波保呂乃蘇比能和可麻都可藝里登也伎美我伎麻左奴宇良毛等奈久毛
いはほろの、そひのわかまつ、かぎりとや、きみがきまさぬ、うらもとなくも
いはほろは巖也。ろは助語也。又ねと云義にも詠めるか。そひば側也。傍の義也。今は山のそばなど云也。巖の側に生たる松と云ひかけたり。待の心也。かぎりとやは待事の限りとや也。もはや不v來ば待つ事の限り也。うらもとなくもは、末も本も無くと云心、上に若松と詠みたるから、うらもとは詠みて、本末も無く一向に不v來事やと也。無2心元1もと云義と釋し來れ共、うらを心と云義不v通也。うらは一筋の義、もとなくは心元なくか。發語にうらとも云也。心元無きとの意にしては、一筋一向に心元なきとの義也
3496 多知婆奈乃古婆乃波奈里我於毛布奈牟己許呂宇都久志伊※[氏/一]安禮波伊可奈
たちばなの、こなのはなりが、おもふなん、こゝろうつくし、いであれはいかな
たちばなのこなは女の通稱也。立花は女に比して詠む事多度也。こなと云はん爲に橘の木とうけたる也。色よく香の有もの(169)故譬へたり。又たちばなと云地名かと云説有。橘と云所の女の、未だいたいけなる振分髪なるが、心ざしの切なるが、うつくしみいたはしければ行かんとの義也。はなりとは、うなひはなり共第十六卷に出たり。放髪と書て、見下ぐる妻女の肌のやわらかなると云意に寄せて詠めるか。心多くてかなたこなたに思ひ通ひて來る人の數多あれば、我を忘れ給ふらめ共我は忘れぬと詠めり
3497 可波加美能禰自路多可我夜安也爾阿夜爾左宿左寐※[氏/一]許曾己登爾※[氏/一]爾思可
3498 宇奈波良乃根夜波良古須氣安麻多阿禮婆伎美波和須良酒和禮和須流禮夜
3499 乎可爾與世和我可流加夜能佐禰加夜能麻許等奈其夜波禰呂等敝奈香母
をかによせ、わがかるかやの、さねがやの、まことなごやは、ねろとへなかも
さねがやは、下のなごやと云はん序也。ねごやもなごやも同詞也。をかによせは水邊にて陸を岡と云。然らば舟を岡に寄せて也。諸抄この釋無し。岡のとのみ心得たれど、よせとあれば舟を寄せたる意に聞ゆる也。舟とは無けれど其例何程も有事也。かるかやのさねがやと云心なるべし。其しなやかなる如く、なごやかに思ふ人のねよと云へなかもと願ふたる意也。それを刈萱のしなひてなごやかなるに比して云へると聞えたり。汝今宵はねよと云へなかもと見る説も有。其字濁音に用ゆる事多ければ少し疑はしき也。可v有2後案1也。さねがやは、萱を賞めたる詞にさねと云と云説も有。又刈りたる萱の根かやと見る説も有也。何れ共決し難し。ねろとへなかもは、ねよと云へなかも也。語よく通ふ也
3500 牟良佐伎波根乎可母乎布流比等乃兒能宇良我奈之家乎禰乎遠敝奈久爾
むらさきは、ねをかもをふる、ひとのこの、うらかなしけを、ねををへなくに
むらさきは根をかも絶ゆるか也。我は二心無くうつくしみ思ふ兒と、寢る事を不v終と恨みて詠める也。上の句の意今少不2打着1也。根ををはるかと詠める意何と云義によりて共不v聞也。下の句の意は、めで思ふ人と寢を遂げをへぬと云意に聞ゆ(170)也。上の句は何の意も無く紫は色の最上故、女にして根をかもをふると詠める迄にて義は無き歌也
3501 安波乎呂能乎呂田爾於波流多波美豆良比可婆奴流奴留安乎許等奈多延
あはをろの、をろたにおはる、たはみづら、ひかばぬるぬる、あをことなたえ
あはをろは、あはをと云所の名なるべし。をろのろは助語に同じきか。又直におろ田と云地名ならんか。諸抄には、水つきたる所をあはらと云抔云へり。何れにもあれ所の名なるべし。たはみづらは、たをやかにはひたる葛なるべし。又たはみづらと云蔓類の一種あるか。何にまれ只引けばまつはりて絶えなと云義に譬へたる也。ぬるぬるはまつはれまつはれてと云義、女を引けば、我に靡き寄りて絶えなと云へる也
3502 和我目豆麻比等波左久禮抒安佐我保能等思佐倍己其登和波佐可流我倍
わがまづま、ひとはさくれど、あさがほの、とじさへこことゝわはさかるがへ
此歌諸抄朝顔のとじさへと云に説々有。此朝顔の刀自と續けたる事不v解也。朝顔は女を比して云。としさへは、年もいくばく經たると釋せり。宗師案、我まづまは我眞妻也。是は年たけたる妻の事を云へり。まは發語也。朝顔は瘠せたる老女と云義なるべし。痩せたるとじとは、老女を古はとじと云へり。世の人は若き妻をも異心ありて、色に溺れて外に移る心出來て中を避くれ共、我は此老女をもいくばくも年を經てもさけぬと、夫婦の間の睦まじきを自讃に詠めると聞ゆ也。我倍はやはと云詞也。かはと云諸説なれ共、我の字を書たればがはと云ひ難し。我なればやと云詞也。やはと云義と見るべし。此歌愚意未v落。わがつま人はさくかど、中言など云てさくれどと云義と聞ゆる也。朝貌のとじも宗師案無類の説なれど、とじは何卒別義あるべし。ここたも此所に不v合也。年さへなれば幾許と云義に叶ふべけれ共、刀自さへと云てこゝたと云詞續かぬ詞也。其上其字濁音に田ゆる字也。尤清濁兩音に遣ふ事も有とすれば立つ濁音也。此義も不v審也。猶可2後案1也。先完師の説に任す也
3503 安齊可我多志保悲乃由多爾於毛敝良婆宇家良我波奈乃伊呂爾※[氏/一]米也母
(171)あさかゞた、しほひのゆたに、おもへらば、うけらがはなの、いろにでめやも
ゆたはゆるやかに豊の字の意也。切に無き也。鹽干の豊かにひろ/”\としたる如く、豊かにゆるやかに人を思はゞ出で難き色の何とて出でんや、切に思へばこそ、おけらの花のつぼみて色に出ぬものなれど、色に出でしは大方ならぬ故と知れと也。淺香潟は奧州也
3504 波流敝左久布治能宇良葉乃宇良夜須爾左奴流夜曾奈伎兒呂乎之毛倍婆
はるべさく、ふぢのうらはの、うらやすに、さぬるよぞなき、ころをしもへば
うらやすにと云はん爲に、藤のうら葉と詠出たり。上の句に意有にあらず。うらやすは内心の安くと云義也。内の心の安住に寢る夜の無きと也。ころを思へばは、女子を戀慕へばと也
3505 宇知比佐都美夜能瀬河泊能可保婆奈能弧悲天香眠良武伎曾母許余比毛
うちびさつ、みやのせがはの、かほはなの、こひてかぬらん、きぞもこよひも
みやの瀬川、地名未v考。うちびさすは前にも出て、諸抄現の日の光のさすみやと、内外共輝く如きの色と云義と釋せり。されど此集うちびさす都と有。又左受と濁音に書けるも有。かゝれば日影のさすと云事には成り難し
かほ花は一種の花の名也。水邊に咲ものと見ゆ。後世かきつばたと云習はせり。證明を不v見。きのふけふ我行かねば、かほ花の如き美しき妹が、戀ひ戀ひてかも寢ぬらんやと思ひ遣りて詠める也。きぞは、きのふと云義也。日本紀に昨の字をキスと讀ませたり
3506 爾比牟路能許騰伎爾伊多禮婆波太須酒伎穗爾※[氏/一]之伎美我見延奴己能許呂
にひむろの、こどきにいたれば、はたすゝき、ほに出し君が、見えぬこのごろ
此歌愚意不2聞得1。宗師の發起も未2落着1也。先説々を云はゞ一説に云、如きとは、今時に至りて見えぬと云義にて、穗に出(172)でしとは夜々忍ばであらわに通ひし君が、秋の薄に至りて見えぬと云事也と釋せり。薄を秋にははたすゝきと云へる故秋とさすと也。如v此にていかに云へる事にや。此時に至りてと云、ごときと云事句例無し。又一説にあたらしき家にて蠶時也。それをこどきと云て、かひこを養ふ時と云義にて、こがひする時は物にあやかるとて、人にもおぼろげには見せず、忌み籠りをる時に至れば、花すゝきの穗に出たる如き、美しき君が見えぬ此頃と云義と釋せり。是も新室と詠出たる義いかに共不v濟也。いたればと云詞も不v詳也。兩義共聞得難し。宗師案に、新室と詠出たるいと實事也。その新室の當然を云へる義、新室はことほぎと云て、物事祝ひ忌み憚るもの故、新室のこと忌みになれば、穗に出でし君とは事の顯れて、我に心をかけじと知らせたる君の、火と云詞を新室故え忌みて見えぬ此頃と云義と也。然れ共穗に出し君とは、よむ人の詞に云ひたる事にて、忌み慎しむ義見えぬ事なれば、此義も不2打着1。穗に出し君と詠まんとて、新室のこ時にいたればと詠みかけたるものと也。三説の内宗師の發起は大方聞えたれど、こ時にいたればと云義、穗に出てし君と云譯未だ愚意に不v落也。只穗に出し君のと云はん爲の序に、詠みたる上の句ならんずれ共、釋とくと不v濟也
3507 多爾世婆美彌年爾波比多流多麻可豆良多延武能己許呂和我母波奈久爾
たにせばみ、みねにはひたる、たまかづら、たえむのこゝろ、わがもはなくに
谷せばみ、谷に這ひ繁りて蜂まで這ひのぼりたる也。只絶えんと云はん迄に玉かづらをとり出て詠めり。伊物に引直して入れたり。第十一、第十二卷にも此歌の意有
3508 芝付乃御宇良佐伎奈流根都古具佐安比見受安良婆安禮古非米夜母
しばつきの、みうらさきなる、ねつこぐさ、あひみずあらば、あれこひめやも
しば付のみうらさき、相模國三浦郡有。此處か。但決し何き地也、偖芝をしばと讀事いかなる字義によりてか不分明也。今世俗皆々此字を芝《シバ》と云也。芝は靈芝《レイシ》と云て瑞菌也。延喜式治部省式に見えてしかも上隋の内也。日本紀皇極卷云〔倭國云。頃者兎田郡人押坂直【闕名】將2一童子1。欣2遊雪上1。登2兎田山1便見紫菌抵v雪而生。高六寸餘。滿2四丁許1。乃使2童子1採取還示2隣(173)家1。※[手偏+總の旁]言v不v知。且疑2毒物1、於v是押坂直與2童子1※[者/火]而食v之。大有2氣味1明日往見都不在焉。押坂直與2童子1因v喫2菌羮1無v病而壽。或人云。蓋俗不v知2芝草1而妄言v菌耶〕しば草は和名に名草の字を訓ぜり。今世しば草の事に芝の字を用ゆ。芝崎など云稱號にも書也。いかなる出所由來にや不v知也。ねつこ草と云意も含みて詠める、美しき草なればそれを見て思ふ人を見染めて戀ふると云義也。意は能聞ゆ
3509 多久夫須麻之良夜麻可是能宿奈敝杼母古呂賀於曾伎能安路許曾要志母
たくぶすま、しらやまかぜの、ねなへども、ころがおそきの、あろこそえしも
たくふすましらと云事は、日本紀仲哀紀に神託に拷衾新羅國とありしより始め古詠に多し。たへのふすましろと云事也。しろき、しらき共續けたる也。楮が白きもの故也。第三卷に、たくつののしらぎの國とも詠み、第十五卷に、たくぶすましらぎ共詠めり。皆しろきとうけたり。冠字也。ねなへどもは寢ども也。白山風の吹て寢られぬ共、こらがおすひの衣のあるこそよしもと也。おそきはおすひの事也。うはおそひと云義也
3510 美蘇良由久君母爾毛我母奈家布由伎※[氏/一]伊母爾許等杼比安須可敝里許武
みそらゆく、くもにもがもな、けふゆきて、いもにことゝひ、あすかへりこむ
第四卷安貴王の長歌の詞に出たる意也。歌はよく聞ゆ
3511 安乎禰呂爾多奈婢久君母能伊佐欲比爾物能安乎曾於毛布等思乃許能己呂
あをねろに、たなびくくもの、いさよひに、ものあをぞおもふ、としのこのごろ
あをねろは青山と云意也。呂は助語也。いさよひはたゞよふと同じく、思ひの晴れぬ事を喩へて云也。とやせんかくやせん思ひ定めぬ事也。あをぞと云詞心得難し。物をあれは思ふと云事と見ゆれ共、若しくは衍字ならんか。ものをぞ思ふにてよく聞えたるに、あの字を添へてしかも字餘りなれば衍字字也。我は思ふと云ても義通ずれば、助けて見置くらんか。としのこのごろとは、年頃と云義久しく物を思ふとの義也
(174)3512 比登禰呂爾伊波流毛能可良安乎禰呂爾伊佐欲布久母能余曾里都麻波母
ひとねろに、いばるものから、あをねろに、いさよふくもの、よそりづまはも
ひとつの峯にいばる雲ながら、又諸峰にはゞりて漂ふ雲の如く、われ一方によらで、彼方此方に寄る妻かもと云意と聞ゆる也。或説に、一ねろは我と一つの嶺によると人に云はるゝものから、我妻ならんをはか/”\しう逢ふ事も無きと也。只人のこと寄せ妻と云意と見る説有。人の云ひ寄せたる妻はいづらぞと尋ぬる意にて、はか/”\敷も寄り逢はぬと恨める歌と云へり。聞得難し。一ねろは一峯、青ねろは數多の峯と云義ならで不v通也。はもと云事は慕ひ尋ねる意に聞ゆる歌有。已に此次の歌も、はもと詠める意は、尋ぬる求める意を含めり。歎じたる意にも詠めり
3513 由布左禮婆美夜麻乎左良奴爾努具母能安是可多要牟等伊比之兒呂婆母
ゆふされば、みやまをさらぬ、にのくもの、あぜかたえんと、いひしころはも
夕陽の光に映じて、赤雲の峯毎に絶えず棚引く景色を見て、人の間絶えん事に喩へて云へる也。あぜかはなぜか也。何とて絶えん絶えはせじと云ひしこらはもと尋ねたる意、慕ふ意に聞ゆ也。尋ね慕ふ意を云時、はもとつかひたる歌多し。此歌も其意也。一説、にの雲は布雲と云義に釋をし、赤細布と書て横雲の事を云て、しのゝめとも讀ませたれば、布の如く棚引きたる雲と見る説有。決し難し。畢竟絶えんと云べき序也
3514 多可伎禰爾久毛能都久能須和禮左倍爾伎美爾都吉奈那多可禰等毛比※[氏/一]
たかきねに、くものつくのす、われさへに、きみにつきなゝ、たかねともひて
つくのすは雲のつく如く也。われさへには我も寄りつきなんと也。なゝは、なんな也。たかねと思ひて二度たかきねと云たる也。高峰と思ひて、雲のつく如く我も思ふ人に寄りつかなんと也
3515 阿我於毛乃和須禮牟之太波久爾波布利禰爾多都久毛乎見都追之努波西
(175)あがおもの、わすれんしたは、くにはふり、ねにたつくもを、みつゝしのばせ
之太波《シタハ》、わすれもしなばと云義也。むはも也。したは之奈也。太の字は多く濁音に用たり。素面かげの忘れもし給はじと云事也。くにはふりは此詞濟み難し。一説國にみちてある雲と云義に、はふりと云と溢の字を當てゝ注せり。一説は國を越えて廣くわたる事を、くにはふりと云と釋せり。然れば國々に立ちてあると云に通へるか。國毎に滿ちである峰に立つ雲と見てわが事を忘れ給ふなと也。雲は盡きせぬ物にて、人の面影の事を思ひ出づる事に詠なすものから也。忍ばせは我を也。此下の歌共にも此意有
3516 對馬能禰波之多具毛安良南敷可牟能禰爾多奈婢久君毛乎見都追思怒波毛
つまのねは、したぐもあらなふ、かむのねに、たなびくゝもを、みつつしのばも
此五文字心得難し。つまのねと讀まんか。東國の内につまのねと云地名あるか。意は對馬のねには下雲あらなくにと云意也。可牟のねは神の嶺か。何れの峰共不v知也。下雲あらなふと詠みたれば、上の字の意にて上の根は峰也。歌の意は上のあが思ひと云歌に同じ。人を慕ふに雲霞を見て、夫と慕ひ慕ふもの故如v此也。對馬のねは下雲あらなく、上の嶺に棚引く雲と思ひて忍べと也。此下の歌にも此意有
3517 思良久毛能多要爾之伊毛乎阿是西呂等許己呂爾能里※[氏/一]許己婆可那之家
しらくもの、たえにしいもを、あぜせろと、こゝろにのりて、こゝばかなしけ
あぜせろとと云義は讀樣惡きか。あせゝろらと讀むべし。なぜにせろらが心に乘りて也。一度思ひ絶えにし妹、なぜせろらといひし。せろらは、われをさして、心にのりては、我心に入て、こゝばく悲し、悲しきぞと也
3518 伊波能倍爾伊賀可流久毛能可努麻豆久比等曾於多波布伊射禰之賣刀良
此歌前にも、伊香保にあまぐもいつきかぬまづくと詠みて、下の句は同じ、そこに注せり。いかに共聞得難し。色々の説あ(176)れ共、かぬまづくひとぞおたはふと云詞何共解し難し。宗帥今案にも前にも注せる如く、愚意拙き故か聞得ぬ也。後人可v辨也
3519 奈我波伴爾己良例安波由久安乎久毛能伊※[氏/一]來和伎母兒安必見面由可武
ながはゝに、こられあはゆく、あをぐもの、いでこわぎもこ、あひみてゆかむ
ながはゝにこられは汝が母に駈られ也。女の母に見あらはされてかり出さるゝ也。あを雲は出と云序也。忍ぶ女に、出來よせめて見てだにあらんと也。かられはきらはれの約語か。母に嫌はれてと云義にても意は同じ
3520 於毛可多能和須禮牟之太波於抱野呂爾多奈婢久君母乎見都追思努波牟
おもがたの、わすれんしたは、おほのろに、たなびく雲を、みつゝしのばむ
おもがたは面影也。わすれはしなば也。おほのろは大野良也。大野と云地名か。廣野の雲を見て思ひ出て忍ばんと也。此歌次第撰者心を得て連ねしか。前は男子の歌にして、忍べる事の顯れて追出さるゝ歌、此歌は女子の歌の樣に聞ゆる也。別れて後慕ひ忍ばむと云意を詠みて、都合せる歌の次第也。前にある、わが面のわすれんしたはと云と同じ意にて、上の歌は先へ示したる歌、是は自身に云へる歌也
3521 可良須等布於保乎曾杼里能麻左低爾毛伎麻左奴伎美乎許呂久等曾奈久
からすとふ、おほをそ鳥の、まさでにも、きまさぬきみを、ころくとぞなく
烏といふ大うそ鳥と云義也。まさでにもはまことにも也。まは發語にてさねにもと云詞共聞ゆる也。然しうらかたの詞にまさでと云事ありて、正敷と云意を云へる詞也。義大方通ずるか。辻占など聞くに烏のころくころくと鳴故、君が來んと正敷辻占にあふたりと思ひしも、來まさぬ故大うそ鳥とのりて詠める也。烏を叱りて云詞に大をそと也。をとうは竪通にて同音也。鳥の異名と云習はせり。其故は知らね共、此來ぬ人をころくと鳴くうそ鳥と叱りて云へる也。又大をそ鳥と一名を云へ(177)り。或説にきたなきと云事を、東俗の諺にをぞと云と云へり。書にも貪鳥と云て、貪慾に非常なりしと卑しめ云習へり。人の屍牛馬鳥類の斃れたるまでも、或は糞汚のものをもむさぼり喰故に、きたなき鳥と云事に、大をそ鳥と云と説あれど心得難し。東俗諺に、こはき人賢き人と云事をおぞい人と云へり。世俗の諺にも賢き人と云事を云へり。古語拾遺の、天鈿女命の字注の、於須女の假名は假名違たれば、強悍警固の意をもて云ふおすしとは異なるべし。尤うそは奧はしのを共に通ふなれば、うすめをおすめとも書たるならん。をぞをきたなきと云方へは義通じ難き也。高野山に汚穢の物を流す溝川を、をぞ川と云由注せり。きたなきと云事にやと也。是計りにて證明とはし難し。來まさぬ君をころくとぞ鳴く、來ぬ人を來ると鳴くと也。ころ/\は子等來と云意に聞故也。鳴聲に付て也。かあかあと鳴故からすと付たる也。鳥の名は大方聲によりて名を呼ぶ也。俗間に烏鳴の善惡を云事有。ころくころくと鳴くは善事とす。遊仙窟にも今朝聞2鳥鵲語1眞成2好客來1と書たり。和名に烏の字を書き、そと讀ませたる事數多也。是はをそのをを略して訓語に書たる也
3522 伎曾許曾波兒呂等左宿之香久毛能宇倍由奈伎由久多豆乃麻登保久於毛保由
きぞこそは、ころとさねしか、くものうへゆ、なきゆくたづの、まどほくおもほゆ
雲の上ゆは雲の上より也。此たづに意は無し。まどほくと云はん序にて、きのふこそいねしに、早や遙かに隔たりたる樣に見ゆるとの義に譬へたる也。空高く鳴行たづの音の遙かに聞え思ふとの義也
3523 佐可故要※[氏/一]阿倍乃田能毛爾爲流多豆乃等毛思吉伎美波安須左倍母我毛
さかこえて、あべのたのもに、ゐるたづの、ともしききみは、あすさへもがも
阿部の田面は駿河に阿部郡あれば、其あたりを云か。或抄に坂こえてはうつのや峠の事當れるなど云へり。歌の意は、坂を越えて往來するあべと云處に居る人の許に通ふ人を、あすも來よかしと願ふ意なるべし。たづは我身を比して、友ほしきわが思ふ君はあすさへもと云意ならん。珍らしき君と云意共聞ゆる也。ゐるたづと云意不v濟也。わが身をたづにして見る時は、友鶴共云ひて、友を慕ふものなれば、われ君を友ほしく思ふと云義に寄せて、たづを詠めるならん。阿部と云處に我居(178)住するから、坂越えてあべの田の面にと詠みて、田面はたづと云はん爲也。坂越て逢ふと云ひかけたる也。坂路を越えて往來して逢ふ人なれば、稀れに逢ふ故あすさへと願ふ也
3524 麻乎其母能布能未知可久※[氏/一]安波奈敝波於吉都麻可母能奈氣伎曾安我須流
まをこもの、ふのみぢかくて、あはなへば、おきつまがもの、なげきぞあがする
まをこものまをは發語也。上にまをこものおやしまくらと詠めるに同じ。布の短かくてこもを編むを一ふ二布と云也。一あみ二あみと云意か。經ると云義なるべし。畢竟逢はぬと云はん序也。短きを未知かきと書たるは東詞故との説は、知の字に之の音ある事を不v勘か。知は之の音もあれば假名違はざる地。短也。短きこもは筵に敷きてあはぬと云意に譬へたり。おきつまがもの、諸説は鴨の水中に入れば長息と云て、叶息つくなど云如く歎くとの説なれ共水に入て潜る鴨に限るべからず。其上鴨は潜るものにはあらず。鳰鵜などこそ水中水底へも入也。此説は合はぬ也。然るにおきつま鴨の歎きとは、何をもて云へる義なれば、鴨は音高く鳴ものにあらず。人のうめく如くくふ/\と云て鳴也。其義を取て云へるならん。鴨のうめく如く息騷がしく、咽びてうめく如きに歎くと切に戀慕ふて逢はぬ事を、苦む義を喩へて云へる也。なげきと云詞は長うめきと云詞なれば也
3525 水久君野爾可母能波抱能須兒呂我宇倍爾許等於呂波敝而伊麻太宿奈布母
みぐくのに、かものはほのす、ころがうへに、ことおろはへて、いまだねなふも
水久君野は水邊に在野也。何處共不v知也。鴨は水をくゞるものなれば、水をくゞりては羽をほすと云縁にて、水ぐく野を詠めると云説有。さもあらんか。水をくゞる事心得ず。浮てのみゐるもの也、然れ共羽をほす事は有。ほす時は羽をのべる也。然れば羽をほしのすと云ふ義を、羽ほのすと云ひたると聞えたり。水久君野に鴨の羽をほしてのばへる如く、思ふ人の上に己れが言をのべたれ共、未だねなくと云義と聞ゆる也。おろはへはおのれ言はへて、おろは我共通ずる也。我言をのべて未だ逢はぬと也。異男の這ひ寄れ共、あはぬなど餘りなる説共あれど論ずるに足らず。假名も不合、義も取合難き説共也。お(179)ろはへは語釋にていはゞ、おのれよばへてと云語にも通ずる也
3526 奴麻布多都可欲波等里我栖安我己許呂布多由久奈母等奈與母波里曾禰
ぬまふたつ、かとはとりかせ、あがこころ、ふたゆぐなもと、なよもはりそね
此歌聞きわけ難き詞共也。諸抄も區々也。一説に沼二つに鳥こそ通へ、われは二心に思ふて二方に心を通ずるものには無し。二方に行かんとはな思ひそと云義と説也。一説には、通ふ鳥かせは通ふ鳥の巣也。二つの沼に水鳥通ひて住むが、こなたかなたに心の通へば、我心にもさやうに二つの方へ行きなんと、疑はしくな思ひそと云義と釋せり。大方同じやうなる解也。句釋不v詳とも、大方は此兩説の意なるべきか。詞の解詳しくは聞えぬ也。語は皆通ふ語也
3527 於吉爾須毛乎加母乃母己呂也左可杼利伊伎豆久久伊毛乎於伎※[氏/一]伎努可母
おきにすも、をかものもころ、やさかどり、いきづくくいもを、おきてきぬかも
沖に住小鴨也。小は發語也。又雄鴨か。然れ共雄に限るべからねば發語と知るべし。もころは如くと云義なるべし。小鴨の如くうめくやうに歎くと云義を、八坂を越る鳥の息絶る小鴨の如くに喩へたる也。息づくはすだく事を云。息をつくと云とは別也。息絶々敷すだくを息づくと濁音に云也。然れば沖の小鴨のうめく如く、八つの坂路を越る鳥の息づく如くに、別れを歎き慕ふ妹をおきて、別れきぬと云義、かもはかなと云意と同じ
3528 水都等利乃多多武與曾比爾伊母能良爾毛乃伊波受伎爾※[氏/一]於毛比可禰都毛
みづとりの、たゝむよそひに、いものらに、ものいはずきにて、おもひかねつも
水鳥の立たんとは、旅行など或は東國人の防人などにさゝれて、立出來るそのよそほひ支度に也。それを立たんと云べきとて、水鳥のとはおきて水島に意は無し。古詠は皆かくの如し。たゝんと云ふ冠字に水鳥のたつと云事あれば、鴨の歌共の並なる故、此歌を連らね入れたり。立たんと云はん迄の序也。こしらへよそはひに忙がはしくて、思ふ妹にえ語らはらで別れ來(180)りしと也。きにてのには助語也。おもひかねつもは、思ひに堪へかねるとの義也。此下の句は第四卷に珠衣の歌有。此卷にも上に見えたり。第廿卷防人の歌にも、水鳥のたちのいそぎにと詠めり。意同事也
3529 等夜乃野爾乎佐藝禰良波里乎佐乎左毛禰奈敝古由惠爾波伴爾許呂波要
とやのゝに、をさざねらはり、をさをさも、ねなへこゆゑに、はゝにころばえ
とやの野地名不v知2國處1也。とやの野と詠出たるは、獵師の兎をねらふと云義を詠みたる故、鳥のやと云也。獵人の上に縁ある地名を云へり。但とやの野と云ふ處兎多き所にてねらひ取故、當然の義を詠めるか。地名を詠出づるにもより所ありてか、又其比の實事の當然を詠めるか也。をさきはうさぎ也。ねらはりはねらへり也。をさをさも、此詞源氏物語などにも數多出たり。古來の説々不v濟也。此卷乎左と書きたれば假名の證明は出たり。物語にも又詠來れる歌共皆假名不v定ばいかに共釋を決し難し。乎左の義は追て釋すべし。まづ頗と云義治々と云義など云説有。いかなる義共決し難し。上のをさぎねらはりは、此をさをさと云はん爲也。うさぎねらはりはねらへる也。をさをさもあはぬ事ジヤにと云義也。兎をねらふには何とぞ仕方ありて、かくをさをさと云事を云へるか。詞の縁を受けん爲にかくは詠みたる義ながら、其譯ありてをさをさと詠めると聞えたり。治定したる事ををさをさと云。此説頗と云義と計り釋しても語の通ひ不v濟故信用せず。何とて治定したる事ををさ/\と云事不審也。愚案はをさをさは、少しもと云意か。此歌にてはうすうすも逢はぬと云意に聞ゆる也。語も通ずる也。ゆゑには今俗にジヤにと云義也。ねぬ事ジヤにと云義也。古今に、天の川原におひぬものゆゑと詠めるゆゑも同じ意、不v生物ジヤにと云義也。はゝにころはえとは母に嫌はれと云義と釋し來れり。然れ共母に嫌はれと云義にて、此歌の首尾調ひたり共不v聞也。何とぞ見樣あらんか。先嫌はるゝと云意にてさし置也。可2追考1也。嫌はれと云ては不v留言葉也。嫌はると云事に通ふべきか。えとれと通ずれ共るとえとは不v通也。歌は嫌はるゝと云へば止れ共語不v通也。歌は首尾せね共語は見樣あるべき也
3530 左乎思鹿能布須也久草無良見要受等母兒呂我可奈門欲由可久之要思母
(181) さをしかの、ふすやくさむら、みえずとも、ころがかなどよ、ゆかくしえしも
鹿は寢處をよくかくして寢るもの故、見えず共と云はん序に、ふすやくさむらと詠めり。草深き所に隱れて寢るもの也。ころがかなどは子等が金戸也。金門と同じ。女子は奧深く隱れてゐて隱すもの、居所も鎖鑰などさし固めてたやすく通ひ難く見えぬ樣にするもの故、かねにて固めたる戸と云ふ義也。上の句は見えずと云はん序也。ゆかくしえしもは、奥深く堅くして隱したる金戸なり共、行く事をえてしかなと云義也。諸抄の説のゆくものよしもと釋するは意不v通地。尤鹿の伏す草深き處故に行通ふ事は見えず共、君がかなどへ行く事にはよしと云義を云はゞ聞えたらんづれ共、ゆくよしもがなと願ふ意に聞ゆ。後賢の説を待也
3531 伊母乎許曾安比美爾許思可麻欲婢吉能與許夜麻敝呂能思之奈須於母敝流
いもをこそ、あひみにこしか、まよびきの、よこやまべろの、しゝなすおもへる
まよぴきは横山と云はん爲也。此一句金玉也。妹に縁をきらず横山と續けん序也。さなくては妹から横山へは木に竹也。眉は横に引もの也。山眉など云て縁語有詞也。こしかは哉也。獵に鹿を戀求むる如く、思ふ女子を見まほしくて來しかな也。しゝなすはしゝの如く也。一説に見まほしくて來りたるに、横山邊のしゝの如く恐れ隱れて、逢はぬを恨むと注し、又しゝの妻戀に鳴明す如くにして、逢はで歸れるなど色々入組たる設共也。唯しゝなす思へる此句解し難し。只獵をしてしゝを求むる如く思ふと輕く見るべき也。べろのろは助語也。此歌下の句少し不2打着1也。可2後案1也
3532 波流能野爾久佐波牟古麻能久知夜麻受安乎思努布良武伊敝乃兒呂波母
はるのゝに、くさはむこまの、くちやまず、あをしのぶらむ、いへのころはも
第九卷に、春草をうまくひやまと詠める如く、春駒は若草を好みて喰ひ、口の止む事無き如く、言にのみ云ひ出て慕ふらんと、旅行などにて古郷の妻子の事を思ひ慕ひての歌也。同卷の長歌に、玉だすきかけぬ時なく口やまずと詠める例も有也。此口やまずと云一句金玉也。古詠の案じ處各別の義有。此一句いかにも思ひつかぬ詞也。此一句にて全體の歌をひつくゝりたる(182)也。當時の歌とても此歌をよく味ひ案ずべき也。此一句を云はん爲に、上によく其事に續く事を思ひかけて詠出す所上手の作意也
3533 比登乃兒乃可奈思家之太波波麻渚杼里安奈由牟古麻能乎之家口母奈思
ひとのこの、かなしけしたは、ほますどり、あなゆむこまの、をしけくもなし
ひとのこは凡ての女子をさして也。かなしとはめでうつくしみ也。我に睦じくうつくしみしなば也。濱洲鳥は色々説有。みさごを云など有。濱邊をすとは云まじきなど云へる説は心得難し。洲濱をつくりてなど古今の前書にも見えて、濱洲は連語也。水境の干たる處を濱とも洲とも云也。第十一卷に、あらそのす鳥と詠めど、磯も水際も云ふて水無き處水際を洲とは云也。あなゆむ駒と云へるは、水鳥の陸を歩む事を云へり。水鳥の陸をあゆむは、足をいたみて捗らぬ事に云へり。源語にも、水鳥の陸にまどへるなど云へり。本朝文粹の句に莫v習水鳥陸歩と有。唐土の古事出所も有か未v考。水魚の陸に惑へる義を取りて、我乘駒のなづみつかるゝに寄せて、足悩《アナヤム》駒とはうけたり。あまたゝび通ひて、駒の足もなやみなづむべきをも惜まず、ひたすらに行通はんと也
3534 安可胡麻我可度※[氏/一]乎思都伊※[氏/一]可天爾世之乎見多※[氏/一]思伊敝能兒良波母
あかごまが、かどでをしつゝ、いでがてに、せしをみたてし、いへのこらはも
あかごまは我駒をかねて赤駒と云へる也。集中皆々如v此也。駒の門出をしつゝとは、出すまひと云車馬の癖《クセ》也。尻込する事也。いでがてにとは旅行などに別を惜みて、馬の尻ずまひする如く、出でんとしては引込する義を云へるならん。見たてしとは其尻ずまひを見つゝ、立て見送りしこらはも也。はもは嘆の詞也。此歌の意歎き慕ふ意をはもの二語につゞめこめたる也。家のこらはいかにしてかあらんと云意を含めて聞ゆる也。みたてしは見立《タテ》し也
3535 於能我乎遠於保爾奈於毛此曾爾波爾多知惠麻須我河良爾古麻爾安布毛能乎
おのがをゝ、おほになおもひそ、にはにたち、ゑますわれからに、こまにあふものを
(183)此歌愚意いかに共不v及也。諸説信用し難し。一説おのが顔を疎に思ふな、君が顔のこまやかににほふも笑む我ながらと云義に注せり。假名も不v合餘りなる説也。或説には馬に寄せて、女の男にたはむるゝ歌と云て源順の無尾牛の類ひに、馬のをかしげなるをかへりて重寶せよと云心也。庭にたちゑまするからに、其尾のをかしきを庭に立ちて我見てゑむからに、君が我を見初ていひかゝづらひける故に、其駒にもあひみるものをと云意にて、男をやがて駒に比して云へるならんと釋せり。入ほか也。兩説共心得難し。宗師案もおのがをゝとは己が夫也。疎にな思ひそ、庭に立て君が來るを待居るに、君の乘りて來る馬を見て嬉しく思ひてゑみしから、君も乘り不v止我方に下り來て逢ふも、疎に思はず笑みしから駒をも見失はで、夫に逢ふと云義と也。愚意未v被2聞得1、可2後案1也。此歌の次第皆駒の歌なれば、古麻に逢ふものと云は馬の事なるべし。然し君に逢ふものをと云語と通へば、作者は其意なりしを、古麻と云詞によりて此列に撰者の擧たるか。君と見れば何の義も無く能聞えたる歌也。若し武烈紀の御惡行の古事などを引て詠めるか。馬につるみせられし事有
3536 安加胡麻乎宇知※[氏/一]左乎妣吉己許呂妣吉伊可奈流勢奈可和我理許武等伊布
あかごまを、うちてさをひき、こゝろひき、いかなるせなか、わがりこむといふ
馬に乘行く事をうつと云は、鞭もてかけらしむるもの故云か。さを引とは手綱を引義さは助語也。馬に鞭打ちて手綱を引、進退を試むる事を云ひなして、下の心ひきを云はん序也。心引は女を引靡きて、いかなるせなか我許へ來んと云ぞと也。又心を引見て妻ともせんとてか、試にいかなる夫か來んとは云へるぞとの意にも聞ゆ。いかなるせなかと云處少し聞得難し
3537 久敝胡之爾武藝波武古宇馬能波都波都爾安比見之兒良之安夜爾可奈思母
くへごしに、むぎはむこうまの、はつはつに、あひみしこらし、あやにかなしも
くへは垣根と云義、へはきねと通ふ也。垣ねくね共古語に云也。垣ねごしに麥をはむこ馬也。古宇馬は和名抄に云、音倶、和名古萬。馬の子を駒とは云也。惣名をも云へどこゝにこ馬と云は、子馬也。麥をはむははづかに垣ごしにはむなれば、はつはつなる事の譬へに云へるから、子馬の義なるべし。はつはつは第七卷にも出でて、わづか少しの義物の足らはぬ程の馬(184)を云也。小端と書て義訓はつはつと讀めり。第十一卷には、端々共書けり。第四卷にも、はつはつに人をあひみてと詠めり。或本歌には、うませごしとありて、うませのうは發語にてませ也。ませ垣ごしにと云義也。古今六帖に、垣ごしに麥はむこまのはつはつにおよばぬ戀を我はするかな。此歌を直して書きたるか。下の句は聞えたる通也。くへはかべとも同じ義也。物の間を隔つるものなればよつて同義か
或本歌曰宇麻勢胡之牟伎波武古麻能波都波都爾仁必波太布禮思古呂之可奈思母 聞えたる歌也
3538 比呂波之乎宇馬古思我禰※[氏/一]己許呂能未伊母我理夜里※[氏/一]和波己許爾思天
ひろばしを、うまこしかねて、こゝろのみ、いもがりやりて、わはこゝにして
心をのみ思ふ人の方へ遣りて、我身は爰にゐて戀慕ふらんと也。廣橋説々ありて、一尋の堀溝などに細き橋渡したるは馬にては越し難きもの故との説、又古橋故危くして越え難し、越せも得ぬとの説也。後説によるべきか。行かゝりてもえ行かぬ如く、さはる事も有て行難きから、心のみ妹が方へ行て有と也
或本歌發句曰乎波夜之爾古麻乎波左佐氣 をばやしに、小林に馬をばさけて也。下のさは發語也。をばやしと詠出たる義いかなる事にや。只林中へ我駒をはなちやりし故、行難きと云意か
3539 安受乃宇敝爾古馬乎都奈伎※[氏/一]安夜抱可等比登麻都古呂乎伊吉爾和我須流
あずのうへに、こまをつなぎて、あやほかと、ひとまつころを、いきにわがする
是も諸説區々也。一説に麻郡顛倒にて人の妻と見る説、宗師案も同意にて、あずのへはあぜのへにて、危き事の譬へに、細きあぜに繋ぎたると云たる歌と見る説也。いかに共心得難し。一説にあずはあし也。あやほかはあれやはかと云義、いきにわがするは、それを見そめて物思ひとなりて長息をつく也。芦の上に馬を繋ぎては、人のむかひ女の引せて出てつなぎ置て我通るを、待人かと思ひて、あれやはかと云を聞て、長き息をつく物思ひとなると云意共注せり。如v此入ほかの詞を添へて(185)釋しても句意聞得られず。愚意一向不v及歌也。可2後案1也。次下の歌は比登豆麻古呂とあれば、此歌の比登麻都も顛倒か。あずのうへは芦のうれならんか。芦の末葉に馬を繋げるは、離れ安からんなれば、危うき事に云へるか。さりとて下の句の意何共聞得難し。あやほかもと云もあやうきかもに通ふべきや。うとほと通ずる例覺束なし。愚意不2聞得1也
3540 左和多里能手兒爾伊由伎安比安可故麻我安我伎乎波夜美許等登波受伎奴
さわたりの、てこにいゆきあひ、あかごまが、あがきをはやみ、ことゝはずきぬ
さわたりは往通ふあたりの女にと云義也。少し行違ふと云義と云説も有。何れにまれゆきかゝりの義を云。いゆきのいは發語也。下の句は駒のあがき進みて、とく過來し故言問はず來ぬると也
3541 安受倍可良古麻乃由胡能須安也波刀文比登豆麻古呂乎麻由可西良布母
あずへから、こまのゆこのす、あやはども、ひとづまころを、まゆかせらふも
此歌も説々決し難し。或説には芦邊から駒の行事とは、芦邊より見れば物のさだかに見えねば、よくよくうかゞひ見る如くあれやは我戀る人妻ならんと、額に手を當てまかざしゝて見る心也と釋して、まゆかせらふもは眉かざせるもと云事にて、唐土にても拆額と云事ありて、額に手をかざす事ならんかと也。源語に、いたちとか云もののすなる樣に、額に手をあてゝと云へる此事也と注したり。一説には、芦の葉の上を馬の行如く危うけれ共、まゆかせらふもは、まひなひをかせん、危きながら人の妻を云ひ寄りまひなひ追蹤せんかと釋せり。如v此にて不2聞得1。宗師案も人の妻を今我連れ行は、畔道の細き道を馬に乘りてゆく如く、危きかもと云と也。刀文の刀は加の字の誤りかと也。愚意、人の妻を思ひ慕ふ意いかに共心得難し。有べき事共思はざれば聞得難し。可2後案1也
3542 佐射禮伊思爾古馬乎波佐世※[氏/一]己許呂伊多美安我毛布伊毛我伊敝乃安多里可聞
さゞれいしに、こまをはさせて、こゝろいたみ、あがもふいもが、いへのあたりかも
(186)河原の石の上を蹈ませて馬をはせたらんは、馬の足痛むべければ心痛きはむべと也。よりて忍びて通り、妹が家のあたりは此邊かもと尋ぬる意也
3543 武路我夜乃都留能都追美乃那利奴賀爾古呂波伊敝杼母伊末太年那久爾
むろがやの、つるのつゝみの、なりぬかに、ころはいへども、いまだねなくに
諸抄にむろがやのつるのつゝみとは地名と見て、都追美は堤と心得て堤成就して調たると云事に比して、女の間の事調ひたる事に云ひかけたると也。むろがや一説には萱にて葺たる屋と云事と注せり。宗師案は、むろがやは守我屋也。時守などの意をこめてむろがやと詠みて、つるのつゝみはつるの皷と云義と也。時を守る我家のつゝみと云義と也。なりぬは鳴ぬ也。かには皷は鳴り、ぬるやうに妹は云へ共、未だ妹はねぬと云義にて、戀のなりたる樣に云へ共、ねぬと云義を時のつゞみの鳴り鳴事に寄せて詠める歌と見る也。愚意、つるのつゝみと云事いかに共聞得難し。都留の二字何とぞ別の義あらんか。つりのと云ても釣りたる皷と云事には、のゝ字六ケ敷也。何とぞ外につゝみの義あらんか。若しくは地名に詠みて、むろがやのつるの堤と云處は、堤のかたまり難き處成就し難き處故詠める歌などにや。可2後案1也
3544 阿須可河泊之多爾其禮留乎之良受思天勢奈那登布多理左宿而久也思母
あすかゞは、したにごれるを、しらずして、せなゝとふたり、さねてくやしも
外心ある夫を恨みて詠める也。前にも此歌の意有。六帖に、利根川は底は濁りて上澄みて有けるものをさねてくやしき。今此歌の意也。せななのなは例の句を調たる也。せなのと云と同じ
3545 安須可河泊世久登之里世波安麻多欲母爲禰※[氏/一]己麻思乎世久得四里世波
あすかゞは、せくとしりせば、あまたよも、ゐねてこましを、せくとしりせば
よく聞えたる歌也。人のせく事ありて思ふ樣に逢はぬ義を、あすか川に寄せて詠める也。ゐねてのゐはひきゐのゐ也。いねの(187)義にあらず。古詠に此引ゐの詞多し。東歌故と助けたる説は心得難し。神代紀にも謂ねとあると同じ
3546 安乎楊木能波良路可波刀爾奈乎麻都等西美度波久末受多知度奈良須母
あをやぎの、はらろかはどに、なをまつと、せみどはくまず、たちどならすも
青柳の張れる也。せみどはくまずは清水は汲まず也。水は汲まずて汝を待つとて立ちなれしと也。川邊に出て來る人を待人の詠めり。青柳のはれると云上の句に意は無し。下の句を云はん爲の續きの縁語也
3547 阿知之須牟須沙能伊利江乃許母理沼乃安奈伊伎豆加思美受比佐爾指天
あぢのすむ、すさのいりえの、こもりぬの、あないきづかし、みずひさにして
あぢはあぢ村とて水鳥鴨の類也。あぢかもと云也。八雲、すさの入江攝津とあれど、古注者國處不v勘とあれば決し難し。第十一卷に、此上の二句は出たり。そこに注せり。こもりぬは流るゝ事無く濁りたる沼也。思ひの積りたまりて遣る方無き意に喩へて也。よりてあないきづかしと也。息絶々敷迄慕ひ思ふの義也
3548 奈流世呂爾木都能余須奈須伊等能伎提可奈思家世呂爾比等左敝余須母
なるせろに、きづのよすなす、いとのきて、かなしけせろに、ひとさへよすも
なるせろは鳴瀬に也。水落濁る處を云也。俗にドンドと云て水の流るゝ處也。そこへはものゝ木屑木の葉塵芥など寄り集る也。こづとはこづみとて小船の如くに、木くづ木の葉などの寄る事を、こづのよすなすとは云へり。なすはごとく也。こづみとは船の事を云ふと云へり。日本紀を引て前に注せり。其こづみの寄る如く、いとゞめでうつくしみ思ふ女に、人さへも云ひ寄ると也。多くの人の心を寄せ云ひ寄るにつけて、戀情の習ひいとゞ我心せきて思ふもの故、其意を詠める也。人さへよすもは、我れのみならぬ義を云へり。狐のよするなど心得難き説有。不v可v取也
3549 多由比我多志保彌知和多流伊豆由可母加奈之伎世呂我和賀利可欲波牟
(188)たゆひがた、しほみちわたる、いづゆかも、かなしきせろが、わがりかよはむ
たゆひがた、何國共不v知第三卷に手結浦と有。越前にも田結浦と云地名有。そこにや。何れにてもたゆひ渇と云處を通ふ夫をもたるかくし妻の詠めるならん。しほ滿ちたればいづくよりか我せこが來んと也
3550 於志※[氏/一]伊奈等伊禰波都可禰杼奈美乃保能伊多夫良思毛與伎曾比登里宿而
をしていなと、いねはつかねど、なみのほの、いたぶらしもよ、きぞひとりねて
此歌も聞得難し。一説きのふ夜獨りねて押てぬれ共ねもつかず、波のいたくふるひて立つ心地して夜をあかしかねつると也。如v此にて句釋不v濟也。又の説おしていなとは、強ひていなとていなび云へるにあらぬと云心を、かく否と稻と聞きの通へば、いねをいなと云心に續けて、卑しき女の稻をつきてある如く、又來れば人をいねと云意にも云へると聞えて、來し人の早くねんと云ふを猶すまひて、稻をつきてをる心地。浪の穂のは、かの神代下卷のさき立つる浪穗の上とある古語によりて云へる詞、いたぶらしもよと云はん序也。いふふ《本マヽ》らはいたぶらしもにて、袖など振る如くあらぶると云意、いなぶる意と也。さきの夜來んと契りしが、來ざりければ獨り寢し故に深く恨みて強ひていなと云にはあらねど、いなぶらまほしき意と釋せり。宗師は、おしていなとは、おしねいね也。おしねとは晩稻の事也。早稻はわせと云ひ、晩稻はおしねと云ひておそいね也、おしてはおしね也。てとねは同音也。早稻よりおそいねまでと稻はつかね共いたむらしく思ふと云義、昨夜待ち佗びて獨りねし故、稻をつきし如く痛む樣なりと、寢る事を稻の事に取なして詠める也。浪の穗のいたぶらしもよとは、夫は濁音の字なればむにて、いたむらしきと云義也。愚意未v及所也。痛むらしもよは痛むと云意か。波の穗の痛むと續くは、波の下のいそと云いの一字に續きたると也。此義末2落着1。全體の意不2聞得1。可2後案1也
3551 阿遲加麻能可多爾左久奈美比良湍爾母比毛登久毛能可加奈思家乎於吉※[氏/一]
あぢかまの、かたにさくなみ、ひらせにも、ひもとくものか、かなしけをおきて
あぢかまの方、第十卷に味鎌の鹽津をさしてと云へる所なるべし。此下にかけのみなとゝも詠めり。かたは潟にて難波がた(189)あかし方などのかた成べし。左久波は咲波也。浪の花とも詠む故、波の立つを咲く共云へる也。立つ波とも詠むべきをさく波と詠めるは、下に紐と云事を詠める故也。花に縁の詞也。花の紐解など云事を詠める故也。ひらせにもは平瀬にて、常の瀬水境などの淺き瀬にもと云義也。味鎌の潟は鹽の滿ちて、常に波穂の立つ處なるべし。其波の淺瀬平瀬にも立つべきやと云意也。其如くめで思ふ人をおきて、外人世の常の人に紐解きてんや、解きはせじと也。かなしけは悲しき人をと云意、又男女をさして、けとも云へる也。めで思ふせこをおきてと云意也
3552 麻都我宇良爾佐和惠宇良太知麻比等其等於毛抱須奈母呂和賀母抱乃須毛
まつがうらに、さわゑうらだち、まひとごと、おもほすなもろ、わがもほのすも
此歌も諸説區々也。一説はまつが浦は讃岐の地名也。そこにてはあらじとて、是は古注者の後注を立てし也。いづくにもあれ、地名にして松が浦と詠めるは、うら立ちと云詞の縁を求めん爲也。左和惠は五月蠅の横なまりて、はへをわゑと云へる也。うらたちは村立にて、五月蠅の村だつ如く言やかましく人の云ひ騷ぐをも、心にかけておもほすな妹ら、わがもほのすはわが思はなくもと云義、我は何共思はなくと云義、もは助語、のはな、須は久也と、皆横通釋にて解せる有り。又の説さわゑうら立ちは前の説と同じく、思ほすも同じ意、わがもほのすもわが思ひなす妹と云義、重詞に云へると注せり。宗師はさわゑは、さわいでと云詞を約めてさわゑと云へり。いでの約ゑ也。うらだちは恨みたち心にかけて思へる妹ら、我思ふ如く一筋に思ほせかしと願ふ意と也。愚意未v落可2後案1也
3553 安治可麻能可家能水奈刀爾伊流思保乃許※[氏/一]多受久毛可伊里※[氏/一]禰麻久母
あぢかまの、かけのみなとに、いるしほの、こてだすくもが、いりてねまくも
此歌も決し難き説共也。一説に鹽はみちたかくたゝへて後又引けば、それに寄せて、來ると等しく徒らに過べきものか、夜床に入て寢まくほしとぞ云義と釋せり。一説は、こてだすくもかは、來ずして過る妹が也。上の句ねよねよと云べき序にして、來ずして過る妹は、今夜は入てやねまくもあらんとの意と注せり。こてたのこは助字也。如v此云ては句釋不v聞也。宗(190)師は、こてだすくもかは、こ立たぬ鴨かなと云義にて、鹽の滿ち入ても立たぬ鴨にもがな、滿ちたる鹽に入る如く妹が寢床に入て寢ましをと云ふ意に見る也。味鎌のかけの湊を詠めるは何故にや、知れ難し。其處の歌詠む人の歌故地名をさして詠めるかと也。受の字を書たれば、※[氏/一]多受はたたぬと云義なるべし。くもはかも也。可はかなと願ふかなるべし。水鳥は鹽滿ちても猶鹽に入ものなれば、たとひさはる事ありても、水鳥の如く猶かづき入る如く、寢床に入て寢まほしきかなとの意と見る也。然ればこてのこは助語か。きたたぬと云ては義不v通也。いづ方へ來てたたぬと云事にや。きてと云義又六ケしければこは發語ならんか。入る鹽のきたたぬにもせよ、こたたぬにもあれ、此續き愚意に未v落。入鹽のこたたぬと云續きの語例あらんか、不v詳也。入りて寢まくもと云詞は、上にも、わたさわたと云歌に出たり。此次の歌にも云へり
3554 伊毛我奴流等許乃安多理爾伊波具久留水都爾母我毛與伊里※[氏/一]禰末久母
いもがぬる、とこのあたりに、いはくゞる、みづにもがもよ、いりてねまくも
よく聞ゆ。妹が寢床に入てねまくもと云序に、よく叶ふ事を詠出たり
3555 麻久良我乃許我能和多利乃可良加治乃於登太可思母奈宿莫敝兒由惠爾
まくらがの、こがのわたりの、からかぢの、おとたかしもな、ねなへこゆゑに
まくらかの、前にまくらかゆと詠める歌有。其處に有こがのわたりと云地名也。下總國也。からかぢ、本朝のかぢと唐のかぢとの差別あるから、おしてなど俗言に云事有。朗詠集に、唐櫓聲高入2水煙1と云句あれば、唐の櫓と云て一品製有か。但柄かぢと云事か。持處を柄と云へばそれを云か。意は能聞ゆ。寢もせぬに音高く唐櫓の音の如く云ひ立てらるゝと也
3556 思保夫禰能於可禮婆可奈之左宿都禮婆比等其等思氣志那乎杼可母思武
しほぶねの、おかればかなし、さねつれば、ひとごとしげし、なをとかもしむ
しほぶねのおくれとは、諸抄に鹽の引く方に捨置なれば悲しと也。宗師は、舟は漕ぐと云なれば、こがるればと云はん爲の(191)序也。思ひこがるゝは悲しきと也。又寢つれば人に云ひ騷がれていかにもやせんと也。那乎杼は乎は助語にて何とかもせんと云義也
3557 奈夜麻思家比登都麻可母與許具布禰能和須禮婆勢奈那伊夜母比麻須爾
なやましけ、ひとづまかもよ、こぐふねの、わすれはせなゝ、いやもひますに
なやましけは悩ましき也。思ひ佗びる故我心の悩ましきと也。人妻よと也。人妻はなべての人と妻となる人をさして也。主ある妻と云にあらず。吾妻かもよと云と同じ。漕ぐ船の忘れはせなゝ、此漕ぐ船の忘れと云續き不v詳。船はわたすと云事有故、わの一語にかけたるものか。忘れはのはに婆の濁音を書たればま也。まはもなる故忘れもせんと云意なるべし。忘れもせまじ、いや思ひの増して心も悩ましくなればと云義と聞ゆ。思ひ佗びてかく彌増しに思ひの増せば悩ましげなるに、忘れもせんかと思ひ捨つる意と聞ゆる也。一説、漕ぐ舟のと詠みたるは、船出して行し人を思ひ悩む故、忘れはせなくて猶思ひの増すと云義と釋せり。又こぐ舟と云は船をこぐはたゆめば進まぬ故、たゆまぬを人を思ふ事のたゆまぬに喩へて詠めると釋せり。何れかよからん、こぐ船の忘れずと云義不v濟也。愚意未v決也。遊仙窟に、窮鬼故調v人。如v此書て、イキスタマコトサラニ人ヲナヤマスと讀ませたり。調の字をなやますと讀める事不審也
3558 安波受之※[氏/一]由加婆乎思家牟麻久良我能許賀己具布禰爾伎美毛安波奴可毛
あはずして、ゆかばをしけん、まくらがの、こがこぐふねに、きみもあはぬかも
此歌旅行などする折思ふ人に逢はで船出するに、こがの渡りにてもや逢はんと思ひ頼みたれば、未だ逢はざる故此儘にて何かは惜しきと云意なるべし。一説に、君が許へ來て逢はで遂に行かんは惜しき事なれば、こがの渡りを上り下りに逢ふて、船人の互ひに語る如くに逢はざらんや、逢へかしと也と釋せり。又説に漸逢べきやうになりし人の、此舟に乘りて行を歎て、君も此船出によりて逢ぬと也と注せり。異義區々なれば正義難v決也
3559 於保夫禰乎倍由毛登毛由毛可多米提之許曾能左刀妣等阿良波左米可母
(192)おほふねを、へゆもともゆも、かためてし、こそのさとびと、あらはさめかも
大船を、へよりもともよりも、へ鋼とも綱にてゆひ固めて、離れざる樣に固めたる樣に、忍び逢ふ事を洩らさじと固めつれ共、よその里人のあらはさんかと也。許曾の里人、横通にてよその里人なるべし。よその里人は外の人のあらはさんかと也。若しくは許曾とは地名か。古事記の歌の詞に、こそこそと云事ありて此詞不v濟事也。今俗に物を密かにする事をこそこそと云事有。いかなる義か語釋不v聞也。此歌意、或説にあらはさめかもと云は、えあらはすまじ、いかであらはさんやと云へり
3560 麻可禰布久爾布能麻曾保乃伊呂爾低※[氏/一]伊波奈久能未曾安我古布良久波
まがねふく、にふのまそほの、いろにでて、いはなくのみぞ、あがこふらくは
まがねふく、まは發語也。かねふく丹生の里也。にふは赤土と云詞なれば、金の生ずる處の土は赤錆びたる色にあらはるる物なれば、かく云か。古今に、まがねふくきびと詠めるも、地名にてきびと云處にて吹かす故詠みたりと聞ゆれど、是は金は黄色なる物故、黄と受たる義共聞ゆる也。越前の丹布と云處にて、上古は金を吹きし故かく續けたりと諸抄に注せり。地名ながら縁有を以て詠めるならん。すぐに下の詞にまそほと云て、そほと云は火の色の事を云也。さほにそほに抔云ふも皆赤色を云也。諸抄の説は眞蘇芳と云意、すはふの色は赤き故との義は音を取たる説也。まそほはそほにを云に又まと云發語を添へたる也。そほも元來さほにて、さは發語にて火と云詞と聞ゆる也。火の色と云事に赤き色をあけのそほ船と云也。赤土を、そほに共神代紀に書きて上代よりの古語也。又にと云も赤き色を云也。然れ共そほにと云時は赤き土と云義にて、にははにと云のに也。こゝに云まそほの義は、色に出てと云はん序也。凡て色に出づる事を云には、赤きと紫の事を云也。人目によく顯るゝもの故也。色に出ては云はなくのみと云迄の上は序也。歌の意は、思ひに燃ゆる心の内を、其火の色に顯しては云はぬ、火にこがるゝ如く戀ふると也
3561 可奈刀田乎安良我伎麻由美比賀刀禮婆阿米乎萬刀能須伎美乎等麻刀母
(193)かなとだを、あらがきまゆみ、ひがとれば、あめをまとのす、きみをとまとも
此歌色々説有。一説は金戸出をかなとだと云也。後朝の別の歌にて、門を出て歸る人をあら垣の間より見てと云義と也。あら垣まゆみはあら垣の間より見てと注せり。ひかとればは、日が照れば也。あめをまとのすは、雨を待つ如く君を待つもと注せり。旱魃すれば雨を待つ如く君を待つと也。又一説金門を出て行を引止むればと云義を、引と云はんとてあら垣まゆみと詠みて、歸る人を引止むると也。雨を待つ如くにて雨降らす君を止めんの意也。全體の意歸り行人を名殘惜みて門出の袖を引留むれば、雨を待事を《本マヽ》なす君をとまらしめんと也との説有。宗師は一向格別の見樣也。金とだは田田にて、皆田と云義に可奈と田とは讀めり。あら垣は田をつくる事をあらきはりなど云て、かきするなどとも云。あらづくりをする事をあら垣とは云て、弓にもあらきと云事ありて葛城のそつ彦ま弓あらきにもなど詠める事あれば、兩方へかけてあら垣ま弓と續けて、此ま弓は下のひかと云詞を起さん爲迄也。皆田の田をあらづくりして雨を待つ如く、君が來る事を待つと云歌也。さなくては歌全體趣意不v立也。只金門を出づるを見て雨を待つ如くとの意、又雨の降らば止めんと待つなど云意にては、上の句の詠出たる筋いかに共不v通也。かなとだのとは門也。助語にて金の如く堅き田と云義也。全體の意君が來るを待つと云一筋の歌也
3562 安里蘇夜爾於布流多麻母乃宇知奈婢伎比登里夜宿良牟安乎麻知可禰※[氏/一]
ありそやに、おふるたまもの、うちなびき、ひとりやぬらん、あをまちかねて
ありそやは荒礒囘也。あら磯のまわりと云義也。うちなびき此詞毎度有。歌により事によりて違有。此うち靡きてと云意はしなひてと云意、物わびしく打しほれてと云意也。玉藻は靡きしなへるものなれば、人を待て物佗びしく悩める姿にて、獨りや寢んと也。打靡き春はきぬらしなど云打靡きは、おしなべての義を云たる也。一むきに其方へ從ひてと云意にて、もつぱらは同道理になるべけれど事は違ある也。歌の意は能聞ゆる也
3563 比多我多能伊蘇乃和可米乃多知美多要和乎可麻都那毛伎曾毛己余必母
(194)ひたがたの、いそのわかめの、たちみだえ、わをかまつなも、きそもこよひも
比多我多、何國の地名か不分明也。たちみだえは立亂也。たちとは物に添て云詞立まじるなど云と同じ。發語の詞共見るべし。わかめの立つと云事あるべからず。只發語に云へる立也。我をか待なん也。きそもこよひもは、きのふ夜も今夜もと也
3564 古須氣呂乃宇良布久可是能安騰須酒香可奈之家兒呂乎於毛比須吾左牟
こすげろの、うらふくかぜの、あどすゝか、かなしけころを、おもひすごさむ
こすげろのうら名所か、菅のまと云義か。何れにても下のあどすゝかと云はん序也。安騰須酒香、一説は何としてかと云説也。一説はおとするかと見る説有。句釋は音するかの方委く聞ゆる也。歌の意は、何としてか思ひ過さんと云方には能聞えたり。宗師案、何とさして香と云へり。さは助語にて、何としてかと云義を何とさしてかと云へると見る也。一説に思ひ過さんを、菅のうらわを風の吹過る如く、我も妹を戀て風の跡なきが如く、何のしるしも無くや過さんと云ふ意に繹せり。又一説は浦風の絶えず吹過る時無き如く、思ひをもえ過しやらぬと云ふ意と注せり。此意は何とかして何としてと云義に見る説也。何れ共愚意未v決。うら吹風の何としてかと云義は通じ難く聞ゆる也
3565 可能古呂等宿受屋奈里奈牟波太須酒伎宇良野乃夜麻爾都久可多與留母
かのころと、ねずやなりなむ、はたすゝき、うらのゝやまに、つくかたよるも
かのころはかの兒等と指したる事か、此詞不v濟也。我戀慕ふから兒等と云義に詠めるか、心得難き詞也。宗師案は、可の字は、えけせてねの詞に通ふ字なれば、ねのころと云方と見る也。ねるころとゝ云事か。然れ共ころとゝ云へるとの字手爾波心得難し。彼兒等と指したる義なるべし。はたすゝきうらとは末をうらうれと云へば、浦野山と云地名にかけて云へるならん。うらのゝ山は何國にか。作者の居處より西なる方に有山を詠める也。つくかたよるとは、夜の更けて月の傾きたると也。第七卷に照らん月夜はかたよりと慍歌有。意は違ひたれど、かたよるとは傾きかゝるを慍へる也。よりて寢ずやならなんと侘びて云へり。一説にすゝきは終の句のかたよりてと詠める縁に引たると云へり。いかゞあらんや
(195)3566 和伎毛古爾安我古非思奈婆曾和敝可毛加米爾於保世牟己許呂思良受※[氏/一]
わぎもこに、あごこひしなば、そわへかも、かめにおほせむ、こゝろしらずて
此意諸抄は、そわへかもは、さわへかもにて、さわへなす邪神のわざにて、たゝりにあひて死にたりと、神にや人のおふせん、妹に戀こがれて死にたる我心は知らずしてと云意と釋せり。一通は聞えたり。さわへかもと云へる和の字叶はず。かもと云句釋不v詳故如何也。宗師案、礒囘邊かも龜に負せんにてあらんか。礒まりにても無きに龜に負せんか、礒邊水邊ならば龜の居るべき處なれば、うら方におきて物のたゝりなどに逢ひ死しと、よし龜に負せんかと聞ゆる也。愚意未v決。諸抄の説あるべきか。諸抄伊勢物語の、人知れずの歌を引て云へるも一理無きにあらず。尚後案すべし。さばへなすあしき神と云古語あれば、略して、さわへなすあしき神のわざかもと神にや負せんと云意にて釋せり。そわへかもと云詞何とぞ外に義あらんか
防人歌
3567 於伎※[氏/一]伊可婆伊毛婆摩可奈之母知※[氏/一]由久安都佐能由美乃由都可爾母我毛
おきていかば、いもはまがなし、もちてゆく、あづさのゆみの、ゆづかにもがも
いもはの婆の字は上の婆に引れて誤れる也。波の字也。置て外國へ行は悲しき故、連行かるゝならば共に添ひ行きたきと也。防人にさゝれて東國より筑紫へ行なれば、連れ添ふ事の叶はぬ故別れを歎く也
3568 於久禮爲※[氏/一]古非波久流思母安佐我里能伎美我由美爾母奈良麻思物能乎
おくれゐて、こひはくるしも、あさかりの、きみがゆみにも、ならましものを
夫婦間答の歌と聞ゆる也。意は能聞ゆ。添ひ行く事の叶はねば、防人の持ちゆく弓にもならばやと也。狩には弓を用るものなれば、君がみ弓と云はん料にあさ狩と也
右二首問答
(196)3569 佐伎母理爾多知之安佐氣乃可奈刀低爾手婆奈禮乎思美奈吉思兒良婆母
さきもりに、たちしあさけの、かなとでに、てばなれをしみ、なきしこらはも
てばなれのては助語也、別れの惜しくて妹が泣きしを思ひ出て、慕ふ意に、こらはもと也
3570 安之能葉爾由布宜利多知※[氏/一]可母我鳴乃左牟伎由布敝思奈乎波思奴波牟
あしのはに、ゆふぎりたちて、かもがねの、さむきゆふべし、なをばしのばむ
可母の母は里字の誤也。假名は後に付たるもの故、誤字を不v勘假名付をしたるならん。奈乎波は汝をば忍ばんと也。忍ばんは慕ひ戀ふらんとの義也
3571 於能豆麻乎比登乃左刀爾於吉於保保思久見都都曾伎奴流許能美知乃安比太
おのづまを、ひとのさとにおき、おほゝしく、みつゝぞきぬる、このみちのあひだ
おのがつまを也。おほゝしくは覆敷地。慥に不v見意、又思の晴れずして覆ひたる心地にて、妻の居る樣を見つつ來ぬるとの意也
譬喩歌
3572 安杼毛敝可阿自久麻夜末乃由豆流波乃布敷麻留等伎爾可是布可受可母
あどもへか、あしくまやまの、ゆづるはの、ふゝまるときに、かぜふかずかも
あどもへかは何と思ふか也。あしくま山に意は無し。ゆづる葉を云はん序也。ゆづる葉のふゝまるとは、女の未だ若き盛に至らぬに喩へて云也。風吹かぬかもは音信をせぬかもにて、花も若葉を含みつぼみてあるに、風吹けば其氣を受て開くもの也。花の紐解くなど云も風に順ひて開く也。此意も、未だ若き時に、風の吹きて紐を解かさぬかもと願ふたる意と聞ゆる也。仙覺は、あともへかと云を悲しと思へると云義と釋せるは、語の通ひいかに共不v通也。何と思ふかとは女に尋ねたる意に(197)て、未だ若くとも心解けて我に順ひ靡かぬかと云義を、含める時に風吹かずかもとは喩へたり。受は濁音故吹かぬかも也。吹かぬかもは吹けかしと願ふ意と聞ゆる也
3573 安之比奇能夜麻可都良加氣麻之波爾母衣我多伎可氣乎於吉夜可良佐武
あしびきの、やまかづらかげ、ましばにも、えがたきかげを、おきやからさむ
此山かづらかげと云を、一説に楓の事に云へり。楓は柴にし難き物故、え難きかけとは詠めると也。我より高き人に思ひをかけし人の詠めると也。おきやからさんはおきながらやからさんと云意と釋し、一説には山かづらかげは、柴をたばねる時かけるかづらと見て、柴刈得ぬ木陰をおきからすと云事は無きを、我は得難き人を遂に得ずして枯や果さんと歎くと注せり、兩説義不v通。宗師案は、山かづらかげは、日陰のかづらと云物の事なるべし。かげは苔にて山かづら苔也。今日影苔と云も全く苔の如くなるもの也。神代卷の、日かげの蔓も、ひ苔の蔓と云義なるべし。其體蔓の如くにして全く苔也。狐の尾かやとも別名を云へる此事也。苔なるから眞柴にもえ難きと詠みて、柴にはならぬものなれば、たりえ難き苔を其儘に置きや枯らさんと也。喩ふる意はえ難き人を思ひかけて、眞柴は少の間もと云義を柴の事に喩へて、え手に不v入して枯らさんは間のかれ果てんやと歎ける也。桂のかげ、眞柴にえ難き陰を置枯らさんと云ひては、句意いかに共不v通也。かづら苔え難き苔と云ひては義理聞ゆる也
3574 乎佐刀奈流波奈多知波奈乎比伎余知※[氏/一]乎良無登須禮杼宇良和可美許曾
をさとなる、はなたちばなを、ひきよぢて、をらんとすれど、うらわかみこそ
をさとなる、手は發語、郷にある花橘也。人の娘などに思ひかけて引取らんと思へど、まだ年のまだしければ、え難きと云事を橘の折程の枝にも無き如くに喩へて、うら若みこそとは詠みとめたる也。橘と詠みし故うらと云ひて、うらは木の末の事也。草木につきて云詞也。伊勢物語の、うらわかみねよげにと詠める草の葉末の若きと云義也
3575 美夜自呂乃緒可敝爾多※[氏/一]流可保我波奈莫佐吉伊低曾禰許米※[氏/一]思努波武
(198)みやじろの、をかべにたてる、かほがはな、なさきいでそね、こめてしのばん
みやじろ、地名岡邊也。可保が花※[貌の旁]花也。かほ花は水邊に咲く花の樣に是迄の歌には見えたれど、此歌には岡邊と有。みやじろは海邊の地也。莫咲そ色に出て人に知らるゝな、心にこめて忍び戀ひんと也。それを※[貌の旁]花の咲出ぬ事に喩へて云へる也
3576 奈波之呂乃古奈伎我波奈乎伎奴爾須里奈流留麻爾未仁安是可加奈思家
なはしろの、こなぎがはなを、きぬにすり、なるゝまにまに、あぜかゝなしけ
苗代のは地名を云か。又水葱にも種を蒔く苗代と云をこしらへるか。苗代は稻に限りたるとのみ思へれど、此歌によれば外の植物にも有事にや。但苗代も早苗とりて跡を捨置かば葱に限らず色々水草の生ずるなれば、かの苗代の跡に生出たる葱の事にや。葱は俗に水あふひと云もの也。延喜式には、天子供御のものにも入られたる也。第三卷に注せり。此歌にては女に喩へたる也。一説、田に苗代する比花咲くもの故、苗代のと云との義は心得難し。こなぎと詠みたれば、未だ苗なるを云へるか。種を下して未だ移し植ゑぬ時を、苗代のこなぎとは云樣に聞ゆる也。苗代の事何れ共決し難し。後案すべし。なるゝまにまにあぜか悲しけ、なるれば珍しからずして、めで愛する心も疎くなるものなるに、なるゝに從ひ彌珍しく美しく思ふは、なぜにかもと云意と聞ゆる也。一説に、あぜかとは我をさして云たる義訓、從ひて我悲しくうつくしみ思ふとの義と云説有。又なるゝに從ひて色のあせるが悲しきと惜みて、歎きたる義と見る有。何れか作者の意ならん。宗師案は、なるるまゝに飽くものなるに、かくめでうつくしみ思ふ、なぜにかと云義に見る也
挽歌
3577 可奈思伊毛乎伊都知由可米等夜麻須氣乃曾我比爾宿思久伊麻之久夜思母
かなしいもを、いづちゆかめと、やますげの、そがひにねしく、いましくやしも
飽かずめで思ひし妹を、いづちへ行くべきぞと思ひて居りし時、そむきいねし事も有しが、今長き別れとなりて、及ばぬ事の悔しきと也。山菅そがひとは、山菅の葉は離れ離れに亂れて背けるもの故、そがひと云はん序、又そがひはすがひにて、そ(199)もすも同音なる故、すげにがと云詞の響きをうけたる也。そがひと云詞は背きて眞向きになき事を云也
以前歌詞未後勘知國土山川之名也
當集の中此卷一卷の歌は愚意如何とも難2聞得1。宗師之發起案等雖v有v之愚意未v熟之故か。悉々は不v被2聞得1。十の二三漸令2得心1畢。猶及2數返1可v加2後案1者也。集中難解の一卷此卷にとゞまらんか
萬葉童蒙抄 本集卷第十四終
〔2011年8月1日(月)午前11時5分、巻十四、入力終了 〕
(200)萬葉童蒙抄 本集卷第十五
〔目次省略〕
(204)萬葉集童蒙抄 第四十二卷
遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思並當所誦詠之古歌
しらぎにつかはさるるつかひのひとら、わかれをかなしみおくりこたへ、およびうみぢにこゝろをいたみ、おもひをのべならびにそのところにてとなへしふるきうた
誦は古詠を思出て、其處の景色其時の事に相叶ふ意の古歌を、そらんじずんしたる事也。自身に詠じたる歌にはあらぬ也。其時は海路の日記など殘りたるをもて、撰者の載せしと見えたり。此新羅使の事、續日本紀卷第十二、天平八年の紀を考ふるに、八年二月、戊寅、以2從五位下阿倍朝臣繼麿1爲2遣新羅大使1云云。同四月丙寅遣2新〔羅使阿倍朝臣繼麿等1〕拜v朝云云。同九年正月、辛丑、遣2新羅使大判官從六位上壬生使主宇太麿、少判官正七位上大藏忌寸麻呂等1入京、大使從五位下阿倍朝臣繼麻呂泊2津島1卒。副使從六位下大伴宿禰三中染v病不v得2入京1。紀の表は如v此也。因v茲思ふに當集にまさしく發遣して悲別海路の歌を被v載たるに、紀には發遣の月日不分明は史の脱文なるべし。目録は後人の追加なれ共、所見ありて天平八年丙子夏六月とは記せるならん
使人等 大使以下以上四十餘人也。紀の表は不分明也。四十五人とも見え、又四十人ともあり。其中に卒去死亡の人もありて、四十人の餘は何人共難v考也。此時の新羅使は彼國非禮を振舞ひし時の使なれば、數千里の海路の旅行一入勞欝の旅情悲別の思ひ感慨深かるべき事也。詠める歌の情尤憐むぺし。目録の誤字等は不v及v改ば略v之也。點本には誦詠の二字也。素本皆如v此。奧の標題には作2二字1
當所誦詠之古歌 此は古人の詠みし古歌を、其所の感情に浮めるを以て、誦し感吟せしを書傳へたるものありしを被v載たる也。使等自身の詠にはあらざる歌也。時に臨みて、其所の景色或は旅情の感慨に相叶へる歌共を唱へし事也。先づこゝに被v載し十一首の詠は男女悲別の歌也。これは各當然に詠ぜし也。よりて贈答の歌共也
(205)3578 武庫能浦乃伊里江能渚鳥羽具久毛流伎美乎波奈禮弖古非爾之奴倍之
むこのうらの、いりえのすどり、はくぐもる、きみにはなれて、こひにしぬべし
武庫能浦 攝州にあり。和名抄國郡部云、武庫【無古】郡にも郷の内にもあり。發遣の時は攝津國難波より船出するなれば、攝津國の海の地名を詠べき理りうべなり。此歌は女の歌にて、我身を洲に居る鳥の子をはぐくめる如く、夫に羽含まれし身と喩へて詠めるなり。上は序にてはぐまれし君に離れては、戀佗びて死ぬべしと、別れを惜しみ嘆きたる也。渚鳥は武庫の浦の入江と詠みかけたる縁を引て也。何鳥と限るにはあらず。渚に居る諸鳥を指して吾身を例へ云たる也。羽具久毛流は羽含る也。鳥の卵雛を育つるは、羽がひの下にくゞみもちて、暖め育つる也。父母の子をはくゞむと云ふも、是より云たる事にて、妻の夫にはくゞまるゝ事是に同じければ、かく譬へ云ひたる也。則返歌にも、はくゞみもちてと答へたるなり。全體の歌の意能聞えたる歌也。はくゞもるは、はぐくまるゝなり。もとまと同詞也。めるにても同じ。
3579 大船爾伊母能流母能爾安良麻勢波羽具久美母知※[氏/一]由可麻之母能乎
おほふねに、いものるものに、あらませば、はくぐみもちて、ゆかましものを
大船爾 和名抄云〔唐韻云、舶、傍陌反、楊子漢語抄云、都具能布禰、海中大船也〕新羅使の乘船なれば舶也。妻子等つるゝ事あるべき事にもあらねば、妹乘るものにあらませばと也。夫の答歌なり。はぐくまると詠かけし故、答にはぐくみもちてと和へたる也。歌の意よく聞えたり。
3580 君之由久海邊乃夜杼爾奇里多多婆安我多知奈氣久伊伎等之理麻勢
きみがゆく、うみべのやどに、きりたたば、あがたちなげく、いきとしりませ
第五卷に山上憶良の歌に、大野山露立渡るわが歎くおきその風に霧立渡ると詠めるも、歎く息の霧となりて立登る如くに、深く悲み歎く意を云たる義也。歌の意聞えたる通也。妻の贈歌也
(206)3581 秋佐良婆安比見牟毛能乎奈爾之可母奇里爾多都倍久奈氣伎之麻左牟
あきさらば、あひみむものを、なにしかも、きりにたつべく、なげきしまさん
秋になりたらば、歸りあはんものを、何とて左様に深く、息の霧に立つ迄に歎きをしてゐまさん、さのみな敷きそと諫めて答へたる也。新羅迄は本唐とは違ひ、近き故、六月に發船して九月頃には歸朝なると聞えたり。續日本紀の表にては冬頃にも歸朝せしか、九年の正月に新羅拜朝の趣見えたり、尤此度の新羅使は、逢2逆浪悪風1し趣當集の歌の詞書にも見えたり。又紀の表にても臥病或は路次にて卒去の人も見えたれば、經2數月1たると聞えたり
3582 大船乎安流美爾伊多之伊麻須君都追牟許等奈久波也可敝里麻勢
をほぶねを、あるみにいだし、いますきみ、つゝむ事なく、はやかへりませ
安流美は荒海に也。包む事無くは、煩ひわざはひ包む事無く也。包みなくなど云ふは、わざはひ無く無難にてと云義也。第五卷にも、つゝみなくと詠めり。第六卷にては、草づつみやまひあらせず共詠みて、今恙なくなど云ふと同じ意也。妻の贈歌也
3583 眞幸而伊毛我伊波伴伐於伎都奈美知敝爾多都等母佐波里安良米也母
まさきくて、いもがいははゞ、おきつなみ、ちへにたつとも、さはりあらめやも
眞幸而 神の助ありて、幸を得て災を免れて行我身も、留る意もまさきくて妹が祈りいはひてあらんには、いかに荒き波立騒ぐ共、何のさはる事あらんやと也。夫の答歌、妻の意を安からしむる意なり
3584 和可禮奈婆宇良我奈之家武安我許呂母之多爾乎伎麻勢多太爾安布麻弖爾
わかれなば、うらかなしけむ、あがころも、したにをきませ、たゞにあふまでに
うら悲しけん 下にころもと詠まん縁の詞にて、うらとは發語の詞也。毎度前にも註せり。うら歎き、うら悲しう皆發語にて、(207)下にころもを詠める縁に詠出たる也。悲しけむは、互に悲しからんと云意也。あふ迄のかたみと思ひて、我衣を著よと也。たゞに逢ふ迄と云ふ、たゞも、まさにと云意に同じ。其時に當る迄、一筋にと云意也。下にをのをは初語也。別れに臨みて、衣を贈りたると聞えたり。
3585 和伎母故我之多爾毛伎余等於久里多流許呂母能比毛乎安禮等可米也母
わぎもこが、したにもきよと、おくりたる、ころものひもを、あれとかめやも
よく聞えたる夫の答歌也。二心無く他に紐は解かじと、心の底をも表せる也。
3586 和我由恵爾於毛比奈夜勢曾秋風能布可武曾能都奇安波牟母能由恵
わがゆゑに、おもひなやせそ、あきかぜの、ふかむそのつき、あはんものゆゑ
わが故はわれ故也。夫の妻へ贈れる歌也。此歌にても、夏行て秋は歸朝する筈の意聞えたり。もの故とは、今俗に、ものジヤにと云ふと同じ詞也。秋風の吹かん月比には逢はんものジヤに、さのみ悲みて戀佗び痩せそと、なだめたる意也
3587 多久夫須麻新羅邊伊麻須伎美我目乎家布可安須可登伊波比弖麻多牟
たくぶすま、しらぎへいます、きみがめを、けふかあすかと、いはひてまたむ
たくぶすまとは前にも註せる如く、白きと云はん冠句也。栲は白きもの故也。しろ、しら、同じ詞なれ共、白き共しらき共續けて、其の初仲哀紀に見えて、神託に出たる詞也。第三卷にも第十四卷にも第二十卷にも、たくつぬの、たくふすまと云て、皆しらしろと續く詞の冠句也。しらきとは、しらの國と云こと也。新羅の二字を、しらぎと讀むは義訓也。くにを約して、き也。前にも註せり。日本紀にて※[奚+隹]林とも書て、しらきと訓ぜり。その所以未v考。※[奚+隹]の多き國故歟。此義追而可v考。しらぎへいますは、新羅へにいますと讀みても同じ。へんの音はへに共讀む也。いますは、いは發語まします也。君がめをけふかあすかとは、めと云は人の精神は目にあるから、上古の詠皆逢事を、目を見たき、目を慕ふと讀みて、天智天皇未だ皇太子(208)にてましませし時の御歌にも、既に、君が目のこほしきからにと被v遊し也。これを初め上古の詠に此詞あげて數へ難く、當集にもいとま無き程ある詞也。いはひて待たむは、夫の無難を神に祈り、心に祝して待たむと也
3588 波呂波呂爾於毛保由流可母之可禮杼毛異情乎安我毛波奈久爾
はろはろに、おもほゆるかも、しかれども、けなるこゝろを、あがおもはなくに
異情乎は、異なる心也。心の變じ替りて外に移るべき事は思はず。たゞそなたを慕ひ待つのみと云意也。はろはろははるばる也。異なる心は、常に變ずる心を云たる義也。異情を、けしき心とも讀べけれ共、しきの字無くては如何なれば、同じ添詞なれど、けなる心と讀む方義安かるべし。此けしきと云詞源氏物語伊物等にも毎度ある詞にて、諸抄の説色々也。下《ゲ》す敷と云義等との音釋の説もありてまちまち也。けなると云意は、異なると云義と釋すれば義安き也
右十一首贈答 後人の加筆也。此後註には誤の詞も見えたれば、撰者の註とは見難し
3589 由布佐禮婆比具良之伎奈久伊故麻山古延弖曾安我久流伊毛我目乎保里
ゆふされば、ひぐらしきなく、いこまやま、こえてぞあがくる、いもがめをほり
夕方になれば、ひぐらしの鳴く生駒山を越えて來りつる折から、日ぐらしの鳴音につけて、妹が別れを惜み悲みたる事抔思ひ出て、感情を催して詠めるならん。生駒山を詠ぜるは、大和より難波發船の時來る道なるから、其當然につきて詠める也
右一首秦間滿 古註者考ふる處ありてか
3590 伊毛爾安波受安良婆須敝奈美伊波禰布牟伊故麻乃山乎故延弖曾安我久流
いもにあはず、あらばすべなみ、いはねふむ、いこまのやまを、こえてぞあがくる
此歌後註に※[斬/足]還私家陳思と註せるから、聞迷はしき也。撰者の標題に悲別歌とあれば、皆一同なるべきに、※[斬/足]私家退出の事
難波迄發遣して船待の間に還りしにや。左樣の事なるべき事にあらねば、此後註いかにとも心得難し。歌の意も逢はであ(209)らば詮方なからん故、岩が根のこごしき生駒山をも越えて、逢はんとて來りしと云へる樣に聞ゆれ共、別れて新羅へ行はすべなみ、岩根をふむ生駒山を越ゆる如く苦敷思ふと云意をよそへて、大和より難波へ越來る道路の、生駒山故かく詠めるならん。尤岩根を踏み山を駒にて越えんには、いかばかり苦しからんもの故、生駒山を詠出たるならん。或説に毛詩に、歩2彼嵩崗1我馬玄黄と云ふ句の意にて詠めると見る説あり。入ほかならん。黒かりしが黄になんぬと云ふも、餘り深過ぎたる義の取樣ならん歟
右一首※[斬/足]還私家陳思 此註前に記す如く心得難し。若し還る事なるべくは、難波にて接待する時大和へ歸りしを云へる註なり。後註者の時分迄如v此委敷事被v考しことにや、不審也。歌の趣によりて憶見の註と見ゆる也
3591 妹等安里之時者安禮杼毛和可禮弖波許呂毛弖佐牟伎母能爾曾安里家流
いもとありし、ときはあれども、わかれては、ころもでさむき、ものにぞありける
妹とありし時はあれどもとは、寒き時も妹とありし時はあれ共、さのみはおもはざりしが、別れきては寒からぬ時だにも寒きものにぞありけるとの意にして、寒きといへるは詞のかざり也。夏の別れなれば寒き迄はあるまじ。殊に海路歸路等の時節ならば、秋冬にもかゝれる時節なるべけれど、發遣の時分は六月なれば、只寂しき事をかくは詠めるなり。別れては衣手と續くるも、袖は左右に別れたるもの故也。衣手の別れと續く詞等皆此意也
3592 海原爾宇伎禰世武夜者於伎都風伊多久奈布吉曾妹毛安良奈久爾
うなばらに、うきねせむよは、おきつかぜ、いたくなふきそ、いももあらなくに
これも夜寒をいたみて詠める意也。これは秋冬をもかけて行海路なれば不v叶にもあるべからす。歌の意はよく聞えたる也
3593 大伴能美津爾布奈能里許藝出而者伊都禮乃思麻爾伊保里世武和禮
おほともの、みつにふなのり、こきでては、いづれのしまに、いほりせんわれ
(210)何國に行留り安居するものにあらず。使に行旅なれども、歌の餘情にかくは詠みて、いかなる島にか宿り寐ん事の心細さを云へる意也
右三首臨發之時作歌
3594 之保麻都等安里氣流布禰乎思良受志弖久夜之久妹乎和可禮伎爾家利
しほまつと、ありけるふねを、しらずして、くやしくいもを、わかれきにけり
船待して居る時の歌と聞ゆるなり。かく空しく船待ちするぞと知りなば、しばらくも離れ難き妹に別れず、船待つ程もそひ居ましをとなり。潮待ちして船の出ずありけるをと云意也
3595 安佐妣良伎許藝弖天久禮波牟故能宇良能之保比能可多爾多豆我許惠須毛
あさびらき、こきでてくれば、むこのうらの、しほひのかたに、たづがこゑすも
あさびらきとは前に註せる如く、朝なぎに得2順風1て、帆を開き船を出すこと也。帆の名目也。朝ぼらけと詠めるは音通ずる故歟。又後世には誤りて朝開の二字を、朝ぼらけと讀みて、朗の字を朝ぼらけと讀む意に心得たる歟。如v此假名書に、安佐妣良伎とあるからは、朝びらきとならでは讀み難き也。難波より船出して、武庫の浦を過る海路の景色を詠める也
3596 和伎母故我可多美爾見牟乎印南都麻之良奈美多加彌與曾爾可母美牟
わぎもこが、かたみにみむを、いなみづま、しらなみたかみ、よそにかもみん
これは、いなみづまと云ふつまの言葉を取りて、わぎもこが形見に見んと云へる意也。印南都麻は所の名、播州の内にある地名也。つまと云所の名に付て妹が形見にと詠める意也。波の立隔てゝ、外にもか見んと悟みたる也。和名抄國郡部云、印南【伊奈美】郡の内にあり。いなみづまと云ふ所もありと見えたり。第二卷にもあるか
3597 和多都美能於伎都之良奈美多知久良思安麻乎等女等母思麻我久流見由
(211)わたつみの、おきつしらなみ、たちくらし、あまをとめども、しまかくるみゆ
海底の二字をわたつみと訓じ、或ひは海の底沖つ底等讀む事あり。然れ共如v此假字書にわたつみとあれば、海底の二字もわたつみと讀べき事也。わだとたを濁音に讀むは、音便濁と心得べし。綿都美と書きたる所もあり。此にも清音の多の字也。歌の意はよく聞えたり。海上の景色を詠める迄也。見ゆ止めの習あるなど云ふも、ケ樣の歌自然とあるをもつてなるべし。あながちうくすつぬふむゆるに限るべからす。古詠には何程も其詞に不v預歌あり
3598 奴波多麻能欲波安氣奴良之多麻能宇良爾安佐里須流多豆奈伎和多流奈里
ぬばたまの、よはあけぬらし、たまのうらに、あさりするたづ、なきわたるなり
此玉の浦は備中備後の内の地名なるべし。八雲には紀州の玉の浦とあれど、同名異所數多ある事なれば、此海路紀州浦の次第とは不v見なり。此次の歌神島を詠みたると見るべし。
3599 月餘美能比可里乎伎欲美神島乃伊素未乃宇良由船出須和禮波
つきよみの、ひかりをきよみ、かみしまの、いそまのうらゆ、ふなですわれは
月の神を月よみの尊と奉v稱故、直に月の名を月よみとは云ふ也。神島は備中小田郡也。延喜式神名帳下云、備中國小田郡神嶋神社。續拾遺集賀部建久九年大甞會主基方御屏風に、備中國神嶋有神祠所を、前中納言資實。神嶋の浪の白木綿かけまくもかしこき御代のためしとぞ見る。如v此なれば神島は備中なるに當集第十三卷に、備後國神島濱調使首見屍作歌と端書あり。歌には神の渡りを詠めり。神の渡を端作には誤て神嶋と書たる歟。則そこにも註せり。先この歌神島は備中の神島と見るべき也
いそまの浦 地名なるべし。八雲御抄には此歌を被v引て、神嶋いそまの浦は紀伊と記されたれど、延喜式續拾遺の證明を除ては信じ難し。紀州に神鴫いそまの浦のある事、八雲の外證なければ、和名抄國郡の部をも考ふるに、思ひ合すべき地名も(212)不v見ば、延喜式續拾遺に從て備中とは決する也。尤同名異所ある事あげて數へ難ければ、證明に任すべきなり。八雲には此集を證として、別證なければかしこけれども難v定也。浦ゆは浦よりなり。ふなですはかゝりて居たる船の依2順風1漕出るを云へるなり
3600 波奈禮蘇爾多※[氏/一]流牟漏能木宇多我多毛比左之伎時乎須疑爾家流香母
はなれそに、たてるむろのき、うたかたも、ひさしきときを、すぎにけるかも
はなれそは離れたる石也。磯と云ふも石と云義なれば、いそもいしも同じ。海の水際を磯と云ふも、皆石にてかたまれる所を指して名附たる義なり。離れたる磯と云ては、いかゞの所を云ふたるやらん六ケ敷也。只離れたる海邊の石の上に根ざすべき處も無きに、木の宿り生じたるを、立てるむろ木とは云へる歟。室の木は室木也。やどり木と云ふ義にて、室はむろとも讀む。又やどりとも讀む故、室の木とは讀みたるなり。すべて當集に室の木と詠めるは、やどり木の事也。一種の※[木+聖]の事にはあるべからす。第三卷にも、天木香樹、室木、如v此書きたり。然れ共文宇は借りて書ける事もあらんか。當集に出たるは、第三卷に、大納言卿の歌に三首あり。そこにも鞆涌とよみたり。如v此歌も、ともの浦にて詠めるならん歟。備中備後と次第して聞ゆる也。備後の鞆の浦に何とぞ大木の宿り木等ありしか。※[木+聖]の一種をよめるならば、室に付てわけなくては詠まざるべし。若し※[木+聖]の大木など、上古より鞆の浦にありしを名高く聞えたる故詠みたるか。第三卷の歌も鞆浦と詠み、此處も神嶋の次に此詞の歌なれば、鞆浦の歌と聞ゆるから、若しくは名木の※[木+聖]などありしかと疑はるゝなり。然れ共離れと詠み出たる意、根ざすべき土も無き石に空間などありて、それより生出たる木のことを詠めると聞ゆる也。一種の※[木+聖]の事ならば室と云ふ詞につきても何とぞわけあるべき事也。さなくて一種の名を詠出すべきわけ不v濟也。殊に下のうたかたと詠めるもかりそめ確かに定まらぬ事を云ふ事也。なればこれは宿り木と見る義埋り相當れるなり。離れそは海中の島などの磯を云へるか。次の歌に島の室の木共詠みたり。うたかたは沫雨の事也。うつろげのあわを云て、かりそめに出來るものなり。確かに根ざして、所を定めぬ事に喩へて云義也。遊仙窟には未必と書きて、うたかたと假名を付來れり。意相通ずる也。確かに(213)定まり充實したる事にあらざる義を云詞也。疑ひの意にも通ふべきや。そのかたは廻り遠なる意なり。不必と云ふ意なれば、疑ふ意共通じは通ずる也。此歌の意は疑ふ方にはあらず。かりそめながらもと云ふ義に聞ゆるなり。石の上に離れて宿り生じたる木の、かりそめながらも久しき時を過ぎにけるかなと、嗟嘆したる意にて、吾妻子に離れ來しも、悲しみながら、月日をも是非なく過ぐる世の習ひ倒しあるものかもと、思ひ合せて詠める意ならんか。ひとり離れても住めば、住まるゝものにあるかもと、吾妻子に離れて遠く旅行する身の上の悲みより、石に宿り生じたる木につきて、感情を催して詠めると聞ゆるなり
3601 之麻思久母比等利安里宇流毛能爾安禮也之麻能牟漏能木波奈禮弖安流良武
しましくも、ひとりありうる、ものにあれや、しまのむろのき、はなれてあるらん
しましくも 暫くもと云義也。是はすこしの間と云ふ義はあらで、月日をふる間の事を、しばしくもと云ふたる意に聞ゆる也。ひとり離れてはありえられまじき樣に思へども、月日ふる間もありえらるゝものにや。石の上に離れて生じたる宿り木さへ、かく離れてある物をと云ふ意に聞ゆる也。わがひとり妻子に離れて、あり堪へ難きによりて、宿り木を見て心を勇めしめる意の歌と聞ゆる也
右八首乘船入海路上作歌 此上の字いかゞ云意にて書たるや。尤後人の加筆なれば、不v詳こともあらん歟
當所誦詠古歌 前に註せり。誦詠は、となへうたふたる義也
3602 安乎爾餘志奈良能美夜古爾多奈妣家流安麻能之良久毛見禮杼安可奴加毛
あをによし、ならのみやこに、たなびける、あまのしらくも、みれどあかぬかも
時にのぞみて晴天に雲の棚引くを見て、故郷の空を眺めやりて、當然に相叶へる古詠を誦したる也。景行天皇の思邦の御製の叡慮も、時代は遙に隔りたれど同じ意也。これより已下人丸の七夕の歌迄は、皆古詠の其時の興に乘じ叶ふたる歌を、誦(214)したるを被v載たる也。よりて作者は難v知也
右一首詠雲 これらの後註知れたる義を註せし也。これ撰者の註にあらざる義を辨ふべし
3603 安乎楊疑能延太伎里於呂之湯種蒔忌忌伎美爾故非和多流香毛
あをやぎの、えだきりおろし、ゆだねまき、ゆゆしききみに、こひわたるかも
此歌はゆゝしきと云はん迄の序に、上は詠み出たる古詠也。ゆだねまきを、ものゝ種を蒔植う事に釋せる説は心得難し。入ほかなる意なり。枝きりおろしとあるからは、其枝を束ねゆふと云ふ義を、ゆたねまきとは詠める義ならん。物をあつめ束ぬる事をゆだぬると云ふ也、下の忌々しきと云はんとて、ゆだねと云詞をもうけたると聞ゆる也。尤上には何の意は無き也枝をあつめよせるをゆたねと云ひて、まきは藤葛等をもて、卷て結ふと云義にいひかけたる也。ゆゝしきは忌み憚る事なり。高位の人などに思ひをかけて、戀ひし人の古歌なるを、其意に當れる思ひのある人の誦したるならん。第七卷にも、ゆだねまくあらきの小田と詠めるも、束ね卷くあらきと續けて、又種をまく田の意もかねたり。然れ共先づ續く處はあら木とうけたり。此の歌の意と同じ義のゆだねまきなり
3604 妹我素弖和可禮弖比左爾奈里奴禮杼比登比母伊母乎和須禮弖於毛倍也
いもがそで、わかれてひさに、なりぬれど、ひとひもいもを、わすれておもへや
別れてと云はん爲妹が袖とは詠出たり。すべて衣手袖など云ふ詞には、別れと續く也。前にも毎度註せし也。歌の意はよく聞えたり。おもへやは例の約言思はめや也。
3605 和多都美乃宇美爾伊弖多流思可麻河泊多延無日爾許曾安我故非夜麻米
わたつみの、うみにいでたる、しかまがは、たえむひにこそ、あがこひやまめ
しかまかは、八雲に此歌を被v爲v引て播磨とあり。しかまと云地名播州にあればにや。いづれの川も海に流れ落ちざるはあ(215)らねど、海中に入交て流るゝ川を、海に出たるとは詠めるならん。播磨の國にしかま川と云ふありて、海中へやがて流出たる歟。第十三卷に潦川と書、直海川と書て、ひたす川と假名を付て讀ませたり。諸抄に海に流出たる川を云など註せり。此處の海に出たるしかま川などの事にもやと云説あり。心得難し。此のしかま川は、やがて海へ流れこむ川なる故、出たるとは詠みたるならん。海に流れこむ川ならば、川のかれ絶ゆることはあるまじきを、吾が思ひの堪へ難き事に喩へたるならん。古詠は其意にて詠めるを、此時は、旅行にて妻子を慕ふ心の當然に相叶ふをもて誦せしならん
右三首戀歌
3606 多麻藻可流乎等女乎須疑※[氏/一]奈都久佐能野島我左吉爾伊保里須和禮波
たまもかる、をとめをすぎて、なつぐさの、のじまがさきに、いほりすわれは
此歌第三卷に見えたる地名共の歌也。其所に臨みて時に叶ひ景色に應じたる歌共故、誦詠したると聞えたり。少づつの相違の句は後註に記せり。然れば人丸の歌を誦せしにはあらで、別に又此歌の作者はありける故、少の句のたがひあるならん。人丸の歌ならば第三卷第一卷などに被v擧て、又こゝに可v載にあらず。乎等女をすぎは地名也。みぬめの浦とも、をとめの浦とも云へると聞えたり。
柿本朝臣人麿歌曰敏馬乎須疑※[氏/一]又曰布禰知可豆伎奴
3607 之路多倍能藤江能宇良爾伊射里須流安麻等也見良武多妣由久和禮乎
しろたへの、ふぢえのうらに、いさりする、あまとやみらむ、たびゆくわれを
第三卷に出たり。後註の通人丸の驛旅の歌にて、あらたへ、すゝぎつるの句の違迄也。これらの後註によりて、此所の全篇を不v考して、拾遺集に人丸遣唐使の時の歌と云ひて、此歌又奥にある、あまとぶや雁のつかひの歌等を、人丸の歌として載せられしなるべし。昔も當集の全篇を能考へさせられざる車、枚擧に遑なき事也
(216)柿木朝臣人麿歌曰安良多倍乃又曰須受吉都流安麻登香見良武
3608 安麻射可流比奈乃奈我道乎孤悲久禮婆安可思能門欲里伊倣乃安多里見由
あまさかる、ひなのなかぢを、こひくれば、あかしのとより、いへのあたりみゆ
是も第三卷に出たり。句釋などそこに註せり。下の文字の違ひたる迄也
柿本朝臣人麿歌曰夜麻等思麻見由
3609 武庫能宇美能爾波餘久安良之伊射里須流安麻能都里船奈美能宇倍由見由
第三卷にては左註の通人丸の歌に見えて、句の違少ある迄也。歌の意は第三卷に注せるに同じ。風なく波靜かなる、にはよき海上にいさりする海士共の、釣船の多く見ゆる當然の景色を見て、古詠を誦せしならん
柿本朝臣人麿歌曰氣比乃宇美能又曰可里許毛能美太禮※[氏/一]出見由安麻能都里船
3610 安胡乃宇良爾布奈能里須良牟乎等女良我安可毛能須素爾之保美都良武賀
第一卷に出たる歌也。そこには注せる如く、此歌當集、拾遺集、玉葉、八雲皆五文字の違ありて悉誤れり。此處に記せる安胡の二字を證明として見るべき也。伊勢國へ幸の時の歌にて、阿兒の浦をよめる歌なればあみにもあらず、おふにもあらずおみにもあるべからず。此卷の此歌に安胡とあるこそ能證明也。第一卷の、嗚呼見を見誤りしより色々と讀みたがへありし也。見は兒の字を誤りたる也。此の左注の安美も呉の字の誤りと見えたり。呉を美に誤りしより、後人あみと假名をもつけて、萬世へその誤りを傳へたる也
柿本朝臣人麻呂歌曰安美能宇良又曰多麻母能須蘇爾
安呉を安美と誤りたるを不v勘して、胡と美と違たると後注者心得、又第一卷にも兒を見に誤しを、正本と見て違たる五文字と心得後注せし也。これ則古注者の誤也。或説に是は奈胡の浦にて攝津國の地名を詠める歌と云へり、人丸の歌は伊勢に行(217)幸の時京に留りてよめり。此古歌は作者別にして攝津國なこの浦にての歌と云べき歟。外の歌は作者別にして似たる句あるまじきにもあらざるに、此歌は第一卷に人丸歌に出て、行幸の時の歌ならでは難v叶歌なれば、作者別人と見ては、伊勢あこにはしにくき也。奈胡をあこと讀むまじきにもあらねば、此説一理なきにもあらざるべし。伊勢の安胡なれば人麻呂の歌として見るべけれ共第一卷に擧て同作同歌を、何の爲に二度此卷に可v載やう無き也。
七夕歌一首
3611 於保夫禰爾麻可治之自奴伎宇奈波良乎許藝弖天和多流月人乎登枯
おほぶねに、まかぢししぬき、うなばらを、こぎ出てわたる、つきひとおとこ
此歌左注に人丸の歌と後注せり。第十卷に人丸七夕歌三十八首の内にも不v見。見えざるから誦せし歌故此卷にあげたる歟。後注者考ふる處もありて、人丸の歌とは注せるならんか。然れ共人丸は文武帝の比までありし人と、世に流布しつ。當集にて其時分の歌と思しき事も見ゆれば、さのみ遠かるまじ。しかれば新羅使は聖武天皇天平八年の事なるに、未だ三 箇年は不v被v隔。人丸の歌を古歌として、誦せし事不審無きにあらず。但し歌の達人故賞翫せし故歟。此義不審也。偖此歌一首此所にて誦ぜし意も難2心得1。これは七夕夜仰2觀天漢1各陳2心緒1歌奧に載たり。その時誦せしならんを、誦詠の古歌故此處に一所に擧げたりと見ゆる也。時に臨み所の風景に感嘆して誦せるに、七夕の歌一首計り誦せし事心得難く不審也。歌の意は青みたる蒼天に、夕月の清らに渡る氣色を見て、空天を海原に見なし、月を船にも喩へたる古例あれば、船と見立てて直に牽牛にして、月人男とは詠みたるならん。大船にまかぢししぬきの詞は、皆歌の餘情、只月を見ての七夕の夜の景色を感嘆して詠める古歌を、乃ちその夜又相嘆じ合せて誦せしと聞えたり
右柿本朝臣人麿歌
備後國水調郡長井浦船泊之夜作歌三首
(218)ひのみちのしりのくにみつぎこほりなかゐのうらにふねはてしよつくるうた。水調郡。和名抄云、御調郡
3612 安乎爾與之奈良能美也故爾由久比等毛我母久佐麻久良多妣由久布禰能登麻利都礙武仁 旋頭歌也
あをによし、ならのみやこに、ゆくひともかも、くさまくら、たびゆくふねの、とまりつげむに
歌の意は不v及v注。よく聞えたり。左注小書の旋頭歌也の四字は、後注者より又後の人の加筆なるべし。よりて小書せる也それを印本に寫すとき直に用たる也
右一首大判官 此時の大判官は從六位上壬生使主宇太麻呂也。續日本紀卷第十二云、天平九年正月辛酉云々。辛丑遣2新羅使大判官從六位上〔壬生使主宇太麿〕少判官正七位上大藏忌寸麻呂等1入京、大使〔從五位下阿部朝臣繼麻呂泊2津嶋1卒。副使從六位下大伴宿禰三中染v病不v得2入京1〕此歌宇太麻呂の作れること、後注者所見ありて如v此注せるならん
3613 海原乎夜蘇之麻我久里伎奴禮杼母奈良能美也故波和須禮加禰都母
うなばらを、やそしまがくり、きぬれども、ならのみやこは、わすれかねつも
やそしまがくりは八十嶋がくれ也。八十の數に限れるにはあらず。多くの島々を隱れ過行てと云ふ意也。歌の意はよく聞えたり。
3614 可敝流散爾伊母爾見勢武爾和多都美乃於伎都白玉比利比弖由賀奈
かへるさに、いもにみせんに、わたつみの、おきつしらたま、ひりひてゆかな
かへるさには、かへりざまに也。歸りにと云ふ意也。今拾ひてゆかなと云ふは、新羅よりかへるさには、妹に見せん爲に玉を拾ひて行かんと也。ひりひは、拾ひ也。行かなは行かなん也
風速浦船泊之夜作歌二首かざはやの浦にふねはてし夜ゆくるうたふたくさ 風速浦、備後也。前に加麻波也とも書(219)けり。同所なるべし
3615 和我由惠仁妹奈氣久良之風早能宇良能於伎敝爾奇里多奈妣家利
わがゆゑに、いもなげくらし、かざはやの、うらのおきへに、きりたなびけり
わがゆゑにはわれ故也。妹が歎くらし、風はやの浦奧邊に棚引く霧は、歎きの息ならんと、こなたにも慕ひ歎きたる意也。風はやと云ふより棚引く霧をも詠出たる也。前に霧立たばわが立歎くと云へる歌をふめるならん
3616 於伎都加是伊多久布伎勢波和伎毛故我奈氣伎能奇里爾安可麻之母能乎
おきつかぜ、いたくふきせば、わきもこが、なげきのきりに、あかましものを
ふきせばはふきなばと云ふ意也。たらばと云ふをせばと云ひたるならん。あかましは散の字の意也。吹きちらしなましをと云意、散の字あられと讀む也。其意なるべし。吹きせばは、ふきたらば也。第十六卷に、われに告世婆と云歌も、われにつげたらばと云ふ義也。なばと云ふても同じ。爲の字は、たりたらたると讀み、なしなせなするとも讀む意を通じて、せばは、たらば又ならばと言義也
安藝國長門嶋船泊磯邊作歌五首 あきのくにながとしまにふねはてしいそべにてつくるうたいつくさ
3617 伊波婆之流多伎毛登抒呂爾鳴蝉乃許惠乎之伎氣婆京師之於毛保由
いはばしる、たきもとどろに、なくせみの、こゑをしきけば、みやこしおもほゆ
伊波婆 此婆の字は上の波と同じかるべきを、誤りて女の字を加へたるならん。古今集に、いしばしる瀧など共詠めり。其後皆いしばしると詠み來れ共、當集の假名を證として、いはばしると讀むべき事習なるべし。此磯邊に岩ばしる瀧ありける當然を詠めるならん。瀧の音蝉の音打合て亂れ響くにつけて、古郷の事都の事思ひ出て、感慨を催せしなるべし。此着泊の時は又六月の末七夕の初比なるべし。蝉は七月末頃迄も、猶頻りに鳴くものなり
(220)右一首大石蓑麻呂 傳不詳也
3618 夜麻河泊能伎欲吉可波世爾安蘇倍抒母奈良能美夜古波和須禮可禰都母
やまかはの、きよきかはせに、あそべども、ならのみやこは、わすれかねつも 忘れ難きとの義也
3619 伊蘇乃麻由多藝都山河多延受安良婆麻多母安比見牟秋加多麻氣※[氏/一]
いそのまゆ、たきつやまかは、たえずあらば、またもあひみむ、あきかたまけて
いそのまゆは石の間より也。瀧つはたぎり流るる水の絶えず落くる景色の、面白きにめでて、新羅より歸る迄も、我命恙なく、水の流れも不v絶ば、秋を又迎へて逢みんと也。六月の末頃ならば、九月迄には歸るべきつもりなどありぬべし。よりて秋かたまけてと詠みて、秋かたまけは秋を又迎へてと云義也。かたと云は發語助語とも見るべきか。まけては迎へて也。新羅の使を無事に事終へて、歸京の節も又此泊にとまりあひて、此景色を見むとの意と聞ゆる也
3620 故悲思氣美奈具左米可禰※[氏/一]比具良之能奈久之麻可氣爾伊保利須流可母
こひしげみ、なぐさめかねて、ひぐらしの、なくしまかげに、いほりするかも
こひしげみは、故郷を忍びこふ事のいやます心の慰まれずして、日を泣き暮らすと云意を、日ぐらしの鳴くによそへてかく詠めるならん。いほりするかもは、宿りするの義、船泊て磯邊に宿せる義をかく面白く云なせるなり。或説、いは寐る事、ほりは欲の字の意、いねたがると云義との説は、一向に論に不v足也。しまかげに庵をすると云て、泊宿することを云たる當然の景色の歌也
3621 和我伊能知乎奈我刀能之麻能小松原伊久與乎倍※[氏/一]加可武佐備和多流
わがいのちを、ながとのしまの、こまつばら、いくよをへてか、かんさびわたる
わが命を長門の嶋とは、我れも命をながらへたきと願ふ意をこめて、長門の嶋の地名を云はん爲の序也。松は常磐の木なれ(221)ば、幾代をもかはらで經來たりて、かくは物ふりたる景色ぞと、風景の面白く物ふりたるにめでて詠めるならん。神さびはふるびたる戸を云也
從長門浦船出之夜仰觀月光作歌三首 是は安藝の長門島の浦より船出せし夜、月光を仰ぎ見て詠める歌也。長門國の浦にはあるまじ。前に舶泊しとあり。此奧に周防國云々とある次第にては、長門國の事にあらざる事明也
3622 月余美乃比可里乎伎欲美由布奈藝爾加古能古惠欲妣宇良末許具可母
つきよみの、ひかりをきよみ、ゆふなぎに、かこのこゑよび、うらまこぐかも
かこの聲よびは、かこの聲立て呼びかはして船をこぐ體を云へり。風波靜なれば、夜もこぎ行なればかく詠めり。かことは水手の事船人を云也。かこの起りは、日本紀第十に見えて前にも毎度注せり
3623 山乃波爾月可多夫氣婆伊射里須流安麻能等毛之備於伎爾奈都佐布
やまのはに、つきかたぶけば、いさりする、あまのともしび、おきになづさふ
夜ふけて海上にいさり火こなたかなたと漂泊する景色、うかれたゞよふをなづさふとは詠めり。ゆらゆらといさり火の海上をめぐる體を、なづさふとは云ふたる也。睨近と書きてなづさふと讀來れるも、義をもて讀ませたるならん。なづみさそふ意歟。月傾きては、火の光海上に愈あらはれる景色を云ふたる也。
3624 和禮乃未夜欲布禰波許具登於毛敝禮婆於伎敝能可多爾可治能於等須奈里
われのみや、よぶねはこぐと、おもへれば、おきべのかたに、かぢのおとすなり
句面の通の歌也。その當然を詠める也。沖邊は沖の方也。へとは凡て其處をさして添へ云事也。磯邊岸邊野邊山邊などの類也
古挽歌一首並短歌 此標目いかに共心得難し。何とて古挽歌を誦したるや。いかに共不v濟也。新羅使の内留主に置たる(222)妻など死したるによりて、古き挽歌を思ひ出て誦したる歟。左注に作者を擧げたるも使の内の人歟。又古人なるや。考ふべき處なければ、如何にとも極め難し。旅行の跡にて、妻など死したる人此歌を誦せし歟。古挽歌とあれば當然詠作せしにはあらざる也。なれば左注に記せし丹比太夫は天平の比より遙前の古人歟。此左注義不分明の注なり。但し丹比太夫も此度の使の人にて、亡妻の事を思ひ出て古挽歌を誦せし歟。いづれ共決し難き也。普通本皆右挽歌とあるは、古の字を誤りたると見る故古挽歌とは見る也。右の字にては不v濟也
3625 由布佐禮婆安之敝爾佐和伎安氣久禮婆於伎爾奈都佐布可母須良母都麻等多具比弖和我尾爾波之毛奈布里曾等之路多倍乃波禰左之可倍※[氏/一]宇知波良比左宿等布毛能乎由久美都能可敝良奴其等久布久可是能美延奴我其登久安刀毛奈吉與能比登爾之弖和可禮爾之伊毛我伎世弖思奈禮其呂母蘇弖加多思吉※[氏/一]比登里可母禰牟
ゆふされば、あしべにさわぎ、あけくれば、おきになづさふ、かもすらも、つまとたぐひて、わがみには、しもなふりそと、しろたへの、はねさしかへて、うちはらひ、さねとふものを、ゆくみづの、かへらぬごとく、ふくかぜの、みえぬがごとく、あともなき、よのひとにして、わかれにし、いもがきせてし、なれごろも、そでかたしきて、ひとりかもねん
夕部になれば、磯邊蘆邊に打むれて、かなたこなたと立ちさわぎ、夜あくれば人通ひ船の往來する故、沖の方へうかれたゞよふてゐるもの故、如v此水鳥の鴨の事を序句に詠みかけたり。なづさふはゆらゆらとうかれたゞよふてゐる事を云義、此歌の句にてもよく聞えたり
わがみには、尾の字を書きたれば、をと讀べけれど、ひの濁音は美なり。尾に限りて霜をいとふべき理り無ければ、身と云義なるべし。第九卷の歌にも、さきたまのをさきの池に鴨ぞはねきるおのがみにふりおける霜を拂ふとならしと詠めり。
(223)白妙の羽さしかへて 鳥の羽も人の衣と同じきものなり。鴨の羽に白き羽まじれる也。よりて白たへの羽とも續けたる也。雌雄さしかへてつがひ寐ると云ふものをと也。霜を打ちはらひ、羽をさしかへて寐ると云事を、句を隔て羽さしかへて、打拂ひとは續けたり。海上水中に住む鴨すらも、夫婦つがひて右の如く互ひに上毛の霜を打拂ひつゝも、羽さしかはして寐ると云ものをと云ふ義也
あともなきよのひとにしてわかれにし 死たる義を云へる也。第十九卷に、家持の世間の無常を悲める歌にも、吹風の見えぬが如く行水のとまらぬ如くと詠めり。古今集にも
さきだたぬくゐのやちたびかなしきは流るゝ水のかへりこぬ也
とも詠めり
なれころもきなれては、垢づきよごれたる衣と云事也
袖かたしきてひとりかもねん 妻に別れて、ひとりねをせん事の悲しき意を述べたり。今旅行にてはるばるの都を隔て、妻子にも離れ來て、ひとりのみぬる物うきにつけて、此挽歌を誦せしか。その誦せし人の意はいかに共譯し難し。挽歌の意はかくれたる處もなく聞えたる歌也。つゞまる處は、只水に浮すむ水鳥すら、夫婦つがひて寐ると云ふに、我はなれそひしうつくしみ思ふ妻に、長く別れて今よりはひとりのみや寐んと、深く悲める歌也
反歌一首
3626 多都我奈伎安之敝乎左之弖等妣和多流安奈多頭多頭志比等里佐奴禮婆
たつがなき、かしべをさして、とびわたる、あなたづたづし、ひとりさぬれば
此歌はあなたづたづしと云はんとて、上はたづが鳴きと詠出て、此句に用あるにあらず。飛行く先もたどりたどりて覺束なく、心細きといふ意をうけて、あなたづたづしとは讀めり。妻に別れひとりぬれば、心細く行末も覺束なく、何事も便りなくたどたどしきと云ふ意を、鶴の蘆邊をさして鳴き行末の、覺束なき事によそへて詠める也。あなとは感嘆したる詞也。歎(224)きたる詞也。お|つ《マ、》すべの意は、ひとりのみぬれば物悲しく、何事も心細くたづたづしく、あやぶむ如くに思ふとの意也
右丹比大夫凄愴亡妻歌 みぎたぢひのまうちぎみみまかりしつまをいたみいたむうた
此左注不分明の注也。此注に從ひて見る時は、此丹比大夫は古人と見ねば、標題の古挽歌としるせし處すまぬ也。然れ共此人使の内の人なるか、その所不分明也
屬物發思歌一首並短歌 是は海路にて見えくるものごとにつけて、故郷をしたふ思ひの意を、あらはしつゞけたる歌といふ義也。
3627 安佐散禮婆伊毛我手爾麻久可我美奈須美津能波麻備爾於保夫禰爾眞可治之自奴伎可良久爾爾和多理由加武等多太牟可布美奴面乎左指天之保麻治弖美乎妣伎由氣婆於伎敝爾波之良奈美多可美宇良未欲理許藝弖和多禮婆和伎毛故爾安波治乃之麻波由布左禮婆久毛爲可久里奴左欲布氣弖由久敝乎之良爾安我己許呂安可志能宇良爾布禰等米弖宇伎禰乎詞都追和多都美能於枳敝乎見禮婆伊射理須流安麻能乎等女波小船乘都良良爾宇家理安香等吉能之保美知久禮婆安之辨爾波多豆奈伎和多流安左奈藝爾布奈弖乎世牟等船人毛鹿子毛許惠慾妣柔保等里能奈豆左比由氣婆伊敝之麻婆久毛爲爾美延奴安我毛敝流許己呂奈具也等波夜久伎弖美牟等於毛比弖於保夫禰乎許藝和我由氣婆於伎都奈美多可久多知伎奴與曾能未爾見都追須疑由伎多麻能宇良爾布禰乎等杼米弖波麻備欲里宇良伊蘇乎見都追奈久古奈須禰能未之奈可由和多都美能多麻伎能多麻乎伊敝都刀爾伊毛爾也良牟等比里比登里素弖爾波伊禮弖可敝之也流都可比奈家禮婆毛弖禮杼毛之留思乎奈美等麻多(225)於伎都流可毛
あさゝれば、いもがてにまく、かゞみなす、みつのはまびに、おほぶねに、まかぢししぬき、からくにゝ、わたりゆかむと、たゞむかふ、みぬめをさして、しほまちて、みをひきゆけば、おきべには、しらなみたかみ、うらまより、こぎてわたれば、わぎもこに、あはぢのしまは、ゆふされば、くもゐかくりぬ、さよふけて、ゆくへをしらに、あがこゝろ、あかしのうらに、ふねとめて、うきねをしつゝ、わたつみの、おきべをみれば、いさりする、あまのをとめは、をぶねのり、つらゝにうけり、あかときの、しほみちくれば、あしべには、たづなきわたる、あさなぎに、ふなでをせむと、ふなびとも、かこもこゑよび、にほどりの、なづさひゆけば、いへしまは、くもゐにみえぬ、あがもへる、こころなぐやと、はやくきて、みむとおもひて、おほぶねを、こぎわがゆけば、おきつなみ、たかくたちきぬ、よそのみに、みつゝすぎゆき、たまのうらに、ふねをとゞめて、はまびより、うらいそをみつゝ、なくこなす、ねのみしなかゆ、わたつみの、たまきのたまを、いへづとに、いもにやらむと、ひりひとり、そでにはいれて、かへしやる、つかひなければ、もてれども、しるしをなみと、またをきつるかも
あさゝれば これはみつのはまびにと云べき序詞に、詠みかけたる詞也。上の句共に意あるにあらず。朝になれば妻の手取持て見る鏡の如くと云ひて、みつと云ふみの言葉にうつらんとての序詞也。鏡を取持つ事を古くはまく共云ひし也。玉など(226)には玉の緒と云ふてある故、手にまきもてるなどよめる事毎度の事也。鏡を手にまくといふ事珍しき也。古くはかく詠めると聞えたり
かゞみなす 鏡の如く見るとうけたる迄の意也。鏡と云へば見るものなるから、見と詠まん爲の序詞也
美津 攝津國大津のみつの濱邊也。これより難波のみつより船立ちして、それより次第々々こぎくる海路の事を詠める也。その處々にて景色を見るにつけ聞くにつけ、するわざにつけ、故郷を慕ひ思ふ意を述べあらはしたる也
からくにゝわたりゆかむ 新羅百濟高麗唐國ともに、なべてから國と云ひし也。唐とは異國惣號に唱へ來りて、此使は新羅使なれど、惣號故から國とは讀めり
たゞむかふ 第六卷にも出たる詞也。一筋に眞向に向へるみぬめの浦と云意也。向ひ見ると云意、みぬめのぬと云へかゝる事にはあらず。眞向にむかひ見ると言意にて、みと一語にうけたり。第六卷人丸の歌の詞に見えたり。美津の濱より一筋むかふ、みぬめの浦さしてと云義也
しほまちて 鹽のさし引を見合、海上の靜かなる時水尾を引行と也
みをは 海の深き處、すべて水の深みを云也。第十八卷にも、堀江よりみを引しつゝみふねさすと詠みたり。水の深き處をしるべをしてみち引行をみを引と云也。みを木を立つると云も、水の深き所のしるしを立つるなり。延喜式の國使宣にも、水脈母教導賜【弊登】宣〔隨爾迎賜【波久登】宣。凡太宰貢雜官物船到2縁海國1〕澪引令v知2泊處1。和名抄云〔楊氏漢語抄云〕水脈船【美乎比伎能布禰】海の深き所を、美津の濱よりみぬめさして引ゆけば沖の方は
しらなみたかみ 沖邊は波高く荒き故、浦まより磯傳ひに渡ると云意に聞ゆる也。こぎて渡れば、大船に眞梶繁くぬきよそほひて、浦わをこぎ渡る體を云たる也
あはぢと云はん爲に、わぎもこと詠み出て、たゞ逢ふと云ふ言葉にうけて、わぎもこに不v逢と云意迄にはあらず
くもゐかくりぬは かくれぬ也。夕部になればあはぢ島は遙かに隔たりて、雲井に隱れしと也。それより夜ふけては行方も知らず。明石の浦に船とめ、そこにかゝりゐたると也
(227)安我こころは 我心也。わが心あかしの浦と續けたるは、わが心は誠忠にして君に仕ふるに明らかなると云意に、明石の浦と受たる歟。心の明らかなると云義を、うけたる迄の詞也。しらにあが心と云たる、白と赤とをかねて云續けたる樣也。これはしらにと云にて、夜ふけぬれば、何方何所も方所方角も、わが心には知られぬと云義をかねて續けたる歟
つららにうけり つらなり浮る體を云へり。つらつら椿の義と同じ。第十九卷に、ふせの海に小船つらなべとも詠めり。つれならびと云義なるべし
鹿子もこゑよび かこの事は、第七卷に、あはれそのかこと詠める所に注せり。其由來日本紀に見えて、かぢとりの事也。水手とも書なり
こゑよび 前にも見えたり。聲を立て互によびかはしての義也
にほどりのなづさひ うきたゞよふて、ゆらゆらと船のうき行こと、鳰の海上に浮きて居る如くなるに喩へたる也
いへ島 播州粒郡にあり。和名抄には揖保郡と書けり
あがもへるは 我思へる也。わが故郷を慕ひ思へる心なぐやとは、なぐはやはらぐやと云意なり。慰むやと云説あり。もちて同じ意なるべし。慰むと云語も、ものを薙の意も、云廻しては同じき意に通ずる義あらんか。家島と云名によりて、人家を見ては海路の心細く古郷を慕ひ思ふ意も、少しは和ぐやと、早く來て見んと思ふてと云義なるべし
よそのみにみつゝすぎゆき 波に立隔たりて、外にのみ見て過行と也
たまのうらに 前に注せり。紀州の玉の浦にはあるべからす。海路の次第備中備後の内と見ゆる也。わたつみのたまきの玉、海神の身の餝の玉と云義也。海神の環の珠と云義也。和名抄云、唐韻云。鐶【音與v環同由比萬岐】指鐶也。環玉環也。珠は海底より出づる物なれば、如v此は詠めり。第三、第七、第十九卷等にわたつみの玉の事毎度見えたり。たまきと云名目も、指にまくかざりの玉故、手卷と云義歟。玉まきの略かにてあるべし
ひりひとり 前に出たる如く拾ひとり也。是迄の全體の歌の意、海路の次第景色等を云ひて、玉の浦といふ處に、舶はてゝそこにて玉を拾ひて、妹が家づとにせんと思へご、かへしやるべき便使もなき故、拾ひし玉をもまたずておくとの義也。當(228)然の實情をのべたる歌也
反歌二首
3628 多麻能宇良能於伎都之良多麻比利敝禮杼麻多曾於伎都流見流比等乎奈美
たまのうらの、おきつしらたま、ひりへれど、またぞおきつる、みるひとをなみ
見る人をなみとは家づとにせんと思ひしに、故郷の人もなければと云意也
3629 安伎左良婆和我布禰波弖牟和須禮我比與世伎弖於家禮於伎都之良奈美
あきさらば、わがふねはてん、わすれがひ、よせきておけれ、おきつしらなみ
秋になりたらば、使の事了へて又此處へ歸り來て、船をはてん程に、忘れず共寄せきておけと、忘れ貝の名をうけて詠める也。忘れ貝と詠めるは、今かく此にとまりて、ありしよしみを忘れずともと云意を含みて也
周防國玖珂郡麻里布浦行之時作歌八首 和名抄云、玖珂【珂音如鵝】
3630 眞可治奴伎布禰之由加受波見禮杼安可奴麻里布能宇良爾也杼里世麻之乎
まかぢぬき、ふねしゆかずば、みれどあかぬ、まりふのうらに、やどりせましを
3631 伊都之可母見牟等於毛比師安波之麻乎與曾爾也故非無由久與思乎奈美
いつしかも、見むとおもひし、あはしまを、よそにやこひん、ゆくよしをなみ
此あはしまと詠めるは、阿波の事にはあらず。別の島なるべし。國の次第此歌の意に不v合也。此あは島神代上云、次生2淡洲1此亦不3以充2兒數1、故還復上2詣於天1具奏2其状1。此淡洲の事か。何國にあるとも知れ難し。今現在の阿波の事にはあるべからず。第六、第七卷に出たるあは、あはのやま、あはしまは阿波なり。此下にもあはしまのあはじと詠めるも、此歌のあはしまをよそにやと云へる事、同所のあは島ならん。あはぢと云へるはあはぬと云ふの義、淡路の事にはあらぬ也。聞及びたる名(229)所なれど、不v行故よそにや戀ひむと也
3632 大船爾可之布里多弖天波麻藝欲伎麻里布能宇良爾也杼里可世麻之
おほぶねに、かしふりたてて、はまきよき、まりふのうらに、やどりかせまし
可之は船を繋ぐ木也。第七卷にも出たり。そこに和名抄を引て註せり
3633 安波思麻能安波自等於毛布伊毛爾安禮也夜須伊毛禰受弖安我故非和多流
あはしまの、あはじとおもふ、いもにあれや、やすいもねずて、あがこひわたる
あはしまは次上の歌に云へる如く、何の國にある地名とも難v知。あはじと詠みたるは淡路の事にあらず。尤しちの假名違ひたれは云ふに不v及事なり。これはあはぬ妹と云はん爲のあは島也。あはぬ妹なれやと云義也。不v逢妹故に、夜も安く寢ずして戀わたると也。あは島と云處を見んと思ひ慕ひつれ共、大事の使故わざとは行難き故、見る事不v叶から、かく故郷の妹を戀慕へ共、逢事ならぬ旅行の事に思ひあはせて、妹によそへて、あは島を慕ひてよめる歌に聞ゆる也
3634 筑紫道能可太能於保之麻思未志久母見禰婆古非思吉伊毛乎於伎弖伎奴
つくしぢの、かたのおほしま、しましくも、見ねばこひしき、いもをおきてきぬ
つくしぢの 大和路東路と云に同じく、西南の海路陸路共すべてつくし路と云へるなり。筑紫と云へば、九州の内先づ筑前をさして云へるなり。一國に限らぬ事なれ共、太宰府と云もの、彼國にあるから、云ならはせる歟。此かたの大島も、筑前に堅島と云有。和名抄云、筑前國穗浪郡堅島【加多之万】。神功皇后紀にも、かたと云地名筑前に見えたり。これなる歟。つくしぢと云たるはいかゞしたる意にや。大島と云もかたの大島歟。神代紀云、次生2越州1。次生2大洲1。次生2吉備子洲1。
大洲。此下に大島の鳴門とも詠めり。同所なる歟。今に至りて上古の地名分明には難v考也。八雲には此かたの大島を備前とあれど、此歌によりても心得難く、日本紀和名抄等に既に地名出て證明あれば、中國の内にはより所も無し。若し此歌など(230)によらせ給ひて、考へ誤まらせ給ふにや。しましくもとは暫くも也。上の大島の語、路の縁にて續けたる詞也。しましくもと云はん爲の序に、上の二句はよみ出たると聞えたり。歌の意は聞えたる通、旅行にて妻を戀慕ふの意を、大島見つゝ過行景色につきて、詠出たる也。可太の大島、或説に周防と註せり。これは端作によりての説歟。しかし周防に大島郡といふあれば、此説一理無きにもあらざらんか
3635 伊毛我伊敝治知可久安里世婆見禮杼安可奴麻理布能宇良乎見世麻思毛能乎
いもがいへぢ、ちかくありせば、みれどあかぬ、まりふのうらを、みせましものを
まりふの浦の景色の面白きにつけても、故郷の妻子を思ひ慕ふ意先だつから、別れこし妻に見せ度と也。
3636 伊敝妣等波可敝里波也許等伊波比之麻伊波比麻都良牟多妣由久和禮乎
いへびとは、かへりはやこと、いはひしま、いはひまつらむ、たびゆくわれを
いへびとは故郷の我類族の人我家の人也。家人奴婢の事に限りたる家人にはあらず。親子兄弟妻奴婦等をこめて云へる義也早く歸り來よと祝ひて也。いはひ島は八雲には備前とあり。仙覺は周防と註せり。仙覺説の如く、當國にて詠める歌なれば周防なるべし。歌の意は不v及v釋
3637 久佐麻久良多妣由久比等乎伊波比之麻伊久與布流末弖伊波比伎爾家牟
くさまくら、たびゆくひとを、いはひしま、いくよふるまで、いはひきにけむ
いはひ島と云名によりて、幾代幾諸人の旅行を人毎に祝ふらん。幾代をか經て今我旅行にも家人のいはひまつらん。此島もこゝに幾代を經にけんと、島の名を趣向に詠める也
過大島鳴門而經再宿之後追作歌二首 此大島の鳴門は今周防灘と云處歟。大島郡の内なるうみの門なる歟。歌の詞(231)には、名に負ふ鳴門と詠みたれば、昔より阿波の鳴門は名高く人も云傳へたり。周防の鳴門の事は人さのみ知らざる歟。云ひも不v傳也。昔は能人も知りたる所にて、心にも云たてけるにや。少疑はしきは、阿波にも美馬郡の内に天嶋と云處有。阿波の鳴門は鳴門の沖とも云て、名に負たる處なれば、若し其處の事にや。此歌の次第端作によりては、周防の國ならでは不v濟也。然れ共歌集の事は地跡微細には不v考事多し。山背の石田社は宇治郡なるに、當集には皆山しなの石田と詠みたる類も多し。よりて此大島の鳴門も疑ひを殘せり。殊に追而作歌とある文句も如何したる事にや濟み難し。大島を過來て後に思ひ出ての事に聞ゆる也
3638 巨禮也己能名爾於布奈流門能宇頭之保爾多麻毛可流登布安麻乎等女杼毛
これやこの、なにおふなるとの、うつしほに、たまもかるとふ、あまをとめども
名におふは其比世に名高く知れたる鳴門なるべし。うつしほ此詞説々有。古き説には潮の渦卷たる處をさして云と也。範兼卿の説童蒙抄に見えたり。宗師説は大成鹽と云義と見る也。嚴といひ湯津と云も同じ詞にて、ほめたる詞にうつと云。神代上卷に珍の字于圖と字訓あり。賞美の詞なれば、名に高き荒海の大成鹽にも、おのがしわざとて玉藻を刈る海士共と感歎したる意ならん
右一首田邊秋庭 秋庭傳不v知。古註者考ふる所ありて、此歌の作者とは記せるならん
3639 奈美能宇倍爾宇伎禰世之欲比安杼毛倍香許己呂我奈之久伊米爾美要都流
なみのうへに、うきねせしよひ、あともへか、こゝろかなしく、いめに見えつる
此歌あともへの詞不v濟也。説々ありて決し難し。追而可v考。誘の意と云説、哀れと思ふかと云説、道を慕ひ思ふ故かと云義、まちまちにして未v決也。追而可v考。前に出たるあともへの詞は其歌の所に註しつ。前の歌の意と一致ならざる故難v決也。第二卷歌は、あとを思ふの義、第八卷はあつむるの意にて、歌によりて違ひあるも心得難し。同じ詞なるべき事也。こゝ(232)にてはあと思ふの意には近くて集るの意は無し。誘と云意も不v合。哀れと思ふ故かと云意には通ずべき歟。なれど不2一決1詞故、先後案定むべき也。此卷奧に、和伎毛故我伊可爾於毛倍可ぬば玉のひとよもおちずいめにし見ゆる、と詠める歌もあれば、故郷にも何と思へる歟。故郷の事のみいめに見ゆると云意にもあらんか。浮寐せし宵は夜晝と云略語歟。宵と云義とは聞えたれど、つまりたる詞也。うきねする夜はと詠むべき事也。然るに宵とあるは心得難し
熊毛浦船泊之夜作歌四首 くまげ、周防の國久米計の郡の名也。和名抄第五國郡部云、周防國熊毛
3640 美夜故邊爾由可牟船毛我可里許母能美太禮弖於毛布許登都礙夜良牟
みやこべに、ゆかむふねもか、かりごもの、みだれておもふ、ことつげやらむ
船もかはかな也。かりこものは亂れの冠辭也。樣々に思ひ亂れて、故郷を戀慕ふ心をつげやらんと也
右一首羽栗 はぐりは人の名なるべし。傳不v知。但し廢帝紀天平寶宇五年十一月〔癸未、授d迎2清河1使外從五位下高元度從五位上u〕其録事羽栗翔者留2清河所1而不v歸云々。此翔が事歟。氏計りを擧げたる歟
3641 安可等伎能伊敝胡悲之伎爾宇良未欲里可治乃於等須流波安麻乎等米可母
あかときの、いへこひしきに、うらまより、かぢぞおとするは、あまをとめかも
あかときは曉也。家戀しきは家戀敷也。旅泊の曉故郷の事を思ひいで、戀しき折節梶の音するは、いさり藻刈りする海人少女共かと也。句面の通の歌也
3642 於伎敝欲里之保美知久良之可良能宇良爾安佐里須流多豆奈伎弖佐和伎奴
おきべより、しほみちくらし、からのうらに、あさりするたづ、なきてさわぎぬ
おきべよりは沖の方より也。邊はすべて所をさして云たる也。沖より邊よりと云にあらず。汐はすべて沖の方より滿ちさして來る物なり
(233)からのうら 八雲には石見と有。然共歌の端書に、熊毛浦船はてし夜とあれば、周防國にて地名も周防なれば石見とは不2心得1。方角の違たる義也。石見は周防の後也。此海路の次第にては遙に違たる國なれば、八雲の御説ながら難2信用1。第二卷の、ことさやぐ辛の崎なると詠める人丸の歌によりて、此歌のからの浦も同所と被v爲2思召1て歟。同名異所なるべし。歌の意は能聞えたる歌也
3643 於伎敝欲里布奈妣等能煩流與妣與勢弖伊射都氣也良牟多婢能也登里乎
おきべより、ふなびとのぼる、よびよせて、いさつげやらむ、たびのやどりを
能聞えたる歌也。不v及v注也
一云多妣能夜杼里乎伊射都氣夜良奈たびのやどりをいさつげやらな 下の句の異説なり。故郷へ、告やらんな也
佐婆海中忽遭逆風漲浪漂流經宿而後幸得順風到着豐前國下毛郡分間浦於是追怛艱難悽惆作歌八首
さばのわたなかにて、たちまちあ|から《マヽ》しまかぜあらきおほなみにあふて、たゞよひてとまりをへてのち、さいはひにおひかぜをえて、とよのみちのくちのくにしもつけごほりわけまのうらにいたりつく、こゝになやみをおひいたみかなしみうれへてつくるうたやくさ
佐婆海中 和名抄云、周防國、佐波【波音馬】
忽遭逆風漲浪 にはかに荒き風たち大浪立て、うかれたゞよひ艱難をせし由也。よりて海中にかゝりて數日を經て、順風を待得て漕出たると也
於是追怛 佐婆の海中にて逆風にあひて苦める事を、豐前國分間の浦に着泊して、おひ痛み悲みて詠めると也。怛懷惆いづれも痛み悲み憂へる字義也
(234)3644 於保伎美能美許等可之故美於保夫禰能由伎能麻爾末爾夜杼里須流可母
おほきみの、みことかしこみ、おほぶねの、ゆきのまにまに、やどりするかも
皇の勅命は恐敷畏き故、如v此憂難義に逢ひてもそれを凌ぎ、海中に宿りをする事かなとなり
右一首雪宅麻呂 奥に雪連宅滿とある同人也。壹岐の島にて逢v病死せし人也。此歌の作者とは古註者考ふる所ありてこそ註せられけめ
3645 和伎毛故波伴也母許奴可登麻都良牟乎於伎爾也須麻牟伊敝都可受之弖
わぎもこは、はやもこぬかと、まつらむを、おきにやすまむ、いへつかずして
故郷の妻は早くかへり來ぬかと日々に待戀ふらんを、かく逆風に逢ふて往來だにする事ならで沖中に經宿と也
おきにやすまむ これは諸抄の意は、沖に休む 邊に不v着してと云意に見る也。心得難し。愚案は沖中にやかく隱れゐて、住はむ家をも作らずしてと歎ける意と見る也。にやは手爾波の詞ならん。さなくては休まむと云ては、歌の首尾不v調也。休む義にあらず。暴風に逢て自然と風波の靜るを待居事を歎きて、追痛みて詠める歌なるに、休むと云ひてはわれより求めて滯留をせんと云詞也。かくいつ迄か沖にや住はむと痛み悲める歌也。家つかずしても、くらの約か也、なれば家をも不v作沖中なれば尤の意也。船中にて經宿の義也。諸説は伊は發語、邊つかずと云義とは少入ほかなる釋ならんか。くらと云詞のかと云詞になる事を不v辨からの説ならん
3646 宇良未欲里許藝許之布禰乎風波夜美於伎都美宇良爾夜杼里須流可母
うらまより、こぎこしふねを、かぜはやみ、おきつみうらに、やどりするかも
逆風に逢ひしとき、船中に經宿たる事を追而痛める也。歌の意聞えたる通也
3647 和伎毛故我伊可爾於毛倍可奴婆多末能比登欲毛於知受伊米爾之美由流
(235)わぎもこが、いかにおもへか、ぬばたまの、ひとよもおちず、いめにしみゆる
いかにおもへかは、いかに思へばか也。思ふかにても同じ。へとほとは同音也。ぬばたまのひと續くにはあらず。夜と續く詞也。故郷の妻のいかに戀慕ひ思ふか、夜毎に夢にのみ見ゆると也。此歌によりて思へば、前にある、あともへかの歌も、故郷人の何と思ふか、故郷の事を心悲しく夢にのみ見ると云義ならんか
3648 宇奈波良能於伎敝爾等毛之伊射流火波安可之弖登母世夜麻登思麻見無
あまのいさり火も赤くかゝけてともせ。慕ひ佗ぶる故郷の大和島を、其火のかげにても見むと、歌の情はかく稚く詠めるを雅情とするなり。いかに漁火をかゝけあかしたりとて、數十里を隔てたる大和の國の夜目に見らるべきや
萬葉童蒙抄 第四十二卷終
(236)萬葉童蒙抄 第四十三卷
3649 可母自毛能宇伎禰乎須禮婆美奈能和多可具呂伎可美爾都由曾於伎爾家類
かもじもの、うきねをすれば、みなのわた、かぐろきかみに、つゆぞおきにける
かもじものは、鹿じもの鵜じものなど云と同じ。鴨と云ふ鳥の如くにと云古語也。自ものと云詞皆如くと云義に用たる古語也。水鳥の鴨の如く、海上に浮寐すれば也。水鳥は水に浮寢る也。その如くにと云義にて、船中にて幾夜をも經る義也。浮寢憂寢を兼ねて云へる也。みなのわたかぐろきかみとは前に度々注せり。かしらに露の置も、旅行の物うき體をのべたる意也
3650 比左可多能安麻弖流月波見都禮杼母安我母布伊毛爾安波奴許呂可毛
ひさかたの、あまてるつきは、みつれども、あがもふいもに、あはぬころかも
天照る月は見れ共、別れこし妹には絶えて逢はぬ比かなと歎ける也
3651 奴波多麻能欲和多流月者波夜毛伊弖奴香文宇奈波良能夜蘇之麻能宇倍由伊毛我安多里見牟 旋頭歌也
ぬばたまの、よわたるつきは、はやもいでぬかも、うなばらの、やそしまのうへゆ、いもがあたりみむ
妹があたり見むは、故郷の方を八十嶋越しにて月の光に眺めやらんなり。幼き意に詠める雅情也。よく聞えたる歌なり。小字の旋頭歌也の四字は、前にも注せる如く、後人の傍注を板行の時直に寫したるならん
至筑紫舘遙望本郷悽愴作歌四首 つくしのたちに到りて、はるかにふるさとをのぞみてかなしみいたみてつくるうた
至筑紫舘云々 筑前の太宰府に着泊して、新羅使の宿する舘あるべし。その時の義をいへる也
(237)3652 之賀能安麻能一日毛於知受也久之保能可良伎孤悲乎母安禮波須流香母
しがのあまの、ひとひもおちず、やくしほの、からきこひをも、あれはするかも
からき戀をもと云べきとて、上の句は詠出て、しがのあまは筑前のしが也
3653 思可能宇良爾伊射里須流安麻伊敝妣等能麻知古布良牟爾安可思都流宇乎
しがのうらに、いさりするあま、いへびとの、まちこふらんに、あかしつるうを
いへびとはあまのいへびと也。しがの浦に夜もすがら明るまで、あまの漁火消えやらず、おのがわざとて夜をあかし海上に漁りするを見て、おのがわざわざ我身もはるばるの海路を經て、かく使を勤むる事も、其身の家業に等しかれば、あまのしわざをも思ひ合せて、感情を催したるならん
あかしつるうを 諸抄の説夜を明して魚を釣ると云義と釋せり。いかに共心得難し。あかしつる魚と云ては、釣の事にはあるべからず。餘りつまりたる詞也。つるは言葉の手爾波なるべし。只あかしつるをと云義に、うの言葉を助語に入れて、句を調へたるならん。あかしつるうをと云詞はあるまじ。あかしつるを、家人の待ち戀ふらんと讀み返したる手爾波なるべし。魚を釣ることわざをする海人なれば、其義によせて助語をも加へたる歟
3654 可之布江爾多豆奈吉和多流之可能宇良爾於枳都志良奈美多知之久良思毛
かしふえに、たづなきわたる、しがのうらに、おきつしらなみ、たちしくらしも
かしふ江 筑前也。しがの浦に波のたち敷故、かしふ江さして田鶴の鳴渡ると也。立ちしくらしもは、しは助語共聞ゆれど或説の歌に、みちしきぬらしと有。滿敷ぬらしと云義なるべし。みちしと助語は入難き所也。なれば、本歌も立敷らしもと云義と見ゆる也
一云美知之伎奴良思
(238)3655 伊麻欲里波安伎豆吉奴良之安思比奇能夜麻末都可氣爾日具良之奈伎奴
いまよりは、あきつきぬらし、あしひきの、やままつかげに、ひぐらしなきぬ
秋津來ぬらし也。秋つけばと云詞も秋津くればと云義也。初秋の頃詠めると聞ゆる也。ひぐらしの聲にて秋こそ來りぬらしと也。秋になり付など云説は心得難し
七夕仰觀天漢各陳所思作歌三首 七月七日の夜空天を仰見て、人々其思ひの情を述べあらはせる歌と也。天漢は天の川とも讀むなれば、天の川とて空中に白く横はれる雲の如くに筋あるを、俗に云習せり。然れ共此天漢は空を仰見ての義也
3656 安伎波疑爾爾保敝流和我母奴禮奴等母伎美我美布禰能都奈之等理弖婆
あきはぎに、にほへるわがも、ぬれぬとも、きみがみふねの、つなしとりては
秋萩に匂へるは、秋萩の樣に匂へる美しき裳と云如く也。是は織女になりて詠める也。君と指すは牽牛を差して也。彦星の天の河を渡る船の綱をとりては、衣のぬれなんも厭はじと也
右一首大使 前に注せり繼麿の事也
3657 等之爾安里弖比等欲伊母爾安布比故保思母和禮爾麻佐里弖於毛布良米也母
としにありて、ひとよいもにあふ、ひこぼしも、われにまさりて、おもふらめやも
此歌拾遺集には、人丸の歌として終の句を思ふらんやぞと直して入られたり。前に注せる如く、此卷の此遣新羅使の古歌を誦せし歌共の左注を、見誤られけるにや。遣唐使の時の歌にして入れたり。人丸入唐の事國史に不v見。此新羅使も遙か代を隔てし後也。年暦も二三十年後の事也。人丸文武帝の時代にしても、元明元正の二代を過たり。此新羅使は聖武の御時也。人丸の歌なるべきや。此歌の意は旅行にて故郷の妻を慕ふ程には、年に一度逢ふ彦星も思ひ慕はじと也
3658 由布豆久欲可氣多知與里安比安麻能我波許具布奈妣等乎見流我等母之佐
(239)ゆふづくよ、かげたちよりあひ、あまのかは、こぐふなびとを、みるがともしさ
かけ立寄り逢ひは、彦星と七夕女と立寄逢ひと云意にて、七夕は夕月夜の物故、影とうけたる也。其上に今宵しも使の諸官人立寄合て、天漢を仰見る事を兼ねて詠みたるものと聞ゆる也
こぐふなびとを 互に見合の意、船人は彦星織女をさして見る事の診しきと也。官人の今宵天漢を、打寄合て珍しき筑紫にて見る事の、珍らかなる事かなと言意を兼ね合て詠める意と聞ゆる也。かげ立より合とあれば、男女の星寄り合て漕ぐ船と見る也。然れば互ひにともしく珍しきとの義と見るべし
海邊望月作歌九首 此望の字不審也。經の字の誤歟。詠み歌共月の事にあらす。月日を經る事を歎きたる意の歌也
3659 安伎可是波比爾家爾布伎奴和伎毛故波伊都登加和禮乎伊波比麻都良牟
あきかぜは、ひにけにふきぬ、わきもこは、いつとかわれを、いはひまつらむ
日にけには日に日にと云義、けと云もかと云も日の事也。異に吹くと云義と釋せる説もあれど不v合釋也。日々に吹くと云義を、けにと云たるならん。秋には大かた歸朝すべしと、發遣の折語らひし妻の、いつかいつかと物忌みして待ちつらんと也。これは前に、我故に思ひなやせそと詠める人の又詠めるならん。秋風の吹かんその月あはんものゆゑと、よめる事を思出て今かく月日を經ても、未だ筑紫に止まりゐる事を痛みて也
大使之第二男
考ふる處ありてこそ如v此具さには注しつらめ。繼麿の子二男の詠めると也。二男と計りありて名を記せざる事いかゞ。二男迄知わたるなれば名を擧ぐべきを、若しくはおとゝ又ふたをなど云名歟。此外は皆姓名を記したるに、此注に限りて第二男と計りは心得難き也
3660 可牟佐夫流安良都能左伎爾與須流奈美麻奈久也伊毛爾故非和多里奈牟
(240)かむさぶる、あらつのさきに、よするなみ、まなくやいもに、こひわたりなむ
かむさぶるは、物ふりたる事を云てほめたる詞に用ゆる也。先は物の古び年經たる事を云。此處はあらつの崎は物ふりて景色も異なる所故、かくは云へるなるべし。寄する波のまなき如く、妹に戀わたらんと也
右一首土師稻足
3661 可是能牟多與世久流奈美爾伊射里須流安麻乎等女良我毛能須素奴禮奴
かぜのむた、よせくるなみに、いさりする、あまをとめらが、ものすそぬれぬ
凰のむたは仙覺説に始めて釋して、風と共と云義と云へり。共と云字を毎度むたと假名附をして、讀ませたり。是仙覺已來の事也。むたと云言葉、共と云に通る義いかに共心得難けれど、中世已來云來れり。此語釋不v濟也。俗に物の無2差別1の事を、むたと云ひ、ムチヤと云事有。相混雜して一つになりたる義を云義にて、共と云義に通ずる歟。此言葉の義不v濟也。風のもとゝ云義歟。風と共に寄せたる波にと云義と釋し來れり。此歌の義はさにても聞ゆべき歟。然れ共むたと云語の釋不v濟故難2決定1也。むたは、彼と此と一所になりたると云義也。ムチヤといふ俗語則むた也。チヤを約すればタ也。歌の意聞えたる通也
一云安麻乃乎等賣我毛能須蘇奴禮奴
下の句の少の違までの異説也
3662 安麻能波良布里佐氣見禮婆欲曾布氣爾家流與之惠也之比等里奴流欲波安氣婆安氣奴等母
あまのはら、ふりさけみれば、よぞふけにける、よしゑやし、ひとりぬるよは、あけはあけぬとも
きこえたる通也。旋頭歌也。即左注あり。
右一首旋頭歌也
(241)3663 和多都美能於伎都奈波能里久流等伎登伊毛我麻都良牟月者倍爾都追
わたつみの、おきつなはのり、くるときと、いもがまつらむ、つきはへにつゝ
くる時と云はんとて、上のなはのりは詠み出でたり。歸り來る時を待つらんに、風波の難等に逢ひ、歸朝の月日も延ぶる事を歎きて也。此時使は新羅和順せず、本邦に不v從、非禮等を振舞し時なれば、筑紫に滯留の事も何とぞわけありての事なるべし。普通の使の往來とは月日の重りたる義共聞ゆる也
3664 之可能宇良爾伊射里須流安麻安氣久禮婆宇良末許具良之可治能於等伎許由
しがのうらに、いさりするあま、あけくれば、うらまこぐらし、かぢのおときこゆ
あけくればは夜の明けぬれば也。これは只其時當然の情を述べたる歌也。明來れば也。明暮にはあらず。婆の字濁音にて能聞えたり
3665 伊母乎於毛比伊能禰良延奴爾安可等吉能安左宜理其問理可里我禰曾奈久
いもをおもひ、いのねらえぬに、あかときの、あさぎりこもり、かりがねぞなく
いのねらえぬは寐られぬ也。あかときは、あかつき也。もの悲しき折節をのべたる歌也
3666 由布佐禮婆安伎可是左牟思和伎母故我等伎安良比其呂母由伎弖波也伎牟
ゆふされば、あきかぜさむし、わぎもこが、ときあらひごろも、ゆきてはやきん
かへりゆきて也。歌の並びかくは詠める也。數百里を隔てゝ如v此いとやすく行きて早や歸るべきや。是等の事稚く詠める詞にて、雅情と云べき也。歌の意は不v及v釋、よく聞えたり
3667 和我多妣波比佐思久安良思許能安我家流伊毛我許呂母能阿可都久見禮婆
わがたびは、ひさしくもあらし、このあがける、いもがころもの、あかづくみれば
(242)久しくもあらしはあるらし也。是等も跡無き意也。久しき事は心に知れたる事也。然るをあらしと疑ひたる樣に詠める處、雅情とすべし。あがけるは我きる也。我きたる妹がかたみの衣也。あかづくは、よごれたるを見れば旅行の久しくなりぬると云義を、なるらしと大方に云へる也。東歌の詞に似たる歌也。使の人に從ふ者に、東國人等ありけるか。我きるをあがけるなど云詞は、東歌の風體也。第廿卷に、
たびといへどまたひになりぬいへの妹がきせし衣にあかづきにけり。 同じ樣なる意也
到筑前國志麻郡之韓亭舶泊經三日於時夜月之光皎皎流照奄對此華旅情悽噎各陳心緒聊以裁歌六首
和名抄云、志摩郡韓良、同云、釋名云、亭〔人所2停集1也【和名阿波良】一云【阿波良也】〕狹衣物語に、からどまり底のみくづと流れしを瀬々の岩なみ尋ねてしかな
經三日 こゝにても、三日滯留して風波を見合せたりと聞えたり
皎々 明白の義也
流照 月の照渡る景色海上を如v流なれば也
奄 これはおゝにとも久しきとも讀む兩義あり。何れ共決し難し
對此華 この光りに向て也。拾穗抄には景色の二字に改めたれど、諸本華の字にて、此奥にもひかりと用たれば華字正本たるべし
3668 於保伎美能等保能美可度登於毛敝禮杼氣奈我久之安禮婆古非爾家流可母
おほぎみの、とほのみかどと、おもへれど、けながくしあれば、こひにけるかも
第三卷人丸の歌に此上の句あり。筑紫の太宰府をさして遠の御門とは云へる也。大君のみかどと思へれど、旅にて長く滯留する故、みかどとは思へど故郷の戀しきとの意也。けながくのけは例の發語也。ながくしは長き旅にあれば、みかどとも思(243)ひながら、故郷の戀慕はるゝと云意也
右一首大使
3669 多妣爾安禮杼欲流波火等毛之乎流和禮乎也未爾也伊毛我古非都追安流良牟
たびにあれど、よるはひともし、をるわれを、やみにやいもが、こひつゝあるらむ
故郷の妹は、さぞ心の暗に戀くらして、こなたを戀つゝ居んと也。第十二卷に、久にあらん君を思ふに久方の清き月夜も暗にのみ見ゆ。是等の意に准じて知るべし
右一首大判官
3670 可良等麻里能許乃宇良奈美多多奴日者安禮杼母伊敝爾古非奴日者奈之
からどまり、のこのうらなみ、たゝぬひは、あれどもいへに、こひぬひはなし
からどまりと云所は備前にも有。本朝文粹卷第二、三善清行意見文封事の内、播磨國魚住泊修造之文に見えたり。源氏物語玉鬘に、例の舟どもからどまりよりかはじりおす程はと歌ふ聲の情け無きも哀れに聞ゆ。意見文の表を考ふるに、昔は韓泊より魚住泊一日路、魚住より大輪田泊一日行、大輪田より川尻泊へ一日行と被v定て、旅舟の着泊せしを、延喜の比魚住泊廢頽して、此韓泊より一日一夜に大輪田へ越したる故、舟損人亡、數多ありて、公役の人民旅船等の憂患甚敷なりし故、清行これを悼み憐て、魚住泊を修造の意見封事を奉られし也。源氏物語の意も、韓泊より大輪田川尻かけておす、危き事の苦しきを喩へ云たる意ならんか。然れば韓泊は同名異所ありて、此歌の韓泊は全く端作りに見えたる通、筑前の韓泊也
のこのうら 勿論筑前也。和名抄云、早良郡、能解【乃計】郡違たれ共此のこは、のけのことなるべし。昔は志摩郡に屬したる歟。のけ、のこ同意なれば極めて此所なるべし。歌の意は聞えたる通也。家にと云手爾波前にも注せる如く、今時の手爾波とは違たる事、昔は語の釋人々能心得たるより、一首も何を戀ふとは詠まざりし也。妹に、君に、家に戀ふとならでは云はざり(244)し古語の正敷事を知るべし。古今集にも
するがなる田子の浦波たゝぬ日はあれども君に戀ひぬ日はなし
所は達ひたれど意は同じ樣なる歌にて、これも君にと詠みたり
3671 奴婆多麻乃欲和多流月爾安良麻世婆伊敝奈流伊毛爾安比弖許麻之乎
ぬばたまの、よわたるつきに、あらませば、いへなるいもに、あひてこましを
別の意なく句面の通の歌也
3672 比左可多能月者弖利多利伊刀麻奈久安麻能伊射里波等毛之安敝里見由
ひさかたの、つきはてりたり、いとまなく、あまのいさりは、ともしあへりみゆ
月の光に、あまのいさり火のともしあへる、いとま無き夜景をのべたる迄の歌也
3673 可是布氣婆於吉都思良奈美可之故美等能許能等麻里爾安麻多欲曾奴流
かぜふけば、おきつしらなみ、かしこみと、のこのとまりに、あまた夜ぞぬる
のこの泊りにても、風波の靜かなるを見合て滯留と聞えたり。かしこみは恐しきとて也
引津亭舶泊之作歌七首 ひきつ泊り筑前歟。八雲には筑前とあれど外に古證不v考。第七、第十卷に、梓弓引津野邊なるなのりそと云歌出たり。濱成式に、當麻大夫陪2駕伊勢1思v婦歌とて、引津野邊の歌を引かれたれば、是も同名異所ありと聞えたり。此亭は筑紫の内也。國は八雲の御説に任せ置也
3674 久左麻久良多婢乎久流之美故非乎禮婆可也能山邊爾草乎思香奈久毛
くさまくら、たびをくるしみ、こひをれば、かやのやまべに、さをしかなくも
(245)可也能山、宗磧が勅撰名所集に筑前糟屋郡と記せり。考ふる處ありて歟。郡迄をあらはせり。和名抄等にも郷の名にも筑前の國には不v見也。夜須郡の内中屋と云郷名見えたり。若し是を尚略して、かやとのみ云習はしたる歟。歌の意は旅行の勞れに苦みて、故郷の事のみ戀ひをる折しも、妻戀する鹿の聲哀れに、いとど旅愁を添ふる感情をあらはしたる也。なくもと云詞は、前にも毎度出て嘆慨の詞也
3675 於吉都奈美多可久多都日爾安敝利伎等美夜古能比等波伎吉弖家牟可母
おきつなみ、たかくたつ日に、あへりきと、みやこの人は、きゝてけむかも
彼逆風漲浪に逢ひし、旅の苦みを、故郷の人は聞てもやあらん。かく旅行の月日を經る苦みを知りてやあらん。故郷の戀しきあまり樣々の愁情を述べたる也
右二首大判官
3676 安麻等夫也可里乎都可比爾衣弖之可母奈良能彌夜古爾許登都礙夜良武
あまとぶや、かりをつかひに、えてしかも、ならのみやこに、ことつげやらん
あまとぶやかりを、前にも出たる言葉、空を飛びかけりて自由なるものにて、蘇武が雁書等漢の古事もあるから、諸鳥の中雁を云來れるならん。えてしかも、かなと願ふたる意也。えてもかも抔云時の意也。歌の意能聞えたり。奈良の都と詠みたれば、聖武帝の御時なる事明らし。然るに拾遺集に此歌を別部に入て、もろこしにて柿本人麿と有。中の五文字を改めていつしかもと有。人麿入唐の事前にも注せる如く國史に不v見。時代も文武迄の人也。然るに没後の奈良の都をよめる事、いかに共心得難く拾遺の歌如何被v考たる歟。彼集には當集の事大成相違の事多し。是も人丸の歌にて無き事は、奈良の都にと詠める一句にても明也
3677 秋野乎爾保波須波疑波佐家禮杼母見流之留思奈之多婢爾師安禮婆
(246)あきののを、にほはすはぎは、さけれども、見るしるしなし、たびにしあれば
旅にあれば、心もとまらず心も慰まぬから、見るかひも無くしるしも無きと也。
3678 伊毛乎於毛比伊能禰良延奴爾安伎乃野爾草乎思香奈伎都追麻於毛比可禰弖
いもをおもひ、いのねらえぬに、あきののに、さをしかなきつ、つまおもひかねて
いの寢られぬに也。えと、れと昔は通じて毎度詠めり。われも妹を戀忍びて、夜をもいねがてに居るに、折しも旅泊の邊の秋の野に、妻戀に鹿の聲を聞て、さこそなれもや妻を戀わび忍びかねて、音に立て鳴くならんと、いとゞ我思ひを添ふる意也
3679 於保夫禰爾眞可治之自奴伎等吉麻都等和禮波於毛倍杼月曾倍爾家流
おほぶねに、まかぢしゝぬき、ときまつと、われはおもへど、つきぞへにける
かりそめに潮時を待つと思へ共、數多の月日を海波に經る事の悲しきを云へる也
3680 欲乎奈我美伊能年良延奴爾安之比奇能山妣故等余米佐乎思賀奈君母
よをながみ、いのねらえぬに、あしひきの、やまびこどよめ、さをしかなくも
秋の夜の長きに、故郷を慕ふ旅寢のいとど物うくいね難きに、物悲しげに鹿の音のこだまに響かすばかり、妻戀に鳴く哀れさを述べたる也。山彦はこだまの事にて、山に響かす計りに聞ゆるとは、歌の餘情を云たる也。どよめは響かすの義也。令響と書きて毎度どよめと讀ませたり
肥前國松浦都狛島亭舶泊之夜遙望海浪各慟旅心作歌七首 ひのみちのくちのくにまつらこほりこましまの云々
3681 可敝里伎弖見牟等於毛比之和我夜度能安伎波疑須須伎知里爾家武可聞
かへりきて、みむとおもひし、わがやどの、あきはぎすすき、ちりにけむかも
(247)歌の意はあきらけし、故郷を思ひやり慕ふ意深く聞ゆ
右一首秦田麿
3682 安米都知能可未乎許比都都安禮麻多武波夜伎萬世伎美麻多婆久流思母
あめつちの、かみをこひつゝ、あれまたむ、はやきませきみ、またばくるしも
此歌は狛嶋の泊りにて、少時相なれし女の歌にて、左注にも娘子としるせり。若くは遊女抔にや
右一首娘子
3683 伎美乎於毛比安我古非萬久波安良多麻乃多都追寄其等爾與久流日毛安良自
きみをおもひ、あがこひまくは、あらたまの、たつゝきごとに、よくるひもあらじ
此歌は娘子へ返歌に詠める歟。戀ひまくは戀求むるはと云意、又見まく、聞かまくのまく共聞ゆる也。あら玉の月と續く詞に、たつ月とは詠めり。第十三、十四卷にも、あら玉のたつ月毎にと云歌あり。わぬに戀ふなもたと何のと云も、たつ月の也。よくる日もあらじとは、一日も不v落と云意に同じ。月を經る間の日は、一日もよけのぞきて、君を戀はぬ目とてはあらじと也
3684 秋夜乎奈我美爾可安良武奈曾許己波伊能禰良要奴毛比等里奴禮婆可
あきのよを、ながみにかあらん、なそこゝは、いのねらえぬも、ひとりぬればか
なそこゝは、なそこゝぱくと云説有。なんぞかくはと云義共聞ゆる也。歌の意は秋の夜の長き故か、なぞかくばかりいね難きや、旅行の勞れのみならず、故郷を思ひ慕ひて一人のみ寢る故かと、自間自答に詠める也
3685 多良思比賣御舶波弖家牟松浦乃宇美伊母我麻都敝伎月者倍爾都都
たらしひめ、みふねはてけむ、まつらのうみ、いもがまつべき、つきはへにつゝ
(248)たらしひめ御ふね 神功皇后の御事也。日本紀に、到2火前國〔松浦縣1而進2食於玉嶋小河之側1云云〕とあるをもて、新羅を治めさせ給ふそのかみの事など思出て、今我れ其松浦の海を渡りて、月を經る事を歎きてかくは詠めるならん。妹が待つらんと云べき序に、松浦の海を詠出て、當然の地名なれば折に叶へる也。秋の初には歸朝せんなど契り置きし比も、漸過行し比なる故如v此詠めるならん
3686 多婢奈禮婆於毛比多要弖毛安里都禮杼伊敝爾安流伊毛之於母比我奈思母
たびなれば、おもひたえてもありつれど、いへにあるいもし、おもひかなしも
旅なれば何程思ひ陀びても、逢事難き事は思ひ堪へてもあれど、只あやにくに家なる妹が思はれて悲しきと也。又我れは旅行なりとても、思ひ堪へてもあれど、家にては妹が戀ひ持ち慕ひ思はん事の、悲しきと云意とも聞ゆる也
3687 安思必寄能山等比古由留可里我禰婆美也故爾由加波伊毛爾安比弖許禰
あしひきの、やまとびこゆる、かりがねは、みやこにゆかば、いもにあひてこね
雁は空を飛び行くものなれば・心まかせにみやこにもゆかば、おもふ妹にも逢て來ぬべきに、われはかなはぬ身の上をかなしみて、うらやみたる意とも聞えたり
到壹岐島雪連宅滿忽遇鬼病死去之時作歌一首並短歌 いきのしまにいたりて、ゆきのむらじいへまろものにあふて病みて身まかりし時云々
壹岐、和名抄には由岐と記せり。日本紀にもゆきと假名をつけたり。伊由相通ふ故歟
雪連傳不v知。此歌は宅滿が作れるにはあらず。相從ふ人の詠める歟。歌の詞自身の事にあらざる也。此端作死去の時の也。作者の名を脱せる歟
3688 須賣呂伎能等保能朝庭等可良國爾和多流和我世波伊敝妣等能伊波比麻多禰可多太末可母安夜麻(249)知之家牟安吉佐良婆可敝里麻左牟等多良知禰能波波爾麻干之弖等伎毛須疑都奇母倍奴禮婆今日可許牟明日可蒙許武登伊敝比等波麻知故布良牟爾等保能久爾伊麻太毛都可受也麻等乎毛登保久左可里弖伊波我禰乃安良伎之麻禰爾夜杼理須流君
すめろぎの、とほのみかどと、からくにに、わたるわがせは、いへびとの、いはひまたねか、たゝまかも、あやまちしけむ、あきさらば、かへりまさむと、たらちねの、ははにまをして、ときもすぎ、つきもへぬれば、けふかこむ、あすかもこむと、いへびとは、まちこふらむに、とほのくに、いまだもつかず、やまとをも、とほくさかりて、いはがねの、あらきしまねに、やどりするきみ
すめろぎとは我皇の事、本朝に從ふ三韓にて命令を下し、其處を治めさせ置かるゝ舘廳のS意にて、遠の朝廷と云義にかくは詠みたるならん。からくに、三韓の一國故、新羅をもすべてはからくにと詠みたり。家人のいはひ待たねか、故郷の家人の祈祝をせず待たぬ故にかと云事也
多太末可母之 は疊かもと云詞にて、あやと云はん冠句也。然るに只今かもと云説、又策の字を日本紀にてたゝまと讀ませたる事あるを取りて、はかりごとなすわざの過ちをしけんと云説心得難し。昔は疊に、綾をも錦をも又華をも用たる故、たゝみかも過ちしけんとは詠みたり。家人の祝ひもせでありし故、過ちしけんと也。不幸にて死せし義を云たる義也。和我世と詠みたるは、我君長をさす詞なれば、宅滿に仕る人等の詠めるならん
等保能久爾 遠のみかどは、前に詠めるに准じて新羅の事をさしたる也。岩が根のあらき島根に死して、葬りし處を云へるならん。此歌の全體の詞、自身の歌にあらざる事明らけし
反歌二首
3689 伊波多野爾夜杼里須流伎美伊敝妣等乃伊豆良等和禮乎等婆波伊可爾伊波牟
(250)いはたのに、やどりするきみ、いへびとの、いづらとわれを、とはゞいかにいはむ
いはた野は壹岐國の地名ならん。宅滿を葬りし所と聞えたり。歸朝の時宅滿が家人の、宅滿は何處にかと問はゞと也。いとも哀れなる歌也。宅滿の仕人などの詠めるならん。等婆波は轉倒と見えたり
3690 與能奈可波都禰可久能未等和可禮奴流君爾也毛登奈安我弧悲由加牟
よのなかは、つねかくのみと、わかれぬる、きみにやもとな、あがこひゆかむ
世の中の習、常の事にてかく悲しき別れもある習ひなれど、思ひわきても黙し難く、死に行たる跡を戀慕ひ行かんかと也
右三首挽歌
3691 天地等登毛爾母我毛等於毛比都都安里家牟毛能乎波之家也思伊敝乎波奈禮弖奈美能宇倍由奈豆佐比伎爾弖安良多麻能月日毛伎倍奴可里我禰母都藝弖伎奈氣婆多良知禰能波波母都末良母安佐都由爾毛能須蘇比都知由布疑里爾己呂毛弖奴禮弖左伎久之毛安流良牟其登久伊低見都追麻都良牟母能乎世間能比登乃奈氣伎波安比於毛波奴君爾安禮也母安伎波疑能知良敝流野邊乃波都乎花可里保爾布伎弖久毛婆奈禮等保伎久爾敝能都由之毛能佐武伎山邊爾夜杼里世流良牟
あめつちと、ともにもがもと、おもひつつ、ありけむものを、はしけやし、いへをはなれて、なみのうへゆ、なづさひきにて、あらたまの、つきひもきへぬ、かりがねも、つきてきなけば、たらちねの、ははもつまらも、あさづゆに、ものすそひづち、ゆふぎりに、ころもでぬれて、さきくしも、あるらんごとく、いでみつつ、まつらむものを、よのなかの、ひとのなげきは、あびおもはぬ、きみにあれやも、あきはぎの、ちらへるのべの、はつをばな、かりほにふきて、くもはなれ、とほきくにへの、つ(251)ゆしもの、さむきやまべに、やどりせるらむ
あめつちと共にもがもととは、いつ迄も長く久敷ながらへて、天地と共にあらんと思ひてありけんをと也
はしけやしとは家をほめて家と云詞の冠句、賞美の語に云へる也
なみのうへゆ 海路波上よりと云義也。なづさひは 前にも毎度ある詞、海にうかれたゞよひてなづみ來てと云義也。きにてのには助語也。月日もきへぬは月日も來經ぬ也。來り經ると云義也。夏過ぎ秋も來へてと云義也。雁がねもつきて來鳴きぬとは、秋になりて雁も來り鳴くと也。ものすそひづちは ひぢぬれて也。朝露夕霧を對に云たる也。世の中の人の歎きは相思はぬ、かくの如く故郷の人の待ちつらんに、その人々の歎かんことをば相思はず、はかなくなりしもやと悲しめる也
秋萩のちらへるは散れる也。ろを延べたる詞也。散りあへると云義は非也
寒き山邊に、身まかれる人ををさめたる義を云へる也。宅滿を葬し處の義也。はしけやしと云詞を哀れと云ふ詞とも注せる説有。日本紀私記の説也。釋通じ難し。此歌にては相叶ふ歟
反歌二首
3692 波之家也思都麻毛古杼毛母多可多加爾麻都良牟伎美也之麻我久禮奴流
はしけやし、つまもこどもも、たかだかに、まつらんきみや、しまがくれぬる
はしけやし前の詞也。都麻と云はん序賞美の詞也。たかだかの詞前に注せる如く、しかと濟み難き詞、語釋六ケ敷也。立あがり仰望む體を云たるものならんか。ちかぢかと云ふ詞に通へ共、又不v合事もあれば決し難き也。きみやのやは助語也。只君と云計りの詞のとめ也。島隱れぬるは、身まかり隱れたる義と云たる也
3693 毛美知葉能知里奈牟山爾夜杼里奴流君乎麻都良牟比等之可奈思母
もみぢばの、ちりなむやまに、やどりぬる、きみをまつらむ、ひとのかなしも
(252)長歌に、たらちねのはゝもつまらもと詠める、其人達の待つらん事の悲しきと也。此三首も宅滿の友達の悼みて詠めるならん
右三首葛井連子老作挽歌
3694 和多都美能可之故伎美知乎也須家口母奈久奈夜美伎弖伊麻太爾母毛奈久由可牟登由吉能安末能保都手乃宇良敝乎可多夜伎弖由加武土須流爾伊米能其等美知能蘇良治爾和可禮須流伎美
わたつみの、かしこきみちを、やすけくも、なくなやみきて、いまだにも、もなくゆかむと、ゆきのあまの、ほつてのうらべを、かたやきて、ゆかんとするに、いめのごと、みちのそらぢに、わかれするきみ
海路の恐ろしき道を、一日一夜安心も無く悩みきて也。いまだにもは、未だにも悩みなくも又と云意なるべし。もなくもは禍もなく也。あしき事を云ひ喪の字を書きて、此字義の意を云たる義と釋し來れり。伊勢物語の、われさへものもゝ此意と云傳へたり。正義未v考。事もなくと云事にも聞ゆる也。然れ共第五卷憶良の長歌に、こともなくもなくもあらんをと詠める詞あれば、諸説の通にもあるべき歟
ゆきのあまのほつちのうらべをかたやきて 壹岐對島には上古より卜部のありし處故、如v此ほつての卜部と地名によせて詠める也。勅撰名所集には、ほつ手の浦、壹岐と注せり。いかさま地名によせて聞ゆる也。一説に帆繩の事をほつてと云と云へり。ほ手とも云也。帆には幾筋も繩付たるもの也。如v手なれば云たる歟。土佐日記に
追風の吹ぬる時は行船のほてうちてこそうれしかりけり
此歌は手を打事に云て、ほ手を取合せたる也。※[手偏+卞]躍を手をうつの意にて詠める歌ならん。今俗に心に叶ひ喜ぶ事を、ほ手叩いてなど賤しき者の詞にも云習へるは却りて雅言の事也。船中故帆繩を集めて、鹿の肩骨を拔き燒く占ひをしてと云義世。船中にてさまでの事もあるまじけれど、歌にはかくの如く餘情を詠む習ひ也。卜部をかた燒てとあれば、帆繩をもて鹿の肩(253)燒のかたどりにして、占ひ燒いたるに云義ならん。かくの如く吉凶を迄も鑑みて行かんとせしに、思はずも夢の如くに身まかりしと云義を、みちのそらぢにとは詠めり。死ては天に歸するなれば、みちの空路とは云へり。別れする君は、死に別れたる君と云義也
反歌二首
3695 牟可之欲里伊比祁流許等乃可良久爾能可良久毛己許爾和可禮須留可聞
むかしより、いひけることの、からくにの、からくもここに、わかれするかも
昔より云ける事の、長き別れは辛吉ものと云傳ける事の、其辛き別れを殊更に此旅行の海路にてする事の、いと果敢なく悲しきと切なる意を云たる也。新羅へ渡る旅行なれば、漢國のからくとうけたるならん、から國は畢竟辛くもと云はん迄の序ながら、新羅使なれば事實も相合へり
3696 新羅奇敝可伊敝爾可加反流由吉能之麻由加牟多登伎毛於毛比可禰都母
しらぎへか、いへにかかへる、ゆきのしま、ゆかんたどきも、おもひかねつも
新羅の二字にて、しらぎ共讀む例也。新良の國と云義訓也。此三字は假字書也。歌の意は、此歌の主の心迷ひて、方所方角のかたつゞきも思ひわけ難きと云意、別て雪連を慕ひ悼める意を詠める也。新羅へ行く事か、故郷の家へ歸る事歟、夜道に迷ふ如く、かたつゞきも思ひわけ難きと云意也。宅滿の魂靈のいづ方へ行きけると、思ひわきかねると見る説もあり。兩義好所に從ふべし。たどきは、かたつゞきも也。思ひかねつもは思ひ難き也。いづれ共わきかねたると云義也
右三首六鯖作挽歌 六鯖、廢帝紀云。寶字八年正月〔授2正六位上六人部連鯖麻呂外從五位下1〕此人なるべし。此時は無位無官にてありし歟。只姓氏位を略せる歟
到對馬島淺茅浦舶泊之時不得順風經停五箇日於是瞻望物華各陳慟心作歌三首 續日本紀には津嶋と(254)書けり。物華は山海の景色を云たる也。慟心は拾穗抄の義は客心と改たり。心得難し。普通皆慟の宇也。客心を述ぶとて云文義不v濟事也。悼む心を述ぶると云義可v然也
3697 毛母布禰乃波都流對島能安佐治山志具禮能安米爾毛美多比爾家里
もゝふねの、はつるつしまの、あさぢやま、しぐれのあめに、もみたびにけり
すべて津湊には千百の船はつるなれば、はつる津とうけ、又元より此對島には、三韓往來の百千萬の船止まる處なれば也。
毛美多比爾家里 比、一本此に作る本ありと云へ共、これは後人の改たるならん。比の字可v然也。いかにとなれば、たびと云詞は、ちと云言葉を延たる義也。もみたびは、紅葉に照りと云義也。前々の歌に、もみだしにけりなど詠める詞、此たびにて能く聞えたり。だしも、ちと云語を延たる詞也。兩詞とも皆紅葉にけりと云義也
3698 安麻射可流比奈爾毛月波弖禮禮杼母伊毛曾等保久波和可禮伎爾家流
あまさかる、ひなにもつきは、てれゝども、いもぞとほくは、わかれきにける
聞えたる通の意也。遠國波濤のはて迄も、月は變らず照りませ共、思ふ妹はそひもせず、別れ來りて遠くも慕ひ佗ぶると云義也。月を見て愁情を催せしならん
3699 安伎左禮婆於久都由之毛爾安倍受之弖京師乃山波伊呂豆伎奴良牟
あきされば、おくつゆしもに、あへずして、みやこのやまは、いろづきぬらむ
秋なればと云義を皆さればと云へる也。あへずは不v勝の意也。こたへあへず、しのぎあへずの意也。故郷の山もさこその紅葉しつらんと思ひやり慕ふの意也
竹敷浦舶泊之時各陳心緒作歌十八首 竹敷浦對島なるべし。仙覺抄にも對州と注せり
3700 安之比奇能山下比可流毛美知葉能知里能麻河比波計布仁聞安流香母
(255)あしひきの、やましたひかる、もみぢばの、ちりのまがひは、けふにもあるかも
ちりのまがひ、散亂て面白き景色は、けふにぞあると云意に聞ゆる也。塵のまがひと云事は解し難き詞也。塵の紛ひと云事と見るべし。それを紅葉の散りまがふと云義に寄せて云へる也。紛々の二字、日本紀に、ありのまがひと讀ませたれば、亂れまじりたる也。塵の如くに目にさへぎりてまがふ意也。塵のと云たれば、本體は塵の事にして、散を寄せたる義と見るべし
右一首大使
3701 多可之伎能母美知乎見禮婆和藝毛故我麻多牟等伊比之等伎曾伎爾家流
たかしきの、もみぢを見れば、わぎもこが、またむといひし、ときぞきにける
秋になり紅葉の頃に歸朝せんと契りしが、未だかくとゞまれるかなと、歎ける意をふくみて詠める也
右一首副使 正六位上大伴宿禰三中也。左注には皆大使副使とのみ注せり
3702 多可思吉能宇良末能毛美知和禮由伎弖可敝里久流末低知里許須奈由米
たかしきの、うらまのもみぢ、われゆきて、かへりくるまで、ちりこすなゆめ
新羅へ行きて歸り來るまで散るなと、跡無くも詠める也
右一首大判宮 前に注せり
3703 多可思吉能宇敝可多山者久禮奈爲能也之保能伊呂爾奈里爾家流香聞
たかしきの、うへかたやまは、くれなゐの、やしほのいろに、なりにけるかも
到而紅葉の盛りなる景色を詠める意也。勅撰名所抄に、此うへかた山を、うつかた山と記せるは、へとつとをまがへたるならん
右一首小判官 續日本紀卷第十二云、天平九年春正月中略辛丑遣2新羅使大判官〔從六位上壬生使主宇太麻呂〕少判官正七(256)位上大藏忌寸麿等1入京〔大使從五位下阿倍朝臣繼麻盧泊2津嶋1卒、副使從六位下大伴宿禰三中染v病不v得2入京1〕
3704 毛美知婆能知良布山邊由許具布禰能爾保比爾米※[人偏+弖]弖伊※[人偏+弖]弖伎爾家理
もみぢばの、ちらふやまべゆ、こぐふねの、にほひにめでて、いでてきにけり
此歌は對馬に滯留の中なれし娘子の、しばしの別れを慕ひて詠める歌と聞ゆ。紅葉々の散る山邊より、浦わを漕ぎ行く船の折しも、ちりまがふ紅葉に映じてよそふたる船の、照り輝くにめでいでて來しと也。遣新羅使の船ならばさこそ見物もならんずれ共、さなき人にても出來りて見んを、使の中になれ睦みし人もある女子ならばさもあるべし
3705 多可思吉能多麻毛奈婢可之己藝低奈牟君我美布禰乎伊都等可麻多牟
たかしきの、たまもなびかし、こぎでなむ、きみがみふねを、いつとかまたむ
高くしける玉とうけて、玉藻を靡かして波間に漕ぎ出る船と云たり。新羅より對島に歸る事をいつとか待たんと也。これも相馴れし人ありて名殘を惜める歌也、其折の遊女などにや
右二首對馬娘子名玉槻 考ふる所こそありて注せるならん
3706 多麻之家流伎欲吉奈藝佐乎之保美弖婆安可受和禮由久可反流左爾見牟
たましける、きよきなぎさを、しほみてば、あかずわれゆく、かへるさに見む
しほみちぬれば見えぬから、心に飽く迄え見ず行けば、歸るさにあく迄見むと也
見あかずしてわれ行けばと云義也。歸朝の時見むと也
右一首大使
3707 安伎也麻能毛美知乎可射之和我乎禮婆宇良之保美知久伊麻太安可奈久爾
あきやまの、もみぢをかざし、わかをれば、うらしほみちく、いまだあかなくに
(257)紅葉を愛するを未だ飽かぬに、浦しほ滿ち來て其處に居り難きを惜める意也。但し滯留をせず、潮の滿つるにつきて船を出す義を云へる歟
右一首副使
3708 毛能毛布等比等爾波美要緇之多婢毛能思多由故布流爾都奇曾倍爾家流
ものもふと、ひとには見えじ、ひたひもの、したゆこふるに、つきぞへにける
物思ふと人には不v見と也。下紐は下にと云はん序也。下に戀ふるに月ぞ經にけると也。面に不v顯、下にのみ故郷を慕ひ妻子を思ひ戀ふるに、幾ばくの月を經しと也
右一首大使
3709 伊敝豆刀爾可比乎比里布等於伎敝欲里與世久流奈美爾許呂毛弖奴禮奴
いへづとに、かひをひりふと、おきべより、よせくるなみに、ころもでぬれぬ
家づとにせんと貝を拾ふとて、波に衣手をぬらせしと也。是は竹敷の浦に泊りて、滯留の内海邊に出て遊行せし時の歌とも聞ゆる也。次の歌も其意也
3710 之保非奈波麻多母和禮許牟伊射遠賀武於伎都志保佐爲多可久多知伎奴
しほひなば、またもわれこむ、いさゆかむ、おきつしほさゐ、たかくたちきぬ
しほさゐは第一、第三、第十一卷等にも出たり。そこに注せる如く、潮騷ぎて波高く立ち來ぬと云義也。此歌の意など、滯留の内遊行に出たると聞ゆる也
3711 和我袖波多毛登等保里弖奴禮奴等母故非和須禮我比等良受波由可自
わがそでは、たもとゝほりて、ぬれぬとも、こひわすれがひ、とらずばゆかじ
(258)袖は袂通りては、袖と袂は同じきものなるに、別名にして詠めるは譯あり。袖も袂も一つを云時は惣名ながら、別けて云ふ時は手の通る處を袂と云ひ、下にたまりたる處を袖とは云と聞ゆる也。袖は衣の手と云義、手もとは手本と云義なるべし。袖、袂、※[衣+去]、惣て云時は一つ事にして、差別する處はあり。和名抄云、釋名云、袖〔【音岫、和名曾天、下二字同】所2以受1v手也。袂【音弊】開張以v臂屈伸也。※[衣+去]【音居】其中虚也富〕此和名抄の表とは此歌の意少相違也。雨等にぬれ通るなれば、袖は上袂は下と見ゆれ共、貝を拾ふ時は下よりぬるゝなれば、袂通りてと云時は、下より上に通りてぬるゝと聞ゆる也。兼好法師が徒然草に書ける、後鳥羽院の定家卿へ勅間ありし勅答にも、袖と一首に詠みて苦しかるまじきと引給へる古今の
秋の野の草のたもとか花すすき穗に出て招く袖と見ゆらむ
此歌も袖は下、袂は上と聞ゆる也。又拾遺集の兼盛歌
時雨故かづく袂をよそ人は紅葉をはらふ袖かとやみん
これも拂ふは、振拂ふなれば、袖の下りを云義なるべし。然れば是れも上を袂下を袖と見る歌也。然れ共和名の説に不v合也。いづれと決すべきや、追而可v考也。
戀忘れ貝とらずばやまじとは、故郷を戀慕ふ心の物うきから、せめて忘貝の名に紛れもやせんとあるからに、とらずばやまじとは詠めるならん
3712 奴波多麻能伊毛我保須倍久安良奈久爾和我許呂母弖乎奴禮弖伊可爾勢牟
ぬばたまの、いもがほすべく、あらなくに、わがころもでを、ぬれていかにせむ
ぬば玉の妹とは、いは寐ることのい、夜の事にうけたる也。ほすべくあらなくには、乾すべき妹もあらぬにと云事を、かく句を詞へて詠めり。歌の意は聞えたる通也
3713 毛美知婆波伊麻波宇都呂布和伎毛故我麻多牟等伊比之等伎能倍由氣婆
もみぢばは、いまはうつろふ、わきもこが、またんといひし、ときのへゆけば
(259)句面の通りの意にて、秋にもなりなば、歸り來んを、待たんと契りし比もも早や過行け共、未だ新羅にだにも到らぬ長旅路の事を歎きて、紅葉々のうつろふを見ても、月日の過行く事を悼みたる意也
3714 安伎佐禮婆故非之美伊母乎伊米爾太爾比左之久見牟乎安氣爾家流香聞
あきされば、こひしみいもを、いめにだに、ひさしくみんを、あけにけるかも
秋なれば夜長き時節故、夢だにせめて戀敷妹を久敷見むと思ひつるに、妹にも見るまなく早や夜の明けしと也。せめて夢にだに少時見んと思ひしに、見る間なく明けしと歎きたる也
3715 比等里能未伎奴流許呂毛能比毛等加婆多禮可毛由波牟伊敝杼保久之弖
ひとりのみ、きぬるころもの、ひもとかば、たれかもゆはん、いへどほしくて
いへにては妻と共に、衣の紐解き着せもせられし衣を、今旅行にて獨りぬぎ著をするに付て、故郷の妻子を慕ひて、誰れかもゆはんとは詠めるならん。衣によりて全體妻を思ひ慕ふの意也
3716 安麻久毛能多由多比久禮婆九月能毛美知能山毛宇都呂比爾家里
あまぐもの、たゆたひくれば、ながづきの、もみぢの山も、うつろひにけり
あまぐものたゆたひは、雨雲天雲兩義を兼ねて也。先は雨雲の時の雲は、ゆらゆらと重り込むものなれば云へる歟。天雲にても雲の行くはゆらゆらと捗取らぬものなれば、此度の海路果てしもなく風波を見合、猶豫のみして來れば其義に喩へて云へる也。たゆたひは猶豫不定とも書きて讀ませたり。浮きたゞよふと云ふも同事にて、俗にゆるゆると云ふ意、又一所に所を不v定してただよふて居る事を云也。はかどらず猶豫して來りたれば、も早や秋も末に、九月の空も更行て、山の紅葉のうつろひたると也。紅葉せし山と云ふ事を紅葉山と云。地名にはあるべからす。尤も紅葉の山と云地名もあるまじきにもあらねど、此歌は只當然の紅葉したる山も、紅葉の色うつろひ行と云なるべし
(260)3717 多婢爾弖毛母奈久波也許登和伎毛故我牟須比思比毛波奈禮爾家流香聞
たびにても、もなくはやこと、わきもこが、むすびしひもは、なれにけるかも
もなくは前に注せり。衣と云ふ縁によりて、もなくと云事も詠める歟。凡て衣紐の事を添て詠める也。伊物にも、われさへもなくと詠めるも、衣をぬぎて贈れる時詠めり。わざはひあしき事も無く、早く歸り來ませと物忌みして、妹が結びし紐の、月日を經てよごれなれたると也。なれにけるかもは、よごれたると云ふ義、旅行の久しきと云意を云ひたる也
回來筑紫海路入京到播磨國家島之時作歌五首 つくしのうみぢをかへりきたりてみやこにいるに云々
家嶋 延喜式紳名帳云。播磨國揖保郡家島神社【名神大】も早や新羅の使の事終て歸朝の義也
3718 伊敝之麻波奈爾許曾安里家禮宇奈波良乎安我古非伎都流伊毛母安良奈久爾
いへじまは、なにこそありけれ、うなばらを、あがこひきつる、いももあらなくに
いへじまと云へば、我妹もあるべきかと思ひしに、さもなくて名のみにてこそありけりと也。はるばるの海原を戀慕ひ來しに妹に未だ逢はざれば、とく逢ひたき意を云へる也
3719 久左麻久良多婢爾比左之久安良米也等伊毛爾伊比之乎等之能倍奴良久
くさまくら、たびにひさしく、あらめやと、いもにいひしを、としのへぬらく
わかれの時すかしの言葉に、やがて歸り來ん久しくはあらじと云ひすかせしが、今年も旅行にて暮れぬべしと思ふとの意也續日本紀に見るに、九年の正月に入京とあれば、極月比の事なるべければ、年も越えぬべく思ふ意も理りならんかし
3720 和伎毛故乎由伎弖波也美武安波治之麻久毛爲爾見廷奴伊敝都久良久母
わきもこを、ゆきてはやみむ、あはぢしま、くもゐに見えぬ、いへつくらしも
家島より淡路島の京の方に見ゆる故歟。近くなりしと云意にて、我妹子を行きて早や見むとは云へるならん。みえの延を廷(261)に誤れり。家つくらしもは、諸説は家附らしもと云義と注せり。一説に伊は發語の詞、邊につくらしもと云ふ義と釋せり。宗師説は、磯邊近く來らしもと云ふ義と見る也。ちかづくの約言つ也。いへは磯邊也。淡路島の遙かに早や見ゆれば、やがて磯邊近くも來りたるらん。我妹子を早く行きて見むとの義と見る也。
3721 奴婆多麻能欲安可之母布禰波許藝由可奈美都能波麻末都麻知故非奴良武
ぬば玉の、よあかしもふねは、こぎゆかな、みつのはままつ、まちこひぬらむ
夜通しにあかしてなり共、船を漕ぎ行かなんと也。美都の濱松は攝津難波のみつ也。此處には故郷の人の出て、待呼び居らんと云ふ義を、船の待ち戀ひぬらんと詠みなせり。第二、第三卷の内の歌にも此下の句に同じき歌ありと覺ゆ。追而可v考
3722 大伴乃美津能等麻里爾布禰波弖弖多都多能山乎伊都可故延伊加武
おほともの、みつのとまりに、ふねはてて、たつたの山を、いつかこえいかん
未だ播磨路にありて京を慕ひ思ふて、心はいそいそ思ふと也。歌の意聞えたる通也。早く大和へ歸り着きたきとの意也
中臣朝臣宅守與狹野茅上娘子贈答歌 なかとみのあそんいへもり、さののちかみのいらつことおくりこたふるうた
中臣朝臣宅守 配流の事は、此茅上娘子をよばへし故に因ての事目録にも具記せり。尚紀を考て追而可v注也。目録藏部女嫂とあるは誤也。嬬の字也。藏部の女嬬、狹野娘子也。朝勤の女を密かに娶たる歟。聖武紀天平十二年六月十五日大赦〔穗積朝臣老等被v恩入v京、石上乙麻呂中臣宅守等不v在2赦限1〕廢帝紀天平寶字六年正月〔甲辰朔壬子、從六位上中臣朝臣宅守〕授2從五位下1。宅守配流歸參の事始終追而紀を可v考也
3723 安之比奇能夜麻治古延牟等須流君乎許許呂爾毛知弖夜須家久母奈之
あしひきの、やまぢこえむと、するきみを、こころにもちて、やすけくもなし
宅守越前へ被v配れば、北陸道の山路を越行なれば、山路越えむとは詠める也。心にもちては心の中に歎き苦しむ意也
(262)3724 我我由久道乃奈我※[氏/一]乎久里多多禰也伎保呂煩散牟安來能火毛我母
きみがゆく、みちのながてをくりたたね、やきほろぼさん、あめのひもかも
みちの長手 宅守被v流て行道の遠ざかり隔れば、其長きを繰り寄せ疊みて、天火をもて燒亡して近くしたきと也。道を燒亡して近くせんには、天火にてあらずんば叶ひ難し。よりて天の火もかもと也。かもは、かなと同じく乞願ふたる意也。くりは、繰り寄せるの義也。繩手等云ふ事あるから、繰り共詠みぬる歟。第五卷にも、常しらぬ道の長手をくれくれと詠めり。左傳云、凡火、人火曰v火、天火曰v災。史記孝景本紀曰。三年正月乙巳〔赦2天下1長星出2西方1〕天火燔2※[各+隹]陽〔東宮大殿室1〕うつほ物語に、山おろしの風もつらくぞ思ふらん木の葉も道をやくと見しかば。此集此歌等の詞に基きて詠める歟
3725 和我世故之氣太之麻可良婆思漏多倍乃蘇低乎布良左禰見都追志努波牟
わがせこが、けだしまからば、しろたへの、そでをふらさね、見つつしのばん
けだしとは兼て云へる義也。未だまかるとも知れず、決定なき時に詠めるならん。若しと云意に通ふ也。降らさねは降れね也。降れよと云義也。意は明らか也。まからば、京を退き去るならばと云義也。又外へ行く事を、古語にまかると云ひし也
3726 己能許呂波古非都追母安良牟多麻久之氣安氣弖乎知欲利須辨奈可流倍思
このごろは、こひつつもあらむ、たまくしげ、あけてをちより、すべなかるべし
此頃は戀佗びながらもあらんを、明日よりはも早やせん術も無く悲しからんとの義にて、此頃迄は、未だ配所に赴かざる時の義なるべし。あけてをちよりとは、明日配流に出行日の事なるべし。をちよりは明けてそちよりと云ふ義、彼の字を、をちとも讀む也。後よりと云ふ義に同じ。貫之の歌にも、きのふよりをちをばしらずと詠める事あり。これもあなたのちと云ふの意なるべし。玉くしは、あけてと云はん序詞迄也。此歌はあす旅立つ今宵詠みて贈れるならん
右四首娘子臨別作歌
(263)3727 知里比治能可受爾母安良奴和禮由惠爾於毛比和夫良牟伊母我可奈思佐
ちりひぢの、かずにもあらぬ、われゆゑに、おもひわぶらん、いもがかなしさ
ちりひぢは塵土也。塵土の中にも入らざる程のわれ故と、身を卑下して云へる也。第四、五卷には、しづたまき數にもあらぬと詠み、第九卷にはしづたまき賤しきと詠みて、皆身を卑下して云へる詞也。歌の意は聞えたる通也。宅守の歌也
3728 安乎爾與之奈良能於保知波由吉余家杼許能山道波由伎安之可里家利
あをによし、ならのおほぢは、ゆきよけど、このやまみちは、ゆきあしかりけり
配流に赴く山路なれば、行きあしかりける筈也。不v及v注、歌意明らけし
3729 宇流波之等安我毛布伊毛乎於毛比都追由氣婆可母等奈由伎安思可流良武
うるはしと、あがもふいもを、おもひつゝ、ゆけばかもとな、ゆきあしかるらん
美しくうつくしみ思ふ妹を、心に慕ひ戀思ひつゝ行けば、もだなくもかくは行きあしかるらんと也。行き悩むも妹を心に思ひ行故ならんと云意也
3730 加思故美等能良受安里思乎美故之治能多武氣爾多知弖伊毛我名能里都
かしこみと、のらずありしを、みこしぢの、たむけにたちて、いもがなのりつ
勅令を恐れ人前を憚りての意に、かしこみとゝ詠めるならん。みこしぢは、三越路也。多武氣、國境等にて旅行の無難を祈る所を云ふ、手向の事歟。又峠と云ふ説あり。今俗に垣の有上を云。其處の事を云たる歟。のらずと云詞あれば、手向をしてのみ祈る處の義にて、手向の所に立てと云ふ義とも聞ゆる也。或説に、近江の國より鹽津山を越して、今きのめ峠と云ふ處ならんかと也。凡峠と云ふは皆手向をする垣の上を云義ならんと云へり。然れ共相坂山をも手向山と云ひ、大和の奈良にもあり。一概には難v云也。此處は何れにてもあれ、地名を云ひて手向に立ちてとは詠めるならん。是迄は謹みて妹が名を言(264)に出さず、心にこめて慕ひ佗びしか共、今は國をも隔て峠をも越ゆるから、堪へかねて妹が名をも言出て、慕ひ佗ぶると也
右四首中臣朝臣宅守上道作歌 上道は前にも注せる如く、みちたちと讀む也。みちたちに作る歌と也
3731 於毛布惠爾安布毛能奈良婆之末思久毛伊母我目可禮弖安禮乎良米也母
おもふゑに、あふものならば、しましくも、いもがめかれて、あれをらめやも
おもふゑは思ふ故也。思ふて逢はるゝものならばと云義也。かくばかり思ふわれなれば、思ふ故に逢ふものならば、めかれてかく別れ居らめや居るまじきと也。慕ひ思ふ事の切なる事を云へる義也
3732 安可禰佐須比流波毛能母比奴婆多麻乃欲流波須我良爾禰能未之奈加由
あかねさす、ひるはものもひ、ぬばたまの、よるはすがらに、ねのみしなかゆ
ものもひは物思ひ也。よく聞えたる歌也。晝夜忘られず、思ひ陀び戀嘆くと云切なる意をあらはせし也
3733 和伎毛故我可多美能許呂母奈可里世婆奈爾毛能母※[氏/一]加伊能知都我麻之
わぎもこが、かたみのころも、なかりせば、なにものもてか、いのちつがまし
せめて形見の衣を見て、命をも續けゐるとの義也。さなくば何をもて命を續けんやと、いたく戀陀びる意を云へる也。佗び慕ふと云ふ事を云はずして、切なる意をあらはせし也
3734 等保伎山世伎毛故要伎奴伊麻左良爾安布倍伎與之能奈伎我佐夫之佐
とほきやま、せきもこえきぬ、いまさらに、あふべきよしの、なきがさぶしさ
一云左必之佐
3735 於毛波受母麻許等安里衣牟也左奴流欲能伊米爾毛伊母我美延射良奈久爾
(265)おもはずも、まことありえんや、さぬるよの、いめにもいもが、みえざらなくに
思はずに何とてあられんや、夢にだにも見えぬ妹なれば、慕ひ思はであられぬとの義也。せめて夢にもなりとも見もしなば少は思ひの晴るゝ事もあらんを、夢にだにも見ぬ悲しさに、中々思ひの止まぬと也
3736 等保久安禮婆一日一夜毛於母波受弖安流良牟母能等於毛保之賣須奈
とほくあれば、ひとひひとよも、おもはずて、あるらんものと、おもほしめすな
遠く隔たりたれば、一日一夜も忘れらるゝものにあらず。一日一夜も忘れず思ひ慕ひ居る程に、思はずに居らんとな思し召すなと也
3737 比等余里波伊毛曾母安之伎故非毛奈久安良末思毛能乎於毛波之米都追
ひとよりは、いもぞもあしき、こひもなく、あらましものを、おもはしめつゝ
戀陀ぶるに餘りて、却りて妹を外人よりは惡しき人ぞと怨みたる意也。妹なくば心迷ひもなくあらんに、妹故にかく苦しく物を思はしめつゝと也。どものもは助語也
3738 於毛比都追奴禮婆可毛等奈奴婆多麻能比等欲毛意知受伊米爾之見由流
おもひつゝ、ぬればかもとな、ぬばたまの、ひとよもおちず、いめにしみゆる
もとなは、もだし難く又心元無くと云意にもなり。毎夜に妹が夢に見えつると也
3739 可久婆可里古非牟等可禰弖之良末世婆伊毛乎婆美受曾安流倍久安里家留
かくばかり、こひんとかねて、しらませば、いもをばみずぞ、あるべくありける
よく聞えたる歌也。思ひあまりて今更妹を見そめて、かくなり來れる事の悔しき意也。
3740 安米都知能可未奈伎毛能爾安良婆許曾安我毛布伊毛爾安波受思仁世米
(266)あめつちの、かみなきものに、あらばこそ、あがもふいもに、あはずしにせめ
天神地祇のなくばこそ、我思ふ妹に逢はで果つべけれ。天神地祇のますからは、終に逢はではあるまじきと也。第四卷に笠郎女大伴家持に贈りし歌の中にも
天地の神もことわりなくばこそ我おもふ君にあはずしにけめ
此歌の意と同じ。神なくばこそ思ふ妹に逢はず死にもせめと也
3741 伊能知乎之麻多久之安良婆安里伎奴能安里弖能知爾毛安波射良米也母
いのちをし、またくしからば、ありきぬの、ありてのちにも、あはざらめやも
前の歌の意に近き歌也。命こそ惜しけれ、命全くありなば、ありありて後にも遂には逢はではあらざらめをと也。ありきぬのとは、ありて後と云はんとて也。ありきぬは祝言の詞也。存在してきる衣と云ふ義にて、いはひて云ふ詞、第十六卷に、ありきぬのたからの子らと詠めるも、存在して居る宝の子と云義にて、直に寶の子と云て祝したる詞也。織衣と云ふても同じ。あとおとは筋違に通ふ也。存在して着るきぬと云義に、ありきぬのとは詠みて、ありて後とうけたる也
一云安理弖能乃知毛
3742 安波牟日乎其日等之良受等許也未爾伊豆禮能日麻弖安禮古非乎良牟
あはんひを、そのひとしらず、とこやみに、いづれのひまで、あれこひをらん
思ひ暮れて照る日も暗の如くにして、いつ迄かあれ戀をらんと也。第二、第四卷にも、とこやみと云歌あり
3743 多婢等伊倍婆許等爾曾夜須伎須久奈久毛伊母爾戀都都須敝奈家奈久爾
たびといへば、ことにそやすき、すくなくも、いもにこひつゝ、すべなけなくに
此歌しかと聞得難し。すくなくもと云ふ義如何とも解し難し。若し誤字等あらん歟。先づ諸説は 、旅と云へば言葉にはやす(267)く云はるれ共、我旅は、例し少く妹を戀渡る旅にて、殊に配流の身なれば詮方も無く、いかにせん術もなく、悲しきと云ふ義と注し來れり。すくなくもと云詞とくと不2打着1也。なけなくと云事は、術なくにと云ふ義をなけなくと重ねて云へる義也。尚後案すべし。此卷の奧にも、旅と云へば殊にぞやすき術もなくと有。此歌も、須久の二字須反の字なるべし。さなくては聞えぬ也
3744 和伎毛故爾古布流爾安禮波多麻吉波流美自可伎伊能知毛乎之家久母奈思
わぎもこの、こふるにあれば、たまきはる、みじかきいのちも、をしけくもなし
戀ふるにあればは戀ふれば也。戀ふるなればと云ふ事を、にあればと延べて云ひし也。永らへん命のちゞまりて短くなり戀ひ死ぬる共惜しからじと也
右十四首中臣朝臣宅守
3745 伊能知安良婆安布許登母安良牟和我由惠爾波太奈於毛比曾伊能知多爾敝波
いのちあらば、あふこともあらむ、わがゆゑに、はたなおもひそ、いのちだにへば
われ故に身を果たすばかりにな思け佗びそ。命だにありへば、遂には逢ふにもあらんにと諫めたる歌也。はたなと云義、いたく切に思ふなと云ふ意ならん。はたと云詞は感嘆の事に云。はたやこよひ、こひせらるはた等云ふて感嘆したる言葉也。此處も餘りに切にな思ひそと云義と聞ゆる也
3746 比等能宇宇流田者宇惠麻佐受伊麻左良爾久爾和可禮之弖安禮波伊可爾勢武
ひとのうゝる、たはうゑまさず、いまさらに、くにわかれして、あれはいかにせん
人の植うる田は、我は宅守配流にありて領地も無く産業無くましますと云ふ事を、百姓の田を植うる事に云ひなして詠める也。田は植ゑまさずは、産業も流されてませばと云義也。國別れしては、遠國へ被v流遠く隔たりて、我は何をたづきにして(268)いかにあらんや、いかに共すべき方も無きと嘆けるならん
3747 和我屋度能麻都能葉見都都安禮麻多無波夜可返里麻世古非之奈奴刀爾
わかやどの、まつのはみつゝ、あれまたん、はやかへりませ、こひしなぬとに
待たんと云ふから、まつの葉と詠み出たり。松の葉に限りたる意あるにあらず。下に待たんと云ふ詞の響きを、縁に詠める也
古非之奈奴刀爾 此刀爾を諸抄共に助語と見て、我れは戀しなんぬに早やかへりませと云ふ事と釋せり。第十卷の歌にも、夜のふけぬ刀爾と書たる歌も夜の更けん時にと云ふ事に釋し來れり。さ讀みては歌の意とくと不2打着1也。此れは其處に注せる如く、万の字の誤りなり。戀しなぬまに早や歸りませ也
3748 比等久爾波須美安之等曾伊布須牟也氣久波也可反里萬世古非之奈奴刀爾
ひとくには、すみあしとぞいふ、すむやけく、はやかへりませ、こひのなぬとに
すむやけくは速かにと云義と聞ゆる也。下の句は前の歌に同じ。刀は万の誤り也
3749 比等久爾爾伎美乎伊麻勢弖伊都麻弖可安我故非乎良牟等伎乃之良奈久
ひとくにに、きみをいませて、いつまでか、あがこひをらん、ときのしらなく
いませては、いまさしめて也。いは發語まさして也。歌の意は明なり
3750 安米都知乃曾許比能宇良爾安我其等久伎美爾故布良牟比等波左禰安良自
あめつちの、そこひのうらに、あがごとく、きみにこふらん、ひとはさねあらじ
あめつちのそこひは、天地の果て限りにはと云ふ義也。野のそぎ、山のそぎと云ふ事あり。此れも野の底山の底といふ事也扨そこひの浦と云ふ地名もあるべし。これをもて詠める也。地名あるからよそへて詠みたるもの也。古詠は兎角本語の地名ある事を寄せて詠める也。夫木集に、紀伊國に、そこひの浦ありと記せり。そこひ無く思ふなど云ふ詞も、果て限りなくと(269)云義也。さねあらじは、まことにあらじと云義也。源氏物語玉鬘、胡蝶の卷等に、そこひと云ふ言葉あり
3751 之呂多倍能安我之多其呂母宇思奈波受毛弖禮和我世故多太爾安布麻低爾
しろたへの、あがしたごろも、うしなはず、もてれわがせこ、たゞにあふまでに
もてれは、もちてあれと云義也。歌の意は不v及v注。よく聞えたる也
3752 波流乃日能宇良我奈之伎爾於久禮爲弖君爾古非都都宇都之家米也母
はるの日の、うらかなしきに、おくれゐて、きみにこひつゝ、うつしけめやも
うら悲しきは、春の日のうららかなると云ふに寄せて、發語のうらと云ことを用たる也。うらと云ふは發語に用ゆる言葉也嘆の言葉にもなる也。悲しきと云事の切なる事を、うらと詞を添たる意也。おくれ居ては、宅守に離れ殘りゐて也。うつしけめやもは、うつしくあらめやも也。うつしは現在の心、あらめやは、うつの心は無きと云意、夢の如くに思ひ暮すとの義也
3753 安波牟日能可多美爾世與等多和也女能於毛比美多禮弖奴敝流許呂母曾
あはんひの、かたみにせよと、たわやめの、おもひみだれて、ぬへるころもぞ
歌の意は、句面の通聞えたる也。逢はん日のとは、逢ふ迄のかたみにと云ふ義也。常はたをや女と云ひ、書きもするを、此歌には、たわや女とあり。あいうゑをのをと、やゐゆえよのやと、あと、わいうゑおのおとは、通ふこと如v此の類にて覺悟すべし。此道理は不v考とも、古より如v此あと、おと、やとは筋違ひに通ふ也。又云、たをや女たわや女共に手弱女と云ふ義也手力の弱きもの、男に對しては甚弱きもの故手よわ女とわ云也
右九首娘子 茅上娘子の詠める也
3754 過所奈之爾世伎等婢古由流保等登藝須多我子爾毛夜麻受可欲波牟
ふみなしに、せきとびこゆる、ほとゝぎす、たがこなにかも、やまずかよはむ
(270)過所の二字を、ひまなしと讀ませたれど、ものゝひまあれば其處よりもり過るもの故、ひまとは讀むとの説なれ共、此義いかに共心得難し。退所過書式等云て、令式事にも見えて今の切手證文の事也。今も往來の者を改め吟味する處を、過所と俗言にも稱し來るも此遺風也。元來は證文の事を云也。此歌も、せきとびこゆると云ものは、此れしるし文切手無しに、自由に越ゆと云意をもて詠める也。何とぞ別訓あるべけれ共、先づとびこゆると云ふものは、地をも踏み行事無く空を越ゆるものなれば、書と蹈とは兼ねて、ふみなしにとは詠む也。しかし此訓正義共決し難し。後案すべし。扨此歌の意を諸抄にも何と心得たるか、當集をよく讀み解かぬ故歟。あまたか子にもと讀みたり。如v此の歌詞あらんや。餘り拙き義也。こなとは女の通稱也。いづれの女子にもか、心に任せて止まず通ふらん、我れはかく不自由なる身にて、逢ふ事だにならぬにと、我身の上より郭公の山路を鳴過るを見て、感慨を發して詠める歌と聞ゆる也。多我子爾毛を、たがこなにかもと讀むは、爾はなんぢと讀む、毛はかもと讀む字也。古人はよく其訓を勘へて、當集の書樣の一格皆此格ある事也。又たか子にしかもと讀みても、子とは女の通稱には付て讀む義毎度の例、爾は、しかと讀む事珍しからぬ訓也。如v此よく聞えたる訓義の讀み樣あるに、歌詞にあらぬ、あまたか子にもとは、歴歴の先達何と不v考事にや。讀みやう惡しきから、色々無理なる義をも付添て注せる也
3755 宇流波之等安我毛布伊毛乎山川乎奈可爾敝奈里※[氏/一]夜須家久毛奈之
うるはしと、あがもふいもを、やまかはを、なかにへなりて、やすけくもなし
あがもふはあが思ふ也。うつくしみ美しく思ふ妻を、山川を隔て戀ひ佗びをれば、やすき心も無きと也。へなりては隔りて也。たゞの二語を約しては、な也。第十七卷にも、山川のへなりてあればと詠めり。隔たりてあれば也
3756 牟可比爲弖一日毛於知受見之可杼母伊等波奴伊毛乎都奇和多流麻弖
むかひゐて、ひとひもおちず、みしかども、いとはぬいもを、つきわたるまで
上の句は知れたる意也。一日もおちずは、一日も離れずと云義也。いとはぬとは、伊は發語、不v問也。古は一日もおちず見(271)なれても飽かずありしが、月渡る迄も、とふことだにせぬ事の悲しきと云意也。月渡る迄は月を經る迄と云義也
3757 安我未許曾世伎夜麻故要※[氏/一]許己爾安良米許己呂波伊毛爾與里爾之母能乎
あがみこそ、せきやまこえて、こゝにあらめ、こゝろはいもに、よりにしものを
せきやまは關山也。惣じての關所山路を越えてと云義也。今昔物語には鈴鹿山を關山共書けり。此歌の開山は一所を云ふにはあるべからず。歌の意は聞えたる通也
3758 佐須太氣能大宮人者伊麻毛可母比等奈夫理能未許能美多流良武
さすたけの、おほみやびとは、いまもかも、ひとなぶりのみ、このみたるらん
此歌ひとなぶりと云ふ義いかに共解し難し。諸抄の説は、今俗に人を侮りなぶりと云ふ事の義に注せり。言葉を添て解釋せば如何樣にも云はるべきなれど、それは心得難し。娘子故宅守流されたれは、それを云立て娘子をなぶるにてあらん。又宅守あらざれば娘子を彼方此方より引く方ありて、心を引てなぶるにてあらん。昔より大宮人は左樣の事のみ好むものなれば今もそれならんとの意を釋せり。遊仙窟に、五嫂爲v人饒|〓《ヒトナブリス》と書て、〓の字ひとなぶりと讀ましたり。戯るゝ事をなぶると云たる也。此意に釋し來れり。愚意には未v落也。ふりと云は風俗の事を云詞なれば、何とぞ其義に續きで云ふたる義あらんか。尚後案すべし。佐須竹の大宮と續く事、第十六卷に、さすたけのとねりと續けたる歌あり。多分は、きみ、みやと續けたり。此れを前の説は、君徳を稱しほめたる言葉にと釋したれど、宗師後案に、さす竹の箕と云義と見る也。大みや、きみ皆みとうけたる意に聞ゆる也。箕は竹をもてさしたるもの也。第十六卷の、とねりと續けたるは、閉す竹の戸とうけたる義と也。竹の戸と云ふ事あれば、それに續く言葉なるべし。みやのとねりと云義の、みやを略して續けたるかとも見ゆれ共、竹の戸と云ふ言葉にあれば此方は義安き也。すべて冠句は、何にてもある詞の其一語にうけたる也。
一云伊麻左倍也 今もやと云義也
(272)3759 多知可敝里奈氣杼毛安禮波之流思奈美於毛比和夫禮弖奴流欲之曾於保伎
たちかへり、なけどもあれば、しるしなみ、おもひわぶれて、ぬるよしぞおほき
幾度か幾度か立歸りてなくと云義に、かく詠めり。やみては又なくの意に立歸りとは詠める也。思ひ佗ぶれては思ひ佗びて也
3760 左奴流欲波於保久安禮杼毛母能毛波受夜須久奴流欲波佐禰奈伎母能乎
さぬるよは、おほくあれども、ものもはず、やすくぬるよは、さねなきものを
ぬる夜は多くあれ共、一夜も妹を、戀侘佗びてねぬ夜は無きと也
3761 與能奈可能都年能己等和利可久左麻爾奈里伎爾家良之須惠之多禰可良
よのなかの、つねのことわり、かくざまに、なりきにけらし、すゑのたねから
世の中の常の理りは、世の常道如v此の道理也。ケ樣の樣になりたるも、わがする末の種からと云義と釋し來れり。佛意をもて釋せんには、末の世の業因から、かゝる流人の身共なりしと釋せり。愚意此歌の意不2打着1也。 かくざまにと云ふも、かくの如くにと云義と見るべき也。さにても此義は聞えたり。なりきにけらしは、宅守の當然のなり來れる身の有樣を云へるならん。末のたねからと云ふ事歟。すゑしと讀むべきや。此言の葉不v濟故、此之の字音訓の差別極め難し。追而可v考也
3762 和伎毛故爾安布左可山乎故要弖伎弖奈伎都都乎禮杼安布余思毛奈之
わぎもこに、あふさかやまを、こえてきて、なきつゝをれど、あふよしもなし
逢坂山と云ふ名の山を越えきても、妹には逢ふ由の無きと也。逢坂山と云ふ名の山を越えきなば、思ふべき事も、ありなんものをと歎きたる也
3763 多婢等伊倍婆許登爾曾夜須伎須敝毛奈久久流思伎多婢毛許等爾麻左米也母
(273)たびといへば、ことにぞやすき、すべもなく、くるしきたびも、こらにまさめやも
此上の句は前に出たり。然るに前の歌には須久奈久毛とあり。此詞如何とも心得難し。今此歌を見て須久は須反の字と見ゆる也。此歌の意は上は前の如く、旅と云へば言葉にはやすく云へ共中々さはなく、我身の上はすべなく苦しきと、世に云ふ旅も我等にまさる苦しき事あらんやもと云意也。常の旅と云ふは、云にはやすけれど、すべなく苦しきと云ふ旅なり共、我れにまさらめやとの義也。悲しとは我身を云へる義也。或説に、こらは、これにまさらめやと云義と云へり。さにても義は同じ
3764 山川乎奈可爾敝奈里弖等保久登母許己呂乎知可久於毛保世和伎母
やまかはを、なかにへなりて、とほくとも、こゝろをちかく、おもほせわぎも
山川は隔たれ共、心は互に離れぬなれば、近くいつ迄も遠ざかり疎からぬ樣に、心變らず思へと也
3765 麻蘇可我美可氣弖之奴敝等麻都里太須可多美乃母能乎比等爾之賣須奈
まそかゞみ、かけてしぬべと、まつりたす、かたみのものを、ひとにしめすな
まつり太須は、まつりなす也。神等を祭る如くにする鏡なる程に、大切にして他人に渡すなと也。鏡は鏡臺と云ふものありて、古くは臺にかけて紐をつけて結びかけし也。かたみに鏡を遣して、此歌を添て贈りたると聞ゆる也。そなたよりこなたへ思ひをかけて、此鏡を見てしのべと贈る程に、如v靈秘藏して外人へなど見せなと云義也。かたみとは形見とも書て、前々の歌に出たり。第十六卷には寄物と書て、下に細注、俗云可多美と注せり。遊仙には記念の二字をかたみと讀ませたり
3766 宇流波之等於毛比之於毛波婆之多婢毛爾由比都氣毛知弖夜麻受之努波世
うるはしと、おもひしおもはば、したひもに、ゆひつけもちて、やまずしのばせ
婆波は轉倒の誤り也。よりて書改むる也。思ひしは重ね詞に云て、思ひ思はゞ也。これは何ぞ形見に遣したるものありて、詠み添へたる歌ならん。われをも此形見のものをも、美しと思ひ思はゞと云意也。美しとは凡てよきものと思はゞと云義也
(274)右十三首中臣朝臣宅守
3767 多麻之比波安之多由布敝爾多麻布禮杼安我牟禰伊多之古非能之氣吉爾
たましひは、あしたゆふべに、たまふれど、あがむねいたし、こひのしげきに
此たましひは朝夕にたまふれどと云義、諸抄の説は魂は宅守に別て後、朝夕に戀死ぬべく思へどと云義に注せり。娘子より宅守へ給ふれどと云意也。此意心得難し。いかに云へる義にか聞得難し。宗師傳は、たまはすいひはと云義也。それを魂と語のあるから、魂の事に寄せて云ふたる義にて、本意はたまはす飯はと云ふ義也。食物は朝夕に君より惠み給ふれどと云義也。我胸痛き食物を喰ふ共と云ふより、胸痛きと云縁を求めたる也。さなくては胸と詠み出でし事不v濟也。此歌等大方の義にては不v通。歌は詞の譯を不v辨人は得不v聞也
3768 己能許呂波君乎於毛布等須敝毛奈伎古非能未之都都禰能未之曾奈久
このごろは、きみをおもふと、すべもなき、こひのみしつゝ、ねのみしぞなく
君を慕ひ思ふとて也。詮方も無き憂き戀をのみして音になくと也
3769 奴婆多麻乃欲流見之君乎安久流安之多安波受麻爾之弖伊麻曾久夜思吉
ぬばたまの、よるみしきみを、あくるあした、あはずまにして、いまぞくやしき
あはずまは、あはずして也。まは助語に入れたる也。此類多し。こりずまと云ふが如し。歌の意は夜見し事のありしに、其時契りをもなさずして明けし事を、其夜逢はざりし事の悔しきと云へる意歟。配所へ赴くに夜見し儘にて、明くる朝はも早や逢はざる事の、悔しきとの意にも聞ゆ。しかし悔しきと云ふは、なるべき事をなさゞるを云ふ事なれば、前の意ならんか但し夢に見しか、明くる朝は逢ふ事無きを悔しきと歎きたる歟。尚後案に決すべき也
3770 安治麻野爾屋杼禮流君我可反里許武等伎能牟可倍乎伊都等可麻多武
(275)あぢまのに、やどれるきみが、かへりこむ、ときのむかへを、いつとかまたむ
安治麻野 越前にあるるならん。仙覺抄に越前と注せり。考ふる處ありてこそ。流罪を被v許て歸京の時の迎をいつとか待たんと也
3771 宮人能夜須伊毛禰受弖家布家布等麻都良武毛能乎美要奴君可聞
宮人の、やすいもねずて、けふけふと、まつらんものを、みえぬきみかも
此宮人は心得難し。家人の誤りならん。宮と家とはよく誤りやすし。決して家人なるべし。宮人とは朝廷の人をさして云。宅守に宮人と云ふ義あるべからず。宅守が家人の今日か今日かと待つらんに、見えぬ君かもとは、宅守をさして君かもと也
3772 可敝里家流比等伎多禮里等伊比之可婆保登保登之爾吉君香登於毛比弖
かへりける、ひときたれりと、いひしかば、ほとほとしにき、きみかとおもひて
歸りける人來れりとは、宅守を送りし人等歸り來れりと云ふを聞きてか又何方へぞ行きし人の歸りしを、歸りし人と云ふたるならん。宅守かと思ひて殆んど喜びてと云義也。ほとほとは悦びたる義と釋し來れり。此詞前に注せり。此處は喜ぶ意にも叶ふべき歟。驚く義とも云へり。君かと思ひては、宅守かと思ひてと云義也。ほとほとの詞前を考合すべし
3773 君我牟多由可麻之毛能乎於奈自許等於久禮弖乎禮杼與伎許等毛奈之
きみがむた、ゆかましものを、おなじこと、おくれてをれど、よきこともなし
君と共に行かましものを、同じく共に也。流されなましものをと云ふ意也。殘り後れ居ても、よき事も無きにとありの儘の歌也
3774 和我世故我可反里吉麻佐武等伎能多米伊能知能己佐牟和須禮多麻布奈
わがせこが、かへりきまさん、ときのため、いのちのこさん、わすれたまふな
われを捨て給ふな、死ぬべく思ふ命も永らへのこして、かへり來ん時を待たんと也
(276)右八首娘子
3775 安良多麻能等之能乎奈我久安波射禮杼家之伎許己呂乎安我毛波奈久爾
あらたまの、としのをながく、あはざれど、けしきこゝろを、あがもはなくに
けしき心はかれしき心と云ふ義也。かれは、かれかると云ふ義、放離の意を云たる也。かれを約して、け也。異情と書て、此卷の前にけしき心と假名を付けたけ。此處に假名書に如v此あれば、けしき心と讀む事可v然。けしきとは異なると云ふ義と釋せる説あれど、語不v通也。別れ離るるは、外心異心あるからなれば義相叶ふ也。歌の意、年を經て逢はざれ共、そなたに離別放散の意も持たず、慕ひ思ふとの意也
3776 家布毛可母美也故奈里世姿見麻久保里爾之能御馬屋乃刀爾多弖良麻之
けふもかも、みやこなりせば、見まくほり、にしのみまやの、とにたてらまし
此歌の意は如何に共はかり難し。諸説いかに共不v濟。元日等に忍びて娘子に逢ひし處を、西のみまやのとにたてらましとは云へる歟と云説、又娘子が方へ行く案内をさする程、馬の御厩にたてがてら、馬やの外に立てらまし物と云ふ義と注せり。是れにて此歌の意聞えたり共覺えず。是れは何とぞ式日に都の事を思ひ出て、朝儀の事等慕ひて詠める歌と聞えたり。西のみまやとは、朝廷の御厩の事也。然ればあら手番眞手づかひ等の競馬の式日の事か。又八月駒引の事歟。白馬の節會の日等の義につきて、都の事を慕ひ思ひ出でたる歌也。前にあらたまの年のを長くと詠み、又此歌二首を並べたるは、正月の初朝廷儀式の日に當りて、思ひ出たるなるべし。よりて今日もかもと詠出たる也。二首共元日に都の事を思ひ出て歟。しからば元日の節會の時、諸官人群列すること、西御厩の外に、列立したる事等を思ひ慕ひて歟
右二首中臣朝臣宅守
3777 伎能布家布伎美爾安波受弖須流須敝能多度伎乎之良爾禰能未之曾奈久
(277)きのふけふ、きみにあはずて、するすべの、たどきをしらに、ねのみしぞなく
配流せられて宅守越前へ赴きし時の、昨日今日なるべし。歌の意聞えたる通り前に出たる詞也。する事のかた續きも知らずいづ方共思ひわくべき方もなく、慕ひ泣く也
3778 之路多倍乃阿我許呂毛弖乎登里母知弖伊波敝和我勢古多太爾安布末低爾
しろたへの、あがころもでを、とりもちて、いはへわがせこ、たゞにあふまでに
又逢ふ事を頼みていはへとの事ならん。第四卷に
又もあはんよしもあらぬか白妙のわが衣手にいはひとゞめん
と詠める歌あり。これらの意に准じて見るべきか。いはへわがせこと云ふ義、少聞きわけ難き意也
右二首娘子
3779 和我夜度乃波奈多知婆奈波伊多都良爾知利可須具良牟見流比等奈思爾
わがやどの、はなたちばなは、いたづらに、ちりかすぐらむ、見るひとなしに
宅守配所にありて、故郷の家の橘を思ひやりて詠めるならん。歌の意無2別義1よく聞えたり
3780 古非之奈婆古非毛之禰等也保等登藝須毛能毛布等伎爾伎奈吉等余牟流
こひしなば、こひもしねとや、ほとゝぎす、ものもふときに、きなきどよむる
こひしなばこひもしねとやは、配所にありて故郷を戀ひ忍びある折節、郭公の頻りに鳴くは、迚もかく戀佗ぶる身ぞならば戀死ねとやかく哀れに鳴きどよむはと云意也。郭公はすべて、人を戀ひ故郷を慕ふ事に寄せて詠むものなれば、なれも思ひのありて鳴くならん、わが物思ふ折節に、いとゞ思ひのますかなと云ふ意也。第十一卷にも、戀しなば戀もしねとやと詠める歌あり
(278)戀しなば戀もしねとや玉鉾の道行き人に事もつげけむ。戀しなば戀もしねとやわぎもこがわぎへの門を過ぎて行らん。古今集に、こひしねとするわざならしぬばたまの夜はすがらに夢に見えつゝ。此等の歌に似通ひたる歌也
3781 多婢爾之弖毛能毛布等吉爾保等登藝須毛等奈那難吉曾安我古非麻左流
たびにして、ものもふときに、ほとゝぎす、もとなゝなきそ、あがこひまさる
第八卷に、神なひのいはせの森の時鳥いたくなきそわが戀まさる。此歌の意と同じ。配所にあれば旅也。都を戀慕ふ心の郭公の聲に引出されて、いやましにももだされず、慕ひ思ふとの義也
3782 安麻其毛理毛能母布等伎爾保等登藝須和我須武佐刀爾伎奈伎等余母須
あまごもり、ものもふときに、ほとゝぎす、わがすむさとに、きなきどよもす
あまごもりは、雨など降らんと打曇り鬱曚としたる時を云ふ也。物もふと云ふて、空も晴れず打曇りて、心よからぬ折の事に云たる義也。また雨等降りて打曇り、外にも出でず居る事をも云也。此歌のあまごもりは、空も打晴れず曚々と物悲しく物淋しくて、いとど故郷の事抔思ひ出て、物思ふ折の事を詠めるならん。我住む里は配所の事也。どよもすは前のどよむると云ふも同じ詞、響き鳴る事を云也。神代卷上素神の天に登り給ふ時に、廼復扇v天、扇v國上2詣于天1。物の音さわがしく鳴り響く事を云ふ詞也。舒明記童謠の歌に、をちかたのあは野のきゞすどよもさずわれはねしかど人ぞとよます。古語に云來る言葉也。當集は令響と毎度ありて、どよまし、どよもすとは、音のする事を云義と心得たる也
3783 多婢爾之弖伊毛爾古布禮婆保登等伎須和我須武佐刀爾許欲奈伎和多流
たびにして、いもにこふれば、ほとゝぎす、わがすむさとに、こよなきわたる
こよなきわたるは、こゝに鳴き來ると云義、又今宵鳴き渡ると云義との兩説あり。前にも此詞あり。此歌のこよは、こゝにと云ふ義ならんか。こよをこゝにと云ふ語通じ難き也。こゝよりと云義ならんか。さにては歌の意こゝよりと云べき意とも(279)聞えねば、歌の意はこゝにと云ふ義なればやすく聞ゆる也。然共語通じ難き故此詞未v決也。よとやと通ずれば、これやと云て嘆慨の詞に云ひたる歟。所こそあるべきに、さてもこゝに鳴渡りて、われ思ひを添ふると云意也。第十卷の歌に、二首從此と書て、こゆ鳴渡ると云歌あり。これ、こゝに、こゝよりと云義に通ずる也
3784 許己呂奈伎登里爾曾安利家流保登等藝須毛能毛布等伎爾奈久倍吉毛能可
こゝろなき、とりにぞありける、ほとゝぎす、ものもふときに、なくべきものか
かゝる物思ひに沈み居る折に鳴くものか、いとゞ我が思ひを増さしむると也
3785 保登等藝須安比太之麻思於家奈我奈家婆安我毛布許己呂伊多母須敝奈之
ほとゝぎす、あひだしましおけ、ながなけば、あがもふこゝろ、いたもすべなし
しましはしばし也。いたもはいともと云ふ義、物の切なる事を、いとゞは發語に同じき詞、いたくもと云ふ意にも通ふ也。頻りに鳴けばいとゞ我が思ひのしきりて悲しきに、しばし間を置きて鳴けよと、我思の切なる事を郭公に寄せてあらはしたる也
右七首中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌 此注も古注者の後に注せし、歌の意を見て注したる也。或抄に宅守藏部女を捨て、茅上娘子を娶たる故、流罪の由を云へるは心得難し。藏部の女嬬をかけたる娘子と聞ゆる也。朝勤の娘子を犯して娶りたる罪にて、流罪には逢へるならん。石上乙麿等の類なるべし。既に紀にも兩人不v有2赦限1とあり
萬葉童蒙抄 本集第十五卷終
(280)萬葉童蒙抄 卷第十六
〔目次省略〕
(284)萬葉蒙抄 卷第四十四
目録の誤字の事左に注せり
有由縁雜歌 すべて目録は後の人の書加へたるものなれば、しひて考ふべきにもあらねど、見えわたりたる處誤りし文字等を改め侍る也。撰者の標題には、有由縁并雜歌とあり。目録には并の字を除けり。是は目録にも脱字、端作にも脱字あらんか。但し目録の方正義にて、標題の并の字は衍字と見る歟。此并の字いかに共難2心得1也。有由縁歌并雜歌とあるべきを、歌の字を脱したる歟。目録にては又并雜歌を脱して如v此記したる歟。標題と此目録と違たる所難2心得1也。尤標題は撰者記したるなれど、有由縁并雜歌とは不v續文句なれば、脱字か衍字の二義あるべし。有由縁とは故あるくさ/”\の歌と云事也。或抄に故の字は、かれからと訓ずる古語也。後にゆゑと訓ずるは、此由縁と云音を和語に用けるにやと注せるは、語釋を不v辨假名違の説也。本よりゆゑと云詞あるから。かれといふ言葉もある也。由縁の音借書に書たると心得たるは、假名違の文字の音にて後の音借書と云もの也。ゆゑと云詞は其詞につきて義ある事なるを、あちらこちらに心得たる説也。ゆゑと云語の釋は未v詳ども、有由縁と云意は、俗にわけあると云義と同じ事なり。事のよしありて詠めるくさ/”\の歌と云義也。故の假名はゆゑ也。縁はえにしの假名にて假名不v合也。
二壯士誂娘子遂嫌適壯士人林中死時各陳心緒作歌二首 目録には誤て人に作れり。既端作には不v誤、入2林中1縣v樹云々と記せり
男女衆野野遊時有鄙人夫歸容姿秀衆諸仍賛嘆美貌歌一首 夫婦の下に其婦の二字脱せり。既に傳書後注には其婦容姿端正秀於衆諸云々とあり
仍賛嘆美貌 賛讃※[人偏+賛]三字相通ずる歟。後注には作v讃也
時娘子時別夫後夫正身不來徒賜裹物娘子還酬歌一首 時の字後注には、昔有娘子也相別其夫望戀經年爾時夫君(285)更娶他妻正身不來云々とあり。此目録の文義いかに共不v通也。脱字誤字共數多なり
時有娘子姓車持氏也 目録には前文を略して、大概をひつくゝり記せしが、後注と違たり。後注の、時有娘子姓車持氏也の時の字も、昔の字の誤りと見えたり
贈歌一首 此目録心得難し。無用の義也。娘子見棄夫君と云目録の贈答の歌なるを、剰へ前にあげたるは彌不v考の義なるべし
娘子見棄夫君改適他氏壯子不知改適顯改適之縁歌一首 これも大概を記せる也。然れ共于時或壯子と不v記ば文義不v通也。後注には時有娘子見棄夫君とあり。此時の字も昔の誤り也
兒部女王嗤歌 印一本に脱せり。古書本、印素本には載たり。後考、落紙也
椎野連長年歌一首
又和歌一首
此二ケの目録も同斷也。しかし此目録は無き筈也。大成誤也。後注を見誤りし故なり。これらにて目録は一向後世の加筆、古注者より遙か後の人の、しかも誤を如v此傳へたると云義を知るべし。但し予所持の印本は落紙なり
獻新田親王歌一首 部の字を脱せり
行文大夫誇佞人歌一首 後注には博士消奈行文大夫とあり。然れ共目録の體悉く省略して記せると見えたれば、此已下如v此類數多也。橋作袖書を證とすべし
土師宿禰水通嗤咲巨勢朝臣豐人等黒色歌一首 此等の字は巨勢非太朝臣の事をこめて也。後注を見て可v辨也
忌部黒麻呂夢裡作歌一首 首の字を脱せる歟。但し前に注せる如く、朝臣首等の字を略せると見えたり
又無常歌二首。又戀歌二首。 此二つの又の字無用の字也
(286)有由縁並雜歌 此并の字心得難し。目録の所に注せる如く歌を落せる歟。有由縁歌并雜歌とあらば文義聞えたり。雜歌ながら由縁有ると無きとの差別ある故、并の字を加て、其意を知らしめたる義と云注もあれど、文義不v通ば略せしにはあるべからず。有由縁とは、右に注せる如く、一事、事ありし時詠める歌と云義也。わけある歌と云義なり
昔者有娘子宇曰櫻兒也于時有二壯士共誂此娘而捐生格競貪死相敵於是娘子戯欷曰從古來于今未聞未見一女之身往適二門矣方今壯子之意有難和平 不如妾死相害永息爾乃尋入林中懸樹經死其兩壯子不敢哀慟血泣漣襟各陳心緒
此端作後成恩寺兼良公の歌林良材にも、假名文にて記させ給ふ也。此文の通なり。此序文字義等諸抄詳也。よつて不v記也。娘の字の音義等追而可v記也
誂此娘 このをとめをいどむ。今俗に、せりあふなど云義也。我れ獲ん、絞れ獲んと競ひ爭ふ義也
和平 やはらげむけ難し共、にきみむけとも、又やはらけたひらけ難しとも、此外にも二字合せて義訓すべき訓あるべし
經死 くびれ死ぬとも、わなきしぬとも讀むべし
不敢 此歌の字勝の字の意歟。但しあへざらんやと、やの言葉を入れて讀むべき歟。勝堪の字意なれば義通ぜり
作歌二首
春去者挿頭爾將爲跡我念之櫻花者散去流香聞
はるされば、かざしにせんと、わがもひし、さくらのはなは、ちりにけるかも
かざしにせんとは、我妻にせんと思ひしと云意を詠める也。娘子の名を櫻兒と云ひし故、櫻の花にして詠める也。別の意なく能聞えたり
3787 妹之名爾繋有櫻花開者常哉將戀彌年之羽爾
(287)いもがなに、かけたるさくら、はなさかば、つねにやこひん、いやとしのはに
妹がなにかけたるとは、櫻子と云故かけたると也。それとゝ云事を、何にても古語にてはかけると云也。言の葉にかけてなど、けまくもかしこしいはまくもと云如く、詞に云事を詞にかけると云ふ、その義と同じ。櫻兒といふ故、かけたるとは詠みし也。前にも紀の國の背の山の歌に此詞出たり。此歌の意は娘子の名を櫻子と云ふ故、木の櫻の花咲かば年毎に常戀慕はんと也。年のはとは毎年と云義前に注せり。當集第九卷に自注を出せり。開を、ちらばと讀めるは大成誤り也。集中に、ちると讀みたる事なく、外にも、ちるとも、おつるとも讀める例なく。殊に歌の意も、ちると讀みては不v通也。
或曰昔有三男同娉一女也娘子嘆息曰一女之身易滅如露三雄之志難平如石遂乃※[彷徨のどちらも人偏]池上沈没水底於時其壯士等不勝哀頽之至 各陳所心作歌三首【娘子字曰鬘兒也】
此或曰の二字不審也。歌の後注にあらば、さもあるべき歟。後注にありても此外に此二字なし。悉右傳云、昔云々と注せり。此所に、或曰とあるべきやう難2心得1。後注を誤て端作にせしか。又昔時の誤り歟なるべし。標題に或説をあぐべきやうなし
彷徨 ※[人偏]※[行人偏]と通ずる歟。誤りたる歟。一畫脱しやすき字也。此説も良材には見えて大和國と被v記し也
頽 字義追而可v考。畢竟悲み喋くの義也
3788 無耳之池羊蹄恨之吾味兒之來乍潜者水波將涸
みゝなしの、いけしうらめし、わぎもこが、きつつかくれば、みづはかれなん
此池は大和にあり。羊蹄は草の名也。訓書也。歌の意は不v及v注。よく聞えたる義也
3789 足曳之山縵之兒今日往跡吾爾告世婆還來麻之乎
あしびきの、やまかづらのこ、けふゆくと、われにつげせば、かへりこましを
山かづら 山にはすべてかづらの類あまた生ずれば、かづらのこと云はん序に冠句に足曳の山とは詠出たり
(288)かへりこましを 此意説々あり。然れ共外の説は六ケ敷也。是は此男の外へ行し跡にて死せし故、かへりて聞て歎ける歌と聞ゆる也。われにつげせばとは、つげたらばと云義也。爲の字は、せとも、たり、たるとも讀む。其意をもて、つげせばとは讀ませたるならん。此男の外へ行しが、それとつげしらせば、外より歸り來てかく果敢なくはさせじものと、いたく歎たる意也
3790 足曳之玉縵之兒如今日何隈乎見管來爾監
あしひきの、玉かづらのこ、けふのごと、いづれのくまを、見つつきにけむ
玉縵 此玉の字は、草の山の字を見誤りたるを、直ぐに板行にも誤りたるならん。玉かづらは山に生ずるものから、山を略して云へる義と見る説あれど、きはめて山の字の誤字なるべし
如今日何のくまを 此義説々あり
然れ共拾穗抄に釋せる通の説しかるべし。けふ尋來れる如く、いづく、いづこのくま/\をも見つつ來にけんと、思ひ慕ふ意もいと哀れに悲しき歌也
昔有老翁號曰竹取翁也此翁季春之月登丘遠望忽値煮羮之九箇女子也百嬌無儔花容無止于時娘子等呼老翁嗤曰舛父來乎吹此燭火也於是翁曰唯唯漸※[走+多]徐行著接座上良久娘子等皆共舍咲相推讓之曰阿誰呼此翁哉爾乃竹取翁謝之曰非慮之外偶逢神仙迷惑之心無敢所禁近狎之罪希贖以謌即作歌一首並短歌
むかしおきなあり、名をたかとりのおきなといふ、すゑのはるのつきをかにのほりてとほく見るに、たちまちにあつものをにるここのたりのをとめにあふ、もものこびたぐひなく、はなのかたちたとふべくもなし、ときにをとめらおきなをよびてあざわらひていふ、をぢきたりてこのひをふけ云々
(289)此竹取老翁の事いかなる人と云事不v詳。當集此端作にあるを證として、後世又これより物語など作り出せる事あり。然れ共此集の外正記を知らざれば、慥成説難v考。世に竹取物語といふもの有。漢土の古事この序などによりて作りたるものならん尤廣才の人の書たる物語と聞ゆる也。色々古事佛經の意を取合て書たる物語の由也。尤かの物語の趣は、此集の意とは異也竹を切て渡v世りし人ありて、竹取の翁と云ひて、ある時竹の内にて小女を得たることを書て、名なよ竹のかぐや姫と名付し事等あり。追而彼物語の事は可v考。此の九ケの女子は仙女なり。則老翁の言葉に神仙にあへりと云へり。此集に神仙にあふ事を詠める歌、第三卷に、仙柘枝に吉野美稻があひし歌、第五卷に、山上憶良の松浦にて仙女にあへる歌、同帥大伴卿琴娘子を夢に見し歌、第九卷に、浦島子丹波水江にて仙女にあふて至2仙境1し歌、此卷此竹取翁九ケの仙女にあへる贈答の歌也。あやしき事の取用ゆべき事ならねど、古く傳へ來りし故事なれば、傳へのまゝに理を不v推見るべき事也
老翁 おぢ、日本紀神代の下鹽土老翁、おぢと讀ませたり。尊稱也。おきなと讀む老夫の通稱也。尤常に云には尊稱の詞にも用る也。然れ共通稱にて自身にも、おきなとも云へり。竹取とは、山野に徘徊して竹をとりて業として世を經たる由、かの竹取物語に書し如くにて、竹をもて物につくり、産業をなせし人故名付たるならん。その由來は難v考
季春之月 三月也
登丘 何れの所とも難v考
遠望 遠く見るとは、眺望と書に同じかるべし。高き丘山に登りて、四方の春色を眺望せしなるべし
忽 おもひよらずと云意也。今忽然と云也
煮羮 野菜茵を鹽漿をもて煮るを云也。和名抄卷第十六、菜羮部云、楚辭曰、有v菜曰v羮、【音庚和名阿豆毛乃】無v菜曰v〓、【呼客反和名同上、今按是以2魚鳥肉1爲v羮也、】魚島を煮るを曰v〓、菜茵等を云v羮と云と見えたり。當集第十卷に、春日野に煙たつみゆをとめらし春野のうはぎつみてにらしもとも詠めり
百嬌花容 皆かたちの美しき、美艶の人と云義也。外にならべたぐふべき人もなきと云ふ義を、無儔無匹と重ねて云へる也。(290)匹を誤りて止に作り、或抄に、やんごとなきと假名を付たるはあまり拙ならん
嗤曰
叔父 老夫の通稱賞賛の詞也。これも、おぢと讀む。我朝にては老翁を尊みておぢと讀む。師匠の事とも傳ふる也
吹此燭火 此義心得難き也。白晝の義に燭火とはいかゞしたる事にや。燒燃の字を可v書ことなれども、燭の字も、もゆると讀む字故書たる歟。羮を燒火なれば吹立てもやせと云義也
唯唯 日本紀第三卷〔注ナシ〕今おゝと云ふに同じ。こたへ應ずる詞也。俗に心得たりと云義也
阿誰 唐の文法也。たれと云義阿は添字也。惣て此阿の字は無心の字に用る也。阿問などゝも書也。唐土の字法未v考
呼此翁 翁をなぶりたる樣なる意也
此竹取翁の長歌并九人の仙女の歌、當集中の難義、古先達も不v下2注解1。無理讀みの解釋ありといへ共難2信用1説々也。よつて此十二首は別傳を立て注釋をすべき也。故に次第を除て別注にしるす也。〔校注者曰、別注無し〕
緑子之若子蚊見庭垂乳爲母所懐搓襁平生蚊見庭結經方衣水津裏丹縫服頸著之童子蚊見庭結幡袂著衣服我矣丹因子等何四千庭三名之綿蚊黒爲髪尾信櫛持於是蚊寸垂取束擧而裳纒見解亂童兒丹成見羅丹津蚊經色丹名著來紫之大綾之衣墨江之遠里小野之眞榛持丹穗之爲衣丹狛錦紐丹縫著刺部重部波累服打十八爲麻續兒等蟻衣之寶之子等蚊打栲者經而織布日曝之朝手作尾信巾裳成者之寸丹取爲支屋所經稻寸丁女蚊妻問迹我丹所來爲彼方之二綾裏沓飛鳥飛鳥壯蚊霖禁縫爲黒沓刺佩而庭立住退莫立禁尾迹女蚊髣髴聞而我丹所來爲水縹絹帶尾引帶成韓帶丹取爲海神之殿盖丹飛翔爲輕如來 腰細丹取餝氷眞十鏡取雙懸而己蚊果還氷見乍春避而野邊尾廻者面白見我矣思經蚊狹野津鳥來鳴翔經秋僻而山邊尾徃者名津蚊爲迹我矣思經蚊天雲裳行田菜引還立路尾所來者打氷刺宮尾見名刺竹之舍人壯裳忍經等氷還等氷見乍誰子其迹哉所思而在如是所爲故爲古部狹狹寸爲我哉端寸八爲今日八方子等丹五十狹邇迹哉所思而在如是所爲故爲古部之賢人藻後之世之堅監將爲迹老人矣送爲車持還來持還來《ミドリコガワカコガミニハタラチシノハハニイダカレタマダスキハフコガミニハムスブカタギヌヒツリニヌヒキクビツキノウナヒコガミニハユフハタノゾデツキゴロモキシワレヲニヨレルコラガヨヂニハミナシツラナルカクロナルカミヲマグシモチコヽニカキタルトリツカネアゲテモマキミトキミダレウナヒコニナレルミヅラニソカフルイロニナツケクルムラサキノオホアヤノキヌスミノエノトホザトヲノノマハギモテニホシシキヌニコマニシキヒモニヌヒツケサシヘカサネヘナミカサネキテウチソハシヲミノコラアリキヌノタカラノコラガウツタヘハヘテオルヌノヲヒニサラシアサテツクラセシキモナセバシキニトリシキヤドニヘテイネスヲトメガツマトフトワレニゾキニシヲチカタノフタアヤウラクツトブトリノアスカヲトコガナガメイミヌヒシクログツサシハキテニハニタダズミイデナタチイサムヲトメガホノキキテワレニゾコシミハナダノキヌノオビヲヒキオピナレルカラオビニトリシワタツミノトノノミカサニトビカケルスガルノゴトキコシボソニトリテカザラヒマソカヾミトリナシカケテオノガミノカヘラヒミツヽハルサリテノベヲメグレパオモシロミワレヲオモフカサノツドリキナキカケラフアキサケテヤマベヲユケバナツカシトワレヲオモフカアマグモモユキタナビキカヘタチミチヲクルニハウチヒサスミヤヲミテモナサスタケノトネリヲトコモシノブラヒカヘラヒミツツタガコゾトヤオモヒテアラムカクゾシコシイニシヘノササキシワレヤハシキヤシケフヤモコラニイサニトヤオモヒテアラムカクゾシコシイニシヘノカシコキヒトモノチノヨノカタミニセムトオヒビトヲオクリシクルマモチカヘリコネ》
反歌二首
(291)3792 死者水苑相不見在目生而在者白髪子等丹不生在目八方《シナバコソアヒミズアラメイキテアラバシラガミコラニオヒザラメヤモ》
3793 白髪爲子等母生名者如是將若異子等丹所詈金目八《シラガセムコラモイキナバカクノゴトワカケムコラニノラレカネメヤ》
娘子等和歌九首
3794 端寸八爲老夫之歌丹大欲寸九兒等哉蚊間毛而將居《ハシキヤシオキナノウタニオホホシキココノコラヤカマケテヲラム》
3795 辱尾忍辱尾黙無事物不言先丹我者將依《ハチヲシノビハチヲモダシテコトモナクモノイハヌサキニワレハヨリナム》
3796 否藻諾藻隨欲可赦貌所見哉我藻依《イナモウモオモハムママニユルスベシカタチミエメヤワレモヨリナム》
3797 死藻生藻同心跡結而爲友八違我藻將依《シニモイキモオナジコヽロトムスビテシトモハタガハジワレモヨリナム》
3798 何爲迹違將居否藻諾藻友之波波 我裳將依《ナニセムトタガヒハヲラムイナモウモトモノナミナミワレモヨリナム》
3799 豈藻不在自身之柄人子事藻不盡我藻將依《アニモアラズオノガミガラヲヒトノコノコトモツクサジワレモヨリナム》
3800 者田爲爲寸穗庭莫出思而有情者所知我藻將依《ハタススキホニハイヅナトオモヒテココロハシレリワレモヨリナム》
3801 墨之江之岸野之棒丹丹穗所經迹丹穗葉寐我八丹穗氷而將居《スミノエノキシノノハギニニホハセトニホハヌワレハニホヒテヲラム》
3802 春之野乃下草靡我藻依丹穗氷因將友之隨意《ハルノノノシタクサナビキワレモヨルニホヒヨリナムトモノマニマニ》
昔者有壯士與美女也【姓名未詳】不告二親竊交接於時娘子之意欲報令知因作歌詠送與其父歌曰
むかしをとことをとめとあり、ちゝはゝにつげずひそかにまじはりをなす云々
欲親令知 令の字親の上にあるべし。傳寫の誤ならん。其父の父は夫の誤り也
3803 隱耳戀者辛苦山葉從出來月之顯者如何
しのびのみ、こふるはくるし、やまのはに、いでくるつきの、あらはればいかに
二親に不v令v知、隱して交接するは苦しくあるべき事也。若し顯はれなばいかにとやせんと氣遣ひしたる也。山の端より出(292)來る月に意はなし。たゞあらはればと云はん序也。よく聞えたる歌也。
右或曰男有答歌者未得探求也 無計後注也。後人の傍注にや
昔者右壯士新成婚禮也未經幾時忽爲驛使被遣遠境公事有限會期無日於是娘子感慟懷愴沈臥疾※[病垂/尓]累年之後壯士還來覆命既了乃詣相視而娘子之姿容疲羸甚異言語 哽咽于時壯士哀嘆流涙裁歌口號其歌一首 むかしをとこあり云々 伊物に昔男ありけりと書出せるも、これらの端書に基きてならん
感慟懷愴 皆悲み嘆き、感慨の情を起すことを云たる義也
覆命既了 天子の公役につきて、遠國へ使に行て其かへり事を申しゝ事也。其かへり事など申了りてと云義也。神代上卷云、一書曰、伊弉〔諾尊勅2任三子1曰〕天照大神〔者可3以御2高天之原1也。月夜見尊者可3以配v日而知2天事1也。素戔嗚尊者可3以御3治海之原1也。既而天照大神在2於天上1曰、聞3葦原中國〕有2保食神1宜爾月夜見尊〔就候之。月夜見尊受v勅而降、已到2于保食神許1。保食神乃廻v首嚮v國則自v口出v飯、又嚮v海則鰭廣鰭狹亦自v口出、又野山則毛鹿毛柔亦自v口出、品物委備貯2之百※[木+兀]1而饗之、見時月夜見尊忿然作色曰、穢矣、鄙矣、寧可d以2口吐之物1敢養我乎〕廼拔v劔撃殺、然後復命具言2其事1。同下卷云、問2當v遣者1、僉曰、天國玉之子天稚彦是壯士也。〔宜v試v之。於v是高皇産靈尊賜2天稚彦天鹿兒弓及天羽羽1矢v以造v之此神亦不2忠誠1也、來到即娶2顯國玉之女子下照姫1【亦名高姫亦名稚國玉】因留住之日、吾亦欲v馭2葦原中國1〕遂不2復命1云々。此序の覆の字は復の誤り歟。音相通ずる故用る歟。天子へ御返答を申上ぐる事を復命と書て、かへり事申すと讀む也。令にも覆奏と云事あり。二度奏する義也。復覆通ずる歟
裁歌口號 歌を作りて口ずさむとも讀めり。然れ共口號の二字にて歌とも讀めば、うたふと讀むべし。古は皆吟詠せし故詠とは書たり
3804 如是耳爾有家流物乎猪名川之奥乎深目而吾念有來
(293)かくのみに、ありけるものを、いな川の、おきをふかめて、わがおもへり來る
かくのみにありけるとは、われを戀慕ひわびて、なやみ煩ひやせ衰ふ程にありけるを、久敷年を隔て別れたれば、われと率ゐ並ぶる意もなく、外に心もうつりたるにてあらんと、かへりて深く心を廻して、われは思ひしと悔い嘆きたる歌と聞ゆる也かくのみといふ詞は、第二卷に、かみ山の山べまそゆふみじかゆふかくのみゆゑに長と思ひき。第十二卷にも、かくのみに有ける君をきぬならば下にもきんとわがおもへりける。猪名川攝津國にあり。第十一卷に、しながとり居名山どよみ行水と詠めり。川にも田にも千町の沖など詠めり。ゐな川を詠めるは攝津國の人故ならん。その住所の地名に寄せて奥と云はん爲なり。ひきゐなれん事のかはらんかと、奥行末の事を、深く兼て思ひしと云意をこめて詠めるとも聞ゆる也
娘子臥聞夫君之歌從枕擧頭應聲和歌一首
いらつこ、ふしながらなせのうたをききて、まくらよりかしらをあげて、こゑにしたがひてこたふるうた
3805 烏玉之黒髪所沾而沫雪之零也來座幾許戀者
ぬばたまの、くろかみぬれて、あはゆきの、ふりてやきます、こゝたこふれば
あは雪の降りてやきますとは、前に累年之後とあるにて聞えたり。黒髪ぬれてと詠みたるも、此句を設けん爲也。年ふりて黒髪も白くなりてやきますと云義を、沫雪の降りてやとよせて詠みたる也。夫の歌に奥をふかめてと詠みたるから、和へ歌にも、年ふりても心不v變黒髪の白くなる如く年ふりたれ共、わがかくいたく戀ふれば、契りたかへず來ませる事の嬉しきとの意也。互の實情深き歌なり。今時の淺き意にては聞得難き歌なり。一段上を越て詠める意と見るべし。或説に、後注の意を守て雪の降るにもやと讀むべしと釋せり。さ讀みては歌の意不2面白1。歌と云ふものゝ意味はなき也。ふりてやと云ふテニハ少難2心得1。然れども宗師の意は不v决。詞面白きと也。勿論もの字を入れて見ればよく聞えたり。その意なるべし
今案此歌其夫被使既經累載而當還時雪落之冬也因斯娘子作此沫雪之句歟
(294)此古注者の意は、沫雪の降りてやと詠める作者の意を觀味させたるの注也。尤其時節にてもあらんか。ともに歌の意は前に注せる意なるべし
3806 事之有者小泊瀕山乃石城爾母隱者共爾莫思吾背
ことしあらば、をはつせやまの、いはきにも、かくればともに、なもひそあがせ
後注に、壯士父母に不v知して交接をなせし事を畏れ憚りける由を記せり。その意もて、若し事あらはれて呵嘖せられ、死に及ぶ程の事ありとも、一ツの石槨に入れてかくれん、我心の堅固に思ひ定めたるからに、さのみ氣遣しく物な思ひ給ひそと壯士を勇めすかして、我心の不v變と云事をあらはせし意也。小泊瀬山と詠めるは、其頃の墓所なる故ならん。尤身の果つるともと云意を含みて也。死すとも一所に死なんと云意に、石城にもこもらんと也。かくればともは、こもらばとも讀むべし同じ意也。死事を石がくれとも云、石城ともすべて墓所を、きと云古語、前々にも毎度注したり。おきつき、いまきなど皆墓をさして云古語也。此石城も同じ石槨などをさむる處故、いはき共云たる也。第九卷の歌にも、處女墓を詠める長歌の詞に玉鉾の道のへ近くいはがまへつくれるつかをとあり
右傳云時有女子不知父母竊接壯士也壯士悚※[立心偏+場の旁]其親呵嘖稍有猶豫之意因此娘子裁作斯歌贈與其夫也
みぎ傳へ云、むかし云々
時 昔の字の誤也。ときにと云て文義すむべからず。此誤字此已下にもあり。准v此て改むべし
悚※[立心偏+場の旁] おぢ恐るゝの意也。呵嘖しかりせめる義也
猶豫 交接する事をためらふたる義也
3807 安積香山影副所見山井之淺心乎吾念莫國
(295)あさかやま、かげさへみゆる、やまの井の、あさきこころを、わがおもはなくに
安積香山奥州也。積の字さかとも讀めどこゝは音書也。かげさへはかも見ゆると云義、所の地名を當然に詠出て、山の井と云物は淺きもの故、下の淺き心と云はん迄の序也。王を疎略には思はぬ、大切に思ふとの意也。それをかく地名を詠み入ていと優しくも詠みなせし名歌とも云ひつべし。古今集の序文にも被v載て、童の耳にも傳へ聞しれる歌也。貫之の歌に、むすぶ手の雫に濁る山の井のあかでも人にわかれぬるかなとよめるも、山の井はあさき物故濁りやすき意也。かげさへ見ゆると云意は、心の底の清くすめると云義を含めたるならん。尤後注の意を得て聞えたる歌也。古今序の細注者、下の句を、おもふ物かはと直して書きし也。心得難き事也。又大和物語の事は、此集の後注をとりて作りたるものならん
右歌傳云葛城王遣于陸奥國之時國司祗承緩怠異甚於時王意不悦怒色顯面雖設飲饌不肯宴樂於是有前采女風流娘子左手捧觴右手持水撃之王膝而詠其歌爾乃王意解脱樂飲終日
葛城王 此王の事いづれとも難v知。世説一同に橘諸兄と定めたり。然れども諸兄公奥州へ下向の事國史に不v見也。其上葛城王と云名以上三人あり。伊與風土記にも一人、聖徳太子の時分と記せり。此義は不v慥義とも可v謂歟。天武紀に八年秋七月己卯朔乙未四位葛城王卒とあり。さて諸兄公以上三人也。注の文中に前釆女風流云々とある、前釆女諸兄の時代不v合事あり。よりて諸兄公と世説決定したれ共不審ある事也。又續日本紀に頒田使を葛城王被v勤し事あれば、若し此時の事ならんか。國司祗承緩怠の事此節の事にも聞ゆる也。此義尚追而可v遂2後考1者也
祗承は 天子の命令を守りつゝしむ事也。緩怠なれば不v慎怠りたる也。古今細注には、ことおろそかと書けり。
右手持水 水をさげとも讀む也。酒の事也。此項下の歌にも、うま飯を水にかみなしと詠めり。此水もさげ也。直ちにさげと讀む也
撃之王膝 此文少難2心得1。左右の手に物を持ち、膝をうつと書けることいかゞ。若し誤字ならんか。酒盃は前に具へ置て、吟詠の拍子など取りて戯れ歌ひたるならん歟
(296)3808 墨江之小集樂爾出而寤爾毛己妻尚乎鏡登見津藻
すみのえの、をづめにいでて、うつつにも、わがつますらを、かがみと見つも
小集樂 此三字ををづめと讀む義未v詳也。古來より読み來りて義訓也。左注にも記せる如く、古は郷里の男女群集して野遊せし事ありて、それを、をづめとは稱し來り、をづめと云義も如何なる義にて云ふとも知れ難し。をづら共讀み來り、いづれも訓義未v詳也。今住吉に、しほひの群集又おはらへなど云事ある、此遺風ならんか
寤爾毛 此詞少心得難し。若し誤字にや。先づ諸抄の釋は、さだかに現在に見る處にもと云意と云へり。鏡とみつもは美貌の手本と見ると也。見つと云はんとて、鏡とは詠出たるならん。すらをと云へるは、卑下を合みて我妻の如きもと云意也
右傳云昔者鄙人姓名未詳也于時郷里男女衆集野遊是會衆之中有鄙人夫婦其婦容姿端正秀於衆諸乃彼鄙人之意彌増愛妻之情而作斯歌讃嘆美貌也 此注の文句未v詳。脱文あらんか。いかに共下の文句に不v續也
于時郷里男女云々 此上に何とぞ文句なくては時にとはうつり難し。決して落字脱文あるべし
容姿端正 すがたかたちの勝れたる義を云へる文也。日本紀等に毎度義訓に讀ませたる字也。委不v及v注v之
3809 商變領爲跡之御法有者許曾吾下衣變賜米
あきがはり、せよとのみのり、あらばこそ、わがしたごろも、かへしたまはめ
あきがはりせよとの云々 これは物を賣り買ひ又取りかへす事もせよとの、天下の御法あらばこそと云義也。一度賣買ふたるものは、二度取かへす事はせざる天下の御法なり。なれどもそれをもせよとの命令ありて、法もあらばこそ一度かたみに献りし衣をもかへし給はめ、さなきに今更かたみ物をかへし給て、われを見捨て給ふ事の恨めしきと奉v恨たる意世。左注傳書にて、よく聞えたる歌也。何の御代の天子の寵女ににや難v考
(297)領爲の二字にて義訓に、せよと讀むべし。しらすと讀むは義六ケ敷也
右傳云時有所幸娘子也【姓名未詳】寵薄之後還賜寄物【俗云可多美】於是娘子怨恨聊作斯歌獻上 此時の字昔の字なるべし。前後の左注傳書等皆昔とありて文義も通ぜり。此注計りに時とありて、しかも上に文もなく時にと書出す事心得難し。奧に到りても時とあるは、此一注誤りしより皆誤りしならん
所幸 めでらるゝと讀むべし。日本紀にては、めさるとも讀ませたり
献上 天子に所v寵し娘子と見えたり。さなくて此二字は難v記
3810 味飯乎水爾釀成吾待之代者曾無直爾之不有者
うまいひを、さけにかみなし、わがまちし、かひは□禰にしからねば
味飯 あぢいひと讀ませたれど、うまざけのみわと云古語あればうまと讀むべし。水爾は、水を、さけとも讀む事珍しからず。前にも葛城王の歌の左注に出たり。釀成は、酒を造るを、かみ、かむと云ふ、かもすとも云古語也。古は人を待つ馳走に新たに酒を造りて待ちうけしと聞えて、第四卷に、大伴卿の歌にも
君がためかみしまちざけやすのゝにひとりやのまんともなしにして
此歌も爲v人酒をつくりて待ちしと也
代者 假名本に、よはかつてなしと讀みたり。或抄にかひはと讀むべしと釋して、代は、物のかはりを云字、よりて物の値を代と云也。かひとは、かはりと云ふ義、はりを約して、ひ也。今俗に無v値におして物を取る事を、無代《ムダイ》なる義抔云も此義を取りて也。物のかひ無きと云詞も、かはり無きと云義と云へり。尤可也。此歌の意酒を作りていか計り待居しその代りも無きと云義と聞えたり。然れども、よはと讀ませたるも深き意ある讀みやう也。よとは、夜に寄せて云たる義也。夫を戀慕ふて待なれば夜と讀むべき事也。下に續く詞も、直はねと讀むべし。よりて此歌の讀みやう兩義に見る也
(298)曾無直、此三字を、かつてなしたゞと讀みては一向歌詞にあらず。宗師案は、夜はいとむなしとか、又かひはむなしもとか讀むべし。ねにしあらねば、ねる事のなければ、待ちしかひはなく空しきと云義と見る也。直の字集中たゞとのみ讀ませたれど、此一字は別訓あるべき也。代者曾無は、よはいとむなしとも讀むべき也。曾の字、いとゝ讀む義は語の餘りと云ふ事歌には數多ありて發語と同じ義にて、義理に當りて云詞にあらず。上より下に續く間の句々連續の爲に、いとの、かつの、はたのなど云詞あるは、歌の雅言と云ふもの也。此曾の字もかつてと讀む字なれば、語の餘りに用ゆる字にて、いとと讀む事不v苦也。ねにしあらねばとは、他女をむかへて其身はもはや不v來、包み物を贈りて相別れたれば、二度枕を並べ寢る事無き故、如v此詠める也。たゞにしあらねばと讀みては、いかに共義解し難し。諸抄の説に、かの夫他妻を求めて、たゞにあらねば待ちしかひなきとの義と釋せり。一通は聞えたるやうなれど、さは云難き事也。又假名付の如く、よはかつてなし、たゞにしあらねばと讀みては一向義不v通也。曾無直の三字尚後案すべし
右傳云昔有娘子也相別其夫望戀經年爾時夫君吏娶他妻正身不來徒贈※[果/衣のなべぶたなし]物因此娘子作此恨歌還酬之也
字面の通の左注也。包み物を贈るとは何にても物を贈りたる義を如v此書たるなるべし
戀夫君歌一首並短歌 夫君とは妻より夫を崇敬して云ふ詞也。訓にて云はゞ夫を慕ふと讀むべきか。こふと讀まは夫にこふと讀むべし。古は何をこふとは云はず、何にこふとならでは云はざる也
3811 左年通良布君之三言等玉梓乃使毛不來者憶病吾身一曾千磐破神爾毛莫負卜部座龜毛莫燒曾戀之久爾痛吾身曾伊知白苦身爾染保里村肝乃心碎而將死命爾波可爾成奴今更君可吾乎喚足千根乃母之御事歟百不足八十乃衢爾夕占爾座卜爾毛曾問應死吾之故
さにつらふ、きみがみことと、たまづさの、つかひもこねば、おもひやむ、わがみひとつぞ、ちはや(299)ぶる、かみにもおほすな、うらべすゑ、かめもなやきそ、こひしくに、いたむわがみぞ、いちじろく、みにしみてほり、むらきもの、こころくだきて、しなむいのち、にはかになりぬ、いまさらに、きみがわをよぶ、たらちねの、ははのみことか、ももたらぬ、やそのちまたに、ゆふげにも、うらにもぞとふ、しなむわがゆゑ
きみがみことゝたまづさの 夫のいひおくる事の使もこぬと也。夫を尊んで、みことゝは云へり。尤みとは發語の詞にて、天子の命令に限りて云ふ事なれど、昔はかく世の常の人の事も、みことゝは云へり。これは畢竟發語の詞故也。おもひやむは、夫の事を思ひこひ病む也
戀之久爾 此事は珍しき詞なれど、くと、きと通ふ故戀しきにと云義なるべし。我思ひやむ事は、神のたゝり物のわざにもあらず、たゞ夫の戀しきから、かく迄なやみ煩らふ程に、いかになるとも神にも負すな、又いかなる神のたたりにもやと、龜など燒きて卜ふなどの義也。戀しき故にいたむわ身ぞと也。その苦しき事のいち白くあらはれてと也。神にも負すな、龜もなやきそと云へる事は、第十四卷にも、出たる事也。伊物に、人しれずわが戀しなばと詠める意に同じ
身爾染保里 此句いかに共心得難し。是は身にしみとほりと云ふ、との字の脱たるにや。苦しき事の身にしみ通りと續きたる句なるべし。一説には、身にしみとほりと讀ませ、夫を戀ふ事の身にしみて見まくほしきと云義、ほりは欲の字の意と注せり。いかに共さは不v得v聞也。
將死命爾波可爾成奴 病重りて命の絶えんとする時の義也。古今集哀傷の歌の詞書に、在原の滋春、甲斐の國に〔相知りて侍りける人、とぶらはんとてまかりける道なかにて〕俄かに病をしていま/\となりにければと云意に同じ
今更君可吾乎喚云々 此句もとくと聞得難し。諸抄の意は俄かに絶入しを呼びいけたる義を云へるならん。今更と云義は夫を呼びに遣して、こゝに來りて枕上にて絶入しを、呼びいけたる義に、今更にと云へる歟、初め呼び迎へし人の今又と云意也。既に絶えんとするを二廣呼びいけると云意歟。はゝのみことかとは、母の言葉歟と云義、又母を尊んで命かと云意兩義(300)に聞ゆる也。君が呼ぶか母の呼ぶかと云意也
卜爾毛曾門應死吾之故 うらにもぞとへしなんわがゆゑとは、外の事にてわが死するにあらず。神のたゞもゝのわざなどにて死するにはあらず、わが死ぬる故は、君を慕ひわびてこそ死ぬれと云義也。その故をいかやうの卜にも問へと也
反歌
3812 卜部乎毛八十乃衢毛占雖問君乎相見多時不知毛
うらべをも、やそのちまたも、うらとへど、きみをあひ見る、たどきしらずも
うらべをもとは、卜かたをする人に卜を問ひ、又辻占をも問へど、夫にあふべきかた續きも知れねば、これまて思ひ煩ひてかくは死行くとの意也。夫の不2往來1してこれ迄戀慕ひし時のことわざを云たる義也
或本反歌曰
3813 吾命者惜雲不有散追良布君爾依而曾長欲爲
わがいのち、をしくもあらず、さにつらふ、きみによりてぞ、ながくほりする
さにつらふはさねつる也。散の字をさにと讀むは、むの音は、にに通ふ也。音借訓にして、さとは發語の詞、又物をあらはに云はぬ言葉をさと云也、につらふは、ねつるきみと云義前々毎度ありし詞也。歌の意はよく聞えたり
右傳云時侑娘子姓車持氏也其夫久逕年序不作往來于時娘子係戀傷心沈臥痾※[病垂/尓]瘠羸日異忽臨泉路於是遣使喚其夫君來而乃歔欷流涕口號斯歌登時逝没也
此時の字も心得難し。若し昔と義訓せる歟
係戀 けいれんとは、思ひつながれまとはるゝと云義也。係は繋と同じ字義也
痾※[病垂/尓] やまひと讀む字也。二字とも病の義を云へる也
(301)登時 その時也。すなはちと云意と同じ。右の歌を詠みてすなはち死したると也
贈歌一首
3814 眞珠者緒絶爲爾伎登聞之故爾其緒復貫吾玉爾將爲
しらたまは、をだえしにきと、ききしからに、そのをまたぬき、わがたまにせん
眞珠和名抄云、日本紀私記云、眞珠【之良太麻】、あはび貝の中にある玉を、今も眞珠とのみ云ひてそれと知れり。至て白き珠也。よりて義訓に讀ませたる歟。歌の意は注にてよく聞えたり。第七卷に、てるさつが手にまきしと詠める歌の下の句、此歌と同じ。前の夫の手きれなば我妻にせんとの義を、緒を男になして云へる也。假名も相叶へばかく寄せたる也
答歌一首
3815 白玉之緒絶者信雖然其緒又貫人持去家有
しらたまの、をたえばさねに、しかれども、そのをまたぬき、ひともていにけり
歌の意左注にて聞えたり。一度男に捨てられし事はまことなれど、改めて他氏に娶られしと也。信の字まことゝ讀ませたれど俗言なり。まことゝ云も、さねと云ふも義は同じけれど、歌詞と俗言との違あり
右傳云時有娘子夫君見棄改適他氏也于時或有壯士不知改適此歌贈遣請誂於女之父母者於是父母之意壯士未聞委曲之旨乃依彼報歌送以顯改適之縁也
此時の字も前に注せる如く誤字なるべし
穗積親王御歌一首 傳前に注せり
3816 家爾有之蹕爾掌刺藏而師戀乃奴之束見懸而
いへにありし、ひつにくるさし、をさめてし、こひのやつこが、つかみかかりて
(302)※[金+巣] 和名抄云〔唐韻云、※[金+巣]【蘇果反、俗作2※[金+巣]子】鐡※[金+巣]也、楊子漢語抄云、※[金+巣]子【藏乃賀岐、辨色立成云、藏鑰】〕和名抄にては、くらのかきと讀ませたり。今俗間にジヤウをおろすなど云、錠の字を俗通に用、いかなる誤りにや難v辭。※[金+巣]はとざすと讀ませて、とぢ固め不v開義に用る字也。ジヤウとは、此字のサウの音を誤りて云來れる歟。ここにも假名付に、サウさしと讀ませたり。サウは音也。閉をサウと云ひ、開を鍵と云ふと云に、和名には藏の鍵とあれば、閉の方には不v合せ。然れども戸さすと讀み來れるより、此歌には此字を書て、くろゝと云義に讀ませたると見えたり。今戸に、くろゝと云もの有、不v開爲に掛たるもの也。金にても木にても串を貫通して、不v開樣にしたるもの也。此歌の意も櫃を不v開爲にさしたる義なれば、くろゝと讀むべき也。枢の《クルリ》の意也。たゞしかぎさしとも讀まんか。鎖鑰と續て二字相連て用ふ時鎖は牝也。鑰は牡也と云字注あり。和名にてもかぎと讀ませたれば、枢の意にて、かぎとも讀むべき歟。實はくさりと云字也。枢の字俗通に、くろゝと讀ませ來れり。字義未2詳考1也。第二十卷の歌に、むらたまの久留にくぎさしかためとしいもがこゝりはあよくなめかもと詠める歌もあり
こひのやつこのつかみかゝれる、第四卷にも、つかみかかれると云詞あり。第十一、十二卷にも、おもわすれだにもえずやとたにきりてうてどもこりず戀の奴は。ますらをのさとき心も今はなし戀の奴にわれはしぬべし。如v此詠める作例あるをもて、俊頼朝臣の歌にも、したひくる戀の奴の旅にても身のくせなれや夕となれば、戀の奴つかみかゝるなど、今時の姿には不v好詞也。歌の意は、戀と云ふものの忍び難く、をさめ難きと云義を詠給ふ迄の歌也。畢竟俳諧躰と云歌也。左注の趣にては親王の御歌とは不v聞、古歌を宴飲などの時、酒に興じて誦し給ふ由也。然れ共端書に親王御歌とあれば、一度詠じ給ひしを宴毎に誦し給へるならんか
右歌一首穗積親王宴飲之日酒酣之時好誦斯歌以爲恒賞也
爲恒賞 つねのもてあそびごとゝすと云義也
3817 可流羽須波田廬乃毛等爾吾兄子者二布夫爾咲而立麻爲所見【田廬者多夫世反】
かるうすは、たぶせのもとに、わがせこは、にほふにゑみて、立ませるみゆ
(303)可流羽須 これを印本假名付には、かるはすはと讀みたり。羽の字計りを訓に讀むべき樣なく、又かるはすと云事あらんや、はすと云によりて、矢の事などゝ云説は不v足v論。これは田舍にて稻をつく臼の事なるべし。からうすと云て、今末々のものゝ足にて踏む如きのものにはあらず。米をひくもの也。古は皆女のわざにして、田ぶせとは田家なり。卑しき女のしわざに、米などを引に今の俗間に、小歌を歌ふなど云のたぐひにて、にふゝは吟ふの事也。妻はかる臼を引て歌を歌ふを、夫は田家のあたりに此しわざを見聞て面白がり、立居るとの何事もなき歌也。これ賤女の詠める歌なるべし。にふゝとは鈍々と云事、にが笑ひ抔云義と云説は不v可2信用1義也。たぶせとは田の邊にある伏屋と云ふもの也。廬は、いほりとも讀む字也。古語に田廬の二字を、たぶせと云たる故、則下に注を加へたり。第八卷にも、たぶせにをればと詠める歌あり
田廬者多夫世也 也を誤て反の字に作れり。左注にも、河村王彈v琴時誦するとは、これ今時の歌を歌ふの義に同じくて田廬の邊にて賤女が歌を歌ひ居るを、夫は其吟詠するを面白がりて、ゑみて立て聞居るとの歌也
3818 朝霞香火屋之下乃鳴川津之努比管有常將告兒毛欲得
あさがすみ、かひやがしたの、なくかはづ、しのびつつありと、つげむこもがな
此歌は第十卷にも出でたる詞の歌にて、大方同じ詞也。下の句少違たれば別歌ならんか。此朝霞かひやと云事説まち/\也。前に委く注せり。此歌の意は、鳴く蛙と云迄の序也。戀にわがこがれて、かく忍びつゝあると、思ふ人に告げしらする子もがなと願ふたる意也。山間谷川などに、水がくれて鳴く蛙に、わが人知れず戀わびて忍びつゝあると云意をあらはしたる也。つげんこもがなは、思ひわぶる先へつげ知らする人もがなと云意也。先の忍びつゝあると、われに告しらす兒もと云説もあれど六ケ敷也。かひやは山の間谷をさして云へる義也。
右二首河村王宴居之時彈琴而即先誦此歌以爲常行也
河村王、續日本紀云、寶龜八年十一月己酉朔戊辰、授2無位川村王從五位下1。十年十一月甲午爲2少納言1。延暦元年閏正月庚子阿波守。八年四月備後守。
(304)注の意不v及v釋、文句の通也。
3819 暮立之兩打零者春日野之草花之未乃白露於母保遊
ゆふだちの、あめうちふれば、かすがのの、をばながすゑの、しらつゆおもほゆ
此歌は第十卷に出たり。然れ共第二の句違たる計り也。同歌ならんか。重出あるは古萬葉と云ふとは違へるの義故歟。兎角古注者の注を加たるは、萬葉撰者の後の所爲と見ゆる也。歌の意第十卷に注せり
3820 夕附日指哉河邊爾構屋之形乎宜美諾所因來
ゆふづくひ、さすやかはべに、つくるやの、すがたをよしみ、うべぞより來る
形を、かたちをと讀めれど河邊の縁無し。すがたとは、洲潟と云ふ詞に通ふ也。歌はかくの如き少しの寄り所あるを歌とはする也。かたちと云も、潟と云詞あれ共すがたと讀む方然るべし。風景々色のよき風流の莊觀故、誰れも寄り來ると云意にて、戀歌に見る時は、思ひかけし人の顔かたち美しくよき姿の人故、尤証誰れ寄り來ると云意と聞ゆる也。さすやかは邊とうけたるは、夕つく日の輝くと云意を含みて也。歌は皆如v此の意味あるを本とする也
右歌二首小鯛王宴居之日取琴登時必先吟詠此歌也其小鯛王者更名置始多久美斯人也
聞えたる通の文句也
兒部女王〓歌一首 ちいさこべのひめにおほふきみわらふうたひとぐさ
〓は 嗤の字の誤也。嗤、シの音にて笑也と云字注あり
3821 美麗物何所不飽矣坂門等之角乃布久禮爾四具比相爾計六
うまひとは、いづれあかぬを、さかつらの、すまひほぐれに、しぐみあひにけん
此歌諸抄の説は佐注は尺度氏也と云ふをさかどと讀みて、坂門も、さかどらがと讀み、彼女をさして云へる事と注し、角乃(305)二字をつのゝと讀みたり。歌の意は、よき人を嫌ひて、卑しき醜き人に會ひしと笑給ふと釋したれど、全躰詠みなせる歌の句意不v濟也
しく比あひにけりと云詞寄り處なき詞也。よりて宗師案は、此歌全く、すまふの事にし立て、すまひは、下郎の者のわざなれば、おのづから卑めたる意こもりて、高貴美容の人を嫌ひて、下姓醜面の者に從ひしをあざけり笑ひたる義也
美麗物の三字も よきものゝと讀ませたれど、俗言に同じ。下に不飽をと讀みたれは、うまと讀むべき縁語也。物は、ひとゝ讀める事此集中にもまゝある事也。義訓に、ひとゝ讀む事古書にも毎度あれば、歌の意、人のよしあしを云ふたる義なれば、ひとと讀までは不v通也
何所 なぞもと讀ませたるは、讀むまじき義にもあらねと、大方いづれ、いづくと讀來れり。歌の意は、なぞもと讀める方義安けれど、なぞと讀める事珍しければ、いづれとは讀む也。所の字は、れと讀む也。いづれにても、よき人は好み飽かぬにと云ふ義也。誰れにてもよき人をこそ好むにとの意ならん
坂門等之 これは鬥を門に誤りたるならんか。尤づはどと同音なれば、音通にて讀たる歟。第十四卷に、しみづは汲まずと云ふに、西美度波久末受と書たり。これは、さかづらと讀までは不v聞。さかづらと云詞ある詞也。さかづらは、箙と云ふ武具にも云來る詞ありて、こゝのさかづらと云ふは、面のシヤクみて、おとがひなどの膨れたるものを云詞也。凡て顔面の見にくきものを、さかづらと卑め云ひたる也。此歌も女の姓尺度氏故、此詞を詠み入給ひたる歟。然れ共義は男の面のみにくきを卑めて云へる詞也
角乃は 角刀の二字なるべし。刀と乃とは毎度誤り安く、似たる字形なれば、誤る事度々也。諸抄の説の如く、角のふくれと云ひては、下のしぐみあひと云詞は、寄り處なく濟まぬ義也。これは角刀の二字、日本紀にも、ちからくらべと讀ませ、すまひと讀む也。すまふの事にして云ひたれば、下の、しぐびあひもよく聞えて、歌と云ふ處の筋聞ゆる也。角の膨れにしぐひあひと云て、顔醜きを、角の膨れと云との義、又しぐびあひは、只卑しき男にとりあひたるとの事とは歌の釋を不v知人(306)の釋なり。古人の歌は、歌と云所ある事を古來名達の歌人と不v辨歟。歌の釋共無理なる事多し。此歌とても、すまひの事に仕立て詠みたるから、ほぐれのしぐみなど云ふ詞を云へる也
布久禮 これも※[暴+皮]と云ふ義と釋し來れ共、角のふくれと云ふ事句例なく、語例も不v聞。角力には、ほぐれをとると云ふ事古く云傳へたり。ふもほも同音通なれば、これもほぐれにて、下にはほのかなる暮に醜き人に出合たりけんと云意也。しぐびはしぐみ也。組相の義を寄せて云ひたる意也。薄暮のあやわかぬ折節にて、かく醜き男をも不v辨あひけんと云意をこめて、表はすまひの事に云ひなしたる歌と聞ゆる也
右時有娘子姓尺度氏也此娘子不聽高姓美人之所誂應許不姓※[女+鬼]士之所誂也於是兒部女王裁作此歌嗤咲彼愚也
所誂 高姓の人と下姓の人爭ひて、此娘子を戀もとめし故、いどむとは書たるならん
應許は その方に隨ひうけ引たると也。此左注も所見知る處ありて注せし歟。又歌によりて作意に注せる事も計り難し。凡て此卷の歌、本萬葉の撰者の集篇とも不v見。後人雜歌を加入して左注を記せると見ゆる歌多し。集中にて第五卷と此卷の歌、古萬葉の歌と新加の歌との差別ある事也。よく/\熟覽すべし
古歌曰
此標題も心得難き端書也。これらによるに、兎角古萬葉と云ふものありて、新加したる本今如v此世にもてはやすと見ゆる也。今此本は古萬葉と云ふにはあるべからず。新加傍注等を其儘に傳寫したると見えたり。此端書いかにとも難2心得1。此古歌曰の三字古注者の加筆にて、歌は萬葉の歌ならんか。椎野連の説を注せんとて、古注者、此古歌曰の三字を書加たるならん
3822 橘寺之長屋爾吾率宿之童女波奈理波髪上都良武可
たちばなの、てらのながやに、わがゐねし、うなゐはなりは、かみあげつらんか
(307)此歌の意いかに共きゝ得難し。よりて椎野氏も難じ置かれたり。椎野氏は歌の書樣を難じられたる歟。讀み樣を知られざる歟。寺之二字を、てらのとならでは讀まれざると心得たる故、佐注の如く難ぜし歟。これは不v勘の説也。はなりはをはなりにと云へるは尤可也。此歌諸抄の説は、橘寺之三字をたちばな寺の事と心得て。太子傳を引き古義を注せる事あれど、これは椎野氏の難問の通、橘寺の事にては無く、立花の盛りに照りたる、汝が家にと云ふ義なるべし。寺之の二字、てらすとも、てれるとも讀むべき字也。てらは、てれも同音、之はなる共又音にては、しともすとも讀むなれば、てらす共てれるとも讀まるゝ也。椎野氏は借訓にて書けるを、寺家の事とのみ心得て、てらとならでは讀まれぬ事と心得たるから、左注の如く難ぜし也。わがゐねしはひきゐねし也。われと共にねし童女はと云事也。つれそふ事を、ゐとは云也。いねのいとは違ふ也。神代下卷の神詠にある、ゐねしも同じ。當集第七卷にも、いづくに君がわれゐしのがむと詠めるゐ也。ひきゐ行てねしの意也
うなゐ 男女共に髪を垂れて束ね結たるを、六七才計までは皆垂れ髪にして居る故、直に其わらはべをうなゐとは稱する也。うなゐ子とも、うなゐとも云也。和名抄云、後漢書、※[髪の友が召]髪【召反、和名宇奈爲】俗用2垂髪二字1、謂2之童子垂髪1也
はなりは 此詞此歌にては難v濟。第十四卷にも、たちばなのこ婆のはなりがと詠ませたる歌有。椎野氏の注を見れば放髪|丱《ケン》と書たれば、丱は束v髪たるを云字也。うなゐは垂髪を云、放髪丱は結たるを云と聞えたり。然るを、はなりはとあれば、うなゐとはなりと一つの事に聞ゆる樣なり。はなりも童女の事を云たる語例あらば、此歌よく聞ゆる也。椎野氏の注と、或説の歌に、はなりにと云ふ爾の字とにては此はなりの義決し難し。但しうなゐは、わらはにて、垂れ髪の時を云ひ、其後少成長して、茶筅髪などの時をうなゐはなりと云歟。丱の字は茶筅髪の事を云也。つの髪共讀むと覺えたり。然れば結髪と云ふとは別ならんか。成長して冠を着る時を髪あげると云て、結髪の事に云來れる歟。椎野氏の注によりて、いかに共決し難けれど、童女の漸く髪を束ぬる程になりたるを、うなゐはなりと云と聞えたり。其後男などする女を髪あげと云なるべし。なれば奥に決定して改たる歌の如く、うなゐ子がうなるはなりに髪あげつらんかと云義なるに、はなりとは詠める義濟み難(308)し。扨此歌は今俗間に、びんそぎ或は髪置と云事ある、其義を云へる歌也。髪を束ねて其先を揃へるから、びんそぎ共云歟。ふかそぎと云事ある、其義も同じ意也。其事をしつらんかと詠める歌と聞ゆる譯は、橘のてらすと詠める義何故にや。びんぞきには極めて立花を祝物に用る古實ある故、既に第十三卷目の歌に、年の八年を切髪のあがみを過ぎて橘の末技をすぎてと詠ませたるも、これ古實ありて也。長屋と詠めるも長きと云祝詞に云て、ながやは、なごやにてもあるべし。なことは女の通稱なれば、女の屋にと云義ならんか。只祝て長生の屋と云義歟。只長屋と計り云義にては何共不v通也。髪あげと云事を詠める故、橘のてれると詠める譯聞えたり。六帖にも此義を不v辨歟。此歌を寺の部に入て歌も直して入たり。直したる歌なれば六帖の歌は聞安き也。ゐねしを一目みしと替へ、うなゐは今は髪あげつらんかと直したり
右歌椎野連長年詠曰夫寺家之屋者不有俗人寢處亦※[人偏+稱の旁]若冠女曰放髪丱矣然則腹句已云放髪丱者尾句不可重云著冠之辭哉
椎野連長年 聖武紀云、神龜元年五月辛未正七位上四比忠勇賜2椎野連1。當集第三卷志斐嫗歌あり。此氏の者歟
詠云 説の字の誤なり。一本に説の字あるを正本とすべし
寺家の屋云々、令義解第二僧尼令云。凡寺、僧房停2婦女1尼房停2男夫1【謂男女不v限2年之多少1、但謂2臨時新釈1之也】經2一宿以上1其所由人【謂所v停僧尼、其被v停男女者、自依2首從律1。但僧尼者、雖2是爲1v從、猶科2苦使1、不v合2滅罪1也】十日苦使、五日以上、卅日苦使、十日以上、百日苦使、三綱知而聽者、同2所由人罪1】上古は如v此の制禁の法、令式あれば橘寺と云義にては無きとい注也、前に注せる如く此注者も萬葉の歌は不案内なる故、如v此難問を注せし也。古歌の意は寺家の事を詠めるにあらず、書たるも寺家の事にはあらざる也。寺之の二字はてれる共てらすとも讀む也。然るに後人の假名付にも、てらのと讀めるは甚不v考の義也
亦※[人偏+稱の旁]若冠女 これは始めてかんざしする女と云意にて、如v此書たる歟。男にてはうい冠したるを云意なるべし。未だ夫など持たる女にてはなく、十四五才迄の女を云たる義なるべし。或抄に此三字不審にて、未着冠の誤り脱字ならんとの説あれど、うなゐはなりとは、おとなとわらべとの間、十四五才迄の人を云たる義と聞ゆる也。なれば若干の二字相當るべきか。
(309)曰放丱 此三字を、うなゐはなりと讀むとの義也。此三字うなゐはなりと讀む義出所未v勘。當集此卷にて假名附に從て讀む迄なり。外に所見なし。うなゐはなりと讀べき歟。又別に訓義あらんか、心得難し。然れ共此注の假名附の外所見なければ、先假名附の通に讀む也。通本仆の字に書たるは誤なり。決て丱の字なるべし。丱は前に注せる如く、つの髪とも讀みて、俗に茶筅髪と云ふにも此字を書なり。なれば束v髪たるを云也。それに又髪あげつらんかと云へるは重言と云の難問なり
腹句 第四句の、うなゐはなりはと云へる句を指して也。第四句に、うなはなりはと詠みて、又第五句に、髪あげつらんかとは、重言にてあらんかとの注也。或抄に、此注かへりて長年の誤ならんと注せり。ゐねしとは過しこと、今は髪あげつらんかと云義と釋せり。これはうなゐはなりを、わらわべの事にして、丱の字の義を不v考意歟。又結髪と云ふはも早や男をしたる女を云義なれば、髪あげつらんかと讀んで、妨げなきと見たる意歟。此兩説は愚意にも未v落也。與は歌のはなりにとあるから、此兩首歌入組て六ケ敷也。奥の歌の意は、うなゐは、うなゐはなりに髪あげつらんかと云意なれば、うなゐはと云ふ義を云はずして、兩方へ詠みかけたる歌と見ざれば聞得難く、又わがゐねしうなゐと詠切りて、はなりにと詠める意と見るべしや。此義いかに共相辨じ難し。尚後案後考所見によるべし
決曰 此二字いかに共不審不v覺。拾穗には、或曰と改て書出せり。しかれ共彼本は不2信用1事多ければ、證本には用難し。妙壽院の自作に被v改たる義多端にて、しかも誤りの改め共數多ある故難2信用1。別本に或の字に作れる本あらば、正本として或説と見るべし。先は或説の義にて、或の字の誤りたるとは見ゆる也。然れ共椎野長年の注によれば、決定曰と云義共見ゆる故不分明也。宗師案は決曰と云義と也。愚意未v落。文議決曰と書く事珍敷也。集中にも如v此書たる事此外に不v見ば、或の字の誤りとも見ゆる也。尚別本古書によるべし。決曰ぞならば、椎野氏が左の如く見て書たると見るなり。しかし決曰と書ける義外に例なければいぶか敷也。何とぞ書樣もあるべきに、決曰とは義難v通文句也
3823 橘之光有長屋爾吾率宿之宇奈爲放爾髪擧都良武香
たちばなの、てれるながやに、わがゐねし、うなゐはなりに、かみあげつらむか
(310)歌の意前に注せり。兩首の義聞得難し。うなゐはなりにと云ふ時は、用を云て體なし。然れ共うなゐは、うなゐはなりにと詠める意と、詠みかけの詞と見れば、うなゐはなりと髪あげるとは別の事と聞えて、髪のあげ樣の事に詠みたると聞く也。然れ共うなゐはなりに髪あげとは、髪のあげ樣の事に詠める意如何に共心得難し。然らばうなゐはなりになりつらんかと詠みても濟むべきを、かく詠める事聞得難き歌也。うなゐはなりはと詠める方まさりて聞ゆる也。
長忌寸意吉麻呂歌八首
3824 刺名倍爾湯和可世子等櫟津乃檜橋從來許武狐爾安牟佐武
さすなへに、ゆわがせ子等云々
此歌諸抄の説假字付の意は、狐に湯をあぶせんと詠ませたり。左注に狐聲を入れて詠めと誘たるなれば、こんと詠める處主本なるに、狐をふと出したる義心得難し。其上たゞ言のみにて、歌の雅言雅情の所不v見也。よりて宗師案には、狐の字は狐聲をとある故に、句意を助けて兒と云ふ詞に、借音に書きたる歟と見る也。狐を取出せる處、いかにしても縁なき也。衆會の時なれば、人の事にしては云はるべけれど、上に何の寄り處も無きに、きつにあぶせんと云ふ義濟み難く聞ゆる故、左の如く讀まんかも也
さすなへにゆわがせこどもいちゐつのひばしもとよりこんこにあむせん。如v此讀みては歌詞也。愚案は、狐聲とすゝめたるから、きつにと詠まじきにもあらねば、上の子等の二字ましらと讀まんか。然らば猿の事にして、誘ひたる人々を指して云たる歟。なれば下に狐を詠みて同類の縁ある故、難あるまじき歟。子の字を、ましと讀める事は、前に在根よしと詠める歌にて注せり。尊稱の詞に云事也。子曰と云類にて心得べし。さしなへは和名抄云。銚子〔辨色立成云、銚子、佐之奈閉、俗云佐須奈倍、四聲字苑云、銚【徒弔反】燒器似2※[金+烏]※[金+育]1而上有鐶也、唐韻云、※[金+烏]※[金+育]【烏育二音】温器也
櫟津は大和にある地名也。 允恭紀云〔於v是弟姫【衣通姫也】從2烏賊津使主1而來之、到2〕倭春日1食2于櫟井上1。續日本紀第九に大伴櫟津連子老と云者あり。從來の二字は、もとよりと讀みて、橋の本よりと云義也。ひはしよりと云ては義も不v通、字も(311)餘れり。檜橋は川を云たる義火箸を兼ねて也。櫟は和名抄云〔崔禹(ノ)經云、櫟子、【上音歴伊知比、】相似大2於椎子1者也〕此歌物の名を詠入たる始ならん。饌具、雜器、狐聲、河橋等の名、句而に見えて櫟は川なるべし
右一首傳云一時衆集宴飲也於時夜漏三更所聞狐聲爾乃衆諸誘興麿曰關此饌具雜器狐聲河橋等物但作歌者即應聲作此歌也
夜漏三更は 子の刻なり。誘は、いざなふ、すゝめるの義也
關 此字心得難し。一本開に作れる也。然れば宜の字を誤りたる歟。宜の字ならでは文義不v通也。歌を作るべしと云文義ならでは不v通也。決して宜の字なるべし。あづかると讀ませたれど、さ讀みては、つくれと云ふれの字に當る字無き故、つくると讀まねばならぬ也。つくると讀みては誘曰と云文不v適也
但は一本併に作るを正とすべし
詠行騰蔓菁食薦屋※[木+梁]歌
むかはぎ、あをな、すごも、やのうつばりをよめるうた
3825 食薦數蔓菁煮將來※[木+梁]爾行騰懸而息此公
すごもしき、あをなにもてこ、うつばりに、むかはぎかけて、やすむこのきみ
諸抄假名附の本の説如v此讀ませたり。これにては歌と云ふ處聞えず。たゞごとにして句意も不v通也。何とぞ寄せの詞ありて、歌と云ふ處の讀み樣無くては、如v此標題迄を擧げたれば叶ふまじき事也。宗師案は二義有v之。むかはぎと云ふものは狩場に着するもの、或は山野を往來に着用のもの也。然れば狩場の事に寄せて詠める歟。又打解けぬ事に寄せて詠みたるかの二義なるべし。先づ狩場の事によせて讀まんには
すごもしきかぶらねひきゝうつばりにむかはぎかけていこふ此せこ
如v此讀まば狩場の詞共を入れて寄せ詠めると聞ゆる也。薦を敷てかぶらの根矢を引來て草臥たるから、うつばりにむかはぎ(312)をかけて息むせこと云義也。せこは、狩に走る人也。又一義は
すごもしきあをなにつらくうつばりにむかはぎかけていこふこのきみ
歌の意あれに何せにつらくも、僞りて薦を敷あはんと云ひて、むかはぎを着て不2打解1いねやすむ君ぞと云義を、右の物の名を入て詠める歟。假名附の通にては歌の意も不v通。一句も雅言歌詞にあらざれば、いかに共心得難し
騰臆、蔓菁、食薦等の字皆和名抄に出たり。蔓菁はあをな共かぷらとも讀ませたり。煮はねと同音也。よりてかぶらねとも讀む也。※[木+梁]の字は未v勘、俗字ならん歟。追而可v考
詠荷葉歌 はちすのはをよめるうた
荷葉和名抄卷第二十、蓮部云、芙※[草がんむり/渠]、爾雅云、荷、芙※[草がんむり/渠]【符芙音同※[草がんむり/渠]音渠】郭璞注云、芙蓉〓、江東呼爲v荷也。同抄云、蓮、爾雅云、其葉〓【胡歌反】郭璞云、蓮亦荷字也。荷の字はちす共訓じ來れり
3826 蓮葉者如是許曾有物意吉麻呂之家在物者宇毛乃葉爾有之
はちすはは、かくこそあるもの、おきまろが、いへなるものは、うものはならし
意吉麿がと詠めるは、露の置きて圓き玉に等しく、潔きを賞美して云へる也。他の荷葉をほめて我方を卑下して、我家のは、はちすはにては無く、芋の葉なるらしと也。うもの葉は芋の葉也。よく似たるものなれば也。和名抄云、四聲字苑云、芋【于遇反、和名以閉都以毛】葉似v荷其根可v食v之也
詠雙六頭謌 すぐろくのさゐをよめるうた
雙六頭 和名抄云、兼名宛云、雙六子、一名六菜【今案奕是也、俗云須久呂久】雙六菜。楊氏漢語抄云、頭子【雙六乃左以、今案見2雜題雙六詩1】此和名の假名と此歌の假名と相違なる事不審也。此集は古きによりて、此集の假名に從ふべし。和名抄の以の字は衣の字誤り歟
3827 一二之目耳不有五六三四佐倍有雙六乃佐叡
(313)此歌の事いかに共心得難し。書面の通に讀みては何の意も無く、只さゐの目の六ツ迄あると云ふ事迄の歌也。尤假名附の通に讀みても、又訓讀みに、ひとふたの目のみにあらず五つ六つ三つ四つさへある雙六のさえ、かく讀みても只目の六つあると云迄の歌也。何とぞ寄せる詞の縁ありて詠める歟。此已下の歌共皆誹諧歌にて、雅言なく物の名をありの儘に讀みて、寄せの詞下に含める意も聞えねば、上代の歌はかく物の名をも打表して、隱し寄せては讀まざる歟。此巳下の歌共皆此歌の趣なれば、別に注すべき義もなき也
詠香塔厠屎鮒奴歌
かうたうかはやくそふなやつこをよめる歌
香 和名抄卷第十三香藥部云、樓炭經曰、凡雜香有2四十二種1。よきにほひある木の惣名を香と云ひ、又草木禽獣にもよきにほひを具束せるものあり。其惣名を指して香と云也。かうとは音也。訓は不2一樣1。其物によりて變れり。香の字は、かぐはしき共又にほふ共訓ず。此歌の香は、にほひある物の惣名を云へる也
塔 仙家の室屋也。一重二重と物を重て建たる室也。和名抄卷第十三、佛塔具部云、孫〓切、韻云【叱盍反、内典有2多寶佛塔石塔沙塔泥塔等1】揚越曰v〓【口含反、字亦作v龕】一云塔下室也
厠 大小便をする所を云。和名抄卷第十、居宅居處云、唐韻云〓【胡困反、字亦作v〓】厠也。釋名云、厠【音四反、和名加波夜】或謂2之〓1【清反】言至穢處宜3常修治使2潔清1也
屎 和名抄卷第三云、屎、野王案、糞【府問反、和名久曾】屎也。説文云、屎【音矢、字亦作v〓、今案、俗人呼3牛馬犬等糞如2弓矢之矢1是〓之訛也】大便也
鮒 ふな、川鯛とも云。和名抄第十九云、鮒、本草云、〓魚【上音即】一名鮒魚【上音付、和名付奈】四聲字苑云、〓〓〓【音積今案三字通用】鮒也
奴 やつこ、賤しき者の惣名也。奴僕奴婢と續きて至而卑賤の者人に從ひ仕へる者を云。和名抄第二、微賤類云、奴、僕、唐韻云、奴【和名豆布禰】人之下也【和名夜豆加禮】侍從人也
右六品の名を詠入たる歌也。此歌も名を隱し寄せて詠みたり。別訓の讀み樣もあらんか。書面の通にては、只六種の名を讀(314)み出たる迄に聞ゆる也。何とぞ寄せの意あもんか。古先達も其案なく字面の通に讀來れり。先其儘には讀みおく也
3828 香塗流塔爾莫依川隅乃屎鮒喫有痛女奴
かうぬれる、たうになよりそ、かはすみの、くそふなはめる、いたきめやつこ
歌の意は書面の通にては、清香のよきにほひをもて合せ塗りたる塔なれば、きたなき屎鮒の汚らはしき物を食ひたる、至而賤しき女奴抔、濫りに寄り來るなと云ふ迄の義也。何とぞ外に寄せの意あらん歟。右六種の物の名各詠入たる迄也。女奴は婢の事也。和名抄第三云、婢、説文云、婢【和名夜豆古】女之卑稱也
詠酢醤蒜鯛水葱歌
すひしほひるたひなぎをよめるうた
酢 す、酒の類也。酸水也。よりてすと云歟。裾の音をとりて直に名とする歟。和名抄第十六、鹽梅類部云、酢、本草云、酢酒、味酸温無v毒【酢、音倉故反、字亦作v醋、須、音素官反】陶隱居曰、俗呼爲2苦酒1【今案鄙語謂v酢爲2加良佐介1此類也】
醫 ひしほ、和名抄同卷云、四聲字苑云、醤【即亮反、和名比之保】有2唐醤1、豆醢也。醢は、ひしびしほ、肉又魚にて作る醤也
蒜 ひる、葷菜の類也。音は算也。和名抄第十七、菜蔬葷菜類部云、蒜【唐韻云、算和名比流】葷菜也。凡て臭菜を葷葱と云。此蒜にも大小野蒜等種々ある也。臭氣のある菜也
鯛 たひ、海魚也。和名抄第十九云、崔禹食經云、鯛【都條反、多比】味甘冷無v毒、貌似v〓而紅鰭者也
水葱 前に注せり。和名にも水菜部に出たり。
3829 醤酢爾蒜都伎合而鯛願吾爾勿所見水葱乃煮物
ひしほすに、ひるつきあへて、たひねがふ、われになみせそ、なぎのあつもの
歌の意は蒜に酢醤の鹽梅して、鯛を得てかけて食せんと願ふ我れなるに、葱の煮物等見せそ、それには心よらぬとの義にて、(315)右の種々の名を詠入たる也。此歌も何とぞ寄せの詞あらんか。あつものの事は前に注せり
詠玉掃鎌天木香棗歌
たまはゝきかまむろなつめをよめるうた
玉掃 たまはゝき、此玉箒の事に付ては、初春の初子の今日の玉箒、と云當集の歌より後世樣々の説共有。木と説くも有。又草と云説もあり、不2一決1也。和名抄に地膚と云草を今俗には箒木と云傳たり。乃ち箒にして用る也。玉掃を賜ふと云事、上代の公事にもあれば、此れは箒を玉にて餝たるを云と聞ゆれ共、如v此題に玉掃とあれば、一種として見るべき歟
錬 かま、和名抄云鎌【音廉】一名※[金+契]【音結、和名加末】野具也
天木香 むろと訓ず。當集前に出たり。宿り木の事也。※[木+聖]の木の事にてはあるまじ。自然天然と木石の上に出來たる木なるべし。然るを前には歌の詞に宿り木と讀みて句調へり。此歌にては、むろとならでは讀難し。然れば前の歌むろも※[木+聖]の事ならんか。此義不審也
棗 なつめ木實也。和名抄卷第十七菓〓部云、本草云、大棗一名美棗【音早、字亦作v〓、奈都米、和名奈豆女】器物にも今なつめと云物あるは・其形に似たる物故也
3830 玉掃苅來鎌麻呂室乃樹與棗本可吉將掃爲
たまははき、かりこかままろ、むろのきと、なつめがもとを、かきはかむため
此歌の意も何とぞ寄せの詞あらん歟。此儘にては何の意も無く、鎌にて玉箒を刈取りてこよ。室の木棗の下を掃かんにと云意の歌にて、鎌麿と詠たるは、鎌を仕人等にして云へる意也。上代は物に麿と云事を添ても云へる歟。和名抄には、いなごを、いなご麿共擧げたり。〓〓【和名以奈古萬呂】〓〓〓【以禰豆木古萬呂】是等によれば、麿と云詞は添て云たると見ゆる也。此處の鎌麿も、童べ等にして云たるならん
詠白鷺啄木飛歌
(316)しらさぎのきをついばみとぶをよめるうた
白鷺 和名抄第十八云、唐韻云、〓〓【春鋤二音】白鷺也。崔禹食經云、鷺【音路、和名佐木】色純白其聲似2人呼喚1者也
啄 ついばむ。同抄同卷云、四聲字苑云、喙【丁角反、訓以波無又用2〓字音闘1】烏口取v食也。木をくわへてと云躰を詠める也。枝くひもちてなど當集前にも詠める歌あり。其意也
3831 池神力士※[人偏+舞]可母白鷺乃桙啄持而飛渡良武
いけがみの、りきしまひかも、しらさぎの、ほこくひもちて、とびわたるらん
白鷺は水邊に飛下り、池沼川に居るものなれば、池神のと讀みて力士と云事は、かく云※[人偏+舞]樂の名あると聞えたり。若しくは力士の二字、何とぞ義訓に讀む義あらんか。先達皆りきしまひと音をもて讀來れば、其儘に讀む也。然れ共別訓の讀み樣あるまじきにもあらず。力士と云ふは佛家の語なるべし。樂家に傳ふる訓義もあらん歟。此歌の表によりて見れば、鉾等持ちて舞ふ※[人偏+舞]を力士まひと云と聞えたり。佛家に金剛力士と云語ありて、仁王等の事をも云ふ由也。和語にて何とぞ讀み樣もあるべし。先づ此歌の意は、白鷺の木の枝をくわえて空を飛めぐる躰、さながら池の神の力士舞の樣なるとの義也。此歌は只見立てを詠める迄に聞ゆる也。此集第十卷に、鶯の榊の枝くひもちて鳴く事をも詠める歌あり。源氏胡蝶の卷にも、水鳥共のつがひを離れず遊びつゝ、細き枝共をくひて飛ちがふなど書れり。是等の歌に基きて歟。又唐の書に鷺の羽を舞の具に用たる事も見ゆれば、かれらの寄せにて、此歌も思ひつきて詠める歟
忌部首詠數種物歌一首 名忘失也
いんべのおふとあまたくさぐさのものをよめるうた一首
忌部首 傳不知、名不知。細書に名忘失とあるは後人の加筆也
3832 枳棘原苅除曾氣倉將立屎遠麻禮櫛造刀自
(317)からたちや、うばらかりそけ、くらたてん、くそとほくまれ、くしつこのとじ
枳 からたち、今枳殻と云ふ物也。橘の類にて屈曲したるもの也。和名抄云、枳※[木+具]、本草云【只具二音、和名加良太知】玉篇云、枳似v橘而屈曲者也
棘 いばら、和名抄に不v見。彼抄には薔薇の條下に營實を無波良乃美と出せり。いばらにも種類あまたあり。さうびもいばらの木の内地。棘の惣名にて針ある木を云たる也。草と木の間のもの歟。和名抄にも草木の間に混じて載たり
苅除曾氣 此除の字不審也。愚案、後人の傍注混じて、板行の時誤りて入たる歟。曾氣と假名書にある傍注に、そけは、のぞきの義と云意にて、除の字を注し置たるを、其儘に傳寫誤りしより、于v今印本には書入たるならん。さなくば字餘りに、かりのぞけと讀べきや、さは讀まれぬ也。決て傍注なるべし。曾氣とは、かりはらひのけてと云義也。第十一、第十四卷にも、夏草をかりそぐれ共と詠み、草根かりそげなど詠めり。はらひ除くの事也
屎 前に注せり。糞のこと也
麻禮 糞をする事也。日本紀神代上云〔一書曰、伊弉册尊生2火神軻遇突智1之時、悶熱懊悩因爲v吐、此化爲v神曰2金山彦1。次小便化爲v神名曰2罔象女1。次大便化爲v神名曰2埴山媛1。大便小便をするを古語には、まる、まれと云也。今俗に大小便を通じて取捨つる物を、おまると云ふも其名をすぐに付たるもの也
櫛造刀自 これを、くしつくるとじと讀みたり。諸抄の説、賤女は、櫛を造る者故など云へる心得難し。上代は、厠の事をとりはかる者を、かはややうど等云て、源氏物語にも見えたり。至て賤しきわざをなす婢をさして、くしつこと云たるか。既にくしつこは、くそつ子にて、こは女の卑賤の者の通稱、つは助語にて、年よりたる厠用人をさして、くしつこのとじとは讀めるならん。造は、つこと讀む字なれば、借訓書にして、くそつこのとじと云事なるべし。歌の意は字面の通、いばらからたちを刈除きて、倉を建てん程に、其あたりに不淨をなすな、屎など取捨つる共此邊には取捨てなと云ふ事に、遠くまれとは云たると聞えたり
(318)境部王詠數種物歌 穗積親王之子也
さかひべのおほきみあまたのくさぐさのものをよめるうた
境部王 元明紀云、養老元年正月乙巳授2無位坂合部王從四位下1。五年六月治部卿。懷風藻云、從四位上治部卿境部王二首年二十五
穗積親王子也 後人の加筆也。考ふる所ありて傳記せるならん
3833 虎爾乘古屋乎越而青淵爾鮫龍取將來劔刀毛我
とらにのり、ふるやを越て、あをふちに、みづちとりこん、つるぎたちもか
虎爾乘古屋乎越而 これは危き恐し事を詠める意也。下の青淵にて、みづちを取らんと云も、甚恐しき危き事を詠給へる狂歌の意也
鮫龍 是を、さめと讀ませたれど、蛟龍の誤りなるべし。淵に鮫の居るべきにあらず。又龍の字を添たる事心得難し
蛟 和名抄第十九、鱗介部云、説文云、蛟【音交、和名美豆知】日本紀には大※[虫+糺すの旁]の二字を、みづちと讀ませたり
作主未詳歌一首
3834 成棗寸三二粟嗣延田葛乃後毛將相跡葵花咲
なしなつめ、きみにあはつぎ、はふくずの、のちもあはむと、あふひはなさく
成は 梨也。寸三は黍也。君に寄せて也。此歌も物の名を云へる也
粟つきは 表の意は粟舂也。下の意は吾は附也。寄着也。思ふ人に寄りつく也。いつ迄もあはんと吾れは、君によりつく也。
葵は逢日也。會合の日はゑみを開く也。それを花咲くとは詠めり。ゑむらくとも讀べし。
なしなつめは、なりなづむ也。君に逢事をなしなづむ也と云意也。物の名をかく寄せて詠める歌と聞ゆる也。全躰の歌意は、(319)物の名を戀の意に寄せて詠める也。思ふ人に逢事をなさしめんと思ひ、つきなづみてはふ葛とは後と云はん序也。逢日になりては心開けて花の咲ける如く、心ゑみて尚後行末も逢はんと、君に思ひつきなづむと云意也
葵 和名抄云〔本草云、葵【音逵、和名阿布比】味甘寒無毒者也〕
獻新田親王歌一首 新田部親王前に注せり。侍女の詠みて奉れる歌也
3835 勝間田之池者我知蓮無然言君之鬢無如之
かつまだの、いけはわれしる、はちすなし、しかいふきみが、ひげなきがごと
勝間田之池 八雲御抄をはじめ、範兼卿哥枕、類字名所抄下總國とあり。清輔抄には美作云々。尤美作には勝田郡と云ふあるを、勝間田と誤りたる故歟。曾丹集の
かつまたの池の氷のとけしよりやすのうらわにゝほ鳥もなく
と詠めるは、かつぐに安きと云意を寄せて、やすのうらわとも詠たれば、近江と心得たる歟。然れ共此歌の左の注に出遊堵裡云々とあれば、堵は都と通じて此集に書たる事第一、第三卷にも見えたれば、都近邊に出遊給ふ時の、戯れ事より詠める歌なれば、勝間田池は大和なるべし
歌の意は注にて明也。水彩濤濤蓮花灼灼云々、此戯れの空言につきて、もと勝間田の池は水枯れて蓮は無く、水なき池を凡てかく宣ひしから、髭多くありし王故、さ宣ふは君の鬚無きと被v仰と同理と、戯れて申せし歌也。新田部王は鬚あつく生たる親王なりし故、如v此詠めるならん
鬢は鬚の誤りなるべし。奥に至りても此字を、ひげと讀ませたるは誤字故也
右或人聞之曰新田部親王出遊于堵裡御見勝間田之池感緒御心之中還自彼池不忍憐愛於時語婦人曰今日遊行見勝間田池水影濤濤蓮花灼灼可憐斷腸不可得言爾乃婦人作此戯歌專輙吟詠也
堵裡 堵、玉篇云、【都魯切、垣也五板爲v堵】二尺を板と云ふ也。五板なれば一丈也。高さ一丈の築垣と云意なれば、都近邊に出遊び給ふ(320)也。前に注せる如く、第一、第三卷にて、近江荒堵難波の堵を作る等當集にて書たれば、都の内を出遊し給ふと云意とも聞ゆる世。仙覺抄にも其旨を注せり。裡は裏と同じく、境内の意也。然れば出である故、垣の外へ出遊給ふ義を、出遊於堵裡云々と書たる注也
感緒御心中云々 池の景色にめで給ふて也。水枯れはちす等も無かりしを、御心に、水濤濤として蓮等あらば、いか計りと感じ歎き給ふたる意也
濤々 一本蕩々に作れり。いづれかならん。字義は水の能たゝへて、浪の起り立ちて、水底の深き義を云たる意也
灼々 花影さかりにかゞやく躰也
謗佞人歌一首 此佞人の事古來よりねぢけ人と詠み來れり。字義に不v合也。ねぢけたるとは不v直を云義也。歌の意も二面にと云ふて、世にこび諂ふて表裏ある意也。然ればこび人と讀べき也。辯口をよくして、人をたらしあざむきなどして、人の氣を取りなづくる樣にする意を佞とは云也。亦才有る人をも云也。玉篇云、佞【奴定切口材也】字書、才也、故自謙不v才曰2不佞1。論語曰、子曰焉用v佞、禦v人以2口給1屡憎2於人1、不v知2其仁1、焉用v佞。如v此の字義なれば、兎角こび諂ふ人を云たる意也。云まはせばねぢけ共云はるべきも歌の表はねぢけとは讀難し。こぶるとか、こびしとかならでは讀難き書面也
3836 奈良山乃兒手柏之兩面爾左毛右毛佞人之友
ならやまの、このてがしはの、ふたおもに、ともかくもこぶる、ひとのともがき
兒手柏、此事諸抄説々ありて、今世にも檜の葉に似たるねぢれたる木の葉あるを、此木の事と云ひて、この手がしはと名付用る也。是も、此歌をねぢけ人と讀みしより、葉の、うらはらへ兩面にねぢり合てあるから、云たるものと見ゆる也。然れ共是は、この手がしはと云木一種ある歟。常の柏の木を云たる義歟。柏の葉は小兒の手の如くなる葉なれば、蝦手の木の類なるべし共聞ゆる也。二面にと云ふは、下の友垣と云へるにかゝりたる義なり。おもねりこびる人は、二心ある如く、二面の如くなるもの也。あしきをもよきと口賢く云ひなづけて、こびへつらふの意、又垣も兩方面のものなり。よりて人の友垣(321)共詠みたるを、後人誤りて人かもと讀めるは無理讀みなり。之の字は我と云ふ濁音也。かもと云ふ疑ひの詞には不v被v用。がもなれば願ふ也。清音は疑ひの詞、濁音は願ふ詞なれば、あるが中の此之の字を清音に借り用ひ樣なし。友の字、日本紀にて、友垣の道と讀ませたり。神代下卷にあり。朋友のこび諂へるを誹りて詠めるなるべし。
後案或儒醫云、柏は檜の類也。屠蘇散にも清柏と云て用る也。世に云ふ處のかしはの木とは別也。世に云は※[木+解]の字也。柏は檜の類とあれば、この手がしはといふ木檜の如きの木にて、物を包みたる樣に、圓く生立ち茂る木也。然れば當集第二十卷防人の歌に、この手がしはのほゝまれどと詠める歌もありて、此卷此歌にも柏の字を、かしはと讀ませ、古代より我朝にて柏の字を、かしはと訓じ來れは、一種ありて世に云ならへる似v檜たる木と見ゆる也。常のかしはの葉の片面のもの也。柏は兩面なるものなれば、※[木+解]と柏とは別種と見えたり
面爾 の爾の字一本には無きもあり、無くても、おもにと付けて讀べし。とにもかくにもと讀たれど、ともかくも也。いかやう共先の言葉に任せるの意なれば、これこぶるの義也。西行歌に
いはれのゝ萩のたえまのひまひまにこのてがしはの花咲にけり
と詠めるは、草にも、この手かしはと云ふ物ありと見えたり。當集第二十卷にも、防人の歌に、ちばの野のこのてがしはのほほまれどあやにかなしみおきてたかきぬ
佞人之友を 強ひて讀まば、ねぢけどの友とならでは讀難し。然れ共ねぢけどと讀む事心得難し
右歌一首博士消奈行文大夫作之
萬葉童蒙抄 第卷四十四終
(322)萬葉童蒙抄 第卷四十五
3837 久堅之雨毛落奴可蓮荷爾渟在水乃玉爾似將有見
ひさかたの、あめもふらぬか、はちすはに、たまれる水の、玉に似たる見ん
歌意不v及v釋、句面之通也。假名付の本には玉に似ん見んと讀たれど、有の字を書たれば、にてあるを見んとの義故、似た見んと讀まではならぬ也
右歌一首傳云有右兵衛【姓氏未詳】多能歌作之藝也于時府家備設酒食饗宴府官人等於是饌食盛之皆用荷葉諸人酒酣謌舞駱驛乃誘兵衛云開其荷葉而作此歌者登時應聲作斯歌也
駱驛 此二宇誤字なるべし。何の義とも不v知也。宗師案は酩酊の字なるべし。酒に醉ふ事を云字也。酩酊は醉也と云字義也。謌※[人偏+舞]酩酊と續きたる句なるべし。拾穗抄には此字二字を除きたれど、是か例の妙壽院の所爲なるべし。誤字の案無き故義不v通から也
無心所著歌二首 こゝろなくしてあらはせるうたふたくさ
此心無くて著せるとは、とりあはず、似よらぬ事を云たる歌にて、何の情も無を事を著せると云義也。濱成式に雜會體と云ふに同じ。源氏にも常夏に、近江君が歌、又女御の返し歌此體也
3838 吾味兒之額爾生流雙六乃事負乃牛之倉上之瘡
わきもこが、ひたひにおふる、すごろくの、ことひのうしの、くらのへのかさ
事負 雄牛の事を、ことひと云也。和名抄第十一に云、特牛【俗語云2古止比1】頭大牛也。此趣にては牛の内雌雄を不v別、頭の大きなるを云ふ樣なれど、雄牛の頭は、雌牛の頭とは勝れて大なればなるべし。今俗に男牛をコットヒと云也
(323)歌意 何をとりしめて續けたる處も無く、只とりあはぬ事を詠める也。上古は此體を詠みしと見えたり
3839 吾兄子之犢鼻爾爲流都夫禮石之吉野乃山爾氷魚曾懸有【懸有反云佐家禮流】
わがせこが、たぶさきにする、つぶれいしの、よしのゝやまに、ひをぞかゝれる
犢鼻 小褌也。和名抄第十二云〔褌。方言注云、袴而無v跨謂2之褌1【音昆、須万之毛乃、一云、知比佐岐毛能】史記云、司馬相如着2犢鼻褌1。韋昭曰。今三尺布作v之。形如2牛鼻1者也。唐韻云。松【職容反、與v鍾同、楊氏漢語抄云、松子。毛乃之太乃太不佐岐】一云、水子褌也〕今俗に云下帶也。まはし共云ふ。褌の字和名に、スマシモノと云へり。此褌と犢鼻と同物と見ゆ。日本紀雄略卷云、乃喚2集釆女1使d脱2衣裙1而著犢鼻露所相撲u。とあり。小き下袴也。但まちと云ふもの無し
つぶれいし 礫石《ツブライシ》也。れと云ひても通音也
氷魚 和名抄云、考聲切韻云、※[魚+小]、※[魚+音]【音小、今案俗云2氷魚1是也】云。白小魚名也。似2※[魚+白]魚1長一二寸者也
懸有 かゝれる也。或本に佐家禮流とある由左注に見ゆ。それをすぐに假名本には懸有とある二字を、さかれると假名を付たり。如v此皆取合さる讀み也
右歌者舍人親王令侍座曰或有作無所由之歌人者賜以錢帛于時大舍人安倍朝臣子祖父乃作斯歌献上登時以所募物餞二千文給之也
これは、天武紀〔朱鳥元年春正月壬寅朔、癸卯、御2大極殿1而賜2宴於諸王卿1。是日詔曰、朕問2王卿1〕以2無端事1、仍對言得v實必有v賜。於v是〔高市皇子被v問以v實對、賜2※[草がんむり/泰]揩御衣三具、錦袴二具並※[糸+施の旁]二十疋、絲五十斤、緜百斤、布一百端1。伊勢王亦得v實、即賜2皀御衣三具、紫袴二具、※[糸+施の旁]七疋、絲二十斤、緜四十庁、布四十端1。丁巳天皇御2於大安殿1喚2諸王卿1賜v宴。因以賜2※[糸+施の旁]綿布1、各有v差。是日問2群臣1以2無端事1。則當時得v實重給2綿※[糸+施の旁]1〕此類の事ならんか。是は今のなぞ事の義なるべし此歌の意は、只寄り處なく、無v情して不2取合1事を列ねて、其わざに能勝たる者に餞を賜へり
所募 無心の歌の列ねがらに長じたる人と云義也
(324)池田朝臣嗤大神朝臣奥守歌一首【池田朝臣名忘失也】いけだのあそんおほみわのあそんおくもりをわらふうた
3840 寺寺之女餓鬼申久大神乃男餓鬼被給而其子將播
てらでらの、女がきまうさく、おほみわの、をがきたばりて、そのこをまかん
播、はらむと讀ませたる事心得難し。神代卷上に、重播の二字、しきまきと讀ませたれば、その子をまかんと讀べし。求の意也。佛家に女餓鬼男餓鬼とて、方便の爲に作り置く事ある由也。第四卷にも、垣に寄せて餓鬼のしりへにぬかづく如く詠めり。或説に、播の字、うまはんと讀んで、うまんと云義と云へり。兩義何れにても同じ
大神朝臣奥守報嗤歌一首 奥守 續日本紀廢帝紀、寶字八年春正月己己正六位下犬神朝臣奧守並云々授2從五位下1云々。池田朝臣があざけり笑ひしを又答ふる也
3841 佛造眞朱不足者水渟池田乃阿曾我鼻上乎穿禮
眞朱 につちとも讀む。光明朱眞朱など云て赤色の土也。佛を造るに彩色する具也。和名抄云、珠砂本作2朱丹1云々。丹土、につちと讀む也
水たまるは、池と續けむ爲也。應神紀の大鷦鷯皇子御歌にも、水たまるよさみの池とあり
鼻上乎穿 池田朝臣の鼻赤かりし故か。俗に、ざくろ鼻と云類なるべし。源氏物語末摘花にあるも同じ事歟
池田朝臣始は直の姓なりしと見えて、元正紀靈龜元年八月の下に、改姓賜2安倍池田朝臣姓1許v之
或云 此二字心得難し。衍字混雜と見ゆる也。此次の歌も笑ひあひし歌なれば、或説と心得て後人加入したるか
平群朝臣嗤歌一首へぐりのあそんわらふうたひとくさ 平群朝臣未詳人也。ぐんの音をぐりと讀む事讀み癖の習也。音借訓と云ふものにて、へぐりは訓也、くにをくりと讀むは、いきしちにの通音也。むをに共讀む事古語の習ひ、かんを、
(325)3842 小兒等草者勿苅八穗蓼乎穗積乃阿曾我腋草乎可禮
わらはべも、くさはなかりそ、やほたでを、ほづみのあそが、わきぐさをかれ
八穗蓼乎、此乎の字の手爾波毎度ありて、みはかしをつるぎの池と續けたる歌も有。第十三卷に、水たでのほづみにいたりとあり。此歌にては、蓼の穗をつむと云意にて、をと讀みしか。又之の字の誤り歟。此乎の字不審也。歌の意は、只惡口にわらべ共の草を刈る共、外の草は刈らずに、穗積の阿曾が腋毛を刈れとあざけり詠める也。腋の下の毛厚く生じたりし人ならん
穗積朝臣和歌一首
3843 何所曾眞朱穿岳薦疊平群乃阿曾我鼻上乎穿禮
いづくにぞ、あかにほるをか、こもだたみ、へぐりのあそが、はなのうへをほれ
ほる岳は何くの岳にてか赤丹を塀る。外にて堀らんより、平群のあそが鼻の上を堀れと也。是ざくろ鼻を笑ひたる也。前の歌と同意なれは、或云と後人加筆なり。こもだたみ、疊は編みて作る也。それをへぐと云は、一筋一筋隔て編むもの故、隔て編む數など詠みて、へと云詞に續く事に、たゝみ共隔てゝなど、わがたゝみやへのなど詠みて、皆へと詞を設くる冠辭也
嗤咲黒色歌一首くろきいろをあざけりわらふうたひとくさ
嗤咲 あざけりわらふと讀む也。
3844 烏玉之斐太乃大黒毎見巨勢乃小黒之所念可聞
ぬばたまの、ひだのおほぐろ、みるごとに、こせのをぐろが、おもほゆるかも
ぬば玉のひと續くにはあらず。下の黒と云詞に續く也。大黒小黒と云て、馬の事に寄せて云へる也、後の注に見えたる通、二人の黒色を笑へる也。駒の事と見る寄り處は、こたへ歌に、駒造ると詠出たるも此縁なるべし
(326)答歌一首 左注に見えたる如く豐人の歌也
3845 造駒土師乃志婢麻呂白爾有者諾欲將有其黒色乎
こまつくる、はしのしひまろ、しろにあらば、むべほしからむ、そのくろいろを
造駒土師 土師氏は、埴をもて樣々の形を造るものを司る也。土師郡と云て、土にて人形馬など作り出せる事の起りは、野見宿禰より始めて、土師氏と稱し來れり。神代上に、天穗日命此出雲臣土師連等祖也とあり。土師連等の遠組也。日本紀垂仁卷云、三十二年秋七月〔甲戊朔己卯、皇后日葉酢媛命薨。臨v葬有v曰焉。天皐詔2群卿1臼。從v死之道前知2不可1。今此行之葬奈之爲何。於v是野見宿禰進曰。夫君王陵墓埋2立生人1是不良也。豈得v傳2後葉1乎。願今將議2便事1而奏v之。則使者、喚2上出雲國之土部壹伯人1、自領2〕土部等1取v埴以造2作人馬及種々物形1〔献2于天皇1曰。自v今以後。以2是土物1更2易生人1樹2於陵墓1爲2後葉之法則1。天皇於v是大喜v之、詔2野見宿禰1曰。汝之便議寔洽2朕心1。則其土物始立2于日葉酢媛命之墓1。仍號2是土物1謂2埴輪1亦名物也、仍下v令曰、自v今以後陵墓必樹2是土物1、無v傷v人焉。天皇厚賞2野見宿禰之功1、亦賜2鍛地1。即任2土部職1。因改2本姓1謂2土部臣1。是土部連等主2天皇喪葬1之緑也。所v謂〕野見宿禰是土部連之始祖也。天子の御陵の廻りに埴馬を被v立し事、日本紀第十四雄略紀、田邊史伯孫が逢d騎2赤騎1者u古事等にて知るべし。是等の古事あるをもて、駒造るはしのしひ麿とも詠みて、ひだの大黒と詠める事は、一事の事なるからなるべし。土師氏此埴部の司となりて、天子御葬儀の事を司りあづかるから、吉禮に不v從事を歎て、光仁帝の頃同姓の所以をもて菅原姓と改る他
白爾有者 しひ丸は白色なる人にや。又駒を造る彩色もすべければ、白土なれば黒馬には名馬あれば、尤欲からんと戯れて詠めるならん、諾の字さもと讀ませたり。心得ず。むべと讀むべし
右歌者傳云有大舍人土師宿禰水通字曰志婢麻呂也於時大舍人巨勢朝臣豐人字曰正月麻呂與巨勢斐太朝臣【名字忘之也島大夫之男也】兩人並此彼貌黒色烏於是土師宿禰水通作斯歌嗤咲者而巨勢朝臣豊人聞之(327)即作和歌酬咲也
巨勢斐太朝臣 元正紀云、養老三年五月〔癸卯、無位紀臣龍麻呂等十八人、從七位上〕巨勢斐太臣大男等二人〔從八位上中臣習宜連笠麻呂等四人從六位上中臣熊凝連古麻呂等七人從八位下榎井連※[手偏+峠の旁]麻呂〕並賜2朝臣姓1
島太夫之男也 聖武紀天平十六年二月〔治部大輔正五位下紀朝臣清人、左京亮〕外從五位下巨勢朝臣嶋村二人爲2平城宮留守1
此彼貌黒色烏 此彼豐人斐太朝臣兩人をさして也。烏の字は焉の字の誤り歟。烏焉は相通する故書たるか
戯嗤僧歌一首ほしをたはむれわらふうたひとくさ 僧の字を日本紀の假名にも、ほしと附けたるは、音を直に訓にせし事心得難しと、先達皆謗り來れり。然れ共是は後世の人案不v足にやあらん。僧の訓は、ほしと云たると聞ゆる也。古今の歌に山田のそほつおのれさへわれをほしと詠たれど不v濟事也。彼歌の、ほしと云たるは、出家の事と聞ゆれば、出家を古語に、ほしと云し故、法師と假名書にしたる、後世の法の師と云義と云義に心得て、ほうしとは假名を付たるならん。本は法師と云ふ假名書なるべし。後世音の一語を取て書くと云事を知らざるから、讀誤りし事多端也。法師も元はほし也。已に爰の歌にも、法師の二字を書たるを、ほうしと假名を付たる也。假名書なれば、法師ならでは讀難し。僧は本乞食業のものにて、物をほしがる者故言たる義と釋すべきか。ほしの語釋、ほとけと云ひ、ほしと云ひたるには何とぞ義訓あるべし
たはぶれわらふとは、おどけ事を言ひて笑ふの歌也
3846 法師等之鬢乃剃杭馬繋痛勿引曾僧半甘
ほしたちが、ひげのそりぐひに、うまつなぎ、いたくなひきそ、ほしなかばかも
鬢 鬚の字の誤也。そり杭は、そりくびにて、頭を刺そりたる首にと云義なれば、鬢の字能叶ふ也。然れ共音に讀む事心得ず此卷の歌は、おどけ戯れ歌共にて、此已下音語を用たる歌數多なれば、びんとも讀べきか。何れにまれ、苦しからぬ義なれば好む處に隨ふべし
半甘 鳴かばかも、泣くにてあらんにて云意也。そりたてたる法師の首に、馬を繋ぎて痛く引かば、僧の泣かんかとのおどけ也
(328)法師報歌一首
3847 檀越也然勿言※[氏/一]戸等我課役徴者汝毛半廿
だんをちや、しかななのりそ、氏※[氏/一]等我、えたちはたらば、なれもなかばかも
檀越 は佛家に財寶を施行する人の名を梵譯して、舊釋に、だんをちと云ひ、新釋に、だんなと云。扶助せられ恃む方を云也。よりて我たのむ財施布施の人として、さのみなのりそと也。のり詈の義也。しかりはたるの義也。ふくみてのりそとは詠めるか
※[氏/一]戸等我 此詞不v濟也。假名本には、てこらわがと讀める事何共不v解也。例の無き詞也。是は戸長の顛倒にて、※[氏/一]の字は長の字の誤、但し長戸にても同じく、へをさらがと云義なるべし。第五卷貧窮問答の、五十戸長良我を云意と同じ。其所の長ぜる者の事をさして、へをさらと云成べし。今云名主等の類也。えたちをはたらばと云にて、其處の頭の者を云たる義と聞ゆる也。我を、しかなのり笑ひそ、其方も所の長たる者が、課役をせめはたらば、汝達も泣かんにと答へ笑へり。諸抄は、てこらわがと讀みて、こらは妻妾の事と云へり。義不v通也
夢裡作歌一首いめのうちにつくるうたひとくさ
3848 荒城田乃子師田乃稻乎倉爾擧藏而阿奈于稻于稻志吾戀良久者
あらきだの、ししたのいねを、くらにつみて、あなうたうたし、わがこふらくは
荒城田のしゝ田の稻、是はあらきはりの荒田の義、子師田もしゝなどの荒らす、あれ所の田の稻と云意也。大和に荒木田の神と云地名あり。其邊かと云説あれ共、其地名を詠出たる所以知れ難し。然れば荒田の稻と云義ならでは、歌の意も聞え難し。しゝなどの荒してあれ田なるに、其稻の熟して、倉におさめ積たるは嬉しからん、其如くなる我戀にて、うたうたしと云へる義と聞ゆる也。我戀の叶ひて嬉しきと云事に、かく寄せて詠める歌とは聞く也。疎々しと云説は入ほか也。八雲の御(329)説はうたてしと云義也。倉に積みて、うたてしとは、戀の重なり積れる事を、稻を積たる事に、譬へたるとの意に思召ける歟。かく讀みてはあらき田の、しゝ田のと詠出たる所、何のより所なく聞得ざる也
右歌一首忌部首黒麻呂夢裡作此戀歌贈友覺而不誦習如前
右の字衍字也
厭世間無常歌二首よのなかのつねなきことをいとふうたふたくさ
3849 生死之二海乎厭見潮干乃山乎之努比鶴鴨
いきしにの、ふたつのうみを、いとひみて、しほひのやまを、しのびつるかも
生死の海とは佛家の語、世家を海に比して云也。しほひの山は海に對して云也。生死の海は潮の滿干あり。不定の義あり。鹽干の山とは常住不變の義を云たる也。此歌佛意を專として詠める意なれば、詳に釋し難し。句面の通にても聞えたれど、經文の上を引かば、色々の比したる文句有べけれど、其義を用ゆべきにもあらざれば、句面にて濟ますべき也。尤潮干の山と云地名有べし。未v考2其處1
3850 世間之繁借廬爾住々而將至國之多附不知聞
よのなかの、しげきかりほに、すみすみて、いたらん國の、たづきしらずも
かく世のことぐさ繁き、假の世に住み果てゝも、死行く先の方つづきも知られぬと、世を觀念したる也。佛意にて釋せば、生老病死樣々の變易繁き、夢幻の如き假の世に住み/\て、穢土をも厭離せずして、いつか淨土の極樂界に至らんとか、たづきも知らぬとの義也
右歌二首河原寺之佛堂裡在佞琴面之
河原寺 大和國にて、舒明紀孝徳紀等に見えたり此寺の事なるべし。續日本紀天武紀にも度々見えたり。古注者所見の事あ(330)りて注せしか
3851 心乎之無何有乃郷爾置而有者※[草がんむり/貌]孤射能山乎見末久知香谿務
こゝろをし、むかうのさとに、おきたらば、はこやのやまを、みまくちかけむ
老莊のさとりの意を詠める歌にて、仙境に到り安からんと云義を云へる也
無伺有の郷 莊子の語、無爲の境の事を云ひて、なす事なく、する事なき地に心術を至り置きたらば、彼の通力自在の仙境の、はこやの山も見る事安く近からんと也。むかうの郷の義は、莊子を可2見合1也。後世に、むかふの里と詠來れるは誤りにて假名違也。音を取て詠たる事なれば、ふの假名にあらず有《ウ》の音也
者※[草がんむり/貌]姑射《ハコヤ》と書也。孤は誤り也。我國にては、仙洞を、はこやの山とのみ歌に詠來れり。莊子の本文にては仙洞に限らず、無爲の境を廣く指して云たる趣也
右歌一首
3852 鯨魚取海哉死爲流山哉死爲流死許曾海者潮干而山者枯爲禮
いさなとり、うみやしにする、やまやしにする、しねばこそ、うみはしほひて、やまはかれすれ
此歌自問自答の歌也。山川草木悉皆成佛など云意を合みて、海も山も死と云事こそあれ、潮干山のかれるは、これ死にする理り也との意を云へる意の歌也。しにするかれすれとは、しぬれかるれと云詞也
右歌一首
嗤咲痩人歌二首
3853 石麻呂爾吾物申夏痩爾吉跡云物曾武奈伎取食【賣世反也】
いしまろに、われものまうす、なつやせに、よしといふものぞ、むなぎとりめせ
(331)むなぎは鰻の事也。和名十九に、〓魚、むなぎ。此集第八卷に、家持茅花を贈る歌に此意を詠めり。今も癇氣の小兒等夏痩せするに、瀬田鰻を藥として用る也。昔より藥方と見ゆる也。
賣世反也 是は後人の傍注と見えたり。食の字を假名書に注せしなるべし。反也の二字いかに共心得ず、若しくは一本には食の字を假名書に賣世とありしと云義か
3854 痩々母生有者將在乎波多也波多武奈伎乎漁取跡河爾流勿
やせやせも、いけらばあらむを、はたやはた、むなぎをとると、かはにながるな
歌の意面白く聞ゆ。痩せながらも生きてだにあらば、いつ迄も存在すべし。痩せをなほさんとて、鰻をとる業に誤りて、河に流れては何ならんと戯れて答へし也。此歌は人へのよきしめしになる歌也。角を直さんとて牛を殺せしの類、賈嶋の牛肉を喰ふによりて、病を得て死せし如きの類にて、人の心得によき歌也。漢家詩經も後人見る人の見解によりて、辱教ともなる道理に等しく、此集中の歌も如v此の歌は見やうにて、人々の謹みの端ともなるべき事也
漁取 二字をとると詠ませたるは、當集の一格、字を以て其諺の意を助けたる也。魚をとるを、すなどりと云から、漁の字を加へたる也
右有吉田連老字曰石麻呂所謂仁教之子也其老爲人身體甚疲雖多喫飲形似飢饉因此大伴宿禰家持制作斯歌以爲戯咲 續日本紀光仁紀云、寶龜九年二月〔辛己中略、内藥佐外從五位下〕吉田連古麻呂爲2兼豐前介1
仁教之子也 仁愛教習の人といふ義なるべし。ひとのりの子也と云説は不v可v用地。文義不v濟也。子は男子の通稱賞美の詞也
高宮王詠數種物歌二首たかみやのおほきみあまたのものをよめるうたふたくさ
高宮王 傳不v知也。
(332)3855 葛英爾延於保登禮流屎葛絶事無官將爲
ふぢのきに、はひおほどれる、くそかづら、たゆることなく、みやづかへせむ
葛英 二字誤字也。〓莢【造夾二音俗云※[虫+也]結】カハラフヂ。他覺抄に、ふぢの木とは、さいかし也。今も西海《サイカシ》の子といふ有。木類なるに、何とて葛の類には和名に入たらん。又※[虫+也]結とは、いばらの木に、ジヤケツイバラと云ふあり。此西海子の事にや、實を云たるか。其實の形百足の如くなれば也
おほどれるは、はびこれると云義を、おほどれると云し也。源氏手習の卷に、髪の裾の俄かにおほどれたる樣にしてと書けるも、ばら/\としどけなくはびこりたる體を云へり
屎葛、和名云、細子草、久曾加豆良。今もおのがまゝに這ひはびこれる蔓草を云へり。絶ゆること無くと云はん爲の序也。歌の意は只絶ゆる事なく、君に仕へんとの義を、ふぢの木屎葛を詠入たる也。數種の物と端書にあれど、只二種の物の名迄也。次の歌合て、色々のものを詠入たる歌故右の題か
3856 婆羅門乃作有流小田乎喫烏瞼腫而幡幢爾居
ばらもんの、つくれるをだを、はむからす、まなぶたはれて、はたほこにをり
此卷の歌凡て此卷の戯れ歌共皆俳諧歌也。よりて音を用ゐたり。此歌もばらもんとは天竺の官僧の名也。義訓の讀み樣もあるべけれど、此已下にも皆音を用たる歌多ければ、俳諧故音にて讀べき也。婆羅門とは竺土にて廣學多智にして、勇力の人を云也。梵語に没羅と云ふ、ぼらかんまなど云ふ由也。漢土にての士、本朝にて武士と云類也。如v此詠出たる歌意は、有徳賢者の作る田を大欲俗の身として烏のはみし故、其罸罪にて、まなぶたはれて、幡ほこに貫かれて居るとの義に聞ゆる也。古禁門に被v樹し幡鉾に、鳥形の幡有りしと聞えたり。上古は里毎に行程をはかる印に、幡鉾を立置かれし事あり。其幡の上に烏の形を作りしとも聞えたり。此歌にては、それを鉾に被2突貫1し事の樣に詠める意と聞ゆる也。續日本紀に、文武紀正門樹2烏形幢1と云事見えたり。幡幢とは幡と鉾と一つに並べて立たるといふ也。一説幡棒を直ぐに鉾にしたるを云ふ共云也(333)可2追考1也。
戀夫君歌一首
をつとをこふうた又せなをこふ歌ともよむべし。和名抄第二云、白虎通云、夫猶v扶也。以v道扶接也。【和名乎宇止】男。女の男したるを男持ちたると云ふも、此一説夫をヲトコと稱する故也
3857 飯喫騰味母不在雖行往安久毛不有赤根佐須君之情志忘可祢津藻
いひはめど、うまくもあらず、ありけども、やすくもあらず、あかねさす、きみがこゝろし、わすれかねつも
歌の意は句面にて聞ゆ
飯喫雖v食不v甘。寐不v安v席の意也。赤根さす君とは色につきて云へる也。赤が到ては黄なるもの也。又光と續く意にて、光彩ある紅顔の君と云義にて續けたる共聞得て、君を稱美して云ふ冠句也。此歌の外赤根さす君と云詞なけれど、紫と續けたる歌第一卷に出たれば、其例格にて黄色を出すにも、赤根をさす事あり。故に如v此詠めるか。
右歌一首傳云佐爲王有近習婢也于時宿直不遑夫君難過感情馳結係戀實深於是當宿之夜夢裡相見覺寤探抱曾無觸手爾乃※[口+更]咽歔欷高聲吟詠此歌因王聞之哀慟永免停宿也
佐爲王 諸兄公の弟也。すけためと假名を付けしは後人の誤り也
夢裡相見覺寤云々。遊仙窟曰、少時坐睡則夢見2十娘1。驚覺撹之忽空v手。余因乃詠曰。夢中疑2是實1。覺後忽非v眞。當集第十二卷の歌にも此意を詠めり
※[口+更]咽 かなしみむせぶと云義也
歔欷 なげきかなしむ意也
(334)永免侍宿 我朝風俗歌情にて人の心を慰め和らぐ自然の雅情、如v此故事を以て感心すべき也。歌惰によりて罪科を被v免、憂ひを免がれし事擧るに數へ難し
3858 比來之吾戀力記集功爾申者五位乃冠
このごろの、わがこひぢから、しるしあつめ、くにまうしなば、ごゐのかうぶり
上古は諸官人諸國の受領皆六ケ年毎、又勤勞の功を授しるして、公課の吟味と云事有て被v擧被v貶し事也。其義に比して我夫を戀慕ふ、功勞を記して公に申しなば、五位の位をも授かるべき程に、思ひの積りたると喩へたる也。功をクニと讀べし。公と相兼ねたる意也。古は公の音クとならでは稱へず、クワウは漢音也。呉音はク也。功の字も同じ。仍てクとは公の字にも通じて、公けに申しなばと云意を兼ねて、くに申なばと讀べし。此集卷四、戀草を力車に七車つみてこふらくわが心から共詠めり。其意に同じ。思ひの積りたると云事を云へる也
3859 頃者之吾戀力不給者京兆爾出而將訴
このごろの、わがこひぢから、たばらずば、みやこにいでゝ、うたへまうさむ
兆を誤りて北に作りたり。可v改也。これを、京に出てうたへ申さんと讀ませたり。京兆の二字は、みやこと讀む也。京に出てとは、令義解に、左右京官人良賤訴訟の事を用ると有故、京兆の二字とも書たるか、京兆左京の唐名也
戀力不給者 力とは功勞の賞禄をと云義也。わがかく迄勤め勞せし、積り/\たる戀の勞のしるしをたまはらずばと、公課の事に比して詠めり
右歌二首
筑前國志賀白水郎歌十首 此歌所以は後註に見えたり
3860 王之不遣爾情進爾行之荒雄良奥爾袖振
(335)おほぎみの、つかはさゞるに、さがしらに、ゆきしあらをら、おきにそでふる
さがしらには、かしこだてにと云意也。第三卷大伴卿の讃v酒歌に、あなみにくさがしらをすと詠めるも、かしこだてをすると云意也。賢の字もさかしきとは讀む也。此下の歌には情出るとも書て、義訓にさかしらと讀ませたり。公の仰にてはなく、頼まれて荒雄が海路に行て身まかりし故、かく詠める也。後注にて可v辨也
奥に袖振 海上に溺れ死たる義を云也
3861 荒雄良乎將來可不來可等飯盛而門爾出立雖待不來座
あらをらが、こむかこじかと、いひもりて、かどにいでたち、まてどきまさぬ
荒旅とは泉郎の名也。妻夫の荒旅の遲き故、今日や歸る/\と飯をしたゝめて待てど、不v歸事の戀しき實情を詠めり
3862 志賀乃山痛勿伐荒雄良我余須可乃山跡見管將偲
しがのやま、いたくなきりそ、あらをらが、よすがの山と、見つゝしのばん
よすがの山とは、形見の山と云義と諸抄に釋せり。此歌の意も、さ聞ゆる也。形見の事をよすがと云義如何にしたる語にや、心得難し。日本紀に因の字資の字を、よすがと讀ませて、基きたよりとする事を、よすがと云來れり。此歌の意には不v合也。當集第三卷の歌にも
ことゝはぬものにもあれどわきもこが入にし山をよすがとも思ふ
と詠たるも、形見の意に叶へり。義は不v通ども、先づ形見の山と云説に從へり
3863 荒雄良我去爾之日從志賀乃安麻乃大浦田沼者不樂有哉
あらをらが、ゆきにしひより、しがのあまの、おほうらたぬは、さびしくもあるかな
大浦田沼は荒雄が住所の名なるべし
(336)3864 官許曾指弖毛遣米情出爾行之荒雄良波爾袖振
つかさこそ、さしてもやらめ、さかしらに、ゆきしあらをら、なみにそでふる
官こそとは、其官役の者こそさゝれて其司よりさしやるべきに、さゝれもせで、かしこだてに行て、風波の難に逢て、波に溺れ死せし事を嘲り嘆く事也
3865 荒雄良者妻子之産業乎婆不念呂年之八歳乎待騰來不座
あらをらは、めこのわざをば、おもはずろ、としのやとせを、まてどきまさぬ
産業 妻子のさきはひを、何として渡らん共思はずして、心なくかく久しく歸らぬ事かなと嘆きし也
おもはずろ ろは方言の助語也。多く東歌に有詞也。西國にも昔は云へるか。下賤の言葉と聞ゆる也。此歌にても年の八とせを詠めるは、連續の古語にて、いやとせと云ふ義、數に拘らず久敷事を云へる義也
3866 奥鳥鴨云船之還來者也良乃埼守早告許曾
おきつどり、かもちふふねの、かへりこば、やらのさきもり、はやくつげこそ
鳧は水にて浮くもの故船の名とす。又舟の形、鳧の水に浮けるに似たるをもて號す共云へり。上古皆舟の名を鳥に寄する事は、其行く事の飛ぶが如くなるをもてせるか。神代卷下に神詠にも出たり。此歌の上の句に同じ。沖つ鳥かもつくと詠ませ給ふも、舟の事也。偖伺卷に天鳥船と云事あり。宗師案に、鳥船は鳧の誤りにて鳧《カモ》船也。荊楚歳時記にも飛鳧と云語あり
やらの崎は筑前と釋し來れり。歌の意よく聞ゆる也
3867 奧鳥鴨云舟者也良乃埼多未弖榜來跡所聞禮許奴可聞
おきつどり、かもちふふねは、やらのさき、たみてこぎくと、きかれこぬかも
前の歌、此歌荒雄が乘りし舟をさして、鴨ちふ舟と云也。やらの崎地名也。筑前にある由也。其處を漕ぎめぐりて、歸り來(337)る時聞え來ぬと也。きかれは、聞えこぬと云義也
たみと云詞も前に毎度ある詞也。めぐりませかなと云意、こぎまふなど云義也。夫の歸りを妻子の待わびて、歸り來ると云ふ沙汰も聞えぬかなと、嘆きおたる意也
3868 奥去哉赤羅小船爾※[果/衣のなべぶたなし]遣者若人見而解披見鴨
おきゆくや、あからをぶねに、つとやらば、わかきひとみて、ときあけみむかも
あからを船は赤く塗たる舟にて、あけのそほ船等云ふに同じ
※[果/衣のなべぶたなし]遣者 荒雄がもとへ何にても包物して、押行舟にことづてやらば、海神の見て披き見んかと也。若人の二字を諸抄色々に讀みて、假名附にも若き人見てなど云ひ、又若し人の見てと注せるもあれど、さもあるべきか。海※[草がんむり/呂]海童など書て、わたつみと讀む義あれば、若人の二字わたつみにてあるべしと完師案也。海路の事なれば、海神の咎め見て披かんかと詠める處歌情也。若き人のおどけて披かんなど云説は心得難き也。これは荒雄が妻子等の方より、荒雄を慕ひわぶる故、沖行舟を見て物等贈り遣し度思ふて詠めり
3869 大舶爾小船引副可豆久登毛志賀乃荒雄爾潜將相八方
おほぶねに、をぶねひきそへ、かづくとも、しがのあらをに、かづきあはんやも
大舶 前に注す。つくし船共云ひ大船共云ひて大船の事也。和名にも海中の大船と注せり
小船 艇の字を書也。少き舟也。和名抄第十一云、艇、をぷね、釋名に云一二人所v乘也
可豆久とは、舟を漕めぐる事を云との説也。さにはあらず。大船に小船をも添へて、其大成物をかづきて海中へ沈入らむ程の艱難をして探り求むる共、入没したる荒雄には、も早や會はれまじきと歎きたる也。舟を漕ぐ事をかづくと云事外に證例あらば、大船小船を引つらねて尋ねめぐると云事也と見るべけれど、かづくと云ふは、海中に沈み入る事を云也。第十一卷にも、百積の舟かづきいるやうらさしてと詠める歌の意、いか程の苦敷事に會ふ共、其名はのらじと詠める歌あり。然ればかづくは(338)其船を頭にかつぎて、海中に沈み入ともと云事に聞ゆる也
右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麿充對馬送粮舶※[手偏+施の旁]師也于時津麻呂詣於澤屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰走雖異郡同船日久志篤兄弟在於殉死豈復辭哉津麿曰府官差僕充對馬送粮舶※[手偏+施の旁]師容齒衰老不堪海路故來祗候願垂相賛矣於是荒雄許諾遂從彼事自肥前國松浦縣美禰良久埼發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉因斯妻子等不勝犢暴裁作此歌或云筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌
延喜式主税式云。凡筑前筑後肥前肥後豐前豐後等國、毎v年穀二千石漕2送對馬1。以充2島司及防人等粮1。同第五十雜式云。凡運2漕對馬島1粮者、毎v國作v番以v次運送
※[手偏+施の旁]師 和名抄云、舵、唐韻云【徒可反、上聲之重字、亦作v舵】船尾也。或は作v柁、和語多伊之。正v船木也。楊氏漢語抄云、柁、案舟人呼2挾抄1爲2柁師1是也。如v此あれば※[手偏+施の旁]の字柁の字の誤か。舵字の誤か。一本に※[手偏+旁]字に作るは拾穗本也。例の改作の本なれば難2信用1。然れば舶※[手偏+施の旁]師の三字は、だいしと讀まんか。又は和名抄に※[楫+戈]師をカヂトリと讀ませたれば、是に准じて、これもかぢ取と讀まんか。ふなをさとも云べきか。師の字の例證によらば、かぢとりと讀べきか
走雖異郡 此走の字心得難し。若は誤ならんか。隔2行程1郡を異にすると云義にて、わしりと書けるか。如v此文法未v考
殉死、人を以て死に從はしむろ事を云。上古此事有。主君の歿後、仕官の人御供に死に赴く也。殉、玉篇云、詞俊切、用v人送v死也
容齒 年齡の事也。相替を誤りて賛に作れり
美禰良久埼、禰は彌の誤也。袖中抄に云、みゝらくのわが日の本の嶋ならばけふもみかげにあはましものを。此歌は俊頼朝臣の歌也。其詞に云ふ、尼上うせ給ふて後、みゝらくの嶋の事を思ひて詠めると有。能因元義といふ書に、肥前國ちかの嶋、(339)此島にひゝらこの崎と云處有。其處には夜となれば死ぬしたる人あらはれて、父子相見ると云々。袖中抄を可2考略1也。如v此袖中抄にも能因は、ひゝらこと云たれど、俊頼みゝらくと讀たるはたがはず。如v此事慥に考ふるに、本文に詠也とあれば、此美ねらくは美禰良久なるべし。こゝに、ひゝらこと能因の云しも、みゝらくの詞に通へる也。ひゝの濁音は、みゝなれば、何れも同詞也。愚案不審、此前の歌に、やらの崎と詠めるも彌良にて、此處の事等にはあらざらんか。彌の字はやとも訓ずる故疑はしき也
沈没海中焉云々。續日本紀卷第三十二、光仁天皇寶龜三年十二月己未、星隕如v雨、太宰府言。壹岐嶋橡從六位上上村主墨繩等、送2年粮於對馬嶋1、俄遭2逆風1船破人没。所v載之穀隨v浪漂失云々。上古如v此の事度々ありしと見えたり。
犢暴は慕の誤り也。いたく慕ひ嘆くと云義也
3870 紫乃粉滷乃海爾潜鳥珠潜出者吾玉爾將爲
むらさきの、こがたのうみに、かづくとり、たまかづきいでば、わがたまにせむ
紫の粉滷の海に潜鳥、此紫の粉潟、八雲に筑前と有。仙覺も同じ。此歌の次第、志賀の泉郎の續きなれば、打つけに筑前と見ゆれども、別目を擧げて右歌一首とありて、次の歌も同前にて、角嶋の迫門を詠めるは、長門の一の嶋なるべし。或説に此角嶋、能登共云へり。當集第十二卷に、わぎも子をよそにのみやみん越の海のこがたの海のと詠めるは、北國の海と聞ゆ。又清原元輔歌に、浪間わけみるかひもなしいせの海の、いづこゝがたの名殘なるらんと詠めるは、伊勢にもこがたの海と云地名ありと見ゆ。然れば筑前とも決し難からんか。歌の次第を云へば筑前と云べきか。紫のことうけたるは、濃と云詞に寄せて也。歌は句面の通也
右歌一首
3871 角島之迫門乃稚海藻者人之共荒有之可杼吾共者和海藻
(340)つのじまの、せとのわかめは、人のがり、あれたりしかど、われかりはわかめ
角嶋 延喜式卷第二十八云、長門國角嶋牛牧、かゝれば長門なる事證明也。或抄に能登と注せるは不審也。稚海藻 和名抄云。本草云、海草味苦鹹、寒無v毒、和名爾木米、俗用2和布1。下の詞に和海藻と書るは、和の古語也。わかと讀ませたり。祝詞の文に在り。依て和の字わか共讀みし也
人之共 此三字假名附には、人のともと讀ませたり。さ讀みて義不v通也。宗師案は、からと讀む字なれば、から、かり同音也。刈と云ふ訓に借りて書たるかと見る也。よりて人のがりと讀みて、其義よく通ず。めは、刈り、刈ると云ふなれば、妻に寄せて詠たる歌にて、われがりはわが妻と云義也。表は海藻の事にして、下に妻の事に寄せて詠める也。さなくては歌にならざる也。人の刈りてあらしたれ共、われ刈りてあれば、我に靡きてわがつ女也と云心か
右歌一首
3872 吾門之榎實毛利喫百千鳥千鳥者雖來君曾不來座
わがかどの、えのみもりはむ、もゝちどり、ちどりはくれど、きみぞきまさぬ
榎和名抄云、爾雅注云、榎、一名〓。【上音古雅反、字、亦作v※[木+賈]、音〓和名衣】赤く黄色なる實のる木也。
毛利喫 此詞六ケ敷也。契冲案に、むれの音通ずれば群はむ也と云へるは正義なるべし。毛利もむれも同詞也。
百千鳥 此説抄物等區々也。八雲にも鶯は、榎の實を喰と遊されしも、此歌に寄らせ給ふて、古説の誤りに從はせ給ふ故也。榎の實は秋の物也。鶯の群れはむ樣なし。其上鶯を百千鳥と云説、いかに共知れず。古今の傳授にあるも、百千鳥囀る春と云歌に依りて、誤りて云來れる事也。此卷此歌にて百千鳥と云は、鶯にあらざる事を辨ふべし。色々の少き諸々の小鳥をさして云との説もあり。宗師案は百千の鳥にて、數多く鳥の集りたると云義にて、百千鳥は、百つ鳥也。ちとつと同音にて、助語のつと見る也。百つ千の鳥と云義に見る也。百千鳥と云一名あらざる也
(341)3873 吾門爾千鳥數鳴起余起余我一夜妻人爾所知名
わがかどに、ちどりしばなく、おきよ/\、わがひとよづま、ひとにしらすな
これは鳥の鳴聲の、きよ/\と云事に寄せて詠めると聞ゆる也。千鳥はちよ/\と鳴く聲のもの也。小鳥の内にきよ/\と鳴聲あり。しかも朝鳴鳥あり。其聲を聞てかく寄せて詠めるか。此千鳥も一鳥の名にあらず。いくらもの鳥をさして、千百の鳥の鳴と云義なるべし。しば鳴くはしば/\鳴にて、おきよ/\と云詞は、鳥の聲に寄て云はざれば、只言にして雅語ならず。數鳴と書也。我一夜妻とは、忍びて逢妻の事成べし。通例は夢の事をも云へり。こゝは忍びあふ妻の事故、人に知らるなと云意也
右歌二首
3874 所射鹿乎認河邊之和草身若可倍爾佐宿之兒等波母
いるしゝを、とむるかはべの、わかぐさの、みわかきかへに、さねしこらはも
いるしゝ、日本紀齊明紀に、いゆしゝを繋ぐかはべのと有。古語に似たる上の句也。しかればいるししとは、狩人の射る鹿をとゞむ河邊と云意也。此事愚意未v落。何とぞ故あらん。鹿をとむる河邊と云事心得難し。鹿は山野にて住もし通ひもするに、河邊と詠める事、日本紀の歌の意から不v濟也。先づおして云はゞ、手負鹿等水によるもの故、射る鹿をとむる河邊とは續けたるか。しゝは手負て水を飲まんとて、河邊をさしてかけるものか。とむる共つなぐ共あれば留の意にて、和草のとあるにて、その草になづみてとゞまるの意にて、とむると詠める歟。一説に萩の事を和草と云との説は不v用。和草は身若きと云はん序也。尤若き女故さねしと云ふ迄の義か。子らはもとは、戀ひ求むるの意、いかゞしたるらんと慕ふ意を、こらはもとは讀める也。可倍爾を草の上にと云説あれど心得難し。宗師案諾の字の意と見る也。身は初語にて、只若きがむべとか云義と見る也。此歌全不2聞得1、可2追考1
(342)右歌一首
3875 琴酒乎押垂小野從出流水奴流久波不出寒水之心毛計夜爾所念音之少寸道爾相奴鴨少寸四道爾相佐婆伊呂雅世流菅笠小笠吾宇奈雅流珠乃七條取替毛將申物乎少寸道爾相奴鴨
ことざけを、おしたれなのに、いづるみづ、ぬるくはいでず、ひやみづの、こゝろもけやに、おもほゆる、おとのすくなき、みちにあひぬかも、すくなきよみちに、あへるさば、いろがせる、すががさをがさ、わかうなげる、たまのなゝつを、とりすても、まうさむものを、すくなきみちに、あひぬかも
琴酒 おしと云はん序也。琴も手にて押へるもの、酒は垂れしぼるもの故、如v此續けたる冠辭也。これは、おしたれの小野と云地名に續けたる也。此歌全體は路の狹き道にて、美しき婦人にあふて、それを思ひ慕ふて詠めると聞ゆ
心もけやに 是迄の句、皆此心も消ゆる樣にと云べき詞の序也。心もけやにとは、心も消ゆる樣にと云義、俗に心のきや/\とするなど云ふに同じ。
音之少寸 此句不v濟。水の音の少きと云ふて、何としたる義を云へるか不v通也。宗師云、音、文字の形を以て出と云字をば山に山重ぬるなど讀める格にて、音は、たびと讀べし。立はた、日はひ也。音の一字を分て讀む例、已に出の字を讀めるが如し。おしたれをのと詠めるから、是旅行の意に聞ゆ。少寸は、乏しき也。旅には友ほしきものなれば、其意を含みて珍しきと云心をこめ、珍しき道にあへるかもと云意なるべし
佐婆 古語の助語也。神武紀にも歌詞に此助語あり。上古の助語見て置べし。おして云はゞ、あへる有樣共云べきか。ばはま也
伊呂雅世流 妹がせると云と同じ義也。女をさしていろとは云へるならん。いろと、いろせと云古語あれば、先の女をさし(343)て、いろとは云へるならん
うなげる玉の 古語也。神代紀に見えたり。首に纒ひたる玉と云事也。上古は身の飾りに玉を纒へる故也
將申物 もたましものを也。乏しき道にあひぬるかもとは重ねて云へる也
全體の意は、おしたれ小野を通りし旅行の折節、珍しき女にあひて、心も消ゆる計に面白く、其女の着たる笠の緒と、わがうなげる玉の緒を取換へて、せめて形見にもせましきものを、旅行の道にてあへるから、さもえせざりしと、慕ひて詠める意也。古歌の一體の歌と聞ゆる也
右歌一首
豐前國白水郎歌一首
3876 豐國企玖乃池奈流菱之宇禮乎採跡也妹之御袖所沾計武
とよくにの、きくのいけなる、ひしのうれを、つむとやいもが、みそでぬれけん
企玖池 豐前國の郡に企救郡有。和名抄云。豐前企救郡。其郡の内に在る古池と聞ゆ。當集第七、十二卷にも、きくの濱と詠める歌あり。池の菱を取る事第七卷に、君が爲うきぬの池の菱とるとわが染し袖ぬれにけるかな。此歌は我袖をぬらせる歌、こゝの歌は思ふ人の袖をぬらしけんと也。此等も海人のしわざなるから、菱をとるとて海女の袖を厭ひて、夫の詠めるならん
宇禮 末《ウレ》を云也。菱を取を詞の餘情に菱のうれとは詠める也。みと云詞は發語とは、是等の歌にて辨ふべし。尤尊て云事に限らざる也
豐後國白水郎歌
3877 紅爾染而之衣雨零而爾保比波雖爲移波米也毛
くれなゐに、そめてしころも、あめふりて、にほひはすとも、うつろはめやも
(344)雨に衣はぬれて、色猶こく匂ふ共、うつろはじと也。我心は人に親みて、思ひ深く染まる共、色のあせ替る心はあらじ等云事を含めて詠めるか、一通は衣の色の雨にぬれても變ぜぬ事を詠める也。上古の風俗、如v此泉郎なれ共歌を詠ぜし風雅、慕ふにも餘りある事なんめり
能登國歌三首
3878 ※[土+皆]楯熊來乃夜良爾新羅斧墮入和之河毛※[人偏+弖]河毛※[人偏+弖]勿鳴爲曾禰浮出流夜登將見和之
はしだての、くまきのやらに、しらぎをの、おとしいるるを、わしかけて、かけてななかしそね、うきいづる、やどはたみてむわし
はし立の熊きと續けたるは、大和の地名に有。はし立のくらはし山、はし立のたか倉山等續けたる古語の例を以て、はしだて、くと云一語にうけたる義と聞ゆる也。はし立のくらと續けたるは、神庫の事によりて、階をたてたるとの古事より云たるとの説あり。しかしはし立の倉はし山と云地名を續けたると云義慥なるべし。能登國能登郡熊來久万伎和名にあり。當集第十七に能登郡從2香嶋津1發船行於射2熊來村1云々とあるは、射2熊來1と書は不審也
夜良 或抄にやらとは北國の俗、水の底を云とあり。日本紀に大海を、おほやらと假名附たれば、あ、や横通音に海を云へるにやと云説あり。左注に墮梅底とあれば、何れにまれ、海底水底を云義と聞ゆれ共、例證を見ねば決し難し。音の通を以て釋せば、江原と云義にて、海原も江原も同じきなれば、竪通音にて、えらと云事共可v謂也
新羅斧 新羅より渡れる斧と云義也。欽明紀に百濟より好錦二疋〓〓一領、斧三百口云々。此類にて新羅よりも貢献せし斧有故、云へるならん。斧の形新羅斧とて一制ありしか
和之河毛※[人偏+弖] 此詞解し難き詞なれ共、音通を以て見れば、わしはわせと云詞也。先をさしたる義と聞え、かけては、かねと云義なるべし。後注によるに、斧をおとせし愚昧の人を諭せし歌と有なれば、わせかねて泣きそ、また浮出づる事もあるかやと、心を慰めよと、愚人故すかせし歌と聞ゆる也。注の意とは少し不v合樣に聞ゆれ共、此外に見樣なき也
(345)右歌一首傳云或者愚人斧墮海底而不解鐵沈無理浮水聊作此歌口吟爲喩也
3879 ※[土+皆]楯熊來酒屋爾眞奴良留奴和之佐須比立率而來奈麻之乎眞奴良留奴和之
はしたての、くまきさかやに、まぬらるのわし、さすひたて、ゐてきなましを、まのらるのわし
此歌は酒屋に入て、醉狂せし人を云へる歌と聞ゆる也。はし立の熊きと詠めるは、さかと云ふ迄の義、坂に寄せたる也。さかしき坂のある地名を、はし立倉はし山など云へる、日本紀の古詠當集にも毎度あれば、それに准じて酒屋の冠句に云へるを、熊きの次なる故、こゝに載せたると見えたり。酒屋に入て飲たふれし故、酒屋又は人に叱られしを氣の毒がりて、誘ひたてゝ率ゐてくれきましを、幼き故のり叱りしとの義に聞ゆる也、わしは醉人をさして云ふ也
奴良留は被v詈也。まは初語也。諸抄同じ。少し心得難き也。無風誰の歌也
右一首
3880 所聞多禰乃机之島能小螺乎伊拾持來而石以都追伎破夫利早川爾洗濯辛鹽爾古胡登毛美高抔爾盛机爾立隱母爾奉都也目豆兒乃負父爾獻都也身女兒乃負
そもたねの、つくゑのしまの、したゝみを、いひろひもちきて、いしもちて、つゝきやぶり、はやかはに、あらひすゝぎ、からしほに、こゝともみ、たかつきにもり、つくゑにたてゝ、はゝにまつりつや、めづちこのまけ、ちゝにまつりつや、みめちごのまけ
所聞たねの机の嶋は地名也。そもたねと云所に在る机の嶋なるべし
小螺 和名抄云〔崔禹錫食經云、小〓子【楊氏漢語抄云、細螺、之太太美】貌似2田螺1而細小、有2白玉之蓋1者也〕神武紀云。乃爲2御謠1〔之曰。伽牟伽筮能伊齊能于瀰能於費異之珥夜異波臂茂等倍屡之多〓瀰能《カムカゼノイセノウミノオホイシニヤイハヒモトヘルシタダミノ》云々。拾遺集物の名、あづまにて養はれたる人の子はした(346)ゞみてこそものは云ひけり。いひろひのいは初語也。こゝは、こゝた也。多きと云事也。毛身は、よき身と云事也。かねて鹽にもみあはするとの義也。應神紀に上味と書て、もみと讀ませたり。然れ共此歌にては、鹽の多くもみ合てと云義と聞ゆる也。俗に、もみないと云ふは、あぢない事を云ふ也
高抔 食物を盛る器、延喜式に毎度見えたり。和名に不v載事不審也。上下同じ樣にて、中細く丸き高き器物也。※[左右不揃いの鉄亜鈴を縦にしたような図]今も用ゆる也。机、和名抄第十六に云、都久惠〔唐韻、机、【音几】案屬也〕是云持v案進v食、【案者按都久惠】神代上下卷にも百机と出たり。上古の風俗、人を饗應するには、案机にすべて供する習也。今の世も神社の式如v此、朝廷の作法勿論也。凡下の人とても上古の習、如v此義自ら見えたり
目豆兒乃刀自 豆は助語、女のちごの刀自《トヂ》也。とぢとは女の通稱、和名抄卷十二、負【俗作2刀自1】劉向列女傳云。古語老母爲v負〔漢書五娼武魚位引v之。今按俗人謂2老女1爲v眉字從v人也。今訛以v貝爲v自歟。今按和名刀自〕和名の表にては老女の稱と聞ゆれ共、古は不v限歟。此歌に、めつちごのとぢと詠みたれば、女の通稱と閉ゆる也。第四卷に、坂上郎女むすめに贈る歌にも、とぢとあり
身女兒 自は助語發語也。全體の歌意は、机の嶋のしたゝみを拾ひ來て、から潮に多くもみ合せて、父母に奉りし、やめのわらはと云意の歌也
越中國歌四首
3881 大野路者繁道森徑之氣久登毛君志通者徑者廣計武
おほのぢは、しげぢはしげぢ、しげくとも、きみしかよはゞ、みちはひろけむ
大野路 和名抄云、越中國礪波郡大野於保乃、小野【乎野】繁道は上に、大野路はとありて、又しげぢはとは詠み難し。意は大野 草茂りたり共、君がふみわける夜半は道は廣からんと也。前にも此歌意あり
3882 澁溪乃二上山爾鷲曾子産跡云指羽爾毛君之御爲爾鷲曾子生跡云
(347)しぶたにの、ふたかみやまに、わしぞこうむといふ、さしばにも、きみがみために、わしぞこうむといふ
澁溪の二上山、此後第十七卷の歌にも數多出たり。越中の地名也
鷲、和名抄云、※[周+鳥]、鷲、唐韵云※[周+鳥]、【音凋和之】※[咢+鳥]別名也。〓【音萼】大※[周+鳥]也。山海經注云鷲【音就】小※[周+鳥]也
指羽 矢の名也。上刺の矢など云意か。鷺の羽は大鳥と云ふて、矢の羽の最上とす。公物の爲になるべきとて子をうむと也。君と指せるは、一天の君をさして奉v稱ならんか。鳥類迄も無役のわざをなさず、君用になるべき爲に子うむと也。君に仕ふる者の、官位を怠るまじき意にとりて、人に示さん歌ともなるべきにや。旋頭歌也
3883 伊夜彦於能禮神佐備青雲乃田名引日良霖曾保零 一云安奈爾可武佐備
いやひこの、おのれかみさび、あをぐもの、たなびくひすら、こさめそぼふる
伊夜彦、山の名也。延喜式に、越後國の内の神社に被v載たれど、此歌は大寶二年已前の歌故、越中の國と注せり。續日本紀文武紀大寶二年三月甲申、令d2大倭國1繕c治二槻離宮u。分2越中國四郡1屬2越後國1とあれば、元は伊夜彦神社越中なる事明か也。此集中にも如v此。己れ神さびとは自然と高く威靈の山なるからと云義也。いやひこの山、則神靈なるからとの意とも聞ゆる也。高山故青雲たな引、晴天なれ共時となく雨そぼふると也。すべて高山靈峰は、時となく雨ふり雲かゝるものなれば也。第九卷登筑波山時歌にも、時となく雲ゐ雨ふりと詠める也
日良をひすらをと詠めるは心得ず。須の字素の字などの脱したるか。霖、和名抄云、※[雨/脉]霖。二字を出せり。前に注せり。小雨の事也
そぼふる しよぼ/\と降る等云ふて少づゝ、しきりても不v降、不v止ふる雨をそぼふるとは云也。そぶりてなどゝも云て、雨にぬれそほつと云詞もありて、雨に付たる詞也。古今集已下の詞書にも、そぼふると云事數多書きあり。古今六帖、山田僧都を詠める歌に、袖はそぼちなど詠めり。新古今源重之、春雨のそぼふる空のをやみせず落る涙に花ぞ散ける。たゞ山の(348)景色ものふりたるから、時となく雨の降ると云事を詠める也
一云安奈爾可武佐備 安奈とは、あやにと云詞に同じ。感嘆したる詞、ほめかんじたる詞也。前後二首共、いや彦の山の事を詠める也
3884 伊夜彦乃神乃布本今日良毛加鹿乃伏良武皮服著而角附奈我良
いやひこの、かみのふもとに、けふらもか、しかのふすらむ、かはのきぬきて、つのつきながら
神の麓にとは、山則神靈にませば直ぐに神とも詠めり。當集此例富士山H筑波山の歌等數多例有事也。鹿のふすらんとあるは若し春日に鹿の屬せるたぐひ、此神の使ふ者などゝ云ならはせし故か、皮のきぬきて角つきながらは、鹿の體を云たる義也。角をも地に突貫きながら、おのが臥床とゆたかにもいねて居らんかと也。皮の衣をきてと云は、應神紀の鹿子の古事等をもふまへて詠める歟
乞食者詠二首 今のこつじきの如き者の詠める歌と云義なるべし。萬の詞を集めたる此集なれば、かくの如く樣々の歌共を載せられし也。歌の次第鹿の事を詠める歌故、此次に載せたると見えたり。此歌誤字落句などあらんか。聞え難き釋し難き事多し。今も色々のおどけ事など云ひて、人の耳目を喜ばして、物を乞事有その類也。乞食の歌ひし歌なれば、しかと理りの聞えたる事もあるまじき也
3885 伊刀古名兄乃君居居而物爾伊行跡波韓國乃虎云神乎生取爾八頭取持來其皮乎多多彌爾刺八重疊平羣乃山爾四月與五月間爾藥獵仕流時爾足引乃此片山爾二立伊智比何本爾梓弓八多婆佐彌比米加夫良八多婆左彌完待跡吾居時爾佐男鹿乃來立來嘆久頓爾吾可死王爾吾仕牟吾角者御笠乃波夜詩吾耳者御墨坩吾目良波眞墨乃鏡吾爪者御弓之弓波受吾毛等者御筆波液斯吾皮渚御箱皮爾吾完者御奈麻須波夜志吾伎毛母御奈麻須波夜之吾美義波御鹽乃波夜之耆矣奴吾身一爾七重花佐久八(349)重花生跡白賞尼白賞尼
いとむかし、なせのせこまし、いましつゝ、ものにいゆきとは、からくにの、とらといふかみを、いけどりに、やつとりもちき、そのかはを、たゝみにさして、やへだゝみ、へぐりのやまに、うづきとや、さつきほどに、くすりがり、つかふるときに、あしびきの、このかたやまに、ならびたつ、いちひがもとに、あづさゆみ、矢をたばさみ、ひめかぶら、やつたばさみ、しゝまつと、かりゐをるときに、さをしかの、きたちきなげく、たちまちに、われはしぬべし、おほきみに、われはつかへむ、わがつのは、みかさのはやし、わがみゝは、みすみのつぼに、わがめらは、ますみのかゞみ、わがつめは、みゆみのゆはず、わがけらは、みふでのはやし、わがかはゝ、みはこのかはに、わがしゝは、みなますはやし、わがきもゝ、みなますはやし、わがみきは、みしほのはやし、おいはてぬ、わがみひとつに、なゝへはなさく、やへはなさくと、まうしぬまうしぬ
伊刀古 此を、いと古きなあにの君と讀ませたり。かく讀みては義不v通。是は古き物語の事を詠めると聞ゆれば、いと昔と讀み、古へありし事を、こゝにあらはし述べるとの義にてあらん。なあに君と云ふては、其理り聞得ず。なせのせことは、すべて、なせも、せこも君長をさして云惣名なれば、遙かなる古へ、君たる人のましましてと云義なるべし
いゆくと 此の跡の字いかに共解し難し。これは、ての字の誤にて、蹄の字なるべし。さなくては聞得難し
物爾伊行 我國の習ひ外へ行事を、昔は物へまかりゆくなど云へり。歌の詞書に毎度ある也。事によりて墓所佛詣の事をも、ものへまかりと云ひし事もあれど、すべて外へ行事を云來れると聞えて、此集にも如v此詠めり
虎云神 古は皆禽獣をも神と云ひし事、日本紀に見ゆ。虎をも狼をもかしこき神と有。欽明紀皇極紀に見えたり。大蛇、龍をも神と云へる事、景行紀雄略紀に見えたり
(350)生取爾 是は上古日本人唐國へ渡りて、虎を召取り來りし古事有か。巴提使が事等を云傳たるか。かく云事外にも云傳へり。此歌の意も、昔物語の樣に作れる也
八頭取持來 第十三卷の、鵜をやつは《マヽ》なちと云事も八頭と書たり。けものは頭をもて數ふる故、意を助けて書けるならん。八足には限るべからず。いくつもの事にして詞の限り也
多々彌爾刺八重疊 神代紀下に海神於是|鋪《シキ》2設八重席薦1以廷内入云々。八重疊と云ふは古語也。此八重疊と云ふは、へぐりと云はん序也。上古の歌皆かくの如し。詞の餘情をかく長々と詠出して、其詞の内に自づから古事古實を存せり。疊を編むをへると云故、疊へぐりと續けし物也。前の歌にも平群のあそと續けし處に注せり
平群山 大和也。四月と五月の間に藥獵、推古紀天智紀に見えたるは、五月五日なれば、此歌にて見れば、四月五月の間にも鹿を狩りし事あると見えたり、是を競狩《キソヒカリ》と云ふ。又藥狩と云へり。第十七卷、かきつばたきぬにすりつけ丈夫がきそひ狩する月は來にけりと詠めり
足引の此片山に、此詞前にも有。顯宗紀室壽詞の古語に見えたり
二立 是を、ふたつたつと詠みたれど心得ず。二つ立つと限れる譯聞えず。義訓にて、ならび立つなるべし。獵人の並立て也。此片山に並立て也
いちひが本に、和名抄云櫟【音歴、以智比】櫟の木のもとにならび立てと云義也。梓弓やをたばさみひめかぶらやつたばさみ、上のやは矢也。後のやは數を云也。八なるべし。それにて句調ふ也。八つとはいくらもの義、八の數に限らず、ひめかぶらは、ひき目かぶらと云説あれど心得ず。姫かぷらと云物も、古事記延喜式等に見えたるひめ矢、姫靱等の類なるべし。いかなるをいふか、其制は考へ難し。吾居時爾、是も、かりゐをる時と讀むべし。獵の事なれば、よくある詞にして、そのわがと云事、いづれをさして共別ち難し。乞食の和歌を云ふ辨にもなり難く、なせの君の詞にも成難ければ、かり居時、狩をしてゐる時にと云ふ義に通じてよく聞ゆる也。これより鹿の云詞也。是迄の事は皆序也。吾可死とは、かりはしぬべしと讀むべきか。(351)こゝは我はと讀みよく聞ゆる也。鹿のわれは今日の藥狩に刈取られて、忽ち死はつべし。さりとても藥に仕へんと、其仕ふる事を悉く云へる也。わが角はみかさのはやし。天子の御笠の具に用ひられんと也。はやしと云ふは、切直して用られんと云義也。事のしげき事をも云へる、數々に用られんとの事に、はやしとは云へるならん。角は頭にいたゞけるもの故、御笠のはやしとならんと、それ/”\に相應して云へる也
御墨坩 墨壺に鹿の耳の似たれば、それと成べし。工匠の持つ墨斗の事を云へり。墨斗【スミツボ】和名抄云、墨斗、楊氏漢語抄云墨斗【須美都保】。
吾美義波御鹽乃波夜之 此詞いかに共不v解也。左右の右の事を云へる共不v見。何を云たる事とも難v考也。可2追考1。氣血の事をみぎと云へるか。鹽となりて用られんと云へるなれば、氣血の事をみぎと云へると聞ゆれど、語證無ければ決し難し。はやしとは、多く茂りてあらんと云意と聞ゆる也。澤山に用ひられんとの事を、はやしとは云へる也
老矣奴 三字にて、おいはてぬ也。矣の字ははつると義訓すべきか。老果てたる我身死しても七重八重花咲て供御に用ゐられんと鹿の申すと、申給へ/\と、重ねて繰り言に云へる也。乞食は此歌を歌ひ、人に食を乞ひけるなるべし、今淨瑠り小歌等歌ひ語りて、物を乞義に同じ
白賞尼 是を、ま《マヽ》ねふさと讀ませれど義不v通。賞の音の一語を取りて、にはぬと同音なれば、もうしぬもうしぬと讀べし。然れば鹿の申ぬと重ねて云へる義と聞ゆる也
右歌一首爲鹿述痛作之也 鹿の獵にあふて殺されて、己が身をさま/”\の物に被v用事の由を、痛み嘆きたる意を述べたる歌也。七重八重花咲と悦ばしき樣には詠みなして、實意は痛み嘆ける情をあらはせし歌也と云注也
3886 忽照八難波乃小江爾廬作難麻理弖居葦河爾乎王召跡何爲牟爾吾乎召良米夜明久吾知事乎歌人跡和乎召良米夜笛吹跡和乎召良米夜琴引跡和乎召良米夜彼毛令受牟等今日今日跡飛鳥爾到雖立置勿爾到雖不策都久怒爾到東中門由參納來弖命受例婆馬爾己曾布毛太志可久物牛爾己曾鼻繩波久(352)例足引乃此片山乃毛武爾禮乎五百枝波伎垂天光夜目乃異爾干佐比豆留夜辛碓爾春庭立碓子爾春忍光八難波乃小江乃始垂乎辛久垂來弖陶人乃所作瓶乎今日往明日取持來吾目良爾鹽漆給時賞毛時賞毛
をしてるや、なにはのをえに、いほつくり、かたまりてをる、あしかにを、おほぎみめすと、なにせむに、わをめすらめや、あきらけく、わがしることを、うたびとゝ、わをめすらめや、ふえふきと、わをめすらめや、ことひきと、わをめすらめや、それをしも、みことうけむと、けふけふと、あすかにいたり、たてれども、おきなにいたり、うたねども、つくぬにいたり、ひむかしの、なかのみかどゆ、まゐりいり、きておほすれば、うまにこそ、ふもたしかくも、うしにこそ、はななはゝくれ、あしびきの、このかたやまの、もむにれを、いほえはきたれ、あまてるや、ひのけにほして、さひづるや、からうすにつき、にはにたち、からうすにつき、おしてるや、なにはのをえの、はつたれを、からくたれきて、すゑひとの、つくれるかめを、けふゆきて、あすとりもちき、わがめらに、しほぬりたべと、ときしもときしも
をえ、小江也。廬作、蟹の穴を堀りて入り居るを、いほつくりと也。かたまりて居る、あつまりかたまりて居るとの義也
葦かに、蟹は葦邊にあつまり居る物故、あし蟹と也。事※[手偏+内]よりもわきて難波には、小き蟹の潮干等には、一面にあさるなれば、名物の葦に寄せて古へも葦蟹と云へるか。尤外にても葦蟹と云なれど、本は難波より云たる事にや。又は足の多き物故云へる歟。蜘蛛を、さゝ蟹と云ふは、篠の葉などに巣をくひ、蟹に能似たるもの故云習はせる也。尤ささとは少しの事に云詞なれば、微小の蟹に似たりと云義か。和名加仁、八足虫也
(353)おほきみめすと 朝廷より召とあれば、何の爲にわれを召さんや、召さるべき用も無きわれにと云義也
あきらけくわがしることを 蟹の何ぞ知り得たる事あらば、歌人とか、笛吹とか、其事に妙なる身ならばさもあらんを、何の爲に召されんやと也。明らけくわが知りたる事あらばと云意を、明らけくわが知る事をと詠める也
彼毛 しかれどもと云意と同じ。それながらもと云意也。それをしもと讀むべし
令受牟等 令は命の字か。又令の字にてもみことゝ讀べし。然れ共みことのりを受けんと云意也
今日今日跡 これより蟹の召に從がひて、行所の地名を云たる也。何の用に不v立われなれど、それをしも先づみことのりを受とて出で、到れる所々の地名を云へる也
飛鳥爾到 此けふ/\と飛鳥にと云へるは、あすかといふ事を呼出さん爲のけふ/\也。しかし是は故事有て云たる詞共聞ゆる也。故事は舍人を大臣にせんとだまされて、あすならん/\と云ふて、だまし給ひしと云事の古事あれば云へるか
置勿 大和地名也。前に、つくまさぬがたおきなかのと云へる歌あり。其地名と同じ地名と聞えたり。古帝都なりし所の地名を云へる歟。次の詞東の中門と云ふは、朝廷の禁門の事をさして云へると聞ゆる也。是迄の詞は、皆朝廷へ參入せし事をつくりて云へる也
雖不策郡久怒 授けし事は、詳かならざる也
馬爾己曾布毛太志可 是は馬にほだしと云ふて、足に繩をかけてあがゝせぬ樣にする事有を云たる也。和名抄第十五云、絆【音半、ほだし】半也。拘使2半v行不1v得2自縦1也
牛爾己曾鼻繩波久例 牛には鼻つると云ふものをかけて使ふもの也。鼻中に穴をあけて、それに木を貫き通し繩をつける也。和名抄第十一云、車具部云。牛縻、和名、はなづら、牛※[革+橿の旁]也。字彙云、〓、【音眷、楊氏漢語抄云、〓牛のはなき】牛鼻環也。牛馬にこそかくはすべきを、蟹を召捕へて括り置かれし有樣を云へり
もむにれを 楡の木の事也。和名抄云、爾雅注云、楡【音臾】臼者名曰v枌【音汾夜邇禮】延喜式第三十九、内膳式云、楡之皮一千枚、【別長一尺五寸廣四寸】(354)搗得2粉二石1、【枚別二合】。右楡皮年中雑御菜羮等料。如v此あれば、上古は天子の供卿にも被v用しと見えたれば、此歌の意も、やにれの皮を剥て日に干して、粉につき碎きて蟹とまぜ合せて、供御にせられしと云義を云へる也。もむにれは、もみ、にれ二つの木を云へるか。和名抄第二十云、樅、もみ。もむにれと有故、二種の木の皮を削ぎて、粉につきはたきたると云義か。一説には百楡と云義と云へり。多くの楡の皮と云義か。はつたれとは※[土+垂]の事也
日のけにほしてと云ふは、此のけは、かげにと云事か。日かげにと云事か。詩云。雨雪漉々、見v睨曰消と云假名に、ひのけをこゝにきえなんと讀ませたり。日にあてゝ干したると云事か。はつたれとは、始めて垂れたる鹽の事、能鹽と云はんが如し
陶人の 和名抄云、スヱモノツクル。土にて惣ての器を造るものを云也。さひつるやのさは助語、ひるや否其儘にと云意也
鹽漆給時賞毛 しほぬりたまふときしも/\ 全體の歌意は、難波の小江の葦蟹を、天子の供御の爲に召されて、やにれの木の粉につきまぜられて、ひしびしほにせらるゝ時しも、悲しく痛ましきと云事を、かく續けたるもの也。是は蟹ひしほと云物ある、それにせられし事を痛みて詠める義を、乞食者の歌ひてあるきしなるべし
時賞毛 の三字を、色々の假名讀みを附けたれど心得ず。時しも/\と云重ね詞ならでは句意不v通也
右歌一首爲蟹述痛作之也
※[立心偏+自]物歌三首おそろしきものゝうたみくさ
怕の字義未v落ども、物の畏懼なる事に用ひ來れり。此歌にも皆恐ろしき事を詠める也。字彙云、怕、普〓切、音怕畏懼也。恐れる事に用る字義也。目次に、物に恐るゝ歌と題せし假名は誤也。歌意恐ろしき事を詠める也。恐ろしきものと讀むべし
3887 天爾有哉神樂良能小野爾茅草苅婆可爾鶉乎立毛
あめなるや、さゝらのをのに、ちがやかり、かやかりばかに、うづらをたつも
これは大和の地名也。然るを八雲には、かぐらの小野とありて山城とあり。神樂の二字をもて、日神岩戸に籠らせ給ふ時の事に思召よらせ給ひ、神樂岡等云ふ處あるを、より所となされられしか。此集第二卷に、已に、天有左佐羅の小野の七相菅(355)と有を以、大和とは見る也。天なるやさゝらと續けたるは、月の異名を、さゝらえをとこと云ふにより、天にあるさゝらとうけたる義と聞ゆる也。扨此歌は、墓所のかやを刈りて、墓など築かんとせし折節、思ひがけもなく、足の元より鶉のクヮイと鳴て立たるぞ、恐ろしきものと云意也。さもあるべき也。かりばかと云ふは、墓所の事を云へる也。此已下二首の宇皆死たる時の事、死たるものゝ事を詠める也。恐ろしき物の至情をあらはせし歌共也。すべて鶉と云ものは、荒野の人氣なき處に住者なれば、鳥多き中にも此鳥を詠める也。さゝらの小野は、其頃墓所などにや、又荒野らにて人氣稀なる所か。
3888 奥國領君之染屋形黄染乃屋形神之門渡
おきつくに、しらするきみが、そめやかた、きぞめのやかた、かみのとわたる
おきつくは墓の事也。おきつきと云義也。それを遠嶋の國を領する君と云義など云ひ、或は舟屋形の事と云説は不v考の義也。死者の事を指して、おきつくにしらする君とは云たるもの也。おきつき所を領するは死者也。そめやかた廟所の葬舎也。黄色に彩色する、これ黄泉と云ふて土中の事を專と用る故、土の色は黄なるもの故、葬具に皆黄色を用る也。葬舎の事を染屋形と云たる也。恐ろしく、氣味惡しきものなるからかく詠める也。神門渡る、是は地名紀州にある荒き海也。そこを渡るは、到て危く恐ろしきもの也
3889 人魂乃佐青有公之但獨相有之雨夜葉非左思所念
ひとだまの、さあをなるきみの、たゞひとり、あへりしあまよは、ひさしとぞおもふ
亡者幽靈等云者にあへる雨夜は、早く明けよと恐ろしく思ふべきもの也。公之の之の字仁の字の誤と見ゆる也
萬葉童蒙抄 卷第四十五終
(356)萬葉童蒙抄 卷第十七
〔356〜359目次省略〕
(360)萬葉童蒙抄 第四十六卷
目録の事は前に注せる如く、後人の作意なれば、誤字脱字等多し。本集のはし作りに引合て考へぬれば、強て注釋に不v及なり
天平二年庚午冬十一月太宰帥大伴卿被任大納言【兼帥如舊】 此任官の事は前に注せり。よりて不v及2再注1也
上京之時陪從人等別取海路入京於是悲傷※[覊の馬が奇]旅各棟所心作歌十首
別取海路 大伴旅人筑紫より上京の時、相從ふ人とも出船遲速等ありて、旅人と一所に海路を不v上人々の歌共を記せる也。陪從人とある内に、筑紫人もありて、本國に妻子等を置別れ、上る樣に聞ゆる歌もある也
3890 和我勢兒乎安我松原欲見度婆安麻乎等女登母多麻藻可流美田
わがせこを、あがまつはらよ、見わたせば、あまをとめども、たまもかるみゆ
此歌につき不審ある事也。先づ歌の意は、あが松原と云海邊より見渡せば、海人共の玉藻を刈り居體の見ゆると云迄の景色の歌にて、あが松原と云地名を詠めると聞えて、此地名はわかの松原と云ふも伊勢にありて、既に第六卷に聖武天皇の御製あり。是は三重郡にありと聞えて、其所に注せり。此歌のあか松原とあるは、筑前の若松と云所ある由聞及びぬ。そこの事ならんか。第十卷に、風ふけば紅葉散りつつしばらくも吾松原はきよからなくにと詠めるも、此所と一所なるべし。此地名の義は同名異所あるべし。わがせ子をあがまつ原と詠出たるにつき、不審ある事也。いかにとなれば、せこは君長の稱にて、並びに夫をさして云詞也。女をせこと云事外に例無き事にて、古今集の、わがせこが衣春雨の歌につきても、古來説々あり。此歌にて見れば、女をもせこと云と聞えたり。既に作者男の歌にて、わがせこをあかと詠たれば、これ女をさしてせこと云へると聞ゆれ共、歌の全體女にしては聞得難し。尤あが松原を云はん爲に、わがせこをとは詠みかけて、是に意は無き樣な(361)れ共、此奥家持の、あがせこのふさたをりけるをみなめしかもと詠める歌にても不審ありて、歌の意男の事に詠みて、女の事にはあらざる意とも聞ゆる故、何れとも決し難し。此歌もあまをとめどもさして、汝がせこを待と云歌の意に聞ゆる也。さるによりてあがと詠めるも、先をさして云へる詞の意をもて、わがと詠まずあがとは詠めるか。尤あが、わが同じく通じきたれ共、此歌にては、其意をこめたる樣に聞ゆる也。此不審は兎角君夫士者をせこと云て、女をせこと云事無きからの不審也。若此外に女をさして、あがせこと詠める、確かなる歌あらば、それに準じて、此歌も只あが松原と云はん迄の冠に、わがせこと詠かけたる意、男の歌なれば、女をもせこと云ふ證例ともなるべし。わがせこを汝等がまつとて、あまをとめらが玉藻かる躰の見ゆると云歌共聞ゆる故、せこの事不2一決1也。奧のをみなへしの歌にても、尚此不審あること也
右一首三野連石守作 此後注は本集撰者の注にはあらず。皆後の注なれ共、左注と立て、先此注説に從ふべし。然れ共事により歌によりて、難2信用1事共あれば、慥には信し難し。なれば作者男子とも不v被v決。若し女の歌歟
3891 荒津乃海之保悲思保美知時波安禮登伊頭禮乃時加吾孤悲射良牟
あらつのうみ、しほひしほみち、ときはあれど、いづれのときか、わがこひざらん
荒津乃海 筑前也。第十二卷と第十五卷にも見えたり。此歌の意は筑前の荒津の海を慕ふ歌と聞ゆる也。しばしの程もなれ見し海の遙かに遠く立別れくれば、忘るゝ時なく、われは戀ふらんと也
3892 伊蘇其登爾海夫乃釣船波底爾家利我船波底牟伊蘇乃之良奈久
いそごとに、あまのつりぶね、はてにけり、わがふねはてん、いそのしらなく
天の釣船は、磯毎に泊り着てあるか。我旅行く船はいづ方にか着きはてんと、物悲敷詠める也。船の着き泊るを、はつると云也。又の意海夫の釣船共の數多磯毎にはて居れば、いづ方に着くべき所もなく見ゆると云意とも聞ゆる也。
3893 咋日許曾敷奈底姿勢之可伊佐魚取比治奇乃奈太乎今日見都流香母
(362)きのふこそ、ふなではせしか、いさなとり、ひぢきのなだを、けふみつるかも
いさなとりひぢきのなだ 凡そいさなとり鯨とは續きて詠み來れり。此歌に、ひぢきの灘と詠めるは、ぬば玉と詠みて夜とうけたる類にて、海の事を云ひて續けたる轉語也。扨ひぢきの灘の事説々ありて一、國とも決し難し。又ひゞきの灘とも云ふとの諸抄の説あり。源氏玉鬘の卷に、ひゞきの灘もなだらかに至ぬとあり。河海抄に此歌を引たり。忠岑集詞書に、年比攝津國にさぶらひけるをとありて歌に、年をへてひゞきの灘に沈む船の波の寄するを待にぞ有ける。かゝれば攝津國の地名とも聞え、袖中抄の説は播磨俗説にひゝきの灘と云ふとあり。李部王記云。天徳四年〔六月十一日。是日備前備中淡路等飛驛至。備前使申云。賊船二艘【海友等也】從2闇奈多1捨v舟曉遁。疑入v京歟云々〕此記の表にては、備前備中淡路の内に聞えたり。和歌名寄には備前とあり。此次下の歌に淡路島を詠みたれば、淡路よりは西なる歟。備前と云説に決すべき歟
3894 淡路島刀和多流船乃可治麻爾毛吾波和須禮受伊弊乎之曾於毛布
あはぢしま、とわたるふねの、かぢまにも、われはわすれず、いへをしぞおもふ
かぢ間にもは、梶取る間にも故郷を忘れぬと也。忘るゝ間なき事の切なる義を云へる迄也。此歌の次第によれば、ひぢきの灘は淡路より西なるべきか
3895 多麻波夜須武庫能和多里爾天傳日能久禮由氣婆家乎之曾於毛布
たまはやす、むこの渡りに、ひのつたふ、ひのくれ行けば、いへをしぞおもふ
たまはやすとは、武庫の浦をほめて也。眞珠石玉等のある武庫の浦と云義也。或説に俗家に聟はもてなすものなれば、馳走する者の心にたまはやすむこと續けたると云へど、只わたりをほめて云へる義と云義安かるべし。日の暮れ行ばとは、夕部は物悲しく旅懷心細き習ひなるものから、實情を云へるなるべし
萬葉童蒙抄 卷第四十六 大尾
(363)萬葉集剳記 本集卷第十七
天平二年庚午冬十一月太宰帥大伴卿被任大納言【兼帥如舊】上京之時陪從人等別取海路入京於是悲傷※[覊の馬が奇]旅各棟所心作歌十首
3890 和我勢兒乎安我松原欲見度婆安麻乎等女登母多麻藻可流美由
わがせこを、あがまつはらよ、みわたせば、あまをとめども、たまもかるみゆ
あがまつといはん料に我せこと也。あが松原は地名、その地名の松原を云はんとて、上にあがせこといへる古風の雅情也
3891 荒津乃海之保悲思保美知時波安禮登伊頭禮乃時加吾孤悲射良牟
あらつのうみ、しほひしほみち、ときはあれど、いづれのときか、わがこひざらむ
あがこひざらむは、旅中にて古郷を戀慕ふの意也。荒津海、和名に筑紫の國小荒大荒と出也
3895 多麻波夜須武庫能和多里爾天傳日能久禮由氣波家乎之曾於毛布
たまはやす、むこのわたりに、あまづたふ、ひのくれゆけば、いへをしぞおもふ
淵案、椋葉を以磨v物必成2光彩1也。若し玉はやす椋とつゞけたる歟。世説は聟の義に解せり
3896 家爾底母多由多敷命浪乃宇倍爾思之乎禮波於久香之良受母 一云宇伎底之乎禮八
いへにても、たゆたふいのち、なみのうへに、おもひしをれば、おくかしらずも 一云、うきてしをれは
たゆたふ命は、たゞよひて無v定義也。おくかしらずも、置所かぎり不v知也。香の字は所のこと也。
一云の句、可v抄也
3897 大海乃於久可母之良受由久和禮乎何時伎麻佐武等問之兒等波母
(364)おほうみの、おくかもしらず、ゆくわれを、いつきまさむと、とひしこらはも
無2奥限1意也
3898 大船乃宇倍爾之居婆安麻久毛乃多度伎毛思良受歌乞和我世 諸本如此此可尋之
おほふねの、うへにしをれば、あまぐもの、たどきもしらず、歌乞和我世
歌乞和我世、此一句不審、師案はウタカタと解せり。淵案、乞字類字の重歟。予案、神代紀に歌の字したふと訓せる所あり因v茲歌乞の二字義訓あるべし。追而可v考也
諸本如v此、後人の傍注也
3899 海未通女伊射里多久火能於煩保之久都努乃松原於母保由流可聞
あまをとめ、いさりたくひの、おほゝしく、つののまつはら、おもほゆるかも
いさりは、いそなりか。いそりは磯獵也。淵案、あさりはあさ業、いさりは夕業歟。磯獵の解可v然歎。磯採共可v通也。あしさぐりは略してなり。おほしくは無2覺束1也。いさり火の遠見ゆる故、おほしくとはよめるならん
十年七月七日之夜獨仰天漢聊述懷一首
3900 多奈波多之船乘須良之麻蘇鏡吉欲伎月夜爾雲起和多流
第五卷目の園梅の歌第一云和哥也
右一首大伴宿禰家部
追和太宰之時梅花新歌六首
3901 民布由都藝芳流波吉多禮登烏梅能芳奈君爾之安良禰婆遠流人毛奈之
みふゆ都藝、はるはきたれど、うめのはな、きみにしあらねば、をるひともなし
(365)都藝は過歟。多分盡の字あり。共に過ともつきてとも讀むべし。濁音藝の字によらば過ならんか。
君爾之は、大伴卿とは太宰帥老をさして、折りめで給ふ人もなきとの意なる歟。古歌の作者に對して詠みたるか。五卷目の三十餘首の時は、帥老の宅にて宴歌なれば、この君は老なるべし
3902 烏梅乃花美夜萬等之美爾安里登母也如此乃未君波見禮登安可爾氣牟
うめのはな、みやまとしみに、ありともや、かくのみきみは、みれどあかにけむ
みやまとは、め山と云意、しみは、しげく也
安可爾は、あかず也。め山しげく梅花ありとも、其家の主人は、飽かず愛すらんとの意なり
一本、あかにせんとあり。勢牟の二字に作る也。しかし語例珍し。可v考
3903 春雨爾毛延之楊奈疑可烏梅之花登母爾於久禮奴常乃物香聞
はるさめに、もえしやなぎか、うめのはな、ともにおくれぬ、つねのものかも
常乃物香聞、同時に萠え花咲く事ぞ常のものなりとの意也。師説は、ときのものかもと讀ませり
3904 宇梅能花伊都波乎良自等伊登波禰登佐吉乃盛波乎思吉物奈利
うめのはな、いつはをらじと、いとはねど、さきのさかりは、をしきものなり
さきの盛は、開花の盛といふ意也
3905 遊内乃多努之吉庭爾梅柳乎理加謝思底婆意毛比奈美可毛
此句別訓あらん。歌の意無v別也
3906 御苑布能古木乃宇梅乃落花之安米爾登妣安我里雪等敷里家牟
みそのふの、もゝきのうめの、ちるはなの、あめにとびあがり、ゆきとふりけむ
第五卷、主人帥の歌の類ひ也。よりてみそのふとは詠めり
(366)右天平十二年十一月九日大伴宿禰家持作
讃三香原新都歌一首並短謌
3907 山背乃久爾能美夜古波春佐禮播花咲乎乎理秋佐禮婆黄葉爾保比於姿勢流泉河乃可美都瀬爾宇知橋和多之余登瀬爾波宇枳橋和多之安里我欲比都可倍麻都良武萬代麻底爾
やましろの、くにのみやこは、はるされば、はなさきをゝり、あきされば、もみぢばにほひ、おはせる、いづみのかはの、かみつせに、うちはしわたし、よとせには、うきはしわたし、ありかよひ、つかへまつらむ、よろづよまでに
歌の意無v別。句釋前に解せり
反歌
3908 楯並而伊豆美乃河波乃水緒多要受都可倍麻都良牟大宮所
たてなめて、いづみのかはの、みをたえず、つかへまつらむ、おほみやどころ
無2別意1也
右天平十三年二月右馬寮頭境部宿禰老麿作也
詠霍公鳥歌二首
3909 多知婆奈波常花爾毛歟保登等藝須周無等來鳴者伎可奴日奈家牟
たちばなは、とこはなにもか、ほとゝぎす、すむときなかば、きかぬひなけむ
無v別也
3910 珠爾奴久安布知乎宅爾宇惠多良婆夜麻霍公鳥可禮受許武可聞
(367)たまにぬく、あふちをいへに、うゑたらば、やまほとゝぎす、かれずこむかも
無v別也
右四月二日大伴宿禰書持從奈良宅贈兄家持和歌二首
和歌二首、此四字不審、疑ふらくは衍文歟
橙橘初咲霍公鳥飜嚶對此時侯※[言+巨]不暢志因作三首短歌以散欝結之緒耳
橙は今のだいだいに當る也
3911 安之比奇能山邊爾乎禮婆保登等藝須木際多知久吉奈可奴日波奈之
あしひきの、やまべにをれば、ほとゝぎす、このまたちくき、なかぬひはなし
3912 保登等藝須奈爾乃情曾多知花乃多麻奴久月之來嶋登餘牟流
ほとゝぎす、なにのこゝろぞ、たちばなの、たまぬくつきし、きなきどよむる
どよむは、どよ/\と鳴く音にて、どよむと云たるならん
3913 保登等藝須安不知能枝爾由吉底居波花波知良牟奈殊登見流麻泥
ほとゝぎす、あふちのえだに、ゆきてゐば、はなはちらむな、たまとみるまで
花の散るも玉と見ると也
右四月三日内舍人大伴宿禰家持從久邇京報送弟書持
思霍公鳥歌一首 田口朝臣馬長作
此書例前例と異也。若後人の筆歟
3914 保登等藝須今之來鳴者餘呂豆代爾可多理都具倍久所念可母
(368)ほとゝぎす、いましきなかば、よろづより、かたりつぐべく、おもほゆるかも
無2別意1也。左注にて歌の意聞えたり
右傳云一時交遊集宴此日比處霍公鳥不喧仍作件歌以陳思慕之意但其宴所並年月未得詳審也
山部宿禰赤人詠春※[(貝+貝)/鳥]歌一首
3915 安之比奇能山谷古延底野豆可佐爾今者鳴良武宇具比須乃許惠
あしびきの、やまたにこえて、のづかさに、いまはなくらむ、うぐひすのこゑ
野豆可佐爾 野守等の居所をさして云へる也。
右年月所處未得詳審但隨聞之時記載於茲十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首
於茲、是迄は赤人の哥の後注也。十六年、是より家持の哥の前書也
3916 橘乃爾保弊流香可聞保登等藝須奈久欲乃雨爾宇都路此奴良牟
たちばなの、にほへるかゝも、ほとゝぎす、なくよのあめに、うつろひぬらむ
香可聞は匂へる香の雨にうつろふらんと也。情淺く何の無2風情1哥也。家持の哥すべて如v此。一向に感情薄き哥也
3917 保登等藝須夜音奈都可思安美指者花者須具等毛可禮受可奈可牟
ほとゝぎす、よごゑなつかし、あみさゝば、はなはすぐとも、かれずかなかむ
無2別意1
3918 橘乃爾保敝流苑爾保等登藝須鳴等比登都具安美佐散麻之乎
たちばなの、にほへるそのに、ほとゝぎす、なくとひとつぐ、あみさゝましを
同斷
(369)3919 青丹余之奈良能美夜古波布里奴禮登毛等保登等藝須不鳴安良久爾
あをによし、ならのみやこは、ふりぬれど、もとほとゝぎす、なかずあらなくに
もとの時鳥は昔の時鳥と云意也。奈良の都はふりぬれど、もとの時鳥は鳴かずあらなくにと也。今もなくと也
3920 鶉鳴布流之登比等波於毛弊禮騰花橘乃爾保敷許乃屋度
うづらなく、ふるしとひとは、おもへれど、はなたちばなの、にほふこのやど
古郷となり、あれたる所に鳴く鳥故古來より如v是ふるしとは詠めり
3921 加吉都播多衣爾須里都氣麻須良雄乃服曾比獵須流月者伎爾家里
かきつばた、きぬにすりつけ、ますらをの、きそひがりする、つきはきにけり
きそひがりは五月五日樂獵のこと也。競がり也。
右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿禰家祷作
天平十八年正月白雪多零積地數寸也於時左大臣橋卿率大納言藤原豐成朝臣及諸王諸臣等參入太上天皇御在所【中宮兩院】供奉掃雪於是降 詔大臣參議並諸王者令侍于大殿上諸卿大夫等者令侍于南細殿而則賜海肆宴 勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其謌
左大臣橘宿禰應 詔歌一首 諸兄公也
3922 布流由吉乃之路髪麻泥爾大皇爾都可倍麻都禮婆貴久母安流香
ふるゆきの、しろかみまでに、おほきみに、つかへまつれば、たふとくもあるか
無2別意1也
(270)紀朝臣清人應 詔歌一首
3923 天下須泥爾於保比底布流雪乃比加里乎見禮婆多敷刀久母安流香
あめのした、すでにおほひて、ふるゆきの、ひかりをみれば、たふとくもあるか
無2別意1
紀朝臣男梶應 詔歌一首
3924 山乃可比曾許登母見延受乎登都日毛昨日毛今日毛由吉能布禮禮婆
やまのかひ、そこともみえず、をとつひも、きのふもけふも、ゆきのふれれば
山の端也。無2別之意1也
葛井連諸會應 詔歌一首
3925 新年乃婆自米爾豐乃登之思流須登奈良思雪能敷禮流波
大伴宿禰家持應 詔歌一首
3926 大宮之宇知爾毛刀爾毛比賀流麻泥零須白雪見禮杼安可奴香聞
おほみやの、うちにもとにも、ひかるまで、ふらすしらゆき、みれどあかぬかも
零須 ふるをのべたる詞也
藤原豐成朝臣 巨勢奈底麿朝臣
大伴牛養宿禰 藤原仲麻呂朝臣
三原王 智奴王
(371)船王 邑知王
山田王 林王
穗積朝臣老 小田朝臣諸人
小野朝臣綱手 高橋朝臣國足
太朝臣徳太理 高丘連河内
秦忌寸朝元 楢原造東人
右件王卿等應 詔作歌依次奏之登時不記其歌漏失但秦忌寸朝元者左大臣橘卿諺曰靡堪賦歌以麝贖之因此黙止也
此證之字不審。將2誤寫1乎。拾穗抄は作v※[言+虚]タハブレ
大伴宿禰家持以天平十八年閏七月被任越中國守即取七月赴任所於時姑大伴坂上郎女贈家持謌二首
3927 久佐麻久良多妣由久吉美乎佐伎久安禮等伊波比倍須惠都安我登許能弊爾
くさまくら、たびゆくきみを、さきくあれと、いはひべすゑつ、あがとこのへに
安我登許弊爾 此床伏床の床にはあらず。尊貴の人を請待の床也。今諸家の床是也
3928 伊麻能其等古非之久伎美我於毛保要婆伊可爾加母世牟須流須邊乃奈左
いまのごと、こひしくきみが、おもほえば、いかにかもせむ、するすべのなさ
須邊乃奈左 無v筋の意歟。此詞の譯未v詳也
(372)更贈越中國歌二首
3929 多妣爾伊仁思伎美志毛都藝※[氏/一]伊米爾美由安我加多孤悲乃思氣家禮婆可聞
たびにいにし、きみしもつきて、いめにみゆ、あがかたこひの、しげ,ればかも
加多孤悲 片戀也
3930 美知乃奈加久爾都美可未波多妣由伎母之思良奴伎美乎米具美多麻波奈
平群氏女郎贈越中守大伴宿禰家侍歌十二首
3931 吉美爾餘里吾名波須泥爾多都多山絶多流孤悲乃之氣吉許呂可母
きみにより、わがなはすでに、たつたやま、たえたるこひの、しげきころかも
始めは家持にかたらひしが、今絶たると見えたり
3932 須麻比等乃海邊都禰佐良受夜久之保能可良吉戀乎母安禮波須流香物
3933 阿里佐利底能知毛布牟等於母倍許曾都由能伊乃知母都藝都追和多禮
3934 奈加奈可爾之奈婆夜須家牟伎美我目乎美受比佐奈良婆須敝奈加流倍思
3935 許母利奴能之多由孤悲安麻里志良奈美能伊知之路久伊泥奴比登乃師流倍久
3936 久佐麻久良多妣爾之婆之婆可久能未也伎美乎夜利都追安我孤悲乎良牟
3937 草枕多妣伊爾之伎美我可敝里許牟月日乎之良牟須邊能思良難久
くさまくら、たびいにしきみが、かへりこむ、つきひをしらむ、すべのしらなく
須邊能思良難久 此歌も筋にては能聞ゆる也
(373)3938 可久能未也安我故非乎浪牟奴婆多麻能欲流乃比毛太爾登吉佐氣受之底
かくのみや、あがこひをらむ、ぬばたまの、よるのひもだに、ときさけずして
比毛太爾登吉佐氣受 解避けず也。のけず也
3939 佐刀知加久伎美我奈里那婆古非米也等母登奈於毛比此安連曾久夜思伎
さとちかく、きみがなりなば、こひめやと、もとなおもひし、あれぞくやしき
此歌の意は端作なくては聞得難し。此哥の意、もとなは、むだなど云義との説可v然か。むだにとなりしと云意もよく聞ゆる也
3940 餘呂豆代爾許己呂波刀氣底和我世古我都美之乎見都追志乃備加禰都母
よろづよに、こゝろはとけて、わがせこが、つみしをみつゝ、しのびかねつも
何時迄も不v變と契し義也。心打解て也。都美之、今つめるといふ事ある義是と同じ。契りかはせし事を云へる也。物語等にも、かたをつみしなど云事あり。見都追は、つめられし跡を見てと也
3941 ※[(貝+貝)/鳥]能奈久久良多爾之宇知波米底夜氣波之奴等母伎美乎之麻多武
うぐひすの、なくくらだにし、うちはめて、やけはしぬとも、きみをしまたむ
之 此の之の字仁の字歟。爾の宇歟
此哥の發句意昧有v之哥也。古へ谷澗(ニ)火葬する事ありて、その義に基き、くら谷とよみて、くら谷暗谷黄泉の谷也。よりて下に、やけはしぬ共と詠める也。鴬は谷より出で鳴もの故冠辭に置たるも、ういと云意を含みて也
3942 麻都能波奈花可受爾之毛和我勢故我於母敝良奈久爾母登奈佐吉都追
まつのはな、はなかずにしも、わがせこが、おもへらなくに、もとなさきつゝ
此哥の意は、松花は花色薫香もなく可v賞花の色ならねど、われは花の咲く如く切に待との意也
(374)右件十二頸歌者時時寄便使來贈非在一度所送也
八月七日夜集于守大伴宿禰家祷館宴歌
3943 秋田乃穗牟伎見我底利和我勢古我布佐多乎里家流乎美奈敝之香物
あきのたの、ほむきみがてり、わがせこが、ふさたをりける、をみなへしかも
景色を云たる義也。但秋葉の豊凶を檢見の意をこめてか。布佐多乎里、多分折取てと云意也。尤女郎花にも花房あるものから、縁によりて家持の家へ來集の人の折來るを主人の如v此よめる也
右一首守大伴宿禰家持作
3944 乎美奈敝之左伎多流野邊乎由伎米具利吉美乎念出多母登保里伎奴
3945 安吉能欲波阿加登吉左牟之思路多倍乃妹之衣袖伎牟餘之母我毛
3946 保登等藝須奈伎底須疑爾之乎加備可良秋風吹奴余之母安良奈久爾
ほとゝぎす、なきてすぎにし、をかひから、あきかぜふきぬ、よしもあらなくに
余之母安良奈久爾 此歌の之は、上の哥の、妹の衣手きんよしもかもと云由をうけてよめる也。月日の早く立ち過たるを述べたる也
右三首椽大伴宿禰池主作
3947 氣佐能安佐氣秋風左牟之登保都比等加里我來鳴牟等伎知可美香物
けさのあさけ、あきかぜさむし、とほつびと、かりがきなかむ、ときちかみかも
遠つ人かりとは、雁を人に云なして蘇武の古事をふまへて詠める也
3948 安麻射加流比奈爾月歴奴之可禮登毛由比底之紐乎登伎毛安氣奈久爾
(375)あまさかる、ひなにつきへぬ、しかれども、ゆひてしひもを、ときもあけなくに
右二首守大伴宿禰家持作
3949 安麻射加流比奈爾安流和禮乎宇多我多毛比母登吉佐氣底於毛保須良米也
あまさかる、ひなにあるわれを、うたかたも、ひもゝときさけて、おもほすらめや
宇多我多毛 此詞二義あり。依v歌而可v辨。此歌須臾もの意也。ひなにあるわれを、しばらくもおもひ忘れはしたまはじとの意也。おもほすらめやは、おもほすらんとの意也。ひもときさけ底の底は、濁音なるべし。うたかたと云詞は、かりそめの事、不定の事、兩義に通ふ詞也。依v歌可v考也。
右一首橡大伴宿禰池主
3950 伊弊爾之底由比底師比毛乎登吉佐氣受念意緒多禮賀思良牟母
3951 日晩之乃奈吉奴流登吉波乎美奈弊之佐伎多流野邊乎遊吉追都見倍之
ひぐらしの、なきぬるときは、をみなへし、さきたるのべを、ゆきつゝみべし
古郷の妻女を慕ふ意故、日ぐらしを詠み出て女郎花を取出たるならん
右一首大目秦忌寸八千島
古歌一首【大原高安眞人作】年月不審但隨聞時記載茲焉
3952 伊毛我伊弊爾伊久里能母里乃藤花伊麻許牟春毛都禰加久之見牟
いもがいへに、いくりのもりの、ふぢのはな、いまこむはるも、つねかくしみむ
いくりのもりは越中と諸説也。追而一考也
右一首傳誦僧玄勝是也
(376)3953 鴈我禰波都可比爾許武等佐和久良武秋風左無美曾乃可波能倍爾
3954 馬並底伊射宇知由可奈思夫多爾能伎欲吉伊蘇未爾與須流奈彌見爾
右二首守大伴宿禰家持
3955 奴姿多麻乃欲波布氣奴良之多末久之氣敷多我美夜麻爾月加多夫伎奴
右一首史生土師宿禰道良
大目秦忌寸八千島之館宴歌一首
3956 奈呉能安麻能都里須流布禰波伊麻許曾婆敷奈太那宇知底安倍底許藝泥米
なごのあまの、つりするふねは、いまこそは、ふなだなうちて、あへてこぎでめ
あへては時に合て也。こぎでめとは、此集宴の時に當りて釣船もこぎ出よと願ふ意をこめたる也。左注の意を以て見るべし時に合ての意能合也
右館之客屋居望蒼海仍主人八千島作此歌也
哀傷長逝之弟歌一首並短歌
3957 安麻射加流比奈乎佐米爾等大王能麻氣乃麻爾未爾出而許之和禮乎於久流登青丹余之奈良夜麻須疑底泉河伎欲吉可波良爾馬駐和可禮之時爾好去而安禮可弊里許牟乎久伊波比底待登可多良比底許之比乃伎波美多麻保許能道乎多騰保美山河能弊奈里底安禮婆孤悲之家口氣奈我枳物能乎見麻久保里念間爾多麻豆左能使乃家禮婆宇禮之美登安我麻知刀敷爾於餘豆禮能多婆許登等可毛婆之伎余思奈弟美許等奈爾之加母時之波安良牟乎婆太須酒吉穗出秋乃芽子花爾保敝流屋戸乎【言斯人爲性好(377)愛花草花樹而多植於寝院之庭故謂之花薫庭也】
あまさかる、ひなをさめにと、おほきみの、まけのまにまに、いでゝこし、われをおくると、あをによし、ならやますぎて、いづみがは、きよきかはらに、うまとゞめ、わかれしときに、よしゆきて、あれかへりこむ、たいらけく、いはひてまてと、かたらひて、こしひのきはみ、たまほこの、みちをたとほみ、やまかはの、へなりてあれば、こひしけく、けながきものを、みまくほり、おもふあひだに、たまづさの、つかひのくれば、うれしみと、あがまちとふに、およづれの、たはごとゝかも、はしきよし、なせのみこと、なにしかも、ときしはあらむを、はたすゝき、ほにいづるあきの、はぎのはな、にほへるやどを、
使乃家禮婆 此家の字はクの字の誤字なるべし。求の字の誤歟
安我麻知刀敷爾、我待問に也。於餘豆禮、流言也。あとなし事とも云歟。證明なきたは言也
奈弟 なせ也。なをとゝとは不v可v讀。句例なき也
安佐爾波爾伊泥多知奈良之暮庭爾敷美多比良氣受佐保能宇知乃里乎往過安之比紀乃山能許奴禮爾白雲爾多知多奈妣久等安禮爾都氣都流 佐保山火葬故謂之佐保乃宇知乃佐刀乎由吉巣疑
あさにはに、いでたちならし、ゆふにはに、ふみたひらげず、さほのうちの、さとをゆきすぎ、あしひきの、やまのこぬれに、しらくもに、たちたなびくと、あれにつけつる
山能許奴禮 樹木の繁茂の所を云
佐保山火葬故謂之佐保乃字知乃佐刀乎由吉須疑 此注後人の加筆歟。書面は家持の自注と見えたり。難v決也
3958 麻佐吉久登伊比底之物能乎白雲爾多知多奈妣久登伎氣婆可奈思物
3959 可加良牟等可禰底思理世婆古之能宇美乃安里蘇乃奈美母見世麻之物能乎
右天平十八年秋九月二十五日越中守大伴宿禰家持遙聞弟喪感傷作之也
(378)相歡歌二首 越中守大伴宿禰家持作
3960 庭爾敷流雪波知敝之久思加乃未爾於母比底伎美乎安我麻多奈久爾
にはにふる、ゆきはちへしく、しかのみに、おもひてきみを、あがまたなくに
此歌の解拾穗抄の説是なるべし。雪深く降れ共それよりも深く待しとの意、雪の如きばかりにてはなく、至りて切に待しと云意にしかのみにはあり待たぬと也。それより深く待しとの意也
3961 白浪之余須流伊蘇未乎榜船乃可治登流間奈久於母保要之伎美
しらなみの、よするいそまを、こぐふねの、かぢとるまなく、おもほえしきみ
右以天平十八年八月橡大伴宿禰池主附大帳使赴向京師而同年十一月還到本任仍設詩酒之宴彈絲飲樂是日也白雪忽降積地尺餘此時也復漁夫之船人海浮瀾爰守大伴宿禰家持寄情二眺聊裁所心
寄情二眺聊裁所心 白雪、漁夫、浮浪の二眺也
忽洗狂疾殆臨泉路仍作謌詞以申悲緒一首並短歌
一本狂の字枉に作る、不審。忽の字に對しては狂の字可v然歟
3962 大王能麻氣能麻爾麻爾大夫之情布里於許之安思比奇能山坂古延底安麻射加流比奈爾久太理伎伊伎太爾毛伊麻太夜須米受年月毛伊久良母阿良奴爾宇都世美能代人奈禮婆宇知奈妣吉等許爾許伊布之伊多家苦之日異益多良知禰乃波波能美許等乃大船乃由久良由久良爾思多呉非爾伊都可聞許武等麻多須良牟情左夫之苦波之吉與志都麻能美許登母安氣久禮婆門爾餘里多知己呂母泥乎遠理(379)加敝之都追由布佐禮婆登許宇知波良比奴婆多麻能黒髪之吉底伊都之加登奈氣可須良牟曾伊母毛勢母和可伎兒等毛波乎知許知爾佐和吉奈久良牟多麻保己能美知乎多騰保彌間使毛夜流余之母奈之於母保之伎許登都底夜良受孤布流爾思情波母要奴多麻伎波流伊乃知乎之家騰世牟須辨能多騰伎乎之良爾加苦思底也安良志乎須良爾奈氣枳布勢良武
おほきみの、まけのまにまに、ますらをの、こゝろふりおこし、あしひきの、やまさかこえて、あまさかる、ひなにくだりて、いきだにも、いまだやすめず、としつきも、いくらもあらぬに、うつせみの、よのひとなれば、うちなびき、とこにこいふし、いたけくし、ひにけにませば、たらちねの、はゝのみことの、おほふねの、ゆくらゆくらに、したこひに、いつかもこむと、またすらむ、こゝろさぶしく、はしきよし、つまのみことも、あけくれば、かどによりたち、ころもでを、をりかへしつゝ、ゆふされば、とこうちはらひ、ぬばたまの、くろかみしきて、いつしかと、なげかすらむぞ、いももせも、わかきこどもは、をちこちに、さわぎなくらむ、たまぼこの、みちをたとほみ、まづかひも、やるよしもなし、おもほしき、ことづてやらず、こふるにし、こゝろはもえぬ、たまきはる、いのちをしけど、せむすべの、たどきをしらに、かくしてや、あらしをすらに、なげきふせらむ
家持の哥也
3963 世間波加受奈吉物能可春花乃知里能麻可比爾思奴倍吉於母倍婆
3964 山河乃曾伎敝乎登保美波之吉余思伊母乎安比見受可久夜奈氣和牟
右天平十九年春二月二十日越中國守之館臥病悲傷聊作此歌
守大伴宿禰家持贈橡大伴宿禰池主悲歌二首
忽沈狂疾累旬痛苦祷恃百神旦得消損而由身體疼羸筋力怯軟未堪展謝係戀彌探方今春朝春花流(380)馥於春苑春暮春※[(貝+貝)/鳥]囀聲於春林對此節湖光侯琴翠ツ翫矣雖有乘興之感不耐策杖之勞獨臥帷幄之裏聊作寸分之歌輕奉机下犯解玉※[阜+頁]其詞曰
3965 波流能波奈伊麻波左加里爾仁保布良牟乎里底加射佐武多治可良毛我母
3966 宇具比須乃奈枳知良須良武春花伊都思香伎美登多乎里加射左牟
天平二十年二月二十九日大伴宿禰家持
忽辱芳書翰苑凌雲兼垂倭詩詞林舒錦以吟以詠能※[益+蜀]戀緒春可樂暮春風景最可怜紅桃灼灼戯蝶回花※[人偏+舞]翠柳依依嬌※[(貝+貝)/鳥]隱葉歌可樂哉淡交促席得意忘言樂矣美矣幽襟足賞哉豈慮乎蘭寢u叢琴趨ウ用空過令節物色輕人乎所怨有此不能黙止俗語云以藤續錦聊擬談咲耳
天平二十年二月二十九日大伴家持、此一行は前二首の哥に附く奥書也
忽辱芳香 是より池主返翰之文也
3967 夜麻可比爾佐家流佐久良乎多太比等米伎美爾彌西底婆奈爾乎可於母波牟
やまかひに、さけるさくらを、たゞひとめ、きみにみせては、なにをかおもはむ
彌西底婆 見せたらば也。者に通ふ故濁音の字を書たる歟。奥の哥にも見たらばの義に如v此よめり
沽洗二日椽大伴宿禰池主 沽洗は二月の異名也。此奥書前の哥に附く文句也
更贈歌一首並短歌 是は家持の端作也。家持より被v贈歌也
含弘之徳垂恩蓬體不貲之思報慰陋心載荷未春無堪所喩也但以稚時不渉遊藝之庭横翰之藻自乏乎彫蟲焉幼年未※[しんにょう+至]逕山柿之門裁歌之趣詞失乎叢林矣爰辱以藤續錦之言更題將石同瓊之詠因是俗(381)愚懐癖不能黙止仍捧數行式※[酉+羽]嗤咲其詞曰
彫蟲は文才の義也。 未※[しんにょう+至] 由知反。不v走也。
3969 於保吉民能麻氣乃麻爾麻爾之奈射加流故之乎袁佐米爾伊泥底許之麻須良和禮須良余能奈可乃都禰之奈家禮婆宇知奈妣伎登許爾己伊布之伊多家苦乃日異麻世婆可奈之家口許己爾思出伊良奈家久曾許爾念出奈氣久蘇良夜須家奈久爾於母布蘇良久流之伎母能乎安之比紀能夜麻伎弊奈里底多麻保許乃美知能等保家波間使毛遣縁毛奈美於母保吉許等毛可欲波受多麻伎波流伊能知乎之家登勢牟須辨能多騰吉乎之良爾隱居而念奈氣加比奈具佐牟流許己呂波奈之爾春花乃佐家流左加里爾於毛敷度知多乎里加射佐受波流乃野能之氣美登妣久久※[(貝+貝)/鳥]音太爾伎加受乎登賣良我春菜都麻須等久禮奈爲能赤裳乃須蘇能波流佐米爾爾保比比豆知底加欲敷浪牟時盛乎伊多豆良爾須具之夜里都禮思努波勢流君之心乎牟流沈之美此夜須我浪爾伊母禰受爾今日毛之賣良爾孤悲都追曾乎流
おほきみの、まけのまにまに、しなさかる、こしををさめに、いでゝこし、ますらわれすら、よのなかの、つねしなければ、うちなびき、とこにこいふし、いたけくの、ひにけにませば、かなしけく、こゝにおもひで、いらなけく、そこにおもひいで、なげくそら、やすけなくに、おもふそら、くるしきものを、あしひきの、やまきへなりて、たまほこの、みちのとほけば、まづかひも、やるよしもなみ、おもほしき、こともかよはず、たまきはる、いのちをしけど、せむすべの、たどきをしらに、こもりゐて、おもひなげかひ、なぐさむる、こゝろはなしに、はるはなの、さけるさかりに、おもふどち、たをりかざゝず、はるののの、しげみとひぐく、うぐひすの、こゑだにきかず、をとめらが、わかなつますと、くれなゐの、あかものすその、はるさめに、にほひひづちて、かよふらむ、ときのさかりを、いたづらに、すぐしやりつれ、しのばせる、きみがこゝろを、むるはしみ、このよすがらに、いもねずに、けふもしめらに、こひつゝぞをる
(382)之奈射加流 しなさかるはひなさかるに同じ
伊良奈家久 切にせはしく思ふ義也。いら/\にと云意なり。いらなけくはいらけくと云義、なは助語と見るべし。歎の義にはあるべからす。かなしけく、こゝにおもひ出、いらなけく、そこにおもひ出と續く意なるべし
夜須家奈久 家の下に久の字か良の字を脱せる歟
春菜 若なと讀むべき歟 都麻須、つむ也。むをのべたる也
之賣艮 しげき義、しみゝといふに同じ
3970 安之比奇能夜麻左久良婆奈比等目太爾伎美等之見底婆安禮古非米夜母
3971 夜麻扶枳能之氣美登※[田+比]久久※[(貝+貝)/鳥]能許惠乎聞良牟伎美波登思之毛
3972 伊泥多多武知加良乎奈美等許母里爲底伎彌爾故布流爾許己呂度母奈思
いでたゝむ、ちからをなみと、こもりゐて、きみにこふるに、こゝろともなし
許己呂度母奈思 出立人利心かもなきとの意也
三月三日大伴宿禰家
七言晩春三日遊覽一首並序
上巳名辰暮春麗景桃花照瞼以分紅柳色舍苔而競緑于時也※[手偏+雋]手曠望江河之畔訪須廻遏野客之家既而也開嵩セ性蘭契和光嗟乎今日所恨徳星已少歟若不扣寂含章何以※[手偏+慮]逍遥之趣忽課短筆聊勒四韻云爾
餘春媚宜怜賞 上巳風光足覽遊
柳陌臨江縟※[衣+去]服 桃源通海泛仙舟
(383)雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流
縱醉陶心忘彼我 酩酊無處不淹留
三月四日大伴宿禰池主
昨日述懷今朝汗耳目更承賜書且奉不次死罪謹言
是亦池主の文也
不遺下賤頻惠徳音英雲星氣逸調過人智水仁山既※[韋+媼の旁]琳瑯之光彩潘江陸海自坐詩書之廊廟騁思非常託情有理七歩成章數篇滿紙巧遣愁人之重患能除戀者之積思山柿謌泉比此如蔑彫龍筆海粲然得看矣方知僕之有幸也敬和歌其詞云
是亦同所
敬和歌 前の家持の長歌を和へたる也
3973 憶保枳美能彌許等可之古美安之比奇能夜麻野佐婆良受安麻射可流比奈毛乎佐牟流麻須良袁夜奈爾可母能毛布安乎爾余之奈良治伎可欲布多麻豆佐能都可比多要米也己母理古非伊枳豆伎和多利之多毛比余奈氣可布和賀勢伊爾之弊由伊比都藝久良之餘乃奈加波可受奈枳毛能賀奈具佐牟流己等母安良牟等佐刀妣等能安禮爾都具良久夜麻備爾波佐久良婆奈知利可保等利能麻奈久之婆奈久春野爾須美禮乎都牟等之路多倍乃蘇泥乎利可弊之久禮奈爲能安可毛須蘇妣伎乎登賣良波於毛比美太禮底伎美麻都等宇良呉悲次奈里己許呂具志伊謝美爾由加奈許等波多奈由比
おほきみの、みことかしこみ、あしひきの、やまのさはらず、あまさかる、ひなもをさむる、ますらをや、なにかものもふ、あ(384)をによし、ならぢきかよふ、たまづさの、つかひたえめや、こもりこひ、いきづきわたり、したもひよ、なげかふわがせ、いにしへゆ、いひつぎくらし、よのなかは、かずなきものか、なぐさむる、こともあらむと、さとびとの、あれにつぐらく、やまびには、さくらはなちり、かほどりの、まなくしばなく、はるののに、すみれをつむと、しろたへの、そでをりかへし、くれなゐの、あかもすそひき、をとめらは、おもひみだれて、きみまつと、うらごひすなり、こゝろぐし、いさみにゆかな、ことはたなゆひ
可保等利能 今云かほ鳥の義を云歟。未詳
宇良呉悲次奈里 此次の字須の字の誤り歟。次の字をすに用たる事希に有也
己許呂具志 心にくき也。いぶかしきとの義也。師案は心うしと解せり。不審
許等波多奈由比 師説は、來とは誰が云と解せり。未詳。淵案は、和へ歌なれば、餘りにさのみことを歎きて、な言ひそと云へる義かと也。此歌の意は家持の前の歌を和へて、古郷を慕ふ事をさのみ歎き給ひそと諫めたる歌なり。終の句の、たなゆひも、とかくないひそと云義と見ゆる也
3974 夜麻夫枳波比爾比爾佐伎奴宇流波之等安我毛布伎美波思久思久於毛保由
3975 和賀勢故爾古非須弊奈賀利安之可伎能保可爾奈氣加布安禮之可奈思母
わがせこに、こひすべなかり、あしがきの、ほかになげかふ、あれしかなしも
あしがきの外になげかふは、われもよそなと歎く事の悲しきと也
三月五日大伴宿禰池主前の後注也
昨暮來使幸也以垂晩春遊覽之詩今朝累信辱也以※[貝+兄]相招望之歌一看玉藻稍寫欝結二吟秀句己※[益+蜀]愁緒非此眺翫孰能暢心乎惟下僕稟性難彫闇神靡瑩握翰腐毫對研忘渇終日因流綴之不能所(385)謂文章天骨習之不得也豈堪探字勒韻叶和雅篇哉抑聞鄙里小兒古人言無不※[酉+羽]聊裁拙詠敬擬解咲焉 如令賦言勒韻同斯雅作之篇豈殊將石同瓊唱聲遊走曲歟抑小兒譬濫※[言+蹈の旁]敬寫葉端式擬亂曰 家持の文也
七言一首
抄春餘日媚景麗 初已和風拂自輕
來燕御泥賀宇入 歸鴻引蘆廻赴瀛
聞君嘯侶新流曲 禊飲催爵泛河清
雖欲追尋良此宴 還知染※[こざと+奧]脚※[足+今]※[足+丁]
東歌二首
3976 佐家理等母之良受之安良婆母太毛安良牟己能夜萬夫吉乎美勢追都母等奈
さけりとも、しらずしあらば、もだもあらむ、このやまぶきを、みせつゝもとな
母等奈 よしなの意也
3977 安之可伎能保加爾母伎美我余里多多志孤悲家禮許曾婆伊米爾見要家禮
あしがきの、ほかにもきみが、よりたゝじ、こひけれこそは、いめにみえけれ
よそながらもより立ちて君が我を戀給ふ故にや、此方にも夢に見えけれと也。池主の、あしがきの歌をうけての返哥也
三月五日大伴宿禰家持臥病作之
述戀緒歌一首並短歌
(386)3978 妹毛吾毛許己呂波於夜目多具弊禮登伊夜奈都可之久相見婆登許波都波奈爾情具之眼具之毛奈之爾波思家夜之安我於久豆麻大王能美許登加之古美阿之比奇能夜麻古要奴由伎安麻射可流比奈乎左米爾等別來之曾乃日乃伎波美荒璞能登之由伎我弊利春花乃宇都呂布麻泥爾相見禰婆伊多母須弊奈美之伎多倍能蘇泥可弊之都追宿夜於知受伊米爾波見禮登宇都追爾之多太爾安良禰婆孤悲之家口知弊爾都母里奴近在者加弊利爾太仁母宇知由吉底妹我多麻久良佐之加倍底禰天蒙許萬思乎多麻保己乃路波之騰保久關左閉爾弊奈里底安禮許曾與思惠夜之餘志播安良武曾霍公鳥來鳴牟都奇爾伊都之加母波夜久奈里那牟宇乃花乃爾保弊流山乎余曾能未母布里佐氣見都追淡海路爾伊由伎能里多知青丹吉奈良乃吾家爾奴要鳥能宇良奈氣之都追思多戀爾於毛比宇良夫禮可度爾多知由布氣刀比都追吾乎麻都等奈須良牟妹乎安比底早見牟
いもゝわれも、こゝろはおやじ、たぐへれど、いやなつかしく、あひみれば、とこはつはなに、こゝろぐし、めぐしもなしに、はしけやし、あがおくづま、おほきみの、みことかしこみ、あしひきの、やまこえのゆき、あまさかる、ひなをさめにと、わかれこし、そのひのきはみ、あらたまの、としゆきかへり、はるはなの、うつろふまでに、あひみねば、いともすべなみ、しきたへの、そでかへしつゝ、ぬるよおちず、いめにはみれど、うつゝにし、たゞにあらぬば、こひしけく、ちへにつもりぬ、ちかくあらば、かへりにだにも、うちゆきて、いもがたまくら、さしかへて、ねてもこましを、たまほこの、みちはしとほく、せきさへに、へなりてあれこそ、よしゑやし、よしはあらむぞ、ほとゝぎす、きなかむつきに、いつしかも、はやくなりなむ、うのはなの、にほへるやまを、よそのみも、ふりさけみつゝ、あふみぢに、いゆきのりたち、あをによし、ならのわぎへに、ぬえどりの、うらなけしつゝ、したこひに、おもひうらぶれ、かどにたち、ゆふけとひつゝ、われをまつと、なすらむいもを、あひてはやみむ
(387)たぐへれとは、同じく共にすれど、常住たぐひぬれど、見る度に珍しきとの意義を下に云也
とこはつはなは、常住に珍しきと妻を愛憐の意也
情具之 師説は心ぬし目ぬしといふ義と也。そのめで愛す主なきとの義と解く。淵案、二義とも只愛憐の義、心に愛するを以て目に見て愛するを、めぐしと云へるか。然者二義共に今は遠國に歸て居れば、なしにと云義かと也。又案、情苦敷見苦敷事なく、只一筋にめで思ひ燐みたる我奧妻と云義歟。全體妻を賞美したる序詞にて、我おく妻と云はん迄の冠句也
路波之 此之の字は助字ならんか。橋の義如何
よしはあらんぞは、よしやあふ時節のあらんぞと也
のりたち 旅行の義、をり立か。拾穗抄の説は、馬等に乘るの義也。不審。若し都邊へ行事なれば、登り旅立と云ふの義歟
奈須良牟 上の占等をなして待らん妹にとの意也。未詳也
3979 安良多麻乃登之可弊流麻泥安比見禰婆許己呂母之努爾於母保由流香聞
3980 奴婆多麻乃伊米爾波母等奈安比見禮騰多太爾安良禰婆孤悲夜麻受家里
3981 安之比奇能夜麻伎弊奈里底等保家騰母許己呂之遊氣婆伊米爾美要家里
3982 春花能宇都路布麻泥爾相見禰婆月日餘美都追伊母麻都良牟曾
右三月二十日夜裏忽兮起戀情作大伴宿禰家持
立夏四月既經累月而由未聞霍公鳥喧因作恨歌二首
3983 安思比奇能夜麻毛知可吉乎保登等藝須都奇多都麻泥爾奈仁加吉奈可奴
3984 多麻爾奴久波奈多知婆奈乎等毛之美思己能和我佐刀爾伎奈可受安流良之
たまにぬく、はなたちばなを、ともしみし、このわがさとに、きなかずあるらし
(388)等毛之美思、橘の少故に來鳴かぬかと也
霍公鳥者立夏之日來鳴必定又越中風士希有橙橘也因此大伴宿禰家持感發於懷聊裁此歌三月二十九日
二上山賦一首 此山者有射水郡也古本作細字
3985 伊美都河泊伊由伎米具禮流多麻久之氣布多我美山者波流波奈乃佐氣流左加利爾安吉乃葉乃爾保弊流等伎爾出立底布里佐氣見禮婆可牟加良夜曾許婆多敷刀伎夜麻可良夜見我保之加良武須賣加未能須蘇未乃夜麻能之夫多爾能佐吉乃安里蘇爾阿佐奈藝爾餘須流之良奈美由敷奈藝爾美知久流之保能伊夜麻之爾多由流許登奈久伊爾之弊由伊麻乃乎都豆爾可久之許曾見流比登其等爾加氣底之努波米
いみづかは、いゆきめぐれる、たまくしげ、ふたかみやまは、はるはなの、さけるさかりに、あきのはの、にほへるときに、いでたちて、ふりさけみれば、かむがらや、そこはたふとき、やまがらや、みかほしからむ、すめがみの、すそみのやまの、しぶたにの、さきのありそに、あさなぎに、よするしらなみ、ゆふなぎに、みちくるしほの、いやましに、たゆることなく、いにしへゆ、いまのをつゝに、かくしこそ、みるひとごとに、かけてしのはめ
曾許婆多敷刀伎 そこぱく尊きの略也
3986 之夫多爾能佐伎能安里蘇爾與須流奈美伊夜思久思久爾伊爾之弊於毛保由
3987 多麻久之氣敷多我美也麻爾鳴鳥能許惠乃孤悲思吉登岐波伎爾家里
たまくしげ、ふたかみやまに、なくとりの、こゑのこひしき、ときはきにけり
(389)鳴鳥能 此鳥は時鳥なるべし。前後皆時鳥の歌なり
右三月三十日依興作之大伴宿禰家持
四月十六日夜裏遙聞霍公鳥喧述懐歌一首
3988 奴婆多麻能都奇爾牟加比底保登等藝須奈久於登波流氣之佐刀騰保美可聞
ぬばたまの、つきにむかひて、ほとゝぎす、なくおとはるけし、さととほみかも
此月とつゞくは夜の流轉也。さと遠みかもは、今聞く所の我居る里の遠きと也。鳴聲遙かなれば此里より遠きと也
右大伴宿禰家持作之
大目秦忌寸八千島之館餞守大伴宿禰家持宴歌二首
3989 奈呉能宇美能意吉都之良奈美志苦思苦爾於毛保要武可母多知和可禮奈波
3990 我加勢故波多麻爾母我毛奈手爾麻伎底見都追由可牟乎於吉底伊加婆乎思
右守大伴宿禰家持以正税帳須入京師仍作此謌聊陳相別之歎 四月二十日
四月二十日 前に付月日也
遊覽布勢水海賦一首並短歌【此海者有射水郡舊江村也】
3991 物能乃敷能夜蘇等母乃乎能於毛布度知許己呂也良武等宇麻奈米底宇知久知夫利乃之良奈美能安里蘇爾與須流之夫多爾能佐吉多母登保理麻都太要能奈我波麻須義底宇奈比河波伎欲吉勢其等爾宇加波多知可由吉加久遊岐見都禮騰母曾許母安加爾等布勢能宇彌爾布禰宇氣須惠底於伎弊許藝邊爾己伎見禮婆奈藝左爾波安遲牟良佐和伎之麻未爾波許奴禮波奈左吉許己婆久毛見乃佐夜氣吉(390)加多麻久之氣布多我彌夜麻爾波布都多能由伎波和可禮受安里我欲比伊夜登之能波爾於母布度知可久思安蘇婆牟異麻母見流其等
3992 布勢能宇美能意枳都之良奈美安利我欲比伊夜登偲能波爾見都追思努播牟
右守大伴宿禰家持作之 四月二十四日
四月二十四日 前の哥に付月日也
敬和遊覽布勢水海賦一首並一絶
3993 布治奈美波佐岐底知里爾伎宇能波奈波伊麻曾佐可理等安之比奇能夜麻爾毛野爾毛保登等藝須奈伎之等與米婆宇知奈妣久許己呂毛之努爾曾己乎之母宇良胡非之美等於毛布度知宇麻宇知牟禮底多豆佐波理伊泥多知美禮婆伊美豆河泊美奈刀能須登利安佐奈藝爾可多爾安佐里之思保美底婆都麻欲比可波須等母之伎爾美都追須疑由伎之夫多爾能安里蘇乃佐伎爾於枳追奈美余勢久流多麻母可多與理爾可都良爾都久理伊毛我多米底爾麻吉母知底宇良具波之布勢能美豆宇彌爾阿麻夫彌爾麻可治加伊奴吉之路多倍能蘇泥布理可邊之阿登毛比底和賀己藝由氣婆乎布能佐伎波奈知利麻我比奈伎佐爾波阿之賀毛佐和伎佐射禮奈美多知底毛爲底母己藝米具利美禮登母安可受安伎佐良婆毛美知能等伎爾波流佐良婆奈能佐可利爾可毛加久母伎美我麻爾麻等可久之許曾美母安吉良米々多由流比安良米也
ふぢなみは、さきてちりにき、うのはなは、いまぞさかりと、あしひきの、やまにものにも、ほとゝぎす、なきしどよめば、うちなびく、こころもしのに、そこをしも、うらこひしみと、おもふどち、うまうちむれて、たづさはり、いでたちみれば、(391)いみづかは、みなとのすどり、あさなぎに、かたにあさりし、しほみてば、つまよびかはす、ともしきに、みつゝすぎゆき、しぶたにの、ありそのさきに、おきつなみ、よせくるたまも、かたよりに、かづらにつくり、いもがため、てにまきもちて、うらぐはし、ふせのみづうみに、あまふねに、まかぢかいぬき、しろたへの、そでふりかへし、あともひて、わがこぎゆけば、をふのさき、はなちりまがひ、なぎさには、あしかもさわざ、さゞれなみ、たちてもゐても、こぎめぐり、みれどもあかず、あきさらば、もみぢのときに、はるさらば、はなのさかりに、かもかくも、きみがまにまと、かくしこそ、みもあきらめゝ、たゆるひあらめや
美奈刀能須登利 居る州鳥の惣名也
伎美我麻爾 家持をさして也
美母安吉良米 今は見はらすの意眺望する意也
3994 之良奈美能與世久流多麻毛余能安比太母都藝底民仁許武吉欲伎波麻備乎
右橡大伴宿禰池主作 四月廿六日追和
四月二十六日辨大伴宿禰池主之館銭税帳使守大伴宿禰家持宴謌並古歌四首
3995 多麻保許乃美知爾伊泥多知和可禮奈姿見奴日佐等麻禰美孤悲思家武可母
一云不見日久彌戀之家牟加母
たまほこの、みちにいでたち、わかれなみ、みぬひさしまねみ、こひしけむかも、一云みぬひひさしみこひしけむかも
並古哥四首 新哥三首古哥一首合て如v此書たる歟
多麻保許 上古街衢の印に鉾を被v立し説可v然也。みと讀の説如何
麻禰美 わかれて見ぬ事の間なきに戀しからんかとの意也
(392)一云との説は、別れて不v見事の久しかるべければ戀しからんかもと也
右一首大伴宿禰家持作之
3996 和我勢古我久爾弊麻之奈婆保等登藝須奈可牟佐都奇波佐夫之家牟可母
わがせこが、くにへましなば、ほとゝぎす、なかむさつきは、さぶしけむかも
國へましなばは國へ行かましなば也
右一首介内藏忌寸繩麿作之
3997 安禮奈之等奈和備和我勢故保登等藝須奈可牟佐都奇波多麻乎奴香佐禰
右一首守大伴宿禰家持和
石川朝臣水通橘歌一首
3998 和我夜度能花橘乎波奈其米爾多麻爾曾安我奴久麻多婆苦流之美
和我夜 水通か古歌を、池主かりて當前の我意をあらはし誦したる也
右一首傳誦主人大伴宿禰池主云爾
守大伴宿禰家持館飲宴歌一首 【四月二十六日】
3999 美夜故弊爾多都日知可豆久安久麻底爾安比見而由可奈故布流比於保家牟
四月二十六日 此小字不審後人の加筆歟。池主館の飲宴の跡同日の宴歟
立山賦一首並短歌 此山者有新河郡也
4000 安麻射可流比奈爾名可加須古思能奈可久奴知許登其等夜麻波之母之自爾安禮登毛加波波之母佐(393)波爾由氣等毛須賣加未能宇之波伎伊麻須爾比可波能曾能多知夜麻爾等許奈都爾由伎布理之伎底於婆勢流可多加比河波能伎欲吉瀬爾安佐欲比其等爾多都奇利能於毛比須疑米夜安里我欲比伊夜登之能播仁余増能未母布利佐氣見都々余呂豆餘能可多良比具佐等伊末太見奴比等爾母都氣牟於登能未毛名能未母伎吉底登母之夫流我禰
あまさかる、ひなになかゝす、こしのなか、くぬちことごと、やまはしも、しゞにあれども、かはゝしも、さはにゆけども、すめがみの、うしはきいます、にひかはの、そのたちやまに、とこなつに、ゆきふりしきて、おはせる、かたかひがはの、きよきせに、あさよひごとに、たつきりの、おもひすぎめや、ありかよひ、いやとしのはに、よそのみも、ふりさけみつゝ、よろづよの、かたらひぐさと、いまだみぬ、ひとにもつけむ、おとのみも、なのみもきゝて、ともしふるかも
等許奈都爾 師云、冬の雪夏迄ありとて、とこなつとはいはれまじきか。都の字部の字の誤歟。しかればとこしなへにの義にて、義安しと也。此義尚後考あるべし。句例可v考也
たつきりのおもひ 不v絶思ひやりて、心を此景色に通じて不v忘あらんとの意也
かたらひぐさ 一種あるか。先づは種の意にて、その事のたねとなすと云義とも可v見也
登母之夫流我禰 告げきかせたらば珍しかるべき事にと云意也。我禰は、かにと云詞とおなじ。禰ととめたるは歎息の意をこめたる也
4001 多知夜麻爾布里於家流由伎乎登己奈都爾見禮等母安可受加武賀良奈良之
4002 可多加比能可波能瀬伎欲久由久美豆能多由流許登奈久安里我欲比見牟
四月二十七日大伴宿禰家持作之
敬和立山賦一首並二絶
(394)4003 阿佐比左之曾我比爾見由流可無奈我良彌奈爾於姿勢流之良久母能知邊乎於之和氣安麻曾曾理多可吉多知夜麻布由奈都登和久許登母奈久之路多倍爾遊吉波布里於吉底伊爾之邊遊阿理吉仁家禮婆許其志可毛伊波能可牟佐備多末伎波流伊久代經爾家牟多知底爲底見禮登毛安夜之彌禰太可美多爾乎布可美等於知多藝都吉欲伎可敷知爾安佐左良受綺利多知和多利由布佐禮婆久毛爲多奈※[田+比]吉久毛爲奈須己許呂毛之努爾多都奇理能於毛比須具佐受由久美豆乃於等母佐夜氣久與呂豆余爾伊比都藝由可牟加波之多要受波
あさひさし、そがひにみゆる、かむながら、みなにおはせる、しらくもの、ちへをおしわけ、あまそゝり、たかきたちやま、ふゆなつと、わくこともなく、しろたへに、ゆきはふりおきて、いにしへゆ、ありきにければ、こゝしかも、いはのかむさび、たまきはる、いくよへにけむ、たちてゐて、みれどもあやし、みねたかみ、たにをふかみと、おちたぎつ、きよきかふちに、あさゝらず、きりたちわたり、ゆふされば、くもゐたなびき、くもゐなす、こゝろもしのに、たつきりの、おもひすぐさず、ゆくみづの、おともさやけく、よろづよに、いひつぎゆかむ、かはしたえずば
みなにおはせる、名に負たる也。あさひさしは、前の歌に、ひなに名かゝすといふに和へて賛美したる意なるへし。そがひは、脇向に見る義、都へ上る行路の方角にていへるか。淵云、越中の館舍よりそがひに見ゆるならんと也。此説可v然
安麻曾々理は、摩v天の意、空天をそゝる如く高き義を、そそりといふたる也。天へつゞきたるといふ義を、そゝりとは云へるならん。一説、高山は常に雨氣霧などふる如くなるをあまそゝりと云へると也。兩義未v決。可v爲2後考1也
布由奈都登 此詞もあれば常磐の事を、とこなつとも云たる古語なるべし
許其志可毛は凝敷也。古よりこりしきて有かもと也
可敷知爾 かはうち也。はうの約敷也。瀧川の内也。かたかひ川の内と云義に同じ
(395)久毛爲の事、契沖説は、雲居たなびきは、居たり、棚引きたるを云と解せり。少六可ケ敷也。師説は、くもゐは雲に付たる詞と解て、一名目と見るべしと傳へたり。淵案は、くもりくもると云事、雲の本名ならんか。しかれば雲井はくもりにてあるべしと也。此句も、曇りたなびきと見れば解し安き也。畢竟の意は、雲のたな引き霧の絶えず立つ如く、しげく間斷なく此立つ人を慕ひ思ふとの義也
4004 多知夜麻爾布里於家流由伎能等許奈都爾氣受底和多流波可無奈我良等曾
たちやまに、ふりおけるゆきの、とこなつに、けずてわたるは、かむながらとぞ
可無奈我良等曾 立山に夏冬不v分雪の不v消ば、神異の怪しかるぞとほめたる義也
4005 於知多藝都可多加比我波能多延奴期等伊麻見流比等母夜麻受可欲波牟
おちたぎつ、かたかひがはの、たえぬごと、いまみるひとも、やまずかよはむ
伊麻見流比等母 和歌なれば家持を祝賞して也
右椽大伴宿禰池主和之 四月廿八日
入京漸近悲情難撥述懷一首並一絶
4006 可伎加蘇布敷多我美夜麻爾可牟佐備底多底流都我能奇毛等母延母於夜自得伎波爾波之伎與之和我世乃伎美乎安佐左良受安比底許登騰比由布佐禮婆手多豆佐波利底伊美豆河波吉欲伎可布知爾伊泥多知底和我多知彌禮婆安由能加是伊多久之布氣婆美奈刀爾波之良奈美多可彌都麻欲夫等須騰理波佐和久安之可流等安麻乃乎夫彌波伊里延許具加遲能於等多可之曾己乎之毛安夜爾登母志美之怒比都追安蘇夫佐香理乎須賣呂伎能乎須久爾奈禮婆美許登母知多知和可禮奈婆於久禮多流(396)吉民波安禮騰母多麻保許乃美知由久和禮播之良久毛能多奈妣久夜麻乎伊波禰布美古要弊奈利奈婆孤悲之家久氣乃奈我氣牟曾則許母倍婆許己呂志伊多思保等登藝須許惠爾安倍奴久多麻爾母我手爾麻吉毛知底安佐欲比爾見都追由可牟乎於伎底伊加婆乎思
かきかぞふ、ふたかみやまに、かむさびて、たてるとがのき、もともえも、おやじときはに、はしきよし、わがせのきみを、あさゝらず、あひてことゝひ、ゆふされば、てたづさはりて、いみづかは、きよきかふちに、いでたちて、わがたちみれば、あゆのかぜ、いたくしふけば、みなとには、しらなみたかみ、つまよぶと、すどりはさわぐ、あしかると、あまのをぶねは、いりえこぐ、かぢのおとたかし、そこをしも、あやにともしみ、しのびつゝ、あそぶさかりを、すめろぎの、をすくになれば、みこともち、たちわかれなば、おくれたる、きみはあれども、たまほこの、みちゆくわれは、しらくもの、たなびくやまを、いはねふみ、こえへなりなば、こひしげく、けのながけむぞ、そこもへば、こゝろしいたし、ほとゝぎす、こゑにあへぬく、たまにもが、てにまきもちて、あさよひに、みつゝゆかむを、おきていかばをし
入京とは發足近づく時の義也。京着の事にはあらず。此時代の名目歟
可伎加蘇布敷多 一つ二つと數ふの義、ふたと云はん爲の序詞也
手多豆佐波利 親みむつみて家持池主相共に伴ふて遊びし義を云へり。池主をさしてあがせの君と也
安夜 珍敷慕ひつゝ也
美許登母知は、通例其事を司る官人をさして云へり。仙覺説可v然歟。但し天子の所2知召1國故、其國の事に公事をもちて君事によりて入京するとの事歟。次の長歌に、をす國のよりもちてとあり
氣乃奈我氣 此氣乃は、日の長からんそと云義なるべし。氣長くも日長くといふ義ならんか。師説は、助語か發語と解せられたれど、此歌の氣乃とあるにて前解不審也
そこもへばは、その事を思へば也
(397)こゑに安倍奴久 聲に合せぬく也。橘をさして云へるならん。歌の意は、池主を玉にしてと云義也。玉に比して池主を玉にもなして手にまきて引度と也
4007 和我勢故婆多麻爾母我毛奈保登等伎須許惠爾安倍奴吉手爾麻伎底由可牟
わがせこは、たまにもがもな、ほとゝぎす、こゑにあへぬき、てにまきてゆかむ、
和我勢故婆 婆の字は波の字なるべし。此短歌にて長哥の意も明らか也
右大伴宿禰家持贈椽大伴宿禰池主《四月卅日》
忽見入京述懷之作生別悲兮斷腸萬回怨緒難禁聊奉所心一首並二絶
4008 安遠爾與之奈良乎伎波奈禮阿麻射可流比奈爾波安禮登和賀勢故乎見都追志乎禮婆於毛比夜流許等母安利之乎於保伎美乃美許等可之古美乎須久爾能許等登里毛知底和可久佐能安由比多豆久利無良等理能安佐太知伊奈婆於久禮多流阿禮也可奈之伎多妣爾由久伎美可母孤悲無於毛布蘇良夜須久安良禰婆奈氣可久乎等騰米毛可禰底見和多勢婆宇能波奈夜麻乃保等登藝須禰能未之奈可由安佐疑理能美太流流許己呂許登爾伊泥底伊波婆由遊思美刀奈美夜麻多牟氣能可味爾奴佐麻都里安我許比能麻久波之家夜之吉美賀多太可乎麻佐吉久毛安里多母等保利都奇多々婆等伎毛可波佐受奈泥之故我波奈乃佐可里爾阿比見之米等曾
あをによし、ならをきはなれ、あまさかる、ひなにはあれど、わがせこを、みつゝしをれば、おもひやる、こともありしを、おほきみの、みことかしこみ、をすくにの、ことゝりもちて、わかぐさの、あゆひたづくり、むらどりの、あさたちいなば、おくれたる、あれやかなしき、たびにゆく、きみかもこひむ、おもふそら、やすくあらねば、なげかくを、とゞめもかねて、(398)みわたせば、うのはなやまの、ほとゝぎす、ねのみしなかゆ、あさぎりの、みだるゝこゝろ、ことにいでゝ、いはゞゆゝしみ、となみやま、たむけのかみに、ぬさまつり、あがこひのまく、はしけやし、きみがたゞかを、まさきくも、ありたもとほり、つきたゝば、ときもかはさず、なでしこが、はなのさかりに、あひみしめとぞ
忽見入京述懐之作 家持の哥を見て、亦池主報和之歌也
於母比夜流 思ひを遣しやる也。今世に想像の義とは異也
和可久佐能安由比多豆久利 若草のあ由と續くは、上古は脚半を〓と云草にて作りし也。〓は麻の類也。いちひと云。和名抄行旅具に見えたり
旅行の時上古は草を取て箒にせし故、如v此つゞけたりと見えたり
君かもこひんは、家持のわれをかも戀んと也
おもふそら 此空の詞不詳。先助語と見る也。思ふ事の切なる歎く事の切なる事を空と云へる歟
なげかくをは、歎くを也
とどめもかねては、兩方へかゝりて行人をも歎きをも止めかねてと云へる歟
宇能波奈夜麻 名所としては難2信用1。只卯花の咲たる山の義なるべし。尚可v有2後案1也。次の句に刀奈美夜麻も出でたれば決定とも云難し
多牟氣乃 旅行に祭る神也
多太可は正可と同じ。今俗に大切の場の事を、まさかの時と云へる義也。當日と云と同じ。主、肝要の時と云事也
ときもかはさずは、時も不v變也。かはらせす也。あひみしめとぞは、あはしめよと神にのみ祈りLとの義也
4009 多麻保許能美知能可未多知麻比波勢牟安加於毛布伎美乎奈都可之美勢余
たまほこの、みちのかみたち、まひはせむ、あがおもふきみを、なつかしみせよ
(399)なつかしみせよは、祈る神たちの親みめぐみ給へとの義也
4010 宇良故非之和賀勢能伎美波奈泥之故我波奈爾毛我母奈安佐奈佐奈見牟
右大伴宿禰池主報贈和歌 五月二日
思放逸鷹夢見感悦作歌一首並短歌
4011 大王乃等保能美可度曾美雪落越登名爾於弊流安麻射可流比奈爾之安禮婆山高美河登保之呂思野乎比呂美久佐許曾之既吉安由波之流奈都能左加利等之麻都等里鵜養我登母波由久加波乃伎欲吉瀬其登爾可賀里左之奈豆左比能保流露霜乃安伎爾伊多禮波野毛佐波爾等里須太家里等麻須良乎能登母伊射奈比※[氏/一]多加波之母安麻多安禮等母矢形尾乃安我大黒爾【大黒者蒼鷹之名也】之良奴里能鈴登里都氣底朝※[獣偏+葛]爾伊保都登里多底暮※[獣偏+葛]爾知登里布美多底於敷其等爾由流須許等奈久手放毛乎知母可夜須伎許禮乎於伎底麻多波安里我多之左奈良弊流多可波奈家牟等情爾波於毛比保許里底惠麻比都追和多流安比太爾多夫禮多流之許都於吉奈乃許等太爾母吾爾波都氣受等乃具母利安米能布流日乎等我理須等名乃未乎能里底三島野乎曾我比爾見都追二上山登妣古要底久母我久理可氣理伊爾伎等可弊理伎底之波夫禮都具禮呼久餘思乃曾許爾奈家禮婆伊敷須弊能多騰伎乎之良爾心爾波火佐倍毛要都追於母比孤悲伊伎豆吉安麻利氣太之久毛安布許等安里也等安之比奇能乎底母許乃毛爾等奈美波里母利弊乎須恵底知波夜夫流神社爾底流鏡之都爾等里蘇倍己比能美底安我麻都等吉爾乎登賣良我伊米爾都具良久奈我古敷流曾能保追多加波麻都太要乃波麻由伎具良之都奈之等流比(400)美乃江過底多古能之麻等比多毛登保里安之我母能須太久舊江爾乎等都日毛伎能敷母安里追知加久安良波伊麻布都可太未等保久安良婆奈奴可乃宇知波須疑米也母伎奈牟和我勢故禰毛許呂爾奈孤悲曾余等曾伊麻爾都氣都流
おほきみの、とほのみかどぞ、みゆきふる、こしとなにおへる、あまさかる、ひなにしあれば、やまたかみ、かはとほじろし、のをひろみ、くさこそしげき、あゆはしる、なつのさかりと、しまつどり、うがひがともは、ゆくかはの、きよきせごとに、かゞりさし、なづさひのぼる、つゆしもの、あきにいたれば、のもさはに、とりすだけりと、ますらをの、ともいざなひて、たかはしも、あまたあれども、やかたをの、あがおほぐろに、しらぬりの、すゞとりつけて、あさかりに、いほつとりたて、ゆふかりに、ちどりふみたて、おふごとに、ゆるすことなく、たばなれも、をちもかやすき、これをおきて、またはありがたし、さならべる、たかはなけんと、こゝろには、おもひほこりて、ゑまひつつ、わたるあひだに、たぶれたる、しこつおきなの、ことだにも、われにはつげず、とのぐもり、あめのふるひを、とがりすと、なのみをのりて、みしまのを、そがひにみつゝ、ふたがみの、やまとびこえて、くもがくり、かけりいにきと、かへりきて、しはぶれつくれ、おくよしの、そこになければ、いふすべの、たどきをしらに、こゝろには、ひさへもえつゝ、おもひこひ、いきつきあまり、けだしくも、あふことありやと、あしひきの、をてもこのもに、となみはり、もりべをすゑて、ちはやぶる、かみのやしろに、てるかゞみ、しづにとりそへ、こひのみて、あがまつときに、をとめらが、いめにつぐらく、ながこふる、そのほつたかは、まつだえの、はまゆきくらし、つなしとる、ひみのえすぎて、たこのしま、とびたもとほり、あしがもの、すだくふるえに、をとつひも、きのふもありつ、ちかくあらば、いまふつかだみ、とほくあらば、なぬかのうちは、すぎめやも、きなむわがせこ、ねもごろに、なこひそよとぞ、いまにつげつる
河登保之呂思 河は遠く見遣れば水の色は白也。よりて古語に云傳へたり。野毛さ波に鳥すだけりと、鳥にかゝりたるさは也。鳥多く集りなくと云義也
(401)矢形尾 屋形尾也。いほり也。又毛を云たるならん。白ぬりは燒付の事也。沾《(カ)》の燒付の鈴の義也。おふは追立の義なるべし。
乎知母可屋すき、手放は、手より放ちやる時もしゞまはず、能鳥にあふ逸物と云義也。かやすきのかは助語、遠くはなれても鷹のわざのよきと也
多夫禮多流之許都 此句は山田史君麿誤而鷹を取放したることを云へる也。鷹を調試するとも家持不v爲v知。失2時節1て鷹を遣ひそこなひて取放したる義也
しばふれつくれは、老人の聲のしはがれて恐れ告げたる義なるべし
呼久餘思乃 此句不v詳。追而可2考案1也
伊伎豆伎 俗云、といきをつくなど悲み歎くの意也
乎底母許乃毛 遠き事の義也。をてはをち也。あちおもて、こちおもてもあらんか
底流鏡は、神社にかけたる明鏡の義を云へり
之都爾 布に也
保追多加 秀津鷹也。群に勝たる鷹と云義也。津は助語也
まつ太要は地名、つなしは今云、このしろ也
布都可太末 太の字余の字の誤り歟。又仙説の通歟。可v爲2考案1也
4012 矢形尾能多加乎手爾須惠美之麻野爾可良奴日麻禰久都奇曾倍爾家流
やかたをの、たかをてにすゑ、みしまのに、からぬひまねく、つきぞへにける
日麻禰久は、日もなく歟。不2取敢1已前の事を先づよみ出たる歟。此歌不詳也
4013 二上能乎底母許能母爾安美佐之底安我麻都多可乎伊米爾都氣追母
(402)4014 麻追我弊里之比爾底安禮可母佐夜麻太乃乎治我其日爾母等米安波受家牟
まつかへり、しびにてあれかも、さやまだの、をぢがそのひに、もとめあはずけむ
此哥不詳。先一通の解せんには、山田史が取放したる日にさへ求め得ざるを、今更まつには強ひて慕ふ意也との義と見るべきか。あはずけんは、あはざりけん也
仙覺説も一義あり。またれてかへらんとて其日尋ね求め得ざると也
右射水郡古江村取獲蒼鷹形容美麗※[執/鳥]雉秀群也於時養吏山田史君麿調試失節野獵乖候搏風之翅高翔匿雲腐鼠之餌呼留靡驗於是張設羅網窺乎非常奉弊神祇特乎不虞也奥以夢裏有娘子喩曰使君勿作苦念空費精神放逸彼鷹獲得末幾矣哉須臾覺寤有悦於懷因作却眼之歌式旌感信守大伴宿禰家持 九月二十六日作也
養吏 鷹飼の義なり
高市連黒人謌一首 年月不審
4016 賣比能野能須部吉於之奈倍布流由伎爾夜度加流家敷之可奈之久於毛倍遊
右傳誦此誦三國眞人五百國是也
4017 東風【越俗語東風謂之安由乃可是也】伊多久布久良之奈呉乃安麻能都利須流乎夫禰許藝可久流見由
あゆのかぜ、いたくふくらし、なこのあまの、つりするをぷね、こぎかくるみゆ
可久流見由 隱也。拾穂抄には、こぎかへりて入江にかくるゝと解せり
4018 美奈刀可世佐牟久布久良之奈呉乃江爾都麻欲比可波之多豆左波爾奈久
(403)一云多豆佐和久奈里
4019 安麻射可流比奈等毛之流久許己太久母之氣伎孤悲可毛奈具流日毛奈久
あまさかか、ひなともしるく、こゝたくも、しけきこひかも、なぐるひもなく
許己太久 こゝそこと云意、物の多き事を云、太久、婆久は助語とみるべし
奈具流日 おもひなごむ日なきと也
4020 故之能宇美能信濃【濱名也】乃波麻乎由伎久良之奈我伎波流比毛和須禮底於毛倍也
こしのうみの、しなののはまを、ゆきくらし、ながきはるひも、わすれておもへや
於毛倍也 おもはめや也。はめの約也
右四首天平二十年春正月二十九日大伴宿禰家持礪波郡雄神河邊作歌一首
4021 乎加未河泊久禮奈爲爾保布乎等賣良之葦附【水松之類】等流登湍爾多多須良之
をかみがは、くれなゐにほふ、をとめらし、あしつきとると、せにたゝすらし
女を賞賛して云へる也
婦負郡渡※[盧+鳥]坂河邊時作歌一首
4022 宇佐可河泊和多流瀬於保美許乃安我馬乃安我枳乃美豆爾伎奴奴禮爾家里
うさかゞは、わたるせおほみ、このあがまの、あがきのみづに、きぬゝれにけり
和名抄云、越中國禰比、奧の哥に賣比河とあり。和名と異也。此時分禰比と稱したる歟
見潜※[盧+鳥]人作歌一首
(404)4023 賣比河波能波夜伎瀕其等爾可我里佐之夜蘇登毛乃乎波宇加波多知家里
めひがはの、はやきせごとに、かゞりさし、やそとものをは、うがはたちけり
夜蘇登毛乃乎 惣而山川の獵土をさして八十都のと云へる也。弓矢のわざをなすもの故なるべし
宇加波多知家里 うがはたつとは、川を斷切て魚を不v通樣にする故歟
新河郡渡延槻河時作歌一首
4024 多知夜麻乃由吉之久良之毛波比都奇能可波能和多理瀬安夫美都加須毛
たちやまの、ゆきしくらしも、はひつきの、かはのわたりせ、あぶみつかすも
新河郡 和名に、邇布加波とあり。之久良之毛、不審。之の字止の字の誤りたるか
歌の意は雪解けし義也
都加須毛 水かさまさりて鐙つくと云義也
赴參氣比大神宮行海邊之時作歌一首
4025 之乎路可良多太古要久禮婆波久比能海安佐奈藝思多理船梶母我毛
しをぢから、たゞこえくれば、はくひのうみ、あさなぎしたり、ふねかぢもかも
之乎路可良多太古要 之乎路は地名也。たゞこえは直道といふ意、眞直に行くの義也
能登郡從香島津發船行於射熊來村往時作歌二首
4026 登夫佐多底船木伎流等伊有能萱乃島山今日見者許多知之氣思物伊久代神備曾
とぶさたて、ふなききるといふ、のとのしまやま、けふみれば、こだちしげしも、いくよかみびぞ
能登郡 一本能之字の上に過の字あり。可v是。射熊來の射、往、往の字不審、衍字歟。若しくは住の字歟
(405)登夫佐多底 船木を伐るには木神を祭り山神を祭りて切取ては祭也。夫佐はぬさを立也。或説とぶさは斧を云といへり。證明なければ難v決、可v考也
4027 香島欲里久麻吉乎左之底許具布禰能河治等流間奈久京師之於母保由
かしまより、くまきをさして、こぐふねの、かぢとるまなく、みやこしおもはゆ
鳳至郡渡饒石河之時作歌一首
4028 伊毛爾安波受比左思久奈里奴爾藝之河波伎欲吉瀬其等爾美奈宇良波倍底奈
いもにあはず、ひさしくなりぬ、にぎしかは、きよきせごとに、みなうらはへてな
凰至郡 和名、不布志
美奈宇良波倍底奈 美奈は水也。水の卜をしてと云義也。うらへてとの義、久しく妹にあはざるから、無難の事を占ひてなとの義也。上古水のうらといふ事もありしか
從珠洲郡發船還太沼郡之時泊長濱湾作見月光作歌一首
4029 珠洲能宇美爾安佐比良伎之底許藝久禮婆奈我波麻能宇良爾都奇底理爾家里
すゞのうみに、あさびらきして、こぎくれば、ながはまのうらに、つきてりにけり
右件謌詞者依春出擧巡行諸郡當時所屬目作之大伴宿禰家持
拾穗抄には無2此末《(カ)》1前書に出たり。古書を自身に改めたる事不v足v論誤り也
怨※[(貝+貝)/鳥]晩哢歌一首
4030 宇具比須波伊麻波奈可牟等可多麻底波可須美多奈妣吉都奇波倍爾都追
うぐひすは、いまはなかむと、かたまてば、かすみたなびき、つきはへにつゝ
(406)可多麻底波は、かた心にかけてと云と同じ事也。下待と云説に同じ。下心に待て居る内に月日の過ぐと也。可多の詞語例多し。可2考合1也
造酒歌一首
4031 奈加等美乃敷刀能里等其等伊比波良倍安賀布伊能知毛多我多米爾奈禮
なかとみの、ふとのりとごと、いひはらへ、あがふいのちも、たがためになれ
奈加等美の 神代の古事を云へり
安賀布は 贖ふ也。たがためになれは、ならめの略語、誰が爲ならめや我身の爲にと云意也
右大伴宿禰家持作之
(406)萬葉集剳記 本集卷第十七終
(407)萬葉集剳記 卷第十八
〔目次略〕
(411)萬葉集剳記 第十八卷
天平二十年春三月二十三日左大臣橘家之使者造酒司令史田邊福麻呂饗于守大伴宿禰家持舘爰新歌並使誦各詠各述心緒
拾穩抄には此端書改作せり。難2信用1。尤拾穗の文義は能也
4032 奈呉乃宇美爾布禰之麻志可勢於伎爾伊泥※[氏/一]奈美多知久夜等見底可倣利許牟
4033 奈美多底波奈呉能宇良末爾余流可比乃末奈伎孤悲爾曾等之波倍爾家流
なみたてば、なこのうらまに、よるかひの、まなきこひにぞ、としはへにける
末奈伎孤悲、家持を戀せし意なるべし
4035 保等登藝須伊等布登伎奈之安夜賣具佐加豆良爾勢武日許由奈伎和多禮
ほとゝぎす、いとふときなし、あやめぐさ、かづらにせむひ、こゆなきわたれ
伊等布登伎奈之は、何時も鳴をよろこべども別るる五月五日を、今よりかけて鳴わたれとの意歟。三月の哥なれば、此哥の解六ケ敷也。許由の語例追而可v考
師説は、五月五日は專ら霍公の鳴時日故、その日を今夜よりかけて鳴わたれとの義と也。此解も未詳也
右四首田邊史福麿
于時期之明日將遊覽布勢水海仍述懷各作歌
4036 伊可爾世流布勢能宇良曾毛許己太久爾吉民我彌世武等和禮乎等登牟流
右一首田邊史福麿
(412)4067 乎敷乃佐吉許藝多母等保里比禰毛須爾美等母安久倍伎宇良爾安良奈久爾
一云伎美我等波須母
をふのさき、こぎたもとほり、ひねもすに、みともあくべき、うらにあらなくに 一云きみがとはすも
一云伎美我等波須母、後人の筆也。上の七文字の異説歟。末句にては哥不v聞也
右一首守大伴宿禰家持
4038 多麻久之氣伊都之可安氣牟布勢能宇美能宇良乎由伎都追多麻母比利波牟
4039 於等能未爾伎吉底目爾見奴布勢能宇良乎見受波能保良自等之波倍奴等母
4040 布勢能宇良乎由吉底之見弖波毛母之綺能於保美夜比等爾可多利都藝底牟
ふせのうらを、ゆきてしみては、もゝしきの、おほみやびとに、かたりづぎてむ
ゆきて見てはとあるにて、明日遊覽の前日と見えたり。未だ不v行時の歌也
4041 宇梅能波奈佐伎流曾曾能爾和禮由可牟伎美我都可比乎可多麻知我底良
うめのはな、さきちるそのに、われゆかむ、きみがつかひを、かたまちがてら
加多麻知 下心に待がてら也
4042 敷治奈美能佐伎由久見禮婆保等登藝須奈久倍吉登伎爾知可豆伎爾家里
右五首田邊史福麿
4043 安須能比能敷勢能宇良末能布治奈美爾氣太之伎奈可須知良之底牟可母 一頭云保等登藝須
(413)あすのひの、ふせのうらまの、ふぢなみに、けだしきなかず、ちらしてむかも、一頭云、ほとゝぎす
けだしは、もしくはと云意也。あすの日と詠出たるは、布勢の海に行かんと契りし故也。前の和へ歌故、ほとゝぎすとなくても來鳴かずと詠める歟。右一説に、頭句ほとゝきす共あり。ちらしてんかもは、散らさんかも也。郭公を戀ひ藤を惜みたる歌也
右一首大伴宿禰家持和之
前件十古歌者二十四日宴作之
此十は八の誤也。目録にも八首とあり。哥亦八首也
二十五日往布勢水海道中馬上口號二首
4044 波萬部余里和我宇知由加波宇美邊欲利牟可倍母許奴可安麻能都里夫禰
4045 於伎赦欲里美知久流之保能伊也麻之爾安我毛布伎見我彌不根可母加禮
おきべより、みちくるしほの、いやましに、あがもふきみが、みふねかもかれ
かもかれは、みふねがあればと水上の船を見付て云へる歟。此歌可v有2後案1歌也。此二首は家持の歌也。目録に見えたり
至水邊遊覽之時各述懷作歌 此端作不審、拾穗抄に垂水邊遊覽と改めたり。是は歌を見て書改めたる歟。一本至水海と書けり。此義可v然。既に目録に出たり。可v爲v證v之也
4046 可牟佐夫流多流比女能佐吉許伎米具利見禮登裳安可受伊加爾和禮世牟
右一首田邊史福麿
4047 多流比賣野宇良乎許藝都追介敷乃日婆多奴之久安曾敝移比都伎爾勢牟
右一首遊行女婦土師 右一首あそびひめはじ
(414)遊行女婦土師 遊女也。奥の哥に、さふる子と詠める是也。慰める女と云義に、さふる子共云へる歟。土師は、はにしならんか。はじと計り假名を付來れり
4048 多流比女能宇良乎許具夫禰可治末爾母奈良野和藝敝乎和須禮※[氏/一]於毛倍也
たるひめの、うらをこぐふね、かぢまにも、ならのわぎへを、わすれておもへや
於毛倍也は、おもはめや也、はめはへ也。不v忘と云義也
右一首大伴家持
4049 於呂可爾曾和禮波於母比之乎不乃宇良能安利蘇野米具利見禮度安可須介利
右一首田邊史福麿
4050 米豆良之伎吉美我伎麻佐波奈家等伊比之夜麻保等登藝須奈爾加伎奈可奴
右一首〓久米朝臣廣繩
4051 多胡乃佐伎許能久禮之氣爾保等登藝須伎奈伎等余米波婆太古非米夜母
右一首大伴宿禰家持
前件十五首歌者二十五日作之 此左注後人の誤作也。哥數等にも目録にも不v合也。目録の標題はよき也
〓久米朝臣廣繩之館饗田邊一史福麿宴歌四首
4052 保登等藝須伊麻奈可受之弖安須古要牟夜麻爾奈久等母之流思安良米夜母
右一首田邊史福麿
4053 許能久禮爾奈里奴流母能乎保等登藝須奈爾加伎奈可奴伎美爾安敝流等吉
(415)このくれに、なりぬるものを、ほとゝぎす、なにかきなかぬ、きみにあへるとき
草木繁茂の時節ににも成たれば、ほとゝぎすも鳴べき折なるに、今日君にあへる時幸に何とて來鳴かぬと也。このくれは、木の葉漸く茂りて蔭暗くなりたるの義を云へる也
右一首久米朝臣廣繩
4054 保等登藝須許欲奈枳和多禮登毛之備乎都久欲爾奈蘇倍曾能可氣母見牟
許欲奈枳和多禮は、今夜鳴わたれ也
4055 可敝流末能美知由可牟日波伊都波多野佐加爾蘇泥布禮和禮乎事於毛波婆
かへるまの、みちゆかむひは、いつはたの、さかにそでふれ、われをしおもはゞ
可敝流末能は、歸路の間の道行かん日也。伊都波多野佐加は、越中越前の内の地名也
佐加爾袖不禮は、高き坂故外より見仰ぎて名殘を惜まんと也。
和禮乎事於毛波婆は、事の字清音に讀みて助語也。追而可v考。珍敷清音也
右二首大伴宿禰家持
前件歌者二十六日作之
大上皇御在於難波宮之時歌七首【清足姫天皇也】元正帝也。當時の義にはあらず。已前の義を福麻呂傳誦也
左大臣橘宿禰歌一首
4056 保里江爾波多麻之可麻之乎大皇乎美敷禰許我牟登可年弖之里勢婆
ほりえには、たましかましを、おほきみを、みふねこがむと、かねてしりせば
大皇乎 此乎の字不審、爲2誤字1。哥の意、大皇の御幸ましますを先立つて知りなば玉を敷きて迎へ奉らんかと也
(416)御製歌一首 和 和、此和之字後人加筆なるべし
4057 多萬之賀受伎美我久伊弖伊布保理江爾波多麻之伎美弖々都藝弖可欲波牟
右一首件歌者御船泝江遊宴之日左大臣奏並御製 左大臣の哥を別として書たる注故一首とあり。奥に並御製とあるにて一首と書けるならん
御製歌一首
4058 多知婆奈能登乎能多知波奈夜都代爾母安禮波和須禮自許乃多知婆奈乎
たちばなの、とをのたちばな、やつよにも、あればわすれじ、このたちばなを
登乎の詞不詳也。何とてとをとはいへるぞ。上古は如v此の名目ありと見えたり。師説は豊と云義かと也。詞林には常世の物故とこと云義と解せり。何とも不v決、可2後案1也。下の八つよにもとあるは、とをと云數に寄せたる義と見ゆる也。其義は不2相知1也。乎の字誤字にて殿のたちばなと云義歟
河内女王歌一首 傳不詳
4059 多知婆奈能之多泥流爾波爾等能多弖天佐可彌豆伎伊麻須和我於保伎美可母
たちばなの、したてるにはに、とのたてゝ、さかみづきいます、わがおはぎみかも
佐可彌豆伎伊麻須 酒宴の事を、さかみづきと云ふ。ひたり沈む事をしづくと云。みつきも酒に浸り沈む義をみつきと云へる歟。淵案、沈醉の事を云へる義ならん
粟田女王歌 傳不詳
4060 都奇麻知弖伊敝爾波由可牟和我佐世流安加良多知婆奈可氣爾見要都追
つきまちて、いへにはゆかむ、わがさせる、あからたちばな、かげにみえつゝ
(417)和我佐世流 かざしたる橘の義也。此時賞愛してかざせるならん
可氣爾見要都追 影を見て行かんの意なるべし。月の光に相兼ねて其影に見ゆるを慰み見て行かんとの意也。家に行かんは、月待ちて我家に歸らんとの義なるべし。拾穗抄の説は非也
右件歌者在於左大臣橘卿之宅肆宴御歌並奏歌也
4061 保里江欲里水乎妣吉之都追美布禰左須之津乎能登奴波加波能瀬麻宇勢
ほりえより、みをひきしつゝ、みふねさす、しづをのともは、かはのせまうせ
水乎妣吉、水乎は水筋也。深所を云也。川の瀬まうせは、水の淺深をみち引きまうせと尋ねられたる也
4062 奈都乃欲波美知多豆多都之布禰爾能里可波乃瀕其等爾佐乎左指能保禮
なつのよは、みちたつたづし、ふねにのり、かはのせごとに、さをさしのぼれ
右二首著作者不v知也。福麿傳誦の哥也
右件歌者御船以綱乎泝江遊宴之日也傳誦之人田邊史福麿是也
後追和橘歌二首
4063 等許余物能己能多知婆奈能伊夜※[氏/一]里爾和期大里波伊麻毛見流其登
とこよもの、このたちばなの、いやてりに、わがおほきみは、いまもみるごと
橘によそへて天皇を祝賛し奉りし哥也
4064 大皇波等吉波爾麻佐牟多知婆奈能等能乃多知波奈比多底里爾之※[氏/一]
おほきみは、ときはにまさむ、たちばなの、とのゝたちばな、ひたてりにして
ひたてりは、いや照りと同じく、ひたものものと云意也
(418)右二首大伴宿禰家持作之
射水郡驛館之屋柱伴題著歌一首 かきつけたる哥といふ義也
4065 安佐妣良伎伊里江許具奈流可治能於登乃都波良都婆良爾吾家之於母保由
あさびらき、いりえこぐなる、かぢのおとの、つばらつばらに、わがへしおもほゆ
可治能於登乃都波良都波良爾 梶の音のしげくなる如く、古郷の事を、ひたものの樣々の事を思ひ出で慕ふの意也。事を深切にするを、つまびらかにと云曲の字をも前に、つばらと讀ませたり。くわしくつまびらかなるは、深切と意同じく通ずるならん
右一首山上臣作不審名或云憶良大夫之男但其正名未詳也 此古注不審後人の筆歟
四月一日〓久米朝臣廣繩之館宴歌四首
4066 宇能花能佐久都奇多知奴保等登藝須伎奈吉等與米余敷布里多里登母
うのはなの、さくつきたちぬ、ほとゝぎす、きなきどよめよ、ふゞりたりとも
敷布里多里登母 つぼみたりとも也。ふぷめりとも云哥ありて、含みたる義を云也
右一首守大伴宿禰家持作之
4068 乎里安加之許余比波能麻牟保登等藝須安氣牟安之多波奈伎和多良牟曾
をりあかし、こよひはのまむ、ほとゝぎす、あけむあしたは、なきわたらむぞ
能麻牟は、酒宴の義也
二日應立夏節故謂之明旦將喧也
右一首守大伴宿禰家持作之
(419)4069 安須欲里波都藝弖伎許要牟保登等藝須比登欲能可良爾古非和多流加母
あすよりは、つぎてきこえむ、ほとゝぎす、ひとよのからに、こひわたるかも
明日よりは立夏の節故鳴くべき時節なれば、今夜の間只一夜の間にして、戀渡ると也。加母は哉の意嘆息の詞也
右一首羽咋郡擬主張能登巨乙美作
右一首羽咋郡擬主張能登巨 此巨の字治穗抄作v臣也。未詳也
詠庭中牛麥花一首
4070 比登母等能奈泥之故宇惠之曾能許己呂多禮爾見世牟等於母比曾米家牟
右先國師從僧清見可入京師因設飲饌饗宴于時主人大伴宿禰家持作此歌詞送酒清見也 未考
4071 之奈射可流故之能吉美能等可久之許曾楊奈疑可豆良枳多努之久安蘇婆米
しなさかる、こしのきみのと、かくしこそ、やなぎかつらぎ、たのしくあそばめ
之奈射可流 ひるさかると同じ、横通に云來れる歟。吉美能等は、拾穗抄に、良等に作れり。一本の説有歟。然れば可v爲v是v之也
右郡司已下子茅已上諸人多集此會因守大伴宿禰家持作此歌也
右郡司已下子茅 子茅は名目也。賤官の者也。追而可v考也
4072 奴波多麻能欲和多流都奇乎伊久欲布等余美都追伊毛波和禮麻都良牟曾
右此夕月光遲流和風稍扇即囚屬目聊作此歌也 屬目は見る事也其夕の景色を見てと云意也
越前國〓大伴宿禰池主來贈歌三首
(420)以今月十四日到來深見村望拜彼北方常念芳徳何日能休兼以隣近忽増戀加以先書云暮春可惜促膝未期生別悲兮夫復何言臨紙悽斷奉状不備
三月十五日大伴宿禰池主
一古人云 此一文字は箇條の字なるべし。一説の一はあるべからず。池主古人の哥を家持へ贈りし也
4073 都奇見禮婆於奈自久爾奈里夜麻許曾波伎美我安多里乎敝太弖多里家禮
つきみれば、おなじくになり、やまこそは、きみがあたりを、へだてたりけり
此哥は古人の歌、作者不v知。尤秀逸と聞えたり
一屬物發思
4074 櫻花今曾盛等雖人云我佐夫之毛伎美止之不在者
さくらばな、いまぞさかりと、ひとはいへど、われはさぶしも、きみとしあらねば
此哥次の哥共に池主自作なるべし
一所心耳 此耳の字拾穗抄に歌に作る。一本有v之歟。可v然
4075 安必意毛波受安流良牟伎美乎安夜思苦毛奈氣伎和多流香比登能等布麻泥
あひおもはす、あるらむきみを、あやしくも、なげきわたるか、ひとのとふまで
奈氣伎和多流香 此わたるかの香は、嘆の意を含たる香也。哉の意也
越中國守大伴家持報贈歌四首
一答古人云
(421)4076 安之比奇能夜麻波奈久毛我都奇見禮婆於奈自伎佐刀乎許己呂敝太底都
あしひきの、やまはなくもが、つきみれば、おなじきさとを、こゝろへだてつ
此哥は家持の自作なるべし
一答屬目發思兼詠云遷任舊宅西北隅櫻樹
4077 和我勢故我布流伎可吉都能佐具良波奈伊麻太敷布賣利比等目見爾許禰
わかせこが、ふるきかきつの、さくらばな、いまだふゞめり、ひとめみにこね
家持自作地。わがせこは指2池主1て也。
可吉都 此都の字諸の字の誤歟。句例可v考也
見爾許禰は、池主に來よと乞也
一答所心即以古人之跡代今日之意
4078 故敷等伊布波衣毛名豆氣多理伊布須敝能多豆伎母奈吉波安賀未奈里家利
こふといふは、えもなづけたり、いふすべの、たづきもなきは、あがみなりけり
古哥を以て今家持の情に合せ答へたる也
一更矚目
4079 美之麻野爾可須美多奈妣伎之可須我爾伎乃敷毛家布毛由伎波敷里都追
みしまのに、かすみたなびき、しがすかに、きのふもけふも、ゆきはふりつゝ
一更矚目、家持自分矚目して也
此しかすがは、二つにかけて乍v然と云意と通ふ詞也。霞たなびきながら越中の國故昨日も今日も雪降ると也。北國雪國故(422)三月も未だ專らに雪降ると聞えたり
三月十六日
姑大伴氏坂上郎女來贈越中守大伴宿禰家持歌二首
4080 都禰比等能故布登伊敷欲利波安麻里弖和禮波之奴倍久奈里爾多良受也
つねひとの、こふといふよりは、あまりにて、われはしぬべく、なりにたらずや
なりにたらずやは、なりたるにあらずや也
4081 可多於毛比遠宇萬爾布都麻爾於保世母天故事部爾夜良波比登加多波牟可母
かたおもひを、うまにふつまに、おほせもて、こしべにやらば、ひとかたはむかも
可多於毛比遠 我耳思ふ心をと云意に、片おもひとか
布都麻爾 太馬なるべし。太く逞しき馬の意也
加多波牟可母 かどはさむかも也。まどはし盗む義也
越中守大伴宿彌家持報歌並併心三首
4082 安萬射可流比奈能都夜故爾安米比度之可久古非須良波伊家流思留事安里
あまさかる、ひなのみやこに、あめひとし、かくこひすらば、いけるしるしあり
都夜故爾 此都の字不審。訓の一語をとれる歟。萬葉の假名日本紀等の假名と劣れる事是等の頼歟。ひなの都とは、諸國の官府の所を云たる也
安米比等之 皇居の都にある人故、天人と云義也
姑をさして云へる也
(423)4083 都禰能孤悲伊麻太夜麻奴爾美夜古欲利宇麻爾古非許婆爾奈比安倍牟可母
つねのこひ、いまだやまぬに、みやこより、うまにこひこば、になひあへむかも
爾奈比安倍牟可母 荷ひあへまじきと也。こたへまじきとの意也
前哥に、馬におほせおくらばと詠みし返歌故、馬にこひこばと詠めり。こなたに持ち餘してあるに、又來らばいかにとも答へまじきと切に詠める也
別所心一首
4084 安可登吉爾名能里奈久流保登等藝須伊夜米豆良之久於毛保由流香母
右四日附使贈上京師
天平感寶元年五月五日饗東大寺之古墾地使僧平榮等于時守大伴宿禰家持送酒僧歌一首
東大寺之古墾地使 此義追而可v考。古墾地使不審
4085 夜岐多知乎刀奈美能勢伎爾安須欲里波毛利敝夜里蘇倍伎美乎等登米牟
やきたちを、となみのせきに、あすよりは、もりべやりそへ、きみをとゞめむ
夜岐多知乎刀奈美 此刀奈美と續けたるは、利といふ意也。しかし、をと云ふ争爾波不審。尤古哥に此一格有歟。類句追而可v考。とぐと續けたる歟
毛利敝 此敝の字、部の字の意也。然れば訓にして部の字は借訓歟。へといふ詞は、むれを約してめと云義歟。部の濁音は女也。此歌の所は守目と聞ゆる也
同月九日諸僚會少目秦伊美吉石竹之館飲宴於時主人造百合花縵三枚疊置豆器捧贈賓客各賦此縵作三首
(424)石竹之館。石竹は名也
4086 安夫良火能比可里爾見由流和我可豆良佐由利能波奈能惠麻波之伎香母
あぶらひの、ひかりにみゆる、わかゝづら、さゆりのはなの、ゑまはしきかも
惠麻波之伎は、悦敷也。忌寸作り置たる縵故賞賛して也
右一首守大伴宿禰家持
4087 等毛之火能比可里爾見由流佐由理婆奈由利毛安波牟等於母比曾米弖伎
ともしびの、ひかりにみゆる、さゆりばな、ゆりもあはむと、おもひそめてき
由利毛安波牟等 寄合はんと思ひそめきと也
右一首介内藏伊美吉繩麿
4088 左由理波奈由利毛安波牟等於毛倍許曾伊末能麻左可母宇流波之美須禮
さゆりばな、ゆりもあはむと、おもへこそ、いまのまさかも、うるはしみすれ
伊末能麻左可母 今の當然も、したしみ懇切に持てるをと也。思へばこそ今日當然も如v此うるはしみをすると也。主人のもてなしを賞して歟。又家持自分の交際を睦じくするとの意歟。兩樣に聞ゆる也
右一首大伴宿禰家持和 和。此和の字は不v慥。後人の加筆歟。目録にも不v見。本文ならば何の哥に和とあるべき例ならんか
獨居幄裏遙聞霍公鳥喧作歌一首並短歌
4089 高御座安麻能日繼登須賣呂伎能可未能美許登能伎己之乎須久爾能麻保良爾山乎之毛佐波爾於保美等百鳥能來居弖奈久許惠春佐禮婆伎吉能可奈之母伊豆禮乎可和枳弖之努波無宇能花乃佐久月(425)多弖婆米都良之久鳴保等登藝須安夜女具佐珠奴久麻泥爾比流久良之欲和多之伎氣騰伎久其等爾許己呂豆呉枳弖宇知奈氣伎安波禮能登里等伊波奴登枳奈思
たかみくら、あまのひつぎと、すめろぎの、かみのみことの、きこしをす、くにのまほらに、やまをしも、さはにおほみと、もゝどりの、きゐてなくこゑ、はるされば、きゝのかなしも、いづれをか、わきてしぬばむ、うのはなの、さくつきたてば、めづらしく、なくほとゝぎす、あやめぐさ、たまぬくまでに、ひるくらし、よわにしきけど、きくごとに、こゝろつごきて、うちなげき、あはれのとりと、いはぬときなし
久爾能麻保良爾 拾穗抄に見安を引て、國の守と解せり。類句可v考。國の秀にと云意は、守りも助語にして一國の中にめだち聳えてと云意歟
あやめ草は、卯月より五月にかけての義也
豆呉枳弖 見安には、うごきと解せり。仙覺は、つくしてと解せり。不審、疑らくは誤字ならんか
反歌
4090 由具敝奈久安里和多流登毛保登等藝須奈枳之和多良婆可久夜思努波牟
ゆくへなく、ありわたるとも、ほとゝぎす、なきしわたらば、かくやしのばむ
拾穗抄の説可v然歟。かくやしぬばんは、かくはしのばじと也
4091 宇能花能開爾之奈氣婆保等得藝須伊夜米豆良之毛名能里奈久奈倍
うのはなの、さくにしなけば、ほとゝぎす、いやめづらしも、なのりなくなべ
奈倍 此奈倍は、うべと云意に通ふ也。一説なくからと通ふ詞と解せり。すべて奈倍と云詞六ケ敷也。並の字を書たる所もあり。此字の意にて、ならび、ともにと云意とも聞ゆる也
當集の歌に、よろしなべ、わがせの君と詠める哥不v濟詞也
(426)4092 保登等藝須伊登禰多家口波橘能播奈治流等吉爾伎奈吉登余牟流
ほとゝぎす、いとねたけくは、たちばなの、はなちるときに、きなきどよむる
ねたけくは、ねたましきは也。此意は花の盛には不v來して、散る頃來鳴くは、いづ方にかありて不v來しか。ねたましく殘念なると也
右四首十日大伴宿禰家持作之
行英遠浦之日作歌一首
4093 安乎能宇良爾餘須流之良奈美伊夜末之爾多知之伎與世久安由乎伊多美可聞
あをのうらに、よするしらなみ、いやましに、たちしきよせく、あゆをいたみかも
多知之伎は、立重り頻りによせ來ると也
伊多美は、風の強きかもと也。あゆは東風也。前にあり。あゆは卯の延言歟。東方は卯也
右一首大伴宿禰家持作之
賀陸奥國出金 詔書歌一首並短歌 詔書に、大伴氏の事を被v載事あり。それを尊賞して我子孫奉2仕于君1の不v疎樣にと示したる哥を作りし也。續日本紀の第十七の宣命を全文可v考也
4094 葦原能美豆保國乎安麻久太利之良志賣之家流須賣呂伎能神乃美許等能御代可佐禰天乃日嗣等之良志久流伎美能御代御代之伎麻世流四方國爾波山河乎比呂美安都美等多弖麻豆流御調寶波可蘇倍衣受都久之毛可禰都之加禮騰母吾大王能毛呂比登乎伊射奈比多麻比善事乎波自米多麻比弖久我禰可毛多能之氣久安良牟登於母保之弖之多奈夜麻須爾鷄鳴東國能美知能久乃小田在山爾金有(427)等麻宇之多麻敝禮御心乎安吉良米多麻比天地乃神安比宇豆奈比皇御祖乃御霊多須氣弖遠代爾可可里之許登乎朕御世爾安良波之弖安禮婆御食國波左可延牟物能等可牟奈我良於毛保之賣之弖毛能乃布能八十伴雄乎麻都呂倍乃牟氣乃麻爾麻爾老人毛女童兒毛之我願心太良比爾撫賜治賜婆許己乎之母安夜爾多敷刀美宇禮之家久伊余與於母比弖大伴能遠都神祖乃其名乎婆大來目主登於比母知弖都加倍之官海行者美都久屍山行者草牟須屍大皇乃敝爾許曾死米可敝里見波勢自等許等大弖大夫乃伎欲吉彼名乎伊爾之敝欲伊麻乃乎追通爾奈我佐敝流於夜能子等毛曾大伴等佐伯氏者人租乃立流辭立人子者祖名不絶大君爾麻都呂布物能等伊比都雅流許等能都可佐曾梓弓手爾等里母知弖劔大刀許之爾等里波伎安佐麻毛利由布能麻毛利爾大王能三門乃麻毛利和禮乎於吉弖且比等波安良自等伊夜多弖於毛比之麻左流大皇乃御言能左吉乃【一云乎】聞者貴美
一云貴久之安禮婆
あしはらの、みづほのくにを、あまくだり、しらしめしける、すめろぎの、かみのみことの、みよかさね、あまのひつぎと、しらしくる、きみのみよみよ、しきませる、よものくにには、やまかはを、ひろみあつみと、たてまつる、みつぎたからは、かぞへえず、つくしもかねつ、しかれども、わがおほきみの、もろびとを、いざなひたまひ、よきことを、はじめたまひて、こがねかも、たのしけくあらむと、おもほして、したなやますに、とりがなく、あづまのくにの、みちのくの、をだなるやまに、こがねありと、まうしたまへれ、みこゝろを、あきらめたまひ、あめつちの、かみあひうづなひ、すめろぎの、みたまたすけて、とほきよに、かゝりしことを、わがみよに、あらはしてあれば、みけくには、さかえむものと、かむながら、おもほしめして、ものゝふの、やそとものをゝ、まつろへの、むきのまにまに、おいびとも、めぬわらはこも、しかねがひ、こゝろ(428)たらひに、なでたまひ、おさめたまへば、こゝをしも、あやにたふとみ、うれしけく、いよゝおもひて、おほともの、とをつかみおやの、そのなをば、おほくめもりと、おひもちて、つかへしつかさ、うみゆかば、みづくかばね、やまゆかば、くさむすかばね、おほきみの、へにこそしなめ、かへりみは、せじとことだて、ますらをの、きよきそのなを、いにしへゆ、いまのをつゝに、ながさへる、おやのこどもぞ、おほともと、さへきのうぢは、ひとのおやの、たつることだて、ひとのこは、おやのなたゝず、おほきみに、まつろふものと、いひつげる、ことのつかさぞ、あづさゆみ、てにとりもちて、つるぎたち、こしにとりはぎ、あさまもり、ゆふのまもりに、おほきみの、みかどのまもり、われをおきて、またひとはあらじと、いやだて、おもひしまさる、おほきみの、みことのさきの【一云乎】きけばたふとみ。一云たふとくしあれば
葦原能美豆保國乎 保と國との間、のの字を脱せし歟
安都美は、厚く也
久我禰可毛 金可毛也
之多奈夜麻須爾 天子の御心をなやまし思召て也
麻宇之多麻敝禮 申たれば也。禮と計り云ふ詞を殘せしは、當集の例數多し。まうしてあればと云義に通ふ也。てあは、た也
御心をあきらめたまひは、前に樂しくあらんと思し召し、下悩ませ給ふ名を晴らさせ明らめ給ふと也。欝朦の御意を晴らし明らめ給ふ也
安比宇豆奈比 天神地祇相共に、うつくしみ惠み給ひて、昔時も金あらはわたる事ありしと也。その上金の出たる事雖v無2所見1此哥の句によりて見れば、天平感寶年中より前上古に出たると見るべきか。全體此句不v詳、追而可v令2熟案1也
朕御世 聖武の御時也。此時又黄金あらはれてあればと也
御食國 天録の國、天子の御食物の國と云意に、一天下をさして食國、をし國とは云たるならん
毛能乃布能 是より已下は、天子の萬民を惠み憐み給ふ義を云たる義也
(429)むけのまにまには、御從へなさるゝまゝに、老若女子迄も汝が願ひを足りて天子の惠を尊み畏み悦び思ふとの義也、
うれしけくいよゝおもひて 是迄にて、是より已下は又別段に大伴氏の先祖の事を云出でて、今の世の大伴氏の一流も、隨分先祖の名を不v汚忠節を可v勵と教示したる歌と見ゆる也。勇猛を勵ましたる也
女董兒毛 此詠み樣語を可v考。義は老若男女小童までも汝が願ひ思ひに足りてとの義也
美都久屍 水に沈む屍、草中に伏し死すとも君の爲にと也。宣命の詞にあるをもつて、此所によみ入たるなり
大來目主 假名に、大クメモリと點せり。普通ヌシと讀めり。モリと訓ぜる事未v考。追而可v考也。天孫降臨の時の義を云へる句也
敝爾許曾 爲にこそと云義と諸抄の解也。語譯未v考。濁音の倍なれば、めなる故、爲の上略と見るべき歟。邊と云ふ意本にと云義にて、乃ち君の爲にと云事に通じたる歟
許等大弖 言あげ也
奈我佐敝流 ながせる也。さへは、せにて、今現在の世まで流れ傳來せると也
大伴等佐伯氏者 此より已下、我先祖より今の代迄も其天職を不v違、心を不v絶仕へ來りしと云義を云へり
人祖 惣じての世上の人の祖とさしたる義也。人子も廣くさしたる義也
人祖たるものゝ立る祖の事は勤め來りたり。子も又其名を不v絶傳へ來りしと也
いひつげることのつかさは、世上に賞められ來れる言の頭と云意なるべし。つかさぞと云へるは第一と云意ならん。賞賛せらるゝかしらと云意と聞ゆる也。尤大伴伯氏ぞと云義とも聞ゆる也。氏と云事を官ぞと云へるにもあらんか。尚熟案すべき也
伊夜多弖 彌々心をおこし立て也。楯の義とは不v聞也
御言能左吉 天子の宣命の上を聞けばと云義也。左吉は末端と云意と同じ。幸の義に注せるは不v被v信也
(430)反歌三首
4095 大夫能許己呂於毛保由於保伎美能美許登能佐吉乎【一云能】聞者多布刀美
一云貴久之安禮婆
ますらをの、こゝろおもほゆ、おほきみの、みことのさきを【一云能】きけばたふとみ
大夫能許己呂於毛保由 天子の宣命を聞けば今更勇猛の意進み起るとの意也
4096 大伴能等保追可牟於夜能於久都奇波之流久之米多底比等能之流倍久
4097 須賣呂伎能御代佐可延牟等阿頭麻奈流美知能久夜麻爾金花佐久
天平感寶元年五月十二日於越中國守館大伴宿禰家持作之
爲幸行芳野離宮之時儲作歌一首並短歌
4098 多可美久良安麻能日嗣等天下志良之賣師家類須賣呂伎乃可末能美許等能可之古久母波自米多麻比弖多不刀久母左太米多麻敝流美與之努能許乃於保美夜爾安里我欲比賣之多麻布良之毛能乃敷能夜蘇等母能乎毛於能我於敝流於能我名負名負大王乃麻氣能麻久麻久此河能多由流許等奈久此山能伊夜都藝都藝爾可久之許曾都可倍麻都良米伊夜等保奈我爾
たかみくら、あまのひつぎと、あめのした、しらしめしける、すめろぎの、かみのみことの、かしこくも、はじめたまひて、たふとくも、さだめたまへる、みよしのゝ、このおほみやに、ありかよひ、めしたまふらし、ものゝふの、やそとものをも、おのがおへる、おのがなになに、おほきみの、まけのまくまく、このかはの、たゆることなく、このやまの、いやつきつぎに、かくしこそ、つかへまつらめ、いやとほながに
(431)名負々々 負は義訓、荷《ニ》と讀むべし
麻氣能麻久々々 被v任し官の任々《マニマニ》にて、麻久麻久は麻氣麻氣と同事か。その官の任《マニ》まに也。拾穗抄の説よし
反歌
4099 伊爾之敝乎於母保須良之母和期於保伎美余思努乃美夜乎安里我欲比賣須
いにしへを、おもほすらしも、わがおほきみ、よしのゝみやを、ありかよひめす
安里我欲比賣須 服《(カ)》御をし給ふ義歟。領せらるゝと也
4100 物能乃布能夜蘇氏人毛與之努河波多由流許等奈久都可倍追通見牟
爲贈京家願眞珠歌一首並短歌
4101 珠洲乃安麻能於伎都美可未爾伊和多利弖可都伎等流登伊布安波妣多麻伊保知毛我母波之吉餘之都麻乃美許登能許呂毛泥乃和可禮之等吉欲奴婆玉乃夜床加多古里安佐禰我美可伎母氣頭良受伊泥※[氏/一]許之月日余美都追奈氣久良牟心奈具佐余保登等藝須伎奈久五月能安夜女具佐波奈多知波奈爾奴吉麻自倍可頭良爾世餘等都追美※[氏/一]夜良牟
すゝのあまの、おきつみかみに、いわたりて、かづきとるといふ、あはびたま、いほちもがも、はしきよし、つまのみことの、ころもでの、わかれしときゝ、ぬばたまの、よとこかたこり、あさねがみ、かきもけづらず、いでゝこし、つきひよみつゝ、なげくらむ、こゝろなぐさよ、ほとゝぎす、きなくさつきの、あやめぐさ、はなたちばなに、ぬきまじへ、かづらにせよと、つゝみてやらむ
於伎都美可未 海の奥をさしてみ神と也
夜床加多古里 片伏の義なるべし。古里は古伊なり。横通の理伊也
(432)心奈具佐余 此余の字、爾の字歟。余にても聞ゆる也。心なぐさめよと云の、よなるべし
4102 白玉乎都々美※[氏/一]夜良波安夜女具佐波奈多知婆奈爾安倍母奴久我禰
しらたまを、つゝみてやらば、あやめぐさ、はなたちばなに、あへもぬくがね
安倍母奴久我禰 合せ貫哉とねがふたる意也
4105 思良多麻能伊保都都度比乎手爾牟須妣於許世牟安麻波牟賀思久母安流香
一云我家牟伎波母
しらたまの、いほつゝどひを、てにむすび、おこせむあまは、むかしくもあるか
牟賀思久母安流香 拾穗抄には、床敷とも解せ共我方に向ふものは親み愛するの義、愛する義をむかしきとも云ふ歟。床敷と解しては一説の牟伎波母の義不v被v解也
一云我家牟伎波母 海士の方より、我家をむつみ愛すると嘆息したる意也
右五月十四日大伴宿禰家持依興作
教喩史生尾張少咋歌一首並短歌
七出例云
但犯一條即合出之無七出輙棄者徒一年半三不去云雖犯七出不合棄之違者杖一百唯犯※[(女/女)+干]惡疾得棄之
少咋は名也。作之字は不v合。然れば一本に作v咋。且目録にも作v咋也
七出例 此已下律令の戸令律の分を拔摘取て書也
兩妻例云
(433)有妻更娶者徒一年女家杖一百離之
詔書云
愍賜義夫節婦
謹案先件數條建法之基化道之源也然則義夫之道情存無別一家同財豈有忘舊愛新之志哉所以綴作數行之歌令悔棄舊惑其詞曰
4106 於保奈牟知須久奈比古奈野神代欲里伊比都藝家良之父母乎見波多布刀久妻子見波可奈之久米具之宇都世美能余乃許等和利止可久佐末爾伊比家流物能乎世人能多都流許等大弖知左能花佐家流沙加利爾波之吉余之曾能都末能古等安沙余比爾惠美々惠末須毛宇知奈氣伎可多里家末久波等己之部爾可久之母安良米也天地能可未許等余勢天春花能佐可里裳安良多之家牟等吉能沙加利曾波居弖奈介可須移母我何時可毛都可比能許牟等末多須良無心左夫之苦南吹雪消益而射水河流水沫能余留弊奈美左夫流其兒爾比毛能緒能移都我利安比弖爾保騰里能布多里雙坐那具能宇美能於伎乎布可米天佐度波世流伎美我許己呂能須敝母須弊奈佐 言佐夫流者遊行女婦之字也
おほなむち、すくなひこなの、かみよより、いひつぎけらし、ちゝはゝを、みればたふとく、めこみれば、かなしくめぐし、うつせみの、よのことわりと、かくざまに、いひけるものを、よのひとの、たつることだて、ちさのはな、さけるさかりに、はしきよし、そのつまのこら、あさよひに、ゑみゝゑますも、うちなげき、かたりけまくは、とこしへに、かくしあらめや、あめつちの、かみことよせて、はるはなの、さかりもあらたしけむ、ときのさかりぞ、なみをりて、なげかすいもが、いつしかも、つかひのこむと、またすらむ、こゝろさぶしく、みなみかぜ、ゆきゝえまして、いみづかは、ながるみなわの、よるべな(434)み、さぶるそのこに、ひものをの、いつがりあひて、にほどりの、ふたりならびゐ、なごのうみの、おきをふかめて、さどはせる、きみがこゝろの、すべもすべなさ
知左能花佐家流 木の名他。春花咲木也。時節を云はんとて又妻をほめる詞の冠に云出たるならん
天地能かみことよせて云々 此義は契盟して春の頃ほひ迎取らんと云ひし事か
安良多之家牟 此間脱字脱文ある歟。此句不審也
波居弖 此句不審。なげかすは、なげく也。かすは、く也
心左夫之苦 是迄本妻の迎へ來るを待ち歎ける事を云ひのべたる義なるべし
南吹 是より又時節の事を云ひたる也。春も過ぬれど呼び迎へも不v致、憂に移り行て、さふる子の遊女を愛する義を云へる也
左夫流 遊女をさぶる子とも云たるか。若し其女の名歟。未v決
ひものをのいつがり 結びあはする事をいつがりと云ふ。此詞前にも有也。追而可v考。坐置事をもいつがりと云事あり
左渡波世流 むつみ慕ひ訪ひよるの義、左は助語也
須敝母云々 無2筋仕方1と呵していへる意歟。せん方も無きと計りは不v聞也
言佐夫流者 後人の筆歟。不審也
反歌三首
4107 安乎爾與之奈良爾安流伊毛我多可多可爾麻都良牟許己呂之可爾波安良司可
あをによし、ならにあるいもが、たかだかに、まつらむこゝろ、しかにはあらじか
多可々々 切に待居る意、今俗にのび上りなど云意也。遙か遠く思ふ事を高くと云歟。此哥の意は、妻の心は夫の如くにはあらず、約せし如く待居ると也
(435)4108 左刀妣等能見流目波豆可之左夫流兒爾佐度波須伎美我美夜泥之理夫利
さとびとの、みるめはづかし、さぶるこに、さどはすきみが、みやでしりぶり
みやでしりぶり 師案は、遊所の女の宮寢するは、外人の宮ねを知りぬる事の恥敷事を戒め叱りたる詞と也。尚可2二後考案1。都人ふると云ふ義とも聞ゆる也
4109 久禮奈爲波宇都呂布母能曾都流波美能奈禮爾之伎奴爾奈保之可米夜母
右五月十五日守大伴宿禰家持作之
先妻不待夫妻之喚使自來時作歌一首
4110 左夫流兒我伊都伎之等能爾須受可氣奴婆由麻久太禮利佐刀毛等騰呂爾
さぶるこが、いつきしとのに、すゞかけぬ、はいまくだれり、さともとヾろに
いつきしとのは、遊女が夫にいつきかしづき居たる殿にと云意なるべし
すゞかけぬ 公用の傳馬なれば、幾里も騷ぐ筈也。然るに先妻下りて、罵り騷ぐと云義に、鈴かけぬとは喩へたり
同月十七日大伴宿禰家持作之
橘歌一首並短歌
4111 可氣麻久母安夜爾加之古思皇神祖能可見能大御世爾田道間守常世爾和多利夜保許毛知麻爲泥許之登吉時支能香久乃菓子乎可之古久母能許之多麻敝禮國毛勢爾於非多知左加延波流左禮婆孫枝毛伊都追保登等藝須奈久五月爾波波都婆奈乎延太爾多乎理弖乎登女良爾都刀爾母夜里美之路多倍能蘇泥爾毛古伎禮香具播之美於枳弖可良之美安由流實波多麻爾奴伎都追手爾麻吉弖見禮騰毛(436)安加受秋豆氣婆之具禮能雨零阿之比奇能夜麻能許奴禮波久禮奈爲爾仁保比知禮止毛多知波奈能成流其實者比太照爾伊夜見我保之久美由伎布流冬爾伊多禮波霜於氣騰母其葉毛可禮受常磐奈須伊夜佐加波延爾之可禮許曾神乃御代欲里與呂之奈倍此橘乎等伎自久能可久能木實等名附家良之母
かけまくも、あやにかしこし、すめろぎの、かみのおほみよに、たぢまもり、とこよにわたり、やほこもち、まゐでこしとき、ときじくの、かぐのこのみを、かしこくも、のこしたまへれ、くにもせに、おひたちさかえ、はるされば、まごえもいつゝ、ほとゝぎす、なくさつきには、はつはなを、えだにたをりて、をとめらに、つとにもやりみ、しろたへの、そでにもこきれ、かぐはしみ、おきてからしみ、あゆるみは、たまにぬきつゝ、てにまきて、みれどもあかず、あきづけば、しぐれのあめふり、あしひきの、やまのこぬれは、くれなゐに、にほひちれども、たちばなの、なれるそのみは、ひたてりに、いやみかほしく、みゆきふる、ふゆにいたれば、しもおけども、そのはもかれず、ときはなす、いやさかばえに、しかれこそ、かみのみよより、よろしなべ、このたちばなを、ときじくの、かぐのこのみと、なづけけらしも
夜保許は 八竿の事也。時支能は、久の字脱せりと見えたり。時支久能也
孫枝毛伊都追 萠えつゝならん。師案は、伊泥都追の略かと也。伊とユと通ずる事あまたあり
可良之美 枯らし也。こき入れしを枯らすと也
安由流實波 由の字誤字歟。此句不審也
許奴禮波 梢と云義歟。のうは、ぬ也。ぬれは、うれなれば、木末とも云べきか
與呂之奈倍 追而可v考
反歌一首
(437)4112 橘波花爾毛實爾母美都禮騰母移夜時自久爾奈保之見我保之
閏五月廿三日大伴宿禰家持作之
庭中花作歌一首並短歌
4113 於保伎見能等保能美可等々末伎太末不官乃末爾末美由伎布流古之爾久太利來安良多末能等之能五年之吉多倍乃手枕末可受比毛等可須末呂宿乎須禮波移夫勢美等情奈具左爾奈泥之故乎屋戸爾末枳於保之夏能能之佐由利比伎宇惠天開花乎移底見流其等爾那泥之古我曾乃波奈豆末爾左由利花由利母安波無等奈具佐無流許己呂之奈久波安麻射可流比奈爾一日毛安流部久母安禮也
おほきみの、とほのみかどゝ、まきたまふ、つかさのまにま、みゆきふる、こしにくだりき、あらたまの、としのいつとせ、しきたへの、たまくらまかず、ひもとかず、まろねをすれば、いぶせみと、こゝろなぐさに、なでしこを、やどにまきおほし、なつののゝ、さゆりひきうゑて、さくはなを、いでみるごとに、なでしこが、そのはなづまに、さゆりばな、ゆりもあはむと、なぐさむる、こゝろしなくば、あまさかる、ひなにひとひも、あるべくもあれや
情奈具左爾 心慰め也
安流部久母安禮也 あらめやの中略也
反歌二首
4114 奈泥之故我花見流其等爾乎登女良我惠末比能爾保比於母保由流可母
なでしこが、はなみるごとに、をとめらが、えまひのにほひ、おもほゆるかも
惠末比能爾保比 笑て紅顔の景色を云へる也
4115 佐由利花由利母相等之多波布流許己昌之奈久波今日母倍米夜母
(438)さゆりばな、ゆりもあはむと、したはふる、こゝろしなくば、けふもへめやも
之多波布流は、慕はるゝ也。由利の花を愛したる意、此花なくば一日も經まじきと也
同閏五月二十六日大伴宿禰家持作
國〓久米朝臣廣繩以天平二十年附朝集使入京其事畢而天平感寶元年閏五月二十七日還到本任仍長官也館設詩酒宴樂飲於時主人守大伴宿禰家持作歌一首並短歌
4116 於保伎見能末伎能末爾末爾等里毛知底都可布流久爾能年内能許登可多禰母知多末保評能美知爾伊天多知伊波禰布美也末古衣野由伎彌夜故敝爾末爲之和我世乎安良多末乃等之由吉我敝理月可佐禰美奴日佐末禰美故敷流曾良夜須久之安良禰波保止止支須支奈久五月能安夜女具佐余母疑可豆良伎左加美都伎安蘇比奈具禮止射水河雪消溢而逝水能伊夜末思爾乃未多豆我奈久奈呉江能須氣能根毛己呂爾於母比牟須保禮奈介伎都都安我末川君我許登乎波里可敝利末可利天夏野能佐由利能波奈能花咲爾々布夫爾惠美天阿波之多流今日乎波自米※[氏/一]鏡奈須可久之都禰見牟於毛我波利世須
おほきみの、まきのまにまに、とりもちて、つかふるくにの、としのうちの、ことかたねもち、たまほこの、みちにいでたち、いはねふみ、やまこえのゆき、みやこべに、まゐしわがせを、あらたまの、としゆきかへり、つきかさね、みぬひさまねみ、こふるそら、やすくしあらねば、ほととぎす、きなくさつきの、あやめぐさ、よもぎかつらき、さかみつき、あそびなぐれど、いみづかは、ゆきゝえみちて、ゆくみづの、いやましにのみ、たづがなく、なごえのすげの、ねもごろに、おもひむすぼれ、なげきつゝ、あがまつきみが、ことをはり、かへりまかりて、なつののゝ、さゆりのはなの、はなゑみに、にふゞにゑみて、あはしたる、けふをはじめて、かゞみなす、かくしつねみむ、おもがはりせず
(439)末爲之和我世乎 參りし我背子也
美奴日佐末禰美 不v見日まなき也
左加美都伎 沈醉の義なり。前にあり
あやめぐさよもぎかづらき 菖蒲と蓬とをかづらに着したる也
奈具禮止 なぐさむれど也
溢 あふれて也。一點雪消えみちて共讀ませり。別訓あらんか
爾布夫は、ほゝゑむと云義に同じ。にこやかなると云も同義、笑めるかんばせを云ふ也
阿波之多流 あひたる也。ひを延べたる也
反歌二首
4117 許序能秋安比見之末末爾今日見波於毛夜目都良之美夜古可多比等
こぞのあき、あひみしまゝに、けふみれば、おもやめづらし、みやこかたびと
於毛夜目都良之 面珍敷也。都方人と云義也
4118 可久之天母安比見流毛能乎須久奈久母年月經禮婆古非之家禮夜母
かくしても、あひみるものを、すくなくも、としつきふれば、こひしけれやも
須久奈久母は、少の間も年月を經て隔りぬれば戀しくこそあれと云義也。夜母は嘆の詞也
聞霍公鳥喧作歌一首
4119 伊爾之敝欲之奴比爾家禮婆保等登伎須奈久許惠伎吉※[氏/一]古非之吉物能乎
いにしへゆ、しのびにければ、ほとゝぎす、なくこゑきゝて、こひしきものを
(440)伊爾之敝欲 古より也
奈久許惠伎吉※[氏/一]古非之吉物能于 古より慕ひ來れるものなるに、聲を聞ていよ/\戀しき物をと也
爲向京之時見貴人及相美人飲宴之日述懷儲作歌二首
下に儲の字あらば、日の爲にと讀むべき也
4120 見麻久保里於毛比之奈倍爾加都良賀氣香具波之君乎安比見都流賀母
みまくほり、おもひしなべに、かづらかけ、かぐはしきみを、あひみつるかも
見麻久保里於毛比之なべに からにの意也。見まほしく思ひしからにと云義にて聞ゆる也。うべの義にては不v聞也
4121 朝參乃伎美我須我多乎美受比左爾比奈爾之須米婆安禮故非爾家里
一頭云波之吉與思伊毛我須我多乎
まゐいりの、きみがすがたを、みずひさに、ひなにしすめば、あれこひにけり
朝參乃 みかどゐりの本文哥にては、此歌貴人に當れり。一説の句にては美人に當る也
同閏五月二十八日大伴宿禰家持作之
天平感寶元年閏五月六日以來小旱百姓田畝稍有凋色也至于六月朔日忽見雨雲之氣仍作雲歌一首 短歌一絶
4122 須賣呂伎能之伎麻須久爾能安米能之多四方能美知爾波宇麻乃都米伊都久須伎波美布奈乃倍能伊波都流麻泥爾伊爾之敝欲伊麻乃乎都頭爾萬調麻都流都可佐等都久里多流曾能奈里波比乎安米布良受日能可左奈禮波宇惠之田毛麻吉之波多氣毛安佐其登爾之保美可禮由苦曾乎見禮婆許己呂乎(441)伊多美彌騰里兒能知許布我其登久安麻都美豆安布藝弖曾麻都安之比奇能夜麻能多乎理爾許能見油流安麻能之良久母和多都美能於枳都美夜敝爾多知和多里等能具毛利安比弖安米母多麻波禰
反歌一首
4123 許能美由流久毛保妣許里弖等能具毛理安來毛布良奴可許己呂太良比爾
このみゆる、くもほびこりて、とのぐもり、あめもふらぬか、こゝろたらひに
許能見由流は 是見ゆる、當然見ゆると云義、今の字の心也
等能具毛利 唐にも殿雲屋雲など云事あり。その義にて、雲の一郭かたまり曇りたるを云歟。たなぐもりも同音也。先一ぺんに曇りたる義也
こゝろたらひは 心に足りうるほふ程に雨ふれと也
このみゆるは、脇より當然見ゆるをさして云ひ、彼見ゆると云ふは遠く見ゆる事を云也
右二首六月一日晩頭守大伴宿禰家持作之
賀雨落歌一首
4124 和我保里之安米波布里伎奴可久之安良波許登安氣世受杼母登思波佐可延牟
わがほりし、あめはふりきぬ、かくしあらば、ことあげせずとも、としはさかえむ
許登安氣せずとも 禮申さずとも此雨の惠みにて稻の榮えんと也
右一首同月四日大伴宿禰家持作之
七夕歌一首並短歌
4125 安麻泥良須可未能御代欲里夜洲能河波奈加爾敝太弖々牟可比太知蘇泥布利可波之伊吉能乎爾奈(442)氣加須古良和多理母理布禰毛麻宇氣受波之太爾母和多之※[氏/一]安良波曾能倍由母伊由伎和多良之多豆佐波利宇奈我既利爲※[氏/一]於母保之吉許空母加多良比那具左牟流許己呂波安良牟乎奈禰之可母安吉爾之安良禰波許等騰比能等毛之伎古良宇都世美能代人和禮母許己宇之母安夜爾久須之彌往更年能波其等爾安麻能波良布里左氣見都追伊比都藝爾須禮
反歌二首
4126 安麻能我波々志和多世良波曾能倍由母伊和多良佐牟乎安吉爾安良受得物
4127 夜須能河波許牟可比太知弖等之能古非氣奈我伎古良河都麻度比能欲曾
右七月七日仰見天漢大伴宿禰家持作之
越前國〓大伴宿禰池主來贈戯歌四首
忽辱恩賜驚欣已深心中含咲獨座稍開表裏不同相違何異推量所由率爾作策歟明知加言豈有他意乎凡資易本物其罪不輕正贓倍贓宜急並滿今勒風雲發遣後使早速報不須延回
勝寶元年十一月十二日物所資易下吏
謹訴 貿易人斷官司 廳下
別日可怜之意不能黙止聊述四詠准擬睡覺
4128 久麻久良多比能於伎奈等於母保之天波里曾多麻敝流奴波牟物能毛賀
4129 芳理夫久路等利安宜麻敝爾於吉可邊佐倍波於能等母於能夜宇良毛都藝多利
(443)はりぶくろ、とりあげまへに、おきかへさへば、おのともおのや、うらもつぎたり
於能等母於能夜 は、おくてもおもてなれど、かれもつきて見苦しきと也
かへさへは引返したればと也
4130 波利夫久路應婢都都氣奈我良佐刀其等邇天良佐比安流氣騰比等毛登賀米授
はりぶくろ、おひつゞけなから、さとごとに、てらさひあるけど、ひともとがめず
天良佐比 賣歩くと也
4131 等里我奈久安豆麻乎佐之天布佐倍之爾由可牟登於毛倍騰與之母佐禰奈之
右歌之返報歌者脱漏不得探求
更來贈歌二首
依迎驛使事今月十五日到來部下加賀郡境面蔭見射水之郷戀緒結深海之村身異胡馬心悲北風乘月徘徊曾無斷爲稍開來封其辭云著者先所奉書返畏度疑歟僕作嘱羅且悩使君夫乞水得酒從來能口論時合理何題強吏乎尋誦針袋詠詞泉酌不渇抱膝獨咲能※[益+蜀]旅愁陶然遣日何慮何思短筆不宣
嘱羅《シヨクラ》 嘱は託也。付也。羅は多言、小兒の語也。たはごとなどをあつらへ云遣せしに、反りて乞v水て酒を得たる如きの嘉言を得たりしと云意也。從來能口。論時理に合はゞ、何ぞ強吏と題せんや 此文句未詳。追考すべし
尋誦2針袋詠1 尋は次でと讀むべし。次ぎの意也
勝寶元年十二月十五日徴物下司
謹上 不仗使君紀室
先を尊稱しての義也
(444)別奉云云歌二首
4132 多多佐爾毛可爾母與己佐母夜都故等曾安禮波安利家流奴之能等能度爾
たゞさにも、かにもよこさも、やつことぞ、あれはありける、ぬしのとのとに
經にも緯にも、とにもかくにも、われは君の奴にぞありけると也。ぬしのとの、とは、君の殿外にと云義也。日本紀崇神の卷に、みわのとのとと云古語あり
4133 波里夫久路己禮波多婆利奴須理夫久路伊麻婆衣天之可於吉奈佐備勢牟
はりぶくろ、これはたばりぬ、すりぶくろ、いまはえてしか、おきなさびせむ
波里夫久路 これはたばりぬ はり袋は給りぬ、すり袋を得てし哉翁さびせんと也
須理夫久路の事不詳。何用のものか、前の歌に、草枕旅の翁と云歌に和へたる歌也
宴席詠雪月梅花歌一首
4134 由吉能宇倍爾天禮流都久欲爾烏梅能播奈乎理天於久良牟波之伎故毛我母
4135 和我勢故我許登等流奈倍爾都禰比登能伊布奈宜吉思毛伊夜之伎麻須毛
わがせこが、ことゝるなべに、つねびとの、いふなけきしも、いやしきますも
和我勢故我許登等流 琴取からに也。常人の平生云ふ歎きいやまし添ふと也
右一首少目秦伊美吉石竹館宴守大伴宿禰家持作
天平勝寶二年正月二日於國廳給饗諸郡司等宴歌一首
4136 安之比奇能夜麻能許奴禮能保與等里天可射之都良久波知等世保久等曾
あしひきの、やまのこぬれの、ほよとりて、かざしつらくば、ちとせほぐとぞ
(445)保與は穗枝なるべし、椎のみ《マヽ》やとも云事あり。是も小枝也。保與も、ほえだと云義なるべし。許ぬれは木の末也
保久とは、祝ふとぞ也
右一首守大伴宿禰家持作
判官久米朝臣廣繩之館宴歌一首
4137 牟都奇多都波流能波自米爾可久之都追安比之惠美天婆都枳自家米也母
むつきたつ、はるのはじめに、かくしつゝ、あひしゑみては、ときじけめやも
等枳自家米母 非時やも、常住如v此かもと願ふ意と聞ゆる也
年始にかく宴會をなしては常磐にかくの如くあれかしと行末を兼ねて願ふ意と聞えたり。時じくと云ふと常磐にしるく變らぬと云義也。年の初めにかく相笑みたれば、欣びの事常磐にしげく變らず宴會あるべしと祝したる歌ならん
天婆と云事は、たればと云詞に通ふ事多し。こゝも、たればとも聞ゆる也
同月五日守大伴宿禰家持作之
縁※[手偏+僉]察墾田地事宿礪波郡主張多治比部北里之家于時忽起風雨不得辭去作歌一首
4138 夜夫奈美能佐刀爾夜度可里波流佐米爾許母理都追牟等伊母爾都宜都夜
やぶなみの、さとにやどかり、はるさめに、こもりつゝむと、いもにつげつや
夜夫奈美能は地名也。許母理都追牟 籠ら慎み居る也
二月十八日守大伴宿禰
萬葉集剳記 本集卷第十八終
萬葉集剳記 卷第十九
〔446〜451、目次略〕
(452)萬葉集剳記 卷第十九
天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作歌二首
4139 春苑紅爾保布桃花下照道爾出立※[女+感]嬬
はるのその、くれなゐにほふ、もゝのはな、したてるみちに、いでたてるいも
いでたつをとめ、いで立てるをとの、兩義好むに從ふべし
4140 吾園之李花可庭爾落波太禮能未遺有可母
わがそのゝ、すもゝのはなか、にはにちる、はだれのいまだ、のこりたるかも
はだれは、雪をさして云へる也
見翻翔鴫作歌一首
4141 春儲而物悲爾三更而羽振鳴志藝誰田爾加須牟
はるまけて、ものかなしきに、さよふけて、はぶりなくしぎ、たがたにかすむ
はるまけては、春むかへて也
此歌の意にては、題の見の字無き方是ならんか
二日攀柳黛思京師歌一首
4142 春日爾張流柳乎取持而見者京之大路所思
春の日に、はれるやなぎを、とりももて、みればみやこの、おほぢおもほゆ
大路所思 此讀み樣好む所にしたがふべし。萬葉體ならば、しのばると讀むべし
(453)攀折堅香子草花歌一首
4143 物部能八十乃※[女+感]嬬等之※[手偏+邑]亂寺井之於乃堅香子之花
むのゝふの、やそのいもらが、くみまがふ、てらゐのうへの、かたかごのはな
※[手偏+邑]亂、師説は、亂の字をさむと讀めり。※[手偏+邑]は酌也と云字注あり。師案は、寺に續く縁をもつて、摘みをさむと讀めり。此歌寺井と讀める義、説々未v決、寺井の邊に堅香子の花ありしを、大勢の女共の摘み散らしたるを見て讀めると見るべし。かたかごと云名に縁をとりて、籠は、くむと云へば寺井の水を汲む緑と兼合て、くみと讀める事此歌の一體の趣向ならんか。亂の字は、みだるにても可v然歟。治むの意に用たる例、集中不v多ば普通訓に從ふべきか。他の歌を引合可v考也
見歸鴈歌二首
4144 燕來時爾成奴等鴈之鳴者本郷思都追雲隱喧
つばめくる、ときになりぬと、かりがねは、ふるさとおもひつゝ、くもがくれおく
雁がねは、かりむれと云ふ義にて、むれは、めねに通ふ也。すゞめ、かもめなど云も群類を率ゐて飛行する事の故也
4145 春設而如此歸等母秋風爾黄葉山乎不超來有米也
一云春去者歸此鴈
夜裏聞千鳥喧歌二首
4146 夜具多知爾寢覺而居者河瀬尋情毛之奴爾鳴知等理賀毛
よぐたちに、ねざめてをれば、かはせとめ、こゝろもしのに、なくちどりかも
かはせとめは、強き河瀬を尋ね求めてと云意にはあるべからず。その邊を去らずよもすがら鳴居ると云ふ義を、河瀬尋と詠める也。心もしぬに、千鳥の聲を慕ひ悲むの心も、しぬなるべし。次の歌の意を兼ねて見るべき也
(454)4147 夜降而鳴河波知登里宇倍之許曾昔人母之奴比來爾家禮
よぐたちて、なくかはちどり、うべしこそ、むかしのひとも、しのびきにけれ
今千鳥の聲を聞くに、尤にこそ昔の人も忍び悲み來れりとの意也
聞曉鳴※[矢+鳥]歌二首
4148 相野爾左乎騰流※[矢+鳥]灼然啼爾之毛將哭己母利豆麻可母
すぎののに、さをどるきゞす、いちじろく、ねにしもなかむ、こもりづまかも
將哭は、きゞすの鳴たるは何にて鳴くらん、こもり妻を慕ひて音に立て鳴くならんとの意なるべし。妻を戀ふより、躍り隱れるをも、いちじるく音に立てこもり妻を慕ひ鳴くならんとの意也。こもり妻とは慕ひこふ戀と云ふ名目なるべし。あらはれぬ義、しのび戀ふ妻と云義に、こもりづまとは讀めるならん
4149 足引之八峯之※[矢+鳥]鳴響朝關之霞見者可奈之母
あしひきの、やつをのきゞす、なきどよむ、あさけのかすみ、みればかなしも
景色の歎情を云へる也 八峰、此峰の字、岑の字の誤り歟。且八みねと讀むべき歟。下に、鳴どよみを讀めるにかゝれるか
遙聞泝江船人唱歌一首
4150 朝床爾聞者遙之射水河朝己藝思都追唱船人
三日守大伴宿禰家持之館宴歌三首
4151 今日之爲等思標之足引乃峯上云櫻如此開爾家里
4152 奥山之八峯乃海石榴都婆良可爾今日者久良佐禰大夫之徒
(455)おくやまの、やつおのつばき、つばらかに、けふはくらさね、ますらをのとも
都婆良可爾 懇切の意也。委曲と云ふ意に通ふて也
4153 漢人毛※[木+戊]浮而遊云今日曾和我勢故花縵世奈
八日詠白大鷹歌一首並短歌
4154 安志比奇能山坂超而去更年緒奈我久科坂在故意爾之須米婆大王之敷坐國者京師乎母此間毛於夜自等心爾波念毛能可良語左氣見左久流人眼乏等於毛比志繁曾己由惠爾情奈具也等秋附婆芽子開爾保布石瀬野爾馬太伎由吉底乎知許知爾鳥布美立白塗之小鈴毛由良爾安波勢也里布里左氣見都追伊伎騰保流許己呂能宇知乎思延宇禮之備奈我良枕附都麻屋之内爾鳥座由比須惠※[氏/一]曾我飼眞白部乃多可
あしひきの、やまさかこえて、ゆきかへる、としのをながく、しなさかる、こしにしすめば、おほきみの、しきますくには、みやこをも、こゝもおやじと、こゝろには、おもふものから、ことばさけ、みさくるひとめ、ともしみと、おもひししげし、そこゆゑに、こゝろなぐやと、あきづけば、はきさきにほふ、いはせのに、うまたぎゆきて、をちこちに、とりふみたてゝ、しらぬりの、こすゞもゆらに、あはせやり、ふりさけみつつ、いきどほる、こゝろのうちを、おもひのべ、うれしびながら、まくらづく、つまやのうちに、とぐらゆひ、すゑてぞわがかふ、ましらふのたか
こゝろにはおもふものから、心には同じと思ふものながら、遠ざかり見る事も人めともしくてと也
うまたぎは、うまたぐる也
いきどほるは、古郷を慕ひ、いきどふるの心をのばへ、慰むると也
反謌
(456)4155 矢形尾乃麻之路能鷹乎屋戸爾須惠可伎奈泥見都追飼久之奈志毛
潜※[盧+鳥]歌一首
4156 荒玉能年往更春去者花耳爾保布安之比奇能山下響堕多藝知流辟田乃河瀬爾年魚兒狹走島津鳥※[盧+鳥]養等母奈倍可我理左之奈津左比由氣波吾妹子我可多見我※[氏/一]良等紅之八鹽爾染而於己勢多流服之襴毛等寶利※[氏/一]濃禮奴
反歌
4157 紅衣爾保波之辟田河絶己等奈久吾等看牟
4158 毎年爾點之走婆佐伎多河※[盧+鳥]八頭可頭氣※[氏/一]河瀬多頭禰牟
としのはに、あゆしはしれば、さきたがは、うやつかづきて、かはせたづねむ
可頭氣※[氏/一] かづかせて也。かせの約け也
季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上屬目物花之詠並興中所作之歌
過澁溪崎見巖上樹歌一首 樹名都萬麻
4159 礒上之都萬麻乎見者根乎延而年深有之神佐備爾家理
都萬麻、未詳
悲世間無常歌一首並短歌
4160 天地之遠始欲俗中波常無毛能等語續奈我良倍伎多禮天原振左氣見婆照月毛盈具之家里安之比奇能山之木末毛春去婆花開爾保比秋都氣婆露霜負而風交毛美知落家利宇都勢美母如是能未奈良之(457)紅能伊呂母宇都呂比奴婆多麻能黒髪變朝之咲暮加波良比吹盤能見要奴我其登久逝水能登麻良奴其等久常毛奈久宇都呂布見者爾波多豆美流※[さんずい+帝]等騰米可禰都母
反歌
4161 言等波奴木尚春開秋都氣波毛美知遲良久波常乎奈美許曾
一云常無牟等曾
4162 宇都世美能常無見者世間爾情都氣受※[氏/一]念日曾於保伎
うつせみの、つねなきみれば、よのなかに、こゝろつきずて、おもふひぞおほき
情都氣受※[氏/一] 不2心盡1也。なげきかなしみの重り不v盡との義也。氣の字、きと讀める例追而可v考
一云嘆日曾於保吉
豫作七夕歌一首
4163 妹之袖和禮枕可牟河湍爾霧多知和多禮左欲布氣奴刀爾
いもがそで、われまくらせむ、かはのせに、きりたちわたれ、さよふけぬとに
可牟の字せんと讀む事、可の字は、下知、令する詞の字故せと讀む事義訓也
刀爾は、時になるべし。萬の字の誤には不v可v布也。愚案、爾の字は歎の詞、助語とも見るべき歟。よふけぬと霧たちわたれと讀める歌と聞ゆる也。爾の字、歟の詞に用る事あまたあり
慕振勇士之名歌一首並短歌
4164 知智之實乃父能美許等波播蘇葉乃母能美己等於保呂可爾情盡而念良牟其子奈禮夜母丈夫夜無奈(458)之久可在梓弓須惠布理於許之投矢毛知千尋射和多之釼刀許思爾等理波伎安之比奇能八峯布美越左之麻久流情不障後代乃可多利都具倍久名乎多都倍志母
ちちのみの、ちゝのみこと、はゝそはのはゝのみこと、おほろかに、こゝろつくして、おもふらむ、そのこなれやも、ますらをや、むなしくあるべき、あづさゆみ、すゑふりおこし、なぐやもち、ちひろいわたし、つるぎたち、こしにとりはき、あしひきの、やつをふみこえ、さしまくる、こゝろさはらず、のちのよの、かたりつぐべく、なをたつべしも
ちゝの木と云ふもの一種あり。仙覺抄に出せり。葉は李の木に似て實は栗桃の如し
おほろかに 疎かに思ふ子なれや、子にはあらず、情をつくして育て養育せし子と也
投矢、師案、鳴鏑の事と見えたり。淵案、殺の字の誤かと也。投矢といふ名目未2所見1也
左之麻久流は、師案は、廻りと解せり。然れども任の意と見ゆる也。軍旅の任に被v任、まくると見えたり
反歌
4165 丈夫者名乎之立倍之後代爾聞繼人毛可多里都具我禰
右二首追和山上憶良臣作歌
詠霍公鳥並時花謌一首並短歌
4166 毎時爾伊夜目都良之久八千種爾草木花左伎喧鳥乃音毛更布耳爾開眼爾視其等爾宇知歎之奈要宇良夫禮之努比都追有爭波之爾許能久禮罷四月之立者欲其母理爾鳴霍公鳥從古昔可多理都藝都流※[(貝+貝)/鳥]之宇都之眞子可母菖蒲花橘乎※[女+感]嬬良我珠貫麻泥爾赤根刺晝波之賣良爾安之此奇乃八丘飛超夜干玉之夜者須我良爾曉月爾向而徃還喧等余牟禮杼何如將飽足
(459)ときごとに、いやめづらしく、やちぐさに、くさきはなさき、なくとりの、こゑもかはらふ、みゝにきゝ、めにみるごとに、うちなげき、しなゆうらぶれ、しのびつゝ、あらそふはしに、このくれやみ、うづきしたてば、よごもりに、なくほゝぎす、むかしより、かたりつぎつる、うぐひすの、うつしまこかも、あやめぐさ、はなたちばなを、をとめらが、たまぬくまでに、あかねさす、ひるはしめらに、あしびきの、やつをとびこえ、ぬばたまの、よるはすがらに、あかつきの、つきにむかひて、ゆきかへり、なきどよむれど、いかゞあきたらむ
何の歌か追而可v考也
有爭波之は、萬花百鳥競ふ間と云義なるべし
宇都之は賞美の詞也
之賣長爾 ひねもすと云義と同じ
反歌二首
4167 毎時彌米頭良之久咲花乎折毛不折毛見良久之余志母
4168 毎年爾來喧毛能由惠霍公鳥聞婆之努波久不相日乎於保美 毎年謂之等之乃波
右二十日雖未及時依興豫作也
爲家婦贈在京尊母所誂作歌一首並短歌
4169 霍公鳥來喧五月爾咲爾保布花橘乃香吉於夜能御言朝暮爾不聞日麻禰久安麻射可流夷爾之居者安之比奇乃山乃多乎里爾立雲乎余曾能未見都追嘆蘇良夜須家久奈久爾念蘇良苦伎毛能乎奈呉乃海部之潜取云眞珠乃見我保之御面多太向將見時麻泥波松柏乃佐賀延伊麻佐禰尊安我吉美【御面謂之美於毛和】
ほとゝぎす、きなくさつきに、さきにほふ、はなたちばなの、かをよしみ、おやのみことの、あさゆふに、きかぬひまなく、(460)あまさかる、ひなにしをれば、あしひきの、やまのたをりに、たつくもを、よそのみみつゝ、なげくそら、やすけくなくに、おもふそら、くるしきものを、なごのあまの、かづきとるてふ、しらたまの、みかほしみおもわ、たゞむかひ、みむときまでは、まつかへの、さかえいまさね、たふときあがきみ
山乃多乎里爾は、た|は《マヽ》みの事也
反歌一首
4170 白玉之見我保之君乎不見久爾夷爾之乎禮婆伊家流等毛奈之
二十四日應立夏四月節也因此二十三日之暮忽思霍公鳥曉喧聲作歌二首
4171 常人毛起都追聞曾霍公鳥此曉爾來喧始音
つねびとも、おきつゝきくぞ、ほとゝぎす、このあかつきに、きなくはつこゑ
世の常の人もと云意にて、世の人とも讀まんか。又なべての人もと云意也
4172 霍公鳥來鳴響者草等良牟花橘乎屋戸爾波不殖而
ほとゝぎす、きなきどよまば、くさとらむ、はなたちばなを、やどにはうえずとも
草等良牟 草を取て待請けんの意也。花橘は植ゑねどもと云意也。而と云字、どもと讀事珍敷也
贈京丹比家歌一首
4173 妹乎不見越國敝爾經年婆吾情度乃奈具流日毛無
いもをみず、こしのくにべに、としふれば、わがこゝろとの、なぐるひもなし
吾情度乃 度は利の意、慕ふ心の、荒びすさむ心の、なだむる事なきと也
追和筑紫太宰之時春花梅歌一首
(461)花の字、淵案、苑の字か、尤可v然也
4174 春裏之樂終者梅花手折乎伎都追遊爾可有
はるのうちの、たのしみをへば、うめのはな、たをりおきつゝ、あそぶにかあらむ
春中の樂しみを盡すは、梅花を手折に來て、遊ぶにてあらんとの意也
手折乎伎 此乎の字は、手の字の誤か。發語の乎歟。兩方の内なるべし。置の字には不v可v有也
右一首二十七日依興作之
詠霍公鳥歌二首
4175 霍公鳥今來喧曾無菖蒲可都良久麻泥爾加流流日安良米也 毛能波三箇辭闕之
ほとゝぎす、いまきなきそむ、あやめぐさ、かづらくまでに、かるゝひあらめや
かづらく、※[草冠/縵]著まで聲不v絶、毎日鳴けと也。かづらくむ迄、隱るゝの兩義にも見ゆる也
毛能波といふ三つの詞なき歌と云義也。此歌右三つの詞なき也
4176 我門徒喧過度霍公鳥伊夜奈都可之久雖聞飽不足 毛能波※[氏/一]爾乎六箇辭闕之
わがかどゆ、なきすぎわたる、ほとゝぎす、いやなつかしく、きけどあきたらず 從と云字、にと續かず、ゆと讀める證にもなるべし。赤人の、田子の浦從と同じ
四月三日贈越前判官大伴宿禰池主霍公鳥歌不勝感舊之意述懷一首並短歌
4177 和我勢故等手携而曉來者出立向暮去者振放見都追念鴨見奈疑之山爾八峯爾波霞多奈婢伎谿敝爾波海石榴花咲宇良悲春之過者霍公鳥伊也之伎喧奴獨耳聞婆不怜毛君與吾隔而戀流利波山飛超去而明立者松之佐枝爾暮去者向月而菖蒲玉貫麻泥爾鳴等余米安寢不令宿君乎奈夜麻勢
(462)わがせこと、てたづさはりて、あけくれば、いでたちむかひ、ゆふされば、ふりさけみつゝ、おもふかも、みなぎしやまに、やつをには、かすみたなびき、たにべには、つばきはなさき、うらがなし、はるのすぐれば、ほとゝぎす、いやしきなきぬ、ひとりのみ、きけばさびしも、きみとわれ、へだてゝこふる、となみやま、とびこえゆきて、あけたたば、まつのさえだに、ゆふされば、つきにむかひて、あやめぐさ、たまぬくまでに、なきどよめ、やすいしなさで、きみをなやませ
念鴨 おもひをみなぎ、心をやはらげし山と云意也。見なぎし山、地名には不v可v有也。見なぎし心、やはらぎし山と云ふ意也
利波山 越中越前ともに利波山と云所あり。家持は越中守池主は越前判官也
安寢不令宿、やすいもさせず也。池主の方へ行て安寢もさせず、家持一人計り聞くは寂しきと也
反歌
4178 吾耳聞婆不怜毛霍公鳥丹生之山邊爾伊去鳴爾毛
4179 霍公鳥夜喧乎爲管我世兒乎安宿勿令寢由米情在
ほとゝぎす、よなきをしつゝ、わがせこを、やすいしなずて、ゆめこゝろあれ
やすいもさせでと讀むべし
我計り聞は寂しき程に、池主の方へも行て、やすいもさせそ、鳴きどよみ令v爲v起と也
不飽感霍公鳥之情述懷作歌一首並短歌
4180 春過而夏來向者足檜木乃山呼等余米左夜中爾鳴霍公鳥始音乎聞婆奈都可之菖蒲花橘乎實交可頭良沼久麻而爾里響喧渡禮騰母尚之努波由
はるすぎて、なつきむかへば、あしひきの、やまよびどよめ、さよなかに、なくほとゝぎす、はつこゑを、きけばなつかし、(463)あやめぐさ、はなたちばなを、ぬきまじへ、かつらぬぐまでに、さとどよみ、なきわたれども、なほしゝのばゆ
此歌、奧二十三葉に和へ歌あり。此妹と云は、家持の妻の事にて、歌は家持妹の歌と聞えたり。家持の妻へ家持妹の贈る也
反歌三首
4181 左夜深而曉月爾影所見而喧霍公鳥聞者夏借
4182 霍公鳥雖聞不足網取爾獲而奈都氣奈可禮受鳴金
4183 霍公鳥飼通良婆今年經而來向夏波麻豆將喧乎
從京師贈來歌一首
4184 山吹乃花執持而都禮毛奈久可禮爾之妹乎之努比都流可毛
右四月五日從留女之良所送也 女良はいらつ女と讀むべきか
詠山振花歌一首並短歌
4185 宇都世美波戀乎繁美登春麻氣※[氏/一]念繁波引攀而折毛不折毛毎見情奈疑牟等繁山之谿敝爾生流山振乎屋戸爾引植而朝露爾仁保敝流花乎毎見念者不止戀志繁母 江家
反詠
4186 山吹乎屋戸爾植※[氏/一]波見其等爾念者不止戀己曾益禮
六日遊覧布勢水海作歌一首並短歌
4187 念度知大夫能許能久禮繁思乎見明良米情也良牟等布勢乃海爾小船都良奈米眞可伊可氣伊許藝米具禮婆乎布能浦爾霞多奈妣伎垂姫爾藤波咲而濱淨久白波左和伎及及爾戀波末佐禮杼今日耳飽足(464)米夜母如是己曾彌年能波爾春花之繁盛爾秋葉能黄色時爾安里我欲比見都追思努波米此布勢能海乎
おもふどち、ますらをのこの、このくれに、しげきおもひを、みあきらめ、こゝろやらむと、ふせのうみに、をぶねつらなめ、まかいかけ、いこぎめぐれば、をふのうらに、かすみたなびき、たるひめに、ふぢなみさきて、はまきよく、しらなみさわぎ、しく/\に、こひはまされど、けふのみに、あきたらめやも、かくしこそ、いやとしのはに、はるはなの、しげきさかりに、あきのはの、もみづるときに、ありかよひ、みつゝしのばめ、このふせのうみを
都良奈米 連並也。奈米はね也。只つらねにても義同じ也
反歌
4188 藤奈美能花盛爾如此許曾浦己藝廻都追年爾之努波米
ふぢなみの、はなのさかりに、かくしこそ、うらこぎへつゝ、としにしのばめ
浦己藝廻 うらこぎまきとか、たみとか。點本にこぎへつゝとはいかゞ。可v考
贈水鳥越前判官大伴宿禰池主歌一首並短歌
4189 天離夷等之在者彼所此間毛同許己呂曾離家等之乃經去者宇都勢美波物念之氣思曾許由惠爾情奈具左爾霍公鳥喧始昔乎橘珠爾安倍貫可頭良伎※[氏/一]遊波之母麻須良乎等毛毛奈倍立而叔羅河奈頭左比泝平瀕爾波左泥刺渡早湍爾波水鳥乎潜都追月爾日爾之可志安蘇婆禰波之伎和我勢故 江家
あまさかる、ひなとしあれば、そここゝも、おなじこゝろぞ、いへさかり、としのへゆけば、うつせみは、ものおもひしげし、そこゆゑに、こゝろなぐさに、ほとゝぎす、なくはつこゑを、たちばなの、たまにあへぬき、かづらきて、たはるればしも、ますらをゝ、ともなへたてゝ、しくらがは、なづさひのぼり、ひらせには、さでさしわたし、はやせには、うをしづめつ(465)ゝ、つきにひに、しかしあそばね、はしきわがせこ
あまさかるは、今云ふひなにの意也
遊波之母は、あそべればしもと讀まんか
4190 叔羅河湍乎尋都追和我勢故波宇河波多多佐禰情奈具佐爾 江家
しくらがは、せをたづねつゝ、わがせこは、うがはたゝさね、こゝろなぐさに
うがはたゝさね、たつと云ふは鵜を使ふ名目也
4191 ※[盧+鳥]河立取左牟安由能之我婆多婆吾等爾可伎無氣念之念婆
うがはたち、とらさむあゆの、しがはたは、われにかきむけ、おもひしおもはゞ
之我婆多婆は、背の腸は也
可伎無氣は、腸をかきまぜてわれにおくれとの義也。かきは言葉歟。婆と和との通ひもいかゞ、可2後案1也。下の婆の波の誤ならんと也。拾穗抄には、之我はそれが也。はたは初穗と云ふ義と也。難解也。可v有2後案1詞也。和名抄に、鳥魚氷頭背腸と云事あり
右九日附使贈之
詠霍公鳥並藤花一首並短歌
4192 桃花紅色爾爾保比多流面輪能宇知爾青柳乃細眉根乎咲麻我理朝影見都追※[女+感]嬬良我手爾取持有眞鏡盖上山爾許能久禮乃繁溪邊乎呼等米爾且飛渡暮月夜可蘇氣伎野邊遙遙爾喧霍公鳥立久久等羽觸爾知良須藤浪乃花奈都可之美引攀而袖爾古伎禮都染婆染等母
もゝのはな、くれなゐいろに、にほひたる、おもわのうちに、あをやぎの、ほそきまゆねを、ゑみまがり、あさかげみつゝ、(466)をとめらが、てにとりもたる、まそかゞみ、ふたかみやまと、このくれの、しげきたにべを、よびとめに、あさとびわたり、ゆふづきよ、かそけきのべに、はる/”\に、なくほとゝぎす、たちくゞと、はぶれにもらす、ふぢなみの、はななつかしみ、ひきよぢて、そでにこきれつ、そまばそむとも
呼等米爾、よびとめにとは、霍公鳥なき尋ねてとの義と見るべきか。尚後案すべし。誤字轉動あるべきか。未v詳詞也。可蘇氣伎は、幽に也
4193 霍公鳥鳴羽觸爾毛落爾家利盛過良志藤奈美能花
一云落奴倍美袖爾古伎禮都藤波乃花也
同九日作之
更怨霍公鳥哢晩歌三首
4194 霍公鳥喧渡奴等告禮騰毛吾聞都我受花波須疑都追
4195 吾幾許斯奴波久不知爾霍公鳥伊頭敝能山乎鳴可將超
わかこゞた、しのばくしらに、ほとゝぎす、いづへのやまを、なきかこゆらむ
伊頭敝のへは、禮也。第二卷目の、何邊も禮なるべし。追而可2考合1也
4196 月立之日欲里乎伎都追敲自努比麻低騰伎奈可奴霍公鳥可母
贈京人歌二首
4197 妹爾似草等見之欲里吾標之野邊之山吹誰可手乎里之
4198 都禮母奈久可禮爾之毛能登人者雖云不相日麻禰美念曾吾爲流
此歌は前の和歌也
(467)右爲贈留女之女郎所誂家婦作也女郎者即大伴家持之妹
十二日遊覽布勢水海船泊於多祐灣望見藤花各述懐作歌四首
灣は、ウラと可v讀歟
4199 藤奈美能影成海之底清美之都久石乎毛珠等曾吾見流
ふぢなみの、かげなるうみの、そこきよみ、しづくいしをも、たまとぞわがみる
影成、かげなる也。蔭の字の意也
守大伴宿禰家持
4200 多祐乃浦能底左倍爾保布藤奈美乎加射之※[氏/一]將去不見人之爲
たこのうらの、そこさへにほふ、ふぢなみを、かざしてゆかむ、みぬひとのため
將去、ゆかんと可v讀
次官内藏忌寸繩麻呂
4201 伊佐左可爾念而來之乎多祐乃浦爾開流藤見而一夜可經
いさゝかに、おもひてこしを、たこのうらに、さけるふぢみて、ひとよへぬべし
可經 へぬべし
判官久米朝臣廣繩
4202 藤奈美乎借廬爾造灣廻爲流人等波不知爾海部等可見良牟
ふぢなみを、かりほにつくり、あさりする、ひととはしらに、あまとかみらむ
灣廻租爲流、印本の點はアサリと訓ず、不審。淵案、浦みすると可v訓か。めぐりの中略美也
(468)久米朝臣繼麻呂
恨霍公鳥不喧歌一首
4202 家爾去而奈爾乎將語安之比奇能山霍公鳥一音毛奈家
いへにゆきて、なにをかたらむ、あしひきの、やまほとゝぎす、ひとこゑもなけ
一音毛奈家 古詠の風格也。今時は、かなと可v讀也
判官久米朝臣廣繩
見攀折保寶葉歌二首
4204 吾勢故我捧而持流保寶我之婆安多可毛似加青蓋
わがせこが、さゝげてもたる、ほゝがしは、あだかもにるか、あをききぬがさ
保寶葉 ほゝかしは、ほゝの木の事也。廣葉也。かしはの葉の如し。和名に厚朴とあり
講師僧惠行
4205 皇祖神之遠御代三世波射布折酒飲等伊布曾此保寶我之波
すめろぎの、とほきみよみよ、はいしきをり、さけのむといふぞ、このほゝかしは
射布折 印本の假名は、いひきをりとあり。布の字引と讀める事は不v考。いしき居か。端作に攀折とある故ひきをりと假名をつけしか。淵案、常に折てと云義か。上古は質素なる故常に柏を折取て酒宴せしとの意歟。しきは常と云義也
守大伴宿禰家持
還時濱上仰見月光歌一首
4206 之夫多爾乎指而吾行此濱爾月夜安伎※[氏/一]牟馬之末時停息
(469)しぶたにを、さしてわがゆく、このはまに、つきよあきてむ、うまましとめよ
月夜 月に飽きて行かんと也。停息の二字、とめよと讀むべし
守大伴宿禰家持
二十二日贈判官久米朝臣廣繩霍公鳥歌怨恨歌一首並短歌
4207 此間爾之※[氏/一]曾我比爾所見和我勢故我垣都能谿爾安氣左禮婆榛之狹枝爾暮左禮婆藤之繁美爾遙遙爾鳴霍公鳥吾屋戸能殖木橘花爾知流時乎麻多之美伎奈加奈久曾許波不怨之可禮杼毛谷可多頭伎※[氏/一]家居有君之聞都都追氣奈久毛宇之
こゝにして、そがひにみゆる、わがせこが、かきつのたにゝ、あけされば、ならのさえだに、ゆふされば、ふぢのしげみに、より/\に、なくほとゝぎす、わがやどの、うゑきたちばな、はなにちる、ときをまだしみ、きなかなく、そこはうらみず、しかれども、たにかたづきて、いへゐせる、きみがきゝつゝ、つげなくもうし
安氣左禮婆 明らかになれば也。左は濁也。時乎麻多之美、多は濁音也。谷片付ば、谷へ添て也。山かたづき浦かたづきなど同じ義也
反歌一首
4208 吾幾許麻※[氏/一]騰來不鳴霍公鳥比等里聞都追不告君可母
詠霍公鳥歌一首並短歌
4209 多爾知可久伊敝波乎禮騰母許太加久※[氏/一]佐刀波安禮騰母保登等藝須伊麻太伎奈加受奈久許惠乎伎可麻久保里登安志太爾波可度爾伊※[氏/一]多知由布敝爾波多爾乎美和多之古布禮騰毛比等己惠太爾母(470)伊麻太伎己要受
4210 敷治奈美乃志氣里波須疑奴安志比紀乃夜麻保登等藝須奈騰可伎奈賀奴
右二十三日〓久米朝臣廣繩和
追和處女墓歌一首並短歌
4211 古爾有家流和射乃久須婆之伎事跡言繼知努乎登古宇奈比壯子乃宇都勢美能名乎競争登玉尅壽毛須底※[氏/一]相爭爾嬬問爲家留※[女+感]嬬等之聞者悲左春花乃爾太要盛而秋葉之爾保比爾照有惜身之莊尚大夫之語勞美父母爾啓別而離家海邊爾出立朝暮爾滿來潮之八隔浪爾靡珠藻乃節間毛惜命乎露霜之過麻之爾家禮奥墓乎此間定而後代之聞繼人毛伊也遠爾思努比爾勢餘等黄楊小櫛之賀左志家良之生而靡有
いにしへに、ありけるわざの、くすはしき、ことゝいひつぎ、ちぬをとこ、うなひたけをの、うつせみの、なをあらそふと、たまきはる、いのちもすてゝ、あらそふに、つまどひしける、をとめらが、きけばかなしさ、はるはなの、にほえさかえて、あきのはの、にほひにてれる、をしきみの、さかりなるすら、ますらをの、こといたはしみ、ちゝはゝに、まうしわかれて、いへさかり、へたにいでたち、あさゆふに、みちくるしほの、やへなみに、なびくたまもの、つかのまも、をしきいのちを、つゆしもの、すぎましにける、おきつきを、こゝまさだめて、のちのよの、きゝつぐひとも、いやとほに、しのびにせよと、つげをぐし、しかさしけらし、おひてなびけり
第九卷にある歌の追加也
久須婆伎は狂はしき也。爾太要、太の字本の字の誤歟。新穗枝と云事にて、爾本要と書ける歟。師案は、爾は彌の誤字、要は禮と通ひ、みだれと云義と也。未詳、可2後案1也。太は奈也。奈は乃也。新の枝か
(471)知努宇奈比 地名也。海邊、印本へたと讀ませたり。へたは古語也。義は同じ
語勞美、こといたはしみ也
過麻之 死したる義を云へり。之賀、汝が也
4212 乎等女等之後能表跡黄楊小櫛生更生而靡家良思母
をとめらが、のちのしるしと、つげをぐし、おひかはりおひて、なびきけらしも
生更生 年久しく生じ替りて于v今あると云意也
右五月六日依興大伴宿禰家持作之
4213 安由乎疾美奈呉能浦廻爾與須流浪伊夜千重之伎爾戀渡可母
右一首贈京丹比家
挽歌一首並短歌
4214 天地之初時從宇都曾美能八十伴男者大王爾麻都呂布物跡定祐官爾之在者天皇之命恐夷放國乎治等足日木山河阻風雲爾言者雖通正不遇日之累者思戀氣衝居爾王桙之道來人之傳言爾吾爾語良久波之伎餘之君者比來宇良佐備※[氏/一]嘆息伊麻須世間之厭家口都良家苦開花毛時爾宇都呂布宇都勢美毛無常阿里家利足千根之御母之命何如可毛時之波將有乎眞鏡見禮杼母不飽珠緒之惜盛爾立霧之失去如久置露之消去之如玉藻成靡許伊臥逝水之留不得常枉言哉人之云都流逆言乎人之告都流梓弧爪夜音之遠音爾毛聞者悲彌庭多豆水流涕留可禰都母
反歌二首
(472)4215 遠音毛君之痛念跡聞都禮婆哭耳所泣相念吾者
4216 世間之無常事者知良牟乎情盡莫大夫爾之※[氏/一]
右大伴宿禰家持弔聟南右大臣家藤原二郎之喪慈母患也【五月二十七日】
拾穗抄の奥書は目録の通に書けり。可v然か
霖雨晴日作歌一首
4217 宇能花乎令腐霖雨之始水逝縁木積成將因兒毛我母
うのはなを、くたすながめの、みづばなに、よるこづみなし、よらむこもかも
始水逝、印本みづばなと讀めり。師案、なごりにはと讀むべきかと也。未v決可2後案1也
歌の意は、もくずなどよる如く寄來兒も哉と也
見漁夫火光歌一首
4218 鮪衛等海人之燭有伊射里火之保爾可將出吾之下念乎
しひつくと、あまのともせる、いさりびの、ほにかいでなむ、わがしたおもひを
保爾可將出 いでなんか。いづらんか
右二首五月
4219 吾屋戸之芽子開爾家理秋風之將吹乎待者伊等遠彌可母
右一首六月十五日見芽子早花作之
從京師來贈歌一首并短歌
(473)4220 和多都民能可味能美許等乃美久之宜爾多久波比於伎※[氏/一]伊都久等布多麻爾末佐里※[氏/一]於毛敝里之安我故爾波安禮騰宇都世美乃與能許等和利等麻須良乎能比伎能麻爾麻爾之奈謝可流古之地乎左之※[氏/一]波布都多能和我禮爾之欲里於吉都奈美等乎牟麻欲比伎於保夫禰能由久良由久良耳於毛可宜爾毛得奈民延都都可久古非婆意伊豆久安我未氣太志安倍牟可母
わたつみの、かみのみことの、みくしげに、たくはひおきて、いつくとふ、たまにまさりて、おもへりし、あがこにはあれど、うつせみの、よのことわりと、ますらをの、ひきのまにまに、しなさかる、こしぢをさして、はふつたの、わかれにしより、おきつなみ、とをむまよひき、おぼぶねの、ゆくらゆくらに、おもかげに、もとなみえつゝ、かくこひば、おいづくあがみ、けだしあへむかも
等乎牟麻欲比伎 此句不v詳。可2後案1也。浪のうね/\するをたわむと云か。等乎牟は、タワムか。下は眉引か。下におもかけとあれば可v有2後案1歌也
由久良々々々、由良々々也。殊に女子を戀慕ふ歌也
意伊豆久 老付也。ツクは、ものに追付く義也
氣太志安倍牟可母 大方えこたへまじきとの意也。あへむは不v堪也
反歌一首
4221 可久婆可里古非之久志安良婆末蘇可我彌美奴比等吉奈久安良麻之母能乎
右二首大伴氏坂上郎女賜女子大孃也
九月三日宴歌二首
4222 許能之具禮伊多久奈布里曾和藝毛故爾美勢牟我多米爾母美知等里※[氏/一]牟
(474)右一首〓久米朝臣廣繩作之
4223 安乎爾與之奈良比等美牟登和我世故我之米家牟毛美知都知爾於知米也母
あをによし、ならびとみむと、わがせこが、しめけむもみぢ、つちにおちめやも
奈良比等美牟登は、人に見せん爲と也
右一首守大伴宿禰家持作之
4224 朝霧之多奈引田爲爾鳴鴈乎留得哉吾屋戸能波義
あさぎりの、たなびくたゐに、なくかりを、とゞめえてむや、わがやどのはぎ
とゞめもえんやと讀むべきか。哉の字、かなと讀める例可v考。有v之ば、とゞめもえんかなと讀むべし。印本の假名の通は讀難し
右一首歌者幸於吉野宮之時藤原皇后御作但年月未審詳
十月五日河邊朝臣東人傳誦云爾
十月五日は此歌へ付る古注也
4225 足日木之山黄葉爾四頭久相而將落山道乎公之越麻久
あしひきの、やまのもみぢに、しづくあひて、ちらむやまぢを、きみがこえまく
しづくあひては、この雫と共に散らん紅葉と也
右一首同月十六日餞之朝集使少月秦伊美吉石竹時守大伴宿禰家持作之
雪日作歌一首
4226 此雪之消遺時爾去來歸奈山橘之實光毛將見
(475)このゆきの、けのこるときに、いさかへな、やまたちばなの、みのてるもみむ
去來歸奈 いさゆかなと讀むべき歟。歸るをも行と云へる事多し
右一首十二月大伴宿禰家持作之
4227 大殿之此廻之雪莫蹈禰數毛不零雪曾山耳爾零之雪曾由米縁勿人哉莫履禰雪者
おほとのゝ、このもとほりの、ゆきなふみそね、しぼ/\も、ふらざるゆきぞ、やまのみに、ふらししゆきぞ、ゆめよるなひとや、なふみそねゆきは
數毛不零は、山計りに少し計り降りて、大殿のめぐりは少き雪なる程にと也。しば/\もとは、多分に不v降との義也
反歌一首
4228 有都都毛御見多麻波牟曾大殿乃此母等保里能雪奈布美曾彌
ありつゝも、おみゝたまはむぞ、おほとのゝ、このもとほりの、ゆきなふみそね
御見多麻波牟曾は、君見給はんぞ也。御の字、淵案、卿の字歟
右二首歌者三形沙彌承贈左大臣藤原此卿之語作誦之也聞之傳者笠朝臣子君復後傳讀者越中國〓久米朝臣廣繩是也
此左注不審、此卿の事追而可v考
天平勝寶三年
4229 新年之初者彌年爾雪蹈平之常如此爾毛我
右一首歌者正月二日守館集宴於時零雪殊多積有四尺焉即主人大伴宿禰家持作此歌也
4230 落雪乎腰爾奈都美※[氏/一]參來之印毛有香年之初爾
(476)右一首三日會集介内藏忌寸繩麻呂之館宴樂時大伴宿禰家持作之
于時積雪彫成重巌之起寄巧綵發草樹之花屬此掾久米朝臣廣繩作歌一首
4231 奈泥之故波秋咲物乎君宅之雪巖爾左家利家流可母
なでしこは、あきさくものを、きみがいへの、ゆきのいはほに、さけりけるかも
此歌積雪草樹の花を、綵發と云ふ端書によりて詠める也。なでしこは岩根巖に咲もの故持出して、秋咲ものなるに、雪の岩ほの上に咲けるは珍しき哉と、積雪を花に見立てたる歌也
師説は、雪はと讀ませたり。義同意か。追而可2沈吟1也
遊行女婦蒲生娘子歌一首
4232 雪島巖爾殖有奈泥之故波千世爾開奴可君之挿頭爾
ゆきしまの、いはほにおふる、なでしこは、ちよにさきぬか、きみがかざしに
干世爾開奴可は雪嶋の巖に立てる花故、千世にも咲けるかと也。一説、咲かぬかと願ふ意をこめたる點あり。古語の一體か、兩義可v考
于是諸人酒酣更深鷄鳴因此主人内藏伊美吉繩麻呂作歌一首
4233 折羽振鷄者鳴等母如此零敷雪爾君伊麻左米也母
うちはふり、とりはなくとも、かくばかり、ふりしくゆきに、きみいまさめやも
鷄者鳴等母は、鳥は鳴けども也
君伊麻左米也母は、往にまさめやも也。如v此零雪には明けてもいかでいにまさめやもと止めたる意也
守大伴宿禰家持和歌一首
(477)4234 鳴鷄者彌及鳴杼落雪之千重爾積許曾吾等立可※[氏/一]禰なくとりは、いやしきなけど、ふるゆきの、ちへにつむこそ、われたちがてね
立可※[氏/一]禰は、かねぬ、かてぬと云意也。ぬれの約にても通ふ也
太政大臣藤原家之縣犬養命歸奉天皇歌一首
4235 天雲乎富呂爾布美安多之鳴神毛今日爾益而可之古家米也母
あまぐもを、ほろにふみあたし、なるかみも、けふにまさりて、かしこけめやも
富呂爾布美安多之 ほろには鳴く音也。ほとろくと云へる古語もあり。あたしは、あれる方と云義か。語釋未v考。歌の意は、天皇の御徳化を畏れかしこめる義也。鳴神よりも恐しきと也
右一首傳誦〓久米朝臣廣繩也
悲傷死妻歌一首並短歌 作主未詳
4236 天地之神者無可禮也愛吾妻離流光神鳴波多者嬬携手共將有等念之爾情違奴將言爲便將作爲便不知爾木綿手次肩爾取掛倭父幣乎手爾取持而勿令離等和禮波雖祷卷而寢之妹之手本者雲爾多奈妣久
あめつちの、かみはなかれや、うつくしき、わがつまはなる、ひかるかみ、なるはたをとめ、たづさひて、ともにあらむと、おもひしに、こゝろたがひぬ、いはむすべ、せむすべしらに、ゆふだすき、かたにとりかけ、しづぬさを、てにとりもちて、なさけそと、われはいのれど、まきてねし、いもかたもとは、くもにたなびく
光神鳴波多 皆冠辭をもて、をとめと云はん爲也
携手は、手たづさへと讀むべし。手の字は、體の字なるべし。手爾波の手にはあるべからず
(478)反歌一首
4237 寢爾等念※[氏/一]之可毛夢耳爾手本卷寢等見者須便奈之
うつゝにと、おもひてしかも、ゆめのみに、たもとまきぬと、みればすべなし
寢爾等 拾穗抄寤爾毛とあり。正本可v考。寤の字なれば解き安き也。寤の字の方なれば解し安し。存在していつ迄もと思ひてしか共、夢にのみ手本卷くと見ればせんすべも無きと也。長歌の意を返して詠めるならん。寢の字にては解六ケ敷也
右二首傳誦遊行女婦蒲生是也
二月三日會集于守館宴作歌一首
4238 君之往若久爾有婆梅柳誰與共可吾※[草冠/縵]可牟
きみがゆき、もしひさにあらば、うめやなぎ、たれとともにか、わがかづらせむ
右判官久米朝臣廣繩以正税帳應入京師仍守大伴宿禰家持作此歌也但越中風土梅花柳絮三月初咲耳
詠霍公鳥歌一首
4239 二上之峯於乃繁爾許毛爾之波霍公鳥待騰未來奈賀受
ふたかみの、をのへのしゝに、こもにしは、ほとゝぎすまてど、いまだきなかず
こもにしはは、師案は雲に隱ると云意と解せり。此説不2甘心1。拾穗抄の説是ならんか。又尾の上のしげみに籠りたる故、しば/\霍公鳥を待てど來鳴かぬとの意歟。誤字脱字あらんか
右四月十六日大伴宿禰家持作之
(479)春日祭神之日藤原太后御作歌一首即賜入唐大使藤原朝臣清河【參議從四位下遣唐使】
4240 大舶爾眞梶繁貫此吾子乎韓國邊遣伊波敝神多智
大使藤原朝臣清河歌一首
4241 春日野爾伊都久三諸乃梅花榮而在待還來麻泥
かすがのに、いつくみもろの、うめのはな、さきてありまて、かへりくるまで
いつくみむろのは、齋く御社也。社と云ふに同じ。神社の森の梅花也
榮而 師點、ちらでと義訓せり。好む所にしたがふべし
即主人卿作之
大納言藤原家餞之入唐促等宴日歌一首
4242 天雲乃去還奈牟毛能由惠爾念曾吾爲流別悲美
民部少輔多治眞人古作歌一首 眞人古作の古の字拾穗抄には、土に作る。イに古ト注せり。此作の字、歌作の作にあらず。名字なるべし
4243 住吉爾伊都久祝之神言等行得毛來等毛舶波早家無
すみのえに、いつくはふりが、かみごとゝ、ゆくともくとも、ふねははやけむ
別訓あらんか。先づは神諚の如くに、入唐使の船は無爲に早からんと也。祝詞の言葉の如くに無爲に早からんとの意也
大使藤原朝臣清河歌一首
4244 荒玉之年緒長吾念有兒等爾可戀月近附奴
あらたまの、としのをながく、わがおもへる、こらにこふべき、つきちかづきぬ
(480)此歌隔句體の歌か。年の長く可v戀月近づきぬと也。月近づきぬは、入唐の日近くなりしを云也
天平五年贈入唐使歌一首並短歌【作主未詳】
4245 虚見都山跡乃國青丹與之平城京師由忍照難波爾久太里住吉乃三津爾舶能利直渡日入國爾所遣和我勢能君乎縣麻久乃由由志恐伎墨吉乃吾大御神舶乃倍爾宇之波伎座舶騰毛爾御立座而佐之與良牟礒乃崎々許藝波底牟泊々爾荒風浪爾安波世受平久率而可敝理麻世毛等能國家爾
そらみつ、やまとのくに、あをによし、ならのみやこゆ、おしてる、なにはにくだり、すみのえの、みつにふなのり、たゞわたり、ひのいるくにに、つかはされ、わがせのきみを、かけまくの、ゆゝしかしこき、すみのえの、わがおほみかみ、ふなのへに、うしはきいまし、ふなどもに、みたていまして、さしよらむ、いそのさき/”\、こぎはてむ、とまり/\に、あらきかぜ、なみにあはせず、たいらけく、ゐてかへりませ、もとのみかどに
日入國は日本紀に出たる詞也
宇之波伎、うしはきの事可v考
國家爾 みかどと可v訓。令條には天子をさして奉v稱し也
反歌一首
4246 奥浪邊波莫越君之舶許藝可敝里來而津爾泊麻泥
阿倍朝臣老人遣唐時奉母悲別歌一首
4247 天雲能曾伎敝能伎波美吾念有伎美爾將別日近成奴
あまぐもの、そぎへのきはみ、わがおもへる、きみにわかれむ、ひはちがきぬ
(481)そぎへは先也。此歌も隔句也。天雲の先のかぎり遠く別れ行かん事の悲しき日の近くなりしと也
右件歌者傳誦之人越中大目高安倉人種麻呂是也但年月次者隨聞之時載於此焉
倉人の二字、名か姓か不v詳。若し倉は眞の字か
以七月十七日遷任少納言仍作悲別之歌贈貽朝集使〓久米朝臣廣繩之館二首
既滿六載之期勿値遷替之運於是別舊之悽心中欝結拭※[さんずい+帝]之袖何以能旱因作悲歌二首式遺莫忘之志其詞曰
4248 荒玉乃年緒長久相見※[氏/一]之彼心引將忘也毛
あらたまの、としのをながく、あひみてし、かのこゝろひき、わすられぬやも
彼心引、此三字別訓あらんか。彼はそのと可v讀。歌の意は、是迄相馴れたる事に心引かれて別れて後もいかで忘られんや、忘るまじきと也。引の字誤字ならんか。可2後案1也
4249 伊波世野爾秋芽子之努藝馬並始鷹獵太爾不爲哉將別
右八月四日贈之
便附大帳使取八月五日應入京師因此以四日設國厨之饌於介内藏伊美吉繩麻呂館餞之于時大伴宿禰家持作歌一首
便附大帳使 家持一處に上京の儀を云ふ也
4250 之奈謝可流越爾五箇年住々而立別麻久惜初夜可毛
しなさかる、こしにいつとせ、すみ/\て、たちわかれまく、をしきよひかも
初夜 よひと可v讀也
(482)五日平旦上道仍國司次官已下諸僚皆共視送於時射水郡大領安努君廣島門前之林中預設饌餞之宴于時大帳使大伴宿禰家持和内藏伊美吉繩麿捧盞之歌一首
4251 玉桙之道爾出立往吾者公之事跡乎負而之將去
たまほこの、みちにいでたち、ゆくわれは、きみがことゝを、おひてしゆかむ
事跡乎 事跡の二字別訓あるべし。可2後案1也
正税帳使〓久米朝臣廣繩事畢退任適過於越前國〓大伴宿禰池主之館乃共飲樂也于時久米朝臣廣繩矚芽子花作歌一首
4252 君之家爾殖有芽子之始花乎折而挿頭奈客別度知
大伴宿禰家持和歌一首
4253 立而居而待登待可禰伊泥※[氏/一]來之君爾於是相挿頭都流波疑
向京落上依興預作侍宴應詔歌一首並短歌
4254 蜻島山跡國乎天雲爾磐船浮等母爾倍爾眞可伊繁貫伊許藝都追國看之勢志※[氏/一]安母里麻之掃平千代累彌嗣繼爾所知來流天之日繼等神奈我良吾皇乃天下治賜者物乃布能八十友之雄乎撫賜等登能倍賜金國之四方之人乎母安夫左波受慈賜者從古昔無利之瑞多婢未禰久申多麻此奴手拱而事無御代等天地日月等登聞仁萬世爾記續牟曾八隅知之吾大皇秋花之我色色爾見賜明米多麻比酒見附榮流今日之安夜爾貴左 江
あきつしま、やまとのくにを、あまぐもに、いはふねうけて、ともにへに、まかいししぬき、いこぎつゝ、くにみしせして、(483)あもりまし、はらひたひらげ、ちよかさね、いやつきつぎに、しらしくる、あまのひつぎと、かみながら、わがおほきみの、あまのした、おさめたまへば、ものゝふの、やそとものをゝ、なでたまひ、とゝのへたまひ、をしくにの、よものひとをも、あてさはず、めぐみたまへば、むかしより、なかりしみづも、たびみねく、まうしたまひぬ、こまぬきて、ことなきみよと、あめつちの、ひつきとゝもに、よろづよに、しるしつがむぞ、やすみしし、わがおほきみは、あきはなの、しかいろ/\に、みえたまひ、あきらめたまひ、さかみづき、さかゆるけふの、あやにたふとさ
國看之勢之志※[氏/一] 國巡りをさせて也。又國見さしてとも云、饒速日命の古事也。所知來流、しらし來る也
安天左波受 不v餘也。天の字誤字か。可v考也
多婢未禰久 無v弛也。可2後案1也
見賜 みし給ひ也
酒見附 宴醉の義を云也
反歌一首
4255 秋時花種爾有等色別爾見之明良牟流今日之貴左
あきのはな、くさ/”\にあれど、いろごとに、みしあきらむる、けふのたふとさ
色別爾 色々を見分給ふとの事也
爲壽左大臣橘卿預作歌一首
4256 古昔爾君之三代經仕家利吾大王波七世申禰
いにしへに、きみがみよへて、つかへけり、わがおほきみは、なゝよまうさね
古昔爾君之三代經 拾穗抄の註可v然也
吾大王とは、諸兄公を指して云へるならん。葛城王と稱せし故也
(484)申禰 政事を天子へ、諸兄公は七代を經て奏聞あらんと也
十月二十二日於左大辨紀飯麻呂朝臣家宴歌三首
4257 手束弓手爾取持而朝獵爾君者立去奴多奈久良能野爾
たづかゆみ、てにとりもちて、あさかりに、きみはたちいぬ、たなくらののに
手にとり握るもの故、手束弓とは置て、手と云はん冠句と見えたり。手束社ともあり。手束の弓など云説もあれど、手に握るもの故と云ふ方義安からんか
立去奴 立いぬ也。行と云ふ意に同じ
多奈久良 山城綴喜郡也
右一首治部卿船王傳誦之久邇京都時歌未詳作主也
4258 明日香河河戸乎清美後居而戀者京彌遠曾伎奴
あすかがは、かはとをきよみ、おくれゐて、こふればみやこ、いやとほぞきぬ
飛鳥に殘り居て藤原都を慕ふたる歌と見ゆる也
明日香都は天武也。藤原は持統文武の御事也
右一首左中辨中臣朝臣清麻呂傳誦古京時歌也
4259 十月之具禮能常可吾世古河屋戸乃黄葉可落所見
かみなづき、しぐれのつねか、わかせこが、やどのもみぢは、ちりぬべくみゆ
つねとも、ときかとも可v讀也
可落所見 はちりぬべくみゆと、讀むべし
(485)右一首少納言大伴宿禰家持當時矚梨黄葉作此歌也
壬申年之亂平定以後歌二首
天武天皇と大友皇子との亂也。白鳳元年壬申の年をさして如v此詠めり
4260 皇者神爾之座者赤駒之腹婆布田爲乎京師跡奈之都
おほきみは、かみにしませば、あかごまの、はらばふたゐを、みやことなしつ
赤駒を詠めるは、戰事故血にぬれ染たる意を含みて詠めるか。強て可v云事にはあらざる也
天子の御徳化を賞讃し奉v稱歌也。荒亡の地を如v此治めしづめ給ふと奉v賞し歌也
右一首大將軍贈右大臣大伴卿作
4261 大王者神爾之座者水鳥乃須太久水奴麻乎皇都常成都 作者不詳
おほきみは、かみにしませば、みづどりの、すだくみぬまを、みやことなしつ
須太久、數多集りて鳴く事を云也。不v鳴を云ふにはあらず、どめく聲を云義也
右件二首天平勝寶四年二月二日聞之即載於茲也
閏三月於衛門督大伴古慈悲宿禰家餞之入唐副使同胡麿宿禰等歌二首
4262 韓國爾由伎多良波之※[氏/一]可敝里許牟麻須良多家乎爾美伎多※[氏/一]麻都流
からくにに、ゆきたらはして、かへりこむ、ますらたけをに、みきたてまつる
多良波之※[氏/一] 行到てと云ふ義也。置たらはしとも云、古語の類也
右一首多治比眞人鷹主壽副使大伴胡麿宿禰也
4263 梳毛見自屋中毛波可自久佐麻久良多婢由久伎美乎伊波布等毛比※[氏/一] 作主未詳
(486)くしもみじ、やなかもはかじ、くさまくら、たびゆくきみを、いはふともひて
梳毛見自云々 此兩義者神代よりの忌事を詠める也。黄泉津國の段の古事、天稚彦の時の死人を出したる部屋中を掃除する事ありし也。其故後世旅行の人の跡は忌てせざるとの見えたり
主人の遺したる梳をもみず、家内をも掃かざる也
今世以v此忌事有v之也
右件歌傳誦大伴宿禰村上同清繼等是也
勅從四位上高麗朝臣福信遣於難波賜酒肴入唐使藤原朝臣清河等御歌一首並短歌
4264 虚見都山跡乃國波水上波地往如久船上波床座如大神乃鎭在國曾四舶舶能倍奈良倍平安早渡來而還事奏日爾相飲酒曾斯豐御酒者
そらみつ、やまとのくには、みづのうへは、つちゆくごとく、ふねのうへは、とこにますごと、おほかみの、しづむるくにぞ、よつのふね、ふなのへならべ、たひらけく、はやわたりきて、かへりごと、まうさむひに、あひのまむさけぞ、このとよみきは
平安 つゝみなくと可v讀歟
此歌の意は、歸京の時も相共に飲宴あらん酒ぞ。今飲む酒も尚行末を祝せられての豐竹けさと也
反歌一首
4265 四舶早還來等白香著朕裳裙爾鎭而將待
よつのふね、はやかへりこと、しらがつき、わがものこしに、しでつゝまたむ
鎭而 神を齋鎭てと
(487)右發遣勅使并賜酒樂宴之日月未得詳審也
爲應 詔儲作歌一首并短歌
4266 安之比奇能八峯能宇倍能都我能木能伊也繼繼爾松根能絶事奈久青丹余志奈良能京師爾萬代爾國所知等安美知之吾大皇乃神奈我良於母保之賣志※[氏/一]豊宴見爲今日者毛能乃布能八十伴雄能島山爾安可流橘宇受爾指紐解放而千年保伎保伎吉等餘毛之惠良惠良爾仕奉乎見之貴左 江説
あしひきの、やつをのうへの、とがのきの、いやつぎ/\に、まつがねの、たゆることなく、あをによし、ならのみやこに、よろづよに、くにしられむと、やすみしし、わがおほきみの、かみながら、おもほしめして、とよのあかり、みせますけふは、もののふの、やそとものを、しまやまに、あかるたちばな、うずにさし、ひもときさけて、ちとせほぎ、ほぎゝどよもし、ゑらゑらに、つかへまつるを、みるがたふとさ
見爲 みそなはすと可v訓。島山、大和の地名也
惠良惠良爾 古語樂飲宴發聲の事を云
反歌一首
4267 須賣呂伎能御代萬代爾如是許曾見爲安伎良目米立年之葉爾
右二首大伴宿禰家持作之
天皇太后共幸於大納言藤原家之日黄葉澤蘭一株拔取令持内侍佐佐貴山君遣賜大納言藤原卿並陪從大夫等御歌一首
天皇は聖武天皇なるべし。黄葉澤蘭、此澤蘭追而可v考也
命婦誦曰
(488)4268 此里者繼而霜哉置夏野爾吾見之草波毛美知多里家利
このさとは、つぎてしもやおく、なつののに、わがみしくさは、もみぢたりけり
夏野は、夏の此野邊にて見し草は今こゝに見給ふや、もみぢたると也。此歌天皇の御製歟。太后の御作歟、不2分明1。女官故太后歟。拾穗抄は天皇と別目をあげたり。難2信用1
十一月八日在於左大臣橘朝臣宅肆宴歌四首
4269 余曾能未爾見者有之乎今日見者年爾不忘所念可母
よそのみに、みればありしを、けふみれば、としにわすれず、おもほゆるかも
師説は、見者は見てもと訓や。淵案、此手爾波、古風の一體、此手爾波有v之て、疎に見れば堪へてありしを、今日此宴會に逢ひ見ては、堪へ難くいつ迄も難v被v忘との御歌と也。追而可2沈吟1也。見てはありしをにては、あるまじきか
右一首太上天皇御歌
4270 牟具良波布伊也之伎屋戸母大皇之座牟等知者玉之可麻思乎
右一首左大臣橘卿
4271 松影乃清濱邊爾玉敷者君伎麻佐牟可清濱邊爾
右一首右太辨藤原八束朝臣
4272 天地爾足之照而吾大皇之伎産婆可母樂伎小里
右一首少納言大伴宿禰家持 未奏
二十五日新甞會肆宴應 詔歌六首
(489)4273 天地與相左可延牟等大宮乎都可倍麻都禮婆貴久宇禮之伎
右一首大納言巨勢朝臣
4274 天爾波母五百都綱波布萬代爾國所知牟等五百都々奈波布 似古歌而未詳
あめにはも、いほつつなはふ、よろづよに、くにしられむと、いほつゝなはふ
綱波布の事追而可v考。注連の事歟。とかく新甞祭の神祭具の事と見えたり
似古歌而未詳 後人の筆也
右一首式部卿石川年足朝臣
4275 天地與久萬※[氏/一]爾萬代爾都可倍麻都良牟黒酒白酒乎
右一首從三位文屋智奴麻呂眞人
4276 島山爾照在橘宇受爾左之仕奉者卿大夫等
右一首右大辨藤原八束朝臣
4277 袖垂而伊射吾苑爾※[(貝+貝)/鳥]乃木傳令落梅花見爾
そでたれて、いさわがそのに、うぐひすの、こづたひちらす、うめのはなみに
此歌國守故新甞會濟みて飲宴を我館にても勤めん事を詠める歟。此梅は早梅を詠める也
右一首大和國守永平朝臣
4278 足日木乃夜麻之多日影可豆良家流宇倍爾也左良爾梅乎之奴波牟
あしひきの、やましたひかげ、かづらける、うへにやさらに、うめをしのばむ
前の歌返歌也
(490)可豆良家流は かづらかけるの略語也
此歌の意は、今日如v此飲宴をする迄に、又國守の亭の梅花をしのばんと、先をはかりて悦賀する挨拶也
右一首少納言大伴宿禰家持
二十七日林王宅餞之但馬案察使橘奈良麿朝臣宴歌三首
4279 能登河乃後者相牟之麻之久母別等伊倍婆可奈之久母在香
のとがはの、のちにはあはむ、しましくも、わかれといへば、かなしくもあるか
のちとうけん迄の初句歟。但此川本わかれて末にては合ふ川歟
右一首治部卿船王
4280 立別君我伊麻左婆之奇島能人者和禮自久伊波比※[氏/一]麻多牟
たちわかれ、きみがいまさば、しきしまの、ひとはわれじく、いはひてまたむ
きみがいまさばは、去まさば也。行まさばとも歸京を我が待つ如く國中の人祝ひて待つならんと也
右一首京少進大伴宿禰黒麻呂
4281 白雪能布里之久山乎越由可牟君乎曾母等奈伊吉能乎爾念
しらゆきの、ふりしくやまを、こえゆかむ、きみをぞもとな、いきのをにおもふ
命にかけて慕ひ思ふとの義也
よしなくも命にかけて慕ひ思ふとの義と諸抄注せり。暫可v隨v之也。此歌の左注を以て諸抄此集諸兄家持兩人の撰とは誤り傳ふる也。此歌一首の經綸は、諸兄公と家持示談ありし事も可v有v之歟。全然撰集とは無2證據1義也
左大臣換尾云伊伎能乎爾須流然猶喩曰如前誦之也
(491)右一首少納言大伴宿禰家持
五年正月四日於治部少輔石上朝臣宅嗣家宴歌三首
4282 辭繁不相問爾梅花雪爾之乎禮※[氏/一]宇都呂波牟可母
右一首主人石上朝臣宅嗣
4283 梅花開有之中爾布敷賣流波戀哉許母禮留雪乎待等可
うめのはな、さけるがなかに、ふゞめるは、こひやこもれる、ゆきをまつとか
戀哉許母禮留 雪を待つ戀や籠れると也
右一首中務大輔茨田王 茨田王は、原本、マイ田トアリ。可v考
4284 新年始爾思共伊牟禮※[氏/一]乎禮婆宇禮之久母安流可
右一首大膳大夫道祖王
道祖王、此名字訓義未v決。追而可v考
十一日大雪落積尺有二寸因述拙懷歌三音
4285 大宮能内爾毛外爾毛米都良之久布禮留大雪莫蹈禰乎之
4286 御苑布能竹林爾※[(貝+貝)/鳥]波之波奈吉爾之乎雪波布利都都
4287 ※[(貝+貝)/鳥]能鳴之可伎都爾爾保敝理之梅此雪爾宇都呂布良牟可
十二日侍於内裏聞千鳥喧作歌一首
4288 河渚爾母雪波布禮禮之宮乃裏智杼利鳴良之爲牟等己呂奈美
(492)かはすにも、ゆきはふれれし、みやのうちに、ちどりなくらし、すむところなみ
布禮々之 布里氣良之也。ケラの約レ也
十二月十九日於左大臣橘家宴見攀折柳條歌一首
4289 青柳乃保都伎與治等理可豆良久波君之屋戸爾之千年保久等曾
あをやぎの、ほづえよぢとり、かづらくは、きみがやどにし、ちとせほぐとぞ
青柳のほづえ、梢の事にはあらず。あらはれたる穗つ枝也。つは助語、末の假名は、すゑ也。かな不v合也
可豆良久波、かづら着たるか、かくるなるべし。兩義何れにても義は同じ
二十三日依興作歌二首
4290 春野爾霞多奈妣伎宇良悲許能暮影爾※[(貝+貝)/鳥]奈久母
はるののに、かすみたなびき、うらかなし、このゆふかげに、うぐひすなくも
暮天の物の悲しさを詠める也
4291 和我屋度能伊佐左村竹布久風能於等能可蘇氣伎許能由布敝可母
わかやどの、いさゝむらたけ、ふくかぜの、おとのかそけき、このゆふべかも
伊佐左は小き事を云へるか。篠付竹にて、いは發語か。此歌の意も前歌と同じく暮景の物悲しきを詠める體也
二十五日作歌一首
4292 宇良宇良爾照流春日爾比婆理安我里情悲毛比登里志於母倍婆
うらうらに、てれるはるひに、ひばりあがり、こゝろかなしも、ひとりしおもへば
長閑なる義を云詞也。語釋未v詳。うららかとも云也。ひとりしおもへば、物思ひをればの義なるべし。扨此三首の歌、普通(493)の本無2作者1。拾穗抄には作者有v之。一本を以三首共家持作と記せり。如何不審。尤左注も難2心得1也
春日遲々〓〓正啼悽惆之意非歌難撥耳仍作此歌式展締緒但此卷中不稱作者名字徒録年月所處縁起者皆大伴宿禰家持裁作歌詞也 異本左注也
萬葉集剳記 本集卷第十九終
(494)萬葉集剳記 卷第二十
〔〜499、目次りゃく〕
(500)萬葉集剳記 卷第二十
幸行於山村之時歌二首
山村 大和添上郡、倭名抄可v考
先太上天皇詔陪從王臣曰夫諸王卿等宜賦和歌而奏即御口號曰
孝謙天皇也
4293 安之比奇能山行之可婆山人乃和禮爾依志米之夜麻都刀曾許禮
あしひきの、やまゆきしかば、やまぴとの、われにえしめし、やまづとぞこれ
舍人親王應 詔奉和歌一首
4294 安之比奇能山爾由伎家牟夜麻妣等能情母之良受山人夜多禮
あしひきの、やまにゆきけむ、やまびとの、こゝろもしらず、やまびとやたれ
上を請ての御和へ歌也。此御和歌は、諷諫の意を以て被v和たると見えたり
右天平勝寶五年五月春於大納言藤原朝臣之家時依奏事而請問之問少主鈴山田史士麿語少納言大伴宿禰家持曰昔聞此言即誦此歌也
此年暦を以て孝謙帝と見る也。大納言藤原朝臣之家行在所と見ゆる也。然共奥の文家持時代の義歟。追而可v考
八月十二日二三大夫等各提壺酒登高圓野聊述所心作哥三首
天平勝寶五年也
4295 多可麻刀能乎婆奈布伎故酒秋風爾比毛等伎安氣奈多太奈良受等母
(501)たかまどの、をばなふきこす、あきかぜに、ひもときあけな、たゞならずとも
たゞならずともは、官服を脱て遊ばんと也。不v脱はたゞにある也
右一首左京少進大伴宿禰池主
4296 安麻久母爾可里曾奈久奈流多加麻刀能波疑乃之多婆波毛美知安倍牟可聞
あまぐもに、かりぞなくなる、たかまどの、はぎのしたばゝ、もみぢあへむかも
もみぢあへんかも 合んかも也。天雲と云ひて下葉と云へるか。天も秋、地下も秋の時にあへるならんと感嘆したる意也
右一首左中辨中臣清麿朝臣
4297 乎美奈弊之安伎波疑之努藝左乎之可能都由和氣奈加牟多加麻刀能野曾
をみなへし、あきはぎしのぎ、さをしかの、つゆわけなかむ、たかまどののぞ
しのぎはおしぬぐ也。鹿のおしわけしぬぎ也。此歌は、晝高圓野に到りての歌、夜の事を思ひやりて詠める故也
右一首少納言大伴宿禰家持
六年正月四日氏族人等賀集于小納言大伴宿禰家持之宅宴飲歌三首
4298 霜上爾安良禮多婆之里伊夜麻之爾安禮婆麻爲許牟年緒奈我久 古今未詳
しものうへに、あられたばしり、いやましに、あれはまゐこむ、としのをながく
いやましとは、霜上にまた霰降りしくをもて云へる意也
右一首左兵衛督大伴宿禰千里 千里は、せり歟
4299 年月波安多良安多良爾安比美禮騰安我毛布枝美波安伎太良奴可母 古今未詳
としつきは、あたらあたらに、あひみれど、あがもふきみは、あきたらぬかも
(502)右一首民部少丞大伴宿禰村上 村上、すゞ、鈴歟
4300 可須美多都春初乎家布能其等見牟登於毛倍波多努之等曾毛布
かすみたつ、はるのはじめを、けふのごと、みむとおもへば、たのしとぞもふ
右一首左京少進大伴宿禰池主
七日天皇太上皇太后於東常宮南大殿肆宴歌一首
豊明の歌と讀むべし。東常宮の事、追而可v考
4301 伊奈美野乃安可良我之波波等伎波安禮騰伎美乎安我毛布登伎波佐禰奈之
いなみのゝ、あからがしはゝ、ときはあれど、きみをあがもふ、ときはさねなし
伊奈美野は播州也。其國守故詠み出たるならん。あからがしはゝ、豊明の宴の歌故膳具の物故なり。※[木+解]は、紅葉の時あり。君を思ふは不v絶常磐に變化なくかしこみ奉るとの意也
右一首播磨國守安宿王奏 古今未詳
三月十九日家持之庄門槻樹下宴飲歌二首
4302 夜麻夫伎波奈※[泥/土]都都於保佐牟安里都都母伎美伎麻之都都可射之多里家里
やまぶきは、なでつゝおほさむ、ありつゝも、きみきましつゝ、かざしたりけり
撫は愛也。おほさんは愛憐し給はんと也。此歌は左注にも有る通、長谷の方にありし山吹をもち來りて詠める也。前度々家持長谷の家に至りて愛せしと見えたり
右一首置始連長谷
4303 和我勢故我夜度乃也麻夫伎佐吉弖安良婆也麻受可欲波牟伊夜登之能波爾
(503)わがせこが、やどのやまぶき、さきてあらば、やまずかよはむ、いやとしのはに
右一首長谷攀花提壺到來因是大伴宿禰家持作此歌和之
同月二十五日左大臣橘卿宴于山田御母之宅歌一首 山田は地名也
4304 夜麻夫伎乃花能左香利爾可久乃其等伎美乎見麻久波知登世爾母我母
やまぶきの、はなのさかりに、かくのごと、きみをみまくは、ちとせにもかも
御母を見給はん事は、千歳にもがなと願ひ給ふ也。見まくは見んと云義也
右一首少納言大伴宿禰家持矚時花作但未出之間大臣罷宴而不攀誦耳 此注は家持の筆歟
詠霍公鳥歌一首
4305 許乃久禮能之氣伎乎乃倍乎保等登藝須奈伎弖故由奈里伊麻之久良之母
このくれの、しげきをのへを、ほとゝぎす、なきてこゆなり、いましくらしも
峯を鳴き越ゆるを聞て、やがてわが方に來るならんと也
右一首四月大伴宿禰家持作
七夕歌八首
4306 波都秋風須受之伎由布弊等香武等曾比毛波牟須妣之伊母爾安波牟多米
はつあきかぜ、すゞしきゆふべ、とかむとぞ、ひもはむすびし、いもにあはむため
とかんとぞと云ふに、契りおきし意をこめたる歌也。七夕になりて詠めると見るべし
4307 秋等伊弊婆許己呂曾伊多伎宇多弖家爾花爾奈蘇倍弖見麻久保里香聞
あきといへば、こゝろぞいたき、うたてけに、はなになぞへて、みまくほりかも
(504)此歌の意は、秋は物うきものなるに、愈花を愛する如くに、七夕妻を慕ふとの意也。うたてげには、殊更にの意なるべし
4308 波都乎婆奈波名爾見牟登之安麻乃可波弊奈里爾家良之年緒奈我久
はつをばな、はなにみむとし、あまのかは、へなりにけらし、としのをながく
花に見んは珍敷花やかに見んと也。しは助語也。へなりはへだゝり也
4309 秋風爾奈妣久可波備能爾故具左能爾古餘可爾之母於毛保由流香母
あきかぜに、なびくかはべの、にこぐさの、にこよかにしも、おもほゆるかも
なびくと云ふより、にこよかにと心能く思ふ悦びの意也。今夜あふ事の悦を云ひたる也。草は女に比して云ふ。女の我に從ひ靡くを悦べる歌也。にこ草は、和名抄に女藏〓の事歟。一名黄芝、和名、惠美久佐
4310 安吉佐禮婆奇里多知和多流安麻能河波伊之奈彌於可婆都藝弖見牟可母
あきされば、きりたちわたる、あまのかは、いしなみをかば、つきてみむかも
いしなみは、石を並べたらば續てもわたらんと也。岡部案、佐禮婆の事、春之佐禮婆と云歌一首あり。にしあればと云義歟。しあを約すれば佐也。悉く清音の字を記したれば、あればの訓ならんか。見牟可母は、つゞきてあひ見んをと也
4311 秋風爾伊麻香伊麻可等比母等伎弖宇良麻知乎流爾月可多夫伎奴
あきかぜに、いまかいまかと、ひもときて、うちまちをるに、つきかたぶきぬ
宇良は心の事也。うちに思ふ義也。うらぶれはわびと云義也。うらを約すれば、わ也。ぶれは約言び也。ぶれは約言び也。うらぶれをれば、わびをれば也
4312 秋草爾於久之良都由能安可受能未安比見流毛乃乎月乎之麻多牟
あきぐさに、おくしらつゆの、あかずのみ、あひみるものを、つきをしまたむ
(505)月をし待たんは、待たん歌と見ゆる也。歎きて云へる意也。不v絶見てもかく飽かざるもの、又こん秋の文月を待たんや、程遠き事を歎きて詠める意をこめたる也
4313 安乎奈美爾蘇弖佐閉奴禮弖許具布禰乃可之布流保刀爾左欲布氣奈武可
あをなみに、そでさへぬれて、こぐふねの、かしふるほどに、さよふけなむか
白波を、あをなみと云ふ也。白波の事也。かしふるは、船をつなぐ杭を打義を、ふるとは云也。その間にも夜のふけんかと惜める意也
右大伴宿禰家持獨仰天漢作之
4314 八千種爾久佐奇乎宇惠弖等伎其等爾左加牟波奈乎之見都追思努波奈
やちぐさに、くさをきをうゑて、ときごとに、さかむはなをし、みつゝしのばな
さま/”\の木草を植て也。其時に從ひて慕はんと也。見つゝとあるからは、跡を慕ふにはあらず。その時々の花を見て慕ふ意也。花を愛し慕ふの意にて、七夕の歌にはあらず
右一首同月二十八日大伴宿禰家持作之
4315 宮人乃蘇泥都氣其呂母安伎波疑爾仁保比與呂之伎多加麻刀能美夜
みやびとの、そでつきごろも、あきはぎに、にほひよろしき、たかまどのみや
袖つけば也。第十六卷に、袖着とあり。官服は長袖にて絹を添付くる故也
4316 多可麻刀能宮乃須蘇未乃努都可佐爾伊麻左家流良武乎美奈弊之波母
たかまどの、みやのすそみの、ゝづかさに、いまさけるらむ、をみなへしはも
のづかさは、野守などの居所、其所を司る舘舍などをさしたる也
(506)4317 秋野爾波伊麻己曾由可米母能乃布能乎等古乎美奈能波奈爾保比見爾あきのには、いまこそゆかめ、ものゝふの、をとこをみなの、はなにほひみに
をとこをみなとあるは、をとこ草と云ものあらんか。すゝきを、をとこ草とも云べき歟。追而可v考
4318 安伎能野爾都由於弊流波疑乎多乎良受弖安多良佐可里乎須具之弖牟登香
4319 多可麻刀能秋野乃宇倍能安佐疑里爾都麻欲夫乎之可伊泥多都良武可
4320 麻須良男乃欲妣多天思加婆左乎之加能牟奈和氣由可牟安伎野波疑波良
右歌六首兵部少輔大伴宿禰家持獨憶秋野聊述拙懷作之
天平勝寶七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌
4321 可之古伎夜美許等加我布理阿須由利也加曳我伊牟多禰乎伊牟奈之爾志弖
かしこきや、みことかゞふり、あすゆりや、かえかいむたねを、いむなしにして
加我布理 は、カフムリ也。加曳我、地名か。還反下郡に栢野村と云所あり。宗師は氣我といふ所の名かと云へり。不v決。和名抄可v考。その所の防人故、妹と共にねしか。明日よりは妹なしにねん事を歎くの歌ならんか
右一首國造丁長下郡物部秋持 國造の下の丁と云義也。丁年と云は、八九年の者を云也。第十六卷に丁女と云事あり。をとめと讀ませたり。八九年の事に通ずる歟
4322 和我都麻波伊多久古比良之乃牟美豆爾加其佐倍美曳弖余爾和須良禮受
わがつまは、いたくこひらし、のむみづに、かこさへみえて、よにわすられす
無2別意1歌也
右一首主帳丁麁玉郡若倭部身麿
(507)4323 等伎騰吉乃波奈波佐家登母奈爾須禮曾波波登布波奈乃佐吉低己受祁牟
ときどきの、はなはさけども、なにすれぞ、ははとふはなの、さきでこずけむ
はゝと云ふ花の何故咲で來ざりけんと云意也。けんは、こざりけるらんの略語と見ても叶ふべし。此歌は防人の居所にて詠める歌也
右一首防人山名郡丈部眞麿
4324 等倍多保美志留波乃伊宗等爾閉乃宇良等安比弖之阿良婆己等母加由波牟
とへたほみ、しるはのいそと、にへのうらと、あひてしあらば、こともかゆはむ
遠江の地名、今はしろはのみ崎と云ふ也。駒形明神と云社有也。爾閉乃宇良は地名、防人の在所の浦也。馬の背の如く大岩有る田地。未v考。遠國相隔りたるを歎ける也。いそうらあひてしあらば、古郷の事を通ひ通ぜんと也。遠江と初句によみ出しは遠境の意を以て也
右一首同郡丈部川相
4325 知知波々母波奈爾母我毛夜久佐麻久良多妣波由久等母佐佐己弖由加牟
ちゝはゝも、はなにもがもや、くさまくら、たびはゆくとも、さゝごてゆかむ
我母夜 此やは、なに通ふ夜也。佐々己弖 は、捧げて也
右一首佐野郡丈部黒當 遠рフ地名、さや郡か。さよの中山と云。此所ならんか。野は屋と用たるならん。黒當は、名義不v決
4326 父母我等能志利弊乃母母余具佐母母與伊弖麻勢和我伎多流麻弖
ちゝはゝが、とのゝしりへの、もゝよぐさ、もゝよいでませ、わがきたるまで
(508)母々余草は、童蒙抄に出でたる由、追而可v考。草の一名なり、伊弖麻勢は、活て座なり。來る迄は歸る來る迄なり
右一首同郡生玉部足國
4327 和我都麻母畫爾可伎等良無伊豆麻母加多比由久阿禮波美都都志努波牟
わがつまも、ゑにかきとらむ、いつまもが、たびゆくあれば、みつゝしのはむ
伊豆麻母加 宗師意は、暇にかとなり。岡部氏案、伊は發語、都麻の重詞歟。陰にうつす妻も有ればの意とも見ゆるなり。陰深き、とられぬもの故願ふたる意か。兩義未v決
右一首長下郡物部古麿
二月六日防人部領使遠江國史生坂本朝臣人上進歌數十八首但有拙劣歌十一首不取載之
家持の文と見ゆるなり
4328 於保吉美能美許等可之古美伊蘇爾布理宇乃波良和多流知知波波乎於伎弖
おほきみの、みことかしこみ、いそにふり、うのばらわたる、ちゝはゝをおきて
いそにふりは、ふれなり。觸行の意なり。危き旅行を悼んで詠めるなり。みことかしこみと詠出でたるも、磯にふれ海原の茫々たる所をも越し、おそろしき様の縁に畏みとは詠みいでたるならん
右一首助丁丈部造人麿
4329 夜蘇久爾波那爾波爾都度比布奈可射里安我世武比呂乎美毛比等母我母
やそくには、なにはにつどひ、ふなかざり、あがせむひろを、みもひともがも
數々の諸國の防人集りたる義を云へり。難波より船出せし也。無2別意1也
右一首足下郡上丁丹比部國人 足下郡、今足柄郡と云名。脱字歟。古者足下と計り云たる歟。今は足柄上下郡あり
(508)4330 奈爾波都爾余曾比余曾比弖氣布能日夜伊田弖麻可良武美流波波奈之爾
なにはづに、よそひよそひて、けふのひや、いたでまからむ、みるはゝなしに
無別の意也
右一首鎌倉郡上丁丸子連多麿
二月七日相模国防人部領使守從五位下藤原朝臣宿奈麿進歌數八首但拙劣歌五首者不取載之
追痛防人悲別之心作歌一首並短哥
4331 天皇乃等保能朝廷等之良奴日筑紫國波安多麻毛流於佐倍乃城曾等聞食四方國爾波比等佐波爾美知弖波安禮杼登利我奈久安豆麻乎能故波伊田牟可比加弊里見世受弖伊佐美多流多家吉軍卒等禰疑多麻比麻氣乃麻爾麻爾多良知禰乃波波我目可禮弖若草能都麻乎母麻可受安良多麻能月日餘美都都安之我知流難波能美津爾大船爾末加伊之自奴伎安佐奈藝爾可故等登能倍由布思保爾可知比伎乎里安臆母比弖許藝由久伎美波奈美乃間乎伊由伎佐具久美麻佐吉久母波夜久伊多里弖大王乃美許等能麻爾末麻須良男乃許己呂乎母知弖安里米具里事之乎波良波都都麻波受可敝里伎麻勢登伊波比倍乎等許敝爾須恵弖之路多倍能蘇田遠利加敝之奴婆多麻乃久路加美之伎弖奈我伎氣遠麻知可母戀牟波之伎都麻良波
すめろぎの、とほのみかどと、しらぬひ、つくしのくには、あだまもる、おさへのきぞと、きこしめす、よものくにゝは、ひとさはに、みちてはあれど、とりがなく、あづまをのこは、いでむかひ、かへりみせずて、いさみたる、たけきいくさと、ねぎたまひ、まけのまにまに、たらちねの、はゝがめかれて、わかぐさの、つまをもまかず、あらたまの、つきひよみつゝ、あ(510)しがちる、なにはのみづに、おほふねに、まかいしゝぬき、あさなぎに、かことゝのへ、ゆふしほに、かぢひきをり、あともひて、こぎゆくきみは、なみのまを、いゆきさぐゝみ、まさきくも、はやくいたりて、おほきみの、みことのまにま、ますらをの、こゝろをもちて、ありめぐり、ことしをはらば、つゝまはず、かへりきませと、いはひべを、とこへにすゑて、しろたへの、そでをりかへし、ぬばたまの、くろかみしきて、ながきけを、まちかもこひむ、はしきつまらは
等保能朝廷は、筑紫に官舍あれば、還き朝廷と詠める也。伊物に、我みかど六十余рノと書けるもこれよりならん。禰疑多麻比は、勞問のねぎ也。ねぎらひ給ふてとの義也。あともひては、仙覺説は、我はと思ひて勇み行の意也。此説いかゞ。淵案、船をつなぎ合する事を、もやふと云ふ。其類の詞歟。集りもやひと云義歟。つゝまはずとは、つゝしむ事なく也。無恙と云と同事、ちゞまる事なく、安らかに行く事を云なるべし。ながきけをとは、數多の日數をと云意也。月日の事をかねて、長き氣と詠めるならん。波之伎、はしきは賞美辭也。愛賞の詞也。くわしきの略語歟
反歌
4332 麻須良男能由伎等里於比弖伊田弖伊氣婆和可禮乎乎之美奈氣伎家牟都麻
ますらをの、ゆぎとりおひて、いでゝいけば、わかれをゝしみ、なげきけむつま
なげきけんつまの、けんは、けるらん也
4333 等里我奈久安豆麻乎等故能都麻和可禮可奈之久安里家牟等之能乎奈我美
とりがなく、あづまをとこの、つまわかれ、かなしくありけむ、としのをながみ
無2別意1也
右二月八日兵部少輔大伴宿禰家持
4334 海原乎等保久和多里弖等之布等母兒良我牟須敝流比毛等久奈由米
(511)うなばらを、とほくわたりて、としふとも、こらがむすべる、ひもとくなゆめ
無2別意1也
4335 今替爾比佐伎母利我布奈弖須流宇奈波良乃宇倍爾奈美那佐伎曾禰
いまかはる、にひさきもりが、ふなでする、うなばらのうへに、なみなさきそね
師説は、波の花、な咲きそと云義と也。海上あれずて靜なれとの意也。淵云、今波の船に寄かけるを、さくると云也。なれば、くりの約きなれば、さぐりそと云へる意歟
4336 佐吉母利能保里江己藝豆流伊豆手夫禰可治等流間奈久戀波思氣家牟
さきもりの、ほりえこぎづる、いづてふね、かぢとるまなく、こひはしげゝむ
伊豆手夫禰の手は助語歟。伊豆船也。枯野の古事より云歟。かぢとる間もなき計り戀のしげかるらんと思ひやりて詠める也
右九日大伴宿禰家持作之
4337 美豆等利乃多知能己蘇伎爾父母爾毛能波須價爾弖已麻叙久夜志伎
みづどりの、たちのいそぎに、ちゝはゝに、ものはずきにて、いまぞくらしき
けにては、きて也。曲故音通の詞多也
右一首上丁有度郡牛麿
4338 多多美氣米牟良自加已蘇乃波奈利蘇乃波波乎波奈例弖由久我加奈之佐
たゝみけめ、むらじがいその、はなりその、ははをはなれて、ゆくがゝなしさ
たゝみけめは、たゝみこもと云音通也。むらとつゞく冠句也。むらは高卑のある物を云也。あみめをむらとも云故歟。むらじがいそは駿河の地名也。はなりそは離磯也。下の離れて行と云べき縁に詠出たる也
(512)右一首助丁生部道麿 前に生玉部あり。玉の字脱歟。別姓歟
4339 久爾米具留阿等利加麻氣利由伎米具利可比利久麻弖爾已波比弖麻多禰
くにめぐる、あとりかまけり、ゆきめぐり、かひりくまでに、いはひてまたね
あとりは吾狩也。かまけりは加は發語、任り也。任じられたる也。諸國轉遍して防人にさゝれて今われひとり其任になりて、行歸り來るまで無難を祝ひて待てと妻女等に示せし也
右一首刑部蟲麿 おさかべは淵案、おしかんがへの略語歟
4340 知知波々江已波比弖麻多禰豆久志奈流美豆久白玉等里弖久麻弖爾
ちゝはゝえ、いはひてまたね、つくしなる、みづくしらたま、とりてくまでに
ちゝはゝえは父母よと云意也。江は涅の字歟。上下假名書、此一字訓字不審也。みづくしらたま、師説は環玉と云意と也。洗白玉と云語例あり。又淵云、苧などを水にひたすを、みづく共ゆつぐとも云俗説あり。洗の略語、水にしづくと云意ならん歟
右一首川原蟲麿
4341 多知波奈能美衣利乃佐刀爾父乎於伎弖道乃長道波由伎加弖努加毛
たちはなの、みえりのさとに、ちゝをおきて、みちのなかぢは、ゆきがてぬかも
美衣利は駿河の地名也。無2別意1也
右一首丈部足麿
4342 麻氣波之良寶米弖豆久禮留等乃能其等已麻勢波波刀自於米加波利勢受
まきばしら、なめてつくれる、とのゝごと、いませはゝとじ、おめがはりせず
(513)新宅を作る時祝言をする、千秋を祝ふ、その時の如く歳久しく安全にましてと也
右一首坂田部首麿
4343 和呂多比波多比等於米保等己比爾志弖古米知夜須良牟和可美可奈志母
わろたびは、たびとおめほど、こひにして、こめちやすらむ、わがみかなしも
無2別意1
右一首玉作部廣目
4344 和須良牟砥努由伎夜麻由伎和例久禮等和我知知波波波和須例勢努加毛
わすらむと、のゆきやまゆき、われくれど、わがちゝはゝは、わすれせぬかも
無2別意1
右一首商長首麿 商長は、あきびとのおさ也
4345 和伎米故等不多利和我見之宇知江須流須流河乃禰良波苦不志久米阿流可
わぎめこと、ふたりわがみし、うちえする、するがのねらは、くふしくめあるか
うちよする、古説、波の打寄せたる國と云説也。するがは文字の通ずると云、大河ある國故の名歟。するがねは、ふじ山なるべし。くふしくもは戀しくも也
右一首春日部麿
4346 知知波波我可之良加伎奈弖佐久安禮天伊比之古度婆曾和須禮加禰津流
ちゝはゝが、かしらかきなで、さくあれて、いひしことばぞ、わすれかねつれ
さくあれは、幸くあれとてと云義也。て計り云て、とての義をこめたる詞多也。てと計り云てもその例多し。可v考。此は(514とゝ云たる詞也
右一首丈部稻麿
二月七日駿河國防人部領使守從五位下布勢朝臣人主實進九日歌數二十首但拙劣歌者不取載之
實進九日、前に七日とあれども、實は九日に進たるとの義也
4347 伊閉爾之弖古非都都安良受波奈我波氣流多知爾奈里弖母伊波非弖之加母
いへにして、こひつゝあらずば、ながはける、たちになりても、いはひてしがも
伊波比てしがもは、守りとなりても哉と也。子のために父の詠める也
右一首國造丁早部使主三中之文歌
4348 多良知禰乃波々乎和加例弖麻許等和例多非乃加里保爾夜須久禰牟加母
たらちねの、はゝをわかれて、まことわれ、たびのかりほに、やすくねむかも
まことわれは實にと云義也。波々乎とは、子が防人に行く故をとなり。をとにと差別あるなり。古今集の前書に此の差別あり。やすくねんかもは、かへしたる歎息の意なり。やすくは寢られまじきとなり
右一首國造丁早部使主三中
4349 毛母久麻能美知波紀爾志乎麻多佐良爾夜蘇志麻須義弖和加例加由可牟
もゝくまの、みちはきにしを、またさらに、やそしますぎて、わかれかゆかむ
無2別意1なり
右一首助丁刑部直三野
4350 爾波奈加之何須波乃可美爾古志波佐之阿例波伊波波牟加倍狸久麻※[人偏+弖]爾
(515)にはなかの、あすはのかみに、こしばさし、あれはいはゝむ、かへりくまでに
師説は、庭中は竈神の事なり。あすはゝ、あしはにか。下のこしは、さしと云はん爲あすはと讀み入れたるか。竈神故小木を立てゝ祭りたる義か。あすはの神のこと追而可v考
右一首帳丁若麻續部諸人
4351 多比己呂母夜豆伎可佐禰弖伊努禮等母奈保波太佐牟志伊母爾志阿良禰婆
たびごろも、やづへかさねて、いぬれども、なほはださむし、いもにしあらねば
無2別意1也
右一首望陀郡上丁玉作部國忍
4352 美知乃倍乃宇萬良能宇禮爾波保麻米乃可良麻流伎美乎波可禮加由加牟
みちのべの、うまらのうれに、はほまめの、からまるきみを、はかれかゆかむ
からまるは、まつり取附きたる義なり。いばらにつる豆の取附きたるは、離れ難きものなり。その如くに君に別れ行かんかとなり。はかれは古語に、はつかと云事あり。神代の卷の古語なり
右一首天羽郡上丁文部鳥
4353 伊倍加是波比爾比爾布氣等和伎母古賀伊倍其登母遲弖久流比等母奈之
いへかぜは、ひにひにふけど、わぎもこが、いへごともちて、くるひともなし
家風は、我が住む方よりの風と云事、當集あまたあり。いへごとも家の事なり。我が方の事をつげ來る人のなきと也。又師案に、妻の言ふ事をもちてくる人のなきと也。家事の類句追而可v考
右一首朝夷郡上丁丸子連大歳
(516)4354 多知許毛乃多知乃佐和伎爾阿比美弖之伊母加己己呂波和須禮世奴可母
たちこもの、たちのさわぎに、あひみてし、いもがこころは、わすれせぬかも
たちこもは立鳧也。騷がしき中にもあひし心は忘られぬと也
右一首長狹郡上丁丈部與呂麿 與呂麻呂は丁丸歟
4355 余曾爾能美美弖夜和多良毛奈爾波我多久毛爲爾美由流志麻奈良奈久爾
よそにのみ、みてやわたらも、なにはがた、くもゐにみゆる、しまならなくに
わたらもはわたらん也。淵案、古郷をよそにのみ見てやわたらんと也。浪華がたより雲井遙かに島々は見ゆるに、その如く島にてもなきわが古郷をよそにのみ見て、過行んかと也。意未v決。島ならなくには、我古郷は嶋にてはなきとの意と也
右一首武射郡上丁丈部山代
4356 和我波波能蘇弖母知奈弖※[氏/一]和我可良爾奈伎之許己呂乎和須良延努可毛
わがはゝの、そでもちなでゝ、わがからに、なきしこゝろを、わすらえぬかも
からには、われ故にみづからと云意と同じ
右一首山邊郡上丁物部乎刀良 乎刀良 一本乎作v手、何れか是ならん。淵云、楚國にては虎をオトと云。有2左傳1。古訓我國にも、虎ををとらと云歟。良は、ましらのらの如し
4357 阿之可伎能久麻刀爾多知弖和藝毛古我蘇弖毛志保々爾奈伎志曾母波由
あしがきの、くまどにたちて、わぎもこが、そでもしほゝに、なきしぞもはゆ
くまとは入まがりの所隈也。志保々は、しほれぬれたる義を云たるならん。母波由は、おもはるゝ也
右一首市原郡上丁刑部直千國
(517)4358 於保伎美乃美許等加志古美伊弖久禮婆和努等里都伎弖伊比之古奈波毛
おほぎみの、みことかしこみ、いでくれば、わぬとりつきて、いひしこなはも
わぬは、われにの略也。古奈は女の通稱也。波毛は歎息の詞也
右一首種※[さんずい+此]郡上丁物部龍 種澁郡可v考
4359 都久之閉爾敝牟加流布禰乃伊都之加毛都加敝麻都里弖久爾爾閉牟可毛
つくしべに、へむかるふねの、いつしかも、つかへまつりて、くにゝへむかも
へむかもは、船のへを向へて也。閉牟可毛は、へむかん也
右一首長柄郡上丁若麻續部羊
二月九日上總國防人部領使少目從七位下茨田連沙彌麿進歌數十九首但拙劣歌者不取載之
陳私拙壞一首並短歌 わたくしのつたなきおもひをのぶると讀むべし
4360 天皇乃等保伎美與爾毛於之弖流難波乃久爾爾阿末能之多之良志賣之伎等伊麻能乎爾多要受伊比都都可氣麻久母安夜爾可之古志可武奈我良和其大王乃宇知奈妣久春初波夜知久佐爾波奈佐伎爾保比夜麻美禮婆見能等母之久可波美禮姿見乃佐夜氣久母能其等爾佐可由流等伎登賣之多麻比安伎良米多麻比之伎麻世流難波宮者伎己之米須四方乃久爾欲里多弖麻都流美都奇能船者保理江欲里美乎妣伎之都都安佐奈藝爾可治比伎能保里由布之保爾佐乎佐之久太理安治牟良能佐和伎々保比弖波麻爾伊泥弖海原見禮婆之良奈美乃夜敝乎流我宇倍爾安麻乎夫禰波良良爾宇伎弖於保美氣爾都加倍麻都流等乎知許知爾伊射里都利家理曾伎太久毛於藝呂奈伎可毛己伎婆久母由多氣伎可(518)母許己見禮婆宇倍之神代由波自米家良思母
すめろぎの、とほきみよにも、おしてる、なにはのくにゝ、あめのした、しらしめしきと、いまのをに、たえずいひつゝ、かけまくも、あやにかしこし、かむながら、わがおほきみの、うちなびく、はるのはじめは、やちぐさに、はなさきにほひ、やまみれば、みのともしく、かはみれば、みのさやけく、ものごとに、さかゆるときと、めしたまひ、あきらめたまひ、しきませる、なにはのみやは、きこしめす、よものくにより、たてまつる、みつぎのふねは、ほりえより、みをひきしつゝ、あさなぎに、かぢひきのぼり、ゆふしほに、さをさしくだり、あぢむらの、さわぎゝほひて、はまにいでゝ、うなばらみれば、しらなみの、やへをるがうへに、あまをぶね、はらゝにうきて、おほみけに、つかへまつると、をちこちに、いさりつりけり、そぎたくも、おぎろなきかも、こきばくも、ゆたけきかも、こゝみれば、うべしかみよゆ、はじめけらしも
見能ともしくは、見る事の乏しくと云義歟、みの乏しくと短句に讀まんか。忘れじの、のゝ類ならんか。賣之多麻比は、師説みそなはし給ひてと也。あきらめは見あきらめ給ひてとの義と也。きこしめすは、下へ續く句也。美乎妣伎は、水筋の事也。遠州の俗語に水をゝ、みよと云と也。乎爾横通ある也。世に、ををにと云へる横通也。波良々爾は、はら/\にと云義也。曾伎太久毛の、たくもは、助語にして、そここゝと云ふ事は多數の事也。そこらこゝらと云に同じ。そぎたくもは、そこぱくもにて、物の多き事を云へる也。伊射里都利家理 不審也。伊射里は、夕さぐりか。しかれば都利もしたる也。おぎろなきかもは、おくなきかもと云義也
4361 櫻花伊麻佐可里奈里難波乃海於之弖流宮爾伎許之賣須奈倍
さくらばな、いまさかりなり、なにはのうみ、おしてるみやに、きこしめすなべ
伎許之賣須奈倍のなべは、からにと云の意と見るべし。むべと云意共解しられたり。故にと云ふの方安からんか
4362 海原乃由多氣伎見都々安之我知流奈爾波爾等之波倍努倍久於毛保由
うなばらの、ゆたけきみつゝ、あしがちる、なにはにとしは、へぬべくおもほゆ
(519)ゆたけきは、廣く遙かなるを云たる義也。ゆたと云意は寛の字の意也
右二月十三日兵部少輔大伴宿禰家持
4363 奈爾波都爾美布禰於呂須惠夜蘇加奴伎伊麻波許伎奴等伊母爾都氣許曾
なにはづに、みふねおろすゑ、やそかぬき、いまはこぎぬと、いもにつげこそ
夜蘇加奴伎は八十梶貫也。數多の梶を貫たる也。許曾はこせよ也。乞の字をも書たる所有。願ふの意也。せよと也
4364 佐伎牟理爾多多牟佐和伎爾伊敝能伊毛何奈流敝伎己等乎伊波須伎奴可母
さきもりに、たゝむさわぎに、いへのいもが、なるべきことを、いはずきぬかも
なるべきことは 業の事也。なすわざの事を云ふたる也
右二首茨城郡若舍人部廣足
4365 於之弖流夜奈爾波能津與利布奈與曾比阿例波許藝奴等伊母爾都岐許曾
おしてるや、なにはのつより、ふなよそひ、あれはこぎぬと、いもにつぎこそ
無2別意1也
4366 比多知散思由可牟加里母我阿我古比乎志留志弖都祁弖伊母爾志良世牟
ひだちさし、ゆかむかりもが、あがこひを、しるしてつけて、いもにしらせむ
しるしては書の事也。書をしるしと云也。これらを證とすべし。章をつけてと云意也
右二首信太郡物部道足
4367 阿我母弖能和須例母之太波都久波尼乎布利佐氣美都都伊母波之奴波尼
あがもての、わすれもしたば、つくばねを、ふりさけみつゝ、いもはしぬばね
(520)したらば共しなばとも見るべし
右一首茨城郡占部小龍
4368 久自我波波佐氣久阿利麻弖志富夫禰爾麻可知之自奴伎和波可敝里許牟
くじかはゝ、さきくありまて、しぼぶねに、まかぢしゝぬき、わはかへりこむ
久慈川也。無2別意1也
右一首久慈郡丸子部佐壯
4369 都久波禰乃佐由流能波奈能由等許爾母可奈之家伊母曾比留毛可奈之祁
つくばねの、さゆるのはなの、ゆどこにも、かなしけいもぞ、ひるもかなしけ
さゆるは百合花也、よどこは夜床也
4370 阿良例布理可志麻能可美乎伊能利都都須米良美久佐爾和例波伎爾之乎
あられふり、かしまのかみを、いのりつゝ、すめらみくさに、われはきにしを
かしまは、かしましと云意に請けたる也。建みかづちの神軍、勇猛の神故也。すめらみくさは皇の官軍との事也
右二首那賀郡上丁大舍人部千文 千文の文丈か。一本作v丈
4371 多知波奈乃之多布久可是乃可具波志伎都久波能夜麻乎古比須安良米可毛
たちばなの、したふくかぜの、かぐはしき、つくばのやまを、こひずあらめかも
無2別意1也 こひしはてばあられねとの歌也
右一首助丁占部廣方
4372 阿志加良能美佐可多麻波理可閉理美須阿例波久江由久阿良志乎母多志夜汲婆可流不破乃世伎久(521)江弖和波由久牟麻能都米都久志能佐伎爾知麻利爲弖阿例波伊波波牟母呂母呂波佐祁久等麻乎須可閉利久麻弖爾
あしがらの、みさかたまはり、かへりみず、あれはくえゆく、あらしをも、たしやはゞかる、ふはのせき、こえてわはゆく、むまのつめ、つくしのさきに、ちまりゐて、あれはいはゝむ、もろもろは、さけくとまをす、かへりくまでに
依2君命1關所をも憚らず越行を、給はるとは云へる也。あらしをも、たしやはゞかるは、たちはゞからぬ也。此説兩義可v有v之歟。其身の立憚らぬか。關守の立憚り止めぬか。たしは、たち也。意は依2君命1越故關所をも不v憚越との意也
知麻利爲弖は集居て也。師説、差止との意兩説也。集居の方可v然歟
母呂母呂波、諸事の義、無v災幸あれと祝申との義也。祝の詞也。何事も無難にて祝ふ意也
右一首倭父部可良麿
二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長眞人國島進歌數十七首但拙劣歌者不取載之
4373 祁布與利波可敝里見奈久弖意富伎美乃之許乃美多弖等伊※[泥/土]多都和例波
けふよりは、かへりみなくて、おほきみの、しこのみたてと、いでたつわれは
之許 しこは丈夫廣大の義を云。天子の御楯となりて、防人の出立と也。日本紀に捕鳥部萬が語にも天皇のみたてと云事あり
右一首火長今奉部與曾布 今奉部は、いまつり部と讀むか
4374 阿米都知乃可美乎伊乃里弖佐都夜奴伎都久之乃之麻乎佐之弖伊久和例波
あめつちの、かみをいのりて、さつやぬき、つくしのしまを、さしていくわれは
(522)防人に立故無難を祈て也。さつ矢は武士の持矢と云意也。軍出の時先づ射術をなす事あるか。前に笠金村、山を越時の歌あり。可2考合1也
さつ矢のことは、山幸彦より弓矢の名目ともなりたるならん
右一首火長火田部荒耳
4375 麻都能氣乃奈美多流美禮婆伊波妣等乃和例乎美於久流等多多理之母己呂
まつのきの、なみたるみれば、いはぴとの、われをみおくると、たゝりしもころ
伊波妣等は家人也
多多理之は、タタシ也。母巳呂は拾穗抄云、仙覺説、もころは如と云意と也。此説最も安き也。もころの詞追而可v考。師説は、いもこらと也。淵案は、是と云意と見る也。家人の立りしもこれと云義と也。仙覺説古語の例あらば可v爲v是也
右一首火長物部眞島
4376 多妣由伎爾由久等之良受弖阿母志志爾己等麻乎佐受弖伊麻叙久夜之氣
たびゆきに、ゆくとしらずて、あもししに、ことまをさすて、いまぞくやしけ
あもしゝは母父と云こと也。漢文に女子の名に阿の字を添る事あり。今我國に女の通稱に、おの詞を添るは漢文に習ひて歟
右一首寒川郡上丁川上巨老 巨老翁か。大おゆか。別に小老と云名あれば也
4377 阿母刀自母多麻爾母賀母夜伊多太伎弖美都良乃奈可爾阿敝麻可麻久母
あもとじも、たまにもがもや、いたづきて、みづらのなかに、あへまかまくも
とじとは老女の通稱也。こゝは母をさして云へるなり。阿敝は合せ也。法花經に此本文あり
右一首津守宿小黒栖
(523)4378 都久比夜波須具波由氣等毛阿母志志可多麻乃須我多波和須例西奈布母
つくひよは、すぐはゆけども、あもしゝが、たまのすがたは、わすれせなふも
わすれせなふもは、せなくも也。忘れぬとの義也。仙覺説に、あもしゝは宴の事と云へるは此歌よりか
右一首都賀郡上丁中臣部足國
4379 之良奈美乃與曾流波麻倍爾和可例奈波伊刀毛須倍奈美夜多妣蘇弖布流
しらなみの、よそるはまべに、わかれなば、いともすべなみ、やたびそでふる
よそる濱邊は、先へわかれ行たらばと云意と見るべし。なばの手爾波解し難き歌也。八度袖ふるは、遠國の濱へ行ては袖ふる事も成難き故、今別るゝ時に幾度も袖ふるとの歌と見るべきか。松浦狹夜姫が古事をふくめる歌か、後案すべし
なばと云手爾波は、ぬればと云詞か
すべなみとは詮方もなきと云義にして寄り所筋なきと云義より云へる詞か
右一首足利郡上丁大舍人部禰麿
4380 奈爾波刀乎己岐※[泥/土]弖美例婆可美佐夫流伊古麻多可禰爾久毛曾多奈妣久
なにほどを、こぎでゝみれば、かみさぶる、いこまたかねに、くもぞたなびく
無2別意1也
右一首梁田郡上丁大田部三成
4381 具爾具爾乃佐伎毛利都度比布奈能里弖和可流乎美禮婆伊刀母須弊奈之
くにぐにの、さきもりつどひ、ふなのりて、わかるをみれば、いともすべなし
難波に諸國の防人集り難波を別るゝは歎きて也。前にも難波を別るゝを歎ける歌あり
(524)右一首河内郡上丁神麻續部島麿
4382 布多富我美阿志氣比等奈里阿多由麻比和我須流等伎爾佐伎母里爾佐酒
ふたほがみ、あしけひとなり、あたゆまひ、わがするときに、さきもりにさす
ふたほがみは師説、二拜也。淵案は、兩面の神と也。折角たのみて幣物を與へ、まひなひをもせしに、それはか《(カ)》けて、防人にさしたるは惡しき人と恨みたる意か。あたゆまひは、與ふるまひなひと云義ならんか。かみとは、たましひを云て防人の事を司る人の事をさしたる歟。仙覺説此趣也
布多富我美 神の名歟尚可v考
右一首那須郡上丁大伴部廣成
4383 都乃久爾乃宇美能奈伎佐爾布奈餘曾比多志※[泥/土]毛等伎爾阿母我米母我母
つのくにの、うみのなぎさに、ふなよそひ、たしでもときに、あもがめもがも
ふなよそひ以下は、たち出ん時に母の見る事もがなと云義也
右一首鹽屋郡上丁丈部足人
二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首但拙劣歌者不取載之
4384 阿加等伎乃加波多例等枳爾之麻加枳乎己枳爾之布禰乃他都枳之良受母
あかときの、かはたれどきに、しまがきを、こぎにしふねの、たづきしらずも
かはたれ時は、かれはたれ時也。加枳は蔭也
右一首助丁海上郡海上國造他田日奈直得大理 他田は拾穗抄化田に作る。但しは池田歟
4385 由故作枳爾奈美奈等惠良比志流敝爾波古乎等都麻乎等於枳弖等母枳奴
(525)ゆこさきに、なみなどゑらひ、しるべには、こをらつまをら、おぎてらもきぬ
なみなどゑらひは、波の音ゆりゆるび動きて、ものすごきに、跡には妻子を置て行事の物うきの意なるべし。ゑらぴはゆるび動く事を云へる詞也。奈等は鳴歟。なと假名付けたれどなみならゑらびにてあらんか。尾句におぎてらもと讀めり
右一首葛餝部和部石島
4386 和加々都乃以都母等夜奈枳以都母以都母於母加古比須奈奈理麻之都之母
わがゝどの、いつもとやなぎ、いつもいつも、おもがこひすな、なりましつしも
古比須奈はこひしな也。戀敷也。なりましつしもは、故郷の妻の家業をもよくなし益しつるらんかと也。於は伊の字の誤りと見る也。産業ましつらんかもと也。尚後案あるべき歌也
右一首結城郡矢作部眞長
4387 知波乃奴乃古乃弖加之波能保保麻例等阿夜爾加奈之美於枳弖他加枳奴
ちはのぬの、このてがしはの、ほゝまれど、あやにかなしみ、おきてたかきぬ
このてがしはは側柏と云木也。他加は遠くなるかにと云義と也。高は還き也。只遠きと云意なるべし。阿夜は歎息の詞切にと云と同じ。歌の意は幼稚の兒などを介抱してだに悲しく思ふに、あやにくに引別れて遠國に來る事の悲しきと也。側柏は屠蘇散に用ふる椒柏の柏也
右一首千葉郡大田部足人
4388 多妣等弊等麻多妣爾奈理奴以弊乃母加枳世之己呂母爾阿加都枳爾迦理
たびとへど、またびになりぬ、いへのもが、きせしころもに、あかづきにけり
母加は、母か、妻か、何にても也。仙覺説、妹と也。迦理は、けり也。別の意なし。旅の語釋の事、淵案、※[竹/(方+其)]人と云事歟
(526)右一首占部蟲麿
4389 志保不尼乃弊古祖志良奈美爾波志久母於不世他麻保加於母波弊奈久爾
しほぶねの、へこそしらなみ、にはしくも、おふせたまほか、おもはへなくに
爾波志久母は、數々もの意なるべし。防人に數度被v差たるか。歌の意、船のへさきにこそ波は屡打かゝるものなるに、その如くあまなく防人に被v差事は思はずもと云の意也
右一首印波郡丈部直大歳
4390 牟波他麻乃久留爾久枳作之加多米等之以母加去去里波阿用久奈米加母
むらたまの、くるにくぎさし、かためとし、いもがこゝりは、あよくなめかも
むらたまのは室戸間也。等之は、らし、かためるらしと疑ひたる意なるべし。夜などの妻の事也。危くなきかもと云意也
右一首※[獣偏+爰]島部刑部志加麿 ※[獣偏+爰]鳥は、さしまか
4391 久爾具爾乃夜之呂乃加美爾奴佐麻都里阿加古比須奈牟伊母賀加奈志作
くにぐにの、やしろのかみに、ぬさまつり、あがこひすなむ、いもがかなしさ
此歌は兩義未v決。師案は我妹を戀ふとの意也。仙覺説は、妹がわれを戀ふとの意に見る也
右一首結城郡忍海部五百麿
4392 阿米都之乃以都例乃可美乎以乃良波加有都久之波波爾麻多己等刀波牟
あめつしの、いづれのかみか、いのらばか、うつくしははに、またことゝはむ
別意なき歌也
右一首埴生郡大伴部麻與佐
(527)4393 於保伎美能美許等爾作例波知知波波乎以波比弊等於枳弖麻爲弖枳麻之乎
おほきみの、みことにされば、ちゝはゝを、いはひべとおきて、まゐてきましを
にさればは、にあれば也。みことのりにはなくば、父母を守として引率て來ましをと云意也。いはひべとおきては、守りとして也
右一首結城郡雀部廣島
4394 於保伎美能美己等加之古美由美乃美仁佐尼加和多良牟奈賀氣己乃用乎
おほきみの、みことかしこみ、ゆみのみに、さねかわたらむ、ながきこのよを
ゆみのみには夢耳也。夢にのみに見て長き夜を古郷を慕はんかと也
右一首相馬郡大伴部子羊
二月十六日下總國防人部領使少目從七位下縣犬養宿禰淨人進歌數二十二首但拙劣歌者不取載之
獨惜龍田山櫻花歌一首
4395 多都多夜麻見都都古要許之佐久良波奈知利加須疑奈牟和我可敝流刀禰
たつたやま、みつゝこえこし、さくらばな、ちりかすぎなむ、わがかへるとね
刀禰はときにの略なるべし。刀は万の字の誤と見る説あり。ときにの方安かるべし
獨見江水澤漂糞怨恨貝玉不依作歌一首 糞はこづみと訓ぜり。江は難波の江歟。次の館門の江南と云ふによりて可v見
4396 保理江欲利安佐之保美知爾與流許都美可比爾安里世婆都刀爾勢麻之乎
(528)ほりえより、あさじほみちに、よるこづみ、かひにありせば、つとにせましを
在館門見江南美女作歌一首
4397 見和多世婆牟加都乎能倍乃波奈爾保比弖里※[氏/一]多弖流婆波之伎多我都麻
みわたせば、むかつをのへの、はなにほひ、てりてたてるは、はしきたがつま
むかつをのへは、岡山などなるべし。岡の上の事とも見るべし。此歌は美女を花に見立たる意也。なれ共景色を廣く見て又美女を見たるは物二つの意籠れば、見渡せばとも詠み出たるならん
右三首二月十七日兵部少輔大伴家持作之
爲防人情陳思作歌一首並短歌 防人の情となりて作れる歌也
4398 大王乃美己等可之古美都麻和可禮可奈之久波安禮特大夫情布里於許之等里與曾比門出乎須禮婆多良知禰乃波波可伎奈※[泥/土]泥若草乃都麻波等里都吉平久和禮波伊波波牟好去而早還來等麻蘇※[泥/土]毛知奈美太乎能其比牟世比都都言語須禮婆群鳥乃伊※[泥/土]多知加弖爾等騰己保里可弊里美之都々伊也等保爾國乎伎波奈例伊夜多可爾山乎故要須疑安之我知流難波爾伎爲弖由布之保爾船乎宇氣須惠安佐奈藝爾倍牟氣許我卒等佐毛良布等和我乎流等伎爾春霞之麻米爾多知弖多頭我禰乃悲鳴婆波呂波呂爾伊弊乎於毛比※[泥/土]於比曾箭乃曾與等奈流麻※[泥/土]奈氣吉都流香母
おほきみの、みことかしこみ、つまわかれ、かなしくはあれど、ますらをの、こゝろふりおこし、とりよそひ、かどでをすれば、たらちねの、はゝかきなで、わかぐさの、つまはとりつき、たひらけく、われはいはゝむ、よしゆきて、はやかへりこと、まそでもち、なみだをのごひ、むせびつゝ、かたらひすれば、むらどりの、いでたちがてに、とゞこほり、かへりみしつゝ、いやとほにくにをきはなれ、いやたかに、やまをこえすぎ、あしがちる、なにはにきゐて、ゆふしほに、ふねをうけす(529)ゑ、あさなぎに、へむけこがむと、さもらふと、わがをるときに、はるがすみ、しまべにたちて、たづがねの、かなしみなくは、はろばろに、いへをおもひて、おひそやの、そよとなるまで、なけきつるかも
好去は、よしゆいてか、よくゆきてか。兩義未v決。師點は、よくと讀ませたるか。然れ共言葉かたければ、やはり不v得2止事1行ことなれば、よし詮方なきに、行きてもの意か。われは祝はんとある故行人もよく謹みてとの意か。言語、かたらひと讀み來れり。別訓あらんか。淵案、奥に許等騰比と云詞あり。如v此訓ぜんか。倍牟氣許我牟等、船のへを筑紫の方へ向け漕がんとて侍ひし時にと云意也
悲鳴婆、悲しく鳴けばか。即本點は悲しみとあり。聞事の悲しく聞ゆるの意なれば悲しくならんか。そやは、征箭と書は、征の字の音を以て云習たる歟。そやと云義未v詳也。音を和語に云習はせる事數多あり
反歌
4399 宇奈波良爾霞多奈妣伎多頭我禰乃可奈之伎與比波久爾弊之於毛保由
うなばらに、かすみたなびき、たづがねの、かなしきよひは、くにべしおもほゆ
4400 伊弊於毛負等伊乎禰受乎禮婆多頭我奈久安之弊毛美要受波流乃可須美爾
いへおもふと、いをねずをれば、たづがなく、あしべもみえず、はるのかすみに
二首共無2別意1也
右十九日兵部少輔大伴宿禰家持作之
4401 可良己呂茂須曾爾等里都伎奈苦古良乎意伎弖曾伎怒也意母奈之爾志弖
からごろも、すそにとりつき、なくこらを、おきてぞきぬや、おもなしにして
伎怒也 此也はよと云ふ程の意歎の詞也。意母奈之 無母子と見るべし
(530)右一首國造少縣郡他田舍人大島 池田の他は池か
4402 知波夜布留賀美乃美佐賀爾怒佐麻都里伊波負伊能知波意毛知々我多米
ちはやぶる、かみのみさかに、ぬさまつり、いはふいのちは、おもちゝがため
かみのみさかは、地名か、未v考。先づは神の座所なるべし。おもちゝは父母の事也
右一首主張埴科郡神人部子忍男 かみとべと讀むべし。子忍男は、コニナか未v詳、如何可v讀か
4403 意保伎美能美己等可之古美阿乎久牟乃多奈妣久夜麻乎古江弖伎怒加牟
おほきみの、みことかしこみ、あをぐもの、たなびくやまを、こえてきぬかも
加牟 かむは、かも也。無2別意1也
右一首少長谷部笠麿
二月二十三日信濃國防人部領使上道得病不來進歌數十二首但拙劣歌者不取載之
4404 奈爾波治乎由伎弖久麻弖等和藝毛古賀都氣之非毛我乎多延爾氣流可母
なにはぢを、ゆきでくまてど、わぎもこが、つけしひもがを、たえにけるかも
筑前へ行くは難波より出立故、難波治とは云へる也。大和路と詠める歌もあり。越行く處の名をさして也。非毛我乎は、ひものを也。我といふ詞はのと云詞也。衣などのは緒にても、紐と云故、物は一つにて二物の名を云へる事多也
多延爾來流可母は、歸らぬ内に絶えたると、月日の經る事を歎きたる也
右一首助丁上毛野牛甘
4405 和我伊母音我志濃比爾西餘等都氣志比毛伊刀爾奈流等母和波等可自等余
わがいもこが、しのびにせよと、つけしひも、いとになるとも、わはとかじとよ
(531)しのびにせよとは忘れず慕ひ思ふ種にせよと也
伊刀爾 細く成果つるとも解かじと也
右一首朝倉益人
4406 和我伊波呂爾由加毛比等母我久佐麻久良多妣波久流之等都氣夜良麻久母
わがいはろに、ゆかもひともが、くさまくら、たびはくるしと、つげやらまくも
我家事也。ろは助語也
右一首大伴部節麿
4407 比奈久母理宇須比乃佐可乎古延志太爾伊毛賀古比之久和須良延奴可母
ひなぐもり、うすひのさかを、こえしだに、いもがこひしく、わすらえぬかも
日の曇り也。うすひの冠辭也。日の光のうすきと云意、うす日と迄かゝる冠辭ならん
此歌の意、別而未だ不v遠國の内の碓日坂を越てだに忘れぬとの意也。遠く過行くはいか計りにやと歎きの意をこめたり
右一首池田部子磐前 子磐前はこはせか。池に縁あれば也
二月二十三日下野國防人部領使大目正六位下上毛野君駿河進歌數十二首但拙劣歌不取載之
陳防人悲別之情歌一首並短歌
4408 大王乃麻氣乃麻爾麻爾島守爾我我多知久禮婆波波蘇婆能波波能美許等波美母乃須蘇都美安氣可伎奈※[泥/土]知知能未乃知知能美許等波多久頭怒能之良比氣乃宇倍由奈美太多利奈氣伎乃多婆久可胡自母乃多太比等里之※[氏/一]安佐刀※[泥/土]乃可奈之伎吾子安良多麻乃等之能乎奈我久安比美受波古非之久安流倍之今日太仁母許等騰比勢武等乎之美都都可奈之備伊麻世若草之都麻母古騰母毛乎知己知(532)爾左波爾可久美爲春鳥乃己惠乃佐麻欲比之路多倍乃蘇※[泥/土]奈伎奴良之多豆佐波里和可禮加弖爾等比伎等騰米之多比之毛能乎天皇乃美許等可之古美多麻保己乃美知爾出立乎可之佐伎伊多牟流其等爾與呂頭多比可弊里見之都追波呂波呂爾和可禮之久禮婆於毛布蘇良夜須久母安良受古布流蘇良久流之伎毛乃乎宇都世美乃與能比等奈禮婆多麻伎波流伊能知母之良受海原乃可之古伎美知乎之麻豆多比伊己藝和多利弖安里米具利和我久流麻泥爾多比良氣久於夜波伊麻佐禰都都美奈久都麻波麻多世等須美乃延能安我須賣可未爾奴佐麻都利伊能里麻宇之弖奈爾波都爾船乎宇氣須惠夜蘇加奴伎可古登登能倍弖安佐婢良伎和波己藝※[泥/土]奴等伊弊爾都氣己曾
おほきみの、まけのまにまに、さきもりに、わがたちくれば、はゝそはの、はゝのみことは、みものすそ、つみあげかきなで、ちゝのみの、ちゝのみことは、たくつのゝ、しらひげのうへゆ、なみだゝり、なげきのたはく、かごじもの、たゞひとりして、あさとでの、かなしきわがこ、あらたまの、としのをながく、あひみずば、こひしくあるべし、けふだにも、ことゝひせむと、をしみつゝ、かなしびいませ、わかぐさの、つまもこどもも、をちこちに、さはにかくみゐ、うぐひすの、こゑのさまよひ、しろたへの、そでなきぬらし、たづさはり、わかれがてにと、ひきとどめ、したひしものを、すめろぎの、みことかしこみ、たまほこの、みちにいでたち、をかのさき、いたむるごとに、よろづたび、かへりみしつゝ、はろばろに、わかれしくれば、おもふそら、やすくもあらず、こふるそら、くるしきものを、うつせみの、よのひとなれば、たまきはる、いのちもしらず、うなばらの、かしこきみちを、しまづたひ、いこぎわたりて、ありめぐり、わがくるまでに、たひらけく、おやはいまさね、つゝみなく、つまはまたせど、すみのえの、あかずめがみに、ぬさまつり、いのりまをして、なにはづに、ふねをうけすゑ、やそかぬき、かことゝのへて、あさびらき、わはこぎでぬと、いへにつげこそ
島守 サキモリと義訓に讀まんか。 はゝそはは、柞の木の葉にかけて母をば云はん料也。ちゝのみのちゝ、これもちゝと(533)云木一種あるなりと或人云へり。然れば葉と云假名を書て父母の冠辭に詠める也
みものすぐつみあげは、父母の名殘を惜み歎きたる躰を云へる義也。可伎奈※[泥/土]はわれをかきなでか。美母とは、衣の事をへるか。然らば旅出の人の衣の裾のかゝげさせかき撫でゝと云事か
可胡自母乃は、鹿は子は只一疋ならでは不v生もの故その如くと、ひとりと云はん冠辭也
可奈之備伊麻世 伊麻之也。又せるの略語とも見るべし
若草之都麻 女を草に比するから、妻の冠辭に若草とは詠めるならん。日本紀に、わかぐさあがつまはやと云ふ古語より始まりたる詞也
春鳥の、うぐひすと訓すべきか。うきと云ふ詞此鳥に縁あればなり
さまよひは、歎き叫ぶの意也。吟の字の意也。をかの崎いたむるは、いは發語、たむるは、めぐることを云也。こきたみと云ふ詞に同じ
おもふそら、こふるそらの空は、その時の景色有樣の事を空と云へる也
麻多世等 たせは、て也。待てと云義也
反歌
4409 伊弊妣等乃伊波倍爾可安良牟多比良氣久布奈※[泥/土]波之奴等於夜爾麻宇佐禰
いへびとの、いはへにかあらむ、たひらけく、ふなではしぬと、おやにまをさね
伊波倍爾 祝ふ故にか也
4410 美蘇良由久々母母都可比等比等波伊倍等伊弊頭刀夜良武多豆伎之良受母
みそらゆく、くもゝつかひと、ひとはいへど、いへづとやらむ、たづきしらずも
雲の使と云ふ事始めて出たり。反歌二首とも無2別事1歌也
(534)4411 伊弊都刀爾可比曾比里弊流波麻奈美波伊也之久之玖二多可久與須禮騰
4412 之麻可氣爾和我布禰波弖※[氏/一]都氣也良牟都可比乎奈美也古非都都由加牟
二月二十三日兵部少輔大伴宿禰家持
4413 麻久良多知己志爾等里波伎麻可奈之伎西呂我馬伎己無都久乃之良奈久
まくらたち、こしにとりはき、まかなしき、せろがまきこむ、つくのしらなく
まくらたちこしにとりはき まくらたちは、眞黒太刀か。日本紀崇神紀に、葛卷の太刀と云ふもの有。くずは黒きならん。墨塗作の太刀の事を云へる歟。枕太刀と云ふ事いかゞ馬伎己無は、參來ん歟。めぐり來んか。何れにても歸り來ん事を云へり
右一首上丁那珂郡檜前舍人石前之妻大伴眞足母 此作者は女故細注を注せる歟
4414 於保伎美乃美己等可之古美宇都久之氣麻古我弖波奈禮之末豆多比由久
おほきみの、みことかしこみ、うつくしけ、まこがてはなれ、しまづたひゆく
麻古は宴の事を云也。まは發語也
右一首助丁秩父郡大伴部少歳
4415 志良多麻乎弖爾刀里母之弖美流乃須母伊弊奈流伊母乎麻多美弖毛母也
しらたまを、てにとりもして、みるのすも、いへなるいもを、またみてもゝや
見るなすは、見ることは也。見てもゝやは、見てもかも也
右一首主張荏原郡物部歳徳
4416 久左麻久良多比由久世奈我麻流禰世婆伊波奈流和禮波比毛等加受禰牟
(535)くさまくら、たびゆくせなが、まるねせば、いはなるわれは、ひもとかずねむ
無2別意1也
右一首妻椋椅部刀自賣
4417 阿加胡麻乎夜麻努爾波賀志刀里加爾弖多麻乃余許夜麻加志由加也良牟
あかごまを、やまのにはかし、とりかにて、たまのよこやま、かしゆかやらむ
はかしは、はなし也。多麻乃余許山、地名也。地名未v考。かしゆかは、かちよりか也
右一首豐島郡上丁椋椅部荒蟲之妻宇遲部黒女 宇遲部黒女、くろが娘か。女の名か。不分明也
4418 和我可度乃可多夜麻都婆伎麻己等奈禮和我弖布禮奈奈都知爾於知母可毛
わがゝどの、かたやまつばき、まことなれ、わがてふれなゝ、つちにおちもかも
此歌師説は、諷詞の歌にして、つばきは妻木也。妻に比して也
まことなれは貞女を守りてあらめ、わが手を離れては衰へてあらんと云意を遂におちもかもと詠める也。我郷の檜の實を結ふてあらんか。わが養育をもせねば空しく地におちるならんとの意也
なれは、ならめの略語か。此歌未v群。後案すべし
まことなれの句末v詳也。師説は、眞實にあるならめと云義也と解せり
拾穗抄の説は、旅館の門と見る也。まことなれは、誠なれ也
我手ふれなくにと云義を、ふれなゝと詠める歟。もし下の奈は具の字の誤りか
然れば我古郷の檜木實ならめ。わが手もふれぬに地におちんかと、戀慕ふたる意か
右一首荏原郡上丁物部廣足
(536)4419 伊波呂爾波安之布多氣騰母須美與氣牟都久之爾伊多里※[氏/一]古布志氣毛波母
いはろには、あしぶたけども、すみよけむ、つくしにいたりて、こふしけもはも
古布志氣氣毛波母 戀しけんはもか。はもは例の歎息の詞、戀しく思はもとも通ふ也
右一首橘樹郡上丁物部眞根
4420 久佐麻久良多妣乃麻流禰乃比毛多要婆安我弖等都氣呂許禮乃波流母志
くさまくら、たびのまるねの、ひもたえば、あがてとつけろ、これのはるもし
自分の手をもちてつけよと、針を贈れると見えたり。又我弖等は、妻の事を思ひて紐をつけよと也
右一首妻椋椅部弟女
4421 和我由伎乃伊伎都久之可婆安之我良乃美禰波保久毛乎美等登志怒波禰
わがゆきの、いきづくしかは、あしがらの、みねはほくもを、みとゝしのばね
妻に示したる歌也。みねはふ雲を見てしのべと也
右一首都筑郡上丁服部於田
4422 和我世奈乎都久之倍夜里弖宇都久之美於妣波等可奈奈阿也爾加母禰毛
わがせなを、つくしへやりて、うつくしみ、おぴはとかなゝ、あやにかもねも
等可奈々は解く□《不明》は也。とかなくに也
あやにかもねも、此句不v濟。うつくしみは愛し思ふ也。今俗に、かはゆひと云に同じ。あやにと云語類を集めて可v考也
右一首妻服部呰女 呰女、あさめと一古本の假名にあり。拾穗抄にも同じ。不審也
4423 安之我良乃美佐可爾多志弖蘇※[泥/土]布良波伊波奈流伊毛波佐夜爾美毛可母
(537)あしがらの、みさかにたして、そでふらば、いはなるいもは、さやにみもかも
みさかにたしては、たちて也
右一首埼玉郡上丁藤原部等母麿
4424 伊呂夫可久世奈我許呂母波曾米麻之乎美佐可多婆良婆麻佐夜可爾美無
いろふかく、せながころもは、そめましを、みさかたばらは、まさやかにみむ
みさかたばらば、此歌にては、み坂給らばとは聞え難し。通らばか、まはらばと云意に見ゆる也
右一首妻物部刀自賣
二月二十日武藏國部領防人使〓正六位上安曇宿禰三國進歌數二十首但拙劣歌者不取載之
4425 佐伎母利爾由久波多我世登刀布比登乎美流我登毛之佐毛乃母比毛世受
さきもりに、ゆくはたがせと、とふひとを、みるがともしさ、ものもひもせず
此歌防人の妻の歌にて、歌の意幾樣にも聞ゆる也。我夫の行にはあらず。外人の行を見物する事の珍敷と詠める歟。又見物する中に夫に別れずして見る人の多きと詠める歌か。不2一決1也。尚後案可v有v之也。見るかと云詞不v濟也
4426 阿米都之乃可未爾奴佐於伎伊波比都々伊麻世和我世奈阿禮乎之毛波婆
あめつしの、かみにぬさおき、いはひつゝ、いませわがせな、あれをしもはゞ
あめつしのは天地の也。此歌も女の歌也。神に祈り身を全くして行きませとの意也。奥にも行く事をいましと詠める歌あり
4427 伊波乃伊毛呂和乎之乃布良之麻由須比爾由須比之比毛乃登久良久毛倍婆
いはのいもろ、わをしのぶらし、まゆすひに、ゆすひしひもの、とくらくもへば
(538)家の妹也。妻をさして云へる也。まゆすひは麻むすび也
4428 和我世奈乎都久志波夜利弖宇都久之美叡比波登加奈奈阿夜爾可毛禰牟
わがせなを、つくしはやりて、うつくしみ、えびはとかなゝ、あやにかもねむ
此波は誤字歟。へと音通、家を、いはと詠みたれば音通とも見ゆる也
叡比波、此えひは前後なるべし。重複の歌なるべし。呰女が歌と同じ事也
阿夜爾は嘆の詞なるべし。あなと云ふに同じ意なるべし。悲み歎きたる詞と見んか
4429 宇麻夜奈流奈波多都古麻乃於久流我辨伊毛我伊比之乎於伎弖可奈之毛
うまやなる、なはたつこまの、おくるがへ、いもがいひしを、おきてかなしも
歌の意は、繋げる馬の繩をも切りてかけ出る如く妻の別れを惜み慕ひ行かんと云ひしを、置てこし事の悲しきと詠めるならんか。我への詞不v濟。可2後案1也
4430 阿良之中乃伊乎佐太波佐美牟可比多知可奈流麻之都美佐※[泥/土]弖登阿我久流
あらしをの、いをさたばさみ、むかひたち、かなるましづみ、いでゝとあがくる
此歌不v濟。難解に入。かなるましづみの詞不v被v解也。前にも一首此詞あり
4431 佐左賀波乃佐也久志毛用爾奈奈辨加流去呂毛爾麻世流古侶賀波太波毛
さゝがはの、さやぐしもよに、なゝへかる、ころもにませる、ころがはだはも
寒夜を云へる也 なゝへかる、七重着る也
4432 佐辨奈辨奴美許登爾阿禮婆可奈之伊毛我多麻久良波奈禮阿夜爾可奈之毛
さへなへぬ、みことにあれば、かなしいもが、たまくらはなれ、あやにかなしも
(539)さへなへぬは、不v被v障也。君命なれば不v被v辭と也
右八首昔年防人歌矣主典刑部少録正七位上磐余伊美吉諸君抄寫兵部少輔大伴宿禰家持
三月三日※[手偏+僉]校防人 勅使並兵部使人等同集飲宴作哥三首
4433 阿佐奈佐奈安我流比婆理爾奈里弖之可美也古爾由伎弖波夜加弊里許牟
あさなさな、あがるひばりに、なりてしか、みやこにゆきて、はやかへりこむ
無2別意1也。あさな/\の詞後世の語とすべし
右一首勅使紫微大弼安倍沙美麿朝臣
4434 比婆里安我流波流弊等佐夜爾奈理奴禮波美夜古母美要受可須美多奈妣久
ひばりあがる、はるべとさやに、なりぬれば、みやこもみえず、かすみたなびく
任夜爾は、さだかにの意なるべし
4435 布敷賣里之波奈乃波自米爾許之和禮夜知里奈牟能知爾美夜古敝由可無
ふゞめりし、はなのはじめに、こしわれや、ちりなむのちに、みやこへゆかむ
無2別意1也
右二首兵都少輔大伴宿禰家持
昔年相替防人歌一首
4436 夜未乃欲能由久左伎之良受由久和禮乎伊都伎麻左牟等登比之古良波母
やみのよの、ゆくさきしらず、ゆくわれや、いつきまさむと、とひしこらはも
無2別意1也
(540)先太上天皇御製霍公鳥歌一首 太上天皇は 元正天皇なるべし
4437 富等登藝須奈保毛奈賀那牟母等都比等可氣都都母等奈安乎禰之奈久母
ほとゝぎす、なほもなかなむ、もとつびと、かけつゝもとを、あをねしなくも
もとつ人は古事あるべし。昔の人を慕ふ事を、今とかけて也。彼れと是れをかけて兩方云事に皆かけてと詠めり。此歌難解の部に可v入。可2後案1也
※[こざと+經の旁]妙觀應 詔奉和歌一首 ※[こざと+經の旁]は薩の字也。續日本紀に此名有歟。可2後考1也。妙親は館舍の事歟。代匠記を可v見也
4438 保等登藝須許許爾知可久乎伎奈伎弖余須疑奈無能知爾之流志安良米夜母
ほとゝぎす、こゝにちかくを、きなきてよ、すぎなむのちに、しるしあらめやも
乎は發語也。天皇の綸言をうけて、今此時を過してはしるしあらめや。音を鳴く宵あらじ。此時に鳴けと也
冬日幸于勒負御井之時内命歸石川朝臣應 詔賦雪歌一首 諱曰色婆 諱曰2色婆1、此名何共難v決。拾穗秒に色を作v邑
4439 麻都我延乃都知爾都久麻※[泥/土]布流由伎乎美受弖也伊毛我許母里乎流良牟
まつがえの、つちにつくまで、ふるゆきを、みずてやいもが、こもりをるらむ
此歌は左注にて可v見也。天皇の代歌也
于時水主内親王寢膳不安累日不參因以此日太上天皇勅侍嬬等曰爲遣水主内親王賦雪作歌奉獻者於是諸命婦等不堪作歌而此石川命婦獨作此歌奏之
右件四首上總國大〓正六位上大原眞人今城傳誦云爾 年月未詳
上總國朝集使大〓大原眞人今城向京之時郡司妻女等餞之歌二首
(541)4440 安之我良乃夜敝也麻故要※[氏/一]伊麻之奈波多禮乎可伎美等彌都都志努波牟
あしがちらの、やへやまこえて、いましなば、たれをかきみと、みつゝしのばむ
いましなばは、いきましなば也、無2別意1也
4441 多知之奈布伎美我須我多乎和須禮受波與能可藝里爾夜故非和多里奈無
たちしなふ、きみがすかたを、わすれずば、よのかぎりにや、こひわたりなむ
姿を賞めたる義也。歌の意無2別意1也
五月九日兵部少輔大伴宿禰家持之宅集飲歌四首
4442 和我勢故我夜度乃奈弖之故比奈良倍弖安米波布禮杼母伊呂毛可波良受
わかせこが、やどのなでしこ、ひならべて、あめはふれども、いろもかはらず
古は尊長を、直にわがせこと詠める證也
右一首大原眞人今城
4443 比佐可多乃安米波布里之久奈弖之故我伊夜波都波奈爾故非之伎和我勢
ひさかたの、あめはふりしく、なでしこが、いやはつはなに、こひしきわがせ
無2別意1。前の歌に雨の事あるをうけて詠める也
右一首大伴宿禰家持
4444 和我世故我夜度奈流波疑乃波奈佐可牟安伎能由布弊波和禮乎之努波世
わがせこが、やどなるはぎの、はなさかむ、あきのゆふべは、われをしのばせ
此歌は秋は交代する故と見えたり
(542)右一首大原眞人今城
即聞※[(貝+貝)/鳥]哢作歌一首 五月九日召席の時故か
4445 宇具比須乃許惠波須凝奴等於毛倍杼母之美爾之許己呂奈保古非爾家里
うぐひすの、こゑはすぎぬと、おもへども、しみにしこゝろ、なほこひにけり
五月は時過たる鶯ながら春になれし頃の事を戀ふるとの意也
右一首大伴宿禰家持
同月十一日左大臣橘卿宴右大辨丹比國人眞人之宅歌三首
4446 和我夜度爾佐家流奈弖之故麻比波勢牟由米波奈知流奈伊也乎知爾左家
わかやどに、さけるなでしこ、まひはせむ、ゆめはなちるな、いやをちにさけ
いやをちは、久しく咲け也。ゆめはなちるなとは、大事にかけて謹んでと云ふ義と同じ也
右一首丹比國人眞人壽左大臣歌
4447 麻比之都都伎美我於保世流奈弖之故我波奈乃未等波無伎美奈良奈久爾
まひしつゝ、きみがおほせる、なでしこが、はなのみとはむ、きみならなくに
おほせるは生ぜる也。此歌の意は拾穗抄の説然るべし。師案も同じ花によりて計りは不v可v問との愁意の意也
右一首左大臣歌
4448 安治佐爲能夜敝佐久其等久夜都與爾乎伊麻世和我勢故美都都思努波牟
あぢさゐの、やへさくごとく、やつよにを、いませわがせこ、みつゝしのばむ
(543)やつよにをは千代にをとも益代にもと見るべし。乎は毛の誤字歟。發語歟か。先發語と見るべし。みつゝしぬばんは慕はん也
右一首左大臣寄味狹藍花詠也
十八日左大臣宴於兵部卿橘奈良麿朝臣之宅歌三首
4449 奈弖之故我波奈等里母知弖宇都良宇都良美麻久能富之伎吉美爾母安流加母
なでしこが、はなとりもちて、うつらうつら、みまくのほしき、きみにもあるかも
なでし子の如くあかず見まほしきとの意、撫子に喩へたる歌也。うつらは見とれるなど云意と同じ。第三卷目の歌の意と同じかるぺし。以下二首の歌無2別意1也
右一首治部卿船王
4450 和我勢故我夜度能奈弖之故知良米也母伊夜波都波奈爾佐伎波麻須等母
わがせこが、やどのなでしこ、ちらめやも、いやはつはなに、さきはますとも
4451 宇流波之美安我毛布伎美波奈弖之故我波奈爾奈曾倍弖美禮杼安可奴香母
うるはしみ、あがもふきみは、なでしこが、はなになぞへて、みれどあかぬかも
右二首兵部少輔大伴宿禰家持追作
八月十三日在内南安殿肆宴歌二首
4452 乎等賣良我多麻毛須蘇婢久許能爾波爾安伎可是不吉弖波奈波知里都々
右一首内匠頭兼播磨守正四位下安宿王奏之 安宿王、續日本紀天平勝寶五年四月癸巳正四位下安着王爲2播磨守1。
安宿はあすかべと讀む。河内國郡名、和名抄に見えたり
4453 安吉加是能布伎古吉之家流波奈能爾波伎欲伎都久欲仁美禮杼安賀奴香母
(544)あきかぜの、ふきこきしける、はなのには、きよきつくよに、みれどあかぬかも
無2別意1也
右一首兵部少輔從五位上大伴宿禰家持 未奏
十一月二十八日左大臣集於兵部卿橘奈良麿朝臣宅宴歌一首
4454 高山乃伊波保爾於布流須我乃根能禰母許呂其呂爾布里於久白雪
たかやまの、いははにおふる、すがのねの、ねもころころに、ふりおくしらゆき
歌の意別義なき也
右一首左大臣作
天平元年班田之時使葛城王從山背國贈※[こざと+經の旁]妙觀命婦等所歌一首 副芹子※[果/衣]
葛城王は諸兄公也
4455 安可禰佐須比流波多多婢弖奴婆多麻乃欲流乃伊刀末仁都賣流芹子許禮
あかねさす、ひるはたゝびて、ぬばたまの、よるのいとまに、つめるせりこれ
たゝびては田給て也。田たびて也
※[こざと+經の旁]妙觀命婦報贈歌一首
4456 麻須良乎等於毛敝流母能乎多知波吉※[氏/一]可爾波乃多爲爾世理曾都美家流
ますらをと、おもへるものを、たちはきて、かにはのたゐに、せりぞつみける
斑田、淵云、班田の訓、加爾波太と云歟。わかちはりの異語歟。此歌のかにはたと詠める、比訓によれるか。師は地名と傳へたり。。國所不v知。追而字義可v考。多爲、只田を云か敢て爲の字に不v可v有v意也。丈夫の身にて太刀はきながら田井の(545)芹などつみ給たるは志の厚き處を云へる意なるべし
右二首左大臣讀之云爾【左大臣是葛城王後賜橘姓也】左大臣の家持へ如v此讀聞かされて右の事ありしと被v告たるとの義也
天平勝寶八歳丙申二月朔乙酉二十四日戊申太上天皇太皇太后幸行於河内離宮經信以壬子傳幸於難波宮也 天平勝寶八歳、經信は經2二宿1を云也
壬子傳幸於難波宮也、傳はついでの義也。其便と云ふと同じ
三月七日於河内國伎人郷馬國人之家宴歌三首 伎人は手人と訓ずと歟。拾穗抄くれ人と讀ませたり。國史に手伎と書て手人と讀ませたるは諸工の者の集居の郷歟。尚可v考
4457 須美乃江能波麻末都我根乃之多婆倍弖和我見流乎努能久佐奈加利曾禰
すみのえの、はままつがねの、したはへて、わがみるをのゝ、くさなかりそね
はへては、延の字の意、のばへの義也。慕はれてと云ふ意なるべし。かりそねは、かるなと云義也。曾禰は、そなと云意なるべし
右一首兵部少輔大伴宿禰家持
4458 爾保杼里乃於吉奈我河波半多延奴等母伎美爾可多良武己等都奇米也母【古新未詳】
にほどりの、おきながかはゝ、たえぬとも、きみにかたらむ、ことつきめやも
おきながかはは、息長川也。鳥は息長きもの故也。歌の意無2別意1也
右一首主人散位寮散位馬史國人
4459 蘆苅爾保里江許具奈流可治能於等波於保美也比等能未奈伎久麻泥爾
(546)あしかりに、はりえこぐなる、かぢのおとは、おほみやびとの、みなきくまでに
無2別意1也
右一首式部少丞大伴宿禰池主讀之即云兵部大丞大原眞人今城先日他所讀歌者也 此歌は今城他所にて詠歌す。池主國人の家に宴の時誦せるとの註也
4460 保利江己具伊豆手乃船乃可治都久米於等之婆多知奴美乎波也美加母
ほりえこぐ、いづてのふねの、かぢづくめ、おとしばたちぬ、みをはやみかも
かぢづくめは、物の繁く暇な吉を云歟。今俗歌に何づくめと云事あり。師案は、かぢつかふ間と解せり。美乎は水筋深を云
4461 保里江欲利美乎左可能保流梶乃音乃麻奈久曾奈良波古非之可利家留
ほりえより、みをさかのぼる、かぢのおとの、まなくぞならば、こひしかりける
此歌不v被2聞得1 師説、奈良は、なればにて、梶音にて古實の感慨を發せし歌と見る也
4462 布奈藝保布保利江乃可波乃美奈伎波爾伎爲都都奈久波美夜故杼里香蒙
ふなきほふ、ほりえのかはの、みなぎはに、きゐつゝなくは、みやこどりかも
船競也
右三首江邊作之
4463 保等登藝須麻豆奈久安佐氣伊可爾世婆和我加度須疑自可多利都具麻※[泥/土]
ほとゝぎす、まづなくあさけ、いかにせば、わがかどすぎし、かたりつぐまで
かたりつぐまでは、人に語りつぐる迄我門を去らず鳴かましと也
4464 保等登藝須可氣都都伎美我麻都可氣爾比毛等伎佐久流都奇知可都伎奴
(547)ほとゝぎす、かけつゝきみが、まつかげに、ひもときさくる、つきちかづきぬ
かけつゝは時鳥の鳴き來るをかけて待つと云意なるべし。時鳥を佗しく待つの意也。松かげにとは衣更の意にて、夏の近づくと云意を云へる也。君と指(此所不明)へとも不v知。或古本傍注に、是迄を古萬葉と注せる本有v之。不v可v足v論
右二首二十日大伴宿禰家持依興作之
喩族歌一首並短歌
4465 比左加多能安麻能刀比良伎多可知保乃多氣爾阿毛理之須賣呂伎能可未能御代欲利波自由美乎多爾藝利母多之麻可胡也乎多波左美蘇倍弖於保久米能麻須良多祁乎乎佐吉爾多弖由伎登利於保世山河乎伊波禰左久美弖布美等保利久爾麻藝之都都知波夜夫流神乎許等牟氣麻都呂倍奴比等乎母夜波之波吉伎欲米都可倍麻都里弖安吉豆之萬夜萬登能久爾乃可之婆良能宇禰備乃宮爾美也婆之良布刀之利多弖※[氏/一]安米能之多之良志賣之祁流須賣呂伎能安麻能日繼等都藝弖久流伎美能御代御代加久佐波奴安加吉許己呂乎須賣良弊爾伎波米都久之弖都加倍久流於夜能都可佐等許等太弖※[氏/一]佐豆氣多麻敝流宇美乃古能伊也都藝都岐爾美流比等乃可多里都藝弖※[氏/一]伎久比等能可我見爾世武乎安多良之伎吉用伎曾乃名曾於煩呂加爾己許呂於母比弖牟奈許等母於夜乃名多都奈大伴乃宇治等名爾於敝流麻須良乎能等母
ひさかたの、あまのとひらき、たかちほの、たけにあもりし、すめろぎの、かみのみよゝり、はじゆみを、たにきりもたし、まかごやを、たばさみそへて、おほくめの、ますらたけをゝ、さきにたて、ゆぎとりおほせ、やまかはを、いはねさくみて、ふみとほり、くにまきしつゝ、ちはやぶる、かみをことむけ、まつろへぬ、ひとをもよはし、はきゝよめ、つかへまつりて、あきつしま、やまとのくにの、かしはらの、うねびのみやに、みやばしら、ふとしりたてゝ、あめのした、しらしめしける、(548)すめろぎの、あまのひつぎと、つぎてくる、きみのみよみよ、かくさはぬ、あかきこゝろを、すめらべに、きはめつくして、つかへくる、おやのつかさと、ことだてゝ、さづけたまへる、うみのこの、いやつぎつぎに、みるひとの、かたりつぎてゝ、きくひとの、かゞみにせむを、あたらしき、きよきそのなぞ、おほろかに、こゝろおもひて、むなごとも、おやのなたつな、おほともの、うぢとなにおへる、ますらをのとも
神乎許等牟氣 ことむけは言向也。草木など物云ふたるを|言やどら《マヽ》れしの義也
加久佐波奴は かくさぬ也。無v隱也
須賣良弊 はすめらみことに也。天子へ赤心を盡して也
伎波米都久之弖 の之弖はつゝと同じ意也
牟奈許等母は、師説は、うむこの上略と解せり。淵案、眞名子どもならんか。まなこと云語例もあれば可v然也。ますらをの輩也。族也
4466 之奇志之夜未等能久爾々安伎良氣伎名爾於布等毛能乎己許呂都刀米與
4467 都流藝多知伊與餘刀具倍之伊爾之敝由佐夜氣久於比弖伎爾之曾乃名曾
右縁淡海眞人三船讒言出雲守大伴古慈悲宿禰解任是以家持作此歌也
臥柄悲無常欲修道作歌二首
4468 宇都世美波加受奈吉身奈利夜麻加波乃佐夜氣吉見都都美知乎多豆禰奈
うつせみは、かずなきみなり、やまかはの、さやけきみつゝ、みちをたづねな
人生不v幾して死す故數なき身と也
山川清賞の地に入り心をすましめんとの給ふ意の歌也
(549)たづねなは尋なん也
4469 和多流日能加氣爾伎保比弖多豆禰弖奈伎欲吉曾能美知末多母安波無多米
わたるひの、かげにきほひて、たづねてな、きよきそのみち、またもあはむため
ひま行駒に競て無v間(不明)後世の道を尋ねんと也。清き道とは後世の佛道に逢はん爲と也
命を願ふて作る歌、壽命の長からん事を願ふ意也
願壽作歌一首
4470 美都煩奈須可禮流身曾等波之禮禮抒母奈保之禰可比都知等世能伊乃知乎
みづほなす、かれるみぞとは、しれゝども、なほしねがひつ、ちとせのいのちを
みづほなすは、如2水火1かりの身とは知たれどもと也
以前歌六首六月十七日大伴宿禰家持作
冬十一月五日夜少雷起鳴雪落覆庭忽懷感憐聊作短歌一首
4471 氣能己里能由夜爾安倍弖流安之比奇之夜麻多知波奈乎都刀爾通彌許奈
けのこりの、ゆきにあへてる、あしひきの、やまたちばなを、つとにつみこな
此歌端作には不v應也。端作者其節事實を記たる迄ならん。安倍弖流、合照也
右一首兵部少輔大伴宿禰家持
八日讃岐守安宿王等集於出雪〓安宿奈杼麿之家宴歌二首
4472 於保吉美乃美許等加之古美於保乃宇良乎曾我比爾美都々美也古敝能保流
右〓古宿奈杼麿
(550)4473 宇知比左須美也古乃比等爾都氣麻久波美之比乃其等久安里等都氣己曾
うちひさす、みやこのひとに、つげまくは、みしひのごとく、ありとつげこそ
右一首守山背王歌也主人安宿奈杼麿語云奈杼麿被差朝集使擬入京師因此餞之日各作此歌聊陳所心也
4474 武良等里乃安佐太知伊爾之伎美我宇倍波左夜加爾伎吉都於毛比之其等久 一云於毛比之母乃乎
右一首兵部少輔大伴宿禰家持後日追和出雲守山背王歌作之
二十三日集於式部少〓大仲宿禰池主之宅宴歌二首
4475 波都由伎波知敝爾布里之家故非之久能於保加流和禮波美都都之努波牟
4476 於久夜麻能之伎美我波奈能其等也之久之久伎美爾故非和多利奈無
おくやまの、しきみがはなの、ごとやしく、しくゝきみには、こひわたりなむ
其等也。其の字一字脱歟
右二首兵部大丞大原眞人今城
智努女王卒後圓方女王悲傷作歌一首
4477 由布義理爾知杼里乃奈吉志佐保治乎婆安良之也之弖牟美流與之乎奈美
ゆふぎりに、ちどりのなきし、さはぢをば、あらしやしてむ、みるよしをなみ
智努女王、佐保の内に在るを追悼して、景色を云ひて今は荒廢したらんと悲しみ傷む也
大原櫻井眞人行佐保川邊之時作歌一首
(551)4478 佐保河波爾許保里和多禮流宇須良婢乃宇須伎許己呂乎和我於毛波奈久爾
さほがはに、こほりわたれる、うすらひの、うすきこゝろを、わがおもはなくに
此歌何ぞよせありて詠ぜる歟。端作計りの意にはあるべからず。うすらひは氷の名と見えたり。此歌追悼の歌なるべし。奥二首も追悼也
藤原夫人歌一首【淨御原御宇天皇之夫人也字曰氷上大刀自也】 一首と書けるは二首なるべし
4479 安佐欲比爾禰能未之奈氣婆夜伎多知能刀其己呂毛安禮波於母比加禰都毛
あさよひに、ねのみしなけば、やきだちの、とごゝろもあれば、おもひかねつも
とごゝろは 別心なく、心弱く歎くの意なるべし。思ひかねつも、強き心もえ思ひわかぬと也
4480 可之故伎也安米乃美加度乎可氣都禮婆禰能未之奈加由安左欲比爾之弖 作者未詳
かしこきや、あののみかどを、かけつれば、ねのみしなかゆ、あさよひにして
あめのみかどは天武天皇をさして也。尤謚によりて云ふにはあらず。あめの御門と詠めるは、天ぬな原と奉v稱りし故也。作者未詳は後人の筆也
右件四首傳讀兵部大丞大原今城
三月四日於兵部大丞大原眞人今城之宅宴歌一首
4481 安之比奇能夜都乎乃都婆吉都良都良爾美等母安加米也宇惠弖家流伎美
あしひきの、やつをのつばき、つらつらに、みともあかめや、うゑてけるきみ
やつをは八峯也。つら/\は幾らもの峯に列び立の椿をつら/\と並びに見る躰を云へる也。うゑてける君とは、今城の見るとも飽くまじと椿と共に主人を祝賞したるならん
(552)右兵部少輔大伴家持屬植椿作 屬は矚也。植ゑたる椿を見て作りし歌也
4482 保里延故要等保伎佐刀麻弖於久利家流伎美我許己呂波和須良由麻之目
ほりえこえ、とほきさとまで、おくりける、きみがこゝろは、わすらゆまじめ
此歌の作者不v知也
右一首播麿介藤原朝臣執弓赴任悲別也主人大原今城傳讀云爾
勝寶九歳六月二十三日於大監物三形王之宅宴歌一首
4483 宇都里由久時見其登爾許己呂伊多久牟可之能比等之於毛保由流加母
うつりゆく、ときみるごとに、こゝろいたく、むかしのひとし、おもほゆるかも
右兵部大輔大伴宿禰家持作
4484 佐久波奈波宇都呂布等伎安里安之比奇乃夜麻須我乃禰之奈我久波安利家里
さくはなは、うつろふときあり、あしひきの、やますがのねし、ながくはありけり
右二首無2別意1也
右一首大伴宿禰家持悲怜物色變化作之也
4485 時花伊夜米豆良之母可久之許曾賣之安伎良米晩阿伎多都其等爾
ときのはな、いやめづらしも、かくしこそ、めしあきらめゝ、あきたつごとに
賣之は見る義也。見あきらめ也。かくしこそは如v此と云義也。あきらめゝの詞未v決也。秋毎に時の花を見慰んとの意也。
あきらめゝは、心を晴らす義を云へる歟
右一首大伴宿禰家持作之
(553)天平寶字元年十一月十八日於内裏肆宴哥二首
4486 天地乎弖良須日月能極奈久阿流倍伎母能乎奈爾加於毛波牟
あめつちを、てらすひつきの、きはみなく、あるべきものを、なにかおもはむ
御大慮の御詠也
右一首皇太子御歌 續日本紀を可v考也
4487 伊射子等毛多波和射奈世曾天地能加多米之久爾曾夜麻登之麻禰波
いざこども、たはわざなせそ、あめつちの、かためしくにぞ、やまとしまねは
たはわざは、不實のことわざ也。たはれごと也。心を誠實に君に仕へよとの教への歌ならん。若し反逆人沙汰ありてと云迄には不v可v及v經
右一首内相藤原朝臣奏之 藤原仲麿也。續日本紀を可v考。勝寶九年の紀也
十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首
4488 三雪布流布由波祁布能未※[(貝+貝)/鳥]之奈加牟春敝波安須爾之安流良之
みゆきふる、ふゆはけふのみ、うぐひすの、なかむはるべは、あすにしあるらし
年内の立春の時の歌也
右一首主人三形王
4489 宇知奈婢久波流乎知可美加奴婆玉乃己與比能都久欲可須美多流良牟
うちなびく、はるをちかみか、ぬばたまの、こよひのつくよ、かすみたるらむ
うちなびく春と云詞義あるべし。春は草木繁茂して、しひ《(マヽ)》きしなふ故云へる歟、契沖は霜にかゝりたる詞と云へり。後考す(554)べし
右一首大藏大輔甘南備伊香眞人
4490 安良多末能等之由伎我敝理波流多多婆末豆和我夜度爾宇具比須波奈家
あらたまの、としゆきかへり、はるたゝば、まづわがやどに、うぐひすはなけ
別意なし
右一首右中辨大伴宿禰家持
4491 於保吉宇美能美奈曾己布可久於毛比都々毛婢伎奈良之思須我波良能佐刀
おほきうみの、みなそこふかく、おもひつゝ、もひきならしゝ、すがはらのさと
後注に見えたり。餘情有v之歌也
右一首藤原宿奈麿朝臣之妻石川女郎薄愛離別悲恨作歌也 年月不詳
二十三日於治部少輔大原今城眞人之宅宴歌一首
今城眞人四位に叙せしなるべし
4492 都奇餘米婆伊麻太冬奈里之加須我爾霞多奈婢久波流多知奴等可
つきよめば、いまだふゆなり、しかすがに、かすみたなびく、はるたちぬとか
右一首右中辨大伴宿禰家持作
二年春正月三日召侍從竪子王臣等令侍於内裏之東屋垣下即賜玉箒肆宴于時内相藤原朝臣奉勅宣諸王卿等隨堪任意作歌並賦詩仍應 詔旨各陳心緒作歌賦詩【未得諸人之賦詩並作歌也】 天平實字二年也。未得諸人 此れは後人の筆なるべし。一本小字に作
(555)4493 始春乃波都禰乃家布能多麻婆波伎手爾等流可良爾 由良久多麻能乎
はつはるの、はつねのけふの、たまはゝき、てにとるからに、ゆらぐたまのを
玉箒は玉をもて※[金+芳]りたるか。其製不分明也。諸説有v之と云へ共此歌の意、只玉を付たる箒きをとれば、その玉のをゆらぎたる當然を詠める義と見ゆる也。此義不v見。國史因2此集1此式ありし事を可2追考1也
右一首右中辨大伴宿禰家持作但依大藏政不堪奏之也
4494 水鳥乃可毛能羽能伊呂乃青馬乎家布美流比等波可藝利奈之等伊布
みづとりの、かものはのいろの、あをうまを、けふみるひとは、かぎりなしといふ
此能の字上の能の無き本は顛倒なるべし。鴨の羽色の青馬なるべし。限りなしと云ふとは命ながらふとの等ならん。正月七日に青馬を見れば邪氣をはらふ本文あるとの説あり。未v考2本文1也
右一首爲七日侍宴右中辨大伴宿禰家持預作此歌但依仁王會事却以六日於内裏召諸王卿等賜酒肆宴給緑因斯不奏也
六日内庭假植樹木以作林帷而爲肆宴歌一首
木を植ゑ置て、とばりの如くにかこふたる也
4495 打奈婢久波流等毛之流久宇具比須波宇惠木之樹間乎奈伎和多良奈牟、
うちなびく、はるともしるく、うぐひすは、うゑきのこまを、なきわたらなむ
此歌の打靡くも草木にかゝりたる義と見ゆる也
右一首右中辨大伴宿禰家持 不奏
二月於式部大輔中臣清麿朝臣之宅宴歌十首
(556)4496 宇良賣之久伎美波母安流加夜度乃烏梅能知利須具流麻※[泥/土]美之米受安利家流
うらめしく、きみはもあるか、やどのうめの、ちりすぐるまで、みしめずありける
此事は主の晩く招きたるを恨みたる意也。清丸を恨みし也。返歌にも見えたり。うるはしは友善の意親しむ義也
右一首治部少輔大原今城眞人
4497 美牟等伊波婆伊奈等伊波米也宇梅乃波奈知利須具流麻弖伎美我伎麻世波
みむといはゞ、いなといはめや、うめのはな、ちりすぐるまで、きみがきませば
さねは、せ也。よりてきまさねばと詠めるならん。一本左奴とあるは不v可v爲v是
右一首主人中臣清麿朝臣
4498 波之伎余之家布能安路自波伊蘇麻都能都禰爾伊麻佐禰伊麻母美流其等
はしきよし、けふのあろじは、いそまつの、つねにいまさね、いまもみるごと
賛美の詞、下の之は助語、はしきよしはほめたる詞也。庭の池の磯松也。奥の松にみえたり。君が家の池の白波と詠みたり
右一首右中辨大伴宿禰家持
4499 和我勢故之可久志伎許散婆安來都知乃可未乎許比能美奈我久等曾於毛布
わがせこが、かくしきこさば、あめつちの、かみをこひのみ、ながくとぞおもふ
せこしか、せこがか追而可v考。長くとぞ思ふは、命ながらへいつまで此宴をせんとねぎ祈ると也。のみと云語は、ねぎと云詞に同じ。戀願ひと云が如し
右一首主人中臣清麿朝臣
4500 宇梅能波奈香乎加具波之美等保家杼母己許呂母之努爾伎美乎之曾於毛布
(557)うめのはな、かをかぐはしみ、とほけども、こゝろもしぬに、きみをしぞおもふ
とほけどもは遠かれども也。歌の意聞えたる通也
右一首治部大輔市原王
4501 夜知久佐能波奈波宇都呂布等伎波奈流麻都能左要太乎和禮波牟須婆奈
やちぐさの、はなはうつろふ、ときはなる、まつのさえだを、われはむすばな
無2別意1也
右一首右中辨大伴宿禰家持
4502 烏梅能波奈左伎知流波流能奈我伎比乎美禮杼母安可奴伊蘇爾母安流香母
うぬのはな、さきちるはるの、ながきひを、みれどもあかぬ、いそにもあるかも
牟2別意1歌也。此磯も次の歌にて可v見。池の磯也
右一首大藏大輔甘南備伊香眞人
4503 伎美我伊敝能伊氣乃之良奈美伊蘇爾與世之婆之婆美等母安加無伎彌加毛
きみがいへの、いけのしらなみ、いそによせ、しばしはみとも、あかむきみかも
無2別意1也
右一首右中辨大伴宿禰家持
4504 宇流波之等阿我毛布伎美波伊也比家爾伎末勢和我世古多由流日奈之爾
うるはしと、あがもふきみは、いやひけに、きませわがせこ、たゆるひなしに
無2別意1。日にけには、日々常にと云ふ義か。前釋日々と解せり
(558)右一首主人中臣清麿朝臣
4505 伊蘇能宇良爾都禰欲比伎須牟乎之杼里能乎之伎安我未波伎美我末仁麻爾
いそのうらに、つねよひきすむ、をしどりの、をしきあがみは、きみがまにまに
よひは鳴義也、序歌にて下のをしきを云はん迄の序也
右一首治部少輔大原今城眞人
依興各思高圓離宮處作歌五首 灘宮はかり宮ありたるなるべし
4506 多加麻刀能努乃宇倍能美也婆安禮爾家里多多志伎々美能美與等保曾氣婆
たかまどの、のゝうへのみやは、あれにけり、たゝしききみの、みよとほぞけば
無2別意1也。多々志伎は、行幸なりて立せ座せしと云義也。一説にかり宮をたゞしと云説もあり。正敷と云義はあらず、俗言也
右一首右中辨大伴宿禰家持
4507 多加麻刀能乎能宇倍乃美也波安禮奴等母多多志志伎美能美奈和須禮米也
たかまどの、をのうへのみやは、あれぬとも、たゝしゝきみの、みなわすれめや
乎能宇倍 離宮は丘にありしと見えたり。乎のうへとあるも同事也。乎のうへとあるを以て丘に有しと見えたり
右一首治部少輔今城眞人
4508 多可麻刀能努敝波布久受乃須惠都比爾知與爾和須禮牟和我於保伎美加母
たかまどの、のべはふくずの、すゑつひに、ちよにわすれむ、わがおほきみかも
無2別意1也
(559)右一首主人中臣清麿朝臣
4509 波布久受能多要受之努波牟於保吉美能賣之思野邊爾波之米由布倍之母
はふくずの、たえずしのはむ、おほきみの、めしゝのべには、しめゆふべしも
めしゝは行幸なりて御覽なされたる野邊と云ふ事也。標結て荒廢させず、いつ迄も遺跡のある樣にせんと也。めしは見る方より云へる詞也
右一首右中辨大伴宿禰家持
4510 於保吉美乃都藝弖賣須良之多加麻刀能努敝美流其等爾禰能未之奈加由
おほきみの、つぎてめすらし、たかまどの、のべみるごとに、ねのみしなかゆ
離宮よりみゆきなりて御覽なされたる所なれば、崩御の後も御靈魂殘らせられて、つぎて御覽なさるべきと今も見る如く慕ひ歎かるゝとの意也
右一首大藏大輔甘南備伊香眞人
屬目山齋作歌三首
山齋を見てと云義なるべし。拾穗抄、目を山齋に付てと讀めるは如何
4511 乎之能須牟伎美我許乃之麻家布美禮婆安之婢乃波奈毛左伎爾家流可母
をしのすむ、きみがこのしま、けふみれば、あしびのはなも、さきにけるかも
無2別意1歌也。あしびはあせぼの花也。毒木の事也
右一首大監物御方王
4512 伊氣美豆爾可氣左倍見要底佐伎爾保布安之婢乃波奈乎蘇弖爾古伎禮奈
(560)いけみづに、かげさへみえて、さきにほふ、あしびのはなを、そでにこきれな
にはふ色の事他。ふり|にゑひ《(マヽ)》するの景色也
右一首右中辨大伴宿禰家持
4513 伊蘇可氣乃美由流伊氣美豆※[氏/一]流麻※[泥/土]禰左家流安之婢乃知良麻久乎思母
いそかげの、みゆるいけみづ、てるまでに、さけるあしびの、ちらまくをしも
無2別意1一也
右一首大藏大輔甘南備伊香眞人
二月十日於内相宅餞渤海大使少野田守朝臣等宴歌一首
4514 阿乎宇奈波良加是奈美奈妣伎由久左久佐都都牟許等奈久布彌波波夜家無
あをうなばら、かぜなみなびき、ゆくさくさ、つゝむことなく、ふねはゝやけむ
由久左は往來の事也。都々牟、古説不v慥事と解せり。淵案、ちゞむ、約むことなく不v滯と云意歟。此歌にても能叶ふ也。不v滯速かに往來せんと也。かぜなみなびきは心に從ひまかすの意也
右一首右中辨大伴宿禰家持 未誦之
七月五日於治部少輔大原今城眞人宅餞因幡守大伴宿禰家持宴歌一首
4515 秋風乃須惠布伎奈婢久波疑能花登毛爾加射左受安比加和可禮牟
あきかぜの、すゑふきなびく、はぎのはな、ともにかざさず、あひかわかれむ
なびくは靡かす也。さなければ詞あはず
右一首大伴宿禰家持作之
(561)三年春正月一日於因幡國廳賜饗國郡師等之宴于一首
等之宴歌一首の之の字の下、時の字を脱せる歟。前序の例可v考也
4516 新年之始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰
あたらしき、としのはじめの、はつはるの、けふふるゆきの、いやしけよごと
いやしけは、彌及、益の義、善事益繼げよとの祝歌也
萬葉集剳記 本集卷第二十終
昭和七年三月十五日印刷
昭和七年三月二十日發行
荷田全集第五卷
官幣大社稱荷神社蔵版
京都市伏見
編輯兼發行者 官幣大社稱荷神社
東京市本郷區森川町一番地
印刷者 櫻井庄吉
發行所 東京市京橋區京橋二丁目 吉川弘文館
振替貯金東京二四四番
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〔2011年11月2日、午後9時5分、入力終了〕