底本 日本書紀通釋(第一册)、飯田武郷、明治書院、1903(明治36)年1月31日
 入力者注。底本は仮名の濁点をつけていない(時々ついているのもある)。通読の便を図って付した。ただし付して良いかどうか迷うものはもとのままにした。踊り字なども現行のものにした。記傳云、平田翁云、重胤云、信友云、が非常に多く、半分以上この四人の文章と思われるほどで、著しくよむ興味を殺いでいる。しかもどこからどこまでが引用かわかりにくいので、武郷の説などほとんど無いのではないかと思えるほどである。引用部分を改行しようかと思ったが、あまりに煩わしいのでやめた。
 
 
   飯田武郷著
 
 日本書紀通釋 第一
 
   飯田氏藏版
 
(1)日本書紀通釋第一
 
   目次
 
卷之一
 總論 
  撰史 …………………………………………一
  題號 ………………………………………一一
  異本 ………………………………………二二
  一書 ………………………………………二八
  讀法 ………………………………………三二
  潤飾文華之論 ……………………………三四
(2)卷之二
 日本書紀卷第一
  神代上
  神代七代章 ………………………………三九
  同第一一書 ………………………………五三
  同第二一書 ………………………………五七
  同第三一書 ………………………………五九
  同第四一書 ………………………………六〇
  同第五一書 ………………………………七一
  同第六一書 ………………………………七二
  神代七代章續 ……………………………七三
  同一書 ……………………………………七五
(3)卷之三
  八洲起原章 ………………………………八九
  同第一一書 ……………………………一二一
  同第二一書 ……………………………一三七
  同第三一書 ……………………………一三八
  同第四一書 ……………………………一三九
  同第五一書 ……………………………一三九
  同第六一番 ……………………………一四一
  同第七一書 ……………………………一四一
  同第八一書 ……………………………一四二
  同第九一書 ……………………………一四二
  同第十一書 ……………………………一四三
(4)巻之四
  四神出生章 ……………………………一四五
  同第一一書 ……………………………一六九
  同第二一書 ……………………………一七一
  同第三一書 ……………………………一八〇
  同第四一書 ……………………………一八二
  同第五一書 ……………………………一八五
  附録追加(【伊弉册尊御陵考證】) …一九〇
卷之五
  四神出生章第六一書 …………………一九五
卷之六
  四神出生章第七一書 …………………二五九
(5)  同第八一書 ………………………二六二
  同第九一書 ……………………………二六六
  同第十一書 ……………………………二七七
  刷第十一一書 …………………………二九三
  追加(【大地海原之諸神考】) ………三一一
卷之七
  瑞珠盟約章 ……………………………三一三
  同第一一書 ……………………………三五七
  同第二一書 ……………………………三六四
  同第三一書 ……………………………三七二
卷之八
  寶鏡開始章 ……………………………三八三
(6)卷之九
  寶鑑開始章第一一書 …………………四三七
  同第二一書 ……………………………四五四
卷之十
  寶鑑開始章第三一書 …………………四七五
卷之十一
  寶劔出現章 ……………………………五一九
  同第一一書 ……………………………五四八
  同第二一書 ……………………………五五三
卷之十二
  寶劔出現章第三一書 …………………五六七
  同第四一書 ……………………………五七一
(7)  同第五一書 ……………………… 五八三
  同第六一書 ……………………………六〇二
卷之十三
  寶鑑出現章第六一書續 ………………六一七
 
日本書紀卷第一 終
 
日本書紀通釋第一目次 終
 
日本書紀通釋卷之一
          飯田 武郷 謹撰
 
    總論
 
     撰史
 
上(ツ)代の故事の傳はり來つる状。又其を漢文字以て記し傳へたる状。後に撰史の議起り。終に此紀の撰ありしまでを。つら/\考るに。まづ此大皇國の古傳説の起原は。開闢之初より。天御中主尊《アマノミナカヌシノミコト》御座し。次に高皇産靈《タカミムスビノ》尊|神皇産靈《カミムスビノ》尊成坐して天地を鎔造《つくり》まし。世を始(メ)まし/\て。其御自(ラ)所預知看《アヅカリシロシメシ》し故事を教へ給ひ。【古事記序に。乾坤初分(テ)參神作2造化之首1。陰陽斯開(テ)二靈爲2群品之祖1。故太素(ノ)杳冥因(テ)2本教(ニ)1而識孕v土産v島之時(ヲ)1。元始(ノ)綿※[しんにょう+貌]頼2先聖(ニ)1而察2生v神立v人之世(ト)1。とあるは。三神の天地を造坐し。伊弉諾伊伊册二神の群品の祖として。國土人民をも成立玉へる古事を。産靈(ノ)大神の詔教へ傳へたまへるに頼て識らるゝと云るにて。右に云る意也】はた其千五百|坐《ハシラ》と多に坐る御子等の。見知坐し聞知り坐る故事をも。其御裔の八十連綿《ヤソツヾキ》次々遠長に。聞繼ぎ語繼ぎ。世にも弘まり傳(ヘ)來つるになん有ける。さて産靈大神の。神の御上の故事を傳へ坐る事は。何の由ならむと云に。世に在る事は。悉(ク)天神地祇の御心に漏るゝ事無ければ。神祭を主と爲玉ふ事。政事の本なる故に。皇孫尊の天降坐して世を治め給ふには。天津神國津神を齋き祭りたまはむことを事教へ給ひて。云々《シカ/”\》の事有むは其神の所業ぞ。其神は云々《シカ/”\》の因縁《ヨシ》によりて生出。云々の(2)事を掌る神なれば其祭を云々爲よと。事教へ給ふとして傳(ヘ)坐るにぞありける。【式の祈年祭大甞祭などに。神漏岐神漏美命以※[氏/一]《カムロギカムロミノミコトモチテ》。天(ツ)社國(ツ)社登稱辭竟奉(ル)皇神等とあるを以て。右の意は知るゝなり。以上古史徴開題記の大意をとる】さて其古傳説。すべて干萬歳の間。いかにして傳(ヘ)來つるものぞと云に。みな口傳なり。古語拾遺序に。上古之世未v有2文字1。貴賤老少口々相傳(ヘ)。前言往行存而不v忘。と云るぞ正しき證なりける。こゝに文字と云るは。即今の漢文字にて。【假名反切義解と云書に。文字と云るところを。漢字と替て書れたるにて知べし】上古には。後の世の如く。漢文字以て物記する事なければ。すべての事實を貴賤老少心に記《おぼ》えて。口々に語傳へて。忘れざりしとなり。其は何事も朴略《オホラカ》なりし上代の風を。思わたして悟るべし。漢字以て物記す世となりても。此遺風ありて。古のまゝに故事を語傳へし事の書に見えたるはまづ。仁徳紀に應神天皇崩坐して。仁徳天皇未だ位に即給はざりし間に。額田大中彦皇子倭(ノ)屯田《ミタ》及|屯倉《ミヤケ》を掌むとしたまひて。其屯田(ノ)司出雲臣之祖|淤宇《オウノ》宿禰に語(リ)給はく。是屯田者自v本|山守《ヤマモリノ》地なり。是以今吾掌らむとす。汝者掌べからずと言《ノタマヒ》し事あり。【この山守の地と云事は。御父應神天皇の御代に。任2大山守命1令v掌2山川林野(ヲ)1と云事ありて。山守部を定めて。大山守命につけ玉ひしことあり。大中彦命は大山守命伺母兄弟なる故に。かくはのたまひしものなり。】其時淤宇宿禰其事を。太子|宇治稚郎子《ウヂノワキイラツコノ》皇子に申(シ)上しかば。太子御答に。汝|大鷦鷯《オホサヾキノ》尊に啓せと詔玉ひき。即大鷦鷯尊の許に參りて啓けらく。臣が所(ノ)v任《シル》屯田は。大中彦皇子距みて治《シラ》しめすと白上しかば。大鷦鷯尊倭直(ノ)祖麻呂を召て。屯田本より山守(ノ)地と謂ふは如何と問玉ふ。對曰く。臣不v知。唯臣(ガ)弟|吾子籠《アゴコ》此事を知れりと申しき。此時しも吾子籠韓國へ御使に罷りて。未(ダ)歸來ざりしかば。大鷦鷯尊淤宇(ノ)宿禰に。汝躬(ラ)韓國に往て。吾子籠を喚て來れ。日夜を兼て急に往れと。告らして遣はしき。故淤宇韓國に罷りて。即吾子籠を率(3)て來りしかば。即倭(ノ)屯由事を訊給ひしに。吾子籠申(サ)く。僕傳(ヘ)承るに。纏向玉城《マキムクノタマキノ》宮御宇天皇【垂仁】之世。科(セテ)2太子|大足彦《オホタラシヒコノ》尊(ニ)1。倭(ノ)屯田を定め玉ひし時の詞旨に。凡倭(ノ)屯田者。天下|所知看《シロシメス》御世々々の天皇の御田なり。帝皇の御子と申すとも。天下しろしめす君に非ずば。掌る事を得ざれと定玉ひき。此を山守(ノ)地と申は非なりと白しき。大鷦鷯尊即吾子籠を大中彦命の許に遣して。其状を告しめ給ひしかば。大中彦命更に爲便《センスベ》なかりしよし見えたり。これにて思ふべし。もし文字もて。上古の事をひろく記し傳へたらましかば。如此許の事を問給はふとて。韓國まて御使に行たらむ人を。故(ラ)に喚來て尋ね給はずともありぬべきを。猶かく古のまゝに。故事をな語傳へしものなるをや。上古の事みな口傳なりしといへるは。右の古語拾遺の序を始めて。舊くは天長七年八月に書れたる新撰龜相紀に。上代舊辭皆以口誦。甕卜亦復如v是。とある文。三善清行の革命勘文に。上古之事皆出2口傳(ニ)1。故代之事變應v有2遺漏1。等《ナド》の説にも見えて。みな疑なき事なり。さて漢風に物記す事の始まりしは。何の御世よりと云ふ事。今にしてはさだかに知べからねど。漢士へ皇國人の渡り初めたりし事より。推て討《タヅ》ぬべし。去(シ)天明四年筑前(ノ)國那賀郡|志賀島《シカシマ》の石窟より。漢(ノ)委奴國王と銘たる。黄金の印を掘出たるを。國人青柳種麻呂が考に。此印は後漢書に。建武中元二年|倭奴《ワト》國奉貢朝賀。使人自稱2大夫(ト)1。倭國(ノ)極南界也。光武賜以2印綬(ヲ)1。と見えたる時の印なりと云り。【委奴國は倭奴國と一つなり、倭(ハ)平聲、委(ハ)去聲なれども、古來倭委通し用ゐたる例、他にもあり、さて倭奴國は、倭國之極南界とあれば、九州地方の、南偏を云ことゝは知られたり、然るに新唐書に、日本(ハ)古(ノ)倭奴也と云るは、甚き杜撰なり、これを筑前|怡土《イトノ》國なりと云ふ説も信がたし、それらの論はいかにもあれ】彼光武が建武中元二年は。垂仁天皇の御世の八十六年に當れり。紀に同御代九十年に。天日矛が玄孫(4)田道間守《タヂマモリ》を常世《トコヨノ》國に遣はして。非時香菓《トキジクノカグノコノミ》【後所謂橘】を求めしめ給へる事を載られたる。さして其國とこそなけれ。此頃となりては。朝廷にも漢國の事を。粗知らせ給ひしさまにて。誠に因縁ありげなり。猶此(レ)より先にも後漢書に。倭(ハ)在2韓(ノ)東南大海中(ニ)1。云々凡百餘國。自3武帝滅2朝鮮(ヲ)1。使譯通(ズル)2於漢(ニ)1者三十許國。々皆稱v王。世々傳v統(ヲ)。其大倭王居2邪馬臺《ヤマトノ》國(ニ)1云々と云ることも見え。また此後にも。同書に。安帝永初元年倭國王帥升等。獻2生口百六十人1願2請見(ヲ)1とあるこれらみな。かの國皆稱v王云々。と云へる類にて。天皇の御使にはあらず。西偏《ニシノカタホトリ》の國の長《ヲサ》たちたるが。私に外國に通交せる者の。所爲なる事は明らけし。されば朝廷にはよしや知し看さずとも。かゝる者共が。漢國に往來して。かの漢(ノ)委奴國王など。文字彫れる印をしも授かり來れるを見れば。既く西偏の國には。漢文字ありと云事を知れりし事は明らけし。【其より前々も。文物開けたる國へ。使を遣しゝものゝ。文字ある事を知らぬよしあるべからず。】されば朝廷には知しめさずとも。我皇國に漢文字の傳はり來りしは。垂仁天皇の御世の末頃と定めて見れば。神功皇后征韓の御時までは。凡百五十年程もあるべく。さばかり年ふる程。私に漢士に交通したらむには。彼國に用ゐし文字をかつ/\も習ひて事通はし。將(タ)己が爲にも用ゐたるべく。さる中には。彼國籍をもおろ/\讀辨ふる者もありたるべし。新羅御言向の頃となりては。別て諸韓また漢國に渡れるものも多くありぬべく。皇后御歸朝の後は。韓國に府《ツカサ》を置給ひて。常に皇國人往來ひ絶ざりければ。必|通事《ヲサ》だちたる者もありて。韓國より奉れる表文等を讀解き。又此方より仰下さるゝ旨をも書などして事を通はし。將(タ)次々參渡れる博士どもに仰せて。惣て韓國に關係《カヽ》る事は。(5)官に書留めしめられたるべきなり。かくて其文字の便よきに因て。此方の要とある事をも。彼文法に擬ひて。且々書記しもして。漸々に用ゐる事とぞなりたりけむ。かくて仁徳天皇四十一年春三月。遣2紀角《キノツヌノ》宿禰(ヲ)於|百濟《クダラニ》1始分(チ)2國郡(ノ)※[土偏+疆の旁]域(ヲ)1具(ニ)録《シルス》2郷土所出(ヲ)1と云事見えたり。此ぞ物記す事の。紀に見えたる初なるが。彼が郷土の事をさへ録させ給ひしを見れば。此頃は朝廷にても。かくさまの事は記させ給ひし事炳焉し。かくて履中天皇の御世四年に及びて。始於2諸國1置2國史《フミヒトヲ》1。記2言事(ヲ)1。達2四方志(ヲ)1と記したり。既に此御世に至りては。世間に大方行わたりて。何事も書記すべくなりたるなり。古語拾遺に。此御世の事とて。三韓貢献。奕世無v絶。齋藏《イミクラ》之傍(ニ)更建2内(ノ)藏(ヲ)1。分2收官物1(ヲ)。仍令3阿知使主《アツノオミト》與(ニ)2百濟(ノ)博士|王仁《ワニ》1。記(サシム)2其出納(ヲ)1。と云る事もあり。【此は阿知使主と王仁との子孫なるべし】凡大皇國に。漢字漢籍の傳はり來ぬる因縁。またそれを世に用ゐる事となれる趣。右に述るが如くにぞありけらし。さて其後は。文字の道を得たる者も世々に出來て。上古より語繼ぎ來ぬる。要《ムネ》とある古事どもは。かつ/\書記せる籍の。諸家に出來たるなり。さてそれより撰史の事の見えたるはじめは。推古紀二十八年に。是歳皇太子|島《シマノ》大臣共議(テ)v之。録2天皇記及國記。臣《オミ》連《ムラジ》伴(ノ)造《ミヤツコ》國(ノ)造|百八十部《モヽヤソトモ》并(ニ)公民等(ノ)本紀(ヲ)1とあり。此|録《シル》されたる記等は。今傳はらねば。其書風いかに有けむ知べからねども。釋紀に引る上宮記の體裁を考ふれば。古事記の如く。假名漢文入交り。所謂宣命書の文をも交(ヘ)記されけむとおぼえたり。【世に傳はる舊事本紀を。上宮太子の撰と。其序にあれど。既に大人等の辨へられたる如く僞なり。其僞作れる世は弘仁よりは後。延喜よりは前なりし事。弘仁十四年の事の見えたると。延喜私記に既に引用たるにて灼し】さて次に天武紀に。十年三月丙戌天皇御2于大極殿(ニ)1。以詔(テ)2川島《カハシマノ》皇子|忍壁《オサカベノ》皇子|廣瀬《ヒロセノ》王|竹田《タケダノ》王|桑田《クハタノ》王|三野《ミヌノ》王(6)|上毛野《カミツケヌノ》君|三千《ミチヽ》忌部《イミベノ》首|子首《コヒト》阿曇《アヅミノ》連|稻敷《イナシキ》中臣《ナカトミノ》連|大島《オホシマ》平群《ヘグリノ》子首《コヒトニ》1。令v記2定帝紀及上古(ノ)諸事(ヲ)1。大島子首親執v筆以録焉。と見えたるは。御2大極殿1詔とあるなど。撰史の擧《コト》の嚴重《オモ》き公事に成る始になんありける。されど其十五年九月に。天皇崩じ給ひ。此時大詔蒙りたる人の中に。功成らざるに死たるなどもありなどして其功畢へず。【此時の帝紀は世に傳はらざれば。擧《コト》ならざるが如くなれど今の日本紀は。此を本文と爲玉ひしことは明らかなり。書紀集解には。今の日本紀を此時に成れるものなりとして論へる其中に。天武天皇十三年作2八色之姓1。譬。如d中臣(ノ)連改爲2朝臣(ト)1。大伴連改爲c宿禰(ト)u。而神代上紀曰。中臣連(ノ)遠祖。又下紀曰大伴連遠祖。此等之類不v遑2枚擧1。凡謂2遠祖1。證2今之氏姓(ヲ)1也。親王之時。何不v擧2今姓(ヲ)1。而猶依2舊姓1。是書紀成2于天武天皇十年(ニ)1。其證云々。とありて。次に出せる和銅七年二月に。紀(ノ)朝臣清人等に詔して國史を撰しめ玉ひしも。此に續て其後を補はしめ玉ひし物として。書紀三十卷。自2神代上紀1至2天武天皇元年紀(ニ)1。是天武十年大島子首等所2筆削(スル)1也。自2天武天皇二年紀1至2持統天皇妃(ニ)1。凡舍人親王奉v勅(ヲ)執行。清人藤麻呂等所2筆削(スル)1也。非2舍人親王一手(ノ)所v成者(ニ)1。故今論明v之と云れたる。和銅七年のは其趣異なる者と見ゆれども。日本紀は此時の帝紀に書續ぎて修め玉へるものなりと。云へる説はいはれたり。きれば此擧ならざりしものとはすべからず。たゞ未功畢へざりし物となすべし。】次に元明天皇和銅四年九月十八日。太安麻呂《オホノヤスマロ》朝臣に詔して。稗由阿禮《ヒエダノアレ》が記誦たる勅語の舊辭を撰録して。献らしめ給ふ。同五年正月二十八日功畢て奏上れり。古事記是なり。其書の體裁は序表に見えて。皆人の知れるがごとし。次に同天皇和銅七年二月。詔(シテ)2從六位上紀(ノ)朝臣清人正八位下三宅(ノ)臣藤麻呂(ニ)1。令v撰2國史1。【續紀】とありて。其年の中に功成竟て奏上たりき。奏上の事史には漏れたれども。扶桑略記に。和銅七年上奏(ノ)日本紀と云事あるを以知られたり。此即釋紀私記に。所謂假名日本紀なり。【此事次に云】此は上奏の月日は闕たれども。推て十二月の事としたらむにも。かの清人藤麻呂に令せ給へるは。二月の事なれば。速に功成れるを思ふに。神代を始(メ)。大御代の嗣々を。いとあらあらに記されたるものにて。其卷數も古事記ばかりのものなりけ(7)む。其書世に傳はらされば。知べきよしなきが如くなれど。かの天武天皇(ノ)御世に。川島皇子等に命せ玉へるが如き。嚴重き撰史の御擧とも見えず。此人等のむげに位階の卑き。先朝の人等の比にあらぬをおもふべし。古事記成て。今幾ほどもあらざるに。又かゝる國史を撰ばしめ給ふは。いかにと云に。古事記は先朝の大御意に出たるものにて。むねと勅語舊辭を傳へしめ玉ふ御|擧《ワザ》【この事は本書の序表に見えたり】こたび撰ばせ給ふ日本紀は。それとは異りて。御世御世の卷をも。假名漢文宣命書など入交りながらも【此は此書の。今世に聊か遺れる文のあるによる】やゝ漢の國史風に似る事を力めしめ。また古事記に漏たる古事どもをも。※[手偏+庶]ひ採らせ給ひて。やゝ今の日本書紀の體裁に。近く書しめたまへるものならむと。推量せられたり。【平田翁説に。假名本とはいへども。頓《ヒタブル》の假名文には非ず。漢文も交(リ)けむことは。釋紀に引る文に。漢文の處も多かるを以て悟るべし。と云れたるを思ふべし。】次に元正天皇養老四年五月癸酉先v是(ヨリ)一品|舍人《トネリ》親王奉v勅修2日本紀(ヲ)1。至v是(ニ)功成(ル)奏2上紀三十卷系圖一卷(ヲ)1。【續紀】とある。此文たゞ日本紀とのみあれど。是即今に傳はる日本書紀なり。偖此日本書紀は。太(ノ)安麻呂朝臣も加はりて修られたる事。弘仁私記序に。夫日本書紀者。一品舍人競王。【淨御原《キヨミハラ》天皇第五皇子也】從四位下勲五等太(ノ)朝臣安麻呂【王寺神八井耳命之後也】奉v勅(ヲ)所v撰也云々。親王及安麻呂等。更撰2此日本書紀三十卷。并系圖一卷(ヲ)1。【今見在2圖書寮及民間1也】養老四年五月二十一日【淨足姫天皇(ノ)年號也】功夫甫就(キ)獻2於有司(ニ)1。【今圖書寮也】とある以知べし。平田翁云。此紀の撰者を。紀には舍人親王の名のみ標《アゲ》たるを私記序また日本紀竟宴歌序。其餘の書等にも。みな安麻呂朝臣の名をも標《アゲ》たり。【釋紀に引る或書には。安麻呂朝臣一人に係てもいへり。武郷云三統理平延喜六年日本紀竟宴歌序。橘(ノ)亂直幹《ナホモト》天慶六年同竟宴歌序。又忌部正通口決等何れも二人の撰とせり】此を案ふに。紀には此人の名を記し漏せるにて。實は舍人親王は總裁とましまし。安麻呂朝臣は其(8)祐となりて。修られけむ。故に紀には。親王の御名のみ標されしならむ。【姓氏録の撰者|萬多《マンタノ》親王ともに六人なるを。專と萬多親王にのみ係て申すと。同じ謂にて。此例甚多かり。】と云れたるが如し。さて先v是奉v勅とある年は。知べからねど思ふに。かの天武天皇十年三月に。川島皇子等に令せて記さしめ給ふとある。撰史の擧をうけ繼て。此親王并安麻呂朝臣に。勅し給へるものなるべし。【此事上に集解の説を引出て委くいへり。】然らばこの奉勅は。この御代よりもなほ先(ツ)代。文武元明二帝の朝の事にもあるべし。然るに此御擧や。漢史風の體裁を似《マ》ねび作り給ふなどが。容易からずして年月を經たる間に。古事紀日本紀【假字本】の如き。卷の數も少て古語を旨としたるもの。一二部出來たるなり。されどそれはそれにて。此度の日本書紀は。天武天皇の所思食起せる。御旨趣を基本として。撰ばせ給ひしなりけり。さて釋紀に假名日本紀と。今在る書紀との前後を問答したる處に。假名本元來可v在。爲v始2其假名(ヲ)1。養老年中更(ニ)撰2此書(ヲ)1云々。といひ【此書とは日本書紀なり。】また或書云養老四年令3安麻呂等(ヲシテ)撰2録日本紀(ヲ)1之時云々。假名之本尤在2此前(ニ)1耳とあり。平田翁云此を合せて考るに。和銅七年に奉れる日本紀は。即所謂假名日本紀なる事疑なし。【武郷云平田翁は。和銅七年の日本紀をばみな言偏に作り改められたり。されど扶桑略記にも。一本にのみ記とありて。印本にはなほ紀と作り。水鑑の古寫本ども。何れもみな紀とあり。其他日本記と作るはをさ/\あることなければ。改められしは非なり。故今は悉(ク)本に反して引るなり。】かくて此假名本は先に成り。今の日本書紀は後に成(レ)る事は。上に引る弘仁私記序。釋紀共に。更撰と云るは。和銅七年に上奏れる日本紀はあれど。また更に今存る日本書紀を撰べる由なると。私記に假名本を古本と云ひ。今の日本書紀を後本と云(ヘ)るとを。思合せて曉るべし。又此に依て思へば。假名日本紀と云稱も。後に成れる日本書紀の漢文なるに對へて。號けたる稱にて。唯(9)に日本紀と云ひし事。上下に引る扶桑略記の文にて知べしと。云れたるはさる事ながら。右に引る釋紀に。假名本爲v嫌2其假名(ヲ)1。養老年中更撰2此書(ヲ)1。とあるは謬なるべし。上にも云る如く。和銅上奏の日本紀と。此日本書紀とは。其|撰《ツク》らしめ玉ふ根元。各異なるものにて。此と彼とは相關からず。されば其假名を嫌ふが爲に。など云べきものにはあらじかし。但日本紀は先に成り。日本書紀は後に成しかば。其日本紀の文に依て。修られし段もあるべきはもとよりにて。【此は古事記の傳(ヘ)と同じきも紀中にあるにても知べし。】しか採※[手偏+庶]ふにつけては。假名を漢文に改めらるゝこと。これまた論なし。さてまた平田翁が日本書紀は右の假名日本紀を。總ての元(ツ)書として修《ツクロ》はれたりと云はれたれど。其(ノ)説も信がたし。弘仁私記序。釋紀共に更撰と云るは。和銅七年に上奏れる日本書紀は對へて。今存る日本書紀を撰へる由なるべけれど。此又假名本を嫌ひて。日本書紀を修られたりと爲る徴とは云がたく。また私記に。假名本を古本といひ。日本書紀を後本と云るは。當時さる名目もありしなるべけれど【假名と云るも漢文に對へて號たる名なる事云まくも更なり。】これはた。日本紀は日本書紀の元(ツ)書たる證と。すばかりの事にもあらじかし。さるは平田翁も。中世の書等に。日本紀とて引るに。今傳はる日本書紀に見えざる事實のあるは和銅上奏の日本紀と通えたり。そは水鏡に顯宗天皇の前に飯豐《イヒトヨ》天皇と申を皇統に擧まつりて。此帝をば。系圖などにも入奉らざれども。日本紀には。入奉て侍ると見え。【大石千曳が水鏡(ノ)注に。此日本紀は今世に傳はる。舍人親王の撰給へる日本紀にはあらず。彼紀に。此天皇の皇代に入り給はぬを以て知べし。撚れば此に日本紀と云るは。和銅上奏の日本紀なるべし。そは紹運録にも。此天皇を皇代に入奉りて。皇代暦云。是不v註2諸王系圖1。依(テ)2和銅(10)奏聞(ニ)1といひ。扶桑略記にも此天皇を皇代にも入(レ)奉りて。此天皇不v載2諸皇系圖(ニ)1。但和銅七年上奏(ノ)日本紀に載v之。仍注傳v之とあり。此は既く。松下見林が前王廟陵記にも。右の書等を引て。此日本紀者非2今日本書紀(ニ)1。と記せるは誠に然る説なり。○武郷云。印本略記の文には。和銅五年とあれども。一本には七年とあり。さて上にも云るが如く。水鏡を始め。何(レ)の本にも日本紀とありて。言《ゴン》偏なるはなし。なほ己が見たるものにては。秘閣本と稱る帝王系圖|忍海部《オシヌミベノ》女王(ノ)下にも和銅二年日本紀とあり。二年はこれも誤なり。又前田本(ノ)日本帝皇系圖にも。飯豐(ノ)下に和銅日本紀とあり.かく何れも紀字のみなれば。言偏に定むべきにあらず。】神宮雜例集に引る神宮記に。内侍所の神鏡の御事を記せる處に。件(ノ)鏡者|於《ニ》2高天原1弖。鏡作(ノ)神乃遠祖。天香山《アマノカグヤマノ》命乃。八百萬(ノ)皇神達共爾。以v銅(ヲ)弖鑄造(レル)之神鏡也。【或云天(ノ)香山(ノ)命鑄2作之1】一面(ハ)坐(ス)2伊勢國(ニ)1。一面坐2紀伊國(ニ)1須。一面坐2内侍所(ニ)1是件(ノ)鏡也。【具見于2日本紀1】云云と見え。倭姫命世紀に。日本紀曰。神産巣日《カミムスヒノ》神(ノ)御子|少名毘古那《スクナヒコナノ》神。與2大國主《オホクニヌシノ》神1。相並作2堅此國(ヲ)1之。後者其(ノ)少名毘古那《スクナヒコナノ》神者。度2于|常世《トコヨノ》國(ニ)1也とあり。【此文ふと見ては。古事記を誤りて。日本紀と引るにやと所思れど。彼記の文と異なり合せ見るべし。】江家次第鎭魂祭(ノ)條に。神代卷|宇介船不美止々呂賀須《ウケフネフミトヾロカス》と見え二十二社注式に。日本記【武郷云印本には日本書記とあり書字なき本もあるにや】一書曰と引く賀茂建角身《カモタケツヌミノ》命の。日向(ノ)曾《ソノ》峰に天降りて。神武天皇を導奉(リ)て。後に生給へる玉依日※[口+羊]《タマヨリヒメ》の。別雷《ワキイカヅチノ》命を生たまへる故事を記せり。【此は殊に長き傳にて所謂宣命書に記せる文也】此等すべて。今傳はる書紀に見えざる事どもなるは。古本の日本紀を引る文なること疑なしと。云れたる。此にても假名本と。今の日本書紀とは。もとより異なることを知べし。もし假名本を元(ツ)書として。修られたる日本書紀ならましかば。此等の傳を。いかにして捨られけん。みないと止(ン)事なき古傳なるをや。たゞ彼は彼。是はこれにて。彼に漏たるが此にもあるべく。此に取らざるが。彼に※[手偏+庶]へるもありて。中には自ら似たるもあるべきなり。されば右の假名本を元として。修《ツク》られたりといへるは。推當の説と見て(11)ありぬべし。さて上にも云る如く。此日本書紀は先々の史どもとはかはりて。漢字の義を專と取て古語に填《ア》て。全く漢史風に記させ給ふにつきては。強たる字を填たる處々もあり。また字《モジ》簡《スクナ》に切めて。記されむとしては。言の義の通えがたくなれるなどもありて。いとさま/”\なれど。其は漢の國史風に似る事を。力められたる書の體裁こそあれ。事實の上を。彼に似たらむと。書みだり給ひしにはあらず。また紀中漢文の潤色なきにしもあらねど。それ將別に止事を得ざるよしありて。撰者の心にはあらぬなど。下に委しく云ふべし。また撰者の心に應はざる事をば。捨も刪りもして。修り改められたる事なども有て。【其は家々にて、古傳を記すとては。其家の祖の功績などは。殊に大きく記したる。また正實の旨を訛れる事も虚僞れることもありし故に。其失を撰玉へるなどを云なり。正しさ傳などを心に應はずとて。みだりに捨も刪も爲玉ひしにはあらず。】是即天武天皇の所思召し起せる御旨なりしを。其御心の如く成れりし故に。此を正史と立られて。其後は撰み改め給ふ事もなかりしなりけり。
 
 
     題號
 
此紀の題號。舊くヤマトフミと訓めり。抑夜麻登は大皇國の大名なり。まづ上古に。夜麻登と云に。四種の差別ある事を知るべし。其四種とは一には大八洲の全國を云。二には大八洲の其一(ツ)なる闔島《ヒトシマ》を云。三には畿内の大和(ノ)國を云。四には其大和(ノ)國内なる一郷をも云。此四種其起本は一なれども其名稱の前後本末あり。古來の説ども皆詳ならず。されど煩はしければ。其説等は總て辨へず。今新に予が説をのみ記(12)すなり。神代紀云於是陰陽始(テ)※[しんにょう+構の旁]合云々。廼生2大日本豐秋津洲《オホヤマトトヨアキツシマ》1。古事記云。生2大倭豐秋津島(ヲ)1。亦名天(ノ)御虚空豐秋津根別《ミソラトヨアキツネワケ》とありて。此大倭は甚大(キ)なる島にて西は長門國より。東北は陸奥出羽國までかけたる。闔島の大號なり。名義は未思得ざれど二神此國土を作成して。即其國體を見そなはして。御自(ラ)負せ給へる號なること明らけし。其は神武紀に。伊弉諾尊目2此國(ヲ)1曰。日本者|浦安《ウラヤス》國。細戈千足《クハシホコチダル》國。磯輪上秀眞《シワカミホツマ》國。と詔へる事ある。これ伊弉諾尊の御時に。此御言ありしを以證すべし。【此御言を後の一國の倭と見る説は。甚非事なり。かつ御子等生坐の時を置て。何れの時にかゝる御言は詔ふとせむ】さてそれより延きて。後に弘く大八洲全國をも稱て。大倭と云るは。此闔島の名の大に及べるものなる事はさらなり。これも神代より云(ヒ)初めたりし事は。下に云。さて又畿内の大和國の名も甚舊し。此闔島の大倭洲の内にても。此國は後に皇孫(ノ)尊の御知看《シロシメサ》む國と。神代に大己貴命の詔置玉へる如く。特なる所由ありて。此國を專と云習はしたりしなり。其は神代の神等の御言に。往々見えたる。其一二をいはゞ。大物主神の御言に吾欲v住(ムト)2於日本(ノ)國之|三諸《ミモロ》山(ニ)1と詔ひ。また八千矛神自2出雲1將v上坐(サムト)2倭國(ニ)1とある。これも當昔。倭と云名參あし證と爲べし。また饒速日命乘2天(ノ)磐船1。而翔2行太虚(ヲ)1也。睨2是郷(ヲ)1而降之。故因(テ)目(テ)v之曰2虚空見日本《ソラミツヤマトノ》國1。とあるは更なり。記紀の外にも。神賀《カムホギノ》詞播磨風土記等に見えたる。みな何れも。神代の事なり。さて又一郷の大和あり。和名鈔大和國城下郡大和【於保夜麻止】郷とあり。此名號の起本は。一國の倭より起れるかと云ふに然らず。此は倭大國魂神の御名より起れるなり。其證は此神の御名義を。大倭神社注進状に。在2大倭豐秋津國(ニ)1守2國家1。以號曰2倭(ノ)大國魂《オホクニタマノ》神(ト)1とありて。此倭は(13)即ち上に云る。大八洲の内なる。闔島の大倭より延て。大八洲の全《ミナ》に亘る稱を以。名け奉れるなり。【これ既く大八洲全洲をも。大倭と云ひしこと知べし】萬葉五に。地能天大御神等。倭大國靈《ヤマトノオホクニミタマ》云々とあるも。大八洲全洲の御靈と申す義なり。さて此大神は。皇孫天降の御時より。皇大宮の内に祭られ玉ひしを【紀又注進状】崇神天皇六年に。皇女|渟名城入姫《ヌナギイリヒメノ》命に託て。始て其時の皇宮|磯城水垣《シキノミヅガキノ》宮を出し奉りて。同郡なる穴磯《アナシ》邑に崇き祭り給ひき。【これを注進状に市磯《イチシノ》邑とあるは誤なり。其は垂仁天皇二十六年の紀に定2神地於穴磯邑(ニ)1祀2大市長岡岬1。とあるは。此時の亦の傳なれば市磯は誤なる事明けし。】この處を復改v名曰2大倭《オホヤマト》邑1と。注進状に見えたる。これ即今の城上郡穴磯にて。萬葉十二に。纏向痛足《マキムクノアナシ》。式に城上郡穴師(ニ)坐(ス)兵主神社とある此地なり。【大市と云も。即和名鈔城上郡大市是なり。】此は大倭大神の鎭坐せりしより。其大神の御名をとりて。後に其穴磯(ノ)邑を大倭邑とは云(ヒ)しなり。さて又其後の御代になりて。穴磯(ノ)邑より。右の城下郡|大倭《オホヤマトノ》邑【今は山邊郡に屬】に。此神を移し奉れり。【此事此には盡しがたし垂仁紀に云】其より又。其地をも大和《オホヤマト》郷と云しことは。其大神の御名を採て號けたりし事。かの穴磯(ノ)邑なると同じかるべし。然るにかの穴磯邑なる大倭の名は。既く絶て知人なく。今の大和神社(ノ)邊に殘れる地のみとなりぬるは。長く此大神の御座所と定りたるに依てなり。されば一郷の大和の名は。崇神天皇の御代より後の名なる事。右に云るが如し。さて又神武紀に。以2珍彦《ウヅヒコヲ》1爲2倭(ノ)國造(ト)1。【國造本紀にも。此御世に以2椎根津彦1。初爲2大倭國造1とあり珍彦と同人なり】と云事あり。此は一國の名にはあらで。古くより一郷の名と云り。さらば猶既く倭と云郷名。神武天皇の御代の頃より。ありしが如く聞えていと疑しきを。こゝに栗田寛云。此大倭國造は。大和の半國許(リ)をも所轄《スベシリ》しものにて。大和一郷に限れるにはあるべからずと云り。今其説に據て考るに。かの珍彦(14)は。香山にて功績ありし人なりければ。【神武紀】此御代に。其香山の邊に宅地を賜ひ。【此事は次に云】倭國の半國許(リ)をも賜ひて。其國造とせられたる。其地どもは今慥かには知られねども。まづ宇陀(ノ)郡は。其本土の事なれば。領《シ》れりしこと本よりにて。【延暦儀式帳に。宇太乃阿貴宮(ニ)坐只。次(ニ)佐々波多宮(ニ)坐|只(シキ)。其爾即大倭(ノ)國造等神御田并神戸進(リ)只。とあるにてたしかなり。】後の十市城(ノ)上下山(ノ)邊郡。猶其餘の處々をも廣く所轄《シレ》りしからに。其一國の名を以て。倭國造とは名を負せ玉ひにけむ。【なほ思ふに。添上郡あたりをも領りたらむと思しきは。雄略紀に。大倭國國造吾子籠宿禰。貢2狹穗子鳥別1爲2宍人部1とある。狹穗は添上郡なり。されば此邊までもその部内なりけらし。】されば此國はなほ。倭一國の號なりしこと明らけし。【もし此を一郷の倭として。倭大國魂鎭坐以來の名と見る時は。神武紀に國造をおかれし事も疑はしく。國造本紀も浮たるものとなれるなり。】さて其後裔|長尾市《ナガヲチノ》宿禰に至りて。【此人市磯長尾市とも云へるを以て。十市郡なる市磯の邊に。住し人なる事知られたり。此は城上郡穴磯に遠からぬ域なり。故其先祖珍彦より以來の。宅地ならむとは上に云るなり】此大倭大神を。其部内なる穴磯邑に齋き奉りしより。即其邑をも。後に大和邑と改めしなるべく。今の山邊都なる大和郷も。又同じきこと上に云るが如し。さて其大和の地に鎭座す故に。式に大和(ニ)座(ス)大國魂神社とは云るなり。されば大日本全國にかゝる稱號と。大和郷に鎭座す神名とを。混ずべからず。又序に云ふ。大物主神をも。倭(ノ)大物主命と云事あり。崇神紀七年に。この神の御言に。我是倭(ノ)國(ノ)域内《ウチニ》所居神と詔ひ。また同卷歌に。椰磨等那殊於朋望能農之《ヤマトナスオホモノヌシ》とある。此はなほ畿内(ノ)一國の名なり。其は此一國をば此神の殊に御心いれて造給へりし事後の物ながら。總國風土記等にも見えたれば。大倭造《ヤマトナ》す大物主と稱申し。倭(ノ)大物主神とも申せるは。かの大倭大神の。全國に亘れる御名とは異なりかし。故倭(ノ)國(ノ)域内(ニ)所居と詔へるも。かの神代に。欲v住2於日本(ノ)國之御諸(ノ)山1。と詔へると同事なり。此差別をも心得おかずば。まどはしかるべし。さるをこれまでの注(15)者。今の畿内の大和國をのみ。名の起りと心得て。耶磨登の耶磨を。山の義と爲る説ども。何れも末の義にて。かの大八洲の内なる。一島の名より起れる事を。おもはぬ説なれば。古書どもに證するに。すべて叶はず。さて此題號の耶磨登は。大皇國の大名なる事は上に云るが如し。日本の字は。孝徳紀大化元年の詔書に。明神《アキツミカミト》御2宇《シロシメス》日本《ニホン》1天皇。と初て用ゐられたども。其には未(ダ)夜麻登と云訓はなかりしなり。所以に神代紀に日本此云2耶麻騰1下皆效v之とある國號考云。夜麻登と云に。日本と云字を用る事は。書紀より始れり。其は未(ダ)例なきことにて。世人の惑ふべき故に。其訓注はあるなり。古事記は大化の年より遙に後に出來つれども。總ての文字も何も。古く書傳へたる任に記されて。夜麻登にも常倭字をのみ書て。日本と書れたる所は一もなきを。書紀は漢文を潤色り。字を撰びて書れたる故に。新に此嘉號を當て書れたるなり。但畿内の一國の夜麻登には多く倭と書き。天下の大號には。日本と書て。紀中大凡此例なり。人名も此意味にて。天皇の大御上には。日本。又然らぬ人のには。倭と書れたり。神日本磐余彦《カムヤマトイハレヒコノ》天皇。倭姫《ヤマトヒメノ》命などの如し。日本武《ヤマトタケ》尊は天皇の大御父に座て萬事天皇と等しき故に。日本とは書れつるなり。【又比能母登と云號は古書に見えず。日本と云は。意は其意なれども。比能母登とは訓ず。始より字音にぞ云けん。萬葉集に日本之とあるを。比能母登と訓る所在は。後人の強て五音に訓む爲の僻事にしてみな四言に夜麻登能と訓べきなり。唯三卷なる不盡山の長歌に。日本之山跡國乃云々と。續後紀十九卷興福寺僧の長歌に。日本の野馬臺能國遠云々。などゝある此等は此能母登能なり。然れど國號に云るには非ず。倭と云む枕詞なり。○武郷云。たゞに枕詞とのみにては聊か足らぬ心ちす。これは日本と云文字を。直譯に。ヒノモトと訓しものとすべし。】と云れたる。其日本と云は。異國へ示さむ爲に。設られたるにはあれども。其|元《モト》はなほ。韓國より稱奉れる稱號を。受させたまへるなり。其は信友が説に。韓國を言向賜へる時より。やゝ年(16)經るほどは。彼國に關係《カヽ》る事は。專韓人に命て。書しめ給へりしなるべく思はるゝに就て。考徴せる事の此彼ある中の。一二を説《イ》はむ。其は神功紀なる。新羅の御言向の時に。徽國王が言に。吾聞東(ニ)有2神(ノ)國1。謂2日本(ト)1。亦有2聖(ノ)王1。謂2天皇(ト)1必其國之神兵也とあるは。决て韓人の實録なるべし。其はまづ東有2神國1と云るは。いと既くより大皇國ある事を知りて。尊畏み。はた神の御護の奇異に厚き御國がらたる事を。知たりけるによりて。深く畏み憚りて然は稱せるなり。【神國と云へる事。是より前の文には有事なし。】さて謂2日本1と云へるは。韓國はもろこしの東に在りて。後世に彼國人がほこりかに。東國或は吾東方など云るを以ておもふに。そのかみも然る意ばへにて。日出に近き東の國ぞと。ほこりかに思居し心ならひに。其東なる神國なれば。日出(ル)方の本國と云ふ意にて。既に日本と稱ひて畏み尊みしなり。續紀天應元年七月。栗原勝子公《クリハラノスグリコキミ》言。子公等之先祖|伊賀都臣《イカツオミ》。神功皇后(ノ)御世使2於百濟1。便娶2彼(ノ)土(ノ)女(ヲ)1生2一男(ヲ)1。名2日本《ニホンノ》大臣(ト)1。遙(ニ)尋2本系(ヲ)1。歸2聖朝(ニ)1云々。と云傳たる日本も。當時百濟人の稱詞とぞ聞えたる。【當時より既く。崇神天皇の御世。任那人都奴我阿羅斯等が。歸化て奏せる言に。傳聞日本國有2聖王1。と云へる由。書紀に記されたるは。例の後の號を古に囘らして。書れたる文なるべし。又そのかみはやくより。日本と稱へをりしにやあらむ。そはとまれ稱へたるこころはおなじ。しかるを朝鮮の東國通鑑に。新羅の文武王十年に。倭國更號2日本1。自言近2日所1v出以爲v名。といへるは。もろこしの新唐書に。咸享元年の下に。然書たるをとりて。己が國の年紀に合せて。書たる謾言なり。其はもと己が國にて稱へ奉りたる號なる事を。つゆしらで自言とはいと可笑し。】さて韓國臣服參りて後。表にも日本と書て上りけり。故此方にても其尊稱を受給ひて。すべて外蕃へは日本と詔ふ例とぞなされける。孝徳天皇大化元年七月丙子。高麗百濟新羅并遣v使進v調。百濟調使兼領2任那使1。進2任那調(ヲ)1云々。巨勢徳太《コセノトコタ》臣詔2於高麗(ノ)使(ニ)1曰。明神(ト)御2宇《シロシメス》日本《ニホン》1天皇(ノ)詔旨《オホミコト》云云。又詔2於百濟使(ニ)1曰。明神(ト)御2宇日本1天皇(ノ)詔旨云(17)云と見えたり。令にもすなはち其定に載られて。公式令の詔書式に。明神(ト)御2宇(ス)大八洲1天皇(ノ)詔旨とあるを。義解に用2於朝庭(ノ)大事(ニ)1之辭也といひ。明神御2宇日本1天皇詔旨。とあるをば。以2大事(ヲ)1宣2於蕃國使(ニ)1之辭也。と謂へるを以も知るべし。但し既に應神天皇御世二十八年高麗王の上表に。教2日本國(ニ)1と書たるを。太子の讀まして責給へる事。書紀に見えたり。此は教と書けるが無禮きを責給へるなり。又經籍後傳記に。推古天皇の御世。もろこしの書籍を買はしめ給はむとして。御使を渡給ふによりて。隋王がもとに賜へる詔書に。日出(ノ)處天皇。致2書日没(ノ)處(ノ)天子(ニ)1と。詔ひ遣はし舊へりし由みえたる。日出處も天皇も。ともに韓人が稱奉れる意ばへを。用(ヰ)させ給へるにて。もろこし人が。自(ラ)己が國を中國中華など云ひ。王を天子など云ひて。ほこりをるとはいたく異なり。【もろこしの書に。日本と記せるは。梁の世に任ムが述異記に。日本國有2金桃1云々。と云へるぞ舊かるべき。そは既に韓國にて稱《イ》へる號を。用たるものなり。又新唐書に。日本(ハ)古(ノ)倭奴國也云々。咸享元年遣v使(ヲ)云々。惡2倭名1更號2日本1使者自言。國近2日(ノ)所1v出以爲v名(ト)といへり咸享元年は。天智天皇の九年に當れり。此時日本と云ふ號の謂を問たりけんに。しか/\と答へけるは。前に日出處天皇と詔遣はし給ひしに打あひて。あはれいとよき答なりけり。惡2倭名1と云へるは。彼國の例の推量りぞ】かくて大皇國の號の夜麻登と云に。打まかせて日本の字をも用る事は書紀や始ならむ。【武郷云此事は已に本居翁の説を引て上にいへり】かくて日本の字の嘉《ヨロ》しく。ふさはしきによりて。字訓に比能母登とよみて。これも大御國の又の稱となれるなり。【以上信友説】と云れたるが如し。【なほ神國といひ。天皇と云る文字ももと新羅國より稱奉れる尊稱を。受させ玉へるものなる事も云はれたれど。此に云はず。紀中其文字の出たる處に引出て云べし。然るを平田翁説に。日本と云名も元來は皇國人の唐世頃などに。稱始めし名にはあらず。いと既く軒轅黄帝紀に。乘黄と云獣の事を。出2日本國(ニ)1壽三千歳と見え。梁任ムが述異記に。日本國有2金桃1其實重一斤。なども見えて。彼國より尊み稱せる名なり。と云たるは非也。軒轅黄帝紀の事は論あり別に云べし。梁任ムが述異記は。大凡繼體天皇の頃の人なれば。其頃既に日本の號ありしを。彼國に聞つけて。書たるのみにこそあれ。彼國より尊み稱せる證更になし。其證とて引れたる文は。次に釋紀にも。問謂2日本1者是唐朝所v名歟答延喜講記曰。自v唐所v號地云云。開題記にこれを日本と云名の。唐土にて名けたる證とせしも杜撰なり。引たる文のさまもたがへり。此文釋紀に(18)は。問大唐謂2此國(ヲ)爲v倭。而今謂2日本(ト)1者。是唐朝所v名歟云々。延喜記曰。自v唐所v名也。隋文帝開皇中。入唐使小野妹子改2倭(ノ)號(ヲ)1爲2日本之號1。とある文なるを文の前後を切り栽て。あらぬさまに引付たりしなり。さるはまづ此釋紀の文をとくべし。唐土にて。此國を古より倭と云り。然るに今日本と云は。是唐の代より所v名歟將我國自稱歟と問へる答に。延喜講記曰。彼國唐の代より號くる所なり。我國にては隋の代に。小野妹子が改2倭(ノ)號(ヲ)1爲2日本1と爲り。然れども隋皇其を許さず。唐代に至りて。武徳中に初て日本と號せり。と云る文にこそあれ。それを問大唐謂2此國(ヲ)1爲v倭(ト)而今の十字を略きて。日本と云號を唐土より所v名歟。と云意にとりなしたるは違へり。唐朝は唐(ノ)代なり。唐土の事にあらず。さて其答に自v唐所v號也とあるも隋(ノ)代を過て。唐代に至りて。始て名くる所なりと云文を。其をも接續の文を盡く截去て。唐土より所v名也と云證に。引れたるは。いかに杜撰にあらずや。よく/\釋紀の文を見るべし。さる意さらにある事なし。されば唐土にて。日本と云名を負せし證は。一もなしと知べし。また日本自v唐當2東方1之間唐朝所v名也などもあり云々。開題記に。これを日本の號を唐朝より名づくる證とせしは。また杜撰なり。此文は上に。問此國謂2東海女國1。又謂2東海姫氏國(ト)1若有2其説1哉と云る答に。師説梁(ノ)時寶志和尚※[言+籤]云東海姫氏國。倭國之名也云々謂2東海(ト)1者。日本自2大唐1當2東方(ニ)1之間。唐朝所v名也とありて。日本を東海姫氏國と謂所以は大唐より東方の海にあたれるが故に。號けたる也と。云る答にこそあれ。日本の號の起りを云るにはあらざるを。謂2東海1者の四字を削り去りてあらぬさまに文をなしたるは。太しき牽強也。かつまた大唐とあるを惡みて大字を削りたるもわろし。大唐とあるは唐朝と云とは意の異なるものをや。】書紀と云る由は。釋紀に問不v謂2日本紀(ト)1。謂2日本書紀(ト)1如何。答師説宋太子(ノ)・事范蔚宗。撰2後漢書(ヲ)1之時。敍2帝王事(ヲ)1。謂2之書紀(ト)1。敍2臣下(ノ)事(ヲ)1謂2之書列傳(ト)1。然則書紀之文依v之歟云々。と云はさる説にて。舊く皇國に傳たる漢書は。漢書紀とありしよし。屋代弘賢ぬしの傳へ語られき。然れば書紀といふ號は。漢書の題號に依《ナラ》へりと云る。釋紀の説は違ひあるまじくこそと。開題記に云れたり。さて此日本書紀といふ名につきて。記傳首卷に。【まづ日本書紀といふ題號こそ心得ね。御國の號を標られたるなれども。漢國は代々に國號のかはる故に。其代の號もてつけざれば。分りがたければこそあれ。皇國は天地の共遠く。天津日嗣つゞきまして。かはらせ給ふ事しなければ。それと分て云べきに非ず。かゝることに國號をあぐるは。ならぶるところある時のわざなるに。是は何に對ひたる名ぞやたゞ漢國にむかへられたりと見えて。彼にへつらひたる題號なりかし。然るを後人の。かへりて此をたけき事に稱へ思ふはいかにぞや。己が心にはいとあかず。邊みたる名とこそおもはるれと。】云れたる説はあれども橘守部の其を論ひ直して云く上(ツ)代の人はことわりのまゝに。吾皇大御國を。天地の間に二つとなく。尊き限と思極てありければ。直(19)ちに國の大號を擧て。日本某と稱をば。上なき自稱とはせしにぞ有ける。かの上宮太子の隋王に賜はしつる御書に。日出處(ノ)天皇投2書日没處天子1。無(ヤ)v恙否云々。と示したまひ。今此紀中などにも。凡て。異國をば西蕃と書たまへる。その意氣の高きに合せても。諂ひてには非る事著明し。萬葉集の歌などには。何處に對へ。誰に諂ふとには固(リ)あらざれど。日本之《ヒノモトノ》倭國者云々。磯城島乃《シキシマノ》倭國者云々などゝ恒にあまたよみたるも同事なり。又吾國者。吾日本者。音大王者。などよめる。吾も他に對へてにはあらず。是は偶(マ)親しみて云なりと注せり。是を親(マ)辭としらば。右の國號も自稱となどか悟らざる。是則名物を擧るに倭鍛冶《ヤマトカヌチ》。日向駒《ヒムカノコマ》。信濃眞弓《シナヌノマユミ》。難波菅笠《ナニハスガカサ》などゝ。己が國郷を自稱して云と。同じ心ばへなるをや。さるは人皇四代懿徳天皇の尊稱を。大日本彦耜《オホヤマトヒコスキ》友尊と稱し。人皇六代孝安天皇の尊稱を。大日本足彦國押人《オホヤマトタラシヒコクニオシヒトノ》尊と稱し。人皇七代孝靈天皇の尊稱を。大日本|根子彦太瓊《ネコヒコフトニノ》尊と稱して。是より御代々の天皇。日本根子を以て通稱としたまへり。此御時末(ダ)異國の通路なし。此國號は何處に對ひ。誰にへつらひて名のり給ふとかせん。即かく吾天皇を。御代々々日本根子と奉v稱に傚ひて。吾天皇の史をも。日本書紀とは名づけ給ひたるなるをや。と云れたるはいと/\珍《メデ》たく卓れたる説なりけり。此論に從ふべし。【信友も。日本は世に比等なき由にて後世に天下一。日本一など稱ふ心ばへなるべし。外國に對へて云ふ意にはあらずと云れたり。】さて又此紀を。日本紀とも日本書紀とも。古昔よりいへるにつきて信友が論あり。其は其著はせる比古婆衣の日本書紀考に云く。此紀もとは曰本紀と題《ナヅケ》られたるを。文人たちの書字を加へて。日本書紀とも稱へるより起りて。遂に題名となりしと見えたり。然るは續日本紀に。(20)養老四年云云舍人親王奉v勅修2日本紀1と有を始め。六國史はさらなり古(キ)書どもには。悉く書(ノ)字なきを。釋日本紀に引たる。此紀の弘仁私記序に。始て日本書紀と見えたり【日本後紀に。弘仁三年六月戊子。是日令2參議從四位下紀朝臣廣濱。陰陽頭正五位下阿部朝臣眞勝等十四人(ニ)1講2日本紀1。散位從五位下多朝臣人長執講とあり。此時の人長の私記なり。永正奥書本の書籍目録に弘仁四年私記三卷。多朝臣人長撰とあり。】また此紀の竟宴歌の本に。延喜六年天慶六年の度どもに。日本紀竟宴。客分v史得2云々(ヲ)1并序と書出して。【これより前元慶六年の度も。日本紀竟宴云々とありて序文はなし。】其序文には。ともに日本書紀と書り。【此竟宴歌の書は契冲が宗尊親王の眞跡なりといふを。肥後國熊本にて臨模し來れるを。元禄十三年に。今井似閑に與へたる自筆本による。普通の寫本には。延喜六年の序文には。書字脱たり。】これら決く文人の潤色作爲《カザリワザ》なるを。始めに日本紀竟宴と書出たるは。舊名に依れるなるべし。【文章のいたく漢樣なるをも思ふべし。さて延喜六年の序の作者は三統宿禰理平なり。】又朝野群載に載たる。承和三年に記せる。廣隆寺縁起。釋日本紀に引たる延喜講記にも日本紀と見えたり。【萬葉集中に日本紀。また日本書紀ともあれど。後人の勘文と見えたれば論ふべきにあらず】さて上に擧たる弘仁より前の書どもには。續日本紀なるはさらにて。本朝月令に引たる高橋氏文に載たる。延暦十一年三月十八日の太政官符に。日本紀と見え。日本後記に延暦十六年二月の下。また弘仁三年六月の下にも。日本紀とあり。【但し同紀大同元年七月の下に。是日勅命據2日本書紀1々。とあるは後人の加筆か。今他本なければ。校べきよしなし。古語拾遺卜部家傳來の奥書ある古本の奥に。此文を引たるにも。書字あるは此本に據れるものなるべし。又按ふに。後紀は承和七年に奏進られて。弘仁より二十餘年後に撰れたる書なれば。當時の名目もて。記されたりしにもあるべし。さてまた後紀の延暦十六年二月の下なるは。續日本紀を撰ばはしめたまへる時の詔詞にて。前日本紀とあり。此は續日本紀に對へたる文なり。さて其次の文に續日本紀の事をさへに。單に日本紀とあり。古書どもに續日本紀より。以下の國史どもを。すべ日本紀と云ること例あり。大神宮諸雜事記。天平神護二年神宮燒亡條に。日本紀二部と見えたり。此記いと古く撰たるものならねど。もはら古記どもを書集めたる書と見えたれば。當時題名の一證とすべし。】此後の古書どもに日本紀と書るは甚多く。日本書紀と書るはをさ/\有ことなきを以て。日本紀といへるが。原よりの名なる事を知べくぞおぼゆる。【台記に。久安四年四月二十三日季房朝臣來。話2大日本紀事1と記されて。大字を添たるは珍し。此は私に尊みてのわざなること决し。】猶いはゞ。此紀もとよ(21)り書紀と題せるものならば。繼々に令v撰られし史等も。續日本書紀。日本後書紀など稱ふべきを。然有ぬを以ても。證とすべきなり。と云れたるはいと委き考なり。平田翁も此説を諾ひて。なほ云れけるは。姓氏録に日本紀といふ號多く見えたる。一所も日本書紀と言ることなし。然れば前條に記せる信友が考はます/\正しくおぼえたり。然るはかの録は公の録なる故に。私に書(ノ)字を加ふる事はなきなり。と云はれたり。武郷按に。まことに此説の如くなるべし。但し此を弘仁年中より。文人等が書(ノ)字を文飾に加へたりとの説は徴なければ更に信がたし。據てつら/\考ふるに。其原よりの名は右に云れたる如く。何れもたしかなる徴ありて。日本紀と云る事更に疑なきを。後に稱呼の爲に書字を加へたりしものなるべし。さるはいつの頃の事にかと云に。なほかの上に云る。和銅上奏の日本紀に相并ぶ時。其まぎれのあらむ事を思ひて。當時さる稱を呼しものとぞおぼゆる。其は和銅上奏の日本紀も。もとはたゞ日本紀なれど。後の日本紀と唱(ヘ)を別たん爲に。假名日本紀と呼び【此事は既に云へり】此日本紀は。ひたぶるの漢文なれば。彼漢書紀などの事をおもひて。書字を加へて呼わけたりしものとおぼゆ。されど其原はいづれも勅撰の書にて。私に題號の文字など改むべきにしあらねば。これはたゞ一時官府などにて。此二書を取扱ふ時の假の題號なるべし。さるからにいつしか呼なれて。假名日本紀も日本書紀も。もとよりの名の如く成(レ)る物なるべくもおもはれたり。しか見る時は。書紀といへる事も。私の題號にこそはあらめ。なほ弘仁などよりははやく。云初めしものならむもしるべからず。またまことに弘仁の頃より。さる名を負せたりし(22)ものと見てもありぬべし。かにかくに。文人等が潤色に加へたりとの説はうべなひがたし。これらなほよく考ふべき事なり。
 
 
     異本
 
此書異本いと多し。既く清輔朝臣の奥義抄に。日本紀も本々あひたがへる事あれば。いづれと定がたし。と云れたるもさる違のありしにこそ。さるはまづ。其異なるより見えたる證は。信友が比古婆衣にも引て云る説に。天慶六年竟宴歌の。橘直幹の序に。上起2混沌(ニ)1下別2人神(ヲ)1。始2於辛酉之元(ニ)1。【神武天皇紀の始に。是年大歳甲寅とあれば。辛酉歳といふは。即位の元年をさせり。】終2於壬寅之歳(ニ)1。【今の日本書紀三十卷。持統天皇の十一年丁酉八月乙丑に。禅2天皇位於皇太子(ニ)1。と云まであり。壬寅は大寶二年にて。持統天皇崩御の年にて。續日本紀に記されたり。舊は續日本紀天皇崩御の頃の事まで記されたるを續日本紀に讓りて。後に削られたるなるべし。されど此序の下文に。自2天孫云々神倭云々1。※[さんずい+自]2持統禅讓之際(ニ)1。とある文によれば。紀の今(ノ)文の終(リ)と同じきにやとも通ゆれど。正に終2壬寅之歳(ニ)1と書たれば.持統天皇崩御までの事を書たるにて禅讓云々の文は。書ざまの拙きにや。又干支の建ざまの今本とは異なりしにもよるべし○武郷云。禅讓云々の文は。次の文武謳歌之初云々と照應せられたる文にて持統天皇の。文武天皇に御位を讓り給へる事を漢文に飾れるまでにて。さのみ書ざまの拙きにもあらず。正に終2於壬寅之歳(ニ)1とあれば。持統禅讓までの文と見るべからず。また干支の建ざまの異なりしにもあるべからず。】總三十卷云々。自d彼天孫排(キ)2雲衢八重之路(ヲ)1。仙蹕降2日向千穗之峰(ニ)1。神倭臨2曲浦(ニ)1而逢2漁人(ニ)1鳥鳥指2中州(ヲ)1而爲c郷導(ヲ)u。【この天孫云々も。上起2混沌1とは。遙に後の事なれども。かく云るは文なり。神倭云々は。神武天皇の御事を。一つに擧て云るなり。】※[さんずい+自]d于持統禅讓之際。傳以2洪基(ヲ)1文武謳歌之初。受c其暦數(ヲ)u。乃是四十二帝之興衰者。繊微必録(シ)一千餘年之治亂者。旨要無v遺。とある干支。また御世繼の數も今本と異なり。【○武郷云神武天皇より。神功皇后を數へて。持統天皇まで四十一代なるを。こゝには四十二帝と(23)あるは御世繼の異なるが如くなれども。此天慶六年竟宴の時の記には。文武天皇大寶二年壬寅までを記せし趣。序に見えたれば。今の本と異なり。されば文武までを數へて。四十二帝なり。御世繼の數の異なるにはあらず。これを飯豐青(ノ)皇女を。一代に立られたるによれるものなりと云るはかなはず。大友天皇を數へて云る説も非なり。さらば四十三帝にこそはましけれ。】また同竟宴歌の中に。得2聖徳太子1。從四位下行右中辨藤原朝臣師尹。佐支珥保敷波汲奈乎者於幾弖登與止美己《サキニホフハナヲバオキテトヨトミコ》。萬津爾者見萬須伊呂那賀利介里《マツニハミマスイロナカリケリ》。と有りて。平假字の詞書に。はるもゝのはなのあしたに。ちゝのみこ太子もろともに。そのにあそひ給ふに。みことひてのたまはく云々。太子こたへたまはく。もゝのはなはしばらくのもの。まつのはゝひさしきなり。ゆゑにおもしろしとのたまへり。とあり。此歌によめる太子の事蹟。今(ノ)世に傳はれる日本書紀に見えず。太子傳暦に。三年甲子春三月桃花之旦云々。とあるに符へり。天慶六年の頃の日本紀には。此事蹟の文ありし事知べし。【以上信友説】と云れたる。げにさる説なり。さるは世世の文臣等が叡旨を受て増(シ)補(ヘ)しもありぬべく。また時(ノ)議に合《カナ》へて。私に改めおきしもありなどして。いつとなく然る異本も世に出來にけるなるべし。此に其一二をいはゞ。今の本に。飯豐皇女をば世數に入れ奉らざれども。和銅七年上奏の日本紀には。皇統に加へ奉りしよしなれば。養老四年上奏の此紀に略くべきよしなし。【もとより奏聞を經て。皇統に加へ奉りしものなればなり。】必本書には。飯豐天皇を立てられしものなること知られたり。猶其證は。其卷に臨v朝(ニ)秉v政(ヲ)。自稱2忍海《オシヌミノ》飯豐青(ノ)尊(ト)1とあり。冬十一月飯豐(ノ)青(ノ)尊崩。葬2葛城(ノ)埴日《ハニヒノ》丘(ノ)陵1。とあり。かく正しく臨v朝(ニ)乘v政云々とあり。御名に尊字を用ゐ。崩と云ひ。陵と記されたるなど。天皇紀を立てられたる時の。文の殘れるものなり。本より世數に加へずは。かゝる文字を紀中に掲(ゲ)らるべきよしなし。【古事記は和銅五年に奏上の書なれば。世數にはいまだ立られざりし間の事なれば。此例にあらず。】(24)また大友皇子をも。本書には世數に加へ給ふまじきことわりにて。もとより今本の如きさまなることは決し。然るを中比【これは和銅よりは後なり。孝謙天皇の御代の頃にもや有けん。】議ありて。一代に數へ奉りしものと見えて。續紀大炊天皇天平寶字二年八月勅に云々。自2近江大津宮(ノ)内大臣1已來。世有2明徳1云々。君歴2十帝(ヲ)1。年殆一百云々。とあり。この十帝は。天智、大友、天武、持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙と當代とを云へるにて。此御世頃には。大友をも一代に立しなりけり。【此事は已く寛政六年に。日下部勝皐が著はされたる藥師寺擦銘釋に。此勅を出して。※[搖の旁+係の旁]v是(ニ)而言。天朝以2大友1。公然列2叙世數(ニ)1云々と云れたり。此一代を岡宮天皇なりと云る説はひがごとなり。】さて其時など。大友紀をも立しものか。はた其までには及ばれざりしものか。其は詳ならねど。とにかくに。改正ありしものなる事は。天智天武の兩朝の紀の處々。今の本には。前後齟齬へる事ども多く。はた近き御世の事にて。よく知られたることをも。をり/\文を略きて。云々と記されたる處さへ見えたるは。其後議ありて。世數を除かれたる時などに。かくあらぬさまに改まり行きし事を知るべく。今の世に。異本のあまた傳はりし由をも知るべきなり。さて武郷が舊く相識れる那須繁仲【江戸人】と云るが此紀の事を論ひし書の中に。今の刊本の諸本に勝れる事を云れたる説あれば。こゝに引べし或人問けらく。書紀の今世に異本どとも種々傳はりてあるが中に印本の起りは慶長年中に。活字印本始めて世に行はる。【慶長四年巳亥春。勅によりて始て梓に鏤するよし。また舊本頗純駁不v一求2數本1考2正之1。など清原國賢朝臣の跋文に見えたり。其書神代紀二卷。半葉八行一行に十七字一書は二字低書せり。活板無點にて異同の書入もなく。大概今本に同じけれど。字畫精好なることは。庚戌の歳の活版に愈れり。其は國賢朝臣の自筆のよしなればなり。此本河村氏のいはれし國賢朝臣自ら寫ところの本。神代紀より武烈紀にいたるといへるものなるにや。されど皇代紀刊本の有無は知らず。又同十五年庚戌の夏。全本活字板にて行はる。此本はもと卜部家に歴世轉寫する所にして。三條西内府公の是正を歴しよし。洛※[さんずい+内]野子三白の跋文に見えたり。然るに御本云と記して國賢朝臣の跋文をも載せ。且すゑに以勅本板行。なども書れたるは。巳亥の歳の勅本にも。比校られしにたや。かつは(25)今の板をおもくせんとての。しわざにもあらんか。偖さきの庚戌の歳の活本によりて。文字の誤れるをば。悉く改正し。清本江本交本等の異同をも擧げ。すべて訓點をも加へて。板に彫られたるも同じ慶長の頃の事なりけん。其訓點等も全く内府公の訂し給へる。朱墨の點によられしなるべし。今世に流布するは。此本によりて。寛文九年已酉正月。書肆某等四人の重刻せる物なり。武郷云寛文の前に寛永年中に既に重刻せる本もあり希に殘れり。さて又寛文にも二板あり。】其書たるを顧るに。錯簡倒錯。衍文脱字。魚魯鮮からず。訓點にいたりては。古訓古語尤多しといへども。紕謬もまた特甚し。谷川氏が稱へる所の。諸寫本の跋に。安貞、正應、永仁、嘉元、延元、康永、應永、文明、永正、大永、享禄、天文、等の年號ある本。何れも少異同ありといへども要するに皆卜部家の本なるときは。別に考勘に備ふべきものなし。桃花※[草冠/田三つ/木]葉に。日本紀三十卷故殿受2吉田神主卜部兼X卿説1給。自v爾以來當家相傳之。と記され給へれど。神代紀纂疏の本の如きは。卜部家の諸本とは。※[しんにょう+囘]然《ハルカ》に同からず。此は傳ふる所の異なるか。抑又禅閤の博通多識。自改定め給へるものなるか。又渡會延佳。河村秀根等が。引くところの伊勢神宮の古本。及び熱田神宮の本等。其他にもまた奇秘珍本ありときけば。何れを正とも定めがたきが如し此論いかにといふに。答へけらく。繁仲また二三の諸寫本によりて。校正するを得たれども。皆卜部家の校本に非るはなし。今の刊本もと卜部家の本といへども。三條西内府公の手を歴て。清江諸家の本もて校するのみならず。其字訓字樣も。皆古より傳ふる所あるものにして。聊かも後人の私爲とは見えざれば。これを正本と定め云んに論なかるべし。さて其古字俗字。省文隷變。又は通用の文字までを。假用ゐたるさまを隋唐以上の書に考索て知るべきもの。豐を豊に。【唐上元本玉篇通用】績を續【孝經穀梁成五年】復を服に。【尚書史記】頃を項に。【史略】莊を庄に。【唐韻】作れる類。又之於通用し。焉然通用し。【禮記荀子】〓率卒三字互用する類。皆(26)傳寫の誤にあらず。又※[草冠/蹄]を※[草冠/帝]に。【安康紀】廬を盧に。【安閑紀廬城一本盧城に作る】弦を玄に。【持統紀】聊を卯に。【雄略音レウ一本聊に作る是也】僭を替に。【崇峻紀謀1替立1皇極紀謀2僭立1につくれり。】鶴を鳥に。【欽明紀に鳥音革とある一本鶴に作る。】※[舟+同]を同に。村を寸に。伎を支に。億を意に省たるも當初|史《フヒト》氏の家に。用習來たるものなり。【杜元凱の古字聲同皆假借と云へるが如く。詩に恭を共に。寵を龍。荷を何。粒を立。滅を威。誠を成。政を正。膂を旅。書に繪を會。狩を守。背を北。遑を皇。論語に姻を因。億を意。嚮堂を郷。左氏に※[馬+麗]を麗。答を合。※[折/日]を折。孟子に邇を爾。惑を或。納を内。縱を從に作るなど。すべて古書の中には。枚擧するに遑あらず。是等假借もあるべく。又古が正文にして。今が重文なるも有べし。史記の論字例に。史漢文字相承已久。若悦字作v説。閑字作v間。智字作v知。汝字作v女。早字作v蚤。後字作v后。既字作v漑。勅字作v飾。制字作v※[(山/而)+立刀]。此之般流。縁2古(ニ)少1v字通共用v之。史漢本有2此古字1者。乃爲2好本(ト)。と云るが如く。此書紀をはじめとして。本朝の古書みな上に擧るが如き字樣のあるもの。眞好本といhべきか。】また狗を※[獣偏+苟]に。料を※[米+斤]。※[聚+おおざと]を※[(ヨ/ヨ)+こざと]。殺を〓。※[身+哉]を※[身+戈]。顧を〓に作る類。草冠竹冠常に相通し用ゐるが如きは。彼邦にても已くよりもちゐ來りて。此の學生等。皆傳へたるものなり。また辨に弁を。劔に釼を。充に宛を用る類も。皆古より由て來たるところ久し。此等の字樣ども一々證左を得に非ざれば。片言隻辭も私に改むべからず。これを以ていへば。今の刊本誤ありと雖。諸寫本の多く放失せるものに愈れる事萬々なり。【以上繁仲説】と云れしはさる言なり。此論に從ひて。今の刊本を以て正本と定むべし。【なほ紀の原本は。古字にて書たりしと云る考證ははやく天野信景が鹽尻に云く。或人問聖經漢皆古文字なりと。何(レ)の時今の如き文字に誰改しか答。焦氏筆乘四曰。六經本皆唐天寶三年。詔2集賢學士衛包1。改2古文(ヲ)1作2楷書(ニ)1云々。これより雜書もまたかくありしとかや。右は吾皇朝の國史の中にも。日本書紀など。古昔の原本は多くは。古文もて書たりしを後世追々に書改たるものと見ゆるは。彼處の經書など。皆楷書に改たりと云を。聞てのしわざなるべし。唐天寶三年は皇朝聖武天皇の天平十六年甲申にあたれり。養老四年日本紀撰上よりは二十五年後の事なれば。其書紀撰述のほどなどに。文字の上につきて考合されたりけん。漢書どもは。都て古文字なりけんには。後世に至りて。これは彼が何の書の文を採用たるなれば。此文字ならではなどいひて改めんには。中々なる物ぞこなひもや出來らんと。いとおぼつかなき事なりと。云れし事もあり。】さてしか刊本を正本と立おきて。予が此通釋の本文に。見たる限りの本どもを以て校へ訂したる。古寫本どもを引べし。まづ延喜本神代下卷一冊。醍醐理性院所藏本にて。延喜四年勅月畫日。從(27)五位上守右少辨藤原朝臣清貫。右大史正六位上兼行算博士阿保胡臣巨賢奉行。云々の奥書あり。【此奥書は信友の考ありて比古婆衣にひけり。】此本はいと疑はしさものなれど。世に人の知れる本なれば。處々に引て云る事あり。次に嘉禎本。是も神代下一冊あり。賀茂御祖神社禰宜。鴨脚秀文家藏。嘉禎二年十月十八日。書寫の奥書あり。次に嘉元四年八月以2武庫相傳秘本(ヲ)1令2書寫1者也云々。【上卷】九月十九日。於2金澤之風亭1。以2前神祇伯二位入道殿秘本(ヲ)1令v寫【下卷】酉院末資金剛紺子劔阿の奥書あり。次に嘉暦本。神代上下二冊。是は水戸徳川氏所藏。嘉暦三年心宗沙門劫外曇春。於2巨福山建長蘭若書窓1。寫せるよしの奥書あり。次に禁中御本七冊【卷二、十、十二、十三、十四、十五、十六、十七、十八、二十一、二十二、二十三、二十四等の卷々】あり、中に永治興國等の年號の奥書あり、次に永和本十五冊。【神代上より仁賢天皇紀まで。中間闕たる卷もあり。】是は尾張熱田神宮神庫本。永和三年十一月。四條金蓮寺四代上人書寫の奥書あり。世に懷紙裏の日本紀と云ふ。通釋に熱田本とて引り。次に永和本神代下一冊あり。是は永和五年三月二十二曰。外宮禰宜度會神主章尚書寫の奥書あり。次に應永本。是は伊豆國三島神社庫本。神代上下。神武紀等あり。【三冊】應永三十五年【正長元年より】に。良海並快尊同重尊等の寫せる奥書あり。通釋に三島本とて引り。次に永享本。神代上より卷第十應神紀まで。合本にて三冊。是は江戸吉原玉屋某所藏。永享三年河州長野山譽田八幡宮東。一條院にて良海書寫の奥書あり。世に玉屋本と云る是なり。次に明應本。神代上下。是は伊勢御巫清直が所藏。明應八年龍集己未十月。勸學院常住書を以左大史小槻惟久書寫の奥書あり。次に永正本。神代上一冊。これも御巫氏所藏。水正七年十一月日。神祇權大副大中臣國忠書寫の奥書あ(28)り。次に秘閣官本【稱十卷本】全部あり卷々書寫の年號異れり第一は文明十三年臈月上旬卜部兼倶の奥書あり第三十は永正十年林鐘十有三日。終書功老槐散木判の奥書あり。其外に寫したる年代は詳かならざれども。古き寫本此彼あり。右數部は予が親しく見たる本どもなり。其餘は仙石政和が板本類聚國史の校異。故平田翁の校本。伴部安崇【通稱武右衛門八重垣翁と云】が日本紀考の本文をも引り。伴信友が校本是はあまたの寫本どもを集めて。校へ合せたる書なり。されど中には其出處をも出さず。たゞに一本また異本古本といひ。或は類聚國史一本異本など標せる。其書ども何處にありとも記さねば。いかなる本によりて。校したるにか知がたき事多し。中にはいと疑はしく。杜撰なるなどもあれば。其等は多くは捨て。慥かなる據あるのみを引り。また世に藤原長良公の待てる本ありとて。是も比古婆衣に引て云ることゞもあれど甚疑はし。畏庵隨筆と云ものに。其本文の異同を出せるも。信られぬ事多けれど。さすがに捨難き事もまじれゝば。其由をことわりて引るところもあり。又其外にも。誰某の校本どもあまた見たるが中に。是も出處のたしかなるをば引るところあり。さなきは多くはもらしつ【この誰某の校本どもは。其出る處に。其人の名また其書の名どもを云へり。】
 
 
      一書
 
此紀本文の後に。繼々替れる撰者等の見及ばれけん古事を。漏さじと擧て。一書と記されたり。されば一書も一(ツ)の古傳。また本文も古傳中の一本なりと知べし。さるは欽明紀二年の下なる本注の文に。一往難v知(29)者。且依v一(ニ)撰。注(ニ)詳(ス)2其意(ヲ)1。他皆倣(ヘ)v此。【此本文下に委く出す】と書せ給へるが如く。且く一に依て撰出給へるものにして私に論(ヒ)定めて。正説とし給へるには非る。撰者の意を知るべし。さて此一書曰の文神武紀より以後は細注なれども。神代卷のみは一字を下げ。大字に書れたるに附て。髻華山蔭に云く。原はみな細注なりしとおぼしくて。類聚國史には。一書は皆細注にてあるなり。但しそれも今の本どもは。多くは今の神代卷の本どもの如く。本文にして書たるをまれには細書にしたる本もあるぞ。古本の儘なるべき。其故は同書第四の卷。伊勢大神宮部に。一書の文を擧られたるに。神代下注曰とあり。注曰とは細注の由と聞えたり。然るを今の神代卷諸本。一書を一字低て本書と均しく大字に書るは。後の人のしわざとこそおぼゆれ。類聚國史も今大字にせる本は。後の神代卷の本に傚ひて。又後の人のしわざなるべし。大かた一書を大字にしたるは。口訣の本などや始ならん。釋に注文一書云之處多引2古事記之文1とある。注文とは細注のよしなれば。かのころまでの本は猶一書は細字にてありけん。又綏靖安寧崇神等の御卷に。一書とてある文もみな。細書なり。神代卷の一書曰も。原然りけんことを知べし。近くも松下氏が評閲本。又河村氏が集解本などは。一書をば細注にしたるは。古きに從へるなるべし。教子なる上田百樹が云く。總て訓註本書には。各其下に細書にせるに。一書の訓註は皆其終に。一ところに集て書つゞけに大字に書て。すべて一書どものうちに。細注は一(ツ)もある事なきは。これ一書はもとみなから。細注なりしか故なり。然るを一書の訓注も。本書の如く細字にて。各其所に書る本もあるは。又後人の本に傚て。改めた(30)るなりと云る。まことにさる事なり。また云く。一書は原はみな細注なりしと云事。吉田兼倶卿抄に云く。流通の本には一書を如v註の細字に書(ル)v之(ル)ぞ。吾祖兼延曰。此一書は天上天下海中の神の語なり。與2正文1不v可2優劣(ス)1也。故家本には一字下(ゲ)て大字に書v之ぞと云り。件の如くなれば。一書を大書にしたるは卜部家の本より起れるなり。兼延は一條天皇の頃の人なれども。其家本の世に遍くなれるは遙に後の事也。兼倶卿の頃。猶流通の本は。細字に書りとあればなり。と云れしを以て。古本の細字なりし事を知るべしさて親王の此紀を修玉ひしさまを見るに。假使(バ)。大八洲國の段の如き。聊の異なる傳をさへ漏さず擧給へりしを思へ。實には御意に。其本章のみを正傳と定玉ひしにはあらず。かの欽明紀の本注の如く且《シバラ》く一に依て撰出玉へるまでにして。私に論定て正説とし給へるには非るなり。一書の中なりし異傳をさへに。亦云一云など。さしもなき説までをみな載《シル》されたる事は深く慎(ミ)重みせられたるにて。後に見む人の。互に相合せて上古の事實を知るべき爲に。かくあまた引附おかれたるものなりかし。放(レ)朝廷にも。さる事におもほしめけん。故に此紀を正史と定めさせ玉ひ。其以後また更に古記を撰ばしめ給ふ御擧は。止めさせ給へるなりけり。【されど平田翁も云はれし如く。此度はなほ未(ダ)諸家の古籍の盡くは現はれず。※[手偏+庶]漏(ラ)されたりしこと。忌部家の古記をさへに召(レ)問漏されたる故に。大同三年にかの家より。古語拾遺を奏進りて。その序表に國史猶有v所v遺愚臣不v言恐絶無v傳と云る。又弘仁五年に姓氏録を撰ばしめ給へる度に。家々の古記戸々の門文どもの多かりし趣にて。此度採漏らされたる古傳の。多かるを知べきなり。】さて今其一書を讀に心得べきことあり。比古婆衣に云。欽明紀二年の處。御子等の御名を記されたる分注に。一書云。云々と有て。其下文に。帝王本紀多有2古字1。撰集之人屡經2遷易(ヲ)1。後人習讀(ミ)以v意(ヲ)刊改(ム)。傳寫既多。遂致2舛雜(ヲ)1前(31)後失v次(ヲ)兄弟參差。今則考2覈(シ)古今(ヲ)1歸2其眞正(ニ)1一往難v識者。且(ク)依v一(ニ)撰。而注詳2其異(ヲ)1。他皆傚v此(ニ)。と注されたる。此文此紀の凡例として見るべし。其はまづ帝王本紀とは。古事記序に見えたる帝紀の類なるべく。書籍目録に。卷數は記さねど。帝王本紀は古書にて。古字の多く有て。讀難き處のあるを。此を撰集め籍《フミ》作る人々。強(ヒ)讀にして。今用る字に遷易《カヘ》記して。舛《アヤマ》れるがあるを。其を後々の人の習ひ讀み以てゆくに。義通えがたきに依て。誤字ならむ句と思ひて。私の意もて刊改たるを。其を傳寫せる事既に多く。遂に甚き舛り雜《マガ》ひをなして。御世つぎの前後の次第を失し。兄弟の列の參差へる事とさへなりぬ。故今は古今に考(ヘ)覈《アカ》して誤を去り。舊の眞正《タヾシキ》に歸《ナホ》して。此紀を撰み出せり。されど一往《ヒトワタリ》に識がたきは。且(ク)一(ノ)書によりて撰採て。本文に載し。其異なる由をば注に詳にす。此度《コヽ》の他すべて此紀の前後どもに。此|效《サダメ》と知べし。と云る意と聞えたり。【さてまた。古宇とは。漢の古字なり。其は彼漢國の國風として。製れる字の次々に體變り。或は更に各々私に製り増し。或は廢れ。また字の訓義もとり/”\に用ゐなどして。いと煩はしく謾なり。そは今に傳はる古書どもにも。彼國の字書にすら。後の物には見えざる古字の。多かるをもて當時の多有2古字1云々。といへるをも思ひ合すべし。さて此注。卷の初つかたに有へきを。此處にしもあるは。有が中に。こゝなる一書の文は.殊に多きによりて。前後をかねて。因に凡ての例を記されたりときこえたり。】此注に依ておもふに。注に一書曰。一書云。一云。【又云ともあり。又その一書の中に亦云一云といへる文もあり。○武郷云。此餘に一曰又曰亦曰或曰或云とあるも此等の中なり。此或云を。信友が後人の書入とせしは謬なり。神代紀にも或云と標されたる文。五處あれどもこれみなもとの文なり。】などあるは。依v一(ニ)撰(シ)。而注詳(ニス)2其異(ヲ)1。と記されたる異傳にて。神代紀にも其例にて。三樣に書れたり。【三樣に記されつる事は。只何となき筆すさびにはあらずて决めて裏《シタ》に心しらひして其差別を書分られつるものなるべし○武郷云。なほ委くいはゞ曰云字又亦の字などにも別あることなるべし。】此餘に某者云云也。是謂2云云(ト)1。今云2云々1亦名(ハ)云云。此云2云云(ト)1。などある訓注は。原よりの紀(ノ)文にて。其餘は多くは。後人の加筆なるべし。【舊本云。一本云。或本云。別本云。などあるは本(ツ)書にしかしるさるべきにあらず。極(32)めて後人の異本を校(ヘ)合て書入れたりと見ゆ。中には和銅上奏の本もあるべし。○武郷云。或本云の次に。或云とあるをも出されたれど。其は非事なれば除きつ、其由は止に云り。】又加筆の本文に【手偏+讒の旁]入《マジリ》たりと。見ゆる處もあり。【神代紀なるは。山蔭に論はれたり。其論ひざまによりて。全部を辨ふべし】さて神代紀には。書名を顯はして引たる文はなきを。神功紀より以下は。引書の名を出したる處あり。其引書には。日本舊記。伊吉連博徳《イキノムラズハカトコノ》書。譜第《カバネツイデノフミ》。百濟記。百濟本記。百濟新撰。高麗沙門道顯日本世記。など見えたるこれなり。すべて書名を顯はして。注さるゝ例にあらざれば。此も後人の加筆なること决し。【神功紀の文中に漢籍魏志を引たるのみにて。年紀《トシダテ》をしるしたる處あるは。後人のわざなること論ふ迄もなく。また傍書に。從2新羅1至2社稷1清本爲v疏。猶可v見2他本(ヲ)1。と書たる類の處もこれかれありて所謂疏の本文に據(リ)たりと思はるゝところもあり。】其を一々に云むはいと煩はしければ言(ハ)ず。此心しらひして見ば。大旨の考は違はじか。と云れたるは。然る言どもにて。此紀を讀む人の心得ずば。えあるまじき説どもなる故に。此に載せつ
 
 
      讀法
 
此紀は。假字文宣命書を嫌ひて。漢の國史風に似たらむと。力られたれど。【此らの事は上に云】なほ古語を失はじと爲られし事は。間々《ソココヽ》に訓注を加へられたるを以て知られたり。然れば今此紀を讀むとならば。漢文讀にはよまず。よまるゝ限(リ)は。古語に訓むぞ。撰者の心なりける。さて養老五年に。始て此紀を講《トカ》しめたまへるより以來。御代々々に博士等に讀しめ給へる。御注なりけるが。【養老五年に書紀を講しめ給へる事は。釋紀に。日本紀講例の條に。康保二年(ニ)外記勘2申(セン)養老五年博士1と見え養老五年私記と云(フ)も有しを以て知られたり。此紀を奏上られたるは。四半五月なるに其翌年講しめ玉へるを以。その重く用ゐ給ひけむこと知べし。此後御世々々に。此紀を講しめ玉へる事。國史に次サ見えたるがごとし。】其讀法はみな(33)古意を探ね。古言を※[手偏+庶]ひよみたりしこと。代々の私記どもに見えたり。其は私記に。凡此書之爲v體。以v立(ルヲ)2倭訓(ヲ)1爲v本(ト)。不v可d以2能文1爲uv宗(ト)也。また師説此書之例。或以2一字(ヲ)1讀成2兩訓(ト)1。或以2二字(ヲ)1讀必如2一字1。また此書之中字少(ク)詞長(キ)之例惟多。また此書之例不d必全(ク)※[手偏+庶](テ)2字數(ヲ)1而讀u。或相2合(テ)三四箇字(ヲ)1。讀如2一字(ノ)1或只指2一字(ヲ)1讀2加多辭(ヲ)1。存2此意(ヲ)1可v讀。また。此書或變2本文(ヲ)1。便從2倭訓(ニ)1或有(ル)2倭漢相合(フ)者1也。今是(ニ)取2倭訓(ヲ)1。便用2彼文1也。未(ダ)3必盡從2本書之訓(ニ)1然則暫忘(レテ)2彼文(ヲ)1可v讀也。また。凡此書者以v立2本意(ヲ)1爲v宗(ト)。何得2拘v物破(ルヲ)1v意哉。故先師不v從2雜本(ニ)1。遠用2古辭(ヲ)1今又依用(ル)耳。などあるを以知るべし。平田翁右の私記の文どもを引て云れけるは。右の如くなれば。今本に添れる訓の中には。ふりしよの博士等の古意を探ね。古言を※[手偏+庶]ひて。訓めるも多く殘れりとおぼゆ。然るを漢好みする徒の中に。此書は漢文に書しものなれば。傍訓はみな捨べしと云もあれど非なり。此は已く縣居大人の雜記にも。然いふ人の説を論ひて。此紀は奈良の朝に始て成て。神代は元より。いと上代の事實なり。我朝に昔|字《モジ》なしといへども。語を以て傳ふる國風なれば。よく言傳たる物なり。其は譬ば。今も文字知れる人は。其をたのみて忘るゝを。盲人《メシヒビト》字知らぬ人などは。能記え居るが如し。此紀も。よく古言を知て讀ときは。神代卷は更也。神武天皇より後も。古きはえも言はず。優美しき皇朝の文なり。かの奈良の朝には。偏に漢を學べる人多くて。字を漢風に殖たれば。皇朝の意に違ふのみかは。此朝に無こと多し。なき事を記せる字を立て。有し事を捨むや。【傍の訓も。今存る訓は。儒家にて付たるが多かるを。其訓は論ふに足らねど。三か一は古より傳(ハ)れる言あり。】所々《ソココヽ》に此云2云々(ト)1とあるは。即奈良の朝に書し撰(34)者の自注なり。是をいかで捨むや。此を用る上は。他もみな此方の言にて讀ことを知るべし。遠き世々の古書を捨て。たゞ後なる奈良なる人の殖たる字を。專とする理あらむや。【此は譬ば漢國の古書に。此の訓を付たるを。其訓こそとて。本の文字を抹《ケシ》捨むが如し。凡て漢土と此國とは。意異にて。相合はず。偶々に合ふこと有のみなり。】然るを彼の末の世に書し字を專とせむは。頑に漢好みする非事ならずや。と言はれしは信に然る語なり。【上件引る雜記といふ書は。寫本にて誤字もあり。脱たる本も有りげに見ゆるを。引直し。文をもつゞめて擧たる也。】と云はれたるに從ふべし。【但し予も未だ此雜記哀云書を見ず。平田翁の引れしまゝを引たる也。】さて此語に從ひて。書紀を古言に訓むに就て。また心得べき事あり。其は右に云れたる如く。此紀は神代より次々の卷々。元より古文のあるによられしものながら。縣居大人も云(ハ)れし如く。神功皇后の韓を伏へたまひしより韓人も往來《ユキカヒ》。此方よりもゆきかひつゝ。此方の上代には非ざる事《コト》言《コトバ》なども。後々の卷には漸々に相交れゝば。偏に此方の言のみにて。訓べくも非ず。况て推古天皇以來の卷は。いよゝ然なり。同じ紀といへど。代々によりて別(チ)あれば。訓をものせむにも。其心せずば有べからず。予が此紀を訓るは即此定にて。よまるゝ限(リ)は舊訓によれるものから。間《マヽ》新に今加へたるもあり。又いかに考へても訓て思ひ得ざるものあるは。已事を得ず。舊のまゝによめるもあり。音讀等もありて本の訓に異なる事も多し。其は猶其所々に云るを見るべし
 
 
    潤飾文華之論
 
髻華山蔭に云。書紀は古書の有が中に。いとも貴く珍重《メデ》たく。やごともき御典になむあるを。さるにと(35)りては。古學の爲にはしも。不足《アカヌ》ことはた。小縁《オホロケ》ならずなむ有ける。然言(フ)故は。まづ古事しるす史は。大方古の傳説を。失はず週たずして。後の世に傳へん爲なり。されば其史ども。古きは上代の事を記せるやう。唯其有形のまゝにして潤色《カザリ》添たる事なく。文の章《アヤ》はた自然に備はりて。いと美たくせん有(ン)めりしを。此書紀の作《カキ》ざまは。然る古傳書には依(リ)ながら。當時の世中の好みに符へて。悉く漢史風に改めて。詞に其方の潤飾の多有のみならず。事にさへ意にさへ。其潤色を加へなど。凡て萬をいかで漢めきたらむと。力《ツトメ》られたるほどに。なべての詞の。古に非ざる事は更にもいはず。文の改ざまに依ては。其事も意も自ら古の傳の趣とは違へる事もあり。或はいかなるよしとも聞えがたく成ぬる節さへ。をり/\に交りなどして。大方上世の意は埋れ果て。世に知る人なくなむ成れりける。此を物に譬へていはゞ。彼古傳書の樣は。人の像を寫しかくに。顔やうは更にもいはず。形姿衣の色あやまで。其|形《サマ》のまゝに物したるが如くにして。古の有形は。目の前に見るが如くになむ有けるを。此書紀は。世人の好みに合へむとて。其の古く寫せる状をは變て。見る目をかしくと書成たれば。其人には似もつかであらぬ漢人の顔貌《カホカタチ》になれるが如し。抑人の像をうつすは繪を玩ばむとには非ざれば。いかに見る目はをかしきも。其人に似ざらむは。甚ほいなき事ならずや。然かき改たるを見てはいかでか其人の眞の形は知らるべからむ。世々の物しり人。たゞ其繪の状のをかしきにのみ。心を留めて。古の形には似てやあらむ。似ずてやあらんとは。尋もしらぬは。いかなりける心にや。又古き世のは。繪もうち見るには。うはべの筆きえて(36)見所なきが如くなれども。今一度能見れば後の世人の及がたき所のあるを。たゞ今樣の上手めき花やぎたる方にのみ。人は目を留むるが如く。古へ文いにしへ意の。世にめでたき事をば知らずして。頓にその漢めきたる事をのみめであへるも。又いかなりける心ぞや。と驚かしおかれ。また記傳の首卷に此紀の事をも種々辨へ論はれたる。皆いと理《イハ》れたる論等なり。さはいへ。此紀の潤飾どもを撰者の新に漢史風に改めたらむやうに云れ。あるは撰者の私説なり。などやうにいひて。頓《ヒタブル》に此紀の文をば。撰者の作られたるものと。思へるは非事也。撰者の心にも。あまりに漢風に過たる潤飾どもは。厭はせ給ひて除去たくは思ほしめせる物から。それ又止事なく。皆から待|避《ヨキ》給ふまじき事どもありて。爲便なくさておき給ひしなりけり。【其由は次々に云】まづ其潤飾文華の。因て起る根源を探ぬるに。孝徳天智(ノ)兩御代。甚く漢風を好ませ給ひて。神道を輕むじ。文人どもを寵《メデ》させ給ひければ。さる上の好《コノミ》に合《カナ》へて。其御代の學士等。各競ひ進みて。帝紀國記諸家(ノ)記録。氏文に至るまで。文華のさかしらを書加へ。世を欺き人を誣たる事ども。甚多く出來にけむ事は。推量られたり。さてしか兩朝とまをすうちにも。殊にすぐれたる漢風の御所爲は。全天智天皇の大御心にまし坐り。さるは。此天皇先朝の皇太子に立まして。中臣鎌足連と。力を戮せ心を一にして。蘇我入鹿父子を討《ツミ》したまひし御功績のいと大きなりしより。其威權即て皇子と鎌子連とに歸《ヨレ》りしかば。進退廢置みな所思看すまゝにて。孝徳齊明(ノ)兩御代をも。政ごち給ひしことは。此間の紀に灼然く。かつ漢風のさかしら事をも好ませ姶ひし事。先々の御代にも甚く勝りて坐ければ。(37)其間兩朝に帝紀及本辭もあらぬさまにぞ成行けらし。かれ天武天皇の其をいたく歎かせ玉ひしは。信に尊く諾なる大御意にぞ坐ましける。さるは古事記序に。天皇詔(タマハク)之。朕聞諸家之所v賚(ル)。帝紀及本辭既違2正實(ニ)1。加2虚僞(ヲ)1當(テ)2今之時(二)1。不v改2其失(ヲ)1。未v終(ヘ)2幾年(ヲ)1。其旨欲v滅(ムト)。斯乃邦家之經緯。王化之鴻基焉。故惟撰2録帝紀(ヲ)1討2覈舊辭(ヲ)1削v僞(ヲ)定v實(ヲ)。欲v流《ツタヘ》2後葉1。とあり。これかの兩御代の間の漢風を。甚く歎かせ給へる大御詔なりかし。【此事紀には洩れたれど。此天皇紀十年三月。宋天皇御2于大極殿1以詔2川島皇子云1。令v記2定帝紀及上古(ノ)諸事1。大島子首親執v筆而録焉。とある時の詔命なるべきよし。平田翁の云れたるも由有けり。】されば。親王の此紀を撰び給ふも。御父天皇の大御心を御心と爲給ひし事は。椎量奉りても知らるゝなり。【これにてまづ此親王の漢風を。御心と好ませ給ふまじきことおもふべし。】しかはあれども。上にも云る如く。紀中に漢文の潤色文華の意を害へるこゝかしこに見えたる。其はいかにと云に。當時の代には。朝廷の御本を始め。諸家の記録等にも。先代以來文人學士の。文飾のさかしら入交りて其を厭ふがあまり。皆がら避むとする時は。事實も共に失はれゆく故に。止事を得ず。さながらおき給ひしもあるべく。【鈴木重胤云。古事記の如く。漢意の交らざるにも。當昔文筆の事は。史官に任せ置れつるから。其誤を其任に傳へたるも。彼此見ゆれば。况て此紀などは文章をすらに。漢風につとめて物爲られたれば。正し敢られざりけるも。理なるぞかし。皇極天皇四年に。薪我臣|蝦夷《エミシ》等臨v誅(二)悉燒2天皇記國記珍寶(ヲ)1船史|惠尺《ヱサカ》即疾取(テ)2所v燒國記(ヲ)1。而奉2中大兄(二)1。と有を見て。當昔の状を知べし。船(ノ)史は姓氏録に船連と有て百濟王の末なれば然る史官の輩など思々に。彼國の典籍を擬ひ取て。文をなせるも少からざるべし。と云はれたるをも思ふべし。】もとより御父天皇の。深く所思看す御旨もありしなりければ。よしや此親王漢意におはすとも。此御撰におきて。さるさかしら事を。加へ給ふべきにあらずかし。なほかの那須繁仲説に神代紀の本文。親王私に裁《サダメ》て篇を設玉へりとするはあらず。欽明紀二年の處の注に。一往難v知者。且《シバラク》依v一撰而詳注2其異(ヲ)1。他皆倣v之。とある如く。古傳説の中の尤|簡約《ツヾマヤカ》なるものにより(38)て。親王且く擧て一段の標的として。其外は類を以て聚め給へる物なり。されば已く口訣にも。於2歴代(ノ)書之中1。取2寛語(ノ)者(ヲ)1爲2一章(ト)1又普並(ベ)2衆説(ヲ)1。無2一書(ニ)1者。有2一書(ニ)1以廣(ク)通而求(ム)2深旨(ヲ)1といひ。釋にも略(シテ)2本章(ニ)1而詳2一書(ニ)1者。蓋有v意而存。など古人もいひ傳へられし也。又異説の紛々は。惑を取に似たれども。上宮太子の作らせ給ふは。たゞ天皇紀國記とのみ云れば。神代の事は省きて記し給はざりけむこと。十七條憲法に。神祇を敬ひ。祭典を先にする事を。言はざるにても知べし。されば親王特に御心を用玉ひ。朝廷の秘録を始。諸家の遺傳をさへに探求て。神代紀二篇を編修らせ給へりしかば。皇代紀とは書法も絶《イタク》異にして。紛々たる傳ども多く見えたる。實に親王の神祇を崇敬し。古を稽て微細に※[手偏+君]拾給ひしによりて。今の世に至り神代の事ども。詳にうかゞひ知らるゝ物なり。【後に天平寶字三年六月。舍人親王を追尊して。崇道盡敬《スダウジンキヤウ》と云號を奉らせ給へるも。書紀の編修。。專ら古によりて裁成し。聊かも私意を加へて。作り給はざるによれるにこそあらめ。】と云れたる如く。もし自ら作り玉はむには。本文一書を分くるまでもあらず。始より。御意に適ひたちむやうに。一すぢに書取給ふべきものなるに。あまたの一書一説の中。只聊か異ひたる迄をも相並べて引給へる。偏に古傳説を尊み重みして。少も私の心は用ゐじと。爲給ひしこと明らけし。偖かく論へるは。此紀の潤色文華の虚妄を宜しと云には非ず。唯撰者の私に。作爲給ひしには非ずと云までにて。實には右に云る如く。撰者も厭拾ひけん。潤飾の漢風なれば。今此紀を講かんとするには。紀傳山蔭に云る説等を本として。力めて其虚僞を虚僞と見わけむ事こそ。學者の本務なるべけれ
 
 
(39)日本書紀通釋卷之二
                飯田 武郷 謹撰
 
日本書紀卷第一《ヤマトフミマキノツイデヒトマキニアタルマキ》
 
神代上《カミノヨノカミノマキ》
 
〔神代七代章〕
神代は舊訓にカミノヨと訓る宜し。【但しカミヨとも云り。萬葉集の歌に古くしか詠めり。】さて神代と云ことは。人(ノ)代と云るに對へたる名なるか。まづ神と人との差別あることを知らずばあるべからず。其差あることを心得おきて。後に神(ノ)代といふ事のよしをも知るべし。故まづ神といふものゝ事。又其|徳用《ハタラキ》。またしか稱けたる意を。古人の説により。己が説をも加へて解べし。記傳云々。迦微と申す名義は未(ダ)思得ず。さて凡て迦微とは。古(ノ)典に見えたる天地の諸の神等を始めて。其を祀れる社に坐御靈をも申し。又人はさらにも云はず。鳥獣木草の類。海山など。其餘何にまれ。尋常ならずすぐれたる徳ありて。可畏き物をば。迦微とは云なり。【すぐれたるとは。尊きこと。功しきことなどの。優れたるのみを云に非ず。惡きもの。奇しきものなどにも。よにすぐれて可畏きをば神といふなり。】と云れたる。これ神と云ものゝ事をつくされたり。さるはいかなるものに對へて。しか優《スグ》れたる徳のあるにかと云に。それは顯世の人に對へて云名にて。神の御上どちにて云詞に非ず。この世の人は。いかにすぐれて尊きも可畏きも。(40)顯身なるほどは。事限りありて。奇《アヤ》しく異《クス》しき事はえ爲し得ぬを。神は然らず。其御身も或は顯れ或は隱れ。出没常なく。人よりは思慮の及難き處あるが。即神の本義にて。ひと向にいはゞ。神と人とは。隱身なると顯身なるとの差別あることゝ知べし。偖紀傳云。迦微に神字を充たるよく當れり。但し迦微と云は體言なれば。たゞに其物を指て云のみにして。其事其徳などをさして云ことはなきを。漢國にて神とは物をさして云のみならず。其事其徳などをさしても云て。體にも用にも用たりと云れたり。此は神といふものゝこと。又其徳用を説示されたる言にて。其名義は。【記傳にも云れたるごとく】詳ならねど。然稱初たる義は顯身の人に對へて。其形對の目に見えず。奇しく異《クス》しく妙にして。思測の及ばざる所より。其可畏まるゝ状を以て名けたるなり。【下卷に神事に對へて顯露之《アラハニ》事と云るを思ふべし。これ神は顯露れては見えず。幽《カク》れてあるが本(ツ)義にて。其(レ)より種々に意のうつれるものなり。】さて神(ノ)代とは。人(ノ)代【人代といへる即現世なり】と別て云稱にて。神の所知看る御代と云意なるが。何時の頃よりしか云初しと云に。皇孫《スメミマ》瓊々杵《ニヽギノ》赫尊の。此國土に天降給ふ時。現事《ウツシゴト》顯露事《アラハニゴト》は皇孫尊に治しめ。神事《カミノコト》幽事《カクレタルコト》は大己貴命の掌給ふ事と定まりて。是より顯世と幽世と二に分かるる事と成ぬ。されば皇孫瓊々杵尊の御世となりて。天地初發の時より。大己貴命以前を幽《カミ》世とは申し。【幽《カミ》と神と同じき事已に云り】此時より後をば。人世と爲るにぞ有ける。さてしか瓊々杵尊より以來をば。當時人代とは定め給へる物から。幽世顯世の差別《ケヂメ》猶いまた分明《ワキ/\》しからず。次々の御世治しめすさま。總て神なるはさらにもいはず。なほ神代のありさまなりければ。既く記傳にも何時までの人は神にて。何時より以來の人は神ならぬと云。際やかもる差(41)はあらぬ故に。萬葉の歌どもなどにも。唯古を廣く神代といへり【六卷に日本《ヤマトノ》國は皇祖《スメロギ》の神の御世より。敷座る國にしあれば。とよみたるは。神武天皇の御世を申し。同卷に神代より芳野宮にありがよひ高所知看は。これも人代になりての事なり。十八卷に。皇祖《スメロギ》の神の大御代とは。垂仁天皇の御世をよめり。】然れども。猶事を分て云ときは。鵜葺草葺不合《ウガヤフキアヘズノ》尊までを神代とし。白檮原《カシハラノ》朝より以來を人(ノ)世とす。信に此朝の時より。世間のありさま新まりしかば。然も云つべきものなりと。云れたるが如し。此紀即其意にて葺不合尊までの二卷を。神代とは標《シル》されたるなり。【姓氏録にも。此までの御子孫を神別とし。神武天皇より以來のを皇別とせられたるもこの意なり。】
 
 
古《イニシヘ》天地《アメツチ》未《イマダ》v剖《ワカレ》。陰陽《メヲ》不《ザルトキ》v分《ワカレ》。混沌《マロガレタルコト》如《ゴトク》2鷄子《トリノコ》1。溟※[さんずい+幸]而《クヾモリテ》含《フヽメリ》v牙《キザシヲ》。及《オヨビテ》d其清陽者薄靡《ソノスミアキラカナルモノハタナビキ》而|爲《ナリ》v天《アメト》。重濁者淹滯而《オモクニゴレルモノハツヾキテ》爲《ナルニ》uv地《ツチト》。精妙之合搏易《クハシクタヘナルガアヘルハアフギヤスク》。重濁之凝竭難《オモクニゴレルガコレルハカタマリガタシ》。故《カレ》天先成而地後定《アメマヅナリテツチノチニサダマル》。然後《シカシテノチ》神聖《カミ》生《アレマス》2其中《ソノナカニ》1焉。
 
 
此一段六十五字は既に先輩も云れたるが如く。わが皇國の古傳には非ず。漢籍三五略記淮南子等の文にて。彼土の上古の古傳説なり。然るをいかなれば。かゝる異朝の説をまづ始に掲げゝんといふに。皇國には天地の混(ガレ)成りし傳はあれども。其時のさま。また其二に剖分《ワカ》れし時のさまなど語れる古傳説はなくして。【其は一書に天地|混成《マロガレナル》また天地未v生之時。譬猶d海上浮雲(ノ)無uv所2根係《ネガヽル》1など。天地の混沌たる傳はありけれど。其中より牙を含みて。清陽なるもの薄靡上り重濁なる物|淹滯而《ツヾキトモ》れるさまなどの事は傳なかりしなり。】天地成立ちし後に。天神等の現出《アレ》給ひしより語傳へて。次に國士の末(ダ)成就はざりし時にあたりて。虚空中に。葦牙の如くなるもの萠騰り。其物に因て次々神等の生出し事を語傳へたり。然れば今一層上りて。(42)天地の混沌たる原始を語出んとて。漢語の説を取出て發端に記し。其に接けて我國の古傳を故曰と語出たるなり。故に。古事記の序にも。夫混元既凝。氣象未v效《アラハレ》。無名無爲誰(レカ)知2其形1。と書出て。皇國の古傳にては。其天地混沌たる時の形状は。知られずとしてさしおき。然乾坤始分(ルヽトキ)。參神作2造化之首1陰陽斯開(クルトキ)二靈爲2群品之祖1と天地成立し後にして。始て參神二靈の事も知られたる趣なり。さて其本文に至ても。其如く天地初發之時とは。既に天地初(テ)發《ワカ》れし後の事より記し出たるなり。此(ノ)漢土の傳はた彼國に。上古より語傳へたるものとは聞ゆれど。精妙之合搏易(ク)。重濁之凝竭難(シ)など。人智の推測に亘りて。純粹なる古傳ともおもはれず。是彼國には。何事にも理を旨と先に立て。語傳ふる風習なれば。皇國の※[手偏+卜]質なる古傳とは。こよなく。誠に木に竹を續《ギ》たらむ如く通ゆるなり。されば此數句は。先輩も既に云れたるが如く。この紀の序文と見てありんyべし。釋紀一に。日本書紀三十卷無v序。但師説初文天先成而地後定。然後神聖生2其中(ニ)1焉。已上序文。とみゆれば。次の文に故曰とあるより下は。則本文たる事も亦明らけし。偖此初文の數句は。專ら漢籍より取られたる文なる縁《ヨシ》は釋紀五に。天地未剖(ハ)廣雅曰云々。また鷄子(ハ)禮記月令正義曰云々。また薄靡而爲v天(ト)は此淮南子文也。また同十六に含v牙(ヲ)は此云溟※[さんずい+幸]而含v牙也即是春秋緯(ノ)文也。また薄靡の下に。此序文自2清陽者1已下至2地後定(ニ)1。皆是淮南子天文訓之文也云々。また神聖は。私記曰今呂濟三五暦記云々。など見えたる。みな其出處を出されたるにて。全く古傳にあらぬことは著明し。然るに此序文を助けて。なほわか古傳の如くに云る説。彼是聞(43)ゆるはいとあぢきなし。さてこゝに聊か文意を解べし。○天地未剖。天は大虚空《オホゾラ》の事をもいへども。かく天地と正しく對へ云時の天は。實物をさして云る例にて。其は次に清陽者薄靡而爲v天(ト)とある其なり。地は此大地球を云。なほ下【洲壤浮漂の注】に委しく云。○陰陽不分。漢籍に天地萬物に牝牡《メヲ》の性を具ふるを。總て陰陽と云。此方の語に賣袁《メヲ》といふ。人の男女も即此なり。○渾沌云々。混沌とは未分れずして。淆《マジ》りて一|沌《ムラ》なるを云。さて此の文は。かの天地となり。陰陽と分るべき物の。圓がれ入り交りて。譬ば鷄の卵子《カヒコ》黄白《キミシロミ》を混へてあるが如しとなり。○溟※[さんずい+幸]云々。漢籍に溟※[さんずい+幸](ハ)自然(ノ)氣也とあり。元氣の溟溟と※[さんずい+幸]《クヾモ》れる中に。自然|牙《キザ》せるものゝあるを云ふ。久々母理は氣隱《キコモリ》なり。口訣に如2雲掩(テ)將1v雨(ラント)之謂。とあるが如く。曇《クモル》と云も水氣の聚り凝る事なるが。其中に雨を牙せるが如く。如2鷄子1物の聚まり圓《マロ》がる中に。天地の元因《ハジメ》と成れるものを牙せるなり。○清陽者云々。其牙を含める中に。清陽なる物は。上つ方に多奈毘伎騰りて。天と成しとなり。【多奈毘久は。記傳云萬葉に多く輕引とも書る。輕字は虚空に浮べる意以て書なり。薄き意にはあらず。薄靡をタナビキと訓たれどもこれらの字は多奈毘久と云言の本意にはかなはず。輕字薄字などに就て思ふべからず。多奈毘久は虚空にひろく覆ひ亘る意なり。萬葉に霏※[雨/微]靄又|陣雲《タナビク》などもかきたり。】○重濁者云々。其含める中に重く濁りたる物は。下つ方につゞき沈みて。地と成りしとなり。○精妙之合搏易云々。其天地と剖れ定るとき。彼清陽にして。精粹《クハシ》く微妙《タヘ》なるものゝ天と成れるは。合搏《アヒアフ》ぐこと速かにして易かりしとなり。【搏〓とあるが如くにて。昇り進むことの易きを云なり。されど搏淮南子に專に作り。阿都麻留と訓り。字書に搏專同義とす。音〓〓聚也とありてアフグ義なし】重濁之云々。また其中に重停《オモ》く。濁聚るものゝ地となれるは。凝り竭《カタマ》ること難くして遲かりしとなり。竭本に場とあるは誤なり。【集解に。原竭作v場。據2類聚國史神代(ノ)一本及淮南子1改と(44)あるに從るべし。さて淮南子注に竭當v作v結とあり。假借字と見れば本の儘にてもあしからず。○故。釋紀に一部之内皆以。カレ止可v讀v之。とあり言義は記傳云。迦禮《カレ》は迦々禮婆《カヽレバ》の切りたる辭ならむか。迦々禮婆《カヽレバ》は。如此有者《カクアレバ》にて。上を承て。次の語を發す言なり。さて其を切《ツヾ》めては。迦禮婆とこそいふべきに。婆《バ》をしも略けるは。いかにといふに。古語に婆を賂きて。婆の意なる例多し。と云り。○然後神聖生其中焉。生舊訓アレマスと訓む義は一書の下に云。天先成地後定りて。然後に神聖其中に生《アレ》坐とては。其以前には神と云もの坐ぬが如くなれど然らず。上件天地未剖にも。陰陽不分にも渾沌如2鷄子1にも。清陽者薄靡而爲v天にも。重濁者掩滯而爲v地にも。神聖此に在して此を造成玉はずは。いかでかも天地の成立べきよしあらん。此即造化三神の御しわざによれる事也。然りと雖も。其神體は奇異《クシビ》に靈妙《アヤ》しき大御靈に大ましませりければ。如何にとも。其形状をうかゞひ知奉るべからず。故天地の成立に因て。成坐る神等をこそ。世には神聖の成れる始と申すべきなりけれ。故第三一書に。天地混成之時。始有2神人1。號2可美葦牙彦舅《ウマシアシカビヒコヂノ》尊1。次國|底立《ソコダチノ》尊。第四一書に。天地未剖。始有2倶|生之《ウマル》神1。號2國(ノ)常立尊1。云々とあるを思ふべきなり。此神等始て世に成出ませる神にはあらざれども。造化(ノ)三神は。紀記ともに成坐とはあれども。天地の未無りし以前より在《マセ》れば。其成坐し始を知るべき由のなきを。天地成立し後に。成坐る神達は。晩に三柱大神坐々て。其成始を知看しける事なれば。此神等を始とは語傳へしなりけり。こゝに神聖生2其中1とあるも即其意なりと知べし。さて此までの文。二中歴乾象歴に引るには。古天地未v割。陰陽不v分渾沌如2鷄子1而合(45)v牙。其(ノ)清陽者薄靡而爲v天。其(ノ)重濁者(ハ)掩滯爲v地。故(レ)天先成地後定。然後神聖坐2其中1焉。【此事出2淮南子并日本紀1矣】とあり。本文と大に異なり。熟考るに。此一章は我が古傳を證さん爲に。漢籍に云る説を。序文として引玉へるなれば。かく大らかにこそものし玉ふべきを。後に繼々の博士等が。三五略記淮南子等の文を其まゝに引加へて。今の本文の如くなしゝなるべし。中にも精妙之合搏易云々などは。人智の推測説なれば。漢籍にも古くはなかりけんを。我神典にさへ加玉ひけんは。いさゝかあかぬこゝちせられてなん
 
 
故《カレ》曰《イハク》。開闢之初《アメツチノワカルヽハジメ》。洲壤浮漂《クニツチウカレタヾヨヘルコト》譬《タトヘバ》猶《ナホ》3游魚之《アソブウヲノ》浮《ウケルガ》2水上《ミヅノウヘニ》1也。
 
 
此|以《ヨリ》下まことの古傳なること。上につぎ/”\云るが如し。さてこゝにまづ。此れと古事記と。史法の異なる所以を聊か云べし。記には。天地之初發之時。於2高天原1成神。名|天之御中主《アマノミナカヌシノ》神。次|高御産巣日《タカミムスビノ》神。次|神産巣日《カミムスビノ》神。此三柱神者。並獨神成(リ)坐(シ)而隱v身也。次國|稚《ワカク》如2浮(ベル)脂(ノ)1而。久羅下那洲多陀用幣琉《クラゲナスタヾヨヘル》之時。如2葦牙《アシカビノ》1。因2萠騰之《モエアガル》物(ニ)1而。成神。名|宇麻志阿斯河備比古遲《ウマシアシカビヒコヂノ》神。次|天《アマ》之|常立《トコタチノ》神。此二柱神。並獨神成坐而隱v身也。上(ノ)件五柱(ノ)神者|別《コト》天(ツ)神と先に別天神の傳を擧て。次に神世七代の神等を載られたるを。此紀には。一書の傳に。所々に別天神の御名を擧られて。本書は唯國土の成れる始を。主と立たる。此紀の趣意なるが故に國常立尊を。其首には立られたるなり。はやく釋(ノ)私記にも。此事を論ひて。古事記者。(46)總列2天地初分之後|化生《ナリマセル》之神(ヲ)1。故雖2高天原(ニ)所居《マス》之神(ト)1。猶載v之。今此(ノ)書者。獨取(ル)d地上之神治(ル)地下(ヲ)1者u。故不v及d天神之在2高天(ノ)原(ニ)1者(ニ)u也と云れたるにて知べし。○開闢之初。重胤云。開闢之初とは。上に天地未剖とある物の初て剖分るゝを云て。彼清陽者云々爲v天。重濁者云々爲v地。とある時なるが。天の事は天先成と上に言終めたる故に。此は地後定と云ふ所由を語り初むる所なるなり。【然れば。此故曰以下の文は。必上に照し應せて解べし。爾らざれば。終に彼此共に。文義を通曉る事必なからむものぞ】と云り。さて開闢之初は。古史徴に。和加流々波自米と訓て。字義にも古言の意にも能叶へり。とあるは然る事也。其は上に天地未v剖とありし。渾沌たりし物の成行を。今云ふ所なればなり。一書共に。天地初判とあるに同じ。記(ノ)序に乾神初分云々。陰陽斯開云々と。分と開と。字を換られたれども。意は上の剖分に異ならず。又拾遺には。天地剖判之初とあり。【記傳三に。開闢初。又天地初判など有るは。此記(ノ)首に。天地初發之時とあると同じくて。先唯大らかに。此世の初と云たるものなりと有て。此をも記と同じ状に訓れたるは。史徴にも物遠しと云れたるがごとし。】若て其開闢字は。漢文を學ばれたるにはあれども。比羅久と訓は古意にあらず。但記の序は元より漢文なれば。字の如く訓べし。○洲壤漂。洲壤は國土なり。さて國と地とは。かくつらねても云へど。細かに云時は差別あり。そは國は極界《カギリ》め境目《サカヒメ》ある意にて。後に郡など云るに同じきを。地は大にも小にも亘りて總名なり。即此大地の事なり。記傳云・都知とはもと泥土《ヒヂ》の堅まりて。國土と成れるより。云る名なる故に。小くも大きにも言り。小くはたゞ一|撮《ツマミ》の土をも云。又廣く海に對へて。陸地をも云を。天に對へて天地といふ時は。なほ大きにして海《ワタ》をも包たり。【姓氏録に。海神子孫の氏々をも。地祇部に收られたる。是地には海をも包たる故なり。】と云り。かく土をば其地盤を以(47)云ひ。國とは其居住に就て云事なるが。又此を二合して。國土とも云事常也。此に云る即其なり。さてこゝに洲壤云々とはあれど。元來今の如く人民の住居るべき。國土の成就《ナリトヽノヒ》て在しと。云にはあらず。次の一書に。一物と云るに等しく。たゞ潮に※[泥/土]《ヒヂ》の混りたるものを云。【其は記に此を畫成《カミナ》したまへる事を。潮許々袁々呂々と云ひ。此に始て成坐る神を※[泥/土]土煮(ノ)尊と申せるにて知るべし】記傳云。さて此物の如此漂ひたるは。如何なる處にかと云に。虚空中なり。次の一書どもに。虚中とも空中ともあるを見て知るべし【然るを如2浮脂1といひ。久羅下那洲などもあるに就て○此物海上に漂(ヘ)りと心得むは。いたく非なり。此は未だ天地ならざる時にて。海も無ければ。たゞ虚空に漂へるなり。かくて海になるべき物も。此漂へる物の中に具れるぞかし。】と云り。○猶游魚之云々。記傳云。魚を中昔には伊袁と云れども。今は多く宇袁と云を。古言にも宇袁と云りと云り。さて此游魚を。字のまゝに。アソブウヲと訓るは。非事なるよし。山蔭に論れたり。されど記(ノ)歌に斯本勢能《シホセノ》。那袁理袁美禮婆《ナヲリヲミレバ》。阿蘇毘久流《アソビクル》。志毘賀波多傳《シビガハタテ》爾云々。とよめれば。魚のおよぐを。昔はアソブとも云けり。さて一書また記には。浮膏に譬へ。また第五一書には。浮雲に喩へたり。されど記傳にも云れたる如く。實に其正しき形は。言難きにて。其漂ふ状を。膏にも魚にも雲にも。譬へられたるものなり。
 
 
于時《ソノトキ》天地之中《アメツチノナカニ》生《ナレリ》2一物《ヒトツノモノ》1。状《カタチ》如《ゴトシ》2葦牙《アシカビノ》1。
 
于時は。ソノトキと訓べし【鎌倉本永正本一板本にしか訓り。】重胤云。紀の例。其所にて直に在るを是時と記され。少にても猶豫あるを于時《ソノトキ・トキニ》と書され。其事に指次ながら。其間合あるを。最後と書き。其事を訖りて事の改る時(48)には。然後と記されたり。心を着べしと云り。○天地之中は虚空中をいふなり。虚空《オホソラ》中のことは次に云。第二(ノ)一書に。國稚(ク)地稚(キ)之時。譬(バ)猶2浮(ベル)膏(ノ)1而漂蕩(ヘリ)。于時國(ノ)中《ナカニ》生(レリ)v物。状如2蘆芽之|抽出《ヌケイデタルガ》1也とあるに同じく。次に生出し一(ノ)物は。この浮漂へるものゝ中より萠騰りしなり。【記の傳も同趣なり。】○蘆芽。記傳云。蘆は和名鈔蘆葦。兼名苑云。葭一名蘆。爾雅注云。一名蘆。和名阿之と見ゆ。蘆牙は。阿斯※[言+可]備と訓べし。葦のかつかつ生初たるを云名なり。牙字は芽と通へり。和名抄に。玉篇云〓(ハ)※[草冠/炎]也※[草冠/炎]蘆之初生也。和名阿之豆乃とある【葦の初生るを角具牟と云。故に葦角とも云なり。】是葦牙なりとあり。【黒川春村云。此説さる事なれど。宇麻志阿斯※[言+可]備比古遲神の※[言+可]備に據て。備字を濁るは快からず。釋紀に葦牙を。葦穎とも書り。山穎と牙とは同義なるべし。穎は祝詞に千穎八百頴爾《チカヒヤホカヒニ》奉(リ)置※[氏/一]また汁爾母穎《シルニモカヒ》爾母なども見えたり。考云。穎は稻の穂なり。江次第にも本穎苅本謂2之(ヲ)稻1。切穂謂2之(ヲ)穎1。これなり。古書に多かれど引(ク)におよばず。新千載集に。海原やなみにたゞよふ葦牙のかひある國となれるかしこさ。など見えたる穎ならんは。※[言+可]に備の備も濁らざらんこそ穩しからめ。靈異記中卷に。秀備伊弖爾多流とあるを見るべし。此は備を清音に用ゐし例の。傍證とするに足れり。かゝれば。葦牙も神の御名も。※[言+可]備は穎の義と思ひ决めて。呼はむかた穩當なるべしと云れlたり。】さて如2葦牙(ノ)1とは。此も記傳に云れたる如く。此は其一物の形の葦牙に似たるなり。一書に状如2葦牙之抽出1。とあるに依て。たゞに抽出たる状の。似たるをのみ。云ふと見るべからず。【浮膏游魚の如く。唯に漂蕩る状のみを譬たるとは聊ことなり】此に因て成坐る神の御名にしも。負せ奉りしを以て。其いとよく似たりけんほどをしるべし。さてこのもの抽出たるは。即神と成べき物實にて。此に因て成坐るは。葦牙彦舅(ノ)尊をはじめ。國(ノ)常立(ノ)尊以下。次々伊弉諾(ノ)尊伊弉冊(ノ)尊まで。みなこの物に因て成坐るなり。記に國稚(ク)如2浮(ベル)脂1而。久羅下那洲多※[こざと+施の旁]施用幣琉《クラゲナスタヾヨヘル》之時とあるは。こゝに洲壤浮漂譬猶3游魚之浮2水上1也。とあるに同じく。ひろく伊弉諾尊の御時までの。世のありさまを云ひ。如2葦牙(ノ)1因2萌騰之物1而。成神(ノ)名(ハ)宇麻志阿斯※[言+可]備比古遲(ノ)神。次天(49)之常立(ノ)神云云。次成神名國之常立神云々。次伊邪邪伎神。次妹伊邪那美(ノ)神とあるまで。一聯ねに書續けたるを以て知られたり。此事なほ次に云べし。
 
 
便《スナハチ》化爲神《ナリマセルカミヲ》號《マヲス》2國常立《クニトコタチノ》尊1。【至(テ)貴(ヲ)曰v尊(ト)自除(ヲ)曰v命(ト)。並(ニ)訓《イフ》2美許登《ミコトト》1。下皆倣(ヘ)v此
 
 
化爲はナリマセルと訓べし。其は天御中主(ノ)尊。又高皇産靈(ノ)尊。神皇産靈(ノ)尊の。奇く靈き御所爲に依て。此の如2葦牙(ノ)1なる物に託《ツキ》て。かく化爲《ナシ》出給ふなり。【此大神の御所爲のことは。猶一書の下に云。】其は今此神等の成坐るのみ。此大神等の御所爲には非ず。洲壤浮漂も何も。悉く皆其御所爲によれるなり。【此を化爲v神と訓て。變化の義とするは誤なり。其は記にも如2葦牙1因2萠騰之物1而成神と書れ。一書にも一物在2於虚中1其中自有2化生之神1。また状如2葦牙抽出1。因此有2化生之神1。また因v此化神などある。皆いづれも變化《カハ》る意にはあらず。見合て知るべし。されど紀中變化の意に云るところもあり一偏に見るべからず。また記傳に。那流と云言に三(ツ)の別あり。一(ツ)には無りしものゝ生り出るを云。神の成(リ)坐(ス)と云は其意なり。二(ツ)には此物のかはりて。彼の物に變化を云。豐玉比賣命産坐時。八尋和邇に化たまひし類なり。三には作事の成(リ)終るをいふ。國雖v成とある成の類なりと云へるをも心得置べし。】○國(ノ)常立尊。御名義。記傳に。國とは天に對へて此國をいふ。常立。一書に底立《ソコダチ》とあり。かゝれば登許《トコ》は曾許《ソコ》と通ひて同じ。【今世に底を登許と云ことあり】凡て底とは。上にまれ。下にまれ。横にまれ。至り極れる所を。何方にても云り。萬葉十五に。安米都知乃曾許比能宇良爾《アメツチノソコヒノウラニ》。又六に。山乃|曾伎《ソキ》野之|衣寸《ソキ》。とある曾伎も。極みを云て同じ事なり【細く云ときは。曾伎は。曾久を體に云るにて。曾久とは離放る意なり。離居《ソキヲリ》遠《トホ》ぞく退《シリゾク》などの曾久なり。かくて其を體言に曾伎と云は。曾伎たる處を云なり。】又塞を曾許《ソコ》と訓も。極界の地なるを云。立は都知と通ひて同じ。其例は國狹槌尊を。亦曰2國狹立尊1。とあるこれなり。凡て神の名に。其都知と云多しと云り。其都知は都々ともいひて都も知も尊稱の重なれるなり。美と云(50)る尊稱の重なりて美々とも日々とも云るが如し。然れば此御名は【常立は借字にて】國之底都知にて。國の底ひの限を。所知看より負る御名なり。さて凡て某(ノ)命と下に添て申すは尊稱なり。言義は。平田翁云中昔の書等に。人を指ておことゝ云事あり。是と同語と聞えたり【於許登は。即御事にて敬へる詞也。】此は直に神人をさして其名を某と呼ときは。不禮《ナメ》き故に稱へる言なるべし。【神(ノ)命妹(ノ)命などの類。たゞに神とも妹とも云てあるべきを。命てふ言を添たる趣のしか聞ゆるを思ふべし。さて今世に人の上を云とて某殿某樣といふも。直にその人をさゞずへつらひて其方を云にて。古に命てふ言を添て云ると。全同じ意ばへなり、】と云り。○至貴曰尊。云々。記には美許登に。總て命(ノ)字を通用たり。【記傳云。命字を書は。本御言と云に。此字を書るを。言の同じきまゝに。尊稱の美許登にも借て用たるなり】さるをこゝにかく注されたるは。これ至尊と自餘との。稱の同じきを忌て。別かむ爲に文字を書かへ給ふ撰者の御所爲なり【さて其尊は字の意を取て書れたれば正字なり。命は借字なり】さるは。此紀より以前に既に尊令を通し云へることあり。上野國(ノ)多胡《タコノ》碑に。石上麻呂《イソノカミノマロ》を石上(ノ)尊。勝原|不比等《フヒト》を。藤原(ノ)尊とあり。此碑は。和銅四年に建たれば。此紀の成れる養老四年よりは。十年以前なり。然れば此紀より。右の兩字を。分ち用ることを定められたるなり【されど。また東大寺に藏る。天平年中の文書の中の啓(シ)文に。十一月一日謹上|道守《チモリノ》尊(ノ)座(ノ)下云々。また乙麿《オトマロ》尊(ノ)御從側云々。とかける書も見えたり。此等に依れば。なほ其後もかく通はし用しこともありし也。】○並訓美擧等。並訓(ノ)二字。類聚國史には此云とあり。他の例どもに符へり。また本に等(ノ)下に。也字あれども。永享本になし。衍字なれば今削れり
 
 
次《ツギニ》國狹槌尊《クニノサツチノミコト》。次《ツギニ》豐斟渟尊《トヨクムヌノミコト》。凡《スベテ》三神矣《ミハシラノカミマス》。乾道獨化所以成此純男[十字□で囲む〕
 
 
次。記傳云。都藝《ツギ》は都具《ツグ》といふ用語の。體語になれるなり。都具は都豆久《ツヅク》ともと同意なれば。都藝も(51)都々伎と云に同じ。さて其に縱横《タテヨコ》の別あり。縱はたとへば。父の後を子の嗣ぐ類なり。横は兄の次に弟の生るゝ類なり。記中に次とあるは。みな此横の意なり。されば今こゝなるを始めて。下に次妹伊邪那美神とある。次まで皆同時にして。指續き。次第に成坐ること。兄弟の次序の如し。【父子の次第の如く。前神の御世過て。次に後神とつゞくに非ず。思ひなかふること勿れ。】○國狹槌尊。御名義。狹の意は次に云。槌は上の常立の立と通ふ豆知なり。さて記には。こゝに國常立尊。豐斟渟尊。二柱のみ有てこの神はなし。按ふに神位《カミノヨ》七代のうちに。此一神入(リ)ては。記の趣にては八代に成れり。故この紀は。本書に角※[織の糸が木]《ツヌグヒノ》尊|活※[織の糸が木]《イクグヒノ》尊。【二柱】一世なく。一書に。大戸之道《オホトノチノ》尊。大苫邊《オホトマベノ》尊。【二柱】一世略かれて。七代の數は全けれど。右の神等なくては。いづれも記の傳と合はず。故熟考るに。此は記の趣正しくて。此紀の國(ノ)狹槌尊は。神代系紀に。國(ノ)常立尊亦云國(ノ)狹立尊。亦云國狹槌尊。とありて。國常立尊の亦名なり。國常立。一書に國(ノ)底立と有る。底は狹と殊に近し。故かく見る時は。此神を略きまつり。【亦御名なればなり】右四柱の神等を。盡く數に入奉りて。七代に數らるゝなり。かくてこそ。天(ノ)常立(ノ)尊。國(ノ)常立(ノ)尊と相對ひ。葦牙彦舅(ノ)尊と。豐斟渟(ノ)尊と相對ひ坐る事實にも。よく合ひて通ゆなれ。されど此紀も一傳なれば。本文のまゝに心得て説かば。狹は眞の義にて只何となき稱美名か。さらば常立の常も。終古《トコシヘ》に不易《カハラ》ぬ義を以。稱奉れるにてこれも美稱とすべきか。かゝるも一つの見やうなるべし。○豐斟渟尊。御名義。豐は物の足ひ饒なる意の言にて稱辭。斟渟は【私記に久牟奴と訓り】記傳云。久牟《クム》は久美久比《クミクヒ》。許理《コリ》。などゝ通ひて。物の集り凝る意と。初て芽す意とを兼たる言にて。この二(ノ)意(52)又自相通へり。物集り凝りて。物の形は成るものなればなり。されば。久牟とは。かの一(ノ)物の沌凝生《ムラガレコリ》て。國土と成(ル)べき初(メ)芽(シ)なる由を以て云ひ。渟は。一書の御名に依るに。主の意なり。なほ此神(ノ)御名。一書にあまた見えたる。此彼引合せて其義をさとるべしとあり。さて記には。此神(ノ)名豐|雲《クモ》【上】野《ヌ》神とある。雲字の下なる上字は。雲を上聲に誦めとなり。【此事は記傳の初卷に。委しく云れたり】此紀の訓も。其意以てよむべし。○さて此本書の傳の趣を論はむに。上にも云る如く。記には如2葦牙1なる物に因て成坐る神等は。最初に可美葦牙彦舅(ノ)尊。天常立(ノ)食。と二柱座し。【此は別天神と申す】次に國常立尊以下の神成座り。然るに。此に其天神等をさしおきて。次に成座る國常立尊以下を語傳へたるは。此本書は凡て。別天神の御名をば擧ずして。此國土に就たる神をのみ。旨と語出たるなり。然りとて頓《ヒタブル》に天神等の御上を被v擧ざるにはあらぬ事の證は。第二一書に。如2葦牙之抽(ケ)出(デタルガ)1也。因v此有2化生之神1。號(ス)2可美葦牙彦舅(ノ)尊1。次國(ノ)底立(ノ)尊と記し。第三一書には。始有2神人《カミ》1。號2可美葦牙彦舅尊1。次國底立尊と記し。第六(ノ)一書には。若2葦牙(ノ)1生(レリ)2於空中1。因(テ)v此化神號2天常立尊1。次可美葦牙彦舅尊。とも記されたるにて。本書には略かれたる事を知べし。〇三神。記傳云。凡て古は神をも人をも。數へて幾柱と云り。神はもとよりの事にして。皇子等屯どをも。然云る常の事なり。やゝ後には。三代實録清和天皇の詔に。太政大臣一柱と詔ひ。うつほ物語に。大將なる人の女等の事を云に今一柱はと云り。皆貴人の上の事なり【書紀に佛像一躯二躯などあるをも。一はしら二はしらとと訓(メ)り。おちくほの物語にも。佛一はしら佛九はしらなどあり。又文粹前中書王の文に。白檀觀世音菩薩一柱と有り。漢文にはめづらし。】さてかく柱としも云所以は詳ならねど。【記傳に云れた(53)る説はあれど】按に。尊き神又人は。家に柱あるが如く。此世中に數多立並び座て。天地四方を齊《トヽノ》へ保ち坐ること。自ら柱の如き意ばへあるより。稱へて申ししにやあらん。故貴き上ならでは。柱とは云ぬなるべし。なほ考べし。○乾道獨化云々。山蔭云。又下文に。乾坤之道相參(リテ)而化云々。これらは潤色の漢文にして。さらにさらに古傳説には非ず。總て乾坤など云ことは唐一國の私の妄説にこそあれ。實にさる理はあることなきを。如何なれば。かゝるうるさき外國言を書加へて清らかなる古傳をも。かく害はれけむ。當昔《ソノカミ》上も下も。頓《ヒタスラ》漢めきたる事を喜び給へる世なりしかば。かゝる文を。太しき事には爲られたるなるべし。此處記には。此二柱神亦獨神成坐而隱身也とあり。大かた古(ノ)傳(ヘ)は斯の如なる物なり。此を比(ヘ)見て。漢意の潤飾の甚き事を喩るべしと云れたるは。信にさる言ながら。此を撰者の加給し文と見られたるは。猶委しからず。此は必後人の※[手偏+讒の旁]入なり【度會神主延佳が説を聞書せし。山本廣足と云人の著はせる。神代卷講述鈔に。乾道獨化云々の十字。不審くて。後人の加筆せるにやなど。思ひ疑ひ侍し比。大外記中原(ノ)朝臣(ノ)師光が。長寛元年奏覧の勘文を見しに。此十字をのせ侍らざりし。其後或抄に。國初文記を引て。又此十字をのせず侍るにぞ。いよ/\加筆にやと覺え侍るになんと云れたるも然説なり。また田中頼庸云。横山常永(ノ)校本にも。此十字なし又白井宗因本にもなしと云り。】さるはかくさまの文。前後に例なき事なれば决く撰者等の加へ給ひしには有べからず。
 
 
〔同第一一書〕
一書曰《アルフミニイハク》。天地|初判《ハジメテワカルヽトキ》一(ノ)物。在《ナレリ》2於|虚中《オホソラニ》1。状貌《カタチ》難(シ)v言《イヒ》。
 
天地初判は。欽明紀に天地剖判之代。拾遺に天地剖判之初などあり。訓は文明本鎌倉本永正本によれ(54)り。萬葉に天地之分(レシ)時云々。〇一物。此は本書に生2一物1状如2葦牙1。と云る物に同じく。【第二一書に。于時國中生v物。とある物と云るもこれなり。】此物に因て。次々の神等は。みな化ませるなり。【さるを平田翁説に。本書に一物と云るは。如2葦牙(ノ)1物をいひ。此(ノ)傳に−物と云るは。本書に所謂洲壤にあたりて。浮漂へるものを云り。一物と云稱の同きを以て。思混ふべからずと云るはわろし。これは如2葦牙1なる物を。天となるべきはじめの物と。見られたるよりの誤也。此は葦牙彦舅尊より次々に。成坐神の物實なること上に云るが如し。】○虚中は。いま大地の周外《メグリ》に見晴して。大空といふ際の。空しき宙《アタリ》をひろく云り。曾羅といふ言義は。重胤云|外《ソラ》にて。内《ウラ》の反對也。其宇良は天地のそこひのうらなどいひて。天地の限り極る方を云(フ)。此は神も人も。住着く處なるが故に。内《ウラ》と云。其限より。外《ソト》なる空虚の所を。外《ソラ》とは云るなり。されば。曾羅は天地と云物。有し後の名なりと知るべし。さて外内《ソラウツラ》の羅は。其状を云る添辭なり。○形貌難言とは。其一物の大虚空に抽出たる状貌の。何とも譬へて言がたかりしなり。重胤云。かく國土となるべき物のはじめ。神となるべき物の始などを。或は猶2游魚1云々或は如2葦牙1云々など。其の未成定らざりし間の形象を。其成定まれる後よりは。如何とも名状すべからざる者なるを。其形容を。今正目に見るが如く譬たるは。必伊弉諾伊弉冊二神の御所爲なり。其は二神相謂曰。有v物若2浮膏1。と宣へるを以て知らる。其時より始て。神より神に傳へて。人代に語繼ぎ言繼げば。其聞受る方の耳に入て。心に留め易き状に。宣ひ諭し玉ふ事にしあれば。種々の物に比へて。譬とは成玉へりし者なり。此章の内にも。其同じ物にして。譬の別なるは。神々の心々に。傳玉へるが故也。然れども其極まる處は。状貌難v言と云が如くにぞあるべきなる。今は唯其譬に就て物を見物を以て。其實物の大體を想像る可(キ)なり。と(55)云れたる然る言なり。
 
 
其(ノ)中《ナカニ》自《オノヅカラ》有2化生《ナリイヅル》之|神《カミ》1。號《マヲス》2國(ノ)常立(ノ)尊(ト)1。亦曰(ス)2國(ノ)底立《ソコダチノ》尊(ト)1。
 
 
其中とは。彼抽出たる一物の中なり。自は自然なり。重胤云。一書に。因v此有2化生之神1とも。因v此化神とあるとは別にて。此は上に一物と云て。其形貌を何とも指て號け言ざる故に。因v此とは云べからざる故に。自然《オノヅカラ》とは云るものなりとあり。○亦曰は亦名なり。亦名と申すは。其本御身より。御魂の分り坐て。別に一柱(ノ)神と坐て。亦の御行事をなし玉ふに依て。御名の亦別に有もあり。又一身にして二名坐(ス)もあり。其神々に因て心得べし。これ亦名の例なり。
 
 
次(ニ)國狹槌(ノ)尊。亦曰2國|教狹立《サダチノ》尊1。次(ニ)豐國|主《ヌシノ》尊。亦曰2豐|組野《クミヌノ》尊1。亦曰2豐|香節野《カフヌノ》尊1。亦曰2浮經野豐買《ウキフヌノトヨカヒノ》尊1。亦曰2豐|國野《クニヌノ》尊1。亦曰2豐齧野《トヨクヒヌノ》尊1。亦曰2葉木國野《ハコクニヌノ》尊1。亦曰2國見野《クニミヌノ》尊1。葉木國此(ヲ)云2播擧矩爾《ハコクニ》1。
 
 
豐國主尊(ノ)名義。記に豐雲野とある雲野。また上に豐斟渟とあると合せて思ふに。久爾は。即ち久毛久牟などゝ通辭なり。主は主宰たる義也。其より轉りて。たゞ何となき尊稱ともなれり。○豐組野尊。記傳云。久美は。久毛久牟などゝ通ふ。野は怒と訓べし。【凡て野をば。古は怒と云り。能と云はやゝ後のことなり。師の云く野角篠忍陵樂などの能は。古はみな怒と云り。故古書(56)に此等の假字には。能乃などをば。用ることなくして。みな奴《ヌ》怒《ヌ》農《ヌ》濃《ヌ》などを用たり。農濃などは。ヌの假字なり。ノに非ず。凡て右のことゞもを。能と云ことは。奈良の末つかたより。かつ/”\始(マ)れり】と云り○豐香節野尊浮經野豐買尊。節を布志と訓めれど。もと節《フシ》は。布と云一言が本なれば。こゝも香櫛は加布と訓べし。さらば買に同じ。だて加比は久比と通ひ。久比は久美と通へり。されば此御名も。斟渟と同意なり。さて浮經野は。浮はかの一(ノ)物の空中に浮漂へる意【此は次の一書に。國稚地稚之時。譬猶2浮膏1而漂蕩。とあるものなり。】經《フ》は記傳に。含《フヽム》にて。かの物の中に。地と成べき物の。含まりたる由なり。花の未(ダ)開《サカ》ぬを。ふゝまると云と同じ。次の葉木國と合せ考ふべしとあり。野は斟渟の渟と同じ。○豐齧野尊。又云。久比は。加比久美などゝ通ふ。○葉木國野尊。葉木は含《フヽ》むにて。上に云る意なり。波具久牟。波碁久牟。などいふ言もみな含む義なり。○國見野尊。本に國字なきを永享本に依る。國は斟に同じ。かくては。見の一言衍れるが如し。もしくは國は久とのみ訓べきか。國を久の假字に用ゐし例は隱國《コモリク》などなほあり。さらばクミヌなり。○葉木國此云々。本に此注混れて。次の一書(ノ)下に出たり。今は釋紀亂脱校本による。又永和本鎌倉本どもの傍書にも此段に書入たり。さて此類の注は。訓を知らせたるまでにて。飜譯の體に傚ひしにはあらず。記に。訓v天云2阿麻1。など書ると。もはら同意味なり。されば舊訓に。此(ノ)字をコレヲバと訓るよろし【コヽニハとは訓べからず】飛鳥井雅澄萬葉古義云。そもそもまづ古事記の如く。訓(テ)云(フ)と云むは。聞えたるまゝにて事もなし。書紀に此云と云れしはいかにぞや。これは漢籍の中に。梵記を譯《ウツ》して釋(ク)とき。云々|此《コヽニハ》云2云々1。とあるは彼方にて云々と云るは。此方にては云々《カウカク》いふぞといふ義なり。たとへば天地此云2阿米都知1。な(57)とやうにはかくべし。其は彼方にてはもりより。字音に天地といふ。此方にはアメツチといへばなり。しかるを此方にて成《ツク》れる文は。いかに漢文にならひたりとて。此云とは.いかでか書べき理のあらむ。まして葉木國此云2播擧矩爾1。などいへる類は。殊にいといと意得がてなり。もとより葉木國といふ漢語のあらばこそ。なほ姑さてもあるべきを。此はたゞ。ハコクニといふに。葉木國といふ字を。借用たるものにこそあれ。此等はひたすら。漢めかさむとして。物ぞこなひを成せるなりけり。正しく云はゞ。アメツチ用2天地字1。などいふべき理にはあらめど。もとより漢文にならひて作(レ)る書なれば。さまでいはむは中々にことごとしかるべければ。たゞ訓云とはいふべし。いかさまにも。此云とては。もとよりの漢籍を。此方にて譯す時のいひざまにて。いといとまぎらはし。と云れたるはさる言ながら。此を飜譯の體とず。なほ記の體の。聊か異れるものと見たらむには。さのみ難め云べくもあらじとぞおもはるゝ。
 
 
〔同第二一書〕
一書曰。古(ヘ)國|稚《ワカク》地|稚《ワカヽリシ》之時。譬(バ)猶《ゴトクシテ》2浮(ベル)膏(ノ)1而漂蕩(ヘリ)。
 
國稚地稚は。國《クニ》ワカク地《ツチ》ワカヽリシ時と訓べし。【本にクニイシツチイシと訓るは。决く誤りと見ゆれば。今は古訓によれり。此を口决に宇比志なり。など云はれしはとるに足らず。】記にも國稚如2浮(ベル)脂(ノ)1而。久羅下那須多陀用幣流之時。とあり。記傳云。和※[言+可]志とは凡て物の未(ダ)なりとゝのはざるを云て。書紀などに幼字をも訓み。中昔の物語書などにも。人の幼稚きを云ること多し。萬(58)葉に。三日月を若月とも書き。推古紀には。肝稚と云り。さてこゝは本書に。洲壤浮漂といへる物の事なり。○浮膏は。古訓のまゝに。ウカベルアブラと訓べし。【記傳に。ウキアブラと訓て。浮雲浮草など云類の稱にて。物の脂の水に浮べるを。古にかく稱しなりと云れたれど信がたし。浮雲又浮草などは。もとより浮るが。其ものゝ體なれば。しか云べし。ものゝ脂は。水に浮漂へるが。其ものゝ體にしあらざれば。打まかせて。ウキアブラとは云がたし。古にかく稱しなりと。云れつれど。さる例も見あたらず。】脂は。和名抄に。脂膏和名阿布良。また。油四聲字苑云。油※[しんにょう+乍]v麻取脂也。和名阿布良とあり。記傳云。さて脂に譬(ヘ)たる例は。朝倉宮段に。大御盞に槻の葉の落浮べるを。三重※[女+采]が歌に。宇伎志阿夫良《ウキシアブラ》とよめり。【御盞なる御酒のうへに。木葉の浮べりけむ形状を以て。今此の状をおもひ合すべし】と云り。
 
 
于《ソノ》時國(ノ)中《ナカニ》生(レリ)v物。状如(シ)2葦牙之|抽出《ヌケイデタルガ》1也。因(テ)v此有2化生《ナリイヅル》之神1。
 
國中は。かの浮(ヘル)膏の如く漂へるものゝ中をいふ。この物即て國土と成れば。其成(レ)る後の名を假て云へること。國稚(ク)地稚(キ)の例に同じ。○抽出。記には如2葦牙1萠騰之物とあり。一書には。如3葦牙之初生2泥中1也。とあり。本にヌケイデタルり訓るは。其物の虚中に見はるゝを云なり【初生とは聊異也。】第一一書に。一物在2於虚中1と云るは。其虚中に抽出て見はれし時を以云るなり。記傳云。木草の莖。又葉のはつかに出初たるを。芽《メ》と云も。母延の約まりたる名なるべし。【武郷云。信友説に。母由とは火すさらなり。日影に因て氣の起て見ゆるをもいへるなり。草の生ひたついきほひのさまにさは云りと云り。】又米具牟も。母延具牟なるべしと云り。○因此。口訣に因猶v託也。とあるが如く。物ありて其に託《カヽ》りて。成坐るが故に。因と云なり。と云り。
 
 
(59)敬《マヲス》2可美葦牙彦舅《ウマシアシカビヒコヂノ》尊(ト)1。次(ニ)國(ノ)常立(ノ)尊。次(ニ)國(ノ)狹槌(ノ)尊。可美此云2于麻時1。彦舅此云2比古尼1。
 
 
可美葦牙彦舅尊。可美は美稱。記傳云。宇麻とは。今世には。たゞ物の味の口に美きをのみいへど。古は然のみならず。心にも目にも。耳にも口にも。美きを皆謂て云言なり。と云れたるが如し。葦牙は上に云。彦は男を稱美て云稱なり。記傳云。凡て男に比古。女に比賣と云は。美稱にて。比とは凡て物の靈異なるを云。天照大御神の御事を書紀に靈異之兒とある意にて。比古比賣は。靈異之兒と云意なり。【なほ比の意は。高御産巣日神の下考合すべし。】遲は。男を尊みて云稱なり。老人を云も尊むより出たるなるべし。意富斗能地《オホトノヂ》神。書紀の鹽土老翁《シホツチノヲヂ》【老翁此云2烏膩1】などの遲も是なり。さて比古遲袁遲など云ときは濁れども。本は清音。明宮段の國栖人の歌に。麻呂賀知とある知。又|父《チヽ》の知なども是なり。さて又|八千矛《ヤチホコ》神をも。火遠理《ホヲリノ》命をも。比古遲と申せることあり。此神は葦牙の如くなる物に因て成坐る故に。かく御名つけ奉れるなりと云り。【さて葦牙の如くなる物に因て。成坐る神の御名にしも負せ奉りしを以て。其一物の葦牙に似たりけんほどを知るべし。】○彦舅此云々此七字。本に次の一書の下にあるは誤なり。今集解及一二の校本どもに從てこゝに入る。
 
 
〔同第三一書〕
一書曰。天地|混成《マロガレナリシ》之|時《トキ》。始(テ)有《イマス》2神人《カミ》1焉。號(ス)2可美葦牙彦舅尊(ト)1。次(ニ)國(ノ)底立(ノ)尊。
 
(60)混成之時は。マロガレナリシ時と訓べし。記傳云。混とは未分れずして。淆《マジ》りて一|沌《ムラ》なる事にて。即此物の始て生出たるを。混成とは云るなり。とあり【此物とは即天地と成るべき一(ノ)物なり】○始とは。天御中主尊。高皇産靈尊。神皇産靈尊も。紀記ともに。成坐とはあれども。此神等は。天地をも造玉ひし神なれば。天地混成の時に當りて。始て生出玉ひし神には坐さず。【この事は。第四の一書に委く云べし。】然るに。葦牙彦舅尊をば。既に三柱の神御坐て。その成始(メ)を知し看けむ事灼然し。これ此神をば始とは語り傳へしなるべし。と平田翁云り。○神人。山蔭云。人字漢文のかざりなり。此神等は人と云べきに非ずと。云れたり。按ふに。神も形體に付ていへば人なり。されば。神人と云まじきにもあらざれど。其は後々の神の御上には申すべし。此神等には。實に山蔭に云れし如く。いかゞなり。神人下の焉字永享本になし。
 
 
〔同第四一書〕
一書曰。天地|初判《ハジメテワカルヽトキ》。始(テ)有《イマス》2倶(ニ)生《ナリイヅル》之神1。號(ス)2國常立(ノ)尊1。次(ニ)國狹槌尊。
 
此一書にはじめて造化三神の御名を擧られたり。上にも釋紀(ノ)私記を引て云る如く。古事記は高天原所居之神より記し始たるを。今此書は此國土に附て。生坐る神【即國常立尊】より記し出てゝ。高天原の神をば。略きて記さず。さるからには。天地造化の起原の。知りがたき事を慮りて。彼國の古傳の趣を。彼是採※[手偏+庶]ひて。序文として加へられたるものなり。さるを。この一書には却りて。造化三神の御名を出したるは。其御名に付て。自ら造化の起原をも。思ひやるべき心しらぎに。書したる物と見えたり。され(61)ど記傳にも云れたる如く。初に此三神を擧られざるは。甚く事足らぬ状なり。一書は一書にて。本書とは別事なるに。本書には末に至りて。不意《ユクリナ》く。高皇産靈尊の御名の出たまへるはいかにぞや。何《イカ》にも古事記の如くあらまほしき事なり。○倶生は。口訣に與2天地1倶(ニ)坐(ル)神。とあるが如し。【國(ノ)常立(ノ)尊と。國(ノ)狹槌(ノ)尊と倶生と云意には非らず。さては次字如何也。】下卷一書にも。※[火+餡の旁]《ホノホ》初起時。共(ニ)生兒號(ス)2火酢芹《ホスセリノ》命1。次火(ノ)盛時生兒號2火明《ホアカリ》命1。次生兒云々。とある。共字もこゝと同じ。されど。此神等は。天地成立し後にこそ生出玉ひけれ。天地と倶に生出玉ひし神は。天御中主尊。高皇産靈尊。神皇産靈尊の餘に。誰(ノ)神かあるべき。なほいはゞ。葦牙彦舅(ノ)尊。天常立(ノ)尊の。別《コト》天神をさへに省きて。此神等を。始云々とは。申すべくも非ずかし
 
 
又《マタ》曰《イハク》。高天原所生《タカマノハラニアレマス》神(ノ)名(ヲ)曰2天御中主《アマノミナカヌシノ》尊(ト)1。
 
又曰。此は右の天地初判。始有2倶生之神1。とあるを受て云る傳にて。又斯る傳説ありと曰なり。げに此神等は。天地と倶に生出る神に坐なり。此傳甚めでたし。【然るに纂疏に此を一書中又一説也と云れしは甚くたがへり。】○高天原は其原始は。天の中央《モナカ》なる神の坐處《ミマシドコロ》を云るに始りて。なべて天神等の坐ます御國をも云。また此照します天日をも云。又たゞに大虚空をも云ひて。古書に。高天原と云へる。さす所いと濶し。−區域に限りて云名にはあらず【其よしは次に云】まづこゝに大概を説べし。さるは。古語拾遺に此の傳を天中《アマノミナカニ》所生神名曰2天御中主神1。とある天(ノ)中と云るは。天之|中央《モナカ》と云る事なるが。其天之中央と云は。天(ツ)御國の中央にて。天神等(62)の神域にて。古書に高天原と云る。大方こゝをさすなり。此大神始て。其天(ノ)中央に現出まし。即其御名を。天御中主尊と申奉れるなり。されば其天之中央を高天原と云ぞ。この號の見えたる始なるが。其天御國は。大虚空の上方に在を以て。轉りては。總ての大虚空をも云。【下の一書に。伊弉諾伊弉冊尊。立2天(ノ)霧之中1。とあるを。坐2于高天原1とある。これ大虚空なり。又祝詞に高天原波。青雲能靄久極などあある。此も廣く大虚を云なり。】また天つ日は。かの大虚空の中央に位を定めて是即天の眞區《マホラ》とも。云べき所なる故に。其をも高天原と云(ヒ)けり。【天照大神者可3以御2高天原(ヲ)1。とあるを日神とも申奉るにて知べへし。】かく高天原は汎き號にしあれば。古書に見えたるところ。一區域の稱にあらず。上古はたゞ大らかに總括て。云稱とは爲しものなり。されば。おの/\古書に見えたる一箇をとりて。こゝぞかしこぞと。古來種々に云なれど。皆いづれも其根元を究得られざりしなり。かくて記傳に。天神等の坐ます御國也と云れたる。これいと汎く。萬に亘りて。通えたるが如くなれど。猶此の三柱大神等の御事を。此神等は天地よりも先だちて成坐れば。たゞ虚空中にぞ成坐けんを。高天原所生としも云るは。後に天地成ては。其成坐せりし處。高天原になりて。後まで其高天原に坐ます神なるが故也。元來高天原ありて。其處に成坐と云にはあらず。と云れたるは叶はず。上に云る如(ク)。高天原とは即天の中央の名にして。そこ即元始より高天原なれば。後より廻らして云る號にはあらず。さて天といひ。高天原と云その差別は。記傳云。まづ天は天神の坐ます御國なるが故に。山川水草の類。宮殿そのほか萬の物も事も。全御孫命の所知看此御國土の如くにして。なほ勝れたる處にしあれば。大方のありさまも神たちの御上の萬の事も。此國(63)土にある事の如くになむあるを。高天原としもいふは。其天にして有る事を語る時の稱なり【然るを。萬葉の歌などに。天原ふりさけみれば。とよめるなどは。やゝ後の事なるべし。如此さまに。只打見たるのみの天などを。天原と云るが如きは。神代の御典などには見えぬことなり。】さてしか稱ふ由は。高とは是も天を云稱にて。たゞに高き意に云るとは聊異なり。【然れば此高は體言なり。】日の枕詞に高光と云も。天照と同意。高御座も。天の御座と云ことにて。是等の高も同じ。又高行や隼別などは。虚空を高と云へるなり。今世にも天つ虚空を然言ことあり。【物の虚空に高く上るを。高へ上るなど云めり。但し此は天下にあまねく云ことには非るかしらず。此伊勢國などにては。をり/\然云を聞くなり。古言ののこれるなるべし。】原とは。廣く平らなる處を云。海原野原河原葦原などの如し。萬葉の歌には。國原ともあり。かゝれば天をも天原とは云なり。さてそれに高てふ言を添て。高天原とは。此國土より云ことなり【凡て天を高とも云は。高きを以て云稱なればなり】と云り。此説の如し。○所生《アレマス》神。重胤云。此三柱神等は。實に其始ある事なく。素より高天原に神留坐し大神等に坐々るが。此は天地の始を云所なるが故に。其時運を以て。所生とこそは傳へたりけれ。如何なる遠く※[しんにょう+貌]なる大古より坐りけん。伺知奉るべきに非ねども。唯其大神等に成りし天地の始を云故に。此を其神の顯れましゝ時とは。成せる者なりと云り。生を舊訓にアレマスとよめり。阿禮は顯にて。人などの生るゝを然云も。其意同じ【阿禮といふ言の義は。新《アラ》現《アレ》と通へり。生るゝは。此身の新に成也。又現はるゝなればなり。】萬葉一。安禮衝武《アレツカム》云々とあるは。生繼《アレツグ》にて。宮仕に參(リ)侍ふ事を云なり、又國史に阿禮乎止賣《アレヲトメ》と云る事あるは。其替る替る。仕奉らせ玉ふ事を云て。右の萬葉なるに同じ。又ナリマセルとも訓べし。那流はものゝ變化をも云(ヒ)。物の成就《ナリトヽノ》ふをも云ひ。無りしものゝ生出るをも云へど。此はさにはあらずして成顯れ玉ふをいふ。記に八(ノ)雷《イカヅチ》神の伊(64)邪那美命の御體に成居《ナリヲル》と云事ある。即それなり。これ其處に成出顯れて居れる雷神なり。○名。平田翁ウン。と云言の意は。生《ナリ》成《ナリ》熟《ナリ》などの本語にて【形《ナリ》也《ナリ》なども同義なり】活用ては。那流那良牟とも云なるが。神また人は更なり。萬物をも。某と號くる事は。其物かならず成就たる上にて。負することなり。【神又人物に限らず。萬の事業の上もこれにおなじ。】中にも。人は其行状の善惡。功徳の大小に依て。自然に。他より稱へ云ところ。即名なり。高橋氏文なる景行天皇の大御詔に大倭(ノ)國者以2行事《オコナフワザヲ》1負(フ)v名(ニ)國也。と宣給へるを以て知るべしと云り。○天御中主尊。天はアマノと訓べし【これは轉語の例にて。某之とつゞけ云時は。第四音を第一音に轉じ云例なり。其一二をいはゞ。宇氣を宇|迦〔右○〕之魂。布禰を布|那〔右○〕之倍。宇閇を宇|波〔右○〕之曾良。阿米を阿|麻〔右○〕之波良。などの類。本語は宇氣布禰宇閇阿米なれども。必宇迦之。布那之。宇波之。阿麻之。と云格なり。故(レ)記の開卷に。高天之原の天を云2阿麻1下傚v此。と書して。以下天之と讀べきをば。これに傚へとさとし置れたるなり。然るに此訓例を。たゞに高天原にのみ。限るものとおもふは粗略なり。】總て神名地名物名に天と云る訓。近き比は其を阿米能とも。阿麻能とも訓みて。いとみだりなり。古書には此類の天。何れも阿麻能とのみよみて。阿米能と訓ることなし。今其例を此に云べし。まづ弘仁私記序に。阿麻乃止已太知乃美已止は。天(ノ)常立尊也。延喜式に出雲國阿麻能比奈等理神社。とあるは天(ノ)夷鳥《ヒナトリ》命也。姓氏録|大椋置姶《オホクラオキソメノ》連(ノ)條に。阿麻乃西乎命。尾張風土記に阿麻乃彌加都比女。此紀神代下に。阿麻能左愚謎。日本紀竟宴歌に阿麻能褒臂。これらみな神又人名の例也。又萬葉集に。阿麻能我波。古本神樂歌に。安麻能可波良。これら地名の例也。また神代上に。阿摩能與佐圖羅。下卷に阿麻能以簸炬羅。萬葉集に安麻能之良久母などある。此物名例なり。かくあまたの例はあれど。阿米能某と訓し例都て見當らず。必阿米とは訓べからず【たゞ古事記中卷に。阿米能迦具夜麻と書るが一所あり。此は神名の例にはあらず。地名の例とも云はゞ云べけれども。(65)只此一(ツ)を以て並(テ)の地名をも阿米とは定め難し又此香山は。天降付ともいひて。もと天に在し山なれば。阿米乃とは云かと云に。天安河。天(ノ)河原など。みな阿麻とのみよめれば。香山に限りて阿米と訓べきよしなし。殊に此天も天上なるには非ず。萬葉に神(ノ)香山とも。あるにて知るべし。たゞ稱辭に添たるまでなり。されば今は定て。此阿米も阿麻の誤とすべきなり。其餘古書共に。阿米乃と云へるは。たえて一つもあることなし。】御名義記傳云。御中は眞中と云むが如し。凡て眞と御とは本通ふ辭なるを。やゝ後には。分て御は尊む方。【御字を書も此意なり】眞は美稱ると。甚しく云と。全きことゝに用《つか》ふ。されど。古の言の遺れるは。尚通はして眞熊野ともい三熊野とも云る類多し。又眞と云べきを。御と云るも。御空御雪御路など多かり。御中も此類なり。天のみならず。國之御中。里之御中なども。萬葉歌にあり。又毛那加と云も。眞中の轉れるにて。天武紀に天中央《ソラノモナカ》【この事を以て此の御中の意をも知るべし。】とありと云り。主は主宰たる義也。其より轉りては尊稱ともなれるなり。さて此大神は。古語拾遺に。天地剖判之初。天(ノ)中《ミナカニ》所v生之神。とあるが如く。天の中央に其位を定め玉ひ。終古不易に鎭り坐々て。其|奇靈《クシビ》なる神徳は。宇宙に偏く充亘り。至らぬ限なく。はた神と云神の限り。此大神の分靈ならざるはなき天神に坐ませるが故に。古より殊更に。其所と定めて。齋き奉りし御社とてもあらざりしなりけり。なほ次に云べし。
 
 
次(ニ)高皇産靈《タカミムスビノ》尊。次(ニ)神皇産靈《カミムスビノ》尊。皇産靈此云2美武須毘1。
 
高皇産靈尊。神皇産靈尊。御名義。高は美稱。別御名をも高木神と申せり【記にみゆ。又姓氏録に。天高御魂乃命。三代實録に天高結神なども申せり。】皇は御と書るも同く。これも美稱なり。神皇は加牟美と訓べし。高皇とならびたる稱辭なり。【此神(66)の御名を。書等に神産巣日神。神産巣日神。神魂神。など書るは。カミムスヒと訓べしL。其は記傳の説の如く。凡て古言に同音の二つ重なるをば約め一(ツ)に云例。此(レ)彼(レ)とあれば。此も神御と美の重なる故に多く約めて。申しならへるなり。また神御魂とも書たるは。此と同じく。カムミムスビとよむべし。】平田翁云産は正字にて。宇牟須と云言の宇を省けるなり。【仁徳天皇の御歌に。子産を古牟と詠せたまへり】新撰字鏡に。秘|宇牟須比麻豆利【ウムスヒマツリ】とあり。此は産靈祭にて。牟須の正語の宇牟須なる證なり。今も生を宇牟須と云國も多かり。【出羽秋田などにて。蒸をさへにウムスと云り。夏の頃甚く暑きを。今日はいたくうむしてなど云類ひなり】師云。産《ムス》は男子《ムスコ》女子《ムスメ》また苔の牟須。など云ふ牟卑にて。物の成出るを云【今云萬葉に草牟須かばね。又草武佐受などもあり。】靈字は比と云によく當れり。凡て物の靈異炎なるを比といふ【久志毘の毘もこれなり。】比古比賣などの毘も此意なり。されば産靈とは。凡て物を生成すことの靈異典なる神靈を申すなり【武郷云。池邊眞榛が。古語拾遺新注に。産靈は令v産靈なり。其ウムは。マ行四段に活く語にて。第三音のウムより。サ行に傳りて。ウムサム、ウムシ、ウムス、ウムセ、と活くなり。他にウムサムとも。ウムシとも。活用きたる例なけれども。令v産靈と。靈の體言に云かけたるを見れば。决くこゝの活とぞおぼゆる。されば苔のムス。また草ムサズなど云は。自然の上を云るにて。こゝの産巣とは。同語異活にして自他の差ありと云り。】此外に。火産靈《ホムスビ》。稚《ワク》産靈。津速《ツハヤ》産靈。興台《コヽト》産靈。玉留《タマツメ》産靈。生《イク》産靈。足《タル》産靈。など申す御名もあり。牟須毘の意皆同じと云り。さて高皇産靈神は。男神にまし。神皇産靈神は記に神産巣日(ノ)御祖《ミオヤノ》命とも出て。女神に御在す。式に。出雲國出雲郡。神魂|意保刀自《オホトジノ》神社とあるも。女神に坐(ス)謂也。しか男女こ柱には坐(シ)々《マセ》ども。此大御神等の御上に。※[しんにょう+構の旁]合《ミアヒ》の道ありしにはあらざる也。夙く皇代記。歴代皇紀。神皇正統録。塵添※[土+蓋]嚢抄を始。何くれの書どもに。雖有2男女之形1。旡2婚合之義1。といへるをはじめ。平田翁も委しく云おかれたる説あり。下に出せり。さて。紀傳に世間にありとあることは。此天地を始て。萬の物も。事業も。悉に皆此二柱の産靈大御神の産靈に資て。成出るものなり。されば。世に神はしも多に坐ども。此神は殊に(67)尊く坐々て。産靈の御徳申すも更なれば。有が中にも。仰ぎ奉るべく。崇き奉るべき神になむ坐々ける。と云れたる。其いと慥かなる證は。顯宗紀に三年春二月。阿閉臣事代。使2于任那1。月神著v人謂曰。我祖高皇産靈。有d鎔2造天地1之功u。宜d以2民地1奉(ル)u。我(ハ)月神(ナリ)云々。とある。預を舊くソヒと訓るは。副加はる由なり。されば。天地をはじめ。次々に成坐る神等みな。此神の産靈に資て。成出る耳ならず。萬事業の上に。其副加はりて。其を令v成(サ)玉ふものなること灼然し。さて上に引る火産靈稚産靈など。すべて産靈の上には。必其御行事を申すことなるに。こゝなる二柱の産靈神は。たゞ高と申し神と申して。稱へ奉れるのみにて。御行事を附て申さぬは。いかにと云に。此則此二柱の産靈にましますよし也。他の産靈は。みな其一つを持別て知看すが故に。自ら其御名にも負坐せれど。此二柱は。造化の神に坐て。天地はさらなり。萬物萬事の上に。悉く預り知看せば。此より大なる産靈の御徳なければ何と局《カギ》りて名け奉るべきやうもなく。いはゞ萬物の産靈大神なり。然るに。高と申し神と申す稱辭の上より。御名義を分けて解る説などもあれど。却りて御徳を小くするの恐れもありなんかし。偖又記傳に。此大神は。如此二柱坐を。記中に其御事を記せるには。二柱並出玉へる處なくして。ある時は高御産巣日神。或時は神産巣日命と。旁一柱のみ出玉へる。其御名は異れども唯同神の如く聞えたり。抑かく二柱にして一柱の如く。一柱かとおもへば二柱にして。其差の髣髴《オホヽ》しきは。其深き所以ある事にぞあるべき。とあるに就て。重胤云。此二柱神はしも。天御中主尊の荒魂和魂に。御在し坐玉へる(68)ものと。推察り奉らる。【荒魂とは。物に進む方の御魂を申し。和魂とは。御身に和み鎭まる芳の御魂を申せり。】紀記共に。其御事を記されたるに。二柱並出玉へる處はなくして。旁一柱のみ出玉へるは。甚々深き故ある事にて萬の事業の上にも荒魂の事には。高皇産靈尊と。和魂の事には。神皇産靈尊と。其並て神議玉ふ中にも。其方に主たる御名を擧て。傳へさせ玉ふものにぞありける。其(ノ)一二を出さば。天石窟の時又御天降の時などは。荒振神の所爲なる故に。高皇産靈尊の御名多く出たる中に。甚|尤《ケヤ》けきは。天孫降臨章。第一(ノ)一書。天稚彦が雉を射たりし矢の。天に到りける時の文に。天神見2其矢1曰。此昔我賜2天稚彦1之矢也。今何故來。乃取v矢咒曰。若以2惡心1射者。則天稚彦必|當遭害《マジコレナム》。若以2平心1射者。則當v無v恙。因還投之。とある。天神を。正書及記には。高皇産靈尊と見え。此必當遭害を。記には天若日子於2此矢1麻賀禮《マガレ》。とあるを以て。予が説の強ざるをおもふべし。又神武紀に。御軍の半なる時に。躬自齋戒祭2諸神1と見えたれば。自餘の神等をも。祭玉へるなるに。此神を主と立て齋かせ玉へるは。基稜威を仰奉らせ玉へるが故なる事著明し。又記に。大宜津比賣神の御身より。種々の物の成れる所には。故是神産巣日御祖命。令(テ)v取茲(ヲ)成v種と見え。大穴牟遲神(ノ)八十神にころされましゝ件には。爾其御祖命。哭憂而參3上于天(ニ)1。請2神産巣日之命(ニ)1時。乃や3※[討/虫]貝《キサガヒ》比賣(ト)與2蛤貝《ウムガヒ》比賣1令2作(リ)活(サ)1などあるは。和魂に坐る故にて。右の高皇産靈尊とは反對なり。所以に御巫祭神八座の中なるも。神産日神。高御産日神と次序し。祝詞にも。神魂高御魂と有て。常に申す例に異なるは。皇御孫命(ノ)御世乎。手長御世止。竪磐爾常磐爾|齋《イハヒ》奉。茂《イカシ》御世爾幸閇拳。とある(69)如く。事無き節に。大御身の守護をのみ。祈らせ玉ふが故に。二柱共に並奉たるも。其守とある方を。さきには爲られつるものなり。彼神功紀なる。神の御誨には。和魂|服《ツキテ》2王身《ミヽニ》1而守2壽命1荒魂爲2軍(ノ)先鋒《ミサキト》1而導2師船(ヲ)1と見え。皇后の御方には。則|※[手偏+爲]《オギオキテタ》2荒魂(ヲ)1爲2軍(ノ)先鋒(ト)1。請2和魂1爲2王船鎭《ミフネノシヅメト》1とあるを合せて思ふべく。又四時祭式鎭魂條には。右の神魂高御魂神等の八神に。大直神一坐を合祭らるゝを以て。和魂を主として。神産日神を先に。被定たる所由を思ふべき者也かしと云れ。平田翁説に。此二柱の男女大神の産靈の御徳の間より。諸の物類も事業も生成り。神等も生坐ることの由をいはゞ。少毘古那《スクナヒコナノ》神を記には神産巣日命の御子とあるを。紀には高皇崖靈尊の兒とあり。【古語拾遺も同じ】また豐秋津比賣《トヨアキツヒメノ》命を。記また紀の本書に。高皇産靈神の子とあるを。一書に。神皇産靈神の兒と云る傳あり。又姓氏録に。久米(ノ)直。高御魂命八世孫。味耳《ウマシミヽノ》命之後也。といひ。また久米(ノ)直(ハ)神魂命八世孫。味日《ウマシヒノ》命之後也。とあるをも思べし。【味耳味日同人なり】此は。諸の神等二柱産靈の御間に生坐るが故に。かく二方に傳たるなり。【本朝事始に加奈止美《カナトミノ》命と云を高皇産靈與2神皇産靈1之子也。と云ることもあるは。由あるつたへなり。】さて又紀に。高皇産靈神の御言に。番所v坐兒几有2千五百|坐《ハシラ》1。と詔へりとあるに。出震風土記に。神魂命の御子と云へるは。多く見えたれども。高御魂命の御子と云ることは。一柱だに有ることなし。此は神等二柱神の御間に生坐れど。神皇産靈命は。その御母に當り座すが故に。御子をは專と此神に係て。語り傳たる故ぞかし。【されば姓氏録をはじめ。書等に。或は高御魂命の後といひ。或は神魂命の後と云るに拘はらず。只産靈神の御末と。隔なく心得て有べきものぞ。又或は天御中主神の御末と。云ることも彼是あるは。猶其本祖を云るにて。其はた産靈神に係らざるはなければ。是また拘はるべきことにあらず。凡て是等の事どもを。熟辨へざらむには物の出自に。いぶかしき事のみ多(70)かるべし。】さて産靈大神の。諸神を生たるは。唯その男女の産靈の互に芽し合ふ。妙に奇しき御徳の間より。産成給へるにて。夫婦の道に。資ことには非ず【夫婦の道は伊邪那岐伊邪那美命よりぞ。始まりける】是ぞ産靈の大御椿徳には有ける【夫婦の道に由らでは。子を生得ざる。凡人の上より疑ひおもはむは。産靈の徳を知ざるものぞ。】神等のみならず。諸類の物は更なり。天地をさへに鎔造《ツクリ》給へる産靈の趣も。是に準へて想像奉るべく。また生《イキ》とし生る物ども。人は更にも云ず。其|神魂《タマシヒ》性情《コヽロ》靈智《サトリ》も悉く。産靈神の賦物《タマモノ》なる由をも辨ふべし。さて又。天御中主尊は。御名の大なるに取ては。其事蹟の傳なき故に。神徳を伺奉るべき便なけれど。二柱(ノ)産靈神より前に。始なく御坐し。女男の御徳を兼有ち。爲ことなくして。産靈の根原を司給ひて。寂然《シヅカニ》まし。女男(ノ)産靈大神は。其神靈に資て。生出坐して。産靈の徳用《ハタラキ》持分け宰《シリ》給ひて。天地も何も。此二柱大神の産成し給へる事とぞ思はるゝ。【然れば。天之御中主神の事蹟の聞え給はざるは。幽き所以ある事にて。却りては其神徳の大なる故にぞ有べき。其御社さへに式には見え給はず】と云れたる。みな然る説どもなり。さて式に。神祇官(ニ)坐(ス)巫(ノ)祭神八座とあるを始めて。此神を祭れる社は。式。國史等にあまた見えたり。かくて記云。此三柱神者。並(ニ)獨神《ヒトリガミト》成坐而隱身也とあり。獨神とは。次々の女男|※[藕の草冠なし]て成坐る神等と別ちて。唯一柱づゝ成坐るを申す。隱身とは記傳に御身の隱りて所見《ミエ》顯れ玉はぬを云れたるが如く。其奇靈しき神徳を宇宙に偏く充足はして。其至る所。悉く御身を備へてはませども。元より隱身に坐ませば【隱身と云事。靈異記にみゆ】甚も幽深く。神代の神等と申せども。其御身を伺ひ奉る事あたはず。ましていかなる道理ぞなどは。さらに心も詞も及ぶべきならねば。其尊きをたふとみ奉るべき他《ホカ》なしと知るべし。されど此二柱大神。又時として(71)は御身を顯し坐して。事議り玉ひし事も見えたるは。其本(ツ)大御體には坐(シ)坐(サ)ず。其|分《ワキ》御靈の假に顯れ玉へるにて。そは幽顯分れたる人代にも。時として神の見はれ玉ふと同じ事にて。永《トコシヘ》に現れ玉ふにはあらず。まして其本つ御體など。假初にも現はし玉ふべきにはあらねば。即それを隱身とは申す也けり。さて式の祝詞どもに。高天原爾|神留《カムヅマリ》坐神漏伎命神漏彌命とも。高天能神(ノ)王《ミオヤ》。高御魂神魂云々。などあるにて。後までも其高天原に坐々事を知べきなり【神留坐とは。神鎭坐にて。志豆麻理の志を略けるなり。たゞに留を都麻流と云るにはあらず。鎭るとは御身にまれ御魂にまれ。其處に永く坐々て。他に遷りいでまさゞるなり。これまでの説みな誤なり。此は序なれば聊いふのみ。】
 
 
〔同第五一書〕
一書曰。天地|未《・ザル》(ダ)v生《ナラ》之時。譬(ヘバ)猶《ナホ・ゴトシ》d海上浮雲《ウナバラノウヘニウカベルクモノ》無(キガ)uv所2根係《ネガカル》1。
 
 
天地未生之時とは。重胤云。浮雲の如くなりし物出來りて。浮(キ)漂よへりし程の事にて。其吻未(ダ)天とも地とも成ざりし時を云て。第三一書に天地混成之時とあるも。同じ趣なる傳なり。口訣に。未v生(ハ)未(ダ)2開闢1將《スル》2開闢(セント)1時也。とあるは謂れたる言なり。然るを記傳云。天地初發之時とあるよりは。委き傳にて。此時いまだ天地の無りし時なる事を。慥に心得るに宜き云ざまなりと。云れしはたがへり。此は一物のなれる其始終を云ん爲なる故に。其に係て。天地未生と云るにこそありけれ。唯世の始を大※[手偏+卜]に云所ならざる事。右に云るが如しと云り。○海上浮雲。本に雲を雪と誤れり。類史に浮雲とあるによるべし。【海を和多とも。宇那婆良ともいふよしは。下に云べし】○猶無所根係。萬葉七に。大海爾島毛不在爾海原《オホウミニシマモアラナクニウナバラノ》。絶塔浪爾立有白雲《タユタフナミニタテルシラクモ》と(72)云る歌あり。此時の有状を想像るによき歌なり。
 
 
其中(ニ)生《ナレリ》2一(ノ)物1。如3葦牙之初(テ)2生《オヒタルガ》※[泥/土]中《ヒヂノナカニ》1也。便|化爲人《ナリマセルカミハ》號(ス)2國(ノ)常立(ノ)尊(ト)1
 
 
此傳にては天地の未(ダ)混沌として分れざる際に。其物の中に。葦牙の如くなるもの。初生たる状に云るなり。聊異なり。○如葦牙云々。平田翁云。此なるは状如2葦牙1と云と。泥中より生初たる如しと云と。二つを兼たるなりと云り。○泥は。和名抄。泥和名比知利古。一云古比千。と見え。祝詞文に向股爾泥畫寄※[氏/一]《ムカモヽニヒヂリコカキヨセテ》などあり。土に水の淆りたるにて。俗言に杼呂《ドロ》と云物なり。○爲人。上にも云る如(ク)人(ノ)字いかゞなり。久米幹文が藏本に。類聚國史一本に。神とあるよし云り。さる本ありや尋ぬべし。
 
 
〔同第六一書〕
一書曰。天地(ノ)初(テ)判(ルヽトキ)有v物若2葦牙(ノ)1生(レリ)2於|空中《ソラノナカニ》1。因(テ)v此(ニ)化《ナリマセル》神(ヲ)號2國(ノ)常立尊(ト)1次(ニ)可美葦牙彦舅尊。
 
 
天地初判。云々は第一(ノ)一書に云り。さてこゝに有v物如2葦牙1とある物。即ち一物在ニ2於虚中1状貌難v言。とあると同じき事も既に云り。○有物如葦牙。此は第二(ノ)一書に。國稚地稚之時云々。國中生v物。状如2葦牙之抽出1。また第五一番に。天地未v生之時云々。其中生21一物1。如3葦牙之初生2※[泥/土]中1云々。と同じく。上にも云るが如く。是(レ)神と成べき物實なり。【然るを是までの注釋どもに。此を天の始として次なる浮膏の如くなるものを。地の始なりと見たるは。みな謬にて。彼序文に引る。渾沌たるものゝ二(ツ)に剖れて。天地となれると云るに。合せて強て説をなしたるなり。わが古傳にてはさることなし。葦牙は神の始なるをや。】
 
 
(73)又有v物若2浮膏1生(レリ)2於空中(ニ)1。因v此化(マセル)神(ヲ)號(ス)2國常立尊(ト)1。
 
又とは又(ノ)一説なり。こゝに曰(ノ)字本になけれど。荒木田經雅本にあるに據て捕ふべし。但し予此本を見たるにあらず。田中頼庸の物語れるによる。集解本には補へり。さて此(ノ)又(ノ)説は。國土の如2浮膏1。漂蕩へる時に成坐る神を。國常立尊なりとして。例の天神等を省ける第一一書。第四一書。第五一書等と同じ趣にて。其化坐る物實たる如2葦牙1なる物を。省けるまでなり。異なる傳にはあらず。これを如2葦牙(ノ)1なる物には依らずして。若2浮膏1なるものより。化れる神ぞと云る説共は。謬なる事既に云るが如し。
 
 
〔神代七代章續〕
次|有《イマス》v神|※[泥/土]土煮《ウヒヂニノ》尊。【※[泥/土]土此云2于※[田+比]尼1。】沙土煮《スヒヂニノ》尊【沙土此云2須※[田+比]尼1。亦曰2※[泥/土]土根《ウヒヂネノ》尊|沙土根《スヒヂネノ》尊1。】
 
 
此より以下八神の御事は。平田翁の考おかれたる説によりて。又重胤の委き考あるを。今次々に録すべし。【さるは其説みながら諾なはれぬは。間々易て出せる所もあり。又己の説を以て。補へるもあるなど種々なれど。處せければ。一(ツ)一にはえことわらず。本書を引合せ見て。其別なる所をば知ねかしとてなり。】さるは其説云。伊弉諾尊は。後に顯身おはし坐(ス)神也。然るに記には次成神名國之常立神。次豐雲野神。此二社神者。亦獨神成坐而隱身也。と終めて。其間を界ひて。次成神名宇比地邇神。次妹須比智邇神と云より始て。次々に御名を擧たるに。其終に隱身也と云事を。出されざりければ。顯身の神にわたらせ玉ふべかめるを。其御事蹟も外に傳はらず。又式などにも。然る御名を以て。祀れる神の一所だに。御在しまさ(74)ゞるを以思ふに。其は次々國形の整へる状に依て。負坐る御名共にて。實には。此※[泥/土]土※[者/火]尊沙土※[者/火]尊以下八神は。伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊。二柱の別號におはしますなり。近き證は。國常立尊豐斟渟尊は。別に有《タモ》たせおはしませば。其を除きて次の五御代の初と御在します。※[泥/土]土※[者/火]尊沙土※[者/火]尊に。國生の御事を負せずして。最後に成坐る伊弉諾伊弉※[冉の異体字]二神に。御命依し玉ふべき所謂なきを思ふべきもの也かし。又一書に。右國稚地遲之時云々。記にも次國稚如2浮脂1と云るは。即※[泥/土]土※[者/火]尊沙土※[者/火]尊に係り。又其八洲起元章。第四一書に。有v物若2浮膏1と云るは。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]二神に係れる事を合せよまば。自然に得る所ありなんものなるぞかし。然るを。各一御世に計へ奉れるは。釋私記に問(フ)一書曰。國常立尊生2天鏡尊1云々。既全云v生。其意如何と云る答に。是後代之人。見2代々相嗣(ヲ)1。而假(ニ)謂2之生(ト)1。未2必事實1也とあるが如し。又口訣に。豐國主重之別名。皆當2豐國主之義(ニ)1古語從(テ)v時(ニ)稱號。と云事あり。其從v時稱號と云事を。此に引當て心得るに。實に面白き事なり。此※[泥/土]土※[者/火]尊沙土※[者/火]尊と申せるより。伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊迄。五代の御名はしも。其二柱神の時に從へる稱號なる事をあきらむ可くなん。さて又伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊に至りて。始て妹※[女+夫]二柱嫁繼玉ひて國の八十國島の八十島を生玉ひければ。此時に至りて。始めて御妹※[女+夫]の御中間に御在し坐が如くなれども。其男女|※[藕の草冠なし]《タグヒ》生坐ると云は。本より御妹※[女+夫]と相並ばしおはしましける事。申も更なり。記傳三に。宇比地邇神より。阿夜※[言+可]志古泥神まで。男女並び坐るを以て。女神をば妹と申せり。嫁の事は未始らざる時なれば。妻の謂にはあらずと云れたれども。然相(75)嫁がせおはしますべき神にして。未嫁がせ玉はざるにこそ有けれ。御妹※[女+夫]とは何どかは申さゞらん。【皇代略記に。※[泥/土]土※[者/火]尊より。惶根尊までを。巳上三代六神。初弖雖v有2男女之形1。無2夫婦之義1。とあり。夙く皇代記。歴代皇記。神皇正統録。塵添※[土+蓋]嚢抄等始め何くれの書に見えたる皆同じ。】然れば。※[泥/土]土※[者/火]尊沙土※[者/火]尊より以下次々を。伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊の。幼き程の御名と心得奉りて。たがふ事有まじかりけるものなりと云れたる實に。然る言とこそおぼゆれ。今は其に依て云なり。さて其二神の最初の御名。※[泥/土]土※[者/火]尊沙土※[者/火]尊と申奉れるは。二神天神より。此多陀用幣流國を脩理固成《ヲサメツクリカタメナ》せとの詔命受玉はりて。天降り玉ふ時に。二神相謂曰。有v物如2浮膏(ノ)1。其中蓋有v國乎とある。此國稚若2浮膏1と云ふ時に。二神の成出させおはし坐る傳にて。※[泥/土]土※[者/火]尊と申せる御名の御在坐し。又|垂落《シタヽル》之潮。結而爲v島。名曰2※[石+殷]馭盧島《オノゴロジマト》1と見えたるは。自然に沙土を成す所以にて。是沙土※[者/火]尊と云名の御はします所以なり。○有神。本に神マスと訓れども。永正本に神イマスと訓る方まされり。今はそれによりつ。○壁※[泥/土]土※[者/火]尊沙土※[者/火]尊。名義。記傳云。宇は泥《ウキ》なり。【※[泥/土]字泥也と注せり。】後世の歌などに泥を宇伎と云ることあり是なり。【宇とは。宇伎の伎の省かりたるか。又宇を本にて。宇伎ともいふか。】須は。土の水と分れたるを云。されば※[泥/土]土とはかの如2浮脂(ノ)1物の。潮と土と混淆《マジリ》て。未分れざるを云。【水と土と和りたるは泥なり。】沙土とは。其潮と土と漸分れたるを云。土は土形《ヒヂカタ》築墻《ツキヒヂ》などの比地にて。土の總名に取れるなりと云り。【沙字。字書に砂と同義にて。和名抄に。聲類(ニ)云。砂(ハ)水中(ノ)細礫也。和名須奈古とあり。須奈古の須は須比和の須と同じ。また砂を字書に水旁之地と注せる其義をも兼たるべし。】※[者/火]は。一の御名に根と申せり。さらば【※[者/火]根通音にて】同く尊稱なり。【其由は次に云。】さらば。※[泥/土]土※[者/火]尊は。彼漂へるものゝ潮と土と混淆て未(ダ)分れざる程の御名。沙土※[者/火]尊は。其物の漸分れて。沙土となれる程の御名なりけり。(76)さて記に宇比地邇(ノ)【上】神。次妹須比智邇(ノ)【去】神とあるは。男神の御名の邇をば。上《アガ》る聲に。女神の御名の邇をば。下る聲に誦めとなり。此紀の御名をも。記に據て讀たりしこと見(タリ)2私記1。○※[泥/土]土此云于毘尼。此注釋紀亂脱校本には沙土※[者/火]尊の下に一(ツ)にあり。さて此紀に。毘は清音の假名にも多く用たり。濁音によむは非なり。○※[泥/土]土根尊。根は尊稱なり。次に云。○此に記には。角※[木+織の旁]《ツヌグヒノ》尊|活※[木+織の旁]《イクグヒノ》尊入(リ)たり。一書にも然り。此は必在るべき御名也。【其由は已云り。】故此に其義を云べし。さるは。これも重胤云。次に二神の御名を。角※[木+織の旁]尊活※[木+織の旁]尊と申奉れるは。地中より。芽《モエ》出る物を角《ツヌ》と云ひ。蠹化《ワキイヅ》る物を活《イク》と云なり。彼※[石+殷]馭盧島の凝り成れるは。彼※[泥/土]土沙土の凝成て。國體をなし。此に因て。草木生ひ禽獣栖む。其時に當て。真を成し出させおはしましける御名なりと云り。下に此御名の出たる處に委しく云べし。
 
 
次《ツギニ》有《イマス》v神《カミ》大戸之道尊《オホトノチノミコト》。大苫邊尊《オホトマベノミコト》。【一云|大戸之邊《オホトノベ》。亦曰2大戸摩彦之《オホトマビコノ》尊。大戸摩姫《オホトマヒメノ》尊(ト)1亦曰2大富道《オホトムヂノ》尊。大富邊《オホトムベノ》尊1】
 
 
此段。本には大戸之道尊【一云大戸之邊】大苫邊尊云々。とあるを。今は釋紀亂脱校本に。大戸之道尊。大苫邊尊と書つゞけたる本によれり。一云大戸之邊の六字も同本に依る○偖次に。二神の御名を。大戸之道尊大苫邊尊と申奉る御事は。次章第一一書に。二神|降2居《アマクダリマシテ》彼《ソノ》島(ニ)化2作《ミタツ》八尋《ヤヒロ》之|殿《トノヲ》1云々。とありて。此時はじめて。住み玉ふべき家居の出來しにて。即其初を成し玉へる御名になんましける。○大戸之道尊大苫邊尊。名義。大は稱辭なり。戸之《トノ》は殿《トノ》なり。苫《トマ》は富《トム》の通音なり。富は家の事に古く云るを通はし(77)て苫。とも云るなり。富の事は次に云。道は。上に云る比古遲の遲に同じ。邊は。男神の道に對へて。女を尊む稱なり。次に彦と娘とを對はせたるも。其心なり。されば。此御名は。大殿道大殿邊尊と申す心ばへなり。○一云大戸之邊。此御名。大戸道尊に。正しく對へる御名なり。○大戸摩彦尊。大戸摩姫尊。戸摩《トマ》は次なる斗美《トミ》の通音なり。彦姫は男女の稱なり。此を以て道と邊とを。男女の稱なりと云事をしるべし。○大|富《トム》道尊。大富邊令。富は斗美《トミ》と訓べきか。斗牟《トム》と訓べきか定めがたし。【今姑く本の訓に依る】さて富も殿と同く。もと家作の事を云。其證は。古語拾遺に。天(ノ)富《トミノ》命。【太玉命の孫なり】率2手置帆負彦狹知《テオキホヒヒコサチ》二神之孫1。以2齋斧齋※[金+且]《イミヲノイミスキヲ》1。始採2山(ノ)材(ヲ)1。構2立|正殿《ミアラカヲ》1。故其裔今在2紀伊國名草郡|御木麁香《ミケアラカノ》二卿(ニ)1。とあるは。正殿を構(ヘ)立つる功を以て。天(ノ)富《トミノ》命と稱申し。また顯宗紀なる室壽《ムロホギ》の御詞に。取葺草葉《トリフケルカヤハ》此(ノ)家長御富餘《オヘヲサノミトミノアマリ》也と。新室に就て詔ひ。又寶基本紀に。富物代《トミノモノシロ》と云るは。天(ノ)御柱一名心御柱の事なるが。其を富(ノ)物代《モノシロ》と云なり。此事みな家作の事に云る證なり。なほ古今集歌に。此殿はうべも富けりさき草の。みつはよつはに殿作せり。とあるも此意なり。されば。戸之も富も家居に付ての御名なる事明らけし。【今世には金銀財寶を。多く聚貯るをのみ。富といへども古は然らず。右の古今集の歌に就て考れば。家作の事を云るが本にて。其より其家居の豐大にして。物事の具足るを美稱て。富と云るより。轉りて金銀財寶を。あまた所持るをも云名とはなれるなり。】
 
次《ツギニ》有《イマス》v神《カミ》。面足尊《オモダルノミコト》。惶根尊《カシコネノミコト》。【亦曰2吾屋惶根《アヤカシコネノ》尊(ト)1。亦曰2吾忌橿城《アユカシキノ》尊1。亦曰2青橿城《アヲカシキ》根(ノ)尊1。亦曰2吾屋橿城《アヤカシキノ》尊1。】
 
 
次に二神の御名を。面足尊惶根尊と申奉るは。男神女神の御體の具足へるに付て。夫婦の交りを既に(78)爲玉はんとすべき。きざしのあらはれ玉ふ時の御名なり。○面足尊。記傳云。此字の意の御名なり。萬葉二に。天地日月|與共《トトモニ》。滿將行神乃御面跡《タリユカムカミノミオモト》云々。九に。望月之滿有面輪二《モチヅキノタレルオモワニ》云々とあり。面の足と云は。不足《アカヌ》處なく。具りとゝのへるを云。【面を云て。手足其餘も。皆凡て滿足ることは籠れる御名也】さて。※[泥/土]土※[者/火]沙土※[者/火]尊より女神男神の御形はありしかど。未だ片生《カタナリ》なる御身にて坐々けんが。此神に至りて。始て御面を始め。手足其餘も盡く滿足て。麗はしき少男少女の御形姿を。備へ玉ひしなり。○惶根尊と申すは。纂疏に。形容已具而。男女根別也とも。口訣に。二神備2陽根陰根(ヲ)1之儀也。【環翠軒等の説も同じ】と云らたるが如く。女男の御姿形滿足はせるにあはせて。其女男の元《ハジメノ》處とある。彼不(ル)2成(リ)合(ハ)1處。成(リ)餘(レル)處の。具備させ玉へる御名なり。さるは。陰處は人の根本とも云べき處なるが故に。惶根と云。惶とは可畏み貴ばるゝ事にて。人體の内にとりて。陰處ばかりくしびに。奇しく。かしこみ貴ぶべき處はあらぬより。やがて惶根とはたゝへしなりけり。○吾屋惶根尊。此名義は。合せて次に云。さて記には阿夜【上】※[言+可]志古泥神とある。記傳云。阿夜に。上聲を附たるは。※[言+可]志古と引つゞけて。一に讀べき爲なり。一續によめば。土聲になるなり。と云り。【阿夜と※[言+可]志古とを離してよむときは。本の平聲になる。然ば讀ずして一(ツ)に合せてよむなり。】○吾屋惶根尊。吾忌橿城根尊。吾屋橿城尊。本に吾忌の吾字を脱せり。類聚國史に此字あるに依て補ふ。さて此四つの御名に。次なる沫蕩《アワナギノ》尊の御名をも。合せて考ふるに。阿夜も阿由も。阿乎も阿和も。みな通音にて。其本は阿夜なり。記傳云。阿夜は驚て歎聲なり。皇極紀に咄嗟を夜阿とも阿夜とも訓り。又阿夜と言て歎くべき事を阿夜爾云々とも云り。(79)又阿那も阿夜と通へり。阿那可畏と全同じ【採要】とあり。萬葉古義云。阿夜は阿那と似たる言ながら。猶別言にて歎聲にあらず。阿夜は奇《アヤ》しきまでに。と云に同じ意の詞なり。阿夜爾可畏は。あやしき迄にかしこきの意。アヤニ戀しきは。奇しき迄に戀しきの意なり。故アヤカシコ。アヤコヒシ。など云る類一もなくして。皆アヤニ云々と。爾の言をそへてのみ云り。これ歎聲に非るが故なり。さて神名は阿夜爾※[言+可]志古泥と申すべきを。爾の言なきは。調のよからぬ故に。爾の辭を省きたるにこそあれ。たゞもとよりアヤカシコといふ意にはあらず。さるをなほ。アナカシコは。アヤカシコと全同じし云々。など云れしはたがへりと云れたり。さる言なるべし。さて※[言+可]志紀は。※[言+可]志古と通ふ。根は省きても云例なり。
 
 
次《ツギニ》有《イマス》v神《カミ》。伊弉諾《イザナギノ》尊。伊弉※[冉の異体字]尊《イザナミノミコト》。【一書曰。此|二神《フタハシラハ》。青橿城根尊之《アヲカシキネノミコトノ》子也。一書曰。國(ノ)常立尊|生《ナシマセリ》2天鏡《アメノカヾミノ》尊1。天鏡尊|生《ナシマセリ》2天萬《アメヨロヅノ》尊(ヲ)1。天萬尊|生《ナシマセリ》2沫蕩《アワナギノ》尊(ヲ)1沫蕩尊|生《ナシマセリ》2伊弉諾(ノ)尊(ヲ)1。沫蕩此云2阿和那岐1。】凡八神矣《スベテヤハシラノカミマス》乾坤之道相參而化所以成此男女〔乾坤〜右□で囲む〕自(リ)2國常立尊《クニノトコタチノミコト》1。迄《マデ》2伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊《イザナギノミコトイザナミノミコト》1。是(レヲ)謂(フ)2神代七代《カミヨナヽヨト》1者矣。
 
 
次に二神の御名を。伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊と申奉るは。本書に。二神始て御合まさんと爲玉ふ時に。陰神先|唱《トナヘテ》曰(ク)。※[喜/心]哉遇2可美少男《エヲトコ》1焉云々。の唱を正應本鎌倉本などに。イザナヒテ〔五字右○〕と訓。其意にて。重胤も云れ(80)し如く。記に。天之御柱を行巡らし御在し坐て御合せさせ玉はむと詔へるは。即二神の共相誘なはせ御在し坐にて。其誘なひの御事を爲させ玉へるなり。次に。かの謂る唱和の御言おはしますは。即誘なひの御語と申すもの也。第十一書に。陰神先唱曰。妍哉可愛少男乎《アナニエヤエヲトコヲ》。便握(テ)2陽神之手(ヲ)1遂爲2夫婦1。とあるなど。彼此を考合するに。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]と申奉れるは。二神の相共に。誘引ひ合させ玉へるに依る御名にて。是そ此二神の天神の御命を奉はらせ玉ひて。國生の大業を。成し遂させ玉へる運《ヨ》の御名なれば。其後には。此を以て。稱奉る御事とは。成たりけらし。さて又右に云るが如く其(ノ)時に從へる稱號を以て。御天降の時には。※[泥/土]土※[者/火](ノ)尊。沙土※[者/火](ノ)尊。次に。※[石+殷]馭盧島《オノゴロジマ》出來て生植氣形《キクサイキモノ》成出し時に至りては。角※[木+織の旁](ノ)尊活※[木+織の旁](ノ)尊。次に八尋殿の條には。大戸之道(ノ)尊大苫邊(ノ)尊。次に神の面足ひ。陰處成具へる時に至りては。面足(ノ)尊惶根(ノ)尊。偖かく唱和して。御合爲させ玉ひて。國を生神を生玉ふ御時に至ては。申までもなく。伊弉諾(ノ)尊伊弉※[冉の異体字](ノ)尊と。書し別らるべき御事なるに。此も始より通して。伊弉諾(ノ)尊伊弉※[冉の異体字](ノ)尊とのみ。記し奉られたるは。古人の深く心を用ゐられたるものにして。縱や。其時に從へる稱號也とも。然る御名共を所々に。記しわかてらんには。文義つゞかず。又其前後を照應せて。唯此二神の御事とのみは所見難くして。中々なる物損ひある事なるが故に。神名は神名として。形の如く五御代に記し續き。事實には。何處迄も。唯其二神にて記し續けど。其五御代十神と申すも。實は一代二神なる御事を。互に見合せてさとるべく。奇く神語に語り傳へ玉へるものなりけり。と云れたる。實にさる説なりけり。○伊弉(81)諾(ノ)尊。伊弉※[冉の異体字](ノ)尊。御名義。平田翁云。口訣に。伊弉は誘(フ)語と云り。信に此二柱神。※[しんにょう+構の旁]合して。國土を生成さむと。互に誘ひ催し給へる意にて。伊邪之岐伊邪之美《イサノキイサノミ》。と負せ奉りしなるべし。之《ノ》を那《ナ》と云る例あまたあり【麻奈《マナ》子。手末《タナスヱ》。足末《アナスヱ》などの奈即是なり。】と云り。さて岐と美とは。大戸之道損大苫邊(ノ)尊の。道と邊。又大戸摩彦(ノ)尊大戸摩姫(ノ)尊の。彦姫と同じ事にて。男神女神を別ち奉れるなり。然稱奉り別る例は。古き祝詞に高皇産靈(ノ)尊天照大神を。神魯伎神魯美命。と申てあるも同例也。かつ。越前國敦賀郡氣比神社七社(ノ)御子神の中に。天伊佐奈彦神社。天伊佐奈姫神社。とみえたるも此大神におはし坐なるべき事をも。思ひ合すべくなんありける。さて此御名の文字の事。諾《ナク》は奴各反なれば。呉音那久なるを。久を岐に轉じて用たるなり。【久を岐に用たる倒多し。】※[冉の異体字]は冉と同字奴甘反。これも呉音奈牟なるを。奈美に轉用したる例は。南を奈美。深を自美に用ゐたるが如し。【※[冉の異体字]字類聚國史作再。校異云按再以v作v冉爲2正體1。而古本字様百出。今所v校本史。永和本作v再。文明本學問所本作v※[再の一画目がノ]學問所一本作v冉。見林本作v册。印本纂疏本釋日本紀作v※[冉の異体字]とあり。こゝに若狹の妙玄寺義門が男信と云書に。戸田通元が※[冉の異体字]字攷といふものを別て。字體を弁明したるは既く天保の頃の事なり。それに繼て木村正辭が隨筆に。※[冉の異体字]字の異同をあまた出して。案に※[冉の異体字]册冉※[再の一画目がノ]再みな※[月の中の二本の横線が左右に突き出す]字の異體にして。異義あるにあらずとて。諸書を引て云れたり。右の二書に就て見るべし。】○一書曰。此一書と次の一書。本には引放ちて記したり。山蔭云。此二(ツ)の一書は。もと本書の上文。伊弉諾尊の下に。屬たる細注にて有しを。一(ニ)云(フ)とはあらで。一書曰とありしから。他の一書の例に別になして。大字にせる後人のしわざなり。其故は。此二神と始に云出せる事。一書どもに例なきさまなり。此二神とは。いづれの神をさしてかいはむ。又此次の本書の初に。凡八神と書出せるも例なき事なり。其は上よりつゞきたる文なるをや。これらにて。此二(ツ)の一書曰は。なほ(82)上文の二柱神の下に。屬く細注にて有べきを。誤りて別に大書にせるものなること明らけし。と云れたるは。然る言なりけり。【按に。此は一書を大字にせるより。かゝる誤りは出來しものなり。古本のまゝに。一書を細注に作る時は。自此説の如く成れり。】○青橿城根尊之子。口訣に子也者。云(フノ)v次(ト)義。とある如く。其生坐るには非ずといへども。其世次を以て。子とは云。此ことは尚次に云り。○國常立尊。生天鏡尊云々。此は甚く異なる傳にて。更に識《サトリ》得がたきを。さりとて止べきにもあらざりければ。くさぐさに思回して。試に説をなす者なり。さるはまづ。國常立尊生2云々1と。後の御世繼の様に記されたるは。私記に。問。一書國常立尊生2天鏡尊1云々既全云v生《ナシマスト》其意何。答。是後代之見2代々相嗣(ヲ)1。而假(ニ)謂2之生(ト)1。未2必事(ノ)實1也。と云る如く。代々相嗣ぐ謂には。本より非る事なるを。かくも云傳しは。其天鏡尊の生出給ひし起本は。國常立(ノ)尊に基き給ひしよしを。かくも語傳へたるなり。【天萬(ノ)尊以下も此に同じ。】さるは。國常立(ノ)尊は。記にも※[泥/土]土※[者/火]沙土※[者/火](ノ)尊以下の神とは其生坐る際も異にして。一は隱身の神。一(ツ)は顯身の神に坐せども。もとより此國土を。幽より立(テ)玉ふ神は。國(ノ)常立(ノ)尊也。顯より次々に。其を修理固成し玉ふは。此より以下の神なり。されば國常立(ノ)尊。此國土を立むと爲玉ふには。必其顯に作べき神を。化生《ナシ》給ふべき理也かし。此にて生《ナス》と云言の意をまづ識べし。さて天鏡(ノ)尊と申すはいかなる神ぞと申すに。※[泥/土]土※[者/火]尊沙土※[者/火]尊にぞ坐べき。さるはまことの推測言にはあれど。試にいはゞ。國常立尊幽に立て。此國土を修理固成さんと。おもほす時運《トキ》に當りて。※[泥/土]土※[者/火]尊沙土※[者/火]尊二神を。顯身に化成《ナシ》坐る。其御名を。天鏡尊と申奉りし由ありしならん。【但其名義は知べからず鏡は借字なるべし】さて天(83)鏡尊の次に成坐る天萬尊は。大戸之道尊大苫邊尊なり。次に云。さて此御名舊訓に。アメカヾミと訓り。上に云る如く。天之と云時には。必阿麻と訓む格なれども。かく引續けて【之を省き】云時は。又必阿米と云例也。其は記に訓v天(ヲ)如v天(ノ)と云注ありて。此又みだりには訓べからず。さて次なる天萬尊を。本にアマヨロヅと訓るは非也。さる例はなし。熱田本にアメヨロヅと訓り。必しか訓べきなり。【序にいふ。天降天翔などを。アマクダリアマガケリと訓るは。此例にあらず。下へつゞくる便に米を麻に轉じしたるものなり。おもひ混ふべからず。】○天萬尊。此神は大戸之道尊大苫邊尊にぞ坐べき。一書に因らば。角※[木+織の旁]尊活※[木+織の旁]尊にも當つべし。さて此二神を天萬尊と申奉り。【其名義は詳ならず】其次に成坐る沫蕩尊は。即吾屋惶根尊なるよしは次に云。○沫蕩尊。此神は。吾屋惶根尊にあたり坐り。さるは沫蕩と申す義は。例の詳ならねど。【強て推測りたる説はあれど。同(ジ)神たる證あるからには。名義は詳ならずとても。事闕かざれば。今は其説ははぶきぬ。】上の一書に。二神(ハ)青橿城根尊之子也。とあるにて一(ツ)神なる事しられ。また神代系紀に。青橿城根尊。亦2沫蕩(ノ)尊(ト)1。亦云2面足尊(ト)1。とあるにても明らかなり。さて今は面足尊をば。一柱略て語傳へしにもあるべく。右の神代系紀によれば。面足尊の亦名と云説もありしなれば。沫蕩尊のみにても。妨なし。さて。此神の伊弉諾(ノ)尊を生ませるよしは。異なる事なければ。今いはず【此事は上にも既に云へりき。】かく考定めて見る時は。異なる傳とおぼしきも。一貫に通えて。疑がはしきふしもなきが如くなれどいかゞあらむ。後人の考を待になむ。○凡八神矣。山蔭云。此はもと上文のつゞきなること。右に云るが如し。矣字を置れたるにても知るべし。今本は非なりと。云れたるが如し。【上の國常立尊。次云々凡三神矣。と書連けたるをも思(フ)べし。それと同じき文法なるをや。】○乾坤之道云々。易繋辭に(84)乾道成v男坤道成v女など云るより。思ひ附たるさかしら言にて。古傳ならぬことは。上の乾道獨化云々の如し。【一本細字に作れるよし。或校本に見えたり。其はとまれ。後人の※[手偏+讒の旁]入なりしこと明らかなり。乾道獨化の下に引る。神代卷〓述抄に云ることをも考合すべし。】○神世七代記云。上件自2國之常立命1以下。伊邪那美神以前。并(テ)稱2神世七代(ト)1【上(ノ)二柱獨神各云2一代(ト)1次雙十神。各合2二神(ヲ)1云2一代(ト)1也。】とあり。神代の事は。既にも云る如く。人代て別て云稱にて。其は皇孫尊天降まして。大己貴《オホナムチ》命と幽世顯世を分け所知看しかば。此御時より以前を神代とし。此より以來を。人世とせるなり。さらば。こゝに國常立尊より。伊弉※[冉の異体字]尊までを。神世七代と分け云へるは。又いかなる事ぞと云に。神代とは廣く大己貴(ノ)命までを云名にはあれど。此伊弉※[冉の異体字]尊まで。七代は天地の初の時にして。神の状も世の状も。後々の神代とは。又甚く異なりしかば。世に七代の神世とは。分云るものなり。然分け云ればとて。それより以來をば。神世とは言はざりしかと云にさにはらず。神代の中なるを。しか分て云へりしまでにて。猶是より後も。神代なる事は言卷も更なり。されば。神代と云へりし稱は。皇孫尊より以來に。云始たりしものにて。上古は神代と云稱はなかりしこと灼然し。さるは上代は凡て皆神なりし故に。【伊弉諾伊弉※[冉の異体字](ノ)尊の側世より。既く青人草蕃息り。また神の御上をも人といひしことも有しかども。其も幽顯分れたりし後より見れば。なほ神なり。】分てしか云ふべきよしなきを思ふべし。【其は神代に對へて。人代とはいへど。單に人代と云へることなきが如し。後世は凡て人なれば。人代と云べきよしなきをも思ふべし。】さて皇孫尊より以來。御世の嗣々をも。神代と云へりしは。又後の御世に云へりし稱の遺れるものなること。上にも既に云るが如し。さて記傳にも云れし如く。此は十一柱神のうち。初三柱は獨神成坐し。【記には。獨神二柱なり。】次に八柱は。女男二柱づゝ※[藕の草冠なし]生れば。【記には。十柱なり。】只十一柱(ノ)神世と申して(85)は。其趣分りがたき故。後の世嗣の例に准へて。假に七世とは申せるなり。さて世字と代字とを書ること。異なる意あるにあらず。神代七世と易て書たらんも。只同じことなり。書紀にも。卷首には神代と標しながら。此處には記と同く。神世七代と書れたり。上代より。如此書傳へたる隨なりけむかしとこれも記傳に云へり。
 
 
〔同一書〕
一書曰。男女|※[藕の草冠なし]生《タグヒナル》之神(ハ)。先《マヅ》有《イマス》2※[泥/土]土※[者/火](ノ)尊沙土※[者/火](ノ)尊1。次(ニ)有2角※[木+織の旁]尊《ツヌグヒノミコト》活※[木+織の旁]《イクグヒノ》尊1。次(ニ)有《イマス》2面足(ノ)尊惶根(ノ)尊1。次(ニ)有《イマス》2伊弉諾(ノ)尊伊弉※[冉の異体字]尊1。※[木+織の旁]※[木+厥]也。此云2久比1。
 
 
※[藕の草冠なし]生は。記に此神等の所々に。其神次妹某神と見えたる。是男女※[藕の草冠なし]生坐る也。伊弉諾(ノ)尊。伊弉※[冉の異体字]尊と。申奉頃に至るまで。未(ダ)※[しんにょう+構の旁]合の御事おはしまさずと雖。妹※[女+夫]《メヲ》二柱と相|嫁繼《トツギ》坐べき神の。相|雙《ナラビ》坐たればこそ。かくざまには。傳へられたるものなりけれ【釋紀に。※[藕の草冠なし]謂2男女共相※[藕の草冠なし]生1也。非v謂2夫婦※[藕の草冠なし]合(ヲ)1と云り。いさゝかまぎらはしき言ざまなり】○角※[木+織の旁]尊活※[木+織の旁]尊。記傳云。角は都怒《ツヌ》と訓べし。角《ツヌノ》臣を此記に都怒臣と作るなどを以て知べしと云り。さて二神の御事は。上にも云る如く。生植《キクサ》と氣形《イキモノ》の形を。成させおはし坐ける由に縁て。負せ玉へりし御名になんおはし坐ける。さるは重胤云。此は彼二柱神。天浮橋に御立しおはしまして。初て※[石+殷]馭廬島を探り得させ玉へりし御時に。當れる御名になんありける。其は先。其(ノ)※[木+織の旁]尊を生植の始に説成し奉ると云は。本草の芽立を角《ツヌ》と云なるべし。唯(シ)記傳に物の僅に生初て。譬へば尾頭手足などの差別は。未生ざる形を。都怒と(86)云ふと云れたる事なれども。予が思ふには。突拔《ツキヌ》く意有て。物の尖鋒《キサキ》の抽《ヌケ》出るを云と通ゆれば。此を以て。生植の始に因れる御名ならんとは云なり。葦などの初て生出るを。角具牟と云は更なり。和名抄に。※[草冠/炎]蘆之初(テ)生也。和名阿之豆乃と見え。本草和名に菰首和名古毛都乃。とあるを以て知べし。古語拾遺|津昨見《ツクヒミノ》神を。古本に都能具美と訓るは。此の角※[木+織の旁]の御名に同じく。角組《ツノクミ》の義にて。一夜の間に穀《ユフノ》木を生じ玉へりし功に因れる。神の名になん有ければ。此を證として。此に角※[木+織の旁](ノ)尊と申奉れるも。正く生植の生出初たるよしに因れる事をなん。明らめ奉るべきものなりけり。※[木+織の旁]は記に杙《クヒ》と作る。共に借字にして。芽久牟《メグム》角《ツノ》久牟の。久牟是也。組と云は。物と物と合て。形質を成す事に云り。活※[木+織の旁]尊と申奉る。活は伊久と訓て生活く義なり。故(レ)人は更にも云ず。鳥獣蟲魚に至るまでも。凡此世中に此地の氣を呼吸して。生存ふる物の本とおはします謂なる事。右の角※[木+織の旁]尊は。草木等の始の神に渡せ玉へるに。例して思ふべくなんありける。凡世中に生出る物は。謂ゆる胎生あり。卵生あり。濕生あり。化生ありといへども。其生れ樣の異なるにこそありけれ。此二柱(ノ)御祖神に成初たりければ。活とし生る萬物はしも。此角※[木+織の旁]尊活※[木+織の旁]尊と申奉る。御靈によることなる故に。生植《キクサ》の方を以て。男神に稱奉り。氣形《イキモノ》の方を以て。女神に稱奉り分られたるものになんありける。と云れたるが如し。さて姓氏録に。角凝魂《ツヌゴリムスビ》命。角凝《ツヌゴリ》命。【許理と久比と通ふ】神名式に。出雲國神門郡。神魂(ノ)子角凝神神社。また姓氏録に。恩智(ノ)神主高魂命兒。伊久魂《イクムスビ゙》命之後也。とあるは此神等とは異なるべし。○※[木+織の旁]※[木+厥]也。此云久比。本に此云2久比1の四(87)字なし。されど釋紀注音部に。※[木+織の旁]※[木+厥]也也とて。出されたれば。こゝは脱たること决し。山蔭云。※[木+織の旁]此云2久比1。とある本もありと云り。其はこゝに※[木+織の旁]※[木+厥]也此云2久比1。とありしを。互に脱しゝなり。次の本書に瓊玉也此云v努。とあると同例なればなり。さてこの※[木+織の旁]※[木+厥]也。瓊玉也。と云類の注は。山蔭にも云れたる如く。後人のしわざと見えたり。されどみだりには刪りがたし。○此一署。一つはなれて。此に有るにつきて。延佳云。此段錯簡なるべし。古本に。前段の前にありとぞ。と云り。然れど非なり。已にも云る如く。上の二(ツ)の一書どもは。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊の出自の一の傳なれば。二神の下に屬る注にて此一段の一書には非ず。故此段を總括りたる此處に。此一書あるにて。此即四世八神の一の傳なればなり。よくよく見分くべし。
 
 
(89)日本書紀通釋卷之三        飯田 武郷 謹撰
 
〔八洲起原章〕
伊弉諾尊《イザナギノミコト》伊弉※[冉の異体字]尊《イザナミノミコト》。立《タヽシテ》2於|天浮橋之上《アマノウキハシノウヘニ》1。共計曰《トモニハカラヒテノリタマハク》底下《ソコツシタニ》豈《アニ》無《ナカラメ》v國《クニ》歟《ヤトノタマヒテ》。
 
 
此章は前段に云る。國土未(ダ)固まらず。彼※[泥/土]土沙土未(ダ)入|淆《マジ》り水母《クラゲ》なす浮漂ひて在し時。別天神と坐す。天御中主尊。高皇産靈尊。神皇産靈尊の御靈に依て。幽にはそれを修理給ふべき。國常立尊。國狹槌尊。豐斟渟尊成坐し。顯には※[泥/土]土※[者/火]尊。沙土※[者/火]尊。以下八神成坐して。幽と顯とに持分て。漸々に國士の形をなせるが。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]二神は。天神の勅命のまに/\。現に此世界を立給むと。天神より賜はれる天瓊矛を以。彼※[泥/土]士沙土の入淆りし一物を。畫探り畫凝して。一島と成し給ふ。これ即※[石+殷]馭廬島也。此即大地球の顯れ出たるはじめなり。二神即其處に大殿を立。家居をはじめて其處に任給ふ。其時運に當て。顯身(ノ)女男の御形體も。漸々に麗しく成整ひ。夫婦の道を始め玉ふべくなれりしかば。互に相愛《アヒメデ》相|諾《イザナ》ひて遂に大禮を行ひ給ふ。是に於て。まづ其住給へる※[石+殷]馭廬島の傍なる。淡路洲よりはじめて。次々同じ水土なる大八洲國に。夫々の神を生班ち給ひて其國々を作らしめ給ふ。此生坐る神等。國々の國魂の神と成坐て。遂に天神の御詔の如く。國土を修理固成せるに至れるまでを。語傳へたる(90)章なり。其因に。獨我大八洲國のみならず。海外處々の國までも。既に此時顯れ出たる事をも。語傳へたるこれ本書の大旨なり。○伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊云々。此段のはじめは。第一一書に天神謂2伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊1曰。有2豐葦原千五百秋瑞穗之地《トヨアシハラノチイホアキミヅホノクニ》1。宜2汝往(テ)修《ツクル》1v之。廼賜2天(ノ)瓊矛《ヌボコヲ》1於v是二神立2於天浮橋1云々。記にも。於v是天神(ノ)誥命《ミコト》以(テ)。詔3伊邪那岐命伊邪那美命二柱(ノ)神修2理固成《ヲサメツクリカタメナセト》是多陀用幣流國(ヲ)1。賜2天(ノ)沼矛(ヲ)1而言|依《ヨサシ》賜也。故二柱神立2天浮橋1云々。と見えて。二柱神は高天原に坐々しが。此時天神等の詔命を受賜りて。國修理に天降り坐るなり。さればここも。一書又記の如く。必さる事あるべきに。記されざるは略かれたるなり。さるは下の瑞珠盟約章に至て。伊弉諾命|神功《カムゴト》既畢云々於是登v天|報命《カヘリゴトマヲス》とある文を以照し考へて。然知られたり。事依の事も無に。報命し玉ふべきにあらざるを思ふべきなり。記に報命の事なきは。其傍を略かれたるにて。いづれも古書の例なり。○天浮橋。釋紀に兼方案之天浮橋者。天橋立是也とあり。記傳云。天浮橋は天と地との間を。神等の昇降り通ひ玉ふ路にかゝれる橋なり。空に懸れる故に浮橋とはいふならん。丹後國風土記曰。與謝《ヨサノ》郡々家東北隅方有2速石《ハヤシノ》里1。此里之海有2長大(ノ)石前《イソザキ》1。長二千二百二十九丈。廣(サ)或(ル)所(ハ)九丈以下。或(ル)所(ハ)十丈以上。二十丈以下。先名2天(ノ)梯立《ハシダテト》1。後名(ク)2久志《クシノ》濱(ト)1。然云(フ)者國生(マセル)大神伊射奈藝(ノ)命。天(ニ)爲(シ)2通(ヒ)行(ント)1而|梯《ハシ》作立(リタマフ)。故云(フ)2天|梯立《ハシダテト》1。神(ノ)御寢《ミネ》坐(セル)間(ニ)仆伏《タフレ》云々。此に因ば此浮橋もと此神の作り坐しなり。さて天に通ふ橋なれば。梯階《ハシ》にて立て有しを。神の御寢坐る間に。仆れ横たはりて。丹後國の海に遺れるなり。又播磨國風土記曰。賀古《カコノ》郡|益氣《マシケ》里(ニ)有2石橋1。傳云。上古之(91)時此橋至v天。八十(ノ)人衆。上(リ)下(リ)往來。故曰2八十《ヤソ》橋(ト)1。これも天に往來し一の橋と見ゆ。神代には。天に昇降る橋。此所彼所《コヽカシコ》にぞ有けんとあり。皇御孫命の天降り玉ひし時の事を。續後紀長歌。天照《アメテル》國乃日(ノ)宮能。聖御子曾《ヒジリノミコゾ》。※[誇の旁+包]葛天能梯建《ヒサカタノアマノハシダテ》。踐歩美《フミアユミ》。天降利坐志々《アモリイマシヽ》。大八洲云々とあり。又平田翁云。天浮橋は神の天より降り給ふ時に。大虚空に浮べて。乘給ふものなる故に浮橋といひ。【和名抄に。魏略五行志云。洛水浮橋。和名宇岐波之。と訓るはさることなれど。水上に浮たるなれば物は異なり。】また如此乘て往來することは。水を乘る舟と等しき物なる故に。天磐船とも云なり。【記傳に此を天梯立と同物に解れたれどしからず】と云り。【本居大平云。ふねとは酒ぶねなど云ものゝ如く。内らを彫穿ちて物を納るゝ如く作たるをいひ。橋とばかり云は。板などの如くありて。物を入形にはあらざるを名にもやあらん。人をわたす用には舟とも橋ともいひしならむ。今の代にも。大船へわたりゆく小舟を橋舟といふ是なり。このはしぶね。浮橋と云ものゝ名のよりどころたるべしといへり。】二説何れか是ならん。さて天は上に云る如く稱美辭にて。次なる天瓊矛天柱の類。この外神の名に云る皆同じ。〇立は。記に訓v立云2多々志1とあり。記傳云。依を與佐須と云に同じくて。延たる言なり。行を由迦須。持を毛多須。守を毛羅須。待を麻多須など凡て如此様に延(ヘ)て云。常のことなりと云り。しか延へ云時は。語緩やかに成からに。尊者の上を云語となれるなり。然れ共。又賤者の上にも云ることあり。〇曰。能理賜波久と訓べし。【詔の字を書るも訓は同じ。】記傳云。能流とは人に物を云聞すことなり。己が名を人に云聞すを名告と云にて知べし。告また謂などの字をも。能流と訓ること記中又萬葉などに數多かり。賜は尊みて申す附辭なりとあり。○底下は。重胤云。天浮橋之上とあるに對へたる言なり。此時は※[泥/土]沙と水と未分れざりし程なりければ。彼(ノ)唯有2朝霧《サギリ》1而|薫滿之《カホリミテル》哉。とあるが如き状なりけん。故に其上に御立して。底下とは詔(92)玉へるものなり。【天浮橋之上を。第二一書に。立2于天霧之中(ニ)1とあるを以て思ふべきものなりかし】記に於《ニ》2高天(ノ)原1者と云に對へて。地(ノ)下《シタハ》者|於《ニ》2底津石根1云々。とあるに似たり。〇無v國歟。此(ノ)時未國と云べきさまには非ざれども。修理固めたる後の名を以て。其初をも如此。國とは語り傳へしなり。【實は此時はたゞ潮のかつかつ凝なんどして漂へるのみぞ】さて此御言始に天神詔命を略かれたる證なり。もし天神の詔命しなくば。底下に。國土の有無の事など。いかでかも知しめすべき。
 
 
廼《スナハチ》以《モテ》2天瓊矛《アマノヌボコヲ》1指下而探之《サシオロシテサグリマシヽカバ》。【瓊玉也此云v努】是《コヽニ》獲《エキ》2滄溟《アヲウナバラヲ》1。
 
 
天瓊矛【本に天の下之(ノ)字あり。これは無き例なり。竟宴歌集本纂疏本古今顯注に引るになし。】瓊矛は玉矛と云如く。玉以てかざれる矛なるべし。古はかゝる物にも。玉を飾れる常のことなり。記傳云。玉を奴《ヌ》と云るは。瓊響※[王+倉]々。此云2奴儺等母々由羅爾《ヌナトモヽユラニ》言1。とある奴儺等は即|瓊《ヌ》の響《オト》なり。【能を那と云も淤を略くも側多し】かくて瓊《ヌ》を書紀に。常に邇と訓めば。それを通音に奴とも云しなるべし。【武郷云此はたゞ通音とのみ見るべからず。第二音を三音にうつして云格なり。瓊牙を奴矛と云は。身實を牟邪禰など云例也。】と云り。矛は和名抄に揚雄方言云戟或謂2之干1。或謂2之戈1。和名保古。上代には殊に常に用し兵器にて。古書に多く見えたり。名羲|秀木《ホコ》なり。秀とは矛の鋒《サキ》の尖れるを云。後にも槍の身を穗と云。さて此矛は上に引る一書。又記によるに。天神の給ひし矛なり。かくて平田翁云。師は此矛を給へること。如何なる故とも知べからずと云れたれど。此は産靈大神の御徳を。伊邪那岐伊邪那美二柱神に靈幸ひ坐て。國土を作り成しめたまはむ。其御璽として(93)賜ひけむことは云も更にて。殊には彼漂蕩る一(ノ)物の。叢々として堅まらざるを畫凝して。天地の固の柱にせよとの。御量《ミハカリ》にぞありけると云り。○指下。かの漂蕩へる一|屯《ムラ》の物の中へ。指下し給ふなり。○探は。探り求る意なり。其は上に底下豈無v國歟と詔ひ。次に是獲2滄溟1とあるを思べし。記には此を畫者《カキタマヘバ》とあり。さては記傳にも云れし如く。俗語に迦伎麻波須と云が如し。求る意にはあらず。若是を求る意とせば。許袁呂許袁呂邇畫成。とあるに叶はず。且天神の是|漂有《タヾヨヘル》國とさして詔へば。漂有國は著名なれば。尋求給ふべにあらず。【一書にも畫2滄溟1とも。また畫2成※[石+殷]馭廬島1ともあり。其も記に同。】○瓊玉也云々。この注上にあるは誤なり。釋紀亂脱に據てこゝに入る○注の努字一本に貳とありしよし。私記に見ゆ。この紀瓊を常に貳とは訓めど。こゝはなほ貳にはあらじ○滄溟は。平田翁云。萬葉二十に。阿乎宇奈波良とあるに據て訓べし。記に天神の是漂在國と。指し詔へる一物を。廣く身悠かしたる状もて稱《イ》へる名なり。青とは見遙かしたる状の。蒼々と廣く見ゆる故に云と云り。さて其宇奈波良は。※[泥/土]之《ウノ》原といふ言にて。【萬葉二十には宇乃波良ともあり。】かの潮水に。※[泥/土]《ウキ》のまじりたるが。浮漂へる極を總云名なり。其宇を本にて宇美は※[泥/土]水《ウミ》の義なるべし。かくて後に。此海の中より。國土となるべき物顯出て。また其國と國との間を渡りて。往來する處を和多といふ。されば後に國土と成べき所も。和多と成べき所も。此海原の中に籠りてありければ。其始は。げに滄々と。見悠したる海のみにて有けらし。さてしか國處と和多と。二に判れし後も。猶本より言慣へるまゝに。和多を海とも云るは。謂れなきにはあらねど。二に判れては。異物なることをよく(94)辨べし。【其差めは。重胤説に。海の所を云時は和多なり。海の物を云時は宇美なり。此國土をも所には久爾といひ。物には都知と云に始まれるを通し用るが如しと云り。なほ宇美と和多の事は下にも云ふべし。】○獲。重胤云。獲2滄溟1と有は。一島の成れるのみに係れるならず。大八洲國を生給へるも。其滄溟の中にての事也。又處々小島。皆潮沫凝成者矣。亦曰水(ノ)沫(ノ)凝而成也とあるは。殊に深く係れる事。次に云るが如し。
 
 
其(ノ)矛鋒滴瀝之潮凝《ホコノサキヨリシタヽルシホコリテ》成《ナレリ》2一島《ヒトツノシマト》1。名之《ナヅケテ》曰《イフ》2※[石+殷]馭廬島《オノゴロジマト》1。
 
 
滴瀝之潮。記傳云。和名抄潮和名宇之保とあり。又これを斯富とのみ云るもつねのことなりと云り。さてこゝにかく潮とあるにて。其一物は潮《シホ》に泥《ウキ》の和りて。在し質なること知られたり。【そは※[泥/土]土※[者/火]尊の御名にて※[泥/土]を含めること著し】○凝。記に潮許々袁々呂々邇《シホコヲロコヲロニ》とあり。記傳云。彼矛もてかき給ふに隨ひて。潮の漸々に凝ゆく状なり。即許袁呂と凝《コル》と言も通へり。そは朝倉宮段に。大御盞に落葉の浮べるを。三重※[女+采]が歌に。美豆多麻宇伎爾《ミヅタマウキニ》。宇岐志阿夫良《ウキシアブラ》。淤知那豆佐比《オチナヅサヒ》。美那許袁呂許袁呂爾《ミナコヲロコヲロニ》云々とあると同じ。さて此の状を物に譬ていはゞ。膏などを※[者/火]かたむるに。始のほどは水の如くなるを。匕《カヒ》以て迦伎めぐらせば。漸々に凝もてゆくが如しとあり。○※[石+殷]馭廬島。私記に自凝《オノコロ》之島也。猶如v言2自凝《オノヅカラコル》1也とあり。かの許袁呂許袁呂に。かき成し給へる潮の滴りの。自然に積りて成れる故の名なり。此島の在所の事。古來とりどりの説ありて一定せず。私記に今見在2淡路島西南(ノ)角(ニ)1小島是也。云3俗猶存2其名(ヲ)1と云。口訣には。在2淡路(ノ)西北隅(ニ)1小島と云り。其國人の著はせる淡路常磐草には。今淡路の東方の海中なる沼島也と云ひ。(95)【此島の事下に云】※[石+殷]馭廬島日記には。其島の西北隅なる繪島也と云。また當國人山口俊樹【之謙睦齊といふ三原郡福良浦の人なり】が※[石+殷]馭廬島三所弁と云書に。三原郡下|八太《ハタ》村なる。自凝島古丘は。丘の高さ四間許。周廻百五十間。方五反三畝。南北へ長く東西短し。古松多く生たり。丘の頂上に二神の社あり。南向にて。其ほとりに鶺鴒石と云ありとて。此をまことの※[石+殷]馭廬島なりと定めたれど。近き頃世に顯れたる新撰龜相紀と云書に。此島のこといと曲に記して且慥かなり。其文云。淤能其侶島。在2紀伊國海部郡(ニ)1此以西加太浦建2加太驛1通2淡路(ノ)國津名(ノ)郡由良(ノ)驛1。其加太(ノ)驛乾(ニ)在2伴(ノ)島1。此島(ノ)西南在2淤能碁呂島1。々體圓六十町無v有2人居1。高二十丈許|冬《不カ》v見2草石1。唯有2聚木茂高1。相2去伴島(ヲ)1二三。亦|非《アラズ》2人居1。兩島同根屬也。湖生通v海。凡此(ノ)三島從v艮連v坤。按に此傳に因てみれば。淤能碁呂島は。伴島の西南にあり。さて其島は。今何れの島に當るぞと云に。我友菅政友云。伴島の西南は。即て今云苫島の沖(ノ)島にて。方位今のすかたに聊もたがはず。地誌提要に。沖島地島の西十二町にあり。實測録に。沖(ノ)友島。周廻二里二町五十一間。提要に。東西十六町二十二間。南北四町三十間とみゆ。さて釋紀に。※[石+殷]馭廬島を。或説今在2淡路國東由良驛下(ニ)1とあるも。この沖島によく當れり。よりて思ふに。延喜承平の頃までも。なほ此島を以て。※[石+殷]馭廬島と云し説の。ありしことは明らけしと云り。按に此説まことに然るべくおぼゆ。また私記に或説云。淡路紀伊兩國之境。由理驛之西方小島云々とある。由理驛は由良驛と一なるべし。されどこれは聊か方位たがへり。【西方は東方の誤か】又政友云。島體圓六十町許も。今の婆に大方たがはず。實測録に。七十四町五十(96)一間としるしたり。高二十丈許は直立の高さなり。この島續風土記に。高き所にて打越十三町許と見えしのみにて。他に其高さを測量りしもの聞えねば。詳に云ひがたけれど。遙に遠く良ゆるを以思ふに。げにこゝに記しゝ如くならん。二十丈は六尺間にして。三十間に餘れり。私記に。古説云天神所(ノ)v賜瓊予。既探2得※[石+殷]馭廬島1畢。即以2其矛1衝2立此島1。爲2國柱1。即其矛爲2小山1也。とある即此山なること明らけしと云り。相2去伴島1二三亦非2人居1とは。此島と伴島とを相去りて。二三の島あれど。亦人居なしとにや。【さらば※[石+殷]馭廬島には此時人家はなかりしと見ゆ。】さて兩島同根とは。※[石+殷]馭廬島と伴島と。地根は一(ツ)なりとにや。凡此三島とは右の二島に何の島を併せて云るにか。今詳ならず。【常磐草に。三原郡の海中。今沼島と稱するは。即おのころ島なり。釋紀。或説今在2淡路國(ノ)東由良驛下1云々。按に由良駅。延喜式に出たり。南海道の渡口にて。紀伊國に近し。由良駅のした五里許(ノ)西に沼島あり。と云り。小杉※[木+褞の旁]邨曰。龜相記に所謂。伴島の西南に。淤能碁呂島ありと云るは。全く此沼島の事なり。沼島の外に。伴島の西南に。島あることなし。されば常磐草草の説はよく叶へりと云り。按に方位はよく叶へるが如し。さらば三島と云るも。右の沼島を併せて。云るが如くなれど。沼島は。昔より淡路に屬て。紀伊國の島ならず。龜相記に淤能碁呂島を。在2紀伊國海部郡1と正しく云れ。かつ同根と云はむには。沼島は伴島とは。餘り離れ過たり。此説は信ひがたし】さて右の沖の言の中には。奇異なる處いと多く。中にも觀念窟とて。地島と相對する處に。大石巌ありて。役小角が行在と云傳へたる處あり。また西の方島を離れて小島一あり。これを神島といふ。周回四町半。土人小島出といふ。神島の上劔池あり。少彦名命元神島に鎭り坐り。呼て淡島明神といふ。此島に坐すを以てなり。【淡島明神加太浦に遷りましゝ後も。士人神島と呼びて此島を尊べり】などあり。なほ續風土記に。此あたりの事いと委しきを。今は其概略を記しぬ。龜相記の説まことに當れりと云つべし。さて右の如く。自凝島の在所さだかに知られたる上は。更に云べきことなきが如くなれど。此に一説あり。試(97)に云べし。さるは通證に此島の注云。舊事玄義引2清記1曰。通謂2世界(ヲ)1也。今按(ニ)日月巡(ルヨリ)2天地1而言《シテイヘバ》萬國爲2自凝島1。然(レドモ)以v爲《タルヲ》2之國柱1而言(ヘバ)。則吾大八洲之本號(ナリ)。就(テ)2其氣化之地(ニ)1言(ヘバ)。則所謂小島也とあり。此説まことに弘く天地のありさまを見通したりといふべし。今試に右の文を解べし。さるは天神の二神に此|漂在《タヾヨヘル》國と詔へるは。未(ダ)浮膏の如く漂てありし時にて。其底(ツ)下に國あらむともおぼさぬまでなりしを。即かの所v賜の瓊矛を以。鹽許袁呂許袁呂に畫成たまひしかば。其漂ひたりし物。自ら矛の末《サキ》よりしただり積りて島となれる。島とはいへど。これ一團の大地球の始なり。大地球の體盡く自《オノヅカ》ら凝れる状見るが如し。かの文に日月巡(ルヨリ)2天地1而|言《イヘバ》。萬國爲2自凝島1。と言るは是なり。さらば今此所在の自凝島は。いかなるものぞと云に。この自凝島。即二神の矛を衝立たまひし處にして。これ自凝島の本處なり。根源なり。大八洲の中央なり。以(テ)v爲(ルヲ)2之國(ノ)柱1而言(ヘバ)。則吾大八洲之本號|也《ナリ》。と云る即是なり。又其衝(キ)立たまひし矛。後遂に化して其處の小山となれる。これかの現在なる小島にて。就2其氣化之地(ニ)1而言(ヘバ)。則所謂小島也と云るこれなり。まことに面白き説言なり。然るに此までの説は。神典を我皇國限の物の如く心得て。我國は二神の探成たまへる國處なり。二神の生成たまへる島國なり。外國は然らず。潮沫の凝て成れるなりなど。天地を私して言へるこそ傍いたけれ。皇國はさらなり國といふ國いづれか鹽沫水沫の凝れるに非らん。獨外國のみならんや。なほこの事は下文にいふべし。さて記に仁徳天皇淡道島に坐て。遙に望てよみたまへる御歌に。於志※[氏/一]流夜《オシテルヤ》。那爾波能佐岐由《ナニハノサキユ》。伊傳多知※[氏/一]《イデタチテ》。和(98)賀久邇見禮婆《ワガクニミレバ》。阿波志摩《アハシマ》。於能碁呂志摩《オノゴロシマ》。阿遲麻佐能志摩母美由《アヂマサノシマモミユ》。佐氣津志摩美由《サケツシマミユ》。この御歌によれば。仁徳天皇の御時までは。此※[石+殷]馭廬島慥に知られたる事明らけし。何の世よりか。其所在のまぎらはしくはなりにけむ。其後のものに見えねば知がたかりしを。今はたかくさだかに知らるゝ事となりしは。龜相記の賜物なりかし。
 
 
二神於是《フタハシラノカミコヽニ》降2居《アマクダリマシテ》彼島《ソノシマニ》1。因3欲《オモホス》共爲夫婦《ミトノマグハヒシテ》産2生《ウマムト》洲國《クニツチヲ》1。
 
 
降居は天より降り居坐るなり。其は二柱大神は。かの漂蕩へりし一物の。未國土と固まらざりし間は。天神等の御許に坐しなり。【この事猶一書還復上2詣於天1。とある處見合すべし】○爲2夫婦1。記にも美斗能麻具波比《ミトノマグハヒ》とあり。記傳云美斗は御所《ミト》なり。所を斗と云。其が中にも。夫婦|隱《コモ》り寢《ヌ》る所をも分て所と云けむ。大穴牟遲神の。八上比賣《ヤカミヒメ》に美刀阿多波志都《ミトアタハシツ》とある。美刀と同じ。又|久美度邇興《クミドニオコシ》とある。度《ド》も是なりと云り。麻具波比は婚《マグ》はひなり。麻具とは女に※[しんにょう+構の旁]合《アフ》ことなり。【字鏡集に。婚をマグとよめり。但し求ることをマグと云るとは異也。】中古の物語文などにあまた見えて著聞集に。只今こもちをまぎかけて候へばまぎはて候て。參り候べし。さまざまにかたらひ契りてまぐはひをなさむとすれば。宇治拾遺に。人の妻まぐものありなどあり。【言義未詳ならず】波比ハ其形容を云辭なり。味《アヂ》波比|福《サキ》波比|觸《フレ》波比などの波比に同じ。されば御所之婚《ミトノマグハヒ》の義なり。【記(ノ)歌に。都麻麻岐迦泥弖とあるは。妻|覓不得《マギカネ》てにて同じ語乍ら意異なり。また雅言集覧にまぐの下に。萬二十。わか草のつまをもまかず。などあるよりいへる詞かと云るも非也。これは妻をも不v纏にて。枕に纏くなどいへると同じ語なり。思混ふべからず。】○産生。記に生成とあるに因て宇美那佐牟登云々とも訓べし。さて今しもかく※[しんにょう+構の旁]合して。國産生まく所思し著坐るは。上にも云る如く。初て顯身を具成し給へるに依ての御態なり
 
 
便《スナハチ》以《モテ》2※[石+殷]馭廬島《オノゴロジマヲ》1爲《シテ》2國中之柱《クニノナカノミハシラト》1。【柱此云2美簸旨邏1】而|陽神左旋《ヲカミハヒダリヨリメグリ》。陰神右旋《メカミハミギヨリメグリ》。
 
 
國中之柱。第一一書に天柱。記に天之御柱。舊事記に國中之天柱とあるを以て。此國中之柱。即天柱なることを曉るべし。然れば國中之柱と云るは。國中之天柱とあるを。切めて短く云るなり。次に引る私記には唯國柱とのみもあり。平田翁云。國中とは大地の中を云。即彼戈を大地の鎭固《カタメ》の柱と爲たまへるなり。是を以て始に天神たちの戈を給ひて任し給へることは。其をもて大地を攪凝し衝立て。固めに爲よとの御量なりしこと知られたり。此戈を突立坐るに依て。彼|屯々《ムラムラ》と漂へりし物の一所に凝結ひて。漸々に締り堅まりつゝ此國土はかく大に成れる物になむ有けると云り。さて釋紀に引る私記に。古説に。天神所v賜瓊矛既探2得※[石+殷]馭廬島1畢。即以2其矛1。衝2立此島1爲2國柱1也。即其矛化2爲小山1也とあり。舊事本紀にも。以2天瓊矛1指2立於※[石+殷]馭廬島之上1。以爲2國中之天柱1とあり。さるを。今は以2※[石+殷]馭廬島1爲2國中之柱1とあるは。聊か傳の轉れるものにて。此大地の廣く大なる中に皇國の地はしも。これ國土の元本。また※[石+殷]馭廬島は。大地の鎭固たる御柱の地にしあれば。※[石+殷]馭廬島を爲2國中之柱1。と云へるも通えざるにはあらず。さて纂疏に爲2國中之柱1者。以v矛植2于島中1。以爲v柱也。と注され(100)しは。舊事紀により玉へるものならめど。此紀は直に島を以て柱と爲よしなれば聊異りあり。○陽神。陰神。山蔭云陰神陽神。また陰陽始※[しんにょう+構の旁]合。また一書に。陰元陽元又既違2陰陽之理1。などある陰陽の字。例の漢文の潤色にして。此は殊に後世の漢意の邪説を招き。古意の世に明らかならざる基にして。いたく學の妨となる書ざまなり。陽神陰神といふこと。古デンのまゝならば。もとは男神女神とぞありけむ。されど古事記に此二柱神を。男神女神と云ることも見えず。此紀にも此段にのみこそかくあれ。次の段には。御名をもて記されたれば。此段なるもとはみな。御名にぞありけむかし。と云れたり。○左旋右旋は。紀に如此之期乃詔汝者自v右廻逢。我者自v左廻逢とありて。男神の指揮に依れるを。此には略きたるなり。平田翁云。師云如此廻りの左右を定め給ふは。故あることなるべし。されど其傳は無ければ。度知るべきにあらず。と言れたるは然言ながら。左右を定め給ふことは思ふ由あり。其は記に。伊邪那岐命の御禊し給ふ處に。左御手の手纏に成れる三神を奥某神といひ。右御手の手纏に成れる三神を。邊某神とある此を師説に。奥は海の奥。邊は海の邊にて。常にも對へ言なり。左を奥に當るは岡部翁の説に。萬葉九に吾妹兒者《ワギモコハ》。久志呂邇有奈牟《クシロニアラナム》。左手乃《ヒダリテノ》。吾奥手邇《ワガオクノテニ》。纏而去麻師乎《マキテイナマシヲ》。とある此意なりと言れき。【今思ふに訓は左右共にまく物なるに。取分て左手としも云るは。左を奥として殊に重くする意にてよめる成べし】此に依らば。左手を奥とするなり。然れば右は邊なること著し。砌《みぎり》も邊の意に叶へり。【又萬のことをまづ右手して爲も。邊のこゝばへ有て。左は奥なるが如し】と有るに據て思へば。左は男の位にて。奥なり上なり本なり。右は女の位にて。邊なり下なり末なり。かく思ひ定めて始を(101)思ふに。まづ産靈の女男の始たる大神は高皇産靈神。次神皇産靈神とあり。此二柱神の生坐せる處にも。伊邪那岐神。次妹伊邪邪美神とあり。此は男神は左上に成坐し。女神は右下に成坐て。次とあるは。右に成坐る由なるべく。是ぞ天地初發の時より男は本にて尊く。女は末にて卑き義理の起原なりける。【内侍所御神樂次第にも。左を本方とし右を末方とするを始め。神の御坐も左を上とし右を下とすることは言も更なり。是ぞ神隨に始まれる。上下本末の定りなる。なほ右の趣なるは。官司に左を上とし本とし。常に人の並坐るにも尊きは左に。卑きは右に着くことゝ知れるは自然の道にこそ。】と云れたり。【猶又翁の説に。皇祖天神の成(シ)出玉へる物共は。天地は更なり人誄萬物に至るまで。男女左右の眞理を。自然に備たる物にて。其は天地に男女の理を具へて有る事は。誰も見る任にしられ。人及生とし生る物に男女の體を具へざるは無く。鳥の雌は右羽を上となし雄は左羽を上にかさね。介類の牝は右に卷き。牡は左に卷き。草木又男女の差別ある事誰も知れるが如し。又火は男神に坐故に火炎は左に上り。水神は女神に坐す故に水の渦は右に卷き。風神は男女二柱なる故に飄の吹に左右あるなど皆自然の性なりと云れたるは實に然言になん。○武郷云。此鳥の雌雄に。左羽石羽の別ある事は漢土にても古き傳説ありて。詩經小雅魚藻之什白華詩に。鴛鴦在v梁※[揖の旁+戈]2其左翼1。箋注に。※[揖の旁+戈]斂也。斂2左翼1者。謂2右掩1v左(ヲ)也鳥之雌雄不v可v別者。以v翼知v之。右掩v左雌。左掩v右雄。陰陽相下之義也。夫婦之道。亦以2禮義1相下。以成2家道1とあるにて知べし。】また龜相記に此段の事を書て。宜(ク)汝命者御柱(ヲ)自v右廻(レ)之。吾者自v左廻會(ム)。男女之服左右此由也とあり。此文に據れば。上古は男の服は左袵《ヒダリマヘ》。女の服は右袵なりしこと知られたり。さて後に漢風に押移りて一般右袵とはなれりしにこそ。まことによしある傳なり。
 
 
分2巡《メグリテ》國柱《クニノハシラヲ》1同《オナジク》會《アヒキ》2一面《ヒトツオモテニ》1。時陰神先唱曰《トキニメガミマヅトナヘテノタマハク》。※[喜/心]哉遇可美少男焉《アナニエヤエヲトコヲ》【少男此云2烏等孤1】
 
 
分巡國柱。上に見えたる國中之柱は。※[石+殷]馭廬島を概《ヒロ》くいひ。こゝにては。其島中に指立玉ひし戈を。國柱と見立玉へるにて。差す處聊異なり。【一書また記には天柱とあり。それも同事なり】記傳云。凡夫婦※[しんにょう+構の旁]合の初に。先柱を行廻る(102)こと。上代の大體と見えたり。此は其男女※[しんにょう+構の旁]合の始にして。先此禮を行ひ給ふことは甚々深きことわり有ことなるべし。されど其理は傳無ければ。凡人の如何とも測知べきに非ずとあり。○唱。釋秘訓に。私記師説|登那賣《トナメ》※[氏/一]止讀之。とあり登那賣は登那閉にて。欽明紀孝徳紀に。歴問をトナメトフ〔五字右○〕と訓るは。唱(ヘ)問なるを以知るべし。さて平田翁云。古今集(ノ)序に倭歌は人の心を種として。萬の言の葉とぞ成れりける。世の中にある人。ことわざ繁き物なれば。心に思事を。見(ル)物聞(ク)物につけて言(ヒ)出せるなり。云々此歌天地の開(ケ)始まりける時より出來にけり。【古注に天浮橋のしたにて。婦神夫神と成玉へるを云る歌也とあり。】とあるは此の唱和せし御言を云り。信に歌の始にぞ有ける。抑宇多と云(フ)は心に思事を言にあやをなし。聲をながめて言出るを宇多布と云ふ。其を體言に爲して宇多と云るにて。宇多布は心に思ふ事を。言《コト》に洩し出ることなり。【或説に。宇多布は心に思ふことを告訴ふる意なり。と云るは然る言にて。俗言に宇都多布流と云も信に同言と聞えたり】二柱神の天之御柱を左右より行廻逢まして。御面を會せ給ふ時に。互に阿那妍しき善壯夫よ。阿部妍しき善少女よと。所思し坐る御情のまことを。御言に顯はして。如此宇多比出玉へるなれば。此を歌とは言る也。【然るを記紀ともに此を歌とは云ず。また紀にも歌をばみな假名にて書るに。此は常の詞と等しく漢文に書れしは。後世の歌にくらぶれば。詞の少く。たしかに歌と云べき赴に思ひなし難き故に。是ぞ誠に歌なる本意をよくも辨へずて常の詞と等しく。漢文には書れしなるべし。然れども五言二句に調ひて。其詞の状たゞの詞には非ざる故に。唱といひ和といひて。常の詞に非ざることを顯はされたる也】されば古今集序に。此唱和(ノ)御事を以て。歌の始とせること信にいはれたり。凡て何事も。始は後々の如くさだかには有ぬ物なり。【復古注に。もじの數も定まらず。哥のやうにも非ざりけらしと云へるも即此意也。】さて岡辺翁の言に。如此詔ひ交せるは。いと上代の交合の初の禮なるべし。と言れしは然る言なり。【そは次に天神の詔命に。復還降而改言へと。詔玉へるにて(103)灼焉し。】と云り。【龜相記に伊佐波命曰|穴荷壯士《アナニヲトコ》。伊弉諾命曰穴荷美女然後會之婚姻之始也とあり。】○※[喜/心]哉。本の訓は甚俗し。一書に阿那而惠夜《アナニヱヤ》とあるに從て訓べし。記には阿那邇夜志とあり。記傳に阿那は古語拾遺に事之甚切皆稱2阿那1とあり。何事にまれ。さし當りて切に思ゆるを阿那云々と云り。【武郷云。重胤云。阿は單聲に阿長呼の阿々に同じくて。共に嬉しとか哀しとか。物に深く感る時に當りて。長息する聲なるに。那も歎きの辭にて添れるなり。其は東遊歌に。者阿禮奈(安引)云々などある。奈安と引は。何れも歎きて。聲を詠むる是なり。と去れたるはうべなる説なり。すべて古言に奈と云言の添はれる多く歎辭なりといへり。】さて其邇は。一書に美哉また妍哉と書て。此云2阿那而惠夜1と見え。又神武紀に。妍哉は阿那珥夜とあり。字書に※[喜/心](ハ)悦也とも注し。妍(ハ)麗也とも美好也とも注せり。此等の字を以て。邇といふ言の意を解るべしとあり。惠夜は記の夜志の如し。萬葉集に思咲八。縱惠夜師などの惠夜に同く。みな歎の辭なり。【記の夜志も。歎の夜に志を添たる辭也。】さて※[喜/心]哉も美哉も。妍哉の訓注に從ひて。みなアナニヱヤ〔五字右○〕と訓べし。何(レ)も惠夜の意も。阿那の意も。哉にこもれば。妍美※[喜/心]字ぞ。正しく邇といふ言にはあたれると云り。○遇可美少男焉。紀に愛袁登古袁とあるに因て訓べし。記傳云。愛は一書に可愛又善とあり。是等の字にて其意顯なり。古(ヘ)餘伎を延と云ること多し。今も然も云なり。袁登古は古は袁登賣と對ふ稱にて。若く壯なる男を云り。【老たる若きを云はず。男をすべて袁登古と云は後の事也】終の袁は【焉字に當れり】餘と云に通ひて。焉登古餘と云はむが如し。此例古多し。其八重垣袁。などの袁も。八重垣餘の意なりと云り。【さて山蔭云。これはいともいとも止事なき。唱和の御詞にて。歌の類なれば。一文字も讀たがふまじきことなる故に。古事記には。阿那邇夜志愛袁登古袁と歌の如く假名に書れたるを。こゝには假名書ならざるだにあるに。遇字をさへ添へられたるはいかにぞや。一書どもに何れも。遇字はなきぞ正しき。さればこゝは必※[喜/心]哉遇可美少男焉。此云2阿娜而惠夜袁烏等孤烏1。と訓注あるべき事なるに。た々少男の訓注のみあるはいとおろそかなりといはれしは然る言なり。なほ一書の下にも云る言どもあり。】さて此御唱。其傍をのみ擧られて御和なきは一傳にて。蛭兒を四神出生章に入れ。淡洲(104)を生坐る事をば略きたるにて。此にては※[しんにょう+構の旁]合の事はなかりしよしの傳なるべし。第五一書にも此と同じ状に。以2陰神先1v言。故更復改巡。則陽神先唱日。云々。とあるを以知られたり。第十一書にも御和(ヘ)の御言なし。
 
 
陽神《ヲガミ》不《ズシテ》v悦《ヨロコビ》曰《ノタマハク》。吾是《アレハコレ》男子《マスラヲナリ・ヲノコナリ》理《コトワリ》當《マサニ・ベシ》2先唱《マヅトナフ》1。如何《イカニゾ》婦人《タヲヤメノ・メノコノ》反《カヘリテ》先《サキダツ》v言《コト》乎《ヤ》。事《コト》既不祥《スデニサガナシ》。宜《・ベシ》(ク)2以|改旋《アラタメメグル》1。
 
 
男子の訓。永正本鎌倉本にヲノコ〔三字右○〕と訓る宜し。男之子《ヲノコ》の義にて。老幼にかゝはらず。男子の豐斟渟尊通稱なり。上の袁登古とは異なり。其上少男少女には訓注さへありて。此とは同じからぬ處なるをおもふべし。】和名抄に。説文云男丈夫也。和名乎乃古。一云萬葉集云萬須良乎。大人之稱也。と見えたり。○理當先唱。こゝに男神の不悦《ニクマ》しける故は。女男の理に背《タガ》へれはなり。さて女男の理とは。記傳に。そのかみ女男並坐神みな。男神先成坐て。女神は次に成坐す。是れ天地の始より。女は男に後れて從ふべき理にて。今に至るまて自然ら然なり。さるは甚々深き故あることなるべけれど。人の得測り知ることには非ず云れたり。【なほ上に云る言どもあり】理は。通證云言割也と云り。言を立るを言立《コトダテ》といひ。言を止むるを言止《コトヤメ》と云如く。言の條狸を分て云ふを。言割《コトワリ》とは云なり。〇婦人。永正本にメノコ〔三字右○〕と訓る宜し。女之子《メノコ》の義にて。男子に對へたる女子の稱なり。例は紀中に。女又女人又婦など然訓る處多し。皇極紀に。男子女子をいへる男女を。ヲノコメノコ〔六字右○〕と訓り又ヲミナ〔三字右○〕と訓もあしからじ。(105)例は記又萬葉歌などに見えたり。○不祥。サガナシと訓り。記傳云紀中不祥を然訓み。惡字をも然訓ることあり。又性を佐賀と訓り。是古語にて。後歌に憂世の佐賀など云。是によく叶へり。其は元より自然に然有事《シカアルコト》を云言なり。佐賀那伎は其反にて。自然然あるべきさまに背き違へるを云【後の物語に。言多て人を惡く云なすをさがなしと云は用様の移れるなり。】と云り。○宜以改旋。重胤云。宜以改言の意に見べきなり。巡に於ては異りなけれども。今度は陽神は先に唱へ陰神は後に和へむとなれば。御言を改め玉ふにてはあれども。其は又國柱を分巡らして。唱和し玉ふ事なる故に。宜以改巡とあるなりけりと云り。記又一書には。これを天神の詔へる御言とせり。然るを此には天神の御事は略かれて。此二神の御上のみの状に語傳へたるなり
 
 
於是二神却更相遇《コヽニフタハシラノカミカヘテサラニメグリアヒタマヒヌ》。是行也陽神先唱曰《コノタビハヲカミマヅトナヘテノタマハク》。※[喜/心]哉遇可美少女焉《アナニヱヤエヲトメヲ》。【少女此云2烏等※[口+羊]1。】因《ヨリテ》問《トヒテ》2陰神《メガミニ》1曰《ノタマハク》。汝身《イマシガミ》有《アル》2何成《ナニノナレルトコロカ》1耶。對曰《コタヘテノタマハク》。吾身《アガミニ》有《アリ》2雌元《メノハジメ・メノモト》之處《トイフトコロ》1。陽神曰《ヲガミノタマハク》。吾身亦《アガミニマタ》有《アリ》2雄元《ヲノハジメ・ヲノモト》之處《トイフトコロ》1思d欲《オモフ》以《モテ》2吾身元處《アガミノハジメノトコロヲ》1合《アハセムト》c汝身元處《イマシガミノハジメノトコロニ》u。
 
 
却更相遇。山蔭云。此文一書に改復巡v柱ともある如くなるべきを。こゝは上に宜2以改旋1。とある故に。巡を略かれたるなるべけれど。たゞ相遇とのみにて。巡り給ふことなくては。穩ならずと云り。本の訓は其意を得て訓めるもの也。○少女。記傳云。袁登賣は袁登古に對て。若く盛なる女を云稱な(106)り。又童なるをも云ること多し。○因問陰神。此一條は。唱和の先に必あるべき事なるを。こゝに出たるはいかゞなり。一書(ノ)方宜し○汝身。本にイマシガミと訓り。汝を伊麻志と云るは萬葉續紀に見ゆ。【萬葉十四。又後の物語などに麻之とも有】續紀の宣命どもに。美麻斯とも有。重胤云。麻志は坐なり。伊麻志は在なり。美麻志は御座なり。若て古には尊む人を崇まへて大前とも御前とも前とも申す事常なるが。其より差降れるには。其在る所を直に指す故に。麻斯とは云へりしもの也。【通證にも。汝猶v言v坐也と云り。偖其麻斯よりは伊麻斯の方重く。伊麻志よりは。美麻斯のかたこの上なく重し】と云り。また那賀美とも訓べし。記傳云。汝は上代の歌どもにも多く那と詠。又那禮|那兄《ナセ》那泥|那妹《ナニモ》汝者《ナヒト》汝《ナガ》命など。皆那を本としたる稱なり。【那牟遲も那を本として。牟遲は大穴牟遲などの牟遲なり。物語文には。伎牟遲と稱も有。伎は君の意なり。】かゝれば。汝は那と云ぞ本なりける。【武郷云。さて其那は美稱なる事云も更なり】さて那も伊麻志も。後には下ざまの人にのみいへども。いと上代には然らず。其本は尊む人にも云る稱なり。【汝字を書しを思へば。其頃になりては早く尊む方には云ざりしにや。】己が夫を汝と云ること。又天皇をしも那賀美古と申せること。記の歌に見えたり。又某|之《ノ》と云を某|賀《ガ》と云も。後には賤む方に取(レ)ど。上代には是も上下別ぬ辭にて。之《ノ》と云に同じとあり。○何成耶は。人の産生るを成り云とは異にて。此は御體の上に成れる事を問かけさせ玉へるものなり。さて其何成れると問玉ふ所は。二神共に素より異れる處ありしかばなり。其異れりとおぼす處は。かの雄元雌元の處也。此は即隱處にて。互に見ゆべき所にあらねば。問て知しめす也。○雌元之處。雄元之處。本に雌元の上に一(ノ)字あり。今釋紀に因る。【雄元の方にもなければなり。】さて本にこれを。メノハジメ〔五字右○〕。ヲノハジメ〔五字右○〕と訓たれど。鎌倉本永正本丹(107)鶴本等の訓には。メノモト。ヲノモトと訓り。されどなほおもふに。字に就たる訓のごとし。こゝは記に。吾身者|成々而《ナリナリテ》不《ザル》2成合《ナリアハ》1處一處在。また成々而|成餘《ナリアマレル》處一處在。とあるぞ古傳のまゝなるべき。即女男の陰處なり。【平田翁云。成餘之處。不成合處とばかりにて。名の無きこそ最も尊く。愛たき古傳の神語なりけれ。然るに雌元雄元。陰元陽元などあるは強て名けられたるものなり。此時にはいまだ名の無りしことは云も更なりと云れたり。】さて此本書の趣。初度に男神の唱へ給はぬ先に。女神の唱たまひしかば。男神は唱へ給はず。悦び給はずて。天神に問給ふ事無く。改め旋りましたるは。一(ノ)傳なるべけれど。此度又男神のみ唱へて。女神の唱へ玉はぬはいかゞなり。顯注に引るには。因問の上に。陰神後(ニ)和(チ)曰(ク)。※[喜/心]哉遇可美少男の一句あり。古本にはありしなるべし。○汝身元處。本に身下之字あるを今は永享本に旡に依る。【吾身元處の方にもなければなり】偖元處とは。釋述義に。凡男女初生之時。先見2此處(ヲ)1乃定2男女(ヲ)1故謂2之(ヲ)元處(ト)1耳。下雄元又同之。とありまた一訓に依て雌雄相婚ぎて。子を産成(ス)其|元《モトノ》處とも見るべし。○吾身。吾を阿とも和とも云に差別あり。重胤云。吾を阿と云は人に向ひて。己を名告る時に親昵しむ意の甚切なる時に限れる事なり。其中に夫婦の間などは。殊に深く思交して親昵しな意の甚切なる者なる故に。多く阿とも阿賀とも阿禮とも云り。然れば阿は狹くして和は廣きなり
 
 
於是陰陽始※[しんにょう+構の旁]合爲夫婦《コヽニメヲハジメテミトノマグハヒシタマヒキ》。及2至《イタリテ》産時《コウムトキニ》1。先《マヅ》以《モテ》2淡路洲《アハヂシマヲ》1爲(シテ)v胞《エト》。【意所v不v快故名之曰2淡路洲1】廼《スナハチ》生《ウム》2大日本豊秋津洲《オホヤマトトヨアキツシマヲ》1。【日本此云2耶麻騰1下皆效v之】
 
 
(108)淡路洲。紀には生2子淡道之穗之狭別島1とあり。他の例によらば。此も生2子淡路島1。亦名謂2穂之狭別《ホノサワケ》1とあるべきが如くなれど。穗之狭別と云は。此島の別名には非ず。もと國魂の名なるが。後に轉りて洲名となれるなり。さるはまづ國を産むと云るは。口訣に。八洲各有(テ)2國魂1。即州(ヲ)成(ス)之《ノ》精神也。淡路(ノ)神(ヲ)號2穗狭別1。とあり。これ古説なり。又松下見林が。神代巻校正評閲に。生2大八洲國1者。生2其神1ともあり。さすれば。國魂は國を以體とし給ふ精神にて。其國に屬き其國を幽世より主領き坐す神の御名なり。然れば淡路など云國名こそは。人代に成ての事也けれ。神代には右の如く穂之狭別島。又は伊豫を愛比賣《エヒメノ》國。讃岐を飯依《イヒヨリ》比古國などぞ云けらし。【さてそれに女男の名あるからには。自ら國の上にも女男の體具はれるなるべし。】さて此洲は。記傳に南海道の淡路國なり。和名抄に。阿波知。書紀應神天皇大御歌に阿波〓辭摩とあり。【後に國となりても。なほ淡路島とのみ云ひならへり。億岐佐度もしかり】名義は阿波國へ渡る海道にある島なる由なりと云り。さて次の一書。又記には。蛭兒と淡洲を最先に生給ふとあれば。こゝも淡路洲は淡洲の誤かと思ふになほ然らず。此傳にては淡洲を生座ることを略きて載せざるものにて。此なるはまことに淡路洲にぞ有ける。大日本豐秋津洲の胞とあるにても。淡洲ならぬこと知られたり。○胞は。其假名古書に未見當らず。名義も詳ならず。また以2淡路洲1爲v胞の義詳ならず。重胤云。胞衣は兒の胎中に在る時に。此を裹て日足す器にこそ有けれ。已に生れ出れば。何の用にも立ざるものなり。其上胞衣の出るは。自然の事なるを。爲v胞と云ては大に義違へり。されば爲v胞は。最初に出來れる子長《コノカミ》なるよしを以て。淡路島爲v兄《エト》と云傳へたる(109)を。言の同じき任に。兄《エ》を同《エ》と誤れるならん。然ば舊事紀に先生2大八洲(ヲ)1兄《エトシテ》生《ウム》2淡路洲(ヲ)1とあるは受る所あるなるべしと云り【按に胞は今云胞衣の事にはあらじ。こゝにてはたゞ大凡に。腹と見てあるべきか。景行紀に同胞而雙生とあるなども。胞衣ならず。世に同胞兄弟など云るは。同胞衣の事にはあらず。一腹にて他腹をまじへぬを云。即それと同く。淡路洲より次々大八洲みな一腹に生給へるよしをかく云るなるべし。さらば波良と訓べくや。なほよく考べし。】○意所v不v快云々。【快字元々集に悦に作りさて意所不快云々の注は淡洲(ノ)下に注すべきを。名の似たるからに混ひてこゝに記せるなり。】此十一字。本に大字に作るは誤なり。山蔭云。或本に細書にしたる宜しとあり。但し竟宴歌集本には此十一字なし。後人の加筆の注の如くになりしなり。○大日本豊秋津洲。記云生2大倭豊秋津島(ヲ)1亦名謂2天御虚空豐秋津根別《アマツミソラトヨアキツネワケ》1。とあり大倭と云は。長門の岬《サキ》より陸奥出羽の末まで。海を隔てゝ連れる地を云る號なること。首巻に委く云り。神皇正統記に。天御虚空豊秋津根別と云神を生玉ひし。是を大日本豊秋津洲と名づく。今は四十八箇國にわかてり。中洲たりし上に。神武天皇東征より代々の皇都なり。依て其名をとりて。餘の七洲をもすべて。耶麻土と云なるべしと。云れたるが如し。秋津洲と云名義は。神武紀に腋上※[口+兼]間《ワキノカミノホヽマノ》丘に登り。國形を廻望ませる所に。曰雖2内木綿之眞※[しんにょう+乍]國《ウツユフノマサキクニ》1。猶如2蜻蛉之臀※[口+占]《アキツノトナメセルガ》1焉。由是始(テ)有(リ)2秋津洲之號1也。とある詔より起れる名にて。もと畿内なる大和の國内の地名なるが。【腋上※[口+兼]間丘。みな大和國葛上郡也】遂に天下の大名にも成れりと云るは普通の説なれども。按ふに此秋津は瑞穂國の稻によれる號なることは。先達も往々辨まへ云る説どもあり。【さらば神武紀なるは。たゞ大和の國形に附て當昔詔へる御言の一(ツ)の傳となれるなり】欽朋紀に。豐秋(ノ)日本とも云るを以ても。蜻蛉の故事とは異なること知られたり。さて上古にはかく一洲の號なりしが。正しく秋津島倭を。大號とせるは。仁徳紀に河内(ノ)國|茨田《マムダノ》堤に。雁が卵を産るを。武内宿禰(110)に其事を問はせ給へる大御歌に。汝こそは。世の長人。秋津島倭の國に雁|子産《コム》ときくや。是に答へ奉れる歌にも。秋津島倭の國に雁子産と。未だ聞かず。と詠れたり。雁の子産むことは。凡て皇國には珍らしければ。此夜麻登は正しく天下の大號なり。後にはしか八島を總たる大號にも云へど。此にては長門の岬より。陸奥出羽の末までを係たる故に用たるなること。上に云るが如し。思ひ混ふべからず。【平田翁が説は。予が説と甚く異なり。卷首に云るを見合すべし】○日本此云の注。本に上に入れるは誤なり。今は釋紀亂脱に據て此に置く。
 
 
次《ツギニ》生《ウム》2伊豫二名洲《イヨノフタナノシマヲ》1。次《ツギニ》生《ウム》2筑紫洲《ツクシノシマヲ》1。次《ツギニ》雙3生《フタゴニウム》億岐洲《オキノシマト》與《トヲ》2佐渡洲《サドノシマ》1。世人威有2雙生1者象v此也。
 
 
伊豫二名洲。記云生2伊豫之|二名《フタナノ》島(ヲ)1。此島者身一而有2面四1。毎v面有v名。故伊豫國謂2愛比賣《エヒメト》1。讃岐(ノ)國(ヲ)謂2飯依比古《イヒヨリヒコ》1。粟《アハノ》國(ヲ)謂2大宜津比賣《オホゲツヒメ》1。土左(ノ)國(ヲ)謂2建依別《タケヨリワケト》1とあり。【記傳云身一とは四國一島なるを云。有2面四1とは四に分れたるを云。此はたゞ國の分れたるのみにはあらで。本より島の形の四に分れたる勢あるべし。さてこそ四國には分れけめ。さてかく人に准へて身と云(ヒ)面と云(フ)は。次に三子(ノ)島兩兒(ノ)島なども云。又山にも頂腹御富登なども云類なり。萬葉二に。讃岐國は云々。天地日月と共に滿行む。神の御面とよめるは。此處を思へるなり。】記傳云。此は阿波讃岐伊余土左の四國を總たる名なり【後世四國と云】萬葉三に。白波乎伊與邇|廻之《メグラシ》とあるも。四國を總て云りと聞ゆ。是本は一國の名なるが。大名になれること筑紫の如し。さて此は伊豫郡より出たる名なるべし。神名帳に彼郡に伊豫神社もあり。同郡に伊豫豆比子神社と云もあり。名義未思得ず。二名は本より大名なるべし。此名義は名《ナ》は借字にて二並《フタナミ》なり。書紀應神卷の大御歌に。阿波【施の也が尼】辭(111)摩《アハヂシマ》。異椰敷多那羅弭《イヤフタナラビ》云々。万葉九に。二並筑波《フタナミツクバ》の山ともあり。さて此島は。飯依比古と愛比賣と女男並び。建依別と大宜都比賣と。又並べるを二並と云りと云り。○筑紫洲。記云次生2筑紫《ツクシノ》島1。此島亦身一而有2面四1。嶋毎v面有v名。故筑紫(ノ)國謂2白日《シラヒ》別(ト)1。豐國(ヲ)謂2豐日別(ト)1。肥(ノ)國謂2建日別(ト)1。日向(ノ)國(ヲ)謂(フ)2豐久士比泥別《トヨクシヒネワケト》1【印本とは異なり。今は古本又舊事記によりて訂せるなり。】とあり。此島ももと一國の名より出て。遂に總名にはなれるなり。記傳云。此島後に西海道と云(ヒ)九國となる【俗に九州といふ。】。さてまた其一國の筑紫も。後に二國に分れたり。其は和名抄に。筑前【筑紫乃三知乃久知】筑後【筑紫乃三知乃之里】とある是なり。風土記に。筑後(ノ)國者本與2筑前(ノ)國1合(テ)爲2一國1と云り。さて如是二(ツ)に分れしは。何御代とも知れず。景行卷十八年(ノ)下に。筑紫後國《ツクシノミチノシリ》とあれば。其より前か。はた分れしは後なれど。前へも及してかくは書るか。都久志と云名義は。筑後風土紀に三説ある中に。昔この前と後との堺なる山に荒ぶる神ありて。往來人多に取殺されき。故其神を人命盡《ヒトノイノチツクシノ》神となむ云ける。後に祝祭て筑紫神と申すとあり。此説さもありぬべく聞ゆ。式に筑前國御笠郡筑紫神社あり。此神なるべと云り。【この荒ぶる神を。風土記に麁猛神と書り。記傳に筑紫神社是なるべしと云るさる事なり。五十猛神の御事なり。文字もよく合へり。貝原氏の和爾雅に。筑紫在2御笠郡原田村1。五十猛命。相殿寶滿明神とあり。其筑紫神社立せ玉ふ隣村に。筑紫村と云有りと土人云り。右の相殿寶滿明神と云は。式なる同郡竈門神社名神大とある是なり。今其山の一名寶滿山と云れば。其神を取りて此にも祀れるなるべし。○億岐洲。一書に億岐三子洲とあり。名義。記傳に。海原の奥中にある島と云なりとあり。記には。伊余の二名(ノ)島の次に。生2隱岐三子島1。亦名天之|忍許呂別《オシコロワケ》とあり。さて本に。億字隱に作れり。山蔭云。隱字億とある本宜し。一書みな億なればなり。一書にも隱とある本もあるは。皆後に改めたるなりと云り。○佐渡洲。記傳云。名義|狹門《サド》か。(112)此島へ舟いるゝ水門のせばきにや。【凡て海に島門水門迫門など云ること多し】なほ國形をよく尋て定むべし。此國天平十五年二月には。越後國に併され。勝寶四年十一月に。又一國とせらる。續紀に見えたりとあり。さて記には此洲津島の次。大倭の前に生給ふよし見ゆ。舊事紀に。筑紫島の次に。次|熊襲《クマソノ》國謂2建日別《タケヒワケト》1。【一云佐度島】とあるは。熊襲の亦名とせしにあらず。一云には熊襲國なくて。佐渡島謂2建日別1とありしとなり。此はまことにさる傳なり。口訣元々集にも然去るは古本に依れるなり。【口訣に佐渡洲者。神建日別とあり。元々集に引る舊紀には。次生2佐渡洲(ヲ)1。謂2建日別1とあり。此は印本を以て云るには非ず古本也】○雙生。萩野由之曰。此雙3生億伎洲與2佐度洲1の一句は億岐洲を雙生し佐度洲をも雙生したりといふ意なるべし。與は増韻曰。及也。易説卦。是以立2天之道(ヲ)1曰。陰及v陽。立2地之道1曰。柔與v剛。立2人之道1曰。仁與v義。論語曰。弑2乳與1v君。などの與と同格にて。雙生を兩方へかけて意味を有たせたるものなり。さて億岐島も雙子。佐度洲も雙子と云は。二國孰も二島づゝ。海中に對峙するを以てなり。【今二子島二子山妹脊山などの名。諸國にあり。皆形勢によれるなり】二神發見せられし時の形勢。此の如くなりしなり。億岐島は。現に三島にして。【附屬の諸小島なほ多し】古事記に三子島とあれども。概して雙生といへるは。三なるを。島前島後と二に稱するが如し。さて佐渡國現在の形勢は。地誌に法馬の如しとも。胡蝶の斜に飛ぶか如しといひ。尾張の岡田挺之が秉穗録には。瓢箪島とも云と書けり。【國人はいはず】北と南は。各一派の山脈連亘し東西の扼したる處は平坦にして。田畝開け村落望む。これを國中とはいへり。余嘗て形勢を察するに。太古に在ては。國中の邊悉く海にして。南北斷て連らざりしを。悠遠の年所を經て。次弟に接續せし(113)ものなるを知れり。此國古より北半部を大佐渡と稱し。南半部を小佐渡と云ふ。地形分れたればなり。今も加茂湖。若三崎地方の海に泛ぶ時は南北分斷して。海水横劃するが如し。今村落田疇相連りてさへ。此觀あり。往古海水の横劃せること想ひ見るべし。佐渡といふ名義。神代卷口訣に世戸也といへる適當なるべし。世戸は瀬門なり。兩山の間海潮往來して。舟の通ずべき處。即海峽を云ふなり。大佐渡に小佐渡相對して門をなし。潮汐往來すべき國なれば。此名ありしならん。右の諸誌に由て之を觀れば。二尊の諸洲を巡行して。佐渡の形勢を視察せられし時は。海水横劃して兩島分立し。世に云ふ※[子+子]山妹脊山の如くなりしを以て。雙生といへる事も。亦知るに足るべきか。と云れたるは信によろしき考なり。從ふべし○世人或有雙生云々。象v此と云事心得ず。象とは彼に在る物の形を。圖し取る意なるを。世人の雙生は。素より自然の事なれば甚謂なし。故思に。此十字は後人の※[手偏+讒の旁]入なるべし。長寛勘文に引るになきは。古き本のまゝなりしなるべし。【後に平氏傳雜勘文と云ものを見しかば。此十字本文より一字引下げて書たり。いよいよ※[手偏+讒の旁]入なるをしれり。】故に今訓を缺きつ。
 
 
次《ツギニ》生《ウム》2越洲《コシノシマヲ》1。次《ツギニ》生《ウム》2大洲《オホシマヲ》1。次《ツギニ》生《ウム》2吉備子洲《キビノコシマヲ》1。
 
越洲。重胤云。越(ノ)洲は第一第六一書に在て。其他の一書。及古事記等にも見えざる事なり。然るを。或は北陸道なる三越加賀能登の五國を合せて云とも云ひ。又は佐渡國なりとも云説のあるは。共に推量の(114)説也。其は北陸道の皆は。古に越國と云ひ。中古に越前越中越後とわかれ。又越前より別れて加賀國と能登國となりて。凡て五國になれるを。古に越國といへればとて。此の越國とは成《ナ》しがたし。其は中山道と北陸道とは。連山相重り。地勢相接きて。何れを堺とも云べからぬを。大凡は山脉を以て。強て分たれたる位の事にし有ければ。中々に此と彼と。洲を合せたる者には非ざれば。决て外に求むべき也。【また佐渡國なりと云も私事なり。もし同じ島ならむには。同じ事を名を替て。別々に出されむ事あるべくるあらざるをや。】此に太田某が著せる。能登國名勝志を讀て。初て此を得たり。【武郷云。此書一名能登名跡志とも云り。二巻あり。安永六酉立春。加陽金府太田何某と序にあり。故ありて名をば著はさゞりしものと見ゆ。】其説に云く。能登國は往古羽咋の瀉より。能登部海道《ノトヘカイドウ》【又西海道ともいふ】を經て。鹿島郡内浦田鶴(ノ)濱曾濱石崎など云所。海續きにて島國なりし時は。人も住ず有しに依て。怪鳥大蛇の棲處にて有りけるを。氣多大神此を退治し玉ひけるより。人家出來て一國と成れる由。小田の龍大明神。【鳳至郡小田村にあり。大蛇の神也。大穴持神平け給ふといへり。】鷲嶽八幡宮【是も鳳至郡也。】の社傳にのこれり。とあるは愛たき古傳なり一。さて能登國と云は。續紀八に。養老二年五月乙未。割2越前國之羽咋能登登鳳至珠洲四郡(ヲ)1始置2能登國1とあれば。本は郡名なりしなり。然れば越(ノ)國は前中後に分れたる當時猶越前國なりければ。往古には越洲と云けん程想像るべし。氣多大神は。神名式に羽咋那氣多神社【名神大】と有て。一宮記に大己貴命也と見えたる是なり。又出雲國風土記に高志之都々乃《コシノツヽノ》三崎云々。引來縫國者三穗《ヒキキヌヘルクニハミホ》之崎也とある。高志之都々乃三崎は决く和名抄郡名に。能登國珠洲【須々】とある是なるべし。【又三崎村海邊にあり。】古くlより須々と云けめども。古に都々と云けるが。音の通へる任に。右の如くなれるなるべし。(115)然らずては出雲の三穗之崎より。高志之都々乃三崎とも云べき地は。能登の三崎を除て。外にはあらざるなり。式に珠洲都須々神社ある。此を三崎櫛現と申すと云れば。都々乃三崎とあるに叶へり。若て萬葉十七に。能登乃島山と詠るは。其頃は已に接ける後なれども。海中に此一國の長く張出たる状を見て。古(ヘ)島國なりし事を思ひて詠る者なり。右の如く。出雲風土記には高志と云ひ。養老二年迄は。越前國なりしかば。其島國なりし古には。越洲と云けん事云も更なる物なり。と云れたるは然る言なるが。なほ此よりも既《ハヤク》。内山眞龍がこの紀の類聚解にも。此地のことを云れたる所に。越洲今の能登國の事にて。羽咋海以北は一島なり。今は海潮乾て。加賀國に並ぶとあり。かたかた能登國を。古越洲と云りしこと明らけし。○大洲。記傳云。周防國大島郡是か。此郡は離れたる島にして。今|八代島《ヤツシロジマ》と云へり。上(ノ)關の東。安藝の嚴島の西南にあり。【長さ今道八九里ばかり。横五六里ばかりなる島なり。】萬葉十五に過2大島(ノ)鳴門《ナルトヲ》1而去々。國造本紀に大島(ノ)國造とあるは。皆この大島なり。又筑前國宗像郡神湊より。今(ノ)道三里北の海中にも大島あり。是か。※[匈/月]形中津宮と申すはこの島なり。源氏物語玉鬘(ノ)卷に。船人も誰を戀とか大島の云々。とあるも此大島なり。又肥前國松浦郡平戸の東北の方にも大島あり。【肥前の北壹岐島の南なり。】是か。此外猶國々に大島と云は多くあれども。此なるは右の三の内なるべしと云り。さて記には此洲大八島國の外にて。六島のうちに出たり。亦名大多麻流別とあり。多麻は玉なるべし。【式周防國佐婆郡玉祖神社二座。とあればよく符へり。】○吉備小洲。吉備は後三國に分る。和名抄備前。【岐比乃美知乃久知】備中【岐比乃美知乃奈加】。備後。【岐比乃美知乃之利】とある是なり。又和(116)飼六年備前國の六郡を分て。美作國とせられたり。記傳云。名は黍《キビ》より出たるなるべし【和名抄に黍は木美とあれども。美と備は古(ヘ)常に通はしいへり。】兒島は。吉備國に兒の如く附る故の名なるべし。後に備前国の郡になれり。欽明卷に備前兒島郡とあり。和名抄に兒島【古之未】郡是なりとあり。記には此島も大八洲國の外にて。六島の内なり。亦名建日方別と云り。
 
 
由《ヨリテ》v是《コレニ》。始《ハジメテ》起《オコレリ》2大八洲國之號《オホヤシマグニノナ》1焉。
 
由是は。其數八に具《タラ》へるを以て云なり。さて記云。故因2此(ノ)八島先所1v生。謂(フ)2大八島國(ト)1とあり。平田翁云。抑志摩とは。周廻に界限の有て一區なる域を云名なり。然云本の意は。志麻琉《シマル》。志自麻琉《シジマル》。勢麻琉《セマル》。勢婆斯《セバシ》など云言と同きなるべし。此等も取放ち曠く界限なくは有らで。界限有て取締れる意より云言なればなり。然れば志摩といふ名も。本は必海のみならず。國中にて山川などの廻れる地にも云へりと見ゆ。又此大八島など云名の如く。いと大なるにも云へれば。必しも少《チヒサ》きのみ云るに非ず。【但し小くて海の中にあるは。殊にめぐりの界限も炳焉ければ。專さる地のみの名の如くにも自ずから成れるなり】さて島洲などの字を填て書るも。其海の周れる地をいふ一方に就てなり。さて此大八島の島も。海の周りて隔れる一界の國を云るにて。其例は神代紀に。三韓をも韓郷《カラクニ》之島といひ。萬葉集の歌には。海を隔てゝ大和國の方をさしても倭島とよみ。また此大八島をすべても。倭島根と詠るなど是なり。偖八島としも云ふは。海を隔てずて。一連なるをば幾國にまれ。(117)一島として其數八なれば也と云り。重胤云。偖此大八洲國と云名はしも。二神の此時より起れるにて。唯有の任に命けさせ給へるもの也。四神出生章に。二神の御言に。吾已生2大八洲國及山川草木1云々。とあるを以しるべし。然れば葦原中國と云事は。記の伊邪那岐命の桃子に告給へる御言に見えて。共に古くはあれども。其は葦と云物の生巡れる。其中に在る國の義を以て。宣へるなれば。生の任に大八洲國と云けるより。猶後の事なるが上に。其は天に對へて。大地の皆を云りとおぼしければ廣くして。皇國の總號とも限らざるなり。寶劍出現章第一一書。彦八島篠《ヒコヤシマシヌ》。彦八島手《ヒコヤシマテノ》命。彦八島|野《ヌ》とも申せるを。記に八島|志奴美《シヌミノ》紳とある。共に合せて。地神本紀に大己貴神の亦名に部《イレ》たる。此正説にて。共に大八洲國を經營玉へる義の御名なり。又八千矛神の御歌に。夜斯麻久爾《ヤシマグニ》。都麻々岐迦泥弖《ツマヽキカネテ》。と詠せ玉へるなどをおもふべし。神皇承運章節一一書に。所v稱2挾野《サヌ》1云々。奄2有《シロシメス》八洲1。故復加v號《ミナヲ》曰2神日本磐余彦《カムヤマトイワレヒコノ》尊(ト)1とある。此は國號考に。大八洲國と云號は。外國に對はず燭立て天下をすべ云稱なり。倭建《ヤマトタケノ》命の御言に。纏向(ノ)日代宮所v知2大八洲國1天皇と詔玉ひ。孝徳紀詔に現爲明神《アキツミカミト》御《シロシメス》2八島國1天皇と詔玉へり。公式令の詔書式にも。朝廷の大事に用らるゝ詔には。明神(ト)御2宇大八洲1天皇(ノ)訂旨と詔玉ふと見えたりと云れたるが如しと云り。偖又平田翁云。此大八洲の國々島々の御靈《ミタマ》の御功徳《ミイサヲ》を總稱へて。生島足島と申し。又生國足國とも稱す。其はまづ此神のことは。古語拾遺に。神武天皇の御世の事記せる處の。皇天二祖(ノ)神の詔に從り。神籬《ヒモロギ》を建て。祭りたまへる神の中に。生島(ハ)是大八洲之|靈《ミタマ》。今生島(ノ)巫《ミカムコノ》所(118)v奉v齋也とあり。神名式に神祇官西院(ニ)坐(ス)生島巫祭神二座。【並大月次新甞】生島神足島神と有て。古より最重く祭らせ給へり。即|八十島《ヤソシマ》祭と云是なり。【清和紀貞觀元年正月。奉捧2神祇官無位生島神足島神並從四位上1又同年二月授2正四位下1と見ゆ。攝津志に生島(ノ)祠在2河邊郡栗山村1相傳此地甞爲2生島神祭田1。故有2此祠1といへり】偖此神を祭る祝詞に。生島能御巫能《イクシマノミカムコノ》。稱辭竟奉《タヽヘゴロヲヘマツル》皇神等能前爾白久。生國足國《イククニタルクニ》登。御名者白※[氏/一]。稱辭竟奉者。【一神に二名を負せて。二坐とまつる例は。豐磐間門櫛磐間門(ノ)神太詔戸櫛眞智神。などなほ例あまったり。生と足と對へ云例は。生玉足玉。生産靈足産靈。生日の足日などあまたあり。】皇神乃|敷坐島能《シキマスシマノ》八十島者。谷※[虫+莫]能狹度極《タニグヽノサワタルキハミ》。鹽沫能留限《シホナワノトヾマルカギリ》。狹國者廣久《サキクニハヒロク》。峻《サカシキ》國(ハ)者平久。島能八十島|墜事無《オツルコトナク》。皇神等能依左志奉(ルガ)故(ニ)皇御尊命能。宇豆乃幣帛乎。稱辭竟奉久登宣とあり。また臨時祭式に。八十島(ノ)神祭とありて。【次に祭(ノ)料の物を載されたり】云々。右八十島祭(ノ)御巫。生島(ノ)巫。並史l人。御琴彈一人。神部二人。及内侍一人。内藏屬一人。舍人二人。赴2難波(ノ)湖(ニ)1祭v之。とあり。なほ神名式に信濃國小縣郡に生島足島神社二座【名神大】とあるも同神なるは更にも云はず。和泉國大鳥郡生國神社あり。是も同神か。さて又攝津國東生郡にも。難波坐生國魂神社【並名神大月次相甞新甞】とありと云り。
 
即《スナハチ》對島壹岐島《ツシマノシマイキノシマ》。及《オヨビ》處々小島《トコロ/”\ノコジマハ》。皆是潮沫凝成者矣《ミナコレシホノアワノコリテナレルモノナリ》。亦《マタハ》曰《イフ》2水沫凝而成《ミヅノアワノコリテナレルトモ》1也。
 
 
即は。上の矛(ノ)鋒(ヨリ)滴瀝《シタヾル》之|潮《シホ》凝成2一島(ト)1。名之曰2※[石+殷]馭廬島1。と云る文を承たる辭にて。いと重し。【この事次に云】○對馬島。壹岐島。對馬記傳云。名義は萬葉十五に毛母布禰乃《モヽフネノ》。波都流對馬《ハツルツシマ》。とよめる如く。韓國の往還の舟の泊る津なる島なり。壹岐。萬葉十五に由吉能之麻。和名抄にも壹岐島由伎とあるに因て。由岐を(119)古訓と思ふ人あれど。繼體卷の歌に以祇とよみ。此記にも伊字をかき。壹字も由の假字にあらねば。本は伊伎なること明らけし。然れども懷風藻に伊支連と云姓を。目録には雪連とかき。又かの萬葉に由吉とあるなどを以て思ふに。必由伎とも通はし云べき故ある名義と見えたり。【行も通はして伊伎とも云り。これも同じ例なり】と云り。名義は或人後國に雪の白濱と云ありて。遠方より雪の如くみゆるなり。これ國名の起りかとも云り。【此事又或人に尋ねしに云。彼國壹岐郡本郷村の澳。海岸を離るゝ事遠からず雪の島といふあり。其は島といふほどの物にあらず。海中にあ巌なり。此巌の色黒くかはる時は必雨ふる。霽てもなほ色黒ければまた雨降る。其島のさま。遠く望めば雪の如しと云り。雪の白濱は蓋此を云るか猶尋ぬべし】さて記には。此二洲大八洲の内にて。筑紫國の次に生坐り。【一書にも。八洲の内に入れるもあり。】伊伎島。亦名|天《アメ》比登都柱。津島。亦名は天之狹手依比賣とあり。【記傳云。對島の字は。魏志と云漢籍に。此島のことを對馬國とあり。此紀即て此文字を假字に取用て。對馬洲とかゝれたり。對馬もと津島の義なれば。洲字を添ては。島洲と重なりていかゞなりと。云るもあれど。此は津島と云るが既に國名となりて。さて其津島の洲と云る名なれば妨なし。】偖こゝにも令によらば。對馬洲と書るべきを。島とあるは。大八洲の列を除きたる故なるべけれど。一書には大八洲の中に入(レ)て。洲字を用ゐたり。天智紀に對馬(ノ)國とあるからは。大八洲國の一なる事云も更なり。本書は誤れる傳とすべし。○記には右の八洲の次に。然後還坐之時。生2吉備(ノ)兒島(ヲ)1。亦名(ハ)建日方別《タケヒカタワケ》。次生2小豆《アヅキ》島(ヲ)1亦名(ハ)大野手《オホヌテ》比賣。次生2大島(ヲ)1。亦名大|多麻流別《タマルワケ》。次生2女《ヒメ》島(ヲ)1亦名(ハ)天一根《アメヒトツネ》。次生2知珂《チカノ》島(ヲ)1亦名(ハ)天之|忍男《オシヲ》。次生2兩兒《フタゴノ》島(ヲ)1亦名(ハ)天(ノ)兩屋。自2吉備(ノ)兒島1至2天(ノ)兩屋(ニ)1并六島とあり。【吉備兒島大島。此紀にては八洲(ノ)内なり】故に上の八島をば。先所v生とは云るなり。【此紀には。右島々をば即對馬洲云々皆是潮沫凝成者。と云うちにこめて略けるなり。】平田翁云。上件六島の序。在所詳ならぬもあれど。師説の如く。先は東より生つゝ西へ幸せり。四海に島はしも甚多なるに。八島に次で只此六島を擧たるは。故(120)ある事なるべし。【師は又上代に殊に名高き限りを擧げたるにもあらむ。ともいはれたり。】二柱大神の所生坐る。必此六(ツ)には限らじとぞ思ふ。【六島みな西國なり。總て神代の古事は。多く西國になんある。】其は式(ノ)祝詞に。國の八十國島の八十島を生玉ふと見え。右の島々の外に。なほ近き邊りに。同じ水土なる島々の。多きを以て知られたりとあり。○處々小島は。平田翁説に。師説の如く。處々(ノ)小島とあるは。必しも小き島のみに限らず。皇國の外なるを。皆凡て如此は云るなれば。其中に大きなるも有ぞかし。然れば皇國の水土に異なる。諸の外國ども大なる小きをいはず。此内なること知るべし。【若然らずとせば。外國々は何にして有りとせん。然るを此に處々の小島とのみ云るは。眼の及ぶ際りの島々を。打見るまゝに語り傳へたるにぞ有ける】とあり。【なほ按ふに。後にこそ大きなる島々もあまた出來にけれ。神代の昔はいづれも小島にて。たゞ聊かのみ海上にあらはれ出たりし所より。云る傳にもあるべし。○潮沫凝成者は。上の矛鋒滴瀝之潮凝成2一島1。名之曰2※[石+殷]馭廬島1。と云る文より承たる辭にて。大八洲の本處なる※[石+殷]馭廬島のみにあらず。大八洲及對島壹岐はさらなり。其外名もしれぬ處々(ノ)小島と雖。悉みな二神矛鋒の滴瀝より。凝成れるものぞと云文にて。猶いはゞ。四海萬國の始といへども。二神の固めなしたまへる事を。いと丁寧に。語傳へたる文なり。おぼろ氣に見るべきにあらず。○亦曰云々。山蔭云。此八字一本に細書なる宜しとあり。されど神代紀中。亦曰の例みな大書なれば。こゝも本のまゝにてよろし。○記傳云。二柱神の生坐る島々の亦名どもを。其國御魂の名と謂ふは非也。此は唯に其島國を指て云る名なり。斯て其名の女男なる所以は未(ダ)知らず。と云れたるは非なり。其島國を指て云るにはあるべからず。その島國を脩理たまふに就て。其を幽より相預《アヒソヒ》て作り賜ふ神を。生みたまへるなり。其神等はもとより。島國を本體と爲玉ふが故に。其島國と一(ツ)(121)にして。數へまつれるなり。記に島國をも參拾五神の内に。數へたるにて知られたり。【此事は延佳の説に因て云。記傳の説は非也】されば其生ませる神。即國魂なれば。それには女男のまします事も。凡ての神の例に異らずと知べし。さてまた其國魂神に。女男あるのみにあらず。其島國にも又自ら女男の具はりたらむ事。是文論を待べからず。【總て天地間のもの。女男を具へざるはあらぬもてしるべし。】其は人こそえしらね。人に女男のある如く。其形質に女男の差別。自らに具り在しからに。其名をば負別たりけん。然るは天地の始より女男の理自然に備りし其理に因循ひて。國生坐る二柱神にし坐せば。其生給へる島國にも。然る理の備りけむは。實さも有べき義にこそ。又身一に面の數有ける。面毎に女男の名の替れるは。面毎に其を司り玉ふ神の替れるは。言迄もあらず。
 
 
〔第一一書〕
一書曰|天神《アマツカミ》謂《ノリ》2伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊(ニ)1曰《ノタマハク》。有(リ)2豐葦原《トヨアシハラノ》千五百秋(ノ)瑞穗之地《ミヅホノクニ》1。宜《ヨロシク》2汝往而脩《イマシユキテシラス》1之。廼(チ)賜(フ)2天瓊矛(ヲ)1。
 
 
天(ツ)神は。即上の一書に見えたる。天御中主尊高皇産靈尊神皇産靈尊を申すは更なれど。此近ては高皇産靈尊を指て申し奉れるなり。【神皇産靈尊は自ら其中に在り。】釋私記に。問。此云2天神1者何神哉。答。云々案古事記惣有2五柱天神1。是等天神也。問。天神惣有2五柱1。然則五神之中。獨指2何神(ヲ)1哉。答。古記稱2天神1者。以2高皇産靈尊1爲2其最首1云々とあり。古事記のみにもあらず。此紀にも神武紀の詔命に。我天神高皇産靈(132)尊大日※[靈の巫が女]尊と並申玉ひ。顯宗紀に。月神日神の御託言にも。我祖高皇産靈尊云々とあれば。天神と申すは。旨と高皇産靈尊に坐すこと明らけし。○豐葦原云々地。記には此を此多陀用幣琉國とある。それ此時のさまなるを。かく記されたるは。後の名を始へ廻らしたるにて。常のことなれども。こゝに此(ノ)國號は似つかはしからず聞ゆと。山蔭に論れたり。さて此國號。豐は稱(ヘ)辭。葦原は大三輪社鎭坐次第記に。傳曰。初伊弉諾伊弉※[冉の異体字]二神。生2大八洲國及處々小島1。而地稚如2水母1浮漂之時。大己貴《オホナムチ》神與2少彦名《スクナヒコナノ》命1。戮v力殖2薦葦1。固2造國土1。故號曰2國造《クニヅクリ》大己貴命1。因以稱2曰葦原國1とあり。又續後紀の長歌に。日本乃《ヒノモトノ》。野馬臺能國袁《ヤマトノクニヲ》。賀美侶伎能《カミロギノ》。宿那《スクナ》毘古那加。葦菅乎《アシスゲヲ》。殖生志津々《ウヱオホシツヽ》。國固米《クニカタメ》。造介牟與利。云々ともある如く。當昔此浮漂る土を造り固めむが爲に。葦をいと多く。國のはたてに殖られたる。其(レ)生(ヒ)繁りたれば。其葦の中なる國と成れるを以て。葦原(ノ)國とも。葦原中國とも謂へりしなり。瑞穂は。記に水穂とあり。記傳云。水は借字にてみつみつしきを云。穗は稻穗なり。書紀に。天照大神云々勅曰。以2吾高天原(ニ)|所御齋庭之穂《キコシメシュニハノイナホ》1。亦|當v御《マカセマツル》2於吾兒(ニ)1。とある穂も然り。きて水穗國と云號も是齋庭之穂に由縁あることなり。さて千五百秋と云も。此水穂に係たる祝辭にて。【秋と云も。穂にかゝれる故也。】長く久く。御孫命の此水穗を所聞食べき國と云意もて。名けたる國號なること。彼大甞祭(ノ)祝詞に。此同祝辭を御孫(ノ)命の大甞所聞食ことに。係て云るにても知べし。【又大殿祭詞た。云さまはかはりたれど。萬千秋云々は。猶瑞穂に係れり。】と云り。げにも此國號こゝには如何に通えたり。【重胤云。豐葦原は國號の謂ならず。國と成べき地ありと云意なるが故に。地字を書れたるものなり。是時※[泥/土]土沙土の漂蕩へる物にこそ有けれ。國とも何とも未差別なき間の事なりしかども。天神の御心にて國とも地(123)とも成べき事を。思ほし定Eめ玉ひて。二神に斯る物有とは謂らせ玉へるなれば。後に號玉へる水穂國などの事は。思及ぼして心得べきにはあらず。と云れたれどいかゞあらん】○脩之。今本脩を循に作るは誤なり。多くの古寫本共に從て改つ。【舊事紀古寫本には。修とあり。修は脩に同じ。】本にシラスと訓るによりて。重胤説に。其は可3以治2高天原1也とある治(ノ)字。可3以御2高天原1也とある御字などをシラス〔三字右○〕と訓る其義なる語ながら。此に唯に領知する事と思ふはあらず。國を生神を生。又悉に萬物を生成し玉ひて。形の如く此國土の成竟るまでの。萬事に係たる御言なり。と云れたる然る言なり。また記に。脩理固成とあるに依て。此も都久流とも訓べし。【記傳に。修理はたゞ作と書とおなじことなりとあり】
 
 
於v是二(ノ)神|立《タヽシテ》2於|天上《アマノ》浮橋(ニ)1。投《サシオロシテ》v戈(ヲ)求(ム)v地《クニヲ》。因(テ)畫《カキナシ》2滄海《アヲウナバラヲ》1而《テ》引(キ)擧(グルトキ)之。即(チ)戈(ノ)鋒(ヨリ)垂落《シタヽリオツル》之潮|結而《コリテ》爲(ル)v島(ト)。名(ヲ)曰(フ)2※[石+殷]馭廬島(ト)1。
 
 
天上浮橋。北野社所藏一本に。【一峰本と號。其書を傳領したる人名と見ゆ。】天浮橋上とあり。それぞ宜しき。正書に天浮橋之上とあるを。其浮橋は。天中に在し物なることを示《アラ》はして。天上とは書れたるが如くなれど。こゝの天は。天上の義にあらねばなり。〇畫滄海。記傳云。畫は借宇なり。式(ノ)祈年祭祝詞にも。泥畫寄弖《ヒヂカキヨセテ》と書り。これら古(ヘ)より書來し字を。其まゝ用たる物なり。此迦久は。攪字などの意にして。俗語に迦伎麻波須と云が如し。【此畫を。口訣に以v戈探v海也と解たるよく當れり。畫字に就きていへる注は中々に惡し。】さて其を迦久と云るは。凡て手未して爲るわざを迦伎云々と云。【迦伎上ぐ。迦伎回す。迦伐亂すなどのごとし。】また必しも手して爲ねども。其状の同じきは。物もて爲る事をも(124)然云なり。【痒を掻く。字繪などを書く。木葉などをかくの類なり】此は彼空中に漂へる。潮に泥の和れる一混の物を固めむ爲に。戈以て攪探り給ふなりとあり。さて平田翁云。迦久とは一(ノ)字などを書如く。左より右方へ巡して。。臼などを挽く状に物爲玉へりけん。此即天の左旋に對ひて。大地の右旋りするに則を取らせ玉へるにて。自然なる御手の運びなるものなり。海水の西より東に流れて。地の右旋に因循ひ。水中の渦の右に巡り。蔓草の右に卷など。此天地に在ゆる物の。神性に順はせ玉へるもの。書畫を書と云も。痒きを掻と云も。馬などに足掻と云も。皆先の方より我手前に引寄る事業なるをも思合せて。此時の御消息を想像奉るべしと云り
 
 
二(ノ)神|降2居《アマクダリマシテ》彼島《ソノシマニ》1。化2作《ミタテ》八尋《ヤヒロ》之|殿《トノヲ》1。又化2竪《ミタテタマヒキ》天柱《アマミハシラヲ》1。
 
 
化成八尋之殿。記傳云。八尋は殿の廣さのほどを云。尋は兩(ノ)手を伸たる長さを云。今(ノ)人も然して一尋と定むるなり。其は手を廣げて度る故に。一廣け二廣げの意なるべしとあり。さて八は。橘守部云。猶七八の八にしてし此を物の多き事に云るは。譬(ヘ)ば十のものならば。其七八分を云心ばへを以て云なり。されば七重とも。八重とも。七瀬とも八瀬とも。七日七夜とも。日八日夜八日とも。凡て七八を多き事に云ならへるなり【若此八を彌の略とせば。七は又何言の略きとかせん。】と云り。さる事なり。此八尋も。たゞ廣の多きを云までなり。殿和名抄和名止乃とあり。化作の意次に云。○化竪天社。天柱は八尋殿の柱なり。平田翁云。此御社は。上なる國(ノ)柱と。名は天と國とに異れども。合同じ御柱なり。其は其戈の小山に化れりと有を思ふべし(125)云々。然れば彼戈は。國土を畫成竟て。衝立坐る其鋒は國中の御柱となり。柄の土に出たるところをば。八尋殿の眞中の御柱と爲て。其を天之御柱とは云なりけり。【さればこそ。本書には國柱と云。一書には天柱と云て全同物と聞えたり。】と云り。記傳云。凡て殿を造ることを云とて。先柱を云は。底津石根《ソコツイハネ》に宮柱布刀斯理《ミヤバシラフトシリ》など古の常なり。大殿祭祝詞に天皇の御殿造(リ)奉ることを云るにも。奥山乃大峽小峽爾立留木乎《オクヤマノオホカヒヲカヒニタテルキヲ》云々。伐採※[氏/一]《キリトリテ》云々。齋柱立※[氏/一]《イミハシラタテヽ》。皇御孫命乃|天之御翳《アマノミカゲ》日之御翳|止《ト》造奉仕流瑞之御殿《ツクリツカヘマツルミヅノミアラカ》云々。かく專柱のことを取(リ)わきて云り。且此處は。下に柱を行廻り給ふ大禮を申す段なる故に。初に其を立給ふことを。先云(ヒ)おけるなりとあり。さて化作は化竪と。共に記に見立とあると同じく。訓來れるは然る事にて。記傳に見立は見は見送るなど云見にて。俗言にも兒を見育つ先途を見屆くなど云。これらの見は。たゞに眼して視るのみを云にはあらず。其事を身に受て。己か任として知行ふを云り。されば此も此御柱を立。殿を造ることに。御親與り所知看義なり。則所知看などの看も。此見と同。とあるが如し。重胤云見立は。訓を主と爲るを。此化作化竪。共に義を以て記されたる。其は彼物を變て。此物に化す由なるが。此の化2竪天柱1は。天瓊矛を突立。天(ノ)柱と化竪玉へるに依て其義當れるを。此八尋殿は何物を變てか。殿作とは化玉ひけん。其物實は知られぬを以。熟思ふに。神の靈異に依て。木石を用ゐずして。木石を以造れる如き。八尋殿は化作玉へるに因て。此にも化作字は被用たるものなり。【武郷云。下卷に於2秀起浪穗上1起2八尋殿1云々と。あるもこゝと周趣なり。前野包廣曰神の御身は元來化出化去自在に坐ますのみならず。其御身を異物に化し。又其御魂をも別神別物に化したまふこと自在なり。因て按へば天御柱及八尋殿を化竪化作と書れたるは。私記に天沼矛を化爲2小山1也とみえたる類なりかし。と云れたるはさることなり】其は二(126)神の當昔に。衣食住の事傭はれりといへども。甚々奇異しき所由有て。自然に足ひ整はりて有しなり。其は此に化2作八尋殿1化1竪天柱1とあるは御住處の調るなり。此時國土には唯※[石+殷]馭廬島ありて。其も今漸く泥沙の凝成れる計にて。山野草木のあらざりける程なるに。神威に依て御殿作の事は成就ひ。又御食物の事は。四神出生章第六一書に。飢時生兒。號2倉稻魂《ウカノミタマノ》命1と見え。次に伊弉※[冉の異体字]尊吾已|※[歹+食]泉之竈《ヨモツヘグヒシツ》とあれば。保食神云々の事より以前に。已に其喰ふべきもの有て。聞看し趣なり。御衣服のことは。同章祓處條に。御帶御衣御褌の事有。然れば後に人事を勞して。衣食住を經營むが如きには非ずて。其三物共に成足へりし事知られたり。况て天神の天地を預鎔造《アソビツク》らせる御|靈威《タマノフユ》を。戴持せる者を。如何なる事かは出來成ざらむ。【古語拾遺。天石窟段に。令2手置帆負彦狹却二神1云々。造2瑞殿1とある。此時より始て。現世の如く。屋作の事は始れるなり。】と云れたるはさることなり。さて八尋殿を竪給ふは。女男共に住て合《みあひ》し給はむ料はさるものにて。其宮にましまして。萬の物をも事をも成し治め給はむため。天柱を竪給ふは。此を往廻りて。事始給はむ料なり。さて其柱は。八尋殿の柱なるを。殿を先にいひて。又云々と柱を後に云るは。如何なるやうなれど。此は殿をも柱をも。化作給ふといへるにて。更(ニ)前後の差別ある事には非ず。さて平田翁云。此殿は何樣に化作給へりと云こと。今知べからぬ事の如くなれど。後に神宮を造るにまづ心御柱と申すを立て四方に造るは。神世の宮作りの状を。傳へたる擧《ワザ》と聞ゆれば。彼天之御柱を中央《モナカ》に取(ラ)して。八尋|四方《ヨケタ》に化竪《ミタテ》給ひけむこと。次に其御柱を行廻り玉ふことのあるにて。想像られたりと云れたり。さる言なり。
 
(127)陽神問(ヒテ)2陰神1曰。汝《イマシガ》身(ニ)有(ル)2何成《ナニノナレルトコロカ》1耶。對(テ)曰(ク)。吾身具成而《アガミニナリナリテ》有(リ)d稱《イフ》2陰元《メノハジメ・メノモト》(ト)1者|一處《ヒトトコロ》u。陽《ヲ》神(ノ)曰。吾身(ニ)亦(タ)具成而有d稱2陽《ヲノ》元《ハジメ。モト》(ト)者一處u。思d欲《オモフト》以(テ)2吾身(ノ)陽元《ヲノハジメノトコロヲ》1合《アハセント》c汝身(ノ)陰元《メノハジメノトコロニ》u。云(テ)v爾《シカ》。即(チ)將(ニ・シテ)v巡《メグラムト》2天(ノ)柱(ヲ)1。約束《チギリテ》曰(ク)。妹《イロト・イモ》(ハ)自v右|巡《メグレ》。吾(ハ)當《マサニ・ム》2左(ヨリ)巡(ラ)1。既(ニシテ)而|分巡《ワカレムグリテ》相遇《アヒタマヒヌ》。陰神乃先(ヅ)唱(テ)曰(ク)。妍哉《アナニエヤ》可愛少男歟《エヲトコヲ》。陽神後(ニ)和《コタヘテ》之曰。妍哉《アナニエヤ》可愛少女歟《エヲトメヲ》。
 
 
具成。字の如し。記傳云。初|生初《ウミソメ》しより。漸々に成て成畢れるを云なり。戀々而。行行而。などの格の言なり。○陰元陽元。此は記と同じ傳なれば。彼記に吾身者成々不2成合1處一處在。とあるが如くありけんを。正書の状に合て。文を換られたるものなるべし。○汝身陰元。本に身(ノ)下之(ノ)字あるを。丹鶴本に旡に依る。○約束。記傳云。知岐流は行さきを懸て。云々せむと。互に云(ヒ)固むるなりと云り。○妹。本にイロトと訓めれど此はイモと訓べし。記傳云。伊毛とは古(ヘ)夫婦にまれ兄弟にまれ。他人どちにまれ。男と女と雙ふ時に。其女を指て云稱なりと云り。【なほ古く妹と云る例を委く出されたり。本書に就て見るべし。さるを雄略紀に稱v妻(ヲ)爲v妹(ト)蓋古之俗乎。と云は甚しき非也。决(ク)後人の※[手偏+讒の旁]入なり削り去るべし。】こゝも伊弉諾尊の伊弉※[冉の異体字]尊に詔給ふ御言なれば。女神を指て妹と告給ふなり。【さて平田翁云。妹字は。常に姉妹といひて。專と女弟の事に用ゐれども。其は末のことなり。本は彼易の雷澤歸妹などの義を思ふに。少女の嫁せむとする意なり。此等に依て古く伊毛と云に。妹字を用られたるものなるべしと云り。】○妹自v右巡云々。(128)本に左右字を換(ヘ)さまに誤たり。丹鶴本に因て正せり。さるは記にも。始約束給ふところに。汝者自v右廻逢。我者自v左廻逢。とあるにて明らけし。【平田翁は。今の板本に。妹自v左巡とあるをとりて。はじめには御柱巡の左右とも。理に背ひて巡り玉ひしかど。後の度に改めて正しく巡り直し玉へるなりと。云れしは非事也。改め直し玉へるは御言擧の前後にこそありけれ。故伊弉諾尊の御言にも。理當2先唱1。如何婦人反先v言とあり。一書又記の趣も。天神の詔と。伊弉諾尊の御言とのたがひこそあれ全おなじことなり。】○妍哉云々。山蔭云。此御詞。本書の※[喜/心]哉も。下の一書の美哉も。こゝの妍哉も。皆古言は一つなるを。字をいろいろに換て書れたるなり。さればいづれをも同じく。こゝの訓註の如く訓べきなり。それにとりて。又訓注は本書にあるべきこと上に云るが如し。又本書(ノ)焉字。此の歟(ノ)字。これ又同じ事なり。下の一書には。此助字なきも又同じ。すべて同(シ)古言を。かくいろいろに。文を替られたるは。此紀の常なりとあり。【又記傳に。本書には遇(ノ)字あれど。其は凡ての御言の意を得て。加へられたるものなり。决て訓べからず。此一書又次の一書にも。此字なきを以て知べし。焉(ノ)字歟(ノ)字は。末の袁に當れり。歟は字書に語末之辭とも。語之餘也ともありと云へり。】
 
遂(ニ)爲夫婦《ミトノマグハヒシテ》。先(ヅ)生(ム)2蛭兒《ヒルコヲ》1。便載(テ)2葦船《アシブネニ》1而|流之《ハナチヤリキ》。次(ニ)生(ム)2淡洲《アハノシマヲ》1。此(レ)亦(タ)不2以充《イレズ》兒數《ミコノカズニ》1。
 
 
遂爲夫婦。本書に陽神不v悦曰。吾是男子理當2先唱1。如何婦人反先v言乎。事既|不祥《サガナシ》。宜2以改旋1云々。記云各言竟之後。告2其妹1曰。女人先v言不v良。雖v然久美度邇《クミドニ》興而云々とあり。然るを。此一書の傳にては。記傳にも云れし如く。唱和の女男の理に違へることにすら。御心つかざりし趣なり。若(シ)自(ラ)是をさとり給ふとならば。記の文の如く。雖v然久美度邇云々。などあるべきが如くおもはるれど○なほ此は本書にゆづりて省かれたるものとみえたり。○蛭兒は。記傳云。上代に蛭に似たる兒を云し稱也。(129)【子を濁りてよむべし。】此御子の名と心得るは非なりとあり。蛭。和名抄本草云。水蛭子和名比流とあり。【契沖云。蟲なれば名(ケ)たるか】さてしか名けたる義は。初生(レ)玉ひしより蛭の如く。骨なく弱くて萎々とありしよしの名と通えたり。故一書に。雖2已三歳1脚不v立。とあるも此にて。二神の不v良と惡みたまへる。即是よしなりなほこの事は。下の一書にも云り。此蛭兒の生坐ること。本書の傳は此とは異にして。日神月神の生坐る次にありて。遙に後なり。其方ぞ正しかるべき。なほよく考べし。【蛭兒を祭れる社は。攝津國武庫郡西宮神社なり。(西宮|夷《エビス》と稱)吉井良秀云祭神は。蛭子神。天照大神。須佐之男神三坐にて。主神は蛭子神に坐す。此地に鎭坐しゝは。何時の代の頃なりけん。更に知に由なし。式に大國主西(ノ)神社と載たるは此社なり。然るに神社啓蒙二十二社注疏當には。主神は蛭子神。相殿大己貴神。事八十神とせり。社中の記録にもかく記したるもありて。紛らはしきやうなれども。合殿の神の事を書きたる記録中(天和四年のもの)には。なほ主神を蛭兒大神とし。合殿を天照大神須佐之男大神とせり。と云り】○葦船。記傳に葦を多く集めて。からみ作りたるにてもあるべし。彼|無間堅間《マナシカツマ》之小船など思ひ合すべしとあり。或説に。今も伊豆の小島。陸奥の海濱。東蝦夷などにては。葦船とて蘆荻の類の水草を。小船の形に編結て兒童の弄びとせり。底は水に漬りて。覆ることなしと云り。次の本書には生2蛭兒1云々。故載2之天|磐※[木+豫]樟船《イハクスブネニ》1。而順v凰放棄。また一書に生2鳥《トリ》磐※[木+豫]樟船(ヲ)1。輙以2此船1載2蛭兒1。順v流放棄とあり。和名抄に舟船和名布禰とあり。さて此御子をかく流去給へるは。蛭兒なる故に惡ましてなり。○淡洲は。名の同じきもの諸國にもあれど。龜相記に。生2淡島1の下に。今在2阿波國以東海中1。無v有2人居1。不v入2子列1。とあれば。これ今友島の離島にて。神島と云島也。紀伊國に屬けり。重胤云。古事記高津宮段大御歌に。阿波志摩《アハシマ》。淤能碁呂志摩《オノゴロシマ》。阿遲摩佐能志麻母美由《アヂマサノシマモミユ》。と詠せ玉へる是なり。式名草郡加太神社と云る。今|海(130)部《アマノ》郡加太村に在り。俗に淡島明神と申すを。社傳に祭神少彦名命にして。元|友《トモノ》島に坐しを。加太村に移祭れり。偖其友(ノ)縞の古名淡島と云りと云る。【武郷云。續風土記を按に。今友(ノ)島(又沖島とも)の西方。島を離れて小島一あり。これを神島といふ。周廻四町半。土人小島出といふ。神島の上劔池あり。少彦名命元神島に鎭(リ)坐り。呼て淡島明神と云。此島に坐すを以て也。淡島明神加太浦に遷り坐し後も。土人神島と呼て。此島を尊べり。とあり。これ友島の内なるべし。】是正説にて。萬葉三。武庫浦乎《ムコノウラヲ》。榜轉小舟《コギタムヲブネ》。粟島矣《アハシマヲ》。背爾見乍《ソガヒニミツヽ》。乏小舟《トモシキヲブネ》とあるは。攝津國武庫(ノ)浦を前に爲せば。淡路島と紀伊の間なる粟島になりて。地理よく合り。又七。粟島爾《アハシマニ》。許枳將渡等《コギワタラムト》。思鞆《オモヘドモ》。赤石門浪《アカシノトナミ》。未佐和來《イマダサワゲリ》。とあるも此淡島なり。其は何を以知ぞと云に。此歌の次に背《セノ》山。又紀(ノ)川。又|名草《ナグサ》山などを詠て。共に紀伊國の地名なればなり。【貝原篤信が諸州巡に。紀伊國加多と。淡島とは民家續けり。淡島大明神の社あり。此社は少名彦名命也と云れば。加太村の同じ地ながら。其社のある邊を淡島虚とも後には云しなり。】と云り。さて記傳云。此島は今吾所生之子不v良と詔へるを以思に。源氏物語箒木卷に。爪彈《ツマハジキ》をして云む方なしと。式部を阿波米惡《アハメニクミ》みて。少し宜しからむことを申せど責賜と云々。此阿波米惡みを。河海抄に淡(メ)惡(ム)と釋れたる其意にて。御親(ノ)神の淡め惡み賜ひし故に。淡島とは名付しなるべしと云り。さてしか阿波米惡み給へるよしは詳ならず。【字鏡集に。淡アハシ。アハタス。と馴り】○不充兒數。記傳云。かの水蛭子は。流去給ひつれば。本より御子の數に入(ラ)ざること知られたり。故淡島を是亦と云り。是等を御子の數に入ぬは。不良とて淡(メ)惡み給へる故也と云り。
 
故(レ)還復《カヘリテ》上2詣《ノボリマヰデヽ》於天(ニ)1具《ツブサニ》奏(シタマフ)2其|状《アリサマヲ》1。
 
(131)還復上詣。記には於是二柱議云。今吾所v生之子不良。猶宜v白2天神之御所(ニ)1。即共參上(テ)請2天神之命1。と云文あり。其は引續きて直にと云意なるを。此は上文を受云所なるが故に。云々とは云り。還復上2詣於天1は。此始に御天降の御發途の御事を。慥に云れざれども。降2居彼島(ニ)1とある。其即天より降坐し證也。此文に引合せて。其然る由をば知べきものなり。上詣は。記に參上とあり。記傳云。凡て參を古は麻韋と云り。參入を麻韋琉《マヰル》。參出を麻韋傳《マヰデ》。參來を麻韋久と云類なり。【此麻衣を。後には多くは麻宇といへり】とあり。○具奏其状。記には請2天神之命1とあり。記傳云。上件の状を云々と。天神に白給ひて。是如何なる故ぞ。なほ如何し侍むと伺ひて。其詔給ふ命を請玉ふなりと云り。具とは。平田翁云。御柱を廻り給ひしより。水蛭子淡島を生給ひし状までを。一々に奏し給へるを云。其は師説の如く都夫佐の都夫は。都婆良の都婆と一にて。粒々と圓く放れたる物の状を云より。出たる語と聞ゆればなり。【其は沫に都夫立と云ひ。圓を都夫良と訓を以て知べし。】と云り。
 
 
時(ニ)天神|以《モテ》2太占《フトマニ》1而|卜合《ウラナヒテ・ウレヘテ》之。乃(チ)教(ヘテ)曰(ク)。婦人《タヲヤメ・ヲミナ》之《ノ》辭其(レ)已(ニ)先揚乎《マヅアゲタレバカモ》。宜(ク)2更(ニ)還去《カヘリクル》1。
 
 
時天神云云。此時二神は顯身。天神は元より隱身に坐々せば。いかにしてかく教玉ひしぞと云に。祝詞などに。皇親神漏岐神漏美命以云々とあるに同じく。天神の顯身と現れ坐て。神議らせ玉ひしなり。○太占は卜事の名なり。太は稱辭。占《マニ》は信友(ノ)説に。任の義にて。麻々と云に同ければ。萬葉の歌どもに。(132)麻邇麻とある麻邇と同言なり。【釋紀に麻邇者麻々也と既く云り。また萬集に麻邇麻とある。下なる麻は。逢ずまに懲ずまになど云ふ下のにと同格なり】さて麻邇といふ言の本は。麻の一言に。任(ノ)字の義あり。そは任《マ》く任け任かすなど。活用し云にて曉るべし。麻々とは。その麻を疊たるならむ。【また麻邇麻の邇の省かりたるにも有べ。】また麻邇を麻知とも言ひて。此も同言也。邇と知と同韻の音なれば。然云るなるべし。【また麻は上に云へる如く。任の一言にて。其に知と云ことを。添たる言にても有べし】其は卜事を掌れる神の名を。久慈眞智神といひ。また釋紀に。太占讀2太町(ト)1ともあればなり。【神代紀の本。占の舊訓に。フトマチとあるは。古言の遺れるか。この釋紀に據たるなるか。】なほいはゞ。神名式遠江國佐野郡に已等乃麻知神社とあるを。文徳紀嘉祥三年の下に遠江國|任事《コトノマゝノ》神と書れたるは。任v事と云義に書るなるを以て。麻邇麻知麻々同言なることを思定べし。抑世(ノ)間の事状は。すべて神の御心に依て行はるゝ故に。其神々の御心を問ひて。其御心の任に行ふ事なるが故に。此事の名を太麻邇とは稱なり。太としも美稱ふ由は。神の御心の滿足ひ大なる義にて稱(ヘ)たるにて。其は萬葉に眞木柱|太《フトキ》心などある太の意也。汎に美稱る言とのみ思ふは精からず。麻邇てふ言に合せて心得べしと云り。【さて記傳云。書紀に占の字は唯其事に當て書給へる物にて。正しく麻邇は占也と云にはあらず。凡て書紀の文字は語に中らねど。意を得て書るが多きなり。又から文にては卜と占と別なれど。此方には通し用ゐて別なし。然るに字に就て。差別を云説は甚ひがごとなりとあり。】さて此太占は。天神高皇産靈尊の成し玉へるにて。其に天御中主尊の御心の卜合ひて。彰はし示したまへる事。次に云が如し。また此時の太占は。何樣の御卜なりけん。傳なくて知べきよしなし。それを釋紀大問云。此卜(ハ)龜卜歟。先師説云。此時(ノ)卜者鹿卜也。龜卜者。皇孫天降之時。太詔戸《フトノリトノ》命云々。出來者也。など云るは。押はかり言にて取るに足らず。○卜合。本にウラフと訓れど。次の卜定をウ(133)ラヘテと訓れば。こゝをも然訓べし。記傳云。萬葉十四に。武藏野爾|宇良敝可多也伎《ウラヘカタヤキ》とあり。宇良閇は宇良を爲《ス》るを云ふ。此格は從《シタガ》へて。違へて。集《ツド》へてと云ふ類多し。記傳に令v合をアヘト云と云る説はたがへり。なほこれは自ら其わざを爲すに云るなり。さて又卜合を宇良奈比※[氏/一]とも訓べし。此も一(ツ)の活し格也。萬葉十一に。玉桙路往占|占相《ウラナヘバ》云々。此は賂をするをまひなふ。商をするをあきなふ。荷をになふと云類にて。卜を爲を云なり。【此も記傳に云れたり。】さて。字良といふ言義は。信友云。宇良は裏にて。表に見はれぬ心を云ふなり【漢籍に心裏又裏とのみ云ることも有心ばへは自《オ》ら似たり】萬葉の歌に。宇良泣。宇良待。宇良戀しなど。猶宇良云々と云る言の多かる。宇良の意を思ひ合せて。卜はもと心裏より出たる言なるを曉るべし。【また大江匡房卿の歌に。香山のはゝかゞ下に宇良とけて。肩ぬく鹿の妻戀なせそ。と詠れし。宇良とけても。心解てにて。その心裏てふ言に。卜をかけてよまれしなり】と云る如く。心裡《ウラ》を問ふ事なる故に。其を即て其事の名に轉じて宇良といひ。【此事をまさに宇良と云しは。萬葉十四に告らぬ妹が名宇良爾雷出にけり。二に大津皇子の歌に。津守が占に告らむとは云々。此外にも猶あり。】又其事を擬《マガナ》ふことに。活かし言(フ)なり。さて宇良閇とは。太麻邇の事を行ひて。神の御心を問ひ求るよしなり。其は記の垂仁(ノ)段に。於2大兆《フトマニ》1卜相《ウラヘ》而。求2何神之心1。とあるにて悟るべし。さて。記傳云。抑異神の卜問《ウラトフ》は。天神の御教を受給ふべければ謂れたるを。今此天神の卜《ウラ》へ給ふは。何神の御教を受給ふぞと疑ふ人も有なめど。其は漢籍意にて。古の意ばへに違へり。是を彼《カ》に此《カク》にいはゞ。神代の事は皆から疑はしきことのみならむ。凡て此等の事。人の測知べきならねば。中々なるさかしら心をもたらで。たゞ古の傳のまゝに見べきなり。と云れたれども。此は天神高皇産靈尊。此時顯身と現れ坐(134)て。二神の奏状を聞食玉ひながらも。猶御親自の御心とは答かねさせ玉ふか。天御中主尊の大御心を。太占を以て占問ひ玉へるなり。さて天御中主尊は。隱身に坐々す事云まくも更なり。【記傳云。中古よりは萬事漢樣になれるから。卜はたゞ神事にのみ用(ヰ)る事になれゝど。上代には萬の政にも。己がさかしらを用(ヰ)ず。定めがたき事をば皆卜へて。神の御教を受て行ひ給ひしこと。記紀其外にも多く見えたり。今天神すら如此くなるをやと云れたり。】さて記には。布斗麻邇爾【上】と上(ル)聲を附たり。下の爾は辭なり。○教は。本にアチハイテと訓るはいかゞなり。和名抄に乎之閇とあり。袁之布と活く言なり。其は愛育《ヲシハグヽ》むより出たる言にはあらざるか。と平田翁云り。婦人之辭云々。記云。爾天神之命以。布斗麻邇爾卜相而詔。因2女先(シニ)1v言而不良。亦還降(テ)改言(ヘ)とあり。重胤云。此にては太占に見はるゝ兆を見行して。婦人の辭を先に揚たるかと疑玉へるにて。具奏2其状1とあればは。辭先立る事の惡しきは。素より所知食す事なるを。乎字は如何なる書樣なり。【乎字は論語の朱注に。乎疑未v決之辭。とある意なれば。こゝに叶はざる者也。】然れば。古事記に。因2女先1v言而不v良。と詔へる意味を以曉り明らむべし。此を以て其已揚乎を。其|已爾先立※[氏/一]《スデニサキダチテ》。揚《アゲ》多留加毛と訓べし。然らざれば。宜2更還去1と有へ續かざる故なり。【記傳に訓を。ヲミナノコトサキダツベシヤと有りて甚々美たくはあれども。以離れたる心ちす。】と云れたり。なほ考べし。さて記の趣は。天神之命以而とあれば。他神に令せて卜相しめ給へるといふ説なるを。此紀の傳は。天神の御親(ラ)。卜相たまふといふ趣なり。
 
 
乃(チ)卜2足《ウラヘテ》時日《トキヒヲ》1而|降之《アマクダリマス》。故(レ)二(ノ)神改(テ)復(タ)巡(リタマフ)v柱(ヲ)。陽神《ヲカミハ》自(シ)v左。陰《メ》神(ハ)自(リシテ)v右。既遇之《スデニアヒタマフ》時(ニ)。陽神先(ヅ)唱(ヘテ)曰(ハク)。妍哉可愛少女歟《アナニエヤエヲトメヲ》。陰神後(ニ)和《コタヘテ》之曰(ク)。妍哉可|愛少男歟《エヲトコヲ》。
 
 
(135)卜定時日。通證云。今按。昏禮擇2吉日良辰(ヲ)1之緑也とあり。昏禮のみならず。神祭など殊に吉日良辰を擇びしことは。太古よりの風俗なり。【今(ノ)世何事を爲すにも。必日辰を擇ひてものするは。皆上古のならはしの轉り來しものなり。】其は大甞會の時に宣る。中臣の天(ツ)神壽詞に。十一月《シモツキノ》中都卯日爾云々。月(ノ)内仁|日時遠《ヒトキヲ》撰(ミ)定弖云々。【此文に因て。時日もヒトキ〔三字右○〕と訓べし。】また出雲國造が神賀詞にも。八十日日波在止毛《ヤソカヒハアレドモ》。今日能生日能足日邇云々。と見えたる。みな古(ヘ)日時を擇みし證なり。何れも後(ノ)事にはあらず。【時日に吉凶あるは。いかなるよしとも。凡人の料りしるべきにあらず。さるを日時を擇むは。後(ノ)世暦といふもの出來て。後の事を思ふは上古にくらきなり。さてこゝに時日の事見えたるに附て。古來種々に古傳を疑ふ説あり。そはまづ世に時日のある事は。晝夜の明闇の差別あるが故也。晝夜のわきあらずば。時日のあるべきよしなし。此時未(ダ)日月主宰の神生坐さず。然らば時日の差別あるべからずと。誰も云めれど。其は此國土の日夜の事をのみ知て。神界に別に日夜ある事をもおもはざるなり。此國士の日夜は。人も我も知る如く。天日の光あるほどを晝とし。光なきを夜とする事なれども。高天原にては。天日の運動によらで。別に日夜の定めあることは。こゝに卜2定時日1とあるを始め。一書に蛭兒の事を。雖2已三歳1とあるも。歳月日時のありし證也。古語拾遺石窟戸段に。穀《カヂ》と麻《アサ》とを植たるに。一夜に生ずとあるなど。必別に日夜あるべきなり。【此石窟戸の段なるは。常闇なれども。日夜の差別あるを思べし】また黄泉國は。もはら天日の光なき國なれども。古書に日夜の差別ある事を往々のせ。海宮にても。日夜ある事此國に同じ。されば日夜は天日の有無による事にはあらで。其域によりて。別に定まれる差別ありし事をおもふべし。さて日夜あらんからには。時日のあらん事はもとよりなり。○(136)陽神先唱曰云々。陰神和之曰云々。重胤云。是行は順次宜しく。美はしく唱和し玉へり。此言靈の幸はふるに因て。二神の珍子と愛くしみ玉ふ。大八洲國を生成し坐るなり。言靈の事は。已にも注せる如く。凡て人は言《コトバ》計り尊く奇しき物は非るなり。先に陰神の御言過ありしは。言靈の幸延《サキハヘ》行べきを戻れるにて。其事の祥はしからざりけるを。此は陽神より陰神へ其言の善く良《サキハ》へしにて。是言靈の幸延るものなり。○陽神自v左云々。記に。更往2廻其(ノ)天之御柱(ヲ)1如v先とあり。先に廻り給ふ時も。男神は左より。女神は右より廻り給へること此と同じ。
 
 
然(シテ)後(ニ)同(クシテ)v宮(ヲ)共(ニ)住《スマヒ》而《テ》生《ウム》v兒《ミコヲ》。號《ナヅク》2大日本豐秋津洲(ト)1。次(ニ)淡路(ノ)洲。次(ニ)伊豫(ノ)二名(ノ)洲。次(ニ)筑紫(ノ)洲。次(ニ)億岐(ノ)三子(ノ)洲。次(ニ)佐渡(ノ)洲。次(ニ)越(ノ)洲。次(ニ)吉備(ノ)子洲。由(テ)v此(ニ)謂(フ)2之大八洲國(ト)1矣。瑞此云2彌圖1。妍哉此云2阿那而惠夜1。可愛此云v哀。太占此云2布刀磨爾1。
 
 
同宮云々。宮は御屋の義。即ち上に云る八尋之殿なり。【宮と云と殿と云との。差異はあるなり。殿とは。久美度一處を云て挾きを。宮と云には。御殿は更なり。御垣も何も備りたるを云なり。其證は。寶劍出現章。於2彼地1建v宮(ヲ)。乃相與※[しんにょう+構の旁]合云々。吾兒(ノ)宮(ノ)首者。即脚摩乳手摩乳也。故賜2號於二神1曰2稻田宮主神1云々。とあるを見べし。右の建v宮と云は。其隱處は更也、又八重垣に至るまでに。備りたるを云なること。その前後の文を見合せて曉るべしと重胤云り。】山蔭云。此は上の遂爲2夫婦1の下にあるべき言なるに。こゝにあるは如何とあり。〇億岐三(137)子洲。本に隱岐とあれど。古寫本には。以下みな億(ノ)字に作れり。【此の事は上に云へり】三子洲は。記傳云。或人此國三島ある故に云といへり。今國圖を考るに。まづ此國四島に分れたる。其中に。東北方に在て大なるを。俗に島後《ドウゴ》と云。その西南方に。【今道五里ばかり離れて】天之島。向《ムカヒ》之島。知夫《チブリ》島とて三なり。此三島を統べて。島前《ドウゼン》と云なり。【島後に比ぶれば何れも小し】三子とはまことに是を以て云なるべし。○右島々の次第。本書には越洲の次に大島ありて。淡路洲なく。紀には。伊伎島津島ありて。越(ノ)洲なし。吉備子洲も。大八洲國の内には入らず。さて此一書の趣。聊の異りはあれど。大方記の傳に同じ。○可愛此云哀。本書の可美の下に此云哀と云る注あるべきを。そこになきはいかゞ。
 
 
〔第二一書〕
一書曰。伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊二神。立《タヽシテ》2于天(ノ)霧之中《サギリニナカニ》1曰。吾《アレ》欲《ムトノタマヒテ》v得《エ》v國。乃以(テ)2天瓊矛(ヲ)1指垂而探之《サシクダシテサグリシカバ》。得《エタマヒキ》2※[石+殷]馭廬島(ヲ)1則|拔《ヌキアゲ》v矛(ヲ)而喜(テ)之曰(ク)。善乎《ヨキカモ》國之|在矣《アリケルコトヤ》。
 
 
天霧。次(ノ)段一書に。我所v生之國唯有2朝霧《アサギリ》1而|薫滿之哉《カヲリミテルカモ》と。伊弉諾尊の詔給ひし如く。古(ヘ)國土も何も未(ダ)なかりし間は。何處も霧塞りて在しを云なり。さて其中に立し給ふとはあれど。異傳にはあらず。【天浮橋のことを略けるまでなり。】さて霧を佐凝理《サギリ》と訓めるは。下に氣噴之狹霧《イブキノサギリ》とある例あり。記傳云。狹《サ》は眞《マ》と同意の言なり。佐牡鹿《サヲシカ》を眞《マ》男鹿とも云るにて知るべし。又|佐夜中《サヨナカ》は眞夜中。佐衣は眞衣と云に同じ。又地名に。佐檜前など云は。眞熊野など云と通ひて聞ゆるを。其眞熊野を御熊野とも云て。眞と御と通へるに。大(138)祓詞に。朝之御霧夕之御霧とあるを以て。狹霧は眞霧なることを知べしと云り。○吾欲得國は。右の本書及第一一書の趣とは異りて。此は天(ノ)霧《サギリ》の薫滿る。其中に包まれて。未(ダ)大地と成べき物の。全體を見玉はざりしかば。其外より心當に。天神の勅任し玉へる國は有むを。其(レ)得玉はんとなり。下に以2天瓊矛(ヲ)1指垂而《サシオロシテ》探之とあるを以知(ル)べし。【本書第一一書は。其物を見其物を知看ての事なれば。此と別也。】○得※[石+殷]馭廬島。重胤云。得は上に吾欲v得v國と。宜へるに依てなるが。素より有し地を得玉ひし如く聞ゆれども。熟見れば。天瓊戈を以探給ひける。即垂落之潮凝結びて島と成たるを得たまへる由にて。私記に探2得※[石+殷]馭廬島1と云る是なり。○善哉國之在矣。神武紀に。妍哉乎《アナニエヤ》國之|獲《ミテツ》矣とあるに似たり。
 
 
〔第三一書〕
一書曰。伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊二神。坐(シテ)2于高天原(ニ)1曰。當《マサニ》有(ラム)v國|耶《カトノタマヒテ》。乃(チ)以2天(ノ)瓊矛(ヲ)1畫2成《カキサグリナス》※[石+殷]馭廬島(ヲ)1。
 
 
伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊。本に尊字を脱せり。今は永享本明應本等に依る。○高天原。この高天原は。大虚空を去る事。既に云り。○當有國。必當に國有べしとなり。天神の仰給へる國は。正にこの浮標へるものゝ中にあるべしと宣ふ也。○畫成。記には鹽許袁呂許袁呂邇畫鳴【鳴は借字成なり】とあり。彼一物の取締らず。散ほへるを御戈を以て攪《カ》き寄あつめて。一統に凝して國と成し固めたまへるなり。此畫成を。口訣に以v矛探v海也と注せれど。纂疏に畫v海而成v島也と云る意なり。
 
 
(139)〔第四一書〕
一書曰。伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊二神相|謂《カタラヒテ》曰(ク)。有v物若(シ)2浮(ベル)膏(ノ)1。其(ノ)中(ニ)蓋有(ラム)v國乎。乃以(テ)2天(ノ)瓊矛(ヲ)1探2成《カキサグリナス》一(ノ)島(ヲ)1。名曰(フ)2※[石+殷]馭廬島(ト)1。
 
 
伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊。此又本に尊(ノ)字を脱せり。今は永享本に依る。○有物若浮膏。記に多陀用弊流國とあり。同じことなり。【其中蓋有國乎とはあれど。まことには如2浮膏(ノ)1物凝締りて即國と成る也。】○蓋は。物を大抵に量りて。然ならむと判る辭也。言義未詳ねど。古歌にあまた見えたる皆其意也。○探成の探は。本書の探之是獲2滄溟1と同じ。成とあるは即獲るなり。
 
 
〔第五一書〕
一書曰。陰神先唱(テ)曰。美哉《アナニエヤ》善《エ》少男(ヲ)。時(ニ)以(テ)2陰神(ノ)先《サキダテルヲ》1v言故(ニ)爲(シテ)2不祥《サガナシト》1。更復改(メ)巡。則陽神先(ヅ)唱曰。美哉菩少女(ヲ)。遂(ニ)將《シテ》2合交《ミアハシセムト》1。而不v知2其|術《ミチヲ》1。時有2鶺鴒《ニハクナブリ》1。飛(ビ)來(テ)搖《タヽク》2其|首尾《カシラヲヽ》1。二(ノ)神|見而《ミソナハシテ》學《ナラヒテ》v之。即(チ)得《エツ》2交道《トツギノミチヲ》1。
 
 
○將合交。本(ノ)訓ミアハセントスとあるは。ミアハシセントスとある。シ(ノ)字の脱たるなり。私記には。美安八世志牟〔三字右○〕止須とあるを。山口栞に引るには。美安波志世牟止須とありこれ正し。【寶劔出現章の私記に。將婚之處。美阿巴只西牟等巳呂乎とあり】御合をミアハシと云るは。用語の體語になれるなり。○鶺鴒。和名抄に。爾波久奈布里《ニハクナブリ》。私紀曰。止豆木乎之閇止里《トツギヲシヘドリ》と見えて。名義抄の訓も此に同じ。又釋紀秘訓に。鶺鴒を爾波久奈布里《ニハクナブリ》とも。(140)止豆木乎之閇止里《トツギヲシヘドリ》とも。止豆木止里《トツギドリ》とも。都々那波世杼里《ツヽナハセドリ》とも。都々麻那婆志良《ツヽマナバシラ》とも。訓べき五説あり。右の都々麻那婆志良は。紀に。麻那波志良と有に等しき名なり。又字鏡に※[渠+鳥]豆々萬奈柱とあるを。名義抄に。※[(災の火が邑)+鳥]※[渠+鳥]を。ニハクナブリと訓るを以て。愈鶺鴒の一名なる事知らる。口訣には。又云稻負鳥と云ひ。仲正集には。庭多々岐と詠り。又和玉篇に。※[即/鳥]にも鶺にも。伊志久那岐《イシクナギ》ともある。久那肢も右に同じ。又伊志多々岐《イシタヽキ》ともあり止豆木止里。都々那波世登理は。丹鶴本の訓も然り。私記には。此に止豆岐|萬奈比《マナビ》止利。又云。止豆岐|乎志閇《ヲシヘ》止利と云二訓あり。一には學と云ひ。一に教と云(ヒ)別たるなり。○學之得交道。學の訓。永正本明應本鎌倉本ともにマナビテとあり。平田翁云。鶺鴒の尾を以て。地を叩く状を見行し所思し附して。其状を學びて。交合の状を知(リ)給へる由なり。止豆木乎之閇止里は。交接教鳥にて。此の故事より負る名と聞えたり。【扶木集寂蓮法師。女郎花おほかる野邊の庭たゝき。さがなきことな人にをしへそ】爾波久奈布里は。庭婚振《ニハクナブリ》にて。夫理は翁夫理。何夫理などいふ類の夫理にて。此鳥の尾を以て庭たゝくが。婚《クナ》ぐ振なる故に負たる名なり。【庭たゝきと云名もこの義なり。】そは一名を石久那岐と云名もあるに。婚を古(ク)久那岐と云しと聞えて。靈異記に婚合。また婚をクナガヒ〔四字右○〕とあり。【加比は伎を延たる言にて。久那岐なり。されば此語は久那岐久那具久那賀流など活く語なり。○武郷云。字鏡集に婚字を。クナグとも。マグとも。トツグとも。ツルブとも訓り。】古事談に。妻をば人に久那賀禮て。と云ことも見えたり。【或人言に。今西國邊の俗言に。淫を行ふ事をクナグムと云と云り。是古言ののこれる也。】又麻那婆斯羅と云名の義は。學柱にて。交合の間をわたせる義ならんか。【柱と云名は間を持(ツ)故の稱なり。】津々麻奈波之羅ともいふ。津々の義は未思得ず。【教(ヘ)子なる竹内經成云く。其は此鳥ツヽンツヽンと鳴く故ならんと云り。然もあらんか。○武郷云。釋紀のツヽナハセドリは。ツヽマナバセドリのマの脱たりしなるべし。さらばこ(141)れも。爲v學鳥の意なるべし。】さて今交合し給ふ時に當りて。不意く此鳥の飛來て。其尾を搖き。二柱の神そを學び給へること。幽き所以ある事なるかも。此は信に偶然の偶然ならざる。天御祖の御心にぞ有けむ。と云れたり。【さて葦牙云。萬の物の始も。皆かくさにぞありけむ。何事も出來て後の心には。さばかりのことは習はずとも知べき如くにおもはるゝものなり。中々にかく淺々しきぞ古傳なると云り。然る説なり。】さて斗都具は。鎭火祭祝詞に。妹※[女+夫]《イモセ》二柱|嫁繼《トツギ》給弖。和名抄に止豆木乎之閇止里。敏達紀に嫁《トツグ》。又女自|適《トツグ》v人などあり。字鏡集名義抄などにも婚をよめり。言義は未思得ず。
 
 
〔第六一書〕
一書曰。二神|合爲夫婦《ミトノマグハヒシテ》。先以(テ)2淡路(ノ)洲1爲v胞(ト)。生2大日本豐秋津洲(ヲ)1。次(ニ)伊豫洲。次(ニ)筑紫(ノ)洲。次(ニ)雙3生億岐(ノ)洲(ト)與(ヲ)2佐度(ノ)洲1。次(ニ)越(ノ)洲。次(ニ)大洲。次(ニ)子洲《コジマ》。
 
 
波路洲爲胞。本に爲胞の上に。淡洲の二字あるは誤なり。諸古寫本ともに。無に從れり。○子洲は吉備子洲なり。さて此一書は。本書と全く同じ。たゞ伊豫二名洲を。伊豫洲ていひ。吉備(ノ)子洲を子洲と云(ヘ)るが。聊かはれるのみなり。
 
 
〔第七一書〕
一書曰。先生(ム)2淡路(ノ)洲(ヲ)1。次(ニ)大日本豐秋津洲。次(ニ)伊豫(ノ)二名(ノ)洲。次(ニ)億岐(ノ)洲。次(ニ)佐度(ノ)洲。次(ニ)筑紫(ノ)洲。次(ニ)壹岐(ノ)洲。次(ニ)對馬(ノ)洲。
 
 
通證云。此書毎(ニ)2一洲1。界以v海(ヲ)。大八洲之稱恐此(ヲ)爲2正説1。と云り。山蔭云。八の洲。本文一書ともみな(142)異あり。いづれも古傳なるべけれど。其勝劣を云むには。第七(ノ)一書。記と同じき。これぞ中に正しかるべき。其故は。かの説は。八の洲の内に。後に國と建られたる洲には非るに入て。かへりて壹岐對馬の人(ラ)ざることいかゞ。總て國と建られたることは。漸《々》後の事なれども。必(ズ)神代の此はじまりの由緒に關かれる事とこそおぼゆれ。と云れたる實に然る説どもなり。【さて第一(ノ)一書に。壹岐對馬なくて。越洲吉備子洲あり。第六一書にも壹岐對馬なくて。越洲大洲子洲あり。大八(ノ)一書には。壹岐對馬なく。吉備(ノ)子洲越洲あり。第九(ノ)一書にも。壹岐對馬なく。淡洲吉備(ノ)子洲大洲あり。此は何れもいかゞなる傳也。
 
 
[第八一書〕
一書曰。以2※[石+殷]馭廬島(ヲ)1爲(シテ)v胞(ト)。生(ム)2淡路(ノ)洲1。次(ニ)大日本豐秋津洲。次(ニ)伊豫(ノ)二名(ノ)洲。次(ニ)筑紫洲。次(ニ)吉備(ノ)子洲。次(ニ)雙(ニ)3生(ム)億岐洲(ト)與(ヲ)2佐度洲1。次(ニ)越(ノ)洲。
 
 
※[石+殷]馭廬島爲胞。とあるは。甚く異なる傳なり。されど此島を八洲の内に入れて。數へしにはあらず。
 
〔第九一書〕
一書曰。以2淡路洲1爲(シテ)v胞。生(ム)2大日本豐秋津洲1。次(ニ)淡(ノ)洲。次(ニ)伊豫(ノ)二名(ノ)洲。次(ニ)億岐(ノ)三子(ノ)洲。次(ニ)佐度洲。次(ニ)筑紫洲。次(ニ)吉備(ノ)子洲。次(ニ)大洲。
 
 
此一書。淡洲の大八洲の數に入れるは。疑はし。永享本には。次淡洲三字なし。さては八洲の數合へり。
 
(143)〔第十一書〕
一書曰。陰神先(ヅ)唱(ヘテ)曰(ク)。妍哉《アナニエヤ》可愛少男(ヲ)乎。便(チ)握《トリテ》2陽神之|手《ミテヲ》1。遂(ニ)爲夫婦《ミトノマグハヒシテ》。生(ム)2淡(ノ)洲(ヲ)1。次(ニ)蛭兒。
 
 
握陽神之手は。重胤云。誘ひ合ふ状なり。便とある其言出し玉ふ即。御手を握《トル》なり。然れば。陽神も妍哉可愛少女乎と和玉ひ乍も。亦握2陰神之手(ヲ)1と云事を。爲玉ひつらめども。旁を省るとは。誰も心着れざりける故に。此にて二神の御手を握て相契らしゝ事は見えず成ぬるものなり。【通證に。陰神握2陽神之手1者。不2啻先v言之過1也云々とあれども。其迄にはあらざるべし。陰神より先に進みて。御手を取賜ひしは。言を先に揚玉へる故ぞ。】○淡洲。本に淡路洲とあるは誤なり。今は明應本。又永和本の傍書に。江家本に路(ノ)字なしと云るに從れり。さて此は女神の方より。誘ひたまひしが。不祥よしにて。先(ヅ)生たまふなりければ。淡路洲ならぬこと决し。上文に先生(ム)2蛭兒(ヲ)1便云々。次生2淡(ノ)洲(ヲ)1あると同じ文意なればなり。
 
 
(145)日本書紀通釋卷之四          飯田武郷 謹撰
 
〔四神出生章〕
次《ツギニ》生《ウム》v海《ワタヲ》。次《ツギニ》生《ウム》v川《カハヲ》。次《ツギニ》生《ウム》v山《ヤマヲ》。
 
此章は。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊の。天神の命を被りたまひて。現に此世界を立たまふ方よりいへる傳なり。さるは此現世界の大君主とますべき。天照大神月讀尊素戔嗚尊三柱の珍子の生坐る事を主と立る傳なるが故に。其幽世に立て知し看す海神を海。川神を川。山神を山とのみ記されたる。次なる句々廼馳。草野姫などにも。神とも命とも書れざる。みなこの三神に避たる文法なりと知べし。海は和多と訓べし。上に云る滄溟《アヲウナバラ》また滄海などとは異なり。重胤云。滄海とは海の大名にて。此を和多と云ときは海の用を云るにて小名なる事。此大地を。都知とも久爾とも云ひ。神字を迦微とも美多麻とも云が如し。皆體用の差別を立たる名なり。【其は此大地など云時は。大名にて。天地と別れし初より。都知と云て。既に其物有を。彼八洲起元章などには。其大地の中にて。又更に國を立玉へる事の有を思ふべし。斯して又都知とも久爾とも。通はし用ること此と全(ク)同じ。】然れば。滄海は大地に對へ云言にて。全體の名なる故に。滄海と云ても大地と云ても。此大地を云稱なり。偖海を和多と云時は。地を久爾と云に對へ云言にて國へ渡徃來ふ用に因れる稱なりと云り。名義。記傳云。帥説に海を和多と云は。渡ると云ことなり。萬葉一卷に。對馬乃|渡々中(146)爾《ワタリワタナカニ》などよめるを思へとありと云り。偖こゝに生v海とはあれど。海《ワタノ》神を生坐るなり。其は記に生2海神名|大綿津見《オホワタツミノ》神(ヲ)1。一書に。生2海神等1號2少童《ワタツミノ》命(ト)1とあり。これらを以て。こゝも御名を略けるものなること知べし。さて私記曰。問古事記之説。自v海以下是生2其神1也。今此紀只云生2海等(ヲ)1其意如何。答。今此只生2海等1。未3必獨生2其神1也。是猶上文生2大八洲1之類也。即依v生2其神(ヲ)1。兼(テ)成2其實(ヲ)1耳。此與2古事記1異也。と云れたるが如く。其主宰たる神を生玉ふに因て。兼て其實の成とゝのへるなり。與2古事記1異也とはあれど。異なるにはあらず。さて此紀には上の大八洲につぎて。次生v海云々とあれど記に、既生v圀竟更生v神。故生神名大事忍男神云々。と記して圀と神との境界を立て。さて大事忍男神より繼々。海神水戸神等を生坐と傳へたり。右の神等必こゝに坐べき故あり。【記傳には其(レ)を誤の傳と見られたるは然らず。】此紀に其神等を省かれたるは。却りて誤なり【今其辨を此に云んとすれど。本文に關からねばはぶけり。古事記に就て云べし。】右の十神は。つぎ/”\に國土の成就《ナリトヽノヒ》行べき事を。しろしめす神にて。海神水戸神もみな其内なり。されば。大八洲に次ては。大事忍男神。石土毘古神。石巣比賣神。大戸日別神。天之吹男神。大屋毘古神。風木津別之忍男神生坐し。【此神等まづ國土の基礎を定め。】さて次に海川の位置を定玉ふべき海神大綿津見神。水戸神速秋津日子神。妹速秋津比賣神生坐り。即此紀には。上の七神を省きて。海神水戸神の御事より。大八洲に繼て此に記したるなり。さてこゝに成坐る海神は。御禊段の海神とは異なり。彼段なるは。海の底《ソコ》中《ナカ》表《ウヘ》【表は表面にて。現に渡る所の海上なり。】を分て知しめす神なり。こゝなるは惣べたる神なるが故に。大と云なり。なほ山神にも大山祇神とて。總たる(147)神坐し。また山の所々を持別て知しめす。種々の山祇神坐と同じことなり○生川。川神を生給ふなり。さて川神は。一書又記にも見えねど。記に生2水戸神名速秋津日子神次妹速秋津比賣神(ヲ)1と見え。一書にも。水門神等號2秋津日命(ト)1とあり。水門は。海に出入る戸口にて。即川なれば。此に川神とあるは水門神なり。さて。水は水(ノ)神|彌都波能倍《ミツハノメノ》神の。掌り坐す事なるを。【此事下の一書に書たり。】こゝに既く川の事の見えたるは。いかにと云に。本より山々の口より。流れ出る水はあれども。川(ノ)神は其地形に隨て水を流し。池澤にそゝぎ入れ。また潮水と分ちて。川水の國士の利用を成べき爲に成り玉へるなり。○生山。山神|大山祇《オホヤマツミノ》神を生給ふなり。記に生2山(ノ)神名火山津見神1。一書に山(ノ)神等號2山祇《ヤマツミ》1とあり。さて此(ノ)神は。山を總持《スベモツ》神なる故に。大と稱へ申せるなり。【第七一書に。斬2軻遇突智1爲2三段1。其一段(ハ)是爲2雷神1。一段(ハ)是爲2大山祇(ノ)神1云々。第八一書には五段に斬て五(ノ)山祇となすと見えたり。記にも八柱(ノ)山津見神成ませるよし見えたり。これらはみな。山を持別て。知ろしめす神等なり、そのよしは一書に云へり。】
 
 
次《ツギニ》生《ウム》2木祖《キノオヤ》句句廼馳《ククノチヲ》1。次《ツギニ》生《ウム》2草祖《クサノオヤ》草野姫《カヤヌヒメヲ》1。【亦名|野槌《ヌヅチ》】
 
木祖草祖もこゝにては。神の御名にて唯に木神草神と申すとは異なり。しか稱奉れる意は。水(ノ)祖《オヤ》土(ノ)祖《オヤ》と申すにひとしく。同じ木草の中にても。其要とある方より。取出て申せる御名也。木草の要は。さまざまあれども。其旨たる用は。人民の家居にある事にて。句々廼馳草野姫と申すもそれなり。水又士も同く。人民の日用につかふ方より云るにて。なべての水土よりいへば。水(ノ)祖土(ノ)祖なればなり。清(148)和紀に貞觀十七年十二月。飛騨國正六位上木(ノ)母《ミオヤノ》國津神(ニ)從五位下。また陽成紀元慶元年閏二月。飛騨國木(ノ)母(ノ)神從五位下。【下は上の誤なるべし】とあるは此神なるべし。○句々廼馳。名義。句々は莖《クキ》にて。其莖は久々紀《クヽキ》の約れるなり。莖木は。記に羽山戸神の御子に。久々紀|若室葛根《ワカムロツナネノ》神。と申がある久々紀に同じく。記傳に。久々は莖にて。草木の立|長《ノブ》る貌。紀は木にて。室に作る木の長く立のびたるを云。と云れたるが如く。萬の樹木はあれども。人の家居を作るには。枝葉のかたへに廣ごらで。上へ眞直《マスグ》に立|長《ノブ》る良材を要とすれば。かの檜杉などの如きを。莖木とは云なるべし。即これ萬木の祖とも云べければ。この方よりたゝへて。木祖とは申せるなり。馳は男の尊稱なり。○草野姫。名義。記傳云。加夜は海宮段に。以2鵜羽1爲2葺草1とありて。訓2葺草1云2加夜1。と註せるぞ本義にて。何にもあれ。屋葺む料の草を云名なり【萬葉の歌ども合せて思ふべし】茅と云一種あるも。屋ふくに主と用る故の名なり。さて野(ノ)神の御名に負(ヒ)給へる故は。野の主とあるものは草にて。草の用は。屋葺ぞ主なりける。故草(ノ)字を即て加夜とも訓り。上代は大御|殿《アラカ》を始て。凡て草以葺つればなりと云り。【重胤云。偖草神は草野姫と申て女神なるに。木神の男神に渡らせ玉ふ事。寔に妙なる處なり。其は木の速々《クヽ》と立伸る状。自然に男陽の氣勢なるを。草の嫩《ナヨ》々として。同く立伸は伸ながらに。其末の垂ひたる状も。亦自然に女陰の形容を成せるは。其祖神のかく男女に坐るに。因る事なりと云り。】○亦名野槌。本に此四字を大字にせり。今は集解に類聚國史細注。とある【また舊事紀】に依て小字とす。【記中亦名は皆細字の例なり。】○野槌。名義。槌は狹土。迦久土。御雷《ミカヅチ》。足名椎手名椎。などの豆知に同じ。○さて右の木(ノ)神と。豐宇氣姫神。【即ち下の一書に出たる保食神。亦名倉稻魂命の御事なり。此神のことは一書に委く云り。】を合せて屋船命と申せり。大殿祭(ノ)詞に。屋舶久々知神【是木靈也。】屋船豐宇氣姫神。【是稻靈也】とある(149)即(チ)二神の御靈を齋奉れるものにて。屋船命と申せるは。御殿の御魂を都て云る御名にて。この二神にかゝれり。【屋船とは。瑞殿を云古言なり。】故御鎭座傳記に。屋船命等【木(ノ)靈久々能遲命也。稻(ノ)靈豐宇氣姫命也。】と見え。御鎭座本記にも。屋船命草木(ノ)靈とも。和久産巣日神(ノ)子。豐宇可能賣命(ハ)屋船稻(ノ)靈(ノ)神也とも見え。奥儀抄に。保食神(ハ)宅(ノ)神ともみゆ。さて其屋船命草木(ノ)靈。とあるに因て考るに。木(ノ)靈は句何々廼馳(ノ)神に坐し。草(ノ)靈即(チ)豐宇氣姫命に坐(ス)なり。さるは此神旨とは稻穀を生給へる神にませど。餘草をも生し給へるが故也。【稻萱も共に草なれば。云もて行けば同じ理なり。】殿造には。草は木に次てやんごとなき物故に。即て木神と共に此神の草(ノ)靈を祭り給へるものなり。【其は御殿は。木と草とにて造ればなり。】或人問。もしさもあらば。草(ノ)祖草野姫(ノ)神をこそ。木神に次ては祭り給ふべきものなるを。さはあらで。稻靈(ノ)神を祭り給ふはいかに。答。草野姫は。記に山神に次て。生2野(ノ)神名(ハ)鹿屋野《カヤヌ》比賣(ノ)神(ヲ)1と見えて。野神なれば草(ノ)靈にあらず。さらば御名に草野姫と負せ奉りし故はいかにと云に。野は旨と草の生る處なればなり。必しも草《クサノ》靈なるよしには非ず。【按ふに。草(ノ)祖と云方にては草野姫と申し。野神と云方にては野槌と申か。さらば此神は野神にはませども。又屋を葺く草をも兼しろしめして。かく二方に御名の坐しますなるべし。されど記に野神鹿屋野比賣神亦名野椎神と一(ツ)にせられたれば。其差別は無きがごとし。】もし強て野神とあるを。草の靈とせむには。山(ノ)神山祇(ノ)神を木(ノ)神なりと云むが如し。山は旨と木を伐出す處なればなり。されど山(ノ)神は旨と山に係れる御靈(ノ)神なればこそ。外に木(ノ)神は坐しけれ。此(レ)に準らへても。野(ノ)神は旨と野にかゝれる御靈にて。外に草(ノ)御靈豐宇氣姫神坐すことを知べきなり。【上に引る御鎭坐本記に。此神を草靈とあるを思べし。】なほいはゞ。記に大山津見神と。野椎(ノ)神と。山野に因て持別て生神云々。【天之狹土神。次國之狹土神。次天之狹桐神。次國之狹桐神。次天之闇戸神。次地之闇戸神。次大戸惑子神。次大戸惑女神。并て八神なり】とあるも。山(150)野の靈にこそ坐せ。旨と草に關り給ふにはあらぬ由の著明きものをや。山は山。野は野。木は木。草は草にて。各々夫々に別て靈のあるべきよしを。思ひわたして考へみるべきなり。【山と木の神は二神にて。野と草の靈の一つなるべき謂なきをも思べし】されど又通はせて。野神の草をも掌坐す事は。上にも云る如くにて。山(ノ)神材(ノ)木を預り知しめすと等しき理なり。【山(ノ)口祭とて。材木を伐る時には。必山神を祭る。大甞祭儀式に。木草を採る爲に 山(ノ)神を祭らるゝ事あるを思べし。さて又山神と木神とを合せ祭る事もあり。其は大神宮式に凡操d營2神田1※[秋/金]柄(ヲ)u者。毎年二月先祭2山口及木(ノ)下(ヲ)1然後操v之とあり。山口は山神。木下は木神なり。其は臨時祭に。造2遣唐使舶1木靈并山神祭とあるが如く。其地にて物を造る時には。山神と木神とを合せ祭るも常也。】故(レ)石窟段(ノ)一書に。使3山雷者【山神なり】採2五百箇|眞坂樹八十玉籤《マサカキノヤソタマグシヲ》1野槌《ヌヅチヲ》者採2五百箇|野薦《ヌスヽキ》八十玉籤(ヲ)1。また神武紀に。薪(ノ)名(ヲ)爲2嚴山雷《イツヤマツチ》1。草(ノ)名(ヲ)爲2嚴野椎1lどとありて。山野神等に任し玉ふ事あるを思ふぺし。山野の野なれとも。また草木神と力を合せて坐ます御靈なればなり。
 
 
既《スデニシテ》而|伊弉諾尊《イザナギノミコト》伊弉※[冉の異体字]尊《イザナミノミコト》共議曰《トモニハカリテノタマハク》。吾《アレ》已《スデニ》生《ウメリ》2大八洲國及山川草木《オホヤシマグニオヨビヤマカハクサキヲ》1何《イカニゾ》不《ザラメ》v生《ウマ》2天下之王者《アメノシタノキミタルベキカミヲ》1歟《ヤト》。於是《コヽニ》共《トモニ》生《ウミマツリマス》2日神《ヒノカミヲ》1。號《マヲス》2大日※[靈の巫を女に]貴《オホヒルメノムチト》1。【大日※[靈の巫を女に]貴。此云2於保此屡※[口+羊]能武智(ト)1。※[靈の巫を女に]音力丁反。一書云。天照大神《アマテラスオホミカミ》。一書曰。天照|大日※[靈の巫を女に]尊《オホヒルメノミコト》。】
 
 
山川草木。此下に神と云言を附添て心得べし。神皇系圖に。二神於v是隆2居此島1云云。産2生洲國及山川草木神等1【元々集引】とあるにて明らけし。さて山川草木は。上に注る如く神にはあれど。其神を生玉ふに(151)自其物具りてあれば。其物を謂ふに同じ。○天下。止に大八洲國及山川草木と宣ひて。此は其物を一に總括て此大世界を宣ふ所なる故に。天下と宣へるは。次なる日神の所に。授以2天上之事1とも。以2天柱1擧2於天上(ニ)1也。ともあるに對へて。天下とは宣ひ初たりしものなりけり。されど天下と云詞は。古言にはあらじと平田翁は云れけり。さて此詔を以て見れば。始天神の國士修理の詔は。此大世界を立てよと詔へる大命なること知られたり。此世界を立むには。國を生み神を生み坐す事は。申すも更にて。其世界を知食す神を生給ふまでに係れる詔なるをも亦知べき也。○共生。記にも二神共所v生島十四島。神參拾伍神云々とあり。○日神は。天つ日を所知看す義を以稱奉れる一(ツ)の御名なり。【此事下に云】さて日月の成出たるはじめ。ものに見えず。【如2葦牙(ノ)1ものを日のはじめと見たる説は非なり。其よしは既に辨へ云へり。また如2浮膏1ものを。月のはじめと云る説なども推量なり。從ふべからず。】生とは。私記に此云v生者。是生2其主神1也とある如く。天津日を所知看す大神を生奉玉へるなり。重胤云偖日神の生《アレ》坐(シ)し御事。先(ヅ)第六一書又記には。御身滌の末に至りて。清まり竟たる所に生坐る趣なり。此には二神の共に生奉らるゝ由に傳たる。彼此二共に正しと云ふ理有に非れば。何れか其片方は已く誤れる傳なる事。决くなむありける。然れば於是共生2日神1とあるは。二神の共に生成坐る由なるに對へて。瑞珠盟約章なる。日神の御言に。夫父母既任2諸子(ニ)1。各有2其境(ヲ)1とも有て。何方迄も二神の共に生坐る事を貫きたれば。是ぞ實に正説には有べきなる。記にも須佐之男命の御言に。僕者欲v罷2妣《ハヽノ》國|根之堅洲《ネノカタス》國(ニ)1と有て。御祖を慕はせ玉へるも。二神の共に成坐りし御子に坐故に。其黄泉國に。御(152)祖神の往坐し事を可借しみて。戀慕はせ玉へるが故也。古語拾遺にも。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]二神共爲2夫婦1。生2大八洲及山川草木(ヲ)1。次生2日神月神(ヲ)1。最後(ニ)生2素戔嗚尊(ヲ)1云々。父母二神勅曰云々と有て。此書は國史家牒になき異なる傳を載らるゝ主意なるに。其すら正書の傳の外に。取る所なかりし故に。此文を擧られて違ふ所なし。又皇太神宮儀式帳にも。此掛(モ)畏(キ)天照坐(ス)大神。月讀之神二柱。所d稱《マヲス》伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊。共爲2夫婦1合所v生神u。と有て神宮の古傳にも。右の如く有て。記又第六(ノ)一書の如く。左右乃御眼より。日神月神の生坐りとは傳ざりし事炳焉し。太神宮式に。伊邪那岐宮二座。【去2太神宮北1三里】伊弉諾尊一座。伊弉※[冉の異体字]尊一座とありて。其御父母神の別宮に。親しく齋かれさせ御在し坐す所由をも思ひ合すべくなむ。と云れたるは信にさる言どもなり。さて日月神等の。身滌の時に生坐る。と云る傳の非なる捌は。第六一書の下に云べし。〇大日〓貴【類史一本。また信友が校本には貴(ノ)下尊字ありと云り。されど右の本どもの原書おのれいまだ見ざれば。甚疑はし。よりて本のまゝにてあるなり。】御名義。大は尊稱。日《ヒ》を比流と云は。夜《ヨ》を與流と云に同じ。【其流は呂に通ふ辭にて助語。與流を與良とも萬葉によめり】〓は女にて。【説文に。〓(ハ)貴女(ノ)字也と有意を借れる也。】大神の姫神に坐よしを申し。【萬葉二に天照日女之命。と有。】貴は道主《ミチヌシノ》貴。大己貴の牟遲と同く。親み尊ぶよしの美稱以て。稱け奉れるなり。【皇親また睦《ムツマシ》の牟都と同じ。】此御名は。月神と相|並《ナラ》ばして。此大地の晝夜を持分て所知看す義也。さて山蔭云。此御名疑し。神武紀には天照大日〓尊。萬葉集にも天輝日女之命と有て。其外にもみな比流賣命とこそあれ。此御名を牟智と申せしことは。こゝより外に見えたることなしと云れたり。されど此に。訓注まで慥に見えたれば。正しき御名なることは論なし。たゞ前後違へる(153)こと。信にいかゞなり。○天照大神。記傳云。此は天を照と云とは少し異《カハ》りて。たゞ弖流を延て弖良須と云古言の格にて。【立を多々須と云が如し。】天照(ス)は天に坐々て照り給ふ意(ハ)高光と云に同じと云り。さて此紀には御を賂きて大神と書(ケ)ども。記萬葉續紀式祝詞などに。多く大御神と書り。此紀もそれに依て讀奉(ル)べし。山蔭云。此は亦曰とか。亦名とかあるべきことなり。其故は此大御神の御名こゝにこそ大日〓貴と出されたれ。次段よりはいづこもいづこも。天照大神とあれば。これ異説とすべきにはあらざるに。一書云とては。次段と忽違へればなり。と云れたるは然る言なり。【舊事記に。亦云天照大神。亦云大日〓尊。又神代本紀異本と云ものにもこの二(ツ)の一書云を。又云とせり。これら古く此紀にしかありしをとれるにこそ有りけめ。】重胤云。大神と稱奉る事はしも。甚々御尊さの限なく。八百萬千萬神と多き中にても。殊に勝れて高く可畏く大坐々が故なり。他神にも大神と申すも多在れども。殊に大神と稱奉れるは。古語拾遺に。天照大神者惟祖此宗。尊無2與二1。自餘(ノ)諸神者乃子乃臣。熟能敢|抗《アタラム》とあるが如き所由に依る事なり。【佗神にも大神と申す事。御紀の中に多しと雖。其祀祭り玉ふ因に云ふか又は幣帛などを進らるゝに就て崇め申させ玉へるを。始終に貫きて大神と稱奉るは。此大神に限る事なる故に。中古よりの御定めにも。其御靈を齋奉らせ玉ふ伊勢大神の御事を。唯に大神宮と記し習へる事。續紀以下の書共の書し樣悉然り】○天照大日〓尊。天照と冠らせ奉るは。天つ日神と大坐(シ)て。世中を御照し坐ます。全體の大御名なるを。大日〓と申奉る御名に重複《カサネ》て稱奉れるなり。【山蔭に亦云く。神武紀に此(ノ)御名を書れたれば。一書と云ること。前後相違なりと云り。】○〓音力丁反。山蔭云。比類の注は何れも後人のしわざなるべしとあり。【猶能考べし】
 
 
此子光華明彩《コノミコヒカリウルハシクシテ》。照2徹《テリトホラセリ》於|六合《アメツチ》之|内《ウチニ》1。故《カレ》二神喜《フタハシラノカミヨロコビテ》曰。吾息《アガコ》雖《イヘドモ》v多《サハナリト》。未(ダ)v有(ラ)2若此《カク》(154)靈異《クシビニアヤシキ》之|兒《ミコハ》1。不《ズ》v宜《ベカラ》3久留《ヒサシクトヾメマツル》2此國《コノクニヽ》1。自|當《マサニ・ベシトノリタマヒテ》3早《ハヤク》送《オクリマツル》2于天《アメニ》1。而|授《サズケマツリキ》2以|天《アメ》上|之《ノ》事《コトヲ》1。
 
 
光華明彩。大御光の天地の間に。照徹給ふこと。穴畏信に靈異なる大御體と申奉るべし。【さるを儒者者共が大神の明徳を形容りて云るなりなど云る説はきくもうるさし。】○六合とは天地四方を云る漢字なり。【本にクニノウチとよまれたれど。】阿米都知乃宇知とよむべし。○照徹。本の訓によりて。※[氏/一]埋登富良勢理と訓べし。萬葉十一に。天地(ニ)通雖光《トホリテルトモ》とあり。○吾息雖多。島國を始として。山川草木の神等みな。二神の生坐る息なればなり。佐波は萬葉六に國はしも多あれども。里はしも澤にあれども。など常に對へ云て。同状の語なり。されば佐波にも意富にも多字を用たり。【重胤は。同意ながら多は一圓げにして云故に大らかなる所に用るを。澤は聚り合て。一に成れる謂なる故に。意の細かなるに用る事なりと云り。】○靈異。本にクシビニアヤシキと訓り。例は清寧紀に殊所2靈異《クシビニアヤシミタマフ》1と見え。又丹後風土記に。怪(ミ)久志備坐とあり。續紀二十七に。久須之久奇(キ)事乎云々。重胤云二神の御心には。唯其生成し大八洲國。及山川木草を統る主と坐む神をと。思ほし凝して生成坐るが中に。天下をしろしめす計の神には坐々さず。其大御光輝の麗しく坐て。天地の内に照徹らせりければ。如何なる所由に依て。斯る大御子は生坐りけむと所思しけむ。信に然に有りけむ。此を以ても。彼預鎔造《カノソヒツクル》と云義は思出べきなり。然れば。皇大神の靈異に神《アヤ》しく坐る御有状耳には非ず其生坐し事をも。怪しみ奇《ク》しび坐る義を合せて訓べき也。【拾遺に。大宮賣神を。是太玉命(ノ)久志備所生と有るは。生成る方に云るにて。生れたる御子の事にはあらざるを。此は生(レ)坐しゝ御子の奇異なるなり。】○不宜久留此國。天下の主と坐すべき御兒を生《ウマ》むとおもほしゝかども。思のほかに靈(155)異之兒の。生坐りしかば。此國土には相應しからぬ由ありてぞ。留めまつらざりけむ。○自當早送于天。山蔭云。自字は固の誤か。次に例ありと師の云れたるさも有べしとあり。【次の例とは。固當2遠適2之於根國1。とあるをいふ。】重胤云。早は急《スミヤケ》くなり。此を以て見るに。皇大神の生坐る即天に送致し奉らしゝなりと云り。さて今かく天に送るべしと。定め給へるに依て。謹み考るに。はじめ二神(ノ)言に。何不v生2天下之主者1歟と詔ひしは。主と此國士にのみ係るが如くなれど然らず。此は此國土にて語り傳ふるが故に。主と天下の主の事のみを。取出て謂るにて。天上の事には及ばざりしなり。其は天地の初の時も。此紀には天神をば省きて。此國に係れる國常立尊より記し始めしと。其旨同じ。まことには。二神は天上天下海中地下に亘りて。盡く知看(ス)べく。天神よりの事依しはありしものなること决し。もし然らずとせばいかでか。今私に大御神を天に送り奉りて。天上の事をば授け玉ふべきやうのあらむ。唯に本文の上をのみ見て説むとせば。二神また天照大神をも。誣ひ奉るべき説の發らむものぞ。【なほこの事は次々に委く云ふべし。】さて天は本より清明かる國とは知られたり。さるは大神の大御身の甚しく光り徹らせれば。さる清き國に自ら相應《ふさはし》くぞ坐けらし。故(レ)其國の主とは定めたまへるにこそ。○授以天上之事。天上の事は即高天原の政也。萬葉二に。天照(ラス)日女之命。天乎波|所知食登《シロシメスト》。とある是也。記云。此(ノ)時伊邪那岐命大(ク)歎喜(テ)詔(ク)。吾者|生2々《ウミ/\テ》子1而於2生(ノ)終1得2三貴《ミハシラノウヅノ》子1。即其|御頸珠《ミクビタマ》之。王緒母由良邇《タマノヲモユラニ》。取由良迦志而《トリユラガシテ》。賜(テ)2天照大御神1而詔之。汝命者|所v知《シラセト》2高天原1矣。事依《コトヨサシ》而賜也とあり。【記傳云。如此御頸玉を取ゆらかして玉ふは大(ケ)歡喜び坐て有が中にも。此御子を愛く貴く所思看す故の御爲なり。誠に此大御神を生得玉ひしには。然有ら(156)むことうべにざりける。】
 
 
是時天地相去未v遠。故《カレ》以《モテ》2天柱《アマノミハシラヲ》1擧《オクリアゲタマヒキ》2於|天上《アメニ》1也。
 
是時以下八字甚疑はし。依て按るに。小篠敏校本に。小注二行とせり。また東麻呂翁の本。清岡本も同じと云り。かくあまたの本どもに。みな細注なるは。後人の※[手偏+讒の旁]入の本文となれるものなるべし。さるは天地の間古はいと近かりしか。漸々にかく遠く離れたりとの説は。かの釋紀に引る。漢籍三五略記などの説にて。わが古傳にはさらにあることなし。その時に依てあるは近く。あるは遠きも。みな神の御上の事にこそあれ。古へ遠くして。後に近きによれる故にはあるべからず。凡人の心をもて。はかり知らるべき事にはあらずかし。されば此八字は。しばらく訓を闕て。なほ後人の考をまつものなり。○天柱は。かの※[石+殷]馭廬島に化立給ひし。八尋殿の心御柱なり。釋紀私記問答云。天照大御神光華無雙。故以2天之御柱1。爲《シテ》2其|登橋《ノボリバシト》1。即送2之於天1也云々。説者云。彼矛即於2※[石+殷]馭廬島1爲2小山1也。何以2小山1上2於天1乎。此説非也。然則天柱者瓊矛也此矛爲v山。傳v自2彼山1登v天歟。是猶以2天柱1爲其橋1之義也。とあるが如くなるべし。【但し此時未だ山となれるにはあらじ。】さて天(ノ)柱より。天上に昇り玉へる状は。彼少彦名命の粟莖に彈かれて。常世國に波り坐しに。なぞらへて思遣奉るべし。また或説に。雷獣の墮て。空中へ上るに。必樹木などの高きものに據て。上るが如くなるべきよし云る。これまた然るべき譬な(157)りかし。【其は平田翁も云れし如く。神等の磐船に乘て。天降坐しし事(ノ)實を熟考ふるに。みな高(キ)山の頂上なるは。其降(リ)坐すに便よきに依てならんと。思ひ合さるればなり。然れば。此御柱を登(リ)橋としたまへるは。未(ダ)高山の生出《ナリデ》ざる間にぞ有けむ。其は高山のもとより有らむには。登(リ)橋を用(ヰ)給ふべくもあらねばなり】○又一説。天柱は※[石+殷]馭廬島に化立玉ひし。八尋殿の御柱にもあらず。又瓊矛の化れる小山を云にもあらず。此は風神を申すなり。其は風神祭詞に。我御名者|天之御柱乃命《アマノミハシラノミコト》。國之御柱乃命止。御名者悟奉※[氏/一]。とあるを以知べし。かく此神の天御柱國御柱を以負坐るはいかにと云に。風神の御功用は。記傳にも云れたる如く。天と地との間を支《サヽヘ》持ちて。其風氣の往來《カヨ》はざる處なく。其至らざる隈なくして。信に天地の御柱とも稱へ申すべき事也。されば天上に昇るにも。其風氣に乘るにあらざれば。至りがたき由こそありけらし。さて今日(ノ)神を天柱以て送り奉らせ玉へるは。風神を任《ヨサ》して。高天原に送り奉る事を。かくは云傳へたるにて。なほ其例は。天孫降臨章に。天稚彦《アメワカヒコ》の反矢にて亡にし所に。天(ノ)國玉云々。遣(テ)2疾風《ハヤチヲ》1擧《アゲ》v尸(ヲ)致v天(ニ)とあるを。舊事紀には速飃《ハヤツムジノ》神とあり。此は風神の支屬神とは通えたれど。其旨趣は右に同じ。掛卷は畏かれど。日神を送り奉るも。天稚彦を、天に擧たる此時の事も。其功用に至りては。かはる事なきをおもひ遣奉るべし。【漢籍河圖に。風者天地之使也。と云るもよしありげなり。】と云り。此二説何れ善けむ。今思ひ定めがたし。○擧於天上。此神は。此の御依の隨《マニマニ》今|目前《マノアタリ》仰ぎ見る天津日に。御靈を通はし所知看て。四海萬國を見霽《ミハルカ》し坐ますこと申も更なり。
 
 
次《ツギニ》生《ウミマツリマス》2月神《ツキノカミヲ》1。【一書云。月弓《ツクユミノ》尊。月夜見《ツクヨミ》尊。月讀《ツクヨミ》尊
 
(158)月神。此も此神の御名なり。月と云名義未詳ならず。さて月の大虚に懸れる事は。日と同じく。此より前に曰に有しが。月神は其を主宰し玉ふなり。さて月神(ノ)下。天書に生神號2月讀尊1。舊事紀に生2月神1。【號曰2月讀尊1云々】とあり。されど。月神と申すが即一の御名なれば。本のままにてあしからず。記傳に。日に御名有て。月神の御名なきはいかゞと云れたる。然る言のやうなれども。上に云る如く。日神月神と申すを。御名と爲る時は妨なし。舊事紀は。此紀を取れるものなるに。先生2日神1【號曰2大日〓貴1亦云云々】次生2月神1とあれば。古くは日神の方にも。大日〓貴(ノ)御名を擧られざる本も有しなるべし。さるは拾遺にも生2日神月神1と見え。顯宗紀の御託言にも月神著v人曰云々。我(ハ)月神云々。【また日神著v人謂云々ともあり。】とみえたれば。月神と耳も申せりし事决し。式山城國綴喜郡樺井月(ノ)神(ノ)社。丹波國桑田郡小川(ノ)月神社などあり。○月弓尊。弓は借字にて。夜見の轉れるなり。其義は次に云。○月夜見尊。月讀尊。御名(ノ)義夜見の夜も月のことなり。夜の義にあらず。其は萬葉集に月讀之光。また天爾坐|月讀壯士《ツクヨミヲトコ》。また月夜見乃|持有越水《モテルヲチミヅ》。などあればなり。さて其月夜の見ゆる程を夜《ヨ》と云は。日の照せる程を日《ヒ》と云るに同じ。後には比流與流といへるは。【晝夜の名となりて】大虚に懸れる日月とは異なるか如くなれど。其もとはみな同じきこと右に云るが如し。さて見は日に通ひて。【かの産靈などの靈と通ひて】尊稱なり。少童山祇などの美もみな同じ。偖記傳に。月夜は都久用と讀べき古言の例なり。萬葉などにもしかよめればなり。【都伎用とあるをば古言に見あたらず】と云り。さて月夜見月讀。いづれも都久用美なるにつきて。守部(ノ)説に月夜見と月讀とは。言は同(ジ)事なれども。文字かはれば音の(159)上下異なりし故なるべしと云るは。いかがあらむ信がたし。また一書云(ク)とて。此三(ツ)の御名を并書せしは。山蔭にも言れたる如く。例もなく。ことわりもいかゞなり。下二(ツ)の御名の上にも。おの/\一書云とあるべきことなり。【舊事記には二の御名亦云とて載たり】次の素戔嗚尊の下なる一書云も同じ。
 
 
其光彩《ソノヒカリウルハシキコト》亞《ツゲリ》v日(ニ)。可(シト)2以|配《ナラビテ》v日《ヒニ》而|治《シラス》1故《カレ》亦《マタ》送《オクリマツル》之于|天《アメニ》1。
 
 
亞日。天照大神の大御光の。天地之裏(ラ)に照徹り玉ふに亞てなり。さて此段の傳の趣にて。天照大神月讀尊の光り坐ることは灼然きを。此(レ)に就て平田翁の説に。神代の神等は此二神のみならず。御體の光り坐しけるにやと思ふ由あり。其は味※[金+且]高日子根《アヂスキタカヒコネ》神の天稚日子の喪を吊ひて天上に昇(リ)坐し處に。此神の容儀|華艶《ウルハシク》まして二丘《フタヲ》二谷《フタタニ》の間に光映《テリカヾヤカ》せること。其處の文にも歌にも見えたるを。天稚日子の父及妻子などの。天稚日子に見混へたるを思へば。天稚日子も高日子根神と同(ジ)貌に光れりしなり。《然らずは見混ふべくもあらず】又|猿田《サルタ》毘古神の天之八衢に參迎へ玉へる貌を云る處に。上は高天原を光し。下は葦原中國を光したりと有るを思へば。此神も御身の光坐ること炳焉し。又人世となりても。神武卷に記せる井光《ヰヒカ》比賣の故事。また伊勢都《イセツ》比古命の伊勢國を去る時に。海を光して去れる。又允恭天皇の后|衣通《ソトホシ》比賣命などの事を思ふに。人世となりてだに。かくたま/\體の光れるも有しかば。神代の神等の御體の光り坐しけんことは。然もあるへき事也かし。猶言ば御孫命の御天降の事議り爲玉ふ處に。如《ナス》2螢火1光《カヾヤク》神。如2(160)火瓮《ホヘノ》1光《カヾヤク》神。など見えたるは邪神どもの光少きを云るにて。此は正しき神等の光の大なるに對ひて螢なすと云ひ。火瓮なすと云りと聞ゆ。彌益々に。神代の神等の何れも光り坐るならむとは推量らるゝなり。然るに誰神もみな光り坐せる事の見えざるは。然る事實の因のなき故にて。高日子根神※[獣偏+爰]田毘古神の御體の。光坐ることの見えたるなどは。たま/\事實に由有て。傳の遺れるにぞ有ける。と云れたるが如く。神等の御身の何(レ)も光(リ)坐る中に。天照大神の大御光は。太しく。其に亞ぎては。月讀命に坐しかば。此二柱の御光のことのみを。殊更に語(リ)傳(ヘ)たるならむ。【かくて此二神の。日と月とを知看て。夜と晝とを持別給ふ事も。幽き由ある事なるべし。さて。又平田翁云。上に去るは現身の光り坐るなるを。御魂の神の海を照して歸來玉へるが書に見えたるを始めて。其外數ふるに暇あらずと云り】○可以配日云々。かく定め玉ひしにて。月讀尊も天照大神と共に。高天原に坐(シ)坐て。今に配ひ所知看すこと灼然し。即ち今の現に大空の見放る月を掌り玉へり。月の光を月讀之光とも萬葉によめるは。此由也。故(レ)記に詔2月讀命(ニ)1汝命者|所2知《シラセト》夜之《ヨルノ》食|國《クニ》1矣事依賜也とある。夜之食國即月の事なり。さるを第六(ノ)一書に。月讀尊者可3以治2滄海原潮之八百重《アヲウナバラノシホノヤホヘヲ》1也。とあるは異なるが如くなれど。猶同じ傳也。其由はそこに云べし。さて此大神男神に坐す事は疑なけれど。猶云はゞ。萬葉歌に月讀壯士。月人壯子。左佐良榎壯士《サヽラエオヲトコ》。などよめるにて知るべし。さて此大神を祭く御社は。式に諸國に見えたり。○亦送于天。日神に以2天柱(ヲ)1擧2于天上(ニ)1也。と云るに依て亦と云るなり。釋私記に先文以2天柱(ヲ)1爲2登橋1送2日神於天1之由明(シ)矣。送2月神1之時。定用2同橋(ヲ)1歟。製文之法具(シ)v前(ニ)略v後(ヲ)常事也といへり。
 
 
(161)次《ツギニ》生《ウム》2蛭兒《ヒルコヲ》1。雖《ナルマデ》2已(ニ)三歳《ミトセニ》1。脚《アシ》猶《ナホ》不《ズ》v立《タヽ》。故《カレ》載《ノセテ》2之於|天磐※[木+豫]船《アマノイハクスブネニ》1。而|順《マニマニ》v風《カゼノ》放棄《ハナチスツ》。
 
 
次生蛭兒。蛭兒のこゝに生れ玉ふこと。此(レ)正説なるべきよしは。既に上の一書の處に云おけり。○三歳脚猶不立。平田翁云。三歳は唯大略に。三歳ばかりを經たるに。萎々として。脚さへに立ざりしと云るなり。【此ほどは未祭次も定まらざるべければ。こゝに三年とあるは。疑はしと。おもふもあるべけれど。上に卜2定時日(ヲ)1とありて。既に時日の定めさへあれば。年次のありし事も疑ふべきにあらず。古傳のまゝに心得てあるべし】さて記傳云。年をば常に登志と云を。其數を云には。凡て三登世八登世など。登世と云。萬葉五に伊都等世などあり。登志を登世と云は。一年二年など。一《ヒト》二《フタ》の言《コト》合《アハ》さるゝによりて。志を世と轉じいふ例格なりと或人云り。さもあるべし。さて登志と云は。本穀を取收るを云名にて。田實《タシロ》と云ことなり。○天磐※[木+豫]樟船。一書に生2鳥(ノ)磐※[木+豫]樟船《イハクスブネヲ》1。輙以2此船(ヲ)1載2蛭兒1云々。記に次生神(ノ)名鳥之石楠船(ノ)神。亦名謂2天鳥船(ト)1。などあるに據るに。此は伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊の生坐るなり。記に神としも申せるを見れば。船を御體とせる神にぞ坐けむ【され例は伊弉諾尊の御佩せる劍は即神にて天之尾羽張神とも申すに同じ】さて※[木+豫]樟としも號けたるよしは。後に※[木+豫]樟もて船を造ること始りしより。名けしものなるべし。【簸川(ノ)段一書に素戔(ノ)嗚尊の。杉(ト)與2※[木+豫]樟1此兩(ノ)樹者。可3以爲2浮寶(ト)1と宣給ひし事あり。】天鳥船と云へるが本よりの名なりしなるべし。【記には葦船とあり】平田翁云。和名抄に唐韻云。楠(ハ)木名也。【字亦作v※[木+豫]。和名本草久須乃岐。】※[木+豫]樟【日本紀私記訓同上】生而七年始知矣とあり。【※[木+豫]樟の二字は連ねず。一字づゝ放ても。クスノキと訓む字なり。】此は古書に石樟楠《イハクス》も云ひて。歳久きは生(ケ)ながらも石に化る異しき木なれば。奇《クスノ》木の義なるべしと云り。○順風。一書には順v流とあり。風のことは次に云ふ。
 
 
(162)次《ツギニ》生《ウミマツリマス》2素戔嗚尊《スサノヲノミコトヲ》1。【一書云。神素戔嗚《カムスサノヲノ》尊。速《ハヤ》素戔嗚(ノ)尊。】此神《コノカミ》有《アリ》2勇悍《イサミタケクシテ》以|安忍《イフリナルコト》1。且《マタ》常《ツネニ》以《モテ》2哭泣《ナキイサツルヲモテ》1爲《シマス》v行《ワザト》。
 
 
素戔嗚尊。御名義。素戔は進《すヽ》むなり。下卷に始(テ)起(ル)烟(ノ)末《スヱニ》。生出之兒號2火闌降《ホスソリノ》命(ト)1とある。須曾理と須佐理と同じ。其は其處の一書に。※[餡の旁+炎]《ホノホ》初(テ)起(ル)時。共(ニ)生兒(ヲ)號2火|酢芹《スセリノ》命(ト)1。また一書に火炎《ホノホ》盛(ナル)時生兒|火進《ホスヽミノ》命。又曰2火酸芹命1とある。此にて酢芹《スセリ》は進《スヽミ》なる事を曉るべし。斯れは素戔嗚尊と申すは。此神の御心|行《シワザ》に。何事にも勇み進みて。自餘の諸神とは。異に御在し坐りしよしの御名なり。【其御心行の事は次々に出たるを見て知るべし】さて其進みを約めて佐備《サビ》とも云り。後世に物の進み荒きを須佐夫と云るも同じ。【記傳に。師説此神書に勝玉(ヘ)る御心の進める勢に荒び玉ふを勝佐備と云て進み荒ぶる意なりと云れ。諸書に。此大神をしも。惡き神の如く説成せるは。甚しき非なり。きる御名の意にはあらず。重胤云。出雲風土記飯石郡條に。須佐郷神須佐袁命詔。此國者雖2小(キ)國1々處也故吾名者不v著2木石1詔而。即鎭2置己(レ)命之御魂(ヲ)1而。大須佐田小須佐田(ヲ)定給。故云2須佐1。とあるも。素戔嗚尊と申すは。佳(キ)名なる故に。御田を定めて。其にも御名を嫡玉へりし者なり。若惡しき神の意ならむには。他より云むこそはあらめ。己(レ)命の御所爲として。自號けサせ玉ふ可にあらざるを曉るべしと。云れたり。きる説なり。】嗚《ヲ》は事解之男《コトサカノヲ》速玉之男《ハヤタマノヲ》。などの男と同じく稱辭なり。さて一書に神とあるも稱辭。速と云るは記に建速須佐之男命とあると同く。烈《ハゲ》しく猛く迅速《ハヤ》き意の稱なり。【記傳云。書紀に素と作れたるに依て曾と唱(ヘ)奉りて。清少納言(ガ)枕冊子などにも。そさのをとかけるは訛なり。古書何も須と書き。書紀に素字もスとソと二音に用る字なるをや。凡て假字も何も。書紀の文字用に依て。古言をあやまることあまたなりと云はれたり。】さて此に必心得おくべき事あり。さるはまづ。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]二柱神の。何不v生2天下之主者1歟。と宣給ひて。生坐る三(ノ)御子の中に。日神月神は天上を所知食し。素戔嗚尊は地下を治しめす御事に成しかば。天下は無v主國となりしが如くおもはるれど然ら(163)ず。もとより。此三(ノ)珍子の御父母とます。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]二神は。天上天下海中地下の君主と坐べき御子を生まして。其生ませる御子の御身に相應《フサ》はしき域《トコロ》を御座處と定めて封し玉へれど此に差別あり。三(ノ)珍子ともに天地に亘りてほ坐ませども。天照大神は旨と天上天下を知し看し。月讀尊は旨と天上と海中とを知しめし。素戔嗚尊は旨と天下と地下とを治しめすこと定まりて。此はいとも/\奇靈なる理ありて。しか知しめしわけ給ひける事とはなり玉ひけむ。故後に大御神の御言に。夫父呼既任(テ)2諸子1各有2其境(ヲ)1。如何(シテ)棄(テ)2置(テ)當v就之國(ヲ)1。敢窺《ウカヾフ》2※[穴/踰ノ旁]此處1。とあるは即此御事なり。其境とは。其持別玉へる區域《トコロ》につけていひ。當v就之國とあるは。其任坐(ス)處に附て宣ふなり。境といひ國といへる差別をよく味ひて。思ひ奉るべき事なりかし。さてまた上にも云るが如く。三柱の珍御子の生(レ)坐る傳。此本書の趣を正しとすべし。弟六一書又記に。御禊の時に生坐る由あれど。其は叶はぬ事なり。いかにと云に。此後素戔嗚尊御母伊弉※[冉の異体字]尊を慕ひ奉りて。欲v從2母於根國1只爲泣。と詔へることあるは全(ク)眞實《マコト》の御母に坐々てこそは叶べけれ。さらではうちつけに母と申し玉へるさへ如何なるに。【記傳七卷に云る説はうけがたし。私記問答に。如(キ)2一書弁古事記文(ノ)1者。素戔嗚尊非2伊弉※[冉の異体字]尊之所生1。何故欲v從2母於根國1哉。云々。昔伊弉諾伊弉※[冉の異体字]共爲2夫婦1。素戔嗚尊縱非2伊弉※[冉の異体字]之所(ニ)1v生猶爲2伊弉諾之子1。因(テ)2其本初1。假云v欲v從v母耳。其實非v母也是頗難v會文也と云り。】見も知り玉はぬ御母を慕ひ玉ふとて。然ばかり小兒の如く泣いさち坐て。知看べき天下をさへ治給はぬやうやはあるべき。熟事情を考へて。此本書の最貴く眞の傳なることを思ふべし。偖重胤云。此に奇しき事なんある。其は二神の何不v生2天下之主者1歟と御心を凝して生奉玉へる故に。日神は天上しろしめす皇太神に渡(164)らせ玉へども。紀御天降段に。天照大御神之命以。豐葦原之水穗國者。我御子|正勝吾勝々速日天忍穗耳《マサカアカツカチハヤヒアマノオシホミヽノ》命之所v知國(ト)言因賜而天降也。と有て。皇太神の所知召す大御國の如くなるは。二神の生奉玉へる時の。所謂に依る事なり。若て其天忍穗耳(ノ)尊は。素戔嗚尊にも御子に坐す故に。寶劔出現章一書に。素戔嗚尊曰韓郷之島是有2金銀1。若使吾兒(ノ)所v御之國(ニ)。不v有2浮寶1者。未2是佳1也。と有にて知べし。然れども鈴屋大人も云れたるが如く。皇太神は御父の如く。素戔嗚尊は御母の如く坐故に。此にては皇太神の全(ク)御子也。又此時生坐る三女神は。素戔嗚尊は御父の如く。皇太神は御母の如く坐故に。全(ク)は素戔嗚尊の御子なり。斯るに其神大國主神と御夫婦と成て。國士經營の御功を以て。御父素戔嗚尊大神の神業を。受繼玉へるか。天照大神の珍御子皇御孫尊の天降り坐時に。天神の御命以て。皇御孫尊には顯露《アラハニノ》事。大國主神には幽冥事を。令知玉ひて。此天下を令v有玉へるか。何れも日神と素戔嗚尊と。二柱に亘るを以て。此に見えたる二神の御言の。其|幸《サチ》違はざるを知べし。此を以ても。二神の相生坐る御子等に坐事灼し。偖此大神の尊く高き御功績坐る。其委しき事は。寶劔出現章に就て説明らむべきか。日神と御誓の御間に。珍子を生成し玉へれば。皇御孫尊の大御祖神と坐し。又國土繼營の御事業を。大國主神に事依し玉へるか。其大神亦天神の御命を奉て。神(ノ)事を所知玉へれば。此天下國土の事に就ては。顯露(ノ)事幽冥(ノ)事。共に此大神の御子孫にして。所知看す御事なれば。御父母二神の可3以治2天下1也と。勅任し玉へる御旨に少違ふ事なしと云れたる。皆然る説共也。○勇悍以安忍。重胤云。勇は氣進《イスヽム》也悍(165)は猛にて。此尊の神性《カムサガ》の然るなり。安忍。釋(ノ)秘訓に伊夫理那流《イブリナル》と訓り。名義抄に逸字を伊夫利爾《イブリニ》と見ゆ。【武郷云。字鏡集にも。逸イブリニ。又スサビタリ。欺イブラカス。などあり。】此は氣吹《イブク》と云に同じく。正しく言に出て云ずして。氣吹が如き状を爲て憤るを云り。口訣に安忍(ハ)憤也とあり。倭姫命世記に載る伊勢風土記に。惡神|伊不加理《イブカリ》※[氏/一]云々と有る語あるも。憤と云に近きなり。名義抄に。訝字を伊夫加留と訓るを思ふに。其憤る事の。何に依れるとも知られざるを云と聞えたり。【通證に。俗稱2剛愎(ノ)者1爲2伊夫理(ト)1。蚊遣火曰2蚊伊夫志(ト)1火〓而不v能v然曰2伊夫留(ト)1。訝字訓2伊夫加留(ト)1。萬葉鬱悒字訓2伊夫加之(ト)1。訓2伊夫世之(ト)1。俊頼歌。山里は霽セヌキリノイブセサニ。皆同義也。と云るも然る言なり。武榔云。宗祇法師が兒教訓と云ものに。人にはすねていぶりして。】と云り。されど安忍を。憤る意に訓るは叶はず。此は勇悍く憤り坐る御行に因て。人民の殘害はるゝ方より。此尊の御惡行の如く書るなるべし。○哭泣爲行。一書に啼泣恚恨《ナキイサチフツク》。記に泣伊佐知伎とあり。記傳云。神功卷に血|泣《イサチ》。欽明卷に大息《ナゲキ》涕泣《イサツ》などもあり。此(ノ)言此(ノ)外には古書に定かに見えたることなしと云り。爲行は常の所作と成れるを云り。さて記云。速須佐之男命不v知2所命之《ヨサストコロノ》國(ヲ)1而。八拳須《ヤツカヒゲ》至2于|心前《ムナサキ》1。啼伊佐知伎。其泣状者云々。とあると。此に哭泣爲v行とあると合せ考るに。御母伊弉※[冉の異体字]尊の神退玉ひし後の事ならではかなはず。第六一書又記には。御母の國を慕ひて哭給ふとあれば。よく通えたるを。此にはさることなければ。哭玉ふよしなくていかゞ也。又|頓《ヒタブル》ニ小兒の如く然泣哭玉ふとあるに。勇悍《タケク》安忍《イブリニ》坐事さらに由なし。勇悍坐(シ)ます御|性《サガ》に坐(シ)ながら。などさばかり女々しくは哭泣玉へるにか。【古語拾遺には勇悍云々の文なしそれも一(ツ)の傳なり。】一方に就ていはゞ。勇悍云々の文を存して。哭泣云々の文をば省きて見るべし。さて次の國内人民云々は。勇悍の御態に據レるものとすべし。
 
 
(166)故《カレ》令《シメ》2國内人民《クニノウチノヒトクサ》多以《サハニ》夭折《アカラサマニシナ・シナシメ》1。復《マタ》使《ナス》2青山變枯《アヲヤマヲカラヤマニ》1。
 
 
人民。ヒトクサと訓る由は下に云。夭折は明應本にシナシメと訓る宜し。重胤云。夭折は第二一書に國民多死と見え。拾遺に。令2人民夭折1とある。其意を得て説べきなり。釋(ノ)秘訓に。阿加良佐麻爾須止可v讀v之。志那志牟之點不v可説とあるを以考るに。アカラサマニシナシムと訓たるを。御讀に憚る故に今の如くは訓るなるべし。アカラサマと云例は。神武紀|※[修のさんづくりが黒]忽《アカラサマ》之間出2其不意1則破v之。景行紀に。何罪今不意之間|※[修のさんづくりが火]2亡《アカラメサス》我子1など續きたる意を見るに。其不意く忽《タチマチ》なる意也。雄略紀に※[口+眞]《イカリ》猪自2草中1暴《アカラサマニ》出とも。取急《アカラサマニ》歸v家とも。取假《アカラサマニ》歸v國とも見え。又皇極紀に。急(ノ)字を然訓るをも考ふべし。【名義抄に。※[修のさんづくりが黒]字を。タチマチ。又シバシ。又アカラサマ。又スミヤカニ。又シバラク。又トシと訓み。※[修のさんづくりが火]忽をアカラシマニと訓じ。又白地をも。※[斬/足]をも同く訓たり。光仁紀詔に安加良米佐須如v事久と有を。鈴屋大人解に。此は思ひ掛ず。俄なる事なり。中昔の物語書などに。あからさまに罷出など有も。卒爾忽《ニハカニテ》と少か物すること也。偖暫時も目を離たぬ事を。アカラメモセズと云モ。俄に忽と少か。他へ目を移すを。アカラメスと云なり。此にアカラメサスとあるも。爲と云に同じ。目を指すは。物を見遣る事なり。然れば此言は。物を目を着て守居る程。俄に忽と他へ目を移す如くと云こと也とあリ。是にて心絹得べし。】と云り。さてしか國民の多に殘害るゝ故は。素戔嗚尊に本より然る御心は御在し坐(サ)ずながら。其勇悍く憤《イブ》りに坐す御勢ひに壓れて。立處に人民の亡失《ウス》る事も有けりとなり。さるは天下之主者を生《ウマ》むとて。生玉へる神に坐ませば。海山人民共に其御行に因て。善くも惡くも成行べき理ぞ有けらし。かゝる事は人智を以ては料りがたき事也かし。【記傳云。記には人民を害ひ給ふことを云(ハ)ぬは。山海河までを云へば。人民を始め。萬物を障害給ふことは自(ラ)こもれるにやといへり。】○青山變枯。青山は木草の茂りて。青々と見ゆる山を云。枯山は木草の葉の枯凋みて。冬枯の(167)頃の山の如くに成しなり。さて冬姑は春に至れば。また萠出て本の如く葉の繁れるを。今は木草の枯果て。さながら植《タテ》る山となりしなり。【さて枯を迦良といふは。記紀に船(ノ)名枯野を。歌に迦良怒とあり古言なり。】重胤云。第二一書に。國民多死。青山爲v枯。古事記には青山如2枯山1泣枯。河海者悉泣乾。是以惡《アラブル》神之音。如《ナス》2狹蠅1皆|滿《ミチ》。萬物之妖悉(ニ)發(ル)とあるは。殊に委しき者也。龜卜祭文に。青山成v枯。枯山成v青ともあり。又皇極紀に。鞍作得志《クラツクリトクシ》以v虎爲v友云々。或使d枯山變爲2青山1。黄地變爲c白水(ト)uとある。此は幻術なれば。右の例に引べからずと雖も同じ類也。青山を枯山にすとは。今迄青々と茂りたる山を冬枯の如く。成す事なり。記に故科(テ)2曙立《アケタツノ》王(ニ)1令2字氣比白(サ)1云々又在2甜白檮之《アマカシノ》前1葉廣熊白檮《ハビロクマガシヲ》令2宇氣比|枯《カラ》1。亦令2宇氣比|生《イカ》1とありて。活《イカ》許しも枯《カラ》しも爲る如くに。其泣玉ふと共に。青山の枯山と忽に變れるなり。と云り。
 
 
故《カレ》其父母二神《ソノチヽハヽフタハシラノカミ》勅《ミコトノリシタマハク》2素戔嗚尊(ニ)1。汝甚無道《イマシハナハダアヂキナシ》。不《ズ》v可《ベカラ》3以|君2臨《キミタル》宇宙《アメノシタニ》1。固《マコトニ》當《マサニ》遠《トホク》適《イネトノタマヒテ》2之於|根國《ネノクニヽ》1矣。遂《ツヒニ》逐之《ヤラヒタマヒキ》。
 
 
父母二神。本に父母をカゾイロハと訓たれど。古言にあらず。知々波々と訓べし。さて重胤云。予先には此時の御事は。伊弉諾尊一柱にて。物爲させ玉へりし御詔に在を。故其父母二神と有は。誤なるべく思ひて。強ちに心を用ゐざりしかど。よく思へば中々なる麁き事也けり。已に如此事依しの御在し坐ける上にて。此天下を所知看すに御心おはしまさずは。根國に罷(リ)坐べき由を。詔言《ノリゴ》たせ玉ふべき御事(168)にて。其は二柱神共に關係らせ玉ふべき。本より然る理なるものぞかし。然るに其逐れて出生べき。素戔嗚尊は出坐ずして。却りて其御母神の先に已に入坐りしかば。頻りに戀奉らせ玉ふ御心なん。彌勝らせ御坐々ければ。彌此天下を所知看むなどゝは。所思し係させ玉はざりける者也と云れたり。さる言也。○無道。此語は紀中無状無端無頼。また古點文選に無益無爲。また遊仙窟に無情などをすべて。阿遲支那志と訓せたるは。たゞ大方にあてたる訓にて。慥かに適へるは一つもなし。或説に。此阿遲支那志の阿遲は。味に同じく。其味と云言は。此と差定めて※[耳+定]としたる事はなきものから。然もその裏に物ありげなるを云言なり。然るを阿遲波布と活用する時は。其裏にあるものを。※[耳+定]と取止めんとする程の意となるなり。されば俗言にも。物の裏にものありげなるを。あぢのあるなどいひ。又何となく底に物ありげなる心を。あぢな心地がすると云る皆是也。斯て阿遲支の支は。氣《ケ》の轉りたるにて。其氣は氣息。またものゝ氣。異《ケシ》き業などすべて手にも取難く目にも見止《ミトメ》がたくして。怪しきを云言也と云れたるさる言なり。されば。俗の者の奥床しからぬを。熟味《ウマミ》のなきなど云に同じく。尤め玉へる語なり。○不可以君臨宇宙。先に可3以君2臨宇宙1などの語なきに。此文の不意く有べくも非るに似たれど然らず。已に二神の何不v生2天下之主者1歟と宣て。珍(ノ)御子等を生坐れば。故に御依はなくとも。天下知看す大神と定まり坐ることは自ら明らかなり。【第二(ノ)一書なるも然り。汝治2比國1必多v所2殘傷1とあるも。素より此國を治す可き神と爲て生玉ふが故也。偖弟六一書に素戔嗚尊者可3以治2天下1也とあり。】○根國。私記曰根國謂2黄泉《ヨミヂ》1也とあり。記傳云。根とは下つ底に有る故に云。【草木の根もおなじ】底津根之(169)國とも。祝詞に根國底之國ともありと云り。重胤云。其下つ底に在る根は。いかにしてか有らむと思ふに。大地は圓體にして四方上下有る事無きが。地心を底津石根と云て巖石を以て圍み。外表は海水と國土とにして。人民此に因て住し。萬物此に於て生る處なる故に。鎭火祭詞には。此を上津國と云り。されば。地上にある者の上より。根とし底とする所は。其底津石根に在る地心より。外にはあるべからずと云り。【記に根之堅洲國とあり。堅洲は借字にて傍國也。加多須の須は志と通音なり。以て其志は竪を多々志。横を與古志と云る志にて。附云辭なり。さて根國を傍(シ)國と云よしは。地の下つ底邊に偏よれるを以て名けたる也。偖此(ノ)根國即黄泉國を夜之食國と一(ツ)なりとて。月のこととせるは甚しきみだり言なり。猶黄泉(ノ)國の事は次に云り。】○遠適之は。本にイネと訓る行《イ》ね也【重胤云。行字ながら由久と云は歸の對にて。我方を本と爲たる也。伊奴と云は此を去るに云言にて。彼方を主と爲たるなり。此は素戔嗚尊此顯國に歸らせ給ふことを。期らせ玉はざれば。伊奴にて允に當れりと云り。さて適之の之字。此紀又記には。助辭に多く置て用ゐたり。下なる段の一書に。到2之於天上1とある之字も同じ。山陰に論れたるは允當らず】○遂逐之。記に神夜良比爾夜良比賜也。一書に以|神逐路之理路之《カムヤラヒヤラヒキ》とあり。神とは凡て神の御上の事に多く附云詞。夜良布はもと夜流を形容したる言なり。されど用(ヰル)意聊異なるに似て。此に逐と書れたるは其義を取れるなり。
 
 
〔第一一書〕
一書曰。伊弉諾(ノ)尊(ノ)曰(ク)。吾《アレ》欲《ノタマヒテ》v生《ウマムト》2御宙之珍子《アメノシタシラスベキウヅノミコヲ》1。乃以(テ)2左(ノ)手《ミテヲ》1持《トリタマフトキ》2白銅鏡《マスミカヾミヲ》1。則(チ)有《マス》2化出《ナリイヅル》之神1。是(レヲ)謂《マヲス》2大日※[靈の巫を女](ノ)尊(ト)1。右(ノ)手《ミテニ》持《トリタマフトキ》2白銅鏡1。則有(ス)2他出之神1。是(ヲ)謂(ス)2月弓(ノ)尊(ト)1。
 
 
(170)御宙。舊事紀に御寓。纂疏本に御寓宙とあり。字書に寓同v宇とあり○珍子【記に貴子とあり。玉篇に。珍貴也美也重也と注る。】大殿祭詞に。皇我宇都《スメラワガウヅ》の御子とあり。なほ例萬葉六に天皇朕《スメラアガ》宇頭乃御手以云々。又諸祝詞に。宇頭乃幣帛などもあり。○白銅鏡。名義眞澄鏡なり。萬葉集に。眞十見鏡《マソミカヾミ》また清《マソ》鏡。出雲國造神壽(ノ)詞に麻蘇比《マソヒ》鏡などある皆同じ。【後の歌にはますかゞみといへり。】鏡は影見の義なりと云る説さもあるべし。【偖白銅字を用られしは。通證に稱徳紀曰。以2白鐵1所v鑄之鏡。續博物志曰。古無2純銅作v鏡者1皆以v錫雜v之本草曰。白銅出2雲南1と見ゆ。されど此時はさるもの以て。造れる鏡あるべくもあらず。神の御態に自然ら成れる御鏡なるべければ。料の金などかにかくにはかり知べからず。さてはじめて鏡を造りしは。石窟戸の時なり。なほそこに委く云ふ。】○化出之神。重胤云。化生之神とあるなどは。生坐と云に同じて。事は輕き方なるを。化出と云時は出字大に力あり。其鏡を持せる御手より。成出玉へりと云義也。
 
 
又|廻《メグラシテ》v首《ミカシラヲ》顧眄之間《ミルマサカリニ》。則有(ス)2化出《ナリイヅル》之神1。是(ヲ)謂(ス)2素戔嗚(ノ)尊(ト)1。即(チ)大日〓の尊及(ビ)月弓(ノ)尊。並(ビニ)是(レ)質性明麗《ヒトヽナリテリウルハシ》。故(レ)使(ム)v照2臨《テラシノゾマ》天《・アメノ》地《ツチヲ・シタ》1。素戔嗚(ノ)尊(ハ)是|性《ヒトヽナリ》好(ミタマフ)2殘害《ソコナヒヤブルコトヲ》1。故(レ)令(ム)3下《クダシテ》治《シラ》2根(ノ)國(ヲ)1。珍此云2于圖1。顧眄時之間此云2美屡摩沙可利爾1。
 
 
廻首。重胤云。日神月神の化出玉ふ時には。左右の方に正しく向はせ玉へど。今度は後方を顧させ玉ふ故に。廻v首し玉ふ也○顧眄の間は。【谷川氏は見間疎なりといへれど。】思ふに見眼疎《ミルマサカリ》の義なるべし。【眼を麻と云は。眼見《マミ》眼之子《マナコ》など例多し】見る眼の遠疎る也。名義抄に顧も眄もカヘリミルとよむ字なるを。眄にマハル。又ヨコメなどあるにて。(171)其意明らけし。又流眄をナガシメともあり。○化出之神。本に出之(ノ)二字なし。山蔭云。上の例の如く化(ノ)下に出之(ノ)二字あるべし。舊事紀には此二字ある也と云り。故今補へり。【一本には化出神とあり。但し之字なきは脱したる也。】○右三神の生坐る傳(ノ)趣は。記又一書に。洗2左眼(ヲ)1因以生神號曰2天照大神1。復洗2右眼1。因以生神號曰2月讀尊1。復洗v鼻。因以生神號曰2素戔嗚尊1。とある傳の聊異れるにやと思へど。さには非ず。かの傳どもは。伊弉諾尊黄泉(ノ)國の穢惡を祓除給はむとて。御禊し給ふ時の事也。今は始に吾欲v生2御宙之珍子1とありて。本書の傳の聊異れるにて。【但し以2左手1云々。右手云々と云るは。洗2左眼1云々。洗2右眼1云々とある傳の異なるものに成れるにもあるべし。】なほ此傳にては。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊共に化生《ナシ》坐るよしなり。【始に伊弉諾尊曰。とのみあるは。略きてり云るもの也。】○性好殘害。性を永正本明應本。カムサガと訓り從ふべし。瑞珠盟約章神性とあり。此神は勇悍く坐ますより。自ら荒き方にも通ひて見え玉へれども。殊更に殘害《ソコナヒヤブ》らせ玉ふ神には坐々ぬを。性好2殘害1。また次(ノ)一書に神性惡など書るは甚いかゞなり。【此なる好(ノ)字殊に快からず】人民夭折青山變v枯。などあるは。此神の御行より然成り來しものにて。故(ラ)に然爲玉ひしには非ざるなり。なほ此神の御性は。石窟段に委く云を見るべし。
 
 
〔第二一書〕
一書曰。日月《ヒツキ》既(ニ)生《ウマレタマヒヌ》。次生(ム)2蛭兒(ヲ)1。此(ノ)兒《ミコ》年|滿《ナリヌレドモ》2三歳(ニ)1脚尚不v立。初伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊。巡《メグリタマヒシ》v柱(ヲ)之時。陰神先|發言《コトアゲス》。既(ニ)違(ヘリ)2陰陽之理(ニ)1。所以《コノユヱニ》今生(ム)2蛭兒(ヲ)1。次生(ム)2素戔(ノ)嗚(ノ)尊(ヲ)1。此神|性惡《ヒトヽナリサガナクシテ》常(ニ)好2哭恚《ナキフツクコトヲ》1。國(ノ)民《ヒトクサ》多(ニ)死《シニ》。青山(ヲ)爲《ナス》v枯《カラヤマニ》。故其(ノ)父(172)母|勅《ミコトノリシテ》曰(ク)巳。假使《タトヒ》汝|治《シラバ》2此國(ヲ)1。必多(カラム)v所2殘傷《ソコナヒヤブル》1。故(レ)汝(ハ)可3以馭《シラス》2極《キハメテ》遠(キ)之|根《ネノ》國(ヲ)1。次生(ム)2鳥(ノ)磐※[木+豫]樟《イハクス》船(ヲ)1。輙(チ)以(テ)2此船(ヲ)1載《ノセテ》2蛭兒(ヲ)1。順流《ミヅノマニ/\》放(チ)棄《スツ》。
 
 
日月既生。こは日神月神なるを。たゞに日月とのみ記されたるは。本書に。海神川神山神とあるべきを。海川山と書れたると同じ。【新撰龜相記に。伊佐諾命配2定日月國主1とあるにて。まことの日月を指て云るに非る事明らかなり。】○初伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊巡柱之時云々。此は其々心得ず。其は巡v柱らす時の事に肖《アヤ》からせ玉ふならば。此より前に幾柱も生坐る御子に禀べきを。此時に至て其應有は如何なる事也と云へり。○發言。本に發喜言とあり。永享本に。喜字なきに從ひて削れり。許登阿宜と訓べし。言擧とは身禊の段に興言とあり。平田翁云紀中揚言又稱之など見え。紀萬葉に言擧。【また萬葉に事上辭擧などもあり。】萬葉十八に許登安氣世受杼毛と有り。師云許登は言か又事の意にもあるべし。阿宜は論などの阿宜にて。事のさま有べき状を。云々と擧て言立るを。言擧と云なりとあり。○陰陽之理とは。女の男に後れ從ふべき理なること已に云りき。○順流とは。俗言に流(レ)しだいにと云が如し。○哭恚。守部云布豆久牟は裏に心恚を含みて。頬をふくらすなり。含頬噤《フホツグム》の約れるにやあらんと云り。【物部氏の人名|〓連《フツケル》と云るあるも同義なるべし】〇假使。本にタトヒと訓。新撰字鏡に。儻(ハ)設也若也※[人偏+周]也太止比又介太志とあり。これを以(テ)太止比と云ふ意を知べし。モシケダシなどの意なり。今云ところとは聊か異なり。○鳥磐※[木+豫]樟船。記傳云。鳥とは行事の疾きを象りて云と口訣には云ひ。師は水鳥の浮べるさまによそへて(173)云と云れき。此は何かよけむ。書紀に天鳩船と云あり。又其の釋に播磨國風土記を引て云るは。仁徳天皇の御世に。いと大なる楠ありしを。伐て船に造りしに。其船飛が如く迅りし故に。速鳥と號つとあり。是らに依ば。口訣の意なるべし。又萬葉十六に。奥鳥鴨云船之《オキツトリカモトフフネノ》と。【から書にも鳧舟と云あり】あるを思へば師説も捨がたしとあり。
 
 
次生(ム)2火《ヒノ》神|軻遇突智《カグツチヲ》1。時(ニ)伊弉※[冉の異体字](ノ)尊爲(ニ)2軻遇突智《カグツチ》1所(レテ)v焦《ヤカ》而|終焉《カムサリマシヌ》。
 
 
次生以下。諸本みな上の一書に書つゞけたるを。應永本永享本には。本文となし大字になせり。此は必かくあるべきなり。さるは此四神出生章は。二神の現世界を立玉ふ方より。其大君主とますべき神等を。生坐るを主と立る傳なるが故に。第一第二(ノ)一書もまた。此四神の御上の異傳を出せり。然るに本文にはあらぬ。火神以下の事より延《ヒキ》て伊弉※[冉の異体字]尊の崩御坐る事を。此本書の下に擧るはよしなし。且伊弉※[冉の異体字]尊の崩御の御事は。いと重き事なるを。傍《カタヘ》の如く一書の下に附て云べきにあらず。必別に本文を立べき事とこそおもはるれ。右等の事どもを。思亘して考ふれば。右の二本は。其正を得たるものなるべけれど。今みだりに改めず。姑(ク)本のまゝに從てはあるなり。猶あまたの本どもを見集めて。定むべきものなりかし。○火神は火を掌《シロ》しめす神なり。なほ次に云。【火といふ義は天日の日と同言なり。もとより同物なればなり。されど天(ツ)日は。宇宙に光を放つを主として甚大なるを。火は地上の萬物に含みて用を爲すほどの差別有り。】○葡軻遇突智。御名義。記傳云。迦具は赫と云意。そは迦々《カヾ》迦藝《カギ》迦具《カグ》迦宜《カゲ》とも活(174)て。同言なりと云り。突智は野槌の槌に同じ。記云。火之夜藝速男神。亦名謂2火之R毘古神1。亦名火之迦具士神。とあり。【式に紀伊國名草郡|香《カグ》都知神社とあり。本國神名帳に從四位上香都知神とある是也。又記傳五に。神名式丹波國桑田郡阿多古神社も。此神を祭となり。三代實録貞觀六年五月從五位下とあり。】○所焦而終。終を加牟佐埋坐と訓むは。一書に神退。また神退去。記に神避坐と作る字(ノ)義なり。神といふ言は凡て神の御上(ノ)事に附(ケ)云言なり。迦牟阿賀理と云も同じ。記云因v生2此子1。美蕃登見v炙而病臥云々。因v生2火神(ヲ)1遂(ニ)神避坐也とあり。さて天神の未(ダ)生坐ざりし以前より。火と云ものは。素より有けむを。此に至りて。火神を生坐る事は。天地の初より。日月已に在て。日神月神は後に成坐て。主宰《シリ》玉ふと同じ心なるものから。此神を生玉ひて。被v炙玉へるをおもへば。御體は火(ノ)炎を放ちて生坐しなるべし。火産靈とも申し奉れるも。然る由にぞ坐しけらし。【日1神月神の御體の光華ありて。世を御照し玉ふなども。是におなじ。稚産靈神の御體に。食物を負持たまへるなども此と同じきか。】さて祝詞に。火乎生給※[氏/一]とあるは。日月既生など云ると。同じ言状なり。さて此時伊弉※[冉の異体字]尊。神退坐しかば。假に殯斂《もがり》之處に。姑く御屍を收置玉へるなり。【第五一書に。葬2於紀伊國熊野之有馬(ノ)村1とあるは。即其殯斂の處を。指て云なるべし。】かゝりしかども。後には再び蘇《ヨミガヘ》り玉ひて。其處にて伊弉諾尊に見《ミエ》奉り玉ひ。偖後遂に其現御身ながら。黄泉に往坐りけり。【此言の事共。第九一書に。委く云へる事ども合せ考ふべし。】
 
 
其(ノ)且《スル》v終《カムサリマサムトスル》之間(タニ)。臥《フシナガラ》生(ム)2士《ツチノ》神|埴山姫《ハニヤマヒメ》。及(ビ)水神《ミヅノカミ》罔象女《ミヅハノメヲ》1。
 
 
其且終之間。鎭火祭祝詞には。黄泉津平坂まで往坐るが。又立還り坐て生坐るにて。此とは傳の異な(175)るなり。されど火を鎭めむと。おもほし凝らして生玉へる意は。同じきなり。○臥生。記云美蕃登見v炙而病臥在云々於v屎成神。【一書にも。大便(ニ)化爲とあり】○土神。土を掌しめす神なり。さて此土も。大地の地に同じけれど。體用の差別あり。次に云。○埴山姫。重胤云。土神は大地の全體の地(ノ)神には非ず。御名に埴山姫と負せる。埴を名義抄に。波邇とも邇波とも訓る【武郷云。字鏡集も同じ】を以思ふに。生土《ハニ》と云事也。然れば山野田薗共に物の生《ハユ》る土は更なり。又器に製造《ツク》る埴は。此神の司らし玉ふ事にて。此體用殊に明らけし。【次に軻遇突智娶2埴山姫1。生2稚産靈1と有を以て。此神を唯物に製る埴の神と耳。云める説の非なる事を曉るべくなん】とあるに付て思ふに。此神はよく物の生る土地を。掌り玉ふ神にはませど。和名抄に釋名云土黄而細密臼v埴。和名波爾。字鏡に埴黏土也波爾。萬葉集にも。多く黄土と作るなどを見れば。後にはかの器造る。黏土の名となりしならむ。【さるからに。此神を其埴土を司り玉ふ耳の神と云る説も。起れるなり。龜相記に埴山彦埴山姫。掌2土器1神。今壷也とあるも此類なり。さて初生玉へる時の本原を推究むれば。火を鎭め玉はむ爲のみの神なれども。其成坐る上にては。かくすべての上に亘り玉へる事佗神にも例あり。】此本末思ひ誤る可らず。さて古昔は。物の生ふる地は。多くは山なりけるより。埴山とは名けしなるべし。【山はもと彌生《ヤヲ》の義にて。草木の彌生に繁殖れるより。出たる名なり。】此御名。一書に埴安神とあり。記には波邇夜須毘古神。次波邇夜須毘賣神と二神なり。記傳云。埴夜須は埴黏《ハニネヤス》なり。字鏡に※[土+延](ハ)謂v作2泥物1也。禰也須とあり。【漢ぶみ尚書禹貢に。厥土赤埴墳とある。埴を古訓に禰延とあり。史記も同じ。説文に埴は黏土也とあり。禰夜須は令v黏なり。令v肥を許夜須といふ同格なり】書紀神武卷【己未年】秋九月潜取2天香山之埴土(ヲ)1。以造2八十平瓮(ヲ)1。躬自齋戒(シテ)祭2諸神1。遂得v安2定區宇(ヲ)1。故號2取v土之處(ヲ)1曰2埴安1。【安は黏といふ意なり】是にて心得べしと云り。式に大和國十市郡畝尾座(ス)健土安(ノ)神社。平田翁云。土神。記には二神なり。されど此記(ノ)一書ども。いづれも生2土神(176)埴山姫1。と云て一神とし。第六一書にも。土神號2埴安神(ト)1。と云て。一神とせり。又神名式にも。土神の社は。比賣神のみあれども。比古神の社とては一もあることなし。【武郷云。式阿波國美馬郡波爾移麻比彌(ノ)神社。とあるなどを云り。】案(フ)に波邇夜須比古神と云名は。孝元天皇の御子。建波邇夜須毘古命の名を傳誤れるにぞ有べき。舊事紀に。大便化爲神(ノ)名曰2埴安彦埴安姫1とあり。此は古事記によりて書るなるべし。と云れたり。なほ考べし。○水神。水を掌し召す神なり。偖水は素より國土の中に藏籠りてあるを。今水(ノ)神の成坐るは。其を判ちて世上の用となし。人民に幸ひ玉ふ神にて。此又體用の差別ある也。○罔象女。記云於v尿《ユマリ》成神名彌都波能賣神と有り。【一書にも。小便に成坐る神とあり。】名義。美都波は水なり。水は山川海陸共に含有る物なるが。水神は其用を成す水に就て。其|端《ハジメ》を生(シ)出玉ふ神なり。名義は水走《ミヅハ》にて。水を涌出走らしむる義也。萬葉歌に。垂水の水の走《ハ》しけやし。と云かけたるにて。水に走と云事あるを知べし。水の涌出る端は。地下にまれ。石間にまれ。走り出る勢あるものなれば。其涌出るさまを走とは云也。神功紀に水葉稚之《ミヅハノワカヤカニ》とある水葉も同じ。偖今世の人は。大概美豆と濁りて云へども。古は清濁二方に云へりしなり。信友云。伊勢日記に。などかみつとだにのたまはぬ。といひければ。唯みつとのみぞいひたりける。それより此女をみつとぞつけたりける云々。夏の日のもゆる思ひのわびしさに。水こひ鳥のねをのみぞなく云々。水こひ鳥は。色葉字類抄。※[曷+鳥]ミツコヒトリと訓り云々。然ればみつこひ鳥は班鳩の一名なる事明なり。さて此水乞鳥は。水を清みてみつこひ鳥と訓べし。そはかの伊勢を。みつと稱へるによりて。みつ戀鳥とい(177)ひかけ玉へる物なり。さて水をみつと清みてよむべき證は。記に彌都波能賣神。神代卷に。罔象此云2美都波1とあり。また神武卷注にも。罔象此云2瀰菟破廼迷1などあるは。水神の御名にて。彌郡瀰菟など書るは。决めて水の義なるべきに。然清音(ノ)字を用られたり。【肥後熊本人木原楯中云お把のれが國なる。水島は萬葉集にみえたる島也。其島を島人はさらにて。其海邊わたりの土人も。なべて彌都島と清みて唱へり。其外國内にも。他の築紫の國々にも。水を清みていふ處ありと云へり。○武郷云。平田翁説に。今も常陸下總などには。清て云處多し。然れば今も二方云也と云り。】又後撰集にみえたる。檜垣嫗が歌に。みつはくむまでなりにけるかなとよめる。みつはは三勾の義なるべきを。其|三《ミツ》を水《ミツ》に云ひかけたるにて。【此も肥後にてよめる歌なり】其後の歌どもにもはら同じ例によめり。と通ゆるが多きなど思ひ合すべしと云リ。さて隱岐國周吉郡に。水(ノ)祖《ミオヤノ》神社あり。此も水神に坐こと决し。【そは木祖草祖土祖など。申す例をおもふべし。】と云り。【罔象の字は。史記に水之怪(ハ)龍罔象。白澤國に。水之精名2罔象1。などあるに採れるなり。倭名抄にモウ※[鬼+罔]※[鬼+兩]をミツハと訓し。水神也と注せり。山蔭云。此罔象また海神を少童と書れたるなど。漢籍なる名をとり用られたる。心よからぬ書ざまなり。漢國にはかやうの神等を輕んじて。卑しき物のこと思ふならひなるに。其名をとりて書ては。自ら神を輕しむる心になるわざぞかし。又この罔象の訓注は。こゝにあるを。神武御卷にも又あるは。重なれりと云へり。】式阿波國美馬郡彌都波能賣神社。○かく御病し給ふ折しも。生坐る土(ノ)神水(ノ)神の。火(ノ)神の御荒びを鎭む料と自ら成れるも。御母尊の火の災を。いみじきものにおもほせりしかば。自然御魂の凝りて。かく土(ノ)神水(ノ)神は生れ坐りけむ。さるを鎭火祭(ノ)詞に。吾|名※[女+夫]《ナセノ》命能。所知食上津《シロシメスウハツ》國爾。心惡《コヽロアラキ》子乎。生《ウミ》置※[氏/一]|來奴止宣《キヌトノリ》※[氏/一]。返(リ)坐※[氏/一]。更生(フ)v子(ヲ)。水(ノ)神|※[夸+包]川菜埴山姫《ヒサコカハナハニヤマヒメ》。四種《ヨクサノ》物乎生給※[氏/一]。此能心|惡《アラキ》子乃。心|荒比曾波《アラヒソハ》。水(ノ)神※[夸+包]。埴山姫川菜乎持※[氏/一]。鎭(メ)奉禮止。事教(ヘ)悟(シ)給支。【此詔詞の趣にては。伊弉※[冉の異体字]尊現身ながら。既に與美津枚坂まで。至(リ)ませるが。云々の事思ひ出て。返坐とあれば。水(ノ)神土(ノ)神等を生坐るは。此紀また記に。御病の間に生坐るとあるとは異なり。此を〓坐(178)て後。御魂の上の事と。見る説は非事なり。さるは。崩坐して。其御靈の往(キ)坐るならむには。其返坐て生坐る御子の。現身にて御在すべからず。】とある文によれば。土神水神は。火神の御荒び坐む時。其を鎭め奉らむ料にと。故(ラ)に生給ふと云る。傳の趣なり。されど此紀。又記の傳にては。しか豫め。夫々の神を生給はむとまでは。所思しかけざりしを。不意《ユクリナク》御病し給ふ時しも。土神水(ノ)神其外の神等も。生坐るごとく聞えたり。互に異なる傳也。【又此一書は。記又第四一書に據るに金山彦金山姫二神を脱せり。】
 
 
即(チ)軻遇突智|娶《ミアヒテ》2埴山姫(ニ)1。生(ム)2稚産靈《ワクムスビヲ》1。此神(ノ)頭(ラノ)上(ヘニ)生《ナリ》2蠶《カヒコ》與《ト》1v桑《クハ》。臍中《ホゾノナカニ》生《ナレリ》2五穀《イツクサノタナツモノ》1。罔象此云2美都波1。
 
 
娶埴山姫。火神は男神。土神は女神にて。※[しんにょう+構の旁]合《ミアヒ》坐るなり。【これにても土神は一神なりと云る傳の方正しきをしるべし。平田翁云。伊弉※[冉の異体字]尊の交接の道を始め給ひて後に。男女御合坐るはこれ始なり。さて火神と土神と。同母兄弟に坐すを。御合せることは此より前にかゝる事のなきは。更にもいはず。人世となりても。曾てなき例にて皇御祖神の堅く禁め惡み給ふことゝ見ゆるを。此御會のみは。御親神の許し給へるにて。極めて深き由ある事とぞおもはるゝと云るは。人の世の定めを以て。神の御上を論ひ奉るにて。甚しき推量言也。なほいはば火神土神は。共に伊弉※[冉の異体字]尊には御子に坐せども。土神水神は伊弉諾尊に婚きて。成玉ふ御子には坐さず。後の同母兄弟の例とも異なるにあらずや。かにかくに此あたりの神等の御上の事は。人智を以て料知べき事にはあらず。】○稚産靈。記に和久産巣日とあるに依て訓べし。【稚を古言に和久と言る多し。】名義。産靈は物を生し出る御靈をいふ。さるは記に。次於v尿成神名彌都波能賣神。次和久産巣日神。此神之子(ヲ)謂2豐宇氣毘賣神(ト)1とありて。豐宇氣毘賣神の御親に坐と合せて思ふに。既に土と水との神等成坐て。【又糞尿も土を肥し穀物を助け成す物なればなり。】次に穀物の成べき産靈の神也。【さて豐宇氣毘賣(ノ)神。其御魂を受(ケ)つぎましてなほ大きに産靈給ふこと下一書に云。】御名義。平田翁云。稚としも申す故は。御子豐宇氣毘賣神に至りて。穀物は成出たるを。此神は其産靈の御徳を持玉へるのみにて。(179)未(ダ)成し玉はざりしかば。豐宇氣毘賣神の神徳の。廣く大なるに對へて。御親なれども。稚とは申なるべしと云り。されど此の説よからず。此神は一書に生2稚産靈1。此神頭上生2蠶(ト)與1v桑。臍中生2五穀1。とあれば。産靈の御徳を持玉へるのみとは申がたし。【既に其始を成し玉へればなり。】かつ既に高皇産靈尊神皇産靈尊の下に注したるが如く。其産靈と申すには。必其|行事《ミシワザ》を申す事にて。火を所知看す神を火産靈。魂を鎭め給ふ神を魂留《タマツメ》産靈。など申す如く。唯に大に對へて稚と稱へ申すと言ては。何事を掌り玉ふ産靈とも通えず。高皇産靈神皇産靈尊の。天地間の総てを知ろしめす。産靈の御名の義にも違へり。ここに或人説に。稚は借字にて。美稱にあらず。宇氣又宇※[言+可]と通ひて。【和※[言+可]和久宇氣宇※[言+可]通音】食《ウケ》産靈なるべしと云り。まことにさることなり。此説にて此産靈の御行事も。御名義もよく通えたり。又平田翁云。古事記に此神を。伊弉※[冉の異体字]尊の御尿に罔象女神の成坐る次に。成坐るとあるは誤れる傳なり。さるは上に云る如く。神代紀に記されたる三(ツ)の傳と。鎭火祭詞なる傳と。すべて四の傳共に。伊弉※[冉の異体字]尊の此神を生坐る事なく。殊に鎭火祭詞によりて考るに。水神土神を生坐る事は。火神の荒びを鎭めむ料に。生坐るなれば。稚産靈神の生(リ)坐まじき理なるを。火(ノ)神土(ノ)神の御子といふ傳は。此神の産靈の理に叶ひて。幽き謂ある傳なればなりとあり。此説然るべきが如くなれど。【さるは上にも云る如く土と火とは。穀物の成べき基なるえお。其御子に稚産靈神。又其御子に豐宇氣毘賣神の成坐るを思ふに。决めて由縁あるべければなり。】熟考るに。鎭火祭詞に據る時は。此一書の傳は叶はず。さるは伊弉※[冉の異体字]尊崩御ましければ。伊井諾尊。其御子軻遇突智を斬り玉ふ。扨其より女神を慕ひて。殯斂之《モガリノ》處に到坐しかば。女神甦玉ひて。再(180)び見《マミ》えたまひけり。然れども男神を恥恨みます事ありて。此般は黄泉國に入ませり。其入坐むとする時に。埴山姫を生玉へること。鎭火祭詞にみえたり。されば軻遇突智神の斬られ玉ひしよりは。最々後に生れ玉へる埴山姫に。娶《ミアヒ》玉へるこことあるべくもあらず。若しくは軻遇突智神の御靈と。力を合せて坐給ふことなどのあるを。かく云傳へたるにやあもむ。稚産靈神は伊弉※[冉の異体字]尊の尿に生玉ひし御子なりとせる。記の傳やなほ正しかるべき。さて神名式に。大和國城上郡卷向坐若御魂神社。【大月次相嘗新嘗】とあるは此神に坐り。○生蠶與桑。蠶(ハ)和名抄に説文蠶虫吐v絲者也。和名賀比古。桑は和名抄に【和名久波】蠶所v食也とあり。名義|蠶葉《コハ》なりと。或人云り。五穀は下の一書に見えたる。稻麥豆粟稗を云か。穀は種津物なりと云る説さもあるべし。【天智紀に。稻種をタナシネとよめり。】偖此事は。平田翁も云れたる如く。豐宇氣毘賣(ノ)神の事實の御親子の間にて。混亂つる物なるべし。【なほ下の一書に云ることゞも考合すべし】
 
 
〔第三一書〕
一書曰。伊弉※[冉の異体字]尊生(ム)2火産靈《ホムスビヲ》1時。爲(メニ)v子(ノ)所(レテ)v焦而|神退矣《カムサリマシヌ》。亦云神避矣〔五字□で囲む〕其|且《スル》2神避(マサムト)1之時(ニ)。則生(ム)2水(ノ)神|罔象女《ミヅハノメ》。及土(ノ)神埴山姫(ヲ)1。又生(ム)2天吉葛《アマノヨサヅラヲ》1。天吉葛此云2阿摩能與佐圖羅1(ト)。一云與曾豆羅。
 
 
火産靈。火を産靈成し給ふ御名の意なり。【記傳に火をホと云注は木をコと云と同格にて。下に言を聯ぬる時。火影火中とあるが如く。下に産靈と云ふ重き語あるが故に。上の言の轉れる也。故本能とは(181)云はず。同じく上の言は轉れるながら。※[火+陷の旁]、火(ノ)氣と云時は。火之秀。火之氣の意にて。下なる其物に就たる用を云るなれば。之の辭を挾む例也。さて此神はしも。殊に産靈と申せるにても。其功太く坐す御事をば知べきなりと云り。】此御名に依て按ふに。たゞに火を主宰り玉ふのみには坐さずて。此神天(ツ)日の光を迎へ。大地の萬物に含みたる火を起して。御身にも分持(タ)し。弘く世間に幸ひ玉ふ。其御靈を稱へまつりし御名なるぺし。神名式。伊豆國田方(ノ)郡火牟須比命神社。○亦云神避矣。山蔭云。これは一本にかく有しを。後人の注せるなるべしと云り。决く衍なり。舊事紀には此五字なし。○天吉葛。釋私記に。此當(ニ)神名と云るはさる言なり。必神なるべきを。例の省けるなり。吉葛は名義は※[跨の旁+包]葛《ヨサヅラ》なり。※[跨の旁+包]《ヒサゴ》の一名ヨサとも云り。萬葉七|青角髪依網《アヲミヅラヨサミノ》原とよめるも。冠字考の説の如く。青眞葛※[跨の旁+包]《アヲミヅラヨサ》と云る云かけなり。されば吉葛は※[跨の旁+包]瓜《ヒサゴ》を稱へて御名に負玉へるなり。彌眞葛《イヨサツラ》にて。※[跨の旁+包]瓜を稱へて。御名に負玉へるは。荒(キ)火を防ぎ給ふを以てなり。鎭火祭詞に。更生(タマフ)v子。水神。※[跨の旁+包]。川菜。埴山姫。四種物乎生給。とある※[跨の旁+包]即此(ノ)吉葛なり。【此文に依るに。眞に※[跨の旁+包]を生給ふが如くなれど然らず。水神また埴山姫をも。四種物と云るは。其物にはあらで神なればなり。さて平田翁云。此物は凡て瓜てふ名を負る葛物の祖なりけりと云へり。】※[跨の旁+包]は。和名抄に杓比佐古。唐韻云。斟v水器也。瓢名奈利比佐古。瓠也瓠(ハ)※[跨の旁+包]也。※[跨の旁+包]可v爲2飲器1者也とあり。平田翁云。上代に此を水を汲む器と。定めたるは。此の故事より起れる事也。【世に竹をまげ木に穴をくりあけなどして。水を汲むに用ゐる器を。比佐古と云は。たゞ誤れる名の殘れるなり。】偖此物は。いと輕くして。水に沈むことなく。【彼仲哀卷なる眞木(ノ)灰(ヲ)納v※[跨の旁+包](ニ)云々。の故事など思べし】又水に着て腐る事なく。水を汲むに最上器なるは。此大神の生賦《ナシツケ》給へる。此神の性にぞ有けると云り。【水を汲器のみにあらず。いと大なるは。火桶となして火を入るゝに。燒通ることなきも。又あやしきなり。】さて鎭火祭祝詞によるに。こゝに川菜を生給ふことを脱ししなるべし【比も神なり。】川菜は。和名抄に水苔一名河苔和(182)名加波奈【古今集にかはなぐさと云ふもこのもの也。】さて此物は。凡て水に生る草どもの祖なり。平田翁云。人の過て火に燒れたる時など。瓠に水を汲て。其|傷處《ヤケド》を洗へば。速に痛みを去るなどの事は。まゝ爲る事なるを。生《ナマ》なる川菜の汁をもみ取て。火傷處に沃ぎかくれば。痛みを去る事。予もしば/\見たる驗あり。此に就てなほ思ふに。種々の物に。各々某々の能ありて。病を直すをはじめ。互に相|制《カ》ち相助けて。功を爲すことは。都て神のしか種々に性を賦けおき給へるに依てなり。其は物ごとに。其傳こそ無けれ。此なる傳又伊邪那岐大神の。桃に勅給へる御言に。如v助v我(ヲ)云々。青人草之落2苦(キ)瀬(ニ)1而|苦惚《クルシマム》時(ニ)可v助。と詔へるまにまに。桃の惡鬼を避る功ある事などを。思ひ合せて准へて悟るべしと云り。○一云與曾豆羅。永享本に此六字なし。
 
 
〔第四一書〕
一書曰。伊弉※[冉の異体字]尊生2火(ノ)神軻遇突智(ヲ)1之時。悶熱懊悩《アツカヒナヤム》。因(テ)爲(ス)v吐《タグリ》。此(ニ)化爲《ナル》神(ノ)名(ヲ)曰2金山彦《カナヤマビコト》1。
 
 
生火神云々。本に生(ノ)字(ノ)上且(ノ)字あり。永享本になし。必衍字也削るべし。○悶熱。言義未詳ならず。文字に依て義を知べし。【悶字名義抄にウレフとも。心タエとも息タエともあり。】纂疏に悶熱者火氣之傷也とあれど。悶熱と書たる字に就ての説なれば信がたし。繼體紀に。※[立心偏+宛]痛。三代寶録に。思保之|熱可比《アツカヒ》憂(ヒ)歎(キ)御坐云々。字鏡集に喝瘍同。※[火+曷]同。アツシレ。アツカフ。又※[火+曷]アフル。アツシ。アツカフなど見えたり。○吐。記に多具理と(183)作り。記傳に。言義は髪を揚るを。萬葉に多氣《タケ》ばぬれ多香根《タカネ》ば長き妹が髪。また小放《ヲハナリ》に髪多久《カミタク》までになどよみ。又古麻は多具《タク》とも。又馬|太伎《タキ》ゆきてなど。よめると同じきか。繩などをたぐると云ふも。掻上る意ありて。同じ※[口+歳]噎《サクリ》の久理も。此(ノ)久理と同じ。和名抄には欧吐【倍止都久又太萬比。】※[口+見]吐【豆太美】とあり。【豆太美は乳吐《タマヒ》なり】と云り。○金山彦。此神は金(ノ)神なり。【龜相記に金山彦金山姫の下に金(ノ)神也今(ノ)鍬也とあり。金神の證文はじめて此に見えたり。今|鍬《スキ》也とあるは。人民の田作るに。專と用《ツカ》ふ物の上より云る文なり。埴山彦埴山姫の下に掌2土器1神今(ノ)〓也と同書にあるに同じ書ざまなり】さて記と比※[手偏+交]るに。金山姫一神を脱せり。記云。多具理邇生神(ノ)名。金山毘古神。次金山毘賣神。式に河内國大縣郡金山|孫《ヒコノ》神社。金山|孫女《ヒメ》神社とありて。信に二神並坐り。金鐵は土中に在る物なるから。此神の成坐るは。其を山中に採て。鏡劔に造り。刀仗に作て。國土人民の利用を爲玉ふ方にて。體用の差あり。菅家萬葉に。荒金之土之下丹手《アラカネノツチノシタニテ》とある。荒金は玉の未(ダ)琢かざるを璞《アラタマ》と云が如く。土中に在ながらの金にて。錬金に對へて。然云つゞけたる者也。名義抄に。鐵字を久呂賀禰とあるは。黄金白銀などの色に對へたる稱なるが。一云阿良加禰とあるは。押並て土中に多く生るは。此鐵に限るが故なり。又鑛字をも阿良加禰と訓り。此にて金山彦と云名義を明らむべし。さて此神は。伊弉※[冉の異体字]尊の御吐には生ましつれども。實は火神に屬坐謂ありと見えたり。【金は火もて打鍛ヘずては。用難き物なる事も.此謂(レ)による事なり】と云り。武美濃國不破郡仲山金山彦神社。【今南宮と申(ス)は是也。】
 
次|小便《ユマリシタマフトキニ》化爲《ナル》神(ノ)名(ヲ)曰(フ)2罔象(ノ)女(ト)1。次|大便《クソマリタマフトキニ》化爲《ナル》神(ノ)名(ヲ)曰(フ)2埴山姫(ト)1。
 
 
(184)小便。一書訓注に※[尸/(水+毛)]此云2愈磨理1とあり。【和名抄に。尿小便也。由波利とあるは轉れる言なるべし】記傳云。由は湯。麻理は屎麻理の麻理に同くて。其出るを云と云はれき。さて此(ノ)時麻理給へる湯。即水なり。其は此に從て生坐る神の御名にて炳焉し。【湯とは水の火氣を厚くうけ含みて煖なるを云(フ)稱なればなり。】後に伊弉諾尊の御名に。巨川の化れるを合せ考へて。此の御※[尸/(水+毛)]即水なること。知られたり。○大便。和名抄糞屎也。和名久曾。さて小便はユマリシタマフトキ。大便はクソマリタマフトキと訓べし。小便大便の化して水と成り埴となりしにあらず。○姫字。本に媛と作るを。纂疏本活字本に依て改む。記傳云。書紀に凡て比古に彦字。比賣に姫又媛字を用られたり。其は大抵皇胤の女には姫字。他姓の女には。媛字を書れたりと云るに依れり。【此紀神の御上をば。すべて皇統と同じさまに。作れたればなり。】○記傳云。上件迦具土金山波邇夜須と云名。皆天(ノ)香山に由縁あり。先彼山の名迦具土と同く又此神の所殺《コロサレ》坐る身體に。諸の山津見神の成坐るも山に由あり。【武郷云。火神の御體の。天止に上りて。天香山と成れるを。かく山津見神の成れると云傳へしにや。いづれにても。香山と迦具土とは。もてはなれたる事にはあらじ。さて火神は。此國土にて生れ玉ひし神なるを。年中行事秘抄に引る舊記。又秦氏本系帳に。天神と云るは。天香山に坐に依てなり。】又石屋戸段に。取天金山之鐵とあるを。書紀には天香山とあれば。香山と金山とも由あり。【武郷云。金神金山彦神は。火を防がむ料と。成坐る神なるが故に。その火神の御坐す香山に共に住玉へるものなるべし。偖此神を金山彦と申しより移りて。香山をも金山とぞ稱けらし。】又波邇夜須と云地名の。天の香山にあるも由あり。【武郷云土神埴安神。亦名埴山姫も。火神を鎭めん科の神なれば。是神また金山彦神と同じく。香山に住坐りしなるべし。國に降り付たる香山に。埴安といふ名のあるも此由なるべし。此に依て按に。香山を埴山と云しも知るべからず。さるは此山より埴土を出せること。古書にあまた見えて。いと深きよしあること也。】これらたま/\に然る事とは聞えず。いかさまにも。所以ありげなる故に。驚しおくなり。とあるはさる言なり。
 
 
(185)〔第五一書〕
一書曰。伊弉※[冉の異体字]尊生(タマフ)2火(ノ)神(ヲ)1時(ニ)。被《レテ》v灼(カ)而神退去|矣《マシヌ》。故|葬《カクシマツル》2於|紀伊《キ》國(ノ)熊野之有馬村《クマヌノアリマノムラニ》1焉。
 
 
紀伊國。記に木國とあり。其字の意なり。【記傳云。紀伊と書は。必二字に定むべしとの御制に因て。紀(ノ)音の韻の伊を添たるなり。此例多しと云へり。】此國の木に由あることは。下に見えたり。○熊野有馬村。熊野は牟婁郡なり。此地郡の半に過て。數十里に亘れる大名なり。されど和名抄には。郷名にも載らず。古は人民いと少かりつと見ゆ。名義|隈《クマ》野なり。隈とは下卷に八十隈《ヤソクマデ》將隱去とある。八十隈に同じく。幽冥《カミ》の隈《クマ》あるよしの名なり。隈はもと物に隔のありて。裏《ウチ》の見えがたきを云。野とは山にも原にも。甚ひろき地を云。此地は現界に在ながら。神の住坐處ありて。人のえ料知がたき隈々あるを云なり。さるは伊弉※[冉の異体字]尊の神退ましし時に。殯斂《モガリ》之處に。伊弉諾尊の行ましゝかば。如2平生1出迎へて相見まし。其後遂に現身ながら黄泉國に到生しは此地なり。【又紀に大屋比古神坐々す御所より。大穴牟遲命の黄泉國入坐るも紀國なり。此は熊野にはあらねども同國なれば由あるなり。】又式に熊野坐神社。【今本宮と云熊野三所の内なり。】其祭神は熊野|夫須美《フスミノ》神【伊弉※[冉の異体字]尊なり】速玉之男《ハヤタマノヲノ》神。家津御子《ケツミコノ》神【素戔嗚尊】なるが。何れも黄泉(ノ)國の大神に坐を以ても。此地に八十隈ある事知られたり。故神武天皇の御世の頃までも。荒神ども此山に甚多かるは。其所謂に依てなりけり。さてまた出雲國にも熊野と云地ある。是又隈野にて。彼國にも八十隈あることは。彼國に黄泉平坂ありて。黄泉國に行通ふ域《トコロ》のあるなどよりはじめて。神代より人の世に至るまで。神々しきこと他國とは(186)甚異なり。紀國と出雲國と。通てきこゆることあるも此由なり。【熊野の隈野なる事は。或人も既に云るをきゝたり。】偖玉勝間云。新宮に上熊野中熊野下熊野とて三村あり。有馬村は新宮より北の方へ。伊勢の方へ五里ばかり行て。木の本といふ所の。二十町ばかり南にあり。そこに産田神社。また花の窟あり。里人あやまりて。大般若の窟といふ。此(ノ)窟の山高さ二十四五間。周三町ばかりあり。この窟は伊邪那美(ノ)命を葬奉れる所といふを。又或説には伊邪那美(ノ)命を葬奉れる所は。産田神社にて。花(ノ)窟は火神なりとも云りとあり。【南紀名勝志に。此(ノ)窟は有馬(ノ)庄有馬村の東北に在り。岩(ノ)高さ二十六丈。石表あり高一丈三尺。岩窟より西北一町。山上に燈籠峯と名くるあり。毎年正五九月僧讀經而祭焉云々とあり。】又通證に引る那智三卷(ノ)書と云ものに。有馬村有2産田《ウブタチ》宮1。【今按聞2之新宮(ノ)神人1。合2祭※[冉の異体字]尊軻遇突智1也。】乃伊弉※[冉の異体字]尊神退之地。而其東有2隱(ノ)窟1。亦曰2産立《うぶたちの》窟1。亦曰2花窟1【花窟見2増基(ノ)熊野紀行1。】所v葬2伊弉※[冉の異体字]尊1岩窟也。【今按。去v宮三里許。海濱突出大巖壁也。】毎歳暮春以v繩作2花及幡旗1。【今按。※[手偏+賛]2簇賢木葉1爲2花勝1。垂2之繩旗間1也】圍2繞於窟1歌舞祭v之。盖往古遺俗也。とあり。さて記には。非d出雲國與2伯伎國1(ノ)堺|比婆《ヒバ》之山u也。とあり。【記傳云。此山今詳に知れず。國人などによく尋ぬべしとあり○或説に。内山眞龍の考に。出雲風土紀に。仁多郡御坂山とあるぞ是なるべき。と云る。此は備後國にて尊山と稱へる此山也。此山頂より中分して。北方は出雲國仁多郡馬木村。東南は備後國奴可郡大屋村。西方は同國惠蘇郡日和組の内追原谷なり。日和は。ヒハの音便なるべし。扨は出雲伯伎堺とあるに合(ハ)ざれど。此山より伯耆まで。柏距こと五六里なれば。國堺の移れるなるべし。山頂なる烏帽子岩を。古來土人これを神跡と申傳ふ。又七本栂とも云と云り。なほよく國人に尋問ふべし。】異《カハ》れる一の傳なり。出雲と紀伊國とは。遙に隔りながら。神代には近く通ひて聞ゆること多し。と記傳に云れたるをも思べし【委しき事は。記傳を見て知べし】○葬。本にカクシマツルとよめり。萬葉に磐隱坐《イハガクリマス》と云ことあれば。迦久須と云も古き稱なるべし。石隱(リ)と云も。石搆(ヘ)の内に葬り奉るに就て云稱なり。又波夫流も古言なり。【言義は神を齋祭る者を祝《ハフリ》と云に同じ。匍匐在《ハフリ》の義にて。御前に匍匐拜み仕奉るよりの名なるべし。】されど波夫流は。記傳に死人を送遣事を云稱にて。(187)日代宮段に天皇之大御葬などある。葬(ノ)字は然訓べけれど。此は葬奉りたる處に就て云なれば。波夫流とは事違(ヘ)り。似たることながら。差あるものぞと云り。さて此に葬とはあれども。まことに御體を埋め奉るにはあらずて。假に姑く御屍を收置たりし處にて。即第九一書に殯斂之處とある即是也。【此事は其一書に委く云。】其(レ)曹をかく後世の御陵墓のさまに。語り傳へたるにて。其處は産立《ウブタチノ》窟亦花窟をさして云るなるべし。
 
土俗《クニヒト》祭(ルニハ)2此(ノ)神之|魂《ミタマヲ》1者。花(ノ)時(ニハ)以(テ)v花(ヲ)祭(ル)。又|用《モテ》2鼓《ツヾミ》吹《フエ》幡旗《ハタヲ》1歌舞《ウタヒマヒテ》而祭(ル)矣。
 
 
此神之魂。魂を美※[手偏+施の旁]磨と訓るは恩頼《ミタマ》の意なり。神武紀に。我皇祖之|靈《ミタマ》自v天降鑒助2朕躬1。垂仁紀に。頼2聖帝之|神靈《ミタマノフユニ》1と見えたる靈。又神靈と同意なり。和名抄に。靈日本紀云美太萬。一云美加介。又用2魂魄二字1とあるは。右等の靈字の訓なるべし。然れば美加宜とも訓べくこそ。萬葉五。阿我農斯能《アガヌシノ》。美多麻多麻比※[氏/一]《ミタマタマヒテ》又十八|皇御祖乃御靈多須氣弖《スメロギノミタマタスケテ》などあり。此等を合せて。此神の御蔭を令(メ)v蒙(ラ)玉ふ。その美※[手偏+施の旁]磨なることを知べし○祭は。君の國を治め賜ふ御事を政と云。其麻都理と言の意は同じきなり。記傳云。天下の臣連八十伴(ノ)緒の。天皇の大命を奉りて各其職せ奉仕る。是天下の政なり。さて奉仕《ツカヘマツ》るを麻都理と云由は。麻豆流を延て麻都呂布とも云(ヘ)ば。即君に服從《マツロヒ》て其事を承り行ふをいふなり。【されば都加閉麻都留は事服從《ツカヘマツル》なり。又|服從《マツロウ》は奉仕にて。皆本は一(ツ)意より出たり。】又神を祭ると云も。其神に奉仕るにて。本同言なりと云れたるにて知べし。(188)さて祭2此神之魂(ヲ)1は産立(ノ)窟に就て祭る事也。然るは此大神を。假に斂め奉し始など。八百萬神等共に奉仕りし時の。神事の遺り傳はれるなるべし。○花時以花祭。諸本いづれも。花(ノ)時亦以v花祭とあるを。今は舊書紀に據て亦字を削り去りつ。【元々集の古本に引たるにもなし。】此字ありては。通えぬ文となれり。偖花は何の花ともなければ。此は萬(ノ)木(ノ)花ならむかと思へど。猶思ふに。昔も今もただに花と云るは。主と櫻(ノ)花を云へれば。【下卷木華開邪姫も。櫻花なること其處に云るを見べし。又萬葉の歌どもは更也古今集序に。難波津に咲やこの花とある歌。王仁の作と云へるはおぼつかなけれど。古くも櫻を花とのみ云へりし證とはすべし。此花を梅なりと云る説は據なし。さて後の世にはたゞ花と云て全ら櫻のことゝ爲ることも自ら古意に叶へり。】この花も櫻なるべし。さて此文は。常に祭る中にも。殊更に花時には花を以て祭と云事なり。○鼓吹幡旗。鼓は倭名抄音樂部鼓和名都々美(ノ)箋注に云。豆菟彌見2神功紀1武内宿禰爲2太子(ノ)1答歌。神代紀鼓字同訓。本居氏引2或記1云都々美(ハ)都曇(ノ)字音。唐天竺伎有2都曇鼓1。以3阿都美用2阿疊字(ヲ)1例v之。是説可v從。愚謂都々美以2其音1得v名。都曇鼓亦以v音得v名。其名適合耳。非d依2都曇鼓(ニ)1名c郡々美(ト)u也。狗d鷄鴉以2鳴聲1得uv名。加介加良須亦以2鳴聲1得v名。然皆自國之名。非【丙】依2鷄鴉字音1得【乙】此名【甲】也とあり。萬葉二に。齊流鼓之吾《トヽノフルツヅミノオトハ》。雷之聲登聞麻低《イカヅチノコヱトキクマデ》とあり。笛は上代本記に。凡神樂之起(ハ)猿女君祖天鈿女命採2天香山(ノ)竹1。其節(ノ)間(ニ)雕2風穴(ヲ)1通2和氣(ヲ)1。【今(ノ)世號v笛(ト)類也】と見え。本朝事始に。齋部私記曰。天磐笛(ハ)事代主命製v之奉2天孫瓊々杵尊1。以v磐名也以祝2天孫1也とあれば。共に神代よりの物なること云も更なり。幡旗は通證に常陸風土記(ニ)。黒坂命云云。葬(ノ)具(ノ)儀。赤旗青幡交雜※[票+風]※[風+湯]。喪葬令。親王諸臣有2鼓大角小角幡等1。又考2舒明紀1。迎2唐國使人1。有2鼓吹旗幟1。則古昔迎之大禮皆用v之也。盖葬祭亦猶2送迎(ノ)1然。(189)とあり。又萬集の歌にも見ゆ○歌舞而祭。神事に歌舞を用(ヰ)るのみならず。葬儀にも其事を行ふは轉れるなるか。其も神代よりの事なることなど。委くは下卷の注に云へり。扨御祭。今も二月二日。十月二日。時の花以て祭るなりと。國人云り。【南紀名勝志には。正五九月とあり。那智三卷書には。毎歳暮春云々とあり。此らみな聊かかはれり。いづれか信ならん。なほ其國人に聞てよく正すべし。】
 
 
(190)附録追加
熊野有馬村伊弉※[冉の異体字]尊御陵考證【紀伊國熊野人著】云
熊野有馬村」。紀伊國南牟婁郡有井村大字有馬は。往古は單に有馬村と稱し。中世池邊村と改め。近世又舊名に復し。明治二十二年町村制度實施の後より有井村大字有馬と稱す。其中口有馬奥有馬と小分せり。○有馬村」。【後ろは山前は海】木(ノ)本境まで二十二町五十間。志原境まで三十八町五十間。金山境まで一里半。久生屋境まで十八町五十間。但し口有馬奥有馬山崎と分れたり。○有馬莊」。總て十三箇村。有馬は此邊の總名にして。此村慶長の頃は池邊村と云。慶安の頃今の名となり。近世又口奥山崎の三筒村に別つ。諸舊記に由るに。應永の頃有馬和泉守忠永。此地及附近の諸村を領す。子孫永く世襲たり。有馬氏の邸宅の遺跡。今尚此地に存在す。
 
花(ノ)窟」。有馬の海岸に。花(ノ)窟と稱する巨巖あり。其形状【圖略】古來之を伊弉※[冉の異体字]尊の山陵なりと唱へ。崇敬奉祀すること久し。又其傍に王子窟と云あり。軻遇突智神を祀る。○花窟。」又|隱《カクレ》の窟とも號し。又|産立《ウブタチ》の窟とも號す。口有馬村に在り。岩の高(サ)二十八間。山の尾崎地より十間上に。五尺四方程の石の洞あり。此洞は御からどと申傳ふ。人の通ふこと成らざる處なり。瑞籬十間に二間なり。一丈三尺の鳥居あり。卯辰の方は海なり。此岩より浪際まで三十間あり。戌亥の方山續き一町上に。燈籠の峯と云岩あり。此岩に七尺四方の洞あり。毎年正五九月理趣分を讀む。俗此所を大般若と云。此祭昔は二月二(191)日十月二日。内裏より注連繩錦幡金銀にて花を造り祭る。今は其眞似にて藁繩にて祭るなり。○花窟の名。増基法師が紀行【庵主】に始て見えたり。花を以祭るより起れる名なり。下より十間計上に。方五尺許の洞あり。土人御からとと云。此窟の側七八間計を隔てゝ對する岩あり。高(サ)四間半。是を王子の窟と云。軻遇突智神の神靈を祭る。此神伊弉※[冉の異体字]尊の御子なれば。王子の窟との名あり。一名を聖の窟とも云。此窟にも拜所ありて玉垣を周らす。【紀伊續風土記】○花窟祭典」。毎歳二月二日十月二日に祭典を行ふ。今尚古典中に載する處の儀式を存せり。村民注連繩を掛け。繩を以て幡の形したるもの三流を造り之を垂る。又種々の花を奉供す。○寛文記に。昔は祭日には。紅の繩錦の幡。金銀にて花を作り散し。火の祭と云ひしとあり。土人云錦の幡は。毎年朝廷より献じ給へるに。何(レ)の年にか熊野川洪水にて。其幡を積みたる御船破(レ)しかば。土人祭日に至り。俄にせんすべなく。繩にて幡の形を作りしとぞ。其後錦の旗の事絶えて。繩を用。【今花井莊熊野川相須村の邊に。絹卷石と云あり。破船の時錦の幡の流れて其石に掛りし故に此名ありと云。】今土人の用る所は。繩を編みて幡三流の形を造り。幡の下に各種の花を括り。又扇を結ひつけて。長き繩を以。窟の上より前なる松の樹に高く掛け。三流の旗。窟の前に翻る。歌舞は無れども。以v花祭又用2鼓吹幡旗1祭と云。故實を存すること。珍らしき祭事と云べし。夫木集光俊朝臣花祭の詠。【まつる花の時にやなりぬらむ。ありまのむらにかかる白ゆふ。】及久安百首の歌に。【大炊御門右大臣。紀のくにやありまのむらにます神に。たむくる花はちらじとぞおもふ。よみ人しらず。春風に梢さきゆくきのくにや。ありまのむらにかみまつりせよ○以下五首あり略く】錦の旗などの事は見えざれども。花祭の名古くより世に聞えたること知べし。又祭日ならずとも。土人等時々花を奉りて(192)祈念すと云へり。【以上紀伊續風土記】
 
産田神社」。花窟の西數町にして。小字奥有馬の地に産田神社あり。舊記の戴する處左の如し。○産田大明神二社」。南向社領五石奥有馬村にあり。社内【東西三十間南北一町十二間】瑞籬内は二十間。三方に高さ八尺五寸の瑞籬あり。前に七間に二間の拜殿あり。十間程置て一丈三尺五寸の花表あり。社内は杉雜木の森なり。祭神西御前伊弉※[冉の異体字]尊。東御前伊弉諾尊。軻遇突智神。祭禮正月【十日霜月十五日】○土人傳へて云。伊弉※[冉の異体字]尊此地にて軻遇突智神を生み給ふ故に。産田と名くと云ふ。神功皇后の應神天皇を産み玉へる地を宇彌と云が如し。後此地を標するが爲に。此地に社を建て。伊弉※[冉の異体字]尊と軻遇突智神とを祭れるならん。伊弉諾尊は夫神なれば。後に並べて祭れるなり。【永正年中の棟札にも。産田二所とあれば。古くより二所として祭れるなるべし。】上古は榎本氏代々神官にて。社領の地を掌りしに。中世以來別に神主を置きて神事を掌らしむ。天正の頃。榎本氏斷絶し。宮社も盡く兵火に罹り。古記等傳はらざる事惜むべし。社領は堀内氏の時までは。猶田地五町ありしに。淺野氏の時收公せらる。其頃淺野右近に愁訴して。高五石を免さる。寛文年中花窟と共に。殺生禁礼を給へり。祭日は毎年正月十日。隣郷の貴賤群集して參詣す。【以上紀伊續風土記】
 
祭典」。本社の祭典は。毎年例日本社に之を執行するのみならず。當國熊野新宮神社に在ても。古來遙拜の式あり。新宮神社年中行事に。左の一項あり。正月元日午刻。産由神社遙拜所。献供奉幣祝詞。神樂社僧勤之。十一月十五日夜子尅。於2産田宮遙拜所1云々社僧勤之。【以上紀伊續風土記及神官上申書】伊弉※[冉の異体字]尊の神靈(193)當國熊野本宮へ遷座」。本宮の神社即ち熊野坐大神は。御垂跡縁起等に載するが如く。往古新宮の東。阿須賀(ノ)社の北なる。石淵《ヤブチ》の谷より。本宮に遷坐ありき。又|妣《ミハヽノ》尊伊弉※[冉の異体字]尊を有馬村より奉迎し。家津《ケツ》御子大神。熊野夫須美大神。熊野速玉男大神に合配し。本宮に在ては古來之を上《カミ》四社と奉稱し。特に祭敬奉祀せり。伊弉※[冉の異体字]尊有馬村より遷幸の事。本宮神社の舊記中に明記するもの多かりしも。明治二十二年の水災の爲め。舊記悉く流亡し。今一も徴すべきものなしと雖も。遷幸の事蹟。今尚口碑に遺傳するもの多し。亦他の地方の舊記中。僅に記録するものあり。彼此併考るに。遷幸の事明確疑ふべからざるなり。【下略】
 
 右は花窟産田神社の御事。いとつまびらかなれば。考證の大略を抄出せるものなり。なほ委しくは本書を見るべし。    武郷
 
(195)日本書紀通釋卷之五    飯田 武郷 謹撰
 
〔第六一書〕一書曰。伊弉諾(ノ)尊(ト)與2伊弉※[冉の異体字](ノ)尊1。共《トモニ》生《ウミタマフ》2大八洲(ノ)國(ヲ)1。然(シテ)後伊弉諾(ノ)尊(ノ)曰。我|所v生《ウメル》之國。唯有(テ)2朝霧《サギリノミ》1而|薫滿之哉《カヲリミテルカモトノタマヒテ》。乃吹(キ)撥(ラフ)之|氣化爲《イキニナル》神(ノ)號《ミナヲ》曰(ス)2級長戸邊《シナトベノ》命(ト)1。亦曰2級長津彦《シナツヒコノ》命(ト)1。是(レ)風(ノ)神也。
 
 
我所生國。重胤云。此は大八洲國を已に生給ひ竟たる後なるにて。引續ける節には非るなり。其は二神大八洲國を生坐て。共に住給へる程に。朝霧の深く薫り滿て在しかば。吹撥はでは。得あるまじく成れるにて。是風神の成坐る所以也。【凡て二神の御上のみならず。神代の趣を考るに。御親《ミヅカラ》如此もあらんとおもほし立せる方は少くて。時の勢の。已に必然せずては。叶ふまじく。ことの迫れるに就て止事を得ずして。其行ひ玉へる事共の。終に甚しき御功と成れるは。全く皇祖天神の。預鎔造らせる理に因れる者にて。人事の上に於ても然り。】と云り。○朝桐云々。平田翁云。朝は佐と訓べし。朝字をしも書るは。霧は多く朝に立つ物なれば。其意を以て書るなるべけ机ど。字のまゝに阿佐と訓は非なり。薫滿とは。霧の立こめ棚引たるを云。【俗に迦須美のたつ。また母夜の降たるなど云ふ即是なり。】冠字考に。萬葉に朝霞|鹿火屋之下《カビヤノシタ》に云々。この冠字は。朝霞の加乎留と云語あるを略きて。加の一言に言かけし成べしと云れき。此の有2朝霧1而薫滿之哉。とあるも同じく。又萬葉に鹽氣熊味香乎禮留《シホケノミカヲレル》國にとも云ひ。古は雲霞烟霧(196)などの曇るを。加乎留と云へればなり。【今昔物語にすら烟の薫り合ひたる中より。かきまぎれて云々と云つ。】と云れ。神樂歌に伊勢之末乃也。云々多久保乃計。以曾良加佐支仁。加保利安不《カホリアフ》など見ゆ。【この加保利は。乎と保と假字は違へれど同語と思ゆ。其は上の鹽許袁呂許袁呂爾掻鳴とある。許袁呂は氷と同言なればなり。推て知るべし。さて此に薫字を書るは。加袁理てふ言の。かく弘(ク)て。正く此言にあてつべき字のなき故に。姑く香の方に就て。此字を當たるならむ。】偖此時は。國土は産生し給ひて。未(ダ)いくほどもあらざる世なれば。晴ることなく。唯狹霧のみ立くもれりしなりと云り。【或人云。今も北越奥羽の間は靄氣深し。松前蝦夷地に至ては青天を見ること罕也と云り。それに准へて古を想ひ遣るべしと云り。】○吹撥之氣。重胤云。瑞株盟約章に。吹棄氣噴之狹霧《フキウツルイブキノサギリ》とあり。吹撥と吹棄との差異を如何にと云に。吹棄は緩にて。吹撥は急なり。故其吹棄玉ふ方には。氣噴之狹霧を生(シ)玉へるを。此の吹撥はせるには。薫滿たる朝霧を掃はせ玉へり。【今も此を試るに。口中より緩く息を出せば。緩にして氣をなし。急に息を吹けば。冷にして。唯風耳出るを以て考ふべき也。】○級長戸邊命。亦曰云々。山蔭云。級長戸邊(ノ)命は。女神の名なるに。亦曰級長津彦命とはいかゞ。此は一云を。後に亦曰とは誤れるなるべしと云り。舊事紀に級長津彦命次級長戸邊命とあれば。げに云れたる説の如くなれど。其は中々に誤にて。此は共に男神の御名とすべし。記にも志那都比古神のみ坐(セ)ばなり。名義。息のことを。古く志とも云るにつきて。纂疏に息長と云むが如しとあり。【長を那と云るは古書に例あり。】其は此(ノ)二柱神は。伊邪那岐(ノ)命の。薫(リ)滿(テ)る雲霧を撥(ヒ)給ふとしては。御息を長く吹給ふべく。其(ノ)御氣より生給へる故に。息長とは申すなるべし。【さて息は氣なり。重胤云。常には氣と云を。志と云は如何にと云に。伎とは全體の氣の名にて。其氣の物に迫りて。一※[土+區]なるを志と云り。其は空氣の迫りて。動搖ぐを風と云て。(名義|氣迫《カセ》なるべし)其神名に。志那と負坐るを始めとして。飃《ツムジ》は屯氣。嵐は荒氣。虹は丹氣なる例也。又風を許佐とも。伊那佐とも云るを。知に轉じて。東風《コチ》暴風《ハヤチ》なども云ひ。又其をハヤテと云り。】縣居翁説に。萬葉の歌に志長鳥と云るは。〓〓《〓ホリ》のことにて。息長《シナガ》鳥と云《イハ》むが如し。また二十卷に。にほどりの於(197)吉奈我河波《オキナガガハ》と連け詠るを以知るべし。此鳥水底に入て。浮出ては長く息つく故に。然云かけしならんと云れたり。偖戸は處にて。風氣の常に在處を云なるべく。亦御名の津も同じ。邊は大戸之邊と同じく。女を尊む稱の如くなれど。此邊は然らず。美と通ひて。山津見綿津見などの見に同じく。何れも男神の御名也。風神はかく男神にましませども。又其分身は比古比賣二柱にも坐々すこと。祝詞に見えたり。此は速秋津日命は一柱にましませども。其分身の女男二柱とも坐々て。河海に依て持別て。御子をさへに生坐ると同じ。されば祝詞によりて。必本より比古比賣並坐りとも定めがたし。記紀に一神を脱したるべし。と云れたる縣居翁(ノ)説はわろし。さて科戸之風と云ことは。記傳に此神の御名より云て。凡ての風のことなりと云り。【重胤云り。級長戸と續く時は。風氣の常在に吹處の謂にて。即此大虚空の事也。大祓詞に科戸之風乃。天之八重雲乎。吹放事之如久。朝之御霧夕之御霧乎。朝風夕風乃吹掃事之如久。とあり又堤中納言物語。無由言卷に。出立つ所は。科戸の原の上の方に。天河原の邊逝く。云々とあるを見るに。科戸と云は大空の事と見えたり。と云り】○風神。風神の未生ざりし以前にも。大虚は素より。氣の充塞れる所也。然るに風神は。其氣を動かす爲に成坐るなり。されば氣を體にして其用は風(ノ)神なる事。なほ日を體にして其用は火(ノ)神なるが如し。さて平田翁云。風は伊邪那岐(ノ)大神の御息より。起れるに就て思ふに。人の氣息も即(チ)風にて。音聲を爲し。語言を爲すも。皆此神の御靈を蒙り奉ることなるは云も更にて。此氣息を身に持てる間を。生《イキ》と云ふは。息と同言にして。命《イノチ》と云も息内《イノチ》といふ言なるべく。死は息去《シヌ》なるべし。【死ることを。息絶と云にても。此意の言とは聞えたり。風をも息をもシと云ふことは既に上に云り。】と云り。式に大和國平群郡龍田(ニ)坐(ス)天(ノ)御柱國御柱神社二坐。【並名神大月次新嘗】龍田比古龍田比賣神社二坐。【此社は今も立野村の本宮の玉垣の内に。右方に二社並立せ(198)玉へりと云り。如此く同神なるを異神の如くして。別社に祀奉る事は彼此例あり】とある即是神なり。
 
 
又|飢時生兒《ウヤシカリシトキニウメルコヲ》號(ス)2倉稻魂《ウカノミタマノ》命(ト)1。
 
飢時云々。本に肌をヤハシカツシと訓るは謬なり。元々集訓にウヤシカリシとあるを正しとすべし。飢しかりしなり。北野本にはウヱタマフと訓れど。かくては伊弉諾尊の御上にのみ。かゝりてせまし。其よし次に云。重胤云。此は二神の天降坐る其始は。彼別天神の如く。隱身に御在し坐しを。※[石+殷]馭廬島に天柱を化竪て。八尋殿を化作玉へる頃よりは。漸々に顯身の大神と成玉ひて。其生坐る御子神等をも。顯身にて生出玉へるなれば。此に於て。顯身を容べき住處あるべく。装ふべき衣服有べく。養ふべき食物有べく。此三(ノ)物を以て保たせ玉ふべき御命也。然れば此時始て。顯身には食て活べき物の。あらまほしく思ほし成つるなり。次なる黄泉の所に。伊弉※[冉の異体字](ノ)尊の吾已|喰泉之竈矣《ヨモツヘグヒセリ》と有を以て。既く火食の事有しを曉るべし。と云れたるが如し。但此飢時を。伊弉諾尊の御事とのみ。見るは委しからず。此時其生坐る御子等。みな顯身にして。生出玉へれば。其御身の上に食て活べきものゝなくてはあらず。自ら飢坐るなり。其時をひろくさして云るなり。【元々集に引る太田命傳。また神祇譜傳圖記と云ものなどには此を天下飢餓云々と書り。これ其時をひろく云る證なり。】さて記にも伊邪那岐命伊邪邪美命の御子に。大宜津比賣神生坐り。倉稻魂命即ち大宜津比賣神と同神なれば。【此こと次に云】こゝに伊弉諾尊の生兒とあるに熟符へり。さるを此傳をば採らで。平田翁の辨へられたる其(ノ)説(199)に。まづ此神の御名の種々に傳はりて。混亂れたることを辨へ置て。後に云べし。さるは大宜都比賣神。倉稻魂(ノ)命。同神なる由をなほいはゞ。倭姫命世紀に。調《ツキノ》御倉(ノ)神。宇賀能美多麻神坐。亦號大宜都比賣神。亦保食(ノ)神。神祇官内(ニ)坐御膳(ツ)神是也とあるを以て。其の同神に坐すことを知べし。さて此世記の傳に。亦號大宜都比賣神。亦保食神とある。これ又正しき傳なり。そは記に須佐之男命の食物を。大宜津比賣神に乞て。殺し給へることを。紀には月讀尊の。保食神の許《ガリ》到りて。殺し玉へるとあり。大宜津比賣神保食神と同神なること。世記の傳と。彼此思合せて曉るべし。さて又此大宜津比賣神。倉稻魂命。保食神と云は。外宮の度會に坐す豐宇氣毘賣神と同神に坐なり。其はまづ大殿祭詞に。屋船豐宇氣姫命。とある所の本注に。俗謂2宇賀能美多麻命(ト)1とみえ。世記に。豐受大神一坐。亦名倉稻魂命是也と見え。【また御鎭坐傳記にも豐受皇大神一坐とある下に。和久産巣日神子。豐宇氣姫命。稻靈神とあり】また酒殿(ノ)神の下にも。和久産巣日神子。豐宇賀能賣神(ニ)坐(ス)也。五穀種(ヲ)所化《ナシマセル》神。保食神分身とあり。【御鎭坐本記にもかく有】また廣瀬社縁起に。倉稻魂命。此大忌廣瀬(ニマス)社也。又曰若宇加之賣命。伊勢外宮(ノ)分身也。【神名式。又祝詞式にも廣瀬坐若字加乃賣命とあり。】など見えたるを思ひ集めて。豐宇氣毘賣神。大宜都比賣神。倉稻魂命。保食神。豐宇賀能賣神。若宇加乃賣神など申すは。同神の別稱なることを曉るべし。【なほ神名式に。大宇迦神と見え。古事記に。邇々藝命御天降に登由宇氣神と見え。神樂歌に豐遠加比賣など申せるも同神の別稱なり。武郷云神名秘書裏書。大神宮古書云。大御氣都比賣神とも有り。】偖此神の生坐る傳は。上に見えたる記紀二(ツ)の傳の外に。また古事記に。伊弉※[冉の異体字]尊火神を生坐る事ありて。因v生2此子1美蕃登所炙而云々。於v屎成神名彌都波能賣神。次和久産巣日神。此神之子謂2豐宇氣毘賣神1。とある。かく三の傳の有(200)が中に。和久産巣日神之子と申せる傳ぞ。【上に引る。世記御鎭坐本記。などゝも符ひて。】正説なりける。と云れたり。これはよく考べし。さて又記に。須佐之男命娶2大山津見神之女神大市比賣(ニ)1生子大年神。次宇迦之御魂神【二柱】と有ど。此の倉稻魂命とは。同名にして異神なり。偖此神名義。字介は宇氣に同じ。私紀に宇氣者食之義也とあり。記傳大宜津比賣神名の解に。宜は食《ケ》也。さて此食を放ては宇氣と云(フ)。豐宇氣毘賣神。保食神など是なり。又宇氣を轉じて宇迦とも云。【此は風を加邪。稻を伊那。酒を佐賀と云と同く。第四(ノ)音の第一(ノ)音に轉る格なり】如此れば氣宇氣宇迦みな同言にて。右の神等の御名。いづれも此|食《ケ》の意なり。【御膳御饌などゝ云
 
て。食物のことなり】とあり。魂を美【木+施の旁】磨と訓ること既に云り。恩頼の意なり。宇氣を主り玉ふ大神と坐て。其恩頼を令v蒙(ラ)給ふ義なり。さて此神と。木(ノ)神とを屋船命と申すにつきて。【此事上に云り】平田翁云。神祇令に。季夏月次祭條(ノ)義解に。謂d於2神祇官1祭u。與2祈年祭1同。即如2庶人(ノ)宅神祭1也。と見え。野府記。長元元年十一月二十五日乙卯宅神祭。奥儀抄に。保食神(ハ)宅神也とも。また宅神倉稻魂命云々。とあるなどをあはせてももふに。此ころ迄はなほ。屋船命と申すは。豐宇氣毘賣神の事なる由を。世人知て。宅神と云(ヒ)て。月々にいみじく祭りけんこと。知られたり。此大神は食物を幸ひ坐す御功徳更にも云はず。※[糸+任]織の事も。此大神の御身に。蠶の生れるより始まり。屋船をさへに。守護たまへば。食物住所衣服の道を。靈幸ひます本つ御祖神に坐て。尊しなど申すも更なる神徳になん坐々けると云り。さて式に。神祇官に坐(ス)御巫の祭(ル)神八坐の中の。御食津神と申すは。則此神に坐なり。【祝詞に大御膳都神とも云り。】内宮儀式葭原神社の下に。宇加乃御玉御祖神ともあり。又式に出羽國(201)飽海郡に。大物忌神社【名神大】とある社も。倉稻魂神に坐すよし。諸書に見えたり。猶此神の御事は下にも云り。考合すべし。【又此神名の文字。本居翁説に。倉字は心得ず。誤字か○食(ノ)字を誤れるにや。又衍字にてもあらんか。和名抄にこれを引て此字なし。又神武紀なるも倉字はなし。然るを倉稻魂と。稻魂とは別なりと云説は非なり。と云り】
 
 
又生2海《ワタノ》神等(ヲ)1。號(ス)2少童《ワタツミノ》命(ト)1。山(ノ)神等(ヲ)號(ス)2山祇《ヤマツミト》1。水門《ミナトノ》神等(ヲ)號(ス)2速秋津日《ハヤアキツヒノ》命(ト)1。木(ノ)神等(ヲ)號(ス)2句句廼馳(ノ)神(ト)1。土(ノ)神(ヲ)號(ス)2埴安(ノ)神(ト)1。然(シテ)後(ニ)悉(ク)生(ミタマフ)2萬(ノ)物(ヲ)1焉。
 
 
海神は。本書に次生v海とあるにあたれり。下なる祓除條に。底津少童《ソコツワタツミノ》命。中津《ナカツ》少童命。表津《ウハツ》少童命とあるとは異なり。こゝなるは一柱なるに等とあるはいかゞ。次々の神もしかり。○少童命。名義。和多は海。都は助辭。美は尊稱。次なる山祇の祇も同じ。【此御名文字。神武紀には。海童とも書り。博物誌(ニ)云。西海(ノ)神童張華詩。有2海童1邀v路。注云海神也とあリ。無v恭文字なるよし。罔象女の下に云が如し】○山祇。神名式伊豫國越智郡大山積神社【名神大○武郷云。此世に名高き大三島大明神なり】また伊豆國賀茂郡伊豆三島神社【大月次新嘗】も此神なり。其外にも御社多し。平田翁云。山津見は山を掌給ふを。木は山に生る物なる故に。山開(キ)には。此神を祭るぞ古道なる。其は大殿祭詞。また山(ノ)口に鎭坐す山神たちを。祭る詞を見ても知べしとあり。さてまた延暦儀式帳に。大山罪御祖命と申すも。此神に坐ベシ。【式に。度會郡大水神社。とある社を。大水神社一處稱2大山罪御祖命1とあリ。】一書には山雷とも見えたり。【山蔭云。すべて山津見の津見に。祇字を書れたるは。いかなる意にか。もし山は地にあるを以て。地祇の意にや。然らば野なども地にあれば其神の名の野槌なども。野祇と書べきに。山神に限れるはなほいぶかしと云り】○水門神。水門は海に出入る戸口なり。【島門などもいふ。那は之に通ふ辭なり。】○速秋津日命。此神は水(202)門に坐々て祓(ヘ)を掌給ふ神也。大祓詞に。荒鹽乃鹽乃八百道乃。八鹽道乃鹽乃八百會爾坐須。速開都比※[口+羊]止云《ハヤアキツヒメトイフ》神。持可可呑※[氏/一]牟《モチカカノミテム》。とあり。名義。住吉神代紀に。此神の御事を。六月御解除|開口水門姫《アキクチミナトヒメノ》神社(在和泉國)と書り。案に開く事をアクと云へば。水の門口の壅《フタガ》らず開たるよしの御名なるべし。さらば大祓詞に速開都比※[口+羊]と書たるは正字也。此神の祓を掌給ふこと。水門の鹽道に坐々て。罪穢を。壅滯なくさすらひ失玉ふに依て。祓神とはなり坐るなり。かくて此神は。こゝに一柱に坐し。大祓詞にも速秋津比※[口+羊]と云て。一柱にませり。然るにまた記には。詳に比古比賣二柱にも坐々て。河海に因て持別て。御子をさへに生坐るは。例の分身に坐ますが故也と云り。偖水門神等とは。彦と姫とを包たるなるべし。【式に伊勢國度會郡瀧原宮大月次新嘗とあるを。倭姫世記に此彦神とし。並宮を姫神と記されたれども。式及儀式帳に。大神の遙宮と有れば後人の加筆なるべし】○土神。永享本に神下等字あり。○埴安神。御名の義。上の一書に云へり。偖神武紀に。天皇以2前年秋九月1。潜取2天香山之埴土(ヲ)1。以造2八十平瓮《ヤソヒラカヲ》1。躬自斎戒祭2諸神1。遂得v安2定區宇(ヲ)1故號2取v土之處1曰2埴安(ト)1。とあれば。此時始て祭給ふが如くなれど。前年九月(ノ)下に。夢有2天神1訓之曰。宜取2天香山(ノ)社(ノ)中(ノ)土1とあれば。神代より鎭坐りしを。更に此社の土を取て。天下を安定《ヤスン》じ玉ひし。其祥によりて。其地をも埴安と負せたりしよし也。此は式十市(ノ)郡畝尾(ニ)坐健土安神社とある御社の地にて。此説によらば。埴安と申す御名は。この香山なる地名より出たる御名なるべし。さらば此神は。上の一書に埴山姫とあるが。本の御名にて。埴安とあるは。此地に鎭坐てより後の御名なるべし。【金神金山姫と申すに對へても。此神の埴山姫と申すが本の御名なるべくおもはるゝなり】偖埴山姫の住ませるより起りて。(203)香山を又埴山とも云けんとおぼしき事あり。其は金山姫の住ませるより起りて。この山を。天(ノ)金山とも云へりしにて。しか思はるゝなり。○悉生2萬物1とは。人草はさらなり。總て活とし活る物の。始(ノ)祖を生給へるを云(フ)。さるは鎮火祭詞に。神伊佐奈伎伊佐奈美乃命。云々國能八十國。島能八十島乎生給比。八百萬神等乎生給比※[氏/一]。麻奈弟子爾火結《マナオトコニホムスビノ》神生給。云々とある。八百萬神は。こゝなる萬物にあたれり。物と云ふ名は。萬に泛く亘る中に。神をも人をも指て云ること常なれば【この事なほ大物主神下に委く云べし。】祝詞に神と云るを。猶泛く物と云るなり。さて其に次て。火結(ノ)神を生給とあるも。こゝはいとよく符へり。【山蔭云。上下の例みな其神を生とあれば。これも萬物の神なるべければ。神字あらまほしと。あれど。なき方よろし】
 
 
至(テ)2於火(ノ)神軻遇突智之|生《ウマルヽニ》1也。其母伊弉※[冉の異体字]尊。見v焦而|化去《カムサリマシヌ》。于時伊弉諾尊|恨《ウラミテ》之曰。唯以(テ)2一兒《コノヒトツケヲ》1替《カヘツル》2我(ガ)愛之妹《ウルハシキナニモノミコトニ》1者乎《カモトノタマヒテ》。則|匍2匐《ハラバヒ》頭邊《ミマクラベニ》1匍2匐《ハラバヒテ》脚邊《ミアトベニ》1而|哭泣流涕《ナキイサチカナシミタマフ》焉。
 
 
一兒。紀に子之一木とあり。記傳に。古能比登都氣と訓べし。私記曰。一兒古事記及日本新抄。並云v謂d易2子之一木1乎u。古者謂v木《キヲ》爲v介《ケト》。故今云(フ)2神今|食《ケト》1者(ハ)。古(ハ)謂2之神今|木《ケ》1矣。云々と云り。此訓古き傳ときこえたり。なほ古に木を氣とも云し例は。書紀景行卷に。御木。木此云v開《ケ》。萬葉集に麻氣波之良。(204)又麻都能氣。又近江の佐々木を。和名抄に篠笥《サヽゲ》とありと云り。私紀に。必以v木爲v喩者。古以2貴人1喩2於木1。故謂2神及貴人1。爲2一柱一木(ト)1矣。今此云2子之一木(ト)1猶如v云2子之一柱1矣。以2賤人1喩2於草1。故謂2天下人民1爲2青人草1也。とある如く。貴人を木に。小人を草に。古は喩たりけん【重胤云。艸と云へば賤しく聞ゆれども然に非ず。天之益人とも云る如く。人民の蕃息これる状を。艸の所狹く茂り榮ゆるに喩たるなるべし。といへり】○愛之妹。記に愛我那邇妹命乎とあり。愛之。本にウルハシキと訓り。此下にも愛也吾妹。とあるをも然よめり。例ば。應神天皇皇太子御歌。記輕太子御歌。萬葉十五十七にもあり。言義|麗愛《ウルハシ》か。また私記によりて。宇都玖志伎とも訓べし。萬葉をはじめ。古歌に多くありて。睦ましみ親しむどち云言也。妹《ナニモ》は記傳に。履中卷に鳥往來羽田之汝妹者《トリカヨフハタノナニモハ》。云々汝妹此云2儺邇毛1とあり。邇は伊と同韻を通はして云か。【白檮原宮段に。那泥汝命ともあり。又萬葉十七に。弟をさして奈弟乃美許等ともあり。】○頭邊。脚邊。記に御枕方御足方とあり。枕は目座《マクラ》。阿登は足所《アト》なり。【雄略記に頭脚とあり】重胤云。此頭邊脚邊は。二神の※[しんにょう+構の旁]合し姶ふ※[しんにょう+構の旁]所にて。二神共に御手を纏て。寢給ひし敷妙の御枕方御足方の事也。其床上を後に成し先に成して歎かせ給へるなり。と云れたる然る言なり。萬葉の歌などにも。さるさまによめるが數多あり。崩御玉へる御體の。御枕方御足方を云と思ふ可らず。○匍匐。萬葉十九に。赤駒之腹婆布田爲《アカゴマノハラバフタヰ》。新撰字鑑に匍(ハ)波良波比由久。靈異記に匍匐波良波布。などあり
 
 
其涙|堕《オチテ》而|爲《ナレル》神。是(レ)即(チ)畝丘樹下所居《ウネヲノコノモトニマス》之神。號(ス)2啼澤女《ナキサハメノ》命(ト)1矣。
 
(205)涙堕云々。此も御涙即て神に化爲る如くなれど。記に於《ニ》2御涙1所成神。とあるに據て心得べし。○畝尾樹下。記に坐2香山之畝尾木本《カグヤマノウネヲノコノモト》1とあり。香山は大和國十市郡なり。【此山の事は石窟段に云ふ。】畝丘は。記傳に師云。此山の畝尾は。西へも引き。ことに東へは長く曳わたりけん。今は其畝尾の形聊殘れり。樹下は。式に十市郡畝尾(ニ)坐(ス)健土安神神社。畝尾|都多本《ツタモトノ》神社。此を香山といはで。たゞに畝丘(ノ)樹下所居之神とあると。右の式を合せて思へば。畝丘も樹本も。地名に爲れるなり。【姓氏録に。畝尾(ノ)連と云姓もあり。此處よりぞ出けん。今も樹下村と云有り】偖|都多本《ツタモト》とも。いひしにやとあり。○啼澤女命。記傳云萬葉二に。哭澤之《ナキサハノ》。神社爾三輪須惠雖祷祈《モリニミワスヱイノレドモ》。我王者高日所知奴。【昔かく人の命を。此神に祈けむ由は。伊邪那美(ノ)神崩坐るを。哀み給へる御涙より成坐る神なれば也】是は此神社と痛えたり。かの都多本(ノ)社は同じきやあらずや。よく尋ぬべしとあり【大和志に都多本神社則在2木本村1啼澤社是也とあり】名義。或説に泣眞雨なるべし。記八千矛(ノ)神御歌に。汝か泣さまく朝雨の狹霧にたゝむぞ。とあるに合せて知らる。と云へり【記傳云さらしなの日記に。さめ/”\となき給ふ云々。とある今の世にも云語なり。これも涙の落つるさまを云て。即さはめさはめなるべしと云へり。】
 
 
遂(ニ)拔(テ)2所帶十握《ミハカセルトツカノ》劔(ヲ)1。斬(リテ)2軻遇突智(ヲ)1爲《ナス》2三段《ミキダニ》1。此各(々)化2成《ナル》神(ト)1也。
 
所帶。記傳云。明宮段に波加勢流多知と歌へり。立るをたゝせると云類にて。波祁流を延たる語なるか。自尊む辭ときこゆ。さてかく用言にも。御と云こと。古は記中に御寢坐《ミネマス》。萬葉に御立《ミタヽ》すなど獅多しとあり。○十握劔。記に十拳劔とあり。記傳云八拳鬚七拳脛などの例なり。拳《ツカ》は搏にて四(ノ)指を並たる(206)長を云。下に掬字をも書き。書紀には握(ノ)字を書り。上代に手して搏て。幾搏《イクツカミ》と物の長(サ)を量れるなり。然爲ること今も遺れり。【束るも手して物を搏(ミ)集るを云也。】さて十拳は。劔身の長を云なり。一書には九握劔八握劔と云もあり。とあり。偖此御刀の名を。記に所斬之《キリタマヘル》刀(ノ)名(ヲ)謂2天之|尾羽張《ヲハバリト》1。亦名|伊都《イツ》之尾羽張とあり。【此紀の下卷には。稜威雄走神とあり。此ことは其處に云ふ】重胤云。劔と云ひ刀と云る名伎を云はゞ。萬葉十一劔刀|諸刃利足蹈《モロハノトキニアシフミテ》。又劔刀諸刃之|於荷去觸而《ウヘニユキフレテ》などあるは。劔は諸刃なる證也。故思ふに。名義は貫伐《ツキキレ》にて。突《ツク》と伐《キル》とを兼たる謂なるべし。名義抄に劍を多知とも。和伎婆佐牟とも訓て。下に兩刃(ノ)刀都流岐と讀分られたり。大刀と云は斷《タツ》の意にて。片刃《カタハ》なるを云へり。遷却祟神詞に打斷物止大刀《ウチタツモノトタチ》とあるぞ。目易くてよくきこえたる。【武郷云。右の説の如くなれど。轉じて劔の太刀など云時には。劔をも太刀とは云けらし】和名抄に。似v劍一刃曰v刀。大刀【和名太知】小刀【加太奈】とある。共に片刃なるを云れば。小刀は。片薙《カタナギ》の義なるを知るべしとあり。偖平田翁云。此紀には御刀の名を傳へ洩したる。こは御刀は云へども。神に坐て。こゝに成坐る神等の御祖なれば。こゝに御名なくては。得あるまじきわざなりと云り。さて右の十握劍。此にては劍名なれども。下に至ては稜威雄走神と申て劍に非ず。顯身の神に坐す事更なれど。常は劔に御身を藏めて。隱身に御在し坐しけり。○爲三段。伎陀は平田翁云。師説に寸《キ》を伎と云ふは刻《キ》の意也。萬葉一に玉刻春《タマキハル》とも書て。伎に刻の字を借り。【十三卷に眞刻持と有も此意にて。】伎と云ぞ。伎陀《キダ》伎邪牟《キザム》などの本語なる分を。伎陀と訓ゆゑは。景行紀に碩田《オホキダ》と云(フ)國名見えて。此云1於保岐陀1と有は。和名抄に。豐後國大分於保伊多とある地なり。【伎を伊と云は後の音便なり。】是(レ)伎陀に分(ノ)字を用たりと有(207)り。分を岐陀と訓るは。分字もと分別の義なる故に。段字を伎陀と訓むと同じ意に用しなりと云り。さらば伎陀の陀は。邪《ザ》と通音にて伎邪牟と同音なるべし。偖次の一書によるに。此三段は雷(ノ)神山(ノ)神高※[雨/龍]神等に坐せり。記にはこの事見えず。一書には五段に斬て。五の山祇に成れりとあり。【此事なほ下に云ふ】
 
 
復《マタ》劔刃垂血《ツルギノハヨリシタヽルチ》。是爲(ル)2天安河邊所在《アマノヤスノカハラニアル》五百箇|磐石《イハムラト》1也。即此(レ)經津主《フツヌシノ》神之|祖矣《ミオヤナリ》。
 
 
劔刃。刃《ハ》は齒《ハ》と通ふ。又夜以婆と云るは。燒刃《ヤキバ》の義也。○血。是時火神を斬給へる血の。天に激り止りて。五百簡磐石となれる。其血即ち火なる事は。一書に是時斬(ル)血|激灑《ソヽギテ》染2石礫《イシムラ》樹草(ニ)1。此草木|沙石《イサゴノ》自含(ム)v火(ヲ)之縁也。とある處に委く云べし。○天安河。記傳云。天上にある河なり。名義。古語拾遺に。天(ノ)八湍《ヤセノ》河原とあれば。彌瀬《ヤセ》の河にやとあり。【次一書には。八十(ノ)河中とあるも同河と聞ゆ。須と世と皆通ふ音なり。】平田翁曰。此名(ハ)下の段々にも見えて。皆同河なり。【師は神代の天上の故事を云る。皆此河名を云て。他河(ノ)名は見えざれば。是は一の河名にはあらで。たゞ流のいくすぢも有て。大きなる河をいふなるべし。と云れつれど然には非ず。其は天上にて。山としいへるは香山と云ふが如く。河は此河。山は彼山に限るべき。妙なる由ある事なり。】と云り○五百箇磐石。五百は數多きを云。記に湯津《ユツ》石村とあり。記傳云。師説に五百を約て由と云へり。【今云伊富を切れば與なれど。與と由とは殊に近く通ふ音也。自を古言に由とも與とも云類なり。】湯津桂《ユツカツラ》湯津|瓜櫛《ツマグシ》なども。枝の多く齒の繁(キ)を云。村は群の意なりとあり。【伊波と伊志との差別は重胤云。和名抄に磐(ハ)大石也。和名以波。石(ハ)凝土也。和名以之と見え。名義抄にも磐に大石と云訓も有を以て言義を思ふに。伊波は石張《イハ》にて巖は石張大《イハホ》なる事灼然し。又石を凝土と云るも然る事にて石縞《イシ》の切れるなり。斯れば此は伊波牟羅とよむぞ。當れる訓なりけると云り。】○經津主神。名義。かの※[音+師の旁]靈の御劔に依れり。其は神武紀に。※[音+師の旁](208)靈此云2赴屠能瀰※[口+多]磨《フツノミタマ》1とあるに就て。記傳に。※[音+師の旁]は廣韻玉篇などに。斷聲と注せる意を以て書れしにや。今世の音にも。物の殘なく清く斷れ離るゝ貌を布都と云り。【布都理など云り。狹衣にふつと見はなつともあり。○武郷云。常陸風土記信太郡條に。古老曰。斯貴(ノ)瑞垣宮(ニ)大八州所馭天皇之世。爲v平2東夷之荒賊1。遣2建借間命1云々。段斬《フツトキルト》所v言今謂2布都奈之村1。枕册子にいとあはれときゝながら。泪のふつと出こぬなどある。みなこの布都と同じ。】と云れたるに依れば。彼劍の利して物を清く斷離つ意を以て。稱へつる御名也【彌加布郡 比古佐自布都 建布都 豐布都などの布都皆一也。】扠主は稱辭也。三代實録貞觀二年七月。進2河内國從三位彌加布都命。比古佐自布都命神階1。並加2從二位1とあり。此は記傳に。河内郡枚岡神社四座の内にや有む。と云れたる説に就て。按へば。彌加布都命は武甕槌神なるべく。比古佐自布都命は。經津主神と聞えたり。若て記に。建御雷之男神。亦名建布都神と見え。同書白檮原宮段に。建御雷神の降奉玉へる横刀を。此刀名云2佐土布都神(ト)1。亦名云2甕布都神(ト)1。亦名布都御魂。などあるに就て。記傳に。魂御雷神と此經津主神を。同神に定められしかども。そは非なるよし。上に云るが如し。されば彼横刀の名を。佐士布都。甕布都。布都御魂と申すは。其作用に就て布都と云るか。經津主神と申すは。其總體を主(リ)給ふ御名と爲るなり。斯在は。建御雷神の亦名なる。建布都神。豐布都神も。また御刀に依て。然負坐けるものとすべし。○祖。按に此神は。次第七一書に。斬2軻遇突智1時。其血激越。染2於天(ノ)八十河原所在五百箇磐石(ニ)1。而因化成神號曰2磐裂(ノ)神次根裂神(ト)1。兒磐筒男神次磐筒女神兒經津主神。また下卷本書に。磐裂根裂神之子。磐筒男磐筒女所生之子。經津主神とありて。磐筒男磐筒女神の御子なる事は明らかなり。然るに今は其神等を祖といはずて。五百箇磐石をしも。祖と(209)傳へたるは異しきに就て。熟考るに。いとも妙なる理ある事なり。さるは經津主神武甕槌神共に。孰れも伊弉諾尊の御劔に因て。成坐る神の御末なるに。下卷に經津主神をば。磐裂根裂神之子。磐筒男磐筒女所生之子と云ひ。武甕槌神をば。稜雄雄走《イツノヲバシリ》神之子。甕速日神之子。※[火+漢の旁]速日神之子と。別きて云傳たり。此を思べし。同じ劍より化出させ給へる神なれば。經津主神をも。共に稜威雄走神にかけて申すべき理にあらずや。さらば此義いかにと云に。此二神劍の御子なる事は。異《カハリ》なけれど。其物實の出自《モト》を云時には。其父とする方を以て。其子とは語傳へしなり。さるは磐裂根裂神は。此なる五百箇磐石を以父とし。劍を以て母としたるなり。故磐裂根裂神共に。其父方の磐を以て名とせり。また甕速日神は。劔を以て父とし。磐を以て母と爲たるなり。故甕速日※[火+漢の旁]速日神。共に其父方の劔を以て名と爲り。これ經津主神は。磐筒男磐筒女神の子にはあれど。なほ其もとを押究むれば。五百箇磐石を以て父と爲し。祖とすべき。深き謂ある事にて。こゝにまづ其本を云置るなり。なほ此事次々に云べし。さて祖と云ふ事は。記傳云。凡て上代には父母に限らず。幾世にても。遠祖までを通はして。皆たゞ意夜と云り。【其證は古書にあまたみゆ。父母は其意夜の中の一世なるが。有が中に近く親き故に。殊に其稱を專と負て。後には意夜といへば。たゞ其父母のみの稱の如くなれりしなり。後世のならひを以て古をな疑ひそ○武郷云。其父母の中にも母は殊に親きもの故に。又其稱を專と負り。其は母を御祖と云る事の多きを思ふべし。】故(レ)古書に祖字を於夜と訓て。親の事にも用ゐたり。【意富々々遲。意富遲などは。事を分て云ときの名にて。すべては何れもみな意夜也。】書紀には。遠祖上祖本祖始祖など書て。登富都意夜と訓り。是も古(キ)稱にて。萬葉十八にも遠祖神祖《トホツカムオヤ》などあり。又子と云も。己が生るに限らず。子々孫々までかけて云號なりとあり。さて(210)經津主神武甕槌神は。世に名高き神に坐す故に。此に其祖の成坐る因に。まづ其出自を知しめたるなり。
 
 
復劔(ノ)鐔垂血《ツバヨリシタヽルチ》激越《ソヽギテ》爲《ナリマス》v神。號曰2甕速日《ミカハヤヒノ》神。次|※[火+漢の旁]速日《ヒハヤヒノ》神(ト)1。其甕速日神(ハ)是|武甕槌《タケミカヅチノ》神之祖也。亦曰2甕速日(ノ)命。次※[火+漢の旁]速日(ノ)命。次武甕槌(ノ)神(ト)1。
 
 
劔鐔。鐔《ツミハ》は留刃《トメハ》の意なる由。貝原篤信云り。さもあるべし。【切羽《セツハ》と云物あり。狹鐔の意と即云り。】鐔和名抄唐韻曰。劔(ノ)鼻也都美波。とあり。今都婆と云ふものなり。記には御刀(ノ)本とあり。鐔即ち本にあれば同事なり。○激越爲神。記に走就とあり。さて此は初に化れる磐石に。激越てなることは。次の一書に。其血激越。染2天(ノ)八十河中所在五百箇磐石1。而云々とあるにて明らけし。【記にては。此事を此國土にての事とせり。】然れば激2越其磐石1と書るべきに。たゞ瀬越(テ)爲v神とのみ記れたるは。上文に既に劔(ノ)刃(ヨリ)及垂血。是爲2天安河邊所在五百箇磐石1。と記れし故に。自ら其磐石なること通ゆる故に。略きたる物なり。【山蔭に軻遇突智を斬給へるは。此國にての事なるに。其血の天なる河中の石に。激越むことは少し如何。と云れたれど。此等は神の御態の止の事なれば。尋常の理以ては料るべからず。こを又彼天地相去未v遠と云る文によりて説も非なり。いかに天地の間の近き頃なりとても。此國の血の天上に上らむ事は。なほ尋常の理以てはうたがはしき事ならずや。】○甕速日神。記傳云。甕は借字にて。美迦は伊迦に通ふ言なり。其伊迦は嚴矛。【舒明記】重日《イカシヒ》。【皇極記】伊賀志御世【祝詞】又伊迦米志伊迦志【源氏にたけくいかき云々。いかきさまを云云。】などの伊迦なり。其美迦と通ふ例は。遷2却祟神1祝詞に。建御雷神を健雷神とあり。又嚴きを美迦と云る例は。紀に謂ゆる甕星も嚴きを云。甕栗も嚴栗なり。神及人名に甕と云は。皆此意と知べしとあり。此説甕の義に就て注るなれど。猶按にしからじ。此神は劔鐔の血。(211)磐石に激越て。成坐る神とありて。其磐石は經津主神之祖とあれば。此神の爲には。其磐石は母の如く。劔は父の如し。されば御名も劔に因て解くべし。さらば美迦は身|R《カヾ》なり。劔の身のR《カヾヤ》き光れるを以。負玉へる御名なるべし。速は烈く猛き意。日は産靈の靈に同じ。○※[火+漢の旁]速日神。比波夜備と訓べし。※[火+漢の旁]は借字にて。此も身なり。劔の身を美とも比とも云る事は。寶劔出現章に韓鋤《カラサビ》之劔とある。鋤は眞身《サミ》なり。神武紀に鋤持神とあるも。劔を持るよしにて。此も同じ。崇神紀歌に。佐微那辭珥《サミナシニ》阿波禮とあるは。眞身無に可怜なり。推古紀御歌|句禮能摩差比《クレノマサビ》も同じ。されば此御名も。身《ミ》速日にて。劔刃の鋭利なる状にて。物を截つ事の。迅速きを云る御名とすべし。○其甕速日神。※[火+漢の旁]速日神をさしおきて。甕速日神を。武甕槌神之祖也。と云べきよしなし。永享本に此五字旡は然るべし○武甕槌神。甕は上に同じ。槌は野槌の槌の如し。記には。建御雷之男神。亦名建布都神豐布都神とあり。記傳に。記に經津主神と云神なきを。書紀に經津主と。武甕槌とを別神としたるは。甚く異なる傳なりと云れたれど。異なる傳にはあらで。此紀の方正しく。記は石筒之男神の下に。次石筒之女神。次布都主神。とあるべきを。脱らしゝにて。それぞまことに異れる傳也ける。さるは此神等の御祖甕速日神は。主と御刀の神靈に因り。磐裂根裂神は。磐石の神靈に因て成坐し。其成坐る所由も詳に別りて。皇孫命の御天降の段にも。二柱並坐し。今も鹿島※[楫+戈]取と。二所に別りて鎭坐れば。もとより一柱ならぬ事は灼然きを。記の誤れる傳に據て。正しき方を異れる説の如くに云れたるは。非事なり。○亦曰甕速日(212)神云々。山蔭云。此は異説なれば。一云とこそ有べけれ。亦曰はいかゞなりと云り。此次第は記に同じ。
 
 
復劔(ノ)鋒垂血激越《サキヨリシタヽルチソヽギテ》爲《ナリマス》v神。號曰2磐裂《イハサクノ》神。次|根裂《ネサクノ》神。次|磐筒男《イハツヽノヲノ》命(ト)1。一曰2磐筒(ノ)男(ノ)命及|磐筒女《イハツヽノメノ》命(ト)1。
 
 
劔鋒。記に御刀前《ミハカシノサキ》とあり。鋒は斬先《キツサキ》なり。○磐裂神根裂神。磐は上に見えたる五百箇磐石の磐なり。裂は字の如し。此は今手走る血即火にて。其|激發《スルド》く燃上る勢氣《イキホヒ》に。五百箇とそこらある磐石の。分裂《サケ》散るに至れりけん。其時に當りて成坐る神なるが故に。即其を御名に負せ奉りしなるべし。火を以て磐石を分裂く事のもと。此に根せりとやいはまし。また重胤云。裂は彼劔(ノ)鋒より。成坐る神なる故に。又磐根木根をも。刺割《サシサク》べき稜威坐すよし也。式の祝詞に。磐根木根|履佐久彌※[氏/一]《フミサクミテ》とある。佐久彌は裂所見《サクミエ》にて。足にて蹈凹めたる所の。破裂たる状に見ゆるにて。其佐久も此の例なるなり。【記傳に引れたる萬葉二に。石根左久見手。奈積來之。六に五百重山伊去悪見。二十に奈美乃間を。伊由伎佐久美など。又或説に。人面の凹凸あるを。凹面《サクミツラ》と云ひ。能(ノ)面にさくみと云有り。又馬さくりなど同じと云ひ。源氏少女卷に。さくじり老ずけたる人立交りて。とあるは。兒童の小ざかしきを云るにて。平穩ならぬ意なるなり。但此神名の裂は。割裂の義にて。右のさくみにはあらざるなり。】と云り。さて記傳に。此神名は石根拆と云言を。二つに分て。二柱に名けたるものなれば。根も磐根の根也とあり。○磐筒男命。筒は借字にて。武甕槌の槌に同じ。【都々都知通音】偖此神|主《ムネ》と磐石の神靈に因て成坐れば。御名に負給へるなり。さて此神等の。御祖の成坐の本は。磐石(213)に血の激越けるにて。なほ彼甕速日神の成坐と同じけれど。彼神等は御刀を以|出自《モト》とし。此神等は磐石を以出自と爲給ふ事。深き所由ある事なるべけれど知がたし。たゞ古傳に附て。しか知らるゝのみなり。○一曰秘閣本活字本永享本熱田本に。曰字云に作るぞよろしき
 
 
復劔(ノ)頭垂血激越《タガミヨリシタヽルチソヽギテ》爲《ナリマス》v神。號曰2闇※[雨/龍]《クラオカミト》1。次(ニ)闇山祇《クラヤマツミ》。次(ニ)闇罔象《クラミツハ》。
 
 
劔頭。記に手上とあり。記傳云今云|柄《ツカ》なり。神武卷に撫劔此云2都盧耆能多伽彌屠利辭魔屡1。とも見え。又劔柄と書て。多加比と訓る處もあり。其は美を後に比と云(ヒ)成せるなりとあり。萬葉九に燒太刀乃手頴《ヤキタチノカヒ》云々。名義|握《ツカ》みなり。手にて束む處なればなり。今も束ぬる事を。たかぬると云なり。○闇闇※[雨/龍]。記云次集2御刀之手上(ニ)1血。自2手俣1漏(キ)出(テ)所成神名闇淤加美神とあり。偖上に斬2軻遇突智1爲2三段1。此各化2成神l也とあるを。第七一書に。一段是爲2高※[雨/龍]1と見えて。已に高※[雨/龍]神は成坐るを。今又此神の生坐るは。其御功を輔相て雨を降せ玉ふ神なるべし。名義。記傳云。久良は谷のことなり。【闇と書るは借字也】萬葉十七鶯の奈久々良多爾《ナククラタニ》とよめるも。た々谷のことぞ。又諸國に某倉倉某と云地名の多かるも。谷よりぞ出つらむとあり。さて名義淤加の意は未(ダ)思得ず。美は龍蛇の類の稱なりと。記傳に云れつれど。※[雨/龍]は字書にも龍也とも注せれば。寔に龍神に坐べし。豐後風土記に。球珠郡球覃郷。此村有v泉。普景行天皇行幸之時。云々令v汲2泉水1。即有2蛇※[雨/龍]《オカミ》1。【謂2於箇美1】於茲天皇勅云。必將v有v※[自/死]莫v令2汲用1云々。萬葉二に吾岡之|於可美爾(214)言而令落雪之摧之《オカミニイヒテフラセタルユキノクダケシ》云々。是等を思ふに。此神は龍にて雨を物する神也。一書に高※[雨/龍]と云もあり。其は山上なる龍(ノ)神。この闇※[雨/龍]は谷なる龍神なり。とあるはさることなり。と云り。神名帳に意加美神社處々に見ゆ。○闇山祇。闇の意上に同じ。谷なる山(ノ)神なり。偖右の闇※[雨/龍]神を。私紀に是山神也とあるを。釋に兼方案之。闇※[雨/龍]非2山神1。可v謂2龍蛇之類1歟。私記之攝不審也。とあれども。詞林采葉にも。日本紀云闇※[雨/龍]云云山神也と云事も見えたれば。古より傳はれる説也。思ふにこの闇山祇と力を合せて坐給ふ事を。かくも云傳へしにや。○闇罔象。記傳云此は谷の水神なりとあり。式に山城國愛宕郡貴布禰神社【名神大】とある社を。諸書に罔象女命とも。高※[雨/龍]命とも。闇※[雨/龍]命ともありて。何れが其とも定め難きが如くなれども。よく按ふに。高※[雨/龍]神と闇※[雨/龍]神とは。同體とも申すべく。亦罔象女命と云るは。この闇罔象神を。しか語傳へしにもあるべし。偖記には此處。闇淤加美神。闇御津羽神二柱にて。闇山祇はなし。さて次に所殺迦具土神之於v陰成神名闇山津見神とあり。此紀と異なり。されど上に云るが如く。闇山祇(ノ)神を闇※[雨/龍]神同格也。とせるによれば。此傳の方ぞ宜しかるべき。○平田翁云。此段の傳に依て悟り得つる事なむある。其は火神を斬給へる御刀の刃より垂落れる血の。天上に激上りて。まづ五百箇磐村と化り。又其鋒と鐔とより。垂落る血も。悉に其磐村に激越て。神等の生坐るを想(フ)に。火はかく生出し初より。上に昇る勢《イキホヒ》ある物にて。今現も其如く。燃立つ勢の昇りあがるは。深き謂ある事なるべし。偖然天上に寄憑る火氣の。虚空にみち滿て。至らぬ隈なく。産靈の神靈を佐けつゝ。地に(215)照入り。土氣鹽氣火氣相和して。千に變り萬に化りて。【彼硫黄變硝など云類を始め。くさぐさかゝる物の多かるは。皆これに因て成れる也。】物類を生成して青人草の要を爲し。其産し成せる草木を以て。火を集むれば。大きくも小さくも凝(リ)集り。それ燃盡れば灰と化て殘り。【また此を分れば。土と鹽とに分る。】火氣は元の虚空に歸る。これぞ火産靈(ノ)神の徳のあらましには有ける。實に火ばかり奇異なる物はあらじとぞ思ふ。又云。此(ノ)一書の傳は。次なる一書に。伊弉諾尊拔v劔斬2軻遇突智1爲2三段1。其一段爲2雷神1。一段是爲2大山祇神1。一段是爲2高※[雨/龍]1とある傳と。元は混一の傳なるを。かく二(ツ)に別れたるものと所思たり。【そは此一書に爲2三段1此各爲v神也と云るのみにて。其神(ノ)名を擧ず。後の一書には。三段に成れる神のみ有て。磐石と御劔に成れる神の事の無を以て考知べし。】又云。此一書の傳と。古事記なる傳と合せ考るに。磐裂(ノ)神より以下の神等の成坐る順次も。其成坐る血の著所も熟符へれど。其勝劣をいはゞ。古事記は神代紀の委しきに及ざりけり。そは一(ツ)には。神代紀には劔(ノ)刃(ヨリ)垂(ル)血。是爲2天安河邊所在五百箇磐石(ト)1也とありて。御劔の刃の血。まづ天に激越上りて。天(ノ)安河なる五百箇磐石と化り。かくて鋒また鐔に著たる血も。悉く激越上りて。其磐石に著き。其に因て神等の成坐る趣なるに。古事記の趣にては。始に刃の血の。まづ天安河邊なる石村と化れる事のなき故に。其斬給へる地の近邊に。本より有ける石村に。血の走就て。神等の成坐るときこゆ。此は神代紀の傳と異にして。各々一(ツ)の傳とも云べけれど。古事記に初發《ハジメ》の血の。石村と化れる事のなきは。傳の洩たるにて。此は殊に神代紀の傳の尊く所思るなり。二(ツ)には古事記には。石拆神次根拆神次石筒之男神【三柱】とありて。三神共に當時に成坐る由に記されたるは。異なる一(ツ)の傳なるべけれど。神代紀の傳の勝(216)たること多ければ。それに從ふべし。三(ツ)には。神代紀は經津主神と。武甕槌神と。二柱にて。其祖神も正しく二方に別りたるを。古事記に經津主神を落したり。師は古事記によりて。經津主神武甕槌神を一神とせられたれど。成坐る初に。御祖も二方に別(レ)たれば。しか一偏に决がたき事なるをや。と云れしは。みな然るべき論どもなり。○記云。自2石拆神1以下。闇御津羽神以前。并八神者。因2御刀(ニ)1所生之神也。【此紀にも。神等の御名に異りはあれど。所生る數は八柱に坐り。さて平田翁も云れたる如く。磐筒男磐筒女※[火+漢の旁]速日神等は。經津主神武甕槌神の出自を語るとて。此處に出たるなり。此時生坐る神には非ず。此者經津主神之祖。此者武甕槌神之祖。とある文に心を付て辨ふべし。】とあるに據て考ふれば。八神すべては御刀に因て所生といへども。分ていはゞ。磐製根裂の二柱は。主と磐石により。【其は始め御刀の刃より。垂落れる血の化たる磐石の。磐といふ語を名に負まし。其子をも磐筒男磐筒女神と申すを思ふべし。さて又火神の火にもよれり。石より火の出るはこのよしなり。】甕速日は。主と御刀により。【下に稜威雄走神之子。甕速日神之子。※[火+漢の旁]日速神之子。武甕槌神とあること思ふべし。かくて此神等又磐石にもよれり。刀の砥によりて利きはこのよしなり】闇※[雨/龍]闇山祇闇罔象は。主と血によれり。【血の成れる故に。雨と水との神なり。上の罔象女の御尿になれるに同じ。また火にもよれる事は。龍蛇の火炎を含めるにて知べし。偖上の神等は。磐石に由あり。此三神は然らず。故記にむ闇淤加美闇御津羽の二柱は。着2石村1と云はず】偖劔は火に燒(キ)又石に水そゝぎつゝ。礪《トギ》て其用をなす物なれば。火と石とはよる由縁などこゝに思合すべし。さて又平田翁云。石に因れる神は二柱成坐し。【其子も石筒之男石筒之女神二柱あり。】御刀に因れる神は。一柱成坐り。【其子も※[火+漢の旁]速日神一柱あり。】此は幽き謂(レ)ある事なるべけれど。凡人の測(リ)知るべきことに非ず。【但し磐裂神根裂神と二柱。磐筒之男神磐筒之女神と二柱には坐せど。一柱にして二柱と坐し。二柱にして。一柱に坐ならむと思ゆ。其は神代下卷に。磐裂根裂神之子。磐筒男磐筒女神之子。經津主神とある趣の。しか通ゆるを思合せて曉(ル)べし。】○經津主神武甕槌神を天神と申す事は。右に云る如く。軻遇突智神を斬給へる血。天上に上りて。五百箇磐石となり。また劔鐔劔鋒の血も。天上に上りて。其磐石に激越《ソヽ》ぎ。其物に因て此二神の御祖は成坐れば。もとより(217)天神なるべき理なり。さて又闇※[雨/龍]闇山祇闇罔象の神等は。いかにと云に。重胤説に。記に次集2御刀之手上1血。自2手俣1一漏出とあれば。鉾よりも鐔よりも。垂れる殘血の傳り下りて。其劔柄を握らせ玉へる御手の指(ノ)股より。落たる血に依て。成れる神等に坐せば。上件の神等に比べては。支《エダ》神にて。國神に坐るなり。上なる鋒(ノ)血鐔の血は。天に上れりし也。然るを自2手俣1漏出と有は。上に昇れるならず。下に漏落たる事著明ければ。此三柱を國神也とは云るなり。斯れば此に復劔頭垂血(ノ)激越《ソヽク》も。彼五百箇磐石に激越の義なるにて。上の例なるべき事は。其復字に依て知らるれども。猶記の正しきには如ざる也。故著2御刀前(ニ)1之血。走2就湯津石村1。所成神名云々。次著2御刀本(ニ)1血。亦走2就湯津石村(ニ)1。所成神名云々とある。二(ツ)には湯津石村の事見えたれども。此には其事を記さざるに。心を付て考ふべくなんと云れたる此説然るべし。
 
 
然後伊弉諾(ノ)尊追(ヒテ)2伊弉※[冉の異体字]尊(ヲ)1。入《イリマシテ》2於|黄泉《ヨモツクニヽ》1而|及《シキテ》之共(ニ)語時(ニ)。伊弉※[冉の異体字]尊(ノ)曰。吾夫君《アガナセノ》尊|何來之晩《ナニゾオソクイデマシツル》也。
 
 
黄泉は。本訓にヨモツクニとあり。例は記に豫母都志許賣。此紀に余母都比羅佐可などあり。されどたゞに豫美とのみも讀べし。重胤云。言義はしも。伊美にて忌諱《イミサ》くる意なり。鎭火祭詞に下津國。本書に根國。記に根之堅洲國とも云事。已に注るが如し。然るに外に黄泉國とも云名あるは。忌諱《イミノ》國と(218)云事なり。然るは下に伊弉諾尊既還。乃追悔之曰。吾前到2於不須也凶目汚穢之處(ニ)1。故當v滌2去吾身之濁穢1と見え。第十(ノ)一書に。親見2泉國(ヲ)1此既不祥。欲v濯2除其穢惡1とありて。記なるも右と同じ趣にて。其濁穢を取去むと爲給へるは。深く忌避け給へるが故なり。又此に今世人夜忌2一片之火1。又夜忌2擲櫛(ヲ)1此其縁也とありて。此時に在つる事には。彼迄も忌避て爲ましく。行ふまじき事共の多きは云も更なり。下に素戔嗚尊の。吾欲v從2母於根國1と申給へば。伊弉諾尊惡之曰。云々と答へさせ玉へるなど。皆其國を忌惡ませ給ふが故なり。忌を伊美と云を。淡路國などにては由美と云るも。月讀尊を月弓尊と申す例を引かば。更に強言には非るものをや。と云り。偖伊弉※[冉の異体字]尊現身|隨《ナガラ》に。黄泉(ノ)國へ往ませりし由縁は。上にも既に云りしが如く。男神を恥おもほしてのことなるを。今また伊弉諾尊の女神を戀ひ悲しみて。其國に入坐るは。現身ながら往坐たるにて。其は何處より物し給へると云に。紀伊國なる熊野にての事なるべし。されば前に神退坐ける時に。暫御骸を藏し奉れる殯斂《モガリ》の處。即其地なれば。今又黄泉に入坐るも。其邊の地方とはおもはるゝなり。かの隈野《クマノ》と云るも。さるよしの地名なるべく。また後に大已貴命の黄泉國に入坐しも。木(ノ)國なるなどを思ふに。必この國なるべく。推量らるゝなり。○共語時。第九一書に。欲v見2其妹1乃至2殯斂之處1。是時伊弉※[冉の異体字]尊猶如2生平1。出迎共語とあるは。前に神退給ひし時の事にして。此とは異れり。此は其より後の事なり。よくせずはまがひぬべし。さて今共語ひ給へる御言は。記に伊邪那岐命語詔云。愛我那邇妹命。吾與v汝所作之國。未2作竟1故可v還とあり。必此に在(219)べき語なり。其は第十一(ノ)一書に。伊弉※[冉の異体字]尊の御言に。吾與v汝已生v國矣。奈何更求v生乎。と申玉へるは。其結の文なり。相照して知べし。○吾夫君尊。記傳云。男神の我那邇妹(ノ)命と詔へるに對(ヒ)て。女神の男神を申し給ふ稱なり。那は汝。勢は兄にて。凡ては夫婦兄弟の間のみならず。女を妹と云(フ)如く。凡て男を尊み親みて呼稱なりとあり。【偖夫君(ノ)字は此の一義に就て書る文字なり。那勢の凡ての意にはあらずともあり】
 
 
吾《アレ》已(ニ)食泉之竈矣《ヨモツヘグヒセリ》。雖然《シカレドモ》吾《アレ》當(ニ)寢息《ネヤスマム》。請(フ)勿視之《ナミマシソ》。
 
食泉之竈。記に黄泉戸喫とあり。記傳云。閇は即竈のことなり。偖黄泉戸喫とは。黄泉國の竈にて。※[者/火]炊たるものを食をいへり。是なん火を忌清むる事の本なりける云々。此黄泉戸喫の穢によりて。還坐こと不v能るよしは。火の穢によりて。此國に災あらん事を憚おもほしての御事なり。其は如何なる理によりてと云こと。料知べからずとあり。按に此説よからず。食は其境堺に因て異なるものにて。顯界の食物と幽界の食物とは。自ら別あり。已に堺を異にすれば。自ら食物の替るものにしあれば。食物を云へば。已に境堺の替れる者となりたる事は。其内にこもれり。今伊弉※[冉の異体字]尊も。既に男神と境堺の異なる神となりぬれば。恣に顯國には還りがたし。故まづ黄泉神と。其よしを相論むと詔へるなり。さて吾當寢息とは。一夜立てば其食氣の薄らぐに附て。また本の御身に立歸らるべきよしこそありけらし。火の穢は。本より嚴そかにすべき事にはあれど。こゝはさる事に依ての御言にはあらず。其證(220)は靈異記上【第七條】に。彼菩薩化2葦原國1已。將v生2此宮1。今垂2來時1。故待候也。慎(テ)黄竈大物《ヨモツヒノモノ》莫v食。(大は火の誤なり)今者忽還。與v使倶向v東還來云々。と云事あり。此は所謂佛界の事なれども。黄竈火物を食ては。境堺を異にするものと成(リ)定りて。再(ビ)顯界に還らるまじき由あるにて。かゝる言をしも云るなりけり。これ火穢の事に非るたしかなる證なり。武郷右の攝を記しおけるに。この頃下總人鈴木雅之が撞賢木と云書を見しかば。已に云る言あれば。序にこゝに載す。其説云。爲2黄泉戸喫1をたゞ泉の穢たる火もて。炊たるもの食る故。かへりましがたきなりと。記傳。靈の御柱などに云れたるは委しからざるに似たり。さるは火の穢にて。かへりがたきならば。※[女+夫]神とこそ謀り玉ふべきことなるに。黄泉神と論むとのたまへるは。外にかへりがたき事ある故也。そは泉國の神になり玉へる故に。御自の自由にもなりかねて。黄泉神と相論はむとのたまへるなるべし。戸喫とは黄泉神になり玉へるを然いふとこそきこえたれ。火の穢の故ならば。大名持神須世理毘賣は。火の穢なからじやは。さてもなほよく黄泉國より來坐るを見て知るべし。すべて火の穢は重き事にはあれど。日をふればうすらぐものゆゑに。火の穢のみにてかへりましがたき理はあらじをや。と云れたるは。聊の言ざまこそかはれ。大凡おのが説に合へれば。すてがたくて此にしるしつ。○雖然。平田翁云。豫母都戸喫して。還(リ)坐(シ)がたき御身(ノ)上となりませり。然(レ)どもと云むが如し。○吾當寢息。この文今の本のままにて。聊か通えがたきが如し。記に然愛(キ)我那勢命。入來坐(セル)之事。恐故欲v還。且與2黄泉神1相論とあり。こゝも右に當る語の(221)ありけむを。脱しつるものなるべく。【記傳にも既(ク)字を補れき】おもはるれど。暫時息はせ玉ひて。食(ノ)氣の薄らぐを待給へる御言として見る時は。文のまゝにても通ゆべし。さるは諸の穢は。月日を經れば。うすらぎ清まる物なれば。寢息まして。一夜を過れば。黄泉戸喫も。やゝ薄らぎ行くべし。然して還なむ。其(レ)迄は勿視ましそと。請(ハ)し給へるなり。○請勿視之。平田翁云。夜見國の御有状の。見苦さを男神に見せ給はじとてなり。【其は記に宇士多加禮云云とあるをおもふべし】然在ば。此出迎坐ませる時は。夜見の實の御貌を製《ツクロヒ》て。元の御貌にて相見坐るなり。【其は下文に。其實の御有状を御覽じて。男神の始て畏坐しを思べし】と云り。
 
 
伊弉諾尊不v聽《キヽタマハ》。陰《ヒソカニ》取(テ)2湯津爪櫛《ユツツマグシヲ》1。牽2折《ヒキカキテ》其|雄柱《ヲバシラヲ・ホトリハ》1。以爲(シテ)2秉炬《タビト》1而|見之《ミシカバ》者。則|膿沸虫流《ウミワキウジタカリキ》。今世人夜|忌《イミ》2一片之火《ヒトツヒトモスコトヲ》1。又夜|忌《イム》2擲櫛《ナゲクシヲ》1此(レ)其(ノ)縁也《コトノモトナリ》。
 
 
不聽。第十一(ノ)一書に。伊弉諾尊不v從猶看v之。【海宮遊行章に。火々出見尊不v聽。猶以v櫛燃v火視v之】記に莫v視v我。如此白而。還2入其殿(ノ)内1之間。甚久難v待。故云々とあり。○湯津爪櫛。湯津は五百津にて。櫛齒の多きを云。爪は借字。平田翁云。都麻理の省りたるにて。櫛の齒のしげく。間の迫れるを云なるべし。櫛は師云。本串と同名なり。火を燭し給ふを思へば。上代の櫛の齒は。やゝ長かりしかば。串と同類ぞかしとあり。○雄柱【本にホトリバと訓たれど】記に男柱とあり。記傳云。共に袁婆斯羅と訓べし。新撰字鏡に。幢柄は橋梁之左右之柱乎止古柱とあり。【大神宮年中行事に。東男柱西砌。云云これは御殿の高欄の男柱にて。字鏡に云ると同じ。】是に准ふれば。櫛も左右の端の大なる齒を。男柱とぞ云(222)けむとあり。○秉炬。萬葉集に手火とあり。手して秉る火のよしなり。【中古に續松と云物是也。續松は手火松と云事にて。松の肥たる所を拆て火を燭すを云なり】○見之者。永享本に者字なし。○膿沸虫流。膿は熟《ウミ》なり。虫は記に宇土多加禮《ウジタカレ》。許呂々岐弖《コロヽギテ》云々。記傳云宇士は。蛆(ノ)字を訓來れり。本草に蛆(ハ)蠅之子也。凡物敗臭則生之とあり。和名抄に。※[月+且]を波閉乃古とありて。宇士といふ訓はなし。※[月+且]は蛆と通ふ。字鏡には※[虫+昔]を宇自とあり。【蛆の宇士なるべき由は、いかゞしらず。】今も腐爛たる物に生る小虫を。宇士とぞいふ。【武郷云。重胤云。宇士は名義抄に蛆字を。ムシともウジとも。ワダカマルとも。モコヨヒとも訓れば。屈みては蟠かまり。伸ては逶蛇ふ虫と通えたり】多加禮は。今世の語に。すべて鳥虫などの。物に多く集るを。多加留といふ。【人多加里と人にも云り。即宇士かたかるとも常に云へり。】虫流の訓は記によれり。膿沸二字は。即|許呂々《コロヽ》岐弖に當れり。【さて虫には少し似つかはしからぬ。流字を書れたるは。多加流々を那我留々とも通はし云しにや。膿沸といふから。流といふにはあらじ。今俗言にも。物の甚々多くて。餘る許なるを。流と云ことあるなり。】と云り。下の一書には。脹滿大高《ハレタヽヘ》とあり。平田翁云。夜見國の實の有状は。かく穢く畏き状なる故に。其をまた男神の御覽さむことを。やさしみ給ひて。前に姑く待て見給ふなと。約《チギ》り給へるなりけり。とあり。【なほ下一書に。汝已見2我情1。云々の下に云る言をも考合せて喩(ル)べし】○今世人云々。此(ノ)十八字下(ノ)一書に。一片之火とある下にありしが。混れて此に入りしものなるべし。或説に古本には。次の亦自來追の下に出でたり。其處にあるべきなりと云り。さるにても一片之火と云こと。此一書に見えねば猶いかゞなり。又丹鶴本には。本のまゝにて。世人夜忌2擲櫛1。此其縁也とありて。一片之火と云ことはなけれども。猶擲櫛のこと上に見えぬは是もいかゞなり。【されど此文は下の※[目+敢]了則更追の下にあれば通ゆるなり。】偖一片之火。記には一火とあり。此事第九一書の下云。○擲櫛。本にナゲグシと訓る。其は本は櫛を擲るよしなれど。既(223)に其事の稱になれる語なり。私記に何故更忌2擲櫛1哉。答。是葢取2欠男柱1已畢之後。即投2棄其櫛1歟。故人忌2擲櫛1耳。又下文。伊弉諾尊投2湯津爪櫛1。此即化2成筍1云々。因v此亦忌2擲櫛1歟とあり。偖擲櫛を忌む事はしも。此事に依て。二大神の放離《サカリ》玉ふはじめと成れゝば。其相類たる事を。忌避る習俗と成れるなり。夜は此時彼國の夜なりし事。上に云るが如し○縁は。記中卷に。此者|神宇禮豆玖《カミウレヅク》之言(ノ)本者也とある。記傳に言(ノ)本は字の如くにてもあるべく。又事(ノ)本にてもあるべし。神代卷に。今世人云々縁也。【武郷云。此の文也】また此用v桃避v鬼之縁也。また世人慎2收己爪1此者其縁也。これらの縁に。詐登能母登と訓るは。事に就くなれば事本なり。又仁徳卷に。故諺曰|有海人耶因己物以泣《アマナレヤオノガモノカラネナク》其是之縁也とあるは。言に就てなれば此と同じ。【此は神宇禮豆玖と云ならはしたる言に就て云なり。そもそも言に就ては言(ノ)本とせむは論なし。又其をも事(ノ)本と見るもさることなり。言に云(ヒ)ならはすも。本事ありて。其事に縁てなればなり。】天若日子の段に。故於v今諺曰2雉之|頓使《ヒタヅカヒ》1本是也とある本も同じ。と云り。さて本とは。其起本と云ことなり。さて谷川士清説に。我邦勸懲皆仍2舊貫1。是故記2禁忌(ヲ)1者多矣。實皇嗣無窮之盛風也。と云るは甚々愛(ハ)しき語なり。
 
 
時(ニ)伊弉諾尊大(ニ)驚(キテ)之曰(ク)。吾不v意《オモハ》到《キニケリトノタマヒテ》2於|不須也凶目汚穢《イナシコメキタナキ》之國(ニ)1矣。乃|急《スミヤカニ》走廻歸《ニゲカヘル》。
 
 
不須也凶目云々。記に伊那志許米【上】志許米岐穢國とあり。記傳云伊那は辭否などゝ同言にて。此は惡み厭ふ御言なり。【書紀に。不須也と也(ノ)字を添られたる信にその意あり。姑く語を切て心得べし。】志許は萬葉に鬼乃益卜雄《シコノマスラヲ》鬼乃志許草《シコノシコグサ》志許《シコ》霍公鳥など(224)云る。皆其物を惡み詈て。志許とは云なり。米は憂こと辛ことに逢ふを。憂《ウキ》目を見る辛《カラキ》目を見る。など云(フ)目なり。此も黄泉國の穢きありさまを見給ひつるを醜目と詔ふなり。【目は見給(フ)によれる言ぞ】と云り。さてこの注(ノ)下。本に此云2伊儺之居梅枳枳多儺枳1。とあるに就て。記傳に此は記と照して思ふに。梅下に今一(ツ)之居梅の三字ありしが脱たるなり。其故は目(ノ)字を梅枳と。枳を添て用語に云べき理なきをや。又枳(ノ)字一(ツ)衍文かとも思はるれど。猶此記と引合せて思ひ定むべしと云れつれど。北野社本【稱一峯本】に枳字なき本ありと云り。さらば記とは異にて。凶目汚穢四字をシコメキタナキと訓べし。又天(ノ)忍穗耳尊の。天降ます處に。不須也頗傾凶目杵之國とあり。此は頗傾と云が。爰の凶目にあたれり。さらば凶目杵とあるが。汚穢字にあたれる語勢なり。○急走廻歸。慮の外なる御有状に。大(ク)驚坐て。其國の汚穢きことをも。始て所知看て。急に逃歸給ふなり。【逃《ニゲ》といふ言は。雄略紀の大御歌に見えたり。】
 
 
于v時伊弉※[冉の異体字]尊恨(ミテ)曰《ノタマハク》。何《ナニゾ》不《ズシテ》v用《モチヰタマハ》2要言《チギリシコトヲ》1。令《セマストノタマヒテ》2吾(ニ)恥辱《ハヂミ》1。乃遣(シテ)2泉津醜女八人《ヨモツシコメヤタリヲ》1。一(ハ)云(フ)2泉津|日狹女《ヒサメ》1。追留之《オヒテトヾメマツリキ》。故伊弉諾尊拔(キテ)v劔(ヲ)背揮《シリヘデニフキツヽ》以|逃《ニグ》矣。
 
 
令吾恥辱。記に令v見v辱とあるに依て訓べし。【本に令を今字に誤れり。古本にはいづれも令と作り。】平田翁云。恥を與るを。恥見すと云は古語なり。さてかく白し給ふは。彼汚穢き御有状を。男神の見給はむことを恥給ひて。莫視給ひそと禁め給へるを。用給はで御覽しゝ事を。甚く恨(ミ)怒(リ)坐る御言なり。其は豫母都戸喫し玉ひて。歸(リ)(225)坐(シ)がたき御身ながら。男神の入來坐るに。さすがに歸坐むの御心ありて。豫母都神と相論て。其道あらば歸らむ。と議し給ふ間を。待あへ給はで。恥見せ給へりしかば。其慇懃なる御心の餘りに。かへりて御怒を發し給へるなり。穴かしことあり。○泉津醜女。記傳云。私記に或説黄泉之鬼也と云り。【但し鬼とは。儒佛の書にとく鬼の意には非ず。たゞ尋常の人の類ならで。おそろしき物を。世に鬼といふ是なり。】欽明卷に※[鬼+拔の旁]鬼《シコメ》とあるも。其意なり。和名抄には其醜女を。鬼魅の部に載たり。さて名義は。形のおそろしく見惡きを云とあり。平田翁云。八人は。【本にヤツヒトと訓たれど此は。】也多種と訓べし。【重胤云思ふに體りたることには。幾比登と云ひ。其は計ふとには非ねども。其用に就て云時には。幾多理とこそ云けめ。偖神武紀に一人を毘※[人偏+黨]利と有を。記高津宮段歌に比登理とあり。又獨字をヒトリと訓れば。多理を登理とも云なり。又仁徳紀歌に。赴駄利又夜※[人偏+黨]利など。凡て人を數ふるタリは。器物を計ふるに。一具など云如く具り足へる義なり。】偖此八人の志許賣は。八色之雷神とある即是也と云り。【此事は。下の一書に委く云。】○一云泉津日狹女。山蔭云。上田百樹云。すべて一書の中に。細注ある例なきに。たゞこれ一(ツ)のみあるはあやしと云り。こは寫し誤なるべしと云り。然る言なり。日狹女は或説に幽冥の惡鬼なる故に。潜女と云義か。隱れて仇する由なりと云り。如何あらん。○追留之。重胤云。此は八雷公等の呻吟《ニヨビ》して待居たりけるなど。氣疎《ケウト》き消息を。見奉られ給へるに依て。返し奉りがたしと。其國に引留め奉る御心になりしなり。【第九一書に雷等起追來。又紀に遣2云云1令v追とあることゝは少異るべし。此は留と云字に深く力あるを。今の二は追奉れる方を主と云へるなり】海宮遊行章。豐玉姫大恨之曰不v用2我言1。令2我屈辱1。故自v今以往。妾(ガ)奴婢《ヤツコ》至2君(ノ)處1者。勿2復放還1。君奴婢至2妾處1勿2復放還1云々。此海陸不2相通1之縁也。とあるが如く。其國の眞の状を被v見る事を甚く恥て。容易く其人を復しかたき事とみえたりと云り。○拔劔云々。重胤云。此は次々の次第をまづ委しく定めて(226)後に説に及ぶべし。まづ記を見るに。此を取2黒御鬘1投棄。云々次に湯津々間櫛(ヲ)引欠(テ)而投棄云々とありて。拔劔背揮の事は。其次に在り。且後者於2其八雷神1。副2千五百之黄泉軍1令v追とある是也・若ても猶得勝奉らざりし故に。最後其妹伊邪那美命身自追來焉とある。此彼記の趣にて。其順次甚宜しきを。此に投2黒御鬘1。又投2湯津爪櫛1と云次第こそ。彼記に異らざりけれ。千五百之黄泉軍の事無して。後則伊弉※[冉の異体字]尊亦自來追。とあるなむ心行ぬなりける。故倩思ふに。此に右の如く追留之はあるは。其男神を引留めて。交こらせ奉らんと。爲し計の事なりければ。伊弉諾尊の御方に取ても。然迄には所思看ざりけらし。故逃出給ふ時に。黒鬘を投出して。其紛れに走去給ふへければ。此にては拔v劔背揮と云事は。未(ダ)其には及ばざりし程の事なり。然れども。千五百之黄泉軍の傳。此には無りし故に。其文此には入れるものと所見たり。と云れたる。然る言なり。○背揮。記に於2後手1布伎都々とあり。記傳云。後手とは手を後ろざまへ回らして。ものするなり。布伎は振なり。古言に振を布久とも云し例。萬葉に。草の山吹を山振《ヤマフキ》とも書たり。風の吹と云も。振と通ふ。中卷に振v風比禮といふあり。又皇極紀に。揮v劔とも有り。此(ノ)處は泉津醜女の追て追來るを防き坐(ス)御所爲なり。されど相向て防く時は。得逃給はぬに依て。逃ながら防ぎ坐故に。後手に物し給ふなりとあり。
 
 
因(テ)投《ナゲタマフ》2黒鬘《クロミカツラヲ》1。此即(チ)化2成《ナル》蒲陶《エビト》1。醜女見(テ)而|採※[口+敢]《トリハム》之。※[口+敢]了《ハミヲハリテ》則(チ)更《マタ》追(フ)。伊弉諾(ノ)尊(227)又|投《ナゲタマフ》2湯津爪櫛《ユツツマグシヲ》1。此即|化2成《ナル》※[竹冠/句]《タカムナト》1。醜女亦以|拔※[口+敢]《ヌキハム》之。※[口+敢]了《ハミヲハリテ》則(チ)更《マタ》追《ヲフ》。
 
 
黒鬘《クロミカツラヲ》は。御頭の飾なる鬘《カツラ》をいふ。【古書に※[草冠/縵]とも縵とも書り。※[草冠/縵]は字書に見えず。縵は見えたれども。鬘の意なしと記傳に云り。】上代には女男ともに懸て飾とせしなり。名義は髪連《カヅラ》にて。髪に聯《ツラ》ね結ひ。或は挿しなどするさまなるより。名づけそめたるなるべし。さて其を活用せては。カヅラキカヅラクなども云るは。もと連ぬる義なるが故なるべし。また花鬘。菖蒲鬘。柳鬘。木綿鬘。玉鬘などもあり。これらも。鬘に連ねたる状同じきを以。名けたるものなること右に同じ。さて又倭名抄に。※[髪の友が皮]和名加都良。釋名云。髪少者所3以被(テ)助2其髪1也。とあるは。俗に云加毛自と云物なれども。髪に連ねむすびて。其頭を飾れるさまは。全鬘に同じければ名けたるなり。さてまた名は同じくして。其義異なるは。草の加豆良なり。【名の義は未思得ず。試にいはゞ掛《カケ》つらか。物に掛りて蔓生ものなればなり。豆良は都留なり。】かの葛《クズ》かづら。五味《サネカヅラ》。忍冬《スヒカヅラ》などの類は。名は一つなれども。右の加豆良の加を省きては。豆良とのみも云り。紀また萬葉に。磨左棄逗羅。記に登許呂豆良。都々良和名抄に千歳藁《アマヅラ》。百都《ホトヅラ》。字鏡に。忍冬をスヒカヅラ。などある。みな省き云りしものなり。されどこれらは絃《ツラ》をもとにして。【ツルをツラとも云。】云るにて。ツラキツラクなどは活用せず。彼髪の飾の加豆良とは。自ら異なるものなれば。互にあひ關らざりしものとなれるなり。【草のかづらは。今都留と云へど。髪の飾なるをば都留とはいはず。】さて記傳云。こゝに黒とあるは。色もて云なるべけれど。何物にていかにつくれるものとも知がたし。蒲子のなれるに就て思へば。此鬘のさま。蒲滞萄葛に似(228)て。玉を垂たるか。彼(ノ)實のなれる形にや似たりけむ。色の黒かりけんも。かの實によしあるにやとあり。○蒲陶。和名抄紫葛衣比加豆良。蒲萄衣比加豆艮乃美とあり。記傳に。或人云此(ノ)物鬚ありて。蝦に似たる蔓草なる故に。然名くと云りとあり。【葡萄の實の成れる形。玉蔓の黒玉の垂たるに似たりと。或人云り。】○採※[口+敢]。すべて賤しきものは。食物にほたさるゝ物なれば。かくは物し給へりしなるべし。○筍。記傳云。字鏡に筍笋太加牟奈。【後の物に。多加宇奈とも云り。】和名抄にも。筍亦作v笋太加無奈とあり。名(ノ)意は竹芽菜《タカメナ》なり。【菜は食に添て喰(フ)物の凡の名なり。かゝれば笋も。菜にするときの名を。たかむなといひ。たゞには竹(ノ)子と云故に。歌には竹(ノ)子とのみよめり。此は拔食とあれば菜也。】櫛の齒の状。竹(ノ)子の並立るに似たり。書紀に鹽土(ノ)岩翁が。玄櫛を投しかば。五百箇竹林になれりしとあるも。此類なりと云り。【古の櫛は竹もて造けん故に。筍とは化れるならんと或人云へりき。】○投湯津爪櫛。重胤云。記には先なるは刺2左之御美豆良(ニ)1。臾津々間櫛之男柱。一箇取(リ)缺(キ)而燭2一火1云々とありて。此なるを。亦刺2其右之御美豆良(ニ)1之。湯津々間櫛引欠而投棄(リ)とあり。此に依て右方なる事知らる。又此の投も。右の引缺而投棄とあるにて心得べし。櫛齒を碎き折て。投散し給へるなるべき事。此物の筍と成れるを以想ふべし。記傳に。前には男柱を取欠とあるを。此には唯引欠とあれば。凡ての齒の中を引欠給ふ也とあるがごとしと云り。
 
 
後則(チ)伊弉※[冉の異体字]尊。亦|自《ミヅカラ》來追《オヒイデマス》。是(ノ)時(ニ)伊弉諾尊已(ニ)到(リマス)2泉津平坂《ヨモツヒラサカニ》1。一(ハ)云(ク)。伊弉諾(ノ)尊乃向(ヒテ)2大樹《オホキニ》1放※[尸/(水+毛)]《ユマリマル》。此即|化2成《ナル》巨川《オホカハト》1。泉津日狹女將(ル)v渡《ワラムト》2其(ノ)水(ヲ)1之間。伊弉(229)諾尊已(ニ)至(リマス)2泉津平坂(ニ)1。
 
 
後則云々。記又一書によるに。此に副2千五百之黄泉軍1令v追たる事。また桃(ノ)實を取て擲給へる事。其御杖を投給へる事あるべし。偖|最《イト》後《ノチ》に伊弉※[冉の異体字]尊の躬自(ラ)追來坐る事あるべきなり。○自は。記に身《ミ》自《ミヅカラ》とあり。重胤云。美豆良は躬附有《ミヅカラ》也。於能豆加良は己《オノ》附有なり。※[氏/一]豆加良は手《テ》附有なり。久知豆加良は口《クチ》附有なり。身にも已にも手にも。口にも。附て離れざる謂なるべし。自字允當れり。與理と訓も寄にて。附に近き言なり吏あり。○泉津平坂。記云黄泉比良坂者。今謂2出雲國之|伊賦夜坂《イフヤサカ》1也とあり。【式意宇郡揖夜神社。風土妃にも。意宇群に在て。伊布夜(ノ)社とかけり。抄に在2筑陽郷餘戸(ノ)里揖夜村1と云ひ。帳考に今湯屋村と云にありて。玉作湯(ノ)土地と遙に隔り。湯屋明神と申すと云り。】記傳云。此伊賦夜坂の黄泉平坂なることは。當時伊邪那岐神の。黄泉より還り給ふ時。此(ノ)地にぞ出給ひけん。又出雲風土記。出雲郡宇賀郷下(ニ)云(ク)。北海濱有v磯。西(ノ)方(ニ)有2窟戸1。高廣各六尺許。窟内在v穴。人不v得v入。不v知2深淺1也。夢(ニ)至2此(ノ)磯窟之邊1者必死。故俗人自v古至v今。號2黄泉之坂黄泉之穴1也とあり。此は伊賦夜坂とは遙に隔りて別なれど。是も黄泉に通ふ一(ツ)の道なるべしとあり。○一云云々。此を上文に引つゞけて。亦以拔(キ)※[口+敢](ム)之。※[口+敢]了(テ)更追。伊弉諾尊乃向2大樹(ニ)1放※[尸/(水+毛)]云々。と列ね見るべきなり。然れば後則伊弉※[冉の異体字]尊亦自來追の上に置て心得べし。○向大樹云々。纂疏に向2大樹1謂v庇2蔭(スルヲ)其身(ヲ)1也とあり。偖今も大樹のある處は。下に眞水を貯ふること。此(ノ)縁によりてなりけむ。【※[口+敢]即て水なれば也。】
 
 
(230)故便(チ)以(テ)2千人所引磐石《チビキノイハヲ》1。塞《フタギテ》2其坂路1。與2伊弉※[冉の異体字]尊1。相向《アヒムカヒテ》而|立《タヽシテ》。遂|建《タツル》2絶要《コトヾノ》之誓(ヲ)1時。伊弉※[冉の異体字]尊曰。愛《ウルハシキ》也|吾夫君《アガナセノミコト》。言《ノタマハヾ》2如此《カク》1者。吾《アレハ》則|當《マサニ》縊2殺《クビリコロサム》汝所治《ナガシラスル》國(ノ)民《ヒトクサ》日《ヒトヒニ》將|千頭《チヒト》1。
 
 
千人所引磐石。いと大(キ)なる石を云。千人所引は。稱《ナ》の意を顯せるなり。【今も幾人特など云り。】倭名抄に。日本紀私紀云。千人所引磐石。知比木乃以之。【かくあれども。今本訓に。チビキノイハとある宜し。】萬葉集に千引乃石《チビキノイシ》。名義抄訓同じ。【記に。五百引石見ゆ。偖記傳に。千引石は知毘伎伊波と訓べし。知毘伎能と訓ぬぞ古言の格なるとあれども。名義抄和名抄共に。乃とあれば容易く改めがたかり。】○塞は。記云其石(ヲ)置v中(ニ)各對立(シテ)云々。如此爲て追坐る女神を。禦留奉給ふなり。○建絶要之誓。本に絶妻とあるを。今は丹鶴本に依て要(ノ)字に改む。【その由は次に云ふ】偖此を記には度2事戸1とあるに據て。此の建をも古くはしかよめり。私記曰問何故讀v建爲v度哉。答案古事記云度2事戸1矣。故今尋2彼文1而讀v之。度者猶如2言度1。但し此説の如くならば。建はワタス〔三字右○〕と訓べし。又字のまゝにタツル〔三字右○〕とも訓べし。私記に古本云。古止止多知支と訓て。絶2斷夫妻之交1也と云るは非なり。許等度と云言(ノ)義は未(ダ)詳ならず。字に就て。大意を思ふに。夫婦の交を絶つ證の御言と通えたり。そを建と云は。今世にも建2誓言1と云意もて置るものか。偖妻を要に改めしは。まづ絶妻といふこと。何とかや開つかぬ心ちのするを。【漢文のみかたにとりても。いかにぞやおぼゆ。】要(ノ)字は。上にも不v用2要言1。令2吾恥辱1とあるが上に。孝徳紀の詔に。要《コトムウスビ》2他女1。など有てこゝにはいとよく叶へればなり。○言如此とは。如(231)何なるさまに。男神の詔ひけん。知るべからねど。かねて要し中を。絶給ふべく言《ノタマ》ひけん。とは知られたり。【記傳に一書に盟之曰族離。又曰不負於族云々。此事戸の御辭にやと云れたる然る言なり。然れば此に右(ノ)文必あるべきを然らぬは。建絶要之誓と云字に見はして。甚事は下なる一書に讓られたるもの也。と云へり。】されど此は記に。愛(キ)吾那勢(ノ)命爲2如此1者。とある方然るべし。爲2如此1とは。上に千引磐石を引塞坐るより。要《チギリ》を絶給ふまでのことに亘りて。よく通えたればなり。○汝所治國。記には汝國とあり。此顯國をさすなり。抑御親(ラ)生成給へる國をしも。かく他《ヨソ》げに詔ふは。知看境の異になり給ふなり。○吾則。本に則字なし。永享本秘閣本に依て補へり。次の文と同じけければ也。○縊殺云々。記傳云。字鏡に縊(ハ)殺也經也久比留とあり。頸をしめて殺すを云。さていま只殺とあらで。縊殺とあるは。いと上代に人を殺すには。もはら絞りしにやあらむ。【又殺にさま/”\ある何(レ)も身に傷(ク)を只絞のみ傷(カ)ず。故神の殺し給ふも其跡あらはに見えねばかく云ふにや。】と云れたれども。按ふに人の死するは。顯世の人の目には。何となく氣《イキ》絶て死する如く見ゆれど。幽には神の絞り殺し給ふにやあらむ。其は身に傷かず。自ら氣絶るさまも。全(ク)顯世人の縊れ死するさまに似たればなり。千頭は千人と云に同じ。
 
 
伊弉諾(ノ)尊乃|報《コタヘテ》之曰(ク)。愛《ウルハシキ》也吾(ガ)妹《ナニモノミコト》。言《ノタマハヾ》2如此《カク》1者。吾則當(ニ)産2生《ウマム》日《ヒトヒニ》將|千五百頭《チイホヒト》1。因(テ)曰。自(リ)v此(レ)莫過《ナスギソトノタマヒテ》。即(チ)投《ナゲタマフ》2其杖(ヲ)1。是(レヲ)謂2岐《フナドノ》神(ト)1也。
 
 
千五百頭。千五百はたゞ多きを大方に云言なり。偖記には。此に千五百産屋とありて。頭とあらず。(232)記に千頭とあるは縊殺と云につきてのことなり。さる故に。産《ウム》かたには頭といはず。立2千五百産屋1とあり。然るに産かたにも。千五百頭と書れたるは。漢文によれるなり。古者謂2一人(ヲ)1爲2一頭(ト)1」と云り。又人皇九頭なども云へり。故訓をば記によりつ。また明應本鎌倉本に。チウヅヤアマリ。イホウブヤタテムとあるはよろし。○當2産生1。舊事紀に生(ノ)字あり補べし。記傳云。かく交に詔ふは。たゞ多からむことを云にて。必しも千と五百の數に限らむとには非ずとあり。偖記に吾一日立2千五吉産屋1。是(ヲ)以一日(ニ)必千人死。一日(ニ)必千五百人生(ルヽ)也とあるを。此には其ことなくて言たらはず。若後に脱たるにやあらむ。下文へもつゞかざればなり。と葦牙に云り。さもあるべし。重胤云。偖千人五百人は。本より限れる數には非る物から。但人草を縊殺さむとにては。其程の辨へ難き事なる故に。先標を定めて。千頭と宣へる。其に言勝て。彌千彌百と云返し給へるなどを。後世に其信違はざるに依て。日々に千人死して。千五百人生るとなり。所以に大祓詞に。國中爾成出武|天之益人等《アマノマスヒトラ》と見え。天照大神大詔に。顯見蒼生《ウツシキアヲヒトクサ》と詔へるとなどを合せて。伊弉諾大神の不v負《マケ》2於|族《ウカラ》1と宣給ひて。誓言を報じ給へる御言の幸《サチ》し云へば不得《エニ》。云に絶たる御事なりかし」と云り。○因曰云々。山蔭云。此事下の一書に投2其杖(ヲ)1曰。自v此|以還《コナタ》雷|不敢來《ナコソ》とあるは。さるべきことなるを。こゝは上より意つゞかず。又上に以2千人所引磐石1塞2其坂路1とあると。同じ心ばへなれば。事重りてくた/”\し。自v此莫過といふは。彼處にあるべき御言なるをや」とあり。偖此(ノ)自此莫過四字。一書に還來(ノ)字ある方。來名戸(ノ)神の名に叶ひて聞ゆ。但し(233)雷に投給へるとあれど。彼にては桃實を撃給へれば。御杖はなほ。伊弉※[冉の異体字]尊に投給へると云る方然るべし。○投其杖。和名抄行旅具に。杖和名都惠とあり。さて此杖は。伊弉諾尊の取持給ふ所の御矛なり。上古はみな矛を杖に衝て。道をば行きしなり。此事神武紀なる。細戈千足國の下に。委く云るを見るべし。○是謂2岐神1。重胤云。是謂と書れたるは。第九一書も然り。其杖を指て是と云るなり。記に於2投棄《ナゲウツル》御杖1所成神名云々。とあるは其物に因て神の成坐るにて。御紀の例化爲神と書ざるべきを。此は其物を指て神と謂《マヲ》せるは。彼稜威雄走神は。十握劍を御體として。御在し坐しが如く。岐神も杖を御體として靈威を幸給ふ神に坐り。其證は天孫降臨章に。大己貴神乃以2平國時(ニ)所杖之《ツケリシ》廣矛(ヲ)1。授2二神1曰。吾以2此矛(ヲ)1。卒有2治功1。天孫者用2此矛1。治v國者必當2平安1とあると。其第二(ノ)一書に。大己貴神乃薦2岐神於二神1曰。是當2代v我而奉1v從也云々。故經津主神以2岐神1爲2郷導1。周流削平。と有とを。誰しも別々の事に心得めれども。委しからざるなり。寶劍出現章同神の興言に。夫葦原中國(ハ)本自荒芒《モトヨリアラビテ》云々。然吾已摧伏(テ)。其v不2和順1と有は。右の以2此矛1卒有2治功1と有る其にて。岐暁神の御助を得て。妖鬼を平けて。國土を治玉つる。其事を天神に申上玉へる。是道饗祭の起なるが。正書には形實《カタシロ》を以傳へ。一書には神名を以傳たるものなり。素より現御身の神には坐せども。常には御杖の形實《カタシロ》に御靈を藏めて。隱身に御在し坐なるべし。さてまた。記には黄泉國の事を結めて。更に是以伊邪那岐大神詔。云々禊祓也。故於投棄御杖所成神名。衝立船戸神云々とあるを。此にては此後に祓除の事有て。其時に(234)斯る神等の成出る事見えず。第十(ノ)一書にても。御禊の時に成坐る神等の中には。右等の神等はなし。今何れを正しと爲むと倩考るに。此紀の方正しかるなり。記の文は錯亂たる物から。投棄と云ひ。因v脱2着v身之物1とあるが。御楔(ヘ)に甚似つかはしき事なる故に。古人も所を置違へて。傳たりし者なりけり。と云り。偖此神。記には衝立船戸《ツキタツフナトノ》神。下の一書には。是謂2岐神1。此本號曰2來名戸之祖神1。とあり。信友云。道饗祭祝詞に。大八衢爾。湯津磐村之如久|塞坐《フタガリマス》。皇神等乃前爾申久。八衢比古。八衢比賣。久那斗止《クナトト》御名者申弖。と云るにて。來名戸之|祖《サヘノ》神は。この八衢比古八衢比賣。男女二柱を並べて。申す御名なること知られ。また大八衢爾磐村之如久塞坐。と云へるによりて。祖《サヘノ》神と申す義も明に知られたり。と云り。【然るに祝詞なる。八衢比古八衢比賣を。次なる泉門(ニ)塞(マス)大神。亦名道返(ノ)大神なりと。平田翁の謂れしはたがふべし。さるは其泉門塞大神は。所謂千引石なれば。祝詞に磐村乃如久塞坐と云るにかなはず。まことの磐石なれば。如久とは云べからず。此は岐神に申す詞なれば。譬なりといへども道反大神にはかなはず】御名義。記傳に布は經《フ》久は來《ク》なり。さて中卷美夜受比賣の歌に。阿良多麻能。登斯賀伎布禮婆《トシカキフレバ》【來經者也】云々。都紀波伎閇由久《ツキハキヘユク》【來經行也】かく來《キ》と經《フ》と重ねても云て。同意になるなり。師説に布那斗は。物を衝立て。是より莫來《ナコ》そと。留る意の御名なりとあり。布と久と合せて云へば。此(ノ)處を經て莫來《クナ》と云意也。戸は處也。此より來莫と障留る處に坐(ス)神と云意なるべし。と云り。偖平田翁云。岐(ノ)字を書(ケ)ることは。此神の岐に在て守り給ふ意を以。作るなるべし。【此事の彼(ノ)祖神といふものゝことに似たるをもて。混《ヒトツ》に莫思ひそよ。師云。口訣纂疏などに船戸神を道祖神なりと云ひ。和名抄にも道祖佐倍乃加美とあり。さて道祖と云文字は。漢國にて行《タビノ》神を祖と云(ヒ)また其神を旅だちに祭ることをも祖と云故に。此佐倍(ノ)神に當て書のみなり。神(ノ)名の意はいたく異なり。字に惑ふこと勿れ。又和名抄に道神は多無介乃加美とあるも同く。彼道祖を云なるべし。こは旅行人の手向する神なれば名くるならん。】下卷に布都主(ノ)神の。此神を郷導と爲て周流給ふこと見(235)えたるは。深き由ある事なり。偖道饗祭祝詞に。此三柱神等の根(ノ)國底(ノ)國與里。麁備疎備來《アラビウトビコム》物爾。相率《アヒマジコリ》相|口會《クチアフ》事無弖。下行者《シタユカバ》下乎守理。上往《ウヘユカ》者上乎守。云々とありて。彼國より荒び來る物を。防ぎ守り給ふ謂より。其御靈を移して。京を始め。諸國にも四隅の衢にて。祭り給ふを道饗祭といふ。其は神祇令に。季夏道饗祭【季冬同之】とある所の本注に。卜部等於2京城四隅(ノ)道上1而祭v之とありて。其義解に。言欲v令4鬼魅之自v外來者(ヲシテ)不3敢入2京師1。故豫迎2於路1而饗遏也。と見えて。鬼魅とは豫母都國より荒び來る物を始め。總て世に禍事をなし。疫病を流行する類の妖物を弘く指言せり。豫(メ)迎2於路(ニ)1饗遏也とは。鬼魅の入來て。禍を行はざる豫《マダキ》に。此神等を四隅の路に迎へて。饗を献り祈願て。鬼魅の外より來るを防ぎ遏めしむる由なり。其は其祝詞全(ク)塞《サヘノ》神等を祭る詞なるを以て知べし。さて餘の神等は。某某の社前に。或は神祇官にて祭らるゝを。此神事は其時々に。かく衢に御饗を造りて祭る故に。此祭の名を道饗祭とはいふなり。斯て又臨時にも祭る事あり。其は縣居翁説に。國に疫病など起れば。國堺にて祭り。京に疫病の起る時は。宮城の四隅にて祭る。後に四角四隅の祭と云ふ。と云はれたるが如し。又臨時祭式に。障(ノ)神(ノ)祭とあるも此神等の祭なり。其は外國人の參來れる時と。罷歸れる時とに行はるゝ祭なるが。此祭式のあるを以て。古外國を根國底國に準へて穢き物とし。其神をも厭ひ給へる古義を思ふべし。其は武甕槌神經津主神の荒ぶる神を言向け周り給へる時に。大國主神の薦によりて。岐神を郷導として。惡神妖鬼を逐ひ給へること。此に思合せて。其深き由緒を尋ぬべし。【其は惡神妖鬼は。みな夜見國の穢よ(236)り成たるものなるが故に。岐神さき立て逐ひたまへるなり。偖しか神世に逐ひ給へる妖鬼ども。多くは外國へ逃往たるを。蕃客に屬て又歸り來らむ事を憚りて。いと上代より御祭のありしなるべし。】と云る然る言どもなり。偖式に河内國大縣郡石神社。常世(ノ)岐姫《クナトヒメ》神社並(ヒ)玉へる。常世岐姫神は。八衢比賣神の御靈を。故ありて祭玉へるなるべし。石神社の事は次に云。
 
 
又|投《ナゲタマフ》2其(ノ)帶(ヲ)1。是(レヲ)謂(フ)2長道磐《ナガチハノ》神(ト)1。又投(タマフ)2其(ノ)衣《ミソヲ》1。是(ヲ)謂(フ)2煩《ワヅラヒノ》神(ト)1。又投(タマフ)2其|褌《ハカマヲ》1。是謂2開囓《アキクヒノ》神(ト)1。又投(タマフ)2其(ノ)履《クツヲ》1是謂2道敷《チシキノ》神(ト)1。
 
 
帶。記傳に淤備は淤夫と云用語を。體語にしたる名也。【萬葉に帶にせると云ことを於婆世留ともあり。】○長道磐神。記に道《ミチ》之長乳齒神とあり。名義。萬葉に遠き道の事を道の長手《ナガテ》と多く詠める。長手は即長道にて。同言なり。二十に道乃長道《ミチノナガチ》ともあり。【道を手と云るは。繩手又物に鑰之《カギノ》手などの手なり。道の行手なども云り。親く通ふ言なればなり。八十隈道を。八十隈手と云。字麻志麻遲命を。字麻志麻手命ともあるを思べし。】磐は或説に間に通ふと云り。長道は何れを云ぞと云に。黄泉(ノ)坂の往來の長道にあたりて。守給ふ神なるべし【信友云。道に迷へる時に紐以て占ふ法も有しにや。六帖。紐の道の歌に。奥山のしげりに立て迷ふとも。妹が結びし紐をとかめや。とあるを。契冲説に。此は紐は二つある物なれば。道に迷へる時に解て。何れの方に行むと占ふるなるべしと云り。但し紐は二(ツ)あるものなればと云るは偏なり。紐も帶も大かた同じ物なれば。一條の紐ならんには。二(ツ)の末を振分て。行(ク)べき方の道を占ひたるべし。此の道之長乳齒(ノ)神は物實の御帶によりて。道の長手に由ありて。彼岐神と似たる趣なり。夫木集に爲相卿。めぐりあはむ契の末は長乳齒の。神のしるべを頼むばかりぞ。とあるも。彼紐占の事を裏に含みて。詠れしと聞えたり。然れば此紐占は。道之長乳齒神に卜問ふ法なり。此は記傳に云れたるに。驚かされて聊考をそへて云へり。○衣。美曾は或説に。御|襲《オソ》の中略也と云り。また美那斯とも訓べし。紀の八千矛神の御歌に見えたり。記傳云。太刀は佩《ハク》物なる故に。御佩《ミハカシ》と云(ヒ)弓は執《トル》物なる故に御執《ミトラシ》と云如く。衣は著《キル》物なる故に御著《ミケシ》と云なり。著を子言に祁流と云り。又(237)中卷倭建命御歌に。祁世流と見ゆとあり。【古訓にコロモとも訓り。着物の義なるべし。】○煩神。記には和豆良比能宇斯神とあり。記傳云。和豆良布は物の障り滯る意なり。萬葉五に。可爾可久爾|思和豆良比禰納尾志奈可由《オモヒワヅラヒネノミシナカユ》。又病と云も。病にさへられて。清《スガ》々しからぬ意也。【武郷云。名義抄に厄をワヅラヒと訓り。偖此神の御名。御衣に由ありともきこえず。記傳に強ていはゞ云々と云れし説あれど。叶へりともおぼえず。】○褌。重胤云。波加麻は履裳《ハキモ》と云事なるべし。記傳云。和名抄袴八加萬とある是也。雄略卷歌に|多倍能婆伽摩嗚《タヘノハカマヲ》。那々陞嗚※[糸+施の旁]《ナヽヘヲシ》とあり。さて字鏡に褌※[衣偏+昆]口大袴。志太乃波加萬。和名抄に褌須萬之毛能。一云知比佐岐毛乃。などあり。如此分て呼は後のことにて。本は袴も褌も波加麻なるべし。【字には拘るべからず。此に褌字を書たれども。必しも犢鼻褌などの事とも定むべからず。かの雄略卷歌に七重をしとよめるを以て“。表の装束なるをも波加麻と云ること知べし。】とあるが如し【倭名抄箋注曰。按謂褌至穢之物。宜常澣濯之也。志太乃波加萬。蓋當時既有2今袴1著2之内衣上1。故呼v褌爲2下袴1。然猶未v失d謂v褌爲2波加萬1之稱u也。】履裳ならむと云故は。瑞珠盟約章に。縛v裳爲v袴と有は。天照大御神の男の御装を成し給ふ所の文也。女神にわたらせ給へば。常は連幅なる御裳を。御《メ》させたまへりしを。其を縛り上て。兩股なる御袴に成したまひて。履《ハ》く物に成し玉へる故に。波加麻とは云にて。裳の引纏ふ物を蹈入て。履くよしの名なり。和名抄に。野王案在v上曰v衣。在v下曰v裳。總謂2之服1也と見え。記には。伊邪那岐大神にも。御裳と云事の見え。賀茂舊紀に。夜夢天神御子云。各將v逢v吾。造2天羽衣天羽裳1。炬v火フv鉾云々待v之と有も。男神の料に。天羽裳と有なれば。男の袴をも母と云しを。總ては男は履く方。女は纏ふ方なる故に。唯母と云時は女の事に成れゝども。右に出せる和名抄の褌の下に※[衣偏+公]小褌也。漢語抄云※[衣偏+公]毛乃之太乃太布佐伎と有は。表袴を母と云て。裳下之褌と云るなり。名義抄に(238)も。褌字を字鏡と同じく。思太乃波加萬と有を。志多母と云訓の有は。下裳と云事なり。又志太乃波加萬と云も。犢鼻褌は履くが如くして結る物なれば。波加麻と云るにて。何れも裳と云言の離れざるを思ふべし。【又裳は女の装束なる故に。打任せて云事なるか。記傳に。後宮名目抄に御志多母下裳と書く。此は御湯具の事にて。末々にては御湯母自など申侍る云々とあり。女は表に着る裳ある故に。其と別たむ爲に。下と云るなるべし。とあるが如くなれども。右に云如く。男にも袴を裳と云ひ。其に分たむ爲に。下裳と云名目も有にぞ有ける。】○開囓神。記には御褌に道俣神成坐し。御冠に飽咋之宇斯能《アキクヒノウシノ》神成坐りとあり。此と異なり。名義未詳ならず。○履。和名抄に唐韻云草曰v※[尸/非]。麻曰v尸/※[人偏+婁]。革曰v履。呼名並久豆用2鞜字1。とあり。【後世には履にも種々の名あり。〓貫毛沓。もみたび。亂緒の沓。藁沓等なり。又其藁沓にも。金剛草履乳わらじなどの名あり。】○道敷神。本に道を千に作るは誤なり。諸古寫本に道とあり改むべし。記傳云。道(ノ)字常には美知とのみ訓めども。本(ノ)言はたゞ知にて。美知は御を添たる言なり。敷は借字にて。及の意也。道を追及ぶを斯久と古言に云り。【俗に追付と云意也。】そは後方より。續て重なる意なれば。萬葉歌などに重浪。又浪のしく/\など。多く云ると本同言なるべし。此は伊邪那美命の。黄泉比良坂にして。男神に追及坐るを云なり。とあり。されば此神は。記に伊邪那美命を黄泉大神と申すと云處に。亦云|以《ヨリ》2其追斯伎斯《オヒシキシニ》1而號2道敷大神1。とある傳の混れたるもの也。記に此神のなきぞ正しき。偖記には此のつゞきに。右の神等の外に。於2投棄1御裳(ニ)所成神名|時置師《トキオカシノ》神坐し。左右の御手の手纏に。奥疎《オキサカルノ》神奥津|那藝佐毘古《ナギサヒコノ》神。奥津|甲斐辨羅《カヒベラノ》神。邊《ヘ》疎(ノ)神。邊津邪藝佐毘古神。邊津甲斐辨羅神。六柱まし/\て。船戸の神より以下。總て十二神坐せり。此紀には此神等の御事は漏されたり。偖此神等の御名の解などは。記傳につきて見るべし。【平田翁云。上件道之長乳齒神より邊津甲斐辨羅神まで。合て九柱の神等の成れる本因を考(239)るに。皆御身に着る穢物を脱棄て。それに成れるなれば。此神等ぞ實に夜見國の汚穢に依て。成れるにはありける。然れば此は何れも决めて。善神なるまじき謂なり。さて前の三神は陸に屬き。彼の六神は海河に屬て。禍事をなす神なるべし。と云はれたるは。證もなきみだりごとなり。】
 
 
其|於《ニ》2泉津平坂1。所塞磐石《サヤレルイハハ》是謂(フ)2泉門塞《ヨミドニサヤマリマス》大神(ト)1。亦名|道返《チガヘシノ》大神矣。
 
本に於泉津平坂の下に。或所謂泉津平坂者。不3復別有2處所1。但臨v死氣絶之際是之謂歟の二十五字あり。此は山蔭にも云れたるか如く。後人の賢らに加へたるものにて。决く本よりの語にはあらぬこと。今辯ずるまでもあらず。永享本に此文を。其黄泉津平坂。言2死出(ノ)山(ヲ)1。或所謂泉津平坂者不2復別有2處所1。祖師云。臨v死氣絶之際是謂歟。とあるが却りて古かりけるを。其文を引直して。今の如く書改めつる也。祖師云と云ひ。言2死出山1と云は。僧徒の書入なる證なりけり。○所塞盤石。是謂泉門塞大神。所塞を本にフサガルとよめれど。記傳の説に依て。佐夜禮留と訓む方勝るべし。又泉門塞は。泉門爾佐夜理坐と訓べし。佐夜禮留は所《ル》v障《サハレ》なり。佐夜理坐は所《リ》v障(リ)なり。佐波理を佐夜理と云る事。記又萬葉に例あり。泉門は即かの平坂を云て。字の如く黄泉國に入門なり。記には塞2坐(ス)黄泉戸(ニ)1大神とあり。○道返大神。女神を塞て。道より返し奉りし故の御名なり。記に亦所v塞2其泉坂1之石者。號2道反(ノ)大神(ト)1。亦謂d塞2坐《マス》黄泉戸(ニ)1大神uとあり。此大神は。右の坂路に塞玉へる千引石の。大神と成玉へるにて。彼火神を斬玉へりし劍を。稜威雄走神と申奉るに同じ。偖此に大神と申し。亦名にも然申(シ)添たるは。(240)殊に黄泉國より阻ひ麁ひ來る鬼神をも。物とも所思さず。追却け玉ふべき。神威を藏めて坐るが故也。並々の神には。大神と稱(ヘ)られざる例也。さて上にも引る式河内國大縣郡石神社。常世岐姫神社並玉へるを思ふに。石神社は必此大神の靈を祭れるなるべし。祖神を道路に祭るには。必石を立て祀る事は。かく並給へる所謂による事なるべし。
 
 
伊弉諾(ノ)尊既(ニ)還(テ)。乃|追悔《オヒテクイテ》之曰。吾《ワレ》前《サキニ》到(ル)2於|不須也凶目汚穢《イナシコメキタナキ》之處(ニ)1。故|當《マサニ》滌2去《アラヒステムトノタマヒテ》吾身之|濁穢《ケガレヲ》1。則|往《ユキテ》至《イタリテ》2筑紫(ノ)日向小戸橘之檍原《ヒムカノヲトノタチバナノアハギハラニ》1而|祓除焉《ミソギハラヘタマフ》。
 
 
既還。顯國に還り坐るなり。【顯國は。もとの※[石+殷]馭廬島なる八尋殿ならむと重胤云り。さること也。】○追悔。女神を深く慕ひ給ふあまりに。穢き國なることをもおぼしかけずて。黄泉まで追行ましゝことを。追て悔給ふ也。○筑紫日向。筑紫は筑前筑後の域を云は本よりなれど。こゝは九國を都ても云へるなり。日向は。記傳云。推古紀の大御歌に。辟武伽《ヒムカ》とあれば。古は字の如く如此唱へしなり。【和名抄に。比宇加とあるは。後に音便に頽れたるものなり。】かく名けたる由は。景行紀に見ゆとあり。【景行紀十七年三月。幸2子湯縣1遊2丹裳小野1。時東望之謂2左右1曰。是國也向2於日出方1故號2其國1曰2日向1也とある。國名の義はさる言なれども。これを景行天皇御世の事と爲しは誤なり。神代より名高き地名なるをや。此事は下卷の注に辨へ云へり。】○小戸橘。一書又記に橘小門とあり。小戸にある橘と云地名なり。故其小門の名を。橘小門と云り。偖かく名付たりしは。神代に此處橘樹の生たりし地なるからに。小門の名となれる也。橘といふ樹かく神代にありしかど【田中頼庸氏云。今も薩摩地方の山には。自然なる橘生茂りて。實なども多く結びて。其味ひこそ。彼の柑子などにはおとりにけれ。みな人のとりて食ふはざらにて。今も橘と云りと云(241)り。これぞまことの神代の橘なること明らけきを。他國にはのこらで。そのかみの日向(ノ)域にしも。今もあるこそかへす/\めでたけれ。なほ其餘の國人にもひろく問試むべし。】中頃絶たりしを。垂仁天皇御世に。また海外よりわたして。今世にあるは。即其種なり。凡て草木には上代にありしが。中頃絶て又今世にある類もあれば。此を後世より着《ツケ》たる地名ぞなど云は。神代のいと久しかりし間なる事をも思はぬ非説なり。偖小門は地名にはあらで。小き水門にて。川の落口なりけんと。記傳に云り。【大海にあるを大門と云に對へたる名なるべし。萬葉二に。留火之明大門云々とあり。】○檍原。和名抄に説文云。橙梓之屬也。日本紀私記云阿波木。今按又橿(ノ)木(ノ)一名也。見2爾雅1とあり。【箋注曰。廣本爾雅下有注字。按爾雅不v載v橿。祈2注字1爲v是。郭注爾雅※[木+丑)]檍一名土橿。按西山經英山多※[木+丑]橿。郭注云々。又爲d以2※[木+丑]橿1不uv同與2此所1v言異v所v引。盖舊注。抑源君所見。郭注脱土字。又按一名土橿者。訓2※[木+丑]之檍1。非2梓屬之〓1。下總本脱d見2爾雅1三字u】記傳云。是も地名にはあらで。松原檜原柳原柞原などの類にて。たゞ此(ノ)木多く生(ヒ)たる地を云るなるべしと有り。重胤云檍は名義抄に訓るも。同じアハキなり。言義は和名抄に。橿(ノ)木(ノ)一名也。とあるに依て考るに。青葉木《アヲバキ》と云事也。然るは此樹は常盤木なれば。葉の状に付て。青葉木と號け。堅き幹木に依て。堅《カシ》とは名付たりけん。又和名抄に唐韻云橿萬年木也。和名加之。爾雅集注云一名※[木+丑]一名檍【字鏡も同じ】とあれば。同物なること灼然。【武郷云。右に引る倭名抄の橿木(ノ)一名也とある文も。狩谷氏の説によれば。聊疑はしきよしなきにあらねど姑く其説によれるなり。】偖小戸橘之檍原といふ地名。今聞ゆることなしと。記傳に云れたれど。神名帳考に云。式日向國宮崎郡江田神社を。巡拜帳と云ものに。式内檍原江田神社。産母二柱大神宮。檍原一葉大明神。大宮司川越江田村にあり。今は那珂郡に屬りとあり。【和名抄江田。宮崎町近邊に。大宮司社家などもありて。一宮都農よりは大社なりと帳考に云り。】さらばこの江田郷あたりを古(ヘ)檍原と云しと見ゆ。さらば橘小門日向國なりとすべきかとあり。【集解云。寛延中有2僧雲蝶者1。持2日向小戸橘檍原圖1。過v余曰。曾行脚而(242)至2于日向國1而所v得也。其圖曰日向小戸橘檍原屬2宮崎那賀兩郡1。地形如扇。三方三里。延岡路與2薩摩道1中間。有2橘郷1。南有2小戸川1。東距2橘郷1。有2平沙1。南北三里號曰2檍原1とあり。】飫肥紀行と云ものあり。此は天正年間に。日向國領れる伊東三位入道義祐が著《カケ》るものなり。義祐通稱六郎五郎。幼名虎熊丸。伊東尹祐の二男なり。天正十三年八月五日卒年七十二。義祐此時同國佐土原の城にあり。そこより同國飫肥に至る時の紀行なり。今其文を略して左に擧ぐ。【本文に或人の考按をも如へたりこれは同じ飫肥人の書しものなりと云。】或時飫肥の院に。陣所の番とて。八聲の鳥の鳴ぬまに急ぎ立ける。云々霧甚く降りて。そことも知らず。急ぎける。早や檍原の波間より露れ出し住吉の神。住吉の里も近く見えわたり。潮地の松の秋風冷々として。袖吹送る玉桙の道の行方に見渡せば。【義祐佐土原を發し。檍原潮地宮崎小戸渡と。順路を以今考るに。檍原は今の廣瀬町なるべし。潮地の住吉とて。今も衆庶尊信の社あり。式内江田神社より北十四五丁にあり。但し村社なり。古老の口碑には伊弉諾命滌し玉ひし地なりと云り。いかゞあらん。】人王の始宮崎(ノ)京神武天王の御前近所にて。辱さに泪落けりと言し古言まで。思合されて。通りけるに。其里人にことゝへば云々【神武天皇の社。宮崎郡下北村。今官幣大社】程なく小戸の渡りに至りぬ。神道秘密數々に思出されて。神世より其名は今も橘や。小戸のわたりの船の行末。と詠侍りぬ」【小戸渡。これ橘の小戸なりと云傳たり。一名大淀川。また宮崎川とも云。川の水源霧島山に發す。下流三十六里。宮崎なる上野町中村町の中間を貫流す。架橋橘橋と云。長二百四十間。小戸神社上野町村社なり。川の東北五町許にあり】赤井の里に船漕寄せて。稻荷の山を過ぎ行けば。云々【赤井の里今赤江と書く。恒久村なり。古老傳に。伊弉諾尊身滌し玉ひて。垢を洗ひ玉ひたるに依て稱すとも。また天照大神出生の地なれば明汀の意なりとも云り。】猶行路は遙けきに。木花の寺も見えければ。木花開耶姫の御神靈も。眼のあたりに覺えつゝ急ぎけるに。漸々入日となりて。折生迫と云所に着にけり云々。【木花は今木崎と云ふ村の内なり。寺は既に廢絶せり。開耶姫命の神社あり。古老傳云。神社より近き山に。室谷と云あり。之(レ)無戸室《ウツムロ》を造られし處なりと。いかゞあらん】宮浦に草枕を借にけり。里の主の翁さびたる者の物語をきゝて。里人にとはずはい(243)かでしら波の。玉依姫の宮の浦とは。云もあへず夜も明がたに成しかば。また水尾の峠に趣き侍りぬ。【玉依姫神社は。今も宮浦にあり。此神社より五六町許南に古墳あり。形瓢の如く。周廻百間餘もあるべし。これ玉依姫の山陵なりと云り。近き年頃までは。頂に古松壹株ありたりと云へども。今は枯て雜木のみ繁(ゲ)れり。玉依姫神社は今に宮浦神社と稱せり。】右は甚く文をはぶきて。用あることのみを記せり。天正の頃に書きたるものなれば。今にしては證すべし。されば。神名帳考を引て出せる文。また集解に云る僧雲蝶がもてる檍原圖と云るものにも。大方合へり。さらば記傳に小戸橘之檍原といふ地名。今聞ゆることなしと云れたるは。たま/\思ひ洩されたるなりけり。○祓除。記傳云。美曾岐は身滌《ミソヽギ》也。下(ノ)文に迦豆伎而滌とあるを姶て。書紀に滌去。また盪滌。また濯除など見え。萬葉に潔身身祓などもあるを以知べし。今も除服などに。海川(ノ)邊に出て清まはり。又許理とて水浴ることするは。みな禊の意ばへなりとあり。波羅閇は拂に同じ。即下に拂濯とも書きたり。右に引る文の滌走の去字。こゝの除字なども其義なり。又洗とも言通へり。【されど拂又洗は。はひふへと四段に活けども。祓は古くより四段に活きし例なし。此卷に祓具此云2波羅閇都母能1と見え。萬葉十七に波良倍とあり。さて中昔の書どもに。みなはらへはらふるとのみありて。二段の活なり。波羅閇を令v祓なりと云は非なり。】守部云。御身につける物を。投棄給ふは祓除なり。御身の汚穢を滌ぎ玉ふは禊なり。禊と祓とは別なり。祓は惣名にて。禊は其中の一種なれば。禊は祓と云べく。祓は禊とはいはず。禊は水邊にて行ふに限れる名なりと云り。此説にてあきらけし。【平田翁説に。祓字は字書どもに。除v惡祭也。除v災求v福也など注し。禊字除v惡祭名。三月上巳臨v水祓2除不祥1也と注せり。然ればはらへみそぎに。此二字を當たるは熟當れりと云へり。】
 
 
遂(ニ)將《シテ》v盪2滌《スヽギタマハムト》身之所汚《ミノケガレヲ》1。乃|興謂《コトアゲシテ》曰《ノタマハク》。上瀬《カミツセハ》是(レ)太疾《ハナハダハヤシ》。下《シモツ》瀬(ハ)是(レ)太|弱《ユルシ・ヨワシ》《トノタマヒテ》。便(チ)濯《スヽギタマフ》2(244)之|中瀬《ナカツセニ》1也。因以生(ル)神(ノ)號曰(ス)2八十枉津日《ヤソマガツヒノ》神(ト)1。
 
 
逐將盪滌云々。山蔭云。此八字なくてよけんと云れたれどとも。義に害なし。○上瀬下瀬は。上に云る如く。橘小門は川落口なるべけ札ば。其處の瀬々なりと。記傳に云り。○大疾太弱。記には瀬速瀬弱とあり。記傳云。瀬速とは流の急きを云なり。弱に對て云へれば。はげしき意をも兼たり。瀬弱とは。流の緩なるを云也。偖弱きを取(リ)給はぬは。あまり流の緩處は潔からぬ故なるべし。とあり。○興書。興言は何にても。心に一(ツ)感くる所有。其を取立て。言に云揚るを云なり。重胤云。上瀬は瀬速く。下瀬は洲弱して。猶足ずおもほすを。其中瀬はしも。疾からず。弱からず。其宜しき程を得て有しかば。此處に降立てこそと思ほし成ぬる任に。興言し玉へるなり。○八十枉津日神。記には八十禍津日神。次大禍津日神二柱とせり。一書は。大綾津日神とあり。阿夜と麻賀と同じ。【信友曰。次大枉津日神六字。今本に脱たるを山城國乙訓郡向神社の庫中所藏の古本にありし由。神祠六人部某の筆記に見えたりと云り。されど凡有九神の數に合はざれば。本のまゝにてあるべし。】名義八十も大も稱辭。次なる神直日大直日の神大に同じ。【記傳云八十は禍の多きを云。大は甚しきを云にや。と云れど。なほ數の多きと。物の大なるを以て。稱たるものとすべし】平田翁云。麻賀とは。萬の凶惡《アシキ》ことを云て。即禍字の意なり。【祝詞式に。惡事古語麻我許登と見え。景行紀に。禍害などあるを以てその意を曉るべし。師の麻賀と穢きとを。一(ツ)意に釋れし説は。いかゞあらむ。】津は助辭。日は【清て訓むべしいまた濁れる例を見ざればなり。】産靈の靈に同く。禍に奇靈なる由なり。記傳云。さて世間にあらゆる凶惡事邪曲事などは。みな元は此渦津日神の御靈より起れるなり。と云れたるが如し。【此事は次に云】さて世中の諸の禍害は。みな汚(245)穢より成れる事は。此神の成坐る事を。記の次の文に。此(ノ)二神者所v到2其穢繁國(ニ)1之時。因2汚垢1而所成之神者也。とあるにて著明し。
 
 
次(ニ)將《シテ》v矯《ナホサント》2其枉《ソノマガヲ》1。而生神號曰(ス)2神直日《カムナホビノ》神(ト)1。次(ニ)大直日《オホナホブノ》神。
 
將矯其枉。平田翁云。禍津日神の爲給ふ禍を。直さむと。所念しての意なり。【那富須は令v直世】とあり。重胤云。此又枉事を矯さむと。おもほし入て。又興言し玉へるを。上に在る事を。再云に及ばざれば。興言とは書されざるもの也。第十一書に。出v水吹2生大直日神(ヲ)1とある如く。將v矯2其枉1と。興言し玉ひて。氣吹放たせ御在し坐し事。灼然きもの也と云り。○神直日神。大直日神。記傳云。直とは直からざるを直す意の御名なり。既に直れる意にはあらず。上に爲(ス)v直とあるを以曉るべしと云り。大と云(ヒ)。神と云は稱辭なり。偖此神は。枉津日神の甚く國士の禍害となる神に坐す故に。其を矯さむと所思坐して。生給へるなり。故此神は世に有る禍を正して。吉善《ヨキ》に和《ナゴ》し還し給ふ神に坐すなり。記云次爲v直2其枉1而。所成神(ノ)名(ハ)神直毘神。次大直毘神。とあり。○偖世間の諸の凶惡事は。枉津日神の御靈より。起れるものなる事。また其凶惡事を。吉善に直し給ふ事の。慥かなる證は。御門祭祝詞に。四方四角與利。疎備荒備《ウトビアラビ》來武。天能麻我都比登云神乃。言武惡事《イハムマガゴト》爾相麻自許利。相口會賜事無久。云々咎過在乎波。神直日大直日爾。見直聞直坐※[氏/一]云々。又大殿祭祝詞に。漏落《モレオチム》事乎淡。神直日命大直日命。聞直志見直(246)志※[氏/一]云々。とあるにて。諸の吉凶みな。此神等の御心なること明らけし。さて吉事こそはあれ。世間の爲に。あしかる事を爲玉ふ枉津日神をしも。産靈大神の成出玉ふは。いかなる御意ぞと云に。此に妙なる道理あり。此世間は吉事凶事互に行はるべく。立玉へるものにて。偏善偏惡の域にあらず。其は本居翁歌に。善事に凶事い續ぎ。凶事に善事い續ぐ。世間の道と詠れしは。實に千古未發の卓言なり。凶事の行はるればこそ。其に就て吉事の出來るなれ。ひたぶるに凶事なくは。世に人の死すると云事もなく。災害に遇ふものもなく。道理に背ける事もなく。いと宜しきに似たれども。さては後世に功績を立むと志すものもなく、勵み勉むる業もなく。善事を行はむとするものもあらぬぞかし。此處《コヽ》おもほしめして。産靈大神の。かく枉津日神直日神をしも。伊弉諾神の御禊に當りて。幽に成し出玉ふものぞかし。此道理をよくおもひて。善惡互に行はるゝ。世間のさまを知るべきなり。また記傳に。偖世人の凶惡を直して。吉善を爲べき道は。彼御禊の理によれることなれども。彼大神此御禊を以て。世人に凶惡を忌去て。吉善を行へと。教諭玉ふにはあらず。其故は。彼御禊も其時に。故《コトサラ》に。神の教によりて爲玉ふには非ず。元來産巣日神の御靈によりて。自ら黄泉の穢惡を。穢惡しとおもほす。己命の御心から爲玉へれば。世人も亦其如くにて。産巣日神の御靈によりて。凶惡をきちひて。吉善を爲べき物と。生れたれば。誰か教ふと無とも。自ら其差別はあるものなり。と云れたる。實に然る説どもなり。○記に右の大直日神の次に。伊豆能賣神成坐り。さて并三神也とあるは。右の直毘神二柱(247)を合て。三柱なるなり。然れば次爲v直2其禍1とある。同列の神なれば。其直日神と。同義を以て説べし。伊豆は清く明き意也。【この言の意は。次の所祭神の下に委く云べし。】されば直日神は枉を直さむと思ほし坐て。生給へる神に坐し。伊豆能賣神は。其枉事の起りは專ら穢にあるを。其穢惡を除き去たる上は。改めて清く明きに立遲返らざるべからず。其清く明きに立返らむとおもほしまして。生(シ)給へる神に坐ば。かく御名には負給へるにぞありけらし。是ぞ所謂世に清祓《キヨメ》と云ことの起れる本なりける。
 
 
又|沈2濯《シヅミスヽグ》於|海底《ワタノソコニ》1。因(テ)以|生《ナセル》神(ノ)號曰(ス)2底津少童《ソコツワタツミノ》命(ト)1。次(ニ)底筒男《ソコツヽノヲノ》命。又|潜2濯《カヅキスヽグ》於|潮中《ウシホノナカニ》1。因(テ)以生(ル)神(ノ)號曰(ス)2中津少童《ナカツワタツミノ》命(ト)1。次(ニ)中筒男《ナカツヽノヲノ》命。又|浮2濯《ウキスヽグ》於潮(ノ)上《ウヘニ》1。因(テ)以生(ル)神(ノ)號曰2表津少童《ウハツワタツミノ》命(ト)1。次|表箇《ウハツヽノ》男(ノ)命。凡|有《イマス》2九神《コヽノハシラノカミ》1矣。其(ノ)底筒(ノ)男(ノ)命中筒(ノ)男(ノ)命表筒(ノ)男(ノ)命(ハ)是(レ)即(チ)住吉大神《スミノエノオホカミナリ》矣。
 
 
又とは。上なる事を一段と爲て。更に復物爲玉ふ由なり。祓除は上件にて。神の成出玉へるに。一度終りたるを。猶反復て海底に入玉ひ。其にても御心に足はず所思して。潮中潮上にて物し玉へるなり。【上には次と云。此には又と云るを見べし。第十一書に。此差異を立ざるは。委しからざる書状なり。記も同じ。】○沈濯於云々。重胤云。名義抄に沈字にシツクとも。トヽムとも云訓あるを以て。志豆久は下着《シヅ》く。志豆久牟は下留《シヅム》の義なる事。愈以て明らかなる者也。○潜は。(248)水を頭《カシラ》に着(ケ)て其中に入るなり。○底筒男命。筒は借字にて。都知と同じ。亦底土命とも云《マヲ》せり。都知之男と連く例は。建御雷之男などの如し。さて次一書に。磐土命とあるは。此の表筒。底土命とあるは。底筒。赤土命とあるは。中筒にあたれり。【阿と那と通ふ例多し。】○表津少童命。記には表津を上津と作り。さて注に訓v上云2字閇1とあり。記傳云。宇閇は上某とつゞく言あるときは。凡て宇波と云例にて。書紀に上國此云2羽播豆矩※[人偏+爾]1。とある類なり。然るを宇閇と注したるは。言の居たる方を注したる物なり。さる例ありと云り。○住吉大神。記云其底筒之男命。中筒之男命。上筒之男命。三柱神者。墨江之三前大神也とあり。和名抄攝津國住吉【須三與之】郡。式同郡住吉(ニ)坐(ス)神社四座。【並名神大。月次相甞新甞、續紀延暦三年六月叙2正三位住吉神勲三等1より。日本紀略大同元年四月奉v授2從一位1とあり。記傳云住吉を須美與之と唱ふるは。後世の事にて。那良の頃までは。須美能延とのみ云り。記紀萬葉に須美與之と云ることは。一もなしと云り。】四座は。私記に稱2四座1者。神功皇后坐2別殿1歟とあり。此地に此大神等の鎭坐ることは。神功紀に見えたり。【然るを二十二社注式に。社家説云。住吉社四座。第一天照大神。第二宇佐明神。第三底筒男中筒男表筒男爲2一座1第四神功皇后也と有は。紀の趣とも違ひて異しき説なり。】また攝津國風土記に。所3以稱2住吉1者。昔息長足比賣天皇世。住吉大神現(レ)出所。巡2行天下(ヲ)1。覓《マギタマフ》2可v住國1時。到2於|沼名椋長岡《ヌナクラノナガヲ》之|前《サキニ》1。【前者今神宮(ノ)南邊是其地】乃謂斯實(ニ)可(キ)v住(ム)之國。遂讃稱之|云《ノリタマフ》2眞住吉住吉《マスミノエスミノエノ》國(ト)1。乃是(ニ)定2神社1。今俗略v之直稱2須美乃叡《スミノエト》1とあり。此地のことは委く神功紀に云べし。さて又式に長門國豐浦郡住吉坐荒御魂神社三坐【並名神大】とあるをはじめ。なほ諸國に住吉御社は多かり。
 
底津少童(ノ)命。中津少童(ノ)命。表津少童(ノ)命。是(レ)阿曇《アヅミノ》連等(ガ)所祭《イツキマツル》神(ナリ)矣。
 
(249)阿曇連。阿曇は氏。連は戸なり。氏尸の解は。記傳云。字遲と云物は。常に人の心得たるが如し。【源平藤原などの類是也。】加婆禰と云は。宇遲を尊みたる號にして。即宇遲をも云り。【源平藤原の類は氏なるを其をも加婆禰とも云ふ也。】宇遲ももと賛て負たる物なればなり。【是はた言は賛たる言には非るも。負たる意はほめたるもの也。○武郷云。氏は概ね其職名にて。其家世相承て號とせるは。他家に對ひて自ら賛る義あるなり。】又朝臣宿禰など。宇遲の下に著て呼ぶ物をも云り。此は固(ヨリ)賛尊みたる號なり。【武郷云。加婆禰は其家の尊卑の。自らわかるるものなれば。賛尊みたること本よりなり。】又宇遲と朝臣宿禰の類とを連ねても加婆禰と云り。【藤原朝臣大伴宿禰などの如し。】されば宇遲と云は。源平藤原の類に局り。【朝臣宿禰の類を。宇遲と云ること無し。○武郷云かく云れど。天武紀に。倭直栗隈首云々三十八氏。また姓氏録左京皇別に。起v自2左京息長眞人1盡2攝津國爲奈眞人1。四十四氏。また起2源朝臣1。盡2新田部宿禰1。四十四氏。また日本靈異記に。役優婆塞者加茂役公氏など。大凡に云(フ)ことはあり。】加婆禰と云は。宇遲にも朝臣宿禰の類にも。連て呼ぶにも亘る號なり。宇遲と加婆禰との差別大かた如此し。【偖宇遲に氏(ノ)字を書くはよく當れり。加婆禰に姓字は當る處と。當らぬ處とあり。然るを世人。宇遲加婆禰の義を。ひたすら此氏姓字に因て。分別むとする故に。いとまぎらはしきが如し。偖。源藤原の類は。姓と云ても氏と云ても宜しく。凡て宇遲加婆禰と云に。氏姓と書くも當れることなれども。加婆禰と云中に。姓字の當らぬ處ある故はいかにと云に。朝臣宿禰の類は。漢國には無き物なれば。是に當る字は無き也。姓字は源藤原などを云時の加婆禰には當れども。朝臣宿禰の類を云時の加婆禰には當らざるを。強て漢文に書むとする時は。止事を得ず此字を用て。書紀などに。賜v姓曰2朝臣1など書れたるから。紛れて朝臣宿禰の類を姓。藤原大伴の類を氏と。心得たる人もあれど非なり。若然云時は。源も平も藤原も共に朝臣なれば。皆同姓と爲むか。されば朝臣宿禰の類を姓と心得ては。源藤原の類と混ひて分別なし。故後世の書どもには。朝臣宿禰の類には尸と書て分つなり。此はたゞ借字なれば。姓字を書むよりは紛れなくて勝れり。○武郷云己が此紀の注に。加婆禰に尸(ノ)字を用ゐたるは。此説に依れり。】と云れたるにて。其差別は明らけきを。なほ其據て起る本。また名義を探ぬるに。宇遲は内にて。同家一族を云ひて。他家に對する稱なり。然れば其本義は。我(ガ)同族を親しみ崇むる意あり。さて其氏は概ね職名にて。其家世々相承て。同族の號とすれば。他家に對ひて。自《ミヅカラ》賛る義あるなり。其一二をいはゞ。上世に名高き大伴といひ。物部と云る。是職なり。大伴といひ物部と云に。賛たる義はなけ(250)れども吾家のものと負て。他家に對するより。賛る義となり。親しむ義となるなり。これ則内と云る所謂なり。加婆禰は株名《カブナ》なり。株は頸字をも書く。樹に根株《ネカブ》あるが如く。人に頭頸《クビ》あるが如く。其技葉に對ひ四肢に對ひて其根本たる所の稱なり。即氏の加婆禰と云るは。其氏中の長にて。譬へば物部といひ。大伴と云る。部屬の長となりて。其人等を率ゐるより。大伴宿禰物部連と云る。即其宿禰連を加婆禰と稱するなり。株名の名はこれも美稱なり。續紀の宣命には。此を根加婆禰とも云り。根頸名にて。これも根は本根の意也。これにて宇遲加婆禰の本義を知べし。偖此阿曇氏は。記に。安曇連等者。其綿津見神子。宇都志日金拆《ウツシヒガナサクノ》命之子孫也とあり。姓氏録右京神別に安曇宿禰。海神綿積豐玉彦神子。穗高見命之後也。又河内に。安曇連綿積(ノ)神命(ノ)兒|穗高見《ホダカミ》命之後也。【穗高見命は。日金拆命と一神なるべし。】未定雜姓に。安曇連。于都斯奈賀命之後也。【記傳云。記に依れば。奈賀は賀奈の寫し誤り。】などあり。さて阿豆美といふ由は。【記傳云。阿曇と書く曇(ノ)字は。ドムの音を轉じて用る也。】未(ダ)詳ならず。應神紀三年。處々海人|※[言+山]※[口+尨]《サハメキテ》之不v從v命。則遣2阿曇連大濱宿禰1。平2其|※[言+山]※[口+尨]《サハメキヲ》1。因爲2海人|宰《ミコトモチ》1。【又履中紀に。對曰淡路野島之海人也。阿曇連濱子云々。是も海人を掌れるよしなり。】とあるを考るに。此氏は海神の子孫なるから。固り海人のことを執し故に。其※[言+山]※[口+尨]を平けしめ玉ひ。さて其宰ともなれるを思へば。海人の事によりたる名にはあるべし。故記傳に。海人津持と負せしが約たるなるべしと云へり。いかゞあらむ。武郷按に。阿豆美は網釣部にて。網を投げ釣を垂て。魚を取る部を云なるべし。】記傳云。姓氏録に海(ノ)犬養。【海神綿積命之後也】凡海連。【同神男穂高見命之後也】なども海人によれる姓なるべし。さて高橋朝臣と此姓と。世々御膳のことに與れり。高橋の然る由緒は。景行天皇の御代の故事。書紀にも姓氏録にも見えたるを。此姓のことは。如何なる由と(251)も物に見えず。是も海人を掌るより事起しなるべし。【海人は御饌物を取物なればなり。】和名抄に筑前國粕屋郡に阿曇郷あり。此は此氏人の住し故の地名なるべし。【武郷云。また和名抄信濃國安曇郡ありて。其郡に穂高神社式に見えたり。此も此氏神なり。なほ此國には。此除にも由縁どもありて。紀傳に載されたり。】偖此氏は。連の加波泥にてありしをを。【書紀卷々に出たる皆阿曇連とあり。】天武卷十三年十二月。阿曇連賜v姓曰2宿禰(ト)1。又姓氏録に。阿曇犬養海神大和多罪神三世孫穂巳都久命之後也とも見たり。【舊事紀に。天(ノ)造日女命阿曇連等祖。】連は群主《ムラジ》の意か。【主を自と云は。宮主の如し。母|戸主《トジ》の自も此なるべし。】其群の中の主と云意なり。連字を書故は詳ならず。【禮記王制に十國以爲v連。々有v帥云々。注に合2十國1爲2連比1、以統v之也とあり。是を取れるなりと谷川氏は云き。さも有べきか。群主の意即かの連帥に似たり。○武郷云職官志にも連群也。群謂v帥v衆。其文不v用v群而用v連。取d其可2連率1之義uとあり。】又萬葉二十に。多々美氣米《タヽミケメ》。牟良自加已蘇乃《ムラジガイソノ》と。續たるは疊薦を編《アム》と云かけたり。【阿を略く】とある師説をもて思ふに。たゞ語の上のみの續けにも非で。牟良自と云に。編(ミ)連(ヌ)る意ある故にてもあるべし。と云れたり。氏人は應神紀に阿曇連大濱。履中紀に阿曇連濱子。皇極紀天智紀に阿曇山背連比羅夫。類史に恒武帝時内膳奉膳安曇宿禰繼成。清和紀阿波人安曇部粟麿自言。安曇百足宿禰之後云々。朝野群載に阿曇貞信。小右記に安曇元高等見えたり。○所祭神。記に以伊都久神とあり。伊都久は記傳に齋なり。萬葉に住吉爾|伊都久祝之《イツクハフリ》云々。書紀に爲2天孫1所《レ》v祭《イツカ》ともあり。又記中に伊都伎奉とあると。拜祭とあると。同義に聞ゆれば。拜祭をも伊都伎祭と訓べしと云り。さて其言本は。伊の一言にて。齋清淨むる意なり。【又通して由とも云り。齋忌齋庭また忌々しなどの由これなり。】また其を伊豆とも云り。即記の伊豆能賣神。神武紀に。嚴瓮嚴媛。嚴香來雷。嚴罔象女。嚴稻魂女。嚴山雷。嚴野椎。又垂仁紀に嚴橿(ノ)本。出雲國造神賀詞に。伊都幣。又伊豆能眞屋。又伊豆(ノ)席などある(252)伊豆。みな是なり。【記傳云。紀に嚴字をしも書れたるは嚴く重く忌清むる意にや。】偖伊都久といひ。又伊波布伊牟など活かし云も。本は穢惡を除き去て。清明する意なれば皆嚴と同じ言なり。【序に云。伊波比は伊牟と同言なるが。其本は伊の一言にて。伊美伊牟伊米伊麻牟と活る。その伊麻牟をまた。伊麻比伊麻布伊麻波利と活かし。麻と波と横に親しく。通音なる故に。伊波比伊波布伊波閇伊波々牟とも云しものなり。】偖此神は。式筑前國糟屋郡志加海神社三坐【並名神大】とある是なり。【貞觀元年從五位上と有】此御社志賀島と云に在て。今は那珂郡に屬りとぞ。【志賀島福岡より海上三里也】八幡本記に。志加大神は。三處に鎭坐し玉ふ。底津海童命は。島の東の出崎に鎭坐し玉ふ。中津海童命は勝間に鎭坐し玉ふ。表津海童命は同村にあり。民俗勝間明神と云と云り。景行紀に志我神。萬葉七に牡鹿之須賣《シカノスメ》神。又十六に糟屋郡志賀村。和名抄同郡に志※[言+可]郷あり。書紀釋に風土記を引て。資※[言+可]島の名義を釋けり。此餘に此神を祭れる御社。式に諸國に數多見えたり。さて又平田翁説に。此神を大綿津見神とも。豐玉毘古命とも申すことは。上件三柱の和多津美神の。一柱と坐す時の御名にて。【此神は底中上と。正しく三柱生坐るを。かく一柱と坐すを以て。神は身を分坐し。また身を合せ坐すことをも辨ふべし。記に此三柱之綿津見神者。安曇連等之祖神云々とあるも。三柱を直に一柱と爲たる趣に聞え。はた海宮段にては。豐玉毘古命と申て一柱に坐ませるを熟思ひ。なほ姓氏録どもの趣もあべて一柱と坐す事をも熟思べし。】大と稱ひ豐と云は。ともに美稱也と云れたり。
 
 
然(シテ)後(チ)洗《アラヒタマフ》2左(ノ)眼(ヲ)1。因(テ)以生(ル)神。號|曰《マヲス》2天照大神(ト)1。復洗(タマフ)2右(ノ)眼(ヲ)1。因(タ)以生(ル)神。號曰(ス)2月讀(ノ)尊(ト)1。復洗(タマフ)v鼻《ミハナ》。因(テ)以生(ル)神。號曰2素戔嗚(ノ)尊(ト)1。凡(テ)三神《ミハシラノカミマス》矣。
 
 
然後云々。上の九神成坐て後の事なり。さて御眼の穢のなごりなく清まり果て。清々しき御身より。(253)日月神等生坐しゝとの傳。一わたりは實に然る事の如くなれど。日月神等は更なり。素戔嗚尊も。本書に出たる如く。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊の。天下之主たる御兒を生むと議り給ひて。生坐すとあるそれぞ正しき傳にて。御禊の時に生れ坐りと云る傳は。混れたる説なること。既に云るが如し。偖其は如何なる混れより。かゝるさまには誤り傳へけんと。なほよく按ふに。御鎭坐次第記に。荒祭宮下に。伊弉諾尊洗2左眼1。因以生號曰2天照大神之|荒魂《アラミタマト》1。亦名|瀬織津比※[口+羊]《セオリツヒメノ》神也。又御鎭坐本紀多賀宮下に。伊弉諾尊洗2右眼1。因以生名號|伊吹戸主《イブキトヌシノ》神即大神分身(ニ)坐。故亦名曰2大神荒魂1也とあり。【右の二書の文。他書にもあまた所見たれども目易きによりて右の文を擧げたるなり。】大神の荒魂。又分身坐などあるは。心得ぬ事ながら。左眼を洗玉ふ時に生坐る神を瀬繊津比※[口+羊]神。右眼を洗玉ふ時に。生坐る神を伊吹戸主神なり。と云る傳は。實にさる言なるべし。さるは此に次て。御鎭坐傳記等に。亦洗v鼻因以坐神。號2速佐須良比賣《ハヤサスラヒメノ》神1云々與2素戔嗚尊1。合v力坐給也。とあるに合せて思ふにも。此三神は。必此時に成坐べき理なり。【さるを右の瀬織賦津比※[口+羊]神伊吹戸主神を。八十禍津日神。神直日大直日神に。あてたる説は信られず。そは既に中瀬に滌玉ふ時に。生坐る神なればなり。また此二神を。大神の荒魂。或は和魂また豐受神荒魂など。書に因て種々に云ひ傳たる。すべてまぎらはし。按ふに大神五十鈴河上に御鎭坐の時。荒祭宮多賀宮を攝社として。同時に鎭め坐まつりし時に。瀬織津比※[口+羊]神。伊吹戸主神を。相殿に合せ祭り玉ひし事などのありて。しか並び坐々すから。自から大神の荒塊。或は和魂或は分身也。など申せる説の。起りしものにもあらんか。其後又多賀宮を。外宮の攝社とせしより。豐受宮荒魂也とも。云傳へしものなるべし。】されば此時左眼を洗給ふ時に。生坐る神は瀬織津比※[口+羊]神。【八十禍津日神と。同神なりと云る説は。右に云るが如く信がたし。】右眼を洗給ふ時に。生坐る神は。伊吹戸主神。【神直日大直日神と。同神と云説信がたし。】鼻を洗ひ給ふ時に。生坐る神は。速佐須良比賣神と云る古傳ありて。御鎭坐次第記等の書には載せしものなるべし。さるをいかなる混(レ)にか。又荒祭宮神多賀宮神を。(254)天照大神月讀尊の本(ツ)御體なりと誤り傳へけむ。【御鎭坐傳記の文に。荒祭宮多賀宮を。日天子と云るなど。取にも足らぬ事ながら。さるさまにも。又附會せしなりけり。】さるは傳記等の文に洗2左眼1因以生神云々。洗2右眼1因以坐神云々。亦洗v鼻因以生神云々とあるが。四神出生章一書に。左手持2白銅鏡1云々。右手持2白銅鏡1云々。廻v首顧眄之間云々。とあるにいとよく似たるがうへに。洗v鼻時に生坐る速佐須良比賣神の。素素戔嗚尊と力を合て坐給ふとあるを。同體の神ぞと心得。終に上の二神をも日(ノ)神月(ノ)神ぞと。言(ヒ)爲したる説の。いと舊くより有しなるべし。如是種々の混亂を正して見る時は。天照大神月讀尊素戔嗚尊の。此時に生坐る傳の誤なる事灼然し。
 
 
已《スデニシテ》而伊弉諾尊|勅2任《コトヨサシテ》三子《ミハシラノミコニ》1曰。天照大神者。可(シ)3以|治《シラス》2高天原(ヲ)1也。月讀尊者可(シ)3以|治《シラス》2滄海原潮《アヲウナバラノシホノ》之|八百重《ヤホヘヲ》1也。素戔嗚尊者可(シ)3以|治《シラス》2天(ノ)下(ヲ)1也。
 
 
滄海原潮之八百重。滄海原能と能を添へて本に訓める宜し。さるは潮は海原のものなれば也。八百重は。大祓詞に。荒鹽之鹽乃八百道《アラシホノシホノヤホチ》乃。八鹽道乃鹽乃|八百會《ヤホアヒ》とある如く。鹽道乃八重に隔れる極を云る意の形容言なり。重胤云。八百重など云ふ重は。物の層なる義にて隔字の義也。萬葉四に千重乃一隔《チヘノヒトヘ》。又|燒太刃乃隔付《ヤキタチノヘツク》。又|一隔《ヒトヘ》山など隔を幣に用ゐ。十二に疊薦重編數《タヽミコモカサネアムカズ》と。重字を隔の義に用たるを以て。其類を推すに。幣は物に界を立て分つ意也。又間字を閉多都と云も。界を立るなり。又阻を閇那流と訓るは。界に成る意なるに合て知べし。【武郷此説に就て按に。閇と云に縱横の別あり。縱の閇は八重山。また零雪者五百重零敷など。高く積り重なるを云ひ。横の閇は。八重霞五百重波な(255)ど。遠く境を間つるを云て。此の潮之八百重も即其横の隔なり。】偖月讀尊は本書に可2以配v日而治1。送2之于天1とあるごとく。天照大神と共に。高天原に坐々て。夜之食國を所知看せり。夜食國即ち月にて。月讀尊と申し奉るも。そこを知看すが故なり。さてしか月を所知看乍ら。滄海原なる潮の八百重がうへの御政をも攝掌《カネシリ》玉へるなり。さるは。如何なる故ぞといふに。月讀尊の荒魂は。海神豐玉彦命と。力を合せ玉ふ縁ありて。海神の御所爲を輔相《アナナヒ》玉ひ。月の出没に從ひ潮の滿干を成て。國土に成出る諸の水族はさら也。穀物草木の上にも御靈を幸へ御ます事。すべて此の謂による事なり。【諸の水族穀物草木の類。月の盈虚に依て。氣の増減あること。また其中に海潮を自ら含てあることなどだれも知れるが如し。】そは式に。伊勢國度會郡月讀宮二坐。【荒御玉命一坐並大】と別に荒御玉命を載たり。倭姫命世記荒魂命下に。飛鳥宮御宇丙寅年十一月十一日遷2魚見神社1と記し。神名秘書に引る禰宜最世記にも。飛鳥宮代丙寅歳十一月十一日月夜見命(ノ)荒魂命靈鏡。奉v遷2于魚見社1。是神託也云々とあり。次に多氣郡魚海神社二坐とある。是なるが。此も同書に引る機殿儀式帳に。魚見社三前。是月讀命豐玉彦命豐玉姫命。合三柱神靈也ともあり。右に據れば。月讀宮の遙宮と聞ゆ。かゝれば海神に力を合せて御し玉ふ事灼然く。潮の滿干の月の出没に隨ふこと。今に至りて違はざるなん。みな此の謂によることにて。げに奇しき事也ける。されば月讀尊の。滄海原(ノ)潮之八百重を所知ことも。異なる傳にはあらざるなりとあり。○可治天下。此尊に天下を知看せとあるは。正しき傳なる事上にも既に云り。さて次一書に。素戔嗚尊者可3以御2滄海原(ヲ)1。また記に速須佐之男命者所v知2海原1とある。滄海原海原。ともに此國土のことなれば。天下(256)とあるに同じきことも。既に云るが如し。異なる傳にはあらず。
 
 
是(ノ)時素戔嗚尊|年已長《トシスデニオイ》矣。復|生《オヒタリ》2八握鬚髯《ヤツカノヒゲ》1。雖v然(レ)不《ズシテ》v治《シラ》2天(ノ)下(ヲ)1。常(ニ)以|啼泣恚恨《ナキイサチフツクミマス》。故伊弉諾尊問v之|曰《ノタマハク》。汝|何《ナニノ》故(ニ)恒《ツネニ》啼《ナク》2如此《カク》1耶。對(ヘテ)曰(ク)吾|欲《オモヒテ》v從《シタガハムト》2母於根國《イロハノミコトノネノクニニ》1只爲泣耳《タヾナクノミトマヲシツ》。伊弉諾尊|惡《ニクミテ》之|曰《ノタマハク》。可《ネトノタマヒテ》2以|任《マヽニ》v情《コヽロノ》行《イ》1矣。乃(チ)逐之《ヤラヒヤリキ》。
 
 
八握鬚髯。八握は上に十握とあるに意は同じ。たゞ長き由なり。記には八拳須至2于心前1とあり。【喪葬令集解遊部下に。自v今以後手足(ノ)毛成2八束毛(ニ)1遊(ベト)詔也云々。】和名抄に。髭(ハ)口上(ノ)鬚也。和名加美豆比介。鬚髯頤下毛也。之毛豆比介。と見えたり。重胤云云々。名神記に引る。出雲國日御崎略記に。上社八束水神。八握髪尊者。素戔嗚(ノ)尊(ノ)別稱也。蓋八握髯生之縁矣。とあり。【和漢三才圖會にも引り。武郷云おのれ未(ダ)名神記と云ものは見ざれど。日御碕兩本社記と云ものを見しに。同じさまの文あり。きれば一(ツ)傳なるべし。】また簸川記に。八束髯|速佐須良《ハヤサスラノ》命とあるは。八束髯の榮《ハユ》る由を以て。速と續けて發語なり。神社啓蒙には。八束髪速佐須良命とあれば。髪とも髯とも申せしにこそ有けめと云り。【又云。八握鬚髯云々は。長なび玉へるを云には非ず。其長なび玉へる形容を云故に。此に殊更に。年已長矣と云文は有なり。綏靖紀に手研耳命行年已長とある。長字をも此と同く。於伊と訓たり。垂仁天皇二十三年に。譽津別王是生年既三十。鬚髯八掬。と有を合せて。此年已長矣とある趣を思べし。老字を於由と訓に見馴たる心には。異しむめれども。桐壺卷に此御子の於與須〓以て御在して。云々とあり。注におよすけは。長なびたるを云と云る如く。人の年を經て。長なび行を老とは云なりけり。と云り。】○啼泣恚恨。御母の根國に退坐るを。甚く哀しみおもほして。年長給ひてもなほ。小兒の如く啼泣恚恨給ふこと。いと眞心なる極に坐せり。○惡之。伊弉諾尊は。黄泉國を凶目汚穢之處と詔ひて。甚しく棄《キラ》ひ坐るを。其御子の御母を慕ひ給ふとして。(257)其汚穢國に往むと申し玉へるが故に。甚く惡み玉ふよし也。
 
 
倉稻魂此(ヲ)云2宇介能美※[木+施の旁]磨(ト)1。少童此(ヲ)云2和多都美(ト)1。頭邊此(ヲ)云2摩苦羅陛(ト)1。脚邊此(ヲ)云2阿度陛(ト)1。※[火+漢の旁]火也音而善反。※[雨/龍]此(ヲ)云2於箇美(ト)1。音力丁反。吾夫君此(ヲ)云2阿我儺勢(ト)1。※[にすい+食]泉之竈此(ヲ)云2譽母都俳遇比(ト)1。炬此(ヲ)云2多妣(ト)1。不須也。凶目汚穢此(ヲ)云2伊儺之居梅枳多儺枳(ト)1。醜女是(ヲ)云2志許賣(ト)1。背揮此(ヲ)云2志理幣提爾布倶(ト)1。泉津平坂此(ヲ)云2余母都比羅佐可(ト)1。放※[尸/(叔の左+毛)]此(ヲ)云2愈磨理(ト)1。音乃吊反。絶要之誓此(ヲ)云2許等等(ト)1。岐神此(ヲ)云2布那斗能加微(ト)1。檍此(ヲ)云2阿波岐(ト)1。
 
 
本に此注誤て次の一書下に出せり。今は釋紀亂脱永和本鎌倉本に依て此に記しつ。【集解にも。倉稻魂以下百四十八字。原在2後一書下1據v釋改とあり。】○倉稻魂此云宇介能美※[木+施の旁]。山蔭云。此訓注の介字のこと。此紀にては。此字はいづこにても。加の假字なり。氣と訓は非なり。【然るに介字は古拜反音戒なれば。加の假名には用ふべき例に非れば。介字は皆个を誤れる物なり。个は古賀反にて加の音なり○武郷云カイをカの假名に用ゐるべきにあらず。と云れつれど。平田翁説に。帝禮西なども。漢音のテイレイセイを省き用ゐたるものにして。呉音のタイライサイを用ゐしにはあらぬよし。詳に五十音義訣に辯へられたり。さればカイをカの假字に用む事も。この格なれば疑ふべきにあらずと云り。又思ふに。介にも加の音古へはありしともおもはる。さるは書(ノ)泰誓に若有2一介臣1を大學には作2一个臣1。さらば介と个と古へ通用して共に加の音なるべくもおもはれたり。】○※[火+漢の旁]火也。※[火+漢の旁]玉篇に火盛乾也。とあれ(258)ば。乾燥て干なり。此の注はわろし。下の一書に干也とあるぞよき。されど神の御名の義にはあづからず。○凶目汚穢此云2云々1。此の訓注伊儺之居梅の下に枳字あり。今北野社本に旡に據て削る。其よしは本書の下に注せり。
 
 
 
(259)日本書紀通釋卷之六        飯田 武郷 謹撰
 
〔第七一書〕一書曰。伊弉諾(ノ)尊拔(キテ)v劔(ヲ)斬(テ)2軻遇突智(ヲ)1爲(ス)2三段《ミキダニ》1。其(ノ)一段《ヒトキダハ》是(レ)爲(ル)2雷《イカヅチノ》神(ト)1。一段(ハ)是爲2山(ノ)神(ト)1。一段(ハ)是(レ)爲2高※[雨/龍]《タカヲカミト》1。
 
 
爲三段。三(ツ)に斬給ふが。三柱神と成りしなり。さて此傳は。上の第六一書に。遂拔2所帶《ミハカセル》十握劔(ヲ)1。斬2軻遇突智(ヲ)1爲2三段1。此各化爲神也。と云るのみにて。其神名をば略かれしが。此には其を記されたるなり。○雷神は鳴雷神に坐す。故(レ)また大雷(ノ)神とも天(ノ)鳴雷神とも申す。大雷神と申すは。文徳實録齊衡元年四月。授2河内國大雷火明神從五位下1とあり。【火一本大とあり】火明は電光の事なるべし。式に和泉國大鳥郡大雷神社。【大今本火とあり。雷一本電とあり。】天鳴雷神と申すは日本靈異記に。小子部栖輕《チヒサコベノスガル》者云々。請2言天鳴雷神1。天皇奉v請呼云々。然而自v此還v馬走言。雖2雷神1而何所v不v聞2天皇之請(ヲ)1耶云々。即呼2神司人(ヲ)1入2※[譽の言が車]籠1云々。今呼2雷《イカヅチノ》岳(ト)1とある是なり。式に大和國高市郡|氣吹雷《イブクイカヅチ》。響《ナル》雷。吉野大國栖御魂神社二坐。とあるは此時に祀はれさせ給へるにや。今も雷土村雷岡に立せ御在坐て。九頭明神と申奉(レ)るをおもふべし。【式に主水司坐神一坐。鳴雷神社。又大和國添上郡鳴電神社とあるは別神なり。】なほ此外にも姓氏録佐伯連。天雷神孫天押人命之後也。と見え。また文徳實録(260)仁壽元年に出たる。山城國堀雷。氷都久雷。湯豆波和氣神と申す御名ども。何れも此雷神ならむと重亂云り。【四時祭式。山城國愛宕郡霹靂神社神樂岡西北にあり。世に裂雷神と申す。八雷神の垂跡也と云説あれど。なほ此雷神を祭れるなるべし。】なほよく考べし。さて平田翁云。名義伊加は美加とも通ひて嚴なり。豆は助辭。知は美稱なり。さて其伊加豆知と名に負へる物は。凡て猛く嚴きをば。神をも人をも弘く稱へり。火神を火雷と云るなどを以て知べし。伊加豆知とは。かく弘く言稱なるを。世に雷神ばかり嚴く猛きはなき故に。專此神の稱とはなれるなり。○山神。本に大山祇神とあるを。類聚國史は大(ノ)字祇(ノ)字ともになきに從る。それ正しき傳なるべし。さるは此神は一柱の御名にはあらず。次の第八一書に。軻遇突智命を五段に斬玉ふ。それ五山祇と成坐るよし見えたる。其傳の聊(カ)異れるにて。其五柱を一つに惣括りて。たゝ山神と云傳へたるものなるべし。【もしこれを本のまゝに。大山祇(ノ)神としては。上なる山を總掌ます山祇神とまがひて。如何なる上に。一柱の御名としては。下の一書の五山祇の段にも叶はずいかゞ也。】偖其五山祇は。山を分持神なること。上にも聊いひ。猶次一書にも委く云り。○高※[雨/龍]。※[雨/龍]のことは上に云り。名義猛※[雨/龍]なるべし式に多祁於賀美ともあり。【重胤云。第六一書に。云々曰闇※[雨/龍]と有て。一は御骸より。一は御血より成坐て。其出自はしも別にし有けれども。其の成坐る上にては。其の身を合せて一柱に御坐るなるべし。小倉神社鎭坐傳記と云ものに。高※[雨/龍]神亦名闇※[雨/龍]とも有をも思べし。平田翁云。此もいと猛き物なれば。御父子の御怒に因てぞ成にけむ。【甚く怒りて死し人などの。後に雷になり蛇になりて。復《ムクイ》すること。昔も今も多きは是故ぞ。古くは上毛野君田道の靈の大蛇と化りて蝦夷どもを殺したるなどを思べし。】とあり。さて※[雨/龍]神の御社は。國々にあまたある中に。神名式に。備後國惠蘇郡多加意加美神社。河内國石川郡太祁於賀美神社あり。なほ諸國に意加美神社と云るあまたあり。又大和國吉野郡丹生川上雨師神社。【式の或説に。※[雨/龍]神と云るは正説なり。】又山城國乙訓郡貴船神社。また大和國宇陀郡室生龍穴(261)神社も同體也。小倉神社鎭坐傳記に。所祭闇※[雨/龍]命也云々。丹生雨師室生龍穴貴船御同體。とあるを以知べし。【室生龍穴は。今室生村山に在り。松下見林が室生山記に。龍穴の事甚詳なり。】また相摸國大住郡阿夫利神社も。【俗に大山と云。東國に名高き雨降山也。】此神なるべし。さて雷と龍と相離れざる事跡は。靈異記雄略紀なる。三諸岳神を大蛇とし。其を捉取たる小子部※[虫+果]羸に。賜2名雷1とあるなどにても知べし。さて平田翁記に。雷神※[雨/龍]神ともに。山に住神なるも此に因あり。また種々の山神は。火神の御體に成れる謂に因て。諸高山の頂上より火の燃るも。此よしに因るものと見えたり。【外國人の説に。高き山の峯に硫黄の有るが故ぞなど。事もなげに云めれど。其即て火と土と和合(フ)間に。成出る物の一種なれば。此の謂に依ることなること論なし。】斯て雷神※[雨/龍]神の。龍の類の祖にて。其を統領り給ふ事は更にも云はず。雷の世間に功を成し給ふ跡をつら/\考るに。人の恐畏むは然る物にて。禽獣蟲の類も恐れ惑ひ。又世に惡き病を流行する妖鬼も。甚く怖るけにて。其病のやすまるなど。いと畏く奇異くこそと云れたる然言なり。
 
 
又曰(ク)斬2軻遇突智(ヲ)1時。其血|激越《ソヽギテ》染《ソマル》2於天(ノ)八十河中所在《ヤソノカハラニアル》五百箇磐石(ニ)1。而因(テ)化成《ナル》神(ノ)號(ヲ)曰2磐裂神次根裂神(ト)1。兒磐筒男神次磐筒女神。兒經津主神。
 
 
又曰。此一段の文は。上の一書に。復劔刃(ヨリ)垂(ル)血是爲2天(ノ)安河所在五百箇磐石1也。復劔(ノ)鋒(ヨリ)垂血激越爲v神。號曰2磐裂神1。次根裂神。次磐筒男命。とある又の傳にて。そこの一説と爲べく。もと一連の傳なるべきを。離れて別の一書と成しより。この又曰の一段は。新斬2軻遇突智1爲2三段1といふことの。又(262)一説のごとく通えて。彼此混らはしく成れり。【なほ上の一書のもとに言る言とも考合すべし】○八十河中。上に天安河とあると一(ツ)河なり。○染は。重胤云第八一書にも。是時斬血激灑染云々。とある染と同じく。染徹《シミトホ》るを云なり。記に會米紀賀斯流邇《ソメキガシルニ》。斯米許呂母遠《シメゴロモヲ》とあり。曾牟と斯牟とは一なる事をしるべし。出雲風土記に手染《タシミ》。萬葉四に和備染《ワビシミ》。八に染者雖染《シミハシムトモ》とあるなど。染字を斯牟と訓べき所なり。今は色を彩《イロ》どるを曾牟と云ひ。物の染入るを斯牟と雖も。元同語なりと云り。【記中彩帛をシミノキヌとよめり染帛なり】○磐裂神。舊事紀に盤筒男磐筒女二神。相生之神兒經津主神。と見えたれば。上なる盤裂根裂二神も。共に謂ゆる男女※[藕の草冠なし]生之神なる事知られたり。相生之神兒とは。夫婦相嫁繼て生成すを云なり。○兒磐筒男神。上の一書には磐裂神次根裂神次磐簡男神とありて。兄弟のつゞき也。今は下卷の傳と同じく。磐裂根裂神の兒とせる傳なり。
 
 
〔第八一書〕
一書曰。伊弉諾(ノ)尊斬(テ)2軻遇突智命(ヲ)1爲(ス)2五段《イツキダニ》1。此(レ)各|化2成《ナル》五(ノ)山祇《ヤマツミト》1。一《ヒトツハ》則|首《カシラ》化2爲《ナリ》大山祇1。二(ハ)則|身中《ムクロニ》化2爲《ナリ》中山祇《ナカヤマツミ》1。三(ハ)則|手《テニ》化2爲《ナリ》麓山祇《ハヤマツミ》1。四(ハ)則腰(ニ)化2爲《ナリ》正勝山祇《マサカヤマツミ》1。五(ハ)則足(ニ)化2爲《ナル》※[〓+隹離]山祇《シキヤマツミ》1。
 
 
この一書は。第六第七一書に。火神を爲2三段1云々の中の。一段をのみ採出て語れる傳にて。異説にはあらねど。餘の二段をば漏されたるにて。麁き傳なり。されば第六第七の一書に屬る一傳也。又是(263)時斬血云々は。第七一書に。其血|激越《ソヽギテ》染(ル)2於天八十(ノ)河中所在五百箇磐石(ニ)1而因化爲神とある。其作用を云るにて。其元第六一書に出たり。○軻遇突智命の命字。此一書にのみある甚愛し。此大神なり。必命とか神とかあるべきなり。○爲五段。記にも所v殺迦具土神之於v頭所成神名云々とて。八段に斬裂玉へる事は見えざれども。八柱の山津見神成坐るよし見えたる。それ又同じ傳の少しく異なるなり。○大山祇。記には於v頭所成神名正鹿山津見神とありて。大山祇と申はなし。此はかの本書に。生v山とあると。又一書に山神等號2山祇1。また記に生2山神名大山津見神1。とある神等とは別にて。其神は山を總持たまふ神にまし。こゝの五柱の山祇は。山を分持給ふ神にしませば。こゝに大山祇と申す名は。少しいかゞなり。按ふに此は中山祇麓山祇などに。對へたる御名にて。大とは山の嶺を云なるべし。【また山の巨大なる意にてもあるべし。】されば右の神等とは。御名の義かはれり。されど記に此神のなき方。なほ惡しかるべし。【さて又上の一書の下に。云ることをも考合べし。】○身中。仁徳紀に體。崇峻紀に頭身をムクロと訓り。名義抄には身にも質にも。ムクロと云訓あり。又常に躯字をも然訓事なるが。其字説文に體也と注せれば。牟久呂は謂ゆる胴體を云稱にて。名義|躯胴《ミガラ》なり。胴をカラと云事あり。今カラダと云ひ。又カラの大きなる小さきなども云る。みな胴なり。女の着るカラギヌも胴衣なり。と田沼善一云り。さる事なり。【通證に躯殻也と云れども殻と云ては甚道理なきこゝちす。】○中山祇。重胤云麓山祇(ト)外なるに對へて。其山中なる山祇神に御在る謂なりと云り。中山は今も山の中腹などいふ處なり。記には身中のことも。中山祇と申す神も見えず。○正勝山祇。名義口訣(264)に。眞坂也謂2峻處1と云り。坂は峻處《サカ》と云事にてあるべし。記には腰のことなく。又此神は頭に所成とありて。上に引るが如し。○※[〓+隹]山祇。※[〓+隹]は借字。記傳に師説に。繁木山と云意なりと云れき。また直《タヾ》繁山にてもありなんと云り。さて記には。右の山祇の外に。於v胸所成神名|淤縢《オト》山津見神。於v腹所v成神名|奥《オク》山津見神。於v陰所成神名|闇《クラ》山津見神。於2左足1。所成神名。原《ハラ》山津見神。於2右足1。所成神名。戸《ト》山津見神など見えて。此紀と神名も所成る處も異なり。さて此山祇神等の成坐る傳は。上にも云る如く。第七一書に。一段是爲2山神1とのみありて。御名の傳はらぬに比ぶれば。いと委しきに似たれども。雷神と※[雨/龍]神の生坐る事のなきは。却りて麁き傳なりけり。
 
 
是(ノ)時(ニ)斬《キル》血|激灑《ソヽギテ》染(ル)2於|石礫樹草《イシムラキクサニ》1。此草木|沙石《イサゴノ》自《オノヅカラ》含(ム)v火(ヲ)之縁也《コトノモトナリ》。麓山此(ヲ)云2簸耶磨(ト)1。正勝此(ヲ)云2麻沙柯(ト)1。※[〓+隹]此(ヲ)云2之伎(ト)1。音烏合反。
 
 
石礫樹草。重胤云。第六一書第七一書に。五百箇磐石とあるは大なる磐石なり。此に石礫樹草とあるは。其血の餘滴の。少《サヽ》やかなる石礫及樹草に至るまでに。激灑ぎたる傳なれば。盤石と同じく。伊波牟良とは訓べからざる所なり。石礫を本にイシムラと訓るは。撰者の意を得て。古人の甚能訓るものなるべし。其は崇神紀に。運2大坂(ノ)山石(ヲ)1而云々。手遞傳《タゴシニシテ》而運(ブ)焉と見えて。哥に於朋佐介珥《おほさかに》。菟藝廼煩例屡伊辭務羅塢《ツキノボレルイシムラヲ》云々と有は。手遞傳《タゴシ》にして運ぶ許《ホド》の。小石なる故に。伊辭務羅と詠る者なり。此を釋には石(265)林也と注せるを。通證には此字を配て。石礫也と云るは。甚だ詳なる説と云べき者なりけり。と云り○含v火之縁也。火神を斬給へる血の。天上に激上れるのみならず。此國士なる石群木草にも。染りつる故に。草木沙石の。自ら火を含めるとなり。さるは上にも云る如く。血と火とはもと同物なればなり。平田翁云。火は即血。血は即火なることは。此にかくあるにて論なし。凡て人の身中にある血の赤きは。即火の色にて。其(レ)即て火なるに就て思に。後宮名目に。月事を火といひ。今も女の經水となるを。火となると云ひ。月水の經來ぬを火の止ると云も。此の謂に因る事なるべし。またこゝに草木沙石云々は。其一端を云傳へたるにて。實は物として火を含まぬ物のなく。水底に生出る物さへに火を含まりあるになん。そは記に櫛八玉神の。海底にある海布蓴《メコモ》を昨出て。火を鑽り出たるを以て知るべし。と云れたり。【口訣にも。木石中固有v火草(ノ)萠花(ノ)莟皆紅火(ノ)精尤著とあり。なほ血の火と同物なるよしは。漢國にも。其傳ありしと見えて。和名抄に。燐火文字集略曰。燐火和名於邇火鬼火也人及牛馬兵死者血所v化也。又列子に馬血之爲2轉燐1也。人血之爲2野火1也。また淮南子に血爲v燐など見えたる。皆由ある説ども也。】○麓山此云簸耶磨。【本に足曰麓これは後人の書入なり。削べし。この三字三島本にはなし】山蔭云。もしこの訓注の如くならば。麓山祇は。はやまやまつみと訓べきかいかゞ。麓山祇と云るによらば。麓山祇此云2簸耶磨都微1。とこそ注すべけれとあり。然る説なり。【但し此を對馬洲と書れたる類なりと云れしはたがへり。それとは異なり。對馬洲の下に云る説考合(ス)べし】○麻沙柯。本に柯(ノ)下に菟字あるは衍なり。類史諸本ともになきぞ宜しき。さて又此次に一云麻左柯豆六字本にあり。これも丹鶴本文明本。などになし。後人の書入なり刪去べし。○※[〓+隹]此云2之伎1。或人云。字書に據ば※[〓+隹]※[如/鳥]鶉一物にて。鴫にあらず。之伎は※[〓+隹]なり。倭名抄には〓之木とありと云り。
 
 
(266)〔第九一書〕
一書曰。伊弉諾尊|欲《オボシテ》v見《ミマサムト》2其|妹《イロモヲ》1。乃到(マス)2殯斂《モガリ》之|處《トコロニ》1。是時伊弉※[冉の異体字]尊猶如(ニシテ)2生平《イケリシトキノ》1。出迎(ヘテ)共(ニ)語(ル)。已而|謂《カタリテ》2伊弉諾(ノ)尊(ニ)1曰。吾夫君《アガナセノ》尊。請(フ)勿2視《ナミマシソ》吾(ヲ)1矣。言訖《ノタマフコトヲハリテ》忽然《タチマチニ》不v見《ミエ》。
 
 
殯斂之處【斂字の事を。通證に※[僉+殳]富作斂。※[僉+殳]踈作v※[歹+嶮の旁]。韻會音斂殯斂也。一本作※[僉+欠]與斂別とあり。然ども紀に多く※[僉+殳]と作れば今改む可に非ず。名義抄に斂俗※[僉+殳]。古文※[歹+嶮の旁]同と見え。又※[僉+殳]俗斂と有れば當昔世に用て異まざるなり。】は本にソノヲノ處と訓るを。私記には毛加里乃止古呂爾と訓じ。鎌倉本熱田本其外にもしかよめり。口訣に假斂2死體1之處也とあり。天孫降臨章には。造2喪屋1而殯之と見えたり。【これは喪屋にて執行ふ所作を云るなり委しくは其處に云。】仲哀紀に。旡火殯斂。此云2褒那之阿餓利1とあるを。記に坐2殯宮1とあり。さて其は新に死たるまゝにて。未(ダ)葬りあへざるほど。且姑く收置處を云【阿羅紀と云も同じ。阿羅紀と云事は萬葉三に見えて。記傳三十の卷に委く出つ。】重胤云。萬葉二に從2山科御陵1退散之時額田王作歌。八隅知之。和期大王之。恐也《カシコキヤ》。御陵奉仕流《ミハカツカフル》山科乃。鏡(ノ)山爾。夜者毛。夜之盡《ヨノコト/”\》。晝者母。日之盡《ヒノコト/”\》。哭耳乎《ネノミヲ》。泣乍在而哉《ナキツツアリテヤ》。百磯城乃。大宮人者。去別南《ユキワカレナム》。と有が如く。殯宮より御陵に葬奉る迄は。殯に其柩を納置て侍宿《トノヰ》など形の如く爲て。仕奉を云なり。偖紀中に。此殯字をも喪字をも。共にモガリと訓るは。喪上の略なり。靈異記下【第九條】人の死ける時の事に。備2喪殯物1とある。喪殯もモガリと訓べくして。此に同じ。此て其阿餓利と云言はしも。記傳【十五】に注る如く。顯身の人の身罷る時は。靈性《タマシヒ》は天上に還(リ)上《アガ》る事なる故に。其終の事を爲すにも云なりけり。崩字を神上理《カミアガリ》坐と訓る例な(267)る是なり。萬葉二に神上々坐奴《カムアガリアガリイマシヌ》と有て。下に一云神|登坐爾之可婆《ノボリマセニシカバ》と見えて。神上と神登とを。同意に被用たり。又鎭魂歌に。御靈上《ミタマアガ》り。靈上《タマアガ》り罷坐《マカリマシ》し神は。今ぞ來坐る。御靈上(リ)。去坐《イニマシ》し神は今ぞ來坐る。靈筥《タマバコ》持て。去《サリ》たる御靈。靈返《タマガヘ》し成《ナ》すやとある。靈上(リ)も右の神上(リ)に等しく。此は天神本紀に謂ゆる。布瑠部由良由良止布瑠部《フルヘユラユラトフルヘ》。如此爲之者《カクシテハ》。死人反生矣《シニヒトモイキカヘラム》。とある意を述たりし者也。又高橋氏文に。不思保佐々流外爾卒上太利《オモホサヾルホカニミマカリアガリタリ》とありて。六鴈命の薨給ふ事を卒上《ミマカリアガ》りと宣ひ。其祭る神靈を指て。虚川御魂《ソラツミタマ》と聞えさするなど。天上に在着《アリツ》く義なるを以なり。此を以其死者の爲に。喪の事を爲るを。阿賀理須とは云り。【記傳三十に云る阿賀理の言の意は非なり。】今も葬事を畢るを上《アガ》り爲ると云ふ。是にて母我理は喪上《モアガリ》。加理母我理は。假喪上《カリモアガリ》と云事なりと云り。【後世喪の事するを。シアゲと云。これも天へ送上るを云意にて。同意なり。言國記に。文明六年八月十三日。伏見殿御シアゲ也。御經供養有v之。二尊院沙汰也。とあり。伏見殿は貞常親王の御事也。】かくてこゝは。伊弉※[冉の異体字]尊崩御坐して。未だ葬まつらざりしほど。假に御屍を收置しところを云。伊弉諾尊甚く女神を戀ひ慕ひ給ふとして。其殯斂之處に到坐ける時に。欲《オモホ》v見(ムト)2其妹(ヲ)1しける。切なる御心や。女神に感《カマケ》給ひけらし。即て蘇生《イキカヘリ》給て。【後の事ながら。仁徳紀に宇治稚郎子が。自ら死せ玉ひて。三日に成ぬる時に。大鷦鷯尊。其處に至りまして甚く嘆きて。其屍に跨がり呼びて。吾弟皇子と三たび宣玉ひしかば。時に應じて。稚郎子再び蘇生ましたる事あるも。魂を呼返し玉ふ術の。古へ有し事知られたり。まして此大神等の御上にましませば。さばかりの術。知しめし玉へるは申すも更にて。−つには我が誠※[疑の旁が欠]の心の彼方に感通するところより。さる事はあるなりけり。尋常の小理を以て。論ずる事なかれ】生平《ヨノツネ》の御身ながら。其殯(ノ)處にて。見え給ひけるなり。其(レ)を伊弉※[冉の異体字]尊猶如2生平1出迎共語とは云にこそ。【この事。第五一書の下に云へるを考へ合べし】これらの事は。總て神の御上のことにこそあれ。凡人の慮以て。彼此料り奉るべきにあらずかし。○猶如生平云々。これ殯斂之處にての事なり。此を黄泉國に到り坐ての事と思べからず。(268)○已而云々。此上に伊弉※[冉の異体字]尊の黄泉國に到り坐る事あるべきを。こゝには漏たるなり。さるは男神の戀慕はせ給ひし御心に感けて。一旦蘇生り玉ひしかども。其御身の燒爛れたる甚しき状を。男神に所見給ひしを。さすがに耻おもほしめして。黄泉國に到坐るなり。さらば此に假に數句を補ひて心得べし。出迎共語云々此後伊弉※[冉の異体字]尊入2黄泉國1。伊弉諾尊追往云々などあるべし。【鎭火祭詞に見えたり。しか黄泉國に往坐る由は。鎭火祭詞にいと詳かなる中に。聊まぎらはしく通ゆるふしもあれば。此に其文を引て注すべし。】其詞に。火結《ホムスビノ》神生給(ヒ)姶※[氏/一]美保止|被燒《ヤカレ》※[氏/一]》。【こゝに神退坐て。熊野有馬村に葬し奉れる文をこめて見るべし。さて此一書に。伊弉諾尊浴v見2其妹1。乃到2殯斂之處1。是時伊弉※[冉の異体字]尊猶如2生平1出迎共語とあるは。其葬し奉れる處に到ませる文なり。祝詞には此等の事要なく。且其神退坐る事などは。神前に唱ふる詞は。忌て省けるにもあるべし。省きすてたる文を見て。其事なしと思ふは偏見なり。必此間の事として見るべきなり】石隱坐※[氏/一]《イハガクリマシテ》【此は伊弉※[冉の異体字]尊更に蘇生玉ひて。伊弉諾尊に逢玉ふものから。猶其御體をば。殯斂の處の石構への裏に半ば隱りて。もの宣へるなり。死する事を石隱と云ふは後の事なり。】夜七夜晝七日。吾乎奈見給比曾《アヲナミタマヒソ》。吾(ガ)奈※[女+夫]乃命止申給比支。此七日爾波|不v兄《タラズ》※[氏/一]隱坐事。【これ假に石構の間に隱れ玉へるを云るなり。上の石隱と同じ。】奇《アヤシ》止※[氏/一]|見所行須《ミソナハス》時。火乎生給※[氏/一]。【火を生玉ひしに依てと云事也。今目當り生玉ふ事を云にはあらず。】御保止乎|所燒坐支《ヤカレマシ/\キ》。如是《カヽル》時爾。吾名※[女+夫]乃命能。吾乎見給布奈止申乎。吾乎|見阿波多志給《ミアハタシタマ》比津止申給※[氏/一]。吾名※[女+夫]能命波。上津國《ウハツクニ》乎所知食倍志。吾波下津國乎|所知牟止《シラムト》申※[氏/一]。石隱給※[氏/一]。【伊弉※[冉の異体字]尊は。右に引る第九一書に見えたる如く。崩御在して。未葬り奉らざりしほど。假に御屍を收置たりしか。伊弉諾尊の切に戀慕ひ奉りしかば。蘇玉ひて。本の御身となりて。出迎へて共に語らひ玉ひけり。これ右に見えたる文どもの趣なり。然れども隱し玉へる其御身の甚しき状を。所見玉ひし事を。耻おもほしめしで。其殯斂之處なる。石構の間に。御體を隱し玉ひて。遂に。黄泉國に至り坐るなり。そは其處より。黄泉國に通ふ路のありしにか。また異處より至り坐すと見てもあるべし。】與美津枚坂《ヨミツヒラサカ》爾至坐※[氏/一]所思食久。吾名※[女+夫]命能。所知食止津國爾《シロシメスウハツクニニ》。心惡子乎《コヽロアラキコヲ》。生置※[氏/一]來奴止宣※[氏/一]。返坐※[氏/一]云々。【返坐とは黄泉國より。また本の殯處に立返り玉ふなり。平田翁云。此傳を大方の人は。預美津國にて有し事の如く思ふは麁忽なり。其は古事記豫美國段に。還2入其殿内1之間。甚久雖v待云々。燭2一火1入見之時。云々とあると。此祝詞の趣相似たるに。ゆくりなくしか思ふにぞ有けると云り○然る言なり。さてかく一度は。立返り玉ひしかど。御子生玉ひて後遂に黄泉國に到坐けり。】とあり。さて然黄泉國に往坐て。(269)永く此顯國を離(レ)放り坐る由は。此祝詞に所見たる如く。御|産《コウミ》の忌々しき有状を。夫神に見せ給はじとて。夜七夜晝七日。吾乎勿見給ひそと。請し給ひしを。奇しみ思して伺見給ひければ。そを甚く耻恨み所思しめす隨に。現御身ながら。黄泉國に往坐るなりけり。さるを此大神の黄泉國へ往坐るにつきて。凡人の魂も。黄泉國へ罷る物と思ふなど。甚しき非なり。さるは平田翁も云れし如く。死ぬる事を黄泉國へ往と云(フ)諺の。古き世より云ならはして。萬葉の歌どもにあまた見えたる。そは豫美と云ことに。黄泉の文字をあてゝ。【漢文に黄泉と云るは。人の死て行處の如く云るに。心を轉されて】其黄泉に往と云ことを。即て豫美に行くことゝ。非心得しつるものなり。元來黄泉國は。魂のみ行留る處にあらず。此大神はさらなり。素戔嗚尊大國主命なども。現身ながら後に往坐るを思ふべし。爭か凡人の魂の。往至るべき處ならむ。此大神等の奇異なる御上を。更に凡人の上などにかけて。料り奉るべきにあらずかし。右に云るが如くなれば。此に已而とあるは。其後の事なり。もしこれを上より一聯の文と見ては。鎭火祭詞にも符はず。更に解べきよしなし。甚く事略き過たる傳説なれば。幽顯の差別よくせずは。まがひぬべし。さてこゝに伊弉諾尊黄泉國まで追行まして。再び女神に御逢まして。詔ひかはしゝ御言を。記に因て補はゞ。伊邪那岐命語之。我那邇妹命。吾(ト)與v汝|所作《ツクレリシ》之國。未2作竟1。故可v還。爾伊邪那美命答曰。悔哉不2速來1。吾者爲2黄泉戸喫1。然愛吾那勢命。入來坐之事恐故欲v還。且具與2黄泉神1相論。莫v視v我云々。と云言こゝに入べし。即こゝに見えたる。吾夫君尊請勿v視v吾とある文にて。それらの御言ありしを知るべし。(270)○忽然不見。出語らひ給ひし御形の見え給はぬなり。此時男神は顯明なるに。女神は既く幽界に入給ひし神となり給ひしかば。其堺の異なる故にこそ。
 
于v時|闇《クラシ》也。伊弉諾尊乃|擧《トモシテ》2一片之火《ヒトツヒ》1而|視《ミソナハス》之。時伊弉※[冉の異体字]尊|脹滿太高《ハレタヾヘ》。上(ヘニ)有(リ)2八色雷公《ヤクサノイカヅチ》1。伊弉諾尊驚而|走《ニゲ》還(リタマフ)。
 
 
闇也。見え給ひし間は。闇しとも思えざりけるに。既に消失給ひては。其跡闇くなりしなり。【或人云今世にても天狗狐狸などの怪異皆然りと云る。然る言なり。】○擧一片之火。記には燭2一火1とあり。【第六一書には。秉炬とあり。】記傳云。たゞ火とても有(リ)ぬべきを一(ツ)火としも云るは。古(ハ)燭は二(ツ)三(ツ)も。又いくつも燃す物なりけむ故に。たゞ一(ツ)ともすをば。分て然云ならへるにや。又思に。一書に今世人夜忌2一片之火1云々とある。此は後人の書加へたる文と見ゆれど。さる云ならはしは。古くぞありけむ。其忌事に一(ツ)火と云なせる名目を。本へ廻らして。今こゝをも然云にも有べし。【今世にも。石見國などにては。神に供る燈を。一つともすことを忌て。必二口にともし。又櫛を投ることをも忌むなりと。彼國人云りき。】とあり。さるをまた重胤云。火を一燭すことは。古とても今とても。止事を得ざる事なり。故倩思ふに。記に湯津々間櫛之男柱。一箇取缺てあるは。一方を取缺たるにて。片端をば殘せるなり。然れば此は秉炬の事にのみ忌にて。此に一片之火とある。其(ノ)正字にて。一火は木を數多合せずして。唯一(ツ)※[木+辟]《ヘギ》たる木を。其任に燃して。物を見ることを忌なりけりと云り。○脹滿太高。私記に波禮多々倍利と訓り。脹字名義抄に※[病垂/長](271)俗字とあるを。和名抄※[病垂/長]字亦作脹。和名波良布久流。腹滿也。名義抄にも右の如く訓みたり。御腹の※[暴+皮]《フク》るゝにて。是水氣の湛へ溜れるを云なり。【但し右の私記の訓は疑はし。湛へとこそあるべけれ。利は衍なるべし。】○上。本にウヘと訓るよろし。記傳云。上と云に上《カミ》を云と。邊《ホトリ》を云と二(ツ)あり。凡て。宇閇は裏表《ウラウヘ》と云て。裏《ウラ》は内表《ウチウヘ》は外なるを。上も邊りも。共に外表《ウヘ》なれば。本は同意なり。【然るを後にはウヘは上。ヘは邊と分て。二つの言となれり。】と云れたり。此のウヘは邊《ホトリ》を云なり。○八色雷公。平田翁云。伊邪那岐命の夜見國より。逃返(リ)給ふ事の傳は。神代紀に二(ツ)あるを。一(ツ)の傳は遣2泉津醜女八人1。追留云々とありて。雷神の居たることも。それに追れたまへることもなく。此傳には醜女の事なし。故(レ)此二(ツ)の傳をならべてつら/\考るに。八色雷と云は。即て八人の醜女の事になむありける。醜女を雷と云むことは。いかゞと思もあるべけれど。すべて伊加豆知とは。猛く嚴きをば神をも物をも弘く云る古言なり。然れば八色(ノ)雷とは。彼醜女の猛く嚴かりし故に。稱るなるを。一(ツ)傳には八人の醜女と語り傳へ。一(ツ)傳には八色雷と語り傳へたるにて。實は一(ツ)物にぞありける。【其は一傳には。雷のことのみ有て。醜女の事なきを熟々思べし。又記に醜女の奉追れる事あれど。返れることは。八雷神のみなるをも思ひ合すべし。】然るを古事記の傳(ヘ)は其二を混にして。醜女と雷とを別にしたる誤の傳なりけり。と云り。此(ノ)説に據て考るに。此(ノ)八雷公は。即ち醜女にて。それ伊弉※[冉の異体字]尊に副居たりしを。上(ニ)有2八色(ノ)雷公1とはいひしなるべし。なほ此(ノ)雷公の。第七一書の雷神とは別なるものにて。上代雷といひしは。たゞ猛く怖しき物の名なることは。次に擲v雷とありて。その退走をば鬼と云へり。又舊事紀に。八岐大蛇の斷られし體を。毎v段成v雷とある。此雷も畏き物に云るなり。此等合せ考て(272)知べし
 
 
是時(ニ)雷等皆起(テ)追(ヒ)來《クル》。時(ニ)道(ノ)邊(リニ)有2大(キナル)桃(ノ)樹1。故(レ)伊弉諾尊隱(レテ)2其|樹下《キノモトニ》1。因(テ)採(テ)2其實(ヲ)1以|擲《ナゲタマヒシカバ》v雷(ニ)者。雷等皆|退走《シリゾキヌ》矣。此用v桃(ヲ)避《フセグ》v鬼《オニヲ》之縁也。時伊弉諾(ノ)尊乃(チ)投《ナゲウチテ》2其(ノ)杖(ヲ)1曰。自(リ)v此(レ)以還《コノカタ》雷|不《エ》敢來《コジ・クナ》。是(レヲ)謂2岐(ノ)神(ト)1。此(ノ)本(ノ)號(ヲバ)曰(フ)2來名戸之祖《クナトノサヘノ》神(ト)1焉。
 
 
道邊。記に依に。黄泉平坂の坂本なるべし。○大桃樹。守部云。桃は名義|眞實《マミ》なるべし。大加牟豆實(ノ)命の神語に因て。其實を褒て云そめたるなり。と云り。○用桃避鬼。私記に。避鬼を於爾乎不世久と有り。鬼は上に有2八色雷公1と云ひ。又雷等起追來。又雷等皆退去矣と云る。其を承て鬼とはいへるなど。此鬼と雷とは一物にて。彼鳴雷神などは。甚異る者にて。黄泉國の鬼物の。猛く嚴きを云稱なるを知べし。重胤云。和名抄に鬼和名於爾。或説云隱字音於爾訛也。鬼物隱而不v欲v顯v形。故俗呼曰v隱也と有れども。此或説は甚借用難かり。其は景行紀に山有2邪神1。郊有2姦鬼1と記させ給ひ。孝徳紀に天災地妖|鬼《オニ》誅人伐。と云語などの鬼は。古より於邇と云語の有を以てなり。名義抄に鬼字に於爾と有は更にも云ず。又字鏡集共に神にも於爾の訓有り。又魔を許々女とも於爾とも訓み。又和名本草和名抄等に。續斷和名於仁乃夜加良。貫衆を和名於爾和良非など云る。惣て稱呼は甚々上れる世より。號(273)たる者にしあれば。遙に後に渡來る字音などを。待べからざる事固よりなれば。右の或説は信じ難き者なりかし。【玉勝間に云。鬼といふものは即(チ)今の世の女童などの云おにゝて。古き物語中昔の書どもに多く見えたるさまも全く同じこと也。齊明紀(ノ)一本に宮中見v鬼と見え。また於2朝倉山上1有v鬼など見えたるは。いまもいふおになるを。又同書の中に。邪鬼鬼神姦鬼などあるは。おにとよめる所もあれど。たゞ惡き神を云へるなれば。さはよむべきにあらず。鬼をも神とはいへども。神をおにとは云べからずと云り。】さて用v桃避v鬼其の事の大なるは。十二月晦日に行はせ給ふ追儺の御式是なり。其は道饗祭詞講義に説たるが如く。其祭より出たる御式なれば。其祭と共に。上古より行はれ來つるにて。此大桃樹の故事に起れる者なり。中務省式に。凡年終行v儺儀云々以2桃弓葦矢桃杖1【陰陽寮治2進之1】頒2充儺人(ニ)1【事見2儀式1。】とある。此事を儀式には。于時陰陽官人率2齋部等1候2承明門外1。以2桃弓葦矢桃杖1。頒2充儺人1云々。訖(テ)陰陽師進讀2祭文1。其詞曰。今年今月今日今時云々。大宮(ノ)内爾。押祇官(ノ)宮主《ミヤジ》能。伊波比奉里敬(ヒ)奉留。天地能諸御神等波。平久於太比爾。伊麻佐布倍志登申(ス)。事別天詔久。穢久惡伎疫鬼能。所々村々爾。藏里隱布留乎波。千里之外。四方之堺。東方陸奥。西方|遠値嘉《ヲチカ》。南方土佐。北方佐渡余里乎知能所乎。奈牟多知疫鬼之|住加《スミカ》登。定賜比行賜※[氏/一]。五色寶物。海山能種々|味物《タメツモノ》乎給※[氏/一]。罷《マケ》賜移賜布。所伊方方爾。急《スミヤカ》爾罷住登|追《ヤラヒ》給爾。挾2奸(キ)心(ヲ)1※[氏/一]。留《トヾマ》里加久良波。大儺公小儺公持2五兵1※[氏/一]。追走|刑殺《ツミナヒ》曾登詔訖云々。持2桃弓葦矢桃杖碎瓦1云々。駈2宮中1出v自2十二門1付(ク)2京職1。とある是なり。【此詞陰陽寮式。又朝野群載等にも出たり。】此即桃を用て。避《フセ》ぐ事の甚著明き者にて。河海抄に。始v自2禁中1迄2于何(レノ)家1行v之と有は。天下一般の風俗なりしが故に。此にも縁也と書して。其始を明されたる者なり。然るを公事根源抄年中行事秘抄などに。此追儺を慶雲二年十二月に始れる由に。記さ(274)せ給へるは諾ひ難し。養老に奏上れる此御紀に。僅に十餘年以前の事を以て。其縁也と書させらるまじく。且其道饗祭詞に。高天原爾事姶※[氏/一]。皇御孫命止稱辭竟奉と有を。如何に見させたりけむ。但其祭文には。陰陽師の言加へたるなども有て。全き古文には非れども。其趣意に至ては。凡人の得しも思得て定む可き事ななぬ。節節の多在るは。古より傳來れる文を。本と爲るが故なること。云も更なりとあり。記云。猶追到2黄泉比良坂之坂本1時。取2其坂本(ナル)桃(ノ)子三箇(ヲ)1待撃者。悉逃返也。爾伊邪那岐命告2桃子(ニ)1。汝如v助v吾(ヲ)。於2葦原中國1所有《アル》有宇都志伎青人草之。落2苦瀬1而患惚時。可(ト)v助告(テ)。賜v名號2意富加牟豆實命1。とあり。此の御謂によりて。桃の鬼物を制し。疾病を※[病垂/樛の旁]すこと。他國までも今世に灼然きこと。書どもに見えたるが如し。【漢籍に桃の功能あることをこれかれに記されたり。】○投2其杖1。岐神の事は。雷に投給ふとあるよく叶へり。これを第六一書には。絶要之誓より後に。即投2其杖1云々と。其帶衣褌を投玉へる例に爲るは叶はず。又記にも御禊段に。故於2投棄御杖1所成神名|衝立船戸《ツキタツフナトノ》神。とあるなど。共に誤れる傳なるよし。第六一書岐神の下に云り。○雷不敢來。上の一書に。御杖は伊弉※[冉の異体字]尊に投棄たまへるとある方正しかるべし。こゝは上に桃を擲給しかば。雷等皆退走とあるを。重て御杖を投たまひて雷不敢來など詔ふまじければなり。○此本號云々。平田翁云。來名戸之祖神は。來莫門之塞神と云義にて。かの御杖を投て。自v此勿v來と障へ留め給へる門《ト》と成坐れば。如此御名に負坐なり。【武郷云。久那斗の斗は門《ト》處《ト》兩説ある中に處として見る方宜しからむか。されど何れにてもあるべし。】塞に。祖字をしも書ることは。漢國にて行《タビノ》神を祖神と云に就て其意を得て書きたるのみ(275)なり。【和名抄に。道祖風俗通云。共工氏好2遠遊1。故其死後祀(テ)以爲2祖神1。漢語抄云道祖佐倍乃加美とあるをも見るべし】此を師は後人の書加へたるひがごとなり。本號をさし置て。後號を擧べき由なきものをやと云れたる。理は然ことなれど。草薙劔の下にも。本(ノ)名は天(ノ)叢雲劔と書きたる。例もあり。神名式にも。後の號を擧て。細書に本名云々と記されたるも。彼是あるものをや。と云れたり。【かく辨まへられたれど。なほ此は後の書入なるべし。さるは來勿も經勿も其義相異らざればなり。たゞ祖神と云事のありなしのみに。本名と云るおぼつかなし。伊勢本に此十一字なしと云へり。また羽倉氏本には小字に作れりとぞ。】
 
 
所謂《イハユル》八雷者《ヤクサノイカヅチトハ》。在《アルヲバ》v首《カシラニ》曰(ヒ)2大雷(ト)1。在(ルヲバ)v胸(ニ)曰2火《ホノ》雷(ト)1。在(ルヲバ)v腹(ニ)曰2土《ツチ》雷(ト)1。在(ルヲバ)v背《ソビラニ》曰2稚《ワキ》雷(ト)1。在(ルヲバ)v尻《シリニ》曰2黒《クロ》雷(ト)1。在(ルヲバ)v手(ニ)曰2山《ヤマ》雷(ト)1。在(ルヲバ)2足(シノ)上《ヘニ》1。曰2野《ヌ》雷(ト)1。在(ルヲバ)2陰上《ホトノヘニ》1曰2裂《サク》雷(ト)1。
 
 
所謂は伊閇流の延言なりと云る宜し。【記傳に所《ルヽ》v言《イハ》と云言なり。流々を由流と云は。古言の格なりと云れしはひが言なり。所《ル》v言《イヘ》とは上に云るを指て云り。又上文には言ざれども。世に言ならへるを指て云言なり。○八雷者云々。即ち泉津醜女なるべきよしは。上に云るが如し。其八人の醜女に。各雷の名どもを負せたるものなれど。此は疑はしきよしあり。次に云り。○在首。此は上に上有2八雷公1と見えたるが如く。伊弉※[冉の異体字]尊の御體に副居れるよしなり。記に成居とあるは成顯れて。其處に居れるよしにて。於高天原|成神《ナレル》と云るに同じ。此を其時生(レ)出たる義に記傳に見られしは甚くたがへり。○大雷。文徳實録齊衡元年河内國大雷大明神。式和泉國大鳥郡大(276)雷神社。○胸は。記傳云身根の意か。○火雷。記傳云。諸雷の例によらば。富能と能を添て讀はあしきに似たれど。三代實録に保沼雷神と云あるは。即火雷神と聞ゆれば。なほ舊訓に從ふべし。○腹は。記傳に廣の意にて。原平なるも同じ義なりとあり。丹鶴本には腋と作り。○土雷。舒明紀九年二月。大星從v東流v西。便有v音似v雷。時人曰流星之音(ナリ)。亦地雷云々○背は。記の御誓の段に。曾毘良とあり。脊腹《セハラ》の義なり。○稚雷。記に宇遲能和紀郎子とあるを。此紀に稚郎子と作れたれば。此も和紀雷と訓べし。三代實録九に。武藏國若電(ノ)神。【電は雷のひか寫しなるべし。】式に山城國愛宕郡賀茂別雷神社。これを又は若雷とも式にあり。○黒雷。記傳云。此名他に見あたらず。○山雷。野雷。此二(ツ)の御名は。山神野神の亦の御名にて。石窟段に出たり。されど山神野神なるは。ヤマツチヌヅチと訓べし。今は唱を分つべし。本より別なる神なればなり。○陰上は。記に訓2陰上1云2富登1とあり。名義|秀處《ホト》にて。男女の陰處にわたれる稱なり。記に迦具土神の陰あり。和名抄に陰玉莖玉門等之通稱也。【和名は載せず。】とあるも男女に亘て云り。【山にも云る事記紀に見えたり。草木にも云ること。倭名抄艸木部に。伏苓未都保度とあり松陰なり。】○裂雷。重胤云。神代系圖傳と云ものに。神樂岡明神者雷神也。號2裂雷神1是吉田之地主神也。此岡有2八雷神之垂跡1。八方堆v土以祭之。延喜式載霹靂神。坐2山城國愛宕郡神樂岡西北1者是也。と見えたりとあり○右の雷等の下に注せる神等は。たゞ其名の例に引出たるのみなり。其神等のことなりと思ふべからず。さて記云。於v頭者大雷居。於v胸者火雷居。於v腹者黒雷居。於v陰者拆雷居。於2左手1者若雷居。於2右手1者土雷居。於2左足1者鳴雷居。於2右足1者伏雷居。并(277)八雷神成居とありて。此紀と異なり。重胤云。此には其成れる所を一に首。二に胸。三に腹。四に脊。五に尻。六に手。七に足。八に陰なるを。彼記には。先なる迦具土神の御骸より。山津見神の成坐る傳に等しく。一に頭。二に胸。三に腹。四に陰。五に左手。六に右手。七に左足。八に右足にて。前後二度共に同じきは。却て疑有と云べし。何れにしても。此の八雷の事に至ては。紀記共に正しき古傳にあらずかし。と云れ。また平田翁云。八色雷の名どもいといと信がたく。此は决て神代よりの傳ならで。【そは八色とはいへども。唯に多くの雷と云事ならむを。八雷の名の悉くあるも信がたし。】やゝ後に古傳を心得誤(レ)る世となりて。押當に雷神の名をくさ/”\拾ひ集めて。語れる傳なるべし。其は古事記に。宇士多加禮。詐呂々岐※[氏/一]。於v頭者云々。并八雷神成居とあれど。神代紀には。所謂八雷者云々とある。所謂の字をよく思ふべし。後のことなること疑なきものぞ。【又若くは。神代紀の本は。八雷公の名を記されざりしを。所謂以下は後人の※[手偏+讒の旁]入ならむも知べからず。書紀にはをりをり。然ること見えたり○武郷云。上の一書に。或所謂泉津平坂者不3復別(ニ)有(ルニ)2處所1云々など書入たる例をも思ふべし。】偖古事記には。その所謂と語り傳へけむ説を。即て本文に結(ビ)たるものとこそおもほゆれ。と云れたるは然る事なるべし。猶よく考ふべし
 
 
〔第十一書〕
一書曰。伊弉諾尊追(ヒ)2至《イタリマシテ》伊弉※[冉の異体字](ノ)尊(ノ)所在《マス》處(ロニ)1。便(チ)語(テ)之曰。悲《カナシトオモフガ》v汝(ヲ)故(ニ)來(ツ)。答(テ)曰|族也《ウカラヤ》勿2看《ナミマシソ》吾(ヲ)1矣。伊弉諾尊不v從(ヒタマハ)。猶|看之《ミソナハス》。故伊弉※[冉の異体字](ノ)尊|耻恨《ハヂウラミテ》之曰。汝已(ニ)見《ミツ》2我|情《コヽロヲ》1。我復|見《ミツ》2汝(ガ)惰(ヲ)1。時伊弉諾尊亦慙(ヂタマフ)焉。
 
 
(278)所在處は。追至とあるにて。黄泉國に至坐せること灼焉し。【通證に所在處。謂2殯斂之處1。とあるは甚く異なり。】重胤云。此所在處と云は。黄泉國に坐す伊弉※[冉の異体字]尊の御處を申すなり。古事記に。於是欲v相2見其妹伊邪那美命(ニ)1。追2往黄泉國(ニ)1。爾自v殿騰v戸出向之云々。如此白而。還2入其殿内1。と見えたる殿。則伊弉※[冉の異体字]尊の所在處を云なり。是鎭火祭詞に謂ゆる。吾波下津國乎所知牟止申※[氏/一]。石隱給※[氏/一]。と有より後の。御在處なる者なり○悲汝。加奈志とは身に染て思ふ事に。弘く云る辭なり。憐み愛むをも。悲嘆をも。總て身に染て思ふ心は。同じければなり。萬葉集古今集を始。中古の物語などにつかへるやうみな爾なり。【後世には悲嘆の意にのみ云やうなれど。其はことに身にしみて。おぼゆれば。自ら其心に云へるか。あまたある故にしか押轉れるなり。いにしへはつかひざまいと弘し。】さてこゝにては。憐(レミ)愛(ム)意に云るなり。○族は。記傳云族は紀中|親屬《ウカラヤカラ》また親族《ウカラヤカラ》同族《ウカラ》などあり。【宇賀良と夜賀良との差別。宇賀良は生族夜賀良は家族の意か。なほよく考べし。】とあり。按に宇賀良は内《ウ》族なり。夜賀良はげに家族なるべし。こゝは親む言なるべし。さるは伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊夫婦となり給ひしより。いと睦しみうつくしみおもほせるから。今女神より男神をさして族と詔ひ。男神も又女神を爾詔ひし物なるべし。○猶。重胤云。猶は直と同じく。其事を曲ずして本の任を爲る辭なり。故其事を黙止《モダ》し不得《エズ》て。其上に行ふ事に常に云り。第九一書に。直如2生平1と有は。生平の如く成ざるを。生平の如く爲に依て。猶とあり。此も勿看吾と有を。得しも從はせ給はず。其御心に任せ看行す故に。猶看之と有なり○見我情。この文いと解がたし。山蔭云。下文の見2汝情1はきこえたれど。上文に見2我情1は心得ず。形を見とこそ云べけれ。と云れたり。故熟考るに。我が白す事を聞給はずて。かく押立給ふ(279)事は。汝已に我情を見果つるにこそ。さる情なき態爲玉ふは。我復汝が情をば見果つ。さらばもはや互に心を遺す事はなしと云義か。さて伊弉※[冉の異体字]尊の耻恨み玉ふ御言の切なるに對へて。故伊弉諾尊亦慙(タマフ)にぞ有けむ。猶能く考べし。さて重胤云。第六一書に伊弉諾尊大驚之曰云々。乃急去廻歸と見え。第九一書にも。伊弉諾尊驚而走還。とはあれども。二神の此間にかゝる御問答の有けるを。彼傳共には漏たるを。此に傳はれる事甚尊し。然れば此にて。伊弉諾大神の其慙させ玉ひて。御心の※[病垂/委]《ヒル》ませおはします所を。追及しめ奉らせ玉へるに驚きて。周章て逃走り還らせ玉へるになむ有ける。【然申し玉へる間に。速く伊弉※[冉の異体字]尊の御方にては其令v追奉らむ御支度などの有けんは。申も更なる御ことなりかし。】と云り。然る説なり。
 
 
因(テ)將(ニ)2出返《イデカヘリナム》1。于v時不2直《タヾニ》黙歸《モダシカヘリタマハ》1而|盟《チカヒテ》之曰。族離《ウカラハナレナム》又(タ)曰|不《ジ》v負《マケ》2於|族《ウカラ》1。乃|所唾《ツバク》之時(ニ)。化出《ナル》神(ノ)號曰2速玉之《ハヤタマノ》男(ト)1。次掃(フ)之時。化出《ナル》神(ノ)號曰2泉津事解之《ヨモツコトサカノ》男(ト)1。凡(テ)二(ノ)神|矣《マシマス》。
 
 
因將出返は。女神の御状の甚も可畏を見驚き給ふが上に。御恨言の切なるに恥給ひしなり。重胤云此には他傳と同じ事共は。甚く事略て書れたる故に。其擲櫛の事。一片之火の事を始として。千人所引磐石を泉津平坂に塞る迄の件々は。悉く書されざるは。第六一書などの趣に。然しも異らざればなるべ(280)し。然るを此に直に引續けて。因將2出返1の文を。彼急走廻歸の場に書れたる故に。伊弉※[冉の異体字]尊の御所を。出返り坐むと爲る時の事の如く見ゆれども然らず。此は其泉津平坂を放れて。顯國の方へ出返らせたまふ時の御事なり。然るは已に鈴屋大人説を引て注せるが如く。此に盟之曰族離。又曰不v負2於族1云々と有は。謂ゆる事戸の御辭にて。第六一書に。與2伊弉※[冉の異体字]尊1相向立而。建2絶要之誓1と有る。其時伊弉諾尊の詔給へる御言なればなり。○不直黙歸。直には歸り給はずて。夫婦のみむつびを。絶給はむことを詔へるなり。重胤云。黙は萬葉の歌にもよみて。物事を其任に措く事を母陀と云。其母陀なる事を爲すを。母陀須と云り。俗に徒なる事を。牟陀《ムダ》事と云ひ。徒なる言を牟陀言など云も。此に近かるべし。盟字鎌倉本又古寫本に。チカヒテと訓り從べし【本にウカウテと訓るもチカウテの誤寫なるべし】紀中盟をしかよみ。名義抄にも盟を訓り。典籍便覽に。載書相約曰v盟。とある字なり。○族離は。上の一書に建絶要之誓とあるに同じく。夫婦の御むつびを斷たまはむとなり。其は上件の穢く畏き有状を御覽《ミソナハ》しゝかば。御後を追て來坐る御心の。失(セ)給ひつればなるべし○又曰云云。此は書中の一説にて。族離と詔ひしを。またかくも言しと云の傳なり。さて不v負v於v族は。上の一書に所謂吾當産2日將千五百頭1。とあるを云へるなり。されど甚く略き過たるが如く聞ゆるは。古言なればなるべし。なほ訓注の下に云を見るべし。○所唾之時化出神。本に時化出三字なし。永享本に因て補ふ。本のまゝにては言足らず。和名抄に。唾和名豆波岐。字鏡に※[口+延](ハ)口水也。液也唾也與太利。又豆波志留。又液は小兒(ノ)口所v出汁也。豆波支とあ(281)り。名義。記傳に津吐なるべしと有り。さて平田翁云。唾し給へるは。彼穢き有状を御覽して。其穢きに得堪給はずての御所爲なり。【今も穢物を見て堪がたく思ふ時は人も然するわざなり】とあり。【重胤説に。此は彼を厭ひて掃ふ古の禁方なるべし。海宮遊行章一書に。三下唾與之。又古御拾遺に唾v饗而還とある。みな惡みて唾し給へるなるが。其禁方の驗を現はし玉ふ御しわざなるべしと云り】○速玉之男。本に男下に神字なきを。舊事紀にはあり。式に出雲國意宇郡に速玉神社。紀伊國牟婁郡熊野早玉神社大。此社は。清和紀貞觀元年從五位下より。從五上を授け奉り。それより次々見えて。長寛二年頼業勘文に。天慶三年二月正一位とあり。熊野新宮と稱すは是なり。【夫木集に。※[手偏+僉]※[手偏+交]法親王。なぎの葉にみがける露の速玉を。結ぶの宮や。光そふらん。新宮とあり。此歌は。早玉宮結宮の稱あるを。よめるなり。此神此に祭られ給ふ由縁は。御母神伊弉※[冉の異体字]尊につきてなるべし。故結(ノ)宮の光を添へ玉ふ故に。新宮の神も威靈のおはす由をよめる歌なり。結宮は即熊野夫須美神にて。伊弉※[冉の異体字]尊なるべき事次に云ふ。さて國人の説に。建保縁起と垂跡縁起と併せ考るに。早玉神を飛鳥神とも稱へり。思ふに神代より今の新宮の湊なる飛鳥の所に鎭坐せば。飛鳥神と稱へしならむ。今に飛鳥社あり。川を飛鳥川とも云りとぞ。】新宮と稱すは。本宮に對へての名なるが。其本宮と稱すは即式同郡熊野坐神社是なり。【主神家津御子大神。即素戔嗚尊にます。次に云。】其は水鏡をはじめ。古今皇代圖説。扶桑記皇代記等に。崇神天皇六十五年。始建2熊野本宮1とあれば。其御代に始て。宮造りありしものなり。さて新宮は。景行天皇五十八年に創まりしよし。水鏡等にみえたり。また那智社あり。【此は後代に祭りしなり。】是本宮新宮那智の三社を合せて。中古以來熊野三所といふ。祭神はまづ本宮。【熊野坐神社】十二社の内。上四社と稱する神殿の。第一第二兩殿。【合併一棟作り内陣は三座造にて。一座は空位にますと云り。】熊野夫須美大神【俗に兩所權現と云。又西御前中御前と稱。○栗田氏云。此神は伊弉※[冉の異体字]尊なるべし。夫須美は即ムスビなり。新抄格勅符には。熊野牟須美神と見え。夫木抄にムスブの宮とよめるにて著く。ムスヒは産靈の義にて。伊弉諾尊と共に國土山川草木を始あらゆる物を生なし玉へるより負坐御名なるべし。】御子速玉大神。【即速玉之男大神なり。御子とは伊弉※[冉の異体字]尊の御子に坐すよし也。】を鎭祭し。第三殿は家津御子大神【又伊弉※[冉の異体字]尊もます。】即此宮の主神に坐り。【俗に證誠殿と稱す。○栗田氏云。此神は素戔嗚尊に坐り。此尊木種を播生せし御功ませば。出雲國にては。熊野大神櫛御靈野命と稱へ。此國にては(282)氣津御子大神と稱へ奉りしものなり。氣は木なり。】第四殿は若宮と稱して天照大神を奉祀せり。かくて新宮は。第一殿に熊野夫須美大神。【又伊弉※[冉の異体字]尊事解男神も坐す。】を祀り。【結宮と稱ふ。】第二殿に。其宮の主神たる速玉大神。【又伊弉諾尊もます。】を祀り。【速玉宮と稱。】第三殿に。家津御子大神。【又國常立尊も坐す。】を祀れり。【俗に證誠殿と云。】那知社は。第二殿家都御子大神。【又國常立尊も坐す。】を祀り【俗に證誠殿と云。】第三殿御子速玉大神。【又又伊弉諾尊もます。】を祀り。【中(ノ)御前と稱】第四殿熊野夫須美大神。【又伊弉※[冉の異体字]尊も坐す。】を祀る。【西御前と稱。】即此社の主神に坐り。さてかくいづれも内殿三所なるは。熊野垂跡縁起。本宮傳記を始て。紀伊國内神名帳に【牟婁郡】天神三坐。正一位家津御子大神。正一位熊野夫須美大神。正一位御子速玉大神。と記せる即ち右三所の祭神によく叶へり。此三處の祭神を。古來くさ/”\に誤り傳へて。何れをそれともわきがたければ。今は栗田氏が考證に據て辨へ記せり。なほ委しき意見等。其考證の書に記されたるを見るべし。○掃之時化出。本に時化出三字なし。永享本に依て補ふ。こゝも本のままにては言足らず。平田翁云。此は何を以ていかに爲て掃給へりと云事。今知べきにあらねど。若は御衣の袖にて掃ひ給へるならむか。【其は今も心よからぬ物を掃とては然爲る事有を思べし。】と云り。又思ふに。記に大穴牟遲神の蛇また呉公を避給ふ處に。以2比禮1三(ビ)擧《フリテ》打撥(フ)と云事あり。こゝは然る物を以拂給ふとはなけれど。其は文の略かれたる者にて。比禮の如くなるもの以て打拂ひ給ひしにもあるべし。○號曰。本に曰字なし。今三島本にあるに從る。○泉津事解之男。解は佐加と訓べき義疎きが如くなれど。記傳に。孝徳紀の事瑕之婢とある瑕と同義として。放り離るゝ意にて。解字の意も通へりとありて。解も解放解散など言て。放り離るゝ義(283)あり。此神も舊事紀に男下神字あり。さて御名に泉津と負給へるにても。上の伊弉※[冉の異体字]尊所在處とあるは泉津國なること思合すべし。事解は要放《コトサカ》の義にて。孝徳紀に事瑕之婢とあるに等しく。夫婦の契を放り離るゝ意にて。即其時にありて生坐れば。其を御名に負せまつりしなり。さて重胤云。此神も速玉神と共に。其本宮は出雲にて有べけれども。式風土記共に所見なし。若くは意宇郡速玉神社と共に鎭坐るにや。鈴屋大人の神壽後釋に。熊野社の今(ノ)説には。上社は中伊邪那岐命。伊邪那美命。左早玉男。右事解男なり。下社は。天照大神須佐之男命なりと云なれども。式に唯熊野坐神社と耳有て。幾坐と云事なければ。官帳に入て式に載れるは。主として祭る須佐之男命一坐耳にて。其餘は皆添て祭る神にて。官帳には入ざる神なり。と有は然る言なれども。然上宮下宮。と容易く別て祭るべきならざれば。其上宮と云なん。意宇郡速玉神社には御在すべき。其社傳の如くは。泉津事解之男神と。必並び坐む事。次に云る紀伊國の例を以ても知べし。【右の下宮と云るは。素戔嗚尊の本宮なるにて。紀伊國熊野坐神社の本宮なる事下に云を見べし。大草郷熊野村に立せ御在し坐すを。内山眞龍が風土記抄に。速玉杜在2熊野村1と云るは上宮を云か。別社なるか。】然るは紀伊國神社録と云ものに。熊野本宮。伊弉※[冉の異体字]尊。本國神名帳曰。正一位家津御子大神。速玉男。正一位御子速玉大神。事解男として四坐なり。然るを通證に引る。熊野垂跡記。又神名帳頭注等謂云々。本宮主2菊理媛1。神宮主2速玉男1。那智主2事解男1。是社傳也。とあれば。其中にも主客の差別は有る者なり。然れば其那智は事解之男神を主として。祀祭れる御社なりけり。後のものながら。伯家神道書の中に。熊野新宮速玉之男神。那智事解之男神。とあるをも證とすべしと云り。(284)いとまぎらはしき説にはあれど。事解之男神の紀伊國にも祭られ玉ふ傳は。古くよりありしなりけり。
 
 
及(テ)3其與v妹|相2闘《アヒアラソフニ》於泉津平坂(ニ)1也。伊弉諾(ノ)尊(ノ)曰。始《ハジメ》爲(メニ)v族《ウカラノ》悲(ミ)及|思哀《シノビケルコトハ》者。是(レ)吾《アガ》之|怯矣《ツタナキナリ》。時(ニ)泉津守道者《ヨモツチモリトイフヒト》白(テ)云(ク)有(リ)v言《ノタマフコト》矣。曰(ク)吾(レト)與v汝《イマシ》已|生《ウミニキ》v國(ヲ)矣。奈何(ニシテ)更求(メム)v生《ウムコトヲ》乎。吾(レハ)則|當《マサニ》v留《トヾマル》2此(ノ)國(ニ)1。不v可2共(ニ)去《サル》1。
 
 
泉津平坂。本に津字なし。今北野本應永本に據て補ふ。此字はある例なり。○相闘は。重胤云。互みに御心背きて。踈々しく成せ玉ふを云て。謂ゆる絶要之誓の御事を云なり。右に出たる族離。又曰不負於族と有る。其時の事を再び云るなり。此は第六一書に。伊弉諾尊已至2泉津平坂1。故便以2千人所引磐石1。塞2其坂路1。與2伊弉※[冉の異体字]尊1相向而立。遂建絶要之誓云々。と有る其を云なり。と云れたるよろし。さて阿良曾布と云へる言。萬葉の歌にも見えて古言なり。言意は荒より出て。互に踈々しく《ウト/\》しく心の荒(レ)すさぶなり。【熱田本に。アラガフと訓り。其もよろし。】此の相闘を。闘戰の如くに心得て。二神の相戰ひ玉ひし由に云る説は。言の本をもおもはざる僻説なり。○及思哀。山蔭云。此文いかゞ。及字は寫し誤れるものかと云り。思哀は。記傳云。まづ志奴夫と云言に。戀《コヒ》志奴夫と。堪《ヤヘ》志奴夫|隱《カクレ》志奴夫と三の意あり。さて戀志奴夫と。餘(285)の二(ツ)とは意いと遠くして相亘らず。本より別言なるべし。堪志奴夫と。隱志奴夫とは。近くして相通ひて聞ゆること多し。しぬびかねなど云は。堪かぬる意にも。隱しかぬる意にも通ふが如し。されば隱す方は。堪しぬぶより轉れるものなるべしと云り。こゝに安藤野雁説云。志奴夫は志那布と音通ひて。小竹などの靡《シナ》ひ伏す如く。心の萎《シヲ》るるを云り。人を慕《シヌ》ぶには。然あるものなればなり。又隱(レ)忍(ブ)も知られじと靡《シナ》ひ伏して。顯れぬより云ひ。堪(ヘ)忍(ブ)も己を靡はしむるにて。皆其本は一言なりと云れたるは。記傳の説にまされり從ふべし。さて此の思哀は。戀志奴失意なり。【萬葉までの歌などには。戀しぬぶぞいと多くありて。餘のニツはまれなりと記傳に云れたり。】○怯は。名義抄には怯字をツタナシ。又オロカナリと訓み。又雄略紀には。懦弱をも。怯をも。ヲヂナキと訓るは。相近き語なるが故なり。名義抄に懦をツタナシとあるを思べし。播磨風土記託賀郡條に。云2都太岐《ツタキ》1云々。甚|怯哉《ツタナキカモ》故曰2都太岐1ともあり。さてこの文は。始(メ)妹命をひたぶるに悲み慕ひ玉ふが餘りに。汚穢之國にも到坐し。又其に就ては。意外なる御事共の御在し坐しかば。其を悔させたまへる御言にて。【第六一書に伊弉諾尊既還乃追悔之云々と有と。此とは全く同じ所なるを思ふべし。】今思へば。吾心の拙愚かりしなり。今は速に返らむと。詔ふ御言なり。○泉津守道者。本に津字なし。今三島本に依る。名義。守道は字の如く。泉の道路を守る神なるよしなるが。重胤説に。第六一書に。其於2泉津平坂1所v塞磐石。是謂2泉門塞大神1也。亦名道返大神。と見えたる。其神に在すなるべし。其は和名抄道路具に。※[しんにょう+貞]邏漢語抄云知毛利と見え。萬葉四に。手弱女(ノ)吾身(ニ)之有《シアレ》者。道守之將問答乎《ミチモリノトハムコタヘヲ》。言將遣《イヒヤラム》。爲便乎不知跡《スベヲシラニト》。立而瓜衝《タチテツマヅク》。と有て。其短(286)歌に。吾背子之。跡履求追去者《アトフミモトメオヒユカバ》。木力關守伊《キノセキモリイ》。將留鴨《トヾメナムカモ》。と見えたれば。道守と云は關守の事也けり。と云たり。此神紀伊國神社録新宮條に。泉道守神社【在神戸】と云より外は諸國に餘に聞えず。と同人云り。○有首。此は下の御言にて。伊弉※[冉の異体字]尊の詔を。守道(ノ)者の取傳へ奏すなり。【其心を以て。本にノタマフコトアリと訓れども餘りに漢籍訓也。】○吾與汝已生國。此は記に伊弉諾尊の。黄泉國に追往して。女神に詔へる御言に。愛我那邇妹命。吾與v汝所v作之國。未2作竟1故可v還。とある御言に。答奉りたるさまの御言なり。此一書の首に。右等の如き文ありしを。引つゞめて記せしものと見えたり。其始に天神詔命以詔云々。修2理固成是多陀用弊流國1云々とあるを。記傳に此天神の大命は。漂蕩へる潮を固めて。先國土を産べき基なる。※[石+殷]馭廬島を成すより始て。國土を産生て。善はしく經營成し固むる迄を。係て詔へるにて。都久流と云ば廣くして。産給ふ事も其中に存るなり。と云れたるが如し。文意は。平田翁云。初天神の大詔命ありしまに/\。國を生竟へ給ひて。既に大なる事業の成(リ)竟(ヘ)坐れば。復更に生まくは欲し玉はぬよしなり。と云れたり。さて國と云るに。神また人はさらなり。萬物をこめて詔へる御言なること。言まくも更なり。○當留此國云々。共に國を生畢り給へば。今は返りても更に何をか生成む。吾は永く此泉津國に留るべし。汝命と共に。此處を去て顯國へはえ還へらじと。詔(ヒ)しとなり。
 
 
是時(ニ)菊理《クヽリ》媛(ノ)神亦有(リ)2白(ス)言《コト》1。伊弉諾(ノ)尊聞(シメシテ)而|嘉之《ヨシトノタマヒテ》。乃(チ)散去《アラケマシヌ》矣。
 
(287)菊理媛神。纂疏本に泉聞理媛とあり。さる本もありしにや。平田翁云。此神は夜見國に本より坐し神か顯國の神か。知るべからねど。此の状に依て思ふに。夜見國に坐して。伊邪那美命に副侍ふ神の如聞えたり。又名義も思ひ得ねど。試に云ば。二柱神の御爭の御中執持て。女神の詔ふ御言を。男神に聞看《キコシメサ》しめ。男神の詔ふ御言を女神に聞入《キヽイレ》しめ奉らしゝ功に依て。負たるにて。聞入の意かと云り。さて此神の御事は。重胤云。式に加賀國石川郡白山比※[口+羊]神社あり。社傳に中菊理媛命。東伊弉諾尊。西伊弉※[冉の異体字]尊と云は然もあるべし。一宮記に。菊理媛命と見え。神社考詳説に。神書抄云。菊理媛神今加賀國白山權現是也と見え。二十二社注式に。日吉神社條に引る。扶桑明月集に。客人【女形】第五十代桓武天皇即位延暦元年天2降八王子(ノ)麓(ニ)1。白山菊理比※[口+羊]神也。と見えたれば。其白山比※[口+羊]神と白すは。即菊理媛神の御事になん有ける。然るを大鏡には。伊弉※[冉の異体字]尊なる由みえ。和漢三才圖會には。白山大權現【又號妙理權現】祭神三所。伊弉※[冉の異体字]尊。左菊理媛。右泉守道者。元正天皇靈龜二年出現。と見えたり。和爾雅神祇門にも。加賀白山。新撰一宮記曰。中社伊弉※[冉の異体字]。左右菊理媛泉守道者。と云て右と同説也。かく諸説定らざるに就て考ふるに。其白山比※[口+羊]神と申して。神代より鎭坐は菊理媛神に坐て。其諾※[冉の異体字]二神の如きは。信に其元正天皇御代などより。祭り初たるなるべし。【此に又異説あり。或書は改暦記云。靈龜二年丙辰。顯v形云。我當山地主。伊弉※[冉の異体字]垂跡也。又左峰老翁現云。吾白山輔佐也。稱2小白山1。又右峰老翁現云。吾白山弼也。即大巳貴垂跡也と云り。此にては菊理媛神隱れて見え玉はず。此小白山と云は。下にいふ金釼宮の御事にはあらじか。然れば素戔嗚尊に坐なるべし。】又釼宮と申すあり。諸神記に加賀國石川郡金釼宮。【河内莊】天照大神分身應現也。號2光明寺1。崇神天皇御宇天降垂v跡給也。同天皇三十三年(288)社立。白山妙理權現第一皇子也。妙理權現者。伊弉※[冉の異体字]尊也とあり。大平記二十。黒丸足羽云々事の條に。延元二年越後勢云々。加賀國に暫逗留して。釼白山以下。所々の神社佛閣に打人。と見えて。釼白山と相並玉へり。神社考に載たる傳記に。金釼明神者本地云々。弘仁十四年立2此宮1と云れども。例の佛と爲たるなれば據べからず。此釼宮はしも。素戔嗚尊に御在すべし。式尾張國愛智郡八釼神社。所祭素戔嗚尊に御在し。周防國佐波郡神社をも。社記に其神と申傳へ。又或書に日吉末社に。釼宮素戔嗚尊とあるをもおもふべし。偖白山比※[口+羊]神と申すは。其菊理媛神の亦名には非ず。其地四時に積雪の絶ざるに依て。白山とは云めり。古今集。消竟る時しなければ越路なる。白山の名は雪にぞ有ける。とあるを以知べし。又後撰。白山に雪ふりぬれば跡たえて云々ともあり。如此云て。其雪を以て山名とせるは。外域に雪山氷山の名あるが如し。又此神社を詠るは。新千載。別てなほたのむこゝろもふかき哉。あとたれそめし雪の白山。又新拾遺。ちはやぶる雪の白山別てなほ深きたのみは神ぞしるらん。などあり。上にも云る如く。日吉客人宮と申すは此神にわたらせ玉へるが故に。新古今に日吉客人宮に詣て左京大夫顯輔。年ふともこしの白山忘れずは。かしらの雪をあはれとも見よ。續古今客人宮に奉ける。後京極攝政前太政大臣。此にまた光をわけてやどすかな。こしの白根や雪の古郷。など見えたり。文徳實録仁壽三年十月授2加賀國白山比※[口+羊]神從三位1とあり。如此早く尊位には進ませ玉へるに。名神大社の列ならざるは。異しき事なり。【百練抄に。延久三年六月二十七日。加賀國白山御體燒損云々。と云ことみえたり。平戸記に仁治三年四月六日。今日加賀國。白山社御祭云々。】偖此御名(289)の菊を。久々と云は。其字音を借たるものなり。和名抄郡名に。陸奥國菊多木久多とあるを。同字ながら國造本紀の。菊麻國造は久々麻と訓み。又和名抄上總國郷名市原郡菊麻久々麻とあり。【但今本菊を菓に誤れり。】肥後國なるは。菊池久々知とありと云り。○亦有白言。本に言を事と作り。今永享本に據れり。此は先に泉守道者を以て。令v申玉ひけるに。猶亦此神して。令v申玉へる言ありしなり。其は何をか申さしめ給ひけむ。今知べきにあらずと雖。伊弉諾尊の聞入給ふべき御言なりし事は。次の文にて明らけし。○聞而嘉之。嘉字本に善とあり。今影響本に因て改む。重胤云。此は唯菊理媛神の白す言のみならず。上なる泉守道者白云と云より。合せて聞食し諾はせ給へるなり。常に聞と云は。唯耳に入て。心に識るを云を。此などは。人の云事を甘なひ。聞給へるにて先は聽《ウナヅク》字の意なる所なりとあり。【嘉字は可字の意に借て書るにて可と許ひ玉へるなり。さるを本に善字をホメタマフと訓るは。字に泥みたる非訓なり。こゝは褒美る義にはあるべからず。諸注何れも解得たるは非ず。】○散去は。其御言を可しと思ほして。今はと返去たまひしなり。平田翁云。散去は清寧卷に各退とあり。師云阿良久とは。會有《アヘル》者の各々別れて。罷散るを云。齊明紀に誘2聚|散卒《アラケタルイクサ》1などあり。【踈く放るを。荒と云と本一意なり。又俗言に物の間を濶くするを。阿良久と云も意同じ。】さて上件の事實。いとも/\止事なき事なるを。古事記には漏て。一日絞2殺千頭1。一日立2千五百産屋1と詔へる御爭のことのみあり。書紀の餘の一書等にも。傳洩たるを。此一書にのみ傳はりて。散去の事までいと詳なるは。殊に珍重べき一書なりけり。と云れたる然る言なり。
 
 
(290)但(シ)親《ミヅカラ》見《ミタリ》2泉(ツ)國(ヲ)1。此(レ)既(ニ)不祥《サガナシ》。故(レ)欲(シテ)v濯2除《スゝギハラヘテムト》其(ノ)穢惡《ケガレヲ》1。乃往(テ)見《ミソナハス》2粟(ノ)門《ミト》及|速吸名門《ハヤスヒナトヲ》1。然(ルニ)此(ノ)二(ノ)門(ハ)潮既(ニ)太急《ハヤシ》。故(レ)還2向《カヘリタマヒテ》於|橘《タチバナ》之|小門《ヲトニ》1。而|祓濯《ハラヘスゝギタマフ》也。
 
 
但云々は。重胤云。上に聞而|善《ヨシ》之とある。其は其にして。其事からの※[手偏+總の旁]ては。御親彼穢き泉國に往坐しなど。御上に取て。不祥き御事なるが故。其意を反《カヘ》して。述る所なるが故に。此に但(シ)と云り。とあり○粟門は。阿波國板野郡と。淡路國三原郡との間合《アハヒ》に在る門にして。古より世に名高き。阿波の鳴戸と云る是なり。仙覺が萬葉二卷に引る風土記に。牟夜戸《ムヤノト》と云るも。此嶋戸を云にそ有む。其は右の鳴戸を。阿波よりの渡口は撫養《ムヤ》と云ひ。淡路よりのを福良《フクラ》と云ればなり。【土佐日記に。夜中許に舟を出して。阿波の水門をわたるとあるは。同じ水門なれど。鳴門よりは二三里も隔たりたる所にて。今|門筋《トスヂ》と云處なりと小杉※[木+褞の旁]邨云り】平田翁云。此鳴門は阿波と淡路との間に在て。伊弉諾尊の大宮は。其淡路の傍なる。※[石+殷]馭廬島に在しかば。先其近き粟門を見たまひけむと云り。さて其潮急に過たる故に。此より西して。速吸名門を見給ひに往坐しなり。○速吸名門。神武紀に速吸之門とあり。名は連聲に引れて。轉れるなり。速吸は。其湍の速く地底に潮を吸《スヒ》入るゝ義なり。其地理は。重胤云。神武紀に天皇東征親帥2諸皇子1。舟帥東征。至2速吸之門1云々。臣是國神名曰2珍彦1。釣2魚於曲浦1云々。往至2筑紫國菟狹1と見えたる。菟佐は豐前國の南の竟なれば。速吸名門豐後國なる事灼き者なり。其曲浦と云るあたりは。通證に。豊後國海部郡佐賀(ノ)關(ノ)下(ノ)浦有2地主神1。稱2珍宮1祭2珍彦1云。社説曲浦爲2浦上1と云(291)れば。和名抄郷各に佐加と云る是なり。然れば速吸名門必其邊なるべし。口訣に。速吸名門豐後國海部郡。在2早吸日女神社1。と云るは然る言なり。式に豊後國海部郡早吸日女神社。或説に。速秋津比倍神今在2佐賀郷1と云り。國人の云には。今佐賀關の早吸六柱大神宮と云は。早吸神社には非ず。海部郡佐伯(ノ)莊|入《ニフ》津浦に當社有り。入津と宮浦とは雙びたる浦なり。偖其早吸神社の坐す地より。下滿江浦《シモマムエウラ》と云沖より。佐賀關まで。早吸灘と昔より里人も舟人も云傳へたり。然れば早扱日女神社は。右の入津隱浦なる事明らけしと云り。【其早吸名門と云ひ。早吸日女神と云るは。其地名に依て負坐る御名なれば。實に由有る神に座なるべし。】なほ記傳にも云れたる言どもあり。考合すべし。○潮既太急。既には盡にの意なり。古言なり。○還向。還は本來給ひし途の方に還り坐を云か。さて改て日向の方に向ひ行幸なるべし。○祓濯。本に祓を拂に作れり。今集解及元々集に引るに從て改む。【集解云案唐韻曰祓音拂。蓋因v音誤者と云り。此は訓より誤れ札る者とすべし。】
 
 
于v時入(テ)v水(ニ)吹2生《フキナシ》磐土《イハツチノ》命(ヲ)1。出(テ)v水(ヲ)吹(キ)2生(シ)大直日神(ヲ)1。又入(テ)吹(キ)2生(シ)底土《ソコツチノ》命(ヲ)1。出(テ)吹(キ)2生(シ)大|綾《アヤ》津日神(ヲ)1。又入吹(キ)2生(シ)赤《アカ》土命(ヲ)1。出(テ)吹(キ)2生(ス)大地|海原之《ウナバラノ》諸(ノ)神《カムタチヲ》1矣。不負於族此云2宇我邏磨概茸1。
 
 
吹生とは。下に吹|棄氣噴之狹霧《ウツルイブキノサギリ》所生神とあるが如く。御氣を凝し給ひて。吹出給ふ。其御氣に生坐る(292)よしなり。平田翁云。たゞ所成坐と云は。何處よりいかさまに成坐ると云こと詳ならぬを。吹生と云るかた詳かにて。彼穢を祓へてむと。所念凝して。生坐る趣よく聞え。將v矯2其枉1而などあるにも。熟符へればなりと云れ。又重胤説にも。吹生は解除の主と有る事にて。甚美たし。偖此に神等の生坐るも。其大御身に水を濯ぎ清めさせ給ひ。又其汚穢を氣吹き掃はせ給ひ。愈々益々に清々《スガ/\》しく成給へるに隨ひて。次々に御子神等の縣はれ出給ふは。全く其事に因れるが故に。此を解除の專要と有る事なりとは云なり。吹生と云事實に力を入て思べき所なる者也かし。と云れたる。共に然る説なり○磐土命云々。磐土命は上の一書なる表筒男命の。底土命は底筒男命に。大綾津日命は大枉津日命に。赤土命は中筒男命に同じく。皆言通ひて。上の一書と同じき神等なり。【但し山蔭に。大綾津日神即大枉津日神なるに。大直日神より後に。生坐る次第いかゞ。又磐土は表筒男。赤土は中筒男。底土は底筒男なるに。此水に入出る次第いかゞと云り。】○大直日神。記また上の一書ども。いづれも神直日神大直日神二神なり。然るを此と四時祭式鎭魂祭とは。大直日神一柱耳なるは。生坐りし其始一神にて渡らせ給へども。神直日神と分身し給へるが故なり。記には枉津日神も。二神に傳はれる事此と同じ。○大綾津日神は。大枉津日神也。名義は。記傳云。綾は禍の意にて。【あやまつ。人をあやむる。などのあや。又さはることのあるを俗にあやのあると云。またわやく者などいふ。みな禍の心なり。】語も通へりと云り。三代實録元慶三年三月。授2下野國正六位上綾津比神從五位下1と見ゆ。されど此は異神かも知がたし。○大地海原之諸神。大地の神とは。海原は大地に屬ける物なる故に云ひ。海原の神とは。海神三柱を申せるなり。【底土赤土磐土命等は。已に御名出たれば。此中には入らず。】○宇我邏磨概茸。此注平田翁説に。邏字上(293)に邇字脱たるなりと云れたる。本文の字に就ては。しかおもはるれど。かくさまに云る。却りて古言なるべし。【記に度《ワタス》2事戸《コトヾ》1なども此例なり。此を事戸を。と訓るは非也。】強て邇字を補ふるは。さかしらなるべければ。今は本のまゝにてあるなり。また概を本に※[禾+既]に作りたれど。今類史本に從ふ。【山蔭に茸を耳の誤なるよしに云れたるも非なり。下卷に梔此云2波茸1。音之移反とある例もあれば。本のまゝにてよろし。】
 
〔第十一一書〕
一書曰。伊弉諾(ノ)尊|勅2任《コトヨサシテ》三子《ミハシラノミコニ》1曰(ク)。天照大神者可3以|御《シラス》2高天之原(ヲ)1也。月夜見(ノ)尊者可3以配(ヒテ)v日(ニ)而|知《シラス》2天《アメ》上(ノ)之事(ヲ)1也。素戔嗚(ノ)尊者可(シ)3以|御《シラス》2滄海《アヲウナ》之|原《ハラヲ》1也。既(ニシテ)而天照大神|在《マシ/\テ》2於天上(ニ)1詔曰。聞3葦原(ノ)中(ツ)國(ニ)有(リト)2保食《ウケモチノ》神1。宜(ク)爾《イマシ》月夜見尊|就候《ユキテミマセ》之。月夜見尊受(テ)v勅(ヲ)而降(リマス)。已(ニシテ)到(リタマフ)2于保食(ノ)神(ノ)許《モトニ》1。保食神乃|廻《メグラシテ》v首(ヲ)嚮《ムカヒタマヒシカバ》v國(ニ)則自v口出(ヅ)v飯《イヒ》。又|嚮(シカバ)v海(ニ)則|鰭廣《ハタノヒロモノ》鰭狹《ハタノサモノ》亦自v口出(ヅ)。又|嚮(シカバ)v山(ニ)毛麁《ケノアラモノ》毛柔《ケノニコモノ》亦自v口出。夫《ソノ》品《クサ/”\ノ》物悉(ク)備(ヘテ)。貯《アサヘテ》2之|百机《モヽトリノツクエニ》而|饗《ミアヘマツル》之。
 
 
一書曰。此傳の位置は。瑞珠盟約章よりは後。寶鏡開始章よりは前に在べき文なるを。別に一章に立つる程の事にてもなく。又勅2任三子1云々に。聯ける文なるが故に。此章の終には有なり。【さて又此一段。記には素(294)戔嗚尊の御事として傳たり。今何れを正しとも定めがたけれど。記に據て説むには。右の如く見てあるべき文なれど。此本文のまゝに。月夜見尊の御事と見るには。此處に在ても妨なかるべし。但し寶鏡開始章よりは前に在べき事は論なし。】○高天之原。の之(ノ)字永享本になし○滄海之原。海(ノ)下之字あるは。此も永享本永和本になし。さて滄海之原は。上に滄溟と云るに同じく。此國土を云古言なり。されば此は上の第六一書に。素戔嗚尊可3以治2天下1。【記に所2知海原1】とあるに同じく。正しき傳説なること。次々云るが如し。さて滄海原と海との異なるよしは。上に既に云へれど。なほ平田翁の説にも。まづ滄海原といふは。此國土を押なべて云古言にて。天照大神は高天原。素戔嗚尊は滄海原と相對へて。天と地とを依(シ)別たまへるなり。然るを漸々に。さる古意を失ひもて來て。海と滄海原とを混に云ことゝなりて。誰も今までさは思はざりしなり。かゝれば。素戔嗚尊に可v御2滄海原1と詔へるは。此國土悉知看せと詔へるなること炳然ものぞ。と云れたり。下に云ると考合すべし。○在於天上曰。舊事紀本曰の上に詔字ある宜し。なほいはゞ詔曰の間に。月夜見尊の四字必あるべきなり。○葦原中國は。國號考に葦原中國は。本天津神代に高天原より云る號にして。此御國ながら云る號には非ず。偖此號の意は。甚々上代には四方の海濱は。悉く葦原にて。其中に國處は有て。上方より見下せば。葦原の巡れる中に見えける故に。高天原より如此は號けたるなり。と云れたる如く。天上にも天原にも高天原にも。對へ云稱なるを以思ふに。此大八洲豐葦原瑞穂之國とは異にして。大地萬國を統て云名にて有なりけり。故豐葦原とは云ず。唯葦原中國と耳云り。○保食神。和名抄に日本紀云保食神【和名宇个毛知乃加美】保猶2保持1。宇氣者食之義也。言是保2持食物1之神也。とあ(295)り。大忌祭詞に。御膳持《ミケモタ》須留若宇加能賣命登。御名者白※[氏/一]とあるも。其意なり。又記に食物(ヲ)乞2大氣津比賣神1。と見えたるも。其御食を保待ち坐神に渡らせ給ふが故に。乞し給へる者なり。又攝津風土記に。稻倉山(ハ)昔止與※[口+宇]可乃賣神。居2山中1以盛v飯。因以爲v名。又曰。昔豐宇可乃賣神。常居2稻掠山1。而爲2膳厨之處(ト)1。後有v事不v可v得v已。遂還2於丹波國(ノ)比遲乃麻奈韋1。【地名】と見えたる。其盛飯と云ひ。爲2膳厨之處(ト)1と云ひ。共に其宇氣を保持ち玉ふが故也。神祇宮に坐す御名を。大御膳都神と申す事。祈年祭詞に見え。又其を御膳魂《ミケツムスビノ》神と申す御名。四時祭式鎭魂祭條に見えたるが如し。○爾月夜見尊云々。如此く爾《イマシ》某と云は。其御命を令2受持1め。また此事は其人と。指着て云ふ時の言にて。例は神壽詞に。親神魯伎神魯美命宣久。汝天穂日命波云々。常陸風土記に。我前乎治奉(ラ)者。汝|聞勝《キヽカツ》看食國(ヲ)平。大國小國(ノ)事依給(ハム)云々などとあり。【なほ。垂仁紀一云に。今汝御孫尊。悔2先皇之不1v及云々。とあるなども同じ。】○就候之。平田翁云。大御神のゆくりなげに。かく詔ひ出玉へる事は。幽き所由あることなるべしと云り。○已到保食神許。平田翁云。此神は其生坐る時より。此程まで此國に住居ませるを。其地は何處なりけむと云れたるが如く。此神の産土は知がたけれど。【重胤は。阿波國なりと云へれど信がたし】今月夜見尊の到り玉ひし處は。山城國葛野の地にして。此神坐しゝ處は。攝津國稻倉山なるべし。山城風土記に。月讀尊受2天照大神勅(ヲ)1。降2于豐葦原中國(ニ)1。到2于保食神許(ニ)1。時有2一湯津桂樹1。月讀尊乃倚2其樹(ニ)1立之。其樹所v有今號2桂里1と見えたれば。其地に初て天降り看給へりけむ。さて此神の坐しゝ稻倉山の事は。上に引る攝津風土記に見えたる如くなるが。山城國葛野(ノ)郡桂(ノ)里よ(296)りは。乙訓郡を隔てゝ攝津國なれば。其便りに因らせ給へるものと見えたりと云り。さて此より以下の事ありしは。稻倉山にての事か。また丹波國比遲乃麻奈韋にての事か知がたし。○嚮國出飯。國とは田津物の生出る處をいふ。【此は次の海山に對へて。暫く國とは別言へるなり。故クガと云も國處の意なり。】纂疏に。國者百姓之所v居。飯則人之所v作。故向v國出v飯と云り。さて飯とは五穀の食用となれる總名なり。【故に粟飯麥飯など云るなり。】○向海云々。又云。海者鱗介之所v在。故向v海出2鰭廣鰭狹(ヲ)1とあり。記傳云。和名抄に鰭魚背上(ノ)※[髪の友が鼠]也。和名波太俗云比禮とあれども。比禮は背上(ノ)※[髪の友が鼠]のみならず。左右にあるをも云。波多は左右にあるをのみ云て。背上なるをば云べからず【然るを波多にも。鰭字を用るは。背上なるを比禮と云と。その比禮は。左右の波多にも。わたる名なるが故に。それに引れて。波多にも此字を用るなるべし。】さて鰭廣物鰭狹物は。魚の大きなる小きを云る古の雅言なり。【獣に毛柔物毛麁物といふ】萬葉二十に。※[盧+鳥]河立取左牟安由能之我波多波《ウカハタチトラサムアユノシガハタハ》。【〓之鰭者なり】これらも魚には鰭を主としてかく云り。童蒙抄に。鰭のせば物とありと云り。○嚮山云々。纂疏に。山者禽獣之所v在。故向v山出2毛麁毛柔1とあり。大祓詞後釋云。和名抄に獣和名介毛乃。畜和名介太宅乃。と有は。相誤れるなるべし。神代紀に。同じ續きの文に。畜産《ケモノ》と訓み獣《ケダモノ》と訓るぞ正しかるべき。皇極紀天武紀に。六畜をムクサノケモノと訓り。然れば畜は介毛乃。獣は介太毛乃なり。偖介太毛乃は毛津物の意。介毛乃は飼物の加比を切めて伎なるを。氣と云るなりと有る説よろし。【記傳の説は誤りあり。】さて重胤云。賀茂翁説に。毛《ケ》能和物は鳥を云ひ。毛能荒物は獣を云と云れたり。和名抄羽族體に。毳【訓爾古計】細弱毛也。又※[衣+離]※[衣+從]文選海賦云鳧雛※[衣+離]※[衣+從]。【師説布久介○なほ其外にもあり。】など有は。何れも羽を毛と云るなり。今も鶴毛衣(297)など歌詞に詠り。偖其を羽と云は。※[者/羽]《ハフリ》つゝ飛擧る用を以なれば。鳥にも毛と云は本より也けり。此を以思ふに。鳥にもあれ獣にもあれ。其宍の人の食用と成る限りは。此に出來たる事灼然しと云り。さて獣は上古に常に食たりし事は。此の古事は更なり。祝詞共に所見たれば。神にも奉られ。又常に人も喰ふ事にてありしなり。【下卷山幸の處に委しく云べし。】但し畜《ケモノ》を忌て。獣《ケダモノ》をば忌ざりしなり。其畜を忌む事は。古語拾遺に。御年神の牛宍を穢と爲たまへりけむ。御饗に唾して怒給へるを。次に白猪白馬白鷄は神の乞給へる内に。白馬は乘せ玉ふ料なるべく。白猪【今云豚の事なり】白鷄は。弄物また使物の料に。乞せたまへるなり。【重胤は白猪を食料なりと云れたれど。色の白きを乞給ふなど。决て食料には非るなり。】是即獣は食ふべく。畜は食ふべからざる證なり。【なほ次の牛馬の下にも云ことあり。】記には。自2鼻口及尻1。種々味物取出而。云々とあり。聊異なり○百机。記に百取机代之物とあり。記傳云。百とは其數の甚多きを云るなり。【必しも百に限れるには非ず。】取は神功卷に荷持田《ノトリタノ》村【荷持此云能登利】とある持《トリ》の如し。【書紀に百机とあれども。これは机の數を云にはあらず。机に置物の數百取なり。○武郷云記傳にはかくあれども。此は百人持にて。机の數多きを云ことなるべし。さて其机の數多きを云中に。自ら置物の色目の多きことはこもれり。さて。百人を百とのみ云ては。通えざるが如くなれども。此は例あり。千人所引石を。チビキイハ。又雄略紀の歌に五百世經ると云をイホフルと訓り。此等人また世と云辭を。略ける云ざま全く此とおなじ。】机は坏居《ツキスヱ》にて。飲食の器を居る由の名なり。和名抄に。唐韻云札案屬也。和名都久惠とあり。【坏居を本にて。又和名抄文書具に。書案俗云不美都久惠とあり。又座臥具に。几和名於之萬都岐もあり。おしまづきは押坐几の約りたる名にて。脇足の類なり。さて古書には。字は案几机など通はし用て。みな坏居の意なり。】○備貯。口より出(デ)たるものを。悉に御饌物に作り備て進るなり。【今も神に奉る事を。備ふと云るも是にて古言の傳はれる也。備は装並なるべし。】貯《アザヘ》は雜へと云に同じ。繼體紀なる御歌に。麻左棄逗※[口+羅]《マサキヅラ》。多々企阿藏播梨《タヽキアサハリ》とある。その阿藏播梨も※[糸+斗]《アザハリ》にて。眞拆葛を以て鬘とするに。髪に※[糸+斗]る意を以て。女(298)男手抱き交はる意につゞけ。また萬葉十三|香黒髪丹《カグロキカミニ》。眞木綿持《マユフモチ》。阿邪尼結垂《アザネユヒタレ》。とある【今本尼を左に誤る】阿邪尼も。雜へにて。髪に木綿を雜へ結垂るなり。人の字《アザナ》も交名の義にて。名に交へ呼故なるべし。【谷川氏云。童蒙頌韻に叉をよめり。俗にまぜるを。あぜるとも云りとあり。】此も海山の種々の物を。雜へ備ふるを云なり。○饗。重胤云俗に人を饗應する事を。振舞と云るなり。偖阿閉と云は令《ヘ》v遇《ア》の意にて。酒食を我より持行て。人を饗應《アルジ》し。また人をも我が許に令v請て。酒食を幣《マヒ》する事にて。其向の人に食物以て遇待《アフ》と云なり。常に同じ處に居る人に。食物を進むる事を饗とは云はず。行來しての上ならぬを。然云る事無し。名義抄に饗字を。阿布とも阿閉須とも。阿流自ともある。其阿流自は。海宮遊行章第六一書に設2饌百机《モヽトリノツクヱモノ》1。以盡2主人《アルジ》之禮1。と有て此と同じく。饗して客を饗應《モテナ》す事にて有なり。【故モテナスと云は食物を持て。其あるじを爲すををいふなり。】と云り。
 
是時月夜見尊|忿然作色《イカリオモホテリシテ》曰。穢矣《ケガラハシキカモ》鄙矣《イヤシキカモ》。寧《ムシロ》可《ベケム》d以(テ)2口(ヨリ)吐《タグレル》之物(ヲ)1敢(ヘテ)養《アフ》uv我(ニ)乎《ヤ》。廼拔(テ)v劔(ヲ)撃2殺(シタマヒキ)保食(ノ)神(ヲ)1。然(シテ)後|復命《カヘリゴトマヲシテ》具《ツブサニ》言(シタマフ)2其事(ヲ)1時。天照大神|怒《イカリマスコト》甚(シクシテ)之曰(ク)。汝《イマシハ》是(レ)惡《アシキ》神(ナリ)。不須相見《アヒミジトノタマヒテ》。乃與2月夜見尊1。一日一夜《ヒトヒヒトヨ》隔離《ヘダテハナレテ》而|住《スミタマフ》。
 
 
忿然作色は。面火照《オモホテリ》の意にて。怒れる顔色を云なり。【怒る時は其氣逆上りて。面に表る。此を云也】紀中作色慍色赫然などをもしか訓り。○穢矣鄙矣。食ふべき物を。口より出し。穢汚くして奉進れると。所思せる御言なり。○(299)寧をムシロと訓る。古言なるべけれど。【類聚名義抄。其外古き字訓の書どもに見え。漢籍に無寧無乃をも。共に同訓によみ來りて。古語なるべきを。】古歌などにいまだ見及ばざれば。其詞の意考ふべきよしなし。○口吐之物は。重胤云。口より吐る物にて。上に自v口出v飯とも。亦自v口出とも云る是なり。其は今は御厨にて。料理り備へて饗し奉給ふと雖。其物實はしも。口より吐出し給へれば。其原に就て。然宣へる者なり。記に爲2穢汚而奉進1とある是なり。と云り。此口吐を。本にクチヨリタグレルと訓るは。此の第四一書に。悶熱懊悩因爲v吐。と有とは異にて。今は奇靈なる御態に。口より食物を出したまへるを。月夜見尊の其を怒り玉へる口實に。病などして物を浚《サラヘ》出す状に。殊更に罵り玉ふなり。同く口より出し玉ふなれども。其意は格別なりと知べし○養我。本に養をカフと訓れど理なし。永正本鎌倉本にアフと訓り。【カはアの誤れるなるべし】從ふべし。さて按ふに。玉篇に養供養也。下奉v上也。とある義にて。書れたるにて。此によく叶へり。○撃殺保食神。本に保食神字旡し。今永享本應永本に依て補へり。山蔭に。撃殺下に。保食神となくては言たらずと云れたり。平田翁云。撃殺は撃て殺し給ふとには非ず。撃はかろく添たる辭にて。實は斬殺し給ふなり。【拔劍とあるを思ふべし】と云り。記云。立2伺其態1。爲2穢汚而奉進1。乃殺2其大宜津比賣1云々。【矢野玄道説に。此神の殺され玉ひし地は。丹波國なるべきよし云り。なほよく考ふべし。】○復命云々は。保食神の御態をも。殺し給ひしことをも。具に申玉ひしなり。記傳云。加幣理言とは。使人の還て申言と云意にて。加幣理は其使に係る言なり。【然るを今京になりて後。答歌を返しと云から。加幣理言をも。彼方の答言の意と思ふはたがへり。漢文に復命と云復はかの返しと云に當れり。加幣理言の加幣理には當らず。】とあり○怒甚之。平田翁云。大御神の此時かく甚く怒り坐る。大御心のほど窺ひ奉(300)るに。初勅して宇氣母知神を候せ給へるは。彼神の宇氣の神徳の大きに坐す事を。かねて聞看坐ましける故に。ゆかしく所思坐て。【其は聞v有2保食神1と詔へる。御言をよくおもふべし】其功徳のことはいかならむ。候て來玉へとの御心にて。物し給へるなりけんを。果して大御神の所聞看おき給へる如く。神徳の坐々けるは。撃殺し玉へるよし白玉ふに依てぞ。彼懇に惜み所思看す御心より。かくは怒り坐るなるべし。と云り。○惡神。此は此般の一事に就て宣へるにて。總ての御上に係れる大御言には非るなり。さるを惡神の字に泥みて。御性の惡き神ぞなど思ふべきにあらず。【今世の言にも。一時の過を咎めて。あしき人なりあしき事なりなどいへども。惡人惡事といふとは異なるが如し。此も其例なり。此は漢文に翻すとて。まぎらはしくはなれるなり。上に嘉字を可字の意に書るなどをも。思ひ合すべし。】○一日一夜隔離云々は。大御神と月夜見尊と。高天原に坐ながら。一日一夜の間暫時隔離れて。宮殿を異に住玉ふを云なり。永く放り玉ひしにはあらず。【然るを三大考云。此一日一夜といふこといかに見ても心得がたし。故思ふに。此は古傳には日夜とありけんを。漢文を潤色て。一日一夜とは書きたるにやあらむ。凡て此妃には然る類多ければなり。日夜隔離とは。大御神は高天原に坐。月讀命は夜之食國に坐を云なり。と云るは心得ず。月夜見尊の夜食國を知しめすは。大御神と相並ばして。高天原に在ながら月國を知しめすになむ有ける。隔放りて。夜之食國に入坐し事古傳に見えず。もし此時より夜之食國を知看すことゝなりしとせば。潮之八百重をば。又何時より知看すことゝなりしとか爲む。此にて其説の叶はざること喩るべし。さて保食神を殺し玉ひしを。記には素戔嗚尊の事とせり。これに就ても。三大考に種々云ることあれど。總べて信がたければとらず。】
 
 
是(ノ)後(ニ)天照大神復|遣《ツカハシテ》2天熊大人《アメクマノウシヲ》1往看《ユキテミセタマフ》之。是(ノ)時(ニ)保食神|實《マコトニ》已|死《ミマカレリ》矣。唯(シ)有其神之|頂《イタヾキニ》化2爲《ナリ》牛馬1。顱上《ヒタイノウヘニ》生《ナリ》v粟《アハ》。眉《マユノ》上(ニ)生(リ)v※[爾/虫]《マユ》。眼《メノ》中(ニ)生(リ)v稗《ヒエ》。腹(ノ)中(ニ)生(リ)v稻《イネ》。陰《ホトニ》生(ル)2麥及|大豆《マメ》小豆《アヅキ》1。
 
 
(301)天熊大人。本に大字旡し。山蔭云。人の上に大字ある本宜しと云り。然る説なり。故今補へり。【但し山蔭に。三熊之大人齋之大人など。大人には之字ある例なれば。これも之大人とあるべきにや。と云れたれど。此紀神名人名すべて之字をば加へぬ例なり。且其引れたる三熊之大人齋之大人なども。之字衍ならむも知がたければ偏に云難し。】舊事紀にも。次なるは大字あり。【なほいはゞ。明應本には大字はなけれども。訓にウシとあり私記も同じ。これ大(ノ)字ありし徴なり】熊は借字にして。神に奉る稻を云る古言にや有む。倭姫命世記に。垂仁天皇二十七年の處に。皇大神御前に。懸久眞爾懸奉始支《カケクマニカケマツリソメキ》云々あると。懸久眞は懸稻《カケクマ》にて。神甞祭詞に懸税《カケチカラ》と見えたる是なり。和名抄郷名に。石見國邑智郡神稻。【久末之呂】あり。淡路國三原郡神稻【久萬之呂】あり。神稻は義を以て云るにて。言は稻實《クマシロ》なり。然るを肥前國高木郡神代【加無之呂】も。本は神稻と同じ訓なりけむを。字に依て加無とは訓誤れりし者なるべし。和名抄祭祀具に。※[米+胥]米和名久萬之禰。精米所2以享1v神也と有にて其義知られたり。【名義は中山信名説に久麻は米の古言なりと云】さらば天熊大人は。天稻大人と云意なるべし。此神|稻實《クマシロ》を持上りて上りしより。さる名を負たまへるなるべし。○往看之。平田翁云。此は字氣母智神の殺され玉へるを。甚く惜み玉ふ餘りに。月夜見尊の殺し玉へる由は白し玉へど。もし生《イキ》居給ふことのあらむかと。猶ゆかしく所思看ての御使也。保食神實已死矣。とあるに心をつけて。此大御心を想像奉るべし。○實已死矣。此大神顯御身は。慮らざる禍事にて神避坐れど。御魂は衣服食物住處に幸給ひて。今の顯に此大神の恩頼を。蒙らぬはなきにて知べし。別て稻穀を生幸へ坐す事は。天照大神さへに。齋き奉玉ふにても思料り奉るべし。○頂は。和名抄形體部に。頂※[寧+頁]。顛(ハ)訓伊太々岐。頂也。※[寧+頁](ハ)頭上也とあり。名義抄にも頂※[寧+頁]をイタヾキとも。イタヾクともあり。又頂にも※[寧+頁](302)にもイタヾキと訓まれ。字鏡には顛頂の二字をも然訓り。重胤云。萬葉に伊奈太吉とある。奈字は多を誤れるなるべし。和名抄天地部に。巓山頂也和名伊太々木とも有て。山頂にても頭上にても。其至りて高き極なる所を。伊多太岐は云るは。至高《イタタカ》又極高の義と聞えたり。【然れば彌以てイナダキは。イタヾキの誤なる事知らる。多と奈とは草體にて似たる字なり今も貴人より物を賜るを。戴くとも云。頭上に捧げて恭々しく受賜はれば云なりと。】云れたるは然る説なり。○化爲牛馬。頂に牛馬のなれるは。軻遇突智神の首に。神生坐る類なり。【化爲は。頂の變りて化にてはあらず。生(リ)2出(ル)牛馬1の義に見るべし。】さて牛馬は食物を持運び。又田耕る業を助けなどする者なれば。此神の御身に成れるにぞあるべき。記には牛馬のことなし。葦牙云。初(メ)毛麁物毛柔物。口より出るとありて。其は皆御饌物に成るべきものなりしを。牛馬は其類にあらねば。本より喰ふべき物にあらざること成るべし。しかるを牛をよき喰物とする國共の。鄙きこと知られたりと云れたる。信にさる説にて。喰物となるべき物は。口より出。牛馬は頂より生出たるにて。其用を異にしたる事明らけし。其他犬猿鷄なども。此時口より出たる類ならぬは。さるものにて。すなはち此上に云る。獣と畜との差別を立たまへるも。此神の御制によれる事なるべく。推料奉られたり。○顱【永享本には額とあり】平田翁云。顱名義抄にヒタヒト見ゆ。【和名抄に。顱加之良乃加波良と有れど。此は必額なり。額和名比太比とあり。】と云れたれはば。顱をもしか訓しなり。○粟。和名抄粟和名阿波。重胤云。皇御孫尊の御天降の時に。天神より齋庭之穗を事依し授奉玉へるより。此大八洲國の名をしも。豐葦原千五百秋瑞穗國と名に負ふ事には有けれども。其以前には粟を耳專と作りたるべければ。國名にも粟國と云るなどの事多しと見ゆ。伯耆風士記に。相(303)見郡々家之西北有2粟島1。少日子命蒔v粟※[草冠/秀]實離々。即載v粟。彈2渡常世國1。故云2粟島1也と有を以考べし。天孫降臨章第六一書に。遣2無名雄雉1往候之。此雉降來因見2粟田豆田1。則留而不v返。云々とあるも。陸田多在し状なる事。此を以知べきなり。神武天皇大御歌に。瀰都々々志《ミツミツシ》。倶梅能故羅餓《クメノコラガ》。阿波赴珥波《アハフニハ》云々。と謠はせ玉へりし阿波赴を。釋に謂2粟畠1也と有れば。中洲と雖。東征以前には粟を專と作れりしなりけり。と云はれたる。此にて上古粟の多かりし事を知べし。名義は未詳。○眉。和名抄に説文云。眉和名萬由。目上(ノ)毛也とあり。○※[爾/虫]。本に加比古と訓來る事にはあれども。麻由と訓む方勝るべし。【是を御眉より成出たる者なれば麻由と云と云る説は俗なり。麻由は眞木綿なるべし。神武紀に眞を略きて。内木綿ともあり。木綿は借字にて。絲となし。眞綿となし。帛となすべき品を。上古に由布とは云けらし。さて白木綿などは。已に絲となし。帛と織たる上にて云なり。蠶の事は已に云り。】和名抄に。※[爾/虫]和名萬由。蠶衣也。獨※[爾/虫]和名比岐萬遊と見え。桑※[爾/虫]和名久波萬由。即|桑蠶《クハコ》也とあり。若て其|※[爾/虫]《マユ》と云るは。其桑蠶の其殻に藏れるを云稱にて。※[手偏+總の旁]ての名には非るなり。萬葉に足常母蠶子眉隱《タラチネノハヽガカヒコノマユゴモリ》。隱在妹見依鴨《コモレルイモヲミルヨシモガモ》。とあるなどは。人の傅づく女の事を。養蠶の※[爾/虫]《マユノ》中に隱れるに譬へたる者にはあれども。蠶と※[爾/虫]と差別知らるゝ事也。【萬葉十四に麻欲と有は。眉をも麻用と云と同じ。字書に繭與※[衣+繭]同。袍衣也と見えたるにても。※[爾/虫]に袍《ツゝ》める義あるを知るべし。本に※[尓/虫]と作る※[尓/虫]は繭の略字。※[爾/虫]は繭の俗字なるか。名義抄に繭字を蠶室也と有る如く。未絲に抽出ざる程を云なり。又野蠶をヤマヽユと云も。山にて自然生の繭なる由なり】又加此古と訓るは。第二(ノ)一書に。軻遇突智娶2埴山姫1生2稚産靈1。此神頭上生2蠶《カヒコ》與1v桑《クハ》。臍中生2五穀1とある。其は此保食神の此の故事なるを。親子の御間に。混れ傳はりしなり。此も其如く。眉上生2蠶與1v桑と有べきを。繭《マユ》にて初て成出たりし事を明さむとて。生v※[爾/虫]と作れたる者にて。其繭は蠶を桑以て飼育てゝ。成れる者なれば。其義(304)に於て少かも異なるべからずと云れたり。【さて※[爾/虫]のこと。或説に今の蠶は。仁徳天皇御代に。漢渡物なれば。和名カラマユと云。此は山※[爾/虫]を云なりと云り。此は據あるかうたがはし。】○稗。新撰字鑑に比江。和名抄に※[草冠/稗]和名比衣。草之似v穀者也とあり。通證に。和名抄麻類荏和名衣。蘇和名乃良衣。一云奴加衣。香柔和名以沼衣。据v此則比衣(ハ)飯荏《ヒエ》也。とあり。○腹中。重胤云。上なる顱と眉とには上と見え。此の腹と右に引る臍とには。正しく中と見えたれば。實に保食神の御腹の中なる者なり。中字輕く見過すべからず。○稻。名義。通證に飯根《イヒネ》也とあり。さる事也。稻は飯となるべきものゝ根本と云べし。さて此を記には稻種とあり。【記傳云。此のみ種と云ふはいかにと云に。まづ下に成v種とあるを以見るに。此に生れるは五品ながら。其實なり。然るに餘の四品は種と云はねど。自ら實のことなるを。稲は伊禰とのみ云ては。穗に在時の名にして。實とは聞えず。莖ながら生たる如聞えて。まぎらはしければなりと云り。】○陰。丹鶴本に陰中とあり。○麥大豆小豆。和名抄に。麥和名牟岐。大豆和名萬米。本草云。赤小豆和名阿加安豆木。【記傳云。此はたゞ阿豆岐なるを。黄小豆緑小豆など云漢名あるに就て。後に色を分云名なり。】とあり。通證に麥|聚芒《ムラノギ》也と云り。大豆は圓實《マルミ》。小豆は赤解《アカトケ》なり。色赤くして※[者/火](レバ)v之能腐熟と貝原氏説なり。又或人は小豆は赤食《アカゲ》などの意かとも云り。なほ麦の種類は。和名抄に大麦一名青料麦和名布止無岐。一云加知加太。小麦和名古牟岐。一云末牟岐とあり。右の大麦を此には布止と訓ては有れども。今並て世には意富と云めり。加知加太と云訓義詳ならず。【武郷云。加知加太は搗堅なるべし。大麥は臼舂に甚堅きものなり。】又蕎麥和名曾波牟岐。一云久呂無木と見えたれば。其も麥の一種にて有なり。【武郷云曾波牟岐は形ちを以て云。久呂牟木は其色を以て云。】偖大麥小麥共に身を合せたる状して。女陰の形に似たれば。實に御陰より成出たりけらし。と重胤云り。さて纂疏本には。大豆小豆四字を。豆の一字に作れり。其方そ弘くて宜しかるべき。記云所v殺神於v身生(レル)物(305)者。於v頭生v蠶。於2二目1生2稻種1。於2二耳1生v粟。於v鼻生2小豆1。於v尻生2大豆1。故是神産巣日御祖命令v取v茲(ヲ)成v種とあり。
 
 
天熊(ノ)大人悉取持(チ)去《ユキテ》而|奉進《タテマツル》之。于v時天照大神喜(ビテ)之曰。是(ノ)物者則(チ)顯見蒼生《ウツシキアヲヒトクサノ》可《ベキモノ》2食而活《クラヒテイク》1之也《ナリトノタマヒテ》。乃以(テ)2粟稗麥豆(ヲ)1爲(シ)2陸田種子《ハタツモノト》1。以(テ)v稻《イナダネヲ》爲(シ)2水田種子《タナツモノト》1。又因(テ)定(ム)2天(ノ)邑君《ムラキミヲ》1。
 
 
奉進をタテマツルと訓は。立奉にて。立と云も奉と云も。みな物を捧る事に云り。皇大神宮儀式帳。六月月次祭直會歌に。佐古久志呂《サコクシロ》。伊須々乃宮爾《イスヾノミヤニ》。御氣立止《ミケタツト》云々とあるは。御饌立にて。立とは御前に捧置くを云なり。奉も其元は神の御許に往て。親く纏ろひ仕奉るより。物を捧ることにもなり○また轉りては唯に敬(フ)詞ともなれり。祭祀を云も。歸順を麻都呂布と云も。皆其本は一なる語共なり。○顯見。記傳云。私記に顯見者見在之義也とあり。かゝれば宇都は現。志伎は嬉《ウレシキ》悲《カナシキ》の類の志伎にて辭也。さて人草のことを。如此詔ふは。神代下卷に幽神事に對へて。顯露事と云るが如く。目に見えず顯ならぬ神に對へて。顯れたる世人と云事ぞ。雄略天皇の。葛木神の形を顯はして見え奉り玉ふを。宇都志意美と詔へる。又師説に萬葉に空蝉。【借字なり】宇都曾臣などあるも。みな顯しき身と云事なりとある。(306)又現(シ)心夢|現《ウツヽ》などの現《ウツ》みな同言也とあり。此は何れも神等の御上より。活とし生る人種の事を宣ふ御言に。限りたる御事にて。記傳に目に見えず。顯はならぬ神に對へて。顯はれたる世人と云事ぞ。と云れたるが如く。神の隱身なるに對へて。人を顯身《ウツシミ》と云り。○蒼生は記に青人草とあり。記傳云。青人草と云所以は。一日必千人死。一日必千五百人生也。とある意にて。草の彌益々に生茂りはびこるに。譬へたる稱なり。青としも云るに心を著べし。故この稱は。神の人の利驛を爲し玉ふことゝ。人の損害を爲玉ふことにのみ。必用ふ稱なりとあり。【蒼生と作(ラ)れたるは。たゞたま/\似たる稱の文字を。取(ラ)れたるのみなり。意はいたく異なり。】さて重胤説に。寶鑑開始章第三一書に。日神の頃者人雖2多請(セ)1云々と詔へるは。其場に侍らふ諸神の事にて。即八十萬神是なり。若ては神と人との差別無が如しと雖も。熟思ふに其神には御在坐ども。此顯身の坐々事は。現世の人に然しも異り無きは。人と云ひ。顯身なる人と雖も。世を終たるは神と云事と見えて。萬葉二に。弓削皇子の薨坐るを。久方乃|天宮爾《アマツミヤニ》。神隨《カムナガラ》。神等座者《カミトイマセバ》。と有る是也。又顯身には御在坐れども。皇御孫尊の御上などは。天照大神の御子と坐て。其御威徳目に見え顯はれ玉はぬ神にも勝れて。甚く貴く御在せば。現御神とも遠津神とも稱(ヘ)奉りて。其神に異ならざる御所行には。惟神《カミナガラ》又は神佐備などとも申す常なり。然れば神と人とは隱身なると。現身なるとの差有る耳なる事。此顯見蒼生の義を以て知らるゝなり。と云れたるにて神人の差別あきらけし。さて顯見蒼生可2食而活1之也。と詔へるに就て。平田翁説に。大御神の蒼生を愛くしみ玉ふ事は。此一事を以て悟るべし。此は只に食て活べ(307)きものぞと詔はむには。御身づからの上にかゝれど。青人草のと宣へるにて。其大御心いと著明にれらたり。と云れたり。實に然る言なり。○陸田は。纂疏に不v用v水而耕種曰2陸田1とあり。和名抄※[田+漢の旁]耕v麥地也。※[田+漢の旁]耕田(ノ)※[土+龍]日本紀師説八太介。【天武紀に薗をハタケと訓せたり。】或説に波多は乾田《ヒタ》なりと云り然るべし。氣は土毛にて生れる物を云。即種子と云にあたれり。○水田。纂疏に用v水而耕種曰2水田1と有る如し。本にも。名義抄にも。タナツモノと訓る。田根津物の義なり。さて諸物の種子は。田根と云事にて。稻種に起りたるなるべき事。出雲風土記に。飯石郡多禰郷云々。稻種墮2此處1故云v種とある文を引合て知べし。【これ種と云は稻種なるが故なり】穀物を多那都毛能と云も。稻を主と立たる稱なるを思ふべし。○天邑君。重胤云私記に。天者是側文美大之辭也。言此時初定2居邑君1也。云々是官職初置也と云ひ。又口訣に農長也。纂疏に謂2農人之長1と有るが如し。寶鏡開始章第三一書に。天邑并田と云名あれば。此に於て農作《タヅクリ》の民出來。又其に就て邑里も出來れるが故に。其百姓を治る邑長も出來れる者也。出雲風土記に。所造天下大神御子。和加布都怒志命。天地初判之後。天|領田《ミシロダ》之長供奉坐之と有も。右の天邑君の如し。君は宰《ツカサ》の謂なるべし。垂仁紀に郡公をムラツカサと訓る是なり。和名抄に漁子和名伊乎止利と有に對へて。漁父一云漁翁無良岐美と有は。漁村の中にて。其古老を立て。漁子を宰どる者と爲るが故に。當昔邑里には。其名亡て。却て漁村に邑君の古號を傳へたりし者と所見たり。已に神武紀に。遼※[しんにょう+貌]之地猶未v霑2於王澤1。遂使2邑有v君村有1v長。各自分v疆用相凌※[足+樂]と有れば。私に立て農長《サトヲサ》たりしにも。猶邑君と(308)は云しなりけりとあり。
 
 
即以(テ)2其|稻種《イナダネヲ》1。始|殖《ウヽ》2于天(ノ)狹田《サダ》及|長田《ナガタニ》1。其秋(ノ)垂穎八握莫莫《タリホヤツカホニシナヒテ》然甚(ダ)快《コヽロヨシ》也。又口(ノ)裏《ウチニ》含《フクミテ》v※[爾/虫]《マユヲ》便(チ)得(タリ)v抽《ヒクコトヲ》v糸《イト》。自(リ)v此(レ)始(テ)有2養蠶《コカヒ》之道1焉。保食神此(ヲ)云2宇氣母知能加微(ト)1。顯見蒼生此(ヲ)云2宇都志枳阿烏比等久佐(ト)1。
 
 
稻種【本にイネタネと訓たれど。】伊那陀禰と訓べし。天孫本紀に建稻種命と云名の例もあり。さて種は植物にひろく云名にはあれど。其元は右にも云る如く。田に蒔殖て。生し立る根を云事にて。上にも引る名義抄に。水田種子をタナツモノと云るも。穀《モミ》を。【和名抄に穀和名毛美】田に殖るが本なるに依て。然も云習へりし者なり。○狹田長田。平田翁云。此は天上にある大御神の御營田《ミツクタ》の名なり。狹は長と對ひて。字の意の言ならむと所思れど然らず。【武郷云。狹を字の意ならずと云れし説まことにあたれり。倭媛命世記に。汝國名何問給。白久畔廣之狹田國止白支。云々とある。畔廣之云々とあれば决く狹き意にはあらナず。】眞《マ》に通ふ佐にて。稱言なり。【なほ此外にも。大御神の御田に。天垣田。天安田。天平田。天邑并田。など云名見えたり。】とあり。長も稱言なるべし。○垂穎八握は。稲穗の長く生たるを云。祈年祭祝詞に。八束穂能伊加志穂《ヤツカホノイカシホ》。顯宗紀に新墾之十束稲之穂《ニヒバリノトツカシネノホ》などあり。【穎を此にては穂と訓れども。此は加比と訓むが正しき本語なり。然るは記傳に穂と穎とは同物なれども。富とは穂に出たる状。加比は其體を云名なりと云れたるが如し。】○莫々然は。口訣に茂貌とあり。新古今集大甞會稻舂歌。神代より。今日のためとや八束穗に。長田の稻はしなひ初けむ。○快。思ふ事の叶ひて。(309)心の如く成るを云語なり。此は天狹田長田に。始て殖試みさせ玉へるが。其秋の垂頴の八握に莫々然たる。田面を見度し玉へる時の御心なり。快を古本にタクマシト訓るに付て。なほ其餘の書に見えたるは。靈異記上に。于時其女主之兒。忿々走來白v母曰|快《タクマシク》從2故京1備v食而來云々。又同書下序に。甘 太久萬之比ともあり。いづれも愉快の義あり。また熱田神宮にて。毎年一月十一日蹈歌神事の節。神宮の別宮大幸田神社神前に於て。一(ノ)禰宜の讀上る所の祝詞と云ものに。(いと長き祝文にて。後世のものながら。故實をいとよく言つゞけたり。)秋乃|節《トキ》仁|致天《イタリテ》。其(ノ)稻乃|實乃堅久《ミノカタク》。※[朝の月が革]事《タクマシカランコト》袁申給波々云々。(※[朝の月が革]は幹の字なるべし。下文にも眉乃堅《マユノカタ》久。※[朝の月が革]加羅牟袁とあり。)稻の實にたくましと言たるは。こゝによしあり。古言の殘れるなるべL。なほ他書にもあるを見たり。○含※[爾/虫]。重胤云麻由袁布々美※[氏/一]と訓べし。本にカヒコと訓たれども非なり。其は蠶の繭を作れるを。口中に含み温め。霑ほして糸口を取り。抽出むためなり。今は世中に此道大に開けて。繭を釜中に煮て。其糸を※[糸+參]車に絡《マト》ひ取る事にはあれども。此は事の始にし有ければ。口に合みたる糸を。手に絡ひ取る許の事にて。甚だ簡易なりし當昔の状見えたり。【或説に。上古質約口裏含霑抽v之。今猶民間有d盆水漬v繭繰v之者uと云り。然れども上古とて。殊更に質約に物爲るにては有べからず。其自然成る可き道に任せ賜へるものなり。】と云り。○養蠶之道。又云加比古と云時は。基飼はるゝ其蠶の事なるを。此に古賀比と打返し訓むは。其蠶を飼ふ職に云稱なり。古語拾遺に。蠶織之源起2於神代1。と所見たり。式に陸奥國會津郡|蠶養《コカヒ》國(ノ)神社有り。【觀跡聞老志に。社南有v川曰2綿掛澤(ト)1。蠶養(ノ)社在2城下市店1。毎歳蠶事既畢分v繭稱2効功1以献v神とあり。いかにも舊杜と見ゆ。○武郷云。頭書に此神を稚皇産靈神を祭るとあるは。一書に依ての事か。まことは保食神を祭るべきものとぞおぼゆる。】さて舊事紀に。此文を載(310)たるには始有2養蠶之道1。乃起2※[糸+任]織《ハタオリ》之業1者也とあるは。養蠶と※[糸+任]織とを。相對へたる文にして。平田翁も云れたるが如く。當昔然る本の有を。取れる者なるべし。此※[糸+任]織之業は。即寶鏡開始章に。天照大神方織2神衣1居2齋服殿1。と見えたる是なり。其第一(ノ)一書には。稚日女尊坐2于齋服殿1。織2神之御衣1とある。是即世中に※[糸+任]織の業しもある。其起は天照大神の事始め定めさせ御在坐す事を。明らめ奉るべき證文なり。と云れたる。みなさる事どもなり。さて此一書は。衣食の始にして。【住宅の始もなほ此時なるべきよしの考共。寶鏡開始章にいへり。】人民は功業ある基なる事。已に注るが如し。此物等の如此しも成足れる次第を云むに。二柱大神の國生の始に。已に御衣服の事。御食物の事など。見えたるは。形の如く成就へりし者なり。然れども此時織※[糸+任]の事有て。御衣となし。農作の事を力(メ)成して。御饌に奉られたるには。非る事固りなり。然れば如何にしてか。其物は成たると云に。其は何を以ていかにして。作り給ふと云事。人の量知るべき際に非ず。此に大神の始給へる事共は。此より以後の衣食の原にて。其は保食神の被殺玉へるより事起れるは。元より如此なるべき。幽き由の備はれる事なるべく。其はた産靈神の奇異なる御所作に。因る事なるは云も更なり。後世の凡心を以て。世を初め給へる神の御上を。准へ料り知奉るべきに非ずかし。さてまた葦牙云。こゝに牛馬をつかふ事もあるべきを。なきは事足らず。されど此物も共に天へ持去給ひしなるべし。下に斑駒の事もあればなり。また此保食神は。此國の神なるに。其神の御身に成るものは。先(ヅ)みな天へ上《アゲ》給ひて。後に皇御孫命の御天降の時。副へ奉りて。此國へ降し玉ふこと。(311)日神を天へ擧奉りて。後に皇御孫命を天降し坐しめたまふ事。あなかしこ幽き故あることにこそ。と云れたるもさる言なりけり。
 
 
 追加
 
大地海原之諸神
 
おのれ始めは。大地を天地とある本に因て。天地之神とは。天照大神。月讀尊。素戔嗚尊。海原之神とは。海神三柱を申せるものなり。と説しかど。さる本まことにありや詳ならねば。改めて本のまゝにてあるなり。さるにても大地海原之神の解詳ならず。また此大神等をみながら大地之神等とは申しがたきが如し。依て按るに。其始は二神此大地之主を生まんと。思ほしめしゝ神等なるのみならず。高天(ノ)原に上げ玉ひしも。此より後の事なれば。なほ其根元につきて。大地之神とも申すべきか。さらばなほ大地之神とは。三社之珍(ノ)御子を申し。海原之神とは海神とすべきか。さては此一書も第六一書。また古事記の傳と同じとすべし。猶ほ考べし。〔次改行せよ〕
 
 
 
(313)日本書紀通釋卷之七       飯田 武郷 謹撰
 
〔瑞珠盟約章〕
於是《コヽニ》素戔嗚尊|請《マヲシテ》曰(ク)。吾今|奉《ウケタマハリテ》v教《ミコトノリヲ》。將《ス》v就《マカリナムト》2根(ノ)國(ニ)1。故(レ)欲《オモフトマヲシタマヘバ》d暫(ク)向《マヰデテ》2高天原(ニ)1與《ト》v姉《ナネノミコト》相(ヒ)見《マミエテ》而(シテ)後(ニ)永《ヒタブルニ》退《マカリナムト》u矣。伊弉諾尊|勅《ノタマフ》v許《ユルスト》之。乃(チ)昇2詣《ノボリマウヅ》之於天(ニ)1也。
 
 
重胤云。此章首は。記に勝りて甚愛し。記には故於v最速須佐之男命言。然者|請《マヲシテ》2天照大御神(ニ)1將《ナム》v罷《マカリ》乃參2上天(ニ)1と有て。記にては私の御出立なるに。此にては御父大神の勅許を奉らせ玉へれば。公行なる者也。此は必如此くなくては叶はざる所なる事。上に已に條々述たるが如しと云り。○於是は。上の本書の末に。當3遠適2之根國1矣。遂逐v之。とあるを承て云るなり。○請曰は。寶鏡開始章に。人雖2多請1。とあるに同じ。此は昇天の勅許を請奉らせ玉ふなり。○向は參出なり。記傳云。參《マヰ》は貴所へ向行を云。【此は出る方を卑めて。趣(ク)所を尊む時に言なり。】麻加流は貴所より退去るを云。【故に去る所を尊み。趣方を卑むる時に云言なり。】と反對なり。○姉は。記白檮原宮段に。神沼河耳命其兄神八井耳命をさして。那泥汝命《ナネナガミコト》と詔へることありて。記傳に。那泥は人を親み尊みて云稱也。萬葉四に己が女を名姉《ナネ》とよみ。九に妹名根《イモナネ》とよみ。常にも男には兄《アニ》。女に姉《アネ》と云(314)へば。那泥は女に局るべきに似たれども。此に兄命を詔へれば。男にもわたる稱にて。【伊呂泥も女に限る如くなれども。安寧天皇の御子に常根津日子伊呂泥命と申すあれば。是も男女にわたる稱なり。○武郷云。兄の訓はアニと云るに限る如くなれども。此も景行紀に兄名|兄《アネ》遠子と訓るを見れば。阿禰とも云るにこそ。さて思ふに。記下卷なる欽明段小兄比賣も。此紀に小姉君と書るに依れば。ヲアネヒメと訓べきか。】泥は。天津日子根など。常多かる泥なりと云り。【今世には姉字アネとのみ訓り。名義は吾根か。】○相見而後永退。相見をマミエと訓るは。俗に貴人の目通に出て。見知るゝ事を目見《メミエ》と云状に同じ。【マミユのマミは目見にて。目に見え所知るゝを云なり。】永退は。終に往留り御在し坐べき根國に就て云なり。ヒタブルは一向なり。先に高天原の方には。暫(ク)向(フ)と宣へる其反なり。記に請2天照大御神1將v罷云々。平田翁云。かく請し玉ふは。永く夜見國に罷給ふ故に。大御神に御暇請し玉はむとの事なり。御兄《ミコノカミ》を敬ひ慕ひ給ふ理。信に然も有べく。有がたき御心にこそとあり。○伊弉諾尊。本に脱たるを。今應永本に因て補ふ。さるは此紀の趣。始根國に逐ひ坐るは。父母二神と上章にあれども。此《コヽ》は必伊弉諾尊一柱の御計らひにてぞ有ける。其は此文に次て。此後伊弉諾尊神功既畢云々と見えて。伊弉※[冉の異体字]尊の御事を被記さるは。上章次生2火神軻遇突智1時。伊弉※[冉の異体字]尊爲2軻遇突智1所v焦而終とあるに。其神の結は其に委ねて。本書には伊弉諾尊一柱をのみ彼v擧たるなり。○勅許。海宮遊行章。弟|許諾《ユルス》。安閑紀詔曰|可《ユルス》矣。など訓れたる是なり。許とは其請奉らせ玉ふ所を許諾《ウベナ》はせ玉へるなり。此は御父大神の然神逐はせ玉ひしかども。素戔嗚尊の天上に參向ひて。日神に請して罷なんと申玉る事。信に其所謂有る事なるべし。其は中々に伊弉諾尊こそはしり給はね。産靈大神の幽深《タヘ》なる神量の御在坐て。許させ玉へりとなん伺奉られける。記には此勅許の事はなきを。(315)此紀の傳ぞ甚尊く有ける。偖此許字は。上に請曰に照應へて。書れたる者にて。神功紀に請《マヲス》焉。皇太后則|聽《ユルシタマフ》之。とあると同格也。凡て他より請ふ所を許(シ)容(レ)て。其擅に爲るをユルスと云事古言なり。
 
 
是後(ニ)伊弉諾尊|神功《カムコト》既(ニ)畢《ヲヘタマヒテ》。靈運當遷《カミアガリマシナムトス》。是(ヲ)以(テ)構《ツクリ》2幽《カクレノ》宮(ヲ)於淡路(ノ)之|洲《クニニ》1。寂然長隱者《シヅカニナガクカクレマシキ》矣。
 
 
是後は。口訣に素戔嗚尊昇2詣於天1之後也とあるが如し。偖比より以下五十八字は。八洲起原章に亘りて。其結文なること既に云るが如し。○神功既畢。功は事にて。天神より授り奉らせ玉ひし御業なり。天神の御言のまに/\。國作り固め。宇宙の主たるべき珍御子を生玉ひ。其神々の御任をも竟《ハタ》し玉ひ。人草の蕃殖るべき道をも。立玉ひしなどを約めて云るなり。○靈運當遷は。何とも訓がたきを。暫く本の訓のうち。カミアガリマシナムトスとあるに據て。神功畢まして。今はと天上に報命し玉ふべき時運の來れる意に云るものと解べし。【重胤云。カミアガリマシナムトスと訓るは。其は次に登v天と有るに同じく。報命し玉はんとて。天に參上らせ御在し坐むと爲るを云なり。此は伊弉諾大神。幽宮を淡路洲に構給ひて。其御靈を留させ玉ひ。正身は天上に還上り御在坐す御事なり。紀中に崩字を神上ますと訓るは。此大神の御靈を留め。顯身ながらにして神上り坐しとは別にて。顯身は國土に留坐て。御靈の天上に神上らせ玉ふ事にして。謂ゆる死を云なれども。此(ノ)事がらの同じきが故に。言も亦一なる者也。然るは此大神の天降り坐(シ)し始は。世人の生るゝが如く。又此に神上り坐すに至ては。世人の死る終の如くして。死生の理を究盡すこと。此一段にて至れりと云べし。と云れたるは然る説なり。纂疏に靈運當遷者年運遷替也とあり。此は字に泥みたる説にて委しからず。通證に薛道衡老子碑。至道靈運。神功自然。後漢書黄香傳。功滿當遷とあり。此等は文字の出所を徴せるまでなり。】○幽宮は。本にカクレノミヤと訓れど。カミミヤと訓べくや。御靈を留る宮を。萬葉二に神宮爾装《カムミヤニヨソヒ》奉而とあり。【此は高市皇子薨坐て。顯身は葬奉れど。其神靈を留奉る宮を。装奉と云事にて。(316)言義は此と同じ。】此宮は。伊弉諾尊神功畢て。天に昇坐むとして。其御靈を長へに留め置給はむが料に。御自搆り坐て。其島に永く留宅給へる宮にて。現世人の目にこそは見え奉らね。今も幽には其宮の存する事申もさらなり。此は後に現世人の御靈を鎭め奉らむとして。造れる神社の事なりと云説は。幽宮とある名をもおもはず。幽顯の差別にも暗き説なり。【記傳の説も違へり。】甚く後の世ながら。國史に出たる淳和天皇天長九年五月。伊豆國賀茂郡伊古奈比※[口+羊]神。又仁明天皇承和七年九月。同國上津島に坐。阿波神の御態。また清和天皇貞觀七年十二月に。甲斐國淺間大神の神宮を造り顯はして。暫時現世人に神異を示せ給ひて。即て幽冥に隱り坐るなど。みな幽宮なり。【彼宮殿などをも。現世に後まで殘し玉へるさまに云る説などは。總て云に足らず。】さて今大神の幽宮を搆りて長へに鎭坐る宮都なるが故に。後に社を造りて。其御靈を齋祭する。其即式なる淡路國津名郡伊佐奈伎神社【名神大】是なり。三代實録貞觀元年正月。授2淡路國無位勲八等伊佐奈伎命(ニ)一品1とあり。當國人仲野安雄が淡路常磐草に。和名抄に。津名郡育波郷和名以久波とある。今も育波川育波(ノ)浦育波村など云地名どもあり。津名郡の西海邊に。添たる郷なり。是郷に並びて郡家郷あり。和名抄に津名郡郡家和名久宇希と見ゆ。是郷の多賀村に。神名式なる伊邪奈伎神社の社あり。神宅《カウヤケ》ともいふ。國君より造立したまひ。封田も若干ありと云り。【此御社は。國の一宮にして。今郡家郷多賀村と云に御在坐り。履中紀五年の處に。此神の飼部等が黥の血※[自/死]を惡まして。祝に御託し坐ることあり。】記云。故其伊邪那岐大神者。坐2淡海之多賀1也とあり。【式犬上郡多何神社二坐と見ゆ。和名砂田可郷有り。今多賀大社と申す。○舊事紀に伊弉諾尊亦坐2淡路之多賀1也とあり。淡海の多賀は。淡路の多賀より後に遷しまつれる社なりと國人は云り。されど多賀と云地名淡海の方ふるし。淡路のは大凡二百年ほど以前より云始めたる地名なること。寛文四年に幕府へ書出たる阿淡郡村帳に。淡路國津名郡多賀村と始て見えたりと小杉※[木+媼の旁]邨云りなほよくたづねべし。】(317)○淡路之洲。永享本に之字なし○寂然長隱は。今まで顯身に御在坐て。神功を顯國に立させ玉ひけるに。大神の大御身は。日之少宮に神登らせ御在坐て。幽宮には唯其御靈を耳留めさせ玉へるが故に云なり。重胤云。長隱は其幽宮に長しなへに鎭坐て。再復世に顯身を現はし出玉ふ事なきを云なり。天孫降臨章。大巳貴命の。今我當云々將2隱去1。言訖遂隱。其第二一書に吾將2自v此避去1云々。而長隱者矣と有と。事状も語勢も共に相類たる事なれば。照し合せて。事の趣を曉り明らむべくなん有ける。【又其を神賀詞には。八百丹杵築宮爾靜坐支とあり。此を以て良隱とは其宮に鎭り坐す御事なるをもさとりねかし。】長隱は。記に至v今鎭坐也と云事の有に等しく。此長へは世とともにの義也と云り。
 
 
亦曰(ク)。伊弉諾尊|功《カムゴト》既(ニ)至(リヌ)矣。徳《イキホヒ》亦(タ)大(キナリ)矣。於v是登(リマシテ)v天(ニ)報命《カヘリゴトマヲシタマフ》。仍(テ)留2宅《トヾマリスミマシヌ》於日之|少宮《ワカミヤニ》1。少宮此云2倭柯美野1。
 
 
亦曰。此段を直指本等に分注に書せるは誤なり。かゝる亦曰の例。總て大字の例なり。本に從ふべし。重胤云。先には幽宮を構らせ玉ひて。長隱り坐御事を云終めたるを。此には其神登り坐す御行方の事を。記奉る其界に置るにこそあれ。更に異説の謂には非ず。口訣に已く。亦曰者始言2遷化之地1。次明d功與2昇天1之事u也と云りとあり。○功既至は。上に神功既畢の事を。重復て懇到《ネモコロ》に申顯し奉るなり。故(318)此をもカムコトと訓べし。至は重胤云。萬葉十九に。由伎多良波之※[氏/一]《ユキタラハシテ》と云語有り。其と同言にて往足《イキタリ》なり。天孫降臨章一書に。誠※[肄の旁が欠]之至《マコトノイタリ》とある至《イタリ》是なり。世に至り深き。又は至りなき。或は至らぬ人など。其徳を論云ふ時の至(リ)是なるを。用語に云なり。口訣に功既至矣者。生2善神1成2洲國1備2衆物1也と云るは。今茲に云ふ至の義を盡せる者と云べし。と云れたり。○徳亦大。又云。此大神の御徳の。次々大に成らせ御在坐る。一事を以て申さば。古事記を見るに。其成坐し初には。唯伊邪那岐神とあり。御身滌段には。伊邪那岐大神とあり。其次には伊邪那岐大御神と有て。其末に至りては。打任せては唯大御神と耳串させ玉へるなり。此即徳の大に成らせ御在し坐るが故なりと云り。○於是とは。右の時を外《ハヅ》さず。思ほし立玉へるなり。【これ上の靈運當遷と云るに當るべし。】○登天は。八洲起元章に。降2居其島1云云。とあるに對へたるなり。○報命は。皇祖天神の詔命に。還答へ奉らせ給へるが故に報命とは云なり。○日之少宮は。【日下の之字應永本永享本になし。】天上なる大宮なる事。仍(ノ)字にて明らかなり。績後紀の歌に。天照國《アマテルクニ》之日(ノ)宮とある。日宮は天照大神の天上に坐ます大宮を申し。其に對へて。伊弉諾尊の坐宮を日之少宮とは白すなるべし。【又日も少も唯何となき稱言か。少は瑞垣瑞之御舍などいふ瑞に同じかるべし。】さて此大神の鎭坐(ス)御社の。物に見えたるは。式大和國添下郡伊射奈岐神社。【大月次新甞】葛下郡伊射奈岐神社。城上郡伊射奈岐神社。合せて同一國の中に三所おはし坐は。所由ありぬべき御事也。なほ國々にも數多坐ます中に。伊勢國度會郡伊佐奈岐宮二坐。【伊佐奈彌命一坐。並大月次新甞。】見ゆ。【大神宮式倭姫命世記にもみゆ。】二柱御祖神を齋奉れる宮の。天下に甚尊きは。此宮に勝れるはあらざるぞかし。○留宅は。皇(319)祖天神の御許に參到坐て報命し。訖て然後に。日之少宮を常宮として。留まり住せ玉ふを云ふ。
 
始(メ)素戔嗚尊昇(リマス)v天(ニ)之時(ニ)。冥渤《オホキウミ》以之|皷盪《トヾロタヾヨ》。山岳《ヤマヲカ》爲之|鳴※[口+句]《ナリホエキ》。此(レ)則(チ)神性雄健《カムサガタケキガ》使《シムル》2之|然《シカセシ》1也。
 
 
始。重胤云。上に素戔嗚尊の御事を記されたるに。乃昇2詣之於天1也と書捨て。此以後に在つる伊弉諾尊の御事を外に記すべき所なきが故に。此間に云終めて。又端を改起して。上より承續く所なるが故に。其以前に立復りて始とは云るにて。前段に是後と有るに對へたる所なり。口訣にも始者伊弉諾尊上天以前也。と云るが如し。此文法多く有る事にて。寶劔出現章一書に。素戔嗚尊帥2其子五十猛神1。降2到於新羅國1と有て。其より緯《ヨコ》に他事を云終めて。初五十猛神云々と。經《タテ》に承たると同格なる所なりと云り。○冥渤。又云和名抄に。和名於保岐宇三。見2日本紀1也とあり。古訓なり。名義抄にも然訓り。萬葉二十に。於保吉宇美能《オホキウミノ》。美奈曾己布可久《ミナゾコフカク》。と詠るなど考るに。唯に大海と云よりは。决めて甚しく大《イミ》じき意なると所見たりと云り。○皷盪。又云。登與牟は物の動き響く事なるが。登杼呂久は。其動き響く音の有を云て。此の登杼呂是にて。此にては。大海に高浪の立騷ぐを云なり。盪を多陀與布と云は。名義抄に。ウルウともりソヽクとも。オゴクともトラカスとも。ウカスとも訓たる。其オ(320)コクは動くを云なるベし。然れば冥渤以之皷盪と云は。暴風を起し。奔潮《ハヤナミ》を立て。冥渤を涌返る計に。蕩かし給へるを云なり。○山岳は。冥渤を云て。共に並べたるは。國土の皆を云事なれども。其國土の中にても。主と鳴※[口+句]るは。山岳なるが故に。國土と云はずして。山岳とは云れども。意は記に國土皆震と有と。同じ所なる者也。此即後に謂ゆる地震などの状して。山鳴り地動けるを云なり。同記にも。青山如2枯山1泣枯(シ)。河海者悉(ク)泣乾。と有が如く。稜威の一速く。健き大神に御在坐ば。天に參上給へるにも。斯る甚しき御事の御在坐るにぞ有ぬべき。と云り。○鳴※[口+句]。國土の震動く音の。怒るが如く響き聞ゆるなり。和名抄。【毛群體】※[口+皐]。虎狼聲也。吼。牛鳴也。吠。犬聲也。訓皆保由とあり。○使之然也。此は素戔嗚尊の。たゞ天照大神に見え奉らむとて。赤心に昇給時なれば。故(ラ)に怒り健ひ玉ふべきにあらねば。海山の鳴動しは。此神の雄健く坐しけるより。自然にして然ありしなりと。此時異心ありてにはあらぬ事を。注せる文なり。此は誠にさることなり。【さるを忽ち次文に。其神暴惡云々。とあるは如何なる事なり。其事次に云べし。】
 
 
天照大神素(ヨリ)知《シロシメセバ》2其(ノ)神(ノ)暴惡《アラクアシキコトヲ》1。至(テ)v聞《キコシメスニ》2來詣《マヰクル》之|状《カタチヲ》1。乃(チ)勃然《サカリニ》而驚(キタマヒテ)曰(ク)。吾弟之來《アガナセノミコトノキタルコト》。豈(ニ)以《モテセム》2善意《ヨキコヽロヲ》1乎《ヤ》。謂(フニ)當(ニ)有(リテ)2奪(ムトスル)v國(ヲ)之志(シ)1歟《カ》。
 
 
天照大神。山蔭にも云れたる如く。上(ノ)本文には。天照大神と申をば。一書云としながら。此より以下(321)みな。此御名を以記せるは。前後相違なり。○其神暴惡。次一書に。日神本知3素戔嗚尊有2武健《タケクシテ》陵v物(ヲ)之意1云々。如此ては。此神實に暴惡《アシキ》御心坐するが如く通ゆ。【上の本書に安忍。また一書に好2殘害1なと同。】されど。上にも已に辯へたる如く皆非なり。なほ考るに。上(ノ)本書に勇悍。此に勇健と見えたるが如く。勝れて雄健く。勇める御性に坐す事は。本より論なし。【彼大蛇を殺し玉ひしことなど思奉るべし。】偖しか雄健き神性坐からには。自然時に觸れては。御心の進びに。荒かりし御態も必ありしは。此また然あるべき事共なり。【彼勝佐備の御荒びは。即此意なり。】されど。故に奸みて。物を害(フ)心などの。ましゝにはあらず。さるを此に暴惡。【また陵v物。また好2殘害1など。】といへるは。いとも疑しきに就て按ふに。此に必彼後に高天原にて。勝佐備の御荒びに。種々の惡(キ)態《ワザ》し玉へるを。一時の御荒とは思奉らず。始よりさる御性に坐すと思へる方より。始へも廻らして。しか種々に記し傳たるものと見えたり。さるは。彼勝佐備の御荒(ビ)はいとも可畏く。無頼き御態には坐せど。此はた彼勇悍なる神性の進《スサビ》に。不慮ざる御事もありしにこそあれ。本來惡心ならば。誓約に勝驗を待給ふまでも非るをや。さるは此後高天原より。此國土に降坐ては。種々の御功績どもの。勝れて大なるなどを料り奉ても思ふべし。暴惡殘害などに坐御性ならば。かくまで比類なき御功績を立給はましや。又始には暴惡き御心なりしかども。解除の徳によりて。善神に成給ふなど思ふも非事也。祓除は一時の御心御態を。直(シ)善きにかへすわざにこそあれ。元來の性質を。改矯すなどいふべきにはあらず。【さるを。吾心清々之とある處の注に。心法を以て沙汰せるなどは。總て漢ざまの論ひなり。】此等を考わたして。此神の始より惡からぬ神性なる事を。喩るべきなり。○状とは。口訣(322)に來詣之状者。山海鳴漂也。と有如くなり。○至聞。記には山川悉動。國土皆震。爾天照大御神聞驚而と有て。御直に聞食し驚かせ玉へる趣なるを。此は然らず。素戔嗚尊の神性雄健く御在し坐が爲に。殊更に荒びなど爲給はむの。御心は坐ざれども。其物騷がしきに恐れて其來詣る状を。奏聞《マヲ》せる神の言を。此にて先聞食して。驚かせ玉へるなり。寶鏡開始章一書に。扇v天扇v國(ヲ)上2詣于天1。時天鈿女見v之。而告2言於日神1。とあるを合せ曉るべし。○勃然。又云。本にサカリニと訓り。靈異記に勃然二合忽也。と有に依て。多知麻知爾と訓べくおぼゆ。但(シ)勃然は。文選注に怒也。と有るに泥みて。纂疏などにも怒多也。と注させ玉へれども然らず。此時は御疑の御心こそはおはし坐けれ。未(ダ)御怒を發し玉ふ所に非れば。強く驚かせ玉ふを云なり。總て物の甚しきを盛と云。然れば此も。上章第六一書に。大驚之曰。とあるに。意は然耳異らざりける者なるをやと云り。○善意。一書に天照大神疑3弟有2惡心1。また汝不v有2姦賊之心1者云々。とあるに據るに。此の善《ヨキ》意は。善惡の善の意なり。【此をウルハシキ心と訓。友善の義と見るなどは。前後の文意をもおもはぬ説なり。】○歟は。疑の御辭なり。明應本に此をアルラムカと訓るよろし。
 
 
夫(レ)父母既(ニ)任《コトヨセタマヒテ》2諸(ノ)子《ミコタチニ》1。各(/\)有《タモタシム》2其(ノ)境(ヒヲ)1。如何(ニゾ)棄(テ)2置(テ)當《ベキ》v就《ユク》之國(ヲ)1。而敢(ヘテ)窺2※[穴冠/諭の旁]《ウカガフ》此(ノ)處(ヲ)1乎《ヤトノタマヒテ》。乃(チ)結《アゲテ》v髪《ミカミヲ》爲(シ)v髻《ミヅラニ》。縛《ヒキマツヒテ》v裳《ミモヲ》爲《ナシ》v袴《ハカマニ》。
 
 
(323)其境とは。大神月讀尊は高天原。素戔嗚尊は天下を治らせと。事依され玉ひて。其所知看す界限を。佐加比とは云なり。【但し佐加比は。坂合《サカアヒ》と云事にて。國土にて。地界を定むる古法成べきを。然る事を以て。大神の宣ふべきに非ずなど云べけれど。此は後の詞を以て記すに難なし。然れば各有2其國1と云意に輕く見て有ぬべし。】○當就之國は。即顯國にて。天下を治らせと詔ひし其なり。【根國なりと説は叶はず。根國に就りますことは。此時素戔嗚尊の。始て大神に申さむとて。高天原に昇り玉ひしなれば。大神はさること。未知しめさぬ程なるを。いかでかさは詔ふべき。】○敢は。口訣に敢は強也。と註せり。續紀の詔。また歌詞共にもあり。強《アナガチ》なる意堪る意なり。名義抄に。アヘテ。エ。マカス。スヽム。ヲカス。カシコマル。とも訓り。此にて其義を明らむべし。○窺※[穴冠/諭の旁]は。窃に其|間隙《ヒマ》を窺ひねらふを云。萬葉には宇加※[泥/土]良比《ウカネラヒ》ともあり。此處とは。高天原を詔ふなり。○結髪。記に解2御髪1とあり。第一一書に。設2丈夫《マスラヲノ》武(キ)備(ヲ)1とあるが如く。大御身の萬事を丈夫の装に成させ玉へる躰なり。さて上代婦人の髪のさまは。縣居翁平田翁。また重胤が説どもあるを。今採總て大意を云むには。先甚幼少なる時。髪の毛垂て額《ヒタヒ》に至る頃をめざしと云【古今集にみゆ。名義抄に※[髪の友が召]又※[髪の友が毛]をメザシと訓り。】次に其より立延て。頸《ウナジ》に至る程をうなゐと云。【萬葉集に見ゆ。和名抄に。※[髪の友が召]髪和名宇奈爲。俗用2垂髪二字1。謂2之童子垂髪1也と有。】又其を便に隨ひては。擧束ねて總角《アゲマキ》にも爲したり。【萬葉十六にみゆ。和名抄。總角和名阿介萬岐。結髪也。とあり。然れば女も幼稚き程は結もしたりしなり。】かくて其うなゐの頃は。髪を二に振別て垂たりけらし。【萬葉伊勢物語にみゆ。】漸長く延行くに隨て。此をはなりとも小放《ヲハナリ》ともいふ。【萬葉にみゆ。同書に若冠女曰2放髪丱1矣とあり。小放は頸を小放れて延るを云。】さて其より大人になるに及びて。始て其髪を結《アグ》るを髪多久《カミタク》とも云。また髪あぐとも云。但其結るに二有り。※[髪の友が召]髪《ウナヰ》の程に髪を結るは。頭上に結て總角の如く爲る事なるが。放髪《ハナリ》の時は。已に擧て大人の如く。束ねて後に垂るなり。【基差別の辯なくては有べからず。】偖今思ふに。めざしは四五(324)歳より。七八歳の間なるべく。うなゐは八九歳より。十二三歳の間成べく。放髪は十三四歳より。二十歳位迄の其間なるべし。【萬葉の歌。また右の弱冠女云々の注などに據て考へ云るなり。】されば上代の女の髪は。本を束ねて未を後を垂たるなり。【狹衣に御髪は行方も知ず。つや/\と委《タヽナハ》りと見え。今もすべらかしと云有状にぞ有るらし。】と云り。此事をまづ心得おくべし。さて記傳云。解御髪とあるを。書紀に結髪とあり。解と結ると大違るに似たり。故猶考るに。まづ凡て女は。年長て髪あぐるは。上代よりの樣なるに。天武天皇三年詔に。自今以後男女悉結v髪。とあるを思ふに。上代に結と云しは本を一(ツ)に集め擧て結て。其末は後へ垂たりけむを。彼詔に結とあるは。頭上に結綰て。髻と成を云なるべし。【髻とは一に綰ねたるを云なり。かの男の二つに分けたる美豆良とは異なり。】さて同十三年には。女年四十以上。髪之結不v結任v意とありて。又十五年詔に。婦女垂2髪于背1猶如v故。とあるは。又彼上代よりの風の如くせよとなり。故に此十五年の詔以後の萬葉の歌にも。髪あぐる事を多よめるは。彼本を結ことにて。末は垂るなれば。彼詔に違ふことなし。【武郷云。此後慶雲二年十二月に又詔ありて。天武天皇十一年の御定に復し玉ひし事。續紀に見えたれど。此も遂に行はれざりし事は。中古の物語文などにて灼然し。】さて解とあるは。かの本を結たる處を解なり。【神功皇后の解髪とあるも是なり。】結とあるは。末の垂たるを擧てなり。かゝれば言は異れども。實は同事にて違へるにはあらず。と云れたるにて明けし。○爲v髻。又云。髻は上代に男の御装にて。髪を左右へわけて。結綰ねたる者也【中略】崇峻紀に。古俗年少兒年十五六間(マデ)束2髪於額1。十七八間(ヨリ)分爲2角子1。今亦然之。とある此角子。即美豆良なり。【十七八間とあるはやゝ後の事なるべし。いと上代はすべて男は然せしこと。右に云るが如し。○重胤云。景行紀。二十七年遣日本武尊云々。時年十六。とあるを。記に當2此之時1其御髪結v額とあるは。此に御年を云ざるが故に。御髪の結樣を以。御年を知らせたる者にして。右に十五六間束髪於額と云るに合るなり。然れども十五六間とあるは。幼稚き時より其間に至る迄と云事。又十七八間とあるも。壯年より老長に至る間と(325)云事にて。古俗年少兒は束2髪於額1と云までに。係れる耳なるを曉るべし。允恭紀に。天皇自2岐※[山/疑]1至2於總角1云々。及v壯。と見えたる岐※[山/疑]は※[髪の友が召]髪にて。童形の御時を申し。總角は右の束髪於額の御時を申し。壯は男盛と訓て。廿歳以後の御事を申せるなり。髪にて年齢を定むる古法を知るに足れりと云べしと云れたるは委し。】萬葉に角髪とあり。左右にあるが。角の如くなる故にかゝる稱は有なり。後世に髪頬《ビンヅラ》と云はこの美豆良を訛れる言也と云り。さて名義。或説に組蔓《クミツラ》なりと云り。釋述義に。美豆羅用v組束v髪也と見ゆ。されど。古(ヘ)組など用ゐし物とも通えず。なほあるべし。【重胤の説もあり。崇峻紀に引て云べし。】さて今髻に爲姶ふは。假に男《マスラヲノ》貌と爲玉ふなり。○縛裳爲袴。本にミモと訓るは御裳也。萬葉廿にも美母とあり。重胤云。裳。和名抄に上曰v裙下曰v裳和名毛と有。太神宮式御装束の中に。帛裳四腰。【長五尺著2縹色裏1。】云云と見え。度會宮の御は。緋裳一腰云々。【各長五尺。齋長五丈。腰長一丈三尺。】呉錦裳一腰云々。【各高三尺五寸。齋長二丈五尺。腰長七尺。】などあり。猶諸別宮の御には。錦裳云々などあり。右等は古に天皇朝廷にて。貴人の用させ玉へる御装束の如く調へて。進らせ玉へるなり。右の如くに長は五尺詐なれども。腰長は一丈三尺も有れば。二重にも腰を廻るべく製れりけらし。猶麻にて製れるを麻裳と云ひ。稱ては玉裳とも云り。縛は引纏はし給ふ義なり。御裳の裾は一口なりければ。引絞りて二口に成し玉ひ。御袴に取成して御させ玉ふなり。此縛字景行紀にユハヘテ。神功紀にユハヒツナと訓て。俗にも物を結《ユ》はへると云に同じ。爲袴は御裳を引絞りて。直に御袴に取成させ玉へるなりと云り。さてかく髪を結て髻と爲給ふより。發稜威之憤讓といふまで。種々の御態ども。みな假に丈夫の御装束を爲して。雄々しき相《サマ》をあらはし給へる事。神功紀なる皇后の新羅國を伐玉へる時の御事どもと御心ばへは同じ。引合すべし。【但し玉を纏は。此は尊く嚴なる御貌を。示し給はむ料なるべしと。先達の説の如し。】
 
 
(326)便以(テ)2八坂瓊之五百箇御統《ヤサカニノイホツミスマルヲ》1。【御銃。此云2美須磨屡1。】纏《マツヒ》2其髻《ミヽヅラ》鬘《ミカツラ》及(ビ)腕《ミタフサニ》1。又|背《ソビラニ》負《オヒ》3千箭之靫《チノリノユキト》【千箭。此云2知能梨1。】與《トヲ》2五百箭之靱《イホノリノユキ》1。臂《タヾムキニ》著《ハキ》2稜威之高鞆《イツノタカトモヲ》1。【稜威。此云2伊都1。】
 
 
八坂瓊之五百箇御統。八坂は借字にて八尺《ヤサカ》の意なり。【記には即八尺とあり。】さて其|尺《サカ》は一丈《ヒトツエ》を十に割《サキ》て。幾尺《イクサカ》と云尺也。此を佐加と云は割《サ》く義なり。【上古は度量ともに。幾佐加と數へたりとおぼし。量に佐加を用ゐしは。斛字を古くサカと訓めり。後には坂字をも當たり。】邂逅に。字音と訓を同じく爲るなり。【既く纂疏にも坂(ハ)尺也倭訓同とあり】偖此八は大數を云る八にて。高橋氏文に八尺(ノ)白蛤。常陸風土記に。鰒魚大如2八尺(ノ)1とある。八尺に同じ。通證に謂2貫《ツラヌク》v玉之糸|長《ナガサ》八尺《ヤサカナルヲ》1。とあるが如く。五百箇と多き數々の玉を貫き並たる緒の。凡ての長(セ)なり。【五百箇の箇は一(ツ)二(ツ)の都也。】さて重胤云。玉を瓊と云るは。釋紀私記に。古者謂v玉。或爲v努《ヌ》。或爲v貳《ニ》とあり。されども玉(ノ)名と定め居《スヱ》て云時は。八尺瓊。又記の美須麻流邇《ミスマルニ》などの如く。貳と云べく。他事に係れるには轉じて努と云て。體用を分ち。輕重を定むる格と通えたり。斯れば瓊は貳と云なん其本語には有けると云り。さて古事記には。八尺(ノ)勾※[王+總の旁]之五百津之美須麻流之珠《マガタマノイホツノミスマルノタマ》とあり。勾※[王+總の旁]は曲れるを名に負る也。其は仲哀天皇八年の處に。筑紫伊都縣主祖五十迹手云々因以奏言。臣敢所3以献2是物1者。天皇如2八尺瓊之|勾《マガレル》1以|曲妙《タヘニ》御宇《アメノシタシロシメセ》。云々とあり。御統は釋紀問。御統何物故哉。答。是|聯2綴《ツラネツヾリテ》美玉(ヲ)1而爲也。其玉穿v穴(ヲ)綴(リ)集(メテ)所v成也。以之|嬰2繋《マトヒカケ》其頸(ニ)1。以爲2美餝(ト)1。可故古事記曰。美須萬流之珠也。古歌曰。阿奈太萬波也美。是則穴玉耳。言d其玉有2穿穴1連集u也云々。統者總(ル)也。言聯2綴五百箇之玉1。以總(ヘ)2纏(ル)其(327)頸(ニ)1之義也。神代之風以v玉爲2身(ノ)餝(ト)1。延喜太神宮式。御装束内。頸玉手玉足玉等有v之。蓋神世之因縁也。とあり。なほ記傳に須麻流は須夫流《スブル》と語通へり。萬葉十に。水良玉五百都集乎《シラタマノイホツツドヒヲ》解毛不見。【十八にも有。】集と云るも即統の意なりとあり。なほ曲玉の事は。第二一書瑞八坂瓊之曲玉の下に云。○髻。記には。左右(ノ)御美豆羅云々とあり。第三一書にも左(ノ)髻右(ノ)髻と並べ云り。此には然る委しき事は見えざれども。此下に乞2取天照大神髻鬘及腕所v纏八坂瓊之五百箇御統(ヲ)1と有れば。此も同じ状なる事申すも更なれば。此は美々豆良と訓べきなり。【然れば秘訓の讀の如く。ミイナダキとは讀べからず。又述義に。和名抄に。髻和名宅止々利と有を引て然訓れども。文の上下に相應ひても聞えざれば。禅は訓み難し。字彙に髻綰v髪也と有て。髪の本を綰ね束ぬる。其をモトヾリと云て。本より此字の訓にては有なり。】と云り。○髻鬘二字。本にミイナダキと訓れど。なほこゝは前文に據て二項に訓べし。鬘の事。既に出。【上章第六一書黒鬘の下に】○椀は。手節なり。俗にうでくびといふあたりを云。されど此は唯手なり。折つれば手ぶさにけかるなど云に同じ。記に左右(ノ)御手とあり。○纏。本にマツヒと訓れど。私記に萬加須と訓めるよろし。記に纏持とあり。持はたゞ佩玉ふを云なり。記傳云。古は男女共に玉を緒に連貫て頭にも手足にも衣にも凡て飾りしこと云も更なりとあり。○背負云々。記云。曾毘良邇《ソビラニ》者。負2千入《チノリ》之靫1。【訓v入云2能理1】比良《ヒラ》邇者。附2五百|入《ノリ》之靫1。とあり○曾毘良は脊腹《セハラ》なり。比良は傍腹《ヒバラ》なり。今もヒバラと云。たゞの腹にはあらず。此は御|脊《セ》にも。傍腹にも。靫を佩坐る由なり。千箭は。和名抄。箆(ハ)箭竹(ノ)名也。和名乃。大神宮式。神賽料※[竹冠/昆]二千二百五十株とみゆ。かゝれば千※[竹冠/昆]入《チノリ》の意なりと記傳に云り。【重胤云。能は元來竹名には有れども。箭に作たるをも然云は。夜と云は。其|鏃《ヤサキ》を主としたる名にて。其束ねなと又盛りなと爲るには。猶竹名を以。能とも云る也けり。】靫は【本に靱に作る。古書には多く。其字を用ゐたり。倭名抄(328)釋名云。歩人所v帶曰v靫。和名由岐。と見え。字書に盛箭室とあり。【推古紀。靱此云2由岐1】記に。天石靫。孝徳紀に金靫見えたり。大神宮式神寶中に。姫靫二十四枚。箭四百八十隻。蒲靫二十枚。箭一千隻。革靫二十四枚。箭七百六十八隻とありて。其製詳に見えたり。【字鏡には。靱也奈久比とあり。和名抄には。別に箙を夜奈久比と注り。】さて靫を作るを編《アム》と云しにた。貞觀儀式【延喜式同】に。靫者靫編氏造v之と見え。姓氏録に靫編(ノ)首と云姓もあり。名義|矢笥《ヤケ》か。千箭五百箭は凡の數を云る迄にて。必しも千五百にかゝはるべからず。負とは主と負なり。【記に附と云るは。側に添附る意也。】さて靫を負と云事。萬葉歌に敷多見え。和名抄に。近衛府兵衛府衛門府を。由介比乃豆加佐とあるは。靫負と書て。由伎於比を約めたる稱なり。【以止記傳採要。但し靫は弓笥なり。弓に屬するものなれば。弓某と云なり。弓懸《ユガケ》弓小手《ユコテ》などの類なり】さて平田翁云。保元物語【新院左府御没落條】に。抑爲朝此軍に。二十四差たる失二腰。十八差たる矢三腰。十六差たる矢三腰負けるが。義朝が兜の星を射削りたると。大庭が膝節射切たると。二筋の矢ならでは。あだ矢は無りける。【參考保元物語に引く。杉原本にかく見えたり。】とある。爲朝が矢庭の行《フルマ》ひなど。畏くも思合せて。男建し給ふ御勢氣の貌を。思奉るべきなりと。云れたるはさる言なり。○臂着云々。臂は手々向なるべし。【松下見林説に。臂骨盡處爲v腕《タヾムキ》。今俗云2宇手久負1とある如く。掌際の所は掌を合すれば。共に此も向ふなりと云り。】其は股を向股とも云が如し。稜威は。【漢書注に神靈之威曰v稜。】續紀の宣命に一速比とある伊知と同じく。勢のするどく烈しき意なり。高鞆は【記傳に鳴音の高きを云と云れつれど】守部云。健鞆なり。其所以は。稜威と云語は事にのみ云て。物にいへる例なしと云り。さも有べし。【稜威之雄詰。稜威之嘖讓。稜威之道別。】鞆は。大神宮式神寶中に。鞆二十四枚。【以2鹿皮1縫v之。胡粉塗。以v墨畫v之。納2檜麻笥二合1。徑一尺六寸五分。深一尺四寸五分。着2緒一處1。用2紫革1。長各一尺七寸廣二分。また兵庫寮式にも載たり。】とありて。大方のさまは(329)知られたり。大神宮儀式帳に。五十鈴の宮地のことを。弓矢鞆(ノ)音不聞《オトキコエヌ》國と見え。萬葉一に。丈夫之《マスラヲノ》。鞆乃音爲奈利《トモノオトスナリ》などよめり。さて記傳に。師云。鞆は射る左臂に着る物にして。形は吉部秘訓抄にも見え。着たる樣は古畫にみゆと云り。【猶此物の事。谷川氏書記注にも委云り。】さて此は何の料に着る物ぞと云に。古歌などにも。鞆にみな音を云るを思へば。此物に弓絃の觸て鳴る音を。高からしめむ爲なり。音を以|威《オド》すこと。かの鳴鏑なども同じ。と云れたれど。然のみならず。旨と弦の勢力《イキホヒ》を助け。矢の飛ぶ事速く。遠きに及《イタ》ら令る料なる具なるが上に。また和名抄に。※[旱+皮]在v臂避v絃具也。和名止毛。楊氏漢語抄。日本紀等用2鞆字1。俗亦用v之。本文未v詳。【記傳云。※[旱+皮]字を止毛と爲るはあたらず。】とあるに依ば。絃を避る料にも爲しものなり。【記傳に此説を非也と云れつれど。却りて非なり。古の弓射る状かけるものを見るに。今世とはかはりて。弓絃を避る具。必ありしと思はるゝ也。事永ければいはず。】信友が射實私論に。古の木弓にては。弓の力。底にぶく強く。表《ウハ》絃緩くしく。射放つ矢の勢鋭からず。遠に及がたきを。友を着くればこよなく。勢の強くなれるよしなど委く云れたり。【字書※[旱+皮]捍也。射用韜2左臂1。以利v弦者也。とあるに依れば。此字全く當らざるに非ざるが如し。】なほ本書に云るを見よ。さて又記傳十八に。其工人を鞆張と云り。備後國世羅郡に。然(ル)郷名も見えたり。と云るに就て。重胤云。式近江國高島都鞆結神社。和名抄郷名に。鞆結【土毛由比】とある是也。然らば鞆張は。革を製る工人を云ひ。鞆結は組を以て縫ふ伎者《テヒト》を云るにこそと云り。著を記に取佩とあり。共は波久と訓べきなり。其は第一一書。著2稜威高鞆1。又天孫降臨章第四一書なるも。皆波久と訓み。應神紀。皇太后爲2雄装1負v鞆とある。負字をもしかよめり。【記傳に。トリオバシテと訓れたれど。宜からず。佩字記に所御佩十拳劔。大祓詞に。劔佩伴男なども。皆ハクの例也。】重胤云。鞆は丸く縫て。(330)臂を指入る物なれば。沓を履く。草鞋を著くの波久是なり。【太刀を佩と云も。同じかるべし。太刀は帶に指す物にて有れば。然は云れぬが如しと雖。帶に在れ。何處に在れ。其指すべき所に。履く意にて。其も亦同じからむとぞ所思ゆる。然れば波久と云は。穴の如き所に物を指入る名也。】と云り。
 
 
振2起《フリタテ》弓繍《ユハズ》1。急2握《トリシバリ》劔柄《ツルギノタガヒ》1。蹈《フミテ》2堅庭《カタニハヲ》1而|陷《フミオトシ》v股《ムカモヽニ》。若《ゴトク》2沫雪《アハユキノ》1以|蹴散《クヱハラヽカシ》。【蹴散。此云2倶穢簸邏々箇須1。】奮《フルハシ》2稜威之雄詰《イツノヲタケビヲ》1。【雄詰。此云2烏多稽眉1。】發《オコシテ》2稜威之嘖讓《イツノコロビヲ》1。【嘖讓。此云2擧盧※[田+比]1。】而|徑詰問焉《タヾニナジリトヒタマヒキ》。
 
 
振起弓繍。和名抄に繍。和名由美波數とあり。【神武紀に。皇弓弭ともあり。重胤云。古節用集に。繍。宇良破受。と訓るは末弭なるべく。弭。母登波受と有は。本弭の義なるべし。】名義|弓端《ユハズ》なるべし。記には弓腹《ユバラ》とある。【萬葉十三にも。梓弓々腹振起云々。】弓張の義にて。弦を張初る處を云。萬葉三に。丈夫之|弓上《ユバラ》振起云々。弓上と書る其意なり。繍弭も弓(ノ)梢末也とありて。其梢末はうらの處なれば。弓上と書ると意は一なり。【されば。こゝの弓繍を。ユバラと訓ても違はず。】振起は。記に振立とあり。萬葉十九に梓弓|須惠布理於行之《スヱフリオコシ》。○急握云々。劔柄。上の一書に劔頭とある同事なり。此は釋紀に。劔柄訓2多加比1其義如何。案2風土記1。日向國宮埼郡高日村。昔者自v天降神。以2御釼(ノ)柄1置2於此地1。因臼2釼柄村1。後人改曰2高日村1也云々。神世之昔。以2釼之柄1稱2多加比(ト)1。以v之可v知也。とあるによるべし。【萬葉にも。燒太刀乃|手穎押禰利《タカヒオシネリ》とあり。】さて急字を添たるは。緊と同く【字書に。急迫也。】堅く握むよしなり。○蹈堅庭云々。堅庭は。纂疏に厚地とあり。記傳云。たゞ堅き地を云ふ。【其場と云ときに。場を婆と訓むも。爾波の轉れる言なり。大庭を意富婆と云り。されば今こゝの庭も。俗言に其場所と云に同じきなり。】とあり。股は記に向股とあ(331)り。紀傳云。和名抄股毛々。私記に向股猶2兩股1也。兩股是正(ク)相向(フ)。故云2向股(ト)1耳とあり。式祝詞に。手肱爾水沫畫垂向股爾泥畫寄※[氏/一]《タナヒヂニミナワカキタリムカモヽニヒヂカキヨセテ》とみゆ。字鏡に。※[足+專]脛腹也。古牟良。又牟加波支。【拾遺集物名にも。行縢を隱して。向脛とよめり。僻案抄にむかばきは。凡人のむかひずねと云事を詠るにや。】とあり。さて堅庭は。庭地の堅き處は。蹈めども凹まぬものなるを。此は猛き御勢を示させ玉ふとして。此云々の事に。及ばせ玉ふなり。御足を堅地に踏入て。二股まで踏陷坐るは。甚も御力剛く。健く坐さまなり。【例に引はいとも畏けれど。扶桑略記に。元興寺道場法師のことを。童子年十有餘。甚有2膂力1。能擧2方八尺石1投v之數丈。及v投2其石1。作2力足1。迹入v地三四寸許。童子師2事元興寺僧1と云事あり。】蹈を。記に蹈那豆美とあるも。蹈没《フミイリ》坐るを云こと此に同じ。○若沫雪云々。重胤云。此は萬葉に。水沫なす微《モロキ》命もとある如く。堅庭を蹈貫き玉ひて。御向股を陷入て。蹴散かし給へば。堅き岩石などの。摧散る事の脆《モロ》かりし事を沫雪に譬へたるものなり。若て沫と云義は。和名抄に沫雪。日本紀云。沫雪【阿和由岐】其弱如2水沫1とあり。此は私記に。沫雪是雪之脆弱者也。其弱如2水沫1。故云2沫雪1。と有を云る者なるが。此にて明らけし。然れば雪を白雪と云は。色を以云ひ。眞《ミ》雪と云は。沫雪の反を云に近くして。容易く難解き状なるを。沫雪としも云は。若やるの發語とも。爲せる程の事なれば。實に脆く速《ハカ》無き由にて。上に堅庭と云に對へて。沫雪と云て。片方は極めて剛く。片方は極めて微き事を。相戰はせたる文になむ有ける。斯る例古語に多在りと云り。さて記傳云。祁を久惠と云る例は。垂仁紀人名に。當麻|蹶速《クヱハヤ》と云あり。【重胤云。蹴散は名義妙に。クヱルと訓るを以。合考るに。クヱ。クウ。と。和行には活らかずして。クヱリ。クヱル。クヱレ。ケリ。ケル。ケレ。と。良行の四段活と云に轉じて。用く言なりけり。然るに。皇極三年紀に。打※[毬の求が鞠の旁]をクユマリと訓み。又傍にクヱリとも訓たる。何れも片假名なれば。ヱとユと似たるより。混ひたらむとおぼしきを。和名抄に。蹴鞠以v足逆蹈也。世間云末利古由と見え。其より以前に。出來れる名義抄にも。蹴(332)にフム。又ケルとあるは。本よりにて。タユともコユともあるは。其頃已に久惠を夜行に活らかする事も有しなり。然れども其は雅言ならざる故に。和名抄にも世間云とは云るにて。當時の俗語なれば。右の打※[毬の求が掬の旁]も。正しくはマリクヱとなん讀べかりける。記傳七卷にも。此事に心着れて。其辯有れども言足らざれば。今右の如く説を成せる也と云り。】散は字の意なり。新撰字鏡に。毳波良介志。又知留。漢籍尚書【禹貢】に。厥土|壤《ハラヽケリ》。萬葉二十に。あまをふね浪良々にうきて。これら物は別なれど。言意は皆同じ。【凡て浪良々々。本呂々々。など云言も。みな同言なるべし。○武郷云。萬葉十六に。天雲を富呂にふみあだし嶋神も。とある富呂も汝良に通ひて同じ。】と云り。○雄詰は。身を憤發して。雄々しく健び給ふ状なり。詰を本に誥に作るは誤なり。今一板本に依て改む。記云。伊都之男建蹈建而。○嘖讓。纂疏に嘖大呼聲。又爭言貌。謂責2讓其罪状(ヲ)1とあり。是にて上來り給ふ御心を責問給ふなり。發と有を以見るに。大音を擧て阿り嘖《サイナ》ませ給ふ由と聞ゆ。萬葉十四に禰奈敝古由惠爾《ネナヘコユヱニ》。波伴爾許呂波要《ハヽニコロバエ》。また奈我波伴爾己良例《ナガハヽニコラレ》安波由久。【許呂波要は所2嘖讓1なり。己良例も同じ東言なるべし。或説に。懲と云も意同じと云へり。】○徑は。重胤云。御直の御言を係させ玉へるを。申せるなり。記に。伊都之男建。蹈建而待問。何故上來。と有が如く。蹈建を爲玉ひ乍《ナガラ》。其神の參來坐すを待着て。直に御糺しを物爲させ給ふが故に。徑とは云る者なり。○詰問。詰を誥に作る本は誤なり。參疏本永和本明應本共に據て改む。詰は字鏡に信鞠。止比奈世留とよめり。何《ナニ》と咎むる詞なるべし。靈異記に諸見を。【諸は詰の誤なるべし。】トヒナジルとよめり。【なほ名義抄に。詰をナジル。又イサム。又セム。又トガ。又カコツ。又トフ。又ツグ。なども訓るにて。責る意。咎むる意ある言なり。】
 
 
素戔嗚尊對(ヘテ)曰(ク)。吾|元《ハジメヨリ》無2黒《キタナキ》心1。但(シ)父母(ノミコトノ)已(ニ)有《マス》2嚴勅《イツクシキミコトノリ》1。將《ス》3永《ヒタブルニ》就《マカリナムト》2乎根(ノ)國(ニ)1。(333)如|不《ズハ》2與v姉《ナネノミコト》相(ヒ)見《マミエ》1。吾|何《イカニシテ》能(ク)敢(テ)去《マカラム》。是以|跋2渉《フミワタリ》雲霧(ヲ)1。遠(ク)自《ヨリ》來参《キツ》。不《ズ》v意《オモハ》阿姉《ナネノミコト》翻《カヘリテ》起嚴顔《イカリタマハムトイフコトヲ》。于時天照大神復問(テ)曰《ノタマハク》。若(シ)然(ラバ)者將(ニ)3何(ヲ)以(テ)明《アカサムト》2爾《イマシガ》之|赤心《キヨキコヽロヲ》1。對(テ)曰(ク)。請(フ)與《ト》v姉《ナネノミコト》共(ニ)誓《ウケハム》。夫(レ)誓約之中《ウケヒノミナカニ》。【誓約之中。此云2宇氣臂能美難箇1。】必(ズ)當《・ベシ》(サニ)v生(ム)v子(ヲ)。如吾(ガ)所生《ウメラム》。是(レ)女者《タワヤメナラバ》。則(チ)可3以爲《オボセ》有(ト)2濁《キタナキ》心(ロ)1。若是(レ)男者《マスラヲナラバ》。則(ト)可3以爲《オボセ》有(ト)2清《キヨキ》心(ロ)1。
 
 
父母已有嚴勅。嚴イツクシキと訓り。重胤云。嚴重なる義なり。濁りて滑淨なる事に云伊豆とは異なり。此伊都は。稜威に同じ義也。物を愛傅つく状なるを。伊都久志牟と云るも異なり。然れば嚴勅は。畏(キ)命と云に同じかるべし。古語拾遺にも。皇天之嚴命とありて。其訓も同じ。萬葉五に。皇神のいつくしき國とあるも。神の御守の嚴重なる由也。靈異記に。儼然をよみ。中古の物語書などに。いつくし。又いつかしと有など。何れも嚴重の義に注せり。【説文に。嚴教命(ノ)急也と云り。其義を所用たり。】と云り。さて記には。唯大御神之命以云々。神夜良比夜良比賜故云々。参上耳とあり。御父大神一柱の勅とせり。此にも應永本參疏本には母字旡し。されど此紀は始より父母二神と爲たる傳なれば。旡きは中々に。さかしらに削たるなるべし。○跋渉雲霧。平田翁云。此に就て。神等の天上と此國と。往來し給へる趣を熟考ふるに。天上より國土に降給ふには。天浮橋に乘りて降坐も。國土より天上に昇給ふには。雲に乘り給へる事と所思たり。其は伊邪那岐伊邪那美命御天降の時。邇々藝命御天降の時も。天浮橋に發せるは更にも云はず。(334)櫛玉饒速日命の天降の時も。天磐船に乘して。所々を巡見る事あり。斯て天上に昇給ふ時に。雲に乘せる事は。此なるは更にも言ず。經津主命の天上に昇給へるも。乘2白雲1而。【常陸風土記。】天忍雲根命の天津水を取に昇り給ふ時も。天之浮雲仁乘※[氏/一]。【中臣壽詞。大同本紀】と有て。凡て神等の昇る處に。浮橋に乘てと云事一處も有事なしと云れたる。これには。深き旨あることなるべけれど。未だ思得ず。なほよく考べし。○請。許比禰賀波久婆と訓べし。希望。庶幾。尚。冀慕。覬覦。などの字をよみて。語の初に置て物を誂ふる義なり。○誓を。宇氣譬と云言の意は。未(ダ)詳ならねど。其義は事ある時に其祷る所の神に誓ひて。其|信驗《シルシ》を得む事を乞祷申して。言を立。其信驗に因て。吉凶を定め。是非を正し。眞僞を判ち。成否を試《タメ》し。勝負を占ひ。當否を徴しなどする。其事を宇氣譬とは云なり。故古書どもに見えたるを一ツ二ツ引ていはゞ。神代に木華開耶姫の無戸室にての誓は。其御子の火中に害はるゝと。害はれざるとを以。皇孫の疑|御《マセ》る當否を定め。大山祇神の二女を相竝べて。皇孫に奉出《タテマダ》しゝ御心の誓は。皇孫の使ひ給ふと。否るとを以。將來の御壽の長きと長からざるとの吉凶を定め。神武紀なる椎根津彦の祈《ウケヒ》は。天皇の仰玉へる事を誓と成して。基葉の成否を試《タメ》し。天皇の御祈はた【以2八十|平瓮《ヒラカ》1無v水造v飴《タカネ》云々。以2嚴瓮《イツヘ》1沈2于丹生之川(ニ)1。】此に同じ。此等の状は。御占によく似たりと雖。猶大に異なる處あり。又記垂仁段なる。曙立王の誓は。樹に棲る鷺を。或は死し又活し。熊白檮《クマカシ》を或は枯し。又令v生て。出雲神宮の神驗の有無を試し。景行紀なる。天皇|柏峽《カシハヲノ》大野にての御祈は。石を蹈上給ひて。賊を討給ふ事の成否を知り。神功紀なる。皇(335)后の鈎《ハリ》を投て祈玉へるも。財(ノ)國を求むと爲玉ふ成否を知り。麝坂《カゴサカ》忍熊《オシクマ》王の祈祷は。良獣を得と不v得とに依て。軍の勝敗を占ひしが。誓に負て滅びたりき。應神紀なる武内宿禰兄弟の探湯《クガタチ》も。誓とは云ねども。此亦神に誓て。眞僞を判つ處は猶宇氣譬なり。此等中に其|尤《ケヤ》けきものを※[手偏+庶]出たる也。さて右の誓の類。もとより信驗あらむ事を神に祈りて。其吉凶を定め。成否を試《タメ》すの本義なるより。轉りてはたゞに。神の信驗を得む事のみを祈る意ともなれるは。神武天皇天神の御訓を請給ひて。自|祈《ウケヒ》而寢坐る云々の御事。又龍田風神祭詞に。作(リト)々《ツクル》物乎|不《ズ》v成《ナサ》傷《ソコナフ》神等波。我御心曾止。悟(シ)奉禮止宇氣比賜支。とあるなどは。其御|悟《サトシ》あらん事を願ふのみにて。聊異なり。【此差別を思ふべし。】又わが心の信なるよしを神祇に質して。言を立る方にては。知迦比の意ある放。誓字を書り。【誓は約信也。また相。要以v言也。などあり。】されど。知迦比には其信驗を得る義なし。是其異なる處也。偖立かへりて。此の御誓の祇をとくべし。此は今生玉はむ御子の男女に因て。大神の御方にては。素戔嗚尊を疑ひ思ほしめす。御心の當否を試し給ひ。素戔嗚尊の御方にては。赤心か黒心かの眞僞を判ちて。大神に令v見奉らむと爲玉ふ。御宇氣譬の御態なりかし。かくて按ふに。宇氣譬と云は。神の命を祈請《コヒウク》るより。出たる言ならんか。其請る事を即て其事の名と爲て。ウケヒと云ひ。ウケフと活用したるは。卜を活用して。ウラフ。ウラヘと云が如くなるべし。【平田翁は。ウケヒの本は。人の疑念を然る事はなしと堅固く請て。我が心の信を證する事とし。重胤は請負《ウケオヒ》の義にて。我身に請負ひ。又他に請負はせる意なりと云り。信友は事ある時。しかしかと眞心に决めて。其を違へじと。堅むるを云言なり。と云る。共に叶ひがたき説等なるべし。】
 
(336)於是天照大神乃(チ)索2取《コヒトリ》素戔嗚(ノ)尊(ノ)十握(ノ)劔(ヲ)1。打(チ)折(リテ)爲(シ)2三段(ニ)1。濯《フリスヽギ》2於|天眞名井《アマノマナヰニ》1。※[齒+吉]然咀嚼《サガミニカミテ》【※[齒+吉]然咀嚼。此云2佐我彌爾加武1。】而|吹棄氣噴之狹霧《フキウツルイブキノサギリニ》【吹棄氣噴之狹霧。此云2浮枳于都屡伊浮岐能佐擬理1。】所生《ウマルヽ》神號曰(フ)2田心姫《タゴリヒメト》1。
 
 
索取。紀には乞度とあり同じ事なり。【記傳に。度とは今は人にやるをのみ云へど。古は此方へ取をも云し也と云へれど。】重胤云。此は授ると受ると。一(ツ)に合せたる言にて。乞は天照大神のなり。度は素戔嗚尊のなり。斯れば此の如く受取給ふ一向に就て。索取と云とは同じからざるべしと。云るは然るべし。【索字名義抄に。モトム。又コフ。又トルなど訓り。】○爲三段。三段に折玉へる故に。三柱神生坐るなり。○天眞名井。記傳云。一書に天渟名井ともあるを合せて思ふに。眞渟名井を約めたる名にて。眞は美稱。渟は凡て水の湛へたる所を云。名は之なり。されば此はたゞ井を美て云る稱にて。一(ツ)井の名には非ず。故掘2天眞名井三處1ともあるぞかし。又此井は即安河瀬の中にて。井と云べき處を指て云るにて。別に尋常云井ありしには非ず。【紀に此井を云る傳には河を云ず。河を云る傳には。此井を云はざるも。此故にや。】始に中2置天安河1と云置て。【武郷云。此は記文也。第三一書にも隔2天安河1とあり。】今此に如此言は。別に非る事明けし。凡て古は泉にまれ。川にまれ。用る水に汲處を井と云りとあり。○濯は。記に振滌とあるに依て訓來れり。天安河の内にて。天眞名井と云つべき水の淀みにて。振滌させ玉へるなり。かくて浮寄。【第二一書】又濯浮。【第三一書】とあるは。水上に浮べて振動かし。取寄給へるにて。衣などを洗濯が如く。物爲させ御在し坐しなり。釼にまれ(337)玉にまれ。水上に浮ぶまじき物を浮べ玉ひ。又其二共に囓も碎けも爲まじき物なるを。咀嚼せ御在坐しなど。奇異なる御所爲共多在るは。尋常にて成らざることを。かく爲給ふが則。上に云る御宇氣譬の本義なり。○※[齒+吉]然咀嚼。眞囓に囓てなり。【佐の眞に通ふ例は。狹霧の眞霧なるが如し。】釋述義に。※[齒+吉]然齧v堅之聲也。咀嚼(ハ)嚼《カム》也と見え。名義抄に。※[齒+吉]齧v骨聲とも注せる如く。俗に加理々々と※[齒+吉]むを云也。第二一書に。瓊をも釼をも噛斷とある如く。噛碎かせさせ給へりし音の。高く響き聞えわたりけんさまを形容せるなり。さてかく釼を噛み【玉を囓も同じ】また互に物を易て物する事も。古の誓約の一のさまなるべし。さればこそ。素戔嗚尊の誓約之中當生v子とのみ詔ひて。云々して生むとは詔はざりけれ。○吹棄。棄るをウツルと訓は古言なり。記八千矛神御歌に。脱棄を奴伎宇弖とよみ給ひ。萬葉五に。宇既具都遠《ウケグツヲ》。奴伎都流其等久《ヌギツルゴトク》とあるも。【穿沓を如2脱棄1なり。】宇都流の宇を畧ける也。○氣噴之狹霧。伊浮岐は息吹《イブキ》なり。上の一書に。我所生之國。唯有2朝霧1。而薫滿哉。乃吹撥之氣云々。とある如く。釼を噛碎きて。吹撥ひ坐る息吹の霧す因て。三柱の神所生なり。さて記傳に。息を霧と云る例は。萬葉五。大野山紀利多知和多流。我嗟《ワガナゲ》く於伎蘇《オキソ》の風に霧立わたる。【於伎は息也】十五。君か行《ユク》。海べのやどに奇里多々婆。あが立嗟く伊伎と知ませ。雄略妃に。呼吸氣息《イブクイキ》似2於朝霧(ニ)1などもありと云り。○田心姫。一書に田霧姫命とあり。【紀と許と通】記に多紀理※[田+比]賣命。亦御名奥津島比賣命とあり。記傳の説もあれど。重胤説に。此は皇大神の奮2稜威之雄詰1。發2稜威之嘖讓1。とある如く。丈夫の武備を設させ御在坐し。大御心の進み極れる時に。誓給ひて成坐る神等に(338)御在坐せば。女神にこそは御在生けれ。御心の進りかに。雄健く御財坐る謂なるべし。大同本紀に。此三女神を合せて。須勢理姫命と有を思ふに。田心は健心《タケコリ》なるべしと云り。【記傳は次に云。】
 
 
次(ニ)湍津姫《タギツヒメ》。次(ニ)市杵島姫《イチキシマヒメ》。凡(テ)三女《ミハシラノヒメカミマス》矣。
 
湍津姫。記に多岐都比賣命と作り。記傳云。名義田心姫と合せて思ふに。多紀理も。多岐都も。河の早瀬の状を云言なれば。安河によれる御名にやとあり。されど重胤の説に因ていはゞ舊事紀に高津姫神とも有れば。多岐都とも。多迦都とも云事なるが。共に健都の義にて。其都も稜威の都。【知波夜夫流。又知和伎などの知。】に等しく。勢の烈しき意なり。多岐の岐は濁音なれど。記の清濁も強て拘り難ければ。なほ清音によむべ。高津姫の御名もあればなり。○市杵島姫。記云。次市寸島【上】比賣命。亦名謂2狹依毘賣命1。名義。市杵は嚴重《イツクシ》にて。是も大神の武備の嚴重なるに因れるなり。【上に嚴勅とある嚴に同じ。】島は。宗像の島に御在坐す姫神と申す義なり。【さて記の狹依比賣命と申す御名は。亦名とあれば。此時の御名にはあらで。後に稱へしにもあるべし。記傳に狹依は眞宜なりと説れたるも。前後の二柱の例に似ざるを思べし。されど記傳の説に依て。二神の御名を河の早瀬のさまに見ば。此御名も瀬寄《セヨリ》にて。第二一書に。浮寄2於天眞名井1と云事あれば。此時の御名ともすべし。萬葉にも。妹が當の瀬にこそ寄らめ。と云歌あり。】重胤云。記に市寸島とある下に。上字を書るは。島字を上聲に訓べき事を注されたるなり。其に所以あるべし。其は島字平聲に呼時は。神名式に。安藝國佐伯郡伊都伎島神社。【名神大】とある。其と同じ神なれども。其社と混ふが故に。唱(ヘ)分てるなりけり。安藝の伊都伎島神社は。後に三女神を宗像より勸請《マセマツ》れる社なり。【但(シ)市杵島姫命を主として。祀祭る事は。其社號を以知べし。】と(339)云れたるは。然る言なり。さて右の三女神の傳。田心姫。湍津姫。市杵島姫とある。田心姫は。記の多紀利毘賣命。市杵島姫は。狹依毘賣なれば。此と同じ傳なれども。湍津姫と市杵島姫と序次違へり。【記の序次は。多紀理※[田+比]賣命。市杵島比賣命。多岐都比賣命とあればなり。】又第一一書には。瀛都島姫。湍都姫。田心姫と有れど。瀛津島姫と申は。田心姫の胸形の瀛津島に。祭られ給ふ故に申す御名なるを。瀛都島田心姫二神として。狹依毘賣を脱せり。又第二一書には。市杵島姫命。是居2于|遠瀛《オキツミヤニ》1者也。田心姫命。是居2中瀛《ナカツミヤニ》1者也。湍津姫命。是居2于|海濱《ヘツミヤ》1者也とある。此は市杵島姫命田心姫命と。居所違へり。又第三一書には。瀛津島姫と云は。田霧姫命なるを。二神し」て。田霧姫命を最後に生坐るとせるは誤なり。又市杵島姫命と云は。狹依毘賣の亦名なるを。瀛津島姫命の亦名と爲るなど。皆違へり。さては記の序次とは。何れ正しからむ。今定めがたきが如くなれど。此本書の序次と。神祇本紀の傳と。地神本紀の首の傳と。【瀛津島姫命亦名田心姫。亦曰田霧姫。次湍津島姫命。次市杵島姫命とあり。】貝原氏の和爾雅に云所。【宗像郡所祭之神三坐。瀛津島姫命。又名田心姫。鎭2坐于瀛島1。此島距v陸五十餘里。而突2出乎海中1、田心姫命鎭2坐于此所1者。爲v防2異賊1故也。見2社記1。第二湍津島姫命。鎮2坐于大島1。第三市杵島姫命鎭2坐于田島1。】と相合へれば。多きに就て奥津宮は田心姫命。中津宮は湍津姫命。邊津宮は市杵島姫命と姑定むべし。【されど。舊事紀にも同卷の中に。また異傳をも出せれば。たしかにしか定められたるものとも見えず。左右に。此三女神の御傳は。昔よりさだかならざりしなり。】重胤云。此三女神はしも。右の如く。別々に成出させおはし坐つれども。如何にしてか。御體を合せ給ひて。一神に御在坐りと。思ふよしなん有ける。其は三代實録。貞觀元年二月。筑前國從一位勲八等田心姫神。湍津姫神。市杵島姫神。並授2正二位1。太政大臣東京一條第從二位勲八等田心姫神。湍津姫神。市杵島姫神。並授2(340)正二位1。此六社居雖v異。實是同神也。と見えたる。此は兩社に所祭を。同神と云には非ず。三神宛祭り別て。六神とは爲る物の。實は是同一神也と。云事なるべしと。云れたるが如く。後に此三女神。大國主神の御妻となり玉ひし處には。御體を合せて。須勢理姫命と申し。また御子等を生玉へるに付ては。御身を分けてましゝなど。【此事記にみゆ。】樣々に申傳たるも。其本は此に見えたるが如く。三處に別々に成出させ玉へれども。後にはさるべき由ありて。御體を合せても坐々しなるべし。
 
 
既(ニシテ)而素戔嗚尊。索2取《コヒトリ》天照大神(ノ)髻《ミヽヅラ》鬘《ミカツラ》及(ヒ)腕所纏《ミタブサニマカセル》八坂瓊之五百箇御統(ヲ)1。濯《フリスヽギ》2於天(ノ)眞名井(ニ)1。※[齒+吉]然《サガミニ》咀嚼《カミテ》而吹(キ)棄(ル)氣噴之狹霧(ニ)所生《ウマルヽ》神號曰2正哉吾勝勝速日天忍穗耳《マサカアカツカチハヤヒアマノオシホミヽノ》尊(ト)1。
 
 
索取。索本に乞に作れり。今永享本に依て改む。○正哉吾勝々速日天忍穗耳尊。正哉。記に正勝と作り。上に正勝此云2麻沙柯1。と云る訓注もあるに證して。麻沙柯と訓べし。記傳云。言意は正しき哉と云むが如し。吾勝は。記に自|我勝《アカチヌト》云而。とある意なり。一書に稱之曰2正哉吾勝1。故因名v之曰云云とも見ゆ。勝速日は。記に於2勝佐備1云々。とあると同意にて。速は疾く烈く猛き意。日は夫流とも活て。其状を云辭にて。速日は。即知波夜夫流の。波夜夫流と同言也と云り。忽穗耳は。重胤云。又大耳尊(341)とも申せれば。忍は大也。忍穗は大穗也。大耳の大は。大穗を約めたるにて。其義相等しき也。若て大穗は。瑞穗と云むが如し。其は天孫降臨章に。天照大神手持2寶鏡1。授2天忍穗耳尊1而祝之曰云々。又勅曰。以2吾高天原(ニ)所御《キコシメス》齋庭之穗1。亦|當2御《マカセマツル》於吾兒(ニ)1とある。此時の稻穗を以。稱奉れる大御名なり。さるは此詔命は。顯國に天降し奉らせ玉ふに付て。如此詔託させ玉へるにはあれ共。素より此國土を統御すべき。皇御孫尊と定奉らせ玉へる。貴御子に渡らせ玉ふが故に。始より瑞穗を以稱奉らせ玉へるなり。と云れたる然説なり。耳は尊稱にて神の御名に多し。其意は。記傳云。美は比に通ひて。産靈などの靈なるを。靈々と重ねたるものなり。開化天皇の大御名|大日々《オホヒヽノ》尊とあり。明宮段なる人名前津見を。紀には前津耳とあるを以。耳と云は。美を二(ツ)重ねたるにて。見と云は。其を一(ツ)畧けるものなる事を知べし。偖此尊を齋祭れる社は。式に山城國宇治郡許波多神社三坐【並大月次新甞】とある【帳考に。今木幡山と云にあり。】祭神を。風土記に天忍穗根命とあり【二坐は未詳。】三代實録。貞觀元年正月。從五位上とあり。又式に。土左國香美郡天忍穗別神社。又豐前國田河郡忍骨命神社あり。みな此尊にます。
 
 
次(ニ)天穗日命。是出雲臣。土師連等(ノ)祖也。
 
天穗日命。此も右の穗耳と同御名なり。記傳云。しか穗日も。穗耳も同くは。御兄弟御名の同きは如何と云に。三女神の中の。多紀理と多岐都も同意言なる如く。又紀に次の熊野久須毘命を。熊野忍踏命と(342)もあるは。忍穗耳と正しく同音なる例なり。かゝれば。御兄弟等の御名も。唯聊の差めを以分奉りしものぞとあり。されど。此命に稻穗の事は由なくやあらむ。重胤云。穗日は穗飯なるべし。其子大背飯三熊之大人。亦御名武御熊大人とみえたる。大背飯は大|眞飯《サヒ》三熊は御※[米+揖の旁]《ミクマ》にて。飯に由れる神名なるに附て思ふに。御父穗日命も。其事に携はり玉へるなどの事にて。然御名には負坐るなるべしと云り。なほ考ふべし。さて此神の御社ども式に見えたり。【近江國蒲生郡。馬見岡神社二坐とあるも。此神と其御子天夷鳥命なり。社記に載る祝詞には。右の二柱に健御熊大人命。相副て三柱と見ゆ。さて出雲より移し奉れる由も見えたり。紀貫之朝臣梁簡銘には。大嵩社と見ゆ。此社は今日野大宮と云ひ。綿向大宮とも稱して。日野村井町任正寺境内に在りと云り。】○是出雲臣云々。十字本に小字に作るは非なり。今明應本に。江帥卿本此二注在v麁爲2正本1。在v注爲2異本1云々とあるによる。二注とは此と次の是凡川内直云々とを云るなり。なほ其餘にも大字に作るがあり。○出雲臣。出雲は國名。【倭名抄以豆毛】それ後に氏となれるなり。臣は尸にて。其もと記傳に云れたる如く。連と同く。京のあたりに住居て。殊に親く朝廷に仕奉る氏々の尸なり。【雄略天皇遺詔に。臣連伴造。毎日朝參。國司郡司。隨v時朝集。とあるも。臣連伴造は。京近く住居故なり。】言義大身なり。さて此氏は。記云。天菩比命之子。建比良鳥命。此出雲國造等之祖也とあり。重胤云。國造は。職にして。臣は姓なり。國造本紀に。出雲國造。瑞籬朝以2天穗日命十一世孫宇迦都久怒(ヲ)1。定2賜國造1。と見ゆ。崇神天皇六十年に。此人の事見えたり。其頃國造には被v任しなりけり。【武郷云。右の國造本紀に據に。此の※[盧+鳥]濡渟は十一世孫なる上は。其父韓日狹。其叔飯入根。十世孫なるに。姓氏録右京河内に。出雲臣神門臣の下に。十二世孫※[盧+鳥]濡渟と見えて。一世違へるを。飯入根を攝津土師連條に。十二世孫飯入根と見え。甘美日狹は右京士師宿禰條に。十二世孫とあり。父子叔姪にして。世數の同じかるべき理なければ。何れにか其差ひありぬべき事なりと。つら/\考るに。甘美乾飯根は十二世にして。其子※[盧+鳥]濡渟は十三世。其子野見宿禰十四世孫なり。此事は崇神紀垂仁紀に。委しく云れば今略けり。】然れども。猶古より國造と云け(343)る状に。古より彼國に住著て有る者也。さて天孫降臨章。當v主2汝祭祀1者。天穗日命是也。とあるを以て見れば。穗日命此國に留坐が如くなれども。神賀詞に。乃(チ)穴持命乃申給久。皇御孫命乃|靜坐牟《シヅマリマサム》大倭(ノ)國(ト)申天云々。汝天穗比命波。天皇命能。手長大御世乎。竪磐爾常磐爾。伊波比奉(リ)。伊賀志乃御世爾。佐伎波閇奉(レ)登。仰賜志|次《ツイデ》乃隨爾。供齋《イハヒゴト》仕奉※[氏/一]。朝日乃豐榮登爾。神乃禮自利。臣能禮自登。御祷乃《ミホギノ》神寶。献良久止奏。は大巳貴神の國避の時に奉給へる禮實に取副て。天穗日命の復奏の禮實を。天神に奉り玉へるを吉例として。天(ノ)夷鳥命より以來。其|擬《マネ》びを爲て仕奉られしを云へるなり。されば天穗日命は報命し玉ひて。後は天に留住玉ひて。此(ノ)國に天降玉へるは。天夷鳥命に御在す事。記に出雲國造などの出自を。建比良鳥命に係け。また崇神紀に武日照命從v天將來神寶云々。と有を以て。此國に降着て。出雲大神に仕奉られしは。右に謂ゆる天(ノ)夷鳥命なる證なり。【然るを記傳に。此に天菩比命のみを擧ずして。此神をも擧て其子孫を出せるは。此神功有て御名高ければなり。と云つれども。父子二神の上にて。其功の多きも。御名の高きも。天穗日命に在る事なれば。然る事の由ならんには。天穗日命をのみこそ擧べかりけれ。其然らば。別に子細有が故なり。】出雲臣と云事は。同紀に見えたれども。正しく姓に玉へるは。若くは孝徳天皇御世に。國造を停められて。國司を置き。其國を郡領に被成し時などや。始て賜へりけむ。又大寶二年九月。出雲狛賜2臣姓1。とある其始には非るか。【武郷云。出雲國造系圖に。鵜濡渟五世國造宮向臣。始賜2姓出雲臣1とあり。さればいと古きことなり。】其頃までも。猶國造を姓と爲るを。其を職號として。新に臣姓を玉へるにや。神賀詞に。出雲臣等我遠祖云々と有は。其奏せる時の姓なるなり。偖姓氏録左京。出雲臣。天穗日命五世孫。久志和都命之後也。右京。出雲臣。天穗日命十二世孫。鵜濡渟命之後(344)也。【山域河内にもあり。】何れも臣姓のみなりしなり。又左京。出雲宿禰。天穗日命子天夷鳥命之後也。と唯一宿禰姓有は。其より後の事にて。桓武天皇延暦十年九月。近衛將監出雲臣祖人言。臣等本系出v自2天穗日命1。其天穗日命十四世孫。曰2野見宿禰1。野見宿禰之後土師氏人。或爲2宿禰1。或爲2朝臣1。臣等云々同預2改姓之例1。於是賜2姓宿禰1とある。此一族なるべし。其後朝臣の姓を玉へりしにや。續後紀承和五年正月六年正月。出雲朝臣と云人名所見たり。右等は彼國より上りて。仕奉れる庶流の姓なるか。猶本の出雲國造は臣姓なりしにや。右に引る如く。神賀詞に出雲臣と有けり。然るに今出雲國造の姓宿禰なるは。何れの御世に玉へりし姓なりけん。と云り。氏人は上に次々引出たるが如し。なほ右の外にも。聖武紀に。出雲屋麻呂賜2臣姓1と云事もあり。又出雲積と云姓。東大寺正倉院文書に見えたり。同族なり。後村上帝時穗日命四十九世孫清孝二子あり。孝宗貞孝と云。孝宗の後を千家と稱し。貞孝の後を北島と稱す。大社志に見ゆ。なほ記傳云。抑此姓のもと臣の尸なりしも。彼國より上りて。朝廷に仕奉しより始れるなるべし。【此姓人の始て京に移て仕奉しは。垂仁の御世。野見宿禰なり。凡て臣の尸なる姓は。朝廷に親く仕奉る輩なり。】さて後に。宿禰にも朝臣にもなれるなり。さて然京のあたりに住るも。又國に住るも。皆其本は國造より出たる子孫なる故に。記には其本につきて國造とあげ。書紀には廣く渾て臣と擧たり。諸氏に此例多し。傚て知べし。さて今世まで國造の殘れるは。此國と紀國とのみにて。中にも此國造名高し。此二國造は。昔より他に異なりしにや。貞觀儀式に此を任《ヨサ》す儀を載られたりとあり。○土帥連。土師本に波士と訓めるも。さることなれども。なほ波邇斯と訓べし。(345)和名抄國々の郷名の土師多く然訓り。記傳云。斯とは土物を造る者と云事にて。師は爲《シ》の意なり。凡て工人の屬に。某師と云みな然なり。【今世にも某師と云事多し皆同じ。】然るに漢國にても。某師と云こと多きに因て。即其師字を用たるのみなりとあり。此氏の事は。垂仁天皇三十二年秋七月。皇后|日葉酢媛《ヒバスヒメノ》命薨。天皇厚稱2野見宿禰之功1亦賜2鍛地《カタシトコロ》1。任2土部《ハニシノ》職1。改2本姓1謂2土師部臣1。是土師連等。主2天皇(ノ)喪葬1之縁也。其(ノ)野見宿禰者。土師連等之始祖也と有る。此時始て起れりし氏なり。姓なり。其鍛地は其本貫と成ぬる菅原伏見にて。其天皇の御陵の地是なり。其主2天皇喪葬1は。推古十一年に。來目《クメノ》皇子の薨られし所に。遣2土師(ノ)連猪手(ヲ)1令v掌2喪事1と見え。皇極天皇二年九月。詔2土師|娑婆《サバノ》連猪手(ニ)1。視(セシム)2皇祖母《オホミオヤノ》命(ノ)喪(ヲ)1。など有類是なり。職員令諸陵司に。土師十人。掌3賛2相(スルコト)凶禮(ヲ)1と有て。義解に。謂凶禮者。送v終之禮(ナリ)。即土師宿禰年位高進者爲2大連(ト)1。其次爲2少連(ト)1。並紫衣刀劔。世執2凶儀(ヲ)1。などありと云り。偖天武天皇十三年十二月。土師連。賜v姓曰2宿禰1と有れば。紀を撰ばれし當時は。已に宿禰姓にてありけるなり。姓氏録右京に。土師宿禰。天穗日命十二世孫。可美乾飯根《ウマシカラヒネノ》命之後也。【大和同】山城に。土師宿禰。天穗日命十四世孫野見宿禰之後也。【和泉同】攝津に。土師連。天穗日命十二世孫|飯入根《イヒイリネノ》命之後也。とあり。氏人は仁徳朝野見三世孫。土師身連姓を賜はり。身七世孫甥。天武朝宿禰を賜と菅家傳記に見ゆ。稱徳紀土師連毛智賜2宿禰1。清和紀土師宿禰長雄。東鑑土師宿禰安利成房あり。さて雄略紀に土師連吾笥曰2贄土師部1とありて。廢帝紀贄土師連沙彌麿あり。又|百舌鳥《モズ》土師連あり。單に百舌鳥氏ともあり。さて土師連四(346)派あり。其一を毛受族と稱す。孝徳紀に百舌鳥長兄。及百舌鳥土師連土徳あり。又娑婆氏あり。推古紀に土師連猪手の裔を娑婆連と爲す。偖天(ノ)穂日命の御末は。此餘にも數多見えたる中に。土師より別れたる氏々は。大枝。菅原。秋篠。など著姓也。○等とは。物一に限らず。類多きを都て云辭なり。平田翁云。等《ラ》は都てはまづは賤しむ方に用る言なり。神典にても。尊む上には同じ等字ながら。八百萬神等。また海神等など。みなタチと訓たり。又此等字を。トモと訓る處も多かり。此は殊に賤むる言なり。と云れたり。
 
 
次(ニ)天津彦根《アマツヒコネノ》命。是(レ)凡川内直《オホシカフチノアタヒ》。山代直等《ヤマシロノアタヒラノ》祖也。
 
天津彦根命。記傳云。名義異なることなし。根は尊稱とあり。平田翁云。式伊勢國桑名郡桑名神社二坐。此は天津彦根神と。御子天(ノ)久之比乃《クシヒノ》命を祀れりとぞ。同郡に多度神社も有て。此は天津彦根命に坐まし。此御社の傍に。俗に一目連と稱す社あり。此を社傳に御子天(ノ)麻比止都禰《マヒトツネノ》神也と云。信に然るべしと云り。【姓氏録右京に。桑名首。天津彦根命男。天久之比乃命之後也とあり。また此神。近江國に由ある事は。蒲生《カマフノ》稻寸祖と見え。姓氏録に。犬上《イヌカミノ》縣主。天津彦根命之後也とある。これら彼國の地名なり。猶下にも云り。】○凡川内直。記には河内國造とあり。記傳云。即河内(ノ)國なり。和名抄河内【加不知】とあり。凡は紀中大河内とも書て。大の意なり。名義は倭京にて。山代大河【淀河】の此方にある國なればなり。【武郷云。安閑紀に大倭國と云て。下に大河内と並出せる如く。倭にも河内にも。共に大字を冠たりつる者なりと。重亂の云れたるさる事にて。此は大河とつゞけたるにはあらじ。】本は大河内と云しを。諸國名必二字に定められしより。大を(347)ば除つらむ。直は紀に阿多比延と訓る所ある【皇極卷長|直《アタヒエ》とあり】と。和名抄和泉國和泉郡の郷名に山直。【也未多倍】とあるを合せて。阿多閇と訓べし。【かのアタヒエのヒエを切めてヘと云なり。山直は山の末に阿韻ある故に阿を略きて多閇なり】名義未考えず。延は兄なるべし。【直字は借字なり。續紀廿八に。庚午年籍に直姓に費字を書れたりし事も有しよし見ゆ。】と云へり。此説は。神武紀に倭|直部《アタヒエ》。神功紀穴戸|直《アタヒエ》。皇極紀に長|直《アタヒエ》とあるとに依られたるものなれど。なほ直の姓。此他にも見えたる中に。景行紀紀|直《アタヒ》。欽明紀に葛城山田|直《アタヒ》。敏達紀に坂上|直《アタヒ》ともあれば。強にアタヒエとあるも頼みがたし。思ふにアタヒエのエは衍なるも知りがたし【又按に古はアタヒともアタヒエとも二方に云るにもあるべし。】これを衍と見る時は。たゞにアタヒとある方こそ。却りて正しかるべけれ。さるは姓の直にはあらねど。顯宗紀に不2以v直《アタヒ》買1。欽明紀に衣糧之|費《アタヒ》。【齊明紀に。稱其價を。アタヒハカリテ。とよめるをも思ふべし。】などもあればなり。其他伊呂波字類抄に。價アタヒ。直同。など見え。今の玉篇にも。價をアタヒと訓り。さればヒエを約めて。アタヘとも云べきさまながら。姓の直を正しくアタヘと書たる例ものに見當らず。さらば和名抄郷名山直を也未多倍とある。一を以明證ともなしがたからんか。かく見る時は。直の假字はなほ多きにつきて阿多比と治定すべきが如し。されど此は猶よく考べし。さて姓氏録に直者謂v君也とあるは。宜2汝爲v君治1v之。とある詔に就て注せるなり。此尸も凡て國々の處處にある姓につきたれば。其處の君たる意にてはあるなり。かくて姓氏録攝津神別に。几河内忌寸。額田部湯坐連同祖。また河内。同。天津彦根命之後也。舊事紀に。天御蔭命凡河内直等祖。【姓氏録に。天津彦根命子。明立天御蔭《アカリタツアマノミカゲノ》命】とあり。もと直の尸なりしを。天武紀十二年九月。凡川内直賜v姓曰v連。と見え。十四年六(348)月。凡川内連賜v姓曰2忌寸1とあり。【又此氏人の中に。清内とは河内の縁なるべし。また姓氏録攝津に。凡河内忌寸。天穗日命十三世孫。可美乾飯根命之後也ともあるは。遠祖御兄弟の間。傳の混つるなるべしと記傳に云り。】氏人は文武紀。攝津國造凡河内忌寸石麻呂あり。醍醐帝時。凡河内宿禰弘恒。類聚符宣抄に見えたり。同族なるべし。また歌よみの凡河内躬恒あり。また朱雀帝時。凡河内良尚外記日記に見ゆ。村上帝時。攝津目代凡河内忌寸正茂朝野群載にみゆ。さて記に國造とあるは。出雲の例の如し。國造本紀首に以2彦巳蘇根命1爲2凡河内國造1。即凡河内忌寸祖。また凡河内國造。橿原朝御世。以2彦巳曾保理命(ヲ)1。爲2凡河内國造(ト)1と見えたり。重胤云。彦已蘇根命。彦巳曾保狸命同人にして。彦根命の孫にもや當るべからむ。其は額田部河田連條に。天津彦娘命三世孫。意富伊我都命【高市連條には。三世孫彦伊賀都命。】とあり。三世孫とは。子と孫とを除きて。其次なるを云れば。彦巳曾保理命は。天津彦根命の孫に當るべきにやと云れたり。然る時は。天津彦根命の子。天御影命。其子彦巳曾保理命。其子意富伊我都命と序つべし。○山代直。記に山代國造とあり。記傳云。名義。紀に山背と書る字の意【うしろのうを省く】なるべし。此國は。大和國の北方の山の後なればなりとあり。此は大倭を。神武紀に中洲とも。玉牆(ノ)内(ツ)國ともある。其内に對へて。外を背と云るなり。扨後に延暦十三年十一月詔に。此國山河襟帶。自然作v城。因2斯形勝1。可v制2新號1。宜(ク)改2山背(ノ)國1。爲2山城國1云々。と紀略に見ゆ。此氏もと直の尸なりしを。天武紀十二年九月。山背直賜v姓曰v連。十四年六月。山背連賜v姓曰2忌寸1。姓氏録左京神別に。山背忌寸。天津比舌禰命子。天麻比止都禰命之後也。とあり。【重胤云。國造本紀首に。以2天目一(ノ)命1爲2山城(ノ)國造1。即山代直祖とある。天目一命は。天津彦根命の御子に御在し生れども。此は神武天皇御世の事なれば叶はず。其天目一箇命の子。又孫に(349)在けんを。其名を漏し脱せる者と所見たり。其次に。山城國造。橿原朝御世。阿多根命爲2山城國造1と有は。必其人なるべし。然れば右の凡河内國造の祖。彦巳曾保理命と。兄弟などにもや有む。然るに天神本紀に。天(ノ)伊岐志邇保命。山代國造祖。とあるは。天孫本紀に。玉勝山代根古命。山代水主。雀部連等祖。と云る一統にして。國造本紀に。山背國造。志賀高穴穗御世。以2曾能振鈴(ヲ)1定2賜國造1。とある是也。姓氏録未定に。山城に。山代直火明命之後也ともあり。其と混はする事勿れ。武郷云。栗田寛説に。天伊岐志邇保命は。書紀に見えず。證とすべき事無れば。全信がたし。饒速日命の一名を。膽杵磯丹杵穗命。といふに似たる名なれど。自別也。山代國造は。古事記また書紀ともに。天津日子根命にかけていひ。國造本紀と。姓氏録山背忌寸の條には。天目一命にかけて。祖と宗とを分ち記せる書法にも合ざれば。天神本紀は妄誕なる證にてはあるなりと云り。されど。此天神本紀もひたすらに妄誕と云難き事あり。其事神功紀山背根子の下に云べし。】續後紀。天長十年四月。山城國人。山代忌寸淨足。同姓五百川等八人。改2忌寸1賜2宿禰1。淨足等天津彦根命之苗裔也。【又姓氏録に。攝津山代直。天御影命十一世孫。山代根子之後也。とあり。此は。彼玉勝山代根子命と。甚混らはし。此事は神功紀に云べし。
 
 
次(ニ)活津彦根《イクツヒコネノ》命。次熊野※[木+豫]樟日《クマヌクスヒノ》命。凡(テ)五男矣《イツハシラノヒコガミマス》。
 
活津彦根命。記傳云。凡て上代神又人にも。又さらでも。活と云言多く見ゆ。活は生活の字の意にて。もと賀言なるを以。美稱るなるべしと云り。○熊野※[木+豫]樟日命。一書には熊野大隅命とも。忍隅命ともあり。また熊野忍蹈命ともあり。記傳云。熊野は地名出雲國意宇郡の熊野なるべし。久須毘は久志須毘の約たるなり。久志は奇靈なり。須毘は大隅《オホスミ》命。忍隅《オシスミ》命の隅と同じ。須美の例は。水垣宮段に飯肩巣見《イヒカタスミノ》命。伊邪河宮段に比古由牟須美《ヒコユムスミノ》命なども有て。美は忍穗耳舟の所に云るが如しとあり。【隅の事は一書に云。】平田翁云。此神の御名に。出雲なる熊野てふ地名を負坐し。活津日子根命の。近江國なる日子根てふ地名を。負坐るに就て思ふに。此二柱神共に。天降坐けむとおほしき事實もなく。また御裔もなく。(350)天上に生坐て。永へに天上に神留坐る神等と聞えたるに。御名に。此土なる地名を負坐る事は姑疑なき事能はず。【活津日子根の。天津日子根と同き。忍蹈の。忍穗耳と同きも最々訝し。】放考るに。此時五柱男御子を生坐りと云傳は誤にて。實は三柱生坐し。活津日子根命は。即天津日子根命に坐まし。【武郷云。此は近江國に由ある神なる事。上に引り。なほ式に近江國蒲生郡菅田神社ありて。姓氏録に。菅田首。天久斯麻比止都命之後也とあり。麻比止都命は。天津彦根命の子0なり。又通證に引る樹下山門系圖に。活津彦根命者。近江國彦根明神也とあり。】熊野久須毘命は。即天之穗日命にはあらざるか。【其は忍蹈の富美即て穗日命の穗日と。同言なるなどをおもふべし。】此神の出雲國造が祖にて。彼國に由ある事は。下に次々見えたる如く。はた其御子天夷烏命を。武三熊命。武三熊大人なども申す。三熊は即て熊野によれる名なるをも。深く考べし。【武郷云。三熊は熊野によれる御名とは定めがたし。たゞ似たるまでなり】各《カタミ》に生坐る御子の。三柱づゝ坐まさむことは。深き所由あるべき事とぞ思はるゝ。【互に誓ひて。生給へる御子の。一方は五柱。一方は三柱と。異なるべき謂は。なき事也。よく考べし。】と云れたるは。まことにさる論なれども。此時生坐る男御子は。五柱なるよし。何(ノ)書にもしかありて。たやすくは定めがたし。なほよく考べし。○凡五男。五柱の男神の生坐る序次。第三(ノ)一書。また記日は此と同じ。第一一書は。天穗日命第四にあり。第二一書は。天穗日命第一に有て。忍穗耳命は第二にあり。何れを正しとも決めがたけれども。こゝと第三一書。又記と同じき傳の多きによるべし。
 
是時(ニ)天照大神|勅《ミコトノリシテ》曰(ク)。原《タヅヌレバ》2其(ノ)物根《モノダネヲ》1。則(チ)八坂瓊之五百箇(ノ)御統者。是(レ)吾物也。故(レ)彼五男神《ソノイツハシラノヒコガミハ》。悉(クニ)是(レ)吾兒(ナリトノタマヒテ)。乃(チ)取(テ)而|子養《ヒタシタマフ》焉。
 
 
(351)物根。記には物實と作り。【此紀なるも。私記また鎌倉本の訓には。サネとあり。】記傳云。佐泥と多泥とは。其物も名も通へり。【重胤云。和名抄に核。桃李之羸。皆有v核。和名佐禰。核者子中之骨也。此核より芽生る物なれば。眞根《サネ》と云義なり。又李衡。和名加無之乃佐禰。柑子(ノ)人(ノ)名也。又桃奴。桃人一名挑奴。和名毛々乃佐禰。とあり。此を以て記傳に。たねとは其物も名も通へりと云れたる事の。徴あるを曉るべし。】後世にも。人の母を云には某腹。父をいふには某種と云。木草の種子《タネ》も同じ。此も其意なり。【谷川氏が。五男神者。物實日神の物なれば。日神は父の如く。須佐之男命は母の如し。と云るは。さる事なり。】とあり。さて此物根の事。此と記とは同じきを。第一弟三一書。又天石窟段一書は。異なる傳なり。此事次に云べし。○原とは。三女神は天照大神の生坐る御子。五男神は素戔嗚尊の生坐る御子とは。元より分れたるを。今は其生給し主には拘はらず。物根を原《タヅネ》て。眞の御子と定め給へるとの傳なり。されど此には論あり。次に委く示。○吾兒。次には爾(ノ)兒とあり。此は日足《ヒタシ》奉玉ふに就て。詔ふ御言なり。此事も次に云。○取而子養。通證に。所生在2素戔嗚尊1。故曰。取而子養。非2後世養子之謂1也。と云るが如し。此多須は。記中卷に日足とあり。記傳云。此字の意にて。多志は令《ス》v足《タ》なり。【今世言にも。令v足を多須と云り。】釋私記に云。比多須。其義如何。答。師説凡人子初生之時。日數最少。而漸々長養。日數最稍足。故謂3養2長其子1爲2日足《ヒタスト》1耳。と云る多く。兒は日數の積るに隨ひて。成長ものなる故に。日數を足らしむる意を以て。養育る事を然云なり。紀中。養また子養。長養。持養。膝養など。皆然訓り。上宮記【釋紀に引】に。無2親族《ウカラ》部1之國。唯我獨難2養育比陀斯《ヤシナヒヒタシ》1。續紀四に。人(ノ)祖《オヤ》乃|意能賀弱兒乎養治《オノガワクゴヲヒタシヲサムル》事乃如久。治賜比。萬葉十三に。何時可聞|日足坐而《ヒタラシマシテ》【此萬葉なるは。成長《ヒトヽナリ》玉ふ自のうへより申せるにて。此多良志は。多理を延たるなり。令v足には非ず。】など見ゆ。紀一書に。亦云。彦火々出見尊。取2婦人1爲2乳母《チオモ》湯母《ユオモ》及|飯嚼湯坐《イヒカミユヱト》1。凡(テ)諸部備行。以(352)|奉養《ヒタス》焉。于時權(ニ)用2他(ノ)姫婦(ヲ)1以|乳2養《ヒタス》皇子(ヲ)1焉。此世取2乳母《チオモ》1養《ヒタス》v兒(ヲ)之縁也とあるは。此御子を日足奉りしさまを。委く云るなり。とあり。【或説に。ヒタスは令《ス》v秀《ヒタ》にて。幼稚子を養て漸々に。令《シムル》v秀《ヒデ》を云と云り。此も捨がたし。苗などに生長《ノビ》行(ク)を秀《ヒヅ》ると云も同意なり。
 
 
又|勅《ミコトノリシテ》曰。其《ソノ》十握(ノ)劔者。是(レ)素戔嗚(ノ)尊(ノ)物也。故(レ)此(ノ)三(ノ)女神《ヒメガミハ》。悉(クニ)是(レ)爾兒《イマシガコナリトノタマヒテ》。便(チ)授(ケタマフ)2之素戔嗚(ノ)尊(ニ)1。此(レ)則(チ)筑紫胸肩《ツクシノムナカタノ》君等(ガ)所祭《イツキマツル》神是也。
 
 
素戔嗚尊物也。山蔭云。次の文に爾《ミマシノ》兒とあれば。素戔嗚尊に對ひて詔ふ御言なるに。素戔嗚尊とはいかゞ。是爾物也とこそ云べけれ。と云れたれど。かゝる處に。羞向へる人名を指云る例多し。神代下に是時|衢《チマタノ》神問曰。天鈿女《アマノウズメ》。汝爲v之何故耶。記上卷に爾(ニ)詔。佐久夜※[田+比]賣一宿哉姙《サクヤヒメヒトヨニヤハラメル》。是非2我(ガ)子(ニ)1云々。中卷に降(サム)2此(ノ)刀(ヲ)1状者。穿(チテ)2高倉下之倉頂《タカクラジノクラノムネヲ》1。自v其墮(シ)入(レム)。故(レ)阿佐米余玖。汝取持(テ)献(レ)2天神(ノ)御子(ニ)1云々。また神賀(ノ)詞に親《ムツ》神魯岐神魯美(ノ)命(ノ)宣久。汝《イマシ》天穗日《アマノホヒノ》命波云々。此他にも猶多し。山蔭の説は從ひがたし。○授之は。右の三神を給ひて。日足奉らしめ給へるなり。下一書。素戔嗚尊の日神に白給ふ御言に。所生兒等亦奉2於姉1。と有に對へて心得べき所なるなり。偖此三女神は。右の如く授玉ふと雖。其天降坐るは。此より遙に後の事なり。○此五男三女神は。本より大神と素戔嗚尊との御中に生坐して。此は大神の御子。此は素戔嗚尊の御子と云ふ分はあらず。【記傳にも既に云り。】然るを。本書に素戔嗚尊の御言に。如(353)我所v生是女(ナラバ)云々。若是男者云々とも。又一書に。日神所v生三女神云々とも。又一書に。素戔嗚尊所v生之兒。皆已男矣。とあるは其時生給ひし主《ヌシ》に就て。分ち云へるまでなり。さて又本書又記に。物根を原《タヅネ》て。五男神を大神の御子。三女神を素戔嗚尊の御子と。定玉ふも。かしこけれど。是又物實に就て。詔別《ノリワケ》玉へる迄なり。記に如此詔別《カクノリワケタマフ》也。とある是なり。【此は世俗に。物根を原ねて。父を知る事の。起本なりかし。】されば。此時の五男三女神。まことは生給ひし主にも拘はらず。又御物根にも拘はらず。たゞ大神と。素戔嗚尊の御子と。見てあるべきなり。【故一書どもに。物根を大御神のとも。素戔嗚尊のとも。云傳へて。一樣ならず。此(レ)拘はる可らざる證也】然らば。今かく五男神を。大神の御子。三女神を素戔嗚尊の御子と。詔別定給へるは。いかにと云に。一書に。大神の御言に。若生v男(ヲ)者。予以爲v子(ト)而。令v治2天原1。云々便取2其六男1。以爲2日神之子(ト)1使v治2天原(ヲ)1。云々とも。吾以2清心(ヲ)1。所v生兒等。亦奉(ル)2於姉(ニ)1ともあるが如く。始より大神の詔ひしまに/\。素戔嗚尊の方に生し玉ひし御子を。大神の御許にて。子養《ヒタシ》玉はむとの大詔なり。本より素戔嗚尊の御子なるを。後世の如く。大神の取らし給ひしにあらず。【故かく定玉ひても。なほ後に。素戔嗚尊の。皇御孫尊を吾兒と詔玉ひし事。一書に見えたり思合べし】○胸肩君。和名抄筑前國宗像【牟奈加多】郡とある。其地に因れる氏なり。【又郷名に。遠賀郡宗像とあるは。隣郡なれば。宗像の地を割て。屬たる故に。郷名と成て。遺れるものなるべし】名義。下の一書に風土記を引て云へり。君は其處々を治る職名にて。國造直縣主稻置など云に同じ。【續紀に。天平寶字三年十月。天下諸姓著2君字1者。換以2公(ノ)字1とある此(レ)よりして。君姓みな公字をかけり】姓氏録河内神別に。宗形(ノ)君。大國主命六世孫。吾田片隅命之後也。と見ゆ。【この六世孫と云には説あり此事は崇神紀。大田々根古命の下に委云り。さて重胤云。大田々禰古命は。瑞籬朝御世の人にて。阿田賀田須命は大田々根古命の伯父なれば。孝靈天皇。孝元天皇の御世頃の人なるべし。宗像縁起に。孝靈天皇四年に。出雲國簸河上より。筑前國宗像に御遷行と記せるは。(354)若くは京より降りて。齋初たる年暦の事を大神の御鎭坐の事と。訛傳たる者にはあらじか。然るは。其御鎭坐の始はしも。神世の古に在ければ。人世の事に。係ても云べきに非るを思ふべし。と云り】もと君の尸なりしを。天武紀十三年十一月。胸方(ノ)君賜v姓曰2朝臣1。と見えたり。【故姓氏録右京に。宗形朝臣。大神朝臣同祖。吾田片隅命の後也。ともあり】氏人は天武紀。胸方君徳善。元明紀。宗形郡大領宗形朝臣等杼。聖武紀。宗形神主宗形朝臣鳥麻呂。(類聚符宣抄に。圓融帝時宗形臣秀友あり。是族なるべし)また文武紀に。筑前御笠郡大領宗形部堅牛。益城連姓を賜。宗形部加麻麻伎。穴太連姓を賜とあり。さて此氏人の。胸肩大神を以祭《モチイツ》く故は。大物主命|活玉依《イクタマヨリ》姫に合て生る子。櫛日方《クシヒカタノ》命此神の五世孫。吾田片隅命なれば。此氏人の胸肩大神を以祭く事は。記傳に。大物主神の御ゆかりにこそ有けめ。と云れたるが如くなるべし。【此は記傳二十三に。云る趣によりて注せり。傳七宗形君の下に云れたる事は。たがへり】其は記に大國主神。【大物主神と云るも同じ】娶d坐2胸方(ノ)奥津《オキツ》宮(ニ)1神。多紀理毘賣命u。生子|阿遲※[金+且]高日子根《アヂスキタカヒコネノ》神。亦娶2神屋楯比賣《カムヤタテヒメノ》命(ニ)1。生子|事代主《コトシロヌシノ》神とありて。此氏の遠祖神の嫡后に坐せばなるべし。其うへ奥津宮に坐(ス)神に。娶て生給へる。阿遲※[金+且]高日子根神は。迦毛《カモノ》大御神とまをす。此大御神をも。同社の賀茂《カモノ》朝臣の奉祭る事。姓氏録に見ゆ。又大神朝臣も。同祖にて。大三輪大神を奉祭る。是等もかた/\由あることなり。さて宗形君は。後に郡領となりて仕奉りしが。延暦十九年十二月勅に。彼郡の大領として。此神主を兼帶《カネオブ》る事は。停められし事。又此神主の任六年に限りて。相替る事など。類史に出たり。實に由ある古の豪族たりし事。此を見知べきものなり。宗形氏は然る著姓なりしかども。何時しか衰へたりけるにや。通證に。宗因曰。延喜十四年甲戌。賜2宇多帝皇子清氏(ニ)宗像(ノ)朝臣(ノ)姓(ヲ)1任2筑前守兼大宮司(ニ)1。以來子孫相繼(テ)(355)爲2其職1也。と云へり。近世に名高かりし宗像大宮司是なり。貝原氏の筑前續風土記にも。其説を擧て。社人傳曰。醍醐帝延喜十四年甲戌。清氏勅を請て。大宮司と成り。宗像に下玉ひしより。天正十三年氏貞の卒するに至る迄。大宮司七十九世。年數凡六百七十三年にして。宗像大宮司の家亡びぬ。とみえたり。とあり。○所祭神。記云。三柱神者胸方(ノ)君等之。以伊都久三前(ノ)大神也。式筑前國宗像郡宗像神社三坐。【名神大】此大神の天降坐る御事は。第三一書に。使v降2居于葦原(ノ)中國之宇佐(ノ)島(ニ)1矣。今在2海北道中(ニ)1。號曰2道主貴《ミチヌシノムチト》1。此筑紫(ノ)水沼《ミヌマノ》君等祭(ル)神是也。とあるが如し。口訣に。三女神先降2宇佐島(ニ)1。後在2筑前國1乎。故云今在2海北道中1。と説るが如く。其初の天降坐し地は。豐前國なり。其より御父大神と共に。黄泉國に坐ける時に。大國主命に相婚《ミアヒ》玉ひ其|夫《ヲ》神と相携へて。逃出玉へる後は。即爲2宇伎由比《ウキユヒ》1而。宇那賀氣理《ウナガケリ》而。至v今鎭坐(ス)也。【記に見えたり】とある如く。大國主神と共に。出雲國に御在坐るなり。又記に大國主神娶d坐2胸形(ノ)奥津宮(ニ)1神。多紀理比賣命(ニ)uと見え。又地神本紀に。次娶d坐2邊津宮1高津姫《タカツヒメノ》神uとあるなどは。此三(ノ)島に出雲より渡り住玉へるにて。後の事也。右に引る。今在2海北(ノ)道(ノ)中1の今在は。通證に。轉換之辭と云る。實に其如くにて有なり。偖重胤云。筑前風土記に。宗形大神自v天降2居|崎門《サキト》山(ニ)1之時。以2青※[草冠/(豕+生)]玉《アヲヌノタマヲ》1。置2奥津宮之|表《シルシニ》1。以2八尺(ノ)紫※[草冠/(豕+生)]《ムラサキヌノ》玉(ヲ)1。置2中(ツ)宮之表(ニ)1。以2八咫鏡1。置2邊(ツ)宮之表(ニ)1。以2此三(ノ)表(ヲ)1成(シ)2神體《カムサネ》之形1。納2置三宮1。即隱之。因曰2身形《ムナカタノ》郡1。とある。此時を何れの時とかは思ふ。人皆其説を得ざるは甚怪しき事也。右の居2崎門山(ニ)1とは。彼三(ノ)島に住せ御在坐て。大巳貴神の嫡后《オホキサキ》道主《ミチヌシノ》貴と申奉り。夫(356)婦《メフ》二柱共に相並ばして。天下を主領《ウシハ》き。所知食間の御事也。然るに其三(ノ)宮に。表(ノ)物を置て。祝(ヒ)鎭(メ)玉ふ御事の有りなんや。此は天孫降臨章。大巳貴神の。天神の御使に。令v白奉(リ)玉へる御言に。今我當(ニ)於2百不足之八十隈《モヽタラズヤソクマデ》1將隱去《カクリナムト》矣。言訖(テ)遂隱。とある其時の事也。此事を第二一書なる。天神詔命に。又汝應v住2天日隅宮1云々。即躬披(キテ)2瑞之八坂瓊(ヲ)1。而長隱|者《マシキ》矣。と有と同意の文なるなり。右の天日隅宮は。其國土を避奉り隱れ潜(ミ)玉ふ宮と云事也。天日隅宮は身を潜《ヒソ》む由。身形は。隱身《カクリミ》の形代《カタシロ》を。遺せる謂にて。其趣一に合るを思ふべし。然れば此三女神の。現御身坐し當時は。右の風土記に據に。御住處には。唯奥(ツ)宮中(ツ)宮邊(ツ)と申し。御名には。奥津島姫命。中津島姫命。邊津島姫命と申しし。他より其三(ツノ)島を號けては。海(ノ)北(ノ)道中とのみ云けるにて。宗像と申すは。幽顯初て分れたる程よりこそ。申習ひけらし。と云れたるはいと委し。さて三代實録貞觀十二年。宗像大神告文に。我皇天神波。掛毛畏岐。大帶日姫《オホタラシヒメ》乃。彼新羅人乎。降伏《まつろへ》賜(フ)時爾。相共(ニ)加《クハ》v力(ヲ)倍《ヘ》賜天。我朝乎救賜比。崇《アガメ》賜(フ)奈利。と見えたる。此事紀記共には。所見ざる事なれども。宗像縁起を始として。諸書に所見たる事なれば。古くより云傳へたる事著明し。さて承和七年四月。勲八等宗像神に從五位下を授奉しより。貞觀元年二月正二位と國史に所見たり。此餘に大和國城上(ノ)郡宗像神社三坐。【並大月次○類聚三代格に。宗像神社城上郡|登美《トミノ》山とある此なり】また太政大臣東京一條第に。此三神社ありて。筑前國なると共に。正二位を授玉ふ事も上に引り。なほ此神を祭れる社。式に見えたり。
 
 
〔第一一書〕
(357)一書曰。日(ノ)神本(ヨリ)知《シロシメセリ》2素戔嗚尊(ノ)有(コトヲ)2武健《タケクシテ》陵《シノグ》v物《モノヲ》之|意《コヽロ》1。及(テ)2其|上《ノボリ》至(ルニ)1。便(チ)謂《オボサク》。弟《ナセノミコトノ》所2以《ユヱ》來《キマセル》1者《ハ》非(ジ)2是(レ)善《ヨキ》意(ニ)1。必(ズ)當(ニ)奪《ウバハムトナラムトノタマヒテ》我天(ノ)原(ヲ)1。乃|設《マウケタマフ》2大夫武備《マスラヲノタケキソナヘヲ》1。躬(ニ)帶《ハキ》2十握(ノ)劔九握(ノ)劔八握(ノ)劔(ヲ)1。又|背上《ソビラニ》負(ヒ)v靱(ヲ)。又|臂《タヾムキニ》著《ハキ》2稜威(ノ)高鞆(ヲ)1。手(ニ)握《トリ》2弓箭(ヲ)1。親(ラ)迎(テ)防禦《フセギタマフ》。
 
 
陵物。物とは廣く何にも云語なり。陵v物は。物を陵《ヲカ》す事を云なり。纂疏に陵(ハ)犯也。侮也。物猶v言2人物1也。とあり。○及は。本書に至v聞2來詣之状1。と有に當れり。此を及と訓は。漢籍めきて。如何なる事ながら。然訓むより外なければ。然有なり。下章第二一書に。及《オヨビテ》d至日神當2新甞1之時u。と有など。共にオヨブと訓べき所なる也。神武紀及2年四十五歳1とあるを。綏靖紀至2四十八歳1。云々と見えたる此を合せて。至と及と。其義異ならざるを。曉るべきなり。○設大夫武備。大夫。重胤云。江家本に丈夫に作り。纂疏にも丈夫と有て。丈夫猶v言2大丈夫1。孟子所v謂威武不v納v屈者也。と云説あり。但此に大夫とあるを。強に誤とは云難かり。萬葉に大夫と多く見えたる中に。丈夫と有けんが。大夫と成れるも。有べけれども。皆がら然とも云難がたければ。此を以て大夫と作りしことを曉りてよ。此の大夫は。大丈夫の丈を畧きて。書るものなるべし。と云るはよき説なり。さて大夫《マスラヲ》は武健き行の人に(358)勝《マサリ》たる男《ヲ》と云事也。【轉りては。女に對て。男の通稱の如くも。後世には成り】設は。重胤云。麻祁と訓事也。然るに萬葉十|麻宇氣《マウケ》。名義抄にもマウケ。マウク。と有は。音便の如くなれど。熟思ふに。右の萬葉なるは。歌詞なるに依て。字數の限し有ければ。自然に約れる者にして。麻宇久は本語にて。麻久は略語なるべし。と云り。○十握劔九握劔八握劔。握は既に云。八九十は身の長短につき。稱るものなり。記傳云。九握劔八握劔は。のを添てよむべし。十握は大方の劔の常度と見えて。何となく只劔とてありぬべき所に。みな十握劔と云へれば。のと云べからず。【されどかく。九握劔八握十握と並へ云るところは。なほトツカノと訓べし】と云り。○靱(ノ)上に。應永本永享本千箭二字あり。然るべし。○又。纂疏本秘閣本等に又字なし。
 
 
是時(ニ)素戔嗚尊|告《マヲシテ》曰(ク)。吾(レ)元(ヨリ)無(シ)2惡《キタナキ》心1。唯|欲《オモフ》2與《ト》v姉《ナネノミコト》相見《アヒマミエムト》1。故(レ)爲暫來耳《シマラクマヰキツラクノミ》。於v是日神共(ニ)2素戔嗚(ノ)尊(ト)1。相|對《ムキ》而|立《タヽシテ》。誓(テ)曰《ノタマハク》。若(シ)汝《イマシガ》心|明淨《キヨクシテ》不《ヌ》v有(ラ)2陵奪之意《シノギウバヽムトイフコヽロ》1者《モノナラバ》。汝(ガ)所生《ナサム》兒必(ズ)當(ニ)男《マスラヲナラムト》矣。言《ノタマヒ》訖(リテ)先(ヅ)食《ヲシテ》2所帶《ミハカセル》十握(ノ)劔(ヲ)1生《ナス》v兒(ヲ)。號(ク)2瀛津島姫(ト)1。又食(シテ)2九握(ノ)劔(ヲ)1生v兒(ヲ)。號2湍津姫(ト)1。又食(テ)2八握劔(ヲ)1生v兒(ヲ)。號2田心姫(ト)1。凡三(ノ)女神(マス)矣。
 
 
故爲暫來耳。本に故字只と作り。今永享本應永本に依て改む。本書に將v退2根國1。故欲3暫向2高天原1云々。永退矣。とあり。○暫曰比。にては。日神のみ誓を立させ玉へる如く見ゆれども。本書に請與v姉(359)共誓とあり。【第二一書にも】此傳には素戔嗚尊より係させ玉へりし御言|脱《オチ》て。大神の答させ玉へりし御言のみ遺れるなり。なほ本書に。素戔嗚尊の御言のみ有て。大神の御答なきと。同じ事なるものなり。○意者。永享本に者字無し。○食所帶十握劔。大神御自の。十握劔九握劔八握劔を食て。女御子生坐し。素戔嗚尊は。又御自の瓊を食て。男御子を生坐ると見る時は。各々の御身の物實なれば。皇統は素戔嗚尊の方にありて。天照大神の御末には。あらぬが如くなれど。【物事に明るき古昔に。然る僻説の。あるべきよしなきをや】此時の五男三女神は。生給ひし主にも拘らず。又御物根にも拘はらず。唯大神と。素戔嗚尊の御中に。生(レ)給ふ御兒にしあれば。かゝる傳もある也けり。【此事は上に既に云り】食を袁須と云は。物を食《ハム》ことに云へれど。此は本書に咀嚼《カム》とある。即其意なり【喉内に呑入玉ふにはあらず。一書に噛2斷釼末1。記(ノ)序にも。この事を喫v劔とあり。唯|咬咀《カミクダ》きて。吹出給へるなり】○瀛津島姫。此は田心姫の。胸形の瀛津島に坐ます御名なる事。上に云るが如し。○田心姫。此神は瀛津島姫と一神なるを。二神と爲るは誤なり。
 
 
已(ニシテ)而素戔嗚尊。以(テ)2其(ノ)頸(ニ)所v嬰《ウナゲル》五百箇御統之瓊(ヲ)1。濯《フリスヽギ》2于天|渟名井《ヌナヰ》。亦(ノ)名(ハ)去來《イサノ》眞名井(ニ)1而|食《ヲス》v之(レヲ)。乃|生《ナス》v兒《ミコヲ》。號《マヲス》2正哉吾勝勝速日天(ノ)忍骨《オシホネノ》尊(ト)1。次(ニ)天津彦根(ノ)命。次活津彦根(ノ)命。次(ニ)天穗日(ノ)命。次熊野|忍蹈《オシホムノ》命。凡五男神(マス)矣。
 
 
(360)其頸所嬰。所謂御頸珠なり。此事も既に上に云るが如し。頸は記傳云。和名抄頸(ハ)久比頸莖也。とあり。【後世に頸より斬たる首を。久毘といふは。すこしたがへり】久毘は久須美なり【續世繼にうなじのくぼと云ことあり。俗にぼんのくぼと云】とあり。所嬰は。頸に懸玉ふを云。即|頸懸《ウナゲ》の義なり。○去來眞名井。本に去來下。之字あり。永享本舊事紀に。なきに從て削る。履中紀に去來此云2伊弉1とあり。【伊弉と云詞に。去來字を用ゐたるは。萬葉にも多くありて。漢土に古くさる意に用たり。人を召《ヨブ》に。去來《サリキタレ》と誘ふ意より。起れる俗語なるべし。】此訓注此にあるべきなり。名義未v詳。【試云はゞ。潔《イサノ》眞名井か。清き意なるべし】○忍骨尊は。忍穗耳と云るに同じき事既に云り。式豐前國田川郡忍骨命神社。又山城國字治郡許波多神社を。釋に引る風土記には。名天(ノ)忍穗根令と見えたり○忍蹈命。此は熊野※[木+豫]須日《クマヌクスヒノ》命に坐。名義忍穗耳に同じ。記傳に。式出雲國意宇郡志保美《シホミノ》神社。此忍の意を略奉る神號なるべし。と云れたり。蹈を古くは保美《ホビ》とも保牟《ホム》とも云り。【景行紀に蹈石をホミシ。仲哀紀穴門直踐立と云人をホムタチ訓り。布と保とは通音なり。例あまたあり】○此傳。天穗日命。五男の第四に在は。異なる傳也。
 
 
故(レ)素戔嗚尊既得(ツ)2勝(ツ)驗《シルシヲ》1。於v是日神|方《マサニ》知《シロシメシテ》3素戔嗚尊(ノ)固《マコトニ》無(キコトヲ)2惡(キ)意1。乃(チ)以2日(ノ)神所生三(ノ)女神(ヲ)1。令v降《アマクダリマサ》2於筑紫(ノ)洲(ニ)1。
 
 
勝驗とは。御誓に勝せ玉へる證據《シルシ》を云なり。第二一書に。天照大神復問曰。汝言(フ)虚實。將何以(テ)爲v驗(ト)。對曰。請吾與v姉共立(テム)2誓約1。云々生(マバ)v男(ヲ)爲2赤(キ)心(ト)1。云々とありて。素戔嗚尊の。男を成し出玉へるが故に。得2勝驗1。とはあるなり。此を大神に勝奉ると見るは委しからず。其先に誓約を立玉へりし任に。其效(361)驗有つるを以。勝とは云なり。能く爲《セ》ずは混ひぬbべき事共也。口訣に得2勝驗(ヲ)1者。勝v誓(ニ)也。纂疏に。得2勝驗1者。謂v生2男子(ヲ)1。故取以名v之。とあるなどは。當れる説言なり。○方知云々無惡意。平田翁云。大神はかにかくに素戔嗚尊の高天腹を奪はむとの惡き御心有て。參上り玉へるならむと。疑ひ所思ししを。其|詔定《ノリオキテ》たまへるまに/\。男御子を生坐りしかば。此に方《ハジメ》て素戔嗚尊の。本より惡心は坐まさず。たゞ御暇|請《マヲ》し給はむの赤心にて。昇坐るなる事を。知看せる由なり。【此大神と申せども。直に他の心を。察通《ミトホ》し玉ふ事は。え知給はず。宇氣比の御事に依てこそ方《ハジメ》て赤心とは知得たまへる。然るを佛聖人など云ものゝ。自に他の心を察通すなどいふ言の。空言なるをしるべし】とあり。さて第三一書に依に。此に男御子を治め玉へる御言あるべし。固無2惡意1と。乃(ノ)字の間に。便取2其素戔嗚尊(ノ)所生五男(ヲ)1。以爲2日神之子(ト)1。使v治2天(ノ)原(ヲ)1。などの語なくては。事足はざるなり。○乃以日神所生三女神云々。重胤云。こゝは。大神の其|女《ヒメ》御子の所置を。定(メ)掟《オキテ》させ給へる御計ひの。御事共なれば。此より遙に後に在ける事なれども。事の因に。如此記し續けずては。事の隔り行(キ)て。紛らはしく成が故に。此に在なり。此三女神の。此國土に天降坐るを。此一書には。今大神の御教に因て。降坐るが如く記(シ)たれど。此は此女神等の。後に此筑紫洲に。坐々る間の事を以(テ)。此時の事とせし傳なるべし。【かゝる例。古書に多し。第三一書に。六男神を。使v治2天原1と。ある處に云る事等。合せ見よ】决て此時の事にはあるべからず。【筑紫洲に降居るは。甚く後の事也】なほ此事。次に云。
 
 
因(テ)教(テ)之(ノ)日。汝《イマシ》三(ノ)神。宜(ク)降2居《クダリマシテ》道(ノ)中(ニ)1奉(リ)v助(ケ)2天孫《アマツカミノミコヲ・アメミマヲ》1。而爲(メニ)2天孫1所祭《イツキマツレ》也。
 
 
(362)教之曰。神の御命以て。仰玉へる事を。神命とも御教とも云事也。○道中。第三一書に。今在2海北(ノ)道中1號曰2道生貴1。とあり。纂疏に。道中者。西海(ノ)道中也。海北道中。謂2九州之北瀕海之地(ヲ)1。と見ゆ。記傳に。筑紫の北面《キタツラ》の海路にて。即胸形(ノ)宮其處なり。と云れたるが如し。道(ノ)中は。此任にては事足はず。上なる筑紫洲より。續けて心得べし。偖此道と云事はしも。已に鈴屋翁も云つる如く。國と云事なり。【道と國との差別は。始より其本生の地に在て。其地の主宰なるに。道主とは云はず。其類には。大國主神。又國主事勝國勝長狹とある是にて。國主と云事也。道主とは。君主の御許より。差遣はされて。畿内より。數多の道路を經行て。其國に大人《ウシ》と成を。道主と云事丹波(ノ)道主命の例を以。知べき也と翁説也】若て道中と云例は。越中《コシノミチノナカ》備中《キビノミチノナカ》共に道中なるは。道口道後に對並たる稱なり。偖上にも云るが如く。此は筑紫洲(ノ)道中と云義なるが。又海(ノ)北(ノ)道中とも有を以て考るに。筑紫洲の海北とは。豐前筑前肥前の三國にて。東より西に聯れゝば。彼畿内より。道口とは豐前なり。其行止る道(ノ)後《シリ》なる所は。肥前なりければ。其道(ノ)中と云なん。筑前には當りける。【筑前は。筑後に對ひてこそ。道口には有けれども。此洲の海北にて。東西に長き全體に取ては。道中なる者なり。】○天孫は。本の訓アメミマとあれど【アメミマは天御眞子の義なり。】なほ天神之子孫と云義に。書る漢文なれば。アマツカミノミコと訓べし。平田翁云。文武天皇元年詔に。天津神(ノ)御子とあるに從て訓べし。天神とは。總て高天原なる神を白す中に。此はもはら天照大御神を。指奉るなり。さて師説の如く。天忍穗耳命は。其御子に坐せば。本よりの事にて。此次々には。御孫なる邇々藝命をも。又鵜草葺不合命をも。神武天皇をもみな申せり。【武郷云。釋紀問云。此天孫指v何哉。先師申云。吉指2天津彦火瓊々杵尊1。云々。此條不v可v然歟。于時瓊々杵尊未2生給1。然者此天孫者。不v可v限2一人(ニ)1未來繼體(ノ)至尊也。とあり】さてかく申すは。大凡の國神と。同等からざる由に。事を分て尊み奉る御稱なり。【天忍穗耳命。邇々藝命は。(363)天にて生(レ)坐れば。唯に天神とこそ申すべきを。御子と申せるは。穗々出見命より以來。此國にて生(レ)坐るを。申ならはしたる御名を。上へも回らして。語傳たるなり。夫も天照大神の御子と申す意になるめれば。違ふことなし。然れど天神の御子と申す。本の意は。此國にて生坐るが。天神の御末にて坐由なり】さて御代々々の天皇命をも。然申奉る事は。其高御座は。天照大御神の依給へる御座なる故に。其に位《マス》をば。御末ながらに。御代々々天神御子とは申奉るなり。然れば。此御稱は。天地の際に。我天皇命一柱に限りて。申す御稱になむ有ける。と云り。○奉助天孫云云。重胤云。助は手次《タスク》の義にて。我手にて。行屆かざる事を。傍より次《スケ》て成すを云なり。此を多須久と云ふ。多は右の如く。手の義なる故に。唯に須久とも云り。多須久と云證例は。記の神八井耳命の御言に。僕者扶2汝命1。爲2忌人1。而仕奉。と有は。此に奉v助2天孫1。而爲2天孫1所v祭。と有に同状にて。神祇を所祭るを以て。君を扶くる事なり。と云り。○所祭。本にイツカレヨと訓れど。平田翁のイツキマツレとよみて。皇孫命の御手に代り助けて。宜所祭《イツキマツレ》と。教給へるなり。と説れたるは。然事なり。なほ重胤説に。三代格寛平五年十月格に。太政官符云々。舊記云。是天照大神之子也。大神勅曰。汝三神隆2居道中(ニ)1。奉v助2天孫1。爲2天孫1所《レ》2崇祭《イツキマツ》1者。今國家毎v有2祷請1。奉2幣(ヲ)件神(ニ)1是其本縁也。と所見たる舊記は。此紀の文なるが。其末に。今國家云々と云を以見れば。所祭を今本イツカレヨと訓來れる義に合るが如しと雖。猶舊義には非るべし。其は上に教之曰とあるは。唯奉v助2天孫1て。其天孫の御爲に。齋かれよと云意のみにては。合はざるなり。教之と云は。外に學び行ふ處有を以て。云語にこそ有けれ。【但此大神の。國家を護奉らせ玉ひ。又其に就ても。重く崇へられ玉ふ御事は。今云迄も非るなり。但し其を以て。イツカレヨの證には立かたかり】と云れたるが如し。さて此御言の意は。上にも引る。記の神八井(364)耳命の御言を。此紀には。宜(ク)汝之光2臨天位1。以承2皇祖之業1。吾當爲2汝輔(ト)1之。奉2典神祇1。と見えたる。爲2汝(ガ)輔(ト)1【記に扶2汝命1】は。此に奉v助2天孫1とあるに當り。又奉2典神祇1【記に爲2忌人1而仕奉】と云は。爲2天孫1所v祭。とあるに同趣にて。上世に君王の輔相として。仕奉れるには。先神祇を奉典る事を職として。仕奉れる事。最第一の任なるを。明らむる時は。此の所祭も知らるゝなり。【さて此所祭神を。豐受大神なりと云る説あり。甚しき非事也。其説の起本は。神宮雜例集に引る。大同本紀に。皇大神の御託宣に。吾一所耳坐(セ)禮波。御饌(モ)安不2聞食1。吾高天原爾在時。素戔嗚尊(ノ)帶(セル)十握劔(ヲ)索取(テ)。三段(ニ)打|折爲《ヲラシテ》。所v生三女神乎。葦原中國(ノ)宇佐島降2倍道中(ニ)1。奉v助2天孫1而。爲2天孫1所v祭止詔之神。今丹波國(ノ)與佐乃|比治乃《ヒヂノ》眞名井(ニ)坐弖。道主王(ノ)子。八乎止女乃齋(キ)奉(ル)。御饌都神。止由居乃神乎。吾坐國(ニ)欲止《モガト》。誨(ヘ)覺(シ)給支。と見えたる文なるが。此は吾高天原爾以下。所祭止詔之神まで。五十三字は。全く後人の※[手偏+讒の旁]入なるなり。其本は。倭姫命世記。御鎭坐傳記。同本紀に。同事を右の文はなくて。丹波國(ノ)與佐之。小見比治之魚井(ノ)原坐(ス)。道主王子。八乎止女乃齋(キ)奉(ル)。御饌都神|止由氣《トユケ》皇大神乎。我坐國欲度。誨覺給支。とのみあるが。如くなるべきを。道主王を。此なる道主貴と。一に爲て。豐受大神を。殊更に貴くせんとの奸意より。神代紀の文を採入れて。かゝる文をば作りし也けり。右の文を。御鎭坐次第記には。道主(ノ)貴とさへ改たる。既にさる下心は。ありしものなりけり。道主(ノ)王は。丹波道主(ノ)命なるものをや。なほ延暦儀式帳をも見合せて。其妄を覺るべし。また右引る文中に。葦原中國(ノ)宇佐島(ノ)降2居道中(ニ)1云々。とは何事ぞ。宇佐島と。道中とを。一に混じて云る。甚しき杜撰なり。又平田翁の引れたる一本には。爲2天孫1所祭止詔之の下に。須勢理姫之齋奉禮留。の九字さへあり。彌後人の加筆なること知られたり。
 
 
〔第二一書〕
一書曰。素戔嗚尊|將《スル》v昇(リマサムト)v天(ニ)時。有2一《ヒトリノ》神1。號《ナハ》羽明《ハアカル》玉。此神奉(リテ)v迎(ヘ)而|進《タテマツル》2以瑞(ノ)八坂瓊(ノ)之曲玉(ヲ)1。故素戔嗚尊持(テ)2其瓊玉(ヲ)1。而|到《マヰツ》2之於|天上《アメニ》1也。
 
 
羽明玉。名義|映明玉《ハエアカルタマ》なり。映《ハエ》は玉の照曜《テリカヾヤ》くを云なり。上の一書に速玉之男。式に熊野|早玉《ハヤタマノ》神社。又陸奥國志太郡|敷玉早御玉《シキタマハヤミタマノ》神社あり。此等も皆映玉の意なり。と記傳に云り。玉を造りて奉進りしより。(365)負る名なるべし。【拾遺に。櫛明《クシアカル》玉命(ハ)出雲國(ノ)玉|作《ツクリノ》祖也。と有て。末に櫛明玉命之孫。造2御祈玉《ミホギタマ》1。其裔今在2出雲國1。毎年與(ニ)2調物(ト)1。貢2進其玉1。と見えたるは。此時の由縁に依れるなるべく。所思たりと云り。櫛明玉命は。羽明玉と同神なる事は次に云】さて此神の御名。樣々に傳はれる中に。まづ寶鏡開始章第二一書に。玉作部遠祖。豐玉者《トヨタマニハ》造(ラシム)v玉。また第三一書に。玉作(ノ)遠祖伊弉諾尊(ノ)兒天(ノ)明《アカル》玉(ノ)所v作八坂瓊之曲玉云々。天孫降臨章に。玉作(ノ)上祖《トホツオヤ》玉屋《タマノヤノ》命【記にも科2玉(ノ)祖《ヤノ》命1。令v作2八尺勾瓊之五百津之御須麻流之珠1。と有】姓氏録に右京神別。玉作撞。高魂命孫天(ノ)明玉命之後也。云々造2作|玉璧《タマヲ》1。以爲2神幣(ト)1。故號2玉(ノ)祖《ヤノ》連(ト)1。亦號2玉作(ノ)連(ト)1。古語拾遺に。櫛明玉(ノ)命。出雲國玉作(ノ)祖也云云。素戔嗚神欲v奉2辭日神1。昇v天之時。榊明玉命奉v迎献(ルニ)以2瑞之八坂瓊之曲玉1云々。舊事紀に玉作(ノ)祖櫛明玉神云々。伊弉諾尊之兒也。云々とある。是等皆同神なり。さるは此に羽明玉の。曲玉を素戔嗚尊に進るとあるを。拾遺には櫛明玉命と爲し。さて其櫛明玉命を。同書にも舊事紀にも。玉作(ノ)祖と見え。又一書に。豐玉。天明玉。下卷に玉(ノ)屋《ヤノ》命とあるも。玉作遠祖。玉作連(ノ)祖。【姓氏録にも。天明玉を。玉作(ノ)遠祖とあり】と爲るにて。かた/”\みな。同神なる事を知るべきなり。但し伊弉諾尊(ノ)兒とあると。高皇産靈尊(ノ)孫とあるとは。傳の異れるが如くなれど。此は伊弉諾尊には御兒。高皇産靈尊には御孫也。と見てありぬべし。又神名秘書と云ものに。異本古語拾遺の文なりとて。櫛明玉命(ハ)高皇産靈神(ノ)女。栲幡千々姫《タクハタチヽヒメノ》命之妹也。と云る説あり。記傳に。此神を女と爲る事いかゞ。と云れたるが如く。誤なるべし。【其は寶鏡開始章一書【豐玉の下】に平田翁の説を引て云べし】○瑞八坂瓊之曲玉。瑞は稱美辭なり。曲玉は既にも云る如く。其形状の曲れるが甚麗(ク)妙なる故に云る名なり。
 
(366)是(ノ)時(ニ)天照大神疑(ヒタマヒテ)3弟《ナセノミコトノ》有2惡(キ)心1。起(シテ)v兵《イクサヲ》詰問《トヒタマフ》。素戔嗚尊對(テ)曰(ク)。吾所2以|來《マヰクル》1者《ハ》。實(ニ)欲《ナリ》2與v姉《ナネノミコト》相(ヒ)見《マミエント》1。亦欲(フ)v獻(ラムト)2珍寶《タカラタル》瑞(ノ)八坂瓊之曲玉(ヲ)1耳《ノミ》。不《ズ》2敢(テ)別《コト》有(ルニ)1v意也。時(ニ)天照大神復問(テ)曰。汝言虚實《イマシガイフコトノマコトイツハリ》。將(ニ)何(ヲ)以(カ)爲(ム)v驗(シト)。對(テ)曰。請(フ)吾(ト)與v姉。共(ニ)立(ム)2誓約1。誓約之|間《ミナカニ》。生《ナサバ》v女《タワヤメヲ》爲《オボセ》2黒(キ)心(アリト)1。生(サバ)v男《マスラヲヲ》爲《オボセ》2赤《キヨキ》心(アリト)1。乃掘(テ)2天(ノ)眞名井三處(ロヲ)1相與(ニ)對《ムカヒテ》立(ツ)。
 
 
起兵。起v兵は。記紀に起v兵《イクサ》興v軍《イクサ》興v師《イクサ》などあり。偖兵は常には。都波母能と訓て。武器を云稱なれども。此は伊久佐と訓(ム)處なる事。右に引る例共を推て知べきなり。名義抄にも。兵字に右の二訓あるなり。さて本書第一(ノ)一書は。御自の御装のみを云。此は兵のみを云るにて。其時のさま。なほ同事なり。○詰。本に誥に作る誤なり。今は類史本によりて。改め訂せり。○虚實。字の任に訓ては。漢文の格なり。日月と書てツキヒと訓む如く。此も倒反して。マコトイツハリと。訓べき字なり。○將何以爲驗は。謂ゆる證據を云なり。纂疏に。進雄尊献v珠。表2其赤心(ヲ)1然(ドモ)其言(ノ)虚實。猶未v可2分別1。故以v生2男子(ヲ)1。欲v見2證驗(ヲ)1。如v是則赤黒不v可2矯飾1故也。とあり。重胤云。驗(シ)と云は。次に誓約之間。生(ハ)v女爲2黒(キ)心(ト)1。生v男爲2赤(キ)心(ト)1と見えたる。是を云なり。然るに其誓約の御中に。赤心の見はれさせ在《オハ》し坐て。男御子(367)を成(シ)出奉らせ玉へる。此即第一(ノ)一書に。素戔嗚尊既得2勝(ツ)驗(ヲ)1。と見えたる是なり。然るを天照大神はしも。女御子を成出させ玉へるを。右の生v女爲2黒心(ト)1と云に當て。天照大神に勝奉る驗を。得玉へるが如く。説成し奉るは。此の文意を。能も相照し考合さゞる僻事也。と云り。○立誓約。立は上一書に。建《タツル》2絶要之誓1の建に同じ。立は誓を成て。事を定むる謂(ヒ)なるなり。○天眞名井三處。上にも云る如く。此井は即ち安《ヤスノ》河瀬の中にて。井と云べき處を。指て云るにて。別に尋常云(フ)井ありしにはあらじを。こゝに堀とあるいかゞなるやうなり。三處は。玉の端《ハシ》中《ナカ》尾《ヲ》と。三度三處にものし給はむ料なるべけれど。猶少しいかゞなる心ちす。【按に堀とはあれど。新に堀鑿《ホ》らせ玉ふににあらで。三處の瀬を。定めさせ玉ふを。云るにもあるべし。】
 
 
是時(ニ)天照大神|謂《カタリテ》2素戔嗚尊(ニ)1曰(ク)。以2吾所帶《アガハカセル》之劔(ギヲ)1。今當(ニ)奉(ラム)v汝。汝(ハ)以(テ)2所持《モタル》八坂瓊之曲玉(ヲ)1。可《ヨ》2以|授《サヅケ》1v予(ニ)矣。如v此約束《カクチギリテ》。共(ニ)相換(ヘテ)取(タマフ)。已而天照大神。則(チ)以2八坂瓊之曲玉(ヲ)1。浮2寄《ウケヨセテ》於天(ノ)眞名井(ニ)1。囓2斷《クヒタチテ》瓊(ノ)喘《ハシヲ》1而。吹(キ)出《ウツル》氣噴之|中化生《ミナカニナル》神(ヲ)。號(シテ)2市杵島姫(ノ)命(ト)1。是(ハ)居《マス》2于|遠瀛《オキツミヤニ》1者《カミナリ》也。
 
 
謂素戔嗚尊曰。重胤云。此は右の素戔嗚尊の御言に就て。大神の判わらせ玉ふ所なり。偖此に物根を相換させ玉ふ事の御約束。御誓に前立て宣はせたるは。異なる傳の如しと雖。然には非ずなん有ける。(368)其は正書に。於是天照大神乃索2取素戔嗚尊十握劔1。云々既而素戔嗚尊乞2取天照大神云々五百箇御統(ヲ)1【記も同】とあるは。不意き状の如く成に。此の傳の如く。其先に其御約束御在坐すと見奉る時は。殊更に義理に於て。明らかなる所あるものなり。○所持。本に所字の上にも。汝字あり。今は纂疏本及類史に無に依る○授。私記に左豆介與と訓り。永正本鎌倉本にも然訓り。【本にクレヨと訓れど。宜しからず】重胤云。授は凡賜と同語なるが。賜は上より下へ。物を與ふる事に云るを。授は然に非るにや。天孫降臨章。大巳貴神の廣矛を授2二神1と見え。記に綿津見大神の。火遠理命に授2鹽盈珠鹽涸珠兩箇1。とあり。○浮寄は。口訣に濯《フリスヽグ》之言とあり。振滌とは。衣などを水に洗ふ状に。流れんとすれば引寄せ。沈まむとすれば取浮べて。振滌ぐ事なり。故瓊響き※[王+倉]々とは云るなり。下章第三一書。濯浮とあるを。合せ見て。其状を思やり奉るべし。○瓊端。次に瓊(ノ)中。瓊(ノ)尾あり。此は一顆《ヒトツ》の玉の初《ハシ》中《ナカ》後《スヱ》を云なり。瓊端は。本にニノハシと訓るよく叶へり。【私記に爾乃波とよめるもよろし】下章第三一書に。瓊端《タマノヲ》とあるも同じ。偖此瓊はしも。右の八坂瓊曲玉にて。即卸頸珠の事にて。其一顆の玉の状はしも。何れを始。何れを終と云べからざるに似たりと雖。左に出せる圖に據て心得なば疑ひなかるべし。
 
                 瓊端《ニノハシ》
   瓊中《ニノナカ》
            〔ここに曲玉の図あり、下向きに彎曲し右のふくらんだ方に穴がある、そのふくらんだ方が瓊端、中央が瓊中、左端の細くなった方が瓊尾、となっている〕
 
                 瓊尾《ニノヲ》用
○囓斷は。囓切《クヒキル》と云に同じ。大祓詞に。本|打切《ウチキリ》末|打斷《ウツタチ》※[氏/一]。又本苅斷末苅切※[氏/一]。など通はせ云り。偖此は瓊(ノ)綸を囓斷せ玉へるにはあらず。緒に貫る瓊玉を囓《カ》み碎かせ玉へるを申すなり。○氣噴之中は。氣噴之狹霧之中。と云義なり。○遠瀛。記に奥津宮とあり。奥津島の事なり。地神本紀に。瀛津島姫命。坐2宗(369)像奥津宮1。是所v居2于|遠瀛島《オキツシマ》1者也。とあり。筑前續風土記に。俗に此島を奥(ノ)島と云ひ。神をも奥御神と申すとあり。奥津島又瀛津島姫命と申奉る唱を失はざる者なり。文安元年宗像縁起に。此奥津宮の祭神を。田心姫命と云るは上に云るに合へり。續風土記に。奥津宮の社人は。此島の神を田心姫とし。第一の宮とす。故に田心姫を中とし。左を市杵島姫命とし。右を湍津姫命とす。此島は大島より戌亥方に在り。其間四十八里と云り。島の周廻一里あり。社は西南に向ひて。山の麓。平地の高處に立り。海邊より社まで。其間百五十間。道|嶮岨《サカ》しからず。島山高し。其峰三あり。甚高きを一(ノ)嶽と云ふ。其次二(ノ)嶽。其三白嶽。皆岩山なりとあり。【さて宮所は。−(ノ)嶽の麓。大なる巖の物の足の如。三(ツ)聳立ちたる間に。おはしますと。青柳種信が紀行に云り】
 
 
又囓2斷(チ)瓊中《ニノナカヲ》1。而吹|出《ウツル》氣噴之|中《ミナカニ》化生(ル)神(ヲ)號(ク)2田心姫(ノ)命(ト)1。是(ハ)居(ス)2于|中瀛《ナカツミヤニ》1者也《カミナリ》。又囓2斷|瓊尾《ニノヲヲ》1。而吹|出《ウツル》氣噴之中(ニ)化生(ル)神號(ク)2湍津姫(ノ)命(ト)1。是(レハ)居《マス》2于|海濱《ヘツミヤニ》1者也。凡(テ)三(ノ)女神(マス)。
 
 
中瀛は。記に中津宮とあり。即中津島姫命。坐2宗像中津宮(ニ)1とあり。此御名記紀には漏たれど。山城松尾神社に。祭所の中都大神と申御名は。本朝月令に載たる。秦氏本系帳に見えて。古き稱なり。續風土紀に神湊の海濱を去る事。三里。北の海中に在。島の回三里餘。此邊の島に比ぶれば頗大なり。(370)故に大島と號るなるべし。民家も多くして町あり。又此島に宗像神社おはします。社は巽の方に向へり。田島の方なり。湍津姫命を主とす。中湍津姫命。左田心姫命。右市杵烏姫命とあり。此も本書の傳と合へり○瓊尾。本にニノヲと訓れど。さては瓊綸《ニノヲ》に混ふべければ。尾はスヱと訓べきか。定めがたし。○海濱。楓山本及類史等に近瀛とあり。記に邊津宮とあり。即神湊の陸方田島是なり。神祇本紀に。邊津島姫命者。是所v居2于海濱1者。此湍津島姫命也。【島字衍也】とあり。邊津島姫命と申御名。記紀に洩されたり。續風土記に。田島社古は神湊の東六町海の南一町許に在し故に。邊津宮と云。邊とは海邊を云。神湊なりし其跡を。今|神《カミ》の幸《カウ》屋敷と云。其邊に今も社の跡ありて著明し。昔神祭に用たりし。土器の破たる多し。此所神湊と。江口との間に在り。神湊の境内なり。田島村を去こと半里許なり。宗像大宮司清氏より。四十八世長氏の時。後深艸天皇建長年中。夢に神託の告有て。田島に移奉ると云傳ふ。田島の御社は。戌亥に向ひ。敵國降伏を顯はせり。今田島の所祭神社。中第一田心姫命。左第二湍津姫命。右第三市杵島姫命。凡三所の大神の社に。各三神を衆奉ると雖。其主とする所の神を以。中坐とす。田島の社人は。此社を以第一とし。田心姫とする故に。中社に祭りて。此を主とし。餘の二神を客とすと云り。祭神は瀛津島と同じきは。非事なるべし。市杵島姫命とあるべき事なり。
 
 
於是《コヽニ》素戔嗚(ノ)尊。以(テ)2所v特《モタル》劔(ヲ)1。浮2寄《ウケヨセテ》於天(ノ)眞名井(ニ)1。囓2斷(テ)劔(ノ)末《スヱヲ》1。而吹(キ)出《ウツル》氣噴(371)之中(ニ)化生(ル)神(ヲ)號(ク)2天(ノ)穗日命(ト)1。次(ニ)正哉吾勝々速日天忍骨(ノ)尊。次天津彦根(ノ)命。次活津彦根(ノ)命。次熊野※[木+豫]樟日(ノ)命。凡五(ノ)男神云爾《ヒコガミマストシカイフ》。
 
 
囓斷劔末。上章一書に劔(ノ)鋒《サキ》とあり。末は※[金+芒]《サキ》なり。劔鐔を。記に御刀本とあるにて知べし。此一書生坐る五男神。劔鋒を囓斷玉ひし時。一聯續《ヒトツヾキ》に生坐るとあると。忍穗耳尊穗日命の生坐る。御序次の反樣なるが。異傳なり。【重胤云。天穗日命の成出玉へりしことの。最初に在は。奇らしくはあれども。其にては第三一書に。便化2生男1矣。則稱之曰。正哉吾勝。と見えたる正旨を矢ふもの也】○此一書の趣にては。大神は素戔嗚尊の玉を囓て。女御子を生坐し。素戔嗚尊は大神の劔を囓て。男御子を生坐るよしなれば。。物實の異あり。さて拾遺に。素戔嗚神昇v天之時。櫛明玉命奉v迎献(ニ)以2瑞八坂瓊之曲玉1。素戔嗚尊受v之。轉奉2日神1。仍共約誓。即感2其玉1。生2天祖|吾勝(ノ)尊(ヲ)1。とある。此傳にては。玉に感けて。吾勝尊を生玉ひしは大神に坐り。此一書と亦異なり。されども此は物實に拘り玉はざる一證なり。さて大神の男御子を生玉ふとあるは。本來異傳なれども。記にも既く。素戔嗚尊の御言に。我心清明故我所v生之子。得2手弱女1。と云る傳もあれば。かくとり/\に。語傳へ來しにこそ。これも何れを何れと云。差別あらざればなり。思ふべし。
 
 
〔第三一書〕
一書曰。日神與2素戔嗚尊1。隔(テヽ)2天(ノ)安河(ヲ)1而相對(ヒテ)。乃(チ)立《タヽシテ》誓約(ヒテ)曰。汝《イマシ》若(シ)不(ル)v有(ラ)2(372)奸賊《アダナフ》之心1者《モノナラバ》。汝(ガ)所生《ウメラム》子必|男《ヲノコナラム》矣。如生(メラ)v男(ヲ)者《バ》。予以爲(シテ)v子(ト)。而令(メム)v治《シラ》2天(ノ)原(ヲ)1也。於是日神。先|食《ヲシ》2其(ノ)十握(ノ)劔(ヲ)1。化生《アレマス》兒(ハ)瀛津島姫(ノ)命。亦名(ハ)市杵島姫命。又|食《ヲシ》2九握(ノ)劔(ヲ)1。化生(ス)兒(ハ)湍津姫(ノ)命。又食(シ)2八握劔1。化生(ス)兒(ハ)田霧姫(ノ)命。
 
 
隔天安河云々。記には中2置天安河1とあり。平田翁云。中間に隔つるなり。【萬葉に。紅の襴引《スソヒク》道を中(ニ)置て云々。】さて此川を中に置て。誓玉ふ事は。須佐之男命の御心の。眞僞の知られ給はぬ故に。親《ムツ》び給はず。御心を置て。川の向へ。遠|放《ザケ》玉へるならむか。又此川は。大御神の大宮處の前に流るゝ川なるを。其邊に出坐て。待向ひまし。須佐之男命は國土より。參上り玉ふなれば。自かく川を隔て。對立玉ふにてもあるべし。と云り。○奸賊。重胤云。阿多は敵にて。那布は辭なり。其は神武紀に懼v不《マジキコト》2敢敵《エアタル》1。と訓るを以て。敵は當《アタル》にて。此方を目指し來る者を云り。【奸はカタミ。カタマシ。カタム。と訓るカタムは。敵をカタキと訓と同義なり】と云り。○予以爲子。大神の御許にて。子養《ヒタシ》玉はむと詔へるなり。【此事既に云り】此に對へて。吾如生v女者。汝以爲v子。而令v降2於葦原中國1。とある御言有つらむを。略けるものなるべし。○令治天原。重胤云。高天原はしも。大神の知看させ|御在《マシマス》御國なり。然るに此にて。天忍穗耳尊に事依奉らせ給御事は。如何と云疑もあり。、又天孫降臨章一書に。豐葦原中國。是吾兒可v王之地。と見えたる大神の大御言にも。合ざるが如く思ゆる事なれども(373)然らず。まづ大神の御事は。二神の何不v生2天下之主1者歟。と詔玉ひて。生奉らせ玉へりし驗に因て。生出させ玉へりし大神に渡らせ玉へば。高天原を所知看御在坐|乍《ナガラ》も。猶此天下は。大神の御國なるべきよしある事。已に注せるが如し。依令v治2天原1とは。皇大神の相保たせ御在坐葦原中國をも。所v知《シラシ》令《シメ》v坐《マサ》奉(リ)玉はむと云事なるべし。然るは記御天降段に。太子《ヒツギノミコ》正勝吾勝々速日天忍穗耳命と見えたる太子は。日繼乃御子と申奉る御事。又其平國(ノ)段なる。大國主神の御名に。唯僕住所者。如《ナシ》2天神御子之天津日繼|所知之登陀琉《シロシメストダル》。天之御巣《アマノミス》1而。云々治賜者とあるも。當昔已に高天原にして。天忍穗耳尊の。天つ日繼|所知看《シロシメス》。皇大宮の御在しけるに就て。其天上の儀の如く。新宮造《ニヒミヤヅクリ》し玉へらむ事を。請奉らせ玉へるをも思ふべし。右の如く令v治2天原1とは在れども。事は天下の大御政なるを思合すべき者なり。又第一一書に。三女神の御事を。汝三神宜降云々爲2天孫1所v祭とある。天孫は此忍穗耳命の御事なるが。已く天降して。此天下を令知食《シロシメサ》しめ玉はむ。御下心のおはしますに依る事をも。考べき者なりかし。【されば令v治2天原1とは。大神の御嗣と。成し奉らせ玉はむと云事にて。事は此にては。天下を所2知食1。御ことなるものなり】と云り。○田霧姫命。田霧は田心と通ふ。さて此序次。瀛津島姫命と申すは。田霧姫命の。奥津宮に坐御名なるを。別神として。田霧姫命最後に生坐と爲し。又市杵島姫命と申すは。記の狹依毘賣《サヨリヒメ》の亦名なるを。瀛津島姫命の亦名とし。湍津姫命を。中に生ますと爲るなど。皆異なる傳なり。
 
 
(374)已(ニシテ)而素戔嗚尊。含《フヽミテ》2其左(ノ)髻所纏《ミヽヅラニマカセル》五百箇(ノ)御統之瓊(ヲ)1。而|著《オキテ》2於左(ノ)手(ノ)掌中《タナウラニ》1。便|化2生《ナス》男《マスラヲヽ》1矣。則|稱之曰《コトアゲシテノタマハク》。正哉吾勝《マサシカモアレカチヌ》。故因(テ)名(ケテ)之曰(ス)2正哉吾勝々速日天忍穗耳尊(ト)1。復含(ミテ)2右(ノ)髻(ノ)之瓊(ヲ)1。著《オキテ》2於右(ノ)手(ノ)掌中《タナウラニ》1。化2生《ナス》天(ノ)穗日命(ヲ)1。復含(テ)2嬰《ウナゲル》v頸《ミクビニ》之瓊(ヲ)1。著(キ)2於左|臂《タヾムキノ》中(ニ)1。化2生(ス)天津彦根命(ヲ)1。又自2右(ノ)臂|中《ナカ》1。化2生《ナス》活津彦根命(ヲ)1。又自2左(ノ)足(ノ)中1。化2生《ナス》※[火+漢の旁]速日命(ヲ)1。又自2右(ノ)足(ノ)中1。化2生《ナス》熊野忍蹈(ノ)命(ヲ)1。亦名(ハ)熊野忍隅命。
 
 
已而云々。此と下章第三一書とは。五男神を六男と傳へたる異説なり。偖本書に。珠を纏持せるに。髻《ミヽヅラ》鬘《ミカツラ》腕《ミタブサ》とあるを。記に左右の御美豆良。次に御鬘。次に左右の御手とありて。合せて五所にて。五男神の數に合せて同じきを。此には左右の御髻之珠と。御頸珠との三のみにして。次には自2右(ノ)臂中1。又自2左(ノ)足中1。又自2右(ノ)足中1とある。此三(ツ)は。瓊を著て御子を化玉へりとも見えず。唯手唯足より。成坐る趣にして。其左手の方には。復含2嬰v頸之瓊1。著2於左臂(ノ)中1。とある。【右臂中の方には右の文なし】同じ左右の御臂にして。事の異なるも如何なり。此は本書に。※[齒+吉]然咀嚼。又一書に食。又一書に囓斷とあり。其とは異なる者にして。右の御頸珠を。左右の御臂。左右の御足に。著置せ玉ひて。御子を成玉へりとみゆ。(375)然れども。六男とあるも。異傳也。此にては傳々にある天安河も。天眞名井なども。用無き事の如し】○五百箇御統の。御(ノ)字本に无し。今活字本熱田本又元々集等に。あるに據て補。○髻。本にモトヾリと訓るは本取の義なれど。本書と同じくミヽヅラと訓べし。○含は。本書に※[齒+吉]然咀嚼。第一一書に食。第二一書に囓斷。と云るに同じ。○著。本にオキテと訓る。此は下章第一一書に。置2之左(ノ)掌(ニ)1。又置2之右(ノ)掌1。ともあるが如く。其咀碎きて。含ませ玉へる瓊を。手心《タナゴヽロに載せ玉へるなれば。著字は置と同じく。訓べき所なりけり。名義抄に。著字の訓くさ/”\ある中に。中怒反にてオクとも訓り。【字典。著(ハ)直略切云々著(ハ)置也。とあり】○手掌。顯宗紀に陀那則擧と訓り。今は明應本に引江本。又熱田本の訓に據れり。多那宇良は手裏の義なり。名義抄に。掌をタナゴヽロ。タナウラ。タナゾコと訓り。和名抄に。太奈古々呂。一云太奈曾古。手心也。と云るは。多那宇良と云訓を落せり。○正哉吾勝。此は御言なれば。マサシカモアレカチヌと訓べし。【マサシヤレ云々とも訓べし。古今集まさしや報なかりけりやは。とあり。さて御名には。言を省きてマサカアカツとも。又本の訓どもの如く。マサヤ云々とも云べきものなり】重胤云。正とは先に誓ひ宣つるが如く。正しき哉。其驗の有けるよと。申させ玉へるにて。一書に得2勝驗1。と見えたる是なり。此誓に限らず。卜《ウラ》事などにも。信に驗あるを。正《マサ》と云り。萬葉二に。大船之|津守之占爾將告登波益爲爾知而《ツモリノウラニノラムトハマサシニシリテ》云々。益爲は正《マサシ》の義なり。十一に事靈八十衢夕占問占正謂《コトダマノヤソノチマタニユフケトフウラマサニノレ》とある占正《ウラマサ》は。占を僞らず言《イ》へとなり。十四に。宇良敝可多也伎麻左底爾毛《ウラヘカタヤキマサデニモ》とある。麻左※[氏/一]は加茂翁説に正定《マサダ》也。と云れたるが如し。さて素戔嗚尊の。正哉吾勝と詔へるに就て。さらば大神は誓に負《マケ》させ玉へるにや。と云に然らず。抑此御誓は。素戔嗚尊に元より。黒心などは且ても御(376)在坐ざるが故に。由れる事なる事。云も更なるが。素戔嗚尊には。然る清(キ)御心なるから。日神にも共に誓し玉はらむ事を。請奉らせ玉ふには在けれども。日神は本より然る御疑も。何も御在坐ざりしかども。其天上に參上らせ玉ふ。御態の餘りに。兢凌《オドロ》しかりつれば。異《コト》御心や御在坐らむと。思成らせ玉ふのみこそ有けれ。然りとて。此も亦誓ひ負させ玉ふべき謂なき御事なり。と云り。記云因v此言者。自我(レ)勝(ヌト)云而。云々。○正哉吾勝々速日天忍穗耳尊。此御名諸本。正哉吾勝(ノ)四字なし。今永享本また元々集に引るに依て補へつ。【丹鶴本には吾勝二字あり。さて記にては。正勝とあれば必マサカと訓べし。此紀は正哉と作れば。古く訓來れるまゝに。マサヤと訓ても。非事にもあらじ。二方に申奉しならん】○嬰頸之瓊は。御頸珠なり。第一一書なると同じ。但第一一書は。此|一連《ヒトツヾキ》の玉以て。五男神を皆がら令v生玉へる由なるを。此にも天津彦根命以下。四神の此一玉に由て。成生るさまは。同じけれど。上なる二神の物根は。各一(ツ)宛別々に在しなり。此は聊疑はしき傳になん有ける。○自右臂中云々。是より以下の三柱にも。瓊を含みて。臂又足に著給ふ事あるべきを。上の三神に准へさせて省る傳か。又下章第三一書にも。天津彦根命以下には。物根を書ざるなどを思ふに。此も右臂中以下は。物根なくして。直に臂又足より。生(シ)出玉ふと見むか。いと/\疑はし。○※[火+漢]速日命。本※[火+漢]下に之字あり。平田翁校本に。一古本に無とあるに從ふ。【下文にもなし】されど此神は。四神出生章一書に出たる。甕速日神の子と同名にて。此は混亂たる傳なるべし。下章第三一書にも出たり。【ある説に。疑或五男内。有2異名同神1。而誤認爲2別神之號1也。猶3火々出見尊一名火折尊而一書以爲2一神1と云り。此はさも有なむか。さだめては云がたし】○熊野忍隅命。忍は大なり。隅の須は都に通ひて之《ノ》なり。美は毘と通ひて。尊(377)稱なりと。記傳の説なり。
 
 
其《カレ》素戔嗚尊|所生《ウメル》之|兒《ミコ》。皆已(ニ)男《ヒコガミナリ》矣。故(レ)日(ノ)神方|知《シロシメシ》3素戔嗚尊(ノ)元(ヨリ)有(リト)2赤《キヨキ》心1。便(チ)取(テ)2其(ノ)六男《ムハシラノヒコガミヲ》1。以(テ)爲(シテ)2日(ノ)神之子(ト)1。使v治(ラ)2天(ノ)原(ヲ)1。
 
 
已は悉(ノ)字の義なり。本書に。五男神悉是吾兒。三女神悉是爾兒。などある是なり。○使治天原。重胤云。此は高天原にして。天津日嗣に定奉らせ玉へる御事を申奉れるなり。記御天降段。大國主神御言に。如2天神御子之天津日繼|所知《シロシメス》之|登陀流天之御巣《トダルアマノミス》1而。云々とある。此御言を以ても。天忍穗耳尊は。高天原にて。天津日繼所知看しおはしましゝ御事を知べく。又其天津日繼所知看宮所はしも。天照大神の日宮の外に在て。右に謂ゆる天之御巣也ける者なり。さて其天津日繼は。天下を知看す。大御政の始になん御在坐しけると云り【此事已に上にも云り。考合すべし】さて此に取2其六男1。云々使v治2天原1とては。六男神悉く天原を治り玉へるが如し。されど天穗日命以下の神等。皆然るにはあらず。忍穗耳尊に彼v引て。一括りに然詔へる物と。見てあるべし【さるを口訣に。令v治2天原1也者。明(ケシ)忍穗耳尊|爲《タルコト》2第二代1他。とあるはいかにぞや。かくては大御神の御代をば。忍穗耳尊に讓り奉りて。退き避け玉へる如く通ゆ。さるは現世の意を以て。天津神等の御上を。料り奉るからに。かゝる説も。出來るものなりかし。】
 
 
即(チ)以(テ)2日(ノ)神|所v生《ナシマセル》三(ノ)女神(ヲ)1者。使(ム)v降2居《アマクダリマサ》于葦原(ノ)中(ツ)國之|宇佐《ウサノ》島(ニ)1矣。
 
 
(378)葦原中國。此は此國土を。天神の御世に。高天原より云る號なり。葦原の事は既に云り。中國とは。萬國總て葦原の中ながら。其中に最正中《マナカ》なる國と云義にて。即皇國の域なるなり。○宇佐島。豐前宇佐郡宇佐郷ある其地なり。宇佐島と云事は。松下見林説に。宇佐島(ハ)非2海島1。二川周2流神山(ヲ)1。故有2島名1と云るが如し。又八幡本紀。宇佐宮條に。凡て此三所の御宮所は山なり。即小倉山是なり。巡(リ)に川流れて島の如し。此故に日本紀にも。宇佐島と稱せり。西より北に寄藻《モヨリ》川流れ。南より東に御物《オモノ》川流る。即其下にて。一と成る。小倉山は兩川の中に在り。譬へば伊豆國狩野川の内なる所を。蛭子島と稱し。信濃國千曲川犀川の間なる地を。川中島と云も。伊勢國の津島など。皆川中に在る故に。島と云か如し。必海中に在る地をのみ。島と爲るに非ず。と云り【右の寄藻川の川下を。月瀬川とも。淺瀬川とも云ひ。水上を呉橋《クレハシ》川と云ひ。凡てを驛館川と云ふ。菟狹川是なり。其一柱騰宮の跡は。其驛館川の水際に在と云り】宇佐と云名義詳ならず。神名式に。豐前國宇佐郡八幡大菩薩宇佐宮。【名神大】比賣神社【名神大】大帶姫(ノ)廟(ノ)神社。【名神大】と有る。是は世に所謂。宇佐宮三所の御事なるか。此比賣神社を三女神なりと。平田翁は云れたれど。甚しき誤なり。【比賣神社は。愚童訓に。龍王女と云る妄説あれど取るに足らず。應神天皇の妃仲姫命なりと云も信難し。なほ豐前志に辯られたる説見るべし】末社に三女神社あり。豐前志云。下市村にあり。甚神々しき宮地なり。此宮の前なる河。即宇佐川なり。川の彼方なる田居中に。眞名井あり。扨社の傍に。男莖の形爲たる物數本建たりと云り。これ三女神の御社なるべき。扨此に使2降居1と云事は。同志に。御許《オモト》山權現と云るあり。馬城(ノ)峰とも云。山上に八幡大神三所を祭れり。各石體なり。一は高三間許。二は低し。又嶺なる磐石の内に水あり。廣五寸深一寸(379)五分。大雨にも増らず。大旱にも減ぜず。大寒にも凍らず。汲ても盡ずと云。天台の僧坊三區あり。往昔は六區なりしとぞ。宇佐大神縁起に。應神天皇御靈行之昔。御示現之一處也。とあるは信難し。今は宇佐宮の本宮の如く云て。大宮司の御拜と云を爲なる時は。必此山に詣る事と成れるを思ふに。彼三女神の天上より。降り著たまひし所なるべしと。おもはるゝ由あり。と云れたるは。さることにて。通證に引る正木正英説も。三女神始隆臨之處。曰2御許山(ト)1。距2神宮東五十町(ヲ)1。絶頂有2盤石1。常湛2清水(ヲ)1。旱魃莫v涸。雨雪不v汚。稱2之石清水(ト)1。後遷2祭於今社地(ニ)1。と有は社傳の舊説を記したるものと聞えたり。【但し此御許山を。かの風土記なる。埼門山の事なりと云れしは。甚くたがへり。此事も豐前志に辯られたり】
 
 
今|在《マス》2海《ウミノ》北(ノ)道(ノ)中《ナカニ》1。號|曰《マヲス》2道主貴《ミチヌシノムチト》1。此(レ)筑紫(ノ)水沼《ミヌマノ》君等(ガ)祭《イツキマツル》神是(レ)也。※[火+漢]干也此云v備。
 
 
今在海北道中。海北は。即北海の義なり。神功紀海西諸韓の字は。西海の義なるに同じ。上に葦原中國宇佐島と見えたる。其北海の意を以て。此は廣く云稱也。偖此は纂疏に。九洲之北。瀕海之地。と云へる如く。所謂遠瀛中瀛海濱是なり。【海北を。宇佐島と爲る説は非なり】さて此は三女神始宇佐島に天降て。其後海北道中に遷り坐よしなり。今在とは。此紀撰述の時を云。下章にも。此釼昔在2云々(ニ)1。今在2於尾張國(ニ)1。また斷(リシ)v蛇(ヲ)之釼。今在2吉備(ノ)神部許《カムトモノモトニ》1。など例あり。○道主貴。重胤云。道主貴と申奉れるは。此三女神を合せ(380)て。一柱に稱へ申す御名にて。皇太神官儀式帳に。粟《アハノ》御子神(ノ)社一處。稱2須佐乃乎命(ノ)御玉道主《ミタマミチヌシノ》命(ト)1形《ミカタ》石(ニ)坐。倭姫内親王定祝。とあり。道とは此にても。國と云事にてはあれども。始より其本生の地に在て。其地の主なるに。道主とは云はず。道主とは。君王の御許より。差遣されて。其國に大人と成を云。【武郷云此車既に出】然れば第一(ノ)一書にあるが如く。筑紫洲の北(ノ)海(ノ)道中に。天降し玉ひて。皇大神の御命を負持しめ玉ふ故に。奉v助2天孫1爲2天孫1所祭《イツイキマツ》らせ玉ふ。尊(キ)職の御在坐て。道主貴とは稱奉れる御名なる者也。さるは大國主大神の御政も。半は此大神の相|預《クハ》はらせ玉へれば。其大國主に相對ひて。道主貴とは。實す有らまほしき御名になん。御在坐ける。とあり。○筑紫水沼君。出自詳ならず。水沼は。和名抄筑後國三瀦郡【美無萬】三瀦。とある地に依れる氏姓なり。水沼君は。天孫本紀に。饒速日命十四世孫。物部(ノ)阿遲古《アチコノ》連公。水間《ミヌマ》君等祖とあり。【此人は。安閑宣化欽明頃の人なること。同紀に見ゆ】物部膽咋(ノ)宿禰七世孫なるよしも。同紀に見えて。此人水沼君となり。筑後國(ノ)三井神社は。其祖膽咋(ノ)宿禰を齋奉れるに。【相殿に武内宿禰ます。】三女神を合せ祭りて。神主となれり。と云る説あれど。たしかなる物に見えねば信がたし。されど本國神名帳に。正六位上宗形神。宗像若草(ノ)神。宗形御井(ノ)天社。三井郡從五位下宗形金己呂(ノ)神。宗形神。三瀦(ノ)郡借從軍位下宗形神。山門(ノ)郡正六位上宗形本神。上妻(ノ)郡正六位上宗形神。などあまた宗像神を祭れる社あれば。此國に此大神の由縁あることは。著明なり。【殊に三瀦郡に坐など。大によしあり】さて其國にて。水沼(ノ)君の宗像社に奉仕れるが。後に故ありて。筑前宗像神社にも。仕奉りしものなるべし。通證に。胸肩氏爲2左坐(ト)1。水沼氏爲2右坐(ト)1。と(381)云るは。筑紫(ノ)宗像神社にての事にて。口訣にも。已に筑紫水沼君者。在2筑紫1水沼氏也。と云れたるにて明けし。但し此に重胤説あり云く。紀の例。阿曇連の志加海神を所祭り。胸肩君氏の其大神を祭れるなど。各其地に在て持齋く所に。某等祭神是也。と記さるゝ例なれば。某水沼君等が。本居の地にして。素より所祭る宗像大神おはしゝ事著明きを。式にも此を載られざりしは。國郡司の奏上せざりしからに。官帳に漏たまへれども。已に本國神名帳に。載る所許多有が中に。三瀦郡從五位下宗形神。正六位上玉垂媛命。【三女神御名也】はあるなどや。水沼君等か其國に勸請《マセマツ》りて。持齋き仕奉り來れる御社なるにて。此御由縁を以て。筑前の本宮にも行て。仕奉れるなるべきを。口訣を始として。筑前の水沼氏を初て。本國の水沼氏を探索《シラ》ざるが故に。此筑紫(ノ)水沼君等祭神是也とある。其祭神を。同じ筑前の宗像神社と。心得たりし者なめりと。云れたる。一わたりはさることなれども。又よく按へば。しか一偏にも定めがたし。右の阿曇連胸肩君などは。みな其奉仕る神の子孫なるによりて。祭れるなれば。水沼君も宗像の神孫にあらでは。其例に引きがたきを。まして此水沼君出自詳ならぬ限りは。右の例にはおして云がたし。なほ口訣等の説の如く。筑前の水沼氏としてあるべし。但し其本は。筑後の宗形神を齋き祀りしより。出たるものならんとおもはるゝ事は。上に云るが如し。さて又景行紀四年に。次妃|襲《ソノ》武媛生2國乳別《クニチワケ》皇子(ト)。與2國背別《クニセワケノ》皇子。【一云|宮道《ミヤヂ》別皇子】豐戸別《トヨトワケ》皇子1。其兄國乳別皇子(ハ)。是水沼別之始祖也。とありて。又其國背別命をも。天皇本紀には。水間《ミヌマノ》君祖とあり。また紀に。阿倍氏|木事《コゴト》之女高(382)田媛生2武|國凝《クニコリ》別命1とありて。此武國凝別(ノ)命をも。天皇本紀に。筑紫(ノ)水間(ノ)君祖とあり。また右の豐戸別(ノ)命をも。同書に三島(ノ)水間君とありて。筑後國神名帳に三瀦郡借從五位下三島(ノ)神。と見えたれば。其も此の水沼君の。一列《ヒトツラ》なるものなり。かく許多の皇別の。水沼(ノ)別又君となれる事。すべていかなる由とも考ふるたづきなし。また景行紀十八年に。到2八女《ヤメノ》縣(ニ)1云々水沼(ノ)縣主|猿大《サルオホ》海奏言云々。とあるは。水間君とは別にて。其より以前。已に此地の縣主として。在しなりけり。また雄略紀十年に。天皇の畜給ふ※[我+鳥]爲2水間(ノ)君(ノ)犬(ノ)1所v囓死。由v是水間君恐怖云々とあるも。何れのすぢとも知がたし。これらなほよく考ふべき事なり。○※[火+漢の旁]干也。玉編に※[火+漢の旁]。火(ノ)盛(ニ)乾也。と注せる意なり。易説卦に。燥2萬物1者。莫v※[火+漢の旁]2乎火1。とあり。【さるを上章一書に。※[火+漢の旁]火也と注したるは。ひとよむに付て。非心得して。書入たるものなるべし。前後注の重なるのみならず。意さへ互に背けるは。一は※[手偏+讒の旁]入なること灼然し】○此云備。山蔭云。此訓注上にはなくして。此にあるがいかゞなるのみならず。濁音の備字をも用たるは。此また後人のしわざと見ゆとあり。【但し濁音のみの假字には非ず。清音にも多くつかひしこと既に上に云り】
 
 
(383)日本書紀通釋卷之八       飯田 武郷 謹撰
 
〔寶鏡開始章〕
是(ノ)後(ニ)素戔嗚尊之|所爲《シワザ》也甚(ダ)無状《アヂキナシ》。何則《イカニトナレバ》。天照大神以2天(ノ)狹田長田《サダナガタヲ》1。爲《シタマフ》2御田《ミタト》1時(ニ)。素戔嗚尊春(ハ)則|重播種子《シキマキシ》。【重播種子。此云2璽枳麻枳1。】且《マタ》毀《ハナツ》2其|畔《アヲ》1。【毀。此云2波那豆1。】秋(ハ)則(チ)放(チ)2天(ノ)斑駒《フチコマヲ》1。使2伏《フス》田中《ミタノナカニ》1。
 
 
此章。素戔嗚尊の御荒備の事に起りて。大神は。天石窟に入坐し。世間常闇となりしかば。八百萬神愁迷ひて。大神を招祷奉らむと。思慮りける中より。諸の工事の原を此に開き。中にも最も尊き。八咫鏡の成出坐けるも。即其一にて。其即大神の御靈實として。天壤と共に窮りなき天日嗣の御璽と成玉ひしも。其開始即此章に在り。其らを本にて。大甞の起原。善惡祓除の根本など。止事なき事は。皆此時に始れるなど。神典中にとりても。最心をひそめずば。あるべからず。なほ此時の事につきて。重胤の云れけるは。上章【四神出生章】一書に。以2其稻種1。始殖2于天狹田及長田(ニ)1とあるは。此に天照大神以2天狹田長田(ヲ)1爲2御田1と云に應き。又其自v此始有2養蠶《コカヒ》之道1の文より續きて。神祇本紀に。乃起2袵織《ハタオリ》之業1(384)者也と有て。其は此に天照大神方織2神衣1居2齋服殿1。と云るに係れる者也。然るに此に又。天照大神當2新甞時1則陰放2※[尸/矢]新宮1と有て。右に照す文の所見ざるに就て。宮殿の事は此列には非ずして。異事なる如くなれども。猶考るに。此に新宮を建玉ふ事は。新甞《ニヒナヘ》聞食さん爲の料。新甞聞食すことは。其御田の稻穀を御食玉ふ始めなれば。いひもてゆけば。此章は衣食の二を定めて。【但し新宮を造り玉ふ中に。自ら住處の事もこもれり。】農作養蠶の業を。天下蒼生に教施し給ふ。大御心の外ならずと申すべし。此章の傳を讀むもの。此に心おかずばあるべからず。【然らずして。直に瑞珠盟約章より此に亘る時は。曉り得べからざること多かりぬべし】と云れたるさる意以て見るべし。○是後云々。記云。爾速須佐之男命白2于天照大御神(ニ)1我心清明故。我所生之子得2手弱女(ヲ)1【此に得2手弱女1とあれど。上の本書一書共に。御心明く坐ば。男子を得むと誓約まして。其誓約の如く男子を生坐し。殊に第三一書には。素戔嗚尊云々。便化2生男1則稱之曰。正哉吾勝とさへあれば。記に得2手弱女1とあるは誤なる事灼し。】因v此言者自我勝(ヌト)云而。於2勝佐備1離2天照大御神之營田之阿1。埋2其溝1とあり。記傳云。須佐之男命既に御誓約に因て。御心の清明き事顯れ。我勝(ヌ)と詔ひ。天照大御神も許諾ひたまへれば。【書紀に於v是比神方知3素戔嗚尊固無2惡意1といひ。又故日神方知3素戔嗚尊有2赤心1といへり。】此時既に御心の清明き事疑なし。然るに忽又かくの如く。天照大御神の御爲に。種々の惡事を爲玉ふは如何ぞや。記には於2勝佐備1と云言あれば。如是も云つべし。書紀にはさる言もなくて。是後云々と云出せる。あまりゆくりなく。俄に聞ゆ。清き心何故に忽かはりてかゝるにか。と云れたる。一わたりは然る事の如く聞ゆれど。此時の無状き御所行は。勝佐備の御心より。起りたるには非で。重胤説に。是後を口訣に生2御子(ヲ)1後也。と註れども粗し。上件云る如く。御子を生坐て後に。天照大神(385)の御使として。保食神許に。葦原中國に天降坐る御事あり。四神出生章第十一(ノ)一書に所見たる故事是也。【武郷云。此事本書には。月讀尊の御事と爲り。今は古事記に據られたるなり。】偖此に是後素戔嗚尊之爲行也甚無状と。先一に攝ね云置て。次に其事を解て。何則云々と其爲行の異状き御事の條目を。巨細に並云るを。第二(ノ)一書は此を倒反して。先に日神尊以2天垣田1爲2御田1云々。と並べ立て。其時の素戔嗚尊の爲行を擧て。其終りに凡此諸事盡是無状と有り。如此く綱より目を云も。目より綱を云も。皆同じ事なるなり。と云れたるは然る言にて如此く御荒び坐す事本は。素戔嗚尊は。何方までも保食神はしも。穢く鄙しき物を奉進れると所思して。未其御怒も解させ御在し坐ざるに。天照大神の翻りて御怒坐て。汝是惡神(ナリ)不v須2相見1と宣給ひて。細許を退け玉ひ。再(ビ)天熊(ノ)大人を天降して。其神の身に成れる物を令v採給ひ。甚く喜ばせ御在坐て。是物者則顯見蒼生可2食而活1之也。と宣給ひつるなど。すべて素戔嗚尊の御心に。憤り思しめす隨に得忍びさせ玉はずて。遂にさる無状き御所業には。立到りしものなるべしかし。と云り。さもあるべきか。なほ考べし。○狹田長田。既に云。下には天(ノ)埴田《ハニタ》。天|安《ヤス》田。天|平田《ヒラタ》。天(ノ)邑并田《ムラアハセダ》などもあり。○御田は。記に天照大御神之|營田《ミタ》とあり。大神の供御(ノ)稻田なり。此第三(ノ)一書に。其素戔嗚尊之田亦有2三處1と有も。其供御の御田なる事申も更なり。なほ素戔嗚尊の屯《ミ》田を定させ玉へる事。出雲風土記。飯石郡須佐郷條にも見えたり。【後に御世々々の天皇の。供御の屯田を定めさせ玉ふ事の本。此に始れりと云べし。さて口訣に。此を齋畤之良田也と注るは。次に新甞の事あるによりて云るなるべし。されど此はそれにはあらず。供御(ノ)御田と見るべし】○重播種子。大祓詞に頻蒔《シキマキ》とあり。考云。種を蒔には。物々に量あり。其を重々蒔時は。(386)よし生出るとも。繁に過て。子《ミ》ならざる也とあり。志伎は重なり。繁なり。【垂仁紀に。重浪シキナミとよめり。】○璽枳磨枳。璽字本に※[爾/田]に誤。今永和本活字本安倍家本に依て改む。○毀其畔。記に離2營田之阿1とあり。重胤云。其畔古本に。其字不v讀と有れば。字の如く訓ては惡かりぬべし。下に毀此云2ハナツ1と有も。其心して書れたるが故なり。拾遺。毀畔古語阿波那知。大祓詞。又儀式帳儀式共に。畔放と有を證と爲べし。さて記云。阿は畔なり。和名抄には畔(ハ)田界也。和名久呂。一云阿世。とあれども。古は阿とのみ云り。【阿世はもと畔背《アセ》の意なり。】躬恒集に。苗代のあをだに未(ダ)つくらざりけり。さて畔を離は。其田に貯へたる水を涸し。又水の多かる時は。外より漫(リ)に入て。溢(ラ)さむ爲の態なり。書紀に。此の種々の惡行どもを。春と秋とに分て云る中に。此は春の事とするも。水のためなればなりと云り。○波那豆。本に波豆那に誤る。今正して引り。○天斑駒。記に天斑馬とあり。記傳云。和各抄に駁馬俗云布知無萬。説文云。駁不2純色1馬也【布知を俗云と有(レ)ども。俗稱には非ず】また※[馬+曾]馬爾雅注云。四※[骨+交]皆白曰v※[馬+曾]俗云。阿之布知。後世には夫知と濁て云(ヘ)ども。凡て首を濁言は古は無ければ。布を清むべし。【今世にも清て云處も有となり。】さて馬は宇麻。古麻は駒にて。馬子也と和名抄にも云れど。古は馬を古麻と多く云りとあり。○使伏田中。重胤云。田中を以て。厩の如く自由にして。其に起伏《オキフシ》を令v成るを云なり。第三一書に。伏馬とあるも共に田中に伏しめて。牧に馬を放畜ふが如く。常に放ち置て。其稻を食ませも蹈(ミ)跪《ヒザマヅ》かせもして。秋稼を得ざら令むるなり。故口訣に放v駒伏v田者。殘2疵稻穀1也と云り。【伏と云は。其住處なる證は。萬葉八。猪養山爾|伏鹿《フスシカ》之。十。左小壯鹿《サヲシカ》之朝伏小野。又左小壯鹿之小野(ノ)草伏《クサフシ》。十四。安太多良乃禰爾布須思之などみえ。後の歌に。伏猪の床など云も。其住處(387)と成を云るも考合すべし。此を以て。此の放は。田中に放ち飼ふ事。伏は其田中に住しむるを知るべし】と云り。さて此事第三一書には。秋則伏v馬と見ゆ。されど此一條。記は更なり。大祓詞などにも見えざるなり。
 
 
復見(テ)d天照大神|當《キコシメス》2新嘗《ニヒナヘ》1之時(ヲ)u。則(チ)陰《ヒソカニ》放2※[尸/矢]《クソマル》於|新宮《ニヒナヘノミヤニ》1。又見(テ)d天照大神(ノ)方(ニ)織(ツヽ)2神衣《カムミソヲ》1居《マシマスヲ》c齋服殿《イミハタドノニ》u。則(チ)剥《ハギテ》2天(ノ)斑駒《フチコマヲ》1。穿《ウガチテ》2殿甍《オホトノヽイラカヲ》1而|投納《ナゲイル》。
 
 
當2新嘗1之時。本に之字なし。水享本に依て補ふ。さて此は上章一書に。即以2其稻種(ヲ)1始殖2于天狹田及長田(ニ)1。其秋|垂穎《タリホ》八握|莫々然《シナヒテ》甚(ダ)快(シ)也。と有て。始て稻穀を殖させ給へりし時の御事也。其瑞穂を今此に聞食始させ給ふ。是即新嘗聞食すにて有なり。皇太神宮の神甞祭。朝廷の新甞祭の起原是也。此下に。新宮の御事見えたるは。天孫降臨章天照大神勅に。吾(ガ)高天原|所御齋庭之穗《キコシメスユニハノイナホ》。とある齋庭にて。踐祚大嘗祭式に。大嘗宮の事を齋場と云る是なり。偖新嘗は爾比那閇と訓べし。また意富爾閇とも訓べし。【此紀二十九卷にしか訓めり】記には大嘗とあり。續紀には大新嘗ともあり。同じ事なり。記傳云。爾閇は新饗《ニヒアヘ》を約めたる【爾比を切ば爾なり。阿は略く例也。○武郷云。紀中の訓に。爾比閇ともあるにて知べし。】にて。新稻を以て饗(ヘ)するを云名なり。【贄《ニヘ》苞苴《ニヘ》牲《イケニヘ》なども。本新饗より轉れる名なり。】其は萬葉十四下總國歌に。にほとりのかづしかわせを。爾倍須登毛。そのかなしきをとにたてめやも。と詠る如く。元《モト》は朝家のみならず。下々までなへて爲(シ)事なり。故後に朝家に爲玉ふ爾閇を。大甞とは申す(388)ぞかし。又新甞とも書る新字は。本の新饗の意を取て加へつるなり。【漢籍にも甞v新といふ事は見ゆ。】さて此新甞を。書紀にさま/”\に訓を附たれども。皆正しからず。【武郷云。本にニハナヒと訓り。私記に言是|新嘗之會《ニハノアヒ》と説れたれど。ニハは祭場の義なるべし。されどいかがあらんなほ考べし。但し本にヒをイと書る處あるは誤なり】記朝倉宮段※[女+采]が歌。又大后御歌に。爾比那閇夜。【新嘗屋】とあるを正しき訓の據とすべし。然て萬葉十四東歌に。たれそ此やの戸おそぶる。爾布奈未爾《ニフナミニ》。わがせをやりていはふ此戸を。此爾布奈未は。爾比那閇の東言にて。上に引る下總歌の爾倍と。全同事ときこゆるを以。爾閇は新饗の約言なるを知べし。偖後世には。踐祚大甞を大甞と云。毎年のを新嘗と分て云へども。古は通し云て同事也。されば清寧卷に。同度のを。始には大甞。後には新甞と書き。又皇極天皇踐祚大甞をも新甞と書き。神祇令には。共に大甞とあるぞかし。【北山抄にも踐祚大嘗祭毎季大嘗祭とあり。】とあり。さて當は記に聞食とあるにあたれり。記傳云。此にては食給ふことなり。また後世には。もはら神に奉る事とのみ思ふめれど。然には非ず。神にも奉り。人にも饗し。自(ラ)も食わざなり。かゝれば今大神の聞食す新甞も。此意を以て見べし。と云れたるが如し。【此新甞をたゞ神に供奉《タテマツリ》たまふことにのみ説なすは古意にたがへり】○新宮は。重胤云。齋庭の事にて。即紀に聞2看大甞1之殿。とある是なり。第三一書に。新宮御席之下とある。其御席は。天津高御座の御事也。記傳に。新宮とあれば。此料に宮をも新に造給ふ事と聞ゆとあり。即此なるを。ニヒナヒノ宮と訓來れる。即それにて。大甞宮の權輿是なり。此をニヒミヤとのみ訓みては。常に云新宮と差別なきが如し。こゝは新嘗聞食させ玉ふ料に。更に別屋を作らせ玉ふ事なればなり。と云れたる。さる説なり。○放※[尸/矢]。第二(ノ)一書に。(389)新宮御席之下陰(ニ)自|送糞《クソマル》。【送糞此云2倶蘇摩屡1】記に屎麻理散りあり。記傳云。麻理は大小便することなり。萬葉十六屎遠久麻禮。竹取物語に。燕のまり置る舊屎などありとあり。さて此所爲を。記又大祓詞給遺に屎戸《クソト》といへり。【屎戸とは拾遺に當2新嘗之日(ニ)1。以v屎(ヲ)塗v戸とある是なり。記傳の解は信られず。】さて平田翁云。爾閇すとて。萬を慎み齋たまふ處へ。如此穢はしき行したまふは。荒び賜ふ事の甚しきなりと云り。○神衣。重胤云。神衣は加牟美曾と訓て。天照大神の服御し給ふ御衣と申義也。第一(ノ)一書に。神之御服と出たるも。此意なるものなり。右に新嘗の御事御在坐す。其に並びて織2神衣1とあるは。踐祚大甞會に。織2神服1と見えたるに同じければ。其起原此に出たる御事申も更なり。神祇令義解に。季秋神衣祭。【謂與2孟夏祭1同。】神甞祭。【謂神衣祭日便即祭v之】と所見え。神宮の神嘗祭にも。神衣祭有も。其始一事にしあるを。崇神天皇御世より。神廷朝廷相分れさせ玉へるに依て。人皆異也と思事にはあれども。其本此に在ては。古は同じかりつる物也けり。機殿儀式帳に。舊記云神衣祭者皇大神御2坐高天原1之昔。人面《ヒトオモ》等之遠祖。天|八千々姫《ヤチヽヒメ》。殖2桑(ノ)葉(ヲ)於天香山(ニ)1。以2所v蠶之御絲(ヲ)1織。供2進御衣(ヲ)於大神(ニ)1。【武郷云。此供2進御衣於大神1。と云る文にて。此御衣も。大神の服御し玉ふ御料なる事知べし。】と見えたるは。上の一書に。自v此始有2養蠶之道1とある所に係りて。此に織2神衣1と云に相當れる文なる事。論を待ずなん有ける。又神宮雑例集【神服機殿政印事條】に載る。少神部神服連公俊正。大神部神服連公道尚等が。嘉應二年解状に。於2神御衣勤1者。掛畏。天照坐皇大神。御2坐天原1之時。以2神部等遠祖天(ノ)御桙《ミホコノ》命(ヲ)1爲v司。以2八千々姫1爲2織女1奉v織。とあるも此所の儀を委しく云るなり。神衣と云義は。神祇令孟夏神衣祭義解に。謂伊勢神宮祭也。(390)此神服部等。齋戒潔清。以2參河赤引(ノ)神調糸(ヲ)1。織2作神衣1。又麻績連等績v麻以織2敷和衣《ウツハタ》1。以供2神明1。故曰2神衣1。と見えたるは。大嘗祭式の神服に同じく。神に供御る義を以云るにて。神嘗祭神今食などの神此に同じ。然るに皇太神の此御時なるは。新嘗聞食すに就て。御服を令v奉(ラ)給へるなれば。此神字は。例の神集神議などの神此に同じ。然るを第二一書に。令v織2神之御衣1は。皇太神より奉らせ給ふべき神のおはし坐て。其神の御料に令v織給へるに當れゝども。此事の例に依て。神衣大嘗等の祭事のあるも。皆此の故事に傚ひて。天照大神に神衣神服を奉らせ給ふ。御事にし有ければ。此御時に何れの神の御衣とて。殊更に令v織給はむ。此御政に就ては。相嘗の皇祖の天神に。本より奉らせ給ふべき御事は。申も更なれども。此は新嘗聞食させ給ふ皇太神を主と爲る所にし有ければ。神の御服にはあらず。記にも神御衣と引續きたるが如く。日神の御料の御衣なるに。唯崇まへて神の言を冠ぶらせたる者になん有ける。偖神衣祭大嘗祭。共に此の和妙に相並べて。荒妙をも奉る事はあれども。拾遺天石窟段に。麻と穀《カヂノ》木との事を云て。以上二物一夜蕃茂也。とあるが如く。其時に至りて。成初たるなれば。此にては和妙のみなり。【担此の神衣は和妙也と云は。此に限りたる説にて。凡て神衣とは荒妙に在れ。和名に在れ。神に奉る服御を總て云稱なり。】と云り。○織。重胤云。天照大神の御自織玉ふと云事にて。他傳の状とは異なり。まづ第一(ノ)一書には。稚日女尊。坐2齋服殿1。而織2神之御服1。記にも天照大御神坐2忌服屋1而。令v織2神御衣1云々。天衣織女見驚而。於v梭衝2陰上1とも見えたれば。大神の御自織せ給へるならず。衣織女に任して令織給へる物なり。其上機殿儀式帳に。天八千々(391)姫爲2織女1奉v織【拾遺に。天棚機姫(ノ)神と申も同神なり。】と見えたるは。始て養蠶の事に仕奉れるより。此に神衣を織て仕奉るに至るまで。皆其神の仕奉られし也けり。神祇本紀に。織女稚日女尊とあるは。右の天衣織女と一に合せて。情進《サカシラ》に物爲るには有べけれども。其實は同神に御在坐る状なり。偖記の傳は。事實に合ひて甚愛たく有れば。此に大神の御自織給へると。第二一書に。日神居2織殿1と有て。織女と云ざると。二は誤なり。基神衣を織る状は。右に引る神宮雜例集解状に云々。【上に引】とあるは。此度にも。次の磐戸隱の時にも。右の如くして仕奉れりし也けり。姓氏録に。服部連。天御中主命十一世孫。天御桙命之後也とあり。大神宮式。四月九月神衣祭條に。右和妙衣者。服部氏云々。各自潔齋。始v從2祭月一日1織造。至2十四日(ニ)1。供2祭其儀1。太神宮司(ノ)禰宜兩人等。率2服織女八人(ヲ)1並著2明衣(ヲ)1。各執2玉串1。陣2列御衣之後1入云々。とある服部氏は司なり。織女は其部にて。天上の風儀の如く仕奉る也。又大嘗會式に。凡織2神服(ヲ)1者。九月上旬。神祇官差2神服(ノ)社神主一人(ヲ)1。給2驛鈴一口(ヲ)1。遣2參河國(ニ)1。召2集神戸(ヲ)1。卜2定織神服長二人。織女六人。工手二人(ヲ)1訖。率2長以下十人(ヲ)1。將2當國(ノ)神服部(ノ)所v輸(ス)絲十絢(ヲ)1歸向2京(ノ)齋場(ニ)1先祭2織屋(ヲ)1。然後始織云々。とある。此にても。神服社神主は司なり。其長以下十人は部《ムレ》なるを知べくなん有ける。然(レ)ば此より泝りて。其天宮にての御事を申さむに。大神は其神衣を被《レ》v奉(ラ)給ふ神に坐し。天御桙(ノ)命は。其齋服殿の長に坐し。八千々姫命は。天衣織女に御在坐す事知べきなりと云れたり。○齋服殿。又云。第一(ノ)一書にも見ゆ。第二一書には。織殿と見えたるは。大甞宮の神服殿を。織屋と云に同じく。又此(392)の齋服殿を。記には忌服屋とあり。世記には八尋機殿と有て。其同じ殿の事を。八尋機屋《ヤヒロハタヤ》と云るが如し。【拾遺には。此を織室とあり。右の機屋と同く訓むなるべし。】齋は右の新嘗聞食させ給ふ新宮はしも。中臣壽詞に謂ゆる齋場にて。其齋場に對へたる稱也。大甞祭式に。歸向2京(ノ)齋場1。先奉2織屋1と有て。齋塲と神服殿とを。並べ對へたる是なり。神祇令孟夏御衣祭義解に。謂2l伊勢神宮祭1也。此神服部等。齋戒潔清云々。太神宮式にも。各自潔齋。始v從2祭月一日1織造。とあるが如く。神衣を織奉る御屋なる故に。常に潔清むる事は更なり。其仕奉る程は。萬に齋戒して。深く慎しむ事なるが故に。齋とは云なりと云り。○剥天斑駒。【剥本にサカハギニハギテと訓れど。明應本鎌倉本にたゞハギテとよめるによる。】記に。逆2剥天斑馬1。一書にも逆2剥斑駒1。また生2剥斑駒1とあり。生剥逆剥の事は次に云。偖此御態は。拾遺に當2織室1之時。逆2剥生駒(ヲ)1。以投2室内(ニ)1。と見えたる如く。生たる駒の皮を。逆剥に剥て。活せて放遣る時は。物狂ほしく成て。甚く荒び進《スサ》ぶ者なる故に。然爲玉へるにて。生剥逆剥と。言の累れゝども。別事には非るなり。○穿殿甍の殿を。永正本鎌倉本に。オホトノと訓り。釋秘訓にも古點意富登能とあり。本にアラカと訓るも古言にはあれど。此は大神の正殿を申ならず。齋服殿の事にして。其を見行はしに幸行る所なれば。御所在《ミアラカ》とは云難かり。【拾遺に。正殿謂2之麁香1とありて。アラカ正殿の稱なり。】萬葉十六に。海神之|殿蓋《トノヽイラカ》爾とある。此と同じつゞけざまなれば。殿能伊良加と訓し。甍は。和名抄屋宅具に。甍釋名云屋背曰v甍。【和名伊良加】言3在v上(ニ)覆(フヲ)2家宅(ヲ)1也と見え【箋注に。按伊良苛也。加處也。甍謂2屋脊尖鋒之處1。故有2是名1。今俗謂棟瓦蓋是今謂2屋旁棟端已下桁梁以上1。爲2伊良加1者誤とあり】名義抄に甍(ハ)棟と有て。イラカと云訓有は。攝文に甍(ハ)屋棟也と有に依られたる者也。重胤(393)云。桂譽重説に。踐祚大嘗祭式。大嘗宮正殿一宇の下に。甍置2堅魚木八枚1と見えたるを思ふに。棟の所在を俗に屋腹《ヤノハラ》としも云れば。甍は實に屋背《ヤノセ》と云に當りて。世に箱棟。又は上棟と云物是也。と云るは。甚細しき説になむ有ける。古事記に。服屋之頂と有は。甍と一處を斥さずして。廣く屋棟を云る者なり。靈異記中に。又其蛇來登2於屋頂(ニ)1。拔v草而入。又蛇繞v屋云々。登2於屋頂1。咋v草拔開落2於女前1など見えたり。記傳に白檮原宮段にも穿2高倉下之倉頂1とありて。頂は共に棟也。和名抄居宅具に。棟謂2之※[木+孚]1。和名無禰。新撰字鏡に。※[木+患]楹上(ノ)横亘者也。牟禰と有り。※[木+患]は増韻に屋背也。と注せり。と云れたるが如し。此を牟禰といふは。山の巓を嶺と云に同じく。家の巓を然云るにて。言の意同じかるべし。景行紀に棟梁之臣。顯宗紀に。取|擧《アグル》棟梁云々。とある棟梁の棟は。唯屋の巓を云て。梁は屋腹に架す木にて。俗に棟木と云物是なり。大殿祭詞などにも。柱《ハシラ》桁《ケタ》梁《ウツバリ》戸《ト》※[片+(戸/甫)]《マド》と梁を云て。棟を云はざるは。棟は屋の頂上を。廣く云名にこそ有けれ。棟の木を云るならざれば。此の屋甍も記の服屋之頂も。同じ所を斥すにて。其異なき者なり。【故和名抄に。梁和名宇都波利。棟梁也。と云り。此は全張《ウツバリ》にて。棟方に全く張架して。屋の括《クヽリ》と成る所の謂なるを。誰しも棟とは別の如く。取違ふる事なり。】と云り。穿は屋甍を鑿崩すを云なり。○投納は。大神を驚かし奉らんとてなり。
 
 
是時(ニ)天照大神|驚動《オドロキタマヒテ》。以(テ)v梭《ヒヲ》傷《イタマシム》v身《ミヲ》。由(テ)v是(レニ)發慍《イカリマシテ》。乃(チ)入《イリマシテ》2于天(ノ)石窟《イハヤニ》1。閉《サシテ》2磐戸(ヲ)1而(394)幽居《コモリマシヌ》焉。故(レ)六合之内常闇《クニノウチトコヤミニシテ》。而不v知(ラ)2晝夜《ヨルヒル》之|相代《アヒカハルワキモ》1。
 
 
梭。和名抄織具に。通俗文云。受v緯曰v※[竹冠/紵の旁]【和名比】亦謂2之梭1。今按※[竹冠/ウ冠/丁]杼字也。説文云。杼者機土持v緯者也。と見え。字鏡に。杼(ハ)※[木+紵の旁]絹織比伊。とあり。【本にカヒと訓るは誤なり。と記傳に云れたるが如し。】名義樋と同じかるべし。○由是は。右の剥2天斑駒1云々とある。此事に由(ル)なり。第一(ノ)一書又記(ノ)旨も右に同じきを。第二(ノ)一書には。新宮を穢し奉れる事に因れる傳なるは誤なるべし。○發慍。弟一(ノ)一書に。大神(ノ)御言に汝猶有2黒心1。不v欲2與v汝相見1。と見えたる。即發慍の御言也。記に天照大御神見畏とあり。一書には故以恚恨とあり。記とは異なり。○天石窟は。記傳に實の岩窟にはあらじ。石とはたゞ堅固きを云るにて。尋常の殿をかく云るなるべし。と云れたれど。なほ此は實の岩窟なり。此事は既く先輩も辨へ云れたる説ども多かり。なほいはば。天孫降臨章に。稜威雄鬼《イツノヲハシリノ》神を。天石窟所住神とあるを。記には坐2天安河(ノ)々上之石屋1。と有て。此とは別なれども。天石窟の例なり。先には新宮に新嘗し給ひ。又齋服殿に神衣を令v織給ひなど。尋常の宮殿に御在坐けるを。此は其宮殿を逃出玉ひて。實に石窟の裏に隱れ御在し坐けるなり。閉。舊訓のまゝにサシテと訓べし。記傳云。刺は闔《タテ》たる戸に。物を刺て固むるを云。萬葉十二門立而戸毛|閉而有乎《サシタルヲ》。また門立而戸者|雖《ド》v闔《サシタレ》。これにて多都と佐須との差ある事を知べし。萬葉二十に。久留爾久枳作之。又十六|櫃《ヒツ》爾※[金+巣]刺。清寧卷に。※[金+巣]2閇外門1云々。和名抄※[戸/回]度佐之。【此も戸を刺固むる物なる故の名なり。】とあり。(395)またタテヽとも訓べし。【明應本秘閣本には。閉をトヂテと訓り。】賀茂翁説に。上代には。戸を常は傍に取込置て。闔むとては。其を持來て。立塞(ク)ゆゑなりと云れき。記云閇2天石屋戸(ヲ)1刺(シ)許母理坐(キ)也。○常闇而云々。記云高天原皆暗(ク)。葦原中國悉(ニ)闇。因v此而常夜往。とあり。記傳云。常夜とは。常に夜のみにて。晝なきを云り。往とは。凡て年月日時の經行をいふ。こゝは晝のなくて。唯夜のみにて。時を經行くなりとあり。不v知2晝夜之相代1とある即是なり。一書に於v是天下恒闇。無2復晝夜之殊1。拾遺に。爾乃六合常闇。晝夜不v分。群神愁迷。手足罔v措。凡厥庶事|燎《トモシテ》v燭《ヒヲ》而辨。とあり。さて記云。於v是萬神之聲者。狹蠅那須皆滿。万妖悉發云々。とあり。抑かゝる妖の起るは。天照大神の隱坐故なり。此に就ても。世の明光の貴きのみならず。万妖の頓に發らぬも。全大神の照し玉ふ御徳なる事を仰べし。
 
 
于v時八十萬神(タチ)。會2合《カムツドヒテ》於天(ノ)安河邊《ヤスノカハラニ》1。計(ラフ)2其可(キ)v祷《イノル》之|方《サマヲ》1。
 
八十萬神。記には八百万神とあり。重胤云。八十萬神は。此紀と拾遺の文法なり。天孫降臨章には。八十諸神と書て。諸をヨロヅと訓り。崇神紀八十萬(ノ)群神ともあり。偖此は記また祝詞に八百万神と有より始て。他の古書みな然り。万葉には八百萬千萬神。出雲風土記には。天神千五百萬。地祇千五百萬。と有れど。種々に云樣は異なれども。如此云て。世に在と有る。諸神の限を云稱と成せる者なれば。必其數に拘はり泥みて心得べきには非るなりと云り。○天安河邊。此河の事既に出。一書に會2於(396)天高市(ニ)1とあるは。處違へるに似たれど。市とは人の多く集ふ所を云言なれば。此川原は。神等の集給ふ處なるに依て。市とは云るにて。實は所の異なる傳には非ずと。平田翁云れたり。○會合。記に神集々とあり。記傳云。此は唯誰の命ともなく。只|己自《オノヅカラ》集へる故に。都度比と訓り。下の例を以思ふに。此も高御産巣日神の命以。と有るべき事なるに。然らぬは【書紀の傳共もみな同じ】由ある事なるべし。たゞ一書に會2八十萬神於天(ノ)高市(ニ)1而問之。とあるは他神の命にて。集はせたるさまなれば。都度閇弖と訓べし。と云るに就て。平田翁も此は自集へること疑なし。其は事實の上より思ふにも。大御神の幽居坐て。甚しき禍事の起れるなれば。八百萬神等。誰集へねど。集ひたりけんことは。信に然あるべき事なり。と云り。みな然る言なり。○可祷之方。本の訓宜し。下の祈祷字。景行紀祷神。神功紀祷祈などみなしか訓り。履中紀祷而不v祠。とある祷は祈願ふ事。祠は祭祀を行ふを云也。故名義抄に。祷字イノリ。又コフとも訓り。言義は。詳ならねど。一向に願思ふ事を宣申す義と聞えたり。説文に祷(ハ)告v事求v福也とあり。又禰岐とも能牟とも訓べき事など。記傳に云れたり。さてかく議給へるは。素戔嗚尊の荒びに依て。天石屋戸を刺て堅く幽居るを。彼神の御爲に。請願白し出奉らんとする。八百萬神の神議なり。
 
 
故(ニ)思兼(ノ)神深(ク)謀(リ)遠(ク)慮《タバカリテ》。遂(ニ)聚(メテ)2常世之長嶋《トコヨノナガナキ》鳥(ヲ)1。使(ム)2互(ニ)長鳴《ナガナキセ》1。亦以(テ)2手力雄《タヂカラヲノ》神(ヲ)1。立《カクシタテヽ》2磐戸之側《イハトノトワキニ》1而。
 
 
(397)思兼神云々。記に故思金神(ニ)令v思而云々。と幣帛を作らしめ玉ふ事の條々ありて。其物の既備はれる所に。召2天兒屋命布刀玉命(ヲ)1而。内2拔《ウツヌキニ》天(ノ)香山之眞男鹿之肩(ヲ)1拔而。取2天(ノ)香山之天(ノ)波々迦《ハヽカヲ》1而。令2占合麻迦那波《ウラヘマカナハ》1而云々とありて。思兼神の深謀遠慮を以。云々の謀を成して。祈奉らむと謀り。偖其後に其謀る所を似て卜ひたりしに。御卜叶ひたりしかば。此より其謀る所の如くして。磐戸の前に將《モチ》行て。實の御祈祷に取掛りて行ふ所を。此紀には甚く事畧かれて。唯其塲の事のみを記されたり。此に遂聚2常世之長鳴鳥(ヲ)1云々。致2其祈祷1焉。と見えたる。即其祈祷の較略なれば。上件に云る所以を知らずしては。辨ふべからざる事共多かり。【逐字輕く見るべからず】○思兼神は。次(ノ)一書に高皇産靈尊之息とあり。【記も同じ】名義。記傳云。書紀に思兼神者有2思慮之智1とありて。思は萬葉三に歌思辭思爲師《ウタオモヒコトオモハシシ》と云る思にて。思慮なり。兼は。數人の思慮る智を。一(リ)の心に兼持る意なり。故舊事本紀に。八意思金命ともあり。と云り。【重胤云。萬葉十三。物部乃|八十乃心呼《ヤソノコヽロヲ》。天地二|念足橋《オモヒタラハシ》云々。とある。八十の心と云は。八意と云に同じく。其實は一人の心なれども。八十人の心々なるが如く。種々に思慮る所多きを云。天地二念足橋とは。此に謂ゆる深謀遠慮にて。其八十の思の行屆くを云て。思兼是なり。御名義を釋が如き歌也と云り。】此度の事下の段々。皆此神の思慮より出て。終に大神の大御心とけて。常しへに世を照し給ふこと。此神の御功績也。【新拾遺集阿保經寛。おもひかねたばかりごとをせざりせば。天のいは戸はひらけざらまし】神代系紀に。天思兼命。天降(ル)信濃國阿智祝部等祖。又天神本紀に。天(ノ)表春《ウハハルノ》命(ハ)八意思兼神兒。信乃阿智祝等祖。【式信濃國伊那郡阿智神社。】天(ノ)下春《シタハル》命。八意思兼神兒。武藏秩父(ノ)國造等祖。【高橋氏文に。知々夫(ノ)國造(ノ)上祖。天|上腹《ウハハラ》天(ノ)下腹《シタハラノ》人等云々。信友云。此は春と腹と通し呼て。天(ノ)上春天(ノ)下春命の裔孫の族を。然呼び在《タリ》つるなるべしと云り。】又國造本紀に。知々夫(ノ)國造。瑞籬朝御世。八意思兼命十世孫。知々夫彦命定2賜國造1。拜2祠大神1。(398)大神は思兼命なり。】など見えたり。【また天八意命とも申せる事。神祇本源などにみえたり。】○深謀遠慮。記には令v思而とあり。平田翁云。徒に祷奉たるばかりにては。出給ふまじき事を思察坐て。謀り出し奉らむと。深く思慮らしゝなるべし。と云れたれど未盡さず。此に重胤説に。凡て天石窟件々には。顯と幽と二方に係て。心得べき事共あり。其顯と云は誰も知れる如く。素戔嗚尊の御荒びに因て。日神天石窟に幽居り御在します。其御怒を解奉らん爲に。大御幣を取捧げて。八百萬神。共に懇到《ネモコロ》に。祈祷されたる是なり。幽とは日神の此時の御政は衣食住の事をしも。事始め定玉ひて。顯見蒼生に。御恩頼を令(メ)v蒙(ラ)玉はむとの御業也。然るを素戔嗚尊の。悉に損傷らせ玉へるに依て。日神の御怒甚しく御坐々て。天石窟に幽居らせ御在坐なり。思兼神の深遠思慮玉へる所此に在て。其|中休《ナカソラ》にして息止ぬる衣食住の道を。始よりは殊更に善成して。仕奉れるが故に。御心の平和みて。磐戸を出させ玉へるにて。是即幽なり。と云れたるは。實然る説なるべし。【然解きてこそ。此神の思慮の深遠き程も思遣奉(ラ)るれ。○常世之長鳴鳥は。口訣に常世之長鳴鳥(ハ)鷄也と云り。記傳云。常世は常夜にて。常世とは本より別なり。されど言の同きまゝに。通はして字には拘らず書るは古の常なり。此は今かく常夜往時に。集て鳴せし鳥なるをもて。後に負し稱なるを。其始へ廻して如此云るなり。思金神をしも。下に常世(ノ)思金神とあり。これも此時に出て。謀ごちし神なる故の稱なると同例ぞ。【此を常世國のことゝ。一に思ひ混ふるは誤なり。○武郷云。皇大神功禰宜譜圖帳に。常世國(ノ)長鳴鳥(ヲ)儲弖とある。國字は思誤りて作れたるなり】長鳴とは。凡て鷄は地鳥よりも。鳴聲の絶て長き物なる故にいふなり。次にすなはち使2互長鳴1とあり。○使互長鳴。此烏を鳴しめつる所由は。記に(399)爾天宇受賣白言(ク)。益(テ)2汝命(ニ)1而貴(キ)神坐云々。天兒屋命布刀玉命。指2出其鏡1。示《ミセ》2奉(ル)天照大御神1之時。天照大御神逾思v奇云々とありて。記傳云。此御鏡を見せ奉るからに。日神の御光移りて。全等しく照Rやくを以て。汝命に勝りて尊き神とは。此御鏡を申成せる者也。鷄を鳴せたるも。皆此貴神坐て。世を照し玉ふ事。日神に同じき由を示し奉れる者也。と云れたるが如くなるべし。さて平田翁の神寶日出秘府に。古語云とて。今世號2鳥名子《トナコ》1。則金鷄長鳴(ノ)縁也とある文を引て。伊勢神宮に謂ゆる三節祭の時に。鳥名子の事見えたる。稱の義は鷄鳴子《トナコ》にて。天岩屋戸の前にて。長鳴せしめたる鷄に比へて。置れたる故の稱と聞えたり。と云れたる。げに此に基きたる事なるべし。○手力雄神。御名義字の如し。次に見えたり。【倭姫命世記上代本記などに。天手力男神。栲幡千々姫命を。御戸開闢神と有て。其二柱共に御戸開神の號あるに就て考るに。此の石戸を引開たまふ。所謂に依る御名の如くにも通ゆれども。さには非ず。此事は下に云り。】式に伊豆國田方郡引手力命神社とあるは。磐戸を引開玉へるに因れる御名なり。【今賀茂郡十足村手力雄山に在と云り。】また紀伊國牟婁郡天手力男神社あり。信濃國水内郷戸隱山神社は。手力雄の引開玉へる磐戸の墮降れる山にて。即此神を祭れるなりと云り。○立。本にカクシタテと訓るは。記に隱立とあるに依れるなり。【江本鎌倉本秘閣本には。タテヽとよめり。】平田翁云。隱立は師の加久理多知弖と訓ぞ古言なると言れたれど。此は【此神自らの御心と。隱り給へるに非ず。】思兼神の謀に依て。諸神の然令v爲(サ)玉へるなれば。迦久斯多底天と訓べし。さて此神を隱(シ)立せる由は次段にて知るべし。
 
 
(400)中臣連遠祖天兒屋《ナカトミノムラジノトホツオヤアマノコヤネノ》命。忌部※[首を□で囲む]《イムベノオビトノ》遠祖|太玉《フトタマノ》命。
 
中臣連は。記傳云。名義は中執臣《ナカトリオミ》なり。其由は。伊勢齋(ノ)内親王|奉入《タテマツル》時(ノ)宣命に。【祝詞式に見ゆ】御杖代《ミツエシロ》止進給布御命乎。大中臣|茂桙《イカシホコノ》中取持弖。恐美恐美毛申給久止申。延喜奏覽大中臣本系に。依2去天平寶字五年撰氏族志所之宣1。勘造所(ノ)v進本系帳云。高天原(ニ)初而。皇神之御中。皇御孫之御中執持。伊賀志桙。不v傾2本末1。中良布留人。稱2之中臣1者。復v舊之由。惟其義也。康治大嘗會中臣壽詞に。【台記別記にみゆ】本末不v傾|茂槍乃《イカシホコノ》中執持弖。奉仕留中臣云々。などある如く。祖神天兒屋命よりして。神と君との御中を執持て。申す職なるよしなりとあり。【なほ本書に委し】連は上に出。偖記傳にも云れたる如く。諸の姓に職業を取れると。地名に依れると。祖名を取れると。又事を取り。物を取りなどせると種々ある中に。此中臣などは。其|職業《ワザ》に因れる姓なり。故此に在は。氏の中臣を云也。下に中臣神忌部神とあるが如きは。職の中臣なるにて。謂ゆる職業也。此差別を思ふべし。さて中臣の姓となれる。其始の人は。仲哀紀に中臣烏賊津連とある。此人よりの事にて。此中臣は職なるには非で。氏を玉ひて。中臣連には任し玉へるにて。姓氏録河内神別。中臣連天兒屋命十一世孫。雷大臣《イカツオミノ》命之後也。とある是也。さて天武紀十三年十一月。中臣連賜v姓爲2朝臣1。【但し此には論あり。記傳を見て思ひ辨ふべし。】とあり。平田翁云。此より後は。中臣氏は悉く朝臣の姓と成れるかと思ふに。姓氏録に。中臣連あり。餘書にも。中臣連と云るが。彼是見えたれば。(401)なほ本のまゝなるも多かりし也。此餘此姓より支別て。中臣(ノ)方岳《カタヲカノ》連中臣(ノ)酒人(ノ)連。中臣(ノ)大田連などの類。中臣(ノ)某と云姓多く。姓氏録に見えたるを按に。此は各々某々に別なる由ありて。負(ヘ)るなるべけれど。實は中臣氏にて。其職に仕奉(レ)る故に。かく稱來れるなるべし。【また中臣某と云ずて。直に大家(ノ)連。宮處連。殖栗連。志斐連。など云るも多かり。此等も委しくは。中臣某と稱けむを。また直に某連とばかりも稱へるを。其儘に録されたりとおぼゆ。其は同録の中にても。亦中臣(ノ)大家連。中臣(ノ)宮處(ノ)連。中臣志斐連とも見え。餘書にも中臣(ノ)殖栗連。などあるを見ておもひ辨ふべし。】と云り。さて又天智紀八年に。中臣連鎌子に。藤原姓を給ひしより。嫡庶に通はして。中臣とも藤原とも云來れるを。文武天皇二年八月詔に。藤原朝臣所v賜之姓。宜(ク)令2其子不比等(ヲシテ)承1v之(ヲ)。但意美麻呂等。縁v供2神事1。宜(ク)3復供2神事1。宜(ク)v復2舊姓(ニ)1とあり。此より不比等公のみ。藤原の氏を承て。自餘は舊に復し玉へるにて。藤原の一家にて神事に預らず。唯朝政にのみ任奉る事と成れるは。是其始となん見えたりける。此よりぞ。中臣藤原各相別れたりける。其後稱徳天皇神護景雲三年に。中臣朝臣清麻呂に。大中臣姓を給ひしことなどもあり。さて此中臣氏人は。紀をはじめいと多ければ。擧るに暇あらず。【此等の事ども。此にはつくし難し。なほ記傳に云れたること披見るべし。】○天兒屋命は。一書に興台産靈(ノ)兒天兒屋(ノ)命。また姓氏録に。中村連己々登牟須比命(ノ)子。天乃古矢根命之後也とあり。御名義|言綾《コトアヤ》根なり。【兒は。言《コト》の本言古なり。屋は阿夜なり。繼體天皇の皇女若屋郎女を。此紀には稚綾《ワカヤ》姫とあるにて知べし。】此神一書に天石窟意の前にて。太祝詞言申し玉ひし時。天照大神甚く感御て。頃者人雖2多請(セ)1。未(ダ)v有2若此|言之麗美《コトノウルハシキ》者1也。と詔ひし事見え。此神亦名を太祝詞《フトノリトノ》神とも申せりとおぼしきを【此事は一書の下に云。】按に。其言辭の麗美く綾《アヤ》ありしより稱へたる御名なり。【猶興台産靈神の下に云り】根は稱名なり。此神の御名。記傳云。他書には多くは。(402)兒屋根と根を添て書るを。記書紀などには此字なく。稱名は略きても云る例。これかれあるなど思へば。根字なきをば古夜と訓べきかと思へど。屋を夜泥と云こと。今の俗語のみならず。萬葉四などにもあれば。なほ古夜泥と訓べし。とあるに從ふべし。かくて此神の古く祠られ玉ふは。式河内國河内郡枚岡神社四坐。【名神大月次相嘗新嘗】とある是神なり。又後に春日にして祭られ玉ふ。式に。大和國添上郡春日(ニ)祭(ル)神四坐【並神大月次新嘗】是なり。【四座は。健御香豆智命。伊波比主命。天之子八根命。比賣神なり。】其他にも多くあり。○忌部首。本に頸字脱したり。或校本を見しかば。一本有2首字1とあり。さる本も有しならむ。必有るべき字なり。記に布刀玉命者忌部首等之祖とあり。さて拾遺に。天太玉命(ハ)齋部(ノ)宿禰(ノ)祖也と見え。姓氏録にも。齋部宿禰と有て。字を齋部て改たるは。其二書共に延暦以後に成れるものなればなり。【日本逸史に。國史を引て。延暦二十二年三月。右京人正六位上忌部宿禰濱成等。改2忌部1爲2齋部1とあり。】重胤説に。思ふに拾遺に。太玉命の神胤なるのみは齋部と書し。其神の率玉へりし氏々は。皆忌部と作るを以見れば。其本末の混れ無らしめむ用意とぞ見えたりける。三代實録貞觀十一年十一月。忌部宿禰高善爲2齋部1。と見えたりと云り。偖平田翁云。忌部は伊美部と訓べし。【イムヘと云は正しからず。】伊美は伊波比と本同言にて。古大人達も云れし如く。齋字をも書て。【後世には。忌字を伊牟とのみ訓て。伊波布には齋字祝字などをのみ書(ケ)ども。齋をモノイミとも訓を以て。同言なる事を知べし。】諸の凶惡《アシキ》事|汚穢《キタナキ》事などを忌避て。萬(ヅ)を慎むを云なり。故(レ)多く神に仕奉る事に言り。【後世にはイハフとは。壽く事をいひ。イムとはたゞ嫌惡て。去(ル)ことをのみ云て。反對なる如くになれゝども。壽を云も。其人其物を吉《ヨ》からしめむと。願ふにつきて。凶惡事を嫌去て。慎む意より轉り。又たゞ嫌去(ル)をイムと云も。凶惡事を嫌去より轉れるにて。本は一なり。】其は伊波比伊波布と云ひ。伊波閇とも活き。波と麻とは横に親しく痛ふ音なる故に。伊麻比伊麻布伊牟と活き。體言(403)にすゑて。伊美とも云しと聞えたり。部は牟禮の約にて。忌も部も正字なりと云り。さて首は大人の意なり。記傳云。姓の下に附るは加婆泥にて。其|部《トモ》の長《ヲサ》を云。諸忌部を率て其長なる由の姓なり。【自の職を以て名くるには非ず。かの中臣氏などの。即其職を以名るとは異なり。○重胤云。かく云れども。供作る氏々を率ゐ。其長として仕奉(レ)る。即職にて。謂ゆる以2行事1負v名と云者なれば。中臣例に異ならざるべし。偖太玉神を。此に忌部神と見えたる。忌は齋戒の事にて。其長と在て諸部神に處分《サタ》し玉ふ。太玉命の行事也。部は其太玉神の部と成て。供作る諸部(ノ)神の職なるを。合せて忌部神と申す事は。猶諸部神の長官と云ふが如く。又其諸部神をも。某忌部と云は。即長上なる神と共に。齋戒して供作り。仕奉る謂になん有ける。後世忌部と云氏名と成れるも。本此に起れるもの也と云り。】古語拾遺に。太玉命(ノ)所(ノ)v率神名曰2天(ノ)日鷲《ヒワシノ》命【阿波國(ノ)忌部祖也。】手置帆負《テオキホヒノ》命【讃岐國(ノ)忌部祖也。】彦狹知《ヒコサシリノ》命【紀伊國(ノ)忌部祖也。】櫛明玉《クシアカルタマノ》命【出雲國(ノ)玉作祖也。】天目一箇《アメマヒトツノ》命(ト)1。【筑紫伊勢兩國(ノ)忌部祖也。】また令d太玉命率(テ)2諸部(ノ)神1造c和幣《ニギテヲ》u云々。また宜d太玉命率2諸部(ノ)神(ヲ)1供2奉其職(ニ)1如c天上(ノ)儀u。【平田翁云。此文によれば。太玉命の諸忌部を率たりしは。天神の大詔にぞ在ける。】また仍令d天富命【太玉命の孫】率2手置帆負彦狹知二神之孫(ヲ)1。以2齋斧齋※[金+且](ヲ)1。始採2山(ノ)材(ヲ)1。構c立正殿(ヲ)u。云々。採v材齋部(ノ)所v居謂(フ)2之御木(ト)1。造v殿齋部(ノ)所v居謂2之麁香(ト)1。また又令d天富命率2齋部諸氏(ヲ)1作c種々神寶鏡玉矛盾木綿麻等(ヲ)u云々。また天富命率2諸(ノ)齋部(ヲ)1捧2持天璽(ノ)鏡釼(ヲ)1奉2安正殿(ニ)1云々。また又令d天富命率2供作(ノ)諸氏1。造c作大幣(ヲ)u。などあるを以知べし。もと忌部とは。神を祭る種々の物を造り。またさらでも。凡て齋潔清はりて。事を爲す職を云名にて。【かの採材齋部。造v殿齋部の類。】齋部(ノ)諸氏とあるも諸氏の齋部なり。かくて同書に。宮内立v藏號2齋藏1。令3齋部氏永任2其職1と云(ヒ)其の次にも齋部氏と云るは。布刀玉命の末の忌部首をさすなり。と云り。さてまた平田翁説に。一通り見ては。太玉命の率たるは。拾遺に太玉命所v率神云々と見えたる。忌部諸氏の(404)みのごと所思れど。忌部と稱ざる。猿女鏡作服部倭文麻績の諸氏をも。率たりけむと所思ゆ。其は上に引る文どもに。率2諸部神(ヲ)1と云ひ。率2供作(ノ)諸氏1。造2作大幣(ヲ)1といひ。殊に拾遺に。率2石凝姥神(ノ)裔天目一箇神裔(ヲ)1。とも有るを熟思べし。鏡作服部|倭文《シトリ》麻績《ヲミ》の諸氏の作る物等は。悉く大幣物なる上は。太玉命の其諸氏をも率たりけむ事。更に疑なきものをや。【但し重胤云。其に差別なん有べかりける。其は太玉命所v率神名云々とあるは元より。太玉命の下風に立て。共に忌部を名乘るべき氏々の祖神也。其餘の神等は。其幣帛を作る爲に。其諸部神の部にはあれども。外に殊なる功用のおはし坐て。凡ては。太玉命に屬玉はざる故に。常に所率神には坐々ざるを以知べし。】故同書の末に。凡造2大幣1者。亦須v依2神代之職1。齋部之官。率2供作諸氏(ヲ)1准v例造備。然則神祇官(ノ)神部。可v有2中臣齋部猿女鏡作玉作盾作神服倭文麻績等氏1。而今唯有2中臣齋部等二三氏1。自餘(ノ)諸氏不v預2考選1。神裔亡散。其葉將v絶。といへり。【此文に齋部之官と云るは。中臣と並べて。神祇官に置るゝ齋部の官人をいひて。其即太玉命の裔なり。】此氏。古は首の姓なりしを。天武天皇九年正月。忌部首|子首《コヒト》賜v姓曰v連。則與2弟|色弗《シコフチ》1共悦拜。と見えて。此より連となれるを。又十二年十二月忌部(ノ)連賜v姓曰2宿禰1とありて。大氏は此より宿禰となれるを。小氏には稍後まで。首なるもありしを。孝謙天皇天平寶字三年十二月。忌部首黒麻呂等若干人。賜2姓連(ヲ)1。忌部首融麻呂等若干人。賜2姓造(ヲ)1とありて。此等は同姓ながら。いまだ連にも宿禰にもならで有し族なり。【重胤云。此二人共に此時に至るまでも。猶首の姓也しは。天武天皇九年に連姓を玉ひ。同十二年に宿禰姓を玉へるは。其子首色弗兄弟のみにて。其支流の忌部首は。壬申の功臣と云ふにも非りければ。此を以て漏たるを。此時に至りて黒麻呂が族。若干人には連姓を玉ひ。融麻呂が族。若干人には。造姓を玉へるにて。其若干人の忌部は。拾遺に神祇官神部。可v有2中臣齋部云々(ノ)氏1。と云る神部に仕奉る氏人なりけん。】さて此大氏は。姓氏録右京に。齋部宿禰高皇産靈命(ノ)子天(ノ)太玉命之後也。とあれば。右京に住るを。小氏の家々は。畿内には住ざりしと見えて。姓氏録に右の一家のみ載られたり。(405)さてこの氏人は。右に出たる人の外に。古語拾遺に。孝徳帝時に小華下忌部首佐賀斯爲2神祇頭1。齋部廣成平城(ノ)時に。古語拾遺を著して上れり。三代實録清和紀。神祇權大佑忌部宿禰高善改爲2齋部1。【類史逸文に桓武帝時。忌部濱成等改2齋部1と云事もあり。】と云事見え。外記日記に。朱雀帝時。齋部宿禰宗重。顯廣王記兵範記に。二條帝時齋部宿禰明友。同姓孝重。業資王記に。土御門帝時。齋部宿禰明茂。宮主秘事口傳に。花園帝時齋部宿禰平典。後醍醐帝時。齋部宿禰憲親。齋部宿禰親重等見えたり。なほ諸國には。忌部と云る氏は古く諸書に見えたり。此氏後は甚く衰へたり。○太玉命。拾遺姓氏録には。天太玉命とあり。高皇産靈神の御子なる事。拾遺にも見えたり。【なほ御鎭坐本紀に。太玉命櫛明玉命兄也とあるを。神名秘書に。太玉命高皇産靈神(ノ)子|栲幡千々《タクハタチヽ》姫命(ノ)弟。櫛明玉命兄也。とあるにてたしかなり】名義は記傳に。大神宮式に着2木綿1賢木。是名2太玉串《フチタマグシト》1【書紀に。五百箇眞坂樹八十玉籤ともあり。】とあり。今此神は。玉鏡和幣を着たる眞賢木取持たまへば。若は此太玉串の意にもや有む。さて玉串の名は。手向串なるべし。されば其串を畧て。太手向《フトタムケノ》命とも云べきものぞと云れたり。今按に太玉串は。なほ字の如く玉を着たる賢木の謂なるべし。【この事は。一書の八十玉籤の下に。平田翁の説を引て云べし。】其太玉串を取持玉へば。太玉串命と云べきを。串を省て大玉命と云御名とすべし。兒屋命は。稱辭啓すを主り。太玉命は。太御幣を執捧ぐるを。主り玉ふ神に御在坐ば。寔に太玉串命の義なるべし。さて此神を祭れる社は。式に大和國高市郡太玉命神社四座【並大月次新嘗】とあり。三代實録に。貞觀元年正月從五位上を授奉玉へり。【此社。今忌部村に有。平田翁云。松下見林が太玉命社記に。今春日(ノ)神と云といへり。偖此四坐を。太玉命大宮賣命豐石窓櫛石窓命也といへども。此は拾遺によりて云る推料りなるべし。三坐己(レ)未思得ず】また拾遺に。阿波忌部所v居便名2安房郡(ト)1。今安房國是也。天富命即於2其地1。立2(406)太玉命(ノ)社(ヲ)1。今謂2之安房社(ト)1とあり。式に。安房國安房郡安房(ニ)坐(ス)神社。【名神大月次新甞】后神天|比理刀※[口+羊]《ヒリトメノ》神社大。とある是なり。續後紀承和三年七月奉2從五位下1より次々見えて。三代實録貞觀元年正月奉v授2正三位1とあり。今太神宮村に在り。安房大神と云ふ。安房の一宮なり。后神元名洲神といふ。後世須(ノ)宮或は洲(ノ)崎明神とも申す。今世に洲(ノ)崎大明神と申す。洲崎村二宮即是なり。【后神も同位階を奉玉へり。】
 
 
掘《ネコジニシテ》2天(ノ)香山《カグヤマノ》之五百箇(ノ)眞坂樹《マサカキヲ》1。而|上枝《カミツエニ》懸《トリカケ》2八坂瓊之五百箇(ノ)御統《ミスマルヲ》1。
 
 
天香山。天上にある山名なり。此山後に此國土に降着て。大和國なる香山。伊豫國なる天山と。二つに判れたり。大和國風土記【神代紀口訣所引又神社考にもあり】に。謂天上有v山。分而墮v地。一片爲2伊豫國之天山1。一片爲2大和國之|香《カグ》山(ト)1。とあり。伊豫國風土記に。伊豫郡自2郡家1以東北。在2天山1。所v名2天山(ト)1由者。倭(ニ)在2天(ノ)加具山1。自v天|々降《アマクダス》時。二分而以2片端1者。天2降(シ)於倭(ノ)國(ニ)1。以2片端1者天2降於此土1。因(テ)謂2天山(ト)1本也。【重胤云。和名抄郷名に。伊豫國久米郡天山郷ある是なり。星岡と云(フ)近邊に。今も方一町程の小山有を。天山と云とあり。】また仙覺萬葉抄には。阿波國風土記に。空よりふり降たる山の大なるは。阿波國にふり降たるを。天|詔刀《ノリト》山といひ。其山の碎けて。大和にふり著たるを。天香山と云とあり。萬葉に。天降付天之芳來山。とある此意なり。【山の南麓に。今香山村と云もあり。】式に大和國十市郡天香山(ニ)坐(ス)云々。【今はかく山と清みて稱へども。古は濁音に唱たり。】○五百箇眞坂樹。記に五百津眞賢木とあり。記傳云。五百は。枝の繁きをいひて。一木の上の事なり。仲哀紀に。五百枝賢木とあるにて曉べし。天孫降臨章なる。湯津楓(407)の湯津も同じ。眞坂樹の坂は借字。仙覺が萬葉解に。榮えたる樹と云也と云り。新撰字鏡には杜毛利。又佐加木。又龍眼佐加木。また榊※[木+祀]※[木+定]三字佐加木と有り。榊字は。日本後紀にも見えたり。和名抄にも。漢語抄龍眼木。今按龍眼其子名也と有り。此は後世の佐加紀に當たる可けれど覺束なし。况て上代のには叶はず【採要】とあり。さて其木は今も神事に用る榊なるべし。通證に。此樹信(ニ)祭神之靈木。未v聞3西土有2此種1。故不v借2漢名(ヲ)1。與2松柏之品1異矣。と云るは。然る説とおぼえたり。さて源氏物語に榊卷ありて。此木の香ある事を云ひ。古歌にも榊葉の香をかぐはしみとあるは。何れの木にも各其香有を。殊に新芽の程などは。况て其香の灼き者なり。と重胤の云れたる。さも有べし。○掘。記に根許士爾許士而《ネコジニコジテ》。拾遺に左禰古自乃禰古自。萬葉八に。去年春|伊許自而《イコジテ》植之云々若樹梅者。古今六帖に。秋野は根許士にこじてなど詠て。根ながらに掘取をいふ。俗に云根引にするなり。【物をこじると云俗語も。これよりぞ出つらん。】と記傳に云り。【拾遺の左禰古自は眞《サ》根掘也。】此は下に見えたる。鏡玉などを著べき料なれば。殊に大なるを根掘取れるなるべし。根ながらに取れるは。其ながら立るに。居りのよき爲なるべし。○上枝。中枝。下枝。重胤云。上枝は加美都延と訓て。志母都延に對はしむべきなり。又本都延と訓て。志豆延に對はしむべし。應神紀歌に。辞豆曳羅波《シヅエラハ》。云々|保菟曳波《ホツエハ》云々。とある是なり。【記も同じ】また記。朝倉宮段歌には。本都延波《ホツエハ》。阿米袁淤幣理《アメヲオヘリ》。那加郡延波《ナカツエハ》。阿豆麻袁於幣埋《アヅマヲオヘリ》。志豆延波比那袁淤幣理《シヅエハフナヲオヘリ》。と先云て。次には其を承て。本都延能《ホツエノ》。延能宇良婆波《エノウラバハ》。斯毛都延爾《シモツエニ》。淤知布良婆閇《オチフラバヘ》。斯豆延能《シヅエノ》。延能宇良婆波《エノウラバハ》。云々と有て。(408)本都延に對ひたる所には。斯豆延と云ひ。其下句に在て。對ふ所なきは。斯毛都延と云るは。即加美都延に對ふ語なるが故なり。【然るを本に上枝をカムツエと訓ながら。下枝を志豆延と訓るは格に外れたり。】本都延の本は槍穗《ヤリノホ》又稻穗などの穗に同じく。秀眞《ホツマ》又國(ノ)秀《ホ》などの秀の如く。物の鋒に秀《ヒ》出る義なる事。云も更なり。然るに記明宮段御歌に波都爾波《ハツニハ》。波陀阿可良氣美《ハダアカラケミ》。志波邇波《シハニハ》。邇具呂岐由惠《ニグロキユヱ》。美都具理能《ミツグリノ》。曾能那迦都邇袁《ソノナカツニヲ》。と有を熟思ふに。上土《ホツニ》下埴《シハニ》中土《ナカツニ》と云事なり。物の端を波と云事。山(ノ)端又|端立《ハタテ》などの如し。是を以て本と波と義相通ふ事知べきなりと云れたり。
 
 
中枝《ナカツヱニ》懸《トリカケ》2八咫鏡《ヤタカヾミヲ》1。【一云。眞經津鏡《マフツカヾミ》。
 
八咫鏡。記に八尺鏡【訓八尺云八阿多】とある。尺は咫の誤か。又は咫尺と古くより云習へる熟字のあるに依て。此も通して云るか。【注の八は决く誤也。】さて此鏡の御名は。草薙釼を。神皇系圖神皇實録等に。十握釼と所見たると同く。度量を以て云るなるべく。其に就て八咫と云義を考るに。記傳に。古物を度量るに咫《アタ》と云名あり。と云れたる。實然る説にて。上古に。今の七八寸《ナヽキヤキ》ばかりなるを。凡に七咫とも八咫とも云しならん。【其餘に云るは物に見ず。】今の心にては。たゞに七寸八寸ならむには。七八寸と言てあるべきを。いかなれば別に然る名目は有ならむと云に。阿多と云るは。大凡に物を指定めて。度量る時の名にてもありしなるべし。阿多と云義は詳ならねど。古く咫字を借れるは。公望私記に。凡讀v咫爲2阿多1者手之義(409)也。一手之廣四寸。兩手相加。正是八寸也。故書傳謂v咫爲2八寸1也。又韻書に謂2八寸1曰v咫。又説文に。中人(ノ)手長八寸。謂2之咫1周尺也。などあるが。【平田翁。此私記の説に依て。手を阿多と云る本義は。未思得ざれど。此は天津國の古言也しが。阿は自らに略かりて。多なるを相通して弖と云るなり。と云れたれど信がたし。さて私記に。一手廣四寸とあるを。二並べて八阿多なりと。云るは非なり。若此説の如ば。七阿多をば何とか説かんとする。既く私記にも。今云2八咫(ト)1者。是八々六尺四寸也。など云る異説の起れる也けり。さる事にはあらず。たゞ八は八重八瀬などの八にて。物の重なるを云るなり。但し周尺に云る處は。手(ノ)長(サ)に度りて云る名。此方に云るは手(ノ)廣(サ)に度りて云る名の差あるを知べし。】此方の七寸八寸を。七阿多八阿多と云るに似たれば。大概に當て。書るものと見えたり。【咫字を借れるにても。七八咫の餘に。某咫と云へる名目の有(ラ)ぬを思べし。】されば今心得むに。七咫とあるは七寸許。八咫とあるは八寸許。と見て違ふ事あらじ。とぞおもはるゝ。さて其八阿多を略きて。今は八多《ヤタ》と云るものなるが。此御鏡の八咫【所謂八寸許】に坐ことは。釋に天徳御記を引て云。内裏燒亡之時。内侍所神鏡不2燒損1。基鏡徑八寸許。頭《ハタニ》雖v有2小瑕1。專無v損。とあるにて知られたり。【猶釋紀に。先師申云。天徳回禄之時。件神鏡【内侍所】在2灰燼之中(ニ)1。不2燒損1。其鏡徑八寸許。云々。御記文炳焉。然則彼八咫鏡徑八寸歟云々。と已に定め云る言さへあり。口訣に。八咫鏡者。面八寸鏡と注せるも。必其受る所ある説なるべし。】然るはまづ。此天徳四年の災に罹り玉へる神鏡は。石窟戸の時の本(ノ)物に非ず。崇神天皇の御世に彼八咫鏡に擬造られたるものなり。然れば頭雖v有2小瑕1とある。小瑕は燒損たる瑕には非ず。是また釋紀に。大仰云。御紀文神鏡小瑕如何。先師申云。此紀一書文。日神方開2磐戸1而出焉。是時以v鏡入2其石窟1者。觸v戸小瑕。基瑕於v今猶存云々。就v之思v之。今内侍所(ノ)神鏡者。崇神天皇御時。更所v鑄也。然則本(ノ)鏡有v瑕。所v鑄之新鏡。不v違2本(ノ)樣(ヲ)1。鑄2付其瑕(ヲ)1之條。明白者歟。又先帥申云云々。崇神天皇御宇。被v奉v寫2此(410)神鏡(ヲ)1之時。不v違2本(ノ)樣(ヲ)鑄2二付件小瑕(ヲ)1之條。於焉明白者歟。と云るが如し。如此其小瑕をさへに。本樣を違へず。鑄付しめ玉へれば。况て其大小き度を。違へ給ふまじき事决く。其徑八寸許とあるに據りて。想像奉れば。其本(ノ)鏡を八咫鏡と云る。八咫は八寸許なる事著し。偖此御鏡の事。猶委くは第一(ノ)一書の下に云べし。○眞經津鏡。名義。記傳に眞|太《フト》鏡なり。太は稱辭にて。布都とも通はし云る例多しと云り。さて眞經津鏡は。此御鏡の御名のみにはあらで。上古鏡を美稱へて云る名と見えたり。倭姫命世記に。伊勢度會宮に坐大神の御靈形を。眞經津鏡圓鏡也。とあり。播磨風土記。賀古郡條に。普大帶口子命誹2印南別孃1之《トキ》。御佩刀之|八咫《ヤツカ》釼之云々。下結(ニ)麻布都鏡(ヲ)繁《カケタマフ》時云々。【咫は握。繁は繋か。】とあるを見て知し。
 
 
下枝《シモツエニ》懸《トリシデヽ》2青和幣《アヲニギテ》【和幣。此云2尼枳底1。】白和幣《シラニギテヲ》1。相(ヒ)與(ニ)致其所祷《ノミノリマヲス》焉。
 
青和幣。白和幣。記傳云。和幣の底《テ》は。多閇《タヘ》の約たる言にて。即爾岐多閇なり。爾岐は即和字又熟字などを訓り。多閇は師説に。絹布の類を總云名なりと云り。されど此説は非なり。右の説の如く。尼枳底を和多閇の約たるなりとする時は。和妙に對て。荒妙の約りたる。阿良底《アラテ》と云事もあるべきに。さる名なきにても。其義に非ざる事をまづおもふべし。【これは祝詞に。明多閇《アカルタヘ》照《テル》多閇と云る事あると。明和幣《アカルニキテ》曜和幣《テルニキテ》と云事あるを。一つなりと見て云る説なり。それとは異なり。】底《テ》は手《テ》なり。御|手坐《テグラ》【即幣なり】の手と同じく。手以て捧げて奉るものなれば爾云なり。さて和は稱辭(411)なり。【荒和の和の義にはあらず。】下に唾を白和幣と云。洟を青和幣ともいふ。拾遺に令d太玉命率2諸部(ノ)神(ヲ)1造c和幣《ニギテ》uとある。幣物の惣名をまづ云置て。次に其料物を種々云るも此よしなり。なほ同書に。青和幣白和幣の外に。令3天(ノ)棚機姫織2神衣(ヲ)1。所謂和衣。古語爾伎多倍。とあるにても。和幣《ニキテ》と和衣《ニキタヘ》とは別なる事を知べし。【字書に幣(ハ)帛也。とあるに泥むべからず。】さて青といひ。白と云は。其幣物の色を以て云ること。次の記傳の説の如し。記傳云。青とは。給遺に令d長白羽《ナガシラハノ》神(ニ)種v麻以爲c青和幣(ヲ)u。【古語爾伎※[氏/一]。】とあり。麻は木綿にくらぶれば。稍青き故に。青和幣と云なりとあり。木綿は即白和幣なり。【次に云。池邊眞榛云。麻は和名抄に。和名乎。一云阿佐。※[台/木]屬也。爾雅云。※[台/木]和名介無之。麻無子名也。とありて本草に大麻と云物なり。抑麻は。其實青色なる物なる故。かの木綿以て造れる白和幣に對へて。此をば青和幣といふなり。今も越後また大和奈良より出る※[台/木]麻《カラムシ》。(和名抄に。周禮注云苧和名加良無之。麻屬。白而細者也。)の白色なるに對へて。此をば青麻といへり。日本纂疏に。青和幣造以v麻謂v※[台/木]《ケムシ》也。白和幣造以v穀謂2木綿1也。とみゆと云り。】白和幣は。一書に下枝懸2以粟國(ノ)忌部(ノ)遠祖天(ノ)日鷲《ヒワシ》所v作木綿(ヲ)1。と見え。拾遺に令2天日鷲神(ニ)1以(テ)2津咋見《ツクヒミノ》神(ヲ)1。穀木種殖之《カヂノキヲウヱテ》作(ラシム)2白和幣(ヲ)1。【是木綿也云々。又神武天皇の段に。穀木所v生。故謂2結城《ユフキ》郡1とあり。是下總國の郡名なり。】豐後風土記に。速見郡袖富郷。此郷之中。栲樹多生。常取2栲《タクノ》皮(ヲ)1。以造2木綿1因曰2柚富《ユフノ》郷(ト)1。また寶基本記にも。謂以2穀木1作2白和幣1名號2木綿1。とあり。かゝれば。白爾岐弖は木綿のこと。木綿は穀《カヂノ》木皮以て。織れる布にて。古はあまねく用たりし物なり。【此を布にする事。漢籍にも見えたり。和名抄に。穀加知。木名也。と云ひ。字鏡にも。穀楮也。加知の木。とあり。さて布にせしことは。いと古の事にて。やゝ降りては。たゞ紙にのみして。布にすることは絶つと見えて。和名抄にも穀紙は見えて。布の事は見えず。】其は殊に白きものなる故に白多閇とも。白由布とも。白爾岐弖とも云なり。【又古書に栲某と多くある栲も。右に引る豐後風土記によるに同物なり。故萬葉に白栲ともかき。又萬の白きものに。栲衾栲角乃など枕詞にも云へり。】さて又書紀に。下枝懸2所v作木綿1といひ。又下卷天日鷲神爲2作木綿者《ユフハキト》1など云るは。記など彼是を合せて思ふに。白和幣のみにはあら(413)で。必青和幣もそなふべければ。かく云ときは。穀と麻と二種を凡ても。木綿と云りとみゆ。なほ又式などに。其料物を擧たる所には。木綿と麻とを出せるに。其を用る所には。たゞ木綿の事のみ云て。麻の事は見えぬが多きも。二種を合せて木綿と稱故なりけり。【凡て榊に木綿を付など云るは。二種を合せての名なり。】さて白和幣青和幣ともに。織たる布をもいひ。【萬葉に。木綿|疊《タヽミ》手向などあるは。必織たる布と聞ゆ。】又未(ダ)織はせで。たゞ糸にしたるまゝなるをも用たりと見ゆ。故古書に木綿をば作《ハク》と云て織とはいはず。又式などに。布若干端木綿若干斤麻若干斤と。布の外に擧げ。端などはなくて。斤とあるも。糸ながら用る證なり。されば今賢木に垂たるも是なり。【麻も常には未織ざるを云へども。又其布をも同じく麻衣など云る如く。木綿も然也。されば惣名の多閇も。織たる未(ダ)織ざる通はし云べきか。】又神に手向る奴佐も。絹布をも未織ざる木綿麻をも云り。【麻とかくは。侏儒の中の一(ツ)につきてなり。又後世に紙を用るは木綿の代也。】と云り。○懸。此の白和幣青和幣を懸とある中に。彼の拾遺に。天(ノ)羽槌雄《ハツチヲノ》神の織れる文布《シトリ》。【これ荒衣なり】棚機姫神の織れる紙衣《ニキタヘ》。【これ和衣】などをもこめて。並懸たる事もとよりなり。さて上の玉をば取著。【明應本秘閣本にしかよめり。本にはトリカケとよめり。】鏡をば取繋。【秘閣本にしかよめり。本には。カケとのみ訓り。】此には取垂とよめる。皆記によれり。さて取垂と云るは。【皇極紀は懸2掛《トリシデ》木綿(ヲ)1萬葉六に木綿取之泥而とあり。】令v垂の意なり。但し志陀禮を約めて志殿と云なり。と記傳に云るはたがへり。さてかく鏡和幣等を坂樹に懸たるは。上古の禮義と見えて。神代の神等もしか爲給ひ。後の御世には人もしかして。皇の御前また貴きあたりに奉り。又轉りては木の枝に雉をつけて人に贈りつる事も。物語文に見え。文を附て遣るは。中頃の常也き。是等もみなあなたを敬ひて。ものする心ばへの殘れるなりと。記傳に云れたり。○相與は。兒屋命太玉命諸共(413)になり。重胤云。此時八百萬神等。皆共に此塲に會合玉ふと雖。諸部神の中には。幣帛に供作る神等も御在坐し。又手力雄神。天鈿女命の如きは。各其仕奉るべき事共の御在し坐ければ。其御祈祷の御事に就ては。天兒屋命太玉命二柱。相並ばして仕奉り玉へるなり。然るに第三一書の趣にては。其太幣帛をしも。兒屋命の太玉命をして執持しめ玉へる如云るは。中臣氏をして。忌部氏の上に置むと爲たる用意の程見えて。甚味氣なし。本よりして兒屋命は太占の卜事を掌りて。此にては廣厚く稱辭して。祈啓し玉ふべき職の神なり。太玉命は諸部神を率て幣帛を造らしめ。此にては太御幣を取持して。捧奉り玉ふべき神に御在坐て。各其掌らせ玉ふ事なん。別々に渡らせ玉へれば。其にては叶はず。又拾遺には。令2太玉命捧持稱讃(セ)1。亦令2天兒屋命相副祈祷1。と見えたるは。太玉命を主として。兒屋命をしも其副と成したるなれば。愈合はずと見ゆれば。此正書の正しきは云も更なり。紀に布刀玉命布刀御幣登取持而。天兒屋命布刀詔戸言祷白。とあるなん茂桙の本末傾けざる傳にて。中にも正しき説也ける。と云り。○致其祈祷。記に祷白而とあり。能美と云義は既に云り。さて其祷白せる状は。第二(ノ)一書に。天兒屋命則以神|祝々之《ホサキホサキキ》。第三一書に。廣(ク)厚(ク)稱辭祈啓。などありて。祝詞に多く稱辭竟奉と云に同じく。其懇誠を至し盡し極むるを云なり。
 
 
又|猿女《サルメノ》君(ノ)遠祖天(ノ)鈿女《ウズメノ》命。則手(ニ)持(チ)2茅纏之※[矛+肖]《チマキノホコヲ》1。立《タヽシテ》2於天(ノ)石窟戸之前《イハヤトノマヘニ》1。巧《タクミニ》作俳(414)優《ワザヲギス》。
 
 
又猿女君云々。重胤云。此は天鈿女命の神樂を申されし一段なるが。紀記拾遺に差せる異も無き物から。何れにも天鈿女命の。後世神樂に謂ゆる。人長に當れる御務の事のみ有て。其支度用意の〓事に於ては。總て此を漏されたり。故言を加へて心得ずば得なん有まじかりける。上代本紀に。凡神樂之起。猿女君祖天鈿女(ノ)命。採2天香山竹(ヲ)1。其節(ノ)間(ニ)雕2風孔(ヲ)1。通2和氣(ヲ)1。【今世號笛類也】とあるは。樂器の笛の起是なり。また亦天香弓興並叩v絃。【今世謂和琴其縁也】とあるは。和琴の起にて。此事本朝事始には。殊に詳なるを。類聚本源にも見えたり。又上代本紀に。木(ト)木(ト)合合而。備2安樂《アソビ》之聲1。とあるは。謂ゆる笏拍子の事也。右件笛琴笏拍子の起有て。又後世御神樂に所調笛工彈琴撃拍子の設備はれり。偖また神祇本源に。古語云2人(ノ)長《ヲサト》1者。天(ノ)鈿女命也。と見えたる如く。此時の天鈿女命の所作はしも。實に後世に所謂人長なり。さて右の支度共悉に相備りて。次には此の本文の。猿女君遠祖天鈿女命則云々より。顯神明之憑談とある所の文是なり。此を記には。又天鈿女命手2次繋天香山之天之|日影《ヒカゲヲ》1而云云。八百萬神共咲。とあるは此紀よりは少し委曲しき状なる者なり。拾遺には思兼神の事謀りに。又令2天鈿女命云云相與歌舞1。と見えたり。右等の傳々を。此に合せ見れば。此紀の此傳のみ。全く備はれりとは云がたくして。猶意を補ひて聞べき事少からざるなり。此一應の事共此に云べし。一には此に以2天香山之眞坂樹1爲v鬘。云(415)云とあるは。鈿女命の出立の装束なれば。其始に在べき事。記拾遺の如くなくては叶はざるなり。二に手2草結《タクサニユヒ》天香山之|小竹葉《サヽバヲ》1とある是なり。拾遺に以2竹(ノ)葉|飫憩《オケノ》木(ノ)葉(ヲ)1。爲2手草(ト)1とある飫憩はいかゞなれど。手草と爲る事に於ては異りなし。【武郷云。本朝事始に。榊人。但可v讀2佐加宇土1。垂仁天皇廿五年。天照大神鎭2座于伊世國渡會郡五十鈴乃川上1之時。以2大鹿島命1爲2榊人(ノ)主1。榊人者。以2榊之上枝中枝下枝2。各爲2寸切之長1。合爲2三※[足+禺]子1。以2左右之手1鳴v之。爲2早拍子1。今世豐原文右之後傳之。とあり。今按に。これ飫憩の木にはあらざるか。考べし。】三には。此に手持2茅纏之※[矛+肖](ヲ)1立2於天石窟戸之前(ニ)1。巧作2俳優(ヲ)1云云。火處|燒《タキ》。覆槽置《ウケフセ》は。拾遺に。手持2著《ツケタル》v鐸《サナキ》之矛(ヲ)1而。於2石窟戸前1覆2誓槽《ウケ》1擧2庭燎(ヲ)1巧(ニ)作2俳優《ワザヲギヲ》1。相與歌舞(フ)と見えたる方。殊に委しく聞ゆ。四には。此に覆槽置《ウケフセ》顯神明之憑談《カムガヽリス》は。記に於2天之石屋戸1。伏2※[さんずい+于]氣《ウケ》1。蹈登杼呂許志。爲2神懸1云云。其は拾遺に。凡鎭魂之儀者。天鈿女命之遺跡とあるを。此紀に其事を鈿へ洩したるなり。五には。記に掛2出胸乳(ヲ)1。裳緒《ミヒモヲ》忍2垂於番登(ニ)1也。と云る文をも傳洩せり。右件の意どもを補ひて聞べし。と云れたるはげにさる事なり。○猿女君。此氏の事も。名義も下卷に出て。そこに云り。○天鈿女命。記傳云。名義。拾遺に天鈿女古語天乃於須女。其神強悍猛固。故以爲v名。今俗強女調2之於須志1此縁也。【此注を思ふに。此書の傳には。淤受賣とありしを。鈿女と書る文字は書紀に依れるなり。】延喜七年進(ル)大神宮禰宜譜圖帳にも。天乃於須女とあり。源氏物語に。おぞましくは。【帚木】うたておずましかるべき【夕霧】など。皆婦人の事を云て。右の意なり。今世言にも。於曾伊又淤受伊。と云言あり。【採要】と云り。此神のおずき御態は。此次又下卷に見えたり。○茅纏之※[矛+肖]は。私記に以v茅纏2其矛(ヲ)1也とあるが如し。但必以v茅者。蓋取2潔白之義1歟。と云るはいかゞ有らむ。重胤云。茅は菅の種類なるが故に。(416)萬葉集にも通はせてよみ。又通證にも。夏越《ナゴシノ》祓(ノ)菅貫(ノ)輪。或謂2之|茅《チノ》輪(ト)1。則菅與v茅其用同矣とも云り。和名抄に。菅。和名須計。草名也と見え。茅。一名白羽草和名智。と出たり。陸機説に。菅似v茅(ニ)而滑無v毛者と云ひ。茅は。一に白茅とも云るを。時珍説に。夏花者爲v茅。秋花者爲v菅と云る。共に同種異品なる者也。本朝事始。和琴の事を云る所に。茅(ト)以2須雅乃葉(ヲ)1調2左右乃事1奏。又號2須賀古止1云々。有2須賀加幾之調1と有。菅掻と云ひ。菅琴と云れども。茅掻茅琴とは云ざるを出て。菅の種屬なる事を知べしと云れたり。さて拾遺に令3天目一箇神作(ラ)2雜(ノ)刀及鐵鐸(ヲ)1。【古語佐那伎。】とありて。次に天鈿女命手持2者v鐸之矛(ヲ)1とあり。平田翁云。師説に着v鐸之矛といひ。茅纏之※[矛+肖]と云るは。たゞ名の傳の異なるのみにて。實は一(ツ)にて此鈿女命の持たる矛也。と云れしはさる言にて。矛のすべては。茅を以て纏て。夫に鐸を付たりしを。鐸(ノ)矛とも。茅纏之矛とも云けんを。一方に語れる傳を記せるなりけり。さて鐸は。天(ノ)目一箇根命の作れるなり。矛は。手置帆負彦狹知命の。木を以造れる事决しと云り。【拾遺に。今手置肌負彦狹知神云々作2御笠及矛盾(ヲ)1とあり。下卷天孫降臨章に云り。】鈿女命の此矛を以て。爲給ふ事は次に云べし。○巧作俳優。巧は意を用て聞べし。心の限手の限を盡させ玉へるを云なり。和邪袁岐は。平田翁云。師説に和邪は童謠《ワザウタ》禍《ワザハヒ》諺《コトワザ》などの和邪と同じく。今世にも神また死人の靈などの祟るを。物の和邪と云是なり。【其は常にはたゞ祟りて。凶き事にのみ云めれど。本は凶にも吉にも通る語なり。】かくて何事にまれ。人の口を假て神の歌はせ給ふを和邪歌と云ひ。言せ給ふを言《コト》和邪とは云なり。【禍も神のなし玉ふ意を以て云ふ。】と云れたる如くにて。俳優も。神懸につきて云稱にて。神懸の態を爲て。大神を咲《ヱ》まし奉(417)りしより云るにて。袁伎は。哀《ヲ》加斯の約れるなるべし。【武郷云。袁伎は袁加斯の約と云るはいかゞ。此は記中卷仁徳天皇御歌に。伊夜袁許《イヤヲコ》とある袁許に同じ。記傳袁許は。中昔の書共に袁許なり。をこがまし。をこの者。など云る是なり。三代實録に。右近衛内藏富繼。長尾(ノ)末繼。伎善2散樂(ヲ)1。令2人大咲1。所謂嗚呼(ノ)人近v之矣。此は可笑《ヲカシ》き伎する者を云るなりといへる。此袁許を通音に。袁伎と云るものなり。右の御歌の袁許をも。記傳に袁加志と云と同じ。と云れたるはたがへり。】其は物の憑《ツキ》て狂はする態の如く。胸乳をかき出など。最も可笑しく物する故の名也。とあり。偖此は。次の顯神明之憑談と同事にて。別事にあらず。故記には。爲神懸而云々。とのみありて。俳優の事はなし。拾遺には。神懸の事なくて。たゞ巧作俳優とのみ有にて知べし。【さるを此紀に。巧作俳優と有て。又顯神明之憑談とあるは。別なるが如くに聞えて。いかゞなる書樣也。拾遺はこれを意得て。書るものと見えたり。】さて重胤云。後に猿樂と云事の起は。必此時の俳優に起れる事。通證に謂2之猿樂(ト)1者。猿女氏所2相傳1之樂也。とあるが如し。さるは粟田口猿樂記に。猿樂の止事なきよしを述べ。また幹林葫盧集に所見たる。村上天皇の大御言にも詔へるが如く。然る戯ばみたる。嗚呼《ヲコ》の手振には。中々に神も愛給ひ。怒れる心も和む者也ければ。鈿女命の俳優して。大神の御怒を解奉らせ給へる歌舞なれば。世に譬しへなき吉例になん有ければ。言痛き漢風の理を離れて。直く正しき古昔の樣を思べき者也かし。【此はしも。日神の御怒斜ならざる時なるが故に。尋常の理屈を以ては。解べからざる事なるを以て。然るをこなる俳優をして。八百萬神を大に笑はせて。日神の奇しみおもほすべく謀り賺し出し奉られたる者なり。思兼神の深謀遠慮は此にあることぞと云り。さる言なり。】
 
 
亦以(テ)2天(ノ)香山《カグヤマノ》之|眞坂樹《マサカキヲ》1爲《シ》v鬘《カツラニ》。以(テ)v蘿《ヒカゲヲ》【蘿。此云2比※[舟+可]礙1。】爲《シテ》2手襁《タスキニ》1。【手襁。此云2多須枳1。】
 
 
(418)眞坂樹爲鬘。記には爲v鬘2天之眞拆(ヲ)1と見え。拾遺には以2眞辟(ノ)葛(ヲ)1爲v鬘とあり。眞拆は。繼體紀歌に。磨左棄逗※[口+蘿]《マサキヅラ》とある草の名なり。重胤云。記傳云。此に眞坂樹とあるも。本よりさる傳なるべけれど。坂樹を鬘にせんこと。いかにぞやおぼゆ。此は名の似たるより混れつるなるべし。凡て鬘とは長く垂(ル)るものを云て。挿頭鈿《カザシウズ》などゝは聊別ありと云り。此説一わたりはさる事と通えたれど。上古挿頭と鬘と混つにして云る事もあり。其は古くは尾張風土記に。丹羽郡|吾縵《アツラ》郷。云々建岡(ノ)君到2美濃國花鹿山(ニ)1。攀2賢木枝(ヲ)1造v縵云々。訛言2阿豆良(ノ)里1也。此は正しく賢木枝を縵と云し證なり。挿頭鈿も頭上にある物なる故に。※[髪の友が皮]《カツラ》と同じ意以て稱られたりけるにや。又安康紀なる押木珠縵《オシキノタマカツラ》【一云|立縵《タチカツラ》又云|磐木縵《イハキカツラ》】なども。其物の状は慥かならねども。此等も挿頭鈿の類とは通えたり。又賀茂松尾日吉等の神事に。葵《アフヒ》※[草冠/縵]楓《カツラ》※[草冠/縵]等を掛る事あり。此神代よりの事なるべし。【枕草紙葵云々。神代よりして然る挿頭と成けん。甚しうめでたし。】續紀天平十九年五月。詔。五日之節常用2菖蒲(ヲ)1爲v縵云々。非2菖蒲縵(ニ)1者勿v入2宮中(ニ)1など見えたり。萬葉集には殊に多く見えたり。其は八に櫻花を。處女らが挿頭のために。みやびをが鬘の爲。とあり。十九には。桃を花鬘とよみ。三に菖蒲《アヤメグサ》花橘を玉に貫縵にせむと。とよめり。又八に秋稻《イナホ》縵の歌あり。十七に玉藻を※[草冠/縵]につくり。とよみ。十八に。百合(ノ)花縵。五に柳の※[草冠/縵]あり。かく種々に蔓草ならざるをも。鬘と爲る事多ければ。神代に賢木を鬘と爲し事も。頓に疑ひがたし。さはあれども。なほ此は記拾遺の傳の方に心引かれて聞ゆかし。と云れたり。○以蘿爲手襁。記に日影。拾遺に蘿葛と作り。さて記には天香山之天之日影と(419)あれど。比は眞坂樹の處に云へれば略けるなり。【記には眞拆の處にたゞ天之とのみいひて。香山之と云を略ける事互に同じ。】此物の事。信友云。大嘗祭式齋服條に親王以下女嬬以上。皆日蔭鬘。四時祭式齋宮式。供新嘗料物の中に。日蔭二荷と見えたるは。萬葉十九。新嘗肆宴の時の歌に。足日木乃|夜麻之多日影可豆良家流《ヤマシタヒカゲカヅラケル》とよめる日影是なり。また和名抄祭祀(ノ)具に。蘿蔓日本紀私記云。以v蘿爲v鬘。和名比加介加都良。と見えたるこれより。信友云。日影は。今も山城の東山北山。又男山比叡愛宕の山々の樹下などの。苔生ばかりの處に生出て。地上にいと長く延回れる蔓草なり。小枝|參差《カタヽガヒ》に繼々にいできて。葉といふべきものは。蔓ごめに皆鬚の末ばはかりにて。繁く着たり。色は緑にて。清く美しく。採置て程ふれど。色あせずして在る者なり。此を土人どもなべて比軻礙と云り。然るに苔類に。蘿。唐韻云【日本紀払記云。蘿比加介。】女羅也。また松蘿。雜要訣云。松蘿。一名女羅。【和名萬豆之古介。一云佐流乎加世。】と別條に擧たるを。唐韻に蘿女蘿也といひ。雜要訣に松羅の一名をも女羅也といへる。漢名の異説に拘泥て。和名の比加介をも。萬豆乃古介。また佐流乎加世といふものと。同物なりと心得たる説は僻事なり。本草和名にも。松蘿一名女蘿【此は雜要訣と同じ】云々。末都乃古介。とのみあるをも證とすべし。さて松蘿は深山の茂れる老松に寄りて。生る苦ながら。細き蔓草だちて。枝に垂懸れるものにて。古今物名にさがり苔とあるもこれにて。今も然いへり。と云れたるにて。知べし。【この蘿と松蘿の事に付ては。纂疏をはじめ。記傳通證。また近來彼是の書にも説々あれど。聊づゝの異ありて。いとまどはしく。何れとも一定しがたきが如し。此信友が説は。高橋氏文考に見えたるが。いとよろしくおぼゆ。故今其一をのみ出して。餘は記し出ず。かゝる物は。なほ其國處によりても少しはかはりあるべし。】日影と云名義は。此ものは奥山の木陰に生て。日光のあたる處には。生(420)難き物なる故に。日蔭葛とこそは名に負たらめ。といへる説はあれど。今思ふに名義|御蔭鬘《ミカゲカツラ》にて。むかしは鬘《カツラ》の事を。蔭とも御蔭とも云へり。さて鬘には種々あれども。日影はあるが中に殊に清く美《ウル》はしき物なるからに。おのづから鬘の名に負へるなるべし。(鬘を蔭と云ることは萬葉また風土記に見えたり。この事持統紀に委しく云)手襁は。允恭卷盟神採湯の處にて。諸人各著2木綿手襁(ヲ)1而赴v釜探湯。などあり。高橋氏文に。採2麻佐氣(ノ)葛(ヲ)1天。多須岐仁加氣弖。とあるを。年中行事秘抄に載れるには。多須岐仁多須岐弖とあれば。須久とは。手を以て透《スカ》し通しし謂の言なり。さて手襁は。通證に。祭神時掛v肩之物とあれど。祭神の時のみに限らず。姓氏録に。雀部朝臣條に。星川建彦宿禰。謚應神天皇御世。代2於皇太子大鷦鷯尊1。繋2木綿襷1。掌v監2御膳1。などありて。貴き御前に仕奉る時の。古代の禮服なり。この事口訣に。被2太手襁1者。着2小忌1如v襁とあり。祭服の小忌衣。即古の襁のなごりなり。【着2小忌1如v襁。とあるにて後世の襁と異なる物なること知べし。】されば。今鈿女命の掛給ふ襁も。專ら禮服の爲に着玉ふにて。天香山の蘿をしも取れるは。其清く美しきを以。小忌の祭服に代(ヘ)玉ひしなり。されば後世賤人の袖を擧るが爲に。取掛(ク)るたすきとは。名は一にして。其物は異なり。扨其はいかなるさまなる物ならむと云に。字鏡に襁負v兒帶也。須支《スキ》。また襁束2小兒(ヲ)背(ニ)1帶。須支。また名義抄に。襁をヒムツキ。又チゴノキヌ。また襁褓をムツキ。タスキとあり。其状後世の半臂。またからきぬなど云ものゝ如く。手を透し通して。胴《カラ》の限りをまとへる衣なり。小兒を脊に帶る衣と。同じさまの製なりしなるべし。それもこれも。手を透し通す物な(421)るが故に。手次の名はありし物なり。【さてしか負v兒帶の名となれりしより。また其襁字に手字を添へて。手次に借用ゐしものと見えたり。記傳の説は。本末の差あるべし。さて序に云。手次は其もと。かく貴き御前に。仕奉る禮服なりけれど。後には多くは女の着《ツク》るものとなりし事と見えて。姓氏録。襷多治比宿禰條に。火明命十一世孫。殿諸足尼男。兄男庶其心如v女。故賜v襷爲2御膳部1。とあるにて知られたり。さて後世となりては。袖の大きくなりしより。禮服の方は失はれて。何事を爲るにも。袖の差障るを。卷擧ぐるかための。具となりてより。かの賤人の女は。常に膳具などを取まかなふより。つひに其方のものとなりしなり。されば。女の手次をかくるは。内々にての事にて。貴人のまへなどに出る時には。はづして出るを禮とす。これ上代のものとは。異なるが故なり。この差別を思はずして。云れたる記傳の説はいかゞなり。】和名抄に。本朝式云。襷※[衣+畢]各一條。襷(ハ)多須岐。※[衣+畢](ハ)知波夜。今按未v詳。と見ゆ。【襷は袖を擧ぐる由の倭字なるべし。又名義抄には。襷をも※[衣+畢]をも共にチハヤ。またタスキと訓めり。重胤云。今神に事る巫女の※[衣+畢]衣を。チハヤと云り。交延《チガヘハフル》の義にて。昔は襁と同じ状に。絹布を引交へて纏へりしを。其製りざま易れるにやと云り。】據て按に。古代の手襁は。後の小忌衣などの樣に。したゝかに縫裁したるものにはあらで。手を透し通すばかりにしたてゝ。大凡に絹布を引交へて。製りしものならむか。彼|襲《オスヒ》なども。上代のは後世とはかはりて。いと假初なりしものと。おぼしきをも思ふべし。鈿女命が。蘿を手襁と爲し。高橋氏文に。麻佐氣葛を多須岐にかけしも。たゞ引|交《チガ》へて。纏へりしものにもありけらし。
 
 
而|火處燒《ホトコロタキ》。覆槽置《ウケフセフミトヾロカシ》。【覆槽置。此云2于該布西1。】顯神明之憑談《カムガヽリス》。【顯神明之憑談。此云2歌牟鵝可梨1。】
 
 
火處燒。拾遺に擧2庭燎《ニハビヲ》1とあり。【和名抄庭燎。和名邇波比。庭火也。】同事なり。記傳云。庭火を燒たる由は。上に常夜往とある如く。世中暗くて。種々の禍事發れるなれば。庭火を數々晝の如く燒て。世中愛たき有状を爲て大御神を欺き出し奉れるなり。【武郷云。拾遺に。六合常闇晝夜不v分云々。凡厥庶事燎v燭而辨。とあるにて知べし。】斯く之を佳例として。神事及事ある時は※[竹冠/册]火を燒き。又魂祭などに此を用るも。皆此時に效へるなりとあり。【又池邊眞榛は。此庭燎は。何の爲に擧《トモ》すぞといはゞ。此は日大御神の。(422)天石窟戸に幽居坐し玉ひて後も。なほ大御神にすこしもかはらぬ日神有て。白晝の如く明き由をあらはして。其を大御神の不審み玉はむ時。誘出し奉らむ神計にて。此神招の一條は。此事ぞ主意には有ける。と云り。この意ばへもあるべし。】さて此に火(ヲ)燒と云ずして。火處燒と云るは。處字剰れるが如し。されど此は後世に。此時の古事に因て神事に庭燎を擧る事となれるが。其神祭の塲處《ニハ》にて。燒く火の名目を。火處と云習ひしものなり。【庭燎と云事も。もとは其祭の塲にてたく火を。しか名けしものなる事共に同じきが如し。】かれ火處と云が。火の名目となれる。後の稱を以て。こゝにも記せるものなり。○覆槽置。記に伏2※[さんずい+于]氣1而蹈登杼呂許志とあり。【こゝのの書ざまはは。置字が伏と云に當れり。覆字はうけの形を云る字なり。思ひまどふ事なかれ。】記傳云。是は此物の上に立て舞に。踏て響あらせむ爲に。【踏とヾろこし。と云にて知べし。】中を空虚に設たる臺にて。形状の笥の如くなる故に。名義|空笥《ウケ》なり。【書紀に覆槽とかゝれたるに付て。以2馬槽1覆v之と注せられたるは誤なり。こゝは馬槽にまれ。酒槽にまれ。假て被用たるに非ず。本より別に設たる一の器なり。されど正しく填べき漢字のなき故に。其形状によりて。覆槽とは書るぞかし。後の書に宇氣槽と云るも。槽に似たる故に然云なせるものなり。然るを古語拾遺に。覆誓槽と云。又古語宇氣布禰とあるは。後につけたる名を。古語と意得たるなり。誓字を加へて。約誓之意と云るも甚誤也。又纂疏本に。干該布禰とあるも。布禰は此拾遺に依て。さかしらに加られたる非事とみゆ。】さて此物。後世鎭魂祭儀に遺れり。四時祭式。彼祭料物に。宇氣槽一隻とあり。と云り。さて記には。蹈登杼呂許斯。【記傳云。此は※[さんずい+于]氣を蹈て。響き鳴(ラ)しむるを云り。後世に神事に大皷をうつは。此音を效しにや有む。】とあるを。此紀にはさることなく。いかゞなるやうなれど。此は顯神明之憑談とある文に。其意をもこめたる物なり。さて其はいかなる事を爲たまひてか。蹈とゞろこし給へると云に。平田翁説に。拾遺に凡鎭魂之儀者。天鈿女命之遺跡。と見えたれば。鎭魂祭の儀は。此段の故事より起れる事論なく。はた其式を貞觀式に載されたるに。大藏録以2安藝(ノ)木綿二枚(ヲ)1。實2於筥中(ニ)1。進(テ)置2伯前(ニ)1。御巫覆2宇氣槽(ヲ)1。立2其上(ニ)1。以v桙(ヲ)撞v槽(ヲ)。毎2一度畢1。伯結2木綿(ヲ)1。訖(テ)御巫舞訖(テ)。次諸御巫猿女舞畢。と見え。江次第にも。御座衝2宇(423)氣(ヲ)1。次神祇官一人進(テ)結2糸(ヲ)於葛筥(ニ)1。此間女官藏人開2御衣(ノ)筥(ヲ)1振動(ス)。【また其注に。以2賢木(ヲ)1衝v舟(ヲ)也。結v糸自v一至v十とあり】と見えて。此御巫猿女は。共に元は宇受賣命の裔の仕奉れる職なり。天孫本紀に。鎭祭之日。猿女君主2其神樂(ヲ)1。擧2其言(ヲ)1大(ニ)謂1一二三四五六七八九十(ト)1。而神樂歌舞。と見えたり。此を上に引る貞觀儀式江次第の文と考合せて。御巫の宇氣槽に立て。桙以て撞く時に。一二三四云々。と謂事しられ。【さて其一といひ。二といふ毎に。糸を一結びつゝ結由なり。】それ即此時宇受賣命のしか言るに據れる儀なる事。鎭魂之儀者。天宇受賣命之遺跡。と云るに思合せて知られたり。かれ上に持2茅纏之※[矛+肖](ヲ)1。とあるも。覆槽|撞《ツカ》ん料なる事知られたり。又紀記拾遺などには。其※[矛+肖]もて撞たる事は記さねども。巧作俳優。次に顯神明之憑談。とある文に。其事をこめて。記せるもの也。と云れたるさる説也。○覆槽置此云于該布西。本には置字布西(ノ)二字なきを。類史に據て補ふ。さて此下に。フミトゞロカシと訓るは。記に因れるなり。秘閣本の訓にはなし。○顯神明之憑談。記に神懸と作り。山蔭云。神懸を顯神明之憑談と書れたる。顯字にて意違へり。爲字などにて然るべしと云り。【崇神紀に神明憑倭迹々日百襲姫《カムガヽリシテヤマトトトヒモヽソヒメニ》1曰と作り。】さて私記に。問。凡云2神懸(ト)1者。必有2其神託宣1。何神裁。答。此與2他處1爲2少異1。諸神欲v令3日神(ヲシテ)深見2奇物(ヲ)1。故俳優萬態。不v可2殫記(ス)1。鈿女命假爲2他神(ノ)有(ト)1v所2託宣(スル)1耳。是欲v令(ムト)2日神(ヲシテ)深奇(マ)1故也。然則是假爲2之言1。未3必有2神所1v託也。とある此説に依て。記傳云。今此段の神がゝりは。物の著て正心を失へる状に。えもいはぬ※[奇+立刀]戯《タハレ》言を云て。俳優をなすを云なり。【正心にては。其人のえ言まじきことを。包まず言などを神懸とは云なり。今俗に著《ツキ》物のしたる如く。口ばしるといふ状なり。○拾遺には。神明之憑談の語なくて。たゞ巧作2俳優1。相共歌舞。とのみあるは。神懸も俳優のうちなる故なり。この紀に巧作2俳優1亦云々。顯神明之憑談。とあるに。(424)俳優と別にしたる書ざまなり。されど手持2茅纏之※[矛+肖]1。と云ると。眞坂樹爲v鬘。以v蘿爲2手襁1。と云るとは。たゞ−つゞきの事と聞えたれば。實は別事にあらざる事明らけし。然れば別事の如くあるは。書ざまのあしき也。拾遺は此を心得てかけるものなり。】と云れたるが如し。さるは神懸る時には。其人の平心《ツネ》に言まじき言をいひ。爲まじき事をもすなるを。今鈿女命其状をまねびて。平心ならぬさまに。種々の可笑き俳優するを。神がゝりとは云傳へたるもの也。【池變眞榛云。神懸とあるは。即鈿女命の俳優の状を云るにて。神懸詞は。拾遺なる阿波禮阿奈於茂志呂云々の謠をいふなり。然るを記紀に。此神懸詞なきより。神懸は俳優をいふ事のやうに聞えて。甚混はしとあるは信がたし。】さて記には爲2神懸1而掛2出胸乳(ヲ)1裳緒(ヲ)忍2垂於番登(ニ)1也。爾高天原動而。八百萬神共咲。とあり。此文にて當時の有樣思知られたり。さて上の聚2當世之長鳴鳥(ヲ)1使2互長鳴1。といふより。これまでの事どもは。石屋の内に坐ます。大神の出坐むことを。表には種々に祈祷申し。【これ兒屋命太玉命。其他の神等の御態なり】また裏には。其大神にも勝りて。他神のいと尊き神の坐々さまをも擬《モテナ》して。【これ天鈿女命の俳優の所作なり】それを大神の疑ひ思食して。石戸を開きて御覽さむ時に引出奉らんと爲る術なり。さて又記傳にも云れし如く。凡後世神事にあることは。大抵此時の神遊の事態の遺れるなれば。なほさま/”\の事は有けむを。此紀にも記にも。略きて傳つるものなる事は。云まくも更なり。
 
 
是時(ニ)天照大神|聞之《キコシメシテ》而|曰《オモホサク》。吾《アレ》比《コノゴロ》閉2居《コモリヲリ》石窟《イハヤニ》1。謂2當《オモフ》豐葦原《トヨアシハラノ》中國(ハ)必(ズ)爲長夜《トコヨユカムト》1。云何《イカニゾ》天(ノ)鈿女命|※[口+虐]樂《ヱラギスル》如此《カク》1者|乎《ヤトノタマヒテ》。乃(チ)以(テ)2御手(ヲ)1細2開《ホソメニアケテ》磐戸《イハトヲ》1窺之《ミソナハス》。時(ニ)手力雄《タヂカラヲノ》(425)神。則|奉2承《トリテ》天照大神之|手《ミテヲ》1。引而奉出《ヒキイダシマツル》。
 
 
是時天照大神聞之而云々。重胤云。此は日神の其祈祷と神樂の事とに。相感けさせ御在して。天石窟を出させ給へる所なり。然るに天鈿女命の神樂の驗のみ見えて。上に天兒屋命太玉命の相與致其祈祷焉とあるは。此文にては經なり。天鈿女命の事は。右に又猿女君遠祖云々。と有て緯なるに。右の二神の祈祷に感させ玉へる事は。其文に含められたるならめども。其專要と有べき事。なほ此にあらまほし。唯拾遺に。其物既備。掘2天香山之五百箇眞賢木(ヲ)1而。上枝(ニ)懸v玉(ヲ)。中枝(ニ)懸v鏡。下枝(ニ)懸2青和幣白和幣(ヲ)1。令2太玉命(ヲシテ)捧持(テ)稱讃1。亦令2天兒屋命(ヲシテ)相副(テ)祈祷1。又令2天鈿女命1云々。巧作2俳優1。相與歌舞云々。爾乃太玉命以2廣厚稱詞(ヲ)1。啓曰。吾之所(ノ)v捧寶鏡朋麗恰如2汝命(ノ)1。乞開(テ)v戸而御覽(ゼ)焉。仍太玉命天兒屋命。共致2其祈祷(ヲ)1。焉。于v時天照大神。中心獨謂(ク)。比吾幽居。天下悉闇(シ)。群神何(ニ)由(テ)如此歌樂。聊開v戸(ヲ)而窺v之。と有る。此次第にて埋甚能通えたり。此文に。令2太玉命稱讃1は。爾乃太玉命以2廣厚稱詞(ヲ)1啓曰。吾之所v捧寶鏡明麗。云々とある是にて。天兒屋命のも。相副(テ)祈祷。又共致2其祈祷(ヲ)1。とあれば。此同じ事を申す中にも。太玉命は幣帛の方。兒屋命は祈祷をなん。主とは爲させ給へりける。此第三一書に於v是天兒屋命云々。使2忌部首遠祖太玉命(ヲシテ)執取(ラ)1而廣厚稱辭祈啓(ス)矣。于時日神聞之曰。頃者人雖2多(ニ)請(セ)1。未v有2若此言之麗美(キ)者(ハ)1也。乃細2開磐戸(ヲ)1而窺之。とあるが。右に引る文に合るを以て知られたり。此に人雖2多請1云々(426)は。日神の大御心に所思しゝ御事にて。拾遺に中心獨謂(ク)云々と有が如く。獨言ち玉へる御言なり。又細2開磐戸(ヲ)1窺之は。拾遺に聊開v戸(ヲ)而窺之とある是也。古事記には。即此を於v是天照大御神以2爲怪(ト)1細2開天石屋戸(ヲ)1而。内(ヨリ)告(タマヘル)者。因2吾隱坐(ニ)1而。以2爲天原自闇(ク)。亦葦原中國皆闇(ケムト)1矣。何由(テ)天(ノ)宇受賣者爲(シ)v樂。亦八百萬神諸咲。と有は。右の文に續《ツナ》ぐ所なる以て。辨ふべきものなり。【然るに拾遺に。比吾幽居。天下悉闇。群神何由如此之歌樂。と云文を。聊開v戸而窺之の先に在は。誤れる如くなれども。然らざるなり。此段なるも。右と同じきは。共に故ある事にて。此には天兒屋根命太玉命の御事を云ざるが故に。此時天照大神聞之而曰。云々は。其廣き厚き稱辭を聞食たる趣ならぬごとく聞ゆれども。次に注せる状に。天鈿女命の神樂の事を兼て續けるなれば。別に故ある事なりける者なり。】然れば此に。是時天照大神聞之而曰。と有は全く。天鈿女命の俳優の事を聞看させ給へる如くなれども。上に又猿女君遠祖云々。と有からは。正しく文の緯なるにて。其經なる天兒屋命太玉命の。相與(ニ)致2其祈祷1焉。と有より受たる事。右に引る第三一書。また拾遺の文に照し。又第二(ノ)一書に。天兒屋命則以神祝々之。於v是日(ノ)神開2磐戸1而出。とも有る。此には太玉命と共に。祈祷申されし事は見えざれども。全(ク)祈祷に由て。日神の出坐る状なるをも合せ見て味ふべし。此を以て見るに。右の文に續て。此に。吾比閉2居石窟1。謂當豊葦原中國。必爲2長夜1。云何(ニゾ)天鈿女命※[口+虐]2樂如此1乎。乃以2御手1細2開磐戸(ヲ)1窺之。と有は。此も右の第三一書に。日神聞之曰。頃者人雖2多請1。未v有2若此言之麗美者(ハ)1也。乃細2開磐戸1而窺之とある類にして。此等は未(ダ)御戸を押開かせ御在坐ざりし程の御獨言にて。誰窺知奉る者も非る事なるを。御戸を細(メニ)開かせ御在坐し後に。再古事記の如く。御言には宣ひ出させ給へるにて。其ぞ天鈿女命と。御問答の御事も有り。又八百萬神も。共に伺奉れる事なるを。(427)此には其先の事を云て。後の事を省かれ。古事記には後の事を詳かにして。先の事をは。於是天照大神以2爲怪1。の言に約めて。二度云ざりける物なり。然れば此に乃以2御手1細2開磐戸1窺之。時手力雄神云々。と文は引續きてある事なれども。時(ノ)字と手力雄神との間に。上に吾比閉2居石窟1。謂2當豐葦原中國必爲長夜1。云何天鈿女命。※[口+虐]2樂如此1者乎。の御言は。天鈿女命に相對はせ御坐て。直に御問對の御事なれば。必再度記されずては。得有まじき文なるを思べし。故古事記に於v是天神以2爲怪(ト)1。細2開天石屋戸(ヲ)1而。内(ヨリ)告者。因2吾隱坐(ニ)1而。以2爲(フヲ)天原自闇。亦葦原中國皆闇(ケムト)1矣。何由以。天宇受賣者爲v樂。亦八百萬神諸咲。爾天宇受賣白言(ク)。益(テ)2汝命(ニ)1而貴神坐故。歡喜|咲樂《アソブ》。如v此言之間。天兒屋命布刀玉命。指2出其鏡1。示2奉(ル)天照大御神(ニ)1之時。天照大御神逾思(シ)v奇(ト)而。稍自v戸出而。臨坐(ス)之時。其所2隱立1之。天手力男神云々と有は。殊に詳明なりければ。此續きなむ然るべかりける。とは云るなり。と云れたり。○曰字。本にオモホサクと訓り。第三一書に日神聞之曰とあり。此に同じ。記に逾思v奇。拾遺に中心獨謂。云々ともあるが如く。未(ダ)戸を開かせ御在坐ざりし間の御心を申なり。さてノリタマハクと訓て。其意に見ても妨なかるべし。○豐葦原中國云々。記には以爲天原自闇亦葦原中國皆闇。とあり。此紀はじめに六合之内とあるは。天地をこめて云るなれば。然る事なれど。こゝに天上のことなきはすこし如何なり。【此時の事此國土にての事にあらざればなり。山蔭にもしかいはれたりき。】されどこれまた。例の此國土にて。語れる言と。大凡に見てありぬべし。強ちに云ふべきにもあらじかし。第一一書には。天地恒闇とあり。○云何天鈿女命云々。記(428)に何由天宇受賣者爲v樂。亦八百萬神諸咲。とあり。鈿女命を擧て。諸神をもかねたるなり。※[口+虐]樂《ヱラグ》は。【鎌倉本には此二字をタハブレともよめり】記傳云。咲(ミ)榮(エ)樂(ム)を云といへり。續紀宣命に。御酒食倍|惠良伎《ヱラギ》。萬葉に惠良々々爾仕奉などあり。なほ拾遺に歌樂。雄略紀に歡喜滿懷。用明紀に歡喜などをも訓り。重胤云。字鏡集に※[言+おおざと]※[口+笑]咲字を。共にヱワラフとあるも。惠は笑ふ顔。和良布は聲に出るを云よしなり。和名抄に靨面小下也。惠久保。と見え。笑(フ)顔を惠賀保と云などの惠にて。即|咲笑《ヱメ》る顔を云言なる例なり。と云り。○細開磐戸。第三一書に。頃者人雖2多請1。未v有2若是言之麗美者(ハ)1。乃細2開磐戸1而窺之。とあり。さるは兒屋命の祝詞と。鈿女命の俳優とを聞食し怪しみ給ひ。發慍の御心相和みて。かく磐戸を開て※[門/規]玉へるなり。此本書と記には。右の祝詞に感玉へる事を漏し。【此時祝詞に感玉へる事は。後世までも此時の由に依て。祝詞は中臣の職とさへなれるにて。こゝに必あるべき事の漏たるをしるべし。一書には俳優に愛《メデ》怪(ミ)坐る事を漏せるにて。【これ又神樂歌舞のもとなるを以て。必漏たるを知べきなり。】此は互に語漏せしものなり。此事上にも云りき。○窺《ミソナハス》。記に臨とあり。記傳云。字鏡に窺を宇加々不。又乃曾无。とある如く。能曾久と同じ。但し此は記に言v戸出而とあれば。物の間などより※[門/規]《ノゾク》とは少異にて。たゞ事の情状をうかゞひ見る意なり。と云り。【鎌倉本また私紀の訓に。ウカヾフと訓るも宜し。】さて此處。記云爾天宇受賣白言。益2汝命(ニ)1而貴(キ)神坐故(ニ)歡喜咲樂。如此言之間。天兒屋命布刀玉命。指2出其鏡(ヲ)1。示2奉天照大御神(ニ)1之時。天照大御神逾思v奇(ト)而。稍自v戸出而臨坐(ス)之時云々。とありて記傳に云る如く。此御鏡を示奉るからに。日神の御光うつりて。全(ク)等しく照曜くを以て。汝命に益りて貴神とは。即此御鏡を申しなせるものなり。されば此御鏡の事。此に(429)必あるべきを。略かれたるは言足らず。いかゞなり。○引而奉出。記傳云。一書には天手力雄神侍2磐戸側1。則引開之者云々。【拾遺にもかくあり】此にて手力男神の名義あらはれたり。戸を引開むには。本よりのこと。御手を取て引出し奉らむにも。手力の優れたらむ神を充べきわざなりかしとあり。【此手力雄神と。栲幡千々姫命二柱を合せて。伊勢の書どもに。御戸開神とせり。其は大神宮本記に。御戸開《ミトアケ》神天手力男命。又倭姫命世紀に。御戸開闢神二坐。天手力男神栲幡千々姫命とあり。又元々集に引る麗氣記にも。天手力男神。亦名|扉開《ミトアケ》神とあり。此は此の石戸を引開玉ふ所謂に依る御名にやとおもはるれど。栲幡千々姫の更に此によしなきをおもへば。此御名は此に依る事にはあらずして。天照大神の相殿の神に坐せば。なほ大神の御扉の開闔を仕奉り玉ふ義の御名なるべし。また記に天石戸別命を御門之別也。と慍るに就て。それをも手力雄神と一神なりと。平田翁は云はれつれど。さらに明證なし。扉を引啓くと。殿門を守衛り給ふと。強て一つに解つけずとも。異なる神と見むにはなでふ妨あらん。思べし。】
 
 
於是中臣(ノ)神忌部(ノ)神。則(チ)界2以《ヒキワタシ》端出之繩《シリクメナハヲ》1。【亦云2左繩(ト)1。端出之繩。此云2斯梨倶梅儺波1。】乃|請曰《マヲシテマク》。勿復還幸《マタナカヘリイリマシソ》。
 
 
中臣神忌部神は。天兒屋命太玉命を指て申せるなり。【但し上の中臣連忌部首は氏を云。こゝの中臣神忌部神は職にて。謂ゆる行事なり。其差別を辨ふべし。】記には太玉命とのみあれど。端出之繩を控度さむには。必二人してなるべければ。二神にかけて云る方勝れり。○端出之繩。記に尻久米繩とあり。今云志米繩なり。土佐日記にもこへの門のしりくめなはとあり。さて此繩を注文に。左繩とも云と云ひ。また端出と書る意は。釋紀に大問云。端出之繩何物哉。先師云。注連《シメナハ》之本縁也。界《サカフニ》以2端出之《ハシイダシタル》繩(ヲ)1也。以2注連(ヲ)1可v爲v界之條。以v之可v知。注連(ハ)左繩|爾《ニ》。藁乃端(ヲ)弘出志天。可v繩《ナフ》之條。注以炳焉也。と見ゆれば。麁繩を以て。左繩に※[糸+斗]ひて。其端を出す事なり。但其(430)左繩に※[糸+斗]ふ事は。如何なる所由とも知られざれども。神代の古法と見えたり。偖此繩を此と記とは。日神を引出し奉れる即其本の石窟に繩を界以《ヒキワタ》して。再復入給ふまじき爲に。其界を隔つる意なり。然るに拾遺には。爰令d天手力男神引2啓其扉1遷c坐新殿u。則天兒屋命太玉命以2日(ノ)御繩《ミナハ》1。【今斯利久迷繩是日影之像也。】廻2懸其殿1云々。【日御繩一名なるべし。御鎭坐本紀。止由氣皇太神丹波國より。伊勢外宮へ鎭坐の所に。大佐々命小和志理命。奉v戴2正體1。興玉命道主貴奉v戴2相殿神(ヲ)1。駈《オヒハラ》2仙蹕(ヲ)1比。錦(ノ)蓋(ヲ)覆(ヒ)。日(ノ)繩(ヲ)曳(キ)天。天(ノ)御|翳《カゲ》日(ノ)翳《ミカゲト》屏《カクリ》奉2行幸(シ)1云々。とあり。拾遺なるも。本に日御綱とあれど。今は此本紀と合へるを以て。繩とあるに从ひつ。されど此は通はして書れたるにもあるべし】とありて。其遷し奉れる新宮に。引巡らしたるなり。此は何れも其内へ。穢ある人また禍神等の入來らん事を距ぎて。其隔を爲す趣に於ては。異なる事なんなかりける。【此をたゞに。此殿を除て他處に勿幸行そと申義なりと説るは。記の文にのみ泥めるものなり。此惡き物の入來らんを距ぐが本旨なるべし。】記紀には。新殿の事を漏されし故に。自然に日(ノ)御繩の事は省かり。拾遺には石窟に端出之繩を引亘したる事を省るは。日御繩と相|複《カサ》れるを厭ひての事なるべし。さて田沼善一云。しりくめ繩と云ふ義は。明着《シル》く見え繩と云ふ言の約れるなり。界限にする物ゆゑに。能く其目につきて。灼く見えつべき事を主として。藁を下げたるたり。其故事によりて。惣て界限に用るは。此繩を引はへたるにて。其は其地をしむる品なれば。又しめ繩とも云へるなり。萬葉集の歌に。しめさすなど云るは。其繩をもこめて云へるにもあるべけれど。又其繩を引べき料に。立たる木などをさして云へるなり。江家次第。齋院御禊點地の條に。御在所(ノ)幔(ノ)際。木工寮四面曳v繩(ヲ)。四角立v標《シメヲ》など見えたる。其標字しるしとも訓めど。又しめともよめり。元其意の通ふ所あるより。二方にかりて書く事になるなりと云れたり。此説然るべし。【重胤は。しりく米繩と云ひ。日御繩(431)と云は。其用る所に依て。名の異なるには非じか。此石窟に界以《ヒキワタ》したるは。端出之繩と云ひ。又新殿にては日御綱と申せるなれば。標結ふ意と。物を忌慎む所に云とは別々なり。と云れたれどいかゞあらん。】○界以。記に。控度とあり。○亦云左繩。本に亦字上に。繩字あるは衍なり。丹鶴本及類史に无に从ふべし。【葦牙本に。繩亦云左繩五字なきは。さかしらに刪りたるものなり。さる本どもは无。】○端出之繩此云々。本に端出とのみあり。さては注の儺波の字剰れり。之繩二字類史にあるに从ふべし。
 
 
然(シテ)後(チ)諸(ノ)神。歸《ヨセ》2罪過《ツミヲ》於素戔嗚尊(ニ)1。而|科《オホセテ》2之以|千座置戸《チクラオキドヲ》1。遂(ニ)促徴《セメハタル》矣。
 
 
諸神云々。記には八百萬共議而。科2千座置戸1云々。とあり。記傳云。これも天照大御神。又高御産巣日神の命を受て爲に非らず。神等集て議り玉ふなり。其の深き所以ぞ有けむ。【書紀拾遺などの旨も同じ。】とあり。○罪過。都美といふ意の本は。本居翁説に。都美は都々美の約りたる言にて。もと都々牟といふ用言なり。都々牟は何事にまれ。わろき事のあるを云を。躰言にして。都々美とも都美とも云なり。されば非と云は。もと人の惡行のみには限らず。病もろ/\の禍。又|穢《キタ》なき事醜き事など。其外すべて。世に人のわろしとして。惡み棄《キラ》ふ事は皆都美なり。萬葉歌に。人の身の上に。諸のわろき事のなきを。都々美なくとも。都々牟ことなくとも。都々麻波受とも云るは。今の世の俗言に。無事にて無難にてと云意にて。即都美なくといふ言なりと云れたるが如し。さて罪即て穢なるが故に。祓を負する事。伊弉諾尊の檍原の御禊と同意なり。○科千座置戸。記傳云。これ解除を科するを云。即一書に科2千座(432)置戸之解除(ヲ)1とあり。凡解除に二(ツ)あり。其一は阿波岐原の禊祓の如し。一(ツ)は此の解除の如し。これ罪犯ある人に科せて。物を出し贖するなり。かゝれば其事も意も。二(ツ)別なるに似たれど。本は一(ツ)なり。履中卷に車持君に罪有て。負2惡解除善解除《アシハラヘヨシハラヘヲ》1。而出2於長渚(ノ)崎(ニ)1令2祓禊1。とあるを以見れば。犯あるものゝ解除も。水邊に出て禊祓けり。是罪犯も穢も同じければなり。大祓詞の文を思ふべし。罪犯を解除《ハラフ》るも。穢汚再を清むる禊と全同じ。さて罪あるにも穢あるにも。其重き輕きに隨ひて。同く祓するは上代の法なり。【然るを漢國の制をのみ。もはら用らるゝ世になりて。上代の習は。何事もかはりて。此祓の法もすたれ行つる也。然ば在ど。】中昔までも。神事に付たる事は。猶此法を用られて。大上中下品々の祓ありしこと。古書どもに見ゆ。偖其祓具を出さしむることは。今考るに二義あり。一には。其祓に用る色々の物を科せて出さしむる也。書紀に祓具と書れたる具字を思ふべし。又以v唾爲2白和幣1云々。とあるも祓に用る物に取れり。又雄畧卷に齒田根命罪ありて。以2馬八匹太刀八口(ヲ)1。祓2除罪過1。とあり。又延暦廿年五月の太政官符に定2准v犯科v祓例(ヲ)1事。一(ツ)大(ノ)祓料物廿八種云々。一(ツ)上(ノ)祓料物廿六種云々。一(ツ)中祓料物廿二種。一(ツ)下(ノ)祓料物廿二種云々。とある其種々物。みな祓の料物にて。罪穢の重輕にまかせて。科する品なるを以思定むべし。一(ツ)には。彼阿波岐原の禊祓の時に。御身に着たる物等を盡に投棄たまへりし如くに。罪犯ある者も。身の穢たるなれば。其身に所有物も皆穢たるを。拂ひ棄る意にて出すなり。故後世までも。神に用る種々物は。終にみな水に流し却なり。千座は。私記に座者是置v物之名也。と見えて。其祓物を居置物をいふ。千は其數なり。犯の(433)重さ輕さの任に。祓も重き輕き有て。祓具も多き少き品あるを。此は極めて重ければ。極めて多きを千とは云ふなり。【後世に四座置八座置など云。名目の遺れるを以見れば。幾座と云て。祓のしなを定めしなり。】置は。其物を持出て。祓する處に置く意より云るなり。萬葉に置幣とも。奴佐於伎とも見え。大祓詞に。大中臣。天津金木乎。本打切末打斷※[氏/一]。千座置座爾。置足波志※[氏/一]とあり。さて其置座に。四座置八座置と云品あり。【木工寮式】今考るに。置座とは。祓物を居置く座なる故の名にて。四座置八座置も。本は四座の置物。八座の置物と云事にて。其置座の數以て云たるなれば。一種の名に非ずとあり。さて戸は。記傳に云れたる説はあれど。いかがあらん。重胤説に。戸は足《タリ》の約れるにて。千座置座爾。置足波志※[氏/一]。とある是也。然れば置戸は置足《オキタリ》にて。其座の上に。祓具を置充(ル)を云と云り。又池邊眞榛云。千座置戸は。千々の物を置く座物【机なるべし】にて。戸は借字。置所の意なり。【千々の置座物と云むが如し】之(レ)を科とは。罪を贖はしむるに。種々の物を出さしむる古法に。贖物を科するを。千座置戸を科するといふなり。【千座置戸は。即ち贖物を置くものなれば。其器を科するは。やがて贖物を出さしむる事なり。】と云り。此らやまさりたらむ。なほよく考べし。科は。記に負とあり。令《セ》v負《オホ》の意にて。仰命も同言なり。【科字をよむは。人々事の品料を分て云つくる意也。】○促徴。下卷に急責を訓り。世牟とは下の一書に※[口+責]《セム》2素戔嗚尊1とあり。平田翁云。迫《セム》と同く。彼天津罪の積《ツモリ》を言迫るよしにて。記に武甕槌神の建御名方命を。諏方海に迫到るとある迫も。即是にて。此は言遁るべき言なく。言迫めたる由なれば。須佐之男命も遁るべき辭なく。窮《セマ》り畏り給ひけむこと。一書に天上に勿住そ。葦原中國にも勿住そと。諸神の迫(メ)言がまに/\逐はれ給へるにて知べし。【師云。凡て(434)世に。世牟留は狹《セバ》むるなり。世麻留は狹まるにて。自と他とを云差のみなり。】と云り。波多留は。下の一書に責。下卷に債【名義沙にもハタルとよめり職員令義解に徴v財曰v債】をよめり。意は物の間なく逼迫るをいふ言にて。鳴神の鳴はたくと云も同意にて。物を臼などにて碎くを。はたくなど云も。同語と聞えたり。
 
 
至《イタテ》v使(ムルニ)v拔《ヌカ》v髪(ヲ)。以|贖《アガフ》2其(ノ)罪(ヲ)1。亦曰(ク)。拔(テ)2其(ノ)手足之|爪《ツメヲ》1以|贖《アガフ》v之。已(ニシテ)而竟(ニ)逐降《カムヤラヒニヤラヒキ》焉。
 
 
至使拔髪。重胤云。至は小より大に及べる謂なり。然れば記に亦切v鬚とのみ有て。髪の事なく。此と拾遺には。髪のみ有て。鬚の事なきは。互に傳漏せるにて。此は必髪鬚共になくては。至v使の事の落着ざるを思べし。と云り。さて此髪鬚等をば。何の料にか出さしめたるかと云に。第二一書に。以v唾(ヲ)爲2白和幣1。以v洟爲2青和幣1。とありて。唾も洟も祓具の料なる。和幣《ニギテ》と爲たるに付て案に。髪鬚また次なる手足瓜をも。祓具として。千坐の置戸に備置て。贖物に用たりしこと知られたり。釋紀に千坐置戸云々。先師申云。人形者所謂素戔嗚尊之濫觴。拔2手足之爪(ヲ)1。贖2其罪1。身代《ミノシロ》之義也。號2贖物1是也云々。とあるに仍て考るに。後世人形を作りて。贖物と爲たりし事も。神代よりの傳にて。此に素戔嗚尊の御身の代と。人形を作り。其に此尊の髪鬚爪を取付けて。其罪を贖ひしなるべし。後に御贖《ミアガ》と云事あり。其は天皇の大御|解除《ハラヘ》にして。本朝月令に引る。弘仁内藏式に。晦日御贖【中宮東宮並同。】云々。右毎月晦日。御贖依v件擬備。進2※[門/韋]司(ニ)1。とあり。公事根源。神祇官献2御贖物1の條に。是は毎月晦日奉る。御麻をも(435)同じく供す。贖物は身の災異を贖ふ物と云意なり。人形を作りて。身の代と爲る事。同じ心なるにやとあり。また六月十二月の御贖祭と云事なり。弘仁神祇式に。御贖祭【中宮准v此】云々。右從2六月一日1始。至2于八日1。々別御巫行v事。其東宮(ノ)日限并物數並減v半(ヲ)とみゆ。此事を。四時祭式に。六月祭【十二月准v此】御贖祭云々。とありて右と同文なり。此は毎月の例とは異りて。御躰御卜に就て行はるゝ事と通えたり。これも公事根源御贖物條に。是は一日より八日まで。贖兒《アガチコ》もちてまゐる。朝餉《アサガレヒ》にて主上に參らす。四の土器を御|指《ユビ》して。上に張たる紙に穴を開て。御いきを入なり。弘仁五年六月より。御藥の事に因て。始て御贖物を奉る。大かたは素戔嗚尊の。千座置戸の祓などいふより起ぬる事なり。【所謂|荒世和世《アラヨニコヨノ》御贖の時の事なり。此事委くは貞観儀式。宮主秘事口傳抄。西宮記。江次第。本朝月令に引る。神祇式等に見えたり。さて贖兒は人像をいふ。宮主口傳抄に。壺中鐵(ノ)人形。黄楊(ノ)人形二入v之云々。とある此人形即ち贖兒なり。】とある。素戔嗚尊の千座置戸の祓より作れりて云る。殊に此に縁あり。土器の上に張たる紙に穴を開て。御氣息を入給ふなど。炎異を其物に移せる事。なほ髪鬚爪などを以て。人形に災異を取付けしと。同じ事のやうに通ゆ。【なほ荒世和世の御衣にも。御氣息を著給ふことみえ。御麻を取らして。御體を摩給ふ事などあるも。みな同じ事なり。又|節折《ヨヲリ》と云て。竹以て天皇の大御體の度を取て。其禍を彼に移し。さて其物ども卜部をして。大川道に流却らしめ給ふを以て。此素戔嗚尊の御贖物も。川邊に流却りたりし事までも。推測り知らるめり。】○贖其罪。口訣に贖(ハ)代v罪也とあるが如く。物を出して其罪に易る義あり。【名義抄に。贖アガフ。カフ。アタル。ツグ。ツグノフなど。なほ其餘にも訓めり。】多米氏系圖に。志賀高穴太宮御宇云々。爾時天皇|御命贖乃《ミイノチアガノ》人乎。四方國造獻支。とあるを見れば。人を以ても贖ひしなり。【後世財を取て其人の災厄に代ることなどある。此に依る事か。されど上代のはいかゞありけん知がたし。】萬葉十七。造酒歌に。中臣の。太詔詞言《フトノリトゴト》いひはらへ。安加布命《アガフイノチ》も。誰が爲に汝れ。などある安加布は。全く解(436)除に就て云るなり。但此は祓物を出して。我命に代ふるよしにて。身の災異を祓ふるなりけり。○拔手足之爪。和名抄四聲字苑云。爪手足指上(ノ)甲。和名豆女。とあり。さて第二一書には。責2其祓具(ヲ)1。是以有2手端吉棄物足端凶棄物《タナスヱノヨシキラヒモノアナスヱノアシキラヒモノ》1。亦以v唾(ヲ)爲2白和幣(ト)1。以v洟《ヨダリヲ》爲2青和幣1。用v此解除。また第三一書には。以2手瓜(ヲ)1爲2吉棄物(ト)1。以2足(ノ)瓜(ヲ)1爲2凶棄物(ト)1。などあるにて。上にも云る如く。此も祓具と爲しことは知られたり。【手端吉棄物。足端凶棄物等の事は。一書の下に云。】さるを私紀に。是則令3罪人出2此等物(ヲ)1既多。故其隨身之物。悉皆出畢。無2物之可1v取。故或拔v髪或拔v爪云々。と云るは。後世に罪人の贖物を責ると。一(ツ)意に見られたるなればかなはず。【なほ記傳にも。此祓は極めて重き祓なる故に。祓物も極て多く。千座を徴るなれば。須佐之男命の所有《モタマ》へる物の限を取ても。猶足ざる故に。其御身に生たる髪鬚爪までを取て祓の料物に用ゐるなりと云へる。】重胤が辨に。毛髪爪の類を出せりとて。何の贖にかは成む。然る味氣なき事を爲るは。刑にこそあれ。祓とは似てしもつかざる事をや。と云れたるはさることなり。【されど重胤も髪鬚爪は。祓具の木また馬などに化爲む料なり。と云れたるは信られず。】此は素戔嗚尊の御身の罪穢を贖ふ。物代の料と云事に。心着れざる誤なり。【其誤の起本は。至使と云る二字に。深く泥みたるものなり。其は祓具とある。千座置戸の料物は更にも謂はず。御身の代とある人形を作りて。髪鬚又爪をさへに取着給へる。おほろけの祓にあらず。きはめて罪穢の深かれば。かくあらでは除こり果ぬ由あるより。云る辭なるをや。この差別を思べし。】さて其贖物も。置坐に置足はせる上より云へば。同じく和幣《ニギテ》なり。かれ唾洟をも。白青和幣と云名あるにこそ。○以贖之。本に以字なし。今永享本に依て補ふ。○遂降焉。遂字古寫本どもに逐に作る。されど遂も逐の俗體なれば。改るに及ばず。さて逐降は。天上よりなり。さて遂に御父大神の詔のまに/\根國へは幸ましゝなり。
 
 
(437)日本書紀通釋卷之九       飯田 武郷 謹撰
 
〔第一一書〕
一書曰是後(ニ)稚日女《ワカヒルメノ》尊。坐《マシ/\》2于|齋服殿《イミハタドノニ》1。而織(タマフ)2神之|御服《ミソヲ》1也。素戔嗚尊|見之《ミソナハシテ》。則|逆2剥《サカハキニハキテ》斑駒(ヲ)1。投2入《ナゲイル》之於|殿内《ミアラカノウチニ》1。稚日女尊乃|驚《オドロキタマヒテ》而墜(チ)v機《ハタモノヨリ》。以(テ)2所v持《モタル》梭《ヒヲ》1傷《ヤブラシメテ》v體《ミヲ》而神退(リマシヌ)矣。
 
 
此一書は。神御衣の事と。日像の事と。二の異説を書して。他事を交へざる者なり。其神御衣の較畧《アラマシ》は。正書第二一書は。大神御自織らせ玉へる趣なれども。記と此とは。同傳にて。唯稚日女尊と。天衣織女と。御名の異なるのみなり。○稚日女尊。私紀曰。問是何神哉。答當(ニ)是(レ)天照大神之御子矣。とあるは。承る所ある傳説なるが如くなれど。神功紀に。稚日女尊誨之曰。吾欲v居2活田長峽《イクタノナガヲ》國(ニ)1因以2海上五十狹茅《ウナカミノイサチヲ》1令v祭。とあると同神にて。舊事紀に稚日女尊者天照大神之妹也。また天野社傳に。丹生大明神丹生津姫尊者。天照皇大神之御妹稚日女尊也。長承二年十一月太政官符に。【高野山藏】高野山王此大明神云々。天照大神之御妹也。又嘉禎四年大塔修理願文に。抑鎭守者丹生之靈祠也。豈非2天照大神(438)之同胞1乎。と見え。播磨風土記に。國竪大神之子爾保都比賣命とある。國堅は。伊邪那岐伊邪那美二柱の命の。漂在國を修固玉へるに因て。國堅大神と稱し奉れる事著く。爾保都比賣命の。丹生津比賣命にて。保《ホ》と生《フ》と音通へる事明かなれば。社傳を合せて。稚日女尊同神なる事證するに足れり。稚は大に對へたる稱なるべし。【さて日女はヒメと訓むべし。姫の義なり。ヒルメと訓るは非なり。】なほ神功紀に委く云。○逆剥。一書には生剥とあり。祝詞には。《イキハギ》逆剥《サカハギ》と並云り。【生剥とは。生ながら其皮を剥を云。逆剥も一事なるを。文の勢に重ね云也。生剥の逆剥と心得なば。疑は非じ。】守部云。まづ生剥とは。生たる獣の苦しむを樂しとして。殊更に剥をいふ。【死たるを剥は。其皮に用ありてのわざなるを。是は皮を取んとにはあらで。たゞ生たる獣の苦むを。おもしろがりてするを云。】逆剥とは。其獣の剥れじと。身をもがくに。競ふを樂しとして剥を云。かゝれば。逆剥と云も。生剥と同事の樣なれど。此は其生剥の中にも。わざとかまへてする惡事を。ことわらんとて。重ね云る古文のあやなり。【今世の言にも。人のいやがるに。競ひてするを。逆らふと云るも。又おなじ】此外物に競諍《キホヒ》て爲(ル)わざに。逆《サカ》某と云事多かり。其は瀑布《タキノ》水に逆垂《サカタリ》と云も。岩などに觸て。水の激するを云。河に泝《サカノボル》と云も。流るゝ波に競ひのぼるを云。刑に|逆磔《サカハリツケ》と云も。身をもがくに競ひて。物するよりいひて。逆剥と同じいひざま也。逆にかくるに非る事。誰もしる所なり。【又一谷の逆落など云類は。後より落したるなり。俗に逆ねたりなど云るは。かへさまの意。さかしま顛倒なり。此等は常の事なれば此に云までも非ず】と云るはよろしき説なり。
 
 
故(レ)天照大神|謂《カタリテ》2素戔嗚尊1曰(ク)。汝猶有(リ)2黒《キタナキ》心1。不2欲《ジトノタマヒテ》與v汝相(ヒ)見1。乃(チ)入(リマシテ)2于天石窟(ニ)1。而|閉《サシツ》2着磐戸(ヲ)1焉。於是天下恒闇(ニシテ)。無(シ)2復晝夜之|殊《ワキモ》1。故|會《カムツドヘニツドヘテ》2八十(439)萬(ノ)神(タチヲ)於|天高市《アマノタケチニ》1。而|問《トハシム》之。
 
 
汝猶。猶字いかゞ。かくては素戔嗚尊。本より惡心坐すが如く。聞なさるればなり。御誓の時は。惡心坐まさゞる事。既に顯れ給へるものをや○閉着磐戸。着は決く誤字なるべし。【丹鶴本又私記に差字に作る。それも誤と見えたり】次に一書に閉2其磐戸1とあれば。此も其字の誤しものなるべし。字形も聊似たればなり。○天下。重胤云。正書には六合とあり。此には天上の事を脱せるかと云に然らず。其御事に因て。國土にては。晝夜の相代り行く差別も知れざりし由のみを。傳へたる者なるべくして。凡て此顯國の事を。主と爲る。例の此紀の文體なるにこそ。と云り。○會八十萬神云々は。本書又記と異なり。○天高市。天とは。天上を云。市とは四方より人の集合ふ處を云名なれば。是時八十萬神の。集ひ上れる地なる故に。高市とは云しなり。【市は必物賣者の。集まるをのみ云名には非ず。朝倉宮殿の大后の御歌に。京をも稱へて。やまとの此多氣知と。詠坐る見えたり】天安河とあると。異處にはあらじ。八百萬神の集はせ給ふ處。即其天安河の邊傍に在るを云なるべし。其は記に。於2天安河之河原1。神2重《カムツドヘニ》八百萬神(ヲ)1集(ヘ)而とあるも。此段の状と同じきを。遷却祟神詞に。天之|高市爾《タケチニ》。八百萬(ノ)神等乎。神|集《ツドヘ》々(ヘ)給比ともあればなり。口訣に。天(ノ)高市(ハ)天上諸會合之處。纂疏に。天高市。蓋在2天上1取2諸神集會之儀1とりもあり。さて大和國高市郡を。和名抄に多介知とあるに依て。こゝをも訓べし。又下卷にも。この地名見えたり。○會。本に神ツドヘニツドヘテと訓る。令《ヘ》v會《ツド》の義なり。重胤云。此は長《ヲサ》とある神の御在坐て。(440)八十萬神を召集へたる趣なり。又問之と云るも。八十萬神をして。神|問《トハ》しに令(メ)v問給へる状なれば。此を以て。其八十萬神の上に。立せ給へる神の。御在坐る事なん灼然かりけるを。下に時有2高皇産靈尊之|息《ミコ》思兼神者1。とあるは。思兼神を率て。出させおはし坐る趣なるが。此に打合るは。拾遺に高皇産靈神會2八十萬神於天|八湍《ヤセノ》河原1。議2奉v謝之方1。とある是なり。【武郷云。高皇産靈尊の。此塲に會合はせ玉へる御事は。本體には坐まさず。分御靈の一神と。現れ坐てなること既に云るが如し。】此に深旨あるべし。彼高皇産靈尊。神皇産靈尊と申奉る。二柱大神はしも。已に伊弉諾伊弉※[冉の異体字]大神の。初天降り御在し坐ける時に。事伏しの御事は更也。世中に在とあをゆる。萬物をも事をも。始めさせ御在坐て。天地の底際《ソコヒ》の内に。又なく尊き高き大神に御在坐なるに。世に有限の事はしも。何れの事をか。知し看(サ)ず有らむ。又如何なる事をか。成し出させをはし坐ざらむ。然るを。此に天照大神の磐戸隱れ御在し坐けるに。八百萬神等を。神集へに集へさせおはし坐て。神議に議らせ御在坐《オハシマス》とも。諸神等に。汝は何事を爲すべし。汝は何物を造るべしと。其事に堪たる事共を。直に指(シ)着(ケ)て。命せ玉ふべき御事なるに。然各々其神々の知る所を。聞看し上《アゲ》させおはしまして。其計る所に。因准《ヨリシタガ》はせさせ給へるは。此に幽顯の別ある事也。幽冥に坐ます。本つ御身こそ。何事も知らざる處なくましまさめ。實は産靈(ノ)神と申せども。今かく御形を現はして。顯世に出給ひては。其顯(シ)世限りの事ならでは。知看すべきよしなき御事なるべし。此神代より幽顯の差別の。かく際やかに見え分る。是ぞ世中の道なるべき。天照大神の。御尊さの二なきさへ。顯身と坐(シ)々(ス)限は。此石窟戸の段の如く。八百(441)萬神の謀を。まことゝおもほして。石窟戸を開て出給ふに非ずや。幽顯の差別の。重き事如此し。いとも/\。奇く靈き事の限りなりかし。と云れたり。○問之。誰神の問給ふにか。知がたきが如くなれど。右に云る如く。高皇産靈尊に坐なり。さるは平田翁云。記の趣をよく見るに。高皇産靈神の。某々に令《オホセ》給へる状なりかし。其は令(ム)v思と云。また召2天兒屋根命。布刀玉命1。令(ム)2占合1などあるを思べし。此時此二柱神も。集ひ坐けむことは著明きを。殊更に召て令(セ)給へる。其神は誰(レノ)神ならん。高皇産靈神に坐ざらめや。と云れたり。此説實然り。さて其間状は。本書に計2其可v祷之方(ヲ)1。拾遺に議2奉v謝之方1。とある其事を云なり。物を議るを。琴問と古く云り。偖此を本にトハシムと訓る。即右に云る如く。産靈神の命令を以。令v問玉へるが故なり。【平田翁云。産靈大神と申せども。御自思得玉はぬ事は。かく下なる神にも令v思て事を定玉へり。皇孫命御天降の事議し玉ふ時などは。天照大神も並坐て。いつも思兼神に令v思給へり。君と有らん人などは。此をよく思べき事ならんかも。と云れたるは。此又然る論也けり。】
 
 
時(ニ)有(リ)2高皇産靈(ノ)尊之|息《ミコ》思兼神(ト)者《イフカミ》1。有(リ)2思慮之智《オモヒタバカリノサトリ》1。乃思(テ)而白(シテ)曰(ク)。宜(ク)圖2造《アラハシツクリテ》彼(ノ)神之|象《ミカタヲ》1。而|奉2招祷《ヲギタテマツラム》1也。
 
 
高皇産靈尊。本に尊字脱たり。今永享本纂疏本類史どもに從て補へり。○思兼神者。本に者(ノ)字(ノ)上に云字あるを。今活字本類史。及元々集に。引る本どもに依て削る。【山蔭にも。无(キ)本宜し。と云り】○思而白曰。此即令v思玉(442)へる神のあるに。照し應《アハ》したる文なり。○圖造云々。彼神之像は。日神之象と云んが如し。次に用v此奉v造之神。とある神字を。ミカタと訓るも。此に相|應《ヒヾ》きたる事にて。拾遺に川日(ノ)像之鏡とある是なり。平田翁云。圖2造《アラハシツクル》象1とは。天照大御神の。大御形容の事には非ず。其大御身の御光に圖《ニ》るべき象物を。模造《ツク》らむと云るにて。即鏡のこと也。其は記に天宇受賣命の言に。勝(テ)2汝命(ニ)1而貴(キ)神坐と云て。兒屋命太玉命の。御鏡を指出|示《ミセ》奉れるを思ふべし。【拾遺に。同事を。太玉命啓曰。吾之所v捧寶鏡明麗。恰如2汝命1。とあるも。趣は異なれど。御光を圖造れる事の由は能通たり】と云り。さてかく御光を圖せる状は。重胤も云れし如く。桓武紀なる和氣清磨呂卿傳に。宇佐大神の御異を示し給ふ所に。神即忽然現v形。其長三丈許。色如2滿月1。清麻呂消v魂失v度。不v能2仰見1。とある御有状の如く。仰見奉るには。日神は唯御光のみなるが如く。圓《マロ》々と所見させ給へるなり。【されど又同人説に。偖日神の顯御身ならばこそあらめ。如此く物に象どれる事は。甚く後世の状にも。聞ゆれども然らず。此に物實を置居て。其神靈を招寄る事は。即思兼神の思慮に出て。世に御靈實を定めて。神靈を持齋き仕奉る事の。始になん有けると。云れたるは。いかゞあらん。よく考べし。】圖造は。私記に豆久利萬都利弖。又安良八之萬津利弖。とあり。舊訓はアラハシツクリなり。【鎌倉本も同じ】此に因るべし。【重胤説に。此時の御競はしも。實に日神の御象と爲て。表はし造り奉り。此に對ひて。招祷奉らしゝから。其隱り給へる。日神の御靈。終に此に依來坐て。其祈祷に感けさせ。御在坐ける趣にし有ければ。决めて圖をアラハスと訓むなん勝りたるべき。故下文には。用v此奉v造之神とある。神字をミカタと訓るも。直にこ其日(ノ)像之鏡を以て。日大神と齋定め奉る事。灼然き者也かし。と云り。此説もなほ考べし】名義抄。圖字アラハル。とも訓り。○招祷。記傳云。此を私記に禰支と訓るはわろし。袁伎と附たる舊訓宜し。其は記海神宮段に。風《カザ》招と云る事あり。風を招き發《オコ》す方なり。又萬葉十七に。呼久餘思乃曾許爾奈家禮婆《ヲクヨシノソコニナケレバ》とあるも。鷹を招き寄べき由のなきを云り。又十九。月立之日欲里乎伎都々敲自努比《ツキタチシヒヨリオキツツウチシヌヒ》。この乎伎も。霍公鳥を招寄る方をして待な(443)り。此等と招祷字とを合せて思ふに。凡て遠伎とは。物を招寄せむとする事にて。此はかの石屋に隱坐る。天照大御神を。招き出し奉りし行事を云なりと云り。【採要】さる説なり。【さて又重胤説に依る時は。大神を招祷出し奉るは。大神の御靈の。此に依來坐む事を。祷白すなり。祷字は大神の出給はむ事を。祷白す事故に。此字を書るなりと云り。よく考ふべし。】
 
 
故(レ)即(チ)以2石凝姥《イシコリドメヲ》1爲《シ》2冶工《カヌチ・タクミ》(ト)1。
 
石凝姥。一書に鏡作遠祖。天|拔戸《ヌカトノ》兒石疑戸邊とあり。名義。石も凝も正字にて。此神冶工として。天香山の堅石を以て※[金+肖]※[金+樂]《ヤキトロカ》したる鐵を鍛《キタ》ひ凝し固めて。日矛及日像之鏡を造奉らしゝ。功に因れる名になん有ける。姥は。記傳に云れたる如く。老女を云稱。【此字。字書に。老母也】又戸邊とも通はし云こと。石凝戸邊ともあるにて知べし。されど鏡作の家は。猿女君などの如く。女を以て其職を相續たる事も聞えざれば。此は决めて男神に坐けり。靈異記に。鏡作造有2一女子1。とあるにも。其子孫相承し事を知べし。平田翁云。凡て斗米。また斗弁など。名に負へるをば。みな女神の如く。師は云れつれど然に非ず。舊は男女ともに云る稱なり。【記に。女の假字に用ふ賣字を書き。紀に姥字を書るに。泥むべきに非ず。此は斗米また斗弁と云るを。女にのみ稱ことゝなれる。後世の意の。所爲とこそおぼゆれ】と云れたるに就て考るに。此紀に戸邊。記に度賣とある邊賣。何れも美に通ひて稱辭なるべし。さらば舊事紀に。尾張連の氏人に。建刀米《タケトメノ》命|妙《クハシ》刀米命。又神武紀に。名艸戸畔《ナクサトベ》。丹敷《ニシキ》戸畔。崇神紀に。紀伊國(ノ)荒河《アラカハ》戸畔。又記(ノ)【開化段】幡《ハタ》戸辨。又春日(ノ)建國勝《タケクニカツ》戸賣。など何れも男の名なれば。此と同じかるべし。なほ男の名稱に。戸邊と(444)云る事の例は。級長戸邊命の下にも云り。考合すべし。○冶工。本にタクミと訓るよろし。鏡作の冶工《タクミ》なり。下卷に作金者を。カナタクミと訓れど。それは鍛師《カヌチ》の冶工《タクミ》なり。記に求2鍛人天津麻羅《カヌチアマツマラヲ》1而。科(テ)2伊斯許理度賣(ノ)命(ニ)1。令v作v鏡(ヲ)1。と見えたるは。所謂|同伴巧者《アヒダクミ》と爲て。鏡釼矛。共に相携はり作(リ)仕(ヘ)奉(ラ)れし者なる事。已に注るが如し。【但し石凝姥命は。鏡の冶工なり。天津麻羅は。亦名天|目一箇《マヒトツノ》1神とも申せり。唯の鍛冶なり。此差別を知りおくべし。重胤は。冶工を本の訓のまゝにタクミと訓て。其説に冶工を多久美と訓る。冶工字は。其義を令v知がために。當(テ)たる者にして。多久美は手伎《ワザ》を盡して。物を成し出るの謂なる者なり。作金者乾。職員令の木工寮を。和名抄に古多久美乃豆加佐と訓み。又|土工《ハニタクミ》司なども所見たれば。其木工土工の准ひに。鍛冶を金工とも云し也けり。然らば。此にも爲2金工1と云べきに。然らぬは。金工の事は。記に鍛人天津麻羅と有れば。其眞鐵を練鍛ふ凡ての事は。其天目一箇命の所掌にして。日矛日像之鏡を作る事は。此神の所爲なる故に。爲2冶工1。とは書れたりし者になん有ける。と云れたり。此説も然あるべし】
 
 
採(リテ)2天(ノ)香山之|金《カネヲ》1。以作(リ)2日矛《ヒボコニ》1。
 
天香山。紀には天金山とあり。此は同じ山なる事既に。【通釋四】云るが如し。金神の御名を。金山彦命と申し。其神の香山に住玉へるより。此山を金山とも稱へるなり。○金。此に金と書れしは。加禰と云に廣く用《ツカ》へるにて。其物の黄金なるにはあらず。さらば某(ノ)金なりしと云に。次の日矛日像之鏡と比べ思ふに。記に鐵とあるに。從て定むべし。【其説下に云】○作日矛。日矛の事。近來種々の説起りたれど。何れも強言にて採に足らず。本文のまゝに。此時日矛と日象之鏡と。二種出來れりと見て。やすらかに心得べし。さるは重胤説に。取2天金山之鐵1。而求2鍛人《カヌチ》天津麻羅1而科2伊斯許理度賣命(ニ)1。令v作v鏡。とありて。石凝姥命と。天津麻羅とは。相工《アヒダクミ》にておはし坐り。記には天津麻羅を鍛人とあり。此には石凝姥爲2冶(445)工1とありて。共に鍛冶の稱有が中に。日像之鏡はしも。本より石凝姥神の造給へる事。記紀拾遺みな等しければ。論なきを。拾遺に天目一箇神の作られし物の中に。鐵鐸《サナキ》あり。此は正書の茅纏《チマキ》の※[矛+肖]《ホコ》を。拾遺に著《ツケタル》v鐸《サナキ》之矛とあれば。其※[矛+肖](ノ)末《サキ》に著る料なるが。其|鋒端《ホコサキ》の事の見えざるは。【矛柄の事は。手置帆負。彦狹知二神の作れる由。見えたり】即此の日矛なるなり。此に以2石凝姥1。爲2冶工1云々爲2日矛1。とある是にて通ゆるなり。【然るを私記に。此日矛と茅纏之※[矛+肖]とを。別物に見たるは誤なり。されど。又矛之鋒(ニ)付v鏡圖2日像1之故。稱2日矛1歟。云々付2於矛1。有2何疑1哉。と云れたるは。實に謂れたる言也けり】釋に引る天書に。石凝姥者天之冶工神也。天(ノ)拔戸《ヌカト》之子也。云々自作2明鏡日矛1。以奉2大神(ニ)1。と云る明鏡は。右の日像之鏡の事なれば。此も鏡と矛との二種なる證なり。【鈴屋大人も此時日矛と御鏡と。二(ツ)造奉れる事は違ひ有まじきなり。と云れたり。】系圖纂に收たる紀國造家譜に。【此は疑はしき事もまじれども】以2石凝姥命1爲2冶工(ト)1。全2剥眞名鹿之皮(ヲ)1作2天|羽鞴《ハフキヲ》1。採2天香山之金1作2日矛1。則號2國懸大神1。又造2日像(ノ)鏡1。即日前大神也。云々勅以2日像鏡日矛1。命2天道根命(ニ)1祝祭之。と有て。此又著く。紀國神社録に。社家傳記曰。日前國懸兩大神者。天照大神日前御靈云々。以下2石凝姥命1爲2冶工1而。採2天香山金1以。磐窟戸之前而。所v奉2圖造1之日像之鏡日矛是也。云云とあるも。右に同(キ)趣なり。又其紀國造家記に。天安河の河上の天堅石を取て。鍛人天津麻羅命を召て。日矛を作らしめ。天香山の銅を取て。石凝姥命に仰せて。八咫鏡を作らしめ。天鈿女命は云々。日矛を取持て。天岩窟戸に。覆槽《ウケフネ》踏轟《フミトド》ろかし。神懸爲て。八百萬神共に咲へり。と云るは。紀記を取合せたる説なるが。日矛を天津麻羅の作れりと云は。此一書の傳には背ける物から。日矛を天鈿女命の執持せる由なるは。此正書の茅纏之※[矛+肖]。其に當りて。甚愛た(446)し。偖又右に引る釋紀に。矛之鋒(ニ)付v鏡と云るは。即日(ノ)前神の御を懸たりしにて。後に作れる伊勢の御は。彼眞坂樹に取懸たりしなり。思混ふべからずと云り。さて社家記に。日矛を國懸大神に坐し。日像鏡を日前大神に坐すとせるは。古くさも言傳へし如くなれど。此は誤なり。日矛も御鏡も。共に兩大神の御靈代に坐て。上古は同殿に坐々けるが。式(ノ)文の如く。兩社に分られたる後に。さる説は出來れるものなる事。次に委く云べし。【記傳に。日矛の御在ます。國懸大神。相殿に。天鈿女命坐と云り。所由ある事也けり。斯れは日矛と云ひ。茅纏之※[矛+肖]と云ひ。著v鐸之矛と云るは。唯名の傳の異なるのみにて。實は一にて。此鈿女命の持る矛也けり。と云れしは右に云る趣に合り。】
 
 
又|全2剥《ウツハキニハキテ》眞名鹿之《マナカノ》皮(ヲ)1。以作(ル)2天(ノ)羽鞴《ハフキニ》1。用(テ)v此(レヲ)奉(ル)v造(リ)之|神《ミカタハ》。是即紀伊(ノ)國(ニ)所坐《マシマス》日前《ヒノクマノ》神也。石凝姥此云2伊之居梨度※[口+羊](ト)1。全剥此云2宇都播伎(ト)1。
 
 
眞名鹿。記に眞男鹿《マヲシカ》とあるも同じ。共に美稱なり。平田翁云。眞名は稱辭なり。愛子を眞名子と云も稱辭なるを思べし。和名抄に。鹿和名加とあり。さて此鹿も。天香山にて。取來しにやありけむ。○全剥。記傳に云。記に内拔とある。内は借字にて。俗に圓《マロ》にと云意なり。全《マロ》に骨を拔き。全に皮を剥は。中の空虚《ウツロ》になる意にて。宇都とは云なり。とあり。○天羽鞴は。皮鞴と書も同じ。重胤云。文に全2剥眞名鹿之皮1。以作2天羽鞴1と有て。皮と羽と相|照應《テラ》したる文なるに。心を着て考るに。皮は毛羽《ケハ》と云事に(447)て。其羽は。拾遺に衣服謂2之白羽1とも有て。總ては人の衣服は。更にも云ず。烏獣の身を纏ふ皮も。彼が衣服なれば。同じく羽とは云事なり。記に白菟の事を其身(ノ)皮悉風見2吹(キ)拆(カ)1故云々。和邇捕v我剥2我衣服1と有る。此を以て。彼が皮は。人の衣服に同じきを知べきなり。斯て。獣《ケモノ》は毛津《ケツ》物の謂なるにも。毛麁毛柔と云るは。獣をも鳥をも。押並て云稱と成て。鳥の羽を毛と云れば。獣(ノ)皮をも通はして。羽と云事の。何どか無らざらむ。此を以て。天(ノ)羽鞴の羽は。眞名鹿之皮の。皮《ハ》なる事。上下相|照應《アハ》せて曉るべき者なりかし。【羽鞴は皮鞴《ハフキ》と云事にして。此を倒反すれば。吹皮《フキカハ》と云事なるを以ても。皮と羽と。相通はし云古言なるを。知べき者になん】然れば。私記に謂2之羽1者。以3其扇v風相2似鳥之羽翼(ニ)1故也。との説は。文を照し見ざる麁説なり。偖和名抄鍛冶具に。鞴(ハ)韋嚢吹v火也。漢語抄鞴袋。布岐加波。野王案。鞴所d以吹2冶火1令uv熾之嚢也。と見えたる是なり。口訣にも。羽鞴|〓《フキカハ》也。蹈云2蹈鞴《タヽラト》1と有る。其は同具に。日本紀私記云。蹈鞴太々良。と有る即韋嚢を作り。風を入れて。細き穴より吹出して。火を熾す具なるなり。と云り。○用此奉造。日矛を作るにも。鏡を造るにも。香山の金なる事は同じけれども。眞名鹿の皮以て。作れる天羽鞴をば。旨と鏡の方に用ゐし也けり。されば用v此とあるは。天羽鞴を云るなり。さるはいかなる由ありて。鏡に此羽鞴を用ゐしにやあらん。傳なければ知がたし。さて神とは。即御鏡なり。○紀伊國所坐云々。こゝは日神の御象を。國造らむとて。奉造る御鏡なれば。伊勢所坐大神也。とあるべきを。紀伊國所坐日前神。とあるはいかにと云に。拾遺に。於是從2思兼神議(ニ)1令3石凝姥神(ヲシテ)鑄2日(ノ)像之鏡1。初度所v鑄。少不v合v意。是紀伊國(ノ)(448)日前(ノ)神也。次度所v鑄其状美麗。是伊勢大神也。とあるに依て見れば。此時初後二面の御鏡なり。されば此に日前神也。とあるは初度に造れる御鏡にて。其は神等の御意に合はず。故日神の御には。ならざりしこと。拾遺の文にて明けし。【御鎭坐傳記。一面者。日(ノ)前の宮坐也。石凝姥神。鑄造鏡也。初度所v鑄。不v合2諸神(ノ)意(ニ)1紀伊國日前神是也】かくて。次度に造れる御鏡それ眞の日神の御なるを。次度のを。此一書には略けるなり。さるは此一書は。日前神の御鏡の事を。旨と云傳へし書なるべし。さるは記傳にも。此を辨へて。若拾遺の説とは異にて。たゞ一度なりとせば。伊勢大神をば。何れの鏡とかせむ。日前神也。とあるうへは。次に伊勢大神の御鏡あるべき事。疑なきものをや。さるを初の不v合v意方を擧て。次の美麗にして。貴き方を略けるは。いかにぞや。されば此事は。拾遺の傳ぞ明かにして。宜くはありける。と云れたるが如し。○日前神也。是は日矛と鏡と。二をさして云るなり。重胤云。此は此時に作奉れる日矛と。日(ノ)像之鏡と。二種神寶の御所在を。注し奉れる所なり。中にも此の主意は。日神の御象を。造奉る神議にし有ければ。日像之鏡を先にし。日矛は其鏡を着る料也し故に。次に立て。昔は此二種を合せて。日前大神とも。國懸大神とも。稱奉りて鎭坐けめども。本は同社の御會釋なりけむ事。此は日矛と。日像之鏡との。所在を申すなるに。右の如く紀伊國所在日前神也。と書され。【武郷云。釋紀にも。紀伊國神社有2矛鏡1之條。不V可v違2本文1歟。と書れたり】また天武紀には。奉d幣(ヲ)於居2紀伊國1國懸《クニカヽスノ》神(ニ)uと有て。各一神の御名を出されたるは。兩社を合せて。日前(ノ)神とも。國懸(ノ)神とも。申奉れる御事なるが爲なり。持統紀六年四月。同十二月に。紀伊大神と申せるも。其兩社(449)を申奉れるなり。【武郷云。紀伊大神と申すは。伊太祁曾。大屋都比賣。都麻都比賣三神を申すなり。日前國懸の神にはまさず。此事は寶釼出現章一書に云り】然るに。紀國造系譜(ニ)。作2日矛1則號2國懸大神1。又造2日像鏡1。奉v稱2日前大神1也。とある事なれども。右は式文の如く。兩社に分られたる。後の状を注せるにて。大倭本紀に。一鏡者。天照大神之前(ノ)御靈。名2國懸(ノ)大神(ト)1。今紀伊國名艸宮(ニ)崇敬拜祭(ル)大神也。と見えたる。此を以て日(ノ)像之鏡に。國懸大神と申す御名御在し坐て。日矛に。元は然る御名のおはし坐ざりける御事を明むべし。然るに。日像之鏡に。地名を以て。日前(ノ)神社と申し。日矛に其鏡の神名を稱へて。國懸神社と申せるを以て。日矛は其日像之鏡に屬たりし物にて。元は其二を總て。國懸大神と合せ奉りて。共に天照大神の前(ノ)御靈になんおはし坐ける。社家傳記に。日前國懸兩大神者。天照大神之前(ノ)御靈而。神明之長上也。と云るも。其二種を合せて。前(ノ)御靈におはし坐す傳となん。聞えたりける。と云るは實然る説なり。武卿猶按るに。此二種の神寶の。此に鎭定らせ給へる所由は。日前國懸大雙紙と云ものに。【此は慶長の比に。記せる文なれど。古傳に依れる物なるべく見えたり。と栗田寛云り。】崇神天皇五十一年四月八日に。天照大神日前大神。諸共に當國|※[琴の今が木]《コト》の浦。名草の濱の宮にうつり。河底の磐の上におはします。同五十四年十一月十一日に。天照大神は。他國へうつらせ玉へども。日前大神は。其まゝ止まり玉ひ。其後垂仁天皇十六年に。河底をはなれ。今の社内にうつらせ玉ふ。とあり。【此事紀國造系譜には。神武天皇東征の初より。天道根命神鏡を戴き奉りて。著2當國加太(ノ)浦1。移2木本郷1云々。又乘2於船1而到2于毛見浦1。船著2琴(ノ)浦1云々。と見えたれども。甚々疑し。此系譜僞書にはあるべからねど。信られぬ事ども多し】此事既に記傳八にも。此初度の鏡も。彼日矛とゝもに。三種神寶に添て。後に皇孫命へ授置玉ひしなるべし。其故は拾遺に矛玉自從とあ(450)る。矛は日矛なるか。此鏡も其と同時に出來て。後にも同地に鎭座せばなり。偖御世々々天皇の同(シ)御殿に坐々し。水垣朝に至りて。天照大御神の御靈八咫鏡草薙釼を。豐鋤入日賣命に離ち奉玉ひて。鎭坐べき地を求(メ)歩行き給ふ時に。紀國の名草(ノ)濱宮に。三年が程齋奉り玉ひし事。倭姫命世記に見ゆ。此時まで。彼日矛も初度鏡も。共に天照大御神の御靈に付添て。齋奉りしを。此名草濱宮に。右の二をば留奉りて。永く彼地に鎭り令v坐玉ひしなるべし。是日前國懸二大神なり。と云れたる。まことに然る事と通えたり。此説に從ふべし。さて上にも云る如く。上古には此兩大神を合せて。日前神とも。國懸神とも申奉れるを。後に日(ノ)像鏡を日前宮。日矛を國懸宮と。宮殿を並べ齋かるゝ世と成ても。なほ古書どもには。兩大神を合せて。此彼を別たず。申す例なりかし。さて又此時初後二面の御鏡ありし事は。明文抄に。【帝道部の文中】天皇之始天降來之時。共副2護齋《イハヒノ》鏡三面。子鈴一合(ヲ)1也。注曰。一鏡者。天照大神之御靈。名2天懸《アメカヽスノ》大神(ト)1。今伊勢國(ノ)磯(ノ)宮(ニ)崇敬《イツキ》拜祭《イハヒマツレル》大神也。一鏡者。大神之前(ノ)御靈。名2國懸《クニカヽスノ》大神(ト)1。今紀伊國名草宮(ニ)崇敬(キ)拜祭(ル)大神也。一鏡及子鈴者。天皇(ノ)御食津神。朝夕(ノ)御食之|食《カ》向《ムカヒ》夜(ノ)護《マモリ》日(ノ)護(ト)齋奉(ル)大神。今|卷向穴師《マキムクノアナシノ》社(ノ)宮(ニ)所坐《マセテ》拜祭(ル)大神也。【日本紀】とあり。【此文釋紀に。大倭本紀木注とて引るには。甚く誤あれば。今は古寫本の明文抄に依て。引けるなり】此文に。前(ノ)御靈名2國懸大神(ト)1とある。即初度の御鏡にて。式に紀伊國名草郡日前神社。名神大月次新嘗。【平田翁云。日前はヒノクマと訓べし。其は風雅集に。當社の神司紀俊文といひし人の歌に。名草山とるや榊のつきもせず。神わざしげき比乃久米の宮。と訓み。檜隅宮とも云へばなり。然るを日本紀延喜式などに。ヒノマヘとよめるは非なり。今はヒノサキノ宮とも。また字音に。ニチゼングウとも云なり。と云へり】國懸神社名神大月次相嘗新嘗。とある二社。同域に並坐して。御靈代は此初度の御鏡一面(451)なり。前御靈と申す事は。かの八咫鏡の坐が上に。此御鏡もまた。其天照大神の御靈なるよしなり。【栗田氏云。日前國懸兩大神縁起に引る。當宮本紀に。天|係《カヽスノ》大神者。天照大神之御靈也。伊勢磯(ノ)宮所v座崇敬拜祭也。國係(ノ)大神者。天照大神之前(ノ)靈。紀伊國名草宮所2拜祭1也。と見えたり。と云り。これ當社に古傳ありし事明かなれば。此も證とすべし。】さて此二御靈を。天懸(ス)國懸(ス)と申す義は。平田翁云。懸は借字にて※[火+玄]《カヽ》すなり。其は大御神。石屋に幽居坐し時は。天も國も常闇となれるに。彼御鏡を造りて。招出し奉りしかば。天も國も※[火+玄]《カヽヤ》き徹《トホ》れる故に。然も稱ふべき物なり。さて此初度御鏡も。共に是時大御神の。御神躰の八咫鏡に副て。皇御孫命に授け降し給へる隨に。其八咫鏡と。同床に御座せしを。崇神天皇の御世に。大御神の御正體を。別處に齋ひ奉り玉ふ時に。初度の一面と共に。二面の御代を模《ウツシ》造しめ給ひて。其を禁中に齋き給ひしかば。此時にて。名草宮に拜祭られ給ひけん。【武郷云。此事已に上に云り】然る尊き由來の御社なるが故に。伊勢大御神と同じ樣に。神位などの議にも及ばれず。今も二社相並びて。いと嚴重に立給へり。【其神職は紀氏にて。代々紀伊國造と稱ふ。手置帆負《テオキホヒノ》命の孫。天道根命の裔なり。國造と云つゝ。社務を行ふ事は。右の状の存れるなり。】さて天武天皇朱鳥元年七月。奉d幣(ヲ)於居2紀伊國1々懸神u。また百錬抄に。長寛元年正月。紀伊國日前國懸社燒亡。於2御正體(ニ)1者。奉v出畢。など見えたり。【猶同書に見えたり】さて禁中に齋き玉へる御圖象《ミカタ》の御鏡に。御食津神の御神體を合せ奉りて。後には三處(ノ)恐所《カシコドコロ》と。申せりしことゞも。次々に云べし。【此御鏡の事に附て。平田翁の云れたる説は誤りあり。此は別に委く辨へ云へれば。此には云はず。】さるはまづ。此時の二面の神鏡の。御行末の大畧は。皇御孫命御天降の時に。大御神大御手づから。授《ユヅ》り給ひ。皇御孫命持降り給ひて。崇神天皇の御世まで。大宮(ノ)内に齋奉り給へりしを。此御牡に石凝姥命の裔の鏡作に命て。代の御鏡を擬《ウツシ》作らせ給(452)ひて。其を大宮内に齋かせ給ひ。【此に御食津神ノ御靈と坐る。御鏡一面を添て。三所恐所とも申すなり。又内侍所に坐す故に。内侍所の神鏡と申奉るなり。則草薙釼と並て。神璽の鏡釼と申すり。】此神代よりの神鏡をば。豐鋤入姫命に託《ツケ》て鎭坐すべき地を求め給ひ。日前國懸大神は。【初度に鑄たる御鏡に。日矛を合せて申せり】紀伊國に鎭坐しを。伊勢大神は【次度に鑄たる八咫鏡を申す】垂仁天皇の御世に。始て今の五十鈴宮に鎭坐しぬ。かくて大宮中に齋かせ給ふ。御擬造《ミウツシ》の神鏡の御事は。諸書にも見えたるを記さば。まづ日本紀畧に。天徳四年九月廿三日に。今夜亥三刻。内裡燒亡云々。廿四日に。昨夜鏡三【和名。加之古止古呂】并大刀。契。不v能2取出1。今日依v勅令v剏捜2求餘燼之上(ニ)1。已得2其實1。但調度燒損。其眞猶存。形質不v變。甚爲2神異1。云々と云ひ。また十月三日に。賢所三所。一所(ノ)鏡。件鏡雖v在2猛火(ノ)上(ニ)1。而不2涌損(シタマハ)1。即云。伊勢大神(ト)云々。一所(ハ)。眞形無2破損1。長六寸許。【これを豐受大神の言靈代なりと云る説は。黄金(ノ)御樋代の寸法に叶はず。此は卷向(ニ)坐(ス)若御魂神の御なり。此ことほかに委しくいへり。】一所(ノ)鏡(ハ)。已涌亂破損。紀伊國大御神(ト)云々《イヘリ》。【神宮雜例集に。寛平燒亡。始燒給。雖v陰圓矩不v闕。とあるは。此天徳の度の事を誤り傳たるなり】又釋紀に引る御記にも。天徳四年九月廿四日。鑿2求温明殿所v納之神靈(ノ)鏡。并太刀契等(ヲ)1。申(ノ)時重光朝臣來申云。瓦上(ニ)在2鏡一面1。其鏡(ノ)徑(リ)八寸許。頭《ハタニ》雖v在2小瑕1。專無v損2圓矩(ヲ)1。并蔕等甚分明(ナリ)。見v之者無v不2駕感1。【春記にも出たり。】廿五日。又求2得燒損鏡一面(ヲ)1。外記記曰。威《カシコ》所三所。一所(ノ)鏡。【件御鏡。雖v在2猛火上(ニ)1。而不2〓涌損1。即云。伊勢御神云々】一所(ハ)【眞形無2破損1。長六寸許】一所(ノ)鏡【已涌亂破損。紀伊國(ノ)御神云々】と見え。小右記にも。村上御記を引て。此度の燒亡事を記され。瓦上在2鏡一面1。【其鏡徑八寸許。頭(ニ)雖v有2一破1。專無v損2圓規1。并蔕等甚以分明。露2出縁破瓦(ノ)上(ニ)1。見v之者。無v不2驚感1○以上御記文】云々。故殿御日記云。恐《カシコ》所。雖v在2火灰燼之中1。曾不2燒損1云々。【鏡三面。伊勢大神。紀伊國日前國懸云々】と見えたり。また寛弘二年十一月十(453)五日。【子刻】内裏燒亡下に。火起2温明殿(ニ)1。神鏡【所謂恐所】大刀并契等不v能2取出1。云々神鏡大刀契盡燒亡。鏡僅有v蔕。自餘燒損。無2圓規1。失2鏡形(ヲ)1。【百練抄裏書に。此を内侍所靈鏡。燒損v半。とあり。春記に。一條院御時。圓規損。と有は。此時の事なり】と見え。日本紀略にも。此燒亡の事を。十一月十五日。【子時】宮中火。殿上皆燒亡。云々神鏡同燒損。【此大神の御なり】十六日。炭中神鏡二面奉v求2出之1。【此二面紀伊國御神と御食津神と二神の御なり】とあるに據て。恐所の神鏡の御形を。想像奉るに。圓規なる事は。本より申す迄もなく。右に引る記録どもに。蔕とある處は。即裡に付たる。紐付を云事にて。今も世にあるが如き。紐付の丸鏡になんおはしける。偖|頭《ハタ》とは。即鏡の端にて。釋紀にはハタと訓る。まことによく叶へり。かくて天徳の度は。素よりの圓規形。并蔕等も。損はれ玉ふ事なく。甚分明に坐けるを。寛弘の度には。僅に蔕は存(リ)王へれど。自餘は燒損はれて。圓規も爛れ亡て。鏡と申すべきばかりの御形には。見えさせ玉はざりつるよしなり。よく考合せて。想像奉り。又此神鏡の御形貌より。推(シ)察《カウガ》へて。高天原にて鑄玉へる。本(ツ)御鏡の御形をも。伺知奉られ。又此時鑄たまへりし。三面の御鏡の御形。大抵に想像奉られたり。さて御記に。日前國懸二大神の御を。長六寸許と記させ玉ひ。伊勢大御神の御を。徑八寸許と。記させ玉へる。文意を想奉るに。何れも。圓形の處の指わたる許《ホド》を。詔へるにて。長と云ひ。徑と云も。云ざまこそかはれ。差別ある事にはあらずかし。然れば。紀伊國大神の御の。伊勢大神の御よりは。小く坐す事。右の御記どもに合せて。思辨ふべし。【但御記文に。一所にのみ。長を記し玉へれど二所に通れる御文なり】さて恐所の神鏡の。かく三所坐ますを以て。此時鑄給へる御鏡の。まことはすべて。三面なり(454)し事をも知奉らるゝなり。神宮雜例集に引たる。神宮記に。寛弘二年十一月。内裏燒亡後の事を録して。天徳四年以來。度々内裏燒亡之間。不2被(レ)v燒給(ハ)1在留。内侍所(ノ)神鏡。今度(ノ)燒亡爾。被(レ)2燒損(セラ)1給。依v茲件神鏡。可v被v奉2鑄替1之由。披v行2陳(ノ)定(ヲ)1。且被v卜2筮吉凶(ヲ)1。神祇官陰陽寮。并諸道(ノ)博士等。公卿詮議之間。各勘奏云。件神鏡者。是非2人間之所爲(ニ)1。天地開闢之時。於2高天原1弖。鏡作(ノ)遠祖天(ノ)香山命乃。八百萬皇神達共爾。以v銅鑄之神鏡也。件鏡元三面也。廣皆以方尺而已。一面(ハ)坐2伊勢國(ニ)1須。一面(ハ)坐2紀伊國(ニ)1須。一面(ハ)坐2内侍所1須。是件鏡也。【子細具見日本紀○以上の文。神宮諸雜事記にも見えたり。さて此文に。内侍所の神鏡を。直に高天原にて造れる物のごと云るは。崇神天皇御世に。造れる後事を。本にめぐらして。内侍所の神鏡を。たふとみたる言にして。事實を誤れるには非ず。公卿諸道の博士等の勘へて。此等の重事を。誤るべきにはあらじかし】以v之謂v之。件神鏡改而。被v奉2鑄替1之事。未2分明1也。縱件(ノ)御鏡雖d被2燒損1給u。尤可v被v奉v鎭2安置於本所1也者。仍元(ノ)神鏡御坐也。とあり。此にて御擬造の神鏡の。寛弘の度に。燒損れ玉へる。後の事は知られたり。【因に云。延暦の内宮儀式。延喜の大神宮式などに記されたる。大神の御正體を。納奉る御樋代。深一尺四寸。内徑一尺六寸三分。とありつ。さて御樋代内の御形容は。黄金の函ありて。御正體は往古より綿袋に納。安置奉れるを。遷宮の度ごとに。新しき袋を調りて。舊の袋のまゝにて。納奉る例なり。されどあまりに。重《カサ》の高くなり玉へば。近ごろは。已前《サキ》の一《ヒトツ》と取替奉ることゝなれりときけり。其黄金の函の寸法は。高一尺三寸。徑九寸。覆蓋にて。黄金の合せ目は。鋲と云ふものにて。つなぎたり。さて蓋にも身にも。處々に屋形の圖を鐫付たり。此は明治六年四月に。宮中にて親しく。寫したる圖を以て記せるなり】
 
 
〔第二一書〕
一書曰。日神尊以(テ)2天(ノ)垣田《カキタヲ》1爲《シタマフ》2御田(ト)1。時(ニ)素戔嗚尊。春(ハ)則|填《ウメ》v渠《ミゾ》毀《ハナチ》v畔《ア》。又秋(ハ)穀已成則亘《タナツモノスデニナリヌルトキハヒキワタスニ》以(ス)2絡繩《アゼナハヲ》1。且《マタ》日神|居《マシマス》2織殿《ハタドノニ》1時(ニ)。則生2剥(ニシテ)斑駒(ヲ)1。納《ナゲイル》2其(ノ)殿《ミアラカノ》内(ニ)1。(455)凡(テ)此(ノ)諸(ノ)事盡(ニ)是(レ)無状《アヂキナシ》。雖v然日神|恩親《ムツマジキ》之|意《ミコヽロモテ》。不v慍《トガメタマハ》不v恨(タマハ)。皆以(テ)2平心《タヒラカナルミコヽロ》1容《ユルシタマフ》焉。及2至《オヨビテ》日神|當新甞《ニヒナヘキコシメス》之時(ニ)1。素戔嗚尊則於2新宮御席之下《ニヒナヘノミヤノミマシノシタ》1。陰《ヒソカニ》自《ミヅカラ》送糞《クソマル》。日神|不《ズシテ》v知《シロシメサ》。徑《タヾニ》坐《ヰタマフ》2席《ミマシノ》上(ヘニ)1。由v是(ニ)日神|擧《コゾリテ》v體《ミヽ》不平《ヤクサミタマフ》。故(レ)以|恚恨《イカリマシテ》。廼|居《マシマシテ》2于天(ノ)石窟(ニ)1。閉(シヌ)2其磐戸(ヲ)1。
 
 
重胤云。素戔嗚尊の御荒びの較略はしも。正書甚詳かなるものなり。第一一書は。唯齋服殿の異説のみあり。第三一書には。御營田の事のみ委曲にあり。然れども一には。御營田と新甞宮の事无く。一には齋服殿と。新甞宮の事を漏されたるを。此傳なむ。其三事を並擧られて。正書又記の趣に異ならず。然りとはいへども。其次第の如きは。正書記共に。一は御營田の事也。二は新甞宮の事也。三は齋服殿の事也。此は然らず。御營田の事より引續けて。織殿の事あり。終には其新甞宮の事に依て。天石窟に入らせ御し坐状なれども。右にては叶ひ難きよしなきには非ずと云り。○日神尊。神と尊とかく二つ並て。崇め稱る例。記また萬葉出雲風土記等にいと多し。されど此一書。此處にのみ尊字ありて。次々に見えぬは。なほ衍なるべし。或本には尊字なしと。山蔭に云り。○天垣田。纂疏に。墾田周以2垣墻1防2禽獣1也。と有が如し。されど此時節禽獣の防ぎを設けさせ玉へるなど。聊疑し。活字本に埴田とあり。【白井宗因所持本にも】其方勝れるが如し。崇神紀に。河内狹山埴田とあり。埴土の田なるべし【埴は土の(456)細密に取たる物なれば。膏腴の田と云ことかと宗因の説なり。】○填渠。第三一書に埋v溝【紀に埋2其溝1】とあり。記傳云。埋は宇豆米とも訓べけれど。【武郷云。宇豆米と宇米とは異なり。宇豆米は四段。宇米は下二段の活なり。宇豆米は何にまれ。物の底に深く藏して。上に見《アラ》はさぬを云。宇米は足はぬ處に。物を入て。充(テ)足はすを云。即こゝに填字をあつるよく叶へり。填v渠とは。土以て溝を平かに成して。水の流を塞留るなり。序に云。埋《ウモ》れ木はうづもれ木の略。雪に埋るゝは。うづもるゝの略なるべし。】拾遺に。美曾宇女とあるに依れり。和名抄に。釋名云。田間之水曰v溝。和名三曾。渠同上と云。又※[田+犬](ハ)町中渠也。和名太三曾ともあり。さて溝を埋るは。水を引するを妨むためなり。とあり。○秋穀已成。重胤云。成は登《ミノ》る事を云なり。秋に成て實を結ぶは。其物の已に成整へるなれば。那流とは云り。【今俗にも然云ことなり】と云り。○亘以絡繩は。【亘本に冒に作る。今釋紀類史學問所本。纂疏本等に據て改む。】私記に見2其實既|熟《ナルヲ》1。即可v欲(ス)之意(アリ)。必引2亘絡繩1者。欲v爲2其分境之畔(ヲ)1也とあるが如く。己が物の状に成し。振舞はせ玉ふなり。とあれど。此は妨損なひ奉らむと。爲させ玉ふみしわざと見ゆれば。仍て按ふるに。アゼナハは※[糸+斗]繩《アゼナハ》の義にて。【私記に。欲v爲2釋其分境之畔1也とあるは。畔繩の意と見られたるなれども。非ざるべし】さる繩を由中に引亘すは。宗因説に。穀登る時を見ては。繩を縱横上下して。其實を觸落《フリオト》さむと計らひ給ふ義なり。と云る説宜しかるべし。【さて口訣に冒(ハ)犯也と注せる其義を含めるに似たり】と云り。○織殿。正書第一一書に齋服殿。記に忌服《イミハタ》屋。又服屋と云る。是なり。○生剥。重胤云。伊祁波岐《イケハキ》と訓べきなり。拾遺に。逆2剥生駒(ヲ)1と見え。纂疏に。生剥者剥2生馬之皮(ヲ)1也とあるが如し。其皮を全《ウツ》剥に剥ながら。殺し盡さず。活せ置く事にて。彼記に謂ゆる。稲羽之素菟などの如き。即生剥に剥れたりし者也けり。古今著聞集に。普賢寺入道殿の。粟田大納言忠良の許へ遣はされける哥に。人よりも彼逸物に見ゆるかな。此伊祁波岐に爲られざりける。返し。伊祁波岐に爲られざらむも。理(457)りや。骨と皮とのひつきざまには。とある。即伊伎波岐とは云はず。伊祁波岐と訓む證なり。大祓詞後釋に。伊祈波岐とは。令《セ》v生《イカ》置て剥ぐ意なり。とあるにて通えたり。【花に生花《イケバナ》と云ひ。魚に生洲《イケス》と云るなど。生を伊祁と訓る。右と同じ義也。倭姫世紀に。佐々牟乃木(ノ)枝乎。割取而。生比伎爾宇氣比伎良世給。とあるなども。生は伊祁なり。此の生剥を本にイキハキニシテと訓るは。言の意を得ざる。近頃の人の誤訓にて。大祓訓にては。生膚斷死膚斷の生は。伊祁とは訓ず。伊伎なるを。其と一に思混へて。其差を立ざる也。】と云り。○納。正書に投納。一書に投入とあるに依て。よめるなり。○不慍。記に登賀米受而とあり。名義抄を閲るに。慍をタツヌ。又イカルと訓たるに。此にトカムと訓るは。記に據れるものなり。○容焉。重胤云。容はユルス。ナダム。兩訓あり。續紀【第五十三詔】詔に。思保須大御心坐(ス)爾依而。免賜比奈太毎賜比※[氏/一]《ユルシタマヒナダメタマヒテ》と有て。免と宥とを。重ね云る。由流須は緩《ユル》く爲る由なり。那陀牟は長《ノド》むる義なり。相遠からぬ言なるを曉べし。○新宮御席之下。此は土へ顯はれて。見えざるやうに。隱してまりおき玉ふなり。山蔭慍。此新宮。素戔嗚尊の新宮の如くきこえて。まぎらはし。其新宮と。其(ノ)字などあらまほし。と云り。さる言なり。○擧體。擧は稱徳紀。また名義抄に。盡をよみ。續後紀に闔をよめるにて。悉皆の義なるを知べし。【又漢籍には。列集をもコゾリアツマル。ともよめり】○不平。私記には。耶須加良須と訓たれど。本のまゝに訓べきか。此言(ノ)意は。記傳にも云れし如く。未詳ならねど。天武紀に朕身|不和《ヤクサム》と見ゆ。此天皇の御病し玉ふを。詔へる御言なれば。此と事の趣同じ。【重胤説に。觸2臭穢1。氣體不豫とあるをも思ふべし】さて重胤説に。私記云。凡欲v詛(ント)v人(ヲ)之時。必有2送糞1。若染2其糞(ニ)1者。必有2憂病1。故曰神染v糞。即有2病苦1。是古之遺法也。今代人之欲v詛v人者。亦有2放矢(スル)者1。傚(フ)v此(ニ)耳と見え。桐壺卷に。渡殿を渡る時は。彼方《カナタ》此方《コナタ》云合せて。衣のすそ|堪難《タヘガタ》う物しつゝ。甚《イト》は(458)したなき事多かり。と有も。右の類の事をして。人を詛ふ事の。此に在を以書たる文なり。此にては素戔嗚尊の。日神を詛奉るとはなく。唯御心の進びに因て。物爲させ玉へるならめども。其汚穢に觸させ御在し坐て。此に日神擧禮不平。とある如きには。至れりし者なめり。甚切《アナ》可畏【後釋に。此は本須佐之男命の犯し玉へるは。大甞の殿を。穢し玉へるに依ての罪なれば。此國土にして。人の上にても。穢すまじき所を。此事をして穢すを。罪とは云なるべしと云れたれども。猶事の義を盡くさずなん】と云れたる然る言なり。
 
 
于v時諸神(タチ)憂《ウレヘテ》之。乃|使《シテ》2鏡作部《カヾミツクリノ》遠祖|天糠戸者《アマノヌカトノカミヲ》1造(ラシメ)v鏡(ヲ)。忌部(ノ)遠祖太玉(ノ)者《カミニハ》造(シメ)v幣《ニキテヲ》。玉作部《タマツクリノ》遠祖豐玉(ノ)者《カミニハ》造(シメ)v玉(ヲ)。
 
 
諸神云々使鏡作部遠祖云々。拾遺には。此神等の外にも。長白羽《ヲサシラハ》神は青和幣。津咋見神は白和幣を造るなど。其餘の神等の供奉《モノツク》り。仕奉らるゝ條々あれども。此に忌部遠祖太玉者造v幣。とあるは。諸部を率て。仕奉らしむる義にて。其|枝《エダ》神等の事は。皆がらに略れたるものなめり。○憂の假字は諸書みなウレヘなり。三代實録に。憂禮比とあるは誤なり。しか活きたる古書に一つもあることなし。○鏡作部は。此時の業を以て。氏とせしものなること。玉作部に同じ。さて此氏。世々の史に見えず。甚く衰へたるものと見えたり。拾遺にも。其趣見えたり。さて天武紀に。十二年十月。鏡作造賜v姓曰v連とあり。是より連の尸になれるなり。【然るに靈異記中卷。大和國十市郡|菴知《アムチ》村(ノ)東方。有2大富家1。姓(ハ)鏡作造。有2一女子1云云と見えたるは。其部なる氏々には。姓を玉はざりしにや。また連姓なるは。絶た(459)りしにや。姓氏録にも所見ざるなり。また記に鏡作連とあるは。記傳にも云れたる如く誤なるべし。さて此紀また拾遺などには。たゞ鏡作。また鏡作部。などのみ有て。尸を記されざるは。如何なる故にか。さて又天孫本紀に 饒速日命十一世孫。物部鍛冶師連公。鏡作連等祖。とあれども異なり。混ふべからず。後紀に。延暦二十三年に。土佐國香美郡少領。物部鏡連家主と云人あれば。作字衍ならんも知べからず。】さて鏡作は。和名抄に大和國城下郡鏡作【加々都久利】郷あり。式に同郡鏡作坐。天照御魂神社。【大月次新甞】とあるは。氏人の住る地名と聞えたり。【天照御魂神は。石凝姥命にもあるべし。此社今八尾村に在。社の傍に鏡池と云ありて。乾涸たるが其地に在と。帳考にいへり。】又鏡作伊多(ノ)神社。鏡作麻氣神社。などもあり【頭注に。伊多神社は石凝姥命麻氣神社は天糠戸命を祭る。と云るは由ありてきこゆ。麻氣神社は。今に坂村といふに在て。春日明神と稱と。帳考に云り】○天糠戸。石凝姥命の父なり。名義未詳。此傳にては石凝姥命の造ける鏡を。天糠戸と爲る父子の異あり。されど此は拾遺に。宜令d太玉命率2諸部神1造c和幣u。とあるを。此に忌部遠祖太玉者造v幣と書されたると。同じ文體と見ゆれば。鏡を作り玉へるは。石凝姥命なるにて。天糠戸命は。其長とおはし坐て。其事を點檢し玉へるのみなるべし。○太玉者造幣は。本にニキテと訓るよろし。爾岐※[氏/一]は諸(ノ)幣帛《ミテクラ》にも云名にて。名義|饒手《ニキテ》なるよし既に云り。さてこゝに云るは。太玉命其長として。造り玉へる其幣帛には。鏡玉八十玉籤なども。其中にこもりたれば。一種の物とはすべからざるが如くなれど。なほこゝは。本書に所謂青和幣白和幣を。旨と云るにて。第三一書に。粟國(ノ)忌部(ノ)遠祖天日鷲所作|木綿《ユフ》とある。それを指せるなるべし。予はじめ太玉命幣を執持給ふ神に坐を。こゝに造v幣とあるはたがへり。此は思ふに第三一書に。粟國忌部遠祖天日鷲所v作木綿とありしを。同じ忌部の遠祖なりしより。かくは混しにもあるべしと思へりしはわろかりき。○玉作部。次の一書にも見え。又下卷一書に。作玉者とあり。大殿祭祝詞に。齋玉作《イミタマツクリ》等我。持齋《モチユマ》波利。持淨《モチキヨ》麻波利。造仕禮留。瑞(460)八尺瓊能。御吹支乃《ミフキノ》五百都御統乃玉爾云々。拾遺に。櫛明玉命(ハ)出雲(ノ)國忌部玉作(ノ)祖也とあり。【舊本に忌部二字なし。元々集に引るにあり。出雲より玉を奉りしこと。同書及神祇式に見えたり】右の書どもには。みな玉作とのみありて。玉(ノ)祖と云ことは見えざるに。記に玉祖(ノ)連と擧げ。天武紀にも玉祖連とあるは。此子孫玉作玉祖と。【此は祖神の御名玉屋命と云を取て。負る號なるべし。記には此御名を。玉祖命と書れたり】二氏ありしなるべし。其は姓氏録右京に。玉作連。高魂命孫天明玉命之後也。天津彦火瓊々杵尊。降(テ)幸2於葦原中國1時。與2五氏神部《イツトモノカムベ》1。陪2從皇孫(ニ)1降來。是時造2作玉璧(ヲ)1。以爲2神幣《ミテグラト》1。故號2玉祖(ノ)連(ト)1。亦號2玉作(ノ)連(ト)1。【記傳云。號2玉祖連1亦號2玉作連1と云るは。此天明玉命の子孫の中に。後に玉祖(ノ)連と云と。玉作連と云と。二色あるよしなり。玉祖連を。また玉作連とも云にはあらずと云り。此姓氏録の文によりて考れば。玉祖命と申す御名は。かへりて此氏より出たる後の御名ならむもしりがたし。此はなほよく考べし。】とあるにて。古より二方にいへりし事あきらかなり。さて天武天皇十年十二月に。玉祖連に。賜2姓宿禰1とあるは。玉作部の方は。此時の擧に洩たりしなるべし。故玉作宿根と云は。すべて史どもに見えず。【たゞ玉作部とのみあり】玉祖宿禰の方は。姓氏録石京玉祖(ノ)宿禰高御牟須比乃命十三世孫。大荒木《オホアラカイノ》命之後也。又河内國玉祖宿禰。天(ノ)高御魂乃命十三世孫。建《タケ》荒木命之後也。【記傳云。これらに祖神玉祖命を擧すじて。大荒木命之後也。とあるは。此人の時に。中ごろ家門を興せしなるべしと云り】とあり。かくて和名抄郷名に。河内國高安郡玉祖。周防國佐波郡玉祖とある。何れか本なるらむ。但河内國なるも。甚古き事と聞えて。式に高安郡玉祖神社おはしませるは。右に引る姓氏録河内玉祖宿禰。云々建荒木命之後也。とある。此人は仁賢紀なる。玉作部(ノ)麁寸《アラキ》と云も。其祖名を襲ひたりと聞えたれば。難波の玉造より係て。其邊に多く。玉作部の住へる其|群主《ムラジ》なりしなめり。右京なるは。其より支《ワカ》れて。京に在て仕奉れるなり。又右京玉作連を。一本に忌玉作とある。(461)其は別にて。出雲國の忌玉作と同族なるべし。又今昔物語十七卷に。今は昔周防國一宮に。玉祖大明神と申す神在す。其の神主にて。玉祖(ノ)惟高と云者在けりと。所見たるは。元享釋書十七卷に。周防國(ノ)神宮司惟高者。累世(ノ)神官也。云々とあると同人なれば。近昔までも。世に玉祖氏と云るなん。此彼遺りて有けらし。なほ氏人は。兵範記に近衛帝時木工允玉祖親宗あり。また平戸記に。四條帝時近江權少掾玉造景里と云るあり。○豐玉。名義。豐は稱辭。此神の御事は。瑞珠盟約章第二一書。羽明玉の下に云り。【平田翁説に。興田吉從云。式に阿波國名方郡天石門別豐玉比賣神社あり。此は此神を祀れる社なるべし。石戸を開玉へる時の物を。作れる神なれば。石門別と云べし。と云り。此考さも有べくおぼゆる由あり。其はまづ。此神を女神なるよし傳へたるは。神名秘書に。櫛明玉命(ハ)高皇産靈神女。栲幡千々姫命之妹也。と云る説も。古傳の有しを取て書るならむとて。なほ種々に云れしかども。此神には其子孫の氏々多く有て。其祖神に御在し坐は。女神に坐ざる事明かなれば.神名秘書に引る。古語拾遺の説は誤なり】
 
 
又使(メ)3山雷者《ヤマツチノカミニハ》採《トラ》2五吉箇眞坂樹(ノ)八十玉籤《ヤソタマグシヲ》1。野槌(ノ)者《カミニハ》採《トラシム》2五百箇|野薦八十玉籤《ヌスヽキノヤソタマクグシヲ》1。
 
 
山雷は。大山祇神なり。山神に坐すが故に。此に科(セ)つるなり。さて此雷字を。イカヅチと訓は惡し。某雷と書る例を思ふに。神武紀に嚴香來雷《イツノカグツチ》。嚴(ノ)山雷《ヤマツチ》武甕雷《タケミカヅチノ》神など見えたり。此うち香來雷山雷。二の雷字は。イカヅチとも訓べけれど。武甕雷の雷は。然は訓がたければ。此を例として。何れも豆知と訓べし。○八十玉籤。坂樹に五百箇といひ。玉籤に八十と云る。みな多きを云る。古語の格なり。さ(462)て。玉籤は。平田翁云。縣居大人説に。玉を著たる木竹を云。萬葉三。神祭歌に。吾屋戸爾御諸乎立而《ワガヤドニミモロヲタテヽ》。齋戸乎居《イハヒベヲスヱ》。竹玉乎無間貫垂《タカダマヲマナクヌキタレ》云々。【今云。御諸乎立は神の御室を齋立るなり。竹玉は。玉に緒を貫き總て。竹に著るなり】と詠るも。此玉串なるべし。とあり。是信に玉串の本義なるべし。師は大神宮式に。著(タル)2木綿(ヲ)1賢木。是名2太玉串(ト)1とあり。玉串の名は。手向串《タムケグシ》なるべし。【牟氣を切れば米なれども。多米串と云へば。自ら多麻串とも。聞ゆる故に。玉串に借て書つらん】と言れつれど信がたし。此は萬葉歌の趣をも合せ考るに。本は信に玉を貫垂たりけんを。やゝ後には。玉を著ずも奉りけんか。後に右の手ぶりは廢《スタ》りて。玉串の名のみ存りて。木綿を著たる賢木を。しか稱ことゝ爲れる。後の状を記されしにて。决めて本義には非ずかし。【其言の切を言れし説も。少し穩當ならぬ心ちすする。大殿祭に。柱に懸る榊には。後までも玉を著るなり】また玉とは。唯に串の美麗を稱へたる辭のごと。云るも有れど。此は正に。彼玉串に玉を著たる如く。作れるならん。【此に玉を著たる所由は。下に云む。さて此は。野山に在る薦《スヾ》賢木を採る所なるに。玉串と云るは。其に玉を付て。玉串と爲たる後の名を。始へ廻らして。かく云る也。】串とは根掘に爲《シ》たる。賢木の大なるに對て。刺立もし。手に執持ちもするばかりに。小き故に云るにて。篶(ノ)玉串と。賢木(ノ)玉串と。打交へて。齋庭に差たて。榊(ノ)玉串は。後世に爲る如く。手に執て。神前に奉進りけんと所思ゆ。其は大御神の神事に。榊又太玉串を。仕奉る状を。神の儀式書どもに。依て考るに。【今云此に内宮儀式。又年中行事の文を引て。太玉串并天八重榊取備へて仕奉事實を載せたれど。文長ければ今略けり】古く神事の時に。宮にも御門にも。賢木を差立て。林餝《カザリ》たる事灼く。八重榊と云も。刺(シ)立る故の名と聞ゆ。【正月に門松を立る事は。是より起りけんと。おぼゆ】其は疑なく此時の故實に因れる事と知られ。又後に神祭に集へる人々の。各々賢木を進る事は。是時集ひ座る神等の。然爲たりけん。故事のまに/\。物するならんかし。其は内宮(463)儀式【二月新年祭條】に。山向《ヤマムケノ》物忌(ノ)父我《チヽガ》造奉留太玉串(ヲ)。宇治(ノ)大内人。捧持※[氏/一]云々。即禰宜召2大物忌(ノ)父(ヲ)1令v進。第三(ノ)御門之左右(ニ)置進(ル)。云々と見えて。祭ごとに用る榊木は。やがて山向(ノ)物忌(ノ)父子の取備へて。其を宇治(ノ)大内人の取次て。一(ノ)禰宜に進るを。神前に進る。【山向と云も。此に山雷神の榊また玉串を。取れるに因れる號と聞ゆれば。山|平《ムケ》の義なるべし。また宇治大内人を。玉串(ノ)内人と云ふことも。玉串を取次て。掌ればなり。また玉串を進り置く。御門ゆゑに。第三御門を。玉串御門ともいふ。年中行事には。即玉串御門とあり】此を玉串行事と云ふ。又此事を。年中行事に記せる状。いと委かり。此をよく讀辨へて。玉串行事の状を知り。また神に賢木を奉る事は。天上の此時の儀式に因る事なるを悟るべし。此を思ふにも。此時に神等の賢木を捧持けん事。違有まじく所思ゆ。又此傳に依ても。玉串と云は。もと玉を著たる故に。云稱なる事も灼然し。【採要】と云れたる。然る説ときこゆ。【重胤云。神名秘書に。令3太玉命捧2持幣帛1。令3天牟羅雲命捧2持太玉串1。亦令d天兒屋命以2廣厚稱詞1祈啓u云々。神宮にて云ふ。八重榊と。太玉串との起は。此に在て。彼太玉命の取捧奉らしゝ。太御幣より。八重榊は出來。天牟羅雲命の太玉串は。後にも傳へて玉串行事のの始なり。同書に。右の太御幣の事を書して。下に伊勢大神宮(ノ)寶前。奉v立之處(ノ)八重榊。此之縁也。載2大同本記1具也。と見えたり。偖太玉串天八重榊(ノ)制は。儀式帳に。高四尺。枝別木綿懸v之。とあるを始として。太神宮式に。著2木綿1賢木。是名2太玉串1と見え。建久行事記に。榊(ノ)玉串(ト)云。榊枝毎。木綿(ヲ)結付也と云り。然る説なり】さて籤字は。名義抄に。シルシとも。ホソシとも。竹ノクシともあり。凡て久志とは。物に刺立るを云れば。櫛又は串の類も同言なるなりと。重胤云り。○野槌は。上に出。野神に坐が故に。野薦を採せたるなり。重胤云。此御祈に被v用たりし限の。山野に出るは。悉くに此山(ノ)神野(ノ)神に。令v採られたる中に。此野(ノ)神に就て。殊に重きは。此五百箇野薦之八十玉籤にて。其用は。此次に明らめたるが如くなる。其專要たる方の一を。擧られたるにこそ有けれと云り。○野薦を林氏一本。(464)環翠軒本等に。篶に作るは非なり。然るに加茂翁説に。篶を薦と書る本は誤なり。【薦は菰の事なり。萬葉集に。眞薦《マコモ》刈大野川原之水こもりにと。詠るを思ひて思惑ふ事勿れ】と云て。訓をもスヽと改めたるは。中々に誤なり。本のまゝにてよろし。さて此字は。私記に野薦【須々支】と訓み。明應本鎌倉本秘閣本にも爪々キと訓り。【今本のスヽはキを脱したるなり】スヽキは荻《ヲギ》薄《ヲバナ》などの總名にて。其葉の亂れそゝけたるさまを云名なり。【この事は神功紀になほ委しく云。】さてこゝなるは薄《ヲバナ》を云ふなるべし。尾花を以幣とせし事は。ものに見えねど。枕册紙草の花はとある條に。あしの花さらに見所なけれど。みてぐらなどいはれたる心ばへあらんとおもふにたゞならず。とあるを思ふに。あしの穗も。を花の穗に似たるより。擬へてみてぐらと云しなるべし。そはひかにもあれ。薄の穗に木綿をとり付て。幣とせしなり。これを須受と訓はかにかくに誤なり。さてまた口訣に野薦《ヌスヽキ》者茅也。茂生以稱之とある。茅もスヽキに當まじきにはあらねど。茅は幣のさまに似つかず。なほ尾花なるべくおぼゆ。(薦をスヽと訓たること古書になし。萬葉集二の訓も誤なること。古義に云れたるが如し)さて坂樹も。野薦《ヌスヽキ》も。玉木綿種々の物を取掛る料にて。五百といひ。八十といふも。奉るものゝ。數の多きを云なるべし。
 
 
凡(ベテ)此(ノ)諸(ノ)物皆(ナ)來聚集《キツドヒヌ》。時中臣(ノ)遠祖天児屋(ノ)命。則(チ)以|神祝祝之《カムホザキホザキヽ》。
 
神祝々之。平田翁云。神は神議神集などの神にて。尊辭なり。富邪久は。今俗にも。同事を丁寧反復《クリカヘシヲリカヘシ》し言を。かく云事のあるは。古言の遺れるなり。【谷川氏も既く。或謂今俗不v愍v情而。盡(ヲ)v言(ヲ)曰2保佐久(ト)1。蓋祝之遺也。と云り】漢籍周禮に。大祝掌2六(465)祝之辭(ヲ)1と云ひ。字典に祝(ハ)丁寧也。請求之辭。とあれば。富邪久と云に祝字はよく當れり。【但今俗に。ホザクといふ言には。祝字の意はなし。只繰返しもの言やうの事。或は醉しれたる人の。繰言するなどをのみ云めればなり】さて富邪伎富邪久と。置たるに就て。餘の疊言の例を思ふに。神集々。神議々。神逐々。稜威之道別道別。などの類【この餘にも。全剥(ニ)々《ハグ》。根掘(ニ)々《コジ》。」神和々。なども。みな此例を押て辨ふべし○武郷云。かく重ねて云例。みな上は體言。下は用語なり】凡て集ひたる上にます/\集ひ。議れる上にも。なほ密に議れるなどを。合せて思ふに。此も其如くにて。富邪久と云は。反復《クリカヘ》し請祈ことには有れど。猶|丁寧《ネモコロ》に反復し。其事を祷白せる由にて。俊頼歌に。始なき罪のつもりの悲しさを。ぬかの聲々くどきつるかな。と詠るも。よく此に符ひて聞ゆれば。神に祷言を白すとしては。其言を反覆しつゝ。手拍ち額突き。拜むかずも限りなく。丁寧にするぞ。古の道なりける。と云り。偖こゝの所由に依て。後々までも。中臣の祝詞を掌る事とはなれるなり。
 
 
於v是日神方(ニ)開《アケテ》2磐戸(ヲ)1而|出《イデマス》焉。是時以(テ)v鏡(ヲ)入(レシカバ)2其(ノ)石窟(ニ)1者。觸《ツキフレテ》v戸(ニ)小瑕《スコシキズツケリ》。其|暇《キズ》於v今猶|存《ウセズ》。此即伊勢(ニ)崇秘《イツキマツル》之|大神也《オホミカミナリ》。
 
 
以鏡入石窟。此は紀に天宇受賣白言。益(リテ)2汝命(ニ)1而。貴(キ)神坐(ガ)故(ニ)歡喜咲樂(フ)。如此之言(ス)間。天兒屋命布刀玉命。指2出其鏡(ヲ)1示2奉天照大御神(ニ)1云々。とある時の事にて。大神の磐戸を。細めに見そなはす時に。疑ひ思召させ奉らむとて。御鏡を指出て。大神に示《ミ》せ奉るとして。其石窟の戸口に入れしなり。石窟(466)の内に入れしには非ず。故觸v戸とあるは。其よしなり。【上に方開2磐戸1而出。とあるは。此後の事なり。さるを出としも。上に云るは。まづ大神の出坐るまでの事をいひおきて。偖此時に云々の事ありしとて。御鏡の事を。語り出でたるなり】○觸戸。平田翁云。石屋に入るゝとて。戸に衝觸たるよしなり。此は大御神を。引出奉りて。復還入坐むことを。恐れ思ひて。尻久米繩を引亘しなど。あわたゞしく。爲つるまゝに。過りて。戸に突當たるにや有らむ。と云り。○小瑕。【本にコキズツケリと訓めり。されど】私記に。須己之支須津介利《スコシキズツケリ》と。【其他の古寫本どもに】訓るに從べし。【瑕は字書に。玉の疵を云よし。見えたり】磐戸に觸たらむには。瑕付ことあるべきなり。【此を以ても。大神のこもらしゝ石窟は。眞の石窟にてありし事を。知べきなり。たゞの宮ならむには。突き觸れたるばかりにて。瑕を付く事は。あるまじくこそ】○其瑕於今猶存。鏡に瑕の付たらむには。失するよしあるまじく。於v今猶存など。こと/”\しく記さでも。有ぬべく思はるゝに就て。熟按るに。此は瑕とは。御鏡に殘る瑕《キズ》の事にはあらで。其御鑑の破たる。御|缺《カケ》を白すにはあらざるか。さるは御鏡を。伊勢大宮に鎭坐せまつりし時に。其御缺をも添て納め奉りしこと知べし。【此御缺小瑕の事は。天徳御記にも見えて既に引り】さて後に。倭姫命の日本武尊に。御劔に付て授け奉れる火打は。即其御缺なり。と云ることありて。平田翁説に。後の物ながら。源平盛衰記に。三種靈釼事。と云條に。倭姫命の釼に付て給へる。彼燧と申すは。天照大神。我が御貌を。末の帝まで見せ奉らむとて。御鏡に移させ玉ひけるに。取落して破たるを。燧になし給へり。其燧を錦袋に入れて。劔に付られしなり。今世まで。人の腰刀に。錦の赤革を下げて。燧袋と云事は。是故なりとあり。【參考熱田縁起に。引たる鎭坐記にも。後號2此燧(ヲ)天火錐(ト)1。俗號2燧袋(ト)1。副2大小刀(ニ)1。其縁也。と見えたり】御鏡の損はれたるよしを。云る説こそ訛なれ。其燧をしも。御鏡の缺なりと云るは。正しき古傳の遺れるにぞ有ける。是にて。(467)挂卷も畏き。神鏡の眞鐵《マガネ》にて御坐す事を。辨知べしと云はれたる。げに然る言にて。此に其瑕とある。即其御缺の事ならむかと。おもひ奉らるゝなり。なほよく考べし。【重亂云。此御鏡はしも。次に祟秘(ル)大神とあるを似ても。古より誰かは見奉り知る事の有む。然るを此紀を撰成し玉へる。養老四年庚申より。年數凡二百四十年を經て。天徳四年庚申に。其小瑕の御坐る御有状を。見奉りて。其御記にも書《シル》され。世人の驚奇しみ奉るに付ても。神代の古傳の。信に疑ふべからざることをなん。知べかりける。斯る例はしも。なほ外にもある事なりと云れたり】かくて此に因《チナミ》に。此神鏡の眞鐵《マバネ》に坐す事を云べし。古語拾遺に令d石凝姥神(ヲシテ)取2天(ノ)香山(ノ)銅1以鑄u。とあるを。記には取2天(ノ)金山之鐵(ヲ)1而。求2鍛人天津麻羅(ヲ)1而。科2伊許理度賣命(ニ)1令v作v鏡とあり。銅鐵とある中に。何れ正説ならむと云に。鐵とあるぞ正しかりける。すべて上代の鏡。鐵を以造作れる例。皇太神宮延暦儀式帳。太神宮式。其他の物にも見え。今も現存せるがありて。いと慥かなり。【鍛人に命せて。造らせるにても。鐵なる證と云べし】平田翁説に。後世の人は。銅もて鑄造り。水銀すり著けて。光らしたる鏡を。常に目なれて在からに。拾遺に銅とあると。此御鏡の事ならねど。神代紀に。白銅といふ事もあるに依て。此神鏡をも。銅もて鎔造れるものぞと思ひ定めて。古へも今も。別なる論はある事なく。故鈴屋大人さへに。古事記傳に。取2天金山之鐵1。とある文を解きて。此は矛を作る料なる故に。鐵字をかけり。鏡ならば。鐵とは書じと言れたり。然れども。己早く想ひけらく。神世の始。高天原にて。白銅など云ふ合せ金を。作るべくも非ず。又眞の銅は。何に磨くとも。水銀|磨著《スリツケ》ずては。底なき如く。輝《ヒカ》る物に非ず。又水銀もて光らす態も。此時に爲けむ事とも思えねば。釼太刀など。よく※[石+刑]《ト》ぎたるは。物の形の眞澄《マスミ》に澄て映《テ》るを思ふに。御鏡は必眞鐵なるべし。直によく磨きて。鏡の如く。Rく金は。(468)鋼鐵《ハガネ》をおきて。何か有らむ。是ぞ神世の有趣なれば。記に鐵とあるが正説ならんと。思定めて。次々考ふるに。天津麻羅は。鍛冶の遠祖なるが。此神と。伊斯許理度賣命と二神にて。かの神鏡を鍛ひ造れる由なり。天堅石を取るとあるは。即其|質石《アテイシ》の料なり。然れば。拾遺に鑄とあるに泥むべきにあらず。殊に鑄(ノ)字は古く鑄v兵などゝ見えて。鍛ふる事にも用たり。【質石とは。所謂金床の古名なり】と云れたる。然る言なるべし。然れば。此神鏡の鐵なることは。たがひあらじかし。○伊勢崇秘之大神。丹鶴本元々集所引本。秘を祠に作るは。中々に非なり。さるは重胤云。崇秘字を。所祭に當て被用たるは。餘社にては神靈を齋祭る方を。主と云るを。神宮にて。神體と持齋奉らせ玉ふ。大御鏡はしも。掛まくもかしこき。皇大神の御孫尊に。此の齋鏡を事依し奉らせ玉へる御時に。吾兒視2此寶鏡(ヲ)1。當v猶v視v吾。同床共殿。以爲2齋鏡1。と宣玉ひて。皇大神の現御前を。仰視奉らせ玉ふが如く。同(ジ)大殿の内に。大坐々しめ奉玉ふべき。天津御璽の齋鏡に御在し坐が故に。深く崇敬ひ奉りて。秘藏《ヒメヲサ》め奉らせ玉ふ意味にし有ければ。崇秘の字は。神體に就て書るにて。其能當れるなり。さて國を伊勢と名けし由は。風土記云。神武天皇時。國有v神。名曰2伊勢津彦1。詔取2國神之名(ヲ)1。號曰2伊勢1。とあり。名義は詳ならずとあり。さて此御鏡。皇御孫命の御天降の時に。授奉玉ひしより。歴世の天皇。同殿に齋(キ)祭(リ)玉ひ來しを。崇神天皇御世に。別處に祭給ひ。それより伊勢に遷幸しゝは。垂仁天皇二十五年の紀に見えたり。偖大宮は。式に伊勢國度會郡大神宮三坐。【相殿(ニ)坐(ス)神二坐並大預2月次新嘗祭1】とあり。【相殿坐神の事は。下卷の一書の下に出。】
 
 
(469)已(ニシテ)而|科《オホセテ》2罪於素戔嗚尊(ニ)1。而|責《ハタル》2其|祓具《ハラヘツモノヲ》1。是以(テ)有2手端吉棄物《タナスヱノヨシキラヒモノ》。足端凶棄物《アナスヱノアシキラヒモノ》1。
 
 
已而云々。責2其祓具1。重胤云。此解除の大抵は。正書と此と大凡の樣は同くして。又聊(カ)物に依て。精粗あるなり。此に科2罪於素戔嗚尊1。而責2其祓具1。とあるを。正書に。然後諸神歸2罪過《ツミヲ》於素戔嗚尊(ニ)1。而科之以2千坐置戸1。遂|促徴《セメハタル》とありて。其方委曲なるに似たり。然れども。此祓具は其千坐置戸に置べき器にして。上に載る物を云と。上に敷く臺を云と。其事同じからざれば。互に照應せて。曉るべき所なるなり。其祓具と云は。次に手端吉棄物。足端凶棄物。亦以v唾(ヲ)爲2白和幣(ト)1。以v洟《ハタリ》爲2青和幣(ト)1。とある。此を云。正書には唯に拔2其手足之瓜(ヲ)1贖(フ)之と有て。其吉棄物凶棄物の稱なきを。第三一書に。以2手瓜1爲2吉棄物(ト)1。以2足爪1爲2凶棄物1。とあるは。此と共に其正を得たりと云べし。偖此吉棄物凶棄物の二は。謂ゆる惡解除《アシハラヘ》善解除《ヨシハラヘ》の本なり。其惡解除と云は。罪穢の有に就て。其|祓具《ハラヘツモノ》を科《オホ》せ責《ハタ》りて。其罪過を清めしむるなり。善解除と云は。其とは異にて。中古に謂ゆる。清祓《キヨメハラヘ》と云る是にて。此は然《サ》せる罪犯の無らむにも。神事に仕奉るには。先解除の事をして。家をも身をも。清むるを云なり。又其罪犯ある人には。右の吉凶(ノ)二祓を。令v行(ハ)る例と聞えて。此に己に手端吉棄物。足端凶棄物の。御事おはしまし。又履中天皇五年。車持《クラモチノ》君罪ありければ。負《オホセ》2惡解除善解除(ヲ)1。而|出《イデヽ》2於|長渚《ナガスノ》崎(ニ)1。令2祓禊1云々。とあるなど(470)是なり。又延暦二十年格に。承前神事。有(テ)v犯科v祓贖(フ)v罪(ヲ)。善惡二神|重《カサネ》2科(ス)一人1とありて。善惡二共に重ねて。令v行らるゝよし見え。皇太神宮年中行事。二月十二日條に。惡祓勤仕。次吉祓勤仕。御麻奉(ル)。とあるが如く。先惡解除を成して。罪過を祓(ヘ)。次に善解除を行ひて。家身《イヘミ》を清むる事と見えたり。釋(ノ)述義にも。凡解除之道。必有2兩種1。吉凶是也。吉解《ヨシハラヘ》者。是招2祷吉事(ヲ)1也。凶解《アシハラヘ》者。即除2却凶事(ヲ)1兼招2吉事1也。吉解(ハ)是(レ)貴。故用2手爪1。凶解(ハ)亦賤(シ)。故用2足爪1也。解除之道。欠v一不v可也。故兼2用吉凶二解1也。と云り。信に然る事也。纂疏にも。右は據て。凡解除之事。有2吉凶二道1。吉(ハ)招v福凶(ハ)攘v禍也。人之體(ハ)手貴(ク)足賤(シ)。故爲2吉凶之表物(ト)1即祓具也。と書せたまへり。口訣にも。諸神責2贖《アガヘツ》物(ヲ)1。素戔嗚尊以2手足之爪1。爲2善惡之置戸(ト)1。云々と見えたり。是の吉棄物。凶棄物。即惡解除善解除の本これなり。【但此時の手足の爪は。吉棄物凶棄物と成れゝども。今しも解除に。手足の爪跋棄て。惡祓善祓と成には非ず。此事に始りて。惡解除吉解除と云事の。出來起れる者と。心得べし】かくて祓具の事は。天武天皇五年八月。詔曰。四方爲2大解除《オホハラヘ》1。用(ル)物則。國別(ニ)國造|輸《イタセ》2祓柱《ハラヘツモノ》馬一匹布一常1。以外(ハ)郡司各刀一口。鹿皮一張。钁一口。刀子一口。鎌一口。矢一具。稻一束。且毎v戸麻一條。又十年七月。令2天下悉大解除1。當2此時1。國造等各出2祓柱奴婢一口(ヲ)1而解除。と見えたる。其祓柱を輸すに。後に大上中下の差等あり。但此は右の如く。天下の大祓には非で。神事に預れる人の。犯罪あるには。此を科せて。令v祓玉ふなり。其は類聚三代格に載れる。延暦二十年五月十四日の。太政官符に。定2准v犯科1v祓事。一。大(ノ)祓(ノ)料物二十八種云々。一。上(ノ)祓(ノ)料物二十六種。一。中(ノ)祓(ノ)料物二十二種。一。下(ノ)祓(ノ)料物二十二種云々。是大上中下と。四等の祓法(471)を定めさせ玉ひて。祓(ヘ)柱《ツモノ》を輸さしめ玉へる制度なり。右の大(ノ)祓(ヘ)の細書に。承前惡祓料物。准v此重輸。今除2一(ノ)祓(ヲ)1。下條亦同と有は。犯罪に依て科するには。必善惡二祓。共に右の員數の如く。同じく重ねて。令v輸るを。今一(ノ)祓を除かるとなり。其は下に。承前神事。有v犯科v祓贖v罪。善惡二祓。重2科一人(ニ)1。修例已繁。輸物亦多。事傷2苛細(ニ)1。深損2黎元(ヲ)1。仍今弛張立v例。とあれば。右の如き犯罪ある者にも。惡祓の一を除きて。唯善祓のみの。料を輸さしめ玉ひて。其祓物を弛め。其犯罪重く。甚しきに至りては。別に律に依て。科决《ツミ》なはせ玉はむとなり。此より其惡祓の事は停められて。决罸の事多く出來て。後には六月十二月晦(ノ)大祓。又は神事の清(メ)祓などの如く。差せる事も无きに。行はるゝ善《ヨシ》祓のみ。盛に行はるゝ事と。成以來《ナリモテキ》ぬるものなり。故其大上中下の祓を科せ玉ふ状は。四時祭式に大祀中祀小祀の三等ある。其大祀の違例には。大祓を科せ。中祀の欠怠には。上(ノ)祓を科せ。小祀の犯罪には。中(ノ)祓を科せ。神戸百姓に事有には。下(ノ)祓を科せらるゝ。大凡の御定なり。【然れども。其は大凡の法にして譬へば大祀ならずと雖。其犯罪の重きには。大(ノ)祓を科せらるゝ如き。時機の御政。御在ます事と所見たり】さて正書に。科之以2千坐置戸1。と有には。此祓具の事を畧かれたるを。此には其千坐置戸を云ずて。唯に貴2其祓具1。と有も。事足ざるに。第三一書に。即科2素戔嗚尊(ニ)千座置戸之解除《チクラオキトノハラヘヲ》1。とみえたるは。殊に委しく調へる者にして。其解除を科するなん。即其祓具を課せ奉れるなりける。【其は右に引る。官符を始めとして。諸書に科2大(ノ)祓1。又は科2上(ノ)祓1。又は科2上中之祓1。又は科2中(ノ)祓1など云るは。其大上中下の差に就て。其祓具を負せらるゝなり。】と云り。○是以云々。又云。是以有2善解除惡解除1。と云に同じくして。其是以と云は。右に出たる。其祓(ヘ)具の事なるが。其責りつる祓具を。二(472)に成して。其一分は。善解除と成し。其一分は。惡解除の料と。成したる趣なり。其は上に出せる。延暦官符大(ノ)祓料物二十八種の細書に。承前惡祓。料物准v此重(ネ)輸(ス)。今除2一祓(ヲ)1。下條亦同。と有て。右は善祓料物なるに。又右の外に。善祓料物二十八種有て。同じく共に重(ネ)輸す事にて。其料各二十八種なりけるが。善惡二を合せて。總て五十六種なる由なり。其上中下の祓も。此に准て。重輸すとなり。其下に。承前神事。有v犯科v祓贖v罪。善惡二祓重2科一人1。とあるにて彌明けし。【然れば。此なる是以は。右に責2其祓具1とある。其祓具を中分して。善惡二祓の料物に成せる由を。明らかに爲むとて。次なる用v此云々に。相並び對ふ所にてあるなり】と云り。○手端吉棄物。足端凶棄物。第三一書には。以2手爪1爲2吉棄物(ト)1。以2足爪1爲2凶棄物(ト)1とあり。手端足端は。記【崇峻】に手末之調とある記傳に。手末和名抄遊仙窟云。手子。師説云|太奈須惠《タナスヱ》。とあるによらば。たゞ手に云事なれども。此は末《スヱ》と云るを。重く見るべし。俗言に手さきと云に同じ。とあり。足端も。此に同じ。さるは爪は。手足の端《スヱ》にあるものなればなり。尚次に云。偖吉凶は。重胤云。吉は清き意。凶は穢き意なり。喪服を凶服と云ひ。其を除きて常に復《カヘ》るを。吉服など云る。吉凶是なり。かの伊弉諾尊。黄泉國の穢に觸させ給へる御衣を。脱棄させ玉へる。即此なる凶棄物に當れるを以知べし。と云れたる。信に然説なり。【武郷此説に付て。なほ考るに。彼檍原(ノ)段なる。伊弉諾尊の。御目の穢惡。即御涙なるべし。御鼻の穢惡は即鼻汁なるべL。其を洗棄させ玉へる。即此なる吉棄物に當るべし。さて其吉棄物を出て。祓へ玉へる。清淨き御體に。善神の成出玉へるにて。善祓のさまを知るべし。】さて棄《キラヒ》物は。記傳云。是は犯重くして。深き穢なれば。持賜へる物を。みなから棄ても。猶清まり果ざる故に。其御身に生たる物までを。拂ひ棄て。清むるなり。されば棄る物は。皆|穢垢《ケガレ》なる故に。伎羅毘《キラヒ》物といひ。(473)棄物とかゝれたるも。此意なり。後世に人形を造て流すも。穢れたる身禮をば。さながら棄て。清きにかふる意なり。とあり。此説に就て猶考るに。棄物は祓物と云に同じく。罪穢を。祓棄る料の具に用しよりの名目なるべし。されば拂棄て。清むる意なるべし。【なほ伎良比と云言の。棄ると同意なるよしは。續紀詔詞に。伎良比賜(ヒ)棄賜(フ)云々。又捨岐良比賜天之云々などあるにて知べし】
 
 
亦以(テ)v唾《ツバキヲ》爲(シ)2白和幣《シラニギテト》1。以v洟《ヨダリヲ》爲2青和幣《アヲニギテト》1。用(テ)v此《コレヲ》解除竟《ハラヘテ》。遂《ツヒニ》以|神逐之《カムヤラヒキ》理逐之。送糞。此云2倶蘇摩屡(ト)1。玉籤。此云2多摩倶之(ト)1。神祝々之。此云2加武保佐枳保佐枳々(ト)1。祓具。此云2波羅閉都母能(ト)1。手端吉棄。此云2多那須衛能余之岐羅※[田+比](ト)1。逐之。此云2波羅賦《ヤラフト》1。
 
 
唾爲白和幣。洟爲青和幣。和名抄切韻云。唾(ハ)口中津也。和名|豆波岐《ツバキ》。字書云。洟(ハ)鼻液也。和名須々波奈《スヽハナ》とあり。洟は鼻多里なるを。古く與太利と訓るは。いかにと云に。通證に字書洟爲2鼻液1。倭名抄亦云2須々波奈(ト)1。今人謂2口液1爲2與多利1。蓋與v古異也。と云るが如く。古くは鼻液を與太利と謂しなりけり。纂疏にも自v鼻曰v洟とあり。【名義抄字鏡集などに。洟をスヽハナ。又ヨダリ。又ナミダ。又ハナタリ。又ナク。又ハナスヽリ。などよめるを以て。鼻液にも。與太利の訓あることを知べし。然るを重胤説に。唾をも洟をも口中の液とし。字書に自v鼻曰v洟と有ても。私記に。字を棄て。意を取べく云へれば。此は唾と相並べる洟は。全く津頤《ヨダリ》なりと云れしは。信られず。青和幣と爲られたるにても。鼻液にてこそは叶ふべけれ。さるを與多利は。青垂の義ぞなど。云(474)れたるは。太しき強言なり】さて言意は。與は。物をさくり上るさまを云る語なるべし。榮花物語【浦々のわかれ】に。さくりもよゝになかせ給ふ。源氏物語に。しつくもよゝにくひぬらし給ふ。とあるにて然通ゆ。さらば。萬葉四に百年爾老舌出而與余牟友《モヽトセニオイジタイデヽヨヨムトモ》とあるは。口液のさくり上ても。又垂れ出る状をいひ。與々と泣と詠るは。さくり泣する状を。云るなるべし。【徒然草に酒を出しぬればさしうけさしうけよゝとのみぬなどもあり】されば。鼻液のすゝりても。又垂れ落るをも。古は與太利と。云しなるべきなり。○用此解除竟は。解除の事竟て。次に素戔嗚尊を。處分する所なり。若て其解除の所作と云は。第三一書に。乃使3天兒屋命(ヲシテ)掌2其(ノ)解除《ハラヘ》之|太諄辭《フトノリトゴトヲ》1而宣之焉。とある是にて。大祓詞に。所見たる所の所作を。行ひ玉へるを云なり。【此事第三一書の下に云り】○神逐之理逐之〔三字右○〕。理逐之(ノ)三字。决めて衍なり。【さま/\に言痛き説どもあれど。みな上古の意にあらず】此は本は。神逐之神逐之。と重ねて寫し謬りたる。下の神字を。また理に寫|誤《ヒガ》めて。遂に今本の如くなりたるなり。其は訓注に。逐之此云2夜羅賦1とあるにて。然知らるゝなり。もし理逐之(ノ)三字。本よりありしものならんには。必其訓注ありぬべきなり。思ふべし。○神祝々之云々の注十五字。本は混れて。手端吉棄云々の下に入たり。今は纂疏本及水戸本に所引或校本に。玉籤云々の下に入たるに從ふ。さて此注類史本には。最後の枳字なし。【丹鶴本も同】其は辭《テニヲハ》なれば。なき方まされり。又纂疏本には。加武保佐枳仁保佐倶。とあり。此は然るべし。○逐之此云2波羅賦1。波は夜の寫誤なるべし。と云り。决て然る言なり。
 
 
(475)日本書紀通釋卷之十       飯田 武郷 謹撰
 
〔第三一書〕
一書曰。是後(ニ)日(ノ)神之|田《ミタ》有2三處《ミトコロ》1焉。號(テ)曰(フ)2天(ノ)安田《ヤスダ》。天(ノ)平田《ヒラタ》。天(ノ)邑并田《ムラアハセダト》1。此皆良(キ)田(ナリ)。雖v經《アフト》2霖《ナガメ》旱《ヒデリニ》1。無(シ)v所(ロ)2損傷《ソコナハルヽ》1。其《カノ》素戔嗚(ノ)尊之|田《ミタ》亦有2三處1。號(テ)曰2天(ノ)※[木+織の旁]田《クヒタ》。天(ノ)川依《カハヨリ》田。天(ノ)川口鋭《カハクチト》田(ト)1。此皆|※[石+堯]地《ヤセドコロナリ》。雨(フレバ)則(チ)流(レヌ)之。旱《ヒデレバ》則(チ)焦(ケヌ)之。
 
 
是後云々。此は前の瑞珠盟約章の本書に。於是素戔嗚尊請(テ)曰。吾今奉v教(ヲ)將v就(ムト)2根國(ニ)1。故欲d暫向2高天原1。與v姉相見。而後永退(ラムト)u矣。勅許v之。乃昇2詣之於天(ニ)1。とある文よりつゞけ見るべし。さならでは。前後通えぬ文となれり。されどこゝに。素戔嗚尊の高天原に昇まして。暫く住給ふ事ありて。さて是後日神之田云々。とあらまほしきなり。【重胤云。此に最後日神之田有2三處1。云々とあるは。正書に是後素戔嗚尊之爲行也。甚無状。何則。天照大神以2天狹田長田1爲2御田1云々。とあると。文勢全同状なる所なれども。等しからず。此傳の趣にては。瑞珠盟約章の御事は。復上らせ玉へる時の事と爲たれば。正書の其章より續たるとは。一に在べからず。然れば此の是後は。素戔嗚尊の天に上詣り坐し後。と云ふ事にてあるなり。と云れたる然事なり】さらではこゝに忽御田の出たる。あまりゆくりなきやうなり。さて此一書はしも。有が中にも委しく有て。他傳々には漏たる。愛たき事共なん多くあるを。其に合せては。又混淆なる事なきに非ず。誤とおぼしき(476)事ともゝあるを。其は次々に云を見べし○安田は。口訣に。安田(ハ)農業便安(ナル)也とあり。重胤云。此は下の※[木+織の旁]《クヒ》田。川依田。口鋭《クチト》田。などの農業の爲に。便惡しきに對へて。安穏にして。能く穀の實る故に。耕作に力を勞《ツカ》らさゞるに。因たる稱也けりと云り。○平田。大神宮禰宜譜圖帳に。二所皇大神乃。横田平田乃稲(ノ)實波。朝(ノ)御氣《ミケ》夕(ノ)御氣止。平介久とあり。口訣に平田無2凹凸1地也と注る如く。高下なく。眞平なる地を云か。また按に。安も平も。何となき美稱にて。良田をかく名けしにや。○邑并田。直指に田地廣大。諸(ノ)邑|會《アハセ》耕(ス)之謂。とあり。【履中紀に村合《ムラハセノ》屯倉といふあり。重胤云。此は幾村をも并せ兼たる。屯倉の謂なり】又按ふに。并は奈美とよみて。邑并《ムラナミ》田ならんか。村并《ムラナミ》とは。村に并《ナラ》びたる田を云なるべし。○霖。倭名抄に奈加阿米とあれど。ナガメとよむ方古言なるべし。【古くナガアメと訓るも見えたり】さて天上にも。晝夜の相代るあり。春秋の來經あり。三年八年等の文も徃々あれば。霖旱あること。疑ふべからず。【なほ此事は。已にも云る所あり】○※[木+織の旁]田。※[木+織の旁]は杭《クヒ》なり。木(ノ)根などを云。【通證に。久比與2串《クシ》株《クヒゼ》釘《クギ》※[木+窄]《クサビ》等1其義通。と云れたり】重胤云。※[木+織の旁]は株《キリグヒ》多くして。農の便利惡しきにて。天安田の反なり。記に苅杙《カリグヒ》。字鏡に※[木+工]支利久比。名義抄に。株久比世などあり。萬葉十六法師等が鬢《ヒゲ》の剃杭《ソリクヒ》云々。何れも久比と云言皆同じ。と云り。○川依田。又云。川|倚田にて。歌詞に謂る川|傍《ソヒ》田是なり。纂疏に其地近2於大川(ニ)1。故曰2天(ノ)川依田(ト)1。と注させ玉へるが如し。次に雨則流(レヌ)之と有るも。此田に係たる言にて。其地川傍なれば。雨降る毎に。川より水の溢れ入て。流れ損れ易き由の名なるべし。と云り。○川口鋭田。本に川(ノ)字なし纂疏にある宜し。川口より。水の鋭く落ち入て。生立わろく。且流れ易き田を。云なるべし。【纂疏に。水口急而(477)動2漂其他1。故曰2天(ノ)口鋭田(ト)1。とあり】○雨則流之云々。通證に。今按川依田。多2水患1也。口鋭田有2旱害1也。と云れたれど。此は此二の田を取出て。云るにはあらじ。たゞに大方|※[石+堯]地《ヤセタルトコロ》の有状を。云るなるべし。
 
 
故(レ)素戔嗚尊|妬《ネタミテ》害《ヤブル》2姉《アネノミコトノ》田(ヲ)1。春(ハ)則|廢渠槽《ヒハカチ》。及|埋《ウメ》v溝《ミゾ》毀《ハナチ》v畔《ア》。又|重播種子《シキマキス》。秋(ハ)則(チ)挿《サシ》v籤《クジ》伏《フス》v馬(ヲ)。凡(テ)此惡(キ)事|曾《カツテ》無2息《ヤム》時1。雖v然(レ)日(ノ)神不v慍《トガメタマハ》。恒(ニ)以(テ)2平恕《タヒラカナルミコヽロヲ》1相容《アヒナダメタマフ》焉|云々《シカ/”\》。
 
 
妬害姉田。姉字を畏庵隨筆本に。良に作る。さる本も有し證は。後の物ながら。神祇百首に。忘れても樋放ち勿爲《ナセ》そ久方の。天の良田《ヨキタ》の御種浸す頃。と詠るにて知られたり。其方ぞまさりたるべき。重胤云。妬は哭痛なり。他人の吉事を見て。心に羨やみて自苦しむなり。名義抄ネタム。ソネム。アラソフ。モノネタミ。ウラヤム。とも訓り。と云り。○廢渠槽。大祓詞に樋放とあり。【儀式帳世記も同じ】後釋に。樋は溝にまれ池にまれ。搆へて。常には板もて塞て。水を貯へ置て。其水を田に引用べき時に。彼板の塞をば放つ事なるに。水の用無き時に。放ち漏して。田に水を溢れしめ。且用ある時の畜はへを。失はしむるなり。とあり。さて廢を波鵝都と訓は。放と大凡相近き語なり。萬葉二十に。阿加胡麻乎夜麻努爾波賀志刀里加爾弖《アカゴマヲヤマヌニハカシトリカニテ》。云々山野に放しなり。重胤云。第二一書にも。春則|填《ウメ》v渠《ミゾ》毀《ハナチ》v畔《ア》。とも云ひ。(478)此にも春則|廢渠槽《ヒハカチ》及埋v溝毀v畔と有れば。春は畔の水口を塞きて。田に水を漑《マカ》せ。又池塘の※[木+威]《ヒ》を塞きて。水を畜ふる時なるを。畔を切り。※[木+威]を拔て。農作る便理を失はしむるなり。【廢を波鵝都と云は。吐棄《ハキスツ》と云義也。今世にも。池川の水を通去(ラ)しむる事を。ハガスとも云ひ。又は水吐の可否を云るは。共に此古言の遺れるなり。然れば放と廢と近き中にも。放は※[木+威]を開る方に。去と係り。廢は水を通す方に。專係れるにて。末は同(ジ)致に成れり。名義抄に。廢をヤムとも。スツとも。ソツとも。ハナツとも。スタルとも。シリゾクとも。種々に訓り】と云り。○挿籤。祝詞に串刺とあり。重胤云。考云。串を多く隱し刺て。下《オリ》立難から令るなり。※[木+織の旁]串同じ事なり。泥中に※[木+織の旁]串の多く有る田に下立(テ)ば。足を害ふなり。今も其田には。杭串有るなりと云て。田人は心|爲《ス》れど。猶誤て。悩む類多し。【此に挿籤を。秋に就て云るは。文に春と秋とを對へて云るなり。古事記にも。紀本書にも。分て云る事なし】と有り。【以上採要】然るを拾遺に。素戔嗚尊奉2爲日神1。行甚無状。種々凌侮。云々刺v串【古語久志佐志】云々と有て。如v此天罪者。素戔嗚神。當2日神耕種之節(ニ)1。竊往2其田1。刺v串相爭。とあり。此等を合せて思ふに。頻蒔《シキマキ》串刺の二條は。上なる畔放。溝埋。樋放など。田を耕る害を爲には非で。其田を爭ふなり。然れば。頻蒔も。私記に有2田夫1既|播《ホドコシテ》2穀種1而後。他人重(ネテ)下v種也。と云る如く。人の種を播たる上へ。我種を下して。其種の類を以て。人の耕れる田を。我有と爲て爭ふなり。又此串刺も。口訣に挿籤者奪2人畔(ヲ)1立(ル)2己(ガ)※[片+錢の旁](ヲ)1也と云ひ。纂疏に。今世所謂田札也と宣へるなり。先には信從(ハ)ざりしかども。今思へば。寔に其如くにて。秋に至て。稻實の熟して。漸々苅納る期に臨て。己が※[片+錢の旁]《シルシ》の籤を挿て。其主に令v收(メ)ざるなり。【かく見れば天※[木+織の旁]田の攝と違へり。其天※[木+織の旁]田は杭多き田にて。此の串刺と異なる事今説るが如くなり】と云り。さて此に疑はしき由あり。其は素戔嗚尊の。高天原に昇坐るは。天照大神に永く別れ給はむ爲の。御暇白(シ)に上坐るなり。故本書に欲3暫向2高天原1と(479)ありて。永く坐ませる趣とはきこえぬを。此に春則云々。秋則云々と。あるだにいかゞなるを。御自の御田をさへに。作給ふよし見えたるは。いかなる事にか。何故に暫と言ひし物を。かくは永居し玉ふにかあらむ。いとおぼつかなき心ちす。○曾は。姑且《シバラク》の義なり。記萬葉古今等の歌に。加都又加都※[氏/一]。又加都賀都。などある。共に同語なり。○云々は。纂疏に略v事之詞也。重胤説に。讓2他書1畧v事之詞。他傚v此とあり。重胤云。正書と一書と。互見すれば。相知らるゝ事なるが故に。此處も已に上に載たる。同(ジ)趣なる事を讓りて。再云はざるを以。云々の字を用られたる者なり。偖此に云々と云るは。即新嘗神衣の二事になん有ける。通證に云々(ハ)爾々《シカリ/\》也と云り。實に然有《シカアリ》然有《シカアリ》の言の。切まれる者と所見たり。と云り。
 
 
至3於日神(ノ)閉2居《コモリマスニ》于天(ノ)石窟(ニ)1也。諸(ノ)神(タチ)遣《マダシテ》2中臣(ノ)連(ノ)遠祖|興台産靈《コゴトムスビノ》兒。天(ノ)兒屋(ノ)命(ヲ)1。而使(ム)v祈《ノミマヲサ》焉。
 
 
諸神遣。此の遣を。發遣の義と見たる説は。餘り穿ちたり。たゞ命令の義と。大凡に見て。害なかるべし。○興台産靈。名義未詳。神代系紀に。津速魂《ツハヤムスビノ》尊兒。市千魂《イチヽムスビノ》尊兒。興登魂《コトムスビノ》命とあり。姓氏録【藤原朝臣條】にも。津速魂命三世孫と見えて。よく符へり。さて給遺に。神皇産靈神。是皇(ガ)親神留彌命。此神(ノ)子天兒屋命。即中臣朝臣祖也。と有れども。言餘抄本には。津速産靈神。云々即中臣朝臣祖也。とある(480)方正し。【右の市千魂命を。また天相命とも申すことは。姓氏録山城に。呉(ノ)公天相命十三世孫。雷大臣《イカツオミ》命之後也。とある雷大臣命は。左京中臣(ノ)志斐《シヒノ》連(ハ)天兒屋根命十一世孫。雷大臣命男。弟子之後也。と所見たるを。藤原系圖に據て考るに。信に右の如く天兒屋根命の十一世孫なれば。其十三世祖は。天相命に當れり。然れば雷大臣命の十四世(ノ)祖は。津速産靈神にて。天相命は其子に坐し。天兒屋根命には。祖父に坐事灼然し。と平田翁の説なり】さて藤原系圖に。天津兒屋命。本系帳云。興登魂《コヾトムスビノ》尊娶2玉主《タマヌシノ》命之女。許登能麻遲《コトノマチ》媛(ノ)命1。所v生と見えたり。【姓氏録左京。畝尾連(ハ)天(ノ)辭代《コトシロ》命子國(ノ)辭代命之後也。とあるを。また畝尾連大中臣朝臣同祖。天兒屋根命之後也。とあるに合せ考て。平田翁説に。天辭代命を。興台産靈神に。國辭代命を。天兒屋根命の別名と定められたるは。さる事にもやあらん。さらば。此(ノ)興台産靈は。辭《コト》産靈にて。所謂|言靈《コトダマノ》神に坐まして。其言辭を掌どらせ玉へる神ならむかと。おぼしきよしあり。また許登能麻遲媛命の。許登にも由あり。天兒屋命の御名義|言綾根《コヤネ》ならんと云る説に。考合すべし。】
 
 
於是《コヽニ》天兒屋命|掘《ネコジニシテ》2天(ノ)香山之眞坂木(ヲ)1。而|上枝《ホツエニ》懸《トリカケ》2以鏡作(ノ)遠祖天(ノ)拔戸《ヌカトノ》兒。石凝戸邊所作《イシコリトベガツクレル》八咫鏡(ヲ)1。中(ツ)枝(ニ)懸《トリツケ》2以玉作(ノ)遠祖伊弉諾(ノ)尊(ノ)兒。天(ノ)明玉所作《アカルタマノスレル》八坂瓊之曲玉(ヲ)1。下枝《シヅエニ》懸《トリシデヽ》2以|粟《アハノ》國(ノ)忌部《イミベノ》遠祖天(ノ)日鷲所作木綿《ヒワシガハケルユフヲ》1。
 
 
掘。本に握に作る。今永和本また類史元々集に據て改む。○上枝懸云々八咫鏡。上枝に鏡を懸たり。とあれど。此は記に。中枝に著たりとあるぞよき。拾遺にも。中枝懸v鏡とあり。○石凝戸邊所作八咫鏡。本に石を己に誤る。釋紀に石とある本あるよしなれば改むべし。【されど予はいまだ。さる本を見たる事はなし】さて神宮雜例集に引る。神宮記に。件鏡者云々。天地開闢之初當(ニ)於《ニ》2高天原1天《テ》。鏡作(ノ)神乃遠祖。天(ノ)香山命乃八百萬皇神達(ト)共爾。(481)以v銅天。鑄造之神鏡也云々。とあるによらば。石凝戸邊の亦名。天香山命とも云しにや。又上の一書には使2鏡作部(ノ)遠祖天糠戸者造1v鏡。とあれば。天香山命は。天糠戸命の亦名にてもあるべし。父子のうちいづれとも。今定めがたし。【平田翁は。石凝姥命の亦名と定められたり。何れにしても。石凝姥命の女神にあらぬ。證とは成るなり】○天明玉。此神の事は。一書玉作部遠祖豐玉の下に云おけり。こゝに伊弉諾尊兒とあるは。さるべき傳也けり。○粟國忌部。粟は阿波國なり。拾遺に。天日鷲命(ハ)阿波國忌部祖也。とありて。神武天皇條にも。天(ノ)富《トミノ》命。率2日鷲命之孫1。求2肥饒地(ヲ)1。遣2阿波國(ニ)1。うえる殖2穀麻《ユフアサノ》種1。其裔今在2彼國1。當2大嘗之年1。貢2木綿麻布及種々物(ヲ)1。所3以郡名爲2麻殖之縁也。と見えて。式に阿波國麻殖郡忌部神社。【名神大月次新甞。或號2麻殖(ノ)神1。或號2天日鷲神1】とあり。其裔今在2彼國1とは。續紀神護景雲二年七月。阿波國麻殖郡人。外從七位下忌部連方麻呂。從五位上忌部連須美等十一人。賜2姓宿禰1。大初位下忌部越麻呂等十四人賜2姓連1。と有が如く。其一族彼國に甚々榮えて有ければ。其等を指て云なり。神祇伯仲資王記に。建久五年六月十二日辛丑。阿波國忌部久家。還2補氏長者(ニ)1。角凝魂《ツヌコリムスビノ》命之後也。なども有て。其氏族の滋蔓《ホドコ》りて。多在りし故に。其氏人の中にて。長者を補せられたる事と見えたり。然れば此頃までもなほ。此御社は榮え坐けるを。今は甚く衰へましぬときく。甚歎かはし。【此忌部氏人。今も麻殖郡種野山|三木《ミツキ》村と云處に。いと類ひろくてあり。古き文書ども數十通持り。往古大甞祭の時。麁服(ノ)神衣を織進ずる所の。忌部氏を。御衣人《ミソヒト》と云。上蕃する忌部を。御殿人《ミアラカンド》と云しとて。今に其稱呼を存せり。拾遺に所謂。本國忌部氏の一家にして。其所在(ノ)地を。三ツキ山と云ひ。氏を三木と云も。みな貢調の義なれば。なほ村邑の名も。此義より起れる事疑なし。中世本系帳家譜を失へりと云。惜むべしと。小杉※[木+媼の旁]邨がいへりき。】さて又拾遺に。天富(482)命更求2沃壤(ヲ)1分2二阿波齋部1。率往2東土(ニ)1。播2殖麻穀(ヲ)1。好麻(ノ)所v生故謂2之|總《フサ》國1。穀木所v生。故謂2之結城郡1。阿波忌部所v居。便名2安房郡(ト)1。【今安房國是也】東國の安房國も。其本は阿波國忌部より出しこと。此文にて知られたり。○天日鷲。姓氏録。左京多米連。神魂命五世孫。天日和志(ノ)命後也云々。【右京多米宿禰。大和田邊宿禰。攝津多米連の條も。此に同じ。】右京天語(ノ)連。縣犬養宿禰同祖。神魂命七世孫。天(ノ)日鷲命之後也。【七は五の誤か】また左京弓削宿禰條に。高魂命孫。天(ノ)日鷲|翔矢《カケルヤノ》命之後也。【河内弓削宿禰も同じ】とあり。天(ノ)日鷲翅矢命も同神と通えたり。【神魂命を。高魂命とあるも。拘はるべからざる事。既に云るが如し】さるは。此神弓削氏の祖と坐すを以て考るに。弓を削り。また矢を鷲の羽もて作けん故に。日鷲とは名に負しけん。此を別神としては。弓削氏の祖にて。日鷲と云名は通えたれど。木綿を作れるには。更に通えぬ名義なり。さて上に引る阿波國忌部久家は。角凝魂命之後と見えたる。其角凝魂命は。姓氏録に。山城國税部。神魂命子。角凝魂命之後也とあり。されば日鷲命は。角凝魂命四世孫にあたるべし。安房國忌部系譜と云ふものに。日鷲命(ノ)子|大麻《オホアサ》比古命。其子由布津主《ユフツヌシ》命。此神東土に到坐る時に。有2奇異鳥1。而翔2大空1。金色(ノ)羽輝v日而如2火電1矣。其鳴聲答2於山川1。而地震矣。故人悉恐戰而逃惑。於v是由布津主命。思2靈物(ト)1也矣云々。爾時神看v人告v之。吾是日和志翔矢神也。吾於2此國1欲2鎭坐1云々。令2鎭坐拜祭1。而奉v稱2松原神社1。とあれば。かの奇異鳥の。日に輝きたるを以。日鷲とは申せる由なり。されど此系圖も。頓(ル)には信がたき書なれば。參考に備へおくべし。【なほ此神の裔は。多米宿禰。大掠置始連等もあり。さて。式に阿波國板野郡大麻比古神社名神大。御在し坐を。神祇官永萬記に。阿波國一宮大麻社とあり。然るに又かの忌部系圖を見るに。天日鷲命娶2后神言苫比賣命1。其子三人あり。長子大麻比古命。又名津咋見命。又名津杭耳命。次子天白羽鳥命。季子天羽槌雄命。又名武羽槌とも有て。其大麻比古命。(483)后神〓根御氣比賣命をして令v生玉へる子二人あり。姉を千賀江比賣命と有て。今云2千貝大明神1是也。と見えたるに。神名式に。阿波國板野郡鹿江比賣神社有り。此に當るべし。次に由布津主命。又名阿八和氣毘古命。后神飯長姫命。奉v稱2妣御※[止/冉]神1と有て。其子※[言+可]多々主命。奉v稱2稚子御※[止/冉]神1。と見えたり。然る時は拾遺橿原朝段に謂ゆる。日鷲命の孫は。右の由布津主命なる事。阿波別と云にても著きが如し。なほよく考べし】○所作。古文にツクレルとも訓り。木綿は木皮を剥て。作れるものなれば。古くはユフハキとも。ユフツクリとも云り。○木綿。拾遺に令d天日鷲神(ヲシテ)以2津咋見《ツクヒミノ》神1穀木種殖《ユフヲウヱテ》之作c白和幣(ヲ)u。是木綿也。とあり。池邊眞榛云。木綿は穀《カヂノ》木の事にて。今もかぢの木又かうぞと云ひ。和名抄に楮(ハ)穀木也。和名加知。とあるにて知べし。さて木綿を穀《カヂノ》木とも云ふは。何世の頃よりならん。木(ノ)穀の本名は栲《タク》にて。其をユフといひ。又カヂと云は別名なり。此木皮にて布を織る事少く。紙を漉く事多くなれるより。即|神麻《カウゾ》の木とは呼しならん。故後には此木皮のみをユフと呼て。木名はカヂと稱へしか。和名抄にも木部には楮穀木地和名加知と擧て。由布は祭祀具部に記して。木綿和名由布折v之多2白絲1者也。とあればなり。扨此木皮以て。紙をすく事もいと古く。又其を木綿に替たるも久しき事にて。其は萬葉に。奥山の賢木の枝に。白香付《シラカツク》本綿取付て。云々とあるを。鈴屋翁云く。白香は白紙の意なるべし。奈良の頃より木綿に取そへて。白紙をも切かけて付たりけん。されば白紙を添着るといふ意にて。白紙付(ク)木綿と云なるべし。十九。四の舶早還りこと白香著。朕裳裾《ワガモノスソ》に鎭《イハヒ》てまたむ。此御歌は木綿にはあらで。たゞ白紙なるべし。白紙をシラカと云は。白髪の例に同じ。と云れたるにて知べし。さて穀を由布といふ義は。麻の皮を剥て緒《ヲ》と爲すより。既て其緒を以て。麻の一名にも呼ぶ如く。此も其栲(ノ)木皮を剥たる後の名にて。義は忌緒《ユヲ》なるべし。【袁を布と(484)云るは※[立心偏+專]音なり。】と云り。されど此《コヽ》は白和幣のみにはあらで。青和幣をもかねて。木綿と云る事。本書に云るが如し。【記傳云。由布に木綿字を用ることは。杜仲《ハヒマユミ》の一名を取れるなり。其は和名抄木部に。本草注云。杜仲一名木綿。折v之多2白絲1者也。和名波比末由美と見え。また祭祀具に。本草註云。木綿折v之多2白絲1者也。和名由布。と見えたり。されば此は穀を杜仲と思ひ誤れるにて。實に社仲を用たるに非ず。然らば和名抄にも。祭祀具には穀を擧て。和名由布と記すべき事なるに。木綿を擧たるは。世に普く用る字を出せるのみにて。實に社仲なりとするには非ず。故に同本草注の説を引ながら。彼處には。杜仲の字をも。波比末由美の名をも擧ず。其は別に。木部に出せり。そのかみ既に。杜仲をば。由布には用ざりしこと知るべし。と云り。】
 
 
乃(チ)使《シメテ》2忌部首(ノ)遠祖太玉(ノ)命(ヲシテ)執取《トリモタ》1。而廣(ク)厚(ク)稱辭祈啓《タヽヘコトノミマヲサシム》矣。
 
使執取而云々。記云。此種々物者。布刀玉命|布刀御幣登《フトミテクラト》取持而云々。記傳云。凡て御幣を取持ことは。此時の例の隨に。後の御代々々まで。忌部氏の職業なり。欠に引る書どもに。あまねく見ゆ。又祈年月次大嘗等祭(ノ)祝詞辭別にも。忌部弱肩に。太多須支取掛※[氏/一]《フトタスキトリカケテ》。持由麻波利《モチユマハリ》。仕奉禮留。幣帛乎《ミテグラヲ》。神主祝部等。受賜※[氏/一]。事|不《ズ》v過《アヤマタ》。捧持(チ)奉(レ)登宣。とみゆ。諸の御幣を造り備ることも。此氏の職なり。紀に忌部(ノ)遠祖太玉者造v幣(ヲ)云々。拾遺に宜令d太玉神(ヲシテ)率2諸部(ノ)神(ヲ)1。造c和幣u。また令d天富命率2日鷲命之孫(ヲ)1。云々殖c穀麻(ノ)種u云々。天富命更云々分2阿波齋部(ヲ)1。率往2東土(ニ)1。播2殖麻穀1古々。また令d天富命率2供作《モノツクル》諸氏(ヲ)1。造c作大幣u。四時祭式に。祈年祭云々。祭前十五日。充2忌部八人。木工一人(ニ)1。令v造2供神(ノ)調度(ヲ)1など見えたり。と云り。【天富命は。太玉命(ノ)孫天櫛耳(ノ)命の子なるよし。忌部系圖にみゆ】○廣厚稱辭。纂疏に。廣厚言2懇到之意(ヲ)1とある。實然る言なり。平田翁云。多々閇は。師の水を湛《タヽフ》ると同言にて。滿足《ミチタラ》はす意なり。今(ノ)世の言に。海潮の滿(チ)きはまれるを。(485)潮のたゝへと云も同じ。と言れし如く。其神の御徳を。彌廣に彌高に言擧(ゲ)盡すを云なり。諸祝詞に。其奉る種々の物名を擧て。其事に仕奉る人の勞(キ)をさへに。太しく言擧るも。本は其神を崇むより。起れるにて。稱辭竟(ヘ)とある竟(ヘ)。また下に祓(ヘ)竟(ヘ)とある竟も。稱(ヘ)盡し祓(ヘ)盡す意なり。【加茂翁説に。萬葉にむ月立(ツ)春の來らばかくしこそ。烏梅を折つゝたぬしき乎倍米。これを家持卿の追和し歌に。春(ノ)裏の樂(キ)終者《ヲヘバ》とよめる。終も共に樂を盡すことなり。とあり。】と云り。能牟は傍觀《ワキミ》を爲る事なくして。一向に乞(ヒ)願《ネ》く事を云なり。と重胤云り。さてかく稱辭祈啓したまへるは。何に對ひて白し玉へりと云むに。かく殊更に。神事麗美く。種々設備へて。嚴重に仕奉り玉へるは。大神に献り玉へるなり。然るに此を平田翁が。外に貴き神御坐すに依て。其神に献り。稱辭も。其神に白し玉へる状なり。門人なる新田目道茂が説に。御鏡に向て白玉へるなり。と云るは然説なり。【さるは。此時に設備へて。献られたる物等の中に。御鏡はしも。拾遺に令v作2日像之鏡1ともあるが如く。其大御光を學び移せる御鏡なれば。有が中にも。主とある御物なればなり。故此御鏡に向きて。稱辭白し玉へるは。さも有べき御事なり。此御鏡後に大御神の大|御實《ミシロ》とも成坐る物なるをも。思合せ奉るべし。】と云れたるはたがへり。しか見ては。前後の文。何とも説べきよしなし。よく考べし。されどこゝに。心得置べき事あり。此時諸神の石窟戸前にての御態に。表と裏の別あり。表とは右の兒屋命太玉命をはじめ。諸の神等。大神の御前に。種々の幣帛を献り。太諄辭稱辭申て。大神の再(ビ)出坐む事を祈啓し。裏にては。天鈿女命巧に俳優をなし。大神の御心を娯《ナグサ》め安め奉りて。かの内侍の善言美詞を以て。君臣の間を和(ス)と云が如く。一時の權言《タバカリ》を以て。誘《イザナ》ひすかしまゐらすることもなくてはあらず。これ記に益(テ)2汝命(ニ)1而貴神坐。故歡喜咲樂。と申せるなど是なり。かく表より裏より。大神に迫り奉るが。此時の神態の本原なるを。よくおもふ(486)べし。さて此下にも。本書なる又猿女君遠祖天鈿女命。則手持2茅纏之※[矛+肖](ヲ)1。立2於天石窟之前1。巧作2俳優1云々の文を。加へて見たらんには。上下の趣相貫ぬきて。目安く心得らるべき事。重胤説あり。然る言なり。上に云ることゞも引合すべし。
 
 
于時日(ノ)神|聞之曰《キコシメシテオホサク》。頃者《コノゴロ》人雖2多請《サハニマヲセ》1。未(ダ)《・ズ》v有2若此言之麗美《カクイフコトノウルハシキハ》1者也。乃細(メ)2開(テ)磐戸(ヲ)1而|窺之《ミソナハス》。是時(ニ)天(ノ)手力雄(ノ)神|侍《カクリサブラヒテ》2磐戸|側《ワキニ》1。則(チ)引(キ)開之《アケシカバ》者。日神之光滿(キ)2於|六合《クニノウチニ》1。
 
 
人雖多請。重胤云。人は神の反對なる事云も更也。神とは隱身に就て云ひ。人とは顯身に依て號けたる稱にし有ければ。精神なる方は神にして。形體あるは人なり。【武郷云。人は形體を本とし。神は隱身を本體と爲ること。既にも云へりき。】いでまづ神と云事を明らめ置て。後に人と云義は説べきなり。天御中主神天地を立玉はむと。所思し坐る御靈より。高御産巣日神産巣日二柱神。成出させおはし坐て。此神等の御事を。隱身也とは傳へたり。次に宇麻斯阿志※[言+可]備比古遲神。次天之常立神。此二柱神亦云々隱身也とある。此は各其物事を。初給ひ成玉ふ神には御坐ませども。此亦御靈のみ有て。御形體を顯はし御坐まさゞるが故に。隱身也とは傳へたるになん有ける。然れども其高御産巣日神産巣日神などは。時々に出(テ)現《アラハ》れさせ御在坐て。諸神と共(487)に。萬事を神議に議らせ御在し坐て。又御子神等をも成し玉へるは。顯身と成て。物爲させ玉へる御事にて御在坐けり。【然りと雖。此神等は元より隱身に御在坐すが。本體にて渡らせ玉ふが故に。事なくて。徒なる時には。顯はれさせ御在し坐さずして。幽より産靈の御徳を。施らし玉ふ御事に坐り】若て伊邪那岐伊邪那美命。御問對の御在坐ける。是なん世中に顯身《ウツシミ》と云事の。出來成れる初也ける。此にて差異を立る時は。天御中主神以下。豐雲野神以上は。隱身におはし坐(セ)は。謂ゆる神なり。若て二柱(ノ)御祖神は。此に始て顯身と成せさせ御坐ませば。人の始とも申すべき状なりと云れたるが如し。さて人は身足の義にて。比は身と通ふ。登理は多理と云て。足の義なる事は。面足尊と申す御名の。御形體の足具《タリトヽ》のひ備はらせ玉ふと同義なるが如し。又人を計ふるに一人二人と云は。一足二足と云に異ならず。これにて人と云義を知るべし。偖此にかく人と云るは。八十萬神をさして詔ふなり。なほかゝる例は。寶釼出現章に。忽有2人聲1と。少彦名命のことを云(ヒ)。海宮遊行章に井有2人(ノ)影1と火折尊の事を白せる。また豐玉姫の御歌に。赤玉の光はありと。比※[登+立刀]播伊珮耐《ヒトハイヘド》とある。比※[登+立刀]などなり。【月讀尊を。月人壯土《ツキヒトヲトコ》と申し。また神名に。天熊人あり。記に此人者天津日高御子。なども見えたり】多請(ス)とは。種々の乞祈辭申給ふを。かく詔へるなりけり。【平田翁云。此大御言を思ふに。大御神の石屋戸を刺て。幽居坐るほどより。神等の各々。其(レ)々に出御《イデマシ》のことを。請(ヒ)啓せるも多に有しこと知られたり。と云れたるが如し】○言之麗美。此言と云は。右に廣厚(ク)祈啓とある。其にて。第二一書に。神祝《カムホザキ》々之とある是なり。其を私記に謂d以2神明之祝文1而祝申uと云ひ。口訣に。神祝々之。祝詞也。記に布刀詔戸言|祷《ネギ》白(ス)とある。みな同じ。平田翁云。此の大御言の總ての意を按ふに。我が石屋戸を刺て。幽居るより。神等の出御の事を。請(ヒ)啓せるも多なれど。かく言の麗はしきはあらざりしを。今兒(488)屋命の祈啓す言の。いかにかくは麗美きならんと。其調に甚く感《カマケ》奇しみ給へるなり。かく大神の發慍《ミイカリ》も。漸御心和むばかりなるは。いかに麗美き神語也けん。古語に言靈《コトダマ》の幸《サチ》はふ國。言魂の佑《タス》くる國ともいひて。よき歌麗しき辭に。神の愛給ひし事あるも。皆こゝの御所由による事なり。記傳にも云れし如く。此時に祷白せる辭は。祝詞の始にて。いとも古文にて。麗美かりけんを。此に載らず。世に傳らぬは。甚々|憾《クチヲシ》きわざなりかし。【葦牙云。今の世の人の心には。言をめで玉ふといはゞ。僞なりとも。言を飾りて。美麗く申さば。神はめで聞しめすにや。といはむか。其は僞なりとも。言をよく麗しく白す時は。暫は其言をめで玉ふ事もあるべし。されど僞はつひに。灼然きものなれば。神の惡み給ふ事は。必咎め玉ふものと知べし。と慍れたるは。然る言なり】○引開。かの細(メニ)開給へりし石戸を。皆かが引開たる由なり。然爲むとてなん。御戸(ノ)掖《ワキ》に隱立しける。【世に此時。石戸を引開き。其戸を投給へるが。信濃國に落て。山と化れる。それ戸隱山なりと言傳ふるは。美濃國喪山などの故事を思ふに。然も有べくおぼえたり。春日社記に。天手力雄神。信濃國戸隱明神是也。とあるは傳ある事にや。また信濃國地名考にも。古説を引て。戸隱神社は。手力雄神なるよし云り】○滿於六合。記云。故天照大御神出坐之時。高天原及葦原中國。自得2照明1とあり。
 
 
故(レ)諸(ノ)神(タチ)大(ニ)喜(ビタマヒテ)。即科(セテ)2素戔嗚尊(ニ)千座置戸之解除《チクラオキトノハラヘヲ》1。以(テハ)2手(ノ)爪(ヲ)1爲(シ)2吉棄物《ヨシキラヒモノト》1。以(テハ)2足(ノ)爪(ヲ)1爲(ス)2凶棄物《アシキラヒモノト》1。乃使d天兒屋命(ニ)掌《ツカサドリテ》2其(ノ)解除《ハラヘ》之|太諄辭《フトノリトヲ》1而|宣《ノラ》u之焉。世人慎(ミテ)収(ルハ)2己(ガ)爪(ヲ)1者此(レ)其(ノ)縁也《コトノモトナリ》。
 
 
諸神大喜に當《アテ》て。拾遺に當(テ)2此之時(ニ)1。上天初(テ)晴。衆倶相見。面皆明白(シ)。伸v手(ヲ)歌舞。相共稱曰。阿波禮阿(489)那於茂斯呂《アハレアナオモシロ》。阿奈陀能斯《アナタノシ》。阿那佐夜憩飫憩《アナサヤケオケ》と書して。即謂ゆる大直會《オホナホラヒ》是なり。とあり。此時の禍事の直れるを歡喜びて。諸神のかく歌舞へるは。嬉しき心の餘りにて。實にさも有けんと。思遣られたり。○吉棄物凶棄物。本に吉爪棄物。凶爪棄物。とあるは。爪字衍れり。信友校本。及元々典集の古寫本に引るに。爪字なし。今は其に依れり。○太諄辭。太字本に大と作《ア》り。三島本熱田本及類史に太に作る。今はそれに依れり。諄辭は祝詞なり。解除之太諄辭と云は。重胤云。神祇令に。其祈年月次祭者。百官歩2神祇宮(ニ)1。中臣宣2祝詞1。と有が如く。年中の恒祀に。祝詞を宣るを本として。仕奉れるに同じく。神代にも何くれの御祈に就て。申さるゝ太祝詞の方。主《ムネ》と有が故に。其に云分たむ爲に。然云るにて。解除之太諄辭と云て。猶|祓(ヘノ)詞と云むが如し。同令に。凡六月十二月晦日(ノ)大祓。【中略】百官男女聚2集祓所(ニ)1。中臣宣2祓詞1。卜部爲2解除《ハラヘヲ》1と有に。專同じ状なるを思べし。大祓詞に。大中臣|天津金木乎《アマツカナキヲ》。本打切末打斷※[氏/一]《モトウチキリスヱウチタチテ》。千座置座爾《チクラノオキクラニ》。置足波志※[氏/一]《オキタラハシテ》。天津菅曾乎《アマツスガソヲ》。本苅斷末苅切※[氏/一]《モトカリタチスヱカリキリテ》。八針爾取辟※[氏/一]《ヤハリニトリサキテ》。天津祝詞乃太詞言事乎宣禮と有は。右に謂ゆる。卜部爲2解除1と云に當れるを。此時は。天兒屋命。其解除の所作を。成し給ひつゝ。其解除之太諄辭の事を。掌とらせ給ひけるなり。萬葉十七に。奈加等美乃《ナカトミノ》。敷刀能里等其等《フトノリトゴト》。伊比波良倍《イヒハラヘ》と所見たるを。袖中抄【十七】に。中臣乃太祝詞事とは。中臣(ノ)祓(ヘ)歟と有が如くにて。其祓詞を宣る事なるに。神樂|酒殿《サカドノ》歌に。中臣の天(ノ)小菅《コスゲ》を割《サキ》祓(ヘ)云々と有る歌は。中古の物ながら。事は上世の風儀を詠るにて。令條以上の古式を。伺ふに足るべき者なりかし。【但上古には。天兒屋命より。世々相承て。中臣氏にて。右の二を兼て仕奉れりけんを。(490)後に事も多く成(リ)以(テ)來ぬるから。卜部も其神裔なるを以て。然る方にも。令2仕奉1られしならんを。再轉して。陰陽師の所作の如くには。成ぬなめり】若て其を祓詞とのみ云るは。此解除之太諄辭と云を略きたる者なり。と云り。さて本居翁説に。言(ノ)義は宣説言《ノリトキゴト》なり。太はめでたきを褒(メ)云詞なり。能流は必しも。貴人の命ならでも。人に物を言聞するを云。説は諄辭と書る諄(ノ)字【説文に。告曉(ス)之熟也とあり。また韵會に。朱倫切音與v屯同。廣韻云至也。誠懇貌。程伊川曰。厚也。朱子曰。昵至貌。亦廣韻告之丁寧也。ともあり】の意なり。と云り。按に此説は是からず。能理斗は宣言《ノリゴト》の約なり。私記にフトノリコトと訓り。能流は本居翁の説の如し。さて宣言の約にはあれど能理斗と云が。一の名稱となれるより。又其下に言《コト》と云を添へて。記萬葉大祓等に能理斗言とも云るなり。(祝詞講義云。祝詞言を。考に詔賜言《ノリタベゴト》と云れたるは。後釋に辯へられたる如く僻言也。然れど記傳及後釋に宣説言と云れたれど。神に對し奉りて物を説とは云べからず。説《トク》とは説明の義にて解説《トキ》明らむる義なり。糸の亂を解くなどの解に同じ。予始は能理斗は祷稱《イノリタヽヘ》か。また祷咒《イノリトコヒ》の約ならんと思しかど。それもよからず。たやすく祝詞言《ノリトゴト》と心得てあるべし。)重胤云。偖天兒屋命の。宣申されし太諄辭や。如何なりける事ならむと云に。正しく。今傳はる大祓詞の中に。在となむ思しかりける。若て其大祓詞には。先王卿百官を集へられて。彼天津罪國津罪の條目を擧て。其云々の事の有むには云々と。其天津宮事に依て。行ふべき解除の法を教へ。祓詞を宣れよと示して。如此成したらんには。天神地祇の。納受させ御在し坐て。罪穢の遺るまじき状を。四に譬へ分ち言並べて。即祓戸神等の。其罪穢を祓却り失玉ふ幽事を。委曲に載せて。自今以後。天下四方に。罪と云ふ罪は非じと。祓(ヘ)清めさせ玉ふ由を。右の(491)王卿百官。共に聞食せと。宣る事にし有れば。其詞は解除の作法を。人に示す詞にこそは有けれ。神に告る意更になし。と云べき状なり。然れども神祇令祈年月次祭者。百官集2神祇官(ニ)1。中臣宣2祝詞1。の義解に。謂宣者布也。祝者賛辭也。言以2告v神祝詞1。宣2聞百官(ニ)1。故曰宣2祝詞1。と有が如く。譬へば太神宮式。三時祭條に。使3中臣申2詔刀(ヲ)1。次宮司宣2祝詞1。とある。使3中臣申2詔刀1とは。皇御孫命の大命を傳へて。直に皇大神に申す所なる故に。申2詔刀1とも云なり。次に宮司宣2祝詞1とは。皇大神の大御前に。聞え上奉る詞を。禰宜内人等にも宣聞す故に。宣2詔詞1とは云るなり。同じ祝詞なれども。記(ノ)石屋戸段に。天兒屋命布刀詔戸言祷白而と有。此第二一書に。神祝々之と有と共に。日神の御前にて祷(リ)白(ス)なれば。右の申2詔刀(ヲ)1に當り。又此使d天兒屋命掌2其解除之太諄辭1而宣u之。と有は。祓戸神に告給ふ事を。八百萬神にも。宣聞す事を云れば。右の宣2祝詞1と云に異ならず。此にて申と。宣との差別は有れども。共に神に告奉る事なるを曉るべし。此等の例共を。推て考るに。神祇令に。凡六月十二月晦日(ノ)大祓。東西文部上2祓詞1。讀2祓詞(ヲ)1訖。百官男女聚2集祓所(ニ)1。中臣宣2祓詞(ヲ)1。卜部爲2解除(ヲ)1。と所見たる。宣2祓詞1は。即大祓詞を宣る事なるが。此も以2告v神祝詞(ヲ)1。宣2聞百官(ニ)1。と云に同じかりければ。天津祝詞はしも。必其中に收て有べき事を。曉るべき證になん有ける。と云れたる。さることなるべし。○掌。本にツカサドルと訓む。其都加佐は。拾遺に供2奉其職1と。所見たる職是なり。重胤云。此に使d天兒屋命掌2其解除之太諄辭1而宣u之。と有に起りて。其解除の事は。世々其家の仕奉る職掌と成(492)れり。拾遺神武天皇段に。令3天種子命(ヲシテ)【天兒屋命之孫】解2除天罪國罪(ノ)事(ヲ)1。所謂天罪者。上既説訖。國罪者。國中人民(ノ)所v犯之罪。其事具在2中臣(ノ)祓(ノ)詞(ニ)1。とある是なり。所以に。披大祓詞を此に始て。中臣(ノ)禊詞と出たるに起りて。西宮記左經記などに然見え。朝野群載には。中臣(ノ)祭文。太神宮建久行事記には。中臣祓(ノ)祭文などあり。又江次第玉蘂等には。唯に中臣(ノ)祓と有は。言の略りたるなるが。天下の大祓詞を。即中臣祓詞と云も。其氏人の掌どる所にして。他氏に亘らざる事なるが故なり。と云り。○宣之は。又云。上に引る神祇令に。中臣宣2祝詞1。の義解にあるが如く。此にては。天兒屋命は中臣に當り。告る神は祓戸神なり。宣聞しむる八百萬神等は。其百官に當り。偖右に宣は布也。と注されたるは。遍く行亘るべく。仰せ承らする事なり。大祓詞に云々止宣とある段々にて。各稱唯の事ある。即此の宣に同じく。布告る事なり。と云り。○慎收己爪は。又云。右の棄物《キラヒモノ》の反を云なり。口訣に。祓捨以爲v棄(ト)と有とは異にて。慎收とは。漫りに棄ざるを云なり。谷重遠が。後世人除2手足甲(ヲ)1不2妄棄1者。忌3其似2解除物1也。と云るが如く。此を慎しみ收むるは。其素戔嗚尊の手足(ノ)瓜の。諸神に徴られ給ひて。善解除惡解除の。棄物《キラヒモノ》と成《ナ》し給へるに似たるを以。實に忌む也けり。慎收とは。一枚も漏す事なく。一(ツ)に集めて。土中に理むるなるべし。甚近き世の物ながら。黄葉軍艦結要本に。信玄の小姓などの。奉公の能き箇條を云るに。一(ツ)御爪を切被v成は。四人番に替り。阿比川へ持て行流す。一(ツ)御髪の毛も。火を打燒て棄るとあり。古義の傳はる事思ふべし。又日下部景衛と云人の。老談一言記に云に。信長公。御爪(493)を取らせられ。森(ノ)蘭丸に其捨よと仰有けるに。蘭丸立かねたる故に。何とて捨ぬと有ければ。御爪一(ツ)不足のよし申すに。御袖を振はせられければ出にけり。若年の心付には。愛《シホ》らしく思召けるとぞ。と云り。此に捨よと有は。何れにか持去れと云事なるが。蘭丸が收めむと爲るに。數足らざりければ。妄に棄られむには。忌はしかるべしとて。餘さず取集めたるを。尤と思召けるにて。其頃までも。然ることの。世に行はれて有しなりけり。と云り。【集解云。土左日記曰。見2爪長1。數v日以v當2子(ノ)日(ニ)1不2敢剪1。侍中群要御爪切事。口傳云。御爪切了。令2埋御1。拾芥鈔曰。九條殿遺誡。日中行事云。除2手足甲1。注曰。丑日除2手甲1。寅日除2足甲1。按古人擇v日而剪v爪。其慎如v此。慎v所v收亦可v知とも云へり
 
 
既(ニシテ)而諸(ノ)神(タチ)嘖《セメテ》2素戔嗚(ノ)尊(ヲ)1曰《イハク》。汝(ガ)所行《シワザ》甚(ダ)無頼《タノモシクナシ》。故(レ)不v可v住(ム)2於天上(ニ)1。亦不v可v居(ル)2於葦原(ノ)中國(ニモ)1。宜|急《スミヤカニ》適《イネトイヒテ》2於底(ツ)根之國(ニ)1。乃(チ)共(ニ)逐降去《ヤラヒヤリキ》。于v時|霖《ナガアメフル》也。素戔嗚尊|結2束《ユヒツカネ》青草《アヲクサヲ》1。以|爲《シテ》2笠蓑《ミノカサト》1。而乞(フ)2宿(ヲ)於|衆神《モロガミタチニ》1。衆神曰(ク)。汝《イマシハ》是(レ)躬行濁惡《ミノシワザケガラハシクシテ》而|見《ラルヽ》2逐謫《ヤヲヒセメ》1者《カミナリ》。如何(ニゾ)乞(フトイヒテ)2宿《ヤドリヲ》於我(レニ)1。遂(ヒニ)同距《トモニフセグ》之。是以|風雨《アメカゼ》雖v甚《ハナハダフキフルト》。不v得2留休《トヾマリヤスムコトヲ》1。而|辛苦《タシナミツヽ》降(リキ)矣。自v爾《ソレ》以來《コノカタ》。世(ニ)諱(ム)d着《キテ》2笠蓑(ヲ)1以入(ルコトヲ)c他人《ヒトノ》屋(ノ)内《ウチニ》u。又諱(ム)d負《オヒテ》2束草《クサツカヲ》1以入(コトヲ)c他人(ノ)家《イヘノ》内(ニ)u。有v犯(スコト)v之(ヲ)者《モノヲバ》。必|債《オホス》2解除《ハラヘヲ》1。此(レ)太古《イニシヘ》之遺(レル)法|也《ナリ》。
 
 
(494)嘖は。瑞珠盟約章に。嘖讓此云2擧盧毘《コロビ》1とは。字も同じく書く事なれども。其とは聊異也。勢牟とは。逼りて其罪ある人をして。逃るゝ所无らしむるを云なり。さてかく諸神の。素戔嗚尊を處分し玉ふは。重胤説に。履中紀【五年に】車持君が罪あるを。推問て。負2惡(シ)解除善(シ)解除1而。出2於|長渚崎《ナガスノサキニ》1。令2祓禊1。既而詔之曰。自v今以後。不v得v掌2筑紫之|車持部《クラモチベヲ》1。乃悉收(テ)以更分v之(ヲ)。奉2於三神1。とある。既而以下。此の既而云々と同じく。また上にも引る延暦太政官符に。定2准v犯科1v祓事。右云々者。宜科2大(ノ)祓(ヲ)1。所(ノ)v輸雜物。具如2前作(ノ)1。官人有v犯。兼解2見任1と有て。上中下祓。共に此に同じく。解除(ヘ)終て後に。其人を治めさせ給ふ。大御政御在し坐す是なり。と云り。然る説なり。○無頼の訓。私記に安地岐奈志とあり。從ふべし【本の訓は。後世めきたり】○適於底根之國。此にては。伊弉諾尊の勅命にはあらで。諸神の逐ひ給ふ如くにも聞ゆれど。猶さにはあらず。根國へ追給ふべき事は。既く御父母二神の勅許にて。定まりたるが故に。急に適《マカ》り坐せと。諸神の言《ノタマ》ふなり。○不可居於葦原中國。葦原中國と云は。高天原に對へて。此大地の全體を云稱なるものから。此程には。我大八洲國を除ては。外蕃諸國は。未(ダ)地形も調らざりしかば。當昔は押立て。此大八洲國の總稱の如くなりし故に。右は亦不v可v居2於大八洲國(ニ)1。と云意味なる文なり。○青草。平田翁云。字のまゝに。阿遠久佐と訓べし。野に生たる草を。其(レ)ながらに結(ヒ)束(ネ)たるなり。【舊訓に。アヲクサツカと訓るは。結束ねたる上より云る名なれば。此には叶ひがたけん】と云り。○結束は。重胤云。私記に由比都賀禰※[氏/一]と。訓れたるに從ふべし。其結は笠に云なり。束は蓑に云なり。次に以爲2笠蓑1と有に。照應《アハセ》て味はふべし。偖笠には(495)常に縫(フ)と云事なり。然るに此に笠に結と云るは。神逐らはれて。天降り。おはし坐たりけるに。衆神も共に宿し奉らずて。辛苦《タシナ》め奉れる程の。事にし有ければ。如何でかは。御笠を縫ひ。御蓑を綴らせ給ふべき。御暇のおはし坐む。然れば唯青艸を結て。御笠の用に備へさせ玉へるを云て。甚も々々。※[立心偏+可]伶《アハレ》に悲哀《カナ》しげなりし御形状なん。所思えたりける。さて束を蓑に云も。右の笠の例にて。艸を編《アミ》て雨衣と成し玉ふべき。御暇のおはし坐ざるが故に。束艸を御身に纏はして。蓑の状に着成し玉へるなり。此物共は。枯艸を以て製るべき物なるに。此に青草と書されたるを以ても。孰《イヅレ》も其物の成|具《トヽ》のはざりし有形。飽まで見えたる事也。纂疏に束v草爲2雨具1者。貧窶之甚也と宣へるは。其意味を克(ク)説せ給へる事なり。と云り。【古の蓑笠。共に菅を以作りし事。建久行事記。其餘の書どもに見えたり。されどこヽは菅にはあらで。ただの青艸と見るべし】○爲2笠蓑1而。平田翁云。青草を結束ねたるにて。實の蓑笠ならぬを。蓑笠と爲《ナシ》て。著玉へるよしなり。【八尋矛を御杖と爲してと有るも。矛は杖ならぬを。杖に突たりと云ると。同格の言なり】和名抄に。説文云。蓑和名美能雨衣也。【俗用2蓑字1】毛詩注云。笠所2以禦1v雨也。和名加佐。とあり。【また玉篇に蓑(ハ)草衣也とあり】笠は翳と同訓にて。翳《カザ》す物なれば稱ふ。又和名抄に。史記音義云。※[竹/登]於保賀佐。笠有v柄也とあり。此製は今知るべからず。【今在る傘また指かさなど云物とは異なりときこゆ】と云り。○風雨。本には字の如く訓たれど。其は言語の格にあらず。記に雖2雪零風吹1。云々とある。雪は雨(ノ)字を誤れるにて。此は其常を云にて。古言の儘なれば。此に依て。此をアメカゼと訓べきなり。○辛苦は。紀中厄。困厄。劬勞。などを然訓り。窮《スベナ》く困むを云と。記傳に云り。さて平田翁云。此神かく幸苦つゝ。少も荒ぶる御心を發し給はで。(496)降給へるは。かく其罪犯に伏ひ給へるにて。即祓除の驗にぞありける。と云り。【祓除の驗は。本よりさることなれども。此神の御性の惡くまさゞること。こゝに至て遂に顯れたりと申すべし】○降矣。重胤云。于時霖雨也以下は。其大神の天降御在し坐て。此國土に著せ給へる後の事にて。天路にての事には非ず。此大八洲國を。其處此處に流離はれ御在し坐ける間の。故事にし有ければ。此の降矣は。天降の義には非ずして。新羅國に渡り行幸し御事を。申奉れるになん有ける。さて此段はしも。下章第四一書に。素戔嗚尊帥2其子五十猛神1。降2到於新羅國(ニ)1。居2曾尸茂梨《ソシモリ》之處(ニ)1。乃|興言《コトアゲシテ》曰。此地吾不v欲v居。遂以2埴土1作v舟。乘v之東渡。到2出雲國(ノ)簸《ヒノ》川上|所在《ナル》鳥上《トリガミ》之峯(ニ)1。【下略】と所見たる。其は仁智要録に載たる。高麗樂に。蘇志摩利《ソシマリ》と云る有て。其圖を見るに。蓑笠を著て。屈折《ヲリカヾ》める状なるに。此に結2束青草1以爲2笠蓑1。とあるに合ひ。又西大寺資財流記帳。高麗樂具の中に。蘇志麻理縣笠二蓋。【各皀羅衣】と有るにも合れば。誰が見(ル)にも。其時の事とは見ゆべき状也。【此樂の事は。和名抄高麗樂曲の中に。蘇志摩利と見え。其次に登天樂と云もあり。此大神の御事に。由れるにはあらじか。非ぬか】此傳の御婆と。然しも能相似たるに就て考るに。信に素戔嗚尊。其御子五十猛神を帥て。此時に天降り御在し坐たるべし。然して此大神の御天降の御事を。下章には自v天而降。到2於出雲國簸之川上1と有て。其第一一書。又記の趣も然り。然れども其は。此よりは後に天降らせ御在し坐ける度の。御事なるにて。其初なるなん。新羅國には天降らせ玉へりける。其は右の第四一書に。初五十猛神多將2樹種1。云々成2青山1焉とあり。また第五一書に。素戔嗚尊拔2鬚髯(ヲ)1散之。即成v杉。又拔2散胸毛(ヲ)1是成v檜云々。夫須v※[口+敢]八十木種。皆能播生。ともありて。是世に檜杉など(497)の生出る初也。又衆菓も。亦此時に成出初てなんありけるを。其第二一書に。出雲にて八岐大蛇を。平らげさせ玉はむ。事謀り爲させおはしましける中に。以2衆菓《コノミ》1釀2酒|八甕《ヤハラ》1と見えて。已に衆菓の世に遍く有ける趣なん知られける。又記に八岐大蛇の事を。其身生2蘿《コケ》及(ビ)檜|※[木+温の旁]1云々と有て。然も古木の身に生て有し状知らる。此を似て。かの成2青山1とありしよりは。年紀の甚久しく立たりけんとおぼゆれば。先に天降らせ御在し坐て。然る御功共を立させ鎗給ひ。さて此に是後素戔嗚尊曰。諸神逐v我。我今當2永去1。云々廼復|扇《トヨモシ》v天(ヲ)扇v國(ヲ)。上2詣于天1。とあるは。其功を立させおはし坐て。今は根國に罷坐むと。おもほし坐しから。天上には參上らせ御在し坐ける也。若て又此下に。今則奉覲已訖。當d隨2衆神之意1。自v此永歸c根國u矣。云々已而後還降焉。とある。此時こそは。其出雲國に天降らせおはしましける。時には有けらし。【如此く初度と。後度との御天降處を別にして見る時は。上下相貫きて。其理將甚よく通えたり。必如此あらずては叶はず】斯れば五十猛神は。此よりは已く。生出させ給ける神にて。天上に御在し坐けるが。其罪を犯し玉はざれば。共に神逐はれさせ坐ざりけめども。此顯國に初めて。天降らせ給ける事は。此時に御父大神と。同時におはし坐つるなるべし。若て素戔嗚尊は。皇國内の何處にか。天降り着せ玉ひけめども。彼不v可v居2於葦原中國1。と云ひて。神逐(ヒ)奉れりし由を以て。皇國内の諸神は。皆距(キ)て宿し奉らざりしかば。終に新羅國に降り玉ひ。謂ゆる曾尸茂梨の處には。着せ御在し坐けるなるべし。其より新羅には。渡らせおはし坐しかども。御觀祖の國を忘れ難く。おもほし召し。且は皇御孫尊に。安國と平らけく。所知坐しめ奉らせ玉はむため(498)に。此大八洲國を。善成し奉玉はむとして。其後に五十猛神をも帥て。樹種を持渡らせおはし坐て。國内悉く。青山と成玉へるなり。右に引る第四一書に。其樹種の事を。盡(ク)以持(チ)歸(リ)とみえたる。即此大八洲國より。彼土に渡(リ)御しゝ證なるなり。偖此素戔嗚尊。其御子五十猛神と共に。然る御功の事共を立玉ひ畢て後に。下文に所見たる如く。天を扇《トヨ》もし。國を扇もして。再昇天の御事には。及ばせ玉へるになん有ける。其時に天降らせ玉ひける時こそ。次なる寶釼出現章に。所見たる如く。出雲國には天降らせおはし坐ける事なりけれ。彼風土記に。吾御心者安(ク)平(ニ)成(ヌ)とみえ。次章に。吾心清々之とある。御言擧などは。此に至て明亮なり。と云れたるは。委き考なり。○束草。訓にクサヅカと訓るによる。【私記には久左豆止とよめり。大甞祭式に。地敷2束艸(ヲ)1。所謂阿都加とあれど。義未v詳。さればしか定めてもよみがたし】○有犯此者。平田翁も云れたる如く。此事いたく人の忌たるは。此大神の逐はれ給へる時の状に。似たればなり。【爲家卿。雨衣笠きて内へ入る事は。神逐らひより忌むといふなり】家内にて笠着ぬものぞなとは今も云めり。【重胤云。束草を久佐豆止と訓る私記の説は。上なる青草と事を別ちて。甚々明亮なる。正しき訓になん有ける。予も比處を書す迄は。上に結2束青草1と有る其事を承て。此に束草とは云ならんと思ひし事なれども。其青艸は笠に縫ひ。蓑に編たるが故に。笠蓑に作る科なり。其に對へては。此に世諱d著2笠蓑1以入c他人屋内uと有て。已に其用畢れるなるを。又別に束草を負ふ事を云ては。上に此に照すべき所なきに。心著ざりし也けり。此は素戔嗚尊の。草苞を負玉へりし御事と。見奉るべき所なるぞかし。と云れたるはいかゞあらん。なほよく考べし】重胤云。谷重遠説に。人家諱2此二者1。西國今尚有2遺風1と云れば。國々に猶斯る遺風は。遍く有る事と所見たり。予が聞知れるは。石見國|鹿足《カノアシ》郡津和野領なる山中に。大窪村と云あり。又長門國阿武郡にも。土居村神田村と云有て。其邊にては。昔より菅笠河原蓑を著て。家内に入れば。不祥を招くと云て。大に忌嫌ふ事なり。但普通の竹及笠藁蓑を諱ず。此地方にて(499)は。菅にて編たるを。河原蓑と云ふと云り。但右引る歌にて見れば。菅笠とのみも取らざるべげれば。其竹皮笠と。藁蓑とを諱ざるは。稍其禁弛みたる者なるべし。此に就ても。人は忌はしく。穢なき擬《マナ》びをば成すまじき。太古の道なる事をなむ。知べかりけると云り。さて犯の假字。【本居翁の説は。阿行と定められたれど】田中頼庸云。和行也。字鏡【天治本】に。※[立心偏+替]※[立心偏+替の日の上に上]同。憎也乎加志(ト)云とあり。憎は同書に。疾也悼也難也とあれば。人を憎《ニク》み侵す意にて。侵凌する義もあり。【名義抄に。しのくは侵なりとあり】又最勝王經訓注に。侵乎加須とあり。此等に據て定むべし。其他日本紀。字鏡集。名義抄。字類抄。行阿假字遣。類字假字遣。正濫抄。和訓栞。古言梯。皆右の如し。と云り。なほよく考ふべし。○必債解除とは。物を輸《イタ》して贖《アガ》はする法有つるなり。必(ノ)字有を以て見れば。殊に右の犯は。見遁さずして。解除を債《ハタ》れる事著明き物になん有ける。【令集解に。債徴v財也とありて。今も云語なり】古に此事の多有しこと。孝徳紀大化二年三月の詔の。末なる六條を見ても知べし。○遺法也。法は上にて立たる規則《ノリ》にて。孝徳紀に六人奉v法。二人違v令《ノリ》。續紀詔ともに國法。また常典。また隨《マニ/\》v法(ノ)。また勘(フル)v法(ニ)など見えたる法にて。天下の人共の。依て規則《ノリ》と成し行ふべき事を云なれども。遺法と云時は。上代の遺風の自ら法となれるにて。聊かたがひあり。
 
 
是後(ニ)素戔嗚(ノ)尊(ノ)曰(ク)。諸神|逐《ヤラフ》v我(ヲ)。我(レ)今當(ニ)永去《ヒタスラニマカリナム》。如何(ニゾ)不《ズシテ》d與《ト》2我(ガ)姉《ナネノミコト》1相(ヒ)見《ミマツラ》u。而|擅(マヽニ)自《ミヅカラ》徑去歟《タヾニマカラムトイフヤ》。廼(チ)復|扇《トヨモシ》v天(ヲ)扇(シ)v國(ヲ)。上2詣《ノボリマヰツ》于天(ニ)1。時(ニ)天(ノ)鈿女見(テ)之而|告2(500)言《マヲス》於日神(ニ)1也。日神(ノ)曰。吾(ガ)弟《ナセノミコトノ》所2以(ハ)上來《キマス》1。非(ジ)2復(タ)好《ヨキ》意(ニ)1。必(ズ)欲《ナラム》v奪《ウバヽムト》2我之國(ヲ)1者歟。吾|雖《イフトモ》2婦女《タヲヤメナリト》1。何(ニゾ)當避乎《サラムトノタマヒテ》。乃|躬《ミニ》装《ヨソフ》2武(キ)備(ヘヲ)1云云《シカ/\》。
 
 
此後云々。此傳の趣は。【上にも云ひしが如】はじめ與v姉相見而後退。とおもほして。天に參詣り玉ひしを。神性の雄健《タケ》かりしまゝに。不意く。惡事を爲し玉へば。終に諸神等に逐はれて。降りましゝを。かの解除の驗によりて。御心の清く成行(キ)坐につけて。今はた姉命に罷申してこそ。根國には罷らめと所思して。更に昇り給ふよしなり。此次第こそ。まことに然るべくおもはるれば。此に依て思ふに。古事記又此紀の餘傳は。事の次第の前と後と。一事ならんと思ひて。後度の事は略きしものか。其由は。初に伊弉諾尊に逐はれ玉ふとあると。解除の後に諸神に逐れ玉ふとは。事の状の似たる故に。後度の次にありし事をば。略れたるものなるべし。されど。此度に御誓約の事ありて。御子生給へりとあるは。混れたる傳なり。其よしは次々に云へり。○素戔嗚尊曰。重胤云。此は先に神逐はれて。天降り御在し坐より。遙に世を經て後なる事と。右に引る下章第五一書に。見えたるが如く。大神の毛髪を拔《ヌキ》散させ御在し坐けるに。其出雲國に天降り給ひて。大蛇を言向させ玉ふ頃と成ては。已に其身にさへ樹木の生(ヒ)茂る程の事なりしかば。其第四一書に。凡大八洲國之内。莫v不3播殖而成2青山1焉。と云を。悉くに見竟させ給へる後に。宣玉へる御言と見えたり。然れば此は。纂疏に是後之言於2一書中1。省1初文1之詞也。(501)と宣へるに力を得て。深く其事實を。正し辨ふべき所なる者ぞかし【然るを。誰しも是後の事を。上文より直に承て。續くる故に。大に心を得ざる事多かり】と云り。○復扇天扇國云々。又云。復字は次にも。吾弟所2以(ハ)上來(ス)1非2復(タ)好意(ニ)1とも。復上來者とも。復上來耳。とも有て。同(ジ)事の再(ヒ)重復《カサ》なる由なり。此を以て見る時は。此一書の始にも。先に上詣らせ玉へりし御事の有けんを。略かれたりし者なる事。著明くなん有ける。其事(ノ)意を思ふに。上に應に。右の如き文ある時は。此は瑞珠盟約章の一書の中に。收むべき文なり。然るを此には御誓して。御子を生奉らせ玉へりし御事を。此下に列ね入たるは。混れたる者乍ら。其勢に引れて。自然に略かれたりし者也けり。と云れたる。さる言也。扇をトヨムと訓は。纂疏に扇動也とある意也。私記には安女乎宇古加之久爾乎于古可之天と訓り。記傳云。萬葉七に大海之|水底豐三立浪之《ミナソコトヨミタツナミノ》。十一に。居名山響彌行水乃《ヰナヤマトヨミユクミヅノ》。などあり。さて又六に。山裳動響左男鹿者妻呼令響《ヤマモトヾロニサヲシカハツマヨビトヨメ》なども見えて。動々を。登々呂と訓る處などもあれば。動むは。とゞろきひゞくことなり。とあり。さて扇v天扇v國は。瑞珠盟約章に。始素戔嗚尊昇v天之時。溟渤《オホキウミ》以之|皷盪《ユスリ》山岳爲之|鳴※[口+句]《ナリホヘキ》云々。記に參2上天1時。山川悉動。國土皆震とある。其事を此に簡易に。如此は云る者也。但先度は。神性|雄健《タケキガ》使2之然1とあれば。然も有なむを。此にては信に。麗美しき御心に御在し坐て。參上らせ玉へるなれば。如何にも平穩にて。御在坐べきに。然らぬは。素より素戔嗚尊と。御名にさへ負せ玉へれば。神性に依る事か。されど此は初度に上坐し時の事の。混たるものなるべし。なほ次に云。○天鈿女。此神の大神の御前に。侍仕奉り玉ふ状は。拾遺に令3大宮賣神侍2於御(502)前(ニ)1。如d今(ノ)世内侍(ノ)善言美詞。和2君臣(ノ)間(ヲ)1令c宸襟悦※[立心偏+擇の旁]u也。とあるに合せ考るに。大宮倍命の事蹟の。宇受賣命めきて通ゆるに就て。同神と决むべしと云る説あれど。慥かなる證なければ。從ひがたし。○非復好意。初度に上り坐るを。好からぬ意として。此に復とは詔ふなり。されど躬装2武備1とあるまでは。初度の事の混ひて。出たるにて。此時かゝる御言の有まじきこと。猶次にも云べし。○當避乎。重胤云。避は國を避にて。何當v避2天原(ヲ)1乎と云むが如し。其許を避せ給ふ謂には非ず。避を佐久と訓む時は。唯御許を去らせ給ふ意と成り。佐流と云は。其所知看す御國を避玉ふ義と成れり。記に大國主神之兄弟八十神坐。然皆國者|避《サリタマヒキ》2於大國主神(ニ)1。所2以避1者云々。天孫降臨章に。問2大巳貴神1曰云々。故先遣2我二神(ヲ)1。駈除《ハラヒ》平定。汝意何如。當(ニ)須v避乎。また一書に。吾將自v此避去。即躬披(キテ)2瑞之八坂瓊(ヲ)1。而長隱者矣。などみえ。神賀詞にも。大八洲國|現《ウツシ》事|顯《アラハ》事。令2事避1支。の例みな。佐流と訓例なり。【名義抄にも避をサルと訓り】○躬装武備云々は。瑞珠盟約章に所見たる。武備の御有状を。再度復ねて。物爲させ給へるが故に。其所に委ねて略けるなり。
 
 
於v是素戔嗚尊|誓《ウケヒテ》之|曰《ノタマハク》。吾(レ)若(シ)懷(ヒテ)2不善《ヨカラヌコトヲ》1。而復(タ)上來《マヰデキタラバ》者。吾(レ)今|囓《クヒテ》v玉(ヲ)生兒《ウメラムコ》。必當(ニ)爲《ナラム》v女《ヲミナゴ》矣。如此《カヽラバ》則(チ)可3以降《クダシタマヘ》2女《ヲミナヲ》於葦原(ノ)中國(ニ)1。如(シ)有(ラ)2清(キ)心1者。必當(ニ)生《ナサム》v男《ヲノコヲ》矣。如此(ラバ)則(チ)可《タマヘ》4以|使《シメ》3男《ヲノコヲシテ》御《シラ》2天上《アメヲ》1。且《マタ》姉(ノ)之|所生《ナシタマハムモ》。亦同(カラン)2此(ノ)誓(ニ)1。於v是日神(503)先(ヅ)囓《カミタマフ》2十握(ノ)劔(ヲ)1云々。
 
 
復上來者。の復字は。此は上に云るが如く。前章の錯亂なれば。なき方宜しと雖も。此一書は。再度の心にて傳へたるなれば。始より誤りて。然有つるなり。○齧玉生兒云々。前章の一書には。此事日神の詔とせり。さて平田翁云。此一書に。再度天上に上(リ)坐る度に。御子生(ミ)坐るとあるは非傳なり。さるはまづ須佐之男命の。初度に天に上(リ)給へるは。素より惡心坐さず。只根國に罷給ふ暇乞し玉はむとして。上坐るなるを。大御神は然る事とは知看さず。其上坐る稜威のいみじきに。我が天原を奪はむとして上坐るとおぼして。待問玉へる其時に。須佐之男命の無2異心1。と詔へるは。天原をうばはむなどの。亂心はもたたず。と詔へるなり。此は實に然る御心は。不v有(ラ)しかばなり。さてもなほ。大御神の疑おぼして。然則汝之清明(キ)心者。何爲而將v知と詔ふが故に。其實に異心なき事を。顯し給はむとして。互に誓坐して。御兒は生坐るなり。【此度無2異心1と詔へるを。下の御荒の事迄にかけて心得るは非なり】さて誓に勝給ひて。男子を生坐したる故。御心驕り坐るに依て。天(ツ)罪の太《イミ》じ御荒(ビ)はありしにて。初に無2異心1と詔へるとは事異なり。思混ふべからず。御子生玉へるは。初度なること。生坐る御子の御名にて明なり。もし此一書の傳の如く。後に上坐る度に。生坐るならむには。正哉吾勝々速日と申す御名の。似つかはしからぬを思ふべし。【其はいかにとなれば。此一書なる後度に。御子生玉へる傳に依ときは。其御子生(レ)坐して。後に勝速びたまへることのなければなり】と云り。さる事なり。されば此一書に。必欲v奪2我之(504)國1者歟。といへるより。凡六男矣。とあるまでの文をば。初度の事として心得べし。【さるは。男御子生玉へるは。初度の事にて。其時に。天原を奪はむの邪心なき事は。既に顯れたまへればなり】かく見る時は。日神曰。吾弟所2以上來1。非2復好(キ)意1。於v是素戔嗚尊白2月神1日。吾所2以更昇來1者。云々とつゞく文と見て有べし。○當爲女の。女を私記に女乃己《メノコ》と訓り。次の男の下に云べし。○可以降女於葦原中國。此は上章一書大神の勅に。汝三神宜降2居道中1。奉v助2天孫1。而爲2天孫1所v祭とあるが如く。皇御孫命を天降し奉りて。葦原中國の君と立給はむの御定は。此時已に御有《オハ》せるものとして。其御手に代り。助け奉りて。所祭《マツリ》給はむ料に。女兒ならば。葦原中國に降し給はむとなり。されど此時未(ダ)皇御孫命生坐ざる以前なれば。よし其御定はありとても。少(シ)いかゞなり。此は三女神生坐して後の。御詔別のありし事を。始へ回らして。書るものなりとすべきか。猶よく考べし。○當生男。男を本にヲノコヾと訓れども。次なるをば。たゞヲノコと訓れば。此も然よむべし。さて男を袁能古といひ。女を賣能古と謂へることの。古く見えたるは。敏達紀に。韓婦をカラメノコと訓れば。袁能古と云も。古き事也けり。皇極紀に。男女の子共の事を。ヲノコメノコと訓るに。續紀第十三詔に。男能未《ヲノコノミ》父(ノ)名|負《オヒ》弖。女波伊婆禮奴物爾《メノコハイハレヌモノニ》阿禮夜。と有をも。其例に訓れたり。萬葉二に男自物脅挿持《ヲノコジモノワキバサミモチ》。六に取而|可來男常曾《キヌベキヲノコトゾ》念。又士也母空應有《ヲノコヤモムナシクアルベキ》。七に此崗艸苅小子《コノヲカニクサカルヲノコ》。十一に男士物屋戀乍將居《ヲノコジモノヤコヒツヽヲラム》と有て。男又士又小子を。ヲノコと訓み。古今集詞書の。上《ウヘ》のをのこども。又|上《ウヘ》に侍《サブラ》ふをのこ共云々。催馬樂我門乎に。わがゝどを。とさんかうさん。禰留乎之己《ネルヲノコ》云々などあり。此袁能古と(505)云に對へては。必賣能古と云べきすぢなる事。右に云る一二の例の如し。【故上の女字を。私記にメノコと訓るを上に引り。考べし。然れども中昔よりは。此言すたりたるにや。をさ/\見當らず。名義抄には。女字をヲムスメ。又ナムヂ。又ヲムナゴ。又メアハス。などはあれども。メノコと云言なし。尚尋べし】○亦同此誓。重胤云。日神の御方にても。男御子を生奉らせ給ひて。清き御心の表と爲る義にては有べからず。如此相共に誓ひさせ御はし坐す内に。素戔嗚尊の黒心おはし坐むには。女御子を成し出給はむ。其に對へては。日神の成し出玉へらむも。男御子に御はし坐む。清(キ)心御在坐せらむには。男御子ぞ成出給はむ。其に對へては。日神の成し給はむ御子は。女御子に御坐々むと。誓言を立させ御坐々けるなり。日神も其|卜《ウラ》を合せ給ひて。諾はせ給へる證は。上章第一一書に。於是日神共2素戔嗚尊(ト)1。相對而立誓曰。若汝心明淨(シテ)。不v有2陵(ギ)奪(フ)之意1者。汝所v生兒。必當v男矣。言訖(テ)。先食2所v帶十握釼(ヲ)1。生兒云々。凡三女神矣と有る。此任にては。日神は何に依て。誓給ふと云事の知られざるを。汝所v生兒必當v女矣。我所v生兒必當v男矣と云意に見て。其義明らかなるべき事。已に注るが如し。又其第三一書なる。日神の御言にも。汝若不v有2奸賊之心1者。汝所v生子必男矣。如生v男者。予以爲v子而令v治2天原1云々とある下にも。吾如生v女者。汝以爲v子而。令v降2於葦原中國1。の語を添て聞ざれば。何の事とも其始末合ざるべし。然意を補ひて見る時は。天照大神の先に三女神を成給へる時に。已に彼正哉吾勝の御言を待ずして。其素戔嗚尊に。清(キ)心御坐(シ)々(ス)と。所知食し分《ワケ》させ給へる也けり。【然れば姉之所v生亦同2此誓1。と云事は。二神共に。男御子を生奉らせ給ふが清くて。女御子を成奉らせ給へらむを。黒《キタ》なしと云義には非るなり。心を着くべし】と云れたる。然言なり。
 
 
(506)素戔嗚尊乃(チ)|※[車+儡の旁]2轤然解《ヲモクルヽニヒキトキ》其《ソノ》左(ノ)髻(ニ)所纏《マカセル》五百箇御統之|瓊綸《ニノヲヽ》1。而|瓊響※[王+倉]々《ヌナトモモユラニ》。濯2浮《スヽキウケ》於天(ノ)渟名井《ヌナヰニ》1。齧《カミ》2其(ノ)瓊《ニノ》端《ニノヲヽ・ハシヲ》1。置(テ)2之左(ノ)掌《タナウラニ》1。而兒正哉吾勝々速日天忍穗根(ノ)尊。復齧(ミ)2右(ノ)瓊(ヲ)1。置(テ)2之右(ノ)掌《タナウラニ》1。而生兒天(ノ)穗日(ノ)命。
 
 
※[車+儡の旁]轤然。乎謀苦留々爾と訓り。重胤云。乎謀は綸亦《ワモ》にて。即五百箇統の瓊(ノ)綸なり。苦留々爾は。口訣に解(キ)2曳《ヒク》瓊(ノ)綸(ヲ)1貌。と有が如く。俗に物を結ふにも。解にも。久流々々登と云る是なり。其字|撓挑《クル/\》と書るを。字書に宛轉循環貌と云り。又名義抄に※[車+儡の旁]を轢也と注され。轤を圓轉木也。と注されたる。其字義に合せて知らるべく。此字を書れたる者なり。大日本根子彦國牽天皇の。御名の牽字も。括《クル》む意にて。其も此より出たり。和名抄車類に。車和名久留萬も。旋回の義。又蠶絲具に。反轉|久流閇枳《クルベキ》と云る。即※[糸+參]車の事也。又※[糸+參]訓2久流1絡《クリ》v絲(ヲ)取也。とあるを。萬葉七に河内女之|手染之絲乎絡反《テゾメノイトヲクリカヘシ》。又|眞田葛原何時鴨絡而我衣服《マクズハライツカモクリテワガキヌニキム》。と所見て。世に繰《クル》v絲と云る是なり。又|轉《クル》2日次(ヲ)1。又轉(ル)2暦日(ヲ)1。轉(ル)2星宿(ヲ)1。轉(ル)2轆轤(ヲ)1。など云る久流も。皆|旋々《クル/\》と巡らす義なり。萬葉二十に牟浪他麻乃久留爾久枳作之加多米等之《ムラタマノクルニクギサシカタメトシ》。と有を取て。源氏花宴卷に。久流々戸爾釘刺固《クルヽトニクギサシカタ》め來《コ》し云々。と有り。即枢機の事也。此等の類を以て。苦留々爾は。撓挑《クル/\》と。巡らす義なるを知べし【又郭(ノ)字をクルワと訓るも。俗に曲輪と書く。其字義なり。田界をクロと云も。田の外輪なる謂なり。又萬葉十五君我由久道乃奈我※[氏/一]乎。久里多々禰。とあるなど。みな同類の言なるを(507)知べし。】と云り。○五百箇御統。本に御字なし。今元々集に引るに依て補ふ。○瓊響※[王+倉]々。紀に奴弥登母々由良爾《ヌナトモモユラニ》。また御頸珠之玉緒母由良邇。取由良迦志なドあり。記傳云。奴那登《ヌナト》は瓊《ヌ》の音《オト》なり。母由良は。緒に貫る玉ども。動きて相觸(レ)つゝ鳴さまを云。邇《ニ》は辭なり。下卷に手玉玲瓏織※[糸+任]《タダマモユラニハタオル》之|少女《オトメ》。【※[王+倉]々も玲瓏も。字書に玉(ノ)聲也。】と注せり。遊仙窟に〓々を。ユラメイテと訓り。此字も※[王+倉]々と同じ】萬葉十に足玉母手珠毛由良爾織旗乎《アシダマモタダマモユラニオルハタヲ》。又十三に。手二卷流玉毛湯良羅爾《テニマケルタマモユララニ》などあり。又十一に玉響《タマユラ》ともあり。【武郷云。鈴にも云る例を。此に引れたり】二十に。由良久多麻能乎《ユラグタマノヲ》。とよめるも同じ。さて右の中に。萬葉なるは。皆|母《モ》は辭なるを。記紀なるは辭にあらず。【母(ノ)字二(ツ)ある以知らる。其上(ノ)母は辭なり】眞の意などにや。【されど。眞を母と云る例は未見ず】此は猶も考ふべきことぞ。とあり。○瓊端。本にニノヲと訓たれど。上章第二(ノ)一書に。瓊(ノ)端《ハシ》瓊(ノ)中《ナカ》瓊(ノ)尾《ヲ》と三にわかちて。瓊端を瓊ノハシ。とよみたれば。此も然訓べし。【通證にも。瓊端。前章第二一書訓2邇乃波之(ト)1宜v從といはれたり】さて此は一顆《ヒトツ》の玉の事なるを。上に所謂瓊綸の事なりとして。瓊綸の端《ハシノ》方を囓斷て。其粒ながら。御掌に置せ給ひて。御子を成し玉へる趣なれば。邇能袁と訓て有ぬべき事也。と云る説は叶ひがたし。【なほこれは。一顆の玉の事として解くべし。上古の曲玉と云ものゝ中には。いと大きなるもあり。近江國なる石亭と云人の書あつめたる。曲玉の圖を見れば。小兒の腕ばかりなるも見えたり。さらば端中尾あらむこともとより也。】○忍穗根尊。上の一書に。忍骨《オシホネノ》尊とあるに同じ。○右瓊。此は右(ノ)髻(ニ)所v纏瓊なり。今は畧けるなり。【山蔭云。此はあまりに。略き過たり。いかにはぶくとも。囓2右髻之瓊1とこそあるべけれ。と云れしは。さる言なり】さて次々の御兒には。みな瓊を略きて記せる事。上の一書にも。囓2劔末1而云々。とのみありて。下の次々の御子には。劔の事なきと。同じことなり。
 
 
(508)此(レ)出雲臣。武藏《ムサシノ》國(ノ)造。土師(ノ)連等(ノ)遠祖(ナリ)也。
 
武威國造。記云。天(ノ)菩比命之子。建比良鳥《タケヒラトリノ》命。此出雲國(ノ)造。无邪志《ムサシノ》國造之祖也。國造本紀云。无邪志圖造。志賀高穴穗朝御世。出雲臣(ノ)祖。名(ハ)二井之宇迦(ノ)諸忍之神狹命十世孫。兄多毛比《エタモヒノ》命定2賜國造1とあり。无邪志は武藏なり。名義未詳。栗田寛云。兄多毛比命は。舊印本兄多比命とあり。今一本また延佳本に因れり。此命は。※[匈/月]刺《ムサシ》菊間《クヽマ》伯岐《ハヽキ》大島《オホシマ》の條下に見えたり。高橋氏文に。磐鹿六※[獣偏+葛]《イハカムツカリノ》命捧2二種之物1。献(ル)2於大后1。即大后|譽《ホメ》給比。悦(ヒ)給弖詔久。甚|味《ウマク》清(ク)造(テ)欲v供(ムト)2御食(ニ)1。爾時磐鹿六※[獣偏+葛]命申久。六※[獣偏+葛]|令《シメ》2料理(ラ)1天|將《ム》v奉(ラ)止白天。遣(シ)v喚《ヨビニ》2無邪志(ノ)國(ノ)造(ノ)上祖|大多毛比《オホタモヒ》。知々夫(ノ)國(ノ)造(ノ)上祖|天上腹《アマノウハハル》天(ノ)下腹《シタハルノ》人等(ヲ)1。爲(リ)v膾(ニ)及※[者/火]燒(キシ)。雜造盛天《クサ/”\ニツクリモリテ》。云々とある。大多毛比命は。この兄多毛比命の父か。または兄なるべし。景行の御世に。如此仕奉れりしをもて。成務の御世に至りて。國造に任されしなるべし。氏人は。安閑紀に元年云々。武藏國(ノ)造|笠原《カサハラノ》直|使主《オミ》。與2同族|小杵《ヲキ》1。相2爭國造1。【使主小杵皆名也】云々とあり。【和名抄埼玉郡笠原郷あり。今も笠原村有り。笠原直は。此に居りしより。負る姓と見えたり】續紀に。神護景雲元年十二月。武藏足立郡人|大部《オホトモノ》直不破麻呂。賜2姓武藏宿禰1。爲2武藏國造1。と見え。又延暦六年三月。武藏足立郡釆女。掌侍兼典掃從四位下武藏宿禰家刀自。類聚國史延暦十四年十二月。武藏國足立郡大領。武藏宿禰弟總爲2國造1。【宣長云。此等は本より別姓か。はた後に別れたるか。尋ぬべしと。疑ひおきしかど】とありて。其大伴(ノ)直と武藏國造の同姓なる事は。日本後紀に。弘仁二年九月出羽國人。无邪志(ノ)直膳(ノ)大伴部廣勝賜2姓大(509)伴直1。とあるにて明か也。さて靈異記に。大伴(ノ)赤麻呂者。武藏國多磨郡(ノ)大領也。以2天平勝寶元年己丑冬十二月十九日1。死亡云々とある。赤麻呂も此同姓大伴直にて。大領となれりしなるべし。將門記に。承平八年云々。足立郡司判官代武藏武芝。と云もあり。さて又國造本紀右の次に。胸刺國造。岐閇國造祖兄多毛比命兒。伊狹知《イサチ》直定2賜國造1とある。胸刺は无邪志と同言にて。ともに今武藏國なるを。こゝにかく書せるは。元无邪志國造の旁に。胸刺とも書る由にて。後人の記せるを。字の異なるまゝに。ふと非よみして。寫し誤れるものならんか。さて岐閇國造は。下に道《ミチノ》口(ノ)岐閇《キヘノ》國造。建許呂《タケコロノ》命兒。宇佐比刀輔《ウサヒトネ》定2賜國造1。と見えて。天津彦根命の裔なれば。兄多毛比命とは別族なり。兒伊狹知直は見あたらず。さて岐閇國造の上に。御世の名あるべきを。某朝ともなくて。兄多毛比命兒とあるを合せ思ふに。上にも云る如く。无邪志國造の旁注を。誤り寫したるものにて。實は无邪志國造。志賀高穴穗朝御世。以2出雲臣祖名二井之宇迦諸忍之神狹命十世孫。兄多毛比命(ノ)兒。伊狹知(ノ)直(ヲ)1。定2賜國造1。と記しけんを。訛れるなるべしと云り。さる言なるべし。さて兄多毛比命の墓は。當國大里郡。吉見(ノ)里|冑《カブト》山邨の字賢樹(ノ)丘にありて。奥つき高さ五丈。めぐり百六十間にて。三段に疊みたる圓塚なり。其形の冑に似たるを以て。しか名けたりとぞ。賢木松など生しげりて。處の眺望もいとよろしと里人云り。記傳云。國造は何れも。久邇能美夜都古《クニノミヤツコ》と訓べし。其由はまづ。上代に諸(ロ)仕奉(ル)人等を。惣擧るには。臣《オミ》連《ムラジ》伴造《トモノミヤツコ》國造《クニノミヤツコ》と竝べ云り。又敏達卷に。臣連二(ノ)造とも有て。二(ノ)造者。國造伴造也。と注せり。さて其國(510)造は。諸國にて其國の上として。各其國を治むる人を云尸なり。【武郷云。此文いかゞなり。各其國を治むる職名なるが。やゝ後には尸となれり。とあるべき也。次々の文も其心を以て見べし】伴造の伴は部《ムレ》を云。三枝部《サキクサベ》などの部なり。倍は即牟禮を約たる米に通はしたる言なり。【上達部と書て。カムタチメと訓む類をも思ふべし】故造の尸は。多くは某部と云姓に多し。【天武紀十二年九月の所を見べし○平田翁云。此は大凡を言れしにて。實は某部と云に。首連など。其外の尸を負るも多かり。其は石作部。丹比部。土師部。額田部。などの諸氏の。連なるを思べし。さて其部々を※[手偏+總の旁]て。伴造と云り。其は伴造とは。其伴を領司る御臣と云義なればなり。然るを。或人の伴造を引連ねて。姓ぞと心得ていへる説は。ひがごとなりと云り。】部と云ぬも。其意なる姓なり。【平田翁云。部と云ずとは。掃守連。工造。佐伯造。酒人造。衣縫造。などの類。部と云はねど。部とある氏ぞと云意なり。】かゝれば。造は諸部に上として。各其部を掌る人を云ふ尸なり。【武郷云。此事の證どもをも引れたれど。今は略けり。本書を見べし】されば。二の造同義にて。【郡領をも許本乃美夜都許と訓り。此訓のこと。北山抄にも。懇に記されたり。此も字は異なれども。同言同意なり。】名義は御臣なり。稱徳紀詔に貞《タヾシ》久淨伎心乎以天。朝廷乃御奴止奉仕《ミヤツコトツカヘマツラ》之米天云々。又|丈部姉女《ハセツカベノアネメ》乎波。内都奴止爲弖《ウチツヤツコトシテ》冠位擧給比。などあるを以て。夜都古は。臣の意なることを知べし。推古紀には。國造を。クニノヤツコとも訓り。【夜都古といへば。甚賤き者の如く聞ゆれども。本然に非ず。君に對へて。臣を云名なり。故君臣の意なる臣をば。書紀などにも。皆ヤツコと訓り。】されば天皇の御臣《ミヤツコ》として。【推古卷に。國司國造云々。所v任官司。皆是王臣。】其國々を治る人を。國(ノ)御臣と云。各其部々を掌る人を。伴(ノ)御臣とは云なり。とあり。是にて國造伴造の事は通えたり。さて美夜都古と云意は。美は御なり。夜都古は家之子《ヤツコ》にて。其家に親しく仕ふる人を。睦しみて云名なり。後世に家人《ケニン》。又|家之子《イヘノコ》など云に等し。子は男の通稱なり。【既に和名抄箋注にも。按臣僕皆當v訓2夜都古(ト)1。蓋家(ノ)子之義。雄略紀。人臣有v事。逃入2王室1。神代紀事v汝爲2奴僕1。臣(ノ)字奴僕(ノ)字皆訓|也川己《ヤツコ》是也。と云り】されば。其本は。天皇に親しく仕奉る義にて。宮之《ミヤツ》子の義なるが。【即臣字をしか訓り】轉りては。おしなべての人を。云稱とも爲れるなり。さて其夜都古は。臣を意美《オミ》と云るに同じけれど。臣は大身の(511)意にて。朝廷に仕奉る人の稱なれば。君に仕ふる人ならぬは。オミとは云はず。此差別を思ふべし。【序に云。夜都古に賤字をあてたるは。良に對へる賤にて。是はた意は同じ。卑賤《イヤ》しと云る故には非ず。さて記傳に。古は君に仕ふる人をも。又凡人の中にて。良人に仕はるゝ者をも。共に夜都古と云るを。漢國にては。臣といひ奴婢と云て。名を分たる故に。後人は此字に泥て。臣を夜都古と云ことを知らず。と云るは。さる言なり】さて造字を書く所由は。記傳にも未思得ず。と云れたる如く。予も未思得ず。【彼漢國の大良造。また新羅國の造位。などによれるにもあらじ。また平田翁は。國の上として。其國々を修理堅めなどもすべければ。國|造《ツクリ》大名牟遲神の御名例に準へて。國(ノ)御臣にあてゝ。國造字は書たるを始にて。伴御臣も。唱の同きまゝに。即て此字を書ならへるなるべし。と云れたれど信がたし】さて記傳に。國造は上代は職にて。即加婆禰なりしを。やゝ後には加婆禰は別に有て。其氏の中に國造あり。【武郷云。此國造は職にも加婆禰にも非ず。一種の稱の如し】さて國々に宰を置れて後。國造は國司の下に立て。多くは郡領などに任《ナ》れり。さて漸々に衰へゆきて。後世は。遂に國々の國造絶て。今世まで其名の殘れるは。出雲さては紀國などのみなり。さて大抵諸の姓の中に。臣と連とは京のあたりに住居て。殊に親く朝廷に仕奉る。氏々の尸なり。さて造は。其部の品類によりて。京のあたりに在(ル)と國々に在(ル)と有べしと謂れ。平田翁も國造縣主稻置などは。皆國々に在て。其處々を治る。氏人の職號の。尸と爲れるなり。さてしか國々に在て。其趣も似たる中にも。つら/\事状を見通すに。色々に分れたる。其高下差別は。【師は今こと/\く委曲には。辨へがたし。と云れつれど】大抵見えて。國造。縣主。稻置。と順次べく所思たり。と云れたり。
 
 
次(ニ)天津彦根(ノ)命。此(ハ)茨城《ウバラキノ》國(ノ)造|額田部《ヌカタベノ》連等(ガ)遠祖也。次(ニ)活津彦根(ノ)命。次|※[火+漢の旁]《ヒノ》速日命。次熊野|大隅《オホスミノ》命。凡(テ)六(ノ)男《ヒコガミマス》矣。
 
 
(512)茨城國造。和名抄。當陸國茨城【牟波良岐】郡これなり。【記傳云。和名抄に牟婆良岐とあれども。本は宇婆良なるべし。梅馬などをも。後には牟米牟麻と云類にて。此も後に牟とはなれるなり。和名抄に。〓〓を於保宇波良とあり。と云れしに依べし。】常陸風土記に。茨城國造祖。多祁許呂《タケコロノ》命仕(フ)2息長帶比賣天皇之朝(ニ)1。【多祁許呂命は。神功皇后の御時の人也。といへども。石城國造。志賀高穴穗朝御世。以2建許呂(ノ)命1定2賜國造1。とあれは。已に成務御世の人なり】當2至|品太《ホムダノ》天皇之誕時1。多祁許呂命有2子八人1。【氏族志云。所謂八子據2舊事本紀1蓋謂2筑紫刀禰。意富鷲意禰。大布日意禰。深河意禰。屋主乃禰。宇佐比乃禰。建禰依米。加米乃意美1也とあり。】中男|筑波使主《ツクハオミ》茨城郡湯坐連等之初祖也。【湯坐一本に。陽生とあるは誤なるべし。重胤云。湯坐連は。額田部湯坐連なる事。云も更なるが。其初祖と云を以て思へば。必額田部の氏々は。茨城國造より。出たりし者也けり。と云り。額田部の事は。次にいへり】國造本紀に。茨城國造|輕島豐明《カロシマノトヨアキラノ》朝(ノ)御世。天津彦根命(ノ)孫|筑紫刀禰《ツクシトネ》定2賜國造1。とあると。合せて思ふに。筑紫刀禰は。多祁許呂命の子にて。風土記に。筑波使主とあると。同人と聞したり。さて建許呂命は。姓氏録【奄知造高市縣主條】に。天津彦根命十四世孫とあり。【平田翁。風土記に筑波使主云々。と云るに依て思へば。國造本紀に。筑紫刀禰とあるは。筑波刀禰を誤れるかと思へど。古語拾遺にも。天目一箇命。筑紫忌部といふ事のあれば。筑波を誤れるには非ず。と云り】重胤云。筑紫刀禰と云人。征韓の御時などに供奉りて。其家の職とある。鍛冶の事を以て。仕奉れりし子孫の。筑紫にも在を思へば。必其人なりけん。とぞ所思たる。【多祁許呂命。神功皇后に。供奉の事あり。天目一箇命。筑紫伊勢兩國(ノ)忌部祖也。と拾遺に在も由あり】然れば刀禰は舍人《トネ》にて。筑紫舍人と云むが如くして。謂ゆる筑紫忌部の稱也けり。【此人鎭西にて。生れたる故に。筑紫刀禰と云けるを。其國に任に着てより。地名を唱へて。筑波使主と云けるなり】と云れたり。偖姓氏録に。【和泉未定】茨木造。天津彦根命之後不v見とあり。【皇別にも茨木(ノ)造あれど。別なり】此氏後に。壬生《ミブノ》連の姓を給はれるにや。【仁徳紀に。爲2大兄去來穗別皇子1定2壬生部1。とありて。其時諸氏の人を。壬生部と定賜へるうちに。此氏の人もありて。後に壬生連(ノ)姓を給はれるなり】風土記|行方《ナメカタノ》郡條に。難波|長柄豐前《ナガラトヨサキノ》大宮馭宇天皇之世。癸丑年。茨城國造小乙下壬生(ノ)連麻呂。那珂《ナカノ》國造壬生(ノ)直|夫子《フヽシ》云々。續紀神護景雲元年三月。常陸國筑波郡人從五位下壬生連|小家主《ヲヤケヌシ》賜2姓宿(513)禰1。同二年六月。以2掌膳常陸國筑波釆女。從五位下勲五等壬生(ノ)宿禰小家主(ヲ)1。爲2本國(ノ)々造(ト)1。と見ゆ。さて平田翁に。三代實録仁和三年三月。常陸國正六位上|菅田《スガタノ》神從五位上。と見え。和名抄に同國河内郡に。菅田郷あり。然れば菅田神は。茨城國造の祖神を。祀れるにぞ有べき。また郡名を河内と云も。阿内直より分りて。此地の國造となれる由縁なるべし。と云り。【姓氏録に。菅田首。久斯麻比止都命之後也とあり。麻比止都命は天津彦根命の子也。又式播磨國賀茂郡菅田神社。近江國蒲生郡菅田神社。とあるも。此神を祭れる社なるべし。其は式に播磨國多可郡。天目一神社あり。又此神近江國にも由ある事など。既に云り。】さて記には。天津日子根命は。木國造とある。此も茨木の誤にて。字を脱せるならむと。記傳に云れたる。然言なり。【天武紀十三年。茨城公賜v姓曰2眞人1とあるは。姓氏録に。茨城連豐城入彦命之後。とある御裔なるべし】○額田部連。姓氏録【左京神別】額田部は。天津彦根命孫。意富伊我都《オホイカツノ》命之後也。とあり。【平田翁云。三世孫とあるべきなり。其は本書額田部河田條に。三世字あり。又高市連の處に引る文に。伊賀都命とあるも。同人と聞えたるに。其處にも三世孫とあり。但し天津彦根命と云るは。其本を擧たるにて。實は天御蔭命より出たり。さて意富伊賀都命は。彦根命の三世孫なれば。御蔭命には孫也けり。と云り。】記云。天津彦根命。額田部湯坐連之祖也。とあり。記傳云。姓氏録に。額田部(ノ)湯坐(ノ)連。天神彦根命子|明立天御影《アカリタツアマノミカゲノ》命之後也。允恭天皇御世。被v遣2薩摩國(ニ)1。平2隼人1。復奏之日。献2御馬一疋(ヲ)1。額(ニ)有2町形廻毛《マチカタノツムジ》1。天皇喜v之。賜2姓額田部1也。【奴加は。即比多比の事なり。町形は。田の町の形なり。】また額田部(ノ)河田連。同神三世孫意富伊我都(ノ)命之後也。允恭天皇御世。献2額田(ノ)馬(ヲ)1。天皇勅。此馬額如(シ)2田(ノ)町(ノ)1。仍賜2姓額田(ノ)連(ヲ)1。【此は。部字脱たるか。部と云こと。後に加へたるには。あるまじければなり】是にて。額田の義|解《キコ》えたり。【武郷云。但此額田部の事は。允恭天皇御世の故事なり。然るに記の大國主神段に。日名照《ヒナテリ》額田毘道男伊許知邇神。と申す神名有て。已に神代に額田の稱あり。又應神紀に。額田(ノ)大中彦皇子と申す御名も所見て。此は允恭天皇の御世所知看し初させ玉へる。元年壬子よりは。凡百四十年餘も古の事なるに。已に額田の言有なれば。此姓氏録の説。浮たるに似たり。】同書に。額田(514)部(ノ)湯坐連。天津彦根命五世孫。川|田部《タベノ》連之後也。【武郷云。額田部川原聯續紀に見ゆ。さてこゝは。五世の上十字脱たるならん。】舊事紀に。天(ノ)斗麻彌《トマミノ》命。額田部(ノ)湯坐連等祖。【姓氏録攝津國天神。國造天津彦根命男。天斗麻彌命之後也○武郷云。上に引る額田部湯坐連條に。天津彦根命子。明立天御影命とあれば。戸間見命。天御陰命は。同訓なるべし。】などあり。さて湯坐連は。其氏人の中に。湯坐の事の由に付て。別に賜はりし姓なるべし。さて後に其湯坐連の方榮えて。廣かりける故に。記には其を擧。【此姓の人は。孝徳紀孝謙紀仁明紀などにも見えたるを。たゞ額田部連の人は。すべて見えず。】書紀には。本を擧たるなるべし。【武郷云。重胤云。湯坐連は。額田部なりし氏人の。湯坐(ノ)職掌を兼て。仕奉れりし者なるべくして。天武天皇十三年。大湯人連。若湯人連とあるとは。本より別なるべきこと。云も更なり。天孫本紀に。饒速日命七世孫。大※[口+羊]布命。若湯坐連祖とある是なり。と云り。さて上總國|周淮《スヱ》郡に。額田湯坐の二郷ありて。須惠國造は。天津彦根命の御末なるなど。みなよしあり】神名式に。伊勢國桑各郡額田神社あり。【武郷云。和名抄。桑名郡額田沼加多。神鳳抄額田(ノ)神田あり。さて此社は。帳考に在2糠田村1と云り】同郡多度(ノ)神は。此天津日子根命なれば。此社も此姓によしあるべし。又類聚國史に。額田國造と云姓の人もあり。此は同姓か。異姓か。猶考べしと云り。さて天武紀十三年十二月。額田部連賜v姓曰2宿禰1とあるは。此氏なるべし。【按に額田部宿根今一氏あり。姓氏録右京神別。額田部宿禰明日名門命三世孫天村雲命之後也。攝津に。糠田部宿禰角凝魂命男五十狹經魂命之後也と有。大日本史氏族志云。按明日名門。本書不v言3其爲2何神裔1。而額田部宿禰條云。角凝魂于伊狹布魂之後。其下序2額田部1云。額田部宿禰同祖明日名門之後。據v此明日名門爲2角凝魂之後1無v疑。唯其世次不v可v考耳。とありて。これは同氏なり。さて額田部は右の如く。天津彦根命の後と。角凝魂命の後と二氏あれば。天武紀十三年に宿禰姓を賜へるは。何れの裔か知がたし。今姑くこゝに記するまでなり。さてまた續紀に額田部直と云もあり。これも角凝魂命の裔なるべし】○活津彦根命。本に活下目字ある衍なり。諸古寫本に從て削りつ。○次※[火+漢の旁]速日命。丹鶴本次以下五字なし。○熊野大隅命は。熊野忍隅命とあるに同じ。○六男。舟鶴本に五男とあり。さて此までは。初度の事の亂ひて。こゝに出たる事。上に云るが如し。
 
 
(515)於是素戔嗚尊|白《マヲシテ》2日神(ニ)1曰(サク)。吾(レ)所2以更(ニ)昇來《マヰクル》1者。衆神《モロカミタチ》遂《ヤラフ》2我(ヲ)於根(ノ)國(ニ)1。今當(ニ)就去《マカリナムトス》。若|不《ズハ》2與《ト》v姉(ノミコト)相見《アヒマミエマツラ》1。終(ニ)不《ジ》v能(ハ)2忍(テ)離《ワカレマツルコト》1。故(レ)實(ニ)以2清(キ)心(ヲ)1。復上(リ)來《マヰキツラク》耳《ノミ》。今則(チ)奉《マツルコト》v覲《マミエ》已(ニ)訖(リヌ)。當(ニ)隨《マヽニ》2衆神(タチ)之意(ノ)1。自v此(レ)永《ヒタスラニ》歸《マカリナム》2根(ノ)國(ニ)1矣。請(フ)姉(ノミコト)照2臨《テラシノゾミタマヒテ》天國(ヲ)1。自可平安《オノヅカラサキクマシマセ》。且《マタ》吾(レ)以(テ)2清(キ)心(ヲ)1。所生兒等《ナセルミコタチハ》。亦|奉《タテマツラム》2於姉(ノミコトニ)1。已(ニシテ)而復還(リ)降(タマヒキ)焉。廢渠槽。此云2秘波鵞都1。挿籤。此云2久斯社志1。興台産靈。此云2許語等武須※[田+比]1。太諄辭。此云2布斗能理斗1。※[車+田三つ]轤然。此云2乎謀苦留々爾1。瓊響※[王+倉]々。此云2乎奴儺等母々由羅爾1。
 
 
遂我以根國。本に遂を處に作れり。されど根國に適れと。處《オキテ》たまひしは。伊弉諾尊の詔にこそあれ。衆神等の處たまひしにはあらず。【此事は既にも云り】今は衆神に逐はれ給ふなれば。丹鶴本に遂字に作るに據る。【上にも。諸神逐v我ともあり。】遂は逐の俗體にて。同字なること既に云り。○奉覲は。漢籍に。諸侯見2天子1曰v覲。また覲(ハ)勤也。などあるに依て。書れし字なり。○平安は。眞幸くなり。萬葉の歌等に多き辭なり。【平田翁云。和名抄淡路國津名郡平安阿惠加。と見え。物語書にも。あゑかと云詞あれど。詳からぬ詞なれば。より難し。と云れたり。】○奉於姉。重胤云。其清心を以て。生奉らせ玉へる男御子を(516)奉りて。大神の御命以て。天下を事依し授玉はむ御事を。悉に御心に任せ奉らせ玉ふとなり。已にも條々に云るが如く。其始二柱(ノ)御祖神の。何不v生2天下之主1者歟。と詔給ひて。此大神等を生成し奉らせ玉へれば。其御中に生出させ御坐ける男御子を以て。天下之主と爲奉るべき道。自然に豫て定り在りしなるべし。【但し月讀尊に。其事の無き所以は未考へず】故其道を以て。大神の御方にて。日足《ヒタ》し奉らせ給はむと。宣給へるを。素戔嗚尊よりも。其御事を諾なひ奉らせ給ひて。其御子を奉らせ給はむと。申玉へるは。いひもてゆけば。かの素戔嗚尊者可3以治2天下1也とある。其天下を奉らせ給ふと。云事に當れるなり。故(レ)天孫降臨章一書に。天照大神勅曰。豐葦原中國(ハ)是(レ)吾兒(ノ)可v王之國也。【紀にも。天照大御神命以戯。豐葦原之千秋(ノ)長五百秋之水穗(ノ)國者。我御子正勝吾勝々速日天忍穗耳命之所知國(ナリ)】とある御事の。因て起る所以。此に在る事也けり。【此事を知ざる時は。天照大神の御命も。あまり不意く聞なし奉らるゝが如し。此(レ)人の難義と爲る所也。】さて平田翁云。かく白し給へる御言の中に。自ら大御神に。御子等を哀と御覽し育たまはむことを。言遺し給ふ御情のほど見えて。甚も哀に悲しき御言にぞありける。と云り。○還降。平田翁云。此一書。復上り玉へる度に。御子生たまへりとある。亂(ヒ)の傳と。日神の御田三處あり。素戔嗚尊の御田も三處ありしを。※[石+堯]《ヤセ》處なりし故に。其を妬て。放v畔埋v溝などの。惡事を爲玉へるとある。傳をせ捨ては。其餘の事どもは。餘の一書ども。記拾遺などにも。洩たる傳の。實にかくあるべき。珍き傳にて。殊に暇請し玉へる御言などは。彼解除の徳によりて。御心の和給へる事。明に知られて。いとも哀なる御言(517)なりかし。と云り。○瓊響※[王+倉]々。此云云々。本に瓊響二字脱たり。山蔭に二字ある本よろし。と云れたるに從て加へつ。また乎奴儺等の乎字。决て衍なり。山蔭にも削去べし。これは上の乎謀苦留々爾の。乎よりまぎれて。此にも書るなるべし。と云り。さる言なり。【私記に。瓊響※[王+倉]々。奴奈刀毛由良爾とあり。これに依れば。乎は衍なる事著し。但し母由羅爾の。母字を脱せるなり。】
 
 
 
(519)日本書紀通釋卷之十一       飯田 武郷 謹撰
 
〔寶劔出現章〕
是(ノ)時(ニ)素戔(ノ)嗚(ノ)尊。自(シテ)v天《アメ》而|降2到《クダリマス》於出雲(ノ)國(ノ)簸之川上《ヒノカハカミニ》1。時(ニ)聞(ク)3川上(ニ)有(ヲ)2啼哭《ネナク》之|聲《コヱ》1。故(レ)尋《タヅネテ》v聲(ヲ)覓往者《マギイデマシシカバ》。有3一(リノ)老翁《オキナト》與2老婆《オミナ》1。中2間置《ナカニスヱテ》一(リノ)少女《ヲトメヲ》1。撫《カキナデヽ》而|哭《ナク》之。
 
 
此章の大旨は。素戔嗚尊天上より出雲國に隆坐て。其處なる脚摩乳手摩乳。及其女奇稻田姫を見玉ひ。其神等の哀傷む状を憫坐て。八岐大蛇を殺し玉ふに。其大蛇の尾中に。神劔あり。これ草薙劔なり。即これを天照大神に上献れる。これ神璽の其一にて。寶劔出現章の本旨こゝに在り。さて遂に奇稻田姫を后と爲て。清《スガノ》宮に住玉ひ。生坐る御子大巳貴神の。世に功績|立《タテ》給ふ神性《カムサガ》坐す事を見定玉ひて。御自(ラ)は遂に根國に入坐までの事を載たり。偖一書には。其大巳貴神の國土を造立し玉ひ。少彦名神と共に。人民の恩頼蒙るべき事どもを。爲置せ玉ひし事を載たり。本書は即經なり。一書共は緯なり。此經緯の傳にて。素戔嗚尊より。御子の繼々の事の。具に知られたる。即この一章のおもむきなり。○是時とは。上章逐降焉。とあるをうけて云る文ながら。此は後度の御天降の時なること。既に云へるが如し。○自天而降は。即高天原より天降り御在坐し。著せ給ひけるにて。他所より渡來坐るにはあらず。然るを唯第(520)四一書に。先には降2到於新羅國(ニ)1とありて。其より東(ニ)渡(テ)到2出雲國簸(ノ)川上所在鳥上之峯(ニ)1と云るは。後に天降坐る事を一に云て。其は混ひつる傳なる事。既に弁へ注したるが如し。○出賓。名義次の御歌の下に云。○簸川。記には出雲國之肥(ノ)上河上|在《ナル》鳥上(ノ)地とあり。【肥の下なる上字は。上聲に訓めとなり】記傳云。肥は地名なり。和名抄出雲國大原郡|斐伊《ヒ》。神名式に同郡に斐伊(ノ)神社もあり。彼國風土記に。大原郡斐伊郷屬2郡家(ニ)1。樋速日子(ノ)命坐2此處(ニ)1。故云v樋。神龜三年改2字斐伊(ト)1とあり。これより川にも名けつるなり。樋速日子命は即上に見えたる。樋速日神なりと云り。【重胤云。瑞珠盟約章。寶鏡開始章等に。五男神を六男神と爲る。異なる傳ありて。活津彦根命と。熊野忍蹈命との間に。※[火+漢の旁]速日命あり。出雲風土記なる。樋速日子命は其神にて。火神より化れるにはあらじ。火神より化れるは。天孫降臨章に。天石窟所住神とあれば。出雲に由なきを。熊野郡と大原郡とは相隔らざる地なるに。心を著て考ふれば。熊野も斐伊も。共に出雲の地名なれば。活津彦根命の亦御名などにや有む。又姓氏録攝津國神別天神に。服部連。※[火+漢の旁]速日命十二世孫。麻羅宿禰之後也とあるも。此の神なるべしと云り。よく考べし】さて此川上は。同風土記に。出雲大川源自d伯耆與2出雲1二國(ノ)堺鳥上(ノ)山u流。出2仁多郡横田村(ニ)1。即經2構田。三處。三澤。布勢等四郷(ヲ)1。出2大原郡(ノ)堺引沼村1。即經2來次。斐伊。屋代。神原。等四郷(ヲ)1。出2出雲郡(ノ)堺多義(ノ)村(ニ)1。經2河内出雲(ノ)二郷(ヲ)1北流。更(ニ)折西(ニ)流。即經2伊努杵築二郷(ヲ)1。入2神門(ノ)水海(ニ)1。此則所v謂斐伊(ノ)河下也。云々。自2河口1至2河上横田村(ニ)1之間。五郡百姓便(テ)v河(ニ)而居。【出雲。神門。飯石。仁多。大原郡。○記傳云。此大河の下《シモ》。古は神門水海に流入しを。寛永のころ大水出たる時より流變りて。今は伊努郷より東方へ流て。國中の入海に入となり。さて此入海は。國中を東より西へ遠く入りたる海にて。昔は潮海なりしを。肥大河の流入る故に。其河水に衝れて。今は潮入らず。淡海なりとぞ。】また仁多郡室原川。源出2郡家(ノ)東南三十五里鳥上山(ニ)1。北流。所謂斐伊大河(ノ)上也。又同郡横田川。源出2郡家東南三十六里室原山(ニ)1北流。此即斐伊(ノ)大河上。などあるを見れば。鳥上は此源なればなり。さて記紀ともに。降着給ひし處は。かく簸川上とあれども。なほ始て到坐る地は。安來郡可(521)愛川上ならんと云る説あり。次々に云るを見るべし。○啼哭。記傳云。泥は即泣ことなるを。泥那久と重ね言も常のことなり。と云り。按に齊明紀四年に。悲哭をミネスとある。禰は泣時の音聲なり。那久は音を立るにも。音を立ざるにも歎くを云なり。故下泣などは。心のうちに歎くことにて。もとより聲をたてざるなり。○尋聲覓往者。記云。此時箸從2其河1流下。於是須佐之男命。以3爲(テ)人2有(ト)其河上(ニ)1而尋覓上(リ)往者。とあり。重胤云。箸の琉下れるは。决めて簸川には有べからず。第二一書に。是時素戔嗚尊下2到於安藝國可愛之川上1也。云々と所見たれば。風土記の伯太川にて。即今伯耆(ノ)大川と云る是なり。但此にては。地理甚く違へるが如くなれども。然らず。其鳥上山は。仁多郡に在て。風土記に。伯耆與2出雲1之堺と注し。其意宇郡伯太川の事を。同記に。源出d仁多與2意宇1二郡(ノ)堺葛野山uと見えたれば。相接ける地なるにて。斐伊川と。伯太川と。流末にては十里許もや隔在らむを。水源にては。僅なる程にし有ければ。地理の違へるには非ずして。傳の状の異なるなり。偖素戔嗚尊の尋ねつゝ上り坐しは。其|可愛《エノ》川上にして。大蛇を殺し給へるは。簸之川上なる者なり。第三一書に。其斬v蛇(ヲ)之地。即出雲國簸之川上山是也と見えたる是なり。思混ふる事勿れ。と云れたり。○一老翁。記傳云。一字は讀べからず。かゝる處に一と云は漢文の格なりと云り。【次の一少女も同じ。】○老翁老婆。本に翁を公に作る。永享本纂疏本舊事紀本に。翁に作るよろし。記傳云。倭名抄翁孫※[立心偏+面]切韻云老人也。和名於伎奈。新撰字鏡に※[女+長]於彌奈とあり。續紀十三に。紀朝臣意美那と云人の名も見ゆ。抑老女を意美那と云は。少き(522)を袁美那と云と對て。大と小とを以て。老と少きとを別てる稱なり。【又伊邪那美などの御名の例思ふに。意伎那意美那は。伎と美とを以て。男女を別てる稱なるべし。矢野玄道云。按意伎那意美那と乎止古乎美那相對之稱かと云り】さて和名抄に説文云。嫗老女之稱也。和名於無奈。と見え。書紀に老婆《オムナ》老嫗《オムナ》老女《オムナ》。又萬葉に嫗《オムナ》。靈異記に嫗於于那。など見えたるは。中古よりして。美を音便に牟とも宇とも云なせるものなり。此又袁美那をも。後には袁牟那とも。袁宇那とも云と同例なり。とあり。○撫。萬葉六に掻撫曾禰宜賜《カキナデゾネギタマフ》。打撫《ウチナデ》曾禰宜賜。とあり。掻も打も同く。萬の事に添云言なり。
 
 
素戔嗚(ノ)尊問(テ)曰(ク)。汝等誰《イマシタチハタレソヤ》也。何(ゾ)爲|哭《ナク》2之|如此《カク》1耶《ヤ》。對(テ)曰(ク)。吾(レハ)是(レ)神(ナリ)。號脚摩乳《ナハアシナヅチ》。我|妻《ツマノ》號(ハ)手摩乳《テナフチ》。此(ノ)童女《ヲトメハ》是(レ)吾兒也。號(ハ)奇稻田姫《クシイナダヒメ》。所2以哭(ク)1者《ハ》。往時《サキニ》吾(ガ)兒有2八箇少女《ヤツタリノヲトメ》1。毎(ニ)v年爲(ニ)2八岐大蛇《ヤマタノヲロチノ》1所《レキ》v呑(マ)。今此(ノ)少女|且《マタ》臨被呑《ノマレナムトス》。無(シ)v由《ヨシ》2脱免《ノガルヽニ》1。故以《コノユヱニ》哀傷《イタムトマヲス》。
 
 
國神。記傳云。國神とは高天原に坐 を。天神と申すに對へて。此國なる神を云なり。但何事も此國にて言ことなる故に。天神とは申せども。國神とは徒には言はず。此も天より隆來坐せる神に對へて申す言なり。とあり。【矢野玄道云。按稱2國神1凡有v四焉。天之神與2國神1對此其一矣。因3先宰2其地1而言。吾國神井氷鹿等類。此其二矣。或指2其産土神1而稱v之。山城風土記木幡社爲2祇《クニツカミ》社1。此其三矣。或雖2海中之神1。※[手偏+總の旁]混2諸地祇1。姓氏録列2豐玉彦命之裔孫于地神1之類。此其四矣。神祇令義解之制。又出2于殊制1者乎。其所謂天神者。指d不v在2陸地1之神u而稱v之也と云れたるは。心得おくべき説なり】記云。僕者國神大山津見神之子。云(523)々○脚摩乳手摩乳。名義。奇稻田姫を撫《ナデ》愛しみつるよしの名にて。脚撫知《アシナヅチ》手撫知《テナヅチ》なり。【知は例の尊稱。】記傳にも云れし如く。此は姫の素戔嗚尊の御妃に爲玉ひて。後に御親を思て稱へしものぞ。【然らざれば。子を愛みつる由を。本より親の名に負ふべき由なし。然らば今此に吾名とて名告つるは。前後違へるに似たれど。凡後を以て始へも回らし言は。古傳の常なれば妨なし。】一書には。足摩手摩と云を。父一人の名ともせり。さて尋常なるは手足と云べきを。足を先に云るは。矢野玄道云。按以v足先稱。文徳天皇紀。授2播磨國足速手速神從五位下1。可2亦以徴1也。と云り。○奇稻田姫。記には櫛名田比賣とあり。奇は美稱。記傳云。名田は稻田にて地名なり。【武郷云。其地は清地の舊名なるべき由下に云。】然るを久志より連く故に。志に伊の響有て。自(ラ)名田と云るゝなり。と云り。さて一書にはたゞ稻田媛ともあり。又|眞髪觸《マカミフル》奇稻田媛ともあり。これは枕詞を置るなり。式に。山城國相樂郡|綺《カムハタノ》原(ニ)坐。健伊那太比賣神社。熊登國能登郡久志伊奈太伎比賣神社あり。【平田翁は此御名に因て。櫛戴の義か。と云れたり。】出雲風土記に。久志伊奈太美等與麻奴良比賣《クシイナダミトアタハスマヌラヒメノ》命。と云もあり。式に常陸國新治郡稻田神社あり。同國二十八社鎭坐考に。今屬2茨城郡1。在2稻田村(ニ)1。所v祭奇稻田姫命。今祠二許町上是謂2奥宮舊趾1。とあり。又式武藏國足立郡氷川神社。【名神大月次新嘗。】とあるは素戔嗚尊。稻田姫神。大巳貴命。三神にて渡らせ玉へるが上に。其入間郡中氷川神社を。頭注に。日本武尊東征之時。勸2請田姫命1也。などあり。○八箇少女。記傳云。八は例の多きを云るにて。幾人も有し意なるべし。【白檮原宮毀に。七媛女。日代宮段に。二孃女などもあり。】と云り。さてヤタリをヤツタリと訓るは。雄略紀に馬の八疋《ヤキ》をヤツキ。萬葉集に八峰をヤツヲと云るが如き例也。【矢野玄道云。按高橋氏文有2八乎止古八乎止女1。神樂亦然。紀作2八箇少女1恐從2八人1爲v是と云り。】○毎年。山蔭云一本毎v生とあり。と(524)云り。【丹鶴本にもしかあり。】記にも毎v年來喫とあれど。毎v生とある方勝れる心ちす。○八岐大蛇。記には高志(ノ)八俣遠呂智とあり。【高志は地名なり。和名抄出雲國神門郡古志。記傳に出雲風土紀に。神門郡古志郷云々。古志國人等。到來而爲v堤。即宿居之處。故云2古志1と所見たれども。其地には有べからず。其本國なる古志國を云也。記に八千矛神將v婚2高志國之沼河比賣1。とあるは。神代に越洲と云る能登國なるべし。八千矛神の沼河比賣に通ひ玉ひしも。其處なることたしかなる證あり。此國上古には人も住ず。怪鳥大蛇の棲處にて有しを。氣多大神此を平け玉ひしよしなれば。八岐大蛇も其處を占居れりしにこそ。】八岐は。次に頭尾各有2八岐1と云るこれなり。蛇和名抄に蛇和名倍美。一云久知奈波。日本紀私記云乎呂智。とあり。記傳云。今俗には。少く尋常なるを久知奈波と云(フ)やゝ大なるを幣毘と云(フ)。なほ大なるを宇波婆美と云。きはめて大なるを蛇《ジヤ》と云也。遠呂智とは。俗に蛇と云ばかりなるを云けむ。とあり。名義。平田翁云。青呂智と云言の。阿の省かれたるにや。青呂智とは。俗に青野呂智と云ふ蛇にて。此を青呂智といふ國々多かればなり。【其は尋常にヘビと云ばかりのものより。大蛇といふばかりのものまでを弘く云り。越後國などの人々。また相摸國大山邊の人なども。然稱ふをきゝたり。なほしか云國々多かるべし。出羽國の秋田庄内邊にては。青ノロチと云。江戸などにては青大將と云。】抑蛇の類多かる中に。此蛇はしも。常に草村の中に在るも。餘の蛇等よりは平穩に。長々《オトナ》しく人に害ひを爲ことも。餘の蛇等の如く甚しからず。然れども又此蛇ばかり大きになるはなく。俗に宇波婆美と云ひ。大蛇と云などの。有状を探ぬるに。みな此蛇の大に成れるにて。其餘の蛇の状なるは聞ず。かく大に成る性の者なる氣にや。自から小蛇の時には。然しも害を成さず。老成《オトナシ》かると思ゆるなり。【俗に宇波婆美と云を。常陸下總などの人は袁加波美と云ひ。出羽の秋田などにては宇加婆美といふ。】然れば袁呂は。青に呂といふ辭の添りたるか。阿の省りたる語。智は稱名なり。下に須佐之男命の御言に。汝是|可畏《カシコキ》之神と詔ひ。又欽明紀に。狼をも貴《カシコキ》神と云ひ。虎をも威《カシコキ》神と云る言ある如く。かゝる物をも稱へて。智とは(525)云るなり。【蛟などの智も同じ。】と云れたり。【通證に乎呂尾也。知雷也。有尾而可畏之義。と云る。これは一説なり。】○此少女。本に女を童とあり。丹鶴本三島本應永本に據て改む。】
 
 
素戔嗚(ノ)尊|勅《ミコトノリシテ》曰(ク)。若(シ)然(ラバ)者。汝《イマシ》當《マサニ》以(テ)v女《ムスメヲ》奉(ラム)v吾(ニ)耶。對|曰《マヲサク》。隨《マヽニ》v勅(ノ)奉(ツラム)矣。故素戔嗚(ノ)尊|立化《タチドコロニ》奇稻田姫(ヲ)爲《トリナシテ》2湯津瓜櫛《ユツツマグシニ》1。而|挿《サシタマフ》2於|御髻《ミミヅラニ》1。乃(チ)|使《シテ》2脚摩乳手摩乳(ヲ)1釀《カミ》2八※[酉+温の旁]酒《ヤシホヲリノサケヲ》1。并《アハセテ》作《ユヒ》2假※[まだれ/技]《サズキ》【假※[まだれ/技]。此云2佐受枳1。】八間《ヤマタ》1。各置(キテ)2一口槽《ヒトツサカフネヲ》1。而|盛《イレ・モリ》v酒(ヲ)。以(テ)待(チタマフ)之也。
 
 
以女奉吾耶。葦牙云。女は生女《ムスメ》の意なり。さて此童女を乞し賜へるは。瓜櫛になして御髻にさしたまひて。其身を大蛇に隱しやまはん爲は。さるものから。本より童女のかほよかりし故に。御妃に爲たまはむ料か。と云り。○隨勅奉矣。記云。是汝之女(ナヲバ)者奉(ラム)2於吾(ニ)1哉。啓白。恐亦不v覺2御名(ヲ)1。爾答詔。吾者天照大御神之伊呂勢也。故今自v天降坐也。爾足名椎手名椎神白。然坐(サバ)者恐(シ)立奉(ラム)とあり。○立化奇稻田姫云々。記に乃於2湯津爪櫛1取2成其童女(ヲ)1而云々。とあり。立は私記明應本鎌倉本に據て。太知度已呂爾と訓べし。【舊訓は誤なり】※[しんにょう+千]却祟神祝詞に。高津鳥|殃《ワザハヒ》爾依※[氏/一]|立處《タチドコロ》爾身亡支と云事あり。立處とは立て居る間も非せずと云事にて。頓に急速《ハヤ》き義なり。【忽と云に近き義ながら。忽は立て待つ間にと云事にて少く緩きを。立處は急なる義なれば別あり。】記傳云。取成とは手に執て爲るを云なり。令v取2其御手(ヲ)1者。即取2成立氷(ニ)1亦取2成釼刃(ニ)1。とあると同くて。此物を變化《カヘ》(526)て。かの物に爲なり。然ればこれは姫の身體を櫛に變化て。須佐之男命の。己命の髻に刺たまふなり。と云り。さて如此爲玉ふ所以は。いかなるにかと云に。重胤説に。此にては。其童女の形を幽《カク》して。湯津爪櫛と變《ナ》さしめ。其害を避させおはし坐むと。事謀らせおはし坐けるよし。其御名の義に合せ。曉るべくなん有ける。天淵記に。素戔嗚尊計2奇計(ヲ)1。置2八槽※[酉+温の旁](ノ)舟(ヲ)1又作2艾偶女(ヲ)1装之。置2東山(ノ)頂(ニ)1。其影沈入v槽(ニ)。大蛇見v之以爲2眞女(ト)1。便|嬌《アゲテ》2八頭(ヲ)1飲2八槽1。中(ニ)無v女云々。とあるにて。爲2湯津爪櫛1とあるも。甚能聞ゆめり。と云れたるさる言なり。【右の天淵記の故事は。源平盛衰記。榻鳴曉筆。また釼卷などにも見えたり。いづれも大同小異なり。】されば記傳にも引れたる。清輔奥儀抄に。櫛に取成て蛇に見せじとし玉ひけるにや。と云れたるは。自ら云得たる説なり。○八※[酉+温の旁]酒。和名抄云。説文云。酎(ハ)三重釀酒也。【漢語抄云。豆久利加倍世流佐介。】西京雜記云。正旦作v酒八月成。名曰2酎酒1。一名九※[酉+温の旁]。【通俗文云。※[酉+温の旁]※[酉+役の旁]酒。切韻云。※[酉+温の旁]酒再下麹。俗云曾比。】記傳云。※[酉+温の旁]は釀酒也とも。久釀也とも。字書に注せり。夜志本袁理と云所由は。私記に。或説一度釀熟絞2取其汁(ヲ)1。棄2其糟(ヲ)1。更用2其酒(ヲ)1爲v汁(ト)。亦更釀v之。如此八度。是爲2純酷之酒1也。謂2之鹽(ト)1者。以2其汁(ヲ)1八度絞返(ス)故也。今世亦謂2一度(ヲ)1便爲2一鹽(ト)1也。謂2之(ヲ)折(ト)1者。以(テノ)2其八度折返(ヲ)1故也。是古老之説也。と云り。八度折返とは。古何事にまれ回復《カヘシ》て物するを。折と云るにや。物語文に。折返し歌ふなどあり。又|酒折《サカヲリノ》池。酒折(ノ)宮。など云もあるを思へば。折は酒を造るに。殊に云言なるべし。さて字鏡に。※[酉+戍]。志保留《シホル》。【※[酉+戍]は釀俗字と見ゆ。さて釀は説文に厚酒也と注せり。】とあり。此によらば。厚酒を造るを志保留とは云にや。志保留は即ち志本袁留の切まりたる言にて。幾度も折返し釀(ム)意なるべし。と云り。さて洒(527)は加茂翁説に。これを飲めば。心の榮ゆる故の名にて。佐加延の約なり。と言れたり。祝詞等に。長御食能《ナガミケノ》遠御食登。赤丹穗爾《アカニノホニ》聞食故爾。など云る類の語に據て思ふに。心のみにあらず。顔まで赤丹(ノ)穗に咲《ヱミ》榮ゆるを以て。佐計とも云と聞えたり。【また佐計は汁食《シルケ》の約なりと。重胤云り。祝詞等に酒の事を汁と云へれば。此説もすてがたし。】さてかく醇き酒をつくるは。甚く大蛇を醉せん爲の御態なればなり。○釀は。字鏡に釀造v酒也。佐介加无。とあり。重胤云。釀は迦美。迦牟。又迦母須。とも活く事なるが。言義は氣産《ケムス》にて。其牟須は産靈神の産に同じかるべし。飯と水との氣相釀して。成れる酒なれば。必然あるべからんとこそおぼえたれ。又和名抄。麹〓類に。釋名麹朽也。〓v之使2生v衣朽敗1也。和名加無太知《カムタチ》とあるも。釀立の義なり。又俗に此を音便に迦宇自《カウジ》と云は。釀實《カミシロ》の義なり。又〓。説文云囓牙米也。和名|與禰乃毛夜之《ヨネノモヤシ》。と云る毛夜之も。産息《ムヤシ》にて。其同類の言になん有けると云り。○假※[まだれ/技]は。和名抄古本に。類聚國史云。假床此間云2佐受枳1。今案假搆2屋内(ニ)1床之名也。釋に。兼方案之似v屋也。今世棧敷歟と云ひ。口訣に假屋也と注し。又纂疏に假作之閣也。とあるが如く。假に作儲たる席の稱なり。【字書に。※[まだれ/技]閣也と有。】後世に物見る料に。搆るさじきと云物即是なり。さて此は槽を置料なり。八間作るは。大蛇の頭の八あれば。槽を一間に一づゝ置むとてなり。と記傳に云り。記云。釀(ミ)2八鹽折之酒(ヲ)1。且作2廻垣(ヲ)1。於2其垣1作2八(ノ)門(ヲ)1。毎v門|結《ユヒ》2八(ノ)佐受岐(ヲ)1。【此は門ごとに一づゝにて。八門なれば合せて。八結を云へる古文也】毎2其佐受岐1。置(テ)2酒船(ヲ)1而。毎v船盛2其八鹽折(ノ)酒(ヲ)1而待とあり。これによれば。八間は八處にて。八(ノ)門毎に假※[まだれ/技]一箇づゝ作るを云なり。【かくて其假※[まだれ/技]を作りし處は。天淵記に。置2八槽1地(ハ)乃天淵之神隅也。とあり。】○一口槽。和名抄。文撰注(528)云。槽今之酒糟也和名佐加布禰。とあり。【一口は。本によりて訓べし。平田翁が古本にヒトクチと訓めるに就て云れし説は信られず。類史には。口字无きもあればさら也。】各置2一口槽1とあるは。其八門より其八頭を指入れて。其假※[まだれ/技]に屆《イタ》り。各其間毎に在る。一口の酒槽に。頭を一頭宛向はしめて。其八頭共に休らふ事なく。一時に口を入れて。呑醉ぬべく神量に謀らせ玉へるものにして。谷重遠説に。結2搆八架1置2一槽1。使d八岐(ノ)首(ヲシテ)各不uv可2轉動1。是則尊之兵法也。と云ひ。玉木正英も。八頭異v處以分2其勢1。此以v寡敵v衆之畧也。酒則蛇之所v嗜。故誘v之此誘2其欲1以折(ク)2鋭氣(ヲ)1之術也と云るは。何れも云得て。愛しき説どもなるものなり。然れば。わが上古に兵機を始めて起させ御在し坐けるは。此大神になん渡らせ給へりける。○待之也の也字。釋紀また丹鶴本に无し。さて通證に。宗因云。予自v幼在2西州1。見(ル)2土俗捕1v蛇。以v酒灑v草則必多集矣。と云々ともあり。
 
 
至期《トキニ》果《ハタシテ》有2大蛇《ヲロチ》1。頭《カシラ》尾《ヲ》各々有2八岐《ヤマタ》1。眼《マナコハ》如(シ)2赤酸醤《アカカヾチノ》1。【赤酸醤。此云2阿箇々鵝知1。】松《マツ》栢《カヘ》生《オヒ》2於|背上《ソビラニ》1。而|蔓2延《ハヒワタレリ》於|八丘八谷之間《ヤヲヤタニノアヒダニ》1。
 
 
至期。本にはトキニと訓るを。丹鶴本に。トキイタリテと訓り。嚮に老翁が。今此少童且臨v被v呑。また記に。今其可v來(ヌ)時(ナリ)と云る。其期に至るを云。【然ればまことは。トキニイタリ。と訓て叶ふべし。又古本どもには。コトノゴトク。とも。コノトキニ。とも訓るがあり。】○果。武烈妃|須衛婆陀志弖謀《スヱハタシテモ》とあるを。釋に末果也。と注せる是なり。此は已に其言に。所信有て。終に其事の見はるゝを云なり。山蔭云。果有2大蛇1の下に。來(ノ)字なくては足らはずと云り。此は後に脱(529)たるものなるべし。○頭尾各有八岐。記云。身一有2八頭八尾1とあり。八岐大蛇の名義即是なり。○赤酸醤。記に赤加賀智者。今(ノ)酪醤《ホヽヅキ》者也とあり。和名抄兼名苑云。酸醤【一名洛神珠】和名保々豆木とあり。重胤云。此物の質はしも。西土にても。洛神珠とも王母珠とも云る如く。赤くしく圓かなる珠の状したる物なるを取て。譬へたるは。彼海鰕などの目の如く。外に飛出て。頭毎に二の赤酸醤を附たる状也けむから。然書し傳られたりけん事。甚著名き者なりけり。【俗にも蛇目と云て紋などに書る状は。唯丸くして中子の白くあるのみなり。其は唯尋常の状也けるを。此大蛇の眼の状は。其赤酸醤を二竝べて著たるが八頭にて※[兀+虫]々たるならん。甚恐ろしげなる状。云む方なき事ぞかし。】と云り。【私記云其目耀※[赤+色]猶如2赤血1也。欲v言2赤血1。便假云2赤酸醤1也。是今保々都岐者也。其色赤※[赤+色]然。故假爲v之。其本位是赤血也。とあるはまぎらはしき説なり。】下卷猿田彦神のことをも。眼如2八咫鏡1。※[赤+色]然如2赤酸醤1。とあり。○松栢生云々。一書に。毎v頭各有2石松1。兩脇有v山。記に其身生2蘿及檜※[木+温の旁]1とあり。和名抄に。松。漢語抄云。字亦作v榕。和名萬都。栢。兼名苑云。一名掬。和名加閇。谷川氏説に。今加閇と名くる物なし。松栢と並べ稱するに依ば。今世|側栢《コノテガシハ》。扁栢《ヒノキ》。圓栢《イブキ》。混栢《ビヤクシン》。仙栢《イヌマキ》の類。すべて云なるべし。と云り。重胤云。松栢並べ用ゐたる例は。萬葉十九。松栢乃佐賀延《マツカヘノサカエ》伊麻左禰。尊(キ)安我吉美。とある是なり。故此に松栢の二を抽出て云ば。松は長生の物なり。栢は深山の物なり。其背上なる樹共の。年深くして。深高に立る状なる事を。強く令《セ》v聞《キカ》られたる者なり。【さて栢は。右に引る萬葉に。松栢と並云るが如く。漢籍にも然並云ふ事常なり。和名沙木類に。栢兼名苑云。栢一名掬。和名加閇。又名義抄に。栢子一名榧子と所見たるに。同抄菓類に。掬子。本草云。榧實一名掬子。和名加倍とあれば。栢と榧とは。同木なること知られたり。本草和名にも。松實と並べて。栢實子人出2蘇敬注1。一名掬。音菊。已上二名出2兼名苑1。和名比乃美。一名加倍乃美。とあるを。又榧實一名※[木+皮]子。一名※[木+皮]杉。已上二名出2蘇敬注1。和名加倍乃美。と有て。栢と榧とを分たりと雖。栢實にも榧實にも。同く加倍乃美と云訓有を以考るに。通證に。加閇今按香重也。と云るが如く。其種類を加倍と云るなれば。同名にして異木なるべきは。栢實の方には。今一別(ニ)比乃美と有れば。漢籍にも松栢の栢を。檜なる由に云るに等しく。檜實なるべければ。此は必檜にこそ有(530)つらめ。若て榧の方は。本草に時珍云。生2深山中1。人呼爲2野杉1。其實爲2※[木+皮]子1。又曰2玉山菓1。と有れば。名義抄。和名抄などに。栢子と。榧子とを。一に爲られたるは。其實の香細しきから。共に加倍と云に依て。混れたる者とぞ所思えたる。然れども。其を云時は。本より別也と知べし。然れば記なる蘿は。此の松に當り、檜は本より栢に當れる事。云も更なる事なりかし。】と云り。○八丘八谷云々。記にも其長度2谿八谷峽八尾(ヲ)1。とありて。其大蛇の這《ハヒ》度る長さを見渡して。其鳥上山の丘谷を以て量れるなり。天孫降臨章なる。味耜高彦根神の映2于二丘二谷之間(ニ)1とあるも。其處の丘谷を以。量れるに同じ事なり。丘は。記傳云。凡て山に袁と云るに二あり。一には高き處を云。谿八谷峽八尾。高山尾上。坂之御尾。萬葉に向峯《ムカツヲ》。八峯《ヤツヲ》。峯之《ヲノ》上など。又岡の袁。さて今一は。尾頭の尾にて。鳥獣などの尾も同く。山の裔の引延たる處を云り。とあり。此は高き處を云るなり。即此に丘字を書れたり。谷はこれも記傳に。和名抄に。爾雅注云。水出v山入v川曰v谿又作v溪。和名多爾。とあり。水の垂下るより。云る稱なり。大祓詞に高山之|末《スヱ》短山之末與利。佐久那太理爾落多岐都。とある佐久那太理は。眞下垂《マクダタリ》にて。川水の山より落るさまを云。とあるにて知るべし。
 
及2至《イタリテ》《ウルニ》1v酒(ヲ)。頭《カシラヲ》各|入《オトシイレテ》2一(ツ)槽《サカフネニ》1。飲(ミ)醉(テ)而睡(ル)。時素戔嗚尊乃(チ)拔(テ)2所帶《ミハカセル》十握(ノ)劔(ヲ)1。寸《ツタ/\ニ》2斬(ル)2其蛇(ヲ)1。至(テ)v尾(ニ)劔(ノ)刃少缺(ケヌ)。故(レ)割2裂《サキテ》其尾(ヲ)1視《ミソナハスレバ》之。中《ナカニ》有2一|劔《ツルギ》1。此(レ)所謂草薙(ノ)劔|也《ナリ》【草薙劔。此云2倶娑那伎能都留伎1。一書曰。本(ノ)名(ハ)天叢雲劔。蓋大蛇(ノ)所居之上《ヲルウヘニ》。常(ニ)有2雲《クモ》氣1。故(レ)以|名《ナヅクルナリ》歟。至(テ)2日本武《ヤマトタケ》皇子1。改(テ)v名(ヲ)曰2草薙(ノ)劔(ト)1。】
 
(531)頭各入一槽。本に入字脱たり。永享本にあり。本の訓に。ヒトツサカフネニオトシイレテ。とあるを思ふに。入字もとはありし事决し。記にも垂2入已頭(ヲ)1とあり。さて八頭を各々八箇の槽に垂入て。飲付しなり。總て蛇は甚く酒を好むものなるに。况て一書に毎v口沃入とさへありければ。かく飲付(キ)けんは實然ることなり。十握劔のこと下に云。○寸斬。第三一書に。斬v頭(ヲ)斬v腹(ヲ)其斬v尾(ヲ)とあるが如くに。段々に斬斷せさせ給へる御事なり。此を天淵記に斬v蛇寸々とあり。重胤云。此訓甚く後の事ならんと思ひつるに。靈異記に。衣襴捕粉條然。とある下に。條然【二合都太々々】と注し。又名義抄に。寸字をキタ々々。又ツタ々々とある。其言義思得ずと雖。其古言なる事。此を以て知らるれば。猶本の訓にて有べし。但伎陀々々と同言なりとはきこゆるなり。遊仙窟に。寸斬亦甘心。又愁腸寸斷とある寸字を。スタ々々ともキザ々々とも訓り。と云り。【私記の訓にも。キタ々々とあり。又今はツタ々々のツを濁りて。ヅタ々々と云。】さて地神本紀に。素戔嗚尊云々寸斬2其蛇(ヲ)1。此蛇爲2八段(ト)1。毎v段成v雷(ト)。總爲2八雷(ト)1。飛躍昇v天(ニ)。是神異之甚也。と有。【釋記に引る私記にも。此と同傳を擧たり。】八岐なるが故に。八段に斬給ひしか。各雷となりしとなり。雷とは健く嚴き者の總稱にて。此に八雷と爲とは。八蛇と成て。飛躍去れるさまの。猛く嚴かりしより云るなり。平田翁説に。此の雷は昇v天(ニ)とあるを思ふに。决めて龍にぞ有けん。其は和名抄に。龍【和名太都】文字集略云。四足五采甚有2神靈1者也とあり。然れど。皇國にては。舊より蛇の類なるが。角また四足の有無に拘はらず。【同抄に※[虫+糺の旁]龍之有v角云々。※[虫+爾](ハ)龍之無v角云々などもあり。】或は幽(レ)或は明《アラハ》れ。大きくも小さくも變化て。雲を起し天に昇り。雨また冰を降しなどする物を。今も多(532)都といふ。龍の天に昇る時は必鳴神あり。其は雷神の佐くる態あるを。人は然る細かしき事までは知ざる故に。雷鳴は即て龍の態と思ふも有めり。但し斯ばかり猛く靈ある物には有れど。此が地に在時は。大きくも小さくも。蛇の形なる故に。倍美とも蛇とも云ふ。斯く此なる雷即て龍ならむと思ひ合さるゝ事は。靈異記に。雄略天皇空に雷の鳴るを小子部栖輕《チヒサコベノスガル》に請《マセ》奉れと詔れば。栖輕馬に乘て空に向ひ。天皇の勅なりと呼はりて追ふに。雷侘て落たるを捕へて進れる事あり。其雷の形を。此紀には大蛇とあり。想合せて辨ふべし。【然れば此の傳に。雷に化てと有て。其昇る時に甚く鳴|動《ハタヽ》きなどしけむ故にぞ有べき。大蛇が甚く怒りて死けん靈の碎けて。かく數の龍と化て昇らんには。然も有べきことにこそ。】と云れたるさる説なるべし。○至尾は。尾を斬る時に至るを云。記には切2其中尾(ヲ)1とあり。尾の八あらむには。端なる中なる有べきなり。○劔乃少缺。尾中に劔ある故に。其に觸て刃の毀《カケ》つるなり。○有一劔。記云。割而見者在2都牟刈《ツムガリ》之太刀1。とあり。已にも云る如く。劔と云名は。突き貫く方を主とし。太刀と云は。刃を以て截斷を專と爲し名なるが。其兩用を相兼ては。釼之太刀とも云るなり。守部云。都牟賀理は。尾羽張《ヲハハリ》に對たる一の稱なり。是其斬給へる十握釼は。尾羽張なる故に。對へて尾中より出たるを。都牟刈とは稱し玉ふめり。是都牟刈の名の。物に見えたる始めにして。是より以前は多く尾羽張なりけらし。伊弉諾尊段にも。故其所v斬之刀名。謂2天之|尾羽張《ヲハハリ》1。亦名謂2伊都之尾羽張(ト)1など見えたり。まづ此尾羽張(ノ)名義は。大刀(ノ)尾《ヲ》の【武郷云。太刀の尾と云事いかゞ。太刀の芒端《キサキ》と云べし。尾羽張の尾は。雄々しき義なる事。稜威雄走神の下に云ふ】濶《ハヽ》り張《ハリ》たる。後世に所謂|劍《ケン》製なり。また都牟苅と稱すは。太刀(ノ)鋒の菖蒲《アヤメノ》葉の如く。窄《スボ》り尖《トガ》れるなり。即|尖《トガ》りと都賀理《ツガリ》と音通ふのみならず。其東國偏土(533)の賤は。今も尖ると云事をツンガルと云り。かゝれば。太古は多く劍製なりけるを。此時蛇が尾(ノ)中より始て。鋒の尖りたるが出しより。尾羽張都牟刈の二の名は起しにこそ。其中にも此都牟刈ぞ。草薙(ノ)神劔に坐々つれば。世に殊に貴み愛て。其御形體に摸し製れるが。世に多くなりけらしと云り。此説然るべし。【なほ此御劔の菖蒲の葉の如くなるよしは。玉籤集裏書に委く記したるを。憚りあれど今こゝに載す。八十年ばかり前。熱田大宮司家四五人。志を合せ。密に御神體を窺奉る。土用殿の内陣に入るに。靈霧立塞りて物の文も見えず。故各扇にて靈霧を拂ひ出し。隱し火にて窺奉るに。御靈は長五尺計の木の御箱なり。其内に石の御箱あり。箱と箱との間を。赤土にてよくつゝめり。右の御箱内に。樟木の丸木を。箱の如く内をくりて。内に黄金を延べ敷き。其上に御神體御鎭坐あり。石の御箱と。樟木との間。赤土にてつゝめり。御箱毎に錠あり。皆一(ツ)鎰にて。開樣は大宮司の秘傳といふ。御神體は長(サ)二尺七八寸計(リ)。双先は菖蒲の葉なりにして。中程はむくりと厚みあり。本の方六寸計(リ)は。節立て魚などの脊骨の如し。色は全體白しと云云々。先年熱田炎上の□大宮司遲參故。社人斧を以。土用殿の御戸を打破らむと。斧を打立ければ。其所より水流れ出たれば。さては御殿恙なしとて。其まゝにて止ぬ。(以上)右の傳。松岡正直より。予に傳りし所なり。とあり】○草薙劔。劔名(ノ)起は。景行紀に王所v佩劔|※[草冠/聚]雲《ムラクモ》自抽之。薙2攘王之傍(ノ)草(ヲ)1。因v是得v免。故號2其劔(ヲ)1曰2草薙(ト)1也とあり。此は後(ノ)名を擧て知らせたる物也。其御卷に云べし。本名云々。重胤云。本文に所v謂草薙劔也。と云る後の稱呼に對へて云なり。四神出生章。此本(ノ)號(ヲ)曰2來名戸之祖(ノ)神(ト)1。と見えたる本號。神武紀に。舊名片居。とある舊名。是なり。此例なほ神名式等にもあり。何れも始名と云名義にて。亦名に對へる本名に非ず。と云り。○常有雲氣は。重胤云。此は大蛇の氣を吐て。雲と爲れるを云には有べからず。斯る奇異に神靈しき御劔なる故に。其大蛇の深く秘|藏《モテ》ると雖。其神氣の秀《ホ》に出て上に見はるゝにて。彼雄略紀に栲幡《タクハタ》皇女の讒られさせたまひし時。於2河上1虹見知v蛇四五丈者。堀2虹起處(ヲ)1而得2神鏡(ヲ)1。とあるも。其皇女の持せりし(534)神鏡の神氣の。虹の如き状して。其埋れたる土中より。虚天に見はれ昇れるなれば。其をも雲氣とは云はゞ云べく。此大蛇の上なる雲氣をも。如v虹とも云へるなるべくして。共に其神物の靈氣党の發見れたる者なり。此次に素戔嗚尊の。是神劔也と詔玉へるも。かゝる靈瑞を見行はしたまひてこそは。御言に告したまへりけめと云り。○日本武皇子は。景行天皇の皇子に坐々て。其御事蹟も何もみな其紀に云り。
素戔嗚(ノ)尊(ノ)曰(ク)。是(レ)神《アヤシキ》劔(ナリ)也。吾(レ)何(ニシテ)敢(テ)私《ワタクシニ》以安《ヲカムトノタマヒテ》乎。乃(チ)上2獻《タテマツリアグ》於天神(ノミモトニ)1也。
 
是神劔也云々。記云。取2此太刀(ヲ)1思2異物(ト)1而。とあり。重胤云。此神劔を得て。神異しき物と所思しける由は。此時の尊の御心を想像り奉るに。蛇尾より斯る神劔の出たる事。本より怪ませたまふ其第一なり。又其劔を有てる大蛇の上に。常に雲氣《ムラクモ》の立覆へる。是其怪ませ玉ふ第二なり。又其神劔の神氣おはしまして。其神々しく有て。其國土の有《モノ》ならず。正しく天神の神物なる事を。見定させおはし坐て。然るにても。如何してか此神劔の。大蛇の有《モノ》とは成れりけむと。怪しませ玉ふ是第三なり。次に乃上2獻於天神(ニ)1也と有を以て。其御心の程を見奉るべし。と云れたり。【なほ平田翁も。得たまへるより久しく御許に安置給へる間こ。種々の神異しき事ども有けん故に。かく詔へるなるべし。景行天皇の御世に。倭建命の佩し玉へる間に。種々の神異しき事の有しを。思合せて辨ふべし。と云り】○私以安乎は。【類史に安を置に作たり】一書に此不v可2以吾私(ニ)用1也とあり。【熱田大神宮縁起には。何敢私秘藏乎。獻2天照大神1。とあり】纂疏に。何敢私以安者。至公無我也。我心|清々《スガ/\シ》之言出2于此1。蓋以2(535)神劔(ヲ)1奉2日神1者。其意欲d傳2之天孫1而爲c百王之璽u也。とあり。さる説なり。【然るは此時いまだ。天孫に豐葦原中國を知看せとの。事依しはなき程なれど。後に天降坐して治め玉ふべき。御議定は既にありしなりけり。なほ此事は下卷の首に委く云べし】右の説に就て。なほ重胤が云けるは。此私字實に眼目とある所にて。此大神の至公なる御意を。見奉るべき要文なり。然るは上章第三一書に。此尊の御言に。擅自徑去とある擅字と相並びて。※[手偏+總の旁]ての御事。共に大神の大御意を。御心と爲させ給ひて。露も己(レ)尊の自由なる私の。御行ひの御坐まさずして。此に吾心清々之の御言に。發はし玉へるが如く。實に清明き正直き御志操の御程なり。と云る。此又さる説なり。○乃上献於天神。一書には乃云々上2奉於天1。とあるを。記には取2此大刀1云々。自2上於天照大御神(ニ)1也とあり。記傳云。たゞ天神といひ。又天と云るは。正しく天照大御神に献り給ふに非ず。と聞ゆめれど。此大刀後に。皇御孫命に授け給へれば。大御神の御許に納れりしこと明らけし。と云り。【重胤云。常に天神と申す時は。凡て天上におはします限の。諸神の稱なる事。此大地に在ゆる衆神を。國神と云に本より同じ事なり。然りと雖。右の如く打任せて。天神と申奉るは。天照大神にわたらせ玉ふと所思しきは。天孫を天神御子とも申し。また日紳之御子とも申し。また天孫降臨章一書。猿田彦神の言に。天照大神之子とも。天神之子とも申玉へる。是則大神を打任せて。天神と申奉るべき確證なる者なり。とも云り。】さて平田翁云。此劔を得たまへる事の傳は。神代紀に四あると。古事記となるが。【拾遺は此紀に同じ。】其中に得給ふと乃(チ)。天に奉るとあるは。書紀の一書のみなり。餘の一書ども。一は此今在2尾張國(ノ)吾湯市《アユチノ》村(ニ)1。とのみにて。天に奉給へる事なく。一は此劔昔在2素戔嗚尊許(ニ)1。今在2尾張國1也。と見えて。此も天に奉り玉へる事はなく。一は遣2五世孫天之|葺根《フキネノ》神(ヲ)1。上2奉於天(ニ)1とある。この二傳を。師は心得ぬ事に云れつれど。其は其劔を得玉ふと乃(チ)。奉給ふと云るかた。然も有べく思ひなさるゝ事ゆゑ。ふと其方に(536)心引き玉へるなるべけれど。此は古事記の趣も。故取2此大刀(ヲ)1思2異物(ト)1而。白2上於天照大御神(ニ)1也。とはあれど。其時速に奉給へりとはきこえず。唯其事の因に記したるまでの文なり。【外にもかゝる類の文例はいと多かり。】たゞ正書に。乃上2献於天神1也。とあれども。この乃字は。助辭にひとしき用格にして。得ると直に献給へるといふ。證となすばかりの字に非ず。其は乃遣2五世孫天之葺根神(ヲ)1上2奉於天1。とある乃(ノ)字を以曉るべし。五世孫を遣さむに。いかで乃(チ)とはいはむ。此にて知べし。然れば此御劔。昔は須佐之男命の御許に在《オキ》玉へるを。其根國に往坐す際になりて。天之冬衣神を遣して。奉上玉へる事疑ひもなきものなり。此神を遣はして奉り給へると云傳を。信られざりしは。須佐之男命は根國に急(ク)適れとて。逐はれたまへれば。太刀を得玉ふと速に奉りて。彼國に徃坐るとのみ。思はれし故と聞えたり。實は須佐之男命は。大國主神の生(レ)坐る後まで。此國にまして。其後遂に根國に往坐る事疑なく。此はいとも貴き由あり。と云れたるは。實然る説なりけり。さて又此劔の事を。雲州簸川天淵記と云書を引て。翁の委く云れたる故あるを。今其要とある文をこゝに擧ぐ。轉淵記云。素戔嗚尊奉2劔(ヲ)天照大神1。大神曰。我|屏《コモリシ》2天(ノ)岩屋(ニ)1時。落2此劔(ヲ)江州|伊布貴《イブキ》山(ニ)1。是我神劔也。【源平盛衰記。三種寶劔事と云條にも。此事を載たり。埃嚢抄にも出せり。神社考。熱田宮條膽吹明神條などにも。此傳を擧られたるは。文の状少異なり。】とあり。大蛇の尾より出たるを。大御神の是我劔也と詔へりと云ふこと。前には信難く思へりしを。岩屋に屏坐る時に落《オト》せるよし詔へり。と有に依て熟思へば。彼段に。天(ノ)麻比止都《マヒトツ》命に科せて。雜(ノ)刀を作らしめたる由見えたるは。新宮作る料の刃物は更なり。太玉串に取付て御幣《ミテグラ》と奉る劔をも。必作りけん(537)か。其を落せるを。大蛇の尾に含みたる事と所思たり。斯云由はまづ。景行紀十二年處に。周防(ノ)娑磨《サマ》にて其地の魁帥|神夏磯《カムナツシ》媛が。磯津山賢木を拔取りて。上枝挂2八握劔(ヲ)1。中枝挂2八咫鏡(ヲ)1。下枝挂2八尺瓊(ヲ)1。其を捧げて參向へ奉れるを始。此例なほ見えたるが。【其は仲哀天皇筑紫に幸坐りし時。岡縣主祖|熊鰐《クマワニ》が。參向へ奉れる時の事。また伊覩《イトノ》縣主|五十迹手《イソトテ》の。參迎へ奉れる時の事など。みな同じさまなり。各挂たる枝は異なれど。鏡劔瓊の三は放れず。】此は師説の如く。天石屋戸の招祷に例《ナラ》へる式と通ゆるに。其事の本たる石屋戸段の賢木には。鏡と瓊との事は見えたれど。劔を著たる事は見えず。後に天日嗣の御璽の。鏡劔玉の三種となれる本因を思ふにも。其時の太玉串には。必劔をも著て立奉るべき謂なるに著ざりしは。其料に作れる劔は。未(ダ)著ざる間に。伊布貴山に落せる故にぞ有けん。さて其山に落せる劔を。高志八俣袁呂智が。如何にして其尾に含み持たりけむ。と考るに。まづ彼山は。近江國と美濃國との堺に在て。【西は近江坂田郡東は美濃不破郡なり。】式に坂田郡伊布伎神社。また美濃國不破郡にも伊富岐神社あり。此伊布伎神社は。即此山を宇須波伎坐す神の社にて。其は帝王編年記。元正天皇養老七年の處に。古老傳曰。霜速《シモハヤ》比古命之男|多々美比古《タヽミヒコノ》命。是謂2夷服岳《イブキヲノ》神1也。次|比佐志比女《ヒサシヒメ》命。是夷服岳神之姉。在2久惠《クヱノ》峯(ニ)1。次|淺井《アサヰ》比※[口+羊]命。是夷服岳神之姪。在2於淺井(ノ)岡(ニ)1。是夷服岳與2淺井岳(ト)1相2競長高(ヲ)1。淺井岡一夜増高。夷服岳怒(テ)拔2刀劔(ヲ)1。殺《キリ》2淺井比賣之頸(ヲ)1。墮2江中(ニ)1。而成2江島(ト)1。名2竹生島1。其頭乎。とある多々美比古命【亦名。夷服岳神】にぞありける。【此傳神世の事と聞えたり。色葉字類抄竹生島の條。また竹生島の古縁起にも。淺井姫(ノ)命與2氣吹雄(ノ)命1。競v勢爭v力云々とあり。】偖此山を。伊夫伎と云義は。即ち氣吹《イブキ》にて。景行紀に倭建命此山に荒神ありと聞して。其を取らんと登坐るに。此山の主神大蛇に化て。道に横たはり。雲を起(538)し冰を零し霧を立て闇《くら》くせるに。失意《マドヒ》坐ることあり。此は主神《カミサネ》とあれば。多々美比古命の態なりし事疑なし。然れば山名は。谷川士清説に。以d山神吹2毒氣(ヲ)1之義u得v名也と云るは。然る説なり。師も此に依られたり。【さて上件の趣に依て考るに。源平盛衰記に。彼八岐大蛇は。膽吹神の化れる由云るは。古傳に據りて記せる正しき説にぞ有ける。餘書にも彼是みえたり。】然ばかりいつ速ぶる神におはせば。其山に落たる神劔を窃み持ち。大蛇と化て出雲國にも住通り。人をも取て喫ひけむは。然も有べき事にこそ。さて神劔はしも。八百萬神の神議々て。行ふ神事に用る料の齋(ノ)劔なるに。未だ用ゐざるに落たりけむは。最異しく。須佐之男大神の其を得玉へる事の。奇異なる功は更にも言はず。神(キ)物と年久に齋き玉へれば。其御魂の留りけむ事言まくも更なるを。然る珍重の餘に。天照大御神に上奉り玉へれば。遂に其本に歸りて。後に大御神の御靈を留玉へる八咫鏡と竝べて。皇美麻命の御世々々の天璽と成ぬる事の運を思ふに。いとも奇にいとも妙なる事なりけり。と云れたるは。いかゞあらも量りがたけれど。此に添へつ。【此は其大意を採て記せる也。】
 
然(シテ)後(ニ)行2覓《ユキツヽモトメテ》將婚《ミアハシセム》之處(ヲ)1。遂(ニ)到(リマス)2出雲(ノ)之|清地《スガニ》1焉。【清地。此云2素鵝1。】乃|興言曰《コトアゲシテノタマハク》。吾心|清々之《スガ/\シ》。此今呼2此地1曰v清。則(チ)於《ニ》2彼處《ソコ》1建《タツ》v宮(ヲ)。
 
將婚之處の訓。私記に美阿巴只西牟等己呂乎《ミアハシセムトコロヲ》とあり。即|爲《セム》2御合《ミアハシ》1之處の義にて。古言なり。八洲起元章に。遂將合交をも。私記にしか訓り。此に同きなり。○行※[不/見]。記に宮可2造作1之地(ヲ)求2出雲國(ニ)1。とあ(539)り。これ櫛稻田姫に婚坐む料なり。即此の文に當れり。上代に婚禮するに。先其屋を造りし事。已に八尋殿の下に云り。○出雲之清地。山蔭云。上文に既に出雲國とあれば。此に又出雲と云べきに非ずと云り。清地の事は次に云。【注の清地の地字衍なるべし。】○興言。興字本になし。纂疏本にあり補ふべし。○清々之は。字の如し。心ちの潔く所思給ふ也。播磨風土記に揖保郡上岡里條。品太天皇巡行之時。開2井此岡(ニ)1。水甚清。於是勅曰。由2水清寒(ニ)1。吾意|宗我々々志《ソガソガシ》。故曰2宗我岡(ト)1。とあるも同じ。重胤云。源氏桐壺卷に。すが/\ともえ參らせ奉給はぬ也けり。とあるを始として。其語多在るを。記傳に。其は滯なく速に事の行(ク)を云れば。此とは本より別かと云れたれども。凡て物に穢濁はしき事のある時は。滯れるを。濯清まる時は。速に通る者にしあれば。必同言同義なりと見えたり。と云れたり。さて記傳云。記に吾來2此地1我心須賀々々斯。とあり。來2此地1と其地に係て云るは。此地に深き所以あるべし。そは凡心には測がたし。抑此地は櫛名田比賣に御婚坐て。其生の御子孫。天下に大なる功績を立給ふべき始の地なれば。此處に來坐て。御心すが/\敷おはしけむも。宜にざりける。と云り。【なほ同書に。此はたゞ此時の自|所思御《オモホシメス》。御心ちを云るにて。俗に云心特也。全體の御心の善惡のさたには非ず。と云れたるをも思べし。出雲風土紀。意宇郡安來郷。神須佐乃烏命天(ノ)避立《ソキタチ》廻(リ)坐(キ)之。爾時來2坐此處(ニ)1而詔。吾御心者安(ク)平(ニ)成(ヌト)詔。故云2安來1也。とあるも。御心の落着意にて同じ事なり。】○此今以下七字。參疏本及舊事紀にはなし。集解には記に據て本文とせり。今はそれに從る。【古本にも大書にせるがあるよしなれど己未だ見ず。】また此(ノ)字いかゞと山蔭に云り。故字の誤にや。さて類史に。清(ノ)下也(ノ)字あるはよし。○清は。重胤云。記傳に此地は出雲風土記を以て細かに考ふるに。まづ大原郡須賀山。郡家東北一十九盟。一百(540)八十歩。須我小川。源出2須我山1西流。と見えて。又意宇郡野代川。源出2郡家正南一十八里須我山(ニ)1。とある此須我山も。即右の大原郡なるを云。須我山は大原意宇二郡に亘りて。其堺にあり。偖同部熊野山郡家正南一十八里熊野大神社坐と見ゆ。斯れば須我山熊野山は。相竝べる處なれば。熊野神宮ぞ即此須賀宮地なるべき。共に部家正南一十八里と有ればなり【取意】と云れき。然れども今俊信本を以。此を比校るに。右の野代川(ノ)源を。郡家西南とありて。【武郷云。俊信本のみにあらず。其餘の古寫本。また富永楯津といふ人の。此風土記を假字書にせるにも。みな郡家西南とのみありて。正南と云るはなし。記傳にはいかなる本に據られたるにか。】熊野山を郡家正面と有と同からざれば。行程の共に一十八里とあるが合りとて。いかでかは同處なる事を得ん。今地圖を以考るに。須我山は。大原と意宇と二郡に亘れる地にて。熊野山は其東に隣れり。【武郷其國人に問ふに。其間距離二里餘も隔れりと云り。】若て須我小川を。源出2須我山(ニ)1西流と云れば。須我の地は。其山の西に在て。右の熊野神宮とは。東西に隔れるが如きを。同記に大原郡|海潮《ウシホノ》郷。郡家正東一十六里三十三歩。古老傳云。宇能治比古《ウノチヒコノ》命恨2御祖|須我禰《スガネノ》命(ヲ)1。而北方出雲(ノ)海潮《ウシホヲ》押上(テ)漂(ハス)2御祖之神(ヲ)1。此海潮至故云2得鹽《ウシホト》1。即東北須我小川之湯淵村(ノ)川中(ノ)温泉。【不v用v號】同川上(ノ)毛間(ノ)村(ノ)川中(ノ)温泉出。【不v用v號】と見えたる。此海潮の地は。右の須我山の西南と聞ゆるが。其須我禰命の名に因に。其郷名の出來れる以前には。其邊迄を係て須我の内なりし事知られたり。然れば記傳に。大原郡御室山。郡家東北一十九里一百八十歩。神須佐之乎命御室令v造給所v宿。故云2御室(ト)1と見ゆ。須我山と南方に相竝びて。此山も共に郡家東北一十九里一百八十歩と有て。相近き地なれば。須賀宮の事をかく傳へたるか。又同郡不v在2神祇官(ニ)1とあ(541)る。十七所の中に須我社見ゆ。【補意】と云れたるに就て按ふに。其御室山も共に。須我山の内には在れども。其宮を造り給へりし地なるが故に。其御室を以て山名と爲るのみこそ有けれ。等しく其清(ノ)地の内にし有ければ。其御室山なん。甚須賀宮の在所にはあるべかるらし。【然るを通證に。大社記曰素鵝在d大社與2蛇山1之間u云々とあるは。云にむ足らざるものながら。心得てあるべし。若て其海潮郷に。今須我村と云あり。又湯淵村の名もも今猶在と云り。其不v在2神祇官1と云ふ須我社は。海潮郷須我里に在を。今諏訪里と云ふと云。】と云れたるにて。須我の地の熊野の地とは別なる事を知べし。【偖今此須我の地を。諏訪村としも云るは。天文年中に。同郡牛尾領主神中澤豐前守と云人。もと信濃國の産なるによりて。同國諏訪郡建御名方命神社を。こゝに勸請して。須鵝神社の相殿に鎭め祭りしより。其地をも諏訪村と改めしより。社記にも記し土人も傳へたり。されど今は舊名に復したりとぞ。】○則於2彼處1建v宮。本に則字なし。今文明本纂疏本に據て補ふ。記に。其地作v宮坐とあり。重胤云。此建宮の御事を。記に茲大神初作2須賀宮1之時。とありて。須賀宮の號有れば。此には必清宮と書る所あるべきに。然らざるは。其記さるべき因みなきに依れる者なるべし。又此下に稻田宮主神の號あれば。其后神の御名に因て。稻田宮と云稱も必有つらむとおぼしきよしは。此に因勅之曰。我兒(ノ)宮(ノ)首者云々の事を。記には汝者任2我宮之首1。とあれば。本より大神の宮なる事申も更なる所なり。然るに上に云るが如く。大神は其後に別處に移り行て。國土經營の御事を始させおはし坐る。後には。其御社奇稻田姫命其御子大己貴神と。二柱住せさせおはし坐ける故に。此には右の如く我兒宮とある事なれども。實には其始は大神の宮なる故に。我宮とは詔給へるなりけり。とあり。
 
(542)或(ニ)云(ク)。時(ニ)武素戔嗚《タケスサノヲノ》尊|歌《ウタヨミシテ》之|曰《ノタマハク》1、夜句茂多菟《ヤクモタツ》。伊都毛夜覇餓岐《イヅモヤヘガキ》。菟磨語昧爾《ツマゴメニ》。夜覇餓枳菟倶盧《ヤヘガキツクル》。贈廼夜覇餓岐廻《ソノヤヘガキヲ》
 
或云以下。歌かけて。本に小字とせるを。活字本纂疎本等に大書に作るに據りつ。○歌之曰。神武紀に謠此云2宇多預彌(ト)1とあり。記云。茲大神初作2須賀宮1之時。自2其地1雲立騰。爾作2御歌1曰とあり。さて此はたゞ尋常の雲にて。何となく立しものか。また後世に云慶雲の類にて。祥瑞の見はれたるか。知がたし。○夜句茂多菟。守部云。八重雲起なり。雲の幾重も立疊るを云。八は七八の八にして。物の多き事に云るは。譬へば十のものならば。其七八分を云心ばへを以て云なりと云り。さて此句記中卷に。夜都米佐須伊豆毛《ヤツメサスイヅモ》。萬葉集に八雲刺《ヤクモサス》出雲。續紀に八裳刺《ヤツモサス》など見えたる。夜都米。夜都毛は。夜久毛に通ひて同じく。佐須も多都と同意の言なり。○伊都毛夜覇餓岐。出雲八重垣なり。さて此出雲は。國號にあらず。立出る雲をさして詔へるにて。これまでは。八重と言む爲の序のみ。【かれ夜句茂多菟は。八重雲起と云る説をとれり。】上よりのつゞきは。八重雲起つその立出る雲の八重と云より。八重垣に轉ぜるなり。【記傳に。雲霧は彼方此方を隔つること垣に似たりと云へるはたがへり。雲の八重を。八重垣の序とせしのみ也。雲を垣と見立てしには非ず。】守部云。此八重垣は。御搆の垣にはあらず。閨の隔の※[糸+施の旁]垣綾垣等を指たまへるなり。いと上代は殿の内に。閾|鳧栖《カモヰ》などをつけ。戸障子して一間ごとに隔るやうの。巧みなるわざは未あらざりつれば。廣き殿の内を。絹布していく間にも。搆ひ分ちげる。其を垣とは(543)いひしなり。大神宮儀式帳に。衣垣曳弖とある是なり。又閨の隔に云るは。記の歌に。阿夜加岐能《アヤガキノ》。布波夜賀斯多爾《フハヤガシタニ》云々。とある是なりと云り。【御鎭坐本記。止由氣大神を布理奉る所に。大佐々(ノ)命。小和志理命。奉v戴2正體1。興魂命。道主貴。奉v戴2相殿神(ヲ)1。駈2仙蹕1比。錦(ノ)葢(ヲ)覆(ヒ)。日繩曳天。天御翳日御翳(ト)屏奉行幸。爾時若雷天之八重雲(ヲ)四方爾薄靡天爲2御垣(ト)1天。從2丹波國(ノ)吉佐宮1。遷2幸倭國宇太(ノ)宮(ニ)1。云々とあるは。八重雲を直に御垣と爲るにて異也。】○菟磨語昧爾。【丹鶴本昧を味に作る】令2妻隱1にて。夫婦隱る其料に。八重垣を造ると云つゞきなり。菟磨とは夫婦互に呼ぶ稱なり。隱るとは女人の寐る事を。大殿隱と云如く。寢所の内へ入隱るを以て云なり。記には此句都磨碁微爾とあり。碁微《コミ》は碁母理《コモリ》の約なれば。意聊か異なるべし。○夜覇餓枳菟倶盧。八重垣造るにて。今夫婦隱り微む料に。大宮の内の隔なる垣等を。八重に作搆へ給ふを云。○贈廼夜覇餓岐廻。其八重垣をなり。其は三句を承て云。終の廻は只助辭にて。余《ヨ》と云むが如し。上へ返る意に非ず。例古歌に多し。記傳云。かく二度上の詞を返して云は。古歌の常なり。中頃よりは此格なきを。返りて今世の俗の謠(フ)歌には常多し。是歌謡の自然の勢にて。折返せば其情深くなる事ぞかし。と云り。偖此御歌。記によるに。大宮作り玉ふ折しも。八重雲の立出るを見所行して。即其雲を序として。其八重垣造玉ふさまを。ありの隨に謠ひ出給ふが。古へにて。いと愛きなり。【此外に。意ある御歌に非ず。】さて記傳にも云れし如く。此御歌詞より起りて。國名を出雲と負り。【さるから八雲立と云言も其枕詞と成るなり。】風土記に。所3以號(タル)2出雲(ト)1者。八束水臣津野《ヤツカミオミツヌノ》命詔(ク)。八雲立(ト)之詔《ノリタマヒキ》。故云2八雲立出雲(ト)1。また八束水臣津野命(ノ)詔(ク)。八雲立出雲國者云々とあり。此風土記の文は。即此の御歌を一には。八(544)束水臣津野命の御歌とも傳へしなり。其臣津野命は記に據れば。素戔嗚尊の曾孫【大國主神には祖父】に當り給へれど。其は誤にて。まことは素戔嗚尊の一名に坐て。國引坐《クニヒキマセル》八束水臣津野命と申奉れるが。別神の如くに傳はりしなり。此事下に委しく云り。考合すべし。
 
乃(チ)相與遘合《クミドニミトノマグハヒシテ》。而生(マス)2兒|大己貴《オホナムチノ》神(ヲ)1。【大己貴。此云2於褒婀娜武智1。】
 
相與遘合の訓の事は。次の一書に云べし。○生兒大已貴神。第一一書には。八島篠《ヤシマシヌノ》神五世孫。即大國主神。第二一書には。素戔嗚尊云々。所生兒之六世孫是曰2大己貴命(ト)1。【記傳云。これは兒之六世とあれば。七世孫と云に似たれど。さには非ず。六世は素戔嗚尊より六世なりと云り。】ともありて。すなはち記に。速須佐之男命。娶2櫛名田比賣(ニ)1所生神。八島士奴美《ヤシマジヌミノ》神。其神娶2大山津見神之女名|木花知流比賣《コノハナチルヒメニ》1。生子|布波能母遲久奴須奴《フハノモチクヌスヌノ》神。此神娶2淤迦美《オカミノ》神之女名|日河《ヒカハ》比賣(ニ)1。生子|深淵之水夜禮花《フカフチノミヅヤレハナノ》神。此坤娶2天之|都度閇知泥《ツドヘチネノ》神(ニ)1。生子|淤美豆奴《オミヅヌノ》神。此神娶2布恕豆奴《フヌヅヌノ》神之女名|布帝耳《フテミヽ》神(ニ)1。生子天之|冬衣《フユキヌノ》神。此神娶2刺國《サシクニ》大神(ノ)之女名刺國若比賣(ニ)1。生子大國主(ノ)神と見え。姓氏録にも【大神朝臣條】素佐能雄命六世孫大國主命。とあれば。六世孫なること明らけきが如くなるを。此に兒大己貴神とあるは。【記傳に辨へたる説は拓。叶ひ難し。】重胤説に。然る古説を飽まで知つゝ書れたる。また拾遺にも。然後素戔嗚尊娶2國神女(ヲ)1生2大己貴神(ヲ)1と所見たるも。此正書の旨正しきを得たる故に。其家の古傳を立て。然なん記されたりけらし。故大己貴神の御世系に就ては。此正書を以正しとすべし。と云れたるは。實に然る説とおもはるれ(545)ば。其に從へり。【其よしは。次々の一書の下に云り】○大己貴神。訓注はあれど。於褒娜武智と訓む事のよしは次に云。名義は。加茂翁も云れし如く。凡て古へ名の弘く長く聞ゆるを譽《ホマレ》とすめれば。天皇の宮所を遷したまひ。御子おはし坐(サ)ぬ后。又御子等は。御名代の氏を定め。又|名背《ナセ》。名根《ナネ》。各妹《ナニモ》など云ひ。萬葉に大名兒《オホナゴ》などあるも。皆名高き由の美詞。人に向ひて那牟遲と云も。名貴といふ言にて。美る詞なりとは。誰も解く事なれど未盡さず。名は其人の行事職掌にて。景行天皇の以2行事(ヲ)1負《オフ》v名(ニ)。と詔へる如く。此神の行事の極めて大なるよしを以。負せまつれる御名なり。【此名と云事は。後世の人の漫りに物に號くるとは。甚く異なりける者にて。古には職掌行事を成し行ふ。即名と云ものなるよし。重胤も云れたり。】さるは此神。御父素戔嗚尊の大命にて。其汝(ガ)所持之生太刀生弓矢(ヲ)以而。汝庶兄弟(ヲ)者。追2伏(セ)坂之御尾(ニ)1。亦追2撥(ヒテ)河之潮(ニ)1。而|意禮《オレ》爲2大國主神(ト)1。亦爲2宇都志國玉《ウツシクニタマノ》神(ト)1而云々。【古事記】と詔へる御言を受持玉ひて。其大國主神と云ふ職掌を爲し。宇都志國玉神と云ふ行事を爲玉へる。其即此神の名なるものなり。たゞに天下を治め給へる御名の。世に勝れ玉へる美稱とのみ思ひ奉らんは。いと淺し。なほ此事次々に云べし。○大己貴。此云々々。第二一書の下なる訓注に。かくあるを。或本には本書に記したるよし。山蔭に云るに據て此に記せり。偖此御名の文字本に巳《シ》とあるはわろし。秘閣本に己《キ》とあるに據べし。記傳に。己《キ》字は於能を阿那に借用たるか。又汝と云べきを。於能禮とも云ことある故に。汝《ナ》に用たるか。と云り。右の説の中。汝の意に用たるかとあるに從ふべし。己《キ》を汝の意に用たるは。萬葉九。己父爾《ナガチヽニ》似而者不鳴云々。十三。己之母乎《ナガハヽヲ》取久乎不知云々。九。劔刀|己之心柄《ナガコヽロカラ》云々など。己をナとよ(546)むべき證なり。偖御名の訓は。記傳云。萬葉に大汝。於保奈牟知と見え。古語拾遺には大己貴と書(キ)ながら。【此文字は書紀に據れるなり。】古語於保那武智神といひ。姓氏録に。大奈牟智神。文徳實録に大奈母智。三代實録に大名持。延喜式に大名持。また於保奈牟智とある。此等以て知べし。遲は濁言なり。【然るを。書紀に於褒婀娜武智とあるに依て。今の至るまで。世人如此唱めるはいかゞ。此訓注は師の疑ひおかれつる。信に疑はし。此御名に婀を添たる事。古書に例勿ればなり。】さて大穴と書るは。記を始として萬葉延喜式出雲風土記姓氏録等あり。是らみな於富那と訓べき證は。和名抄に信濃國埴科郡郷名の大穴を。於保奈と記せるこれなり。さて牟遲と母智とは通はして。古より二に傳はれる中に。正しく母智とあるは。右の文徳實録のみにて。餘は皆牟智なれば持と書るをも。牟智と訓ても有ぬべし。【智は記に遲とあれば。必濁音なるを。持とも多く書たる思へば。此は清音にも唱へたるにや。此清濁の事はうたがはし。】と云れたり。
 
因(テ)勅之曰《ミコトノリシテノタマハク》。吾(ガ)兒(ノ)宮首者《ミヤノツカサハ》。即脚摩乳手摩乳也。故(レ)賜(テ)2號(ヲ)於二(ノ)神(ニ)1。曰(フ)2稻田(ノ)宮主《ミヤヌシノ》神(ト)1。已而素戔嗚尊遂(ニ)就《イデマシヌ》2於根國(ニ)1矣。
 
吾兒は大己貴神を申すなり。○宮首。記には任《タレ》2我宮之首1とあり。首は記下卷に。伊知能都加佐《イチノツカサ》。記傳云。師云都加佐とは。最高處を云。契冲云。山のつかさ野のつかさ岸のつかさなど訓り。高き方を云べし。と云り。凡て宮司と云は。もと最高處を云より出たるなるべし。【然るを契冲がつかさとる意にて。高き方を云べし。と云るは。言の本末たがへり。つかさどると云は。官司より云事にて末なるをや。】野山司萬葉十に見え。野豆加佐十七又二十に見え。涯《キシ》の官四に見ゆ。皆其高き處(547)を云りと聞ゆと云り。又私記に據て。オビトとも訓べし。【私記に美也乃於布止とあり】此も記傳に。姓屍に某(ノ)首と云をも然訓べし。私記にも忌部首讀於比止とあり。さて此はもと尊稱にて。大人の意なるべし。【書紀に宇志を大人と書れたるも。漢文の方に取ては叶はぬ字なれば。此|大人《オヒト》と意の同じき故に。移して書れしものなるべし。】尊みて云るは。允恭紀に首《オヒト》也余不v忘矣。是對(フ)人を指て云り。さて首長の意に云るは。景行卷に村之無v長。邑之勿v首《オヒト》。顯宗卷に縮見《シヾミ》屯倉(ノ)首《オヒト》。孝徳卷に村(ノ)首《オヒト》【首(ハ)長也】などあり。偖此首は。後世の宮々【三后宮。春宮】の長官の如くなるを云なり。と云り。○賜號於二神は。重胤云。猶賜2職(ヲ)於二神(ニ)1と云むが如し。記には負2名號(ヲ)1とある是なり。偖此號と云義はしも。職掌と云るに同く。此に賜v號とあるは。其稻田宮主(ノ)神と云ふ。宮(ノ)首の職掌行事を。任し給ふ御事と成れるなり。と云り。【なほ上の大己貴神の御名の下に云る事ども合考べし。】○稻田宮主神。記には且負2名號《ナヲ》稻田(ノ)宮主|須賀之八耳《スガノヤツミヽノ》神(ト)1とあり。素戔嗚尊の此名を賜ふ也。記傳云。稻田は須賀地の舊名なるべし。故稻田宮とも云けん。【平田翁云。内山氏云。稻田は。今仁多郡横田郷の里名となれりと云へり。】かゝれば。稻田比賣と云は。此に宮造て御婚坐るよりの名なるべきを。父の初に名告れるは。後名を廻らして語傳へたるなり。主は首と同意なりと云り。【また平田翁の一説によらば。稻田は籤の疑にて。櫛を略きし者とすべし。かくては此姫の住給ひしより。稻田宮とは云しなり。さらば此に賜v號曰2稻田宮主神(ト)1とあるはいかゞなり。一書には始より。稻田(ノ)宮主簀狹之八箇耳ともあり。又一書にはこれを妻の名とも爲り。】さて此神の御末は。平田翁云。築杵大社記に。八重垣神主|佐草《サクサ》氏は。足名椎神の後也とも。佐久佐(ノ)社(ハ)八重垣明神也。能義(ノ)郡佐久佐(ノ)郷に坐す。本社は。稻田姫。素戔嗚尊。大己貴命を合せ祭る。左右の社は。手摩乳脚摩乳を祭る。當社の神主佐草氏|媒《サクサ》氏とも書り。稻田宮主(ノ)後也とぞ。とあり。○已而は。上に云るが如く。後度の御天降以來。清(ノ)宮(548)に奇稻田姫と共に御坐々て。御兒大己貴神を令v生賜へる後には。其御兒神の生立を。試させ玉ひ。其清宮をしも。讓り聞えさせ玉ひて。此大神の神功既に竟させおはしゝまで云る文なり。【なほ其間にも種々の御事どもはありしを。今は已而二字に萬をこめて云るなり。】○遂就於根國。此神元より根國に就ますべき事は。始二神の大命に定まり給へるが。其事に就て高天原に昇坐て。種々の御荒備も坐々けり。されど其後漸々に御心和みましては。前の御定のまに/\。遂に根國に入坐べきものと。功業を此御國に立まし。御子神等の御器量ある事をも見定玉ひて。遂に思欲しめす如く。根國に就坐りとなり。平田翁も云れし如く。此遂字いと力あり。輕く見過すべからず。なほ此事は第五一書に遂入2於根國1。とある下に云ることゞも參考て知べし。其に附て葦牙にも云れし如く。其間幾許の年序をか經にけん。いともいとも久しき事なるべし。故始天上へ昇坐し時とは。此國土のさまも。漸變れる如くも思はるゝなり。神代の年序のいと長かりしこと。天地のさまも漸々に變りて。今世の如く成行けんと思はずて。唯神代は神代とのみ思てあらば。神代人代といふ處に。疑あるべき事なりかし。
 
〔第一一書〕
一書曰。素戔嗚尊自(リシテ)v天而|降2到《クダリマス》於出雲(ノ)簸之川上(ニ)1。則|見《ミソナハシテ》2稻田(ノ)宮主|簀狹之八箇耳女子號《スサノヤツミヽガムスメナハ》稲田姫(ヲ)1。乃(チ)於《ニ》2奇御戸《クミド》1爲v起《オコシテ・タヽシテ》而生(ム)v兒《ミコヲ》。號(ク)2清之湯山主三名狹漏彦八島篠《スガノユヤマヌシミナサモルヒコヤシマシヌト》1。
 
(549)簀狹之八箇耳。記には負2名號(ヲ)稲田宮主須賀之八耳神1とあり。此は後に素戔嗚尊の賜ひし名を以て。語り傳へたる也。名義簀狹は地名。和名抄出雲國飯石郡須佐是なり。風土記云。須佐卿郡家正西一十九里。神須佐能袁命詔(ク)。此國者雖2小(キ)國(ナレ)1々處|在《ナリ》。故我御名者|非《ジト》v着(ケ)2木石(ニ)1詔而。即己命之御魂(ヲ)鎭置給之處(ナリ)。然(シテ)即大須佐田小須佐田(ヲ)定給。故云2須佐1即有2正倉《ホクラ》1。【平田翁云。大須佐田小須佐田は。大神御自の御名を負せて。定め玉へる御田也。正倉は風土記に同郡須佐社とある即是なり。須佐郷宮内村に在て。大宮大明神と云ふ。これ須佐之男命なり。と風土記にみゆ。式に飯石郡須佐神社。と載されたり。】須佐川。源出2郡家正南六十八里琴引山(ニ)1。北(ニ)流(テ)經2來島波多須佐等三郷1入2神門郡1などあり。【朝野群載に。伊石郡佐御牧と。云もあり】風土記抄に。以2宮内1爲2郷標1。併2朝原。反部。原田。入間。竹尾。穴見等1。爲2須佐郷1とあり。されど重胤説に。此の簀狹は素戔嗚大神の素戔にて。右に引る須佐郷の如き。地名の謂には非ず。其始より。此大神の宮なる故に。其二神の名には。負せ玉へるにて。八箇耳と申すなん。此老夫婦二神の。本よりの御名なりける。【記傳の須佐の説は誤なり。】と云れたる。然る言なるべし。されば簀狹は神號なり。須賀は宮號なり。二神の名に續くる上も。此の差別ありと知べし。八箇耳。八は家《ヤ》なり。夜都古。美夜都古。なとど夜都と同く。わが家人と親む辭。箇は助辭なり。【この事は既に云り】耳は美稱。萬葉十八。多々佐爾毛可爾母與己佐母《タヽサニモカニモヨコサモ》。夜都故等曾《ヤツコトゾ》。安禮波安利家流《アレハアリケル》。奴之能等能度爾《ヌシノトノトニ》。と詠る歌も。大伴池主が。宗家大伴家持の爲に。親しき夜都故なるよしを述しにて。夜都の意こゝと同じ。○稻田姫。本に姫を媛に作る。今氷享本に據て改む。下同じ。○於奇御戸爲起は。隱處爲v起《クミドニオコシ》なり。記傳云。久美度は夫婦《メヲ》隱《コモ》り寐《ヌ》る處を云。久美は許母理の約りなり。朝倉宮段の大御歌に。伊久美波泥受《イクミハネズ》云々。能(550)知母久美泥牟《ノチモクミネム》云々。此(ノ)伊久美波泥受は。隱者《イコモリハ》不《ズ》v寢《ネ》にて。【伊は發語】久美泥牟も隱將寢《コモリネム》也。又武烈卷歌に。耶陛能矩瀰※[加/可]枳《ヤヘノクミガキ》といふも。隱《コモリ》垣なり。都磨碁微爾の碁微も。久美と通ふ語なり。此等にて知べし。さて度《ト》は處《トコロ》なり。興而《オコシテ》とは。女男交合する事を。如此言るなり。語の意は。先凡て事の始まりを。起りといひ。始むるを起すと云。されば此は御子を生給はむ事を。久美度にして始たまふ謂なり。【男女交合するは。子を生べき事の起りなればなり】さる故に。此言は必御子を生坐ことの端にのみ云て。たゞに交合する事のみには云る例なし。心を付て辨ふべし。とあり。また私記の訓に爲起而を。太々只天《タヽシテ》とあり。因て考るに。萬葉二十に。阿之可伎能《アシガキノ》。久麻刀爾多知弖《クマトニタチテ》。和藝毛古我《ワギモコガ》。蘇弖毛志保々爾《ソデモシホヽニ》。奈伎志曾母波由《ナキシゾモハユ》とある。この久麻刀は。即久美度にて。【麻と美は通音】即隱處なるべし。さらば此歌の續きによりて。此も久美度爾多々志弖《クミドニタタシテ》と訓べし。【多々志弖は。即多知弖也】其は隱處に立て。女男交合することを。古かく云りしものなるべし。【しか見る時は。此言必子を生ことの端にのみ云り。とも云がたし。萬葉の歌を見て考へ知べし】さて記に興而とも書り。此も多々志弖と訓て妨なし。なほよく考へて定むべし。○清之湯山主三名狹漏彦八島篠。記に故其櫛名田比賣(ヲ)以《モテ》。久美度邇起而。所生神(ノ)名(ヲ)謂(フ)2八島士奴美《ヤシマジヌミノ》神(ト)1。とあり。名義。重胤云。清は。須賀の宮處にして。謂ゆる稻田(ノ)宮の地是なり。湯山主は。口訣に素鵞《スガニ》有2湯山《ユヤマ》1誕生(ノ)地とあるは。然る事にて。稻田宮の所在。即此地なりければ。此處に生坐て。其主宰とおはし坐謂なり。纂疏にも。出雲(ノ)清(ノ)有2温泉1。故爲v名と云り。偖此清(ノ)地はしも。海潮《ウシホノ》郷にて有けり。風土記に海潮郷の下に。東北須我(ノ)小川之|湯淵《ユフチ》村。川中温泉。【不v用v號】同川上|毛間《ケマ》村。川中温泉出。【不v用v號】と(551)ある。此二の温泉共に不v用v號とあるは。湯山の内に屬るが故なり。此を以て地理を考るに。此郷は斐伊《ヒノ》郡家より。正東山十六里三十三歩と有り。須我山|御室《ミムロ》山は共に。東北一十九里一百八十歩とあれば。凡三里百五十歩許の差有れば。此處にて海潮郷の正北に當るらむを。東北に須我小川の名あり。湯淵村毛間村は。其須我小川に屬る地なるを以て。即須我山の。湯山なる事を明らむるに足れり。此を以て。須我山に。古に清之湯山と云名の。ありし事を知るべくなん有ける。又此由緒に因て。大已貴神はしも。温泉《ユノ》神にてわたらせ玉へる事の。徴共有と雖も。此にては。紛亂ひて。くだ/\しければ。別に云てんと云り。三名狹《ミナサ》是も地名か。記傳に。三名は美都奈と訓べし。美は御なり。坂を上古に佐とのみ云へば。狹も坂なり。といへり。【なほ次に云】漏。【本にはロと訓れたり。】正應本にはモルと訓り。從ふべし。されど義は未考えず。【もしくは守などの義か。】彦は稱辭。八島は字の如く。篠は知主《シヌ》なるべし。それに就て。地神本紀に。素戔嗚尊云々相與※[しんにょう+構の旁]合爲v妃。所v生之兒。大己貴神矣。亦名八島士奴美神。亦名大國主神。亦名清之湯山主三名狹漏彦八島篠。亦名清之繋名坂輕彦八島手命。亦名清之湯山主三名狹漏彦八島野。とあるに據ば。まことには。大己貴命の亦御名なりけり。さてこそ清之湯山に宮敷坐て。天下を造り。大八洲國を知給ふ御名は。負し賜にけれ。されば此御名は。大國主命と申すに。等しき御名義なり。と知べし。【式攝津國有馬郡温泉社を。湯山明神と申し。三輪明神也と云る説も。こゝによしあり。】
 
(552)一(ニ)云。清之繋名坂輕彦八島手《スガノカケナサカカルヒコヤシマテノ》命。又云(ク)。清之|湯山主三名狹漏彦八島野《ユヤマヌシミナサモルヒコヤシマヌノ》。此神五世孫《コノカミノイツヨノマゴハ》。即(チ)大國主神(ナリ)。篠小竹也。此云2斯奴1。
 
清之繋名坂輕彦八島手命。名義。訣に。繋名坂(ハ)湯山也。とあり。實に然るべし。其に付て。繋本にカケと訓れど。古寫本共にサカキと訓り。何れか然るべからむ。【孝元紀に。河内(ノ)青玉(ノ)繋と云人みゆ。これは繋と云る例に。引出たる也】記傳には。繋名坂は。都奈佐加《ツナサカ》と訓べ。繋はつなぐの訓を取れるなり。かゝれば。かの美都奈佐《ミツナサ》の御を略るにて。同名なりと云り。なほよく考べし。輕は古人の名に多し。地名か。稱名か。【通證に。稱2輕捷之男1。とあり。さらば速彦などゝ同じ義なるにか】手は次に云。○彦八島野。記傳云。記に八島士奴美神とあるを。此紀に八島篠とあるは。美を省き。八島野と有は。知を畧き。美をも略きて。主とのみ云る也。八島手とあるは。手は根に通ひて。此も稱名にて例多し。〇五世孫。此序次のこと。本書のもとに。記を引て已に云り。○大國主神。記の嫡后|須勢理毘賣《スセリヒメノ》命の御歌に。夜知富許能《ヤチホコノ》。加微能美許登夜《カミノミコトヤ》。阿賀淤富久邇奴斯《アガオホクニヌシ》云々とあり。此御名は。國々の國主(ノ)神を總括《スベクヽ》りて。其君長とおはし坐るよしなり。重胤云。此大国主神と稱奉る御事は。天下を經營らし坐て。國土を主領《ウシハ》き給ふよしの御名なるが故に。第六一書及記共に。大國主神。亦名云々と書されて。此御名を以て。主と立る事なるには。深き所以あるものなりけり。正書には。大己貴神と記されたる。此は其大神の本(ツ)御名にて。※[手偏+總の旁]てに亘れるを。此大國主神と申奉るは。御父大神の詔に。爲2大(553)國主神(ト)1と。依し玉へる御言を戴(キ)給ひて。終に其功業を成就し給へる御名にし有ければ。其數多おはし坐(ス)御名の中には。斯《カ》許り重く尊き御名は非りけり。と云れたり。【なほ此御名の事。下の顯國玉神の下に。云ること考合すべし。】
 
〔第二一書〕
一書曰。是時素戔嗚尊|下2到《クダリマス》於|安藝《アキ・ヤスキ》(ノ)國(ノ)可愛《エ》之|川上《カハカミニ》1也。彼處《ソコニ》有v神。名(ヲ)曰(フ)2脚摩手摩《アシナヅテナヅト》1。其|妻《ツマノ》名(ヲバ)曰(フ)2稻田《イナダノ》宮主簀狹之八箇耳(ト)1。此神|正在姙身《マサニハラメリ》。夫妻《ヲトメト》共(ニ)愁《ウレヘテ》。乃|告《マヲシテ》2素戔嗚尊(ニ)1曰。我(レ)生(メル)兒雖(ドモ)v多《サハニアリト》。毎v生《ウムタビ》。輙(チ)有(テ)2八岐(ノ)大蛇1來(テ)呑(ム)。不v得2一存《ヒトリモイケルコトヲ》1。今吾(レ)且《ス》v産《コウマムト》。恐(クハ)亦|見《レナム》v呑《ノマ》。是(ヲ)以(テ)哀傷《イタム》
 
安藝國可愛之川。未詳。但し神武天皇甲寅三年。至2安藝國1居2于埃宮1とあると。此と相似たる言なり。されど地理大に隔れゝば。こゝに由なきがごとし。また通證に一説を録して云。山縣郡|戸河内《トカフチ》村有2十方村1。攝2雲石二州1甚峻高。有2石窟1。相傳太古大※[虫+也]居之。至v今雲霧濛々。風雨不v時。同郡有2可愛淵1。而源出2十方山1。とあるなん。然る大※[虫+也]の居處には有けめども。此可愛之川にてありとは。たしかに云がたし。なほよく國人などに聞正すべし。然るに平田翁云。愛藝を舊くアキと訓て。山陽道なる安藝國の事とせるは誤にて。其は藤原宣昌と云人の著はせる。鳥上二水考證と云書に。安藝國は夜須藝乃玖邇《ヤスキノクニ》と訓べし。出雲風土記なる。意宇郡|安來《ヤスキノ》郡。郡家東南二十七里一百八十歩云々。とあるを云(554)り。郷ヲ國といふこと舊證多し。今は能義郡に屬て。八杉《ヤスギノ》郷と云ふ。即これなり。【今云。風土記抄に。安來。市同。宮内。和田。里鳥。島田。六村也と見えたり】可愛之川とは。安來郷に經流るゝ。伯耆の大川をいふ。其は出雲風土記に。伯太《ハタ》川。源出d仁多與2意宇1二郡(ノ)境(ナル)葛野山(ニ)u流(テ)經2母理楯縫安來(ノ)三郷(ヲ)1入v海。とある即是なり。【今云。内山眞龍が。此風土記解に。河源なる母里郷に。今も畑村と云あり。川下は。安來郷の北にて海に入る。里人は白田川といふ。風土記抄に。母理郷井尻川也。葛野山(ハ)川尻(ノ)中。折v坂而東北。大村之堺也。と云へり。】其源は。仁多郡と能義郡との堺なる。葛野山より出て。上流を伊志尾《イシヲ》川といひ。北は母理安來などの郷を過て。伯耆(ノ)國に入り。舟上《フナノウヘ》米子《ヨナゴ》などの地を經て海に入る。此を日根《ヒネ》川といふ。伯耆國に流るゝ故に。此を伯耆の大川と稱ふ。葛野山は二郡の堺に在て。東南は鳥上(ノ)峰と麓相近し。是を以て伊志尾川の源の。鳥上峰に遠からざるを知べしと云り。此考。風土紀に。安來郷。神須佐乃烏命天|壁立《カベタツ》廻坐(シキ)之。爾時來2坐此地(ニ)1而語。吾御心安平(ニ)成《ナリヌト》詔。故云2安來《ヤスキト》1。とあるに符ひて。甚珍き説なり。さて本書一書。又記に簸之河上。又鳥上之峰に降り坐るよし見えたる。其は大蛇を斬玉へる事を。語り傳ふる因に云るなれば。安來に到着玉へる傳は。洩したるなり。然れども其始めて。渡り著玉へる地は。實に安來の地なりけんこと。來2坐(シテ)此(ニ)1而云々。とあるにて明らかなり。と云り。【さて又重胤云。地神本紀には。安藝國(ノ)可愛之河上|在《ナル》鳥上峰とあり。鳥上山は。斐伊河の水源なる物から。仁多と意宇とは。相接ける地にし有ければ。其鳥上山の片方は。意宇郡可愛之河上鳥髪地とも。云れざるには非ざめり。然れば此時の事實を。今※[手偏+總の旁]云むには。尊天より先(ヅ)安來に降坐し。其より可愛之川。謂ゆ伯太川を。水の任に上り玉ひ。鳥髪地なる其老夫婦二人の許に至坐し。其より大蛇を簸川上にて。退治させ玉へる運びとなん見えたりける。と云れたり】可愛之川は。重胤云。江之川と云事なるべし。其は風土記に。意宇郡長江山とあるは。江《エノ》山と云に長の言を冠らせたるものにて。其江之川は。長江之川の。長字の省かりたると聞ゆれば。(555)同地なる事曉られたり。偖二水考證に。此水流の。母理郷を經と云に付て。母理郷郡家(ノ)東南三十九里一百九十歩。所2造天下1大神。大穴持命。越(ノ)八國(ヲ)平(ケ)賜而。還坐時。來2坐長江山1云々とある。長江(ノ)山は。郡家東南五十里とあれバ。其地より母理郷は西北に當りて。几十里程の麓と聞ゆ。然れば伯太川の水源を。葛野山と云も。其長江山も。近き地なるらんを。其長江山よりの水も。共に流れ入るを以。其方を主として。今の安來郷迄を係て。其河名を江之川とは云けんを。其全體に取て云時は。伯太川にて。其上流を後に伊志尾川と云ひ。凡てを伯耆(ノ)大川と云事と成て。古に可愛之川と云し舊名は。亡たりける者なるにこそ。と云り。猶よく考べし。○彼地有神。かくては大蛇を斬給ふも。可愛川上にての事と。聞ゆるが如くなれど。爾らず。上にも引る地神本紀に。安藝國可愛之河上在鳥上峰。とある是なり。老夫婦二神の所在はしも。本書一書。又記にも。簸之川上なる鳥上之峰なればなり。○脚摩手摩。此傳。脚摩手摩を老翁の名とし。稻田宮主云々を。老婆の名とし。稻田姫此時未(ダ)胎《ミゴモリ》てありとせしなどみな異なる傳なるべけれど。なほ誤なるべし。○是以哀傷。啼哭ゆゑを問給ひしことなくては。是以といふ事いかゞなり。此(レ)本書にゆづりて。略かれたるものなれど。なほ言足はぬこゝちす。
 
素戔嗚尊乃教(ヘテ)之曰(ク)。汝《イマシ》可(シ)d以(テ)2衆菓《モロ/\ノコノミ》1釀(ム)c八甕《ヤハラヲ》u。吾當(ニ)爲(ニ)v汝(ガ)殺(サム)v蛇(ヲ)。二神|隨《マヽニ》v教《ミコトノ》《マウク》v酒(ヲ)。至《イタリテ》2産《コウム》時(ニ)1。必彼(ノ)大蛇當(テ)v戸《トニ》《ス》v呑(ムト)v兒(ヲ)焉。素戔嗚|尊《ミコト》勅v蛇(ニ)曰《ノタマハク》。汝(ハ)(556)是(レ)可畏《カシコキ》之神(ナリ)。敢(ヘテ)不《ザラム》v饗《ミアヘセ》《ヤトノタマヒテ》。乃(チ)以2八甕(ノ)酒(ヲ)1。毎(ニ)v口|沃入《イレタマフ》。其蛇飲(テ)v酒(ヲ)而睡(ル)。素戔嗚尊拔(テ)v劔斬(リタマフ)之。
 
衆菓。和名抄。木實曰v菓。日本紀私記云。古乃美。俗云久太毛乃。草實曰v※[草冠/(瓜+瓜)]。和名久佐久太毛乃。とあり。今も葡萄酒。梅酒。某酒といふはあれど。此はいろ/\の菓にて。造れる酒にて。蛇を殺さむ爲なれば。尋常の酒にはあらじか。故一書に毒酒とあり。○酒八甕。山城風土記に。造2八尋屋1。堅2八(ノ)戸扉(ヲ)1。釀2八腹《ヤハラノ》酒1とあり。本書に作2假※[麻垂/技]八間1各置2一口槽1。とあるに當りて。甕|八口《ヤツ》に。酒を釀せるを云なり。さて此八は大數にはあらず。數の八なり。重胤云。甕《ハラ》に腹と云は。祈年祭詞に。※[瓦+長]閇高知※[瓦+長]腹滿並※[氏/一]《ミカノヘタカシリミカノハラミテナヘテ》云々。【其外の祝詞にも見えたり】とある※[瓦+長](ノ)閇は。甕(ノ)上《ヘ》にて。酒を盛に。甕の高くして。外へも著明く見ゆる計なるを。高知と云ひ。【高知の知は敷《シキ》に同じ。敷は眞木柱|太高敷《フトタカシキ》。また敷坐《シキマス》國などの敷に同じく。敷|並《ナラ》ぶる義あり。】又※[瓦+長]腹滿並とは。横へ太く。腹の廣ごりたるに。酒を滿せて。並(ベ)備ふるを云ふ古言にて。此なるも。酒八腹の義なるなり。とあり。和名抄瓦器類。※[瓦+長]本朝式云。※[瓦+長](ハ)美加。弁色立成云。大甕和名同上。又甕楊雄方言云。自v關而東。〓謂2之甕1。毛太非《モタヒ》とあり。【平田翁云。毛太非彌加倍など。名は變れども。同物なり。今世に大なるをば加米と云ひ。小くて口のつぼみたるを壺と云ふ。然れども實は同物なり。と云り】○必彼大蛇。必字いかゞ。記に八俣遠呂智|信《マコトニ》如v言(シガ)來とあるによらば。マコトニなど。よむべき所なり。【山蔭にも此を論ひて。一本に亦と作れど。それもいかゞ。果《ハタシテ》とあるべきところなり。又大蛇の下に。來字あらまほしと云るも。さる言なり○又按に。右の一本なる亦とあるに依て。上に恐亦見v呑と云る亦に照應する辭と見るべきか。】口訣に不v違v先也。と注るは。(557)必字に就て云るなり。延佳説に。大蛇産(ム)毎に子を呑しかば。此度も必として。來る意なりと云る。是もいかゞ。○當戸は。産屋の戸なるべし。○勅蛇。北野本勅を教に作る。○可畏之神。平田翁云。記に伊邪那岐命告v桃曰。汝如v助v吾云云とある類にて。切なる事に當りては。何にまれ。物言かくること。古も今もあることあり。欽明紀に。秦(ノ)大津父《オホツチ》と云人の。狼に汝者貴(キ)神云々といひ。膳(ノ)臣|巴提便《ハテヒ》と云人の。虎に汝者|威《カシコキ》神云々。と云るなどを思ふべし。と云り。○敢不饗乎。本の訓に據べし。重胤云。此は大蛇に。汝は可畏神にし在れば。憚り多けれども。饗を進めて持賞《モテナ》さむと詔へるなり。此敢字に甚く力を入て見るべし。【敢。字書に進爲也。と注して。憚らず強て物事を成す言なれば。此も其如くにて。憚るべきを犯す義なり。】と云り。○毎口沃入は。八の口毎になり。沃入給ふは。飲付んが爲と見えたり。私記に。久知期止爾以伊留と訓り。以伊留は曾々岐伊流と云に同じ。この詞源氏物語にもあり。今もいかけなど云伊是なり。又ソヽギイルとも訓べし。曾々岐伊流と云時は。水にて物を濯ぐが如く。沃ぎ懸《カケ》て口中に送るを云なり。今も口|漱《ソヽギ》など云も。右に同じ。萬葉五。からしほを灌知布《ソヽグチフ》がごとくとある灌是にて。須々久《スヽグ》曾々久《ソヽグ》など同言なり。
 
至(リテ)2斬(ル)v尾(ヲ)時(ニ)1。劔(ノ)刃少(シ)缺(ケヌ)。割(テ)而|視《ミソナハセバ》之。則劔在(リ)2尾(ノ)中(ニ)1。是(ヲ)號(ク)2草薙(ノ)劔(ト)1。此今在2尾張(ノ)國(ノ)吾湯市《アユチノ》村(ニ)1。即熱田(ノ)祝部所掌《ハフリガツカサドリマス》之神是也。其|斷《キリシ》v蛇(ヲ)劔(ヲ)號(テ)曰2蛇之麁正《ヲロチノアラマサト》1。此今在2石上(ノミヤニ)1也。
 
(558)至2斬v尾時1は。重胤云。第三一書の如く。斬v頭斬v腹其斬v尾之時などゝ云べきを。此は其至(ノ)字を以て。頭より腹に。漸々に斬(リ)下せる事を。知らせたる者なり。正書に。寸2斬其蛇1至v尾と云も。其|有意《コヽロシラヒ》は同じきながら。其は頭とも腹とも云はず。上より寸《スタ/\ニ》斬る由なるに。此は第三一書に合せて。委しき書しざまと云べし。【凡て物は委曲しく書しても。意の足はざる所有る物なるを。此文は麁きに過たる如くして。其事を中々に詳に爲り】と云り。○此號草薙劔。かくては草薙と云號。當時にありし如く聞えて。少しいかゞなり。○此今在云々。第三一書に。此劔昔在2素戔嗚(ノ)尊許(ニ)1。今在2於尾張(ノ)國(ニ)1也。とあると同じ事なるを。片方を略かれたるものにして。右の昔在(ノ)字に對へて。書れたる如く。有意《コヽロシラヒ》して。讀むべき所なるなり。○尾張國。名義。神名式に。山田郡尾張神社。本國神名帳に。從三位尾張(ノ)天神。一本尾張田に作り。又一本小針に作り。天野信景が集説に。今在2春日井郡味岡(ノ)莊|小針《ヲハリ》村(ニ)1。此社祭2天香語山命(ヲ)1。本州中央之地也。蓋國(ノ)名起2於此(ノ)處(ニ)1歟。尾張(ハ)其實|小墾《ヲハリ》也と云るは。續紀に。神護景雲二年十二月甲子。尾張國山田郡人從六位下小治田(ノ)連(ノ)藥《クスリ》等八人賜2姓尾張(ノ)宿禰1と見え。萬葉十三。小治田之年魚道之《ヲハリタノアユチノ》水などもある。此に因れる説にて。甚尤なる事なり。されど予が考には。此國(ノ)名は。大倭國より起れりしものとおぼし。其は神武紀【戊午年條】に。高尾張邑《タカヲハリムラ》。【或本云。葛城《カヅラキ》邑】有2赤銅八十梟帥《アカヾネノヤソタケル》1。云々。また【巳未年條】高尾張邑(ニ)有2土蜘蛛1とありて。大倭國葛城郡なる舊名を。高尾張と云り。これぞ國名の本なるべき。さるは。尾張連の氏人。此大倭の葛城より出て。彼國に下住し事有て。本居の名を取て。國(ノ)名とせしなり。まづ尾張と高尾張と同じき由は。三代實録九に。尾張國海部(ノ)郡人|其目《イタメノ》連公宗氏。尾張(ノ)(559)醫師其目連公冬雄等。同族十六人賜2姓高尾張(ノ)宿禰1。天孫火明命之後也。とあるを以。尾張と。高尾張と。別ならざる事を知べし。また天孫本紀に。葛城(ノ)尾治(ノ)置《オキ》姫と云人あるを以て。葛城尾張もと同氏なる事をも知べし。名義は。重胤云。此地には謂ゆる。高天《タカマ》山の山(ノ)尾の張(リ)出(デ)たるに。因れる名と通えたり。と云り。【なほ記傳に云れたる説もありて。予が説と異なる事など。神武紀に云べし】○吾湯市村。吾湯市は。景行紀に年魚市《アユチ》とあり。【萬葉も同じ。】即愛智郡なり。和名抄に阿伊知とあるは訛れるなり。○熱田祝部。神名式に。尾張國愛智郡|熱田《アツタノ》神社【名神大。】とあり。釋紀に所引。尾張國風土紀曰。熱田社者。昔(シ)日本武命。巡2歴東國(ヲ)1。還時娶2尾張連等遠祖宮酢媛命(ヲ)1。宿2於其家(ニ)1。夜頭向v厠(ニ)。以2隨身(ノ)釼(ヲ)1。掛2於桑木(ニ)1。遺(レテ)v之入v殿(ニ)。乃驚更往取v之。釼有v光如v神。不v把2得之1。即謂2宮酢姫(ニ)1曰。此釼神氣(アリ)宜3奉v齋v之爲2吾形影1。因以立v社。由v郷(ニ)爲v名(ト)也。先師説云。熱田社者。日本武尊留2其形影天※[草冠/聚](ノ)雲釼(ヲ)1。爲2此神體1。可v謂2日本武尊垂跡(ト)1者也。とあり。此神劔の熱田に鎭坐せるよしは。景行紀に委く云。記傳云。熱田社は。東西二殿竝建て。其東方なるを。世に土用《トヨウ》御殿と稱す。草薙劔を納奉る。【或説に。土用御殿と云稱は。社の傳には。さらになき事なり。渡用御殿と云事あり。其を土用と云なして。近世に土金の説を附會して。神劔の納まらせ賜ふ御殿の稱とせるなり。と云り。さもあるべし。とまれかくまれ。土用と云事あるべくもあらず】さて西方なるを。正御殿と稱して。五座神を祭る。西より第一天照大神。第二須佐之男尊。第三倭建尊。第四|宮簀媛《ミヤズヒメノ》命。第五|建稻種《タケイナタネノ》命にして。第三中央倭建(ノ)尊を主とす。かの縁起にも。以2熱田明神1。爲2尾張氏神(ト)1。宮酢媛。及建稻種命。大宮相殿神也。とあり。【一説に。大宮日本武尊。東素戔嗚尊。南宮酢姫命。西伊弉並尊。北倉稻魂命。中央天照大神。と云るはいかゞ。社傳にも違へり。さて八劔宮と申すは。熱田の内に別にあり。式に八劔神社とある是なり。此は和銅元年に勅を以て新に神劔を造らしめ。別に齋奉らるゝ社なりとぞ。氷上《ヒカミノ》宮と云は。かの火上姉(560)子(ノ)神社にて。縁起に。宮酢媛下世之後。建v祠崇2祭之1。號2氷上姉子天神1。其祠在2愛智郡氷上(ノ)邑1。以2海部氏1爲2神主1。海部是尾張氏別姓也とあり。さて此氷上社の末社に常世(ノ)社と云あり。宮須媛の墓なりと。云傳へたり。又式に愛智郡上(ツ)知我麻神社。下(ツ)知我麻神社あり。和名抄に。千竈《チカマ》郷あり。此地なり。上知我麻(ノ)社は。乎止與命を祭ると云。俗に大夫(ノ)宮と云。下知我麻社は。同命の夫人|眞敷刀婢《マシキトヘ》を祭ると云。俗に紀大夫(ノ)宮といへり。】と云り。【按大神縁起附録云。正殿一宇土用殿一宇。此殿者。藏2草薙劔1一作2渡川殿1。鎭坐記云。熱田大神一坐。在2尾張國吾湯市郡江崎松※[女+后]島千竈郷1。合祭(ル)神一坐素戔嗚尊。相殿神三坐。日本武尊。宮簀媛命。建稻魂命。凡有2五神1。次第如v上。仝牀設2別高座1。以v西爲v上。于v東次第(ス)焉。元是二坐也。至2于淨御原朝1加2三坐1。但相殿之内一機牀別卑矣。注云。承和十四年三月七日。太政官符亦有2神體五體語1蓋是也。標注(ニ)其一牀卑(キ)者。葢稻種命所v座矣。などもあり】さて弘仁十三年六月。尾張國熱田神。奉v授2從四位下1。と云より。貞觀元年正月奉v授2尾張國從二位熱田(ノ)神正二位1。と云まで。次々位階を授奉りし事。史に見えたり。【國帳には。正一位勲二等熱田大神宮とあり】熱田といふ義は。寛平縁起に。宮簀比賣命。年老て。人々を集めて。社を建て。神劔を遷し奉らむと議りて。其社地を定むる時に。楓《カツラノ》木一株あり。自然に炎燒して。水田《ミヅタ》に倒れて。其田久しく熱《アツ》かりし故に。其を熱田(ノ)社と號く。【尾張風土記には。楓木の炎燒せり。といふ事なく。固より熱田といひし。郷名なりし所へ。社を立たる故に。熱田社と云ふと見えたり】とあり。祝部は此にては尸なり。其もと神を齋き祭るより。出たる尸なり。言義は重胤云。侍在《ハフリ》にて。神社に侍らふ人を云稱なり。此は其古くよりある職と聞えて。神武妃に。和珥坂下《ワニサカニ》有2居勢祝《コセハフリ》者1。臍見長柄丘岬《ホソミノナガエノヲカザキニ》有2猪祝《ヰハフリ》者1。とあるは。巨勢(ノ)神又井(ノ)神。【猪は借字】に仕る神部なりしなるべし。仲哀紀に。崗浦神|祟《タヽリ》ある所に。天皇則祷祈之。以2挾抄者《カヂトリ》倭(ノ)國(ノ)菟田《ウダノ》人伊賀彦(ヲ)1。爲v祝令v祭。則船得v進。と有るも。御祷祈は外に在て。御親《ミミヅカラ》此を爲玉ひ。其神には近く祝(リ)を附置せ玉ひて。其|祭祝《マツリ》を主らしめ玉へる。此を以て。波布理の侍在《ハフリ》なる事を知べし。【武郷云。なほ記紀萬葉の歌文どもをも引り。今省けり】此等を彙《アツ》めて思ふに先神を齋(561)奉るを職として。其神託をも受奉り。人に神の御心を傳へて。誡《イマ》しむるを以て。任と爲る事と聞えたり。職員令神祇官祝部。義解に。謂d爲2祭主1賛辭(スル)者(ヲ)u也。其祝者。國司於2神戸(ノ)中1簡定。即申2太政官1。若無2戸人1者。通取2庶人1也と見えたり。然れども。上古より有來る。止事なき御社の祝者はしも。然るべき由緒有て仕奉れるなれば。神戸を取れるにはあらず。【此祝(ノ)字は。今神祇官中臣宣2祝詞1の義解に。謂宣者布也、祝者賛辭也。言以2告v神祝詞1。宜2聞2百官1。故曰宣2祝詞1也。と有を用られたるもの也。波布理は侍在にて。君側に在る人を。侍者と云ふ意味に。同じき事を曉りつべき者也かし。但祝詞式に。神主祝部と並べ云て。猶其上に神主の職あり。其主と云は。上古に政事を取る程の人を云て。國造縣主の類是なり。祝部は其國務には拘はらず。唯祭祀祈請の事のみに預る故に。神に親昵しき謂を以て云稱と見えたり。右に引る文共を以て味ふべし。】と云り。さて記傳に。此社は世々。尾張連氏の以祭くことなるに。熱田祝部が所掌とあるは。疑はし。熱田祝部何なる姓にか。尾張連の内に。此社を掌る者を。然稱しにやあらむ。縁起に。以2尾張氏人1。補2神祝等(ノ)職1也。と云れたるはさる言にて。千秋家譜に。成務天皇六年。始置2諸國郡縣邑(ニ)造長首渠(ヲ)1。以2小止歟《ヲトヨノ》命1。定2尾張國造(ニ)1。專主2於當國神祇1云々。亦曰2神主1。とある文によれば。尾張國造にて。神主祝を掌れる。即熱田祝部なり。○所掌之神。鎌倉本秘閣本等に。ツカサトリマツルと訓り。從ふべし。重胤云。此は即祭神の主と爲て。仕奉るを云は。然る物にて。常には所祭と云を。其は唯神靈を祭祀る方のみに云て。此に所掌と云は。神寶の事に係る所に。置るゝ紀の文法なり。垂仁紀に。勅2物部(ノ)十市根(ノ)大連1云々。仍令v掌2神寶1。とある是なり。また五十瓊敷《イニシキノ》命居2於|茅渟菟砥《チヌノウト》川上(ノ)宮(ニ)1云々。俾(ム)v主(ドラ)2石上(ノ)神宮之神寶(ヲ)1と見えたる。俾v主(ラ)は令v掌(ラ)なる事。前後に引る文に見合せて知べし。また五十瓊敷命謂2妹大中姫(ニ)1曰。云々物部連等。至(ニ)2于(562)今1。治《ツカサドル》2石上(ノ)神寶(ヲ)1。是其縁也。とあるも上に同じ。【此治を掌に換て記れたるを合て。其神寶を主る神主と爲て齋寶る事を云ふ事知るべきなり】○蛇之麁正。次一書には蛇(ノ)韓鋤《カラサビ》之釼とあり。この二名を合せて。名義を考るに。蛇之|明眞鋤《アカラマサビ》なり。明《アカラ》とは。其釼の刃《ハ》の光耀《ヒカ》り赫くを云。鋤は眞美《サミ》なり。此身を通はせて比とも云。さて麁正は。阿加良の加《カ》と。麻佐比の比《ヒ》を略き。韓鋤は阿加良の阿《ア》と。麻佐比の麻《マ》を。略けるものにして。共に同名也。○今在石上。永享本三島本應永本に。石上の下。宮字あり。其方よろし。【本の訓に。インノカミノミヤとあるにても。脱たること知られたり】記傳云。石上は。一書に吉備(ノ)神部(ノ)許ともあるから。式備前國赤坂郡石上布都之魂神社これなり。と云り。まことに一わたりは。誰も然思はるれど。よく思へばさに非ず。其故は。さしも名高き倭なるをおきて。吉備なるをたゞに石上とは云てむや。若吉備のならば。必吉備石上などこそ云べけれ。されば猶倭の石上なるべし。さて推度りていはゞ。崇神卷六十年に。矢田部《ヤタベノ》造(ノ)遠祖|武諸隅《タケモロスミ》を御使として。出雲大神宮に。藏れる神寶を。召上て見給ふことあり。矢田部造は。姓氏録によるに。物郎氏の別なり。さて垂仁卷二十六年に。物部|十市根《トフチネ》大連に詔て。出雲の神寶を※[手偏+僉]※[手偏+交]《カムガヘ》しめ。仍て神寶を掌らしむ。又八十七年の文に。同人石上の神寶を掌ること見ゆ。然れば。此須佐之男命の御釼。出雲神宮に藏れりしを。右の崇神垂仁の御時など。餘の神寶と共に。京に召上給ひて。其時よりや。石上に納(メ)られたりけむ。此石上には。なほ種々の神寶を納られし事。垂仁卷に見えたり。さて後に所以ありて。備前國へ遷し奉しなるべし。其時倭の本宮の名を取て。かしこをも。石上布都御魂神社とは申すならむ。いかにまれ。石上布都(ノ)魂(563)と云名は。必倭より出たる事。明きをや。かゝれば。この紀又拾遺に。在2石上1と云るは。始倭に坐し時の傳。在2吉備1と云るは。遷(リ)給ひて後の傳説なるべし。然るに備前の石上(ノ)社傳説には。神釼は昔大倭の石上へ遷し奉りて。此社には在まさず。と云り。いかゞあらむ。と云り。【按るに此説然るべし。猶いはゞ此石上。もし吉備のならば。宮とは云べからず。此字あるに付ても。大倭のなることしられ。又宮字脱たるものなること知られたり】式大和國山邊郡石上(ニ)坐(ス)布留御魂(ノ)神社。【大。月次相甞新甞】倭名抄。石上伊曾乃加美これなり。重胤もなほ云れけるは。此時の斷蛇の釼はしも。※[音+師の旁]靈《フツノミタマ》と云稱のあるべくも非りけるを。後に此御釼を。此に移鎭られたれば。其本宮の號を。用たりけん事。右に引る記傳の説の如し。【但し石上にては。往古より其十種神寶と共に。合せて祭來れるか。又は往古より。出雲に傳はれるを。崇神天皇御世に。京に召上られてより。其神宮にて祀來れるにも有んか】偖此を素戔嗚大神の御名を以て。其社に稱申さるべきに。然らぬは。其大和なる本宮の名を。其任に移されたるにて。此にても布都之魂神社とこそは申せりけれ。此は祭神の稱にも。又釼號にも非る者也。偖此に今在2石上1と云は。大和の方の事なるが。其釼を故有て。其吉備國に移されたりしより。唯其御魂のみを。留め祭られて。別に出雲建雄(ノ)神社は。祀られたりし者とこそおぼゆれ。然るに記傳に載られたる。備前の石上社傳に據て思ふに。其始出雲より京に召上させおはし坐て。彼石上神宮に。納玉へるを。其後に吉備神部の許に遷し奉れるより。本宮には。唯御靈のみを留祭られけるに。又故有て。再石上に還し奉れるを以て。此にも今在2石上1と書され。此より後に出來る拾遺にも。今在2石上神宮1。とは傳たりし者なるべからむ。【右の出雲建雄神社は。石上神宮の南(ノ)門内にあり】と云れたり。なほよく考べし。
 
(564)此後(ニ)以2稻田(ノ)宮主簀狹之八箇耳(ガ)生(メル)兒。眞髪觸奇稻田《マカミフルクシイナダ》姫(ヲ)1。遷(シ)2置《スヱテ》於出雲國(ノ)簸(ノ)川上(ニ)1而|長養《ヒタス》焉。然(シテ)後(ニ)素戔嗚(ノ)尊|以2爲《シタマヒテ》《ミメト》1。而|所生兒《ウマセタマヘルミコノ》之|六世孫《ムツヨノミマゴ》。是(ヲ)曰(ス)2大己貴(ノ)命(ト)1。
 
眞髪觸奇稻田姫。眞髪觸は。久志《クシ》と云む發語なり。眞は髪を稱たる言。櫛は髪に觸《フル》るものなれば。如此冠らしむ。かの薦枕《コモマクラ》高皇産靈神。天踈《アマサカル》向津《ムカツ》比賣(ノ)命。などの如く。神名にも發語をおくは。上代の文のさまなり。さて姫字。本に媛に作るを。今永享本に因る。○遷置於出雲云々。此傳にては。安藝國可愛川上より。出雲國簸河上に遷し置て。長養し玉ひしなり。異なる傳なりけり。また。鳥上二水考證に。かの可愛川(ノ)源なる葛野山は。仁多能義二郡の堺に在て。東南は鳥上峯と麓相ちかし。是を以て。伊志尾川【即可愛川なり】の源の。鳥上峯に遠からざるをしるべし。故奇稻田姫を。可愛川上より。簸(ノ)河上に遷し置て。長養《ヒタ》し給ひしは。其堺の近く接けるが故なり。とあるが如し。【重胤云。此は鳥髪地にて。女紳を生るが。其より稻田宮に移せる事を云と所見たり。正書に。行覓2將v婚之處1。遂到2出雲之清(ノ)地(ニ)1云々建v宮とある。此に當るべし。然るは右の清地は。風土記に謂ゆる。大原(ノ)郡須我(ノ)山にて。郡家東北一十九里一百八十歩とあれども。簸川も。當郡斐伊郷を經るに就て。名る所なれば。唯大凡に云時は。川上と云て違へる地理に非ればなり。風土記出雲郡云々。入2神門水海1。此則所謂斐伊河下也云々。此を以て見る時は。其出雲郡に至りて。斐伊河下なれば、其に對へて。出雲郡より上方は。何れも河上なること。云更なりかしと云る。此説は如何あらん。】さて此一書大蛇を斬給へる後に。八耳が生る稻田姫を長養し。妃として兒生給へるとあるは。始より云るが如く。誤れる傳なるべし。○爲妃。妃字をミメと訓るは。御妻の義にて。正妃をムカヒメと訓る對なり。妃は紀(565)中正妃。次妃。庶妃。など書別たれど。それは皇代紀の事なり。神代の御事は。後の例とも全く合せがたければ。後の定を以ては云がたし。【此稱號の事は。神武紀に付て云べし】されば重胤も。此に奇稻田媛命の御事を。爲v妃と有たればとて。後の妃夫人の倫にては。いかゞ御在し坐む。此大神に幸《メサ》れ奉れる女神も。猶此餘にも御在し坐れども。實の嫡后と申奉るは。此女神に渡らせ給ふ御事。申も更なりかし。式意宇郡熊野坐神社。【名神大】とある。其並びに前(ノ)神社とて御在し坐なん。此女神に渡らせ給ふべくなん有ければ。後の事を以。申さむには。謂ゆる正妃《ミムカヒメ》と坐し。又皇后にて渡らせ玉ふ御事。今更申さむも事舊にたり。と云れたり。○六世孫。一書また記にては。素戔嗚尊六世孫なるを。此に所生兒之六世孫とあるは。一世の異あり。されど山蔭に。古書に世嗣の數をいふに。其身より其身まで。計へたるもあれば。兒之六世孫と云るも。同じことにてもあるべし。と云れたるさる言なり。其心して見るべし。
 
(567)日本書紀通釋卷之十一       飯田 武郷 謹撰
 
〔第三一書〕
一書曰。素戔嗚尊欲(シテ)v幸《メサムト》2奇稻田姫(ヲ)1而|乞《コヒタマフ》之。脚摩乳手摩乳對(テ)曰《マヲサク》。請(フ)先殺2彼蛇(ヲ)1。然(シテ)後(ニ)幸《メサバ》者|宜《ヨケム》也。彼大蛇毎(ニ)v頭各有(リ)2石松《イハホマツ》1。兩(ノ)脇《カタハラニ》有v山。甚|可畏《カシコシ》矣。將|何以殺《イカニシテカコロシタマハン》之。素戔嗚尊乃計(ラヒテ)釀《カミテ》2毒《アシキ》酒(ヲ)1以|飲《ノマシム》之。蛇醉而睡(ル)。素戔嗚尊乃(チ)以※[虫+也](ノ)韓鋤《カラサビノ》之釼1。斬(リ)v頭斬v腹。其斬(リタマフ)v尾之時(ニ)。劍先少(シ)缺(タリ)。
 
姫本に媛とあり。今永享本に從ふ。先殺彼蛇云々。此上に八岐大蛇の。生(ル)子を呑つることを略けるなり。重胤云。此にては。彼二神より。大蛇を退治させ玉へらむ事を。請奉れる趣にて。大二一書に。吾當2爲v汝殺1v蛇とありて。大神の御方より。進め詔玉へるに異なり。今何れか宜けんと考るに。正書なる二神の言に。所2以哭1者。往時吾兒有2八箇少女1。毎v生爲2八岐大蛇1所v呑。云々故以哀傷。とありて。其大蛇には及絶《オヨビタエ》たる事として。手を束ねて。唯泣に哭居たるなめり。素戔嗚尊勅曰。若然者當2以v女奉1v吾耶。とあるは。此女をだに吾に奉らば。其因を以て。大蛇を退治させ玉はんと云意を。含(568)め玉へる御言なり。次に對曰。隨v勅奉矣と見えたる。此所の文。事の略に過ぎたるべし。記に恐(ケレド)亦不v覺2御名1。爾答詔。吾者天照大御神之|伊呂勢者《イロセナリ》云々。白然(カ)坐(サ)者恐(シ)奉(ラム)とある。此ば唯其女神を奉るのみの。御對には非るべし。其故は第二一書に見えたる如く。汝の爲に。蛇を殺してむ。とは詔へる物の。其老夫婦の心には。如何危ぶみ奉らざらん。其女神を乞玉ふに就て。御名を問奉れるに。甚も可畏き此大神に御在坐ば。必定其大蛇を。退治させ玉ふべき御事を。心に知て。應へ奉れるものなりけらし。【然れば。此と其とは。實に異なる傳の如しと雖。甚くことを約めたるるものと見ゆれば。然のみ難とは云まじきにや】と云り○幸者。又云。此にては已に嫁玉ふべき程に。長《ヒトヽ》ならせ玉へる趣なり。第二一書は。此と異にて。其大蛇の事を。語申せる頃間《コロ》には。未(ダ)有身《ハラマ》せる時の事なるは。餘りなるを。此にては又其長なるに過たり。正書には。少童と有て。大神の往々后と爲させ玉はん御心坐に依てこそは。其父母に乞玉へりけれ。未(ダ)婚の御事などは。此にては思ほし寄せ玉はざりつる者なれど。甚正實に協へる者也。此も其|有意《コヽロシラヒ》は有ながらに。文を簡に物爲られたる故に。然
る細かなる事までには。行亘らぬが如くなむ見ゆめる。と云り。○宜也。記傳云。余祁牟《ヨケム》は。余加良牟《ヨカラム》と云と。同くて。古は此格いと多かり。今京となりてもまゝあり。【御肴には。何よけん。また涙の瀧と。何れ高けん。などの類なり】とあり。○石松。石秀《イハホ》に生たる松をいふ。石と松と。二箇には非ず。○兩脇有山。蛇に脇とは。いかゞなる様なれど。此蛇は尋常のとは異にて。さばかりの大蛇なるに。頭八(ツ)尾八(ツ)さへあれば。脇といふべき所も。ありしにこそ。【重胤云。正書に蔓2延於八丘八谷之間(ニ)1。と書されたるを以て。其長さを度るべく。此に兩脇有v山。とあるを以て。其幅さを思ふべく。又此に二神の其状を語りて。甚可畏と申し。尊の其大蛇に對ひて。汝(ハ)是(レ)可畏之神。と勅玉へる以て。實に非常(569)なる妖蛇なりけん事を。思ふべくなんありける。と云り】○毒酒。平田翁云。諸の菓を以て。八鹽折に釀たる酒を。猶|毒《アシ》く醉ふべく。つくり玉ひけん。と云り。重胤云。此毒酒はしも。酒を釀し玉ふことを。私記に。問何故(ニ)必用v菓釀v酒哉。答是取2集惡味(ノ)毒菓1。而釀之。以2其醉v人尤甚(ヲ)1之故也。と見えたる。惡味(ノ)毒菓と云は。後人の。此一書に合せ云る推量にして。始より然る毒物を以て。製らせ給ふには非ずと雖。其酒を以。度々に造返せるが故に。右に其醉v人尤甚と云ふ。八※[酉+媼の旁]の酎酒とこそは成れるなりけめ。本より其毒に中りて。自斃るゝを待せ玉ふには非ず。其醉て睡れるを伺ひて。屠(リ)殺させ玉はむとの。神策にて御在しますこと。諸の傳々を參考ふれば。甚著明かりけり。と云り。○蛇韓鋤之劔。名義。上の一書に云り。そこに云る如く。鋤《サビ》は推古紀に。多智奈羅麼句禮能摩差比《タチナラバクレノマサビ》【私紀に呉眞鋤《クレノマサビハ》。良劔之名也。と云り。】とよみ玉へる。大御歌の差比《サビ》と同じく。眞身の義なり。さて佐比に。鋤字を作るは。記傳に。和名抄農耕具に。※[金+專](ハ)鋤(ノ)屬也。漢語抄云。佐比都惠とあれば。鋤をも佐比とも云しにやと云り。なほよく考べし。【釋に。私記曰。問韓鋤之意如何。答。其形似v鋤。故名之。今世之須岐也。先師説云。加良須岐歟。とあり。須岐者。和名抄農耕具に。鋤和名須岐。去v穢助v苗也と見え。加良須岐は。犂和名加良須岐。墾v田器也とあるこれなり。纂疏にも此を以て。韓犂猶v言v犂也。劔形v犂。而斬v蛇。故曰2蛇韓鋤1と云り。按に鋤に似たるも犂《カラスキ》に似たるも。カラスキとこそ云べきに。カラサビと云には。故由外に必あるべきなり。さて又天武妃に。小子部※[金+且]鉤と云人名もみゆ。又齊明紀に。膽振※[金+且]此云2伊浮※[金+且]裟陛1とある。此は佐比を佐閇と。通はし云りと見ゆ。なほ神武紀なる。鋤持神の下に云るをも考へ合すべし】○斬腹其斬尾。山蔭云腹の下に。斬尾の二字あるべし。もし此二字なくば。其(ノ)字を至にかふべし。と云り。さる言なり。
 
故(レ)裂(キテ)v尾(ヲ)而|看《ミソナハスルニ》之。即別(ニ)有2一《アヤシキ》劔1焉。名(テ)爲(ス)2章薙劔(ト)1。此劔(ハ)昔在(リ)2素戔嗚尊(ノ)許《ミモトニ》1。(570)今在2於尾張(ノ)國(ニ)1也。其素戔嗚尊|斷《キリタマヘル》v蛇(ヲ)之劔(ハ)。今在2吉備(ノ)神部《カムトモ・カムベ》《ノモトニ》1也。其斬(タマヒシ)2大蛇(ヲ)1之地(ハ)。則出雲(ノ)簸之|川上《カハカミノ》山是(レ)也。
 
看之。本に之字なし。今永享本永正本舗倉本に依て補ふ。○昔在素戔嗚尊許。この事も既に上にいひつ。○在於尾張國。永享本北野本於字なし。○斷蛇。古今顯注所引本。斷を斬に作れり。○吉備神部は。式備前國赤坂郡石上布都之魂神社これなり。神部は本にカムトモノヲと訓たるにつきて。纂疏に。神部者掌2神事1而有2其黨1也。と注されたれど。かゝる稱有し事。古書に見えず。またカムヘとよみて。神祇の被官に。神部三十人とある。諸氏の人かとも云べけれど。吉備(ノ)神部許とのみにては。いかなる氏の人とも。さだかならず。もしくは地神本紀に。素戔嗚尊十一世孫。大鴨積命(ノ)弟田々彦(ノ)命。磯城瑞籬朝御世。賜2神部(ノ)直大神部(ノ)直姓1と見え。式に赤坂郡鴨神社。石上布都之魂神社。並坐を見れば。鴨氏の子孫。此《コヽ》の石上に仕拳りし事ありて。その氏人神部直の姓を玉はりしにもやあらん。さらば吉備神部と云るは。なほ氏なるべし。なほ同國津高郡兒島郡にも鴨神社あり。これらも由あるか考へし。さて此社に神釼の在し事。上に記傳の説を引て云り。【吉備を。山蔭に類聚國史に寸簸とあり。釋又纂疏に。或本に然ある由見えたり。然れば吉備とは後人の改めたるなるべし。と云り。されど國生の段に。既く吉備とあれば。頓に定めがたし】○其斬大蛇之地則。本に此七字脱たり。葦牙云。此七字は。故翁の本には。御本校正本といふ本に。此七字ありて。義明らけし。とあり。百樹が本には。春日所藏の古本とあり。【通證にもしか見ゆ】必あるべき文なれば。今(571)補ふ。○出雲簸之川上山是也。重胤云。纂疏に所v斬之蛇化v之也。上云2蛇(ノ)兩脇有1v山。蓋即此山乎と云る説は。文を活かせ。句を機《ハタラ》かせ給へるものにして。千古の卓説なりと云り。
 
〔第四一書〕
一書曰。素戔嗚尊(ノ)所行《シワザ》無状《アヂキナシ》。故諸(ノ)神(タチ)科(スルニ)以(テシ)2千座(ノ)置戸(ヲ)1。而遂(ニ)逐《ヤラフ》之。是時(ニ)素戔嗚尊帥(ヰテ)2其(ノ)子|五十猛《イタケルノ》神(ヲ)1。降2到《クダリマシテ》於|新羅《シラキノ》國(ニ)1。居《マシマス》2曾尸茂梨之處《ソシモリノトコロニ》1。乃|興言《コトアゲシテ》曰。此(ノ)地《クニハ》吾(レ)不《ズトノタマヒテ》v欲《ホリセ》v居《ヲラマク》。遂以(テ)2埴《ハニ》土(ヲ)1作v舟(ヲ)。乘《ノリテ》v之東(ニ)渡《ワタリ》
 
素戔嗚尊の御天降は。前後兩度ありたりしよしは。此まで其處々に云置り。然るに此一書は。素戔嗚尊其御子|五十猛《イタケルノ》神。共に天降らせ御在《オハシ》坐ける。前後の御事の。混同《ヒトツ》に成れるから。其差異の所見《ミエ》難きなめり。今又次々辨ふべし。○五十猛神の御名の訓。本にイソタケルとあれど。神祇本源に引る。大宗秘府略記に。伊猛《イタケル》命とあるにて定むべし。偖五十は。八十などゝ同く美稱か。【平田翁は。出雲國仁多郡に。伊我多氣神社とある。此を杵築大社記に。伊我多氣大明神は。五十猛神是なりとあり。されば伊は嚴の省語なるかと云り】猛は。神武紀に梟帥此云2多稽屡《タケル》1と注され。崇神紀に伊頭毛多鷄流《イヅモタケル》。景行紀に。日本|武《タケルノ》尊など例いと多し。此五十猛神と申すは。御父大神に相亞(ギ)て。武く強き稜威なん。御在坐す大神には渡らせ玉ひける。又大屋毘古神とも申。又御名を韓國伊太※[氏/一]《カラクニイタテ》神とも。申奉る御|有功《イサヲ》などは。【出雲國意宇郡玉作湯神社。同社坐韓國伊太※[氏/一]《カラクニイタテ》神社。平田翁云。伊太※[氏/一]は伊太祁と通ひて聞ゆる也。谷川氏曰。韓國伊太※[氏/一]《カラクニイタテ》神社蓋此神也と云り。尚式には右の外にも諸國にあまたあり。】並々の神にしては。(572)え物せさせ玉ふまじき御事なるを。想像り奉るべくなん有ける。記に見えたる。大穴牟遲神の。八十神の爲に窘められ玉へる時に。此大神の武勇を頼み參らせ玉へる事あるをも。思合すべくなん。有ける。【此事。大穴牟遲神の御母神の。速2遣於木(ノ)國之大屋毘古神之御許1とある時の事を。云るなり】さて此神は。素戔嗚尊の天上にまし坐し間に。生し御子なるべし。【始天上に昇り坐る時など。帥て上り給へりとは見えず。それに就て。重胤説に。舊事紀異本に服狹雄尊娶2萬魂分姫1(神皇産靈尊女)生兒五十猛命。妹大屋媛命。次※[木+爪]津媛命。と
云る文ある。萬魂分姫は。長寛勘文に。初天地本紀云。伊謝那支尊娶2惠乃女(ノ)命1。生兒大夜乃女命。次足夜乃女命。次若夜女命三神云是此大夜女命。熊野大御后坐云々とある。大夜女命と同神と聞ゆれば。其上天に御在坐し間に。娶玉へるを。其后神をも御子神をも并せて。此時率て天降り玉へるなり。と云り。舊事紀異本と云もの何に出たりや知らず。よく考べし。】さて大宗秘府略記に。韓神者。伊猛命(ヲ)號2韓《カラノ》神|曾保利《ソホリノ》神1。また内侍所御神樂式に。韓神之事素戔嗚尊子也とあるに據て。平田翁云。此神を古事記に大歳神の御子とあるに。此式に素盞雄命の御子とある事いと珍《メデ》たし。正しき傳也。大宗秘府略記の傳と合せ考べく。韓神曾富理神と申すは。五十猛神なる事を辨ふべし。大倭神社注進状に。韓神者大己貴命少彦名命也。兩神經2營天下1。爲2顯見蒼生1。則定2其療v病之方1。或抄云。大己貴命少彦名命(ハ)神記曰。昔造2葦原中國(ヲ)1訖。去往2東海1。今爲v濟v民更亦來歸。因以號2兩神1云2韓神1歟。古語外國云v韓也。と云へるも。然る説に聞ゆれども。尚秘府略記の説に據べくぞ所思ゆる。と云れたり。此は尚よく考べし。○新羅は。出雲風土記に。栲衾志羅紀乃三埼《タクフスマシラキノミサキ》。萬葉十五に。新羅奇《シラキ》など所見たれば。志羅紀の紀(ノ)字清て訓べきなり。【されど古書どもに。紀字を省きて。記るもおほし】此國。崇神紀には鷄林とも書り。重胤云。上章第三一書に。素戔嗚尊を逐奉らしゝ。諸神の語に。故不v可v住2天上1。亦不v可v居1於葦原中國1。云々。乃共逐降去。と有も。此時は其韓地さへに。未(ダ)國形を成ざりし程の事なれば。かく云て。(573)大地に住玉ふを。禁止め奉りて。其地下に在る。黄泉に逐(ヒ)奉れるなり。然るに其續きに。此大神の天降坐し時。衆神|同《トモ》に距《フセ》ぎて。留休め奉らざりしかば。其時なん韓地には。流離《サスラ》はれ御在《オハシ》坐したるを。其地には距き奉る神も非りしが故に。遂に曾尸茂梨《ソシモリ》之處に御在坐し著せ玉ひけり。此時漸くに。此地の出來初たりし證は。此大神を建(シ)v邦之神と申し。【此事欽朋紀十六年に見ゆ】五十猛神を。韓國|伊太※[氏/一]《イタテノ》神と申すにて。著明き事なり。若此より以前に。彼國の全整たらんには。建v邦と云事は。徒事に非ずや。と云り。さる説なり。さて新羅の建國。また新羅王の始祖などの事は。神功紀に云べし。○曾尸茂梨之處は。口訣に。荒芒(ノ)地猶v云2※[旅/肉]宍《ソシヽ》之國(ト)1。纂疏に。在2新羅1之地名。或説に。新羅國之邑名。などあれども。今詳ならざるなり。重胤云。此曾尸茂梨の事に就て。度會延佳説に。按和名抄高麗樂曲。有2蘇志摩梨1。疑其地風俗之歌曲乎。といひ。通證に。見林曰。高麗曲有2廻庭樂1。蓋素戔嗚尊所v作樂也。遺音載在2仁智要録(ニ)1。今按曾閲2其舞(ノ)圖1。著2蓑笠1以屈折。蓋(シ)摸2素尊流離辛苦之體(ヲ)1也。【武郷云。この事白石雜考の中。樂考にも。蘇志摩利統秋云。一説此曲を廻庭樂といふとも見えたり。按ずるに。此曲舞人の蓑笠にて。舞ふとみゆ。進雄尊。衆人に逐はれて。青草を束て。蓑笠と爲て。新羅に至り。曾尸茂梨の處居玉ふ事。國史に出づ、此事を象りし舞なるべしとあり。】と云るは然る説にて。西大寺資財流記帳高麗樂具の中に。蘇志摩利懸笠二葢。【各p羅衣】とある懸字は。通用にて懸笠ならんと。先には思ひしかども。猶字の任に。縣《アガタ》笠にて。田舍人の用ゐる。下品の笠と云意なるべく。p羅衣《クサイロノウスギヌ》と云も。甚く繿縷《ヤツ/\》しき御布状を。摸し象れる者と所見たり。此等の事を思ふにも。此大神の五十猛神を帥て。此大八洲國に降り玉ひ。後に彼土に到らせ玉へるに。違ひあるまじき者なりけり。上章第三一書に。乃共(574)逐降去。于時霖也。素戔嗚尊云々。辛苦降矣。とある時の御事なるを。辨ふべくなん有ける。と云り。○此地吾不欲居。彼國を建させ玉へれ共。居玉ふ事を願はしからず。所思せるにて。此は其住玉ふべき地を。更に覓めさせ玉はむとなり。○以埴土作舟。平田翁云。埴土を以て。御舟を作たまへるなり。是に準へて按へば。彼磐船と云しも。决めて同じ製りにて。埴以て作れるが。磐と化れる物と思はる。然るは諸國に。神世の石《イハ》舟と稱ひ傳ふる物の多かるが。皆本より石をもて。作れる物とは見えず。埴もて作れるが。石に化れる状に見ゆ。と云へばなり。【かくて後に。杵築大社記を見れば。大社の西方。鶴山の麓に。天磐船あり。此は須佐之男命の。埴を作りて。乘渡らせりし舟の石と化れる也。垣結回らして有といへり】と云り。○東渡。又云。新蘿國は皇國より西に在る故に。彼國より皇國に渡り坐るを。東渡とは云也。と云り。さて重胤云。東渡より直に次の到2出雲國(ノ)簸川上|所在《ナル》鳥上之峰(ニ)1へ。文の續く所なれども。已に論定めたるが如く。必此間に其頃の事迹の文有つらむを。亡びたりける者ならし。されば此東渡と云は。下文にみえたる如く。韓地よゆ筑紫に渡り御在坐て。東方紀伊國に。始て到着せさせおはし坐けるにて。次(ノ)一書に。素戔嗚尊曰。韓郷之島是有2金銀1。云々乃拔2鬚髯《ヒゲ》1散之。即成v杉(ト)。又拔2散胸毛1。是成v檜(ト)。尻(ノ)毛是成v※[木+皮]《マキ》。眉毛是成2※[木+豫]樟《クスト》1。已而定2其當用(ヲ)1云々。夫須v※[口+敢]八十木種皆能(ク)播(キ)生。と有るは。此に凡大八洲國之内莫v不3播殖而成2青山(ヲ)1焉とあるも。一時《ヒトツトキノ》の御事にして。此二柱神共に先に天降らせおはし坐ける程の御事是なり。此に繼て上章第三一書に。是後素戔嗚尊曰。諸神逐v我(ヲ)。我今當2永去1云々。於是素戔嗚尊白2日神(ニ)1曰。吾所2以昇來(ル)1者。衆神逐2我以根國(ニ)1。今當2就去1。若不(ハ)2與v姉相見1。(575)終不v能2忍離(ルヽコト)1。故實以(テ)2清心(ヲ)1。復上(リ)來(ル)云々。已而復還降焉。とある此文にて。先に天上より逐はれて。葦原中國に天降玉ひ。又國内の衆神に距がれて。新羅國に到(リ)著せ玉ひしが。更に興言して。東方筑紫に歸渡らせおはし坐て。大八洲國を盡に青山と成給ひ。天神の御子の御爲に。外國々をも。歸せ奉り玉ふべき事共をも。成(シ)掟てさせ給ひて。今度は實に。永き御辭見を申させ玉ひ。先に生坐る五男神をば奉らせ玉ひ。三女神をば賜はりて。出雲國に天降らせ玉へる。前度後度の御次序。分明しき御事也ければ。是を以て。此に乘v之東(ニ)渡と云より以下に。右等の事實を約たる傳のありつらんを。いかにしてか。脱たりし者也。とは定めて云事にて有けり。と云れたるは。實に委しき考なりかし。【上にも條々云る事あり。考へ合すべし。】
 
到(リマス)2出雲(ノ)國(ノ)簸(ノ)川上(ニ)所在《アル》鳥上(ノ)之|峯《タケニ》1。時(ニ)彼地《ソコニ》有2呑(ム)v人(ヲ)大蛇1。素戔嗚尊乃(チ)以2天(ノ)蠅斫《ハヘキリノ》之劔(ヲ)1。斬(タマフ)2彼(ノ)大蛇(ヲ)1。時(ニ)斬《キリテ》2蛇(ノ)尾(ヲ)1而刃缺(ケヌ)。即※[辟/手](キテ)而|視之《ミソナハスレバ》。尾(ノ)中(ニ)有2一(ノ)神《アヤシキ》劔1。素戔嗚尊(ノ)曰。此(レハ)不《ズトノタマヒテ》v可2以|吾《ワガ》私(ニ)用《モチヰル》1也。乃|遣《マダシテ》2五世孫《イツヨノミマゴ》天(ノ)〓根《フキネノ》神(ヲ)1。上2奉《タテマツリアグ》於天(ニ)1。此(レ)今所謂草薙劔(ナリ)矣。
 
鳥上之峰。紀に降2出雲國之肥河上|在《ナル》鳥上(ノ)地(ニ)1とあり。其地は風土記に。仁多郡鳥上山。郡家東南三十五(576)里。伯耆與2出雲1之堺とあり。解云。鳥上は横田郷竹埼村の山。世に船通山といふ。抄曰鳥上室原の間を越れば。伯耆國日野郡多里村に出。【なほ本書簸川の下に引る文合せ見るべし】記傳にも。此山今俗に船通山といふ。此山の東に。室原山あり。其間を越れば。伯耆國日野郡に至るとぞ。とあり。さて新羅より。直に渡り坐る地を。此に烏上之峰とある事のよしは。既に云るが如し。○天蠅斫之劔。北野本之字なし。名義。釋に私記曰。此尤利劔也。若蠅止2于刃上1。即自斫。此鋭鋒之甚也。とあれど。拾遺に。天十握釼。其名天羽々斬。云々。古語大蛇謂2之|羽々《ハヽト》1。言斬v蛇也。とあり。これ正説なり。南島志に。琉球方言に。大蛇を羽々と云。古語の遺れるなりと云り。【此紀の訓も鎌倉本に私記波々支利とあり。】由中頼庸云。蠅は借字にて。波倍とは蛇を云なり。今に南洋の大島にて。蝮蛇を波布《ハブ》と唱ふるは。古言の遺れる也。此毒蟲に灯れて。死る人多くあり。又其一名を麻志物と云り。爾雅に。蝮の害を注して。其蝮特出2南方1。とあるは。我南島の蝮と同類にや。又波々と云も同言なる事。拾遺に云るが如し。但蠅斫も。江家訓に【武郷云。文明本鎌倉本にも】波々支利とあるを思へば。古は互に通はし云る事著し。されば蠅斫とは。此劍を以て大蛇を斬玉へる故に。自ら其名とは成ける物なり。と云り。○私用。【秘閣本に。私ニモチヰル云々。とあり。さて用の假字は。一段活用にて。モチヰモチヰルなり。言義は持率《モチヰ》にて。引率などゝ同じきなり。この事も。田中氏委く考記せるものあり】重胤云。用字は所持(ノ)字の義に見べきなり。熱田縁起に。何敢私秘藏乎。と有以て考べきなり。紀に故取2此太刀1。思2異(キ)物(ト)1而。白2上於天照大御神(ニ)1也とあるが如く。此神劔の靈異を。神異《アヤ》しくおもほして。御自私の物にして。使用《ツカ》はせ給はず。奉らせ玉ひけるにて。豫め大神の御前に置せ玉ひて。天孫に天璽として。授玉へら(577)む御所置を。仰(キ)奉らせ玉ふ御心におはしましけん。と云り。○五世孫。此世數の御名ども。上に記を引出せり。○天〓根神。【本に天(ノ)下之(ノ)字あり。永享本口訣本に无に依る】記に淤美豆奴《オミツヌノ》神。【須佐之男命四世の孫也】娶2布怒豆怒《フヌツヌノ》神之女|布帝耳《フテミヽ》神(ニ)1【此神の御名の意も事跡も共に詳かならず】生子天之|冬衣《フユキヌノ》神とあり。冬衣(ノ)神|葺根《フキネノ》神同神なり。【通證に。延佳曰。葺根神古事記所謂冬衣神。今按。冬衣與v〓通。根助語。猶2屋根杵根之稱(ノ)1也】平田翁云。名義は。須佐之男命此神を遣して。彼靈劔を天上に奉給へるを以考るに。師説の如く。劔にぞ由けむ。其布由は。應神段に吉野之國主ども。大雀命の抑刀を稱美せる歌に。母登都流藝須惠布由《モトツルギスヱフユ》とあり。此は本劔末振《モトツルギスヱフユ》なり。【フルをフユと云は。ラレをヲエと云ふ類ひの。音便なるべきか】布由を振なりと云由は。まづ振は布久と云こと。古事記に十拳劔を。後手《シリヘテ》に布伎都々《フキツツ》とあるを。紀に背揮《シリヘテニフク》と書れ。冬衣神をも。葺根神とも申せば。布久を布由とも云て。共に布流に同じ言なり。伎奴は君主《キヌ》なるべしと云り。されど此神素戔嗚尊の五世孫と云事は。甚疑しきよしありて。既に通證に宗因曰。素尊待2來孫1。而後奉2上劔1。と云へる説もあれど。考ふべきよしなし。○遣。紀中マダスとも。タテマダスとも訓り。尊き處へ使を奉り。或は物を進獻るをいふなり。記傳に。麻陀須《マダス》と云言は。萬葉十五に。麻都里太須《マツリダス》。可多美乃母能乎《カタミノモノヲ》とあれば。麻都理陀須の省言なるべし。とありて。なほ類聚國史。續後紀。三代實録等。其他に見えたる例どもを引れたり。此詞後世には。あまり見當らぬを。高光家集に。たゞきよの衛門督。ごせちにたてまだし玉ふに。薫物かうばしうあはすとて。云々とあり。めづらし。○上奉於天。日御碕兩本社記に。天葺根命(ハ)。當社司※[手偏+僉]※[手偏+交](ノ)遠祖也。從2此命1。至2當※[手偏+僉]※[手偏+交](ニ)1。而代々神賑相續。而毎歳十二月除夜。詣2于天一山(ニ)1。而奉劔之祭祝。於2于今1(578)無2懈怠1。縱雖2洪雨甚雪(ト)1不v霑2一點(ヲ)1。秘※[玄+少]之神事也。故一子相傳。而雖v爲2同氏1。不v能v窺v之者也。とあり。决て古傳なるべくおぼゆ。【この事通證にも。按出雲郡出雲郷日御崎神社。毎歳除夜。有d神劔奉2天神1事u。古來※[手偏+僉]※[手偏+交]職外。不v傳2之(ヲ)他人1。葺根神乃※[手偏+僉]※[手偏+交]之始也とも。玉木氏曰。日御崎社所v祭日神素尊也。山上有2壇所1。除夜※[手偏+僉]※[手偏+交]本2神勅1。夜半進至2壇所1。有2神劔奉v天之儀1。黎明下v山。至v今無v絶。など記されたり】とあり。决て古傳なるべくおぼゆ。
 
初(メ)五十猛(ノ)神|天降《アマクダリマス》之時。多(ニ)將《モチ》2樹種《コダネヲ》1而|下《クダル》。然(ドモ)不《ズシテ》v殖(ヱ)2韓地(ニ)1。盡(ク)以持歸《モチカヘリテ》。遂(ニ)始(メ)v自2筑紫1。凡(テ)大八洲國之内(ニ)。莫(シ)v不《ズトイフコト》3播殖《マキオホシテ》而|成《ナサ》2青山(ニ)1焉。所以《コノユヱニ》《タヽヘテ》2五十猛(ノ)神(ヲ)1爲2有功《イサヲ》之神(ト)1。即(チ)紀伊(ノ)國(ニ)所坐《マシマス》大神是也。
 
初五十猛云々。重胤云。此は上文の緯《ヨコ》にて。【大蛇を切り。劔を得させ玉ひ。天神に奉らせ玉ふ御事を書して。所謂|經《タテ》にし有ければ。】即右に。是時素戔嗚尊帥2其子五十猛神(ヲ)1。降2到於新羅國1と有る。其御時の事に。渡らせ玉へるよし。既に云り。故纂疏に。初之言謂v前。此(レ)進雄尊天降之時。相2挈(テ)其子五十猛神1。而來至也。と注させ玉へり。若て此に多將2樹種1下云々とあり。下字は。上に降2到於新羅國1とある應《ヒヾ》きにて。次に謂ゆる大八洲國に。初て天降らせ玉へる御事を申し。又韓地と云は。後に渡到らせ御在し坐ける。其新羅國を云なり。右に云る如く。其降到(ノ)字は。降2於大八洲國(ニ)1而到2於新羅國1。と云意なる事。此に持歸字にて知られたり。と云り。○多將樹種而下は。纂疏に。樹種可(キ)2樹藝1草木之種子也。諸穀諸菜。諸(ノ)菓實桑麻等。在2此中1。蓋備2饑寒(579)衣食之用。器財之用(ヨリ)下所謂官舍等(ニ)1是也とあり。平田翁云。抑木草は國土の成れるとゝもに。芦桃などの如く。生たるも在れど。中に止事なき木草(ノ)種は。悉く天御國に在けむを。此時|將《モチ》降らして。殖給へるより。世に無て叶はぬ。種々の木草の。生茂れる事と知られたり。とあり。○不殖韓地云々。韓地とは西なる國々を總て云へり。通證に見林曰。崇神天皇之世。大加羅《オホカラ》國王之子。都恕我阿羅斯等《ツヌガアラシト》來。此外夷歸化之始也。故韓地(ヲ)爲2迦羅國1。と云り。記傳にも。加羅國といふは。任那の舊名。西方諸の外國の大名となりて。三韓をも漢國をも。みな伽羅と云なり。さて任那十國の中の。加羅國は。任那の内に舊名を殘したる一國にて。神功卷よりして。次々にも見えたり。と云り。されど。重胤云。韓地は次の一書に。素戔嗚尊曰。韓地之島是有2金銀1云々。と詔玉へるも。此國に御在坐し間の御言にし有ければ。當昔已に然る稱《ナ》有し事をも知べく。又此五十猛神をば。韓國伊太※[氏/一]神とも申し。【武郷云五十猛神を韓國伊太※[氏/一]神と申す事は。神功皇后の。御世よりの事なり。神代よりの事にはあらず】古事記に。韓神と申す御名の御在坐も。神代よりの御事なる【天孫降臨の御時に。天孫高千穗の峯にて。笠狹御前を指て。此地者向(ヘリ)2韓國1と詔ひしも神代の時なり。】などを思合するに。彼韓名を取れるには非ずて。我が神代よりの古名なる事。云も更なる事也かし。偖垂仁紀なる意富加羅國とある。意富はもとより。大字の義なれば。朝鮮の地方を總て。韓地と云けるを。右は外國より歸伏奉る始なりしが故に。殊更に意富の言を。當昔に稱させ玉へりし者也。故神功紀に。三韓の稱有り。海西(ノ)諸(ノ)韓の言ありて。終には萬國の稱呼と。成れる者なりけり。と云れたる如くなるべし。さて不v殖2韓國(ニ)1て持歸とは。幽深き致有べし。平田翁云。かの國々は。(580)直よかに生藝《オヒタヽ》では。要を成ざる木草共の。生茂るまじき。土性なる事を知看して。持歸り玉へるなるべし。【風土記に。天(ノ)壁立(チ)廻り坐るとある事は。全かゝる事の由にぞありける。】さて外國々に多かる木草どもは。此後に大汝《オホナムチ》小汝《スクナムチノ》神の。彼國々を造營玉ふ時に。土性に相應ふべき木草どもを。殖布し給へるも有べく。又二柱神の國巡り玉へる時に。出雲國|多禰《タネノ》里に。稲種の墮たる事。又西戎にても。神農と云ける王の時に。天より粟の降たるを。殖付たりとも。云傳ふる事などの。あるに合せて思へば。天津神の種を降し玉ひけむも。知べからず。【今も種々の種の。空より降る事はあることなり。】と云れたり。○盡以持歸と有は。盡以持往せ玉ひし御事の。御在し坐ける文を。略かれし證にて。其出立て。往渡らせ玉りし本土は。即此大八洲國なりければなり。と重胤云り。○始自筑紫は。韓地より直に。筑紫に歸渡らせ玉ひ。打置ずして。其地より始て物せさせ玉へる由なり。口訣に肥前國西南沖有2五十猛島《イタケルジマ》1と云る。是なん其始て歸渡着せさせおはし坐ける地なるからに。自然其神の御名を。負奉られたるなるべき。谷重遠が。盖彼神始下v手之地歟。と云るは。さも有ぬべき御事也かし。式筑前國御笠郡筑紫神社。【名神大】とある社の祭神を。五十猛神なりと。和爾雅に見えたり。此島より事始めて。大八島國内。悉く樹種を生し給へれば。此處にも。御靈を鎭ふべき事ぞかし。【此社の起。また此社の在所などの事は。已に筑紫鮪洲を生玉ひし處の。因に云おけり】○成青山。纂疏に進碓尊之暴行|嚮《サキニ》使2青山變1v枯。於v是得2青山1也。とある其意にして。前に素戔嗚尊の。泣枯し玉へる山々を。悉に舊の如くに。木種を播(キ)殖(ヱ)て青山と成玉へる由なり。【式常陸國那賀郡青山神社。鎭座記曰。今屬2茨城郡1在2青山村1。祭神五十猛命。一名大屋彦命。とあるはこゝによしあり】○稱五十猛神。上に二處ながら。神とあるを。本に(581)此處にのみ命とあるはいかゞ也。一本にこれをも神とせる由。山蔭に云へり。今はそれに從りて改めつ。○稱。本にナヅケテと訓れども。記傳にタヽヘテと訓れたる。然る事なり。重胤云。凡て御名を稱奉と云は。其本の御名御在坐が上に。猶殊更なる御事。おはし坐す時に當りて。其御功用の状を。言を盡して。稱讃奉るを云なり。【然るを此には。唯に稱字をナヅケテと訓る。然る事も無には非れども。其は尋常の時こそあれ。斯る一節有る時のは。殊に其御徳を言擧して。稱奉れるなるに。何でか然云む】と云れたるに依れり。○有功之神。平田翁云。【今本にイサヲシノ神と。訓たれど】師の伊佐遠能神と。訓れたるに從ふべし。【江家の點と云を。加たる本には。イサヲノカミと訓り】然るは類聚國史に。伊佐乎之久と見え。日本紀竟宴歌に。伊佐袁志久。正しき道のおむかしさ。などある故に。伊佐袁志と云を。體語と心得たるも有げなれど。志は活用し云詞にて。伊佐袁と云ぞ本語なりける。其は同竟宴歌に。得2天穗日命1。艸木みな言止よとて葦原の。國へ立にし夷装嗚《イサヲ》なりけり。と詠て。其|語書《コトガキ》の中に。あまのほひのみこと。このかみのいさをなり。とあり。【此は日本紀に。僉曰(ク)天穗日(ノ)命。是神之|傑《イサヲ》也。云々とある文を。假名に書たるにて。いさをなりは傑也に當れば。古訓にさぞありけんを。今本には傑《スグレタル》也と訓たり。此は後の訓にこそ】是を以て。伊佐袁能神と訓べき由を辨ふべ。言義は勇雄《イサヲ》ならむ。【武郷云。紀中功字幹字を。イサヲ。イササヲシ。イサミと訓み。猛幹をタケクイサヲシとも訓り】然るに。伊佐袁といふ語を。功(ノ)字徳(ノ)字などの義と思ひ。打任せて然言むこと。義は違へれど。既に有功字を。伊佐袁とも。伊佐袁之とも。禮言に訓來つれば。功徳などの字を然訓むも。非とは云がたし。と云り。さて此神を然稱奉たる意は。纂疏に有功謂2經營之功1。と注せるが如く。上にいへる。大八洲國之内。莫v不3播殖而成2青山(ニ)1と有は。唯樹種を播殖て。青山と爲させ玉へるのみならず。此國土を美地と成玉へるなれば。自然(581)に經營の御事と成れるなり。○紀伊國。名義木國なり。右の如く木種を分播玉ふ神の坐す故に。木國とは名けしなり。さて紀伊國は。四神出生章をはじめ。伺處も然書されたるを。仁徳紀安閑紀には。たゞに紀國と有り。姓なるは。就中悉くに紀又紀臣。と作れたるを。孝徳紀に。木臣と作る。唯一所のみあり。【記には。何れも木國と有り】○所坐大神。式紀伊國名草郡伊太祁曾神社。【名神大月次相甞新甞】是なり。文徳實録嘉祥三年十月。伊太祁曾神に從五位下を授奉れるより。三代實録元慶七年十二月。從四位上になり坐るまで見えたり。當國の神名帳に。正一位勲八等|伊太祁曾《イタケソノ》大神と見ゆ。【伊太祁曾の曾は上に見えたる有功《イサヲ》の約なりと記傳に見ゆ。又扶桑略記延喜六年四月七日。授2紀伊國從五位下伊太祁曾明神從五位上1。とあるは。別社なり】御社は南紀名勝志に。山東(ノ)庄伊太祁曾村の西北一里計にあり。と云り。【當國續風土記に。伊太祁曾村。日須左村の東。三町餘にありて。村居散在せり。伊太祁曾神社。鳥居の邊にあるを以。小名宮之前と云。此地若山より野上へ出る街道なり。若山の東南二里にありて。驛の始とす。伊太祁曾大明神社。本社祀神五十猛命。左右脇宮。祀神大屋都比賣神。都麻都比賣神。とあり】さて紀伊國所坐大神とは。重胤云。記に木國之大屋毘古神と有如くにて。紀伊大神と申さむが如し。持統天皇六年五月に。伊勢。住吉。紀伊(ノ)大神と有り。木種を播殖させ玉へる神に。在坐ばなり。又十二月。伊勢。住吉。紀伊。大倭。菟名足。とあるも。其始父大神と共に。彼國に御在坐て。國を建させ給へりし由縁を以てなり。此を以て紀伊大神と申すは。國號の所以と云ひ。此神におはします御事を。明らめ奉るべし。若て續紀に。大寶二年二月。分2遷伊太祁曾。大屋都比賣。都麻都比賣三神社(ヲ)1。と所見たれば。此程まで。一處に御在まして。此紀に紀伊大神と書されたる。是なれば。如此く三所に分れさせおはしましても。共に紀伊大神になん。わたらせ玉へりける。【然るを天武紀朱鳥元年に。天皇大御病に就て。七月奉d幣於居2紀伊國1國懸(ノ)神飛鳥社u云々。】(583)とあるを引合せ。其御事と思ふは非なり。其國懸神は。一書に紀伊國所v坐日(ノ)前神也。とも所見たる如く。日前又は國懸の御名を以て。書し分たれたるを。此には唯に紀伊國(ニ)坐大神是也。と有からは。打任せて紀伊大神と申奉るは。此三神の御事に。限れる稱なる事を。明らむべきなり。諸家の説何れも其意を得ず】と云れたり。さて新抄格勅符に。伊太祁曾神五十四戸。紀伊國加2十二戸1とあり。和名抄郷名に。名草郡太祁曾(ノ)神戸。と有に並びて。須佐(ノ)神戸と云あり。本國神名帳に。謂ゆる正三位須佐大神と申すも。今|口須佐《クチスサ》村と云におはし坐て。此伊太祁曾に隣れり。【續風土記に。山東庄口須佐村須佐明神社。祀神須佐之男命。村の坤山の上にあり。口奥須佐二箇村の氏神なり。今に伊太祁曾の社人。毎月社參御酒備へ祭あり。と見えたり。按に神代五十猛命。出雲國より本國に渡り玉ひしより。其父神を在田郡須佐神社の地に。鎭め奉れるなるべし。故に上古より伊太祁曾社の社人。殊に尊信し。社領の事を奏聞せしによりて。伊太祁曾の神戸に接して。此地に須佐(ノ)神戸を定め玉へるなるべし。とあり】此大神を祭る社。式に見えて。諸國にいと多し。なほ次の一書の下に。云る事どもあり。考合すべし。
 
〔第五一書〕
一書曰。素戔嗚尊(ノ)曰。韓郷之島(ハ)。是(レ)有2金銀《コガネシロガネ》1。若使《タトヒ》吾兒所御《アガコノシラサム》之國(ニ)。不《ズハ》v有2浮寶《ウキタカラ》1者。未2是佳《ヨカラジトノタマヒテ》1也。乃(チ)拔(キテ)2鬚髯《ヒゲヲ》1散之《アカツ》。即(チ)成(ル)v杉(ノキニ)。又|拔2散《ヌキアカツ》胸(ノ)毛(ヲ)1。是(レ)成(ル)v檜《ヒノキニ》。尻(ノ)毛(ハ)是(レ)成(ル)v※[木+皮]《マキニ》。眉(ノ)毛(ハ)是(レ)成(ル)2※[木+豫]樟《クスニ》1。
 
韓郷之島。此も新羅を宣へるなり。○金銀。記傳云。金は萬葉十八に。久我禰《クガネ》とあれど。和名抄に。古加禰《コガネ》とあるに依て訓べし。諸書にも常にも然のみ云ればなり。名義は黄《キ》金なり。【武郷云。本草和名に伎賀禰とあり。】黄《キ》を許《コ》としも云は。木をも木蔭《コカゲ》木末《コズヱ》などの時は。許と云其格ぞ。銀は。和名抄に之路加禰とあり。萬葉五に銀《シロガネ》も(584)金《コガネ》も玉も何せむに。勝れる多可良《タカラ》子に及《シカ》めやも。さて古には。皇國には金銀出ざりし故に。三韓の事を。神功卷繼體卷に。金銀之國。顯宗卷に。金銀(ノ)蕃國。武烈卷に。銀(ノ)郷などあり。かくて其國|服從《マツロヒ》てより。代々|調《ミツギ》物に。必金銀あり。大かた用るかぎりの金銀。皆韓國より渡せるなり。と云り。かくて後に。天武天皇三年に。對馬より白銀を貢り。聖武天皇二十一年に。陸奥より金を貢れるよし見えて。其より次々。他國よりも數多掘出せるよし。世々の書に見えたり。【さるを韓國には。金銀の出ること。かへりて今は乏しと云り。】さて重胤云。仲哀天皇八年の神託【金銀(ノ)彩色多在2其國1云々。其國必自服矣】の出る基本。此に在る事なり。但し神代を去て。此御世に至りて。漸くに此の結《ムスビ》有て。始て金銀を寄(セ)奉(リ)玉へるには有べからず。吾兒所御之國。不v有2浮寶1者。未2是佳1と詔へるを以見れば。打置かずして。直に其浮寶に載て。彼國の金銀を令《シメ》v取(ラ)給ひしなりけり。出雲風土紀。島根(ノ)郡加賀(ノ)郷の古事に。金(ノ)弓以(テ)射(ル)時(ニ)光《ヒカリ》加々明《カヾヤケリ》也。故云2加々(ト)1也と有は更なり。神武紀に金色(ノ)靈鵄《トビ》あるは。仲哀天皇より以前の事なるに。當昔《ソノカミ》黄金と云物有ければなり。若|已《ハヤ》く其黄金無らましかば。何を以てか。然(ル)物の譬として。傳ふる事を得てまし。然れば彼土にも酋長などの出來りしよりは。貢奉ることのありしなり。と云れたる。さる言なり。○吾兒所御之國。纂疏に吾兒(ハ)指(ス)2吾勝(ノ)尊(ヲ)1。當主2於此國1也。とあるが如し。此時いまだ皇御孫命に。豐葦原中國を。知看せとの御依しは。なき間なれど。當時天つ日嗣の御子と坐々て。後には必天降坐べき。幽き由縁の既く定れる故に。預《マダキ》にかくは詔へるものなり。【猶此事は。四神出生章。また瑞珠盟約章に。云る事共。考合すべし】○浮寶は。重胤云。海上に浮べて。物を運輸《イタ》す(585)を以て。寶と爲させ玉へる由にて。實に雅びたる御事なりかし。崇神天皇十七年詔に。船者天下之要用也。今海邊之民。由v無v船。甚苦2歩運(ニ)1。其令2諸國1。俾v造2船舶1。とある大御言も。此に甚能似たる事なり。私記に。要用をムネツモノと有は。宗津《ムネツ》物の謂にて。此に浮寶と美稱へさせ玉へる。其寶の言に。其義亦同じき者也。纂疏に。浮寶(ハ)言v船也。舟浮2于水1也と見ゆ。通證に。今按專指v船而言。蓋韓國有2金銀1。則宜3常(ニ)往來(シテ)以資2國用(ヲ)1。故不v可v無2船材1之意也。此神功紀神教之起本(ニシテ)。而所謂求2財寶(ノ)國1者是也。と云るは然る言なり。但浮寶を船材に當て云るは非るべし。其杉及(ビ)※[木+豫]樟を以て。造りたる船。即浮寶なり。【第四一書に。以2埴士1作v舟。云々と見えたるは。今度の御事なるに。未(ダ)木船を作る事。非りけむが故に。埴舟を以て。乘渡らせ玉へるは。其より以前に。磐※[木+豫]樟船と云物。本より絶て。世に有まじかりける理なるものをや。偖此に不v有2浮寶1云々と詔へるは。今埴舟に乘渡らせ玉ふと雖。此は天地の間を。御心に任せて。往來し給ふ。大神等の御上にこそは。左《ト》も右《カク》も來渡らせ給ふべか(ン)めれ。人間の用に非る事なるが故に。此に於て。浮寶の事をも。かく思はし寄せ玉ふ御事なりけり。】と云り。○未是佳也。此に佳からじと詔へるは。今現に不《ズ》v佳(ラ)と云には非ず。將來の佳かるまじき事に。係たる御言とすべし。未(ノ)字をズと訓る本もあれども。ジと唱ふるなん。まさりたるべき。さて此の御語を。平田翁の。有2金銀1とは。能見給ひて。後に其を取りに。遣り給はむと。御心中に定め玉へる御語なり。と云れたれど。重胤説に。此に韓國之島とある下に。者の辭を附て。讀來れるは。大八洲國に。已に歸渡らせ坐て後に。其以前に。彼地へ渡りおはし坐たりし間に。其國の消息を。見行し坐て。更に語り出させ玉へる御言なり。然して此御言を誰にかは。語り出させ玉ふ。此に出たる五十猛命以下の。三神に告《ツゲ》させ玉へる事。决くなん有ける。其は彼金銀を。皇御孫尊の知看す。大御國の珍(586)寶と。成し奉らせ玉ふとして。先浮寶なくては。佳からじと宣言《ノリゴチ》て。即髪鬚を拔散ちて。樹種と成出させおはしまして。其樹種を分布《ワケホド》こらし玉ふ。御事をはば。右の三神に委任させ玉へるを以て知らる。と云れたる説いとよろし。從ふべし。○拔鬚髯云々。以下夫々の御身(ノ)毛等を。拔散ちて。船材と成給ふよしは。もとより神量にて。知べきよしなきを。かく鬚髯。又胸毛尻毛眉毛の。夫々の木となりしより。總て草木を地(ノ)毛といふにやあらむ。【漢籍にも。盤古死毛髪爲2草木1。また地有2草木1。人有2毛髪1應v之。又草木も。何もなきを。不毛と云なども。みなよしあり】○散之。重胤云。阿賀都《アカツ》は。別《ワケ》て其所を定めて。置を云て。知良須は。行方《ユクヘ》なく亂らすを云なれば。此に叶はずや。【アカツは。ワカツと同じ事なるか。ワカツは廣く。アカツは狹くして。殊に親しく。自(ラ)物する義にて。我《ワ》と吾《ア》との差別有に似たり】と云り。○杉は。和名抄唐韻云。似v松生2江南1。可3以爲2船之材(ト)1也。和名須岐。平田翁云。名義|進木《スヽキ》なり。此木傍らへははびこらず。直に上へ進み上《ノボ》る樹なればなり。萬葉などに。桙※[木+温の旁]《ホコスギ》また※[木+温の旁]桙《スギホコ》など詠るも。進み上れる故に。云へる事と聞えたり。と云り。【又按に直《スグ》木にもあるべし。】○胸。和名抄唐韻云。胸臆也。和名。無禰。名義|身根《ムネ》か。○檜。爾雅云。栢(ノ)葉松(ノ)身曰v檜。和名比乃木。【又和名非ともあり。字鏡に檜(ハ)比とあり】名義。平田翁云。此木の枯たるは更なり。山に樹《タチ》たるも。大風に吹|揉《モマ》るゝ時は。よく火を出す故に。火(ノ)木と云るなるべし。と云り。○尻。和名抄唐韻云。屁和名之利。臀也。俗云井佐良比。坐處也とあり。○※[木+皮]。倭名抄に。玉篇云々。日本紀私紀云末木。今按。又杉一名也。見2爾雅注1。重胤云。一種の樹名なり。檜を眞木と云ひ。又杉にも云事なるが。此は共に美稱なる中に。殊に檜は宮材と成す者なるが故に。打任せたる一名の如くは成れるにて。萬葉に眞木柱太心者有之香杼《マキハシラフトキコヽロハアリシカド》云々。(587)長柄宮爾《ナガラノミヤニ》。眞木柱太高敷而《マキバシラフトタカシキテ》云々。冠字考に。眞木は檜を云と注されたるは。實紀然る言なり。然れども。此に※[木+皮]此云2麻紀(ト)1と注されたる。即麻紀と云(フ)言は。其※[木+皮](ノ)木有て。即名くる所なれば。其※[木+皮](ノ)木に打任せたる名なり。又和名抄に。亦杉(ノ)一名也。見2爾雅(ノ)注1と有は。字のみに非ずして。杉木をも。マキとは稱へりけむこと。犬甘知言が萬葉多識に注せり。然るを冠字考に。眞木《マキ》柱|眞木戸《マキノト》など云は。皆檜なるよし。云れたるは固陋なり。其は宮室などこそは有けれ。民家などに云るは。此※[木+皮]の事なり。と云れたり。さて此木に二種あり。草※[木+皮]《クサマキ》と云ひ。羅漢松と云(フ)。草※[木+皮]の方には。大木あれど。羅漢松の方には大木なし。垣などにする木なり。漢籍爾雅に※[木+皮]一名※[炎+占]とあり。【説文に※[木+(炎+占)]に作れり】其注に。※[炎+占]似v松。可3以爲2船及棺材(ニ)1。作v柱理v之不v腐といへり。草※[木+皮]は。其葉まことに松に似たり。これ上古の※[木+皮]なる事明らけし。【草※[木+皮]とは。葉の茂く細やかなるもかなれば云と云り。又高野槇吉野槇など云も此樹なり。】
 
已(ニシテ)而定(ム)2其|當《ベキヲ》1v用《モチヰル》。乃|稱《コトアゲシテ》之|曰《ノタマハク》。杉(ト)及2※[木+豫]樟《クス》1此(ノ)兩(ノ)樹(ハ)者。可(シ)3以爲(ス)2浮《ウク》寶(ト)1。檜《ヒノキハ》可d以|爲《ツクル》2瑞《ミヅノ》宮(ヲ)1之|材《キトス》u。※[木+皮](ハ)可3以爲2顯見蒼生奥津棄戸將臥之具《ウツシキアヲヒトクサノオクツスタヘニフサムソナヘニ》1。夫《ソノ》須(キ)v※[口+敢]《クラフ》八十木種《ヤソコダネモ》。皆能(ク)播生《ホドコシウヽ》
 
已而。重胤云。右に謂ゆる杉檜※[木+皮]※[木+豫]樟の四種。共に此大神の御毛より成出たるは。其苗木ならむを。(588)此苗木の出來るに就て。其御兒神等をして。大八洲國悉に。分布らし給はむ御心坐が故に。各其木の出來成立に從ひ。考選《シナサダ》め物爲させ玉へるなり。然る時は。此已而は。其木種の出來始りたる時を指て。未(ダ)上の一書に。凡大八洲國之内。莫v不3播殖(テ)而成2青山(ヲ)1焉。とあるよりは。遙に其以前なりし御事なん灼然かりけると云り。○定其當用は。口訣に。示2用材之法(ヲ)1也とあり。平田翁云。浮寶を作らむと思ほして。御毛を散ち給ひしかば。思ひの外に。種々の樹ども生立し故。今また其材どもを「用ゐる法を定め玉ふなり。しか見ざれば。杉※[木+豫]樟はさる事ながら。檜※[木+皮]はこゝによしなきが如く。きこえていかゞなり。と云り。さて用(ノ)字下。永享本に之字あり。○杉及※[木+豫]樟此兩樹者。重胤云。此大神の不v有2浮寶1者未2是佳1也と詔ひ。御毛を散たせ御在坐けるに。此に成れる樹共は。杉と檜と※[木+皮]と※[木+豫]樟と。凡て四種なり。然して其を用《ツカ》ふべき法を。定め物せさせ玉へる始に。此杉と※[木+豫]樟との兩樹を。先抽出させおはし坐り。其|考選《シナサダメ》の御事おはしけるは。如何と云に。如此成出たる上にこそは。瑞宮の材と民屋の材との事にも。自然に及ばせ玉ふ御事とは成にためれ。其始は韓卿之島是有2金銀1と詔へる。此御事に御志おはし坐て。右の樹どもを生し立させ玉へるが故に。此浮寶を爲る事をなん。最初に御言擧させ玉へりける。此即其金銀を。此に運輸《ワタ》すに。御心おはし坐て。唯浮寶を爲らせ玉ふにのみ思ほし入て。物爲させ玉ふが故にて。敢て宮室民屋の事を。後に爲させ玉へるには非るなり。【故其始めて浮寶あらずは佳からじと。詔玉へりし御言の任に。先其浮寶を作る事を。沙汰し玉ひて。外蕃の貢物を。此に御して。皇御孫尊の萬國を此ながらにして。所知看しめ奉らせ玉はむ。御量なる者ぞかし。容易く思べきにあらず。と云り。】平田翁云。杉と樟とは。水に(589)浮びて輕く。かつ恒に水に浸りて。朽ざる木なり。故船材とは定給ひけん。古く石楠《イハクス》船といふ名の聞えて。今も船は必此兩(ノ)木を以て。造ることゝ定ぬるは。此大神の御定のよく通れる也けり。と云り。【武郷云。船材に杉を用ゐし事は。萬葉の歌等にも見え。摂津國風土記に。神功皇后征韓の時。美奴賣神諭して。吾所v住之山。有2須義《スギ》乃木1。各宜(ク)伐採(テ)爲(ニ)v吾造v船。則乘2此船1。而可2行幸1。當有2幸福1。天皇乃隨2神教1。遣2命造1v船。云々と云事あり。神功皇后の時に。用を爲せるも甚奇し。】○瑞宮之材。口訣に瑞(ノ)宮殿也と云り。【本にミヅノミヤと訓るよろし。又永正本に。ミヅノミアラカと。よめるもあしからず。祝詞に瑞能御舍と。あればなり。】平田翁云。今に至るまで。伊勢の大御神宮。天皇命の大宮など。决めて異財を用ざるは。此御定による事なり。【然れば。凡て誰(レノ)神の宮々も。此に慣ひて。此木を以て作るべき事なるに。今は槻(ノ)木けやきなど、其餘の木をも用ゐて。種々の物の形など彫り。赤土青土などもて。塗り汚し營る事と成ぬるは。佛宇の造樣を。學びたるにて。甚も見苦しきわざなりかし。】と云り。○※[木+皮]可以爲云々。重胤云。檜を可3以爲2瑞(ノ)宮之材(ト)1。と有に對ひて。天下蒼生の家宅を作る料に。具へさせ給へるにて。更に棺槨の義に非る事。次に辯ふるが如し。偖瑞宮は。檜以て作らせ給ふ御定なるが故に。其檜を稱美て。眞木と云を以て。此※[木+皮]を以て。屋に作る事を人皆知ざるなり。萬葉二に。眞木柱太心者《マキバシラフトキコヽロハ》。六に眞木柱|太高敷而《フトタカシキテ》。二十に麻氣波之良《マケハシラ》ほめてつくれる殿とあるなどは。謂ゆる殿舍の事にして。檜柱を稱美へて。眞木柱とは云るなるか。必然のみにも非りけり。其は播磨風土記に。所々の産物を擧たる中に。生2檜杉1とも有て。別に生2眞木梔杉1とある眞木は。此に所謂る※[木+皮]なるは然るものにて。萬葉十一に。奥山の眞木乃板戸を押ひらき云々。又奥山之眞木板戸を音《オト》速《ハヤ》み云々。十四に於久夜麻能眞木乃伊多度乎《オクヤマノマキノイタドヲ》。等杼《トヾ》として我開かんに云々。とあるなどは。甚く佗たる状なれば。民屋の板戸にて。更に皇宮に預る事ならざれば。此※[木+皮]を以て作れる家の謂なり。後の歌には殊に多くし(590)て。槇(ノ)屋と詠る類是なリ。散木集に。三倉山※[木+皮]の屋建て住む民は。年を積とも朽じとぞおもふ。と詠るは。和名抄に。玉篇云※[木+皮](ハ)木(ノ)名作v柱埋v之能不v腐者也。とあるにも合れば。西蕃にても。※[木+皮]以て柱には作れるな(ン)めり。况て我上古の家造はしも。謂ゆる掘立と云状にて。柱をば土中に埋め。物爲たりけんから。其埋めて腐ざるを甚く賞て。他の良材よりは。此※[木+皮]を以て。民屋の柱とは成したりけらし。京浪華を除きては。五畿内又播磨淡路の。邊僻の地には。今より百年餘以前に。建たる民家を見るに。何れも※[木+皮]と樛《ツガ》との二樹を以て。作れるなん多在りける。神代の遺訓と云べし。【偖又樛(ノ)木はしも。國に依て樛《ツガ》槇《マキ》と云か。葉は樅《モミ》に似て。※[木+皮]とは良短しと雖も。※[木+皮]の一種と見えたり。萬葉一|樛《ツガ》木乃彌つぎ/”\に。三卷にみもろの神なびやまに云々。都賀の木のいやつぎ/”\に。六に瀧上のみふねの山に云々。刀我《トガ》の樹のいやつぎ/”\に。などありて。都賀とも。刀我とも云て。今世俗に云所も然り。樅も樛も共に。其本は※[木+皮]の別種なるが故に。和名抄字鏡共に。別に都賀をば。擧げざるにこそ】○奥津棄戸。私紀に於久津須太倍と訓り。【本にはオキ云々と訓たれど。私記の訓の方まされり】重胤云。奥津は家宅の奥方を云て。謂ゆる内寢《ヨトノ》。又|臥房《ネドコ》の事なり。萬葉十三に。奥床仁母者睡有《オクトコニハヽハネタリ》。外床丹父者寢有《トドコニチヽハネタリ》とある。此奥床に同じ。今も邊鄙にては。其宅の奥方なる臥房の方を。唯に奥《オク》と云る是なり。上古には。大凡の家造は簀子のみ多かりしかば。唯棄戸にて。事は足なんを。此は其|將臥《フサム》之具の事を詔はせる故に。其臥房の方を。主として。此に奥津とは奥せ玉へるなり。海宮遊行章一書に。乃設2三(ノ)床(ヲ)1請入(ル)。於是天孫於2邊床《ヘツトコ》1云々。於2中(ツ)床1。云々。於2内床《ウチツトコ》1則寛2坐於|眞床覆衾《マトコオフフスマ》之上(ニ)1。とある内床即奥津に相同じき事。合考べし。【今世士人の妻を奥方と云は。其内室に居るを以て云所なり】棄戸は借字にして簀上《スタヘ》の義なり。然る上は簀津《スツ》(591)上と云べきを。多と轉じ云るは。萬葉に等保都安布美《トホツアフミ》とあるを。和名抄に。遠江|止保太阿不三《トホタアフミ》とある類にて。【武郷云|獣《ケダモノ》は毛津物にて。津は之に同じ。】謂ゆる之に通ふ津を。多と唱る例是なり。偖此|簀《ス》は。和名抄居宅具に。簀【板敷附】蒋魴切韻云。功程式板敷(ノ)簀子《スノコ》須乃古。床(ノ)上(ニ)籍(ケル)竹(ノ)名也と有て。床上の板敷ならぬ所にて。竹簀を架して。人の座所と爲る者の事なり。上代の家造には。必しも賤民の住處ならずと雖も。簀子なりしと見えて。大嘗祭儀に。其|悠紀主基《ユキスキ》二院の事を正殿一宇。【注略】構以2黒木1。葺以2青草1。其上(ニ)以2黒木1爲2町形1。以黒葛1結v之。以2檜竿1爲2承塵(ノ)骨(ト)1。以2黒葛1結v之。以2小町席1爲2承塵(ト)1。壁蔀以v草。表用2伊勢(ノ)斑席(ヲ)1。裡用2小町席(ヲ)1。敷v地以2束草(ヲ)1。【所謂阿都如草】以2播磨簀1。加2其上1。簀上《スノウヘニ》加v席《ムシロ》。既而掃部寮以2白端|御疊《ミタヽミ》1。加2席上(ニ)1。以2坂枕1施2疊上(ニ)1。とある。此播磨簀。又簀上を。一本には。播磨竹簀。又竹簀上とあり。踐祚大嘗祭式にも。上加2竹簀1其室簀上加v席。と所見えたり。大抵此大嘗宮の製樣はしも。上古の皇居神宮の状を。擬《マネビ》作らるゝ事なるに。其(レ)猶床(ノ)上には。竹床を編て。架し玉へり。大殿祭詞に。引結幣魯《ヒキムスベル》。葛目能緩比《ツナメノユルビ》。取葺計魯《トリフケル》。草乃噪無久《カヤノソヽギナク》。御床都比能佐夜伎《ミトコツヒノサヤギ》。夜女能伊須々伎《ヨメノイスヽギ》。伊豆都志伎事無久《イツツシキコトナク》。と見えたる葛目は。次なる御床に。相應きて。竹簀を結編むなり。其上文に。此乃附坐大宮地底津盤根乃極美《コノシキマスオホミヤドコロノソコツイハネノキハミ》。下津綱根《シタツツナネ》。波府蟲能禍無久《ハフムシノワザハヒナク》。とある下に。古語|番繩《ツガヒナハ》之類(ハ)謂2之綱根(ト)1と注し。其下津綱根と云物。床に非ずして。何をか云む。上古の家造はしも。葛藤を以て結固め。建たる物にし有ければ。其總てに亘るは。然る物から。右の下津綱根。又引結幣魯葛目と云る。此には主と其御簀の事に云(592)て。即簀子を編成す事に云なり。三代實録十一。太政官下知云々。禁2材木(ノ)短狹1。及定2載法1曰。歩板《アイタ》。簀子《スノコ》。※[木+温の旁]榑《スギノクレ》。長短厚薄。去延暦十五年。初立2制法1云々。運載之法。何應2一同1。須(ク)※[木+温の旁]榑三十二枚。歩板八枚。簀子十枚。以v是爲v定云々と見えたれば。竹簀を改めて。板を用ゐる世とは成ぬれども。簀子の古名を用られたる者ならんかし。空穗とし蔭に。屋共こほち取つれば。唯寢殿一のみ。簀子もなくて云々と有は。即其床の無きを云。又源氏箒木に。門近き廓の簀子だつ物に。尻かけてとばかり月を見る。など見えたるが。床にも云ひ。又竹椽にも云り。【新撰字鏡に。簀棧也。板也とありて。此に當る言のなきは。脱たるなめり。他國の状も。然るにやあらむ。我淡路國にて。今より百年許以上の家造には。如何なる大家にても。板敷は唯客室に在るのみにして。其餘はみな竹簀子なり。况て尋常の家には。絶て板敷と云ものは。更になかりき。】さて直指に須多杯《スタヘ》の須多は棄《スタ》なり。杯《ヘ》は尸なり。尸を棄と云義なり。とあれど。古より屍《カバネ》を杯《ヘ》と云ふ事をきかず。又其土中に埋むと云も。納め置く意なれば。其屍に對へて。棄と云こと穩ならざる事共なり。將臥《フサム》之具の將臥を私言に。モチフスと訓み。諸本共にモチフサムと訓て。將字にモチの訓を當るは。下なる具字を。器具の如く思へるからの僻訓なり。此は布佐牟と訓べし。偖釋紀に將臥之具の下に。私紀曰。問是何用哉。答作v棺也。死人臥仆。故云將臥耳。と見えたるは。當時已く此説に暗かりし也。右等の説を。悉に僻事と爲る所以はしも。此素戔嗚尊大神。高天原より。逐はれさせ玉ひて。天降坐ける以降は。皇御孫尊の御爲《ミタメ》。顯見蒼生の爲《タメ》のみ。計らせおはし坐て。萬の御所爲。唯此御事のみ。力《ツト》めさせおはし坐て。此《コヽ》にて御身(ノ)毛を。拔|散《アカ》たせ玉ひて。種々の樹種と化生《ナ》し玉へるも。誰が爲にかは。おほし坐む。此は浮寶(593)を始め。瑞宮を作り。民屋を蕃息《ホドコ》らしめ玉はむ。大御心なる事を。見奉り知る上は。徒に古人の説をのみ。守り雜き大義なん此に在ける。然るは右に檜(ハ)可3以爲2瑞宮之材(ト)1也は。皇御孫尊の。大宮造の御事を。定めさせ賜へるなり。右に對へて。※[木+皮]可v|以2爲《ナス》顯見蒼生(ノ)奥津棄戸《オクツスタヘニ》將臥之具1也。とある御言に。顯見蒼生と有は。現在の人民と云事なり。然る時は。其|生《イナ》る事やは輕き。死《シヌ》る事やは重き。天神の天地を造化《ツク》り玉へるも。地祇の國土を經營《ツク》らせ玉へるも。生《イキ》とし活る人の爲にこそは。物爲させおはし坐けれ。然して。生《クタ》るは人の常也。死るは人の變也。其常を捨て。變を取と云事は。世中の理に於て。絶て有まじき事なり。斯る時は。此奥津棄戸と云は民屋にて。將臥《フサム》と云なん。其に寢臥《ネフ》す事を云りける。然るは皇宮を始奉り。民庶と雖も家居を定むるは。其所に寢起《ネオキ》して。其所業を力《ツトメ》行ふ中にも。皇御孫尊はしも。瑞宮の内に御在し坐て。天下を召《メシ》玉ふ御|職《ツカサ》也。顯見蒼生と云中には。朝臣あり。民庶ありと雖も。取※[手偏+總の旁](ヘ)て云時は。朝臣は日毎に。御前に侍らひて。其御趣を承り仕(ヘ)奉るべく。民庶は日々に。農業に出渡らひて。其勤なん。暇《イトマ》非りければ。各其|家宅《イヘ》は持ながら。唯夜毎に安寢《ヤスイ》するのみ。貴も賤も。其身の常と爲る事なるが故に。將臥之具と詔玉へる事にて。此は實に大神の深く心を用ゐさせ玉へる。大御言にはあるなりけり。【但今は。男子の常を以て云なり】と云れしは。實に稀見らかなる説なるに就て。なほ考るに。須多杯の須は。簀と云れたるもさることながら。栖また巣の義として。直《タヾ》に家宅のことゝ見るべくや。天之御巣また天日栖など。いづれも家居の事にて。其家に居るを。棲《ス》み棲《ス》むなど活かせ云(594)ふなるべく。また禽獣蟲魚などの巣も同義なるべし。しか見る時は。奥津栖上《オクツスタヘ》の義と見るべし。此はなほよく考べし。○將臥之具は。フサムソナヘと訓べき事上に云り。重胤云。將臥は即簀子の上に。寢臥す事を云なり。【人には各所業の有れば。常には外に出て其勤を成し。家は唯寢臥す料に設たる者なりければ。此に將臥之具とは詔玉へるなり。今も俗には。人家を建るを。寢所を拵ると云る。豈寢臥す爲ならんや。言意は。其宅に住ひすることに云ると。同じき御言の状なり。】さて此具は。私記に曾奈部とあり。此は天孫降臨章一書に。爲(ノ)3汝|往2來遊《ユキカヒアソブ》海(ニ)1之|具《ソナヘ》。高橋浮橋。及天鳥船。亦|將供造《ツクラム》。とある具と同じく。其設と爲させ玉へる謂(レ)是なり。されば具《ソナヘ》の言はしも。※[手偏+總の旁]てに係りて。其意なん甚重かりける。右の杉と※[木+豫]樟と此兩樹にも。可3以爲2浮寶1之|具《ソナヘ》。と云義あるべく。檜にも可3以爲2瑞宮1之具。の意あるべからん事。本よりの事なるを。此※[木+皮]の用を云ふ一所に。具字を置て。右の二所にも。相照し思(ヒ)取へく物爲られたるにて。此處何れも。實に云知らず。妙なる味ある文なる物なり。故此大神韓郷之島に。金銀あるを見行はし御在坐ては。此に運輸《イタ》す爲(メ)に。浮寶を作らせ玉はむ御事を起させ玉ひ。其浮寶の材を。物爲《モノセ》させおはし坐むと。御毛を頒《ワカ》たせおはし坐(シ)しかば。杉※[木+豫]樟なん。出來れりければ。其に就て。杉と※[木+豫]樟とは。船材と定めて。其|具《ソナヘ》に播《ホドコ》し玉ひ。※[木+皮]は天下人民の家宅を造り。牀上《トコノウヘ》に臥《フ》せらん爲に。其屋材と定めて。其|具《ソナヘ》に殖(ヱ)並べ玉ひ。次に夫須v※[口+敢](フ)八十木種云々。とあるも。其八十木種は。顯見蒼生の※[口+敢]《クラ》ふべき具に。殖置せ玉へる也けり。此時皇御孫尊は。未天降りおはし坐ざる以前なり。又顯見蒼生も。未(ダ)國土に蕃息《ウマハラ》ざる以前の事なるに。已《ハヤ》く斯《カヽ》る物共を具へ設させ御坐《オハシ》けるなん。此大神は。實に經濟の方を始させ玉へりし。祖神とも稱(シ)奉るべき(595)程の御事にて。仰奉るにも。猶餘有る御所業にて。わたらせ玉へりける。と云り。○須※[口+敢]。又云。私紀に久良布倍支《クラフベキ》とあり。猶神武紀。粮をも。私記に久良比毛乃と訓せたり。字鏡に喫※[口+契の上/弊の下]囓噛と有て。下に四形同。五結反噬也。啖也。久良布。又波牟とあり。※[口+見]下施反小兒(ノ)歐乳也。乳久良布と見ゆ。今は崇むる方にて。絶て云ぬ事なるを。卑しむる方には。久良布と云事常なりと云り。○八十木種は。口訣に菓樹也。と云り。【通證に。菓訓久多毛乃|木種物《コダネモノ》也と云り】纂疏にも。可2樹藝(ス)1草木之種子也。諸穀諸菜菓桑等。在2此中1。とあり。平田翁云。此は世人のなべて。實をも葉をも※[口+敢]ふべき種々の木種どもを。播生し玉へるとなり。【梨栗棗柿の類の衆菓を謂と云る説は。いと狹し。】と云り。さて此八十木種は。上に樣々の木の事を云る因に。記せるものにて。此時の事には非ず。此の上の一書に。初五十猛神。天降之時。多將2樹種(ヲ)1而下。とあるを。其上文に素戔嗚神帥2其子五十猛神1と有れば。大神の共に携へ持下らせ玉へるなりけり。已に伊弉諾大神の御時に。菓樹ありて。葡萄桃實見えたれば。本より有來る物に有つらむを。未(ダ)世には。遍くも非りつらむを。其天上より携へ玉へるも。共に合せて。播殖させ玉へりしからに。此に皆能播生とは。書されたるなりけり。【重胤の説を參取る】○皆能播生。重胤云。皆能は下に三神の御事に。亦能と書されたる對にて。此を主とし。彼は其命を以なり。播生は。私記に萬支於保之津《マキオホシツ》と。有に據て訓べし。さて播磨風土記。賀茂郡端鹿里云々。昔神於2諸神1班2菓子1。至2此村1不v足。云々の古事。此は何(レノ)神とも。其名を傳へずと雖も。正しく此時の故事なるべく。又塵添※[土+盍]嚢抄に。日向國|韓※[木+患]生村《カラクシフムラ》。昔(シ)※[加/可]瑳《カサ》武別と云ける人。韓國に渡り(596)て。此栗を取て歸りて殖たり。云々の古事。風土記にも見えたり。此※[加/可]瑳武別と云は。若くは素戔嗚尊大神。五十猛神の御伴神にては非るかと云り。さる言なり。
 
于v時素戔嗚尊之|子《ミコヲ》《ナヅケテ》《マヲス》2五十猛《イタケルノ》命(ト)1。妹|大屋津姫《オホヤツヒメノ》命。次(ニ)※[木+爪]津姫《ツマツヒメノ》命。凡(テ)此(ノ)三(ノ)神。亦能|分2布《マキホドコス》木種(ヲ)1。即|奉《マツル》v渡《ワタシ》2於紀伊國(ニ)1也。然後素戔嗚尊|居《マシ/\テ》2熊成峯《クマナリノタケニ》1。而遂(ニ)入《イリマシキ》2於根國(ニ)1者矣。棄戸。此云2須多杯1。※[木+皮]。此云2磨紀1。
 
大屋津姫命。此神の御名にて。兄五十猛命を。大屋彦神と申すこと知られたり。名義。木種を分播し玉ふ神の坐故に。其國を木國とは名づけ。さて材の用は。舍宅《イヘ》を造るを。主とする故に。大屋とは御名に負玉ひしならむ。式に名草郡伊太祁曾神社に並べて。大屋都此賣神社。【名神大月次新甞】とある是なり。所祭三座にして。本社は此御神を祀り。五十猛命※[木+爪]津姫命は。左右の社に御坐り。名勝志に。此社平田庄|宇田森《ウタモリ》村の艮。一町許にありと云り。紀に嘉祥三年十月從五位下。貞觀元年正月從四位下。本國神名帳に。從一位大屋大神とあり。貞觀以後の増階なり。當社上世五十猛命※[木+爪]津姫命とゝもに。今の日前宮の地に鎭坐し。其後山東(ノ)庄に遷座し。大寶二年に至り。三神を三所に分ち遷す。當社此時北野村の内。今の古宮といふ地に遷り。後更に。今の地に遷座す。當社の神戸を。大屋神戸といふ。【倭名抄郷名にみゆ。武郷云。新抄格勅符に大(597)屋津比賣神七戸】と紀伊國續風土記に見えたり。【なほ本書に詳なり】御社の北方に御祓納《オハラヘヲサメ》山と云あり。古老傳に。三神木種を持して。此所に天降玉ひ。其後伊太祁曾。都麻都比賣。二所へ分遷玉へり。また此艮方に。神波村と云あるは。所謂神奈備にて。凡て神地なりしと見ゆ。と云り。なほよく尋ぬべし。○※[木+爪]津姫命【※[木+爪]本に抓に作る今一活本に依る】式に右の大屋都比賣神社に並べて。都麻都比賣神社【名神大月次新嘗。】とあり。重胤云。※[木+爪]《ツマ》は屋を造る料の材に。各木取りたるを云なり。萬葉一。藤原宮之役民作歌に。眞木佐苦檜乃嬬手《マキサクヒノツマデ》云々。持越流《モチコセル》。眞木乃都麻手乎《マキノツマデヲ》。百不足五十日太爾作《モヽタラズイカダニツクリ》。泝須良牟《ノボスラム》とある。都麻は※[木+爪]にて。短く木取《キドリ》たるを云ひ。手《テ》は其屋材に使用《ツカ》ふ義なり。偖此都麻は。衣裔《キヌノツマ》又橋端など云に等しく。物に端緒《ハシ》有(ル)を云なり。俗にも物の端を短く物爲るを。都牟流《ツムル》と云て。蒸《カマギ》を爪木《ツマキ》と云なども。此類なり。然るは材木の山に樹《タテ》るは。日々に生延るものなれば。其限なきが如くなるを。今用材と爲す時には。柱なり。桁也。梁也。各其度を量りて。伐《キル》が故に。此を※[木+爪]と云ひ。又※[木+爪]手と云事なり。此並坐る大屋津姫命の御名に合せ奉りてなん。曉り明らめ奉るべき御事なりける。【萬葉七に。爪木折たくとある。爪木も。後世の歌にも。多くよめるものにて。今江戸にて。麻紀と云と云るは。都麻木の略なり。其も山材を短く伐縮《キリツ》めたる謂にて。此の※[木+爪]に同き事云も更なり。偖此三神各共に。木種を分布《ワケホドコ》らし玉へる中にも。五十猛命は殊に擢《ヌケ》て。其御事に有功《イサヲ》を成し玉ひ。大屋津姫命は。主と屋造《ヤヅクリ》の御業を。物爲させ玉ひ。※[木+爪]津姫命は。其木を伐り。木取《キトリ》て材と成す事を。專とは勤めさせ玉へる。御神になん渡らせ給へりける。偖記傳に。※[木+爪]字は四方木也と字書に見ゆ。と云れたる。實に其意にて用ゐられたるものから。其|稜※[木+爪]《ソハ》を取て。四方木に成せる。横なるをこそ云れ。右に(598)も云る如く。爪木などの類は。竪に木取を云れば。此に都麻と云は。其縱横を相兼て。用材の事に云るを。即神名には稱奉れる者也けり。と云り。さて績風土記に。此御社禰宜村の東。佐和山の嶺にあり。佐和山一に高山といふ。故に古より高(ノ)社。又高宮。又高三所大明神。又高(ノ)御前とも稱す。所祭三坐。本社は此御神を祀り。五十猛命。大屋都比賣命は。左右に御坐り。當社も上世は。伊太祁曾神大尾津比賣神とゝもに坐しを。大寶二年に至りて。分祀して。此山に遷り玉ふ事。大屋津姫命の下に云るが如し。位階も又同じきを。其後加階し玉へるにや。本國神名帳に。從四位上郡摩都比賣大神とあり。と云り。和名抄郷名に。都麻(ノ)神戸とあり。萬葉九に。城《キノ》國にやまずかよはむ妻杜《ツマノモリ》。とある妻(ノ)杜は。此御社の釧事なりと云り。【平田翁云。南紀名勝志に。都麻都比賣神社は。山東吉禮村の中にありと見え。又妻御前社は。山東庄平尾村の中に在り。土人相傳へて。此神は伊太祁曾神の妻なるに依て。神事を伊太祁曾の社人勤むと云り。また或説に。※[木+爪]津姫と云は。此神なり。吉禮村なるは據なしといへり。考證には。在2吉禮村1と云りとあり。尋べし。】○亦能分布木種。上の第四一書の。莫v不3播殖而成2青山1焉。とあるは。專ら御父大神を本として。此三神に及べる事。亦字にて明らかなり。○番渡於紀伊國。重胤云。奉渡はワタシ奉リタマヒキと訓べし。即御交大神の。伴なひ渡し玉へる御事を。此方より崇まへ申す言なればなり。偖此は。第四一に。是時素戔嗚尊。帥2其子五十猛神1。云々乘(テ)v之(ニ)東渡とある。其御時の事を。此にかく別に記載せられたるなり。式に佐渡國羽茂郡度津神社は。此五十猛命にておはします。【武郷云。度津神社。神名帳考信友云古一本書入に。五十猛神。と注せり。】度津と申すは。即此奉v渡2於紀伊國(ニ)1。とある事に因れるにて。即和多志(ノ)大神。又和多須(ノ)神などの例。是なり。【其は神儺帳頭注に。伊與國越智郡大山積神社の御事を。俗稱2三島大明神1。伊與風土記に。大山積神。一名和多志(ノ)大神。云々(599)此神自2百濟國1。度來坐而。津國(ノ)御島(ニ)坐。と見えたる。又式隱岐國知夫郡。由良比女神社。元(ノ)名和多須神。とあるなどなり】さて此に。五十猛命を。度津神と申すも。韓地より紀國に。渡し奉れる由なるべからん事。右等の例を以。曉るべきものなりかし。と云り。さて此三神の御事は。上に次々云る如くなるが。合せては紀伊大神とも申奉れり。【持統紀。】此紀伊大神を。日前國懸大神なり。と云説もあれども。其は非なり。地神本紀に。此三神を竝2坐紀伊國(ニ)1。即紀伊(ノ)國造(ノ)齋(ヒ)祀(ル)神是也。と所見たる。此紀伊國造は。本より神代以降。右の日前國懸兩大神に供奉りて。其地に土著《オチツケ》る事はしも。彼東征の御時よりの事なり。即國造本紀。紀伊國造。橿原朝御世。神皇産靈尊五世孫。天|道根《ミチネノ》命定2賜國造1。とある是なり。然るに此の三神はしも。此國を木(ノ)國と云(フ)始より。此に御坐て。即木國と云も。此三神亦能分2布木種(ヲ)1とある。此御事に因れるなれば。即紀伊大神と申奉るなん。此三神に渡らせ玉へりける。斯て天(ノ)道根命はしも。右の日前國懸大神の御|神實《カムザネ》を供奉りて。此地に住玉ひ初ては。此國の大神に。仕奉らるべき理になん有ける。【然れば地神本紀に。紀伊國造(ノ)齋祠神是也とは。其部内にて。主々しく止事なく御坐が故に。供奉る由にて。日前國懸兩大神を放ちて。此にのみ仕奉ると云には非るなり。偖文武天皇御世に。分(ケ)遷されて後には。本より其三所共に。祭祀の御事に。仕奉る事云も更なり。】と云り。○然後素戔嗚尊云々。重胤云。此然後と云事を。右の御事共を。訖させおはし坐けるよりつゞけて。直に其後と見ては。大に心得誤る事少からずなん有ける。然るは上件はしも。素戔嗚大神の。謂ゆる初度に天降り御坐々ける間の御事にして。彼簸川よりは。夐に以前の御事なりきかし。然て此大神はしも。初度に天降り坐し時の宮郡《ミヤコ》は。五十猛神以下三神を帥ひ。紀伊國に御坐けるを。次度の天降以來。出雲國(ノ)清《スガノ》宮に。奇稻田媛と共に。おは(600)しまして。御兒大己貴神を。令v生玉へる後には。其御兒神の生立を試みさせ玉はむ爲に。其(ノ)清宮をしも。讓り聞えさせ玉ひて。御自(ラ)は。猶紀國に御坐たる状なりけり。其證は。記(ノ)八十神(ノ)段に。大穴牟渥神其兄弟八十神の爲に。甚く窘《タシナ》められさせ給へる時に。御祖命の御心として。速2遣《イソガシヤル》於木(ノ)國之大屋毘古神之御許(ニ)1。とある御祖命は。奇稻田姫命に御坐し。大屋毘古神は。即五十猛命の御事にして。上の一書に。即紀伊國所v坐大神是也。と見え。此に凡此三神云々。奉v渡2於紀伊國(ニ)1也とある是なり。と云れたるはさることにて。此前にあまたの年紀そこめて見るべし。○熊成峰。本にワニナリノタケと訓れども非なり。秘閣本にクマナリと訓るに從ふ。記傳には。クマナスと訓て。熊成《クマナス》峰は即熊野なるべし。那須《ナス》を切むれば。奴《ヌ》なり。此をワニナリと訓て。鰐淵山の事と爲るは非なり。と云れたり。さて熊成峰は。此大神の御坐所を申し。而入2於根國(ニ)1者矣。の而字は。爾(シテ)後の義なりければ。其熊成(ノ)峰より。直に根國に御坐ませる由に非る事と。先明らむべし。次に云。さて記傳の説によりて。態成《クマナス》を熊野なりと定めていはゞ。熊野は風土紀に。意宇郡熊野山。郡家正南一十八里。所謂熊野大神之社坐。と見えたる。即所謂熊野大社是也。式熊野坐神社【名神大】とあり。若て此は伊弉諾大神の。登天報命の御時に當りて。幽《カクレノ》宮を淡路之洲に搆《ツク》りて。寂然《シヅカ》に長く隱玉ひ。大己貴神の八十隈《ヤソクマデ》に隱玉ふと爲ては。天(ノ)日隅宮に。御靈を鎭めさせ御坐けると。皆一列の御事なるにて。此にも素戔嗚大神の。彼根國に就《マカ》り御在坐(ス)としては。此神宮を。物|爲《セ》させ給て。永く此に御靈を留めて。鎭り定り玉へるになん。おはし坐けると云(601)れたる。然る言なるべし。さて此社の素戔嗚尊に坐ます事は。國造が神賀詞に。出雲國乃。青垣(ノ)山内爾。下津石根爾。宮柱太敷立※[氏/一]。高天原爾。千木高知坐須。伊射那伎乃|日眞名子《ヒマナコ》。加夫呂伎熊野大神《カブロキクマヌノオホカミ》。櫛御氣野《クシミケヌノ》命。風土記にも。伊弉奈枳乃麻奈子(ニ)坐(ス)。熊野加武呂乃《クマヌカムロノ》命。とあるにて明らかなり。【記傳云。伊邪那岐命の御子は多かる中にも。天照大御神。月讀命。須佐之男命は。ことに御愛子に坐こと。上に見えたり。日は日子日女の日に同じ。加夫呂伎とは。大名持命の御祖なる故に。山雲國にては。殊に如此申せるなり。櫛御氣野命と申す御名は。他神の如く。思ふ人あるべけれど。さに非ず。此は須佐之男命の。熊野宮に鎭坐御靈を。殊に稱申せる御名なるべし。其例は。同神賀詞に。大穴持命の事を。倭(ノ)大物主櫛※[瓦+長]玉(ノ)命登名乎稱天とあり。此名も他には見えぬを思ふべし。式に意宇郡に久志美氣濃神社と云も。別にあるは。熊野神を又別に祠れるなるべし。】御位階は。史に仁壽元年九月。特擢2出雲國熊野杵築兩大神(ヲ)1。並加2從二位1。とあるより。貞觀九年四月。出雲國從二位勲七等熊野神。從二位勲八等杵築神並授2正二位1。と云まで次々見えたり。【なほ兩神の御事。記傳に詳に見えたり。】さて山蔭云。此一書のはじめに。素戔嗚尊在2出雲國1曰。とあるべき事なり。然らざれば。奉v渡2於紀伊國1。といふも。何の國よりとも知られず。此熊成峰も。何國とも知られざるなり。いかゞ。と云れたり。されど出雲國にての事とも定めがたし。また熊成峰は。紀伊國の如くも通えて。甚まぎらはしき書ざま也。故今は秘閣本の訓に從ひて。暫く後の考を俟もの也。○遂入於根國。重胤云。正書に遂就2彼國1矣。と見えたる是なり。其には就字を書れて。唯に幸行る趣なるを。此には殊更に入(ノ)字を用ゐられたるに。深く心を著べき所なり。四神出生章に。追2伊弉※[冉の異体字]尊1。入2於黄泉1。とあるに等しく。地下根底なる謂ゆる黄泉に。物爲させ御在ましける御事を。明されたるものなりけり。偖此|入御《イリ》おはし坐たるに。其入(ル)所必有べき事なり。此に居2熊成峰1。遂入云々と見えたるは。熊成峰は。大神の入座むと(602)爲る以前に。おはしましゝ宮處にて。其入座しは。他處よりなるを。此居(ノ)字を自《ヨリ》又|從《ヨリ》字の意に見るから。種々に怪き説は出來るめれども。居《マシマス》2熊成(ノ)峰(ニ)1を放ちて。遂入を續け見る時は。其混雜なん甚灼く。明らかなる事也ける。と云れたり。〇※[木+皮]此云2磨紀1。この注。永享本棄戸(ノ)注の上にあり。
 
〔第六一書〕
一書(ニ)曰。大國主(ノ)神。亦(ノ)名(ハ)大物主《オホモノヌシノ》神。亦(ハ)號《マヲス》2國作《クニツクリ》大己貴(ノ)命(ト)1。亦(ハ)曰(ス)2葦原醜男《アシハラノシコヲト》1。亦(ハ)曰(ス)2八千矛《ヤチホコノ》神(ト)1。亦(ハ)曰(ス)2大國玉《オホクニタマノ》神(ト)1。亦(ハ)曰(ス)2顯國玉《ウツシクニタマノ》神(ト)1。其子凡(ベテ)有《マス》2一百八十一神《モヽハシラアマリヤソハシラアマリヒトハシラノカミ》1。
 
大國主神。重胤云。此御名其負坐る所由はしも。委曲に已に注し奉れるを。此には其義を説明らめ奉るべきなり。偖紀には。此一書と同じく。大國主神と申奉る。此御名を本と爲て。記し奉られしは。大に所以ある御事也けり。其文に。故此大國主神之兄弟八十神坐。然皆國者|避《サリタマヒキ》2於大國主神1。云々と見えたる。皆國者とある皆は。八十神に係りて。盡(ノ)字の義なり。國は其八十神の主領き居る國々を云なり。此時未(ダ)其國々の國主(ノ)神を。※[手偏+總の旁]ね所知看ず。御威勢の及ばせおはし坐ざりし間なりければ。大國主神と申奉る御名も。御坐まさゞる故に。其間には。尋常の御名の。大穴牟遲神と申す方を以て。書別たれたり。さて其末に始作v國也とは。大國主神の。御任に當らせ玉へる神業をなん。事始め物せさ(603)せ御坐《オハシマ》す。との謂也ける。其より後に打任せて。表立たる御名を。大國主神と申奉る事也。【故須勢理毘賣命の御歌に。八千矛の神の命や。吾大國主。と謠はせ玉へり。】名義は。大は總(ベ)る意なりければ。國主と引つゞけて心得べし。然して各國に各自に國主神有て。其一國を主領けるを。其を總ねてしろしめす念を以て。大國主神と稱奉りて。其即天下國土の主宰《ヌシ》にて。渡らせ玉ふ義なり。偖其各國に。國主神有(リ)と云ふ證は。其は天孫降降章に。國主|事勝國勝長狹《コトカツクニカツナガサ》と所見たる。是即其境域を定めて。主領き居る國主(ノ)神有る事を。知べき明文也。されば其各國の國主(ノ)神は。國造縣主などの如く。大國主神はしも。天皇尊の如き御有状なりけむ事。此を以て想像り奉り知べき者なりかし。と云れしは。委き考なり。○亦名。山蔭云。次々の御名を。亦名とも亦號とも。亦曰とも。文をかへて書玉へるは。何のよしにか。と云り。今知がたし。○大物主神。出雷神賀詞に。大穴持命の御言に。己命和魂乎。八咫鏡爾取託天。倭|大物主櫛※[瓦+長]玉命登《オホモノヌシクシミカタマノミコトト》。名乎稱天《ミナヲタヽヘテ》。大御和乃神奈備爾坐《オホミワノカミナビニマセ》。とあるは。其和魂を。大三輪に御自(ラ)鎭奉り置し御坐て。其御名を倭大物主櫛※[瓦+長]玉命と號けさせ玉へり。との義也。然はあれども。唯大物主神と申すのみは。此大神の國作(リ)の初より。和魂と別れさせ御坐ける。其分身の御名にて。本より御(シ)坐し也けり。然る時は。其八咫鏡に。御魂を取(リ)託《ツケ》させ御坐して。皇御孫命の近(キ)守(リ)神と。奉らせ玉へる御時に當りて。其(ノ)櫛※[瓦+長]玉命と申す御名の。添玉へるにや坐けん。さて記傳に。此の大物と申す御名は。美和に鎭坐の御魂の御名にして。大穴牟遲命の一名にはあらず。倭(ノ)大物主とあるにても知べし。故記に。此神の亦名どもを。擧たる處に。此御名は出さず。(604)大方古書皆此御名は。美和にのみ申せるをや。と云れたるは。さる言ながら。又偏にさのみも云がたき事あり。さるは倭(ノ)大國魂神と申御名は。此神の荒魂の御名にして。和魂に。大物主神の御名あると同じく。是も此神の一名にあらざるが如し。故記には。此御名をば。亦御名には擧ず。然るに大倭神社注進状に。謹考2舊記1曰。大倭神社。在2大和國山邊郡太倭《オホヤマト》邑(ニ)1。蓋(シ)出雲杵築大社之別宮也。とあるを見れば。かけはなれたる御名には非ず。大國主神の一名とせんに。異論なかるべし。偖大國魂神を。此神の別名と申さむからには。大物主神も。同じく別御名なるべきなり。しか見もて行く時は。此紀に二名を亦名に出し。古語拾遺にも。一名大物主神。一名大國魂神。と記されたるなどみな。古傳なくて。さる説記すべくも非ず。なほ姓氏録。大神朝臣【又賀茂朝臣又|神《ミワ》人など】の條に。大物主神と云べきを。大國主神と云る處も。數あるはみな。此由に縁れるものと見えたり。しかはあれども。和魂荒魂の御名を。亦名と云る例。他に未だ見あたらねば。記傳の説はた謂なきに非ず。もとより。神の御上の事なれば。かゝる事に至(リ)ては。人智を以て。頓に定めがたき事あり。舊く記せる傳に從ひて。有ぬべき事なり。【今出雲杵築社にては。大國主神とも。大物主神とも申すを見れば。古くより據ありて。しか傳たるものなるべし。されど此らは。たしかなる證には。たてがたかるべし。】さて此御名義は。記傳云。物主とは。八十萬神の首として。皇孫命を護(リ)奉るを以て。神之大人と云むが如し。凡て物と云稱は。萬に泛くわたる中に。人を指て云こと多し。【たとへば。此人彼人を。此者彼者とも。いふ類なり。】此《コヽ》も然なり。其は神は神代の人なる故に。彼八十萬神を指て。物とは云なり。と云れたるが如し。○國作大己貴命。下に見えたる如く。此國を作坐る大神に坐(605)す故に。かく稱へ申せるなり。【出雲風土記には國作(リ)坐(ス)大神と。數所に見えたり。】○葦原醜男。此に神とも命ともなきは。脱たるなめり。地神本紀には。命と作り。記には神と記され。播磨風土記には命と作り。名義。記傳云。醜は多くは惡み詈て云言なれども。此御名は。醜は勇猛《イサミタケ》きを美て云り。さて其も人の畏み懼るゝ方より云れば。かの醜女などゝ。云もてゆけば。同意に歸めり。【後世の言に。勇猛き人を鬼神の如しと言におなじ】さて葦原としも云は。天下を宇志波伎坐れば也。【此國を葦原中國といふは。天上より呼名なれば。此神もゝと。天神等の呼ばしめ玉へる名なるべし。】と云り。○八千戈神。記に依るに。此大神。八十神を追撥ひて。國作(リ)始め玉ひし時より。此八千戈神の御名を以て語傳へたり。故(ノ)沼河比賣《ヌナカハヒメノ》命と。御贈答の御歌。又其嫡后|須勢埋毘賣《スセリヒメノ》命の御歌にも。八千戈の神の命や。吾大國主。云々と詠せ玉へるも。其程の御事なりければ。しか謠はせ玉へりし者にぞありける。偖大倭神社注進状。相殿(ノ)神條に。傳(ヘ)聞。八千矛神者。大己貴命。以2廣矛1爲v杖。令v撥2平豐葦庭(ノ)中(ツ)國之邪鬼(ヲ)1。是時大己貴(ノ)命。號(ヲ)曰2八千戈神(ト)1。とあり。又其注進状に。神代卷曰。大己貴命。以2平國時所杖之廣矛(ヲ)1献2皇孫1曰。吾以2此矛1卒有2治功1。皇孫若用2此矛1。治國者。必當2平安1。云々。此矛亦上古在2天皇大殿之内1。其藏齋爲2八千戈神之神體1。とある。吾以2此矛1有2治功1。と申玉へるは。此廣矛を取持して。國士經營の御功御坐す由なり。さて八千としも添云ことは。此一(ツ)の廣矛を以て。八千の敵に當り玉ふ義の御名か。又は何となき美稱に添たるか。【記傳に。此御名義を。此は武威の。八千と多くの矛を持(テ)る如きの意に。稱し御稱なるべしと。云れたるは。足らざるに似たり。】○大國玉神。名義玉は借字にて。拾遺に大國魂神。【記に大年神の御子にも。大國御魂神と申坐せり。】と書れたる如く。魂の義なり。さて記傳にも云れし如く。國魂(ノ)神と云は。各々其國(606)處々に。經營の功徳ありし神を。如此申して。祀れる故に。國々に大國魂(ノ)神社。國玉(ノ)神社と云多し。然るに此神は倭(ノ)大國魂神とも申して。大八洲の御魂(ノ)神と申す義なり。其は大倭神社注進状に。謹考2舊記1曰。倭(ノ)大國魂神者。大己貴神之荒魂(ナリ)。與2和魂1戮v力一v心。經2營天下之地1。建2得大造之績(ヲ)1。在2大倭豐秋津國(ニ)1。守2國家(ヲ)1。因號曰2倭大國魂(ノ)神(ト)1。亦曰。以2八尺瓊1爲2神體(ト)1奉v齋焉。また萬葉五に。天地能大御神|等《タチ》。倭(ノ)大國靈《オホクニミタマ》とあるにて明なり。偖右に大己貴神之荒魂。與2和魂1戮v力一v心。とあるが如く。大國主神を。主神として。左右の手足の如く。成らせ御坐て。其御功用を輔弼け奉給ひて。共々に其|大造《オホヨソ》の績をなん。得建させ御座しけらし。同帳別社。狹井《サヰノ》神社條に。傳(ヘ)聞。狹井(ノ)神者。大己貴命之神荒魂大國魂神(ナリ)。而當社(ノ)別社也。と云事もあるを以て。其然る所以を知るべき也。然れば。各其主神と。魂《ミタマノ》神との差別は。君王と輔弼との如く。又長官と次官との状に似たり。是下に是以百姓至v今。咸蒙2恩頼《ミタマノフユヲ》1。咄とあるは更にて。萬葉五に。吾主之美多麻賜比弖《アガヌシノミタマタマヒテ》。とあると。總て美多麻と云は。外より來りて。其主を祐くる義なるが故に。和名抄神靈類に。靈日本紀云美太萬。一云美加介。とありて。美加介は。神武天皇御言に隨《マヽニ》v影《ミカゲノ》壓躡《オソヒフマム》。とある影にて。他より其身を幽賛《タスク》る謂是なり。さて式に。大和國山邊郡大和坐大國魂神社三坐。【並名神大月次相嘗新嘗】是なり。【三坐は。大倭神社注進状に。倭大國魂神者。大己貴神之荒魂云々。亦曰大地主神。以2八尺瓊1爲2神體1奉v齋云々。相殿神二坐。八千戈神(ノ)神體廣戈也。御歳神(ノ)神體。八握(ノ)嚴稻也。とあり。和名抄には。大和於保夜末止。此郷城下郡に入れり。孝謙紀にも。城下郡大和神山と有り。二郡の界近き所なれば。かくもあるなり。】嘉祥三年十月從二位。貞觀元年正月從一位を授奉れる事。史に見ゆ。又宇多天皇寛平九年十二月。大和大國魂神に。正一位を授奉れること。大(607)倭神社注進状に新國史を引て云り。此御社今|新泉《ニヒイヅミ》村と云に在て。大和大明神と申す。【なほ此神の大和國に鎭座す事。委くは崇神天皇六年紀に出て。其所に委く云り。】○顯國玉神。此御名の起りも。記に父大神の詔に。爲2大國主神1。亦爲2宇都志國《ウツシクニ》玉(ノ)神1。とある是なり。記傳云。大國主とは。右の如く天下を宇志波久意。此は國|經營《ツク》る功業を成して。天下に其恩頼を蒙らしむる神と云意なり。と云り。さて此二名は。此處にては。未(ダ)此神の御名には非ず。然る神と爲《ナ》れと。詔ふなり。さて後遂に功業を成(シ)て。此詔の如くに。爲《ナリ》賜へる故に。御名とはなれるなり。さて記傳に。顯(シ)は須佐之男大神の詔に。爲2宇都志國玉神(ト)1。と詔へるより起れり。其は根國にして。詔へる御言なる故に。此國を指て。顯見國とは詔へるぞかし。【又は宇都志|日金拆《ヒカナサクノ》命と云もあれば。只何となき稱名にて。宇都久志の意ともしつべくやとも。思ひしかど。然には非じ。】と云り。○一百八十一神。記には此神の御言に。僕子等百八十神とあり。通證に。百八十(ハ)衆多之稱。と云り。されど此は百八十一神と。餘の一神をも加へ收たれば。なほ正しき數を。合せたるものか。【後に新羅國より貢獻る船數を。百八十一船と云事もあれば。古の大數を云時に。かゝる數へ樣もある事にや。ともおもはれたり。】なほよく考べし。この事他書に見えたるは。神名秘書に引る。神祇譜天圖記に。國作大己貴神。此神者。素戔嗚尊|孫子《ミハツコ》。天之冬衣神子也。【孫子はハツコと訓べし。子孫の義なり。漢文に子孫を孫子と書る例は。詩經に商之孫子。文王孫子などあり。直に孫の事と見むはたがへり。】與2高皇産靈神之長子|少彦名《スクナヒコナノ》神1。共經2營天下1。凡此神(ノ)生(マセル)子一百八十一神。以2爾《ソノ》五柱(ヲ)1爲2珍《ウヅノ》子(ト)1而。天下四方(ノ)國(ノ)人夫等《ヒトドモ》。令3咸蒙2恩頼(ヲ)1。此之縁也。とあり。【因に云。五柱は。味耜高彦根命。事代主命。下照姫命。御井神。建御名方神。なるべきか。】
 
(608)《カノ》大己貴(ノ)命。與2少彦名《スクナヒコナノ》命1。戮《アハセ》v力(ヲ)一《ヒトツニシ》心(ヲ)。經2營《ツクル》天下(ヲ)1。復(タ)爲(ニ)2顯見《ウツシキ》蒼生及(ヒ)畜産《ケモノヽ》1。則(チ)定(ム)2其(ノ)療《ヲサムル》v病(ヲ)之|方《ミチヲ》1。又爲(メニハ)v攘《ハラハム》2鳥獣昆蟲之※[うがんむり/火]異《トリケモノハフムシノワザワヒヲ》1。則定(ム)2其|禁厭《マジナヒヤムル》之|法《ノリヲ》1。是(ヲ)以(テ)百姓《オホミタカラ》至(マデ)v今(ニ)咸《コト/”\ク》《カヾフレリ》2恩頼《ミタマノフユヲ》1。
 
少彦名命。名義は。少《スクナ》は纂疏に身形短小。故得2此名1とあれど。其義にはあらじ。記傳にも云れしごとく。須久那志とは。後世にはたゞ多きに對へて。物の數にのみ云へども。古は大に封へて小きことにも云り。萬葉には。小彦名ともかけり。【官職にも。大小ありて。大を於保伊。小を須奈伊、と云り】記の輕堺原宮段に。大《オホ》毘古命次(ニ)少名日子建猪心《スクナヒコタケヰコヽロノ》命と有て。大と少名とを對へたり。さて此御名の少《スクナ》は。大名持《オホナモチ》の大名に對るか。【然らば。須久那《スクナ》々の那を一(ツ)約めたるなり】彦名は。播磨風土記に。少比古尼《スクナヒコネノ》命とも有て。彦根と申例に同じ。所以に唯|少名御神《スクナミカミ》とも申せり。【少御神とも。申せること。萬葉又神功妃の御歌に。見えたり。】さて又文明十一年の東大寺(ノ)戒壇院神名帳に。大汝大明神。小汝《スクナムチ》大明神あり。大三輪鎭坐記に。手間天《テマノアマツ》神とも申す事。見えたり。○經營天下。記云。神産巣日御祖(ノ)命。答告云々。汝葦原色許男命(ト)爲2兄弟(ト)1。作2堅其國1。故自v爾大穴牟遲(ト)。與2少毘古那1二柱神(ノ)相並。作2堅此國1。とあり。經2營天下1と云も。作2堅國1とあるに同じ。さて此事の書に見えたるは。大三輪神鎭座紀に。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]尊二神。共生2大八洲國。及(ヒ)處々小島(ヲ)1。而地稚(ク)如2水母(ノ)1。浮漂之時。大己貴命與2少彦名命1戮v力一(609)v心。殖2生薦葦(ヲ)1。固2造國地(ヲ)1。故號曰2國造(リ)大己貴命(ト)1。因以稱曰2葦原國(ト)1。出雲風土記。飯石郡多禰郷。所v造《ツクラシヽ》2天下(ヲ)1大神大穴持命。與2須久奈比古命1。巡2行天下(ヲ)1時。稻種墮(チキ)2此處(ニ)1。故云v種《タネト》。播磨風土記。楫保郡稻積山。大汝命少日子根命二柱神。在2於神前郡|※[即/土]《ハニノ》里|生《オフ・イク》野之岑(ニ)1。望2見此山1云(ク)。彼山者當v置2稻種1。積2於此山(ニ)1。山(ノ)形亦似2稻積(ニ)1。故號曰2稻積山(ト)1。また神前(ノ)郡|※[即/土]岡《ハニヲカノ》里。所3以號2※[即/土]岡1者。昔大汝命與2小比古尼命1。相爭云。擔2※荷[即/土]《ハニニヲ》1而遠行。與2不(テ)v下v屎而遠行1。汝二事何能爲乎。大汝命曰云々。續後紀十九長歌に。日本乃|野馬臺能國遠《ヤマトノクニヲ》。加美侶伎能《カミロキノ》。宿那毘古那加《スクナヒコナガ》。葦菅遠《アシスゲヲ》。殖生志津々《ウヱオホシツツ》。國固米造介牟《クニカタメツクリケム》與利云々。萬葉六。大汝。少彦名能|神社者《カミコソハ》。名著始鷄目《ナヅケソメケメ》。名耳乎名兒山跡負而《ナノミヲナゴヤマトオヒテ》云々。七に。大穴道少御神(ノ)作《ツクラシヽ》。妹勢能山見吉《イモセノヤマヲミラクシヨシモ》。十八に。於保奈牟知須久奈比古奈野《オホナムチスクナヒコナナオ》。神代欲里。伊比都藝家良志云々。かく趣《サマ》に云傳へたる。皆二神相並びて。國作玉ふ時の事なり。此らにて。天下を作巡り給へりし功績。思遣り奉るべし。○畜産。本にケモノと訓る宜し。記傳云。和名抄に。獣和名|介毛乃《ケモノ》。畜和名|介太毛乃《ケダモノ》。とあるは。相誤れるなり。神代紀に畜産を氣母能。獣を氣陀母能と訓るぞ正しき。皇極紀天武紀などに。畜をみな氣母能と訓り。【後ながら。源氏物語帚木に。漢國のはげしきけだものとあるも。虎にて獣なり。古今集に。藥けかせるけだものゝ。と詠るは。實は鷄犬なれども。雲に吠けんと詠れば。此歌にては犬なり。然れば畜ながら。是も獣の方に取てぞ。けだものとは。詠けん】さて氣陀母能は。毛津物《ケツモノ》の意なるべし。古書に。毛和物《ケノニコモノ》毛麁物《ケノアラモノ》とも云り。氣母能は飼《カヒ》物なり。毛《ケ》物の意にはあらじ。六畜は。人家に飼おく物なれば。飼物と云なり。然るに。氣陀母能と。氣母能と似たる名なる故に。紛はしきぞかし。と言れしは。然る説なり。【其は大祓詞に。畜《ケモノ》犯罪とある同事を。記には馬婚《ウマタワケ》牛婚(610)鷄婚犬婚とあり。これ皆飼物なり。】○定療病之方。病を療《イヤ》すことを。舊く袁佐牟と云り。續紀四詔に。御病欲(ス)v治《ヲサメムト》。二十九詔に。御病乎|治《ヲサメ》賜比などあり。【記允恭段に。治2差《ヲサム》帝皇之御病(ヲ)1。とあるをも然訓べし。】さて平田翁云。此の療病方は。人草は更なり。人草に要ある。畜物の病を療す方を。人の知べく教へ定給へる由にて。※[手偏+總の旁]て鳥獣に。其病を自《ミヅカラ》治《ナホ》す方を。某々に定(メ)教玉へり。と云には非る也。と云れたるが如し。通證に。襄陽記曰。鷄主(ル)2司晨1。犬主(ル)v吠v盗。牛負2重載1。馬渉2遠路1。とあるは。然る言にて。何れも。其|主《ツカサ》どる所有て。國家に用ある物共なれば。其病を療むる方も。必なくては。得あるまじき事なり。【さて方をミチと訓るは。永正本明應本に據れり。また明應本。熱田本。鎌倉本共に。サマと訓るも。惡からず。】○鳥獣昆蟲之※[うがんむり/火]異。平田翁云。鳥は和名抄に士里《トリ》。獣を氣陀母能と訓む由。師説あり。昆蟲は舊く波布牟之《ハフムシ》と。訓るを用るべし。【繼體紀に。伏地之蟲をもかく訓り。】和名抄に。※[虫+支]行唐韻云蟲(ノ)行也【訓波布。】と見え。蟲和名無之とあり。大祓詞にも。昆蟲之災とあるに就て。師の後釋に。雄略天皇御歌に。波布牟志母とあり。蟲は這(ハ)ふ物なる故に。凡て蟲を然云なり。鳥を飛鳥《トブトリ》と云に同じ。【なほまた雨をふる雨。花をさく花と云類も同じ事なり】大殿祭詞にも。波府蟲能|禍《ワザハヒ》無久と見え。十種神寶の中に。蛇比禮《ヘミノヒレ》蜂《ハチノ》比禮などあるも。其を拂はむ料なり。上代には。民の住家野山に交りて。假初なる※[手偏+交](ヘ)なりしかば。蟲の害多かりしなるべし。【又大殿祭の祝詞にしも。擧られたるを思へば。上代には。唯なべて此の害の多かりしにも有べし。今世とても蝮《ヘミ》※[虫+呉]公《ムカデ》蜂《ハチ》などに刺れて。悩むことなきにあらず。】とあり。此を猶精く言はゞ。凡て此鳥獣昆蟲の災異とあるを。某の鳥獣。某の蟲など名をさし言むは。中々に精しからず。凡て禽獣。また蟲類など。何にまれ。人草は更なり。畜産にも。災害をなし。異變をなす物を云り。と弘く見るべし。【なほ大きに云はゞ。草木にまれ。何にまれ。人の要となるものに。(611)害をなすは。即ち人に災異をなす謂なれば。其をも兼て思ふべし。鳥の穗をつみ。巣をとり。獣の穀物を喰害ひ。蟲の木草に付事も。悉く人の災害にあらざらめや。】其の物等の。殊に人の爲に。災異をなす耳ならず。彼等が性のまに/\。爲す態も。人の爲に宜からぬ事は。即人の禍なれば。呪術を以て。攘はるゝ事ども。今世にも多きを以て辨ふべし。と云れたる然る説なり。災異は。重胤云。和邪《ワザ》は本語にて。波比《ハヒ》は辭なり。たとへば病といへば。其病む人の方に就て云ひ。災と云は。其令(ム)v病(マ)る者の方に就て云るにて。和邪は所爲《シサ》の義にて。神にまれ鬼にまれ。又鳥獣昆蟲にまれ。其犯し悩まする所爲を成すを云なり。故大殿祭詞に。下津綱根《シタツツナネ》。波府蟲能禍無久《ハフムシノワザハヒナク》。又は天乃|血垂《チタリ》。飛鳥乃《トブトリノ》禍無久。と云ひ。【大祓詞遷却祟神詞にも見えたり。】其所爲を成す物名を。先に擧て云ふ定なりければ。此に鳥獣昆蟲之災異とあるも。鳥之所爲。又獣之所爲。又昆蟲之所爲。と云事なるを。其成す事。人にも世にも害を成せる所以を以て。和邪とも。和邪波比とも云。禍又は災又は災異。或は妖とも。殃とも。又妖※[蘖の木が子]とも云字に。當る言とは成れる者なり。攘は波羅布なり。解除を波羅閇と云とは。同言にして。其活用異なり。偖此は禁厭の事を爲て。災異を攘ふをいふ。と云り。○禁厭之法。又云。禁厭は解除《ハラヘ》祈祷《イノリ》の類を凡て云なり。此二字。古よりマシナヒヤムル。と訓るに從ふべし。私記に。依牟之也牟流《エムシヤムル》とあるは。疑あり。エムは字書に。厭於冉反なる。音を取れるなれば。古言の續け状に非ず。【鈴屋翁は。二字を引合せて。麻自那比と訓れたるは。然る事の如くなれど。言足はず。古訓に從ふべきものなり】然るは。上に療《イヤス》v病とある。病は其事の稱なり。療《イヤス》は其を去る術を成す謂なるに等しく。此も麻自奈比は。其事の稱なり。夜牟流は。其事を行ひて。災異を郤《シリゾ》くる稱なればなり。【用明紀に。厭マシナヒと訓(612)み。又傍にトコフと有り。通證に引る。前高帝紀東遊以厭v之註穰也とあり。其穰は。名義抄にハラフ。カハルと訓る字にて。攘字に同】偖禁厭の法はしも。二柱御祖神に始れる事にして彼鎭火祭は。伊弉※[冉の異体字]尊の火神を生坐し御時に。出來りて。即|火鎭《ヒシヅメ》祭の始是なり。又|花鎭《ハナシヅメ》祭の起も。此大神に已に始れるにて。禁厭と療病と。已に上古より。相並び行はるゝ事にて。其禁厭の方療病の法となり。療病の法。即禁厭とは。成れるものなりけらし。又道饗祭は。伊弉諾尊の。黄泉軍に追|及《シカ》れさせおはし坐ける時に起り。大祓は。其大神の筑紫日向橘小戸にして。事始めさせ玉へりし御政なり。又蛇比禮呉公蜂(ノ)比禮は。須勢理毘賣命。天上より傳へさせ御座て。此にて始て行玉へる御事なめり。其は天神本紀に。饒速日命の行玉へる。鎭魂《タマシヅメ》祭の起是なり。此祭はしも。已に皇祖天神の。行定めさせ玉へる御事にて。高天原より傳はれる。禁厭の法なる事。申すも更なり。【清原宣賢卿説に。十種神寶を。天孫降臨の時。授け申されたり。人の痛む所ある時。禁厭ふ樣なり。此も病を治する一の道なり。と云はれたるは。實に卓見なり。此の説に據られけるにや。谷川翁も。此れを禁厭の中に收められたり。】と云り。【なほ委しく云れたれど今は甚く略きて出せり】さて平田翁説に。麻自那比《マジナヒ》の麻自は。御門祭り祝詞に麻自許利。大祓詞に蠱物《マジモノ》などある。麻自と同言にて。那比は卜那比商也比などの。那比と同く辭なり。【蠱を麻自と訓べき由は。字鏡に蠱萬自物。と有是なり】さて此三物の麻自。もと同言には有れど。かく活きて三になれる上にては。輕重と。物との差別《ケヂメ》を成せり。其は麻自那比は。麻自那閇【令する詞なり】麻自那布。麻自那波牟と活きて。輕く聞え。麻自許理は。麻自許禮。麻自許流。麻自許良牟。と活きて。重く聞ゆるが。麻自物は。吉にまれ。凶にまれ。其麻自に用ふ物を云なり。【大祓詞に蠱字を書るを以て。凶物とのみ思ふべからず。彼詞に此字を書るは。人の爲に。凶き麻自術《マジワザ》を※[手偏+交]へたる方に就て。此字は漢籍に。蠱毒といふ邪術ありて。其造方などを。委く記せる事のある故に。姑く當て書るにこそあれ。麻自物といふ物は。皆此字の如く。凶き物には非ず。其は天(ノ)忍雲根《オシクモネノ》命に。神魯岐神魯美命の給へる天(ノ)玉串も。(613)眞水を術《マジ》出す料の。麻自物なるを以て辨ふべし。】さて麻自那比の方の。輕く聞ゆる由は。まづ此詞の本は。交《マジリ》の麻自と同言なりと思ゆ。其は麻自理は。此物と彼物と。交るを云詞なるより轉りて。麻自那比と活き。此詞は。彼方の體に。此方の靈を交ふる意ばへの有ればなり。【麻目許理を。道饗祭祝詞に。率字を書るを以ても。交と本同言也。と知るゝ也。】麻自許理の方の。重く聞ゆる由は。まづ麻自那比の。那比は。辭なる故に。輕きを。麻自許理の許理は凝《コリ》にて。麻自に凝の添りたるが。許流《コル》許禮《コレ》など。活けると所聞ればなり。と云り。なほ此言義は。よく考べし。○百姓は。天照大神また天皇命の。大御寶たるよしの稱なり。江家次弟に。公御財《オホミタカラ》とあり。されど其義にはあらず。○至今。平田翁云。今は書紀を記されたる當時を云か。若くは書紀に採られし古書に。本より有し文か。もし然も有らば。其時代は知べからず。と云り。○恩頼。垂仁紀に聖帝之|神靈《ミタマノフユ》。景行紀に皇靈之|威《ミタマノフユ》などあり。言義。通證に。蓋|御賜之殖《ミタマノフユ》也。と云れど。信友云。美多麻は靈《タマ》を尊びひたる詞。布由は震《フル》ふの義にて。神の靈の威を震ひて。殊更に幸ひ給ふを。辱《カタジケ》なみ稱へて云るなり。【天皇の御魂に申すも。凡人の魂に云も。同じ意ばへなり。】布由布留。同言なる證は。古事記歌に。大雀《オホサヾキ》佩《ハカ》せる太刀。本劔末布由《モトツルギスヱフユ》とよめる。布由は布留と同言にて。太刀を揮《フ》る状を云る事。記傳の説の如し。また神靈に布留と云る事は。神の出行《イデマシ》に供奉《ツカヘマツ》るを。振奉(ル)。布理|出《イダシ》奉(ル)など。古記どもに見えたり。其は多くは神與につきて。云る如く聞ゆめれど。言の本は。神靈の威震ひ玉へるよしを。畏み稱たるなり。大鏡に。春日の大神の事を。帝この京に遷《ウツラ》しめ玉ひては。また近くふり奉りて。大原野《オホハラノ》と申し。なほも近くとて。又ふり奉りて。吉田と申て御坐(614)すめり。此吉田の明神は。山蔭の中納言の。ふり給へるぞかし。とも見えたり。【後世の行列に。フルといふ言のあるも威(ヒ)震ふ意あり。】またフルマヒと云も。フルを活かせたる詞にて。安康紀に威儀をよめるなど。叶ひて聞ゆ】萬葉三に。丈夫之心振起《マスラヲノコヽロフリオコシ》とよめるも。心|震《フル》ひ起(シ)にて。布理は布留比《フルヒ》の約たるなり。【今俗にも。心を振ひ起すなど云ひ。また威《イキホヒ》を震ふなども云り。また雅言に。ふりさけ。ふりはへ。など言ふ布理も。殊更に心のふる由なり。此外にふり某と云ふ布理に。此意なるが猶あり。】これ魂《タマ》に。布留布。布留比。布里。布留といへると。其意ばへ更に相同じきをも思べし。天武紀に。招魂を美多麻布里と訓み。臨時祭式に。鎭塊祭を於富牟多麻布里《オホムタマフリ》と訓るも古言にて。天皇の御魂の。威震り玉ふべく。奉仕る由の稱とこそ思はるれ。斯て布留比の本語は。布留にて。比布閇《ヒフヘ》と活用く辭なるを。布由とも云るに依て。【ルとユとは。殊に親しき音なり。】美多麻乃布由。と云るなるべし。好忠集に。暇なみかひなき身さへ急ぐかな。御たまのふゆと宜も云けり。奥儀抄に。此歌を擧て。歳の終に。亡魂《ナキタマ》を祭りて。恩徳を報ずとて。御魂の冬といふ。謂ゆる荷前祭なり。と云れたるは。いかゞ。但し昔は年の終に。荷前使《ノザキツカヒ》を立て。定まれる陵墓に。幣帛を奉られ。又なべても。年の終に。祖々の靈祭《タママツリ》する例なりければ。其祭りを。御魂の布由と云りし由なり。其は祖々の靈の布由。蒙らむとする意なり。好忠の歌も。然もやと。聞ゆげなり。と云れたり。【小山田與清曰。みたまのふゆ奥義抄説たがへり。これは日本紀に。恩頼靈。神靈。皇靈などの字をよみ。古語拾遺にも恩頼の字をよみて御賜《ミタマ》の義也。萬葉にあかぬしのみたまたまひてとよめる。我主の御恩《ミタマ》賜ひ也。ふゆは波江《ハエ》の通音なり。御|恩《タマ》の榮《ハエ》といふよし也。波江はハエアル。ハエナキ〔八字傍線〕などの波江にて。榮耀の義也。草木のしげりひろごれるを。ふゆといふも榮也。さてうつりては。何にもあれ。物の多くなるを。ふえふゆる〔五字傍線〕などもいへるなり。谷川氏が御賜の殖也と釋るはもの遠し。伴氏臼。色葉字類抄に。生字をフエ〔二字傍線〕とよめるによりておもふに。淺茅生《アサヂフ》篠生《サヽフ》麻生《ヲフ》芝生《シバフ》などのフは。生《オフ》のフ〔傍線〕にはあらで。フユのフなるべし。榮しげる樣よりいへる事なるべし。と云り。これは右の説とは異なれど。考の爲にこゝに擧ぐ。】(615)○ここに聊。療病方禁厭法の事を云べし。さるは。通證に療病之方(ハ)。則藥物醪也。禁厭之法。則咒祝(ノ)方術也。とある如く。二に相分れてはあれど。共に相|須《マチ》て。離れざるなり。平田翁云。抑後世の藥師ども。禁厭法をば。都に用ゐぬ事と成ぬれども。我が古は更にも云はず。訪越にては。古は禁厭を專と用たりけり。其は彼國の醫術は。もと巫祝の徒より初りしかばなり。【其は山海經に。巫抵。巫陽。巫覆。巫几。巫相。など云ありて。注に神醫也とあり。此は咒禁。祓除。咒詛などを。行ふものから。其術をもて病を愈す故に。其を醫と云りと通ゆ。其は内經賊風篇に。先(ヅ)巫(ハ)知2百病之勝(ヲ)1。先知d其病所2從(テ)生1者u。可2祝耐已1也。と云るをも。思ふべく。又古今醫統に。巫咸は鴻術を以て。堯の醫となる。祝して人の福を延べ。病を愈し。樹を祝すれば。樹枯。鳥を祝すれば。鳥墮。などもあり。】さて其呪禁を行ひて。病を治たる趣は。説苑に見え。此術を行ふ者を。巫醫といふ。されど漸々に。呪術をば次になして。藥を服しむる事を。專と爲る者も。出來し故に。周(ノ)代になりて。官を立るに。巫と醫とを。別にせり。其は周禮に。巫の外に。醫師と云官あり。また疾醫と云も見えたり。【かく別に立たる故に。前の如く。巫彭,巫咸など稱ふこと止みて。春秋左氏傳などを見るに。醫を業とする者をば。醫緩醫和など云ふことゝけ成しなり。】其後隋代になりて。古は巫と醫は一(ツ)なりし故實に。依れると見えて。尚藥局に。呪禁博士。呪禁生。など云を立て。醫の次におき。呪禁博士と云が。呪禁生に。呪禁祓除などの術を教へて。病人ある時は。醫と共に預り。唐代の令も。是に傚へりと見ゆ。【唐六典を見て知べし。】偖また皇國は。右の如く。二柱神等。療病方と。禁厭法とを。始玉へる。正しき傳の有が上に。後に唐制を用ゐて。官を置れし時に。此制の古に符へる事を。所思看せると通えて。典藥療に。醫師。醫博士。醫生の下に。呪禁師。呪禁博士。呪禁生を置れたり。其は職員令に。呪禁師二人。掌2呪禁1。呪禁博士一人。掌v教2呪禁生1。呪禁生六人。掌v學2禁師1。(616)と見え。醫疾令に。凡醫博士取2醫人(ノ)内法術優(タル)者1爲v之。呪禁生學2呪禁解忤持禁之法1。など有を辨ふべし。但し此は。和漢共に上の令《サダメ》なるが。民間は如何と云に。療方と呪禁と。並用たること。皇國は更なり。【此は物語書など。普く見わたして知べし。】漢土も同樣なりしこと。千金方儒門事親。など云醫書どもに。呪禁法をも。多く載たるを見て。彼國の明醫らが。民間にて。病を救へる有状も辨ふべし。然るを後世の藥師どもの。呪禁法を陋(シ)と爲る事は。古道を知ざればなり。【凡て病は。邪なる鬼神の。邪氣を立ると。鬼魅遊魂鳥獣昆蟲の災異をなすより。起る事なる故に。療方にまれ呪禁にまれ。其病を治めむと。行ふ事は。正しき鬼神の靈異による事なれば。よく其道に至らむには。共に効驗あること。何か疑む。藥は禁厭の意あり。禁厭に。藥の意もあるものをや。其は右に云如く。藥を用ゐる事は。呪禁より起れる故に。何ぞと云へば。呪禁の風交れり。譬へば痺の截藥は。一夜屋棟に洒して用ふと云。水腫病の藥を煎る水は。流川の水を。流るゝ隨に汲てつかふとか云類。今數へ盡すべくも非ず。皆其如くして。必驗あることぞ。】と云れたる。實にさる事と通ゆれば。因に此にしるしつ。
 
(617)日本書紀通釋卷之十三       飯田 武郷 謹撰
 
〔第六一書續〕
《ムカシ》大己貴命|謂《カタリテ》2少彦名(ノ)命(ニ)1曰。吾(レ)等所v造《ラガツクレル》之國。豈(ニ)謂《イフラム》2善(ク)成《ナセリト》1之|乎《ヤ》。少彦名命對(テ)曰(ク)。或有(リ)v所v成《ナセル》。或有v不《ザルトコロモ》v成(サ)。是談也蓋有幽深之致焉。其後少彦名命行2至(テ)熊野之御碕(ニ)1。遂(ニ)適《イデマシヌ》於|常世《トコヨノ》郷(ニ)1矣。亦曰(ク)至(テ)2淡島(ニ)1而|縁《ノボリシカバ》2粟莖《アハガラニ》1者。彈渡《ハジカレワタリテ》而至(リマシキ)2常世郷(ニ)1矣。
 
嘗。本にムカシと訓るは。立かへり是より先の事を。語り出るに付て。云る語なり。【平田翁は。アルトキと訓れたれど。なほ本のまゝにて。あるべし。】○豈謂善成之乎は。重胤云。豈謂2善造(ト)1乎。と云むが如し。此訓は。私紀に。與久奈西利止以不良牟也《ヨクナセリトイフラムヤ》【不作v戸誤。今以2一寫本1訂】と有に從ふべし。此續きは。瑞珠盟約章に。豈以2善(キ)意1乎とあるに同じく。共に反語にして。此には深き所由有る事なり。二柱神等。兄弟の御睦を。結ばせ御座して。與共《トモ/”\》に國土を經營《ツク》らせ坐すと雖。其御功を積ても。終に成し遂(ゲ)させ玉ふ事の。難かる由を。聞えさせ玉ひて。吾と汝と與共に。此相巡り所造らしゝ國土は。何にしてか。成せりと云ふらむや。未善(ク)成《ナ》り就《トヽノ》はずと詔ひ(618)て。其成功の竟させ御坐ざる御事を。不足ぬ事に思ほして。語り出させ玉へるにて。此は謙遜の御詞にこそはおはしましけれ。何でか其御心に。誇らせ玉へる御言と。申奉るべからん。【武郷云。これは口訣に。大己貴命自負の御詞なりと。あるに依て。辨まへられたるなり。平田翁は。此御言は年まねく造巡り玉ひけむが。猶未成竟たりとは謂がたく。造竟ざる地は猶多かりと。御倦思ひ給へる趣に。通ゆる御言なりと。云れたるも如何有べからん。】さて善成の善は。其造らしゝ國に就て。詔はせるにて。國形の宜しき義なり。さるは其二柱(ノ)神の。御力を盡させ御座て。相作らせ玉へりし國形を。善はしく造成し遂させ給はざるを。不足《アカヌ》事に。詔ひ出させ玉へるなりけり。此時未(ダ)天下平かならず。彼草木磐石に至るまでに。咸能|強暴《アシカ》りて。造らせ玉へる跡より。荒行くもあるべく。又人民も甚稀少なりけむから。大神等の作らせ玉へる地を。各持つ事能はず。自然に荒地と成もあるべくして。善(ク)成し玉ふと雖。甚善(ク)しも成遂|難《カネ》させ給へる御思を。陳させ玉へる者とぞ。伺奉らるゝ。と云れたり。此説然るべし。○或有所成。或有云々。口訣に非(ズ)v不(ニ)v成《ナサ》非(ザル)v成《ナスニ》辭《コトバ》也。と注されたる然る説なり。【北野本明應本永正本の訓には。ナルトコロ。ナラザルトコロと訓り。さて。平田翁説に。稍成せる處もあり。未嘗て成さゞる處もあり。と詔へるにて。所v成處とは。此大御國を詔ひ,不v成處とは。諸外國々を詔へりときこゆ。と云れたるは。所を國處の義に見られたるなれど。いかゞあらむ。此は事業の上に付て見るべし。】此は其國作の事業。稍|成遂《ナロトゲ》させ賜へる。是有v所v成なり。其に反して。未全く整はざる。是有v不v成なり。されば有v所v成に依て。有v不v成の設を。今より怠らず。彊《ツト》めたらむには。遂に盡く成る事あらんとの。御言なるべく。伺奉(ラ)れたり。と重胤云り。○是談也云々。此は前後を思ふに。此の文を讀る後人の意に。是談の意を思得ず。幽深き旨ありげにきゝなして。傍に其趣を注しおけるが。※[手偏+讒の旁]入て。本文の如くなれりけむ。决て撰者の文にはあるべからず。さて按に。此の十字(619)大三輪神社鎭坐次第記に此文を引るになし。それぞ本のまゝなるべき。○其後云々。平田翁云。其後とは。既に國作(リ)竟て後と。云る如く通ゆれども。次語に。大國主神愁而詔曰。吾獨(シテ)而何能得2作此國1。と有を以て見れば。然には非ず。なほ作り玉ふ程の事なるを。其初つかたは。相並びて作給ひしを。後つ方に至りてはと。いふ意なりとあり。【次語に。自後國中所v未v成者。大己貴神獨能巡造。とあるもこの意に同じ。】○熊野之御碕は。熊野は出雲國意宇郡にあり。御碕は。記傳云。凡て山にまれ。海邊にまれ。ものゝ鋒《サキ》の如く。突出たる所をいふ。埼崎碕岬等を用ゐたり。書紀に島曲俗曰2美佐祁《ミサケト》1。和名抄には※[石+甲]また汀を。三左木とあり。と云り。さて重胤云。熊野の地の事は。熊野大神の神宮より出來れる稱なるが。其は其神宮より。東南の意宇郡にて。今謂ゆる能義郡はしも。古は凡て熊野と云けるにこそ。同郡の末に通2國東(ノ)堺手間※[賤の旁+立刀]1。四十一里一百八十歩とある迄は。皆がら古の熊野なりけるを。郡名を被(ル)v定(メ)るに至りて。意宇郡と成り。後又別れて。龍義郡とは成れる者となん見えたりける。然して大三輪鎭座次第に。此下なる初(メ)大己貴神之平國也云々。到2出雲(ノ)五十狹々之小汀1。且當2飲食《ミヲシ》1。是時海上忽有2人聲1云々。とありて。高皇産靈尊聞之而曰。吾所v産兒凡有2一千五百座1。其中一(ノ)兒最惡(シ)不v順2教養《ヲシヘゴトニ》1。自2指間《タナマタ》1漏《クキ》墮(シハ)者必彼(ナラム)矣。宜2愛而養1v之。此即少彦名命是也。とある傳を載して。其結末に。此故稱曰2手間《テマノ》天神(ト)1也。と云ふ社傳を注せり。故思に手間は。少彦名命の天神の指間《タナタマ》より。漏墮《クキオチ》させ玉へる地なりけり。右に五十狹々之小汀に。浮到り坐る御事の有に依て。外國より御在し坐たる者と思ふも。然る事なれども。上古には島根秋鹿楯縫出雲の。(620)四郡はしも。一島なりしかバ。此手間より打立して。宍道《シヽヂノ》海を浮び渡らせるにぞ有ける。偖此地は。記に伯伎國之手間(ノ)山本【和名抄にも會見郡天萬】とあれば。國堺にして。兩國に係れる地なるが故に。風土記意宇郡條に。通2國(ノ)東界手間※[賤の旁+立刀]1。四十一里一百八十歩。とある是にして。少彦名命の本宮。此に在し者なり。然して此に所謂熊野之御碕は。必其手間の地の中なるべきか。今何處と※[足+及]《タド》るべきよしなきを。出雲風土記に。意宇郡に羽島《ハシマ》と云あるを。或抄に。所謂|指間《テマノ》島也。島(ノ)上(ニ)有2天神(ノ)祠1。則少彦名命。とあるは。今能義郡飯島村の海邊なり。右の指間島と云ふ。一名のある事。此を見知べし。若て羽島と云は。端《ハ》島と云事なれば。實に御碕とも云べき地なり。又同郡粟島とある。此は白井宗因説に。手間天神在2出雲意宇郡筑陽村|間潟《マガタ》海中(ニ)1。所v祭少彦名命也。と云る是にて。此も手間(ノ)天神の御座地なれども。御碕など云べき地の状に非れば。此なる熊野之御碕は。右の羽島にて。甚能合へるもの也。但此次には。其渡り御座たる地を淡島とあり。其は伯耆國會見郡にして。右の羽島と向合たる地なるか。若ては異説あるに似たりと雖。此なる熊野之御碕は。其神の本宮にして。此宮より打立せ玉へりと云べく。次なる淡島は。其粟を蒔て持渡り坐るにて。全くの渡口は。其島なる事下に見合せて曉るべし。と云り。此は尚よく考べし。○常世郷。記傳云。凡て上代に常世と云に。三あり。一は常世長鳴鳥云々。此は常夜の義なり。二には常とはにして不v變ぬ事を云。三には常世國と云是なりと云り。この常世國。此に謂ゆる常世郷は更なり。神式紀に御毛野命《ミケヌノミコト》の往2乎常世(ノ)郷《クニ》1。とあるなど。本來外國に渡り御坐しを云り。若(621)て此少彦名命は。此にて外國に渡り御坐しけるに依て。神功皇后御歌に。常世に座《イマ》す石立《イハタヽ》す少御神《スクナミカミ》の。と詠せ玉へり。又續後紀歌に。常世鴈率連天《トコヨカリイザナヒツレテ》。とあるを始として。鴈と燕との歌には。常に常世國を詠る事。計《カゾヘ》も盡しがたかるべし。【堤中納言物語。無由言《ヨシナシゴトノ》卷に。もろこししらきに住人。さては常世に在る人。云々とあるも。遠き外國を云なり。】偖此事に附て。記傳に。常世國とは。かく名けたる國の一(ツ)有にはあらず。名義は。底依《ソコヨリノ》國にて。唯|絶遠《ハルケ》き國なる由也。と云れたれど。依の義信られず。按に常と底とは。通ふ例あれば。さもあるべし。さらば底世《ソコヨ》とすべし。底世とは。放世《ソキヨ》の義にて。放《ソ》き隔りたる世界《ヨ》の國と云事にて。放《ソキ》は山の曾支《ソキ》。野の曾支《ソキ》。又|曾許比《ソコヒ》も知らぬなど云曾許なり。【底も其義なり】今俗に不v知《シラヌ》世界と云(フ)此に當れり。されば。此大御國より云時は。外國は。凡て實に。底世國と號くべき物なりけり。【池邊眞榛云。皇國は國土事物も。早く生出たるを。外國どもは。大己貴少彦名二神の渡り坐て。修理固成し。物をも事をも作始め玉へる事なるより。此方の神世の末は。彼處の初發の時なりしかば。二神のまします外國は。いまだ幽顯分たず。不老不死の神域也しなり。其をば皇國の早く開拓けたる上より。此を常世國とは呼しならん。今世に魔國など云むが如しと云り。これは常世を正字と見ての説なり。いかゞあらん。】○淡島は。伯耆風土記に。相見郡々家(ノ)西北有2餘戸《アマルヘノ》里1。有2粟島1。少日子命蒔(キ)v粟(ヲ)※[草冠/秀]實離々。即|載《ノリ》v粟(ニ)彈《ハジカレテ》渡2常世國(ニ)1故云2粟島(ト)1。とある是なり。重胤云。淡島は出雲意宇郡羽島【一名指間島】より。海を隔てゝ。直向ふ地なるか。島とは云へども。今は陸續きに成て。洲崎の中なる。小島と成れり。予去(シ)安政五年正月。米子より船を浮て。其島に詣たりける時に。其地形を考るに。此所は會見郡にて。天萬(ノ)郷に隣れり。偖此洲崎は。恰も天(ノ)橋立。又海(ノ)中道などの如く。海中に三四里も出て。出雲國島根郡には。僅に海を隔たり。其洲崎はしも。出震風土記に。謂ゆる國引《クニビキノ》文に持引綱者《モチヒケルツナハ》。夜見島《ヨミシマ》是也と有て。島根郡條に。(622)伯耆國郡内。夜見島とありて。今|弓《ユミ》濱と云是なり。草沙漠の中に。山は磐石を疊たるが如くして。草木茂生ひ。甚|神々《カウ/”\》しき神境と見えたりき。偖其地より打立して。此地に粟を蒔せ玉へりし。御事は。其糧を備させ玉ふべき。御爲なるにこそは有けめ。此を携へて。常世卿に殖布《ウヱシ》かせ玉はむ。御心なる事。蒔v粟※[草冠/秀]實離々。とあるは。全く其登るべき時を。待せ御座ける。御事著明くなん有ける。【伯耆國なる淡島は更なり。式なる紀伊國名草郡加太神社を。粟島社と申して。其祭神は少彦名命に御座を、始として。何れの地なるも。粟島といへば。少彦名命を祀れるなど。得去まじき由の有に。深く心を著べき者なり。】と云れたり。【なほ平田翁説に。三代實録元慶三年三月。下總國正六位上小松神從五位下。とあるは。今杏取郡に在る。神崎《カウザキ》なること。社に傳はる古文書にて知るゝが。祭神は少彦名神なり。そこより大川を隔てゝ。西方常陸國河内郡に寄たる浦に。いと小き浮島二(ツ)並びて。其傍に小祠二あり。粟島(ノ)神といふ。又此島を舊くより。粟島とも二(ツ)島とも云て。神崎神。紀伊國加太浦より。此島に乘て移り玉へるが。後に今の地へ移し奉れりと。所の古老の傳なりと云れたるも。由あることなり】○縁粟莖。字鏡に。※[禾+干]稈阿波加良と見え。説文に稈(ハ)禾莖也と云り。記(ノ)中卷に多能伊那袈良《タノイナガラ》【田之稻幹なり】萬葉十に。穂蓼古幹《ホタデフルカラ》などあり。【字書に。草木(ノ)莖曰v幹】縁は。風士記に載v粟(ニ)とあり。重胤云。縁字は昇《ノボル》なり。載字は乘《ノル》なり。此二を合せ考るに。彼粟(ノ)莖より傳ひ縁りて。其|禾末《ホサキ》に載り御座ければ。其|垂穎《カブシ》したる勢に彈れ玉ひて。太虚を蹈つゝ。常世郷に渡(リ)御座《オハシ》けるなり。通證に兼良曰。縁2粟莖1。所2彈射1而飛2渡於常世1也。此神之眇小可2以見1。とある。實に然る事なり。下文に。大己貴命即取置2掌中《タナウラ》1。云々とあるに思合すべき御事也かし。と云へり。○彈渡。又云。凡て波自久《ハジク》と云事は。物を撥除《ハネノク》る如き意なるなり。若て禾《アハノ》穗の※[草冠/秀]《ヨク》實《ミノ》り離々《アカラミ》て。垂穎《カブシ》したる上に縁りて。此神の載り御座ければ。其禾末の撓めらむが。起立むと爲る勢に。彈かれて。渡らせ玉へるなり。(623)○さて神代に。常世國に渡座るは。此に見えたる如く。少彦名命一柱のみなるが。後に文徳天皇の御世に。大己貴命と二柱にて。當世國より常陸國に歸り給ひし事見えたり。其は文徳實録に。齊衡三年十二月。常陸國上言(ス)。鹿島(ノ)郡|大洗磯前《オホアライソザキニ》。有v神新(ニ)降。初郡民有2※v海爲v鹽(ト)者1。夜半望v海。光耀屬v天(ニ)。明日有2兩(ノ)怪石1。見在2水次(ニ)1。高各尺許。禮2於神造1。非2人間(ノ)石1。鹽翁私異見v之。去後一日。亦有2廿餘小石1。有2向(ノ)石(ノ)左右(ニ)1。似v若2侍坐(ノ)1。彩色非常。或形2沙門(ニ)1。唯無2耳目1。時神憑v人云。我是大奈母知少比古奈命也。昔造2此國(ヲ)1訖。去往2東海1。今爲v濟v民(ヲ)。更亦來歸。と見えて。大己貴命も。同く常世郷に渡給ひしが。此時同(ク)伴(ヒ)て歸坐るなり。【同書に。天安元年八月。右の神石を祀れる社の。官社に預りたまふよし見えたり。式にも載れり。】其は平田翁説に。少彦名命は前に渡りまし。大名持神は。幽世に隱坐て後に。かの御迹を追て。渡坐るにて。此時の御|託《サトシ》に。東海に去往たりと詔へるに依れば。二神とも其始は。まづ東海なる國に渡り。其より相並びて。神世の當時より。久遠の間。外國々を作り堅めて。此時歸り來坐るなりけり。然るに神典に。少彦名神の渡り坐る傳のみありて。大名持神の。渡り坐る傳なきは。何《イカニ》と云に。少彦名神の渡り給へるは。幽顯未(ダ)分《ワカ》れざる以前の事なる故に。其傳へ顯世にも。傳はりたれど。大名持神の渡給へるは。幽顯別りて。幽世の往《イデ》坐なるが故に。齊衡三年の御託なくては。顯世の人の。爭でか知らむ。と云れたりしは。實然る説なり。さてまた。記傳に。息長帶比賣命の御歌に。常世に坐《イマス》とあれば。後まで外國に鎭坐なり。然れば。此神は初高天原にして。御祖命の御手俣より。放れ去て。降坐しより。永く外國に(624)坐神にて。其間に少時皇國には。渡來坐しゝ事ありしなり。偖此趣によりてくつら/\按に。外國は皆。本此神(ノ)堅(メ)成(シ)たまへる者なるべし。かくて後世に至りて。其諸の外國より。種々の事も物も。渡參來て。其をつかふ事多きは。此(レ)神代に。此神の外國より。しばらく渡來坐て。大穴牟遲神を助けて。諸共に經營成し玉へりし趣と。全符り。いと深理ある事なるべし。と云れたる。此も然る論ながら。少彦名命はじめ外國へ放れ去て。降り玉ひしと。云れしはたがへり。其は重胤説に。少彦名命は。天神の御許より。伯耆(ノ)國と出雲國との堺に。天降らせ玉へるなり。若て大己貴命と共に。大八洲國を巡造り御坐て。其初の地に還著玉ひ。熊野之御碕より打立して。此粟島より。常世郷に渡らせましますなり。是少彦名命の。御事跡の。初て外國に及ばせ玉へる初なりけんを。古來の注者。此神の御天降は。外國にして。其より此國に渡り。御坐(シ)ける者に。定め云へるは。予が心とは表裏の相違なるものなり。然るは彼(ノ)手間の地は。彼天神の御指間《ミタナマタ》より。漏落(チ)おはし坐たる。御天降(ノ)處なればこそ。然る地名には遺れるには有けめ。且大洗磯前の御誨に。昔造(リ)2此國(ヲ)1訖。去(テ)往2東海1。今爲v濟(ム)v民(ヲ)。更亦來歸。とあるは。此方より往渡らせ玉へるが故に。今更に來歸らせ玉へるに非ずや。然れば其は此下に。初大己貴神之平v國也。行2到出雲國(ノ)五十狹々之《イサヽノ》小汀(ニ)1云々。有2一箇(ノ)小男《ヲグナ》1云々。隨2潮水1以浮到。とあるは。伯耆境より。内海を乘て。浮到らせ玉へる御事なるを。外(ツ)海より。依來坐る事と。思誤られたるから。然る本末の差は。出來れるにぞ有べかりける。と云れたる説にて。明らけし。
 
(625)自後《ソレヨリノチ》國(ノ)中《ウチノ》所(ヲバ)v未v成(ラ)者。大己貴神獨能(ク)巡(リ)造(ル)。遂(ニ)到(テ)2出雲國(ニ)1。乃(チ)、興言《コトアゲシテ》曰。夫《カノ》葦原中國(ハ)本自荒芒《モトヨリアラビタリ》。至2及《イタルマデ》磐石草木《イハクサキニ》1咸(ク)能(ク)強暴《アシカリ》。然(トモ)吾已(ニ)|摧伏《クダキフセテ》莫(ン)v不《ヌハ》2和順《マツロハ》1。遂(ニ)因(テ)言(ク)。今理(ムルハ)2此國(ヲ)1唯吾|一身而已《ヒトリノミ》。其可(キ)3與v吾共理(ム)2天下1者(ハ)蓋(シ)有(リヤ)之乎。
 
自後國中云々。重胤云。少彦名神。常世郷に渡らせ御坐る即の丈に。記には。於是大國主神愁而告。我獨(シテ)何(カ)納得2作(ラム)此國(ヲ)1。孰神(ト)與(ニ)吾(ハ)能相2作此國(ヲ)1耶。是時有2光v海(ヲ)依來之神1。云々。此者坐2御諸(ノ)山(ノ)上(ニ)1神也。と有て。此に自後國中(ノ)所v未v成者。大己貴(ノ)神獨能巡造。云々。此大三輪之神也。とあるとは。大に背けるが如き所なん有ける。今何れを取り。何れを捨べきと。文意を照し考るに。互に言の脱たりける者なりけり。記に於是大國主神愁而云々とあるは。今迄兄弟の御親睦《ミムツビ》御座して。御力を致せ玉ひ。御心を一に爲て。相共々に國巡り作堅めさせ御座ける。少彦名命の。御座さず成ぬるには。爭でか御心に。愁させ玉はざらん。此時に當りては。孰(ノ)神と相共に並坐て。此國を相作らましと所思して。然る言擧の御在坐けるも。亦自然に浮《ウカ》ばせ玉ふべき御心なめりかし。然るに其御言に對へて。謂ゆる幸魂奇魂《サキミタマクシミタマノ》神の。顯れ出させ御坐ける趣は。其に脱文ある所なるにて。其後の事實は。此に擧たる此文の如くならずしては。事打合ずなん有ければ。右の記の。於是より以下。相2作此國1耶より。以下廿七字(626)は。此にも彼至2常世郷1矣。自後國中云々。とある。矣と自との間に。加ふべく。又記は。有の廿七字の下に。此の自後國中所v未v成者云々。の語を加へて。又心得べき所なりけるものなり。【記傳に。此を傳の異なりしにやと云れつれども。異なるには非ず。互に文を脱せるものなり】と云り。○國中は。上文に。大己貴命與2少彦名命1。戮v力一v心經2營天下1。とありて。此大八洲國の全體に於ては。二柱神の已に成(シ)造らせ御座けるを。今茲にては。其大八洲國の中にて。其未(ダ)成(ラ)ざる所の有を。堅作らせ玉ふなり。○所未成は。上文に或有v成或有v不v成とある。其を承て云なり。此も秘閣本に據て。ナラザルトコロと訓り。○獨能。重胤云。獨は狐獨の謂には非ず。今迄少彦名命と。二柱して掌り御在しけるを。少彦名命の。其部下の神等を率て。おはしますべければ。此には大己貴神の部下のみに。成給へるなり。能は。記に吾獨何能得2作此國1。とある能にして。此には。上文に吾等所v造之國。豈謂2善成1之乎。と有に對應《ヒヽキ》たる所なりければ。次なる巡造に合せて。善成の善《ヨク》と見べき事。云も更なり。偖右に國中所v未v成とあるは。國體《クニガタ》の未(ダ)善(ク)成(ラ)ざるを云ひ。此に能巡(リ)造(ル)は。國體を已に善(ク)成し給へる義なり。と云り。○至及磐石草木。私記に強暴を。之非安只加留《シヒアシカル》と訓み。又一本に安之安只加留《アシアシカル》と訓りと雖。本にアシカルと訓るに從ひて訓べし。【古寫本共には。此二字をアラカルと訓るもあり。】偖此は荒振神の。荒芒《アラフ》る事と。磐石草木の言語を爲すと。一速《イチハヤ》ふる世中の状を。咸能云々とは宣へるなり。纂疏に。木石強暴。謂雖v爲《タリト》2無情(ノ)草木1。皆其精靈依v之也とあり。然る言なり。○遂因言は。其天下に在と在る諸神の。悉に和順《マツロ》ひ奉る時なるを以なり。○理此國は。下に理2天下1とある是なり。袁佐牟《ヲサム》と云語は。此にては。天下を政ごたせ給ふ御事なれども。上中下に廣く亘りて。下として上に仕奉る事をも云ひ。上より下を使令《ツカ》はせ玉ふ御事をも云ひ。自《ミヅカラ》より上下に及ぼして。泛《アマネ》き事なるよしは。古書共に。此語の出たるを。見亘して知べし。【此は重胤説に付て云。記傳に治とは。凡て物を棄措ず。收め擧て。状に從ひて。其が上を宜しく物するを云。と云れたるも。猶其本を得られざりけるなりと。同人云り。】○唯吾一身而已。かく言《ノタマ》へど。本自荒芒云々とあるは。始(メ)少彦名命とゝもに。造り給ひし事まで。係て詔ふなるべし。さてかく自ら誇り給は。荒魂の進み給ふなり。【荒魂とは。伊都速《イツハヤ》く荒けき御魂を云こと。下に云る和魂のこと。考合すべし。】通證に。重遠曰。大己貴命雖v失2少彦名之輔(ヲ)1。曾不2少(モ)屈1。獨降2伏諸國1。莫2敢不1v服。因自賛2功業之盛(ヲ)1。矜誇大言。旁若v無v人。其氣象可v想焉。と云り。【此を誇言に非ずと。重胤は云へれど。重遠の説の如く。此神の御氣象。實にかく有べき也。】
 
于v時|神光《アヤシキヒカリ》照(シテ)v海《ウナバラヲ》。忽賂《タチマチニ》有2浮來《ウカビキタル》者1。曰《イハク》。如《モシ》吾|不《ズ》v在|者《ハ》。汝《イマシ》《イカニシテ》能(ク)平《ムケマシ》2此(ノ)國(ヲ)1乎《ヤ》。由(テノ)2吾在(ルニ)1故(ニ)。汝得(タレ)v建《タツルコトヲ》2其大造之績《コノオホヨソノイタハリヲ》1矣。是時大己貴神問(テ)曰(ク)。然則|汝《イマシハ》是誰(レゾ)耶。對(テ)曰(ク)。吾(ハ)是(レ)汝《イマシガ》之|幸魂奇魂也《サキミタマクシミタマナリ》
 
神光照海は。平田翁云。記に豐玉毘賣命|馭《ノリ》2大龜(ニ)1。而光2海原1。云々參來。また肥長比賣光2海原1。自v船追來。などもあり。皆御魂の進む時に。かゝる神光あり。と云り。○有浮來者。これ大己貴神の。和魂の顯れ給ふなり。此事次に云。【和魂とは。平穩《オダ》しく。和《ヤハ》しき御魂をいふ。此事なほ次々に云】此浮來らせ玉ふ大神の御事を。地神本紀に。(628)遂到2出雲國(ノ)五十狹々之小汀(ニ)1而興言(シテ)曰。云々于v時神光照v海。忽以踊2出|波浪末《ナミノホニ》1。爲2素装束《シロキヨソヒ》1。持2天(ノ)※[(草冠/豕)+生]槍《ヌボコヲ》1有2浮歸來《ウキヨリクル》者1。とありて。少彦名命の依來坐ると。同地なる事は。聊凝はし。○如吾不在者云々。重胤云。此より得v建2大造之績1矣。まで一段の文は。國平の御政と。國造りの御事とを。並擧て。其御功業を悉くに。助成し給へる由を。示し教させ玉へる所なるが。記には此文なくして。其神(ノ)言(ク)。能治2我前(ヲ)1者。吾能共與(ニ)相作(リ)成(シテム)。若(シ)不v然者。國難v成。の御言を被v載たり。何れか異傳なると。見以行くに。同じ一聯の語なるを。互に相脱せるにて。此に相續く文なりけり。然るは此に始て。御形を現はさせ玉へる上は。必其治奉らむ。以後の事を。詔ひ掟させ玉はすは。得有べからざる理なるを思ふべし。然して御名を令v問て。幸魂奇魂に御座す由を。告聞えさせ玉はむ。との御事とこそは。見えたりけれ。但其語の上に。於是大國主神愁而告。吾獨(シテ)何能得2作此國1。孰(レノ)神(ト)與(ニ)吾能相2作此國1耶。と云文有は。上に注る如く。其は少彦名命の。常世郷に渡り坐ける時の御歎きにて。其(レ)孰(ノ)神(ト)與(ニ)は。少彦名命ならぬ。何(レノ)神をば。倶に爲《セ》させ玉はむと。云義なりければ。甚|已《ハヤ》き程の御事にて。此に自後國中所v未v成者。大己貴神獨能巡造。と云よりは。遙に以前の御事なるを。其より續けて。是時有2光v海依來之神1云々とあるは。决めて其間に。脱文有が故なり。此所凡ての事は。紀の方甚悉しければ。此を本として。記は其缺を補べくぞ有ける。と云り。さて大造之績は。纂疏に大造者。造2爲《ツクル》天下之大(ヲ)1也。績(ハ)功也。通證に。謂d經2營(スル)天下(ヲ)1之大功u也。今按。大造訓爲2大凡《オホヨソ》1。績訓(テ)爲v勞《イタハリ》とあり。(629)大凡とは。細碎の事には拘はらず。規模の廣大なるを云。永正本。鎌倉本。秘閣本などには。此二字オホキニツクレルと訓り。されどなほ。本に據るべきか。但し績はイサヲと訓てあるべし】○然則汝是誰耶。重胤云。然則は。其神の御言に。如吾不v在者云々。由2吾在1云々。と詔玉ひて。相共與に。物爲させ玉ふ如く。詔給へるが。不審しく。所思すに依て。即奉らせ給へるにて。次に唯《ウベ》然《シカナリ》廼知(ヌ)。と云に係合ふ文なり。汝是誰耶。此時は大己貴神を除て。其上に勝《マサリ》給ふ大神の。御在坐べく思ほしたらざりけんから。然|无禮《ナメ》げには宣へるなり。然らざる時は。記(ノ)※[言+可]志比宮段に。今|如此《カク》言教之《コトヲシヘタマフ》大神者。欲v知2其(ノ)御名(ヲ)1。とあるを。神功紀に誰(レノ)神也。願欲v知2其名1。と書されたる如く。此にも必有ぬべき御事なりかし。と云り。さて此は。御自の和魂なりとは。知看《シロシメ》さで。問給ふ事なるが。平田翁云。凡人といへども。量々《ホド/\》に從ひて。此二魂はあるを。其魂の強く凝《コ》れるは。體《ミ》より分りて。種々の靈異を。顯すことあり。神世の大神の大神等は。皆其御魂の。大きに坐ます中にも。大國主神などは。其魂の殊に大きく。凡人の塊に比べては。幾萬倍の大なりと云こと。知べからず。是を以て。殊に御魂を凝し玉ふともなく。其荒魂和魂の分りて。別神の如く。本(ツ)體に向ひ立て。互に物|言交《イヒカハ》し玉へる事も。ありしなり。と云り。○幸魂奇魂也。口訣云。幸魂奇魂者。一魂兩化之名。即天之所3以命v我。而爲2身之主(ト)1者也。【武郷云此文版本に引るとは聊異なり】と云れたるが如し。記傳云。此は共に和魂の名にて。幸魂とは其徳用を云なり。二魂にはあらず。【幸魂を。荒魂とし。奇魂を。和魂とするは非なり】其故は若二の魂ならば。二神と現れたまふべきに。今現たまふ神は。一柱なり。且出雲國造神賀詞にも。倭の大美和に祠るは。此神の和魂とこそ見えたれ。さて幸魂とは。私記(630)に是(レ)左支久阿良之无留《サキクアラシムル》魂也。と云て。字の如く。其身を守りて。幸あらする故の名なり。【神功卷に和魂服2玉身1。而守2壽命1。とある是其なり。是にても。幸魂の徳用なることをさとれ。】奇魂も。字の如くにて。奇靈(キ)徳を以て萬事を知識《シリ》辨(ヘ)別て。種々の事業を。成さしむる故の名なり。【萬葉五に。河武佐備伊麻須。久志美多麻《クシミタマ》。とあるは。石を稱て奇き御玉と云るなれば。魂のことには非歟。即上に眞玉成。二の石。とあるを以て知べし。】さて今大國主神の。己命獨して。此國を得作(リ)竟(ヘ)じと憂賜ふは。【紀に理2此國1。唯吾一身而已。と云て。ほこり賜ふも同く。】たゞ荒御魂のみすゝみて。和御魂の乏しかりしなり。故今神産巣日神の御|量《ハカリ》にて。【萬事を成しむるは。皆此神の神靈なり。】別に其和魂の御形を現はして。如此示し教へしめたまふなり。かくて此教の隨に。齋祠りたまふに因て。和魂滿足し榮(エ)坐て。其身を守り幸へたまひ。奇靈き徳を以て。遂に天下を作竟しめたまふ。故(レ)是を幸魂奇魂とは云なりけり。と云り。さてかく幸魂奇魂の。顯身と成玉ふ事は。則此神を齋き祭る。三輪の大神の。壯夫に化坐て。活玉依《イクタマヨリ》比賣に。婚(ヒ)坐しことあり。其外も。神社に齋く神靈の。顯身に成て。人に見え給ふ事などあるもて。知るべきなりと。平田翁の云れたるが如し。
 
大己貴神(ノ)曰(ク)。唯《ウベ》《シカナリ》。廼(チ)知(ヌ)汝(ハ)是(レ)吾之幸魂奇魂(ナリケリ)。今|欲《オモフ》2何處《イヅコニ》(マムト)1耶。對(テ)曰。吾(ハ)欲(フト)v住(マムト)2於日本(ノ)國(ノ)之|三諸《ミモロノ》山(ニ)1。故即(チ)營《ツクリテ》2宮(ヲ)彼處(ニ)1。使(ム)2就《ユキテ》而|居《マシマサ》1。此大三輪之神也。
 
(631)唯然。二字本にシカリと訓めれど。【永正本秘閣本には。シカナリとあり。】明應本鎌倉本等に。ウヘシカナリとよめるに從ふ。平田翁云。然《シカリ》とは。實に然に在けりと。諾ひ悟り坐るよしの御語にて。依來坐る神は。今かく別に現れ御座せど。實は御自身の御魂の。御躯を分かり坐るなる故に。吾(ハ)是(レ)汝之幸魂奇魂也。と云ふ御語を聞看ては。然すがに。御心に慥に應へて。實に然ありけりと。悟坐るなり。【廼知と詔へる御言に。心をつけて。此旨をおもひ辨ふべし】然るは古くも今も生《イキ》靈とて。人の魂の。躯を分りて。奇靈なる靈《ミタマ》を成《ナス》こと。多かるに準へて。此の有状をも。曉りねかし。と云れたり。○今欲何處住耶。記云然(ラ)者治(メ)奉(ラム)之状(ハ)奈何とあり。其は其神(ノ)言(ク)能2治我前(ヲ)1者。云々と言へる故に。然(ラバ)者云々と。問玉へるにて。よく通えたり。今は上にさる御言もなくて。今欲(フ)2何處(ニ)住(マムト)1耶と。問給へるは言足はず。いかゞに聞ゆ。必上に記の如き文あるべきなり。【なほ重胤説に此は風神祭詞に。我御名者天乃御柱乃命。國乃御柱乃命止。御名者。|悟《サトシ》奉※[氏/一]。吾前(ニ)奉牟幣帛者云々。品々乃幣帛備(ヘ)※[氏/一]。吾宮者朝日乃日向處。夕日乃日隱處乃。龍田乃立野乃小野爾。吾宮波定(メ)奉※[氏/一]。吾前乎稱辭竟奉者云々悟(シ)奉支。とある意味に。同じき所なり。然れば記に。然者治(メ)奉(ラム)之状奈何と有り。其御在所を定めて。齋(キ)奉らせ玉ふのみならず。其幣帛の御事までにも。係て問奉らせ玉へるにて。此に今欲2何處(ニ)住1耶と有よりは。少か委き状なりかし。ともいはれたり】○日本國之三諸山。記には倭之|青垣東《アヲガキヒムガシ》山(ノ)上とあり。日本は。畿内の大和國なり。【畿内の大和國は。大倭と書く例なり。日本とあるは取はづしての事なるべし。】記傳云。三諸山は即三輪山の事なり。まづ御諸は。御室《ミムロ》にて。凡て神社を云。朝倉宮大御歌に。美母呂能伊都加斯賀母登《ミモロノイツカシガモト》。又|美母呂爾《ミモロニ》。都久夜多麻加伎《ツクヤタマガキ》。萬葉に。吾屋戸爾《ワガヤドニ》。御諸乎立《ミモロヲタテ》而。などある。是なり。さて御室と云名義。御は尊稱。室はもと樹の森より出て。隱《コモ》りかなる義なり。さるは上古には。神の社と云もの。後世(632)の如くはあらずして。多くは樹の繁り隱りかなる所を。神靈の憑りとなしたまふ。其より移りて。神社の奥殿をも。室とは云るなり。この三輪山などは即其にて。後世までも神殿なし。これ御室の本義なり。また神籬《ヒモロギ》と云も同じ。そのよし下卷の一書に委く云り。さて三輪山を。御諸山と云るは。此を始にて。記紀に見え。繼體卷歌に。美母呂賀宇倍邇能煩理多知《ミモロガウヘニノボリタチ》。とあるも。山とは云はねど。此山の事と聞ゆ。萬葉に。三諸之神之。神須疑《カミスギ》。又|味酒《ウマサケ》三室(ノ)山。などよめるも。此山なり。さて三諸とは。右に云る如く。何處にまれ。神社の事なるに。此山にしも其名を負るは。取分て此大神を。尊崇めるからなり。【今京にて。祭といへば賀茂祭。山といへば。日枝山なるが如し。】とあり。○營宮彼處は。營2宮(ヲ)於三室山(ニ)1なり。重胤云。此神の現(レ)出坐しは。l出雲國五十狹々小汀なるを。其乞し賜へる御言の任に。大己貴神の供《ツカヘ》奉り玉ひて。治奉らせ賜へるなり。大三輪鎭坐次第には。此を宮と云ずして。營2御室1と云換へつ。神宮の事を御室と申せるにて。天孫降臨章に。謂ゆる神籬《ヒモロギ》是なり。其は崇神天皇六年に。倭(ノ)笠縫《カサヌヒノ》邑仍立2磯城《シキノ》神籬1。とあるは。儀式帳に謂ゆる美和乃御諾(ノ)宮の御事なり。記の大御歌美母呂爾。都久夜多麻加伎《ツクヤタマガキ》。萬葉に三諸著《ミモロツク》は。御室|築《ツク》にて。神の御座として。御垣を結(ヒ)廻らし仕奉る由なり。偖其御室と云事の起はしも。出雲風土記大原郡御室山云々。神須佐乃乎命。御室(ヲ)令(メ)v造給(テ)所v宿。故云2御室1と有が如くして。本|臥房《ヨトノ》の稱なり。和名抄に。室白虎通云。黄帝昨v室以避2寒暑1。和名無呂と有も。其天下に臨む正寢には非ずして。此も寢室《ヨトノ》を云と聞ゆ。綏靖紀なる。片丘(ノ)大|※[穴/音]《ムロ》。天武紀なる御窟殿《ミムロトノ》前。また御窟院《ミムロノマチ》と有なり。共(633)に内々の方なる。臥房の事と所見たり。彼新室稚室などの室も。其寢臥る料に作る義なるべきは。本よりにて。上件神社の御事を。御諸と申も。其齋祠る神靈の。人にて云はゞ。臥房などのさまにて。内々の御住處と成し玉ふ謂にて。其事異なりと雖。其趣同じかるべし。と云れたり。【さて又御室を神社と云にも。次第のある事を。辨へられたる説に。一には彼賢木を刺(シ)立て。直に神の御室と爲る者有り。二には神木を直に御室と云なり。三には垂仁紀に。熊神籬とある是なり。四には萬葉に五十串《イグシ》立。神酒座奉と有る。五十串も。右の神籬の例なめり。五には。此に即營2宮彼處1とあるを。鎭坐次第に。營2御室於大倭國磯城縣青垣山1云々。號曰2御室山1。と有即これなり。六には神垣を以て。直に御室と云なり。とて委く云れたり。今は其要をのみ取れり。】さて又此社の事に就て云れたるは。鎭坐次第に。當社古來無2寶倉《ホクラ》1。唯有2三箇(ノ)鳥居《トリヰ》1而已。奥津磐坐《オキツイハクラ》大物主命。中津磐坐《ナカツイハクラ》大己貴命。邊津《ヘツ》磐坐少彦名命。とあるが如く。上古より以降。唯右の磐坐有のみにして。寶倉の設(ケ)非りけり。其下文の神託に。今少彦名命來2臨吾|邊津磐坐《ヘツイハクラニ》1云々とありて。其磐坐即|磐境《イハクラ》の事にして。神の御座所なるものなり。同書に。腋上池心《ワキノカミノイケゴヽロノ》宮御宇天皇御世。神明《カミ》憑《カヽリテ》2吉足《ヨシタリ》日(ノ)命1曰。吾(ハ)國造《クニツクリ》大己貴命也。云々令d造2瑞籬1奉uv齋。隨2神託(ニ)1立2瑞籬(ヲ)於大三輪山(ニ)1。令v崇2齋大己貴命大物主命(ヲ)1。と有る。命d造2隨籬1奉uv齋焉は。上古御鎭坐の初を云ひ。次に隨2神託1。立2瑞籬於大三輪山(ニ)1と云は。其孝昭天皇の大御世なるが。共に瑞籬と有て神殿と云ざるは。其瑞籬を以て。御室と爲させ玉へるなりけり。故美母呂爾。都久夜多麻加伎。と詠るは。神の御室に。玉垣を築くと云事にて。其瑞籬を立るを云なり。神樂榊(ノ)歌に。神垣の御室の山のと有も。御諸山は。神垣を以て。神殿と爲る意味と所見たり。然れば右は有2三箇(ノ)鳥居1而已。とある鳥居は。其神垣に著たる者にて。上古に瑞籬と云は。此御垣を云と所見たり。但御垣は。御殿(634)有る其外を圍む物也ければ。御室とは云べからざる如く。一應は思ふ事なれども。御室は神靈の其中に隱り御座《オハシマス》に云れば。其形に拘るべきには非ず。他社にては。神殿の設(ケ)有(ル)を。此には瑞籬を以て。寶倉《ホクラ》と爲させ玉ふ所以に。本著《モトヅキ》て考ざれば。得知られざる事なるを思ふべし。然して此築廻らせる瑞籬は。即御室にて謂ゆる神籬の御事なり。又右の盤坐は即磐境にて。神の御坐也けるが。奥義抄に。祭(ノ)日三筒の茅輪《チノワ》を岩(ノ)上に置て祭ると云れば。此は上代に茅《チ》又|下菅《シヅスゲ》を敷て。御座を装ふ例を以見るに。此社は神殿をば搆られずして。彼天津神籬。天津磐境を起立て。祭らせ玉ひ來る。御事になん有ける。【但崇神天皇八年に。以2大田々根子1。令v祭2大神1云々。即開2神(ノ)宮門《ミカド》1而幸行と有て。此に三輪の殿戸を詠み。又記の同段從v糸尋行者。至2美和山1而留2神社1と有て。古記の趣は然なるに。猶紀略に。一條天皇長保二年七月十三日。奉2幣二十一社1。依2大|神《ミワ》社寶殿鳴1也。有2辭別1と見えて。神社の御座しける由なるに。右の大三輪神鎭座次第の奥に。嘉禄丙戍之歳。仲冬十九日とありて。撰者の名を書さゞるを。又貞和二年十二月朔日。出雲掾大三輪君判。と云奥書ありて。其文に。此書有2他家採納家1。然後北畠大納言殿。今出河宰相殿。參詣之時。此書を御覽有て。被v仰て云ふ云々。若大三輪氏博學之人。所v爲歟云々。と見えたり。嘉禄は後堀川天皇の大御世にして。丙戍は其二年に當れば。其貞和よりは凡百三十年も以前に。書せるなりけり。其長保よりは。僅に二百二十年程の隔なるに。當社古來無2寶倉1。唯有2三箇鳥居1而已。と有て。然計の傳を失ふ間ならざれば。其寶殿鳴動と云は。今云ふ幣帛を以て。祭祀の場と爲る事なれば。其を云にやあらむ。且上古に神社と云しは。其瑞籬を云ふ事。右に注る如くなれば。宮殿の事を云には心得有べく思ゆ。】と云れしは。いと委しき考どもなり。○使就而居。就は私記に。由岐弖《ユキテ》と有り。四神出生章|就《ユキテ》候之。神武紀不2就《ユキテ》而都1v之乎。などある其例なり。使v居は件の幸魂奇魂の神を。出雲より出立《イデタヽ》し遣《ヤリ》て。三諸山に處を得させ玉へるなり。○大三輪之神也。鎭坐次第に。即營2御室(ヲ)於大倭(ノ)磯城(ノ)縣(ノ)青垣山(ニ)1使2就(テ)居1。故號曰2御室山1。此大三輪大物主神也。式に。大和國城上郡大神大物主神社【名神大月次相嘗新嘗】とあり。史に嘉祥三年十月。正三位より次々進みて。貞觀元年二月正一位と見えたり。古くは大物主神一坐なりしを。後に大己貴少彦名神(635)を配せ祭りて。三坐と爲たりし事。鎭坐次第に見えて。上に出せり。【さて大國主命の和魂の。此社に鎭坐る由縁は。右の如くなるに。出雲國造神賀詞に。天下の現事をば皇孫命に事避り奉り玉ふ時に。皇孫命の近(キ)守神にとて。己命の和魂を大御和に坐奉り玉へりとあるは。傳の異なるに似たれど。然には非ず。此は本居翁の説に。天下に國はしも多なるに。今かく倭國にしも。齋祀れと詔玉ふは。後遂に皇孫命御世々々の。近守神と成坐むの御心なりしこと著明ければ。かの神賀詞には。其所を云るものなり。と云れたり。】かくて三輪といふ名義は。記に崇神段に。大物主神|活玉依《イクタマヨリ》毘賣に。感給ひて。夕毎に供住《スミ》給ふ時。其父母其女に誨へて。閇蘇紡麻《ヘソヲ》を針に貫て。神夫《カミヲトコ》の衣(ノ)襴に刺しぬき。さて且時《アシタニ》見しかば。針著(キ)たりし麻は。戸の鈎穴《カギアナ》より引通り出て。唯遺れる麻は。三勾のみなりき。こゝに鈎穴より出しさまをしりて○糸の隨々尋しかば。美和山に至りて。神社に留まりき。枚其麻の三勾殘れるによりて。其地を美和と云とあり。然るにまた神酒《ミキ》の義を以て説へき一義あり。重胤云。抑神酒と云言はしも。崇神天皇八年以2高橋(ノ)邑人|活日《イクヒ》1。爲2大神《オホミワ》之|掌酒《サカヒト》1。冬十二月乙卯。天皇以2大田々根子1。令v祭2大神(ヲ)1。是日活日自擧2神酒《ミキ》1。献2天皇1。仍歌之曰。許能瀰枳波《コノミキハ》。和餓瀰枳那羅孺《ワガミキナラズ》。揶磨等那殊《ヤマトナス》。於朋望能農之能《オホモノヌシノ》。介瀰之瀰枳《カミシミキ》。伊句臂佐《イクヒサ》。伊句臂佐《イクヒサ》。如此歌之宴2于神宮(ニ)1。即宴竟之諸大夫等歌之曰。。阿佐妬珥毛《アサトニモ》。伊弟※[氏/一]由介那《イデヽユカナ》。瀰知能等能渡塢《ミワノトノトヲ》。於茲天皇歌之曰。宇麻佐階瀰和能等能々《ウマサケミワノトノノ》。云々とある。他意を説て。其義を得べきものなり。右の歌に。此|神酒《ミキ》は我みさならずは。神功皇居|壽觴《サカホガヒ》の大御歌にもあり。上古に其神の。此《コヽ》に神酒を釀し玉へりし。故事の有を立て。今仕奉る神酒も。我が釀《カミ》成す所と雖。實には其大神の助(ケ)令v成(サ)玉へる物ぞと。壽(キ)稱へ申せるなりけり。其神功皇后の大御歌。記なると少異なる所有と雖。是も其神酒を。少彦名神の御上に。託たる(636)者にして。其意味相等しきは。大己貴神。大物主神。少彦名神。共々に各酒を釀し始させ玉へる。神等に御座ばなり。【如此く。今成し行ふ事を。其事を始物し玉へる神に係て。我功と成ざるは。我上古の風なり。】故右の歌等に詠る味《ウマ》酒は。謂ゆる發語なる者なり。萬葉に味酒三室《ウマサケミムロノ》山云々とあるも。三輪山と續けたるに同じ。味酒乎|神名火《カミナビ》山之と有は。味飯乎水爾釀成《ウマイヒヲミヅニカミナシ》と有に同く。味酒を釀《カ》む事を。神名火山に係たりし者なり。又通證に三代實録曰。木蒐宿禰之後。賜2味酒(ノ)臣(ト)1。儒宗傳曰。巨勢文雄之父祖。爲2祭酒(ノ)正(ト)1事(フ)2三輪神(ニ)1。故以2味酒1爲v氏。とも所見たり。古の神酒を美和とも。美伎とも訓るに。舒明紀に神酒《ミワ》。和名抄祭祀具|神酒《ミワ》【和語云美和。】と見えたり。同じ神酒の字を。然二に訓る。美伎は御酒にて。其物を云ひ。美和は御※[瓦+長]にて。其器を云が。即其物名にも通はし云事なめり。水を美母比《ミモヒ》と云る。母比は碗《モヒ》にて。本器物の稱なるを。御水《ミモヒ》又|主水《モヒトリ》など書て。水(ノ)名と爲(ル)に等しかるべし。美和の和は※[瓦+長]《ミワ》また大鍋《トナワ》などの器の惣名【冠字考祝詞考神賀詞後釋等の説】にて。和は輪をも丸《ワ》をも訓む事なれば。※[瓦+長]鍋などの。底ある物にも。必通はして云べき理なるものなり。然らば御※[瓦+長]《ミワ》と心得べし。【神賀詞に天能|※[瓦+長]和《ミワ》とあるは。別意あるべくおぼゆ。】と云れたるは。酒を美和と云言義なるが。【なほ轉じては。伊和とも於和とも云ひ。又宇和とも云しよしなど。委く云れたり】此の三輪も。大神の御酒を釀り給へりし。古事に起れる名なるべし。【綜麻の三勾と云説は。記の傳なれど。あまりに浮たることにて。かつ疑はしきよしもありと。重胤の辯もあれど。今はぶけり。】
 
此神之|子《ミコハ》。即|甘茂《カモノ》君|等《ラ》。大三輪(ノ)君等。又|姫蹈鞴五十鈴《ヒメタヽライスヾ》姫(ノ)命《ミコトナリ》
 
(637)此は上に擧たる文の終より。此神之子即云々と續く事なれども。甚く言足はざる心ちす。此神之子の下に。某神と云有て。即甘茂君云々と續く時は。此まゝにても通えざるにはあらず。さて其神は。崇神紀に。大田々根子(ノ)父大物主(ノ)大神。母|活玉依《イクタマヨリ》媛云々。又大田々根子。今三輪君等之始祖也。とあれば。其をこゝにも云るなるべし。されど大田々根子は。まことには大物主大神七世の孫に當れること。次に辯へ云が如くなれば。なほいかゞなる記しざまなり。これ通證に。子猶v云2子孫1。とあるは。甚しき非説なり。○此神之子。本に之を無に誤る。今纂疏又其餘の本どもに據て改む。さて此神之子とは。大物主神の直の御子と申すなり。次に姫蹈鞴五十鈴姫《ヒメタヽライスヾヒメノ》命も。實の御子に坐ばなり。偖其御子と申すは。實は櫛日方《クシヒカタノ》命とも。櫛|御方《ミカタノ》命とも申して。橿原宮朝に申食國政大夫《ヲスクニノマツリゴトマヲスマヘツギミ》となり玉ひし人なり。其より七世孫。大田々根子命。即此に擧たる二氏の祖なり。其大田々根子命の出自は。まづ崇神紀には。大田々根子(ノ)父(ハ)大物主大神。母(ハ)活玉依媛。【亦云。奇日方天日方武茅渟祇《クシヒカタアメヒカタタケチヌツミノ》女。】とあり。古事記には。大物主大神。娶2陶耳《スヱツミヽノ》命之女。活玉依比賣1。生子名(ハ)櫛御方《クシミカタノ》命之子。飯肩巣見《イヒカタスミノ》命之子。建甕槌《タケミカヅチノ》命之子。意富多々根古《オホタヽネコ》とあり。此櫛御方命と。右の奇日方天日方とは。同じ人にあらず。【奇日方天日方命は。事代主命の御子なり。】姓氏録石邊公下に。大物主命(ノ)男|久斯比賀多《クシヒカタノ》命と見え。又|狛人野《コマヒトヌノ》の下に。大物主命(ノ)兒。櫛日方命と有り。大三輪鎭坐次第には。大物主神活玉依姫に合て。生兒櫛日方命。畝傍(ノ)橿原宮御宇天皇。殊爲2申食國政大夫(ト)1。是賀茂大三輪君等遠祖也。とあり。さて其(ノ)奇日方天日方命をば。地神本紀に。事代主神化2爲八尋|熊鰐《クマワニニ》1。通2三島(ノ)溝(638)杭《ミゾクヒノ》女|活玉依姫《イクタマヨリヒメニ》1生兒。とあり。此は御母の御名たがへり。玉櫛媛《タマクシヒメ》とあるべきなり。鎭座次第も同じ傳にて。三島溝※[木+漱の旁]耳(ノ)小女《オトムスメ》玉櫛媛に合て。生2天日方《アメヒカタノ》命1【賀茂主命父。】とあり。又地神本紀に。事代主命(ノ)子天日方奇日方(ノ)命。亦名(ハ)阿田都久志尼《アタツクシネノ》命。とあり。これを大物主命の御兒の。櫛御方《クシミカタノ》命と。まがふべからず。偖しか見る時は。姓氏録。【大和】和仁古(ハ)大國主神六世孫。阿太賀田須命之後。又【河内】宗像君(ハ)大國主命六世孫。阿田賀田須命之後也。とあるを。地神本紀に。八世孫阿田賀田須命と有り。此は素戔嗚尊よりの數なれば。大己貴命よりは七世とありて。たがへるが如くなれども。大物主命を。一世の數に入れて數ふれば。姓氏録に。六世とあるに同じ。また鎭坐次第に。大物主命五世孫|武飯片隅《タケヒカタスノ》命。とあるは。前後の神を除きて。中を五世と云るなれば。これも同じ。いづれも世數よく合り。さて甘茂三輪二氏の出自を注するに就ては。其世系を先此に出すべし。地神本紀云く。三世孫天日方奇日方命。【亦名阿田都久志尼命。○武郷云。此御名は櫛日方命の誤なり。天日方奇日方命は。事代主神の御子なればなり】此命娶2日向(ノ)賀牟度美良《カムトミラ》姫1。生2一男1。四世孫|健飯勝《タケヒカツノ》命。此命娶2出雲臣(ノ)女子|沙麻奈《マサナ》姫(ヲ)1。生2一男1。五世(ノ)孫|建甕尻《タケミカシリノ》命【亦名(ハ)建甕槌(ノ)命。亦云健甕|之尾《ノヲ》命。】此命伊勢(ノ)旛主《ハタヌシノ》女|賀具呂《カクロ》姫(ヲ)爲v妻。生2一男1。六世孫|豐御氣主《トヨミケヌシノ》命【亦名健甕依命】此命紀伊(ノ)名草《ナクサ》姫(ヲ)爲v妻。生2一男1。七世孫|大御氣主《オホミケヌシノ》命。此命大倭國(ノ)民磯姫(ヲ)爲v妻。生2二男1。八世(ノ)孫阿田賀田須命【和邇君等祖。】次健飯賀田須命。此命|鴨部《カモベノ》美良姫爲v妻。生2一男1。【阿田賀田須命は。兄に坐せども。和邇宗像兩氏の祖と成て。別に成て。弟に健飯賀田須命なん。甘茂君大三輪君の祖とは。成られたりし者なりける。斯れは。八世正統は健飯賀田須命なるが。鎭坐次第に。大物主命五世孫。武飯片隅命と有は。姓氏録に其兄吾田片隅命を。大國主命六世孫と有に合はず。五は六を誤れる(639)なり】九世孫大田々禰古命。【亦名大直禰古命。】此命出雲(ノ)神門(ノ)臣(ノ)女美氣姫(ヲ)爲v妻。生2一男1。十世孫大御氣持命。此命出雲(ノ)鞍山祇《クラヤマツミ》姫爲v妻。生2三男1。十一世孫大鴨積命。此命磯城瑞籬朝御世。賜2賀茂君姓(ヲ)1。次大友主命。此命同朝御世賜2大神《オホミワノ》君姓1。これ其世系なり。次々に云べし。○甘茂君は。地神本紀に見えたる文右に引り。惻姓氏録に。賀茂朝臣大神朝臣同祖。大國主神之後也。大田々禰古命(ノ)孫。大賀茂都美命。【一名大賀茂足尼。】奉v齋2賀茂神社(ヲ)1とあり。【此に大國主神之後也とあるにて。此世系に。事代主神の關係り賜はぬこと知るべし。】記に意富多々禰古命者。神(ノ)君鴫(ノ)君之祖とあり。鴨は地名にて。大和國葛上郡の鴨に因れり。其大田々禰古命は。九世孫なりければ。十一世孫大賀茂積命は。其孫と書せるよく合へり。奉v齋2賀茂神社1は。鎭坐次第に。葛城(ノ)賀茂(ノ)神社(ハ)八重事代主命也。大己貴命之子。母曰2神楯《カムタテ》媛(ト)1。云々。瑞籬宮御宇天皇御世。大田々根子命孫。大賀茂祇命。承v勅立2社於葛城(ノ)邑賀茂(ノ)地(ニ)1。奉v齋2事代主命1。仍賜2賀茂君氏1。とある是にて。式に謂ゆる大和國葛上郡鴨都波八重事代主命神社三座【並名神大月次相嘗新嘗】とある御社なり。重胤云。瑞籬宮御宇天皇御世云々。承v勅と云は。其七年紀に。定2天社國社。及神地神戸(ヲ)1。とある此時の事なるべし。さるは出雲神賀詞に據るに。大物主神の大三輪に鎭座すと一時に。彼式に所謂葛上郡高鴨阿治須岐託彦根命神社四坐【並名神大月次相嘗新嘗】は。已く鎭り坐しけるにて。紀に此之阿遲※[金+且]高日子根神者。今謂2迦毛(ノ)大御神1者也。と有る本よりの鴨神なるを。又此に事代主神をしも。同じ鴨の地に。令v祀給へるは。神代より以降。此事代主神は。大物主神に屬て。共に大三輪に御坐しけるを。神託などの御事に因て。此地には遷奉らしめ給へるにこそ有けめ。(640)此二座の内今一所は。通證に。神屋楯《カムヤタテ比賣命に。御座べき由云るは。然る事にて。鎭座次第にも。右の如く。葛城(ノ)賀茂(ノ)神社。八重事代主命也。大己貴命之子。母曰2神楯媛1。と書せるを。其大己貴神はしも。大物主神と共に。大三輪に御座すを以思ふに。其御祖神屋楯比賣命と。御子八重事代主命と共に。此に鎭座べからむ事。决き者なりかし。和名抄同郡上鳥下鳥の二郷有り。决く上鳧下鳧郷なるにて。今此社御所村の西角に在て。下鴨社と申す由なるが。神名式に鴨都波と有る鴨字を。志母都加毛《シモツカモ》と訓(ム)を習(ヒ)なるは。右の高鴨社の上《カミ》鴨(ノ)社なる對にて。郷廢れて今は下(ツ)鴨と申す社名のみ遺れりと雖。此を以て。其郷の所在を正に知べくなむ有ける。然らば右の上鳧下鳧は。加美都加毛。志母都加毛とは。古に唱たりけらしと云り。偖此氏。紀には。歴世の中に見えずて。天武紀元年に始て出たる鴨(ノ)君|蝦夷《エミシ》は。壬申の功臣なり。其十三年十一月鴨君賜v姓曰2朝臣1とある。是其功に依て。君姓を改めて。朝臣姓に成されたるなり。【此氏人續紀續後紀に見えたるうち。】續紀神護景雲二年十一月。從五位上賀茂朝臣諸雄。從五位下賀茂朝臣田守。從五位下賀茂朝臣|萱草《ワスレグサ》。賜2姓高賀茂朝臣1。とあるは。高鴨神を土佐より大和に迎奉る由にて。高賀茂朝臣の姓を賜へるなり。【續紀に。天平寶字八年十一月。復2祠《カヘシマツル》高鴨神於大和國葛上郡(ニ)1。高鴨神者云々。賀茂朝臣田守等言。昔大泊瀬天皇獵2于葛城山1。時有2老夫1。毎(ニ)與2天皇1相逐爭v獲(ヲ)。天皇怒之。龍2其人於土左國1云々。於是天皇乃遣2田守1迎v之。令v祠2本處1。とあり。此氏高鴨神をも祠りしなりけり。】偖本の任に。賀茂朝臣なりしもありて。此より二統に分れたり。右件壬申の功に因て。賀茂朝臣の姓を賜ると雖。其一家のみ然有しにて。支流の家々は。猶鴨君なりしにこそ。文武紀以下の史にも見えたり。【なほ此外に。此氏より出たる。伊豫賀茂朝臣。賀茂役君。鴨部祝。鴨部等。世々の史に見え。又後に慶滋氏と稱するもあり。處せければ今いはず。】(641)○大三輪君は。和名抄大和國城上郡郷名大神|於保無和《オホムハ》。【美を無と云るは音便なり。】式にも大神とあり。此氏は。崇神紀に。七年十二月。天皇以2大田々根子掌1令v祭2大神《オホミワ》1。【中略】所謂大田々根子(ハ)今三輪君等之始祖也。とあり。記にも意富多々泥古神者。神(ノ)君鴨(ノ)君之祖とあり。姓氏録大和神別。大神朝臣(ハ)素佐能雄神六世孫。大國主神之後也。又攝津|神人《ミワノヒト》。大國主神五世孫。大田々根子神之後也。又神(ノ)直同上とあり。但其世數の事は。上に委しく辨へたる如く。大國主神より。大田々根子神に至るまで。其實は七世なり。鎭坐次第に。大田々根子神。【中略】勅爲2神主1。賜2大三輪(ノ)君(ノ)氏(ヲ)1。其子孫永任2其職1。と見えたれば。其子大|御氣持《ミケモチノ》神も。其職に仕奉れりけん事。云も更なり。此神の子三人有る中に。兄大|鴨積《カモツミ》神は。賀茂氏祖なり。弟|田々彦《タヽヒコノ》神は。神部(ノ)直。大神部直の姓を賜はる。其中なる大|友主《トモヌシノ》神ぞ。大御氣持神に繼て。其職には仕奉られける。地神本紀に。大友主神。磯城(ノ)瑞籬朝御世。賜2大神(ノ)君(ノ)姓1。とある是なり。若て右の鎭坐次第に。大直禰《オホタヽネコノ》神社大田々根子神也。大物主神五世【櫛日方命。武飯勝命。武甕尾命。武甕依命。武御氣立命】孫。武飯片隅神之子。母(ハ)美良《ミラ》媛。土左(ノ)賀茂部(ノ)臣之女也。磯城瑞籬宮御宇天皇。七年十二月勅爲2神主1。賜2大三輪君氏1。其子孫永仕2其職(ニ)1。志賀高穴穗宮御宇天皇御世。大三輪君大友主神。依2靈夢1立v社奉v齋之。【俗云2若宮1】と有は。成務天皇御世の事なり。また春日|三枝《サイグサノ》神社。媛蹈鞴五十鈴媛命也。小墾田《ヲハリタノ》宮御宇天皇御世。大三輪君|白堤《シラツヽミ》承v勅。立2社(ヲ)於春日(ノ)邑。率川《イサカハ》坂岡《サカヲカ》兩所(ニ)1。奉v齋2媛蹈鞴五十鈴媛命。大物主命(ヲ)1也。平城宮御宇天皇御世。益2造兩社之相殿1。爲2三座1。又始行2三枝《サイグサ》祭(ヲ)1。是大三輪氏(ノ)長奉仕之。と有る。此事大倭(642)神社注進状にも見えたり。重胤云。此氏天武紀に至りて。其統脈三流有る事見えたり。一には大三輪君なり。其元年六月に。乃令3吹負《フケヒ》拜2將軍1。是時三輪君|高市麻呂《タケチマロ》云々。群(ノ)豪傑者如v響。悉會2將軍(ノ)麾下(ニ)1云々。其十三年十一月。大三輪君賜v姓曰2朝臣1とあり。是此氏の正流なり。【武郷云。元明紀に。大神朝臣忍人爲1氏上1。と云事も見えたり】二には其天皇元年に。伊勢國(ノ)介三輪(ノ)君|子首《コヒト》及云々。此人後に謚(シテ)曰2大三輪(ノ)眞上田迎《マカムタノムカヘノ》君(ト)1。と有て。是迄は三輪君なりしを。大字を加(ヘ)給ひ。眞上田(ノ)君の姓を賜へりしなり。【武郷云。清和紀に眞神田朝臣全雄賜2大神朝臣1と云事も見えたり。】三には。同紀十三年に。三輪(ノ)引田《ヒケタノ》君難波麻呂。爲2大使1。遣2高麗(ニ)1とあり。記(ノ)朝倉宮段に出たる。引田部(ノ)赤猪子《アカヰコ》は。其族なる由にて。記傳に其よしを詳に云れたり。【武郷云。大神引田朝臣清和紀に見えたり。】此大神朝臣の支別にして。已く別れたりし者なり。【武郷云。此より前にも。孝徳紀大化元年に三輪栗隈君あり。單に三輪君とも云り。此後には。神部直。大神大網造。大神掃石朝臣。大神※[木+若]田朝臣等の姓も。續紀以下の史。東大寺文書等に多く見えたり。これ此族なり。】さて又天平十九年四月。大神(ノ)神主《カムヌシ》從六位上大神朝臣伊可保。授2從五位下1と有て。此に神主の號始て出たり。此を以考るに。古へは大神朝臣の祖先より。大神(ノ)大物主神社の神主を職として。朝廷にも仕奉れりけむを。此頃に至りては。其氏宗の人は。朝政を主として。仕奉れりけむから。公事に暇無りし故に。其氏族の中より。別に神主と有べき人を擢て。仕奉らしめ玉へる者と見えたり。と云れたるは然るべし。【なほ此氏の支別に。伊和《イワノ》君|神人《ミワノヒト》等。あるを始として。諸國に在ゆる大神氏の事とも。委しけれど。今は其要のみ出せり】又大日本史氏族志に。大神氏之胤。世掌2三輪神社之祀1。※[しんにょう+台]2後世1。其統易爲2山城鴨縣主之系1。【鴨縣主系圖】而其本族仕2于朝1者世爲2伶官1。【大神系圖】其爲2武人1者。有2日向臼杵氏豐後緒方氏1最著。其後爲2佐伯氏藤林氏1。などあり。○姫蹈鞴五十鈴姫命(643)は。次の又曰には。事代主神の御子と爲し。神武紀綏靖紀にもしか記せり。【安寧紀。又地神本紀にも同じ。】然るをこゝに。大三輪之神の御子と有り。記にも是謂2神《ミワノ》御子1と書して。美和之大物主神の御子なる由にて。此に又曰り有る傳と。相乖けるに就て。今此を訂し見るに。鎭坐次第に。復三島(ノ)溝※[木+厥]耳《ミゾクヒミヽノ》大女|蹈鞴《タヽラ》媛爲2夫人1。或時媛爲2大便1之節。大物主神化2丹塗矢《ニヌリヤニ》1突2陰元《ホトヲ》1。爾媛驚(キテ)乃將2來其矢1。置2於床|邊《ヘニ》1。忽化2爲|美麗壯夫《ウルハシキヲトコ》1乃|於《ニ》2奇御戸《クミト》1爲《シ》v起《タヽ》而。生女名曰2媛蹈鞴五十鈴媛命(ト)1。於是天孫神日本磐余彦天皇云々。納v宮爲2皇后1と書して。また八重事代主命也。大己貴命之子。母曰2神楯《カムタテ》媛(ト)1。化2爲八尋熊鰐(ニ)1。通2三島溝※[木+厥]耳(ノ)小女玉櫛媛(ニ)1。生2一男一女1是(レ)天日方《アメヒカタノ》命。【賀茂主(ノ)命父】五十鈴依媛命(ナリ)。【葛城高丘宮御宇天皇(ノ)皇后。即磯城津彦天皇(ノ)母】と所見たる如く。條理分別るゝ時は。其|混《マガ》ふ方無くして。甚明らかに聞ゆめり。然して其を約め云時は。三島溝※[木+厥]耳命に。大女小女二柱御座しける中に。大女を蹈鞴媛と申す。即記に謂ゆる勢夜陀多良比賣《セヤダヽラヒメ》の御事是なり。大三輪大物主神の御妻と成て。生坐る御子。即姫蹈鞴五十鈴姫命にて渡らせ玉ひ。其少女玉櫛媛命は。事代主神の后と成て。其生坐る御子。五十鈴依姫命に坐り。なほ重胤が此事を慥かに證して。式に大和國城上郡。狹井《サヰニ》座|大神荒魂《オホミワノアラミタマノ》神社五坐の御事を。大倭神社注進状に。別社|狹井《サヰ》神社。傳聞狹井(ノ)神者。大己貴命之荒魂大國魂神。即當社(ノ)別社也。相殿神四坐。大物主神。姫蹈鞴五十鈴命。勢夜多良比賣。事代主神。とありて。下に神名帳曰。大和國添上郡率川(ニ)坐大神御子神社三座と書して。右の大物主神。姫蹈鞴五十鈴命。勢夜多良比賣の三神を。率川神と爲るに。其大神(ノ)御子神と申すは。右の姫蹈(644)鞴五十鈴命を主として。祀れる由の社號なり。然して其事代主神は。三枝御子《サイクサミコノ》社一座とある。是にて。其三座の外なり。注進状率川神社の別社に。三枝御子(ノ)社九座。傳聞狹井神之子事代主神。神名帳曰。大和國添上郡率川阿波神社一座。云々。即當社焉。と有て。此(レ)大神(ノ)御子神社。阿波神社の二社を。狹井神五坐と。合せ祀れる者なり。右の如く悉く條理明らかなる上は。姫蹈鞴五十鈴姫命は。實に大物主郎の御子に御座しますこと。更に疑なくなむ有ければ。此に大三輪之神の御子と有なむ。記と共に。甚々正しき古説と聞えたる。と云れたる然る説なり。さて此神の生出させ御座ける事件は。紀白檮原宮段に。然更求d爲2大后1之美人u時。大久米命(ノ)曰。此間有2媛女《ヲトメ》1。是謂2神《ミワノ》御子(ト)1。其所3以謂2神(ノ)御子1者。三島(ノ)湟昨《ミゾクヒ》之女。名勢夜陀多良比賣。其容姿麗美。故(レ)美和之大物主神|見感《ミメデ》而。其美人(ノ)爲2大便1之時。化2丹塗矢《ニヌリヤニ》1。自2其爲大便之|溝流《ミゾノ》下1。突2其|美人《ヲトメ》之富登(ヲ)1。爾其美人驚而。立走伊須々岐伎《タチハシリイスヽキキ》。乃將2來其矢(ヲ)1。置2於床(ノ)邊(ニ)1。忽成2麗(キ)壯夫(ニ)1。即娶2其美人(ニ)1生子。名謂2富登多々良伊須々岐比賣《ホトタヽライスヽキヒメノ》命1。亦名謂2比賣多々良伊須氣余理比賣《ヒメタヽライスケヨリヒメト》1。【是者惡2其富登(ト)云事(ヲ)1。後(ニ)改名者也。】故是以謂2神《ミワノ》御子(ト)1也。【中略】於是其伊須氣余理比賣命之家。在(リ)2狹井河之《サヰカハノ》上(ニ)1。天皇幸2行其(ノ)伊須氣余埋此賣之許(ニ)1。一宿御宿坐《ヒトヨミネマス》也。とある是なり。三島湟昨の事は下に云べし。勢夜陀多良比賣は。注進状に引るには勢夜多良《セヤタラ》比賣と有て。陀(ノ)字なし。多良を多々良の如く訓なるにこそ。鎭坐次第には。三島溝※[木+厥]耳(ノ)大女蹈鞴《エムスメタヽラ》媛とあり。重胤云。名義。此の事實に合せて説べし。勢夜《セヤ》は進矢《スヽヤ新と云事にて。和名抄に征箭和名|曾夜《ソヤ》と有る。曾の征の字音より。轉(リ)たるならむかと思ひし(645)かとも。猶其も進《スヽ》矢の義なるなりけり。【武郷云。曾夜は素矢にて。羽々矢眞鹿兒矢などに對へて。尋常の欠を云なるべし。素も字音にはあらず。】陀多良は。其丹塗矢の立《タ》つ事にて。謂ゆる突2其美人之富登(ヲ)1と云ひ。其生奉れる御子の御名を。富登多々良伊須々岐《ホトタヽライスヽキ》比倍命。と申せる是なり。多々良の多知《タチ》なる事は。萬葉に。陸奥之吾由多良眞弓《ミチノクノアダタラマユミ》とあるを。古今集梁塵抄體源抄共に。安太知乃萬由美《アダチノマユミ》とあり。即其安太多良は。和名抄郡名に。安達【安多知】と在る是なり。然る時は勢夜陀多良比賣と申すは。此に大物主神の丹塗矢に化て。娶給ひし。其所以に由れる御名なり。記傳に。勢夜は地名なるべし。聖徳太子傳暦に。勢夜(ノ)里と見えて。今大和國平群郡に。勢野村あり。是なるべし。と云れたれど。此程の神名に。地名を以て負する事なかりければ。此姫の住玉ひし地名となりけむから。右の如く勢夜里と云名は。有るべくぞ所思えたる。と云り。五十鈴は。右の文に伊須々岐伎《イススキキ》とある是なり。記傳に。即驚て立(チ)走《ハシ》るさまなり。大殿祭詞に夜女能伊須々伎《ヨメノイススキ》。伊豆都志伎事無久《イツツシキコトナク》とあるも。衣|睡《ネブ》れるほどに。物に壓《オソ》はれなどして。心さはぎ驚くを云て。同意なり。又同詞に。取葺計魯草乃噪伎《トリフケルカタノソヽキ》【古語云蘇々岐】無久《ナク》とある。蘇々岐《ソヽキ》は。亂れそゝくるを云て。此も事は異なれども。意は通へり。又萬葉十六に古部狹々寸爲我哉《イニシヘノサヽキシワレヤ》とあるも。少年のすゞろきさわくを云り。右の例ども以思ふに。伊は略ても云言なるべし。伎は語辭なり。と云れたるにて。其義を曉るべし。さて記に富登多々良とあるは。陰元立《ホトタヽラ》の義。比賣多々良は。細書に惡2其富登(ト)云(フ)事(ヲ)1。後(ニ)改v名者也。と注されたるが如し。伊須氣余理比賣は。伊須々岐の言を換たるにて。其意を別に稱奉ると聞ゆ。但注進状に。記を引るには。(646)比賣多々良伊須々余理比賣と書し。次に出たるにも。伊須々余理此賣と有て。伊須氣《イスケ》を伊須々《イスヽ》と換たれども。其は事代主神の御女なる。五十鈴依姫《イスヾヨリヒメヽ》命の。御名と混れて。一に成れる者なり。若て此に姫蹈鞴五十鈴姫命と有は。五十鈴《イスヽ》は。伊須々岐《イスヽキ》の岐を略きて申せるなり。【其五十鈴依姫命の御名の。五十鈴には。別義あるべし。綏靖紀に云。】
 
又曰(ク)。事代主神|化2爲《ナリテ》八尋熊鰐《ヤヒロクマワニヽ》1。通《カヨヒタマフ》2三島溝※[木+織の旁]姫《ミシマノミゾクヒヒメニ》1。或(ハ)云2玉《タマ》櫛媛(ト)1。而《シカシテ》生(ム)2兒《ミコ》姫蹈鞴五十鈴姫(ノ)命(ヲ)1。是(ヲ)爲(ス)2神日本磐余彦火々出見《カムヤマトイハレヒコホヽデミノ》天皇之后(ト)1也。
 
又曰は。山陰云。一云とあるべき例なり。上の説と異なればなり。抑此姫命を。大三輪の子といふは。神武卷と齟齬《タガ》へれども。こゝは一書なれば妨なし。又事代主神の子といふ事は。神武卷に出たれば。こゝは同じ事の重なれるが如くなれども。化2爲八尋熊鰐1の事。かしこには見えず。又溝※[木+織の旁]姫といふ名も異なれば。【武郷云。彼卷には。玉櫛姫とせり。】こゝには其異説を擧られたるなり。と云り。さて上にも云る如く。此姫命。御父は大物主神。御母は蹈鞴媛におはしまして。即三島(ノ)溝※[木+厥]耳神の大女なり。しかるを如何にしてか。其事混れて。其大女小女共に。事代主神に娶れ奉れる傳とはなれる者なり。然ればこゝに事代主神の。小女玉櫛媛をして。令v生給へるは。五十鈴依姫命に坐るなり。さて大物主神の御女姫蹈鞴五十鈴姫姫命は。神武天皇の皇后と成て。綏靖天皇を生奉らせ玉ひ。事代主神の御女五十鈴依姫命は。綏靖天皇の皇后と成て。安寧天皇を生奉玉ひ。鴨主《カモヌシノ》命の女|渟名底仲《ヌナソコナカツ》媛命は。安寧天皇の皇后と納《ナリ》坐て。懿徳天皇を生奉らせ玉へるなり。天照大神と。素戔嗚尊と。二柱の神の御末の一に成て。天下を持たせ給ひ。又其顯露事幽事の御上に取ても。止事なき所由の御座す。御幽契のある事なるべし。○事代主神。此紀には此神の生坐る御事を載られず。記また地神本紀に載たり。まづ記云。大國主神娶d坐2胸形《ムナカタノ》奥津宮1神|多紀理毘賣《タキリヒメノ》命(ニ)u。生子|阿遲※[金+且]高日子根《アヂスキタカヒコネノ》神。次妹高比賣命。亦名|下光《シタテル》此賣命云々。亦娶2神屋楯《カムヤタテ》比賣命(ニ)1。生子事代主神。と有り。然るに地神本紀には。大己貴神先娶d坐2宗像奥津宮(ニ)1神|田心姫《タコリヒメ》命(ニ)u。生2一男一女1。兒味耜高彦根神。妹下照姫命。次娶d坐2邊都宮(ニ)1高津姫《タカツヒメノ》神u。生2一男一女1。兒|都味齒八重《ツミハヤヘ》事代主神。次|高照光《タカテル》姫大神(ノ)命。とあり。【此にては。奥津宮神。邊都宮神を。共に娶らせ玉へる趣なり。されど此三女神を合せ奉りて。記に所謂嫡后須勢理毘賣命是なり。然れば右の如く。各娶らせ給へる趣なれども。其實は三神の御身を合せて。一柱にて。大國主神に合奉給へるなり。】さて事代主神。紀に八重言代主神と見え。【鎭坐次第同】姓氏録に天之八重事代主神【長柄首條】と見え。地神本紀に。都味齒八重事代主神に作り。神名式には。都波《ツハ》八重事代主命【一本都味波】とあり。偖事代主と名を負坐る義は。平田翁云。代は岡部翁の神賀詞の解に。神の禮自利は。他の祝詞に。禮代とあると同じことにて。利は留志にて。禮の志留志と云ことなり。【紀に物實を。望能志呂と訓る。即是におなじ。】と言れつる意にて。事代は言の信《シルシ》なり。【事と雎るは借字なり。さて音信また信物など云。借字即て志留志の義なり。】其は天孫降臨章に。此神の天神の命を。違奉らじと言《ノタマヘ》る。言の信に。其船を蹈傾けて。青柴垣に隱り坐(セ)ればなり。と云るを。重胤云。事代主神と申奉るは。御父大國主神の和魂大物主(ノ)神を。委しくは大物代主《オホモノシロヌシノ》神とも。物代《モノシロ》主(ノ)神とも稱奉る。(648)雄略紀に。三諸岳(ノ)神の御事を。或云此山之神爲2大物代主神1。神名式播磨國宍粟郡。大倭物代主(ノ)神社などあり。】に對へて申す御名にて。事と云は物の對にて。其物と云は體なり。事と云は其用を云事にて。和漢共に。古今に亘り。然る事誰しも能知れるが如し。代主《シロヌシ》は知主《シリヌシ》にて。此二柱神の相持別て。物を知と。事を知との御行事に因て。御名に稱奉れる者なり。故天孫降臨章一書に。是時歸順之|主渠《ツカサ》者。大物主及事代主神。乃合2八十萬神於天(ノ)高市《タケチニ》1帥以昇v天云々。高皇産靈尊勅2大物主神1。【中略】宜d領2八十萬神1。永爲2皇孫1奉護u。乃使2還降1之。と有を。纂疎に。八十萬神皆統2屬於大物主之神1也。と注る如くにて。物を知と云義。此に在る事なり。若て記に。大國主神の國避《クニサリ》の以前に。僕者不2得白1。我子八重言代主(ノ)神是可v白。と申玉へるは。即事を知らせ御座す謂(レ)。此に在り。又次に僕者於2百不v足八十※[土+〓]手《クマデ》1隱而侍(ラハム)。亦僕子等百八十神者。即八重事代主神。爲2神之|御尾前《ミヲサキト》1而。仕奉者。違(フ)神者非(シ)也。と白給へるも。其事を執持しめ給へるにて。事代主神と云(フ)所以を。述させ給へるなり。【此御事の結びとも申すべきは。天武天皇元年に。見えた文にて知らる。今略けり。】其率させ給へる百八十神は。御父大神に屬奉る御事なりければ。大物主神の所知看させ玉ふ御事は申も更なり。然れども。其百八十神を進退し玉ふ御事は。事代主神の御職に御座なり。と云れたる方然るべし。偖其御名の八重と申し。また積羽《ツミハ》と申す事のよしは。天孫降臨章に云ふべし。○化爲八尋熊鰐。重胤云。此に事代主神。化2爲八尋熊鰐1。通2三鳥溝※[木+織の旁]姫(ニ)1。と有に合せて。出雲風土記に。仁多郡|戀《シタヒ》山。郡家正南二十三里。古老傳云。和爾戀2阿伊村坐神|玉日女《タマヒメノ》命(ヲ)1而上到。爾時玉日女命。以v石塞v川。不v得2會所1v戀。故云2戀《シタヒ》山1。と有る和爾。其(649)事代主命の化給へる事を。傳漏せるにや。阿伊村は。風土記より。後に郷名と成て。和名抄に阿位(ノ)郷有る是なり。若て攝津國島(ノ)下(ノ)郡安威【阿井】郷有に合ひ。神玉日女命と。玉櫛姫と。言相近きを思ふに。右は全く此の故事なる状なり。然れば此は出雲國にての。御事と爲べきにや。若て以v石塞v川と云は。神玉日女命は。當昔阿伊川に住せ御座ける※[靈の巫が龍]《オカミノ》神なりし故に。事代主神八尋熊鰐と化て。水の任に泝らせ御座けんを。石を以て塞《サヘ》られ給ひし故に。其御心を得果させ座ざりしを。後に三島に至りて。終に其妹※[女+夫]の御語らひは成し故に。地名を負して。三島(ノ)溝※[木+織の旁]姫とは申すなるべし。偖女神の正身はしも。※[靈の巫が龍]にて渡らせ給へるを。娶らせ玉ふ爲に。殊更に如此く御姿を變させ給へる事と所見たり。海宮遊行章一書に。豐玉姫神の御事を。化2爲八尋大熊鰐(ニ)1。匍匐逶蛇《ハヒモコヨフ》。また一書に。化2爲八尋大鰐1と見え。記にも化2八尋和邇1而匍匐逶蛇。と有に。其正書には化爲v龍と有り。此を以て。※[靈の巫が龍]と鰐とは。同種の物にて。龍の類なる證なり。【武郷云。なほ此に攝津風土記。常陸風土記などを引て。證されたる文あれども。今略けり。】和名抄龍魚類に。鰐【和名和仁】似v※[敝/魚]有2四足1。喙長三尺。甚利v齒。虎及大鹿渡v水。鰐撃v之皆中斷。と有て。猛き物なるが。漢籍に。此を鰐龍鮫龍なども云て。龍の屬と爲るも。然る言なり。偖八尋熊鰐と云ふ。八尋は尋常なるとは。殊更に大なる由なるが。熊は。熊鷹熊鷲熊笹など云類にて。勝れて物の形の大きく。且猛きを云る稱なり。【記傳に。熊は獣中に猛き物なれば。其に准へて。猛き物をも云り。また久麻と云は。本より猛きを云言なるを。熊も名に負へるか。本末はしらず】此事をなほ深く思ふに。其始玉櫛姫命と申す。麗しき女神にて。御座しけむを。事代主神の婚給ふに當りて。其女神の辭退《イナ》び申して。※[靈の巫が龍]と成て去給ひし故に。事代主(650)神はしも。鰐と成て追奉らせ玉へりと見ゆ。然して其始て婚はせ玉へるは。出雲にての御事にて。其御合坐るなむ。攝津國の三島なりけらし。と云れたるは。稀有しく思依られたる説にこそ。○三島溝※[木+織の旁]姫は。神武紀に。三島溝※[木+厥]耳(ノ)神之女玉櫛姫。と見え。地神本紀には。三島(ノ)溝杭(ノ)女活玉依姫と書し。【此は此の古事と。大三輪の古事を。一つに混へたる名なり。よく見分つべし】鎭坐次第には。三島(ノ)溝※[木+織の旁]耳(ノ)小女玉櫛媛と有て。上に大物主神の娶給へる。三島溝※[木+厥]耳(ノ)大女蹈鞴媛。と有に對られたり。三島は。攝津國の地名なり。大倭神社注進状に。溝※[木+厥]姫攝津國三島之人。神名帳攝津國島下郡溝咋神社。と有り。其|※[女+夫]《ヲ》事代主神は。所謂三島鴨(ノ)神社是なり。【三島鴨神社は。伊豫國大三島なる。大山積神に坐ますよし。風土記に見えたれど。事代主神も。後に合殿に坐しなるべし】三島は。後に二郡に分れて。島上島下と云。今も島(ノ)上郡に。三島江《ミシマエ》村あり。溝※[木+織の旁]は。島下郡に溝杭(ノ)莊と云あり。さて右の溝咋(ノ)神社は。此姫神の本社なるが。今は溝杭(ノ)莊なる馬場村牛頭天王社是なり。と云り。又式に伊豆國賀茂郡伊古奈比賣命神社【名神大】は。三島大社の當后神とあるを。扶桑見聞私記【六十三】に。此神の事。神書に奉(ラ)v號(ケ)く。伊豆明神一名溝喰姫と云々。女體(ノ)神と云り。と有て。古くより溝喰姫(ノ)命と傳へたり。【三島大社は。同郡伊豆三島神社名神大。月次新嘗。とある社にて。祭神大山積神に坐り。されど三島(ノ)大社。當后神溝喰姫(ノ)命と云傳あるを見れば。合殿に事代主神も坐すにや。攝津國三島鴨神社に。事代主神の坐からには。いかにもこの社によしありげなり。考べし。此事は平田翁の考もあれど。みながら信られず。】此神の神異を顯はし玉へる事。後紀天長九年五月の條に所見たり。神階帳に。一品當后宮とあるは。同郡阿波神社【名神大】を。續後紀に。阿波神者三島(ノ)大社(ノ)本后也。と有に對へたる稱なり。○玉櫛姫は。容儀を以稱奉れる御名とおぼしきに就て考るに。神功紀に。事代主神の亦名を。於v天事代。於v虚事代。玉籤入彦嚴之事代《タマクシイリヒコイツノコトシロ》(651)神と申奉る。玉籤も此と同じく。其容儀の玉の如く。奇《クシ》く麗しき状を以て。夫《ヲ》神を玉籤入彦と申し。妻神を玉櫛媛と稱へ奉れる御名にも有べし。さて上にも引る地神本紀に。此媛の御事を。活玉依姫と有れど。其は御名の似たるよりの混ひにて。鎭坐次第に。三島(ノ)溝※[木+厥]耳神の御女に。大女を蹈鞴媛。小女を玉櫛媛と有て。大女は大物主神に。小女は事代主神に娶られ奉給へる。其生(ミ)坐る御子は。天日方奇日方《アメヒカタクシヒカタノ》命に坐を以ても。明らかに知られたり。○媛蹈鞴五十鈴姫命は。上にも云る如く。此に事代主神の御兒と云は。又曰と書されて異説なり。記にも此の本文の如くにて。美和之大物主神(ノ)御子と有なん。實に正しき傳なりける。さて事代主神の御子は。鎭坐次第に。八重事代主命云々。化2爲八尋熊鰐1。通2三島溝※[木+厥]耳(ノ)小女玉櫛媛1。生2五十鈴依媛《イスヾヨリヒメノ》命1。【葛城高丘宮御宇天皇々后。即磯城津彦天皇母】とある。即それなり。似たる御名乍ら。媛蹈鞴五十鈴姫命の御方は。丹塗矢の事に驚き御坐しゝ形勢を以て號(ケ)奉れる御名。五十鈴依媛命の御方は。五十鈴《イスヾ》と多くの小鈴《コスヾ》を装ひ玉ふ。御容儀を以て。號奉れるにて。依は宜《ヨリ》なり。右は手玉足玉の如く。手鈴足鈴を装束ひたる事の證あれば。此五十鈴依姫命の御名も。必其に因らせ玉へる。御容儀の御名なれば。かへす/”\も。媛蹈鞴五十鈴姫命と。一つ意に説奉るべきにあらぬ事知べし。【なほ此事は。綏靖紀に謂ふべし】○神日本磐余彦火々出見天皇。此御名の御事は。神皇承運章一書に。狹野《サヌノ》尊亦號(ハ)神日本磐余彦尊。所v稱2狹野《サヌト》1者。是年少時之號也。後撥2平天下1。奄2有八洲1。故復加v號曰2神日本磐余彦(ノ)尊(ト)1とある。其處に委しく注し奉るべし。○天皇と申す御名の義は。重胤云。天照大神を。天照皇大(652)神と申奉り。又天照坐(ス)皇大神とも。崇奉るに起りて。天神御子を。皇御孫尊と稱奉り。此より其皇御孫尊を指て。天皇と尊奉る御事と成れるなり。さて右の如く。皇御孫尊と。天皇とは。詳なると略なるとにて。其義異ならざりける物から。天皇と神祇との御間にては。皇御孫尊と申奉り。天皇と人臣と相對へて。常に申すはつ其須賣良美詐登の方なり。故垂仁天皇二十三年なる。大倭(ノ)大神の御言に。皇御孫尊云々と見え。天武天皇元年の。事代主(ノ)神|生雷《イクイカヅチ》神の神託にも。しか有なり。紀は力めて。漢文に書れたる物ながら。猶|在《アリ》の任に。如此く美たき事あり。式の祝詞も。古きは皆然り。今其一二|抄《シルシ》出むには。風神祭詞に。志貴島爾。大八島國|知志《シロシメシヽ》。皇御孫命云々。大祓詞も。前後は百官男女に亘る詞なるが故に。天皇朝廷《スメラガミカド》と申(ス)を。中は神に告る詞なるに依て。息御孫(ノ)命云々。又皇御孫之命乃朝廷と有り。出雲神壽詞。又中臣壽詞は。天皇の御前にて申す詞なるが故に。前後の文には。形の如く天皇と有て。中に神世の故事を述る所には。皇御孫命とあり。【但今京より以降の詞は。其格に違ひて。神に申すにも。人に宣るにも。其差別さくして。何處も天皇と有は。其古例に違へるものなり。】さて言義は。須賣は統《スメ》。須賣良は統在《スメラ》にて。在《ラ》は其形状を云むとて。下に添て申せるなり。然して須賣を。統(ノ)字に當るは。瑞珠盟約章に。御統此云2美須磨屡(ト)1と有が如く。天下を統括《スベクヽ》り御在坐て。亂(ラ)しめず握(リ)持たせ給ふ謂なり。雄略紀に領2制《スベヲサメタマフ》吾國1天皇。と云文ある。是天皇と申奉るは。天下を領制《スベヲサメ》させ給ふ御尊《ミコト》にて。御在し坐す義を。注し奉るが如き語なり。天皇と書し奉れる事は。天子天孫の類にして。皇祖天神より。天津日嗣を受繼奉らせ給ひて。天下に君王として。御在坐す義を以て。作れる字にて。(653)彼に謂ゆる天皇氏。地皇氏。人皇氏などの中の。天皇を取らせ給へるならずして。其心用ゐ大に別なりける者なり。記傳に。天皇の字を當奉りしも。甚上代よりの事と見えたり。漢土にても。遙の後に唐高宗が時に。天皇と云號を。新に立たりし事ありしかども。末《スエ》通らざりしを。唯吾須賣良尊の。此御號ぞ。眞の理に叶ひて。天地の限り。竪にも横にも。往通り足はして。動く事無く。變る事なき。大御號には有ける。と有は然る言なるが。其中に。唐主が天皇(ノ)號を立たりし事は。通證に。唐書高宗紀曰。帝稱2天皇(ト)1。后稱2天后(ト)1。或以爲天皇之稱據v之也。然推古紀聘2隋主1書既曰2束天皇(ト)1。則疑(ハ)高宗反傚2于我1也。と云れたるは。實に古今の發明にして。人の意表に出たる説なる者なり。【天字を用ゐらるゝ事は。天津日嗣の御事を。紀中に天位とも。天業とも。天基とも。天緒とも。書し奉られたる。皆右に云るが如く。天神の御事に。因らせ給へるなるべし】と云れたり。○后は。記傳に伎佐伎と申すは。皇后に限らず。上代には妃夫人などの班《ツラ》迄を。申せる稱なり。其中にて。最上なる一柱を。大后《オホキサキ》と申せり。此後世の皇后なり。と云れたり。又其白檮原宮段に。此姫命の御事を。大后と書し奉れるを。其傳に。大后は字の如く。意富伎佐伎と訓べし。後世の皇后なり。大は大臣大連などの大と同じくて。有が中に。一人を尊みて云稱なり。と云り。右の説に依て。重胤云。此に姫蹈鞴五十鈴姫命を。后と有は。唯に伎佐伎なれども。其實は皇后にて御坐り。偖神武紀に。娶2日向國吾田邑|吾平津《アヒラツ》媛1爲v妃《ミメ》。と有る。妃は御妻《ミメ》にて。宣化紀に正妃《ミムカヒメ》に對へて。庶紀《ミメ》と云意なり。故其庚申年の下に。天皇當v立2正妃《ミムカヒメ》1。改(テ)廣(ク)求2華冑《ヨキヤカラヲ》1とは。先に娶給へる吾平津媛は。庶妃なるが故に。改て正妃に立べき華冑を。求させ給(654)へる由なり。其正妃を。記に須佐之男大神の。大國主神に。其我之女|須世理毘賣《スセリビメヲ》爲2嫡妻《ムカヒメト》1と有を。次には其神之嫡后須勢理毘賣命と有り。記傳に。嫡妻は字鏡に。嫡 牟加比女と見え。書紀に多く正妃と有り。牟加比は正しく。夫に對配《ムカ》ふ意なり。と云れたるが如くにて。是|大后《オホキサキ》と夫人《キサキ》との如く。正妃と庶妃と相對へる證なり。偖其庚申年に。此姫命を納れて。爲2正妃1と有て。辛酉年に。天皇即2帝位於橿原宮1。是歳爲2天皇元年(ト)1。尊2正妃(ヲ)1爲2皇后1。と有を思ふに。即位以前には。正妃と申しゝを。其天統を御し給ふに至りて。皇后《オホキサキ》とは尊み申せる由にて。是此紀の文法なり。偖右の記に。嫡妻を嫡后と有を。記傳に。神名帳出雲國出雲郡杵築大社。同社大神大后神社並坐す例を引て。意富伎佐伎と訓べし。と云れたるは。然る言にて。此の皇后を。其白檮原宮段には。大后と作(ラ)れたるは。同じく意富伎佐伎と訓奉るべきなり。公式令 皇后。義解に。謂2天号之嫡妻1。と有る是にて。右件正妃より。此皇后に至る迄の庶事。悉くに相叶へる者なり。と云れたる然る説なり。偖伎佐伎は。通證に君幸《キミサキ》也。と注されたる然るべし。左伎は寵愛の義にて。君より幸《メサ》れ奉るを。幸福《サキ》と爲て。號られむ事。實に甚有らまほしき。尊號になんありける。
 
初大己貴神之|平《メクシトキニ》v國《クニ》也。行2到《ユキマシテ》出雲國(ノ)五十狹々之小汀《イサヽノヲハマニ》1。而且當飲食《ミヲシセムトス》。是(ノ)時(ニ)海(ノ)上《ウヘニ》忽(ニ)有(リ)2人(ノ)聲1。乃驚(キテ)而求(ムルニ)之。都《フツニ》無(シ)v所《モノ》v見《ミユル》。頃時《シマラクアリテ》有(リ)2一箇小男《ヒトリノヲグナ》1。以2白(655)※[草冠/(僉+役の旁)]皮《カヾミノカハヲ》1爲《ツクリ》v舟(ニ)。以(テ)2鷦鷯羽《サヽキノハヲ》1爲(シ)v衣《コロモト》。隨《マニ/\》2潮水《シホノ》1以|浮到《ウカビイタル》
 
此段は。口訣に少彦名命之傳也。と云れたる如く。少彦名命の生(レ)坐し御事と。其高天原より天降坐て。出雲國に大己貴神の御許に。依《ヨリ》坐しを云るなりければ。上文に。夫大己貴命與2少名彦命1。戮v力一v心。經2營天下1云々より。遂適2於常世(ノ)郷1矣。とある。其文の以前に在べき所なるを。上件凡て大己貴神の御事迹のみを列ねられて。此文を置べき方無きが故に。此へ廻したるを見て。此に初(ノ)字を置れたるなり。記には次第の任に被v載たり。重胤云。同じ少彦名神の御事實なる物から。記と互みに異同あり。又精粗も有を。此に一應其事を注さむとす。此に初大己貴神之平v國也は。鎭座次第。注進状にも有るが如く。大己貴神廣矛を杖として。八千矛神と聞えさせて。專(ラ)荒振神等を。言向させ御座ける間の御事にて。即此一書なる御|興言《コトアゲ》に。夫(ノ)葦原中國(ハ)。本自|荒芒《アラビテ》。至2及磐石草木(ニ)1。可咸能|強暴《アシカリ》。然吾已(ニ)摧伏(テ)莫v不2和順1云々と有も。專此御時を指て。宣給へるなれば。此少彦名神の。依(リ)坐しけるは。國平の終にして。國作の始なるべき事。申すも更なりかし。若て此の五十狹々之小汀《イサヽノヲバマ》の事は。記には大國主神坐2出雲之|御大之《ミホノ》御前(ニ)1と書せれども。【地神本紀。鎭座次第も同。】此は五十狹々之小汀と有る方。正に然るべきを。御大之御前と云は。上文に。其後少彦名命行至2熊野之御碕(ニ)1。遂(ニ)適2於常世郷1。と有て。熊野之御碕と。三穗崎とは。相對へる地なりければ。其少彦名神の。常世郷に渡らせ玉へる。御道(ノ)次の所なりければ。其御事に就(656)て。物|爲《セ》させ玉ひけむから。然る混れたる事もぞ。出來けるには有べき。偖又此に。少彦名神の依(リ)御坐けるに就て。大己貴神の御計らひの文。此に續て無くば。得有べからざるを。記には其文あり。此に續て遣v使白2於天神1云々の文も。記とは互に精粗もある事なれども。相合せて。大に義を詳かに爲る所あり。鎭座次第には。此即少彦名命是也に次て。故稱曰2手間《テマノ》天神1也。と有て。少彦名神の傳。此に至て大に明らかなる者なり。と云れたり。○平國也は。記に所謂大國主命。黄泉國より還坐て。庶兄弟の八十神を。悉く追避まし。また上に云る廣矛を以て。御杖と爲して。邪神姦鬼草木磐石まで。摧伏玉へる時を。ひろくさして云るなり。さて重胤云。少彦名神の。依(リ)來らせ給へる以前を。姑く平國の御時と號くべく。二柱神相並ばして。治め玉へる以後をば。造國《クニヅクリ》の御時と申すべき事。此に大己貴神之平國也。と有る上に。初(ノ)字を置れたるに。心を著くべし。と云れたるは委き説なり。○五十狹々之小汀は。口訣に在2出雲郡1と注し。下卷の本書なる五十田狹之小汀を。同書に五十田狹《イタサ》。前(ニ)云2五十狹々之小汀1と有て。同處の状なるに。記には其を伊那佐《イナサ》之小濱と有り。記傳云。神名帳に。出雲國出雲郡因佐神社有り。其所なり。風土記には。伊奈佐乃社と書り。風土記抄に。伊那佐之小濱は。杵築郷の内假宮村と云所なり。此邊の浦を。俗傳に伊那佐濱と云と云り。書紀には。五十田狹之小汀と有り。同所なり。那と陀とは常に通へり。名義。若は諾否《イナセ》の意にて。大國主神の許否の答(ヘ)を。問給ひし所なるから。負る名にもや有む。小濱とは。凡て小川小田小野なども云ふ。小は萬葉に。難波の小江(657)なども詠て。必|小《チヒ》さからねども。小初瀬小筑波などの類。皆稱辭の如し。其は本は細小《イサヽケ》きを云言なるが。稱辭とも成れるなり。偖此時は。大國主神は。彼宇迦(ノ)山の山本の宮に。住坐る間にや有けむ。宇迦と伊那佐と。同郡なりとあり。○且當飲食。美袁志は。傾向紀神功紀天武紀等に。進食をミヲシスと訓り。右等は何れも御旅行の御時など。假初に供御を召上させらるゝを云る状なり。但記傳に注るが如く。袁須と云は。聞食御事なるにて。古は供御のみならず。御酒などを奉るにも。袁須とは云り。○海上云々。記には此を自2波穗1と有り。偖少彦名神の。御船を浮べて。寄來坐る海路の事は。既に云り。○有人聲。記に爾雖v問2其名1不v答。且雖v問2所從之《ミトモノ》諸神1と有て。所從之諸神を云るを。此に合せ見るに。下に有2一箇小男1と有は。其主神の御事を指云るにて。此に有2人聲1と云るは。其小男に所屬の諸神の。多く從奉れるが。各相語りなど爲つらむから。然る人聲の遠くも聞えたりけむ。○都は。名義抄にフツニ又フツトと訓る。フツトは今俗にも云語なり。記傳云。今世の言に。物の殘無く清く斷《キ》れ離るゝ状を。布都と云ひ。布都《フツ》理など云り。狹衣に布都に見放つともあり。と云れたる是なり。故通證に。猶v言v絶也。と注されたり。○無所見は。丹鶴本に。ミユルモノナシとある訓よろし。口訣に有v聲而不v見2海上(ニ)1也。と云ひ。通證に以2體之微少1也。とあり。○頃時。シマラクアリテと訓べし。紀中多くは斯婆良久と訓れど。萬葉にはみな期麻志。又期麻良久。と云る例なり。此事は記傳に云れたり。○一箇小男は。其主神の形容を云るなるが。上に有2人聲1の語有を以て。其御從者の出立も。(658)少彦名神と同じ趣にて。依來給ひけむを。曉るべきき事なり。偖此小男を。烏具奈と訓り。景行紀に。童男此云2烏具奈1。とある是なり。記にも小碓命。亦名|倭男具那《ヤマトヲグナ》命。とあるを。其御名乘にも。倭男具那王者也。と所見たり。記傳云。具那は髪に因れる稱にて。宇那韋の宇那と通ひて聞ゆ。和名抄に。※[髪の友が召]髪和名宇奈爲。俗用2垂髪二字1。謂2童子垂1v髪也。と見え。字鏡に。※[髪の友が几]髪至v肩(ニ)垂(ルヽ)貌。宇奈井。と見ゆ。此外にも髪を以て呼ふ稱多し。總角《アゲマキ》※[髪の友が召]《メサシ》など。又|童《ワラハ》も髪をわゝらかし居る故の稱なり。今の俗言にも。前髪など云類なり。と云れたるに據て考るに。乎具那は。※[螢の虫が糸]頸《ワゲウナ》の義にはあらざるか。古(ヘ)男女とも。幼き程は總角《アゲマキ》とて。髪を※[螢の虫が糸]《わ》げて頸《ウナジ》に置くを云て。即てそれを童男童女の稱とせしにやあらん。女子にも云る事は。雄略紀に。童女君をヲナキミと訓る。これ※[螢の虫が糸]頸《ワゲウナ》君なるべし。されどうちまかせては。童男の稱となりしなるべし。○白※[草冠/(僉+殳)]皮爲舟は。記に乘2天之|羅摩《カヾミノ》船1とあり。谷重遠説に。香我美(ハ)草(ノ)名。舊古皆作2蘿摩(ニ)1。此作2白※[草冠/(僉+殳)]1。假2通訓1。蘿摩穀割v之如v舟也。と云り。本草和名に。蘿摩子一名※[草冠/丸]蘭。云々和名加々美。和名秒同じ。醫心方には。加々毛と出たり。又和名抄に。本草云。白※[草冠/(僉+殳)]和名夜末賀々美。徐長卿比女加々美。白前能加々美などもあり。平田翁云。蘿摩は。俗に乳草《チヽクサ》。蜻蛉乳《トンボウノチヽ》。加賀良比《カヾラヒ》。賀々芋《カヾイモ》。燒所花《ヤイトバナ》。碁賀長《ゴガチヤウ》。など所々にて名替れり。【乳草と云は。蔓を引切れば。乳の如き汁の出ればなり。賀々芋と云は。其根の芋に似たればなり。燒所花と云は。其花の形切もぐさに似たればなり。加賀良比。又碁賀長といふ由は知らず。】物類稱呼に。蘿摩は葉の形細長く。厚く兩對ひて。表に薄白く筋あり。【好事の人は。茶の代りに用ゐ。又其根を炙りて食ふ。甚甘し。葉莖ともに。日に干て焚けば。惡臭を消す。】實は細長く。三四寸ばかり有て糸瓜《ヘチマ》に似たり。名けて雀瓢と云。秋の末熟(659)して枯て二にわれ。中より綿の如き物出る。是を俗に和の波牟夜と云。其穀を割たるは。舟にいとよく似たる物なり。【白※[草冠/(僉+殳)]徐長卿ともに蔓を引切れば。白汁の出る故に。共に加々美の名を負へるならん。實葉も大小異なれど似たり。偖蘿摩は。乳なき婦人に用ゐて。よく乳を出すものなり。北山壽庵が醫方考※[糸+〓]衍と云書見るべし】と云り。○鷦鷯羽。重胤云。記傳に。和名抄に。鷦鷯和名佐々岐。文選鷦鷯(ハ)小鳥也。生2於蒿莱之間1。長2於藩籬之下1。字鏡に。鷯加也久支。又左々支。と有る其鷯は。和名抄に。※[晏+鳥]和名加夜久木。唐韻云。※[晏+鳥](ハ)雀※[晏+鳥]小鳥也。と有を思ふに。加夜久木は。草漏《カヤクキ》にして。小くして。草を潜《クヾ》る由の稱と聞ゆ。和玉篇に。※[晏+鳥]を加夜久具利。又美曾佐邪伊。又須々米。又加夜牟具理。と有る草潜《カヤクヾリ》。又|溝鷦鷯《ミソサヾイ》。又|雀《スヾメ》。又|草穿《カヤムグリ》の義有るべし。斯れば娑々岐は。篠漏《サクヽキ》の謂にても有むか。又紀に雀字を佐邪岐と訓る。其は同抄に。雀和名須々米とある。即|篶聚《スヾメ》の義なるにて。共に同類にして。異種なる稱呼なり。本草に。鷦鷯状似2黄雀1而小。灰色有v斑。聲卸2吹嘘1。啄如2利錐1。取2茅葦毛蟲1爲v※[穴/果]。と有を見れば。和名抄に。巧婦和名太久美止里。兼名苑注云。巧婦好割2葦皮1。食2中蟲1。故亦名2蘆虎1。と有る此物の状に甚能似たり。此をも世に佐邪岐と云り。【然れば。和名抄に謂ゆる。巧婦鳥。鷦鷯。※[晏+鳥]。の三共に同じ佐邪岐なる者なり。又文選に桑飛。又事文類聚に。鷦鷯又工雀と有など。古くより佐邪岐と訓み。又鷦鷯又巧婦鳥を。美曾佐邪岐と訓ること常なり】と云り。さて此を記には鵝とあり。鵝は决めて鷯を誤れるなり。と平田翁云り。【谷森種松が校本を見しに。〓を※[少+鳥]に作れり。さて松按※[少+鳥]與v雀同。見2字海1宜v訓2佐々伎1とあり。いかなる本に。さる字に作れりしにか。】○爲衣。記に内2剥鵝皮1。剥爲2衣服1。と有り。こゝにもさは云はねど。鷦鷯羽を全剥《ウツハギ》に爲給ひしものなるべし。羽も皮に同じ。○浮到。記に自2波穂1云々。有2縁來《ヨリクル》神1とあり。波(ノ)穂とは。波の白く高く立さまを云古語なり。其立さかる波のまに/\。浮來坐るなり。
 
(660)大己貴神即取2置(キテ)掌中《タナウラニ》1而|翫《モテアソビタマヒシカバ》之。則|跳《ヲドリテ》《クフ》2其(ノ)頬《ツラヲ》1。乃怪(シミテ)2其物色《ソノカタチヲ》1遣《マダシテ》v使(ヲ)白《マヲス》2於天神(ニ)1。于v時高皇産靈(ノ)尊|聞《キコシメシテ》之而|曰《ノタマハク》。吾(ガ)所産《ウメル》兒。凡(ベテ)有2一千五百座《チハシラアマリイホハシラ》1。其(ノ)中《ナカニ》一(リノ)兒《コ》最惡《イトツラクシテ》。不《ズ》v順《シタガハ》2教養《オシヘゴトニ》1。自2指間《タナマタ》2漏墮者《クキオチニシハ》必(ズ)彼(レナラム)矣。宜(ク)愛《メグミテ》而|養《ヒタセ》之。此(レ)即少彦名(ノ)命是(ナリ)也。顯。此云2于都斯1。蹈鞴。此云2多々羅1。幸魂。此云2佐枳彌多摩1。奇魂。此云2倶斯美※[木+施の旁]磨1。鷦鷯。此云2娑娑岐1。
 
取置敦倣。皇極紀に。候2皮鞋(ノ)隨v※[毛+菊]股落(ヲ)1。取2置掌中1。とあり。○翫之。谷重遠説に。置2掌中1而翫v之。以2其小男1。輕2慢之1也。と云(ヘ)れども。敢て輕慢らせ給ふには有べからず。いと希有《メヅラ》かに小き御體なりければ。愛しみて見給ひし也。と平田翁は云り。さらば翫も翫弄の意にはあらずて。愛ししみ給ふ餘に。掌中に取置て。暫時見給しが。自ら翫び物の如くに。なりしなるべし。名義抄に。翫モテアソブ。又メヅラシ。など訓たり。○跳は。物に堪忍ぶべからざる事ある時には。必|距躍《ヲドリアガ》り物爲る是なり。是其掌中に取置給ひしを。翫物と成し給ひしとおぼして。恕坐る御所爲なり。○囓其頬。字鏡に。頬 豆良。和名抄に。頬 和名豆良。一云保々。面(ノ)傍目(ノ)下也。玉篇云。顴。和名豆良保禰。頬骨也。或云2輔車1。と(661)あり。齧は俗に齧付《クヒツク》なり。○怪其物色と。遣v使白2天神1。との間に。其少彦名神を。顯はし申せりし。久延毘古の傳を。此には漏されたり。記云。爾雖v問2其名1不v答。且雖v問2所從《ミトモノ》語神(ニ)1。皆白v不(ト)v知(ラ)。爾多邇具久白言。此者|久延毘古《クエビコ》必知v之。即召2久延毘古《クエビコ》1問(フ)時(ニ)答白。此者神産巣日神之御子。少名毘古那神(ナリ)。【中略】所謂久延毘古者。於今者|山田之曾當騰《ヤマダノソホド》者也。此神者足雖v不v行。盡知2天下之事1神也。とある是なり。其文を合せ見て。大に此の事實を。明らかに爲《スル》所有が故に。此に載つ。○遣使。即其|依御座《ヨリオハシ》ける神の状の。甚怪しきに就て。御名を問聞えさせ玉ひけるに。其神を始奉りて。所從《ミトモ》の諸神さへに。答申されざりけるを。久延毘古神の。此者神産巣日神之子。少名毘古那神と。御名を顯はし申せりし由。記に見えたる如くなれば。其大己貴神の御方の神を以て。御使と爲て。天上に拳出《タテマダ》し給へる是なり。但紀の趣は然らず。御使と共に其事(ノ)由を申して。少彦名神をも。奉らせ給へる由なり。○白於天神。記には白2上於神産巣日御祖命1と有て。一神の御上を指奉れるを。此は汎く諸の皇祖天神に係て。書されたる者にして。いづれにても同じ。○高皇産靈尊云々。記には神産巣日御祖命とあり。【上田百樹説に。此紀一本。神皇産靈尊と有と云るは疑はし。】是又何れにても。同じき御中にて。事の違へるには非るなり。【天孫降臨章など。各其二柱神の。かゝづらはせ玉へる御事にも。高皇産靈尊の御名を擧られて。神皇産靈尊の御名を略かれ。又記にたゞ神産巣日神の御名のみを出して。高御産巣日神の御名を。並載られざる所あれども。相預らせ玉ふべき事更なり。】○吾所産兒。此二柱神の御兒を。産成し給へる状はしも。諸神とは。甚く異なる御事にこそは。御座べかるらし。然るは記傳に。世中に在と有る事は。此天地を始て。萬の物も事業も。悉に皆此二柱の産巣日大御神の。産靈に資て。(662)成出る者なり。と云れたるは。實に然る説にて。凡(ソ)此世中に坐とます神等は更なり。在とある人種の皆はしも。男女相嫁きて。自相成す所なりと雖。其|結《ムスヒ》成し給ふは。全く其産靈に依れる御事なり。人も我も。正身は何某の子なりと雖。其作成す者は。産靈神に御座が故に。神代の神等を。伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊。二柱神の御子神なるをも。姓氏録の例多くは。二柱の産靈神に係たるは。其成す神と。令v成(サ)る神との御上にて。混らはしきが如く。二方に傳はれるは。誰神の御子なりとも。産靈神の御子と申して。事の違はざるを以なり。然るに此に吾所v産兒。凡有2一千五首座1と有は。天上に在ゆる神の限を。吾所産兒と詔給へるにてはあるべからず。正しく二柱神の御上に係りて。生れ給ふも有べく。又事の状に依て。或は高皇産靈尊に。又は神皇産靈尊に係りて。生給ふも將多かりぬべき事なり。然して此少彦名神も。其神の一神にて御座にぞ。有べかるらし。【かく見ざれば。此神を高皇産靈尊の長子也。などあるを。何とも解べきやう。あるべからず。】○一千五百座は。必しも限れる數名には非ずして。其大數を云るなり。○最惡は。舊訓に依べし。此都良志は。萬葉五に。世間能。宇計久都良計久。とある厭《ウケ》く惡《ツラ》くにて。御祖神の教養に順ひ玉はぬを。其御心にいと惡《ツラ》く思ほしめすよしなり。古今集に都良伎人よりとある。都良伎も。我爲に惡き事を云にて。其意同じ。【延佳本には。此惡字を。都良阿斯久志※[氏/一]と訓み。記傳に引れたるには。佐賀那久※[氏/一]と有れども。古訓に從ふべし。平田翁の。阿斯久※[氏/一]と訓るなどは。猶更なる事なり。此は善惡の惡には非ず。御祖神の御心の上に厭《ウ》く惡《ツラ》く思ほしめす事を。詔給へるなり】○不順教養は。重云。天神の御心は。別に教へ趣けさせ給ふ御旨有に。從奉らせ給はずして。國土に天降らせ給ふ御事を。詔給へるなり。と云り。○自指間は。記には自2我手俣1とあり。記傳云。(663)多那麻多と訓べし。那は之に同じ。手心手裏手末。など云例なりとあり。和名抄に。指和名由比。俗云於與比。手指也。※[手偏+力]和名於與比乃萬太。指間也。と有る是なり。【本にタマヽタと訓るは誤字なり。丹鶴本には。タマタと訓たり。又秘閣本には。自2指間1を。多萬與利。とも訓たり。)手間(ノ)天神の傳。考合すべし。○漏墮者。永正本明應本鎌倉本に。クキオチニシハ。と訓るに從ふべし。記に久岐斯子也とあり。記に迦其土神段に。集2御刀之手上(ニ)1血。自2手俣1漏《クキ》出(テ)所成神。云々。大穴牟遲神段に。自2木俣1漏(キ)逃(レテ)而去ともあり。記傳云。萬葉十に伯勞鳥《モズ》之|草具吉《クサグキ》。十七に保等々藝須。木際多知久吉《コノマタチクキ》。又|波流乃野能《ハルノノヽ》。之氣美登妣久々《シゲミトビクヽ》鶯などあり。久具流と云は。此久々を延たる言なれば。久伎は久具理と云事なり。とあり。○必彼矣は。此紀の趣は。其少彦名神を。此に留奉りて。唯御使して事の状を奏聞えさせ玉へる。其御答なるに依て。如此詔給へるなるが。記の意は。此とは異なり。此者實(ニ)我子也。於2子之中1。自2我(ガ)手俣《タナマタ》1久岐斯子也。と有る。此字は正しく。其神を眼前に見行はし御座《マシ/\》て。詔給ひ出させ給へる御言なるは更なり。自2我手俣1久岐斯子也と有る。我も右と同じく。殊に親しく御目に觸させ御座て。詔給へるなり。○宜愛而養之。米具美は。平田翁云。萬葉五に。父母乎美禮婆多布斗斯《チヽハヽヲミレバタフトシ》。妻子美禮婆《メコミレバ》。米具斯宇都久志《メグシウツクシ》。十一に人毛無古郷爾有人乎《ヒトモナキフリニサトニアルヒトヲ》。愍久也君之戀爾令死《メグクヤキミガコヒニシナセム》。などある。米具斯愍久におなじ言の活きにて。米具美と云も同語なり。【今も出羽の秋田にては。兒また小き物などをメグシとも。メグキ物とも。常にいひ。また稚子をメゴなど呼めり。其はメグキ子と云意と聞えたり。愍《メグ》くや君が戀に死せんの歌を,略解にときて。めぐゝは。集中に米具斯とあるに同じ。今俗にムゴシと云ふ言なるを。此は吾上に取て云りと。解したるは。然る説にて。俗にムゴシ。ムゴキ事。ムゴキ目など云語も。是より出たる語なるべし】と云り。言(ノ)本は。重胤云。米其牟は。目に物を見て。悲哀《カナ》しく思ふ謂にて。萬葉九に。今(664)日耳者|目串毛勿見《メグシモナミソ》。事毛咎莫《コトモトガムナ》。十七に。妹毛吾毛許々呂波於夜自云々。相見者《アヒミレバ》。登許波都波奈爾《トコハツハナニ》。情具之眼具之毛奈之爾《コヽログシメグシモナシニ》。とある情具之眼具之は。心苦目苦《コヽログシメグシ》にて。心に悲哀しく思ふと。目に悲哀しく見るとにて。共に物を愛《イト》ほしむ義なりければ。米具牟も即其同義なる事を知べきなり。と云れたるが如し。養は日足《ヒタス》なり。さて重胤云。記傳に此宜2藍而養1v之と有る詔に依れば。是時は未幼稚く坐けるにや有む。と云れたるは然る言にて。高天原にて。生(リ)出させ御在し坐て。程も無く。始て此國に天降座けるにて。いかにも幼稚き御有状になむ。伺はれ奉る御事なりける。偖此宜愛而養之の御事を。記に與2汝《イマシ》葦原色許男命1。爲《ナリテ》2兄弟(ト)1而作2堅其國1。と所見たり。偖葦原色許男命と申奉るは。大己貴神の造國《クニヅクリ》以前の御名にして。已に其御父大神の御許に。御座ける時にも。其大神出見而告。此者謂2之葦原色許男1云々と有も。右と同じ事にて。即平國の御時の御名なりければ。此に初大己貴神之平v國也。云々と有にも。甚能合へり。偖爲2兄弟1は。右の宜愛而養之。と有に考合するに。少彦名神は。未幼稚く御座ければ。大己貴神の御弟と爲て。日足《ヒタ》し聞えさせ給ひ。其|長《ヒトヽ》ならせ御座(サ)せて。此に謂ゆる。夫大己貴命與2少彦名命1。戮v心。經2營天下1。云々の御功を。共々に立させ坐べく。仰詔《ミコトノリ》し給へるなりけり。と云れたり。○蹈鞴此云多々羅の訓注。奇魂云々の注の下に入べきなり。順序を誤りしものなるへし。【但し鷦鷯此云娑々岐の七字。三島本にはなし。】
 
日本書紀卷第一 
 
活字本終字なし
 
明治三十五年一月二十日印刷
明治三十五年一月廿三日發行
 
不許
複製
 
    東京市麹町區飯田町四丁目壹番地
發行者  飯田永夫
    東京市牛込區南町拾八番地
發行者  藤森 佐五吉
    東京市日本橋區兜町貳番地
印刷者  齋藤章達
    東京市日本橋區兜町貳番地
印刷所  東京印刷株式會社
    東京市神田區錦町一丁目拾番地
發賣所  明治書院
    東京市日本橋區通三丁目六番地
發賣所  林平次郎
 
〔日本書紀通釋第二目次省略〕
 
(667)日本書紀通釋卷之十四       飯田 武郷 謹撰
 
 
日本書紀卷第二《ヤマトフミマキノツイテフタマキニアタルマキ》
 
神代下《カミノヨノシモノマキ》
 
〔天孫降臨章〕
天照大神之|子《ミコ》。正哉吾勝勝速日天(ノ)忍穗耳(ノ)尊。娶(テ)2高皇産靈尊之女。栲幡千々姫《タクハタチヽヒメニ》1。生(マス)2天津彦々火瓊々杵《アマツヒコヒコホノニヽキノ》尊(ヲ)1。故(レ)皇祖《ミオヤ》高皇産靈尊。特《コトニ》《オキテ》2憐愛《メクシトオホスミコヽロヲ》1以|崇養《カタテヒタシタマフ》焉。遂(ニ)欲《オモホス》d立(テヽ)2皇孫《スメミマ》天津彦々火瓊々杵尊(ヲ)1。以|爲《セムト》c葦原(ノ)中國(ノ)之|主《キミト》u。
 
天照大神之子云々。重胤云。此に始て天降し奉らせ給へるは。古事記は更なり。此第一一書に。既而天照大神以2思兼神(ノ)妹|萬幡豐秋津姫《ヨロツハタトヨアキツヒメノ》命(ヲ)1。配2正哉吾勝々速日天(ノ)忍穗耳(ノ)尊(ニ)1爲v妃(ト)。令v降2之於葦原中國(ニ)1。是(ノ)時云々具陳2不v隆之状(ヲ)1。と有て。此時天忍穗耳尊ぞ天降らせ御在《オハシ》坐べき御心向なりける。其下に。二神乃昇v天。云々且將v降(ト)間。皇孫已生(ス)。號曰2天津彦々火瓊々杵尊《アマツヒコヒコホノニヽキノ》尊(ト)1。時有v奏曰。欲d以2此皇孫1(668)代(テ)降u。と所見て。天忍穗耳尊の奏請《マヲサ》せ奉(リ)給へるが故に。其御子を代て。天降奉らせ給へるなり。記にも。其天降坐むと爲る御装束の程に。御子の生坐る趣なり。然して右の二傳。共に天(ノ)忍穗耳尊の天降り坐ざるに就ては。皇祖天神より。直に瓊々杵尊に。御事依は有つるが加く。必天忍穗耳尊より。瓊々杵尊へ御|受禅《ユヅリ》の御政は。坐けるなるべし。此第二一書に。高皇産靈尊因勅曰。【中略】乃使d二神陪2從天忍穗耳尊1以降u之。【中略】則以2高皇産靈尊之女|號《ナハ》萬幡《ヨロツハタ》姫(ヲ)1。配(テ)2天忍穗耳尊1。爲v妃(ト)降之。故時居2於|虚天《オホゾラニ》1而生兒。號2天津彦火(ノ)瓊々杵尊1。因欲d以2此皇孫1代(テ)v親(ニ)而降u。故以2天(ノ)兒屋命太玉命及諸部神等(ヲ)1。悉皆相授。且服御之物。一依v前授。然後天忍穗耳尊復還2於天1云々。と有に就て思ふに。天忍穗耳尊虚天より引返させ給ひて。其御子を以代らむ事を。奏し請給へるに依(レ)ば。天津日繼は。其尊より瓊々杵尊に授させ給ふべく。陪從《ミトモノ》神及服御之物は。皇祖天神より沙汰爲させ給へる事。第一一書又古事紀の趣に依て知られたり。然るに。此正書には。始より瓊々杵尊一柱の御事にのみ傳られたるは。天忍穗耳尊は。天上に留り御在坐て。此國土を所知食させ給はざりし故に。國土に就たる現在の事件を。主と爲られたるにて。此のみならず。凡て正書の文法なり。其餘の一書も。大概其格に從へれば。其心して見べし。と云れたり。古語拾遺も本より。本書の説と同じ。○高皇産靈尊。此神の御事。上卷に御名の出たる下に云る如く。初に略かれて。此に不意くかくあるは。本末違へるが如し。されど此亦上に云る如く。現在の事件を。主と爲て擧られたる。本書の文法なり。此にかくあるを以。初には略か(669)れたる事を。知べきなり。○栲幡千々姫。御名義。纂疏に。幡(ハ)猶v機《ハタ》也。夫女功之事。以2織※[糸+任]《ハタオリ》1爲v本。故取以爲v名也。とある此意なるべし。【但此姫神織※[糸+任]の事に。御功績坐々しが故に。負坐る御名なるべし。さるをたゞに。女功之事云々とあるは。委しからず。】但し傳に。幡は。機具《ハタモノ》を指て云には非ず。織たる物【絹布の類】をいふなり。神功卷に千※[糸+曾]高※[糸+曾]《チハタタカハタ》。萬葉に倭女幡之帶《シツハタノオビ》。和名抄に綺和名加无波太など。是らみな織れる物を指て。波太と云例なり。然れば栲幡も栲布《タクヌノ》を云る事。倭文布を倭文幡《シツハタ》と云に准へて知べし。云ざれたり。千々は萬幡姫とあるに同じく。數名を以て稱へ奉れるなるべし。【さる例は。八十枉津日神。五百城入彦命。などいと多し。千々の例は。孝靈紀春日(ノ)千乳早山香媛。崇神紀千々衝倭姫命などあり。】又重胤は。機數の多きを以て。稱へたるものと爲し。幡をも機の義と爲て説り。其説云。第一一書に。萬幡豐秋津姫命。第七一書に天萬栲幡千幡姫。又栲幡千幡姫など有て。萬幡と云ひ。天萬栲幡と云ひ。千幡なと申せるは。機數の多く盛なる由を以て。號奉る者と見えたり。其例は。萬葉十に棚機之|五百機立而織布之《イホハタテヽオルヌノノ》。と有など。共に折たる絹布を云には非ず。機具を指て云と聞ゆれば。此も必然にて。千々は上の栲機の義にて。栲機千々機《タクハタチヽハタ》姫命と。申奉る意味の御名なりけり。又重胤云。谷川翁説に。忍穗耳尊以v稻稱v之。栲幡姫以v衣稱v之。猶日神親2新嘗(ヲ)1。織2神衣(ヲ)1之意。有v以哉。と云れたる。實に名説なり。先には雄略天皇六年に。天皇欲v使3后妃親桑以勸2蠶事(ヲ)1。と有を。限无き美事なりと思しかども。其は古の常典にて。農と桑とを。並勸め玉ふ。古道の本體に心着ざりし。麁き説にて有しなりけり。偖天照大神始て衣食の道を。始させ御坐しより以降。專其事をのみ。力めて物爲させ玉へる。是天宮の大御政の大體なり。若て天忍穗耳尊をしも。天津日(670)繼に定奉らせ玉へるが故に。稻穗を以て。大御名に稱奉れる由。已に説るが如し。今|將《ハタ》其后神を號けて。栲幡千々姫萬幢姫命と。稱奉れるも。其織※[糸+任]の事に由て。負坐る御名なれば。天皇々后共に。天下の農桑の根源を。所知食し行はせ玉ふ御事。實に天地と無窮き。寶祚の御基になん。渡らせ玉へりける。神宮の大神祭は。神嘗と神衣との二有り。朝廷の大御政には。大嘗祭有て。麁服※[糸+曾]服を以て。皇祖天神を祭らせ玉ふ事。今云限に非ずと雖も。天下の大道の存《ア》る所。此に在る事なれば。忽卒《ユルガセ》に見奉り過すべき所には非るぞかし。と云れたり。かくて此御名。第一一書に。萬幡豐秋津姫命。第二に萬幡姫とも。第六に栲幡千々姫萬幡姫命とも。火之|戸幡姫兒千々姫《トハタヒメコチヽヒメノ》命とも、第七に天萬《アメヨロヅ》栲幡千幡姫とも。萬幡姫兒玉依姫(ノ)命ともある。みな同じ。【其御名の下に注へり。】また第七に。丹寫《ニクツ》姫と申す御名あり。○天津彦々火瓊々杵尊。池邊眞榛云。此御名は。天津彦尊と稱すと。彦火(ノ)瓊々杵尊と申と。二名おはし坐を。一に連ねて語り傳へたるを。紀にはさながらに。とられたるなり。記には天津彦を離して。日子番能邇々藝命とあるを見て知るべし。【なほ吾勝尊の注にも云り。】と云り。すべて神等の長き御名。多くは然る例なり。御名義。天津彦々は美稱。【下の彦をば下へ屬けて訓べし。】火(ノ)瓊々杵は。穗之丹饒《ホノニニギ》にて。稻穗に因れる御名なり。丹《ニ》とは。穗の赤熱《アカラ》めるを云。凡て草木又人の顔など。色付(キ)にほふを邇といふ事。狹丹頬歴黄葉《サニツラフモミチ》。垣津旗丹頬合《カキツハタニツラフ》。また丹穗面《ニホノオモ》など。萬葉にあるが如し。と記傳に云り。饒は稱辭なり。さて此御名。第二一書に。天津彦火(ノ)瓊々杵尊。第四に天津彦|國光彦火《クニテルヒコホノ》瓊々杵(ノ)尊。第六に天津彦根火(ノ)瓊々杵根尊とも。天國饒石《アメクニニギシ》彦火瓊々(671)杵尊。第七に天之|杵火々置瀬《キホヽオキセノ》尊とも。天(ノ)杵瀬《キセ》尊。第八に天(ノ)饒石國(ノ)饒石天津彦々火(ノ)鷄々杵尊ともあり。【右のうち。天之杵火々云々と。天杵瀬尊と申とをおきて。餘は大方同じ。猶其處々にいふ。】拾遺には。天祖天津彦(ノ)尊とあり。記には天津日高《アマツヒダカ》日子番能邇々藝尊とあり。此紀には。さまゝゝあれども。日高と申すは一(ツ)もなし。記に虚空《ソラツ》日高とあるをも。此記には虚空《ソラツ》彦とあり。かく日高とあるを。彦と云るは。當代の天皇【元正】の大御名|氷高《ヒダカ》と申せるを避て。改めたる御名と通えたり。されど皇祖神の御名の事にしあれば。當代の重き御定ありて。かくは改め奉りしものなること。申すも更なり。撰者の私に改め玉ひしものと。ゆめゝゝ思ふべからず。【重胤云。天津日高は。此に謂ゆる天津彦と同くして。天津日嗣所和食させ給ふ大御位を。指奉る稱と見えたり。記海宮段に。火々出見命の御事を。天津日高之御子。虚空津日高と有りて。皇太子の御名なるに合せて。天津日高と申は。天皇の尊號にて渡らせ玉ふ事を。明らめ奉るべし。偖此號の起は。第二一書に。天忍穗耳尊の居2於虚天1而生兒。號2天津彦火瓊々杵尊1。とある。此御事に依て。皇太子を虚空津日高とは。申奉れるなりけり。と云り。】○皇祖。山蔭云。皇祖と申すこと。上の娶高の間に置るべき事なるに。彼處におかずして。此にしも置れたるは。瓊々杵尊の御外祖父の義にとりて。記されたりと聞えて。いかゝなり。抑此神は。神武紀に。我天(ツ)神高皇産靈尊と見え。鳥見《トミノ》山中に。祭(ノ)場を搆へて。皇祖天神を祭り給ふなども見え。拾遺には。天照大神と二柱を。皇天二祖とも申せる如くにて。古傳には。此神を皇祖と申すは。皇統の祖神と仰き奉り玉ふよしなり。たゝ御外祖の意にはあらず。遂欲v立2皇孫云々(ヲ)1などの事。御外祖父の故のみにして。よくかくはあらむや。また抑外祖の由ならむには。御名のみことに尊字を書れたるも。當らぬことなるをや。と云れしは。信に然る説の如くなれど。外祖父を皇祖と書べくもあらねば。此はなほ。皇統祖神の義なるべし。○鍾憐愛。米具斯と(672)云言義は。既に上卷米具美の下に云り。○崇養。本に養を※[美の異体字]に誤れり。今は諸本によりて改めつ。されど通證に。※[美の異体字](ハ)養(ノ)省文とあれば。頓(ラ)に誤とも云がたし。【聊か畫のみたれたるなり。】さて訓は。私記に加多弖比多之萬津利太萬布とあり。此語は。崇神紀に崇2重《カタチアガメ》神祇(ヲ)1。欽明紀に。追2崇《カタテ》先世和親之好(ヲ)1。敏達紀に崇《カタチ》2敬三寶(ヲ)1。孝徳紀に崇《カタテ》2正教(ヲ)1。とある類。何れも崇字を。カタチ又カタテと訓れたり。言義は未詳。此を拾遺に。天照大神高皇産靈尊崇2養孫1。て有て。カシヅキヤシナフ。と訓せたり。其意をや得たりけん。崇養を冊立日足《カシヅキタテヒタス》之義也。と通證に云り。かくて一書には。此尊を虚天に居々て。生れ玉ふとあり。さては高皇産靈尊の崇養とあるに合はず。異なる傳なり。○皇孫は。皇統の子孫と云義を以て書る文字なり。上卷天孫の下に云るが如し。【拾遺に。天照大神高皇産靈神二神之孫。故曰2皇孫1。と云るはさることなり。此も孫は子孫の義を以て云るなり。】訓は。續紀十五に。美麻乃彌己止《ミマノミコト》。常陸風土記に珠賣美萬《スメミマノ》命などあり。平田翁云。須賣美麻と申す須賣は。天皇命皇神などの須賣と同く。岡部翁説に。統といふ事なり。とあるが如く。尊みて冠たる語。美麻は御眞子を略ける言にて。麻奈子と云に同じ。其は萬集十九に霍公鳥を詠る歌に。鶯之|宇都之眞子可母《ウツシマコカモ》とあり。此は九卷に母之最愛子曾《ハヽガマナコゾ》とよめるまなこと同じく。愛親しみ稱たる語なり。【武郷云。同書二十に麻古我弖《マコガテ》波奈禮とあるも同じ。】故皇美麻命と白す言は。天忍穗耳命の御事を詔給へるが始にて。大御神の日嗣を知看す。御代々々の天皇の大御稱と成れり。然るは天日嗣知看す皇《キミ》は。御代々々みな大御神の御眞子《ミマコ》に坐(セ)ばなり。其は大御孫邇々藝命。御天降の時に。大御神の御語に。我宇都(ノ)御子と詔へるを以。御代々々の天皇命等に。通る語(673)なるを思ひ辨ふべし。と云り。【然るを。本居翁の皇御孫とは。邇々藝命を始めてと云ひ。神代紀の一書に。瓊々杵尊の未(ダ)生れ玉はぬ處に。天孫とあるを難めて。此時未(ダ)天孫は生れ坐さずいかゞと云れしは。忍穗耳尊の御事を白せりとしも。思はれざりしなり。】○欲立云々以爲葦原中國之主。重胤云。此事已に此卷首に論へるが如く。天神御子の。天下に君主《キミ》と爲て御坐む事は。天地の初。二柱御祖神の。此國士を生成し坐る御時より起りて。甚假初の御事には御坐ざるなり。然る時は。此に欲2立爲1v主と有ては。恐らくは其義を貫かざるに至るべし。已に第一一書に。天照大神勅曰。豐葦原中國。是(レ)吾兒可v王之地也。と有が如く。彼瑞珠盟約の御時より。已に定らせ給へるを以て。此に如此詔給ひて。其御天降の御事を。此に行はせ玉へるなり。記に天照大御神之命以。豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者。我御子正勝吾勝々速日天忍穗耳命之|所知國《シラサムクニト》。言因《コトヨサシ》賜(テ)而天降也。と有が如く。此御事は他神等に。こと更に議らせ給ふ迄の。御事にも非る程の事なるを。此時天下甚く喧《サヤ》けかりしかば。其に就ての御政は。高皇産靈神皇産靈の二大神の神議に。專《モハラ》依らせ玉ふ御事と成れるにこそ有けれ。新に君主を立ると云(フ)謂(レ)には非るを。外祖の御方より計らひ申して。皇孫を立給ふと云如き。首尾打合ざる事は。出來れるなりけり。【下に高皇産靈尊欲d降2皇孫1君c臨此地u。と有に係て見べし】此は四神出生章に。天下之主者と有に同じくして。葦原中國又は大八洲國を以て云るは。其宮都を敷せ玉ふ地を詔へるにて。實は天下萬國の大君主宰に。定奉らせ給へるなり。第一一に。天照大神因勅2皇孫1曰。豐葦原千五百秋之瑞穗國(ハ)。是吾子孫可v王之地也。云々。寶祚之隆。當d與2天壤無uv窮者矣。と有も。大御命に天地を係て詔へるを見奉りても。葦原中國に御在し坐て。萬國を悉に。統御《シロシメ》させ玉ふ神(674)代の御幽契を。想像奉るべき者なりかし。故大化元年詔に。隨2天神之所1v奉v寄。方今始將v修2萬國1。と有は。右の神勅の任に。皇化を萬國に及し給はむ御心を。述させ給へるなり。同二年四月詔に。夫君2於天地之間(ニ)1。而宰2萬民(ヲ)1者。不v可2獨制(ム)1。要須2臣(ノ)翼1。由v是代々之我皇祖等。共2卿(ガ)祖考(ト)1倶治。朕復思d欲蒙2神護(ノ)力(ヲ)1共2卿等1治u。と有て。君主の大義を詔へるに。蒙2神護(ノ)力1と有は。皇祖天神より。天下の君主を立給へるより。臣子の道定る意を。表はし詔給へるにて。績紀に載たる八幡大神の託宣に。我國家開闢以來。君臣定矣。と有と同じ御意味の詔なり。又其三年四月詔に。惟神《カムナガラ》我子|應《ベシト》v治《シラス》故寄《コトヨサシタマヒキ》。是以與2天地之初1。君臨之國也。自2始治國《ハツクニシラス》皇祖之時1。天下大同都無2彼此1者也。と有は。全く此なる皇祖天神の御事依の御事を。引せ給へる者なるが。い此皇祖と申すは。瓊々杵尊に渡らせ給へる由。上に註る事共を合せ讀て。明らむ可き者なりかし。故此天下の君上を立させ給ふとしては。其に就て。臣下と云者有て。仕奉る道。此に起る可き事。今申までも非ずと雖も。已に君臣の義。天地の初時より有けり。彼伊弉諾伊弉※[冉の異体字]二大神はしも。國土を生給ひ。諸神を生給ふと雖も。佗よりは雜はる者非りければ。親子のみにして。未(ダ)君臣の義有には非るなり。故此に吾已生2大八洲國及山川草木(ヲ)1。何不v生2天下之主者1歟。と詔給へるは。國土の主として。諸神に君と御在し坐べき珍(ノ)御子を。生奉せ給はむとなり。然して天照大神素戔嗚尊を生坐て。天上と天下を持別て。所知食しめ奉給へる。是君臣の義有る始なり。然して素戔嗚尊は。根國に御在し坐せ給ふとして。日神と天上に誓約の御事(675)有て。天忍穂耳命を生奉らせ給へるを。天照大神の御子として。養(シ)奉らせ給ふ。其後素戔嗚命の御荒びに依て。天照大神天石窟に入らせ御在し坐しかば。天地の内は悉く常夜往く世中と成れりし故に。天地の内に在ゆる。八百萬千萬神等。其所に參集ひて。祈申されけり。其出生に及びて。神宮を建。御門を造りて。日(ノ)宮の威儀を装束ひ奉り。諸神此に仕奉らるゝ。此全く天上に於て。君臣の威儀備れる始なりけり。故皇大神と稱奉りて。天照大神の。天地の間に二無く。甚至りて尊く畏く。御在じ坐す御事も。亦此に在なりけり。天忍穗耳尊を。天下の大君主と爲て。天降し奉給はむとして。其御政御在し坐ける間に。御子瓊々杵尊を降して。天下の大君主宰と。定奉らせ給ふ時に。皇大神の磐戸隱の時に。其御祈に仕奉給ふ縁に由て。天(ツ)宮に親しく仕奉る神等を。供奉神として。配《クマリ》奉らせ給へり。第二の一書に。又以2中臣(ノ)上《トホツ》祖天兒屋命。忌部(ノ)上祖太玉命。猿女(ノ)上祖天(ノ)鈿女命。鏡作(ノ)上祖石凝姥(ノ)命。玉作(ノ)上祖玉屋命。凡|五部《イツトモノヲノ》神1。使2配侍1焉。と有を始めとして。諸の供奉神等は。皇大神の使はしめ給へる神を。皇御孫尊に陪從《ソヘ》て。仕奉し給へるにて。君臣の義此に定れり。彼爲2葦原中國之主1と有は。君上の御事なりければ。臣下此に附屬ふ事。論を待たずして明らかなる者なり。右に引る我國家開闢以來。君臣定矣。と詔給へる是なり。鈴屋大人の直日靈に。千萬御世の末の御世迄。天皇命はしも。大御神の御子と坐々て。天神御心を。大御心として。神代も今も隔なく。神|隨《ナガラ》安國と。平く所知食ける。云々の所に。唯天津日嗣の。然坐々のみならず。臣連八十伴緒に至(ル)迄。氏姓を重みして。(676)子孫八十續。其家々の職業を受繼ひつゝ。祖神等に異ならず。唯一世の如くにして。神代の任に奉仕れり。と云れしは。實に君臣の大義を述られたりし者なりけり。と云れたるは。實にさる言共なり。偖記には。始に天照大御神之命以。豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者。我御子正勝吾勝々速日天忍穗耳命之所知國(ト)。言因《コトヨサシ》賜而天降也。とある。此は天日嗣を授奉らせ賜ふ處なる故に。他神と更に議らせ玉ふ迄も非る所なる故に。天照大神より。直に大命を傳へさせ賜へる趣にて。此文は第一(ノ)一書に同じ。其より其御天降の神議に至ては。爾高御産巣日神天照大御神之命以云々。【又天照大御神。高木神之命以云々。】と並(ベ)擧(ゲ)奉れるなり。故記傳にも。凡てかゝる詔命を云に。此二柱神を。かくの如く列ね擧たる所もあり。又天照大御神を先に。高御産巣日神を次に。擧たる所もあり。又高御産巣日神をば略て。たゞ天照大御神のみを擧たる所もあるは。天照大御神は表にして。高御産巣日神は。裏なるが如くなればなり。然云故は。高御産巣日神は。高天原を所知食《シロシメス》君主には坐さず。【故裏なるが如し。此神を次にも列ね。又は略きもせるも是故なり。】天照大御神は。伊邪那岐伊邪那美大神の詔命によりて。始て高天原を所知食君主に坐々て。其天日嗣を傳へて。御子命を天降(シ)奉たまはむとするをりの詔命なればなり。【故表なるが如し。此大御神を先にもあげ。又一柱のみをも擧るも此故なり。然るを書紀本書には。たゞ高御産巣日神をのみ擧て。此大御神の詔に係ざるは。聊か心得ぬ傳へなり。】然はあれども。高御産巣日神は。天地の初發の時より。高天原に成坐て。【故此神を先にも列たり】世に所有る物も事も生成《ナル》は。悉く此神の産靈の功徳によるが故に。今如此る詔命をも。相並て詔ひ。【然るをたゞに。外家の羽翼とやうにのみ説なせるは。例の漢意をのみ思ひて。吾皇神の道を知ざる物ぞ。】又皇御孫命の遠(ツ)皇祖とも。崇奉給ふなり。【是また皇(677)祖とするも。裏なるが如し。さて此神を。皇孫命の皇祖と申すをも。たゞに外祖父に坐故とのみ思ふも。産靈の義を知らざるなり。萬(ノ)物も事も。此産靈より成生《ナレル》は。此神は皇孫命の皇祖なるのみに非ず。凡て萬姓萬物萬事の。御祖に坐々なり。天照大御神は然らず。たゞ皇孫命の顯(シ)皇祖に坐なり。此差別をよく辨奉べし。】書紀の諸注に。右の意を得たるもの。一もなきは如何ぞも。と云れ。平田翁又此意を演て。皇御孫命御天降の事の起は。右に云るが如く。天照大御神と。素戔嗚大神と御議坐て。早く定給へる事にしあるを。此に始て。天照大御神の御心と詔ひ。此後は專と高皇産靈神の執行給ひて。調へる事になん有ける。【然るを。神代紀の正書は。初に天照大御神之命以。と云事は一所もなく。初終とほりて。高皇産靈尊の特に邇々杵尊を愛して。葦原中國の主にせむと。おもほし立しゝ趣なるは。誤れる傳なり。其は此御天降のこと。始大御神の詔命ならずば。え有まじき幽契のあるをや。また第一一書は。初に天照大神勅2l稚彦1曰。云々と有て。高皇産靈尊の御名は一所もなし。此も非傳なり。すべて此天降の事は。大御神の御命より起りて。高皇産靈神の事執り玉へる。古事記の旨ぞ正しかりけり。】と云れたる。孰れも然る論なりけり。
 
然(レドモ)彼地《ソノクニハ》《サハニ》有2螢火光神《ホタルビノカヾヤクカミ》及|蠅《サバヘ》聲|邪《アシキ》神1。復(タ)有2草木《クサキ》咸(クニ)能(ク)言語《モノイフコト》1。故高皇産靈尊。召2集《メシツドヘテ》八十(ノ)諸神《モロガミタチヲ》1。而|問之《トハシテ》《ノタマハク》。吾|欲《オモフ》v令《シメムト》v撥2平《ハラヒムケ》葦原中國之|邪鬼《アシキモノヲ》1。當(ニ)遣(サバ)v誰《ダレヲ》者|宜《ヨケム》也。惟《ネガハクハ》《イマシ》諸神(タチ)勿2隱《ナカクシソ》所(ヲ)1v知《シレラム》。僉曰。天(ノ)穗日命(ハ)是(レ)神之《スグレタル》《カミ・イサヲ》《ナリ》。可《ベカラメ》v不(ル)v試(ミ)歟《ヤ》是、俯(シテ)順(ヒテ)2衆(ノ)言(ニ)1。即以2天(ノ)穗日命(ヲ)1往(テ)平之《ムケシム》。然(ドモ)此神|侫2媚《オモネリコビテ》於大己貴神(ニ)1。比2及《ナルマデ》三年(ニ)1。尚(ホ)不《ズ》3報聞《カヘリゴトマヲサ》1。故(レ)仍《シキリニ》遣(ス)2其子|大背飯三熊之大人《オホセヒノミクマノウシヲ》【大人。此云2于志1。亦名武三熊之大人。】此(レ)亦(タ)還(テ)順《オモネリテ》2其父(ニ)1。遂|不《ズ》2報聞《カヘリゴトマヲサ》1。
 
(678)彼地云々。此は御言にはあらねど。天上にての御議なれば。此國土を外にして。彼地とは記せるなり。重胤云。荒振神御言向の起はしも。此には高皇産靈尊。其天神御子を。天降し奉らせ給はむと所思しけるに。彼地に。多に荒振神の。所得て荒び居る事を。豫て所知食て。先其(レ)撥平させ給はまく所思して。云々の御政御坐ける趣なり。然るに第一一書には。天照大神勅2天稚彦1曰。豐葦原中國。是吾兒可v王之地也。然慮v有2殘賊強暴横惡《チハヤブルアシキ》之神1者。故汝先往平之。と見えて。此には其斥候として。天穗日命を天降させ玉ひし事を漏して。天稚彦が。謂ゆる高津鳥《タカツトリ》の殃に依て。死ると引續きて。直に天忍穗耳尊御天降の御事あり。是時勝速日天忍穗耳尊。立2于天浮橋(ニ)1。而|臨睨《ホセリテ》之曰。彼地|未平《サヤゲリ》云々。陳2不隆之状1。と有て。此より征伐の御使を。更に降さるゝ趣なるが。大抵は記と同じくて。其事の前後せるのみなり。第二一書には。始より天穗日命と。天稚彦の事とは无くして。天神遣2經津主神1使v平2定葦原中國(ヲ)1。時二神曰。天有2惡神1。名曰2天津甕星《アマツミカホシト》1。亦名天(ノ)香々世男《カヽセヲ》。云々とある。其は此下に。大己貴神國避の後に。於是二神誅2諸(ノ)不v順鬼神等1。と有る細書に。一云と擧られたる事なれば。此に云ふ荒振神の列には非ず。第六一書に。及v至v奉v降2皇孫火(ノ)瓊々杵尊(ヲ)於葦原(ノ)中國(ニ)1也。云々。晝者如2五月蠅1而沸騰之。と有て。此正書の状は。別なるに非ずといへども。其始は天忍穗耳尊を。天降し奉らせ給ふ御政なりければ。瓊々杵尊に係て書されたるは。事の略きに過て。其實を失ひ給へり。とや云まし。【其中に。第一一書のみは。其正しきを得たる状なれども。其も亦事の前後せる差有に依て。條理の全くは通らざりける者なり。又此に彼地多在2螢火光神蠅聲邪神1。復有2草木1咸能言語と有も。其始天神の御許にても。然る巨細なる事共所知食ざりしを。天穗日命(679)を。國體見に被v置たるが。天下を見巡りて。復奏し玉へるに依て。天神にも所知食けるを。其は後の事を前へ上せて傳たる由。下以2天穗日命1往平之。の所に云を見て知べし。】此運びに至ては。古事記に傳はる趣なむ。實に首尾相契合て。甚分明しかりける。天照大御神之命以。豐葦原之千秋長五百秋之水穗(ノ)國者。云々。思金神(ニ)令v思而詔。此葦原中國者。我御子之|所知《シラサム》國(ト)。言依(シ)所賜《タマヘル》之國也。故以d爲於2此國1道速振《チハヤブル》荒振國神等之多在(ト)u。是使2曷(レノ)神(ヲ)1而將2言趣1。【下略】と見えたる。其始天照大御神の。天忍穗耳尊を。天降し奉らせ玉へるは。本より天神(ノ)御子の所知食べき。大御食國たるに依て。荒振國神の。障(ヘ)申さむ事の有べしとは。思ほしも寄(ラ)せ玉はざる御事なるが故に。御|一己《ヒトリ》の大御心を以て。取行はせ玉へる事。上に注るが如し。天忍穗耳尊も。其御心にて御在坐が故に。何の疑ひも御坐(サ)ず。天降らせ給ひけるに。甚く喧擾《サヤ》ぎて有しかば。還上りて申させ給へるに依て。皇大神と共に。高皇産靈神の相加はりて。政ごたせ玉へるなり。此よりは取分て。其神の物|爲《セ》させ給ふなり。其に就て。此に殘城強暴横惡之神有と。所聞食しより。天安河の河原に。八百萬神等を集へさせ御在坐て。思兼神を謀主と爲て。其言向させ玉はむ状を。神議らせ玉ひ。其群議に依て。天穗日命を先(ヅ)巡察使に降し玉ひ。次には天稚彦を征伐として。使はし給ふに至れるなり。と云り。○螢火光神。此訓は。本のまゝにても通ゆれど。なほ記傳に云れたるが如く。次なる蠅聲邪神を。サバヘナスと訓るに對へて。ホタルナスと訓べきなり。萬葉十|螢成髣髴《ホタルナスホノカニ》聞而と有ほ。如v螢の義なるに准らふべし。那須は。如くと云意なり。第六一書に。夜者若2※[火+票]火《ホヘノ》1而|喧響《オトナヒ》之。晝者|如《ナス》2五月蠅《サバヘ》1而|沸騰《ワキアガル》之。と有て。※[火+票]火此云2褒倍1。と注され。又出雲神賀詞(680)にも。晝波如2五月蠅1水沸支《ミナワキ》。夜波如2火瓮《ホヘノ》1光《カヾヤク》神在利と見え。又常陸風土記|香島《カシマ》之宮條に。晝者狹蠅(ノ)音聲《オトナヒ》。夜者|火光明《ホヘノカヾヤク》國。と有を。伴信友説に。光字疑(ハ)瓮字(ノ)訛。光瓮字相似。當v作v瓮也。と云る如くにて。火瓮明國と有しにて。右の例共に。異ならざるなり。然れば此に謂ゆる螢火光神と云も。如2※[火+票]火(ノ)1と傳れるも。譬は其心々にて。見立(ツ)る者にし在ければ。其言別にして。其物一なりしなりけり。偖此説の古きは。私記に師説曰。以2神之威光1。喩2螢火(ノ)光1者也。と注し。口訣に螢火光神。及蠅聲邪神者。晝夜亂飛。小威之惡神。と云ひ。纂疏には螢乘2夜間1。蠅見2晝日(ニ)1。表3彼邪氣無(キヲ)2止時1也。などあり。○蠅聲邪神。一書に如2五月蠅1而|沸騰《ワキアガル》之。【注に五月蠅此云2左麼倍1とあるは。此本書にあるべきなり。】記に狹蠅那須|皆《ミナ》滿《ミチ》とあり。記傳云。狹蠅は五月ごろの蠅なり。然るを佐都岐といはで。佐とのみ云は。田植る農業を。凡て佐《サ》といふ。其苗を佐苗《サナヘ》。植る女を佐少女《サヲトメ》。植始るを佐開《サビラキ》。植終るを佐登《サノボル》と云が如し。さて又其業する月を佐月《サツキ》と云。其頃の雨を佐亂《サミダレ》【亂とは久しく雨ふるを云。源氏物語に風雨を空の亂(レ)と云り。】と云なり。かゝれば狹蠅も。田植る頃の蠅と云意の稱なり。其頃殊に此蟲は多かる故に。名に負へるなり。とあり。允恭紀に、蠅散《ハヘノゴトクサハグ》。又萬葉に五月蠅成驟騷《サバヘナスサワク》などあるが如く。多くの邪神どもの。荒びたつを云なり。○草木成能言語。一書に。草木を木株草葉《キネタチクサノカキハ》とあり。木株は祝詞に木根立とあり。一體の木立の事にあらず。所謂|杠《キリクヒ》の事なり。草葉は。祝詞に草能可岐葉。又|垣葉《カキハ》に作る。此垣字を朝野群載には破と書り。又祝詞に片と書るをも合せて思ふに。本居翁の説の如く。唯|稀小《イサヽカ》なる草の一葉まで。と云なるべし。然るを此に草木とあるは。例の漢文體に約めて書れたるなり。さて草木の言語は。纂疏に。所謂磐石草木。咸能強暴也。一謂2鬼神依託(スルヲ)1也。と注して。漢籍左傳を引せ賜へるは。然る事にて。邪神の態として。事|問《ト》はぬ岩根木株。草(ノ)片葉をすら。能言語やうに。率《マシコラ》したる由なり。天穗日命の返事には。青水沫《アヲミナワ》も。事問へる由みえたり。さて記には。、萬物之|妖《ワザハヒ》悉發と云るこちあり。【此は素戔嗚尊の。泣いさち玉ふ時の事にて。彼と此と。時は異なれども。其事の状は全く同じ。】此は即こゝなる草木言語。又一書なる盤根木株云々とある事等に當れり。是|物言《モノイフ》まじき物の言は。妖性《ワザハヒ》なるを云なり。萬(ノ)物とあれば。如此る事の妖ども。なほ種々有けむを。草木云々などは。其中の一(ツ)二(ツ)を擧て。語傳へたる古言なり。【大殿祭詞に。磐根木根|立知《タチ》。草能可岐葉乎毛言止※[氏/一]。とある。磐根の物言し事は更なり。有と有る※[手偏+總の旁]ての草木の類は。悉く皆言語りしかば。杠又は痿《カジ》け淺りたる稀少なる草に至るまでも。と云ふ意なる故に。態と殊更に取出て。木根立知。草能可岐葉乎毛。とは云るなり。咸能言語とある咸字に。此なる乎毛の辭を合せて知べきなり。】と云れたる。然説なり。○故高皇産靈尊召集八十諸神云々。記云。爾高御産巣日神。天照大御神之命以。於2天安河之河原1。神2集(ニ)八百萬神(ヲ)1集而。思金神(ニ)令v思(ハ)而詔。云々とあり。思金神の事。此には漏されたるに就て思ふに。此諸神等の中に。思測の知慧《サトリ》深き。其神の在て。萬事を悉に知て御坐すが故に。其知られん所。遺すことなく申せと詔へるなり。さて八十諸神は。第六一書にも八十(ノ)諸神《モロカミ》とあり。此同じ事を。崇神紀に八十萬(ノ)諸神とあり。この八十諸神の諸を。本にヨロヅと訓來れるは。外に例なし。永和本には八十萬諸神とあり。【但し一書の方は萬字なし。】夫木集永仁大嘗會歌に。あまてらす日かけの手次かけまくも。かしこく守れ八十の諸神。○撥平。記には言向とあり。言を以て賊を平治《ムケヲサ》むるなり。言向の字に就て記傳に。牟氣は牟加世にて。背(682)ける者を。此方へ令《シムル》v向《ムカハ》意の言なり。背向《ソムケ》は此(ノ)裏にて。彼方へ向なり。平字を書て牟氣とのみも云り。此方へ向は即歸服なり。と云れるは信がたし。○惟爾。第二一書にも。惟爾《ネガハクハ》二神亦同侍2殿内1云々とあり。私記に。禰加波久波以末之と訓り。續古今集に。願はくは花の下にて春死む。其二月の望月の頃。とあるなど。誂《アトラ》へ求むるなり。○神之傑也。傑秘閣本にイサヲとあり。竟宴歌にもしかよみたり。勇雄《イサヲ》の意なり。此神はじめは。不2忠誠1が如く見えしかど。三年過るまで。大國主神に媚(ビ)附て。漸々に彼神の御心を和し玉ひ。遂に報命たまひしは。まことに傑れたる神にぞ坐しける。【其由は下にあり。】○可不試歟。明應本コヽロミタマヘと訓り。然れどなほ本の訓によりて。試ミザルヘカラメヤと訓べし。然訓む時は。所謂反語の例にて。此神を除ては。他に試る神無しと云事に成て。上に是神之傑と有に合せて。其心深くきこゆればなり。なほ下に云。○俯順。平田翁云。俯は依の誤か。○佞媚。記には媚附とあり。佞は面幣理《オモヘリ》なり。【禰と幣と通音】續紀卅詔に。對天方無禮岐面幣利無久《ムカヒテハヰヤナキオモヘリナク》云々。面幣利毛理無禮之天《オモヘリモヰヤナクシテ》云々。解云。面幣利は面の氣色にて。俗にいふ顔ぶり。顔色なり。應神紀に有2付悦之色《ヨロコビタマハヌオモヘリ》1。天武紀に若有2不服色《マツロハヌオモヘリ》1などあり。と云り。媚は字鏡に※[女+無](ハ)媚也古夫と見え。靈異記にも。媚コビとあり。偖大己貴神。此國をば天神御子の御爲に。造固め置して。奉らん御心なる上は。荒振神と等並《ヒトシナミ》に撥平《ハラヒムケム》などは。思ほしも寄ぬ事なるが故に。一向に御心を執申し玉へるに依て。媚附とは云しながらに。姦人の阿諛《ヘツラヒオモネ》るなどゝは。本より日を同じくして。云べからざる事共なり。口訣に。天穗日命(683)阿2大己貴神造(ノ)v國大功(ニ)1と云り。さることなり。なほ此事は次に委く云べし。○比及三年は。必しも三歳の數に拘はらず。大凡に三年程も。といふ意なり。一書の八年之間も。これに同じ。○尚不報聞。記傳云。加幣理言とは。使人の還りて。申す言と云意にて。加幣理は。其使に係る言なり。と云り。【此言の意は既に上卷にも云り。】さて穗日命の。思慮|潭《フカ》く左右《トカク》はかり給ふ年月の經行しは。まことに無2止事1ことゞもありけるを。天上にては。三年になるまで待給へども。還來坐ぬ故に。遂に返事申さで。止ぬる者のごと。思はれまつりしなり。しか三年過る迄も。此國に坐しなれば。既く其間にも。かつ/\和し給ひけん故に。佞媚とは云るなり。其は未(ダ)返事せぬ程は。其志趣知られざれば。たゞに不忠《マメナラヌ》が如くぞ聞えけん。【この事はなほ次に云り。】○背飯三熊之大人亦名云々。本に亦名以下八字。大書したるは例にたがへり。纂疏本見林本に。細書せるに從りつ。御名義【大背飯の訓は。秘閣本にオホセヒノとあり。私記に於保世美乃と訓るはいかゞ。】次に云べし。さて此神の亦名を。天(ノ)夷鳥《ヒナトリ》命とも。武《タケ》夷鳥命とも。武|日照《ヒナテリ》命とも。建|比良鳥《ヒラトリノ》命とも申し。また天|鳥船《トリフネノ》神とも。健康三熊之《タケミクタマノ》命とも。稻背脛《イナセハギ》とも申せり。其は平田翁云。此神は殊に別名多くて。紛らはしきを。悉は擧ていはゞ。崇神紀に武日照命。【一云武夷鳥。又云天夷鳥。】とあるを。記の御詔別段に。建比良鳥命とある。武夷鳥といふ那を良と訛れるなり。また紀に大背飯三熊之大人。【亦名武三熊之大人】と見え。遷却崇神詞には。健三熊之命と有て。考に大背飯三熊之大人とある神は。即夷鳥命と同神の如く聞えたるに。又以2熊野諸手船1。載2稻背脛1とある。三熊之と。熊野と。大背飯と稻背脛と。よく似たるをも思べし。【波岐は比と切る。】然れば(684)本は一神にて。天夷鳥命なりけんか。傳々にて。さまざまには轉(リ)しなるべし。と云て。稻背脛と云をも。夷鳥命と一神とせられたり。さてまた天鳥船神と云は。夷鳥命の亦名なる由は。内山眞龍が出雲風土記解に。古事記に。此國を平給ひに。天降坐る神の名。天鳥船神は。穂日命の子とはあらねど。神賀詞を合せみれば。正しく穂日命の御子と思はる。此神の名の。如此さま/”\に傳はりたる中に。古事記に鳥船神と云るは。船の御功に依て。負玉ふ御名と聞ゆ。三保《ミホノ》埼にて。事代主神を問せ給ふ文に。故以2熊野諸手船(ヲ)1。載2使者稲背脛1。とあるを。記には遣2天(ノ)鳥船神1。徴2來八重事代主(ノ)神1。とありて。鳥船神は神壽詞によるに。天夷鳥命と同神ときこゆれば。書紀の大背飯三熊之大人は。使者稻背脛と。記の鳥船神と同神にて。其功によりて。御名は數々あるなり。さて熊野諸手船に乘て。三保埼に至て。車代主神の諾否《イナセ》を問玉ふを。御使の名に負るなるべし。と云るは。いと委き考なり。此等を思ひ集めて。みな一神の別名なることを曉るべし。【近江蒲生郡馬見岡神杜に傳はる古祝詞。又彼社記には。天夷鳥命健御熊大人命を。天穗日命の元子次子と云り。されど信がたし。さて平田翁云。三熊は。式出雲國意宇郡熊野坐神社あり。此地名に依れる御名なり。さるは彼地名を。三熊野とも云を思べし。また式三熊と云を思ふに。若くは其健を美て稱へしにもあるべし。また式に因幡國高草郡天穗日命神社。天日名鳥命神社。阿太賀太都健御熊命神社云々。また式に。出雲國出雲郡阿麻能比奈等理神社あり。文徳實録天安二年三の下に。在2河内國1天夷鳥神。云々ともあり。】されば。此御名の大背飯は。稻背脛と同意にて。三熊は熊野諸手船によれる御名なり。【此事なほ次に云。】○遂不報聞。平田翁云。御父天穗日命の。大己貴神に媚附て。彼神の御心を取給ふ事に從ひ。共々に祐て。其事を謀れる故に。此神も返事申さゞるなり。【然れども。御父子ともに。天神に忠誠ならずて。然るに非る。深き思策をめぐらして。大已貴神を和し靜め。大八州の現事顯事を。皇孫命に。事なく避奉らしめ玉はむとにぞ有ける。】と云れたり。其は出雲國造神賀詞に。高(685)天能神(ノ)王《ミオヤ》高御魂神魂能。皇御孫命爾。天下大八島國乎。事依奉之時。出雲臣等我遠祖。天穗比命乎。國體見爾遣《クニガタミニツカハシヽ》時爾。天之八重雲乎押別※[氏/一]。天翔國翔※[氏/一]《アマガケリクニガケリテ》。天下乎|見事廻※[氏/一]《ミメグリテ》。返《カヘリ》事申給久。豐葦原乃水穗國波。云々|荒振國在利《アラブルクニナリ》。然毛鎭平《シカレドモシヅメムケ》天。皇御孫命爾。安國止平久。所知坐《シラシマサ》之米牟止申※[氏/一]。己命(ノ)兒天(ノ)夷鳥命爾。布都怒志《フツヌシノ》命乎|復天《ソヘテ》。降遣天。荒布留神等乎。撥平氣《ハラヒタヒラゲ》。國作之大神乎毛。媚鎭《コビシヅメ》天。大八島國現事顯事。令2事避1支。とありて。記傳に。抑此天穂日命の故事を考るに。記紀と遷却祟神詞とは。皆大旨同じきに。たゞ出婁神賀のみは。其趣甚異なるは。師の祝詞考云。穂日命は大名持神に媚附て。三年に至《ナル》まで。復命申さずと。記紀などにはあるを。此神賀詞にかく云るは。國造の遠祖なる故に。宜く云なせるにやと。思ふ人も有なむか。然にはあらず。此傳事。右の二書には漏たるが。此詞に遺れるなり。若二書に見えたる如く。遂に返事申さずは。天若彦に亞《ツキ》たる罪も有べきに。然はあらで。天(ツ)神祖《カムロキ》の詔に。大名持命の祭をなさむは。穗日命なりと詔ひしは。よく彼神を媚和しし故なり。さて天に復命て。終に天夷鳥命。布都怒志命を天降して。大なる功を成《ナセ》るも。もはら穗日命の思兼によれり。と云れつるぞ。委しき考なりける。今又委く考るに。先初に。此神を天降し遺しゝは。次の天若日子の如き。征伐《ウテ》の御使には非ずて。只彼神賀に云る如く。此國の體《カタチ》を見て。其状に隨ひて。宜きさまに謀はしめむとにぞ有けむかし。【重胤云。國體と云は。後に謂ゆる巡察使の如くなむ有ける。其例は景行紀二十五年に。遣2武内宿禰1令v察2北陸及東方諸國之地形且百姓之消息(ヲ)1とあり。巡察の事は。實に重任なるが故に。思兼神より謀を奉りて。諸神の中より傑(ノ)神と。殊に抽て。天穗日命をば。天降し遣はされたるなりけり。と云り。】其故は。彼天若日子を遣はしゝには。弓矢な(686)ど賜ひし事あるを。此神には然る事もなければなり。【若征伐ならば。最初に此神を遣す所にぞ。弓矢などの事は有べきわざなる。さて又建御雷命を降し玉ふ處にも。弓矢などのさたなきは。其は既に天若日子の處に出つれば。略けること本より然あるべきなり。】さて復奏たまひしは。三年も過て後の事なれば。記などには。其間甚久もく還りたまはぬ程を言て。即次の天若日子の事に移れる故に。其後に。此穗日命の復奏玉ひし事をば。まぎらかして。傳へ脱せるなるべし。偖後に。雉名鳴女《キヾシナナキメ》を遣はす時に。只天若日子の事を問しむる由のみ有て。此穗日命の。猶久しく還らぬ所以を。問はしむる事は。見えざるを思へば。其|以前《サキ》に。既に返事申玉ひし事知られたり。かくて彼神賀に。菩比命は返事申て後は。天に留まりて。降玉はぬ趣に云るも然有けむ。其故は記上卷此神の子孫の氏々を擧たる處に。天菩比命。此出雲國造之祖也。とはなくて。天菩比命之子建比良鳥命。此出雲國造之祖也。とあるも。出雲に降りて。大國主神の祀を主りし始祖は。夷鳥命なればなるべし。と云れたる。まことに然る言なり。
 
故高皇産靈尊更(ニ)會《ツドヘテ》2諸神(タチヲ)1。問(ヒタマフ)2當(ニ)《ベキ》v遣《ツカハス》者(ヲ)1。僉曰(ク)。天國玉《アマツクニタマ》之子|天稚彦《アメワカヒコ》是(レ)壯士也《タケキヒトナリ》。宜試之《コヽロミタマヘ》。於是高皇産靈尊賜(フ)2天稚彦(ニ)天(ノ)鹿兒弓《カコユミ》及(ビ)天(ノ)羽々矢《ハヽヤヲ》1。以|遣之《ツカハス》。此神亦不2忠誠《マメナラ》1也。來到《イタリテ》即|娶《マキテ》2顯國玉《ウツシクニタマ》之女子|下照《シタテル》姫(ヲ)1。【亦名(ハ)高《タカ》姫。亦名|稚《ワカ》國玉。】因(テ)留住《トヾマリ》之|曰《イハク》。吾亦|欲《オモフトイヒテ》v馭《ヲサメムト》2葦原中國(ヲ)1。遂|不《ズ》2復命(サ)1。
 
(687)故高皇産靈尊云々。重胤云。彼螢火光神。蠅聲邪神の如き。此國に在ゆる荒振神の本説は。天穂日神の復奏し玉へるに因て。天神にも然る細かしき事共をば。初て所知看けるに。此に天稚彦を遣し給へる程は。其|荒芒《アラビ》たる消息を。未(ダ)知看ざりし故に。第一(ノ)一書に。天照大神勅2天稚彦1曰。豐葦原中國。是吾兒v王《キミタル》之地也。然(レドモ)慮v有(ムト)2殘賊強暴横惡之神1者。故汝先往平v之。と推量に詔玉へる事。右に然慮と有を以知べし。記御天降段始。天穂日命を遣し玉ふとて。神議|在《オハ》します所なる。天神の御言にも。故|以d爲《オモホス》於2此國1道速振荒振國神之|多在《サハナリト》u。是使2何神1而|將《マシ》2言趣《コトムケ》1。と有る以爲の首も。正しく其荒振神の状をば。見認《ミトメ》玉へるには非る事なるを。合せ曉るべし。【然るに此正書には。天神の御言に。然彼地多有2螢火光神及蠅聲邪神1。復有2草木1。咸能言語。と書されて本より。然巨細に所知食ける趣なるは。簡易に書さるゝとて。後の事を前へ及されたるなるべし。偖此に載られずと雖も。第一(ノ)一書及記の趣は。此謀思兼神の思慮に出たるなり。】故天神の天稚彦を。天降し遣し玉へるは。天穂日命御父子を。國鯛見に遣し玉へりしが。復奏し玉はざるに就ては。此國に殘賊云々(ノ)神有て。甚く喧響《サヤゲ》るに阻《ハヾ》まれて。二柱神共に。遂に復奏申さゞるなめりと所思して。右の二神に拘はらず。征伐の御使として。天稚彦を降して。其荒振神等を撥《ハラヒ》平させ玉はむとの。御政に御座が故に。弓矢を賜へるにて。伊勢風土記に。天日別命に標《シルシノ》釼を賜ひ。崇神天皇十年四道將軍に授2印綬1と有も。兵器を印綬と爲て玉へるにて。軍防令に。凡大將出征皆授2節刀1。とある類これなり。然して此に天稚彦是壯士也。宜v試之。と有る壯士は。天穗日命の神傑を。巡察使に遣はされたるに對へて。此武神を征使と爲て遣はさむと。選申されしなり。宜試之と有は。此國の動靜未(ダ)定らざるに依て。先此神を(688)遣して。其所置を見給ひ。其消息に依て計はせ玉ふべく。議白せるにて。先の天穗日命に。可v不v試歟と。限りて申せるとは異にて。少か危ぶむ意味無には非ずなむ有ける。果して此神|忠誠《マメ》ならざりけり。此神亦不2忠誠1也と有る亦字は。天穗日命に響きて快からず。此神者と有らま欲《ホ》し。と云り。○僉曰。紀には問2諸神等1云々。爾思金神答白。とあり。○天國玉。記に天津國玉神とあり。熱田本秘閣本にも。アマツと訓り。從ふべし。○天稚彦。名義。何となき稱辭なるべし。式(ニ)出雲國天若日子神社二(ツ)あり。○宜試之は。重胤云。上に注るが如く。天穗日命に可v不v試歟と有は。此任に當りては。其神より外に任(ケ)玉ふ可き神無しと。限りて申せるを。此に宜v試之と云は。此神より餘に遣すべき神の。無には非れども。先此神を遣して。其|消息《アリサマ》に就て治め給へと。少か危ぶむ意を含めり。但然危ぶむ神をして。遣はされむ事を。議奏せる事は。如何《イカヽ》なる状には在れども。未(ダ)天穗日命の。復奏し給はざりし以前の事にし有ければ。未(ダ)此國の消息《アリサマ》も詳ならざりし程の事なるが故に。此神を遣はされたる上にて。御《ヲサ》め玉ふ道は有なんと。謀り豫《アラ》まして奏せるにて。是思兼神の思慮の。始終に宜しきを得る所以になむ有ける。と云り。○天鹿兒弓。天羽々矢。記に天之|麻迦古弓《マカコユミ》。天之|波々矢《ハヽヤ》とあり。一書には。天(ノ)鹿兒弓。天(ノ)眞鹿矢とあり。記傳云。此記下に雉を射たる處には。天之|波士《ハシ》弓。天之|加久《カク》矢と云るを。書紀には本書一書ともに。雉を射たる弓矢も。初に所v賜と同名なり。かくて又下に。天|忍日《オシヒノ》命。天津|久米《クメ》命の。天降らす時に。取持るをば。天之波士弓。天之眞鹿兒矢とあるを。書紀には天(ノ)梔弓。(689)天羽々矢とあり。是等を相照して考るに。眞鹿兒弓と波士弓と。一(ツ)にして別物に非ず。波々矢と眞鹿兒矢とも。一(ツ)にして別ならず。鹿兒とは。鹿兒を射る由にて。弓矢ともに其用を云る名。波士は木(ノ)名。波々は羽《ハ》の状にて。これらは其體を云る名なり。かくてこゝには。麻迦古弓と。弓には用(ノ)名を云。波々矢と。矢には體(ノ)名を云て。下には其を打飜《ウチカヘ》して。弓に體(ノ)名。矢に用(ノ)名を云る。弓と矢と。互に體用の名をちがへ擧て。同物なる事を暗に知せたる。古文の巧おもしろし。さて鹿兒とは。【和名抄にも。鹿其子曰v※[鹿/兒]。和名加呉とありて。鹿の子を云なれど。】此はたゞ鹿の事にして。其子を云には非ず。たゞ鹿をも鹿兒と云は。馬をも常に駒と云。猪をも韋能古と云。【猪一名豕とあり。】と同例なり。さて古にも獵に。小獣及烏などを射るには。小き弓矢を用ゐ。猪鹿など大なる獣には。弓も大にして強きを用ゐ。矢も長きを用けん。故鹿兒弓鹿兒矢と云は。大なる弓矢の稱なり。さて今征伐の使にも。さる大弓長矢を給はむは。もとよりの事。【重胤云。偖斯る征戰の言を以。號らるべきに。然らぬは如何と云に。常に弓矢を用るは。山狩野獵をし。猪鹿を取るをば。主と爲る事なるにて。征戰は背叛く者の有る時に臨みて。用ふる物なるが故に。其常なる方に依て。其名を定めて。鹿兒弓鹿兒矢とは云るにぞ有ける。海宮遊行章に。海幸の鈎に對へて。山幸には弓矢を云るを以て。弓矢の用の。常と云時は。猪鹿を射取る爲なる事。此を以知べし。】次に波々矢は。羽張矢《ハハリヤ》にて。【絹布の類の幅《ハタハリ》を省きて。波婆と云も。同例なるを思ひ合すべし。或説に羽矧矢の略といへれど。羽を矧がざる矢はるべくもあらず。】羽の廣く大なるを云なるべし。と云り。○此神亦不忠誠。亦は天穂日命のいまだ復奏さゞる故に。彼神を忠誠ならずと思けるに對へて。此神も亦と云るなり。されど重胤云。天稚彦と。此穗日神とは。將軍と斥候との如き差別あるが故に。上にも云る如く。事の状の一には。成まじき所なるを知べし。此を一つにして見る故に。此神をしも忠誠ならざる如くに云ふ惑はしき言は。出來れるにぞ(690)有ける。さるは本より。大己貴神。此國をば天神御子の御爲に。造堅めさせ置(カ)して。奉らむ御心に御在し坐す上は。荒振神と等《ヒトシ》並に撥平《ハラヒ》などは。思ほしも寄ぬ事なるが故に。一向に御心を執申させ玉へるに依て。媚附とは云りしながらに。姦人の諂諛るなどゝは。本より日を同じくして云べからざる事共なりけり。天神御許にては。然る差別までには及ばせ給はず。大己貴神に於ては。異義本より有べくも思ほしたらざりければ。唯荒振國神を。撥平させ給はむ御心坐が故に。其子三熊之大人を引續ぎて。天降し玉へるを。天上にて其神の思ひしとは。案《オモヒノ》外の事なるが故に。其父の事に順ひて。共に計らはでは得有まじかりけるを以て。其事に係列《カヽヅラ》はれし程に。次には天稚彦を征伐《ウテ》として。降し給へるに。引(キ)代りてぞ。天穗日命三熊之大人は。國體《クニガタ》を見畢て。復命申させけらし。上にも引る記傳に。天穗日命の復奏し玉ひしは。三年も過て後の事なれば。此記などには。其間甚久しく還玉はぬ程を云て。即次の天若日子の事に移れる故に。其後に。此天穗日命の復奏し玉へる事をば。混らして傳へ脱せるなるべし。然後に雉を遣す時に。唯天若日子の事を令v問(ハ)る由のみ有て。此天穗日命を令v問る事は。見えざるを思へば。其以前に已に返事申玉ひし事知られたり。と云れたるは。委しき考なるが上に。若天穗日命の久しく留り玉はましかば。天稚彦が此後に降れるに。然る恣なる所行共は。爲《ナサ》しめ玉はざらまし物をや。此を以て次に天穗日命に當て。天稚彦が事に。此神亦不2忠誠1也と云る。亦字の大に義を誤る事を曉りて。其心すべきものになん。○顯國玉は。大國主神の亦名にて。此時已に國土(691)經營の御功業を畢させ御坐て。天下蒼生に。專(ラ)恩頼を幸《サチ》はへおはします御名にて。記なる御父大神の御言に。意禮《オレ》爲2大國主神(ト)1。亦爲2宇都志國玉神(ト)1。と詔ひ依し玉へるを。此時已に成竟玉へる御名なり。偖此は記と同傳なるに。こゝに命とも神ともなくて。別神の如く聞えたれど。なほ傳の異なるにはあらず。此紀には。火産靈。罔象女。埴山姫など。神とも命ともなき例あまたあれば。此も其らの例と見てありぬべし。上なる天國玉。天稚彦も。其例なるべし。○下照姫。記云即娶2大國主神之女下照比賣1【亦名稚國玉神】とあり。さて此神は。記に大國主神娶d坐2胸形奥津宮(ニ)1神。多紀理毘賣命を阿遲※[金+且]高日子根神。次妹高比賣命。亦名下光比賣。とあり。記傳云。抑下照比賣は。父神の御名の大國玉に對へて。稚國玉と負たるは。女神ながら父神を輔けて。國經營に大なる功ぞ有けむ。されば當時威勢も有けむ故に。今天若日子此國を得むと欲ふ心から。此神をも娶けらし。と云り。下照姫と申名義は。允恭紀七年に弟姫《オトヒメ》容姿絶妙無v比。其艶色|徹《トホシテ》v衣(ヲ)而見(ハル)之。是以時人號曰2衣通(ノ)郎姫(ト)1。とある義にて。艶色の身(ノ)外に。晃度《テリワタ》れる謂なるべし。萬葉十八|多知婆奈之之多泥流爾波爾《タチバナノシタテルニハニ》云々。十九|春花紅爾保布桃花《ハルノハナクレナヰニホフモヽノハナ》。下照道爾《シタテルミチニ》。云々などは。華の氣韻《ニホヒ》の其蔭に滿たるを云なれども。下照の意は此に同じ。記に高比賣命と申すは。地神本紀に。高照光《タカテル》姫大神命と申す。高照光は下照と申に異ならず。下照は。催馬樂の歌に。玉ひかる下ひかる。新京朱雀の垂《シダ》り柳。とあるが如く。物ありて其(ノ)下傍《シタ》に光り滿たる意にて。なほ上下の下のみにもあらず。表に對へては裏の意もあり。されば下照は。上より下を照す意。高(692)照は高きより低きを照す意なるを。合せ思ふべきなり。偖地神本紀に。此神を坐2倭國葛上郡雲櫛(ノ)社(ニ)1とあり。式に葛上郡大倉此賣神社一名雲櫛社とあれば。亦名大倉比賣神とも申せるなり。【此社。今巨勢(ノ)河合村と云に在て。宇久比須宮と號ふと。或書に見えたり。】○吾亦欲v馭2葦原中國1と有は。重胤云。下照姫命は。稚國玉神とも申して。御勢の盛大に御坐し坐す許《モト》に。留住しかば。其任に此神の上に立て國を御(メ)むと。負氣《オフケ》なき心の起りし状なるに合せて説く事也。亦字は何れに對へて云なるらむと考るに。上に此神亦不2忠誠1也と有は。上章第六一書。大己貴神の興言に。夫葦原中國本自|荒芒《アラビテ》云々。然吾已摧(キ)伏(テ)莫v不2和順1。遂因言。今理2此國(ヲ)1唯吾一身而已。其與v吾共理2天下(ヲ)1者。蓋有之乎。と有が如く。其大神の天下を統べ持たせ御坐しかば。其神の馭《ヲサメ》給ふ國を。吾亦|馭《ヲサ》めむと云るにて。天神の御爲にも。國神の爲にも。甚忠誠ならざる心を起しつるなりけり。記には慮v獲(ント)2其國(ヲ)1と見えたれば。其|舅《シウト》とある大己貴神をば。賺《スカ》し拵へむとてこそ。其御婚は成たりけらし。是天神の御命を過てるなりけり。然云所以は。上に注る如く。天神には素より。大己貴神の御上に於ては。少かも踈給ふ大御心の御坐ざるを。天穗日命を國體見に遣し玉へるが。其復奏の遲きに依て。國神の荒び共《ドモ》有むかと所思して。此に天稚彦を征伐として。天降し玉へるなり。然して大己貴神の御許にては。天神に背(キ)奉る御心御坐し坐ざるが故に。征伐の御使をば受させ玉ふ御心坐々ざる事。第二一書。經津主神武甕槌神の行向ひ玉ひし所に。疑(ハシ)汝二神非2是吾(ガ)處(ニ)來者(ニ)1。と申玉へるを以。知られたり。【谷重遠説に。天稚彦既與2敵國1結v婚。と云れども。大己貴神の國土を造固め坐して。大國主神と成らせ玉へるは。私の御事にては且ても御在坐ざりければ。天神の御爲に。御敵と申さむ事(693)は。甚しき強説なるを。古より人皆得曉らざるが故に。其論悉く妄なるに過ず。】といへり。
 
是時(ニ)高皇産靈尊恠(ム)2其久(ク)不來報《カヘリコトマヲシニマヰコザルコトヲ》1。乃(チ)遣2無名雉《ナナシキヾシヲ》1伺《ミセタマフ》之。其|雉《キジ》飛(ビ)降(テ)止《ヲリ》2於天稚彦(ガ)門(ノ)前《マヘニ》所植《タテル》【所植。此云2多底婁1。】湯津|杜木《カツラ》之|杪《スヱニ》1。【杜木。此云2可豆邏1。】時(ニ)天(ノ)探女《サグメ》【天探女。此云2阿摩能左愚謎1。】見而《ミテ》謂2天稚彦(ニ)1曰(ク)。奇《アヤシキ》鳥來(リテ)居(リ)2杜(ノ)杪《スヱニ》1。天稚彦乃取(テ)2高皇産靈尊(ノ)所賜《タマヒシ》天(ノ)鹿兒弓天(ノ)羽々矢(ヲ)1。射v雉|斃《コロシツ》之。其矢|洞2達《トホリテ》雉(ノ)胸(ヨリ)1。而至(ル)2高皇産靈尊之|座前《マスミマヘニ》1也。
 
怪其不來報。重胤云。怪は第六一書に。高皇産靈尊勅。昔遣2天稚彦(ヲ)於葦原中國(ニ)1。至v今所2以久不1v來者。蓋是國神有2強禦《イムカフ》之者1。と見えたる。蓋以下の御言に當れるなり。此時漸に。天神に疑ひ所思す御心の。起らし御坐けるなり。此時は。天穂日命父子の神等。已に國體見て。復命し玉へる間なりければ。大己貴神の。世に比類無き功神にて。渡らせ玉ふ事をば。聞食させ玉ふ上は。其神の強禦《イムカフ》はせ給はむと云るは。思ほしも寄(ラ)せ玉はぬ筋にて。此初に謂ゆる。螢火光神。蠅聲邪神の類の。荒振神等が。猶天稚彦に強禦ふに依て。然なむ復命の遲引《オソク》なれる者かと。所思したりけらし。右の蓋是國神有2強禦之者1の勅言は。次に血染2其矢1。蓋與2國神1相戰而然歟。と詔へる所に。相照應ふ所にて。即其(694)天稚彦を。怪しませ玉ふ大命なる者なり。返矢の天上に屆《イタ》る所以は。此に在る者ぞ。忽卒に見る事勿れ。○無名雉。重胤云。記には雉名鳴女と有を。記傳に。名鳴を那々伎と訓れたれども。其國生段畫成の下に。訓v鳴云2那志1。と有に從ひて。此と同じく。雉那々志賣《キヾシナナシメ》と訓べきなり。偖無名と云に。古來種々の説有(リ)と雖も。一として取べき者無し。無名と云は。天(ノ)日鷲《ヒワシ》と云ひ。金色(ノ)鵄《トビ》と云ひ。頭八咫烏《ヤタガラス》と云などは。各形状に別なる。號くべき所有を。此は然る目《メ》立つ者にては。宜しからざるを以て。然まで人の異しむまじき爲に。唯尋常の雉を。遣はされし事と聞ゆめり。【記傳に。二の考あり。二共に其意を得られず。】偖此無名雉を。二度遣はされしと見ゆ。第六一書に。乃遣2無名雄雉1云々。故復遣2無名|雌雉《メキジ》1云々。其無名雌雉ぞ。此(ノ)無名雉。記に所謂雉名鳴女には當れる。其末に亦其雉不v還。故於v今諺(ニ)曰雉之頓使本是也。と有れども。右の一書には。其先に遣はされし。無名雄雉の方に。此世(ニ)所謂雉(ノ)頓使之縁也と有て。頓使の係る所大に差有り。と云り。偖頓使と云事は。第六一書の下に云。○伺之。天稚彦が有状を。伺視しめ給ふなり。さて御使に。鳥を遣はされしは。何なる故にか知られねど。磐余彦尊の兄猾がところへ。八咫烏を遣はされし事など。似たる事なれば。古此類そこの状を伺せ給ふ御使には。多く鳥をつかはされしにぞあらん。と葦牙に云れたり。○門前は。記傳云。此國に淹留《トヾマリ》て。住居《スム》家のなり。さて此家は。何國なりけん。知がたし。【出雲國にもや有らむ。】とあり。されど此家は。美濃國なりと云る説あり。下に云り。○所植は。立るなり。凡て木草は。立てある物なる故に云り。木立などいふも。同じ。記高津宮段。(695)於斐陀弖流波毘呂由都麻都婆岐《オヒタテルハビロユツマツバキ》。神武紀。多智曾麼能《タチソバノ》。仁徳紀。多知瑳箇踰屡《タチサカユル》云々|椰曾麼能紀《ヤソバノキ》などの多知も同じ。みな植りてあるを云なり。○所植此云云々。本に所字なし。今は永享本信友校本にあるに依て補ふ。○湯津杜木。紀に湯津楓とあり。記傳云。湯津は五百箇にて。此は枝の繁きを云。五百津眞賢木。百枝槻。百枝杜樹。五百枝賢木。などある類なり。萬葉三に。五百枝刺繁生有都賀乃樹乃《イホエサシシヾニオヒタルツガノキノ》などよめるをも思ふべし。【また湯小竹《ユザヽ》などある湯も。同じく五百にて。繁きを云り。】さて和名抄に。楓兼名苑云。楓一名※[木+攝の旁]。和名乎加豆良。爾雅云。有v脂而香謂2之楓1。桂兼名苑云。杜一名※[木+侵の旁]。和名女加豆良と。かく牝牡ある中に。楓は郭璞注に。楓樹似2白楊1。葉圓而岐。有v脂而香。今之楓香是也。とありて。賀茂祭に葵と共に用るかつら是なり。桂は今昔物語に。天暦御時に。五條西洞院なる桂宮門前に。大なる桂木ありけるよしみえたり。此桂漢籍に謂ゆる肉桂と呼ものなり。但し今世に多夫《タブ》と云木あり。【處によりて。タモともタマとも。藪肉桂とも云。】其状見分難きまで。桂に似たり。古は此をも桂と呼しなるべし。右の如くなれば。楓と桂とは近き類の木には非ず。甚異なるを。和名抄に同類の如く。牝牡を分て出せるは。元より同類には非ざれども。名の同じくて。混はしき故に。中昔にかりに牝牡と分ち云しなるべし。さて此にあるは。楓か桂かと云に。記に香木とも書き。【字鏡にも※[木+香]とあり】又古書中昔の書までに。人の門又庭などにも在しこと。又彼桂宮のなどを思ふに。桂の方なるべしと云れたるが如し。【以上。記傳を甚く※[木+香]めて採れり。】然るに重胤云。桂は本草和名に。牡桂一名木桂。一名桂枝一名桂心。また本草に牡桂云々。即肉桂也。と見えたれば。漢土にては。牡桂男加都良なるを。(696)如何にしてか。此には女加都良とは云(フ)らむ。其上楓は葉なども嫩《ヤハラカ》なりければ。牝字を用て然るべきを。桂は幹の状も強《コハ》々しく。葉も厚く堅かりければ。牡字實に當れる状なるを。和名の互に異なるは。其抄を書さるゝ時に。配《クマリ》損はれしなるべきにこそ。當昔然る事を誤るべきに非るを。類聚名義抄に。桂をメカツラ。又カツラと訓たれば。其よりは古き誤なるにこそ。然して右の楓桂共に。牝牡の言を去る時は。唯加都良なり。然斗り種類の異なる物に。何を以て。同名を負せたるらむと考るに。此にも海宮にも。杜木はしも。門前に所植る木の状なりければ。古には。必人家の這入《ハヒリ》の門(ノ)外に。此二樹を左右に並植るなどの所由有が故に。牝桂牡桂などの稱を別てるにて。其木名にも。門面《カドモ》の言を以て。呼し者には非るか。故古事記に。楓と有は。右に云牝桂なり。香木と有は。牡桂なるを。取交て其二共に。門前に並立る加都良なる事を。明されたる者と所見たり。然して此に。杜木又杜樹と作れたるは。記傳に。字鏡に杜毛利。又佐加木。と有を思ふに。彼(ノ)今云ふ多夫の木は。殊に瑞々《ミツ/\》しく。甚能榮ゆる木なれば。上代に此をも榮《サカ》樹と用ゐ。又神社などにも。殊に多く有けむ故に。即毛利にも此字を用ゐしなるべし。萬葉十に。志良加志にも白杜樹と作るは。加志をも古は榮樹に用ゐたり。此彼合せて思ふに。杜木と書るも桂《メカツラ》の方なりけり。と云れたる如く。桂の一方に就て書されたるか。又は推古紀に難波(ノ)杜。天武紀に高市(ノ)杜と有などは。森と訓なるを。説文に森(ハ)木(ノ)多貌と有る義を取て。楓に在れ。桂に在れ。枝葉の扶疎《シキモ》す方に。用られたるにて。牝牡の加都良を。並植る義を思はれたりし者と(698)と云事。佐具賣の名義に叶べし。と有る佐久自理は。源氏細流に。賢《サカ》しく指《サシ》過したる心なり。と注せり。又花鳥餘情に。鐫字を佐久自理と訓り。記傳に。今世の諺に。天之佐古《アマノサコ》と云は此名なり。其も左右に人に悖ひて。心惡き者をなん云める。と云れしは然る説なり。○奇鳥。一書に鳴聲惡(キ)鳥云々。記に鳴音甚惡(シ)云々とあり。私記に安也之支止利と有に據て訓べし。本にメツラシと訓たれども。此雉は此國に。本より在るなりければ。其を稀見《メツラシ》と云には非ず。彼(ノ)人語を以て。天神の詔命を委曲に宣れるを。怪しと爲るなり。例は雄略紀五年。天皇校2獵于葛城山(ニ)1。靈鳥忽來。其大如v雀。尾長曳v地。而且鳴曰|努力《ユメ》々々と有も。人語を成して。瞋猪《イカリヰ》の逐來れるを知せたる。其事を以て。靈鳥とは云にて。此の奇(キ)鳥の趣に同じ。神武紀に。天皇の兄磯城を討玉ふ時。兄磯城不v承v命(ヲ)。更遣2頭八咫烏1召之。時烏到2其營1而鳴之曰。天神子召v汝。怡弉過怡過。兄磯城忿之曰。聞2天(ノ)壓《オシ》神至(ト)1。吾爲2慨憤1時。奈何|烏《カラスノ》鳥|若此《カク》惡鳴耶。乃彎v弓射之とあるも。人語を成して。兄磯城を誘ふさまを知せたるは。全く此奇(キ)鳥の鳴聲をなしたる趣に同じ。記に天神の御言に。汝行(テ)問(ハム)2天若日子(ニ)1状者《サマハ》。汝所3以使2葦原中國(ニ)1者。言2趣和《コトムケヤハセト》其國之荒振神等(ヲ)1之者也。何至2于八年(ニ)1。不2復奏1。【一書にもかくさまにあり。】とありて。降到居2天若日子之門(ナル)湯津楓(ノ)上(ニ)1而。言3委曲(ニ)如2天神之詔命1。とあれば。此鳥が御使の事を云るを聞て。己か不v忠《マメナラ》ぬ心に應はざる故に。惡みて奇鳥。また鳴聲惡鳥とも。云るなり。○乃取高皇産靈尊所賜天鹿兒弓天羽々矢。重胤云。第一(ノ)一書にも。天神所賜云々。記にも同じさまに。其玉へりし天神の御事をしも云は。(699)此天稚彦を征伐の御使として。天降し遣はさるゝ符信《シルシ》と爲て。賜へりし物にし在ければ。荒振神をこそは。射て取べきに。此雉の爲に。此弓矢を始て用《ツカ》ふと云は。其天降着しより以降《コノカタ》。少かも其御使の事を社奉らずして。國神の首渠と成てつ此國を馭めむと爲る方をのみ勤めて。其怠惰れりし状を。細かしく云ずて聞しめ。其天神の玉へりし弓矢を用たるが爲に。其矢の天上に至れる事。所以ある事を知しむる所なりけるが故なりけり。若て此物を取持て。天神の御使を射ると云は。實に不2忠誠1る所作にして。天神の御罰を得奉り。遁る可らざる所以是に在り。且天上に其矢の至れる所以。正に此に在り。心を潜めて思ふべくこそ。と云り。○高皇産靈尊之座前。第一一書には。此所を遂至2天神(ノ)所處《ミモトニ》1と見え。記に逮d坐2天安河之河原(ニ)1天照大御神之|御所山《ミモトニ》u。と見えたり。○至也。重胤云。其矢の直に射放てる。即天上に至れる事はしも。天稚彦が彎《ヒキマカナ》ふ勢の強きに依て。然るには非ず。其弓矢はしも。【此に天稚彦乃取2高皇産靈尊(ノ)所v賜天(ノ)鹿兒弓天羽々矢1云々と有は。此に應《ヒヾ》く所にて。】其天神の賜へりし矢なるが故に。時刻を移さず。速に天上には至れるにて。其射手の力にては無く。其矢に靈有が爲め。然有し者なりけり。此は天神より。荒神をしも討平させ給はむとて。賜はせる弓矢なりければ。天神の荒魂。必しも副(ヒ)御座を以て。斯る信驗は有けるにて。此とは事も異れども。彼日本武尊の。賊の爲に野火もて燒れんと爲給ひし時。御佩かせる御劍自抽て。傍(ノ)草を薙攘へるが爲に。却りては賊を焚滅し玉へるなど。神物の威靈はしも。斯る所に在る物になん。此事を思へらば。天地の相去て遠き此許《カバカリ》にて。天稚彦が射たりし矢の。忽に天上に至(700)れりし事を。何かは疑はむ。其上此に蓋與2國神1相戰而然歟。と云御言あり。記にも或天若日子不v誤v命(ヲ)。爲《タリシ》v射2惡神(ヲ)1矢之至者。不v中2天若日子(ニ)1。云々など有は。本より天神の。初其を玉へる時より。御靈を副させ給へるならずは。國神と戰へる矢の。如何に天に至る事あらん。下なる返矢の所に。中v先立死と書され。遷却祟神祭詞にも。又|遣志《ツカハシヽ》天若彦毛。返言《カヘリゴト》不v中申※[氏/一]。高津鳥《タカツトリノ》殃爾依※[氏/一]。立處爾身亡支《タチトコロニミウセキ》。と有を以て。其矢の往來はしも。甚々劇しき事なりしを。正に知べくなん有ける。り云 たるは。まことに然る説なり。
 
時(ニ)高皇産靈尊|見《ミソナハシテ》2其矢(ヲ)1曰(ク)。是矢(ハ)則|昔《インサキ》我(ガ)賜(ヒシ)2天稚彦(ニ)1之矢(ナリ)也。血2染《チヌレタリ》其矢(ニ)1。蓋《ケダシ》《ト》2國(ツ)神1相(ヒ)戰(テ)而然(ル)歟。於是取(テ)v矢(ヲ)還(シテ)投下之《ナゲオロシタマフ》。其矢落(チ)下(リテ)則|中《タチヌ》天稚彦之|胸上《タカムナサカニ》1。于時天稚彦|新甞休臥《ニヒナヘシテネフセル》之時(ナリ)也。中(テ)v矢(ニ)立《タチドコロニ》死(ヌ)。此世人所謂|反矢《カヘシヤ》可(トイフ)v畏《イム》之縁也。
 
我賜天稚彦之矢也。重胤云。第一一書も同文なるが。此(ノ)我《ワガ》は。高皇産靈尊。御自の御事を詔へるなり。記傳に。上に域は天照大御神と此神と。二柱を並擧け。或は此神をば略きもしたるは。二柱に亘る事には非ればなり。と云れたるは然る事なり。次に。抑此矢の事は。御子命を天降し奉玉ふべき事の(701)中なからも。枝事なる故に。天照大御神は關り玉はぬなるべし。と云れたるは諾難し。抑此に皇御孫尊に。天下國土を事依し。授奉らせ玉へる大命を初奉り。其御天降の時に。天璽を授奉らせ玉ふなど。天統の物事に係りたる。凡ては天照大御神の大御政なりと雖。其御天降の御事に就て。荒振神等を言向させ給ふ御政と。大己貴神に國土を避奉らしめ玉ひ。又其神の上に掟させ玉ふ御事共は。專高皇産靈尊の所知看べき所以有り。所以に先に天稚彦が天降れる始に。弓矢を賜はしたるも。此大神よりなり。此に就て其御使を射たりし矢の至れるも。此大神の御座《ミマシノ》前なり。又其に依て。其矢を返下給も。其神の御手よりなり。此を見て國土征伐の御政の出(ル)も。此に在れば。爭か此を枝事などゝ麁略には見らるべき。と云れたり。○蓋與2國神1相戰而然歟は。又云。其矢の血染たる由を。疑はせ玉ふ御言なり。記に或《モシ》天若日子不v誤v命(ヲ)。爲《タリシ》v射2惡神1之|矢至者《ヤノキツルナラハ》。と有る御疑も。此に等しきは。所以有事なりけり。然るは天稚彦が。國にて荒振神と。如(シ)戰たらんにも。其矢の天上に屆ると云事は。决めて有まじき事なるに。然詔へるは。初天稚彦に弓矢を賜はれる時よりして。其大神の御靈を託させ玉ひ。若射向ふ敵の有なむには。此弓矢に副玉へる神威を以て。功成しつべく。神量置しゝ故に。此弓矢に就ての擧動はしも。必有る事に掟させ玉へりけん御心を過たずして。其矢の此に至れるなりければ。先其に就て。此御疑は御座し初させ玉へるなりけり。同じ條理の事ながら。第六一書。時高皇産靈尊勅。昔《サキニ》遣2天稚彦(ヲ)於葦原中國1。至v今所2以久不1v來者。蓋此國神有2強禦《イムカフ》之者1と有り。其便を得ずして。疑は(702)せ玉へるなるを。此は其物を見て。其(ノ)成(リ)行きを推量り。疑はせ玉へるにて。實には國神と相戰ずて。此に其矢の反來る事を。諸神に示し玉へる者にて。いはゆる反語なるなりけり。と云り。○胸上。第一一書に高胸と有。訓注に多歌武那娑歌《タカムナサカ》とあるに依て訓べし。記傳に。高胸坂は。仰《アヲノケ》に臥たる状の。坂|如《ナ》して高きを云なり。と云れたれど。この事次に云。○新甞休臥之時也。新嘗は寢臥すべき時にあらぬを。かくあるはいかにと云に。重胤云。記に寢2胡床1と有に取て。説を成すべきなり。其胡床は。大甞宮に謂ゆる神(ノ)座なるにて大甞祭儀式大甞宮條に。正殿一宇。構以2黒木1。葺以2青草1。【中略】舗v地以2束草1。【所謂阿都加草】以2播磨簀(ヲ)1加(ヘ)2其上1。簀(ノ)上(ニ)加v席。既而掃部寮以2白短(ノ)御疊1。加2席上(ニ)1。以2坂枕《サカマクラヲ》1施2疊上(ニ)1。内藏寮以2布(ノ)幌(ヲ)1懸v戸(ニ)。【下略】と有て。式の趣も此に同じきか。其席と有が古の胡床なりける。其委き状は。建武年中行事神今食條に。掃部頭參りて神座を敷く。南枕に敷く。先一丈二尺の疊。其上に六尺の疊四帖。枕の方二帖は裏あり。其上に九尺の疊七帖。其上に八重疊敷く。九尺の中一帖を少か東に引出て。打掃の筥を置く。坂枕は八重疊の下に枕に敷く。内侍參りて。御衾を八重疊の上に奉る。御櫛御扇側に置く。御沓後に置なり。内侍退きて。神殿に入御有り。神坐の東に。巽向に半帖を敷て。御坐とす。主上御面を笏を正しくして。著せ玉ふ揖有り。【此揖は人知ぬことなり】と書させ給へる如く。此御床の帖に。坂枕を敷く。御頭方を高くし。御後方を低くして。此神坐即大嘗を供りて。神を臥させ奉らせ玉ふ料なり。【其席と云は。次なる豐樂院御坐の主上の御科に。御床子とある是なり。】然して其大嘗にて。十一月卯日天照大神を。請奉らせ玉ひて。當(703)年の新穀を初て奉らせ玉ふ。大御祭に御坐て。其翌辰日。豐樂院にて聞食させ玉ふは。新嘗にて渡らせ玉へるが。其にも坂枕等の御事御在坐き。儀式装2餝豐樂院御座1條に。御床子一脚。【長八尺廣五尺。高一尺二寸云々。】銀端龍鬢御帖二枚。【長八尺廣五尺】下敷2御疊十五枚1。【長各八尺廣各四尺云々】云々。御坂枕二枚。綵色羅編。云々と見えたるを思ふに。古は主上の御も。御坂枕に臥させ玉へるなりけり。偖胡床は。古くは揚座の義にて。中古より一種の器と成れるも。其中の一にて。座るにも臥すにも。家の板敷より。高く上て造れる座を云なれば。其制状々に在りと心得べし。天稚彦が此の事も。新甞(シテ)休臥之時也と云(ヘ)れば。其床上に頭を高くし。後を低くして。其坂枕に休臥《ネフシ》たりけんが。いはゆる高胸坂なりしにて。即其的となりて。天神の投還下し玉へる御矢の爲に。亡はれ奉りし者なりけり。【和名抄に。胡床云々阿久良。とあるも。中世に一樣に定れる如くには非ずして。品々有しとみゆ。今世の胡床の如くば。休臥など爲らるべきものにあらず。僅に腰を掛るばかりの器なり。此を以て。古にアクラと云るものは。此に謂ゆる床なりし事と知るべきなり】と云り。此説に據れば。高胸坂の事も明らかなるが如し。○立死。遷却崇神祝詞に。高津鳥殃爾依※[氏/一]《タカツトリノワザハヒニヨリテ》。立處爾身亡支《タチドコロニミウセキ》とあり。○反矢可畏云々。重胤云。口訣云。反失可v畏之縁也者。軍陣箭入(レノ)時。敵射2反其矢1。則失v利。以2山鷄《ヤマドリ》蜂※[愕の旁+鳥]《ハチクマ》鵄《トビ》鷺《サギノ》羽1。所v作箭用爲2秘密1也。と云り。此説に依て。通證に。野必大曰。本邦自v古以v※[愕の旁+鳥]爲2箭羽1。凡禳2産屋及病家1。以2蟇目《ヒキメ》鏑1。射2邪鬼1之法。必用2※[曷+鳥]尾(ノ)箭1。或武官※[竹/胡]※[竹/録]|表指《ウハサシノ》箭。※[曷+鳥]尾交2鷹羽(ヲ)1。是取3※[曷+鳥](ノ)性毅(ニシテ)而耿介。闘不v知v死。能驅2邪氣1也。今按蜂※[愕の旁+鳥](ハ)亦取2其雄武1。鵄(ハ)神武天皇弭見v瑞。鷺(ハ)日本武尊化2白鳥1。皆詳見2日本紀1。初學記鷲羽射※[周+鳥]之箭皆拂v國箭也。と注されたる。其も然る事には在れど(704)も。予が見る所は大に異なり。此時の雉頓使と。並べ擧て。古より遍く世人の諺に云來れる事。此世人所謂と有を以て著明きが。此は掛まぐも甚も可畏き。天皇に射向奉る時は。其反矢の御刑戮有て。立處に家を亡なひ。身を滅ぼすと云ふ。皇祖天神の御|定制《サダメ》御座を以。世人其反矢を可畏と云傳へて。天皇朝廷の。威神《カシコ》き稜威を。凌犯すべからざる諺と。爲つる者なりけり。平家物語奈須與市扇的條に。高倉院嚴島御幸の時。三十本切立。明神へ神納有し。紅に日の丸の扇なり。平家都を落し時。神主佐伯景弘。此扇を取出し。此は帝の御施入。明神の御秘藏なり。日は故院の御情。帝業の御守たるべし。此扇を持せ玉ひたらば。敵の矢は却て。其身の中り候べし。とて祝言し進らせける。云々と有は。當昔猶返矢可v畏と云ふ諺を。世の人口に云事なりし故に。取立て申せりしものと見えたり。然れば。此天稚彦が逆事せし。此反矢を本として。何れの兵器を以ても。天皇に敵對し奉れる者の報。正に如此く有る。皇祖天神の御定。是に在るべき御掟なる考なりけり。崇神天皇十年紀に。於是各爭2先射1。武埴安彦《タケハニヤスビコ》先射2彦國葺《ヒコクニブクヲ1。不v能v中。後彦國葺射2埴安彦1。中v胸而殺。と見えたる。此事を古事記に。其庇《ソナタノ》人先(ツ)忌矢《イハヒヤ》可v彈云々。此矢合の時。始用る矢を。忌矢と云は。忌瓮を居て祭れる弓矢と聞ゆるが。此に彦國葺命より。其式埴安彦に乞て。先忌矢を彈たしむるは。天皇の御楯と仕奉る將軍なるが故に。彼無道の矢の中ると云事は。决に無き事と思定て。疑(ヒ)無(キ)心より。云せられし者なり。果して其矢。中る事を得ずして。彦國葺命の射玉ひし矢の外《ハヅ》さず。一發にして。射殺し申されし。是正しく反矢の御(705)事を。擬《マネ》び行はれし者と所見たり。と云り。此説最めづらしけれど。いかゞあらん。なほよく考ふべし。
 
(707)日本書紀通釋卷之十五       飯田 武郷 謹撰
 
〔天孫降臨章續〕
天稚彦之妻下照姫(ノ)哭泣悲哀《ナキカナシム》聲|達《キコユ》2于天1。是時(ニ)天(ツ)國玉聞(テ)2其|哭聲《オラブルコヱヲ》。則知(テ)2夫(ノ)天稚彦(ガ)已(ニ)死(タルコトヲ)1。乃|遣《ヤリテ》2疾風《ハヤチヲ》1擧(ゲ)v尸《カバネヲ》《イタサシム》v天(ニ)。便(チ)造(テ)2喪屋《モヤヲ》1而|殯《モガリス》之。即以(テ)2川鴈《カハカリヲ》1爲《シ》2持傾頭《キサリモチ》者及|持帚者《ハヽキモチト》1。【一云。以v鷄《カケ》爲2持傾頭者1。以2川鴈《カハカリ》1爲2持帚者1。】又以v雀《スヾメヲ》爲2舂女《ツキメト》1。【一云。乃以2川鴈1爲2持傾頭者(ト)1。亦爲2持帚者(ト)1。以v※[立+鳥]《ソニ》爲2尸者《モノマサト》1。以v雀爲2舂女1。以2鷦鷯1爲2哭者《ナキメト》1。以v鵄《トビ》爲2造綿者《ワタツクリト》1。以v烏《カラス》爲2宍人者《シヽヒトト》1。凡(テ)以2衆(ノ)鳥1任事《コトヨサス》。】而(シテ)八日八夜啼哭悲歌《ヤカヤヨナキカナシミシヌフ》
 
達于天。記に下照比賣之哭聲。與v風響(キテ)到v天。とあり。かく哭聲の直に天上まで達《キコ》えしは。全ら風のまに/\と。到れりしものなり。○聞其哭聲。哭は記玉垣宮段に。叫哭《オラヒ》云々。叫哭《オラヒ》死とあり。記傳云。萬葉九に。菟原壯士伊仰天叫於良妣《ウバラヲトコイアフギテサケビオラビ》云々。書紀にも叫哭をオラビナキテと訓り。又雄略卷に呼號《ヨバヒオラブ》、孝徳卷に啼叫《オラビサケブ》などもあり。淤羅夫は。大聲を揚て哭叫《ナキサケ》ぶなり。哀しみの甚しきをりの態なり。○知夫天稚彦已死。記傳云。凡て人の死りぬるを哀しみて哭には。其人の此世に存りし程の事なども言續け。又萬葉二柿本朝臣人麻呂妻死之後。泣血哀慟作歌に。爲便乎無見妹之名喚而《スベヲナミイモガナヨビテ》。袖曾振鶴《ソデゾフリツル》。と詠る如(708)く。其名をも呼ぶ故に。今彼哭聲を聞て。天若日子が死りし事を知なり。と注されたるが如し。○遣疾風は。私記に。疾風 波也知とあり。天孫本紀に。饒速日命の薨玉へる所に。高皇産靈尊(ノ)詔以て。速飄《ハヤチノ》神を遣して。其屍を天上に致せることみゆ。其文を引て。兼方案 疾風者|速飄《ハヤツムジノ》神也と有は然る事也。通證に。波夜知猶3東風訓2古知1也。倭名抄に。暴風 漢語抄云八夜知。【又能和岐乃加世。】また文選詩云。廻※[風+火三つ]兼名苑云。※[風+火三つ]者暴風從v下而上也。【和名豆無之加世】とあり。【波夜知を。また波夜弖とも云。夫木集に。波白む沖のはやてやつよからし。生田の磯によする釣舟と有り。】式に。出雲國意宇郡筑陽神社。同社坐。波夜都武自和氣神社。島根郡。久良彌神社。同社坐。波夜都武自神社あり。國史に。仁壽元年九月出雲國造速飄別命授2從五位下1。とあり。○擧戸致天。平田翁云。加婆禰は。幹骨《カラホネ》の義なるべし。とあり。さて天稚彦は。天上よれ降りし神なれば。屍を擧て。天にて喪事を行はむとするなり。記には在《ナル》v天天若日子之父。天津國玉神。及其妻子聞而。降來哭悲。乃於2其處1作(テ)2喪屋《モヤヲ》1とありて。此と異なり。【一書には。天稚彦か妻子ども降來て。柩を將て天に止りたるとあり。されど喪屋を作りしは。天上にての事なれば。記と異なり。】されど。平田翁も云れし如く。喪山の故事を思ふにも。天に擧たると云るかた然るべく。はた衆鳥を喪事に任したるも。天上にての事なるべくおぼゆれば。此紀の方勝れりと云べし。○喪屋は。記傳に。喪《モ》は死たる事のみにも非ず。何事に在れ凶事を云なり。と云れしは。寔に然る言なり、伊勢物語に。出て行人の爲にとぬぎつれば。われさへもなくなりぬべきかな。とある。闕疑抄に。其事を注して云く。出て行く人の爲に。裳を脱《ヌギ》て遣れば。我さへ裳《モ》が無なるとなり。もは裳字なり。喪字を和邪波比と訓り。衣装の裳無くと云を以て。禍(709)無くと云心を詠り。と注せれば。古人も已に云りしなり。記傳云。喪屋は屍を斂《ヲサメ》置て。其事共を行ふ處なり。古(ヘ)天皇の崩坐る時。葬奉る迄の間。殯宮と申すに坐せ奉りて。阿賀理《アガリ》し奉し例を思ふに。上代には凡人のも。喪屋を作りしなるべし。纂疏に。即喪屋謂2殯宮(ヲ)1と注したり。とあり。孝徳紀に。凡王以下及2至庶人(ニ)1不v得v營v殯。と云ふ制有を見れば。古は並て喪屋を造れりし也けり。第一一書に。將(テ)v柩(ヲ)上去而。於v天作2喪屋1殯哭之。と有を見るに。屍を棺槨に收めたる。其を安置《オ》くは喪屋なるなり。又播磨風土記。揖保郡日下部里立野條に。出雲國人來到。連2立人衆1。運2傳上川(ノ)礫1。作2墓山1。故號2立野1。即號2其墓屋(ヲ)1。爲2出雲墓屋(ト)1。と云事ある其墓屋も。此喪屋を云かと聞ゆ。【此の喪屋の例に。天皇等の殯宮の御例を引奉るべし。綏靖紀に。特留2心於喪葬之事(ニ)1と有るは。如何なる御有状とも知可らざるを。仲哀紀には。竊収2天皇之屍1。云々殯2于豐浦宮1。と見えたるを。記には坐2殯宮1と書されたり。其他にも殯宮と云事。紀中所々に出たり。萬葉に。日並知皇子尊殯宮之時歌云々。又殯宮の事をば云ずして。挽歌に大殿矣振放見乍《オホトノヲフリサケミツヽ》云々と有なども。同事なり。右の萬葉歌に。殯宮の御事を神宮としも申せるは。此迄顯身にて御坐しを。今は神と爲て。齋奉るよしなり。】○殯之。舊訓にモカリスと訓り。【第一一書も同じ。】其喪屋にて。執行ふ所作を云なり。○川鴈は。海宮遊行章第六一書。時有2川鴈1云々。と有を見れば。尋常の鴈を云と見えたり。【口訣また記傳にもしか云れたり】偖此衆鳥を以て。任事《コトヨサ》せるは。各其取る所有べき事。云も更なれど。今にしては知べからず。かつ其命ぜし役も鳥も。種々に云傳へたれば。早く其義を失ひたるなるべし。【されど。中にかくもあらむと思はるゝを。一二は云り。】されば。川(ノ)字に深く目を留むべからず。【此雁は。水涯に住るを常と爲るを以て。川とは云るにて。千鳥は海邊に多き物なれば。濱千鳥磯千鳥と云に同じかるべし。纂疏に。謂2鳧雁之頬1。と注せるなどは。麁き説なり。】○爲持傾頭者は。記にも河雁爲2岐佐理持《キサリモチ》1。と有り。記傳云。私記に。師説云。葬送之時(ノ)戴2死者(ノ)食(ヲ)1片行之人也。と云り。此説持傾頭者の字に拘はらで。かく注(710)せるは。如何樣にも據有つと見ゆ。此説に從ふべし。武烈紀影媛が歌に。※[手偏+施の旁]摩該※[人偏+爾]播《タマケニハ》。伊比佐倍母理《イヒサヘモリ》。※[手偏+施の旁]摩暮比※[人偏+爾]《タマモヒニ》。瀰逗佐倍母理《ミヅサヘモリ》。儺岐曾〓遲喩供謀《ナキソボチユクモ》。柯〓比謎阿婆例《カゲヒメアハレ》。と有など。事の状。戴2死者(ノ)食1行と云るに似たり。と云れたり。私記に。死人之食(ヲ)持と有り。戴2死者食1と云は。今の大原女の。柴薪を戴行が如く。飯笥を戴て。持運びたりし故に。物を持てば帝の傾く故に。其義を以て。持傾頭者とは書れたるなるべし。こゝに黒川春村か碩鼠漫筆に。此名義を解て云る説に。筍飾持《ケカザリモチ》の義なるべくおもはる。【笥は食を盛る器なる事。禮記注云。筍忠吏反。和名|計《ケ》盛v食器也。と倭名抄に見えたるが如し。】しかおもひとらるゝ所以は。左京權大夫信實朝臣の。書畫一筆とて。聞え高き繪師草紙の卷末に。外居《ホカヰ》やうのものゝ。八脚なるに。覆ひしたるを。女の戴き持たる圖あり。此は方今稻荷山の社に。神饌を運び備ふるさまも。全此風俗なりと。故高島千春云りき。その繪師草紙の繪やう。【圖略】記傳にも引れたる。延喜大甞祭式に。戴2御膳案1女八人とあるも。此圖に思ひ合せられて。上古の風俗を。目前に觀るが如し。又釋日本紀は。持傾頭者の注に。私紀を引て。師説 葬送之時。戴2死者食(ヲ)1片行之人也。とあると。武烈紀に。鮪臣が葬儀を送りて。影媛の詠れたる歌とを合せて。岐佐理持の形勢を推量るに。片行は傍《カタ》行にて。彼圖の如き案を戴き。棺の傍《カタハラ》に從ひ行く事と見えたり。但し神事にまれ。凶事にまれ。大抵同じ風俗にて。必女子の役目なるべし。公の神事節會等に。配膳の采女あるも。おのづからさる事に符合り。と云れたり。めづらしき考なり。○持帚者。口訣に。持帚者。葬而掃2裳屋(ヲ)1人也。通證に。重遠曰。持帚者。屍出便掃v屋者。宗因曰。北陸(711)俗送v葬。必掃2死人跡1。棄2其帚(ヲ)於塚地(ニ)1云。正通曰。人忌v掃2遊行之跡(ヲ)1是縁也。今按帚|羽掃《ハハキ》也。伊勢神宮俗。視2客將1v去。便帚v之。去後不2掃除1。亦忌v之也。とあり。【人の遊行の跡を掃く事を忌むは。萬葉十九の歌に見えたり。】さて此は葬の時。帚を待て行者を云なり。【出雲國熊野大社一社中葬祭式と云ものを見しに。墓處へ送る行列の中に。帚(但し道を掃)一人とあり。是古の遺れるならむか。】記には。以v鷺《サギ》爲2掃持1とあり。【記傳に。此役を鷺に任したるは。毛冠の帚に似たればなり。と云り。】○鷄。記八千矛神の御歌に。爾波都登理《ニハツトリ》。迦祁波那久《カケハナク》と見え。萬葉に家鳥《イヘツトリ》可鷄ともあり。縣居翁説に。鷄は人の家庭に栖て。名を加祁と云故に。家津鳥《イヘツトリ》庭津《ニハツ》鳥などの語を冠らせたるにて。雉に野津鳥と云が如し。神樂歌に。庭鳥はかけろと鳴ぬ。と歌ふに依るに。彼が鳴聲もて。迦祁とは呼なり。加理々々と鳴まゝに鴈。加良々々と鳴故に烏。と云如き類。あだし物にも多し。とあり。○雀。和名抄 雀和名須々米とあり。記雄略天皇御歌に。爾波須受米《ニハスヾメ》とよませたまへり。本草和名には。雀※[歹+おおざと]和名須々美。とあり。名義は彼が鳴聲に取れるなるべし。米は聚か。【和名抄にも。雀※[搖の旁+鳥]。漢語抄云須々美多加。とあれば。古くは須々美とも云るなり。】〇舂女。記に碓《ウス》女とあり。記傳云。今(ノ)世にも。米を舂《ツク》男を碓之者《ウスノモノ》と云稱あり。【武郷云。此紀なるをも宇須賣と訓べし。と云れど。なほ本の訓に從ふべし。靈異記上に。稻舂女とあり。イナツキメと訓べし。但し碓女は體を以云ひ。舂女は用を以號けたるにて。其義に異なき物也。】偖女は部の意ならむかとも思へれども。なほ字の如くなるべし。【女の稻舂こと。萬葉十四の東歌などにも見ゆ。○武郷云。播磨風土記。賀茂郡萩原里條にも見えたり。】さて此役は。まづ和名抄祭祀具に。※[次/米]餅。漢語抄云 ※[次/米] 之度岐《シトギ》祭(ノ)餅也。※[米+果]米。漢語抄云 加之與禰《カシヨネ》 淨米也。※[米+揖の旁]米。雖掻經注云。※[米+揖の旁] 精米所2以享1v神也。和名|久萬之禰《クマシネ》とある。【※[米+揖の旁]字は※[米+胥]の誤なり。】※[次/米]米《シトギ》は。今云|白餅《シラモチ》。※[米+果]米《カシヨネ》 ※[米+揖の旁]米《クマシネ》は今云(フ)洗米なり。然れば上代に。殯にも此等(ノ)物を奠《ミケ》し。その米を舂《ツク》女なるべし。【若たゞ飯の米ならば。其を舂者とて。別に擧べきにあらず。右の物は米のまゝに奠れば。舂が(712)其制なる故に。其役者を擧たるなり。但予が郷逝き里々にて。人死ぬれば。庭に多く臼を立て。故に米を多く舂わざあり。他國にもさるわざあるべし。これ上代の儀のゝこれるにやあらむ。此を以て思へば。奠の米のみにもあらざらんか。】○※[立+鳥]は。【本にソヒと訓るも惡くはあらねど。私記にソニと訓るよろし。記の歌にも蘇邇杼理とあればなり。】記に翠鳥とあり。記傳云。倭名抄。爾雅集注 ※[立+鳥](ハ)小鳥也。色青翠而食v魚。江東呼爲2水狗1。和名|曾比《ソヒ》云々。其色殊に青ければなり。【字鏡に※[牛+鳥]曽爾とあるは。※[立+鳥]字を寫誤れるならん。】今世に川世美と云物にて。※[土+蓋]嚢抄に少微とも云り。【曾比。少微。世美などは。皆蘇爾の訛たるなり。】緑《ミドリ》と云も。翠鳥色《ソミドリイロ》の曾を省けるなるべし。○尸者。纂疏に。尸者神(ノ)象也。禮記虞尸。傳曰。虞猶v安也。葬畢迎v精而反。日中祭2之於殯宮1。以安v之也。男則男子爲v尸。女則女子爲v尸。尸之爲v言主也。不v見2親之形容1。心無v所v係。故立尸而使3之著2死者之服(ヲ)1。所4以使3孝子之心(ヲシテ)主2於此1也とあり。しかるに。口訣に尸者着2死衣1而謁v吊。と云るは。死人の衣を着て。吊に來たる人に見《ア》ふと聞えて。漢の尸とは同じからぬを。漢籍の趣にすがらで。如此注せるは。當時さる風俗のありしにやあらむ。また私記に。死人|爾可巴利※[氏/一]《ニカハリテ》。毛乃久良不《モノクラフ》人(ナリ)と云るも。古説と通えたり。かにかくに。尸者と書れたるは。此等の説によれるなるべし。【記傳には。これを甚く疑ひて云れたる説あれど。かゝる風俗のなしとは。云がたし。】右等の説に據て。言の意を考るに。尸者《モノマサ》は物座《モノマサ》なるべし。物とは神をも人をもひろく云ことにて。此は死者の魂をさして物と云。さて其魂の代に令《セ》v坐《マ》おく人を。即てしか云しなるべし。かくて※[立+鳥]を此役に任したるは。此鳥の青翠きが。死者の衣に似たる故などにか。さるは記の八千矛神御歌に。蘇邇杼理能《ソニドリノ》。阿遠岐美祁斯遠《アヲキミケシヲ》。麻都夫佐邇《マツフサニ》。登理與曾比《トリヨソヒ》。淤岐都登理《オキツトリ》。牟那美流登岐《ムナミルトキ》。波多々藝母《ハタヽキモ》。許母布佐婆受《コモフサハズ》。幣都那美《ヘツナミ》。曾邇奴棄宇弖《ソニヌギウテ》。と詠せ給へるにて。當時青翠き色を。不良ぬものと爲(713)たりし事知べし。さるは死人。また喪に居る者の衣は。青翠かりしなるべし。【後世喪服に。青鈍と云るは。即で其色を少か。かへたるなり。】かれ此鳥を。尸者とは爲られしにや。さて記に翠鳥爲2御食人《ミケビト》1とあるは。彼死人爾可巴利※[氏/一]。毛乃久良不人。とあるに由あるべし。【谷川氏は。能取v魚故と云り。】○鷦鷯は上卷に出。○爲哭者は。重胤云。私紀に奈支女止須《ナキメトス》て有り。下に死人(ヲ)持立《モチタツ》時(ノ)辭止伊布《コトバトイフ》と注せり。死人持立と云は。葬送の事を云なり。其時に云(フ)辭の有る由には有れども。口訣に。哭者晝夜哭と有が如く。頓哭《ヒタナキ》に哭(キ)悲みて。其離別の情の切なる事を。其尸に告るなめり。其は影媛が歌に。云ことありて。玉笥に飯を盛り。玉※[怨の心が皿]に水を盛て。持行く。此は他人にて爲る事なるを。兼て一人して。物爲つる由なるが。此に泣|濡《ソボ》ちゆくは。人情の難v忍き所より。自哭つゝ行にては有れども。別に他人を傭ひて令v哭るも。其意は同じき者なりかし。此即發|哀《ネ》と云事の本にて。允恭天皇四十二年に。新羅人の是泊2對馬1而大哭云々。欽明天皇三十二年に。奉v哀《ミネ》2於殯1とあり。孝徳天皇大化五年に。阿陪大臣薨。天皇幸2朱雀門1。擧v哀而慟。云々と有て。恐くも臣下の薨れるさへに賜りき。齊明天皇五年。以2天皇喪1。殯2于飛鳥河原(ニ)1。自v此發v哀至る2于九日1云々。持統天皇元年。皇太子率2公卿百寮人等(ヲ)1慟哭。云々誄畢。衆庶發v哀。次梵衆發v哀云々。奉v奠《ミケ》々畢。膳部釆女等發v哀。樂官奏v樂と有を治て。其二年に葬奉る迄。數度の事なり。凡事の状を考るに。世々に沿革は有と雖。神代の古禮傳りて。亡ざるを見るべきなり。【武郷云、なほ第一一書大臨とある下に云。されど古代は。人情の忍び難き所より。眞に哭泣玉へるにて在を。後には其擬ひをする事となれり。後の紀共に擧哀。奉哀。發哀。哀哭などあるは。大方其擬ひなり。】今も畿内にては。送葬の時に當りて。其列の中に泣婆々《ナキバヾ》と云者を加(714)へて。令v行るは。全く古の哭者の餘風なるものなり。【記傳云。谷川氏の嘗聞。紀熊野若(シ)家有2死者1。傭2饒舌(ノ)婆子(ヲ)1。令2之哭1告2郷黨1。隨2價(ノ)高低(ニ)1。有2哭泣(ノ)輕重1。此風俗を聞て。上代の事想像られたりと有も。右の泣婆々と云物の事なり。と云れたり。】記には雉爲2哭女1とあり。○鵄は。能高く飛よしの名なるべし。和名抄に。本草云 鴟。【亦云鵄。】一名鳶。【和名土比】爾雅注云。鳶一名※[狂/鳥]。喜食v鼠而大目者也。【漢語抄云久曾止比】とあり。○造綿者は。纂疏云。謂制d※[僉+殳]2死者1之衣u者。とあり。【安倍本に此處の書入に。造綿者師説(ニ)謂d令3以v綿漬v水(ニ)沐2浴於死者1之人u耳。云るも。古き説なるべけれど、いかゞあらん。平田翁は。屍の搖かざらむ科に。棺内の空處を。上代に。綿してぞ填めけん。其綿は多くいる事なれば。それ造るものを云にやと云り。此説信がたし。】平田翁云。鵄は其指するとくして。綿を解に便あるにとれるか。と云り。さて姓者造綿の二は。記にはなし。○烏も。鳴聲にとれり。萬葉十四。烏《カラス》とふ大おそ鳥のまさでにも。來坐ぬ君を許呂久《コロク》とぞなく。【許呂と加良と通へり。】和名抄。唐韻云烏(ハ)孝鳥也。爾雅云。純黒而反哺者謂也。烏 兼名苑云。一名※[亞+鳥]。【字亦作v鴉】和名加良須。○宍人者。私記に志々比止々須《シヽヒトヽス》と有て。下に死人(ノ)食物(ヲ)具(フル)人也と注し。釋にも。宍人 私記曰包丁之類也と見えたり。雄略紀二年に。宍人部《シヽヒトベ》を置し事あり。姓氏録。宍人朝臣阿陪朝臣同祖。大彦命男|彦脊立大稻興《ヒコセタツオホイナコシノ》命之後也。と見えたる。膳(ノ)臣の同流なり。此に謂ゆる宍人は。右の例にて。宍を料理て。尸に奠る役に任したる者なり。さて鳥を役に任せるは。平田翁云。此鳥よく死たる獣の肉むらを食へばなり。と云り。記には翠鳥《ソニ》爲2御食人《ミケヒト》1とあり。此は宍人とは異なる傳か。又一か。○凡以衆鳥任事は。平田翁説に。師説に。如何なる所以とも慥には知られねど。姑く纂疏に稚彦有2雉(ノ)禍1。故以2衆鳥1任2葬官1。類v之也。とあるに依て有なむか。【今云。栗田土麻呂説に。神代に鳥の禍にて死たる者は。かく鳥どもに行はしめ。獣の禍にて死たる者は。獣に負せて行はしめし事の。有けんも知がたし。今世に病犬に喰れたる者。死る時に物食ふ状も。吠る聲も何も。さながら犬の状になりて。死ぬること有は。奇しき事なるに就て思ふに。天(715)稚彦が高津鳥の殃によりて死たるは。雉に喰れたるには非ざれども。射たる雉の血の付たる矢に。中りて苑たれば。雉に喰れたるも同かるべし。斯てもし死る時に。鳴聲も何も。雉の如くになりて死たるには非ざるか。もし然もあらば。即て雉なれば。鳥どもに負せて。葬事を行はせしにも有べし。犬に喰れたる者の。奇しき状をなすに就て。試に云也と云り。此は纂疏の説を助くべき説なれば。因に記し出つ。】凡て神代には。尋常の意を以ては。測り難き事ぞ多かる。と言れつる。信に然ることにて。測がたき事にはあれど。佐藤信淵が言に。鳥獣と云中に。鳥の風に乘りて。虚空に翔るを思ふに。本より天に生て。天に屬き。獣は地に生て。地に屬るものと思はる。然れば。此なる衆鳥どもは。風神に從ひ降りて。天稚彦が屍を天に致しけむ故に。其衆鳥を喪(ノ)事に任たるにや。凡て鳥は。風神に從ふ物と思はる。と云り。此説面白く聞ゆ。と云れたり。偖葦牙云。右の鳥どもに負せし名にて。上代の葬のさま。大かた知らるゝを。今其名だに絶てなきは。おしなべて葬の事は。佛ざまになりたる故なるべし。されど。右の熊野の如く。山里島國などに。猶殘れる事もあるべし。と云れたり。さる説なり。○八日八夜。記傳云。八日は八夜に對ひたれば。耶比《ヤヒ》と訓べきが如くなれども。なほ耶加《ヤカ》と訓べし。中卷倭建命段歌に。迦賀那倍弖《カヾナベテ》。用邇波許々能用《ヨニハコヽノヨ》。比邇波登袁加袁《ヒニハトヲカヲ》。これ夜に對へても。日は伊久加と云證なり。さて此加は日數を云言にて。彼御歌の。迦賀那倍弖も。日々並而にて。日數を並べ計ふるを云なり。加とは氣を通はし云る言にて。氣は經《フル》日數の長きを。此記又萬葉の歌に。多く氣長《ケナガキ》と云。又毎日を朝爾食爾《アサニケニ》と。多くよめる氣《ケ》是なり。さて其朝爾食爾を。或は朝爾日爾ともよめるを以て。氣は日數なることを思ひ定めよ。かくて氣は來經《キヘ》の切まりたるなり。來經と云事は。倭建命段の歌に見えたり。さて日數を計へて幾日と云には。夜も其中にこも(716)れるを。此の如く。八日八夜など分て云も。古語の文なり。【此は八日の間。夜も晝もと云意ならむと。思ふ人も有ぬべけれど。左に引。鎭火祭詞なるは。其意なき例をおもふべし。】鎭火祭枕詞にも。夜七夜晝七日。山城風土記にも。神集々而。七日七夜樂遊。とありと云り。さて殯の日數を。八日八夜と云は。此のみにて。天孫本紀の。饒速日命なるには。處2其神(ノ)屍骸(ヲ)1。日七夜七。以爲2遊樂1と見え。靈異記に。栖輕卒《スガルミマカル》也。天皇勅(シテ)留(ルコト)七日七夜。誄2彼忠信1と見え。又大伴(ノ)屋栖古《ヤスコノ》連の卒る所に。天皇勅之。七日使v留誄2於彼忠1。など有る。此等は七日なり。齊明紀に。以2天皇喪1。殯2于飛鳥川原(ニ)1。自v此發v哀至2于九日1。と有れば。其趣に依て定むる事にて。在しならんを。後には何時となく。一七日には。定れるにこそあらめ。○啼哭悲歌。重胤云。右の以衆鳥任事は。葬官なり。此に啼哭くは。此次に謂ゆる親屬妻子の爲る事なり。さて悲歌をカナシミシノフと訓り。私紀には。此二字を志乃不《シノフ》。金澤本にはカナシムとのみ訓れども。猶本に從ふべし。偖歌の字に。思哀の義は非れども。此を紀に遊也とある。其は記傳に遊とは。管絃歌舞の類を云て。樂字に當れり。と注されて。紀に謂ゆる歌舞を奏する是也。此時に當りて。歌舞を爲す事は。其死者を慕ふ歌を作り。其を歌ひ舞(フ)事は。即其人を思哀する義なれば。其意を得て訓るなるべし。【口訣本には。此二字をカナシミウタフとよめり。】なほ上に引る靈異記に。誄2彼忠信1。又誄2於彼忠1。とある誄を。一本に詠に作りて。志乃婆志牟《シノバシム》と訓み。又哭詠作歌曰の詠を。志乃比※[氏/一]と詠るなども。此に歌字を訓むと。同じ意味なるべし。記傳に。書紀には唯八日八夜悲歌とのみ云て。樂の事を記されざるは。御國の古禮を忘れて。一向に漢樣に書成されたる者也。悲(717)歌とのみにては。古意に背ける者をや。と云れしは。然る言の如くなれども。此歌字に似てしも著ぬ。シノフの訓あるは。其慕ふ爲に樂とは云ざれども。他に事有る由を知らせたる者と。見ても有なむや。【然尤られたるは。通證に。悲歌者猶2後世(ノ)挽歌之類1也。と注されしなどに就ての説とみゆ。されど其歌舞の事の止て。僅に挽歌のことを歌ひし時の状に當たるは。注の誤なるにて。紀にはシノフと云義に。用られたるにはたがへり】さて。歌舞の事は。上に擧たる如く。允恭天皇四十二年に。天皇の殯斂の御事に就て。歌舞を仕奉りし由見え。天武天皇朱鳥元年にも。其殯宮の御事に就て。國々(ノ)國造種々(ノ)歌舞を奏(ス)と有は。謂ゆる風俗の舞を奏せるなり。其殯宮にて有りしは。持統天皇子元年に。納言阿部朝臣|御主人《ミウシ》誄之。【中略】樂官奏v樂。二年にも。於是奉v奠奏2楯節《タテフシノ》舞1。と見えたる。其を私記に吉志《キシ》舞也。と注されたる。皇國にて出來れる樂なり。さて記傳云。喪にかく樂せしは。何の所以ぞと云に。まづ人の死たるは。彼天照大御神の天石屋に隱坐て。世の闇夜になれりしに類たる故に。其時の故事をまねびて歌(ヒ)舞て。其人を復此世に還りたまへと。招祷《ヲキイノ》る意より起れり。其は鎭魂祭儀にも。彼故事をまねぶ儀あるにてさとるべし。と云れたれど。然らず。喪に樂の事することは。唯死たる人の魂を。なぐさむるまでの業にこそあらめ。本より死たる人の。顯世に歸るべきものならねば。上代といへども。其を招祷るわざあるべくもあらじ。天照大御神を。例に引奉るはあたらず。大神は顯御身にまし/\て。天石窟に隱坐せればこそ。出給はむことを。招祷奉りしものなれ。また鎭魂祭の事を引れたるもいかゞなり。此も亡體を離れたる魂を。招き鎭る祭にはあらず。顯世に坐々ながらに。魂の放《ハフ》れ行む事を恐みて。招祷る衆なるをや。思べし。
 
(718)先v是(ヨリ)天稚彦|在《アリシトキニ》2於葦原(ノ)中國(ニ)1也。與2味耜高彦根《アヂスキタカヒコネノ》神1友善《ウルハシ》【味耜。此云2婀膩須岐1。】故味耜高彦根神昇(リテ)v天(ニ)吊(ラフ)v喪(ヲ)時(ニ)。此(ノ)神(ノ)容貌《カホカタチ》《マサニ》《ニタリ》2天稚彦(ノ)平生之儀《イケリシトキノヨソホヒニ》1。故天稚彦(ノ)親《チヽハヽ》《ウカラヤカラ》妻子《メコ》《ミナ》《オモハク》。吾君《アガキミハ》猶在《シナズナホマシケリトイヒテ》。則|攀2牽《トリカヽリ》衣帶《コロモヒモニ》1。且(ツ)喜(ビ)且(ツ)慟《マドフ》。時(ニ)味耜高彦根神|忿然作色《イカリオモホテリシテ》曰(ク)。朋友之道《トモガキノミチ》《コトワリ》宜2相吊(ラフ)1。故(レ)不(シテ)v憚《ハヾカラ》2※[さんずい+于]穢《ケガラハシキヲ》1遠自赴哀《トホクヨリキツ》。何爲《ナニスレゾ》《アヤマツトイヒテ》2我(レヲ)於|亡者《シニヒトニ》1。則拔(キテ)2其(ノ)所帶《ハカセル》劔|大葉刈《オホバカリヲ》1。【刈。此云2我里1。亦名|神戸劔《カムトツルギ》。】以|斫2仆《キリフセツ》喪屋(ヲ)1。此(レ)即(チ)落(チ)而爲(ル)v山(ト)。今在(ル)2美濃國(ノ)藍見川之上《アヰミガハノカミニ》1喪山《モヤマ》是也。世人|惡《イム》2以v生《イケルヒトヲ》誤(ツコトヲ)1v死《シニタルヒトニ》此其(ノ)縁也。
 
味耜高彦根神。記に大國主神。娶d坐2※[匈/月]方(ノ)奥津宮(ニ)1神。多紀理毘賣(ノ)神u。生子|阿遲※[金+且]高日子根《アヂスキタカヒコネノ》神。次妹高比賣命。亦名下照比賣命。此之阿遲※[金+且]高日子根神者、今謂2迦毛(ノ)大御神1者也。とあり。【此御名。記には此處にのみ。阿遲※[金+且]云々とあれども。餘は悉く阿遲志貴云々とあり。されど此紀また出雲風土記。神壽詞。神名式など。みな須伎とありて。志貴とある事なし。】名義。味《アヂ》は可美《ウマシ》と同意にて稱名。【式に。攝津國東生郡阿遲速雄神社といふものあり。】耜は父大國主大神とゝもに。神※[金+且]《カムスキ》取らして。巖を斫《キ》り。土を平げなど。國土を作り給ひし御功績を以て。負へる御名なり。高彦根は尊稱なり。さて此神の御事。出雲風土記神門郡。また仁多郡の下に出たり。記に迦毛大御神とあるは。神賀詞に。大穴持命云々。己命乃御子阿遲須伎高孫根乃命乃御魂(719)乎《オノレミコトノミコアチスキタカヒコネノミコトノミタマヲ》。葛木之鴨能神奈備爾坐《カヅラキノカモノカムナビニマセ》云々と見え。式に大和國葛上郡高鴨阿治須岐託彦根命神社。【並名神大月次相甞新甞】とある是なり。【四坐は何神を祭るかしらず。並云々とあるは。みな貴神なるべし。】なほ此神を祭れる御社は。式。出雲風土記。續紀。土佐國風士記等に見えたり。○友善は。記傳云。神功紀に。善友《ウルハシキトモ》。伊勢物語に。昔男いとうるはしき友ありけり。などあり。凡て友の交の睦じきを。宇流波志と云り。萬葉十八に。宇流波之美須禮《ウルハシミスレ》とよめるも。睦く交るを云り。さて此二神の交遊は。天若日子の。此國に降りて後よりの事なるべし。書紀の趣も然聞ゆ。下照比賣の母兄《イロセノ》神に坐(セ)ば。ゆかりも甚親きなり。式に出雲國出雲郡に。阿遲須伎神社。天若日子神社と。並載り。とあり。○吊喪。平田翁云。吊は問と同言なり。【尋聘諮等の字を。登布とも。登夫良布とも。訓るを以て辨ふべし。】但し登布を延て登夫良比と云は。推を淤曾夫良比と云ひ。引を此許豆良比など云に同じと云り。○容貌や秘閣本にカホカタチと訓るに從ふべし。【平田翁云。形貌をも。カタチとのみ訓るは。言たらず。凡て書紀に面貌顔容などは固にて。容姿。形容。形姿。貌容などあるをも。師はみなカホとのみ訓べきよし言れつれど。カホとも。カタチとも。カホカタチとも訓までは。處に據て稱はぬ事共あり。と云り。】○儀。第一(ノ)一書に。光儀とあるをも。古本共にヨソホヒと訓り。重胤云。佛足石歌に。多麻乃與曾保比《タマノヨソホヒ》とあり。身を装ふ事に起りて。飾り整ふる状を云なるが。凡ては威儀を取繕ひて。形容をなす者なれば。轉じてスガタと云事に用ゐるなり。崇神紀に。威儀をスガタと訓み。允恭紀にはミヨソホヒと訓り。と云り。○親屬妻子。重胤云。宇我邏《ウカラ》は。紀中族【神代紀】同族【安閑紀】子弟【皇極紀】同姓【齊明紀】をよめり。夜加邏《ヤカラ》は親族【景行紀】また族【同】骨族【武烈紀】儻【崇峻紀】眷屬【皇極紀】をよめり。空穗祭使に。父母氏|族《ヤカラ》一度に亡びて。藏開に。盗人の族《ヤカラ》はと有など。父母の外をも。ヤカラと云状な(720)り。偖右に引る其中に。親族の字はだ萬葉三に。問放流親屬兄弟《トヒサクルカラハラカラ》。九に親族共射歸集《ウカラドモイヨリツドヒ》。と有などには。宇我邏と云に用ゐて有れば。何方にも亘るを。其言には正しき羞別有る事なり。令條に謂ゆる。父母兄弟妻子を。六親と云限は。宇我邏なり。字書に親指2族内1と云ひ。主親曰v親と注せる是なり。夜迦邏は。外家遠族の類を云て。字書に戚曰2族外1と云ひ。傍親曰v戚。と注せる是なり。【武郷云。田中頼庸説に。ウカラは内屬《ウカラ》なりり。ヤカラは屋《ヤ》屬なりと云り。此にいとよく叶り。從ふべし。】偖此親屬を。官本及丹鶴本共に。父母宇我邏夜加邏と訓る事にては在れども。父母は已に宇我邏と云者にし在ければ。言の重復れるのみにて詮なし。偖委しく分云ふ時は。右の如くなれ共。通證に親屬泛謂2親近之類屬(ヲ)1也。と注されしは。此の旨を得られたるなり。と云り。私記に宇我良也加良と訓るよろし。○吾君猶在。平田翁云。吾君云々は。妻子等の言なり。【師云。書紀に此の君をシナキと訓を付たるは。古へさる稱も有つらめど。慥なる據も見えず。例も無れば從がたし。仁徳天皇段歌に。阿賀勢能岐美とよめり。シナキは。勢那君の轉れるにや。○武郷云。私記に此二字の訓を如v字とあれば。今もしかよみつ。據て按ふに。シナキは、次なるシナズ云々より。誤りて轉りしものなるべし。】さて此妻子どもは。天若日子。未(ダ)葦原中國に降らざりし以前の妻どもなり。とあり。葦牙云。一わたりに思へば。さばかりの事は。あるまじき如くに思はるれど。此は天稚彦。此國にて死たる事を。天にて聞て。其屍を持行たる處なれば。又此國より。同(ジ)容貌の神の來座たらむには。まことに死しは其神には非じと。思ひ惑ふべきことなり。と云り。さる言なり。さて猶在を。私記に只奈須奈保萬之介利《シナズナホマシケリ》と訓り。○攀牽衣帶。攀牽の訓。熱田本にトリカヽリとあるに從ふべし。平田翁も云れし如く。萬葉四に。衣手にとりとゞこほり泣子にも。まされる我をおきていかにせむ。二十に。から(721)衣すそにとり附なく子らを。おきてそきぬや面なしにして。などある。此の状によく似たる歌なり。○且喜且慟。記には皆哭云(ク)云々。哭悲(ミキ)也とあり。されど死たると思へる人の。死(ナ)ずて有けりと。思ひ惑ひて。取懸たらむに。皆哭といひ。哭悲といふ文はあたらじ。必此紀の如くなるべし。○朋友。記傳云。凡て登母とは。官職にまれ。何にまれ。一部ともなふを云。某《ナニノ》伴|某《クレノ》伴と云是なり。登母賀良など云も此意。又交り親も人を。友と云も同意なり。加伎も一黨に相結べるより。云る名ならむ。部曲をカキノタミ。民部をカキヘと云るも。同じ義なるべし。○赴喪。赴字本に起に作る。今纂疏本永享本文明本鎌倉本どもに依て改む。【爾雅に赴至也】喪字。本に哀に作る。類史環翠軒本に喪に作る宜し。依て改む。【但し其本にも起喪とある起字は惡し】○誤我於亡者。記に比2穢(キ)死人1とあり。○所帶。本に所字无し。永享本に據て補ふ。○大葉刈。平田翁云。記には大量と書り。共に大波加理と。波も加も清て訓べし。【記傳に。書紀に刈此云2我里1とあれば。彼は我を濁るべけれど。此記には量字を借て書れば。清主てよむべしとあれど。我俄を清音に用ゐし例下にもあり。泥むべからず。】さて名義大刃刈なるべし。と云り。刈は大祓詞に。天津菅麻乎本苅斷《アマツスガソヲモトカリタチ》。末《スヱ》苅|切※[氏/一]《キリテ》。などある刈に同じ。○神戸釼。記には神度釼に作れり。内山眞龍の説に。神戸は出雲の國神門郡の地名を以て。釼名に負せたるにて。後に出雲國に。刀釼の良工を出せること往々見えたるも。みな上代より。此國に名釼のありしが故なるべしと云り。さもあるべし。さらば戸の下。之を添て讀むべく。また越前國敦賀郡|天利釼《アメトツルギ》神社と申御坐り。此に依らば神利釼の意なり。これに依らば之を添ずて讀へし。今定めがたし。○此即落而とは。其|斫仆《キリ》たる喪屋を云。落而は天より(722)葦原中國へなり。【此は天上にての事と爲る傳なれど。記に據て此國にての事と見たらんにも。こゝにさはりあらぬよし,重胤説あり。次に云。】さて神代には。かゝる類いと多し。大和國なる天(ノ)香山。伊豫國なる天《アメ》山。丹後國與謝郡なる天(ノ)梯立などの類。猶多かり。人の世の意以。あやしむべきに非ず。○爲山。爲字は化字の義に見るべし。重胤云。帝王編年紀に。霜速比古《シモハヤヒコノ》命(ノ)男。多々美比古《タヽミヒコノ》命。是謂2夷服岳《イブキヲノ》神(ト)1。女|比依志《ヒエシ》比女命。是戎服岳(ノ)神之姉。在2於|久惠《クヱノ》峯(ニ)1也。次|淺井《アサヰ》比※[口+羊]命。是夷服岳神之姪。在2淺井岡(ニ)1也。是夷服岳與2淺井(ノ)岳1。相2競|長高《タケヲ》1。淺井(ノ)岳一夜増(シヌ)v高(ヲ)。夷服岳怒拔2刀釼(ヲ)1。殺《キリ》2淺井姫之頭(ヲ)1。墮2江中1而成v島。名2竹生島1其頭乎。と云事の見えたるは。刀釼を以て姫神の頸を斬たるが。江中に堕て一島と成れる傳なるが。此は同國にての事なるに。墮2江中1と云り。又久惠(ノ)峯は、※[就/足]《クヱノ》峯と云事なり。彼此合せて思ふに。此の其喪屋を斬伏せ玉つゝも。虚空に※[就/足]散し上たらんには。佗所に至りて必墮下るべかりければ。此文は紀なる二共に。天上より降れる意に見ずても。必然るべくぞおぼえたる。【此事は。色葉字類抄。又竹生島縁起にも出たるを。殊に委しきが故に。右の如く編年記を引る也。此に喪屋の山と化れると。相似たることなるを以なり。】と云り。○美濃國は。記傳に。名義|眞《ミ》野なるべしと注されたるは。然る説にて。當國に某野と云る地名多し。先和名抄郡名に。大野有り。郷名に多藝都立野。不破郡野上。眞野。本巣郡美濃。山縣郡片野などあり。○藍見川之上喪山。此地の事は。其國人三浦千春が著したる。大矢田神蹟考に委きを。此に其説を抄て云はゞ。天稚彦の下照姫と相住て居りしは。何れの國と云事傳なく。又これを考たる書もなし。記傳に。天稚彦が門は。此國に淹留りて住居《すむ》家なり。さて此家は何國なりけん知がたし。出雲國にもや有むとあれど。是はた(723)々推量の説のみなり。まことは天稚彦住處の跡は。美濃國武儀郡山口郷。大矢田《オホヤタ》村。極樂寺。笠神村などの地に亘りて。廣袤六七十町程の内なること。今正しく其舊蹟ありて著く。河村内郷が喪山考に。論へる趣きをも摘て。爰に記す。まづ美濃國郡上郡の山々より流出て。末は伊勢尾張のあはひの海に入大川あり。其川いと長く。上にては郡上川と云。下にては長良川とも。墨俣川とも云り。此川岐阜よりは。五里ばかり河上にて。武儀郡の内。東岸は上有知《カウツチ》村。西岸は前野など云る。多くの村々のあたり流るゝ間を。今も藍見川と云り。是より二三十町隔たりて。大矢田村と云處に。喪山の舊蹟あり。藍見川之川上といふべき地理になん有ける。大矢田村は。山によれる里也。其處に天王山とて。天王社を祭れる高山あり。其麓につゞきて小き山を喪山【椎山とも云り】といふ。山のさまは。さしも高からず。廻り四町ばかりも有ぬべし。これ神代の眞蹟にまぎれなき事は。喪山考にも委しく論はれたり。【さて此喪屋を伐倒し玉へるを。紀にては。天上の事とし。記にては此國の事とせり。按に此は此國にてありし事にて。天稚彦の喪屋は。即其住居れりし家のあたりに。設し物なるべし。されば今喪山のある。大矢田村のあたりぞ。天稚彦が住居也けん事も。おのづからしらる。】偖此村を。大矢田と云事も。矢に因れる名なるべし。其邊に矢落《ヤオチ》街道と云もあり。返矢の落來りし古跡と知らる。又|雉射《キジイ》田と云處もあり。大矢田村なる天王山に。麗しき社あり。本社は午頭天王と申す。祭神素戔嗚尊と。天稚彦神と。二神にますよし。古縁起に記せり。おもふに西國は大國主神いませば。みづからは東國を治めむとて。下照姫と共に。此美濃國に遷り住て。まづ此あたりを領《シリ》居たりし成べし。此地天稚彦の住處の跡にしあれば。其神を祭れるは。いと上代よりの事とおぼし。さて天王の祭禮は。六(724)月十五日と。九月八日と兩度あり。其九月なるは。世に異なる祭式にて。稚彦が故事を摸したる祭と知られたり。其は九月祭禮の日。神輿山を下りて。御旅所|祭塲《マツリバ》と唱ふる處へ。神幸あることなるが。其日遠近の里々より。詣集へる人ども。小き矢を持て。其祭塲に立こみ。神幸を待程に。土人山上より神輿を舁まつりて。道程七八丁ばかりの間を。走りに走て其處に到るを待受て。神輿に向て。雨の如くかの矢を投《ナグ》るに。此神輿に矢の中りぬれば。禍事なしと云傳ふ。稚彦が天神の返矢に中りぬる故事より。始りし祭としらる。さて大矢田村より。廿町ばかり南に。笠神村と云あり。【藍見川の西岸の傍なる里也。】此村の産土神を。笠神五社明神。又比賣大明神と申て。別當を下照山福滿寺と云。此社(ノ)祭神は。下照姫命。天稚彦命。味※[金+且]高彦根命。御手洗比賣命。比賣命。【合五座】攝社二座。左は八幡。右は雉射御魂大明神と申す。本社の下照姫命を第一の神とする故に。比賣大明神とも申す。社記に。天稚彦神下照姫神に合て生坐る御子。御手洗比賣命。比賣命と申。二柱ます。下照姫の御子生坐る舊跡を。誕生山といふ。其時神々の集ひ來坐る所を。神(ノ)洞と云り。按ずるに。記紀に天稚彦子ありし事見えざれども。此舊跡によりて。其事のかく明らかに知られ。御名さへ傳はれる。いと/\めづらし。と云り。【今は甚く略きて出せり】○惡以生誤死。葦牙云。世に生たる人を。死人にとり違ふる事を忌み棄《キラ》ふは。此の故事なりといふなり。さてこゝは。右に云る如くなれば。誤もしつべけれど。大方には有まじき事と思はるゝを。上代の人の直き心に。甚く悲歎時に。よく似たる人を見ては。ふと其人ぞと思誤りしことも。時々ありしにぞ(725)あらむ。と云り。さも有べし。
 
是後高皇産靈尊更(ニ)會《ツドヘテ》2諸神(タチヲ)1。選(ビタマフ)d當v遣(ス)2於葦原中國(ニ)1者(ヲ)u。僉|曰《マタ》。磐裂《イハサク》【磐裂。此云2以簸娑窶1。】根裂《ネサクノ》神之子。磐筒男磐筒女所生《イハツヽノヲイハツヽノメノウメル》之子。經津《フツ》【經津。此云2賦都1。】《ヌシノ》神是|將佳《ヨケム》也。時(ニ)有《マス》2天(ノ)石窟(ニ)所住《スム》|神稜威雄走《イツノヲハシリノ》神之子|甕速日《ミカハヤヒノ》神。甕速日神之子|※[火+漢の旁]速日《ヒハヤヒノ》神。※[火+漢の旁]速日神之子武甕槌神1。
 
是後云々。葦牙云。出雲國造が神壽詞を見れば。此時既に天穗日命返上り坐て。此國土の状を具らかに。復奏たまひしなり。と云れたるは然説なり。其文に。天穗日命乎。國禮見爾遣時《クニカタミニツカハシヽトキ》爾。天之八重雲乎。押(シ)別《ワケ》※[氏/一]。天翔(リ)國翔(リ)※[氏/一]。天下乎|見廻《ミメクリ》※[氏/一]。返事申給久。豐葦原乃水穗國波。云々|荒《アラブル》國|在利《ナリ》。然(レド)毛鎭平※[氏/一]。皇御孫命爾。安國止平久。所知坐《シロシメサ》之米牟止申底。己(レ)命(ノ)兒。天(ノ)夷鳥命爾。布都怒志命乎副天。天降(シ)遣天。荒布留神等乎|撥平氣《ハラヒタヒラゲ》。國作《クニツクラシヽ》之大神乎毛。媚鎭《コヒシヅメテ》天。大八島國|現事《ウツシゴト》顯事《アラハニゴト》令事避支《コトサラシメキ》とある是なり。重胤もなほ此時の事を詳に云れけるは。已に上に注るが如く。天稚彦を征伐の御使と爲て。天降させ玉へると。天穗日命父子二神の。巡察の事終て。還(リ)上らせ玉へると。引(キ)替りたる事にし在ければ。今は其神の復命し玉へるにて。天神にも此國土の消息《アリサマ》を。委曲に所知食させ玉へるが故に。其神の奏(シ)請(ハ)せ玉(726)へる隨に。此に經津主神武甕槌神を。天降させ玉ふ御政には至れるなり。然るは其神の御坐《オハ》し坐ざりし程に。天稚彦を天降されたるには。能も此國の事(ノ)態《サマ》をば。明らめさせ玉はざりし故に。却りては物|損《ゾコナ》ひと成て。可借壯士神を。空しく亡《ウシナ》ひつるが如し。其天穗日命の見明らめ玉へる状は。神賀詞に。天穗日命乎國體見爾遣時爾云々の文有て。其子天夷鳥命に。布都怒志命を副て。天降し遣はさるゝにも。其治め玉ふ道有る事を聞えさせ玉へり。其荒布留神等乎撥平氣と有は。此始に。彼國多有2螢火光神。及蠅聲邪神1。復有2草木咸能言語1。とある是にて。第一一書に謂ゆる。殘賊強暴横惡《ナハヤブルアシキ》之神と云者なり。此は討て平させ玉ふべく。國作之大神は。其功の大にして。始より此國土をば。天神(ノ)御子に奉らせ玉ふ御事に於(キ)て。辭《イナ》ませ玉ふ御心御坐ざりければ。此は媚《コビ》鎭めて。現事顯事を避しめ奉り。神(ノ)事幽(ノ)事をば知しめ奉るべくと。計らひ申せるにて。天穂日命の至誠至忠。天地に貫ぬきて。終に其神策を奉られし如く。成就へりし者也けり。偖其大己貴神には。天穗日命の。始より媚|附《ツカ》し御坐が上に。次(ニ)降らしゝ武三熊之大人。亦名天夷鳥命も御坐して。父子二柱にて。和し鎭めさせ玉へれば。豫め國避の御契約は。粗定れりけらし。然るに右の荒振神はcも。大己貴神にこそは。從奉りて。其御治めを仰奉り居たりけれ。其神の國を避玉へらむには。復國作の始に立返るが如くして。天神御子の御勢(ヒ)とは申せども。容易く治得らるゝ御事には御坐(サ)ざるが上に。今此に大己貴神の。國士を避給ふと云はゞ。又防ぎ拒《コバ》む神共の起るべき萠し有て。其神の御心にも任せ玉はざる事なりけらし。此は荒振神とは。(727)格別なる事には在(レ)ども。已に此下に。經津主神武甕槌神の。天降らせ給へる所に。問2大己貴神1曰。高皇産靈尊欲d降2皇孫1君c臨此地u。放先遣2我二神1。駈除(ヒ)平定《ムケシム》。汝意何如。當須v避不(ヤ)。時大己貴神對曰。當(ニ)問2我子1然後將v報云々。又古事記に。故爾問2其大國主神(ニ)1。今汝子事代主神。如此《カク》白訖。亦有2可(キ)v白(ス)子1乎。於是亦白云。亦我子布2建御名方《タケミナカタノ》神1除v此者無也。と有て。此等は善神の列に在れども。天神御使より。直に問せ玉ふべき由を申玉へり。况てや其荒振神と云類に至りては。云べき限に非らざる事を曉るべきなり。故第二一書に云々。故經津主神以2岐(ノ)神1爲2郷導1。周流削平《メグリコトムケ》。有2逆命者1。即|加斬戮《コロシ》。と所見たるは。神賀詞の荒布留神等乎發平氣。とある是なり。然して神賀詞には。天(ノ)夷鳥命爾。布都怒志命乎副天。天降遣天。と有て。武甕槌神の御名を略かれ。記には天(ノ)烏船神(ヲ)副2建御雷神1而遣と有て。其には經津主神の御名を。漏して傳られたれども。彼遷却祟神祭詞に。經津主命|健雷《タケイカヅチ》命二柱神を。降し玉ひしと云る傳あり。若て此には。經津主神武甕槌神の出自《モト》をさへに。殊更に記させ玉へるは。甚詳らかなる傳詑なり。さて此第一一書には。遣2武甕槌神及經津主神1。先行|駆除《ハラハシム》と有は。其前後の序題《ツイデ》違へる者なり。其は第二一書に。天神遣2經津主神武甕槌神1。平2定葦原中國(ヲ)1。と有て。下に是時|齋主《イハヒヌシノ》神號2齋之《イハヒノ》大人(ト)1。此神今在2乎東(ノ)國(ノ)※[楫+戈]取之《カトリノ》地(ニ)1とみえたる。此齋主神と申すは。經津主神にて渡らせ玉ふ由。春日祭詞に依て明らかなり。然して征戰の事に望みて。其大將軍たる人|齋主《イハヒヌシ》と爲て。忌瓮《イハヒヘ》を置て。其祭祀の事を執行ひて。征伐に向ふ古法なる事。下に説べし。然る時は。武甕槌神は(728)此にては。副將軍の状にて御坐す事。此下に故山即配2經津主神(ニ)1。令v平2葦原中國(ヲ)1。と有を以。明らめ奉るべき者也かし。と云れたり。偖此に經つ主神の御事を戴せて。次に時有2天石窟(ニ)所住《スム》神|稜威雄走《イツノヲハシリノ》神之子云々武甕槌神1。と書され。古事記にも。坐2天(ノ)安河(ノ)々上之天石屋(ニ)1。名|伊都之雄羽張《イツノヲハハリノ》神。是可v遣。若亦非2此神1者。其神之子建御雷之男(ノ)神。此應v遣云々。と見えたる。此二傳に就て疑はしき事あり。然るは其稜威雄走神と聞えさするは。四神出生章一書に。拔2所v帶十握釼1。斬2軻遇突智1爲2三段(ニ)1。此各化2成神1。云々と見えたるを。記には其文を結ひて。故所v斬之刀名。謂2天之尾羽張(ト)1。亦名云々とあるが如く。伊弉諾大神の御釼の名なり。然るに其一書に。復釼(ノ)刃(ヨリ)垂血。是爲2天(ノ)安|河邊所在《カハラナル》五百箇磐石(ト)1也。即此經津主神之祖矣。復釼(ノ)鐔(ヨリ)垂血。激越《ソヽキテ》爲v神。號曰2甕速日神(ト)1。云々是武甕槌神之祖也。復(ノ)釼(ノ)鋒(ヨリ)垂血。激越爲v神。號曰2岩裂神次根裂神(ト)1。とありて。同し釼より化出させ給へる神なれば。武甕槌神のみを。稜威雄走神之子とは申難きがごとし。經津主神をも。共に稜威雄走神之子と申すべきなり。此疑いかにと云に。此は此二神。其父とする方を以て。其子とは語傳へしものなり。さるは岩裂根裂神は。右の文に見えたるが如く。釼刃(ヨリ)垂血。是爲2天安河邊所在五百箇磐石1也。即此經津主神之祖。とあるが如く。此神等は磐石を以父とL。釼を以母としたるなり。故盤裂根裂神共に。其父方の磐石を以て名と爲り。また甕速日神の方は。釼を以父とし。磐を以母としたるなり。故甕速日※[火+漢の旁]速日神。共に其父方の釼を以て名と爲り。これ此神を稜威雄走神之子と云る由なり。【さて磐裂根裂神も。釼の鋒の血に依て成坐るよしなれば。鐔と鋒の違ひこそあれ。これも釼を以父とすべきが如くな(729)れど。此神等は磐石を以父と爲べき。深き由あることにて。五百箇磐石を。經津主神の祖とは。まづ説かれたるなり。なほ此の事は。神代上の一書にも委云置り。考合べし。】次々に云るを見るべし。又重胤説に。此時の神選には。記の如くに。まづ稜威雄走神を議(リ)奏されしにて。若亦非2此神1者。其神之子建御雷之男神。此應v遣。と有には。决めて經津主神の御名をも。並申されし也けり。然る時は。其天尾羽張神の御答に。恐之仕奉。然於2此道1者。僕子建御雷神可v遣。と申玉へる時に。經津主神は。已に諸神の議《サダメ》にも。先に擧げ申されしかば。此に其武甕槌神にも。慷慨《ウレタミ》て申されしならん事は。此本文に此神進曰。豈唯經津主神。獨爲2丈夫《マスラヲ》1云々。とあるに合せて曉るべき者也かし。と云れたるは然(ル)説なるべし。○磐裂根裂神云々。上卷の一書に。此神の序次二あるうちに。後の一書の説此に合り。○磐筒女の下。神字諸本脱したり。必あるべき字なり。○天石窟は。平田翁云。此は紀に天安河之河上之。とあるは。かの磐村を疊みて造らせる石窟なるか。また固よりかの河上に在ける。自然の石窟にてもあるべし。と云り。常陸風土記に。自2高天原1降來大神。名稱2香島之天之《カシマノアマノ》大神(ト)1。天(ニテハ)則號曰2香島之宮(ト)1。地(ニテハ)則名2豐香島《トヨカシマ》之宮(ト)1と見えたれば。其天安河之河上(ノ)宮。即ち香島之宮にて。天(ノ)石窟なるべし。【佐倉風土記。下總埴生郡|耀窟《エウクツ》大明神。在2西大須村1。社後地有2一孔1。拜v之爲2神在1。未v詳2其神及造建(ノ)時世(ヲ)1。俗言鹿島神之祖父也。若(クハ)由v是。稜威雄走神(ニ)也歟《マスカ》。正徳五年社司飯岡氏請進2正一位1云。とあり。これは石窟によしあり。】○稜威雄走神。記云坐2天安河(ノ)々上之天石屋(ニ)1。名伊都之尾羽張神。是可v遣云々。且其天尾羽張神者云々。記傳云。伊都之尾羽張神は。伊邪那岐大神の。迦具土神を斬給ひし御刀の御靈にて。即其御刀の名を。天之尾羽張とも。伊都之尾羽張とも云よし。上に見えたり。考合すべし。さて其處には。神とは云はざるは。直に其御刀をさす故なり。(730)此は其御靈を云故に神と云り。名義。雄走は雄刃疾《ヲハハシリ》なるべし。走《ハシル》は釼の利《トキ》を云。利《トキ》は疾《トキ》と同言にて。走ると意同じ。俗に口利《クチトク》物言を。口の走(ル)と云も同じ。と云れたり。【雄は雄々しきを云。稜威之雄詰など云言の連きをおもふべし。刃を省けるは。既に尾羽張とあるによりて。此も然云るなり。次に云ふ。】記の尾羽張は。刃《ハ》の張《ハリ》たる釼を云。羽は刃《ハ》の意なるべし。【記傳云。今T世に波婆理と云針は。刃の付たる針と云意にや。もし又刃張の針と云意の名ならば。此と同じ。又物の滿はびこるを。はゞると云も意近し。と云り。】重胤云。古き節用集に。※[炎+立刀]を刃速《ハハヤシ》と訓るを。説文に鋭利也と註し。今も刀釼に鞘走《サヤバシル》と云事の有をも。思合すべきなり。然れば尾羽張は。釼の形に就て云ひ。雄走は。尖鋒《サキ》の鋭利《スルド》なる謂を以て。稱奉れる御名にぞ有けらし。と云り。七十一番歌合※[石+刑]の詞に。さきがおもき。今少おさばや。刃《ハ》はやさはいかに手をきるぞ。とある。ははやすは。刃|令《ス》v速《ハヤ》なり。○甕速日神。上に見えたる一書に。釼鐔の血。五百箇磐石に激越て。成坐る神なり。さて其磐石は。即此經津主神之祖。とあれば。此神には母の如く。釼は父の如し。故此處には。直に御刀神の子とあり。【平田翁も。此に伊都之尾羽張神の子とあるは。主と御刀の神靈に因て成坐ればなり。然れば此に准へて。磐裂根裂神の。主と磐石に因て成坐る事を思ひ辨ふべし。と云れたり。されば磐裂根裂神は。磐石を父とし。釼を母としたるものなる事。御名の上にて知られたり。】されば。御名義も釼に因て解かば。甕は借字にて身※[火+玄]《ミカヾ》なり。釼の身の光り※[火+玄]やくを云。速日はするどき状を云。○※[火+漢の旁]速日神の。※[火+漢の旁]も借字にて身なり。即ち身速日《ミハヤヒ》にて。釼身の迅速なる状にて。物を截斷つ事の。鋭利なるを云る御名なり。
 
此神|進《スヽミテ》《マヲシタマハク》。豈(ニ)唯《タヽ》經津主神(ノミ)獨|爲《シテ》2丈夫《マスラヲニ》1。而吾(ハ)非(スヤ)2丈夫(ニ)1者哉。其(ノ)辭《コトバ》《イキザシ》慷慨《ハゲシ》(731)故(レ)以即|配《ソヘテ》2經津主(ノ)神(ニ)1令《シム》v平《ムケ》2葦原中國(ヲ)1。二(ノ)神於是降2到《カミコヽニアマクダリマシテ》出雲國(ノ)五十田狹之小汀《イタサノヲバマニ》1。則拔(テ)2十握劔(ヲ)1。倒2植《サカシマニツキタテヽ》於地(ニ)1。踞《ウチアグミヰテ・シリウタゲテ》其|鋒端《サキニ》1。而問(テ)2大己貴神(ニ)1曰。高皇産靈尊|欲《オモホス》d降(シマツリテ)2皇孫(ヲ)1君c臨《キミトシタマハムト》此(ノ)地(ノ)u。故先(ヅ)遣(シテ)2我二(ノ)神(ヲ)1駈除平定《ハラヒシヅム》。汝意何如《イマシガコヽロイカニ》。當須避不《サリマツラムヤイナヤトイフ》。時(ニ)大己貴神對(ヘテ)曰《マヲサク》。當(ニ)問(テ)2我子(ニ)1然後(ニ)將報《カヘリゴトマヲサム》
 
此神進曰。記には故爾使2天(ノ)迦久《カグノ》神(ヲ)1。問2天尾羽張(ノ)神(ニ)1之時。答白。恐之仕奉。然(ドモ)於2此道1者。僕子建御雷神可v遣。乃(チ)貢進。と有を。此には。此神進曰。豈唯云々と有て。自進み出させ玉へるにて。稜威雄走神に問はせ給へる事のなきは。此も本は記と同じ傳なりつらむを。書洩されたるなるべし。さて天迦久神を遣して。問せ玉へる時に。稜威雄走神より。先經津主神を抽出て薦め玉へるを以。此神の自(ラ)進出させ玉へる御事なるべきこと。上に云り。○豈唯云々非丈夫者我。葦牙云。かく勲功を爭ふことは。後世までも同くて。これ産靈神の御靈隨《ミタマナガラ》なるべし。と云れたる信に然説にて。我皇國人の。勇み武く。其慷慨の辭氣《イキザシ》の烈しかりしこと。神代よりして如此し。○辭氣。重胤云。金澤本にイキザシと訓るに從べし。字鏡集に※[人偏+光]字を訓り。此の第五一書に。超倫之氣《ヨニスグレタルイキ》。偖伊伎邪志の例は。遊仙窟に氣調《イキザシ》如v兄。又は機關《イキザシ》太雅妙。など有て。人の氣勢を云なり。蜻蛉日記下(ノ)中に。人々のいきざしを聞も哀れにあり。(732)玉蔓に。况《マシ》て監かいきざし氣はひ。おもひ出るも忌々しき事限なし。唐物語に。其いきざしは夏池に。紅の蓮の初めて開けたるにやと見ゆ。云々とあり。神氣の内に充《ミテ》る時は。自然其|氣《イキノ》外に進む。故此を伊佐牟とは云なり。即|氣進《イサム》の義なり。又其氣(ノ)外を覆ふ計なるを。伊伎保比と云ひ。又自其氣はひを。言にも色にも差呈《サシアラ》はすを。伊伎邪志とは云るなり。とあり。○即配經津主神令平葦原中國。纂疏に。配(ハ)如3後世稱2副將1とあり。重胤云。經津主神を大將軍とし。此神を副將軍として被v遣しなり。然るに神賀詞には。天穂日命の取計らひ申玉へるに。己命(ノ)兒天夷鳥命爾。布都恕志命乎副天。云々と有を見れば。天夷鳥命は大將軍にして。經津主神は副將軍に當る如くなれども。其天夷鳥命の任は。先に御父天穂日命と共に。國形見に降坐て。大己貴神を媚和し給へりし縁を以て。先導と爲て令v降給へれば。征伐の事には係らせ玉はざりけり。故其(レ)にても。經津主神は大將軍の状なり。記の趣は。爾天鳥船神副2建御雷神(ニ)1而遣と有て。天鳥船神を。建御雷神に副て遣はされし物から。其神は大國主神に。國を避しめ奉る方にのみ係りて。國土の荒振神を。言向させ玉へる事は。見えざりける者をや。と云り。○五十田狹之小汀。上卷に。五十狹々之《イサヽノ》小汀。紀には伊那佐《イナサ》之小濱とあり。同處なるよしそこに云り。平田翁云。神名帳に。出雲郡因佐神社あり。風土記には。伊奈佐乃社と書り。【風土記抄に。伊那佐之小濱は。杵築郷の内。假宮村と云處なり。此邊の浦を。俗にいなさ濱と云と云り。杵築大社記に。國司帥中納言藤原家任日記と云を引て。天仁二年七月四日。大木寄2稻佐浦1とある。此濱なるべし。】此は决く稻背脛命を。此時の謂に依て祭れるなるべし。と云り。さて記傳云。伊那佐名義未思得ず。若は諾否《イナセ》の意にて。【書紀仁賢卷に。諾字を勢と訓り。後撰集歌に。いなせとよめり。萬(733)葉十六に否藻諾藻《イナモウモ》とよめる諸字も。勢も訓つべし。】大國主神の諾否の答(ヘ)を。問給ひし處なるから。負る名にやあらん。【武郷。稻負脛命の名義即それ也。下に云り。】式に同郡の杵築に。大穴持伊那西波伎神社と云あり。又天(ノ)比奈等理神社も同郡にあり。偖此時は。大國主神は。かの宇迦(ノ)山の山本の宮に。住坐るほどにや有けむ。宇迦と伊那佐と同郡なりと云り。【宇迦山は。出雲郡宇賀郷なり。山本宮は。記に見えて。大國主命天下をうしはき坐るほど。坐しゝ宮なり杵築大社とは異なり。】○倒植は。重胤云。神武紀に。※[音+師の旁]靈《フツノミタマ》を降させ玉へる御事を。明旦依2夢(ノ)中(ノ)教(ニ)1。開v庫視v之。果有2落劔1。倒(ニ)立2於庫(ノ)底板《シキイタニ》1。と有る倒も同くして。其器の順逆に就て云逆なり。右なるも。天上より降し玉へるなれば。其倉の底板を貫きて。俯《ウツブキ》に其鋒の下るは順なるに。其底板に劔(ノ)柄《ツカ》の立て。其鋒の仰きて有し故に。逆と云なり。此も其如くにて。釼鋒を地に刺《サス》が順なり。其とは異りて。地に釼柄を置て。釼鋒の直に上に向ひて立るが故に。記にも逆(ニ)刺2立于波穗1とあるを。記傳に釼は鋒を以刺ものなるに。是は柄の方を刺立る故に逆と云り。とあり。【阻し此は地とあるよりは。浪穗とある方や勝たらん。天神の御使として御在ける威靈を。國中に示させ玉ふ處なればなり。】とあり。○踞其鋒端。記には。趺2坐《アクミヰ》其劔(ノ)前(ニ)1とあり。記傳云。阿具美は。足《アシ》を結《クム》と云事にて。今俗に丈六かく單云|坐《ヲリ》樣なり。踞は阿具美韋と訓は字にあたらず。踞は志理宇多牙《シリウタゲ》なり。【武郷云。私記又秘閣本の訓にしか見えたり。】志理宇多牙とは。尻|打擧《ウチアゲ》にて。跖《アナウラ》を地に着て。膝を立て。臀《シリ》を浮(キ)擧《アゲ》て坐をも云べけれど。欽朋卷に乘2踞《シリウタゲヲリ》胡床1。敏達卷に踞2坐《シリウタゲセリ》胡床1。などあるは然は聞えず。是は俗に腰懸ると云者なり。物語文などには尻懸とあり。其は足を垂て。臀を物に上(ゲ)坐るなれば。尻打擧《シリウタゲ》と云なるべし。字書に據v物坐曰v踞。とある是なり。據v物とは。俗にもたれかゝると云事には非ず。腰を(734)懸る事也。漢にては腰懸るをも坐《ザ》と云(フ)常の事ぞ。然れば踞2其鋒端(ニ)1とあるは。釼鋒に腰を懸(ケ)坐(ル)を云るにて。記とは聊異なり。偖今此神のかく爲給ふは。皆天神の御使の。絶《スグ》れて奇く靈き威徳ある事を示せるなり。とあり。【重胤云。此二神はしも。共に稜威雄走神の御子にて渡らせたまへれば。本より釼と同體にて御坐す事。記の建御名方命段に。取2成立氷1。亦取2成釼刃1。と云程の御事にて坐が故に。其鋒端をも。假の御坐と爲て。立も居も。御心のまゝにぞ御坐けらし。と云れたる。然る言なり。】○駈除平定は。かの螢火光神。蠅聲邪神を言向たまふなり。○汝意何如。一書に汝將2此國1奉2天神1耶|以不《イナヤ》。記に汝之|宇志波祁流《ウシハケル》葦原(ノ)中国者。我御子之所知國(ト)。言依賜。故汝心奈何。とあり。其宇志とある神の避奉れば。其餘の邪神どもは。自退くべき理なればなるべし。字志波祁流とは。大己貴神此時此國を宇志波伎坐て。大人《ウシ》たる神なればなり。○當須避。重胤云。此は第一(ノ)一書。第二(ノ)一書に。汝將以2此國1奉2天神1耶。と有に當る所なるが。其大己貴神をして。此國より外に移《ウツリ》住しめ玉ふ物の如く。誰しも思ふめる事には在れども。然らず。神賀詞に國|作之《ラシヽ》。大神乎毛。媚鎭天。大八島國現事顯事令2事避1支。と有る此を云なり。然るは上に注る如く。此程の御名を。顯《ウツシ》國玉神と聞えて。專(ラ)顯(シ)國の君主の如く御坐て。現事顯事をしろしめし御坐しかば。其御任を避《サラ》せまつりて。神事幽事を所知食しめ玉ふべだ意を含めて。仰入(レ)させ玉へる御事。神賀詞に照して辨ふべき者なり。即其世の状を改めて。顯と幽とは事別させ玉へる御政是なり。【然るを舊説の如く。此地を避せ奉りて。大國主神と聞えさする御任を。削り奉れらむには。其神をして。何れの地にかは。治め玉はむと爲る。甚々心得ぬ事共なるにこそは有けれ。】○不。三島本北野本に否に作る。一書には以不(ノ)二字に作る。即天神の御命を諾ひて。現事顯事を避奉りて。神事幽事を治玉はむや否《シカ》らずやと。和かに問聞えさせ玉へるにて。謂ゆる是|神(735)問《カムトハシ》なり。○當間我子然後將報。第一一書には。對曰吾兒事代主|射鳥※[しんにょう+敖》遊《トリノアソビ》云々。當2問以報1。とあるに事は同じきなり。記に僕者不2得白1。我子八重言代主神云々。平田翁云。大國主神己(シ)命は。産靈大神の勅教に違はじと。御心を定めたまへれど。御長子《ミコノカミ》に坐せば。事代主神の心を以て。御答を白さむと言へるなり。と云れたるが如し。【記傳の説は非なり】重胤云。かくては天神の御命に。逆《サカ》らはせ給へる如くなれども。然に非ず。豫め御契約はしも。已に天穂日命の天降坐ける間に。成て有る事を。粗二神の知て御坐べかりければ。其事に就ては。今更に聞え上させ玉ふ迄にも非りけむが上に。當昔天下の事共は。皆|任《ユダ》ねさせ御坐けるが故に。其御子事代主神の言を以て。御返事を聞え奉らせ玉はむとなるべし。然して口訣に。問2吾子1者。令2後全(カラ)1也。と注せる其意にて。大神の御上に於ては。少か異しき御心の御坐るならずと雖。其數多なる從《ミトモノ》神の中に。順(ヒ)奉らざる者有る時は。大神の清き御心の隱るゝ事なりければ。其長子と御坐す事代主神の諾否《イナセ》に依て。百八十神も。其|御制令《ミオキテ》の任に仕奉らるゝ事を。思ほすが故也けり。其下に見えたる國避の時の御言に。僕(ガ)子等百八十神者。即八重事代主神。爲2神之|御尾前《ミヲサキト》1而仕奉者。違《タガフ》神者|非《アラジ》と申玉へるを味ふるに。大己貴神は。國土の大君にて渡らせ玉へば。萬の事をば。事代主神ぞ執申させ給ひけむ故に。其神に任ねて。報命の御言を。令v問玉へりし御事にこそは有けむ。此下にもある。瓊々杵尊の。木華開耶《コノハナサクヤ》姫命を。御《メサ》むと爲させ玉へりし御事を。記に爾詔(ク)吾欲v目2合《マクハヒセムト》汝(ニ)1奈何。答白(ク)僕不2得白(サ)1。僕父大山津見神將v白。と有て。其女神の心の底際《ソコヒ》。仕奉らむとは思ほしなが(736)ら。御父神に垂問《トハシ》奉られて。其處分に任せ給へるに等しく。此にても大己貴神の。自申させ給ふべき御事を。事代主神をして聞えさせむと爲させ給へるなど。同一徹の事にして。其味はひ究り無るべき者なるぞかし。【紀傳に僕者不得白。我子云々と有を思ふに。此時已に大穴牟遲神は年老坐て。多く事代主神に事を讓玉ひて。事代主神ぞ。眞盛に戚勢有けむ故に。自の心一にてに。御答を得白し玉はざるなり。云々と云れたれども。自諾はせ玉へる事を。傍より物爲させて。其基を固めさせ給へる神意を。考漏されたるなり1。】さて此神問の事は。此に大己貴神對曰。當(ニ)問2我子1。然後將v報。とあるを。第一一書には。云々對曰。吾兒事代主|射鳥※[しんにょう+敖]遊《トリノアソビシテ》在2三津之碕(ニ)1。今當(ニ)問(テ)以報v之。とあり。記にも。云々答白之。僕者不2得白1。我子八重事代主神是可v曰。云々と有て。傳々に少かの異同は有礼ども。此の御答の。實に如此く御坐べき御事也けり。然るに第二一書には。既而二神云々。對曰。汝二神非2是吾處(ニ)來者1。故不v須v許也。於是經津主神則報告時。云々と有て。上件の傳共とは異也。若かくならんには。事代主神などに問せ玉ふ迄も非ず。大己貴神と二神との問答にて。然定れる上は。餘神に沙汰も給ふ可くも非る事なる者をや。然る時は何れにか。事の違は有けると云に。右の疑汝二神非2是吾處來者1。故不v須v許と云は。凡ての事に。天神の詔命を畏まり奉らせ玉ふ。此大己貴神の。平生の御言の状に合ざれば。疑ふらくは。此は後に此所の状に依て。杜撰したるべからむ事。次々に説へき也。【又此に。事代主神に申さしめ玉ふ事の見えざるは。始より傳はらざるか。何れにしても。此にて經津主神の。還昇らせ玉ふと云事。少々落着かぬ心ちす。】と云り。
 
是時其(ノ)子事代主神。遊行《アルキテ》《イマシ》2於出雲國(ノ)三穗《ミホ》【三穗。此云2美保1。】之|碕《サキニ》1。學(テ)2釣魚《ツリスルヲ》1爲v樂《ワザト》。或(737)曰|遊鳥《トリノアソビヲ》爲v樂。故(レ)以2熊野諸手船《クマヌノモロタブネヲ》1。【亦名(ハ)天※[力+鳥]船。】載(セテ)2使者稻背脛《ツカヒイナセハギヲ》1遣《ヤリテ》之。而|致《イタシ》2高皇産靈尊(ノ)勅《ミコトノリヲ》於|事代主《コトシロヌシノ》神(ニ)1。且(ツハ)問(フ)2將報之辭《カヘリゴトマヲサムコトバヲ》1。
 
遊行は。私記に由支弖と訓るに從ふべし。又記の舊印本。遊行をアソヒテと訓れたる處もあれば。さも訓べし。○出雲國と云こと。上に既にあるを。又こゝにも云るはいかゞ。と山蔭に云り。○三穗之碕。記傳云。出雲風土記に。島根郡美保郷。所v造2天下1大神命云々。令《シメタマヘル》v産(マ)神|御穂須々美《ミホスヽミノ》命。是神坐矣。故云2美保1。また美保(ノ)濱一百六十歩。西有2神社1。北有2百姓之家1。捕2志毘(ノ)魚1。また美保埼云々。神名帳に。美保神社あり。【武郷云。名神記に事代主神也と有。】此地は出雲國の東北の極なり。さて記にも此と同く。御大《ミホ》之前とあれど。第二一書には。三津之碕とあり。此も一(ノ)傳なり。出雲風土記に。島根郡御津濱と云見えたるを云り。又楯縫郡にも。御津(ノ)碕御津(ノ)濱あり。なほ一書の下に云べし。○釣魚。記に取魚とあり。和名抄に。漁 説文云補v魚也。和名 須奈度利。とあり。○遊鳥を。私記の訓に。トリノアソヒとあり。從ふべし。記にも鳥(ノ)遊と書り。【されど。記に鳥(ノ)遊とあるはよけれど。こゝに遊鳥とあるは。漢文にも。こゝの文にも叶はず。いかゞなり。若は字を下上に。轉寫せるには非るか。】記傳云。鳥遊は。野山海川に出て。鳥を狩て遊ぶをいふなり。【此は海邊なれば。旨と水鳥を狩るなるべし。】と云り。さて阿蘇備と云(フ)言(ノ)本は。守部云。記傳に管絃の事を。總てあそびと云とて。仲哀天皇(ノ)條の。建内宿禰大臣白。恐我天皇。猶阿2曾婆勢其大御琴1。とあるを引て。證と爲しはたがへり。彼は萬葉十三に。國見所遊《クニミアソバシ》。拾遺雜下に。御碁あそばし。空(738)穗物蕗に。御弓あそばす。榮花物語に。きんを云々。おくの手をあそばし。などある類にて。崇めて御琴彈せ給へと云ことを。あそばせと云るなり。さてあそびと云は。神代紀に鳥遊。崇神紀に姫遊《ヒメナソビ》とある如く。何事にまれ。娯みて心をやるを云なれば。其重き方にうつりて。萬葉集中にては。酒宴を專といひ。中古の程には。管絃を專らといへり。されば管絃も。遊の中の一にてはあれど。彼引て云る物語書なども。打任かせて。あそびといへるにもあらず。實は糸竹のあそびと云を。省ける詞どもなるを。直に其名とのみ心得て。ひたぶるにいひなせるは非なり。神遊(ビ)と云も。樂しきわざして。神の御心を和め奉るより云て。管絃は其中にこもるにこそ有れ。管絃をあそびと云故に。然唱ふるに非ず。と云れたるにて。心得べし。○熊野諸手船。平田翁云。熊野は意宇郡の地名なること。既に出たり。彼處にて造れる船なるべし。其は萬葉に伊豆手《イヅテ》船と云も有れば也。諸手船としも云(フ)は。纂疏に言2數多(ノ)水手操1v舟也とあれど。數多の水手の諸手に漕が如く。速き由なるらんと云り。又重胤云。諸手船は。先垂仁紀に艇《ハシブネ》と有を。欽明紀に同船二隻《ハシブネフタフナ》と見えたる。共に波斯布禰と訓み。皇極紀は。大舶《オホツム》與2同船《モロキフネ》1三艘とありて。同船|母慮紀《モロキ》舟と注されたり。其大舶は。和名抄 舶 唐韻云 舶 【傍陌反。楊氏漢語抄云。都具能布禰】海中大船也。と有る都具は。都牟の轉なるべし。神功紀帆舶をホツムと訓たるも。船は物を積《ツミ》運ぶを以て名と爲るにて。倉は物を居收むる所なるに依て。坐《クラ》を以て名るに等し。若て其同船を母慮紀舟と訓むは。諸來船と云事にて。小艇は繋合《モアヒ》て榜(キ)行く者なるが故に。今も諸國の船人共の云を聞くに。一艘の船の(739)事を片船と云ひ。其繋合の船をば。諸《モロ》船と云る是なり。又波斯布禰と云は。早く廻りて事を辨ふる由にて。橋船と云義なるなり。和名抄に。艇【遊艇同】唐韻云艇【徒鼎反。上聲之重。漢語抄云。艇乎夫禰。遊艇波之布禰。】小船也。釋名云。人所v乘也と見えたる是にて。此に熊野諸手船と云は。使者を急がせ。遣し玉へるなれば。此遊艇の事を云と聞えたり。【但諸手船と云義は。其とは異なるよし。次に注るが如し。又ハシフネと云は。走船にも有べし。大舶は帆に任せて遣るを。小船は櫓を榜て。走する者なればなり。】偖諸手船とは。兩人して櫓を榜渡る船の謂にて。右の同船《ハシフネ》を。モロキ舟と云とは等しからざるなり。先諸と云は。兩手を諸手と云ひ。兩足を諸足と云ひ。兩眉を諸眉と云は更なり。母呂と云は。元來物二有る時に云言なるを。其より多き事には。モロ々々と云。然して手を云は。人を伎《ワザ》に役てゝ使ふ時に云言にて。崇神紀に物部(ノ)八十手《ヤソテ》所v作祭神之物。とあるなども。物部八十人なるを。祭神の物を作れるが故に。八十手とは云るなり。今も物を聞かする人を聞手と云ひ。物を見さする人を見手と云類は。人を云なるが。聞と云|伎《ワザ》有り。見ると云伎有が故に。手とは云るなり。萬葉廿【十九丁】又【四十九丁】夫木【卅三】に。伊豆手夫禰と有などは。五手船にて。五人して榜ぐを云なるべし。今も船客の船の大小を量るに。二挺櫓三挺櫓と云て。水手の數を擧て。其船の大小を云る是なり。萬葉十一に。水手《コグ》船之と有て。船を榜を云に。水手の字を用たるをも。合せ見べきなり。然れば諸手船と云は。二挺櫓|建《ダテ》の遊艇を云と知べし。【應神紀に。凡|水手《フナコ》曰2鹿子1云々と有は。水手を舟子と訓るなるが。其に水手の字を用られたるを以て。諸手は水手の數に因る事を知べし。】と云れたり。此説も然るべし。○天〓船。〓を以て船の名と爲るは。其船の行く事の。輕く利《ト》きを云なるべくや。第二一書に。天(ノ)鳥船と云も。飛が如く速きを云(740)るに合せて。釋に兼方案之。※[合+鳥]船者|速鳥《ハヤトリ》之義。速迅之謂也。と注せるは愛たき説なり。然る時は。右の〓は借字にて。速鳥の語を約めたりし者也けり。其に就て引れたる播磨風土記に。明石驛家有2一井1。楠樹生2其上1。時人伐2其楠1造v舟。其迅如v飛。一※[楫+戈]去越2七浪(ヲ)1。仍號2速鳥(ト)1。此云2天※[合+鳥]船(ト)1。乃速鳥之義也。一名天鳥船。云々唱曰。住吉之大倉向而飛者許曾《スミノエノオホクラムキテトベバコソ》。速鳥云因何速鳥《ハヤトリトイヘナニカハヤトリ》と有り。又續紀天平寶字二年三月。舶名播磨速鳥。と見えたる。速鳥は右の如く。其|舟足《フナアシ》の速き事。鳥の飛が如しと云義を取て。古名を負せ給へる者ならむか。船(ノ)名を命《ツク》る事は。右に引る萬葉十一。味鎌之鹽津乎射而水手船之《アヂカマノシホツヲサシテコグフネノ》。名者謂手師乎不相將有八方《ナハノリテシヲアハズアラメヤモ》。と有が如く。古より有來れる事也けり。○載使者云々。五十田狹之小汀より三穗の崎まで。海路を船にて遣はしたまひしなり。此海路の事は。眞龍が考に。出雲國は。風土記の頃は。出雲郡と神門郡とは。海を隔てゝ。島根(ノ)郡秋鹿(ノ)郡楯縫(ノ)郡出雲(ノ)郡と。此四郡の地は放れたる島にて。入海は西の大海まて通りたりしなり。されば今見るにも。出雲(ノ)郡と神門(ノ)郡との堺の邊。今道二里ばかりが程。平原砂地なり。上代は此處海にて。東西へきれたりし也と云り。稻背脛命の通ひしは此海路なり。○稻背脛。名義。稻背は諾否《イナセ》にて。事代主神の諾否を問へる故に負へり。脛は。丁を余富呂と云如く。使者に立たる故の名なるべし。【景行卷に。七拳脛と云人あり。孝徳卷にも。八掬脛と云あり。越後風土記にも。同名の人ありて。其脛長八掬。多力大強。など見えたり。】と平田翁云り。此神記には天鳥船神とあり。此は上にも云る如く。名義内山眞龍が説の如く。かの熊野諸手船に乘て。鳥の如く速(ク)行たる由なるべし。【記傳に。鳥船は船鳥を下上に誤れるにて。即夷鳥と同言なるべしとあれど。しからず。】また大背飯三熊之大人とも申す由は。(741)上にも云る如く。背飯は背脛と同言にて。大諾脛《オホセハギ》なるべし。【尚上に云ることゞも考合すべし】と云り。偖此使者は。經津主武甕雷神の。先導の神ながら。此般は大己貴神の遣りし使となりて。さて罷りしが。即て其處にて詔命を演て。事代主神の隱去しゝも。其處にての事なるを。記の趣は。遣2天鳥船神(ヲ)1。徴(シ)2來(テ)八重事代主神(ヲ)1。而賜之時。とあれば。伊那佐之小濱へ徴たるに。其濱にて隱坐しゝは。異なる傳なり。○高皇産靈尊。本に尊字脱したり。永享本に据て補ふ。○事代主神の下に。之許二字永享本にあり。それもよろし。○問將報之辭。平田翁云。吾は天神の勅教のまに/\。此國は天神御子に避奉らむと思ふを。汝はいかに報命《カヘリゴトマヲ》さむと。海路を遣て問しめたまへるなり。と云り。
 
時(ニ)事代主神|謂《カタリテ》2使者(ニ)1曰。今天神有(リ)2此(ク)借問《トヒタマフ》之勅(リ)1。我父宜(ク)當|奉《マツリタマヘ》v避《サリ》。吾亦|不v可v違《タガヒマツラジ》。因(テ)於《ニ》2海(ノ)中(ニ)1造(リテ)2八重蒼柴籬《ヤヘアヲフシガキヲ》1。【柴。此云2府璽1。】蹈(テ)2船※[木+世]《フナノヘヲ》1。【船※[木+世]。此云2浮那能倍1。】而|避《サリヌ》之。
 
謂使者曰。重胤云。稻背脛命に語らせたまへるなり。記には其御父神の許に。徴來たまへる趣なるは。別なる傳にては有れども。語(テ)2父(ノ)大神1言。恐之此國者立2奉(リタマヘ)天神之御子1と有は。天神の御使を。御父神の使者として遣はされたる故に。其報告をば。直に天神には申さず。父大神に聞えて。其より天神に白上させ奉たまふにて。右に且問2將v報之辭1と云るは。此に在事なり。○我父宜奉避。此御言は。上(742)に二神の天神の御言を傳へて。當須(ヤ)v避不と宣へるを。事代主神に移し聞えたまへる。即其御答なり。【第二一書には。大神所v求何不v奉歟と有ど。記も同意なるべし。但所v求と有は如何ぞや聞ゆるなり。】記に。事代主神の語2其父大神1言。恐之此國者。立2奉(リタマヘ)天神之御子(ニ)1と有て。其父大神に。國避の御事を申し進め給へるなり。○八重蒼柴籬。又云。記に訓v柴云2布斯1とあり。私記に。也倍阿乎布之加岐と有て。諸本共に然なりければ。八重垣八重雲などの例にて。八重之とは云ざりけるにこそ。偖柴を府璽《フシ》と云は。記傳に青柴垣は。青葉の柴の垣を云ふ。布斯は字の如く。柴の事なり。中昔の歌には。布斯志婆《フシシバ》と重ねても云り。【又今一には日柴《マフシ》と云物も有り。萬葉に所謂射目と云物是なり。】偖八重蒼柴籬は。重胤云。柴垣を八重に圍みたるにて。第二一書に謂ゆる天津|神籬《ヒモロギ》の類にて。今迄は顯身にて御座しを。今は神と成らせ御座て。其神籬の中に。隱れさせ御座す由を。示し聞えさせ玉へるなりけり。紀傳に。甕栗宮段に。淤美能古能夜幣能斯婆加岐《オミノコノヤヘノシバガキ》と有と。此布斯垣と同物也。と云れき。偖垣は柴を以て圍ふが。上代よりの製と見えて。大甞宮に。八重垣と云有り。儀式に拵《カタフテ》v柴爲v垣。押2桙(ヲ)八重垣(ノ)末1。挿2拵椎枝1者。古語所謂志比乃和惠と見え。式にも。將v柴爲v垣。押2桙八重垣末1。柱將2椎枝1。【古語所謂志比乃和惠。】と有る。此等にて。上古の八重垣の状を知べし。偖垣は右の如く。其屋を圍ふ料なるに就て。釋に蒼柴籬者。只海中之屋也。と云るは。意表の説なるが故に。心も留めざりつるを。此第六(ノ)一に。其於2秀起《サキタテル》浪穂之上1。起2八尋殿(ヲ)1云々。と云事も有ければ。此も其如き状にて。八重蒼柴籬を拵て。其中には神籬を建させ御在して。鎭り座るを云るなりけり。記傳十一に。事代主神の御事を。姓氏録には。(743)積羽八重事代主命と有り。神名帳には。都波八重と有り。其都美婆八重とは。彼青柴の葉を。彌重に積《ツミ》隔てゝ。垣と成し玉ふを云ふ。と云れたる。實に謂れたる説なりかし。延喜六年。日本紀竟宴得2事代主神1。藤原朝臣佐高。須女美萬爾《スメミマニ》。也志末乎佐利弖《ヤシマヲサリテ》。奈美能宇倍乃《ナミノウヘノ》。阿遠布事加幾邇《アヲフシガキニ》。多比爲須留可那《タビヰスルカナ》。と見えたるも。此の八重蒼柴籬の事を詠れたるなり。○造は。今新に造たまへるなり。因字に心を附べし。○舶※[木+世]此云浮那能倍。と云は。船舳《フナノヘ》と同じからず。世に船棚と云ひ。船|端《ハタ》と云る是なり。私記にも不奈乃倍とあり。萬葉十七|伊麻許曾婆《イマコソハ》。布奈太那宇知底《フナダナウチテ》。云々と詠み。和名抄船具に。※[木+世] 野王按 ※[木+世]。【音曳。字亦作v※[木+曳]。和名不奈太那。】大船旁板也。と有る是にて。俗に歩行《アユミ》と云て。船端に架《カケ》たる、板を云なり。其船棚無きを。棚無小舟《タナヽシヲブネ》と云ふ。萬集一又三。又同古今大歌所歌に。四極山《シハツヤマ》打出見れば笠縫の。島こぎかくる棚無小舟。など有る。袖中抄に。俗に漿牀《セカイ》とて。舟の左右に副て。縁《フチ》やうに板を打附たるなり。其を歩行きて。櫓棹を使ひ活く也。艫の方に著たるをば。志太那と云ふ。尻《シリ》の棚なり。小き舟には。此舟棚無きなり。と云るが如し。又漁父辭に。皷v※[木+世]《フナバタ》而去と有には。船端と訓り。夫木八。※[木+世]《フナバタ》に棹打鳴し篝火の云々。九。※[木+世]を叩くも寂し宵の間に云々。三十三。浮寐して枕と頼む※[木+世]に云々。此は船棚を船端とも云るにて。即船(ノ)邊《ヘ》なる者なり。【口訣に。※[木+世]梶也邊之言。と注せる梶也と云注當らざるべし。玉篇に。※[木+世]大船傍板也と云ひ。又※[木+危]字をも布那婆多と訓るを、淮南子注に。船舷板也と在をも考べし。○武郷云。永享本に。此注を浮那波多とあり。さらば其に因べきか。】○蹈は。記には蹈2傾《フミカタブケ》其船(ヲ)1と有り。此は右に造2八重蒼柴籬1と先云て。此に蹈2船※[木+世]1而避と有りて。天(ノ)逆手を打給ふと云事も無れば。彼記に合せては。注し難き所の状なりと雖。此も(744)蹈2船※[木+世](ヲ)1て。天(ノ)逆手を拍せ給へば。立周たしたる八重蒼柴籬の中に。隱給ふと見るべきなり。記傳にも。海底に入坐し者の如く云れ。又纂疏に。言d蹈2翻《フミカヘシテ》船板(ヲ)1而入c海島u也と注させ玉へるは。殊に天逆手の妙用を。知らせ玉はざる説也かし。大海の荒浪の上に。神籬を樹て。御坐すなど云事を疑ふは。顯身の人の上にこそ有けれ。記に經津主神武甕槌神の天降坐時。拔2十掬劔(ヲ)1。逆(ニ)2刺于浪(ノ)穗(ニ)1。趺2坐《アクミヰ》其劔(ニ)1ともありて。神等の御上には奇らしと爲《セ》ざる事なり。淳和天皇天長七年。伊豆國(ノ)造作《ツクリ》島(ノ)神の。神驗を顯はし給ふ所に。履v潮如v地。入v地如v水。と有を以ても。何の疑はしき事かは有べき。○避之。記には此所に當りて。隱也と有り。此はかの造りたまへる蒼柴籬の内に。顯世を避坐を云。偖しか八重蒼柴籬を。造り給ひしは。上にも云る如く。今新に造たまへるなり。【記傳に。乘玉へる船を。青柴垣に化たる如く説きたれど。其は誤りなり。】さるは今。此蒼柴籬を。八重に立(テ)周らし。造(リ)構(ヘ)たまふ事は。皇御孫命に避奉りて。此世を隔ち避り給はむとの御意を。心清く示《ミ》せ奉りたまふ御業なり。さて記に蹈2傾其船1而。天(ノ)逆手(ヲ)矣。於《ニ》2蒼柴垣1。打成而《ウチナシテ》隱也。【隱也は。蒼柴垣の内に隱坐と云なり。八重蒼柴籬を。神籬の事と知り。其神の御座と見る時は。其中に住せたまふ事を。隱座と云なり。と重胤云り。】とあるも。其乘たまへる船を。再用ましき意を示せて。蹈傾け。天之逆手を打|鳴《ナラ》したまへるなり。【平田翁云。伊勢貞丈説に。手を拍ことは。神代よりの禮にて。人の前に進むに。手を拍て進み。また退く時も。手を拍て退く。其退る時に。拍手なる故に。佐加手と云。佐加は佐加理の省語なり。逆手の逆は借字にて。葦原中國を。天神御子に讓奉て。天退手を拍て。隱れ給へるよしなり。と云り。】隱也は。青柴垣に隱給ふと云詞ながら。父大神の。八十隈將隱去と言へる如く。現御身は。永く此世を隱れたまふ事を含たるなり。かくて此までの大意。平田翁も云れたる如く。大國主神固より。此國は天神の御子に避奉べき大義をば。(745)曉て御坐せれど。上にも云る如く。然すがに。御長子事代主神に。當昔天下の事は。皆任もさせ御坐けるが故に。それに心をおきて。御自の御心は定給つゝも。猶此神に問てこそ。决き報命をば白さめと。稻背脛命を御使者に遣せるなり。此は神も人も。同状なる。いとも止事なき眞情にはありけり。故是を以。事代主神預(メ)其御心を知しめして。ます/\に。父大神の御心を。一向に固めさせたてまつらむと。己命の聊かも。顯世に心を還さぬ由を露はし。天神の命を恐みて。此國者立2奉(ラム)天神御子1。と申しも果ず。即其船を蹈傾けて。まづかく潔く隱坐るなり。偖此神を祭れる御社は。式に大和國葛上郡。鴨都味波八重事代主神社二坐【並名神大月次相甞新甞】とあり。【鴨と云由は。まづ姓氏録に。賀茂朝臣大神朝臣同祖。大田々禰古命孫。大賀茂都美命。一名大賀茂足尼。奉v齋2賀茂神社1と見え。大三輪神鎭坐記に。別宮小社。葛城賀茂神社。八重事代主命也。瑞籬宮御宇御世。大田々根子命孫。大賀茂祇命。承v勅立2社於葛城(ノ)邑賀茂(ノ)地1。奉v齋2事代主命1。仍賜2賀茂君氏1とあり。然れば鴨と云は。葛城(ノ)邑中なる地名になん有ける。と平田翁云り。さて此鎭坐記によりて見れば。神代以來。事代主神も。共に三輪に御坐しを。其御世に葛城賀茂に移奉れるなりけり。】又高市郡|御縣《ミアガタニ》座(ス)鴨事代主神社【大月次新甞】あり。【此は神壽詞に。事代主命能御魂乎。宇奈提《ウナデ》爾坐。とある御社なり。今雲梯村に。八王子と唱ふる社ありて。舊跡なりと。當國人北浦定政云り。决く此神社なるべくおもはるゝは。雲梯村に隣れる四條村に。高市御縣《タケチミアガタ》神社あり。今高縣(ノ)宮といへり。此雲梯村なる神社。即御縣坐鴨事代主神社なる證なり。高殿村なる大宮。又鴨公森を。此御社なりと云る説は。更によしなしと。此事も北浦氏云り。偖鴨と云は。後に葛城鴨都味波八重事代主命神社よりうつりて。この社にもいへりしなるべし。】又同郡飛鳥坐神社四坐とあり。これを舊事紀に。事代主神坐2倭國高市郡高市社1。亦曰2甘南備《カムナビノ》飛鳥社(ト)1とあり。【此は神壽詞に賀夜奈流美《カヤナルミ》命能御魂乎。飛鳥乃神奈備爾坐。とある御社なり。此御社。主神は古は賀夜祭流美命に坐しかども。後には賀夜祭流美命をば。異處に移し奉れり。即式高市郡加夜奈留美命神社とある此なるべし。帳考に在2栢《カヘノ》森村1。今稱2葛《クズ》神1。とあり。さて夫より飛鳥社は。旨と事代主神を齋奉たりしものと見えたり。天武紀に。吾者高市社所居。名(ハ)事代主神と詔へる。即此神なり。かの御縣坐鴨事代主神社には非ず。】なほ諸國に。此神の御名を稱せる社は。更にも言はず。鴨と云ひ。賀茂と云社の。式(746)に載れるが多かる中に。此神の社と聞えたるが甚多く。又神祇官坐(ス)御巫(ノ)祭神八坐の中に。大國主神は坐さで。此事代主神の坐事は。記傳に。此八坐(ノ)神のうち。餘の七坐。いづれも天皇の大御身の上を。守り福へ坐神等なるに。準へて思へば。此事代主神は。記に父大國主神の言に。八重事代主神。爲2神之|御尾前《ミヲサキト》1而。仕奉者。違(フ)神者非(ジ)也とある。此等の所以由にて。殊に天皇の御守神なればなるべし。【天武紀に。高市縣主許梅に著りて。吾者高市社所居。名事代主神。立2皇御孫命之前後1。以送奉云々。且立2官軍中(ニ)1守護之。とあるをも思ふべし。】と云れたる如し。因に此に蒼柴籬の事をいふべし。式信濃國諏訪郡南方刀美命神社二坐のうち下(ノ)社にて。年毎の七月朔日の例祭は。春宮と云より秋宮への遷宮なるが。材木を組て。大なる船(ノ)形を造り。其上は青柴を幾重ともなく積重ねて。其中に人形を立おき。又人も乘て。春宮より秋宮まで大路を引出す。これ决く此の古事に因れるものなり。其は此下諏訪社は。建御名方神。后神八坂刀賣命。事代主命。三神を祭れる社なれば。此七月の祭は。旨と事代主神の方に預れる祭と見えたればなり。なほ出雲國三保岬の祭禮にも。船中に柴にて室を作れる由。國人云り。何れも神代の餘風なりかし。
 
使者既(ニ)還(テ)報命《カヘリゴトマヲス》。故大己貴神則以(テ)2其子之|辭《マヲスコトヲ》1。白(シテ)2於二(ノ)神(ニ)1曰。我(ガ)怙《タノメリシ》之|子《コ》既(ニ)避去《サリマツリヌ》矣。故(レ)吾亦(タ)當(ニ)v避《サリマツラム》。如(シ)吾(レ)防禦《ホセガマシカバ》者。國(ノ)内(ノ)諸神必(ズ)當(ニ)2同(ジク)禦《フセギマツリナム》1。今我奉(ル)v避(リ)。(747)誰(カ)復敢(テ)有(ムトイヒテ)2不順者《マツロハヌモノ》1。乃以(テ)2平《ムケシ》v國時(ニ)所杖之廣矛《ツクリシヒロホコヲ》1授《サヅケテ》2二(ノ)神(ニ)1曰(ク)。吾以(テ)2此矛(ヲ)1卒(ニ)有(リ)2治功《コトナセルコト》1。天孫若(シ)用(テ)2此矛(ヲ)1治(メタマハヾ)v國(ヲ)者。必(ズ)當平安《サキクマシマサム》。今我當(ニ)於《ニ》2百不足之|八十隅《ヤソクマデ》1將《ナムト》2隱去《カクリ》1矣。【隅。此云2矩磨※[泥/土]1。】言(ヒ)訖(リテ)遂(ニ)隱(リマシヌ)。
 
使者既還。山蔭云。既字いかゞ。とあり。○我怙之子。本の訓に。子の下にタニモと云辭をよみ添たり。かくては甚く義理たがへり。故今其辭を削りて訓り。さて怙之子とは重胤云。俗に力に爲る。又は頼みに思ふなど云に等し。さて此所|能《ヨク》爲《セ》ずは。大義理を取違ふるに至るべし。此文の任にては。大己貴神其自答奉らせたまふべき事を。事代主神を以申さしめたまへる意は。容易く避奉るまじきかの。怙みも御坐けるを。事代主神速に避奉らせたまへる故に。御力を落して。此言を申給へる如く聞ゆるなり。心得べし。と云り。實然る言なり。さて記には。此處に健御名方神の。始は背き給ひしが。後に歸順奉りしことあり。此紀には漏したり。さればこの怙之子とあるは。二神を合せて見るべし。次に云。○既去矣は。事代主神健御名方神等の事も合せて申玉ふ物とすべし。故記に僕子等二神(ノ)隨v白。僕(モ)之不v違。此葦原中國者。隨v命既献(ラム)也。と申給へる所是なり。さて云はゞ。大己貴神の先づ避奉りて。さて後に御子神等を。令v避給ふべき事なる者ながら。其にては他の從神等も。共々に安からざる故を以(748)て。事代主神の御許には。直に天神の御使稻背脛命を遣して。其報命の辭を問舊ひ。又建御名方神の如きは。二神の追|迫《セメ》給ふ任にして。其歸順ひ奉らるべき時を。下待《シタマチ》し御座けるに。思ほすが如く。不v違2父大國主神之命(ニ)1。不v違2兄八重事代主神之言(ニ)1。此葦原中國者。隨2天神御子之命(ノ)1献(ム)。と申玉へりければ。其事共を相兼て。我|怙之子《タノメリシコ》既避去。と申させ玉へるものとすべし。○吾亦當避は。記に葦原中國者。隨2天神之御子之命1献(ム)。と申玉へる是(レ)にて。謂ゆる葦原中國の現事顯事を。事避奉らせ玉はむとなり。其は神賀詞に。大八島國現事顯事。令2事避(ラ)1支。と見えたる。此文に次て。乃大穴持命乃申給久。云々。八百丹杵築《ヤホニキヅキノ》宮爾|諍《シヅマリ》座支。と有り。○如吾防禦者云々は。纂疏に。大己貴神大2造國家1。威澤日久。國内生靈。惟(レ)命是(レ)聆(ク)。故曰。如吾防禦(ガバ)。國内(ノ)諸神必當2同禦1。とあるが如し。防禦を。本にホセクと裙むは。布世具《フセグ》と同言にて塞《フサ》ぐ義なるべし。○國内諸神は。太己貴命の御治めを。仰(ギ)從ひ奉居る國中の諸神なり。第二一書に。天神の大命に宜d領2八十萬神1永爲2皇孫(ノ)1奉護u。と見えたり。然れば此に云る諸神も。其等《ソレラ》を差(シ)て申させ玉へるなる事。照し應せて知べきなり。【但彼殘賊強暴なる神までには係らず。其等は。二神に言向させ玉ふべき由を申して。平國之廣矛を授させたまひ。又岐神を嚮導として。薦めさせたまへるを思ふべし。】と云り。○不順は。紀中に不服。萬葉に不奉仕を。マツロハヌと訓り。麻都呂布は我方に纏はり從ふ義にて。マツロハヌは其反なり。さて誰復敢有2不v順者1は。記に僕子等百八十神者。即八重事代主神。爲2神之|御尾前《ミオサキト》1而仕奉(ラ)者。違(フ)神者非也。とある義なり。○所杖之廣矛。廣矛は。廣刃の矛にはあらじ。記に比々羅木之八尋《ヒヽラギノヤヒロ》矛と云もあれば。此も八廣矛にて。槍《ホコ》の長さ(749)を云なるべし。【尺などの長きを。廣とのみも云りしことは。催馬樂歌に。總角やひろばかり。さかりてねたれども云々とあり。此尋許なり。】さて矛を杖に爲しこと。神功紀に皇后所v杖矛などあり。【拾遺には。此を平國矛とのみありて。廣字なし。】○授は。注進状に献2皇孫1とあり。其如くにて。實には天神御子に。検らせたまふなれども。二神より傳進らせ玉ふ故に。此には授と有て。共に一(ノ)傳なり。○用此矛云々。平安をマサキクと訓由は已に云り。平田翁云。抑今國を避(リ)給ふ際に。此矛を奉りて。かく白給へる義は。此矛を杖て。國平給へる故に。亦名八千矛神とも負坐し。勇猛き稜威を振ひて。功成(シ)給へれば。皇孫命も是より後。天下を治給はむに。此は惡神の恐畏める矛にしあれば。我如く此を取持して。武き稜威をもて治給はゞ。平安坐なむものぞと。御言を遺《ノコ》したまへるなり。【其は此時まで。久しく國を平治め玉へるに。左も右も武道ならでは。邪鬼も怖れず退かず治まりがたき事を。よく覺り坐る故にて。其本を思へば。天皇祖神等の。伊邪那岐伊邪那美命に。天瓊矛を依し給へるに原づける。神の道にぞ有ける。纂疏に。以2此牙1卒有2治功1一句。王法成立之本也。と言て。或説に是授2治國之要道1也と云るも。共に然る説なり。】故外國々の説の入來ざりし。古の天皇命等の。此道に依坐つゝ。勇猛き稜威を振ひ坐て。天下の不服《まつろはぬ》人共を。平治めたまへること。申すも更なる中に。景行天皇の御世に。倭建命に東國を平しめ給ふ時に。柊木《ヒヽラギノ》八尋矛をたまへる。神功皇后の韓國を征給ふ時に。御矛を杖たまへりとあるなど。正に此の由緒に依給へる事なりかし。と云り。【重胤云。但刀釼を用ゐさせ玉ひて。天下の逆亂を靜めさせ玉はむは。本よりの御事なれども。其を以常とは申すべからず。刀釼を用ゐさせ玉ふ如く。稜威御盛に御坐時は。天下に亂逆と云者。起る事有べからざる者なれば。皇祖天神の神慮はしも。必此に在べき事なり。】又谷重遠説に。廣矛者。大己貴神平生装(ヒ)齎(シ)。人望(ヲ)所v畏。故奉v授2天孫1。所3以示2歸順之驗(ヲ)於國内(ニ)1也。と言れたる。いづれも然る言なり。かくて此廣矛の事は。式に大和國山邊郡大和(ニ)坐(ス)大國魂神社三坐【名神大】とありて。此社の注進状に。相殿神二座。八千戈神。(750)御歳神。傳(ヘ)聞八千矛神者、。大己貴命以2廣矛1爲v杖。令v撥2平豐葦原中國之邪鬼(ヲ)1。是時大己貴命號曰2八千矛神(ト)1。此矛上古在2天皇大殿之内(ニ)1。爲2八千戈神之神體(ト)1。御歳神者云々。此に據て思へば。此御社三坐の大國魂神の神體は。八坂瓊に坐し。【此事は。上卷大國魂神の下に委云り。】偖廣矛は。此に見えたる如く。經津主武甕槌二神に授けて。皇孫命に奉り玉へるを。皇孫命天降坐時に。天璽の御寶に副て。持下り坐る。其を八千矛神と申す御名の神體として。神世より。大國魂神の神體と坐し八坂經と共に。大殿内に坐奉り玉へるを。孝昭天皇御世に。本體大己貴神の神教して。天照大神の神體と。同じ御床に坐(セ)奉(ラ)しめ給へるを。【注進状】崇神天皇御世の六年九月に。大和社に祝奉り給へるなり。さて中右記に。永久六年六月。軒廊御卜。是大和國大和社。去二月九日戌刻。俄有v火。寶殿三宇。并御正體燒亡也。とあり。此時には。此廣矛も燒亡ひ給ひにけむ。○百不足は。百の數に足(ラ)ぬ八十と。連けたる枕詞なり。【また百不足|桴《イカダ》また五十槻《イツキ》なども連けよめり。冠辭考を見べし。】○八十隈。下に隈此云2矩磨※[泥/土]1と注され。【※[泥/土]は傳の假字なり】私記に也曾久萬弖爾《ヤソクマデニ》と有り。記には八十※[土+囘]手に作れり。即海宮遊行章一書に。海陸相通はざる境を。八重之隈と有など。此に同じ。記傳云。手は道なり。萬葉に道之永手と多くよめると。道之長乳齒神と申す御名とを合せて。永手は永道なることを知り。又此の手も。道なることを曉るべし。とあり。八十は多くの隈々あるを云。萬葉に川隈之八十阿《カハクマノヤソクマ》。道前《ミチノクマ》八十阿。なども見ゆ。又萬葉二十に。毛母久麻能美知と有る。百隈む八十隈と同じくして。道の隈を多く經て行(ク)間を云り。偖其久麻の言は。隱《コモ》りなる由なるが。矩磨※[泥/土]と云時は。隈|道《チ》にて。萬葉一に道(751)隈伊積流《ミチノクマイサカル》萬代爾。二に道之|阿回《クマワ》爾云々など有て。道の曲れる所を云れば。八十隈道を。八十|道《チノ》隈と心得てむに。同じ事なり。さて重胤云。記に僕子等二神隨v白僕(モ)之不v違。此葦原中國者隨v命(ノ)既献(ラム)。唯|僕住所者《アガスミカハ》。如《ナシ》2天神御子之天津日繼|所知登陀流天之御巣《シロシメストタルアマノミス》1而《テ》。於2底津石根1宮柱布斗斯理。於《ニ》2高天原1氷木多迦斯理而。治(メ)賜|者《ハヾ》。僕者|於《ニ》2百不足八十※[土+囘]手1隱(リテ)而|侍《サモラヒナム》云々とあり。唯僕住所者云々。而治賜者。と有は。其住所を乞(ヒ)求めさせ給ふ所なり。然るに其営に住玉ふ可き由を。申させ玉はずして。僕者於2百不足八十※[土+囘]手1隱而侍。と申玉へる續きを以思ふに。此は其下に造2天之|御舍《ミアラカ》1。とある宮に。潜《ヒソ》まり鎭らせ玉ふ事を。譬へ申させ玉へるなりけり。八十隈有る道を經行く時は。其形の見えず成行くが如くに。現身を幽《カク》して。其天(ノ)御舍たる日隅宮に。鎭り侍らはせ給はむ。と云事なるを。若然らずと爲ば。其乞求めさせ給へる宮を除て。別なる所に隱り侍らはむと。申させ玉ふべき謂れ無き事と知べし。【記傳に。八十※[土+囘]手は。八十と多くの隈々を經行て云々と云れしは。別なる境に御坐しぬる者と。思成されたりし誤なり。釋に百不v足之八十隈者。先師申云。大己貴髪隱去之地也。今之杵築之神宮歟とは。甚々先見有る説なりけり。】と云り。○將隱去矣。又云。紀に隱而侍と有に當れる處にて。神賀詞に。八百丹杵築宮爾鎭坐支。と見えたる。其宮に現身を隱して侍居りて。神事幽事を所知食《シロシメシ》御坐むとの御事にて。此傳は。其天(ノ)日隅宮の内に。鎭まらせ坐む事を。申させ玉へるなる事。記には此大神より宮造の事を乞(ヒ)求め奉らせ玉ひて。云々の如く治玉はゞ。我は八十※[土+囘]手に隱るゝ如く。隱侍らせ給はんとにて。其條理甚よく聞ゆるを。此には其造宮の御事を略かれたる故に。遠き境に就《ユ》かせ玉ふ物の如く見ゆるは。彼と第二一書と得て訓べき處なるなり。(752)推古紀歌に。河句理摩須《カクリマス》。阿摩能椰蘇※[言+可]礙《アマノヤソカゲ》。また祈年山口神祭詞に。皇御孫命能。瑞能御舍《ミヅノミアラカ》仕奉※[氏/一]。天御蔭日御蔭登《アマノミカゲヒノミカゲト》。隱坐※[氏/一]云々。と見えたるも右に同じ。後釋に。隱とは御殿の蔭に覆はれて。其内に坐ますを云り。人に見えじと隱るゝには非ず。と有が如し。【私記の訓カクレマカナムは。隱れ罷去むと云事なれども、此其天日隅宮に。鎭まらせ御坐す御事をこそ。宣へるなりけれ。別處に移らせ玉へるならざれば當らず。又金澤本の訓。タチカクレイナムと云も。其と同じ。凡て此正書には。其造營の事を略かれたりし故に。訓にさへぞ然る僻訓は交れりける。】と云り。○矩磨※[泥/土]。記傳云。この※[泥/土]字をヂの假字として訓は非なり。デの假字なり。○言訖。天神御子の爲に。聞え奉らせ玉ふべき限の御事を。遺《ノコリ》も無く。申置せたまひ畢りぬるよしなり。○遂隱。一書に長隱者矣とあり。これ即上に云る。天日隅宮杵築宮に鎭坐なり。さて杵築は。風土記に。出雲郡杵築郷。郡家西北二十八里六十歩とあり。記傳に云れたるが如く。多藝志之小濱《タギシノヲハマ》とあるは。古名なりけむを。諸神の杵築(キ)玉へる地なる故に。後に杵築と號たりと聞ゆ。和名抄にも。同郡に杵築と出たり、其宮處は。風土記に。出雲御埼山。郡家西北二十七里三百六十歩。高三百六十丈。周九十六里一百六十歩。西下所謂造天下大神之社坐也。とあり。【眞龍云。郡家の方程を。−本に正北とあるは合はず。西北二十七里云々は。方程合へり。今見るに。山頂も木次大社の北山殊に秀たり。高三百六十丈は。此處を度れるならん。】抄に。此山周凡今十六里有餘也。古事記|宇迦《ウカ》山也。俗呼曰2不老山1。又鰐淵山是也。西北以2郡家路尺1考v之。相2應杵築1。今彌山跡。是宇迦第一峯也。と云り。【平田翁云。訂正本にも古事記に謂ゆる宇迦山是也と云。此等の説と。宇迦山の處の師説に。鰐淵山是也と有るを合せて思ふに。連ける山にて。峯の別に立たる故に。名の變れる也けり。但し風土記抄に、熊成峰といふも是也。と云るは。誤なり。】式に出雲郡杵築大社。【名神大】同社大神大后神社。と並載されたり。大神(ノ)大后神とは。彼須勢理毘賣命なり。史に仁壽元年九月。特擢2出雲國熊野杵築兩大神1。並加2從三位1とあるより。次々見え(753)て。貞觀九年四月。出雲國從二位勲七等熊野神。從二位勲八等杵築神。並授2正二位1。と云まで見えたり。【熊野は。素戔嗚大神に坐事。既に云り。
 
於是二(ノ)神|誅《ツミナヒテ》2諸(ノ)不順鬼神等《マツロハヌカミタチヲ》1。【一云。二神遂(ニ)誅(ヒテ)2邪《アシキ》神及|艸木石《クサキイハノ》類(ヲ)1。皆已|平《ムケ》了(リヌ)。其所v不v服|者《モノハ》。唯星(ノ)神|香々背男耳《カヾセヲノミ》。故|加《マタ》遣(セバ)2倭文《シトリノ》神|建葉槌《タケハヅチノ》命(ヲ)1者則服(ヒヌ)。故二(ノ)神登(ル)v天(ニ)也。倭文神。此云2斯圖梨能俄未(ト)1。】《ツヒニ》以|復命《カヘリコトマヲス》
 
誅諸不順鬼神等は。上に彼地多有2螢火光神。及蠅聲邪神1。復有2草木咸能言語1。とある結なり。一書に。周流削平。有2逆命《シタガハヌ》者1。即|加斯戮《コロシ》。歸順《マツロフ》者。仍加褒美。○一云。此星神の此傳は。第二一書に。天神遣2經津主神武甕槌神1。使v平2定葦原中國1。時二神曰。天有2惡神1。名曰2天津甕星《アマツミカボシト》1。亦名天(ノ)香々背男《カヾセヲ》。請先誅2此神1。然後下撥2葦原中國1。とあるに據に。此時の事には非ず。二神の始て。天より此國に降り坐る。虚空にての事なり。其よし一書の下に云。されば此傳は。第二一書を。此に取て心得べし。○誅邪神及草木石類。大殿祭詞に。【又大祓遷却祟神詞等同じ。】弊根|木根立知《キネタチ》。草能可岐葉毛|言止※[氏/一]《コトヤメテ》とある。言止※[氏/一]は。即此の誄字に當て意得べし。常陸風土記に。天地(ノ)權與《ハジメ》。草木言語之時云乞。和2平山河(ノ)荒梗之類《アラブルモノ》1。大神|化道《コトムケ》已畢云云。と有て。此の和平も。即草木の言止たるをも含たるが。其山河荒梗之類は。言語へりし草木なることを。此彼思合せて悟るべき者なり。○其所不服者唯。平田翁云。葦原中國なる。枉神妖鬼どもは。(754)皆事趣逐ひたまへれど。中國を放れて虚空にかゝれる。星神なる故に。唯此神|耳《ノミ》不v順なり。と云り。されど右に云る如く。此時の事にあらねば。此神耳とあるは誤とすべし。○星神香々背男。和名抄に。説文云。星萬物精上所生也和名保之。とあり。平田翁云。言義未知らず。抑此物の事。諸外國々にて。種々論ふ説ども聞ゆれども。萬物(ノ)精上(テ)所生と云を始。皆推量の説どもにて。古傳有て言へるに非れば。總て信に足らず。其成始は。神國の古傳に本づきて知より外なし。と云れたるが如じ。されど。此に星神とあればとて。今現にみゆる恒星を司りて。其中に住る者とも見えず。按に虚空の中を住處として。光を放ち。妖星となり【後世云る光物。また天狗星など云(フ)枉物の始祖とも云べし。】などして。天下に禍害を爲す者を云なるべし・一書に天津甕星と云るも。即此土にて。其者を星に准へて名けたたなるべし。名義は。平田翁説に。香々は※[火+玄]《カヾ》。背は佐衣《サエ》の約にて。清《サエ》明き意。と云れたるが如くなるべし。○倭文神。倭文は古書どもに。文布とも書り。何物なり。平田翁云。共に斯杼理と訓べし。【斯圖梨能餓未とある圖は。トの假字音。和名抄にも。淡路國三原郡倭文之止利とあり。また志豆とのみ云る事も。萬葉などに多く見えて下に引り。】斯豆淤理の約れる言にて。【其は天武紀に。倭文此云2之頭於利1とあり。頭於は杼と約まる。】斯豆は筋なり。今も東國にて。筋をシヅといふ處々あり。倭文を志豆とのみ云るは。此由なるべし。さて其筋やがて文なる故に。綾《アヤ》布とも云り。其は釋紀に。倭文號2綾布之類1歟。建久諸祭興行之時。大藏省年預申状。有2青筋1文之布云々。と云ひ。常陸風土記に。久慈郡(ノ)西靜織里。上古之時。織v綾之機。未《アラズ》2此(レヲ)知(ル)人1。于時此村初(テ)織(ル)因名。【此風土記(ノ)文。殊に志杼理の織布なる事を知るべき明文なり。】また釋紀に。倭文神坐2常陸國1。依v之諸祭幣物(ノ)内。倭文者常陸國之所濟也とあり。主計式に。(755)常陸國倭文三十一端と見え。新猿樂記に。常陸國綾布とあるも。倭文を云るなどを合考へて。斯豆淤理とは。筋織《スヂオリ》の義にて。青筋の文《アヤ》ある布を云事。知られたり。今世に阿夜と云は。絹に文あるを云へど。古は然らず。今の謂ゆる縞《シマ》木綿の類を云り。志豆は穀《カヂ》また麻《アサ》を以て織れるなること。下に委く云を見べし。さて此を神に立奉る事は。上に引る釋紀に。諸祭幣物内倭文と見え。萬葉集に。倭文幣《シヅヌサ》を手に取持て云々。神社爾|底流鏡倭文《テルカヾミシヅ》にとりそへ乞のみて。と有にて灼し。【武郷云。雄略紀御歌に。施都魔枳能阿娯羅《シヅマキノアグラ》と見えたれば。倭布を以て物の飾と爲し事もありし也。】さて此布は。古專(ラ)と帶に用たりと聞えて。武烈卷に。大君の御帶の倭文|機《ハタ》結垂り。と詠み。萬葉集に。古に在けむ人の倭文はたの。帶とき替て云々。古の倭文はた帶を結垂(リ)など詠り。然れば神に手向る事も。和衣《ニキタヘ》の神衣と並て。御帶の料に献るにぞ有べき。【或説に。倭文機の帶は。常陸帶と同物かと云り。此はさも有べし。】されど。後には下ざまにて。帶にすること止たるか。萬葉に古の倭文はた帶。古今集にも。古のしづの苧環《ヲダマキ》。なども詠り。古(ヘ)のと云るに心を着べし。又釋紀にも。倭文號2綾布之類1歟。と見えたれば。後には弘く用(ヰ)ぬ事となれりしなり。さてこそ。正中御飾記にも。其物の知難き由見えたれ。と云り。さて又倭文を。荒妙とも云るは。拾遺に。令3天(ノ)羽槌雄《ハヅリヲノ》神(ニ)【倭文遠祖也】織2文布(ヲ)1。と見えたる。此織2文布1は。平田翁説に。下文天(ノ)棚機姫《タナバタヒメ》神の。神衣を織たまへる所に。所謂和衣と記せるに對へて。此の文布の下にも。所謂|荒衣《アラタヘ》と有べき所なり。大神宮に奉る荒衣。即文布なり。其は伯家部類に。主上大嘗會降神御祝文。と載《シル》されたる御文に。青(キ)筋乃|文布《シドリ》乃。荒妙乃神服。白(キ)綸布《カトリ》乃。倭衣乃神衣。と見えて。下に青(キ)筋(ノ)文布(756)長四丈。廣一尺二寸。大神宮荒妙同之。と有以著し。【取意】と有が如く。此即荒妙なり。かくて拾遺神武天皇段に。天日鷲命之孫。造2木綿《ユフ》及|麻《アサ》并|織布《アラタヘヲ》1【古語阿良多倍】と所見たる。木綿と麻とは。白和幣青和幣に當りて。糸ながらなるにも云へれば。此織布は。即布に織たる意なれば。右の文布に當るべし。又其次に。其裔今在2彼國(ニ)1。當2大甞之年(ニ)1。貢2木綿|麻布《アラタヘ》及種々物1。とある麻布を。古本にアラタヘと訓るを以ても。倭文の麻布なる事は知らるめり。【又云。神祇式に。和妙者服部氏とあるに對へて。荒妙衣者麻績氏織作。また神祇令義解に。神衣祭云々。麻績連等。績v麻以織2敷和《シキタヘノ》衣1。とありて。此は麻績連の遠祖長白羽(ノ)命の。敷和(ノ)衣を織たまへること。古語拾遺に見えたれば。其子孫として。かく織れるなりけり。さて建葉槌命の織れる倭文を。荒抄といひ。又長白羽命の織れる敷和衣をも。荒妙と云るに付て。同神ぞと云る説は非なり。まづ荒妙と云ふことの本は。其織物の和妙に對へて。荒きを云名にて。建葉槌命の織玉へる倭文も。麻なれば。荒紗と云むこと本よりにて。長白羽命の織玉へる數和(ノ)衣。これまた神服部が。參河赤引の絹糸以て織れる和衣に對へて。麻もて織玉へる布なる故に。荒妙と云むこと。是又辯を待べからず。されば歌の枕詞にも。荒妙と云をば。一種の布とせず。藤もて織れるをも云ること。萬葉に見ゆ。名の同じからんからに。同物と爲むはあやまりなり。况て二神を同體なりなどは云べからず。】さて此神は。倭文連の祖にて。倭文を織始たる故に。倭文神とは云るなり。次に云。○建葉槌神をば。又御名天(ノ)羽槌雄《ハヅチヲノ》命【拾遺】天(ノ)羽雷《ハヅチノ》命【式三代實録】などあり。名義。平田翁云。古語拾遺に。長白羽命の名の下に。今俗衣服謂2之|白羽《シラハト》1此縁也とあり。此に依て考るに。波と云は。布帛をいふ古言と聞ゆ。其は羽根槌雄命の羽《ハ》。服《ハタ》の波《ハ》。羽衣《ハゴロモ》の羽など。みな是にて。薄くひらめくより。云る言ならむと思はれたり。【鳥羽魚(ノ)鰭などの波。また木葉を波と云ふも。もとは此意より出たる成べし。】槌は例の如し。と云り。また按に。羽は速《ハ》の義か。猛速く坐々由の御名にもあるべし。さるは此神武龜槌神に從ひて。星神香々背男と云(フ)惡神を。誅たまへるを思ふに。いと猛き神に坐しけむ。式に大和國葛下郡葛木倭文(ニ)坐天(ノ)羽雷命神社【大月次新甞】とあり。さて此神の倭文遠祖なるよしは。拾遺に天羽槌雄神(ハ)倭文《シトリノ》遠祖也。と(757)ありて紛なし。然るに姓氏録津國天神に。倭文連。角凝《ツヌコリ》魂命男。伊佐布魂命之後也。【天神本紀にも。天伊佐布魂命。倭文連等組と見ゆ。】また河内に倭文(ノ)宿禰。角凝魂命之後也。又大和に倭文宿禰。出v自2神魂命之後大味宿禰1也と見えたり。此等を合せて。建葉槌神の。神魂命の御裔なる事を知べし。【角凝魂命は。神魂命子なるよし。姓氏録に見えたり。但大和國のは、中省きて。出自と末とを擧るなり。大味宿禰は。建葉槌神より幾世ばかりの後なりけん。栗田寛云。神魂命の子角凝魂命、その子伊佐布魂命。その子建葉槌命にやあらん。猶よく考へ乙と云り。安房國忌部系圖と云ものに。天日鷲命子津咋見命。次に長白羽神。次に武羽槌命と次第たり。此は聊疑しき系圖ながら。因に出し置つ。よく考ふべし。】さて天武紀十三年十二月。倭文連賜v姓曰2宿禰1と見ゆ。然れば。大和河内の倭文氏は。此時より宿禰となれりしなり。さて式に。常陸國久慈郡に靜神社【名神大】とあり。【和名抄に。當群倭文郷あり。】此を常陸誌に。靜神社【手力雄命。那珂郡靜村。】とあり。然れば今は那珂郡に屬るなり。さて此祭神は。二十八社鎭座紀に。今屬2那賀郡1。在2靜村(ニ)1。舊名靜織里。在2久慈郡以西(ニ)1云。今呼爲v靜《シヅト》者。逸2織字(ヲ)1耳。祀2山上1祀2手力雄命1也云々。高房《タカフサ》明神在2社院(ニ)1。所v祭建葉槌命とあり。【栗田氏云。此神今も靜村に鎭坐しを思ふに。風土記の故事は。决く此神の村民ともに。文布を織る事を教へ玉へる由と聞えたり。故今も件の攝社に。機の織切といふものを奉るは。此故なるべし。】また鹿島(ノ)神宮の攝社にも。高房社と云ありて。此も建葉槌神命なりと。其神宮にいへ傳へたり。なほ此外にも。式に倭文神社は。諾國にあまた見えたり。○故二神登天也は。前にも云る如く。此時の事にはあらぬを。此に出したるが故に。葦原中國悉に平け了ぬる際の事として。二神の登天は記したるなり。されど此は混れたる傳なるべき事。一書の下に云べし。○斯圖梨能俄未。本に能字なし。永享本にあり。補ふべし。【俄。應神紀麻呂俄智は濁音なれど。紀中清音にも用ゐし例あり。既に上にも刈此云2我里1と。我をも清音に用ゐたる例あり。永享本には加字に書り。】○果以復命。第二一書にも。故經津主命以2岐神1爲2郷導1云々。有2逆v命者1。即加2斬戮1。歸順者仍加2褒(758)美1。と見えたる。是ぞ二神の終の復奏の時也ける。此傳と記とは。次己貴神の御事訖て。直に復奏させ玉へる者の如く有れども。其にては。上に皇祖天神の。菅原中國に殘賊強暴《チハヤフルアシキ》神有りと詔ひて。征伐の御使を。追次て降させ玉へる。結とは成ざるなり。
 
(759)附録
 
造喪屋殯之
 
鈴木重胤云。上代殯斂の較略をいはゞ。先四神出生章一書に。到2殯斂之處(ニ)1云々。殯斂と云事の。以前に已に在し事を知べし。若て記須佐之男命の。大穴牟遲神を試させ玉ふ所に。云々其妻須世理毘賣者。持2喪具《ハフリツモノヲ》1而哭來。と有を見れば。喪具の制。已に在し事明らかなり。喪葬令義解に。謂2葬具(ト)1者。帷帳之屬是也と有て。屍を覆ふ料と通ゆ。若て綏靖紀に。留2心(ヲ)於喪葬之事(ニ)1と有は。其式見奉知べからずと雖。神武天皇七十六年三月天皇崩。明年九月葬2畝傍山(ノ)東北陵(ニ)1。と見えたれば。其三月より翌年九月に至るまで。殯宮に令v坐て。仕奉らせ給へるを。留2心於喪葬之事(ニ)1。と書されたるなりけり。其後の御世々々なるも。此に准らへて知べし。偖景行天皇の崩御らせ御坐ける御事に就て説有り。喪葬令に。葬具及|遊部《アソビベ》とある。下の義解に。遊部者終身勿v事。故云2遊部(ト)1。と見えたるを。釋に遊部(ハ)隔2幽顯(ノ)境1。鎭2凶癘(ノ)魂(ヲ)1之氏也。と見えたり。鎭2凶癘(ノ)魂(ヲ)1と云は。其祭を爲して。神と人との隔を能鎭るなり。所以《カク》て喪事の御事無き時は。別に仕奉るべき職無きが故に。遊部と云なり。釋に古記を引て云く。遊部者。在2大倭國高市郡(ニ)1。生目《イクメノ》天皇之苗裔也。所3以負2遊部(ト)1者。生目天皇之※[蘖の木が子]|圓目《ツブラメノ》王。娶2伊賀(ノ)比自支和氣《ヒジキワケ》之女1爲v妻也。と有る【生目天皇は。垂仁天皇の御事也。※[蘖の木が子]は説文に庶子也と有て。謂ゆる御落胤なり。此は其御母の寄重からざりし故なとに依て。御子の數に列《カゾ》まへられ奉らで。紀には載られざるなめり。伊賀(ノ)比自支和氣は。其出自未詳ならず。】比自支は。土城《ヒジキ》にて。屍を收る棺は。人城なり。棺を置く屋は荒城なり。其殯斂の事終(760)て陵となす。此土城と云しなるべし。然れば比自支と云は。殯斂の始より。陵墓に收る終迄の事を。取擬ふ職なりし故に負(ヘ)る氏にて。土師などの例にてぞ有けらし。神名式に。伊賀(ノ)郡比自岐神社見えたり。凡天皇崩時。比自支和氣等到2殯所(ニ)1。而供2奉其事(ニ)1。仍取2其氏二人1。名2稱|禰義余此《ネギヨシト》1也。禰義者。負v刀並(ニ)持v戈。余此者持2酒食并刀1。並入v内供奉也。唯禰義等(ノ)申(ス)辭者。輸不v使v知v人也。と所見たる。是上古殯宮に仕奉る式なり。禰義と余此とは。踐祚大甞祭式に。拔穗使の時。稻實(ノ)卜部禰宜(ノ)卜部と云(フ)二人を遣はされて。稻實(ノ)卜部は。供物を奠る事を主り。禰宜(ノ)卜部は。神祭の事を掌るに似たり。上古は神社に仕奉る状も。殯宮に仕奉る状も。等しかりし事。此を以知べし。扨禰義と云は。次に禰義等申(ス)辭は。輸不v使v知v人也と有は。常に云ふ禰宜祝の状にて。職員令神祇官祝部。義解に。謂d爲2祭主1賛辭者u也。と有に別ならざるなり。敏達天皇十四年天皇崩。是時起2殯宮於廣瀬(ニ)1。と有る所に。大臣大連等の誄する事見えて。其程より漸に。外國(ノ)状に移ろひ行しかば。此程などこそ絶果けめ。若て其負v刀持v戈と有は。兵器を奉るなり。此一の余此は縁《ヨシ》にて。御許《ミモト》近く仕奉る謂なるべし。酒食を奉るは。神祇の祭祀に。御酒と御饌を奉るに等しく。刀は禰義の捧るは大なるにて。余此は小なるか。今考べからず。孝徳天皇大化二年に。喪葬の分に超たるを誡させ玉ひて。奠(ハ)三(ヒ)過(ヨ)と有を見れば。上世には。甚々慇懃に奠る事にぞ有けらし。持統紀元年。甞2于殯宮1。此日御2青飯《ヒジキオホノ》1。と有る青飯を。ヒジキオホノと有に就て。通證に。據v訓則|雜鹿尾菜《ヒジキモ》之飯歟。と注るは然る事ながら。今一にアヲキオホノとも訓た(761)れば。青飯なりしからに。其をヒシキノ御物と云て。殯宮より外には奉らざる物なりしか。但其製樣の如きは。今知べからず。後及2於長谷天皇崩時(ニ)1而依v撃2比自支和氣1。七日七夜不v奉2其食1。依v此阿良備多麻比岐。爾時諸國求2其人1。或人曰。圓目(ノ)王娶2比自岐和氣(ノ)女(ヲ)1爲v妻。是(ノ)王(ニ)可v問云。仍召問(フニ)答云然也。召(テ)2其妻(ヲ)1問。答云。我氏死絶。妾一人在耳。即指(シ)2負(ス)其事(ヲ)1。女申云。女者不v便2負v兵供奉1。仍以2其事1移2其(ノ)夫圓目王(ノ)1。即其夫代2其妻1。而供2奉其事(ニ)1。依v此|和平《ナゴミタヒラギタマヒキ》也。と見えたる。長谷天皇と申すは。纏向日代宮に御坐しかば。其山脉の續けるを以。然稱(ヘ)奉れるなるべし。即景行天皇の御事なり。依v撃2比自支和氣1の撃(ノ)字心得ず。誤字なるべきなり。七日七夜不v奉2御食1と云は。右に謂ゆる禰義と余此とに。仕奉る氏人無が故に。怠れりしなり。推古紀に。奠靈とある是なり。天武天皇朱鳥元年九月天皇崩と有て。起2殯於南庭(ニ)1云々。是日肇進v奠即誄v之。と有れば。殯斂の事に及ぶまでは。奉らざりし事にや。持統紀元年此御殯の事に就て。於v是奉膳紀(ノ)朝臣眞人等奉(ル)v奠《ミケ》。々畢。膳部釆女等發v哀。と有れば。内膳司より。奉る事と成れる也けり。其二年十一月に。奉奠と訓り。」依v此阿良備多麻比岐云々。非職の人の仕奉る時は。幽顯の境を隔てゝ。其凶※[やまいだれ/萬](ノ)魂を鎭奉る作法を。知ざるを以なり。即其夫代2其妻(ニ)1。而供2奉其事1。依v此和平給也。と其御魂の御荒びを。和平し鎭奉れる由なり。爾時詔。自2今日1以後。手足(ノ)毛|成《ナルマデ》2八束(ニ)1毛遊《モアソベト》詔(ヒキ)也。故名2遊部(ノ)君(ト)1。但此條遊部。謂2野中(ノ)古市人歌垣之類(ヲ)1是也。云々とあり。然れば垂仁天皇三十二年。皇后日葉酢姫命の薨坐し所に。於v是野見宿禰進曰。夫君王(ノ)陵墓。埋2立生人(ヲ)1(762)是(レ)不良也。【中略】則遣2使者1云々。是土師(ノ)臣等主2天皇(ノ)喪葬(ヲ)1之縁也。と有て。古より比自支和氣は。喪葬の事を總掌りたりけめども。此に至りて。土部臣の職と爲りて。其遊部の氏人は。唯禰義と余此とに。仕奉れりしなりけり。【土部臣は。令の諸陵司喪儀司を。相兼たるが如くなりしなるべし。】仲哀天皇九年。天皇崩御らせ坐ければ。於是皇后云々。殯2于豐浦(ノ)宮(ニ)1爲2旡火殯斂《ホナシアカリ》1。と有て。其殯宮の場にては。必|庭燎《ニハビ》を擧る習はしなりし事。和名抄葬送具に。門燎周禮云。喪設2門燎《カドビ》1。【俗云門火】顔氏家訓云。喪出之日。門前燃v火。と有を。此には其天皇の崩御し御事を。天下に令v知玉はざる所なる故に。遊樂《アソビ》の事は。常にも御神事などに有る事なれば。人其差異を見分べきに非ずと雖。庭燎は其と著き事なるに依て。此に制止させ玉へるか。例とは異りつる由を以て。旡火殯斂の號は起れるにてぞ有ぬべき。仁徳紀に。菟道稚郎子の薨玉ふ所に。時大鷦鷯尊聞2太子薨(ト)1以驚。云々乃且伏v棺而薨。於是大鷦鷯尊。素服爲v之發v哀。哭之甚慟。と有る。且伏v棺而薨と有は。其時已に棺に收め。殯宮に安置奉りて在し也。允恭天皇五年七月。先v是命2葛城(ノ)襲津彦之《ソツヒコノ》孫|玉田《タマタノ》宿禰(ニ)1。主2瑞齒別《ミヅハワケノ》天皇之殯1云々。殯宮(ノ)大夫《カミ》玉田宿禰云々。と見えたる。其玉田宿禰をして。殯を主らしめ。殯宮(ノ)大夫と任し玉へるは。雄略紀に所謂視喪者の類にて。殯宮の事を主り。喪事を行ふ長官と所見たり。允恭天皇二年天皇崩坐けるに。於v是新羅王。聞2天皇既崩(ト)1。驚愁之。貢2上調(ノ)船八十艘及種々(ノ)樂人八十(ヲ)1。是泊2對馬(ニ)1而大哭。到2筑紫(ニ)1亦大哭。泊2難波津1。則皆素服之。悉捧2御調1。且張2種々樂器1。自2難波1至2于京1。或哭或泣。或歌舞。遂參2會於殯宮1。云々とあるは。新羅より來りて。天皇の殯宮に仕(763)奉れるが。皇國に已く屬るなりければ。我が禮式を以て仕奉れるなり。其對馬と筑紫とにて。大哭けるは。欽明天皇三十九年。天皇遂崩2于内寢1云々。殯2于河内(ノ)古市1云々。新羅云々。奉v哀《ミネ》2於殯1。と有て。此より後の紀共に。擧哀。又奉哀。又發哀。又哀哭など有て。ミネ奉流と訓るは。即我古禮にて。此天稚彦の事は。以2鷦鷯1爲2哭者《ナキメ》1と見え。記に雉爲2哭女1。と有る事の遺訓なるか。此第一一書に。弔v喪大臨。又仁徳紀に。發v哀哭v之甚慟と有は。人情の忍ばせ給ひ難き處より。眞に哭泣玉へるにて在を。此は其疑ひを爲る事なり。又張2種々(ノ)樂器(ヲ)1て京に至れる事は。繼體紀二十四年に。毛野臣被v召到2于對島1。逢v疾而死。送葬尋v河而入2近江1。其妻歌曰。比羅※[加/可]駄喩《ヒラカタユ》。輔曳輔枳能朋樓《フエフキノホル》。云々とみえたる。右に同じ。或哭或泣。或歌舞。遂參2會於殯宮(ニ)1と有は。古くは此天稚彦の事を。記に如此行(ヒ)定(テ)。日八日夜八夜以遊也。と見え。天孫本紀にも。日七夜七《ヒナヌカヨナヽヨ》以爲2遊樂1哀泣。と有は。未(ダ)外國の沙汰无き上古の事なるに。如此禮式の備はれるなれば。本より皇國に臣伏して。正朔を奉る新羅にし有れば。此の古式に據れる事云も更なり。【記傳にも引れたる後漢書に。皇國の事を。彼國にて記せるに。其死停v喪十餘日。家人哭泣。不v進2酒食1。而等類就(テ)歌舞爲v樂と云るは。我が仲哀天皇より以上にて。彼國の往來未(ダ)无りし上古の風なる者をや。】敏達天皇十四年。云々是時起2殯宮(ヲ)於廣瀬(ニ)1と有て。此時に初て誄を奉ること見えたり。日本靈異記に。雄略天皇御世の人。小子部栖輕《チヒサコベノスガル》が事を記せる所に。栖輕卒(ル)也。天皇勅留(ルコト)七日七夜。誄2彼忠信1。と所見たれば。此より以前に已に在し事也けり。又推古天皇御世。大伴(ノ)屋栖古《ヤスコノ》連公の卒りし所に。天皇勅之。七日七夜。使3留誄2於彼(ノ)忠(ヲ)1。とあるも。誄の例なるを。用明天皇元年於2殯庭(ニ)1誄曰。云々と見ゆ。右(764)の令釋に引る古記に。凡天皇崩時者。比自支和氣等。到2殯前1云々。禰義等申辭者。輸不v使v知v人とある。其禰義の申(ス)辭と云るぞ。上代の誄なりつらむを。今茲に至りて。漢樣の誄の風に易れるなるべくや。續紀第四十(ノ)詔に。復(タ)後之藤原(ノ)大臣爾。賜(ヒ)天在留《テアル》。志乃比己止乃書爾勅天在久《シノヒゴトノフミニノリテアラク》。とあるを。解に志乃比己止乃書とは。御紀敏達御卷より。卷の末々に。誄をシノヒコトタテマツルと訓る是也。此字累擧2其平生實行1爲v誄。而定2其謚(ヲ)1以稱v之也。又哀v死述2其行1之辭也。など注したる。皇國の志乃比己止も其意なり。偖又孝徳天皇二年。凡人死亡之時云々。或爲2亡人(ノ)1斷v髪刺v股而誄。如v此裔俗一皆悉斷。と有をみれば。貴人のみならず。古は下樣まで誄せしと見えたり。と云れたり。推古天皇三十五年天皇崩云々。九月始(テ)起2天皇哀禮(ヲ)1。と云は。此御世までの喪事はしも。皇國乍(ラ)の古風なるを。更に佛を交へて。.怪き哀禮を定て。改換りたるなむ。此御時に在べくして。思ふに。此より以前に。其二十九年に。聖徳太子の薨坐(シ)時などに。始りける其御葬式に。用初られたる者にして。此時の大臣|蝦夷《エミシ》などの所作なるべし。其舒明天皇十三年天皇崩。殯2于宮北(ニ)1。是謂2百濟|大殯《オホモガリト》1。と有て。大殯の名出たるを思へば。和漢梵の式相混雜へて。其哀禮の甚大に成れる者と所見たり。何以知ぞならば。皇極天皇二年に。山背大兄王及子弟妃妾の。自經て死給時に。五色幡蓋種々伎樂。照2灼於空1。臨2垂於寺1。衆人仰觀稱嘆。と云事あり。但我古にも。幡を喪具に用る事は有しなり。常陸風土記に。黒坂命之|輸轜《ヒトキ》車云々。葬具儀。赤旗青旗交雜※[風+票]※[風+易]云々。時人謂2之|幡垂《ハタシデノ》國(ト)1。後世便稱2信太國1。とあり。黒坂命は。神功應神の御(765)世の人なり。此を以。上古の風なる事を知べし。已に神代に。用2皷吹幡旗1。歌舞而祭矣。と有る。又山城風土記に。御子の天上に上坐て後の事を。賀茂舊記本朝文集に。取2奥山賢木1。立2阿禮1。垂2種々綵色1。云々とあるも。現身乍らの事には在(レ)ども。其状は殯禮に異ならざるを考合べし。其立2阿禮1と云ぞ。所謂阿禮幡なりける。此を以て上古より。喪事に幡旗を用る事を知べし。右件は。推古天皇より上代の殯斂の較略を云るなり。上古漢梵の風を雜へざる儀式ともなれば。其趣を得ること。必此中に在べきなり。と云れたるは。いと委き考なれば。載せて附録となしつ。
 
(767)日本書紀通釋卷之十六       飯田 武郷 謹撰
 
〔天孫降臨章續〕
于時高皇産靈尊。以2眞床追衾《マトコオフフスマヲ》1。覆《オホヒテ》2於皇孫天津彦々火瓊々杵尊(ヲ)1。使(ム)v降《アマクダリマサ》之。皇孫乃|離《オシハナチ》2天(ノ)磐座《イハクラヲ》1。【天磐座。此云2阿麻能以簸矩羅1。】且|排2分《オシワケテ》天(ノ)八重雲(ヲ)1。稜威之道別道別而《イツノチワキニチワキテ》。天2降《アマクダリマス》於日向(ノ)襲之高千穗峯《ソノタカチホノタケニ》1矣。
 
眞床追衾は。釋紀私記に。衾者|臥《フス》v床《トコニ》之時。覆(フ)v之物也。眞者褒美之辭也。故謂2眞床追衾(ト)1。一書(ノ)文。追(ノ)字作v覆也。訓讀相通之並用。今世太神宮以下諸社神體。奉v覆2御衾1。是其縁耳。とあり。或説に衾は臥裳《フスモ》なりと云るは。褌《ハカマ》の波久裳と聞ゆるを思ふに。然も有べし。さて衾は。記萬葉などにも。敷多見えたり。雅亮装束抄云。御ふすまは。紅の打たる。袖くびなし。長(サ)八尺五寸の物なり。くびの方には。紅の練糸を。ふとらかによりて。二筋ならべて。横さまに三針きぬを縫ふ。と見えたり。古代の衾のさまなるべし。○覆は。一書に※[果/衣のなべぶたなし]《ツヽム》とあり。平田翁云。天降り給ふ途の程を痛はりて。其被を以て。暖に柔やかに。※[果/衣のなべぶたなし]み著せ奉り給へるなり。【須勢理毘賣命の御歌に。むし被|柔《ニコヤ》が下に。寢《イ》をしなせ。萬葉四に。蒸《ムシ》被和が下に臥れ雖《ドモ》。など詠るを思ひ合すべし。】然るは。邇々藝命是時は。(768)幼穉く御坐し故なり。何を以然は知れると云に。此御天降のこと。始忍穗耳命に詔負せ給へるに。降りなん装束せし間に。邇々藝命|生《アレ》坐つとも。忍穂耳命既に降り給ふ雲路にして。生(レ)坐りとも有るを。即父命に替て降し給ふと有れば。其降り給ふ時。なほいと幼く御坐せること。言も更なり。と云れたり。此事に據て。栗田寛説に。儀式大甞の神御に寢具を供へ。天皇の御にも同く寢具あり。また諸社の神坐にも。衾あり枕あること。往々見えたるは。みな上古の禮ときこえたり。此寢具を供ふることは。天孫降臨の時。眞床覆衾の遺風にやあらむ。と云り。さも有べし。○離天磐座。記に離2天之石位1と書り。記傳云。位は坐《クラ》と同じ。【久羅韋は。座居《クラヰ》の意なり。又人の座處のみならず。物を居る臺などをも。久羅と云り。又倉鞍なども同意なり。】石は堅固きよしなること。既に云るが如くなれば。たゞ高天原なる大殿にて。此尊の坐ます御座を云なり。とあり。離は其座より起《タヽ》し玉へる義なり。オシハナチのオシは。次の排2分天八重雲1の排に同く。勢ある事に添云り。さるは年久に。住馴まし坐ける御座を。今はと清く避(ケ)離ち奉りしさまを。形容せるなり。一書に引2開天磐戸1ともあり。○天八重雲。記には天之|八重多那雲《ヤヘタナグモ》とあり。記傳に。多那は棚引にて。虚空に覆ひ亘るを云と云り。○稜威之道別々々。道は借字にて。知波夜夫波の知。また稜威の都とも通ひて。勢の烈しき意なり。偖知和伎とは。分通り坐(ル)さまの。稜威のするどきを云る形容言なり。○日向襲之高千穗峯。此山名。一書には日向襲之高千穗(ノ)添《ソホリノ》山(ノ)峯ともあり。【添山の事。次に云べし。】日向は。景行紀に。十七年三月幸2子湯《コユノ》縣1。遊2于|丹裳《ニモノ》小野1。時東望之。謂2左右1曰。是國也。直向2於日(ノ)出(ル)方1。故號2其國1曰2日向1(760)也。とある此なり。襲は熊襲と云る地にして。古くはこれも。同紀十二年に。議v討2熊襲(ヲ)1云々。朕聞襲(ノ)國云々。十三年に悉平2襲國1などあり。此にて。襲(ノ)國即熊襲なることを知べし。【姓氏録に。天孫降v襲とあり。】彼熊襲|梟帥《タケル》どものいと建かりし故に。熊襲とは云なり。熊とは猛きを云名なり。高千穗は。彼國風土記に。臼杵郡内|知鋪《チホ》郷。天津彦々火瓊々杵尊。離2天磐座1。排2天八重雲1。稜威之道別々々而。天2降於日向之高千穗|二上《フタカミ》之峯1。時天暗冥。書夜不v別。人物失v道。物色難v別。於v茲有2土蜘蛛1。名曰2大鉗小鉗1。二人奏2言皇孫尊1。以2尊御手1。拔2稻《イネ》千穗《チホヲ》1爲(テ)v籾《モミト》投2散四方(ニ)1。得2開晴1。于時如2大鉗等奏(ガ)1。※[手偏+差]2千穗稻(ヲ)1。爲v籾(ト)投散。即天開晴。日月照光(レリ)。因曰2高千穗(ノ)二上《フタカミ》之峯(ト)1。後人改號2知鋪(ト)1。と見えたり。高千穗山の事。記傳にも云れたるが如く。其とおぼしき山二處ありて。いとまぎらはし。其一は。今も高千穗嶽と云て。風土記に見えたる。日向國臼杵郡なる是也。和名抄にも。日向國臼杵郡智保郷あり。此山は日向國の北の極にて。豐後國の堺に近し。其あたりを。今も高千穗《タカチホノ》庄と云。今一は諸縣郡にありて。霧島山といふ。此山は日向國の南の極にて。大隅國の堺なり。右二處ある中に。高千穗峯は。此の霧島山の方なり。襲と云も。即此山なり。襲とは。六人部是香が高千穗峯考に。本來此嶽の奇嶮なる状を。讃へたる言にて。【武郷云。按に曾はソヽリ。ソビユル。ソホリなどのソにて。進《ソヽ》りかなるを云詞なるべし。釋紀に山嶽|襲《オソヒ》重之義とあり。】此山を如此|讃言《ホメイフ》より。其邊の地名をも襲といひ。其襲人は勇猛剛強かりしかば。其を讃て熊襲國ともいひ。後には郡名と成て。大隅國噌唹郡と成れるを。其噌唹郡に。此西霧島山は有なれば。【東霧島は今は日向諸縣郡に屬たれど。噌唹郡の堺には近かり。】日向襲之高千穗とあるは。此(770)山ならでは符はざるなり。【彼臼杵郡は。日向にしても。北の極にして。肥後國に近き地なれば。襲とあるに符はず。もとより襲といふべき。嶮岨き山にもあらざるをや。○武郷云。既く此事宇佐託宣集に。人皇第一主神。日本磐余彦御一年十四才之時。昇2帝釋宮1。受2執印鎰1。還來2日州|辛國《カラクニノ》城|蘇於《ソノ》峰(ニ)1是也。蘇於峯者。霧島山別名也。とありて。霧島山即襲峯なる證なり。】彼風土紀なる傳は。臼杵なる高千穗を。實の※[木+患]日の高千穗なりとして。記せる文にはあれど。此傳の發起れる本元をつら/\考るに。眞の高千穗嶽に鎭坐つる。高千保社の沿革の上より辨ざれば論じ難し。さるは續後紀承和十年九月下に。日向國無位高千保神。三代寶録天安二年十月下に。日向國高千保神とある社は。太古より今の霧島山の瀬戸尾《セトヲ》といふ處に。鎭坐せりしを。村上天皇御宇。今の社の在る。大隅國贈於郡田口村と云處に。遷坐し奉りしよし。此社記に見えたれば。彼承和天安の頃には。未(ダ)彼瀬戸尾に鎭坐つるが故に。國をも日向といひ。社號をも高智穗とは呼つるなり。さて此社田口村に遷されつる後は。常に山の名を霧島と唱へもし。東霧島社。峯霧島社。といふ社もあるに對して。霧島社とは呼ぶ事となりて。いつしか社號の唱も變りつるなるべし、かくて臼杵郡に。二神明神といふ社のあるは。太古邇々藝命御天降の時。御|從駕《トモノ》神等。さては其苗裔の人等の。此臼杵あたりを領知《シリ》居たまへりしがありて。其處に二上なる山のありしより。彼皇神の靈を迎奉て。高智保(ノ)二上社と齋(キ)奉りたりけむ。彼社を高智保社といふより。其邊の村を智保郷といひつるが。後には高千穂(ノ)庄とさへ。呼ぶ事とはなれるなるべき。【肥後國阿蘇郡なる智保郷。日向國〓(ノ)神社の内に。高千穗宮と云があるなども。原はかゝる謂より。名にも負ひ。齋きも祀りつるなるべし。】されども。其傳の混つるも。やゝ上代よりの事なりしかば。風土記に記せる延長の頃に到りては。既に郷名と成つるは。本よりにして。眞の高千穗の稻穗の故事をさへ。(771)此處の事として記すばかりには混ひつるにて。和名抄にも。此臼杵郡に知保郷名見え。今も延岡にて。高千穗庄と云(フ)總號とぞ成れる成べき。然れども臼杵の方なる高智保は。襲といふばかりの峻峨《サガシ》き形もなく。常に細雨のそぼふると云(フ)景色もあらざるが故に。襲とも添とも稱ざるは。さすがに眞の高千穗には非るが故なり。かく考定てのち。塵添※[土+蓋]嚢抄に。風土記を引て。皇祖※[褒の異体字]能忍耆命。日向國贈於郡。高茅穗※[木+患]生《タカチホノクシフル》峯に天降して。是より薩摩國|閼駝《アタ》郡竹屋村にうつり給て。云々とあるが。假字にこそ引直したれ。其本書は。和銅上奏の古風土記なる事。和銅六年に。日向國の贈唹郡等四郡を割て。大隅國を建られつるを。此風土記に。其贈唹郡とあるにても著明なれば。古風土記には。此霧島山を。高千穗(ノ)※[木+患]生為と云擧たりしこと。疑なかるべし。かくて。實の高千穗の嶽を。後に霧島とのみ唱《イ》ふ事と成れる本末は。此山の岑と麓とに。此山の靈神を齋祭れる社をも。其神々しき神威の事實の上につきて。霧島社 霧島岑社と唱て。齋祭りつるより。其社號に引れて。彌打まかせて。山をも霧島とのみ呼事と成はてつるまゝに。後に其麓なる村をも。西霧島 東霧島などゝは成はてゝ。此處には。高千穗の名は亡《ナキ》が如くぞなれるなるべき。【かく云故は。此山古書どもは更なり。續紀延暦七年に。大隅國贈於郡。曾乃峰上。火炎大熾云々と見たたれば。其頃までは曾乃峰と呼びつる違ひあらざるを。上に引る承和四年の紀に到り。霧島峯神と見え。天安二年の紀に露島神社。神名式にも同じさまに擧られつれば。此山の事蹟につきての事にはあれども。霧島といふ號は。先此二社の上に。もはらいひ馴て。遂に山の總名とは成れるなるべく思ゆればなり。】と云れたる。然る説なるべし。さて記傳にも云れたる。此山常に登り詣る人多きを。暴に霧の起りて。大風吹出(テ)地動き。おどろ/\しき音して。闇の夜の如く暗がりて。路も見え分ぬばかりに爲(ル)こと有て。ともすれば。此霧(772)におほゝれ風に吹放たれて。亡《ナク》なる者もあり。然るに神代の故實と云て。謂ゆる先達なる者。人に教て。手ごとに稻穗を持せ行て。もし此霧起ぬれば。其を以て拂つゝ行けば。暫(シ)が間に天明りて。事故なしとぞ。と云れ。また襲峯一覽に。山中に自然生(ノ)稻。今に生て。昔より不蒔《マカズノ》稻と云傳へたるが。其陸稻の一種。世に限りなくほびこりて。年々野岡に作り出る事おびたゞし。と云れたるなどによれば。かの臼杵の高千穂の下なる籾千穗の古傳も。還りて襲の高千穗なりし傳の。混亂つるなれば。これまた一の徴とすべし。和銅上奏の古風土記は。いよ/\霧島なるべき徴にあらずや。と云れたり。然るに其山を。高千穂峯と云より及ぼして。其二郡に亘りて。高千穂と云ふ地名にて有し如くなん思えたる。其は記に。日子穗々手見命者。坐2高千穗宮(ニ)伍百捌拾歳1。御陵者即在2其高千穗山之西1。と所見たる。此宮の事。紀傳に。薩摩國人云。彦火々出見尊の宮は。大隅國桑原郡宮内と云地是なり。式に同郡なる鹿兒島神社も。此尊を祀れり。今は八幡宮と申すと云り。と見えたる。其宮内村は。國分郷なる由なりければ。此邊まで古は。高千穂の地也し也けり。【贈於郡に智尾と云地名あり。乳母神社と申すも御坐す由也ければ。其高千穂峰を取圍みたる地をば。凡て然云りしを。其千に高千穗神社を訛りて。乳母神社と云より。千穂と云地名は。其地に遺りつらん。】又記白檮原宮段に。神倭伊波禮毘古命。與2其|伊呂兄五瀬《イロセイツセノ》命1。二柱坐2高千穂宮1議云。と有を高千穂宮は。又右の彦火々出見尊のとは別也。神武天皇の年少時の大御名を。狹野尊と稱奉れるは。地名を以號奉れる者也。白尾國柱云。狹野神社。日向國諸縣郡。高原郷|蒲※[さんずい+卓]田《ホムタ》村。佐野原の地に在り。奉2祀瓊々杵尊1。合2祀木花開耶姫命。彦火々出見尊。豐玉姫命。葺不合尊。玉依姫命1。東(773)掖宮神武天皇。吾平津媛。西掖宮經津主命。武甕槌命l。各神像を安置す。神武天皇此地にて降誕有し故に。狹野とは云ふなるべし。八田知紀説に。神武天皇の降誕坐し所は。高原郷狹野の地にて。同所神徳院の南に當りて。小高き所にて。良《ヤヽ》廣く平かなるを。大宮の址也と云傳へたり。と云り。然る時は。愈其神武天皇の御坐ける。高千穗宮はしも。决て此狹野神社の地なるべき事。申すも更也ければ。古に高千穗と云ける地の方境。廣大なりし事。此を以知べき者になん有ける。と云り。また國柱云。日向國諸縣郡高原郷。霧島岑神社。今|東御在所《ヒガシゴザイシヨ》兩所權現と號く。東とは。西霧島に對云ふ。御在所は御坐所にて。此地高千穗宮の舊跡に係るを以なり。此麓に御井川と稱《イ》ふ靈泉有を。忍穂井の址と云傳ふ。即錫杖密院の庭に當れり。と云るは然も有にや。【但右の高原郷は。和名抄に。諸縣郡財部郷ある。此なるにや。右の露島岑神社と云は。次に謂ゆる霧島神社の御事なるを。別に一社あること心得ず。と云へども。式の例。某神社何坐とある。其必一所には非るも有れば。本は露島神社には。二座を祀たる。其片方を云なるにや。又同人説に。高千穂宮の舊址は。即霧島嶽の麓にて。即諸縣郡都城と云所なり。此は本は島津庄の地にて。南郷中郷北郷と云て。三方に分れて。中郷の内に,昔宮丸村都島と唱來し所の在しを。永享年中城を築きて。即都城と號けしより。遂に一郷の名とは成しなりと云り。】また式に。日向國。諸縣郡霧島神社。同人云。高城郷|東《ツマ》霧島村に在り。此地は高城郷と。都島郷との界なり。奉2祀伊弉諾尊1。相殿瓊々杵尊。木花開耶姫命。彦火々出見尊。葺不合尊。玉依姫尊。神武天皇。六座を従祀とす。績後紀承和四年八月壬辰。日向國諸縣郡霧島岑神預2官社1。三代實録。天安二年十月二十二日己酉。授2日向國従五位下霧島神從四位下1。と有は。共に當社の御事なり。然るに右にも云る如く。別に霧島岑神社と申すあり。同人説に。奉v祀2伊弉諾尊。伊弉※[冉の異体字]尊1。相殿六坐。天照大神。忍穂耳尊。瓊々杵尊。彦火々出見尊。葺不合尊。磐余彦尊。脇宮菊(774)理媛命。續後紀に謂ゆる。霧島岑神是なり。今思ふに霧島神社と。霧島岑神社と。二社御坐は。右の承和と天安との記されざまの別なるに依て。別に一社を設たりし者の如くも見ゆめり。又大隅國式外高千穗神社は。同人云。此地贈於郡郷田口村に在り。今西霧島宮と云ふ。西とは諸県郡高城郷に。東霧島宮有に對云なり。奉2祀正殿。瓊々杵尊。彦火々出見尊。葺不合尊。神武天皇1。【以上四神合爲2一坐1。】東少宮右腋。國常立尊。高皇産靈尊。伊弉諾尊。天照大神。【以上四神合爲2一坐1。】西山王左腋。大己貴命。國狹槌尊。惶根尊。神皇産靈尊。伊弉※[冉の異体字]尊。素戔嗚尊。正哉吾勝尊。【以上七神合爲2一坐1。】以上六社權現と稱す。社記云。上古は今の宮地より。東一里十町。瀬戸尾にあり。延暦中山上炎上の後に。村上天皇御宇。今の地に遷坐有り。と云り。按に瀬戸尾に在し時は。高千穗宮とも云しにや。凡(ソ)皇御孫尊を祀りて。高千穗と稱せし例は。日向國兒湯郡都萬神社の内に。高千穗宮有て。皇御孫尊を祀れるにても知べし。續後紀に。承和十年九月甲辰。日向國無位高智保皇神。奉2授從五位下1。三代實録に。天安二年十月二十二日己酉。授2日向國從五位上高智保神從四位上1。とあり。此は郡名を記さゞれば詳ならずと雖。瀬戸尾は。東峯と西峯との間に在し時は。日向の國内なりければ。其にぞ有つらむ。と云るは實に然る説なり。【然れば同じ高千穗峯の神には御座せども。一所は霧島神とし。一所は高千穗神と爲て。上古より祀來れるならんを。八田知紀は。右の國柱が説を諾はずて。尚高智保神は。臼杵郡智保郷有からは。其ならむと云るは。伊知地季安が文にも。建久八年日向國〓田帳。於2臼杵郡1。書2高知尾社八町1と有に驚きたる説なり。彼にも此地名を各移せるからは。高千穗神と云も。などかなからざむ。已に贈於郡の内に。智尾名と云は。千穗名を訛りたるべく。其地の乳母神社は。千穗神社なるべきものなるをや。】と云れたり。さて高千穗の高は。地名にあらず。萬葉に角《ツヌ》山を高角山。城《キノ》山を高城山など云るか如く。附言ふ言にて。【みな山の高きを云るなり。偖後に地名にも。宮號にも成しなるべし。】(775)峯を多氣と訓るは。記傳に。多氣は萬葉に高とも書る意にて。高き山を云なりとあり。○天降。記傳云。今皇御孫命の此山にしも。降着坐りしことは。一書に。猿田彦神に。天鈿女復問曰。汝何處(ニ)到(リ)耶。皇孫何處(ニ)到(マサム)耶。對曰。天神之子則|當《ベシ》v到(リマス)2筑紫日向高千穗※[木+患]觸之峯(ニ)1云々。果如2先期1。皇孫則到2筑紫日向高千穗※[木+患]觸之峯(ニ)1。とあれば。元より然るべき所由ありし事なるべし。【武郷云。此事は一書の下に云べし。】萬葉二十に。比左加多能《ヒサカタノ》。安麻能刀比良伎《アマノトヒラキ》。多可知保乃《タカチホノ》。多氣爾阿毛理之《タケニアモリシ》云々とあり。さて此峯に天降坐て。即高千穗宮造りゆし玉ひて。其地に住坐々ける事を。此紀また記にも漏されたれど。こゝに重胤云。第一(ノ)一書に。猿田彦神の。此高千穗峯を定めて。此に皇御孫尊を。啓行《ミチビキ》奉らせ玉へるは。已く其初國所知食す大宮所を。豫め見立置せ玉ひて。其地に進め申させ玉ひけむ御事。申すも更なり。然るに紀記の傳共を見るに。此地には御坐著せ玉へるのみにて。直に吾田長屋笠狹《アタノナガヤノカササ》之碕に行幸て。其地に留らせ御坐す趣なるは。其始終を括《クヽ》り書されたりし者にて。實には其猿田彦神の設備られし任に。其高千穗宮に住せ御座けむかと思ふよしあり。其は中臣壽詞に。皇御孫尊天降著せ御坐て。直に天上の御水《ミモヒ》を乞に奉らせ玉へる状に。聞えたるに。大同本紀に。一傳を書して。其終に即時日向高千穗宮乃。御井|崇居《アガメスウ》焉。と有は。右の壽詞なる天八井の事に當るべし。然る時は。皇御孫尊の天降り御坐て。高天原より授らせ玉へる。齋庭の瑞穗を以。初て大甞聞食ける。其高千穗なりし事。鏡に係て見るが如し。と云り。【この事は。六人部氏既に云おかれたる説あり。それに依られたる物なるべし。】
 
(776)既(ニシテ)而皇孫|遊行《イデマセル》之|状《カタチ》也|者《ハ》。則自2※[木+患]日(ノ)二上天浮橋《フタガミノアマノウキハシ》1。立《タヽシテ》2於|浮渚在平處《ウキシマリタヒラニ》1。【立於浮渚在平處。此云2羽企爾磨梨陀毘邏而陀陀志1。】而|膂完之空國《ソジヽノムナクニヲ》。自《カラ》2頓丘《ヒタヲ》1覓《マギ》v國|行去《トホリテ》【頓丘。此云2※[田+比]陀烏1。覓國。此云2矩貳磨儀1。行去。此云2騰褒屡1。】到(リマス)2於|吾田長屋笠狹之碕《アタノナガヤノカササノミサキニ》1矣。其地(ニ)有2一人《ヒト》1。自《ミヅカラ》《ナノル》2事勝國勝長狹《コトカツクニカツナガサト》1。皇孫問|曰《ノタマハク》。國在(リヤ)耶|以不《イナヤ》。對(テ)曰《マヲサク》。此焉《コヽニ》有v國。請(フ)任意遊《ミコヽロノマヽニミタセ》之。故(レ)皇孫|就《ツキテ》而|留住《トヾマリマス》
 
既而云々。重胤云。此件は其より後に。始終住せ御坐む宮都を。定めさせ御坐る較略なりけるが。紀記共に。此間に餘事を載られざるが爲に。高千穂峯は。天降り著せ給ふと申すまでにて。直に笠狹の方に御坐たる状に見ゆめれども。此に既而と云は。其事已に終り。此事茲に初れる謂なるを思ふにも。高天原より。行ひ下させ給へる。大甞の御政は。其高千穂宮の齋庭にてこそ。行はせ御坐けらし。と云り。○遊行之状。高千穂より笠狹の碕に。覓國に御坐るは。平素の幸行とは甚く異なりしが故に。其御|消息《アリサマ》を申すとて。記し出たる語なり。口訣に遊行之状也者。自2高千穂峯1。至(ノ)2笠狹之碕(ニ)1道とあるが如し。○※[木+患]日(ノ)二上。これ高千穗峯なり。一書に※[木+患]觸別《クシフル》之峯とあり。記には久士布流多氣とあり。※[木+患]日は。丹後風土記に。與佐郡々家東北隅有2速石《ハヤシノ》里1【中略】先名2天(ノ)梯立(ト)1。後名2久志濱(ト)1。然云者。國生(マセル)大神伊射奈藝命。天(ニ)爲2通(ヒ)行(ムト)1而。梯作立。故云2天梯立(ト)1。神(ノ)御寢坐間(ニ)仆伏(シキ)。仍(テ)怪(ミ)久志備坐矣《クシビマシキ》。とあり。【平田翁云。此久志備を。今は體(777)言にすゑてのみ言へども。此に久志備坐と有れば。本は用言にて。クシビクシブルと活く言なり。故※[木+患]日(ノ)二上峰とも。※[木+患]觸之峰とも有。と云り。】※[木+患]日又※[木+患]觸は。其山の靈異あるを云(シ)稱なり。記に日向國謂2豐久志比泥別1。と有も。豐※[木+患]日嶺別《トヨクシヒネワケ》にて。此靈山に據れる亦名なるべし。二上に。本にフタカミと訓る宜し。【フタノホリと訓むはわろし】名義|二《フタ》神なり。兩山相添て。二(ツ)並ぶを云稱なり。さて其を神としも云るは。古は山をも海をも神と云る例。萬葉にあり。卷三に常陸國筑波山を。朋神之貴山刀儕立乃見果石《フタカミノタフトキヤマノナミタチノミカホシ》山とよめり。是(レ)男(ノ)神女(ノ)神と云二山を。二神と云(ヒ)儕立と云り。【卷九には。二並《フタナミ》筑波乃山とよめる。即是なり。】また大和國葛上(ノ)二上山をもよめり。これも峯二あり。【今二上嶽とも。二子山とも云て。二並也。】また越中國射水郡二上山をよめる歌あり。これら。布多賀美と云山の例也。猶常陸風土記には。筑紫國日向二神之峯。とあるを以て。二上の訓を知べし。○天浮橋は。重胤云。第四一書にも。日向襲之高千穂(ノ)※[木+患]日(ノ)二上(ノ)峯(ノ)天(ノ)浮橋。と有て。此二の傳の如くは。其高千穗峯より。笠狹之碕に渡らせ御坐す道に。架れる橋なるが如し。然るに記の趣にては。於2天浮橋1。宇岐士魔理《ウキジマリ》。蘇理多々斯弖《ソリタヽシテ》。天2降坐(シキ)于竺紫(ノ)日向之高千穂之久士布流多氣(ニ)1。と有て。天浮橋云々を。天上より高千穗峯に。天降らせ玉へる間の御事と傳はれり。萬葉十九に。蜻島山跡國乎《アキツシマヤマトノクニヲ》。天雲爾磐船浮《アマグモニイハフネウカベ》。等母爾倍爾《トモニヘニ》。眞可伊繋貫《マカイシヾヌキ》云々。安母理麻之《アモリマシ》云々。と有て。天磐船と云も。天浮橋と云も。其御坐て通はせ玉ふ御料を云るなれな。何れにしても同じきを。續後紀長歌に。云々|天能梯建《アマノハシダテ》。踐歩美《フミアユミ》。天降利坐志々《アモリイマシヽ》。と詠るに。纂疏に。天浮橋猶v言2天梯立(ト)1。と注させ玉へるも。必承る所有る説にて。天神御子の天降らせ玉へる梯の。此高千穗峯に架れるにて。此より笠狹之碕に遊幸るにて。此梯より御坐(778)つらむを。記には。天上より二上までの事のみに係り。紀には。二上より笠狹まての事のみに係れるは。互に其片方を略かれし者にて。實は兩度共に。同じ御出立なり。とこそは見えたりけれ。偖大同本記に。皇御孫命詔久。從2何(レノ)道1曾參上志止《ソマヰノボリシト》問(ヒ)給(フ)。申久。大橋波須賣大神《オホハシハスメオホカミ》並(ニ)皇御孫乃。天降坐乎|恐天《カシコミテ》。從(リ)2小橋《ヲハシ》1參上支止申云々。と有を思ふに。此二上の天浮橋と云は。謂ゆる大橋にて。供奉神の降られし小橋は。又別なる地に在に也けり。其大橋小橋の岐《チマタ》は。謂ゆる天八達之衢なり。偖|火闌降《ホスセリノ》命。即|吾田《アタノ》君|小橋《ヲハシ》等之本祖也。記に阿多之小椅君などあるを。口訣に。吾田小橋者共姓也云々。小橋者彼所v居之名。とも見えたれば。小橋と云地は。吾田の中に在べくして。其吾田は和名抄に謂ゆる。薩摩國阿多郡阿多郷と有る。此地に决めて。小橋は架りて在しならんを。其神名に後小橋《ノチノヲハシノ》命と有も。其二上なる大橋を前とし。其に對へて阿多なりしを。後(ノ)小橋と云にこそは有ならめ。此等を以ても。天浮橋は。天上より御往來の時に。架れりし梯なるを。後に笠狹に遊行る時に。此橋を仆《タフ》して。【武郷云。丹後風土記の。天椅立の仆れたるなどを思べし。】其地に御坐けるより。天上の往來は絶たりけんとぞ伺奉らるヽ。と云り。○自は。※[木+患]日二上峯に。天上より降らせ玉へる天浮橋のあるを。又其天浮橋より。笠狹之碕に。乘て移らせ御坐す由也。○立於浮渚在平處。記には。於2天浮橋1宇岐士摩理。蘇理多々斯弖云々。とあり。口訣に。浮渚(ハ)海濱之平地。とあり。但し記には。天上よりの御事に。宇岐士摩理云々と有て異なり。【かくては虚空に。浮渚と云物の。有し如くきこゆるなり。もしくは此時の事の。始に亂て語り傳へしものか。】記傳云。宇岐士摩理は。地の堅まらずて。浮て泥の如くなる處を云。と云れた(779)るが如し。【口訣に。海濱とあるに泥むべからず】平處は。其浮橋の有る平かなる處をいふ。立とは。八洲起元章に。立2於天浮橋之上1。とある立と一(ツ)にて。此も天浮橋の上に。立せ御在坐て。其なから。笠狹の方に幸行る趣なり。さるは※[木+患]日(ノ)二上なる麓の地は。太古は未(タ)地も竪まらず。浮渚にてありけらし。さて記に。字岐士摩理。蘇理多々斯弖は。宇岐士摩理の下に。此なる平處と云を略けるなり。されど蘇理多々斯と云る言の義は詳ならず。【平田翁説に。進發《ソヽリタヽ》しなり。然るは萬葉十七に。越の立山を。白雲の千重を押わけ。天曾々理高き立山。と詠る曾々理と同言にて。彼は彼山の高く聳たる勢の。進りかなるを言ひ。此は天上より。是國に稜威(ノ)道別き道別て。降坐す勢の。進りかに。烈しきをいふと云れたり。久保季茲云。宇岐士摩理云々の言。古來明解なし。まづ釋紀に。先師申云。非2別處1歟。皇孫已天2降千穂二上峰1。自2其處1遊行之時。立2於浮渚在平處1。膂肉空國自2頓丘1覓v國行去者也。然則其行路之間。立2浮渚平處1之由也。といひ。松下見林説に。言2浮渚所v在之平地1也と云へり。此意ならば。浮渚なる平地などいふべけれ。浮渚在平地と云可らず。凡そ用語より體語へ續く例斯の如し。此は浮島ありて。其平なるといふ語なるを省けるにて。浮渚に在る云々といふ義に非ず。と見れば妨なかるべし。蘇理の解は古史傳いと愛し。傍へ行くをソルといふなどを思ふは宜しからず。記傳に。浮渚のある平なる地に立玉ふ也とあり。此説にて聞えたり。】左右《カヌカク》に。記の次第は穩ならず聞ゆ。○膂宍之空國。第二一書に。膂宍(ノ)胸副《ムナソヒ》國。第四一書に。膂宍(ノ)空國。仲哀紀神語に。熊襲國者膂之空國とあり。是其高千穗峯の邊なる。襲國を以て。膂宍之空國とは詔へるにて。神代の語を以て。託《ツケ》奉らせ給へるなり。【此御事を。神功皇后元年には。神託2皇后1以誨之曰。今御孫尊(ノ)所望之國。譬如2鹿角1以無實國也。と有て。此鹿角を以。譬させ玉へるは。外は堅固くして。潤澤有る物なれども。中心の空虚なるを以。其不毛の地に。此らべさせ玉へる御託なり。】口訣に。膂宍之空國(ハ)荒芒地(ナリ)。纂疏に。膂脊也。脊上無v肉。故稱2空國1。曰(フ)2膂肉(ト)1也。空國則不毛之地(ナリ)。とあるが如く。此襲(ノ)高千穗峯より。西方薩摩國の笠狹に至る迄。山脉相續きて。頓丘《ヒタヲ》なる地は。今現に打見たる状を以ても。脊肉の如く。無實《ウツケ》たる地の多くして。國の廣きには似合しからず。山嶽襲重りて。田地の少(キ)を以て。其草昧なる太古の状想像べ。【薩摩人言に。獣の脊内を曾士斯と云ひ。庭訓往來に。鱒(ノ)楚割《ソワリ》と有も。鱒の脊割《ソワリ》と云事なれば。脊を曾と云なりけり。と云り。なほ曾※[田+比]良は脊腹の義なるをも(780)思べし。】○頓丘。※[田+比]陀の例は。雉之頓使《キヾシノヒタヅカヒ》とある如く。一向に他を雑へぬ義にて。單《ヒタ》と云に少も異ならざるなり。萬葉に直土《ヒタツチ》直佐麻《ヒタサヲ》などあるも。土のみ麻のみにて。他物をまじへぬなり。即高千穗※[木+患]日二上峯より。山の脉《ヲ》の打|延《ハヘ》て。西方笠狭之碕に至るまで。頓吻《ヒタモノ》岡續きなるを。傳はせ御坐ける故に。自《カラ》2頓丘1とは云なり。此字の事に付て。記傳に。書紀に比多袁を。頓丘と書るは。詩經衛風に。至2于頓丘1。と云事あれば。是を取れるが如く見ゆれども。此は詩經の字を取れるにはあらで。頓はたゞ比多と云言に用る字を書るが。たま/\詩經にも然(ル)名のある也。頓を比多と訓事。此餘にもあまたあれば。此も頓丘の文字には拘はらず。比多と云訓をとれるにもあるべし。【採要】と云れしは然る言にて。頓丘は右にも云る如く。山脉の續きて。一向に岡なるを云ひ。襲宍之空國と云るは。其頓丘と云べき地の。本より無實《ウツケ》たる由を。云る者になん有ける。【又記傳に。比多袁は。片岡片山などゝ同意にて。片寄れる岡なるべし。と云れたれども。其ならんには。唯に片丘とこそは。書ざるべかりけれ。殊更に迂遠なる頓丘(ノ)字を。何ぞ用させたまはむ。】○覓國とは。たゞに國を覓る事のみにはあらで。國々を治給ふに云言也。萬葉二十に。神武天皇の御事を詠て。山河乎。伊波禰左久美弖《イハネサクミテ》。布美等保利《フミトホリ》。久爾麻藝之都々《クニマギシツヽ》。知波夜夫流《チハヤブル》。神乎許等牟氣《カミヲコトムケ》。麻都呂倍奴《マツロハヌ》。比等乎母夜波之《ヒトヲモヤハシ》。波吉伎與米《ハキキヨメ》。云々とあり。此覓國の事に就て。六人部是香説に。此笠沙の幸行は。普く天下を覓國したまふとての。行幸なりしを。他國どもの事蹟は傳はらで。木花之開耶姫の事蹟のみ傳はれるから。唯西國のみ知看し状に通ゆれども。然にはあらざる事。紀の本書一書ともに。覓國とあるは。其住給はむ國を。覓給ふ謂にはあらで。國々のありさま。其處々を領き居(781)る首帥を。まつろへなどし給ふ上をさして。國覓とはいへる物なる事。神武天皇の東征の御擧をさして。國覓とあるに思合せても悟るべし。さて如此國覓と云言の。天下に係れる言なるにつけて。尚熟按ふに。皇美麻命の。天降てより。高千穗宮に定め敷《シキ》たまひて。彼水取の故事は更なり。雜々行ひ玉ふ神祭をして。政事などをも行ひ玉ひ。さて國覓し玉ふとて。まづ襲肉(ノ)虚《ムナ》國より笠沙に幸し。其處にも大宮造らせ玉ひ。木華開耶姫に遇給ひ。御子等生れさせ給ひつる後。東國にも巡幸しつる事と。思しき謂(レ)は。常陸風土紀に。昔(シ)祖《ミオヤノ》神(ノ)尊。巡2行諸神之處(ヲ)1。到2駿河國|福慈《フジノ》丘(ニ)1。云々と見えたる。祖(ノ)神尊は。邇々藝命に坐《マ》す事疑なき徴ありて。【其よし事長ければ。別に委しく云り。】大后木華開耶姫命をも率ゐ。天下を巡幸せるよしなれば。天上より隨從したまへりし。天兒屋禰命。太玉命。天忍日命などの。從駕し仕奉り玉へりし事は。云も更なり。かゝれば笠沙高屋宮は。木華開耶姫の爲に造らせ玉ひて。共に栖玉ひつるにはあれど。猶本都は日向高千穗宮なりしかば。彦火々出見命も。葺不會尊も。なほ此宮を本(ツ)大宮と。敷坐つるには。違あるまじくこそ。されば神武天皇(ノ)御代に到りても。古事記に。神倭伊波禮毘古命。與2其伊呂兄五瀬命1二柱。座2高千穗宮1而議云々。と見えたるにて。神武天皇の東征の擧ありつるまでの本都は。なほ高千穗宮なりしなり。と云れたるは。珍らしき考なり。但し瓊々杵尊の。東國までも巡幸しつるとの説は。ほかにも思寄れる事もなきにはあらねど。此は尚よく考べし。さて貯行去《トホル》は字の如く。通り過て往《ユク》なり。【記傳云。凡て登富流とは。此より彼に行到るを云て。雨などに衣の沾て。表より裏に徹るを。沾《ヌレ》登富流と云類の。登富流と同言也。今俗にたゞ經て行を。某處をとほるとは違へり。】○吾田は。一書に(782)は。吾田笠狹之御碕とあり。和名抄薩摩國阿多郷是なり。古は吾田(ノ)國とも云て。此邊の廣き名なり。重胤云。此次に彼國有2美人1。名曰2鹿葦津《カアシツ》姫(ト)1。亦名|神吾田津《カムアタツ》姫。と所見たりければ。此神名は。此地に因て負坐るなるを。故國と云しは。古に吾田國と云しにこそは有けめ。天武天皇朱鳥元年大隅阿多隼人とあるを見に。此時未(タ)薩摩國の名は。無くして。阿多と云し状にて。持統天皇元年に。隼人大隅阿多(ノ)魁帥とある。隼人は衆の名なり。大隅と阿多とは。二國の名を並云事は。其六年に。遣3沙門於大隅與2阿多1。可v傳2佛教1とある。此にて著き事なり。然るに續紀大寶二年に。先v是征2薩摩隼人1時。云々|唱更《ハヤヒトノ》國司等。【今薩摩國也。】とありて。此時は唱更國と云しを。其紀を撰まるゝ頃に至りて。漸薩摩國と云名に定りたる也。なほ白尾國柱説に。吾田國と云るは。今の薩摩の舊名にて。後に大隅阿多と並云しは。今の谿山。日置。揖宿。穎娃の南邊までの地方にて。皆安閑紀の婀娜國の疆域とおもはる。【武郷云。此婀娜國は。備後國安那郡の事なり。】南浦文集に。琉球。那覇。本是川邊郡。と書せしも。語(リ)嗣し所ありと見え。又七島以南の海島も。其管轄に係りしにや。和名抄に。川邊郡にある鷹屋を。阿多郡に收人(レ)たるにて。古の阿多郡は。甚大なりしを知べし。東鑑【建久三年】に。薩摩國阿多四郎宣澄所領。谿山郡。伊作郡。日置南郷北郷と見え。又伊作莊。日置北郷(ノ)兩地。日畠(ノ)山野河海。※[手偏+僉]斷所務の事あり。又阿多平權守忠景。依v蒙2勅勘1。逐2電于貴海島(ニ)1。と見えたり。阿多と稱せしは。此等の地に住址せしが故なれば。後々までも大名をば。阿多と稱せし也けり。と云るは尤なる説なり。此吾田は。和名抄に阿多郡阿多郷有る。即其國名の起(783)なるべき事。云も更なり。名義次に云べし。長屋は。第四(ノ)一書にもあり。此にては總名の如くなるを。第六一書に。到2于吾田笠狭之御碕(ニ)1。遂登2長屋之竹島(ニ)1。とあり。然れば吾田は國名。長屋は其地の總名。笠狭又竹島は。各小名なる如く見ゆめり。【竹島の事は第六一書(ノ)下に云り。】國柱云。長屋は今の長永《チヤウエイ》山と云是なり。この山は。河邊郡加世田郷大浦村にて。長|延《ハヘ》たる高山なるが。加世田の御碕に横り。辰巳の方は。穎娃《エ》の枚聞《ヒラキヽノ》嶽など見えて。故あるべき地勢なり。【武郷云。地理纂考と云書にも。大浦村長屋山當郷。武田。津貫。小湊の三村に係りて。東西三里餘。南北四里餘にて。加世田郷の中央なりl。往古は西野間嶽。南久志。東山田。北は宮原村。鷹野神社のあたりまで。支山連接せしを。漸々開拓して。陸田或は人家となり。其餘も多く野岡に變じて。半腹以上のみ山林也。土人長永山と云と云へり。】さてこの長永。舊は長屋《ナガヤ》を長江《ナガエ》と訛り。やがて長永《ナガエ》とも書なし。今は字音に轉り呼ことゝなりしならん。この長永山は。笠狹の碕に横り。同(ジ)所なるをもて。長屋の笠狹とは稱しこと。尚襲之高千穗之峯などの例に同じ。笠狹は。一書又記に。笠狹之御碕とあり。河邊郡加世田郷有る是なり。其加世田と云村は。即笠狹より轉りし名にて。又碕とあれば。加世田の地ながら。その極の海邊までも。臨覯《ミソナハ》し玉ふを云なるべし。書紀に。皇孫後遊2幸海濱1見2美人1。又曰。其於2秀起浪穂之上《サキダテルナミホノウヘ》1。起2八尋殿(ヲ)1云々なども。海邊に係りしなり。其地に接きて。宮崎と云處もあり。【武郷云。口訣に笠狹之碕宮崎也と見ゆ。】京之原と云處もあり。さて其邊に野間權現と云社あり。木花開耶姫。邇々藝尊。遠火々出源頼朝尊。火明命を祭る。又三柱の皇子。御誕生の跡ありて。三皇子を祭りて。竹屋明神と云と云り。とあり。○其地有一人。一書には國主とあり。○事勝國勝長狭。平田翁云。名意。事勝國勝は字の如く。事に勝れ國に勝れて。威勢ある由の美稱なるべし。と云り。長狭は未v詳。(784)こゝに神といはぬは。自ら號《ナノ》る所なればなり。第四一書に。事勝國勝(ノ)神者。伊弉諾尊之子也。亦名(ハ)鹽土老翁《シホツチノヲヂ》とあり。此鹽土老翁と申は。記傳には。一柱の神名には非ず。凡て物をよく知識《シ》る人を云稱なり。と云れたれどしからず。【名義をも。其よしに解れたれど。信がたし。】重胤云。檍原御禊の段に。生坐る底筒男。中筒男。表筒男三神を。一神と爲たる御名なり。と云り。まことにさる説と通えたり。其説は。第四一書の下に。委く云るを見よ。○國在耶以不は。一書に國在耶。即右に覓國と有に應ふる所なり。此に國在や否らざるやと。問給へるは。此まで經て御坐しける國は。膂肉の空虚地《ムナクニ》にして。大宮を敷せ坐べきに非りければ。事勝國勝命の。來會給へりし任に。問試みさせ玉へるにて。倭姫命世記に。倭姫命の。大若子《オホワクゴノ》命(ニ)問給久。吉宮所《ヨキミヤドコロ》在哉。白久。佐古久志呂宇遲之五十鈴《サコクシロウヂノイスヾノ》河上爾。吉(キ)御宮所《ミヤドコロ》在(リト)白支。云々と有と。語勢の相類たる所なり。○此焉有國は。即大宮處定させ玉ふべき地有りと。御對を奉らせ玉へるにて。此吾田(ノ)長屋(ノ)笠狹之碕に。啓行《ミチビ》き奉りて。述る言と所見たり。○遊之は。重胤云。ミタセと訓る。海宮遊行章第二一書に言2來《ミタセル》意1と訓み。天武天皇元年に。不v能2進行《ミタスル》1と訓たり。此等を合せ見る時は。美多須は。御到良須《ミイタラス》と云意の。古言なる者なり。其事勝國勝長狹神の。主領る此吾田國に。御意の隨に到らせ御坐べしと。申せるにて。即其國を奉らせ玉へるなり。第二一書に。是有v國也。取捨《トモカクモ》隨v勅(ノ)。第四一書に。隨v勅(ノ)奉矣。第六一書に。封曰。是長狹(ノ)所住《スメル》之國也。然今乃奉2上天孫1矣。とある是なり。○就《ツキテ》而留住。一書に。皇孫因立2宮殿《ミアラカ》1。是焉遊息。また故天孫留2住彼處1。とあり。記云。於是|詔《ノリタマヒテ》3之此(785)地者向(ヘリト)2韓國(ニ)1。眞2來通《マキトホリテ》笠狹之御前(ニ)1而。朝日之|直刺《タヾサス》國。夕日之|日照《ヒテル》國也。故此地|甚《イト》吉《ヨキ》地(ト)詔(ヒテ)而。於2底津石根1。宮柱布斗斯理。於2高天原1。氷椽多迦斯理《ヒギタカシリ》而坐也。とあり。こゝも如此ざまに。嚴重に記すべき事なるを。た々就而留住など。こともなく申されたるは。まことは一時皇后と。住給へるまでの。大宮なればにもあるべし。【この事は。六人部氏の説ありて。既に云り。】さて此大宮の舊跡は。名勝考云。川邊(ノ)郡|竹屋《タカヤノ》郷。【和名抄鷹屋に作る】所謂笠狹(ノ)宮の舊跡なり。【竹屋大明神祠を距ること。午方一二里許にあり。此地河邊郡山田郷下。山田村の界とす。】地志略曰。竹屋郷古跡は。絶頂二畦許の地有て。上古柱口の石三(ツ)。小石多くあり。山田郷にて。竹が尾と唱ふ。是を王子大明神と申すと云云。今按に。尾《ヲ》とは丘《ヲカ》の事にて。尚竹屋の岡といへるにひとし。今見るに。一(ツ)の山岡にて。其巓濶(サ)二畦許(リ)。平地有て。竹屋大明神の宮蹤と云り。この竹が尾は。盖|無戸室《ウツムロ》を營られし墟《アト》なるべし。さて竹屋(ノ)郷といへるは。此尾の麓の。裳鋪《モシキ》野と稱る地にて。是笠狹宮の皇居の地ならむ。このもしきのは。竹か尾より。亥方十町許にて。平々たる廣(キ)所なり。【里人上|舞敷野《マヒシキノ》。下舞敷野といふ。舞敷は。裳敷の訛なるべし。】上古神降ありし時。神人等が宅地の跡と云處もあり。此より丑寅に丁り。鳥居(ノ)口と云畠の字あり。竹屋神社ありし時の。鳥居跡なり。又竹か尾の山下。五六十間許に。竹林《タカムラ》ありて。是(レ)皇子の臍帶《ホゾノヲ》を載り乙竹刀を。棄し竹林の遺跡なり。【武郷云。尚此事は一書の下に云。】そも/\此地は皇孫瓊々杵命。笠狹御碕に戻止《イタリ》ましゝ時。宮柱太知立て。御座ましける。皇居の墟なるべし。今にも宮里。宮|處《内イ》。京の峯などいふは。其遺稱を存せるならむ。【能因歌枕に。かさゝ野とあるは。こゝの事にて。印本にかさしと誤れり。】と云り。
 
(786)時(ニ)彼(ノ)國(ニ)有2美人《ヲトメ》1。名(ヲ)曰(フ)2鹿葦津姫《カアシツヒメト》1。【亦名(ハ)神吾田津《カムアタツ》姫。亦名(ハ)木花之開耶《コノハナノサクヤ》姫。】皇孫問2此美人(ニ)1曰。汝《イマシハ》誰(ガ)之|女子耶《ムスメゾヤ》。對(ヘテ)曰。妾(ハ)是天神娶〔三字□で囲む]大山祇(ノ)神|所生兒也《ウメルコナリ》。皇孫因(テ)而|幸《メス》之。即一夜(ニシテ)而有娠《ハラミヌ》。皇孫|未信之《イツハリナラムトオモホシテ》曰(ク)。雖《イフトモ》2復(タ)天神(ト)1。何(ニシテ)能(ク)一夜之|間《カラニ》。令人有娠乎《ヒトヲハラマシメム》。汝所娠者《イマシガハラメルハ》。必(ズ)非(ジ)2我子(ニ)1歟。故(レ)鹿葦津姫忿(リ)恨(ミマツリテ)。乃作(リテ)2無戸室《ウツムロヲ》入2居《イリコモリテ》其(ノ)内(ニ)1。而誓(ヒテ)之曰。妾|所娠《ハラメル》。若(シ)非(ズハ)2天孫《アメミマ》之|胤《ミコニ》1。必(ズ)當(ニ)※[焦三つ]滅《ヤケホヒナム》。如(シ)實(トニ)天孫之|胤《ミコナラバ》。火(モ)不《ジ》v能(ハ)v害《ソコナフコト》。即(チ)放(テ)v火(ヲ)燒(ク)v室(ヲ)。始|起《オコル》煙(ノ)末《サキヨリ》《ナリ》出(ル)之|兒《ミコヲ》。號2火闌降《ホノスソリノ》命(ト)1。是(レ)隼人等《ハヤヒトラガ》始祖也。【火闌降。此云2褒能須素里1。】次(ニ)避《サリテ》v熱《ホトボリヲ》而|居《ヰマストキニ》。生出《ナリイヅル》之兒(ヲ)。號(ス)2彦火々出見尊(ト)1。次生出(ル)之兒(ヲ)。號(ス)2火明《ホアカリノ》命(ト)1。是(レ)尾張(ノ)連等(ガ)始《トホツ》祖也。凡(ヘテ)三(ノ)子《ミコマシマス》矣。
 
時彼國有美人云々。記に於2笠狹(ノ)御前1遇2麗美八《カホヨキヲトメ》1とあり。本に美人をヲトメとのみ訓たれど。私記によりて。カホヨキヲトメとよむべし。記傳云。麗を加本余伎と訓は。萬葉十四に可抱與吉《カホヲキ》と見え。紀に麗。美麗。艶妙。容姿麗美など。みな然訓り。偖山蔭に。此の文を論ひて。かくのみにては。事ゆくりなし。いかなるをりに。問給ふとかせむ。一書に。後遊2幸 濱1。見2一美人1。皇孫問曰。とある(787)樣にぞ有べき。と云へり。重胤も。此は此國に留《トヾマリ》住せ御座て後の御事なる由なり。第二一書にも。皇孫因立2宮殿1。是焉遊息。後遊2幸海濱1。見2一美人1。とある此海濱は。記に笠沙(ノ)御前と有て。別に遊幸の御事御坐る。其時なり。然るに第六一書にては。到2于吾田笠狹之御碕(ニ)1。遂登2長屋之竹島(ニ)1。乃巡2覽其地1云々。天孫因問之曰。此誰國歟。云々。天孫又問曰。其於2秀起浪穗之上《サキダテルナミホノヘ》1。起2八尋殿1云々。少《オトヲ》號2木花開耶《コノハナノサクヤ》姫(ト)1云々。と有り。比に又問曰と有は。先に宮處を覓に御坐々て。事勝國勝神に。此誰國歟と。問はせ玉へる因《チナミ》に。在し御事にて。別事には非る故に。又字を置れたるにて。其二女の御事を答奉られしは。即其神の言にて。他傳(ヘ)々の趣とは、異也と雖。此ぞ信に然も有けむと所思ゆるなり。然して其長屋之竹島と云は。白尾國柱八田知紀。共に云(ク)。今|野問《ノマ》嶽と云る是なり。土俗今に傳へて。笠沙(ノ)嶽とも云り。然る時は。記に於2笠沙御前1。遇2麗美人1と有も。其時の御事なりけんを。事の別なるが故に。更に又後に出せる者と所見たり。若て笠沙(ノ)嶽を。竹島と云は。彼|竹刀《アヲヒエ》の事に依て。高屋と云名の出來たるを。其名の弘がりて。山をも竹島と云るにて。彼海中ならぬにも。霧島など云が如く。一區の地を局りて。島とは云るなり。【但孝徳天皇白雉四年に。薩摩之|曲《クマ》。竹島之門。と有などは別なり。其竹島は。通證に在2薩摩之西(ニ)1別島也。距2薩州1百里。與2硫黄島1相去十八里。とある是なり。思混ふる事勿れ。右の門字。釋には間と作れり。】と云り。【尚竹島の事は。一書の下に云。】○鹿葦津姫。御名義未思得ず。【或説に。薩摩國高城郡郷名合志あれば。鹿葦の轉にやと云れど。阿多よりは。日置薩摩等の郡を隔てゝいと遠ければ。叶ひがたくや。】亦名神吾田津姫。重胤云。次々の一書共には。吾田鹿葦津姫と出て。此國名を以て。御名に負せる事。所以無らじやは。若して其御父大山祇神の當昔御所在より。先明らめ申さでは。其意通え難か(788)りぬべければ。今索ぬるに。式に謂ゆる。伊豫國越智郡大山積神社。【名神大】是其御座所なりしなるべし。然云所以は。右に注る竹島をしも。笠沙(ノ)嶽とも。野間(ノ)嶽とも云るを。國柱説に。野間權現祠在2野間(ノ)嶽(ノ)絶頂1。東宮二坐。伊弉諾尊伊弉※[冉の異体字]尊。【共(ニ)木像。長七寸餘。】西宮五坐。瓊々杵尊。木花開耶姫命。火々出見尊。日闌降命。火明命【並木像】と有て。瓊々杵命を主神と祀て。齋奉れる状なるに合せて。式伊與國野間郡野間神社【名神大】御坐すを。三代實録に。【貞觀八年壬三月七日。元慶五年十二月二十八日條に。】野間(ノ)天皇神とみえたる。天皇と申す尊號はしも。此瓊々杵尊に始て。稱(ヘ)奉り初たる御事にし有ければ。是ぞ右に所謂野間權現と。御同體には御座《オハス》なるべき。然して和名抄に。濃滿(ノ)郡英多と云あり。吾田鹿葦津姫命。又は神吾田津姫命と申す吾田と。其唱一なる事。奇しきまでぞ克(ク)合りける。右に擧たる第二一書。及記を見るに。御父大山祇神も。其吾田國の近傍に。御座(シ)し状なりけれども。斯る甚《イミ》じき皇神等の御上にては。千里五百里の隔は。隣るが如く。又其往來も。甚容易さ御有状なりければ。何かは人の上を以。比らへ奉らむ。然るを國柱説に。阿多郡に。稱2山神(ト)1の叢祠。凡三四所。並に祭2大山祇神1。蓋此阿多の地は。命の領邑にして。至v是て。始て職方と成れるにや。云れど。吾田の事は。事勝國勝神の國主と爲て。主領れし地なるにこそ有けれ。大山祇神に係て。領邑など云べきに非れば、其神吾田津姫命の。御父神に坐を以て。後に其御靈を祀れるともにて。此地を以。大山祇神の所居と申さむ事は。典故《イニシヘ》に暗き論なるにこそ。【又記傳には。大山津見神之女云々と云は。何地にまれ,此神の鎭坐社の御靈の。現壯士と化て。婦人に婚ひて。生玉へる御女なるべし。と云れたるも心得ず。若然らば。其女神の僕不2得曰1僕父大山津見神將v曰とあり。又は故乞2遣其父(ニ)1云々などをも。其御靈をして。答奉らしめ。又乞求めしめ玉ふ事(789)と成れゝば。其時々に。現形し給ふ如く見えて。如何なりと云り。此事は平田翁も既に云おかれたりき。】○木花開耶姫。本に木花の下之字あり。永享本になし。今はそれに從りて削つ。此姫神の御姉を。磐長姫と申す。天神御子の大御壽を。試奉らせ給へらむ爲に。一は磐石に比(ヘ)。一は木花に寄せて。御誓言《ミクケヒゴト》を奉らせ玉へるが。即其御名に定らせ玉へる也。偖木花と云は。何木に在れ。咲く花を云事なる中に。倭姫命世記朝熊神社條に。櫻大刀自《サクラオホトジノ》神。花(ノ)木(ニ)坐。苔虫《コケムシノ》神石(ニ)坐(ス)とある。花木の正しく櫻なるべき證は。御鎭坐傳記に。櫻大刀子神二座。靈華(ノ)木(ニ)坐也。大八洲櫻樹(ノ)始。從2天上1降居也。と有にて灼然くなん有ける。偖古より櫻を。花(ノ)木と云しにこそ。開耶は。記に如2木花之|榮《サカユル》1々《サカエ》坐(セ)とある。榮と言の相通ふ是なり。花に咲と云も。其榮ゆる義なれば。事は一になん歸《オツ》べかりける。但(シ)記傳十六に。佐久夜は。開光映《サキハヤ》の伎波《キハ》を切めて。加《カ》なるを通はして。久《ク》と云なり。かくて萬の木(ノ)花(ノ)中に。櫻ぞすぐれて美《メデタ》き故に。殊に開光映《サキハヤ》てふ名を負て。佐久良とは云り。夜と良は横に通音なり。偖彌々後には。唯花と云へば。專櫻の事と成れり。其も自然上代の意に叶へり。と云り。かくて此神は。專木の精靈に坐て。亦|櫻大刀自《サクラオホトジノ》神とも申せば。此木花は。櫻を云る事もとより也。此事第一(ノ)一書の下に委く。○妾。ヤツコと訓り。此を始として。一書共にも。此女神の申玉へるには。妾をも吾をも。然訓ること常也。安康紀に。皇女等對曰。云々今|妾《ヤツコ》等顔色不v秀。など有て。謙遜の御言なり。【同(ジ)言ながら武烈天皇八年に。官婢《ツカサノヤツコ》。孝徳天皇大化二年に」。事瑕之|婢《メヤツコ》と有るは。所謂奴婢なるが故に。女之奴とは云也。又萬葉十六に。痛(キ)女奴《メヤツコ》と有は。人を卑(シ)め下して云るにて。是は奴ならぬ者を。詈れるなるべし。然るを。和名抄に。婢和名夜豆古。女之卑稱也。と打任せて云るは。右の謙遜の言に云る例に依て。不意く書されつるなるべし。女の奴とか。女奴とか云ずては。正しき婢の稱には當らざるべくこそ。方丈記に。人を頼めば。身他の奴と爲り云々。と有が如く。人の下に屬る謂是なり。】(790)されど。夜都古と云る言の本は。親しみ睦ぶ義なること。既に云るが如し。○天神娶大山祇神所生兒也。此文誤あり。平田翁が藏る校本に。天神娶の三字无きは。いと宜し。一書また記の傳どもにも。符へればなり。されど此校本も。其出處を言ざれば。みだりに改めがたし。【又按に瑚※[王+連]集と云書に。此文を引るには。妾是天神娶2大山祇神女1所生兒也。とあり。文意はよく聞えたれど。いかゞあらむ。】○一夜而有娠云々。重胤云。第二一書には。是後神吾田鹿葦津姫。見2皇孫1曰。云々と有て。記の趣に同じかるを。第五一書には。其御子を生坐し後に。皇御孫尊の疑はせ玉ひ。此に就て無戸室を作りて。其室中に入り。火を放て燒せ玉へる状なれど。甚く異なり。其一夜の間に。娠ませる由を以て。疑はれも爲つべし。其生坐る後に至るまで。其御事を申させ給はずして。疑を受奉らむ事は。有べくも非りける者なるをや。偖記に。故後(ニ)木花之佐久夜毘賣。參出(テ)白。妾|妊身《ハラメルヲ》云々。是非2我子1。必國神之子(ナラム)。爾答白。吾妊之子。若固(ニ)國神之子者。云々と所見たり。此御疑に。必國神之子と有に就て。思寄らくは。播磨風土紀に。宍禾(ノ)郡|雲箇《ウルカ》里。大神之妻|許乃波奈佐久夜比賣《コノハナサクヤヒメノ》命。其形美麗。故曰2宇留加《ウルカ》1と有る。大神とは。伊和大神を略《ハブキ》云るにて。即大己貴神の御事也。さては先に。大己貴神の妻にて御在坐けるが。再嫁がせ玉へる者の如くも見ゆるを。猶思ふに。大己貴神より。天神御子に奉らせ玉ふべく。其御許に養《ヒタ》し奉らせ玉へりし御事などの。御座けんを。妻とは傳はれるなるべきか。然てまた。此時生坐る御子等は。火闌降《ホスセリノ》命。彦火々出見尊。合せて二柱神にて御座(セ)り。然るに此に火明命あるは衍なり。一書どもを合せて思ふに。※[火+餡の旁]《ホノホ》初(テ)起時。生2火酢芹命1【第三一書】と。初火※[餡の旁+炎]|明《アカル》時生2火明(791)命1【第三一書】とは。一時なり。此に依て。火酢芹命火明命の。一なる事を知べく。次に火盛時生2火明命1【第二一書】と。火炎盛時生2火進命1【第三一書】とは同事也。此を以て。火明命火進命。同神なる事を明らむる時は。火明命は。火闌降命の亦名にて。尾張連の祖天火明命とは。本より別神なる事を知べし。また第五一書にては。御子等四柱なるが如くなれども。此も二柱の傳なるを。其亦名を以。後に別神の如く誤れる事。殊に著明き者也かし。第六一書。第八一書の二(ノ)傳ぞ。實に混れなき古説とは見えたりける。記に火照《ホテリ》命に。此者隼人阿多君之祖。と見えて。火須勢理命に。其裔孫を云はざるは。亦名より二柱と混たるにて。此には火闌降命を。是隼人等始祖也と有り。海宮遊行章に。其火闌降命即吾田君小橋等之本祖也。と有に照し合する時は。火闌降命に。火明命火照命と申す。二の亦名御坐(ス)にて。此に鹿葦津姫命の。生奉らせ玉へるは。二柱のみぞおはしましける。此のことなほ下に云べし。○未之信。重胤云。此は第五一書に。天孫曰。心之|疑《ウタガハシ》矣。故(レ)嘲(ツ)之。第六一書に。皇孫疑之。など有て。此を僞ならむと所思せるも。實に非じと詔へるも。共に怪しませ給ふ御心御坐が故に。纂疏に。皇孫未v信者。世間(ノ)常情。又欲v發2神異(ヲ)1故也。と注させ玉へる。其世間(ノ)常情と云は。雄略天皇元年に。天皇|與《アタハシテ》2一夜1而娠。遂生2女子1。天皇疑不v養。とある類を斥《サシ》て宣ひ。欲v發2神異1とは。此の無戸《ウツ》室に火を放ちて。生給へる事を。第五一書には。其生坐し後に。天孫見2其子等1。嘲之曰。妍哉《アナニエヤ》吾皇子者。聞|喜而《ヨクテモ》生之歟。と有る。此御嘲に依て。女神の慍らせ玉ひ。其御母子共に室に入|御坐《マシ》て。火を放たせ玉ひけるに。事なく(792)て出させ御坐ければ。其御|報《コタヘ》に。我知2本是吾兒(ナルコト)1。但一夜而有v身。慮v有(ムト)2疑者1。欲(ヒ)v使(ムト)3衆人皆知2是吾兒(ナルコトヲ)1。并亦天神能令2一夜有1v娠《ハラムコト》。亦欲v明(サムト)d汝有2靈異之|威《イキホヒ》1子等復有(ルコトヲ)c超《スクレタル》v倫(ニ)之|氣《イキザシ》u。故有2前(ノ)日之嘲(ケル)辭1也。とある。此御事に就ての御説なるべきに。實に然こそは有つらめ。但素戔嗚尊昇天の御事御坐ける其始。日前の疑せ坐けるを。其男御子を生奉らせ玉へるに及びて。故日神方知3素戔嗚尊固(ニ)無(コトヲ)2惡心1と。瑞珠盟約章第一一書に所見たり。此御意味なりしにこそと云れたり。さらば未之信は。故(ラ)につれなしつくりて。さるさまに見せ給へるを。鹿葦津姫の心になりて。記せるものとすべし。○雖復天神。第二第五一書には。雖2復天神之子1と有て。此は瓊々杵尊の。己(レ)尊の御事を詔へるなるが。凡ては皇祖天神の御上にては。御兒神等を生奉らせ玉ふには。夫婦相|嫁繼《トツガ》せ御坐て。御子を生成玉ふのみには坐ずして。奇異の御所爲を以て。産靈ひ成出させ玉ふ御事には御坐せども。此は唯一夜假初に與はしゝのみにて。娠ませるを。信《マコト》しからずと不審《イブカ》しみ所思して。先天神の御上を。詔ひ出させ玉へるなり。と云り。【復字は少しいかゞなるやうなれども。此は國神はさらなり。復天神と雖云々と。國神に對へて。復と云る義なるべし。】○一夜之間の訓。ヒトヨノカラニ。古言なり。萬葉九に。三歳之間《ミトセノカラ》爾とあり。【私記には。字のまゝに比止與乃安比太爾。とよめり】記云。爾詔。佐久夜毘賣|一宿哉姙《ヒトヨニヤハラメル》。是非2我子1。必國神之子(ナラム)云々。雄略紀に。天皇疑云々。朕|與《アタハシテ》2一宵《ヒトヨ》1而※[月+辰](メリ)。産(ムコト)v女殊(ナリノv常(ニ)云々。と云事あり。○汝所娠。本に娠字懷に作る。丹鶴本中臣本に依て改む。【但丹鶴本に※[女+袁]とあり。娠の※[言+爲]なり。】此處の前後。いづれも娠字を書ければなり。○無戸室。和名抄に。日本紀云。無戸室。和名宇豆無呂とあり。虚《ウツ》室の義なり。無戸(793)と書るは。字の如く出入する戸口のなき室なり。記には。作2無戸《トナキ》八尋殿(ヲ)1。入2其殿(ノ)内(ニ)1。以v土塗(リ)塞(キ)。これによらば。全《ウツ》室の義にて。【平田翁云。字豆は全拔《ウツヌキ》全剥《ウツハギ》の全に同じ。】以v土塗塞とある如く。俗に丸《マル》で塗(リ)塞(キ)て作りたる室と云意なり。と云る説もあり。記傳云。無戸とは。土以て塗塞ぎたる上を以て云なるべし。【紀には何れの傳にも。土以て塗塞ぐことは見えず。たゞ無戸室とのみあり。これ無戸室といへば。必塗塞ぎたる室にて。今世に牟呂と云ものゝさまなるべし。故に塗れることをば。殊に云はざる成べし。】初より出入べき口の。ひたぶるに無くては。有るまじければなり。とあり。又玉勝間云。天武卷に。御窟殿《ミムロトノ》また御窟(ノ)院などあるも。塗籠《ヌリコメ》たる殿なるべし。總てむろといふは。唯|舍《ヤ》と云とは異にして。家(ノ)内にても。奥(ノ)方に在て。籠りかなる屋にて。古へは土を以てつきて。寐る處なり。とも云れたり。【さてかく。塗塞ぎ給ふ故は。火を避て。外へ遁(レ)出べき由なかるべく。構へたるなり。と記傳に云れたり。】○誓之曰。誓の事は上卷に云り。記云。答曰吾妊之子。若國神之子(ナラムニハ)者。産不v幸(カラ)。若天神之御子者。即幸(カラム)。作2無v戸八尋殿(ヲ)1。入2其殿(ノ)内(ニ)1。と誓の事前にあり。平田翁云。紀に此誓を無戸室に入(リ)たる上の事としたる傳は。道理に叶はずとあり。○放v火燒v室は。記には方2産時1。以v火著2其殿1而産也。と見えたり。文の續に依て考るに。御子産生むと爲る際に當りて。其無戸室の内に入せ給ひ。埴土を以て塗塞き。薪を充《ミ》て。内より火を著て。燒せ玉へるなり。但此は鹿葦津姫命。一夜の間に孕坐し故に。疑はれ奉られしを以。神祇に請して。誓(ヒ)給ひ。其正實を知られ奉らんとて。如此爲させ給へるにて。應神天皇九年に。武内宿禰と。甘美内宿禰に請て。探湯《クガタチ》せし事。繼體天皇二十四年。日本人與2任那人1。頻以2兒息(ノ)諍訟難1v决。誓湯《クガタチス》。など有が如く。誓を爲して。事の虚實を定むる事。上古の風儀なる者なり。○始(794)起烟末は。始(メ)※[氏/一]|起《オコ》流畑(ノ)末與理と訓む事には在れども。其にては。其烟の中より。化出させ玉へる如聞えて。聊如何なり。第二一書には。※[火+餡の旁]《ホノホ》初起(ル)時共生兒云々。第三一書には。初(テ)火※[火+稲の旁]《ホノホ》明《アカル》時(ニ)生兒云々。第五一書には。其火(ノ)初(テ)明(ル)時云々とある方まされり。○火闌降命。名義。須素里は進む義なり。次に云。偖右に云る如く。次に火明命。記に火照《ホテリ》命と有なども。此神(ノ)亦御名也。偖此御名。第二第三第六一書には。火|酢芹《スセリ》命と作れたる。此は記に火須勢理命。姓氏録に富須洗利《ホスセリ》命。と有と同く訓べし。第三第五一書には。火進命と作れたる。其は褒須々美と訓べきなり。姓氏録には。當乃|須佐利《スサリ》命とも有なり。右の如く有る事なれども。共に進《スヽム》の言也けり。此御子の生(レ)坐(ス)事を。第二に※[火+稲の旁]初起時とあり。第三に火炎盛時。第五にも火盛時。記にも其火盛燒時と有て。※[火+稲の旁]の初起れるは。火の進むなり。火の盛に燒るは。火の進み極れるなり。何れに取ても。其|進《スヽ》む義に於て。異ならざるなり。偖古には褒能とも。又能を略きて。褒とも云けるなれば。能字を加へも略きもして。申習へる也けり。火は。右に放v火燒v室とある火星なり。なほ記傳に。須素里。須勢理。須佐里。皆同言にて。進と同意なり。萬葉十七越國立山長歌に。之良久母能《シラクモノ》。知邊乎於之和氣《チヘヲオシワケ》。安麻曾々理《アマソヽリ》。多可吉多知夜麻《タカキタチヤマ》とある。安麻曾々理も。此山の甚高くして。天に進み登る状なるを思合すべし。【俗に人の心の。浮立進むを。そゝると云もおなじと云り。】然るを。書紀に此御名を。火闌降とも書れたる文字は。撰者の誤にぞ有ける。と云れしは誤なり。火進は正字。火闌降は。火酢芹と書れたるも同じ事にて。借訓の字なりければ。此字義に就て云説は。中々なる誤なり。靈異記に。(795)襴を取曾《スソ》と有は。會意の字なるを以て。闌を須素に借用られたるべく。降を里と訓は。於里の略訓也ければ。此火闌降の字義を求めて。云べきに非るなり。○隼人等始祖也。重胤云。此に所謂隼人等の等字は。大隅薩摩兩國の隼人を始として。五畿内及近江丹波紀伊等の。諸國に在る隼人までを。併せられたる者なり。記傳に。隼人は波夜毘登と訓べし。和名抄にも。隼人司波夜比止乃豆加佐とあり。隼人と云ものは。今の大隅薩摩の人にて。其國人は。絶れて敏捷《ハヤ》く猛勇《タケ》き故に。此名あるなり。【枕詞燭明抄云。日向大隅薩摩の國の俗。皆隼人なり。其猛く烈き事。隼の如しと。風土記にみゆ。とあり。】景行仲哀の御世のころ。熊曾と云し者も是にて。即其國を熊曾國と云き。又其を隼人國と云るは。續紀二に。大寶二年。先v是征2薩摩隼人1時云々。唱更《ハヤヒトノ》國司等【今薩摩國也】言云々とある。唱更これ隼人なり。【拾芥抄改名所々部に。薩摩國元唱更とあり。職員令隼人司。義解に。隼人者分番上下。一年爲v限云々。とある意を以て。其頃唱更とは書たりしなり。今薩摩國也とは。續紀撰ばれし時の注なり。】萬葉三に。隼人乃薩摩乃迫門《ハヤヒトノサツマノセト》。六に隼人乃|湍門《セト》。など云るも國名なり。其を薩摩國とは。後に改められたるなり。さて隼人とは。今の大隅薩摩二國の人を云る中にも。隼人國と云しは。今の薩摩國の域なるべし。大隅は和銅六年に。日向より分れたる國なればなり。さて國名の薩摩と改まりしは。大寶より靈龜までの間なるべし。其故は。右に引る大寶元年の紀には。唱更國とありて。養老元年の紀に。始めて大隅薩摩二國隼人とある。此薩摩は既に國名なればなり。【取意】と云れしは。甚委しき考也。但右に謂つる熊曾は。大隅隼人にて。續紀に出たる。曾乃君是なり。次なる薩摩隼人は。阿多隼人にて。其統二に支《ワカ》れたりし者とみゆめり。其相並べ云證は。天武天皇白鳳十一年に。隼人多來貢2(796)方物(ヲ)1。是日大隅隼人。與2阿多隼人1相撲《スマヒトル》。と見え。其朱鳥元年天皇崩御(ノ)所に。大隅阿多隼人云々。各誄v之と有る。此を大隅之の如く訓は非也。大隅(ト)與《トノ》2阿多1隼人と云義なる事。上下に照應せて心得べし。隼人司式に。凡|大衣《オホエ》者。擇2譜第内1。置2左右各一人1。大隅爲v左(ト)。阿多爲v右(ト)。教2道隼人1とある。大衣は。大兄と云事にて。畿内及近國の中より。左右各一人の長に。補されたるを云。次に云を見合すべし。偖其阿多隼人と云は。右に引る大寶二年に所見たる。薩摩隼人是なり。天平寶字八年に。大隅薩摩等隼人相替。と有を以。其然る所以を思定むべし。【但右の式分を引て。記傳十七に。大隅阿多とは。其國の人を云には非ず。先祖の出たる地を以て云ふ。と云れたり。】其大隅隼人は。姓氏録大和に。大角隼人出v自2火闌降命之後1也とあり。景行紀なる熊襲梟帥。又川上梟帥と云る是なり。熊襲と云は。古へ襲國へ住へりしを以。云稱にて。大隅國郷名也。川上と云は。襲山考に。正長二年【十月二十五日】曰2伊季1者。記2上小川里山野境1云。西境2隼人城1。乾隅境2弟子《テシ》丸名1之類。皆足3以證2其當時1焉。上小川里。舊名曾小(ノ)川。而所謂梟帥居2其川上1。故曰2川上梟帥1。其云2曾小1。則曾於訛。後分2上下1。今爲2村名1。隷2國分卿1。とある是也。然れども。共に大隅隼人にて。二派有に非るが故に。通して唯に熊襲とは云し也けり。然して其地の長と爲て。代々居住へりしかば。此を以て。君の姓は賜はせたりけらし。天武天皇十四年。大隅直賜v姓曰2忌寸1と見えたるに。續紀は。天平元年云々。加志(ノ)君云々。同十二年隼人|贈於《ソノ》君。【又曾乃君ともあり】翌十三年に。前(ノ)公乎佐云々。【前公は前(ノ)曾乃公なるべし】天平勝寶元年に。曾(ノ)縣主云々。神護景雲三年に。大住(ノ)直倭上。大住忌寸三行。云々など見えて。曾乃公。曾縣主は。和名抄(797)に大隅國贈唹郡是なり。大住直。大住忌寸等は。同抄大隅都大隅郷是なり。其姶羅郡少領なる加志君は。同抄に。姶羅郡鹿屋郷有ば。恐らくは至を屋に誤れるにて。鹿至郷と云つらむかし。白尾國柱説に。止上《トカミ》六所大權現。【在2贈唹郡贈於號皇久村志宜理(ノ)杜1。と云(フ)。】奉v祀2彦火々出見尊。豐玉姫命1。左瓊々杵尊。木花開耶姫命。右葺不合尊。玉依姫命。社傳云。止上神社は。景行天皇熊襲を討給ひし時。神の稜威を願玉ひし故に。御勸請なり。往古は當社より。東の尾群山の頂に在しを。數百歳の昔。今の處に遷宮すと云ふ云々。正月十四日に。初獵の獲物。野猪肉鹿肉を。三十六本の串に貫き。地に挿立て。牲とし祭る。隼人を誅せし時の故事を傳習すと云ふ。又大隅神社。【三の社とも云。本社の鳥居脇に在。】奉2祀火闌降命1。土人大隅の地主神と稱すと云り。襲山考に。其隣郷國分亦有2隼人城遺墟1。在2於要嶮所1。葢火闌降命以來。神胤隼人(ノ)所2世居1也と云るは。實に然る事なる可にこそ。【されば上に注る如く。大隅國造は。大隅隼人なりしからに。國造に任され參りし者なるが故に。右の如く。君又は直、又は忌寸。又縣主などの。姓を玉はりし者なるが。火闌降命を。大隅の地主神と申し。或は隼人城隼人塚と云名の。傳はれるにても。世々其地に住へりし事知られたり。但右の内。加志君は。神名式に。薩摩國出水郡加紫久利神社あり。和名抄に。同郡借家郷有は。借栗にては非るか。又高城郡合志郷と云有も。加志と訓むにては非るか。】薩摩隼人は。右に云る如く。阿多隼人是なり。其阿多隼人の流。國中に蕃息り住へるから。古く唱更《ハヤヒト》國と云名は有しなめり。續紀天平元年大隅隼人等貢2調物1と有は。兩國のなるべきに。加志君の次に。外從七位上佐須岐君夜摩等。久々賣。並授2外從五位下1云々。佐須岐は。和名抄郷名に。薩摩國※[鹿/兒]島郡|在次《サスキ》とある。此地の君なるべし。東大寺文書薩摩國天平十八年正税帳に。薩摩君福志麻呂云々。又續紀天平寶字八年(ニ)前(ノ)公の並に。薩摩君鷹白云々とあり。藤摩公と云は。和名抄に薩摩郡有る。此地の君たるべ(798)きに。右に引る記傳に。大寶より靈龜までの間に。既に國名と成れゝば。其一國に亘るなるべき事云も更也。國造本紀に。薩摩國造。纏向日代朝。伐2薩摩隼人等1。鎭之。仁徳朝代。曰佐改爲v直。とある。其裔なるには。違有まじき也。然れば古に吾田君と云しは。所謂阿多隼人の事也けるを。大寶二年に。薩摩隼人と書れたる。其頃より薩摩君の姓を玉ひけんより。本國には無なりて。京畿に在は。已く別れたりしからに。後まで阿多隼人にて。遺れるなるべし。神代以來。其國の古名をば。吾田國と云し故に。其國の隼人をば。阿多隼人と云けるを。其隼人の本國なるを以て。唱更《ハヤヒトノ》國と云けるが。後に薩摩國と改りし故に。薩摩隼人とは云事と成(レ)るにぞ有べき。偖姓氏録に。【右京】阿多御手犬養云々。【山城】阿多隼人云々と見えたるに。續後紀承和三年。山城國人右(ノ)》大衣。阿多隼人逆足。賜2姓阿多忌寸1。とあるは。續紀に。大住忌寸と云姓有に。並べさせ玉へる成べし。又【攝津國】日下部。阿多御手犬養云々。此等は何れも。薩摩隼人の部なる者なりと云れたり。其外にも。【大和】二見首(ハ)富須洗利命之後也。【和泉】坂合部。火闌降命七世孫。夜麻等古命之後也。とあり。此等を引て。記傳に。此等皆隼人の國より上りて。皇朝《ミカド》に仕奉れるが。子孫の京幾に遺り住るなり。と云れたるが如し。但隼人司式には。五畿内と有れども。姓氏録には。河内國なるは見えず。さて隼人の朝廷に仕奉る職掌は。一書に。火酢芹命(ノ)苗裔諸隼人等。至v今不v離2天皇|宮墻《ミカキ》之|傍《モトヲ》1。代2吠狗(ニ)1而奉事者也。とある處に委く云べし。さて記に。火照命。此者隼人阿多君之祖。とあり。火照命は。火闌降命の一名にて。隼人阿多君とは。阿多君は隼人なれば。隼人と云る(799)なり。さて火照命は。廣く隼人の祖と聞えたるは。分て阿多君祖としも云るは。隼人の諸姓の中に。殊にあらはれたる氏にこそ有けめ。と記傳にいはれたり。故此にはひろく。隼人等始祖也。と云る也けり。○褒能須素里。此訓注の能字。記傳に。後の訛訓に耳なれたる人の。さかしらに加へたるなるべし。又姓氏録にも。富乃須佐利とあれど。是もいかゞ。同書の二見首條に。富須洗利命とあるぞ正しかりける。とあり。されど頓(ル)に訛とも定めがたし。○避熱而居。熱字ホトホリと訓り。第三一書には。避2火炎1時とある。火炎をば。ホムラと訓るを。私記に保乃保と有り。第五一書には。火折尊と。彦火々出見尊を。別神と爲て。一には火炎|衰《シメル》時。一には避(ル)2火熱《ホトホリヲ》1時と有は。其言の同義なるよりの混れなり。火熱とは。今も云事にて。物に火氣の有無を云とて。火熱《ホトリ》の有無と云る是なり。【熱ぼとり。又手足のほとる。なども云へり。火の盛に燒徹るを。ほとほりと云しなり。】熱田皇大神鎭坐記に。後號2此(ノ)燧《ヒウチヲ》天(ノ)火徹《ホトホリ》1と見えたるも。火を打出るは。即火の物に通徹《トホ》る由の名なり。照徹又は蒸徹など云る類是なり。若て避と云は。火の盛に燃過て。火炎の衰《シメ》れる時。と云事にて。此火中を避て。他に移らせ給へるには非ず。火(ノ)鎭(レル)時なるなり。○彦火々出見尊。記に天津日高日子穗々手見命とあり。記傳云。此御名は。天津日嗣所知看ての御稱名にて。火によれる事にあらず。故記に。火照。火須勢理。火遠理と。火に因れる御名には。皆火(ノ)字を書るに。同じつゞきにて。此御名のみは。穗字を書て別たるを以ても知べし。【但し書紀には。或は彦火々出見尊とのみありて。火折てふ御名をば出さず。或は出しながら。亦御名とせるなどは。火々出見と申す方を。火明などゝ並べて。火の義に取れる傳なり。されど其はもと混つる物にて、正しからず。】穗々は。稻穗にて。即字の如く重ね云(ヘ)るか。又大穗にても(800)あるべし。手は根に通ひ。見は耳と同くて。亦美稱なり。又宇麻志麻遲を。書紀には可美眞手とあれば。手と遲と通ふにもあるべし。其も同く美稱なり。とあり。【武郷云。稻の甚く生茂れるを。今も俗に穗に穗が咲くと云れば。此御名も穗々出の義にもあるべし。さて見は美稱なり。】かくて此尊の。此時火に依て負給へる御名は。火折尊と白す。第二一書に彦火々出見尊。亦號火折尊。【第三(ノ)一書には。火折《ホヲリ》彦火々出見尊とあり。】とあるにて知べし。○火明命は。上に注もが如く。火闌降命の亦御名なるが。尾張連の祖なる天(ノ)火明命と混ひて。此に出たるは。大なる誤なり。【天火明命の事は。第六一書の下に云ふ。】偖此火明命と申す火明は。本阿加理と訓べし。右の第三一書。火※[火+陷の旁]明時。第五一書に火初明時など有る。即其意の御名也。又記に火照命と申すは。記傳に。火照は初に火の燃起りて。照明れる時に。生坐る故の御名なり。と云れたるが如し。○尾張連。右に云るが如く。尾張連等始祖。とあるも。忍穗耳尊の御子の。天火明命と混たる傳なり。されば此氏の事は。一書の下に云。○凡三子。此御子生の事は。上にも云る如く。第六一書に。生2火酸芹命1。次生2火折尊1。亦號(ハ)彦火々出見尊。第八一書に。木華開耶姫(ヲ)爲v妃而。生兒號2火酢芹命1。次彦火々出見尊。とある二の傳。いと正しく。其餘は今此本書。又記を始として。みな誤なり。さればこゝに。三子とあるは。まことは二子なり。又第五一書に。四子とせるなどは。甚しき紛の傳なり。※[土+蓋]嚢抄に。日向國風土記云。皇祖|〓能忍耆《ホノニヽキノ》命。日向國贈於郡|茅穗※[木+患]生《チホノクシフノ》峯に。天降り坐て。是薩摩國。閼駄《アタノ》郡|竹屋《タカヤ》にうつり給ひて。土人|竹屋守《タカヤノカミノ》女をめして。其腹に二人の男子をまうけ給ひける時に。かの所の竹を。刀に作り。臍《ホソ》の緒《ヲ》を切玉へりけり。と云り。此傳御子二人生坐るよしにて。正(901)しき傳の殘たるものなり。
 
久之《ヒサシクマシ/\テ》。天津彦々火瓊々杵(ノ)尊|崩《カムアガリマシヌ》。因|葬《ヲサメマツリキ》2筑紫(ノ)日向(ノ)可愛《エノ》【可愛。此云v埃。】山陵《ミササニ》1。
 
久之は。通證の一説に。久之者。治安積v年。不v知2暦數(ヲ)1。太古文法也。と云る如く。其暦數の知られざる義にもあるべし。○崩。重胤云。神上理坐須《カムアガリマス》と訓る。古語に天皇の御事を。現人神と申奉り。正身は人にて坐せども。其皇祖天神の御許より。世に現出させ御坐て。天下を統御《スヘヲサ》め玉ふ。大御神にて坐々が故に。其崩坐す御事を。神|上《アガ》理坐須と申して。實に天上に上《アガ》らせ坐て。其|報命《カヘリ》爲《セ》させ玉ふ由有を以なり。其最著明きは。萬葉二|日並皇子尊《ヒナミノミコノミコト》殯宮之時(ノ)歌に。天地之|初時之《ハシメノトキシ》云々。天雲之《アマクモノ》。八重掻別而《ヤヘカキワケテ》。神下座奉之《カムクダリイマセマツリシ》。高照日之皇子波《タカヒカルヒノミコハ》。と有は。此の瓊々杵尊の。天降らせ玉へる御事に合せて。其皇子の生出させ坐ける御事を。詠る者也。然して。其崩坐し御事を云むとて。天皇之《スベラギノ》。敷坐國等《シキマスクニト》。天原石門乎開《アマノハライハトヲヒラキ》。神上々座奴《カムアガリアガリイマシヌ》。【一云。神登《カムノボリ》座爾之可婆。】と有は。其御靈の天上へ還(リ)上《ノボ》らせ御坐を申也。其|生《アレ》坐すを。神|下坐《クダリイマセ》奉之と云て。皇祖天神に係け。其崩御すを。神|上《アガリ》々座奴とも。神|登《ノボリ》云々と云て。皇祖天神の御許に。上《アガリ》坐す由に云るは。古傳に依て。死生の事を云貫れたる者になん有ける。偖景行紀に。日本武尊化2白鳥1。從v陵出之云々、。記にも。亦自2其地1更|翔天《アマガケリテ》以飛行。と有て。此は白鳥の状に化て。正しく天に翔《カケリ》上らせ玉へるなり。又高橋氏文に。不思《オモ》保佐々流|外《ホカ》に。卒上太利止《ミマカリアガリタリト》聞食迷之と見え。虚川御魂毛(802)聞太戸《ソラツミタマモキヽタベ》止云々。と有は。天上に昇るには。虚《ソラ》より爲《ス》る者なる故に。然令v宣(ラ)玉へりし也。又鎭魂歌に。御靈上《ミタマガ)り。靈上《タマガ》り罷坐《マカリ》し神は。今ぞ來坐る。云々とある。ミタマガリタマガリと云は。死る事を云にて。此は天神本紀に謂ゆる。由良々々止布瑠部《ユラユラトフルヘ》。如此|爲之者《シテバ》。死人(モ)反生矣《イキカヘラム》。とある義を述たりし者也。なほ萬葉二に。天所知流《アメシラシヌル》君。又|高日所知奴《タカヒシラシヌ》。と有など。御靈の天上に昇らせ玉ふ事を。詠るなり。又|天《アマツ》宮爾。神隨|神等座者《カミトイマセバ》と有は。御靈の天宮に昇て。神と成らせ玉へる由也。右等の外にも。續紀神護三年遺詔に。必|天翔《アマガケリ》給天。見行之《ミソナハシ》云々。と有は。其崩坐し神靈の。天上より翔らせ御坐て。見行《ミソナハ》し坐由にて。物語書などに。亡《ナキ》靈の來る事に。天翔と云事の多在(ル)も。皆其神靈の。天上に歸赴くと云(フ)古傳の有が爲に云る者也。然れば崩字をば。神上(リ)坐と訓む事はしも。神代以來の古義にして。死生の事實を貫徹すべき。幽深き致《ムネ》有る語になむ有けると云り。○日向可愛山陵。可愛の下に。可愛此云v埃の五字。丹鶴本に无し。此訓注。上卷に既に。可愛此云v哀とあれば。又かさねて有べきよしなきか如くなれども。上卷なるは。可愛の義に附ての注。こゝなるは地名を注したるなれば。義一ならず。兩方にありても妨なし。但し寶劔出現章(ノ)一書。可愛川上の下にあるべきなり。又山陵の上。本に之字あり。今は永享本に无による。かくて此山陵は。諾陵式に。日向埃山陵。天津彦々火瓊々杵尊。在2日向國1。無2陵戸1とあれど。日向國には有べからず。後醍院眞柱が神代三陵志云。埃(ノ)山陵は。今薩摩國高城郡水引郷宮内村。新田宮に鎭坐す。八幡山其(レ)なりと。昔より云傳へたり。【鹿兒島より。戌方行程凡十三里。さて薩摩大隅は。もと日向の國内なりしかど。書紀の成れる養老四(803)年には。既に分れたる後なるに。此埃陵をも。大隅國なる高屋吾平の二陵をも。すべて日向國とあり。此は國いまだ分れざるほどに。記せし傳説を。其まゝ載られつるなり。神武紀に日向(ノ)吾平邑とある吾平も薩摩國の地名なるを以知べし。諸陵式も。是又書紀の文に據られしなりけり。】然るに。此邊に挨と云地なきが如くにて。疑ひ思へる人もあれど。其は此邊を埃といひし事を。考へつかざるが故なり。抑古書に可哀《エ》また埃《エ》など書るは。元より假字にて。江《エ》の意なり。然るは此|水引《ミツヒキ》あたりに流るゝ川は。薩摩國内の大河にて。新田宮より。西方三里許にして海に入るを。滿潮の時は。川上五六里がほど。潮の遡《サカノボ》りて。信に江と云つべく。古(ヘ)名に負ふ大江にて。かの鳥追の謠(ヒ)本にも見えし所なり。中頃より大方田地と成て。今其小名に。尚江某江といへる數多あり。又其川向ひの郷に。今も高江と云所あるなどを合せて。熟思へば。古(ヘ)海より上つかた。川|傍《ゾヒ》五六里の地を。郡郷の名にも非らで。廣く江と云ひ。此陵元より川傍の地なれば。埃(ノ)山陵と記し傳たるなり。【埃山陵を。松下氏が廟陵記に。薩摩國頴娃郡といへりしを。本居大人も諾なひて。御陵必此處にあるべし。日向國にあらずと云れたり。其日向國にはあらずとは。信なる説なれど。頴娃郡なるべしとは。たゞ頴娃といふ名によられたるのみにこそあらめ。頴娃郡には。昔よりさる傳説あることなし。】かくて此地に。古く御陵と云傳へたるが三所あり。其一は新田宮より。西方一町餘にして。小高き山なるが。今此を中(ノ)陵と云ふ。其につゞきて。半町許西方に當りて。中(ノ)陵と同形の山なん。其一にはありける。此を端(ノ)陵といふ。今一は此二陵より。十四五町許隔りて。五代村の内にて。谷間《タニアヒ》の如き處の。やゝ打晴たる田の中に。少けき岡のある是なり。是を川合(ノ)陵といふ。【此は二筋ある川の。一に取合ふ所なれば。此地を廣く川合といへり。】上なる二陵は。山の巓なる。御體を葬めつらむと所思しき處に。小祠の建たるを。此處なるは。昔此陵|崩《クヅレ》ける時に。遷せる由にて。今は二十間ばかり隔て。小祠は立(チ)たり。此三處は。倶に决めて。瓊々杵尊の御陵(804)には非ず。其眞の御陵は。上に云る八幡山なる事缺し。又新田宮神人。執印《シイン》氏。大檢※[手偏+交]氏。千儀氏等が。傳持る古文書。數百通あるが中より。其徴とすべき事。はた朝廷より。重く御尊崇ましゝ事どもを。此に拾ひ擧てむ。其はまづ。後深草天皇建長八年四月。執印惟宗友成等七人。連署申文に。謹按2舊貫(ヲ)1。天孫瓊々杵尊。圓寂(ノ)砌。可愛(ノ)陵高城千臺(ノ)宮者。今新田八幡宮是也。從2天照1第三代(ノ)靈神。爲(ル)2日域無雙之宗※[まだれ/苗]1間云々。【武郷云。本書此次に。龜山天皇文永五年正月。所司神官等申文。次に後宇多天皇弘安七年十一月。神人等申文。次に同十年三月。神人執印散位惟宗重兼等八人、連署申文。次に伏見天皇正應元年八月。神人等申文。次に永仁七年三月。神人執印惟宗重友等八人。連署申文。また後醍醐天皇元享四年五月。薩摩國穎娃郡開聞社司。當國一宮競望の事によりて。神人執印惟宗友郷等八人。連署の申文を。擧られたり。みないづれも。同じさまの文なれば、今は省きて載せず。】上件の文書どもにても。此八幡山即御陵なる事知られたり。此山を龜山と云て。山形の龜に似たりと云なるも。蓋もとは神山なるを。龜山と訛りしより。如此云るには非るか。また天書に。瓊々杵尊云々。葬2筑紫(ノ)日向(ノ)縁《エノ》中山之巓(ノ)陵(ニ)1也。と云るは。其僞り作れる人の。こゝなる中(ノ)陵端(ノ)陵などいふ名を。ほのゞゝ傳へ聞て。中なるを大御陵といはむに。便よければ。中山(ノ)巓(ノ)陵に葬るなどゝ。狂説を記るなり。然るを其説を據として。中(ノ)陵に近世石槨の顯れしより。是こそ天書に記したる中山陵など。僻心得しつゝ。さるさまに書るものゝあるも。いたく事違へり。【武郷云。今天書を閲るに。此處。後久而崩2於日向宮崎宮1。因以葬2于埃之山陵1也とあり。筑紫(ノ)日向(ノ)縁(ノ)中山之巓陵也の文なし。いかなる書を見て。眞の天書と思まがへて。こゝに出しけん。甚おぼつかなし。仍て今わきまへおくになん。】さて和名抄に。薩摩國高城郡ありて。今も此あたり高城郡なり。其は若くは。此御陵より出し名には非るか。美佐邪紀。於久都紀。比登紀など。人の墓所を。紀と云しことゝ聞ゆれば。此處なる山陵の。最大なるより。地名にも負つらむかと思はるゝなり。さて此御社。(805)最初は瓊々杵尊を齋祀り。後に八幡大神を會《アハセ》祭りけん事は。云まくも更なるを。何の頃よりか。九州五所八幡宮と云號初まりて。此宮も其一なり。然るを大らかなる。古の俗として。殊更に記し留たる物もなく。許多《コヽラ》の御代を經る隨に。遂に紛らはしき説の出來て。今の日向(ノ)國内にて。其處に在り。彼處にあり。などゝ云めるは。悉信られぬ説等なり。固より神の三御代の。事跡の見えたるは。總て今大隅薩摩なる處にしあれば。其陵も必此の國方に在べき理なるをや。と云れたる。げに然説ときこえたり。此論に從ふべし。【さて今新田八幡宮と申て。御社に祀れるは。正殿三座。中(ノ)位邇々藝命。左天照大神。右天忍穗耳命。(或は栲幡千々姫命)に坐て、左方の別殿に。彦火々出見命。豐玉姫命。※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合命。玉依姫命を祭り。右方の別殿に。彦太忍信命を祭れりと。これも三陵志に云り。又一には。右の彦太忍信命を。武内杜とも云り。新田宮正殿。瓊々杵命に坐すことは。數通の古文書にて。今更論なき事なれども。中古以來。八幡宮としも稱へ奉れりしは。いかなる事なるか。また神殿建立の事も。或は神龜年中とも。元慶年中とも。永萬年中とも云ひて。さだかならず。後二條關白記に。寛治六年二月二十五日條に。依2陣定1參2右仗下1。大隅國正八幡宮事。六箇條事。見2定文1云々と見えたるは。此御社の事なるべし。なほ尋ぬべし。】○山陵は。私記に美佐々岐とあり。美佐々伎と云も古き名也。和名抄に。山陵 美佐々岐。又諸陵寮 美佐々岐乃豆加佐と有り。御紀の例。天皇々后皇太子の御をば。陵と書て。美佐々伎と訓れ。親王以下。人臣の限は。墓と書て。波加と訓ぜられたり。偖名義。伎は城《キ》にして。屍を葬る域なる謂なり。【但し景行紀棺※[木+親]を。美伎とも。比都岐とも訓るは。共に屍を納る器の名なる由也。又常陸風土紀に。黒坂命之|輸轜《キ》車とある。此車は孝徳紀に謂ゆる轜車にて。喪葬令に。凡親王一品。方相轜車各一具。とある是也。其を紀の訓。キグルマと有は。棺※[木+親]車の謂なり。風土記の訓。ヒトキ車とあるは。棺※[木+親]車の謂にて。共に棺※[木+親]を載る車と云事にて。聊異なり。】美佐々岐は。御小城《ミサヽキ》と云事にて。喪葬令義解に。帝王墳墓。如v山如v陵。故謂2之山陵1。と有が如くにて。岡山を築きて。棺※[木+親]を納奉る由を以云稱也。○葬は。ヲサメマツルと訓來れり。【紀中凡て其訓なるを。唯四神出生章に。葬字カクシマツルと訓るのみあれども。所の状に依ては。然も云べきなり。】又秘閣本訓に。ハフリマツルとあり。此も古き事にて。綏靖紀。喪葬(806)之事。萬葉二。神葬々奉者《カムハフリハフリマツレバ》、伊勢物語に。男御|葬《ハフリ》見むとて。大和物語に。泣詈りて葬りすなど多し。重胤云。此は其喪送の事を營むをも。土中に藏むるにも。相亘りて云る語也ければ。此の如く。ヲサムと云ぞ。允に當れりける。【孝徳紀に,葬者|藏《ヲサム》也。欲2人之不1v得v見云々。實に葬字は。藏字義大に在叶て相へり。但神社を建て。神靈を鎭る事を。治奉ると云へば。其如く見るべきにや。神事と葬禮とは。大に通ふ事あり。此は葬字に。強て拘はる事なく。神社を祀奉る事を云る例格と見てむこそ。然るべかりけれ。】と云り。
 
(807)日本書紀通釋卷之十七         飯田 武郷 謹撰
 
〔第一一書〕
一書曰。天照大神|勅《ミコトノリシテ》2天稚彦(ニ)1曰。豐葦原(ノ)中國(ハ)。是(レ)吾(カ)兒(ノ)可《ベキ》v王(タル)之|地也《クニナリ》。然(ルヲ)慮《オモフニ》v有《アリト》2殘賊強暴横惡《チハヤブルアシキ》之神(ドモ)者1。故汝先(ヅ)往(テ)平之《ムケヨトノタマヒテ》。乃(チ)賜(テ)2天(ノ)鹿兒《カゴ》弓及天(ノ)眞鹿兒矢《マカゴヤヲ》1遣(ハス)之。天稚彦受(ケテ)v勅(ヲ)來降《イタリテ》。則|多《サハニ》《メトシテ》2國神(ノ)女子《ムスメヲ》1。經《ナルマデ》2八年(ニ)1無以報命《カヘリゴトマヲサズ》。故(レ)天照大神乃(チ)召(テ)2思兼神(ヲ)1。問(ヒタマフ)2其|不來《マヰコザル》之|状《カタチヲ》1。時(ニ)思兼神思(ヒテ)而|告《マヲシテ》曰(ク)。宜(ク)2且|遣《ツカハシテ》v雉問(ヒタマフ)之1。
 
天照大神勅云々。本書には。凡て高皇産靈尊一神にのみ係たるを。此には。天照大神にのみ係て。傳られたれども。實には天照大神の大詔にて。高皇産靈神の。事執行はせ玉へるなりければ。右の二神に見奉るべき所以。既に云るが如し。○可王之地。この事も。既に上に云り。○慮有云々。山蔭云。慮(ノ)字いかゞ。彼(ノ)地の二字に易まほしと云り。されど。此は本書にも云る如く。此時未だ天穗日命の。復命《カヘリゴトマヲ》さぬ程の事にて。此國の形勢を。慥に聞玉はざる上にては。然思慮りて。詔ひしものと見てあ(808)るべし。○殘賊強暴横惡之神。記の應神段に。知波夜夫流宇遲《チハヤブルウチ》【此紀には知破耶臂苔于泥《チハヤビトウヂ》とあり。】とあり。言義は。欽明紀に。嚴忌をイチハヤシ。又イツクシク。鎭火祭詞に。一速比《イチハヤビ》。倭比賣命世紀に。伊豆速布留《イツハヤブル》神【此を儀式帳には惡神とあり】とあり。然れば冠字考に。知波夜夫流は。稜威速夫流《イツハヤブル》の略なるよしに云れたるは。然る言にて。稜威|迅速《ハヤ》きを云なり。迅速きはするどき意。夫流は其さまを云詞にて。取統べて云へば。勢の烈しく。當りかたきを云辭なり。【宇遲は物部の事を。宇遲人といふ宇遲にて。畏れず懼ずして。敵に向ふ意の語なり。又宇遲速など云語もあり。又知波夜夫流宇遲と運けたるも。勇みいちはやびて。敵に向ひ勝つよしの。つゞけなる事を知べし。】守部云。此知波夜夫流を。紀に殘賊強暴横惡之神。紀に道速振荒振《チハヤブルアラブル》國神などあるは。【枕詞には非ず。其暴勢鬱を指て云るなり。】惡神の道速ぶる條なるから。其意を以て書れたる文字どもにこそあれ。此語意の。必しも然るにはあらず。そも/\此ちはやぶると云語は。靈《クスシ》く尊き稜威にまれ。仇なひ暴ふる猛威にまれ。そのちはやぶる勢に。向ひ雛く。當りがたきに就て云語なれば。然神につゞくるは。其|奇靈《クシビ》なる御|威徳《イキホヒ》を申し。惡神につゞくるは。其強暴猛勢をいふなり。其は天神地祇を。加微と申して畏むも。※[靈の巫が龍]狼虎などを。加微といひて恐るゝも。其恐れかしこむ意は同じかるが如し。又常に畏しおそろしなど云語も。善惡邪正。何れにもわたるにて知べしと云れたり。然る説なり。○汝先往平之。此傳には。穗日命の事はなくて。たゞに天稚彦を遣したる如く記したれど。略けるものなり。○天眞鹿兒矢は。鹿兒弓の鹿兒に同じく。鹿兒を射る矢の由なり。綏靖紀に。使3倭鍛冶天津眞浦《ヤマトカヌチアマツマウラヲシテ》造2眞※[鹿/弭]鏃《マカゴノヤサキヲ》1。といふことあり。○多娶は。重胤云。是其國を豫て獲てむと思ふ心有が故に。國神に多く親昵を成むとの。方便にて在つ(809)るにこそ。と云れたるも然る説なれども。古今顯注に引れたるには。多字无し。さらばなほ。大己貴命の御女を。國神女子と書れしなるべし。○問其不來之状は。記に天若日子久不2復奏1。又遣2曷(レノ)神1。以問2天若日子之|淹留《ヒサシクトヾマル》1。とある所に當れり。但し記の淹留は。其遣はしゝ國土に在る事の。久しき由を宣ひ。此なる不來は。其還參來べき。天上に上(リ)來ざる事を宣ひて。書(キ)状に少か別あり。
 
於v是從(ヒテ)2彼(ノ)神(ノ)謀(ニ)1。乃使(シテ)v雉(ヲ)往候《ユキテミシム》之。其(ノ)雉飛下(テ)居《ヰテ》2于天稚彦(ガ)門(ノ)前(ナル)湯津杜樹之|杪《コズヱニ》1。而鳴(テ)之曰(ク)。天稚彦何(ノ)故(ニ)八年之間《ヤトセノコロ》。未(タ)有復命《カヘリゴトマヲサヾル》。時(ニ)有2國神1號(ク)2天(ノ)探女《サグメト》1。見(テ)2其(ノ)雉(ヲ)1曰《イハク》。鳴聲|惡《アシキ》鳥|在《ヲリ》2此(ノ)樹(ノ)上《スヱニ》1。可v射《イコロシツ》之。天稚彦乃取(テ)2天神(ノ)所賜《タマヒシ》天(ノ)鹿兒弓天眞鹿兒矢(ヲ)1。便(チ)射《イコロシツ》之。則矢|達《トホリテ》2雉(ノ)胸(ヨリ)1。遂(ニ)至(ル)2天神(ノ)所處《ミモトニ》1。時(ニ)天神|見《ミソナハシ》2其矢(ヲ)1曰《ノタマハク》。此(レ)昔《イニシサキ》我(ガ)賜(ヒシ)2天稚彦(ニ)1之矢(ナリ)也。今何(ニノ)故(ニ)來《キツラムトノタマヒテ》乃取(テ)v矢(ヲ)而|咒《トゴヒテ・ホギテ》之曰(ク)。若(シ)以2惡《キタナキ》心(ヲ)1射者《イツルナラバ》。則天稚彦必(ズ)當遭害《マジコレナム》。若(シ)以2平《キヨキ》心(ヲ)1射者。則|當無恙《サキクアラムト・ツヽミナケム》。因(テ)還投《カヘシステタマフ》之。即其矢落下(リテ)中《タチヌ》2于天稚彦之高胸(ニ)1。因以(テ)立(ドコロニ)死(ヌ)。此世人所謂返矢|可《ベシトイフ》v畏《オソル》之縁也。
 
(810)候を。ミシムと訓るは。令《シム》v見《ミ》なり。【古言の例なり。此を私記又塙本には。ウカヾハシムAとも訓たり。】○鳴之曰。神武紀に兄磯城《エシキ》不v承v命(ヲ)。更遣2頭八咫烏《ヤタガラスヲ》1召v之。時鳥到2其營1而鳴之曰。天神(ノ)子召v汝(ヲ)。怡弉過《イザワ》怡弉過。兄磯城忿之曰。云々烏鳥(ノ)若v此惡(ク)鳴(ヤ)耶。とあるにいとよく似たり。【雄略紀に。靈鳥忽來云々。鳴曰|努力《ユメ》努力ともあり。】重胤云。此は烏の語なるが故に。此なるにも。頭八咫烏にも。鳴とこそは云(ヘ)れ。實には人語を以て。傳へたりし者なり。此所を記には。故爾(ニ)鳴女《ナキメ》自v天降來2天稚彦之門|湯津楓《ユツカツラノ》上(ニ)1而。言3委曲(ニ)如2天神之詔命(ノ)1。と見え。次に爾天佐具賣聞2此鳥(ノ)言1とある。此を以。其人語を成せりし事を知べし。【然れども。鳥にして人語を成せるは。其常に非るが故に。次に天若日子に云所には。此鳥者其鳴音甚惡と有て。此に鳴之曰と云に同じ。】と云れたり。平田翁云。記(ニ)大國主命段に。菟の言語へるを始め。谷蟆鼠なども。言語したることあり。猶神世に然る類の多かるを。人の甚く不審《イブカシ》み思ふめるは。幽顯の理を。熟悟り得ざる故なり。其はまづ鳥獣萬物は。元より深き所以ありと見えて。神に屬《ツ》く物にしあれば。幽顯いまだ分れざりし。大國主神の御世までは。悉く神に物申しけむは。然もあるべき事なり。然るを天(ツ)皇祖《ミオヤ》神等の御命以て。皇孫命は顯明事を知看し。大國主命は幽冥事を知看すことゝ定まりて後。物等は顯に形こそ見ゆれ。實は幽に屬ぬる故に。顯世人には。言語はず成にしかば。神世に物の言語へる故事を。疑ふことゝは成つるなり。然れば今世にも時としては。人の夢に入りて。言語ふ事あり。其は夢には。神の幽に通ふことあればなり。又物も人(ノ)形と變りては。人の言語をなし。神も物の形と變りては。言語はず。其だけの力となる事もいと多かり。此ら怪しきが中に。もとも奇異なる事なるが。幽には定ある事なるべけ(811)れど。凡人の心もては。其理を如何とも。探り索むべき由なし。と言れたるにて。雉の物言へる状をも思べし。○國神。此事本書(ノ)下に云り。○鳴聲惡鳥。記に鳴音甚惡。とあり。【本書には。奇(キ)鳥來居2杜杪1とあり。】記傳云。阿志とは。不祥の意に云るなるべし。それに取て。又二意に聞ゆ。一(ツ)には詞の如く。たゞ鳴音を不詳《アシ》と云か。二には鳥なる故に。鳴音とは云れども。實は言ことの趣を。天若日子が爲に不祥《アシキ》ことなり。と云るかと云り。今思ふに後の説の意にみるべし。【この惡字。丹鶴本にはサガナキとよめり。これも不祥の義なり。】○可射殺之。本に殺字なきは。脱たるべし。舊事紀にあるに依て補べし。○天神所處。この天神は。天照大神を申すにや。【文のさま。しか通ゆるがごとし。】記には。天照大御神|高木《タカギノ》神之|御所《ミモト》とあり。【高木神は。高皇産靈尊の一(ノ)御名なり。】○呪之は。本にホギテと訓り。【丹鶴本永享本は。ネギテともよめり。】言義は。重胤云。欽明紀に。廷尉|收3縛《トラヘ》其子|守石《モリシト》與(ヲ)2中瀬氷《ナカセヒ》1。將(ニ)投2火(ノ)中1。咒《カジリテ・ホザキテ》曰。非2吾手投(ニ)1。咒《カジリ》訖(テ)欲v投v火。云々請付2祝人《カジリヒト・ハフリ》1。使v作2神奴1云々。と有るに。廷尉の人を刑なふにも。祝人を以て。咒《カジリ》を行はしむる事と聞ゆるが。其咒字をも。カジリとも。ホザキとも訓るを見て。此に咒之を保岐※[氏/一]と訓るは。ホザキの略なる事を知るべし。其言義は。神祝々之の下に注る如く。ホザク。ホク。共に善きにも惡しきにも。通はし云言にて。何れも祈る意あり。また直指に。咒は口中に唱へて。善惡を祈るなりと云れば。ネギテと有も。理有に似たり。と云れたり。記傳には此をトコヒと訓れたる。其も惡からじ。其言の例は。次の一書に。磐長姫大慙(テ)而|詛《トコヒ》之。とある處に云べし。○以惡心。記傳云。此は天神の命に背き奉りて。賊害ふ心を云り。御所へ矢を射上たればなり。○當遭害。御門祭詞に。(812)天能|麻我都比登云神乃《マガツヒトイフカミノ》。言武惡事爾《イハムマガゴトニ》。相麻自許利相口會《アヒマジコリアヒクチアフ》云々。とある麻自許利に。同言同意なり。道饗祭詞には。相率《アヒマジコリ》と作り。言(ノ)意は交凝《マジコリ》なりと。重胤も云れたる如く。此は常に交るなど云ふ如く。平かなる意にはあらず。今俗に邪道に率《イザナ》はるゝを。麻自久良流《マジクラル》と云に同じ。三代實録に。神の御咎有る事を。布之許利《フジコリ》賜とあり。此等の許利は同言にて。怒(リ)を俗に於古留《オコル》と云に等しく。少か惡しき方に落るに云なり。さて麻自許禮奈牟《マジコレナム》は。被《レ》2麻自許良1奈牟なり。記に於2此(ノ)矢1麻賀禮とあるに同く。共に令する辭なり。この還(シ)投(ゲ)給ふ矢にあたりて。立に死るは。即ち其矢の爲に麻自許らるゝなり。谷重遠説に。當遭害(ハ)見2厭殺1也と云り。然る説なり。【記傳に。咒は俗にいはゆる麻自那布なれば。麻自許流はまじなはるゝなり。凶くまじなふを。俗にまじくると云も是なり。さればかの當遭害も。此麻賀禮とは。言は別なれども。末は一意におつめり。故當遭害と。書れたる字は。麻賀禮によく當れり。と云へり。】○當無恙。記に天若日子不v誤v命。爲《タリシ》v射2惡(ル)神(ヲ)1之矢之至(ナラバ)者。不v中2天若日子(ニ)1。云々とあり。【また私記の訓に據て。當無恙をツヽミナケムと訓も宜し。續紀に幸久都々牟事無久。萬葉に都々美奈久などあり。何事にもあれ。わろき事のあるをいふ。此言の義は。大祓詞後釋に云れたるを見るべし。】○高胸。記に高胸坂とあり。
 
時天稚彦之|妻子《メコドモ》從v天|降來《クダリテ》。將《モテ》v柩《カバネヲ》上(リ)2去《ユキテ》而於天(ニ)1。作(リテ)2喪屋(ヲ)1殯哭《モガリシナク》之。先v是(ヨリ)天稚彦|與《ト》2味耜高彦根神1友善《ウルハシ》。故(レ)味耜高彦根神登(テ)v天(ニ)吊(ヒテ)v喪(ヲ)大(キニ)臨焉《ミナキス》。時此神(ノ)形貎《カタチ》《オノヅカラ》與2天稚彦1恰然相似《ヒトシクアヒノレリ》。故天稚彦妻子等見(テ)而喜(テ)之曰。吾(カ)君《シナキハ》(813)在(ト)。則|攀2持《トリカヽリテ》衣帶(ニ)1不v可2排(シ)離(ツ)1。時味耜高彦根神忿(テ)曰。朋友|喪亡《ウセタリトキヽテ》故吾(レ)即來|吊《トブラフ》。如何(ニゾ)誤(マテル)2死人(ヲ)於我(ニ)1耶《ヤトイヒテ》。乃拔(テ)2十握劒(ヲ)1斫(リ)2倒(ス)喪屋(ヲ)1。其屋墮(テ)而成v山(ト)。此則美濃(ノ)國(ノ)喪山是也。世人|惡《イム》d以2死者(ヲ)1誤(ツコトヲ)uv己(ニ)。此其縁也。時味耜高彦根神|光儀華艶《テリウルハシクシテ》《テリカヾヤク》2于二(ツノ)丘《ヲ》二(ノ)谷之間(ニ)1。故(レ)喪(ニ)會(ヘル)者《ヒト》歌之曰《ウタヨミシテイハク》。或(ハ)云(ク)。味耜高彦根神之|妹《イロモ》下照媛。欲《オモフガ》v令(メムト)d衆《ツドヘル》人(ニ)知《シラ》c映《テリカヾヤク》2丘谷(ニ)1者。是(レ)味耜高彦根神(ナリト)u。故歌之曰《ウタヨミシテイハク》
 
從天降來。本書と異なり。記には。在(ル)v天天若日子之父。天津國玉神。及其妻子聞而。降來哭悲。乃於2其處1作2喪屋1。とあるは似たれど。喪屋を作り亡は。此國にての事なれば。なほ異なり。○柩。【本にカバネと訓るは。本書に擧v尸とあるに同じ。】紀《キ》とも訓べし。記傳云。和名抄に。四聲字苑云。棺所2以盛1v屍也。和名比止岐。また野王云。槨(ハ)周(ラス)v棺(ニ)者也。和名於保土古とあり。此棺も槨も。共に上代には比登記は云。【於富登許と云は。やゝ後の名と聞ゆ。又比都岐と云は。比登紀の轉れるなり。又柩をもヒツギと訓り。柩とは棺に屍を納めたるを云。】又常に紀とのみも云り。景行卷に棺棺《ミキ・ヒツギ》。孝徳卷に棺槨《キ》。また棺《キ》などあり。【同卷に轜車《キグルマ》とあるも。柩《キ》車の謂なり。轜字喪車と注す。】紀は奥津城などの城にて。屍を藏むる搆を云。【奥津城は。萬葉に多く見えて。人を葬せる處を云。天智紀に丘墓《オクツキ》とあり。奥とは地下を云ふなり。】比登紀とは。人(ノ)屍を納るゝ故に云なり。と云り。○先是云々。山蔭に。これより此其縁也といふまでの事。本書と全く同じ。略きて云々として宜し。と云れたるが如し。○大臨。臨は哭也とも。俯(814)v屍哭也ともあるに依て。舊くミナキスとよめるなるべし。【丹鶴本に。大にミネスと訓るもかなへり。】さて然訓るは。記傳云。欽明卷に。奉2哀《ミネタテマツル》於殯1。孝徳卷に哀哭。天武卷に擧哀。とあるなど。又發哀。【齊明天武持統卷】發哭。【天武卷】慟哭【持統卷】など。みな美泥多弖麻都流と訓。又皇極卷に許2哭泣《ネツカヘスルコト》1。天武卷に發哀など。これら泥都加閇《ネツカヘ》。泥都加布と訓る。泥《ネ》は喪を悲哀て哭(ク)を云て。美泥は視哭《ミネ》なり。其|殯葬《アガリハフリ》などのさまを視て。哭よしなり。神代卷に。臨を美那伎と訓ると。合せて心得べし。と云はれたるにて知べし。既く谷重遠も。臨者親(ラ)見(テ)哭之也。と云り。○恰然。本に恰を拾に作るは誤なり。纂疏本また其餘の本に從て改む。さて訓にヒトシクとあれど。ヒトシク似タリとては。同音重なりていかゞなり。アタカモと訓べし。萬葉十九に。安多可毛似加《アタカモニルカ》。青蓋《アヲキキヌガサ》。とあり。古言なり。【名義抄に。恰。用心也。勤也。アタカモ又ネムゴロと見え。遊仙窟注に。恰。當也と云ひ。字書に用心也。又適當之辭と見え、又名義抄に。宛字をアタカモ又カタチ又アタルなどあるが如く。物に引當て云る辭なり。】さて似は。紀中ノレリとも。タウハレリとも訓めり。ノレリはニレリと云も同じ。似ルをナスとも。ニスとも。ノスとも云ひ。またノルとも。ノレリとも。活けるなり。○朋友。此處永享本に聞2朋友喪亡1故。とあり。【延喜本には。聞を用に誤れり。】其ぞよろしかるべき。故今は其に據て訓り。○光儀華艶。本に華を花に作る。山蔭に。一本華とある宜し。と云るに依て改む。【古寫本どもにも。しか作れり】さて此光儀を。私記に非加利與曾乎比《ヒカリヨソヲヒ》と訓るに據ば。味耜高彦根神の。御装束の麗しきを云と。見べきなれども。いかなる麗美しき玉を以て。外に装束たらむにも。其身體より。韻《ニホヒ》出る光のなくしては。二丘二谷を。爭てかは照させ玉はむ。然れば古今集序に。兄人《セウト》の神の形。丘谷に映りて光《カヾ》やくと云義なることは。(815)本よりなり。○二丘二谷は。平田翁云。記に谿八谷峽八尾。とあると同例にて。丘二尾《ヲフタヲ》。谷二谿《タニフタタニ》をいふとあり。【古く此四字を。ヲフタツ。タニフタツ。とも訓り。】重胤云。上章の。八岐大蛇の事を。蔓2延八丘八谷之間(ニ)1。と有が如く。其所在の山を以て。大凡に量《ハカ》れる古法なるが中に。殊にこゝは。歌の句に依て文を成せるなり。と云り。○映は。本にテリカヾヤク。と訓れども。又鎌倉本秘閣本(ノ)訓に依て。テリワタルとも訓べし。歌に美多邇布多和多良須。とよめる即是なり。平田翁云。喪を弔ひて。天に昇給ふも。今忿て飛去玉ふも。共に御魂の進める時なれば。かく光(リ)映(キ)玉ふなり。凡て貴き神等の。御魂の進み玉ふ時に。御體の光(リ)玉ふことあり。と云り。○或云。此は一書中の一説なり。記云。故(レ)阿治志貴高日子根神者。忿而飛去之時。其伊呂妹高此賣命。思v顯2其御名(ヲ)1故歌曰。とあり。記傳云。思v顯2其御名(ヲ)1とは。此喪に會集る。天若日子の父。又妻子親屬は。皆天より降れる神等なれば。此阿遲志貴神をば見知(ラ)ざるに。かく怒りて。遂に名告をもせずて。飛去給ひぬる故に。誰しの神とも不v被v知て。止なむ事の遺恨《クチヲシ》さに。御名を令v知むと思せるなり。伊呂妹の心には。誠にさも有ぬべき物ぞ。と云れたり。○妹。本にはイロトと訓(メ)れども。紀に伊呂妹とあるに因て訓べし。記傳云。伊呂妹は同母妹を云なり。【中略】同母兄弟の間にては。勢を伊呂勢《イロセ》。阿泥を伊呂泥《イロネ》。【阿泥の阿を省きて泥と云なり。例は黒田宮段に居呂泥とありて。書紀に某姉と書れたり。さて泥と云は。もとは男女にわたる稱にて。男名にも負り。然るを。阿泥の阿を省きて。同母姉をも伊呂泥と云なり。○武郷云。男兄をもイロネと云ること。紀訓に見えたり。さらば伊呂泥の泥は。阿泥の泥を省るには非らじ。阿泥は吾姉の義なるべし。】淤登《オト》を伊呂杼《イロト》【淤登の淤を省きて。杼と云なり。濁るは。伊呂より連く音便なり。例は黒田宮段に。伊呂杼とあり。又記中に伊呂弟とあり。】とも常に云り。此等に准ふるに。同母兄に對へて。女弟をば伊呂毛と云けんこと决し。(816)さて伊呂とは。人を親み愛みて云る言にて。某入彦某入姫と申す。御名の伊理。又|郎子《イラツコ》郎女《イラツメ》なとの伊良も。皆同言の活用にて。同意なり。同母兄弟を。伊呂勢。伊呂杼。伊呂妹。母を伊呂波。と云も。【伊呂波は。伊呂波々なり。】親み愛みて云稱ぞかし。と云り。○姫。本に媛に作る。今文明本丹鶴本に依て改む。○丘谷。又云。袁加は高(キ)處を袁《ヲ》と云に。加を添たる名にて。加は。すみか。ありか。などの加と同く。處と云意なり。されば丘字など袁《ヲ》にも袁加《ヲカ》にも。通はし用たり。とあり。【なほ上卷八丘八谷の下に。云る事ども。見合(ス)べし。】
 
2 阿妹奈屡夜《アメナルヤ》。乙登多奈婆多廼《オトタナバタノ》。※[さんずい+于]奈餓勢屡《ウナガセル》。多磨廼彌素磨屡廼《タマノミスマルノ》。阿奈陀磨波夜《アナタマハヤ》。彌多爾輔※[木+施の旁]和※[木+施の旁]邏須《ミタニフタワタラス》。阿泥素企多伽避顧禰《アヂスキタカヒコネ》
 
阿妹奈屡夜は。天(ニ)在《アル》にて。夜は助辭なり。【平田翁云。師も久老も。天若日子の喪を。古事記にては。此國にての事とし。紀には天上にての事とすれど。天上にして。更にあめなるやとは云べきに非ねば。此國にての事とせる傳や正しからむ。と言れつれど。天上ならむからに。天在哉とは。などか言ざらむ。况て下照姫は。下津國の神なるが。今始て昇ませるなれば。下津國にて。常に云ならへるまゝに。詠るとせむに。何でふことかあらむ。】守部云。機織女は。此國にもあれど。特に美麗なるをいはむとて。天在也とは云なり。とあり。○乙登多奈婆多廼は。弟棚機之なり。守部云。乙登は若と云むが如し。古く弟橘比賣。弟財郎女。など稱せるを始め。催馬樂に。於止牟須米。於止與女。などあるを。あまた合せ考るに。たゞ若某と云と同心ばへの稱辭なり。下の連きにより。又人によりて。若某とも。弟某とも云るにぞある。神御名にあるをも合するに。(817)姉妹の弟にはあらず。と云り。【按に於登は。伊登と通ふ言にはあらざるか。伊登は親しむ詞なり。】棚機は。記傳に。機織《ハタオル》女を云。そば先古語拾遺に。令3天棚機姫神織2神衣1と見え。又萬葉の歌に。棚機津女とも。棚機ともよめる。此は本。棚機と云は機《ハタ》の事にて。【機の構《カマヘ》は。棚なる故に。然云ふなり。】其を織(ル)神なる故に。棚機姫と名にも負給ひ。又凡て機織女を。古より棚機津女と云しに依て。歌に彼織女星をも。然賦るなり。然れば棚機とは機織女《ハタオリメ》を云稱なり。さて棚機津女と云を略て。たゞ棚機と舌も。古よりさる例多し。さて此に機織(ル)美女を先出せるは。次に玉の美麗を云む料なり。さるは上代には。凡て玉を以て。身に飾れる中にも。機織女のことをば。殊に神代卷にも。手玉玲瓏織※[糸+壬]之少女《タダマモユラニハタオルヲトメ》。萬葉十にも。足玉母手珠毛由良爾織旗乎《アシダマモタダマモユラニオルハタヲ》などあり。其は何故ぞと云に。萬の作業をなすに。聲をあげ。歌をうたひなどして。勞力を助くる如く。機を織るにも。身に飾れる玉どもの。玲瓏と鳴を。拍子に取れるなり。萬葉十九に。鳴波多※[女+感]嬬《ナルハタヲトメ》とあるも。鳴機の意の稱なるべし。さて玉の美麗を云む料に。先其女の可愛き由に。淤登といひ。又凡て人も物も。天上のは優れて美麗き故に。天在也とも置るなり。と云り。○※[さんずい+于]奈餓勢屡は。所嬰なり。上卷に。其頸(ニ)所嬰《ウナゲル》五百箇御統之瓊云々。【口訣に嬰珮也とあり。】守部云。項《ウナジ》に懸るを。宇那具と云は。鬘《カツラ》に懸るを。加豆良具と云と。同じ云状なるを延て。宇那牙流とも。又宇那賀世流とも云り。宇那は。和名抄に。項(ハ)頸後也。和名宇奈之とある是なり。○多磨廼彌素磨屡廼。玉之御統之なり。記には。多麻能美須麻流。美須麻流邇。と重ねいへり。記傳云。凡て歌ふ物は。同じことを。再返しもし。又かく聯(ケ)て疊《カサネ》もするは。昔も今も同(818)じ事なり。信に此歌なども。かく疊《カサ》ねたるにてこそ。調は宜しけれ。書紀には。第四句の終に。廼(ノ)字添りて。此句のなきは。同言なる故に。誤て美須麻流の四字を脱せるなり。濱成式と云物にも。他麻能美須麻呂。美須麻呂能。とあり。さて邇は八坂瓊などの瓊なり。書紀には廼とある。何れにても宜しき中に。廼の方は今少し勝りて聞ゆ。とあり。○阿奈陀磨波夜は。穴玉光映《アナタマハヤ》なり。記傳云。玉は穴を穿ちて。緒を通す物なれば。穴玉といふと。契冲も云る。信にさる言なり。【武郷云。守部説に。此に穴玉としも云るは。貫《ヌキ》統たる玉なるを以なり。豐玉毘賣命御歌に。阿加陀麻波。袁佐閇比迦禮杼。斯良多麻能。とある如く。貫て懸たる玉とも。玲瓏ばかり映くよしなり。と云るは。然る言なり。】さて波夜は。光映《ハエ》にて照耀くをいふなり。書紀に。速玉之男。式に熊野早玉神社。又陸奥國志太郡敷玉早御玉神社あり。これらも皆映玉の意なるを思へ。又書紀に見えたる。羽明玉の羽も。映《ハエ》の意なるべし。又萬葉十七に。多麻波夜須と云言もある。是も玉|映《ハヤス》といふ言ぞ。【由を延て夜須と云は。古言の格なり。】偖此句は。穴玉の如く。光映てと云意なり。【譬る物を云て。如くと云言を添て心得は。常の事なり。】此波夜てふ言は。一首の眼なり。是を惡く心得ては。凡て歌の意明かならず。よく味ふべし。と云り。○彌多爾。記傳云。三言一句なり。契冲云。眞谷なり。萬葉集に。眞草をみくさ。三熊野を眞熊野。ともよめるは。麻と美と通音なる故なり。然れば。美山も眞山の意なるべければ。美多邇も准へて知べし。と云り。○輔※[木+施の旁]和※[木+施の旁]邏須。記傳云。同人云二亘なり。和多流を古語には。和多良須ともいへり。此二句は。阿遲志貴神の。身の光の。一谷を越て。二谷まで照至るを云。即書紀に。光儀華艶映2于二丘二谷1。とある是なり。【谷は丘の間にある物なれば。谷二といへば。其中に二丘はこもれる故に。即二丘二谷なり。】○阿泥素企多伽避顧禰は。味耜高彦根な(819)り。一首の意は。天なる愛《ウルハ》しき機織女の。頸に嬰たる。美麗(キ)玉の如くに。光り映て。二谷まで照わたる味耜高彦根と云意なり。記には。結句阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也。ともあり。【濱成式には。多伽比古泥の句なくして。阿遲須岐能可味と結めてあり。】此は記傳に。美多邇。布多和多良須にて。語を絶《キリ》て心得べし。此句までは。我も人も皆目(ノ)前《アタリ》見たる状を云るにて。次は。是は阿遲志貴神ぞと。言聞せたる意なればなり。書紀の傳は。喪會者の作(ル)にて。阿治志貴神と云ことは。本より誰もみな知れる上にて。よめるさまなれば。此終(ノ)二句の意。此記と同じからず。神武段歌の。美都々々斯。久米能古良。といふ類に。美多邇云々より。引つぎたる意なり。故とぢめに曾也てふ辭なし。但し或(ハ)云云の傳は。此記と全く同じければ。曾也は無くても。歌の意も此記と同意になるなり。と云れたるが如し。
 
又|歌之《ウタヨミシテ》曰(ク)。3 阿磨佐箇屡《アマザカル》。避奈菟謎廼《ヒナツメノ》。以和多邏素西渡《イワタラスセト》。以嗣箇播箇※[木+施の旁]輔智《イシカハカタブチ》。箇※[木+施の旁]輔智爾《カタブチニ》。阿彌播利和※[木+施の旁]嗣《アミハリワタシ》。妹慮豫嗣爾《メロヨシニ》。豫嗣豫利據禰《ヨシヨリコネ》。以嗣箇播箇※[木+施の旁]輔智《イシカハカタブチ》。此(ノ)兩首歌辭《フタウタハ》。今|號《ナヅク》2夷曲《ヒナブリト》1。
 
又歌之曰。此歌は口訣に。此歌不2喪時1。以2後詠1v之。擧2一所1乎。とあるはさることなり。されど後詠v之とは。なほ下照姫の歌とせし注にや。おぼつかなし。此時の事ならぬ事は。下に委く云り。下照(820)姫の歌ならぬ事も。下に云るを見よ。○阿磨佐箇屡。天放るにて。日とつゞきて。夷に云かけたる枕詞なり。或人云。凡其|離《サカル》と云詞に。其處に離る意なると。其處を離る意なるとの異あり。家放里放離(ル)などゝ云は。家を放り。國を離る意なり。夷離奥離など云は。夷に離り。奥に離る意なり。かゝれば天離も天に離る意にて。天に離る日の義なり。と云り。冠字考には。都かたよりひなの國をのぞめば。天と共に遠放(リ)て。見ゆるよしにて。天離るとは冠らせたりと云り。按に日故方《ヒサカタ》の天と云つゞけより思へば。或人の説まされり。○避奈菟謎廼。夷《ヒナツ》女之なり。守郎云。避奈は萬葉に。隔《ヘタツ》を閇奈流と多くよめる。其閇を比に轉じて。體言に比奈とは云なり。と云り。さて上の句よりつゞく意は。避奈の避に懸りて。天放(ル)日の義なり。さるは天つ日を見わたすに。空遠く疎れるよしの續けなることは。日故方《ヒサカタノ》天と云ると。反さまなり。さて夷つ女は。都に遠き處の。賤しき女なり。○以和多邏素西渡。渡良須瀬門にて。伊は冠《ソハリ》たる語。渡るを延て渡らすと云り。萬葉九に。大橋之上|從《ユ》。直獨《タヾヒトリ》。伊渡爲兒者《イワタラスコハ》。云々とあり。瀬門の門は。水門。河門などの門にて。萬葉十六。室之浦之《ムロノウラノ》。湍門之崎有《セトノサキナル》。鳴島之云々。また角島之《ツヌシマノ》。迫門乃稚海藻者《セトノワカメハ》。云々とあるに同じ。○以嗣箇播。石川にて。石多き川なり。○箇〓輔智。片淵なり。契冲云。石ある川水の早きが。片寄て流るゝ所には。必片淵の出來るなり。と云り。○箇〓輔智爾。於2片淵1なり。かく重ねて云は。多麻能美須麻流。美須麻流邇。とも云如く。調のためなり。○阿彌播利和〓嗣。網張渡しなり。【網は漁網を云】○妹盧豫嗣爾。目依爾《メロヨシニ》なり。目は網の目。盧は助辭。(821)豫嗣爾は依になり。古語には依を豫嗣と云ること。萬葉九に。妻杜《ツマノモリ》。妻依來西尼《ツマヨシコセネ》。つまといひながら十四に都麻余之許西禰《ツマヨシコセネ》。あさ手小衾。又一に不知國《シラヌクニ》。依巨勢道從《ヨシコセヂヨリ》。など例あり。【守部云。東國の偏土の俗は。物の孔。又罟(ノ)目。籠(ノ)目等を。妹盧といひ。又依(セ)と云係(リ)の處をも。豫嗣とやうに。いふめりと云り。】さて是までの八句は。次の豫嗣豫利據禰。といはむ序ながら。設けたるにはあらず。見る目(ノ)前の物以て。其まゝ云る物なり。偖川の流に。網を張渡せば。流るゝ水に壓れて。網(ノ)目の一に寄る物なれば。其夷女の。石川を渡り行くを。此方に寄來らせと。乞願ふ序に置るなれば。如2目之縁1の如くに。心得べし。○豫嗣豫利據禰。依寄來禰にて。禰は乞望ふ意なり。【右に引る、萬葉の妻依來西尼の。來西尼も。乞望ふ意にて。もはらおなじ。】○以嗣箇播 句 簡※[木+施の旁]輔智。上の句を再打返したるにて。古歌に常多し。かくて其心いよ/\深くきこゆる事。今世の俗歌などにも。此遺風あり。さて一首の意は。夷女の渡る石川の迫門に。魚をとるとて。網を張て。其を引あぐるとき。網の目の引人の方へ寄來る如くに。思ふ人の。片よりに吾方へ依來よかし。と云る義なり。さるはこゝに。さらに由なき戀の歌なり。【此事次に云。】○此兩首云々號夷曲。記に此歌者夷振也とあり。兩字永享本に二とあり。從ふべし。【下にも贈答二首とあり】通證云。夷曲因2歌曲節奏1名v之。非d謂2其體製(ヲ)1者u。此後人所v呼之題號。故記者以2今字1明2其意(ヲ)1耳。と云るは。古今發明の説なるが。猶又記傳云。凡て歌を記して。此者某振也。また某歌也と云ること。記中に多し。その某振とあるは。此夷振の外に。記中に宮人振《ミヤヒトブリ》天田《アマタ》振あり。續紀天平六年二月歌垣の中に。難波曲《ナニハブリ》。倭部《ヤマトベ》曲。淺茅原《アサヂハラ》曲。廣瀬《ヒロセ》曲。八裳刺《ヤツモサス》曲。など云名あり。古今集大歌所歌に。近江ぶり。水莖ぶり。四極山(822)ぶりあり。さてかく某振某歌といふは。皆後に樂府にて呼る名なり。【雅樂寮。大歌所。樂所。内教坊などの類。皆樂府と云べし。上代にもさる官所ありしなり。】抑紀紀などに載れる歌は。何れも上代の多くの歌の中にも。優れて美き限なれば。多くは樂府にも取られて。管絃にかけ。※[人偏+舞]にもあはせて。奏歌ともなり。其中に某振と呼は。まづ振とは。俗に云|形状《ナリ》進止《フリ》の布理にて。人にまれ。物にまれ。動く貌を云て。歌にては。奏ふ音聲の。長短巨細低昂などの貌なり。さて樂府に用る歌は。奏ふに種々の振ある故に。其振々に各名を付て。某振とは云なり。但し其名は。其坂を以|負《ツケ》たるものにはあらず。たゞ其歌の首の詞を取て。假に名けたるものなり。かの宮人振天田振。又古今集なるなどみな然なり。考へ見るべし。さればかの續紀に名のみ出たる。難波曲其餘もみな。おしはかりつべし。然るを今此阿米那流夜の歌には。比那てふ言なきに。夷振と名けしは。如何と云に。紀にこゝに二者並べる。次歌の首に。阿磨佐箇屡。避奈菟謎廼。とある此避奈てふ言を取れり。【初句は。枕詞なる故に。次句を取れるならん。】さるは阿米那流夜の歌も。奏ふ振の。彼と全同じき故に。樂府にて一つ部に收めて。其に夷振と呼しなり。其は此歌のみならず。遠飛鳥朝段にも。夷之|上《アゲ》歌。又夷振之|片《カタ》下と云あり。此らの歌にも。比那てふ言は無きに然呼は。みな右の定なり。神樂歌に前張《サイバリ》と云は。前榛《サイハリ》に衣は染む。云々といふ歌一曲の名なるを。他の歌をもかけて。十六曲の惣名にして。大前張小前張と呼をも。思ひ合すへし。此も其と全同じきをや。前にも云る如く。凡て某振と云は。みな其振々を分む料の。假の名なれば。振だに同じ歌ならむには。幾首にても。合せて一(ツ)名を呼むこと。本(823)より然るべきわざなり。右の前張も然なり。さて又紀に。かの避奈菟謎廼と云歌をも。此に載られたるは誤なり。かの歌は。別に上代の戀歌にて。此にはさらに由線縁なし。彼歌を此に載られたるは。彼歌を樂府にて。阿米那流夜の歌と並べて。共に夷振なる故に。同時の作と爲る傳もありしにや。【されど其は誤にて。記に彼歌は无きぞ。正しき傳なりける。】然れば。天なるやの歌を。夷振と云(フ)は。ひなつめの歌に引れたる名。ひなつめの歌の。此に載れるは。天なるやの歌に引れて。出たる物と心得る時は。萬の疑は晴ぬべし。と云れたる。此又然る説なり。
 
既而天照大神。以2思兼(ノ)神(ノ)妹《イロモ》萬幡豐秋津媛命(ヲ)1。配《アハセテ》2正哉吾勝々速日天忍穗耳(ノ)尊(ニ)1爲《シテ》v妃《ミメト》。令《シム》v降《アマクダリマサ》2之於葦原中國(ニ)1。是時勝速日天忍穗耳尊。立《タヽシテ》2于天浮橋(ニ)1。而|臨睨《ホセリテ》之|曰《ノタマハク》。彼(ノ)地未平《クニハサヤゲリ》矣。不須也頗傾也凶目《イナカブシシコメ》《キ・キタナキ》之國|歟《カモトノタマヒテ》。乃更(ニ)還登(リテ)具(サニ)陳(シタマフ)2不(ル)v降《アマクダリマサ》之|状《カタチヲ》1。
 
眈而。こゝは上に。天稚彦國平に降りながら。大神に背き奉りて。八年經まで。報命まをさず。天神の御罸に因て。死にし事見えたれば。葦原中國は。未(ダ)言向給はざるを。忽こゝに。既而天照大神云々。令v降2之於葦原中國1とあるは。如何なり。故熟考るに。此一書は。文の前後になれるにて。决く誤あ(824)るものと見えたり。今其を置替て心得むには。此一段を一書曰の下に轉して。一書曰。天照大神以2思兼神妹云々1爲v妃。令v降2之於葦原中國1。是時勝速日天忍穗耳尊云々。乃更還登具陳2不v降之状1。とありて。上の天照大神勅2天稚彦1曰。豐葦原中國云々。今號2夷曲(ト)1といふまでの文を。此間に入(レ)。さて次なる故天照大神復遣2武甕槌神及經津主神1云々と爲べし。もとかゝるさまの文なりしなるべし。然見ざれば。こゝに既而とあるが。叶はざるのみならず。以2思兼神妹1云々爲v妃。とあるも。此時の事としては。如何なり。【本書の趣を見て考ふべし。】また忍穗耳尊の。彼地未平と詔へるも。此時としては。更に叶はず。其は上に有2殘賊強暴構惡之神1。と詔へるのみにて。未(ダ)言向給はざる程の事なれば。忍穗耳尊を降し玉ふも。如何なるに。その尊の即て彼地未平と詔へるは。天浮橋に立て。臨睨たまふ迄もなく。本來《モトヨリ》知られたる事なるをや。猶此餘にも。合はぬ事多かるは。左右に文の混錯りしこと灼然し。【既くかく論ひ置けるに。後に葦牙を見しかば。同じ樣の考なりき。】○思兼神妹。思兼神は。高皇産靈尊兒と。一書にあれば。此傳も。高皇産靈尊の女といふ傳なること。本書又記と同じ。○萬幡豐秋津姫命。本書に。栲幡千々姫とある同神なり。記には。萬幡豐秋津師比賣とあり。名義。萬は記傳に。宜てふ言は。物の足備はれるを云ふ。與呂都與呂比なども。此より別れたる言なりとある。此に依て思ふに。此も數の萬の意には非で。不足ぬ事无くて。美麗しく織整へたる布帛といふ意に。萬幡とは云なり。と云れき。この事既に本書の下に云り。秋津は。記傳云。萬葉三に秋津羽之袖《アキツハノソデ》。十に秋都葉爾々寶敝流衣《アキツハニニホヘルコロモ》。十三に蜻蛉巾《アキツヒレ》などある如く。蜻蛉の羽の如く。(825)薄《ウス》く細精き帛布を云なりと云り。○臨睨。舊くホゼリと訓るによれり。直指に。臨睨は上より見下すを云。強見るをホセルと云ふと云り。神武紀三十一年に。睨《オセリ》2是郷1とあるを。廻2望《ヲホセテ》國状1とあり。於と袁と。片假字の違あり。景行紀には望拜《オホセテ》とあり。依て重胤は。オホホゼリテの略なるべし。と云り。【平田翁云。今俗に。人の隱す事などを探露すを。ホセルと云は。是なるべしと云り。】○未平。記に伊多久佐夜藝弖有祁里とあり。記傳云。書紀に聞喧擾之響と書て。此云2任椰霓利《サタゲリ》1とあり。又記の伊須氣余理比賣命の御歌に。加是布加牟登曾。許能波佐夜牙流。【武郷云。なほ例を數多出されたり。】などある如く。物の音の喧しく。さわがしき事なりと云り。○不須也頗傾也。本に頗傾の下に也字なし。延喜本。文明本。纂疏本。見林本等にあり。下の注にもあれば。こゝは脱たること著し。今補つ。伊那は否なり。加夫斯は。紀八千矛神の御歌に。宇那加夫斯とある。加夫斯と同く。傾にて。御頭を傾けて。否と所思せる状なり。今世人も否と云には。必頭を振傾る事ある。其を頭振《カブリフル》といふ是なり。俗に物の下より。上の勝て傾くを。加夫久と云と云り。かぶしのさま思べし。と記傳に云り。○凶目は。上卷に出。杵は助辭なり。記傳云。上に不須也。凶目汚穢とあり。此の頗傾と云が。彼凶目にあたり。凶目杵とあるが。汚字に當れる語勢なり。されど。日杵の書ざまは。いかにぞやおぼゆと云り。【杵字熱田本にキタナキと訓り。これによらば。杵は汚の誤なるべし。】○還登。此國迄は降坐(サ)で。浮橋より還給ふなり。
 
故(レ)天照大神復|遣《ツカハシテ》2武甕槌神及經津主神(ヲ)1。先行(テ)駈除《ハラハシム》。時(ニ)二(ノ)神|降2到《アマクダリテ》出雲(826)國(ニ)1。便(チ)問(テ)2大己貴神(ニ)1曰。汝(ジ)將《モテ》2此國(ヲ)1奉(ラム)2天神(ニ)1耶以不《ヤイナヤ》。對(テ)曰《マヲサク》。吾兒事代主。射鳥遨遊《トリノアソビシテ》在2三津之崎(ニ)1。今當(ニ)問(テ)以報之《カヘリゴトマヲサム》。乃(チ)遣《マダシテ》2使人(ヲ)1訪(フ)焉。對(チ)曰。天神(ノ)所(ヲ)v求《コヒタマフ》何(ゾ)不《ザラム》v奉《ウケタマハリマツラ》歟。故大己貴神以2其子之辭(ヲ)1報《マヲス》2乎二神(ニ)1。二神乃(チ)昇(テ)v天(ニ)復命而告之曰《カヘリゴトマヲシテマヲサク》。葦原中國(ハ)皆已(ニ)平竟《ムケヌ》。時天照大神勅(シテ)曰。若然者《シカラバ》方(ニ)當2降《アマクダシマツラム》吾兒(ヲ)1矣。且(ツ)將《スル》v降《アマクダリマサント》間(ニ)。皇孫《ミコ》已(ニ)生《ウマレタマフ》。號《ミナヲ》《マヲス》2天津彦々火(ノ)瓊々杵(ノ)尊(ト)1。時(ニ)奏(シテ)曰(ク)。欲《オモフ》d以2此皇孫(ヲ)1代(ヘテ)降《クダシマツラムト》u。
 
(826)故天照大神復遣云々。とあるは。天稚彦の件より承る所にこそありけれ。天忍穗耳尊を令v降之とあるよりは。つゞくべき所ならざるを以。右の文の混れなることを。思定むべきことなり。○武甕槌神及經津主神とある。此次第は。他の傳々とは異なり。及字を加られたるも穩ならず。丹鶴本に及字なし。其は宜し。○出雲國。本に國字を脱せり。今永享本に依る。さて二神の降到玉ひし處は。即|五十田狹之小汀《イタサノヲバマ》なり。○三津之崎。平田翁云。出雲風土記に。島根郡に。御津濱廣二百八十歩とある處なり。と師説なり。【風土記抄に御津今水島也といへり。】同郡に御津社もあり。【抄に。加賀郡郷。今水浦(ノ)本宮なりとあり。但し式には載られず。古事記に。御大之前。紀正書に三穗碕とあるも。此郡の崎なり。】さて仁多郡にも。三津郷と云ありて。其は味※[金+且]高日子根神の。三津と云る故事より。起れる地名なり。又(827)風土記に。楯縫郡にも御津(ノ)島。御津濱と。並び在て。御津社と云もあり。【抄に。御津濱は俗に三津浦といふ。御津社は楯縫郷三津浦にあり。と云へり。】神名式に。御津神社とありと云り。さて五十田狹之小汀より。三津之崎へ通ひし海路の事は。既に本書の御穂碕の下に云り。○何不v奉歟は。何(ゾ)承給り奉らざらむや。の義なり。【訓も本のまゝにては足はず。】○二神乃昇天云々は。全く事訖たりし時の事なり。同じ事ながら。第二一書に。於是經津主神則還昇報告。時高皇産靈尊還2遣二神1曰。今者聞2汝所1v言云々は。大己貴神の言に就て。此に其執計たふべき旨を。伺に上たまへる時の事にて。別なり。○若然者の。若字訓べからず。此に母志と云時は。なほ危ませ玉ふ義と成て。上件二神の。慥かに復奏されたる趣と。齟齬へればなり。○當降吾兒。記云。爾(ニ)天照大御神高木神之命以。詔2太子《ヒツギノミコ》正勝吾勝々速日天忍穂耳命(ニ)1。今平(ケ)2訖(ヘヌト)葦原中國1之白(ス)。故隨2言依賜1。降坐而知看(メセ)。○且將降間皇孫已生云々。重胤云。此御事第二一書には。天忍穂耳尊に。種々の事依(シ)の御政を過して。則以2高皇産靈尊之女|號《ミナハ》萬幡姫1。配2天忍穗耳尊1爲v妃降之。故時居2於虚天1。而生兒號2天津彦々火瓊々杵(ノ)尊(ト)1。因欲d以2此皇孫1代v親而降u。云々。然後天忍穂耳尊復還2於天1。と見えたる。此生出させ御坐々る御事共はしも。此一書には。忍穂耳尊の。天降給はむて爲させ玉ふ間にと有り。記には。其天降坐むと爲て。脚装束《ミヨソヒ》爲《セ》させ給間にと有り。然るを第二一書は。天降らせ給へる御道すがら。虚天に御坐て。生奉らせ給ふ任に。其虚天より。直に諸部神等を副給ひ。其|服御之物《ミソツモノ》をば。其任に讓聞えさせ置して。大御父天忍穗耳尊は。其虚空より還上らせ給へる趣なれども。少か心行ず。其忍穗耳尊より。瓊々杵(828)尊に御讓位の御事は。然も有べしと雖。其も皇祖天神の御計らひを。仰聞えさせ玉ひて。共々にこそは。物爲させ玉はめ。然して三種神寶などを。授奉らせ玉ふ御事などは。其に就たる御壽詞等御坐々せば。先に忽穗耳尊に事依し玉へりし御時の如くにぞ。此度も物爲させ玉へりけらし。然れば右の居2於虚天1而生兒。と云は。此に立2于天浮橋1而臨睨之。と有る初度の御事の混れより。右に御兒を生坐る趣には。傳はれりし者とこそは所見たりけれ。【然る時は。次度には。忍穗耳尊はしも。出立せ給はずして止ぬるを。先の傳と。混同に成て。此度も虚天より。引返し昇らせ玉へる者の如く。傳はれるなり。】若て此に三種神寶を賜はししより以下。寶祚之隆云々までの事實をば。第二一書には。天忍穗耳尊の。此度の御降臨の御事に就て。授奉らせ玉へる事に書されたれども。右等は其始て。天降坐ける御時の。大御政なりつらむを。同じ事の相重複れる。其一は省く例なるに依て。其をば上に押上せて考ふべく。此一書なるは。初より瓊々杵に。授奉らせ玉へる御事のみ有て。其忍穂耳尊の。御天降の所には。更に無きは。其片方を略かるゝにも。事にこそ依べかりけれ。先皇祖天神より。天忍穗耳尊に授奉らせ玉へりし御事なりしを。此に瓊々杵尊を代へて。天降し玉ふと爲ては。皇祖天神と。相共に。忍穗耳尊も專政ごたせ給ける御事を。見奉知(ル)に便宜無して。甚味氣無き御事共なり。記も此一書と。然しも異らざりけれども。是以隨白之。科2詔日子番能邇々藝命1。此豐葦原水穗國者。汝所v知國(ト)。言依賜。故隨v命以可2天降1。と有て。其忍穗耳命の奏し請せ玉へる任に。更に御命を科せ玉へる由にて。其大御父忍穗耳尊の御讓を受て。此國を所知食須天皇にて。渡らせ玉ふべき由にて。右にも引る其上文(829)に。爾天照太御神高木神之命以(テ)。詔2太子正勝吾勝々速日天忍穗耳命(ニ)1。今平2訖(ヌト)葦原中國1之白(ス)。故隨2言依(シ)賜(ヘリシ)1降坐而知看。に對へさせ玉へる御言なるを思ふべし。此所を深く味ひ見ざる時は。忍穗耳尊は御血統の御次のみに御坐て。天統の御初にて。渡らせ玉へる御事を申さず。此の御事依の御事なども。俗に謂ゆる嫡孫承祖と云事の状に。思成奉りて。其平國の大御政は。更にも云はず。此時の御讓位の御事など。凡て皇祖天神のみの。御計ひの如く思成し。踈み奉る如き。僻説共も出來る事ぞかし。【以上】と云れたるさる言なり。【なほ次にも云り。】さてこの且字(ノ)上に。已而の二字あらまほし。さるは上文に。天照大神勅曰。若然(ラ)者。方當v降2吾兒1。とあるは。大神の宣へる御言。且將v降とあるは。忍穗耳尊の御事なれば。其間に此二字なくては。一聯に通えて。將v降は。大神の忍穂耳尊を隆さんと爲玉ふことゝ成れり。かくては如何なる文となれり。次にも已而將v降間。とある文あれば。こゝも准へて。右の如くなる文字あらまほしきなり。【再按に。且をスナハチと訓て。發語の辭の如くに見ば。本のまゝにても通ゆべし。】○皇孫已生。此皇孫は御父尊より申す處なれば。ミコと訓ずしては通えず。第二一書に。時居2於虚天1而生兒。と見え。記に子生と見えたればなり。次に以2此皇孫1と有は。殊更にして。此は皇子と訓奉るべき所なり。と重胤云り。偖此までの事。みな皇孫(ノ)尊生(レ)まして後の事とせり。されど此は記にも。天忍穗耳命答白。僕者將v降装束之間。子生出云々。此子應v降也。とありて。【一書には。居2於虚天1而生。とあれど。】此時に生坐る傳の方を。正しとすべし。【なほ本書の下に云る。皇孫尊の此時。猶幼稚神坐すよし云る説をも思合すべし。】○奏曰。本に奏(ノ)上有(ノ)字あり。今三島本永享本に无に依て刪る。其方まさりたればな(830)り。○欲以此皇孫代降。記傳云。父尊に代て。是御孫尊を降し奉り玉ふは。如何なる故にか。傳無れば測がたし。と云れつれど。重胤説に。此天忍穗耳尊は。終に天降り坐ずして。止玉ひぬるは。如何なる御事にかと。年頃不審く思渡つるに。今其説をなむ得たりける。其は瑞珠盟約章第三(ノ)一書に。日神與2素戔嗚尊1。隔2天安河1。而相對乃立。誓約曰。【中略】幼生v男者。予以爲v子。而令v治2天原1也。とありて。下に。其素戔嗚尊所生之兒皆已男矣。故日神方知3素戔嗚尊元有2赤心1。取2其六男1。以爲2日神之子(ト)1。使v治2天原1と見え。寶鏡開始章第三一書にも。於是素戔嗚尊誓之曰。【中略】若有2清心1者。必當生v男矣。如v此則可4以使3男御2二天上1と有が如く。天照大神素戔嗚尊共に。男御子今生坐せらば。天原を令v治むと誓玉へりし。御言(ノ)驗有て。天上に留らせ玉ふべき。御|運《ハコビ》とは成れるにて。其例は。天照大神は日神にて渡らせ玉へれども。二柱御祖神の。何不v生2天下之主1者歟。と相議らせ生奉らせ玉へりし。其所以に因て。高天原を所知看つゝも。此天下は。皇大神の國土なり。顯見蒼生も。亦皇大神の御民なるが如し。故其所由に依て。天忍穗耳尊の。天上に留らせ玉へるのみならず。天穗日命も。其子天夷鳥命を降して。天上に留らせ玉ひ。天津彦根命も。其子天目一箇神を降して。天上に留らせ玉ふ状に所見たり。右に六男と有れども。實は三神に坐すに。以爲2日神之子1。令v治2天原1と云に。御誓約の此に至りて。其(ノ)信驗《シルシ》違はせ玉はざるなん。奇異しとも靈しく妙也ける御幽契には。御坐々ける。と云れたるは。然る事にも御座べからんか。なほ考べし。
 
(831)故(レ)天照大神。乃賜2天津彦々火(ノ)瓊々杵(ノ)尊(ニ)。八坂瓊(ノ)曲玉。及八咫(ノ)鏡。草薙(ノ)劒。三種(ノ)寶物(ヲ)1。又以(テ)2中臣(ノ)上《トホツ》祖天(ノ)兒屋(ノ)命。忌部(ノ)上祖太玉(ノ)命。猿女(ノ)上祖天鈿女命。鏡作(ノ)上祖石凝姥(ノ)命。玉作(ノ)上祖玉屋(ノ)命。凡(ヘテ)五部《イツトモノヲノ》神(ヲ)1。使(ム)2配《ソヘテ》侍(ラ)1焉。
 
故天照大神乃賜云々は。重胤云。天忍穗耳尊に。事依(シ)玉へるが如く。瓊々杵尊に更めて。大命を科せ玉へる所なるが。此に大に味はふべき事しも有けり。記に此子應v降と奏(シ)請せ玉へる御言を受て。是以隨《マニ/\》v白之。科2詔《ミコトオホセテ》日子番能邇々藝命(ニ)1。此(ノ)豐葦原水穗國者。汝|所知《シラサム》國(ト)言依(シ)賜(フ)也。故隨v命以可2天降1。と有る。隨v白之は。其奏請給へるを。制可《ユル》させ御坐て。瓊々杵尊に命負せ玉へる由。汝所知國(ト)言依賜(フ)と有は。右に忍穗耳尊の。此子(ヲ)應v降と。申玉へるが。即其尊より瓊々杵尊へ。言依(シ)奉らせ給へる御事と成れるなり。故隨v命とは。御父忍穗耳尊の命に隨ひて。天降坐べしとにて。右に注るが如く。先に御命を蒙ぶらせ給(ヒ)し以降は。天忍穗耳尊は。高天原に御坐ながら。此國土の大君にて。渡らせ玉ふが故に。其御父子の御間にて。天統授受の御政は御坐して。萬の御計(ヒ)は。皇祖天神の行はせ玉へる由也。如此説得て見る時は。天照大神より。天忍穗耳尊に。天忍穗耳尊より。瓊々杵尊に。次第《ツイデ》の任に。天日嗣高御座の大御業を。授け聞えさせ玉へる趣。甚鮮明に知らるゝ事なり。と云り。まことにさる言なり。(832)○八坂瓊曲玉。八咫鏡。二種はかの石窟に幽居坐し時に。五百箇眞坂樹に取着し玉鏡なり。記に其(ノ)遠岐斯《ヲキシ》八尺(ノ)勾※[王+總の旁]鏡。とあるにて著名し。この遠岐斯は。上卷一書に。宜d造2彼神之象1奉c招祷《ヲキ》u。とある。招祷に同じき事。其處に云り。○草薙劔は。かの大蛇の尾より。取出給ひし御劔なり。さて此三種の物の。勝れてめでたく尊き事は。まづ玉鏡は。思兼神の深く遠く思慮(リ)まして。八百萬神の。いと/\慇懃に招祷奉りし幣物なれば。上なく麗しくめでたく有べき事なり。拾遺に。令3石凝姥神鑄1日像之鏡1。初度所v鑄。少不v合v意。次度の所v鑄。其状美麗。云々とあるにても。大《オホ》ろけならず。物し給ふこと知られたり。劔は大蛇の尾より出たれば。是はた奇しく。世の常ならぬ物なる故に。此三種の物。比類なき御寶物にてありけるを。此度皇御孫命へ賜はしゝが。彌嗣々に傳へ坐て。天地と極なき。天日嗣の御璽とはなれりける。其が中に。わきて鏡の故由重き事は。下の一書に。吾兒視2此寶(ノ)鏡(ヲ)1。當v直v視v吾。可d與(ニ)同v床共v殿以爲c齋(ノ)鏡(ト)u。記にも。爲2我御魂1而。如v拜2吾前1云々とあるにても知べしと。葦牙に云れたるが如し。偖此御寶物の御上に附て。古は何の論もなかりけるを。近頃に至て。畏くも種々に論ひ奉る文どもあるが中に。まづ記傳に。此三種を連擧る次第は。鏡劔玉とか。鏡玉劔とか。有べき理なるに。記にも書紀にも。玉を先にし。紀には殊に玉及鏡と。鏡の上に及(ノ)字をさへ置れたる。其は水垣朝御代よりの事にて。神代より然るには非ず。今此に大御神の授玉ふ時を以云はゞ。鏡第一なる事は更なり。次には劔。其次に玉なるべし。といひ。又三種の中に。玉は本は輕きが故なり。など論(833)れたる。甚き私言なり。本來此御寶物ども。何れ重く。孰れ輕きなど言へる。御定跡なく。大神の御手自賜はしたる御物なれば。孰れを先にし。孰れを後に記したりとも。其は語傳へし人の心々にこそあれ。いかでか其に拘はりて。玉はもとは輕し。など論ふべき。さて其後も。其の次て。種々の書どもつくりて。いとも可畏き。御寶物の上を。押はかり言せる論等の中に。三種の御寶とはいへども。信には二種ぞといひ。或は三種のうち。玉こそ誠に第一なれなど。心に任せたる言共を。さま/”\に言へるは。いともあさましく。可畏くおほけなき言等なり。されど其疑の因て起れる本は。まづ繼體紀に。大伴金村(ノ)大連。乃跪(テ)上2天子(ノ)鏡劔(ノ)璽符《ミシルシヲ》1。再拜。神祇令に。凡踐祚之日中臣奏2天神之壽詞1。忌部上2神璽之鏡劔(ヲ)1。【義解に。此即以2鏡劔1稱v璽。】大殿祭祝詞に。神魯企神魯美之命以※[氏/一]。皇御孫之命乎。天津高御座爾座※[氏/一]。天津璽之《アマツシルシノ》劔鏡乎。捧待賜天。言壽宣志久《コトホギノリタマハシク》云々。古語拾遺に。即以2八咫鏡及草薙劔二種(ノ)神寶(ヲ)1授2賜皇孫1。永爲2天璽1。【所謂神璽之劔鏡是也。】矛玉自從。とある文どもなり。是ら鏡劔のみを云て。玉をいはず。然るに祝詞考【大祓祭詞の下に。】云。是に八尺勾※[王+總の旁]を擧いはず。儀制令にも。鏡劔とのみあるにつけて。神代紀の一書に。三種の寶といふを。疑ふ人あるは。顯れたることにのみ依て。ものを限るなり。天孫天降り玉ふ時。天照大御神の詔く。於是副2賜遠伎斯八尺勾※[王+總の旁]鏡及草那藝劔(ヲ)1。云々と。古事記にしるされ。一書に曲玉鏡劔を。三種神寶と有なれば。何かいぶかしき。且其勾※[王+總の旁]は。天下知しめす主なる。しすしの神寶に。天照大御神是を賜はせしなり。然れども是※[王+總の旁]は御身に著坐(ス)寶にて。人の手觸るゝ物ならず。故に古より(834)劔鏡二を以。大儀の時のしるしとなし來れるなり。と云れしは。いと宜き説なり。かの瑞籬の朝御代に。玉をも模《ウツ》し造らるべきに。しかあらぬは。是玉は御身に著ます御寶にて。天下所知看(ス)主なる印の御寶なるが故なるべし。されば此玉を合せて。三種と申し。大儀の時のしるしには。鏡劔二種をのみ。奉りしなりと。思定めて有ぬべし。【正統記に。神璽は八坂瓊の曲玉と申。神代より今にかはらず。代々の御身をはなれぬ。御まもりなれば。海中よりうかび出たまへるも理なり。とあるも此由なり。近藤芳樹が職原抄注に。玉は天皇の御魂の鎭となりて。御正身の護身なるからに。御在所を放ち玉はず。故に御代官の玉を作らせ玉はで。崇神天皇より以後。今に至て。神代ながらの靈物存し。先帝より後帝へ。御手づからといふばかりに。傳させせ玉へば。後にこれ一種にかぎりて。神璽とはいふなりけり。と云れたる。此説も然る言なり。】さて立かへりて。二種(ノ)神寶と稱せる事を解べし。重胤云。此二種神寶と云は。後に天皇御即位の御時に當りて。鏡劔二種を。忌部氏より上る例なるより。しか改めたるにて。實には三種なり。と云れたるさる言なるが。なほ久保季茲が。三種神器考證と云ものに。鏡劔二種をのみ。天璽と云る論の。非なるを辨へ云る。其説に。そも/\此鏡劔を奉ることは。神代より忌部の職なれば。令にも式にも。忌部の鏡劔を奉ることを。記されたるにて。拾遺はは更なり。大殿祭祝詞も。忌部家より出たる故に。其家に云傳へたる如く。二種をのみ擧たるなり。三種とあるとは。其傳の趣自ら異なるを。先哲の心着れざりしなり。拾遺に殿《オホトノ》祭【其祝詞文在2別卷1】次(ニ)祭2宮門《ミカド》1【其祝詞亦在2於別卷1】とある。この祝詞は。即延喜式に載たる。大殿祭御門祭の祝詞是なり。この二(ツ)の祝詞に。古語云々といへる注あり。此は他詞に例なきことにて。拾遺の注と同じ體なるは。もと同じく忌部家より出たるが故なり。此を以。拾遺と大殿祭とに。鏡劔をのみ天璽と云るが。忌部の古傳にて。記紀の傳と。異なる由を思辨ふべし。(835)と云れたるは。誠に然る言なりけり。○賜2云々三種寶物1は。記に。於是副2賜彼(ノ)遠岐斯入尺(ノ)勾※[王+總の旁]。鏡。及草那藝劔(ヲ)1云々。而詔者。此之鏡者。專爲2我御魂1。而如v拜2吾前1。伊都肢奉(レ)と詔玉ひて。其鏡に屬たる御壽詞をなん。聞えさせ給へりける。殊に拾遺の次第は。于時天祖天照大神。高皇産靈尊。乃相語曰。夫葦原(ノ)瑞穗國者。吾子我可v王之地。皇孫就而|治《シロシメセ》焉。寶祚之隆。當d與2天壤1無uv窮矣。即以2八咫鏡及二種神寶1。授2賜皇孫(ニ)1。永爲2天璽1。【所謂神璽劔鏡是也】矛玉自從。即勅曰。吾兒視2此寶鏡1。當v猶v視v吾。與同v床共v殿。以爲2齋鏡1。とある次第甚宜し。但天壤無窮の神勅の最前に在は。次へ廻して心得べき事。大殿祭詞に。先天津璽の鏡劔を捧げさせ御坐して。次に言壽の御言を詔給へるを。例と爲て知べし。次に神璽を授奉らせ玉へる御事有て。後に吾兒視2此寶鏡1。云々の御言を載たる事。右に擧たる記も然なり。然る時は。此に天照大神乃賜2天津彦々火瓊々杵尊(ニ)八坂瓊(ノ)曲玉。及八咫鏡。草薙劔。三種寶物(ヲ)1。と有に續ては。第二一書に。是時天照大神云々祝之日。吾兒視2此寶鏡(ヲ)1。當v猶v視v吾。可d與同v床共v殿以爲c齋鏡u。とありて。次には天壤無窮の神勅をぞ。詔給べき。此其御序次なりけり。○上祖。山蔭云。凡て紀中に遠祖始祖上祖本祖など。言をかへて。いろ/\に書れたるは。みな例の漢文なり。古傳には。古事記の如く。たゞ祖と有しなり。右の中に。遠祖と云は。古言なれども。事によりてこそ。さもいひつれ。其氏(ノ)遠祖某。某者某氏(ノ)遠祖。などは言ざりし事ぞかし。とあり。○玉屋命。記に玉祖命とあり。此神の訓は。記傳に。和名抄河内國高安郡。又周防國佐波郡なる郷名の玉祖を。共に多末乃於也《タマノオヤ》とあると。(836)書紀に玉(ノ)屋命と書るを合せて。多麻能夜なり。とあり。さて此神は。上卷に豐玉天(ノ)明《アカル》玉【また羽明玉。櫛明玉命。】など見えて。皆同神別名なること既に云るが如し。名義。玉作の祖神に坐よしなり。姓氏録に。玉作(ノ)連。高魂命孫。天(ノ)明玉命之後也。天津彦火瓊々杵尊。降2幸於葦原中國1時。與2五氏(ノ)神部1。陪2從皇孫1降來。是時造2作玉璧1。以爲2神幣1。故號2玉(ノ)祖《ヤノ》連(ト)1。亦號2玉作(ノ)連(ト)1。とあるは。此時の事なり。○五部神云々。記に五伴緒とあり。記傳云。凡て伴とは。官職にまれ何にまれ。一部ともなふを云。某《ナニノ》伴|某《クレノ》伴と云是なり。伴(ノ)造と云は。其部の長を云。緒《ヲ》は長《ヲサ》なり。【武郷云。袁佐を記傳に。長兄名《ヲセナ》の意なりと云れたれど信がたし。たゞ長の意と見てあるべし。】書紀に。魁帥渠帥などを。伊佐袁と訓るも。勇長なり。然れば伴緒は。其部屬の長《ヲ》を云稱なり。さて今右の五柱神を指て。五伴緒と云るは。石屋戸段に見えたる如くに。此神たち各掌れる職ありて。其職々の部屬を帥る。長《ヲサノ》神なればなり。【五神を指て。五伴緒と云へれば。一伴緒は一神なり。然れば伴緒とは。其長を云て。其部類を示に非ること明らけし。書紀に此を五部神と書れば。五伴緒は。たゞ五部の意とも聞ゆるに似たれども。彼も五神を擧て云れば。其意に非ず。五部(ノ)長(ノ)神と云意なり。】とあり。纂疏にも。五部者諸神之統領。而各爲2部黨1者也と。既に云れたり。○配侍。第二一書に。陪從《ソヘテ》とあると。訓同じかりければ。配は天孫に令(メ)v奉v副(ヘ)給へるなり。侍《ハベル》は衆の仕奉るを云。記傳に。波閇理《ハベリ》は。貴人の御前に在る由にて。此言の意は匍匐在《ハベリ》と云事なり。俗に匍匐屈《ハヒカヾミヲル》と云に同じ。とあり。されば五部神を。各其部の長に分別て。八百萬神を率て。天孫の御前に陪從《ソヘ》て。令2供奉1玉へるよしなり。さて此五伴緒神の。掌り給ふ職は。みな神事に依れゝば。【石屋戸段に見ゆ。】今|支加《ソヘ》而降し玉ふも。專神事の料《タメ》なりと。記傳に云れたれど。平田翁云。神事の料のみに非ず。御孫命の天下始め玉(837)ふ御政を。介《タス》けしめ玉はむとなり。斯て神事即て天下を始め玉ふ。御政の本なれば。師の言の如く。云むも難なけれど。少か言足らぬ心ちぞする。と云れたるさる説なり。さて重胤云。五部神の事。記も同じ傳にて。右の五神を擧て。欠に并五伴緒(ヲ)矣。支加(ヘ)而。天降也。と見えたり。拾遺に。仍以2天兒屋命。太玉命。天鈿女命1使2配侍1。と有て。二神を漏せるは。太玉命の所v率の神と爲る傳なるが故に。略けりし者なるべし。其下に。宜太玉命率2諸部神1。供2奉其職1。如(セヨ)2天上(ノ)儀1。仍令2諸神亦與(ニ)陪從(ヘ)1。と有る是なり。其如2天上(ノ)儀1と云は。石屋戸段に。太玉命所v率神名。曰2天(ノ)日鷲命。手置帆負命。彦狹知命。櫛明玉命。天目一箇命(ト)1。と見えたる。是太玉命の率て。降立へる諸部神なる者なり。と云り。【玉屋命。櫛明玉命は。同神なり。さて石凝姥命。天目一箇命と同神にはあらねど。共に鍛冶の事に預り玉へば。なほ太玉命の所v率の神の内には入給なるべし。】○記には此に次て。三種の御寶物を賜ひ。亦常世(ノ)思金神。手力男(ノ)神。天(ノ)石門別(ノ)神を副賜へる事みえたり。記傳云。此三柱神は。其現御身を。天降し給ふには非ず。【現身は。高天原に留りて。天照大御神に仕奉給ふ。】皆其靈實【武郷云。御靈實と云は。御靈の託《ツケ》る御體を云。下皆同じ。俗に所謂神社の御神體なり。】を降し給ふなり。故上の五伴緒神と。同列にはあげずして。今此に三種(ノ)御寶の次に連ね云り。【然れば。此三柱神の御靈實どもは。鏡にまれ。劔にまれ。何にまれ。彼八咫鏡に添へ從へて。降し玉ふなり。但し石門別(ノ)神一柱は。此記には。石屋戸段には見えざれば。此御靈は。皇孫命の門の守衛神として。降し給ふにても有んか。】又彼五伴緒神は。現御身なる故に。此次に各某氏之祖。と注したるを。此三柱は。御靈體なる故に。子孫をば擧ず。たゞ其鎭坐す處を注せり。此等を以。現身と御靈との。差別あることを覺るべし【書紀に。五部神を擧たれども。此三神を。擧ざるも。現御身に非るが故なり。】と云り。又記に。伊須受能宮鎭坐の次に。次|登由宇氣《トユウケノ》神。此者坐2外宮之度相《トツミヤノワタラヒニ》1神者也。とありて。此大神も此時は。共に天降し奉り玉ふ(828)なり。記傳云。思金神等三柱と。同例に此に記せれば。此大神も。御靈實を降し奉り玉ふなり。さるは此豐宇氣大神は。高天原にして。天照大御神の。常に拜祭給ふ御食津《ミケツ》神に坐が故に。己命の御靈鏡に。屬添て。此御靈をも降し奉り玉ふなり。さて書紀の此段に。此神を降し奉玉ふ事の見えざるは。現御身にあらず。御靈實なるが故なり。とあり。
 
因(テ)勅(シテ)2皇孫(ニ)1曰《ノタマハク》。豐葦原(ノ)千五百秋之瑞穗(ノ)國(ハ)。是(レ)吾(ガ)子孫《ウミノコノ》可(キ)v王《キミタル》之地也(ナリ)。宜(ク)爾《イマシ》皇孫|就而治焉《ユキテシラセ・イデマシテシラシムベシ》。行矣《サキクマセ》。寶祚之隆《アマツヒツギノサカエマサムコト》。當《・ベシ》(ニ)d與2天壌1無(ル)uv窮(リ)者矣。
 
豐葦原云々。本に豐字なし。今永享本に依て加ふ。重胤云。八洲起原章一書に。有2豐葦原千五百秋瑞穗之地1。と所見たるは。其時此國號有しには非れども。後の稱を始に及ぼして。書されたりし者にて。此天降の御時に。皇祖天神の。號けさせ玉へる御事。申も更なり。故記には。其以前には。何處なるも葦原中國と書されて。此段の初に。天照大御神之命以。豐葦原之千秋(ノ)長五百秋之水穗國。云々と有て。其初て起れる由を令v知たり。常に葦原中國と云は。高天原にて。天上に對へて。天下と云程の事にて。皇國を主と云中にも。大地の全體に係れるを。此瑞穗國の嘉號はしも。大地萬國の中より。皇國の地を成し出させ玉ひ置して。此大八洲國を以て。萬國の君主と在る國と定させ玉ひ。天神の齋(839)庭《ユニハ》の穗を。當御《マカ》せ奉りて。天神御子の。天津日繼しろしめすべき。大御食國と。定め奉らせ玉へる也けらば。甚も尊き國號には有ける。さて記に。長五百秋と云時は。五百秋を長く重ぬる義となりて。實に天壤無窮の神勅と。本より相並(ベ)對(フ)所なるに。片方には無2際限《カギリ》1き由を宣ひ。片方には千五百秋と限れる數を。宣玉はむことは。甚有まじき御事也ければ。其始は記の如く有けむを。字を切めて。書されしなめり。然れども瑞穗の出來る。其秋より。秋の重《カサ》なる事を云と見る時は。即天壤無窮の義に。歸《オツ》べきなるにや。【記傳の説はわろし。】偖瑞穗國は。後に號けたる國號に非ず。皇祖天神より。齋庭之穗を。授奉らせ玉ふ時に。皇御孫尊の。御食津國と爲て。天日嗣の御|隆《サカエ》を。祝奉らせ玉ひて。號け聞えさせ奉へる事。右に云るが如し。とあり。○子孫は。纂疏に謂2子々孫々1也。な注り。されど上に吾兒。此《コヽ》を吾子孫と書分られたるは。却に古意に非ず。次なる猿田彦神の所に。天照大神之子(ノ)所v幸云々。とあるぞ古の任なる。然れば此も吾御子之繼々など。訓奉らまほし。○就而治焉。訓にシラシムと云るは。知ラスと云に同じ。尊みて云詞也。玉勝間九云。尊みて令《シム》と云詞。古語に人の事をたふとみて行(ク)をゆかす。立(ツ)をたゝすなど云る。中昔にはゆかせ玉ふ。たゝせ玉ふなどいひ。紀録ふみなどには。令(メ)v行《ユカ》給。令(メ)v立給など書り。此類の令《シム》といふことばは。いと古くは見えざる事なるに。萬葉十四の上野國の歌に。安思布麻之牟奈《アシフマシムナ》とあるは。いとめづらし。かの集の頃の歌。他にはみなあしふますなと。いへる例なりと云り。此の訓シラシムも。其格と見べし。○行矣。重胤云。私記に。左介久《サケク》と有りと雖。通本(840)に從ひて。佐伎久と訓べきなり。此言意既に注る如くにて。此は天神御子を天降し玉へるに就て。此御言を奉らせ給へるなり。纂疏に。行矣者送v行之詞。と注させ玉へるぞ。實に謂れたる。此は其幸行す先々は。恙無く御坐せ奉給ふと爲て。壽稱へさせ玉へる御言にて。萬葉四に。奈何好主哉《イカニサキクヤ》。五の好去好來歌に。都々美無久《ツヽミナク》。佐伎久伊麻志弖《サキクイマシテ》。七。好去而亦還見《マサキクテマタカヘリミム》。九に。吾思|吾子好去有欲得《アコマサキクアリコソ》。十三に。新夜乃好去通牟《アラタヨノマサキクカヨハム》。十七に。好去而安禮可幣里許牟。二十に。好去而。早|還來等《カヘリコト》など。好去は旅行人を送るに。必云詞なるが。齊明紀に。得2平安《タヒラカナルコト》1と並べて。得2好在《サキクハベルコト》1と有に。漢籍に行矣を。好去と通ふ状に云へれば。訓は與久由久なれども。意は佐伎久と心得て違はず。其意にて。十七に。草枕旅行君を佐伎久安禮等。齋瓮居《イハヒベスヱ》つ吾床(ノ)邊爾。と有など。猶餘多見えたり。【通證に右の歌を引て。言欲3旅遂有2幸福1。而居2齋瓶于床上(ニ)1祈v之也。漢書外戚傳。行矣強飯勉v之。師古曰。行矣猶3今言2好去1。と注されたり。此にて好去も。ササキクとも訓なる事を曉るべし。】偖右の如く。行矣は。此御發途の御時に當りて。其|御坐《オハシ》著玉ふ迄の。御平安を。祝奉らせ給ふ意と。見て敢なむ。と云り。○寶祚は。紀中に天業。基業。天基。など有を開として。即帝位。又即天皇位。又踐祚を。天津日繼所知食と訓奉り。皇太子又太子をば。日繼之御子と訓奉るべき定格なり。なほ宸極。大運。大業。天緒をも訓み。嗣《ヒツギノ》位。日《ヒツギノ》位。騰極次第。【古曰日嗣】なとも見えたり。名義は日繼は。御繼と申すことなるべし。綏靖紀に。皇祖之|業《》ツギ・。應神紀に。立2菟道(ノ)稚郎子《ワキイラツコ》1爲v嗣。顯宗紀に。陛下|正統《ツギテ》。續紀宣命に。天皇命之阿禮坐牟。彌繼々爾。また女子能繼爾波在止毛《ヲミナゴノツギニハアレドモ》などある。みな御繼なり。記傳に。天津日大御神の大御|任《ヨサシ》を。受傳(ヘ)坐て。其大御業を。嗣々に所(841)知召す由の御稱なり。と云れし如くにて。天照大神の。吾子孫(ノ)可v王之地。と詔玉へる大命を。受繼せ御坐て。天地の間に。君と坐す御職を。稱奉る尊號なること。右に注る事共を以。明らめ奉べくなん有ける。○當與天壤無窮。此大詔のさまを。歌に賦たるは。萬葉二に。天照(ス)日女之命。天乎波。所知食登《シロシメスト》。葦原乃。水穗之國乎。天地之|依相之極《ヨリアヒノキハミ》。所知行。神之命等。天雲之八重|撥別而《カキワケテ》。神下《カムクダリ》。座奉之《イマセマツリシ》。高照。日之皇子。云々などなほあり。永享本の此段の書入に。日本國安堵文。と書たるは。何げなき樣なれど。然る説なり。守部云。此大詔の無窮に重きことは。今更申すも更にて。いと可畏けれど。古語に夜須美斯々《ヤスミシヽ》。和賀意富岐美《ワガオホキミ》。と云ること。記また萬葉に見えたる。【武郷云。夜須美斯志は。即安みして。此天下を知看す。と云ことなり。】安は平安の意。浦安國などの安にして。後安《ウシロヤス》く裏《ウラ》安く。俗に安心の意なり。其は此皇大御國は。神代の始より。大御神の神勅にして。君は萬代の大君。臣は萬世の臣奴と定りて。外國などの如く。傍より天日嗣を簒むとするものゝ。絶て非りければ。後安く裏安く。天下所治行よしの語なり。此大詔の如く。天壤と共に天日嗣かはらせ給ふ事なく。動かせ給ふことなければ。君臣の道。一度定りて違ふ事なし。君臣の道違ふことなければ。萬亂るゝ事なく。此則道の大本なる事、なほざりに見過すべからず。さて又續紀。神護景雲三年九月。詔曰。云々道鏡語2清麻呂1曰。大神所2以請1v使者。盖爲v告2我即位之事(ヲ)1。因重募(ルニ)以2官爵1。清麻呂行詣2神宮(ニ)1。託宣曰。我國家開闢以來。君臣定矣。以v臣爲v君1。未2之有1也。天之日嗣。必立2皇緒1。無道之人。宜2早掃除(ス)1。清麻呂來歸。奏如2神教1。云々とある。此はまた後代の神勅なり。是と合(842)せて。今此大御神の。大詔の私事ならざる事を知べきなり。右に引る古語も。神代より云ならへるまゝに。言へるなれば。萬葉などにも。多かるにこそ。と云れたる。まことに宜なる論なりけり。
 
已(ニシテ)而|且降之間《アマクダリマサムトスルトコロニ》。先驅者《ミサキハラヒノカミ》還白(ク)。有2一神1。居《ヲリ》2天(ノ)八達之衢《ヤチマタニ》1。其鼻(ノ)長(サ)七咫《ナヽアタ》。背《ソビラノ》長(サ)七|尺餘《サカアマリ》。當言七尋〔四字□で囲む〕。且《マタ》口尻明耀《クチシリアカクテリ》。眼(ハ)如(ニシテ)2八咫(ノ)鏡(ノ)1。而|※[赤+色]然《カヾヤケルコト》《ノレリ》2赤酸醤《アカカヾチニ》1也。即(チ)遣《ツカハシテ》2從《ミトモノ》神(ヲ)1往(テ)問(ハシム)。時(ニ)有2八十萬神1。皆不v得2目勝《マカチテ》相問(コトヲ)1。故(レ)特(ニ)勅(シテ)2天鈿女(ニ)1曰。汝《イマシハ》是(レ)目2勝《マカツ》於人(ニ)1者《カミナリ》。宜(ク)2往(テ)問(フ)1之。天(ノ)鈿女乃|露《アラハニカキテ》2其|胸乳《ムナチヲ》1。抑2垂《オシタレ》裳帶《モヒモヲ》於|臍下《ホゾノシタニ》1。而|笑※[口+據の旁]《アザワラヒテ》向(ヒ)立(ツ)。是時(ニ)、衢(ノ)神問(テ)曰。天(ノ)鈿女|汝爲之《イマシガカクスルコトハ》何(ノ)故(ゾ)耶。對(ヘテ)曰(ク)。天照大神之子(ノ)所幸道路《イデマスミチニ》。有(ルハ)2如此居《カクヲルコト》1之者誰(ソ)也。敢(ヘテ)問(フ)之。衢神對曰。聞《キヽタテマツル》2天照大神之子今|當降行《イデマスベシト》。故(レ)奉(リテ)v迎相(ヒ)待(ツ)。吾名(ハ)是猿田彦大神(ナリ)。
 
已而云々は。記に。爾(ニ)日子番能瓊々藝命。將2天降1之時。とあり。其装束の御事も何も。凡て調ひて。今出立御坐むと爲させ給ひ。先驅の神等より。徐《シヅ》かに降路に差向はれし時を云なり。故天神御子は。高天原を未(ダ)離れさせ御坐ざる程ながら。記に天照大御神高木神之命以。云々と有て。其御計ひなる由見え(843)たる。信に然る言なり。此も其心して見るべきなり。○先驅者。神武紀に。驅山蹕を。ミサキハラヒオヒとよめり。拾遺に仍使3大伴(ノ)連(ノ)遠祖天(ノ)忍日《オシヒノ》命帥2來目部(ノ)遠祖|天※[木+患]津大來目《アメクシツオホクメヲ》1。帶v仗前驅。既而且v降之間。先驅還白。と有を以見に。此二神大來目部を。已に先に立せ遣はして。降路に向ひ給ひ。其より引返させ給ひし趣にみえたり。【なほ第四一書の下に云る事。考合すべし。】○有一神は。重胤云。記には。居2天之八衢(ニ)1而。上(ハ)光(シ)2高天原(ヲ)1。下(ハ)光(ス)2葦原中國(ヲ)1之神。於v是有。とある是なり。如此く上は高天原を。下は葦原中國を光らす神と云ては。宇宙に。又一の日神顯れさせ給へるが如くなれども。此は取るべき状こそ有らめ。此にも口尻明耀。云々と有も同く。御身より光を放たせ給ふ較略なり。即遣2從神1往問時。有2八十萬神1。皆|目勝《マカチテ》不v得2相問1。と有が如く。其神の所に向はれし從神の。申されたる事にて。其御許へ近着く時は。上は上天。下は國土までに。照徹るが如くして。甚|怕明《マバユ》くこそは有つらめ。と云り。○天八達之衢は。又云。正書に。※[木+患]日二上(ノ)天浮橋と見え。記にも。於2天浮橋1云々と有り。續後紀(ノ)歌には。天能|梯《ハシダテ》。踐歩《フミアユ》美。天降坐志々と有など是なり。萬葉五に。阿麻遲。十に天道など有は。天と地と相往來ふ道の有を。天道と云る古語有なり。十三に。天橋文《マハシモ》。長雲鴨《ナガクモガモ》。高山文。高雲鴨《タカクモガモ》。と云ふ天橋は。天(ノ)浮橋と同物にして。天道より高山に架《カヽ》れる橋是なり。其に又大橋小橋と云有て。幾條にも係れりと見ゆ。大同本紀に。皇御孫命詔久。從2何(レノ)道1曾。參上(リ)志止問給(フ)。申久。大橋波。須賣大神。並皇御孫命乃。天降坐(ス)乎|恐天《カシコミテ》。從2小橋1參上支。と見えたる。此に從2何(レノ)道1と有にて。其道路の多き事知られ。又此時に。(844)後《シリヘノ》小橋命と云ふ名を。給へりし由も見えたれば。大橋を本として。前後左右に小橋は幾條も有なりけり。故此に猿田彦神に。天鈿女命の。汝(ハ)何處《イヅコニ》到(ラム)耶。皇孫(ハ)何處(ニ)到(マサム)耶。と聞えさせ給へるも。其|岐《チマタ》より。道を取て。趣く方を問給へるなり。然れば中天にして。大橋と小橋との行合たる岐路なむ。此に謂ゆる天(ノ)八達之衢。と云所なりけらし。記傳に。天之八衢。知麻多は道股《チマタ》の義也と見えたり。【但八衢と。八十衢とは異なり。】○身長七咫。咫の事は既に上卷に云る釋に。一手之廣(サ)四寸。兩手相加(フル)。正是八寸也。と注るが如く。四指を横たへたるを。握《ツカ》と云ふ。八握劔十握劔など云是なり。五指を横たへたるを。咫とは云なり。此字説文に。中婦人手長八寸。謂2之咫1。とある事なれども。此には其字を借(リ)用ゐるのみ。實に阿多と云と。咫字とは。義異なりけるものになん有ける。此は纂疏に。七咫猶v言2七八寸許1。とあるよく當れり。漢國には。際やかに八寸を咫といへれど。【韻書に見えたる所しかり。】皇國の上古は。大凡に七八寸許なるを。七咫とも八咫とも云る。かの八寸曰v咫。と云るに稍近きを以て充たる文字なるべし。さて此七。また長七尺などある七は。必七(ツ)八(ツ)の七にはあらで。大數を云ること。もとよりなり。【七を大數に云ること。萬葉集の歌に。七月しふらば。七夜こじとや。又川瀬を七瀬わたりてなど。此外にもあり。此等必しも。七日七夜七瀬と限れるにはあるべからず。大數を云るなり。なほこの七八の數のことは。上卷に云ることあり。】○背長七尺は。上古尺量の名なり。字音を取れるかと云る説もあれど。萬葉集の歌どもに。百尺《モヽサカ》の船かづき入るゝ。又|杖不足八尺《ツエタラヌヤサカノ》の嗟《ナゲキ》【杖は即丈なり】などあれば古言なり。【名義未v詳】さて背長七尺とあるは。平田翁説に。俗に人の長立《タケタチ》を背《セ》と云へば。只凡その長立の如く聞ゆれど。若其義ならば。只に長とのみ云べきに。背としも云るは。記に參(ヰ)向(ヒ)侍(フ)(845)之と。白し給へるを思ふに。天神御子の御幸の前なる故に。膝折伏せて。兩手を突き。頂根を下げ。畏まり待給ひし故に。其|背長《セタケ》のよく見えしかば。如此語傳へしなり。と云り。【山蔭にも。背(ノ)長といふも。頭足をば除きて、たゞ背ばかりの長さなり。長立を云事にはあらず。と云り。】さる事なり。なほいはゞ。天書に。曲背《ソビラノマガリ》七尋とあるは。此説にも叶ひて。いと心にくし。【但し七尋は七尺の誤なるべし。】○當言七尋。此四字除くべし。纂疏本元々集。其他の本どもに。細註とせり。一書に細註あるべきよしなければ。これ後人※[手偏+讒の旁]入の證なり。【集解本にも刪れり】さるは谷重胤説に。八寸曰v咫。七咫五尺六寸也。身長五尺六寸。而背長七尺餘。長短不v稱。故記者改v尺曰v尋。當v作2七尋1也。八尺曰v尋。則背長五丈六尺。正爲2相稱1也。とありて。上の七咫を。五尺六寸なりと爲しより。かゝる強たる説も。出來しなりけり。○口尻明耀。口尻は面尻と云事にて。【即天書にはしかあり。】面《オモ》と後《シリ》へとを云て。遍身光明の耀くよしを。知らせたる文なるべし。記に見えたる如く。上は高天原をてらし。下は葦原中國まで。光る神に坐せば。其光の口尻よりも。明耀き出たることゝ所見たり。【さて天書に。面尻並赤。遍身生v毛。の毛は。光字の誤なるべし。此を此神の御形。獣の※[獣偏+爰]に似たまへる如く云る説どともは。甚いかゞなり。】○※[赤+色]然云々。【※[赤+色]一本には赫とあり。説文に※[赤+色]大也。集韻音赫義同といへり。】平田翁云。八俣遠呂智の目を。似2赤加賀智(ニ)1。と譬たるは。彼が目の。血《チ》爛《タヾレ》て赤き状を云るなれば。然る語にも聞ゆるを。※[赤+色]然の譬には。似つかはしからず。【古語拾遺に。此と同じ傳を擧たれど。而※[赤+色]然似2赤酸醤1也の八字なし。】記に。上光2高天原(ヲ)1。下光2葦原(ノ)中國1。と有て。口尻明耀といふ語のなきぞ。却ていみじく聞えたりと云れたり。さて通證に。玉木翁曰。言2鼻長1。則面體可2以知1。言2背長1。則一身可2以計1。また今諸社祭禮。作2此象(ヲ)1前導(ス)。蓋傳2嘉例1也。【釋曰。王舞之面者。象2此神面1。兼良曰。祭禮蒙2赤面長鼻之象1。名曰2王鼻1此(846)遺也。】と云り。共にさることなり。○從神は。私記に美止毛奈留神乎《ミトモナルカミヲ》とあり。拾遺の古本なるも然訓り。則此は右に謂ゆる。先驅者の事にして。次に有2八十萬神1。と云る是なり。【此本の訓に。ミモトノ神と訓り。此も古き訓なり。通證に。從神供奉(ノ)神也。從謂2御許1。々々猶2御前1。所謂御許人。某(ノ)御許是也。と云れたるにて明けし。但し御許と云へば。供奉神のうちにても。御許に侍ひ居る神と云になれば。意聊替れり。】偖此は大凡に。其神の明耀て。誰も面勝難きさまを云るにこそあれ。八十萬神皆とあればとて。御供神皆と云るには非ず。且は鈿女命の強悍なる状を。知せたる文なり。○不得目勝。記云。汝者云々。與2伊牟迦布《イヌカフ》神1。面勝《オモカツ》神とあり。目勝は拾遺に。皆不v能2相見1。と見えたる。言餘抄に。被v奪2衢神之眼光(ニ)1。不v能2向見1也。と注るが如し。雄略紀。其(ノ)雷《カミ》※[瓦+虫]々《ヒカリヒロメキ》。目精《マナコ》赫々《カヾヤク》。天皇畏(テ)蔽《オホヒテ》v目(ヲ)不v見《ミタマハ》。却《カウレテ》入2殿《オホトノ》中1。日本後紀。神即忽然現v形云々。清麻呂消v魂失v度。不v能2仰見1。と有など。何れも同状なる事共なるを思合すべし。口訣に。目勝者不v得v見也。纂疏に。謂d目眩惑而不uv得2相面1也。と注させ給へるは。殊に明らかなり。直指にも。衢神の異相光耀に。眼勢を奪はれて。正しく目を向はす事能はざるなり。と云り。○勅天鈿女。記には。天照大御神高大神之命以詔。とあり。○目勝於人は。重胤云。目勝は前と同じければ。人爾|麻加都《マカツ》神也。と訓べき事云も更なり。記には此を。汝者雖v有2手弱女人1。與2伊牟迦布神1。面勝《オモカツ》神(ナリ)。と見えたるは。殊に委しき傳なり。伊牟迦布とは。射《イ》向(フ)なり。敵なむ者を云なり。面勝とは。其敵なむ者に後れ給はざる由なり。此神の御事は。古語拾遺に。天鈿女(ノ)命其神|強悍猛固《コハクタケシ》。故以爲v名。今俗強女謂2之於須女(ト)1也。と注されて。其貌|強悍《ツヨ》く。其心|猛固《タケ》く坐ければ。人に面勝。又は目勝と云状は。天(847)性に坐けるなりけり。さて此に。汝是目2勝於人1者。とある人は。右の伊牟迦布神に當るは。本よりの事なりければ。目勝は面勝とは一也けりとは。誰も思ふ事ながら。自別にて。此は右に云るが如く。眼勢の人に勝れるにて。直指に。可畏き者を見ても。眼勢不v屈。勇眼の人なりと云るは。然る言にて。右に猿田彦神を。眼如2八咫鏡1。而※[赤+色]然似2赤酸醤1也と有で。甚恐怖しき眼なるにも。少憚からせ給はず。行進ませ給へるが。即目勝と云者になむ有ける。然れども面の勝も。目の勝も。共に心の人に勝給ふ由なりければ。其|括《クヽリ》に至ては。強悍猛固の義にぞ成れりけり。○露胸乳云々。此事拾遺にも見えたり。記には石屋戸段に在て。此處になく。紀と拾遺には。此處にのみ有て。其段には見えず。故記傳に。露胸乳云々の事は。少かも怖れぬ状を示す意にも有べけれども。此には何とかや。似著はしからず聞ゆれば。其事は記に。石屋戸段に在ぞ。能當れる。と云れしは然る説なり。されど此の猿田彦神の出立の状は。上件の如く。勇猛く威嚴《イツク》しき御事にて。先驅の從神等は。何れも武勇く。雄偉しき神等なるに。得しも目勝ち向はせざる程の事にし在ければ。此に天鈿女命はしも。彼俳優を爲させ給ひし状に成て。女の耻て得爲まじき事を物して。其猛威を折《クジ》かむとは。爲られたりし者と見たる説もあり。纂疏に。天鈿女命者。以2俳優1爲v事。故託2戯謔(ニ)1。而相對也。露v乳抑v裳等。則俳優之状也。また龍煕近説に。天鈿女命之戯謔不v測也。若v在2磐戸前1。巧作2俳優1。解2日神之慍1。向2天衢(ノ)中(ニ)1。立(テ)爲2笑※[口+據の旁]1。顯2猿田彦神之名1。眞化雖v異。至v遂2巧名1。其揆一也・と有などは。さもあるべくや。さるは記傳に(848)も云れし如く。乳は婦人の人に見らるゝ事を恥て。いたく隱す物なるを。故《コトサラ》に露して見するは。愧ず怖れぬ状もあればなり。○抑垂裳帶於臍。本に垂字なし。今は元々集に引るに依る。記傳云。裳帶は裳を結る紐なり。抑は輕く附云辭には非ず。抑《オサ》へ下すなり。此態も乳を出すと。同(ジ)意ばへ也と云り。○笑※[口+據の旁]は。嘲笑なり。紀中に。笑嘘。听然而咲などをかく訓り。延佳説に。天鈿女命。猿田彦神に屈伏せずして。平懷なる體を成せる者にして。經津主神武甕槌神の。大己貴神と問答の時。傲坐して平懷なる體なりしとを通して看べし。と云るは然る言なり。笑※[口+據の旁]の事を。通證に。笑之鮮(ナル)也。班固叙傳。談笑大※[口+據の旁](フ)。師古曰。謂※[口+據の旁](ハ)唇舌之中。大笑則見。と云れたり。○天鈿女汝云々。猿田彦神かねて鈿女命を知れる故に。今其名をよびて問へるものなり。【さて人を呼て。其名を稱すること。既に云り。】これに依て考れば。猿田彦神は。紀に國神とはあれど。もとは天神なるか。はた國神なれど。天上に上りしこともありしにや。○爲之何故耶。永享本に。爲2如此1何故耶とあり。さて天鈿女命も。尋常の状にては向はせ給はずして。胸乳を顯露《アラハ》に掛(キ)出(テ)。裳帶を陰處に抑垂し。笑※[口+據の旁]はせ玉へるも。亦甚く異なる事なるに。如此爲るは。何の故なるぞと。此方よlりも怪しみ問はせ給へるなり。拾遺抄に。衢神知2天鈿女1呼v名。而問2其状1と云るは。此事なり。○所幸道路。上に已而且降之間と書されたるに。照應する所なりければ。イデマサムトスルミチと訓べし。舊讀は誤にて。上下の意相乖けるものなり。即今天降坐むと爲る道路。と云意なり。○敢問之は。猿田彦神の問を不v答して。反りて我問を爲すを云にて。拾遺に。此(849)を反問曰。とあるも同じきを。抄に不v答2彼問1。反爲2我問1。と云るは然る言にて。此は天神の御命を述て。私の答には及ばれざりし者なり。○對曰云々。記に。詔2天宇受賣神1云々。汝往|將問者《トハマクハ》。吾御子(ノ)爲2天降《アモリマサムト》1之道。誰(レソ)如此而居。故問賜之時。答白。僕者國神名※[獣偏+爰]田毘古神也。所2以出居1者。聞2天神御子降坐(ト)1故。仕2奉御前1。而參向(ヒ)之侍(ラフ)。とあり。○猿田彦大神。丹鶴本には大字なくして。唯に猿田彦命と有を。拾遺にもなほ大神と作り。記には。僕者國神。名※[獣偏+爰]田毘古神也。と所見たり。自御名乘坐るには。實に然申させ玉ふべき御事なるにて。然誇らせ玉ふべきに非りければ。後に崇まへ申せる稱の任に。書されたりし者なるべし。さるにても。かく自御名告坐るさまに。崇まへ申し。記にも皇孫尊の詔に。※[獣偏+爰]田毘古大神と詔へるを思へば。尋常の神等とは異りて。然申すべき所以こそ有けめ。さて此神は。平田翁云。須佐之男命の御子。大歳神。其御子に。大土之御祖神と申す。即此猿田彦大神なり。其由は大土神を。伊勢國度會郡宇治山田の地主神と稱して祭れるに。猿田彦神後に天照大御神を。伊勢の狹長田伊須受之川上に到生むと云て。御自は。伊勢國に鎭坐るに符ひ。はた其御孫大田命と云を。宇治(ノ)土公《ツチギミ》氏といひ。此命垂仁天皇の御世に。天照大御神を。伊勢國宇治地に。待受奉れるなどを。合せ考へて知らる。と云れたる此説は。なほよく考ふべし。御名義は未詳ならず。【此猿を佐と訓て。出雲國秋鹿郡佐太大神と同神なり。と云る説など。甚非なり。とるべからず。】もしくは地名か。
 
(850)時(ニ)天鈿女復問(テ)曰(ク)。汝《イマシ》將(ニ)先(チテ)v我(ニ)行(カム)乎《カ》。抑《ハタ》我(レ)先(チ)v汝(ニ)行(カム)乎。對(テ)曰(ク)。吾(レ)先(テ)啓行《ミチヒラキユカム》。天鈿女復問(テ)曰。汝(ハ)何處《イヅコニ》到(ラム)耶。皇孫何處(ニ)到(リマサム)耶。對曰。天神之子(ハ)則當(ニ)《・ベシ》v到(リマス)2筑紫(ノ)日向(ノ)高千穗(ノ)※[木+患]觸之峰(ニ)1。吾(ハ)則應v到(ル)2伊勢之|狹長田《サナガタ》五十鈴(ノ)川上(ニ)1。。因(テ)曰。發2顯《アラハシツル》我(ヲ)1者(ハ)汝|也(ナリ)。故汝可2以送(テ)v我(ヲ)而|到《イタル》1之矣。天鈿女還(リ)詣報状《マヰデゝカヘリゴトマヲス》
 
汝將先我行乎は。猿田彦神より。奉迎相待と申玉ひ。記に。仕2奉御前1。而參向之侍。と有が如く。申させ玉へる神に。然問はせ給ふ程の事には非らめども。其言を抑へて。汝前立を爲むか。我先立を爲むかと。面勝せさせ玉ふ御意味は。必御在べき事なり。玉木正英説に。天鈿女復問(フニ)以2行之先後(ヲ)1。其能目勝而不v屈可2以見1。と云るは然説なり。○抑我云々。本に抑字の上に將字あり。秘閣本永享本文明本。其他あまたの古寫本共に无きに從る。【丹鶴本には將字ありて。抑字なし。それもあしからず。】さて波多と云義は。亦《マタ》將《ハタ》など常に云如く。物を一轉して云語なり。俗にタヾシハマタと云が如し。この言義は。欽明紀に爲當《ハタ》と書る處に委しく云。○吾先啓行。記に仕2奉御前1とある是なり。拾遺(ノ)抄に。先啓行者。衢神之出迎者。爲v防2護惡鬼邪神之横暴(ヲ)1。此所3以欲2前驅啓行1矣。とあり。○汝何處到。皇孫云々。猿田彦神は。天孫の啓行として。出迎させ玉へるに。其御事を後にして。汝何處到云々と。問はせ玉へるは。所謂幽契にて。(851)皇大神の御坐し著せ玉ふべき所を。先に問玉へるなりければ。天照大神何所到耶。とこそ有べき所なるに。然らざるは。よしある事なり。此事次に云り。○※[木+患]觸之峯。記に久士布流多氣とあるに依て訓べし。【之字は訓ず。】本書に※[木+患]日とあると同じき事。既に云り。○當到。記傳云。イタリマスベシ。と訓ても。到給へと教ふるにはあらず。到り坐むことを知れる故に告るなり。故に下に果とあり。○吾則は。皇太神を奉してなり。これ皇太神の御正體を。戴き奉りて。先導き奉る由。自ら定りたる上の事なりけらし。下に云べし。○狹長田五十鈴川上。狹長田の名義未詳。記に手力男神の鎭坐(ノ)社のことを云處に。手力男神者坐2佐那縣《サナガタニ》1也とあり。即此地のことなり。【記傳云。狹長田と書れたるは、借字なり。撚るを狹田長田のよしに。云る説などは非なり。又五十鈴川と。此とは別處なるを。狹長田之五十鈴とよむも誤なり。五十鈴川のあたりを。狹長田と云ること。物に見えたることなし。と云り。さるを平田翁云。狹長田は。伊勢國多氣郡なり。然るに此に狹長田(ノ)伊須受之川上とあるは。最古くは。伊須受宮の邊までも佐那縣の内なりしと聞えたり。と云り。猶次に云。】記中卷に。曙立《アケタツノ》王者。伊勢之佐那(ノ)造之祖とみえ。大神宮儀式帳に。天照坐皇大神御幸行坐時云々。飯野《イヒヌノ》高宮(ニ)坐支。彼時佐奈乃縣(ノ)造。御代《ミシロノ》宿禰乎。汝國(ノ)名何(ト)問賜支。白久。許母理國志多備乃《コモリクシタビノ》國。眞久佐牟氣艸向《マクサムケクサムケノ》國止白支。即神御田并神戸進支。とあり。【重胤説に。志多備乃國と云は。大神宮式に。飯高郡下樋小河と云る是にて。松坂の東なり。草向國は。多氣郡伊射和村の北に。草伏村と云あり。是なるべしと云り。又度會郡と云名も。神武天皇御世に。天(ノ)日別命と。大國玉神と。度會給ひしに。起れる名なりければ。古に狹長田と云ける其境界の。廣く大なりし事を曉るべし。然れば古に狹長田之と訓も。誤なる由に云れたれども。狹長田は總號にて。其中に在る五十鈴川上と云義なると。云も更なりければ。之字を訓添ずしては。聞えがたき所なるものなり。と云り。なほよく考べし。】さて右の手力男神の御社は。記傳云。神名帳に伊勢國多氣郡佐那神社二坐。これなり。啓行の猿田比古神。まづ此佐那縣に到(リ)着(キ)玉へりしかば。【今一坐は。此猿田毘古神には非るか。】此手力男神の御靈實の。此地に鎭坐るは。由縁ある事なりけり。【天照大御神の御靈鏡。猿田比古神の導のまにゝゝ。まづ伊勢國に降着玉ひし時。此神の御靈實(852)も。附副坐れば。其時よりやがて。此御靈は此地に留坐るか。はた後に大御神の此國に幸行せる時に。共に遷來坐るか。何れにても。始より由縁ある地なり。○重胤云。一神は。栲幡千々姫に坐り。世記崇神天皇五十八年下に。相殿神御戸開闢の御靈を。相副て奉仕る由也ければ。此御鎭坐は。倭姫命御遷幸の御時なるこち云も更なりと云り。なほ考べし。】さて此御社は。今多気郡佐那の仁田村と云に在て。【村の西方に在】大森社と申す。佐那は今佐那谷とて。一谷の大名にて。八村ある所になむある。と云り。さて五十鈴は。伊勢大神の坐ます地にて。五十鈴原。五十鈴宮。なども云り。【度會郡なり。】名義。重胤云。五十鈴は磯洲《イソス》と云事にて。五十鈴川の傍に在る地の謂なるべし。大凡磯と云は。海崖に在をのみ云りと思(フ)は。後世の俗意にて。名高き大和(ノ)石上《イソノカミ》も。布留川と云有て。其磯の上に在る地なるが爲に云稱と通え。萬葉二に。御立爲之《ミタヽシヽ》。島之荒磯乎《シマノアリソヲ》。又|水傳磯乃浦回乃《ミヅヽタフイソノウラマノ》。など有は。島宮の池なるを云ひ。三に。小浪磯越道有能登湍河《サヾラナミノイソコセヂナルノトセガハ》。十一に。荒磯越外徃波乃《アリソコエホカユクナミノ》。十二に。磯上生小松《イソノウヘニオフルコマツ》などは。何れも川に磯とは云るにて。此例なほ有べきなり。世記に。奉v遷2天照大神(ヲ)於度遇(ノ)五十鈴河上(ニ)1留《ル》云々。五十鈴原乃。荒草木根苅(リ)掃比。大石小石造(リ)平(ケ)弖云々。と有を以。磯洲と云べき地理なる事を。明らむべくなん有ける。と云れたる宜き説なり。なほこの五十鈴宮の御事を。磯(ノ)宮とも申すこと。垂仁紀また大倭本紀等にも見えたり。【この磯宮の事は。垂仁紀に委く云ふねし。】此にても。五十鈴即磯洲なることは。明かなり。こゝに又云。此天鈿女命の問にも。猿田彦神の對にも。不審しき事有けり。其は先に。猿田彦神より。聞3天照大神之子今當2降行1。故奉v迎相待。と聞えさせ玉へるは。其御天降の御前(ニ)仕奉らむと爲て。出迎へ奉らせ御坐す由なり。然れば其に對へて。天鈿女命の。皇孫何處(ニ)到耶。とのみこそ問せ給ふべきに。其主とある御事を後にして。汝(ハ)何處(ニ)到耶。(853)皇孫何處到耶。と問せ玉ふと云ひ。猿田彦神の御對にも。天神之子則當v到2筑紫(ノ)日向高千穗(ノ)※[木+患]之峯(ニ)1。吾則應v到2伊勢之狹長田(ノ)五十鈴川上(ニ)1。と申されて。天神御子の御行方は。今此に其御迎に參向はれし事なれば。其國處を差て。幾重にも明らめ聞えさせ玉ふべきは。本より當然の御事也ければ。然こそ有べき御事なりしが。其に並べて。吾則云々と申させ給ひては。其奉v迎に出て。啓行仕奉らむ。と申させ給へると。忽に相乖ける事云も更なり。然れば此には。事を細かに顯はに傳へずと雖。拾遺に。始在2天上(ニ)1。預結2幽契1。巷神先降。深有v以矣。と云ふ御幽契の深き所以御坐ける御事とぞ。所見たりける。右の御幽契と申すは。垂仁天皇二十五年に。故隨2大神(ノ)教(ニ)1。其祠(ヲ)立於併勢國1。因興2齋(ノ)宮(ヲ)于五十鈴川上(ニ)1。是謂2磯宮(ト)1。則天照大神始自V天降之處也。と有る。其文に取て。此の古傳を明らむべき事なん有ける。其は猿田彦神。此に初て皇御孫尊の御坐著せ玉ふ地と。天照大神の將來に。鎭り御坐べき地とを。見立置して。豫め其用意を調へさせて。御迎には參向はれし者にて。其吾先啓行と云より。先に已に其事を仄《ホノ》めかし。聞えさせしなりけり。然れば。天鈿女命の問に。天照大神何處(ニ)到耶。皇孫何處(ニ)到耶。と言を加へて聞べく。猿田彦神の對にも。天神之子則云々。天照大神云々。と云ふ傳なりつらんを。其天照大神云々の事は。後に其猿田彦神の御坐し著して。年を經る任に。其神の降著せる事のみ。名高く成りしより。已に其事に至ては。朝廷にも所知食ず成ぬるを。其五十鈴宮御遷幸の御時に至りて。其神の裔大田命より聞食して。天照大神の。始て天降らせ御坐しける地なりけりとは。朝廷にも所知(854)食し。又天下にも。遍く心得る事とは成ぬるなめり。と云れたるさることにて。上にも云る如く。鈿女命の汝伺處到耶。皇孫云々とある文は。天照大御神何處到耶とこそ有べき所なるに。然らざるは。猿田彦神は。顯にこそ天孫の御迎に出たるなれ。幽には旨と天照大御神の御迎の方に出たるなるべく。其れは幽契あることにて。鈿女命も豫て高天原に。其御定めを知居れるが故に。汝何處到耶とあるにて。汝は天照大御神を。何(レノ)地に送り奉るべく見立置奉るにやと。問へるなり。文意簡略にして。自ら幽契を其中に示したるものなりけり。さて上に註し奉るが如く。此第(ノ)一書に。是時天照大神手持寶鏡1云々。以爲2齋鏡1と。聞えさせ玉へる寶鏡にて。渡らせ玉へれば。天壤無窮の神勅の任に。同床共殿の御契は。何方に就ても。違へさせ玉ふまじき御事なり。然るに皇大神は。始より猿田彦神と。然る御幽契の御事御坐けるを。朝廷には知らせ給はずして。崇神天皇の大御世に。漸く神威を畏れさせ御坐々て。御|代《カハリノ》鏡を造奉らせ給ひ。眞の御をば。他處に移し奉らせ玉ひ。垂仁天皇の大御世に至りて。五十鈴宮に御鎭坐の御事御坐々て。吾高天原より。見《メシ》求め玉ふ處に鎭り坐ぬと。後は神託の御事御坐す程ならんには。始よりこそ。然將來の御事をも。仰事は御坐べき事なりけれ。其時は御|代《カハリノ》鏡を以。眞の御と等しくて。同床共殿の御事をば。天地と共に違はせ給はずとは。大命仰させ御坐まさず。甚も々々。心行ぬ御事なりしか。此に就て甚恐くは在れども。御神慮の御程を。想像り奉るに。衢神の御幽契は。實に御在坐しなるべし。又此に伊勢と日向とに。分れさせ御坐て。天降らせ御坐けるなる(855)べし。然る時は。其時より直に。御鎭坐の御事有べきに。高千穗宮より。瑞籬朝に至る迄。皇宮に御在坐けるは。其御模造の御代(ノ)鏡を以て。齋かせ御坐べき時の行《ユケ》らむ。其時にこそは御幽契の御所に。至らせ御坐めど。其傳へさせ玉ふ任に。皇宮に御坐々(シ)たりけらし。然れば。其御代(ノ)鏡の出來させ玉ふと申すも。即皇大神の大御心に御在しまして。其同床共殿と。詔勅御坐し御契に於ては。天地とゝもに。違はせ坐ざる御事とは成なりけり。【但此は全く。記傳に明らめられたる趣に因て。予も亦其説を得たるなり。】と云れたるは。まことにさるべき説どもなりか。○發顯我云々。記云。故爾詔2天宇受賣命(ニ)1。此(ノ)立2御前(ニ)1。所2仕奉1。※[獣偏+爰]田毘古大神者。專所2顯申1之云々とあり。今は猿田彦神の。自ら言へるとあるにて異れり。其よしは次に云。記傳云。顯v我とは。彼大神の御名をも。また其出居給へる所以をも。問聞て顯せるをいふ。【例は顯2白其少毘古那神(ヲ)1。所謂久延毘古。云々と有に同じ。】と云れき。○可2以送v我而到1之。本に到字。致に作れり。今は延喜本永享本三島本どもに依て改めつ。【拾遺にも致字に作れるを。暦仁本には到に作れり。今本は此紀に因て誤れるなるべし。】さて此處本の訓にてはわろし。ワレヲオクリテイタリマセと訓べし。此文意は傳。重胤云。口訣に可v從v我也。と云れども然に非ず。其猿田彦神と共に。まづ伊勢に天降らせ給へと。乞給へるにて。已に御幽契有て。皇大神の御鎭坐の御事などの。較略に係りたるべき事。遂以待送の所に云を知べし。と云り。○還詣。上に且降之間とあれば。いまだ降坐ざるほどの事なり。故還詣も。天上へ上りて。天神等に。返言申したまへるなり。【かれ記に。天照大御神。高木神之命以。謂2天宇受賣神1。と有なりけり。】
 
(856)皇孫|於是《コヽニ》脱2離《オシハナレ》天(ノ)磐座(ヲ)1。排2分(ケ)天八重雲(ヲ)1。稜威道別道別而天|降之《クダリマス》也。果《ツヒニ》如(クニ)2先|期《チギリシ》1。皇孫則到(リマス)2筑紫日向高千穗※[木+患]觸之峯(ニ)1。其猿田彦神(ハ)者。則到(リマス)2伊勢之狹長田(ノ)五十鈴川上(ニ)1。即天鈿女命|隨《マニ/\》2猿田彦神(ノ)所乞《コハシノ》1。遂(ニ)以|侍送《アヒオクリキ》焉。
 
果如先期とは。平田翁云。上に出迎ひ坐る時の言に。天神之子當v到2筑紫(ノ)日向高千穗(ノ)※[木+患]觸之峯(ニ)1云々。と白し給へる事の。違はぬ由なり。とあり。○其猿田彦神者。則到2伊勢之狹長田五十鈴川上(ニ)1。右の問對に供依に。皇大神の御幽契の御事に依て。天八達之衢より別れて。一先伊勢には到着しゝなりけり。其は記傳に。垂仁天皇二十五年。五十鈴宮御鎭坐の所に。天照大神始自v天降之處也。と云事。甚々心得難かりしを。近き頃思得たり。先初に猿田彦神の答に。吾先啓行云々。天神之子則當v到2筑紫日向(ニ)1。吾則應v到2伊勢(ニ)1。と申給へる。抑皇御孫命の。日向國に降坐むに。其啓行の神の。伊勢にしも降給ふ事。深き所以有り。豐受宮儀式帳に。天照坐皇大神。度會乃伊須々乃河上爾。大宮供(ヘ)奉(ル)爾時。大長谷天皇御夢爾誨(ヘ)覺(シ)賜久。吾(ガ)高天原(ニ)坐弖。見志麻岐賜志處爾。志都眞利坐奴。云々と有り。斯れは此御靈鏡を。後遂に此地に鎭坐しめむとは。大御神御自(ラ)。高天原にして。預てより所念《オモホシ》設たる事なり。然れば猿田彦神の啓行ながら。此伊勢に到給ふも。拾遺に。初在2天上1。預結2幽契(ヲ)1。衢神先降。深有v以矣。と見えたる如く。本より此由縁ある故に。此御靈鏡を。終に鎭坐べき處へ。先導送り奉らむ爲なり。故其御天降(857)の時に。皇御孫命に附副ひて。此御鏡を戴齎奉れる御從(ノ)神は。彼啓行神の導の任に。自然《オノヅカラ》先此伊勢國に降着しなり。始自v天降とは。此時の事なりけり。若然らずは。日向國へ降玉ふ皇御孫命の啓行神の。伊勢へ降給はむ事。何の由も無く。徒ならずや。偖右の如く。此御鏡は先伊勢に降着給ひしを。日向に著玉へる。皇御孫命の御許に。送奉り置て。猿田彦神は御暇を賜りて。又伊勢に歸著給ひしなり。と云れたるは。實に美たき説なり。なほ儀式帳に。皇大神御遷幸の御事を申せるに。百|船乎《フネヲ》。度會(ノ)國。佐古久志呂《サコクシロ》。宇治家田々上《ウヂノヤタノタカミノ》宮(ニ)坐支。爾時字(ノ)大内人仕奉。宇治(ノ)土公等遠祖。大田命乎。汝(ガ)國(ノ)名何(ト)問(ヒ)賜支。是川名(ハ)佐古久志留。伊須々乃川止申。是(ノ)川上(ニ)好大宮地在《ヨキオホミヤドコロアリト》申云々。と見えたるを。世紀には。猿田彦神裔宇治土公祖大田命云々。と有を以て。其幽契ある事を知べし。○隨猿田彦御所乞云々。重胤云。上に因曰發2顯我1者云々と。先に申させ給へる是なり。此に就て思ふに。猿田彦神より。天鈿女命に。送り給はるべき由を乞玉へるは。實は皇大神の御霊を。供奉らして。まづ伊勢國に御坐べき由を。云進め給へるにてこそは有けめ。然も有なんと思ふ事は。古事記に。其御天降の後の事にて。故爾(ニ)詔(ク)2天宇受賣命(ニ)1。此立2御前《ミサキニ》1所2仕奉1※[獣偏+爰]田彦大神。專所2顯申1之汝送(リ)奉(レ)と有は。其神の乞し給へるにてはなく。皇御孫命の大御心を以。詔ふなり。然れば記なるは後の事。此なる遂以待送焉と云は。先の事にて。已く皇祖天神の大命を以。皇大神と天鈿女命とは。其神の白させ玉へる任に。天八達之衢より道を別て。伊勢には天降しめ給へるにて。自別々なる御事なるを。一に説は。大なる誤にてぞ(858)有べかりける。記傳にも。此事を論れたれども。紀記の上に於て。互に一は省かりて。傳りつる故に。然異説に見ゆる事なるを。考漏されたりと云り。
 
時(ニ)皇孫|勅《ミコトノリシ》2天鈿女命(ニ)曰(ハク)。汝宜(ク)d以2所v顯《アラハシツル》神(ノ)名(ヲ)爲(ス)c姓氏《カバネト》u焉。因(テ)賜2猿女《サルメノ》君(トイフ)之|號《ナヲ》1。故(レ)猿女(ノ)君等。男女皆呼(テ)爲v名《ナト》。此(レ)其縁也。高胸。此云2多歌武娜娑歌(ト)1。頗傾也。此云2歌矛志(ト)1。
 
時皇孫勅天鈿女命曰云々。【本に曰字なし。今永享本丹鶴本に從て補ふ。】右に注る如く。猿田彦神は。伊勢に送奉らして。此は日向宮に仕奉らせざるが故に。天鈿女命をして。其神の仕奉る事を相承て。令2仕奉1給へる較掠なり。さるは記に。此立2御前1所《レリシ》2仕奉1※[獣偏+爰]田毘古神者。專所2顯申1之汝送(リ)奉(レ)。亦其神(ノ)御名者。汝負(テ)仕奉(レ)。是以※[獣偏+爰]女君等。負2其※[獣偏+爰]田毘古之神(ノ)名(ヲ)1而云々。と見えたる。其事を紀傳に。凡て名を負と云は。他人の名にまれ。物名に在れ。取て己が名に著を云ふ。其名を負持つ由なり。仕奉るは。皇朝に仕奉るにて。即後まで有る※[獣偏+爰]女の職是なり。さて是は※[獣偏+爰]田毘古神躬づから皇朝に侍て。仕奉り玉ふべきを。此神は幽契ありて。罷(リ)退て。伊勢に坐べきが故に。宇受賣命此神の代として。其御名を負持て。【近世に身の代を。名代《ミヤウダイ》と云は。此義によく當れり。】仕奉れと詔ふなり。汝負2其神御名1とは云ずして。其神(ノ)御名者。汝負(テ)仕奉。とある語勢に。心を著て(859)能々味ふべし。其神の代には。汝仕奉れと詔ふ意自含めり。と云れたるが如く。こゝに以2所顯神名(ヲ)1爲2l姓氏(ト)1。と詔へる。即其意なり。○姓氏を。本にカバネと訓るに就て心得あり。加婆禰はもと。其家の職名を云稱なり。【後には家々の氏に屬て云(フ)名目となれゝど。其もとは職名なり。此事こゝに云ては。いとまぎらはしけらばいはず。上卷安曇連の下に云る事共見合すべし。】されどこゝにては。職名にもあらず。只後世の稱號《シヤウガウ》のやうなる物にて。猿田彦神の猿と云名を取て。我稱號にせよ。と詔へるにて。即猿女と云る號是なり。さるは後世の如く。此時未(ダ)臣下に。姓氏を賜ふなどの制あらざりければ。記に其神御名者。汝負仕奉。とある如く。たゞ名とあるべきなり。上に云る如く。凡て名を負とは。他人の名にまれ。物名にまれ。取て己が名につくるを云。然るを。爲2姓氏1など。ことゞゝしく書れたるは。當昔の時世の風に。書取れたりし者とこそ見えたれ。【拾遺には。細書して。似2所v顯神名1爲2氏姓1。今彼(ノ)男女皆號爲2猿女君1。此縁也。と有て。注文の如くなるを思ふに。此も其類にて。後より書加たるものなるべし。】然るは。紀中賜v姓と云事は。垂仁紀二十三年に。湯河板擧《ユカハダナ》に。賜v姓曰2鳥取(ノ)造(ト)1とある。是始なり。其三十二年に。野見宿禰に。改2本姓1謂2土部臣1。と有を見れば。此より以前にも。姓氏を賜ふ事は有と雖。前代に係て云むは。餘(リ)なる事共なるべし。【記傳にも。此は漢文を修ろはれたるに就て。古意の主とある所を失へり。此記と合せて曉るべし。且此文には心得ぬ事あり。先上には姓氏と云て。下には號と云。忽違へり。と云れたり。また信友云。上古はよろづおほらかにて。姓氏などいふ事も。きはやかなる制はあらで。事(ノ)状にて。職名の如く。又嘉號の如く稱たるを。子孫に傳へて。後遂に姓氏とせる例あれば。これも其趣にてありけるを。大らかに語り繼ぎ。書も傳へたるものゝあるに依て。其を漢文に修ひ記さるゝに。文の調はで。古傳の主《ムネ》を失へるものなるべし。他の古書どもに考へ合せて曉るべし。と云り。此亦さる説なり。】○猿女君之號。猿女は氏。君は尸なり。さて右にも云る如く。其始はたゞ稱號なるが。後に君と云言をも加へ(860)て。遂にさだかなる。氏姓とは成れるなり。信友云。猿女君と云るは。其子孫の女子をも。世々に猿女と召して。神樂の職供奉らしめ給ひけるほどに。後に加婆禰を給ひて。猿女君と召されたるるに依て。さだかに姓氏とはなれるにて。古事紀其餘の書どもに。猿女君と云る處は。後の猿女君氏の。人等を指て云るなり。と云り。さて猿田彦の猿を取り。【かの猿がう態に取れるには非ず。思ひまがふ事勿れ。】女は此氏もと。女の仕奉る職名なるを以いふ。さて君は。後に云加婆禰なれば。こゝに預る事なく。此はたゞ賜2猿女之號1。とのみあるべきに。紀のみならず。記又拾遺にも。君(ノ)字を記れたるは。凡て尸は。此世々に替て。賜はれる例多かれど。此氏のみは。後世まで君の尸なれば。言馴れて自ら。君も氏の如く成れるなり。故(レ)何れも君字を添て。云るものと見えたり。【拾遺に。中臣齋部二氏云々。猿女君氏云々とあり。これ中臣齋部は尸をいはず。猿女にのみ尸を添て云へり。されば此も例によらば。猿女氏とあるべきものなるを思ふべし。】さて此氏の事に付て。記傳に云れたる説もあれど。彼五部の神の子孫。天武天皇の御世に。姓を給ひ。姓氏録にも出されたれど。【但し此中に。鏡作氏のみは。姓氏録に出されず。】鈿女命は女神にて。其裔の猿女氏は。女のみ其氏を負て。男の仕奉る事なき姓なる故に。天武天皇の御世に。姓を給へる事なく。姓氏録にも。此氏は出されず。然ればとて。此姓必しも子孫に非ざれども。是職業を相嗣て。仕奉る女等を。猿女君と號て。鈿女命を祖神とせるにや有む。と云れたる説は。更に證とは爲がたし。【下に信友説を引くを見るべし。】さて平田翁云。其職業は拾遺に。神武天皇段に。猿女君氏供2神樂之事(ヲ)1とある。是第一の職にて。次には鎭魂祭の儀なり。此も同書に。凡鎭魂之儀者。天鈿女命之遺跡(ナリ)。然則御巫之職。應v任2舊氏1。而今所v選不v論2他(861)氏1。所v遺九也。とあるにて知べし。【武郷云。なほ猿女の職業の。後まで大甞會鎭魂祭などに見えたる事ども。記傳に引れたり。信友云。天鈿女命之遺跡云々とは。鎭魂祭の時の神樂に。御巫の宇氣槽を覆せて。云々して仕奉り來れるは。高天原にて天照大神の御窟閇の時。鈿女命の神樂仕奉りて。招出し參れる。尊くめでたき儀を。遺跡のまゝに。代々相嗣て仕奉り來れる由なり。もはら漢文のまゝに鎭魂之儀とは意得べからず。また舊氏とは。鈿女命の裔の。猿女君氏にて。こゝにては。主と其氏の女子を云り。】拾遺を奏進れる頃。既にかく舊氏を任《メサ》れず。他氏を任(シ)給ふ事と成れりき。然るを類聚三代格に。弘仁四年十月の太政官符に。應v貢2猿女1事とて。右得2從四位下左中辨兼攝津守小野朝臣野主等(ノ)解(ヲ)1※[人偏+稱の旁](ク)。猿女之興。國史詳(シ)矣。其後不v絶。今猶現(ニ)存。【此文と。拾遺の應v任2舊氏1云々とを相應じて。猿女君氏の正しき家の在けることは著名なり。】又猿女養田。在2近江國和邇(ノ)村。山城國小野(ノ)郷(ニ)1。今小野臣。和邇部臣等。既非2其氏1。被v供2※[獣偏+爰]女1。熟捜(ルニ)2事緒(ヲ)1。上件兩氏。貪v人利v田。不v顧2耻辱(ヲ)1。拙吏相容。無v加2督察(ヲ)1也。亂2神事(ヲ)於先代(ニ)1。穢2氏族(ヲ)於後裔(ニ)1。積v日經v年(ヲ)。恐成2舊貫(ヲ)1。望請。令d所司(ヲシテ)嚴加2捉搦1斷c用非氏u。然則祭祀無v濫。家門得v正。謹請2官裁(ヲ)1者。捜2檢(スルニ)舊記(ヲ)1。所v陳有v實。右大臣宣。奉v勅。宜2改正1之者。仍兩氏(ノ)※[獣偏+爰]女。從2停廢(ニ)1。定2※[獣偏+爰]女公氏之女一人(ヲ)1。進2縫殿寮(ニ)1。隨v缺即補。以爲2恒例1。と格《オキテ》給ひてぞ。舊氏を任るゝ事とは成れり。其は西宮紀に。猿女依2縫殿寮(ノ)解(ニ)1。内侍奏2補之1。とある裏書に。貢2猿女1事。【弘仁四年十月廿八日。猿女公氏之女一人。進2縫殿寮1。】延喜廿年十月十四日。昨(フ)尚侍令v奏。縫殿寮申(ス)。以2※[草がんむり/稗]田《ヒエダノ》福貞子1。請爲2※[草がんむり/稗]田海子死缺(ノ)替(ト)1云々。天暦九年正月廿五日。右大臣令v奏。縫殿寮申。被v給2官符(ヲ)於大和近江國氏人(ニ)1。令v差2進猿女三人死缺(ノ)替(ヲ)1。云々と有て知べし。【按に。かく舊氏を任るゝ事となれるは。前に拾遺に。所v遺九也と。廣成宿禰の奏されしより。上にも然る事におもほし坐し。下にも心着て。野主等のこと奏せるに依れる事にぞ有べき。】さて稗田は。大和國の地名にて。天武紀に見えたり。【師云。今添上郡に。稗田村あり。此地なるべし。と云り。】其本家は。此地に住けむ故に。即て其地名を複姓として。猿女(ノ)稗田(ノ)公と稱しを。便にまかせて。(862)直に稗田とのみ釋るならむ。姓氏録には。此氏を出されねど。姓名録には見えたり。弘仁私記序に。天鈿女(ノ)命後也。と有れば。錯なき氏なり。古事記序に。稗田(ノ)阿禮とあるは。决く此氏人なり。【武郷云。阿禮を女として。猿女なりと云れたる説は。甚しき非なり。女を單に舍人と云事あるべくもらず。】さてまた。此氏人の縫殿寮に司らるゝ事は。彼寮は。女王及内外命婦。官人(ノ)名帳考課を。掌る官なればなり。【取要】と云れたるは然説なり。○猿女君等。こは後の猿女君氏の人等を。指て云なり。○男女皆呼爲名。記には。負2其猿田毘古之神(ノ)名(ヲ)1而。男女呼2※[獣偏+爰]女君1之事是也。とあり。【普通本には誤りあり。今は山田以文校本にしたがふ。】さて信友云。猿女氏の本末をとりすべて。證し考るに。まづ鈿女命。夫神《ヲカミ》に配《アヒ》て。【武郷云。夫神は知がたし。】生せる女子のありて。主と猿女の職仕奉て。繼々に仕奉り。さて其生せる男子どもは。別に妻を娶りて。猿女の氏人にてあるが中に。其族の別れて。出きたる氏のありて。かの稗田阿禮も。其族の中の氏人なるべし。【武郷云。山田以文の記る。諸社祠系と云ものに。能登國珠洲郡三島。舟木大宮司の系とて。須々神社。高座宮瓊々杵尊。金分宮木花開耶姫命。人王九代社御草創。猿女君友春。其子友澄。文禄四死。其子友永。慶安二死。其子友繁。元禄六死。其子友治天和三死。其子友親享保十七死。其子友胤。享保二吉田殿執奏ニテ。從五位叙。元文元死。と云る系圖あり。さて始祖友春の下に。系譜燒失。故先代不v知。と記せり。また能登國名勝志にも。須津比古神社。神代より御鎭坐。崇神天皇に御草創。昔は三崎の郷三十貫(ノ)神主。大宮司猿芽氏云々とあり。此も猿女君氏ありし一の證なれば。此にしるす。】また猿女氏は。舊仕奉る職名を以て。稱《ヨ》べる氏名なるを。後に加婆禰をまたひて。女子も男子も。猿女君と稱び。女子の其職仕奉るうへにては。猿女と稱例なりしとぞ聞えたる。抑この猿女の事はしも。いと殊なる神代の古實の。遺跡のままなる例なれば。尋常おしなべての。世嗣の例を以て。疑をなして。とかく論ふべきにあらず。と云れたる然る説なり。【撚るを記傳に。男女皆と云ることいかゞ。其故は男女皆呼ことは。萬姓の常なり。いづれの姓かは然らざらむ。殊更に云べき事にあらず。且此號は。女に局れる事とおぼしくて。男に※[獣偏+爰]女君と云ることは。諸の書に見えたることなし。故思ふに、此は男のみならず。女も(863)と云意にて。實は女を云むためにはあれども。かにかくに。男を云るはいたづらなるのみならず。事違ひてぞきこゆる。と云れたるは。此氏を女にのみ限りて負へるものと。思惑はれたる説なり。此氏女を本にてはあれど。亦其族の男にも云號となれりしを。記紀にも拾遺にも。弘く記したるものなり。此は實に。尋常の世嗣の例を以疑ふべきに非ずかし。】さて本に名を君と爲り。其に就て記傳云。此は猿田毘古神の名を取て。爲るなれば。猿女と云こそ主なれ。君と云はたゞ尊稱のみにて。此の由縁に關れる事には非るを。その主とある猿女をば略きて。たゞ君と呼ことを云るは。何の由ぞや。故(レ)思ふに。本は是も呼爲2猿女君1。とありけむ。上にも猿女君等とある故に。煩はしと思ひて。後人の生さかしらに。猿女二字を削れるにこそあらめ。と云れたるは。然る言ながら。【拾遺には。皆號爲2猿女君1とあり。】活字本又元々集本ともに。君を名と作り。名は上に號とあるに同じく。猿女君の名と云ふことになれば。いとよく通えたり。故今改めつ。【續紀十四。天平十四年八月の下。太秦公之名。と云る處の考證に。名金澤本堀本作v姓。雄略紀云。十五年秦氏云々賜v姓曰2禹都麻佐(ト)1。姓氏録蕃別。太秦公宿禰。又秦忌寸條載v之。賜v姓作v賜v號。案號猶v名。即謂v姓也。神龜元年二月。詔其負而可(キ)2仕奉1姓名賜(フ)。勝寶三年二月紀。遂絶2骨名之緒1。爲2無源之氏(ト)1。又姓氏録。名2大雀臣1負2岸田臣號(ヲ)1。腸2名賀佐1。賜2號島田臣1之類並可v證。とあるをも思ふべし。
(864)追加
 猿女氏
猿女氏を男も名乘て。朝廷に奉仕りしことは。上に云る如くなるが。此頃政事要略を見しに。又々其證とおぼしきえお見出したれば。こゝに擧ぐ。同書八十四糺彈雜事廿四。伊賀國百姓解申進雜愁|大《文カ》事。合若干條下に。云々一審讀申。右少史※[獣偏+爰]女副雄。右中辨大伴宿禰國道。少辨藤原朝臣村田。弘仁十三年七月廿二日。とあり。本に※[獣偏+爰]を授に誤れり。此處此人名三所見えたり。これうつなく※[獣偏+爰]女氏なり。
 
(865)日本書紀通釋卷之十八         飯田 武郷 謹撰
 
〔第二一書〕
一書曰。天神遣(シテ)2經津主(ノ)神武甕槌(ノ)神(ヲ)1。使(ム)v平2定《シヅメ》葦原(ノ)中國(ヲ)1。時(ニ)二(ノ)神|曰《マヲサク》。天(ニ)有2惡(キ)神1。名(ヲ)曰(フ)2天津甕星(ト)1。亦名(ハ)天(ノ)香々背男《カヾセヲ》。請(フ)先(ヅ)誅《ツミナヒテ》2此(ノ)神(ヲ)1。然(シテ)後(ニ)下(テ)撥《ハラハム》2葦原中國1。是(ノ)時(ニ)齋主《イハヒヌシノ》神(ヲ)號2曰《マヲス》《イハヒ》之大人(ト)1。此神今在2乎|東《アヅマノ》國|楫取《カトリ》之|地《クニ》1也。
 
天神は。天照大神高皇産靈尊を。ひろく申せるなり。【舊事紀に。天照大神高皇産靈尊。遣2經津主神武甕槌神1。とあり。】○天有惡神。こゝに天と云るは。大空を云るにて。後に此國にて。語り傳へたる時の語を以て。談れるにて。例多かる事なり。然れば天飛天翔などの天と同く。後の語り言にて。經津主神武甕槌神の。天に坐せる當時。大空を天と云るには。あるべからず。○天津甕星。名義。本書の香々背男の下に解り。○請先誅此神云々。重胤云。本書には。此星神の事。大己貴神の。八十|隈《クマヂ》に隱れ玉へる後の事と爲るを。此一書の趣は。然らず。先誅2此神1。然後撥2葦原中國1。と有て。前後に大なる違あり。此書の趣に因ていはゞ。二神の天降坐す中天に。星神ありて。天神の御趣けに順ひ奉らざりしかば。其言向をば。倭文(ノ)神建葉槌神に託(866)て。事向(ケ)しめて。二神は其に係列《カヽヅラ》はせ給はず。直に出雲國へ。天降らせ玉ふとして。出立す首途の祭事を。行はせ玉ふなり。故に建葉槌命は。大己貴神に。問給ふ方の事に預からせ玉はぬも。中天に止り玉ひしが故なり。と云り。山蔭に。此星神の事かく申せるばかりにて。其の誅ひたる事のなきはいかゞ。是時齋主神云々。とつゞきたるも聞えず。其下に既而といへる言もきこえず。彼是を以思ふに。是時の上に。星神を誅ひたる事。又齋主神の事をいふべきよしの事などありしが。其文どもの脱たるにぞあらむ。と云れたれど然らず。星神を誅ひたる事は。本書にも出たれば。それに讓りて。齋主神の御事跡(ノ)上にうつれるなり。○是時は。使v平2定葦原中國1とある。其の時の事なり。○齋主神とは。重胤云。まづ上古に。軍の首途。また國治めに出立つ時は。必ず其の道の口《クチ》にして。忌瓮《イハヒベ》を居ゑ。神祇を齋ひ祭りて。行く先きの平安を祈る事なり。此等の事は。記なる黒田宮段に。大吉備津日子命。與2若建吉備津日子命1二柱相副而。於2針間(ノ)冰《ヒノ》河之前1。居2忌《イハヒ》瓮1而。針間(ヲ)爲2道(ノ)口(ト)1以。言2向和吉備國(ヲ)1也。と見え。又水垣宮段に。大毘古命罷2往於高志國(ニ)1之時云々。於2丸邇坂《ワニサカ》1居《スヱテ》2忌瓮1而罷(リ)往(シキ)と見え。【此事此紀にも見ゆ】軍の首途には。必其主將たる人の。齋主と爲りて。神を祀祭る例なりしなり。肥前風土記に。三根郡有2神社1。名曰2物部(ノ)經津主神(ト)1。曩昔小墾田宮御宇。豐御食炊屋姫天皇。令3來目皇子征2伐新羅(ヲ)1。于時皇子番v勅到2於筑紫(ニ)1。乃遣2物部(ノ)若宮部《ワカミヤベヲ》1。立2社(ヲ)於此村(ニ)1。鎭2祭其神1。因曰2物部(ノ)郷(ト)1。とあるは。此齋主神を祀れるなり。されば今。經津主神。葦原中國を平定玉ふ大將軍として。出立玉ふ首途にて。躬ら齋主(8767)となり。忌瓮居て。神祇を祭り玉ふなり。さて齋とは。清潔にして。神を祀る事と。物を鎭め平定る事とを兼たり。されば齋主神と申すも。神を齋ひ祀ると。猛威を震ひて。葦原中國を平定ると。二義を兼たる職號なり。【此時未(ダ)經津主神の御名にはあらず。神武紀に。勅2王道臣命1。今以2高皇産靈尊1。朕親爲2顯齋1。用v汝爲2齋主1。とあるを以。職號なる事を知べし。】と云れたり。なほ次に云。○號曰2齋之大人1。本に曰宇なきを。丹鶴本安倍本にあるに從る。山蔭云。齋主とは。其時の其職をさして言ひ。齋之大人とは。其齋主たりし神(ノ)號をいへるなり。其は經津主神。此祭を總掌りて。其大人たりしを以。世に此神を齋之大人と號して。即此神の號の如くなりしなり。かくて齋主といふは。即齋之大人の約りたる稱にして。後にはすべて。祭の大人たる人を。齋主といひて。其職號となれるを。【武郷云。此説聊たがへり。すべての祭の大人たる者を。齋主と云ることなし。祭主また神主など云ることも一(ツ)に見られたるは非なり。】こゝには其後の職號をまづ擧て。其時の齋主たりし神は。世に齋之大人と郷せし神なりき。と云るなり。神名を言はざるは。當時齋之大人といへば。經津主神の號の如くなりし故に。それとしられしなり。されば※[楫+戈]取《カトリ》に祀る御名をも。たゞ齋主神とのみ。古書にも擧て。神名をば申さゞるなり。と云れたる如し。【上にも云る如く。齋主は職號。齋之大人は當時の神名なるが。後には職號の方却りて。※[楫+戈]取の神名と成(レ)る也。】されば此に。此神を齋之大人と申すは。自其齋を物爲玉へるなるを。祝詞に。香取(ニ)坐(ス)伊波比主命とあるは。祭られ給へる御名にて。主客の相違有と知べし。かくて記傳に。黒田宮段。水垣宮段に。軍の首途の處に。居2忌瓮1と有は。凡て國言向に。出立つ道(ノ)口にして。必爲る行事にて。行先|平安《マサキク》て。言向竟む事を鎭ひ祈るなるべし。偖其(レ)を。唯居2忌瓮1而とのみ云て。神を祭とも何とも云ざるは。古(868)神を祭て祈る事を。居2忌瓮1とぞ云たりけん。と云れたる説に就て。なほ考るに。事に就て首途するに。必軍神を祭るは。經津主神に始りたる神事にして。神武天皇に定りたる由縁。上に云るが如し。記傳に云れつる如く。古神を祭て祈る事を。居2忌瓮1と云けんか。此は神武紀に。自v此始有2嚴瓮之置《イツヘノオキモノ》1とあれば。此御世に始れる神事なる事。云も更なり。但經津主神の。齋之大人と在て。其祭祀を物爲させ玉へりける御有状は。如何なりけん。今知るべきよしなし。と云れたるはさることながら。彼神武御世なるも。天神の御訓に隨ひて。天香山の社中の土を取て。樣々の忌瓮を造り。高皇産靈神を軍神と忌ひ崇めて。諸の名稱をさへに。嚴某と定め玉へるを通し思へば。此御時の祭祀の有状も。大凡には知らるべきがごとし。かくて思ふに。齋主と申す事は。齋瓮主《イハヒベヌシ》の略かりたる御名ならんも知がたし。たゞに齋主とのみ心得ては。大凡の神祭の。神主祭主祝部などゝ。まがひやすきが如きこゆ。此はなほよく考べし。○東國とは。上野國碓日嶺より。東なる諸國を總て云稱なり。然云言の本は。景行紀に。逮2于碓日坂(ニ)1。時日本武尊毎有d顧2弟橘媛(ヲ)1之情u。故登2碓日(ノ)嶺1。而東南(ヲ)之望。三歎曰。吾嬬者耶《アガツマハヤ》。故因號2山東(ノ)諸國(ヲ)1曰2吾嬬《アヅマ》國(ト)1。とあり。記には碓日坂を。足柄山とせり。異傳なり。○※[楫+戈]取は。和名抄に。下總國香取【加止里】郡香取郷とある是なり。【※[楫+戈]は。和名抄舟具に。和名加遲とある字なるを。此に伽に用たるは。古加遲を加と許《バカリ》も云しにや。】總國風土記に。※[楫+戈]取東限2大高山1。西限2草川1。南限2大亘1。北限2國府(ノ)湊(ヲ)1。とあり。【平田翁云。處の古老説に。香取郷を。古くは大槻郷といひ。其後に大竹郷と云へりと云は。信なるか知らず。さて神宮のある地をば。龜甲山と云ふとぞ。】神名式に。同部香取神宮【名神大月次新甞。】と載され。名神祭式には。香取神宮一坐とあ(869)り。偖上に云る。齋之大人は。此神今在2東國※[楫+戈]取之地1。とあるにて。經津主神なること知られたり。其は春日祭詞に。香取(ニ)坐(ス)伊波比主命と見え。拾遺に經津主神を。今下總國香取神是也。とあるなど以知べL。さて此神※[楫+戈]取宮に坐し。又武甕槌神は。常陸國鹿島宮にます。しか此神等の。東國に坐々するよしは。平田翁云。武甕槌神經津主神二神の。妖神等を平け逐ひ玉へる状は。國内盡く逐ひ平つゝ。漸々に常陸國へ。逐集め逐及(キ)まして。此處の浦より。遂に外國の遠き處へ遣給ひし故に。此國邊に御靈を留め。宮を造らしめて。本(ツ)體は天上に復命したまへるにぞ有ける。と云れたり。【本體の天上に復命し玉へる事由は。常陸風土記。信太郡條に。古老曰。天地權與。草木言語之時。自v天降來。神名稱2普津大神1。巡2行葦原中津國1。和2平山河荒梗之類1。大神化道已畢。心存v歸v天。即時隨身器仗。(俗曰伊川乃)甲戈楯釼。及所v執玉珪。悉脱履留2置茲地1。即乘2白雲1。還昇2蒼天1。とある文にて知られたり。
 
既(ニシテ)而二(ノ)神。降2到《アマクダリテ》出雲(ノ)五十田狹之小汀(ニ)1。而問(テ)2大己貴神(ニ)1曰。汝(シ)將(ニ)以(テ)2此國(ヲ)1奉(ラム)2天神1耶以不《ヤイナヤ》。對(テ)曰《マヲサク》。疑(ハシ)之汝(シ)二(ノ)神(ハ)非(ルカ)2是吾|處來者《モトニキマセルニ》1。故|不《ズトイフ》v須v許(ス)也。
 
既而は。上の使v平2定葦原中國1の文を承て見るべし。○疑之。本に之字なし。脱たるものなるべし。今永享本に從て補ふ。さて二神の天神の御使と云をもどきて。然には非じ。吾處に來れるには有まじと。疑しく所思すよしなり。【其由は次に云】○故不須許也。此文いと疑しきを。強て考るに。本書にも。數々(870)云る如く。大己貴神本より。大義をば知し召て坐ますが上に。穗日命の言をも。聞看し納れて坐ますを。今かく二神に。非2吾處(ニ)來者1など。知(ラ)ぬ顔つくりて。答白玉ふべきよしなし。二神の天神の御使なる事は。あくまでも知しめしては坐々(セ)ど。按ふに二神は。天つ御位の威勢を示《ミ》せて。其動靜を試み玉はむとの。御態ぞ坐けむ。【かの五十田狹之小汀にて。十握釼を拔て。地に倒に植て。其|鋒端《サキ》に踞たまへるさまなど。しか見えたり。平田翁云。さるは此時二神に。事馴たる天夷鳥命の副てあれば。大國主神の御心のほどは。聞知玉ひつらめど。己命等の親しみて。知玉へるに非ざれば。若底に仇なむ心を。秘し持てや有むと心をおきて。まづ天(ツ)御使の威勢を示せて。其動靜を試みけむは。是また二神の。武き神性にとりては。誠に然もあるべき事にこそ。と云れたるも。さることなり。】故大己貴神も。天(ツ)御使なることは知しめしつゝも。然ばかり比類なき御功績ありて。大國主と坐すを。二神の威勢をのみ示せて。聊も勞《ネギラ》ひ敬ひ玉ふありさまのなかりし故に。其不禮を咎めて。まづはかく詔へるものなるべし。然れども後には。互に御心打和ぎて。問答ありける。其終に大己貴神より。天神に乞申し玉ふ事ありて。【此事は次に云】二神も尤なりと。思玉ふが故に。還昇りて。其状をば報告し給ひけむかし。【如此見ざれば。此處いかにしても通えず。其は次々にわきまふるを見て知べし。
 
於是經津主神。則還(リ)昇(テ)報告《カヘリゴトマヲス》。時(ニ)高皇産靈尊乃還(シ)2遣(シテ)二(ノ)神(ヲ)1。勅《ミコトノリシテ》2大己貴神(ニ)1曰(ク)。今者《イマ》聞(クニ)2汝(ガ)所言《マヲスコトヲ》1。深(ク)有2其(ノ)理(リ)1。故(レ)更(ニ)條々《ヲチ/\ニシテ》而|勅之《ミコトノリシタマフ》。夫汝(ガ)所治《シラス》顯露《アラハニ》之事。宜(ク)2是(レ)吾孫治《スメミマニシラス》1之。汝(ハ)則(チ)可(シ)3以|治《シラス》2神(ノ)事(ヲ)1。
 
(871)於是經津主神の下。武甕槌神の四字。貞丈校本にあり。○聞汝所言深有其理。重胤云。汝所v言と云に。右の疑(シ)之二神非2是吾處來者1。故不v須v許也。の言を聞食て。何ぞ深有2其理1とは詔給ふべからむ。條理を裁斷《コトワリワカ》つ程の言も無きに。何をか深有2其理1とは。詔下さるべき。故次破條々而勅之。と有を以て。大己貴神より。天神の御許に。申させ給へる御事に。條々の有けむを受けて。其申し玉ふ所に隨ひて。行下させ給ふ。大御政御坐ける御事を。見奉り知べきなり。今其條々を計へ見るに。第一條には。夫汝所v治|顯露《アラハニ》之事。宜2是吾孫治1v之。汝則可3以治2神(ノ)事1。とある是なり。第二條には。又汝應(キ)v住天(ノ)日隅宮者。今當2供造1云々。又供2造百八十縫之白楯1。と有る是にて。即古事記の文に。大己貴神の御答に。此葦原中國者。隨v命(ノ)既献(ラム)。但僕住所者。如2天神御子之天津日繼|所知之登陀流《シロシメストダル》天之|御巣《ミス》1而。治賜者云々。と見えたる。即天上にて天忍穗耳尊の。天津日繼所知食し御坐す。宮殿の如く爲て。治させ給はるべき由を。請奉らせ玉へるにて。此第二條。其大宮の状を以て。大己貴神の天日隅宮をば。令v造(ラ)給ふべき由の。御返事なり。第三條には。又當v主2汝祭祀1者。天穗日命是也。と見えたる是なり。此三條を以て。治させ給はらん事を。皇祖天神の御許に。請奉らせ玉ふ其(ノ)如く制可し。詔下させ給へるを以て。右に擧たる。記の文の所在を知べく。且は二神の。大己貴神の言を持て。天上に還昇らせ玉へる時をも。知べきなり。是(レ)此に記を抄出て。少か愚見を述る所以なる者なり。【天神本紀には。右の疑之汝二神非2是吾處來1者。故不v須v許也。十六字を書さずして。文を列ねたるは佳し。口訣に。深有2其理1者。以咎2不儀1。以宥v之。と云て。大己貴神をしも。不儀の神と爲る如きは。言に斷たる曲説なり。大己貴神の深意を。本より委くも探らざりければ。強事たらざる事を得ず。】と(872)云れたるは。然説なり。かく見ざれば。此の文意。更に明らめがたし。○條々は。物を一(ツ)々にわけて詔ふなり。即ち右の三條にて。細目は七條なり。○汝所治顯露之事は。此神の大八洲國を。經營固めて。大國主神と成坐し。世を治め坐る。萬の御政事をいふ。其は次なる神事に對へて。顯露はれたる事なればなり。さて顯露をアラハニと訓るは。下に顯露此云2阿羅幡貳1と。訓注あればなり。平田翁云。阿羅幡貳とある貳は。辭《テニヲハ》の爾を衍りて。加へたること。决ければ除きつ。常にもアラハとこそはいへ。辭ならでアラハニと云言は。かつて有る事なければなり。然るを祝詞考に。貳は利に通ひて。アラハリの事なり。と云れしは信がたし。と云り。【此説さる事とはきこえたれど。諸本何れも貳字あれば。容易くは除きがたし。尚よく考ふべし。】○宜吾孫治之。【吾字纂疏には皇とあり】平田翁云。此は高皇産靈尊の御言ながら。天照大神の詔を受て。勅ふ所なる故に。かく詔り。【また唯に親しみて。詔へる御言と見むも。惡からじ。】と云り。文義は口訣に。汝所治顯露之事者。造v國治2天下1。以宜v奉2皇孫1也。兼倶抄に。顯露之事云々。王道はあらはなり。天下を治るのあらはなる事をば。皇孫に附與して。汝は退て。神(ノ)事を治せよとの勅定なり。とあるがごとし。○可以治神事は。神事は。下に幽事とあるに同じ。天神本紀に。汝則可3以知2幽神之事1。と有を以思ふに。顯露之事に對へて。おきし字なれば。此所も幽神之事と。四字にてありけむを。後に寫し脱せるものなるべし。そはともあれ。纂疏に。神事(ハ)則冥府之事。と言れたるが如く。現事顯事の對にて。神の爲し行ひ玉ふ事業にて。現人神を輔相《タスケ》奉らせ玉ふ。御所爲を申せり。さるは天神御子の。現人神と御坐て。所知食す御政に並て。大國主神の。天日(873)隅宮に御坐して。行はせ玉ふ御政是なり。重胤云。世中の治亂興廢は。更にも云はず。人身の吉凶禍福の類。誰が成すともなくして。自然に止事を得べからずして。其所に至るなん。本より此大神の御心にて御坐ける。其は崇神天皇七年詔曰。【中略】今當2朕世1。數有2災害1。恐(ハ)朝無2善政1。取2咎(ヲ)於神祇(ニ)1耶。蓋(ゾ)d命2神龜1以極c巾致v※[うがんむり/火](ヲ)之所由(ヲ)u也云々。是時神2明憑《カムガヽリシテ》倭迹々日百襲姫《ヤマトトヽヒモヽソヒメノ》命(ニ)1曰。天皇何憂2國之不1v治也。若能敬2祭我(ヲ)1者。必當2自平1矣。我(レハ)是(レ)倭(ノ)國域内所居《クニノウチニヲル》神。名爲2大物主神1。時(ニ)得2神語(ヲ)1隨v教(ノ)祭祀(ル)。【下略】と所見たる。此大物主神と共に。大己貴神の御坐す由は。大三輪三社鎭坐次第を引て。已に注せるが如し。是世中の治亂興廢はしも。幽事に因れる的證なり。又其四十八年に。天皇勅2豐城《トヨキの》命|活目《イクメノ》尊(ニ)曰。汝等二子。慈愛《イツクシビ》共齊(シ)。不v知2曷(レヲ)爲1v嗣(ト)。各宜v夢(ル)。朕以v夢(ヲ)占v之。二子於v是被v命(ヲ)。淨沐而祈寐。各得v夢(ヲ)也。會明(ニ)兄豐城命。以2夢辭(ヲ)1奏2于天皇1曰。自登2御諸山(ニ)1向v東而|八廻弄槍《ヤタビホコユケシ》八廻|繋刀《タチカキス》。弟活目尊以2夢辭(ヲ)1奏言(ス)。自登2御諸山之嶺(ニ)1。繩(ヲ)※[糸+亘]《ハヘテ》2四方(ニ)1。逐《ヤル》2食v粟雀(ヲ)1。則天皇|相《アハセテ》v夢謂2二子1曰。兄則一片向v東。當v治2東國(ヲ)1。弟悉臨2四方1。宜v繼2朕位1。と見えたる。此二皇子共に。御諸山に登らせ玉へる夢を以て。奏させ給へるは。即其大神に。祈らせ玉へるなり。此御夢を以て。天日嗣を定奉らせ玉へる事は。謂ゆる幽事の御定に。因らせ玉へる者にして。是人身の吉凶禍福。共に其大神の御心に因る事を。見奉り知べき確證になむ。若て記(ノ)玉垣宮段に。品牟都和氣《ホムツワケノ》命の御事を。是子八拳鬚至(マデ)2于|心前《ムナサキニ》1。眞事《マコト》登波受。【中略】是天皇患賜而。御寢《ミネマス》之時。覺(シテ)2于御夢1曰。修2理我宮(ヲ)1。如2天皇之|御舍《ミアラカノ》1者。御子必眞事登波牟。如此|覺《サトシタマフ》時(ニ)。布斗摩邇爾。(874)占相《ウラナヒテ》而。求2何(レノ)神之|心《ミコヽロト》1。爾《ソノ》祟《タヽリハ》出雲大神之御心(ナリ)。故其御子(ヲシテ)令v拜2其大神(ノ)宮(ヲ)1云々。因v拜2大神1。大御子物|詔《ノリタマフ》。故參上來(ツ)。故天皇歡喜(ヒテ)。即返2菟上《ウナカミノ》王(ヲ)1令v造2神宮1。と見え。同天皇二十五年に。倭大神(ノ)御言に。然先皇御間城(ノ)天皇。雖v祭2祀神祇(ヲ)1。微細《クハシク》未(ダ)v探2其源根(ヲ)1。以粗(ニ)留2於枝葉(ニ)1。故其天皇短命也。是以今汝(シ)御孫(ノ)尊。悔2先皇之不1v及而慎祭(バ)。則汝(ガ)尊壽命延長。復天下太平矣。と見えたる。是(レ)人の病も命も。共に幽事の方より。治させ玉へる證文にて。天神御子の所知食《シロシメ》す顯露事とは。反對なる御事を。見奉知べき件なりかし。【右の如く。幽事と云は。今日我々が身上に在事共なるを。惡しく心得る時は。死て後に往べき。靈の上の事などゝ思ふなどは。古書を能も明らめざる説なり。】偖其幽事を。天神本紀には。幽神之事と作て。カタレタルカミノコトと訓たり。記の於2百不足八十※[土+囘]手1隱(テ)而|侍《サモラヒナム》。と有る。即幽事を所知食に當れり。侍《サモラフ》とは。物の側《カタハラ》より伺ひ居る事にし在ければ。人の爲す所業の善惡に就て。各治めさせ玉ふ御政御坐す謂なるにて。一條大閤の。顯露之事(ハ)人(ノ)道也。幽冥之事(ハ)神道也。二道猶2晝夜陰陽(ノ)1。二而爲v一。人爲2惡(ヲ)於顯明之地(ニ)1。則帝皇誅v之。爲2惡於幽冥之中(ニ)1。則鬼神罸v之。爲v善獲v福者。亦同v之。神事冥府之事。非2祭祀牲幣之禮(ニ)1。祭祀牲幣猶屬2顯露事1。と注させ玉へるは。誠に見徹し玉へる御説にて。古來此に勝れるはなくなん有ける。と云れたり。
 
又汝(ガ)應(キ)v住天(ノ)日隅《ヒスノ》宮(ハ)者。今當供造《イマツクラム》。即(チ)以2千尋|栲繩《タクナハヲ》1。結《ムスビテ》《セム》2百八十紐《モヽアマリヤソムスヒ》1。其(875)造(ル)v宮(ヲ)之|制者《ノリハ》。柱(ハ)則高(ク)太(ク)。板(ハ)則廣(ク)厚(クセム)。又|將2田供佃1《ミタツクラム》。又|爲《タメノ》2汝往來《イマシガカヨヒテ》遊(フ)1v海(ニ)之|具《ソナヘ》。高橋浮橋及天鳥船(モ)亦(タ)將供造《ツクラム》。又|於《ニ》2天(ノ)安河1。亦(タ)造(ラム)2打《ウチ》橋1。又|供2造《ツクラム》百八十縫之白楯《モヽヌヒアマリヤソヌヒノシラタテ》1。
 
汝應v住とは。神(ノ)事を知り給ふべき。御靈の住坐す所を云。即記に。大己貴神の乞玉ふ御言に。僕(ガ)住所《スミカ》者。とあるこれなり。○天日隅宮は。記に天之|御巣《ミズ》とあるに同じ。名義。天は例の稱辭。日は御と通ひて。これも稱辭なり。例は神壽詞に。日眞名子《ヒマナコ》とあるは。御《ミ》眞名子。比莽呂岐《ヒモロギ》は御室樹《ミムロギ》なるなど猶多かり。隅《ス》は出雲風土記に。日栖《ヒス》宮とある。栖の義なり。此は住所を稱へて言へる。上古の號と通ゆ。されば。高皇産靈尊の御言に。汝(ガ)應v住天(ノ)日隅宮と詔ひ。大己貴神の御言には。天之御巣と。白玉へるなり。かくて後に宮號とはなりて。即出雲(ノ)杵築《キヅキノ》大社是なり。さて重胤云。上にも云る如く。高皇産靈尊の勅に。今者聞2汝所1v言。深有2其理1云々。と詔ひて。こゝに又汝應v住天(ノ)日隅宮者。今當2供造1云々とあると。對へて熟々思ふべし。必其御對(ヘ)の御言に。避(リ)奉玉ひて後に。住坐べき宮造(リ)の事を。好み白し給へる事のありけむが。脱たる事著し。其文は。記に武甕槌神既に事代主神建御名方神を。言向竟(ヘ)坐して。後の事を記して。問2其大國主神(ニ)1。汝子等事代主神。建御名方神。二神者。隨2天神御子之(876)命(ノ)1。勿《ジト》v違(ハ)白(シ)訖(ヌ)。故放汝心奈何。爾答白之。僕子等二神(ノ)隨v白。僕(モ)之不v違。此葦原中國者。隨v命既献(ラム)。唯僕住所者。如《ナシ》2天神御子之天津日繼|所知之登陀流《シロシメストダル》。天之御巣1而。於2底津石根1。宮柱布斗斯理。於2高天原1。氷木多迦斯理而。治賜者。僕者於2百不v足八十|※[土+囘]手《クマデ》1。隱而侍。とある。唯僕所住者と云より。以下の御言ぞ。此時白し玉へる御言なるが。紛れて異時の傳の如くはなりしなり。【平田翁も。既に此説は立られたれど。此を事代主神建御名方神の。服ひ坐して。後に白し玉へるを。誤れる傳なり。として論はれたる説ども。甚く違へり。】なほ次々に云べし。○今當供造は。前に乞白し玉へるを。諾ひまして。今供造らむと勅へるなり。さて其造宮の事は。上に注るが如く。第二一書に。即以2紀伊(ノ)國(ノ)忌部遠祖。手置帆負《テオキホオヒ》神1。定爲2作笠者《カサヌヒト》1。彦狹知《ヒコサシリノ》神爲2作盾者《タテヌヒト》1云々。と有る。其神等をして。此天日隅宮をば。令v作玉へるなり。其事出雲風土記に。神魂命(ノ)詔之。十足《トタル》天(ノ)日栖宮之。縱横御量《タテヨコノミハカリ》。千尋|栲繩《タクナハ》持而。百|結《ムスビ》々(ビ)。八十結《ムスビ》々(ビ)下《サゲ》而。此(ノ)天御量持而。所v造2天下1。大神之宮造(リ)奉(レト)詔而。御子天|御鴉《ミヲノ》命(ヲ)楯部《タテベト》爲而。天降下之。と見えたる是なり。偖此の造は。其宮を造りて。治奉る事を云なり。【右に引る上文には。造と云事を略きて。鎭座む祭祀の事のみを宣ひ。此は其天之御舍を造り玉ふと云て。其鎭奉る事を。略かれたるながら。互に相照して。其條理聊も滯る所无くして。甚能通ゆる者なり。此を以ても。止に謂ゆる天之御巣と。此天之御舍とは。等しき事なるを知べし。】○千尋栲繩。千尋は。たゞ繩の長さをいふ。記に。栲繩之千尋栲繩。】栲繩は。栲の木の皮もて索《ナヘ》るなり。【栲(ノ)木は。豐後風土記に。栲(ノ)樹多生。常取2栲(ノ)皮1。以造2木綿1。因曰2柚富《ユフノ》郷(ト)1とありて。栲は穀(ノ)木の事なり。穀木の事は。上卷に云り。さて記傳に。栲字は楮を草書より誤りつ。と師はいはれつれど。楮字を書る例なければいかゞ。此はなほ別に和字ならん。といへり。】此繩上代には。普く何にも用ゐつと思しくて。古書に多く見えたり。歌に海人の栲繩。などいへる是なり。○結爲百八十紐。平田翁云。出雲風土記に。天日栖(ノ)宮之縱横御量。千尋栲繩持而。百結(ヒ)々(ヒ)八十結(ヒ)々(ヒ)下而。とあり。繩を幾條も結合せて。横を量り。また結(ヒ)下(ゲ)(877)て。縱を量り。高く廣く造る由の古文なるが。また大殿祭詞に。此乃敷坐(ス)大宮地波。底津磐根乃極美。下津綱根《シタツツナネ》。【古語。番繩之類謂2之綱根1。】波府虫能《ハフムシノ》禍無久云々。引(キ)結弊《ムスベ》留。葛目能緩《ツナメノユル》比。取(リ)葺計魯《フケル》。草乃噪岐《カヤノソヽキ》無久。と見え。顯宗天皇の室壽(ノ)御語に。取結(ル)繩葛《ツナネ》者。此家長御壽堅之也。などあるは。いと上代の家造は。いづこをも繩葛を以て。結固めし故の語なれば。此も其由かとも所思ゆ。【若然もあらば。風土記なる下(ノ)字は衍にて。上古以v繩結2構宮室1也と云る説あたれり。】と云り。○其造宮之制者。山蔭云。此は今當2供造1の下にあるべき文なり。千尋云々も。造宮の制なればなり。とあり。○柱則高大云々。太字本に大に作る。今熱田本丹鶴本等に據る。平田翁云。柱は高く大きを以貴とし。【武郷云。於2底津石根1。宮柱布刀斯理。また眞木柱太(キ)心者など。柱は太(キ)を貴ぶにより。かゝる云かけも有なり。】板は廣く厚きを美とするは常なり。是謂によりて。杵築(ノ)大社は。其構(ヘ)殊に廣く大きにて。他社に勝れり。故大社としも。名に負て。今世に至るまでも。尚然りとなん。【玉勝間に。出雲大社神殿の高さ。上古のは三十二丈あり。中古には十六丈あり。今世のは八丈なり。古の時の圖を。金輪の造營の圖といひて。今も國造の家に傳へもたり。心得ぬことのみ多かれど。皆たゞ本のまま寫しとれり。今の世の御殿も。大かたの御構は。此圖の如くなりとぞ。と云て。其圖を著されたり。就て見るべし。谷川氏は。聞v之其制四方施2八(ノ)柱ゐ1。中央有2心(ノ)柱1。自v礎至v棟。是十三間半。本口徑九尺。といへり。】とあり。○將田供佃。田とは神(ノ)御食(ノ)料なり。纂疏に。謂爲2神田1擬(スル)2粢盛1也と云り。さて出雲風土記。出雲那美談郷。所v造2天下1大神御子。和加布都怒志命。天地初判之後。天|御領田《ミシロタ》之長。供奉坐之。即彼神坐2郷中1。故云2三太三1。とある。天地初判は。幽顯初(テ)判れたる後を云るにて。其天御領田は。即此なる天日隅宮に。附玉へる神田を云なり。【猶又意宇郡出雲神戸云々。熊野加武呂命。大穴持命。二所大神等(ニ)依(シ)奉(ル)。故云2神戸1。とある神部を依奉れるは。供御の御田を。進らせ玉ふなるをも。合せて思べし。】と重胤云り。さて此の文。貞丈説に。田佃當2互換1と云り。さる言なり。○往來遊海。通證に。重遠云。出雲國湖海美大。(878)是其往來遊賞之具也。とあり。○高橋浮橋。又云。高橋(ハ)反橋。【平田翁云。海に橋は似つかはしからず。此は海とのみ云て。川に遊び給ふ具をも。兼て云るか。】浮橋(ハ)方(フ)v舟(ヲ)之橋。天(ノ)鳥船(ハ)敏速(ノ)之船。とあり。又重胤説に。爲(ノ)3汝往2來(ヒ)遊(ブ)海(ニ)1之具。は句にて。次に高橋浮橋。天鳥船の如きは。内(ノ)重外(ノ)重の御溝《ミカハ》水に。橋を架し。船を浮べさせ玉へるにて。其天鳥船は。海に遊ばせ玉ふ用に。充玉へる者と見えたり。と云り。此事なほ次に云ふべし。○於天安河云々は。、此神の高天原へ。參上り玉はむ時の料なり。○打橋。田沼善一云。打橋の打は。衣服に云る打着《ウチギヌ》の打と同じ。打はうちかくる義にして。今の世にもうちかけ。と云衣ある。その打掛とうちきと。名の意は全同じ事なり。うちとのみ云て。下にかけと云こと無て。かけと云るに同じく聞ゆるは。此詞に始よりさる意も有なり。打橋を。移《ウツ》しかくる橋の由に説るは。誤にて。打かくる橋と云事なり。柱も何もなくて。蹈て通はるゝほどとなる板を。たゞ渡したるを云るなり。打橋の名は。源氏桐つほにも。うちはしわたどの。こゝかしこのみちに。とありて。又夕貌にも其稱見えたり。細流の注に。渡《ワタ》殿のきり馬道《メドウ》に板をうちわたして。通ふ道なりと云ひ。用あらん時。とり放む爲に。釘してかためぬなり。と注り。此等が其名の本義を見るべき物なり。萬葉十に。機《ハタモノ》のふみ木もち行て。天河打橋わたす。君がこんため。とあるも。假初に打かくる橋なれば。ふみ木などをも用たるなり。と云り。此説よろし。○百八十縫之白楯。百八十は。楯の數多きを云。縫(ヒ)としも云は。縫て製るものなればなり。記傳云。楯は和名抄に。兼名苑云。楯一名※[木+滷の旁]。和名太天。また釋名云。狹而長曰2歩楯1。歩兵所v持也。和名|天太天《テダテ》。などあり。(879)名義は立《タテ》なるべし。兵庫寮式にや凡踐祚大甞會。新造(ノ)神楯四枚。【凡長(サ)一丈二尺四寸。本(ノ)濶四尺四寸五分。中濶四尺七寸。末濶三尺九寸。厚二寸。丹波國楯縫氏造。】戟八竿云々。其料。黒牛(ノ)皮八張。【各長八尺。廣六尺。】掃墨《ハキスミ》一斗三升六合。【楯別三升八合。戟別三合。】云々。商布四段四尺。【裏料。楯別二丈六尺。】云々。【猶其料物委く見えたり】とあり。是にて古の楯の事。大※[氏/一]に知らる。【楯を造るをば。縫と云へれば。皮を坂の面に縫合せて。張て。裏には布を張(レ)るなるべし。料の板は。載せざれども。厚(サ)二寸とあれば。必板に張れるなるべし。】とあり。平田翁云。白楯とは。纂疏に。白(ハ)木(ノ)色。大甞祭時。宮門之南立2楯戈1。是類也と見え。口訣に。白楯者必有2神社(ニ)1。神幸之時。以爲v圍。天子行幸時。畫v獣要2白楯1とあり。纂疏に白(ハ)木色白と言るを思ふに。餘に飾なく造れるをいふか。さて今楯の事を。かく詔へるは。社の周にもたて。又神幸にも用る料と聞ゆる物から。猶別に由ありげに所思れど。其は未(ダ)思得ず。【和名抄征戰具に。長曰2歩楯1。和名太天。歩兵所v持也。といひ。字彙に楯所2以蔽v身扞1v目云々。神武紀に。鳥見彦と戰ふ時に。取d所v入2御船1之楯u而下立。とも見ゆ。】と云り。【崇神紀に赤色楯戈。黒色楯戈を。神に奉りし事も見えたり】葦牙云。さて神社其ほとゝゝに。神田ある事。又船橋など作り奉り。神馬など奉る事も。此時より始れることなるべし。其は人の目にこそ見え給はね。常に船にも馬にも乘たまひ。海にも河にも。幸ある事なるべし。又諸社の祭に。卸輿奉りて。離宮また御旅所などいふに。奉仕ことあり。此は古書などには。見えざる事なれども。右の橋船などによりて思へば。此も上代よりの事なるべし。其は其所々に。古き傳説ありて。彼所の神は。其神の御祖(ノ)神。此處の社は御子(ノ)神。又兄弟の神に坐すなどいひて。其幸行の由縁なども。處々に皆よくいひ傳たりしを。人の心もみな漢ざまになりては。さる昔語は。これ幼稚き事とおもひて。語傳ふる人もなくなりて。絶たるなるべし。と云れたる。みな然る言どもなり。
 
(880)又|當2主《ツカサドラム》汝祭祀《イマシガマツリヲ》1者《モノハ》。天(ノ)穗日命是(レ)也。
 
汝祭祀とは。上に云る。天日隅宮。即杵築宮に奉仕する神主を云。さて天穗日命をしも。定給へるは。平田翁云。前に此神天降りて。大己貴神を媚和せれば。彼神の御心に應《カナ》へる事知べし。天照大神の御子。また日嗣御子の御弟なる神をしも。彼神の御心に應へるからに。其祭祀を主る神としも。定給へるは。御崇敬の極にぞ有ける。と云れたり。偖天穗日命是也とはあれど。此國に留りて。祭を主り給ふは。天夷鳥命なり。さるをこゝに。當v主2汝祭祀1者。天穗日命是也。と見えたるは。其神の御子孫をして。令v祭給ふ由にて。此時大神を。始て鎭め奉らせ玉ひて。諸部神と共に。天上に復命させ玉へりしなるべし。神賀詞に。八百丹杵築《ヤホニキツキノ》宮爾靜坐支。是爾親神魯伎神魯美乃命宜久。汝天穗比命波。天皇命能。手長大御世乎。堅磐爾常磐爾。伊波比|奉《マツリ》。伊賀志乃御世爾。佐伎波閇|奉《マツレ》登。仰(セ)賜志。次乃隨爾。供齋《イハヒコト》仕奉※[氏/一]。朝日乃豐榮登爾。神乃|禮自利《イヤシリ》臣能禮自登。御祷乃神寶《ミホキノカムタカラ》献良久登奏。と有は。天穗日命の。大己貴命を齋(ヒ)鎭めて。其禮實の神寶を※[敬/手]けて。天上に復奏し玉ひて。次《ツイデ》の隨に。出雲臣の仕奉る由なるが。記に。天菩比命之子。建比良烏命。此出雲國造云々等之祖。と見えたりければ。此國に留坐るは。其天夷烏命是始なる趣なり。即崇神紀にも。武日照《タケヒナテリ》命。一云|武夷鳥《タケヒナトリ》。又云天(ノ)夷鳥。從v天將來(ル)神寶。藏2于出雲大神宮(ニ)1。と見えて。其御父の天穗日命を云ざるは。其神はしも。天上に留まらせ坐るが故なりけり。(880)祝詞考にも。既く此等の事を。説て云れけるは。抑穗日命は。素戔嗚尊の御子なり。大己貴命は。素戔嗚尊の六代の孫なり。されども。大己貴命は天神の詔を受得て。天下を平(ケ)。諸の國を作り成て。大國主におはすれば。天(ツ)神王といへども。遂には媚給ひて。言治の成坐しつ。かゝれば穂日命の天降て。三年になるまで。漸に媚和し。宜き時を以。天に復命して。遂に天夷鳥命布都怒志命を天降し。建き稜威と。和し治ると。二を以て。大己貴命の日隅宮をば。天神の御巣なして。崇み齋ひ祭らしむといふ契して。避潜まり坐しめたるは。專穗日命の思兼によれり。故に終の祭をば。此命の主む物とは。詔ひしなりけり。此事古事記日本紀の。一わたりの言にのみよらば。罪有べきを。さはなくて。此命に大己貴命の祭をなさむものと詔ひ。又此命天へ歸り坐さずば。此神王の命もあるべからず。末にも下つ國に。此命の坐よしも有べし。武三熊之大人の。父命の命に順(フ)と云るも。かく媚ずば治むべからぬをもてのわざと知らる。古事記と紀にもれたる事を。神賀詞の古き傳をむかへて。思ひはかるべきなり。と云れ。又其頭書に。崇神紀に。詔曰。武日照(ノ)命從v天將來(シ)神寶。藏2于出雲大神宮1。是欲v見云々。とある。抑此命始め國平に。天降り給ふ時には。神寶を持て降り給ふべきならねば。此は後に大名特命を祭らむために。天降給へる度の事なるべし。かゝれば此命も。一度天に復命申給ひし事知らる。神代紀に見えたる如くのみならぬ事。同紀のうちにても。かくの如くなれば。此の文を疑ふ事なかれ。また穂日命は。皇祖神の命は有しかども。此祭をとらで。御子日照命を天降して。其事をとら(882)しめ給ひし事も知られたり。と云れ。後釋にも。古事記に出雲氏の祖を。天菩比命此出雲國造等祖。とは記さずして。天菩比命之子。建比良鳥命。此出雲國造等祖。と記したるは。考に云れたる如くなる故なり。と云れたる。みな然る事どもなり。【但し祝詞考の文には。をり/\いかゞなる處あれども。今みな本の如く擧たり。】さてかく。汝の祭祀を主む者は。天穂日命と詔ひしは。神賀詞に依るに。賀茂翁も言れし事の如く。只に大己貴命の御祀のみには非で。大己貴命を敬祭り。且つ御孫尊を。遠長く堅石に常石に。齋ひ奉らむ爲なること。神魯岐神魯美命の。穂日命に宜給ひし御言にて知られたり。偖重胤云。右の造宮の制はしも。然計の御勢にては。御坐ながら。猶天神御子の御舍《ミアラカ》の如くは。爲させ給ざりしなりけり。然して此時に至りて。今まで現人神にて渡らせ給ひし間に。所知食ける現事顯事をしも。天神御子に避奉らせ給て。御身自は。八十隈に隱させ御坐て。神事幽事を。所知食させ玉ふと爲ては。其鎭坐す宮の制をば。以前の状に易て。天神御子の住せ給ふ。天之御舍の如く。造らしめ玉ふべきを。乞奉らせ玉へるにて。此時に至るまで。天下造らしゝ大神と坐て。國土に在ゆる諸神を。從へさせ給ひ。滄海原潮之八百重を。悉くに主領らせ坐と雖も。天神に對奉りて。斯許《カクバカ》り己命の。慎せ御坐けるなりけり。今は天神御子に。相並はし坐て。神事幽事を所知食が故に。萬は天皇の如くに。會釋はせ賜へらむ御事を。天神にかくなん。乞奉らせ玉へるには有ける。天神の其に對へさせ玉へる大命の中に。又當v主2汝祭祀1者。天穗日命是也。と詔ひ下(シ)給へるを以ても。此より以後の状はしも。凡て天皇に准らへさせ給へる御事をなん。見(883)奉り知べかりける。【然れば。此文唯に造宮の制のみを。乞奉らせ玉へる状に心得むは。猶思兼の智至らざる所有が故也。萬の事をしも。皆がらに天皇に仕奉るが如く。治めさせ玉ふべき由を。天神に申させ玉へる物なりけらし。】偖其造宮の制はしも。拾遺に。令2手置帆負神。彦狹知二神1。以2天(ノ)御量1云々。造2瑞(ノ)殿(ヲ)1。兼作2御笠及矛盾(ヲ)1。と見えたる。是天照大神の。日宮の御事にして。其制ある始是なり。若てこゝに。汝(ノ)應v住天日隅宮者。今當2供造1云々。又供2造百八十縫之白楯1と有は。全く天神御子の。宮制の法なるを。其に准らへて。今此に令v造玉ふとなり。社則高(ク)太(ク)。板則廣厚は。記に謂ゆる。於2底津石根1。宮柱布刀斯理。於2高天原1。冰木多迦斯理。是なり。又將2田供佃1は。天皇の供御の料の營田《ミタ》に。准らへ給へるにて。出雲風土記に。天(ノ)御領田《ミシロタ》と云る是なり。又爲3汝往2來遊海1之具は。句にて。次に高橋浮橋天鳥船の如きは。内(ノ)重外(ノ)重の御溝水に。橋を架し。船を浮べさせ玉へるにて。其天鳥船は。海に遊ばせ給ふ用に。充玉へる者と見えたり。又於2天安河1云々と有る。天安河は。天上の河名なり。此天日隅宮の側の河をしも。其に准らへさせ給へるを以て。其天之御舍を移して。天上の儀式の任に。行はせさせ玉へる御事を。見奉り知べきなり。此等を以て。上天に在し天忍穗耳尊の。皇宮の御有状を。想像り奉るべく。又大國主神の。其造宮の制の如く。治させ給へらむ御事を。乞奉らせ玉へる御旨をも。推量り奉るべき者なりかし。と云れたるは。みなさる説等なり。
 
於是《コヽニ》大己貴神|報《コタヘテ》曰。天神(ノ)勅教《ノタマフコト》慇2懃《ネモコロナリ》如此《カク》1。敢(テ)不v從《シタガハ》v命《オホセニ》乎。吾(ガ)所治《シラス》顯露(ノ)(884)事|者《ハ》。皇孫《スメミマ》《マサニ》v治(メタマフ)。吾(ハ)將(ニ)退(テ)治(メム)2幽《カクレタル》事1。乃薦(メテ)2岐《フナトノ》神(ヲ)於二神(ニ)1曰(ク)。是(レ)當(ニ)代(テ)v我而|奉從《ツカヘマツレ》也。吾將(ニ)自v此|避去《サリナムトイヒテ》。即(チ)躬(ニ)披《オヒテ》瑞之八坂瓊(ヲ)1而長(ク)隱(リマシキ)者矣。故經津主神。以2岐(ノ)神1爲(シテ)2郷導《ミチビキト》1。周流削平《メグリツヽタヒラグ》。有(ルヲバ)2逆命者《シタガハヌモノ》1。即(チ)加斬戮《コロシ》。歸順者仍加褒美《マツロフヒトヲバマタホム》
 
慇懃は。泥母許呂と訓べし。【ネムコロと訓は。音便にて正しからず。】萬葉に葦根乃懃《アシノネノネモコロ》。また菅根乃《スガノネノ》慇懃。などあり。○吾所治顯露事とは。此時まで。大己貴命の治看すことなれば。かく謂へるなり。○皇孫當治は。右の汝所治顯露之事。宜2吾孫治1v之。汝則可3以治2神(ノ)事1とある。大詔のまゝに。幽神事をば吾|治《シラ》む。皇孫尊は。顯露事を知しめせと。讓申し玉ふなり。○退とは。彼謂ゆる八十隈に隱れむ。と詔ふにて。實は天神の造らしめ給へる宮に。鎭坐すを。退くと云るなり。○幽事。【舊事紀には。吾將3退治2幽神事1と。顯露事に對て。此も三字に作れること。既に云り。】本の訓に隨ひて。カクレタル事。と訓べし。【記傳に。これをカミゴトと訓り。古き訓にもあり。舊事紀の如くならば。カタレタルカミゴトと訓べし。】さて隱れたる事とは。現事顯事に對へて。神(ノ)事の。顯に目にも見えず。誰が爲すともなく。自然に行はるゝが如きを云なり。○薦岐神云々は。大己貴命は。既に此顯世を離りて。幽世に隱ろひ坐むと。思ほし給ふが故なり。纂疏に。岐神(ハ)主2道路(ヲ)1之神。薦2奉之1。而爲2二神先導1也。とあり。この神は。伊弉諾尊の黄泉よりかへり(885)玉ふ時。御杖を投給ふに生坐る神なれば。道行によしある神にて。今二神の。國を行めぐり給ふ案内《シルベ》とは。爲玉ふなりけり。【重胤云。此の岐神と申すは。伊弉諾尊の黄泉よりかへり玉ふ時。御杖に生坐る岐神、即それにて。比も大己貴神の所杖の廣矛を御體として。靈威を幸玉ふ神に坐り。されば本書に。以2平國(ノ)時(ニ)所v杖廣矛1。授2三神とあるも。こゝに薦2岐神於二神1。とあるも。別々の事に心得べからず。と云れたり。この事は。上卷岐神の下にも。已に引て云り。】○躬披瑞之八坂瓊。披は。【被に作れる本もあれど。字典に被通作v披。ともあれば。何れにてもおなじ。】字書に。荷v衣曰v披とも。被(ハ)負也【又帶也とも。】ともあれば。其義にて負《オヒ》而なり。纂疏に。披者負之意。如2披《オフ》v衣之披1とあり。御躬に八尺瓊を負持《オヒモチ》て隱坐るなり。さて今隱坐る時に當て。瓊を持去給ふ意は。知べからねど。御躬の装飾《ヨソヒ》はさるものにて。護身の御璽とも爲玉ふ。尊き瓊とおもほしける故ならむ。【纂疏に。以2瓊玉1爲v鎭也。とあるも。此意なるべし。】この瓊の事に就ては。諸注とり/”\に説あれども。みな説得たりとも見えず。ことに眞龍が。披字を登伎弖と訓るなどは。甚杜撰なり。又重胤は於伎弖と訓るも。字義に叶はず。【其説に。其玉を置し給へるなり。此玉を天神御許に。奉らしけるを。天神御子に傳りて、崇神紀に。先v是天照大神。倭大國魂神。祭2於天皇大殿之内1。とある御是なり。大倭神社注進状に引たる舊記に。倭大國魂神。亦曰大地主神。以2八尺瓊1爲2神體1奉v齋。と見えたる如く。大倭神社の神體と。齋れさせ坐けるなり。と云れたるは。平田翁の説に據られたるなれども。此時の瓊の。大倭神社の神體なること。更に證なし。】出雲風土記。意宇郡母理郷條。八雲立出雲國者。我靜坐《ワガシヅマリマス》國。青垣山|廻而玉珍置賜而守《メグラシテタマオキタマヒテモルト》詔。とあるも。玉を御身に添へ置して。護身の鎭と爲給ひしなるべし。【されど。この置(ク)とあるは。此の負と同(ジ)訓とは爲難し】○經津主神の下。武甕槌神の四字。貞丈校本にあり。補ふべし。上に薦2岐神於二神1。とあるにて。脱したる事知られたり。○郷導。平田翁云。美知備伎と訓べし。【舊くクニノミチビキ。と訓たれど非なり。其は谷川氏説に。郷は嚮と通へり。郷國の郷に非ず。と云るがごとし。】抑葦原中國の荒振神等を。平和し坐る事は。經津主武甕槌二神の。稜威に依ことにはあれど。また岐神嚮導して。御前に立給へる故に。枉神妖鬼どもの。殊に恐怖(886)りて。速けく神功竟給へるにぞ有ける。其は岐神はしも。伊弉諾尊の。預美國より荒び踈び來る物を。攘はむと念し凝し坐る。御靈によりて。成坐る故に。預美國に屬る物を。撥平る功あること。既に云り。然るに當時世に踈びたりし妖神どもは。預美國の穢惡に因て。成れる神等なる故に。二神の國巡りて。其妖神を攘はむ時に。此神を郷導とせば。速に其功の成なむ事を所思して。大國主神の薦め給へりしなり。果して御思慮の如く。御削平の功績の。伊豆速かりし事。此段に見えたるが如し。【されば。大國主神のこれまで。國巡り作堅め。荒振神を平給へる時も。常に此神を嚮導とし玉ひけん事は。云ふもさらなり。】と云れたる。然説なり。○周流削平。且(ツ)周り且平らぐるなり。周流を古寫本に。メグリアリキツヽ。と訓るよろし。此時の事を。式の祝詞等に。荒振神等乎波。神問志《カムトハシ》爾。問志賜比。神掃《カムハラヒ》爾。掃賜比※[氏/一]。とありて。神問し問し給へど。歸順奉らで。なほ荒振神等をば。神掃に掃ひたまへるなり。彼平國之廣矛を。杖歩《ツキアル》かせ玉ひて。荒振神を言向させ玉へるなり。出雲風土記に。意宇郡楯縫郷。云々布都怒志命之。天(ノ)石楯縫直《イハタテヌヒナホシ》給之。故云2楯縫首1。と見え。又山國郷。云々布都怒志命之。國巡坐時。來2坐此處1而詔。是|土《クニ》者|不《ズ》v止《ヤマ》欲《ホシト》v見《ミマ》詔。故云2山國1也。など有て。此間に種々の御事御坐けるなりけり。常陸風土記香島郡條に。豐葦原水穗クニ。所依將奉上始留《ヨサシマツリソムル》爾。荒振神等。又石根木立。草乃片葉|辭語之《コトヽヒシ》。晝者狹蠅音聲。夜者火光明國。此乎事向平定。大神從2上天1降供奉。と有は。武甕槌神の御事なり。又信太郡條に。天地權輿。草木言語之時。自v天降來神。名稱2普都大神(ト)1云々。甲戈楯釼及所執玉珪。悉皆脱屐。留2置茲地1。即乘2白雲(ニ)1還昇2蒼天1。と所見たる。是經津主神の御事なり。右(887)の乘2白雲1還昇2蒼天1と云は。此所より。二神共に。上天に還昇玉へるなるが。此にて御身に從へさせ給へる物を。留置せ玉へる。香取神宮の神體となり。鹿島神宮の靈形と成れりし御物共なるが。國の鎭めに殘させ玉へるにて。其地に靈を鎭めさせ玉へるなり。
 
是(ノ)時(ニ)歸順之首渠者《マツロヘリシヒトゴノカミ》。大物主神及事代主神。乃|合《アツメ》2八十萬神(ヲ)於天(ノ)高市《タケチニ》1。帥《ヒキヰテ》以昇(テ)v天(ニ)陳(ス)2其(ノ)誠※[疑の旁が欠]之至《マコトノイタリヲ》1。時(ニ)高皇産靈尊|勅《ミコトノリシタマハク》2大物主神(ニ)1。汝若(シ)以2國(ツ)神(ヲ)1爲《セバ》v妻(ト)。吾猶|謂《オモハム》3汝(シ)有(ト)2疏《ウトキ》心1。故(レ)今以(テ)2吾女|三穗津姫《ミホツヒメヲ》1配《アハセテ》v汝(ニ)爲《セム》v妻《ツマト》。宜(ク)領《ヒキヰテ》2八十萬(ノ)神(タチヲ)1。永《ヒタブルニ》爲(メニ)2皇孫(ノ)1奉護《マモリマツレ》。乃使(ム)2還(リ)降(ラ)1之。
 
是時とは。二神の天下を既に事趣竟玉へる時を云。平田翁云。此一書は。二神の復奏し玉へる事は。傳へ漏して。大物主神事代主神の。八十萬神を合《ツド》へて。其神等を帥て。共に天に昇り。歸順奉れる誠心を。高皇産靈神の御前に。陳し玉へるとの事なり。其は乃(ノ)字にて。しか聞えたり。とあり。○首渠者。【集解本には。首を酋に改めたり。】神武紀に。魁帥此云2比登誤廼伽彌《ヒトゴノカミ》1とあり。平田翁云。師言に比登碁能加美とは。其中の長を云とあり。人子之長の義なるべし。と云り。○大物主神。記傳云。つら/\此段を考るに。此神の御名。初には大己貴神とのみ有て。今の歸化へる處に至て。名を更て。かく大物主神とあるは。(888)即此時に。高御産巣日命の給へる御名なるべし。【神代紀にて。此一段は。事の趣まぎらはしき故に。古來種々解者誤れる事なり。よくせずは。まがひんぬべし。今其大旨を聊云む。まづ長隱矣。と云までは。此神の現身の事。大物主神及事代主神云々と云よりは。御靈の事なり。凡て神代の故事。現身と御靈と。差別なく語り傳へたる物なる故に。まきるゝ事多し。此段も此差別を。よく辨ふべき事なり。さて長隱とは。現身は八十※[土+囘]手に隱給ふを云。さて御靈をとゞめて。皇孫命の御護神となし玉ふ。其時に。高天原に參出たまひて。高御産巣日命の詔を蒙り玉ひ。大物主と云御名をも。賜はり玉ふなるべし。故此處に至りて。始て此御名を擧たるなり。されば帥給ふ八十萬神も。御靈を云なり。さて上文の。故更條々而勅之。夫汝云々とある。此つゞきの條々は。御靈の上の事を。豫て詔し玉へるなり。抑かく現身と御靈とを。別て見ざれば。此段解がたし。一條の内にして。前と後と。御名の替れるを以。此差別ある事を曉るべし。】物主とは。八十萬神の首として。皇孫命を護奉るを以。神之大人と云むが如し。とあり。平田翁云。凡て物と云稱は。萬に泛くわたる中に。我に對へる物を。泛く指て云こと多く。【たとへば。此人彼人を。此者彼者と云類なり。】其より轉りては。萬物をも物といひ。また移りては。鬼魅の類は更なり。神をも泛く物といひ。【そは物(ノ)氣。物狂。物の態。託《ツキ》物の爲《シ》たると云(フ)物の類是なり。また神を泛く物と云る事は。祈年祭詞に。踈《ウト》夫留物能云々。道饗祭詞に。荒備踈備來物。とある物など。凡て神を云り。】また正しく尊き神に對へては。邪神妖鬼の類をもいへり。【そは神代紀に。葦原中國之邪鬼とあるを。私記に安之支毛乃とあるなど是也。】さて此時帥給へるは。實に師(ノ)言の如く。事代主神を始め。八百萬神も。其靈なること著ければ。【さるは御自の現身は。既に杵築宮に隱鎭坐しり。事代主神の現身は。青柴垣に隱坐し。從へ玉へる神等も。風土記に。杵築宮を造り玉ひて。後は解散《アラケ》ましつる由みえたれば。其御靈を帥給へること。動くまじき師言なり。】物主とは。其神等をはじめ。人にまれ何にまれ。魂となれる限。また靈ある物の。幽冥に屬たる限は。萬國の物までも。盡く掌玉ふ由の御名にて。信に産靈大神の賜へる御名にぞ有べき。【崇神天皇の御世に。此神の御妻となり給ひし。百襲《モヽソ》比賣命の御墓を。晝は人の造れるに。夜は神の造れり。と有を以。有ゆる神の物主たること炳く。また同御世に。疫を流行せ玉へるを以。さる態を行ふ妖鬼の類にも。物主たる事著く。また同御世に。我を云々祭りては。外國人を參來しめむと。御託し坐るに。果して其御言の如くなりしなどを以て。外國の物までを。掌玉ふこと知られたり。】と云り。偖又本居翁説に。此神を神代紀に。大己貴神の一名どもを擧たる處に。亦名大物主神とあるは。古意に違へり。かくて世々の識者。たゞ廣く大己貴神の一名とのみ心得居る(889)は。古書を見ることの精しからざるなり。と云れたる。さる言なれど。或人説に。神代紀のみならず。拾遺にも。大己貴神の一名とし。また播磨風土記。美嚢(ノ)郡|志染《シヾミノ》里の處に。大物主葦原志許乎命などある大物主は。正しく大己貴命の亦名と聞ゆ。されば。此段に出たる。和魂大物主神とは。もとより別なり。其故は大己貴神は。既に須世理比賣命を。嫡妻としてある上に。重ねて高皇産靈神の御女を。后に給ふべくもあらざるをや。と云り。かく御魂にも顯身にも。通して申せるにて。大物主と申すも。兩方に通はせても稱す御名と見たらんに。妨なかるべし。○事代主神。此神も現身は既に。青柴垣に隱給ひしかば。是は御靈なり。○八十萬神。平田翁云。常には天神國神を總て云へども。こゝは國神等。八十萬神を云なり。其は大国主神事代主神の。素より從へ給ひし神等は更なり。是時經津主武甕槌二神の事趣《コトムケ》に。歸順たりし神等の御靈をも。悉|合《ツド》へ給へるなり。【但し其は。皆御靈なりし事も。上に云るを考へて曉るべし。】とあり。○天高市の事は。上卷【石窟段一書】に云るが如く。こゝも今八十萬神の合《ツド》ひ給へる地なる故に稱ふ。市とは。四方より人の集合ふ處を云名なり。さて天とは。天國にある地なるが故に言ること。本よりなり。○昇天。上に合2於天高市1といひて。こゝに昇v天とあるは。叶はざるが如くなれど。【故或説には。昇天字を。事代主神乃。の下に移して見よといひ。纂疏などには。天(ノ)高市を大和國なる高市ぞ。といへれど。共に非なり。】天高市に合《ツドフ》とは。其會合坐る地に附ていひ。さて昇v天とは。天照大神高皇産靈尊の大御許に。參出ますにつきて云るなり。【今始て天に昇坐るにはあらず。天に昇りませるは。高市に合(ヒ)坐る前にあるべきなり。さて天神の御許に。至り給へるを。天に昇るとしも云は。此段天に昇り坐るは。主と天神の御許に。至りまさむが爲なればなり。】○陳其誠※[疑の旁が欠]之至。平田翁云。此は一通りに解むには。此度歸順へ(890)る事の。違なき由を。陳せるなりと。解釋べけれど。誠※[疑の旁が欠]之至と書れたるが。小縁《オホロケ》ならず聞ゆるに就て。※[さんずい+單]く考ふるに。此は是時歸順の實を。陳たまへる事は。更にもいはず。しか服從ませる素《モトノ》懷をも。陳《ノベ》奏し給へりけむ。然るは此神の勤給へる。國作(リ)の御業は。産靈大神の命を承給へる。伊弉諾伊弉※[冉の異体字]二柱神の。成竟給はざる御業にて。素戔嗚尊の成竟給ふべき道理なるを。彼神は由縁ありて。此も其業成終ず。後に其|擧《コト》を此神に任し給ひ。國修竟て後は。天神御子に避《サリ》奉りて。終には其顯國の國魂神となれといふ。御諭ありし故に。國作竟給はむ後は。天神之御子に。讓奉るべき大義を。甚熟知看して坐しかば。避(リ)奉らざる以前といへども。聊も天津神に。禮なき意は持給はざる御有状なり。故今其事を白し。己命の勤給へる御業は。始に産靈大神の。二神に依給へる業を受嗣て。果せるなるを。今己に道理のまに/\。天神(ノ)御子に。天下の顯事は授奉り。幽事の御依《ヨサシ》うぃ承給りてあれば。是ぞ我が本分の道を盡して。素《モトヨリノ》懷をも遂たるにて侍りと。復奏し給へる事とぞ知られたる。と云れたるは。さる言と通えたり。○國神は。や高天原に坐神を。天神と申に對へて。葦原中國なる神を云なり。○妻をツマと訓るは。景行紀。嬬此云1菟摩1とあれども。女にのみは限らず。すべて物を兩つ並ぶる時の名なり。衣のつ。屋のつま。などのつまも同じ事にて。男女互に云稱なり。和名抄白虎通云。妻者齊也。與v夫齊v禮也。和名米とあり。○踈心。本のまゝにウトキ心と訓べし。今も睦び親しむ心の薄きを。うとしと云それなり。祝詞等に踈夫留《ウトブル》物。また踈備《ウトビ》荒備《アラビ》などの踈も。言の本は同じけれど。こゝにて(891)はさまでの義にてはあるべからず。○三穩津姫。平田翁云。御名義未思得ず。【出雲國の地名三保郷御穗之崎などあれど。此神の御名などは。然る地名を負給ふべくも非ねば。餘に由有べし。】式に。大和國城下郡に。村屋坐彌冨都比賣神社【大月次相甞新嘗】とある御社は。此神にて。清和天皇貞觀元年正月に。從五位上を奉られたり。【今|藏堂《クラトウ》村と云にありて。森屋(ノ)社とも。天王とも。白すとぞ】城上郡大神(ノ)大物主神社に。間近く立給へり。【口訣に。出雲國杵築大神(ノ)大后神社を。此姫神なりと云は。甚く違へり。彼社は須勢理毘賣命にて。本體大國主神の后神なる故に。杵築大神大(ノ)大后とあるなり。此は和魂大物主神の后なり。思混ふ可らず】とあり。かくて。駿河風土記に。廬原郡御穗神社。所祭大己貴命。又號御穗津比※[口+羊]命也。羽車磯田社離宮也。大己貴命登2天上1。奏2歸順1條。忽乘2御天日鷲大日鷲羽車1。休2御穗(ノ)御崎1。後其鷲爲v社。云々とあれども。此風土記は後の物なれば信がたし。鎭坐次第記に。三穗神社三穗津媛命と有は。村屋社の外に別社有か。猶考べし。○配汝爲妻。或人云。此大物主神は。未御嫡妻をば。持給はぬ事と聞えて。汝若以2國神1爲v妻とある。若(ノ)字最其意ある詔命なるを思ふべし。今此神に。高皇産靈尊御|親《ミヅカラ》の御女を配(ハ)せて。如此重く御|饗應《アシラヘ》したまへるは。所謂大物主とまして。天下の荒ぶる神等御魂等を。問(ヒ)和して。服從へ仕奉らしめ給へる。賞《メデ》の賜物とこそおぼゆれ。と云り。○領八十萬神。平田翁云。此勅命を熟思ふにも。大物主と申す御名は。是時に高皇産靈神の給へるならむ。と言れし師考の。動くまじくこそおぼゆれ。【其は八十萬神と云は。此にては。八十萬物といふべき意ばへあればなり。】と云り。○使還降之は。或人云。此顯國に還降らしめ給ふにて。式大和國城上郡大物主神社。とある此御社に。到り給ふべきは。云もさらなり。其は最早く己命の乞はし玉へるまに/\。大己貴命の親ら。齋き祭り置きたまへるを。おもふべしと云り。さて此時三穗津姫神をも。(892)帥て降り坐て。共に住給ひしなり。と云るもさる事なり。
 
即(チ)以2紀伊國(ノ)忌部(ノ)遠(ツ)祖|手置帆負《テオキホオヒノ》神(ヲ)1。定(テ)爲(シ)2作笠者《カサヌヒト》1。彦狹知《ヒコサシリノ》神(ヲ)爲2作盾者《タテヌヒト》1。天目一箇《アメマヒトツノ》神(ヲ)爲(シ)2作金者《カナダクミト》1。天(ノ)日鷲(ノ)神(ヲ)爲2作木綿者《ユフツクリト》1。櫛明玉神(ヲ)爲2作玉者《タマスリト》1。乃(チ)使(ル)d太玉命|以《ニ》2弱肩《ヨワカタ》1被《トリカケ》2太手繦《フトタスキヲ》1。而|代御手《ミテシロトシテ》以祭(ラ)c此神(ヲ)u者。始2起《ハジマレリ》於此(ヨリ)1矣。
 
即以紀伊國云々。以下は纂疏に。笠盾等。祭2大物主神1之具。五神則供2其事1也。【口訣にも。代2御手1者。代2天孫1祭2大己貴神1と云れたり。】とあり。集解に。以下叙d車爲(ニ)2皇孫降臨(ノ)1。先以2五氏1定c其職u。と云れたるは然らず。こゝは國避の御事に就て。大物主神大己貴神等を。祭らしめ給ふ式を。定め玉ふなり。さて其式に依りて。他神をも祭らせ給ふことゝはなれるなり。【記傳に。上に既に當汝v主2祭祀1者。天穗日命とあるを。又こゝに。諸部の神等をして。祭らしむるは。いかに。と云に穗日命の主り玉ふは。出雲杵築社の事なり。此は別に皇朝にして。祭玉ふなれば。何の妨かあらん。と云れたるが如し。】○手置帆負神は。弘仁私記に。弖於支保於比《テオキホオヒ》とある訓によるべし。さて此に紀伊國忌部とあるは。手置帆負。彦狹知。二神にかけて見るべし。平田翁云。拾遺にも。【神武天皇段】令2天冨命(ニ)1【太玉命之孫。】率2多置帆負彦秋知二神之孫(ヲ)1。以2齋斧齋※[金+且](ヲ)1。始採2山材1。搆2立|正殿《ミアラカヲ》1。故其裔今在2紀伊國名草郡|御木《ミケ》麁香《アラカ》二郷(ニ)1。云々とありて。二書ともに。其祖を二神に係たるを思ふに。彦狹知命は。手置帆負命の子にて。御父子ともに。木工《コダクミ》屋作《ヤヅクリ》などの事を。知玉へる故なりけり。【其中にも。父神は笠を作る事を得たまひ。子神は盾を作る(893)事を得たまひけん故に。こは持分て物し給へるなるべし。】さて其裔の紀伊國に住ける事は。彼國は木のよく生る國なれななり。式に紀伊國名草郡|鳴《ナルノ》神社。【名神大。月次相甞新甞】これ手置帆負彦狹知二神の御社なりとぞ。【其は帳考に。此社は日前宮の東五町ばかり。秋月村の東口にあり。荒廢れて社もなかりしを。享保十八年城主より造營して。舊址に隨ひて二社を建つ。社南面七尺さがり。瑞垣門あり。鰹木東は外そぎ。西は内そぎなり。社人を武川主馬と云。社域の内、西の方に齋館あり。神名知れず。其社より南六町ばかりに小山あり。忌部山と云。山下には小村あり。忌部村と云ふ。是即ち手置帆負彦狹知命の所居なる事疑なし。といへり。】永享大甞會記云。兵庫寮神楯桙立v之。件楯桙。紀州鳴神社氏人等相論之。經2御沙汰1之後。祝與2氏人1相合。楯一帖|充《アテ》造進。云々とあり。【是鳴神社の。手置帆負彦狹知命なる正き證なり。】さて此二神は。誰神の御子と云こと。書どもに所見たる事なく。據考ふべき便なきに似たれど。其裔の紀伊國名草郡に住るに就て。熱々に思へば。此は紀伊國造紀直の祖なるべく所思たり。其は姓氏禄【和泉天神】に。紀(ノ)直神魂(ノ)命(ノ)子|御食持《ミケモチノ》命之後也。【神代系紀にも。神皇産靈神兒。天御食持命。紀伊直等祖とあり。】また【河内天神】紀伊直。神魂命五世孫。天道根命之後也。【國造本紀に。紀伊國造。橿原御世神皇産靈命五世孫天道根命定2賜國造1とみゆ。世數よく符り。信に道根命は。神皇産靈神の五世孫なりけむ。然るを神代系紀に。天御氣持命の弟とせるは。誤なるべし。】また【和泉天神】大村(ノ)直。紀同祖|大名草彦《オホナグサヒコノ》命男。枳彌都彌《キミツミノ》命之後也。【また高野(ハ)大名草命之後也。とも見えたり。】三代實録に。貞觀五年九月。紀伊國名草郡人。内豎從八位下紀(ノ)直貞吉云々。などあるを。合せて思ふに。御食持命と云は。手置帆負命の別名なる事灼し。其由は。御食の食は借字にて。名義は御木持《ミケモチ》なるべし。其は御殿造る御木の事に。與かり持つよしの名なり。【上に引る。御木麁香郷の故事を思ふべし。】かくて此神。名草郡に住しを。其四世孫道根命の時に。【神武天皇御代なり】彼國造に定給ひき。正と云尸をも給ひて。此より國造の事は行ひつゝも。猶神代よりの由縁のまに/\。名草郡に住て。御木御殿の事。また御笠楯桙などを。造仕奉れる。其職號を。忌部とは云るならむ。紀直の名草(894)郡に住る事は。大名草彦といふ名を負る人あると。三代實録に。名草郡人紀(ノ)直貞吉と云人あるにて炳焉し。【なほ國史に。此郡(ノ)人に。紀氏見えたるを。今は此一人を擧て證としつ。】かゝれば紀氏より別たる家は。姓氏録に十四家ばかりも載られたる。其(レ)みな手置帆負彦狹知命の裔になむ有ける。と云れたり。なほよく考べし。○手置帆負神彦狹知神。又云。此二神の始めて。御殿を造り給へる事より。及ぼして。名義を考るに。まつ手置とは。手を布《オキ》て物を度《ハカ》るを云ふ。其は曲尺《モノサシ》を用るは。稍後の事にて。古は必手して度けむ故に。十握釼。八握|須《ヒゲ》。七握|脛《ハギ》などの都加。また八咫鑑の咫《アタ》。みな手の度なり。【かくて中古より以來。矢の長を。十三束十五束など云も。古風の遺れるなり。】帆負の帆は。借字にて尋負《ヒロオヒ》なり。尋は一尋二尋などの尋なり。【此は一尋け。二尋け。と云義成べし。】さて比呂《ヒロ》を保《ホ》と云は。船の帆《ホ》即比呂なり。【又軍装の保呂といふ物も。帆と同言なるべし。かく見る時は。帆も借字には非ず。正字と云べきか。】期て尋は。長一丈ならむ者は。尋も一丈あるべく。五尺の人は。尋も五尺なり。これ大抵定れる度なり。然れば小(キ)物は。手にて度《ハカ》り。大なる物は。尋にて度れりと見ゆれば。手置帆負命と。御名に負給へるなるべし。【武郷云。こゝに負と云義を説漏されたり。按に負とは。彦狹知の知と同じく。度《サシ》の本を負持《オヒモチ》掌る由の御名なるか。彦狹知命の彦は稱辭。狹知は。狹は借字にて。度知《サシシリ》の義ならんか。【左斯々利の斯々。一言に約まるは常なり。】其は尺度にて。物を度り給へるよりの名なるべくおぼゆればなり。但(シ)毛能佐斯を。唯に佐斯とばかり言むは。いかがにもおもふべけれど。毛能とは弘く諸物を指て言(フ)辭にて。佐斯とのみ云ぞ。本語なりける。【其はサシガネ。曲尺《カネサシ》のサシは更なり。さし對ひ。さしふたぎ。又二人にて物することを。さしにて爲《スル》と云などのさしも。此と彼と。差通れるを云て。同意なるべし。】さて掌《シリ》は。彼事を司《シ》る。此處を鎭《シ》る。また神ぞしるらむなどの斯留。みな同言にて。尺度を掌《シリ》給へる故の御名なるべし。【武郷云。此御名舊くヒコサチとも訓り。しかよむ時は。佐知と佐斯と通へば。彦|度《サシ》の義にもあ(895)るべし。】其は尺度は。家作に無くては叶はざるは。更にも云はず。萬の器械を作るにも。必用るべき物なるを。此二神さる方に。功く坐ます故に。各も各も其事を。御名には負給へるなりけり。と云り。【重胤も此等の説に就て。なほ云けるは。上代に物を量るに。身度なるあり。曲尺なるあり。拾遺によるに。二神は天御量こ依れる神名なり。手置は布v手と云に同じ。帆負は度《ホド》追にて,物の度を追て。量り行を云て。此は謂ゆる身度の神なり。次に彦狹知は尺《サシ》知と云事にて。右に云る天御量を以。物の規矩を定給ふ神名と聞ゆれば。此は曲尺の祖神になん。渡らせ給ひけると云り。合せ考ふべし。】○作笠者。笠は菅を糸以て縫て。作る物なる故に。萬葉に王之御笠爾縫有在間管《オホキミノミカサニヌヘルアリマスゲ》云々。また笠縫《カサヌヒ》之島。など云る地名も見えたり。【舊事紀に。笠縫部。崇神紀に笠縫邑。と云もあり】さて此笠。また次なる盾。木綿。玉。みな神事の幣物の料なり。【そは上の五部(ノ)神の掌り玉ふ職は。みな神事の料なり。と云る説を。こゝに思合すべし。こゝなる神等も。みな神を祭玉ふ時の爲に。降し給ふなりけり。】平田翁云。儀式帳に。新宮遷(シ)奉(ル)御装束(ノ)用物の條に。菅(ノ)刺羽二柄。菅(ノ)御笠二口。など見えたる即是なり。荒祭宮の装束の處にも。菅(ノ)蓋一柄。口(ノ)徑四尺五寸。金餝。とあり。また御笠縫(ノ)内人。無位乙郡部淨麻呂。右(ノ)人卜食定。補任之日。後(ヘノ)家祓(ヘ)清(メ)齋(ミ)慎。供奉職掌。御笠二十二蓋。御簑廿領。忌敬供奉。具顯2月記條(ニ)1。また四月十四日。神衣祭の次に。同日御笠縫(ノ)内人。造奉御簑廿二領。御笠廿二蓋。即散用大神宮三具。荒祭宮一具。とあり。【此外に。大奈保見神社。伊加津知神社。風神社。瀧祭社。月讀宮。小朝熊社。伊雜宮。瀧原宮。園相社。鴨社。蚊野社。などへ奉る。】と見えたり。此外に。年中行事四月十四日條。風|日祈《ヒノミノ》宮祭禮【號2御笠神事1。】の事なり。あまり長ければ略けり。按(ニ)内匠式に。菅蓋一具。菅并骨料材。從2攝津國(ノ)笠縫氏1參來作。とあり。右の笠縫内人。此笠縫氏。【姓氏録不見】など。手置帆負神の子孫なるや。いまだ考へず。○作盾者は。拾遺に。手置帆負命。讃岐國忌部祖也。また手置帆負命之孫。造2矛竿1。其裔今分在2讃岐國(ニ)1。毎年調庸之外。貢2八百竿1。是其事(ノ)證也。【此國より毎年矛竿を進れること。臨時祭式。また中右記大治二年六月八日の處等に見えたり。】(896)また令2手置帆負彦狹知二神1。以2天御量1。伐2大峽小峽之材1。而造2瑞殿1。兼伸2御笠及矛楯(ヲ)1。などあり。また踐祚大甞祭式に。楯。丹波國楯縫氏造v之。【阿波人池邊眞榛云。丹波丹後には。忌部に由ある神。あまた鎭坐事は。丹波氷上郡楯縫神社は。若くは彦狹知神には坐ざるか。】とあり。【此楯戟を作ること。委く兵庫寮式に見えたり。】これによりて思へば。矛をも手置帆負神の。作り玉ひし事はさらにて。此にも作矛者のことあるべし。若くは手置帆負神。定爲2作笠者亦作矛者(ニ)1。などありしが。脱たるにもあるべし。○天目一箇神は。【此神名も。弘亡私記に阿米萬比等都《アメマヒトツ》とあり。】姓氏録に。【山城神別】山背忌寸。天都比古禰(ノ)命子。天麻比止都禰命之後也。とあり。【なほ此神の事は。上卷天津彦根命の下に云る事あり。】平田翁云。御名義は。麻比止郡は。目《マ》一箇と書る字の意にて。此神は御目の。一(ツ)ましけるなるべし。【伊勢の多度神社の枝社に坐ます。俗に一目連と申す神を。此神なりと申すをも思ふべし。】根は稱言なり。故略きても申せり。【また麻比土都禰は。眞一根の意にて。日女島を天一根と云る類の。美稱かとも思へど。さる意ならむには。根を略きては云まじければ。なほ目一箇の意なるべし。】と云り。さて拾遺に。太玉命所v率神。天目一箇命(ハ)。筑紫伊勢兩國(ノ)祖也。【姓氏録。右京神別。桑名首。天津彦根命男。天(ノ)久之比乃命之後也。とあるを合せて思ふに。天目一箇命の御裔の。鍛冶部を統領りて。桑名に在しを。伊勢國忌部とも。桑名首とも云しならむか。さて上の手置帆負神の例によらば。此にも筑紫國(ノ)忌部遠祖とか。伊勢(ノ)忌部遠祖。天目一箇神とかあるべきなり。】また磐窟段に。令2天目一箇神1。爲2造雜刀斧。及鐵鐸1。また崇神段に。石凝姥神裔。天目一箇神裔二氏。更鑄v鏡造v釼などあり。【記の石屋段なる。天津麻羅は。天目一根命の亦名にて。此は鍛冶の遠祖なるが。此神と石凝姥神と二神にて。かの神鏡は造れるよしなり。】式播磨國多可郡。天目一神社。姓氏録に。菅田(ノ)首。天久斯麻比止都命之後也。とあり。【式に。播磨國賀茂郡菅田神社。近江國蒲生郡菅田神社とあるも。此神を祭れる社なるべ。記に天津日子根命。蒲生稻寸之祖。とあり。】○作金者。右の拾遺の文によるに。今も幣物の刀斧また鐵鐸などを造れるなるべし。【矛は手置帆負神の作り給へれば。此神の預り玉ふまじき事。上に云るを見合べし。】さて上卷の一書には。石凝姥爲2冶工(ト)1とあるに。此に天目一箇神を爲2作金者(ト)1と云るは。同じ事の樣なれど然らず。石凝姥は鏡の冶工な(897)り。天目一箇神は。唯の鍛冶なり。此差異を思ふべし。○天日驚神の事も。作木綿の事も。已に上卷に出。○櫛明玉神の事も。既に出。○作玉者。此神の作玉者となり玉ふ事も。既に出。さて拾遺に。櫛明玉命(ハ)出雲國(ノ)忌部玉作祖也。とありて。臨時祭式に。凡出雲國(ノ)所v進|御冨岐《ミホキ》玉六十連。令2意宇郡(ノ)神戸(ノ)玉作氏(ヲシテ)造備(ヘ)1。とあり。これ此神の裔孫の玉造なり。○手置帆負神より以下。みな大物主神を祭る幣物なり。此より以下は。其幣物を陳ねて。太玉命の取持ち。天兒屋命は。太占(ノ)卜事を以。神の御心を問せ玉ふ由の文なり。これを集解に引故ちたるは。甚しき非なり。○以弱肩被太手繦は。祈年祭祝詞に。辭別(テ)忌部能|弱者爾《ヨワカタニ》。太多須支《フトタスキ》取掛※[氏/一]云々。本居翁云。肩はつかひ目にて。折屈む所なる故に。弱とは云なり。と云り。されど祝詞考に。弱肩云々は。續紀の詔に。弱き身に重き任《ワザ》する事を詔へるに均しく。文に云て。且忌部の勞き仕奉るをあらはせり。と云る方まされる心ちす。重胤此説に據て。云れけるは。向ふ所の神を尊奉りて。殊更に謙退りて。弱肩と云て。文を抑へ。其より神事に仕奉る事の。懇到《ネモコロ》なる志を見せ奉りて。太襷と云て。文を起せる者なるが。是に依て。其の云列ぬる事の。二ながらに活きて。其心も厚く聞ゆるが如し。と云れたり。さて手繦の事も。神祭の時に手繦を掛る事も。既に神代上に云り。○代御手以祭此神。代御手は。私記に美弖之呂止之弖《ミテシロトシテ》とある訓よろし。纂疏云。代御手者。代(テ)2天子(ノ)自祭(ニ)1而祀之也。とあり。記傳云。御孫命に代り奉りて。御幣を取持を云なり。御手と云に心を付べし。たゞ代りて祭るとのみは。精しからずと云り。さる言なり。祭2此神1は。口訣に。(898)代2天孫1。祭2大己貴神1。と云るが如し。○始起於此は。纂疏に。謂2後世取2法(ヲ)於此(ニ)1也と云れたるが如く。杵築社を始め。諸社の御祭の式も。みな法をこゝに取れる也。
 
《マタ》天(ノ)兒屋命(ハ)主《ツカサドル》2神事之宗源《カムゴトノモトヲ》1者也。故(レ)俾(ム)d以(テ)2太占《フトマニ》之|卜事《ウラゴトヲ》1而奉(ラ)uv仕(ヘ)焉。
 
且。通證云。今按且(ノ)字緊承2上文(ヲ)1。諸家以2且以下1爲(シテ)2別段(ト)1説者。恐非。とあり。【さるを口訣には。上言2忌部氏所1v掌。此言2中臣氏(ノ)所1v掌也と云り。いかゞ。】○主神事之宗源者也。【本の訓はあやまりなり。またこの神事に。カミゴトとよめる訓もあり。本の如く神ノコトとも訓べし。】神事は。即上に幽事とも。神事とも云ると同く。纂疏の其の處の注に。神事則冥府之事。非2祭祝牲幣之禮1也。と云れたる。其の意にて。神事は神祇の事情なり。知2宗源1とは。其源根を探知る事にて。釋紀に引る龜兆傳にも。【此書龜相記と云書に。全文あり。疑はしき事もあれど。古書なり。】大詔戸命進(テ)啓(ク)云々。吾者能知2上國地下天神地祇(ヲ)1。况復(タ)人情(ノ)悒(ヲヤ)哉。とあるを以。知るべし。天兒屋命の神事の宗源を知れる由は。亦名大詔詞(ノ)命。久慈眞知《クシマチノ》命とも申して。【平田翁の考あり。なほ鹿卜起源と云ものに。久志眞智産靈命太祝詞命(ハ)天兒屋命別號也とあり。】卜事を知り給へばなり。次に云。○俾以太占之卜事而奉仕。右は云る如く。此神を太祝詞命。久慈麻治命とも申す事は。まづ天石窟前にて。祈祷の祝詞を申玉へるは。即此神に御坐が故に。亦名を太祝詞命とも申す。神名帳頭注。左京二條太祝詞命神。本社和州添上郡。對州下縣郡。天兒屋命也。とある是なり。【龜相記に。大詔戸神社(ノ)本社。在2三國(ニ)1。壹岐島壹岐郡。大和國添上郡。對島上縣郡。とあり。】さて式に。對馬島上縣郡。能理刀神社(899)を。津島記事と云書に。上縣郡豐島郷西泊村神社云2能理刀神社(ト)1。所祭三坐。宇麻志麻治命。天兒屋命。烏賊津臣命。とあり。【宇麻志麻治は。久慈摩治命の別號ときこえたり。宇麻志は稱辭。麻治は町にて。太兆の事に功坐る御名ときこゆ。烏賊津臣は。仲哀紀に見えたる。中臣烏賊津臣連に坐せば。本より龜卜に功有る神に坐せり。】又式に。同島下縣郡太祝詞神社。【名神大】この社の合殿雷命。始は佐須卿に御在しゝを。今與良(ノ)郷加志村に共に御坐す。と云り。其津島記事に。加志大明神社。祭2太祝詞命|雷大臣《イカツオミ》命1。即雷大臣(ノ)宮址也。側有2塋域1。方一丈三尺計。累v石爲v壇。雷大臣兆處也。とあり。又其佐須郷なるは。同署に。佐須郷神社云2八龍殿(ノ)神社(ト)1。祭2雷大臣命(ヲ)1。後從2社於加志(ノ)村(ニ)1。合2祭太祝詞神社。八龍殿(ヲ)1。今所謂八神殿卜灼之所。延喜式神名帳所謂雷命神社是也。と云り。かく雷大臣命の兆所なるが故に。即大詔詞命。久慈眞智命を。合祀れるなり。されば上にも云る如く。大詔詞命。久慈眞智命は。共に天兒屋命の亦名に御坐て。卜事を知る神なる事明らけし。さて其太占の卜事を以て。仕奉らせ給ふが。神事の宗源を知れる由なる事は。此時幽顯相分るゝに就ては。今まで現人神に御坐ましゝ。大己貴命には坐せども。隱身と成らせ御坐ませるに依て。直に御言語の事を得させ給はず成ぬるに依て。神の御心を。卜問せ玉ひて。萬に政ごたせ玉へる由にて。右件の神々は。天神御子の御伴として。仕奉らせ給へる神々には坐せども。夫より以前に。此(ノ)天(ノ)日隅宮御事に。仕奉らせ玉ひに。天降らせ玉ひて。復命し玉へるにもあるべし。さて奉仕は。通證に。重遠曰。謂v仕2皇孫1也。今按。此|本《モト》正通(ノ)説。然與2上文太玉命1。並(ニ)擧(トキハ)2其職(ヲ)1。則奉v仕2大物主神1爲2本義1云々。上文有2代御手《ミテシロ》之語1。則天子尚自祭v之。况兒屋乎。葢奉2仕此神(ニ)1。乃奉2仕(スル)天孫(ニ)1也。(900)と云れたるが如し。さてこゝに出たる。太占之卜事は。いかなる物を以。卜へると云に。此則後世まで傳はれる龜卜なり。釋紀に龜兆傳を引れたる。其因に。先師説云。此時卜者鹿卜也。【此は天石窟の時の事なり。】龜卜者。皇孫天降之時。大詔戸命進述2龜誓1之後。出來者(ナリ)云々。と云れたるにて知られたり。【龜卜の占方などの事は。崇神紀神龜の下に云。】重胤も此説を受て。三代實録貞觀十四年の下に。是雄(ハ)壹岐島人。本姓(ハ)卜部。改爲2伊岐(ト)1。始祖|忍見《オシミノ》足尼命。始v自2神代1。供2龜卜(ノ)事(ヲ)1。厥後子孫。傳2習祖業1。備2於卜部1云々。とありて。【卜部は中臣より分れたる氏なり。】龜卜に供奉る事を。始v自2神代1とある。其始を何れの神とか爲ん。天兒屋命より繼々。祖業を傳習ひて。今に至れるなり。【記傳に。上代の卜《ウラ》は。すべて鹿の肩骨を用られたり。龜卜を用る事は。漢のを學べる後の事なり。と云れたれど。更に證なし。鹿の肩骨を用ゐし事。石窟段をおきては。物に見えたる事なし。】通證に引れたる。藤齊延曰。對馬傳2龜卜(ヲ)1。自2雷臣命1。方d神功皇后征2新羅1時u。此命居2下縣郡佐須郷阿連(ノ)邑(ニ)1。以傳2龜卜(ヲ)1云。式。下縣郡雷命神社云々。姓氏録。津島直。天兒屋命十四世孫。雷大臣命之後也。神功紀曰。中臣烏賊津使主。爲2審神者《サニハト》1。其主2卜事1。可2以知1也。葢是乃祖之遺業。今|卜庭《ウラニハノ》神合2祭使主(ニ)1云々。とあるにて知るべし。と云り。
 
高皇産靈尊因(テ)勅《ミコトノリシテ》曰(ク)。吾(ハ)則|起2樹《タテヽ》天津|神籬《ヒモロギ》及(ビ)天津|磐境《イハクラヲ》1。當(ニ)爲(ニ)2吾孫《スメミマノ》1奉(ラム)v齋(ヒ)矣。汝(シ)天兒屋(ノ)命太玉命。宜(ク)持《モテ》2天津神籬(ヲ)1。降(テ)2於葦原中(ツ)國(ニ)1。亦(タ)爲(ニ)2吾孫《スメミマノ》1奉《マツレ》v齋(ヒ)焉。乃|使《シテ》2二神(ヲ)1陪2從《ソヘテ》天忍穗耳尊(ニ)1以|降之《アマクダス》
 
(901)因勅。通證に。玉木正英の説を擧て。因勅者。承2二神之職掌1而言とあるがごとし。さるを記傳に。此以下神籬磐境の事をも。大物主神の御靈を祭る料に詔へるなり。と云れしは。甚くたがへり。○吾則。拾遺には。大神の寶鏡を依し賜へる事の次に。此御言あり。吾則と詔へるさまを思ふに。大神の御鏡を授け玉へるに對へて。詔ふ御言として。よくきこえたり。此は文の次第。誤れるものなるべし。○天津神籬。崇神紀に。神籬此云2比布呂岐(ト)1とあり。この訓注こゝにあるべきに。かしこにあるはいかゞと。山蔭に云れたり。天津は美稱。神籬は守部説に。御森樹《ミモリキ》にて。神の靈《ミタマ》の憑《ヤド》り鎭《シヅマ》り坐る。森の樹立を指て云名なり。上代は出雲伊勢などを除ては。をさ/\宮殿はなくして。三輪山などの如く。生茂れる森ぞ。即神の御社なりつればなり。萬葉四に。味酒乎《ウマサケヲ》三輪之|祝我忌杉《ハフリガイハフスギ》云々。又七に。三幣取神之祝我鎭齋杉原《ミヌサトリミワノハフリガイハフスギハラ》云々。此等の忌杉も。杉原も。三輪山の比母呂岐を指るなり。又十一に。天飛也輕乃社之齋槻《アマトブヤカルノヤシロノイハヒツキ》とありて。其齋槻を指て。神名火爾紐呂寸立而雖忌《カムナビニヒモロギタテヽイハヘドモ》。とよみたる類にてさとるべし。又此比母呂岐を。常に御諸《ミモロ》といひ。又其御諸を。神南備と云も。神之森《カミノモリ》。また其母理は。隱《コモリ》【樹の繁リ隱りかなるを云。】の義にて。只云なしの少しぢゝ異れるのみ。本はみな同語なり。かゝれば。古書に御諸とあるを。御室の義と釋き來しは。本末の違ありて。古意を知ざるものなり。其は森を指て神社とせし世に。三諸とも神名火とも云し古語なるを。後に造りそめたる。宮殿の室《ムロ》の意として。爭か叶はむ。【但し宮殿出來て後は。其宮殿も御諸にてはあれど、御諸と云言意は。御室にては非ざるなり。】故紀記萬葉等の古書に。神社には。凡て御諸三諸などのみ記して。御室とも。(902)宮とも云ること見えず。【日(ノ)若宮。日隅(ノ)宮などあるは。皆現き神の作坐ける宮殿にして。神社とは元來別なり。】是(レ)本《モト》宮殿の。室より出たる言には非る故にぞ有ける。又萬葉などに。神杉神樹などよめるも。比母呂帰の事を指るなり。【俗に神木と云が如し。】又神籬。玉籬。瑞籬など。常に云も。標《シメ》結《ユフ》垣の事にはあらず。古き書に。青垣山路《アヲガキヤマゴモル》又|青柴垣《アヲフシガキ》など云。中古の歌に。嶺《ミネ》の松垣。杉垣などよめる類の垣にて。其垣【神社に。彼神杉神樹の多く植るを云。】即神靈の留り給へる。ひもろぎなりければ。此比母呂岐ト云言に。神籬(ノ)字は書ならひ來しにこそ。又雄略天皇大御歌に。美母呂能伊都加斯賀母登《ミモロノイツカシガモト》。とよみましつるも。猶ひもろぎの事なるからに。赤猪子が和歌に。美母呂爾都久夜多麻加伎《ミモロニツクヤタマガキ》。【齋哉玉垣なり。】と受たり。是等にて。神籬は即比母呂岐。比母呂岐は即神社なる事。思定ベし。【杜字を昔より。森に當て用來しも。神社は舊《モト》森なるから。其ひもろきの木に从をとり。社字形に似たるを以。借用たるなれば。漢の字義には拘はらず。即此間にて制したる字の如し。又社をヤシロト云も。屋代《ヤシロ》の義にて。神靈の爲には。ひもろぎ即|屋《ヤ》の代《シロ》なるよしなり。此訓自ら古義なり。】故上代は。假に神を祭るにも。常葉《トコハ》の枝を折來て。其枝に神靈を移しやどして。齋祭(レ)り。萬葉卷二十に。爾波奈加能阿須波乃可美爾古志波佐之《ニハナカノアスハノカミニコシバサシ》。阿例波伊波々牟《アレハイハハム》。加倍理久麻弖爾《カヘリクマデニ》。卷三に。吾屋戸爾御諸乎立而《ワガヤドニミモロヲタテテ》などよめるも。彼神杜の。ひもろきを摸《ウツ》して。祭る心ばへなり。と云り。此説にて比母呂伎と云ものゝことを知べし。○天津磐境。アマツイハクラと訓べし。【磐境を本にイハサカと訓るは非なり。】玉勝間云。堀川院百首に。榊兼昌。いこま山たむけは是(レ)か。このもとに。いはくらうちて榊たてたり。神籬磐境とある。ものゝさまと聞ゆ。いはくらうつとは。磐を以て座《クラ》をかまふる意なるべし。と云れたるは。然言なり。さて古く磐境を伊波久羅といひし例は。大三輪神三社鏡坐次第に。奥津盤坐《オクツイハクラ》大物主命。中津《ナカツ》磐坐大己貴命。邊(903)津《ヘツ》磐坐少彦名命云々。今少彦名命來2臨吾邊津磐坐(ニ)1。與2吾和魂(ト)1。共能可d敬祭守2皇孫1濟c人民u矣。於是起2立|磐境《イハクラヲ》1。崇2祭少彦名命1。云々とあるを見るべし。上には磐坐と書るを。下には磐境とせり。【これにて。磐境の訓動くべからず。然るをイハサカ又イハキなどよめるは。いづれも叶はず。】さて玉勝間に。磐以て座をかまふる意と云れたれど。此は必しもまことの磐石以。搆ふるのみをいふにはあらじ。磐は天(ノ)磐戸などの磐に同く。たゞに神の御坐を。しか稱へ云りしものなり。【御天降段の。離2天磐坐1の磐坐も。同じものなり。】拾遺に。崇神段に。倭笠縫邑。殊立2磯城神籬1。と云こと見えたり。此磯城は。此なる磐境と同きものなり。此紀には。此事を磯堅城とあり。堅は衍なり。○起樹とは。神靈を憑《ヤド》し奉る御坐を。搆へ樹るなり。さて神籬及磐境とはあれど。二物にはあらず。磐境即神籬にして。神籬は磐境を搆ふる神木なり。故次には持2天津神籬1とのみあり。拾遺には。たゞに建2樹神籬1。とのみあるにて知るべし。さて此は。平田翁説に。皇御孫尊の御守護と。殊更に御|親《ミヅカラ》の御靈を。齋ひ祭給ふなり。其は吾則とある御言にて。所知たりとあり。○持天津神籬云々。持降とは。齋ひ樹《タテ》たまひし。其神木を持降れとなり。後世春日日吉の神木を。振奉るさまを以思べし。山蔭云。これを待て降れと詔ふは。高天原より。葦原中國までの。途中の御守の爲もある故なるべし。と云り。さる事なり。○亦爲吾孫云々。平田翁云。今かく吾が自ら齋へりし神籬を持降りて。汝二神も。亦皇御孫尊の御爲に。齋ひ奉れと詔ふなり。【亦字此御言の眼字なり。此字に深く心を留めて見たらんには。其旨自からに著名ならんものなり。】さて此神籬は。後に神祇官西院に。八神を祭給ふ起原なり。其は拾遺の神武段に。爰仰從2皇天二祖之詔(ニ)1。建2樹神籬1。所謂高皇産(904)靈。神皇産靈。魂留産靈。生産靈。足産靈。大宮乃賣。事代主神。御膳神。【已上今巫(ノ)所v奉v齋也。】櫛磐間戸神。豐磐間戸神。【已上今御門巫所奉v齋也】生島。【是大八洲之靈。今生島巫(ノ)所v奉v齋也。】坐摩。【是大宮所之靈。今坐摩巫(ノ)所v奉v齋也】とある。從2皇天二祖之詔(ニ)1ば。正しく此の詔を云り。【武郷云。紀には。高皇産靈尊をのみ載たれど。拾遺神武段には。皇天二祖とあれば。初に天(ノ)兒屋命に命じ玉ひし時も天照大神高皇産靈尊の二柱に坐なるべし。】さて右の八神は。式に神祇官(ノ)西院坐。御巫祭神八坐。【並大月次新甞】神産日神。高御産日神。玉積産日神。生産日神。足産日神。【三代實録貞觀元年正月七日。神祇官無位神産日神。高御産日神。玉積産日神。生産靈日神。並奉v授2從一位1。同年二月朔。神祇宮從一位神産日神。高御産日神。玉積産日神。生産日神。足産日神。並奉v授2正一位1とあり。印本二月の文に。生産日神を脱せり。今は一本に依れり。】大宮乃賣神。御食津神。事代主神。と載《シル》されたり。【然れど。大宮乃賣神より下三神は。後に加祭り玉へるなり。其由は。此八神の中に。上の五神は。神位を授奉られし事。上に引く紀に見えたる如くなるに。大宮賣神より下三神に神位を授奉られしことなきは。此三神は延喜の頃などに。加奉られたるにて。貞觀の頃は。いまだ八神に加はり玉はざりし故なり。然らば。貞觀元年より。五十年あまり前に記せる古語拾遺に。此三神を加て。八神なるは如何と疑ふも有べけれど。彼書に。此三神の入たるは。疑なく後人の。延喜式によりて加筆せるなり。其は拾遺に。從2皇天二祖之詔1。とあるは。上にも云如く。正しく此の吾則とある勅を云る文なるに。其語に。此三神を祭るべき由緒のなければ也。○武郷云。此説は信がたし。正しく拾遺延喜式等に。八神の御名を載たるものを。神位の有無に據て。後人の加筆ならんと。定むべきやうやはあるべき。】と云り。さて右の八神は。いかなる由緒の御祭ぞと申さむに。いづれも産靈神徳|御坐《オハシマス》神にて。高皇産靈神皇産靈二神は。造化の二靈。陰陽幽顯の大元神にます。又魂留産靈は。魂鎭産靈と云事にして。天皇の御魂|鎭《シヅメ》坐し。かの令義解に。招(キ)2離遊之運魂(ヲ)1。鎭2身體之中府(ニ)1。故曰2鎭魂(ト)1。とある由の御名。生産靈足産靈は。天皇の大御體の。平安に生活《イキ》働き坐ると。滿足ひ坐(ス)方に。幸ひ玉ふ御靈神に坐せり。但し此三柱神は。此より外に見え玉はず。其傳を失ひしものなるべし。また大宮賣神は。君臣の聞を。中|執持《トリモチ》て和げ坐す。【拾遺に見ゆ。】事代主神は。八十萬神の御|尾前《ヲサキ》となり坐て。顯世に荒び踈ぶる妖神邪鬼の。禍を止め玉ふ事等。また御食津神は。天皇の大御食安く聞食させ玉ふ方に。(905)幸ひ坐すなど。みないづれも止事なき神等なり。【さて又御門。生島。坐摩の神等は。もはら大宮守護の御靈神に坐が故に。坐を分ちて。御巫も別に仕奉る例なり。】さて此高皇産靈尊の御言は。上にも云る如く。大神の御詔ありて。後に勅へる御言なる事は。拾遺に依て。然知られたれど。平田翁も云れたる如く。拾遺の此處に。混亂たることあり。其は此紀にては。吾則云々。亦爲2吾孫1奉v齋焉まで。高皇産靈尊の御詔なるを。拾遺には。文を改むる時に。誤れると見えて。吾則|起2樹《タテム》天津神籬(ヲ)1。云々降2於葦原中國(ニ)1。亦爲2吾孫(ノ)1奉v齋焉。惟爾二神。共侍2殿内1。能爲2防護1。宜以2吾高天原所v御齋庭之穗(ヲ)1。亦|當2御《マカセマツル》於吾兒(ニ)1矣。と記し。大神の御言を混らして。産靈神の御言とせり。此紀と合せ見て辨ふべし。すべて拾遺の此段は。大神の御言と。産靈神の御言と。入混ひたり。其心して見るべし。
 
是時(ニ)天照大神|手《ミテニ》持(タマヒテ)2寶(ノ)鏡(ヲ)1。授(テ)2天忍穗耳尊(ニ)1而|祝《ホキテ》之|曰《ノタマハク》。吾兒|視《ミマサムコト》2此寶鏡1當(ニ)猶《ゴトク》v視《ミルガ》v吾(ヲ)。可d與《トモニ》《オナジクシ》v床《ユカヲ》《ヒトツニシ》v殿《ミアラカヲ》以爲c齋《イハヒノ》鏡(ト)u。
 
是時云々。此御事實は。天忍穗耳尊の。先(ノ)度に天降らせ給ひし御時に。御坐し御事なるを。【口訣に、是始欲v降2天忍穗耳尊1時(ノ)神勅也とあり。】此に瓊々杵尊を。天降させ給ふに當りて。更に此大命を負せ給へるよし。既に云るが如し。所以に。拾遺には。其瓊々杵尊の御天降の所に。即以2八咫鏡及草薙釼二種神寶(ヲ)1。授2賜皇孫(ニ)1。永爲2天(ツ)(906)璽(ト)1。【所謂神璽釼鏡是也】矛玉自從。即勅曰。吾兒視2此寶鏡1云々。と續け載たり。○寶鏡は。即八咫鏡に坐す。重胤云。寶鏡と有は。石戸開の時に。此に依て感けさせ玉へりし。皇大神の御許にて。寶と爲させ給へる謂なり。○祝之曰は。此に天壤無窮の神勅の御事御坐て。寶祚を言壽給へる御旨に。證して祝奉らせ給へる謂なり。然して此の祝之曰を。私記に保岐※[氏/一]と訓み。大殿祭詞に。天津|璽《シルシ》乃鏡釼乎。捧持賜天。言壽宣《コトホギノリタマハ》志久とあり。然して其言壽を。古語許止保企。言壽(ノ)詞如2今(ノ)壽觴(ノ)之詞(ノ)1。と有を。神祇令に。凡踐祚之日。中臣奏2天神之壽詞1。忌部上2神璽之鏡釼(ヲ)1。とあるを。合考るに。御世々々の踐祚に。忌部氏の鏡釼を上り。中臣氏は壽詞を奏すは。此の故事に擬ひ仕奉る事。申も更なり。と云れたり。○當猶視吾。記云。於是副(ヘ)2賜(テ)其(ノ)遠岐斯《ヲキシ》八尺(ノ)勾※[王+總の旁]鏡。及草那藝釼。亦常世(ノ)思金神。手力男神。天(ノ)石門別神(ヲ)1。而詔者。此之鏡者。專爲2我(ガ)御魂(ト)1而。如v拜2吾前(ヲ)1。伊都岐奉(レ)。次(ニ)思金(ノ)神者。取2持|前《ミマヘノ》事(ヲ)1。爲v政。此二神者。拜2祭佐古久斯呂|五十鈴《イスヽノ》宮(ニ)1。とあり。此に視2此寶鏡1。當v猶v視v吾は。記に如v拜2吾前(ヲ)1。伊都岐奉。とある是なり。記傳云。爲(シテ)2我御魂(ト)1とは。神賀詞に。大穴持命之申給久。云々(ト)申天。己(レ)命(ノ)和魂乎。八咫鏡爾|取託《トリツケ》天。とある如く。大御神の御|神靈《タマ》を。此御鏡に取|託《ツケ》て。賜はするなり。然れば天照大御神の御靈は。全(ク)此御鏡に坐々ものぞ。吾前とは。現御身の大御前なり。伊都岐奉(レ)は。今まで吾御前に侍坐て。親近《シタシ》く拜(ミ)奉玉ひし如くに。今よりは。此御鏡を祭玉へとなり。とあるにて。其義明けし。○同床共殿。重胤云。同床とは。床は大殿祭詞に依ば。高御座及(ヒ)常の御在所を云ひ。共殿とは。殿は天皇の天下に照(907)臨ませ給ふ。正殿【即|大安《オホヤスミ》殿】の事にして。皇祖天神と。天皇と。御座を一に爲させ坐(ス)謂(レ)是なり。拾遺に。宜太玉命率2諸部(ノ)神(ヲ)1供2奉(ルコト)其職(ニ)1如(セヨ)2天上儀(ノ)1と見え。其下に。天照大神本與v帝同殿。故(レ)供奉(ル)之儀。君神一禮。とも有が如くにして。實に天上の儀式の如く。皇大神と。皇御孫尊の大前に。侍らはれて。神と君との御中を隔る事なく。仕られし者なりけり。如此くして。御世々々を經行つるに。崇神天皇六年に至りて。天照大神を異處に遷し奉り。別に立2磯城神籬(ヲ)1。と有て。漸に神と君との御間。遠く成らせ御坐けるに。猿田彦神と。豫め御幽契の御事。御坐に依て。其初て天降り御在し著せ玉へる。五十鈴河上宮に。鎭定らせ玉ふべき期。已に至れる者とこそは。所思えたりけれ。若て皇女豐鋤入姫命を。御杖代と爲て。奉らせ玉へるは。謂ゆる齋内親王の御初なるが。皇子等も數多御座に。殊更に皇女をしも。屬(ケ)奉らせ給へるは。神代以來。其正殿に御坐す間は。皇后皇女などを以て。日々の大御祭を。令2仕奉1玉ふ事。今も士庶人の家の祭事。多くは妻女などに委任て。令v行る如く。萬に簡易なりつる。上古の風儀なりし故にこそ。【其女儀を以て。神祭の事を行はれし例は。神武天皇時、勅2道臣命1云々。授以2嚴姫之號1と有て。嚴姫に代て。道臣命を以て。令2仕奉1玉へるなるべし。又崇神天皇六年に。亦以2日本(ノ)大國魂神1。託2渟名城(ノ)入姫命(ニ)1令v祭。と見え。其十年に。武埴安彦が謀反の萌《キザシ》有けるを。倭迹々日百襲姫命の。吾聞武埴安彦之妻吾田媛。密來之取2倭香山土1。裹2領巾頭《ヒレノハシニ》1。祈曰云々。と有るも。夫の爲に妻の祭主と爲れるなり。又仲哀天皇八年。時有v神託2皇后1。而誨曰云々。と有も。神功皇后元年。皇后選2吉日1入2齋宮1云々。と有を合せ見るに。先には天皇の命に依て神主と爲り。此には皇后の御心として。仕奉らせ玉へるなりけり。】と云れたり。○爲齋鏡は。記に伊都岐奉(レ)とある即是なり。其齋き奉り玉ふさまは。拾遺の橿原朝段に。捧2持天璽(ノ)鏡釼(ヲ)1。奉2安正殿1。と書して。(908)當2此之時1。帝之與v神。其際未v遠。同v殿共v床。以v此爲v常。故神物官物。亦未2分別1。と云る。此を以て。上世の状を伺奉るに足れり。又天照大神本與v帝同殿。ともみえたり。是天照大神の。寶祚を守(リ)奉らせ玉はむとの。大御命御坐が故に依てなり。故拾遺に。以爲2護身(ノ)御璽(ト)1。と見えたる是に同じ。故(レ)口訣には。以爲2齋鏡1者。猶宜v爲2守護(ノ)鏡1。と注されたり。建暦御記に。世(ノ)始同v殿御座之間。主上朝夕不v放(タ)2御|本鳥《モトヽリヲ》1。と見えたる。此を以て。神と皇とは。常に親近しく御座ける御事を。見奉知べきなり。世始同v殿云々は。崇神天皇御世まで。謂ゆる同床共殿にて。御坐し間の御事を宣へり。主上朝夕不v放2御本鳥1。は。其装束(ノ)條に。御本鳥(ハ)紫(ノ)絲也。本鳥乎取天。先乎二(ニ)結分也。是非2臣下作法(ニ)1。帝王御作法也。と有る。是にて神代に所謂御髻なる事。既注るが如し。此御趣にては。其天皇の内に。齋奉らせ玉へりし上古は。常に御髻に掛させ御坐て。天下に臨ませ玉へるなりけり。後に日本武尊の東征に。御姨倭姫命より賜りて。草薙釼を常に佩(キ)賜へるを以ても。當昔神と皇との御間。甚々御親しく御坐し坐に就て。天神御子も。亦神々しく御在坐ける御事を以て。見奉り知べくなむ有ける。其御文の續に。仍冠(ノ)巾手(ニ)融(シ)v緒(ヲ)被v結2御冠(ノ)穴(ニ)1。此故也。と見えたるは。江次弟十一に。内侍所者神鏡也。本與2主上1御同殿。故院被v仰云。帝王冠(ノ)巾子(ノ)左右(ニ)有v欠。是内侍所御同殿之時。主上夜不v能v放v冠。給2御眠1之時。御冠屡落。仍以2挿頭(ノ)華1。自2巾子穴1通2御髻1也。と有る。此に依せ給へる者なり。抑冠の制は。上古よりの物に非ずと雖。上古には。主上の御髻に。神鏡を掛させ御坐ける。其故實を存して。御冠の巾子に。穴を開られ(909)て。緒を通し。結はせ玉ふは。今も護身御璽と爲て。其神鏡を頂奉らせ玉ふ御心にて。實に古語拾遺に謂ゆる君神一體の御風儀。仰ぎ奉るも餘有べき御事なり。其御装束條に。御冠白地不2御跡(ノ)方(ニシタマ)1【在江記】と有も。神鏡を重みし奉らせ玉ふ。故實に依らせ玉ふべき御事。申すも更なる御事ぞかし。垂仁天皇御宇。始爲2別トノ1。御2温明殿1とあるは。江次第に依らせ給へるなるべきか。此は御記に。同年に伊勢神宮に。御鎭座の御事を。記されたるより。出たる説なるべし。本朝事始に。崇神天皇六年己丑。始制2温明殿1。以2三種之神器(ヲ)1。安2置此殿(ニ)1。後代之内侍所。以2右之温明殿1表之始也。とある方や勝らまし。然るは。崇神紀六年。畏2其神勢1。共住不v安と有て。磯城神籬を定奉らせ給ひて。眞の神鏡をば。遷(シ)奉らせ御坐し御時に。其護身御寶と爲て。造寶らせ玉へるを。常は別殿に鎭奉り置し玉へるも。其御時を始と思しければなり。然るに内侍所は。昔は清凉殿に納置參らせられたりけるを。自然无禮の事も有らば。其恐有べしとて。温明殿に移されにけり。此事何れの御時の事にか思束なし。彼殿清凉殿より下《サガ》りたる。便無しとて。内侍所に被v定たる方をば。板敷を高く敷き上られたりけるとぞ。と著聞集に有は。甚く異なる事ながら。熟思ふに。昔は清凉殿に云々は。崇神天皇以前には。同じ大殿に同v床共v殿の神勅のまゝに。君神一所に御坐けるを。以後の常御殿の名を。及ぼし云るなるべく。次に自然无禮の事もあらば。其恐れ有べしとて云々は。右に引る其御紀の文に有る意を。云傳へたりし者と所見たれば。此の證ともなるべき事なりけり。此温明殿をしも。賢所と聞えさする意も。然る事に依(910)れるなるべし。野府記には。恐所。紀略には威所。中右記には畏所。又尊所とも書れて。皇大宮の中に在が中にも。甚可畏き所と申す義にて。敬神の餘に。其御名を指ずして。然申來らせ玉へるなめり。次に引る紀略に。此御鏡の御事を記して。和名加之古止古呂と見えたり。然る時は。其本は神鏡を可畏み申せるより。其御在所の名とも成れりと聞ゆ。拾芥抄に。温明殿綾綺殿。東七間四方と有り。職原抄大全に。當時内裏圖を案ずるに。内侍所は紫宸殿の辰方に在り。東西三間半。南北五間半。後有v局。神巫等居之。りあり。偖温明殿の訓。何と唱たりしか知らず。若くは字には然書く事なれども。賢所とは。語には云けむと。思ゆる者なりと云り。
 
復|勅《ミコトノリスラク》2天兒屋命太玉命(ニ)1。惟《ネガハクハ》《イマシ》二(ノ)神亦(タ)同(ク)侍(テ)2殿《ミアラカノ》内(ニ)1。善(ク)爲(セ)2防護《ホセギマモルコトヲ》1。
 
亦同侍殿内は。同床共殿と云るを承て。兒屋太玉二神も。亦皇御孫尊に親近く侍ひて。殿内を離れず。皇孫尊に仕奉れ。と詔ふなり。○善爲防護。此神勅の如く。兒屋太玉(ノ)二神。大宮内に侍ひて。大御防護となり。仕奉りしさまは。拾遺にも。宜d太玉命率2諸部(ノ)神(ヲ)1。供2奉其職(ニ)1。可如c天上(ノ)儀(ノ)u。とも。又天照大神本與v帝同殿。故供奉之儀。君神一體。とも有が如くして。實に天上の儀式の如く。皇太神と。皇孫尊の大前に。侍らはれて。神と君との御中を。隔る事なく。任奉られし者なり。さて第一(ノ)一書。また記には。五伴緒の神を。配(リ)玉へること見え。又記には。思兼神。手力男神。天石門別神の御靈實を。降(911)し給へる事。また登由宇氣(ノ)神のことまで。記したるに。此一書の傳には。たゞ兒屋太玉二神のことのみ出たるは。いかにと云に。此は異なる傳には非ず。右件の神等の御事をば。略きたるものなり。さればこゝに。二神に勅ふ御言と。記に思金神に詔ふ御言【次に出。】と。一(ツ)なりと云説あれど。非なり。さるは御言負せ給へる神の。異なるはさらにもいはず。元記御言の上の。甚く異なるを。よく思ひ辨ふべし。まづ此の同侍2殿内(ニ)1。善爲2防護1。と勅へる趣は。口訣に。二神在2天孫之左右(ニ)1。爲2守護(ヲ)1也。と云るが如く。皇孫尊の大宮内に侍ひて。玉體の御護となれと。詔へる御言なることは。上に云るが如し。偖又記に。此之鏡者。爲2我御魂(ト)1。而如v拜2吾前1。伊都岐奉(レ)。次(ニ)思兼神(ハ)取2持(テ)前《ミマヘノ》事(ヲ)1爲v政。此二柱神者。拜2祭佐久々斯呂伊須受能宮(ニ)1。とあるは。御鏡に副り奉れる神にて。皇御孫尊の御守護神となれと。詔へるには非ず。其は記傳にも。前(ノ)事は。即此御魂の御前の事なり。【皇孫尊命の御前の事には非ず。】さて事とは。大御神の御靈の。天下の萬事を。御思し處分ひ掟賜ふ。御政を云なり。前とは即其神を指て申す言なれば。此は此御靈の御政事と云むが如し。と云れたるにても知べし。【又云。取持とは。其事を身に負持て。執行ふを云なり。かゝれば天皇の御政を。關白大臣などの。取申玉ふ如くに。此思金神は。天照大御神の御靈の御政を。取行ひ玉ふ神なり。故其御鏡に附副て。降給ふなり。】故二柱神者拜2祭伊須受能宮(ニ)1。とあるをや。もし皇御孫尊の御前の神にて坐(サ)ば。兒屋命太玉命の如く。皇御孫尊に傍て。祭給ふべきに。さる事なきは。大神の御前の神なればなり。されば思金神に勅へる記の御言と。兒屋命太玉命に詔言給へる此の御言とは。趣の甚く別なるを思ひ辨ふべし。元來紀は現身神に詔へる御言。記は御靈に勅へるにて。差別あることをも思べ(912)し。【此現身と。御靈との差別あるは。記傳に詳かに云れたるを見べし。】さてしか記に。思金神を伊須受宮に拜祭るよし。見えて慥かなるを。伊勢(ノ)神宮の書どむには。此神の相殿に坐す事は。すべて見えたる事なし。【天照大神相殿神。天手力男神。萬幡豐秋津姫命。とあり。】此は記傳にもいはれし如く。いかにも不審き事なり。なほよく考べし。【記傳云。かくて何れを正しとせむ。今定むべきには非れども。紀一書に。秋津姫命を。思兼神妹とあれば。思兼神は。皇孫命の御大舅に坐て。秩津姫命と。御兄妹左右に並ばして。此相殿に坐むも。又由ありてぞおぼゆる。然ればかにかくに。此記の趣は。疑ふべき事なきを。伊勢の傳の方は。必然るべしとおもはるゝ事なければ。彼を誤りと定めつ。と云れたり。されど近き頃。伊勢神宮にて作りたる。神宮祭神略説と云書に。相殿神二坐。思兼神據2古事記。舊事本紀。神語記。古本神皇實録1。但實録印本。誤以2思兼神1。爲2栲幡千々姫命妹1。儀式帳以2萬幡豐秋津姫命1。爲2相殿1。燃其説不v合2神典1。則難v從耳。案諸書論2相殿神1者。皆不2一定1。要之不v過d據2兩宮記録1以附c會之u也。乃謂2天兒屋(ノ)命天太玉命1者。惑d于紀(ノ)爾二神同侍2殿内1之文u耳。以v余觀v之。此亦非2相殿之謂1。天手力雄神。據2大紳宮儀式帳。延喜式。御鎭坐本記。御鎭坐次第記。神皇實録1とあり。栗田氏云。相殿神二坐。左方靈御形弓坐。右方靈御形釼坐。とある左一座をば。古事記に據て思兼神と定め。右(ノ)一坐は。姑儀式帳に萬幡豐秋津姫命とあるに從ひたれど。姫神の靈形御釼にます事疑はしと思ひしに。此略説に就て。手力雄神と定むべしと云れし。共にさる説なり。されば記傳の説は。信ひがたきなり。と云り。】
 
又|勅曰《ミコトノリノタマハク》。以2吾高天原(ニ)所御齋庭之穗《キコシメスユニハノイナホヲ》1。亦|當2御《マカセマツル》於吾|兒《ミコニ》1。
 
又勅曰。此をも拾遺には。高皇産靈尊の、勅と爲ること。上に云るが如し。○高天原。記傳云。高天原とは。此國土より云事なり。されば記に。天照大御神の。天石屋に隱り坐る處の御言。【天原自闇】又紀の須佐之男命の。天に上坐とき。又御誓の處の。天照大御神の御言【必當v奪2我天原1云々。令v治2天原1云々】などは。みなたゞ天原とあり。其は天にして。詔ふ御言なるが故なり。然るに此に。吾高天原と詔へる處の。一(ツ)あるは。撰者の何心もなく書れたるか。いかにもあれ。たゞ此一つを以。なべてを疑ふべきに非ず。多きにつきて决むべきものぞ。と云れたり。【三島本永享本には。高字なし。それ本のまゝなるにか。されど拾遺にも高字あれば。定めて云難し。】○所御齋庭之穗。是より所謂大(913)甞祭の本なり。平田翁云。齋庭は天照大神の。大甞聞食すと。齋ひ淨めたる庭を云こと。中臣壽詞の文の。齋場《ユニハ》に准へて知べし。我は拾遺に。齋庭之穗。是稻種也。とあり。此は大神の御自ら撰びしろしめすなり。【或説に。齋庭之穗は。天上なる齋田の稻種なり。彼謂ゆる天狹田長田の神稻にや。とも云り。考へ合すべし。】師云。齋庭の穗は。唯に神を祭給ふ料のみには非ず。新甞の料の稻なり。上代の新甞は。神に献るのみにあらず。自(ラ)所聞食し。人にも饗(ヘ)玉ふ中に。みづから所聞食ことを主とせり。故きこしめすと云て。祭とはいはず。即吾高天原(ニ)所v御とある。此御字をもて知べしと云り。と云れたり。記傳云。大甞會中臣壽詞に。天津御膳遠《アマツミケヲ》。長御膳乃遠御膳止《ナガミケノトホミケト》。千秋乃五百秋仁。瑞穗遠平介久安介久。由庭仁《ユニハニ》所知食(セ)止《ト》。事依志奉(リ)※[氏/一]。天降坐云々。とあると。大殿祭詞に。此乃天津高御座爾坐※[氏/一]。天津日嗣乎。萬千秋乃長秋爾。大八洲豐葦原(ノ)瑞穗國乎。安國止平氣久。所知食(セ)止。言寄(シ)奉(リ)賜比※[氏/一]。とあるを合せ考ふるに。中臣壽詞は。大甞につきて申す故に。由庭爾所知食といひ。大殿祭は。天下知看す。凡ての御上にて白す故に。瑞穗國乎。所知食と云る。共に其指物は同じ稻穗にて。其中に主とし首とするは。齋場の穗なり。故紀には主とし首とする。齋場之穗を詔ひ寄して。其中に天下の百姓の奉貢る稻。また種々の御調物も。兼合たり。前にも云る如く。皇御國は。稻に殊なる深き所由ありて。右の如く。大御神の嚴重き。大詔も坐々て。後他に至る迄も。萬の政のあるが中にも。大甞を又なき大事とし給ふものぞ。と云れたるにて知べし。○吾兒とは。平田翁云。今此種を依し給ふ。御孫命はさらなり。繼體《ツギ/”\》の天皇の御裔を。遠くかけて。詔へる御語なり。とあり。○當御(914)は。高天原にて。新甞齋ひ聞食す如く。葦原中國にても。吾兒に御《シロ》しめさすべしとなり。故御自の御上に屬ては。キコシメスと云ひ。其依し奉る方に屬ては。マカセマツルと訓るなり。御にマカスの義あるべし。人に物事を委任《ユダ》ぬる事を。常に然云るなり。萬葉に任賜者《マケタマヘバ》。任乃隨《マケノマニ/\》。など何れも。物を委任る由なり。さて上にも云る如く。此稻穂は。人の命繼ものにて。上なく貴きものなる故に。今大神の御靈實の御鏡の次に。此ことを詔へるなり。如此主とある重き物を詔へるにて。萬みな大神の高天原所知食如く。皇御孫尊の。葦原中國を知食べし。と詔へること。此等の御言に。兼含たること知べし。さて平田翁云。是より前にも。葦原中國に。稻を殖たる事。須佐之男命の大須佐田。小須佐田を。定給ひし事あり。後に大名牟遲少名牟遲神。相並(バ)して。國作給ふ時に。天上より稻種の墮し事ありて。大地主神の營田の事あり。然れども。それ猶宜しき種には非りけむ。故に今かく。大神の齋庭に聞食す稻種をば。依賜へるなり。と云り。さる言なり。【又云。式大和坐大國魂神社三坐の中に。御年神の相殿に坐す事は。其所由詳ならぬに就て。深く考るに。此は八握(ノ)嚴稻を以。神體と爲すと云れば。皇御孫尊御天降の時に。大御神の齋庭の穗を。事依し玉へるを。天降坐て後。其稻穂をば。種に殖玉ひけんを。其が中に。八握(ノ)嚴稻を撰びて。御歳神の神體として。共に大殿内に。齋き祭り玉へりしを。大國魂神を。御社に祝ひ玉ふ時に。其因を以て。相殿に祝ひ玉へるにや。と云れたり。】偖又重胤云。此齋庭の種を。授け給へる御事は。即伊勢外宮に坐す豐受大神の。天降(リ)坐し傳なり。其を記には。※[王+總の旁]鏡釼を降し給へる所に。次(ニ)登由宇氣《トユウケ》神。此者坐2外宮之《トツミヤノ》度相(ニ)1神者也とある。其は右の齋庭の穗に副て。豐受大神の御靈形を。天降したまへる傳なるを。大長谷天皇の大御世まで。大(915)神の御許を。離れさせ御坐しからに。然る御諭(シ)は御坐し御事になん有ける。と云れたる。此もさる言ときこえたり。
 
(917)日本書紀通釋卷之十九       飯田 武郷 謹撰
 
〔第二一書續〕
 
則以2高皇産靈尊之女|號《ミナハ》萬幡姫(ヲ)1。配《アハセテ》2天(ノ)忍穗耳尊(ニ)1爲《シテ》v妃《ミメト》。降之《クダシマツラシメタマフ》。故(レ)時(ニ)居《ヰテ》2於|虚天《オホゾラニ》1而生v兒《ミコヲ》。號(ス)2天津彦火(ノ)瓊瓊杵(ノ)尊(ト)1。因(テ)欲《オモホス》d以(テ)此|皇孫《スメミマヲ》代(ヘテ)v親《オヤノミコトニ》而|降《アマクダシマツラムト》u。
 
則以云々。高皇産靈尊の御身の。忍穗耳尊の御妃となり給ひしは。本書の如く。此より以前の事なるを。此一書にては。此時|娶《ミアヒ》坐せりしさまに。きこえていかゞなり。【なほ第一一書の下にも云るを見べし。】○居於虚天云々。第一(ノ)一書に。將v降間。皇孫已生。【記も同傳なり】とあり。本書と異なり。さて虚天に居すとは。天浮橋の上に立給ひての事か。されど重胤も云れたる如く。此は前後の事の。一(ツ)に相|混淆《マジ》れるものにて。第一一書に。是時勝速日天(ノ)忍穗耳(ノ)尊。立2于天(ノ)浮橋(ニ)1。而臨睨之日云々。と有し事の混ひて。虚天にて御兒を生給へる由に。語傳へしなるべし。其故は記紀共に。降なむと装束《ヨソ》はせ御坐す間に。御子は生坐る趣にて。虚天と云べき事實の。有る事なければなり。【なほ此事は第一一書の下に云る事ども。考合すべし。】○欲以此皇孫代親。第一一書に。皇(918)孫已生云々。時有v奏曰。欲d以2此皇孫1代降u云々。記にも。天忍穗耳命答白。僕者|將v降装束《クダリナムヨソヒセシ》之間(ニ)。子生出。名(ハ)天(ノ)邇岐志國(ノ)邇岐志天津日高日子番能邇々藝命。此子(ヲ)應v降。云々隨v白之。科2詔《ミコトホセテ》日古番能邇々藝命(ニ)1。此豐葦原水穗國者汝(ガ)將v知(ラ)國(ト)言依(シ)賜云々。とあるによれば。こゝも忍穗耳尊の奏せる言を。聞召容させ給ひて。天照大神の。云々と欲《オモホ》しめせるなり。
 
故(レ)以2天(ノ)兒屋命太玉(ノ)命及(ヒ)諸部《モロトモノヲノ》神等(ヲ)1。悉(ク)皆相授(ク)。且|服御之物《ミソツモノ・ミヨソツモノ》。一《ヒトツニ》依v前授(ク)。然後天(ノ)忍穗耳尊|復2還《カヘリタマフ》於天1。故天津彦火瓊々杵尊。降2到《アマクダリマシテ》於日向(ノ)※[木+患]日(ノ)高千穗之|峯《タケニ》1。而膂完(ノ)胸《ムナ》《ソフ・ソヒ》國(ヲ)。自2頓丘1覓(キ)v國行去(テ)。立(シテ)2於浮渚在平地(ニ)1。乃召(シテ)2國(ノ)主《アルジ》事勝國勝長狹(ヲ)1而訪(ヒタマフ)之。對|曰《マヲサク》。是有(ルナリ)v國也。取捨《トモカクモ》《マニ/\》v勅(ノ)。時皇孫因(テ)立(テ)2宮殿《ミヤヲ》1。是焉《ソコニ》遊息《スミタマヒキ・ヤスミシマス》
 
諸部神等は。上の一書に見えたる。五部神等。また此一書の。手置帆負神以下の。五神等をも云べし。○服御之物は。【本にミソツモノと訓れたれど。】通證に引かる玉木正英説に。美曾(ハ)副(フ)v身(ニ)一切(ノ)器物。非2御衣《ミソ》之義(ニ)1。【後漢志。服御(ノ)諸物。】と云れたる説。さる事なり。されどミソと訓ては。なほ御衣の事となりて。いかゞなり。今按に美與曾(919)都毛能と訓べし。御装《ミヨソツ》物の義なり。装を與曾とのみ云るは。催馬樂及拾遺の歌等に。大装衣《オホヨソホヒコロモ》と云る歌を。於保與曾許侶茂。また名目抄に。御粧物所を。オヨソモノトコロと云るなど例あり。さらば此服御は。飲食供御の具。車服儀仗の類。鹵簿の御装束までを。總て云と見るべし。三代實録二十九の詔に。太上天皇 止 伊布號毛停止《イフナモトヾメ》。亦諸の服御乃《ミヨソヒノ》物|停《トヾメ》賜布」。とあるなども。しかきこへたり。【然るに。重遠説に。謂2三種神寶1とあるは。いかゞ也。】○然後云々還於天。こゝに然後とあれば。皇御孫尊生坐るより。此までの事は。皆虚空にての事とせる傳なり。記の趣は。忍穗耳尊始めにまづ還上坐て。又降坐むとしたまふ間に。御子生れまして。則其御子に詔仰せて。降し坐る由なり。此紀と異なり。○胸副國は。通證に。兼良曰。胸示2無v肉之處(ヲ)1。今按膂肉副2於胸1者。瘠之甚也。とあり。まづは右の義なるべし。【口訣に。胸副國は空國也。と云るは叶はず。】薩摩國人の説に。大隅國囎唹郡霧島山の西の方。鹿兒島神社近傍の地に。むなそひと字する處あまたあり。胸副坂と云るもあり。これ本は。其邊の大名なりしが。かく地名にわかれたるものならむと云り。【當國人山甲清安伊地知知季安等ともに。霧島山に登りて。神代の遺跡を探らんとす。其途關坂より清水を經。進て坂路を躋んとするに。忽ち道しるべする男の聲にて。陶副坂と呼ぶ。清安之を聽きて悦びにえたへず。歌を作りしと云こと書るものあり。】さらば後に地名になれるにか。もとよりの地名か。詳びらかならず。なほよく考ふべし。【兼倶太祀環翠等の説に。薩摩之舊號と云るは。杜撰なるべし。】○立於浮渚在平地。本書によるに。此次に。到2於|吾田長屋笠狹《アタノナガヤノカササ》之碕(ニ)1。と云ることあるべし。こゝは略けるものなり。されど此文なくてはいかゞなり。○國主。本書に其地有2一人1とあり。即吾田の地を云。故上に其文なくては。何れの國主たる事知られず。必國名あるべき處なり。偖國主とは。其地(ノ)邊を主シ(920)領《シリ》居たりし首長なる故に。かく云り。○訪之は。本書に。皇孫問曰。國在耶以不。第六一書に。因問之曰。此誰國歟。○取捨隨勅。本書に。此焉有國。請任v意(ノ)遊之。また第六一書に。是長狹所住之國也。然今乃奉2上天孫1などあり。取總て云はゞ。此は長狹が古くより。主領《ウシハキ》住る地に侍れど。天神御子の大御意に。美《ヨキ》地と所思召さば。奉上らむを。取捨《トモカクモ》。其御意に任せ給へとなり。○因立宮殿。との事も本書の下に云り。○遊息。本(ノ)訓|安坐《ヤスミシマス》なり。萬葉の歌に。安見知之《ヤスミシヽ》とある是なり。天皇の天下を安く所知看すことを云古言にて。安みし知《シロ》しめす義なり。撰集抄に。清凉紫宸の間に。やすみし給ひてとあるも是なり。漢籍訓に。ヤスンズルとあるも。即安ミスルなり。安《ヤス》く見る義と云る説はわろし。【この事は既に。或人の説にも云り。さてこの訓。私記また北野本には。スミタマフとあり。ヤの脱しものなるべし。】
 
後|遊2幸《イデマシテ》海濱《ウミベタニ》1。見《ミソナハス》2一(ノ)美人《ヲトメヲ》1。皇孫問(テ)曰(ク)。汝(ハ)是(レ)誰之|子耶《ムスメゾ》。對(テ)曰《マヲサク》。妾(ハ)是大山祇(ノ)神(ノ)之|子《ムスメ》。名(ハ)神吾田鹿葦津姫。亦名(ハ)木華(ノ)開耶姫。因(テ)白(ク)。亦吾|姉《イロネ》磐長姫|在《ハベリ》。皇孫(ノ)曰(ク)。吾|欲《オモフ》以v汝《イマシヲ》《セムト》1v妻《ツマト》如何《イカニ》之。對(テ)曰(ク)。妾父大山祇神在(ヘリ)。請(フ)以|垂問《トヒタマヘ》。皇孫因(テ)謂《カタリテ》2大山祇神1曰。吾|見《ミソナハス》2汝之女子(ヲ)1。欲(フ)2以|爲《セムト》1v妻《ツマト》
 
海濱。記に。於2笠狹(ノ)御前1遇2麗《カホヨキ》美人1。とあれば。此海濱は。笠狹御前なるべし。【御前は。海の出岬《デサキ》にして。海濱と云るに同じ。】(921)○磐長姫在。記に又問有2汝之兄弟1乎。答曰。我姉石長比賣在。とあり。こゝのさる語なくて。亦吾姉云々在。と云ては。あまりゆくりなき心ちす。【第一一書には。事勝國勝長狹に問て。大山祇神の女子なる事を。知給へるよし。記せり。其は異なる傳なり。】平田翁云。磐長は。下なる宇氣比詞にある如く。堅石常石に。長久き由なり。師説に。此二女の御名。石も木華も。主と山の物にて。父神に縁ありと云れたるは。然る事にて。實は石長比賣は。磐の精靈《ミタマ》。木華之咲耶毘賣は。櫻木の精靈にぞおはしける。【下に説あり。】かくて。此磐長姫の御社は。式に伊豆國賀茂郡|伊波乃比※[口+羊]《イハノヒメ》神社。と載されたり。秋山章が伊豆志。加茂郡の處に。當郡|雲見《クモミ》村に。淺間祠あり。磐長姫を祀る。御嶽山の嶺にあり。式社なりと云傳ふ。此山の四方は。峯巒周り遭ひて。唯仰て雲を見る故に。雲見山といふ。海にはり出て。高き事數百丈。これに長(キ)磯あり。頂長を八葉と云ふ。と所見たり。【また同書に。此は磐長姫を祀る故に。此山にて。富士淺間の事を云ことを忌む。岩長姫その女弟開耶姫と。隙あるが故なり。毎年六月朔日より。潔齋して參詣す。此事伊豆納符にもみゆ。禰宜高橋氏とあり。國人に委く探ぬる所も。かくの如し。】また同郡に。伊波比※[口+羊]命神社と申すも有り。同神なるべし。此は伊豆志に。同郡白岩村の内。小河の土神《ウブスナ》に。子安明神といふ有を。村老傳に。岩姫と謂ふと云り。决く此社なり。【また同書に。寛文五年の文に。姫御前。大見庄下小河鎭守とあり。海肥《コヤスガヒ》の如き小貝の凝て石に化せるを。神體とす。婦人安産を折るに。水杓の底を拔きて奉る。と記して。式社なる事を云(ハ)ざれど。必伊汝比※[口+羊]神社なるべし。】とあり。然るに當國人萩原直胤云。この雲見のあたり。往古は那賀郡にて。賀茂郡にあらず。此雲見(ノ)淺間宮は。必那賀郡内の御社なるべしと。深く考るに。式内石倉命神社なるべし。されば元より賀茂郡の地に。必この御社坐すべしと。探索しに。大島なる三原山上に鎭坐ます。三原大明神は。一島の總鎭守にて。頗る大社なるを。俗に淺間とも申すが。磐(922)長姫命を崇奉れる由。慥に云傳へたり。此御社なむ。式なる伊波乃比※[口+羊]命神社にや坐らんとて。委く考證し。なほ同島には。此他にも淺間の社ある事を載たり。本書に付て見べし。【古史傳三十に記せり。】○欲以汝爲嬬。記に。吾欲2自《ミヅカラ》合1v汝奈何。答白。僕不2得白1。僕父大山津見神將v白云々。とあり。記傳云。此は殊に父の心に隨ひ給ふこと。さも有べしとあり。○如何之。本に如之何とあり。今丹鶴本に依て改む。
 
於是大山祇神。乃使3二女(ヲシテ)持《モタ》2百机飮食《モヽトリノツクエモノヲ》1。奉進《タテマツル》之。時(ニ)皇孫謂|姉《イロネハ》《オボシテ》v醜《ミニクシト》不御《メサズシテ》而|罷《マケタマヒ》。妹有國色《イロトハカホヨシトオボシテ》。引《メシテ》而|幸之《ミトアタヘマス》。則一夜(ニシテ)有身《ハラミヌ》。故磐長姫大(ニ)慙(ヂテ)而|詛《トコヒテ》之|曰《イハク》。假使《タトヒ》天孫|不v斥《シリゾケタマハズシテ》v妾(ヲ)而|御者《メサマシカバ》。生兒永壽《ウメラムミコミイノチナガキコト》。有|如《ゴト・アマヒニ》2磐石《イハノ》1之|常存《トキハニマタカラム》。今既不(シテ)v然(ラ)。唯弟獨|見御《メセリ》。故其生(ラム)兒。必|如《アマヒニ》2木華《コノハナノ》1之|移落《チリオチナム》
 
乃使二女云々。皇御孫尊は。木華開耶姫に妻むと詔へるに。大山祇神の二女を奉進り給ふは。いかにと云に。深き御心ありしことなり。【奉2二女1者。尊崇之至也。などある注は叶はず。】次に云。○持百机云々。記傳云。今如此献るは。婿取の禮物なり。穴穗宮段に。天皇爲2大長谷王子《オホハツセノミコノ》1。大日下《オホクサカノ》王の妹。若日下王を聘しめ給ふに。大日下王。恐(シ)隨《マニ/\》2大命(ノ)1奉進云々。と白して。即爲2其妹之|禮物《ヰヤシリト》1。令v持2推木之玉縵《オシキノタマカヅラ》1而貢献。とあり。○奉進之。本に之字なし。永享本に據て補ふ。○爲醜。記には見畏而とあり。記傳云。此詞の例何れ(923)も。怖しき事を見たる處に云れば。此も磐長比倍の顔貌。たゞ尋常の醜きのみには非で。可怖しかりしにやあらむ。とあり。○妹。記傳云。和名抄 爾雅云 男子後生爲v弟(ト)。和名於止宇止。【とあれども。淤登は男女に亘りて云稱なり。又もとはたゞ淤登と云りしを。淤登宇登と云は。夫を袁宇登。妹を伊毛宇登。と云類にて。宇登は皆|人《ヒト》にて。弟人《オトヒト》夫人《ヲヒト》妹人《イモヒト》なり。かく人と添へて云は。後の言ぞ。】また爾雅云。女子(ノ)後生爲v妹。和名伊毛宇止。とあれども。古は姉にむかへて。後に生れたるをば。女をも弟と云て。妹とはいはず。記中の例皆然り。心を着て見るべし。中昔までも然にぞありける。【後に生れたる女子を。妹と云は。男兄《アニ》に對へ云稱なり。姉に對へては。弟とのみ云て。妹と云事はなかりき。】とあり。○有國色は。萬葉十四に可抱與吉《カホヨキ》とあり。紀中に麗美。麗艶。妙。容姿麗美。などみな然訓り。○幸の訓。ミトアタヘマス。この言の解は。次の一書【第六一書】の下に云べし。延喜本又私記には。ミトアタハスと訓り。○大慙而詛云々。記には。爾大山津見神。因v返2石長比賣1。大耻(テ)白(シ)送言。我之女|二並《フタリナラベテ》立奉(ル)由者云々。とありて。大山祇神の御言とせり。こゝに。磐長姫の自《ミヅカラ》の言と爲るは。記と傳の異なるが如くなれど然らず。此は各其片方を脱せる傳共にて。實に其御父大山祇神の誓言《ウケヒ》を。二柱の女御子。共に承りて御坐けるが。偶に磐長姫の返され給ひし故に。其女神のみ。詛言し給ひし如くなれども。木華開耶姫。若返され拳給むも。然る詛言は云出させ給ふべく。止事を得たまはざる時勢とは見えたり。但壽命の長短はしも。皇祖天神の大御心に在べくして。大山祇神御父子の。預らせ給ふべきに非ず。此詛言の驗(シ)有て。天皇等の大御命。長くは坐まさず。又世人の命短く。成定るが如く見ゆれど。此は此神等の。然か詛(ゴ)ひ給へるにはあらで。皇祖天神の大御心を。知るべき由の無ければ。此神(924)等心に占ひ。言に誓ひて。今より後の成行《ナリユキ》を。知給へるまでの事なり。此を詛言以て。しか短く爲給ひしと思ふべからず。さるは此時幽顯始て界を別にして。此に顯世の立(テ)る初なりければ。萬の物も事も。今新に定る時にて。此詛言なくとも。かく定るべきいはれのありけむを。其時に當りて。かく詛言の自|符合《アヘ》る由もありけむ。かにかくに人智を以は。かゝる幽事の上は。推量りがたし。【然れば平田翁は。此を御憾言と言て。この詛とあるを。誤なりと云れたり。次に云るを見るべし。】さて詛をトコヒと訓るは。下文海宮遊行章に。海神乃授2彦火々出見損1。因教之曰。以v鉤與2汝兄(ニ)1時。則可d詛2言《トコヒテ》貧窮之《マチノ》本。飢饉之《ウヱノ》始。困苦之《クルシミノ》根(ト)1而後與u之。神功妃に。向v東而|呪詛《ノロヒトコフ》。雄略紀に。指v井而|詛《トコヒ》曰。此水者百姓唯得v飲焉。王者獨不v能v飲。武烈紀に。眞鳥大臣云々。廣指v鹽|詛《ノロフ》。遂被2殺戮1。詛時。唯忘2角鹿海鹽1。不《ズ》2以爲1v詛《ノロハ》。などあり【此類猶あり。】記傳云。古に其術ありしなるべし。言義は。説請《トキコフ》か。但し吉かれと請事に云るは。見えず。たゞ人を凶くせむと。請(フ)にのみ云り。能呂布と同じきさまにて。伊勢物語に。あまの逆手を拍てなむのろひをるなる。などあるも。詛なり。また麻士那布は。吉凶に通はし云り。されど麻士とは。凶にのみ云へば。まじなふを善事にも云ふは。後の轉にやあらむ。【さて詛字は。請v神加v殃謂2之詛1。また謂3祝v9之使2沮敗1也。など注せり。】と云へり。但説請といへるは信がたし。○生兒は。今生ます兒のみを。申にはあらず。大神末々までをかけて白せるなり。○如磐石之常存。本の訓義のまゝに解かば。記傳云。登伎波は。常石の切《ツヾマ》れるにて。【即常に常磐と書り。許伊は伎と切まる。】萬葉六に。すなはち人皆乃《ヒトミナノ》。壽毛《イノチモ》。吾毛《ワレモ》。三吉野乃《ミヨシヌノ》。多吉能床磐乃《タキノトコハノ》。常有沼鴨《ツネナラヌカモ》とあり。【床は借字なり】加伎波は。堅き石の多の省かりたるなり。【又加多を切め(925)ても加となる。伊は伎の韻にあれば。省くくこと本よりなり。】雄略卷に。堅磐此云2柯柁之波(ト)1。ともあり。と云れたるにて心得べし。されど本の訓あまりくた/”\し。如《ゴト》2磐石《イハノ》1常好《トキハニマタカラム》など訓べきなり。アマヒの解次に云。○如木華之移落。記云。使(ハシテ)2石長比賣1者《ハ》。天神御子之|命《ミイノチ》。雖2雨零風吹1。恒(ニ)如v石而。常堅不動坐。亦使2木花之佐久夜毘賣1者。如2木花之|榮(ユル)1。榮坐宇氣比弖《サカエマサムトウケヒテ》貢進。此(ニ)今返(シテ)2石長比賣1而。獨留2木花之佐久夜※[田+比]賣1故。天神之御子之御壽者。木花之阿摩比能微坐《コノハナノアマヒノミマシナム》。とあり。阿摩比の義未v詳。強ておもふに。今俗にも云ふ事にて。物の間《アハヒ》の義か。【間《アヒ》はアハヒの省かれる言か。又アヒを延てアハヒか。】麻と波は通音なり。かくて木華の間《アハヒ》とは。華の咲散る暫の間。と云ことにて。御壽命のいと短きを云ふ。譬喩言なり。【此に如字を。古くアハヒと訓るは。意を得て訓るにて。字義にはあらず。記傳の説は信がたし。】さて移落は。訓のまゝにてもきこえたれど。壽命の方にとらば。ウツロヒナム。と訓まゝほし。
 
一云。磐長姫耻(ヂ)恨(テ)而|唾泣《ツバキイサチテ》之曰(ク)。顯見蒼生者。如《アマヒニ》2木(ノ)華(ノ)1之|俄遷轉當衰去《シマシニウツロヒテオトロヘナム》矣。此世人(ノ)短折之緑也《イノチミジカキコトノモトナリ》
 
一云磐長姫耻恨云々。平田翁云。耻は返され給へる事を慙るなり。恨は。弟媛をのみ婚つれば。次々に。世人の葦命も脆《モロ》からむことを。歎き恨むるなり。唾注は。耻恨のいと切なる状なり。と云り。なほ次に云。○如木華之俄遷轉當衰去矣。本の訓は非なり。如《アマヒニ》2木華《コノハナノ》1之。俄《シマシ》に遷轉《ウツロ》ひ。當《ナム》2衰去《オトロヘ》1。と訓べし。【明應本に。さるさまによみたり。】さてこの詛の御言を。平田翁云。此御言を。古くも。皇孫尊の磐長姫を返し給へ(926)るを恨みて。咀詛《トコヒ》まつれる事と。思ひ錯れりは聞えて。一書に。磐長姫大慙而詛之曰。とあれど。詛言には非ず。其はまづ皇孫尊。直に開耶姫のみ見まして。其(レ)請玉へるに。大山祇神その姫を贈るに副て。磐長姫をも進り給へる事は。深き御心ありしことなり。其は此御|聘《ツマドヒ》はしも。天神御子の。皇后を立給ふ始にて。其生坐む御子の御未の。御壽命の長き短き本縁となる。大義なるに。開耶姫は。其容貌こそ美麗しけれ。櫻の精靈にしませば。其生まさむ御子の御末の御壽は。木華の如《アマヒニ》移落《ウツロ》ひ坐べき道理あり。然るに其を見|感《メデ》て。請給姶ふが。善からぬ事とは所思看つゝも。御詔を違へず進《タテマツ》りて。磐長姫を添給へるは。皇孫尊もし。此姫を婚《メシ》玉はむには。容貌こそ凶醜《ミニク》けれ。磐の精靈にしませば。其生坐む御子の御末の御壽は。堅石の如。長久に坐べき道理をし。心に深く思ひ慮りて。進り玉ひしにて。是ぞ大山祇神の。將來《ユクスヱ》を鑑み坐せる。御誓の御占なりける。【然れば裡には。皇孫尊いかで開耶姫を返して。磐長姫を幸玉へかしと。祈念し坐ること推量られたり。故是を以。本文を常堅不動|坐《マサム》。如2木花之榮(ル)1々坐(ム)と。將來を期たる辭に讀めるなり。又是にて。師の詛言として。二の坐字を。令(セ)言にマセと讀れたる事の。否ぬ由をも辨ふべし。然るはマセと讀ては。即詛言となればなり。】然るに其心持《シタマタ》したまへる。按の外に。開耶姫を留めて。磐長姫を返し給へる事を。大く恥じ。また御末の御子の。御壽の長在るまじき事を歎きて。本文の如(ク)白し贈り玉ひしなり。【其事情。また其語にも。深く意を入れて。此旨趣を惟べし。】磐長姫は。其容貌の醜きゆゑに。返され玉ふを耻玉へるは。固より然も有べき事なるが。【玉垣宮段に。美知能宇斯王の女等の。並べて奉られたる中に甚|凶醜《ミニクシ》とて返され玉へる。圓野比賣の。淵に墮て死給ひし事をも思べし。】是を父神の御心と同く。天神御子の御末の。御|壽《イノチ》長くおはしまさずは。世(ノ)人草の壽命も。それに肖《アエ》つゝ。次々に移落ひなん事を。いと切に歎き憾みて。右の御言はありしなり。(927)【宇良美といふに。嫉《ネタ》み恨むると。切に念ひて憾むるとの差別あり。此二(ツ)のうらみ。共に深く思(ヒ)入ては。怒り罵り唾き泣など爲らるゝも。世にある事なり。然る事までを。思ひ通して悟るべきなり。○武郷云。宇良美と云言の。憾むる意なるをいはゞ。繼體紀八年なる。皇太子の妃春日皇女の。無v嗣之恨。方〓2太子1。妾名隨絶。とあるなどこれなり。】とあり。なほよく考べし。○世人短折云々は。記傳云。世人短折とあるも。人代の中にての短命なるを云には非ず。神代の長壽かりし時に比べて云なり。と云り。さて平田翁云。此も大山祇神磐長姫の御言に因りて。命短くなりしと云ふに非ず。磐長姫を幸《メ》さず。開耶姫を幸たるが。御子の御末の御壽。又世人の命の短く成れる事(ノ)本ぞ。と云意になん有ける。さて上(ツ)代の天皇たちは。百歳に多く餘らせ給ふが。數坐ましければ。人代にては。御壽長かりしなれども。神代の人壽の。猶長かりし時を以云へば。甚短きなり。斯て此時の事は。皇孫尊の御子の御末にのみ係りて。世の青人草には。係るまじき道理なれども。天日嗣しろしめす。天皇の御壽の長く坐ざる上は。天下に所有《アル》人の命も。隋ひて短くなりしは。本より然るべき理なりかし。さてこゝに。磐長姫は磐の精靈《ミタマ》。木華開耶姫は櫻の精靈なり。と云る説を擧べし。倭姫命世紀に。朝熊神社六坐の内。櫻大刀自《サクラオホトジノ》神。花(ノ)木(ニ)坐。苔虫《コケムシノ》神石(ニ)坐。とあり。御鎭坐傳紀にも。櫻大刀子神二坐。靈華(ノ)木(ニ)坐。大八洲櫻樹(ノ)始。從2天上1降居也。因以爲2華開耶《コノハナノサクヤ》姫命1也。一坐大山祇命雙(ビ)坐也。苔虫神一坐。櫻大刀子神|與《ト》合v力云々。靈石坐。とある是なり。櫻大刀自神の御靈體と。仰ぎ奉るは。華木に坐なり。此はもと。天上より降れる樹にて。大八洲國に櫻木ある始なり。【武郷云。木華とは。何木にもあれ。咲華を云事なる中に。右の二書に依り。華木の正しく櫻なるべき證は。灼然くぞ有ける。さて大八洲櫻樹(ノ)始とあるは。もと此國にはなき木なるが。木花開耶姫。天上より降絵ふときに。其御靈をこの木にこめて。持降給へるにやあらむ。故櫻木を此神の靈として。後にも齋けるにや。】故是を以。此櫻を即て。花開耶姫命の神體と仰ぎ奉ると云る(928)にて。此は所謂|櫻木《サクラギノ》森に坐す。櫻木を白せり。【倭姫命世記。また御鎭坐傳記の抄に。文永十年通海參詣記曰。小朝熊宮の。未申の隅。六七段許去て。奇巖あり。其上に櫻樹あり。高三丈許なり。此木往古より以來。年をおくり。春を迎へて。花咲き實を結ぶ。枯ずして今に在り。是櫻大刀自命の神體なり。と申説もあり。天より降れる櫻木の始なる故に。此木を靈となす。今は枯れて。株のみ在りと云り。諷雅集に。祭主定忠。春風の岩根のさくら吹たびに。浪のはなちる朝熊のみや。とあるは。この櫻を詠るなり。】此樹の天上より降れる事は。かの天香山を二箇に分けて。倭國と伊豫國とに。天降し給へるに同く。天上に坐す神の御心なること。言まくも更なり。又其櫻木を即て。神體と仰ぎ奉るを以。開耶姫即て。其樹の精靈に坐す事をも。惟ひ定むべし。【抑この櫻木を。天上より降し給へる神の御心は。推量りにも。知べき事には非ざれども。元より皇孫尊の。大后に立玉ふべき。幽き由縁ある事なるべし。】さて此姫神をまた。櫻大刀自神と申すは。神皇産靈御祖命を。神魂大刀自神とも申す。刀自と同く。戸主《トジ》の義にて。瓊々杵尊の后神にて。萬代の天皇の大御祖に坐せばなり。【さて世記傳記ともに。此姫神の靈を。華(ノ)木(ニ)坐と有を。延暦内宮儀式に。小朝熊神社。櫻大刀自神形石(ニ)坐と云るは。違へるた似たれど然らず。其は世記傳記などに謂ふ處は。彼櫻木森に坐ます。本つ御靈を云て。小朝熊社に坐す。靈の傳をもらし、儀式は。其社に生す靈の。石に坐す事のみを傳へて。櫻木(ノ)守に坐す御靈の。華木に坐事を漏せるにて。傳の異なるには非ずなん。】又磐長姫を。苔虫《コケムシノ》神とも申せるにつきて。此神磐の精靈なりと云説は。此も同書に。經雅神主の解に。此神苔むすを以。御名とせりと云るは。然る言にて。此は疑なく。石長比賣命なり。其は神體の石にて坐は。云も更なり。其父大山津見神の御言に。天神御子。使2石長比賣1。則雖2雨零風吹1。恒如v石|常堅《トキハニカキハニ》坐。と告ひ。彼古今集なる賀(ノ)歌に。我が君は千代に八千代にさゞれ石の。巖となりて苔の生まで。と詠たるをも。按ひ合て所知たり。然れば盤長姫は。大山祇神の御子とは坐せど。實には石の精神《ミタマ》に坐す事著し。此に準へて。開耶姫命の。櫻の精神に坐すことをも悟るべし。さて華は脆《モロ》く。石は長久にて、其性の相《ソム》ける物なるに。其二神の合v力而坐。とあるは。甚く心得難き(929)に似たれど。此はかの速佐須良比賣神と素戔嗚神と。同性なるが。力を合せて坐とは。其趣異にして。華木の脆き性なるを。長久なる巖の性もて。助け幸はふ由にて。是ぞ磐長姫の。苔生神と名に負ひて。櫻(ノ)神に力を合せ。木華の如。脆かるべき青人草の壽命をも。幸ひ玉ふ因縁なりける。と云れたるは。甚委しき考なりけり。【因に云。平田翁云。神名式に。駿河國富士郡淺間神社とある。其祭神は。一宮記諸神記を始。諸書に木花開耶姫命と云るは。實に然る説なり。其は伊勢の朝熊社を。古も今も常にあさまの社と云を。富士山の淺間をも。阿佐麻と云は。朝熊《アサクマ》の省語也と。前に云る人もあるは。實に然る言と通ゆるに。彼伊豆國に坐。石長比賣命をも。淺間神と申せば。此は御兄弟二柱にわたる御稱と聞ゆればなり。と云れたり。さてまた式甲斐國八代郡淺間神社とあるも。一宮記を始。諸書に此神なりと云るが如し。】
 
是後(ニ)神吾田鹿葦津姫|見《ミタテマツリテ》2皇孫1曰《ノタマハク》。妾|孕《ハラメリ》2天孫之|子《ミコヲ》1。不v可2私(ニ)以生《ウミマツル》1也。皇孫(ノ)曰。雖《イフトモ》2復(タ)天神之子(ト)1。如何|一夜《ヒトヨニ》使《シメンヤ》2人(ヲシテ)娠《ハラマ》1乎。抑非(ル)2吾之|兒《ミコニ》1歟。木華開耶姫甚(ダ)以慙(ヂ)恨(テ)。乃|作《ツクリテ》2無戸室《ウツムロヲ》1而|誓《ウケヒテ》之曰。吾|所娠《ハラメル》是若(シ)他(シ)神之|子《コナラムニハ》者。必|不《ナケム》v幸《サキハヒ》矣。是(レ)實(ニ)天孫之子|者《ナラバ》。必|當《タマヘ》2全(ク)生《イキ》1。則《トイヒテ》入(テ)2其(ノ)室(ノ)中(ニ)1以《ツケテ》v火(ヲ)焚(ク)v室《ムロヲ》。于時※[火+餡の旁]初(テ)起時(ニ)共(ニ)生《ウミマセル》兒|號《マヲス》2火酢芹(ノ)命1。次火(ノ)盛(ナル)時生兒號2火明《ホアカリノ》命(ト)1。次生兒(ヲ)號2彦火々出見尊(ト)1。亦號(ハ)火折《ホヲリノ》尊。齋主。此云2伊幡※[田+比]怒志1。顯露。此云2阿羅幡貳(ト)1。齋庭。此云2踰貳波(ト)1。
 
(930)是後神吾田鹿葦津姫云々。此一段。本書と異なし。記云。故後(ニ)木花之佐久夜毘賣。參出(テ)白。妾|姙身《ハラメルヲ》。今|臨《ナリヌ》2産時(ニ)1。是天神之御子。私不v可v産。故(レ)請。爾(ニ)詔(ク)。佐久夜毘賣|一宿哉姙《ヒトヨニヤハラメル》。是非2我子(ニ)1。云々。○不可私以生は。通證に引る釋どもに。此は尊2皇胤1也とも。以v公示v人避2嫌疑1也とも説る。實にさるべし。○慙恨は。纂疏に。貞婦不v見2二夫1。姫且忿且恨。理宜v然也。と云り。また通證に引る或説もいはれたり。○誓之。古本にウケヒテと訓るは。私記の訓なるべし。但し此誓を。無戸室に入玉へる上の事としたるは。道理に叶はずと。平田翁説なり。○共生とは。※[火+稲の旁]の燒立と共に。生坐るよしなり。火明命彦火々出見尊と共に。と云意にはあらず。○火酢芹命。本書に火闌降《ホスソリ》命とあり。次の一書には。火進《ホスヽミ》命とあり。【須勢曾通音なれば。みな同御名なり。】○火盛時。本書に避v熱而居。次の一書には避2火炎(ヲ)1時とあり。此は生坐る御兒の火折と申すには。其方を正しとすべし。【なほ本書の下に云】○次生兒。山蔭云。次の下に。下なる一書の如く。※[火+稲の旁]《ホノホ》衰時の三字有べし。※[火+餡の旁]初起時。また火盛時とある。上のつゞきの例なればなり。とあり。【しか見る時は。火盛時の三字も。あしきにはあらず。されど何れにしても。火明命の。こゝに生坐るは正しからず。其由は上にも下にも云。】○火折尊。これ火によれる。此時の御名なり。御名義は。第三(ノ)一書に。避2火炎《ホノホヲ》1時。生兒火折彦火々出見尊。第五一書に。火炎袁時云々。出兒云々火折尊。とあれば。記傳に。此は火(ノ)衰たる時に。生坐る故の御名にて。火弱《ホヨワ》りの義なり。と云り。故一書には火|夜織《ヨリ》命ともあり。【袁も與も通ひて同じ。】又重胤説に。折は靡き撓《タワ》む意あり。火の衰たる時には。炎の靡き撓むものなれば。其よしを御名に負坐るなり。とも云り。○齋主此云伊幡※[田+比]怒志。怒志(ノ)二字。本に脱た(931)るを。永享本三島本にあるに依て補へり。但三島本には。怒を努に作れり。【山蔭云。此訓注。齋之大人の方をも。兼たるなるべければ。主字はあるまじくおぼゆと云り。されど齋字。此一書には。いと多ければ。たゞ齋此云2伊幡※[田+比]1。とのみにては。何處の注と云事詳ならず。主字あるからには。必齋主の注なり。また齋主を伊幡※[田+比]怒志と訓からには。齋の大人の方は。注なくとも。イハヒノウシなることは。知られたるを。煩はしく。其方をも兼て云べきにはあらずかし。これは善本を得られざりしより。さる説をも云出られしなり。】○顯露此云阿羅幡貳。この訓注の事は。既に本文の處に云り。
 
〔第三一書〕
一書曰。初火※[火+餡の旁]明《ホノホアカル》時(ニ)生(ル)兒《ミコ》。火明《ホアカリノ》命。次|火炎《ホノホ》盛(ナル)時生兒。火進《ホスヽミノ》命。又曰2火酢芹命(ト)1。次|避《サル》2火炎(ヲ)1時生兒。火折《ホヲリ》彦火火出見尊。凡此三(ノ)子。火(モ)不v能v害《ソコナフコト》。及|母《イロハ》亦(タ)無v所2少(モ)損(ナフ)1。時以(テ)2竹刀《アヲヒエヲ》1截(ル)2其(ノ)兒臍《ミコノホソノヲヽ》1。其|所棄《ステシ》竹刀。終成(ル)2竹林《タカハラト》1。故|號《ナヅケテ》2彼(ノ)地《トコロヲ》1曰(フ)2竹屋《タカヤ》1。
 
火※[火+稲の旁]明時。此は次なる。火炎盛時とあるに同じ。さて火明《ホアカリノ》命は。次なる火進《ホスヽミノ》命と。一神なることも。既に云り。○火進命は。火の盛に進みもゆるよしの。御名なる事も。已に云り。○竹刀。和名抄調度部に。竹刀 日本紀私記云。竹刀阿乎比衣。言以2竹刀1剪2金銀薄(ヲ)1也。箋注云。按神代紀竹刀。以截2嬰兒臍(ノ)帶(ヲ)1。非d剪2金銀薄1之用u。言以下非2私記之文1。當v爲2夾行分注1。又按。阿乎比衣。蓋日本紀截(ル)v臍(ヲ)竹刀之舊訓。恐非d源君之時俗。謂(テ)(乙)剪(ル)2金銀薄(ヲ)1竹刀(ヲ)(甲)爲c阿乎比衣u。とあり。言意は。守部云。字鏡に。※[手偏+俊の旁]※[手偏+卑](932)聶の字を訓て。肉をそぎとる事なり。即今の言に。閉具《ヘグ》と云るも。比惠具《ヒヱグ》の約り。【比惠は閉と約れり】又|惠具留《ヱグル》と云るは。※[手偏+卑]※[金+携の旁]《ヒヱグル》の上略なるべし。竹刀を閇良《ヘラ》と云も。比惠良《ヒヱラ》の約れる事は。上の比惠具の例の如し。【私紀に。竹刀を阿乎比衣と訓たるは。衣の假字違へり○武郷云。本の訓にヱとあるに從ふべし。私記には阿乎比江とあり。】言の意は。斐《ヒ》は屠《ハフ》る。減《ヘラ》すなど云。波閇に通ひ。惠《ヱ》は割《ワ》る折《ヲ》る等の。和袁に通へる以て。准ふべしと云り。さて阿乎とは。竹は莖も葉も。青き物なればなり。○截其兒臍。臍は臍(ノ)帶なり。されど平田翁も云れたる如く。臍字のみにては。義を盡さず。永享本に帶※[糸+刃]とあり。※[糸+刃]は※[糸+刀]又紐の古體なり。【字書に。※[糸+刃]〓繩也。繩縷也。索也。また紐糸也。とあり。】何れにても。帶《ヲ》の意あり。本は脱たるなるべし。さて和名抄形體部に。四聲字苑云。※[月+〓]臍(ハ)腹孔也。和名保曾。俗云倍曾とあり。平田翁云。谷川氏説に。分娩之時。臍帶接2於胎衣1。故斷v之稱曰v續《ツグト》2胎衣《エナヲ》1。忌(ム)v截《キルヲ》之言也。また宗因曰。竹刀男女異v制。檜曲桶大小二納2胞衣1卜2方位1埋v之。詳見2産勘文1。とあり。緒と云によりて。反語をもて祝ふなり。紫式部日記に。御ほそのをは。殿のうへと有れば。式正の事あるべし。南殿の平竹にて作ると。醫師仲成の説なり。とも云り。【仲成とは。和氣系圖に。典藥頭正四位上仲成。とある人なるか。なほ御産部類記の類を見ても。竹を用る故實と聞ゆるを。纂疏に。方書云。臍帶餘2六寸許1。以v絲固結。以2銅刀1截v之。或用2竹刀1と見え。女諸禮と云ふ物に。空木《ウツギ》の小刀と云るは。異説なり。婦人養草と云物に。臍の緒をつぐ。竹箆のこと。男子ならば雌竹。女子ならば雄竹にてつぐべし。雄竹と云は。生出る時より。根下《ネモト》の枝一あるを。雄と定め。枝二あるを雌と定むと云り。また香月牛山説に。臍帶を斷つに。竹箆を用べし。〓の刃物を用るべからず。※[車+(而/大)]なる絹にて。臍帶をつゝみ。或は單の絹をまきて。長からず。短からず。生子の足|掌《ウラ》の長にくらべて斷べしと。漢土書等をも引て委く説たり。】とあり。なほ山槐記。治承二年十一月十二火日御産の條にも。生氣(ノ)方(ノ)河竹を切て。竹刀を作り。御臍を切しこと見え。※[土+蓋]嚢抄二。臍(ノ)緒以2竹(933)刀1切(ル)事(ノ)段に。稚きちごの臍の緒を。竹刀にてきるは。前蹤にある歟。如何。風土記の心によらば。皇祖|〓能忍耆《ホノニヽギノ》命。日向國(ノ)贈於郡(ノ)高茅穗※[木+患]生《タカチホノクシフノ》峯に降り坐て。是れより薩摩國(ノ)1閼駝《アダノ》郡竹屋村にうつり給ふ。土人竹屋守(ノ)女を召て。其腹に二人の男子をまうけ給ひける時。彼所(ノ)竹をかたなに作りて。臍(ノ)緒を切給たりけり。其竹は今も有りと云り。此跡を尋ねて。今もかくするにや。と見えたり。○竹林。和各抄篁 和名太加無良。俗云太加波良。類聚名義抄にもかくあり。【此卷の下。又景行紀も訓同じ。元々集には。タカムラと訓り。】海宮一書に。櫛を投しかば。竹林となるといふ事もあり。【上卷伊弉諾尊の。湯津瓜櫛を投給ひしかば。即筍に成とあるも。似たる事なり。口訣に。截v臍用2竹刀1者。示2養産之方1也。成2竹林1者擧2嘉瑞1也。とあり。】○竹屋は。口訣に。竹屋在2日向國1。卜定田爲v卜而取v稻也。と有れど。此邊は和銅より後。薩摩國に屬て。即和名抄に。蔭摩國阿多郡鷹屋。とある是なり。【今川邊郡に屬す。鷹は借字なり。】この地の事。※[鹿/兒]藩名勝考云。今山田郷に。竹《タケ》が尾《ヲ》と唱ふ山岡あり。其嶺に。竹屋大明神の宮蹤あり。これ盖無戸室を營られし墟《アト》なるべし。また地理纂考云。今土人|神《カミ》山。或は竹屋《タカヤ》が尾《ヲ》。又は略して竹が尾とも云り。山の高さ三十町許にて。絶頂四畦許。平地なり。此處を皇子御降誕の跡と云。即無戸室の跡なり。又此頂上より。西北の方。百間許に。竹林ありて凡二畦許也。土人神代竹。或はヘラタケ山と呼べり。皇子の臍帶を截りし竹刀を。棄たりしが。根ざせるなりと云。此山上すべて。樹木のみなるに。此所に限りて。一村竹林なるは。いとも奇しき事なり。【此竹俗に簀竹と號す。他國には稀なりとぞ。其形囘り二寸許にして。節の間一尺。或は一尺餘なり。笋※[草がんむり+〓]《タカウナノ》芽の如し。又當國にても。村里に多かれど。山中には絶て有事なし。】とあり。【なほ此地の事。本書笠狹宮の下にも云り。】なほ此事。襲峯一覽。また地志略。笈埃隨筆等にも委く見えたり。平田翁云。(934)大隅國肝屬郡にも。鹿屋郷あるは。後に阿多郡の地名を。移せるなるべし。【總國風土紀。日向國の殘缺に。諸縣郡に。高屋郷。とあるは信られず。】とあり。
 
時(ニ)神吾田鹿葦津姫、以2卜定田《ウラヘタヲ》1。號曰2狹名田《サナタト》1。以(テ)2其田(ノ)稻(ヲ)1釀《カミテ》2天(ノ)甜酒《タムサケヲ》1甞之《ニハナヒス》。又用(テ)2淳浪田《ヌナタノ》稻(ヲ)1爲《カシキテ》v飯《イヒニ》嘗之《ニハナヒシタマヒキ》
 
卜定田は。古本にウラヘタル田とも訓り。平田翁云。太兆に卜定たる田と云るにて。其を天御國の狹田長田に擬へて。狹名田と號けたる由と聞ゆ。然れば。名は長《ナ》の借字なり。【前には。次の渟浪田は。渟之田と聞ゆるに就て。此名をも之《ナ》ならむ。と思へれど。しかにはあらず。】と云へり。○天※[甘+舌]酒。倭名抄飲食部。※[酉+潭の旁]酒。陸詞曰。※[酉+潭の旁](ハ)酒(ノ)味(ノ)長也。青※[潭の旁]一音湛。日本紀私記云。※[酉+潭の某]酒|多无佐介《タムサケ》。今葉可v用2此字1。注云。谷川氏曰。多米與2多无1音通。則知(ル)多无佐介。是美酒之古名也。是説可v從。源君欲d以2※[酉+潭の某]字音1爲uv之非v是。とあり。釋紀に甜酒(ハ)美酒也とある。其義以て書るなり。【これに據るに。甜酒は一種の酒にはあらざるが如し。然れども。職員令に【造酒司下】醴謂2醴甜酒(ヲ)1とあるを見れば。醴酒と同物なるにや。口訣には然か云り。醴酒は。和名抄に。醴古佐計。一曰一宿洒也とあり。箋注曰。蓋濃酒之義。古本新撰自鏡。醪訓2古佐介1。※[酉+陪の旁]訓2阿萬佐介1。按造酒司式云。醴酒者。米四升蘖二升。酒三升。和合釀造得2醴九升1。以v此爲v率。日造一度。起2六月一日1。盡2七月三十日1。供日六升。與3今俗呼2阿萬去計1少不v同。とあり。一宿酒の方にはあらざるべし。】されど多武は疑し。其は記に。種々(ノ)味物《タメツモノ》取出而。種々作(リ)具(ヘテ)而進。とある。記傳に。味吻多米都母能と訓べし。其故は。貞觀儀式大嘗祭儀に。辨大夫入v自2儀鸞門1。就v版跪(テ)奏2兩國(ノ)所v獻多米都物(ノ)色目(ヲ)1。とありて。其詞に。御酒倉代(935)缶物。多米都物。雜菓子飯。などの色目見え。又|大多米津《オホタメツ》酒。大多米(ノ)酒波《サカナミ》。多米(ノ)御酒。多毎(ノ)米。大多米(ノ)院と見え。延喜式にも。多明《タメノ》酒。多明(ノ)酒屋。多明(ノ)料理屋などゝ見えたればなり。古に凡て美味飲食《ウマキヲシモノ》を云る名なり。姓氏録に。多米連條に。成務天皇御世。仕2奉炊(ノ)職(ニ)1。賜2多米連1也。又多米宿禰條に。成務天皇御世。仕2奉大炊寮(ニ)1。御飯|香美《ウマシ》。特賜2嘉名1。とあるを以知べし。書紀の甜酒も。本の訓は多米邪祁《タメサケ》なりけむを。後人のさかしらに。字音と心得て。多武とはよみなしつらむ。と云り。さて又重胤は。右の姓氏録の文に次て。政事要略二十六に。姓氏録云。多米宿禰。出v自2神魂命五世(ノ)孫天日鷲命1也。(十)四世孫小長田。稚足彦天皇【謚成務】御世。仕2奉大炊寮(ニ)1。御飯香美。特賜2嘉名1。負2朕御多米《アガミタメト》1。六世孫三枝(ノ)連男倭古連之後。天渟中原瀛眞人天皇【謚天武】御世。改賜2宿禰姓(ト)1。とあれば。古本に然有つるなり。又同書に載られたる。多米宿禰本系帳云。天皇御躬爲2國大※[音+欠]《クニノオホニヘ》然1之時。供2御大飯1。已不2聞食1。仍召2氏人等(ヲ)1。令v作2御飯1。特被2詔勅1。小長田(ノ)命作2備御飯(ヲ)1。進御之日|于《コレ》吉(シト)聞食。即垂v詔※[人偏+爾]仕奉御飯甚有2香美1。平服《タヒラケク》聞食。故召2小長田命1者。特賜2嘉名1。朕(ガ)御多米(ト)負賜(ヒ)。被v詔定2多米連1也。爾時賜2大※[音+欠]政(ヲ)1。亦任2御田之職(ニ)1。賜2l天皇|御命贖《ミイノチアガ》之政(ヲ)1。掌以仕奉也云々。大※[音+欠]は。大甞と云事を漢樣に作るなり。さて其(ノ)朕《アガ》御多米と詔給ひ。多米連と負せ給へる多米は。記に味物とあるを。記傳に多米都物て訓れたるは。實に然る言なり。此は俗に多倍物《タヘツモノ》と云事にて。食て身を足はす謂の言なる者なり。天(ノ)甜酒とあるは。汁《シル》の飲に對へて。醇《カタ》きを食《タブル》と云義以て。號けたるなるべし。此に仕2奉御飯1。甚有2香美1。と有る事に。主《ムネ》と云言なるに(936)て。自餘の物に云は。其飯を云に就て云なりけり。上に小長田命の大飯に仕奉れるが。多米連の本なるにて。常陸風土記に。此時膳炊(ノ)屋舍。搆2立浦濱(ニ)1と有て。取2大炊之義1。名2大生《オホヒ》之村1。と有をも合せ思ふべきものなり。と云れたれど。此説信がたし。尋常の酒を飲事をも。タフルと云り。催馬樂に。佐介乎|太宇反天太邊惠宇天《タウベテタヘヱテ》。と云事あるにあらずや。タフルは給るなり。右の多米とは異なれば。飯を云に就て云るにはあるべからず。○渟浪田は。平田翁云。渟之田なり。纂疏に。渟浪田謂2水田1也。と有るが如し。【今も常に沼田といふ是にて。本より渟なる所を。田とせるなり。】さて是田の水田なるに依て按へば。上の狹名田は。口訣に熟田之稱。とある如く。陸地を治りて。作れる田と聞えたり。と云り。【按に。此狹名田の解おぼつかなし。考べし。○爲飯。本に飯ニカシテと訓れど疑し。カシキテと訓べし。和名抄飲食部に。〓※[食+賁]。漢語抄云。加太加之岐乃以比。※[食+丑]飯。加之岐可天。新撰字鏡に。※[火+軍](ハ)炊也。伊比加志久。※[火+嬰]可志久。又宇牟須。などあり。萬葉五に。飯炊事毛和須禮提云々。また炊屋といふ言もあり。言義は未詳ねど。甑を和名抄に。古之岐と訓。炊v飯器也。とありて。箋注に。孝徳紀同訓。新撰字鏡甑※[木+曹+瓦]檜同訓。許之伎見2萬葉集貧窮問答歌1。谷川氏曰。古之岐與v炊音通。とあれば。甑と同義なるべし。古へはみな甑にて蒸て。飯を爲《ツク》りしかばなり。小山田與清曰。飯は炊穀の名。粥は烹穀の名なり。加之久は炊〓《スイサン》の字をよみて。俗に布加須といふこれなり。蒸《ムス》は湯氣を洩さぬに云ひ。炊は湯氣を洩すにいへば。同じからず。甑《コシキ》は炊籠《カシキコ》の約轉。いにしへは籠を用ゐ。又は瓦木もて作りもしたれば也。それに木葉藁などを。敷覆《シキオホ》ひて炊たれば。柏《カシハ》【カシキハのキを省ける(937)語なり。】炊藁《カシキワラ》【延喜式】などの名あり。されば飯の類と。粥の類とは。炊烹の別ありて。まぎるゝ事なきを。後世には此けぢめをしらずして。まどへるなり。さて飯に強飯あり。ひめ飯あり。と云へり。○甞之。本にニハナイスと訓たれど。尋常の大甞新甞の事には非ずして。其|産養《ウブヤシナヒ》の爲に。新甞の御事を。御子等の御爲に。行はせ御坐けるなるべし。口訣に。英2卜定田1者。爲v卜取v稻。大甞會國郡卜定(ノ)起是。狹名田者。熟田之稱。天甜酒者醴酒也。渟浪田者潤地之名。甞味v口也。凡御禊大甞會者。神代之例也。御禊者。大甞以前之齋也。始2伊弉諾尊橘小戸祓1。大甞國郡卜定者。起2火火出見尊降誕之時(ニ)1。大甞會者。御即位以後也。即位在2七月以前1者。當年行v事。在2八月以後1者。明年行v事。卜定而奏2悠紀主紀之國1。【中略】卜定者二月也。八月上旬遣2兩國稻實卜部1。各到v國爲2大祓1。卜定田者六段也。繋2木綿1。四方立2賢木1。悠紀國近江。主基國丹波或播磨。十月下2勅使1。取v稻以云2拔穂使1。十一月中卯日。天子手(ラ)備2神供1。亥一刻。薦2悠紀御膳1。【退2四刻1】寅一刻。薦2主基御膳1。【退2四刻1】以2卜定田之稻1備2神供1也。と注して。大甞の事に係て云るを。清原宣賢卿の説に。甞は神に供するなり。此兒を生給ひて。宴を設けて神を祭玉へり。と有て。産養の事に爲させ玉へるに就て。通證に。今按平氏太子傳に。三日夕。天皇設v宴賜2物(ヲ)群臣(ニ)1。七日夕。皇后設v宴賜v物。後宮大臣以下。相次献v饌。稱2之|産養《ウブヤシナヒト》1。と見えたり。李部王記云。天暦四年七月七日。是夕藤女御有2産養事1。紫式部日記に。此事を詳に載す。拾遺集に。産屋の七夜にまかりて。君がへむ八百萬代を數ふれば。かつ/”\今日ぞ七日なりける。と云る。此なむ實に謂る産養と云事の原始と(938)ぞ云べかりける。と云れしは。實に然る言なり。然る時は。上世に養産などにも。田を卜へ物する習はしなりつるにこそ。【然れども。重胤の説に。其如く養産なる時は。産後僅に七夜ばかりにして。行ふ事なりければ。田を卜定むるには。至らざるや侍らん。其卜事を行はせ玉ふと云は。猶大甞などの状なる御事なりしにや。と云れたり。武郷按に。然にはあらじ。田を卜定むるには。現《イマ》佃《ツク》りて在る田の稻を卜ふ事にて。彼大甞なるとは異なるべし。】さて重胤云。かく酒と飯とを。相並べて嘗《アヘ》させ給ふ中に。かく酒を先にして。飯を後に云る事は。中臣壽詞文などにも然見えたり。これ飯よりも。酒を第一と爲な事なるが故なり。故大嘗祭儀齋部の所に。卜定(ノ)物部(ノ)人十五人云々。と有て。造酒童女《サkツコ》の方。稻實(ノ)公の上に在り。又其卜定田の拔穂の事も。造酒童女先v之。稻實公次v之。酒波次v之。物部(ノ)男女次v之。と見えて。其餘の事共多くは皆。造酒童女一人を以。專要と仕奉れる事。酒を先とし。飯を次とする事なるが故なりかし。と云れたり。
 
〔第四一書〕
一書曰。高皇産靈尊以2眞床覆衾(ヲ)1。天津彦|國光彦《クニテルヒコ》火(ノ)瓊々杵尊1。則引(キ)2開天(ノ)磐戸(ヲ)1。排2分《オシワケテ》天八重雲(ヲ)1。以|奉降之《アマクダシマツリキ》。于時大伴(ノ)連遠祖天(ノ)忍日《オシヒノ》命。帥《ヒキヰテ》2來目部《クメベノ》遠(ツ)祖|天※[木+患]津大來目《アメクシツオホクメヲ》1。
 
天津彦國光彦は。天饒石國饒石などゝ同く。稱辭を添て白せるのみなり。○天磐戸。平田翁云。天都宮處に搆へし。御門の戸なり。大祓詞に。天津神波|天磐門乎押披※[氏/一]《アマノイハトヲオシヒラキテ》所聞食武。とある磐門。大同本記(939)に。大御神の倭姫命に。御諭坐る御言に。我高天原爾坐※[氏/一]。※[瓦+肆の左]戸押張《ミカドオシハリ》如《ゴトク》v見《ミルガ》見志眞伎志。大宮所波是處也とあり。※[瓦+肆の左]戸是なり。【※[瓦+肆の左]戸は。御門の借字なり。】○大伴連。記傳云。大伴とは。多くの伴を帥るを以て云か。又此氏の伴の。多く廣き由か。萬葉七に。靫懸流伴雄廣伎大伴爾《ユキカクルトモノヲヒロキオホトモニ》とあり。又八十伴緒の中にも。此伴を殊に崇め稱美て。大伴とは云か。萬葉二十に。大伴乃|宇治等名爾《ウヂトナニ》於敝流と。家持卿の、よまれたるなどを思ふべし。さて神武卷に。大伴氏之遠祖|日臣《ヒノオミノ》命。帥2大來目(ノ)督將元戎《イクサノキミオホツハモノヲ》1と見え。拾遺には。逮2于神武天皇東征之年(ニ)1。大伴氏遠祖日(ノ)臣(ノ)命。帥2督將元戎(ヲ)1。剪2除兇渠(ヲ)1。佐命之勲。無v有2比肩1。など見えて。此氏は祖神天忍日命よりして。世々もはら武事を以て。皇朝の御守衛となる職なり。【後世の左右近衛(ノ)大將。左右衛門(ノ)督。左右兵衛督。などの職の如し。然れば後の稱を以いはゞ。かの中臣忌部五部などは文官。此大伴久米などは武官なり。然るを後には。文を尊ばるゝ故に。六衛府は太政官より卑きを。上代には。武を尊ばれし故に。此氏など甚貴かりき。】とあり。天武紀十三年十二月。大伴連佐伯連賜v姓曰2宿禰1。姓氏録【左京神別】大伴宿禰。高皇産靈尊五世孫。天(ノ)押日《オシヒノ》命之後也。【家内連。高魂命五世孫。天忍日命之後也。ともあり。】初天孫彦火瓊々杵尊。神駕之降也。天押日命大來目部。立2御前1。降2于日向高千穂峯(ニ)1。然後以2大來目部(ヲ)1。爲2天(ノ)靱負部《ユゲヒベト》1。天靱負之號(ハ)起(レリ)2於此1也。確略天皇御世。以2天靱負(ヲ)1賜2大連公(ニ)1。奏曰。衛門開闔之務。於v職已重(シ)。若一身難v堪。望與2愚兒|語《カタル》1。相伴(ニ)奉v衛2左右(ヲ)1。勅依v奏。是大伴佐伯二氏。掌2左右(ノ)開闔(ヲ)1之縁也。大伴(ノ)大田宿禰條には。高魂命六世孫天(ノ)押日命とあり。【押日命を。五世孫とし。また六世孫としたれども。拾遺には。高皇産靈神所v生女云々。其男名(ヲ)曰2天忍日命(ト)1。とあり。姓氏録とたがへり。いづれか正しからん。傳に御子とは。子孫の謂なるべし。といはれたれど。此は正しく男とあり。異傳とすべし。次にも又男名曰2天(ノ)太玉命(ト)1。ともあるをおもふべし。】また佐伯宿禰。大伴宿禰同祖。道臣命七世孫。室屋《ムロヤノ》大連公之後也。とあり。此氏人は甚く蕃衍《サカ》えて。紀中また續紀。續後紀。(940)萬葉集。日本紀略。姓氏録。大伴系圖。三代實録に見えたるを擧ていはば。道臣命の子味日命。其子稚日臣命。其子大日命。其子角日命。其子豐日命。其子武日。其子武以。其子室屋。其子談。御物。談子金村。其子磐。狹手彦。阿被布古等あり。金村孫昨子の子長徳。馬來田。吹負。長徳の子御行。安麻呂。安麻呂の子道足。旅人。其子家持。旅人の姪古麻呂。其子繼人。其子國道。此人改て宿禰を賜。此より伴氏となれり。國道の子伴善男なり。さて此氏の支屬大伴某連。大伴某宿禰と云る氏。いと多くして擧るにたへず。中に佐伯宿禰尤著姓なり。さて聖武天皇天平勝寶元年詔に。大伴佐伯宿禰波。常母云(如)久。天皇(カ)朝守《ミカドマモリ》仕(ヘ)奉(ル)事。顧《カヘリミ》奈伎人等爾阿禮波。汝《イマシ》多知乃|祖止母乃云來久《オヤドモノイヒクラク》。海行波《ウミユカバ》。美豆久屍《ミヅクカバネ》。山行波草牟須屍《ヤマユカバクサムスカバネ》。王乃|幣《ヘ》爾去曾|死《シナ》米。能杼爾波《ノドニハ》不《ジ》v死止。云來流《イヒクル》人等止奈母聞(シ)召須。是以。遠天皇《トホスメロギノ》御世始弖。今朕御世爾|當弖母《アタリテモ》。内兵止奈母遣須《ウチノツハモノトナモツカハス》云々。【萬葉十八に。此詔を家持卿のよまれし長歌もあり。】かく止事なかりしも。是より間なく。天平寶字元年に。橘奈良麻呂朝臣の。朝廷の姦人を攘はむと。謀れる時に。大伴古麻呂。佐伯(ノ)大成。大伴古慈斐。佐伯全成など云し宿禰等の。與《クミ》せること發覺れて。誅はれし事あり。これよりして。此氏人。漸々に勢を失ひ。衰へ以て來て。遂に其家々絶々に成り。其後類聚國史に。弘仁十四年四月。改2大伴宿禰1。爲2伴宿禰1。觸v諱也。とありて。伴氏となれり。かくて清和天皇貞觀年中。大納言伴善男罪ありて。流されたるより。【按に善男は。寵ありて家を興し。大臣に任ぜられんとしたりしかど。藤の權を擅にせし頃なりければ。共に謀りて。窃に罪に陷せしも知べからず。時勢を考て知るべし。此にても。此時いまだ。聊かは勢力ありしことは。推量られたり。史の文の上にては。さも見えぬは。潤色《ツクロハレ》たるが故なるべし。】其後は著はれたる人も。代々に聞えず。いたく衰へ果(941)にたり。日本紀略。天慶六年七月。賜2參議正四位下伴宿禰保平1爲2朝臣1。とありて。其後朝野群載に。伴朝臣資兼と云人見えたり。【此人は善男子員助の裔孫なるべし。伴氏系圖にみえたり。奧州後三年軍記に。義家に從て功ありし。伴四郎※[人偏+兼]仗と云者なり。】なほ其餘にも。伴朝臣なる人あり。されど伴宿禰の氏人もあり。【後一條天皇の時。正六位上伴宿禰信重と云人。類聚附宣抄にみゆ。】兩流に分れたりと見ゆ。【佐伯宿禰も。後に佐伯朝臣となりて。其氏人見えたり。】○天忍日命。記傳云。名義ことなる事なし。三代實録。貞觀十五年十二月。授2河内國正六位上天(ノ)押日命神(ニ)從五位下1。【此は式に。志紀郡伴林氏神社。とある社なるべし。此林氏神社は。貞觀九年二月預2官社1。姓氏録河内神別に。林宿禰あり。大伴宿禰同祖也。】とあり。平田翁云。名義今一(ツ)の考あり。其は神武紀に。賊等天皇の御軍の。嚴く夥きを畏て。天(ノ)壓《オシ》神と申せる事あるを思ふに。此神の皇孫尊を。守護まして降らしゝ。武備の物を壓《オ》すが如く。嚴きを稱めて。壓靈《オシヒ》と申せるも。亦知べからず。とあり。さて萬葉十八。大伴家持卿歌に。大伴能|遠都神祖乃《トホツカムオヤノ》。其名乎婆《ソノナヲバ》。大來目主登《オホクメヌシト》。於比母知弖《おひもちて》。都加倍之官《ツカヘシツカサ》云々。とあるを見れば。此命の亦名を。大來目主命とも申せるなり。かゝれば記に。天津久米命といひ。此紀に天※[木+患]津《アメクシツ》大來目とあるは。共に一神にて。天忍日命の部下の。隊長にて。來目部の兵を帥たるより負る名。大來目主は。其上に立て。主として率ゐたまへる稱にて。亦名なること論なし。然れば記に。天忍日命。天津久米命二人。と爲るは誤にはあらねど。大將と裨將とを並べ云るが。聊まぎらはしきなり。此紀には。帥2來目部遠祖天※[木+患]津天來目(ヲ)1。と云るにて明らけし。さて帥2來目部1は。萬葉二十に。於保久米能《オホクメノ》。麻須良多祁乎々《マスラタケヲヽ》。佐吉爾多弖《さきにたて》。と詠み。此紀に。道臣命帥2大來目部1とあれば。來目と云部を。帥たる事灼く。其來目部を帥たるに依て。負る名を。別に一(942)神と爲て。語れる傳なり。又記に。大伴連等之祖道臣命。久米直等之祖大久米命二人。と云て。二人と爲たれども。此も道臣(ノ)命は。天忍日命の孫として。大來目部を帥たる故の名。大久米命は。天津久米命の孫として。此又此時の裨將《スケノイクサノキミ》なり。故此紀には。大來目命といふ人なし。さて其裨將たる大來目命は。是も産靈尊の御末にて。久米直の祖なることは。姓氏録【左京天神】に。久米直。高御魂命八世|味耳《ウマシミヽ》命之後也。と見え。又此に並べて。浮穴(ノ)直|移受牟受比《ヤスムスヒノ》命後也。と擧られたるは。所由ある事なり。そはまづ來目氏は。記紀久米直祖大久米命。と有て。此命より出たるは紛なく。さて浮穴氏の事を考るに。續後紀。承和元年五月の下に。伊豫國人浮穴直千繼等。賜2姓春江宿禰1。千繼之先者。大久米命之後也。とあれば。此氏も大久米命の未なる事灼し。【然るを大久米命と云は。道臣命の亦名にて。道臣命は。大伴久米浮穴の祖にて。共に天忍日命の末なるを以。久米と浮穴とを。並擧られたるにぞ有ける。伊豫國に。久米郡と。浮穴郡と並たるも。此所由による事なりと。平田翁の云れしは違へり。】さて浮穴直(ノ)條なる。移受牟受比命と申は。同書【大和天神】に。門部連。牟須比命兒。安《ヤス》牟須比命之後也。ともあり。門部とは。御門を衛る部にて。連は其を掌る職なれば。必久米氏の同族なるべき謂なり。さて又神代系紀に。天忍日命大伴連等祖。亦云2神狹日命1。とあり。【名義は未思得ず。】○來目部。神武紀には大來目部とあり。平田翁云。大來目部は。天忍日命の帥ゐ從へ玉ふ。益荒武男《マスラタケヲ》の部を云ふ。其は次々に引出る諸書にて著明なり。然て來目としも云は。大來目命の帥ゐる部なればなり。とあり。さて來目と云は。守部云。組《クミ》の義なり。又其久美て云言の本は。伊久美竹《イクミダケ》などの久美。【熊橿。熊篠。などの久麻も同語。】にて。許母理【叢り茂るを云】と云言の約れるなれば。聚群《アツマリムラガ》れる軍卒の部を。(943)久米とも久麻とも云るなり。萬葉三。皮爲許寸《ハタスヽキ》。久水能若子我《クメノワカコガ》とあるも。薄葉《スヽキ》の繁れるよしのつゞけと聞ゆ。と云り。【久米と久美と通へる事をなほいはゞ。國造本紀久米國造を。久味《クミ》國造ともあり。古へ通はせ云へりし事著明し。】○天※[木+患]津大來目。これ來目部を帥たる。一隊の將なるに依て負る名なり。名義。※[木+患]津は。靈異稜威《クシイツ》の約たる言にて。【久志の志に。伊の韻ある故に。自ら久志都と云るゝなり。】大來目部の。武男の勝れて。靈異きを稱たるなり。大は天皇の御軍士なる故に。崇め稱へて云へるにて。皇軍と書(ク)皇(ノ)字の如し。さて來目の枕詞に。瀰津瀰都志《ミツミツシ》【神武紀又萬葉集。】と云ることある。つゞけの意は。これも稜威稜威志組《イツイツシクミ》の子等《コラ》と云事にて。【瀰津は伊都と通ふ。甕と嚴と同じきが如し。】稜威は武き勢をいふ語なれば。軍卒の武勇を稱へて。續けたるなるべし。志は伊蘇志《イソシ》などの志【志伎とも活用けり】なり。又此枕詞の例は。萬葉一に大伴の御津《ミツ》とよめる。大伴氏之稜威なり。大伴の高師《タカシ》とよみたるも、大伴氏之|武健《タケ》しと云言の。音を轉して。つゞけたるなどに。準へて知らる。共に相發して。※[木+患]津の義もさとるべし。
 
《ソビラニハ》《オヒ》2天(ノ)磐靱《イハユキヲ》1。臂《タヾムキニハ》《ハキ・ツケ》2稜威(ノ)高鞆(ヲ)1。手(ニハ)捉《トリ》2天(ノ)梔《ハジ》弓天(ノ)羽々《ハヽ》矢(ヲ)1。及|副2持《トリソヘ》八目(ノ)鳴鏑《カブラヲ》1。又|帶《ハキ》2頭槌《カブツチノ》釼(ヲ)1。而立(シテ)2天孫之|前《ミサキニ》1。遊行降來《ユキクダリ》
 
天磐靱。記傳云。石は例の堅き由なり。萬葉三に。大伴之名負靱帶而《ナニオフユキオビテ》。【名負靱の事。姓氏禄に見えたり。】七に靱懸流伴雄廣伎《ユキカクルトモノヲヒロキ》大伴爾など有て。靱は殊に。大伴久來に由縁あるなり。【故太刀弓矢よりも先に。まづ此物を云り。】姓氏録大伴宿禰條に。天孫彦火瓊々杵尊神駕之降也。天押日命大來目立2御前1。降2于日向高千穗峯(ニ)1。然後以2大來目部1。爲2天靱(944)負部(ト)1。天靱負之號。起2於此1也。【後に近衛府衛門府兵衛府を。共に由介比乃都加佐と云も。此靱負より出たる事なり。】萬葉二十に。波士由美乎多爾藝利母多之《ハジユミヲタニギリモタシ》。麻可胡也乎《マカゴヤヲ》。多波左美蘇倍弖《タバサミソヘテ》。於保久米能《オホクメノ》。麻須良多祁乎々《マスラタケヲヽ》。佐吉爾多弖《サキニタテ》。由伎登利於保世《ユキトリオホセ》。山河乎《ヤマカハヲ》。伊波禰左久美弖《イハネサクミテ》。布美等保利《フミトホリ》。久爾麻藝之都々《クニマギシツツ》。とあるも。此の故事に本就て。詠れし者なり。拾遺には。仍使2大伴遠祖天忍日命(ヲ)1。帥2來目部(ノ)遠祖天※[木+患]都大來目(ヲ)1。帶(テ)v仗(ヲ)前駈(シ)。既而且v降之間。先駈還白。と有を以ても。此二神大來目部を。已に先に立《タヽ》せ遣《ツカハ》して。降路に向ひ給ひ。謂ゆる靱負伴男と爲《シ》て。被2仕奉1しを。後には衛府に其職移れり。職員令義解。左衛士府條に。掌2云々車駕出入。前駈後殿(ノ)事(ヲ)1と見え。左兵衛府條に。車駕出入。分2衛前後(ニ)1。などある是有状なり。宮衛令に。凡車駕出行。兵衛衛士先按行(セヨ)。及2道路隱暎(ノ)處(ニ)1。※[手偏+僉]2察非常(ヲ)1。前後呵2叱(シ)觀人(ノ)大言(ヲ)1。登v高者使v下云々。などを以。其先駈の状を知べし。とあり。○捉天梔弓。捉字。文明本。元々集所引に。提と作り。記傳云。波士は常には。櫨字を書り。和名抄には。染色具部に。黄櫨。文選注云。櫨(ハ)今之黄櫨木也。和名波邇之。とある是なり。【天皇の御衣の。黄櫨染是なり。】波邇志とも。波士とも云は。樺《カニハ》を加婆《カバ》とも云と同じ。【又土師をも波士とも云り。】名義は。或人|埴《ハニ》の色したる木なる故に云。と云り。さて此木は。今俗に波是《ハゼ》と云。山漆《ヤマウルシ》とも云て。實をば蝋燭に造る。葉はよくもみぢする物にて。歌にも詠り。成人は此木今も弓に造ると云き。【或云木を切て見れば。そのこぐち。外は白くして。内の心黄なり。その黄なる心を。弓には造るなり。物を染るにも用ゐ。山に生たるを山はぜと云て。里に生たるよりも。性宜しと云。といへり。○武郷云。或人云。櫨は木性脆くして。弓とするに堪ざれば。是は山櫨と云て一種あり。其形櫨に類《ニ》たれど。直立して實細し。櫨弓とは此木にて作りけん。と云り。】さて書紀に。梔弓と書れたるは。和名抄同染色部に。梔子を擧て。唐韻云。梔子(ハ)木實也。可v染2黄色1者也。と(945)ありて。此も黄を染る物なるから。此字を當たるべし。されど梔はてちなしにて。小木なれば。弓に造るべきに非ず。小とあり。○八目鳴鏑。本に鳴鏑をカブラとのみ訓れども。なほナリカブラと訓べし。外にしかよめり。記傳に云。書紀などの訓に。那流河夫良とあれども。字鏡に奈利加夫良とあるに依て訓べし。名義は鳴神夫理矢《ナリカミフリヤ》なり。天智紀に。有2細(キ)響1如2鳴鏑1。とある如く。射れば空を鳴行が。雷に似たればなり。此矢記中に往々見えたり。古はもはら用し物とみゆ。八目とは。其鏃に竅《アナ》のいくつもあるを云。和名抄に。日本紀私記云。八目鏑は。夜豆女加夫良とあり。【雷をたゞ神ともいへば。鳴鏑をも如夫良とのみも云べし。又は後に鳴を略て。加夫良とのみも云か。加夫良をもとにて。其中に鳴を分て。鳴鏑と云には非じ。】萬葉九に。響矢《ナリヤ》ともあり。さて鏑字は。たゞなべての鏃の事にて。分て加夫良と訓べき義は見えず。こは漢籍に。鳴鏑と云物。此方のなりかぶらに似たる故に。此字を當たるなれば。鏑(ノ)一字を訓るも。鳴鏑よりうつれるなり。【史記匈度奴傳云。冒頓乃作2爲鳴鏑1。注韋昭曰。矢鏑飛則鳴。】とあり。○頭槌劔は。神武紀に勾務都々伊《カブツヽイ》。異志都々伊《イシツヽイ》とある。勾移都々伊は。即此|頭槌《カブツチ》なり。【神功紀にも見えたり。古事記の神武段には。久夫都々伊とあれども。久夫は加夫と通音。さて槌を延て都々伊と歌へるなり。】異志都々伊は。石槌にて。共に古の劔の稱なり。私記に頭槌(ハ)劔名也。其頭曲(レリ)。石槌(ハ)劔名也。其頭似v石。とあり。通證に。兼良曰。頭槌者劔首如v槌也。今隼人所v帶之劔有2此形1也。今按。神武紀曰。我卒具拔2其頭椎劔1。一時殺v虜。夫劔有v文有v武。据v之則專便2於武1之制。猶如2今陣刀1乎。と云り。【口訣には。頭槌劔鋒如v槌とあり。】いづれも信がたき説なり。記傳も。大方は此等によられたり。信友云。記傳に。頭椎と石椎を一物とし。又椎は私記纂疏等の説によりて。劍(ノ)頭《ツカ》の形によれる名とし。其劍頭を。石以(946)て椎の如く作れる物なるべく。いへるはいかゞ。其はまづ石もて。劔頭の然製らるべきに非ず。よしやしか製りなしたらむにも。其を用《ツカ》ふに何の使よき事のあらめや。【私記纂疏の説は。槌字にすがりたる強説なり。但し古代の物に。劔頭のふくらかに。聊反りたるが見えたるは。柄を把りしばる便よからむ爲なるべければ。槌に譬ふね形にはあらず。傳に谷川氏の。劔の頭石にて。槌の形に似たるを。土中より掘出たりと云を見たり。と云へるよし云はれたるは。身ごめに。石にて作れるものなりつるか。その語り状の趣。甚心得がかたし。】故つら/\考るに。頭椎と云は。劔頭の椎の形によりたる由にはあらで。外に其義あるべけれど。今考べきよしなければ。暫上古の太刀の一種と。心得てありぬべし。と云り。こゝに小杉※[木+温の旁]邨。右の私紀纂疏の説に因て云。其頭椎の如しといふもの。遙に後世まで傳へ來しは。隼人所帶といひ。兼良公が今とのたまひしにても。思ひ合すべけれども。先年來古墳より發見せしもの。いと多くありて。上野國緑野郡白石村。また同國佐野村。また武藏國北埼玉郡小見村。常陸國新治郡栗又村。また三河國渥美郡磯部村。また肥前國基肆郡園部村。などより出たる。銅製金装の劔頭。みな此種類にして。今日帝國博物館に陳列す。往きて見るべし。さてこの頭槌製の刀劍装飾ともに。みな最精工にし。兩刃なきにはあらねども。片刃多し。而して皆柄鞘ともに木を似て し。銅の薄き板がねにて。其柄鞘を掩ひ。鍍金したり。但柄頭に。橢圓状ふくらかなる金物《カナモノ》をつけたるが。いはゆる頭槌なり。さてこの刀劔の鍔は。大かた事輪状のものをさしはさめり。又按るに。筑後國人形原の石人といふ石製の人形に。佩せたる大刀は。頭槌状なり。これはた思合すべし。異志都々伊といふもの。記傳になほ上の頭槌と一物なるを。彼(レ)は形を以ていひ。此は其石以て作れる名なれば。別物にあらずとて。石製の劔(947)頭。大和國三輪山あたりの土中より發見せしこと。谷川士清が説をうけられて。しか定められたれどもいかゞあらん。世俗に石劔頭と云ものは。曲玉に似て最大なり。按ずるに古人一度劔頭ならんと誤認しつるより。假に今も通稱せるが如くなりたれど。前回にも略述せし如く。これは別に使用せし一種の装飾具なるべし。銅製の頭槌は。上文に云が如く。陸續發見すれども。刀柄につける石製のものは。いまだ發見する事なし。よく考べきものとす。木内重曉が雲根志にかゝげし説は。尤採るに足らずと云り。なほよく考ふべし。
 
《イタリテ》2於日向襲之高千穗※[木+患]日二上(ノ)峯天浮橋(ニ)1。而|立《タヽシテ》2於浮渚在之|平地《タヒラニ》1。膂完(ノ)空國(ヲ)。自《カラ》2頓丘1覓v國|行去《トホリテ》。到(リマス)2於吾田(ノ)長屋(ノ)笠狹之御碕(ニ)1。時彼處有2一(ノ)神1。名(ヲ)曰(フ)2事勝國勝長狹(ト)1。故天孫問(テ)2其神(ニ)1曰(ク)。國在|耶《ヤ》。對|曰《マヲサク》在(リ)也。因曰(ク)。随《/\》v勅(ノ)奉(ラム)矣。故天孫|留2住《トヾマリタマフ》於彼處(ニ)1。其事勝國勝神|者《ハ》。是(レ)伊弉諾尊之|子《ミコ》也。亦名(ハ)鹽土(ノ)老翁。梔。此云2波茸1。音之移反。頭槌。此云2箇歩豆智1。老翁。此云2烏膩(ト)1。
 
伊弉諾尊之子。此事次に云。○鹽土老翁。一書に鹽筒ともあり。同じ事なり。老翁はたゞ尊みても云(948)稱なれども。此は實に翁にて在けむと。記傳に云れたるが如し。さて記傳には。鹽土は一柱の神名には非ず。凡て物をよく知識《シレ》る人を云稱なり。と云れたれど。重胤云。此は伊弉諾尊。檍原御禊ぎの段に生坐る。底筒男。中筒男。表筒男三神を。一神としたる御名なり。【武郷云。住吉神代記云。西國見丘(アリ)。東國見丘在(リ)。皆大神誨(ヘ)2天皇(ニ)1賜(テ)。令v登(ラ)2鹽筒老人(ヲ)1。見v國賜(フ)丘山(ナリ)。と云事あり。これは河内國にての事なり。大神の御本體の。假に現人神と現れ玉ふ御名を。鹽筒老人と申奉れるなり。ます/\鹽筒老翁の。住吉現人神の御名なること明らけし。】鹽と云は潮の事にて。海の底と中と表とを。總て云なり。其は其成出し所を。海底又は潮中潮上と有にて知らる。さて同時に成坐る。底津少童命。中津少童命。義都少童命三神は。海神と坐せば。海中の主宰に坐す事。海宮遊行章の趣にて明らかなり。然るに海上の事に就ての御事跡の。多く此神に係れるは。如何と云に。少童命と此神等とは。體《モト》と用《スヱ》との差別。此に在る事なり。大國主。事代主神との。差別に異ならず。君臣の義には非れども。少童命は皇孫尊の如く。此神等は御前の事執持て。政ごつ人のごとし。【さも無ては。海中を所知看す神。二神有が如く聞えて。何れも其れと知られず成ぬべき事なり。能々思辨ふべし。】又此を伊弉諾尊之子也。とは有れども。如何なる由に縁れりとも無きは。古くより。別神と傳はれるには有めども。思合すべき事なん有ける。其は記【海宮段】に。於是其弟泣患(テ)居2海邊(ニ)1之時。鹽椎神來(テ)問曰。云々我爲2汝命(ノ)1。作《セム》2善議1。即造(リ)2无間勝間之《マナシカツマノ》小船(ヲ)1。載2其船(ニ)1。以教曰。我押2流其船(ヲ)1者。差暫往(マセ)。將v有2味《ウマシ》御路1。之乘(テ)2其道(ニ)1往者《イデマサバ》。如2魚鱗《イロコ》1所造《ツクレル》之宮室。其(レ)綿津見神之宮者也。到(マサバ)2其神(ノ)御門(ニ)1云々。其海神之女。見(テ)相議者也云々。と有て。此時の始終の事を。具に始より知給ふ神は。誰か有む。其海神と力を合せ給へる。此三神に坐(サ)ずては。似着はしからざるを思べし。此時の事は。海(949)神三柱も一神にて。綿津見神とも。豐玉彦命とも申せば。其に對へる所なれば。此三神も底中表を兼て。鹽土老翁など申すべき事なるをや。通證に引る。天野信景説に。和泉國大鳥郡|開口《アキグチ》村。眞住吉神社。俗稱2三村大明神(ト)1。所v祭鹽士老翁也。神功皇后征v韓時。奉導之。故歸國之後鎭2坐此處(ニ)1。爲2住吉之外宮1。是以攝州住吉造替時。此社亦更(ニ)造營。蓋一體別之祠義也。【武郷云。住吉神代記云。六月御解除|開口《アキグチ》水門姫神社。在2和泉國1。四至限2東大路1。限2南神埼1。限2西海棹及(フ)限1。限2北堺大路1とあるもこゝに由あり。】と有は寔に然る言なり。【なほ海宮遊行章にも。數多出たる事なるを。今は其目易き方に就て。記を引出たるものなり。】と云れたるは。然る攝と通えたり。さてしか此神海上を知看神に坐ながら。事勝國勝長狹神と顯れ給ひて、笠狹の地を古くより。主領き坐し。又神武紀にも。天皇に中洲の事を語奏し給へるなど。現人神と坐ませる。此神の御|性《サガ》なるべし。偖後神功皇后の御時に至りて。始で底中表筒男神なるよしを顯はして。御名乘し給へるも。さるべき由縁あることなるべし。○梔此云波茸云々。本に茸を葺に誤る。今秘閣本丹鶴本安倍本に從て改つ。さて此註二十三字。本には次の一書の下に誤りて入れり。今は水戸本貞丈校本等に依て。此に移しつ。
 
〔第五一書〕
一書曰。天孫|幸《メス》2大山祇神之女子吾田鹿葦津姫(ヲ)1。則一夜(ニ)有身《ハラミヌ》。遂生2四(ノ)子《ミコヲ》1。故(レ)吾田鹿葦津姫抱(テ)v子而來|進曰《スヽミテマヲサク》。天神之子寧(ロ)可(ケム)2以私(ニ)養《ヒタシマツル》1乎。故(ニ)告(シテ)(950)v状《アリサマヲ》知聞《キコエシム》。是時天孫|見《ミソナハシテ》2其(ノ)子等(ヲ)1。嘲之《アザワラヒテ》曰(ク)。妍哉《アナニヱヤ》吾皇子(トハ)者。聞喜《キヽヨクモ》而|生之歟《アレマセルカモ》。故(レ)吾田鹿葦津姫乃|慍《イカリテ》之曰(ク)。何|爲《スレゾ》嘲(ケリタマフ)v妾乎。天孫(ノ)曰(ク)。心(ロ)疑《ウタガハシ》之矣。故嘲(ケル)之。何《イカニトナレバ》則雖(ドモ)2復(タ)天神之|子《ミコト》。豈能一夜之|間《カラニ》使《セム》2人(ヲ)有身《ハラマ》1者|哉《ヤ》。固《マコトニ》非(ラジ)2我子(ニ)1矣。
 
抱子而來。記【玉垣宮段】に。沙本毘賣《サホビメ》皇后の御子産給ひて。抱2其御子(ヲ)1。刺2出城外(ニ)1云々.の處(ノ)傳云。抱は書紀などに。伊陀久とも。牟陀久とも。訓るが中に。萬葉十四に。可伎武太伎《カキムダキ》とあれば。これに依て牟陀伎弖と訓べし。さて今如此大后の。此御子を。御躬(ラ)抱て渡し奉給ふを思ふに。上代には。賤きも貴きも。凡て婦人|産《コウ》めば。即|親《ミヅカラ》抱きて。其兒を其父に示《ミ》する。それぞ定まれる禮なりけむ。吾田鹿葦津姫の。抱v子而來云々。故告v状知聞。とあるなども。此御禮なるべし。然るに沙本毘賣(ノ)皇后は。兄の稻城に隱坐ば。然る事も得《エ》爲《シ》たまはず。故今渡し奉るに附て。よそながらも。其御禮を行ひ給ふなるべし。然らずは。かゝる亂(ノ)中に。かゝる貴女の。御|親《ミヅカラ》抱きて出給ふべくも非ず。【凡て古書を見るには。かゝる處の。よく心をつけて。上代のしわざを。細に考へ知べきぞ。ゆめなほざりに。勿看すごしそ。】と云れたるは。誠に然り。さて此一書。兒生まして。其を抱きて。來坐る後に。天神之子寧可2以私養1乎云々。と白し給へると。又四子とあるが。傳の異なるなり。○嘲之。第一一書に既に云る如く。あざけり笑ふ意なり。【新撰字鏡に。嗤を阿佐介留とあり。色葉字類抄に。※[口+合]をアザワラフと訓めり。あざわらふの解。まづは如此なれども。あざは鮮(951)の意にて。あざ笑は。大に笑ふより出たる辭なり。必しも人を嘲弄するが本義にあらねど。しか大に笑ふは。人を慢る意あれば。轉りてさやうに通ゆるなり。記の橿原宮段なる嘲咲も。たゞ大に笑ふ意なり。此なるもさるかたに見てよろし。】○妍哉は。吾皇子にかゝれり。○吾皇子者。通證に。言稱2謂吾之皇子(トハ)1者也。者(ハ)當v訓2登波1。と云れたる宜し。○聞喜而生之歟は。纂疎に慢v人之辭也。口訣に嘲弄之辭也。とあり。さるは直指の反語也と云るが如く。聞惡くもと云べきの反にて。故《コトサラ》にかく言《ノヤマ》ふが。即|嘲弄《アザケ》り給ふなり。【今俗にも。かゝる言あるは。上代よりの。餘風の存れるなり。】さて聞惡く生坐るとは。一夜に有身《ハラミ》して。生坐る兒を。天神之子とは誰かは信《ウベナ》はむ。聞惡き事白せるものかな。といふ意を。下に含みて。嘲弄給ふなり。神功紀に。天皇謂2皇后1曰。聞惡《キヽニクキ》事之|言坐《ノタマヒマス》婦人乎。とあるはいとよく似たり。【山蔭云。此《コヽノ》文漢文にとりても。古言にとりても。聞えぬ書ざまなり。きゝよくもと云訓あればこそ。聞えたれ。もし此訓なくば。いかなる意とも。さとりがたかるべし。と云るはさる事なるに附て考るに。喜は善字の誤寫なるべし。聞善といふことも。漢文にはいかゞなれども。古言には叶へり。其うへ。かの神功紀なる。聞惡とある文にも。かなへればなり。かにかくに。喜字はこゝにはいかゞなり。と云れたるさる言なるに付て按に。三島本に喜字に作れり。善字の誤字なるものにや。】○心之疑。嘉禎本【加茂社藏本】に。心疑之とあり。本は倒置したるものなるべし。
 
是以(テ)吾田鹿葦津姫益(/\)恨(テ)。作2無戸室《ウツムロヲ》1。入2居《コモリテ》其|内《ナカニ》1。誓《ウケヒテ》之曰。妾|所生《ウメルミコ》。若(シ)非ハ)2天神之胤1者。必|亡《ヤケウセナム》。是(レ)若(シ)天神之|胤《ミコナラバ》者。無《ナカラム》v所v害《ソコナハルヽコト》。則|放《ツケテ》v火(ヲ)焚(ク)v室(ヲ)。其火(ノ)初(テ)明《アカル》時(ニ)。躡(ミ)誥(ビテ)出(ル)兒自(ラ)言《ナノル》。吾(ハ)是(レ)天神之子。名(ハ)火明命。吾(ガ)父何處(ニカ)坐《マシマス》耶。次火(ノ)盛(ナル)時(ニ)。躡誥(テ)出(ル)兒亦|言《ナノル》。吾是天神之子。名(ハ)火進(ノ)命。吾父及|兄《イロネ》何處(ニカ)在耶。次|火(952)炎衰《ホノホシメル》時(ニ)。躡誥出兒亦言(ル)。吾是天神之子。名火折(ノ)尊。吾父及兄|等《タチ》何處在耶。次避2火熱《ホトボリヲ》1時。躡誥出兒亦言(ル)。吾是天神之子。名彦火火出見尊。吾父及兄|等《タチ》何處(ニカ)在耶。
 
入居其内。山蔭云。此上に抱v子とあるべきなり。本の如くにては。御母のみ入坐るごと聞ゆ。とあり。○妾所生。本に生を娠とあり。【口訣本に。妊とあるも同じ。】纂疏本によりて改む。○兒自言。御兒等の御名ども。其時々の火のさまによりて。名けまつれる御名なるを。今かく自《ミヅカラ》言給ふは。いかゞなる如くなれど。例の後よりめぐらして。言傳へたるものなり。さて此傳にも。火明命火進命を。二神と爲たること。言までもなく。火(ノ)初(テ)明時と。火(ノ)盛(ナル)時と二度に分ちたるも謬なり。又火折尊。彦火々出見尊は。一神の別稱なるを。二神と訛たる傳なり。【山蔭云。二柱とするうへは。何れ一方は。命と書かるべき例なるに。共に尊とあるは如何。】○何處在耶。本に在を坐と作り。活字本に據て改む。集解云。在原作v坐。因v訓誤。據2後文1改。とあり。さることなり。○火炎衰時。矢野玄道云。卜氏古本には。衰字をシメリとも。ヨワルとも訓り。源氏物語に。雨のあししめり。又風少ししめりてなど見え。撮攘集に。潤衣をシメシ。又濕衣濕布などもしかよめり。○避火熱時。玄道云。火熟は。熱田宮縁起に。倭建御子尊の開2所持嚢中1有2火打一枚1。とあるを。御鎭坐次第略記(953)に。一云。此燧後天(ノ)火徹《ホトボリ》燧(ト)名之。俗號2燧(ノ)袋1付2大小刀1其縁也。と記し。同大神宮記。熱田古老口實などに。日破宮に。此天火徹燧を齋奉るよしみゆ。色葉字類抄に。熱又炳※[火+欣]をしかよみ。撮攘集に煩熱をもよめり。枕草紙に。さるべき事もなきをほとぼり出玉ふとみゆ。
 
然後|母《イロハ》吾田鹿葦津姫。自2火燼《モエグヒ・ホダグヒ》中1出來就《イデユキテ》而|稱之《コトアゲシテ》曰(ク)。妾|所生兒《ウメルミコ》及妾(ガ)身。自|當《アヘドモ》2火(ノ)難《ワザハヒニ》1。無v所2少(モ)損(フ)1。天孫豈(ニ)見之《ミソナハシツヤ》乎。報(ヘテ)曰。我知(ヌ)2本《ハジメヨリ》是(レ)吾|兒《ミコナリト》1。但《タヾ》一夜(ニシテ)而|有身《ハラメリ》。慮(ヒ)v有(ムト)2疑(フ)者《モノ》1。欲(ヒ)v使(メムト)d衆人(ニ)皆知(ラ)c是(レ)吾|兒《ミコナルコトヲ》u。并亦(タ)天神(ノ)能令(メ)2一夜(ニ)有娠《ヒトハラマ》1。亦欲v明《アカサムト》d汝有(リ)2靈異之威《クシビナルカシコサ》1。子等復(タ)有(ルコトヲ)c超《スグレタル》v倫《ヒトニ》之|氣《イキホヒ》u。故《コノユヱニ》有(キ)2前(ノ)日(ノ)之嘲(ケル)辭《コトバ》1也。
 
火燼。倭名抄。燼(ハ)火(ノ)餘木也。和名毛江久比とあり。燃※[木+厥]《モエグヒ》の義なり。【應神紀にも然訓り。又諸本に。此をホダグヒと馴るもあしからず。新撰字鏡にも保太久比と訓り。】○豈見之乎。貞丈云。豈下疑脱2不字1と云るは。中々に非なり。かゝる文例あまたある事なり。○對曰。本に對を報と作り。今秘閣本北野本永享本共に依て改む。○汝有靈異之威子等云々。纂疏に。靈異之威。謂2火不1v能v燒。超倫之氣。謂2其子初生而言1。とあり。さて此御對言。天神をも疑ふものあらむ(954)かとおもほし。又天神御子の。たゞ人に異なれる事をも。知らしめむとおもほしめす事。いと尊し。通證に。重遠曰。太子者天下之本。如有2毫髪之疑1。國本不v立焉。故皇孫設以致2鹿葦津姫之誠(ヲ)1。其慮深矣。此書蓋記得2其實1。と云るは。然る言なり。○本に此下に訓註あるは。誤なる事。既に上に云り。
 
〔第六一書〕
一書曰(ク)。天忍穗根尊。娶《マキテ》2高皇産靈尊(ノ)女子《ミムスメ》栲幡千々姫萬幡姫《タクハタチヽヒメヨロヅハタヒメノ》命(ヲ)1。亦云。高皇産靈尊(ノ)兒|火之戸幡姫兒千々《ホノコハタヒメコチヾ》姫(ノ)命。而生(ム)2兒天(ノ)火明命(ヲ)1。次生(マツル)2天津彦根火(ノ)瓊々杵根(ノ)尊(ヲ)1。其天火明命兒天(ノ)香山《カゴヤマノ》命(ハ)。是(レ)尾張連等(ノ)遠祖也。
 
栲幡千々姫萬 姫命。此御名。姫萬の間に。兒字脱せしものなるべし。【亦云の戸幡姫兒千々姫命。また第七の一書。萬幡姫兒玉依姫命。の例に因て云なり。さて三島本永享本には。千々姫の姫字なし。其は脱たる也。】姫兒のこと次に云。○火戸幡姫兒云々。本に火下之字あり。私記に无きに依て削る。姫兒は比賣古と訓べし。馭戎慨言に。漢籍に倭女王の事を。卑彌呼と云る事を解て。卑彌呼は姫兒と申す事にて。神代卷に。火之戸幡姫兒千々姫命。また萬幡姫兒玉依姫命。などある姫兒に同じ。と云れたるにて知べし。一(ツ)名の中に姫と云こと。二(ツ)あるは。重複たる如くきこゆれど例あり。紀中卷【明宮段】に。百師木伊呂辨《モヽシキイロヘ》。亦名|弟日賣眞若比賣《オトヒメマワカヒメノ》命。と申など此例なり。【平田翁は。栲幡千々姫(ノ)(兒《コ》)。萬幡姫命。火之戸幡姫(ノ)兒。千々姫命。萬幡姫(ノ)兒。玉依姫。とよみて。御親子二柱の名とせり。偖御親を后と爲たると。其兒を后と爲玉へるとあるは。誤れる傳の弘くなれるにて。其兒を后と爲玉へるとある傳を。實の旨に叶へり。と云れたれど信がたし。栲幡千々姫を。此一書には御親の名とせれど。亦云には千々姫(955)を御兒の名とL。また萬幡姫命を。御兒の名とせれど。第七一書には。御親の名と爲るなど。何れを御親。何れを御兒とも呼がたし。かにかくに御親子ぞと云説は。符ひがたき事多し。】さて御名義。火は穗の義か。平田翁はヒと訓て。梭《ヒ》なりと云り。いかゞあらん。戸は豐《トヨ》なり。豐秋津比賣の豐と同く美稱なり。と云り。○天津彦根火瓊々杵根尊。彦根の根も。杵根の根も。共に尊稱なり。さて三島本北野本嘉禎本延喜本には。杵根の根字なし。次に此御名出たる處にもなし。○天香山命。本に命字なきは。脱たるものなり。熱田本永享本舊事紀等に因る。此命の香山を。名に負給へる由は。未詳。さて天孫本紀に。天照國照彦火明櫛玉饒速日《アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒノ》尊。天道日女《アマノミチヒメノ》命(ヲ)爲v妃。天上(ニテ)誕2生天(ノ)香語山《カゴヤマノ》命(ヲ)1。とあれば。御母も知られたるが如し。【天上(ニテ)誕2生天香山命1。とあるによらば。天上なる香山に由ある御名なるべし。】されど。火明命饒速日命を一神なりと云るには説あり。又同書に。此神の亦名を。手栗彦《タクリヒコ》命とも。高倉下《タカクラジノ》命とも白して。饒速日命の天降坐る時。供奉の神等三十二人の。第一に坐由も見えたり。此等の事も此神の事も。なほ次に云。○尾張連。此氏の世系は。天孫本紀に委く出て。香山命の子。天(ノ)村雲《ムラクモノ》命【母穗屋姫命】より。第十八世の孫。尾張(ノ)乙訓與止《オトクニヨトノ》連。といふまでを載たり。國造本紀云。尾張國造。志賀高穴穗朝。以2天別天火明命十世孫|小止與《ヲトヨノ》命(ヲ)1。定2賜國造1。【重胤云。天別は。天孫また天降などの誤なるべしと云り。三代實録九に。天孫天火明命とあり。栗田氏云。天別は。天神より別れたる由縁の義を以。云る文なるべし。十世は。火明命をおきて。天香語山命より。數へたる世數なり。天孫本紀に。十一世孫乎止與命と見えたりと云り。】姓氏録【左京神別天孫】尾張宿禰。火明命二十七世孫。阿曾(ノ)連之後也。尾張連。尾張宿禰同祖。火明命之男天(ノ)賀吾山命之後也。また【右京神別】尾張連。火明命五世孫。武礪目《タケトメノ》命之後也。【また山城大和にも。尾張連あれど。右に引ると同じ。河内なるは。火明命十四世孫小豐命之後とあり。四は誤なり。】とあり。此氏もとみな連姓なりしを。次々に多くは宿禰姓を給へり。其は天武天皇十二年十二月。尾張(956)連賜v姓曰2宿備1。と見えたるを始め。續紀大寶二年十一月。天平十九年二月。天平寶字二年三月。神護景雲二年十二月の。處々に見え。なほ次々の史にもみえたり。さて此氏の本居は。大和國葛城なり。然云故は。紀檍原宮段に。此氏人に葛水之高千那毘賣《カヅラキノタカチナヒメ》と云あり。又舊事紀に。此氏三世孫天忍人(ノ)命。異妹|角屋《ツヌヤ》姫命。亦名葛木(ノ)出石《イヅシ》姫(ヲ)爲v妻。次天(ノ)忍男命。葛木(ノ)土《ツチノ》神|劔根《ツルギネノ》命(ノ)女(ヲ)爲v妻云々。四世孫|瀛津世襲《オキツヨソノ》命。亦云|葛木《カヅラキ》彦(ノ)命。七世孫|建諸隅《タケモロスノ》命。葛木(ノ)直祖|大諸見《オホモロミノ》足尼(ノ)女(ヲ)爲v妻。などあり。さて神武卷に。高尾張《タカヲハリ》邑。或本云葛城邑也。また高尾張邑云々。因改號2其邑1曰2葛城1。とあるは。高尾張の本名と聞ゆれば。國名の尾張は。此高尾張より出て。其は此氏人の葛木より出て。彼國に下り住居し故。其本居の名を取て。國名と爲るなり。【右は記傳に考られたる説なり。但し其説を誤りの傳なり。と云れたるは。却て非なり。】さて高尾張をまた尾張とのみも云しにや。天孫本紀に。葛城(ノ)尾治(ノ)置姫と云人名もあればなり。されば本居の名を取て。國名と爲し事は。里違あるまじくこそ。偖此氏人の尾張に下り居住し事は。栗田氏説に。十三世孫|尻綱根《シリツナネノ》命。此命譽田天皇御世爲2大臣1。供奉云々。品太天皇御世。賜2尾張連姓1。とありて。尾張姓を賜へるは。應神天皇の御世なれど。此氏人既に尾張國造之祖|美夜受《ミヤズ》比賣と見えたれば。是より前小止與命などや。始なるべき。【さるは本紀に。此氏人の妻を擧て。葛木某姫とあるは。世々大和國葛木邑に住めりし人なるべく。此小止與命は。尾張大印岐女子。眞敷刀俾爲v妻。生2一男1。と見えて。尾張に下り住て。其國人を妻とせしなるべれば。是其證とすべし。】此小止與命は。何(レ)の御世に仕奉しか詳かならねど。志賀高穴穂朝とあり。又其子建稻種命の。日本武尊の御|從《トモ》なりしを思ふに。景行成務の二朝をかけて。仕奉し人と定むべし。かくて其國造となりしは。いかなる故ならんと推考(957)るに。寛平縁起に見えたる如く。建稻種命。日本武尊を左右《タスケ》奉りて。東征に功烈あり。又其早くみまかられる事を。憐と思して。父なる小止與命を。國造に定賜しなるべし。と云れたり。さて神名式。當國中島郡|眞墨田《マスミタ》神社。【名神大。當國神名帳に。正一位眞墨田大名神とあり。今松|降《フリ》庄と云に在りて。國の一宮也。其在所を一宮村と云とぞ。】此を國人吉見幸和説に。眞墨田社を。一宮記に。大己貴命と爲たるは非なり。尾張氏の上祖。歴世當國に住りしかば。其遠祖を祭れる社。三十餘坐あり。中に天照國照彦火明命は。中島郡眞墨田神社に祭りて。一宮と稱す。天香山命は。同郡尾張(ノ)神社に祭ると云り。【此説は。其著はせる宗廟社稷問答と云書に記して。元禄の頃。國の殿人天野信景等。國君の命を受て。尾張國郡志を撰むときに。自佗の秘書を。委しく考へ索めて。記せるよし云り。】是信に然るべし。と平田翁云り。なほ式に。山田郡にも尾張神社あり。當國神名帳に。從一位尾張天神とあり。通證云。信景曰。此祭2天(ノ)香山命1。今爲2春日部郡小針村1。とあり。また式伊勢國多氣郡天香山神社あり。
 
及3至《イタリテ》奉2降《アマクダシタテマツルニ》皇孫火瓊々杵(ノ)尊(ヲ)於葦原中國(ニ)1也。高皇産靈尊勅2八十諸神(タチニ)1曰(ク)。葦原中國者。磐根|木株《コノモト》草(ノ)葉《カキハモ》猶(ホ)能(ク)言語《モノイフ》。夜(ル)者|若《モコロニ》2標火《ホヘノ》1而|喧響《オトナヒ》之。晝者|如《ナス》2五月蠅1而|沸騰《ワキアガル》之云云。
 
磐根は。本居翁云。たゞ磐にて。根は添て云言なり。屋を屋根。羽を羽根。杵を杵娘。矛を矛根。島(958)を島根といふ類なり。と云り。○木株。【本にコノモト。又私記に古乃太知。など訓めれど。】本居翁云。紀禰多知とよむべし。大殿祭祝詞に。木根《キネ》乃|立知《タチ》とある。乃字は决て衍なるべし。【乃と云辭有ては。調もいとあしきうへに。乃といふべき詞に非ず。きねたちなり。】さて他の祝詞には。皆木立とあれども。こだちと訓ては叶はず。これは常云木立の事にはあらず。祝詞考の説の如く杠《キリクヒ》なれば。【字鏡に杠支利久比】根字あるに依てよむべきなり。木株と書れたるも其意なり。【株は字書に木根也】然らばたゞ。樹立木立など書るは。いかにと云に。かの岩根屋根などの例の如く。たゞ木の事をも。根を添て木禰と云故なり。されば木立など書るは。木の一字をきねに用て云るにて。屋の一字をもやね。羽の一字をもはねと訓が如し。【さて意は木禰立にて。是は根に意あるなり。】さてたゞ木を木根と云るは。古今集神樂採物の歌に。霜八度おけど枯せぬ榊葉の。立榮ゆべき神の木根かも。と云るなり。とあり。○草葉。大祓詞に。草之垣葉《クサノカキハ》。龍田風神祭祝詞に。草片葉《クサノカキハ》とあり。【本に。カヤノカキハと訓たれども、私紀に據りて】久佐乃加伎波と訓べし。【草葉とかけるは。漢文ざまに約めて書れたるなり。】本居翁云。草のかきはとはまづ。凡て草は大方三葉五葉つゝなど。並ひて生る物なるに。それを缺取て。たゞ一葉など殘りてあるさまを以云ふ辭にて。意は聊の草の一葉まで。と云なるべし。とあり。○若※[火+票]火。神賀詞に。如2火瓮《ホヘノ》1光神《カヾヤクカミ》在利とあり。口訣に。若2※[火+票]火1而|喧響《オトナヒ》之者。如2飛火(ノ)1鳴喧也。と云り。【神壽詞後釋云。火瓮は此字の如く。瓮《ヘ》の内に燒く火なること。考にも云れたるが如し。然るを神代紀に。夜者若2※[火+票]火1而喧響之。※[火+票]火此云2褒倍1。とあるは。心得ぬことなり。其故は。※[火+票]は字書に火(ノ)飛也と注したれば。火瓮には叶はず。又喧響も。火瓮によしなければなり。故つら/\思ふに。紀の文はもと。事のまぎれたる傳のありしを。其まゝに心得て。書れたるものなり。其まぎれといふは。まづ記に。惡神之音如2狹蠅1皆涌。萬物妖悉發。とある音は。狹蠅の如く。沸音なるを。又一(ツ)の傳に。これを晝と夜とに分て。(959)二物にたとへて云るがまぎれて。かの音を夜の方の火瓮に屬て。いへるなり。さてかくまぎれて。音とあるから。撰者の心に。音ある火は。飛火ならむと心得て。火瓮に※[火+票]字を當て。書れたる物なり。かの紀の文字には。かゝる類猶多し。心して見べし。然れども火瓮は。然たとへにいふばかりの音は。あるべくも非ず。又晝にむかへて。夜をいはむには。光こそ似つかはしけれ。喧響は夜にかぎらぬ事なれば。似つかはしからず。又一書に。螢火光神とあると。同意のたとへなるにても。必光あるべき事しるければ。此は神壽詞に。光神とあるぞ正しかりける。と云れたるは。火瓮とある字に。あまり泥まれたる説なり。翁は紀の文字を。ともすればおとしめて。見られたりしより。さる言をも。いはれしなり。】此説古く據あるべし。言義は詳ならねど。かにかくに瓮は借字にて。※[火+票]火(ノ)字に據て解くの外なし。さて按に。流星をヨバヒボシと云て。音するものに。古く云り。褒倍はさるものゝ稱にて。俗に云空中の光物なり。【常陸國風土記に。夜者|火光明《ホヘノカヾヤク》國とあり。光物の空中を鳴行こと今もあるものなり。】若を母許呂と訓るは。萬葉二十。松の氣《ケ》の並《ナミ》たる見れば。家人のわれを見送るとたゝりし母己呂。などあり。【平田翁云。凡て如若などの字(ノ)意の言。御國に三あり。一は那須。二は碁登久。三は母許呂なり。那須は師説の如く。似《ニス》なるべく。碁登久は。事を活かしたる言なるべく。母許呂は。母は加りたる言にて比なるべし。共に同じ心ばへなりと云り。】○沸騰之は。記に如2狹蠅1皆滿《ミナミチ》。神賀詞に。晝波|如《ナス》2五月蠅《サハヘ》1水沸支《ミナワキ》【水沸は皆沸なり。】などあり。平田翁云。沸《ワク》は靜まり居たりし物の。泡立て騷ぐを云なり。【師はたゞ騷ぐ状をのみ云には非で。涌出て騷ぐを云なるべしと言れつれど。如何在ん。】と云り。さて此邪神どもの事。本書の状と別なるに非ず。と云へども。其始は天忍穗耳尊を。天降し奉らせ給ふ御政なりければ。瓊々杵尊に係て書されたるは。事の略に過て。其實を矢ひたるなり。
 
時高皇産靈尊勅曰(ク)。昔《イニシサキ》《ヤリ》2天稚彦(ヲ)於葦原中(ツ)國(ニ)1。至今《イマニ》所2以《ユヱ》久(ク)不來《マヰコザル》1者《ハ》。蓋(シ)是(レ)國神有(テカ)2強禦《イムカフ》之|者《モノ》1。乃遣(シテ)2無名雄《ナヽシヲ》雉(ヲ)1。往(テ)候之《ミセタマフ》。此(ノ)雉|降來《トビクダリテ》。因(テ)見(テ)2粟田豆(960)《アハフマメフヲ》1。則(チ)留(テ)而不v返(ラ)。此(レ)世所謂雉(ノ)頓使《ヒタツカヒトイフ》之縁也。故復遣(ス)2無名雌雉(ヲ)1。此(ノ)鳥《キジ》下來《トビキタリテ》。爲(メニ)2天稚彦(ノ)1所(テ)v射(ラ)。中(テ)2其矢(ニ)1而|上報《ノボリテカヘリゴトマヲス》云云。
 
強禦之者。【本にインカウとあるは。イムカウの誤なり。又明應本。秘閣本。私記の訓には。コハミフセクともよめり。】通證に。射向也と云る意にて。たむかひ敵なむを云。【人にかたきなむを。弓引と云と。心ばへ同じ。】記に。天宇受賣神を。雖v有2手弱女人《タワヤメニ》1。輿2伊牟迦布《イムカフ》神1。面勝《オモカツ》神(ナリ)。とあり。同語なり。○無名雄雉無名雌雉。平田翁云。雉|名鳴女《ナナシメ》とあるは。總(テノ)名。こゝは雌雄を別ち云へる故に。名鳴を上に付たるなり。○粟田豆田。【豆田(ノ)二字三島本になし】倭名抄に。粟田安八不。豆田萬女不。とあり。不《フ》麻生。淺茅生。蓬生などの生にて。其物の專と生殖《オフ》る地を。某生と云なり。【田字には泥むべからず。萬葉には。苧原などゝ原字をもかけり。】○此世所謂云々の十字。此に在ては解がたし。次の遣2無名雌雉1云々の次にあるべき文なり。【其よしは次に云。○重胤云。本書に無名雉を遣はされしことありて。唯一度なるに。此一書に。かく雄雉雌雉を。二度に遣はされたるよしある。其無名雌雉ぞ。無名雉。記に所謂雉名鳴女には當れる。されど。此一書には。其先に遣はされし。雄雉の方に。雉(ノ)頓使之縁也と有て。頓使の係る所。大に差有を。予は此一書を取べくぞ所思ける。偖頓使と云事は。使したる任に。一向《ヒタブル》に。歸來ざる謂なり。と云り。此説は信がたし。】○頓使。平田翁云。頓は比多と訓ことは。頓丘此云2毘陀烏1とある。此正しき據なり。抑比多と云言は。此餘もひたすら云々す。ひたもの云々すなど。今世にも云て。純一《モハラヒト》むきに爲《スル》事と。頓《シキ》りて爲事とに云めり。【萬葉。直土《ヒタツチ》直佐麻《ヒタサヲ》などあるも。純一《ヒタ》と土のみ。麻のみなるを云ふなり。】比多と云々す。など云は。頓に物する由にて。比多使とは。今もまゝ言ふ語なり。然れば此の頓使は。前に遣したる雄雉が。返(960)らざる故に。また比多と。雌雉を遣したるを云なり。とあり。【故この頓使のことは。遣2無名雌雉1云々の。次にあるべき文なり。とは云なり。さて比多と云言に。頓字を當たるよしは。既に云り。】さて此を諺に云ならはせる意は。此|雉使《キヾシツカヒ》の返らざりしに因て。人世になりて。凡て大事の使を遣るに。前に遣したる使の未(ダ)返らざるに。また頻《シキ》て遣るをば。雉の頓使と云て。忌ことにせしなり。さるは留(テ)不v返といひ。次に所(レテ)v射中(ル)2其矢1と云る處に。此諺を擧たれば。使命を果さゞる例を忌なりけり。【記にも。亦其雉不v還。故於v今諺曰とて。擧たれば。同じことゝきこゆれど。記には。雉を使に遣はせること。一度なれば。此諺に叶はず。誤れるもりなり。】○中其失而上報。雉は射られて死たれども。中りたる矢の。天神の御許に至りたるを。雉の報命せしに准へて。かくは云るか。されど此まゝにては。聊通えかぬるやうなり。【重胤は。返矢の事竟させ給へる。時過して後に。上報すと見て。何てふ事かは有む。と云れたれど。なほ疑し。】さるは。記また此紀の本書【また第一一書】には。雉を降し玉へるは。一度《ヒチタビ》なれど。其(レ)にては頓使の諺に叶はざる故に。此一書の説宜しくはあれど。此傳の中に。雌雉を中2其矢1而上報。とあるは。射られたる雉の。天に上らむ事。いかがなる上に。其矢を見そなはして。産靈神の怪み坐るに叶はず。故思ふに。上字は不字の寫誤にて。不《ズ》v報《カヘリゴト》とありしならむか。然する時は。此の諺にもよく符ひ。産靈神の矢を見そなはしゝにも。叶へればなり。
 
是(ノ)時高皇産靈尊。乃用2眞床覆衾(ヲ)1※[果/衣](マツリ)2皇孫天津彦根火瓊々杵根(ノ)尊(ヲ)1。而|排2披《オシワケ》天(ノ)八重雲(ヲ)1。以(テ)奉降之《アマクダシマツラシム》。故|稱《マヲシテ》2此神(ヲ)1曰《マヲス》2天國饒石《アメクニニギシ》彦火瓊々杵尊(ト)1。于(962)時|降到之處《アマクダリマシヽトコロヲ》者。呼2曰《イフ》日向(ノ)襲之高千穗(ノ)添山峯《ソホリノヤマノタケト》1矣。及其遊行之時《ソノイデマストキニ》也云云。到(リマシ)2于吾田(ノ)笠狹(ノ)之御碕(ニ)1。遂(ニ)登(リマス)2長屋之|竹島《タカシマニ》1。乃|巡2覽《メグリミマセバ》其(ノ)地(ヲ)1者。彼《ソコニ》有v人《カミ》焉。名(ヲ)曰2事勝國勝長狹(ト)1。天孫因問(テ)之曰。此(ハ)誰國(ゾ)歟。對|曰《マヲサク》。是(ハ)長狹(ガ)所住《スム》之國(ナリ)也。然(モ)今(ハ)乃|奉2上《タテマツラム》天孫(ニ)1矣。天孫又問(テ)曰。其《カノ》於|秀起浪穗之上《サキタテルナミホノウヘニ》。起《タテヽ》2八尋殿(ヲ)1。而|手玉玲瓏織※[糸+壬]《タダマモユラニハタオル》之|少女者《ヲトメハ》。是(レ)誰之|子女耶《ムスメゾヤ》。答曰。大山祇(ノ)神(ノ)之|女等《ムスメタチ》。大《アネヲ》《マヲシ》2磐長姫(ト)1。少《オトヲ》號(ス)2木花開耶姫(ト)1。亦號(ハ)豐吾田津姫(ト)云云。
 
是時は。上の及3至奉2降皇孫火瓊々杵尊於葦原中國1也。とあるより承たれど。あまり文を省かれたれば。聊言足らず。○火瓊々杵根尊。根字三島本北野本になし。【此事上に云り】○奉降之。本に之字なし。中臣本永享本活字本纂疏本等にある方勝れり。故補つ。○故稱此神曰。此神天上より。此國土に降坐るに因て。天國と。御名に稱へまつりしとなり。○天國饒石云々は。天饒石國饒石を約めて。申せるなり。石《シ》は助辭なり。○添山。記傳云。添は萬葉に。川之|副《ソヒ》山之|副《ソヒ》。又|蘇比乃榛原《ソヒノハリハラ》など云も。副と同くて。片つ方に傍《ソハ》れる處を云て。かの頓丘《ヒタヲ》と意相近し。頓丘は。片よれる丘なること。上に云るが如し。と云(963)り。されど口訣に。添山(ノ)峯者。二上(ノ)峯也。とあるが如く。二上《フタガミ》の雌《メ》山|雄《オ》山|副《ソ》へるを以。云稱なること。本書の下に云れば。其方なるべし。【頓丘の事に説れたるは非ならん】又按に。添は進《ソヽリ》の義なるべきか。【曾々理と。曾保理は。音も通へり。】此山の高く進《ソヽ》りかなればなり。○長屋之竹島。長屋は本書にも云りし如く。薩摩國阿多郡の總名なり。竹島は。笠狹などに並びたる小名なり。さて此竹島は。重胤説に。彼|竹刀《アヲヒエ》の事に依て。高屋の名起れるより。山にも高島と負せたるなるべし。謂ゆる笠狹(ノ)嶽の事なりければ。其笠狹之御碕の内なる。山の謂なるべし。【是を記傳に。川邊郡なる竹島と一にせしは。あやまりなり。】と云り。○巡覽其地は。長屋の高島に登りて。笠狹の地を巡覽はせるなりと。平田翁云り。○秀起浪穗之上。記傳云。神武卷に浪秀とあり。凡て穗とは。著くあらはれ見ゆることを云て。波穗は。秀起とある如く。【左伎は花の咲などの左久なり。萬葉十四に。左久奈美と詠り。】浪の白く高く。立さまを云古言なり。偖其上に。八尋殿を起るは。此神等の靈異なる御態に。化作《ナシ》給へるなり。浪穗之上といふを。あやしみ思ふめれど。此は彼記に。建御雷神の。拔2十掬劔(ヲ)1。逆(ニ)2刺(シ)立(テ)于浪穗(ニ)1。趺2坐其劔(ノ)前(ニ)1云々。又神武紀に。三毛入野命の。蹈(テ)2浪秀(ヲ)1而往2于常世郷1。とあるなどを以。神の御態の。奇しき事をさとるべし。○手玉玲瑯。手玉は手に纏て。飾とする玉なり。機織女の玉を纏は。其鳴音を殊更に交へて。はたおる音に。はえあらしめむが爲なり。上なる下照姫の歌。又萬葉に。足玉母手珠母由良爾織旗乎《アシダマモタダマモユラニオルハタヲ》。公之御衣爾縫將堪可聞《キミガミケシニヌホアヘムカモ》。などあるにて。心得べし。さて山神の御女等の。波穗上に殿作て。ましますこと。ゆぐりなきに似たり。其上此笠沙のあたりは。山なるに。秀起浪穗(ノ)上もつきなし。此は竹島とあ(964)るを。海邊の島とおもひしより。さるさまなる語傳もありしなるべし。次の御歌の下に。云る事ども。考合すべし。○女子耶。本に子女と作り。永享本中臣本釋紀等の本に依て改む。
 
皇孫因|幸《メス》2豐吾田津姫(ヲ)1。則一夜(ニシテ)而|有身《ハラメリ》。皇孫疑(ヒタマフ)之|云々《シカ/\》。遂(ニ)生(ミマシ)2火酢芹命(ヲ)1。次生(ミマツル)2火折尊(ヲ)1。亦|號《ミナハ》彦火々出見尊。母誓《イロハノウケヒ》已(ニ)驗(シ)。方《マサニ》知(ヌ)實《マコトニ》是皇孫之|胤《ミコナリ》。然(ニ)豐吾田津姫恨(ミテ)2皇孫(ヲ)1不與共言《アヒミマツラズ》。皇孫憂(タマヒテ)之。乃(チ)爲歌之曰《ウタヨミシタマハク》。憶企都茂幡《オキツモハ》。陛爾幡譽戻耐母《ヘニハヨレドモ》。佐禰耐據茂《サネドコモ》。阿黨播怒介茂譽《アタハヌカモヨ》。播磨都智耐理譽《ハマツチドリヨ》。※[火+票]火。此云2褒倍(ト)1。喧響。此云2淤等娜比(ト)1。五月蠅。此云2左魔陪(ト)1。添山。此云2曾褒里能耶麻(ト)1。秀起。此云2左岐陀弖屡1。
 
生火酢芹命。次生火折尊。この次第正しき事。上に云るが如し。○恨皇孫云々。この事餘の傳には見えず。さるは此傳聊疑しきことあり。まづ始皇孫尊の。一夜に人娠ましめむや。汝が所生は。我子にあらじと詔へるは。故《コトサラ》につれなく見せ給ふなれど。然る御心とは知べからねば。御母の恨み坐るも。然る事にはあれど。其後御誓の驗ありしかば。皇孫尊の。我知2本是吾兒1。但一夜而有身。慮v有2疑(965)者1。欲v使3衆人皆知2是吾兒1。並示3天神能令2一夜有1v娠。亦欲v明d汝有2靈異之威1。子等復有c超v倫之氣u。故有2前日之嘲辭1也。と宣り給ひしにて。始の御言のつれなきは。故(ラ)につくりて。詔ひし事知られたり。されば此時。御母の恨も解たまへること著明し。【母誓已驗。方知實是皇孫之胤。】さるをこゝに。恨2皇孫1不2與共言1。とあるは。まことの事情に叶はず。かくてもなほ恨み給はゞ。尋常の婦にも劣れる御心と申べし。决て誤の傳なり。なほ次の御歌に云べし。○不與共言。古寫本共にアヒミマツラズ。と訓る宜し。欽明紀に。遂|不肯言《アヒシタガハズ》とよめるに因て。アヒカタラズともよむべし。【本居翁は。アヒイハズと訓れたり。其は記穴穗宮段に。我|所相言《アヒイヘル》之孃子者云々。萬葉十一に相|言始而《イヒソメテ》者。又|相語《アヒイヒ》而遣都。續紀詔に。其人等乃和美安美應爲久和言部等あり。人に逢て互に物云事なり。中昔には是を阿比碁登須とも云り。伊勢物語に。もはらあひごともえせで。俊頼無名抄に。其ほどに來る人はいかにもあひごとをだにせざるなり。など見えたりと有ばなり。甚く恨て卸心|※[さんずい+牛]《トケ》ざる御わざなり。と云り。】○皇孫憂之乃爲歌。守部云。此一書傳は非なり。是を瓊々杵尊の。木華開耶姫命に。與へ玉ひし御歌としては。一首の上凡て協はず。故熟考るに。此は彦火々出見尊の。豐玉姫命に。與へ給ひし御歌にして。海宮段一書文に。深懷2慙恨(ルコトヲ)1。乃渉(テ)v海(ヲ)徑去。とある條に。出ぬべきを。其處に出たる。飫企都都利《オキツトリノ》歌と。こゝの憶企都茂幡《オキツモハノ》歌と。初句の似たるより。紛ひたるなり。さてしか亂ひて。憶企都茂幡《オキツモハ》の歌の入べき處へ。飫企都※[登+おおざと]利の【此御歌は。豐玉姫への御答なるを。】歌の入つれば。豐玉姫命の阿軻娜磨廼《アカダマノ》の歌か。飫企都※[登+おおざと]利の御歌の報歌となりて。贈答の次第も亂ひ。此の憶企都茂幡の歌の。入處なくなりて。瓊々杵尊條に。亂れこみたるなりけり。故今其次第を改めて。豐玉姫命云々。深懷2慙恨1。既兒生之後。乃渉v海徑去。于時彦火々出見尊乃歌之曰。として此歌を出すべし。と云れたるは。まことに然(966)る言にて。猶深く考るに。此一段。其於2秀超浪穗之上1云々。と云るより。歌かけて。總て彦火々出見尊の御時の事なるべし。さるは上にも云る如く。山神の御女等の。浪穂之上に坐ますこと。つきなく。必ず豐玉姫命の海宮の事の。紛れたるものなる事决し。また憶企都茂幡の御歌も。豐玉姫命に寄《オクリ》給ふには。【海邊の事なれば。】似着かはしく。吾田津姫にては。【山神の御女なれば】因なき心ちす。必此の説の如くなるべし。故今は其事に解つ。○憶企都茂幡。瀛都海藻者《オキツモハ》なり。倭名抄。藻和名毛。一云毛波。【この御歌の茂幡は。此毛波とは異なり。】○陛爾幡譽戻耐母。邊(ニハ)者雖v依(レ)なり。守部云。此二句の意は。戀しくおもほすまゝに。豐玉姫の彼渉v海去たまひし海へたに。慕(ヒ)幸(シ)つるに。沖なる藻の。邊に依來るを。あはれ妹命のかゝらましかばと。羨み給ふなり。とあり。或説に。沖つ藻は。御自の上に擬へ。邊に寄るとは。御心を盡し玉ふ意なり。と云り。此も然るべし。○佐禰耐據茂。眞寐床毛《サネドコモ》なり。【佐は發語】○阿黨播怒介茂譽。不《ヌ》v與《アタハ》哉《カモ》與なり。記に美刀阿多波志都《ミトアタハシツ》とある。記傳云。美刀は。美斗能麻具波比の美斗と同く。阿多波志は。阿多比を延たる例の古首にて。阿多比阿多布などゝ。活用言なり。さて神代下卷に。幸之《ミトアタヘマス》。また雄略卷に。與《アタハシテ》2一夜1而娠。【又|奉2與《アタハシ》一宵1とも。與《アタハス》2終宵1とも。同段に見ゆ。】などあるにても。其事は知れたれども。言の意は未(ダ)さだかに思得ず。と云れたれど。或人説に。物の熟せぬを不《ヌ》v能《アタハ》と云るにて義を得べし。と云れたるいとよし。此説によりていはゞ。阿多布を。夫婦互に寄着くを阿多布といひ。寄着ぬを阿多波奴と云。眞寢床に寄着て。御合したまふことのならぬを。サネドコモアタハヌと宣ひし也けり。さて瀛津藻の打靡き。(967)寄着くさまを。羨み玉へるなり。雄略卷の與字も。共に寄着く意を取れるなり。されば美刀阿多波須とは。一に寄(リ)會(ヒ)て。御|寐處《ネド》を與《トモ》にしたまふ意なりとすべし。【此説に附て按に。なほ履中紀に。納采を古本にアタヘマスコトと訓るを。今本にはアトフルコトと訓り。また安康紀に。欲聘をアトヘタマハムコトとも訓り。さらばアトヘとも云るか。履中紀に。誂をアトヘテと訓れど。是はアトラヘの賂なるべし。誂を古言にアトヘと訓て。聘字の義に用し事あらず。されど字鏡に。詫を阿止戸と訓るをおもへば。ひたすらに定めがたし。詫字鏡集には。ツク。又ヨル。等の訓あれば。これもアトラヘなるべきか。今定めがたし。】此は其美刀を省きて詔ふなり。さて哉《カモ》も歎息なるに。又|與《ヨ》をそへて云る。古歌に多かり。○播磨都智耐理譽。濱津千鳥與なり。守部云。此は與はぬかもよとは歎き給へども。其妹も來坐ねば。其處なる物に負せて詔ふなり。小野篁朝臣の。わたの原八十島かけて榜出ぬと。人には告よ。海人の釣舟。此結句も。其浦の釣舟に負せたる。今此御歌にならへるなるべし。一首の意は。海界を塞て返(リ)往し。妹を思ひかねて。海邊に出て。戀つゝ居れば。奧津藻のみは。邊に寄來れど。吾思ふ妹は寄來ずして。再び眞寐所《サネド》も與はぬかもよと。打嘆くも。只獨言なれば。せめて其處の濱つ千鳥よとなり。と云り。さて此御歌。海宮段なる一書に在て。阿軻娜磨廼云々の歌は。其報歌なるよしなど。其段の注に委く云べし。○左岐陀弖屡。本に弖を豆に作るは誤寫なり。今は信友校本に。一古本弖。と有とあるに據て改む。
 
〔第七一書〕
一書曰。高皇産靈尊之|女《ミムスメ》。天萬栲幡千幡姫。一云。高皇産靈尊(ノ)兒《ミムスメ》。萬幡(968)姫兒玉依姫《ヨロヅハタヒメコタマヨリヒメノ》命。此神爲2天(ノ)忍骨(ノ)尊(ノ)妃《ミメト》1。生《ウミマツル》兒天(ノ)杵火々置瀬《キホヽオキセノ》尊。一云。勝速日天(ノ)大耳《オホミヽノ》尊。此神娶(テ)2丹寫姫《ニクツヒメヲ》1。生(マス)2兒火(ノ)瓊々杵尊(ヲ)1。一云。神皇産靈尊之女。栲幡千幡姫。生2兒火瓊々杵尊1。一云。天(ノ)杵瀬《キセノ》尊娶(テ)2吾田津姫(ヲ)1。生2兒火明(ノ)命(ヲ)1。次(ニ)火夜織《ホヨリノ》命。次(ニ)彦火々出見尊。
 
千幡姫。記傳云。千は千々の約りたるなり。此を以て。記の師も。師々の約たるなることを。思合せよ。かの神功紀の千※[糸+曾]も。縮※[糸+曾]《チヽハタ》の意なるべし。とあり。されど此は萬幡と同く。數の多きを以て。稱へたる方なるべし。○萬幡姫兒玉依姫命。姫兒の事は上に出。玉依姫。玉《タマ》も依《ヨリ》も稱名。記傳に。依は【字は借字にて】余呂志の切りたるなり。【呂志は理と切】余呂志は。師説に物の足り具れかるを云。余呂都。余呂布なども。同言の分れたるなり。萬葉一に。取與呂布《トリヨロフ》天乃香具山。とあるも。此山のよろづとゝのひ足たるを云るなり。又|宜奈倍《ヨロシナヘ》吾背乃君。など云るも同じ。と云れたり。此意を以。美稱たる名なり。【此神の同名いと多し。皆此意の稱名なり。】○天忍骨尊。尊字本に命とあるは誤なり。今信友校本には。尊とあるに依る。○天杵火々置瀬耳。本に天(ノ)下之字あり。北野本に无に依て削れり。瓊々杵尊の又御名なり。御名義は。杵火《キホ》は饒穗《ニキホ》か。置瀬《オキセ》は奧稻《オクシネ》なるべし。また一云の下なる。杵瀬尊の御名によらば。此をも伎勢と訓べし。そは穎稻《カヒシネ》の義に(969)や。と記紀傳に云り。○勝速日天大耳尊。本に速日の下に。命兒の二字あるは。决く誤なり。今は秘閣本及並河本等に。秘訣本无とあるに依て削れり。もしこの御名を。勝速日尊之兒。天大耳尊とよまば。本に尊字を命とせるは誤なり。必尊に改むべし。されどさては。瓊々杵尊は。勝速日天忍穗耳尊の御孫なり。甚く其なる傳なり。また勝速日尊を。素戔嗚尊の亦名なりと。平田翁はいはれしかど。天大耳尊を。素戔嗚尊の兒と擧むこといかゞなり。此は必天忍穗耳尊なること决し。また命兒を。美許登古と訓て。姫兒と云が如し。尊み親みて云るなり。命の子と云にはあらず。と云る説もいかゞなり。今此二字を除《ノゾキ》て見れば。勝速日天大耳尊となりて。紛れなき忍穗耳尊の御名となれり。御名義。忍穗耳を略きて。大耳とも申べし。また此大耳を。丹鶴本には。火耳《ホミヽ》ともあり。○丹寫姫。御名義。記傳に。饒津の意かと云り。又丹鶴本には。舟兒《ニコ》姫とあり。さらば和の義なるべし。それもあしからず。此は栲幡千々姫の亦名なるべし。○神皇産靈尊。本に神(ノ)下高(ノ)字あり。今は活字本延喜本を始め。諸の古寫本どもに。无に依て刪る。○天杵瀬尊。本にこれまた尊を命と作り。官本北野本に尊とあり。【信友校本にもしかあり。】故改む。杵瀬は置瀬と同義なるべし。同神に坐ばなり。○火夜織命。平田翁云。本どもに火(ノ)夜織《ヨオリ》と訓たれど。古本にホヨリと訓るぞ正しきと云り。ホヨリ〔三字右○〕はホヲリ〔三字右○〕を訛れるものなるべし。【織はリの假字に用しまでなり。折と織と通へるにはあらず。綏靖紀に糸織《イトリ》姫と云るあり。これ織をリに用ゐし例なり。】○此傳に。火闌降命なくて。火明命の出たるは。二神にあらぬこと知られて宜き傳なり。さて此一書の異説ども。御名のかはれるのみにて。本書の趣に大方ことなる(970)ことなし。
 
〔第八一書〕
一書曰。正哉吾勝々速日天忍穗耳(ノ)尊。娶(テ)2高皇産靈(ノ)尊之|女《ミムスメ》。天萬栲幡千幡姫(ヲ)1。爲《シテ》v妃《ミメト》。而生(ル)兒《ミコヲ》號2天照國照彦火明《アマテルクニテルヒコホアカリノ》命(ト)1。是尾張連等(ガ)遠(ツ)祖也。次天(ノ)饒石《ニギシ》國(ノ)饒石天津彦火瓊々杵(ノ)尊。此神娶(テ)2大山祇神(ノ)女子《ムスメ》木花開耶姫(ノ)命(ヲ)1。爲《シテ》v妃(ト)而生(ル)兒(ヲ)號2火酢芹(ノ)命(ト)1。次(ニ)彦火々出見(ノ)尊。
 
天照國照彦火明命。天照國照の事は。既に云り。【天孫本紀に。天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊と云るは。説あり。神武紀に云。】○天饒石國饒石。此御名の事も。既に云り。【此御名の訓。アメニギシ。クニニギシ。と訓もあしくはあらねど。なほ本のまゝに訓べし。元々集などにも。古く然訓り。】○火酢芹命。次彦火々出見尊。此傳の正しきこと上に既に云り。さて此一書も。御名に稱辭の添はりたるまでにて。外に異なることなし。
 
(971)追加
 姫兒
姫兒と云る稱の例は。肥前國風土記。松浦郡|褶振《ヒレフル》峯條に。大伴狹手彦連。發v船渡2任那1之日。弟日姫子《オトヒヒメコ》登v此用v褶振招云々。于時弟日娘子之從女云々。と云る事あり。歌には意登比賣能古袁とよめり。これ姫を姫子とも云るにて。共に美稱とせる例なり。馭戎慨言に。卑弥呼《ヒミコ》を姫兒なりと云る説は。疑はしきよしあれば除くべし。
 
(973)日本書紀通釋卷之二十        飯田 武郷 謹撰
 
〔海宮遊行章〕
 
兄火闌降《ミアニホスソリノ》命(ハ)自《オノヅカラ》《マシマス》2海幸《ウミノサチ》1。【幸。此云2左知1。】弟彦火々出見《ミオトヒコホヽデミノ》尊(ハ)自|有《マシマス》2山幸《ヤマノサチ》1。
 
按るに。此海宮段の事は。本書一書ともに。大凡同じすぢの事のみにて。打見には。さまで大義にあづかる事もなきが如くなれども。よく考れば。これぞわが天神の御子の御衛の。世に佚《スグ》れたる。稜威坐々て。國神はさらなり。此世をさかりたる。山海の神等までも。ひたぶるに仕奉る。其徴を顯はして。世にも示したまへる。天神等の。深き大御意に出たるものにて。おほろけに見過すべき段にあらず。さるは萬葉一の。吉野に行幸ありし時。人麻呂朝臣の歌に。山祇《ヤマツミ》の奉《マツ》る御調《ミツキ》と。春部《ハルベ》は花折かざし。秋たてばもみちかざせり。ゆふ川の神も。大御食に仕奉ると。上つせに鵜川をたて。下つせにさでさしわたし。山河もよりて仕る。神の御世かも。又山川もよりて仕る神ながら。たぎつかふちに舟出せすかも。とよめりし歌の如く。山川の神も。天神の御子に因て仕奉るは。即神代ながらの大義をよめるにて。此朝臣の歌には。かくさまのこと多く見えたり。其如く。今天神の御子の。此國に天降り坐る始なれば。殊更に其よしを。顯世にあらはして。見せ玉ふ。天神の御心と。さきには。大山祇(974)神の御女。木華開耶姫を。皇后に奉り玉ひ。其奉り玉ふに付ても。天津神御子の御世の行末までを。とにかくに。祝ひ奉りし事ありけれど。善事には。惡(キ)事の相交るならひとて。磐長媛を御(シ)玉はざりし御しわざの。遂に御代々々の天皇等の。御壽命の長からざりしためしを引出で。今又皇御孫命の。其御|子産《コウミ》をかきまみて。豐玉姫に耻辱見せ玉ひしより。遂に海陸の隔をなしゝなどに至りては。これまた不(ル)v得2止事1道理の。其中に存する事ならめど。其はともあれ。山海の神等も。かく因て仕奉る大義に於ては。聊もかくることなく。我天皇命の。天下の大君主と坐々て。萬世無窮に。現人神に坐々事を。徴し奉る。いとも貴くかしこき。神の御思慮なること。これよりまさりたる大義はあることなし。さばかり尊き大義を。世に知らせ玉はむとならば。故(ラ)にこと/”\しく。其道をも定め玉ふべくおもはるれど。天津神の御慮は。さる凡人の思ひ計りとは。大く異にて。始笠狹の御崎にて。不意《ユクリナ》く美人を見初玉ひて。はじめて天孫の御心をかけ玉ふ縁をあらはし。今また御兄弟の御爭より釀して。海中に入坐べく。おきて玉ひ。それより及びて。海神の御女を。娶り玉ふ事となり。遂に其御女の皇后と立玉ひて。皇子を生産《ウミ》奉れる事となり。其より延きて玉依姫の葺不命《フキアヘズノ》命の皇后に立玉ひしなど。偶然《オノヅカラ》なるが如くにして。偶然ならざる。天つ神量の其|元始《モト》なれば。曲に其はじめよりの事を。世語りに語傳(フ)るも。是又|偶然《オボロケ》ならざる。由ぞありけらし。もとより此御世頃の間の御事は。御世も久しく神々しく。且神代の事にしあれば。其餘にもさま/”\の事どもは有もしけめど。其はそれにて傳はらず。如此う(975)ち見には。稚《ヲサ》なげなる兄弟の御爭の事の。永く遠く傳(ハ)り來つるには。必故由なくてあらめやと。窃に心をとゞむべき事なりかし。然るを世の人の心は。おろかなるものとて。かゝるめゝしく稚き傳は。たゞ神代の一小説と見なして。たゞ海宮などへ。幸行ましゝ。異樣なる御事なるからに。世語りにせしものぞとおもひ。あるはたゞ皇后の御血統に付て。其御聘問を詳にしたるものぞなど。大凡に見なす人の。淺はかなる思ひはかりは。それはそれにてもあるべけれど。天神の御子の。皇后を定め玉ふはじめに。海中なる鰐魚《ワニ》をしも妻り玉へるなどは。あまりおむかしからぬ事ぞ。かゝる傳のなからましかばなど云るも。世にはきこゆめり。鰐としも云へば。卑しきものとおもへるにや。海中に住玉ふ。海神の宮の姫御子。御形こそ。鰐とも見え玉はめ。いとも貴き。此滄海原の汐の八百重を知しめす。和多都見(ノ)大神に坐すよしを。思ひ奉らば。人間の目にこそは。よしや鰐とも。龍ともあらはれ玉はめ。靈異に坐々て。此世間を幽ながら。相助け相あなゝひ奉る。海神にまします事は。※[雨/龍]神の龍神にましまして。深山幽谷には住玉ひながら。此世に雨露を施し。造化の功をなし玉ふに。等しき理由あるをも。思ひ合せざる。小き凡《タヾ》人心也かし。されば神代に種々の傳はあるが中にも。瓊々杵尊の。大山祇神の御女等を娶て。皇后とし玉ひ。又此御世の。海神の御女等を。さるべきよしありて。一御代のみならず。二代の皇后としたまふべき。機運のきざし行《ユク》べき。其始を導びき奉らんとて。御兄弟の御爭は起り。それより延《ヒ》きて。海邊に至り玉へば。鹽土老翁早く出迎へて。海中の道を教へ奉りしなりけ(976)り。この鹽土老翁はた。たゞ人ならず。住吉大神の。現人神とあらはれて。老翁となり。海中の道を教へ玉ひしは。海神と力を合せて坐ます。貴き神なることは。前段にも述しが如し。是をしも。たゞ物知る神の御名なりとのみ。淺はかに見たる説は。とるべきにあらず。是等は古人の説も。心して見ずは。神代の事もたゞあだ事とのみなりもてゆくべし。さて右の如く。山海に坐て。世人の目にも見えず。幽冥に坐々(ス)神々と申せども。かくの如くに。天神の御子に仕奉玉ひ。其御子等を。皇后と定め玉ふなど。まことに貴き御事にて。其次の御代神武天皇の御后は。大物主神の御子。又其次(ノ)御世綏靖天皇卸后は。事代主神の御子に坐々も。みなこれ偶然《オボロケ》ならざる。天神等の御計なることは。申も更なる御事どもにて。是等は既に。先哲も云おける説ども多し。されば皇后と申奉るは。御血統こそは。山海の神。又國神にこそはましませ。天皇と並びまして。日嗣御子の御母儀にましませば。いとも貴く。いともかしこき御事なるに。後世には皇族より出玉へる事も。漸々稀に成來て。遂に藤原氏のものとさへなりにしことは。あなかしこ。天神等のさばかり思ひおきて給ひしにも。戻り玉へる御事なりかし。されど今かく成にし御世に當りて。其御定(メ)を議し奉るにはあらず。神代には。かくまで皇位の尊く辱きよしを。天神等の示し玉ひし御事を。神代紀に徴し。はた此海宮の段の。今の心にしては。何げなき一小説の如くに。見過し奉らむ世の人の。大凡におもへる心を。驚ろかしおかんとて。此段を注する序がてらに。言擧するものぞかし。○海幸は。舊訓に依べし。【山(ノ)幸のかたも同じ】佐知と云ふ言義未思得(977)ねども。佐伎とも通ひて。【萬葉十一に。靈治波布《タマチハフ》とあるは。靈佐知波布《タマサチハフ》の略なるを。五には言靈能佐吉幡布《コトダマノサキハフ》ともあるにて。佐知佐伎通ひて。同(ジ)言なることを知べきなり。波布は辭なり。】凡て身の爲に吉(キ)事をいふ。【即こゝに幸字を書り。又福(ノ)字をも訓り。】此にては。海にて諸(ノ)魚を得るを。海(ノ)佐知といひ。山にて諸の獣を得るを。山(ノ)佐知といふ。凡て物を得るは。身の爲に吉(キ)事なる故に。幸といふなり。【記傳に。佐知を幸取なり。といはれしは。うけられず。】其海の佐知を得給ふを以て。火闌降命を海幸彦と申し。山の佐知を得給ふを以て。彦火々出見尊を。山幸彦と申せるなり。【この事。記又此第三の一書に見えたり。】記傳云。萬葉に得物矢《サツヤ》。佐都由美《サツユミ》。山能|佐都雄《サツヲ》。薩雄《サツヲ》。又|佐豆人《サツヒト》。などある佐豆も。佐知と同じ。と云り。○幸此云佐知。記傳云。かくあれども。左知は幸の意のみにはあらず。【幸とのみ心得ては。下に至りて。かなはぬ事あり。其由は其處にいふべし。】と云り。
 
始(メ)兄弟二人相謂曰《アニオトフタハシラアヒカタラヒテノタマハク》。試(ニ)欲《セムトノタマフ》v易《カヘ》v幸《サチ》。遂(ニ)相|易《カフ》之。各不v得2其(ノ)利《サチヲ》1。兄悔(ヒテ)之。乃(チ)還(シテ)2弟《オトノ》弓箭(ヲ)1。而|乞《コフ》2己(ガ)鉤《チヲ》1。弟時(ニ)既(ニ)失(テ)2兄(ノ)鉤(ヲ)1。無v由(シ)2訪覓《マクニ》1。故(レ)別《コトニ》作(テ)2新鉤《ニヒシキチヲ》1與(フレドモ)v兄(ニ)。兄不(シテ)2肯受《ウケ》1。而|責《ハタル》2其(ノ)故《モトノ》鉤(ヲ)1。
 
始とは。是より以前をいふ事にて。その原を語るなり。さて彦火々出見尊は。此時既く太子に立給へること。第二一書に。海神の虚空彦《ソラツヒコ》と稱申し。記にも。此人者天津日高之御子。虚空津日高。と申せる(978)ことあるにて知られたり。通證に。天津日高者。天子之稱。虚空津日高者。太子之稱。と云へり。なほ次々又一書の下にも。云を見るべし。○欲易幸。この幸は即てその幸を得《ウル》具をいひて。則次に見えたる弓箭鉤なり。さてこの佐知も。海(ノ)幸山(ノ)幸の佐知と同じ言ながら。海幸山幸の幸は。山海にて諸魚諸獣を得るを指て云ひ。此處なるは。其幸を得る具を指して云るにて。【即此紀に。幸鈎幸弓とあり。其事なり。】聊異なり。【さるは記傳云。佐知と云ことを。幸とのみ心得ては。たがふと云こと。此にて知へし。紀に欲v易v幸と云れたれども。幸を易とては。文字のうへ聞えがたし。取(ル)v幸(ヲ)具を易むと云意ならでは。聞えぬ事ぞかし。といはれたり。】さて今其を欲(シ)v易(ント)給ふは。いかなる故にか。何事もつねになれば。めづらしからねばか。されど。此は第三の一書に。兄火酢芹(ノ)命能得2海幸1。故(ニ)號2海幸彦《ウミサチヒコト》1。弟彦火々出見尊。能得2山幸1。故號2山幸彦(ト)1。兄(ハ)則毎v有2風雨1。輙失(ヒ)2其利(ヲ)1。弟則雖v逢2風雨1。其幸不v※[式のエが心]。時兄謂v弟曰。吾試欲2與v汝換1v幸(ヲ)。弟許諾。因易v之。時兄取2弟弓矢1。入v山(ニ)獵v獣(ヲ)。弟取2兄鉤1。入v海(ニ)釣v魚。倶不v得v利。空手《ムナテニシテ》來歸。とある傳ぞ正しかるべき。【記には。爾火遠理命。謂d其兄火照命(ニ)相2易(ヘテ)佐知(ヲ)1欲(ムト)uv用(ヰ)。三度(マデ)雖v乞不v許。然遂(ニ)纔相易。爾火遠理命以2海佐知1釣v魚。都不v得2一魚1。亦鈎(ヲ)失v海云々。とあり。】さて此佐知易のこと。記には。弟(ノ)命の御方より。乞(ヒ)賜へるなり。此紀は本書及第一の一書にては。兄弟互に相語ひて。易(ヘ)給へるなり。右の一書にては。兄命の方より乞(ヒ)賜へるなり。此三(ツノ)傳の中に。兄命の方より乞賜へるぞ。此段の終までの趣に。よく叶へりける。なほ其傳には。兄則毎v有2風雨1。輙失2其利1。弟則雖v逢2風雨1。其幸不v※[式のエが心]。とあれば。易へてむと所欲る由縁さへしられて。いよいよ明らけし。然れば記の傳へは。紛ひ誤れる物なるべしと。記傳にも既に云れたる。信にさる説なり。○各不得其利。凡て世に生るゝもの。其得たる處得ぬところは。甚く異なるも(979)のにて。其幸を相(ヒ)易(フ)べからざること。神等といへども。既に如此し。此に就て重胤云。幸は謂ゆる徳と云事にて。各人の生質に。得たる所有を云なり。然れば山幸有は。山神。海幸有は。海神より授け給ひ。依し給へるに依て。其道に取ては。得たること有り。妙にして外より企及ばざる事あり。又其道を勉行ひて幸有(ル)など。各々人々に依て。異なる所なり。然るに佗人の上を羨みて。其技を易る時は。决めて幸ならざるは如何と云に。其幸を守るべき神の。守給はざるなり。其は人の其幸有ると云も。一朝一夕の事には非ず。生れ出るより。其長ずるに隨ひて。其には山幸を得させむ。其には海幸を得させむと。其幸を守育てゝ。長し給へるなれば。其技を易るも捨るも。其主を易へ。君を捨るの意味等しき故に。其利を得ざる。自然の道と所見たり。と云れたる。さる言なり。○弓箭。これ即幸弓幸矢なり。第一(ノ)一書に。幸弓といふこと見え。萬葉集に得物矢《サツヤ》とあるは。幸矢といふ事なり。○己鉤。本に已(ガ)鉤とあり。今永享本三島本また其餘の古寫本に。釣字无に因る。これ即|幸鈎《サチハリ》なり。記傳云。波理と云は。もと物縫針の名にて。其を曲《マゲ》て釣針と云なり。神功卷に。針を勾《マゲ》て爲v鈎とあるが如し。とあり。されどおもふに。古(ヘ)物を縫う針をば針といひ。魚をつる波利をば。鈎《チ》とぞいひけん。故記にも鈎の訓をばみな。知と讀たるをおもふべし。言義はいまだ思ひ得ず。【然るに記傳に。是を甚く非事のやうに云れたるは。一偏なる言なり。殊に天武把に。※[金+且]鈎《サヒチ》と云人の名さへあれば。いよ/\たしかなり。それをもまた。何くれと云れたれど叶はず。また釣の切知也と云れど。それもいかゞ。下に見えたる貧知《マチチ》滅知《ホロビチ》なども。貧鈎滅鈎と見るべきなり。】○乞己鈎。記云。於v是其兄(980)火照命。【火闌降命の亦(ノ)御名なることは。上に既に云へり。】乞2其鈎(ヲ)1曰。山佐知母。己之佐知佐知。海佐知母。己之佐知佐知。今(ハ)各謂v返(サムト)2佐知(ヲ)1之時。其弟火遠理命答曰。汝鈎者釣(リシニ)v魚不v得2一魚(ヲ)1。遂失v海。然其兄強(ニ)乞(ヒ)徴(リキ)云々とあり。【山佐知母云々。海佐知母云々の意は。記傳云。凡ての意は。山幸の弓矢も。海幸の釣鉤も。己(レ)々が本より得たる幸なれば。久しく易へ置べきに非ず。互に既に試みつれば。今は己々本の如く。返さむとなり。とあるが如し。】○失兄鈎。海中へ失ひたまひしなり。宇志奈布は。令《ウ》v亡《ウ》といふ言にて。奈布は辭なり。
 
弟|患《ウレヒテ》之。即|以《モテ》2其|横刀《タチヲ》1。鍛2作《カタシテ》新鉤(ヲ)1。盛(リテ)2一箕《ヒトミニ》1而與(ヘタマフ)之。兄忿之。曰《イヒテ》d非(ズハ)2我(ガ)故《モトノ》鉤(ニ)1雖(ドモ)v多《サハナリト》《ジト》uv取(ラ)。益復|急《セメ》責(ル)。故彦火々出見尊。憂苦甚深《ウレヒマスコトフカシ》。行2吟《ユキツヽサマヨフ》海畔《ウミヘタニ》1。時逢(ヘリ)2鹽土(ノ)老翁《ヲヂニ》1。老翁問(テ)曰(ク)。何(ノ)故(ゾ)在《マシ/\テ》v此(ニ)愁《ウレヒタマヘル》乎。對2以《コタヘタマヒキ》事之|本末《アルカタチヲ》1。
 
以横刀云々。鍛作は。三代實録十八に。改(テ)2饒益神寶(ヲ)1爲2貞觀永寶(ト)1。常乃《ツネノ》鑄錢司(ハ)。路遠(ク)妨多(キ)爾《ニ》依(リ)天。加2太之《カタシ》於山城(ノ)國(ノ)葛野郡(ニ)1天《テ》。令2鑄作(ラ)1云々。と見えたり。類聚國史に。造錢|型師《カタシ》とあり。範《カタ》を爲《ツク》るなり。【字書型(ハ)模也。凡鑄式以v土曰v型。木曰v模。金曰v範。とあり。】記云。故(レ)其弟破(テ)2御佩之十拳劔(ヲ)1。作(テ)2五百鈎(ヲ)1雖(ヘドモ)v償(ヒ)不v取。亦作(テ)2一千鈎(ヲ)1雖v償(ヒ)不(テ)v受(ケ)云。猶欲v得2其(ノ)正本(ノ)鈎(ヲ)1。とあり。平田翁云。記にては。始に劔を破りて。五百鈎を作り償ひ給へども。受ざりしかば。千鈎を作りて。償給へる趣なれど。此は此本書に。始には別(ニ)作(ル)2新鉤1と云て。其を受ずて。責れるが故に。刀を以て。多くの鈎を作れる由なるぞ。然るべき理なる。とあり。○盛一(981)箕。和名抄。箕和名美。説文除v糞簸v米之器也。とあり。一箕とは。記中卷。毀《ヤブレタル》v鼻入鹿魚。既(ニ)依2一浦(ニ)1。の下の傳に。一浦とは。浦に滿たるを云。【俗に浦一杯と云意なり】神代卷に。盛2一箕1とあるも。箕に充滿たるを云て同じ。うつほ物語に。いかき者ども。一山にみちて。大和物語に。一寺《ヒトテラ》求めさすれど。更に逃て亡にけり。【一寺は。寺の内ことごとくなり。】源氏物語【すま】に。一宮《ヒトミヤ》のうち。忍びて泣あへり。蜻蛉日記に一京《ヒトキヤウ》などもあり。涙を一目《ヒトメ》浮(ケ)てとあるも。目に滿るを云へり。と云り。さてまた山蔭云。古語に。一箕に盛ると云ふは。箕に滿ることなるを。漢文にて旺。一つの箕に盛にて。意異なり。こゝは古語の意なりと云り。さる言なり。【葦牙に。今(ノ)俗物の多き事を。一箕ほどある。箕ではかるなどいふは。古言の殘れるなり。と云り。】○益復急責。葦牙云。かくまで物し給ふことを。聊も聞入(レ)ずて。故(ノ)鉤を責ること。いと理なく。不道《アヂキナ》き事なり。然はあれど。後世のねぢけ人の。成らぬ事を知ながら。わざと強に責るやうの意とは異にて。小兒の物を聞わけざるごとくに。海中へ失へる鉤の。覓《モトムル》よしなき事までをば思はずて。一偏に故(ノ)鉤をほしがるは。中々にをさなくて。神代の心なるべし。といへり。さることなり。【既に纂疏に。作2新鉤1盛(ハ)2一箕(ニ)1。償v之。其較2多少1。庶2幾譴之已(ンコトヲ)1也。盛(ハ)v箕言2鉤(ノ)多1也。非2我故(ノ)鉤(ニ)1。雖v多不v取。譬(バ)猶(シ)2小兒(ノ)不v解v事而責1v人。といはれたり。】○行吟海畔。爲むすべなくて。其鉤を失ひ給ひし海畔に。呻吟《サマヨヒ》給ふなり。佐麻與布は。字鏡に。※[口+屎]出2氣息1心呻吟也。惠奈久。又佐萬與不。又奈介久。とあり。聲を擧て。泣患ふるさまなり。萬葉二十に。春鳥乃《ハルトリノ》。己惠乃佐麻欲比《コヱノサマヨヒ》。記云。弟泣(キ)2患(ヘ)居(ス)海(ノ)邊《ヘニ》1之時云々。○鹽土老翁は。已に云るが如く。住吉(ノ)大神の。現人神となりて。現れ玉へる御名なり。さてそこにも云る如く。老翁とは。たゞ尊みても云稱な(982)れど。此は實に翁の形と現れて。坐けるなるべし。【帳に。薩摩國穎娃(ノ)郡枚聞神社あり。そは此段の鹽土(ノ)神を。祭れる社なりとぞ。今世に開聞が嶽と云是なり。】一書に。有2一長老1とあるも。しかきこえたり。○事之本末は。始終を云ふ。記云。鹽椎(ノ)神來(テ)問曰。何(ニゾ)虚空日高之泣(キ)患(フル)所由《ユヱハ》。答言。我與v兄易v鉤。而失2其鉤(ヲ)1。是乞2其鉤1。故雖v償2多(ノ)鉤1。不v受。云2猶欲1v得2其本鉤(ヲ)1。故泣患之。
 
老翁|曰《マヲサク》。勿2復憂苦1《マタナウレヘマシソ》。吾當(ニ)2爲(ニ)v汝《イマシミコトノ》《タバカラ》1v之。乃作2無目籠《マナシカツマヲ》1。内《イレ》2彦火々出見尊於籠(ノ)中(ニ)1。沈(ム)2之干海(ニ)1。即(チ)自然《オノヅカラニ》有2可怜小汀《ウマシヲバマ》1。【可怜。此云2于麻師1。汀。此云2波麻1。】於是|棄《ステヽ》v籠《カツマヲ》遊行《イデマス》。忽至(リタマフ)2海神《ワタツミノ》之宮(ニ)1也。其(ノ)宮(ハ)也。雉※[土+蝶の旁]整頓《タカヾキヒメガキトヽノヒソナハリ》。臺宇玲瓏《タカドノウテナテリカヾヤケリ》。門(ノ)前(ヘニ)有2一|井《ヰ》1。井(ノ)上《ホトリニ》有2一|湯津杜樹《ユツカツラノキ》1。枝葉扶疏《エダハシキモシ》。時(ニ)彦火々出見尊。就(キテ)2其樹(ノ)下《モトニ》1。徒倚彷徨《ヨロボヒタヽズミタマフ》
 
老翁曰云々。この老翁。事の本末は。神ながらかねて知居れども。もとより火々出見尊を。助けまつらむとおもひて。形を現はし出來れるなれば。まづかくよそながら。問奉りて。さて其上にて。計らへる也。偖重胤云。住吉神は。海神と共に。生坐る神なるが。此神は上にも擧る如き。御功共の多在るを。海神には然る聞えも無が如くなれども然らず。幽《カゲ》と顯《ヒナタ》との如く。互みに相扶けて。物爲させ給(983)ふ事にて。共に預(リ)給はずと云事無くなむ有ける。其は此段の事を以考るに。彼國より此顯國にて。物爲ることなどならむには。海神は。例の幽《カゲ》に立して。鹽土老翁ぞ。顯《オモテ》には立給ふ可きを。此は顯國より。海中に入らせ給はでは。事の整ひ難き事なる故に。尋常とは異りて。鹽土神より。海神の御許に。送參らせられて。其御計らひをば。乞はせさせ給へる者なり。【此に就て思ふに。上にも云る如く。此段は兄弟共に。其幸を相易て。互に利を得ざるは。當然の事にて。始より兄は海幸を得。弟は山幸を得て坐しかば。彦火々出見尊に於ては。海神の拘はらせ給ふ可き事に非る故に。殊更に海宮に幸行して、其海神の御計らひを。得させ奉る可く。鹽土神の教奉れるにて。此に妙なる味有る所なり。】と云り。○憂苦。今本苦字なし。今元々集に所引の文に據て補ふ。【永享本には苦字なくて。之字あり。】○爲。記傳云。美多米爾と訓べし。萬葉に御爲と多く見ゆ。古書に奉爲《ミタメ》と書るを。然訓ことなり。○無目籠。第一(ノ)一書(ノ)一云に。以2無目堅間1。爲2浮木《ウキト》1。以2細繩(ヲ)1。繋2著《ユヒツケ》火々出見(ノ)尊1而沈。所v謂堅間(ハ)是今之竹籠也。とあり。第三(ノ)一書には。作2無間堅間(ノ)小船1。云々推2放(ツ)於海中(ニ)1。とあり。【記にも無間勝間之小船とあり。】記傳云。無間は書紀に無目と作る意なり。【間は借字】加津間は。堅津間《カタツマ》の約たるにて。書紀には即堅間とあり。【古(ヘ)加多麻とも。加都麻とも云りしなり。武郷云。かくあれども。古く加多麻とものに書る。正き證を見ず。後の歌に。加多美と云るはあり。そは次に云】こは籠の編る竹と竹との間の。堅く密《シマ》りて目《メ》の無を云り。【中卷に。八目《ヤツメ》之|荒籠《アラコ》。書紀に大目(ノ)麁籠など云るは。目の麁(キ)を云り。さて加多麻と云を凡て籠の古(ノ)名と心得るは俳なり。許と云ぞ本より總名にはありける。筥《ハコ》と云も。布多許の切りたるにて。もと葢《フタ》のある籠の名なり。これにても。總ての名は許なりしことを知べし。】萬葉に。玉勝間《タマカツマ》とあるも。此物なり。さて倭名抄に。唐韻云。籠(ハ)竹器也。和名古。また四聲字苑云。※[竹/令]※[竹/青](ハ)小籠也。漢語抄云。加太美。とある。賀太美は加多麻の轉りたるなり。【古今集よりして。後の歌などにも。皆加多美とのみあり。さて小籠をしも。加多美と云けんは。古と違へり。加多麻はもと。大きなるにも。小きにも。云りし名なればなり。】と云り。さて第一(ノ)一書に。老翁即取2嚢(ノ)中|玄櫛《クログシヲ》1投v地(ニ)。則化2成五百箇|竹林《タカハラト》1。因取2其竹(ヲ)1。作2大目麁籠(ヲ)1。内2火々(984)出見尊於籠(ノ)中(ニ)1。投2之于海1。【一云。以2無目堅間1云々。】とあるは。やゝ詳なり。さて大目麁籠とあると。無目籠とあるとは。甚く異なれど。此は共に。ただ籠をいふ名にて。【大目といひ。無目と云には。こゝに意なく。】其籠を船となしたると。云るまでの傳なり。【大目麁籠にては。船にはいかゞなど云べけれど。其は人の心もて。おもへるものなり。無目籠ならんからに。船にせむことは。人の心より思へば。なほあやしきにあらずや。】○内2云々籠中(ニ)1。一書に。以2細繩1繋著云々。とあり。○沈之于海。これも上の一書には。推2放於海中(ニ)1。又記には。押(シ)2流其船(ヲ)1者云々。とあり。【此海に沈とあるなどを。疑ふ人あるべけれど。其は海陸の道行絶たる。後の世のさまをのみ。おもへる心なり。すべて此段海神の宮のことゞも。神代のことを。よく知らざらむ人は。奇しみ疑ふこと。多かるべし。みな俗意なり。】○可怜小汀。一書に可怜御路《ウマシミチ》。【記には。味御路とあり。】記傳云。甚善道《イトヨキミチ》と云む如し。といへり。小汀も海につきて云るものにて。路と云るに同じ。【可怜の義は既(ニ)云り。】さて沈2之于海1とあれは。海底にある路なること决なし。【かれ一書に。海底自有2可怜小汀1とあり。】○海神之宮。此宮は海中にある宮なり。一書に。海神豐玉彦之宮とあり。此神は。御禊段に生ませる。底津少童命。中津少童命。表津少童命にます。この三柱神の。一柱とませる御名を。豐玉彦命とも。大綿津見神とも申すなり。【記傳にも云れたる如く。三柱の綿津見神は。阿曇連が祖神に坐し。上卷に見えて。姓氏録に。安曇宿禰(ハ)。海神綿積豐玉彦神(ノ)子。穗高見《ホタカミ》命之後也。とあるも。此段の一書に。海神豐玉彦とあるとを合せ見て。かの神なることを知るべきなり。又三柱神の。一柱ともなり坐ること。神代にかゝる例多し。既に云へり。】○雉※[土+蝶の旁]整頓。の四字古言によまば。ミカキトヽノヒソナハリ。など訓べし。【本にタカヾキヒメガキ云々。とよめるなどは。文字につきての訓なり。整頓の訓は。私記によれり。】○臺宇玲瓏。タカトノウテナテリカヾヤケリ。とよむべし。【私記の訓にしかあり。】さて此二句は。海神の宮の。壯麗く大なる殿門などの状を。稱へいへるものから。あまり漢文の潤飾過たり。記に如2魚鱗《イロコノ》1所造《ツクレル》之|宮室《ミヤ》とある方。いとうるはしく。甚《イミシ》くきこえたり。○扶疏は。應神紀に。芳草|薈蔚《モクシゲク》。とあるによるに。繁茂《シキモ》なるべし。さて毛(985)は茂の字音ならず。顯宗紀に。厥(ノ)功|茂《モシ》焉。萬葉二に。石乍自《イハツヽジ》。木工開道乎《モクサクミチヲ》。などの茂《モシ》木工《モク》みな同じ。また續紀宣命に。牟倶佐加《ムクサカ》とあるも。茂榮《ムクサカ》の意。又|森《モリ》といふ名も。木の生茂りたるよしなりとぞ。○就其樹下。記には。坐2其(ノ)木(ノ)上(ニ)1者云々。第一一書に。就2樹下(ニ)1立之。一云。傍《ヨリタテリ》2於杜(ノ)樹(ニ)1。第二(ノ)一書に。跳2昇其樹(ニ)1。第四(ノ)一書に。宜d就(テ)2其樹(ノ)上(ニ)1而居uv之。とあり。○徙倚彷徨。徙倚を與呂煩比とよめるは。仁徳紀御歌に。河の隈々《クマ/”\》。豫呂朋譬行《ヨロボヒユ》くかも。催馬樂に。佐介乎太字反天《サケヲタウベテ》。太邊惠宇天《タベヱウテ》云々。奈與呂保此曾《ナヨロボヒソ》。源氏明石卷に。立給ふもあさましうよろぼふ。などあり。夕顔卷には。小家のさまの。傾き倒れかゝりたるをも。よろぼひといへり。【徙倚は。字書に。彷※[行人偏+羊]徙倚などありて。彷※[行人偏+羊](ハ)徘徊也とあり。また彷徨(ハ)猶2徘徊(ノ)1也とも。彷徨往來ともあり。多々受牟は。古今秋下。うりんゐんの木かげにたゝずみてよめる。源氏末摘花。そのあれたるすのこに。たゝずままほしき也。若紫に。鹿のたゝずみあるく。言義は立進《タチスサ》むか。
 
良久《ヤヽヒサシクシテ》有2一|美人《ヲトメ》1。排《オシヒラ》v闥《カドヲ》而出(テ)。遂以2玉鋺《タマモヒヲ》1來(テ)當(ニ)汲(ム)v水(ヲ)。因(テ)擧目視之《アフギテミタテマツル》。乃驚(テ)而還(リ)入(テ)。白《マヲシテ》2其父母(ニ)1曰《イハク》。有2一(ノ)希客者《メヅラシキヒト》1。在《マス》2門(ノ)前(ノ)樹下《コノモトニ》1。海《ワタッツミノ》神|於是《コヽニ》鋪2設《シキテ》八重席薦《ヤヘタヽミヲ》1。以|延内之《ヒキイレマツル》。坐定《ヰシヅマリテ》。因(テ)問(フ)2其來意《ソノイデマセルミコヽロヲ》1。時(ニ)彦火々出見尊。對2以《コタヘタマフ》情之委曲《アルカタチヲ》1。海(ノ)神乃|集《ツドヘテ》2大小之魚《オホキチヒサキイヲドモヲ》1逼(メ)問(フ)之。僉曰(ス)v不(ト)v識(ラ)。唯|赤女《アカメ》【赤女鯛魚名也】《コノゴロ》有2口(ノ)疾《ヤマヒ》1(986)而不v來《マヰコ》。固《シヒテ》召(シテ)之|探《サグレバ》2其(ノ)口(ヲ)1者。果(シテ)得《ウ》2失鉤《ウセタルチオヲ》1。
 
一美人。海神(ノ)女豐玉姫なり。○玉※[金+宛]。字鏡 ※[金+宛] 加奈萬利。和名抄器皿部に。金※[金+宛]。日本靈異記云。其器皆※[金+宛]。俗云賀奈萬利。今按※[金+宛]字所出未v詳。古語謂v椀爲2磨利(ト)1。宜v用2金椀(ノ)二字(ヲ)1。記傳云。※[金+宛]字はまことにあたらず。椀なり。然れども古書どもに。皆※[金+宛]と作り。凡て古には偏をかへて書る例多くあり。鞍を※[木+安]とかき。鉾を桙とかける類也。あやしむべきにあらず。とあり。さて記には玉器とあり。和名抄。同部。※[怨の心が皿]小孟也。字又作v椀。弁色立成云。末利。俗云毛比。箋注云。大神宮儀式帳。有2水眞利《ミヅマリ》1。神代紀允恭紀※[金+宛]。新撰字鏡。〓〓〓並訓2萬利1。按未利蓋與v鞠同語。以2其形圓1爲v名。武烈紀影媛歌云。※[木+施の旁]磨暮比※[人偏+爾]《タマモヒニ》。瀰逗佐倍母理《ミヅサヘモリ》。豐受宮儀式帳云。御水四毛比《ミモヒヨモヒ》。萬葉集借2片※[土+宛]《カタモヒ》1爲2偏思《カタモヒ》1。則毛比是※[怨の心が皿]之古名。源君以爲2俗語1者誤。とあり。凡て飲む水を毛比と云ことは。此毛比より出たる言なるべし。古へは凡て飲む水をば。母比と云へり。記傳云。後世には井より水を汲揚るには。必繩など着たる。都流倍を用ゐる事なれども。上代の井は。淺き泉なることも多かりしかば。【今も山里などのは。しかなり。】盛《モル》器を以て。直に汲揚げもしつとおぼしければ。此の玉器も盛器以て。汲にてもあるべく。又汲たるを盛(ル)料にても有べし。【次の文に。酌v水入2玉器(ニ)1貢進。とあれば。汲揚るのみの器にはあらず。】書紀に。此を玉※[金+宛]玉壺玉瓶など作れたる。皆タマモヒと訓べきなり。とあり。○擧目視之。井のもとに因て。ふと見奉りしなり。第一(ノ)一書(ノ)一云に。以2玉瓶1汲v水。終不v能v滿。俯視2井(987)中1。則|倒《サカサマニ》映(レリ)2人(ノ)笑之顔1。因以仰觀有2一麗神1云々。第二(ノ)一書に。來將v汲v水。正見3人影在2於井中1。乃仰視之云々。第四(ノ)一書に。當汲2井水1。見3人影在2水底1。酌取(ルコト)之不v得。因以仰2見天孫1云々。記に。於v井有v光《カゲ》。仰見者有2麗壯夫1。以爲2甚奇1云々。とあり。○白其父母。第四(ノ)一書に。豐玉姫侍者云々。即入告2其王(ニ)1。【第一(ノ)一書(ノ)一云の傳も同じ。】とあり。記にも。豐玉姫の從婢《マカダチ》水を汲て。火遠理(ノ)命を見て。豐玉比賣に申せるを。こゝと第一第二の一書共に。從婢の水汲たることなくて。豐玉姫の自《ミヅカラ》出來て。水を汲み。火々出見尊を見て。驚て還入たる趣なり。此は第四一書。又記の方まさりぬべし。さて平田翁云。此段の事。本書又第二の一書に。白2其父母1。とあれど。此は記又第二の一書に。白2其父1曰とあるぞ。然るべくおぼゆ。○希客。神功紀に。希見此云2梅豆邏志《メヅラシト》1。とあり。愛《メヅル》より出たる語なり。希《マレ》なるものは。自(ラ)見愛《ミメデ》らるゝゆゑに。しか云るなり。○海神云々。應永本永享本。此に海神先隱(レ)※[穴/兪]《ヒソカニ》視v之。是天神(ノ)御子(ナリ)矣。於是舗2設(テ)八重席蓆1云々。とあり。○八重席蓆。第三(ノ)一書に。鋪2設|海驢《ミチノ》皮八重1云々。【第四一書には。設2三(ノ)床1とあり。】記には。美智《ミチノ》皮之疊敷2八重(ヲ)1。亦※[糸+施の旁]疊八重(ヲ)敷(キ)2其上1云々。とあり。また記倭建命(ノ)條にも。菅疊八重。皮疊八重。絹疊八重。敷2于波上1。など見えたり。なほ萬葉に。このつゞけなる多し。記傳云。皮疊※[糸+施の旁]疊などあるを以て見れば。上代には氈《カモ》茵《シトネ》などの類をも。凡て多々美と云りしなり。和名抄に。疊和名太々美。【此頃に至りては。疊と云ふは。今世にいふ疊にて。皮※[糸+施の旁]などのをば。疊とはいはず。※[?+壇の旁]茵席など。おの/\別なり。】八重は。たゞ幾重もと云ことなり。物を重ぬるを。多々牟とも云へば。疊と云名も重ぬるよしなり。【廣き物を。狹く折約《ヲリツヾ》むるを。多々牟と云も。折れば重なる故なり。】然れば疊は。上(988)代には必幾重も重ね敷たる物なり。【萬葉十一に。疊薦|隔編數《ヘダテアムカズ》。十二にも疊薦|重《カサネ》編數とある。此は薦を幾重も重ね編て。一ツの疊に造るを云り。こはやゝ後の事にて。かの上代の如く。幾重も敷べきを。便よく一(ツ)に編重て。厚く造り成せる物なるべし。上代の疊は。後世の如く厚き物とは見えず。】後世神今食。新甞祭などに。神座に八重疊といふを。設けらるゝは。上代の義なり。とあり。さて海神のかく供奉れるは。希客は。皇孫に坐ことを。既く知るなるべし。されど。一書の如く。先誰(ノ)神に坐すことを。問奉ることなくては。言たらはぬこゝちす。故上の脱文を。此に入てみるべし。○延内。延は本にヒイテ云々と訓れど。私記に井※[氏/一]以留《ヰテイル》とよめり。【鎌倉本も同じ】第一(ノ)一書に。迎拜延(テ)入(レ)。慇懃(ニ)拳v慰。第二(ノ)一書に。迎(ヘ)入(ル)。第三(ノ)一書に。海神自迎(テ)延入。などあり。【なほ第一(ノ)一書の下にいへり。】○坐定。本にヰシヅマリと訓めれど。古訓ともおもはれず。ミマシサダマリテ。など訓べし。○問2其來意1。このこと。記には三年住て後に有れども。紀にては。其來坐せる初は問ひ給へり。一書どもゝ同じ。信に此事は。初に先問賜ふべきものなり。○大小の魚は。【本に。トホシロクヒキイヲドモ。私記は。止乎之呂久知比左岐云々。と訓めれど。古訓ともきこえず。故に今は私記薩摩本など。とりまじへて。オホキチヒサキイヲドモ。と訓つ。されどまた】波多能比呂母能波多佛佐母能《ハタノヒロモノハタノサモノ》とも訓べし。記に宇受賣(ノ)命段に。悉皆(ヒ)2聚(メ)鰭(ノ)廣物鰭(ノ)狹物(ヲ)1。以問言。とあると。語のつゞきさへ全同く。又一書に。此をすなはち。盡(ニ)召2鰭(ノ)廣鰭(ノ)狹1而問之。と記されたるを以て。さとるべし。○僉曰。魚の答なり。○赤女【赤女鯛魚名也】は一書に。赤女或云2赤鯛1。又一書には。赤女とありて。即鯛魚也と注せり。記には赤海※[魚+即]魚《タヒ》とあり。記傳云。仲哀卷に海※[魚+即]魚《タヒ》とあるも。和名抄辨色立成云。海※[魚+即]魚|知沼《チヌ》。とあるとを合せて見れば。赤海※[魚+即]魚は。鯛なること决し。【知沼は。鯛の色|灰色《クロ》きものにて。黒鯛の類なり。和名抄に。知沼と久呂多比とは別なれど。遠からぬ物なり。さて常の鯛は。知沼と形全く同くて。色赤きゆゑに。赤海※[魚+即]魚と書るなり。橿を白檮《カシ》と書る類なり。又仲哀卷なるは。色の赤(キ)黒(キ)を一(ツ)にして。海※[魚+即]魚を(989)鯛にあてたるものなり。】多比は。和名抄には。崔禹錫食經云。鯛味甘冷無毒。貌似v※[魚+即]而紅鰭者也。和名太比。と見え。字鏡にも鯛太比とあり。と云り。さて赤女と云るは。此魚の女魚《メヲ》なるを知らせたるものか。又故あるか。○比。記にも頃者《コノゴロ》赤※[魚+即]魚|於《ニ》v喉※[魚+更]《ノミドノキアリ》とあり。一書には。赤女久有2口(ノ)疾1とあり。記傳云。頃者いかゞ。鈎を呑たりしは。三年前なるべきをや。されば。此は一書に久(ク)とあるぞ。當りて聞えたる。と云り。○口疾。鈎を呑めりし故に。口を疾めりしなり。記には。於v喉(ノ)※[魚+更]《キアリ》。物不(ト)2得食1愁(フ)。とあり。【和名抄。唐韻云。※[魚+更]魚。刺在v喉也。和名乃木。】○固召之。鈎を喰るゆゑとしりて。固《アナガチ》に召て。先其失鉤を取得たるなり。されど皇孫命の。めづらしく來坐る事を。歡び畏み仕へ奉りて。其鈎をば。とみにも奉らざりけむ。且このこと。記又第三(ノ)一書の傳へも。皇孫命三年住(ミ)坐して。還りまさむとし給ふ時のことなり。こゝと第二(ノ)一書の趣は。初めて到り坐せる時の事とせり。其ぞ正しかるべき。
 
已(ニシテ)而彦火々出見尊。因|娶《メス》2海(ノ)神(ノ)女豐玉姫(ヲ)1。仍|留2住《トヾマリタマヘルコト》海(ノ)宮(ニ)1已(ニ)經《ナリヌ》2三年(ニ)1。彼處《ソコモ》雖(ドモ)2復(タ)安樂《ヤスラカニタノシト》1。猶(ホ)有2憶(フ)v郷《クニヲ》之|情《ミコヽロ》1。故(レ)時(ニ)復(タ)太息《ハナハダナゲキマス》。豐玉姫聞(テ)v之|謂《カタリテ》2其父(ニ)1曰(ク)。天孫悽然《アメミマイタミテ》《シバ/”\》歎(キタマフ)。蓋|懷《オモヒタマフ》v土《クニヲ》之|憂《ウレヒアリテカ》乎。海(ノ)神乃|延《ヒキテ》2彦火々出見尊(ヲ)1。從容語曰《オモブルニマヲシテマヲサク》。天孫若(シ)欲《オモホサ》v還(ラムト)v郷《クニヽ》《ハ》。吾(レ)當(ニ)奉(ラム)v送(リ)。便(チ)授《タテマツリテ》2所得《エタル》鉤(ヲ)1。因誨(ヘマツリテ)之曰。以(テ)2(990)此鉤(ヲ)1與《アタヘタマハム》2汝《イマシミコトノ》兄(ニ)1時。則|陰《ヒソカニ》《イヒテ》2此鉤(ヲ)1曰《ノタマヒテ》2貧鉤《マチチト》1。然後(ニ)與之《アタヘタマヘ》
 
豐玉姫。記傳云。一書に父神の名豐玉彦とあれば。其によれるなるべし。また容顔の麗しきを。稱へたるにもあるべし。とあり。山城國風土記に。久世郡水渡社。【祇社】名|天照《アマテル》高彌牟須比(ノ)命。和多都彌豐玉比賣命。とあり。【式水渡神社三坐。とある社なり。】式。阿波國名方郡和多都美豐玉比賣神社。○經三年。上に比v及2三年(ニ)1。尚不2報聞1。などあるに同じく。こゝも必三年には限らず。年を經ることを。大かたに云るものなるべし。○安樂。豐玉姫を。妃と爲給ふのみならず。海神の慇懃に。仕奉り給ふにより。何となく御心緩みて。一旦は安樂《ヤスラカニタヌシ》とおもほしめすよしなり。○時復太息。【三島本復字なし。其ぞ宜しかるべき。】一書に數《シバ/”\》有2歎息1とあり。記傳云。那宜伎は長息《ナガイキ》にて。心に思ひ結ぼるゝ事あるをりは。長き息の衝《ツカ》るゝを云。【さるは哀き事。憂はしき事などは。もとよりにて、喜しきこと。愁きことなども。凡て心にあまりて。こめがたき時には。長息あり。漢國にても。歎字など。何れにもわたるどとく。此間と異なることなし。さて其中にも。哀き事憂はしき事などは。殊に深く心に結ぼるゝ物なる故に。後にはもはら。其方にのみ取て。那宜伎と云へば。即て哀み憂ふることにも成れり。】萬葉十三。吾嗟八尺之嗟《ワガナゲクヤサカノナゲキ》。又|杖不足八尺之嗟《ツエタラヌヤサカノナゲキ》。十四に。也左可杼利伊伎豆久伊毛乎《ヤサカドリイキツクイモヲ》。などあり。これら息のいとゝゝ長き由に。八尺と云り。とあり。記云。於v是火遠理(ノ)命。思2其(ノ)初(ノ)事(ヲ)1而。大一歎云々。【記傳云。思2其初事(ヲ)1とは。たゞ本國を戀しく所念看なり。大一歎し給ふは。所念すことの淺くて。唯一聲なるにはあらず。此時まで。御心に隱て顯し給はざりしを。三年にもなりて。甚しきほどに。今は忍び得敢(ヘ)たまはで。思ほえず。出たる一聲なる。一(ツ)と云るに。其意見えたり。次なる言に依り。豐玉毘賣此長息を聞て。驚き給へるさまなれば。此比賣にも。國思ひ給ふことを。語り給はざりしなり。書紀に。此長息を。數《シバ/”\》或(ハ)時《トキ/”\》などあるとは。趣異なりとあり。○從容。(991)葦牙云。此訓古言にやあらむ。こは漢籍に。從容(ハ)舒緩(ノ)貌とありて。於毛牟呂と訓たり。吻しづかに。緩らかに物言を云なりと。本居大平いはれたり。とあり。【今もゝはら。漢籍には舒字をオモムロとよみたり。言義|面緩《オモユル》か。面儉《オモヘリ》。面|勝《カツ》など。面某と云る例なり。】○所得鉤。本に釣鈎とある。釣字例の衍なり。丹鶴本に无に因る。○陰呼。纂疏に。陰呼(ハ)謂2咒詛之辭1也。兄命有v(ラバ)v得v此。則甚貧窶何|止《タヾ》失(フ)v幸已哉。と云り。○貧鉤。麻治は麻豆と通音なり。【記傳にも。麻豆志は。本は麻治志にてもあもむ。といへり。】さて貧鉤とは。第二(ノ)一書に。貪鉤《マチチ》。滅鉤《ホロビチ》。落薄鉤《オトロヘチ》。第三(ノ)一書に。大鉤《オホチ》。踉※[足+旁]鉤《スヽミチ》。癡※[馬+矣]鉤《ウルケチ》。貪鉤。第四(ノ)一書に。貪鉤。狹々《サヽ》貪鉤。【記に。於煩鉤。須々鉤。宇流鉤。】などあるが如く。鉤にさる種々の凶名を冠たるは。即ち幸鉤《サチハリ》の反にて。不幸《ヨカラヌ》事どもを。釣る具と云意。所謂呪詛の辭なり。【第一(ノ)一書には。可v詛2言|貧窮《マチ》之本。飢饉《ウヱ》之始。困苦《クルシミ》之根1。ともあり】○與之。記に給2其兄1とある。記傳に。こは火遠理命を尊崇み。又火照命を賤め惡みて。御兄なれども。給ふと云るなり。とあり。此に與ふとあるも其義なり。第二一書には。言訖(テ)以2後手《シリヘデ》1投棄《ナゲステヽ》與(ヘタマヘ)之。勿2以向《ムカヒテ》授1。【第三(ノ)一書に。可2以後手(ニ)投賜(フ)1云々。ともあり。記にもしかり。第四一書に。三|下唾《ツバキテ》與之。とあり。】
 
復(タ)授2潮滿瓊《シホミツタマ》及(ヒ)潮涸瓊《シホヒルタマヲ》1。而誨(ヘマツリテ)之曰。漬《ツケバ・ヒタサバ》2潮滿瓊(ヲ)1。則潮忽(ニ)滿(タム)。以v此(ヲ)沒2溺《オボラセ》《イマシミコトノ》兄(ヲ)1。若兄悔(テ)而|祈《ノマムトキハ》者。還《マタ》《ツケヨ・ヒタセ》2潮涸瓊(ヲ)1。則潮自|涸《ヒム》。以v此(ヲ)救(ヒタマヘ)之。如此|逼惱《ナヤマシタマハヾ》。則汝(ノ)兄|自伏《オノヅカラシタガヒナム》
 
(992)潮滿瓊鹽涸瓊。紀に鹽盈珠鹽乾珠と作り。記傳云。志本美都多麻。志本比流多麻。と訓べし。【乾《ヒル》は。景行卷に賦《フ》と訓注あれば。比流とは云はず。急居を兎岐于とあると。同格にて。比。布。布流と活用く言の如し。されど布流と活用きし例なければ。こはなほ比流と活用く言なるべし。古言には。をり/\かゝる言もありとあり。○武郷云。居も韋。宇。宇流。とは活用かず。韋。宇。韋流と活く言にて此と同じ。】とあり。さてこの二(ツ)の瓊もて。潮の滿涸る事は。海神の掌わざなれば。此瓊に彼神の御靈を。詑《ツケ》たりしにや。はたもとより。さる奇異しき瓊なりしにや。今知るべからず。記傳云。中卷に振《フル》v波《ナミ》比禮《ヒレ》。切《キル》v浪比禮。振《フル》v風《カゼ》比禮。切《キル》v風比禮。と云ふ物見えたり。この類なり。【仲哀卷に。皇后泊2豐浦(ノ)浦(ニ)1此日皇后得2如意珠(ヲ)於海中(ニ)1。と云る事あり。土佐國風土記に。吾川郡玉島。或説云。神功皇后巡v國之時。御船泊之。皇后下v島休2息磯際(ニ)1。得2一白石(ヲ)1。圓如2鷄卵(ノ)1。皇后|安《オキタマフ》2于御掌(ニ)1。光明四出。皇后大喜。詔2左右1曰。是海神所v賜|白眞《シラ》珠也。故爲2島名1。とあると。一(ツ)事なるを。國の異なるは。傳の異なるべし。宇佐宮縁起に。神功皇扁干殊滿珠を。龍宮より得玉ひて。三韓をまつろへ賜へる由云へるは。古き傳か。はたかの書紀の如意珠と。親羅の國中へ潮の上りしことゝを引合せて。おしあてに云るか。是もたしかならず。又其二の珠。後に肥前國佐嘉郡河上(ノ)宮と云に。納まれるよし云り。かくて書紀釋に。元暦之比。宇佐宮監行之時。本宮(ノ)注文。滿瓊涸瓊二種在2當宮1之由注進之云々。二種鷄已在2當宮1。神功皇居征2伐三韓1之時。就3新羅海潮滿2宮庭1思之。定令持2此瓊1御《タマフ》歟。然而無2慥所見1。と云り。此にもおぼつかなき事あり。神功皇后の珠は。新に海中より得たまへるなれば。かの神代の瓊とは。別なるに。神代の瓊の。宇佐宮に在は。何の由縁にか心得がたし。故思ふ區に佐宮に在と云は。神功皇后の得賜へる珠にて。かの肥前國河上宮に納れる珠ぞ。神代のなりけんを。此と彼と。一ツに心得誤りて。左右にまぎれつるにやあらん。かの河上宮と云は。神名式に。佐嘉郡與止日女神社とある是なり。と云り。或書に。豐玉姫を祭ると云るも由あり。さてかの神功皇后の得たまひし玉も。若實に干珠滿珠にて。新羅の國中へ。潮の上りしも。其珠の故ならば。海神の有てる。鹽盈珠鹽乾珠は。今火遠理命に授奉れるのみにもあらず。なほ幾箇もあるものときこえたり。○武郷云。この二珠の事。記傳三十卷にも論あり。今何れとも定めがたし。然るに矢野玄道云。皇后の持玉ひしは。海より今新に得ませる珠にぞありけん。二珠の納れる所も。今按名蹟考の。四説をあげたれど。信友説の如く。河上社に在とせる傳や是《ヨ》からむ。と云り。さらば神代の瓊は。宇佐宮に在とせんか。なほよく考ふべし。】萬葉十九に。和多都民能《ワタツミノ》。可味能美許等乃《カミノミコトノ》。美久之宜爾《ミクシゲニ》。多久波比於伎弖《タクハヒオキテ》。伊都久等布《イツクトフ》。多麻爾末佐里弖《タマニマサリテ》云々。とよめり。と云へり。○漬潮滿瓊則。漬字本にツケバとよめれど。明應本に依てヒタサバとよむべし。また本に。則字の上に者字あり。集解本に。傍訓(ノ)※[手偏+讒の旁]入として(993)刪れり。今それによれり。【見林本にも衍と云り。】さて漬と云るは。即瓊を用る法なり。第二(ノ)一書には。出2潮滿瓊1云々。出2潮涸瓊1云々。【記にも出とあり。】とあれど。下文には出と云むも宜なれど。此所は漬とある方。然るべくおぼゆ。【漬とあるも。出とあるも。唯に用法の上のみにて。傳の異なるには。あるべからず。】○逼悩。葦芽云。こゝは兄の責りし鉤を得たまひて。かへし與へ給へば事もなきを。かくたしなめむとするは。始よりの事を。海神に委曲に詔たまへば。兄のさがなき事を。甚く惡みて。かくまでは教へまつりしなるべし。又思ふに。既く弟命の太子に定りたまひけむを。兄の妬みて。故《コトサラ》にさがなき事爲給ふ故に。とかくして。伏へしめむことを。海神の助け教へ奉りしにもあるべきか。と云るはさることにて。かの鹽土老翁が。ゆくりなく出來れるさまにて。助けまつれるも。今又海神のかく計らひ奉れるも。みな天日嗣の御子と。定り坐る弟命の。困厄玉へるさまを。幽に神ながら知しめして。助け仕奉れるなり。但し其事の偶然に出たるが如きさまにみゆるは。是ぞ顯幽の隔にして。あらはに知らるまじく。掟給へるものなるべきこと。本よりなり。さて此海神の言《ノタマヘ》る言。此處には略きて記せるを。第三(ノ)一書には。後進(リ)2潮滿瓊潮涸瓊二種(ノ)寶物(ヲ)1。仍教2用瓊之法(ヲ)1。又教曰。兄作(ラバ)2高田《アゲタヲ》1者。汝可v作2※[さんすい+跨の旁]《クボ》田(ヲ)1。兄作(ラバ)2※[さんすい+跨の旁]田(ヲ)1者。汝可v作2高田(ヲ)1。海神盡(テ)v誠(ヲ)。奉v助如v此。と見え。【記には。然而其兄作2高田1者。汝命營(リタマヘ)2下田1。其兄作2下田(ヲ)1者。汝命營2高田1。爲v然者。吾掌v水故。三年之間必其兄貧窮。若恨2其爲v然之事1。而攻戰者。出2鹽盈珠1而溺(シ)。若其愁請者。出2鹽乾珠(ヲ)1而活(シ)。如此令2惚苦1。とあり。】第四(ノ)一書に又兄入(テ)v海釣(セム)時。天孫|宜《タマヘ》d在(テ)2海濱(ニ)1以作(シ)c風招《カザヲギ》u。如此則吾起2瀛《オキツ》風|邊《ヘツ》風(ヲ)1。以(テ)2奔波(ヲ)1溺悩(サム)。【第一(ノ)一書にも。此傳を甚くはぶきて出せり。】など種々の事共見えたり。
 
(994)及v將《スルニ》2歸去《カヘリマサムト》1。豐玉姫|謂《カタリテ》2天孫1曰(ク)。妾已|娠《ハラメリ》矣。當v産《コウマムトキ》不v久(シカラ)。妾(レ)必以2風涛急峻《カゼナミハヤカラム》之日1。出2到《イデイタラム》海|濱《ヘタニ》1。請《コフ》爲(ニ)v我(ガ)作(テ)2産室《ウブヤヲ》1相待《マチタマヘ》矣。
 
風濤急峻之日は。いかなるよしにか。【謂2順風云々(ノ)日(ヲ)1と云る説あれど。そは非なり。】下に直冐2風波(ヲ)1とあれば。風波のある日を待て。物し玉へるにか。強ていはゞ。豐玉姫まことの御體は。一書【又記】に。大|熊鰐《クマワニ》【本書には龍とあり。是には論あり。】とあれば。海濱に來り坐るには。自ら海中に風濤の起ることゝ。おもはれたり。【龍蛇の類。空中にものする時は。甚しき風雨のある事など。おもひ合すべし。】纂疏に。風濤者諸龍之鼓動也。とあるもよしなきにはあらじ。故かくは宜へるものならんか。猶よく考べし。○作産屋。記に産殿とあるも。ともに宇夫夜と訓べし。記傳云。兒の始めて生れたる時の。物をも事をも。宇夫《ウフ》某と云こと。古も今も多し。【今世の言に。凡て物の生《ナ》れるまゝにて。營《ツク》りかざれることなきをも。宇夫といへり。】その宇《ウ》は生《ウミ》の宇と一(ツ)にて。生れたるを云稱なるべし。とあり。【葦牙云。古へは別に産屋を立しなるべし。今も。産屋のうち。産屋あがり。産屋があけるなどは。つねいふなり。】さてこの産屋に。鵜(ノ)羽を以て葺たりしこと。下の一書どもに見えたり。拾遺に。天祖彦彦火(ノ)尊。聘2海神之女豐玉姫命(ヲ)1。生2彦瀲《ヒコナギサノ》尊1。誕育之日。海邊立v室(ヲ)。于v時|掃守《カニモリ》連(ノ)遠祖天(ノ)忍人《オシヒトノ》命。供奉陪侍。作v箒(ヲ)掃(ヒテ)v蟹(ヲ)。仍掌2舗設《シキマケヲ》1。遂以爲v職。號曰2蟹守《カニモリト》1。今俗(ニ)謂2之|掃守《カモリ》1者。彼詞之轉也。とあるは。この時の事なりけり。【このこと。姓氏録に異説あり。】さて此御産殿のこと。通證に。重遠云。産屋(ノ)舊蹟。在2日向國那珂郡(ノ)ウミ濱(ニ)1。號2宇止磐窟《ウトノイハヤ》1。宇止(ハ)即|※[盧+鳥]※[茲+鳥]殿《ウトノ》也。今(995)按。窟《イハヤノ》縱横五丈許。深(サ)一町許。東西抱v海(ヲ)負v山。其(ノ)山(ヲ)名(ク)2早日《ハヤヒノ》嶺(ト)1。絶勝之地也。有2神祠1。所vv祭六坐。地神五代神。及神武天皇也。玉依姫社在2別處1。是(レ)社司之説(ナリ)。【記傳にも。今日向國那珂郡。宮(ノ)浦(ノ)村の海邊に。其御跡と云て。大なる窟あり。鵜殿(ノ)窟と云。中に社ありで。鵜殿(ノ)權現と云へり。】とあり。此はよしある傳なるべし。【但し所祭神云々は。後の事なるべし。】○相侍矣。此までの豐玉姫の御言。記にはなくて。於是海神女豐玉毘賣命。自(ラ)參出白之。妾(レ)已(ニ)妊身。今臨2産(ム)時(ニ)1。此(ヲ)念(ニ)天神之御子(ハ)。不v可v生2海原(ニ)1。故(レ)參出(テ)到《キツ》とあり。されど。此は此本文の如く。必歸り坐時に期《チギリ》給ふべきものなり。第三(ノ)一書に。妾(レ)已(ニ)有娠也。夫天孫之胤。豈可v産2於海中(ニ)1乎。故當2産時(ニ)1。必就2君處(ニ)1。如(シ)爲(ニ)v我造2屋(ヲ)於海邊(ニ)1。以相待(チタマハヾ)者。是所望也。とあるぞかなへる。
 
彦火々出見尊已(ニシテ)還(ヘリマシテ)v宮《モトノミヤニ》。一《ヒトヘニ・モハラ》遵(フ)2海(ノ)神之教(ニ)1。時兄火闌降(ノ)命。既被《レテ》2厄困《ナヤマサ》1。乃自|伏罪《シタガヒテ》《マヲサク》。從v今|以後《ユクサキ》。吾(レ)將(ニ)爲《タラム》2汝俳優《イマシミコトノワザヲギノ》之民1。請(フ)施恩活《イケタマヘ》。於是《コヽニ》《マニ/\》2其所乞《ネガヒノ》1遂赦(シタマヒキ)之。其火闌降命(ハ)即(チ)吾田《アタノ》君|小橋等之本祖也《ヲハシラガトホツオヤナリ》
 
還宮。【宮。官本モトツミヤ。とよめり。】此宮は。口訣に歸2笠狹之宮(ニ)1。とあれども。なほ高千穗宮とすべし。【此宮の事は次に云】○一。北野本にモハラと訓り。從ふべし。○尊海神之教。海神の教へまつりしまに/\。兄を逼悩め給ふなり。此書一書また紀に見えたり。○厄困の厄。本に危と作り。今三島本古今顯注所引に依て改む。○俳優(996)之民。俳優のことは上卷に出。さて此の俳優のさまは。下の一書又記に見えたる。【第四一書に。兄著2犢鼻《タフサキ》1。以v赭塗v掌塗v面。告2其弟1曰。云々自v爾及v今。曾無2廢絶1。とあるは。溺れし時の種々の態を。委曲に云る傳なり。又第二(ノ)一書には。從v今以往。吾子孫(ノ)八十連屬。恒當v爲2汝(ノ)俳人1。亦爲2狗人1。請哀v之云々。などあり。記には自v今以後云々。不v絶仕奉也。といへり。】即其事にて。溺れし時の種々の態を爲を云なり。職員令に。隼人司正一人。掌d※[手偏+僉]2※[手偏+交]隼人及名帳(ヲ)1教c習(スルコトヲ)歌舞(ヲ)u。隼人司式に。凡踐祚大甞日。云々其群官初入發v吠。悠紀入(ルトキ)。官人並彈琴吹笛。撃百子《ハウシウチ》拍手《テウチ》。歌舞人等。【彈琴二人。吹笛一人。撃百子四人。拍手二人。歌一人。※[人偏+舞]二人。】從2興禮門1參2入(ル)御在所(ノ)屏外(ニ)1。北(ニ)向(テ)立(テ)。奏2風俗歌※[人偏+舞](ヲ)1。主基入亦准v此。大甞祭式(ニ)進(テ)2於楯(ノ)前(ニ)1。拍v手歌(ヒ)※[人偏+舞](コト)。など見え。續紀に。大隅薩摩隼人等。風俗歌※[人偏+舞]を奏りしこと。往々見えたり。記傳云。此風俗歌※[人偏+舞]も。彼俳優の遺れるにぞありけむ。【上代には。全(ノ)俳優なりしが。後には歌※[人偏+舞]の體になれりしならむ。】と云り。○吾田君は。姓氏にて。【此は此氏につきて云言なるが。この小橋君は。即次に云る如く。神武天皇の御世頃の人にて。此頃は未(ダ)姓を云る例なければ。たゞ地名とすべし。また尸と云るものも。此頃はなかりしことゝ見ゆれば。たゞ其居地の名などを以て。其(ノ)處(ノ)君と尊み呼るか。世々に其稱の傳りて。つひに尸とはなれるなり。】小橋は人名なり。【纂疏に。一云小橋(ハ)人名也。とある宜し。小橋の下にも。尸を脱せりとして。これをも氏と云説あれど。みなわろし。さて此又地名に因れる名なり。記傳云。阿多は大名にて。其中にある小椅といふ地なるべし。此地物に見えざれども。必然るべし。今此名の地は無きか。大隅薩摩の國人に尋ぬべし。舊事紀に。景行天皇の御子たちを擧たる中に。襲(ノ)小橋別命。三田(ノ)小橋別祖と云り。三(ノ)字一本に兎と作り。何れも誤にて。吾田小橋(ノ)別なるべし。是も此なると一地名と聞えたり。さて小橋君は。其地をうしはける人にて。即名に負るなるべし。といへり。】さて吾田は。薩摩國の地名なること。上に云るが如し。【地名即て。氏と成れるものなり。】又記に。此を隼人阿多(ノ)君とあるも。阿多(ノ)君は隼人なれば。隼人と云るなり。【隼人の事は既に云り。】さて火闌降命は。本書に隼人等(ノ)始祖也。とあるに因に。廣く隼人の祖と聞えたるに。【こゝにまた吾田君小橋等之本祖と書れたる。いかゞなり。前なるも。此なるも。本書なれば。重ねて出すべき由なし。此事は既く記傳又山蔭等にも。云ひ置れたるき。】分(キ)て阿多君祖としも云へるは。隼人の諸姓の中に。殊に顯れて。小橋(ノ)君(ノ)妹。(997)神武天皇に。めされたりしよりのことなること。次に云るを考へ合すべし。姓氏録。右京神別。阿多(ノ)御手養(ハ)火闌降(ノ)命(ノ)六世孫薩摩(ノ)若相樂《ワカサガラカノ》後也。また山城國神別。阿多(ノ)隼人(ハ)富乃須佐利乃命之後也。と見え。續後紀承和三年六月。山城國右(ノ)大衣。阿多隼人逆足。賜2姓阿多(ノ)忌寸(ヲ)1。など見えたり。【記傳云。これら隼人の國より上りて。皇朝に仕奉れるが。子孫の京畿に遺り住るなり。右の外にも。大和國に二見(ノ)首。大角(ノ)隼人。津國日下部。和泉國に坂合部など。姓氏録に見えたり。とあり。】さて小橋といふ人名は。記(ノ)神武天皇段に。坐2日向(ニ)1時。娶2阿多之小椅(ノ)君(ノ)妹名|阿比良《アヒラ》比賣(ヲ)1。生2子|多藝志美々《タギシミヽ》命(ヲ)1云々。とある人にて。御妃の兄君。御子等の御外戚にてありしかば。自ら其名も聞えて。高かりし故に。この人の名をしも取出て。云々の本祖也。とは云るものなり。【然るに東大寺所藏古文書に。天平寶字三年十一月十四日。※[竹/卞]師散位正八位下小橋公石正。と云人見えたれば。いにしへ小橋君と云る姓も。ありしことは却られたれば。こゝも小橋の下。君字を脱せるにて。吾田君小橋君と二氏也。と云る説もあれど。なほ記に據に。本のまゝにてありぬべし。一本には君字ありと云る校本もあれど。なほうたがはし。】さる例は。神代上卷に。大三輪之神。此神之子。即甘茂(ノ)君大三輪(ノ)君等。又姫踏鞴五十鈴姫命。とある。これ五十鈴姫命は。神武天皇の大后に坐て。名高く坐しゝが故に。甘茂(ノ)君。大三輪(ノ)君等の外に取(リ)出て。御名を出せる事。こゝと同じ。又雄略紀に。從(リ)2百濟國1。逃化來者。自稱名曰2貴信1。又貴信(ハ)呉(ノ)國(ノ)人也。磐余(ノ)呉(ノ)琴彈※[土+橿の旁]手屋形《コトヒキサカテノヤカタ》麻呂等。是其後也。とあるも。此例と等しかるべし。
 
後(ニ)豐玉姫果(シテ)如2前(ノ)期《チギリノ》1。將《ヒキヰテ》2其|女弟《イロト》玉依姫(ヲ)1。直(ニ)冐《ヲカシテ》2風波(ヲ)1。來2到《イタル》海邊《ウミヘタニ》1。逮2臨《オヨビテ》《コウム》(998)時(ニ)1。請(テ)曰(ク)。妾|産時《コウマムトキニ》。幸勿以看《ネガハクハナミマシソ》之。天孫猶不(シテ)v能v忍(フコト)。窃《ヒソカニ》往(テ)覘(ヒタマフ)之。豐玉姫|方産《ミサカリニコウムトキ》化2爲《ナリタマヒヌ》《タツニ》1。而甚(ダ)慙(テ)之曰(ク)。如(シ)汝《イマシ》《ザルモノ》v辱《ハヅカシメ》v我(ヲ)者《ナラバ》。則|使《シメテ》2海陸《ウミクガ》相(ヒ)通《カヨハ》1。永(ク)無《ナカラマシ》2隔絶《ヘダテタユルコト》1。今既|辱《ハヂミセツ》之。將(ニ)何(ヲ)以(テ)結(ハム)2親昵之《ムツマジキ》情(ヲ)1乎。乃以v草《カヤヲ》※[果/衣]v兒《ミコヲ》。棄(テヽ)2之海|邊《ヘタニ》1。閉《トヂテ》2海(ノ)途《ミチヲ》1而|徑去《タヾニサリマシヌ》矣。故因(テ)以|名《ナヅケマツイリテ》v兒《ミコヲ》《マヲス》2彦波瀲武※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合《ヒコナギサタケウガヤフキアヘズノ》尊(ト)1。
 
玉依姫。名義。玉は御姉の御名のに同じく。依は美稱なり。式。信濃(ノ)國埴科郡玉依此賣命(ノ)神社。とあるは。此神なるべし。【かの瓊々杵尊の御母を。まつれるにはあらじ。】○將。此紀には。初玉依姫を將て來坐し事。本書一書に見えたるを。記には。初に御姉と諸共に。來坐しことは見えず。後に御子を養(シ)奉れる時に。始て參らせ給ふよしなり。【又一書には再(ビ)來坐せる傳へもあり。】○來到海邊。一書には。豐玉姫自|馭《ノリテ》2大龜(ニ)1。將(テ)2女弟玉依姫(ヲ)1。光(シ)v海來到。とあり。○幸勿以看之。記云。故入2坐産殿(ニ)1。爾將2方《ミサカリニ》産(ムト)1之時。白2其日子(ニ)1言。凡佗(シ)國(ノ)人者。臨《ナレバ》2産時(ニ)1。以2本(ツ)國之形(ニ)1産生《ウム》。故(レ)妾今以(テ)2本(ノ)身(ニ)1爲v産。願勿v見v妾。とあり。この紀には此事見えず。○猶不能忍。其言の甚奇しきに。見じとおもほしめす物から。猶えあらずて覘給ひしなり。【忍は堪へしのぷこゝろなり】○方産。美佐加理とは眞盛と云義にて。御子生給ふ時に當りて。と云意なり。○化爲龍。一書には。化2爲八尋大熊鰐1。匍匐逶蛇《ハヒモコロフ》。【記にもしかあり。】とあり。此に龍に化爲《ナル》とあるは。傳の異なるかとおもふに。さにはあら(999)ずて。鰐を龍と見なしたるものなり。そは平田翁の説に。印度籍に。大海(ノ)水底(ニ)有(リ)2娑竭龍王(ノ)宮1。と云事あり。龍を海底に住む物と云は。印度の古説にも有べけれど。此は論(ヒ)あり。然るは丘谷池澤などこそ。龍の住處なれ。海水は龍の住處に非ず。然るに彼國籍どもに。海底をば彼が掌る所とせるは。最古より誤來れるにて。此は海神はもと。和邇神に坐せば。彼神の奇しき稜威あること。其状又宮殿の事など。且々も見聞傳へて。眞(ノ)龍とは錯《マガヘ》たりけむ。其は鰐の類にも種々有りて。中には龍にいと能(ク)類《ニ》たるも在ればなり。神農本經に。※[魚+它]と云へる物など是なり。故後には。此を※[囂/龍]龍とも言へり。李時珍の綱目に。陳藏器曰。※[囂/龍]形如v龍。聲甚可v畏。長一丈者。能吐v氣成v雲致v雨。既是龍(ノ)類。時珍案(ニ)。※[囂/龍]字象2其頭腹足尾之形1故名。と云り。神典に八尋熊鰐など見えて。丈長くいと猛きも。其らを見ての説なり。と云れたるにて知べし。【萬葉集なる。家持卿の歌に。雨ふらず日のかさなれば。云々この見ゆる。天の白雲。わたつみの澳つ宮邊に。立わたりとのぐもりあひて。雨もたまはね。と詠れたる歌を。平田翁は非なりとして。抑龍神を。海に住て雨を掌るものとせるは。佛書の説なり。と云れたれど。右に引る※[囂/龍]龍の能吐v氣成v雲致v雨既是龍類。とあるを見れば。海中にも雨をものする神の。いますにこそ。頓《ヒタブル》に誤なりとは。いひがたかるべし。】○兩甚慙之。記傳云。而(ノ)下に文脱たるべし。と云り。第三(ノ)一書に。化2爲八尋大鰐(ニ)1而。知2天孫|視其私屏《カキマミタマヒシヲ》1。深懷2慙恨1。とあるなどによらば。こゝも而(ノ)字(ノ)下に。知3天孫視2其私屏1の七字あるべきなり。○如汝不辱我者。本に汝を有につくれり。今は丹鶴本に因て改めたり。【山蔭に有不は。不有とこそあるべけれ。とあり。されど有(ノ)字は。かにかくに誤れるものなり。】○海陸の陸は。玖奴賀の約りたる言にて。即|國處《クニカ》の義なり。【西宮記北山抄等に。北陸道をクルガノミチ。また此紀訓にも。クヌガノミチ。又クニガノミチ。又クムガノミチ。又クルガノミチ。とよみたるをおもへば。いづれにも通はしていへりと見ゆ。みな陸(ノ)字の訓なり。】○永無隔絶。記云。妾恒(ハ)通《トホシテ》2海道(ヲ)1。欲2往來《カヨハント》1云々。記傳云。通は令2登富良1なり。此(1000)は海神宮と。此|上《ウハツ》國との海路を。誰も易く往來して。互に隔絶なく。到るべくするを云。往來は。豐玉比賣命の御自の事のみにあらず。大凡の世人の事を廣く詔ふなり。○今既辱之。第四(ノ)一書には。不v用2我言(ヲ)1。令2我(ニ)屈辱《ハヂミ》1。故自v今以往。妾奴婢至2君(ノ)處1者。勿2復放還(スコト)1。君奴婢至2妾處(ニ)1者。亦勿2復還1云々。とあり。○以v草裹v兒。右の一書のつゞきに。以2眞床覆(フ)衾(ヲ)1裹2其兒1云々とあり。此はまことの草なりや。又鵜(ノ)羽を以て葺草として。産屋を葺しことを。かくも傳たるにて。この草は鵜葺草《ウガヤ》なりや。詳ならず。○棄。記に生2置其御子(ヲ)1而云々返入とあり。御子をば置て。御自は海神(ノ)宮に返(リ)給ふなり。○閉海途。閉はトヂテとよめれど。記によりて。勢伎弖とも訓べし。陸より海へ通ふ道を閉て。再往來ことを。得ざらしむるなり。記に塞《セキテ》2海坂《ウナサカヲ》1而返入。とあるにおなじ。【坂は堺の義にて。海神の國と。此上國との間の。隔ある處を云なり。萬葉九に。浦島子を賦る歌に。海界乎過而榜行爾《ウナサカヲスギテコギユクニ》。海若(ノ)神之女爾。邂爾云々。とある海界も。此と全く同じことなり。】さて今かく爲給ふより。彼には海陸の通ひ。漸々に隔絶て。遂に今の如はなり行しなり。故(レ)一書に。此(レ)海陸不2相通1之縁也。と云り。【夫木集實清。契だにたがはざりせばわたつみの。そこにもひとやゆきかよはまし。】こゝに云べきことあり。海陸通はず成れるは。もとより天神のしか定め玉ひつるにて。幽顯の分るゝ道理による事なれど。人はさることを知る由なければ。今此豐玉姫の御言擧によるものと語傳へしなり、其は彼人(ノ)命の長からざるを。磐長姫の御誓の御恨言より。しかなりしものぞと。語傳へしと同じ。この事はそこに委しく云るを。こゝに思合せて知べし。大凡に見過すべき事にあらず。○因以名兒。上に産屋作る事も。鵜羽を以て葺しこともなければ。すべて此神の御名(ノ)義。何の由とも通えぬがごと(1001)し。されば因以名と云ること。こゝに由なし。後に誤りし文とも見えねば。此は漢文に改むる計。あまり省き過て。かゝるさまにはなりけむかし。【但し上にも云る如く。以v草裹v兒とあるを。鵜草なりとする時は。此文もよく聞えたり。】○彦波瀲武※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合尊。記には。天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命とあり。御名義。彦も武も美稱。波瀲は波の打寄る際なり。和名抄に。韓詩注云。一(ヒハ)溢(レ)一(ヒハ)否(ラザルヲ)曰v渚(ト)。和名奈木左。とあり。【名義は浪磯《ナミソ》か】一書に。以(テ)2眞床覆衾(ヲ)1。裹(ミテ)2其兒(ヲ)1置(ク)2之(ヲ)波瀲(ニ)1。【記にも於2其海邊(ノ)波限1。以2鵜羽1爲2葺草1。造(ル)2産殿1。とあり。】※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合は。一書に。彼海邊産屋。全用2※[盧+鳥]※[茲+鳥](ノ)羽(ヲ)1爲v草葺v之。而甍未(タ)v合時。兒即生。とあり。此の由を以て。如此名け奉れるなり。記傳云。俊成卿の古來風體抄に。此御名をうのはふきあへずのみことゝ書きたり。【鵜葺草を。うのはとあるは。わろけれど。】不合を阿閇受と云る甚宜し。必古き據ぞありけん。是に從ひて訓べし。阿波世受を約めて。阿閉受と云は古言なり。さて凡て屋を葺には。此方彼方の軒より葺上りて。棟にて葺合せて。終ることなる故に。葺(キ)終るを。葺(キ)合すとは云なり。【うがやを水鏡に。うのかやとしるせるは。むかし然もよみたりしにや。】とあり。さて此御名拾遺には。彦瀲尊とのみもあり。かくて第三一書に。既兒生之後。天孫就而問曰。兒名|何稱者《ナニトツケバ》當可乎。對曰。宜v號2彦波瀲武※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合尊(ト)1。言訖(テ)乃渉(テ)v海徑(ニ)去。とあり。又皇孫本紀に。初豐玉姫命別去之時。恨言既切。云々誕2生彦波瀲武※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合尊(ヲ)1。次(ニ)武位起《タケクラオキノ》命。【大和國造等祖】と見え。また此前文に。遣2女弟玉依姫命(ヲ)1。以來養。即|爲御《メシテ》生2一(ノ)兒1。則武位起命。ともあり。此(ノ)二(ノ)傳どもに。舊事紀を記せりし比まで。傳はりし古書を採て。記せるなるべけれど。餘《ホカ》に照し合はすべき傳なくて。姉弟何れとも。御母は定めがたけれど。亦(ノ)子なることは一の(1002)傳なるべし。【されど疑はしきよしあり。さるは武位起命まことに天孫の御子ならば。姓氏録に。其子孫を天孫の部に入べきに。地祇部に入たるいかゞなり。】但し玉依姫命は。後に茸不合尊の后と成玉へれば。火々出見尊の御《メ》し玉へる説は。謬なるべし。【さて神武紀なる。椎根《シヒネ》津彦と云人は。この武位起命の子なる事。國造本紀に見えたるを。かの御卷に引て云ることあり。】
 
後(ニ)久(ク)之《マシ/\テ》彦火々出見尊|崩《カミアガリマシヌ》。葬《ヲサメマツル》2日向(ノ)高屋《タカヤノ》山(ノ)上《ヘノ》陵(ニ)1。
 
久之。記に。日子穂々手見命者。坐2高千穗宮(ニ)1。伍佰捌拾歳。とあり。高千穂(ノ)宮は。記の白檮原宮段の初にも。坐2高千穗宮(ニ)1而云々。とあれば。彼(ノ)御世まで。御世々々。此宮に坐々しなるべし。【されど。神代に高千穂宮と申すは。大隅日向の内に。處々にありて。一處にあらじと云る。或人の考は。さることゝおぼゆるを。尚よく考べき事なりかし。】抑瓊々杵尊。高千穗峯に天降坐て。其より笠狹之御崎に。宮敷坐せりし也と。上に見えたる如くなれば。此高千穂宮と申すも。即彼(ノ)笠狹御碕なる宮なるべく。おもはるれど。此は別にして。【笠狹御碕は薩摩國なり。】高千穂山に近き地の。宮名なるべくおぼゆ。さて其高千穗は。風土記に云る。日向國臼杵(ノ)郡智保郷なるにはあらで。諸縣郡なる霧島山の地なり。【此山を高千穗峰と云しこと。既に云り。】此宮の蹟は。式。大隅國姶羅郡鹿兒島神社。今も國府郷にありて。彦火々出見尊を祭ると云り。高千穗宮は。此御社の邊に在し事。彼神官等が古記に見えたるよしなるは。さることなるべし。【なほ此事は。下の陵の下に云べし。】かゝれば。初瓊々杵尊は。笠狹御崎なる宮に坐々しを。火々出見尊に至て。この高千穗宮に遷り坐しゝにこそはありけめ。さて又伍佰捌拾歳とあるに附て論(ヒ)あり。さるはまづ神代の年(1003)數のこと。記にかく見えたる外は。更に見所なければ。【神武紀に。自2天祖降跡1以逮2于今1。一百七十九萬二千四百七十餘歳とあるは。三御代の總ての年數なれども。此は後人の※[手偏+讒の旁]入なること。その御卷の注に。委く云るを見るべし。】いかにとも。今知べからぬが如くなれども。よく思ふに。大己貴少彦名(ノ)神世は更にもいはず。皇御孫命の御天降坐る頃とても。いと/\長く。幾百千歳と限知られず坐にけむ事は。神代の御蹟を。考奉りても知られたり。さるを彦火々出見尊。坐2高千穗宮(ニ)1五百八十歳。と記に見えたるは。始て年數の知られたるが如くなれど。これも實數にはあらず。其は重胤説云。彦火々出見尊に。五百八十歳と云も。五百は五百箇御統。五百箇眞坂樹。千秋長五百秋之水穗國。又萬葉に五百萬千萬神。又五百夜。又五百代小田。など云ふ五百にて。數百と云義なり。八十は八十神。八十人。八十年。なと云にて。此も數十《ヤソ》と云事也けるに。例して思ふに。數百數十歳と云事にて。限れる數量には非る如く聞ゆれば。實に瓊々杵尊より。御三代の年數は。古より知られざりし也けり。若是を實數と云てむには。葺不合尊などは。其より近く御坐せば。傳(ハ)るべきに。然らぬを以ても。右は唯大凡の數にて。吾田笠狹宮より、。高千穗宮に。遷都の事御坐し御事を云むとて。其宮に數百敷十歳。御坐し由を書せるのみにこそ有けれ。其實は此に久之と有に。意味は然《サ》して異らざりける者なるぞかし。と云れたる。此説誠に然るべし。○日向高屋山上陵。式に日向高屋山上陵。彦火々出見尊。在2日向國1無2陵戸1。とあり。記には。御陵者即在2其高千穗山之西1。と其方角を記されたり。さて今世高屋陵と申傳ふる所。大隅國内に二所あり。【上の一書に出たる竹屋は。薩摩國阿多郡にて。此と異也。まがふべからず。】一所は。肝屬郡|内《ウチノ》浦郷|北方《キタガタ》村。國見《クニミノ》嶽(1004)の巓に在といひ。【和名抄に。肝屬郡に鷹屋郷あり。】又一所は。姶羅郡【近世姶を始に誤て。シラと唱ふるは。非なる事論なし。】溝邊(ノ)郷麓村の北方。神割《カミワリノ》岡に在と云り。【或説に。此崗龜割岡と云しを。近き頃神割と改めたるなりと云り。よく尋ぬべし。】薩摩國人白尾國柱の神代山陵考。後醍院眞柱の神代三陵志には。國見嶽を御實跡《マコトノミアト》と定めて。其考證を擧たれども。國見嶽は高千穂山【今云霧島山なり。】の南に當りたれば。古事記に西と有るに叶はず。且其距離も甚遠し。【直徑十里許ありと云り】神割岡は高千穂山の西に當りて。方位記文に叶へるが上に。距離も近し。【直徑三里許ありと云り】是に依て同國人田中頼庸。高屋山陵考を著して。先輩の説の允當ならざるを辨じ。彼神割岡是(レ)實の御跡なるを論じたり。二所ともに。確たる徴證はあらぬよしなれども。近き頃溝邊村なる方に依て。作れる山陵(ノ)勘文あり。其大概を取捨して云はゞ。此山陵は。大隅國姶羅郡溝邊郷麓村なる。鷹屋神社の北方。神割(ノ)岡と云ふ地に在て。其絶頂の上は。圓形なして。高さ直立の度數。凡十四五間許もあるべく。半腹より下は。漸々に廣らかにして。麓の周(リ)は十町ばかりもあるか。低き岡山。畝々《ウネ/\》立ち列りて。其間に神割岡は。一際高く秀で立り。さて高千穂山は。正東の方に當りて。遠く聳えたり。土人の説には。距離直徑二里餘なるべし。とも云り。かくて山陵の西南。六七町許の處に。高屋谷を初めて。崎森村の高野。國府郷小田村の高野。加治木郷の高井田村。など云地名も。遺りぬれば。古の鷹屋郷は。かの溝邊加治木の郷より。國府小田村の邊までを。係たる兆域なること。思ひ辨ふべし。さて鷹屋郷は。和名抄に肝屬郡に載たるを。今姶羅郡の溝邊。加治木。國府。小田村の邊を。古の鷹屋郷と定むる由は。抄に此大隅國八郡(ノ)名次。互に錯りて。(1005)地形に相合はざる上に。姶羅郡なる四郷と。肝屬郡(ノ)四郷と。前後相錯れりし證あり。そは其四郷の見えたる内に。鹿屋は今現に肝屬郡の中央にあるにて。其序の相錯れりし事を思ひ定むべし。【武郷云。なほ此餘にも云る説もあれど漏しつ。必竟は肝屬郡なる鷹屋は。姶羅郡なるが錯《マギ》れたらむ。と云傍證のみなればなり。】况て國府郷なる鹿兒島神社も。此山陵の南方。直徑二里許の地に在て。式にも載られし。國内第一の大社なるが上に。祭神さへ日子穗々出見命に坐ませば。此大御世に。天下知しめしより高千穗の大宮地は。决めて御社の邊なる事は。彼の神官等が古書にも。記してあるは。言ふも更にて。太古よりおしなべて。山陵は。其大宮處を距る事。遠からぬ例なればなり。神割岡南六町の處に。鷹屋神社あり。此近き村里の鎭守として。齋かれ坐り。宿昔は此の絶頂に。宮敷まして。鷹屋大明神と稱へ奉りしと。土人の口碑に云傳ふ。正保六年の棟札に。神殿造營成功の始末を記せり。今も土人は悉く。御《オ》鷹屋樣と言ぬものなければ。これも舊くより。山陵の號に言ならへるまゝに。後には御社の稱にも。轉れるものと知るべし。さて紀にも式にも。山上とあることは。山のへと訓む例にて。山(ノ)方山(ノ)邊など云と同例なれば。此高屋(ノ)郷中。今の溝邊のあたり。岡山多き地なれば。うちまかせて。高屋(ノ)山邊とは記し傳へたるなり。さて又かの國見岳を。高屋陵ならむと云説は。今より百八十年前。元禄年間に。或者の云出たる臆説にて。慥かに聞傳へたる事あり。且高千穗の南方にあたりて。古傳の方位に叶はざれば。論ずるまでもなく。溝邊と雖も。是ぞ確證と取出べき節は見えざれども。頼庸の論辨する所。實に爭ひがたくもあり。【これまで勘文大略なり】と云へり。今はこの溝邊(1006)村なる方。高屋山陵と御定に成たる由なり。吾等もとより地理にも暗ければ。今何れを是とも定めがたけれと。姑く公の御定に從ひて。猶後の考を待になむ。さて此陵は。大隅國なるを。日向とあるは。上に云る如く。上代には大隅薩摩までかけて。日向國と云しことありつればなり。【神武紀に。日向(ノ)國吾田(ノ)邑とあるも。可愛(ノ)山陵の可愛も。みな地名なるを以ても知るべし。
 
(1007)日本書紀通釋卷之二十一       飯田 武郷 謹撰
 
〔第一一書〕
一書曰。兄火酢芹命能得2海(ノ)幸(ヲ)1。弟彦火々出見尊(ハ)能(ク)得(タマヒキ)2山(ノ)幸(ヲ)1。時(ニ)兄弟《アニオト》《オモホシキ》3互(ニ)易《カヘント》2其(ノ)幸(ヲ)1。故兄(ハ)持《モチテ》2弟之幸弓《ミオトノサチユミヲ》1入(テ)v山(ニ)覓《マクニ》v獸《シヽヲ》。終(ニ)不v見(タマハ)2獸之乾迹《シヽノカラトダニモ》1。弟(ハ)持2兄(ノ)之|幸鉤《サチチヲ》1入v海(ニ)釣(ル)v魚《イヲヽ》。殊(ニ)無(シ)v所(ロ)v獲《ウル》。遂(ニ)失(フ)2其(ノ)鉤(ヲ)1。是時(ニ)兄還(シテ)2弟《オトノ》弓矢(ヲ)1而|責《ハタル》2己鉤《オノガチヲ》1。弟患(テ)之。乃(チ)以(テ)2所帶横刀《ミハカセルタチヲ》1作(テ)2新鉤《ニヒチヲ》1。盛《モリテ》2一|箕《ミニ》1與(ヘタマフ)v兄(ニ)。兄|不《ズシテ》v受(ケ)曰(ハク)。猶(ホ)欲2得《エムト》吾(ガ)之|故幸鉤《モトノサチヲ》1。於是《コヽニ》彦火々出見尊不v知(ラ)v所(ヲ)v求《モトメム》。但|有《マス》2憂吟《ウレヒサマヨヒ》1。乃|行《ユキツヽ》《イタリテ》2海邊《ウミヘタニ》1。彷徨嗟嘆《タヽズミナゲキタマフ》。時有2一(リノ)長老《オキナ》1。忽然《タチマチニ》而至(ル)。自|稱《ナノリテ》2鹽土老翁(ト)1。乃問(テ)之|曰《マヲサク》。君(ハ)是(レ)誰(レゾ)者。何(ノ)故(ニ)患(マス)2於|此處《コヽニ》1乎。彦火々出見尊具(ニ)言《ノリオタマフ》2其(ノ)事《アルカタチヲ》1。老翁即取(テ)2嚢(ノ)中玄櫛《ナカノクログシヲ》1投《ナゲシカバ》v地(ニ)。則|化2成《ナリヌ》五百箇竹林《イホツタカハラニ》1。因(テ)取(テ)2其(ノ)竹(ヲ)1。作(テ)2大目麁籠《オホマノアラコヲ》1。内《イレマツリテ》2火々出見尊(ヲ)於籠(ノ)中(ニ)1。投《シヅム》2之于海(ニ)1。一云(ク)。以(テ)2無目堅間《マナシカツマヲ》1爲《ツクリテ》2浮木《ウケキニ》1。以(テ)2細繩《ホソナハヲ》1繋2著《ユヒツケマツリテ》(1008)々出見(ノ)尊(ヲ)1而|沈《シヅム》之。所謂堅間(ハ)是(レ)今(ノ)之|竹籠也《タケノコナリ》
 
不見獣之乾迹。獣を取得ぬことはさらにもいはず。獣の踏たる迹をだに見ず。となり。乾迹は乾《カ》れたる迹《アト》にて。獣の居らぬのみならず。蹈たる迹だになきをいふ。○猶欲得吾故幸鉤。故字本に之と作り。今は永享本に依る。記に云3猶欲v得2其(ノ)正本《モトノ》鉤1とあり。記傳に。猶は左右に償ふを聽ずして。其は猶|不欲《イナ》といふ意より。云る言にして。押てひたぶるに乞(フ)意になるなり。【俗言に是非とも。どう有ても。と云意になるなり。さて物語文などに。物を彼此といろ/\に。試み考へて。他は何れも宜しからず。猶此こそ宜しけれと。終に一に思定むる處に云る猶も是也。】又云(ノ)字の上にある意として。猶云と見ても通ゆ。【其時は。よのつねの猶なり。】と云り。○嚢中玄櫛。嚢は物を入れて。從者に持せもし。【大國主命。八十神の※[代/巾]を負ひ。供人となり給ひしこと。記に見えたり。】自らも持ありくものなり。今もぬさ※[代/巾]。はなかみ※[代/巾]など云る。古の遺風なり。玄櫛いかなる櫛にや。たゞL色の黒きのみを云るか詳ならず。さて櫛を投しかば。五百箇竹林となりしこと。上卷伊弉諾尊の櫛を投たまへば。筍成しに同じ。【また上に。吾田鹿葦津姫の御子産給ふ時。其|所棄《ステシ》竹刀終成2竹林1。といふことあり。】○大目麁籠は。目のあら/\と。大きなる籠也。記中卷に。取2其|伊豆志《イツシ》河之河島之|節竹《ヨダケヲ》1而。作2八目《ヤツメ》之荒籠(ヲ)1。とあり。さて加都麻と云を。凡て籠の古名と心得て。この麁籠をさへに。阿良加都麻と訓は非なり。麁きをかつまとは云べきよしなし。許《コ》と云ぞ。本より總名にはありける。【此事已(ニ)上に云り】○浮木は。船なり。第三(ノ)一書に。無間堅間(ノ)小船とあるに同じ。源氏物語に。いくたびか行かふ秋を過しつゝ。浮木《ウキヽ》に乘てわれ歸るらむ。とあり。和名抄※[木+査]又作v査。水(1009)中(ノ)浮木也。和名浮木。とあり。【こは水中の浮木とあれば。船にはあらず。佛經に。大海中。盲龜値2浮木(ノ)孔1。とある浮木に同じ。孝徳紀に。越(ノ)國言。海畔枯査。向v東移(リ)去。沙上有v跡。如2耕v田状1。と云ることあるも。船には非ず。】○以細繩繋着。道路の間。その籠の中より。離れ出ざらしめむが爲なり。○所謂堅間云々。堅間の竹籠なることは。昔も今もいとよく知られたるを。かく注せるは。後人の書入なるべし。或校合本に。禁本此十字作2小字1とあり。さては本文ならぬこと。いよ/\あきらけし。【縣居翁云。蓋後人※[手偏+讒の旁]入當v刪。と云へり。】
 
于v時海(ノ)底《ソコニ》《オノヅカラニ》有2可怜小汀《ウマシヲバマ》1。乃|尋《マニ/\》v汀《ハマノ》而|進《イデマセバ》。忽(ニ)到(リマス)2海(ノ)神豐玉彦之宮(ニ)1。其(ノ)宮(ハ)也|城闕崇華《カキヤタカクカザリ》。樓臺壯麗《タカドノウテナサカリニウルハシ》。門(ノ)外《トニ》有v井。井(ノ)傍《カタハラニ》有2杜(ノ)樹1。乃就(キテ)2樹下《コノモトニ》1立(チタマフ)之。良《ヤヽ》久(シテ)有2一|美人《ヲトメ》1。容貌《カホ》《スグレタリ》v世(ニ)。侍者群從《マカダチムレシタガヒテ》。自v内而|出《イデ》。將《・シテ》(ニ)d以(テ)2玉壼《タマモヒヲ》1汲《クマムト》uv水(ヲ)。仰(ギ)2見(ツ)火々出見尊1。便(チ)以驚(キ)還(リテ)。而白(シテ)2其父(ノ)神(ニ)1曰(ク)。門(ノ)前(ノ)井(ノ)邊樹下《カタハラノコノモトニ》有2一(ノ)貴客《ヨキマラヒト》1。骨法非常《カタチタヾヒトナラズ》。若(シ)從v天降(レラバ)者。當《・ベシ》(ニ)v有2天垢《アメノカホ》1。從v地來(レラバ)者。當(ニ)v有2地(ノ)垢《カホ》1。實《マコトニ》是(レ)妙美《マグハシ》之。虚空彦者歟《ソラツヒコトイフモノカ》。一云。豐玉姫之|侍者《マカダチ》以(テ)2玉(ノ)瓶《ツルベ》1汲(ム)v水(ヲ)。終(ニ)不v能v滿《ミツルコト》。俯(シテ)視(レバ)2井(ノ)中《ナカヲ》1。則|倒2映《サカサマニウツレリ》人(ノ)笑《ヱメル》之顏1。因以仰觀(レバ)有《マシテ》2一(ノ)麗《カホヨキ》神1。倚《ヨリタテリ》2於杜(ノ)樹(ニ)1。故還(リ)入(テ)白(ス)2其(ノ)王《キミニ》1。
 
海神豐玉彦。名義。豐は稱辭。玉はかの潮滿瓊潮涸瓊を有てるによれる。御名なるべし。姓氏録に。(1010)右京神別。安曇宿禰。海神綿積豐玉彦神子|穗高見《ホダカミノ》命之後也。また八太(ノ)造。和多罪豊玉彦命兒。布留多摩乃《フルタマノ》命之後也。といふこと見えたり。重胤云。布留多麻は振《フル》玉にて。瑞珠盟約章に瓊響※[王+倉]々《ヌナトモモユラニ》と云が如く。又豐玉彦命。豊玉姫命。玉依姫命などの。玉なるが。此は玉を以唯稱奉るならず。實に玉を以。奇異なる神業を成し給ふ事。海宮章を以知べし。と云リ。○侍者。記に此を從婢と書り。又欽明紀に從女。遊仙窟に婢。また侍婢など。みな然訓り。吉義は。記傳に。前子等等《マヘコラタチ》の意なるべし。【幣を省き。古良を切て加と云ふ。】天皇の御前に候ふ臣等を。前つ君と云と。意ばへ似たり。子等とは女を云ふ古言なり。萬葉の歌に多し。【子等とは。一人をも云へば。良多知と重なること妨なし。】と云り。今按ふに。眞子等《マコダチ》の意なるべし。眞子は。今の俗によき子と云ふが如く。此も豊玉姫の從女の。みな容貌よきを云るなるへし。萬葉十九に鶯之宇都之眞子可母《ウグヒスノウツシマコカモ》。二十に宇都久之氣麻古我弖波奈禮《ウツクシキマコガテハナレ》云々。これ眞子と云例なり。○汲水。今本玉水とあるは衍なり。延喜本。丹鶴本。永享本。纂疏本。其他の古本に依て刪る。○一貴客。客は佛足石(ノ)歌に。麻良比止《マラヒト》とあり。希人《マレヒト》の意なり。後にはまれひとゝ云り。○天垢地垢は。舊訓に依べし。【又延喜本北野本明應本の訓に。垢をカタチとよめり。それもあしからず。又秘閣本にはアマノカホと訓り。】重胤云。迦本は名義|氣表《カホ》なり。氣を迦と云。香《カ》に同じ。萬葉二|香青《カアヲ》。五に迦具漏岐《カグロキ》など。青にも黒にも。上に迦の言を冠て云は。青にまれ。黒にまれ。其色の甚しき時は。其|氣韻《ニホヒ》の出て。邊りも青く黒くみゆばかりなるが故に云て。香の語と本一なるなり。人の面を迦富と云も然り。人身の氣《ケ》即|表《ホ》に出てみゆる故の名にて。迦は香に同じ。【垢字玉篇に。不潔也塵也。とあれど。こゝは文選に。垢俗と云ることあるなどに借有ならん。垢俗とは染《シミ》付たる自然の俗と云意か。】○妙美は。眞奇愛《マクハシ》の義にて。稱美辭なり。萬葉集に花細《ハナクハシ》名細《ナクハシ》などよめる。細の意みな同じ。○虚空彦者歟。天より降れる神にもあらず。地より來れる神にも非ずと云るより。其天と地との中間なる。虚空彦にますにやあらむと云て。虚空をいと貴きものに云る意なり。記に爾(ニ)海神自出見云。此人者。天津日高之御子。虚空津日高《ソラツヒダカニマス》矣。といへることあり。【また鹽椎(ノ)神來問曰。何(ニゾ)虚空津日高之泣患云々。また今天津日高之子。虚空津日高。爲將v出2幸上國1云主々。などもあり。】此は記傳に。谷川氏云。天津日高(ハ)者。天子之稱。虚空津日高者。太子之稱(ナリ)。と云り。信然るべし。其故は。先(ヅ)邇々藝命。穗々出見命。鵜葺草葺不合命。みな天津日高と申せる。これ天津日嗣所知看せるうへの大御稱なり。かくて此は穗々手見命。いまだ皇太子にて。坐ほどなるが故に。天津日高之御子と申せり。【此にては。天津日高は。此尊の稱にはあらず。】さて其を虚空津日高と稱す所以は。虚空は。天と地との中間なる故に。天津日高に亞て。尊み申す御稱なるべし。【常に通はして。天とも蘇良といひ。虚空をも阿米と云ことも多きは。地よりいへば。虚空も天の方なればなり。故世の言には。上を蘇良と云こともあるなり。】神功卷に。於《ニ》v天《アメ》事代《コトシロ》。於《ニ》v虚《ソラ》事代《コトシロ》云々。これ天と虚空とを。別(ケ)言へる例なり。然るに此に。從v天降(レラバ)者。當v有2天(ノ)垢1。從v地來者。當v有2地垢1。實是妙美之。虚空彦者歟。とあるは。いたく異なれども。虚空彦と云稱。又虚空を天と地との間に取れるなどは。此に似依れることなり。【書紀の意は。天(ノ)垢もなく。地(ノ)垢もなしと云て。虚空を殊に勝れたる意に取れるものなり。然れば記の虚空津日高も。その意かともいふべけれど。記には天津日高と申す。至て尊き御稱ありて。其御子とあれば。其に亞る御稱なること論なし。然れば虚空を。天と地との中間にとれることは同くて。其中間を亞《ツゲ》るかたに取ると。勝れたる方に取れると異なり。】と云れたるがごとし。○一云云々。此は侍者ばかり出て。水を汲しなり。記の趣もおなじ。○終不能滿。いかなるよしにて。水の滿がたかりしにか。詳ならず。【次に試み云り】○倚於杜樹。山蔭云。こは古事記また次なる一書の(1012)如く。皇御孫命は。杜(ノ)樹(ノ)上に登りて坐せりし故に。豐玉姫其影の。井(ノ)水に映れるを見給へるなり。然るを倚とあるは。いかにぞや。もし樹に倚て坐したらむには。水底の影よりさきに。まづ直に其御形をこそ見奉るべけれ。影を見て。始て知たるはいかゞ。さる事あるべくもあらず。擧v目視v之といひ。仰觀といへるも。水の影を見て。樹の上を仰ぎ見たるにてこそ穩當なれ。と言れつるは。さる言なり。○白其王。王は海神を指て云るなり。記にも我王と書り。【記傳云。伎美と云に。王字を書るは。佛書の海龍王を思へるにや。こは皇國を離れて外なる域なれば。王と云まじきにも非るが如くなれど。なほ古文には。かゝる處には。いかゞなる文字遣なり。と云れたり。】さて此處。記には。豐玉※[田+比]賣之|從婢《マガタチ》持2玉壺1。將v酌v水(ヲ)之時。於v井有v光《カゲ》。仰見者。有2麗(キ)壯夫1。以爲2異奇1。爾火遠理命見2其婢1。乞v欲《シメヨト》v得v水(ヲ)。婢乃(チ)酌v水。入(テ)2玉器1貢進。爾不v飲v水。解2御頸之|※[王+與]《タマヲ》1。含(テ)v口(ニ)唾2入其(ノ)玉器(ニ)1。【この紀に。汲v水終(ニ)不v能v滿。とあるも。同じさまの事と見えたり。】於v是其|※[王+與]《タマ》著v器(ニ)。婢不v得2離※[王+與](ヲ)1。記傳に。如此玉を御口に含まして。睡出し賜ふは。いかなる由にかあらむ詳ならず。若くは玉を器に着て。離れざらしむる術にやありけむ。神代にさる類の術をり/\見ゆ。さて然此玉を器に着て。離れざるべく爲玉ふは。必海神の女に見せ玉はむとてなり。其は此玉尋常の餝の玉とは。遙に絶れて。美麗きをみて。凡人に非ることを知しめむための御所爲なるべし。なほよく考べきことなり。と云り。】故※[王+與]|任《ナガラ》v著《ツケ》以進(ル)2豐玉毘賣命(ニ)1云々。爾豐玉毘賣(ノ)命思v奇(シト)出見(テ)。乃|見感《ミメデヽ》、目合《メクハヒシテ》而白2其父1云々。とあり。これによりて按ふに。水を滿しめ給はざるは。さる術を爲給ひて。海神女の奇み驚きて。出(テ)見給はむことを。おぼしての御所爲にもあるべし。
 
於是豐玉彦|遣《マダシテ》v人問(テ)曰《マヲサク》。客(トハ)是(レ)誰(ゾ)者。何(ノ)以《ユヱニカ》《イデマセル》v此(ニ)。火々出見尊對(テ)曰《ノタマハク》。吾(ハ)是天神之|孫《ミコナリ》也。乃(チ)遂(ニ)言《ノタマフ》2來意《ミタセルミコヽロヲ》1。時(ニ)海(ノ)神迎(ヘ)拜(テ)延入《ヒキテイレマツリ》。慇懃(ニ)奉v慰《ツカヘマツリテ》。因(テ)以2女《ミムスメ》(1013)玉姫(ヲ)1妻《アハセマツル》之。故|留2住《トヾマリタマヘルコト》海(ノ)宮(ニ)1。已(ニ)經《ナリヌ》3三載(ニ)1。是後火々出見尊|數《シバ/\》有2歎息《ナゲキマスコト》1。豐玉姫問(テ)曰(ク)。天孫《アメミマ》《モシ》《オモホスカ》v還(ムト)2故郷《モトノクニヽ》1歟。對(テ)曰《ノタマハク》。然(リ)。豐玉姫即|白《マヲシテ》2其父(ノ)神(ニ)1曰。在《マシマス》v此(ニ)貴(トキ)客|意3望欲《オモホセリ》還(ラムト)2上(ツ)國(ニ)1。海(ノ)神於是|惣2集《スベツドヘテ》海魚《ウミノウヲドモヲ》1。覓(メ)2問(フ)其鉤(ヲ)1。有2一(ノ)魚1。對(テ)曰(ク)。赤女久(ク)有2口(ノ)疾1。或(ハ)云2赤鯛(トモ)1。疑(ハシ)是(レガ)之呑(ルカ)乎。故即召2赤女(ヲ)1見(レ)2其口(ヲ)1者《バ》。鉤猶在v口。便得(テ)v之(ヲ)。乃以|授《タテマツル》2彦火々出見尊(ニ)1。因(テ)教(ヘマツリテ)之曰(ク)。以v鉤(ヲ)與(ヘタマハム)2汝《イマシミコトノ》兄(ニ)1時。則|可詛言《トコヒテイハマク》。貧窮之《マチノ》本。飢饉《ウヱ》之始(メ)。困苦之根《クルシミノモトヽノタマヒテ》。而後(ニ)與(ヘタマヘ)之。又|汝《イマシミコトノ》兄渉(ラム)v海(ヲ)時(ニ)。吾必|起《タテヽ》2迅風洪濤《ハヤチオホナミヲ》1。令《シメム》2其(ヲ)沒溺辛苦《オボラシタシナマ》1矣。於是|乘《ノセマツリテ》2火々出見尊(ヲ)於|大鰐《ワニヽ》1。以|送2致《オクリマツル》本郷(ニ)1。
 
遣人問曰。第三の一書にては。侍者の事もなくて。至2海神之宮(ニ)1。是時海神自迎(テ)延入。とあり。また本書には。延内之とあり。第二の一書には。迎入とあり。此は共に自(ラ)迎へ給へりや。人して迎へたりや。詳ならぬを。こゝに遣v人云々とあるは。異なる傳なり。また第四の一書には。豐玉姫の侍者云々。入(テ)告2其王(ニ)1曰云々。海神聞之曰。試《コヽロミニ》以(テ)察《ミムトイヒテ》之。乃設2三(ノ)床(ヲ)1請入(ル)。於v是天孫於(テハ)2邊《ホトリノ》床(ニ)1。則|拭《ヌグヒ》2其兩(ノ)足(ヲ)1。於2(1014)中(ノ)床(ニ)1。則|據《オシ》2其兩(ノ)手(ヲ)1。於2内(ノ)床(ニ)1。則|寛2坐《ウチアグミイタマヒキ》於眞床覆衾之上(ニ)1。海神見v之。乃知2是(レ)天神之孫(トイフコトヲ)1とあり。○迎拜。記傳云。拜と云は。推古卷に。烏呂餓彌弖《オロガミテ》。兎伽倍摩都羅武《ツカヘmツラム》。とある。【私紀に。謂v拜爲2乎加無1。言2乎禮加々無(ト)1也。といへり。】呂を省ける言にて。身を屈めて。匍伏(フ)よし也。萬葉三に。四時自物伊波比拜《シヽジモノイハヒヲロガミ》。【伊(ハ)發言也】とあると。同二に。鹿自物伊波比伏管《シヽジモノイハヒフシツヽ》。三に十六自物膝折伏《シヽジモノヒザヲリフセ》など。あるとを合せて。其状を知べし。【今世(ノ)俗には。袁賀牟と云は。たゞ掌を合すことゝ心得たるは。佛法の拜より云る非ごとなり。又尊むべき物を。見奉ることを。袁賀牟と云も。中昔までは無きことなり。】さて吾徒長瀬眞幸が云。上代の拜禮の義は。今(ノ)世俗人の禮|爲《ス》ると云|爲状《シザマ》の如く。僻て頭を下げて。兩手を衝て。拜しゝなるべし。一書に。彦火々出見尊海宮にして。云々於2中床1則|據《オシ》2其兩(ノ)手1と見え。推古紀十二年の詔に。凡出2入宮門1。以2兩手1押《オシ》v地。兩脚跪(キ)v之。越v※[木+困]則立(テ)行。と見え。漢ぶみ魏志の皇國傳にも。傳v辭説v事。或|蹲《ウヅクマリ》或跪(キ)。兩手據v地。爲2之恭敬(ト)1。と云り。此らを見るに。手を據を。敬ひとしたりしこと知られたり。然るに續紀に。文武天皇慶雲元年正月始て。停2百官跪伏之禮1。とあり。是よりぞ朝廷の拜は。漢風になれりけん。然れども。同四年十二月の詔に。往年有v詔停2跪伏之禮1。今聞内外廳前皆不2嚴肅1。進退无v禮。陳答失v度云々。宜(ク)自今以後嚴(ニ)加2糺彈1。革2其弊俗(ヲ)1。使v靡2淳風(ニ)1。とあるを見れば。上代よりならひ來し禮の。止がたかりし也。官人等すら然れば。况て民間の拜は。制もなくて。今に至るまで。上代のまゝに。兩手據地跪伏《テヲツキウツブ》す拜の。傳はり來ぬるにて。かの笏を持て。起居して拜むは。中々に後に。漢風をまねび玉へるもの也。今の民俗の拜ぞ。上古の拜みにはありける。と云り。まことに然ることゝおぼゆ。【然るに今世も。神を拜むさまは。かの漢風に(1015)近きは如何と云に。そは昔より。僧どもの佛を拜むさまを。教へたるまゝに。其より神を拜むにも。移りたるものなり。今も賤きものは。神をも。合掌て拜むを以て知べし。】○白其父神。本に其字なし。今安倍本に因て補ふ。○上國。記傳云。海神宮は海底にして。此御國は上なるが故(ニ)。如此云なり。鎭火祭詞に。吾|名妹《ナセ》能命波。上津國乎|所知食《シロシメス》倍志。吾波下津國乎|所知《シラ》牟止申弖。此は豫美國にて申給ふ御言なるが故に。此現國を上國と詔へり。豫美も。根(ノ)國底(ノ)國と云て。下方に在ればなり。とあり。○或云赤鯛。この四字永享本になし。通證重遠説に。註(スル)2一本(ヲ)1也とあり。【纂疏本には。赤女(ノ)下に分注としていだせり。】さもあるべし。【記傳云。赤鯛とあるも。即よの常の鯛にて。黒鯛の類もあるに對へて。赤字は添たるものなりとあり。なほ鯛の事は上に云。】○授彦火々出見尊。此彦字あるべくもおぼえず。と山蔭に云り。○因教之曰云々。此言すこしゆくりなく聞ゆ。上文の海神於是下に。謂2火々出見尊1曰。天孫若欲v還v郷(ニ)者。吾當v奉v送乃。と本書にある如くなる文あらまほし。○貧窮之本云々。皆詛言也。本《モト》始《ハジメ》根《ネ》と。同じ言をかくかへて言へるは文(ノ)章なり。【纂疏に。貧窮(ハ)謂v無v衣。飢饉(ハ)謂v無v食。困苦(ハ)謂2疾患1。とあるは。鑿説なり。】○迅風洪濤は。第四(ノ)一番に。兄入v海釣時。天孫宜(ク)在(テ)2海濱(ニ)1以|作《シタマヘ》2風招《カザヲギ》1。風招(ハ)即嘯也。如此則。吾起2瀛《オキツ》風|邊《ヘツ》風(ヲ)1。以2奔波《ハヤナミ》1溺悩(サム)。とある傳を。甚く省きたるなり。平田翁もはやくしか云れたり。さて此一書は。潮滿瓊潮涸瓊の事は。本よりなかりしものなるべし。故(レ)迅風洪濤を起すとあるぞ。即それにあたれる。○令其没溺辛苦。嘉禎本其字なし。【没溺を秘閣本私記には。オホヽシと訓るも古言なり。下にもあり。】この一書は。かくのみありて。詛言のしるしありし事。又風濤を起てくるしめしことをば。總て略きて記せり。○乘於大鰐。第三(ノ)一書。又記には。一尋鰐とあり。こゝと異なり。
 
(1016)先v是(ヨリ)且《シタマフ》v別(ナムト)時(ニ)。豐玉姫從容(ニ)語《マヲシテ》曰。妾已(ニ)有身《ハラメリ》矣。當以2風涛壯《カゼナミハヤカラム》日(ヲ)1。出(デ)2到(ラム)海邊《ウミベタニ》1。請(フ)爲(ニ)v我(ガ)造(リ)2産屋(ヲ)1以(テ)待(タマヘ)之。是後豐玉姫果(シテ)如2其(ノ)言1來至《キタル》。謂《マヲシテ》2火々出見尊(ニ)1曰(ク)。妾今夜|當v産《ミコウマムトス》。請《コフ》勿v臨《ナミマシソ》之。火々出見尊|不《ズ》v聽《キコシメサ》。猶以v櫛(ヲ)燃(シテ)v火(ヲ)視《ミソナハス》之。時(ニ)豐玉姫|化2爲《ナリテ》八尋(ノ)大熊鰐《ワニニ》1。匍匐逶蛇《ハヒモコヨフ》。遂(ニ)以(テ)v見《ラレタルヲ》v辱(シメ)爲(シテ)v恨《ウラメシト》。則|徑《タヾニ》歸(ル)海郷《ワタツミノサトニ》1。留(メテ)2其(ノ)女弟《イロト》玉依姫(ヲ)1。持2養《ヒタサシム》兒1焉。所3以兒(ノ)名《ミナヲ》《マヲス》2彦波瀲武※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合尊(ト)1者《ハ》。以《ヨリテ》d彼(ノ)海濱《ウミヘタノ》産屋全(ク)用(テ)2※[盧+鳥]※[茲+鳥](ノ)羽(ヲ)1爲《シテ》v草《カヤニ》《フケルニ》之。而|甍未合《イラカフキアハセヌ》時※[人偏+爾]兒即|生《アレマセルニ》u焉。故(レ)因(テ)以|名《ナヅケタテマツル》焉。上國。此云2羽播豆矩※[人偏+爾]1。
 
以相待。本に相字无(シ)。今中臣本安倍本に因て補へり。○以櫛燃火。此は平田翁も云れたる如く。伊弉諾尊の黄泉國にて。ありし事の紛なるべく所思れば。餘の傳々に。此事のなき方然るべし。○化爲八尋大熊鰐。熊字こゝにはいかゞ。舊事紀になし。さらば衍ならむも知がたし。八尋は甚大きなる鰐なり。さて鰐に化爲《ナリ》坐るは。記に以2本《モトツ》國(ノ)形(ニ)1産生。とある則これなり。かゝれば記傳にも云れし如く。海神は皆實の形は魚なるを。人に交る時。假に人の形と。化爲居玉へるものとみえたり。されば魚ど(1017)もを集へて。鉤のことを問給ふ時も。人の形になりて集ひたりけむもしるべからず。下に見えたる一書にも。海神(ノ)所(ノ)v乘駿馬者。八尋鰐也云々。とあるも。人に見ゆる時は。馬の形に化りて。見えしものにあるべし。○匍匐逶蛇。【逶字本に透に誤る。環翠軒本及類史には逶※[しんにょう+施の旁]に作る。記には委蛇とあり。記傳云。字は委蛇とも。逶※[しんにょう+施の旁]とも。なほさき/”\に作て。義も種々ある中に。説文に。斜去(ノ)貌とあるなどや。こゝには近からむ。母許余布に用ゐたる意は。蛇などの行《ユク》貌に取れるなるべし。】記傳云。文選江賦に。神※[虫+戻]※[虫+温の旁][虫+論の旁]。と云る※[虫+温の旁][虫+論の旁]【注に行貌】をも。モコヨフと訓り。うつほ【樓上卷】に。逃て仆れもこよひつゝいけば。源氏【葵卷】に。大臣はえ立もあがりたまはず。かゝる齡の末に。若く壯の子に後れ奉りて。もこよふことゝ耻泣給ふ。などあり。さて此は。匍匐逶蛇をば輕く見べし。唯鰐に化給へる形状を云るのみなり。とあり。○留女弟玉依姫。本書また餘の一書どもに。はじめに將來たまへることあるを。こゝに其事見えず。されどこゝに。留2玉依姫1とあれば。本より將來たまへる傳なり。されど記には。然後者雖v恨2其伺情1。不v忍2戀心(ニ)1。因d治2養《ヒタシマツル》其御子(ヲ)1之縁(ニ)u。附2玉依姫1而献v歌。【第三一書に。遣2女弟玉依姫(ヲ)1以來養者也。とあるは同事ながら。此は二度來坐るなり。】とありて。此時來坐せりとする方然るべし。○用※[盧+鳥]※[茲+鳥]羽。紀傳云。鵜は上に出。此鳥羽をしも。葺草に用られし事。いかなる故にかありけむ。書紀釋に。今按※[盧+鳥](ノ)口喉廣(シ)。飲2入魚(ヲ)1。又吐2出之1。容易之鳥也。是以象2産生平安(ヲ)1。令v葺2此羽於産屋1者歟。と云り。かゝる故にもやあらむ。【漢籍に。此鳥不2卵生1。口吐2其雛1。故産婦執v之易v生。と云ることあり。或は不2卵生1と云は妄説なり。そは※[兒+鳥]鳥なりともいへり。】○爲草。記には葺草を加夜と訓り。記傳に。凡て加夜と云は。此字の如く。屋を葺く草を云へる名なること。上なる鹿尾野比賣(ノ)神の處に云るが如し。たゞ古(ノ)名と心得るは非なり。と云り。
 
(1018)〔第二一書〕
一書曰。門(ノ)前(ニ)有2一(ノ)好井《シミヅ》1。井(ノ)上《ホトリニ》有2百枝杜樹1。故(レ)彦火々出見尊跳(リ)2昇(リテ)其樹(ニ)1而立(チタマフ)之。于時海神(ノ)之女豐玉姫。手(ニ)持《モチテ》2玉鋺《タママリヲ》1。來(テ)將(ニ)v汲(ムト)v水(ヲ)。正(ニ)見(テ)3人影《ヒトカゲノ》《アルヲ》2於井(ノ)中《ナカニ》1。乃仰(ギ)視(テ)之。驚(テ)而|墜《オトシツ》v鋺(ヲ)。鋺既(ニ)破(レ)碎(ケヌレドモ)。不(シテ)v顧(リミ)而還(リ)入(テ)謂《カタリテ》2父母1曰(ク)。妾見(ツ)3一人《ヒト》《イマスヲ》2於井(ノ)邊《カタハラノ》樹(ノ)上(ニ)1。顏色《カホ》甚(ダ)美《ヨク》。容貌且閑《カタチミヤビタリ》。殆非常之人《ホト/\タヾヒトナラズ》者也。時父(ノ)神聞(テ)而|奇《アヤシミテ》之。乃|設《シキテ》2八重席《ヤハダヽミヲ》1迎(ヘ)入(レ)。坐定《ミマシシヅマリヌルトキ》。因(テ)問2來意《イデマセルミコヽロヲ》1。對2以《コタフ》情之委曲《アルカタチヲ》。時海神便(チ)起(シテ)2憐心《メグシトオモフミコヽロヲ》1。盡2召《コト/”\ニメシテ》鰭(ノ)廣鰭(ノ)狹(ヲ)1而|問《トハス》之。皆(ナ)曰《マヲス》2不知《シラズト》1。但(シ)赤女《アカメ・クチメ》有(リ)2口(ノ)疾1不《ズ》v來《マヰラ》。亦云口女有口疾〔七字□で囲む。〕即(チ)急召至《スミヤカニメシイタシテ》探(レバ)2其口(ヲ)1者。所失之鉤立得《ウシナヘルチタチドコロニエツ》。於是海神|制《イサメテ・セメテ》曰(ク)。※[人偏+爾]《オレ》口女從(リ)v今|以往《ユクサキ》。不2得呑《ナノミソ》《エヲ》1。又|不2得預《ナアヅカリソ》天孫之|饌《ミケニ》1。即(チ)以(テ)2口女魚(ヲ)1所2以不(ル)1v進《タテマツラ》供御《オホミモノニ》1者。此(レ)其(ノ)縁也。
 
百枝杜樹は。枝葉の多きを云ふ。湯都杜樹といふにおなじ。○人影在於井中。記には。於井有v光《カゲ》とあり。彦火々出見尊の樹上に坐す影の。井の水にうつりて。見えたまふなり。○鋺既破碎。本居翁説(1019)に。既は盡の意なり。【古事記序に。已因v訓述者云々。繼體紀に。全《スデニ》壞。萬葉十七に。天下|須泥《スデ》爾於保比底。布流雪乃。出雲風土記に。既(ニ)磯。これらのすでにも。みな盡の意なり。】と云へり。○其父母。其字本になし。永享本にあるに依る。○容貌且閑。美夜備《ミヤビ》は。紀中に風姿。また藻字などをよめり。宮振《ミヤブリ》の義なり。【布里の約。備なり。】邊雛にむかへて。宮都《ミヤコ》の人の姿の麗はしきより。云ることばなり。【比奈備は即鄙振なり。後には田舍びとも云へり。】○殆は。記傳云。殆は富登富登と訓べし。【下の登を濁るはわろし。】萬葉三に。吾盛又復將變《ワガサカリマタヲチメ》やも殆《ホト/\》に。寧樂(ノ)京師《ミヤコ》を不見か成なむ。七に。三幣帛取神《ミヌサトルミワ》の祝がいはふ杉原。燎木伐殆之國手斧《タキギコリホト/\シクニテヲノ》とらえぬ。十に。保等穗跡《ホトホト》妹に不相《アハズ》來にけり。十五に。還りける人來れりと云しかば。保等保登死《ホトホトシニ》き君かと思ひて。など有(ル)言の意は。邊々《ホトリ/\》にて。其近き邊《ホトリ》まで至る意なり。と云れたり。こゝも天孫のいと貴く坐て。尋常の人の如くは坐さず。ほと/\神人に近かるを。云るなり。○乃設。永享本設(ノ)上敷字あり。○赤女云々。此はもと口女とありしを。本書また上の一書にならひて。赤女とは寫誤れるなるべし。次の文には口女とのみあればなり。さて亦云口女云々は。一本によりて。又後人の注せるならむと。記傳にいはれしはさる説なりけり。さて口女は。下の一書に。口女即鯔魚なりとあり。名義。此魚口(ノ)疾あり。また口より鉤《チ》を出せるより。名に負へりしものとみえたり。伊勢風土記云(ク)。桑名郡市部(ノ)礒(ノ)海上多2口女1。而商民賣v之。中古以來。有2夢想之事1。而備2熱由之神膳1。其魚大者如v鯉(ノ)。細鱗長口。味(ヒ)尤美也。とあり。此魚のこと。第四(ノ)一書の下に云べし。○所失之鉤。本に鉤字の上に針字あり。いまは丹鶴本延喜本環翠軒本安倍本に依て削る。山蔭にも云れし如く。終に不v債2失針1といふ事のあるを以て。後の人さかしらに(1020)加へたる非事なり。【又按ふに。釣字の誤りにもあるべし。さるにても衍なる事は同じ。】○制。本の訓。セメテとあれど。私記又北野本に。イサメテと訓り。禁制の義なり。從ふべし。○※[人偏+爾]。記に須佐之男命の。大穴牟遲神を罵りて。意禮《オレ》爲2大國主神(ト)1。亦爲2宇都志國玉命(ト)1。云々|是奴也《コヤツヤ》。とあり。記傳に。意禮は人を賤め罵《ノル》稱なり。記中白檮原宮段に。兄宇迦斯をも罵りて云。日代宮(ノ)段に熊曾建をも云り。書紀に。右の兄宇迦斯を云るを。爾と云て。此云2飫例1とあり。又神代下卷敏達(ノ)卷などに。※[人偏+爾]《オレ》とも作り。【※[人偏+爾]は、爾と同じと。字書にあり。】枕册紙に。田植る女の謠へる歌に。郭公與《ホトヽギスヨ》。意禮《オレ》よ加夜都《カヤツ》よ。意禮鳴てそ。我は田に立。【此も女心に。田に立勞を苦て。郭公を詈たる詞なり。中昔の軍記などに。人を罵りて。夜意禮《ヤオレ》と云こと多し。是も夜は呼出す辭。意禮は此と同じ。又今俗言に罵て。起《タツ》をたちおれ。行《ユク》をゆきおれ。など云も。たておれゆけおれにて。こゝのおれなるべし。然るを轉じて。又たちおつた。ゆきおつた。なども云り。又今世の俗言には。自意禮と云。人を罵に己《オノレ》とも我とも云は。いにしへと相反《カヘサマ》なり。】とあり。○餌。神功紀に。取v粒爲v餌。倭名抄畋獵具に。四聲字苑云。餌和名惠。以v食誘2魚鳥1也。とあり。【平田翁云。餌は鳥獣にのみ云言には非ず。舊は人にも云し言と聞砂ゆ。其は今も吐を惠都伎。嘔を加良惠都伎と云は。士清説の如く。餌衝の義なれば。人の食物をも。餌と云ること著なり。また和名抄に。楊氏漢語抄云。屠兒屠2牛馬肉1。取2鷹〓之餌1義也。和名惠止利。とあるは。今昔物語に餌取と書たる義なり。契沖云。俗に穢多とかきて。ゑたと云は。此惠止利を訛りて。終に俗事を作れるなるべし。】○不v得v預2天孫之饌1。皇御孫命の大御饌の御贄に。勿なりそとなり。葦牙云。此魚の餌を呑し故に。天孫の辛苦ましゝかば。天津神の御子の。惡み給ふべければなり。と云れたるが如し。○即以口女魚云々。こゝにかくあるに依て考るに。此段本書一書ともに。赤女とも口女とも。兩やうに傳へたるうちは。赤女また鯛魚などあるは。すべて誤りにて。口女とある方宜しき傳なり。さるは信友説に。此魚諸國の進御。また御饌の料などにも。す(1021)べて載られず。其他古書どもにも。然る例見えたることなし。と云れたるにて明けし。また赤女とあるは。記傳にも言れたる如く。鯛の事なるを。此魚は天照大御神の御食にさへ奉りて。此所の事實に。叶はざればなり。【通證に。重遠云。赤女及口女。至v今不(ト)v供2天子御饌1云。とあるはうけがたし。】○不進供御。本に供(ノ)字なきは。既く脱たるものなり。今は舊事紀に從て補へり。永享本には御供とあり。○此其縁也。此段に就て重胤の委き説あり。其は記※[獣偏+爰]田毘古神段に。於是送2※[獣偏+爰]田毘古神1而還到。乃悉|追2聚《オヒアツメ》鰭(ノ)廣物鰭(ノ)狹物(ヲ)1。以問言。汝者天神(ノ)御子(ニ)仕奉(ランヤトイフ)耶之時。諸魚皆仕奉(ムト)白(ス)之中。海鼠《コ》不v白。爾天宇受賣命謂2海鼠(ニ)1云(ク)。此口乎|不《ヌ》v答《コタセヘ》之口(トテ)而。以2紐小刀1。拆2其口1云々。と云事あり。そも/\四神出生章(ノ)一書。保食神の件に。稻轂は更なり。毛麁毛柔。又鰭廣物鰭狹の類。其神の身より化出しかば。天照大神喜之曰。是物者則顯見蒼生(ノ)可2食而活1之也。とある。大命御坐て。實に蒼生の。食て世に活存《イキナガ》らふべき物とこそ。定掟させ玉へりしは。其魚共の仕奉らむと申さばこそ有め。仕奉らじと申たりとて。止給へらむには。皇祖天神より。天神御子の大御食國と爲て。事依奉らせ玉へる。驗無きに至れるを以て。此時の天鈿女命の御心の程を。測奉るべき者なり。此は甚假初なる事の状には見ゆれども。海神にも相議らして。然政ごたせ御坐ける也けり。さるは。此段なる海神の制《オキテ》を味ふるに。不v得v呑v餌と云は。餌を呑て人に釣るゝが。中々に彼が身には。甚しき事と見え。天神御子の、饌に預奉り。人の食用と成る事は。彼が本意となる事にて。此を人に譬へて云はゞ。呑v餌は。食禄を得るが如く。饌《ケ》と成は。勤仕を全く爲るに。等しき道理有ることゝ所(1022)見たり。是天鈿女命と。海神と相談坐て。定させ玉へるならむ。と云所以なり。偖天宇受賣命の御言に。天神御子(ニ)仕奉(ム)耶とは。記傳に。此は皇御孫命の大御供の御贄に成なむや。否やを問なり。萬葉十六に。爲v鹿述v痛哥に。佐男鹿乃《サヲシカノ》。來立嘆久《キタチナゲカク》。頓爾吾可死《ニハカニワレシヌベシ》。王爾《オホキミニ》吾(ハ)仕牟云々。又爲v蟹述v痛歌に。葦河爾乎《アシガニヲ》。王|召跡何爲牟爾《メストナニセムニ》。吾乎召良米夜《アヲメスラメヤ》云々。とある此等も。御贄に成を云り。と云れたり。されば此に魚共を追聚めて。天神御子に仕奉むやと。問せ玉へるも。魚物て成ては。日々の贄と成り。人の食物と成が。彼が天神御子に仕奉れるにて。稻穀の大御食に炊かれて。食れ奉むに。其義同じき事。云も更なり。故こゝに。海神|制《オキテ》曰(ク)。※[人偏+爾]《オレ》口女。從v今以往。本v得v呑v《ナノミソ》餌。と有は。魚を罰して。餌を呑べからずと。掟玉へるなり。餌を呑む事能はざる時は。人に釣るゝ愁なきに似たるを。魚の爲には。其釣鉤に罹らざる事を。限なき不幸とする事なる證是なり。次に不v得v預2天孫之饌(ニ)1とは。此に天鈿女命の。定させ玉へるが如く。天神御子の御贄と成て。仕奉る事は。魚と成て。生來れる身の幸なる事と見えて。此に罰して。其饌に預る事勿らしめ給へり。然れば魚の心に成ては。人の食物と成て。命を終む事。草木に花の咲て。實と成れるに異ならずなん有ける。然る時は。元正天皇の大御世より以降。胡神を好信《コノマ》せ給ふ御心進びに。天下の漁獵を禁止めさせ玉ふ詔勅を。時々に下給へるは。かの天鈿女命の掟《オキテ》置せられしとは。表裡なる御政にして。皇祖天神より。授奉らせ玉へる御食津物を。御自廢らせ玉へる御所業にて。皇威の衰させ玉ふ御端とこそは。成にたりけれ。と云れたる。尤なる論(1023)なりけり。この説にて。此海神の御言よく聞えたり。
 
及2至《イタリテ》彦火々出見尊(ノ)將歸《カヘリマサムトスル》之時(ニ)1。海神|白言《マヲシテマヲサク》。今者《イマ》。天神之|孫《ミマ》《カタジケナク》《イデマス》2吾(ガ)處《モトニ》1。中心欣慶《コヽロノヨロコビ》何(レノ)日(カ)忘《ワスレム》之。乃(チ)以(テ)2思《オモヘバ》則(チ)潮|溢《ミツ》之瓊。思(ヘバ)則潮|涸《ヒル》之瓊(ヲ)1。副(ヘテ)2其鉤(ニ)1而|奉進《タテマツリテ》之|曰《マヲサク》。皇孫|雖《イヘドモ》v隔《ヘダツト》2八重之|隈《クマヂヲ》1。冀《ネガハクハ》《ヨリ/\ニ》復(タ)相憶《アヒオモホシテ》而。勿棄置《ナステタマヒソ》也。因(テ)教《オシヘマツリテ》之|曰《マヲサク》。以(テ)2此|鉤《チヲ》1與《アタヘタマハム》《ミコトノ》兄(ニ)1時。則|稱《ノタマヘ》2貧鉤《マチチ》滅鉤《ホロビチ》落薄鉤《オトロヘチト》1。言《ノタマヒ》訖(リテ)以《ニ》2後《シリヘ》手1投棄與《ナゲステヽアタヘタマヘ》之。勿以向授《ムカヒテナサヅケタマヒソ》。若兄起(シテ)2忿怒《イカリヲ》1。有(ラ)2賊害《ソコナフ》之心1者。則出2潮溢瓊(ヲ)1以|漂溺之《オボホラセ》。若(シ)已(ニ)至(テ)2危苦《ナヤムニ》1求v愍《メグミタマヘトコハヾ》者。則出2潮涸瓊(ヲ)1以(テ)救《スクヒタマヘ》之。如此《カク》逼(メ)惱(マサバ)。自當臣伏《オノヅカラニシタガヒナム》
 
辱。續紀三十二。天下百姓能。念良麻久毛《オモヘラマクモ》。耻志賀多自氣奈志《ハヅカシカタジケナシ》。靈異記。我顧以v何(ヲ)潜2天女(ヲ)1云々。注潜【カタジケナシ】などあり。俗に云|勿體《モツタイ》なし。恐(レ)多きなど云ことばにあたれり。又續紀二十七。晝夜不v退之天。護(リ)助(ケ)奉侍《ツカヘマツル》乎見禮波。可多自氣奈彌奈毛《カタジケナミナモ》念須。又|累《カサネテ》v世(ヲ)而仕(ヘ)奉(リ)麻佐部流《マサヘル》事乎奈母。加多自氣奈美。伊蘇志美思坐須。これらは俗に云へるにちかし。○中心欣慶。本に慶を處に作るは誤なり。今永享本秘閣本を始め。諸古寫本どもに從て改む。○思則潮溢之瓊云々。この言の意は。葦牙に。おもふまゝに潮(1024)の溢涸る意の名なるべし。直指に。思則是如意之義也。などいへる。いさゝか言たらず。今思ふに。思則云々は。潮を溢しめむとおもへば。其意の如くに潮滿ち。涸しめむとおもへば。即《ヤガ》て潮涸る瓊と云意か。さらばこれ如意の義と同じきなり。【さてこの潮滿潮涸は。いまだ瓊の名にはあらず。徒に潮の溢涸る瓊と云ふよしなり。】○八重之隈。こは大己貴命の御言に。於2百不足八十隈《モヽタラズヤソクマデ》1將2隱居1矣。とある八十隈と同じ。【八十隈の解は已に云り】此國土と。海中とは。幽顯の隈あるをいふ形容詞なり。古今集。白雲の八重にかさなるをちにても。思はむ人に心へだつな。【おのれ始には。隈は浪の誤にて。八重之浪ならむかとおもひしかど。さにはあらじ。】○滅鉤。落薄鉤。保呂布と云言。佛足石歌に見ゆ。保呂煩須は令2滅亡1なり。言義。保呂は保呂々。波良々。などの保呂波良と同く。散る義なり。集聚れるものゝ散々になるは。いと凶き意なり。於登呂布の於登は落《オト》なるべし。【落薄は落魄に同じ。落魄は志行衰惡之貌とあり。】纂疏に。人先貧而後亡v家(ヲ)失v地。而後落薄失v業而已。とあり。○後手投棄。後手のことは上卷に出。手をうしろの方へまはして。物するをいふ。こゝは詛言をいひ負せて。其惡しきことに向ふを。忌むなるべし。【纂疏に。後手謂v〓2厭人1也。俗所v謂天(ノ)逆手也。兼倶説に。今も人を咒詛する符などをば。後手に棄v之ぞ。我身におはぬぞ。反〓などをも後手に棄v之は。再來らざるぞ。と云り。】一書には。三下v唾與v之。とあり。○求愍者の訓。何とかや俗の樣にきこゆ。宇禮比麻袁佐婆と訓べし。身の憂を人に告るを云なり。記に愁請の二字を書れたり。
 
時(ニ)彦火々出見尊。受(ケテ)2彼(ノ)瓊鉤《ニトチトヲ》1。歸2來《カヘリイデマシテ》本(ツ)宮(ニ)1。一《ヒトヘニ》《マニ/\》2海(ノ)神之教(ノ)1。先以(テ)2其(ノ)鉤1(1025)與(ヘタマフ)v兄。兄怒不v受(ケ)。故(レ)弟《オトノミコト》出(セバ)2潮溢瓊(ヲ)1。則潮大(キニ)溢《ミチテ》而兄|自《オノヅカラ》沒溺《オボホル》。因請(ヒテ)之|曰《マヲサク》。吾(レ)當(ニ)3事《ツカヘマツリテ》v汝(ミコトニ)爲(ラム)2奴僕《ヤツコ》1。願(クハ)垂救活《イケタマヘ》。弟出(セバ)2潮涸瓊(ヲ)1。則潮|自《オノヅカラ》涸(テ)。而兄還(テ)平復《タヒラギヌ》。已而兄改(テ)2前(ノ)言(ヲ)1曰《イハク》。吾(レハ)是(レ)汝(ノ)兄(ナリ)。如何(ゾ)爲(シテ)2人(ノ)兄《アニト》1而事(ヘム)v弟《オトニ》《ヤ》。弟時(ニ)出(シタマフ)2潮溢瓊(ヲ)1。兄見(テ)v之|走2登《ニゲノボレバ》高山(ニ)1。則潮亦|沒《イル》v山(ヲ)。兄|縁《ノボレバ》2高樹(ニ)1。則潮亦|沒《イル》v樹(ヲ)。兄既|窮途《セマリテ》。無(シ)v所(ロ)2逃去《ニゲサル》1。乃|伏罪曰《シタガヒテマヲサク》。吾已(ニ)過(マテリ)矣。從v今|以往《ユクサキ》。吾|子孫《ウミノコノ》八十|連屬《ツヾキ》。恒(ニ)當《・ナム》(ニ)d爲《ナリ》2汝俳人《イマシモコトノワザヒトヽ》1。亦《マタ》《ナリ》c狗人《イヌヒトヽ》u。請哀《ユルシタマヘ》之。弟還(テ)出(シタマヘバ)2潮涸瓊(ヲ)1則潮自|息《ヒヌ》。於是兄知(テ)3弟(ノ)有《イマスト》2神徳《アヤシキイキホヒ》1。遂(ニ)以|伏2事《シタガフ》其弟(ニ)1。
 
兄怒不受。鉤をかへし給ふことの遲きを。怒れるにもあるべし。○奴僕。夜都古とは。君より臣下を親み云稱なり。【奴僕と書るは。本義に非ず。】次の御言に。如何爲2人(ノ)兄1而事v弟耶。とあり。此辭の解既に云り。○没山。私紀に山乎以留と訓るよろし。【秘閣本も同じ】しかよむべし。【樹も同じ】山また樹の梢までも。潮の滿て。山も樹も潮に没《イ》るなり。【但し北野本には。没をイタルと訓り。さらば山にと訓べし】○窮途は。逼迫なり。山又樹も潮に没《イ》りて。今は逃去《ノガ》るゝかたなく。せまれるをいふ。○子孫八十連屬。次の一書に。(ノ)子(ノ)八十連屬とあり。敏達紀に。子々孫々。(1026)古語云。生(ノ)兒(ノ)八十綿連。とあるに依て訓べし。【高橋氏文に。阿禮子孫《アレミコ》乃八十連屬ともあり。】記傳云。宇美能古と云へる訓。正くは萬葉二十に。宇美乃古能伊也都藝都岐《ウミノコノイヤツギツギ》とあり。此は子孫の末が末までとかけて。云時の稱なり。とあり。○俳人は。態人なり。本書に俳優之民とあるそれなり。記に。故至v今其溺(シ)時之|種々之態《クサ/”\ノワザ》。不v絶仕奉也。と云る。其態とは。令隼人司に。掌d※[手偏+僉]2二※[手偏+交]隼人及名帳1教c習(スルコトヲ)歌※[人偏+舞](ヲ)u。と有て。即歌※[人偏+舞]の事なるを。併せ考ふべき者也かし。と云り。○亦爲狗人。本に一云狗人とあるは誤なり。舊事紀【皇孫本紀】に依て。かく改めつ。さて狗人は。記に爲2汝(ガ)命之晝夜(ノ)守護人《マモリビト》1とある。守護人と同じ事なること。記傳にも云れたるが如し。狗人といへるは。狗に代りて吠るよりの稱なること。次に云るを見るべし。○請哀之を。私記に由留志大末倍と訓り。【北野本も同じ】其方よろし。○潮涸瓊。本に潮字なきは例にたがへり。今は永享本北野本類史及諸古寫本どもに依る。
 
是(ヲ)以(テ)火酢芹命(ノ)苗裔《ノチノ》諸(ノ)隼人等。至(テ)v今(ニ)不v離(レ)2天皇宮墻之傍《スメラミコトノミカキノモトヲ》1。代《カハリ》2吠狗《ホユルイヌニ》1而《テ》奉事者《ツカヘマツルモノナリ》矣。世人《ヨヒト》不(ルハ)v債《ハタラ》2失(タル)針《ハリヲ》1此(レ)其(ノ)縁也。
 
諸隼人等。隼人のことは。上に云り。諸とは隼人に種々の品あるを云。記傳云。そも/\隼人は。大隅薩摩の國人なること。上に云るが如し。さて朝廷に召れて。仕奉れるが。永く留りて。京近き國の(1027)人になれるも。子孫までなほ隼人と稱て。其職に仕奉れりしなり。隼人式に。凡番上(ノ)隼人二十人。有v闕者。取2五畿内及近江丹波紀伊等國隼人(ヲ)1。とあるこれなり。又詣國隼人とあるも。右の國々のを云なり。又大衣と云は。右の近き國々の隼人の中にて。二人を擇みて。補たるものなり。隼人式に。凡大衣者。擇2譜代内(ヲ)1。置2左右各一人(ヲ)1。隅爲v左。阿多爲v右。教2道隼人(ヲ)1云々。とみゆ。大隅阿多とは。其國の人を云にはあらず。先祖の出たる地を以て。近き國なるをも。大隅(ノ)隼人。阿多(ノ)隼人と別ち云なり。又番上(ノ)隼人と云は。本國よりかはるがはる。上(リ)仕る者なり。職員令義解に。隼人者分番上下。一年爲v限。とある是なり。續紀二十五に。大隅薩摩等(ノ)隼人相替ると云こと見ゆ。又今來隼人と云は。番にはあらで。本より新に上りて。永く留りて。京畿に住居する者なり。此は妻子をも率て上る故に。女もあり。式に見ゆ。凡今來隼人給2時服及鹽1云々。また今來隼人身亡者。擇2取畿内隼人1充v之。二十人爲v限云々。など式に見えたるは。此も中昔には。人數定まり有て。召上せられしと見えたり。諸(ノ)儀に吠聲を發《アグ》るは。今來(ノ)隼人の職なり。とあり。【なほ此外に。隼人のこと。委く云れたり。今は略きて出せり。】此等の類を。諸隼人とはいへるものなり。○不離天皇宮牆之傍。記に晝夜(ノ)守護人とあるは。此文にあたれり。【職員令に。衛門府督一人。掌(ル)2諸門禁衛云々及隼人(ノ)門籍門※[片+旁]事1。とあり。】記傳云。抑この火照命は。隼人の祖に坐て。此守護の事。後まで隼人の職なり。隼人司式に。凡(ソ)元日即位。蕃客入朝等(ノ)儀。官人三人。史生二人。率2大衣二人。番上(ノ)隼人二十人。今來隼人二十人。白丁(ノ)隼人一百三十二人(ヲ)1。分2陣(ス)應天門外之左右1云々。今來隼人發(スル)2吠聲(ヲ)1三節。【蕃客入朝。不v在2吠限1】其官人著2當色横刀1。大衣及番上隼(1028)人。著2當色横刀。白赤木綿|耳形《ミヽガタノ》鬘(ヲ)1。自餘隼人。皆著2大横布衫。【襟袖著2兩面襴1】布袴【著2兩面襴1】緋帛肩巾。横刀。白赤木綿|耳形《ミヽガタノ》鬘(ヲ)1。【番上隼人已上。横刀私備】執2楯槍1。並坐2胡床1。また凡遠從v駕行者云々。其駕經2國界及山川道路之曲1。今來隼人爲v吠。また行幸經v宿者。隼人發v吠云々。また凡今來隼人。令2大衣習1v吠(ヲ)。左發2本(ノ)聲1。右發2末(ノ)聲1。惣大聲十遍。小聲一遍。訖。更發2細聲二遍(ヲ)1。また凡威儀所v須。構刀一百九十口。楯一百八十枚。枚別長五尺。廣一尺八寸。厚一寸。頭編2著馬髪1。以2赤白土墨(ヲ)1。畫2鉤形(ヲ)1云々。【隼人の執る楯に。鉤形を畫とある。此も矢たる鉤を徴りし故事を。後世まで示さむためなるべし。鉤(ノ)字を本に釣に作るは誤なり。】など隼人の職掌なほ委く見えたり。萬葉十一に。早人名負夜音灼然《ハヤヒトノナニオフヨゴヱイチシロク》とあるも。吠聲をよめるなり。なほ貞觀儀式などに。元日また踐詐大甞などのをりの。隼人の儀みえたり。右に引る式の文の如し。抑隼人の京に上りて。仕奉りし事の見えたるは。若櫻宮(ノ)段に。所v近2習墨江中王(ニ)1之隼人名|曾婆加理《ソバカリ》。と云あり。次に書紀に。大初瀬天皇の崩坐し時に。隼人晝夜陵(ノ)側にて。哀號《カナシミ》て。物も食ずて死ける事あり。【天武天皇崩坐し時、大隅阿多隼人。誄を奉りしこと書紀にみゆ。】天武天皇十一年七月。大隅隼人と。阿多隼人と。朝廷にして相撲しこと。持統天皇九年五月にも。隼人の相撲を觀はしゝことなどあり。さて清寧天皇四年。欽明天草元年。齊明天皇元年など。隼人衆を率て内附しこと。【こは畿内に移り住しことなどを。内附と記されたるか。漢籍に内附と云は。彼國に服ひ附ことなり。なは隼人の入朝し事。屬紀にもをり/\見ゆ○武郷云。これ今來隼人のもとならん。たづぬべし。】大寶二年養老四年など。隼人を征討たまひし事も。續紀に見えたれば。叛きしこともありしにこそ。とあり。【政事要略。養老四年豐前守宇努首男人將軍。大御神奉v請。大隅日向兩國(ニ)向招(テ)2隼人(ヲ)1殺。大神託宣云々。縁起云。養老三年己未。大隅薩摩兩國隼人等襲來。擬v打2傾國家1之間。同四年庚申。公家被v祈2申當宮1之時。神託我行而可2降伏1者。中略。行2幸彼國1云々。】○代吠狗。後に朝廷の大儀に。隼人の狗吠して。奉仕る(1029)【所謂狗人なり】ときには。狗は假面《オモテ》を被《カブ》る例と。おぼしき事あるを以ても。【この事は。比古婆衣に。隼人の狗人となりて。仕奉りし状の。おもひやらるゝ證あるを。こゝにいはむとす。其は大和國添上郡奈保山の。元明天皇の陵。土人王塚といへり。今其わたりの字を。大奈閇山と云。其陵邊に建てたる。犬石と呼ぶもの三基あり。これ自然なる石の面を平らげて。狗頭の人形を陰穿たり。頭は狗の假面なるべし。身中《ムクロ》みな貫《ヌ》き装束《ヨソヒ》て。狗の状を表《アラハ》せりと見ゆ。按ふに。こはそのかみ朝廷の大儀に。隼人の狗吠して。奉仕るときには。狗の假面を被る例なりけるから。即て其像を石に摸して。陵(ノ)域に殉《シタガヘ》置しめ給へるものなるべし。此犬石も。遺詔によりて立(テ)られしものなるべし。されば此犬石の像を見て。そのかみ隼人の。狗人となりて。仕奉りし姿をおもひやるべし。と云り○武郷云。この御陵の事。今昔物語三十一卷に見えたり。大奈閇山は處たがへり。】此時の事に據れりし事知られたり。○奉事者也。按るに。後世まで。天皇の御牆のもとをさらず。隼人の職業は。則守護と俳優と二つなり。【俳優のことは上の一書に云り。】然るを本書には。爲2汝|俳優《ワザヲギ》之民1。とのみありて。守護のことなく。【第四(ノ)一書もおなじ】記には。火照命の能美《ノミ》の言には。たゞ守護人とならむとのみありて。俳優のことなく。下にはまた俳優の方のみを云て。守護の事をいはず。此は記傳にも云れし如く。互に脱たるものなり。然るに。此一書には。當d爲2汝俳人1亦爲c狗人u。とあるは。守護と俳優と二(ツ)を並べ擧たる傳にて。宜しきはもとよりなれど。なほこゝに。不v離2天皇宮墻之傍(ヲ)1。代2吠狗1云々。とのみにて。わざをぎの事見えざるは。なほこれも。言足はぬ傳なり。この事第四一書の下にも云り。見合すべし。○世人云々。俗に人の。針を失ひたるを債ることを忌は。此故事によれる事ぞとなり。【信友云。わが古郷の若狹國にて。童部どち他の物をとりて。餘物をもて償ふをきゝ入れぬとき。拭《フ》いても否々《イヤ/\》。洗うてもいや/\。故《モト》の針もどせと。唱ひ慣へり。かの鉤を徴りたまひし。古諺とぞきこえたる。世人不v債2失針1。此其縁也。とあるには背きたる凶語ながら。然る神世の古事の。童部の口に。傳はりたるいとめづらし。といはれたり。】さてこゝに。針とあるは。もの縫針なれど。釣鉤と同類なれば。しか云るものとみえたり。
 
(1030)〔第三一書〕
一書曰。兄火酢芹命能得(タマフ)2海(ノ)幸(ヲ)1。故號(ク)2海(ノ)幸彦(ト)1。弟彦火々出見尊(ハ)能得(タマフ)2山(ノ)幸(ヲ)1。故號2山(ノ)幸彦(ト)1。兄(ハ)則|毎《ゴトニ》2有風(フキ)雨(フル)1。輙(チ)失(ナフ)2其(ノ)利《サチヲ》1。弟(ハ)則|雖《イヘドモ》2逢風(フキ)雨(フルト)1。其幸不(リキ)v※[式の工が心]《タガハ》。時(ニ)兄|謂《カタリテ》v弟曰(ク)。吾試(ニ)欲《オモフ》2與v汝《イマシ》《カヘセムト》v幸《サチ》。弟|許諾《ユルシテ》因(テ)易(フ)之。時兄(ハ)取(テ)2弟(ノ)弓失(ヲ)1入(テ)v山(ニ)獵《カル》v獸《シヽヲ》。弟(ハ)取2兄鉤1入(テ)v海(ニ)釣b魚《ウヲヽ》。倶不v得《エ》v利《サチヲ》。空手來歸《ムナテニシテカヘル》。兄即還(シテ)2弟(ノ)弓矢(ヲ)1而|責《ハタル》2己(ガ)鉤《チヲ》1。時弟已失(テ)2鉤(ヲ)於海(ノ)中(ニ)1。無(シ)v因(シ)2訪獲《トヒモトムルニ》1。故(レ)別(ニ)作(テ)2新鉤數千《ニヒシキチチヽヲ》1與(ヘタマフ)之。兄怒(テ)不v受。急2責《セメハタル》故(ノ)鉤(ヲ)1云々。是時(ニ)弟往(テ)2海濱《ウミヘタニ》1。低※[人偏+回]《ウナダレメグリ》愁(ヒ)吟《サマヨフ》。時有2川鴈(ノ)嬰《カヽリテ》v羂《ワナニ》困厄《タシナメル》1。即起(シテ)2憐心《アハレトオモフミコヽロヲ》1。解(キテ)而放(チ)去《ヤル》
 
幸彦。彦は稱辭なり。紀云。火照(ノ)命(ハ)者|爲《シ》2海(ノ)佐知毘古(ト)1而。取2鰭(ノ)廣物鰭狹物1。火遠理命者。爲2山(ノ)佐知比古(ト)1而。取2毛(ノ)※[鹿三つ]物毛柔物1。○其事不※[式の工が心]。本に※[式の工が心]を惑に作るは誤なり。秘閣本鎌倉本嘉禎本北野本等に依て改む。○欲與汝換幸。御弟の幸の。風雨にも※[式の工が心]はぬを。羨み妬みましてのことなるべし。○取兄鉤。今本釣鉤とある例の衍なり。今秘閣本嘉禎本丹鶴本三島本永享本に因る。○責2己鉤1。本に一(ノ)鉤字例の衍れり。今延喜本丹鶴本に據る。○急責故鉤云々。山蔭云。この云々の字なくてよろし。○低※[人偏+回]は。(1031)頸低なり。又宇良夫禮とも訓べし。萬葉集に。君にこひ之奈要浦觸《シナエウラブレ》。また浦觸而ものなおもひそ。などあり。憂《ウレ》はしく物思ふ人のさまなり。【楚辭に※[立心偏+屯]々をウラブレとよめり。憂貌とあり。古今集にうらひれとよめるは。音便に轉る也。按に。ウラブフレのウラは憂。フレは振にて。其憂ふる状を云辭ならんか。憂はウラウルウレ〔六字二重傍線〕と活くべし。】○川鴈嬰羂。川鴈のことは既に云り。羂は和名抄畋獵具に。蹄。周易云。蹄者所2以得1v兎也。云々。師説和奈。字鏡には。〓。繋也挂也。和奈。と見ゆ。【〓は。〓字にて。羂と同じ。】名義。或説に輪繩《ワナハ》の意なるべし。一説に輪網《ワナミ》なるべしと云り。とあり。【守部云。經死をワナクと云るも。輪索《ワナ》くにて。クはその輪索にかゝれる状をいふ。頂にかくるをウナグ。縵にかくるをカヅラク。と云る類なり。】○即起憐心。葦牙云。此命の鳥獣を取て。たのしと爲給ふ御心以て。放(チ)去給ふはいかゞと思ふ人あるべきか。其は世人の心を以て喩るべし。今も野山に獵して。鳥獣を殺(ス)ことを娯しとすれども。須臾も飼なつけたるを殺さむは。心よからず思ふは。人の心の常なり。こゝは飼たるにはあらねど。羂に嬰りたれば。おのれと逃るべきすべなければ。他の惠を待つ外なきが。あはれなるなり。これ人の心は。更にも云はず。鳥獣などにも有りと見えて。昔物語にも。人の苦《クルシキ》瀬《セ》に落たるを。鳥獣の助けめぐみしことなどもあるなり。といへるはさる論なり。
 
須臾《シバラクシテ》有(テ)2鹽土(ノ)老翁1來(テ)。乃(チ)作(テ)2無目堅間《マナシカツマノ》小船(ヲ)1。載《ノセマツリテ》2火々火出見尊(ヲ)1。推2放《オシハナテバ》於海中(ニ)1。則自然(ニ)沈去《シヅミサル》。忽(ニ)有2可怜御路《ウマシミチ》1。故|尋《マニ/\》v路(ノ)而|往《イデマセバ》。自(ニ)至(タマフ)2海(ノ)神之宮(ニ)1。是時(ニ)海(ノ)神(1032)自迎(ヘテ)延《ヒキ》入。乃|鋪2設《シキテ》海驢《ミチノ》皮八重(ヲ)1。使v坐《スヱマツラ》2其上(ニ)1。兼(テ)設(ケテ)2饌百机《モヽトリノツクヱモノヲ》1。以|盡主人之禮《アルジノヰヤヲナス》。因(テ)從容(ニ)問(テ)曰(ク)。天神之孫。何(ノ)以《ユヱニ》辱(ケナク)臨《イデマシツル》乎。一云。頃《コノゴロ》吾兒|來語《カタリテ》曰(ク)。天孫|憂2居《ウレヒマストイヘドモ》海濱(ニ)1。未v審《シラ》2虚實《イツハリマコトヲ》1。盖(シ)有《アルコトカ》v之乎。
 
須臾有鹽土老翁。葦牙云。記に裸《アカハダナル》菟の身の皮を。風に吹さかれて泣(キ)伏るを。大穴牟遲神のたすけ給ひしかば。其菟の靈幸はへまつりて。八上比賣を得給ひしことありし如く。此鳥の靈さきはへ奉りて。鹽土老翁の出來て。助けまつりし如くきこゆ。と云れたるはさる言のやうなれど。上にも云る如く。鹽土老翁。此時の本末をかねて。よく知りて。助け奉らん爲に。故に出來れるものなるべければ。こゝは。かの菟の段とは。聊異なるべし。○無目堅間(ノ)小船。記にも。無間勝間之小船とあり。記傳云。此は必しも。船の形に造れりとにはあらじ。何物にまれ。乘て水を行ものを。船とは云るなるべし。一書に。以2無間堅間1爲2浮木1。とあるも同じ。和名抄。唐韻云。艇(ハ)小船也。釋名云。一二人所v乘也。楊氏漢語抄云。艇乎夫禰。とあり。○彦火々出見尊。本に彦字なし。今永享本に據て補。○可怜御路。この言已に云り。記にも味《ウマシ》御路とあり。記傳云。此に御路と書る。これ美知の本義なり。【此處にのみ。此記にも書紀にも。道と書ずして。御路としも書る所以は。まづ常にはたゞ知とのみ云べきにも。美知と云てけぢめなけれども。美知はもと道をほめて。御てふ言を添たる名なり。かくて。此處は甚善道なる由をいふ處にて。美といふ言用有て。重きが故に。本義の隨に書なるべし。】と(1033)いへり。○海神自迎。此一書には。門前の井のことなし。省きしものにや。又もとより。なかりし傳にもあるべし。○海驢皮八重。記に。美智《ミチノ》皮之疊敷(キ)2八重(ヲ)1。亦|※[糸+施の旁]疊《キヌダヽミ》八重(ヲ)敷2其上(ニ)1。とあり。海驢は。記傳云。釋に海馬也と注し。【海馬は漢名なり。本艸に。陳藏器曰。海驢海馬等皮毛。在2陸地(ニ)1皆候2風潮1則毛起。】口訣に。海驢之皮在v陸。而潮滿則自起v毛。とのみ云て。其ものゝさまは云はず。建長八年百首。衣笠内大臣。我戀はみちの寐流れ寤《サメ》やらぬ。夢なりながら絶やはてなん。【夫木集に出。】紀國人の云。今紀の海に。阿志加と云ものあり。そこにて昔より。字には海馬と書來れるよし。日高郡の海中に。阿志加《アシカ》島と云島のあるに。年毎の秋冬のころ。多く來て岩上に睡り。又波(ノ)上に浮びながらも。熟く睡りて。寤ることの遲きものなり。大きなるは。長さ一丈斗なるものあり。足はなくて。水掻の如くなるものあり。此物西國の海にもあるなり。和名抄に。葦鹿【武郷云。按毛群部獣名に入れたり。日本後紀弘仁元年のところを見れば。獣皮の如くみゆ。箋註にあり。】と云物を載て。本文未詳としるせり。思ふに是海驢なるべし。と云り。【或人阿志加は。本草綱目に。海〓とある物なり。と云り。】或書には。山東志曰。海驢出(ヅ)2文登海中(ニ)1。常於2秋月1。登v島産乳(ス)。其皮製爲2雨具1。水不v能潤。今按に。海中に登騰《トヾ》と云ものあり。岩屋の内に上り。よくねぶる物なり。皮は馬具に用《ツカ》ふ。其首馬に似て。大きさは小馬許なり。これ海驢なるべし。陸奧松前蝦夷。又國々の海邊にも。稀にあるなり。と云り。【本草綱目に。東海島中出2海驢1。能入v水不v濡。】又或人の云。今も北海に海驢あり。其皮潮滿れば柔に。潮涸れば枯る。今も敷皮にするなり。と云り。右の説どもの中。何(レ)か正しく美智に當るべく。【かの紀(ノ)國人の云る阿志加と。或書に云る登陶とは。一(ツ)物の地によりて。名の異なるか。はた別物か。なほよく尋ぬべし。相遠からぬ物とは聞えたり。】今世にも。美智と云名の遺れる地はなき(1034)や。尋ねて定むべし。とあり。【利根川圖志云。下總國銚子濱に葦鹿島あり。島は岸より四五町許はなれて。小島二(ツ)あり。年中|海獺《アシカ》此島にあがる事。二三十或は八九十。多き時は二三百匹にも及ぶ云々。一説に。海獺《アシカ》の大なるものを。蝦夷にてトヾといふ。又紀州の阿志加は海驢《ミチ》なるべし。といへり。ミチとトヾとは同物なり。海獺と海驢は同類にして別物なり。形ち海獺より大にして。體は痩せ。其毛|淡《ウス》茶色にして。左右の鰭は海獺よりは短し。これをもて異《ベツ》とす。と云り。】○盡2主人之禮1は。主人の訓は。萬葉二十|安路自《アロジ》とあり。さて主人となりて。客を饗《アヘ》する【俗に亭主ぶりするを云】をも。阿留自すと云ること。中古の書どもに見えたり。されど古語のさまともきこえねば。こゝは本の訓のまゝにてあるべし。韋夜は敬。また恭字などをよめり。またうや/\しとも云り。○吾兒。こは何といふ神にか。名も傳はらず。記に。綿津見神之子。宇都志日金拆命あり。また上に引る。姓氏録安曇宿禰條に。豐玉彦神之子。穗高見(ノ)命といふあり。【また八太造條に。布留多麻命といふ御子もあり。】されど。それらの神とも定めがたし。
 
彦火々出見尊具(ニ)申《ノベタマフ》2事之本末《アルカタチヲ》1。因(テ)留(リ)息《スミタマフ》焉。海神則(チ)以(テ)2其|子《ムスメ》豐玉姫(ヲ)1妻《アハセマツル》之。遂(ニ)纒綿篤愛《ムツマカニシタシミマシテ》。已(ニ)經《ナリヌ》2三年(ニ)1。及2至《イタリテ》將歸《カヘリタマハムトスルニ》1。海(ノ)神乃(チ)召(シテ)2鯛女(ヲ)1。探(シカバ)2其(ノ)口(ヲ)1者。即|得《エタマヒキ》v鉤(ヲ)焉。於v是|進《タテマツリテ》2此鉤(ヲ)于彦火々出見尊(ニ)1。因(テ)奉教《ヲシヘマツリテ》之|曰《マヲサク》。以(テ)v此(ヲ)與(ヘタマハム)2汝兄(ニ)1時。乃(チ)可稱《ノタマハク》。曰(テ)2大鈎《オホチ》。踉※[足+旁]鉤《スヽミチ》。貧鉤《マチチ》。癡※[馬+矣]鉤《ウルケチト》1。言《ノタマヒ》訖(ナバ)則(チ)可《ヘ》2以|後手投賜《シリヘデニナゲタマ》1。
 
纏綿は。親昵の意なり。【字鏡集にムツマヤカと訓り。綢繆も同じ。ムツマカは。ムツマヤカの略なり。ミヤビヤカを。ミヤビカと云におなじ。さて其ヤカは辭なり。】○海神乃。山蔭に。海神(1035)の下に云々とあるべきなり。言たらずといへり。○召鯛女。かくては鯛女の鉤をのみたるは。海神の既にしれりしが如くなれど。此は本書一書どもに讓りて。省けるものと見えたり。異なる傳にはあらじ。○汝兄。嘉禎本汝字なsi。○大鉤。記に淤煩鉤《オホチ》とあるこれなり。大は借字なり。【記には淤煩とある。煩《ホ》は濁音なれども。此記にては。ホは清て訓むべし。いづれにてもおなじ。萬葉などに清濁通してかけり。】記傳に。此言は萬葉卷々に。欝悒と云こと多かる是なり。四卷に。朝居雲乃欝《アサヰルクモノオホヽシク》などもあり。明らかならざる意なり。これを假字には。意保々斯久など。保には多く清音の字を用ゐたり。【五卷。十一巻。十四卷。十六巻。】然るに又十七には。於煩保之久と。濁音にも書り。【清ても濁りても。云る言なるべし。】又おぼつかなし。【此も常には。頃を濁るを。萬葉八卷十卷などには。於保|束無《ツカナシ》と清音の保を書たり。】おぼろなども。明らかならぬを云て。本同言なり。【又かの欝悒を。イブカシとも。イブセシとも訓(ム)處ある。これらの伊布も。於煩と通ひて。おぼゝしくと本は同じ。於と伊と通ふは。於伎と伊伎との如し・さて此いぶかしいぶせしの布も。常に濁れども。萬葉には多く清音にかけり。】又おほろか。おほよそ。おろそか。おほかた。なども。委曲ならなうを云へば。本は明らかならざる意にて同じ。淤富とのみも云り。さて此の淤煩は。愁(ヒ)思ふことのありて。心の晴せぬ意なり。【心を晴らすことを。明らむと。萬葉などに云れば。晴せぬは明らかならざるなり。】○踉※[足+旁]鉤。須々美膩《スヽミチ》と訓べし。【本にスヽノミチとよめるは。まづ此訓注に。踉※[足+旁]之鉤此云2須々美膩(ト)1とある之(ノ)字は。纂疏本。口訣→宇本。類聚國史一本。活字本。延喜本。永享本などになければ。衍なること决し。さるをいかにしてか。之字の※[手偏+讒の旁]入たりしより。注の須々美膩とあるにも。能字を書き加へて。スヽノミチと爲しものなり。】さて須々美膩とは。記に須々鉤《スヽチ》とある。記傳に。師の冠解考に。廬八燎須酒師競《フセヤタキスヽシキソヒ》云々。すゝしきそひとは。壯士どもの心の進みすゝろきて。身もしらず競(フ)をいふ。古事記に。須々鉤とあるを。神代紀に踉※[足+旁]鉤と書たり。是もすゝろく意なり。又古事紀に。美人驚而立(チ)走(リ)伊須々岐伎《イスヽキキ》とあるも。立走(リ)すゝろきたるなり。後の書にすゝろそゝろなど云るも是なり。と(1036)あり。又須佐之男(ノ)命の於2勝佐備1云々。とある。師説に。佐備は須佐備なり。とある此によくあたれり。須佐と須々と同くて。かの須佐備は。進み荒ぶるなれば。こゝの須々も。進みすゝろきて。荒ぶる意なり。【玉篇に。踉※[足+旁]欲v行(ント)貌と注し。又※[足+旁](ハ)急行也とも注し。又字書に。踉(ハ)高(ク)蹈也とも。又跳踉(ハ)踊躍(ノ)貌。なども注せり。すゝみすゝろく意に近き字なり。又字鏡に。猖獗(ハ)須々乃彌とあるも。荒ぶる意に近し。又※[羊+厥]は獗なるべし。○武郷云。字鏡に須々乃彌とある乃(ノ)字も。此紀の注の謬訓より。採て記せるものなるべし。决めて一(ツ)の言にはあらじ。】○癡※[馬+矣]鉤。【本に。※[馬+矣]を駿に作るは誤なり。今秘閣本纂疏本及類史等に據て正せり。】記に宇流鉤とあり。言義は記傳云。此の字の意なり。【※[馬+矣]も。字書に癡也。と注せり。】又景行卷に失意《オロケ》とあるなども。同言ならむか。【俗言に。うろたゆ。うろ/\。うるむ。など云言も、同言の轉れるなり。又水の寒からざるを。ぬるしと云も。うるし通へり。物を塗物を。うるしといふにて知べし。又俗に。鈍きことを。ぬるしといふも。宇流の意なり。】とあり。【萬葉集に。愚人をウルケキヒトとよめる。ウルも同言なり。】さて此紀にては。須々美。于樓該。と活用云るを。記には。須々。宇流。と皆二音に齊へ云り。さるは此の四(ツ)の言。皆本は用言なるを。記にはみな體言になせるなり。凡て用にも體にも云(フ)言は。用の時は。下に活く辭を加へ。體の時は。其を除くこと多くして。【用言には。渡り渡ると云を。體言には。海《ワタ》と云。用言には。歌ひ歌ふと云を。體言には歌と云類なり。】かの意保々志久。などは用言なるを。此には體言に大《オホ》といひ。此紀に須々美と云るは。用言なるを。記には體言に須々と云り。此差別をよく心得べし。○投賜。本に投を授に作れり。今は纂疏本。丹鶴本。及延喜木。永享本。熱田本に從て改。
 
已(ニシテ)而|召2集《メシツドヘテ》鰐魚(ヲ)1問(テ)之曰。天神之孫。今|當《ス》2還去《カヘリマサムト》1。爾等《オノレラ》幾日《イクカ》之内(ニ)。將《ム》2以奉(1037)《イタシマツリテ》1。時(ニ)諸(ノ)鰐魚。各々|隨《マニ/\》2其長(サ)短(サノ)1定(ムル)2其日數(ヲ)1中(ニ)。有(リ)2一尋(ノ)鰐魚1。自|言《マヲス》2一日《ヒトヒ》之内(ニ)則當致《イタシマツルベシト》1焉。故(レ)即(チ)遣《マダシ》2一尋(ノ)鰐魚(ヲ)1以|奉送《オクリマツル》焉。復(タ)進《タテマツリ》2潮滿瓊潮涸瓊二種(ノ)寶物(ヲ)1。仍(テ)教(ヘマツリ)2用(ヰル)v瓊(ヲ)之|法《サマヲ》1。又教(テ)曰《マヲサク》。兄作(ラ)2高田《アゲタヲ》1者《バ》。汝《ナガミコトハ》《マセ》v作(リ)2※[さんずい+誇の旁]田《クボタヲ》1。兄作(ラ)2※[さんずい+誇の旁]田1者《バ》。汝(ハ)可v作(リ)2高田(ヲ)1。海(ノ)神盡(シテ)v誠(ヲ)奉2助《タスケマツレリ》如此1矣。時彦火々出見尊既(ニ)歸(リ)來《ミタシテ》。一《モハラニ》遵(ヒテ)2海神(ノ)教(ニ)1。依(リテ)而行《オコナフ》之云々。
 
※[人偏+爾]は。爾に同じ。○將以奉致。將(ノ)字(ノ)下に。作(ノ)字ある本はあやまりなり。活字本秘閣本永享本安倍本に。無によりて削るべし。○隨其長短云々。記に。召2集和邇魚1。問曰。今高之天津日御子。虚津日高。爲3將|出2幸《イデマサント》上國(ニ)1。誰(レ)者幾日(ニ)送奉(リテ)覆奏(サム)。故各隨2己身之|尋長《ナガサノ》1。限v日而白。とあり。○一日之内云々。下の一書に。八尋鰐云々策之日。吾者八日以後。方致2天孫(ヲ)海(ツ)宮(ニ)1。唯吾王(ノ)駿馬《ヨキウマ》。一尋鰐魚。是當(ニ)一日之内。奉(ラム)v致云々。とあり。記傳云。八尋鰐は。八日を經て行路を。一尋鰐魚は一日に行(ク)なるは。纂疏に。短者身輕(クシテ)而行(コト)駛(シ)。長者身重(クシテ)而行(コト)遲。とある。この故にや。されど此は鰐に限れることにや。異魚もなべ然にや。【よのつねの例を言て思ねば。大(キ)なるぞ速なるべきに。却て小きが速きは。鰐は實に然る物にや。よく尋べし。】隨2己身之尋長(ノ)1。限(リ)v日(ヲ)而白。とあれば。長き短きに隨て。速き遲きけぢめあるなり。又一書には。乘2火々出見(ノ)尊(ヲ)大鰐(ニ)1。以送2致本郷(ニ)1。とあるは。小(サ)きと大なると。異なる(1038)傳なり。とあり。記に上文に次て。中(ニ)一尋和邇白。僕者一日(ニ)送(テ)即還來。故爾告2其一尋和邇(ニ)1。然者汝送奉(レ)。若渡2海中1時(ニ)。無v令2惶畏1。即載2其和邇之頸(ニ)1。送出(マツリキ)。故如v期(ガ)。一日之内送奉也。とあり。○當致。三島本致を到とあり。○高田。記傳云。萬葉十二に。水乎多上爾種蒔《ミヅヲオホミアゲニタネマキ》とよめり。地高くてよく燥《カハ》く田なり。○※[さんずい+誇の旁]田。窪み卑くて。水多き田なり。さて此ところ。記云。兄作2高《アゲ》田1者。汝命作2下田《クボタヲ》1。其兄作2下田(ヲ)1。汝命營2高田(ヲ)1。爲v然者。吾|掌《シレヽ》v水(ヲ)故《バ》。三年之間。必其兄貧窮云々。とあり。此はこれらの事を略きて記せり。【次に。其後火酢芹命日以|襤褸《ヤツレテ》。とあるに。これらのことを含めり。】掌v水は。天下を知る。國を知るなどの知にて。水を保有ち掌りて。心に任すを云り。兄若高田を佃らば。吾旱して水を有らせじ。又下田を佃らば。雨多くふらせて妨げむ。となりと。記傳に云れたるが如し。さるは雨露を零《フラ》する事は。※[雨/龍](ノ)神の掌給ふわざ。其本の水をしれるは。水神罔象女神の。掌給ふ事なるを。今海神の吾掌(レヽバ)v水とあるは。いかにと云に。海は水を貯ふる處なれば。爾《シカ》も言へるものと見えたり。【なほいはば。木は木神句々廼靈神の掌給ふなれど。山(ノ)神山祇神も。木を掌(リ)給が如し。山は木を生ずところなればなり。此事は既にも云り。】上古には。かく尊き際の人等も。佃る業を營ませ玉ふに附て。重胤云。此を以見れば。天神御子と申せども。供御の御田は。御自(ラ)營らせ御在し坐けるなり。崇神天皇四十八年に。活自尊以2夢辭1奏言。自登2御諸山之嶺(ニ)1。繩(ヲ)※[糸+亘]《ハヘ》2四方(ニ)1。遂2食v粟雀1。と見えたる。此は夢辭にては有れども。當昔猶皇子等と申せども。農作の事を爲させ御坐し坐しから。然る事も有し者なりけり。又古事記玉垣宮段に。又問2其后1曰。汝|所堅之美豆能小佩者《カタメシミツノヲヒモハ》誰(カ)解。答白。旦波(ノ)比古多々須美智能宇斯王之女。名兄比賣。弟比賣。茲二女王(ハ)淨(キ)公民。(1039)故宜v使也。と見えたる。此は正しく開化天皇の曾孫と坐す。女王に御在し坐せども。公民と申給ひけり。と云れたるにて。他の國とは。異なるいはれある事を思べし。○遵海神教。今本海(ノ)字を脱せり。永享本北野本によりて補ふべし。○云々。本に云々(ノ)字なきを。今は嘉禎本。又永享本等に依て補ふ。
 
弟時(ニ)出(セバ)2潮滿瓊(ヲ)1。即兄擧(テ)v手(ヲ)溺(レ)困(ム)。還(テ)出(バ)2潮涸瓊1。則|休《ヤミテ》而|平復《タヒラギヌ》。其後火酢芹命|日《ヒヾニ》以|襤褸《ヤツレテ》而憂(テ)之|曰《マヲサク》。吾(レ)已(ニ)貧(シト)矣。乃|歸2伏《シタガフ》於弟(ニ)1。先v是(ヨリ)豐玉姫|謂《マヲシテ》2天孫1曰(ク)。妾已(ニ)有娠《ハラメリ》也。天孫之|胤《ミコ》豈(ニ)可(ム)v産(マツル)2於海中(ニ)1乎。故|當《ム》3産時《コウマムトキニ》必|就《マヰデ》2君(ノ)處《ミモトニ》1。如爲(メニ)v我(ガ)造(テ)2屋(ヲ)於|海邊《ウミヘタニ》1。以相(ヒ)待《マチタマヘ》者。是(レ)所望《ネガヒナリ》也。故(レ)彦火々出見尊已還(テ)v郷(ニ)。即以(テ)2※[盧+鳥]※[茲+鳥]之羽《ウハヲ》1葺(キテ)爲《ツクル》2産屋(ヲ)1。甍未及合《イラカイマダフキアハセヌニ》。豐玉姫自|馭《ノリ》2大龜《カメニ》1。將《ヒキヰテ》2女弟玉依《イロトタマヨリ》姫(ヲ)1。光(ラシテ)v海(ヲ)來到《イタル》。時|孕月《ウミガツキ》已(ニ)滿(チテ)。産期方急《コウムトキミサカリニセマリヌ》。由(テ)v此(ニ)不v待(タ)2葺合《フキアハスルヲ》1徑(ニ)入(リ)居《マス》焉。
 
弟時出潮滿瓊云々。体而平復。此二十二字。本に其後火酢芹命云々。歸2伏於弟1。の下に出せり。今は纂疏本講述鈔本及禁本どもに從て。文を改め正せり。○擧手溺困。この事次の一書に云。○襤褸は。形體の憔悴《ヤツ》るゝを云。或は窶をよめり。また漢籍の訓に。ヤツ/\シと云詞もあり。それより轉りては。(1040)殊更に身を卑くもてなし。或は衣服など。あらぬものに。きなしたるをもいへり。物語文に多くみえたり。こゝは三年之間其兄貧窮。とある如く。いと貧しくなりて。形容の憔悴《ヤツ》れ枯槁《カル》るを云なり。されば衰ふる義なり。○吾已貧矣。記傳云。高田を佃れば雨多くて。毎《イツ》も稔《トシ》を得ずして。貧くなりたまひしなり。○可産於海中乎。記云。於是海神之女豐玉※[田+比]賣(ノ)命自(ラ)參出白之。妾已妊身。今臨2産時1。此(ヲ)念(フニ)天神之御子。不v可v生2海原(ニ)云々。とありて。先に期りたまへる事なし。されど。平田翁もいはれし如く。必ず歸り座(ス)時に期り給べきものなり。○造産屋於海邊。本に産字なし。永享本嘉吉本に依て補へり。【山蔭にも。産(ノ)字脱たるべし。とあり。】○甍未及合。本に屋(ノ)甍とあるは。産屋の屋(ノ)字の層りたるものなるべし。熱田本塙本類史に。屋(ノ)字无に從るべし。記傳云。凡て屋を葺には。此方《コナタ》彼方《カナタ》の軒より。葺上りて。棟にて葺合せて。終る事なる故に。葺終るを。葺合すと云なり。とあり○馭大龜。記に槁根津日子が。乘2龜(ノ)甲《セニ》1。爲《シ》v釣《ツリ》乍《ツヽ》。打羽擧《ウチハフリ》來人云々。といふことあり。○光海來到。この事上卷神光照v海の下に云り。○産期方急。記に不v忍2御腹之急1。とあり。記傳云。はや御子生坐むとする。御腹のこゝちにて。産殿を葺終るを。待間も堪がたくなり給へるなり。と云り。○徑入居。居字丹鶴本に屋とあり。
 
已(ニシテ)而從容(ニ)謂《マヲシテ》2天孫1曰《マヲサク》。妾|方産《ミサカリニコウムトキ》。請(フ)勿臨《ナミマシソ》之。天孫|心2恠《ミコヽロニアヤシミテ》其言(ヲ)1竊(カニ)覘《ウカヾヒタマフ》之。則(チ)化2爲《ナリヌ》八尋(ノ)大鰐(ニ)1。而知(テ)2天孫(ノ)視其私屏《カキマミシタマフコトヲ》1。深|懷《イダク》2慙恨《ハヂウラミマツルコトヲ》1。既(ニ)兒生(レテ)之後(ニ)。天(1041)孫|就《ユキテ》而問(テ)曰《ノタマハク》。兒《ミコノ》名|何稱者當可《イカニナヅケテハヨケム》乎。對(テ)曰(ク)。宜v號2彦波瀲武※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合尊(ト)1。言《ノタマヒ》(リテ)乃|渉《ワタリテ》v海(ヲ)徑(ニ)去(ヌ)。于時彦火々出見尊乃|歌《ウタヨミシテ》之曰。飫企都利《オキツトリ》。軻茂豆句志磨爾《カモヅクシマニ》。和我謂禰志《ワカヰネシ》。伊茂播和素邏珥《イモハワスラジ》。譽能據※[登+おおざと]馭※[登+おおざと]母《ヨノコトゴトモ》。亦云。彦火々出見尊。取(テ)2他婦人《アダシヲミナヲ》1。爲(タマフ)2乳母湯母《チヲモユオモ》及|飯嚼湯坐《イヒカミユヱト》1。凡(テ)諸部備行《モロトモノヲソナハリ》以(テ)奉(ル)v養《ヒタシ》焉。于時《トキニ》《カリニ》《トリテ》2他《アダシ》婦(ヲ)1。以|乳2養《ヒタシマツル》皇子(ヲ)1焉。此(レ)世人取(テ)2乳母《チヲモヲ》1養《ヒタス》v兒(ヲ)之縁也。
 
從容。岩本尚賢云。此の從容(ノ)字いかゞと云り。然る言なり。○視其私屏。加伎麻美は。記傳云。垣間見《カキマミ》なり。後の物語書などにも多き言にて。其は必しも垣の間ならねども。物の隙などより。竊《ヒソカ》に見るをいへり。【加伊麻美と云は。垣の伎を例の音便に伊と云るにて。やゝ後のことなり。故今は正(シ)きに就て。加伎と訓つ。萬葉十に垣間とあり。】○兒名何稱云々。記の垂仁の段に。天皇の后沙本毘賣(ノ)命に詔へる御言に。凡子(ノ)各(ハ)必(ズ)母|名《ナヅク》。何2稱是子之御名1。爾答曰。今當d火2燒稻城(ヲ)1之時u。而|火中《ホナカニ》所v生。故其御名宜v稱2本牟智和氣《ホムチワケノ》御子(ト)1。とあり。記傳云。凡て子の名をば。其母の命《ナヅケ》しこと。神代よりの禮なりけり。とあり。○乃歌曰。こゝに上の一書に云へる。憶企都茂播の歌の入るべきを。混れて瓊々杵(ノ)尊の御歌となりて。上に出たること既に云るか如し。さてこゝに出たる。飫企都※[登+おおざと]利の歌は。異時に贈らせ給ふとすべし。【記には。こゝの贈答の御歌ども。反さまに出して。この飫企都※[登+おおざと]利の歌をば。阿軻娜磨廼の歌の。報歌とせり。此はさもあるべし。】○飫企都※[登+おおざと]利。奧《オキ》(1042)津鳥なり。奧に住鳥を云て。鴨の枕詞なること。野《ヌ》つ鳥雉家《イヘ》つ鳥|鷄《カケ》。島つ鳥|鵜《ウ》。などの例の如し。○軻茂豆久志磨爾。於2鴨着島《カモツクシマ》なり。記傳云。此(ノ)着は清音なるべき處なるに。度も豆も。【記には度と有】濁音なるは。古(ヘ)の音便にて。かゝる例多し。【武郷云。かくあれども。此豆はなほ清音によむべし。例あり。】さて着は寄《ヨル》と云むに同じ。【船などの寄をも。着と云り。又手着と手寄と。同きをも思へ。】島の海(ノ)神宮を指て詔ふなり。かくて鴨着と云までは。たゞ島と云名に係て。つゞけたる序のみなり。此(ノ)海神宮の。鴨の寄(ル)と云には非ず。さて海(ノ)底にある海神宮をしも。島とよみ賜へるは。海(ツ)路を經て到る處なる故に。海(ノ)表にある。尋常の島に准へて詔へるなり。と云り。○和我謂禰志。記傳云。契冲云。我|率《ヰ》寐しなり。妹を率て寢たりしなり。古事記雄略天皇御歌に。多斯爾波韋泥受《タシニハヰネズ》。また韋泥紀弖麻斯母能《ヰネテマシモノ》。【また萬葉十四十六にもあり。】みな率て寢るなり。と云り。凡て率とは。身に副へ附るを云て。【ゐてゆくは。身にそへて行なり。ひきゐは。引從へて身に添るなり。】率寐は。身に副(ヘ)附て寐るなり。とあり。○伊茂播和素邏珥。妹者不v忘なり。妹とは。豐玉姫を指て詔ふなり。記には。伊毛波和須|禮士《レジ》とあり。【記傳云。邏にても意は忘れじなり。凡てかく言の活く處は。五音の轉用定まれる格ありて。浸には通はし云者に非ず。其轉用に從ひて。意も轉るものなればなり。然れば忘れじを忘らじと云も。通音の故にはあらず。別に一(ツ)の活用にて。常にわすれ。わする。わするゝと。活用く格には非ず。わすらん。わすり。わするなど。活用く格なり。古(ヘ)然る例あり。隱も常にはかくれ。かくる。かくるゝ。と活用くを。古くはかくらん。かくり。かくるなど。多くいへり。これらと同じ。後(ノ)世にも。一(ツ)言の二種に活用く例あることなり。といへり。】○譽龍據※[登+おおざと]馭※[登+おおざと]母。記傳云。契冲云。世の盡《コト/”\》なり。世の限《カギリ》の意なり。萬葉二十に。多知之奈布《タチシナフ》。伎美我須我多乎《キミガスガタヲ》。和須禮受波《ワスレズハ》。與能可藝里爾夜故非和多里奈無《ヨノカギリニヤコヒワタリナム》。此意に同じと云り。萬葉二に。夜者毛夜之盡《ヨルハモヨノ/”\》。晝波母日之|盡《コト/”\》。十七に。久奴知許登其等夜麻波之母《クヌチコトゴトヤマハシモ》。之自爾安禮登母《シヾニアレドモ》。【これら。夜のかぎり。晝のかぎり。國内の限りにと云意也。】貫之集に。櫻花散(ラ)ぬ松にもならはなむ。色こ(1043)と/\に見つゝ世を經む。是は色のあらむ眼(リ)と云(フ)意なれば。此と正しく同じ。さて余は人の生涯を云世にて。御自の御|齡《ヨ》なり。【右の萬葉二十なる。貫之集なる皆おなじ。】凡ての人の命の間を。世《ヨ》と云こと。常多しと云り。【或人云。與波比は。世間《ヨハヒ》にて。生の間の意。世は天地の間。節は竹葦等の。節と節との間を云なれば。我生の間を。世とのみ云も。なほ同意なり。といへり。】記には母を邇とせり。○亦云。これより奉養といふまで三十字。下の以乳2養皇子1焉の上にあるべきを。後に前後になりたるにやあらむ。と葦牙に云れたるは。决て然る言なり。○取他婦人。本に他字なきは。脱しゝものなり。今は類史官本纂疏本見林本に依て加へつ。○乳母。纂疏に。謂2以v乳※[口+陷の旁]《クラハシムル》v兒者1とあり。記傳云。淤毛と云は。兒を養育《ヒタ》す事をする婦人を。凡て云稱なり。其中に乳母は。殊に主とある者なる故に。唯に淤毛とのみ云なり。又親母も。主と養育す者なる故に。淤母と云なり。【親母を淤母と云は。養育す方に就て云稱なり。たゞ親母の古名と。心得るは委しからず。】さて親母を淤毛と云て。母字を然訓(ム)故に。乳母の淤毛にも。やがて其母(ノ)字のみを書(ク)は。古(ヘ)字に拘らざりししわざなり。乳母をたゞ淤毛と云る例は。萬葉十二。緑兒之爲社乳母者求云《ミドリゴノタメコソオモハモトムトイヘ》。乳飲哉君之於毛求覽《チノメヤキミガオモモトムラン》。【是は乳母と書たれども。必たゞオモ〔二字右○〕と訓べきこと。末句に淤毛とあるにてしるべし。】悔毛老爾來鴨我背子之《クヤシクモオイニケルカモワガセコガ》。求流乳母爾行益物乎《モトムルオモニユカマシモノヲ》。と見え。孝謙天皇の御乳母。山田宿稀比賣島と云人を。續紀二十萬葉二十に。山田(ノ)御母《ミオモ》とあり。和名抄に。乳母。日本紀師説|女乃《メノ》於止。言2妻(ノ)妹(ヲ)1也。事見2彼書1。唐式云。乳母和名米乃止。辨色立成云。※[女+爾]母。今按即乳母也。和名知於母。とあり。○湯母。纂疏に。掌2湯藥1之入とあり。兒に湯を飲ましむる婦なるべし。○飯嚼。纂疏に。嚼(テ)v飯哺(シムル)v兒者とあり。飯をも口に嚼み和らげて。食はしむるなるべし。○湯坐。【三島本に坐下人字あり。雄略紀に湯人と書り。】纂疏に。洗2(1044)浴(スル)兒1者とあり。記に取2御母《ミオモヲ》1定2大湯坐《オホユヱ》若湯坐《ワカユヱヲ》1。宜2日足(シ)奉(ル)1とあり。記傳云。湯坐は子に湯を浴する婦と通えたり。其(レ)にとりて。惠と云義も。坐(ノ)字をかける由も。いかならむ。未思ひ得ず。【若くは由須惠なるを。由須を切(メ)て由なれば。由惠と云か。若然らば。見を湯中に坐る由にて。然るにや。なほさだかならず。】と云り。【姓氏録に。大湯坐若湯坐と云る姓あり。大若は。大小と云むがごとし。と記傳に云り。】○諸部。上の種々の婦人どもをいふ。○于時。皇子を養まつる時になり。○權用他婦。本に他(ノ)字(ノ)下にす。姫字あるは衍なり。今は活字本纂疏本秘閣本其他の本等に。なきに從る。さて權と云るは。纂疏に。養v子之道。母自(ニ)乳(スル)者是禮也。然後世亦有v用2他婦1。故擧(ル)2其始1也。とあり。【直指に。用(ル)2他婦1。非2正理1。故曰v權。などもあり。】○此世人云々。本に人(ノ)字を脱したり。今は丹鶴本に從る。御母の海神宮へ。かへり給ふによりて。權にかくものし給ふが。世に乳母を取て。兒養すことの始なりと云なり。
 
是後(ニ)豐玉姫。聞(テ)2其(ノ)兒《ミコノ》端正《キラ/\シキヲ》1。心(ニ)甚|憐重《アハレミアガメテ》。欲2復(タ)歸(リ)養《ヒタサムト》1。於v義《コトワリ》不v可《ヨカラ》。故遣(テ)2女弟《イロト》玉依姫(ヲ)1。以來養《キタシヒタシマツル》者也。于時豐玉姫命|寄《ヨセテ》2玉依姫(ニ)1。而奉(ル)2報歌《カヘシウタ》1曰。阿軻娜磨迺《アカダマノ》。比訶利播阿利登《ヒカリハアリト》。比播伊珮耐《ヒトハイヘド》。企弭我譽贈比志《キミガヨソヒシ》。多輔妬句阿利計利《タフトクアリケリ》。凡此(ノ)贈答二首《オクリカヘシノフタウタ》。號曰2擧歌《アゲウタト》1。驢。此云2美知(ト)1。踉※[足+旁]鉤。此云2須須美膩(ト)1。癡※[馬+矣]鉤。此云2于樓該膩1。
 
(1045)端正を。紀中多く伎良々々志と訓り。端麗。閑麗。佳麗。※[女+朱]妙。端嚴などをも然訓り。【萬葉九卷に。其姿之端正爾。とあるもしかよむべし。】靈異記にも。端正岐良々々之とあり。言義は清良《キヨラ》々々しなるべし。【物諸文などに。貌の麗はしきを。ケウラと云るも。清らの轉音にて同じ。記傳に。キラ/\シと云を。佛像より出たる言には非るか。と云れたるは。俗に物の光をキラ/\シ。と云に思ひまがへたるなり。○於義不可。始(メ)見たまひしことを。恨みまして。人やりならず。自(ラ)本國に歸り坐して。今更に參出給はむこと。有まじき事と思ほすなり。○遣女弟玉依姫。御姉の返(リ)去坐し時に。共に返去坐けんを。今又更に參らせ給へるなるべし。山蔭云。上に將2女弟玉依姫(ヲ)1來とありて。さて渉(テ)v海徑去といふ處に。此姫をも將て去坐るよしをいひて。こゝは來養の上に。還字。もしくは復字など。あらまほし。さて又女弟といふこと。上に既にあれば。こゝにはなくてあるべし。と云り。○豐玉姫命。山蔭に。命(ノ)字こゝにのみあるは。何の由にか。又此字を下へつけても。命寄とつゞかむこといかゞ。と云り。さることなり。【次の一書にも。豐玉姫命自抱而去。とあれば。例なきにはあらねど。なほいかゞなり。】○寄。山蔭又云。寄字も。託もしは屬などの字にてこそ有べけれとあり。されど。もとのまゝにてもありぬべし。延喜本に。依に作るはまされり。さて記に。因d治2養《ヒタシマツル》其御子1之|縁《ヨシニ》u。附2其弟玉依毘賣(ニ)1而。とあり。記傳云。附はことづくるなり。萬葉二十に。常陸さし行む雁もが吾戀を。しるして都祁弖《ツケテ》妹にしらせむ。古今集に。吹風に誂へつくる物ならば。此一本はよきよといはまし。伊勢物語に。宇都の山に至りて。云々修行者遇たり。云々京に其人の許にとて。書かきてつく。などある都久と同じ。さて此處の趣は。豐玉姫(1046)御自らは。本(ツ)國に還(リ)去(リ)給ひしかども。御子を。此國に遺(シ)置(キ)奉り給へる故に。其を治養奉らしめむために。御弟の玉依姫を。此度參らせ給ふ。其便に附給へるなり。記の趣と同じかるべし。○奉報歌。記には献歌とあり。記傳云。當時文字はなければ。後世の物に書て。其(レ)を献る如くには非ず。ただ御口傳へに。奏し賜ふを云なり。【宰は。御言持にて。いと古き稱なり。然れば御言を持(ツ)とも云むには。口して白す歌をも。献るといひつべし。又後に物に書て、贈ること出來ての世の詞を以て。賢るとは去傳へたるなるべし。】とあり。さて此御歌。聞2其兒端正(ヲ)1云々。によりて。よみたまへる歌とも通えず。又上の報歌とも通えず。此は守部の云れし如く。上の瓊々杵尊の詠玉へる。憶企都茂幡の御歌の。報歌なるが。まがひて。飫企都※[登+おおざと]利の御歌の。報歌となりしものなり。其よし憶企都茂幡の和歌の下に。委くいひおけり。記云。爾豐玉毘賣命云々。雖v恨2其伺情(ヲ)1。不v忍2戀心(ニ)1。因d治2養其御子1之縁(ニ)u。附2其弟玉依毘賣(ニ)1而。献v歌之。其歌曰。として此歌を出せり。此正しき傳なり。○阿軻娜磨廼。赤玉之なり。○比※[言+可]利播阿利登。光者有となり。記には。この二句。阿加陀麻波袁佐閇比迦禮杼《アカダマハヲサヘヒカレド》。とあり。【赤玉は。緒副雖v光なり。】○比※[登+おおざと]播伊珮耐。人者雖v言なり。記には斯良多麻能《シラタマノ》とあり。【白玉之なり。】○企珥我譽贈比志。君が光儀なり。君は夫君。火々出見尊を申し給へるなり。志は助辭なり。○多輔妬句阿利計利。貴(トク)有けりなり。この貴は。記傳にも云れし如く。多は發語にて。太占《フトマニ》。太祝詞《フトノリト》。太幣《フトミテグラ》等の太てふ賞言にて。凡て美く好きを云。尊卑の尊も。其賞愛中の一(ツ)にはあれど。後は其一方に偏りしなり。萬葉に春花之|貴在等《タフトカラムト》。催馬樂に安名多不止《アナタフト》。介不乃太不止左也《ケフノタフトサヤ》。などよめる。皆美く佳き意なり。一首の意は。赤玉の光甚|美好《メデタク》ありと。人(1047)皆はいへども。君が御光儀は。それよりも。なほ勝りて美好し。と云て。夫君の御光儀を。戀慕ひ奉る御意なり。○擧歌。此は後に樂府にて。諷ふ時。律呂の調子に隨て。低昂ある。その擧歌に用ゐしなり。記下卷遠飛鳥宮段に。夷振之上歌《ヒナブリノアゲウタ》とあり。記傳云。夷振は上卷に見ゆ。上歌は。神代卷に擧歌と見え。神樂採物歌に。諸擧《モロアゲ》と云あり。止に後擧《アイラゲ》歌と云あり。下に片下《カタオロシ》と云有。此らを相對へて思ふに。皆其歌ひざま。音振《ネブリ》に依て負たるなり。【然るを。擧歌の注に。纂疏に可2擧(テ)而唱(フ)1之歌也。とあるは。 おしあてのみだり説也。乳梁塵愚案抄に。諸擧の注に。歌のふしなりとあるは。さもあるべきを。次に第一句を略して。第二句を三かさねて。うたふを云り。とあるは心得ず、】○踉※[足+旁]鉤。本に之(ノ)字あるは衍なること。上に云るが如し。【能(ノ)字も。後の※[手偏+讒の旁]入なるべき事。已に云り。】○癡※[馬+矣]鉤。本に※[馬+矣]を駿に誤れり。【上に云り。】
 
一書曰(ク)。兄火酢芹命得2海(ノ)幸利(ヲ)1。弟火折尊(ハ)得(マス)2山幸利(ヲ)1云云。弟(ノミコト)愁吟《サマヨヒテ》《マス》2海濱(ニ)1。時(ニ)遇2鹽筒(ノ)老翁(ニ)1。老翁問|曰《マヲサク》。何(ノ)故(ニ)愁《ウレヒマス》2若此《カク》1乎。火折尊對(テ)曰。云々。老翁曰。勿復憂《ナウレヒマシソ》。吾將(ニ)計《ハカラハム》之。計(テ)曰(ク)。海(ノ)神(ノ)所(ノ)v乘(ル)駿《スグレタル》馬|者《ハ》八尋(ノ)鰐也。是(レ)竪《タテヽ》2鰭背《ハタヲ》1。而在(リ)2橘之小戸(ニ)1。吾|當《マサニ》與《ト》2彼者《カレ》1共(ニ)策《ハカラムトイヒテ》。乃將(テ)2火折(ノ)尊(ヲ)1。共(ニ)往(キテ)而見之。是時鰐魚策(テ)之曰。吾(レハ)者八日(ノ)以後《ノチ》。方《マサニ》《イタシマツラム》2天孫(ヲ)於海(ノ)宮(ニ)1。唯我|王《キミノ》駿《スグレタル》馬一尋(ノ)鰐魚。是(レ)當(ニ)一日《ヒトヒ》之内(ニ)。必奉(ム)v致《イタシ》焉。故(レ)今我(レ)歸(テ)而|使《ム》2彼(ヲ)出來《イデコサシメ》1。宜《タマヘ》2乘(テ)v彼(レニ)(1048)入(リ)1v海。入(タマハム)v海(ニ)之時(ニ)。海(ノ)中(ニ)自有(ム)2可怜小汀《ウマシヲバマ》1。隨《マニ/\》2其(ノ)汀(ノ)1而|進《イデマサバ》者。必至(リマサム)我(ガ)王《キミ》之宮(ニ)1。宮(ノ)門(ノ)井(ノ)上《ヘニ》當(サニ)v有2湯津杜樹1。宜d就(テ)2其樹(ノ)上《ウヘニ》1而|居《マシマ》u之。言(スコト)訖(テ)即入(テ)v海(ニ)去《ユキヌ》矣。
 
海幸利山幸利。この海山。諸本互に誤れり。今は水戸本。又集解に。據2熱田本1改。とあるに依て。改め訂せり。【但し永和古寫の熱田本にあらず。序に云。集解に熱田本とて引るは。今現る熱田本とは。往々異なるところあり。別本か。または引あやまれるか。知がたし。】○計曰。永享本計字なし。○海神所乘駿馬。此は鰐なるを。かく云(フ)は。すべて乘(リ)行(ク)ものを。宇麻といへるにや。【無目堅間小船。などある例をも思べし。】又此は。鹽土老翁の。いな皇御孫命に白すは。此國土にての事なれば。この國土のさまに取なして。馬とは語りなしゝにもあるべし。【此國土にては。乘行ものは。馬を旨とすればなり。さて次に。鰐魚の我王駿馬一尋鰐魚云々。と言へるも。皇御孫命に白す辭なれば。なほ上國の言につきて。我王駿馬と云るは。ともに妨なかるべし。】○竪其鰭背。【背。集解に據2纂疏本1脊に改めたり。然るべし。儀禮少儀曰夏右v鰭。鄭玄曰鰭(ハ)脊也。疏曰鰭謂2魚脊1】波多のことは。上卷に云り。○橘之小戸。上卷に出づ。この傳にては。皇御孫命の海宮に幸坐しは。日向の橘の小戸の海中なりとなり。いと珍しき傳なり。【上に云る。當國那珂郡に。鵜殿窟《ウドノイハヤ》とて。産殿の舊蹟。現今に存れるをも。考へ合すべし。】○共策。永享本策下之字あるよろし。○往而見之。葦牙云。見之とあるに。老翁と鰐と策《ハカリ》しこと。こもるべし。と云り。○鰐魚策之。此は皇御孫命を。海宮に奉(ル)v致(シ)日數を白すのみならず。海に入まして。海神の宮に至り坐(セ)ることまでを。鰐魚の策り云るは。異なる傳なり。これも始に。老翁と共に策りしことならむ。○乘彼入海。記傳云。一尋和邇に乘せる(1049)は海神宮より。還坐す度のことなるを。此一書の件は。其宮へ幸行すをりのことゝせり。とあり。○井上。韋能辨と訓べし。和名抄に。河内國【志紀郡】に井於《ヰノヘ》。甲斐國【山梨郡】に井上《ヰノヘ》と云郷名ありて。共に井乃倍とあり。【式に大和國平群郡猪上神社。萬葉七に井上。これらも地名なり。】井のほとりなり。○就其樹上。記にも其木(ノ)上とあり。記傳に。この上は下に對ふ上なり。【井上の上とは異也】次に登2其香木1とあるにて知べし。といへり。こゝも其意なり。
 
故天孫|隨《マヽニ》2鰐|所言《マヲシノコトノ》1。留居《トヾマリテ》相(ヒ)待(コト)已(ニ)八日矣。久之方(ニ)有(テ)2一尋鰐1來(レ)。因乘(テ)而入(ル)v海(ニ)。毎《コト/”\クニ》遵(フ)2前(ノ)鰐之教(ヘニ)1。時(ニ)有豐玉姫(ノ)侍者《マカダチ》1。持(テ)2玉鋺(ヲ)1當(ニ)v汲2井(ノ)水(ヲ)1。見v人2影在(ヲ)水底(ニ)1。酌取(ルコト)之不v得。因以仰2見(ツ)天孫(ヲ)1。即入(テ)告(グ)2其|王《キミニ》1曰《イハク》。吾|謂《オモヒキ》2我王獨(リ)能(ク)絶麗《スグレテカホヨシト》1。今有2一|客《マラヒト》1。彌復遠勝《オホクマサレリト》。海神聞(テ)之。曰《イヒテ》2試以察《コヽロミテムト》之1。乃設(ケテ)2三(ノ)床《ユカヲ》1請入《イレマサシム》。於v是天孫於(テハ)2邊《ホトリノ》床(ニ)1則|拭《ヌロヒ》2其(ノ)兩足《フタツノミアシヲ》1。於(テハ)2中(ノ)床(ニ)1則(チ)據《オシ》2其(ノ)兩手《フタツノテヲ》1。於(ハ)2内(ノ)床(ニ)1則|寛2坐《アクミヰタマヒキ》於眞床|覆《オフ》衾之上(ニ)1。海(ノ)神見(テ)v之。乃知(テ)2是(レ)天神之|孫《ミマニマストイフコトヲ》1。益々|加崇敬《アガメイヤマフ》云々。
 
豐玉姫侍者。こゝに海神之女と云べきこと。あるべきなれども。省きて記せるなり。○謂我王獨能絶麗(1050)云々。我王は。海神を指て云るなり。記云。有v人座2我井(ノ)上(ノ)香木之上(ニ)1。甚麗(ハシキ)壯夫也。益2我王(ニ)1而甚貴。とあり。記傳云。此益2我王(ニ)1とは。此婢の心に。常に綿津見神をのみ。甚貴き物に想(ヒ)居(ル)によりて。云る辭なりと云り。こゝも其(ノ)意なり。○設三床。口訣に。試設(ル)2三(ノ)床(ヲ)1者。以2禮容1察(ル)2神慮(ヲ)1也。とあるが如し。○邊床は。直指に下床也。とあり。俗に下の間なり。○拭其兩足は。未v詳。口訣に拭v足者卑v之也。【爾雅釋詁(ニ)拭清也。】とあれど。いかゞなり。強て按に。拭増韻拭(ハ)揩也。揩(ハ)博雅摩拭也。とあるによらば。足を高く擧げず。席に摩《ス》り附つゝ。靜かに歩み給ふさま。物を拭《ヌグ》ふが如きより。形容せる辭なるべし。【この説によらば。拭はスリと訓べきか。例などなきか考べし。】又按ふに。拭は跪(ノ)字の寫誤にはあらざるか。さらば跪《ヒザマヅキ》2其(ノ)兩足1とありしなるべきか。推古紀に。凡出2入宮門1。以2兩手1押v地。兩脚跪v之。とあるが如く。邊(ノ)床にして。まづ御足を跪くを云か。【比邪麻豆久は。地に膝を突て。屈まり居るにて。敬ふさまなり。故雄略紀に。跪禮をヰヤヒテとよめり。】次に中(ノ)床にして。御手を押し給ふは。即以2兩手1押v地なり。皇御孫命の御|禮容《フルマヒ》の。次序ありしさまを。云りしものなるべし。【岩本尚賢云。拭は式また軾などの字にはあらじが。式は論語(ノ)注に。式(ハ)車前(ノ)横木也。有v所v敬則俯而憑v之。字彙に。乘而俛v首致v恭曰v式。義取v憑v式也。又與v軾同。とありて。軾はヒザツキとよみて。名目抄には膝突と云り。小半疊のうすべりなりと云れば。軾をヒザツキとよめるも。かの憑v式とき。首を俛せ、膝を突くより。出し訓なるべければ。その訓を假りて。軾2其兩足1と書しものならんかと云り。この考もすてがたし。字形もいと近ければなり。なほよく考ふべし。○中床は。中の間なり。○據其兩手。今俗に云兩手を突くことなり。そは兩手のひらを以て。疊を押すが如く見ゆるに因て。兩手をおすとは云るなり。【手印をオシテと云るこれなり。】さて然するを禮とする事は。上古よりの習なること。こゝにかく見えたるが如し。【魏志なる皇國傳に。傳v辭(ヲ)説v事(ヲ)。或蹲或跪。兩手據v地。爲2之恭敬1。とあり。】○内床。直指に上(ノ)床也とあり。上の間なり。○寛座。阿具美(1051)は足組にて。此(ノ)卷の上に。踞字をよめり。【今も足組み居ることを。安坐すといへり。寛坐と意同じ。】重遠云。至2内床1則尊極(ル)矣。故天孫直(ニ)爲2己(ガ)座(ト)1而不v疑。とあるはさる説なり。○乃知是天神之孫云々。其禮容の尊嚴なるさまを見奉りて。常人ならずとおもひて。天神の御子に坐すことを知れりと云り。
 
海(ノ)神召(テ)2赤女口女(ヲ)1問(フ)之時(ニ)。口女自v口出(シテ)v鉤(ヲ)以|奉《タテマツル》焉。赤女即|赤鯛《タヒ》也口女即|鯔魚《ナヨシ》〔赤女〜□で囲む〕時海神授(テ)2鉤《チヲ》彦火々出見尊(ニ)1。因教(ヘマツリテ)之|曰《マヲサク》。還(サム)2兄(ニ)鉤(ヲ)1時(ニ)。天孫則|當2言《ノタマヘ》《イマシガ》生(ノ)子|八十連屬之裔《ヤソツヾキノスヱ》貧鉤《マチチ》狹々貧鉤《サヽマチチト》1。言《ノタマヒ》訖(テ)三下唾《ミタビツバキテ》與(ヘタマヘ)之。又兄入(テ)v海(ニ)釣(セム)時(ニ)。天孫|宜《タマヘ》d在《マシテ》2海濱(ニ)1以|作《シ》c風招《カザヲギ》u。風招即|嘯《ウソブクナリ》〔五字□で囲む〕如此(セバ)則吾起(シテ)2瀛(ツ)風邊(ツ)風(ヲ)1。以(テ)2奔波《ハヤナミヲ》1溺惱《オボラシナヤマサム》
 
赤女(ハ)即云々。【鯛魚。本に赤鯛と作り。永享本に赤字なし。さて類史塙本官本に魚字あり。今は其本どもに依て鯛魚とせり。】この十二字。纂疏本には。赤女口女の下に。細注として出せり。此は後人の※[手偏+讒の旁]入なるべければ。細註なるぞしかるべし。【さるは。赤女の鯛魚なるよしは。本書の下に已に見え。また口女の事も。上の一書に出たれば。そこにこそ注すべきを。さはあらで。こゝに注せるも。ことわりなし。】信友が比古婆衣(ニ)云く。この十二字。並ての例に似ず。もしくは。後人の注の※[手偏+讒の旁]りたるならむか。然るにても。古本どもにもありて。古き説なること。疑なければとるべし。さて鯔は。本草和名に。鯔似v※[魚+完]。【或人云。※[魚+完]を和名抄に。阿米に當られたるは誤なり。※[魚+完]はミともミゴヒとも云ふに當れり。和名抄に。〓文字集略云。〓(ハ)鯉(ノ)屬也。漢語抄云美。とあり。※[魚+完]を阿米(1052)に當て。別物とせられたるは誤なるべし。といへり。】而大頭也。出2崔禹(ニ)1。和名奈與之。また和名抄に。孫※[立心偏+面](ガ)切韻云(ク)。鯔(ハ)魚名也。遊仙窟云。東海鯔條(ト)。鯔讀2奈與之1。靈異記にも。鯔の訓を名吉と注せり。本草綱目に。鯔生2江河淺水中1。似v鯉身圓(ク)。頭偏(リ)骨軟(ナリ)。性喜(フ)v食(ヲ)v泥(ヲ)。と云へり。俗に菩良《ボラ》又伊勢鯉ともいへり。川に生れて。海にも入りてすむ物なるが。川に在るほどこそはあれ。海に入りては。いかに餌を誘ひても。さらに鉤呑ふ事なく。もとより尋常の魚どもの如く。はか/”\しく餌を食ふことなしとぞ。腹内なべての魚どもとは異樣にて。銜《モノハミ》だちたるものゝ中には。たゞ泥或は水苔の如きものゝみ多し。此(ノ)魚延喜式諸國の進御。また御饌の料などにも。すべて載られず。其ほか古書どもにも。然る例見えたる事なし。【はやく野必大と云人の著はせる。本朝食鑑に。鯔魚江海處々有v之。小者江河淺水(ノ)中(ニモ)亦生。云々状圓(ク)頭扁(メリ)。背黒肛白。性喜食v泥。而未v聞2食v餌者1。故不v能v釣v之。若搆v池通v湖。以畜(ヘバ)v之者貪v餌云々。俗所v謂夕食v鯔化爲v塊(ト)是也。といへり○因に赤女のことを考るに。鯔の類に。目と唇の朱《アカ》みたるがあるを。しくちといへり。江戸わたりにては。メナダといふ。永久百首に。俊頼卿。しくち曳くあこの濱屋に云々。とよみたまへる是なり。出羽の秋田わたりにては。鯔をシロメといひ。しくちをアカメといふ。シロメの腹内に。※[魚+未]《コ》の滿てあるをとりて。千かためたるを唐墨といふ。アカメには※[魚+未]あらずと。その國人かたれり。このアカメといへる。决て古名の遺れるなるべし。但し紀に赤鯛魚也。と書るは。漢名に當てたるなれど。其當否はおぼつかなし。さLしくちと云は。口女の口朱きよしにて。朱口と云が約まりたる。古きさとびごとにもあらむ。いづれにも。口といふ言由ありてきこゆ。】此(ノ)魚をなよしといふは名吉《ナヨシ》の義にて。【運歩集に。名吉。伊勢鯉。】かの不v得v預2天孫之饌1。即以2口女魚1所3以不2進御1者。此其縁也。とある古事を忌々しみ。此を食料とするうへは。言忌して名吉と呼かへたるものなるべし。【出羽の秋田わたりにては。ミヤウケチとも云とぞ。名吉と書く字音の訛れるなり○土佐日記元日の條に。今日は都のみぞおもひやらるゝ。こゝのへのみかどの。しりくめなはの。なよしのかしら。ひゝらぎら。いかにぞとぞいひあへる。とあるは。そのかみかの口女の喉の。鉤のために。痛み疼きたる古事によりて。元日にかの魚の頭と。杠谷樹を。宮門に挿れたりしなるべし云々。さてひゝらぎとしもいふは。葉さきの刺のく人の身に觸るれば。疼痛く由にて。名にも負せたるべければ。口女の鉤のために。喉のひゝらぎたるに。よ(1053)そへたる例にて。其は火々出見命の海神宮に幸して。かの失ひ玉ひし鉤を待て。上(ツ)國に還幸ましゝ賀儀なるべし。隼人式に見えたる。隼人の威儀に須ゐる楯に。鉤(ノ)形を書し例なるも。隼人は火酢芹命の苗裔なれば。元祖の徴鉤《チハタリ》の事によりて。辛苦(メ)られて。自伏たまへる故實を。表せるなるべし。神代紀に。此時の古事によりて。隼人等が狗人こなりて。宮門を衛り。また俳優して。仕奉る例となりし由の。みえたるにも。おもひ合すべし。】と云り。なほよく考べし。○彦火々出見尊。この一書にては。こゝも火折尊とあるべきなり。○八十連屬裔。本に裔を之裏二字に誤れり。今は丹鶴本明應本林氏校本に從て。改め正せり。○狹々貧鉤。狹々は小き事にて。いよ/\惡ききまに。言を重ねていへる詛言なり。○三下唾。これも呪詛のわざなり。後手に投賜。とあるに同じ。○入海釣時。本に釣(ノ)字鉤に作る誤なり。今嘉禎本類史本に依て改む。○風招は。風を招《ヲ》くわざなるべし。【招くの意は上卷に云り。】○風招即嘯也。嘯(ケ)ば風の起ることは。伊弉諾尊の吹撥(ハセル)之氣に。風神の生(リ)坐(セ)ると同義なり。【漢籍に虎嘯(テ)而風起などあるも。風招のわざを。虎の知れるにこそ。さて思ふに。此五字纂疏細註とせり。後人の書入なるべし。次に弟居(テ)v濱而嘯之時。とあるを思ふべし。嘯はウソブクとのみ云れど。字鏡に宇曾牟九とも註せり。字書に嘯蹙v口而出v聲。とあるにて意を得べし。竹取に。うそをふきあふぎをならす。ともあり。】○以奔波溺悩。此一書また潮滿瓊潮涸瓊のことなし。第一一書と同じく。吾起2瀛風邊風1以云々。とあるぞ。其ことにあたれる。
 
火折(ノ)尊歸|來《ミタシテ》。具(サニ)遵(フ)2海(ノ)神(ノ)教(ニ)1。至2及《イタリテ》兄(ノ)釣(スル)之日(ニ)1。弟|居《マシマシテ》v濱《ウミベタニ》而|嘯《ウソビキタマフ》之。時(ニ)迅|風《チ》忽(ニ)起(レ)。兄則(チ)溺苦《オボレナヤミテ》無(シ)v由(シ)v可v生《イク》。便(チ)遥(ニ)請《マヲシテ》v弟(ニ)曰(ク)。汝久(シク)居《マシキ》2海原(ニ)1。必有(ラム)2善(キ)術《ワザ》1。願(ハ)以救(ヒタマヘ)之若活(ケタマハヾ)v我(ヲ)者吾(ガ)生(ノ)兒(ノ)八十連屬不(シテ)v離(レ)2汝之垣邊《イマシミコトノミカキノモトヲ》1。當(ニ)《・ム》v爲《タラ》2俳優(1054)之民《ワザヲギノヒト》1也。於是弟嘯(クコト)已(ニ)停《ヤミテ》。而風亦|隨息《フキトヾマリヌ》。故兄知2弟(ノ)徳《イキホヒヲ》1。欲《スルニ》2自伏辜《シタガヒナムト》1。而弟|有慍色《オモホテリシテ》。不與共言《アヒイハズ》。於是兄|著犢鼻《タフサキシテ》。以(テ)v赭《ソホニヲ》《ヌリ》v掌《タナウラニ》塗(リ)v面《オモテニ》。告《マヲシテ》2其弟(ニ)1曰。吾(レ)汚《ケガスコト》v身(ヲ)如v此(ノ)。永《ヒタブルニ》爲(ラム)2汝|俳優者《ワザヲギヒト》1。
 
具遵海神教。本に海(ノ)字を脱せり。平田氏校本の一本に依て補へり。○至及兄釣之日。及字本に乃とあるは誤なり。鎌倉本北野本直指本等に從て改む。【釣字。本鈎に作るも誤なり。今は類聚國史の本による。】○必有善術。迅風の起るを。弟(ノ)命の風招し給ふゆゑとは知らずて。風を息る術を。知給へらば。いかで救ひ給へ。と言ふなり。○不離汝之垣邊云々。第二(ノ)一書に。不v離2天皇宮墻之傍(ヲ)1。代2吠(ル)狗(ニ)1而奉事者也。とあるに同じけれども。爲2俳優之民1也。とあるは事たがへり。そは上にも云る如く。不v離2汝之垣邊1は。所謂|狗《イヌ》人にて。【記に守護人とあり。】狗に代り吠て。守護仕奉るをのたまへる御言。また俳優之民とならんとのたまへる方は。御守のかたにあらねば。不v離2汝之垣邊1とは異なり。上にも云る如く。此時の事。狗人と俳人と二つなるかまぎれて。一(ツ)傳はりしより。かくはまがへるなり。なほ第二(ノ)一書のもとに云へりしことゞも。考合すべし。○風亦隨息。隨字本に還に作る。それもあしからねど。丹鶴本に隨とある方。今少しまされゝば。其に依りつ。○欲自伏辜。丹鶴本願とあり。辜は秘閣本北野本に事に作れり。上にも例あれ(1055)ば然るべし。○弟有慍色。始よりの事をおもほすに。すべて兄の無道さがなかりしより。甚くわびしき目見給へれば。急に御心の解たまはぬなるべし。○犢鼻。倭名抄装束部に。史記云。司馬相如著2犢鼻1。韋昭曰。今三尺布作v之。形如2牛鼻1者也。唐韻云。※[衣+公](ハ)小褌也。楊氏漢語抄云。毛乃之太之太不佐岐《モノシタノタフサギ》。一云水子(ハ)小褌也。とあり。雄略紀。天武紀。萬葉集に。みな犢鼻を多不佐岐とよめり。新撰字鏡には。※[衣+鼻]をもよめり。【形如2牛鼻1とあれど。下學集には男根如2犢鼻1とあり。】谷川氏云。今も上總に此語殘れり。承久記に。佐々木が宇治川を渉りしに。裸になり。たふさぎばかりをかけてと見ゆ。今の旅股引の類なるべし。とあり。中昔の書に。手綱といひ。また膚(ノ)帶とも。下帶とも云たる。これ同物なり。名義詳かならず。袖中抄に。褐《カチ》の尻を後ろより前へ引たふさぎて云々。と云(フ)ことあれば。たふさぎは。たふさぐと云用言を。體にいひなせる辭なるべし。【和名抄云。褌方言注云。袴而無v※[足+奇]。謂2之褌1。音昆。須萬之毛能。一云知比佐岐毛能。箋注云。舊※[足+奇]作v跨。諸本同。今從2原書1改。無v※[足+奇]謂3袴之無2近v足之處1也。原書卷四云。無v※[衣+同]之袴謂2之※[衣+鼻]1。郭注云。袴無v※[足+奇]者。即今犢鼻褌也云々。新撰字鏡。褌訓2志多乃波加萬1。蓋當時既有2今袴1。著2之内衣上1。故呼v褌爲2下袴1。然猶未v失d謂v褌爲2波加萬1之稱u也。とあり。】さて犢鼻を著るは。素膚になりたるを云なり。○以赭塗掌塗面。赭は赤土なり。萬葉集に。爾布能麻曾保乃伊呂爾低※[氏/一]《ニフノマソホノイロニデヽ》。また赤曾保舟《アケノソホブネ》などいへり。掌《タナウラ》は手之裏《テノウラ》なり。【またタナソコとも云へり。】さてかく面に。赭を塗りて。さまをかふるは。賤しきわざの限りなるべし。【今(ノ)俗にも。恥辱見することを。顔に泥を塗るなどいふめり。】また掌に塗るは。面を塗むとして。自らの掌の塗られたるを云か。また故に掌を塗れるか。○汚身如此。これにて肌赤になり。赭を塗るは。尋常の辱に非ざる事を知べきなり。
 
(1056)乃擧(テ)v足(ヲ)踏行《フミテ》。學《ナラフ》2其溺(レ)苦(メル)之|状《カタチヲ》1。初(メ)潮《シホ》《ツク》v足(ニ)時(ハ)則|爲《ナシ》2足占《アシウラヲ》1。至(ル)v膝時(ニハ)則(テ)擧v足(ヲ)。至(ル)v股(ニ)時(ニハ)則(チ)走(リ)廻(ル)。至(ル)v腰(ニ)時(ニハ)則|抱《イダキ》v腰(ヲ)。至v腋《ワキニ》時(ニハ)則(チ)置2手(ヲ)於胸(ニ)1。至(ル)v頸《クビニ》時(ニハ)則(チ)擧(テ)v手(ヲ)飄掌《タヒロカス》。自v爾《ソレ》《イタルマデニ》今(ニ)曾(テ)無(シ)2廢絶《ヤムコト》1。
 
擧足踏行。記傳云。こはまづ惣てを云るにて。初潮云々より。飄掌と云ふまで。その種々の状態なりといへり。これ即(チ)隼人の俳優の始なり。○學其溺苦之状。これ俳優の状なり。さるは葦牙に。たゞ爲2俳優之民1。とのみにては。猶弟命の御心とけ給はぬ御氣色なれば。今其溺れ苦める状を學びて。生(ノ)兒(ノ)八十つゞきに。忘れずかく任奉らむと。申し姶ふなるべし。と云れたり。○足占。纂疏に。謂v不v安2足(ヲ)於一處(ニ)1。とあるは。據ありて云るにや。おぼつかなし。今按ふに古(ヘ)足占といひて。足にて占ふ占方のあるが。今足を擧て苦む状の。おのづから其足占を爲さまに似たるより。譬喩ていへりしものなるべし。さて其占は。萬葉十二。月夜好門爾出立足占爲而《ツクヨヨミカドニイデタチアウラシテ》。往時禁八妹二不相有《ユクトキサヘヤイモニアハザラム》。また四。月夜爾波門爾出立夕占問《ツクヨニハカドニイデタチユフケトヒ》。足卜乎曾爲之行乎欲焉《アウラヲゾセシユカマクヲホリ》。とあり。考云。まづ歩の數を定置て。歩の奇偶もて。合(ヒ)不(ル)v合を知ること。今人のするには異ならじか。と云り。また續古今集に。【別。權中納言定頼。】行き行かず問はまほしきは【一本聞かまほしきは。】何方に。踏定むらむあしうらの山。【細川玄旨法印。九州路の記に。かならずの旅の行へはよしあしも。問はでふみゝるあうらの山。この山丹後國熊野郡にあり。】とあ(1057)り。【信友が正卜考云。この占合さまも。詳ならぬを。あしうらの由の歌詞によりて。推考るに。俗に童子などのする趣にて。まづ歩きて。踏止るべ標を定めおきて。さて吉凶の辭をもて。歩く足に合せつゝ。蹈わたり。標の處にて。蹈止りたる足に當りたる辭を以て。吉凶を定むるわざにもやあらむ。さるはこゝも。もはら道路などにて。爲べければ。岐(ノ)神に申してするなるべし。萬葉集に。夕占と足占と。兩度せし趣にきこゆるをも思合すべし。但しその萬葉集に。足占と書るは。歌詞の調によりて。アウラとよむべけれど。アシウラなりと云り。】○則擧足。水の足に漬るを。苦みての状《シワザ》か。○走廻。前の一書に。足走2登高山(ニ)1。則潮亦没v山。兄縁2高樹(ニ)1。則潮亦没v樹。兄既窮途。無v所2逃走1。とある時の状なり。○抱腰。本に抱を捫に作る。【字書に捫(ハ)持也】纂疏に。捫v腰謂2以v手持1v腰也。と云へり。又按に靈異記中【第一條】に。沙彌摩v頭|捫《ノゴヒテ》v血※[立心偏+希]哭。と云事もあり。是もよしあり。されどなほ。丹鶴本に抱v腰とある方勝りたれば。今はそれに從りつ。【持も抱も同じさまなれど。抱とあるかた。水のつきてすべなきさまに見(ユ)めり。】○至腋時。本に時字なし。丹鶴本永享本北野本に依て加へつ。○置手於胸。此は心得がたし。若くは游くさまなどを云るにか。【纂疏に。置2手於胸1者。以2心胸煩悶(スルヲ)1也。環翠の説に。心が遠くなるほどに。手を以て胸にあつるぞ。とあり。】○擧手飄掌。纂疏に。飄掌以v掌拍v水也。とあり。溺るゝ時の體にて。なにとも爲むかたなき時のわざなるべし。【ひろかすは。ひるかへすなり。字鏡に〓を。ヒロゴルと訓り。】○曾無廢絶。記に。故至v今。其溺(シ)時之種々之態。不v絶仕(ヘ)奉(ル)也。とあり。記傳に。彼弟命の鹽盈珠を出し賜へる時。溺れ苦みたりし状態を。令似《マネビ》行ふを云。然子孫に至るまで。この状態を奉仕るは。此時に伏辜奉りし事を。長へに忘れぬよしなり。と云り。されど熟考るに。此時の種々の御態は。後の隼人らが。此時の状を學び似せて。俳優につくりし態を。【上に引る令。また式に見えたる。隼人の歌舞ぞ。この時のことの殘りなりける。】神代に回らして。火闌降命の爲給ひし状態なりと。語傳へしものなるべし。其はこゝに見えたる。種々の御態の中に。著2犢鼻1。以v赭塗v掌塗v面云々。などの御態よ。いかに俳優ならんか(1058)らに。火闌降命は。正しき皇御孫命の御兄に坐せり。さるさまを所見行して。御心娯しくおもほしめさじ。思ふに此時兄(ノ)命の告給ひしは。子孫を俳優之民と爲し。又守護人と爲むと。請し給へるに依て。其生の子孫の時に至りて。其御祖の溺時の状態を。令似《マネビ》行ひて。俳優の状は。つくり出たまひしにこそあらめ。火闌降命の。此時の御態旺はあらじとぞおもはるゝ。後人なほよく考ふべし。
 
先(ニ)v是(ヨリ)豐玉姫|出来《デミタシタテ》。當v産時《コウマムトスルトキニ》。請《マヲシテ》2皇孫(ニ)1曰。云々。皇孫不v從《ヒタマハ》。豐玉姫大恨(テ)之|曰《マヲサク》。不(シテ)v用2吾(ガ)言(ヲ)1。令《セツ》2我屈辱《アレニハヂミ》。故(レ)自v今|以往《ユクサキ》。妾(ガ)奴婢《ツカヒビト》至(ラバ)2君(ノ)處《ミモトニ》1者。勿復放還《マタナカヘシソ》。君(ノ)奴婢《ツカヒビト》至(バ)2妾|處《モトニ》1者。亦|勿復還《カヘサジ》。遂(ニ)以(テ)2眞床覆衾及|草《カヤヲ》1。※[果/衣]《ツヽミテ》2其|兒《ミコヲ》1置2波瀲《ナギサニ》1。即(チ)入(テ)v海(ニ)去(ヌ)矣。此(レ)海陸《ウミクガ》不(ル)2相|通《カヨハ》1之|縁《コトノモト》也。一云。置2兒於波瀲1者非也。豐玉姫(ノ)命|自《ミヅカラ》抱(キテ)而|去《ユク》。久(シテ)之|曰《マヲシタマハク》。天孫之|胤《ミコ》《ズトイヒテ》v宜(ラ)v置(マツル)2此(ノ)海(ノ)中(ニ)1。乃使2玉依姫(ニ)抱《イダカ》1之送(リ)出《イダシマツル》焉。初(メ)豐玉姫|別去《ワカルヽ》時。恨言既切《ウラミゴトヒタブルナリ》。故(レ)火折(ノ)尊|知《シロシメシテ》2其(ノ)不(ルコトヲ)1v可(ラ)2復(タ)會(フ)1。乃有2贈(ル)歌《ミウタ》1。已(ニ)見v上(ニ)。八十連屬。此云2野素豆々企1。飄掌。此云2陀毘盧箇須1。
 
(1059)當産時。これより上に。姙娠たまひしことをいはざるは。略きたるなり。○妾奴婢君奴婢とは。海陸に生出るものを。すべて云るなるべし。○及草。此二字。古今顯注に引るにはなし。眞床覆衾をもて。裹給ふとあるに。また草を以て裹とあるは。いかゞなれば。及草は衍かともおもへど。なほこれも鵜草《ウガ》と見たらんには。ありても妨なし。○置兒於波瀲者非也の八字。何の言ともきこえず。いかゞなり。信友校本に此八字无きや。よろしからん。○自抱而去。平田翁云。此は記また本書第一第三第四の一書どもに。生置きて獨還り給へると有とは。異なる傳説なり。何れ宜けむ。今定めがたしといへり。○抱之。抱字本に持字に作れり。今は永享本に依て改む。○初豐玉姫。山陰云。此文いかゞ。こは即入v海去矣。といふよりつゞきたる處なれば。初といふべきにあらず。また豐玉姫といふことも有べきにあらず。たゞ其將2別去1時とこそ有べけれ。思ふにこは此御歌を贈りたまへる事。若くは此傳説にては。ほど經て後の事なりし故に。その意を以て。初云々とは書給へるにや。さるにても。なほ上文よりのつゞきかなはざるなり。とあり。○有贈歌。記傳云。これ一(ノ)傳なり。又但已見v上と云に。答歌をもこめたるにてもあるべし。とあり。さてこの贈る歌は。上の飫企都※[登+おおざと]利の御歌なり。○陀※[田+比]廬簡須。本に須(ノ)字(ノ)下に也字あるは。例にたがへり。永享本秘閣本環緑軒本活字本及類史になし。これに從るべし。
 
(1060)〔神皇承運章〕
彦波瀲武※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合尊。以2其|姨《ミヲバ》玉依姫1爲v妃《ミメト》。生《ナシマセリ》2彦五瀬《ヒコイツセノ》命(ヲ)1。次|稻飯《イナヒノ》命。次(ニ)三毛入野《ミケイリヌノ》命。次(ニ)神日本磐余彦《カムヤマトイハレヒコノ》尊。凡生(マシキ)2四(ノ)男《ヒコミコヲ》1。
 
姨は。新撰字鏡に。姨母(ハ)乎波とみえ。和名抄に。唐韻云。姨(ハ)母之姉妹也。爾雅云。母之姉妹曰2從母1。母方乃乎波。とあり。【記傳云。祖父祖母は大《オ》父|大《オ》母の意にて。於遲於婆と云。父母の兄弟は。小《ヲ》父|小《ヲ》母の意にて。袁遲袁婆と云。於と袁と大小の差あり。と云り。】○彦五瀬命。御名義は。五瀬は記傳に嚴稻《イツシネ》なりと云り。いかゞあらむ。○稻飯命。御名義此字の意なりと。記傳にいへり。○三毛入野命。名義。三毛は御食《ミケ》なり。入は伊呂兄伊呂妹の伊呂と一ツにて。親み愛はしみていへる稱なり。野は主なりと。記傳に云り。○神日本磐余彦尊。此大御名は。天下所知看ての上に。稱(ヘ)奉れる物なり。【次の一書にしか見えたり。】さて神と申し。倭 申すは論なきを。伊波禮としも稱申せるは。大和の地名に依りし御名なるべし。【記傳云。大和國十市郡に。此地名はあれども。大御名に稱へ申すべき由縁は。ありともきこえず。但し書紀(ノ)此御卷に。夫磐余之地。舊名|片居《カタヰ》亦曰2片立《カタタチ》1。逮2我皇帥之破1v虜也。大軍集而|滿《イハム》2於其處1。因改v號爲2磐余1。とあるに因て考ふるに。皇軍倭國に到て。此時大く振《サカリ》になりて。集滿たるを賀て。稱奉れるにもやあらむ。若然らば。彼(ノ)地(ノ)名を取れるにはあらで。たゞ皇軍の倭にして。集滿る由の御名にて。又其地の名にも負せしなるべし。又或(ヒハ)臼。天皇往(ニ)甞2嚴瓮(ノ)粮(ヲ)1。出v軍而征。此(ノ)時磯城八十梟帥。於2彼地1屯聚居《イハミヰタリ》之。果與2天皇1大戰。遂爲2皇帥1所v滅。故名曰2磐余邑1。ともあるに依らば。あるが中に。強き敵に勝給ひし地なるを似て。その地名なるを以て。稱奉れるにもあらむか。思ひさだめがたし。】とあり。○凡生四男。記云。天津日高日子波限建鵜葺艸葺不合命。娶2其姨玉依毘賣命(ニ)1。生(ル)御子名(ハ)五瀬命。次(ニ)稻氷命。次(ニ)御毛沼(ノ)命。次(ニ)若御毛沼(ノ)命。亦名(ハ)豐御毛沼(ノ)命。亦名(ハ)神倭伊波禮※[田+比]古(ノ)命。【四柱】故(レ)御毛沼命者。跳2波(ノ)穗(ヲ)1。渡2坐于常世國(ニ)1。稻氷命者。(1061)爲2妣國(ト)1。入2坐海原1也。となり。此三柱(ノ)命の御事蹟は。神武紀に出て。そこに委しく云べし。
 
久(クマシ/\テ)之彦波瀲武※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合(ノ)尊。崩《カムアガリマシヌ》2於西(ノ)洲之宮《クニノミヤニ》1。因(テ)葬《ヲサメマツル》日向(ノ)吾平《アヒラノ》山(ノ)上(ノ)陵《ミサヽギニ》1。
 
西洲之宮。諸本洲を州に作る。今は鎌倉本永享本安倍本等に依る。記に。日子穗々手見(ノ)命者。坐2高千穗(ノ)宮(ニ)1。伍佰捌拾歳云々。また神倭伊波禮※[田+比]古命。與2其伊呂兄五瀬命1二柱。坐2高千穗宮1云々。とあるによらば。此命も高千穗(ノ)宮に坐ましゝこと。慮り奉られたり。されば此西洲之宮も。高千穗(ノ)宮なるべし。○日向吾平山上陵。諾陵式に。日向|吾平《アヒラ》山上陵。彦波瀲武※[盧+鳥]※[茲+鳥]草葺不合尊。在2日向國1。無2陵戸1。とあり。聖蹟圖志云。此は大隅國肝屬(ノ)郡吾平(ノ)郷|上名《カミミヤウ》村の内。中《ナカ》之嶽(ノ)上に。今倉王權現の社あり。此所なり。【巓上。東西四間餘。南北二間餘の平地にして。其眞中に。御前の柱立て。四方四尺餘。戌亥の方に向きて。大板葺の社あり。又社の後の方。二間半餘の平地つゞきて。其眞中に。土砂少し高くして。周(リ)一丈二尺餘の。丸き紫色の石。半は地中に有て。漸く一尺二三寸程出たり。國見嶽も同(ジ)。又社の御前。左の脇に樒生たり。巓上の四方には。躑躅及楊梅※[木+崔]。三葉躑躅等生たり。此嶽如v圖山間に烈しく秀たる嶽なれば。登るに一里。下るに半里と云所なり。周り凡一里程あり。往古は此嶽を。吾平山といひしよし。今も土人は。姶良の岫と云て。尊敬ふこといとふかし。】此處より。乾に當りて。鵜戸巖洞《ウトノイハヤ》あり。二十五六町程隔る。巖洞は北の方に向ひて。横十二間餘。奧入九間。高さ丈餘り。内に小板葺の社あり。一間四方。高さ九尺餘。又社の右の脇に。赤土にて。高(サ)三尺五六寸程。周り一丈一尺程盛立あり。俗に此處を眞の陵と言(ヘ)ども非なり。神代山陵考にもおなじ。扨又此所は。河の脇にて。陵のあるべき所ともおもはれず。又吾平山上陵とあるにもたがへり。今國人は。此處を深く齋き祭れども。六百年以前までは。皆中(ノ)嶽を尊敬せしよし。彼社の舊記に見えしと。土人云り。さもあるべし。因に云。寶暦の頃に。姶良郷の山伏何某。巖洞に讀經せむと。御前に小壇を構へたりしに。巖洞俄に鳴動して。二間ばかりくづれしとぞ。されば其已前までは。巖洞の奧入十一間もありしならむと。土人云。此處も尋常の(1062)地に非ずとおもほゆ。】河を隔て廟あり。鵜戸大明神と云。【四十間程隔る。大河内村の内なり。】寶殿。【東西三間。南北四間。西向にして。葺不合命及神武天皇を祭る。】舞殿。拜殿。北の脇に御供所あり。御庭の左右に。隋神王(ノ)社あり。鳥居二つあり。拜殿より内の鳥居まで。二十七間。外(ノ)鳥居まで二十町程。委しくは依(テ)v圖(ニ)しるべし。とあり。さて記傳云。諸陵式に。已上神代三陵。於2山城國葛野郡田邑陵(ノ)南原1祭v之だ。其兆域東西一町。南北一町。とある。此は筑紫は甚く遠き故に。此(ノ)處にして祭り給ふなり。【かゝれば。古(ヘ)より此御陵どもへは。御使を奉遣し賜ひし事なども。無かりけむ。故に其地もさだかならず。終に何處とだに知れずなりぬるなりけり。○武郷云。記傳記されたる頃までは。三陵の地未(ダ)詳ならざりければ。右の如く云れたるなり。されど。今は其御蹟どもさだかに知られて。其圖をさへ委く出されたり。己が此に引る説は。即其書に云るまゝを。引たるなり。】
 
〔第一一書〕
一書曰。先(ヅ)生2彦五瀬命(ヲ)1。次稻飯(ノ)命。次(ニ)三毛入野(ノ)命。次(ニ)狹野《サヌノ》尊。亦|號《マヲス》2神日本磐余彦(ノ)尊(ト)1。所2稱《マヲスハ》狹野(ト)1者。是(レ)年少時之號《ミトシワカクマシマストキノミナ》也。後|撥2平《ハラヒタヒラゲテ》天下(ヲ)1。奄2有《シロシメス》八洲《ヤシマヲ》1。故復(タ)加v號(ヲ)曰《マヲス》2神日本磐余彦尊(ト)1。
 
狹野尊は。地名に依れる御名なり。其は上に引る高千穗宮の蹟の事を。陵墓一隅抄に。宮趾霧島山麓。狹野神徳院後廣野原とある。狹野は神代よりの地名にて。此天皇未(ダ)少《イトケ》くまして。高千穗宮に坐々し時に。負せ奉りし御名なるべし。上代の御代々々の王等。居地(ノ)名を以て。申せる例あまたあり。この事記傳二十に委く云れたり。披き見るべし。○撥平天下。との事神武紀に出。
 
(1063)〔第二一書〕
一書曰。先生2彦五瀬(ノ)命(ヲ)1。次(ニ)三毛野《ミケヌノ》命。次(ニ)稻飯(ノ)命。次(ニ)磐余彦(ノ)尊。亦|號《マヲス》2神日本磐余彦火々出見(ノ)尊(ト)1。
 
彦五瀬命。本に彦(ノ)字なし。延喜木に據て補。○三毛野命。永享本北野本に毛下入字あり。○神日本磐余彦火々出見尊。丹鶴本火々出見四字なし。
 
〔第三一書〕
一書曰。先生2彦五瀬命(ヲ)1。次(ニ)稻飯(ノ)命。次(ニ)神日本磐余彦火々出見尊。次|稚三毛野《ワカミケヌノ》命。
 
稚三毛野命。稚は稱(ヘ)名。三毛入野(ノ)命の亦(ノ)御名なり。記には。若御毛沼命をば。磐余彦(ノ)尊の亦(ノ)御名と爲り。此紀と異なり。○神日本磐余彦火々出見尊。延喜本丹鶴本三島本嘉禎本に火々出見の四字なし。
 
〔第四一書〕
一書曰。先生2彦五瀬命(ヲ)1。次(ニ)磐余彦火々出見尊。次(ニ)彦稻飯(ノ)命。次三毛入野(ノ)命。
 
(1064)此段の御子等の次第ども。本書は記と。御子等の御名も。次第もよく符り。第一の一書は。異なることなし。第二(ノ)一書には。三毛野(ノ)命と稻飯命と相換れり。第二(ノ)一書は。記に磐余彦尊の亦名とあるを別神として。三毛野命を脱せり。第四(ノ)一書は。磐余彦尊を第二と爲たり。此は平田翁も云れたる如く。何れ正しからむといふこと。定(メ)がたけれど。記また本書第一(ノ)一書の。よく符へるに從ふべし。
 
日本書紀卷第二 終
 
熱田本嘉禎本私閣本三島本等。二(ノ)字下に神代下の三字あり。嘉禎本秘閣本活字本に。終字なし。
 
(1065)日本書紀通釋卷之二十二       飯田 武郷 謹撰
 
日本書紀卷第三
 
神日本磐余彦天皇 神武天皇
 
御名義上に出(ヅ)。天皇を須賣良美許登と申す義も既に云り。さて此御世より。天皇の號を負せ奉りしは。先々(ノ)三御代【瓊々杵尊。火々出見尊。葺不合尊。】をば。神代とし。此御代よりを皇代と立たるなり。さるは此御時。始て帝都を中州に定め。天(ツ)日嗣の大御業をも世に恢弘め。王澤《ミウツクシビ》はた遠く天下に及ぼし給ひければ。肇國所知看《ハツクニシロシメス》天皇と稱奉しも。先々の三御代には。遙に勝らせ給ひて。何事も此御代より。異なる差別のありける故なり。此御代よりを人代となし。葺不命尊以前を。神代とたてたることも。古き世の定なるべければ。天皇の號をも。即て此帝より負せ奉し物なるべし。通證にも。玉木正英説とて。神代未v有2天皇之號1。至v此始稱v之。所謂恢2弘天業1光2宅天下1之大號也。とあり。○神武天皇。此卷以下總て御代御代の天皇の御名の下に。如此漢風の謚號を小字に記せり。是又後の書入にはあらで。本よりかくあ
 
 
 
 
 
(1634)訓はいかゞなり。タヾムケリと訓べし。タヾムカフと云辭。古歌に多し。○其國曰日向。【日向下假名本國字あり】日向國風土記。此國地形直向2扶桑1。宜v號2日向1云々。又天書此件にも。帝遠望v東謂2近臣1曰。此國直向2於扶桑1。名之謂2日向國1也。とあり。按るに日向と云名は。既く神代に。伊弉諾尊の御禊の段に見え。皇孫命天降の段には。猿田彦大神と。天鈿女命の御問答の語にも見えて。いと舊きを。此御世に至りて。始て名の起本を云るは甚うたがはし。此は决く風土記の説の混ひて。此に出しものなりとすべし。其は次十八年の處に見えたる。火國の名の本を云て。茲知v非2人火1。故名2其國1曰2火國1。とあるなども。肥後國風土記に。崇神天皇御世に。天皇の詔に。火從v空下燒v山亦恠。火下之國可v名2火國1。とありて。さて景行天皇の御世に。此時の火の事を記して。天皇の詔に。燎之火非2俗火1也。火國之由知v所1以然1。とありて。既く火國の名は。崇神天皇の御世に始りしなるを混へて。此御世の事と爲るなど。すべてか/\る地名の起本などには。異説いと多ければ。なぞらへて此をも知べきなり。【なほ此事は。神代紀にも云おけるを合せみるべし。】
 
是日|陟《ノボリマシテ》2野中(ノ)大石(ニ)1。憶《シノビタマヒテ》2京都《ミヤコヲ》1而歌之曰。波辭枳豫辭《ハシキヨシ》。和藝幣能伽多由《ワギヘノカタユ》。區毛位多知區暮《クモヰタチクモ》。夜摩苔波《ヤマトハ》。區珥能摩保邏摩《クニノマホラマ》。多多儺豆久《タヽナヅク》。阿烏伽枳夜摩摩許莽例屡《アヲガキヤマコモレル》。夜摩苔之于漏破試《ヤマトシウルハシ》。異能知能《イノチノ》。摩曾祁務比苔破《マソケムヒトハ》。多多彌許(1635)《タヽミコモ》。幣愚利能夜摩能《ヘグリノヤマノ》。志邏伽之餓延塢《シラカシガエヲ》。于受珥左勢《ウズニサセ》。許能固《コノコ》。是(ヲ)謂2思邦歌《クニシノビウタト》1也。
 
陟。本渉に誤れり。熱田本類史に據る。○憶京都。十三年の下に。已六年とあるによらば。今年まで十年を經玉へり。止事なき大御身に坐々ながら。さる邊陲《ヒナノホトリ》に。數年を經玉へる大御心より。住馴玉ひし京都の方を。憶し出給へる。實に宜なる御事なりかし。○歌之曰。此大御歌を。記には倭建命のとして。到2能煩野1之時。思國以歌曰。夜麻登波《ヤマトハ》。久爾能麻本呂婆《クニノマホロバ》云々。又歌曰。伊能知能《イノチノ》。麻多祁牟比登波《マタケムヒトハ》云々。此歌者思國也。又歌曰。波斯祁夜斯《ハシケヤシ》。和岐幣能迦多用《ワギヘノカタヨ》云々。此者片歌也。と三首とせるが上に。辭も聊のたがひあり。何れも古傳なれど。其優劣なきにしもあらぬを。其はとりすべて御歌の下にいふべし。○波辭枳豫辭は。愛よしにて。豫斯は助辭なり。記には波斯祁夜斯とあり。【枳と祁とは通へり。また豫斯夜斯通音の例も。萬葉に此彼あり。】同じ事也。此事萬葉考別記に委し。凡て美賞《メヅル》ことを波斯と云。宇流波斯。【心愛なり】宇良久波斯。【心奇愛也】久須波斯。【奇愛なり】等のも皆同じ。さて此は次の和藝幣を慕はして。まづ詔へる御詞也。○和藝幣能伽多由。記には由《ユ》を用《ヨ》とせり。同じ事なり。記傳云。吾家之方|自《ヨリ》なり。和賀伊幣を約めて。和岐幣と云るは。高津(ノ)宮(ノ)段大后(ノ)御歌にも。和賀美賀本斯久邇波《ワガミガホシクニハ》。迦豆良紀多迦美夜《カヅラキタカミヤ》。和藝幣能阿多理《ワギヘノアタリ》。(1636)と見え。萬葉にはいと多くして。古への常なり。【五(ノ)卷には。和何幣ともあり。】さて古へは旅にして。本郷のことをば。家又吾家と多く云り。【國ともいへり】萬葉の歌なども然なり。【然るを。中昔よりこなた。其を多く故郷といへり。古(ヘ)萬葉の旅の歌などにも。他國にて本郷のことを。故郷とよめるは一(ツ)も見えず。】○區毛位多知區暮。記傳云。雲起來《クモタチク》もなり。久毛韋とは。常には雲の居る處を云へども。古は又直に雲を云ることも多し。萬葉三に雲居多奈引《クモヰタナビキ》。七に卷目之由槻我高仁《マキムクノユヅキガタケニ》。雲居立良志《クモヰタツラシ》。などあるも皆然なり。【契沖が。雲の居たるが。立來るなり。と云るはいかゞ。○武郷按に。雲居のゐは。動《ユル》ぐ意あるゐなり。直に雲の居るにあらず。地震《ネユリ》を奈韋と云なども同じ。】とあり。さて結の母は嘆息なり。○記に。此三句を一首として。此者片歌也とあり。記傳云。此御歌は。國思賜ひて。倭の方を望り賜へるに。其方の天に。雲の立來るを視給ひて。愛く思ふ吾家の方より。雲の立(チ)來《ク》よとよみ給へるなり。【物の悲哀き時には。何となく見ゆる物。聞ゆる物にも。心のとまりて。あはれなるは人情なり。】○夜摩苔波。倭はなり。彼雲居立來るを視そなはして。それに御心誘はれ出て。其倭は云々と。次の句共の事は。思ほし出てのたまふなり。○區珥能摩保邏摩。國(ノ)眞區まなり。記には。久爾能麻本呂婆とあり。同じ事なり。信友云。麻は眞なり。記の本呂は書紀に保邏とある。呂羅相通はしいふ。例の同言にて。物につゝまれたる内の廣きを云ふ。巖穴土穴などの。内の廣きを洞と云ふと。義は同じ。婆は摩と互に親しく通ふ音にて。いづれも助辭也。意は。大宮所の夜麻登は。山の周廻れる内の眞保羅にて。善美《ウルハ》しき國なり。とのたまへるなり。神武紀に。觀2夫畝傍山東南橿原(ノ)地(ヲ)1者。蓋國之|墺區《モナカ》乎。可治之。是月即命2有司1。經2始帝宅1。と記されたるも此處なり。墺區は。文選西都賦に。防禦之阻。則天地之墺區。注に墺區(ハ)深險之處也。とみえ。また玉篇に。墺(ハ)四方土(1637)可v居也。險(ハ)嚴也。など注へる如き義に據りたる文なるべし。墺區の舊訓。モナカとよみたれど。古意古言によりて。マホラとよむべし。しかればこの御歌の。國の麻保羅。麻本呂。いづれにても。山周廻れる内國の義と通えたり。これをもおもひ合すべし。○多多儺豆久。守部云。疊靡附《タヽナミツク》にて。彼四面に重り立る山等の。形容を以て。連け玉ふなり。と云り。帚木に。山のけしきこぶかく。世はなれてたゝみなし。○阿烏伽枳夜摩摩許莽例屡は。青垣山隱有なり。記傳云。萬葉一に疊付青垣山《タヽナヅクアヲガキヤマ》。【付(ノ)字を本に有と作て。タヽナハルと訓れど。たゝなると云に。有(ノ)字は添ふべき例に非ず。有(ノ)字ありては。タヽナハレルと。訓べき例なり。故(レ)此は。師(ノ)付の誤と云れたるがよろしき。】十二に田立名付《タヽナヅク》青垣山。六に立名附青墻隱などあり。書紀神武卷に。抑又聞(クニ)2於鹽士(ノ)老翁(ニ)1。曰(ク)。東(ニ)有(テ)2美地1。青山四周《アヲガキヤマヨモニメグレリ》。とある即(チ)倭(ノ)國を云るにて。此(ノ)意なり。と云り。さて記傳に。阿袁伽枳夜摩を句にて。許莽例屡と訓れたるはよろしからず。【十言一句とすべし】○夜摩苔之于漏破試。倭し愛しにて。之は助辭也。守部云。京を愛《ウルハ》しみなつかしみ所念てなれば。初句の波辭枳豫辭を。此に對へてみるべし。即子漏波試も裏愛《ウルハシ》にて。うみ悲し。うら怜し。などのうらなるを。連(キ)に引れて。うると將いはるゝなり。と云り。【八言一句とすべし】○異能知能。命之なり。○摩曾祁務比苔破。將《ケム》2眞幸《マサキ》1人者也。記に。麻多《また》祁牟比登波とあり。將v全人者にて。意は同じ。○多々彌許莽。記傳云。疊菰にて。次の幣に係れる枕詞なり。然連くる由は。疊《タヽ》みたる菰重《コモヘ》と云るなり。【重《ヘ》は。二重三重八重などの重なり。】疊《タヽム》とは重ぬることにて。菰を疊ねて幾重もある意に重《ヘ》と云り。又疊をば。既に疊《タヽミ》と云物にしたる名として。疊の菰とも見べし。【菰などを。疊み重ねて造れる物を。疊と云なり。】其(レ)も幣とつゞく意は上に同じ。萬葉十(1638)六。薦疊平群《コモダヽミヘグリ》とあるも。同意のつゞけなり。又八重疊平群之山ともあり。又十一に疊薦隔編數《タヽミコモヘダテアムカズ》。十二に疊薦重編數《タヽミコモカサネアムカズ》などあるも。幾重も重ねて重《ヘ》をなす意にて同じ。○幣愚利能夜摩能。平群之山之にて。大和國平群郡なる山なり。大和志は平群谷(ノ)上方とあり。○志邏伽之餓延塢。白檮之枝をなり。記には久麻加志賀波袁《クマカシガハヲ》とあり。隱白檮《クマカシ》之葉をなり。記朝倉宮朝大御歌にも。多々美許母《タヽミコモ》。幣具理能夜麻能《ヘグリノヤマノ》。許知碁知能《コチゴチノ》。夜麻能賀比爾《ヤマノカヒニ》。多知邪加由流《タチサカユル》。波毘呂久麻加斯《ハビロクマカシ》。とあれば。當時橿に名ある山なりけん。和名抄橿和名加志とみゆ。古書に檮樫等の字を書て。白赤の二種あり。○于受珥左勢許能固【八言一句】は。髻華《ウズ》に挿《サ》せ此子なり。記傳云。髻華は。推古卷に。十一年十一月。始行2冠位(ヲ)1云々。并(テ)十二階。並以2當色(ノ)※[糸+施の旁](ヲ)1縫之。頂(ハ)撮總《トリスベテ》如(クニシテ)v嚢(ノ)。而着(ク)v縁(ヲ)焉。唯元日(ニハ)著2髻華(ヲ)1。髻華此云2于孺《ウズト》1。また十六年八月。召2唐(ノ)客於朝廷(ニ)1云々。是(ノ)時皇子諸王諸臣。悉以2金(ノ)髻華(ヲ)1著《サス》v頭(ニ)。また十九年五月五日。藥2獵於兎田野1。是日諸臣服(ノ)色皆隨2冠(ノ)色(ニ)1。各著2髻華(ヲ)1。即大徳小徳(ハ)並《ミナ》用v金(ヲ)。大仁小仁(ハ)用2豹《ナカツカミノ》尾(ヲ)1。大禮以下(ハ)用2鳥(ノ)尾1。孝徳卷に。大化三年。是歳制2七色一十三階之冠(ヲ)1云々。小錦冠以上之|鈿《ウズ》。雜(ヘ)2金銀(ヲ)1爲v之。大小青冠之鈿(ハ)。以v銀爲v之。大小黒冠之鈿(ハ)。以v銅爲v之。建武之冠(ハ)無v鈿也。【釋に。宇須《ウズ》者珠之玉冠歟。兼方按之。髻華者鈿也。今(ノ)世(ノ)挿頭花《カザシノハナ》象v之歟。と云へり。これに珠之玉冠歟と云るは非なり。鈿字は説文に金華也としるせり。】萬葉十三に。神主部之。雲聚山蔭《ウズノヤマカゲ》。【山蔭は日影葛《ヒカゲカヅラ》にて。其を鈿にしたるなり。】十九に。島山爾安可流橘《シマヤマニアカルタチバナ》。宇受爾指《ウズニサシ》。など見えて。木草の枝を頭に挿すを云。【宇受にさすと云は。別に宇受と云物ありて。其(レ)に挿には非ず。挿物ぞ即宇受なる。】後(ノ)世に挿頭《カザシ》と云物。即(チ)古(ヘ)の髻華《ウズ》なり。然るに右の推古紀孝徳紀に見えたる。冠位の級に隨(ヒ)て。金銀及物の尾などを以て。造りて挿《サセ》(1639)るは。上代の爲《シワザ》には非ず。【其は推古天皇の御時に。始(メ)て制られたるにやあらむ。】萬葉の歌によめるぞ。古(ヘ)のさまなる。とあり。許能固は此子なり。記に曾《ソ》能古とあるは。其子《ソノコ》にて。上に命《イノチ》の全《マタ》けむ人はとある。其(ノ)人を指(シ)て詔へるなり。凡て古(ヘ)は。男女共に人を子と云ること多し。いざ子等《コドモ》などいへるが如し。○此御歌の凡ての意は。彼倭國は。青垣山四周りて。愛くなつかしき帝都の地なるを。其宮城にも得かへらず。朕は齡を終るも計りがたし。命の眞幸くて在む人等は。倭國に還りて。彼名に高き平群山の。白檮の葉を折挿して。歡樂しく遊べと證へるなり。【記傳に。白檮の木は。常によく髻華に用る木なるがゆゑなり。といへり。】これを記に。倭建命の御歌とせる。其方にて解(カ)ば。記傳に。御病漸々に重り坐まゝに。いよゝ倭戀しく所念看て。よみ賜へるにて。命の全くて在む人等は云々。吾は倭にも得還らず。此處にして。今死なむとするが悲哀きことゝ。讀玉へるなり。とあり。さて又云。日向クニにして。天皇の歌はせる大御歌とし。又讀きて一首なるは。此(ノ)記と甚く異なる傳なり。今何方を正しけむとも云(ヒ)がたし。されど強て云はゞ。先(ヅ)天皇と倭建命とのけぢめを申さば。伊能知能云々は。倭建命のよみ玉へるにて。よく當れり。御病重きによりて。よみ賜へるさまと聞ゆればなり。天皇の御歌としては。たゞ何となく。京を思ひ賜ふには。似つかはしかちらざる御詞なり。さて夜麻登波云々は。何れの御歌としても宜し。波斯祁夜斯云々は。何れの御歌にても宜きを。其《ソノ》次第《ツイデ》は。書紀に首にある方まさりて聞ゆ。そは京の方の天の雲を見放(ケ)給ひて。其方《ソナタ》を思《シヌ》ばして。夜麻登波云々と。詠はせるつゞき宜しければなり。次に三首とせると。一首とせるとは。劣優りなく。聞ゆ(1640)るなり。と云へり。【守部云。此御歌。記に三首と傳へたるは。其ゆゑあるべし。其は倭建皇子。此御歌をうたはす時。御病の苦しきまゝに。本より調も三段なれば。即一段づゝ。三度にうたはしけんを。從者傳へて。後々まで。重みし守りて。然かうたひならはしけるから。遂に三首と心得たる人もありしにこそ。紀には一首と傳たるは。本より一首の歌なればなり。と云り。】○思邦歌。記には。思v國以歌曰。夜麻登波云々。又歌曰。伊能知能云々。二首を。此歌者思國歌也とし。又歌曰。波斯祁夜斯云々。此者片歌也。とあり。かく前後して名目を附たるは。謬なれど。此も古への傳なり。記傳云。思國歌。片歌など云類の目は。其歌を古より然名け來たるなりと。師の云れたる如し。かくて樂府にては。諸の歌に皆かく樣の目ありて。其|部《トモ》を分たるものなり。此事土卷夷振の下に云り。考合すべし。さて片歌と名けたる由は。三句にして。なべての五句六句の歌の半(ラ)にして。片《カタ/\》なるか如くなればなり。抑かく名けたるは。やゝ後の事なるべけれど。上(ツ)代よりして。此|體《スガタ》【五七七の三句】をば。半(ラ)なる物にしたりとおぼしくて。白檮原朝の御代よりして。この體なるは。何れも物を問ひかけたる。答へたるなどにして。記紀なるかぎり。末まで皆然なり。故一首離れたるが。三句なるは。いと/\稀なるに因て。殊に片歌とは名けたるなるべし。さて記中に。此の外に高津宮段建内宿禰の歌。那賀美古夜《ナガミコヤ》。都毘邇斯良牟登《ツヒニシラムト》。加理波古牟良斯《カリハコムラシ》。とあるをも。本岐歌之片歌也と記せり。【これらの外に。唯一首離れたるが。三句なる歌は。此次なる波麻都知登理云々の歌のみ見ゆ。此も四首並びたる中の。一にてはあれば。かの齊明紀の大御歌の類とすべし。此らも目を擧げば。片歌とぞ云べき。さて土件三首の歌。書紀には一首としたる傳によらば。此三句を片歌と云は。後に別に拔出て。一首としてぞ名けゝむ。】とあり。
 
(1641)日本書紀通釋卷之三十一       飯田 武郷 謹撰
 
〔景行天皇十八年戊子〕
十八年春三月。天皇|將2向《イデマサムトシテ》京(ニ)1。以|巡2狩《メグリミソナハス》筑紫(ノ)國(ヲ)1。始(テ)到(マス)2夷守《ヒナモリニ》1。是時(ニ)於2石瀬《イハセノ》河(ノ)邊1。人|衆《ドモ》聚集《ツドヘリ》。於是天皇遙(ニ)望(テ)之。詔(テ)2左右《モトコヒトニ》1曰。其《カノ》《ツドヘル》者何人(ゾ)也。若|賊乎《アタカ》。乃遣(テ)2兄夷守《エヒナモリ》弟夷守二人(ヲ)1命(タマフ)v覩《ミセ》。乃弟夷守還(リ)來《マヰキテ》而|諮《マヲシテ》之曰(ク)。諸縣(ノ)君泉媛。依v献(ラムトスルニ)大御食《オホミアヘ》1而其|族《ヤカラ》《ツドヘリ》之。
 
十八年春三月。類史及契冲本本孝本には。此六字なくて。上の十七年の下に續けたり。さて次の夏四月の上に。十八年の三字あり。されど宜しともおもはれず。○將向京。高屋宮に。此年迄七年ましましけるが。今年倭(ノ)京に歸り賜はむとし玉ふなり。○巡狩筑紫國。此も九國の總名に云るなり。○到夷守。延喜兵部式に。筑前國驛馬夷守十五疋とあり。又萬葉四に。天平二年帥大伴卿云々。稻公等以2病既療1上京云々。卿(ノ)男家持等。相2送驛使1。共到2夷守(ノ)驛家(ニ)1。聊飲悲v別。などある。此は何れも大宰府より。京への往來の路なり。今は日向國より。肥後國熊(ノ)縣に至り坐る道路なれば。それにはあらず。こ(1642)ゝに薩摩國人云。夷守といふ地は。今日向國諸縣郡霧島山(ノ)鋒(ノ)峰より。子の九分に當りて。夷守(ノ)嶽といふあり。夷守權現社あり。【今朴雛守と書く。神體六柱。男神三體女神三體なり。故雛守六所大權現と。上棟板に記したり。】社地は。夷守嶽のやがて麓にて。嶽よりは寅の方にあたれり。さて同郡小林郷の内。細野村【又臍野共】鷹導山抱光院承和寺は。【慈覺大師の開基也】右夷守權現社より。東の方に六七町ばかりにて。往昔景行天皇行在の地と云。又御腰掛石と云もあり。本堂を南殿と云ひ。表門を宮門と云と云り。【今大隅國桑原郡國分郷の新城を。いにしへ熊祖襲が居城なりしといふは。よしある事にや。※[口+贈]※[口+於]郡にとなれるは素よりにて。襲の高千もまぢかく。はた肥後國求麻郡も。即てほどなく。旁ゆかりあるに。白鳥山惰權現宮とて祭り奉るは。まさしく倭建尊にましますべきを。これも其ゆかりより。こゝにまつり奉れるものならん。景行天皇の夷守にものせさせたまひしも。又故あるべし。】とある此地なり。さればかの筑前國なるとは。もりより別なり。きて夷守といふ名義は。重胤云。神名式に美濃國厚見郡比奈守神社。和名抄越後國頸城郡夷守郷ある。これにつきて。魏志に倭國官曰2多摸《タモ》1。曰2卑奴母離《ヒヌモリ》1。とあるを。白石遺文に。多摸は伴造なり。卑奴母離《ヒヌモリ》即夷守也。と云りしやうに思ゆ。若くは。國造は僻遠に在て。國(ノ)臣として守衛する由を以て。夷守とも云し事は非るや考ふべし。と云り。夷守と云地名諸國にあるは。げにもさる職名の古昔ありしなるべし。【此魏志の文。北史にも出て。既に引て云ることあり。考合べし。】○石瀬河。式上文に次て。石瀬五疋屬2遠賀郡1とあれど。此又それにはあらず。かの薩摩國人説に。岩瀬川は。小林郷の北の極みなる。球磨堺の白毛峯《シラガダケ》と云山の水の落來れるに。郷の東つらを南ざまに流れて。末は東に折て。石瀬川に落入。飫肥領赤江の海にながれ出づといへり。其間凡二十餘里なるに。大かに岩瀬多き中に。温水《ヌクミ》村野尻海道渡しの邊より。末十餘町ばかりがほどは。殊にめざましき岩瀬なれば。げに(1643)も川の名に負せたらんかし。岩瀬といふ所のよし也。【さてまた。小林郷東方村の石石瀬川の川中に。奇き石あり。女男の隱所の形にて並びたてり。雛守の岳に近きところなり。】と云り。此ぞ此なる石瀬河なりける。○兄夷守弟夷守は。夷守に住る土人の兄弟なり。○諮。永享本語に作る。本のまゝにてよろし。○諸縣君泉媛。倭名抄日向國諸縣郡牟良加多是なり。【記傳云。何れの古書にもみな諸縣と書たるを思へば。本は毛呂賀多なりけんを。牟良とはやゝ後に訛れるも知がたけれど。姑(ク)和名抄に依て訓り。賀多は阿賀多なれば必濁るべし。と云れたり。】扨諸縣君未詳。舊事紀に豐國別命日向諸縣君祖。と云るはあれど。此泉媛は。必土人の族なるべきこと既に云り。さて名義は。記の應神天皇の妃に日向之泉(ノ)長媛あり。記傳に。泉は和名抄に薩摩國出水【伊豆美】郡これなるべし。【古に大隅薩摩までかけて。日向と云しこと。上に云るが如し。】と云り。此も同じ。應神紀に諸縣君牛諸井(ノ)女髪長媛。【一云。日向諸縣君牛云々。記には諸縣君牛諸ともあり。】などみえたり。○其族會之。泉媛大御食献らんとして。族どもを會へたるは。思ふに當時泉媛の高屋宮に召されて。大御許になづさひ奉仕しが。今はと京へ歸り玉ふには。再び御幸ますべきにあらねば。うつゝの御別を悲しみ奉るあまりに。かく族どもを會へて。面立しき大御食をば奉りしものとみえたり。さて此大御食奉りし處は。今詳ならねど。かの薩摩國人説に。上に云る小林郷細野村承和寺の庭後。山のはらに。景行天皇御腰掛石と云物ありて。今にしめ繩など引延たり。又此寺より西の方一町ばかりの田地の字に。假屋《カリヤ》と唱ふる地。即右の天皇の行宮の跡なるよしをもいひ傳へたり。今は其假屋の地を二(ツ)に分て。内假屋外假屋といへり。と云へり。此や今大御食奉る料に。仕奉りし御假屋のあとならんかし。いづれにも。もてはなれたる場所にはあらざるべし。
 
(1644)夏四月壬戌朔甲子。到2熊縣《クマノアガタニ》1。其處(ニ)有2熊津彦(トイフ)者兄弟二人1。天皇先使v徴2兄熊(ヲ)1。則從(テ)v使(ニ)詣《マヰタリ》之。因(テ)徴2弟熊(ヲ)1而不v來《マヰコ》。故遣v兵(ヲ)誅《コロシツ》之。壬申。自2海路《ウミツヂ》1泊《トヾマリテ》2於葦北(ノ)小島(ニ)1而|進食《ミヲシス》。時(ニ)召(テ)2山部(ノ)阿弭古《アビコ》之祖|小左《ヲヒダリヲ》1。令v進(ラ)2冷水《サムキミモヒヲ》1。適(リテ)2是時(ニ)1島中(ニ)無v水。不v知2所爲《セムスベヲ》1。則仰(テ)之|祈《ノミマヲス》2于天神地祇(ニ)1。忽(ニ)寒泉《シミヅ》從2崖(ノ)傍1涌出。乃酌以(テ)献(ル)焉。故號2其島(ヲ)1曰2水島(ト)1也。其泉猶今在2水島(ノ)崖(ニ)1也。
 
甲子。三日也。○熊縣。和名抄肥後國球麻郡久萬是なり。さて今日向の方より。越幸坐る地(ノ)理は詳ならねど。かの諸縣郡小林郷夷守より。加久藤大畑などを經て。今の人吉に出て。さて葦北郡に到り坐るなり。○壬申。十一日也。○自海路云々は。葦北郡の海邊より。御船にて小島に泊玉へるなり。和名抄肥後國葦北郡阿之木多是なり。さて小島は水島也。次にみゆ。○山部阿弭古。山部は記應神段に。定2賜|海部《アマ》山部山守部伊勢部(ヲ)1也。とあり。記傳に。山部は顯宗卷に。※[口+責]2讓於上道臣等(ヲ)1。而奪2其所(ノ)v領山部1。と見え。山部連と云姓もあり。山守部は山を守るを職《ワザ》とする一種の部《ムレ》の民なり。書紀に同御世五年。定2海人及山守部1。とあり。顯宗卷に云々。小楯謝曰。山(ノ)官宿(ヨリ)所v願。乃拜2山官1。改賜2山部連氏1。以2吉備臣1爲v副。以2山守部1爲v民。また狹々城(ノ)山(ノ)君韓※[代/巾]宿禰云々。充2陵戸1。兼守v山。削2除籍帳1。隷2(1645)山部連1。など見ゆ。これらの趣を思ふに。山部と山守部と。二(ツ)はあらず。同物と聞ゆるに。此に別に擧たるはいかにぞや。書紀に山部は無きぞ正しかるべき。と云り。【なほ顯宗紀に云べし】阿弭古は。これも記開化段に依網之阿毘古。景行段に木國(ノ)酒部(ノ)阿毘古。姓氏録に輕(ノ)我孫などあり。記傳に。阿弭古はまづは尸なれども。姓氏録に。たゞ我孫。【攝津國神別又同國雜姓なり】我我(ノ)公。【和泉國雜姓ナリ。今和泉國和泉郡に我孫子と云處あり。又續後紀五に。河内國人我孫(ノ)公諸成。同姓阿比古(ノ)道成と云人見えたり】など云もあれば。尋常の尸とはいさゝか異れるが如し。さて稱《ナノ》意は吾彦と云ことにやあらむ。【吾とは親みて云。彦は美ていふなり。】さて此山部阿弭古。何れの胤といふこと詳かならずす。なほよく考べし。○小左。名義詳らかならず。○冷水。水を毛比と云ること既に云り。【神代紀神武紀】○祈于天神地祇。古へはかゝる時には。總て眞心を以て神に祈《コヒ》白しき。かれ其精神の感けしむる處。忽ち其しるし現《アラハ》れき。さて此時小左が功も。また類ひなきものから。我天皇の大御徳に○天神地祇等もうつなひまつれる状。まことに尊むべし。かの萬葉の歌等に。天地も因て奉る。また神も大御食に仕奉るなどよめる。虚言にあらぬほど思べし。○水島。萬葉釋に引ける肥後風土記に。球磨縣(ノ)乾七里。海中有v島。稍可2七十里1。名曰2水島1。島出2寒水1。逐v潮高下。とあり。【和名抄に。肥後國菊池郡水島とあれど。これは別所なり。今も水島村あり。通證に。此處の證に引れたるは謬なり。】萬葉三に。長田王被v遣2筑紫1渡2水島1之時歌二首。如聞《キヽシゴト》。眞貴久《マコトタフトク》。奇母《アヤシクモ》。神佐備居賀《カムサビヲルカ》。許禮能水島《コレノミヅシマ》。葦北乃《アシキタボ》。野坂乃浦從《ヌサカノウラユ》。舟出爲而《フナデシテ》。水島爾將去《ミヅシマニユカム》。波立莫勤《ナミタツナユメ》。などあり。【中島廣足云。水島古書には葦北郡とあれど。今葦北八代郡の海中にありて。八代につけり云々。野坂の浦は。さだかならねど。今佐敷の津のあたりならんと或人云り。げに水島までの海路五里ばかりあれば。かの舟出してとよみ玉へるにも叶ふべし。】或書云。水島は八代の眞南【少し西による】にあたりて。今の八代の城よりは。一(1646)里半もあるべく。此島廻り五六間もあるべし。大方は岩石にて。高き所は五丈程もあるべし。此島一體に水涌て。其水潔く。更に鹽氣などなし。水のわく所は。島のめぐりの岩の外ざまなる。浪打涯の砂地よりわくに。四方八方其水の出ざる所なしといふ。されば水島の名あるべきなり。【木も松の二三本あるに。かつらやうのものあるのみ。外には木もなし。又今は八代の新田ふえて。歩行わたりも出來るよし。新田と水島と五十間ばかりはなれたれど。隨分歩行わたり出來るなり。右の島の亥の方にや當るらん。凡そ一里餘をへだてゝ。白島と云島あり。これは島のかぎりみな白石なり。又この島にも。水のわく所多けれど。水島ばかりはなしと云り。廻りは凡半里ばかりの島にて。これは水島よりも餘程たかく。松などこゝら生たりと云。】とあり。
 
五月壬辰朔。從2葦北1發《タチシテ》v船到2火(ノ)國1。於v是日|没《クレヌ》也。夜冥(クシテ)不v知2著岸《ツカムトコロヲ》1。遙|視《ミユ》2火(ノ)光1。天皇詔(テ)2挾※[木+少]《カヂトリ》者(ニ)1曰。直(ニ)指(セ)2火(ノ)處《モトヲ》1。因指(テ)v火(ヲ)往(ク)之。即得(タリ)v著(クコトヲ)v岸(ニ)。天皇問2其火之|光《ヒカリシ》處(ヲ)1曰。何(ト)謂(フ)邑(ゾ)也。國人對曰。是|八代《ヤツシロ》縣豐(ノ)村。亦|尋《トヒタマフ》2其火(ヲ)1。是誰人之火(ゾ)也。然不v得v主《ヌシヲ》。茲(ニ)知v非(トイフコトヲ)2人(ノ)火(ニ)1。故名(テ)2其國(ヲ)1曰2火(ノ)國(ト)1。
 
從2葦北1。これ今の葦北郡の地なり。肥前風土記には。從2葦北(ノ)火流《ヒナガレノ》浦1。發v船幸2於火國1。度v海之間。日没云々。とあり。火流浦未詳。今海邊に日名久と云所あり。それか。○火國。此は一國の名にはあらで。倭名抄八代郡|肥伊《ヒ》。また風土記に。八代郡火邑とある地なり。【後に一國の大名になれるも。もとはこゝの火國より出たること上に云り。】かくて(1647)此地。いまは詳かならず。中島廣足が不知火考に。八代郡に氷川《ヒカハ》といへる川あり。【火打石の名産也。】是火川にて。火(ノ)邑も其川のあたりにありしにやあらん。和名抄肥後國肥伊郷あり。是則火(ノ)郷にて。此中に火邑はありけんとおぼしきなり。又同郡に本野《ホンノ》村といへるあり。火村をホノムラと唱へしより。つひに訛れるにや。といへり。なほよく尋ぬべし。○挾※[木+少]者。【抄本には※[木+少]とあり。されどこれは木※[木+少]なれば。必木に从ふべし。今元正紀延喜式などに據て改む。されど古書にはまち/\なり。】仲哀紀持統紀訓同じ。和名抄に。※[楫+戈]使2舟捷疾1也。和名加遲。また材v旁撥v水曰v櫂。字亦作v棹。漢語抄云加伊。また〓(ハ)棹竿也。刺v船竹也。和名佐乎。また〓正v船木也。楊氏漢語抄云。柁(ハ)船尾也。或作v※[木+施の旁]。和名云多伊之。とあり。【記傳云。※[木+施の旁]《タイシ》は今世に云梶なり。〓は今云※[舟+虜]又加伊の類なり。】と云り。さて挾※[木+少]者は。通證に。今案抄元正紀所謂※[木+少]士即是。字彙船柁(ノ)尾(ニ)曰v梢。今人謂2※[竹/高]師1爲2梢子1。或作v※[竹/梢]。元史梢工。剪燈新話梢人。盖梢抄通。故曰2挾抄者1。舊事紀梶亦訓2加遲1。類篇梶木※[木+少]也義相通。類聚國史作2挾※[木+施の旁]者1。※[木+施の旁](ハ)柁(ノ)俗字。−本作2挾※[木+邑]者1。※[木+邑]楫異體。ともあり。【永享本考本にも※[木+邑]とあり。】類史に※[木+少]を※[木+施の旁]に作れるは。上に引る倭名秒に依るに。多伊之にて。正v船木也とあれば。令世の梶にて。古の加遲には允當らず。字を當たる人の誤なり。○火之光處。本に之字なし。仙覺抄。詞林釆葉に引類聚歌林にあり。補ふべし。【類史帝王部光字なし。】○八代縣豐村。倭名抄肥後國八代郡夜豆志呂。豐村いまはさだかならず。信友云。今按るに。和名抄に八代郡豐副(ノ)郷みえ。兵郎式に豐向(ノ)驛とあるも。其處なるべきに。國圖を見るに。八代の部内の海邊に。豐福と云がみえたるは。これならんか。と云り。【日本靈異記に。同郡豐服郷豐服廣公と云人みゆ。】又不知火考に。八代郡に豐原【今はプイハラととなふ。】あり。是昔の豐村にもあらんか。又(1648)下益城郡の海ちかき處に。豐福《トヨフク》村といへるもあり。これまたよしありておぼゆ。といへり。【此豐福は。八代のとは異處なりや。尋ぬべし。)○名其國曰火國。信友云。肥前肥後の本(ノ)名火國といへる由縁は。肥後風土記に、肥後國者本與2肥前國1合爲2一國1。昔崇神天皇之世。益城郡朝來名峯有2士蜘蛛1。名曰2打※[獣偏+爰]《ウチサル》頸※[獣偏+爰]《ウナサルト》1。二人率2徒衆百八十餘人1。蔭2於岸頂1。常逆2皇命1。不2肯降服1。天皇勅2肥君等(ノ)祖|健緒組《タケヲクミ》1。遣v誅2彼賊衆1。健緒組奉v勅到來。皆悉誅夷。使巡2國裏1。兼察2消息1。乃到2八代(ノ)郡白髪山(ニ)1。日晩止宿。其夜虚空有v火。自然而燎。稍々降下著燒2此山1。健緒組見v之。大懷2驚恠(ヲ)1。行事既畢。參2上朝庭1。陳2行状1奏言云々。天皇下v詔曰。剪2拂賊徒1。頗無2西眷1。海上之勲誰人比之。又火從v空下燒v山亦恠。火下之國可v名2火國1。と見え。また肥前風土記にも此事を記して。肥前國者本與2肥後國1合爲2一國1。昔者磯城瑞籬宮御宇云々。因火【火は之字の誤なるべし。】曰2火國1。後分2兩國1。而爲2前後1。ともみえたるにて明鳴り。然るに紀景行天皇十八年五月の下に。故名2其國1曰2火國1。と見えて。此時に國名を定玉へる由に記されたるは。謬傳に依られたるなり。さるは此故事も上に擧たる肥後風土記の文に連ねて。又景行天皇誅2球磨贈唹(ヲ)1。兼巡2狩諸國1云々。幸2於火國1。渡v海之間日没。夜暗不v知2所v著。忽有2火光1。遙視2行前1。天皇勅2棹人1曰。行前火見。直指而往。隨v勅往之。果得v著v岸。即勅曰。火燎之處。此號2何界1。所v燎之火。亦爲2何火1。土人奏言。此是火(ノ)國八代(ノ)郡火(ノ)邑。但未v審2火由(ヲ)1。于時詔2群臣1曰。燎之火非2俗火1也。火國之由。知v所2以然1。と記し。肥前風土記にも。また上文に連ねて。又纏向日代宮御宇云々。今此燎(ル)火非2是人火(ニ)1。所3以號2火國1。知2其爾(ル)由(ヲ)1。とみえて。始て國名(1649)を定玉へるにはあらず。【知v所2以然1。また知2其爾由1。と書る文に意を付べし】其は前に崇神天皇の。火國と號(ケ)玉へる事をば知食つれど。その事の由をば。いまだよくもたづね玉葉で。そのかみ火國と號(ケ)玉ひしは。如此る神火の事の由によりて號け玉ひつらんと。をりにあひて。ふとなほざりに詔ひたりしなるべし。さるを書紀に。故名2其國1曰2火國1。と記されたるは。そのかみ。その御なほざり言にすがりて。まがひたる謬説のありけるを。正しあへずして。其説によられたるものなるべきこと。上に擧て論らひたるごとく。崇神天皇の御世に。國名を定玉たると。景行天皇の火妃を見そなはして。云々と詔へると。兩度の差別。兩國の風土記の傳。相共に合ひていと明らかなり。然るに又肥後の海に。不知火《シラヌヒ》といふものゝ光るを。かの景行天皇の幸の時の火光これなり。といへる説のきこゆるは。こゝろえがたし。さるはまづ此不知火の事は。記傳にも見えたる如く。澳の方に見ゆる光にて。澳より陸に就て見ゆるものにあらざれば。書紀また兩國の風土記に見えたる。景行天皇の御船中にて。みそなはし玉へる趣の。火光にはさらに合はず。しかれば不知火は。たゞ海面の光(リ)物にて。別事なるを。よくも考へずして。かの景行天皇の火光により玉へる故事に。おもひあはせたるなほざり説《ゴト》なりけり。きて其景行天皇の故事の趣に。なほ思ひ合せ奉らるゝ事は。日本後紀に。延暦十八年五月丙辰。前や渤海使外從五位下内藏宿禰加茂麻呂等言。歸郷之日。海中夜闇不v識v所レ著。于時遠有2火光1。尋逐2其光1。忽到2島濱1。訪v之是隱岐國智夫郡。其處無v人。或比奈麻治比賣神常有2靈驗1。商賈之輩漂2海中1。如v揚2火光1。頼v之得v全者。不v可2勝數1。神之祐助。(1650)良可2嘉報1。伏望奉v預2幣例1。許之。とあり。【神名帳に。知夫郡比奈麻治比賣神社みゆ。三代實録にも見えたり。或諸國の事記せる書に。此社今も知夫郡島前にありて。恒には火燒《ヒタキ》權現と稱す。船人暗夜に暴風に遭て。行方にまどへる時。此神に祈れば。忽火を顯はして。海路を導きたまへり。といへり。】海路にてさる趣なることのありしこと。むかしよりきこえ來り。いまの世にも。さることのありし由。船人のまのあたりかたれるをも。また人傳にもこれかれと。正しくきける事なり。きゝ知てある人なほ多かるべし。さて又因に云ふ。肥前肥後もと一國なりしよし。風土記に相共に記して。肥前なるは。健緒組の古事をいへる文に連ねて。後分2兩國1爲2前後1といへり。肥後なるも然ありけんを。今本書世に傳はらざれば知られず。かくてその二國に分たれし事は。他書どもには見えず。さてその前後の國號の。古く書にみえたるは。神功紀に火(ノ)前(ノ)國松浦縣。推古紀に肥後國葦北津。と記されたり。但し此は後の號を。古にめぐらして云る傳へによりて。書されたらんも知らねども。日本紀撰記されたる養老の頃より。はやく前後に分たれし事は著し。かくて此火國のもとは。記傳に。大八島成出章に。筑紫島を有2面四1と云て。肥國を其一(ツ)に取れり。然るに國圖を考るに。肥前と肥後とは。海の隔りて地|接《ツヾ》かず。正しく二に分れたれば。面一には取がたき國形なり。故考るに。書紀又風土記などの火國の故事は。地名に依るに。みな肥後の國の地なり。然れば肥(ノ)國と云しは。初はたゞ肥後(ノ)方のみにて。肥前の地は。本は竺紫の國の内なりしが。やゝ後に肥國に屬しにやあらん。と注はれたるはさることなり。かくて猶考るに。上代に火國といへるは。今の肥後の方なるべきよし云れたるは。まことにさることにて。動きなくきこゆるに。其肥後と離れたる域を。肥前と(1651)いふよしのおぼつかなく。さるに合せては、聊かたゞよはしくおもはるゝに付て。國圖を考るに。肥後は東の國(ノ)岬より。島傳ひに天草といふ大島を界。肥前はその天草の北面より。二三里ばかりに海を隔てゝ。島原といふ域より。北東ざまにに。肥後の西|面《ツラ》より。筑後の西面かけて。流海《イリウミ》をへだてゝ曲り對ひて。筑後の西方に隣れり。上代には。今の肥後我の方ざまを火國といひ。後に今の肥前の方かけて。火國に屬られたりしを。又後に今の如く。前後に分たれたるものなるべし。【平陸《クヌガ》よりいへば。肥後の北の方。筑後に隣りて。その筑後を隔てゝ肥前なれば。肥前肥後もと合せて。一國なりつるよしいへる。風土記の説こゝろえがたくきこゆれど。かく肥後の東の國岬より便れば。一國とせられたりし事。さらに疑はしからず。】風土記にみえたる火國の故事の地の。みな肥後のかたにのみあるは。其國の名にも號けられたる故事の本土なれば也。肥前の風土記に。其國内ならぬ肥後の故事を記せるは。本土の國號の縁由を顯さむために記せるなり。かくては記傳にいはれたる。鈴屋大人の考。まことによく當れりといふべし。【以上信友説】と云れたるはさる説なれど。なほ按に。信友の云れあるィく半平陸よりいへば。海を隔てゝ現に二國の如くなれば。一國なりとは云がたきさまなれど。其中間なる海をも加へて。一國としたらんには。前後本より一國と見んに。疑はしからず。殊に久遠なる神代の頃には。今とは地勢の甚くかはれりしも知べからず。他の海を隔てゝ國を立し例に。強てなづむべきにあらず。上代の事なれば。なほ本のまゝに見てあるべきなり。この事は。重胤も既く云置たる説ありしとおぼえたれど。今其文を見出ず。よりてかくおのが説として。姑く識しおくものなり。
 
(1652)六月辛酉朔癸亥。自2高來《タカクノ》縣1渡2玉杵名《タマキナノ》邑1。時殺(ツ)2其處之土蜘蛛|津頬《ツツラトイフモノヲ》1焉。丙子到(マス)2阿蘇(ノ)國(ニ)1也。其國(ノ)郊原|曠《ヒロク》遠(クテ)。不v見2人(ノ)居《イヘヲ》1。天皇曰。是國(ニ)有(リヤ)v人乎。時有2二(ノ)神1。曰2阿蘇都彦阿蘇都媛(ト)1。忽(ニ)化《ナリ》v人(ニ)以|遊詣《イタリテ》之曰。吾二人在(リ)。何《アソ》無v人耶。故號(テ)2其國(ヲ)1曰2阿蘇(ト)1。
 
癸亥。三日なり。○高來縣。倭名抄肥前國高來郡多加久とあり。肥前風土記に。高來郡。昔者纏向(ノ)日代宮御宇天皇。在2肥後國玉名(ノ)郡|長渚《ナガスノ》濱之行宮(ニ)1。覽2此郡山(ヲ)1曰。彼山之形似2於別島(ニ)1。屬v陸之山歟。別(ニ)在之島歟。朕欲v知v之。仍勅2神大野宿禰(ニ)1。遣看v之。往到2此郡1。爰有v人迎來曰。僕者此山之神。名(ハ)高來津《タカクツ》座(トイヘリ)。聞2天皇使之來(ト)1。奉v迎而已。因曰2高來郡1。とあり。さて肥後八代縣より。肥前國に渡り玉へる事を。この上に記洩したり。○玉杵名邑。倭名抄肥後國玉名郡多萬伊奈とあり。此より前に。肥前國高來郡に渡り坐るが。又本の肥後國に皈り渡りたまへるなり。かくて肥後風土記に。玉名郡長渚(ノ)濱。【在郡西】昔者大足彦天皇。誅2球磨噌唹1。還駕(マス)之時。泊2御船於濱1云々。又御船左右|游《ウカベル》魚多(カリ)之。棹人《カヂトリ》吉備(ノ)朝勝《アサカツ》。以v鉤釣(ニ)v之。多有v所v獲。即献2天皇1。勅曰。所v献之魚。此爲何魚《コレナニトイフウヲゾ》。朝勝見奏d申(シキ)未v解《シラ》2其名1。正似c鱒魚《マスニ》u耳。歴御覽《ミソナハシテ》覚曰。俗《クニヒト》見2多(キ)物(ヲ)1。即云2爾財倍佐爾《ニベサニト》1。今所(ノ)v献魚甚多(カリ)有。可v謂2爾倍魚《ニヘイヲト》1。今謂2爾倍魚(ト)1其縁也。とある(1653)は。正しく此御時の事なるよし。また爾倍魚は。後に腹赤【また久知。伊之毛知。ともいふ。】といふ魚にて。年ごとの御贄に献りしも。此御時の故事によりてなることなど。信友が腹赤考あり。【爾倍魚は。當時筑紫わたりの俗言なりしなるべし。下の爾は辭《テニヲハ》なるべし。神武紀に甚。敏達紀に饒とあるを。ともにニヘサニと訓るは。讀主の。殊更に件の古言を求めて。ものせるなるべし。此外には。さらにきこえぬ詞なるをやと。信友云り。】また上に引る肥前風土記。高來郡の下に。昔者纏向日代宮御宇天皇。在(シテ)2肥後國玉名郡長須濱之行宮1云々。と見えたるも。また此頃の御事なること灼然し。【かの腹赤考に云。肥後の隈本人中島廣足。この腹赤の考説を見て諾ひて。さて件の風土記の古蹟を證し。云ひおこせけらく。彼(ノ)山(ノ)形似2於別島1云々。と説ひたるは。高來郡温泉山なり。この山下。四面海に至り。みな田地にて郷村あり。但し西の方の海中に。纔に緯《ヨコ》十町ばかり。徑《タテ》二里ばかり。高き岡のごとくにて。陸に續きたるが。長渚わたりよりは。海上十四五里ばかり離りたれば。かすめる時はさらにて。海のにはのおもむきによりては。別島のごとみゆれば。さは御覽じたりしなり。さて今長渚の濱邊を。五里ばかり南に。伊倉といふ處あり。其處を丹倍《ニヘノ》津ともいへり。然るは古名にて。爾倍魚の故事に由ありて。負ひたるなるべし。また長渚に。四王子宮と稱へる神社あり。景行天皇の皇子四柱を合せ祀り奉ると云傳へたり。但し其御名は詳ならず。また長渚の濱邊を南へ三里ばかりに。女石《メイシ》といふ處に女石神社あり。(通證には明石大明神とあり)景行天皇を祀り奉れりと云ふ。其處に天皇の御腰居たまひたりしと。語繼ぎ來たれる石あり。件の二社は。風土記にみえたる行幸の時の舊蹟につけて。祀り奉れるなるべしと云り。これにつきてなほおもひ奉るに。四王子宮は其時四柱の皇子を率《ヰ》て幸したりけん。其御子たちを。由ありて祀り奉れるなるべし。また女石は上に注せる行宮の舊蹟にはあらざるか。さて女石としも云ふは。天皇の御腰居の石を。御石と稱へるを訛れるにて。其を地名にも呼び。やがて御社の號にも稱《マヲ》しならへるにやあらん。と云り。】○津頬。名義未思ひ得ず。○丙子。十六日なり。○阿蘇國。和名抄肥後國阿蘇郡阿蘇郷あり。○郊原曠遠。通證に。井澤氏曰東西十五里。南北十九里之地。といへり。○阿蘇都彦阿蘇都媛。式に肥後國阿蘇郡※[行人偏+建]磐龍命神社。阿蘇比※[口+羊]神社あり。記傳に。阿蘇都彦は※[行人偏+建]磐龍命の神靈なるべし。と云るが如く。社傳に。本宮※[行人偏+建]磐龍命は。神八井耳命の子なり。阿蘇媛神は。武磐龍神の妃にて。速甕玉命の母なり。といへり。さて玉勝間に云。肥後國の阿蘇山は。麓より三里のぼりて。山上に大
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本 日本書紀通釋(第五册)、飯田武郷、明治書院、1903(明治36)年1月31日
 
 
(3498)中に中吉小吉などもあれば。凶きのみにもあらざりしなり。さて此鼎の鳴しことは。其頃凶き兆に卜ひて。天下の亂れむとする怪には。載したりしなるべし。
 
日本書紀卷第二十七 終
 
終字秘閣本になし
 
(3499)日本書紀通釋卷之六十三       飯田 武郷 謹撰
 
日本書紀卷第二十八
 
天渟中原瀛眞人天皇 上  天武天皇
 
御名義。美稀なることはもとよりなれど。細かにわきていはゞ。此天皇御幼名。大海人皇子と申しゝは。御乳母の姓に據れるなることは。天皇崩御の時に。是日肇進v奠即誄之。第一大海宿禰蒭蒲誄2壬生事1。とあるにて知られたり。さて後には。瀛眞人皇子とも。申し奉りしものなるべし。これ大海人に縁ある御名也。【持統紀三年の下に。此御名見えたるを以。しかいふなり。】かくて天皇御即位の後に。其御名の上に冠らせ奉りて。天渟名原とは稱奉りしなるべし。瀛は即海原の瀛なるが故に。天之|海原《ウナハラ》と冠らせて。【渟名原。海原。同義なるべきよしは。信友もしか云れたり。】稱へまつりしなり。御母皇極天皇。御名|寶《タカラノ》皇女と申しゝを。即位後に天豊財と申し。御兄天智天皇。御名|開《ヒラカス》と申しゝを。即位後に天命と冠らせ奉りしに同じ。さて此天皇の宮號を。淨御原と稱すも。亦|淨海《キヨミ》原の義なる。みな其御幼名大海人と申しゝによれるなり。【信友は。生坐時海人の祥瑞に由れるならんと云れたれど。なほ御乳母の姓なるべし。】なほ宮號の下にも云ることあり。併見るべし○天武と申すは。集解に。周語曰。王曰。三事者何。射父對曰。天事(トス)v武。地(3500)事v文。民事2忠信1。注(ニ)乾稱2剛健1故武。などあるによれるなるべし○さて此天皇の本紀は。信友云。案るに釋日本紀此上巻の部にのみ。日本私記に引たる。安斗宿禰|智徳《チトコ》。調(ノ)連淡海。和邇部臣君手が日記を引たり。其三人は此紀に見えたる如く。大海人皇子の舍人にて。吉野より御|從《トモ》に侍ひて。御軍に勤仕奉りし人々なるを。其三人の日記を引て。此紀の上卷の中の文と異なるを。注せるが中に。少(カ)のたがひある事をさへに。件の記の文を擧たるをおもへば。なべては此紀と同じかりけん。かくて思へば。此紀の上卷に見えたる御軍の事は。おほかた彼三人の日記を採りて。記されたるにもやあらむと云れたり。さて其日記の文は。本文の下に擧注せるを見るべし。
 
天渟中《アマノヌナ》【渟中。此云2農難1。】原瀛《ハラオキノ》眞人(ノ)天皇(ハ)。天|命開別《ミコトヒラカスワケ》天皇(ノ)同母(ノ)弟也《イロトナリ》。幼《ワカクマシヽトキハ》曰2大(シ)海人《アマノ》皇子(ト)1。生《アレマシヽヨリ》而有2岐嶷《イコヨカナル》之|姿《ミスカタ》1。及(テ)v壯《ヲトナニ》雄拔神武《ヲヽシクタケシ》。能(シ)2天文遁甲(ニ)1。納(シ)2天命開別天皇(ノ)女《ミムスメ》菟野(ノ)皇女(ヲ)1。爲2正妃《ムカヒメト》1。天命開別天皇(ノ)元年。立(テ)爲2東宮《マウケノキミト》1。
 
注渟中云々の六字。天皇の下にあるべき例なり。集解はしか改めたり○幼曰。信友云。幼字初の義に心得べし。日嗣知食すまでは。此御名にておはしましき。と云り○大海人を。大サマと訓めるは。約めては然も申しゝなるべし○岐嶷。本に嶷を凝に誤りたり。今小等本集解等に據て改む○天文遁甲のことは。既に云り。此天皇の遁甲に能く通じ給ひしこと。本紀中にも見えたり○菟野皇女は。既に出。(3501)後御謚持統天皇と申奉れり○天命開別天皇元年は。同天皇七年戊辰の事なり。此事次に云○立爲東宮。前紀に此事を逸《モラ》したり。よりて信友云。天武天皇の皇太子に立給へることを。本紀に天智の御世の元年に【係て。月日を擧ずして。たゞに】立爲2東宮1。と記されて。むねとある天智紀に。其立太子の事を載されず。紀中なべての例と異なるも。いかにぞや。然るに扶桑略紀に。天智七年二月戊寅曰。倭姫皇女立爲2皇后1。以2大海皇子1立2皇太子1。と見え。水鏡にも。七年二月東宮に立給ふとあれど。天智紀には。同(ジ)年月日に。立皇后の事をのみ載されて。立太子の事はあらず。其より前の正月の條に。戊子【三日】皇太子即2天皇位1。【前年三月近江に遷都し給ひき。】壬辰【七日】宴2群臣於内裏1。と見えたる事を。鎌足公傳に。七年正月。皇太子即2天皇位1云々。朝廷無事。遊覧是好。人无2菜色1。家有2餘蓄1。民咸稱2大平之代1。帝召2群臣1。置2酒濱樓1。酒酣極v歡。於是皇太弟。以2長槍1。刺2貫敷板1。帝驚大怒。以將2執害1。大臣固諫。帝即止之。皇太弟初忌2大臣所遇之高1。自v茲後殊親重之云々。と紀せり。皇太弟憤り給へる事のおはしけるか。さらでも酒に醉しれ給ひて。ふと然る暴行《アラキミワザ》爲給ひたるなるべし。かゝる暴行し給ひけるによりて。時《ヲリ》から群臣の見るめにも。御慮をおきて。執害《トリコロ》さんとさへ爲させ給ひたりけんを。いくほどもなく。二月に皇太子に立て給ふべくもあらず。然れども。さる御失をも宥め給ふとして。例の鎌足公にぞ。詔(ヒ)合せ給ひたりけん。やがてその月戊寅【二十三日】に。立皇后の時。品つけて皇太弟と申すに。なし參らせられけるを。皇太子と書なせるにて。實は紹運要略。紹運録等。天智七年戊辰爲2皇太弟1。とあるぞ正しかるべき。【上に引たる鎌足公傳に。是年の正月の事に。皇太弟と書るは。後をめぐらして記せる文と(3502)して見るべし。然る書ざまなるも例多き事なり。】また天智紀には。御世の始より。八年五月壬午までは。太皇弟。また皇太弟など書ざれ。同年十月庚申の條より。始て東宮太皇弟。また皇太子。また東宮など記されたるも。またいかにぞや。天武紀元年【壬申】に及て。時人の語に係て。皇太弟宮とも。東宮とも。また所2居吉野太皇弟など書されたるは。儲位を避り給へる後のことながら。なほ其かみの實《マコト》の稱《トナヘ》なるべきを。うちまかせては。天皇と書されたるところもあるは。またいかにぞやきこゆ。さて紀中の例。日繼の皇子に立給へる事を。立爲2皇太子1。或は立爲2太子1。など記されたるに。此紀にのみ。立爲2東宮1と見え。紀中此稱を交へ用られたり。すべて紀中に皇太子をさして。東宮と書されたる事は。漢文ざまの潤飾文にこそは。稀々には見えたれ。うちまかせて。東宮とのみ書されたる例無きを。此天皇にのみ係て稱せるは。つきなく見ゆ。これに依て竊に考るに。實は天智天皇の御世。大海人(ノ)皇子を。皇太子には立てたまはず。皇太弟と稱《マヲス》に爲し給ひて。おのづから皇太子の如くにて。おはしましけるにもや有ん。もし然らば。紀の原文には。皇太弟とのみ記されたりけるを。改刪らるゝときに。まさしく皇太子に立給ひたりし趣に。ものせられけるが。文人の疎にして。稱呼の文を訂しあへず。かくは成《トヽノ》はざりつるなるべし。と云り。さることなり。
 
 
四年冬十月庚辰。天皇臥病《ミヤマヒシタマヒテ》。以痛(コト)之甚矣。於是遣(テ)2蘇賀臣安麻侶(ヲ)1。召(テ)2東(3503)宮(ヲ)1。引2入|大殿《ミアラカニ》1。時(ニ)安摩侶(ハ)素(ヨリ)東宮(ノ)所v好《ヨミシタマフトコロナリ》。密(ニ)顧(テ)2東宮(ヲ)1曰。有意《コヽロシラヒシテ》而|言《ノタマヘ》矣。東宮於茲(ニ)疑v有(コトヲ)2隱(セル)謀1。而慎之。天皇勅(テ)2東宮(ニ)1。授2鴻業《アマツヒツキノコトヲ》1。乃辭讓(テ)之曰。臣《ヤツカレカ》之|不幸《サイハヒナキ》。元(ヨリ)有2多《サハノ》病1。何能保(ム)2社稷(ヲ)1。願(ハ)陛下擧(テ)2天(ノ)下(ヲ)1。附(ヨ)2皇后(ニ)1。仍(テ)立(テ)2大友(ノ)皇子(ヲ)1。宜|爲《シタマヘ》2儲(ノ)君(ト)1。臣(ハ)今日出家(テ)。爲2陛下1。欲v修《オコナハント》2功徳《ノリノコトヲ》1。天皇聽之。即日出家(テ)法服《コロモヲキタマフ》。因以(テ)収(テ)2私(ノ)兵器(ヲ)1。委(ニ)納2於|司《オホヤケニ》1。
 
 
四年。秘閣本中臣本京極本考本。及本文傍書に。十年とあり。按るに此より下の十二月までの事は。天智紀に十年十月庚辰云々と載られて。干支も事實も合へり。庚辰は十七日なり。しかれば此年は。十年辛未なること明らかなり。十年とあるに從ふべし。但し此本紀は。天智天皇七年を元年と。前文に書たれば。こゝも十年を四年と書たるにて。これも又當時の書に。しかありしまゝを載せたるにて。自ら前紀とたがへるなり。今みだりに改めがたし。されば通證に此を。即位四年也。前紀書曰2十年1。とあるは。さる事なり○庚辰は十七日なり○蘇賀臣安麻侶。考本には賀を我に作れり。下同じ。此人は續紀天平元年八月丁卯。左大辨三位石川朝臣石足薨。淡海朝大臣大紫連子之孫。少納言小華下安麻呂之子也。とあり。蘇賀臣安麻侶即此なり。其子石足の時。改めて石川朝臣となれるなり○引入大殿。天智(3504)紀に引2入臥内1とあり○顧東宮。本に顧を領に誤る。今諸本に據て正す○有意は。物語書にしば/\出たる詞にて。心遣ひする義なり○疑有陰謀。信友云。此時いかに危き隱《シノヒ》の謀ありたらむむ知べからず。前に鎌足(ノ)大臣などゝ言《ノタマヒ》合せて。斉明天皇の御前にて。入鹿を謀殺し給ひし御慮(ノ)さまにも。思合せ奉られてなむ。と云れたり○元有多病。本に有字を脱せり。今中臣本考本等に據て補ふ○附皇后。本に附を陛に誤れり。今中臣本其他の本に據て改む○宜爲儲君。天智紀には。請奉2洪業1付2屬大后1。令3大友王奉2宣諸政1。とありて。儲君とはあらず。又大友皇子を。大友王と貶しめ記されたり。稱呼此紀と合はず。かく二方に記されたるも。前に七年とあるを元年と記し。十年とあるを四年とあるが如く。其採記せる原書の異なるまゝに書て。正し肯へ給はざりしなるべし〇出家法服。天智紀には。臣請願奉2爲天皇1。出家修道。天皇許焉。東宮起而再拜。便向2於内裏佛殿之南1。踞2坐胡床1。剃2除鬢髪1。爲2沙門1。於是天皇遣2次田生磐1。送2袈裟1。とあり。さて持統紀に。此頃の事に。沙門天渟中原瀛眞人天皇と記されたり○兵器悉納於司。天皇の意しらひ爲し給ふこと。至れりと申すべし。此事天智紀には記されず。
 
 
壬午入2吉野宮1。時(ニ)左大臣蘇賀赤兄臣。右大臣中臣金連。及|大納言《オホキモノマヲスツカサ》蘇賀果安臣等送(マツル)之。自2菟道1返。或曰。虎(ニ)著《ツケテ》v翼(ヲ)放v之(ヲ)。是夕(ニ)御2島宮(ニ)1。癸未。至2(3505)吉野(ニ)1而居之。是時(ニ)聚(テ)2諸舍人(ヲ)1謂(テ)之曰。我今|入道脩行《オコナヒセムトス》1。故隨(テ)欲2修道《オコナハムト》1者(ハ)留之。若仕(テ)欲v成v名(ヲ)者(ハ)。還(テ)仕2於|司《オホヤケニ》1。然(ニ)無2退者1。更聚(テ)2舍人(ヲ)1。而|詔《ミコト》如v前(ノ)。是以(テ)舍人等。半留半(ハ)退。十二月天命開別天皇崩。
 
 
壬午は十九日なり。中間《ナカ》一日隔たまへるばかりなるも。いと速かなり。〇入吉野宮。萬葉一なる天皇御製歌に。三芳野之。耳我《ミヽガノ》嶺爾。時無曾。雪者|落《フリ》家留。間無《ヒマナク》曾。雨者零計類。其雪乃|時無《トキナキガ》如。其雨乃|間無《ヒマナキガ》如。隈毛不落《クマモオチズ》。思乍叙來《モヒツヽゾクル》。其山道乎。とあるは。必此御道次の御製なるべし。げに思ほしも合へぬ俄かの御出途にて。御心の内いかに思ほす隈々多かりけんと。思遣奉られたり○大納言蘇賀果安臣。天智紀には。紀大人臣。巨勢人臣と共に。爲2御史大夫1とあるに。此紀には。みな大納言と換へ書されたり。これまた前紀とは。採給へる記録の異なるなり。職員令に。大納言四人。掌d參2議庶事1。敷奏宣旨。侍從獻替u。とあれど。令(ノ)制に當てゝ。謾りに改刪せるにはあらず。當時二方に官名を稱せるに據て。かくも記るものなり。其説は既に天智紀に云り○自菟道返の下。中臣本に焉字あるよろし○虎著翼放之。此語漢籍韓子に。無v爲2虎傅1v翼。將2飛入v邑。擇v人而食1v之。と云る語に據て。評し奉れるものなるか。まづは此天皇を惡さまに申しゝなり。信友云。此ところなどは。善さまにこそは。潤飾《カザリゴト》すべきわざなれ。かく惡さまにものすべきにあらず。此は實に時人の語にて。未然《マダキ》に世の亂を察れりし徴語《シルシコトバ》なりけるに依(3506)て。語(リ)も書も傳へたりける説にこそはあるべけれ。但し此虎翼の語は。無くても事實《コト》には闕ることなきを。など改作の時には削《ハブカ》れざりけむ。と云れたるは。いとも味氣なき論なりけり。【此信友の論は。天武天皇を惡ざまに思まつりて。かゝる論もあるなりけり。】今按に。此評は時人の語にはあるべからず。近江朝廷にして。天皇を除き奉らむとの密謀に。預りしものゝ語なり。さるは大臣納言等。天智天皇の御心を承て。臥内にして天皇をたわやすく除き奉らんと。思ひ設けしかど。それを豫に知看して。ことよく其謀を遁れ坐る。意外の御辭譲に。今は何とも爲べき術なく。此密謀の人々も。手を空く爲《セ》しか。いと遺憾《クチヲシ》くぞ思ひたりけむ。さるにても此天皇の。其機を既く察し給ひしことを思ふに。實に慮の外にて。かくては後々も。いかなるさまに世を觀望《ミソナハ》し姶ふらんと。空恐ろしく。互に裏に思ひ悩みて。遂には此謀りし人々の上にも。善き事あらじと。悔しみ思ふが餘りに。此虎翼の嘆はも發しゝなりけり。されば此語。時人の頓に天皇を惡《アシ》ざまに申したる辭にあらず。我が隱謀のたがひたるを。口惜しむが餘りに。かゝる語をも發《コトアゲ》したりしなりけり。されば此評。天皇の御上にとりては。さのみ惡しざまに申せるにもあらず。其時の事實を。後にして知るべき由縁とも。自らなれるを。何しに改作などし給はん。信友の説は穿てりと云ふべし。また同人の説に。庚辰より此日に至るまでの事。天智紀との異同。右に注せるが如し。原本かくのごとく。前後の紀に同じ事を重(ネ)記し。又其事實文例の。かく違べきにあらず。改作の時疎にして。かく成《トヽノハ》ぬ文となりたるものなるべし。と云れたる論もいかゞなり。此人の論。すべて此紀をば。(3507)後に改刪せしものとのみ云れたれど。それたしかなる證もなし。まこと改刪したらんには。かく前後打あはぬ事あるべきやうなし。あまりに撰者を輕く見成したる。此人の僻なり。かの僞作の長良公本などを。深く信じ過たるより。かゝる事も云はるゝなりけり○島宮。高市郡島庄村にあり。既出○癸未。二十日なり○至吉野而居之。吉野宮古くは應神紀雄略紀に見ゆ。此御世に近きは。齊明紀に。二年十月幸2于吉野宮1。と見えたり。信友云。古宮の廢れたりけるを。更に造り給へるlこて。其宮の在けるに入て居《スミ》給へるなるべし。前に古人大兄。皇極天皇の讓位せむと詔つるを。辭ひて出家して。吉野山に入ておはしたるも。此宮なりしなるべし。さて又此時。妃※[盧+鳥]野皇女【持統天皇】も。相伴ひ給ひけり。持統紀に。十年十月。從2沙門天渟中原瀛眞人天皇1。入2吉野1。と記されたる是なり。また御子草壁皇子。忍壁皇子をも。伴ひ給ひたるなるべし。壬申年六月。皇子吉野を發給へる時。妃も共に率て出坐る事。下文に見えたり。さて此大海人皇子。東宮を辭《サ》りて。吉野宮に入給へる時の趣。舒明天皇の皇子古人大兄と。輕皇子との御行に。似させ給へるところあり。さて大海人皇子。十月二十日吉野に入給ひ。同月のうちに。大友皇子を皇太子に立給へり。日は詳ならねど。二十日に云々の事ありて。いくかもあらぬに。立太子の御事ありしなり。かくて翌十一月丙辰【二十三日】に。大友皇子。内裏(ノ)西(ノ)殿織佛像(ノ)前に於て。左右大臣等六人。ともに誓盟を爲し。又次に壬戌【二十七日】にも。また五臣大友皇子を奉して。天皇の前にて盟を爲したり○諸舍人は。春宮坊の舍人なり○半留半退。この半留りける輩。壬申の亂にいさをし(3508)く仕奉れる事。下に見えたり。岡部東平云。當時天皇に從ひて。吉野に供奉せる者は。大概近習舍人なり。獨り村國男依連。和珥部君手臣。身毛(ノ)廣君は。舍人の列にあらず。又大伴馬來田連。黄書大伴造も。亦舍人なり。柿本人麿朝臣も。吉野に留りし舍人(ノ)内ならむと云り。【信友云。此留りたる舍人等は。皇子の陰《シタノ》心を察《シ》りて。隨ひまゐらせむとおもひ定て。後にいざをしく仕奉りたる輩なり。と云れたるは。此天皇に陰謀の御心ありと見做して。云る説なるべけれど。それは例の穿ちたる説なり。此舍人ども。さる下心ありてにはあらで。年頃仕はれ奉りし御|恩誼《ウツクシミ》に。報い奉らんとての心にこそあらめ。かゝるさまに天皇を誣ひ奉れる。いとあぢきなし。かの虎著v翼放之と云る所に。云る説を考合はすべし。】○天命開別天皇崩。天智紀に。十二月癸亥朔乙丑【三日】に天皇崩2于近江宮1。葵酉【十一日】殯2于新宮1。とあり。
 
 
元年春三月壬辰朔己酉。遣(テ)2内小《ウチノスナイ》七位阿曇(ノ)連|稻敷《イナシキヲ》於筑紫(ニ)1。告2天皇(ノ)喪《ミモヲ》於郭務※[立心偏+宗]等(ニ)1。於是郭務※[立心偏+宗]等。咸(ニ)著(テ)2喪服《アサノコロモヲ》1。三|遍《タビ》擧哀《ミネタテマツル》。向(テ)v東(ニ)稽首《ヲカム》。壬子。郭務※[立心偏+宗]等再拜。進3書函《フミハコト》與(ヲ)2信物《クニツモノ》1。
 
 
元年壬申なり。去年十二月三日。天智帝崩し給ひて。同き五日。大友皇子帝位に即給へること。既に天智紀に諸書を引て云り。されば。この壬申年の間は。大友帝元年なり。さて此年七月壬子【二十三日】以後。實に此天皇の御寓の元年なり。然るをこれをかにかくに論じて。明年癸酉を。天皇の元年としたるは。いはれなし。この事下に委く云り。さて信友云。此天皇今年五十九歳の御時なり。但し此は(3509)正統記に。崩りの享年を七十三と記されたるに依る。紹運録に六十五とあるに依れば。五十一歳になり給へり。と云り。此天皇の御年のことは。下に委く云べし○己酉は十八日なり○内小七位。按に内位の事。こゝにに始て出たれど。此|名目《ナ》は冠位を制給ひし時より始りけん。【天智天皇三年。二十六階を制給ひし時に。始りしなるべし。】さて内位とは。外位に對へて。尋常の位を云。式部式云。凡元正行列次第。外位不v得v列2内位上1。江次第云。諸官給雖2下姓1叙2内階1。自餘依v姓叙2内外階1。若有2疑姓者1。先叙2外階1。後日依v愁。叙2内階1云々。三代格。神龜五年奏。五位已上子孫。累世之冠葢。及明經秀才堪v爲v儒者。即叙2内位1。自餘先叙2外位1。積v勞入v内。などあり。【通典に。隋制九品。自2大帥1始焉。謂2之流内1。唐因v隋有2流外勲品1。自2諸衛録事。及五省令史1始焉。】按に。小七位は小建に當れり。下文に諸王(ノ)二位三位四位あり。されば此時既に。位とする名目もありしならめど。諸臣にて位と稱せしもの。此の他に見えず。恐らくは。小七位は小建の誤にもあるべし○阿曇連稻敷。十年紀に出○告天皇喪於郭務※[立心偏+宗]等。天智紀十年十一月。唐國使人郭務※[立心偏+宗]等六百人。また其國より歸朝の沙門道文等が送使一千四百人。參渡れりし事見えたり。これなり。さて上にも云りし如く。此は近江朝廷にての事にて。前年十二月。天智天皇崩給ひ。大友天皇の御世知食せる由を。告《ノラ》せ給へる文なり。持統紀に。六年五月。詔2筑紫大宰|率《カミ》河内王等1曰云々。復上【乙】送(セシム)大唐大使郭務※[立心偏+宗]。爲d御(シヽ)2近江大津宮1天皇u。所v造阿彌陀像【甲】。と載られたるは。此度造たりし佛像なるべし。信友云。郭務※[立心偏+宗]が事は。善鄰國寶記に。菅原在良。勘d隋唐以來献2本朝1書例u云々。天智天皇十年。唐客郭務※[立心偏+宗]等來聘云々。天武天皇元年。郭務※[立心偏+宗]等來。安2置大津館1。(3510)客上2書函1。題曰大唐皇帝敬問2倭皇1【印本皇を王と作り。】書。又大唐皇帝勅2日本國使衛尉等小卿|大分《オホキタ》等1書曰。皇帝敬致2書於日本國王1。と記せるは。實の記録の傳れるに據れるものなり。そは次に擧たる。郭務※[立心偏+宗]等再拜進3書函與2信物1。と記されたる度の事にて。安2置大津館1と記したるをもて。大友天皇の大津の都へ。召上給へる事明確なるをや。然るに天武天皇元年としも書るは。大友天皇を除き奉れる。後の年紀に當《カナ》へて記せるものなり。かくて推考れば。五月壬寅に。郭務※[立心偏+宗]等に大物賜ひたるも。大津の都にての事にて。【三月己酉。郭務※[立心偏+宗]等。筑紫に在て。天皇の喪の事を奉(リ)しより。五月壬寅に。大物賜ひたるまで。五十日に餘れり】甲申郭務※[立心偏+宗]等罷歸と記されたるは。その都を發て罷歸れるなり。然るに紀には書函信物を上れる事を。御使の筑紫に至りて。勅を諭たる己酉日より。わづかに四日に當る壬午(ノ)日に係て。筑紫にての事の如く記されたるは。是も後に改刪られたる事。疑なかるべし。と云り。次に云○壬子。二十一日なり○進書函與倍物。これ右に引る菅原在良勘文に。安2置大津館1。上2書函1とあるこれなり。この大津館を。信友は近江大津なりといへども。今按に。これは近江なるにはあらで。筑前國遠賀郡なり。其は斉明紀に所謂。御船還至2于娜大津1。居2磐瀬行宮1。天皇改2此名1曰2長津1。とある大津なり。さらば郭務※[立心偏+宗]大津都まで來れるにはあるべからず。なほ筑紫にての事なりけり。
 
 
夏五月辛卯朔壬寅。以2甲冑《ヨロヒカフト》弓矢(ヲ)1。賜2郭務※[立心偏+宗]等(ニ)1。是日。賜2郭務※[立心偏+宗]等(ニ)物1。總(3511)合《スヘテ》※[糸+施の旁]一千六百七十三匹。布二千八百五十二端。緜六百六十六|斤《ハカリ》。戊午。高麗遣(テ)2前部富加※[手偏+卞]等(ヲ)1。進v調。庚申。郭務※[立心偏+宗]等罷歸。
 
 
壬寅は十二日なり○緜六百六十六斤。扶桑略記には。斤を屯に作れり。こゝも屯の誤なるべし。さて略記に。此條を本紀二年の下に載たるは。誤なり○庚申。三十日なり○郭務※[立心偏+宗]等罷歸。筑前娜(ノ)大津より。本國に罷歸れるなり。さて上にも云る如く。三月己酉より。此に至るまでは。みな近江朝廷にて。大友天皇の御政なり。さらば此天皇の前紀と見てあるべし。
 
 
是月。舍人朴井連雄君。奏(テ)2天皇(ニ)1曰。臣以(テ)v有2私(ノ)事1。獨|至《マカル》2美濃(ニ)1。時朝廷宣(テ)2美濃尾張兩(ノ)國(ノ)司《ミコトモチニ》1曰。爲v造2山陵《ミサヽキヲ》1。豫差2定|人夫《オホミタカラヲ》1。則人別(ニ)令v執v兵(ヲ)。臣|以爲《オモハク》。非v爲(ニハ)2山陵(ヲ)1必有v事矣。若不(ハ)2早(ニ)避1。當有v危(コト)歟《カ》。或(ハ)有(テ)v人奏(テ)曰。自2近江(ノ)京1。至(ニ)2于倭京(ニ)1。處々(ニ)置v候《ウカミヲ》。亦命(テ)2菟道(ノ)守橋者《ハシモリニ》1。遮《タヘシム》d皇太弟《マウケノキミ》(ノ)舍人。運2私(ノ)粮1事(ヲ)u。
 
 
舍人。本に脱したり。今中臣本京極本に據て補へり○朴井連雄君。續紀一に。榎井連小君とあり。朴井は物部氏なり。大日本史云。舊事紀曰。守屋子物部雄君連公。天武帝時。賜2氏上内大紫冠位1。按守屋被(3512)v殺。在2用明帝二年1。至2壬申之亂1。相距八十八年。頗非v無v疑。故不v収。と云へるは。さることなり。此人五年紀に。發病而卒とみえたり。氏上内大紫冠ならば。卒と書べきよしなし。同氏なれど別人なり。さて續紀に。大寶元年勅。先朝論v功賜v封。榎井連小君一百戸。宜2依v令四分之一傳1v子。とあり〇奏天皇曰。略記に。大友皇子。既及2執政左右大臣等1。相共發v兵。將v襲2吉野宮1。時舎人朴井連雄君奏曰。とあり○朝廷。略記に近江朝廷とあり○爲造山陵。天智天皇の御陵なり。此御陵の事既に云り。信友云。此に爲v造2山陵1云々と云へるは。此時より前に。御葬の事は畢りて。御陵の山作(リ)の人夫に託《コトヅ》けて。兵士を呼(シ)集給ひたりしなるべし。此御陵修營の事。續紀大寶三年十月の下に見えたり。御葬より。わづかに三十二年を歴たり。さるは此御世の亂によりて。前の御代御代の山陵の如く。嚴にはえものし給はざりつるから。いくほどもなきに。壊崩たる處のいできたる。修營せられたるなるべし。と云り○若不早避。本に早を※[田/廾]に誤る〇倭京。下文に倭古京とあるこれなり。倭京は大和高市郡にて。後(ノ)飛鳥岡本宮と稱して。齊明天皇より。天智天皇大津に遷都し給へるまでの都なり。此より前に。舒明天皇此地に都を遷し給ひける事を。遷2飛鳥岡本1。更定2宮地1。號曰2後飛鳥岡本宮1。と見えたれば。前なると同じ所にて。飛鳥の地なり。これらの事は。既に繼々云おけり。さて信友云。此倭京を。下に倭古京ともあるは。然る事なるを。こゝのほかにも。徒《タヾ》に倭京とあるはいと混はし。と云れたり○處々置候。扶桑略記に。處々置v軍云々。また世(ニ)傳云。大友皇子之妃。是天皇女也。竊以v謀v事。隱通2消息1。と記せり。(3513)此事他書どもにも見えたり。【懐風藻に。葛野王者。大友太子之長子也。母淨見原帝長女十市内親王とあり。】○蒐道守橋者。山城國宇治橋なり。帝王編年記大化二年下に。元興寺道登道昭。奉v勅。始造宇治川橋石上銘1云々。大化二年丙午之歳。※[手偏+溝の旁]2立此橋1。濟2度人畜1云々。とあり。續紀にこれを道昭一人として記るは誤なり。これらのことは。こゝに餘り要なければいはず。さて守橋《ハシモリ》の事は。古今集歌に。ちはやなる宇治の橋守なれをしぞ。あはれとはおもふ年の經ぬれば。と見えたり。【信友云。此歌のよみざまを思ふに。この歌主のこゝろは。昔のなごりのかたばかりに。橋守の在しなるべし。と云り。】○運私粮事。按に事は者の誤か。
 
 
天皇|惡《ハヾカリテ》之。因令2問察《トヒアキラメ》1。以(テ)知2事(ノ)已(ニ)實(ナルヲ)1。於是詔(テ)曰。朕所2以譲v位(ヲ)遁1v世(ヲ)者。獨治v病(ヲ)全(テ)v身(ヲ)。永終(ムトナリ)2百年(ヲ)1。然(ニ)今不(テ)v獲v已《ヤムコトヲ》。應v承v禍(ヲ)。何黙(テ)亡(ム)v身(ヲ)耶《ヤ》。六月辛酉朔壬午。詔2村國(ノ)連|男依《ヲヨリ》。和珥部(ノ)臣君手。身毛(ノ)君廣(ニ)1曰。今聞。近江(ノ)朝庭之臣等。爲(ニ)v朕(カ)謀(ル)v害(コトヲ)。是以(テ)汝等三人。急(ニ)往(テ)2美濃國(ニ)1。告(テ)2安八《アハチ》磨(ノ)郡(ノ)湯沐令《ユノウナガシ》多(ノ)臣品治(ニ)1。宣《ノタマヒ》2示(シテ)機要《ハカリコトノヌミヲ》1。而先發2當郡(ノ)兵(ヲ)1。仍(テ)經《フレテ》2國司等(ニ)1。差2發(テ)諸(ノ)軍(ヲ)1。急(ニ)塞《フセゲ》2不破(ノ)道(ヲ)1。朕今|發路《イキタヽム》。
 
 
譲位とは。信友云。皇太弟を辭し給へる事ながら。譲とは。大友皇子に譲り給へるよしきこえたり。(3514)と云れたり○壬午。二十一日なり○村國連男依。此姓系詳ならず。倭名抄。大和國添下郡村國。美濃國各務郡村國。神名式。同郡村國神社あり。續紀三。美濃國言。材國連等志賣一2産三女1。とあるに依らば。男依は美濃人なるべし。なほ同書二十五。美濃少掾正六位上村國連島主。坐2逆黨1。類史八十七。延暦十七年二月。美濃國村國連惡人。なとも見えたり○和珥部臣君手。孝昭紀に。天足彦國押人命。此和珥臣等始祖也。とあり。既に云り。此人續紀にも出。但し古は。此姓單に和珥臣とのみ稱せしを。此に始て和珥部と書るは。何時より改め稱へるにか。續紀姓氏録も同じ○身毛君廣。身毛君雄略紀に注せり。續紀に牟宜郡君比呂に作る。記に大碓命生子押黒弟日子王。此者牟宜都君等之祖。とあり。さて些三人は。續紀大寶元年勅。先朝論v功行v封時。賜2村國小依百二十戸。牟宜君比呂。和爾部君手八十戸1。賞雖2各異1。同居2中第1。宜2依v令四分之一傳1v子。とあり○安八磨那。和名抄美濃國安八郡。續紀安八萬王あり。又|味蜂間《アハチマ》とも書ること。他書に見えたり○湯沐令。本に令を命に誤る。通證云。謂2湯沐邑令1也。釋爲d主2温泉1之官u誤。と云り。借友云。大海人皇子の湯沐料の地の司なり。延喜春宮坊式に。東宮湯沐二千戸とあり。當昔《ソノカミ》の戸數は。いかなりけむ。しられねど。東宮にておはしける時の湯沐の地を。舊のまゝに進られ給ひたりしなるべし。下(ノ)文に。運2湯沐之米1。伊勢國(ノ)駄云々。とも見えたり。伊勢にても。湯沐の地のありけるなり。漢書高帝紀に。以v沛爲2湯沐邑1。師古注に。凡言2湯沐邑1者。謂d以2其賦税1。供c湯沐之具u也。とあり。これにて明らけし○多臣品治。持統紀十年八月庚午。以2直廣壹1。授2多臣品(3515)治1。並賜v物。褒3美元從之功。與2二堅守v關事1。とあり。此人は多神宮注進状に。【此書の事は綏靖紀に云り。】多(ノ)清眼十一世孫。小錦下品治【蒋敷子。】とあり。太安麻呂の父なるよし見えたり○急塞不破道。信友云。後の事ながら。大寶の軍防命に三關とあるを。義解に伊勢(ノ)鈴鹿。美濃(ノ)不破。越前|愛發《アラチ》。と見えて。共に畿内の要路なり。かくて按るに。件の三關は。此御世より前に置れたりしなるべし。下文の伊勢の國司(ノ)守の塞2鈴鹿山(ノ)道1。とあるところの注にも考證すべし。然るに。藤原兼良公の應仁六年の藤川記に。不破の關屋を見侍るに云々。關屋の中《ウチ》に。ちひさきほこらのあるを。里人に尋ねはべれば。これなん清見原をいはひ奉るといふ。まことや。彼御世に軍を防がんとて。建られし事なれど。今は關のやうにもあらぬを見はべりて云々。と記し給へり。清見原の天皇を齋ひ奉れる事は。新《アラタ》世の古事を懷ひ奉りて。關司の祀り來れるなるべきを。彼御世に創めて建られたる關のこと。しるし給へるは。疎《オロソカ》なる御事なるべし。さて今不破(ノ)郡關(カ)原宿の南に。古の關の跡なりといふ所あり。持統紀十年紀に。多臣品治に。爵並物を賜ひて。褒3美元從之功(ト)。與2二堅守v關事1。と見えたる守關は。此時の功に當れり。と云り○朕今發路。同人云。如此掟給ひたるは。吉野より出|發《タチ》て。東國の方より。速に大津(ノ)都に襲《オシ》入給はむ御慮《ミコヽロ》がまへなり。但し此は豫て品治に。うち/\よく示しおかせ給へる事のありしなるべし。さらでは。男依等が復命をも聞食さで。かろがろしく發路《ミチダチ》し給ふべきに非らず。亦品治か除《ホカ》にも諸國に。豫て事發らば云々と。命せあはせおかれたる人々の。多かりしなるべし。其等は次々に出會奉れる人々の行《フルマヒ》もて。推量りしる(3516)べし。と云り。
 
甲申。將v入v東(ニ)。時(ニ)有(テ)2一(ノ)臣1。奏曰。近江(ノ)群臣。元有2謀《キタナキ》心1。必告2天下1。則道路難(ム)v通。何無(テ)2一人(ノ)兵1。徒手《タムナテ》入v東《アヅマニ》。臣恐事不(ムコトヲ)v就《ナラ》矣。天皇從(テ)之。思3欲返2召(ト)男依等(ヲ)1。
 
甲申。二十四日なり○將入東。秘閣本入字なし。信友云。東とは大和にして。もはら伊賀伊勢わたりを。さしたる文なり。それより近江路をさしてものし給ひ。大津の都に向ひて。情状《アルカタチ》を明らめ給はむとて。發ませる由に。御言擧し給へるなるべし。さて續紀に。尾張宿禰大隅が。此壬申の度《トキ》の功を處分《サタ》せる文中に。淡海朝廷諒陰之際。義興2警蹕1。潜出2關東1。于時云々。とあるは。此時の御|擧動《アリサマ》を。云るなり。さて竊に按に。件の文は。後世より申す潤飾の漢文とはいへども。諒陰之際興義2警蹕1。といへるまでは。中々に物害ひなる文なるべし。其全文は下に引べし。と云り○元有謀心。本に元を无に誤る。今中臣本信友本校本に據る○必告天下。本に告を造に誤る。今本書傍書。中臣本考本等に據る。害に造るも誤なり○徒手は。通證に謂v無2備衛1也。と云るが如し〇思欲返召男依等。一臣の奏に從て。男依等を召返さむと思欲しかども。又更に御心に神策を廻らし給ひて。別に下條の命を申し給ひしなり。
 
(3517)即遣(テ)2大分《オホイタノ》君惠|尺《サカヲ》。黄書造大伴。逢《アフノ》臣志摩(ヲ)于留守|司《ツカサ》高坂(ノ)王(ノモトニ)1。而令v乞2驛(ノ)鈴《スヾヲ》1。因(テ)以(テ)謂(テ)2惠尺等(ニ)1曰。若不(ハ)v得v鈴(ヲ)。廼志摩(ハ)還(テ)而|復奏《カヘリコトマヲセ》。惠尺(ハ)馳(テ)之往(テ)2於近江(ニ)1。喚(テ)2高市皇子大津皇子(ヲ)1。逢2於伊勢(ニ)1。既而惠尺等至(テ)2留守司(ニ)1。擧(テ)2東宮之命(ヲ)1。乞2驛鈴(ヲ)於高坂(ノ)王(ニ)1。然(ニ)不v聽矣。時(ニ)惠尺往2近江(ニ)1。志摩乃還(テ)之復奏(テ)曰。不v得v鈴也。
 
大分君惠尺。記に神八井耳命。大分君之祖。倭名抄豊後國大分。景行紀に碩田。舊事紀に大分國造あり。既に云り。惠尺は。天武紀四年六月。薨2于私家1。とあり○黄書造大伴。續紀。大奉元年七月壬辰勅曰。先朝論v功行v封。賜2黄書造大伴一百戸1云々。天平寶字元年四月。大伴(カ)壬申(ノ)功田八町。中功合v傳2二世1。和銅三年十月辛卯。正六位上【これより前大寶三年紀に。七月甲午正五位下山背守とあり。誤あるべし。】黄文連大伴卒。詔贈2正四位下1。並弔賻之。以2壬申功1也。靈龜二年四月癸丑。壬申功臣子賜v田の中に。大伴が息從七位上糠麻呂あり○逢臣志摩。欽明紀に逢臣讃岐と云女見えたり。逢臣系詳ならず。【集解に。即多臣と云へるは非なり。】○留守司。大和の古京に置れたる司なり○高坂王。系未詳。十二年四月壬戌。三位高坂王薨○驛鈴の事。孝徳紀に詳かなり○高市皇子大津皇子。二皇子共に天皇の御子なり。此時高市皇子の御年。いまだ二十歳になり給はず。大津皇子は十歳(3518)の時に當れり○擧東宮之命。信友云。大海人皇子。去年東宮を辭《サリ》給ひたれど。如此云はしめ給へるなり。此後|隱《ナバリ》の邑中にて。天皇入2東國1と唱《イハ》しめ給へるも。同じ御心おきてなり。おもひ合せ奉るべし。と云り○復奏曰不得鈴也。又云。かの一臣の議よりも前に。近江の朝の御企を知召けるに依て。深謀を定めて。かく速にものし給へる趣なるに。一臣の議に依て。思d欲返c召男依等u云々と命せ給ふべきにあらず。然れば。まこと此時に。男依等を召返し給はむの抑慮にはあるべからぬを。亦さらに計策を設けて。かの一臣の議に從ひ給ふさまにて。東國よりものし給ふ事を止めて。彼等を召返し給ふ由にて。留守司高坂王に。驛鈴を乞はしめ給ひて。其王の吉野に隨ひ給ふべきや否やと。試させ給へるなり。今推考るに。鈴を得《エ》得《エ》ざるによらず。惠尺は近江に往て云々。と命せ給へるなるべし。志摩は鈴を得ぬ由。即日に復奏せり。大伴は稍後れたりときこえて。即《ソノ》日菟田吾城に追次て。御供に仕(ヘ)奉れる由。共に次に見ゆ。志摩の事は見えず。と云り。
 
 
是日。發途《タチテ》入(タマフ)2東(ノ)國(ニ)1。事急(テ)不(テ)v待v駕《オホムマヲ》而行之。※[脩の月が黒]《ニハカニ》遇2縣(ノ)犬養(ノ)連大伴(カ)鞍《クラオヘル》馬(ニ)1。因以(テ)御駕《ミノリス》。乃皇后(ハ)載(テ)v輿(ニ)從《ミトモニマセシム》之。逮(テ)2于津振《ツフリ》川(ニ)1。車駕《オホムマ》姶(テ)至《イマシ》。便|乘《ミノリス》焉。
 
 
是日。尚二十四日なり○發途入東國。信友云。これ始《モト》りの御慮にて。彼一臣の議に從ひ給はざりつる事しるべし。さて鎌足公傳に。帝召2群臣1。置2酒濱樓1。酒酣極v歡。於是皇太弟。以2長槍1。刺2貫敷板1。帝(3519)驚大怒。以將2執害1。大臣固諫。帝即止之。皇太弟初忌2大臣所遇之高1。自v茲以後殊親重之。後値2壬申之亂1。從2芳野1向2東土1。歎曰。若使2大臣生存1。豈至2於此困1哉。とのたまひしよし見えたるは。この時の御事なり。あなかしこ。かゝるきはに臨み給ひては。しかすがに。然もこそはおもほしたりけめ。と云り○事急云々。按に一臣の奏は。道路の通じ雖からん事を申しゝかば。驛鈴を得て行かんとおもほして。高坂王に乞給ひしなり。然るに鈴を得ざりしのみならず。高坂王の向背をも知給ひしかば。急速に發途し給へるなるべし。其故に一臣の議に從はざりしならんか○縣犬養連大伴。天武紀九年に。臨v病即降2大恩1云々。とあり。文武紀。大寶元年正月癸卯。直廣壹縣犬養宿禰大侶卒。遣2淨廣肆夜氣王1。就v第宣詔。贈2正廣參1。以2壬申年功1也。又七月壬辰勅。先朝論v功行v封。賜2遣犬養連大侶等十一人各一百戸1。宣2依v令四分之一傳1v子。などあり○皇后載輿從之。皇后持銃帝なり。持統紀に。從2天渟中原瀛眞人天皇1。避2難東國1。鞠v旅置2諸要害地1云々。從v始迄v今。佐2天皇1多v所2※[田+比]補1。と載られて。此時專軍政を補佐《タスケ》給ひたりしなり。是時御年二十八にて坐ましき○津振川。大和志に。吉野郡北至2宇陀界1村里。津風呂。在2龍門莊1。疑是。とあり。今上浄風呂下津風呂と云村なり。川あり。宮瀧の下にて吉野川に入る。さてこゝより龍門莊を過て。宇陀郡に入れば。菟田吾城なり。
 
 
是時(ニ)。元(ヨリ)從|者《ヒト》。草壁皇子。忍壁皇子。及舎人|朴《エノ》井(ノ)連雄君。縣犬養連大伴。佐(3520)伯連大目。大伴連友國。稚櫻部臣五百瀬。書首根摩呂。書直|智徳《チトコ》。山背直小林。山背部小田。安《ア》斗連智徳。調《ツキノ》首淡海之|類《トモガラ》。二十有餘人。女孺《メノワラハ》十有餘人也。
 
 
草壁皇子は。天皇の御子。御母持統帝。是年十一歳。日並知皇子と申す御事なり○忽壁皇子。草壁皇子(ノ)御弟なり。或は刑部親王に作れり。續紀三。慶雲元年。益封二百戸。同二年。三品忍壁親主薨。天武天皇之第九皇子也。とあり。御年のほどおしはかるべし。此時の事を扶桑略紀には。引2率男女息1と記せり○佐伯連大目。姓氏録左京神別。大伴宿禰條に。大伴宿禰云々。雄略天皇御世。以2天靱負1。賜2大連公1。【大連公は室屋連なり。】奏曰。衛(テ)v門開闔之務。於v職已重。若一身難v堪。望與2愚兒1。相併奉v衛2左右1。勅依v奏。是大伴佐伯二氏。寧2左右開闔1之縁也。佐伯宿禰。大伴同祖。道臣命七世孫。室屋大連公之後也。【佐伯連。木根乃命男。丹波眞太王之後也。とあるは詳ならず。】天武紀。十三年十二月。佐伯連賜v姓曰2宿禰1。とありて。此頃は連姓にてありしを。かく宿禰を給へるなり。さて此人。持統紀五年に。以2直大貳1。贈2佐伯宿禰大目1。并賜2賻物1。とあり。然るに續紀大寶元年勅。先朝論v功行v封。賜2佐伯連大目八十戸1。宜依v命四分之一傳v子。とありて。連に復して記したるはいかゞ。史の失なるべし。此氏直姓もあり。仁明紀文徳紀晴和紀に見えたり。宿禰後に朝臣を賜はれり。朝野群載大府記等に見ゆ○大伴連友國。持統紀六年に。直大貳并に賻物を賜はれるよし(3521)みゆ○稚櫻部臣五百瀬。本に百を十に誤。今諸本及持統紀續紀に據る。此人持統紀十年に。直大壹を贈り。賻物を賜ひたり。續紀大寶元年七月勅。先朝論v功行v封。賜2若櫻都臣五百瀬八十戸1。宜依v令四分之一傳v子。とあり○書首根摩呂。書首は桓武紀に。東文稱v直。西文稱v首。とある文《フミ》に同じ。この事既に應神紀に云り。此人は十年に授2小錦下位1。賜v姓曰v連。持統紀六年。贈2文忌寸智徳直大壹1。并賜2賻物1。續紀大寶元年七月勅。先朝論v功行v封。賜2書首尼麻呂一百戸1。天平寶字元年十二月の下に。禰麻呂が壬申功田八町。中功合v傳2二世1。慶雲四年十月戊子。從四位下文忌寸禰麻呂卒。遣v使宜v詔。贈2正四位上1。并賻2※[糸+施の旁]布1。以2壬申功1也。とあり。墓誌云。壬申年。將軍左衛士府督。正四位上文禰麻呂忌寸。慶雲四年丁未九月二十一日卒。按に卒れる月日。紀と違へり。穗井田忠友云。天保二年九月二十九日。於2大和國宇陀郡八瀧村圃間1。堀2得文氏墓誌1。卒去爲2十月戊子1。推2干支1則實二十四日。恐是奏聞之月日也。墓誌豈謬哉。葢似d以2贈位1爲2生身位1者u。未v見2傍例1。と云り。さて靈龜二年紀に。四月癸丑壬申功臣(ノ)子賜v田の中に。禰麻呂が息正七位下馬飼あり○山背直小林。此後見えず○山背部小田。山背部は山背直と同姓也。續紀一。贈勤大貳山代小田直廣肆とあり。部を脱せり。小田の田を本に由に作る。今下文及釋紀に因て改む○安斗連智徳。姓氏録左京神別。阿刀宿禰。石上同祖。山城國神別。阿刀宿禰。石上朝臣同祖饒速日命孫。味饒田命之後也。阿刀連同上。【なほ攝津國和泉國なるも同じ。】天武紀十三年十二月。阿刀連賜v姓曰2宿禰1。氏人にては。續後紀。攝津豊島郡人。迹連繼麻呂等。改爲2阿刀連1。繼麻呂本阿刀連。祖父乙淨。天平中誤(3522)署2迹氏1。故※[てへん+僉]2庚午年籍1。請改v之。また三代實録六。阿刀物部貞範。賜2姓良階宿禰1。神饒速日命之裔孫也。などあり。智徳は釋紀に。私記安斗宿禰智徳日記と云る。此人なり○調首淡海。姓氏録左京諸蕃。調連。水海連同祖。百濟國努理使主之後也。譽田天皇御世歸化。孫阿久太。男彌和。次賀夜。次麻利。彌和。憶計天皇御世。蠶織献2※[糸+施の旁]絹之樣1。仍賜2調首姓1。とあり。續紀元明元正聖武紀等には。調連とあり。此人は續紀四六に見えて。九に正五位上に進みたり。萬葉一。大寶元年九月。太上天皇幸2于紀伊國1時歌一首見えたり。【持統紀三年。調忌寸老人。拜2撰善言司1。續紀大寶元年八月。詔贈2調忌寸老人正五位上1とあるを。集解に此淡海と同人とせしは誤なり。】〇二十餘人云々。信友云。二皇子のほか二十餘人。悉舎人なり。さて吉野宮には。男女一人も殘し給はざりつときこゆと云り。
 
即日。到菟田(ノ)吾城《アキニ》1。大伴連馬來田。黄書造大伴。從2吉野宮1追(テ)至《マヰケリ》。於2此時1。屯田《ミタノ》司(ノ)舎人土師連馬手。供《タテマツル》2從駕《オホミトモニツカマツル》者(ノ)食《ヲシモノヲ》1。過2甘羅《カムラノ》村1。有2※[獣偏+葛]者二十餘人1。大伴(ノ)朴《エノ》本(ノ)連大國。爲2※[獣偏+葛]者之|首《ヒトゴノカミ》1。則悉喚(テ)令2從駕《ミトモ》1。
 
即日。これも尚二十四日なり○菟田吾城。神名式大和國阿紀神社。延暦儀式帳に宇太乃阿貴宮。萬薬集に阿騎大野とあるは。此地と聞ゆ。大和志に。宇陀郡|迫間《ハサマ》本郷二村。有2吾城野1。とあり。今|明《アキ》山と云山あり○大伴連馬來田は。續紀に據に。大徳咋子連の子なり。【續紀三十七。延暦元年條に。大伴宿禰伯麻呂傳に。祖馬來田賜2内大紫1。父道足云々とあり。】天武紀十二年六月大伴連望多薨。天皇大驚之。則遣2泊瀬王1而弔v之。仍擧2壬申之勲績。及先祖等毎時有1v功。以(3523)顯2寵賞1。乃贈2大紫位1。發2鼓吹1葬v之。とあり。【續紀には内大紫とあり。此人の勲續紀中に載せず。】○追至。信友云。此二人も舍人と聞ゆ。さて此二人追|至《キタ》れる上は。吉野宮に殘留れる人はあらざりしなるべし○屯田司。又云。これ東宮におはしましける時の屯田司なるべし○土師連馬手。續紀。文武三年十月。直廣參土師連馬手。和銅四年二月。從四位下土師連馬手卒とあり○甘羅村。大和志。宇多郡有2葛《カツラ》村1。疑此。とあり。されど甘羅は。吾城より菟田郡家までの間にあるべし。葛村にては地理たがへれば。志の説は從ひがたし。葛村は室生の方より。中山峠越にかゝる道なり○大伴朴本連大國。姓氏録左京神別。榎本連。道臣命十世孫。佐弖彦之後也。とあり。【此氏|姓《カバネ》なきもの。靈異記。今昔物語。小右紀。符宣抄。東鑑等に見えたり。】榎本は。和名抄山城國乙訓郡郷名にあり。是は大坪氏彼地に家居して。遂に本姓に加たるなるべし○爲※[獣偏+葛]者之首云々。信友云。この※[獣偏+葛]者は。大國密に命をうけて。既にかたらひおきつるか。此地にて參(リ)會たるなるべしと云り。
 
 
亦徴2美濃王(ヲ)1。乃參赴(テ)而|從《オホミトモニツカマツル》矣。運2湯沐(ノ)之米(ヲ)1。伊勢(ノ)國(ノ)駄《ニオビムマ》五十匹。遇2於菟田(ノ)郡家|頭《モトニ》1。仍(テ)皆棄(テ)v米《ヨネヲ》。而令v乘2歩者《カチヒトヲ》1。到(テ)2大野(ニ)1以(テ)日|落《クレヌ》也。
 
 
美濃王。傳詳ならず。二年紀に。小紫美濃王云々。造高市大寺司。十四年紀に彌努王。持統紀八年に。以2淨廣肆三野王1。拜2筑紫大宰帥1。とある同人と見えたり。下文に栗隈王之二子三野王とあるは別人なり。栗隈王は。敏達帝の曾孫にて橘諸兄公の父なり。信友云。此王此時何地におはしけるにか知られねど。こ(3524)れも既に密にかたらひおき給へるか。軍人を率て來り給へるなるべし。さて。件の文によるに。此時に至りて。卸|從《トモ》の男子は。前の二皇子に。この美濃王の外に。宗《ムネ》とある軍人五十人ばかりになりたりと聞ゆ。と云り○伊勢國駄五十匹は。地租税の米の駄なり。駄は荷負馬なり。扶桑略記には米駄三十匹とあり○郡家は。郡司の居所なり。後には是を字音に唱けり。和名抄淡路津名郡郷名久宇希とあり。さて宇※[こざと+施の旁]郡の郡家は。今の萩原驛ならんか。たづぬべし○令乘歩者。信友云。こゝにて伊勢固の湯沐米の駄あへる事も。實は豫て其處の令《ウナガシ》田中臣足麻呂に。命せつけ給ひたるにて。實は馬と兵具を得給ふ御謀にてぞ有けん。なほ下にいふを考合すべし。伊勢湯沐令由中足麻呂。下にみゆ。と云り○大野。大和志に。宇陀都大野在2内牧村1。とあれど。これは地理いたくたがへり。それは伊賀にかゝらずして。伊勢へ出る道なり。この大野は。宇陀郡を過て。既に山邊郡なり。大和より伊賀の名張へ越る道にして。今も大野村大野寺あり。宇陀郡の界近き所なれば。萬葉に宇陀大野とあるもこゝなるべし。
 
山暗(テ)不v能2進行《ミタスルコト》1。則壞2取(テ)當(ノ)邑家(ノ)籬(ヲ)1爲v燭。及(テ)2夜半(ニ)1。到(テ)2隱《ナバリノ》郡(ニ)1。焚2隱(ノ)驛家《ムマヤヲ》1。因(テ)唱(テ)2邑(ノ)中(ニ)1曰。天皇入2束國1。故|人夫《オホミタカラ》諸|參赴《マヰコ》。然(ニ)一人(モ)不2肯來1矣。
 
當邑。即大野村なり○隱郡。和名抄伊賀國名張郡奈波利。隱字を書るは。古言に隱す事を。ナバリ。ナマリとも云る故に借たるなり。萬葉の歌に數多見えたり○唱邑中。本に唱を昌に作る。今集解小寺(3525)本信友校本に據る○天皇入東國。竟宴本に。天皇の下避難の二字ありと云へり。從ふべし。但しこゝの天皇は東宮に作るべし〇一人不肯來。本に不を於に作る。今諸本に據る。信友云。伊賀は大友天皇の御母の本郷なれば。此わたりに其御縁(リ)人のありて。ことに近江の朝廷に親しみ奉り。心よせ深き人の多かりけむ。此驛家を焚たてゝ。天皇東國に入給ふ云々と唱させて。御威を示して人心を試み。かつは驛家を焚亡ひて。驚(キ)騷かしめ。又馬を奪はせて。軍人に乘せなどし給ひけん。かにかくに。近江の官軍を妨給へる御行(ヒ)なり。然一人不2肯皆來1とは。近江朝廷に心よせ深かりけるが故なるべし。さて此夜また又伊賀驛家を焚給へること。下文に見えたり。其處に云ふを考合すべし。と云り。
 
將(ニ)v及2横《ヨコ》河(ニ)1。有2黒雲1。廣十餘丈。經《ワタレリ》v天。時天皇異之。則|擧《トモイテ》v燭《ヒヲ》親秉(テ)v式《フミノリヲ》占(ニ)曰。天下兩(ニ)分(ム)之|祥《サガ》也。然朕遂(ニ)得(ム)2天下(ヲ)1歟《カ》。即急(ニ)行《ミタシテ》到(テ)2伊賀(ノ)郡(ニ)1。焚2伊賀驛家(ヲ)1。還2于伊賀(ノ)中山(ニ)1。而當國(ノ)郡|司《ミヤツコ》等。率(テ)2數百(ノ)衆《イクサヲ》1。歸《ヨリマツル》焉。
 
 
横河は。孝徳紀に名墾横河とあり。名墾は名張なり。古事記序に。投2夜水1。而知v承v基。と書せるこれなり。横河は後の伊賀風土記に。伊賀郡(ノ)中郡也。東限2澤墳1。西限2高師川1。北限2横川1。南限2豐|國《岡イ》1。以2國名1爲2郡名1。と見えたり。今長田川ときこゆる。それなるべしと信友云り。菅笠日記に云。名張に至る。阿保よりは三里とかや。町中にこのわたりしりたる。藤堂の何がしぬしの家あり。其門の前を過て。(3526)町家のはづれに。川の流れあふ所に。坂橋を二(ツ)わたり。なばり川やなせ川とぞいふ。いにしへなばりの横川といひけんは。これなめり。【通證云。隱驛家在2簗瀬郷1。】と云るは。長田川とは異なり。いづれなるらん。よくたづぬべし○秉式云々。式は漢國にて式といふ器《モノ》を秉九《と》りて。天文を察《ウカゞ》ひ。時日などを占ふ方ときこゆ。史記の日者傳に。卜者必分v策定v卦旋v式云々。注に。式即※[木+式]也。旋轉也。※[木+式]之形上圓象v天。下方法v地。用v之則轉2天綱1。加2地之辰1。故曰2旋式1。漢書王莽傳。天文郎按2※[木+式]於前1。師古曰。※[木+式]所3以占2時日1。天文即今之用v※[木+式]者也。など見えたり。上文に此天皇の御事を。及v壯雄拔神武。能2天文遁甲1。と賛《タヽヘ》記されたるをも。おもひ合せ奉るべし○遂得天下歟。さて此時の占方《ウラカタ》は。とまれかくまれ。神教を占《ウラ》へて。御慮を決め行ひ給へるなり。と信友云り。さる事なり。縁起六年竟宴歌に。此天皇を。在原朝臣友于。與古加波能《ヨコカハノ》。安多利爾多知之《アタリニタチシ》。久毛乎美※[氏/一]《クモヲミテ》。阿麻乃比津支波《アマノヒツキハ》。衣※[氏/一]之支美奈利《エテシキミナリ》○伊賀郡。倭名抄伊賀國伊賀郡。風土乱に。猿田彦神始2此之國1。爲2伊勢加佐波夜之國1。時二十餘萬歳知2此國1矣。猿田彦神女吾娥津媛命云々。此神之依2知守國1。謂2吾蛾之郡2。其後清見原天皇御宇。以2吾娥郡1。分爲2國之名1云々。後改2伊賀1。吾娥之音轉也。伊賀郡其郡之一也。とあり。【この風土記は。古風土記にあらず。疑はしき説あり。】○伊賀驛家。通證に此を疑今阿保驛とあるは。然るべし。さて信友云。此伊賀驛家は。近江へ入給ふ驛次にはあらぬを。ことさらに襲(シ)入て。焚給へるにて。前に隱(ノ)家を焚給へると。同じ御|行《シワザ》なるべし。還2于伊賀(ノ)中山1と記されたるにても。わざとものし給ひたること明かなりと云り○還于伊賀中山。中臣本に還を逮《オヨビテ》に作れり。其に據らば。(3527)なほ伊賀驛家を御路次にて。其より※[草冠/刺]萩野に通り給へるなり。されどこゝはなほ還なるべし。さるはこの中山は。今行くべき御路次にはあらねど。故ありてこゝに故に立寄給ふなれば。過路《ヨキミチ》し給へるを。還とは云りしなるべし。跡の方へ少し立戻り給ふ意もて。書れしものと見るべし。中山は通證に。在2伊賀都岡田村(ト)。下河原村(ト)之間1。今中山寺之名存。と云り。【源頼政集及金葉集に歌あり。】菅笠日記云。明はてゝやどりを出づ。【伊勢地の宿をなり。】十町ばかり行て。道の左に中山といふ山のいはほ。いとあやし。河づらの伊賀の中山云々。かく云は。きのふこえしあほ山よりいづる。阿保川のほとりなり。朝川わたりて。その河べをつたひゆく。岡田別府などいふ里を過て。左にちかく阿保の大森明神と申神おはしますは。式に伊賀郡大村神社などをあやまりて。かくまうすにはあらじや。なほ川にそひつゝゆき/\て。阿保の宿の入口にてまたわたるとあり○當國郡司等云々。信友云。前にも隱(ノ)驛家を焚給ひ。またしも伊賀驛家を焚給ふに恐れて。當(ノ)國内郡司等。各軍人を促し聚めて。出來れるなり。但し其時の事状を察ふに。六月二十四日云々の事ありて。午時《マヒル》もすぎたりけむ。吉野を發給ひて。をりしも短夜の夜半ばかりに。隱(ノ)驛家を焚たまひ。たゞちに伊賀に到て。驛家を焚給へるも。なほ後夜の中の事なるに。其夜の明ざるほど。如何にしても。國内の郡司が。軍人を率て來るべきにあらず。故おもふに。大津朝廷より官軍を整へて。※[脩の月が黒]に吉野を討給はむとて。密に伊賀の郡司等に詔ありて。軍卒を整へてありしを。吉野(ノ)皇子も。既に其事を知召けるによりて。二所の驛家にいちはやく逆《サカ》寄に打入りて。御威を示し給へるを。郡司(3528)等いたく恐懼れて。云合せて降(リ)隨ひたるなるべし。但し後の伊賀風土記に。伊賀郡の下に。和歌山有2淨見御所1。昔日淨見原天皇。與2大友皇子1爭戰之地也云々。と云る事見え。また伊賀史に。天武天皇與2大友皇子1相戰|戻《イタリテ》v腹詠歌曰。風早之。伊勢乃神遠母。美千比幾弖。多々多寸氣弖女。猿田(ト)云(フ)爾。故號2地(ヲ)和歌山(ト)1。祭神猿田彦也。此歌逸2于記1。といへる事も見えたり。此は古事記の序に。聞2夢歌1而想v簒v業。と見えたる古事を。訛りつゝも。談り傳へたりしものなるべし。また伊賀(ノ)名所記に。和歌山亦若山。清見原天皇。大友皇子之御位を爭ひ給ひし時。あまたゝび國をせめいどみ給ひしに。此國は御母君の古郷とて。大友こゝに屯し給ふ事三月ばかり。淨見にぐるを追て。此國に至り給ひ。此若山に陣取給ひし。其處を今にきよみの御所と云ふなり。と見え。伊賀記にも。和歌山。今|上神戸《カミカムヘ》村と云に屬てありとぞ。また同記に。城山之内山田郡にあり。大友御在城之所也。泌村權現。大友ヲマツル所也。また後の伊賀風土記に。阿盃郡の下に。鳥飛山。此山甚低而。又其形奇也。昔大友皇子來2此山1。暫休之。刀鉾多殘置。今國俗謂2鉾(ノ)岡1者。此其|縁《コト》之本也。などいへる事も見えたり。これら風土の傳説にて。悉くは信がたけれど。此時の事に參考ふるに。もしくは此時天皇。潜に軍將にまぎれて。この伊賀に幸し給ひたりけるか。御軍敗れけるによりて。密に大津宮に。返りおはしましゝにもやありけん。と云り。
 
會明《アケホノニ》。至2※[草冠/刺]萩《タラ》野(ニ)1。暫停(テ)v駕《ミユキヲ》而進食《ミヲシス》。到(テ)2積殖《ツムエノ》山口(ニ)1。高市皇子自(リ)2鹿深《カフカ》山1。越以(テ)(3529)《アヘリ》之。民(ノ)直|大火《オホヒ》。赤染(ノ)造徳足。大藏(ノ)直廣隅。坂上(ノ)直國麻呂。古市(ノ)黒麻呂。竹田(ノ)大徳。膽香瓦《イカコノ》臣安倍。從《オホミトモナリ》焉。
 
會明は。二十五曰乙酉の會明なり○※[草冠/刺]萩野。本に萩を荻に作る。通證に。※[草冠/(峡の旁+立刀)]荻當v作2※[草冠/刺]萩1。音次秋。倭名抄。爾雅注。※[木+/妥](ハ)小木叢生有v刺也。和名太良。とあり。【但※[草冠/(峡の旁+立刀)]は※[草冠/刺]と同宇なり。】さてこの※[草冠/刺]萩野。今詳ならず。地理につきて考ふれば。これは阿拜郡の内にて。積殖に遠からぬあたりにあるべし。もしくは今の上野などのあたりか。其邊よくたづぬべし。上野は四達の地なればなり。これを通證に。今云2多羅尾1。與2近江甲賀郡信樂郷1相接。といへるは。地理太く異なり。信樂の方に幸ましゝにはあらず。【此般の幸ましは。伊賀伊勢を越て。直に東國へと志し給ふにこそあれ。近江甲賀郡信樂のあたりは。北に向ひたる方にて。それより越え給はんには。近江の瀬多の邊に出へきなり。甚く路次たがへり。なほこの事は次に云。】信友云。此時の皇子の御|擧動《フルマヒ》をおもひ奉るに。まづ二十四日に。大和の留守司の驛鈴を。得ざる事を聞食すすなはち。云々の御ありさまにて。吉野宮を發給ひて。日暮に宇陀の大野に到り給ひ。短夜の夜道に。山中をものして。隱《ナバリ》伊賀の驛家を焚きて。御威を示し給ひけるに。當國の郡司等。數百衆を率て降り來れり。かくて三十五日|會明《アケホノ》に。近江の※[草冠/刺]萩野にて御食し給へり。【武郷云。※[草冠/刺]萩野を近江のと云るは。信友が地理をあやまりしなり。】すべて其御思兼の深き。御擧動のいちはやき。御威の神々しき。はるかに後の甚しき亂世のますら武雄にも。をさ/\きこえぬばかりの御性になむまし/\ける。次々の御ありさまも悉《ミナ》しかり。と云り。さる事なり○積殖山口は。阿拜郡にて。(3530)今上中下柘植村あり。そこなり。加太越の山口なり。大神宮儀式帳に阿閇柘殖宮。和名抄に伊賀國阿拜郡柘殖郷。後の伊賀風土記にも。阿辨郡柘殖山。柘殖里。などあり○自鹿深山越。本に山字脱たり。今水戸本信友校本に據る。さて此鹿深は。下文にも。紀臣阿閇麻呂等が。率2數萬衆1。自2伊勢大山1越之向v倭。とある大山と一つ路にて。今所謂伊勢鈴鹿郡鹿太越の山にて。鹿深の加太《カフト》と轉れるなるべし。伊賀風土紀に。伊賀國云々。西限2高師川1。東限2家富唐《カブトノ》岡1。北限2篠嶽1。南限2中山1。とあり。これなり。然るに通證に。鹿深即近江甲賀郡。此今所謂信樂越也。と云れたるに。信友も從ひたれど非なり。さては更に地理に協はず。なほ次に云○以遇之は。さきに惠尺の告たるに據て。高市皇子の參來坐るなり。上に大分君惠尺等を近江に遣はして。喚2高市皇子大津皇子1。逢2於伊勢1とあるを承て。今高市皇子既く近江を脱れて。伊勢の鹿深まで至り坐るなり。これにてもこの鹿深の。近江甲賀郡【多羅尾越】ならぬ事を知べし。逢2於伊勢1と宣へるを。いかで近江甲賀郡の路にかゝりて。伊賀には入坐べき○民直大火。姓氏録和泉神別。民直。大中臣朝臣同祖。天兒屋根命之後也。また民直。天穗日命十七世孫。若桑足尼之後也。とあれど。大火は續紀に。大寶三年七月壬子。贈2從五位下民忌寸大火(ニ)正五位上1。遣v使弔賻。以2王申年功1也。とありて。艮忌寸は坂上氏同祖なれば。右の神別にはあらず。この事は。欽明紀七年。川原民直宮とある人の下に詳に云り。合せ考べし○赤染造徳足。續紀天平十九年八月。賜2正六位上赤染造廣足。赤染高麻呂等九人。常世蓮姓1。とあり。姓氏録左京諸蕃。常世蓮。燕國王公孫淵之後也。とあると同姓(3531)なり。又東大寺正倉院文書に。赤染部首あり。除目大成鈔に赤染宿禰あり。拾芥抄に赤染朝臣あり。これらみな同族なるべしと。氏族志に云り。【大隅守赤染時用女赤染右衛門。名高き歌よみなり。】さて此徳足。これより後見えず○大藏直廣隅。齊明紀二年。大藏衣縫造の下に云り。廣隅の事も見えず○坂上直國麻呂。欽明紀三十一年。東漢坂上直の下に注り。國麻呂の事も見えず○古市黒麻呂。姓氏録河内諸蕃。古市村主。出v自2百濟虎王1。とあり。東大寺正倉院文書に。孝謙帝時。攝津大屬古市村主寸食と云人見ゆ。同姓なるべし。黒麻呂の事も見えず○竹田大徳。姓氏録左京皇別。竹田朝臣。阿倍朝臣同祖。大彦命男。武渟川別命之後也。左京神別。竹田連。神魂命十三世孫。八束脛命之後也。とあり。大徳は何れの系なるか詳ならず。また竹田宿禰あり。除目大成鈔。類聚符宣抄に見ゆ。竹田史あり。拾芥抄に見えたり。皆其族詳ならず。此人も後に見えず○膽香瓦臣安倍。姓氏録左京神別。伊香連。大中臣同祖。天兒屋命十世孫。巨知人命之後也。とあり。氏族志云。按帝王編年記云。伊香津臣子梨富命。伊香連之祖。藤原系圖説與v之合。據v此巨知人蓋梨富子孫也。其裔孫世爲2近江伊香社神主1。見2伊香系圖1。伊呂波宇類抄。有2伊香宿禰1。とあり。按に安倍は臣姓なれば。此等と異なるべし。【倭名抄。近江國伊香郡伊加古。神名式伊香具神社。】さて安倍も此後見えず○從焉。信友云。昨二十四日。留守司の鈴を得ずは。惠尺馳之往2於近江1。喚2高市皇子大津皇子1。逢2於伊勢1。と命給ひき。此時高市皇子。近江におはしましけるが。速にものして。宗とある大火等七人を從《ミトモ》にて。天皇のおはしませるをうかゞひて。此積殖の山口に。參(リ)會給へるにて。これも既に密にのたまひあはせおき給へ(3532)る事著し。と云り。
 
 
越(テ)2大山(ヲ)1。至2伊勢(ノ)鈴鹿(ニ)1。爰(ニ)國司守三宅連石|床《トコ》。介三輪君子首。及湯沐|令《ウナガシ》田中臣足麻呂。高田首|新家《ニヒノミ》等。參2遇于鈴鹿(ノ)郡(ニ)1。則且發(テ)2五百(ノ)軍(ヲ)1。塞2鈴鹿(ノ)山道(ヲ)1。到2川|曲《ワノ》坂下(ニ)1。而(テ)日暮(ヌ)也。以(テ)2皇后(ノ)疲(ヲ)1之。暫留(テ)v輿(ヲ)而|息《ヤスム》。然(ニ)夜|※[日+壹]《クモリテ》欲v雨。不(テ)v得2淹息《ヒサシクヤスムコトヲ》1而|進行《ミタス》。於是寒(テ)之。雷雨|已甚《ハナハダシ》。從v駕《ミユキニ》者。衣裳《キモノ》濕《ヌレテ》以不v堪v寒。及v到(リ)2三重(ノ)郡家(ニ)1。焚(テ)2屋|一間《ヒトツヲ》1。而令v※[火+褞の旁]《アタタメ》2寒者(ヲ)1。
 
 
大山。下文にも。自2伊勢大山1。越之向v倭。とあり。大山は鹿深【加太なり】より鈴鹿かけての。此あたりの總名なるべし。信友は。大山は鈴鹿山なるべし。里人今|御《オ》山とも云ひ。なべてはたゞ坂とのみ呼べり。と云り。こはさることなれども。こゝにては。むねと加太山の峠を云と見るべし。按に大安寺縁起資財帳に。伊賀郡大山蘇麻庄一處とあれば。伊賀伊勢兩國に亘りて。鹿太越の山路の總稱にもあるべし。なほよく考べし○至鈴鹿は。和名抄伊勢國鈴鹿郡鈴鹿卿須々加とあり。信友云。上にも論へる如く。咋日菟田の郡家の頭《ホトリ》にて遇たる。運2湯沐之米1。伊勢國駄五十匹云々。とあるは。既く此國の湯沐令に命置て。迎へしめ給へるにて。實は馬を得給へるなり。米と云るも。實は兵器にてぞありけむ。と云り(3533)○国司守は。釋紀に伊勢國司(ノ)守と云り。司は國を治る職名に附て云ひ。守介は長官次官にて。其人に就て云なり〇三宅連石床。此氏垂仁紀に云り。石床は九年紀に卒るよし見ゆ〇三輪君子首。此人下卷に子人に作れり。【然るに此の訓に。コカウヘと訓るは非なり。】此人五年紀に卒るよし見えて。そこに云り〇田中臣足麻呂。此氏推古紀に見えたり。上文に運2湯沐之米1。伊勢國駄云々。と見えたるは。此人の運べるなり。續紀文武二年六月丁巳。直廣參田中朝臣足麻呂卒。詔贈2直廣壹1。以2壬申年功1也。とあり○高田首新家。此氏孝徳紀に見ゆ。續紀大寶三年七月。贈2正六位上高田首新家從五位上1。遣v使吊賻。以2壬申年功1也。とあり。さて天平七年十月の下に。此新家の孫足人が事に係て。新家が事を。嘗任2美濃國主稻1。屬《アタリテ》2壬申兵亂1。以2私馬1奉2皇駕1。幸2美濃尾張國1。天皇嘉之賜2封戸1。と見えたるは。此時の事にあたれり。慶雲元年七月乙巳。贈從五位上高田首。功封四十戸。四分之一傳2子无位首名1○塞鈴鹿山道。扶桑略記には。此下文の丙戌【二十六日】の下に載られたる。天照大神を拜給へる事に引つけて。伊勢国司發2五百軍1。塞2鈴鹿關1。と記せり。大鏡にも同じつゞきに。伊勢國におはして。云々の國の守五百人の軍をおこして。鈴鹿の關を固め奉る。と見えたり。これは近江の軍の來らざらん爲に。外より塞げるなり。信友説はたがへり。鈴鹿の關も。軍防令に見えたる三關の一所にて。因(ミ)に上に引たるが如し○到川曲坂下。倭名抄。伊勢國河曲郡加波和○夜※[日+壹]。本に※[日+壹]を※[目+壹]に誤れり。今諸本に依て正せり○及到三重郡家。倭名抄。伊勢國三重郡美倍。記に。倭建命幸2到三重村1之時。詔運。吾足|如《ナシ》2三重勾《ミヘノマガリ》1而甚疲。故號2其地1謂2三重1。とあるは名(3534)義なり。萬葉に。吾疊三重乃《ワガタヽミミヘノ》河原○焚屋一間。信友云。六月にしてかくありけり。すべてこれまでの御|辛苦《タシナミ》のほど。おし量り奉るべし。と云り。
 
 
是夜半。鈴鹿關司遣(テ)v使(ヲ)奏言。山部王石川王。並(ニ)來歸《マヰヨレリ》之。故|置《ハベラシム》v關(ニ)焉。天皇便使(テ)2路(ノ)直益人(ヲ)1徴。丙戌。且(ニ)於2朝明《アサケ》郡(ノ)迹太《トホ》川邊1。望2拜《タヨセニヲガミタマフ》天照太神(ヲ)1。
 
 
鈴鹿關司。軍防令云。三關者。設2鼓吹軍器1。義解謂。伊勢(ノ)鈴鹿。美濃(ノ)不破。越前(ノ)愛發等。とあり。此時すでに關司も。國司守とゝもに。天皇に心をよせ奉りてありしなり。故此關も。今は天皇の御爲の要塞となれるなり○山部王。系未詳。此王後に近江に歸りしか。七月に犬上川(ノ)濱にて。近江方に殺されたり○石川王。詳ならず。八年紀に吉備にて薨じ給ふとあり。下に云ふ○路直益人。姓氏録右京請蕃。路宿禰。坂上大宿禰同祖。東人直之後也。氏族志云。坂上系圖引2姓氏録1。爲2山木之後1。續紀延暦六年六月。正六位上路忌寸泉麻呂等。改2忌寸1賜2宿禰姓1。蓋是族也。とあり。さて益人後に見えず○丙戌。二十六日なり○朝明郡迹太川。和名抄伊勢國朝開郡阿佐介。迹太川は通證云。今所謂朝開川。考2地圖1。今朝開川南。別有2迹太川1。出v海。とあり。考べし○望拜天照大神。信友云。望拜を古訓に。タヨセニヲガミ給フとあり。タヨセの言めづらしげにおほえて。因に考るに。惠慶法師集に。障子の繪に。須磨の浦のかたをかきたるに。神の社に。舟よりゆく人の。波の高ければ。たよせにみてくら奉る所をよめる。(3535)たよせとはおもはざらなむわたつうみに。いのる心は神ぞ知るらん。白波の【一本に白雪に。】色みえ【或本に色にぞ】まがふみてくらを。たよせにうけよ神の此神。とよめり。案ふに件の歌詞のタヨセは。遙に坐す神を。此方《コナタ》へ寄せ奉る義にて。タはたゞ輕く加《ソ》へて云ふ例の辭なるべし。また夫木抄に。光長。此森の紅葉の錦たてながら。道のたよせにぬさ奉る。また久安百首に。小大進。しのびかねつゝまじとする女郎花。たよせにをると思ひうとむな。源賢法眼集に。七月七日。たよせにやけふはかさましたなばたの。空にたなびくさゝがにの糸。などよめるをも。かよはして考ふべし。但しタヨセは。うちまかせて望(ノ)字の意には叶はざれど。望拜をタヨセニヲガムとは訓べきなり。さて釋日本紀に。私記曰。按安斗智徳日記云。二十六日辰時。於2朝明郡迹太川上1。而拜2禮天照大神1。と云るは。此時の御事なり。さて件の日記主の智徳は。上文に吉野宮を出給へる時。供奉れる舍人の中に見えたり。また年中行事秘抄に。天武天皇白鳳元年四月十四日。以2大來皇女1。献2伊勢神宮1。依2合戰願1也。と見えたるは。此時の御祈の報賽なるべし。此はこの下卷に。二年四月己巳。欲v遣v侍2大來皇女于天照大神1云々。とある時に當れり。と云り。【なほ此事。大神宮雜事記に。天武天皇白鳳二年(壬申)太政大臣大伴皇子企2謀反1。擬v奉v誤2天皇1之。御心(ノ)内(ニ)伊勢大神宮令2祈申1給。必合戰之間令v勝|御《タマハヾ》。前以2皇子1(女カ)天。皇大神宮(ノ)御杖代(ニ)可2齋進1之由。御祈祷有v感。彼合戰之日。天皇|勝《カチマ》世利。仍御即位二年癸酉九月十七日。天皇參2詣於伊勢皇大神宮1。志天。令v申2御祈1給倍利。ともあり。】なほ信友が云れたる趣を。切めていはゞ。此天皇始大事を思ほしたちて。吉野宮を出給ひけるより。神々に御身の禍を歎訟へ給ひて。殊に天照大御神に。御祷坐ましけるによりて。神々の御助有て。速に事成し給ひて。御世をも知食御事とはなり給へるなるべし。其はまづ古事記序に。(3536)此天皇の御事を讃稱奉れる文に。潜龍體v元。※[さんずい+存]雷應v期云々。聞2夢歌1而想v簒v業。と書るは。皇太子を辭(リ)給へる後に。日嗣知しめすべきさとしの歌を。御夢(ノ)中に聞しめしたりし由なり。【此はそのかみの正しき傳説なるべきを。書紀にも佗書にも見えず。】また天武紀に。伊賀の横河にて。有2黒雲1廣十餘丈。經v天。時天皇異之。則擧v燭親秉v式。占曰。天下兩分之祥也。然朕遂得2天下1歟。と見えたるは。神慮を占へて。御慮を決め給へるなり。また伊勢にて望2拜天照大神1。と見えたるは。殊さらに祈祷《ミイノリ》し給へるなるべし。また行宮(ヲ)興2野上1而居焉。此夜雷電雨甚。天皇祈之曰。天神地祇扶v朕者。雷雨息矣。言訖即雷雨止之。また御軍の最中に。倭國にて高市社に坐(ス)事代主神。牟佐に坐(ス)生靈神の託宣に。於2神日本磐余彦天皇之陵1。奉2馬及種々兵器1。と教たまひ。又吾者立2皇御孫命之前後1。以送2奉于不破1而還焉。今且立2官軍中1而守護之。また自2西道1軍衆將v至之。宜v慎也。と教給ひ。又村屋坐彌富都比賣神の託宣に。今自2吾社(ノ)中道1。軍衆將v至。故宣v塞2社(ノ)中(ノ)道1。と示し給へる事ありて。いづれも其|靈驗《ミシルシ》に合ひて。御軍の利を得給へり。また萬葉に。人麻呂朝臣の長歌に。此時の御軍の状をよめる中に。御軍士乎《ミイクサヲ》。安騰毛比賜《アドモヒタマヒ》云々。相競端爾《アラソフハシニ》。渡會乃斎宮從《ワタラヒノイハヒノミヤユ》。神風爾伊吹惑之《カムカゼニイフキマドハシ》。天雲乎日之目毛不令見《アマクモヲヒノメモミセズ》。常闇爾覆賜而《トコヤミニオホヒタマヒテ》。定之水穗國乎《サダメテシミヅホノクニヲ》云々。とよめり。此神風の事は。ことさらによみ入れたるなるべければ。决(メ)て正しき靈驗ありける事疑なし。さて其渡會の齋《イハヒノ》宮は。天照大神の大宮なり。前に迹太川(ノ)邊にて。天照大御神を望む拜《タヨセニ》給ひ。この御祈祷を愛愍《アハレ》に聞食て。然ば護助給へる事の。掲然《イチジルシ》かりしなるべし。そも/\此天皇の此御軍に勝給ひ。大御自御世知食せる御事(3537)は。恐かれど。遠つ御代々々の例にあるべくもあらず云々。既く東宮に立給へる御身の。云々のいはれにて。止事得給はず。御|許《ユルシ》を承て。東宮を避辭て出家し。鬢髪を削除り給ひ。御袈裟をさへに給はりて。僧服を着《キ》。沙門となりて。吉野宮に入居坐(シ)ましげるに。なほ禍を承給ふべき機の露はれきこゆるを。あまりにあぢきなく。かつはくちをしくも。恨めしくも。御眞心におもほしつめ給へる事を。わりなく天照大御神に愁(ヒ)訟給ひて。祈祷《コヒノミ》給へる趣を。愛愍《アハレミ》給ひて。神々にも命せて。守護助けさせ給ひて。遂に御世をも知食させ給へるなるべし。さて大友天皇の御事は。ことの外に漢學に好《スキ》給ひて。辱(ナク)も韓人沙宅紹明等を賓客として。物學びし給ひて。西戎《カラ》風の文武の材幹おはしまし。かへりてはものそこなひとなりて。遠(ツ)神祖の道に隨ひ給はず。神祇を尊び給へる趣なる御所爲も。をさ/\きこえ給はず。天日嗣の大事《オモキ》を。御私心にかけて。あながちにものし給へるから。御祖神等の見離ち給ひて。守護給はざりしなるべし。あなかしこ。顯(シ)世の人倫《ヒトヾチ》の間に。定れる義のみをもては。神の情状は測りがたき御事にぞありける。と云れたる。云(ヒ)得たる説なりかし。
 
 
是時。益人到(テ)之奏(テ)曰。所v置v關(ニ)者(ハ)。非2山部王石川王(ニ)1。是大津(ノ)皇子(ナリ)也。便隨(テ)2益人(ニ)1參來矣。大分君|惠尺《ヱサカ》。難波吉士三綱。駒田勝忍人。山(ノ)邊君安麻呂。小|墾《ハ》田猪手。※[泥/土]部※[目+氏]枳《ハニシシキ》。大分君|稚臣《ワカミ》。根連|金身《カネミ》。漆部《ヌリベノ》友|背《セ》之輩。從之《オホトモニツカマツル》。
 
 
(3538)益人の下。本に益字あるは衍。今削る○隨益人參來矣。信友云。吉野より惠尺を近江に遣はし。高市皇子大津皇子に。ともに伊勢に參會ひ給へと。曰ひつけ給ひたりき。故高市皇子は。昨日積殖山口に參會給へるにて。其は惠尺が※[うがんむり/取]《サキ》に傳へ申せる故なるべし。大津皇子も。近江におはしましけるを。次(テ)に傳へ申せるによりて。後れて夜半に。關まで來り給へるなり。惠尺が此御|徒《トモ》にあるを以知べし。と云り○難波吉士三綱。本に士を上に誤る○駒田勝忍人。姓も人も他に見えず。氏族志に。按續後紀。美濃山縣郡少領均田勝淨長等。改賜2中臣美濃連1。均恐駒誤。とあり。なほ考べし○山邊君安摩呂。姓氏録。右京皇別。山邊公。和氣朝臣同祖。垂仁天皇々子。鐸石別命之後也。【攝津も同じ。】とあり。この人も他に見えず○小墾田猪手。舒明紀に小墾田臣とあり。集解には補へり。猪手も見えず○※[泥/土]部※[目+氏]枳。十二年九月。※[泥/土]部部造賜v姓曰v連。とあり。系は未詳。姓氏録山城神別。西|※[泥/土]部《ハジヒト・ハジベ》。鴨縣主同祖。鴨建玉依彦命之後也。とあり。同異は知らず。※[目+氏]本に賦に作る。今兼永本及釋紀に據て改む○大分君稚臣。本に君を若に作る。今活字本小寺本に據る。此人八年紀に。兵衛大分君死云々。賜2外小錦上位1。とあり○根連金身。姓氏録和泉國皇別。根連。布留宿禰同祖。天足彦國押人命之後也。とあり。金身他にみえず○漆部友背。漆部用明紀に出。本に友を支に作る。今中臣本及釋紀に依て改む。此人他に見えず○從之。信友云。此時大津皇子。わづかに十歳になり給へるを。はやく三綱等八人。吉野宮に心をよせて。近江より此皇子を輔けて。御從にて參れるものなる事決し。扶桑略記に大津皇子六七人(ノ)男相具。率2三千人(ノ)軍1參來(リ)。塞2美濃(3539)不破之道1。とあり。六七人男とは。惠尺三綱等が事ときこゆ。又率2三千人軍1云々は。此下文に。男依が發2美濃師三千人1云々。とあるに當りて聞ゆるを。本づける書をわろく書とれるにか。又寫誤あるか。と云り。
 
 
天皇大(ニ)喜。將v及2郡家(ニ)1。男依乘(テ)v驛(ニ)來奏(テ)曰。發(テ)2美濃師三千人(ヲ)1。得v塞(コトヲ)2不破(ノ)道(ヲ)1。於是天皇|美《ホメ》2雄依(ガ)之|務《イサミヲ》1。既(ニ)到(テ)2郡家(ニ)1。先遣(テ)2高市皇子(ヲ)於不破(ニ)1。令v監2軍(ノ)事(ヲ)1。遣(テ)2山背部小田。安斗連阿加布(ヲ)1。發2東海《ウヘツミチノ》軍1。又遣(テ)2稚櫻部臣五百瀬。土師連馬手(ヲ)1。發2東山《ヤマノミチノ》軍(ヲ)1。是日。天皇宿2于桑名(ノ)郡家1。即停以不v進《イテマサ》。
 
 
男依は。村國連男依なり。次に雄依に作れり。續紀二には小依に作れり○塞不破道。これまた近江軍を。不破道に出さゝらしめんと塞げるなり。信友云。男依は去(ニシ)二十一日。君手廣等と。急に美濃へ遣はされ。告2安八磨郡湯沐令多臣品治1。宣2示機要1。而先發2當郡兵1。仍經2國司等1。差2發諸軍1。急塞2不破道1。朕今發v路。とある事を奉行ひて。こゝに至りて其由を告申せるなり。と云り○務は。恐くは勞の誤なるべし○到郡家。伊勢の桑名の郡家なり。下文に見えたり○安斗連阿加布。姓氏録左京神別。阿刀宿禰。石上同祖。山城阿刀宿禰。石上朝臣同祖。饒速日命孫。味饒田命之後也。阿刀連同上。攝津阿刀連。(3540)神饒速日命之後也。【なほ和泉にも見えたり。】十三年十二月。阿刀連賜v姓曰2宿禰1。とあり。阿加布も佗に見えず〇東海軍は。東海道なり○東山軍。私紀曰。按安斗連智徳日記曰。令v發2信濃兵1。とあり○是日。尚二十六日なり○桑名郡家。内宮儀式帳に桑名神戸。和名抄に伊勢國桑名郡桑名郷久波奈。通證に。勢陽雜紀曰。桑名郡矢田村有2小祠1。相傳祭2天武天皇1。此蓋頓宮跡也。と云り。此御社桑名驛に近く西の方にあり。さて信友云。去(シ)二十一日の夕つかたなるべし。云々の急卒《アカラサマ》なる御ことにて。吉野を發給ひ。六日にあたる今日までに。かくばかりいち速く事成し給ひて。桑名の郡家に宿り坐まして。進み給はす。重《オモ》りかにおはしまして。稜威をかゞやかし給へるは。いとよく軍の道を得給へる御事なるべし。古事記序に人事共洽(クシテ)。虎2歩於東國1。と書るは。此頃の御いきほひをいへるなり。續紀。天平寶字元年十二月壬子。太政官奏言の中に。從五位上尾張宿禰大隅。壬申年功田三《四イ》十町。淡海朝廷諒陰之際。義興2警蹕1。潜出2關東1。于時大隅參迎奉v導。掃2清私第1。遂作2行宮1。供2助軍資1。其功實重。准v大不v及。比v中有v餘。依v令上功。合v傳2三世1。と見えたり。此時の事に當りてきこゆ。此時大隅が第《イヘ》桑名に在りて。其處に宿給へるにや。と云り。
 
 
是時(ニ)近江(ノ)朝《ミカド》。聞(テ)3大皇弟《マウケノキミ》入(コトヲ)2東国(ニ)1。其群臣悉|愕《オヂテ》。京《ミサトノ》内|震動《サハク》。或遁(テ)欲v入2東國(ニ)1。或(ハ)退(テ)將v匿2山澤(ニ)1。爰(ニ)大友皇子。謂2群臣1曰。將何計(ム)。一臣進(テ)曰。遲謀(ハ)將v(3541)後《オクレナム》。不v如急(ニ)聚(テ)2驍騎《トキムマイクサヲ》1。乘《ノリテ》v跡(ニ)而逐(ムニハ)之。皇子不v從。則以(テ)2韋那(ノ)公磐|鍬《スキ》。書直藥。忍坂直大摩侶(ヲ)1。遣2于東國1。以2穗積臣百足。及弟五百枝。物部首日向(ヲ)1。遣2于倭(ノ)京(ニ)1。
 
 
近江朝の下。考本及扶桑略記に廷字あり。本は脱たるなるべし。大皇弟は。當時の稱に依て書たりしものゝ。其まゝにて改められざりしなり○將何計。信友云。こゝに至りて。如此詔へるごとき御意掟の怠を。いかにし給ふべき。あなかしこ。天智紀なる三首の童謠も。この時に思ひ合はされてなん。古事紀序に。皇輿忽駕。凌2渡山川1。六師雷震。三軍電逝。と書るは。かゝる稜威をいへるなり。と云り○韋那公盤鍬。此氏宣化紀に出。磐鍬下に逃走せるよし見ゆ〇書直藥。下に生捕らる○忍坂直大磨侶。押坂直皇極紀に見ゆ。此人も捕へらる○穗積臣百足。倭にて殺さる〇五百枝。本に五字脱たり。下文に據て補ふ。此人も倭にて捕へらる○物部首日向。此氏垂仁紀に出。姓氏録大和皇別。布留宿禰條に。物部首正五位上日向。天武天皇御世。依2社地名1。改2布留宿禰姓1。日向三世孫邑智也。とあり。此人も倭にて捕へらる。後に免されしなるべし。
 
 
且遣2佐伯連男(ヲ)於筑紫(ニ)1。遣(テ)2樟《クスノ》使主磐手(ヲ)於|吉備《キビノ》國(ニ)1。並(ニ)悉(ニ)令v興v兵(ヲ)。仍謂(テ)3男(3542)與(ニ)2磐手1曰。其筑紫(ノ)太宰《オホミコトモチ》栗隈《クリクマ》王。與2吉備國司守當摩公廣嶋1二人。元有v隷《ツキマツル》2大皇弟《マウケノキミニ》1。疑(ハ)有v反(コト)歟《カ》。若有2不服色《マツロハヌオモヘリ》1。即殺之。於是磐手到(テ)2吉備國(ニ)1。授《タマフ》v苻《オシテノフミヲ》之日。紿《アザムキテ》2廣嶋(ヲ)1令v解v刀(ヲ)。磐手乃拔v刀(ヲ)以殺也。
 
 
佐伯連男。續紀四に。授2大倭守從五位下佐伯宿禰男從五位上1。とあり。後に降れるなるべし○樟使主磐手。此氏詳ならず。本に盤(ノ)字あるは衍なり。中臣本及釋紀になきに依る。此人後見えず○吉備國。信友云。按るにそのかみ筑紫は。筑前筑後にわたり。吉備國は。備前備中備後に。美作までにわたりたる國名ときこえたり。と云り○栗隈王。天智十年紀に。以2栗隈王1爲2筑紫帥1。とあり。こゝは大宰(ノ)下に。帥字脱たりしなるべし○吉備國司守。本に司字脱たり。今考本に依る○當摩公廣島。此氏は用明紀に出○到吉備國。本に吉字を脱せり。今中臣本考本に據て補○符は押手なり。此事は既に云り○拔刀以殺也。信友云。吉野方の御軍の。都外に滿々て。不破鈴鹿の要害をも塞かれたるに。倭(ノ)京はさることながら。遙けき吉備筑紫の國に。御使を遣して。反心あらんかと疑ひおもほせる。筑紫の大宰。吉備國守等に勅して。兵を徴し給ひ。有2不v服色1即殺之と詔命《ノタマヒツケ》給へるは。何なる御慮にか。さてまた磐手が廣島を殺せるは。不(ル)v服色ありつらめど。文には見えず。と云り。
 
 
(3543)男至2筑紫(ニ)1。時(ニ)栗隈王承(テ)v符《オシテノフミヲ》對曰。筑紫國(ハ)者。元《モトヨリ》戌《マモル》2邊《ホカノ》賊之|難《ワザハヒヲ》1也。其|峻《タカクシ》v城(ヲ)深(テ)v湟《ミゾヲ》。臨(テ)v海(ニ)守《マボラスルハ》者。豈爲2内(ノ)賊(ノ)1耶。今|畏《カシコマリテ》v命(コトヲ)而發(ハ)v軍(ヲ)。則國空(ケム)矣。若|不意《オモヒノ》之外(ニ)。有2倉卒《ニハカナル》之事1。頓《ヒタブルニ》社稷《クニ》傾(ナム)之。然後雖2百(タヒ)殺(ト)1v臣(ヲ)。何|益《シルシカアラム》焉。豈敢背v徳(ニ)耶。輙不(コトハ)v動v兵(ヲ)者。其是|縁《ヨシ》也。時(ニ)栗隈王之二(ノ)子。三野王。武家《タケムヘ》王。佩(テ)v劔(ヲ)立(テ)2于側(ニ)1。而無v退。於是男|按《トリシバリテ》v劔(ヲ)欲v進。還(テ)恐v見v亡。故不(テ)v能v成(コト)v事(ヲ)。而空還之。
 
 
栗隈王承符對曰云々。信友云。この言の趣にても。大友天皇の御世なること。自づから著(ル)きがうへに。承v符といひ。社稷といひ。臣と申給へるにて。ます/\其御世のありかた著(ル)し。さてこの王。實は既に吉野方になりておはしけるが故に。邊賊の事を言《コト》だてして。遁れ給へるなり。と云り〇三野王。姓氏録左京皇別。橘朝臣條云。敏達天皇々子。難波皇子男。贈從二位栗隈王男。治部卿從四位下美努王。娶2從四位下縣犬養宿禰東人女。從一位縣犬養宿禰三千代夫人1。生2左大臣諸兄。中宮大夫佐爲宿禰。贈從二位牟漏女王1。續紀和銅元年五月。從四位下美努王卒。贈2從二位1。栗隈王之男。左大臣橘諸兄之父也。とあり。萬葉集に百小竹之三野王とあるは。此王なるべし○武家王。こか王所見なし○空還之。信友云。此磐手男等か。吉傭筑紫に云々せる頃は。既に大津にては。天皇の御事ありし後に當るべし。と云り。
 
 
(3544)東方(ノ)驛使《ハユマツカヒ》磐鍬等。將v及2不破1。磐鍬獨疑2山中(ニ)有(コトヲ)1v兵。以(テ)後(レテ)之緩《ヤウ/\》之行。時|伏《カクシ》兵自v山出(テ)。遮2藥等(ガ)之後(ヲ)1。磐鍬見(テ)之。知2藥等(ガ)見(コトヲ)1v捕。則返(テ)逃走(テ)僅(ニ)得v脱(コトヲ)。
 
 
磐鍬等は。藥。大摩侶と共に三人なり。上に見ゆ○將及不破。東國へ行むとしてなり○緩之行。秘閣本之字無し。考本之を々に作るは誤なるべし○遮藥等之後。藥。大摩侶の二人か後《シリヘ》をなり。此二人こゝにて捕られたる事。二十七日の下に見えたり○則返逃走。近江の方へなり。
 
 
當(テ)2是時(ニ)1。大伴連馬來田。弟|吹負《フケヒ》。並見2時(ノ)否《ヨクモアラヌヲ》1。以|稱《マヲシテ》v病(ト)退2於(ノ)家(ニ)1。然(テ)知(レリ)d其|登嗣位《アマツヒツギシラシム》者。必|所2居《マシマス》吉野(ニ)1大皇弟(ナラムトイフコトヲ)u矣。是以馬來田先從2天皇(ニ)1。唯吹負留謂(ハク)。立(テ)2名于一時1。欲v寧《ヤスメム》2艱難《ワザハヒヲ》1。即招(テ)2一二(ノ)族及諸(ノ)豪傑《イサヲシビトヲ》1。僅(ニ)得2數十人1。
 
 
大伴連馬來田は。去(シ)二十四日。天皇吉野宮を發給ひて。菟田吾城に到給へる時。黄書連大伴と共に。追次參れり。大伴は其日志摩と共に。留守司に驛鈴を乞給へる御使に遣されたるが。志摩は豫て命ありけるまゝに。其を得ぬ由を復命したる由見えたるに。大伴が事の見えざるは。別に命せつけ給へる事などのありて。志摩よりはやゝ後れて。追次たりけんを。馬來田が後れて。大伴と共に到れるは。二心になりて猶豫《タメラヒ》たりしが故なるべし。かくてこゝに見2時否1とあるは。此御軍の間に。近江朝の軍(3545)の勢の。勝りたる事のありけるを見て。又二心になりて。弟吹負と云合せて。病と稱して大和の家に退りて。世のさまをうかゞひをりたるなりと。信友が云るは。臆測にわたれり○吹負が名。こゝにはじめて見ゆ。兄とゝもに追次(ギ)て。御供に立たりしなるべし。吹負また小吹負。或は男吹負ともあり。地名に據れる名なるべし。【小男は添て云るなり。】十二年八月紀に。卒れるよし見ゆ。續紀。天平勝寶元年壬五月。中納言正三位大伴宿禰牛養薨。大徳咋子連孫。贈大錦中小吹負之男。とあり○登嗣位者云々は。當時大友皇子。嗣位に昇りてはましませど。永くはえ保ち給はじ。吉野の皇太子こそ。まことの帝位に即給はめと云ことを。豫て知れりしなり。然るに信友が此文を。今の天皇に代りて。御世を知食すべきは。吉野宮の皇子なりといへる由なるを。此紀の例の婉曲《コトヨ》く書成されたるものなり。と云れたるは。例の穿ちたるなり○先從天皇。信友云。馬來田吉野方の勢の強くなれるを見聞て。御世は此皇子ぞ知食さむと。また心を反《カヘ》し决《キハ》めて。弟の吹負に先だちて。吉野方の御軍に參り來て。心みせしく仕奉れるなり。此時吹負も同意なりつる事。此の上下の文にて明らかなり。そも/\この馬來田は。此御軍にさせる功も聞えず。もとよりしか心も定まらぬ。わろさかしき佞人ときこゆるを。十二年六月丁巳朔己未。大伴望多薨。天皇大驚之。則遣2泊瀬王1而弔之。仍擧2壬申年之勲績。及先祖等毎時有1v功。以顯2寵賞1。乃贈2大紫位1。發2鼓吹1葬之。と見えたり。馬來田か功。紀中に見えず。事平きて後。よく御慮をとりて媚仕へ。寵をうけたりしが故なるべし。何(レ)の御世の事にかありけむ。先祖等の毎時功ありし由を。こと(3546)さら擧加へて。しか贈位などして。寵賞し給ひたるものなるべし。と云れたるは。功臣を誣ひ。時帝をも誹議しまゐらせたる。いとあぢきなし。みな臆測の説なれば。とるに足らず○吹負留謂。信友云。兄馬來田は。再吉野方の近江の軍陣《ミイクサドコロ》に參り。吹負はなほ其大和の家に留まれるなり。さて其家は百濟にありける事。下文に見ゆ。百濟村今廣瀬郡にありとぞ。と云り○僅得數十人。吹負が吉野方として功《イソシミ》たりつる事は。二十九日の條より始て。次々に見えたり。持統妃に大倭傑豪と記されたるは。もはら此吹負が事ときこえたり。
 
 
丁亥。高市皇子遣2使(ヲ)於桑名(ノ)郡家(ニ)1。以(テ)奏言。遠居(ノ)御所。行(ムニ)v政(ヲ)不v便。宜v御《オハシマス》2近處(ニ)1。即日。天皇留2皇后(ヲ)1。而入2不破(ニ)1。
 
 
丁亥。二十七日なり○奏言。高市皇子既に和※[斬/足]に屯しおはしまして。其處より申し給へるなり。此次に自2和※[斬/足]1參迎とあるをもて知べし○遠居御所。通證云。遠居之御所也。舊讀誤。と云れたるが如し。【遠居に對へて。即ち宜v御2近處1となり。】○留皇后而入不破。通證云。桑名至2於熱由1之海路。謂2間遠《マトホノ》濟1。蓋天皇憶2皇后1。故爲v名云々。と云り。信友云。萬葉集天武天皇の御代の歌の下に。天皇崩之後。八年九月九日。奉v爲2御齋會1之夜。夢裏習賜御歌一首。明月香能清見原宮爾。天下所知食之。八隅知之吾大王。高照日之御子。何方爾所念食可《イカサマニオモホシメセカ》。神風乃伊勢能國者。奥津藻毛靡足波爾《オキツモモナビキシナミニ》。鹽氣能味香乎禮流國爾《シホケノミカヲレルクニニ》。味凝文爾乏寸《ウマコリアヤニトモシキ》高照日之御子。と(3547)見えたる御歌を。此におもひ合せらるゝ事あり。其はまづ端作《ハシコトバ》に。天皇崩後八年といへるは。天武天皇の崩後八年にて。持統天皇の御代の七年に當れり。御齋會は。持統天皇二年二月の詔に。自今以後。毎取2國忌日1。要須v齋也。と見えて。この九月九日は。天武天皇の國忌御齋會なり。かくて件の歌ざまを思にも。决めて持統天皇の御歌にて。此さし次の其御代の下に入べきが。前後に混ひたるものなるべし。さて御歌は。もはら天武天皇を釋へ奉り給へるにて。神風の伊勢能國者云々以下は。桑名に停り給へる時より。ことに御勢の盛になりて。不破に入り給ひ。いくほどなく事|遂《ナ》して。日嗣知食せるよしを。.讃美《ホメタヽヘ》給へるなり。其ほど皇后はなほ。桑名に留りておはしましければ。そのをりの事どもを。國忌の御齋會につけては。ことさらにおもほし出て。天皇を崇め慕ひて。よませ給へるなるべし。かくて御歌の意は。起《ハジメ》より云々の八句は。天皇を讃美《タヽヘ》奉り給へる御言なり。何方に思ほしめせかとは。天皇吉野宮に入ましける時より。危難を凌ぎて。東國に入ませる間の御心つかひの。いかばかりにか思ほしめしたりけむと。夫皇《セキミ》の辛苦給ひし舊《ムカシ》を。またさらに懷しいでゝ。嘆き給へる御情を。たゞ二句に簡《ツヾ》めてのたまへるにて。いと感ふかくきこゆる御言なるべし。かくて伊勢國は。奥津藻も靡きし波にとは。天皇伊勢の桑名に坐けるほどより。ことに稜威の甚しきに恐れて。諸國靡き從ひ奉れる状を諷《ソ》へ。鹽氣のみかをれるとは。海上《ウミツラ》の鹽曇(リ)のさしのぼる日影に。やがて霽わたる如く。世の亂の治れるさまを。御|名稱《ナ》の高照日と申すに諷へて。讃(メ)稱へ給へりとぞ聞えたる。然るはそのかみ皇后桑名(3548)に留ませる時。御目馴れ給ひつる海邊のさまを。おもほし出てよみ給へるなるべし。と云り。
 
 
比2及郡家(ニ)1。尾張國司守小子部(ノ)連※[金+且]鈎《サヒチ》。率(テ)2二萬|衆《イクサヲ》1歸《ヨリマツル》之。天皇即美(テ)之。分《クバリテ》2其軍(ヲ)1。塞2處々(ノ)道(ヲ)1也。
 
 
郡家は。尾張のなるべし○小子部連※[金+且]鈎。此氏雄略紀に出。本に鈎を釣に誤る。今諸本に據て改〇分其軍云々。信友云。下文八月丙戌の下に。尾張國司小子部連※[金+且]鈎。匿v山自死之。天皇曰。※[金+且]鈎有2功勲1者也。無v罪何自死。其有2隱謀1歟。と見えたり。これに依りて推察るに。※[金+且]鈎は大津朝廷の忠臣にて。此時謀を定めて。二萬の軍衆を率て。詭りて降り來り居て。隙を窺ひて天皇を捕りまゐらせんと。巧たりけるを。天皇速く察りまして。其軍衆を分《クバリ》て。處々の道の塞《オサヘ》の軍に。加へ給へるなり。さてもなほ御慮をつかひて。あへしらひ給ひけんから。其謀の如く行ふ事あたはず。さるほどに官軍|利《サチ》なくて。大友天皇御事ありければ。いふかひなく悲に堪ずして。自死りたるにこそ。さて又此死れる事を聞食て。※[金+且]鈎有2功勲1者也。無v罪何自死。其有2隱謀1歟。とのみ曰ひて。おはしつるは。しかすがにいともて鎭りたまへる。太(キ)御心もちゐにこそはおはしましゝか。と云り。
 
 
到(ニ)2于野上(ニ)1。高市皇子自2和※[斬/足]《ワザミ》1參迎。以(テ)便(ニ)奏言。昨夜自2近江朝1。驛《ハイマ》使馳至。(3549)因(テ)以(テ)2伏《カクシ》兵(ヲ)1。而捕者。則書直藥。忍坂直大麻呂也。問|何所《イヅチカ》往。答(テ)曰。爲d所2居吉野(ニ)1大皇弟u。而遣v發2東國軍1。韋那公磐鍬之徒(ナリ)也。然(ニ)磐鍬(ハ)見(テ)2兵(ノ)起(ヲ)1。乃逃還之。
 
 
野上は。和名抄美濃國不破郡野上郷。これなり。和※[斬/足]。各務郡なり。此地の事は下に云○捕者則。本に則字なし。今中臣本に依て補○爲所居吉野大皇弟とは。詭て天皇の御方なりと申し立しものなるへし。また按に。爲(ノ)下に遮字など脱たるにもあるべきか。さらば大皇弟を遮り奉らむとして。其が爲に淡海朝より。東國軍を發さしめし者也。と言しにもあるべし。此藥等が事。昨日の條に見えたり。釋紀に。私記曰。案2調連淡海安斗宿禰智徳等日記1云。石次《イハスキ》見2兵起1。乃逃還之。既而天皇問2唐《カラ》人等1曰。汝國數|戰《イクサセル》國也。必知2戰術1。今如何(セム)矣。一人進奏言(ク)。厥唐國(ニテハ)先遣2看覩者《ウカヾヒヒト》1。以令v視2地形險平及消息1。方出v師。或夜襲(ヒ)。或晝撃(テリ)。但不v知2深術1。時天皇謂2親王1云々。と引載たり。信友云。淡海智徳は上に見えたる如く。共に舍人にて。吉野より御供に仕奉れる人なり。但し智徳は此紀に安斗連とあり。私記に宿禰と書るは。後に姓を改賜ひたる上を以。稱《イ》へるなるべし。さて唐人とは。齊明紀に六年十月。百濟佐平鬼室福信。遣2佐平貴智等1。來献2唐俘一百餘人1。今美濃國不破片縣二郡唐人也。と見えたる輩なるべし。その俘を献れる年より。當年まで十三年に當れり。此(ノ)度かの唐人等を行宮に近く召置て。件の事(3550)の外にも。毎《ツネ》に己が國の軍の状を語らせて聞食し。取用給へる事ぞおはしましたりけむ。かゝるをりから。彼等をさへに喚出して。戰(ノ)術を問はしめ給へるは。いと大なる御心用ゐになんおはしましける。と云り。さる事なり。
 
 
既而天皇謂2高市皇子1曰。其近江(ノ)朝(ニハ)。左右大臣及|智謀《カシコキ》群臣。共(ニ)定v議(ヲ)。今朕無2與(ニ)計v事(ヲ)者1。唯有2幼少孺子1耳。奈之何《イカヾセム》。皇子|攘《カイハツリ》v臂《タヾムキヲ》按v劔(ヲ)奏言(ス)。近江(ノ)群臣雖v多(ト)。何敢(テ)逆(ム)2天皇之|靈《ミタマニ》1哉。天皇雖2獨居《ヒトハシラマシマスト》1。則臣高市。頼2神祇之|靈《ミカゲニ》1。請(テ)2天皇之命(ヲ)1。引2率(テ)諸(ノ)將(ヲ)1。而|征討《ウタム》。豈有v距(コト)乎。爰(ニ)天皇譽(テ)之。携《トリテ》v手(ヲ)撫《カイナデヽ》v背(ヲ)曰。慎不v可v怠。因(テ)賜2鞍馬(ヲ)1。悉(ニ)授2軍(ノ)事(ヲ)1。皇子則還2和※[斬/足](ニ)1。天皇於v茲|行《カリ》宮(ヲ)興(テ)2野上(ニ)1而居焉。此夜雷電雨(フルコト)甚。則天皇祈(テ)之曰。天神地祇扶(バ)v朕者。雷雨(コト)息(ム)矣。言訖(テ)即雷雨(コト)止之。戊子。天皇往(テ)2於和※[斬/足](ニ)1。※[てへん+僉]2※[てへん+交](テ)軍(ノ)事(ヲ)1而還。己丑。天皇往(テ)2和※[斬/足](ニ)1。命(テ)2高市皇子(ニ)1。號2令《ノリゴトシタマフ》軍(ノ)衆(ニ)1。天皇亦還(テ)2于野止(ニ)1而居之。
 
 
幼少孺子耳。本に幼(ノ)下小字あるは衍なり。今中臣本。及本の傍書に依て削れり。信友云。此時御軍中に(3551)おはしませる草壁皇子。大津皇子。共に幼くおはせること。上に云へるが如し。【通證云。此時草壁太子十一歳。大津皇子九歳とあり。】高市皇子は公卿補任に。持統十年七月十三日薨。年四十二歳。或四十三。と見えたれば。この時御歳十八か十九かにておはしゝなり。この王を激勵《ハゲマ》しめ給はむとて。如此曰へるなるべし。と云り。さる事なり○雖獨居。本に居字なし。考(ノ)校本。及安斗智徳日記に居字あり。本の舊訓に據るにも。ありし本に據れるなるべし。故今補○則天皇。秘閣本則字無し○戌子。二十八日なり○己丑。二十九日なり○還于野上而居之。萬葉集に。高市皇子尊城上殯宮之時。柿本朝臣人麻呂作歌【上略】安見しゝ吾天皇の。きこしめす背面《ソトモ》の國の。眞木立不破山越えて。狛劔|和※[斬/足]《ワザミ》か原の。行宮に天降居《アモリヰマ》して。天の下治給ひ。食國を定め給ふと。鶏が鳴東の國の。御軍士を喚《メシ》たまひて。ちはやぶる人をやはせと。服はぬ國を治めと。皇子ながら任たまへば。大御身に大刀取佩し。大御手に弓執持たし。御軍士を誘《アトモ》ひたまひ云々。とよめり。此歌に據りておもふに。和※[斬/足]にも行宮を興てゝ。高市皇子を置て。近江の官軍をおさへさせ給ひ。野上より度々其處に往《イデ》まして。軍事を※[てへん+僉]※[てへん+交]《オキテ》給ひしなるべし。美濃國人云。和※[斬/足](ガ)原は。今の不破郡青野原なりと云傳ふと云り。と信友云り。
 
 
是日大伴連吹負。密(ニ)與2留守(ノ)司坂上直熊毛1議(テ)之。謂(テ)2一二(ノ)漢(ノ)直等(ニ)1曰。我詐(テ)稱(リテ)2高市皇子(ト)1。率(テ)2數十(ノ)騎《ムマイクサヲ》1。自2飛鳥寺(ノ)北路1。出(テ)之臨(ム)v營(ニ)。乃汝|内應《ナカタチセヨ》之。既而(3552)繕《ツクロヒ》2兵於百濟(ノ)家(ニ)1。自2南門1出之。先秦(ノ)造熊(ニ)令(テ)2犢鼻《タフサキ》1。而乘(テ)v馬(ニ)馳(テ)之。俾v謂《イハ》2於寺(ノ)西(ノ)營(ノ)中(ニ)1曰。高市皇子自2不破1至。軍衆多從。
 
 
是日は。尚《ナホ》二十九日なり。此に又別に。大和國にての事をのせられたるなり○大伴連吹負。上文に唯吹負留謂。立2名于一時1。欲v寧2艱難1。即招2一二族。及諸豪傑1。僅得2數十人1。と見えたり○留守司。大倭舊京留守司なり○坂上直熊毛。信友云。上にも此下にも。留守司高坂王と見えたるは。其司の上官にて。熊毛は次官なるべし。と云り。續紀天平寶字元年十二月。太政官奏曰。贈大錦下坂上直熊毛。壬申年功田六町。歴2渉戎場1。輸v忠供v事。立v功雖v異。勞功是同。比校一同2村國連小依1。依v令中功宜v傳2二世1。とあり。また靈龜二年四月癸丑壬申。功臣(ノ)子賜田の中に。贈大錦下坂上直熊毛(ガ)息。正六位下宗大。と云るも見えたり○飛鳥寺。高市郡飛鳥村にあり○臨營。營は留守司高坂王。軍を興して屯《イハミ》居る處なり。下文に寺(ノ)西(ノ)營。また據2飛鳥寺(ノ)西(ノ)槻(ノ)下1爲v營。とも見ゆ〇百濟家。吹負が家なり。今廣瀬郡に百濟村あり○秦造熊。本に秦を奏に誤る。今考本小寺本集解本に據る。さて此人も後に見えず○犢鼻。水戸本に鼻下褌字あり。犢鼻の事は既に云り。信友のこゝに引れたるは。聊あやまりあり。但しこゝに云へる犢鼻は。旅服の短き褌なるべし。近江より急ぎて馳(セ)至れる状にものしたるなり。下文に考合すべし。と云れたるは。さる言なり。【集解に。謂2裸體1也。示2急速之状1とあるは是からず。】○俾謂。中臣本謂を唱に作る○西營中。留守司の營な(3553)り。上に注へり○軍衆多從。熊にかく云はしめたるなり。
 
 
爰(ニ)留守司高坂王。及興v兵(ヲ)使者。穂積臣百足等。據(テ)2飛鳥寺(ノ)西(ノ)槻(ノ)下(ニ)1爲v營。唯百足居(テ)2小墾田兵庫(ニ)1。運《ハコブ》2兵(ヲ)於近江1。時(ニ)營中(ノ)軍衆。聞(テ)2熊(ガ)叫聲(ヲ)1。悉散走。仍(テ)大伴連吹負。率(テ)2數十|騎《ムマイクサヲ》1劇《ニハカニ》來。則熊毛及諸直等。共與《トモニ》連和《ウルハシ》。軍士亦從(テ)。乃擧(テ)2高市皇子之命(ヲ)1。喚2穗積臣百足於小墾田(ノ)兵庫(ニ)1。爰(ニ)百足乘(テ)v馬(ニ)緩來。逮(ニ)2于飛鳥寺(ノ)西(ノ)槻(ノ)下(ニ)1。有v人曰。下(ヨト)v馬(ヨリ)也。時百足下v馬遲之。便取(テ)2其|襟《キヌノクビヲ》1。以引墮(テ)。射(テ)中2一箭《ヒトサヲ》1。因拔(テ)v刀(ヲ)斬(テ)而殺之。乃|禁《トラフ・カラム》2穗積臣五百枝。物部首日向(ヲ)1。俄而赦(テ)之。置2軍中(ニ)1。且喚(テ)2高坂王。稚狹王(ヲ)1。而令v從v軍(ニ)焉。既而遣(テ)2大伴連安麻呂。坂上直老。佐味君宿那麻呂等(ヲ)於不破宮(ニ)1。令v奏2事(ノ)状(ヲ)1。
 
 
興兵使者。さきに近江の朝廷より。この百足及弟五百枝。物部首日向を。倭京に遣して。令v興v兵とあり。故興兵(ノ)使者と記されたるなり○飛鳥寺西槻下。六年紀に。二月饗2多禰(ノ)島人等於飛鳥寺西槻下1。とあり○小墾田兵庫。小墾田は高市郡。兵庫は和名抄豆波毛乃々久良とあり○兵は。兵器なり。兵器を近江(3554)の朝に運ぶなり○叫聲。秘閣本叶を※[口+斗]に作れり○諸直は。上に注へる漢直なり○襟は。衣(ノ)領なり。字鏡集類聚名義抄に。キヌノクビとよめり。下文には襟をミソノクビともよめり。又コロモノクビとも訓てあるべし○斬而。中臣本斬を撃に作れり○穂積臣五百枝。物部首日向。此二人共に興兵使者なり○稚狹王。こゝに始て見ゆ。留守司におはしたるなるべし。七年紀九月。三位稚狹王薨。とあり○大伴連安麻呂。朱鳥元年紀に。直廣參大伴宿禰安麻呂とあるは。此氏宿禰になされたる後なり。續紀に。大寶元年に直大壹より從三位に叙し。尋で式部卿と爲り。朝政に參議し。また兵郎卿に遷り。慶雲二年に大納言に任じ。太宰帥を兼ね。正三位に進み。後大將軍を兼ぬ。和銅七年五月。大納言兼大將軍正三位大伴宿禰安麻呂薨。帝深悼之。詔贈2從二位1。安麻呂難波朝右大臣大紫長徳之第六子也。とあり。萬葉集には。佐保大納言と稱へるよし見えたり。歌もあまたあり。子旅人。孫家持。みないづれも名高き人どもなり○坂上直老。此氏後に忌寸となれり。續紀文武三年五月辛酉。詔曰。圖(ル)v勲之義。肇v自2前修1。創v功之賞。歴代斯重(シ)。蓋所d以照2壯士之節1。著c不朽之名u者也。汝坂上忌寸老。壬申年軍役。不v顧2一生1。赴2社稷之急1。出2於萬死1。冒2國家之難1。而未v加2顯秩1。奄爾隕※[歹+且]。思d寵2往魂1。用慰c冥路u。宜贈2直廣壹1。兼復賻v物。とあり〇佐味君宿那麻呂。本に佐を位に誤る。今活字本中臣本及下文に據る。宿那麻呂下文に少麻呂とあり。姓氏録右京皇別。佐味朝臣。上毛野朝臣同祖。豐城入彦命之後也。日本紀合。とあり。十三年紀に。十一月佐味君。賜v姓曰2朝臣1。とあり。此氏人にては。東大寺正倉院文書に。聖武帝時。越(3555)前丹生郡大領佐味君浪麻呂あり。宿那麻呂。下文十四年紀に。直廣肆佐味臣少麻呂とあり○不破宮は。軍營なり。下文にたゞ營とあるも是なり。
 
 
天皇大喜之。因(テ)乃令3吹負(ヲ)拜2將軍(ニ)1。是時三輪君高市麻呂。鴨君蝦夷等。及群|豪傑者《イサヲシヒトヾモ》。如v響悉(ニ)會2將軍(ノ)麾下(ニ)1。乃|規《ハカル》v襲(ムコトヲ)2近江(ヲ)1。因以撰(テ)2衆中之|英俊《スグレタルヒトヲ》1。爲2別將《スケイクサノキミ》及|軍監《マツリゴトヒトヽ》1。初向2乃樂(ニ)1。
 
 
三輪君高市麻呂。下文には直大肆大三輪朝臣云々とあり。此氏の事は既に出。績紀。慶雲二年二月庚辰。左京大夫從四位上大神朝臣高市麻呂卒。以2壬申年功1。詔贈2》從三位1。大華上利金之子也。また大寶元年詔に。先朝論v功行v封時。賜2大神朝臣高市麻呂一百戸1。宜2依v令四分之一傳1v子。とあり。懷風藻には從三位中納言とあり○鴨君蝦夷。本鴨(ノ)下茂字あり。今釋紀及下文に據て刪る。蝦夷は持統紀九年四月に。以2直廣參1。贈2賀茂朝臣蝦夷1。并賜2賻物1。本位勤大壹。とあり○因以(ノ)二字。秘閣本に無し○別將及軍監。別將本の傍訓に依れば。別は副字の誤なるべし。軍防令。凡將帥出征。兵滿2一萬人以上1。將軍一人。副將軍一人。軍監二人。軍曹四人。録事四人。とあり。別將は即副將なり。倭名抄に。判官。鎭守府曰2軍監1。萬豆利古止比止。とあり○初向乃樂。本に初字(ノ)上。庚寅二字あるは誤なり。集解に。據2釋述義1刪。とあるは然る言なれば。今はそれに從れり。この事釋紀に私記曰。多(ノ)生郎(ノ)按(ニ)云。六月辛酉朔之内。已有2庚寅1。(3556)而又七月庚寅朔辛卯|云々《トイヘリ》。六月下旬(ヨリ)。七月上旬之間。何有(ムヤト)2二庚寅1。愚實惑2此案(ニ)1。但案(ニ)和珥部臣君手日記|云々《シカ/\》。六月是小(ノ)月也。早可v消2六月之庚寅1云々《トイヘリ》。とある。さることなり。然るに信友が。此私紀の説を論ひて云れけるは。此は文義をよくも考へず。また下文の例をも。思ひ合せざる説にて疎なり。さて此六月は小月にて。庚寅なし。こは此|直下《シモ》の七月庚寅朔の事なるを。上文に大和にての事を記せる因に。こゝに記されたるものなり。下文にも立かへりて。前の日を更に擧て。事を記されたるところもあり。相似たる例なり。但し其は紀中此卷を除ては。例なき記されざまにて。ことに六月の下に書連たるはいかにぞや。例の此御世の紀の記者の失なるべし。と云れたるは。私記の説にてよくきこえたるを。中々にむつかしく云ひて。果は記者の失なるべしなど云る。あぢきなき論なり。殊に此卷を餘ては。例なき記されざまなりなと云るは。自《ミ》らも窮したるさまを。あらはしたるなり。さて別將軍監等。かの飛鳥寺の西の營に會《アツマリ》たりけるか。近江を襲はむ事を規(リ)て。まづ乃樂に向ひたる由なり。
 
 
日本書紀通釋卷之六十四       飯田 武郷 謹撰
 
秋七月庚寅朔辛卯。天皇遣2紀臣阿閇麻呂。多臣品治。三輪君子首。置始連菟1。寧(テ)2數萬(ノ)衆《イクサヲ》1。自2伊勢(ノ)大山1。越(テ)之向v倭(ニ)。且遣(テ)2村國連男依。書首根麻呂。和珥部臣君手。膽香瓦臣安倍(ヲ)1。率(テ)2數萬(ノ)衆(ヲ)1。自2不破1出(テ)。直入2近江1。恐(テ)d其衆與2近江(ノ)師1難(コトヲ)uv別《ワケ》。以(テ)2赤色(ヲ)2著《ツク》2衣(ノ)上(ニ)1。然(テ)後(ニ)別(ニ)命(テ)2多臣品治(ニ)1。率2三千(ノ)衆1。屯2※[草冠/刺]萩《タラ》野(ニ)1。遣(テ)2田中臣足麻呂(ヲ)1。令v守2倉歴《クラブノ》道(ヲ)1。
 
 
辛卯は二日なり〇紀臣阿閇麻呂。下卷に在2伊賀國1紀臣阿閇麻呂とあり。下文に東道將軍と見ゆ。三年妃に卒れるよし見えたり○置始連菟。この氏孝徳紀に出。續紀天平寶字元年十二月の下に。宇佐支が壬辰功田五町。中功合v傳2二世1。と見え。また靈龜二年四月癸丑。壬申功臣(ノ)子賜田の中に。贈小錦止置始連宇佐伎息。正八位下蟲麻呂。みえたり○伊勢大山。上にもみゆ。鈴鹿山なり。但しこゝなるは。其山つゞきの鹿太《カブト》越なり。今も其處を越て。伊賀を經て。大和に入る道あり○向倭。此は前に撰2衆中(3558)之英俊1。爲2別將及軍監1。初向2乃樂1。とありて。亦此阿閇麻呂等をして。大和の方より來らむ近江方の軍を塞《オサ》へつゝ。吹負等と力を戮せて。大和を治めしめ給へるなり。かくて四日に大和にて。吹負が近江方軍に敗られて逃たる時。墨坂にて菟が軍の至れるに逢たる事。下に見ゆ○書首根麻呂。信友云。此人は吉野宮を發(チ)給へるとき。御供の中に見えたる舍人なり。近頃大和國字多郡八瀧村にて。堀出せる墓誌に。壬申年將軍左衛士督正四位上文禰麻呂忌寸。慶雲四年歳次丁未九月二十二日卒。とあり。壬申年(ノ)將軍と誌(ル)せるは。上文に撰2衆中之英俊1。爲2別將及軍監1。と見えたる。別將になされたりけるを譽(レ)として。子孫の壬申年(ノ)將軍とは書なるべし。此餘位暑銘文の事など。おのれ別に勘たるものあり。と云り○入近江とは。專大津をさして。軍を進め給へるなり○以赤色著衣上。通證云。荒井氏曰。此後世笠標之所2由起1也。とあり。信友云。衣の上に戎字脱たりげなり。はるか後世の軍に。鎧に笠符袖符などゝて着る事のあるは。おのづから合へり。當昔さばかり御慮を用ゐ給へることなべてならぬ御事なり。萬葉集に載たる。柿本人麻呂の。此度の御軍の状をよめる歌に。春野燒火の。風の共靡(ケ)るごとく。とよめるも。この戎衣(ノ)上の。赤色の徴※[方+織の旁]《シルシ》なるべき事决し。なほ其歌は。下に引ていふべき事あり。と云り○別命多臣云々。品治は。上文に見えたる。倭に向ふべく命せ給へる軍將の中の一人なるを。更に別に選すぐりて。※[草冠/刺]萩野に屯させ給へるなり。この地の事は既に云り○令守倉歴道。近江國甲賀郡|藏部《クラブノ》郷久良布と。和名抄にあれど。それにあらず。※[草冠/刺]萩野。倉歴。共に伊賀國ならでは地理叶はず。(3559)【或書に。舊近江甲賀郡に屬。今伊賀阿拜郡とあり。上柘植の内に。倉部村とてある處なり。近江の堺に近しと云り。よくたづぬべし。】信友云。此伊賀をば。ことに御心許なく。おもほせるが故なるべし。と云り。さることなり。
 
時(ニ)近江命(テ)2山部(ノ)王。蘇賀臣果安。巨勢臣比等(ニ)1。率(テ)2數萬衆(ヲ)1。將v襲2不破(ヲ)1。而軍2于犬上(ノ)川|濱《ホトリニ》1。山部王。爲2蘇賀臣果安。巨勢臣比等(ノ)1。見v殺。由2是(ノ)亂(ニ)1。以軍不v進。乃蘇賀臣果安。自2犬上1返。刺v頸(ヲ)而死。
 
 
近江。信友云。こゝに近江とあるは。前文の例にては。近江朝廷。また近江朝など書さ右べきを。たゞに近江とあるはいかゞなれば。朝廷なとの字の脱たるにかとおもはるれど。下文にも近江放2精兵1云々ともあれば。脱たるにはあらず。と云り○山部王。上に見えたり。次に反心の機あらはれて。殺され給ふ。そこに云○蘇賀臣果安は。御史大夫なり。既に出。軍中にて自死したる事次にみゆ。軍畢りて後子某流さる○巨勢臣比等も。御史大夫なり。既に出。軍畢りてのち。子某孫某共に流さる○犬上川。帝王編年記に。大友皇子率2數萬兵1。軍2犬上川1。自注に近江國犬上郡とあり。萬葉に狗上之|鳥籠《トコノ》山。和名抄に近江國犬上郡見えたり。江左三郡録と云書に。今の高宮川。即犬上川なりと云り。また或説に。今里人は多賀社の北を流るゝ川を。犬上川なりと云り。よく尋ぬべし○山部王云々見殺。信友云。按に山部王は。此軍將に任され給へりしなるべし。殺され給へる故は。此にて心變して。吉野方にならむ(3560)と爲給へる事の顯はれたるなるべし。其を六月二十五日の夜半。伊勢の三重わたりにて。鈴鹿(ノ)關司の。山部王石川王來歸之。故置v關。と吉野に告せるによりて。徴に遣はしたるに。其二王たちにはおはさで。大津皇子にておはしけるよし見えたり。其實は山部王石川王の。從はむとて來り給へるか。關外に待給へる間。障る事などの出來て。立還り給へるに。さしちかひて。大津(ノ)皇子の參り給へるなるべし。然らずば關司のさばかりの違を。告申すべきにはあるべからず。かくて山部王。もとより吉野方に心よせおはしけるによりて。此とき反伐《ウラギリ》し給はむの機《シ》ありけるによりて。討れ給へるなるべし。さて石川王も。はやく吉野方になりて。功しかりしときこえたり。八年紀に。吉備大宰石川王。病之薨2於吉備1。天皇聞v之大哀。則隆2大恩1云々。贈2諸王二位1。と見えたるを思ひ合すべし。と云へり○果安臣云々刺頸而死。又云。果安臣。軍將山部王を誅したるによりて。軍人驚動亂れて進まず。故果安其功なき事を恥て。返りて自死たるなるべし。此等はいふかひなくたゞに在けるか。後に配流の刑に行はれたること。下文にみゆ。と云り。
 
 
是時(ニ)近江(ノ)將軍羽田公|矢《ヤ》國。其子大人等。率(テ)2己(ガ)族(ヲ)1來降。因(テ)授(テ)2斧鉞1。拜2將軍(ニ)1。即北入v越(ニ)。
 
羽田公矢國。姓氏録左京皇別。八多眞人。出v自2謚應神皇子。稚野毛二俣王1。記に。若野毛二俣王。娶2其(3561)母弟百師木伊呂辨。亦名弟日賣眞若比賣命1。生子大郎子。亦名意富々杼王云々。意富々抒王者。波多君之祖也。とあり。十三年紀に。十月羽田公賜v姓曰2眞人1。【續後紀承和四年六月。散位正六位上八多眞人清雄言。姓氏録所v載始祖。錯謬非v實。私門之大患也。詔令2刊改1之。とあれども。今の姓氏録には。刊改られしと見えて。其事見えず。】故下卷には。羽田眞人八國とあり。朱鳥元年紀三月丙午に。卒られたるよし見ゆ○拜將軍は。矢國を云なり○入越。信友云。直に麾下《ミモト》には置給はず。矢國が大津朝の將軍なりしを。耻かしめ給はず。更に將軍に拜《ナ》して。越を治めに遣はしたるは。遠《フカ》き御慮つかひなるべし。越は今の越前越中越後より。なほひろくかけたる。古の總名ながら。此時なるは越前をさして人らしめ給へるなり。なほ下に。矢國が出雲臣狛とともに。三尾城を攻降せる下に論ふべし。と云り。
 
 
先(ニ)v是。近江放(テ)2精兵(ヲ)1。忽(ニ)衝(ク)2玉倉部(ノ)邑(ヲ)1。則遣(テ)2出雲臣狛(ヲ)1。撃(テ)追v之。
 
玉倉部は。記景行段に。到2玉倉部之清水1。以息坐之時。御心稍寤。故號2其清水1。謂2居寤清水1也。とあり。今の美濃國不破郡垂井驛なり。其説既に景行紀に云り。不破の行宮に遠からぬ地なり○出雲臣狛は。續紀大寶二年八月。授2出雲狛從五位下1とあり。さて同年九月。出雲狛賜2臣姓1。とあるは同人か。おぼつかなし○撃退之。こゝに痛考すべき事あり。さるは下文に。大和にての事を。初將軍吹負向2乃樂1。至2稗田1之日。有v人曰。自2河内1軍多至。則遣2坂本臣財。長尾直眞墨。倉橋直麻呂。民直小鮪。谷直根麻呂1。率2三百軍士1。距2於龍田1。復遣2佐味君少麻呂1。率2數百人1。屯2大坂1。遣2鴨君蝦夷1。率2數百人1。守2石(3562)手道1。是日坂本臣財等。次2于平石野1。時聞d近江軍在c高安城u。而發之。乃近江軍知2財等來1。以悉焚2税倉1。皆散亡。仍宿2城中1。會明臨2見西方1。自2大津丹比兩道1。軍衆多至。顯見2旗※[方+織の旁]1。有v人曰。近江將壹伎史韓國之師也。財等自2高安城1降。以渡2衛我河1。與2韓國1戰2于河西1。財等衆少不v能v距。先v是遣2紀臣大音1。令v守2懼坂道1。於是財等退2懼坂1。而居2大音之營1。是時河内國司守來目曰鹽龍。有d歸2於不破宮1之情u。以集2軍衆1。爰韓國到之。密聞2其謀1。將v殺2鹽籠1。鹽籠知2事漏1。乃自死焉。とある二百六十一字は。此日【二日】の事なり。通考すべし。
 
 
壬辰。将軍吹負屯2于乃樂山(ノ)上(ニ)1。時(ニ)荒田尾直赤麻呂。啓2將軍1曰。古京是本(ノ)營《イホリ》處(ナリ)也。宜2固|守《マモル》1。將軍從之。則遣(テ)2赤《アカ》麻呂。忌部首子人(ヲ)1。令v戌《マモラ》2古京(ヲ)1。於是赤麻呂等。詣(テ)2古京(ニ)1。而|解《コボチ》2取|道路《ミチノ》橋(ノ)板(ヲ)1。作(テ)v楯(ニ)竪2於京(ノ)邊(ノ)衢(ニ)1。以(テ)守。癸巳。將軍吹負。與2近江將大野(ノ)君果安1。戰2于乃樂山(ニ)1。爲2果安(ガ)1所v敗。軍卒《イクサヒト》悉走。將軍吹負僅得v脱(コトヲ)v身(ヲ)。於是果安追(テ)至2入八口岳(ニ)1。而視(ニ)v京(ヲ)。毎v街《チマタ》竪v楯(ヲ)。疑(テ)v有(ルコトヲ)2伏兵1。乃稍(ニ)引(テ)還之。
 
 
壬辰は三日なり。是より大和國にての事なり○荒田尾直赤麻呂。中臣本秘閣本。赤麻呂の赤を明に作(3563)る。次も同じ。下文に荒田尾連麻呂と云人あり。同人なるべし。姓氏録和泉皇別。荒田尾直。高魂命五世孫。※[金+刃]根命之後也。十年紀四月。荒田能麻呂【一に荒田尾直に作る。】賜v姓曰v連。とあり。氏族志云。按除目大成鈔。鳥羽帝時。有2讃岐少目荒田宿禰礒藤1。未v詳2何族。と云り○古京。飛鳥岡本宮なり○宜固守。本に固を國に誤る。今秘閣本中臣本考本小寺本に據る○忌部首子人。十年紀に子首の子を脱したり。其は續紀二三四五六等に。忌部宿禰子首とあるにてしられたり。さて續紀養老三年壬七月。散位從四位上忌部宿禰子人卒とあり。さて此人の事重胤云。壬申の役に功有し事は。御紀に遣2赤麻呂忌部首子人1。令v戌2古京1とありて。荒田尾直赤麻呂と共に。飛鳥の舊郡を戌れる也。續紀大寶元年六月。正五位上忌部宿禰色布知卒。詔贈2從四位上1。以2壬申年功1也。と有るは。子人が弟なり。兄子人も。其二年三月。從五位下忌部宿禰子首。進2位一階1。と有て。從五位上に任《ナ》されたるより。次々養老二年正月。詔授2從四位下忌部宿禰子人從四位上1。と有て。兄に在ながら後れたるは。功臣と云程には非りしなるべし。と云り○癸巳。四日なり○大野君果安。姓氏録右京皇別。大野朝臣。豐城入彦命四世孫。大荒田別命が後也。日本紀合。十三年紀十一月。大野君賜v姓曰2朝臣1。とあり。さて果安は何國の人なるにか。未考へず。近江朝にて。將軍に拜されて下されたる事も。上に見えず。續紀天平十四年十一月。參議從三位大野朝臣東人薨。飛鳥朝糺職大夫直廣四果安子也。とあり。【陸奥國多賀城碑に。按察使兼鎭守府將軍。從四位上勲四等大野朝臣東人とある。これなり。さて集解に。按靈異記曰。聖武天皇時。有2御手代東人者1。又大野東人。天御中主尊十世孫。天(ノ)諸神命之後也。據v此則神別也。非2皇別1也。と云り。これは大野東人と御手代東人と。名の異なるを。一人としたる誤なり。御手代氏は神別なれど。大野氏に神別なるはあらず。】〇八口岳。詳ならず。さ(3564)れど古京近くの地なることは明らけし。舒明紀に八口采女鮪女あり。これも何郡なるや詳ならず。さて此八口を。古本には八田とあるに就て。集解に八田在2城下郡1といひ。信友は。和名抄に大和國添下郡の郷に見ゆ。萬葉集の歌に。八田の野ともよめり。今も矢田村と云ふがありて。失田寺と云もありとぞと云る。共に非なり。城下郡にては。古京は視るべからず。まして添下郡にては甚く隔たれり。かにかくに。古京近きあたりの岳ならでは叶はず。さて本に岳を企に作れり。今京極本に據る。考本には岡とあり○京は。上に所謂倭古京にて。本營の處なり○稍引還之。こゝに下文入れて見るべし。それも大和にての事にて。近江軍當2諸道1多至。即並不v能2相戰1。以解退。是日。将軍吹負。爲2近江1所v敗。以獨率2一二(ノ)騎1走之。逮2于墨坂1。逢2菟軍至1。更還屯2金綱井1。而招2聚散卒1。於是聞d近江軍至uv自2大坂道1。而將軍引v軍如v西。到2當麻衢1。與2壹岐史韓國軍1。戰2葦池側1云々。則近江(ノ)軍悉走之云々。將軍更還2本營1。時東師頻多臻。則分v軍各當2上中下道1而屯之。唯將軍吹負。親當2中道1。於是近江將犬養連五十君。自2中道1至之。留2村屋1。而遣2副將廬井造鯨1。率2二百(ノ)精兵1。衝2將軍營1云々。鯨軍不v能v進。是日。三輪君高市麻呂。置始連菟。當2上道1。戰2于箸(ノ)陵1。大破2近江軍1。而乘v勝兼斷2鯨軍之後1。鯨軍悉解走。多殺2士卒1云々。自v此以後。近江軍不v至。とあり。信友云。これ四日の事にて此日に當れり。又件の次の文に。先v是。軍2金綱井1之時。とありて。高市牟佐村屋の三神。吉野方の軍を守護(リ)給へる由の教言ありて。即其驗ありし事をも記されたり。これを廻らして知べし。と云れたり。さて是まで大和にての事(3565)なり。
 
 
甲午。近江(ノ)別將田邊|小隅《ヲス》。越(テ)2鹿深(ノ)山(ヲ)1。而卷v幟(ヲ)抱(テ)v鼓(ヲ)。詣2于倉歴(ニ)1。以(テ)2夜半(ヲ)1之。銜《クヽミ》v梅《クチキヲ》穿(テ)v城(ヲ)。劇(ニ)入2營(ノ)中(ニ)1。則畏d己(ガ)率《イクサノヒト》與2足麻侶(ガ)衆1難(コトヲ)uv別。以(テ)毎v人令《シム》v言《イハ》v金《カネト》。仍拔(テ)v刀(ヲ)而※[區+攴]v之。非v言v金乃斬耳。於v是足摩侶(ガ)衆悉(ニ)亂之。事忽(ニ)起不v知2所爲《セムスベヲ》1。唯足摩侶|聰《トク》知(テ)之。獨言(キ)v金(ト)以僅(ニ)得v免(コトヲ)。乙未。小隅亦進(テ)。欲(テ)v襲2※[草冠/刺]萩野營(ヲ)1。而忽(ニ)到。爰(ニ)將軍多臣品治|遮《タヘテ》之。以2精兵(ヲ)1追(テ)撃之。小隅獨免(テ)走焉。以後《コレヨリノチ》遂(ニ)復不v來也。
 
 
甲午。五日なり○別將。信友校本には。一本別を副ともあり。と云り。中臣本の訓。スケノイクサノキミとあれば。それもあしからず○田邊小隅。田邊史。雄略紀に出○鹿深山。本に鹿を麻に作る。今中臣本考本に據る○抱鼓。本に抱を※[手偏+施の旁]に作るに就て。曳也と注せるは非なり。今は京極本中臣本に據る○詣于倉歴。上に遣2田中臣足麻呂1。令v守2倉歴道1。と見えたり○銜梅。私記に梅與v枚同とあり。口木なり○營中。足麻呂が營なり○令言金。通證云。所謂暗號他。と云り。後世に夜撃の合言《アヒコトバ》と云り○乙未。六日なり○※[草冠/刺]萩野。上文に命2多臣品治1。率2三千衆1。屯2※[草冠/刺]萩野營1。とあり○忽到。中臣本忽を急に(3566)作る○將軍多巨品治。信友云。品治既に將軍に拜されたりときこゆ。但し此紀の文法。たゝの隊長をも將軍と書るにかと。おもはるゝところあり。と云り。
 
 
丙申。男依等。與2近江軍1。戰(テ)2息長(ノ)横河《ヨクカハニ》1破v之。斬2其將境部連藥(ヲ)1。戊戌。男依等。討2近江將秦友足(ヲ)於|鳥龍《トコノ》山(ニ)1斬v之。
 
 
丙申。七日なり。去にし二日より今日まで。連日事あり。さて扶桑略記に。以下辛亥に至るまで。六日丙申。八日戊戌。十二日壬寅。二十一日辛亥に作れり。望之云。按に六日より二十一日に至まで。皆一日を差《タガ》へり。是は皇圓の謬にて。傳寫の誤にあらず。と云り○男依等。上文二日條に。男依等自2不破1出。直入2近江1。とあり○戰息長横河。扶桑略記に。途(ニ)戰(テ)云々とあり。息長横河は。諸陵式に息長墓在2近江國坂田郡1。續紀に從2不破1發。至2坂田郡横川頓宮1。兵部式に横川驛みえたり。信友云。息長は大名の地ときこゆ。更科日紀に。不破の關。阿曇の山など越て。近江國おきながと云人の家にやどりて云々。とあり。【萬葉十三。また二十にも此地名見えたり。仙覺が萬葉釋に。息長は坂田郡穴郷の内にありと云り。和名抄に阿那とあり。東大寺古文書に。近江國坂田庄息長莊ともあり。】息長川は。今官道醍井番場驛の間に能登瀬村あり。のとせ川と云もあり。湖の出口にては。天の川とも淺つま川とも云。其川なり。今も米《マイ》原驛の遠からざる所に。つくま村ありと云り。これ萬葉十三の。師名立都久麻左野方《シナタツツクマサヌカタ》。息長之遠智能小菅《オキナガノヲチノコスゲ》。とあるにあへり○境部連藥。齊明紀に坂合部連藥とあり○戊戌。九日なり○鳥龍(3567)山。近江國犬上郡にあり。萬葉集に。狗上之《イヌカミノ》鳥籠山と詠り。兵部式に鳥籠(ノ)驛あり。
 
 
是日。東《ウミツ》道(ノ)將軍紀臣阿閇麻呂等。聞(テ)d倭(ノ)京(ノ)將軍大伴連吹負。爲2近江(ノ)1所(コトヲ)uv敗。則|分《クバリテ》v軍(ヲ)。以遣(テ)2置始連菟(ヲ)1。率2千餘|騎《ムマイクサヲ》1。而急(ニ)馳2倭(ノ)京(ニ)1。壬寅。男依等。戰(テ)2于安(ノ)河(ノ)濱《ホトリニ》1大破(リ)。則獲2社戸《コソヘ》臣大口。土師連千島(ヲ)1。丙午。討(テ)2栗|太《モトノ》軍(ヲ)1追之。辛亥。男依等到2瀬田(ニ)1。
 
 
是日。尚九日にて。是より大和の事に係れり○東道將軍云々。上文二日條に。遣2紀臣阿閇麻呂1云々。自2伊勢大山1越之向v倭。とある軍將四人の中なり。此文にて將軍なること知られたり。信友云。東道は。もし南道の寫誤にはあらぬか。近江より大和は南に當れり。と云り。按に近江より東(ノ)方伊勢を經て。倭に向ひしが故に。東道と云るなり。南道かと云るは非なり○吹負爲近江所敗。去し四日。於2乃樂山1。爲2果安1所v敗。とあるこれなり○急馳倭京。菟も阿閇麻呂と共に。去二日向v倭とある軍將の中の一人なり。信友云。此文の趣を考るに。阿閇麻呂等。いまだ大和に行着(カ)ざる途にて。吹負が敗(レ)を聞て。まづ菟を急ぎ遣りて。救はしめたるなり。二日より今日まで。中間六日なり。さて此八日九日の頃より。十三四日の頃までの事なるべし。下文に。大和にて吹負が軍敗れて。墨坂まで走《ニゲ》たる事の次(3568)の文に。遇《タマ/\》逢2菟軍至1とありて。また合戰の事見えたり。さて吹負定2倭(ノ)地1。二十二日に大坂を越て往2難波1とあり。と云り○壬寅。十三日なり。これより又近江の事なり○安河濱。和名抄近江國野州郡。萬葉集に安河とありて。今もかくれなし。野州村と云もあり○社戸臣大口。此氏は阿倍臣と同祖なり。孝徳紀に。阿部渠曾倍臣の下に注り○獲は生《イケ》獲なり○丙午。十七日なり○討栗太軍。和名抄近江國栗太郡久留毛止。さてこの軍の事。記されざま踈なり。そのかみも詳ならざりけん○辛亥。二十二日なり○瀬田。栗太郡なり。此地の事今も隱なし。上にもしば/\出たり。さて此までの御軍の御事を。古事記序に。皇輿忽駕。凌2渡山川1。六師雷震。三軍電逝。と作り。
 
 
時(ニ)大友皇子。及群臣等。共營(テ)2於橋(ノ)西(ニ)1。而大成v陣《ツラヲ》。不v見2其|後《シリヘヲ》1。旗※[方+織の旁](ハ)蔽《カクシ》v野(ヲ)。埃塵《チリ》連v天(ニ)。鉦鼓《カネツヾミ》之聲聞2數十里《アマタサトニ》1。列《ツラナレル》弩亂|發《ハナチテ》。矢(ノ)下(コト)如v雨。其將智尊率(テ)2精兵(ヲ)1。以|先鋒《サキトシテ》距之。仍(テ)切2斷(コト)橋中(ヲ)1。須2容《イルバカリ》三丈(ヲ)1。置2一(ノ)長板(ヲ)1。設《タトヒ》有(ハ)2※[足+(日/秩j]《フミテ》v板(ヲ)度《ワタル》者1。乃引(テ)v板(ヲ)將v墮(ムト)。是以不v得2進襲(コトヲ)1。於是有2勇敢《タケキ》士1。曰2大分(ノ)君稚臣(ト)1。則棄(テ)2長矛(ヲ)1。以|重2※[手偏+環の旁]《カサネキテ》甲(ヲ)1。拔(テ)v刀(ヲ)急(ニ)蹈(テ)v板(ヲ)度之。便斷(テ)2著《ツケタル》v板(ヲ)綱(ヲ)1。以|被矢《イエツヽ》入v陣《ツラニ》。衆悉亂(テ)而散走之。不v可v禁。將軍智尊。拔(テ)v刀(ヲ)斬2退者(ヲ)1。而不能v止(コト)。因以斬2智尊(ヲ)於橋邊(ニ)1。
 
 
(3569)群臣等。略記云。亦率2數萬兵1。とあり○營於橋西。勢田橋なり。續紀二十五に。至2近江1燒2勢田橋1。とあり○列弩。和名抄弩於保由美。大弓の義なり○智尊。略記に。粟津朝廷大將軍智尊とあり。通證に。釋音讀。不v擧2姓氏1。未v審。と云れたるが如し○大分君稚臣云々。八年紀云。大分君稚臣卒。當2壬申年大役1。爲2先鋒1之。破2瀬田營1。由2是(ノ)功1。贈2外小錦上位1。とあり○將軍智尊。本に將を時に誤る。今中臣本考本其他の本に依る○斬智尊於橋邊。橋邊は瀬田の橋の西邊なり。按に此記されたる趣は。智臣が一人勇敢《イサミ》て橋を度りて。陣に入たるによりて。大成v陣云々とある官軍の。悉(ク)亂れて。散走りたる如くにて。事實とほりて聞えがたし。入v陣の下に。男依等か軍衆勢を得て。悉橋を度りて。衝入たる由の文の脱たりげなり。さて其大に戰たるは。粟津原なるべし。下文に粟津岳。また粟津市と。逼《セメ》進めるをもおもふべし。さて又今按ふに。此時にのぞみて。橋中を切斷たる儲。あまりに拙きに似たり。然るは如此ものしおきて。川を隔てゝ挑ほどに。豫て官軍の援來りて。吉野方の後(ヘ)より。襲ふべき約ありて。其を待つけて。前後より攻撃べき謀なりけるが。事たがひて。あへなく御軍の破れたるにやありけむ。さて上文の二日に。遣2村國連男依。書首根麻呂。和珥部臣君手。膽香瓦臣安倍1。率2數萬衆1。自2不破1出。直入2近江1。恐d其衆與2近江師1難uv別。以2赤色1著2衣上1。七日に。男依等與2近江軍1。戰2息長横河1云々。九日に。男依等討2近江將秦友足於鳥籠山1斬之。と見えて。男依等不破より出で。近江に入(ル)とある。これなり。不破より横河に入る次(テ)は。續紀天平十二年の下に。從2不破1發。至2坂田郡横川頓宮1。(3570)と見えたるをおもふべし。かくて今按に。二日に高市皇子和※[斬/足]を發(チ)て。不破より入來れる男依等を率おはして。此瀬田の軍をもせさせ給へるなるべし。萬葉集に。高市皇子の殯宮にて。人麻呂がよめる長歌のつゞきに。大御身に大刀取|佩《ハカ》し。大御手に弓執持たし。御軍士を誘ひ給ひ。調ふる鼓の音は。雷の聲と聞まで。吹|響《ナ》せる笛《フエ》之|音《コヱ》は。敵見たる虎か叫吼《ホユ》ると。諸人の脅るまでに。指擧たる幡の靡は。冬隱り春野燒火の。風の共靡ける如く。取持てる弓弭のさわき。眞雪ふる冬の林に。飄かもいまきわたると。諸人の見惑ふまでに。引放つ箭の繁けく。大雪の亂れて來れ。服はず立向ひしも。露霜の消なば消ぬべく。行鳥の相競《アラソ》ふ間《ハシ》に。渡會の齋《イハヒノ》宮ゆ。神風にいふき惑し。天雲を日のめも見せず。常闇に覆ひたまひて。定めてし瑞穂國を。神ながらふとしきまして。安みしゝ吾|天皇《オホキミ》の。天下|政《マヲ》したまへば云々。とあるは。决く此瀬田の御軍のさまを。よめりとそきこえたる。さて其處は。上に考へていへる如く。粟津原なるべし。粟津も瀬田の内なり。かくで此の紀の文に。旗※[方+織の旁]蔽v野。埃塵連v天。鉦鼓之聲聞2數十里1。列弩亂發。矢下如v雨。と記されたるも。當時の記文の趣なるべし。件の歌詞にもよく合ひて聞ゆ。但し件の文の中。鉦鼓より如v雨と云るまでは。後漢書光武紀なると同じければ。其文によられたるにてもあるべけれど。實に其時の状の然ありしなるべき事。歌詞にも思ひ合すべし。又幡の靡きを。春野燒く火にたとへたるは。古事紀序に。此御軍のさまを賛(ヘ)たる文に。杖矛擧v威。猛士烟起。絳旗耀v兵。凶徒瓦解。と作るに符へり。絳旗は赤旗なり。赤旗兵士を耀して。殊に勢を益して見えたる(3571)さまを云るなり。さて其絳旗を。赤旗なりと云る證は。新撰字鏡の原本に。絳吉向反。緋(ナリ)。大赤※[糸+曾]。と注し。また※[糸+曾]疾陵反。平旌也。麾也。旌麾(ノ)二字※[糸+曾]也。と注せるを合せて。その義明なり。この二字の義。今ある漢土の字書どもに。然ばかり詳かに通ゆる注は。いまだ見及はず。但し絳を説文に大赤也と注し。類聚名義抄に。アケまたアカイロと訓り。かくて此紀には。上文に見えたるごとく。以2赤色1著2衣上1。とあるは。かたへを記されて。旗のかたにはおよばざりつるなり。まことは旗も徴※[方+織の旁]も。赤色を用給ひたりけるを。その指擧たる赤旗に。數多の兵士の戎衣の赤|徴※[方+織の旁]《シルシ》の。耀きあひて。競ひ進めるが。春野燒く火の風に靡きて。燃るがごとく。然こそは見えわたりけんかし。【太平妃武藏野野合戰の條に。先陣は平一揆三萬餘騎。小手の袋四幅袴笠符に至るまで。皆赤かりければ。殊更輝きてそ見えける。といへる事も見えたり。】さて渡會の齋(ノ)宮の神の神風の事は。紀には載られず。此ときの御軍の勵しきありさま。また其神風の畏かりし事。此人麿の歌にて。まさめに見るこ/\ちす。と云れたるはいと委し。
 
 
則大友皇子。左右大臣等。僅(ニ)身免(テ)以逃之。男依等即軍2于粟津(ノ)岡(ノ)下(ニ)1。是日。羽田公矢國。出雲臣|狛《コマ》。合《アフテ》共(ニ)攻(テ)2三尾(ノ)城(ヲ)1。降之。壬子。男依等。斬2近江(ノ)將犬養連五十君。及|谷《ハサマノ》直鹽手(ヲ)於粟津(ノ)市(ニ)1。於是大友皇子。走(テ)無v所v入(ム)。乃還(テ)隱2山前(ニ)1。以自|縊《クビレヌ》焉。時左右大臣。及群臣皆散亡。唯物部連麻呂。旦一二(ノ)舍人從(3572)之。
 
 
粟津岡下。粟津は。績紀聖武卷に。幸2近江國1云々。次2禾津頓宮1。と見えけり。勢田(ノ)橋の西方なり。壽永三年木曾義仲の誅《ウタ》れたる所にて。今も志賀郡にかくれなし。源平盛衰記に。その事を記せる所に。粟津岡と見ゆ○是日。尚二十二日なり○攻三尾城降之。三尾は近江高島郡なり。繼體紀に出。此三尾城將の名見えず。さて矢國か事は。前の二日の下に。近江將軍羽田(ノ)矢國。其子大人等。率2己族1來降。因授2斧鉞1。拜2將軍1。即北入v越。と見えたるが。こゝに來れるなり。さるは上に論へる如き御意おきてにて。越前の方を。事状《アイサマ》にしたがひて治(メ)しめ。愛發《アラチ》の關路を開きて。ゆくりなく高嶋に襲入て。狛と共に三尾城を攻伐せ給へるなるべし。去(シ)二日より十一箇日に當れり。日ごろもかなひてきこゆ。さて下文に。是日に立かへりて。辛亥【二十二日】將軍吹負既定2倭地1。便越2大坂1往2難波1。以餘別將軍等。各自2三道1進。至2于山前1。屯2河南1。將軍吹負留2難波小郡1。而仰2以西諸國司等1。令v進2管鑰驛鈴傳印1。とあり。此に回(リ)して見るときは。事状よく通りてきこゆ○壬子。二十三日なり○犬養連五十君。 孝徳紀に見ゆ。扶桑略紀に。近江犬上五十君とあるは。誤なるべし○谷直鹽手。姓氏録山城國諸蕃。谷直。漢(ノ)師建王之後也。とあり。氏族志云。文部(ノ)谷氏系出2山木1。有2宿禰姓1。有2忌寸姓1。【坂上系圖引(ク)姓氏録。宿禰據2續紀1。】有2直姓1。【三代實録】桓武帝時。文部(ノ)谷忌寸改賜2宿禰1。【續紀】清和帝時。山城乙訓郡人。内膳典膳文部谷直平麻呂等。改貫2左京1。【三代實録】(3573)又有2谷宿禰。谷忌寸。谷直姓1。宿禰貫2于右京1。系出2都賀四世孫宇志直1。貫2于山城1。出2漢師建王1。【姓氏録。忌寸據2日本後紀1。】按坂上系圖引(ク)姓氏録云。谷宿禰出v自2山木1。據v此谷宿禰與2文部(ノ)谷氏1。同出2宇志1。蓋山木之後也。師建王不v詳2所出1。以3其爲2漢族1。故序2于此1。とあり。この坂上系圖は。今の姓氏録になき文なり○走無所入。按に此時近江京都は。兵火に罹しものなるべし。燒失のことは史に見えねども。懷風藻に。時經2亂離1。悉從2※[火+畏]燼1。とあるにて。しかしられたり。【萬葉一。人麿の過2近江荒都1時歌に。大宮者|此間等雖聞《コヽトキケドモ》。大殿者|此間等雖云《コヽトイヘドモ》。春草之茂生有《ハルクサノシゲクオヒタル》。霞立春日之霧流《カスミタツハルヒノキレル》。百磯城之大宮處|見者悲毛《ミレバカナシモ》。とあるも。たゞに荒たるのみならず。宮殿の見えぬさまなるは。火に罹りし證とすべし。】されば今は走りて入給ふべき所なきなり〇還隱山前。廟陵記に。山前長等山之山前也とありて。今の三井寺の地なること。次々に云べし。さるは信友云。此地は下文に。別將軍云々。進至2于山前1。屯2河南1。とも見えたるところにて。其は滋賀郡長等山の山前にて。當昔の一區《ヒトトコロ》の名なりしなるべし。【唱は也末謝伎なるべし。佐伎に前字を用ゐたる事。古書に例多し。此地字治拾遺物語には。山崎と書り。】かくて其山前は。天皇皇子におはしましける時の。家地なりけるか。御軍の敗(レ)に堪たまはで。其地に還り隱《シノ》ひ坐まして。遂にゆゝしき御事のありしなり。其|期《キハ》に。天皇皇子與多王に遺詔《ノタマヒオキ》たまひけるによりて。其地を陵所として葬(メ)奉り。また後公家に奏して。其地に園城寺を建立《タテ》。またもとの家《ミヤ》地を捨て。寺用に宛賜はり。與多王は王號を避て。大友氏と稱《ヨビ》て。其寺の主持となりて仕奉り。則ち氏寺と稱て。子孫に傳へたりける間に。御寺の字を御井寺とも呼てありけるを。御井寺後に智證が三井と書改たるなり。【中略】古今和歌集目録。大友黒主傳の條に。皇代記云。天武天皇甲戌。大友太政大臣之子。與多(ノ)大臣(ノ)家地。造2御井寺1。依2父(ノ)遺誡1。(3574)建立(スト)云々。金堂内陣柱記云。今年甲戌。右大臣大友與多等。建2立此伽藍1云々《トイヘリ》。過康平年中見出之。とあり。東寺に藏る古文書どもの中に。康平二年【己亥歳】八月十八日。作者大學頭定範朝臣と標題せる。薗城寺龍華會縁起に。先祖大友與多。奉2爲天智天皇1。所2建立1也。本是太政大臣之家地也。とあり。【中略】さてまた與多は。天皇の第二の皇子にて。他書共に與多王。またたゞに與多とも記せり。さて此御寺|造營《ツク》らしめ給へる來由は。上に擧たる金堂内陣(ノ)柱(ノ)記。皇代記のほかにも。扶桑略記天武天畠十五年の下に。是歳大友太政大臣子。與多(ノ)大臣(ノ)家地(ニ)。建2御井寺1。今(ノ)三井寺是也。依2父遺誡1。建2立之1。注に私云。若天皇崩後建2立之1歟。可v考。と記し。【年中行事秘抄にも。此本文の如く記せり。皇代記には上に引たる如く。天武天皇三年として。如此記せり。】濫觴抄にも十五年の事として記せり。元亨釋書に。園城寺者。大友歟多所v建也云々。大臣薨。其子與多承2顧命1。奏2天武帝1創之。元是大師之家基也。水鏡にも。天武天皇段に。十五年と申すに。朱鳥元年と年號をかへられにき。同年大友皇子の御子與多王。父ののたまひ置しによりて。三井寺をつくり給ひしなり。と記されたり。今つら/\當昔の事状《アリサマ》を考わたすに。天皇大御身つから崩(リ)給はむとしたまへる。いまはの期《トキ》に。與多王を召て。太子におはしましける時の。この山前の家地に。寺を建立べきよしを。遺詔《ノタマヒオキ》給ひたりしなり。さて然遺詔給へる趣を。畏くも思遣奉るに。崩(リ)給ひたる御骸をば。やがて其家地に葬奉り。後によきに計らひまをして。其處に寺を建立て。與多王に司《コトヽ》り奉仕らしめて。御靈の鎭坐す處としたまはんとなるべし。【中略】かくて其御井寺建られたる處。すなはち謂ゆる太政大臣之家地にて。天皇皇子にまし/\け(3575)る時の宮地なり。其ところ長等山の山前なれば。をのかみ山前といへるは。决て此地なるべし。紀に乃還2山前1云々と記されたるは。軍(ノ)場より山前の故宮に還り隱《シノ》び坐して。遂に崩給へる由なれば。此地にて御事ありしこと明かなり。【紹運要略には。於2近江國粟津1自害とあり。この粟津は今昔物語集に。天智天皇の粟津都と云へるをおもふに。いにしへ粟津は。大津までかけたる大名にも呼て。然も語傳たるにて。所の違へるにはあるべからずと云り。】さで扶桑略記水鏡には。此山前に還給へることを。二十二日【辛亥】の事として。明る二十三日【壬子】御事ありし由記せるは。委き傳にて。別に正しき書によれるにぞあるべき。【但し水鏡印本に。二十二日を二十一日と書り。今一古寫本に據りて云ふ。山前の地の事を。谷川土清云。今三井寺より。やゝ東の湖邊に。山上《ヤマカミ》といふ里あり。山前の訛るならんか。と云れど。地理合はざれば諾ひがたし。山前は長等山の山岬にて。今の三井寺の地に合へり。山上も古き地名ならむには。山前に相對ひたるごとき地名なりけん。かくて山前の地名は。三井寺の時めく世となりて。自ら廢たるにやあらん。】二十二日【辛亥】別將軍等。各自2三道1進至2山前1。屯2河南1。と記されたるは。そのかみ三井寺の前を。北より南さまに流れたる河の在けむを。其向(ヒ)に屯み居りて。逼め奉れるなり。故堪へたまはずして。還りて山前の宮に隱坐まして。あくる二十三日【壬子】になりて。遂に御事ありしなり。【かくてぞ。別將軍等が逼め奉れる趣も。御事ありし御ありさまも。よく通りてきこゆるかし。あなかしこ。】さてその山前の河は。今それならんとだにおもはるゝ處もあらずとぞ。されど古ありし川の。後他には涸《ア》せはてたる。また古と後といたく革りたるなど。諸國に多かる例なれば。山前なるも既く涸《ア》せはてゝ。知られずなりしなるべし。【なほ其わたりの郷人などをかたらひ。よく捜索《タヅヌ》べきなり。】されど今こゝろみに云はゞ。今時《イマ》山上《ヤマカミ》といへる處の北に。湖に入る川のあるを。そのかみ山前宮の前面《マヘツラ》に廻して。北より南さまに鑿通し。湖に入《オト》して。宮地の結搆《カマヘ》とせられたりしにもやありけむ。さて又通證に。三井寺號2長等山1。在2滋賀郡1。金堂内陣柱記曰。天武天皇十五年丙戌。大友與多麻呂。建2(3576)立此伽藍1。歟多麻呂(ハ)大友皇子之第五男也。見2當寺傳記1。と注せり。この柱記の文。上に引たる古今集目録に載たる皇代紀なると。事は同くて文の異なるは。彼もともに要を採て記せるにかともおもはるれ。御寺建立の事を。彼は天武三年甲戌と記し。此は十五年丙戌と云ひて。其年のたがひて聞ゆるは。彼は造寺の經始《ハシメ》をいひ。地は造畢たる年を以。記せるなりと云り。なほこの園城寺の事。委く云れたれど。こゝに要なき事ははぶけり。本書に附て見るべし。【山前の事。其後の書に見えたは。看聞日記。永享四年二月十六日。去十日夜山前南庄(ニ)於。石馬寺と申在所。南藏房と申もの云々。三月七日云々。自2山前1夜前飛脚馳參。定直同參。南庄寺觀音寺山相論事云々。などあり。此はこゝの山前か。又別處か考べし。序に記す。】○自縊焉。扶桑略記には。たゞ自害と記し奉れり。御年二十五。懷風藻云。皇子博學多通。有2文武材幹1云々。廣延2學士1。云々等以爲2賓客1。太子天性明悟。雅愛博古。下v筆成v章。出v言爲v論。議者難2其洪學1。未v幾文藻日新。とあり。この天皇韓人を愛し。漢風を好みまして。父帝には甚く寵せられまし/\けん。されど今昔物語に記せるを見れば。皇子田獵を好み。猪鹿を殺すを事とし給ひ。常に御身に弓箭を帶び。軍士を率て。山に入て獣を狩給ふなど。御性柔仁の方には速くまし/\けん。信友云。今近江の粟津の南。勢田(ノ)橋の西ざまに。鳥井川村といふ處に。御|靈《レウノ》社とて在るを。大友皇子を祭れるなりと云傳へたりとぞ。其わたりは。大しき御軍場にて。大友天皇大御みづから屯し給へる。御迹處なるべければ。そのかみ土人の畏みいとほしみ奉りて。御靈を鎭め祭りたるなるべし。此天皇の御事を。さらに土人に云ひ聞せて。なほざりに思奉るまじき由を。示しおかまほしき事にこそ。と云り。さて此天皇の御陵は。地名は右に云る山前にて。(3577)別所村にあり。【陵墓一覧。滋賀郡別所村。】塚字龜つかと稱す。元は三井寺山内の地なりとぞ。さて其地は天皇崩給ひにければ。與多王はからひたまひて。まづ御骸を其地に葬奉りおきて。天武天皇の御世となりての三年におよびて。遺詔の如く其陵地に。園城寺三井寺を創建《タテ》させて。與多王に司り奉仕しめ給へるなり○左右大臣は。蘇我赤兄。中臣金なり○物部連麻呂。姓氏録左京神別。石上朝臣。神※[馬+堯]速日命之後也。宇麻志麻治命十六世孫。物部連公麻呂。賜2物部朝臣姓1。改賜2石上朝臣姓1。【此文宇麻志麻治命以下二十九字。舊本に細書として入れり。さて其文中に。賜2物部朝臣姓1。改賜2石上朝臣姓1。とあるはいかゞなり。後に石上朝臣となれるは。所謂舊姓にて。改姓にはあらず。この事は既に藤原氏の下に云り。文字に誤ありげに見えたり。】此人。五年紀七年紀持統紀にもつぎ/\見えて。或は物部と記し。或は石上とも記せり。さて續紀養老元年三月癸卯。左大臣正二位石上朝臣麻呂薨。【輔任に年七十八。】帝深悼惜焉。爲v之罷v朝。詔遣2式部卿正三位長屋王。左大弁從四位上多治比眞人三宅麻呂1。就v第吊2賻之1。贈2從一位1云々。百姓追慕無v不2痛惜1焉。大臣泊瀬朝倉朝廷大連物部目之後。難波朝衛部大華上宇麻呂之子也。とあり○從之とは。散亡せず。天皇の御|期《イマハ》まで從ひまゐらせしとなり。これを信友が。崩に殉死《シタガヒマカ》るなりと云れたるは非なり。麻呂連を見よ。さて下文に立かへりて。癸丑【二十四日】諸將軍等。悉會2於※[竹/(脩の月なし)]浪1。而探2捕左右大臣及諸罪人等1。乙卯【二十六日】將軍等向2於不破宮1。因以捧2大友皇子頭1。而獻2于營前1。とあるを。此に回(ラ)して。事状貫りてきこゆ。※[竹/(脩の月なし)]波はもと志賀の地の大名にて。古くより聞えたる處なり。
 
 
(3578)初將軍吹負向(テ)2乃樂(ニ)1。至2稗田(ニ)1之日。有(テ)v人曰。自2河内1軍多至。則遣(テ)2坂本臣財。長尾直眞墨。食墻(ノ)直麻呂。民(ノ)直小|鮪《シビ》。谷(ノ)直根麻呂(ヲ)1。率(テ)2三百(ノ)軍士(ヲ)1。距2於龍田(ニ)1。復遣(テ)2佐味(ノ)君|少《スクナ》麻呂(ヲ)1。率(テ)2數百人(ヲ)1。屯2大坂(ニ)1。遣(テ)2鴨君蝦夷(ヲ)1。率(テ)2數百人(ヲ)1。守2石《イハ》手(ノ)道(ヲ)1。
 
 
これより立かへりて。又大和にての事を擧られたり。下文に依りて推上せて考るに。七月庚寅朔に當れり。○稗田は。式添上郡|賣太《ヒメタ》神社。稗田村にあり。【今同郡の西稗田村なり。】郡山の近き邊なり○郡多至は。近江の軍なり○坂本臣財。此氏雄略妃に出。財二年紀に。大錦上坂本臣卒となり。此人なり○長尾直眞墨。此氏本系詳ならず。續紀延暦元牛六月。外從五位下長尾忌寸金村爲2博士1。とあり。武大和國葛下郡長尾神社あり。眞墨此後見えず○倉墻直麻呂。續紀大寶三年五月。倉垣連子人云々。連一本直となり。慶雲四年正月。椋垣直子人賜2姓連1。和銅二年正月。椋垣忌寸子人。とあり。六年にもしかあり。【忌寸を賜へること。史に載せず。】寶龜三年四月。坂上大忌寸苅田麻呂等言云々。先祖阿智使主歸化。詔賜2高市郡檜前村1而居焉云々。天平三年。以2内藏少屬從八位上藏垣忌寸家麻呂1。任2少領1。とあり。此に依らば此氏は坂上同祖なり。氏族志云。按坂上系圖。引2姓氏録1。藏垣氏系出2志努(ノ)子刀禰1。又有2無v姓者1。見2外記日記1。又有2姓宿禰者1。見2除目大成鈔1。蓋皆是族也。と云り。【姓氏録。椋垣朝臣。天兒屋根命之後也。とあるは異姓なり。】○民直小鮪。六月に出○龍田は。既に出。龍田(3579)より河内へ越る山路は。今の龍野越なり。【これをの信友が。今のくらがり峠なるべし。と云るは甚しき非なり。】○大坂。此地の事は。紀中をり/\出て。既に云り。和名抄大和國葛上郡大坂。記垂仁段に。大坂戸とあるこれなり。八年紀に。初置2關龍田山大坂山1。と見えたり。古の官道なり○鴨君。中臣本及本書傍書に。鴨を甘茂に作れり○石手道。たしかにはあらねど。集解に。按河内志曰。聞道|岩室越《イハヤゴエ》。葛下郡堺至2山田郡堺1。至2山由1二十町蓋此。とある。【通證にもしか云り。】まづ叶へるが如し。
 
 
是日。坂本臣財等。次《ヤトル》2于平石(ノ)野(ニ)1。時(ニ)聞(テ)2近江(ノ)軍在(ト)2高安(ノ)城(ニ)1。而|發《タツ》之。乃近江(ノ)軍知(テ)2財等(ガ)來(ヲ)1。以悉(ニ)焚2税倉《チカラグラヲ》1。皆散亡。仍宿2城(ノ)中(ニ)1。會明。臨2見(バ)西(ノ)方(ヲ)1。自2大津丹比兩道1。軍衆多至。顯(ニ)見2旗※[方+織の旁](ヲ)1。有(テ)v人曰。近江(ノ)將壹伎史韓國(ガ)之師也。財等自2高安城1降(テ)。以渡(テ)2衛我《ヱガノ》河(ヲ)1。與2韓國1。戰2于河(ノ)西(ニ)1。財等衆少不v能v距(コト)。先v是遣(テ)2紀(ノ)臣大|音《オトヲ》1。令v守2懼坂《カシコサカノ》道(ヲ)1。於是財等。退(テ)2懼坂(ノ)道(ニ)1。而居2大音之營(ニ)1。是時。河内國司守來目(ノ)臣鹽籠。有d歸《マヰヨル》2於不破(ノ)宮(ニ)1之情u。以(テ)集2軍衆(ヲ)1。爰韓國到(テ)之。密(ニ)聞(テ)2其謀(ヲ)1。而將v殺2鹽籠(ヲ)1。鹽籠知(テ)2事漏(コトヲ)1。乃自死焉。
 
 
平石野は。河内志に。平石嶺在2平石村上方葛下郡堺1。とあり○高安城。天智紀六年十一月。築2倭國高(3580)安城1。とあり。此地後に河内國高安郡に入りて。城趾は今服部川の上にありと云り。既に出○發之。本に發を登に誤る。今京極本に據る○焚税倉。本に税上秋字あるは衍なり。今中臣本京極本に據る。さて此税倉は。天智紀八年に。是冬修2高安城1。收2畿内之田税1。また九年二月に。又修2高安城1。積2穀與1v鹽。と見えたり。此事の後四年紀に。二月丁酉。天皇幸2高安城1。とみゆ○仍宿城中。財等が軍士。高安の空城に入て宿れるなり。さて此後續紀大寶元年八月丙寅。廢2高安城1云々。とあり○會明。二日辛卯なり。○大津は。式に河内國丹比郡大津神社。志に。在2丹下宮邑1。今稱2大宮1。とあり。之に依に。大津丹比共に河内國なり。しかるに此大津を。和泉國泉北郡大津浦と爲し者は非なり。また信友は。下文に聞d近江軍至uv自2大坂道1。而將軍引v軍如v西。到2當麻衢1。與2壹岐史韓國1。戰2葦池側1。とあると。又高市牟佐二神の教に。自2西道1軍將將v至云々。と見え。又二神所v教の如く。韓國が大坂より來るとあるに依るに。大津とあるは。大坂なるべきを。既く大津と寫誤れるにやあらんと云れたる。更に信がたし。此西方は。高安城の西方なり。將軍引v軍如v西。また自2西道1軍衆將v至。とあるは。倭國にての事なり。それを一(ツ)に見られたるは。いかなる事にか○丹比は。即河内國丹比郡なり○兩道は。高安郡より西方にあたれり○壹岐史韓國。此氏舒明紀に出。韓國は。松尾社家系圖に據に。天兒屋根命十八世忍見命。【出2顕宗紀1。】其子大富命。【母物部目連女】其子十握命。其子若彦。【欽明二十八年云々】島主。若彦子磐余。【敏達朝云々。】乙等。【母紀伊國造押〓女。推古朝云々】乙等子韓國。【爲2大友皇子將1云々】と見えたり。然れば此人は。兒屋根命二十三世孫なり○衞我河。河内國志紀郡な(3581)り。紀に應神天皇の御陵惠賀之裳伏岡。諸陵式に志紀郡と爲り。雄略紀。顕宗紀。崇峻紀等に此地出たり。此川今は石川とも云ひて。石川郡より北へ流れて。古市郡を經て。志紀郡の東堺を經て。大和川に入る川なり○紀臣大音。この人の傳詳ならず。天智紀に紀|大人《ウシノ》臣爲2御史大夫1。とある大人を。信友がオフトと訓て。同人と見られたるは誤なり。此人のことは天智紀に既に云り○令守懼坂道。令を本に合に作るは誤也。今諸本に據て改む。懼坂は萬葉集に。石上乙麻呂。配2土佐國1時歌。參昇《マヰノボル》八十氏人乃。手向爲等恐乃坂爾《タムケストカシコノサカニ》。幣奉《ヌサマツリ》云々。吾はそ追《オヘ》る遠《トホキ》土佐道を。とよめる恐乃坂は。此懼坂にて。大和より河内へ越る坂なるべし。と或人云り。さもあるべし○懼坂道。本に道字脱たり。今釋紀に據る○來目臣鹽籠。此氏孝徳紀に出。鹽籠詳ならず○知事漏乃自死。以上二日の事なり。
 
 
經(テ)2一日(ヲ)1近江(ノ)軍當(テ)2諸(ノ)道(ニ)1多至。即並(ニ)不v能2相戰(コト)1以解退。
 
經一日。中一日を隔てゝなり。すなはち癸巳四日なり○以解退。財大音等が戰に堪ずして。近江の軍解退たる由と聞ゆ。
 
是日。將軍吹負爲2近江(ノ)1所(テ)v敗。以|獨《ヒトリ》率(テ)2一二(ノ)騎(ヲ)1走之。逮(テ)2于墨坂(ニ)1。遇《タマ/\》逢2菟(ガ)軍(ノ)至(ニ)1。更(ニ)還(テ)屯(テ)2金綱《カナツナノ》井(ニ)1。而|招《ヲキ》2聚散卒(ヲ)1。於v是聞(テ)2近江(ノ)軍至(ト)1v自2大坂(ノ)道1。而將(3582)軍引(テ)v軍(ヲ)如(ク)v西(ニ)、到(テ)2當麻(ノ)衢(ニ)1。與2壹岐史韓國(ガ)軍1。戰2葦池(ノ)側(ニ)1。時(ニ)有(テ)2勇士來目(トイフ)者1。拔(テ)v刀(ヲ)急(ニ)馳(テ)。直入2軍(ノ)中(ニ)1。騎士《ウマイクサ》繼踵《シキリテ》而進之。則近江(ノ)軍悉(ニ)走之。追(テ)斬(コト)甚多。爰將軍令(テ)2軍中(ニ)1曰。其發v兵(ヲ)之|元《モトノ》意(ハ)。非v殺(ムニハ)2百姓(ヲ)1。是爲(ナリ)2元凶《アタノ》1。故莫2妄(ニ)殺(コト)1。於是韓國離(テ)v軍(ヲ)獨逃也。將軍遙(ニ)見(テ)之。令2來目(ヲ)1以俾v射。然不v中。而遂走(テ)得v免(コトヲ)焉。
 
 
率一二騎走之。上又に。癸巳。【四日】將軍吹負與2近江將大野君果安1。戰2于乃樂山1。爲2果安1所v敗。軍卒悉走。將軍吹負僅得v脱v身。と見えたる時の事なり○墨坂。大和宇陀郡なり。神武紀崇神紀に出。此坂。宇陀郡|萩《ハイ》原の西にありて。伊賀伊勢へ越る坂路なり○遇逢菟軍至。去二日。紀臣阿閇麻呂。三輪君子首。置始連菟等。數萬騎を率て。伊勢大山を越て。倭に向ひける途中。九日に。去四日大和にて。吹負が敗軍せる由を聞て。軍を分《クマ》り。菟三千餘騎を率て。急馳2倭京1。とあるが來れるに逢たるなり○金綱井。詳ならず。桔※[木+皐]井と云へる井のあるに依りたる地名なるべし。【和名抄。桔※[木+皐]。辨色立成云。桔※[木+皐]鐵索井也。結高二音。和名加奈豆奈爲とあり。今云はねつるべなり。】集解に。據2下文1。蓋高市郡地名。高市郡有2飛鳥井。井谷井。遊部井。桑原井。秀泉井。御蔭井等1。此時井施2鐵索1。故有2此名1耳。と云り。此説然るべし。しかるに信友云。其地は宇陀郡墨坂に近き處ときこゆ。此(3583)次文に。將軍引v軍如v西。到2當麻衢1。とあり。方位も叶へり。さて更還屯2金綱井1とあるをおもふに。此處吹負が本營ときこえたり。又下文に軍2金綱井1之時云々とて。高市牟狹の二神の著神《カムガヽリ》の事を記されたるは。此時の事なるべし。こゝに合考べし。と云れたれど。本營は必高市郡なる古京なるべし。更還とあるも。京にてこそ聞えたれ。墨坂の地は。一時遁れて至りしところなり。二神の著神ありしも。其地の神にしてよく聞えたり。はるかに隔たれる墨坂の事とは見えず。なほ次に云べし○於是。信友云。此日考かたし。上に遠からぬほどなるべし。と云り○大坂道。上出○將軍。吹負なり○當麻衢。和名抄大和國葛下郡當麻郷多以末。正しくは多岐麻といへり。記履中段に。到2幸大坂山口1。遇2一女人1。其女人白之。持v兵人等。多塞2茲山1。自2當岐麻道1。回應2越幸1。とある地理も考合すべし。當麻衢の舊趾は。今葛下郡良福寺村。有2衢池1。廣三十畝。即衢舊趾。と大和志に云り○葦池。志云。葛下郡葦田池。在2王寺村1。廣三百三十餘畝。とあり。よく考ふべし○來目。姓を脱するか。又名を脱するか○俾射。俾は衍か。
 
 
將軍更還2本(ノ)營(ニ)1。時東師頻(ニ)多臻。則分(テ)v軍(ヲ)。各當(テ)2上中下道(ニ)1而|屯《イハム》之。唯將軍吹負。親當2中道1。於是近江(ノ)將犬養(ノ)連五十君。自2中道1至(テ)之。留2村屋(ニ)1。而遣(テ)2別(ノ)將廬井造鯨(ヲ)1。率2二百(ノ)精兵(ヲ)1。衝《ツク》2將軍(ノ)營(ヲ)1。當時《トキニ》麾下(ノ)軍少(テ)。以不v能v距(コト)。(3584)爰有2大井寺(ノ)奴名(ハ)徳麻呂等五人1。從v軍。即徳麻呂等|爲《シテ》2先鋒《サキト》1。以(テ)進(テ)射之。鯨軍不v能v進(コト)。
 
 
本營は。集解に。按據2前文1。本營即高市郡岡本。と云る。さることなり。信友はこれを金綱井なるべしと云るは非なり。上に云り○東師は。近江の軍なり○上中下道は。大澤清臣云。上津道は。三輪より奈良への街道。中津道は。城下郡藏堂村より北への街道。三宅道と云。今中道と云(フ)。下津道は。八木より北への街道なり。と去り。大乘院寺社雜事記。文正元年十一月十三月の下に。上津道防禦事。六方各日罷出云々。仍明日は能花院番也。と云事見えたり。その比も上つ道の稱はありしなり。今は上《ウハ》街道と云。下つ道は。八木村より北の方二階堂村に至りて。中つ道と一(ツ)となりて。奈良及郡山に通ずるなり。さて上中下と定めたるは。高市郡の京より定めたるものと見えたり。【これにても。金綱井は。必高市郡なるべきなり】然るに集解に。下道(ハ)高市郡といひ。信友は葛下郡當麻の通道なるべきにやと云は。いづれも推測の説にて。地理に叶はず○犬養連五十君は。上に村國連男依が爲に斬らるとあれば。こゝは誤なるべし○村屋は。城下郡の地名なり。此自2中道1云々の事。下文に村屋神着v祝曰云々。とある下に注(ヘ)ると。合せ考べし○廬井造鯨。此氏書に見えず。式に近江國栗太郡廬井神社あり。大和志に平群郁五百井村あり。これらの地名によれるか。詳ならず。鯨も詳ならず○將軍営。これも高市郡なり。金綱井と云るは非なり(3585)○大井寺。信友云。大井寺詳ならず。按に皇極紀に。百濟大井家とあるを。下文に考合するに。河内國なり。和名抄河内國錦部郡百濟郷あり。今其地に大井村と云ふがありとぞ。其地に在ける寺なるべし。敏達紀に宮2于百濟大井1。とも見ゆ。と云り。
 
 
是日。三輪君高市麻呂。置姶連菟。當2上道(ニ)1。戰2于|箸陵《ハシノハカノモトニ》1。大破(テ)2近江(ノ)軍(ヲ)1。而乘v勝(ニ)。兼(テ)斷2鯨(ガ)軍之後(ヲ)1。鯨軍悉解走。多殺2士卒《イクサヲ》1。鯨乘(テ)2白《アヲ》馬(ニ)1以逃之。馬墮2※[泥/土]《フカ》田(ニ)1。不v能2進行(コト)1。則將軍吹負。謂(テ)2甲斐(ノ)勇者(ニ)1曰。其《カノ》乘2白馬(ニ)1者(ハ)。廬井鯨也。急(ニ)追(テ)以射。於是甲斐(ノ)勇者馳(テ)追之。比《コロホヒ》v及(ブ)v鯨(ニ)。鯨急(ニ)鞭v馬。馬能|拔《ヌケテ》以出(テ)v※[泥/土]《ヒヂリコヲ》。即馳(テ)之得v脱(コトヲ)。將軍亦更(ニ)還(テ)2本(ノ)處(ニ)1而軍之。自v此以後。近江軍遂(ニ)不v至。
 
 
箸陵は。倭迹々姫命の御陵なり。崇神紀に大市に葬と見えたり。已に出。いま箸中《ハシナカ》村と云。箸御陵《ハシノミハカ》の約なり○斷鯨軍之後。信友云。五十君が兵は村屋に留り。鯨は精兵を率て。進て吹負が營に衝入りたれど。徳麻呂等に防がれて。進かねてあるほど。高市麻呂等。上道の軍に勝て。其勢に乘て。中道より至る鯨が後(ヘ)を斷て伐ちたるなり。但し其中道より至る由は。下條に見えたり。と云り○甲斐勇者は。甲斐國人にて。姓名のつたはらぬなるべし〇本處。上に云る高市郡の本營なり。
 
 
(3586)先(ニ)v是軍2金綱井1之時。高市郡(ノ)郡領《コホリノミヤツコ》高市(ノ)縣主|許梅《コメ》。※[脩の月が黒]忽《ニハカニ》口《クチ》閉《ツクヒテ》。而不v能v言(コト)也。三日之後(ニ)。方(ニ)著神《カミガヽリ》以言。吾(ハ)者高市(ノ)社(ニ)所居《ヲル》。名(ハ)事代主(ノ)神。又牟狹社(ニ)所居《ヲル》。名(ハ)生《イク》靈(ノ)神(ナリ)者也。乃|顯之《アラコトニシテ》曰。於2神日本磐余彦天皇之陵1。奉2馬及種々(ノ)兵器(ヲ)1。便亦言。吾者立(テ)2皇御孫命之|前後《ミサキシリニ》1。以送2奉于不破(ニ)1而還焉。今|且《マタ》立(テ)2官軍(ノ)中(ニ)1。而|守護《マモリマツル》之。且言。自(リ)2西(ノ)道1。軍衆將v至(ト)之。宜v慎也。言訖則醍矣。
 
 
高市郡大領。本營近くに此大領が住しなるべし○高市縣主は。記に。天津日子根命者。高市縣主之祖也。姓氏録右京皇別。高市連。額田部同祖。天津彦根命三世孫。彦伊賀都命之後也。和泉高市縣主。同神十四世孫。建許呂命之後也。とあり。十二年紀十月。高市縣主賜v姓曰v連。聖武紀。外從五位下高市大國賜v連○高市社所居名事代主神。本に社を杜に作る。今秘閣本中臣本釋紀等に因て改む。【杜とある本に就て。これをモリと訓るもあり。杜をモリと訓ることは論なけれど。續紀十七に。大神|社《モリ》女を。同二十七日に。大神(ノ)毛理賣に作れり。萬葉九妻(ノ)社《モリ》など例あれば。社にてもなほモリと訓まんに。あしくはあらねど。こゝはなほ也志呂と訓べし。】さて此社は。式高市郡飛鳥坐神社四坐。【並名神大月次相甞新嘗】とある。これを【また高市郡伽縣坐鴨事代主神社大ともあれど。其にはあらず。】舊事紀に。事代主神。坐2倭國高市都高市社1。亦曰2甘南備飛鳥社1。とあるこれなり。此は神壽詞に。賀夜奈流美命能御魂乎。飛鳥乃神奈備爾坐。とある御社にて。主神は。上古は賀夜奈流美命に坐しかども。後には賀夜奈流美命をば。異處に移(3587)し奉れり。式高市郡加夜奈留美命神社。とあるこれなり。これを帳考に。在2栢《カヘノ》森村1。今稱2葛《クズ》神1とあり。さて夫よりしては。飛鳥社は。旨と事代主神を。【もとは賀夜奈流美命の相殿に坐しゝならむ。】齋奉たりしものと見えたり。【かの御縣神は。事代主能御魂乎宇奈提爾坐とある神なり。同郡なれども高市社とは申さず。この專は神代紀に既に云り。】○牟佐社所居名生靈神。神名式高市郡牟佐坐神社。【大月次新嘗。】此社今三瀬村にありて。境原天神と稱すと云り。さてこの神名。本に生雷とあるを。中臣本考本及釋紀に。生靈とあるに據れり。信友云。其は生産日神と稱すと。おなじ靈にやあらん。然らば生産日神事代主神は。共に式に神祇官に坐。御巫(ノ)祭神八座の中なり。【但し生雷神ならむには。神名式に。遠江國磐田郡に生雷神社。一本には生雷命神社とあり。】と云り○顯之の訓。阿羅波碁登志弖とよむべし。神託を顯はすを云○神日本磐余彦天皇之陵は。畝火山東北陵なり。既に云。信友云。此陵を祭奉るべき事は。上の三神に合せて下に云べし。と云り〇奉馬及云々。陵に神馬を献りし故事は。雄略紀にみゆ○立皇御孫命云々。神より天皇を申奉る稱なり。故この神語に。しか申給へるまゝを書せるなり○還焉。天皇の吉野を發給へる頃より。二神其|前《ミサキ》と後とに立て。不破に營を定め給ふまで。守護り送り奉りて。還り給ひぬとなり。【六人部是香云。此天武紀の文に。不破に送りて還坐るよしなるに附て。其後は守護し給はざるが如く通ゆれども。爾にはあらず。天皇不破に留り坐る後は。又其地の産土神に。彼兩社の神等の託し給へる故に。御身づからは。本社にかへらせ給へるなるべし。然れども。尚其社に屬生る異神の中を選みて。殘し置給へりしには違あるまじく。考合さるゝ事ありと云り。】○今且立官軍中而。今より且大和わたりの御軍の中に立て。守護り給へる由にて。いとも畏き御事なり。本に而字なし。今中臣本水戸本信友校本に據る〇自西道。西道の軍衆とは。近江軍壹岐史韓國が至らむ事を。預に示し給へるなり。下文に見えたり。
 
 
(3588)故是以便遣(テ)2許梅(ヲ)1。而祭2拜(テ)御陵(ヲ)1。因(テ)以(テ)奉2馬及兵器(ヲ)1。又捧v幣。而禮2祭高市身狹二社之神(ヲ)1。然後壹伎史韓國。自2大坂1來。故時人曰。二社(ノ)神(ノ)所教《ヲシヘタマヘル》之辭。適《マコトニ》是(ナリ)也。又村屋(ノ)神|着《カヽリテ》v祝(ニ)曰。今自2吾社中(ノ)通1。軍衆將v至。故宜塞2社(ノ)中(ノ)道(ヲ)1。故未v經2幾日(ヲ)1。廬井造鯨(ガ)軍。自2中道1至。時人曰。即神所v教之辭是也。
 
 
祭拜御陵因以奉馬及云々。此は金綱井の營にての事にて。吹負が計らひて。禮(ヒ)祭り幣奉りたりしなり○然後云々自大坂來。これ前に。自2大津丹比兩道1。軍衆多至(ル)云々。近江將壹岐史韓國之師也。とあると。又上の神教に。且言。自2西道1軍衆將至之。とあるに合り。【此を信友が。大津は大坂の誤寫なるべき事。上に辨へ注るを。此と考合すべし。と云るは非なり。】○村屋神。神名式。城下郡村屋坐彌富比賣神社。【大月次新甞。】此社今|藏堂《クラドウ》村と云るに在て。里俗天王と稱す。と通證に云り.〇宜塞社中道。信友云。中道は。上に上中下の道とある中道なり。しかるに。こゝに吾社(ノ)中道と宜へるは。村屋神社は。其中道に當りて在けるに依て。神社の邊《ワタリ》より向《サキ》にて。近江の軍衆を塞へ防ぐべき由なるべし。と云り○神所教之辭是也。此は前に犬養連五十君は。自2中道1至之。留2村屋1云々。と見え。また鯨が三輪君高市麻呂等に撃敗られて。走《ニゲ》たる事見えたり。共にこの村屋神の教《サト》し給ひ護助給へるなり。
 
 
(3589)軍政既(ニ)訖(テ)。將軍等擧(テ)2是三(ノ)神(ノ)教言(ヲ)1而奏之。即勅(テ)登3進《アゲテ》三神之品(ヲ)1。以祠焉。
 
軍政既訖。此時の亂(レ)治りて後の事を。因にこゝに載られたる。これなり〇登進三神之品以祠焉。信友云。三神は。上に見えたる高市牟佐村屋三社の神なり。品を登進《アゲ》とは。當昔《ソノカミ》の恒例《ツネ》の祭典《マツリワザ》を更かて。此度の守護の報賽に。其品を登進て祭り給へる由なるべし。當時神に位階を授給へる事は。未(ダ)あらず。【武郷云。或人云。神階を進むること。是より以前に見えざれば。是ぞ始なるべき。抑神社に位を授奉るは。幣物を定むるためなるべし。と云り。】件の三神の位階の事の。史に見えたるは。三代實録に。貞如元年正月。高市の事代主神を。從二位より從一位に。牟佐神村屋神を。共に從五位下より。從五位上に進め給へる由見えたり。但し三神ともに。前々の叙位史ともに記漏されたり。さて此|度《トキ》高市に坐事代主神。牟佐に坐|生靈《イクムスビ》神。村屋に坐彌富都比賣神の。御名を顯はして。ことさらに守護給へる事は。もとより天照大御神の御慮にて。神々相うつなひ給へる上の御計ひなるべければ。あなかしこ。かにかくに議し申すべきにはあらざれど。今こゝに顯はれ給へる三神の由縁を。竊におもひ奉るに。古事記に。大國主神國避のときの言に。僕子等百八十神者。即八重事代主神。爲2神之御尾前1。而仕奉者。違神者非也。とある條の傳に。此事代主神。渠帥《ヒトゴノカミ》として。諸神の前《サキ》にたち。後にたちて。天神の御子を守護(リ)奉仕らむとなり。天武卷に。高市社に坐事代主神と。牟佐に坐生靈神と二柱。高市縣主許梅に著て。吾者立2皇御孫命之前後1云々。守護之。と詔へる事をも思合すべし。此神後世まで。神祇官(3590)の八神の列にも入て。祭られ奉(リ)給ふも。全天皇の大《ミ》身を守護(リ)奉給ふ由縁なり。と説《イ》はれたる。然る事なり。なほ思ふに。生靈神は。もしくは産靈神の分(ケ)靈を稱へ奉れる御名にや有らむ。然おもひ奉る由は。彼八神の中の。神産日高御産日二神に次て。玉積産日。生産日。足産日など稱して。祭り奉り給へるは。もとより産靈神の靈の功徳を分ち稱へて。祭奉れる上の御名にして。生靈としも申すは。もはら人の命の幸くあるべき事を。司り給ふ御靈なれば。然は稱へ奉れるなるべし。三代實録に。貞觀元年正月二十七日。右の八神の中の産日の神たち。五坐相共に。無位より從一位を授奉り給ひ。ほどなく同年二月朔日に。又共に正一位を授奉り給へり。八神の中にて。此産日の五神をすぐりて。同(ジ)等《シナ》にことさらに。然ものし給ひたりけるは。産靈の功徳を等しくして。天皇を守護(リ)給へるが故なるべき事の。おもひ合されてなん。また彌富都比賣神の御上は。神代紀皇孫尊天降の段の一書に。是時歸順之|首渠《ヒトゴノカミ》者。大物主神。及事代主神。乃合2八十萬神於天高市1。帥以昇v天。陳2其誠款之至1時。高皇産靈尊勅2大物主神1。汝若以2國神1爲v妻。吾猶謂3汝有2疎心1。故今以2吾女三穗津姫1。配v汝爲v妻。宜領2八十萬神1。永爲2皇孫1奉護。乃使2還降1之。と見えたり。これ高皇産靈神。皇孫尊の御爲に。如此計らひ治め給へるにて。すべて此|度《トキ》の神々の御守護の趣に。おもひ合されていと畏し。又神武天皇の御事は。書紀に載られたる古語に。於2畝傍之橿原1也。太2立宮柱於底磐之根1。峻2峙搏風於高天之原1。而始2馭天下1之天皇。と稱奉りて。現御神の天皇の御始祖と坐し。殊に其大和國の山陵に。御魂の鎭坐ませば。馬兵器等(3591)を奉りて。更に大御世の爲に。軍の利を祈祷奉るべき理なれば。然|教《サト》し祭らしめ給へるなるべし。さて又此度の高市牟狹村屋の神たちの。驗き御守護の情状。又神武天皇の陵を祭給ふべき御|教《サトシ》ありしことなどによりても。すべて神を崇尊奉るべき幽理《コトワリ》を。つら/\に悟り。また尋常の聊き私(シ)事などに。謾に神に祈祷《ノミゴト》などすまじき事をも。辨へしるべき事なりかし。と云れたるは。みなさる事どもなり。
 
 
辛亥。將軍吹負。既(ニ)定(テ)2倭地(ヲ)1。便越(テ)2大阪(ヲ)1。往2難波(ニ)1。以餘《コレヨリ》別《ホカノ》將軍等。各自2三(ノ)道1進(テ)。至2于山前(ニ)1。屯2l河(ノ)南(ニ)1。
 
 
辛亥二十二日なり。さきに壬子二十三日【男依等斬2近江將犬養連五十君。及谷直鹽手於粟津市1。於是大友皇子走無v所v入。乃還隱2山前1。以自縊焉。】の事までをしるし。またこれより再たちかへりて。大和にての事をしるすとて。吹負が大和を定て。上り來れる時の事に立かへりて。辛亥二十二日より記して。是より以下は。日次を次第《ツイデ》記されて。事實は貫《トホ》りて通ゆ。されどこゝはなほ先是とあらまほし。【中臣本傍書に。七月庚寅朔也。辛亥二十二日也。上(ノ)壬子二十三日。癸丑二十四日也。次第如比辛亥如何。と疑ひおかれたるは。さる言なれど。釋紀に。此辛亥の事を擧て。私記曰。七月(ハ)庚寅朔。二十二日有2辛亥1。而(ルニ)同月又有2二(ノ)辛亥1乎。矢誤之甚也。師説。史之失。可(シ)v滅《ケス》。戸部侍郎同之。とあるは疎なる説なり。】○從難波。大坂を越え。河内に入りて。難波へ往たるなるべし○以餘別將軍。上に大和にての事の條に。令2吹負1拜2將軍1。是時三輸君高市麻呂。鴨君蝦夷等。及群豪傑者。如v響會2將軍麾下1。乃規v襲2近江1。因撰2衆中之英俊1。爲2別將及軍監1。庚寅初向2乃樂1。とある人人なり○自三道進とは。大和より三道に分れて。近江に進み入たるなり。其三道の一は難波より。一は(3593)山城より。一は伊賀よりなるべし。【然るに。此三道を。信友が。上に見えたる三道なるべし。と云れたるは非なり】○至于山前屯河南。山前は上に見えたるごとく。天皇の隱ひ坐る處なり。屯河南とは。其處の河の南に屯み居りて。逼め奉れるなり。かくて明ぬる二十三日に及びて。遂に大友皇子御事まし/\けるなり。この山前の地。また河南とある河の事は。既に上に云り。【此河南とあるを。宇治河の南といひ。或は淀川の南とある説は。甚く非なり。】
 
 
將軍吹負。留2難破(ノ)小郡(ニ)1。而(テ)仰(テ)2以西(ノ)諸國(ノ)司等(ニ)1。令v進2管鑰驛鈴|傳印《ツタヒシルシヲ・シルシノオシテ》1。
 
將軍の上に。中臣本即字あり○留難波小郡。本に留字なし。今は中臣本水戸本考本信友校本に披る。信友云。此は皇子の御事なき以前に。吹負が大和に在ける間に。命せつけ給へるを奉りて。行ひたるなり。其は使を遣し。又軍兵を向け給はむ爲は。然る事にて。なべて稜威を四方八方に示し給へる御所爲にて。此も又いちはやき御計ひにて有ける。さて又難波(ノ)小郡は。既に敏達紀にも見えたり。攝津志に。西成上古難波小郡(ナリ)と云へるは舊説なるべし。難波古圖にも小郡見えたり。と云り○以西諸國は。攝津國より西の國々なり。その國分は詳ならず。今の俗諺に。東三十三箇國。西三十三箇國と。いひならへるも。古のなごりにやと信友云り○令進管鑰云々。又云。國司等に。任國を放れて。避奉らしめ給ふ御|行《シワザ》なり。さてこゝに准ふべきにはあらねど。承徳三年の寫本の將門が事を書る記に。將門が言に。苟(モ)將門(ハ)刹帝(ノ)苗裔。三世之末葉也。同者始v自2八國1。兼欲v虜2領王城1。今須d先奪2諸國印鎰1。一向受領(3593)之限。追c上於官堵u。然則且掌(ニ)入2八國1。且〓2附萬民1。と云ひて。上野下野に打入て。國司を逼めて。廳の印鎰を奪ひたる事見えたり。と云り。事は異なれども。其旨は同じと云べし。管鑰。【本に管を官に作る。今改め正せり。】關門倉庫の管鑰なり。令に中務省大監物二人。掌v請2進管鑰1。大主鈴二人。掌d出2納鈴印傳符飛鑰函鈴1事u。とあり。驛鈴傳印の事は。孝徳紀に云り。
 
 
発丑。諸將軍等。悉(ニ)會(テ)2於|※[竹冠/(脩の月なし)]《サヽ》【※[竹冠/(脩の月なし)。此云2佐々1。】浪(ニ)1。而探2捕左右大臣。及諸罪人等(ヲ)1。乙卯。將軍等。向2於不破(ノ)宮(ニ)1。因(テ)以捧(テ)2大友皇子(ノ)頭(ヲ)1。而獻2于營(ノ)前(ニ)1。
 
 
癸丑は。二十四日なり。昨二十三日。大友皇子山前にて。既に御事坐しけり○諸將軍等。扶桑略紀に吹負等と書るは。誤にはあらざれど。元は村國男依等をもこめて見るべきなり○※[竹冠/(脩の月なし)]浪。本に※[竹冠/(脩の月なし)]を※[竹冠/彼]に作れり。類史に※[竹冠/(脩の月なし)]とあるに據る。【但し※[竹冠/彼]此云佐々の五字。類史にはなし。】されど字彙篠篆文作v※[竹冠/彼]ともあれば。※[言+爲]にはあるべからねど。なほ※[竹冠/(脩の月なし)]は字書に篠の古字とあり。また既にも此字出たれば。※[竹冠/(脩の月なし)]とあるぞよろしかるべき。中臣本には。こゝをも篠に作れり。【集解にも。※[竹冠/(脩の月なし)]海篇音小細竹也とあり。】さて彼※[竹冠/(脩の月なし)]浪は。志賀の地の大名なること。既に云り○諸罪人。近江朝廷にては忠臣なるべけれど。天皇に射向ひ奉りし處を以。罪人と書たらんは。もとよりなり。故次には犯状との重罪とも書り○乙卯は二十六日なり○不破宮。考本には宮を營とあり○捧大友皇子頭。釋紀に捧(ノ)字なし○献于營前。持統紀に。七月美濃軍將等。與2大倭傑豪1。誅2大友皇子1。傳v首(3594)詣2不破宮1。とあり。【この事に付て。或人云。按に一年にても。後(ノ)大津宮を知食し天皇の御首に。刀を觸奉しこと。あなかしこ。古今例を聞かざる惡事にて。誰か長歎息せざらん。今其故由を尋ぬるに。不破郡藤下村と云に。自害ヶ峯と云ふ地あり。其處に凡廻一丈五尺餘の一本杉ありて。山神と稱し〇土人は大友皇子の御首塚と傳云り。其より東南一町許にして。若宮八幡社と申し。皇子を祭れるよしなり。其隣村を松尾村と云。村神は天武天皇を祭れりとぞ。しかるに此二村。古來居り合はず。若嫁娶の結ありても。障りを生じ。必ず離るるに至ると云り。さることもあるべし。】
 
 
八月庚申朔甲申。命(テ)2高市(ノ)皇子(ニ)1。宣2近江(ノ)群臣(ノ)犯状1。則重罪八人(ヲ)。坐《オク》2極刑《シヌルツミニ》1。仍(テ)斬2右大臣中臣連金於淺井田根(ニ)1。
 
 
八月。按に扶桑略記に。八月天皇幸2野上宮1。立2年號1爲2朱雀元年1。大宰府献2三足赤雀1。仍爲2年號1。とあり。水鏡も同じ。當時大宰帥は栗隈王なり。既に上に見えたり。然れども年號のことは。未(ダ)偏く天下に行はれざりしが故に。此記には。こゝに漏したるなるべし。されどたしかに年號ありしことは。續紀神龜元年の詔に。白鳳以來朱雀以前。年代玄遠。とあれば。扶桑略記水鏡も。誤にはあらず。さればこれよりは。まことに天皇の元年なること。疑ひなきを。次なる二年を以。元年なりと云る説は私なり○甲申は。二十五日なり。さて大友皇子の御事ありし。去七月壬子二十三日より。三十三箇日に當れり。其間さま/”\掟て始め給へる事のありしなるべきを。本紀に載られず○重罪八人坐極刑。近江群臣の。朝廷に對し奉りて。重罪なることは本よりなれば。極刑に坐《オコナ》ふと書たるは當然なり。これを甚しき貶言なりと。信友の云れたるは。天皇の御爲に。かへりて甚しき貶言なりといふべし○斬右大臣(3595)中臣連金。此金(ノ)連は。右の重罪八人の中ときこゆ。【信友云。こゝに骨(ノ)連字無きは。脱たるにか。亦踈なりしか。下文にもありと云れたれど。本に連字あるを。いかに見漏して。しか云るにか。かながちに記者を謗れるより。かゝる踈漏なる説も起れるにこそ。】○淺井田根。水戸本井(ノ)下郡字あり。和名抄近江國淺井郡田根多禰。【本に禰を保に誤れり。】今多根庄あり。大安寺三綱紀專社録に。祇園寺在2淺井郡田根南大路里1。僧房六宇。莊嚴寺在2同郡同處1。僧房八宇。また東鑑建久元年十月九日の條にも。田根庄見えたり。【秘閣本兼永本文明本中臣本。根字なきは誤なり。】
 
 
是日(ニ)。左大臣蘇我臣赤兄。大納言巨勢臣比等。及|子孫《ウミノコ》。并(テ)中臣連金之子。蘇我臣果安(ガ)之子。悉(ニ)配流《ナガサル》。以餘(ハ)悉(ニ)赦之。
 
 
是日云々。類史配流部。天武天皇元年七月癸丑云々。是日左大臣云々。とありて。七月の事とせり。癸丑は二十四日なり。この事はなほ次に云○蘇我臣赤兄。集解云。土佐人谷垣守。甞語v余曰。赤兄子孫。今在2安藝1。世以2安藝1爲v氏。相傳。赤兄流2于安藝1。子孫因家焉。とあり。この事安藝人などによく問べし。何れの郡郷にやあらん○巨勢臣比等。此名上文には人とあり○果安之子。父果安は軍中にて死たりき○配流。令義解に。凡配流之人。官位勲位皆悉追取。とあり。既に云り。さて此に出たる人々は。天智十年紀に。十一月丙辰。大友皇子在2内裏西殿織佛像前1。左大臣蘇我赤兄臣。右大臣中臣金連。蘇我果安臣。巨勢人臣。紀大人臣侍焉。大友皇子手執2香鑪1。先起誓盟曰。六人同心。奉2天皇詔1。若有v違者。必被2天罸1云々とありし人なり。さていくほどなく十二月三日に。天智天皇崩給へり。信友云。かく誓盟たる五(3596)臣の中に。紀大人臣一人は。その後。紀中に記せる事なく。又此に罪せられたる事見えず。また其子孫配流の事もきこえざるは。御軍の事起れるころより。心變して。竊に吉野に心よせして。隱に告し謀らひたる事などのありけるか。時を窺ひて逃匿れて在しなるべし。其は紀氏系園に。大口(ノ)臣子大人。大納言。天武十五十六三薨。と記せるぞ。詳なる證なる。【群書類從に。天武を天智とあるは誤なり。今一本による。】かくて大人の子のゆくへは。續紀に。慶雲二年七月。大納言正三位紀朝臣麻呂薨。近江朝御史大夫贈正三位大人子也。と見えたり。【贈字。一古本又補任による。】此麻呂朝臣。はやく持統紀七年六月に。直廣肆を授給へる事見え。續紀大寶元年三月。授2中納言直廣貮紀靭臣麻呂正三位1。又爲2大納言1。是日罷2中納言1。と見えたり。今推考るに。この大人臣は。そのかみ陽こそはありけれ。陰《シタ》には壬申の功臣の徒なれば。御許(シ)をうけて世を没へ。其子の麻呂朝臣。世にいで。ときめきたる官をさへに賜はり。父にも位を贈給ひたりしなるべし。正三位は。大寶元年に改制給へる位號なれば。文武天皇の御世か。さらずは。元明天皇の御世の贈位なること决し。さて又これも群書類從本の系圖に。大人の子園益。その子に諸人。その子に麻呂と系りて書るも誤なり。一本に大人の長子に麻呂。二子に園益と系りて書るぞ。元明紀の傳にも合ひて。麻呂朝臣の世ごろも叶ひてぞきこゆる。又比登臣の子のゆくへは。續紀に。天平勝賓五年三月辛未。大納言從二位。兼神祇伯造宮卿巨勢朝臣奈※[氏/一]麻呂薨。小治田朝小徳大海孫。淡海朝大納言大紫比登之子也。と見えたり。此奈※[氏/一]麻呂卿の事。公卿補任に。天智天皇五年丙寅生。天平勝寶五年三月三十日薨。八十八。と見えたれば。壬(3597)申年は七歳の時なり。稚くて罪せらるゝ事を免れたるなるべし。續紀に。天平元年三月。正六位上より外從五位下に叙されたる事。始て見えたり。と云り○以餘悉赦之。信友云。此事どもを。扶桑略記には。.尚七月に係て。二十七日丙辰。右大臣中臣金連被v誅。左大臣蘇我宿禰配流。時年五十。自餘左遷。其員甚多。同日依2其功勞1。各叙2官位1。とありて。この紀の此のさし次なる。丙戌二十七日の下の事を記さず。水鏡にも。二十七日に右大臣殺され.。左大臣流されにき。其外の人々。罪蒙るもの多く侍りき。やがて其日軍に力をいれたる人。つかさ位どもを給はせしなり。と見えたるは。此紀のこゝのさし次に。丙戌二十七日に云々と載られたる事も。こもりてきこえ。編年記にも二十六日云々。翌日依2功勞1任2官位1。と見ゆ。時勢かならず然ぞありけんと。おもひやらるゝを。此紀に七月二十三日。大友天皇の御事ありしより。三十日餘を經て。かく八月二十五日二十七日に係て載られたるは。日次前後の差ありげなりと云り。さる事なり。
 
 
先v是。尾張國司(ノ)守少子部連※[金+且]鈎《サヒチ》。匿(テ)v山(ニ)自死之。天皇曰。※[金+且]鈎(ハ)有v功者也。無(テ)v罪何自死。其有2隱謀1歟。丙戌。恩2勅諸(ノ)有功勲《イサヲシキ》者1。而顯(二)寵賞《メグミタマモノス》。九月己丑朔丙申。車駕還(テ)宿2伊勢(ノ)桑名(二)1。丁酉。宿2鈴鹿(二)1。戊戌。宿2阿閇(二)1。己亥。宿2名張1。庚子。詣(テ)2于倭(ノ)京(二)1。而御2島(ノ)宮(二)1。癸卯。自2島宮1移2崗本(ノ)宮1。
 
 
(3598)※[金+且]鈎有功者也。二萬衆を率て來歸せしこと。前文に見えたり。此事は既に上に信友の説を出して云り○丙戌。二十七日也。丙申。八日なり○宿伊勢桑名。路程をもて考るに。不破より發《イデタチ》給へるなるべし。○丁酉。九日なり○戊戌。十日也○阿閇。本に阿を河に誤る。今訂せり。和名抄伊賀國阿拜郡なり○己亥。十一日なり○名張。伊賀國也。上に出○庚子。十二日○御島宮。四宿にして。大和の古京なる島宮に着せ給へり。さて此宮は離宮なるべし。天皇前に皇太子を辭て。吉野に入給へる時にも。此宮に次り給へる事。上に見えたり。又御世知食して後。五年紀にも。正月御2島宮1宴之と見ゆ○癸卯。十五日なり○移崗本宮。島宮に三宿し給ひてなり。崗本宮は。大津に遷都ありて後。古京に離宮の如くにものして。遺し置れたる宮なるべし。此宮を假宮として。姑くおはしましけるなり。と信友云り。
 
 
是歳。營2宮室《オホミヤヲ》於崗本(ノ)宮(ノ)南(二)1。即冬遷(テ)以居焉。是(ヲ)謂2飛鳥(ノ)淨御原(ノ)宮(ト)1。
 
飛鳥は。地名なり。淨御原とは。大宮の美稱なるべし。大和國十市高市兩郡古迹考【池亭叢書六十八に入れり。】に。高市郡上居村は。淨御《ジヤウゴ》村なり。人皇四十代天武天皇の皇居也云々。舊都趾要覧云。高市郡高市村大字阪田字都。【高市村大字上居(じやうご)の地に接續す。】と云るによらば。宮名の地名になれるなり。さて淨御原と申す名の義は。信友云。此天皇の御名を大海人と稱《マヲ》し。後に天渟中原瀛眞人と稱し奉りて。共に海に由ありてきこゆるは。(3599)生ませる時などに。海原なる海人に據たる。祥瑞のありけるに依て。御名とし給へるにやあらむ。さて日嗣知食しける上の御名の渟中原は。天之海原を。昌便のいきほひに。阿米奴奈波良といはるゝを。御名の唱とし給へるなるべし。又其を天渟中原と。物遠き書ざまなるは。此より前に敏達天皇の御名を。渟中倉太珠數と稱し奉りて。即ち書紀にも記されたり。御名にも例ある好字なれば。撰び用ゐさせ給ひたるなるべし。さて瀛は海原の瀛なり。眞人は良人の義なるべし。おきの眞人と連ねて唱《マヲ》すべし。かくておきの眞人とは。初の御名の大海人と申たると同じかるべし。然れば天ぬなはらおきのまひとゝ申すは。大海人と申すを。うるはしく稱へ奉りたる言ときこえたり。かくておもへば。宮號の淨御原も。清|海《ウミ》原の義にて。これも御名と同じく。海に由ありて。稱へ給へるなるべし。しからば海原滄海原の例にて。キヨナハラと云ふべきが如くなれど。此は清海《キヨミ》と引合せて。言を連ねたるなるべし。此御世の頃書るものに。淨原また清原とも書るは。清淨等の一字を。キヨミと訓べく書るなり。萬葉集には。飛鳥之|淨《キヨミ》之宮とも書り。又尊卑分脈に見えたる。天武天皇の皇子。舍人親王の裔の清原氏も。彼大宮の號をとりて賜ひたるにて。舊《モト》はキヨミハラと唱たるなるべし。また其清原氏の系譜には。海宿禰(ナリ)と見えたり。その海も宇美と唱て。清海《キヨウミ》の海に依れる稱なりしなるべし。おもひ合すべし。又此天皇紀の十三年に。八色(ノ)姓を定て。其次第を一曰2眞人1。二曰2云々1。と見えたり。其八色(ノ)姓の中に。眞人の姓は。八姓の上首にて。今度新に制め給へる稱なり。姓氏録序に。眞人是皇別之上氏也。並2集京畿1。(3600)以爲2一卷1。附2皇別上首1。と謂はれたるが如く。皇族を親しみて。ことさらに賜へる姓《カバネ》と聞えたり。然るは御名の末の眞人と申すをもて。寵(ミ)親みて賜へる御意ばへにてぞおはしけむ。と云れたり。
 
冬十一月戊子朔辛亥。饗2新羅(ノ)客|金押《コムアフ》實等(ヲ)於筑紫1。即日。賜v禄各有v差。十二月戊午朔辛酉。選(テ)d諸(ノ)有2功勲1者(ヲ)u。増2加冠便(ヲ)1。仍賜2禄小山(ノ)位(ヨリ)以上1。各有v差。壬申。船一隻(ヲ)賜2新羅(ノ)客(二)1。癸未。金押日等罷歸。
 
 
辛亥は二十四日なり○新羅。文武王十二年なり○辛酉は四日なり○仍腸禄。本に禄字なし。今考本に據る○各有差。二年紀にも。二月乙酉。有2勲功1人等。賜v爵有v差。次の御世。文武天皇大寶元年六月庚午。太上天皇【持統】幸2于吉野離宮1。七月辛巳。車駕至v自2吉野離宮1。壬辰勅2親王已下1。推2其官位1。賜2食封1。又壬申年功臣。隨2功等第1。亦賜2食封1。並各有v差。又勅先朝論v功行v封時。賜2村國(ノ)小依百二十戸。云々(ノ)十一人各一百戸。云々(ノ)四人各八十戸1。凡十五人。賞雖2各異1。而同居2中第1。宜2依v令四分之一傳1v子。と見ゆ。先朝とは。この天皇の御世の事に當れり○壬申。十五日なり○癸未。二十六日なり。
 
 
是月。大紫韋那(ノ)公高見薨。
 
韋那公。已に出○高見。孝徳紀白雉元年に出。威奈大村墓誌銘に云く。卿諱大村。檜前五百野宮御宇天(3601)皇四世。後岡本聖朝。紫冠威奈鏡公方第三子也。とあるを。この高見鏡同人として。高見を加賀美と訓べしと云る説。嚶々筆語に載たれど。信がたし。ましてこの高見を。二年紀以下に見えたる鏡(ノ)王と。同人ぞと云る説などは。諸王諸臣を一にしたる誣言なれば。言にも足らず。【大紫また紫冠とあるにても。諸王にあらぬことあきらけし。諸王ならば。諸王(ノ)二位とか。諸王三位とかあるべきなり。】○さて此壬申年を以。此天皇の元年としたるは。當時の御定にて。論ふべき事もなきが上に。正統記には。壬申のとし即位。大倭の飛鳥淨御原の宮にまします。とさへあり。これに即位と云るは。後に所謂踐祚の御式ありしを云るなるべし。古は即位と踐祚と別なかりしならめど。中世以後。先帝崩じ給ひて。嗣君先づ位を嗣給ふを踐祚といひ。後に更に。其正式の大禮を行はせらるゝを。即位と云り。【文徳天皇の御世頃よりは。さだかにわかれたること。史に見えたり。】此御世のさまを思ふに。中世以後の御事に。いとよく似たり。されば此天皇の元年なること疑なし。なほこの事は。次の二年紀に委く云を見るべし。
 
 
日本書紀卷第二十八 終
 
中臣本に終字なし。
            〔天武紀上、2007年5月27日(日)入力終了〕
 
(3602)日本書紀通釋卷之六十五、 飯 田 武 郷 謹撰
 
日本書紀卷第二十九
 天渟中原瀛眞人天皇下 天武天皇
二年春正月丁亥朔癸巳。置《メシ》v酒《オホミキ》宴《トヨノアカリス》2群臣(二)1。二月丁巳朔癸未。天皇|命《ミコトオホセテ》2有司(二)1。設(テ)2壇場《タカトノヲ》1。即2帝位《アマツヒツキシロシメス》於飛鳥(ノ)浄御原(ノ)宮(二)1。立(テ)2正妃(ヲ)1爲2皇后(ト)1。皇后|生《アレマス》2草壁(ノ)皇子(ノ)尊(ヲ)1。先(ニ)納2皇后(ノ)姉大田(ノ)皇女(ヲ)1爲v妃(ト)。生2大|來《クノ》皇女(ト)。與(ヲ)2大津(ノ)皇子1。次(ノ)妃大江(ノ)皇女。生2長皇子。與2弓削(ノ)皇子1。次(ノ)妃新田部皇女。生2舍人《トネリノ》皇(ヲ)1。
 
 
二年。按に。本紀に壬申を以。元年と爲たる事は。既にも云る如く。營2宮室於崗本宮1。即冬遷以居焉。是謂2飛鳥淨御原宮1。とありて。此年天皇踐祚し給へること明らけし。【正統記に見えたり。】且扶桑略記等の書にも於2野上行宮1。既立2年號1。爲2朱雀元年1。と云こと。八月に在り。又朱雀二年三月。備後國進2白雉1。仍改2白鳳元年1。と云ることあり。【水鏡。編年記。亦同じ】しかるに後に議ありて。朱雀白鳳の年號を廢し給へれば。壬申を(3603)以元年とし。癸酉を二年と爲給へること。自然の理と申すべし。然るに後の議者。かの藥師寺塔(ノ)擦(ノ)銘に。即位八年庚辰之歳とある文を以。據として。癸酉を元年として。壬申をば大友帝に屬たるは。甚非なり。七月以前は。實に近江朝に係くべきこと。本よりなれど。八月以後は。近江朝既に亡びて。天武天皇踐祚し給ふ。いかでかこれを元年と謂はざるべけん。况や此年十一月。新羅貢調等の事ある。これを元年に係けずして。何れの年にか記さん。塔擦銘の如きは。庚辰歳の。天皇御即位の八年に當れるを以て。書るのみにこそあれ。紀元を改めし文にはあらず。なほいはゞ。持統天皇は。四年庚寅を以。位に即給ひしかども。なほ丁亥歳を以。元年と爲したるにあらずや。みな當時議ありて。定め給ひしことなれば。後世此を彼此と云べきよしなし。しかるに議者の説に。本書壬申を以元年とせしは。直に天武を以。天智の統に接せむがために。此曲筆を致しゝものなり。と云るは。甚しき酷なる論なり。また信友が説の如きは。後人の日本紀を改刪せしものゝ所爲と云り。何の明證ありて。さるあぢきなき説をば立たる。ゆめ/\惑ふべからず。謹て本書の旨に從ひてあるべし○癸巳は七日なり○癸未は二十七日なり○即帝位云々。踐祚は既に去年ありしかど。即位の禮を此時に行はせ給へるなり。さてこの御即位の時。神璽をば十市皇女より受給ひけんと云る。信友の説あり。されど去年の八月より。天皇の御許にありしことは明らかにて。この時まで皇女の御許にありしにはあらず。かゝる事は。まことの推測ごとにて。知べきよしなし。無用の論どもなり○皇后生。本に皇字なし。今京極本(3604)考本に據る○草壁皇子尊。釋紀には日下部太子ともあり。この皇子。太子に立給ひし御稱を。續紀に日並知《ヒナミシノ》皇子と申し。萬葉には。日雙斯《ヒナミシノ》皇子命【また日並(ノ)皇子とのみもあり。】とも申せり。此は此皇子の御名にはまさず。太子に立給ひし故の御稱なり。粟原寺塔露盤銘には。日並|御宇《シロシメス》東宮とも申奉れり。さてこゝに尊字を添たるは。通證に。當時特貴故曰v尊。と云れたれど。これにはなほ深き旨ある事なるよし。信友の説あり。其は持統紀に引て云り。併せ見るべし。天平寶字三年八月に。追尊して岡宮御宇天皇と稱奉れり○大田皇女。考本に大を太に作れり。天智皇女にます。上に出○大來皇女。齊明紀に大伯に作る。此皇女。齋宮に立給ひし事。二年に見えたり。其時卸歳十四なり。さて朱鳥元年に。十四年に當りて。京師に還給へることも見えたり。萬葉二。大津皇子竊下2於伊勢神宮1。上來時。大伯皇女御作歌二首あり。大津皇子とは。御同母兄弟なれば。ことにむつまじくおはしまして。皇子の御謀叛のこと。この皇女にも相語賜はむとて。伊勢へは竊に下り給ひつらむ。續紀大寶元年十二月。大伯内親王薨。とあり。此皇女の御事も既に出○大津皇子。天皇の第三子に坐り。既に出。なほ持統紀に詳なり○大江皇女。天智の皇女にます。既出○長皇子。長を那賀にも作れり。乳母の姓に依れる御名と聞ゆ。【長直あり】續紀靈龜元年六月。一品長親王薨。天皇第四之皇子也。とあり。續後紀には。第二皇子二品とあり。さて此皇子の裔に。文室氏。【姓氏録】長谷氏。三諸氏。【續紀】三山氏。【後紀。三代實録。】有澤氏。【續後紀。】磯原氏。【續後紀。】などあり○弓削皇子。乳母の姓に依給へる御名か。續紀文武三年七月。淨廣貮弓削皇子薨。天皇第六之皇子。とあり○新田(3605)部皇女。天智の皇女にます。既出○舍人皇子。乳母の姓に依れる御名なるべし。【訓は。六帖に。とねりのわうじとあるに據べきか。】續紀三に。舍人親王封二百戸。同六。二品舍人親王益封二百戸。同八。賜2一品舍人親王(ニ)内舍人二人。大舍人四人。衛士三十人1。益封八百戸。通v前三千戸。十二に。天平七年十一月。知太政官事。一品舍人親王薨。遣2從三位鈴鹿王等1。監2護葬事1。其儀准2太政大臣1。命2王親男女1。悉會2葬事1。遣2中納言正三位多治比眞人縣守1。就v第宣詔。贈2太政大臣1。天渟中原瀛眞人天皇之第三皇子也。廢帝天平寶字三年六月。詔追2尊先考舍人親王1。爲2崇道盡敬皇帝1。とあり。弘仁私記序には。第五皇子也とあり。按に持統紀に。大津皇子を第三子とあるに。續紀に舍人親王を第三子とあるは不審なり。公卿補任を考るに。舍人親王薨年六十。此に據れば。親王は天武帝白鳳五年丙子に生給へり。大津皇子の薨は。朱鳥元年年二十四とあれば。天智帝三年甲子に生坐り。親王より十二年長じ治へり。さて此皇子の裔は。清原氏。【後紀】中原氏。【文徳實録】岡氏。【姓氏録】御長氏。【續紀】島氏。【紹運録】山邊氏。【續紀】などあり。
 
 
又|夫人《オトジ》藤原大臣女氷上(ノ)娘《イラツメ》。生2但馬(ノ)皇女(ヲ)1。次(ニ)夫人氷上(ノ)娘(ノ)弟五百重娘。生2新田部(ノ)皇子1。次(ノ)夫人蘇我(ノ)赤兄(ノ)大臣(ノ)女|大〓《オホヌノ》娘。生2一男二女(ヲ)1。其一(ヲ)曰2穗積(ノ)皇子(ト)1。其一(ヲ)曰2紀(ノ)皇女(ト)1。其三曰2田形(ノ)皇女1。天皇初|娶《メシテ》2鏡(ノ)王《ミコノ》女額田姫(ノ)王(ヲ)1。生2(3606)十市(ノ)皇女1。
 
 
藤原大臣は。鎌足公なり○氷上娘。萬葉二十に。此夫人天皇を戀奉れる歌あり。藤原夫人歌二首。【淨御原宮御宇天皇之夫人也。字曰2氷上大刀自1也。】安佐欲比爾《アサヨヒニ》。禰能未之奈氣婆《ネノミシナケバ》。夜伎多知能《ヤキタチノ》。刀其己呂毛阿禮波《トコkロモアレハ》。於母比加禰都毛《オモヒカネツモ》。』可之故伎也《カシコキヤ》。安米乃美加度乎《アメノミカドヲ》。可氣都禮婆《カケツレバ》。禰能未之奈加由《ネノミシナカユ》。安左欲比爾之弖《アサヨヒニシテ》。とあり。和名抄丹波國氷上郡によれる名か。さて此夫人。十一年紀に卒れるよし見えたり〇但馬皇女。乳母姓によれるか。【姓氏録に。但馬海直。三代實録三十一に。但馬公見ゆ。】續紀和銅元年六月。三品但馬内親王薨。とあり。此皇女の御事。萬葉二。但馬皇女在2高市皇子宮1時。思2穂積皇子1御歌。秋田之《アキノタノ》。穗向乃所縁《ホムケノヨレル》。異所縁《カタヨリニ》。君爾因奈名《キミニヨリナヽ》。事痛有登母《コチタカリトモ》。また勅2穂積皇子1。遣2近江志賀山寺1時。但馬皇女御作歌。遺居《オクレヰ》而。戀管不有者《コヒツヽアラズハ》。追及武《オヒシカム》。道之阿回爾《ミチノクマワニ》。標結吾背《シメユヘワガセ》。また但馬皇女在2高市皇子宮1時。竊接2穂積皇子1。事既形而後。御作歌。人事乎《ヒトゴトヲ》。繁美許知痛美《シゲミコチタミ》。己母世爾《オノモヨニ》。未渡《イマダワタラヌ》。朝川渡《アサカハワタル》。といふ事見えたり。此(ノ)皇子皇女は。御母の異れる御兄弟にして。かゝる御密事もありしなりけり〇五百重娘。萬葉八。藤原夫人。明日香清御原宮御宇天皇之夫人也。字曰2大原大刀自1。即新田部皇子之母也。霍公鳥《ホトヽギス》。痛莫鳴《イタクナナキソ》。汝音乎《ナガコヱヲ》。五月玉爾《サツキノタマニ》。相貫左右二《アヒヌクマデニ》。とあり。同二に。天皇賜2藤原夫人1御歌あり。藤原夫人奉和歌もあり。御製に大原乃古爾之郷とよみ給へるを見れば。此大原大刀自なるべし。【大原は。續天平神護元年辛未。行2幸紀伊國1云々。是日到2大和高市小治田宮1。壬申。車駕巡2歴大原長谷1。臨2明日香川1而還。と見えて。今も飛島の西北の方に。大原村といふありて。即藤原といふことなり。(皇居の藤原は異地なり。然るを多武峯記に藤原宮(ハ)大原也。とあるはたがへり)(3607)鎌足大臣の本居にて。夫人の生給ひし處なれば。このほど。こゝに夫人の下り居給ひしなるべし。】○新田部皇子。續紀一に。授2新田部皇子淨廣貮1。同六。二品新田部親王封2ー百戸1。同八。天平七年九月。一品新田部親王薨。天皇第七子也。とあり。御墓は。添下郡伏見東陵(ノ)北にあり。冢上に小祠あり。と云り。皇子(ノ)裔は。氷上氏。三原氏あり。姓氏録に見えたり。皇子御子鹽燒王。孝謙帝時に氷上眞人を賜へること。補任に見ゆ○大〓娘。〓を奴と訓るは。玉の義なり。舊事紀。天〓槍。三代實録。隱岐國|〓《タマ》若酢神などあり。【本居翁云。〓字玉義なし。もしくは璞を古(ヘ)〓に作れるより。誤れるか。璞は字書玉也とあり。と云り。考べし。考本には〓に作れり。】續紀。神龜元年七月庚午。夫人正三位石川朝臣大〓比賣薨。とあり○穂積皇子。御名御乳母の姓か。持統紀五年。淨廣貮皇子穂積五百戸。續紀六。靈龜元年七月。知太政官事一品穂積親王薨。天皇第五子也。とあり○紀皇女。乳母の姓によれるか。此皇女の御事。萬葉二。弓削皇子思2紀皇女1御作歌。芳野河《ヨシノガハ》。逝瀬之早見《ユクセノハヤミ》。須臾毛《シマシクモ》。不通事無《ヨドムコトナク》。有巫勢濃香毛《アリコセヌカモ》。』吾妹兒爾《ワギモコニ》。戀乍不有者《コヒツヽアラズハ》。秋芽之《アキハギノ》。咲而散去流《サキテチリヌル》。花爾有猿尾《ハナナラマシヲ》。』暮去者《ユフサラバ》。鹽滿來奈武《シホミチキナム》。住吉乃《スミノエノ》。淺香乃浦爾《アサカノウラニ》。玉藻苅手名《タマモカリテナ》。』大船之《オホブネノ》。泊流登麻里能《ハツルトマリノ》。絶多日二《タユタヒニ》。物念痩奴《モノモヒヤセヌ》。人能兒故爾《ヒトノコユエニ》。この竟《ハテ》の御歌によれば。紀皇女は。既に人に娶《エラ》れ給ひしを。弓削皇子の思はししにや。此二柱も異母の御兄弟なり。また同十二。紀皇女竊嫁2高安王1。と云こともあり。また同三。妃皇女薨後。山前王代2石田王1作歌。など見えたり。【これによらば。石田王の御妻なりしと見えたれど。石田王傳詳ならず。山前王は忍壁皇子の御子なり。】○田形皇女。乳母高田首によれるか。續紀三に。三品田形内親王。侍2伊勢大神宮1。十に。神龜五年三月。二品田形内親王薨。とあり。按に萬葉八目録云。笠縫女王。六人部親王之女。母曰2田形皇女1。とあるを。一卷には身入部王に作れり。親(3608)王は誤なるべし。系は詳ならねど。この王の御妻となりませりしなり。慶雲三年。幸2難波宮1時の。此王の歌に。大伴乃《オホトモノ》。美津能濱爾有《ミツノハマナル》。忘貝《ワスレガヒ》。家爾有妹乎《イヘナルイモヲ》。忘而念哉《ワスレテオモヘヤ》。とある。家爾有妹とは。此田形皇女を指給へるなるべし○鏡(ノ)王(ノ)女。本に女字を脱せり。今中臣本應永本類史釋紀に依る。さて鏡は地名か。近江国野洲郡に鏡山あり。和名抄攝津国兎原郡覺美あり。かくて此王の系詳ならず。しかるに萬葉二に。天島賜2鏡(ノ)王女(ニ)1御歌。鏡(ノ)王女奉v和御歌ありて。そこに鏡(ノ)王女又曰額田姫王。とあり。【これは此鏡(ノ)王女の歌を。一の傳には。額田姫王の歌とも傳へしとなるべし。此二王を。同人なりと云るにはあらざるべし。このこと次に云。】さて其次に。内大臣藤原卿娉2鏡(ノ)王女1時云々。と云事も見えたり。又同四に。額田王贈2近江天皇1作歌。次に鏡(ノ)王女作歌ともあり。注者此萬葉なる鏡(ノ)王女をば。みな鏡(ノ)女主の誤としたれど。しかこと/”\く誤るべきにあらず。これはなほ本のまゝにて。鏡(ノ)女王を。鏡(ノ)王女と。當時申しゝ御名とするより外なし。さて王女は。天皇の直の御子を。皇女と申すに對したる。孫王の稱とすべし。さればこの王女は。此紀の王(ノ)女とあるとは。異なる云さまと見てありぬべし。さて此に疑はしき事あるは。下文に天皇幸2鏡(ノ)姫王之家1訊v病。とある鏡(ノ)姫王の事なり。つら/\按に。鏡(ノ)姫王と申すは。鏡(ノ)王(ノ)女にて。父王の許に住給へれば。同じ御名を申し給へるなるべし。さて此(ノ)王女。額田姫王とは姉妹にまして。二王とも。天智天武の二帝に娉されてましゝか。鏡(ノ)姫王の方は。天智の御子も持給はぬが故に。紀にも載られず。額田(ノ)姫王の方は。天皇の御子を持給へりければ。こゝにも載られたるなり。扨此二王の事を。まづ申さむに。鏡(ノ)姫王はじめ天智帝(3609)にめされ給へりしことは。右に云る萬葉二なる。天皇賜2鏡(ノ)王女1御歌。妹之家毛《イモガイヘモ》。繼而見麻思乎《ツギテミマシヲ》。山跡有《ヤマトナル》。大島嶺爾《オホシマノネニ》。家母有猿尾《イヘモアラマシヲ》。鏡(ノ)王女奉v和御歌。秋山之《アキヤマノ》。樹下隱《コノシタガクリ》。逝水乃《ユクミヅノ》。吾許曾益目《ワレコソマサメ》。御念從者《ミオモヒヨリハ》。また四に。額田王思2近江天皇1作歌に次て。鏡(ノ)王女作歌に。風乎太爾《カゼヲダニ》。戀流波乏之《コフルハトモシ》。風小谷《カゼヲダニ》。將來登時待者《コムトシマタバ》。何香將嘆《ナニカナゲカム》。とあるにて。此女王の天智帝に娉され給ひしこと。明らけし。さらば萬葉集にも。鏡(ノ)姫王とか。鏡女王とかあるべきに。姫王とも女王とも記さず。【但し千載集には。此を鏡女王と書て載たり。これ其採りし本書のまゝに出せるなるべし。興福寺縁起にも。鏡女王とあり。】。王女と書れたるは。上にも云る如く。孫王をば。王女とも。女王とも。姫王とも。稱せしが故に。其本書に記しゝまゝに。載たるものにて。更に異意味ありしにはあらざるなり。さて此姫王。後に内大臣鎌足公に。娉《ツマド》はれたることは。昌泰三年に作りたる。興福寺縁起に。内大臣嫡室鏡女王。とあるにて明らけし。故下文十二年に。天皇幸2鏡(ノ)姫王之家1。訊v病。とあるは。既に藤原氏の室となりてありしが故に。其家に訊に幸ましたるなり。【此姫王。天皇にめされし事は見えず。】さて其御妹額田姫王は。はじめ天武天皇に召されて。十市皇女を生まし。後にまた天智天皇の妃となりましたる事は。上に引る萬葉に。額田王思2近江天皇1作歌あり。また一卷に。天皇遊2獵蒲生野1時。額田王作歌。茜草指《アカネサス》。武良前野逝《ムラサキノユキ》。標野行《シメノユキ》。野守者不見哉《ノモリハミズヤ》。君之袖布流《キミガソデフル》。皇太子答御歌。【天智天皇なり。】紫草能《ムラサキノ》。爾保敝類妹乎《ニホヘルイモヲ》。爾苦久有者《ニクヽアラバ》人嬬故爾《ヒトヅマユヱニ》。吾戀目八方《ワレコヒメヤモ》。とある御歌にて。其頃は既に天智の御妻と【人嬬故爾云々】なりてましゝ事。明らけし。扨其後には。再天皇の夫人となり給ひしなり。【この事は此に盡さず。信友が長柄山風に委し。開き見るべし。】かく鏡(ノ)姫王と。額田姫王とは。正しく二人にますを。萬葉二に。鏡(ノ)(3610)王女又曰2額田姫王1。とあるは。甚まどはし。【この事上に云るを考へ併すべし。】もし此文のまゝに心得んには。鏡(ノ)姫王【又鏡女王とも】の鎌足公の妻とある人と。額田姫王とある人とを。二人と見ざれば叶はず。誤なることは決なし。然るに近き頃。ああ人。この御父の鏡(ノ)王を。女なりとして。鏡(ノ)姫王とあると。一人とせし説あり。其説云。其父の傳を洩し。又額田姫王の御父をも洩しつれば。鏡王は額田王の御母なることしるし。萬二に。近江大津宮御宇天皇賜2鏡王女1御歌などあれば。此鏡王には。天智天皇契給ひ。又其御女額田王にも契給ひしは。同書に。額田王思2近江天皇1作歌とて。君待登。吾戀居者。とあるにてしるし。略解に。鏡女王は則鏡王の女にて。額田女王(ノ)姉とみゆ。宣長云。此父主は。近江野洲郡の鏡里に住給ひし故に。鏡王と申(シ)しならん。其女王もゝと。父の郷に住(ミ)給ひし故。鏡王と呼べるなり。しかれども。父とまぎるべき時は。女の方をば。鏡女王とはいひて。分ちたるならんと云り。按に此説ども。論にたらぬ作言どもなり。其父主の名をさへ作出。且其母子の間を。姉妹に説なし。生國を作云る。すべて僻説の甚しきなり。名義は何れも母の姓と見てあるべし。【以上或人説。】と云れたるは。却りて甚しき非なり。紀中に后妃また夫人等の母を擧て。其女某と出せる例なし。それもいと上代のことにて。父の名の知られず。母の名のみ知られたらんには。さもありぬべけれど。此紀撰べる頃の父王の名を置て。母王の名を出すべきよしあらんや。例もなくことわりもなき説を立られたるは。甚杜撰なり。略解の説は。鏡女王を鏡(ノ)王女と訓べき事を。思はれざるまでの非なることは。既に云るが如し。本居翁の説は。鏡(3611)王を近江の鏡里に住給ひし人と。見られたるまでにて。其(レ)も然か定められたるにもあらず。さのみ咎め出べきこともなきを。論に足らぬ作言など。罵るべき非説にもあらず。母子の間を姉妹と取なし云々。など云るも。己が説を立(テ)むとして。中々に非事なるをもおもはざるなり。すべて此論は。あたらざる事どもなり○額田姫王。額田は地名によれる御名なるべし。此女王は。いと雅びたる詞藻まし/\て。其詠み給へる歌ども。萬葉集に多し。天智天武に娶され給へるに附て。信友が委しく考へ云ることあるを出さば。額田姫王の。兩天皇に娶されたまへる。本末の趣を。その二天皇(ノ)紀。懷風藻。また萬葉集にみえたる御歌どもに。併せて證し考るに。姫王はじめ。大海人皇子に竊にめされて。十市皇女を生み奉り。其後中大兄皇子【天智】に婚されて。御世の涯(リ)仕奉り。大友天皇諱事ありて。天武天皇御世知しめして後。更にこの天皇にめされて。仕奉り給へるなり。しか考定たるは。まづ大海人皇子。はやく額田姫王を娶して。十市皇女を生し給ひ。この皇女。大友皇子の妃となりて。葛野皇子を生み給ひたりき。いまその皇子の享年によりて。推考るに。齊明天皇(ノ)御世。七年の誕《ウマレ》に當りたまへり。此年をしばらく。十市皇女の十五歳の時として。推考るに。【大友皇子は十四歳】御父大海人皇子三十九歳【中大兄は四十八歳】の時に當れり。この前の年ごろより。大海人皇子竊に額田(ノ)姫王に婚給ひて。十市(ノ)皇女は生れたまへるを。密に計らひて養《ヒタ》し給へるほど。御兄中大兄皇子。それまことに知しめさずてや。またしらずがほつくりてにもやおはしけむ。姫王に御情をかけ給ひけるに。姫王もあだしごゝろのいできて。かたへには從(3612)ひ給ひけるを。大海人皇子も。うけばりたる御中にあらざれば。中大兄皇子は。御兄とますがうへに。太子《ミコ》がねにてさへおはしましける御勢なりければ。いかゞはせんにておはしつゝも。なほねたくそおもほしこめたりけむ。【中大兄皇子の三山の歌よみたまへるも。此ほどの事なるべし。】しかありけるほどに。かの阿菩の神だちて。御中のことこしらへまをせる人の出來などして。つひに露顯《アラハ》に妃の例《ツラ》にめして。仕奉らせ給ふ事とはなりしなるべし。さるにあはせて。御弟皇子の。みそか行《ワザ》も自らはるけ。事解けて。さる御中にいできたまへる十市皇女をしも。大友皇子の妃とせさせ給ひたりしなり。さるは御弟皇子の御こゝろをとり給ひ。はた姫王のねぎ言をも。きかせ給ひたりしにもやありけん。【上に云へる如く。大友皇子十四の御年にて。皇子いでき給ふばかりに。十市皇女を配偶《アハ》せたまひ。また御女大田皇女。同母妹の※[盧+鳥]野皇女。また大江皇女。新田部皇女四人を。ともに大海人皇子の妃に參らせ拾ひつるなど。なべてならぬ御事なりき。】かくて齊明天皇崩まし。中大兄皇子。御代を受繼たまひて。大海人皇子を皇太子に立て給ひ。姫王もゝとの如く。妃に仕奉りて。蒲生野の御※[獣偏+葛]にも侍ひ給ひけるが。なほ皇太子と御情をかよはして。彼紫野のいろ/\しき歌をさへに。よみかはし給ひたるを思へば。もてはなれ給へるはじめより。互に御情をかよはし給ひたりしなりけり。さるほどに天皇崩り給ひ。皇太子即ち御世を受嗣せ給ひつれど。ほどなく壬申の甚しき亂いできて。大海人皇子御世を知しめしたりき。此時十市皇女は。御夫に忠ならぬ御ふるまひおはしけるを.諱事ありければ。やがて御父母の御許に。御子葛野皇子を率て。逃去たまひたりき。【武郷云。これらの事は十市皇子の下に云。】さるははじめより。御母額田姫王と。御心を合せ給ひたりしなるべし。かゝりければ。額田姫王も召(シ)納れて。更に妃とし(3613)給ひたりとぞ聞えたる。そも/\いもせの道は。上つ世はおのづから神ながらに。おほらかなる定りありて。後の御世の令《ミサダメ》のごとく。嚴《キビ》しくはあらざりけれど。この御兄弟の。また此姫王のごとき。まほならぬ御|行《フルマヒ》は。をさ/\きこえず。さればまことは。かの三山の喩歌の事にはじまりて。御兄弟の御中の。したには親睦《ムツマジ》からず。つひに壬申年の。ゆゝしき諱事も。それにきざせるにはあらじかとさへに。かしこくも押測奉られてなん。と云れたり〇十市皇女。天皇の御長女にます。御名地名に據れるならん。信友云。十市皇女は。天武天皇の未(ダ)皇子ときこえける時の御女にて。大友天皇も皇子におはしましける時。夫人に娶給ひて。葛野(ノ)皇子を生し給ひけり。【此皇子の薨給へる時の齢によりて考るに。御父天皇の十四の御時に誕れたまへり。】然るに大友天皇御世を嗣給ひて。明る壬申の年の大事の萠けるころ。密に御書をもて。吉野(ノ)宮に告し給ふ事あける。此事は扶桑略記に云。世(ニ)傳(テ)云。大友皇子之妃。是天武天皇女也。故竊以2謀事1。隱通2消息1也。と記せり。水鑑愚管抄等にも。其由見えたり。宇治拾遺物語には。父のころされ給はむ事をかなしみ給ひて。いかでこの事つげ申さむとおぼしけれど。すべきやうなかりけるに。思ひわび給ひて。鮒のつゝみやきのありける腹に。ちひさくふみをかきて。押入(レ)て奉り給へり。と云り。此下にいへることゞもは。いと謬れる説ながら。件の説は實なるべし。近江の湖には。殊れて大なる鮒あるところなれば。事のさまもかなひて聞ゆ。新撰六帖に。鮒を題にて。藤原家良公の。いにしへはいともかしこし堅田鮒。裹燒なる中のたまづさ。とよみ給へるは。くだりの古事にそへ給へりときこえたり。かくて(3614)大友天皇。吉野方の軍に堪させ給はで。御みづから崩り給ひけるに。妃としも坐ける十市皇女は。いかにしてかは。遁(ゲ)出給ひたりけん。つひに御父天皇の御許になん。いたりておはしましける。【天璽の神寶は。此時皇女の執り齎出て奉られたりけん。】然るは。父のみことには。孝《マメ》なる御こゝろおきてなるべかめれど。天皇にて御夫にさへおはし坐御事には。いとも忠貞《マメ》ならぬ御行になんおはしましける。と云れたり。さて此皇女。七年紀夏四月薨給ふよし見ゆ。なほそこに云事あり。
 
 
次|納《メシテ》2※[匈/月]形(ノ)君|徳善《トクゼガ》女尼子娘(ヲ)1。生2高市(ノ)皇子(ノ)命1。次(ニ)完人(ノ)臣大麻呂(ガ)女|※[木+疑]《カヂ》媛娘。生2二男二女(ヲ)1。其一(ヲ)曰2忍壁皇子1。其二曰2磯城《シキ》皇子1。其三(ヲ)曰2泊瀬部(ノ)皇女1。其四(ヲ)曰2託基《タキノ》皇女1。乙酉。有2勲功《イサヲシ》1人等(ニ)。賜(コト)v爵有v差。
 
 
[匈/月]形君徳善。本に※[匈/月]を凶月(ノ)二字に誤れり。今諸本に據て訂せり。※[匈/月]形君既に出。重胤云。此氏外戚の威に依れりと見えて。十三年紀十一月戊申朔。※[匈/月]方君賜v姓曰2朝臣1。とありて。八色の姓の第二に登させたまへり。式に大和國城上郡宗像神社三坐とある御社に。仕奉るに就て。已く筑前より分れたりしものと見えたり。姓氏録左京皇別。高階眞人。出v自2謚天武皇子淨廣壹太政大臣高市王1也。とある其外戚は。※[匈/月]形君徳善なり。然るを三代實録元慶五年十月。大和國城上郡。從一位勲八等宗像神社。准2筑前國本社1。置2神主1。以2高階眞人氏人1爲v之。と有を考べし。と云り〇尼子娘。尼子地名か。詳ならず○高(3615)市皇子命。持統紀四年。太政大臣。六年増2封二千戸1。七年淨大壹。十年七月後皇子尊薨。とあり。此皇子も儲位に坐しければ。後皇子尊と稱して。前の皇子草壁に對へ稱せるなり。さればこゝも尊とあるべきに。命と書るは。信友説あり。持統紀に出す○宍人臣。崇峻紀に出○※[木+疑]媛娘。本に※[木+疑]を擬に作れり。【考本に※[楫+戈]に作れり。されどなほ※[木+疑]なるべし。本の傍に。※[掉+攴]とあるは何(レ)の字の誤にや知がたし。】字書に※[木+疑](ハ)木名とあり。【雄略紀には。※[木+疑]をフキと訓り。】また類史諸本に※[木+穀]に作れり。【或は穀にも。或は擬にも作れり。】按に横※[木+穀]穀に木篇を加へたる字なるべし。名義は木名に依れるか。地名とは通えず○忍壁皇子。姓に依れるか。又地名に依れるか。【倭名抄。攝津國有馬郡忍壁於之加倍。】さて此御名。續紀には刑部。萬葉には忍坂部とあり。續紀。大寶三年正月壬午。詔三品刑部親王知太政官事。慶雲二年五月。三品忍壁親王薨。天皇第九皇子也。とあり。此皇子の裔に。清瀧氏。御高氏などあり。史に見えたり○磯城皇子。乳母の姓に據れるか。續紀慶雲元年正月。四品志紀親王益卦百戸。又和銅元年正月。授2四品志貴現王三品1。などありて。天智皇子に同名の親王ましませば。いとまぎらはし。【文字も互に書通はしたり。】姓氏録左京皇別。三園眞人。出v自2天武皇子淨廣|壹《貮イ》磯城王之後1也。【拾芥抄不v載】笠原眞人。三園眞人同祖。とあり。また三代實録貞觀四年五月。正六位上坂井王。賜2姓清春眞人1。磯城親王五代之孫也。ともあり。萬葉集二。靈龜元年歳次乙卯秋九月。志貴親王薨時作歌。とあり。此親王は天皇の皇子なるべし。【此事は續紀に。いかにして洩しけむ。】さて續紀に。其翌年靈龜二年八月甲寅。二品志貴親王薨云々。親王天智天皇第七之皇子也。とあるは。正しく天智の皇子とあれば。まがひなし。さて萬葉の歌に依れば。此磯城皇子は。添上郡高圓山の近き傍に住坐りしなり○泊(3616)瀬部皇女。乳母の姓によれる御名か。又長谷部とも書り。續紀。靈龜元年正月。長谷部内親王益2封一百戸1。天平十三年三月。三品長谷部内親王薨。とあり。萬葉二に。或本曰。葬2河島皇子(ヲ)越智野(ニ)1之時。献2泊瀬部皇女1歌とて。人麻呂朝臣の詠るに據るに。此皇女は。河島皇子【天智天皇】の御妻にてまし坐けり。【然るに本文に。此歌を柿本朝臣人麻呂献2泊瀬部皇女忍坂部皇子1歌とあるは。誤なり。或本曰とある方正しきなり。】○託基皇女。託基又多紀。當耆に作る。地名に據れるか。大和志吉野郡宇智郡瀧村あり。續紀。文武二年九月。遣2當耆皇女1侍2于伊勢齋宮1。天平勝寶三年正月。一品多紀内親王薨。とあり。【皇胤紹運録に。紀皇女を多紀皇女と爲るは誤なり。】○天皇の御子等の數。扶桑略記に。王子男十人女十人とあり。こゝと合はず○乙酉。二十九日なり。
 
 
三月丙戌朔壬寅。備後(ノ)國(ノ)司。獲(テ)2白雉(ヲ)於|龜石《カメシノ》郡(ニ)1而貢。乃當郡(ノ)課※[人偏+殳]《エツキ》悉(ニ)免。仍(テ)大2赦天下(ニ)1。是月聚(テ)2書生(ヲ)1。始(テ)寫2一切經(ヲ)於川原寺(ニ)1。
 
 
壬寅。十七日なり○龜石郡。倭名抄神石郡加女志○而貢。扶桑略記に。朱雀二年三月。備後國進2白雉1。仍改爲2白鳳元年1。白鳳合至2十四年1。とある即ち是なり。水鏡編年記亦同じ。【皇年代略記。皇代記。紹運録に。此年を以。白鳳二年と爲したるは誤なり。】○課役。賦役令に。損2八分以上1。課役倶免。義解謂。課者調及副物田租之類也。※[人偏+殳]者庸及雜徭之類。とあり○書生。釋秘訓にテカキとあり。學令に。凡書學生以2寫書上中以上者1聽v貢。義解謂。其書生。唯以2筆迹巧秀1爲v宗。不d以v習2解字樣1爲uv業。與2唐法1異也。とあり。推古紀十年|書生《フムヒト》とあるは。即學(3617)生にして。此の書生とは異なり〇一切經。三代實録に。一切經三千四百三十二卷。大乘經二千二百十四卷。大乘律五十卷。小乘律五百三十卷。とあり。【中臣本書入に。支那藏經自2唐玄宗1始。天武四年當2高宗時1。とあり。】○川原寺。高市郡川原村にあり。一名弘福寺。元亨釋書に。天武皇帝二年。勅2於川原寺1。寫2大藏經1。沙門智藏督v役。故任2僧正1。扶桑略記に。智藏任2僧正1。呉學生福領僧正在俗時子也。などあり。
 
 
夏四月丙辰朔己巳(ニ)。欲v遣《シメント》v侍《ハベラ》2大來皇女(ヲ)于天照大神(ノ)宮(ニ)1。而(テ)令v居2泊瀬(ノ)齋宮(ニ)1。是(ハ)先|潔《サヤメテ》v身(ヲ)稍近2神之所(ニ)1也。
 
 
己巳。十四日なり○欲遣侍云々天照大神宮。年中行事秘抄に。天武天皇白鳳元年四月十四日。以2大來皇女1。献2伊勢神宮1。依2合戰願1也。とあり。【略記も同じ。】此より前(キ)。舒明天皇の御世より五代。齋宮を奉られざりけるを。再もて興して。然皇女を奉り給へるは。今度の神助の御報賽《ミカヘリマヲシ》なりけり。また四年二月丁亥。十市皇女阿閇皇女。參2赴於伊勢神宮1。とも見えたり○泊瀬齋宮。大和志に。城上郡泊瀬齋宮。古蹟在2泊瀬氣波比坂下1。とあり。これ後世野宮の權輿なり。齋宮式云。凡天皇即位者。定2伊勢大神宮齋王1云々。凡齋内親王定畢。即卜2宮城内便所1。爲2初齋院1。祓禊而入。至2于明年七月1。齋2於此院1。更卜2城外淨野1。造2野宮1畢。八月上旬卜2定吉日1。臨v河祓禊。即入2野宮1。自2遷入日1。亦至2明年八月1。齋2于此宮1。九月上旬卜2定吉日1。臨v河祓禊。參2入於伊勢1。とあり。此御代より祭式等嚴重に定給ひしなるべし。
 
 
(3618)五月乙酉朔(ニ)。詔2公卿大夫。及諸臣連。并(テ)伴造等(ニ)1曰。夫初(テ)出身《ミヤヅカヘセン》者(ヲバ)。先令v仕2大舍人(ニ)1。然後(ニ)選2簡(テ)其|才能《カトシシサヲ》1。以宛2當職《カナハムツカサニ》1。又婦女(ハ)者。無v問(コト)2有v夫森v夫及長幼(ヲ)1。欲2進仕1者(ヲバ)聽(セ)。其|考選《シナサダメカフリタマハンコト》准《ナズラヘヨ》2宮人《ミヤヒト・ツカサアルヒト》之|例《アトニ》1。発丑。大錦上坂本(ノ)財(ノ)臣|卒《ミマカリヌ》。由2壬申年之勞(ニ)1。贈《オヒテタマフ》2小紫位1。
 
 
五月の上。本に夏字あるは衍なり。今集解に因て削る○初出身者。通證云。詳見2選叙令1。唐詩(ニ)出身仕v漢羽林郎。【仕官を宮仕と云は。萬葉一に。大宮仕。伊勢物語に。宮仕のはじめなどあり。さて其より移りては。直人に仕ふるをも。みやづかへとは云なり。】○大舍人。雄略紀に見えたり。令義解に。謂2大舍人1。是供奉之人(ナリ)云々。職原抄に。掌2宮中驅使(ノ)事1。などあり○簡其材能。本に其字なし。今中臣本京極本に據て補○當職。通證に。謂d適2當其才1之官職u也。と云るが如し○無夫。本に夫を吏に誤れり。中臣本考本に據る〇欲進仕者聽矣。後宮職員令云。凡諸氏々別貢v女。皆限2年三十以下。十三以上1。雖v非2氏名1。欲2自進仕1者聽。義解謂。氏別貢2一人1之外。別欲2進仕1也。とあり○考選は。品定なり。品は位階の上下を。上つ品下つ品など云へれば。其を定むるなり。考課令義解謂。考者考2校功過1也。選叙令義解謂。選者選擇。言選v才授v官也。とあり〇准宮人之例。本に宮人をツカサアルヒトと訓るは。官人と書る本もありしなるべし。きれどこゝはなほ宮人なり。後宮職員令に。宮人。義解謂。婦人仕官者之惣號也云々。右諸司掌以上。皆爲2職事1。自餘爲2散事1。各毎2半月1。給2休暇1三日。其考叙法式。(3619)一准2長上之例1。【謂考者考課之年限。叙者選叙之階級。既稱。准2長上之例1。明可v與2公勤不v怠。職事無v缺之最1也。】東宮(ノ)宮人。及嬪以上女竪准v此。【謂宮人女竪。不v制2員數1者。依v式處分。其宮人考課者。春宮大夫掌v之。女竪者。宮内省掌v之。嬪以上家事隷2宮内省1故也。】とありて。こゝも婦女の進仕を詔給へる條なればなり。【然るに。大日本史に。官人と改めたるは。さる本もありしにや。又は訓に據て。しか改めしにや。おぼつかなし。】○癸丑は二十九日なり○坂本財臣卒。此人は上卷に。坂本臣財等。次2于平石野1云々。財等自2高安城1降。以渡2衛我河1。與2韓國1戰2于河西1。などあり○贈。續後紀八卷詔に。在v唐天。身罷太留判官藤原豐竝乎毛。哀愍賜比。追《オヒ》天冠位賜久度詔不。と見えたり。通證云。贈追賜也。紀原曰。兩漢逮v今。人臣有2追贈之制1。とあり。
 
 
閏六月乙酉朔庚寅。大錦下百濟沙宅昭明卒。爲v人聰明《トク》叡智《サトクテ》。時(ニ)稱《イハル》2秀才《スグレヒデタルカドヽ・ヒトカド》1。於是天皇驚(テ)之。降v恩(ヲ)以(テ)贈2外《トノ》小紫(ノ)位(ヲ)1。重(テ)賜2本(ツ)國(ノ)大佐平位1。壬辰。耽羅遣(テ)2王子久麻藝。都羅。字麻等(ヲ)1。朝貢。己亥。新羅遣(テ)2韓阿※[にすい+倉]金承元。阿※[にすい+倉]金祇山。大舍霜雪等(ヲ)1。賀《ヨロコブ》2騰極《ヒツギノコトヲ》1。并(テ)遣(テ)2一吉※[にすい+倉]金薩|儒《ス》。韓奈|末《マ》金池山等(ヲ)1。吊2先皇喪1。【一云調使】其送使貴于寶。眞毛。送2承元薩儒於筑紫(ニ)1。戊申。饗2貴于寶等(ニ)於筑紫(ニ)1。賜v禄各有v差。即從2筑紫1返2于國(ニ)1。
 
 
庚寅は六日なり○沙宅昭明。天智紀に見えたり。天智紀。懷風藻。昭を紹に作る○秀才。ヒトカドは人(3620)才の義なり。才を古くカドと云り○外小紫位。外位の事は。元年内小七位とある下に云り。内位は尋常の位を云。外位はそれに對ひて級劣れり。通證云。文武紀大寶元年。外位始2直冠正五位(ノ)上階1。終2進冠少初位下階1。合二十階。宜d與2上卷(ノ)内位1併考u。とあり。按に令には。四位以上には外位なし。當時の制とは異なり。さて紫位は。後の三位にあたれり。三代實録に。古之小紫位准2從三位1。とあり○大佐平位。東國通鑑に。百濟古爾王二十七年。置2六佐平之職1。並一品。とあり。佐平の事は。既に齊明紀に出。彼國の大臣の位にあたれり○壬辰。八日なり○久麻藝。都羅。宇麻。通證云。三王子之名。釋爲2一人1。恐不v是。と云るが如し。久麻藝。天智紀及下文四年紀に見えたり○己亥。十五日なり○韓阿※[にすい+食]。本に阿を河に誤る。今中臣本考本に據る。通證に。疑是大阿※[にすい+食]。見2東國通鑑1。と云へれど。按に通鑑に。六日阿※[にすい+食]。【六等なり】五曰大阿※[にすい+食]。【五等なり】とありて。一階異なり。韓と云るは。奈麻を韓奈麻と云が如し。通證の説は非なるべし○大舍は。通鑑に。十二曰大舍とあり○賀騰極。去年八月より。天皇踐祚し給ひし。其御賀使なり。然るに信友云。此賀2騰極1使は。大友天皇の御位を賀奉り。弔2先皇喪1とは。天智天皇の崩給へるを。弔奉れるなり。然れば大友天皇の諱事ありて。天武天皇の御世知食れつるは。書紀の元年壬申の。七月末よりの事なれば。其頃はさらなり。明る二年の春の頃などは。いまだ韓國へ告《シ》らせ給ふべき。御世のさまにあらざれば。六月に。新羅の賀使弔喪使の。參渡り來べきにあらず。實は大友天皇に奉れる使なりけるを。天武天皇の代りて。騰極の賀を受給ひ。弔喪使をば召されざりつるな(3621)り。故殊さらに。天皇新平2天下1。初之即v位。と辭《ミコト》善けに詔まひ。また除2賀使1以外不v召。則汝等所v見。と詔ひつけ給へるものなる事著し。此をおもひわくべきなり。と云れたるはいかゞ。去年八月に御世治しめして。年號を立給ひ。飛鳥淨御原宮に遷都し給ひて。其十一月に。新羅客を筑紫に饗し。十二月に船を賜ひて。其年のうちに。客等罷歸るとあるものを。明る二年の春の頃などは。いまだ韓國へ告《シ》らせ給ふべき御世のさまにあらざればとは。何事ぞ。また六月に。新羅の賀使弔喪使の參渡り來べきにあらず。實は大友天皇に奉れる使なりけるを。天武天皇の代りて。騰極の賀を受給ひしなど。推測の私言なり。朝廷の御上に。さる曖昧なることありなんや。つとめて此御代の史を貶さむと思ふ非心から。かゝる強言も云はるゝなり〇一吉※[にすい+食]。通鑑に。七日一吉※[にすい+食]○韓奈末。本に末を未に誤る。今中臣本に依る。續紀に韓奈麻とあり。通鑑に。十日大奈麻○【注】一曰調使。本に使を訣に誤る。今正せり○貴于寶。眞毛。釋云。二人名○戊申。二十四日なり○大日本史に。秋七月始置2不破關1。【一代要記。帝王編年記。】とあり。
 
 
秋八月甲申朔壬辰。詔d在2伊賀國(ニ)1。紀臣阿閇麻呂等(ガ)。壬申(ノ)年(ノ)勞勲之状《イタハリイサヲシサヲ》u。而顯(ニ)寵賞。癸卯。高麗遣2上部位頭大兄邯子。前部大兄碩于等(ヲ)1。朝貢。仍(テ)新羅遣(テ)2韓奈末金利益(ヲ)1。送2高麗(ノ)使人(ヲ)于筑紫(ニ)1。戊申。喚(ス)2賀騰極使金承元等(ガ)。中(ツ)(3622)客以上二十七人(ヲ)於京(ニ)1。因(テ)命(テ)2大宰(ニ)1。詔(テ)2耽羅(ノ)使人(ニ)1曰。天皇新(ニ)平(ケテ)2天下(ヲ)1。初(テ)之即位《アマツヒツギシロシメス》。由v是(ニ)。唯|除《オキテ》2賀使(ヲ)1。以外(ハ)不v召。則汝等(ノ)親所(ナリ)v見。亦時寒波|嶮《タカシ》。久|淹留《トヾメタラバ》之。還(テ)爲《ナシテン》2汝(ガ)愁(ヲ)1。故宜2疾|歸《マカリカヘル》1。仍在v國(ニ)王。及使者久麻藝等。肇(テ)賜2欝位(ヲ)1。其爵者大乙上。更(ニ)以(テ)2錦繍《ニシキヌヒモノヲ》1。潤飾《カザリテ》之。當2其國之佐平(ノ)位(ニ)1。則自2筑紫1返(ツ)之。
 
 
壬辰。九日なり○伊賀國紀臣阿閇麻呂。本に麻呂(ノ)二字を。臣の二字に作る。今京極本考本に據る。上卷に。七月二日【辛卯】天皇遣2紀臣阿閇廠呂1云々。率2數百衆1。自2伊勢大山1。越之向v倭。とあり。また東道將軍紀臣阿閇麻呂とあれども。伊賀國に在しことを載せず。此人は紀大人臣の子にて。當時伊賀國阿閇郡に。故有て住居しにやあらむ。さて阿閇麻呂とは稱せしにや○癸卯。二十日なり○上部位頭大兄邯子。高麗十二等の中に。第一等を太大兄と云。次を大兄。次を小兄と云ること。隋書八十一高麗傳に見えたり。かゝれば太大兄大兄は。第一二等の官なる故に。位頭大兄と云るなり。さて通證に。邯子校本寒師とあり。中臣本にも寒に作れり○碩于。活字本に于を作v干(ニ)。考云。舊訓コンカンと云假名もあり。然らば欣干と書てあるべし。と云り○朝貢。集解に。按東國通鑑。唐咸享四年夏閏五月。唐總管大稱軍李〓行。破2高勾麗餘衆於瓠瀘河1。俘獲數干人。此年當2天皇二年1。猶有2高麗餘衆1可v知也。とあり○戊申。二十五日なり○大宰は。太宰府なり○耽羅は。信友云。新羅の誤なるべし。耽羅は新羅の屬國(3623)なれば。本のまゝにては通えがたし。と云り。今按に。これはなほ耽羅の事として見べし。次にいふ○在國王。此には疑あり。もしくは王(ノ)下。子字を脱するか。次に云○大乙上は。第十九階なり。後の六位に當る○以錦繍潤飾之は。冠を潤飾れるなり。繍解云。按大乙上第六位也。黒冠。【武郷云。大乙上下小乙上下は。大小黒冠にあたるがか故に。かく云なり。】以2車形錦1。裁2冠之縁1。言2錦繍潤飾1者是也。と云り○當其國之佐平位。通證云。言大乙上當2佐平位1也。然以2此爵1。賜2其在v國之王1者。未v審。必是唯言d賜使者1之爵u也。或有2脱誤1歟。と云り。さることなり。故按に。國王とあるは國王(ノ)子ならんかと上に云り。なほ考べし。さて佐平位は。百濟國のなるを。今耽羅國の使人に賜ひしを思へば。耽羅も百濟も。爵は同制なりしを知べし。【さて此に佐平位といひ。次に自2筑紫1返とあるにて。新羅使にはあらぬ事知べし。新羅と耽羅とは。爵位同じからず。また新羅客は。京に喚ずと云るを。自2筑紫1返とあるにて。信友の耽羅を新羅の訛なりと云れし説の。非なるを知べし。】
 
 
九月癸丑朔庚辰。饗2金承元等(ニ)於難波(ニ)1。奏《オコス》2種々(ノ)樂《ウタマヒヲ》1。賜(コト)v物各有v差。冬十一月壬子朔。金承元罷歸之。壬申。饗2高麗邯子。新羅薩儒等(ヲ)於筑紫(ノ)大郡(ニ)1。賜v禄各有v差。十二月壬午朔丙戌。侍2奉|大甞《オホニヘニ》1。中臣忌部及神官(ノ)人等。并(テ)播磨丹波二國郡司。亦以下(ノ)人夫《オホミタカラ》等(ニ)。悉(ニ)賜v禄。因(テ)郡司等(ニ)。各賜2爵一級1。戊戌以(テ)2小紫美濃王。小錦下紀臣※[言+可]多麻呂(ヲ)1。拜(ス)d造2高市(ノ)大寺(ヲ)1司(ニ)u。【今(ノ)大官《オホツカサノ》大寺是。】時(ニ)知(3624)事福林(ノ)僧。由(テ)v老(ニ)辭《サル》2知事(ヲ)1。然不v聽焉。戊申。以(テ)2義|成《シヤウ》僧(ヲ)1。爲2小僧都1。是日更(ニ)加2佐官(ノ)二(ノ)僧1。其有(コト)2四(ノ)佐官1。始(テ)起2于此時(ニ)1也。是年也。太歳癸酉。
 
 
庚辰は二十八日なり○壬申は晦日なり○筑紫大郡。考本に大を小とあり。又同本一に大野ともあり。筑紫大郡詳ならず。通證云。疑(ハ)大同中置2大宰府1之所。持統紀(ニ)筑紫小郡。とあり。なほ考べし。大野とあるによらば。筑前三笠郡にあり。天智紀に詳なり。續紀文武帝二年五月。令3大宰府繕2治大野基肆鞠智三城1。とあり○丙戌。五日なり〇侍奉大甞。扶桑略記に。十一月大甞會。丹波播磨。供2奉其事1。とあり。皇年代私記に。白鳳二年癸酉十一月丁卯大甞。丁卯十六日也。とあり。さて大甞は神祇令に。凡大甞者毎世一度とありて。こゝなるは大祀の大甞なり○神官人等。秘閣本に。官を宮に作るは誤なり。神官は。倭名抄神祇官加美豆加佐とある。これなり〇二國郡司。所謂悠紀主其の國郡の郡司なり。大甞式に。其年預令2所司1。卜2定悠紀主基國郡1。とあり。なほ悠紀主基の事下に云ふ○戊戌。十七日なり○紀臣※[言+可]多麻呂。傳しられず。下には堅麻呂とあり○高市大寺司。【注】今大官大寺是。本に官を宮に作るは誤なり。今秘閣本中臣本考本等に據る。大和志云。高市郡廢大官大寺。在2小山村東1。礎石尚存。と云り。大安寺縁起に。飛鳥淨御原(ノ)宮御宇天皇二年。歳次癸酉。十二月壬午朔戊戌。造寺司小紫冠御野王。小錦下紀臣※[言+可]多麻呂二人任賜。自2百濟地1始。院寺家入2賜七百戸封。九百三十二町墾田地。卅萬束論定出擧稻1。六年歳次(3625)丁丑。九月庚申朔丙寅。改2高市大寺1。號2大官大寺1。三代實録に。百濟大寺。子部大神在2寺近近側1。含v怨屡燒2堂塔1。天皇遷2立高市郡1。號曰2高市大官寺1。施2封七百戸1。聖武天皇降v詔。遷2造平城1號2大安寺1。【東齋隨筆に。大安寺。天平元年。道慈律師因2先帝遺詔1。造2立之1。移2唐四明寺結構1。摸造之。】などあり。なほ舒明紀に詳かなり。大官と云るは。官にて治め給ふよしなり。然るに集解に。大宮とあるに據て。大宮謂2百濟大宮1。以d與2大宮1同uv地。故有2此稱1。と云るは。甚しき非なり○知事は。字の如し。知太政官事など。准知べし。通證云。代醉編曰。梵云2鞨麼陀1。此(ニハ)云2知事僧1。※[土+盖]嚢抄曰。都維那。翻云2寺護1。又云2知事1。とあり○戊申。二十七日なり○小僧都。考本に小を少とあり。さて小僧都始て出。僧官雜例集と云書に。此下に以2道光1爲2律師1。とあり。此には漏たるなるべし○佐官二僧。令義解に。佐官謂2僧綱之録事1也。とあり。【寺の祐筆なり】朱鳥元年紀に。大官大寺知事佐官とあり。これまで佐官二人なりしを。此時より更に二僧を加へしとなり。【然るに僧官雜例に引るには。任官二僧とあり。(下なるも同じ)これはよろしからず。】○有四佐官。通證に。就2高市大寺1而言。とあるが如し。此寺に限りて。四人の佐官ありとなり○太歳癸酉。年代記を考るに。當(レリ)2唐高宗咸亨四年1。
 
 
三年春正月辛亥朔庚申。百濟王昌成|薨《ミウセヌ》。賜2此《コヽノ》小紫位1。二月辛巳朔戊申。紀臣阿閇麻呂卒。天皇大悲之。以v勞(ヲ)2王申年之※[人偏+殳](ニ)1。賜2大柴位1。
 
 
庚申。十日なり〇百濟王昌成は。義慈王の孫。禅廣の子なり。續紀天平神護二年六月。刑部卿從三位百(3626)濟王敬福薨。其先出v自2百濟國義慈王1。高市岡本宮馭宇天皇御世。義慈王遣2其子豐璋王及禅廣王1入侍。※[さんずい+自]2于後岡本朝廷1。義慈王兵敗降v唐。其臣佐平福信。尅2復社稷1。遠迎2豐璋1。紹2興絶統1。豐璋簒v基之後。以v譖横殺2福信1。唐兵聞之。攻2州柔1。豐璋與2我救兵1拒之。救軍不v利。豐璋駕v船。遁2于高麗1。禅廣因不v歸v國。藤原朝廷賜v號曰2百濟王1。卒賜2正廣參1。子百濟王昌成。幼年隨v父歸朝。先v父而卒。飛鳥淨御原御世贈2小紫1。子良虞云々。とあり。敬福は其子なり〇此小紫位。通證云。此者此間也。以2百濟王1故曰v此。或曰。此當v作v外。と云り。或人云。百濟王系譜に。此を外に作れりと云り。此系譜と云もの。己(レ)未見ず。まことにさる書あらば。其字に從ふべし○戊申。二十八日なり○賜大紫位は。賜は贈の誤なるべし。
 
 
三月庚戌朔丙辰。對馬國司守忍海造大國言。銀始(テ)出2于|當《コノ》國1。即貢上。由(テ)v是(ニ)大國授2小錦下位1。凡銀(ノ)在(コトハ)2倭(ノ)國(ニ)1。初(テ)出2于此時(ニ)1。故悉(ニ)奉2諸(ノ)神祇(ニ)1。亦同(ジク)賜2小錦以上(ノ)大夫等(ニ)1。
 
 
丙辰。七日なり○忍海造。神功紀天智紀に見ゆ○銀始出于當國。三代實録十一。貞觀七年八月。太宰府言。對馬島銀穴。在2下縣郡1。自2高山底1。穿2鑿巖1。堀入四十許丈。白晝執v炬而得v入云々。朝野群載に引。對馬貢銀記に。島中珍貨充溢。白銀鉛錫。眞珠金漆之類。長爲2朝貢1。其採銀之地。極以險難。多年穿墳中漸(3627)深。自v口入v底。二三許里。日月之光。不v得v照v之。三人連v手。以爲2一番1云々。などあり。神名式。對馬島下縣郡銀山上神社。銀山神社。【或人云。銀山上神社は。今ギンサンシヤウと音讀すれども。シロカネヤマカミの神社とよむ。古かるべし。舊號大調神社にて。續紀承和四年二月五日。無位大調神に從五位下を授く。とあるは此なり。これ白鳳中。對馬より白銀出でたる時の創建なりと云ふ。と云り。】○銀在。本に在を有に作る。今考本に據る○亦同。中臣本同を周に作る。
 
 
秋八月戊寅朔庚辰。遣(テ)2忍壁皇子(ヲ)於石上(ノ)神宮(ニ)1。以(テ)2膏油(ヲ)1瑩2神寶(ヲ)1。即日勅(テ)曰。元來《ハジメ》諸(ノ)家(ノ)貯2於|神府《ホクラニ》1寶物。今皆還2其子孫1。冬十月丁丑朔乙酉。大來皇女。自2泊瀬(ノ)齋(ノ)宮1。向《マイツ》2伊勢(ノ)神宮(ニ)1。
 
 
庚辰。三日なり○膏油。令義解。謂脂爲v膏。自餘爲v油。延喜兵庫式に。猪膏五合。瑩v刀料。胡麻油一合。洗刷料。などあり○瑩神寶。垂仁紀に見ゆ○即日。本に日を日に誤る。今考本集解に依る○今皆。本に今を令に作る。今中臣本に依る○乙酉。九日なり○大來皇女。本に皇女を皇子に訛る。今中臣本集解類史等に依る○向伊勢神宮。齋宮式に。凡齋(ノ)内親王。在v京潔齋三年。即毎2朔日1。著2木綿※[髷の曲を昆]1。參2入齋殿1。遙2拜太神1云々。斎終之後。乃向2伊勢太神宮1。とあるは。此御代の泊瀬齋宮の例にならへるものなるべし。
 
 
四年春正月丙午朔。大學寮《オホツカサノ》諸(ノ)學生《フムヤワラハ》。陰陽(ノ)寮。外藥《トノクスリノ》寮。及舍衛(ノ)女。墮羅(ノ)女。百(3628)濟王善光。新羅(ノ)仕丁等。捧(テ)2藥及珍異等物(ヲ)1進。丁未。皇子以下。百寮(ノ)諸人拜v朝。戊申。百寮(ノ)諸人。勅使以上進v薪。庚戌。姶興2占星《ホシミ》臺1。壬子。賜宴群臣於朝廷1。壬戌。公卿大夫及百寮(ノ)諸人。初位以上。射《イクフ》2于西(ノ)門(ノ)庭(ニ)1。亦是日。大倭國貢2瑞《アヤシキ》鷄(ヲ)1。東國貢2白鷹(ヲ)1。近江國貢2白|鵄《トビ》1。戊辰。幸2幣《ミテグラヲ》諸(ノ)社(ニ)1。
 
 
大學寮。オホツカサとあれども。舊本の訓にフムヤとあり。【官位令の訓にもしかみえ。日中行事釋奠條にも。ふむやのつかさとあり。】學生を。フムヤワラハ。またフムワラハと【推古紀にも】あれば。其方宜し。職員令。大學寮頭一人。掌d簡2試學生1。及釋奠事u。學生四百人。掌v分2受經業1。とあり○陰陽寮。倭名抄於牟夜宇乃豆加佐とあり。舊訓にウラノ寮とよめるもみえたり○外藥寮。職員令に。典藥寮頭一人。掌2諸藥物疾病。及藥園事1。とあるこれなり。集解云。按中務省所管。有2内藥司1。對v内稱v外也。此時制。謂2典薬寮1。爲2外藥寮1。可v知也。と云れたるが如し○舍衞女。孝徳紀に見ゆ○墮羅女。耽羅に同じ。齊明紀に出○百濟王善光。本に光を先に誤。今秘閣本中臣本考本類史等。及前紀に據る。即禅廣王なり。天智紀に出○捧藥。通證云。延喜式(ニ)元日献2屠蘇酒1。尚藥執2御盞1。率2女孺1昇殿。令2藥(ノ)司(ノ)童女(ニ)先甞1。然後供御。次(ニ)白散。度※[山+章]散。三朝而畢。公事根源曰。御藥儀式。始2于弘仁中1。今按當d以2此紀1爲uv始也。延暦儀式帳曰。朔日白散(ノ)御酒供奉。代醉編曰。唐(ノ)孫思※[しんにょう+貌]。有2屠蘇酒方1。蓋取2菴名1。以名v酒。後人遂以2屠蘇1爲2酒名1矣。蓋眞人之撰2千金方1。在2此前年1。とあり。(3629)年中行事歌合に。供2屠蘇白散1。春ことに今日なめそむる藥子は。わかえつゝ見ん君がためとか○丁未。二日なり○戊申。三日なり○進薪。私記に薪美加末伎と訓り。雜令に。凡文武官人。毎年正月十五月。並進v薪。長七尺。以2二十株1爲2一擔1。又云。凡進v薪之日。辨官及式部兵部宮内者。共※[手偏+驗の旁]※[手偏+交]貯2納主殿寮1。江次第に。年中所用御薪。諸司並五畿内國司供進。見2主殿寮1。儀式帳に。十五日禰宜内人等。御竈木六十荷奉進。などあり。按に進りし日は。古今沿革あり。【禮記(ノ)月令曰。季冬命2四監1。收2秩《ツネノ》薪柴1。以2郊廟及百祀之薪燎1。とあり。】年中行事歌合。御薪。もゝしきの百の官のみかま木に。民のかまどもにぎはひにけり○庚戌。五日なり○占星臺。唐書百官志に。司天臺。掌d察2天文1。稽c天文歴數u。凡日月星辰風雲氣色之異。率2其屬1占。とあり。按に後に天文臺と云る。即此占星臺におなじ○壬子。七日なり○賜宴群臣。類史。大同二年正月戊子。曲宴。賜2五位已上衣被1。文徳實録。齊衡四年正月乙丑。禁中有2曲宴1。預v之者。不v過2公卿近侍數十人1。昔者上月之中。必有2此事1。時謂2之子日態1也。今日之宴脩2舊迹1也云々。公事根源に。子日遊。是はむかし人々野べに出て。子日するとて。松を引けるなり。朱雀院圓融院三條院などの御時にも。此御遊は有けるにや。とあれど。此曲宴そ子日の始なるべき○壬戌。十七日なり○射于西門庭。正月射禮。孝徳紀九年正月に行はれたる。これ始なり。次に天智紀九年正月十七日に。正しく大射(ノ)字見えたり。公事根源に。正月射禮を。十七日と記せるは。此御世の此事を例とせしにや○白鷹。倭名抄羽族部。鷹。廣雅云。一歳名2之黄鷹1。二歳名2之撫鷹1。三歳名2之青鷹白鷹1。【今按俗説鷹白者不v論2雌雄1。皆名2之良太賀1。】○戊辰。二十三日なり○奉幣諸社。本(3630)に奉を祭に作る。今京極本に據る。通證云。据2公事根源1。則是祈年穀。二十二社奉幣之濫觴也。官史記曰。天武天皇四年二月甲申。祈年祭。延喜式有2祝詞1。とあり。〔祈年祭と。祈年穀とは。事は異なれども。其本は同じ。故公事根源に。祈年祭四日の下に。是は太神宮以下。三千一百三十二座の神を。まつらせ拾ふ。其處のたしかならざるもあり。國々におの/\幣をつけらる。諸國にも。年こひの祭をば行ふなり云々。天武天皇四年二月に。はじめて此祭あり云々。また祈年穀奉幣の下に。是は二月七月二たびあり。よき日して奉らる。二十二社なり云々。天武天皇四年正月。諸杜に幣を奉らる。とあり。年祈の御祷の爲なることは。いづれもおなじ。】年中行事歌合も。右に同じ状を記せれど。本紀二月條に。其事見えず。もしくは此二月の文を。祈年祭なりと誤れるか。今按。年中行事秘抄。祈年祭條に。官史記云とて。右の説を出されたり。公事根源年中行事歌合は。是れによれりと見えたり。今宮史記と云書なし。惜むべし。祈年祭の事は。北山抄二月四日祈年祭條に見えたり。
 
 
二月乙亥朔癸未。勅2大倭河内攝津山背播磨淡路丹波但馬近江若狹伊勢美濃尾張等(ノ)國(ニ)1曰。選(テ)2所部《クニノウチノ》百姓之能|歌《ウタウタフ》男女。及|侏儒《ヒキト》伎人《ワザトヲ》1。而貢上。丁亥。十市皇女。阿閇皇女。參2赴《マヰデマス》於伊勢(ノ)神宮(ニ)1。己丑詔曰。甲子年。諸氏被給部曲者《ウヂウヂニタマフカキノタミハ》。自今以後|除《ヤメヨ》之。又|親王《ミコ》諸(ノ)王及諸(ノ)臣。并(テ)諸(ノ)寺等(ニ)所v賜。山澤島浦。林野|陂池《イケ》。前(モ)後(モ)並(ニ)除焉。癸巳詔曰。群臣百寮及天下(ノ)人民。莫v作(コト)2諸(ノ)惡《アシキコトヲ》1。若有2犯者1。隨《マヽニ》v事(ノ)罪(ム)之。丁酉。天皇幸2於高安(ノ)城(ニ)1。
 
 
(3631)癸未。九日なり○淡路。本に淡を渉に誤る。今改む○能歌男女は。其|國曲《クニブリ》の風俗歌を。能く謠ふ男女なり。萬葉古今集等に。東歌部を立られたる。みな其國風なり。十四年紀に。九月詔曰。凡諸歌男歌女笛吹者。即傳2己子孫1。令v習2歌笛1。とあるに依れば。歌男歌女のみならず。歌笛もありて。古來傳習の歌笛を。世襲の業として。國々に多くありしなり○侏儒伎人は。俳優の態を侏儒に爲さしむる。これも上古よりの風俗にて。國々に傳習せしなり。さて今それらの人を貢上らしめ給ふは。此に見えたる十三國は。大甞會の由機主基の御卜に預る國等にて。かねて其國々の風俗を。聞食(シ)看行《ミソナ》はさむとなるべし○丁亥。十三日なり〇十市皇女。上に出。萬葉一に。十市皇女。參2赴於伊勢大神宮1時。見2波多横山(ノ)巖1。吹黄刀自作歌。河上乃《カハカミノ》。湯都磐村二《ユツイハムラニ》。草武左受《クサムサズ》。常丹毛冀名《ツネニモガモナ》。當處女※[者/火]手《トコヲトメニテ》。と詠るを見れば。此皇女の若きをとめにて。いとうつくしき御姿に坐けるを。よめるなりけり。但し阿閇皇女も。共に參り給ふなるを。この皇女のみを擧しは。よみ人の此皇女に仕奉る女なればにや。と考に云り○阿閇皇女も。天智紀に阿倍皇女とあり。即元明天皇にます○參赴。この皇女等を。神宮に參らせ給ふも。戰勝の御賽に依れるなるべし○己丑。十五日なり○甲子年は。天智天皇三年なり○諸氏被給部曲云々。天智紀三年。天皇命2大皇弟1。定2氏上民部家部等事1。とあり。こゝに部曲とあるは。即民部家部なり○除之。水戸本に。除上に皆字あり。さて今除給ふは。栗田寛云。彼時定め給へる部曲は。假初の事なれば。此御世に悉く收擧たりと見ゆ。と云れたるが如し。此時に至りて。始て郡縣の御|制度《サダメ》の御目途を。立給ひ(3632)しなり。【なほ天智紀併せ見るべし。】○親王諸王。親王の名目初てこゝに見えたり。記傳云。【この記傳の説は。中卷日子坐王の下の注なり。それを既く。此紀の彦坐王の下に引たる文のつゞきなり。されば彼是引合せて知べし。】親王と云ふ號は。漢國にて。隋唐の制なるを。取られたるなり。此號。天武紀四年の處に。始めて見えたれども。正《マサ》く其時始まれるさまには非ず。然れども。此御世に始まれることゝは思はるゝなり。さて此號は出來つれども。其をやがて御名の下に附《ツケ》て。某(ノ)親王と申すことは。彼(ノ)此世には未(ダ)有ざりしことゝ見えて。舍人(ノ)皇子。新田部皇子など。其餘もみな。書紀には。某(ノ)皇子とのみあり。續紀に至て。みな某(ノ)親王とは記されたり。さて親王を美古と申す故に。其(レ)に分て。諸王をば某(ノ)意富伎美と唱る定まりなれども。意富伎美と申す御稱は。天皇を始奉りて。親王諸王までにわたる御稱にて。まづ主《ムネ》とは。天皇を申すなれば。諸王に限りての稱の如くなれるは。當らぬことなり。又云。繼嗣令に。凡皇兄弟皇子皆爲2親王1。以外並爲2諸王1。自2親王1五世。雖v得2王名1。不v在2皇親之限1。選叙令に。凡蔭2皇親1者。親王(ノ)子從四位下。諸王(ノ)子從五位下。其五世王亦從五位下・子降2一階1。庶子又降2一階1云々。續紀六。靈龜元年九月詔に。皇親二世准2五位1。三世以下准2六位1。とあるは。蔭位をも賜はぬ以前《サキ》。もとよりの品を云なり。准(ノ)字にて知べし。同紀三。慶雲三年二月。制2七條1。其七に。准v令五世之王。雖v得2王名1。不v在2皇親之限1。今五世之王。雖v有2王名1。已絶2皇親之籍1。遂入2諸臣之例1。顧2念親v親之恩1。不v勝2絶籍之痛1。自今以後。五世之王。在2皇親之限1。其承v嫡者。相承爲v王。自餘如v令。とあり。【右に引る隋唐(ノ)制と云るは。貞觀政要(ノ)注(ニ)。唐因2隋制1。皇叔昆弟皇子爲2親王1。とあり。】右に云る如く。古は天皇の御子等を。惣て親王内親王と稱しを。後世に(3633)は。殊更に親王の宜旨ありて。親王と稱し。宣旨なきをば。諸王の列とす。なほ親王宣旨の式は。江次第十七に見えたり。さて諸王は。推古紀に大臣及諸王諸臣と見えたり。上代に諸王と稱しは。皇親を惣たる稱なりしを。後に天皇の御子等。兄弟姉妹を親王と稱し。自餘を諸王と申て。五代を限とし。或は六七世までも。王名を廢せざるもあり。右の繼嗣令に見えたるが如し。又文徳實録八にも。其事見えたり○癸巳。十九日なり○莫作諸惡。水戸本には。諸惡莫v作とあり○丁酉。二十三日なり。
 
 
是月新羅遣(テ)2王子忠元。大監級※[にすい+食]金此蘇。大監奈末金天冲。弟監大麻|朴武麻《モクムマ》。弟監|大舍《タサ》金洛水等(ヲ)1。進v調。其送使者末金風那。奈末金孝福。送2王子忠元(ヲ)於筑紫(ニ)1。
 
 
新羅。文武王十五年なり○大監。官號なり。東國通鑑。新羅眞平王五年條に。新羅始置2船府署1。大監弟監各一員。などあり○級※[にすい+食]は。級伐※[にすい+食]なり。第九に當る。級伐※[にすい+食]と云るを略て。彼國にても級※[にすい+食]と云り。東國通鑑に。級※[にすい+食]緋衣並牙笏とあり○金此蘇。釋紀秘訓に。此を比に作る。中臣本卜家本に。此蘇を比謨に作る○弟監。官號上に云り○大麻は。大奈麻の略稱なり。十等に當る○大舍は。第十二等なり○送使。本に送を逐に誤る。今中臣本考本に據る。
 
 
(3634)三月乙巳朔丙午。土左大神。以(テ)2神刀《アヤシキタチ》一口(ヲ)1。進2于天皇(ニ)1。戊午。饗2金風那等(ニ)於筑紫(ニ)1。即自2筑紫1歸之。庚申。諸王(タチノ)四位栗隈王(ヲ)。爲2兵政官長《ツハモノヽツカサノカミト》1。小錦上大伴連|御行《ミユキヲ》。爲2大輔1。是月。高麗遣(テ)2大兄富干。大兄多武等(ヲ)1。朝貢。新羅遣2級※[にすい+食]朴勤脩。大奈末|金美賀《コムビカヲ》1。進v調。
 
 
丙午は二日なり○土左大神は。式に土佐國土佐郡土佐坐神社【大】。今高賀茂大明神とまをす。土左國風土記に。土佐郡々家西去四里。有2土左鷹賀茂大社1。其神爲2一言主神1。一説曰。味※[金+且]高彦根尊云々。とあり。狩谷氏曰。按風土記前説。以2高鴨神1。爲2一言主神1者誤。當d據2後説1爲uv正。與2雄略紀所v載一言主神之事1自別。不v可v混。と云り。なほ此事は。雄略紀四年の下に詳に云り○神刀云々進于天皇。祠官より神告を以て進れるなり。禁秘御抄に。寶釼壽永入v海紛失之後。被v用2清凉殿御釼1。此釼普通蒔繪也。吉記曰。祭主親時朝臣。依2神宮夢告1。奉2銀釼於院1。とあるの類なり○戊午。十四日なり○庚申。十六日なり○栗隈王。本に隈を限に誤る。今中臣本考本釋紀に據る○兵政官長は。即後の兵部卿なり。職員令に。兵部省卿一人。掌2内外武官名帳。考課選叙。位記。兵士以上名帳。朝集。禄賜。假使。差2發兵士1。兵器。儀仗。城隍。烽火事1。大輔一人。少輔一人云々。とあり。倭名抄兵部省。都政毛乃乃都加佐。とあり○大伴連御行は。十四年紀。持統紀五年。同十年。續紀一に見えたり。續紀。大寶元年正月。大納言正廣參大伴宿(3635)禰御行薨。宜詔贈2正廣貮右大臣1。御行(ハ)難波朝右大臣大紫長徳之子也。とあり。補任に第五子とあり。此人の妻。紀(ノ)音那《オムナ》の貞節なることも。續紀五に見えたり○大輔。本に輔を補に誤る。今正せり○大兄富干。本に干を于に作る。今考本に據て改む。
 
 
夏四月甲戌朔戊寅。請(テ)2僧尼二千四百餘(ヲ)1。而大(ニ)設齋《ヲカミス》焉。辛巳。勅2小錦上當摩公廣麻呂。小錦下久努臣麻呂二人1。勿v使2朝《ミカド》參1。壬午詔曰。諸國|貸税《イラシノオホチカラ》。自今以後。明(ニ)察《ミテ》2百姓(ヲ)1。先知(テ)2富貧(ヲ)1。簡2定三等(ニ)1。仍中戸(ヨリ)以下(ニ)。應與貸《イラシタマフ》。癸未。遣(テ)2小紫美濃王。小錦下佐伯連廣足(ヲ)1。祠2風神(ヲ)于龍田(ノ)立野(ニ)1。遣(テ)2小錦中間人連大|盖《フタ》。大山中曾禰連韓犬(ヲ)1。祭《イハヽシム》2大忌(ノ)神(ヲ)於廣瀬(ノ)河曲《カハワニ》1。
 
 
戊寅は五日なり○辛巳は八日なり○當摩公廣麻呂。此人卒ること。十四年紀に在り。本に麻を摩とあり。下文に據て改○久努臣麻呂。本に努を奴に作る。今中臣本京極本及下文に據る。朱鳥元年紀には。阿部久努朝臣麻呂とあり。續紀和銅五年十一月。從三位阿部朝臣宿奈麻呂言。從五位上引田朝臣邇閇云々。從七位下久努朝臣御田次。少初位下長田朝臣|大《フト》麻呂。无位長田朝臣多祁留等六人。實是阿倍氏(ノ)正宗。與2宿奈麻呂1無v異。但縁2居處1。更成2別氏1云々。但蒙2本姓1。詔許之。とあり。久努地各なるべし。國造(3636)本紀久努國造あり。倭名抄遠江國山名郡久努。【天孫本紀に。火明命十五世孫。尾治治々古連久努連祖。とあるは異姓なり。また物部大小市連公。佐夜部直久奴直等祖とも。物部印岐美連公。久努直。佐夜部直等祖。ともあるも異なり。姓氏録に、佐夜部首。伊香我色雄命之後也。とあるも物部氏なり。】○壬午。九日なり〇貸税。孝徳紀貸稻訓同じ。貸税のこと。雜令に見えたり。已に孝徳紀に云り〇三等。上戸中戸下戸を云。田令義解謂。凡戸(ノ)上中下者。計(テ)2口(ノ)多少1。臨時(ニ)量定。其餘條(ニ)。稱2上上戸中々戸等1。亦准2此例1也。とあり。【通證に。上戸中戸下戸。猶v言2上農夫中農夫小農夫1。と云り。】○仍。本に仍を乃に作る。今中臣本類史に仍る○癸未。十日なり○龍田立野。風神は神代紀に詳なり。御社は。延喜式大和國平群郡瀧田坐。天御柱國御柱神社二坐。【並名神大月次新甞】龍田比古龍田比女神社二坐。とあるこれなり。今立野村にあり。大和志に。平群郡立野付屬邑七。龍田村屬邑六。とあり。【此地の事も。御社の事も既に云り。】神祇令に。風神祭。謂2廣瀬龍田二祭1也。欲v令2※[さんずい+珍の旁]風不v吹。稼穡滋登1。故有2此祭1。とあり。此御祭の始まりし事は。崇神天皇の御世の事にして。式の風神祭の枕詞に。其旨委し。既に崇神紀に出せれば。此にいはず○間人連大盖。本に連大(ノ)二字を脱せり。今考本集解本に據る。此氏孝徳紀間人連鹽盖の下に出○曾禰連韓犬。本に犬を大に作る。今活字本及下文に據る。姓氏録左京神別。曾禰連。石上同祖。右京。曽禰連。神饒速日神六世孫。伊香我色雄命之後也。和泉。曾禰連。釆女臣同祖。陽成紀。阿波國那賀郡人。從七位上椋部眞影等十九人。復2本姓曾禰連1。とあり。氏族志云。後世蓋改賜2宿禰1。堀河帝時。有2肥後權大目曾禰宗行1。見2除目大成抄1。とあり。曾禰は地名なり。和泉國和泉郡曾禰神社。北曾禰村にあり。饒速日命を祭ると。和泉志三才圖會名所圖會等に云り○大忌神。式に大和國廣瀬郡廣瀬坐。和加宇加賣命神社。【名神大月次新甞。】(3637)とある神社此なり。【此社今川合村にあり。次に云。】式に廣瀬大忌祭祝詞あり。重胤云。此社を祠る事の物に見えたるは。此を始にて。翌五年に。夏四月戊戌朔辛丑。祭2龍田風神廣瀬大忌神1。秋七月丁卯朔壬午祭云々。と有は。例年四月四月に。此神を祭らるゝ起元と聞えたれど。毎年四月に龍田廣瀬神は。諦しく崇神天皇九年四月なること。既く其紀に考證せるが如し。廣瀬社縁起と云書に。當社者。人皇十代崇神天皇御宇。大和國廣瀬郡河合村(ニ)出現(シ)給。と記せる社家の傳來は。眞説なりけり。御紀に。四月甲午朔己酉。依2夢之教1。祭2墨坂神大坂神1。とある己酉は誤にて。丁酉には非るか。【武郷云。墨坂神大坂神を祭給ふとあるが。此大忌神を祭給ふ根源なるよし。記傳の説ありて、既に云り。】若然もあらば。天武天皇御世より。定來る大忌祭の。四月四日七月四日なるも。由有げなり。四時祭式に。四月七月に。此祭の有る由なるが。其は本朝月令。四月四日。廣瀬龍田祭事條云。弘仁式云。大忌神一座。【廣瀬社。七月准之。】風神祭二坐。【龍田社。七月准之。】右二社云々。又云。大忌風神二社者。四月七月四日祭之。と見ゆ。尚神祇令集解なる。風神祭の釋に。廣瀬龍田祭也。草木五穀等。風吹而枯壞之。此時不v知2彼神心1。即天皇齋戒。願覺2夢中(ニ)1。即覺云。龍田廣瀬祭2二社1云々とあるは。崇神天皇御世の事を云るなり。又天武天皇より以來の紀を閲るに。祭2廣瀬龍田神1とも。祭3廣瀬大忌神。與2龍田風神1。と毎も有るは。其祭禮の同日なる故に。合せ記さるゝ耳ならず。初て齋奉初られし崇神天皇の御世より。何事も同等同事ならむ故なり。然れば其詞も。此彼と相通して。思合すべき事少からずと知べし。大忌神と申は。物忌の義なり。其は此廣瀬に坐。和加字加賣命の亦名なるか。少意得あるべし。和加宇加賣命と申す時は。衣食住の神と(3638)申す事にし有を。大忌神と申す時は。天宮にて。皇大御神の御饌神と。仕奉始給へる御職の號なる者なり。其證は。豐受宮儀式帳に。天照坐皇大神云々。御饌都神等由氣大神乎云々。と詔へるは。我御饌を主る神と申す意なり。若て度會宮に鎭定り給へる時に。宮中に御饌殿を造奉れるは。豐受大神より。天照大御神へ。朝夕の大御饌を。奉らせ給はむ料に。造奉れる由なり。【武郷云。なほ神宮雜事記。倭姫命世記。皇大神宮儀式帳の文をも引きて。委く云れたれど。今省けり。】此豐受大神の又名。和加宇加命を。大忌神と申す所以は。上件の如くにて。大忌は大物忌と申すも同事なるか。忌とは上にも往々説るが如く。忌清め慎しみ敬ふ由なり。【中略】當社神階の事は。文徳實録嘉祥三年七月。大和國宇賀乃賣神。加2從五位上1。とあるは。神位の物に見えたる初なるか。授と記さるべきを。加と有れば。前に從五位下を授奉給ひけむを。紀に洩たるなるべし。同録。仁壽二年七月。加2從四位下1。同十年十月從三位。三代實録貞觀元年正月。奉v授2正三位1。とありて。此餘は見えず。【龍田神此に同じ。】祭の事は上に云る如く。崇神天皇九年四月に。墨坂神大坂神を初て祭らるゝ時より。此廣瀬龍田兩社の御祭は。有初つらむを。其後は其四月の中にて。何日といふ定も無りし故に。後れなども爲つるか。終には止て過にし年なども有つる故に。其よりは唯臨時に行るゝ耳なりしを。此四年に再興爲させ給ひて。其より恒例の神事とは。定りけるものなるべし。但しこゝなる癸未は十日なるか。翌五年四月戊戌朔辛丑に祭られしは。四月四日に定られたる權與なるべきか。同年七月丁卯朔壬午に祭られしは。七月の祭の始と通えたるに。壬午は十六日なり。然れば未(ダ)此時四日と云ふ御定も※[耳+定]に立ざ(3639)りしにや。但此は四月七月四日に祭らるゝ起元の。知ま欲さに。如此く鑿説《ウガチトキ》たるにこそ有けれ。同御紀より。持統天皇御卷まで讀通るに。實に四日と云ふ御定にては無く。卜食などにて定られたるにか。詳ならず。弘仁式に。大忌風神二神(ハ)。四月七月四日祭之。とあるを思ふに。弘仁造式の年に當て。定られたりとも見えざるが上に。神祇令に。常例の御祭例に記されしより。後の御紀に記されざるを思へば。大寶の御定と通えたり。令義解に。大忌祭。謂2廣瀬龍田二祭1也。令d山谷水變成2甘水1。浸2潤苗稼1。得c其全稔u。故有2此祭1也。と見えて。集解に。廣瀬龍田祭。自2山谷1下(ス)v水(ヲ)矣。甘(キ)水(ト)成而。爲v令2五穀成熟1祭也。差2五位已上1。充v使也。古記無v別。跡(ノ)云。祈年祭祭2甲神1。大忌祭祭2乙神1之類。依2別式1也。とあるが如く。大忌祭謂2廣瀬龍田二祭1也。と有て。大忌祭風神祭は。二にして一なる者なり。其は義解に。風神祭。謂2亦廣瀬龍田二祭1也。欲v令2※[さんずい+珍の旁]風不v吹。稼穡慈登1。故有2此祭1也。と有て。大忌祭に風神祭を兼。風神祭に大忌祭を兼たる者なり。公事根源にも。廣瀬龍田祭。是兩社は大和國に在(リ)。祭日は廢務なり。年に二度行はる。使は前日遣つ。大忌風神祭と云これなり。風水の難を除きて。年穀の豐なるを祈申さるゝにや。と有り。廢務の事の有など。甚重き神事なり。然に貞觀儀式。及江家次第に。此式を載られざるは。漏たるには非ず。違例の事なければなり。とあり。なほ委しき事は。本書を披見るべし○廣瀬河曲。此社の縁起に。大忌廣瀬社。若宇加乃賣命。伊勢外宮分身也。當社者。崇神天皇御宇。大和國廣瀬郡河合村出現(シ)給云々。さて此社は。考に今在2廣瀬河合村1。泊瀬河倉橋川此地(ナリ)。と云り。
 
 
(3640)丁亥。小錦下久努臣麻呂。坐《ヨリ》v對2捍《コバメルニ》詔使《ミカドツカヒ》1。官位盡|追《トラル》。庚寅。詔(テ)2諸(ノ)國(ニ)1曰。自今以後。制《イサメ》2諸(ノ)漁獵《スナドリカリ》者(ヲ)1。莫(ラシム)d造(リ)2檻穽《ヲリシヽアナヲ》1。及|施《オクコト》c機槍《フムハナチ》等之類(ヲ)u。亦四月(ノ)朔以後。九月(ノ)三十日以前(ニ)。莫v置(コト)2比滿沙伎理(ノ)梁《ヤナヲ》1。且莫v食(コト)2牛馬犬猿鷄之完(ヲ)1。以外(ハ)不v在2禁制《カギリニ》1。若有(ハ)2犯者1罪(ム)之。
 
 
久努臣。本に久を文に誤る。今上文に據て訂せり○對捍詔使。名例律八虐。六曰大不敬。對2捍詔使1。而無2人臣之禮1。注謂d奉v詔出使。宣2布四方1。有v人對捍。不v恭2詔命1。而無2人臣之禮1者u。詔使者奉v詔定v名。及令2所司差遣1者是。とあり○官位盡追。本に盡を書に作る。今類史に據る。さて説文に追逐也とあり。逐斥の意なり。解官追位。爰に始て見えたり○庚寅。十七日なり○檻穽。機槍。本に穽を※[穴/牛]に誤る。今中臣本考本に據る。檻は色葉字類抄にヲリとあり。漢書五行志に。豕出v※[国の玉が豕]《ヲリ》云々。古今著聞集に。件のをりは。細き木を土に打立てあるものにて云々とあり。雜令云。凡作2檻穽1。及施2機槍1者。不v得2妨v徑。及害1v人。義解謂。檻者※[国の玉が卷]。穽者※[土+陷の旁]。並所2以捕1v獣者也。通證云。後漢宋均傳。設2檻穽1。而猶多傷害。注(ニ)檻爲v機以捕v獣。穽謂2穿v地陷1v之。施機二字。出2呉越春秋1。機槍見2唐律釋文1。とあり。機槍をフムハナチと訓は。蹈發の意にて。此處を蹈時は。彼處の機《カラクリ》發《ウゴ》きて。獣の墮入るより。負せたる名なれども。なほこれは神武紀なる機【記に押機と書り。】にて。今世に云於登志なり。故此機槍をも於志と訓べし。と記(3641)傳に云れたり○比滿沙伎理梁は。通證に。遮《サギリ》v隙《ヒマ》之義。荀子注。石絶v水爲v梁。所2以取1v魚也。と云り。中臣本には滿を彌《ミ》に作れり。さらば又異意あるにや知がたし○牛馬犬猿鷄之宍。續紀天平十三年二月詔曰。馬牛代v人勤勞養v人。因v茲先有2明制1。不v許2屠殺1。今聞国郡未v能2禁止1。百姓猶有2屠殺1。宜其有v犯者。不v問2蔭贖1。先决2杖一百1。然後科v罪。とあり。さて牛馬は。神代に保食神の。耕作の爲にとて。生《ナ》し給へる畜にて。本より食物とすべきにあらぬ事は明らけきを。犬猿鷄。また人民の食とすべからざる習慣は。神代ながらに自ら定りつらんを。たしかなる明文なし。然るに。皇國の事を記したる。全淅兵制録日本風土紀に。※[食+希]饌以2鹿脯魚物1爲2常品1。海味甚多。不v食v鷄。謂鷄乃徳信之禽。無2牛脯1。以爲牛代v力之牲。不v忍v食。とあるにて。鷄をも忌たりしことは知られたり。犬猿の事はものに見えず。法苑珠林。畜生部(ノ)述意。犬勤v夜吠。鷄競v曉鳴。牛弊2田農1。馬勞2行陣1。又猿類v人。故不v食。見2涅槃經1とあり。かゝる故にもやあらむ。今知べからず。されど此中にも。猿類v人故不v食などは。あまり理《コトワリ》めきたり。されど此時の詔。はた佛經の意より出たらんも知がたければ。さる意にてもあらんか○以外不在禁例。此後孝謙天皇御世に。以2猪鹿之類1。永不v得2進御1。とあるは。全く佛意より出たる詔なれど。此時なるは。猪鹿など。なほ禁じ給はぬを見れば。ひたぶるに佛經に因給へるにはあらで。世人の忌むべき限りを。詔出させ給ふが本なるべし。
 
 
(3642)辛卯。三位麻績王有v罪。流2于因播(ニ)1。一(ノ)子(ヲバ)流2伊豆(ノ)嶋(ニ)1。一子(ヲバ)流2血鹿《チカノ》島1。丙申。簡(テ)2諸(ノ)才藝者《カドアルヒトヲ》1。給v録各有v差。是月。新羅王子忠元到2難波1。
 
 
辛卯は十八日なり〇三位の上。恐くは諸王(ノ)二字脱せるか。されど後にも例あり○麻績王。此王詳ならず○流于因播。倭名抄因播以奈八。萬葉一に。麻績王流2于伊勢國伊良虞島1之時。人哀傷作歌云々。麻績王感傷和歌云々あり。此歌共に伊良良虞の事を詠たれば。其方正しくて。此本紀は誤なるべし。【或人云。此因幡は。伊勢國壹志郡稲葉神社あり。此地にて國名の因幡にあらず。しかるに萬葉古注に。是云配2于伊勢國伊良虞島1者。若疑後人縁2歌辭1而誤記乎。とあるは。中々に誤れるを云々。伊良湖崎は。壹志郡の海より。遠からぬ地なれば。時々は伊良湖邊にも。遊給ひけん。とあるは強語なり。壹志郡に。よしや稲葉と云地ありとも。伊勢とも何ともいはで。まぎらはしき國名の。因幡の字を充べきやうあらめや。】常陸風土記行方郡云々。板來之驛。其西榎木成v林。飛鳥淨御原天皇之世。遣2麻績王1居處《ヲラシム》之云々。と云こと見えたれど。流され給へる時の事にはあらじ○伊豆嶋。伊豆國南海中に大島あり。これなり○血鹿島は。肥前國松浦郡値嘉これなり。敏達紀に見ゆ○丙申は二十三日なり。
 
 
六月癸酉朔乙未。大分《オホキタノ》君|惠尺《ヱサ》。病(テ)將v死。天皇大驚(テ)詔(テ)曰。汝惠尺也。背(テ)v私(ニ)向(テ)v公(ニ)。不v惜2身命(ヲ)1。以(テ)2遂雄之心(ヲ)1。勞2于大|※[人偏+殳]《エダチニ》1。恒欲2慈愛《メグマント》1。故爾雖2既死1。子孫(ヲバ)厚賞(ム)。仍|騰《アゲタマフ》外(ノ)小紫位(ニ)1。未(ダ)v及數日《ヒモヘズシテ》1。薨2于私(ノ)家1。秋七月癸卯朔己酉。小錦(3643)上大伴連國麻呂。爲2大使1。小錦下三宅吉士|入石《イリシヲ》。爲(テ)2副使(ト)1。遣2于新羅(ニ)1。八月壬申朔。耽羅(ノ)調使。王子久麻伎。泊2筑紫(ニ)1。癸巳大(ニ)風(テ)。飛v沙(ヲ)破《コボツ》v屋(ヲ)。丙申。忠元體(コト)畢以(テ)歸《マカリカヘル》之。自2難波1發船《フナダチス》。己亥。新羅高麗二國調使。饗2於筑紫1。賜v録有v差。九月壬寅朔戊辰。耽羅王姑如。到2難波1。
 
 
乙未は二十三日なり○背私向公。本に向を同とあり。今京極本中臣本に據る○遂雄之心。遂雄不詳。字書に遂進也とあるに據れば。進雄の義か。古本の訓にヲヽシキ【本はタヽシと誤れり。】とあるも。此意に似たり。なほ考べし。【集解には之字を衍とし。遂2雄心1の誤と爲て。御漢書孔融傳曰。動2義〓1而忤2雄心1。と云れど。信がたし。】○勞于大※[人偏+殳]。天皇吉野に坐々て。惠尺等を留守司高坂王の許に遣はして。驛鈴を乞はしめ給ひしより。初中天皇に從ひまつりて。勞きたりしこと。前紀に見えたり○子孫厚賞。本に厚を原に作れり。今中臣本考本に據る○己酉。七日なり〇三宅吉士。十二年紀に。九月三宅吉士賜v姓曰v連。とあり。他には見えす。垂仁紀に三宅連あり。これは別姓なり。既に云り○久麻伎。上文に久麻藝とあり○癸巳。二十二日なり○丙申。二十五日なり○忠元。二月來りし新羅國王の子なり○己亥。二十八日なり○戊辰。二十七日なり。
 
 
冬十月辛未朔癸酉。遣(テ)2使(ヲ)於四方(ニ)1。※[不/見]2一切經(ヲ)1。康辰。置《メシテ》v酒宴2群臣(ニ)1。丙戌。(3644)自2筑紫1。貢2唐人三十口(ヲ)1。則遣(テ)2遠江國(ニ)1。而|安置《ハベラシム》。庚寅詔曰。諸王以下初位以上。毎v人備v兵(ヲ)。是日。相摸國言。高倉之郡(ノ)女人。生《ヒトタビニウメリ》2三男《ミタリノヲノコヲ》1。十一月辛丑朔癸卯。有(テ)v人登(テ)2宮(ノ)東(ノ)岳(ニ)1。〓言《オヨヅレゴトシテ》而自|刎《クビハネテ》死之。當《テ》2是(ノ)夜(ニ)1直者《トノヰセルモノ》。悉《ニ》賜2爵一級1。是月大(ニ)地動。
 
 
癸酉。三日なり〇一切經。二年紀に云り。元享釋書云。是時未v備也。とあり○庚辰。十日なり○丙戌。十六日なり○貢唐人三十口。通證云。唐劉仁軌大破2新羅1。在2此歳1。とあり。新羅にて俘虜せし唐人なるべし○遠江國。倭名抄城飼郡鹿城加良古とあるは。此時の由に縁れるか。又良は誤か。たづぬべし○庚寅。二十七日なり○初位以上。此時諸臣の位に。初位と云はあらぬを。こゝにかくあるは。大建小建を初位とも云りしにや○高倉郡。倭名抄に相摸國高座郡○生三男の上。一(ノ)字を脱せしにや。績紀文武三年には一2産二男二女1。慶雲三年には。三2産六兒1。初産2二男1。次産2二女1。後産2二男1。などあり○癸卯三日なり○〓言。〓は妖に同じ。オヨヅレゴト。天智紀にみえたり。吏學指南。欺罔姦邪之言。謂2之妖言1○直者。殿居人なり。文選注。直謂d宿2禁中1備c非常u。とあり。此夜かく直者に爵をしも賜ひしは。おほろけならぬ妖言にて。甚く宮中にても。驚かせ給ひしなるべし。叛者などありけるにや。
 
 
(3645)日本書紀通釋卷之六十六   飯田武郷謹撰
 
五年春正月庚子朔。群臣百寮拜朝。癸卯。高市皇子以下。小錦以上(ノ)大夫等(ニ)。賜2衣袴|褶《ヒラオビ》腰|帶《オビ》脚帶《アユヒ》。及|机杖《オシマヅキツエ》1。唯小錦三(ノ)階(ニハ)。不v賜v机。丙午。小錦以上(ノ)大夫等(ニ)。賜v禄各有v差。甲寅。百寮初位以上。進v薪。即日悉|集《マウデ》2朝廷(ニ)1賜v宴。乙卯。置(テ)v禄(ヲ)射《ウコナヘス・イクフ》2于西門(ノ)庭(ニ)1。中《イアツル》v的《マトニ》者《ヒトニハ》。則給v禄有v差。是日。天皇御(テ)2島宮(ニ)1宴之。甲子詔(テ)曰。凡|任《マケムコトハ》2國司(ヲ)1者。除《オキテ》2畿内及隆奥長門國(ヲ)1以外(ハ)。皆任(ケヨ)2大山位以下(ノ)人1。
 
 
百寮の下。本に朔字あるは衍なり。今考本類史に據る。また拜朝の下。考本に庭字あり○癸卯。四日なり○褶。衣服令に。皇太子禮服。深紫紗(ノ)褶。義解謂。褶者所3以加2袴上1。故俗云2袴褶1也。とあり。褶の事も其名義も。既に推古紀に云り○腰帶は。所謂石帶なり。これも衣服令に。一品以下五位以上。金銀|装《ヅクリ》腰帶。六位七位八位。烏油《クロヅクリ》腰帶。延喜彈正式に。刻2鏤金銀1帶。及唐帶。五位以上竝聽2着用1。装束要(3646)領抄に。腰帶或云|宛腰《アテコシ》。とあり○机杖は。机と杖と二種なり。【本に二字を。オシマヅキと訓るは誤なり。古寫本は。オシマヅキヅヱと訓り。】秘閣本には杖机とあり。されどそれは誤なるべし。漢書呉王※[さんずい+鼻]傳に。賜2呉王(ニ)几杖老不1v朝。とあり。さて机は。和名抄調度部に。几【脇息附。】西京雜記云。漢制。天子玉几。公侯皆以2竹木1爲v几。【於之萬都岐。今案。几〓又有2脇息之名1。所出未v詳。。箋注云。説文。几。〓几也。象形。釋名。几。屐也。所2以屐1v物也。下總本。几下有2亦作机三字1。按廣韻。几或作v机。盖几用v木造。故後人從v木作v机。與2説文木名机字1。混無v別。然源君意。似d以v几爲2几案1。以v机爲c食案u。亦作v机三字。恐後人所v増。非2源君之舊1。昌平本下總本。有2和名二字1。斉明紀。夾膝又案机。天武紀机。並同〓云々。】などあり。【夾膝《オシマヅキ》の事は。既に斉明紀に云り。】さて几は今云脇息なり。杖は賜2輿(ト)杖1などの杖とは異にて。其官位ある人の燕居を。優待し給ふが爲に。几に附て杖をも賜ふなり。【然るを考云。机杖とは。節會の時など。陳の坐に就かるゝ時に。將机を用ゐて。腰を懸らるゝ事なり。其將机を御免と見えたり。杖は兵杖にて。弓矢刀を帶するなるべし。と云れたるは信がたし。】○不賜机。與清云。机下杖を脱するかと云り。され机と杖とは二種なり。杖は机よりは。やゝ重きを知らせたるなり。一物とは爲すべからず○丙午。七日なり○甲寅。十五日なり○進薪。大日本史。按前年正月三日。百寮献v薪。據2年中行事公事根源1。後世正月十五日献v薪。蓋始2于此1。とあり。通證云。後世以2此日1爲2定式1。とあり○乙卯。十六日なり〇置禄射云々。置は積置なり。さて賭弓の禄に錢を用ゐしこと。増鏡に見えたれば。こゝの禄も錢なりしなるべし。【通證に引る。史(ノ)孫子傳。與2王及諸公子1。逐2射千金1。正義云。隨逐而射。贈2千金1。世説新語曰。相玄出射有2一劉參軍。與2周參軍1朋賭。などある文に基づけるものなるべし。】さて賭弓は。後世は十八日なり○中的者。本に者字なし。今類史に據る○給禄有差。通證云。式法定2淳和天皇天長元年1。とあり。【類史第七十二。歳時部三。天長元年正月十七日。射禮賭射附出下に。戊辰賭射。右近衞竝勝之。とあり。】公事根源|射禮《ジヤライ》十七日の下云。是は建禮門にて行侍る事なり。代《ダイ》の始には豐樂院にてあり。十五日に先兵部省手つがひといふ事有て。射手をとゝのへさだむる儀式あり云々。
 
(3647)又|射禮《ジヤライ》のあくる日は。射遺《イノコシ》とて有。其は咋日射禮に參ぜざる四府【左右近衛左右兵衛】に。けふいさしむるがゆゑに。射のこしとは申なり。弘仁二年正月に此事はじまる。また賭弓十八日下云。是は天子弓場殿にのぞみて。弓を御覧ずるなり。仲春に弓をみる事は。禮記などにも侍るにや。※[土+朋]をつき的をかけて。左右の近術。左右兵衞。四府の舍人どもの射侍るなり。左右の大將射手を奏せらる。勝のかたは。まけの方に罸酒を行ふ。又勝の方は舞樂を奏す。大かた近衛の管領にてあれば。事はてゝ後大將射手に饗をたぶ。是をかへりあるじといふなり。かへりあるし行はぬ大將は。左右なく參内せぬことにて。度々の召につきてまゐるとかや。又殿上の賭弓とて。臨時に弓を御覧ずる事あり。それは殿上の侍臣どもの射侍るなり。新井君美云。此事天武天皇五年正月より始(ル)などいへど。賭射といふ事國史に見えし所は。淳和天皇天長元年正月に行れしをや始と申すべき。と云り○宴之。國史十六蹈歌の下に出せり。蹈歌節會は。公事根源云。踏歌といふは。正月十五日の男踏歌の事に侍べし。近頃行はれ侍るは女踏歌なり。それは十六日なり。【延喜式中宮職正月十六日踏歌。妓女四十六人。禄科云々。などあり。】光源氏の物語などにも。おほくは男踏歌の事を申侍る云々。天武天皇三年正月に。大極殿に渡御なりて。男女わかつ事なく。闇夜に踏歌の事有と見えたり云々。【此紀三年に。この事見えず。疑ふべし。これは以呂波字類抄に。本朝事始を引て云り。】なほ踏歌の事は持統紀云○甲子。二十五日○陸奥長門國云々。陸奥は邊要の地たること。延喜式に見え。長門は關國なること。衞禁律に見えて。他國よりは其任の重きが故なり○大山位以下人は。後の五位以下に准ず。國司(ノ)位階。後世よりは輕く定め給へる(3648)なり。
 
 
二月庚午朔。朝拜。癸巳(ニ)。耽羅(ノ)客賜2船一艘1。是月。大伴連國麻呂等。至v自2新羅1。夏四月戊戌朔辛丑。祭2龍田(ノ)風神。廣瀬(ノ)大忌神(ヲ)1。倭國(ノ)添下郡(ノ)鰐《ワニ》積(ノ)吉《ヨ》事。貢2瑞《アヤシキ》鷄(ヲ)1。其|冠《サカ》似2海石榴《ツバキ》華1。是日。倭國飽波郡言。雌鷄|化《ナレリ》v雄《ヲトリニ》。辛亥勅。諸王諸臣(ノ)被給《タマハル》封戸《ヘヒト》之税者。除《ヤメテ》2以西(ノカタノ)國(ヲ)1。相易(テ)給(ヘ)2以東(カタノ)國(ニ)1。又外國(ノ)人。欲2進仕1者。臣連伴造之子。及國造(ノ)子(ヲバ)聽(セ)之。唯雖2以下|庶人《オホミタカラ》1。其|才能《カドシワザ》長《イサセタルハ》亦聽之。己未。詔(テ)2美濃國司(ニ)1曰。在2礪杵《トキ》郡(ニ)1。紀臣阿佐麻呂之子(ヲバ)。遷(テ)2東國(ニ)1。即爲2其國之百姓(ト)1。
 
 
朝拜。本に朝字なし。今水戸本に據る○癸巳。二十四日なり○辛丑。四日なり○鰐積吉事。鰐積氏系未詳○瑞鷄。本に瑞を端に誤る。今正す○冠。通證云。冠訓佐加。今云2登佐加1。倭名抄。鷄冠菜。土里佐加乃里。式文(ニ)用2鳥坂苔1。○飽波郡。倭名抄。平群郡飽波阿久奈美。大和志云。已廢。存2安堵村1。東安堵村屬邑二。其一曰2飽波1。大安寺縁起に。小治田宮御宇太帝天皇。召2田村皇子1。以遣2飽波葦墻宮1。令v問2厩戸皇子之病1云々。又退三箇日間。皇子私參2向飽浪1。問2御病状1。續紀。神護景雲三年十月己酉。幸2飽波(3649)宮1。などあり○辛亥。十四日なり○卦戸之税。續紀天平十一年五月。詔曰。諸家封家之租。依v令二分入v官。一分給v主者。自今以後。全給2其主1。運送傭食(ハ)。割2取其租1。十九年五月。太政官奏曰。卦戸人數縁v有2多少1。所v輸雜物不v等。是以官位同等所v給殊差(アリ)。准v法准量(ルニ)。理實不v堪。請毎2一戸1。以2正丁五六人。中男一人1。爲v率。則用(ハ)郷別課口二百八十。中男五十。擬爲2定數1。其田租者。毎2一戸1。以2四十束1爲v限。不v合2加減1。奏可之。などあり○外國人。海外の國を云には非ず。畿外の國を云。持統紀にも見ゆ。三代格に。畿内外國と云事も見ゆ。【なほ景行紀に。邦畿之外《トツクニ》とある處にも云へり。】○才能長。長の訓イサセ詳ならず。假名本にもいさせとあり○己未。二十二日なり○礪杵郡。和名抄土岐郡とあり○紀臣阿佐麻呂。【中臣本阿を※[言+可]に作る。】詳ならず。集解に。按阿佐麻呂。蓋近江(ノ)朝(ノ)人。配流在2於美濃1也。非2大人及阿閇麻呂之族1。續紀養老二年。有3無位紀臣龍麻呂等十八人。賜2朝臣姓1。蓋是此黨也。と云り。【信友は。壬申の役。近江方紀大人族かと云り。】なほ考ふべし。
 
 
五月戊辰朔庚午。宣《ノリゴトシタマハク》進(ラムコト)v調過2期限《カギリ》1。國司等之犯状云云。甲戌。下野國司奏|所部《クニノウチノ》百姓。遇《ヨリテ》2凶年《トシエヌニ》1飢《イヒウヱテ》之。欲v賣v子(ヲ)。而朝不v聽矣。是月。勅禁2南《ミナ》淵山細川山(ヲ)1。並(ニ)莫2蒭《クサカリ》薪《キコルコト》1。又畿内(ノ)山野(ノ)。元(ヨリ)所(ノ)v禁之限。莫2妄(ニ)燒折《ヤキキルコト》1。六月(ニ)。四位栗隈王得v病薨。物部雄君(ノ)連。忽發病而卒。天皇聞之大(ニ)驚。其壬申(ノ)年。從(テ)2車駕《ミユキニ》1。(3650)入(テ)2東國(ニ)1。以(テ)v有(ヲ)2大|功《イタハリ》1。降v恩賜2内(ノ)大紫(ノ)位1。因(テ)賜2氏(ノ)上《カミヲ》1。是夏大旱。遣(テ)1使(ヲ)四方(ニ)1。奉2幣帛1。祈2諸(ノ)神祇(ニ)1。亦請(テ)2諸(ノ)僧尼(ヲ)1。祈2于三寶(ニ)1。然不v雨。由(テ)v是(ニ)五穀不v登《ミノラ》。百姓飢之。秋七月丁卯朔戊辰。卿大夫及百寮(ノ)諸人等(ニ)。進《スヽメタマフコト》v爵各有v差。甲戌。耽羅(ノ)客歸v國。壬午。祭2龍田風神。廣瀬大忌神(ヲ)1。是月。村國連雄依卒。以(テ)2王申年之功(ヲ)1。贈2外(ノ)小紫(ノ)位1。有(テ)v星出2于東(ニ)1。長七八尺。至(テ)2九月(ニ)1竟v天(ニ)。
 
 
庚午は。三日なり○進調過期限。賦役令に。凡調庸物。毎年八月中旬起輸。近國(ハ)十月三十日。中國(ハ)十一月三十日。遠國(ハ)十二月三十日以前納訖。とあり。此御世のも。大方さることなりしなるべし。さて此下に云云とあるは。文長くして略したるか。又はたゝ云々とのみ云ひて。中古の記録文體に。添へしものにもあるべし○甲戌。七日なり○欲賣子。通證に。賣v子爲2奴婢1也。とあり。戸令賊盗律等に見ゆ○南淵山細川山。南淵山用明紀に見ゆ。大和志に。在2高布郡稻淵村1。とあり。細川山。同志に在2細川村1。とあり。萬葉七に。南淵之細川山(ニ)立《タツ》檀《マユミ》云々。契冲云。南淵は地廣くして。其中に南淵山細川山もあるならん。さて萬葉に。南淵之細川山とは詠るならむ。と云り○燒折。野を燒き木を折るなり。本に折を析に誤る。今中臣本考本に據る〇四位栗隈王。本に隈を限に誤る。今中臣本考本に據る。上文には諸(3651)王四位とあり。こゝは省きしものか○物部雄君連卒。前紀には朴井連とあり。中臣本に。御本に薨とありと云り○從車駕入東國。天皇の吉野を發て。東國に入給ひし時。元從者の一人たりしこと。そこに見えたり○賜内大紫位。考本賜を贈に作る○賜氏上。この事天智紀に見ゆ○祈請神祇。延喜式臨時祭式に。祈雨神祭八十五坐を載せたり○祈于三寶。此は佛を指て云るなり○戊辰。二日なり〇百寮。本に寮の上姓字あるは衍なり。今中臣本考本に依る○甲戌。八日なり。京極本に一作2辛巳1とあり。辛巳は十五日なり○壬午。十六日なり○祭龍田風神云々。神祇令。孟夏大忌祭。風神祭。孟秋大忌祭。風神祭。とあり○村國連雄依卒。天皇吉野を發し給ふ時。男依等に詔して。急に塞2不破道1かしめ給ひしに。天皇伊勢郡家に至り給ひし時。男依乘v驛來奏曰。發2美濃師三千人1。得v塞2不破道1。於是天皇美2雄依之務1云々。また息長構河。或は安河濱に戰ひ。瀬田に至り。粟津岡下にて。大友皇子を走らせ奉れるなど見えたり○有星。彗里なり○長七八尺。本に長字を脱せり。今京極本中臣本に依る○竟天。中臣本云。假名本天を失に作るとあり。
 
 
八月丙申朔丁酉。親王以下。小錦以上(ノ)大夫。及皇女姫王。内命婦《ヒメマチキミ》等。給(コト)2食封《ヘヒト》1各有v差。辛亥詔曰。四方(ニ)爲《セム》2大|解除《ハラヘ》1。用物《モチヰシモノハ》。則國別(ニ)國造輸2祓柱《ハラヘツモノ》1。馬一匹。布一|常《キタ》。以外(ハ)郡司(ハ)。各|刀《タチ》一口。鹿皮一|張《ヒラ》。※[金+(耀の旁)]《クハ》一口。刀子一口。鎌一口。矢(3652)一具。稻一束。且毎v戸麻一|條《タハリ》。
 
 
丁酉。二日なり○皇女姫王。按に皇女は親王にあたり。姫王は諸王にあたれり。持統紀五年には。内親王女王どあり。また此女王を王女と書ることもあり。已に云り○食封。尊徳紀に出○辛亥。十六日なり○大解除。解除に二季大祓あり。臨時大祓あり。續紀養老五年七月。始令d文武百官。率2妻女妹妹1。會c於六月十二月晦大祓之處u。とあり。神祇令。凡六月十二月晦日大祓云々。百官男女聚2集祓所1。中臣宣2祓詞1。卜部爲2解除1云々。これ二季の大祓なり。また記。仲哀天皇崩後。取2國之大奴佐1。爲2國之大祓1。と云事あり。これ臨時大祓なり。こゝに四方爲2大解除1。とあるは。即爲2國之大祓1。と同じ事なり。みな臨時に事ある時定むる所なり。續紀十一に。遣2使諸國1大祓。となるは。大甞を行給ふ爲なり。此時の大解除は。いかなる事ならむと思ふに。或人の。彗星に依て臨時に行はれしなりと云へりb。さることにもやありけん○祓柱は。祓具なり。これ國之大奴佐なり○馬l匹。通證に。江次第(ニ)。御贖物持來。祓物牽立畢。又詳見2貞觀儀式。西宮記等1。とあり。馬を祓柱に牽るは。神に奉る幣帛の料なり。【布〓刀子矢などいづれも幣帛の料なり。】深き由縁ある事なるべけれど。今知がたし。重胤云。解除に馬を牽く事は。神祇令に。几諸國須2大祓1者。國造出2馬一疋1云々と有るを。已に天武天皇紀五年八月詔に云々とあれば。其頃の御定かと思ふに然らず。古き事なり。雄略紀十三年三月。狹穩彦玄孫齒田根命。以2馬八匹大刀八口1。祓2除罪過1。(3653)既而歌曰云々、と有るは。古くより祓柱に出せりし例を以て。馬を令v出給ひし者なり。【孝徳天皇紀。牝馬孕2於己家1。便使2祓除1。遂奪2其馬1云々などの事は。惡行には違ひ無き物から。古祓柱に馬を出せりしを以てなり。】四時祭式六月晦日大祓【十二月准此】條に。馬六疋を祓柱の中に載られ。儀式大祓儀には。其日午四尅。神祇。宮内。縫殿等官省寮。候2延政門外1。百官會2集祓處1。先v此神祇官。陳2祓物於朱雀門路南1。とある。細書に分2置六處1。但馬在2南方1北向。と見えたり。江次第には。馬六疋牽2立朱雀門橋上1云々。御贖物持來。祓馬牽立畢。と有り。偖他祓柱は。大川道に持出て流すを。馬は唯神等の耳聰く聞食む表物として。出す所なれば。祓事畢て後に。馬寮に收らるゝなるべし。【以上大祓詞講義。】と云り。按に。馬は唯神等の耳聰く聞食む表物として。出す所なれば云々とあるは。大祓詞に。高天原爾耳振立。聞物止馬牽立※[氏/一]。とあるに依られたるなれど。馬を牽立る事は。祓に馬を出す事のある。其を表物として言を成せるなり。出雲國造神賀詞にも。馬を献る事を。白御馬能。前足爪後足爪。踏立事波。大宮能内外。御門柱乎。上津石根爾蹈堅米。下津石根爾踏凝之。振立流事波。耳龍彌高爾。天下乎所知食左牟事(ノ)志《シルシノ》太米。と云るが如し。其(レ)が爲に馬を祓に出すにはあるべからじ。【髪壽詞の文も。御門柱を踏堅米踏凝之云々の爲に。馬を献るにあらぬと同じ。是も國造が馬を献るよりして。其を表物として。文をなせること。大祓詞におなじ。】○布一常。賦役令義解。布一丈三尺。是爲2一常1。とあり。常《キタ》は段に同じ。【通證に引る廣韻の説は用なし。】○※[金+耀の旁]。通證に當v作v鑁とあり○刀子。小刀なり○矢一具。三代格延暦二十年文に。以2十隻1爲2一具1。とあり○麻一條。中臣本考本。及本書傍書に。條を把に作る。訓に依るに。把の方|是《ヨロシキ》に似たり。さて麻一條とあるには。木綿と麻との二種を。合せたるなるべき事。記傳に云り。さて神祇(3654)令に。凡諸國須2大祓1者。毎v郡出2刀一口。皮一張。鍬一口。及雜物等。戸別麻一條1。其國造出2馬一匹1。とあり。聊異なり。
 
 
壬子詔曰。死刑。歿官《ヲサムルツミ》。三(ノ)流《ナガスツミ》。並|除《ノゾケ》2一等(ヲ)1。徒《ミツカフ》罪以下。已|發覺《アラハレタル》未2發覺1。悉(ニ)赦(セ)之。唯既|配流《ナガサレタル》。不v在2赦(ノ)例《カギリニ》1。是日。詔2諸國(ニ)1。以放v生《イキモノ》。
 
 
壬子。十七日なり○死刑歿官三流。本の訓は甚しき非なり。こゝは死刑を一項とし。没官を一項とし。三流を一項として見るべきなり。其證は。續紀十四。天平十三年正月甲辰。逆人廣嗣與黨。且所2捉獲1。死罪二十六人。没官五人。流罪四十七人。徒罪三十二人。杖罪一百七十七人。とあるにて知べし。さて死刑は死罪なり。歿官は官を歿《ヲサム》る罪なり。【獄令また續紀に見ゆ。】三流は流罪なり。次に云○並除一等。中臣本に除を降に作る。右の三項の罪に。各等級あるを云。さるは死罪に絞斬あり。三流に遠中近あり。【續紀九。神龜元年。定2諸流配遠近之程1。伊豆安房常陸佐渡隱岐土佐六國爲v遠。諏方伊豫爲v中。越前安藝爲v近。とあり。延喜式に諏方を信濃と爲す。】没官に除名あり。免官あり。免所居官あり。官當あり。右等の羞あれば。其等差に從ひて罪を減ずるなり。されば本に除とあるよりも。降とある方よろし。【然るに本の非訓に據て。通證に。言3死刑者没入爲2官奴婢1也。と云るは。更に聞えがたし。集解また其説に循へれば。云に及ばず。】○徒罪以下。吏學指南云。徒奴也。蓋奴2辱之1。とあり。一年より三年に至る五等あり。以下は杖笞なり○配流不在赦例。名例律云。凡流配人。在v道會v赦。計2行程1。過v限者。不v得2以赦原1。とあり〇放生。始て見えたり。又續紀一にも見ゆ。通證云。放生會。定2養老(3655)四年1。拾芥抄曰。八月十五日石清水放生會。文献通考禮樂合編。亦載2此事1。とあり。【政事要略二十三に見えたり。】
 
 
是月。大三輪(ノ)眞上田(ノ)子人君卒。天皇聞(テ)之大(ニ)哀。以2壬申年之功(ヲ)1。贈2内(ノ)小紫位(ヲ)1。仍(テ)謚《タトヘナヅケテ》曰2大三輪眞上田(ノ)迎《ムカヘノ》君(ト)1。
 
 
大三輪眞上田子人君。上卷に三輪君子首に作れり。續紀に神(ノ)麻加牟陀君|兒首《コヒト》に作る。【考本には。ここをも兒首とあり。】○壬申年之功。上卷に伊勢國司介三輪君子首云々。率2數萬衆1。自2伊勢大山1。越之向v倭云々の事あり。續紀二。大寶元年七月勅。先朝論功行v封。時賜2神(ノ)麻加牟陀君|兒首《コヒト》十一人。各一百戸云々。同居2中第1。宜依v令四分之一傳v子。とあり○謚の訓。推古紀に稱をタトヘと訓り。令義解云。謚者累2生時之行迹1。爲2死後之稱號1。とあり。謚號の例は拾芥抄に見えたり○眞上田迎君。眞上田も迎も共に謚號か。詳ならず。【按に。眞上田は。なほ姓にて。迎と云が謚號にもあるべし。さるにても。迎と云義詳ならず。或人は平《ムケ》の延かと云れど。いかゞあらむ。】さて此ぞ臣下に謚を賜へる始なるべき。
 
 
九月丙寅朔。雨(テ)不2告朔《ツキタチマヲシ》1。乙亥。王卿遣(テ)2京《ミサト》及畿内(ニ)1。※[手偏+交]2人別《ヒトゴトノ》兵(ヲ)1。丁丑。筑紫(ノ)大|宰《ツカサ》三(ノ)位屋恒王。有v罪流2于土左(ニ)1。戊寅。百寮人。及|請蕃《トナリノクニノ》人等。賜v禄各有v差。
 
 
(3656)不告朔。儀制令。凡文武官初位以上。毎2朔日1朝。各注2當司前月(ノ)公文1。五位已上。送(リ)2著《オケ》朝廷案上1。大納言進奏。若遇v雨失v容。及泥潦(ハ)竝停。【辨官取2公文1。納2中務省1。】太政官式。凡天皇孟月臨v軒視v朔。國史。桓武天皇延暦十九年夏四月己已朔。御2太極殿1視v朔。淳和天皇天長元年夏四月庚申朔。御2太極殿1。視2告朔事1。弘仁式。毎月晦日勘録。少納言毎月四日進奏。とあり。公事根源云。視告朔。一月三日條。是は百官の行事上日をしるして。【此紀に上日《ツカヘマツルヒ》とあり。】月毎に天子の御覧ぜらるゝ也。告朔の文を見そなはすと申心なり。天子太極殿に出御なりて見給。天武天皇五年九月には。雨によりて告朔なしと。日本紀にあれば。此時より前《サキ》に始りぬとは知べし。論語にいへるは。月毎に朔《サク》を廟につくるといへり。それをも告朔といへり。字はおなじけれども。心は替たり。言惣意別《ゲンソウイベツ》と申は。かやうの事にや。此事或は一日にあり。又四日などなり。視告朔とかきて。たゝかうさくと。二文字によむか。口傳にて侍なり。こくさくとは不v讀なりとあり。【年中行事歌合判詞も。大凡同じ。但し歌に視告朔。そをだにとのこしおきけるからくにの。ひつしのあとをなほやたづねん。女房。かくよまれたるはたがへり。されどそれを咎めいはぬには。意ありしなるべし。これは序に云。】さてこの事。寛平以後は行はれざりしこと。年中行事に清凉記を引て云り○乙亥。十日なり〇※[手偏+交]人別兵。本に※[手偏+交]を授に作る。今は京極本中臣本に據る○丁丑。十二日なり○屋恒王。類史諸本及釋紀等に。屋垣王に作れり。【考本には。一本八垣王とあり。】○戊寅。十三日なり。
 
 
丙戌。神官奏曰。爲2新甞《オホニヘノ》1卜2國郡(ヲ)1也。齋忌(ハ)【齋忌。此云2踰既1。】則尾張(ノ)國(ノ)山田郡。次(ハ)【次。此(3657)云2須岐1。】丹波(ノ)國(ノ)※[言+可]沙郡。並(ニ)食《アヘリ》v卜(ニ)。是月。坂田公雷卒。以(テ)2壬申年功(ヲ)1。贈2大紫位1。
 
 
丙戌。二十一日なり○神官。神祇官なり○奏曰は。新甞の爲に。悠紀主基の國郡を定めて。豫め神祇官をして。卜はしむるが故に。其由を奏せるなり○齋忌次の事は。大甞祭式に。凡在京齋場者。預分設2兩處1。悠紀在v左。主基在v右云々。其宮(ノ)東西二十一丈四尺。南北十五丈。中分東爲2悠紀院1。西爲2主基院1。宮垣(ノ)正南開2一門1。内樹2屏離1云々。とありて。正殿の東西に。悠紀主基(ノ)二院を建て。其殿にて。天皇御自ら神饌を供へ。神を祭り給ふ。これを悠紀主基と申すなり。其悠紀主基の二院を造るより始めて。此行事の儀式等は。委しく貞觀延喜等の式に載たり。さて大甞祭式云。凡踐祚大甞云々。其年預令d所司卜c定悠紀主基國郡u。奏可訖。即下知。依v例准擬(セヨ)。又定2※[てへん+僉]※[手偏+交]行事1。とある。これは踐祚大甞の事なれども。此御世にはだ年々の大甞にも。なほ悠紀主基の國郡を定め給ひしものなるべし。【神祇令に。凡大甞者。毎世一年。國司行事。以外毎年行事。とある如く。上代は踐祚大甞に限らず。國郡卜定ありしを。令の時に至りて。毎v世一年と定められしものと見るべし。但令以後とても。毎年の新甞にも。右の如く齋忌次の國郡をこそは。踐祚大甞の如く定られね。新甞會御拔穗の國郡を立らるゝ事なり。宮内省式に。凡新甞祭所v供。宮田(ノ)稻及粟等。毎年十月二日。神祇祐史各一人。率2卜部1。省丞録各一人。率2史生1。共向2大炊寮1卜定。應v進2稻粟1國郡卜了。省丞以2奏状1進2内侍1。内侍奏了下v官。官即仰下。と見えたるが如し。官主秘事口傳抄なる。應長元年の文書に。十月一日大炊寮申。新嘗祭御稻田云々。と見え。大炊寮粟卜定。新嘗會供御(ノ)拔穗。供御粟國郡等事。河内國石川郡供御拔穗三十束。山城國宇治郡供御粟三斛云々。とあり。粟とは籾と爲たる稲を云なり。と重胤云れたり。】さて齋忌次と云名義は。古來さま/\にいひて。一定の説なし。按に。齋忌は此にあるが正字にて。齋忌《イ》み清《キヨ》まはり仕奉る。御膳《ミケ》の名なるべし。次《スキ》も字は借たるものにて。清《スカ》々しく清《キヨ》まはれる名義にて。齋忌にかはることなし。(3658)田中頼庸は。悠紀は齋|酒《キ》。主基は清酒《スキ》にて。神に備ふる酒の名なるを。酒を云て。御饌を兼たるものなりと云り。されど酒の事のみにはあらじとおもはるゝは。大神宮儀式帳。朝夕御食之湯貴之神祭物。四百六十二口。湯貴御贄漁時祭。用物缶十二口。九月神甞供奉。伐穗稻四十束。三節祭湯貴神清酒料二百四十束。湯貴御贄採(ニ)海(ヘ)往(ク)。禰宜内人小内人。及祝部等。荒祭宮湯貴清酒料稻六十束。などありて。湯貴之神祭物物。湯貴御贄。湯貴神清酒。などあれば。酒のみには限らぬ名目なること知られたり。さて右の如く。神宮の書に湯貴とは多くあれど。主基と云事の見えぬは。主基も名義は同じけれど。此名目は。大甞にのみ云稱なればなるべし。されば主基も。清忌《スキ》の御膳の名と心得てあるべし。矢野玄道云。神代紀口訣に。悠紀主基の義を解て。以v齋讀v由者。如2齋庭之穗1。言潔齋之辭也。清淨而祭2天神1。以云2悠紀1。後度神供祭2地神1。以云2主基1也。と見えたるは。忌部氏に傳はれる古傳なること疑なし。此に考合すべきは。集古遺文に載る。地藏院古記に。大甞祭は。神代より興りて。世々に行ひ給ふ事。國史に見えたり。然るにユウキに天神を祭り。スキに地祇を祭る事は。天武天皇始めて。世々の例となれり。とある。天武天皇御世よりなりと云は。信られねど。决めて古傳にて。後鳥羽天皇御記。また永和記にも。近き御世まで仕奉り坐し祝詞御文にも。よく符ひ。泰山集に。大甞會天下諸神一神不v遺とも。大甞會祭三千餘座。只用2兩社1。と説るも。由ある傳と所思ゆればなり。卜家なる名法要集にも。天神をユキ。地祇をスキと見ゆ。【古史傳二十九下十八のひら】と云れたるは。いとめづらしき説なり。さてしか天神地祇と。別て祭(3659)らせ給ふと見ても。悠紀主基の名目は。上に云るが如くにて差支なし。【然るに。池邊眞榛が古語拾遺注に云く。由紀主基。名義は。由紀は齋城。主基は次にて。兩宮同状に造らるゝ事なり。釋紀に齋忌次。私記曰。古稱2須支1。師説次2於齋忌1。今稱2主基1者訛。先師説曰。謂2悠紀1者。湯貴也。是則浴湯齋忌之義也。と云る。次字を解たるはよろしきを。由紀を齋忌の意としたるはいまだし。又玉勝間に云云。(今略く)と云れたるもあらず。次は則肋の意にて。ものを介《タス》くることを。古くはスキとも。スケとも云るなり。こゝの次は。齋城に若し穢などのあらむ時の助《スケ》にとて。遣らるゝにて。同状なるは。同事を行はむ料のものなる故なり。大人は次の字にのみなづまれて。むつかしく云れたるなり。假令其意ならむにも。主基は助の料ならで。何とかせん。一殿にても事足るべきをや。清潔を旨とせらるゝが故に。しか嚴重に。二方には設らるゝにこそ。と云れたるは。甚しき推測なり。】○山田郡。和名抄。尾張國山田郡。後|春日部《カスカベ》郡に併たり○※[言+可]沙郡。倭名抄。丹波國加佐郡。續紀和銅六年四月。割2丹波國五郡1。始置2丹後國1。とあり○食卜。令義解に。謂凡卜者。必先墨畫v龜。然後灼之。兆順食v墨。是爲2卜食1。さて卜定(ノ)國司。京に參上りて。其事に奉仕すること。貞觀儀式に見えたり○坂田公雷。此氏は繼體皇子仲王之後。本紀に出。雷詳許ならず。上にも見えず。
 
 
冬十月乙未朔。置v酒宴2群臣(ニ)1。丁酉。奉2幣帛於|相嘗《アヒニヘ》新甞(ノ)諸神祇(ニ)1。甲辰。以2大乙上物部連麻呂(ヲ)1。爲2大使(ト)1。大乙中山背直百足(ヲ)。爲(テ)2少《ソヒ》使(ト)1。遣2新羅1。
 
 
宴群臣。類史歳時部二孟に出。二孟とは。二孟旬儀とて。四月十月の朔に行はるゝなり。公事根源云。是は天子夏冬の季の改まるはじめに。臣下に御酒をたび。政をきこしめす義なり。おほよそ旬には色々あり云々。この夏冬のをば。二孟の旬とも申すなり。十月一日には。先御衣かへあり。掃部寮夏の御装束を撤して。冬のに改め給ふ。天皇南殿に出御有て。節會あり。是を孟冬の旬とは申なり。二献(3660)の後。氷食を群臣にたまふ。孟夏の旬には扇を給ふ。大かたの儀は孟夏におなじ云々とあり。なほこの二孟旬の事は。江次第年中行事歌合に見えたり○丁酉。三日なり〇奉幣帛。本に奉を祭に作る。今京極本に據る○相甞新甞。本には上の甞字脱たり。今京極本水戸本に依る。これは相甞と新甞との二祭の名目なり。必甞字あるべし。神祇令に。仲冬上卯相甞會。下卯大甞祭。義解謂。相甞祭謂。大倭。住吉。大神。穴師。恩智。意富。葛木鴨。紀伊國日前神等類是也。神主各受2官幣帛1。而祭。延喜四時祭式に。相甞神七十一坐。【公事根源に。ちかき頃は。絶てさたなしとあれば。其比は既に絶しなりけり。】延喜講書(ニ)私紀曰。調庸荷前。先祭2神祇1。號2相甞祭1。後奉2山陵1。號2荷前1也。とあり。さて相甞の訓は。公事根源にあひむへの祭とよむなりと云へれど。アヒニヘ。又アヒナメなどよむべし。新甞は上に見えたると同じ。仲冬下卯に祭り給ふべき神等に。まづ幣帛を奉らるゝなり。【然るに重胤は。こゝに相新甞とある本に據て云れけるは。續紀第三十八詔に。大新甞乃猶良比云々とあり。相甞(ノ)大甞と云事なるを。爾閇に當て。新甞の字を書れたり。と云れたるはよからず。】○甲辰。十日なり○山背直百足。元年紀に。山背直小林と云人あり。
 
 
十一月乙丑朔。以2新甞事1不2告朔1。丁卯。新羅遣2沙※[にすい+食]金清平1請v政。并(テ)遣(テ)2汲※[にすい+食]金好儒。弟監大舍金|欽《オム》吉等(ヲ)1。進v調。其送使奈末被珍那。副使奈末好福。送2清平等(ヲ)於筑紫(ニ)1。是月。肅慎《ミシハセビト》七人。從(テ)2清平等(ニ)1至之。癸未。詔近v京(ニ)諸國(マデ)而放v生。甲申。遣(テ)2使(ヲ)於四方(ノ)國(ニ)1。説2金光明經仁王經(ヲ)1。丁亥。高麗遣(テ)2大(3661)使後部王簿河于。副使前部大兄徳富(ヲ)1。朝貢。仍(テ)新羅遣(テ)大奈末金楊原(ヲ)1。送2高麗(ノ)使人(ヲ)於筑紫1。是年。將v都《ミヤコツクラントス》2新城《ニヒキニ》1。而限内(ノ)田|薗《ハタケ》者。不v問2公私(ヲ)1。皆不(テ)v耕悉荒(ヌ)。遂不v都矣。【或本無2是年以下不都矣以上廿五字1。注2十一月上1。】
 
 
不告朔。今月新嘗祭の事あるいそぎに附て。告朔を止められたるなり。去月の相嘗新甞。諸神祇奉幣の事にはあらず。さて此月新嘗祭ありしこと。本紀に漏されたり○丁卯。三日なり○遣級※[にすい+食]。本に級を汲に作る。今釋紀に據る○金好儒。本に儒を濡に作る。今考本に據る○金欽吉。欽の訓オムとあるによらば。飲の誤にもあるべし○癸未。十九日なり○甲申。二十日なり○金光明經。金光明最勝王經十卷。金光明經四卷○仁王經。三藏目録。仁王護王般若波羅密經一卷○丁亥。三十三日なり○後部主簿。本簿を博に作る。今集解に據て改む。後漢書高句驪傳云。凡有2五族1。有2消奴部。絶奴部。順奴部。灌奴部。桂婁部1。本(ハ)消奴部爲v王。稍微弱。後桂婁部代v之。其置v官。有2相加。對盧。沛者。古鄒。大加。主簿。優台1。注(ニ)按高驪五部。一曰内部。一名黄部。即桂婁部也。二曰北部。一名後部。即絶奴部也。三曰東部。一名左部。即順奴部也。四曰南部。一名前部。即灌奴部也。五曰西部。一名右部。即消奴部也。古鄒大加。高驪掌2賓客1之官。如2鴻臚1也。とあり。【按續紀考證卷三に。此《コヽノ》文を引て。後部王博阿于に作り。其説を爲すは非なり。】○河于。中臣本釋紀等に。河を阿に作る。人名なり○新城。十一年にも。地形を見せしめ給ひしことあり。大和志に。添上郡新木村。舊作2新城1。(3662)とあり。持統紀三年八月にも。監《ミタマフ》2新城1とあれば。其頃には。宮室をも營築し給ひしなるべし。さて續紀三十に。新城乃大宮爾。天下治給之。同三十三に。幸2新城宮1。とあるは。平城宮を稱せり。【さらばここなる新城も。平城の舊名にもやあらむ。よく考べし。】○限内田薗者。考本に。限(ノ)上に一本除字あり。とあり○遂不都矣。遂(ノ)上然字などあるべきなり。さて此下に。無是年以下不都矣以上廿五字注十一月上。の十八字。本には脱字あり。今不(ノ)字矣(ノ)字は京極本に據る。廿五の二字。本に學(ノ)一字に作る。今考本に據て訂せり。されど此注|本《モト》より後人の※[手偏+讒の旁]入なることは明らけし。中臣本には。此注御本に无とあり。一本には家本无とあり。集解には削れり○扶桑略記云。五年丙子。自v春不v雨。天下大飢。勅2諸國1。講2讀最勝仁王等經1。親王以下内命婦等。各給2食封1。とあり。本紀には漏されたり。
 
 
六年春正月甲子朔庚辰。射2于南(ノ)門(ニ)1。二月癸巳朔。物部連麻呂至v自2新羅1。是月。饗2多禰(ノ)島人等(ニ)。於飛鳥寺(ノ)西(ノ)槻(ノ)下(ニ)1。三月癸亥朔辛巳。召2新羅(ノ)使人清平。及|以下《シモヘノ》客十三人(ヲ)於京(ニ)1。
 
 
庚辰。十七日なり。大日本史云。自是以後。本書比年書2十七日射1。其爲2恒例1明矣。とあり○南門。類史に西門に作れり○多禰島。通證云。周匝百七十四里。距2大隅1百八里。續日本紀曰。天平五年。多※[衣+執]島熊毛郡大領安志託等。賜2多※[衣+執]後(ノ)國造姓。益救郡(ノ)大領加理伽等(ニ)多※[衣+執](ノ)直1。類聚三代格。弘仁十五年九月。停2多(3663)※[衣+執]島1。隷2大隅國1。能滿合2於|馭謨《コム》1。益救合2於能毛1。四郡爲v二。倭名抄。大隅國馭謨郡熊毛郡。とあり。この熊毛と云ぞ。上代の多禰島にて。今も種子島と書り。なほ十年八月の下合考べし。【唐書作2多尼11。皇明世法録作2多※[衣+執]1。全浙兵制日本風土記。種島|佗尼什麼《タネシマ》とあり。】○右官史記と云書に。天武天皇六年二月丙午。令3山背國營2賀茂神宮1。とあり。年中行事秘抄にも。亦此文を載たり。此に入べし○辛巳。十九日なり。
 
 
夏四月壬辰朔壬寅。村田(ノ)史名倉。坐v指2斥《ソシリマツレリトイフニ》乘與《キミヲ》1。以(テ)流2于伊豆(ノ)島(ニ)1。乙巳。送使被珍那等(ニ)。饗2于筑紫(ニ)1。即從2筑紫1歸之。
 
 
壬寅。十一日なり○村田史。系詳ならず。秘閣本中臣本類史釋紀に。村を材《クレ》に作る。京極本釋紀一本等には。杙《クヒ》に作る。いづれかまことならむ。知がたし○指斥乘輿。本に斥を庠に作る。今類史考本釋紀等に依る。後漢書注に。斥(ハ)指也とあり。【通證に。一作v屏。屏(ハ)斥也。とあるもわろし。】名例律云。八虐。六曰大不敬。指2斥乘輿1。情理切害。唐律疏議曰。此謂d情有2缺望1。發言謗毀。指2斥乘輿1。情理切害者u。若便無心怨v天。唯欲v誣2搆人1。罪自依2反坐之法1。不v入2十惡之條1。とあり。さて天子を乘輿と申す事は。蔡《災の火が邑》曰。天子至尊。不2敢渫涜言1v之。故託2於乘輿1也。とあり○乙巳は。十四日なり○被珍那。本に被字なし。今上文に據て補。
 
 
五月壬戌朔。不2告朔1。甲子。勅(テ)2大博士百濟人率丹(ニ)1。授2大山下(ノ)位1。因以(テ)封《ヨサス》2(3664)三十戸(ニ)1。是日。倭(ノ)畫師|音檮《オトカシ》。授2小山下(ノ)位1。乃封2二十戸(ニ)1。戊辰。新羅人阿※[にすい+食]朴|剃破《シハ》。從《トモ》人三口。僧三人。漂2著於血鹿(ノ)島(ニ)1。己丑勅。天社地社(ノ)神税《カムチカラ》者。三(ニ)分(テ)之一(ヲバ)。爲2擬供神《ツカヘマツルカミノ》1。二(ヲバ)分2給(ヘ)神主(ニ)1。是月旱早之。於2京及畿内1※[雨/咢の下半]《アマゴヒス》之。
 
 
不告朔。其故を記さず○甲子。三日なり○大博士は。大學博士なり。懷風藻目録に。大學博士守部連大隅を。本文には大博士に作れり。職原抄に。大學寮博士一人。中古以來。清中兩家。依2位次1任v之。號2大博士1。とあり○率丹。中臣本釋紀に。丹を母とあり〇倭畫師音檮。姓氏録左京諸蕃。大岡息寸。出v自2魏文帝之後安貴公1。大泊瀬幼武天皇御世。率2四衆1歸化。男龍一名辰貴。善2繪工1。小泊瀬稚鷦鷯天皇。美2其能1。賜2姓首1。五世孫勤大一惠尊。亦工2繪才1。天命開別天皇御世。賜2姓倭(ノ)畫師1。亦高野天皇神護景雲三年。依2居地1。改賜2大岡忌寸姓1也。幡文《ハタヤノ》造同上。とあり。音檮。義詳ならず。持統紀に八口朝臣音檮あり○戊辰。七日なり○從人。本に從を徒に作る。今秘閣本中臣本に據る○己丑。二十八日なり○天社地社。神武妃に天神地祇。或は天社國社に作る○神税。神祇令に。凡神戸調庸。及田租者。並充v造2神宮及供御調度1。其税者。一准2義倉1。皆國司※[手偏+僉]※[手偏+交]。申2送所司1。義解謂。准2義倉1者。不2出擧1也。とあり○神主は。祠官なり○※[雨/咢の下半]之。通證に。月令注(ニ)。※[雨/咢の下半](ハ)吁嗟求v雨之祭也。拾芥抄。祈雨十一社。應和三年七月十五日。大雷。水主。木(ノ)島。乙訓。已上山城。平岡。恩智。已上河内。廣田。生田。長田。坐摩。垂水。已上攝津。とあり。
 
 
(3665)六月壬辰朔乙巳。大震動。是月詔(テ)2東(ノ)漢直等(ニ)1曰。汝等(ガ)之|黨族《ヤカラ》。自v本犯2七(ノ)不可《アシキコトヲ》1也。是以(テ)從2小墾田(ノ)御世1。至(マデニ)2于近江(ノ)朝(ニ)1。常(ニ)以(テ)v謀(ヲ)2汝等(ヲ)1爲v事《ワザト》。今當(テ)2朕(ガ)世(ニ)1。將v責《セメテ》2汝等(ノ)不可《アシキ》之状(ヲ)1。以|隨《マヽニ》v犯(ノ)應(シ)v罪。然|頓《ヒタブルニ》不v欲v絶(ンコトヲ)2漢(ノ)直之氏(ヲ)1。故降(シ)2大恩(ヲ)1。以(テ)原《ユルシタマフ》之。從v今|以後《ユクサキ》。若有(バ)v犯者。必入2不赦之|例《カギリ》1。
 
 
乙巳は。十四日なり○大震動。類史に大(ノ)下地字あり○汝等之黨族。本に等(ノ)下(ノ)之字。族(ノ)下に入る。今京極本に據る〇七不可は。今知べからねど。通證集解にも云れたるが如く。崇峻天皇五年に。東漢直駒の天皇を弑し奉れる。皇極天皇四年に。漢直等眷屬を總聚めて。蝦夷に黨せる。孝徳天皇大化元年に。倭漢文直麻呂が。古人皇子とゝもに謀反せるなど。紀に見えたり。其七の不可も推て知るべきなり○小治田御世。推古天皇なり○謀汝等は。汝等が所行を見て。慮《ハカ》り給ふ意なり○今。本に令に作る。中臣本に據る○從今。本に從を徒に作る。今改む。
 
 
秋七月辛酉朔癸亥。祭2龍田風神。廣瀬(ノ)大忌神(ヲ)1。八月辛卯朔乙巳。大(ニ)設2齋《ヲガミス》於飛鳥寺(ニ)1。以讀2一切經(ヲ)1。便天皇御2寺南門(ニ)1。而禮2三寶(ヲ)1。是時詔(テ)2親王諸王及群卿(ニ)1。毎v人賜2出家《イヘデ》一人1。其出家者。不v問2男女長幼(ト)1。皆隨(テ)v願(ニ)度之。因以(テ)(3666)會《マジフ》2于|大齋《ヲガミニ》1。丁巳。金清平歸v國(ニ)。即漂著(ケリシ)朴刺破等(ヲ)。付《サヅケテ》2清平等(ニ)1。返《ツカハス》2于本土(ニ)1。戊午。耽羅遣(テ)2王子都羅(ヲ)1。朝貢。九月庚申朔己丑。詔曰。凡|浮浪《ウカレ》人。其送2本土(ニ)1者。猶復還到(バ)。則彼(モ)此(モ)並|科《オホセヨ》2課※[人偏+殳]《ミツキ》1。冬十月庚寅朔癸卯。内(ノ)小錦上河邊臣百枝(ヲ)。爲2民部卿《カキベノカミ》1。内大錦下丹比公麻呂(ヲ)。爲2攝津(ノ)職(ノ)大夫《カミト》1。
 
 
癸亥は。三日なり○乙巳。十五日なり○賜出家一人。其縁邊の人に。僧となることを願へば。一人に一僧を許し給ふなり○丁巳は。二十七日なり○金清平。本に金を全に作る。今中臣本考本に據る○朴刺破。本に刺を判に作る。今考本及上文に據る○戊午。二十八日なり○己丑。晦日なり○浮浪。天智紀に出。桓武紀には浪人とあり○癸卯。十四日なり○内小錦上。内は外位に對へたるのみ。本位を内位と云へるなり。例多し。既に云○河邊臣百枝。天智紀に出○民部卿。倭名抄には。民部省多美乃都加佐とあり。カキベの稱も古し。兩樣に唱けるにや。職員令に。民部省卿一人。掌2諸國戸口名籍。賦役考義。優復※[益+蜀]免。家人奴婢。道橋津濟。渠地山川。藪澤諸田事1。とあり。通證云。職原抄(ニ)。唐名戸部尚書。杜氏通典曰。隋初有2度支尚書1。開皇三年。改2度支1爲2民部1。唐修2隋志1。謂2之戸部1。廟諱(ノ)故也。とあり〇丹比公。宜化紀に出○攝津職大夫。職員令。攝津(ノ)職。帶2津國1。大夫二人。掌d祠社戸口簿帳。字2養百姓1。勸2課農桑1。糺2察所部1。貢2擧孝義1。田宅良賤訴訟。市廛。度量輕重。倉廩租調。雜徭。兵士器仗。道橋津濟。過所(3667)上下。公使郵驛傳馬。闡遺雜物。※[てへん+僉]2※[てへん+交]舟具1。及寺僧尼(ノ)名籍事u。とあり。大夫は長官なり。倭名抄。職曰2大夫1加美。とあり。國造本紀に。攝津國造。據2准法令1。謂2攝津職1。初爲2京師1。柏原帝(ノ)代。改v職爲v國。倭名抄。延暦十三年。停v職爲v國。とあり。【三代格記略に。此事見えたり。攝津志に。天武六年置2攝津職1。とあるは。此の文を以て云か。將別に據あるかしらず。】
 
 
十一月己未朔。雨(テ)不2告朔1。筑紫大宰献2赤烏(ヲ)1。則大宰府(ノ)諸司(ノ)人(ニ)。賜v禄各有v差。且|專《ミヅカラ》捕《トレル》2赤烏(ヲ)1者(ニ)。賜2爵《カヾフリ》五級1。乃當郡(ノ)々司等(ニ)。加2増爵位1。因(テ)給2復《ツギユルシタマフ》郡(ノ)内(ノ)百姓(ニ)1。以一年之。是日。大2赦天下1。己卯新甞。辛巳。百寮(ノ)請有位人等(ニ)。賜v食《イヒ》。乙酉。侍2奉新甞(ニ)1。神官及國司等(ニ)。賜v禄。十二月己丑朔。雪(テ)不2告朔1。
 
 
不告朔は。雨の故か。または此月新甞あるが爲か○献赤烏。治部式に。赤烏爲2上瑞1。とあり。さて通證に。九年有2朱雀1。年號之朱鳥盖出2于此1。と云るは。此赤烏を。朱鳥の年號の出所と見たりしにや。おぼつかなき注なり。さらずはこゝに用なき注なり○各有差。本に有字脱たり。今類史中臣本に據る○給復。職員令義解に。復除也とあり〇一年之の下。京極本考本に給字あり。税字の誤などにや○己卯。二十一日なり○辛巳。二十三日なり○賜食。式に巳日召2五位已上1給v饗。とあり。食はもしくは饗(ノ)字の畫の缺しものにや○新甞。神祇令。仲冬下卯大甞祭。義解。若有2三卯1者。以2中卯1爲2祭日1。とある(3668)は。此御世の今年を例とせしにや○乙酉。二十七日なり○侍奉。本に侍を待に作る。今中臣本考本に依る○神官及國司等。神官は神祇官の人なれば。大甞に仕奉れること。もとよりなれども。國司の預る事は。踐祚大甞に限ることなり。然るにこゝにかくあるは。上にも云る如く。當昔は年々の大甞にも。なほ國司の仕奉りしこと。此文にても知られたり。
 
 
七年春正月戌午朔甲戌。射2于南門1。己卯。耽羅人向v京(ニ)。是春。將v祠2天神地祇(ヲ)1。而天下悉(ニ)祓禊《ハラヘス》之。竪2齋宮於倉梯(ノ)河上《カハカミ》1。夏四月丁亥朔。欲v幸2齋宮(ニ)1。卜(ニ)之。癸巳|食《アヘリ》v卜(ニ)。仍取(テ)2平旦《トラノ》時(ヲ)1。警蹕《ミサキオヒ》既動(ヌ)。百寮成v列(ヲ)。乘與《キミ》命v盖《オホミカサメシ》。以(テ)未v及2出行《オハシマスニ》1。十市皇女卒然病|發《オコリテ》。薨《ウセヌ》2於宮(ノ)中(ニ)1。由(テ)v此(ニ)鹵簿《ミユキノツラ》既|停《トヾマリテ》不v得2幸行《オハシマスコトヲ》1。遂不v祭2神祇(ヲ)1。矣。己亥。霹2靂新宮(ノ)西(ノ)廳(ノ)柱(ニ)1。庚子。葬2十市皇女(ヲ)於赤穗(ニ)1。天皇|臨《ミソナハシテ》之。降v恩(ヲ)以|發哀《ミネシタマフ》。
 
 
甲戌。十七日なり○己卯。二十二日なり○祓禊。本に祓を〓に作る。今考本に據る○齋宮。此齋宮は神功紀なる齋宮と同じく。天皇御自ら神事を行給ふ間。齋籠り坐す所なり○倉梯河上。大和志云。十市郡倉梯河上齋宮古蹟。在所未詳。とあり○略記に。三月地震。因幡國貢2稻一莖1。中有2八千粒1。とあり。(3669)こゝに入べき文なり〇癸巳。七日なり○平旦。纂要(ニ)平旦(ハ)曉時。とあり○警蹕。又云。警者肅戒也。蹕止2行人1也。とあり。北山抄節令曰。稱2警蹕1事。其程則天皇起2御座1。離2倚子1三尺許之程稱v之。但出給之度。立2御倚子前1。欲2居給1了程耳〇十市皇女。本に十を千に誤る。今秘閣本中臣本考本に據て改む○卒然。本に卒を乎に作る。今中臣本考本に據る〇薨於宮中。此皇女のかく卒然に薨し給へるに附て。信友が説に。察ふに天皇の。日を卜へて。さばかり嚴重《オモ》き神祭に。ものし給ふ期に及《ナ》りて。皇女の卒に薨給へるは。おのづから時にあひたるにはあらで。もはら大三輪神の御祟にぞありけん。さるは萬葉集に。十市皇女薨時。高市皇子(ノ)尊。【皇女の御弟なり。】御作歌三首とある。第一に。三諸之神之神須疑《ミモロノカミノカミスギ》。巳目耳矣《イメノミニ》。自得見管本名不寐夜叙多《ミエツヽモトナイネヌヨゾオホキ》。【武郷云。此は誤字多くして。古來よみがたし。縣居翁が。かゝるさまによみたるも。信がたきを。證として引れたるは牽強なり。】とよみ給へるは。前に皇女の。大三輪神の【即三諸神の御事也。】御心なるべくおもほせる。不祥《ヨカラヌ》御夢み給ひて。忌《ユヽ》しみ給へる由を。語給ひたりしに。然怪しく畏きさまにて。薨(リ)給へるによりて。眞に其神の祟なりし事を。覺り畏み給ひ。かつ慕ひ給ひ。おもひ寐の夢《ミイメ》には。三輪の神杉のみ見えて。快寐《ウマイ》し給ふ夜の無きことなるべし。また第二に。神山之《ミワヤマノ》。山邊眞蘇木綿《ヤマベマソユフ》。短木綿《ミジカユフ》。如此耳故爾《カクノミカラニ》。長等《ナガクト》思伎。これも云々。【部郷云。今略く。】此二首のおもむきをもて。大三輪の神の祟を受給ひたりけんとは。おしはかり奉らるゝなり。など論れたるは。此皇女。御夫とます大友皇子に。忠貞《マメ》ならぬ御|行《フルマヒ》ありと。おもひ奉れる心から。かゝる推測の説を立て。皇女をあしざまに強たるは。此人の例の僻にて。あらぬ論なり。よしやさる事ありしにもあれ。萬葉集の歌に(3670)ては。更に其意味通えず。今論ふべくもあらぬ事ながら。後に見ん人の爲にとて。此に記しおくになん○鹵簿。御|行《ユキ》の列《ツラ》なり。令義解云。鹵楯也。簿文籍也。言簿2楯鹵1。以爲2部隊1也。とあり。韻會。車駕次第曰2鹵簿1○己亥。十三日なり○新宮。詳ならず。十年紀にも。天皇居2新居井上1。とあり。或人云。是は上に將v都2新城1。とある地にて。都をえ遷し給はざりしかど。行宮を造給ひけんと云る。さもあるべし○庚子。十四日なり○赤穗は。式大和國添上郡赤穗神社。是は春日の地なり。大和志云。廣瀬郡|仁基《ニキ》墓。十市皇女。天武天皇七年四月。葬2于赤穗1。墓畔小冢三。在2赤部村1。とあり。
 
 
秋九月。忍海造|能《ヨシ》麻呂。献2瑞《アヤシキ》稻五莖(ヲ)1。毎莖《モトコトニ》有v枝《マタ》。由(テ)v是|徒《ミツカフ》罪以下。悉赦之。三位|稚狹《ワカサ》王薨之。冬十月甲申朔。有(テ)v物如v綿(ノ)。零《フレリ》2於難波(ニ)1。長五六尺(バカリ)。廣七八寸(バカリ)。則|隨《マヽニテ》v風(ノ)以|飄《ヒヽル》2于松|林《バラ》及葦原(ニ)1。時人曰。甘(キ)露也。己酉詔曰。凡内外文武官《フムツカサツハモノツカサ》。毎年|史《サカム》以上。屬官《スベラルヽツカサ》人等。公平而恪懃者《オホヤケゴヽロアリテツトメイソシカランモノ》。議(テ)2其|優劣《マサリオトレルヲ》1。則定2應v進階(ヲ)1。正月(ノ)上旬以前(ニ)。具(ニ)記(テ)送(レ)2法(ノ)官(ニ)1。則法官※[手偏+交]定(テ)。申2送|大辨官《オホトモヒノツカサニ》1。然縁(テ)2公事(ニ)1。以出(ム)v使(ニ)之日。其非2眞(ノ)病及|重服《オヤノウレヘニ》1。輙《スナハチ》縁(テ)2小故《イサヽカゴトニ》1而|辭《サレルハ》者。不v在2進v階(ヲ)之例1。
 
 
(3671)忍海造。天智紀に出〇三位稚狹王。未詳○飄。ヒヽル。飛ぶ事に多く云り。こゝは飄へるさまの。虫などの飛ぶ状に似たるを以て訓るか。詳ならず。【又はヒルガヘルの誤か。】○甘露。白虎通に。甘露美露也。降則物無v不2美盛1矣。【本草にも見えて。祥瑞と爲たり。】文徳實録二。嘉祥三年七月。石見國獻2廿露1。味如2飴※[食+唐]1。式因幡國巨濃郡甘露神社。集解云。明和三年丙戌十月。自2十三日1至2十四日1。天晴雨v綿。隨v風飄揚。著2木葉1則釋。時謂2之甘露1。とあり。考云。甘露は木葉によくふり付くものにて。とけぬものにて。味甚甘しといふ。こゝの甘露とは。やうすことなり。と云り○己酉は。二十六日なり○内外文武官。考課令に。凡内外文武官。義解謂。依2公式令1。在京諸司爲2京官1。自餘皆爲2外官1。又五衛府軍團。及諸帶仗者爲v武。自餘並爲v文。とあり。以下考課令と粗同じ○史以上屬官人等。史は主典なり。屬官人は。考課令義解に。謂2次官以下1也。とあり○公平而恪懃者。考課令に。公平可v稱者爲2一善1。義解謂。背v私爲v公。用v心平直。假如《タトヘバ》趙武擧(ニ)以2私讐1。祁奚薦(ニ)以2己子1之類。公平也。又恪勤非v懈者爲2一善1。謂2恪敬1也。盡v力曰v勤。假如《タトヘバ》憑豹奏v事。通※[雨/肖]伏v閣。巫馬從v政。戴v星居v官之類。恪懃也。とあり○議其優劣。又云。議2其優劣1。定2九等第1。選叙令に。凡應v敍者。【謂六位以下也。】本司八月三十日以前※[手偏+交](ヘ)定。【謂計v考結v階。即長官自※[手偏+交]。與v考同云々。】式部起2十月一日1。盡(セ)2十二月三十日1。太政官起2正月一日1。盡2二月三十日(ニ)1。皆於2限内1。處分(シ)畢(ヨ)。其應v敍人(ヲバ)。本司量v程。申送集v省。【謂量v程者。量d十二月一日應2會集1之程u也。集v省者。爲d唱2示叙階之高下1。及令uv披2訴選中(ノ)抑屈1。集2於式部兵部1也。】とあり。なほ考課令にも見えたり○送法官。法官は即式部なり○法官※[手偏+交]定。選敍令に。式部起2十月一日1。盡2十二月三十日1。とあるこれなり。※[手偏+交]定は。義解(ニ)※[手偏+交]定(3672)謂2計1v考結1v階。とある是なり。此事後に。二月列見。八月|定考《カウヂヤウ》と云式あるは。此より起れるものなり。さて其定考を字のままにはよまず。逆讀することは。こゝの※[手偏+交]定の文字によれるものか。また宋史の選擧志。帝親取2貢士卷1考定。とあれば。それらによれるか。公事根源。二月十一日列見條云。上卿弁少納言外記史などまゐりて。太政官にておこなへる公事なり。六位以下の藝能ある者をえらびて。式部兵部の二省より率《ソツ》してまゐれるを。上卿のそれをめしよせて。器量容儀を見る意なり。朝所并に宴穩(ノ)座につきて。儀式あり云々。くはしき事は。定考の所にしるし侍べし。また八月十一日定考條云。是は昔し六位以上の加階をする人は。かの藝能行跡恪勤をえらびて。榮爵を給れるなり。上卿官の東の廳の座につきて事を行ふ。次に朝《アイタン》所に就て三献の儀式あり。次に宴穩の座につく。又おの/\三献あり。かざしの花を上卿以下の冠にさす。大臣は白菊云々。大かたは二月の列見に同じ。式兵の兩省より。諸司の輩の上日《シヤウニチ》を選成する事を列見と云。それをかきあつめて奏するを。擬階の奏といふ。この人々を撰び出して。定め侍るを。定考とは申すなり。定考と文字にはかきて侍れど。考定とさかさまによみ侍るが。口傳にて侍るなり。遷叙令に委しき事はのせたり。其儀などは次弟にみえたり。十一日は。また小|定考《カウヂヤウ》とて。大弁以下の人。東の廳に着て行ふ事あり。と云り○申送大辨官。職員令に。左大辨一人。掌d管2中務式部治部民部1。受2付庶事1。糺2判官内1。署2文案1。勾2稽失1。知c諸司(ノ)宿直。諸國朝集u。若右弁官不v在。則併行v之。右大弁一人。掌v管2兵部刑部大藏宮内1。餘同2左大弁1。右中弁一人。掌同2(3673)右大弁1。左少弁一人。掌同2右中弁1。右少弁一人。掌如2右中弁1。とあり。倭名抄。大弁於保伊於保止毛比。と云り。按に。此和名抄の讀は誤なり。古くは於保止毛比と云り。西宮紀。北山抄。小右記に。大|鞆火《トモヒ》之官とあり。さて此官上古には見えざれども。名のさまを思ふに。必後世の官名にはあるべからず。八省を管し。諸司の宿直。諸國の朝集等を知るは。所謂大|率《トモヒ》なり。【古言に物を率る事を。アトモヒと云り。】上古の大弁も。大凡はかゝるさまにて有けらし。【さて又本の一訓に。オホイカウフリノツカサとあるは。是によしなし。】○重服。軍防令に。上番年。雖v有2重服1。義解謂。父母喪也。とあり。
 
 
十二月癸丑朔己卯。臘子鳥《アトリ》蔽v天。自2西南1飛2東北(ニ)1。是月。筑紫國大(ニ)地動之。地裂(コト)廣二丈。長三千餘丈。百姓(ノ)舍屋《ヤカス》。毎村多仆壞。是時百姓(ノ)一家。在2岡上(ニ)1。當2于地動夕(ニ)1。以(テ)2岡崩處1遷。然家既全。而無2破壞(コト)1。家人不v知2岡(ノ)崩(テ)家(ノ)避(コトヲ)1。但會明(ノ)後(ニ)。知(テ)以大(ニ)驚焉。是年。新羅(ノ)送使奈末加良井山。奈末金紅世。到(テ)2于筑紫(ニ)1曰。新羅王遣(テ)2級※[にすい+食]金消|勿《モツ》。大奈末金|世《セイ》々等(ヲ)1。貢2上當年之調(ヲ)1。仍遣(テ)2臣《ヤツガレ》井山(ヲ)1。送2消勿等(ヲ)1。倶逢2暴風(ニ)於海中(ニ)1。以《コヽヲモテ》消勿等皆散(テ)之。不v知v所(ヲ)v如《イニケム》。唯井山僅(ニ)得v著v岸《ホトリニ》。然消勿等遂(ニ)不v來矣。
 
 
(3674)己卯。二十七日なり○臘子鳥蔽天。臘中臣本臈に作る。欽明紀に出。本に蔽を弊に作る。今京極本中臣本に依る○筑紫國大地動。豐後國風土記云。五馬山。昔者此山有2土蜘蛛1。名曰2五馬媛1。因曰2五馬山1。飛鳥淨御原御宇天皇御世。戊寅年。大有2地震1。山岡龜裂。此山一峽崩落。温泉處々而出。湯氣熾盛。炊飯早熱。但一處湯。其穴似v井。口徑丈餘。無v知2深淺1。水色如v紺。常不v流。聞2人之聲1。驚慍騰v※[泥/土]。一丈餘許。今謂2温湯1是也。とあり。此年の地變なり○新羅王は。文武王八年なり○級※[にすい+食]。本に級を汲に作る。今改む○以消勿等。集解以字衍として削れり。
 
 
八年春正月壬午朔丙戌。新羅送使加良井山。金紅世等向v京。戊子詔曰。凡當(テ)2正月之|節《トキニ》1。諸王諸臣及百寮者。除《オキテ》2兄姉(ヨリ)以上(ノ)親《ウカラ》。及己(ガ)氏長《ウチコノカミヲ》1。以外(ハ)莫v拜(コトヲ)焉。其諸王者。雖v母(ト)非(ハ)2王(ノ)姓1者莫v拜(コト)。凡諸臣。亦莫v拜2卑母(ヲ)1。雖v非(ト)2正月(ノ)節(ニ)1。復准v此(ニ)。若有(ハ)v犯者。隨v事罪之。己亥。射2于西門(ニ)1。二月壬子朔。高麗遣(テ)2上部大相桓|欠《・カン》。下部大相師需婁等1。朝貢。因(テ)以新羅遣(テ)2奈末甘|勿《モツ》那(ヲ)1。送2桓欠等於筑紫1。甲寅。紀臣堅麻呂卒。以(テ)2王申年之功(ヲ)1。贈2大錦上(ノ)位1。乙卯詔(テ)曰。及(テ)2于辛巳(ノ)年1。※[てへん+僉]2※[てへん+交]親王諸臣及百寮(ノ)人(ドモノ)之兵及馬(ヲ)1。故豫|貯《ソナヘヨ》焉。是月。(3675)降(テ)2大|恩《メフミヲ》1。恤2貧乏《マヅシキモノヲ》1。以(テ)給《モノタマフ》2其飢寒(ニ)1。
 
 
丙戌。五日なり○戊子。七日なり○凡當正月之節。續紀。文武天皇元年。禁3正月往來2拜賀之禮1。如違犯者。依2淨御原朝廷制1。決2罰之1。但聽2祖兄及氏上者1。儀制令云。凡元日不v得v拜2親王以下1。唯親戚家令以下。不v在2禁限1。とあり○兄姉を。文武紀に祖兄とあり。祖は親なり○氏長を。氏上とあり○非王姓者莫拜。通證に。庚史(ニ)。公主下嫁者。舅姑拜v之。婦不v答。とあり。似たることなり○己亥。八日なり。○大相桓欠。考(ノ)一本に。桓上師字あり。欠。京極本(ノ)旁に文に作れり。中臣本に父に作れり。下も同じ。○甲寅。三日なり○新羅遣奈末甘勿那云々。集解云。東國通鑑云。唐儀鳳二年。新羅文武王十七年。春二月。唐以2故高勾麗王滅1。爲2遼東州都督1。封2朝鮮王1。遣2歸遼東1。安2輯餘衆1。東人先在2中國諸州1者。皆遣。與v※[にすい+蔵の草冠なし]倶歸。仍移2安東都護府於新城1。以統v之。※[にすい+蔵の草冠なし]至2遼東1謀反。潜與2靺鞨1通。按儀鳳二年。當2天皇六年1也。とあり○紀臣堅麻呂。水戸本云。二年十二月。作2紀臣※[言+可]多麻呂1。蓋同人也。とあり。されど上文には。小錦下とあれば。聊疑はし。此人の事詳ならず○辛巳年。十年なり。
 
 
三月辛巳朔丙戌。兵衛《トネリ》大分君稚見死。當(テ)2壬申年(ノ)大※[人偏+殳](ニ)1。爲《シテ》2先鋒(ト)1之。破2瀬田(ノ)營(ヲ)1。由(テ)2是(ノ)功(ニ)1。贈2外(ノ)小錦上位1。丁亥。天皇幸2於越智(ニ)1。拜2後(ノ)岡本天皇陵(ヲ)1。己(3676)丑。吉備(ノ)大宰石川王病(テ)之。薨2於吉備(ニ)1。天皇聞(テ)之大(ニ)哀。則降2大恩(ヲ)1云々。贈2諸王(ノ)二(ノ)位(ヲ)1。壬寅。貪乏僧尼。施《オクル》2※[糸+施の旁]錦布1。
 
 
丙戌。六日なり○兵衛。考云。本にトネリの訓あり。宮門の衛にて。小錦上の贈官ある人は。舍人などにはなし。と云り○稚見死。考本に一本卒とあり。喪葬令に。六位以下。達2於庶人1。稱v死。と云り。稚見贈小錦上とあれば。卒と稱すべき位にあるべき人なり。但し兵衛は微官なり。本官辭免等の事ありしか。詳ならず○破瀬田營。この事上卷に委く出たり○丁亥は。七日なり○越智。高市郡なり○後岡本天皇陵。齊明天皇なり。績紀。文武天皇三年十月。越智山陵修造の事あり。既に前紀に詳なり○己丑。九日なり○吉備大宰は。吉備國守もあれど。なほ其上の總領なるべし。集解に。按吉備(ハ)畿西之國。九州之衝。故置2大宰1。以2諸王1鎭焉。續紀。文武天皇四年十月。直廣參上野朝臣小足。爲2吉備總領1。とあり。【續後紀に。陸奥出羽大宰と云も見えたり。】○石川王。前紀に見えたり。山部王とゝもに。鈴鹿關に來歸せる人なり○諸王二位の事。既出○壬寅。二十二日なり○施※[糸+施の旁]綿布。本に※[糸+施の旁]字脱たり。今中臣本京極本に據る。
 
 
夏四月辛亥朔乙卯。詔曰。商d量《カゾヘテ・ハカリテ》諸有2食封《ヘヒト》1寺(ノ)所由《ヨシヲ》u。而可(ハ)v加加v之。可(ハ)v除《ヤム》除v之。是日。定2諸寺名(ヲ)1也。己未。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。五月庚辰朔甲申。幸2于(3677)吉野宮(ニ)1。乙酉。天皇詔2皇后及草壁皇子尊。大津皇子。高市皇子。河島皇子。忍壁皇子。芝基皇子(ニ)1曰。朕今日與2汝等1。倶盟(テ)2于|座《オホバニ》1。而千歳之後。欲v無v事。奈之何。皇子等共對曰。理實《コトワリ》灼然。則草壁皇子尊。先進(テ)盟曰。天神地祇及天皇|證《アキラメタマヘ》也。吾《オノレ》兄弟|長《オイ》幼。并(テ)十餘(ノ)王。各出2于|異腹《コトハラヨリ》1。然不v別《ワカ》2同(キ)異《コトナルコト》1。倶|隨《マヽニ》2天皇(ノ)勅(ノ)1。而相扶(テ)無v忤《サカフルコト》。若自今以後。不v如2此(ノ)盟(ノ)1者。身命亡之。子孫絶(ム)之。非《ジ》v忘|非《ジ》v失《アヤマタ》矣。五(ハシラノ)皇子以v次(ヲ)相盟(コト)如v先。然(テ)後(ニ)天皇曰。朕|男等《コドモラ》各異腹而生。然今如(テ)2一母同産《ヒトツオモハラカラノ》1慈《メグマシム》之。則|披《ヒラキ》v襟《ミソノヒモ》抱(タマフ)2其六皇子(ヲ)1。因以(テ)盟曰。若違(バ)2茲(ノ)誓1。忽(ニ)亡(ム)2朕身(ヲ)1。皇后(ノ)之盟(コト)。且如2天皇1。丙戌。車駕還v宮《トツミヤニ》。己丑。六皇子共(ニ)拜2天皇(ヲ)於大殿(ノ)前(ニ)1。
 
 
乙卯。五日なり○定諸寺名。按に定額諸寺は。此時に定られたるものなるべし。續紀三十七。延暦二年勅曰。京畿定額諸寺。其數有v限。私自營作。先既立v制云々。又弘仁格政事要略等にも。此事見えたり。定額は惣て數定りたる公寺の事なり○己未。九日なり○甲申。五日なり○乙酉。六日なり○河島皇子。(3678)本に河を阿に誤る。今中臣本考本等に據る。按に天智皇子に。河島皇子ありて。既に出。此《コヽ》なるは天皇の皇子に坐て。同名を稱《トナ》へしものか。されど他には更に載せず。【天智の皇子は。いと名高し。懷風藻に。河島皇子淡海帝之第二子也。志懷温裕。局量弘雅。などあり。】もしくは此皇子も。實は天智の皇子に坐しが。故ありて天皇の御子と爲り給へるものか。又はもとより天皇の御子なるか。先に天智の皇子に爲給へるなどにもあるべし。恐らくは二柱に非じ○芝基皇子。按に朱鳥元年紀八月の處に。芝基皇子。磯城皇子。と並載たるは。芝基の方天智の皇子。磯城の方天皇の皇子に坐すべきが如し。【二年紀にも。天皇の御子磯城とあり。】然れども。こゝは必天皇の御子なり。かくまぎらはしきよしは。既に二年の下に云り○庭は。吉野の宮庭にての事なり。天皇此宮に幸して。昔日の事に感じ給ふ事や坐々けん。さて此宮庭にて盟はせ給ひしならん〇十餘王。紹運録に記せる男女十七王の中に。皇子は十柱なり。されどこゝにては。男女の皇子を。大凡に總べて指せりしものなるべし。必しも男王をのみ指給へるにはあらじ○不別同異。本に別を列に作れり。今中臣本考本に據る○朕男等云々。此詔の詞を讀み奉りて。河島皇子の。天智の皇子ならざることしられたり。然るに通證に。六皇子中。有2天智兒1。而並謂2之朕男1。以爲v盟。親v親之義至矣。と云るは強言なり。【なほ其餘に云れしことゞも。總てよからず。】○襟の訓。本にアリノヒモとあるは。アソノヒモの誤なり。兼夏本には。しかよみたり。神代紀には。衣帶をコロモノヒモと訓り。又二十八巻には襟《キヌノクビ》とも訓り○抱其六皇子。幼稚の状に書る文のみにはあらで。實にしか爲給ひしなるべし。清寧紀に。其二柱王子。坐2左右膝上1。とあるとは異なるべし○丙戌。(3679)七日なり○己丑。十日なり。
 
 
六月庚戌朔。氷《アラレ》零。大如2桃子1。壬申※[雨/咢の下半]。乙亥。大錦上大伴|杜《モリ》屋連卒。秋七月己卯朔甲申※[雨/咢の下半]。壬辰。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。乙未。四位葛城王卒。八月己酉朔。詔曰。諸氏《ウヂ/\》貢(レ)2女人1。己未。幸(テ)2泊瀬(ニ)1。以宴2迹驚《トヾロキノ》淵(ノ)上(ニ)1。先v是詔(テ)2王卿1曰。乘馬之外。更設2細《ヨキ》馬1。隨v召出之。即自2泊瀬1還v宮(ニ)之日。看(テ)2群卿(ノ)儲(ノ)細馬(ヲ)於|迹見《トミノ》驛家(ノ)道(ノ)頭(ニ)1。皆令2馳走《ハシラ》1。庚午。縵造忍勝献2嘉禾1。異v畝《ウネ》同v頴《カヒ》。癸酉。大宅王薨。
 
 
壬申。二十三日なり○乙亥。二十六日なり○大伴社屋連。父祖詳ならず○甲申。六日なり○壬辰。十四日なり○乙未。十七日なり○葛城王。詳ならず。記及び紹運録に據に。敏達皇子に同名あれど。天皇崩御より今年に至り。九十四年を經にければ。其とは慥に云がたし。また通詔に。葛城王適2于陸奥國1之時。國司祇承緩怠。王不v悦。有2前釆女1。詠2安積《アサ》香山歌1。乃王意解。詳見2萬葉集古今集1。蓋此人也。橘(ノ)諸兄公舊名葛城王。故世人爲2公(ノ)事1。然考d集録之語意。及大寶二年陸奥勿v貢2釆女1之勅u。則非v公也必矣。と云り○諸氏貢女人。類史貢女部。天平七年五月。勅諸國所v貢力婦。天平寶字八年十月。詔令3東海東山等國貢2騎女1。なほ後宮職員令に見えて。上に引出たり○己未。十一日なり○迹驚淵上。大和志云。(3680)城上郡迹驚淵。在2白川村1。とあり。枕草紙に轟の瀧あり。此とは異なり○迹見驛家。式城上郡登彌神社あり。そこなり。今世に外山《トビ》村といふ。此地の事は既に出〇庚午。二十二日なり○縵造。本に縵を※[人偏+邊の中]〔左○〕に作る。今中臣本及下文に據て改む。縵は鬘に同じ。姓氏録大和蕃別。※[草冠/縵]連。出v自2百濟人狛之後1也。とあり。十二年紀五月。縵造腸v姓曰v連。氏人は。續紀三十六。外從五位下縵連宇陀麻呂。續後紀二十。大和人外從五位下縵連道繼あり。さてまた舊事紀に。物部竺志連公。奄智(ノ)※[草冠/縵]連祖。弟物部竹古連公。三川(ノ)※[草冠/縵]連等祖。弟物部(ノ)椋垣連公。城(ノ)※[草冠/縵]連。比尼(ノ)※[草冠/縵]連等(ノ)祖などあり。栗田寛云。※[草冠/縵]と云を姓に負けん事。詳ならず。強ていはゞ。※[草冠/縵]は上代に男女ともに。頭の飾に懸る物にて。眞拆鬘。日影鬘などあれば。蔓草を用ゐし事著し。然るを後々には。其を摸して。絲また麻などにて。造れる事となりやしけん。然らば其を造る部の職も。あるべき勢なれば。即其部を率て仕奉りし故に。姓に負しにやあらん。さて姓氏録大和蕃別に。※[草冠/縵]連と云が有て。甚混らはしき故に。大和に住る※[草冠/縵]連をば。奄智。城。といひ。和泉なるをば。比尼などいひて。蕃別なるをば。たゞに縵連とのみ呼しものなるべし。さて十二年腸v姓曰v連。とみえたるは。蕃別の流ならんか。と云り○癸酉。二十五日なり○大宅王薨。この王詳ならず。さて京極本中臣本。薨を卒とあり。              
 
九月戊寅朔癸巳。遣2新羅(ニ)1使人等。返(テ)之拜v朝。庚子。遣2高麗(ニ)1使人。遣2耽(3681)羅1使人等。返(テ)之共(ニ)拜2朝廷(ヲ)1。冬十月戊申朔己酉。詔曰。朕聞之。近日|暴惡《アラクアシキ》者。多在2巷里《サト》1。是則王卿等之過也。或(ハ)聞(テ)2暴惡者1也。煩《ワヅラハシテ》之。忍(テ)而不v治《カムガヘ》。或(ハ)見(テ)2惡人1也。倦《オコタリテ》之。匿(テ)以不v正。其隨2見聞(ニ)1。以|糾彈《タヾサハ》者。豈有(ム)2暴惡(コト)1乎。是以(テ)自今以後。無2煩倦(コト)1。而上(ハ)責2下(ノ)過(ヲ)1。下(ハ)諫《アサメ・イサメバ》2上(ノ)暴(ヲ)1。乃|國家《アメノシタ》治焉。戊午地震。庚申。勅|制《オサム》d僧尼等(ノ)威儀《ヨソヒ》。及法(ノ)服《コロモ》之色。并(テ)馬|從者《トモヒト》。往2來《カヨフ》巷閭《サトニ》1之状(ヲ)u。甲子。新羅遣(テ)2阿※[にすい+食]金項那。沙※[にすい+食]薩※[草冠/田三つ/糸]生(ヲ)1。朝貢也。調(ノ)物(ハ)。金銀鐵鼎錦絹布皮馬|狗《イヌ》騾《ルイ》駱駝之類。十餘種。亦別(ニ)献2物天皇々后太子(ニ)1。貢2金銀刀旗之類(ヲ)1。各有v數。是月勅曰。凡諸(ノ)僧尼(ハ)者。常(ニ)住《ハベリテ》2寺(ノ)内(ニ)1。以|護《マモル》2三寶(ヲ)1。然或(ハ)及老《オイ》。或(ハ)患病《ヤミ》。其永臥(テ)2陝房《セバキムロニ》1。久苦2老病(ニ)1者(ハ)。進止不便《フルマヒモヤ/\モアラズ》。淨地亦穢。是以(テ)自今以後。各就2親族及篤信(アル)者(ニ)1。而立(テ)2一二(ノ)舎屋《ヤカズヲ》于|間《ムナシ》處(ニ)1。老者(ハ)養v身(ヲ)。病者(ハ)服《クラヘ》v藥。
 
 
癸巳。十六日なり○庚子。二十三日なり○己酉。二日なり○暴惡者也。本に暴を異に誤る。今中臣本に據る○惡人の上に。暴字あるべし○戊午。十一日なり○庚申。十三日なり○威儀。職原抄に。傅灯大(3682)法師位。威儀師。或凡僧。とあれども。こゝなるはさる名目にはあらず。訓の如く。たゞ其装束の状を云○法服之色。僧尼命。凡僧尼聽v着2木蘭青碧皀黄及壊色等衣1。餘色及綾羅錦綺。並不v得2服用1。とあり○馬從者。玄蕃式云。凡僧正(ハ)從僧五人。沙彌四人。童子八人。大少僧都(ハ)各從僧四人。沙彌三人。童子六人。律師(ハ)各從僧三人。沙彌二人。童子四人。威儀師(ハ)各從僧一人。沙彌一人。童子二人。從儀師(ハ)各沙彌一人。童子二人。とあり○甲子。十七日なり○阿※[にすい+食]。本に阿を河に誤る。今改む○錦絹布。本に絹字なし。今中臣本京極本に據る○騾。説文。驢父馬母所v生也。字鏡集。色葉字類抄に。ウサキウマとあり○太子。信友云。古寫本には皇太子と作り。【武郷云。京極本にしかあり。】是年に係て太子とあるはいかゞ。もしくは新羅王。皇子《ミコ》等のおはし坐る事を知れゝば。必皇太子はおはしますべく。推量り奉れるにか。また外蕃へは。皇太子の立ておはしませる趣に。示しおかせ給へるが故にてもあるべしと云り○常住寺内云々。僧尼令に。凡僧尼非v在2寺院1。別立2道場1。聚v衆教化。并妄説2罪福1云々。依v律科v罪。とあり○陝房。玉篇陝不v廣也。亦作v狹。とあり。考本には狹とあり。
 
 
十一月丁丑朔庚寅。地震。己亥。大乙下倭馬飼部(ノ)造連《ツララ》。爲2大使1。小乙下|上村主《カミノスグリ》光欠。爲2小使1。遣2多禰島(ニ)1。仍賜2爵一級1。是月。初(テ)置2關《セキヲ》於龍田(ノ)山。大坂(ノ)山(ニ)1。仍(テ)難波(ニ)築2羅城1。
 
 
(3683)庚寅。十四日なり○己亥。二十三日なり。類史百九十三。殊俗部高麗下に。八年十一月己亥(ノ)文あり。しかるに本紀に高麗事を載せず。脱たるなるべし○倭馬飼部造連。出自詳ならず。十二年紀九月。倭馬飼造賜v姓目曰v連。とあり。續紀天平十一年。對馬島目正八位上養徳馬飼連乙麻献2神馬1。とあり。連《ツラ》は名なり○上村主光欠。本に村を寸と作り。今中臣本考本に據る。姓氏録左京諸蕃。上村主。廣階連同祖。陳思王植之後也。攝津同上。右京。廣階連同祖。通剛王之後也。和泉。廣階連同祖。東阿王之後也。とあり。按に通剛王東阿王は。蓋し一なるべし。阿は。もしくは剛の誤にもあるべし。氏人は。氏族志云。聖武帝時有2僧智光1。河内人姓鋤田連。後改2上村主1。【靈異記。】孝謙帝時。河内大縣郡人。從五位下上付主五百公賜v連。【續紀】清和帝時。相摸鎌倉郡人。太皇大后宮少屬。上村主眞野。同姓從八位上秋眞等。改2本居1。貫2大縣郡1。【三代實録】とあり。なほ此他にも。正倉院古文書に。天平寶字二年四月十日下に。上村主牛甘あり。また續紀神護景雲二年三月。上忌寸生羽と云も見えたり。さて上村主(ノ)氏人。廣階氏を賜へること。文徳實録三代實録等に見えたり。光欠(ハ)名なり。秘閣本に欠を文に作れり。【この上をウヘと訓て。下文に宇閇直と一つにせし説はわろし。】○小使。水戸本に小を少とあり○遣多禰島。此は高靈に遣されたるにはあらじか。上に引る類史と合考べし。多禰島に使はれんには。大使小使は似つかはしからず○龍田山は。大和志云。平群郡關屋跡。在2立野村(ニ)1。天武八年始置2關于此1。天文八年收2立野關錢1事。見2信貴山寺目録1。とあり○大坂山。本に坂を江に作る。今中臣本活字本秘閣本に據る。通證云。大坂山。倭名抄葛上郡大坂。今屬2下(ノ)郡1。所謂岩窟越也。關(3684)屋。大坂。村里相隣。可2以證1矣。とあり。【大江とあるに據て。倭名抄山城國乙訓郡大江。園大暦曰2於伊山1是也。萬葉集云。丹波道之大江乃山。小式部歌。大江山幾野乃路。即在2;丹波山城之堺1。卜家本江作v枝。績日本後記。五關之一大枝道。朝野群載。京城四堺之一大技堺。とあるは。後に山城京になりて後の事なり。此御世なるは。なほ大坂の方なり。】○羅城。三代實録【貞觀十三年】に。稱2羅城1者。是周(ノ)國門。唐(ノ)京城門云々。とあり。考云。羅城門は都大路のはてにあるもの。今の總見付の如し。二重閣七間に作とあり。と云り。秉燭談に。唐書高宗時。築2京師羅郭1。又通鑑唐懿宗紀注。羅城外大城也。子城(ハ)内小城也。又朝鮮崔世珍訓蒙字會曰。郭俗稱2羅城1。由v是觀v之。羅(ハ)周羅網羅之義。謂2羅城門1者。郭城門也。と云り。さて續紀十七。同三十四に見えたる羅城門は。平城京の羅城なり。
 
 
十二月丁未朔戊申。由(テ)2嘉禾(ニ)1。以親王諸王諸臣。及百官人|等《ドモニ》。給v禄各有v差。大辟罪《シヌルツミ》以下悉赦之。是年。紀伊國伊刀郡。貢2芝草(ヲ)1。其状似v菌《タケニ》。莖《モトノ》長一尺。其|蓋《イタヾキ》二圍。亦因播國貢2瑞稻1。毎v莖《モト》有v枝《マタ》。
 
 
戊申は。二日なり○由嘉禾以。類史に禾を樂とあるは訛なり。以は集解に衍として削れり○大辟罪以下云々。令義解。辟者罪也。死刑爲2大辟1也。とあり。もと周刑なり。さて續紀以下の史に。大赦行はるゝ毎に此語あり○伊刀郡。倭名抄伊都郡とあり○芝草。皇極紀に云り○按に。元正天皇此年誕生し給へり。天平二十年崩。年六十九歳にならせ給へり。
 
 
(3685)九年春正月丁丑朔甲申。天皇御(テ)2于|向《ムカヒノ》小殿(ニ)1。而宴2王卿(ニ)於大殿之庭1。是日。忌部(ノ)首※[○の中に子]首(ニ)。賜(テ)v姓(ヲ)曰v連(ト)。則與2弟色弗1共(ニ)悦《ヨロコビ》拜。癸巳。親王以下。至(マデニ)2于小建(ニ)1。射2南門(ニ)1。丙申。攝津國言。活田(ノ)村(ニ)桃李實也。二月丙午朔癸亥。如(テ)2鼓音(ノ)1聞2于東(ノ)方1。辛未。有(テ)v人云。得2鹿角(ヲ)於葛城山(ニ)1。角本(ハ)二|枝《マタニシテ》。而末合(テ)有v完。完(ノ)上(ニ)有v毛。毛(ノ)長一寸。則異以(テ)献之。蓋麟(ノ)角歟。壬申。新羅|仕丁《ヨボロ》八人。返2于本土(ニ)1。仍(テ)垂(テ)v恩(ヲ)。以(テ)賜v禄有v差。
 
 
甲申。八日なり○向小殿而。集解に。按謂v向。向2于正殿1也。謂v小對v正也。江次第所謂。小安殿大極殿之後房即是。詳2于十年紀注1。と云れたるが如くなるべし。今按に。後世の殿稱に。西(ノ)對東(ノ)對と云る對も。即ち此向の義なり。さて本に而字なきを。今類史に據て補へり○大殿之庭。集解に謂2大極殿庭1也。とあり。又按に。これもなほ向(ノ)小殿の庭をかく云るにもあるべし○忌部首子首。本に子字なし。天武紀上文。及續起四に子字あり。必脱たるなるべければ。今本居翁の記に據て補。この事は既に云り。【上に忌部首子人とあるによりて。こゝもしかよむべし。然るに通證に。此の注に。私記曰。上讀2於比止1。下讀2加宇倍1。今按上(ハ)姓。下(ハ)名。とあるは誤なり。】○色弗。持統紀に色夫知に作れり。續紀大寶元年六月。正五位上忌部宿禰色布知卒。詔贈2從四位上1。以2壬申年功1也。とあり。【然るに此人。壬申紀に見えず。】此氏特りかく(3686)姓を改め給へるは。いかなる故にかあらん。軍功ならば。餘氏もあるべきを。もしくは先年大嘗に仕奉りし賞にもやあらむ。詳ならず○癸巳。十七日なり○小建。初位冠なり○丙申。二十日なり○活田村。倭名抄攝津國八部郡生田○癸亥。十八日なり○辛未。二十六日なり○鹿角。本に鹿を麟に作る。今中臣本及本書旁書に依る○麟角歟。本に麟を※[馬+隣の旁]と作り。今釋紀に據る。【集韻。※[馬+隣の旁]馬斑文とあり。】毛詩周南麟趾。箋注曰。麟(ノ)角(ノ)未有v肉。示2有v武不1v用。とあり。略記にも二月得2麟角1とあり○壬申。二十七曰なり。
 
 
三月丙子朔乙酉。攝津國貢2白|巫鳥《シトヽヲ》1。【巫鳥。此云2芝苔々1。】戊戌。幸2于菟田(ノ)吾城《アキニ》1。夏四月乙巳朔甲寅。祭2廣瀬龍田(ノ)神(ヲ)1。乙卯。橘寺(ノ)尼房《アマヤニ》失火《ミヅナガレシ》。以(テ)焚2十(ノ)房(ヲ)1。己巳。饗2新羅(ノ)使人項那等(ニ)於筑紫(ニ)1。賜v禄各有v差。是月勅。凡諸寺者。自今以後。除(テ)d爲2國大寺1二三(ヲ)u以外(ハ)。官司莫v治(コト)。唯其有(ム)2食封1者(ハ)。先後限2三十年1。若數v年滿2三十1。則除v之。且以爲。飛鳥寺(ハ)不v可v關《アヅカル》2于司治(ニ)1。然元爲(テ)2大寺(ト)1。而官恒(ニ)治(メキ)。復甞|有功《タスカレアリ》。是以猶入2官治(ル)之|例《カギリニ》1。
 
 
乙酉。十日なり○白巫鳥。倭名抄羽族部。鵐鳥。唐韻云。鵐鳥(ノ)名也。音巫。漢語抄云。巫鳥之止止。集韻曰。雀屬。按蒿雀。今俗曰。阿遠之止止。種類甚多。通證に。古語拾遺曰。片巫。志止止鳥。金葉集云。雨降婆(3687)雉毛志止止爾成爾介利。今刀(ノ)飾有2鵐目1。以2其肖1名之也。枕草紙所謂美古鳥。亦謂v此乎。とあり。しとゞは。青みたる毛色にて。俗にアヲジとも云。黒燒にして。金創などの血を。よく止め治る藥なり。こゝに白巫鳥とあるは。毛色の白きを珍しみて貢れるなり。池邊眞榛云。あをじめじろなど。みな志止々の類なり。あをじのみに限るべからず。刀釼の具に鵐目《シトメ》といふは。目じろの目の廻(リ)の白縁あるを以。號けたるなれば。こゝも大方めじろなるべし。本草に蒿雀也と云るは。あをじか。鵐は字書に雀也とみえたり。あをじは鳴聲にあやなきを。めじろはあをじよりも世に多く。また鳴聲も雲雀なきとて。あやあるものなり。或人の説に。これは俗にヒタキといふ鳥なり。此鳥の聲にて卜ふことあるよし。きゝたることあり。和名抄に鵐鳥。また字鏡には※[即/鳥]字をよめり。又名義抄に。※[神/鳥]をカウナイシトドと訓り。其カウナイは。巫の音便にて。巫《カウナイ》しとゞと云義なれば。片巫のしとゞ鳥の占に由よりて聞えたり。漢字に鵐と作き。又巫鳥とも云るも。自ら片巫の占に相似てきこゆ。また枕冊紙にみこどりと云るも。巫鳥ときこゆと云り。【この眞榛が説は。古語拾遺片巫の下に注せるを引り。なほこの鳥のこと。大和本草にも出たり。見合すべし。】さて本に。こゝの注に。巫鳥此言芝苔苔とある。言字は例にたがへり。今中臣本に據る○戊戌は。二十三日なり○菟田吾城。式大和國宇陀郡阿紀神社。萬葉集に安騎野とあり。同集に。皇太子。【日雙斯皇子と申す。即草壁皇子なり。】をり/\此野に御獵に行坐しゝ事見えたれば。此時の御供にも。仕奉り給ひけん。さて幸とあれど。御獵なるべし○乙巳朔甲虎。本に巳字脱たり。今中臣本考本に據る。甲虎。十日なり○乙卯。十一日なり○橘寺。大和志。在2(3688)高市郡橘村1。菩提寺一名橘寺。山號安倍島。又號2佛頭山1。正堂念佛堂僧舍一區。とあり。上宮太子拾遺記云。橘寺者。此地(ハ)多2橘樹1爲v林。故名。橘寺橘京等。其本名(ハ)是嶋宮也。扶桑略記に。推古天皇十四年。天皇詔(テ)2皇太子1云。宜於2朕前1。講2勝鬘經1。太子乃握2〓尾1。登師子座1。三日説v經。其儀如2僧講1v經。竟夜蓮花雨零。花長可2二三尺1。而溢2方三四丈之地1。天皇覧v之。即於2其地1。誓起2堂宇1。今橘寺也。とあり。尼房の事は見えず。○十房。水戸本十餘房とあり○己巳。二十五日なり○官司莫治。類史に司字なし。續紀三十七勅にも。かゝる嚴制あり○官司恒治。本に司字なし。今類史及釋紀に據る。天平勝寶元年四月詔。新(ニ)造(ル)寺乃|※[○の中に官]《オホヤケ》寺止可成波。官寺止成賜夫。解云。官寺とは。官の治めにあづかる寺をいふ。とあり○復甞有功。集解に。按壬申之年。大伴連弟吹負。拔2高坂王(ノ)飛鳥寺西槻下營1。蓋此時有d援2官軍1之功u也。と云り。さもあるべし。
 
 
五月乙亥朔。勅(テ)※[糸+施の旁]緜絲布。以|施《オクルコト》2于京内(ノ)二十四寺(ニ)1。各有v差。是日。始説2金光明經(ヲ)于宮中及諸寺(ニ)1。丁亥。高麗遣2南部大使|卯《モウ》問。西部大兄俊徳等(ヲ)1。朝貢。仍新羅遣2大奈末考那(ヲ)1。送2高麗(ノ)使人卯問等(ヲ)於筑紫1。乙未。大錦下秦造綱手卒。由(テ)2壬申(ノ)年(ノ)之功(ニ)1。贈2大錦上位1。辛丑。小錦中星川臣麻呂卒。以(テ)2壬(3689)申年功(ヲ)1。贈2大紫位(ヲ)1。六月甲辰朔戊申。新羅客項那等歸v國。辛亥灰零。丁巳|雷電《イナツルイスルコト》之甚也。
 
 
説金光明經于宮中。通證云。大極殿御齋會起2于此1。其行2于正月1。見2持統八年紀1。とあり。此説は公事根源御齋會の下に。此時のを御齋會の始とは可v申歟。とあるに依れる説なり。なほ持統紀に云べし○丁亥。十三月なり○南部大使。與清云。使恐兄とあり。さることなり○考那。上に云る項邪の事と見えたり○乙未。二十一日なり○秦造綱手卒。持統紀十年に。五月甲辰。詔2大錦上秦造綱手1。賜v姓爲2忌寸1。とあるは。此に卒とあるに合はず。誤あるべし。位も大錦上とあれば異なり。さて此人壬申の紀に見えず○辛丑。二十七日なり○星川臣麻呂。星川臣。記に建内宿禰之子。波多八代宿禰者。星川臣之祖。姓氏録大和皇別。星川朝臣。石川同祖。武内宿禰之後也。敏達天皇御世。依2居地1賜2星川臣1。とあり。記傳云。大和國山邊郡星川郷あるこれなり。【武藏國久喜郡。伯耆國會見郡などにも。此郷あり。式に伊勢國員辨郡星川神社もあり。】と云り。この麻呂壬申紀に見えず。續紀靈龜二年四月。詔壬申功臣贈大紫星川麻呂息。從七位上黒麻呂等十一人。賜v田有v差。また天平寶字元年十二月。太政官奏曰。贈大紫星川臣麻呂。壬申年功田四町。歴2渉戎場1。輸v忠供v事。立v功雖v異。勞效是同。比校一同2村國連小依等1。依v令中功。合v傳2二世1。とあり○戊申。五日なり○項那等。本に項を須とあり。今中臣本考本及上文に依る○辛亥。八日なり○灰零。續後紀承和五年。十六國言。有(3690)v物如v灰。從v天而雨。老農名2此物米華1。○丁巳。十四日なり。
 
 
秋七月甲戌朔。飛鳥寺(ノ)西(ノ)槻(ノ)枝。自(ニ)折而落之。戊寅。天皇幸2犬養連大伴(ガ)家(ニ)1。以(テ)臨《ミタマフ》v病。即降2大恩(ヲ)1云々。是日※[樗の旁]之。辛巳。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。癸未。朱雀在2南|門《カドニ》1。庚寅。朴井(ノ)連子麻呂(ニ)。授2小錦下位(ヲ)1。癸巳。飛鳥寺(ノ)弘聽僧終。遣(テ)2大津皇子。高市皇子(ヲ)1吊《トフ》之。丙申。小錦下三宅連|石床《イハトコ》卒。由(テ)2壬申年功(ニ)1。贈2大錦下位(ヲ)1。戊戌。納言兼宮内(ノ)卿《ツカサ》五位舍人王。病(テ)之|臨《ス》v死(ナント)。則遣(テ)2高市皇子(ヲ)1而訊之。明《クルツ》日卒。天皇大(ニ)驚(テ)。乃遣2高市皇子。川島皇子1。因(テ)以(テ)臨《ミソナハシ》v殯(ヲ)哭《ワヅラフ・ネツカフ》之。百寮者從而|發哀《ネツカフ》。
 
 
七月。皇代紀に。白鳳九年庚辰七月。建2伊賀伊豆國1。略記に。七月割2伊勢四郡1。建2伊賀國1。別2駿河二郡1。爲2伊豆國1。と云ことあり。此月の事なり○戊寅。五日なり○犬養連。上文【前紀なり】には縣犬養連大伴とあり。こゝは脱たるなるべし。天皇東國に發途《ミチダチ》し給ひし時。大伴が鞍馬に遇て。御駕《ミノリ》給ひしことあり。舍人にて元從者なり○即降大恩云々。この云々は。恩詔の文なりしを。除かれたるは。故ある事か。【八年石川王の薨せし時にもかくあり。引合すべし。】さて此人。續紀大寶元年正月。直廣壹縣犬養宿禰【下文連とあり】大|侶《トモ》卒。遣2淨廣肆夜氣(3691)王等1。就v第宜v詔。贈2正廣參1。以2壬申年功1也。また七月壬辰。勅曰。先朝論v功行v封。時賜2縣犬養連大侶一百戸1。云々。などあり○辛巳。八日なり○癸未。十日なり○朱雀在南門。本に在を有に作る。今考本類史祥瑞部に據る。續紀。延暦四年五月。先v是皇后宮赤雀見。下2所司1令v※[てへん+僉]2圖牒1。孫氏瑞應圖曰。赤雀者瑞鳥也。王者奉v己倹約。動作應2天時1。則見。南門は通證云。皇城門正南曰2朱雀門1。石氏星經曰。南方赤帝。其精朱鳥。爲2七宿1。とあり。合《アヒ》に合て。朱雀の南門にしも在けんを。甚しき奇瑞と爲給へりしなるべし○庚寅。十七日なり○癸巳。二十日なり○弘聽。中臣本に聽を聰と作り○丙申。二十三日なり〇三宅連石床。天皇伊勢(ノ)鈴鹿に至り坐る時。國司守三宅連石床。介三輪君子首とゝもに。鈴鹿郡に參遇ること。壬申紀に見ゆ○壬申年功。京極本年(ノ)下之字あり○戊戌。二十五日なり○納言。持統紀六年正月にも。納言布勢朝臣御主人とあり。【但し公卿補任には。中納言とあり。】納言のことは既に云へり。こゝに大とも中ともなきは。此御時には。たゞ納言とのみ唱たりしならんか。されどなほ疑はし。この事持統紀に云べし○宮内卿。職員令に。宮内省卿一人。掌2出納諸國調雜物。舂米官田。及奏宣。御食産。諸方口味事1。とあり○舍人王。系詳ならず。公卿補任に大納言の斑に載たり。
 
 
八月癸卯朔丁未。法官(ノ)人貢2嘉禾1。是日始(テ)之。三日雨。大水。丙辰。大風折V木破v屋。九月癸酉朔辛巳。幸2于朝|嬬《ツマニ》1。因以(テ)看2大山位以下之馬(ヲ)於|長柄(3692)杜《ナガエノモリニ》1。乃|俾《セタマフ》2馬的射《ムマユミイサ》1之。乙未地震。己亥。桑内王卒2於私(ノ)家(ニ)1。冬十月壬寅朔乙巳。恤2京内諸寺(ノ)貪乏僧尼。及百姓(ヲ)1。而賑(ヘ)給《タマヒヌ》之。一毎2僧尼1。各※[糸+施の旁]四匹。緜四|屯《ミセ》。布六端。沙彌及|白衣《シロキヌ》。各※[糸+施の旁]二疋。綿二屯。布四端。十一月壬申朔。日|蝕《ハエタリ》之。甲戌。自v戌(トキ)至(マデ)v子(トキニ)。東方|明《アカシ》焉。乙亥。高麗人十九人。返2于本土(ニ)1。是當(テ)2後(ノ)岡本天皇之喪1而弔使。留(テ)之未v還者也。戊寅。詔2百官1曰。若有(バ)d利《カヾアラシメ》2國家(ニ)1寛(スル)2百姓(ヲ)1之|術《ミチ・ハケ》u者。詣(テ)v闕《ミカドニ》親申(セ)。則詞|合《カナヘラバ》2於理1。立爲2法則1。辛巳。雷2於西方(ニ)1。癸未。皇后|體不豫《ミヤマヒシタマフ》。則爲2皇后(ノ)1誓願《コヒネガヒテ》之。初(テ)興《タツ》2藥師寺(ヲ)1。仍(テ)度《イヘデセシム》2一百(ノ)僧(ヲ)1。由(テ)v是(ニ)得2安平《タヒラギタマフコトヲ》1。是日赦v罪。丁亥月蝕。遣2草壁皇子(ヲ)1。訊2惠妙僧之病1。明日惠妙僧終。乃遣2三(ノ)皇子(ヲ)1而弔之。乙未。新羅遣(テ)2沙※[にすい+食]金若弼。大奈末金原升(ヲ)1。進v調。則習v言者三人。從(テ)2若弼(ニ)1至。丁酉。天皇病之。因以度2一百(ノ)僧(ヲ)1。俄(テ)而|愈《イエヌ》之。辛丑。臈子鳥|蔽《カクシテ》v天(ヲ)。自2東南1飛。以度2西北1。
 
 
丁未。五日なり○丙辰。十四日なり○辛巳。九日なり○朝嬬。大和志。朝嬬行宮。古蹟在2葛上郡朝妻(3693)村1〇長柄杜。式葛上郡長柄神社。長柄村にあり。姓氏録大和神別。長柄首。事代主神之後也。記に葛城長江曾都比古。などあり。【本に。ナカエと訓るに據るべし。ナガラとあるは誤なり。】○馬的。倭名抄術藝部。騎射。楊氏漢語抄云。馬射。【宇末由美。今案。馬射即騎射也。箋注云。宇末由美。見2空物語祭使卷1。皇極紀射〓。天武紀馬的。皆同訓。】と云り。通證云。通典(ニ)長安二年。教v人習2武藝1。穿v土爲v埒。其長與v※[(土+乃)/木]均。綴v皮爲2兩鹿1。歴2置其上1。馳v馬射v之。名曰2馬射1。騎射始見云々。とあり。軍器考云。古代弓馬に便なるといふ事は。弓とは歩射也。馬とは騎射なりとぞ。令義解には見えたる。後世の如く。たゞに弓射。馬騎る事をのみいひしにはあらず。兵部省にて。諸衛人士を選ばれしにも。必歩射騎射を試られしよし。式にも見えたり。今も武士の行ふ歩射の中に。其義最正しくして。古の禮射の遺れる風にやと。見えぬる事も多し。小的なと云事は。古の賭射の事に起り。八的小串などは。其藝の精《クハ》しきを試みんとの爲なるべし。凡騎射といふ事。天武天皇九年に。長柄の杜にて。大山位以下の馬觀させ給ひて。すなはち馬的を射さしめ給ふといふ事ぞ始なるべき。彼流鏑馬と云事は。古より神事に用られし所なり。いかなるいはれある事にや。その故をばしらず。その由(リ)來る事も久しき事なりと云り○乙未。二十三日なり○己亥。二十七日なり○桑内王。系詳ならず。考本には内を田とあり。されど桑田王は。十年紀にも見えたれば。こゝはなほ桑内なるべし○乙巳。四日なり〇一毎僧尼。通證に一字衍とあり。集解に。一當v在2毎下1。蓋倒寫。とあり○各※[糸+施の旁]。本に各を冬に誤る。今考本集解本に據る○沙彌。釋氏要覧。此始落髪後之稱謂也。曰2最下1。とあり○白衣。通證に。楞嚴經(ニ)白衣居士。増一阿含經(ニ)。槃(3694)特告2弟周梨1曰。不v能v持v戒。還作2白衣1。要覧(ニ)白衣即淨人也。此白衣謂v俗也。華嚴音云。西域俗人皆著2白色衣1也。又今人謂v去2禮服1。爲2白衣1。世説(ニ)趙孝仕爲v郎。毎2告歸1。常白衣歩擔。是也。とあり。續紀天平神護元年十一月詔に。出家人毛|白衣《シロキヌ》毛。相雜天供奉仁。豈障事波不在。此白衣も俗人なり○甲戌。三日なり○乙亥。四月なり○當後岡本天皇之喪。天智帝の御世なり○戊寅。七日なり○辛巳。十日なり○癸未。十二日なり○藥師寺。大和志云。高市都藥師廢寺。在2木殿村1。天武天皇建。後遷2于平城右京1云々。また添下郡藥師寺。在2砂村1。一名西京寺。養老中復移2于此1。【或人云。かくあれど。色葉字類抄。聖武天皇御宇。天平元年二月二十九日建。とあるぞ。正しき傳なると云り。】藥師寺縁起云。右寺者。天武天皇即位八年。【庚申】十一月。皇后不※[余/心]。巫醫不v驗。因v之爲2徐病延命1。發d奉v鑄2丈六藥師佛像1之願u。爰靈驗有v感。皇后病愈。天皇大感。已鑄2金銅之像1。鋪金未v畢。以2十四年丙戌秋九月1。天皇崩2於明日香清御原1。以2戊子年十一月1。葬2給於高市大内山陵1。皇后嗣即2帝位1。是持統天皇也。爲v遂2太上天皇前緒1。高市郡建v寺。安2置佛像經論等1。本藥師寺是也。即塔露盤銘文云。維清原宮馭宇天皇。即位八年庚辰之歳。建子之月。以2中宮不※[余/心]1。創2此伽藍1。而鋪金未v遂。龍駕騰仙。太上天皇。奉v遵2前緒1。遂成2斯業1。照2先皇之弘誓1。光2後帝之玄功1。道濟2群生1。業傳2曠劫1。式2於高※[益+蜀]1。敢勤2貞金1。其銘曰云々。或曰。史於2文武帝二年十月1云。以2藥師寺構作略了1。詔2衆僧1。令2其寺1。則書v銘當v在2此時1也。とあり。詳に略紀に見えたり。【此縁起作者知られず。奥書に。寛元元年己卯初秋上旬候寫之。とあり。】○丁亥。十六日なり○月蝕。通證云。今按此書爲2十六日1。猶d舒明紀書2日蝕1在c二日u也。とあり○惠妙。或人云。惠妙。上に同名僧あり。混ず(3695)べからず。其は孝徳紀大化元年に。以2惠妙法師1。爲2百濟寺々主1。白雉五年の細字に。僧惠妙於v唐死。とあるを。元享釋書に。此二人を一人なりと失《アヤマ》り。大化元年勅爲2百濟寺々主1。白鳳八年病云々。其杜撰見るべし。と云り○乙未。二十四日なり○習言者。通證云。釋(ニ)兼方按通事之類。今按此習2倭語1者也。とあり○丁酉。二十六日なり○辛丑。晦日なり。
 
 
(3696)日本書紀通釋卷之六十七
               飯田武郷 謹撰
 
十年春正月辛末朔壬申。頒《アカチマダス》2幣帛《イハヒノミテグラヲ》於諸神祇(ニ)1。癸酉。百寮諸人。拜2朝延1。丁丑。天皇御(テ)2向(ノ)小殿(ニ)1。而宴之。是日。親王諾王(ヲ)引2入《メシ》内(ノ)安《ヤスミ》殿1。諸臣皆侍2于外(ノ)安殿(ニ)1。共|置《メシテ》v酒以|賜樂《ウタマヒス》。則大山上草香部吉士大形(ニ)。授2小錦下位1。仍(テ)賜(テ)v仁姓(ヲ)曰2難波連(ト)1。辛巳。勅(テ)2境部連石積1。封2六十戸(ヲ)1。因以(テ)給2※[糸+施の旁]三十疋。綿百五十屯。布百五十端。钁《スキ》一百口1。丁亥。親王以下。小建以上。射2于朝廷(ニ)1。已丑。詔(テ)2畿内及諸國(ニ)1。修2理天社地社神宮(ヲ)1。
 
 
壬申。二日なり○癸酉。三日なり○T丑。七日なり○向小殿。九年記に出○宴之。公事根源白馬節會下に云。天武天皇十年正月七日に。御門小安殿におはしまして。宴會の義ありけり。是や七日の節會の始なるべからんとあり。たしかに白馬節會とは云はざれど。實に此御時ぞはじめなるべき。【因に白馬節會のことを云べし。萬葉二十に。天平寶字二年春正月三日。召2侍從竪子王臣等1。令v侍2於内裏之東屋垣下1。即賜2玉箒1肆宴云々とありて。此時の右中辨大伴宿禰家持作歌に。始春乃波都禰乃家布能多麻婆波伎云々。水鳥乃可毛能羽能伊呂乃青馬乎。家布美流比等波可藝利奈之等伊布(3697)とあり。歌意は七日の今日にあたりて。青馬を見る人は。無彊壽命をうくるぞと云るなり。これ七日白馬節會の。始てものに見えたる始なれど。なほ其本は。天武天皇十年に。はじめ給ひしなるべし。(但し萬葉なるは。正月三なれど。七日侍宴の爲に。預め作れるよし記せり)さて此の節會を。白馬節會とは書けども。古來より青《アヲ》馬とよむことにつきて。さま/”\の説あれど。萬葉古義に云る説よろしければ。今はそれを出す。古義云。抑正月七日に。青馬を御覧じ給ふことは。漢籍禮記月令に。天子居2青陽左介1。乘2〓路1。駕2倉龍1。載2青〓1。衣2青衣1。服2倉玉1とありて。注に倉與v蒼同。馬八尺以上爲v龍とあれば。倉龍は青馬なり。又帝皇世記に。高辛氏之子。以2正月七日1。恒登v崗。命2青衣人1。令v列2青馬七疋1。調2青陽之氣1。馬主v陽。青者主v春。崗者萬物之始。人主之居。七者七曜之清。徴2陽氣之温1始也とある。これらに本づきて行はれけることなるべし。さて皇朝にて。青馬を御覧じ給ふことは。いつの御代よりの事にか。未勘ず。史蹟に見えたるは。續後紀に。天長六年正月甲寅朔庚申。覧2青馬1。承和元年正月壬午朔戊午。觀2青馬1。文徳實録仁壽二年正月。覧2青馬1。三代實録貞觀二年正月覧2青馬1。などあれど。萬葉なるは。當時天平寶字の二年の事にて。天長承和の頃よりは。七八十年ばかり以往なれば。はやくの年より行はれしを知べし。貞觀儀式に。正月七日儀曰云々。今日波正月七日乃豐樂云々。恒毛見留青岐馬。見太萬比退止爲※[氏/一]云々。延喜左午寮式に。凡青馬二十匹。自2十一月一日1至2正月七日1云々。近衛式に。凡正月七日。青馬。〓《クチトリ》云々とあり。さて此より後の記録に。白馬節會と書たるは。本居氏説る如く。古よりの像間を改めて。白馬とはせられたるなり。(白馬とせられたるは。河海抄に。東方朔十節記曰。馬性以v白爲v本。天有2白龍1。地有2白馬1。秘抄に。同云是日見2白馬1。年中邪氣遠去不v來。とある本文によりたることなるべし)さて土佐日記に。七日になりぬ。同じ湊にあり。今日は白《アヲ》馬を思へどかひなし。唯波の白きをぞ見る。とあるによりて思へば。延喜式に青馬とあるは。なほ古よりのまゝにしるされたるものにて。延喜延長の境に至りては。はやく白馬を用らるゝことにぞなれりけん。平兼盛集に。降雪に色もかはらでひくものを。誰あを馬と名付けそめけん。とある如く。白(キ)馬を用ゐられ。文にも白馬と書ながら。語にはあをうまとのみ唱へ來れるは。尚古へ青馬なりし時の稱を存せる物なり。(しかるを白馬と書て。アヲウマと訓によりて。人皆心得誤りて。古は實に青き馬なりしことをばえしらで。もとより白き馬とおもひ。古書どもに青馬と書るをさへ。白き馬を然云りと思ふは。いみじきひがごとなりと。玉かつまに記せるが如し。天武紀元年に。鯨乘2白馬1而以逃之とある。白馬をアヲウマと訓たる點も。青馬白馬と異なれるをしらで。一に思ひ混へたるよりの誤也)また頭書に。弘仁式十四。中宮式。七日左右馬寮。允屬馬醫左右近衛。率2白馬七疋1。云々。紀略天暦元年丁未正月七日癸巳白馬宴。とあり。天暦は延喜より遙に後なれば。白馬とある勿論なりとあり。】○内安殿。公事根源に。白馬節會下云。天武天皇十年正月七日に。御門小安殿におはしまして。宴會の義有りとあれど。此には小安殿の事は見えず。小安殿の稱は續紀に見えたり。通證云。内安殿疑謂2小安殿1。江次第曰。小安殿(ハ)大極殿(ノ)後房也。萬葉集。内(ノ)南(ノ)安殿。とあり。【二十にあり。】集解云。按後世大極殿後房(ヲ)。謂2小安殿1。凡謂(ハ)v安(ト)。對v正謂v之。謂v内(ト)者。對v外(ニ)謂v之。時制不v詳。盖正殿謂2之大極殿1。(3698)後房謂2之向小殿1。連2于後房1。又有2内外安殿1也。と云る。此説はいかゞ。安は正に對し云辭にあらず。此事は既に皇極紀なる。大極殿の下に云り。内は外に對して言と云るはまる事なり。連2後房1。又有2内外安殿1とあるも。詳には知がたし。按に。古は大極段大安殿の外なるも。みな安殿と云しにこそ。さて此第一の正殿なるを。大極殿大安殿といひ。其餘の安殿には。内外向小南の稱をつけて。呼しなるべし。なほ東西の安殿ありしも知がたし。たま/\記し遺《も》れたりしにもあるべし。されば今にしては。其大凡を知の外なきなり○外安殿。これ右に云る如く。内に對したる名なり。然るを通證に。外安殿。疑朱鳥元年所謂大安殿。とあるは信られず。大安殿は大極殿と一にして。第一なる安殿なれば。外と云べからず○草香部吉士。本に士を志に作れり。今中臣本に據る。さて此氏清寧紀に出○辛巳。十一日なり〇境部連。孝徳紀に出○綿百五十屯。本に屯を斤に作る。今京極本に據る○丁亥。十七日なり○己丑。十九日なり。
 
 
二月庚子朔甲子。天皇皇后。共《モロトモニ》居《オハシマス》2于大極殿《オホアムドノニ》1。以喚(テ)2親王諸王及諸臣1。詔之曰。朕今更欲d定2律令《ノリノフミヲ》1。改c法式(ヲ)u。故倶(ニ)修2是(ノ)事(ヲ)1。然(モ)頓《ニハカニ》就《ナサバ》2是務《コレノミマツリゴトヲ》1。公事《オホヤケワザ》有(ム)v闕《カクコト》。分(テ)v人(ヲ)應v行。是日。立(テ)2草壁皇子尊(ヲ)1。爲2皇太子1。因以令v攝《フサネヲサメ》2萬(ノ)機1。戊辰。阿陪|夫人《オトジ》薨。己巳。小紫位當麻公豐濱薨。三月庚午朔癸酉。葬2阿陪夫人(ヲ)1。(3699)丙戌。天皇御2于大極殿1。以詔2川島皇子。忍壁皇子。廣瀬王。竹田王。桑田王。三野王。大錦下上毛野君三千。小錦中忌部連※[○の中に子]首。小錦下阿曇連稻敷。難波連大形。大山上中臣連大島。大山下平群臣子首(ニ)u。令v記2定|帝紀《スメラミコトノフミ》及上古(ノ)諸(ノ)事1。大島。子首。親執(テ)v筆(ヲ)以(テ)録焉。庚寅地震。甲午。天皇居(テ)2新宮(ノ)井上(ニ)1。而試(ニ)發2鼓吹《ツヾミフエノ》之聲(ヲ)1。仍(テ)令2調《トヽノヘ》習1。
 
 
甲子。二十五日なり○大極殿。皇極紀に云り。訓はオホ安《ヤスミ》トノとありしか。誤れるなり。この事も既に云り○朕今更は。天智御世に撰ばしめ給ひしを。爰に至りて刪定給ひしにこそ。朕今更とあるに眼を着べし。と或人云り○律令法式は。所謂律令と法式となり。通證云。今按。法式謂2法令格式1也。【武郷云。通證にはかくあれども。下文十一年に。式法《ノリトイsテ》應v用之事云々。また造2法令《ノリノフミ》1の文あり。さればこゝの法式も。それと同じかるべし。格までには及びしものと見るべからず。】私仁格序曰。蓋聞。律以2懲肅1爲v宗。令以2勸誡1爲v本。格則量v時立v制。式則補v缺拾v遺。四者相須。足2以垂1v範。唐刑法志曰。人之爲v惡。入2于罪戻1。一斷(ス)2臣律(ニ)1。禁(ズルニ)2於未然1。曰v令。尊卑貴賤之等級。国家之制度也。(ス)設2於此1而逆(フル)2於彼1。曰v格。百官有司之所2常行1者也。設2於此1。而使(ルヲ)2彼效1v之。謂2之式1。諸司常守之法也。国史律令格式(ノ)部。天武天皇十年。持統天皇三年。文武天皇四年。詔2諸王臣1。讀2習令文1。又撰2成律條1。大寶元年。撰2定律令1。於是始成。(3700)大略以2淨御原朝廷1。爲2准正1。と云り○爲皇太子。皇代紀。文武天皇條下に。草壁皇子。天武天皇十年二月甲子。立爲2皇太子1○戊辰。二十九日なり○阿陪夫人。集解に。按天智天皇妃。阿陪倉梯麻呂女橘娘と云あり。さらば飛鳥皇女。新田部皇女の御母なり。されども。先代の夫人の薨卒などを。記したる例なければ。なほたしかには定めがたし。考云。此夫人前の皇妃夫人の所にも。帝皇系圖にも。たゞ夫人とばかりの名ありて。阿部氏の事なし未詳。と云り。これは天皇の御《メ》したまへる夫人と見たる説なり。なほよく考べし〇丙戌。十六日なり○廣瀬王。續紀養老六年。正四位下廣湍王卒。とあり。萬葉八にも廣瀬王あり。詳ならず○竹田王。詳ならず。持統紀三年二月。淨廣肆判事とあり。續紀和銅元年三月。從四位上竹田王爲2刑部卿1。とあり○桑田王。紹運録に。敏達天皇孫。押坂彦人皇子の子とあり。さて九年八月に。桑内王卒とあるを。考本には桑田王とあれど誤なるべし。既に云り〇三野王。上紀に出○上毛野君三千。八月紀に卒とあり○忌部連子首。本子字を脱。今補。既に上に云り○阿曇連稻敷。既出○難波連大形。既出○中臣連大島。下文及持統紀には。藤原また葛原※[草冠/收]原とあり。【※[草冠/收]原は藤原に同じ】大中臣本系帳に。糠手子大連公孫。中納言直大貳中臣朝臣大島等。與2御氣子大連公長子。大職冠内大臣鎌足大連公1。同賜2藤原朝臣姓1。系圖糠手子大連公一男。右大臣大錦上金(ノ)二男許米之子。即大島。祭主中納言直大貳神祇伯とあり。持統紀七年二月。賜2直大貳葛原朝臣大島賻物1。懷風藻に。詠2孤松1。及山齋詩二首を載たり。官大納言直大貳とあり。さて此人。中臣とも藤原とも書けるよしは。鎌足公の下に注せり○平群(3701)臣子首。この人他に見えず○帝紀及上古諸事。帝紀は帝皇の本紀なり。古事記序に。諸家之所v賚。帝紀及本辭。とあるを。次の文には。帝皇日繼。及先代舊辭。と書り。【田中頼庸云。大初以來。神聖所傳の言。之を本辭といひ。橿原以還。歴朝所v成の書。之を帝紀と云。本辭一舊辭と云と云り。この説は聊かまどはし。さらば本辭舊辭を泛稱して。帝紀とも云るが如し。本辭はなほさもあるべし。舊辭までを。帝紀と云がたかるべし。】さてこゝに上古諸事とあるが。即記に所謂先代舊辭なり。【序に云。本辭と云こと。新撰龜相記に。神皇の本統を記せしを。木辭と云り。されば本辭の中には。神明の本統。帝皇の日繼をも兼て云べきなれど。記の序なる帝紀及本辭と。二に云るよりして。分け云時は。本辭はなほ旨と先代の舊辭にて。こゝに上古諸事とあるにあたるべし。一概に見べからず。記傳などには。この別をいはず。いと麁く見られたり。】さて此事の詔。即ち此紀【日本書紀なり】の成れる基本なりしこと。首卷に集解の説を引て委く云り。考合すべし○庚寅。二十日なり○甲午。二十四日なり○天皇居新宮井上。本に居字天皇(ノ)上にあるは誤なり。今中臣本考本集解に據る○試發は。所謂試樂なり。次に令2調習1とあり。然るに考に。試(ノ)字を以見れば。高麗樂を習はしめ給ふか。と云れたるはあらず。
 
 
夏四月己亥朔庚子。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。辛丑。立2禁式《イサメノノリ》九十二條(ヲ)1。因(テ)以詔(テ)之曰。親王以下。至(マデニ)2于庶民(ニ)1。諸(ノ)所(ノ)2服用1。金銀珠玉。紫錦繍綾。及|氈《オリカモ》褥《トコシキ》冠帶。并(テ)種々雜色之類。服用(コト)各|有《アレ》v差。辭(ハ)具有2詔(ノ)書(ニ)1。
 
 
夏四月。本に夏字なし。今考本集解に依る○庚子。二日なり○辛丑。三日なり○禁式。禁には種々あり。典籍便覧に。遏絶戒止曰v禁。と云るが如し。されどこの時の禁式は。むねと衣装の禁を示されたるものゝ如し。次の詔にて。しか聞えたり。さて略記には禁字なし。脱たるなるべし。【禁は禁中にて。所謂内裏式の如き書(3702)ならんかと。おもひしかど。さにはあらず。】○金銀珠玉云々氈褥冠帶。職員令。内藏寮頭一人。掌2金銀珠玉寶器。錦綾綵氈褥1。義解謂。自生(ヲ)爲v珠。作(ヲ)爲v玉。又氈褥謂d撚v毛爲2褥席1者u。などあり○具有詔書。世に傳はらず。衣服令に。皇太子親王諸王諸臣の禮服を記し。なほ庶人の禮服。常服等を記せり。披見るべし。
 
 
庚戌。錦織造|小分《ヲキタ》。田井直吉麻呂。次田(ノ)倉人。椹足《ムクタリ》。【椹。此云2武矩1。】石勝。川内直縣。忽海造鏡。荒田尾直能麻呂。大狛造百枝。足坏《アシツキ》。倭直龍麻呂。門部直大嶋。完人造老。山背(ノ)狛《コマ》烏賊麻呂《イカマロ》。并(テ)十四人(ニ)。賜(テ)v姓(ヲ)曰v連(ト)。乙卯。饗2高麗客卯問等於筑紫(ニ)1。賜v禄有v差。
 
 
庚戌。十二日なり○錦織造。姓氏録河内諸蕃。錦部連。三善宿禰同祖。百濟國速古大王之後也。和泉同上。十二年九月。錦織造賜v姓曰v連とあり。氏族志云。稱徳帝時。河内錦部郡人。錦部※[田+比]登。石次。同姓大島等。竝賜v連。【續紀】後蓋改2宿禰1。醍醐帝時。有2左大史錦部宿禰春蔭1。圓融帝時。有2主税助錦部宿禰茂明1。【符宣抄】とあり。三代實録に。錦織連氏に。惟良宿禰を給へることも見えたり。【此姓神別にも有て混はし。仁徳紀。錦織首許呂斯。敏達紀錦織〓など。併見るべし。】○田井直。舊事紀に。饒速日命八世孫。物部金弓連公。田井連等祖。又物部目古連公。田井連祖。とあり。氏人は。續紀四十。延暦八年六月。甲斐國山梨郡人。外正八位下要部上麻呂等。改2本姓1爲2田井1。とあり。【續紀考證云。後紀云。十八年十二月。甲斐國人正彌若虫□□等言。己等先祖。元是百濟人也。仰2慕聖朝1。航海投化。即天朝降2綸旨1。安2置攝津職1。後依2丙寅歳五月二十七日格1。更遷2甲斐國1云云。此所v云要部上麻呂□□等。蓋此種類也。と云れど。更に(3703)證なし。】○次田倉人。姓氏録に吹田連に作る。天智紀に出○椹足石勝。二人の名なり。注に。椹此云武矩。本に矩を規とあり。今中臣本及通證引一本に依る。通證云。今(ノ)姓椹氏。訓2美豆伎1。倭名抄椋子無久。伊與風土記曰。有v椹。云2臣(ノ)木1。萬葉集。臣木訓2於美乃木1。私勘云。毛美也。考2字書1。爲2桑椹1。爲2椹質1。未v得2上件義1。とあり○川内直。欽明紀に出。凡川内直同祖なり○忍海造。三年紀に出。續紀四十。延暦十年正月。忍海原連魚養等言。謹※[てへん+僉]2古牒1云。葛木襲津彦第六子熊道宿禰云々。六世孫首麻呂。飛鳥淨御原朝廷。辛巳年。貶賜2連姓1云々。此と異姓なり。混ずべからず。但し辛巳年は今年なり○荒田尾直。本に尾直(ノ)二字なし。今集解及上卷に據て補。既に出。姓氏録和泉神別。荒田直。高魂命五世孫。劔根命之後也。とあり○大狛造。姓氏録河内諸蕃。大狛連。高麗國人伊利斯沙禮斯之後也。大狛連。高禮國溢士福貴王之後也。とあり。さて此に連姓を賜はれるは。百枝。足坏二人のみにて。なべては。十二年大狛造賜2姓連1とあり。なほ此氏の事。十二年の下に云べし○百枝足坏。二名なり。持統紀十年五月。以2直廣肆1。贈2大狛連百枝1。とあり〇倭直。既出。記傳云。欽明紀までは。國造とのみありて。直とはなきを。此にかくあるは。何れの御代より。直の姓にはなれりけむ。と云り〇門部直。孝徳紀に出。こゝは大島のみにて。次に十二年門部直賜v姓曰v連とあり○宍人造は。宍人臣と同祖なり。用明紀に出。又十三年紀に。宍人臣賜v姓曰2朝臣1とあり○山背狛。姓氏録山城諸蕃。狛造。出v自2高麗國主夫連大王1也。とあり。此も十二年の下に云べし○乙卯。十七日なり○饗高麗客云云。東國通鑑云。新羅文武王二十一年。(3704)唐開耀元年八月。唐召2高勾麗降王〓1。還2印州1。とあり。按に是歳に當れり。
 
 
五月己巳朔己卯。祭2皇祖(ノ)御魂(ヲ)1。是日詔曰。凡百寮諸人。恭2敬宮人(ヲ)1。過(テ)之甚(シ)也。或詣(テ)2其|門《カドニ》1。謁《アツラフ》2己(ガ)之訟(ヲ)1。或(ハ)捧v幣《マヒナヒモノヲ》。以(テ)媚2於其家1。自今以後。若有2如v此者1。隨《マヽニ》v事(ノ)共(ニ)罪(ム)之。甲午。高麗卯問歸之。六月己亥朔癸卯。饗2新羅(ノ)客若弼(ニ)於筑紫(ニ)1。賜v禄各有v差。乙卯※[樗の旁]之。壬戌地震。
 
 
己卯は。十一日なり○皇祖は。歴代の皇祖にはあらじ。孝徳紀に。舒明天皇の御父なる。彦人大兄の御事を。皇祖大兄御名入部。【謂彦人大兄也】と云ることあり。即天皇の皇祖父に當り給へり。集解に。按(ニ)皇祖(ハ)皇祖父。謂2押坂彦人皇子1。蓋非2歴代帝皇1。故別祭v之。疑是日或忌辰也。と云れたるが如くなるべし。さるを通證に。神代紀曰。土俗祭2此神之魂1。凡言v祭2御魂1者。蓋與2常祭1有v異歟。と云れたるは。なべての皇祖神の御魂と一(ツ)に見られたるなるべけれど。さる例ある事なし。かつ神代紀なるは。伊弉冉尊の御上の御事にて。甚く異なる故由あるをも思はぬ説なり。蓋與2常祭1有v異歟など云へるも。推量の説なれば。信ずべからず○宮人は。後宮職員令義解に。宮人は婦人仕官者之惣號也。とあり。即女官なり。【然るを考に。昵近の公卿を云。と云れたるは非なり。】○謁。所謂内謁なり。説文に告也請也。とあり○甲牛。本に午を子に作る。今中臣(3705)本に依る。二十六日なり○癸卯。五日なり○壬戌。二十四日なり。
 
 
秋七月戊辰朔。朱雀見之。辛未。小錦下采女臣|竹羅《ツクラヲ》。爲2大使1。當摩公楯(ヲ)。爲2小《ソヒ》使(ト)1。遣2新羅國1。是日。小錦下佐伯連廣足(ヲ)。爲2大使1。小墾田臣麻呂(ヲ)。爲(テ)2小使(ト)1。遣2高麗國(ニ)1。丁丑。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。丁酉。令2天下(ニ)1。悉大解除。當2此時(ニ)1。國追等。各出2祓柱《ハラヘツモノ》奴婢一口(ヲ)1而解除焉。
 
 
辛未は。四日なり○釆女臣竹羅。釆女臣。欽明紀に出。竹羅。水戸本及下文筑羅に作る。集解云。甞見d河内國所2堀得1石碑文u曰。飛鳥淨原大朝廷。大辨官直大貳釆女竹良卿。所2請造1墓所。形浦山地(ノ)千代。莫3他人上毀v木。犯2穢傍地1也。己丑年十二月二十五日。按己丑持統天皇三年也。同五年紀。詔2十八氏1。上2進其祖等墓記1。采女氏在2于其中1。と云へり〇廣足。本に廣字脱たり。下文及十四年紀に依て補○丁丑。十日なり○丁酉。晦日なり○大解除。大祓なり○奴碑一口。類史八十七。大同四年七月。因幡國人大伴吉成。浮2宕京下1。相2替御贖|官奴《ミヤツコ》大風麻呂1。爲v犯2神事1。决v杖遞2送本國1。其大風麻呂。配2對馬國1。また政事要略に載たる。多米氏本系帳に。賜2天皇御贖之政1云々。また多米氏系圖に。志賀高穴太宮御宇云々。爾時天皇御命贖乃人乎。四方國造等献支。などある文ともに因に。國造の祓柱に。奴婢を出さし(3706)むるは。いと古代よりの事なり。【多米氏の書に見えたるは。成務天皇の御世の事なり。】されどこれは。尋常の解除の時に出せるにはあらで。天皇の御上。また國家に事ある時の事と見えたれば。此時の大解除も。臨時に奴婢を出さしめて。天皇の御贖とは爲し給へりけむ。但し此時いかなることありしか。知がたし。【次の文に。皇后誓願之大齋と云ことなどに依るに。御病などの事ありもやしけん。】然るに重胤が説。こゝの文を引て。祓柱に奴婢一口を出せるは。不審しきに就て思ふに。奴婢一口の代にて。其輸す物を調ふる事と聞ゆれば。上なる五年八月の。祓柱の料に當れるにや有む。と云るは。心得がたき事なり。さる事にはあらじとぞおもはるゝ〇而解除焉。本に焉字なし。今京極本卜本水戸本に據る。
 
 
閏《ノチノ》七月戊戌朔壬子。皇后|誓願《コヒチカヒシテ》之。大齊。以説2經於京内(ノ)諸寺1。八月丁卯朔丁丑。大錦下上毛野君三千卒。丙子。詔(テ)2韓(ノ)諸人《ヒト/\ニ》1曰。先日(ニ)復《ユルシタマフコト》2十年(ノ)調税1。既訖。且|加以《シカノミナラズ》歸化《マヰオモブク》初年。倶來之子孫。並(ニ)課※[人偏+殳]《エツキ》悉(ニ)免焉。壬午。伊勢國貢2白|茅鵄《イヒトヨヲ》1。丙成。遣2多禰島(ニ)1使人等。貢2多禰國|圖《カタヲ》1。其國去(コト)v京(ヲ)五千餘里。居(リ)2筑紫南海中(ニ)1。切(テ)v髪(ヲ)草(ノ)裳《モキタリ》。粳稻《イネ》常(ニ)豐。一※[草冠/俎](テ)兩収。土毛《クニツモノハ》支子《クチナシ》莞子《カマ》。及種々(ノ)海(ノ)物等|多《ニヘサナリ》。是日。若弼歸v國。
 
 
(3707)壬子。十五日なり○大齊。齊は齋に同じ○丁丑。十一日なり○丙子。十日なり。此一條丁丑と入替れり〇三韓諸人は。先に歸化せし人どもなり○壬午は。十六日なり○白茅鵄。休溜なり。詳に皇極紀に云り○丙戌。二十日なり○多禰國圖云々。六年四月の下に云り○去京五千餘里。雜令に凡度v地五尺爲v歩。三百歩爲v里。とあり○一※[草冠/俎]兩収。本に兩を雨に誤る。今中臣本考本に據る。※[草冠/俎]を中臣本に殖に作れり○支子。正字通に。黄支即今支子木。俗作2梔巵1。とあり。倭名抄。梔子久知奈之。木實也。可v染2黄色1者也○莞子。爾雅注。白蒲楚謂2之莞蒲1。倭名抄。蒲加末。莞。漢語抄云。於保井。
 
 
九月丁酉朔己亥。遣2高麗新羅(ニ)1使人等。共(ニ)至之拜v朝。辛丑。周芳國貢2赤|龜《カハガメヲ》1。乃放2島(ノ)宮(ノ)池1。甲辰詔曰。凡諸氏(ノ)有2氏上《コノカミ》未v定者1。各定(テ)2氏(ノ)上(ヲ)1。而申2送于|理《ヲサムル》官(ニ)1。庚戌。饗2多禰島(ノ)人等(ニ)。于飛鳥寺(ノ)西(ノ)河邊(ニ)1。奏《オコス》2種種|樂《ウタマヒヲ》1。壬子。彗星見。癸丑。※[螢の虫が火]惑《ケイコク》入v月。
 
 
己亥。三日なり○辛丑。五日なり○赤龜。垂仁紀に大龜訓同じ。赤キカハガメと訓べし。史記に。神龜者天下之寶也。與v物變化。四時變v色。居而自匿。伏而不v食。春蒼夏赤。秋白冬黒○島宮池。萬葉二に。島池勾宮之放鳥。また島宮池上有放鳥。などよめり。當時皇太子の宮なりしなり。略記には。この事を二(3708)月に係たり○甲辰。八日なり○氏上。訓は氏子の上と云意なり。魁帥を人子(ノ)上と云か如し。氏子人子などの子は。其衆多きを指て云辭なり○理官は。後の治部省なり。倭名抄。治郎省乎佐牟留都加佐。漢書禮樂志に。禮儀與2律令1。同録藏2于理官1。師古曰。理官即法官。職員令。治部省卿一人。掌2本姓繼嗣。婚姻。祥瑞。喪葬。贈賻。國忌。諱。及諸蕃朝聘事1。とあり○庚戌。十四日なり○壬子。十六日なり○癸丑。十七日なり○※[螢の虫が火]惑。類書纂要。※[螢の虫が火]惑火星。一本の訓にアカボシと訓り。アカボシは。太白歳星の名なるを。天文志に。太白常以2正月甲寅1。與2※[螢の虫が火]惑1。晨出2東方1。と云るより。※[螢の虫が火]惑にもさる名ありしにや。知がたし。持統紀六年七月の下に云。
 
 
冬十月丙寅朔。日蝕之。癸未地震。乙酉。新羅遣2沙啄《サトク》一吉※[にすい+食]金忠平。大奈末金壹世(ヲ)1。貢v調。金銀銅鐵錦絹。鹿(ノ)皮。細布《ホソヌノ》之|類《タグヒ》。各有v數。別(ニ)献2天皇々后皇太子。金銀。霞錦《カスミイロノニシキ》。幡《ハタ》。皮之|類《タグヒ》1。各有v數。庚寅詔曰。大山位以下。小建以上人等。各|述《マヲセ》2意見《コヽロバヘヲ》1。是月。天皇將(テ)v蒐2於廣瀬野(ニ)1。而行宮|搆《ツクリ》訖。装束《ヨソヒ》既(ニ)備。然(ニ)車駕《スメラミコト》遂不v幸矣。唯親王以下。及群卿。皆居2于輕市(ニ)1。而|※[手偏+僉]2※[手偏+交]《カムガフ》装束鞍馬《ヨソヒセルカザリマヲ》1。小錦以上大夫。皆列2坐於樹下(ニ)1。大山位以下者。皆親乘之。共|隨《マヽニ》2大路(ノ)1。自v南(3709)行v北(ニ)。新羅使者至而告(テ)曰。國王薨。十一月丙申朔丁酉。地震。
 
 
癸未。十八日なり○沙啄。推古紀孝徳紀天智紀に見ゆ。啄は※[口+録の旁]に同じ。啄を喙《カイ》に作る本は誤なり○細布は。ホソヌノと舊本に讀り。歌に陸奥のけふの細布などあり○皇太子。本に皇字脱たり。今京極本に據る○霞錦。本に錦霞に作る。今舊本の訓に。カスミイロノニシキとあると。下文朱鳥元年に。霞錦とあるに依る。【釋私記に。霞幡。此幡製似2朝霞色1。故名。とあるは。本の倒せるまゝに云る説にて。非なるべし。】萬葉集に。朝霞虎火屋之下に云々。また朝霞香火屋之下乃云々。とあるを。冠辭考に。朝霞のかをるといふ語なるを略きて。加の一言に云かけしなるべし。と云り。朝霞の日に映じて薫るを云か。さらばこゝも赤地錦などの色を以て。しか名づけたるにもあるべし。さて幡皮はまた二種なり○庚寅。二十五日なり○意見。公式令に。凡有v事陳2意見1。欲2封進1者。即|任《マヽ》v封(ノ)上。義解謂。意者心所v意《オモフ》也。見者目所v見也。皆是志在2忠正1。披2陳國家之利害1者也。凡意見書者。其制稍異。不v可3爲v表而直上2大政官1。不v由2中務省1。故云少納言受得奏聞也。唐制。大事則廷論。小事則上2封事1。などあり。意見字貞觀政要に見えたり。今俗規諫を意見と云是なり。異見に作るは非なりと。通證に云り。さて意《コヽロ》ばへは。意况とも書けり。心延の義なり○蒐。字鏡集類聚名義抄に。カリとよめり。狩(ノ)字に通はして書るならむと。或人云り○廣瀬野。大和志に。行宮古蹟。在2廣瀬郡大野村1。とあり○輕市。高市郡にあり。萬葉の歌どもに見えて。名高き市なり○國王薨。東國通鑑。新羅文武王二十一年秋七月朔。王薨。太子政明立。上v謚曰2文武1。とあり。
 
 
十二月乙丑朔甲戌。小錦下河邊臣子首。遣2筑紫1。饗2新羅客忠平1。癸巳。田中臣|鍛師《カヌチ》。柿本臣※[獣偏+爰]。田部連國忍。高向臣麻呂。粟田臣眞人。物部連麻呂。中臣連大島。曾禰連|韓《カラ》犬。書直|智徳《チトコ》。并壹拾人(ニ)。授2小錦下位(ヲ)1。是日。舍人造糠虫。書直智徳。賜v姓(ヲ)曰v連(ト)。
 
 
甲戌。十日なり○癸巳。二十九日なり○田中臣。元年紀に出○柿本臣※[獣偏+爰]。記云。天押帶日子命者。柿本臣之祖とあり。姓氏録大和皇別。柿本朝臣。【本或作下】大春日朝臣同祖。天足彦國押人命之後也。敏達天皇御世。依3家門有2柿樹1。爲2柿本臣氏1。十三年紀十月。柿本臣賜2姓朝臣1。とあり。※[獣偏+爰]は名なり。續紀和銅元年四月。從四位下柿本朝臣佐留卒。とあり。【氏族志云。按東寺古文書。後島羽帝時。有2柿本宿禰1。其宿禰不v詳2所系1。とあり。】○田部連。舒明紀に出○高向臣。皇極紀に出○粟田臣眞人。孝徳紀に出。眞人其父詳ならず。續紀慶雲二年四月。爲2中納言1。和銅元年三月。爲2太宰帥1。養老三年二月壬戌。【五日】中納言正三位粟田眞人薨。【補任。粟田朝臣眞人。大寶二年五月十七日參議。慶雲二年四月二十日中納言。八月一日從三位。和銅元年三月十二日貶太宰帥。靈龜元年四月正三位。養老三年二月二日薨。とあり。薨日續紀と差あり。】○壹拾人。本に壹を臺に誤る。今訂せり。今考るに合九人なり。古くより脱せしものと見えて。諸本みな同じ○舍人造。天孫本紀。饒速日命天降供奉五部造に。(3711)舍人造あり。是族ならんか。また姓氏録未定河内に。舍人。百濟國人利加志貴王之後者不v見。と云るもあり。孰ならん。氏族志に。類史。淳和帝時。有2筑前人舍人臣福長女1。又有2大舍人部1。孝謙帝時。有2常陸那珂郡防人大舍人部千文。見2萬葉集1。とあり。
 
 
十一年春正月乙未朔癸卯。大山上舍人連糠虫。授2小錦下位1。乙巳。饗2金忠平於筑紫(ニ)1。壬子。氷上(ノ)夫人。薨2于宮中(ニ)1。癸丑地動。辛酉。葬2氷上夫人(ヲ)於赤穗(ニ)1。二月甲子朔乙亥。金忠平歸v國。是月。小錦下舍人連糠虫卒。以(テ)2王申年之功(ヲ)1。贈2大錦上位1。三月甲午朔。命(テ)2小紫三野王。及宮内(ノ)官(ノ)大夫《カミ》等(ニ)1。遣2于新城(ニ)1。令v見2其|地形《トコロノアリカタヲ》1。仍(テ)將v都《ツクラムト》矣。乙未。陸奥國(ノ)蝦※[虫+夷]二十二人(ニ)。賜2爵位1。庚子地震。丙午。命(テ)2境部連石積等(ニ)1。更肇(テ)俾v造2新字《ニヒナ》一|部《トモ》四十四卷(ヲ)1。己酉。幸2于新城(ニ)1。辛酉詔曰。親王以下。百寮諸人。自今已後。位冠及|※[衣+畢]《マヘモ》※[衣+習]《ヒラオビ》脛裳《ハヾキ》。莫著《ナセソ》。亦膳夫采女等之手襁肩巾。【肩巾。此云2比例1。】並(ニ)莫服《ナセソ》。是日詔曰。親王以下。至(ニ)2于諸臣(ニ)1。被v給食封。皆|止《ヤメテ》之。更(ニ)返2於公(ニ)1。是月。土師連眞敷卒。以2壬申年(3712)功1。贈2大錦上位1。
 
 
癸卯。九日なり○大山上。本に上字脱たり。今中臣本京極本に據る○乙巳。十一日なり○王子。十八日なり○氷上夫人。二年紀に夫人藤原大臣女氷上娘とあり。但馬皇女御母なり○癸丑。十九日なり○辛酉。二十七日なり○赤穗は。大和志に。高津笠(ノ)墓。氷上夫人。在2廣瀬郡赤部村1。とあり○乙亥。十二日なり○壬申年之功。前紀に載せず○小紫三野王。小紫は諸臣の位なり。諸王は一位二位など云り。當時諸王の位號。既に改まりしものとも見えず。下文七月にも。五位殖栗王あり。十二年下にも。三位高坂王薨とあればなり。小紫は恐くは誤なるべし○宮内官大夫。宮内官は。即宮内省なり。倭名抄。宮内省美夜乃宇知乃都加佐。とあり。大夫は卿なり。職員令に。宮内省。卿一人。掌d出2納諸國(ノ)調庸雜物。舂米官田1。及奏宣。御食産。諸方口味事u。とあり○新城。既に出○乙未。二日なり○庚子。七日なり○丙午。十三日なり○境部連石積。孝徳紀に坂合部磐積とあり○新字一部四十四卷。此新字詳ならず。釋述義に。私記曰。師説此書今在2圖書寮1。但其字體似2梵字1。未v詳3其字所2准據1也。とあり。是は上古の傳説を始め。鳥獣草木。惣て世にあるものを書記しゝが。其殘簡圖書寮に散在せしと見えたり。と云る説あれど。今知べからず。また似2梵字1と云に就て。今世間にある。日文《ヒフミ》と云る文字ならん。など云る説もあれど。總て推測の説なれば。信がたし○己酉。十六日なり○辛酉。二十八日なり〇位冠は。上よ(3713)り賜はれる冠にて。此時より冠を賜ふ事を止めて。位記を賜ひしか。されどそれは後にみえたれば。こゝなるは。それとは異なるか。或説に。位冠を止め給ひしは。いかなる故かとも。また位冠及三字恐くは衍かとも云れたり。【板本此三字の左傍に○を施したるは。衍なるしるしを。古人の附たるにもやあらん。】詳ならず○※[衣+畢]は。前裳なるべし。其制は詳ならず。倭名抄に。引2本朝式1曰。襷※[衣+畢]各一條。【讀2知波夜1。今按未詳。箋註云。知波夜見2拾遺集神樂歌小序1云々。然※[衣+畢]云2一條1。則是襷類。似v非2後世巫女所v著物1。未v知2其詳1。】とあり。【和訓栞云。延喜采女司式に。細布※[衣+畢]一條とみゆ。日本紀に嚴忌をいちはやしとよめる義なり。後世明衣を訓ぜるも義同じ。小忌衣也。布もて造る。身二はゞ袖一はゞ。木形を以山藍を写し。春草水象蝶鳥の類也。袖は縫ず。紙捻《コヨリ》にて括るといふ。とあれども。これも詳ならず。】前裳と同意も。また知べからず○※[衣+習]。推古紀訓ヒラミとあり。このものゝ事は。推古紀に委く載たり。合せ見るべし○脛裳。一訓にハヽキモとあり。【ハヽキの方は略なり。】倭名抄式2本朝式1曰。脛巾俗日波々伎。とあり。脛着裳《ハキハキモ》の義なるべし。朱鳥元年七月勅に。男夫著2脛裳1云々。猶如v故。續紀大寶元年三月。其袴者。直冠以上者。皆白(キ)縛《クヽリ》口袴。勤冠以下者。白|脛裳《ハヽキモ》。とあり。此に着することを止め給ひしも。朱鳥元年にまた男夫著2脛裳1とあるも。すべていかなることにか知がたし〇膳夫采女等之。本に此下に。また等之(ノ)二字あり。衍なり。中臣本及其他の本どもになし○手襁肩巾の事は。既に云り。按に膳夫は。御食を造り。釆女は。陪膳に仕奉る時に。着する禮服なり。大祓詞に。比禮掛伴男。手襁掛伴男とある即是なり。さて有巾は。此時に止め給へるを。文武紀大寶二年四月。先是諸國釆女眉巾田。依v令停v之。至v是復v舊。とあれば。後にはまた着せしめ給へるなり○食封皆止之云々。五年四月の勅に。諸王諸臣。被v給封戸之税者。除2以西國1。相易(テ)給2以東國1。とありしを。是時に至りて。行ひ始め給はむとて。まづ此までの(3714)卦戸を。盡く公に返さしめ給へるなるべし○是月土師連。本に土師の下に。二十六行四百五十七字の錯簡文あり。十四年の下にある文なり。中臣本にはなし。本にも旁書に。已下點本無之。仍※[金+肖]v之。とあるに依て。今除けり。【但し其文の中には。二三字校正すべき事あり。下に引て云り。】○壬申年功。京極本に年下之字あり。さて此人の事。壬申紀に見えず。
 
 
夏四月癸亥朔辛未。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。癸未。筑紫大宰丹比眞人島等。貢2大|鐘《ネ》1。甲申。越(ノ)蝦夷伊高岐那等。請《マヲシテ》2俘人《トリコ》七千戸(ヲ)1。爲2一郡(ト)1。乃聽之。乙酉詔曰。自今以後。男女悉(ニ)結《アゲヨ》v髪《カミ》。十二月三十日以前。結訖之。唯結髪之日(ハ)。亦|待《サフラヘ》2勅旨(ヲ)1。婦女(ノ)乘(コト)v馬(ニ)。如(ハ)2男夫1。其起2于是日1也。
 
 
辛未。九日なり○癸未。二十一日なり○丹比眞人島。此氏宣化紀に出。島は持統紀四年六月。右大臣と爲り。扶桑略紀。文武帝四年庚子八月二十六日。右大臣多治比眞人島。任2左大臣1。とあり。續紀には洩たり。續紀。大寶元年七月。左大臣正二位多治比眞人島薨。大臣宜化天皇玄孫。多治比王之子也。とあり○大鐘。集解云。爾雅。釋樂曰。大鐘謂2之※[金+庸]1。其中謂2之剽1。小者謂2之棧1。疏云。此別2鐘大小1之名也。説文曰。鐘(ハ)器也。とあり。樂器なり。【倭名抄。洪鐘俗云於保加禰。箋注云。按於保加禰。見2榮花物語後悔大將卷1。後世呼2椎鐘1。今俗呼2釣鐘1。とあり(後悔大將卷に。御堂にしてぬかをつき。大鐘をつきてのゝしりけ(3715)りとあり)。○甲申。二十二日なり○俘人七千戸。中臣本釋紀に千を十に作る。考には七十人とあり。通證云。倭名抄。諸國郷名有2俘囚1。蓋此義。俘囚字見2唐書儀衛志1。三代實録(ノ)標註。俘囚本是王民。而爲v夷所v略。遂爲2賤隷1。故云2俘囚1。其屬在2陸奥出羽1。後分2居諸國1。見2類聚國史風俗部1。とあり○乙酉。二十三日なり○男女悉結v髪。男女の髪の事は。此までをり/\云り。さて此時に至りて。古風の髪の樣を盡く改めて。始めて庶人の首飾の制を立給へるなり〇十二月三十日。或説に。十二月疑當v作2六月1。下文六月丁卯。男女始結v髪云々。可2合考1。とあり。按に此説は非なり。丁卯なるは男夫の結髪なり。女子のことは。本年中に結訖れとの詔なり○婦女乘馬如男夫云々。古事記裏書引私記云。從v此以前。女子騎乘。踞2馬上於一方1也。【政事要略交替雑事下。馬牛。日本紀云。天武天皇十一年四月云々○私記云。從v此以前○女子騎v馬。※[足+登]2於一方1也。とあるも。同じ傳なるべし。※[足+登]はもしくは鐙か。または踞にもあるべし。】集解に。按古婦人乘v馬。不v跨v鞍。至2于此1始有v制。跨乘與2男子1同。また通證に。今按婦人乘v馬。既見2欽明紀1。蓋太古有2男女縦横之別1也。故十二年紀曰。乘v馬縦横。並任v意也。とある。いづれも一方にのみ鐙を置て。馬上に踞したる故に見られたるなり。
 
 
五月癸巳朔甲辰。倭漢直等。賜(テ)v姓(ヲ)曰v連(ト)。戊申。遣2高麗(ニ)1大使。佐伯連廣足。小《ソヒ》使小墾田臣麻呂等。奏2奉v使旨(ヲ)於|御所《オモトニ》1。倭漢直等。男女悉(ニ)參赴(テ)之。悦(テ)v賜v姓而拜v朝。六月壬戌。高麗王。遣(テ)2下部|助有封婁毛切《シヨウクワルモウセツ》。大古|ミ《クヰヨウ》加(ヲ)1。(3716)貢2方《クニツ》物1。則新蘿遣(テ)2大那末金釋起(ヲ)1。送2高麗使人(ヲ)於筑紫(ニ)1。丁卯。男夫始(テ)結《アゲス》v髪。仍着2漆紗《ウルスヌリノウスハタノ》冠1。癸酉。五位殖栗王卒。
 
 
甲辰。十二日なり○倭漢直。六年紀に東漢直と作る同じ○戊甲。十六日なり○麻呂等奏。本に等奏二字なし。今中臣本に據る〇和漢直等。直は連とあるへきなり○助有卦婁毛切。二人の名か○大古昂加。通證に。大古は大兄に作るべし。と云れたるは。さる事なるべし。【釋の古本に。大古部とあるは誤なるべし。】昂《クヰヨツ・キヨウ》を秘閣本考本に昴《バウ》に作る。また京極本に。昂の下。部字あるも誤なるべし○貢方物。東國通鑑に。新羅神文王二年。唐永淳元年。高勾麗王※[にすい+戚の上小が臣]。卒2於印州1。唐贈2衛尉卿1。詔以v尸至2京師1。葬2于頡利1。墓左樹v碑。徙2其人於河南隴右1。諸州貧者。留2安東城傍1。舊城往々爲2國兵1所v没。餘衆散入2靺鞨及突厥1。高氏遂絶。按に永淳元年は是歳に當れり。されば此時の方物と云るもの。もはら新羅人の。高麗王と號して。貢れるものなり○丁卯。六日なり○男夫始。本に夫を女に作れり。中臣本に夫に作れり。こゝは著2漆紗冠1とあれば。男夫の方なるべし。女の冠を着せしこと。物に見えねばなり。【通證に。今按言2男女1。則當時女子亦着2此冠1歟。とあるは疑はしき説なり。】○漆紗冠。本に紗を沙に作れり。今中臣本釋紀に據る。訓も二書に。ウルシヌリノウスハタノ冠。とよめる宜し。さて漆紗は。漆すりたる紗なり。正統記に。上下漆ぬりの頭巾《カウブリ》を着る事は。この時より始るとあるこれなり。頭巾と云へど。これも冠に同じ。通證に。衣服令。禮服曰v冠。朝服曰2頭巾1。其禮冠(ノ)制。詳見2延(3717)喜式1。宜d與2孝徳三年紀1併按u。文武紀大寶元年。詔始依2新令1。制2四十八階之冠1。皆漆冠。元正紀靈龜三年。詔禁2六位以下(ノ)羅※[巾+業]頭1。又曰。※[巾+業]頭後脚。莫v過2三寸1。辨色立成。※[巾+業]頭加宇布利。とあり。さて此時の漆紗冠は。後の烏帽子の始と云るは。【この事は下に云。】さることなれど。集解に。按使3無位人皆著2漆紗冠1。其裁縫未v詳。蓋状與2官冠1同。惟以2漆紗1造v之爲v異耳。と云れたるは。さる事と通ゆ。【然るに。石原正明が。此時如v嚢冠を止められたりと云るは。押當なり。次に云べし。】まづ冠の沿革を大凡に云べし。推古紀十一年十二月。冠階十二階を定められてより以降。古は冠を以て其品位に差別をせられし事も。また其冠は。錦繍もて袋の如くに縫たるものゝよしも。推古紀に云るが如し。さて此時結髪とあるは。これは鬟《ミヅラ》に髪をゆひてありしを。この時より。髪を本鳥にしたるものなり。正明云。此時如嚢冠をやめられたり。冠を驗とせず。位記を用ゐられんとの結搆なり。【武郷云。この説はたがへり。下に云。】漆紗冠は。十三年紀の圭冠と同じ物なるべし。その樣は。髪を本鳥にして。巾子《コジ》を入れて。漆すりたる紗につゝみて。端を後(ロ)へ垂たるものなるべし。これ令に所謂頭巾なり。和名抄に。巾子(ハ)※[巾+業]頭(ノ)具。所2以挿1v髻也。とある※[巾+業]頭も。おなじものにて。今の冠は。このうつりなり。今の冠は。本鳥に巾子を入(レ)て。漆羅にてつゝみて。端を後(ロ)へたれたる形を。造かためたる。後世の製作なり。といへり。この記大かたしかるべし。但し如嚢冠を止められたりと云るは。信がたし。正統記に。上下漆ぬりの頭巾《カウブリ》を着る事は。この時よりはじまる。といへるも。其證には成がたし。これは錦繍にて造りし冠あれども。それは位冠なり。この時のは。上下とあれば。位階のなき人までも。着るべき冠(3718)なれば。たゞ其錦繍と紗との別を云るのみなり。錦繍にて造れる冠を。止められたるにはあらず。伊勢貞丈が。天武天皇の御代に。漆紗の冠を用ゐ給ひしかども。なほ※[代/巾]のごとくにてありしなり。と云れたるは。さることなるべし。さてまた頭巾と云よしは。衣服令。禮服曰v冠。朝服曰2頭巾1。とありて。ともにカウフリなれど。この時いまだ禮服朝服の差別なければ。文字の別《ワカ》れたるは。令よりのことなるべし。さてこの時よりの冠の大方をいはんには。これも貞丈が説の。右に出せる次に。其後圭冠といひし冠もあれど。【武郷云。圭冠の事は下文に云。】これも漆紗と同じく。和らかなりし冠なるべし。清少納言の草紙に。雨にうたれて。冠もひしけて。表《ウヘノ》衣|下襲《シタカサネ》。ひとつになりしこと見えたり。是は冠はうすく和らかなるゆゑに。雨にあひて。ひしけたるなり。今の冠は。紙にて張拔にして。羅《ウスモノ》をきせて。漆をぬりたるものなり。また小くして。頭へ入らぬゆゑ。頂《イタヾキ》にのせおくなり。又巾子も高くして。笄を貫《ツラヌ》きたり。古の冠とは大にたがひたり。今の如く。冠も烏帽子も固くなりたるは。鳥羽院の御代。衣文《エモン》といふこと始りし已來の事なるべし。今は厚額。薄額。半《ハン》額。透《スキ》額など云て。品々の冠出來れりと云れたる如し。【禮冠のことは。式部式に其製みえたり。文武紀大寶元年。詔初依2新令1。制2四十八階之冠1。皆漆冠。元正紀靈龜三年。詔禁2六位以下羅(ノ)※[巾+僕の旁]頭《カウブリ》1。又曰。※[巾+僕の旁]頭後脚。莫v過2三寸1。とあるなどは。既く如v嚢冠にあらざるなり。】〇癸酉。十二日なり○殖栗王。紹運録に。厩戸皇子男に同名あれど。別なるべし。
 
 
秋七月壬辰朔甲午。隼人多來。貢2方物1。是日。大隅(ノ)隼人。與2阿多(ノ)隼人1。相2(3719)撲《スマヒトル》於朝廷(ニ)1。大偶隼人勝之。庚子。小錦中膳臣摩漏病。遣2草壁皇子尊。高市皇子(ヲ)1。而訊v病(ヲ)。壬寅。祭2廣瀬龍田神1。戊申地震。己酉。膳臣摩漏卒。天皇驚(テ)之大哀。壬子。摩漏臣(ニ)。以(テ)2壬申年之功(ヲ)1。贈2大柴位及禄1。更(ニ)皇后賜v物亦准(テ)v官(ニ)賜。丙辰。多禰人。掖玖人。阿麻彌人。賜v禄各有v差。戊午。饗2隼人等於飛鳥寺(ノ)西(ニ)1。發2種々(ノ)樂1。仍(テ)賜v禄。各有v差。道俗《オコナヒヾトシロキヌ》悉(ニ)見之。是日。信濃國吉備國並言。霜降。亦大風(テ)。五穀不v登。八月壬戊朔。令(シテ)2親王以下及諸臣(ニ)1。各俾v申2法式《ノリトシテ》應v用之事(ヲ)1。甲子。饗2高麗(ノ)客(ニ)於筑紫(ニ)1。是夕(ノ)昏《イヌノ》時(ニ)。大星自v東度西(ニ)。丙寅。造2法令《ノリノフミヲ》1。殿(ノ)内(ニ)有2大|虹《ヌジ》1。壬申。有(テ)v物。形如(テ)2灌頂(ノ)幡1。而火(ノ)色。浮(テ)v空(ニ)流v北(ニ)。毎v國皆見。或曰入2越(ノ)海(ニ)1。是日。白|氣《シルシ》起2於東山(ニ)1。其大四圍。癸酉。大地動。戊寅。亦地震。是日|平旦《トラノトキ》。有(テ)v虹當2于|天中央《ソラノモナカニ》1。以(テ)向v日(ニ)。甲成。筑紫大宰言。有2三(ノ)足(アル)雀1。
 
 
甲午。三日なり○大隅隼人。和銅六年四月。割2日向國四郡1。置2大隅國1。とあり。此時は未(ダ)一國に立ざ(3720)りしなり○阿多隼人。薩摩國阿多郡。延喜隼人式に。凡大衣者。擇2譜第内1。置2左右各一人1。注に。大隅爲v左。阿多爲v右。とあり。この隼人の事は。神代紀に既に悉く云り。さて後世七月相撲節は。此に濫觴せしものなるべし。類史。仁明天皇天長十年五月勅。相撲之節。非2啻娯遊1。簡2武力1最任2此中1云々。七月辛丑。天皇幸2神泉苑1。觀2相撲節1。などあり○庚子。九日なり○壬寅。十一日なり○戊申。十七日なり○己酉。十八日なり○壬子。二十一日なり○壬申年之功。膳摩漏臣の事。壬申紀に見えず○更皇后。更字后の下にあるべし○丙辰。二十五日なり○阿麻彌。齊明紀三年。漂2泊于海見島1。とある即これなり。續紀には菴見《アマミ》とあり○戊午。二十二日なり○甲子。三日なり○大星は。客星なり。古本の訓に。ユフツヽとあるはよからず○丙寅。五日なり○造法令。十年紀に。朕今更欲d定2律令1改c法式u。とあるより。此月の朔にも。其事見えたるか。今造り畢たるなり。通證に。文武紀所謂。淨御原朝廷令文。即是。とあり○大虹。萬葉に。多都努自能《タツヌジノ》云々とあり○壬申。十一日なり○白氣。萬葉に伎利と訓り。されどこれはたゞの霧にはあらじ○癸酉。十二日なり○戊寅。十七日なり。甲戌の下にあるべし。この處は。甲戌【十三日】戊寅【十七日】癸未【二十二日】己丑【二十八日】とあるべきに。みな錯亂せり○甲戌。十三日なり〇三足雀。略記に。大宰府貢2三足烏1。編年紀に。貢2三足雀1。又曰三足烏。とあり。烏雀兩説なり。
 
 
癸未。詔2禮儀言語《ウヤハヒモノハム》之状1。且詔曰。凡諸(ノ)應考選《シナサダメカウブリタマハム》者能※[手偏+僉](テ)2其|旅姓《ウカラカバネ》。及|景迹《コヽロバセヲ》1。(3721)方(ニ)後(ニ)考《シナサダメム》之。若雖2景迹|行能《シワザ》灼然《イチシロナリト》1。其族姓不v定者。不v在2考選之|色《シナ》1。己丑。勅(テ)爲2日高皇女【更名新家皇女】之病(ノ)1。大辟《シヌル》罪以下(ノ)男女。并一百九十人。皆赦之。庚寅。百四十餘人。出2家於大官大寺(ニ)1。九月辛卯朔壬辰。勅自今以後。跪禮《ヒザマヅキノヰヤ》匍匐禮《ハフヰヤ》。並(ニ)止(テ)之。更用2難波(ノ)朝廷之立(ツ)禮1。庚子(ノ)日中《ムマノトキニ》。數百(ノ)※[霍+鳥]《オホトリ》當(テ)2大宮(ニ)1。以高2翔於空1。四尅《トキノヲハリニシテ》而皆散。
 
 
癸未。二十二日なり○詔(ノ)下。恐くは定(ノ)字脱せしものなるべし○禮儀。ウヤハヒと訓るめづらし○族姓。或人云。姓に尊卑あり。氏に貴賤ありて。賤は内位に叙がたきなどを以て。此詔ありと云り○景迹。考課令に。凡定2官人景迹功過1。義解謂。景状也。猶v言2状迹1也。線叙令に。凡應v選者。皆審2状迹1。義解謂。考中(ノ)功過。謂2之状1也。履行(ノ)善惡。謂2之迹1也。とあり○行能。考課令に。録2一年(ノ)功過行能1。義解謂。善惡爲v行。才藝爲v能。とあり○己丑。二十八日なり○日高皇女。後に元正天皇と申す。御名義。日高は尊稱なるべし。新家は御母姓に據たるか〇一百九十人。本に人を八に作るは誤なり。中臣本には九十八人とあり。さらば本は人字を脱せしものなるべし○庚寅。二十九日なり○出家於大官大寺。略記には十二年に入る○壬辰。二日なり○跪禮の事は。神代紀。推古紀にみゆ。そこに云へり。續紀慶雲(3722)元年正月。始停2百官跪状禮1。とあり。慶雲四年十二月にも再詔あり○匍匐禮。膝行蒲伏禮なり。匍匐は古禮の本にて。萬葉に。鶉成伊這囘《ウヅラナスイハヒモトホリ》。またしゝじ物《モノ》伊匍匐拜《イハヒヲロガミ》。とも云る如く。伊は發語にて。這は貴き人に對て。禮を作を云○難波朝庭之立禮。孝徳天皇の御世の事なれども。本紀には載せず。さて皇朝の古には。立禮はなきを。唐朝の制に傚ひ給ひしなり。集解に。按跪禮以v蹲爲v敬。坐必蹲2于地1。立禮以v立爲v敬。坐必據2于榻1也。と云り○庚子。十日なり○※[霍+鳥]。正字通(ニ)※[霍+鳥]鶴同とあり。釋紀には鶴と作り。字鏡集に※[霍+鳥]オホトリと訓り。大鳥にて。和名抄に鸛をよめり。されどこゝはなほ。尋常のタヅなるべし○四尅。通證に。此間漏刻。以2一時1分2四尅1。故訓爲2時(ノ)終1也。とあり。【或説に。四剋を時の終とは。一時を十刻に割て。初剋を除き。上四剋下四剋とつもる故。時の終なりと云り。いかゞあらむ。
 
 
冬十月辛酉朔戊辰。大餔《サケノミス》。十一月庚寅朔乙巳。詔曰。親王諸王及諸臣。至(ニ)2于庶民1。悉(ニ)可v聽之。凡|糺2彈《タヾサムハ》犯v法(ヲ)者(ヲ)1。或|禁省《オホウチ》之中。或|朝廷之中《マツリゴトドコロニモ》。其於(テ)2過失《アヤマチ》發《オコラム》處(ニ)1。即|隨見隨聞《ミキカムマヽニ》。無(ク)2匿蔽(コト)1而糺彈。其有(ハ)2犯(シ)重(コト)1者。應(ハ)v請《マヲス》)則請(シ)。當(ハ)v捕則|捉《カスヰヨ》。若|對捍《コバミテ》以不(ハ)v見v捕者。起(テ)2當處(ノ)兵(ヲ)1。而捕之。當(ハ)2杖色《フトツエノシナニ》1。乃杖一|百《モヽタビ》以下。節級《シナ/\シテ》决《ウテ》之。亦犯(ノ)状|灼然《イチシロキヲ》。欺(テ)言v無v罪。則不2伏辨《ウベナハ》1。以(テ)爭訴者。累(テ)加2其本(ノ)罪(ニ)1。十二(3723)月庚申朔壬戌。詔曰。諸氏人等。各定d可2氏上1者u。而申送。亦其|眷族《ヤカラ》多在者(ヲバ)。則分(テ)各定(テ)2氏上(ヲ)1。並申2送於官司(ニ)1。然後|斟2酌《ハカリテ》其状(ヲ)1。而|處分《オコナヘ》之。因(テ)承《ウケヨ》2官(ノ)判(ヲ)1。唯因2少故《イサヽケキコトニ》1。而非(ム)2己族(ニ)1者《ヒトヲ》。輙《タヤスク》莫v附。
 
 
戊辰。八日なり○大餔。※[霍+鳥]の集れるを嘉瑞として。賀し給へるなるべし○乙巳。十六日なり○糺彈犯法者。職原抄に。彈正臺掌2糺彈事1とありて。これ彈正臺の職掌なり○禁省は。禁中なり○起當處兵而捕之。捕亡令に見えたる當界軍團なり。これは彈正式に見えたるも同じ○杖色。名例律に見えたり。色は色目なり○節級。通證に。謂v有2品節等級1也とあり○决之は。獄令に。杖罪以下當司决とあり。當司は彈正臺なり○加其本罪。彈正式同じ○壬戌。三日なり○氏人等。三代實録に。大神宮氏人。東鑑に。背2氏擧1者。非2氏人1。などあり○送於宮司。治部省所v掌なり○輙莫附。集解云。按一氏族之中。他有2少故1。欲v爲2其族1者。少故(ハ)蓋謂2母黨妻黨疎遠者1。と云り。
 
 
十二年春正月己丑朔庚寅。百寮拜2朝廷1。筑紫大宰丹比眞人嶋等。貢2三足(アル)雀(ヲ)1。乙未。親王以下及群卿(ヲ)。喚(テ)2于大極殿(ノ)前(ニ)1。而宴之。仍(テ)以(テ)2三足雀(ヲ)1示(タマフ)2于群臣1。丙午詔曰。明神《アキツミカミト》御《シラス》2大八洲1。日本根子天皇(ノ)勅命者《オホミコトノリニマセ》。諸國司國造郡司(3724)。及百姓等。諸《モロトモニ》可v聽矣。朕初(テ)登《シラシヽヨリ》2鴻祚《アマツヒツギ》1以來。天《アマツ》瑞《ミツ・シルシ》非2一二(ニ)1。多至之。傳聞。其天瑞(ハ)者。行v政(ヲ)之理。協2于天(ノ)道(ニ)1。則|應《コタフ》之。是今當(テ)2于朕世1。毎年重(テ)至。一(ハ)則以(テ)懼。一則以(テ)喜。是以(テ)親王諸王。及群卿百寮。并天下黎民。共相歡(ム)也。乃小建(ノクラヰ)以上(ニ)給v禄。各有v差。因以大辟罪以下。皆赦之。亦百姓課役並免焉。是日。奏《ツカマツル》2小墾田(ノ)舞。及高麗。百濟。新羅。三國(ノ)樂(ヲ)於庭中(ニ)1。
 
 
庚寅。二日なり○貢三足雀。前年八月所v奏者なり○乙未。七日なり○丙午。十八日なり○大八洲。本に洲を州と作り。今類史考本に據て改む○勅命者。オホミコトノリニマセと訓べし。續紀以下の宣命に。天皇大命爾坐世。と云ることあり。大命爾坐者の義なり。こゝに勅命者と書るは。宣命に大命爾坐(セ)とあるに當れり。大命爾坐(セ)者の者を略ける例なること。此の者(ノ)字にて通はし知らる。もとより此時の詔は。宣命書なりけるを。漢文に改めたる時に。かく書れたるなり。されば其意して讀べし○一則以喜。本に喜を嘉と作り。今類史考本に據て改む○小墾田舞は。釋紀に。兼方按。推古天皇小墾田宮朝所v製歟とあり。【通證に。今按謂2倭舞1歟。また集解に。按職員令集解。雅樂寮曰。大屬尾張(ノ)淨足説(ニ)。今寮有2舞曲1如v左。因載2久米舞。五節舞。田舞。倭舞。楯臥舞。築紫舞等1。不v載2小墾田舞1。蓋所謂倭舞是。とあり。倭舞なりと云る説は信がたし。倭舞は。本大和に出るが故に名くるよし。古今童蒙鈔に見えたれど。小墾田舞の名は。宮(ノ)名より出たるものなるべけ作ば。よしありとも聞えず。さてまた猿樂人今春氏の家に傳ふる。秦氏家系略記と云ものを見れば。初代大津父。二代廣隆。(隆一作v田)三代河勝。とありて。其下(3725)に拜2小徳冠1。聖徳太子作2小墾田樂1。授2河勝1奏之。是爲2本朝散樂之權輿1。とあり。これを本朝散樂之權輿と書るは。非なるべけれど。聖徳太子の所作と云るは。據ある事にもあらんか。未詳。なほよく考べし。】〇三國樂。外邦の樂を禁内に奏したる事。始てこゝに見ゆ。持統紀七年正月。漢人等踏歌を奏すとあれば。此頃既に外邦の樂を。朝家の宴會に用ゐ給ひしなりけり。令雅樂寮に。唐(ノ)樂師。高麗(ノ)樂師。百濟(ノ)樂師。新羅(ノ)樂師ありて。令に詳かなり。【宋史日本傳に。樂有2中國高麗二部1。とあり。小中村清矩云。唐土の樂は。彼國より直に傳へしか。又は三韓よりにや。其始詳ならず。と云り。】
 
 
二月己末朔。大津皇子始聽2朝政1。三月戊子朔己丑。任2僧正僧都律師1。因以勅曰。統2領《スベヲサメムコト・ツカサドリヲサ》僧尼(ヲ)1。如v法云々。丙午。遣2多禰(ニ)1使人等返之。夏四月戊午朔壬申。詔曰。自今以後。必用2銅錢1。莫v用2銀錢1。乙亥詔曰。用(コト)v銀莫v止。戊寅。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1六月丁巳朔己未。大伴連|望多《ウマクタ》薨。天皇大驚之。則遣(テ)2泊瀬(ノ)王(ヲ)1。而弔之。仍(テ)擧2壬申年(ノ)勲績《イクサノイタハリ》。及先祖等(ノ)毎(ノ)時|有功《イサヲシサヲ》1。以顯(ニ)寵賞。乃贈(テ)2大紫位(ヲ)1。發鼓吹《ツヾミウチフエフキテ》葬之。壬戌。三位高坂王薨。
 
 
己丑。二日なり○僧正僧都律師。僧綱の官を任じ給へるはじめなり。本居翁が歴朝詔詞解云。僧綱は保宇志乃都加佐と訓べし。そも/\僧官を任《メ》されたることは。推古紀三十二年より始めて見えたり。其時の僧官は。僧正僧都法頭也。この年任2僧正僧都律師1。因以勅曰。統2領僧尼1云々と見えて。朱鳥元(3726)年の處に。三綱律師とある三綱。これ僧綱にて。僧正僧都小僧都をいへるなるべし。小僧都といふも。同紀十二年より先(キ)に見えたればなり。かの法頭といふ官も。孝徳紀にも見えたれど。そは白衣なれば三綱には入べからず。さて後には僧正僧都律師を僧綱と云。大寶二年にも。僧正大僧都少僧都律師と任《メ》されたる事見ゆ。僧尼令に僧綱謂2律師以上1と見え。義解にも謂2二僧綱1者。僧正僧都律師也とあり。延喜治部省式にいへる僧綱も。僧正大小僧都律師也。さて又續紀よりこなたに。諸寺(ノ)三綱といふ物有り。それは天武紀に僧綱を三綱といへるとは別にして。此三綱といふは諸寺に有て。おの/\其等の僧尼の事を掌るものにして。僧尼令義解に。三綱者上座寺主都維那也とある是なり。玄蕃式に見えたるも同じ。同式に凡諸苛以2別當1爲2長官1。以2三綱1爲2任用1とあり。諸寺の三綱の事は。こゝに用なけれども。物のついでに聊云るなり。とあり○統領僧尼如法云々。こゝに僧尼令に見えたる文どもありしなるべし。其文を云々とは書れたるなり○丙午。十九日なり○壬申。十五日なり○莫用銀錢。按に顯宗紀二年に。稻斛銀錢一文とあるに據れば。それより爾來。專ら銀餞を用ゐたりしものなるべし。しかるに。今銀錢を止めて。もはら銅錢を用ゐよとあれど。いかなる銅錢にか知べきよしなし。この後。元明天皇和銅元年に。和銅開珍を鑄給ひしこと。續紀に見えたり。其後の事は。次々に史に見えたれど。其以前の餞文ものに見えず。知るべきよしなし○乙亥。十八日なり〇用銀。水戸本に銀下錢字あり○戊寅。二十一日なり○己未。三日なり○大伴連望多。咋の子なり。上卷に馬來田とあり。續(3727)紀延暦元年條に。子道足あり。公卿補任には安麻呂子としたり○泊瀬王。持統紀九年十二月。賜2淨大肆泊瀬王賻物1。とあり〇吊。本に予に誤る。今訂せり○壬申年勲績。馬來田は。弟吹負とゝもに。稱v病て倭(ノ)家に退しか。嗣位に登るものは。必天皇に坐むと云ことを知て。馬來田は天皇に從ひ奉りしこと。壬申紀に見えたり。年(ノ)下京極本之字あり○贈大柴位。續紀に内大紫に作る。續紀大寶元年勅。先朝論v功行v封時。賜2大伴連馬來田一百戸1。宜依v令四分之一傳v子とあり○發皷吹葬之。鼓吹を用て葬れることは。古代の禮なるを。其を賜りて葬を送るは。異邦より移りしものなるべし。故其等差を喪葬令に載たり。其文に。凡親王一品。方相轜車各一具。鼓一百面。大角五十口。小角一百口。幡四百竿。金鉦饒鼓各二面。楯七枚。二品三品四品。諸臣一位。及左右大臣。二位。及大納言三位。又大政大臣。各有v差。など通證に引れたり。なほ本書に委し○壬戌。六日なり○高坂王薨。元年紀六月に出。中臣本には薨を卒とあり。
 
 
秋七月丙戌朔己丑。天皇幸(テ)2鏡(ノ)姫王《ヒメミコ》之家(ニ)1訊v病。庚寅。鏡姫王薨。是夏。始(テ)請2僧尼(ヲ)1。安2居(ス)于宮中1。因簡2淨行者《オコナフヒト》三十人(ヲ)1。出家。庚子※[樗の旁]之。発卯。天皇巡2行《オハシマス》于|京師《ミヤコニ》1。乙巳。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。是月始(テ)至2八月(ニ)1旱之。百濟僧道藏。※[樗の旁]之得v雨(ヲ)。八月丙辰朔庚申。大2赦天下1。大伴連|男吹負《ヲフケヒ》卒。以2壬申年之功(ヲ)1。贈2(3728)大錦中(ノ)位1。
 
 
己丑。四日なり〇鏡姫王の事は。既に二年紀に委く云り。はじめは天智天皇にめされ。後には鎌足公の室となれり。興福寺縁起に。至2天命開別天皇即位八年歳次己巳1。冬月内大臣枕席不安。嫡室鏡女王請曰云々。とあるにて明らかなり。さて此家は。鎌足公の家なるべければ。嵩市郡藤原【一名大原】郷なるべし○庚寅。五日なり○鏡姫王薨。諸陵式に押坂墓。鏡女王。在2大和國城上郡押坂陵舒明天皇域内東南1。無2守戸1。とあり。【岡部東平は。此姫王を。史公の實母なりと定めて。故其墓。亦載2延喜二十三墓中1。以2外戚1也。と云れたれど。いかゞあらむ。】○安居于宮中。類史安居部に載たり。通證云。南山鈔曰。形心靜攝曰v安。要期此住曰v居。五雜俎曰。四月十五日。天下僧尼。就2禅刹1搭挂。謂2之結夏1。又謂2之結制1。蓋方(テ)2長養之辰1出v外。恐傷2草木虫蟻1。故九十日安居。至2七月十五日1。始盡散去。謂2之解夏1。又謂2之解制1。とあり。事跡抄に。一夏九十日禁足して。行事するを安居と云。と云り。是をアンゴと呼ならへり○庚子。十五日なり○癸卯。十八日なり○乙巳。二十日なり○百濟僧道藏。續紀養老五年六月詔曰。百濟沙門道藏。寔惟法門袖領。釋道棟梁。年逾2八十1。氣力衰耄。非v有2束帛之施1。豈稱2養老之情1哉。宜所司四時施物。※[糸+施の旁]五匹。綿十屯。布二十端。又老師所生。同籍親族。給復給2僧身1焉。とあり。又元亨釋書九にも見えたり○庚申。五日なり○男吹負卒。上卷には男字なし。續紀天平勝寶元年六月には。小吹負ともあり。みな同人なり。此人は馬來田の弟にて。大和國にて諸豪族を招きて。大功を(3729)立。將軍に拜せられしこと。壬申紀に委く出たり。咋子連の子と。續紀にあり。さて吹負子二人。祖父麻呂。牛養。聖武紀に見えたり。
 
 
九月乙酉朔丙戌。大風。丁未。倭直。栗隈首。水取造。矢田部造。※[竹/收]原部造。刑部造。福《サイ》草部造。凡川内直。川内漢(ノ)直。物部首。山背直。葛城直。殿服部《トノハトリ》造。門部直。錦織造。縵造。鳥取造。來目(ノ)舍人造。檜隈(ノ)舍人造。大狛造。秦造。川瀬(ノ)舍人造。倭(ノ)馬飼造。川内(ノ)馬飼造。黄文造。蓆集造。勾《マガリノ》筥作造。石上部造。財(ノ)日奉造。※[泥/土]部《ハシヒトノ》造。穴穗部造。白髪部造。忍海造。羽|束《ヅカシノ》造。文首。小泊瀬造。百濟造。語《カタラヒノ》造。凡(テ)三十八氏。賜v姓曰v連。
 
 
丙戌。二日なり○丁未。二十三日なり〇倭直。十年四月紀に。倭直龍麻呂賜v姓曰v連とあり。此時倭氏盡く姓連を賜はりしなり○栗隈首。本に隈を隅とあり。中臣本考本。隈に作れり。從ふべし。天智紀にも栗隈首徳萬とあり。系未v詳。氏人は。村上帝(ノ)時。左少史栗前宿禰扶茂。符宣抄にあり。同氏なるべし。さて栗隈は地名なり○水取造。姓氏録右京神別。水取連。神饒速日命六世孫。伊香我色乎命之後也。左京同じ。三代實録九。水取連繼主。賜2姓宿禰1。又水主連繼男等。賜2姓朝臣1。神饒速日命之後也。と(3730)あり。さて此氏は。水取の事を掌れるが中に。大嘗祭式に。水取連執2蝦鰭盥《エビハタブネ》1。とあるなどは。後々までも。其家にて預り仕奉れるなり。これは天皇の御手水(ノ)器なり○矢田部造。推古紀二十三年に出。伊香色雄命の後なり○※[竹冠/收]原部造。中臣本京極本釋紀等には藤とあり。※[竹冠/收]は藤の草體なれば同字なり。藤原部は允恭紀に出。續紀天平寶字元年三月勅。自今以後。改2藤原部姓1。爲2久須波良部1。【考證云。藤原之地。古通2用葛※[竹冠/收]字1。天平之時。此氏爲2葛原1者。以別2藤原朝臣1也。】神護元年正月。授2從六位下久須原部(ノ)連淨日外從五位下1。姓氏録和泉皇別。葛原部。佐代公同祖。豐城入彦命三世孫。大御諸別命之後也。日本紀漏。とあり。葛原即藤原と私記に云り。【さて朝野群載に。鳥羽帝時。東市令史葛原宿禰季忠とあるも。此族なるべし。】○刑部造。天孫本紀に。物部石持連公。刑部造等祖。とあり。石持。饒速日命十一世孫なり。連宿禰皆同族なり。下に見ゆ○福草部造。記に。天津日子根命。三枝部等之祖也。とあり。福草部。顯宗紀三年に出。續後記に三枝直あり。除目大成鈔に三枝宿禰あり。みな同族なるべし○凡川内直。天津彦根命の後也。既に出○川内漢直。推古紀十八年に出。そこに云り○物部首。天足彦國押人命之後。垂仁紀三十九年に出。姓氏録未定に。物部首。神饒速命之後。とあれど。それにはあるべからず○山背直。五年紀に出○葛城直。劔根命之後。用明紀元年に出○殿服部造。詳ならず。姓氏録大和神別。服部連。天御中主命十一世孫。天御桙命之後也。【神宮雜例集。嘉應二年神服織機殿神部等解云。神部等遠祖。天(ノ)御桙命爲v司。】とあり。若しくは同氏か〇門部直。安牟須比命之後也。孝徳紀及十年四月紀に出○錦織造。十年四月紀に出○縵造。八年八月紀に出○鳥取造。天湯川桁命之後なり。垂仁紀二十三年に出○來目舍人造。本に來を未(3731)に誤る。今京極本考本に依て改む。さて來目に。皇別と神別とあり。【皇別は武内宿禰の後。神別は高皇産靈尊の後なり。】來目舍人孰(レ)ならん知がたし。氏人は類史八十八。刑法部に。延暦十四年四月。信濃國小縣郡久米舍人望足。同九十九。職官部に。天長四年正月久米舍人虎取。などあり。【右の外に又久米連あり。元正紀。正六位上久光奈保麻呂賜2連姓1。清和紀。石見那賀郡權大領村部峯雄等。復2本姓久米連1。これも知がたし。】○檜隈舍人造。姓氏録左京神別。檜前舍人連。火明命十四世孫。波利那乃(ノ)連公之後也。【波利那乃。天孫本紀に針名根に作る。】氏人は。續後紀に。檜前舍人直田加麻呂あり。除目大成鈔に。近衛帝時。下野大掾檜前連國次あり。これも此族なるべし○大狛造。十年四月紀に見ゆ○秦造。融通王の後。雄略紀十五年に出○川瀬舍人造。置2川瀬舍人1こと。雄略紀十一年にみゆ。姓氏録和泉神別。川瀬造。神魂命五世孫。天道根命之後也。國造本紀に紀(ノ)河瀬直あり。同族なり。除目大成鈔に。一條帝時。主税權少允。川瀬宿禰師光あり。後に宿禰に改めしなるべし。符宣抄に。姓なきものもあり○倭馬飼造。系未詳。八年十一月に出○川内馬飼造。系未詳。繼體紀欽明紀に。川内馬飼首あり。そこにも云り○黄文造。天智紀及元年紀に。黄書造と作り○蓆集造。姓氏録未定雜姓。大和國。薦集造。天津彦根命之後也。とあり。欽明紀に薦集部首登弭あり。同族か異なるか○勾筥作造。本に筥を※[草冠/呂]に誤れり。釋紀に苔と作るも非なり。系未詳。勾は大和國高市郡の地名○石上部連。未詳。續紀。天平勝寶元年五月。石上部君諸弟と云人見え。同五年七月。左京人正八位上石上部君男島等四十七人言。己親父登與。以2去大寶元年1。賜2上毛野坂本君姓1。而子孫等籍帳。猶注2石上部君1。於v理不v安。望請。隨2父姓1。欲v改2正之1。許焉。といふ事見えたり。これと同(3732)族ならんか○財日奉造。未詳。中臣本には。財造。日奉造。とあり。【かくては。次文三十八氏と云に合はざれども。誤なりとも定めがたし。八は九の誤寫ならんも知がたし。】財造も。系詳ならねど。氏族志に。聖武帝時。有2越前江沼郡主帳。財造住田1。【東大寺正倉院文書】仁明帝時。有2加賀能美郡人。財部造繼麻呂1。【續後紀】朱雀常時。有2小舍人財部保家1。【外記日記】後一條帝時。有2太宰大典財部宿禰恒孝1。【類聚符宣抄】と云り。日奉。敏達記に出○※[泥/土]部造。元年紀六月出○宍穗部造。系未詳。置2穴穗部1。雄略紀にみゆ。姓氏録未定に。孔王部首。穴穗天皇之後者不見。とあり。天皇には御子なきが故に。御名代として置れたるなり。續紀和銅四年壬六月。宗形部加麻麻伎。賜2穴太連1。と云ことあり○もしこれ同姓ならば。大己貴命の後なり○白壁部造。孝徳紀白雉元年。白髪部連鐙あり。そこに云。白髪部皇別神別二氏あり○忍海造。三年紀に出○羽束造。姓氏録攝津皇別。羽束首。天足彦國押人命男。彦姥津命之後也。とあり。同族なるべし。また羽束。天佐鬼利命三世孫。斯鬼乃命之後也。と云るもあり。倭名抄。山城國乙訓郡羽束波豆賀之。また攝津國有馬郡羽束あり。其方なるべし○文首。書首に同じ。應神紀に出○小泊瀬造。本に瀬字を脱。今釋紀に依る。神八井耳命の後なり。仁徳紀に出○百濟造。姓氏録左京諸蕃。百濟公。百濟國酒王之後也。續紀二十。余益人。余東人等四人。賜2百濟朝臣1。二十七。百濟王敬福傳に。其先百濟國人比有王之後也。六に百濟宿禰有世。賜2百濟朝臣1云々。などあり。さて此に連姓を賜とはあれど。其子孫大方は。百濟王と云ふ姓を傳へ。連は姓氏録にさへ見えず。唯續後妃九に。百濟連清繼と云人一人のみ。史に見えたり○語造。姓氏録右京神別。天《アメ》語連。天日鷲命之後。儀(3733)式大甞祭儀。令3諸國量v程。進2物部門部語部等1。大甞祭式。伴宿禰一人。佐伯宿禰一人。各引2語部十五人1。入v自2東西掖門1。就v位奏2古詞1云々。とある。此氏の名の原由なり。氏族志云。出雲風土記。有2語臣猪麻呂1。東大寺正倉院文書。聖武帝時。有2出雲人語君小村。語部君瓔及備中窪屋部人語直※[草冠/衰]1。語部族。居2美濃丹波但馬因播等國1。世供2奉大甞祭1。【貞觀儀式延喜式】とあり。
 
 
冬十月乙卯朔己未。三宅吉士。草壁吉士。伯耆造。船史。壹伎史。娑羅々(ノ)馬飼造。菟野(ノ)馬飼造。吉野首。紀(ノ)酒人直。采女造。阿|直《トキノ》史。高市(ノ)縣主。磯城(ノ)縣主。鏡作造。并(テ)十四氏(ニ)。賜v姓(ヲ)曰v連。丁卯。天皇狩2于倉梯(ニ)1。
 
 
己未。五日なり〇三宅吉士。四年七月に出○草壁吉士。十年正月に。草香部吉志に作る。そこに云り○伯耆造。國造本紀に。伯伎國造。志賀高穴穗朝。牟邪志國造同祖。兄多毛比命兒。大八木足尼。定2賜國造1。とあるは同族なるべし。靈異記に。桓武帝時。波々岐將丸あり。其裔ならん○船史。欽明紀十四年に出○壹伎史。舒明紀四年に。伊岐史【孝徳紀に伊吉とあり。】あり。そこに云り○娑羅々馬飼。倭名抄。河内國讃良郡佐良良。靈異記に。河内國更荒郡馬廿里。有2富家1云々。此地名今なしと云り。上文に川内馬飼造あり。同族なるべし○菟野馬飼造。欽明紀。河内國更荒郡※[盧+鳥]※[茲+鳥]野邑とあり。これも右の娑羅々と同族なるべし。集解に。按履中天皇五年紀。有2河内飼部等1。河内國多有2飼部1。蓋以v故造長亦處々有v之。とあり(3734)○吉野首。神武紀に出○紀酒人直。未詳。按に紀氏は。天道根命より出たり。紀(ノ)某(ノ)直と稱するもの。續紀に見えたり。さらば酒人直も同族なるべし。紀に。景行皇子神櫛王者。木國之酒部阿比古之祖。とあるは別なり○釆女造。未詳。釋紀に造を直とあり。東大寺古文書に。天平勝寶中。但馬二万郡人采女直眞島あり。除目大成鈔。堀河帝時。出雲掾宇禰倍宿禰延方あり。いづれも詳ならず。姓氏録右京神別。釆女朝臣。神饒速日命六世孫。大水口宿禰之後也。和泉に采女臣。神饒速日命六世孫。伊香我色雄命之後也。とあれど。それは別姓なるべし○阿直史。應神紀に阿直岐史とあり。其處に云り○高市縣主。元年紀に出○磯城縣主。日子湯支命之後なり。神武紀に詳に云り。【神八井耳命の後にも。志紀縣主はあれども。夫にはあらぬこと。記傳に云れたり。】○鏡作造。神代紀に出○丁卯。十三日なり○倉梯。十市郡なり。
 
 
十一月甲申朔丁亥。詔(テ)2諸國1。習2陳法《イクサノノリヲ》1。丙申。新羅遣(テ)2沙※[にすい+食]金|主《ス》山。大那末金長志(ヲ)1。進v調。十二月甲寅朔丙寅。遣2諸王(ノ)五位伊勢王。大錦下羽田公八國。小錦下多臣品治。小錦下中臣連大嶋。并(テ)判官|録史《フムヒト》。工匠者等(ヲ)1。巡2行《アリキテ》天下(ニ)1。限2分《サカフ》諸國之|境堺《サカヒヲ》1。然(ニ)是年不v堪2限分1。庚午詔曰。諸文|武《ツハモノ》官(ノ)人。及畿内(ノ)有位人等。四(ノ)孟《ハジメノ》月(ニ)必|朝參《ミカドマヰリセヨ》。若有(テ)2死病《オモキヤマヒ》1。不(バ)v得v集《ウゴナハルコトヲ》者。當司具(ニ)記(テ)。申2送法(ノ)(3735)官(ニ)1。又詔曰。凡|都城《ミヤコ》宮室《オホミヤ》。非2一處(ニ)1。必造(ラム)2兩參《フタトコロニ・トコロ/”\ニ》1。故先欲v都2難波(ニ)1。是以百寮者各|往《マカリテ》之。請《タマハレ》2家地(ヲ)1。
 
 
丁亥。四日なり○詔。本に詔を治に作る。今中臣本に據る○習陳法。習(ノ)上令字あるべし。陳は陣と通ず。持統紀に。遣2陣法博士等1。教2習諸國1。とあり。軍防令に。凡衛士者中分。一日上(ハ)一日下。毎2下日1。即令d於2當府1。教c習弓馬u。用v刀弄v槍。及發v弩抛v石。至2午時1各放還。仍本府試練。知2其進不1。即非2別勅1者。不v得2雜使1。廢帝紀。【續紀】就2大貮吉備朝臣眞備1。令v習2諸葛亮八陳。孫子九地。及結營向背1。などもあり○丙申。十三日なり○新羅。神文王三年なり○丙寅。二十三日なり○伊勢王。系未詳。持統紀二年。令3淨大肆伊勢王。奉2宣喪儀1。とあり○録史。官に史と曰ひ。省に録といふ。次に見えたる録事も同じ。いづれもフムヒトなり○限分諸國之境堺。成移紀に。隔2山河1分2國縣1と見えたるを。此御世に再國堺を委定給ひしなり。なほ成務紀以後の事は。姓氏録に。坂合部。大彦命之後也。允恭天皇御世。造2立國境之標1。因賜2姓坂合部連1。また孝徳紀大化二年詔に。宜觀2國々※[土+橿の旁]堺1。或書或圖。持來奉v示。國縣之名。來時將v定。などあり。此後も續紀十三に天平十年。命d天下諸國。造2國郡圖1進u。など云事見えたり○是年不堪限分。下文十三年十月に。此事竣りしこと見えたり○庚午。十七日なり〇四孟月は。正月四月七月十月なり○欲都難波云々請家地。これ後の灘波宮のはじめなり。朱鳥元年正月。難波大藏(3736)省失火。宮室悉焚。とあり。其後また造り給へりと見えて。續紀文武天皇三年正月癸未來。是日幸2難波宮1。萬葉六。神龜二年冬十月。幸2于難波宮1時。笠朝臣金村作歌。續麻成《ウミヲナス》。長柄宮爾《ナガラノミヤニ》。眞木柱《マキバシラ》。太高敷而《フトタカシキテ》。食國乎《ヲスクニヲ》。收賜者《ヲサメタマヘバ》。奥鳥《オキツトリ》。味經乃原爾《アヂフノハラニ》。物部乃《モノヽフノ》。八十伴雄者《ヤソトノモノヲハ》。廬爲而《イホリシテ》。都成有《ミヤコナシタリ》。旅者安禮十方《タビニハアレドモ》。とあるにて。長柄宮なること知られたり。神龜三年十月。以2式部卿從三位藤原宇合1。爲2知造難波宮事1。萬葉三に。宇合卿を使されて。難波堵を改造らしめ給へる時に。作《ヨメ》る歌を載せたり。さて其後は。三代格。延暦十二年三月九日官苻。應d停2攝津職1爲uv國事。右被2右大臣宜1※[人偏+稱の旁]。奉v勅。難波大宮既停。宜d改2職名1爲uv國云々。などあり。足代弘訓云。按に。史(ニ)難波宮數見たる。皆此を謂なり。其創建は。天武御世に肇りて。聖武改造し給ひ。さて延暦に至りて。停廢し給へるなりと云り○扶桑略記に。此年の下に。移2百濟大寺1。建2高市郡夜倍村1。加2封邑七百戸。公田三百町。利稻三十萬束1。改v名曰2大官大寺1。今大安寺是也。とあり。又翌る十三年甲申。天皇不豫。於是皇太子草壁皇子奉v勅。群臣百官等。共詣2大官大寺1。各發願曰。天皇御願。於2此伽藍1。欲v開2法會1。而其願未v遂。晏駕將v促。縱雖2定業1。願延2三年之壽1。果2此大願1矣。于時天皇感v夢。得v延2寶算1。如2其所願1。三箇年間。刻2鏤佛像1。繕2寫法文1。【已上在大安寺記】と云ことあり。此紀には。かゝる事漏されたり。
 
 
十三年春正月甲申朔庚子。三野(ノ)縣主。内藏(ノ)衣縫造二氏。賜(テ)v姓(ヲ)曰v連。丙午。(3737)天皇御2于東庭(ニ)1。群卿侍之。時(ニ)召(テ)2能射人及侏儒。左右(ノ)舍人等(ヲ)1。射之。二月癸巳朔丙子。饗2金主山(ニ)於筑紫(ニ)1。庚辰。遣2淨廣肆廣瀬王。小錦中大伴連安麻呂。及判官。録事《フムヒト》。陰陽師。工匠等(ヲ)於畿内(ニ)1。令v視2占《ミシメ》應v都之地(ヲ)1。是日。遣(テ)2三野王。小錦下采女臣|筑《ツク》羅等(ヲ)於信濃(ニ)1。令v看2地(ノ)形《アリカタヲ》1。將v都2是地1歟。三月癸未朔庚寅。吉野人宇閇直弓。貢2白《シラ》海石榴(ヲ)1。辛卯。天皇巡2行(テ)於京師(ニ)1。而定2宮室《ミヤ》之|地《トコロ》1。乙巳。金主山歸v國。
 
 
庚子。十七日なり〇三野縣主。清寧紀に。河内三野縣主と作り。河内若江郡(ノ)地名なり。既に云り。姓氏録河内神別。美努連。角凝魂命三世孫。天湯川田奈命之後也。とあり。いにし明治五年十一月。大和國平群郡荻原村。字龍王の地に。美努連岡萬墓誌を發見せり。其銘云。我祖美努岡萬連。飛鳥淨御原天皇御世。甲申正月十六日。勅賜2連姓1云々。右は天平二年に※[金+雋]する所の銅板なり。本紀と一月を差すれども。姓を賜へることは克合へり。明年賜2姓宿禰1ことも。其下に載たり○内藏衣縫造。斉明紀に大藏衣縫造あり。同姓なり○丙午。二十八日なり○及侏儒云々射之。侏儒も射手の内に入たるは。いかなる事にかありけん。もしくは其伎に勝たるものありしにや○丙子。二十四日なり○庚辰。二十八日なり(3738)○廣瀬王も。大伴安麻呂も。みな上に出○陰陽師。令陰陽師六人。掌2占筮相1v地。とあり○視占。本に占を古に作る。今中臣本に據る○庚寅。八日なり○宇閇直は。姓氏録に載せず。續紀十三に。於忌寸人主あり。そこの考証云。延暦六年六月。平田忌寸杖麻。路忌寸泉麻呂。蚊屋忌寸淨足。於保忌寸弟麻呂四人。並賜2忌寸1。賜2宿禰姓1。依v此。於(ノ)忌寸。蓋坂上同姐。所謂倭漢直者也。と云れたり。【武號云。四十にも。於宿禰乙女あり。三代實録六に。左京人左辨官史生從六位下於公浦雄三人。賜2姓慈世宿禰1。とあり。これも同族なるべし。】右の續紀に。同時に宿禰を賜へる。平田忌寸。路忌寸。蚊屋忌寸。みな同族にて。漢主劉宏の後なり。この宇閇直も。別族にはあらざるべし。【さて上文八年に。上《カミノ》村主光欠と云るあり。この上をも。ウヘとよみて。一つに考證に云れたるは誤なり。これは系ことなり。そこに云り。まがふべからず。】
 
 
夏四月王子朔丙辰。徒罪以下皆免之。甲子。祭2廣瀬大忌神。龍田風神1。辛未。小錦下高向臣麻呂(ヲ)。爲2大使1。小山下都努臣牛|甘《カヒヲ》。爲2小使1。遣2新羅1。閏四月壬午朔丙戌。詔曰。來《コム》年九月(ニ)必|閲《ケミシナム》之。因以教2百寮之|進止《フルマヒ》威儀《ヨソホヒヲ》1。又詔曰。凡政(ノ)要者《ヌミハ》軍事也。是以文武官|諸人《ヒト/\》。務(テ)習2用v兵(ヲ)及乘(コトヲ)1v馬(ニ)。則馬兵。并當身装束《ミミノヨソホヒ》之物。務具(ニ)備足《ソナヘタセ》。其有(ランヲ)v馬者。爲2騎士《ムマノリヒトヽ》1。無v馬者。爲2歩卒《カチヒトヽ》1。並當(ニ)試練《コヽロミトヽノヘテ》。以勿v※[章+おおざと]《サハルコト》2於聚會(ニ)1。若忤2詔旨1。有v不v便2馬兵(ニ)1。亦装束有(バ)v闕者。親王以(3739)下。逮(ニ)2于諸臣1。並(ニ)罸《カムガヘシム》之。大山位以下者。可(ハ)v罸《カムカフ》々之。可(ハ)v杖《ウツ》々之(ム)。其務習以能得v業《ワザヲ》者(ヲバ)。若雖2死罪1。則減(ム)2二等(ヲ)1。唯|恃《ヨリテ》2己才(ニ)1。以故(ニ)犯者(ハ)。不v在2赦例(ニ)1。
 
 
丙辰。五日なり〇徒罪。名例律にみゆ○皆免之。上に扶桑略記を引て云る如く。此時天皇御病に依て。かく罪人を免し給ふなるべし〇甲子。十三日なり○辛未。二十日なり○高向臣。舒明紀にみゆ○遣新羅。神文王四年なり○丙戌。五日なり○政要。神武紀|要害《ヌマ》〇當身の訓は。身々《ミヽ》なり○勿※[章+おおざと]。通證云。※[章+おおざと]與v障同とあり。京極本には障と作り〇雖死罪。考本罪を刑に作る○減。本に咸に誤る。今考本等に據る○故犯。吏學指南。知而犯之。謂2之故1。とあり。
 
 
又詔曰。男女並|衣服《コロモ》者。有v襴《スソツキ》無v襴。及|結紐《ムスビヒモ》長紐《ナガヒモ》。任《マヽニ》v意(ノ)服《キヨ》之。其|會集《マヰウゴナハラム》之日。著2襴(ノ)衣(ヲ)1。而|著《ツケヨ》2長紐1。唯男子(ハ)者。有2圭《ハシバ・ハシバアル》冠《カウブリ》1。冠而著2括《クヽリ》緒(ノ)褌《ハカマヲ》1。女年四十以上。髮(ノ)之結不v結。及乘v馬(ニ)縱横。並任v意也。別(ニ)巫祝之類(ハ)。不v在2結髮之例(ニ)1。壬辰。三野王等。進2信濃國之|圖《カタ》1。丁酉。設2齋于宮中(ニ)1。因以(テ)赦2有v罪舍人等(ヲ)1。乙巳。坐《ツミシテ》2飛鳥寺(ノ)僧福揚(ヲ)1。以下v獄(ニ)。庚戌。僧福揚自刺v頸(ヲ)而死。
 
 
(3740)男女。貴賤に通して言るなり○有襴無襴。通證云。代醉編曰。後魏胡服。便2於鞍馬1。遂施2裙於衣1。爲2横幅1。綴2於下1。謂2之襴1。今之公裳是也。通典曰。宇文護始袍加2下襴1。遂爲2後制1。即今公服也。唐志曰。馬周以2三代(ノ)布(ノ)深衣1。因于2其下1。著2襴及裾1。名2襴衫1。以爲2上士之服1。今擧子所v衣者。即此。宋史輿服志。有2横襴。旋襴。夾襴等名1。とあるが如く。服に襴あるは。皇國の古制に非ず。後世西土に傚ひしものなり。しかれども。何(レ)の代に※[并+刃]りしと云こと。詳ならず。【もしくは。雄略推古の御世よりの事にもあるべし。】倭名抄装束部。襴衫。楊氏漢語抄云。襴衫。【須曾豆介乃古路毛。一云奈保之能古給路毛。箋註云。按今昔物語第十一。亦以2襴衫1爲2直衣1。唐韻所v云。襴衫。蓋皇國所謂縫掖袍也。直衣亦袍之類。其状與2縫掖袍1相似。故楊氏以2襴衫1爲2直衣1。其實直衣。皇國所v制。無2感名可v當者1。】と云り。【集解に。今有v襴。謂2之縫掖1。文官之服。無v襴謂2之欠掖1。武官之服。とあり。】○結紐。長紐。集解に。延喜式大甞會曰。齋服|小齋《ヲミノ》親王以下皆青摺(ノ)袍。五位以上紅垂紐。自餘皆結紐。按古制衣有v紐。當2于中心1。其短者謂2結紐1。長者謂2長紐垂紐1。以分2尊卑1。長紐者。結束之餘垂2于下1。以爲v飾也。と云り。或人云。結紐は胸《ムネ》の開《ヒラ》かざる爲に。紐着て結びしなり萬葉歌に數多見えたる紐は。下裳に着たるにて。即下紐なり。其に對へて。表《ウヘ》にあるを上紐と云り。曾丹集に。夏ばかりうは紐さゝで。風にむかひ。とあり。長紐は。垂たる紐を云ること。大甞會式に見えたり。新勅撰。山あゐもてすれる衣のあか紐の。ながくぞわれは神につかふる。とありと云り○會集之日は。公堂の會集なり〇著襴衣而著長紐。按に是より先には。衣服の制。襴の有無。紐の結(ヒ)垂(ラシ)とを以。公私貴賤の別と爲《セ》しを。今よりは任v意服之。とありて。其制を止め給ひしが。但公堂の會集のみには。貴賤の等を示し。禮意を表し給へるなり○圭冠の訓。ハシバカウブリとあれど。古本の訓に。(3741)ハシバアルカブリとあるぞよろしき。【本の訓は誤寫なり。】圭冠は。釋紀私記に。今烏帽子也と云るは。古説と聞えたり。但し其形は。今知がたけれど。石原正明。伊勢貞丈も云る如く。かの漆紗冠とは異にて。烏帽の状の。圭玉に似たりしよりの名なるべし。通證云。今按此以2形状1名之。説文(ニ)。圭(ハ)瑞玉也。上圜下方。とありて。尋常會集に冠りしものなるべし。但し訓義は。通證の説は非にて。【この説は次に出す。】秋齋閑話四に。侍烏帽子の事。古は圭冠と云ものなりし冠の類にて。古は上下通して着たるなり。今の樣に。額をあらはして着たる物にあらず。冠の様に着たる事なり。中古以後。無冠のみ着する物となりて。後(ロ)へたらし着する事を。伊達風として。額をあらはす。京都室町烏帽子折の看板に。十一と書てあるも。圭冠の圭字の略なるべし。烏帽子の始りは。比圭冠にて。上を總括《スベクヽ》りて着せし物故。はししばるの意にて。はしばと訓ずるなるべし。と云り。この説に就て。なほ考るに。ハシバアルカブリの方なるべしとおもはる。さるは右に云る如く。端《ハシ》を括《シバ》りてある冠の故にて。かの禮冠の如v嚢冠と。形の異なる稱なるべし。【故(レ)本の訓よりも。古訓の。方を宜しと云るなり。然るに通詔に。倭名抄の榛子和名波之波美。盖葉皺也。基葉有2皺紋1。實形似2烏帽子1。故名。と云れたるは。いかなる牽強ぞや。榛子は波之波美なるを。皺はシワなり。更に因なし。また其實形似2烏帽子1。と云るも。今よく見るに。其形似てしも着かず。然るを。今烏帽子皺紋。盖取2于此制1也。など云るも。まことの押測言なり。】○括緒褌。續紀二に。直冠以上者。皆白|縛《クヽリ》口袴云々。落窪に。苦しきにくゝりを脛にあげて云々。などあり。是は指貫を云り。【集解に。按今|奴袴《サシヌキ》也。是無位男子之服。女子則無2冠褌1。可2以別1也。と云れど。此説非なり。烏帽子は。貴賤通用の冠なり。無位にのみ限るべけんや。奴袴も同じ。後の制を以ても知べし。】倭名抄装束部。奴袴。楊氏漢語抄云。奴袴。【左師奴妓之波賀萬。或俗語抄云。絹狩袴。或云。岐奴乃加利八可萬。箋注曰。按指貫裁縫。與2獵袴1同。而獵袴用v布。指貫用2織物若平絹1。爲v異。故曰2絹狩袴1也。天武紀括緒褌蓋是。】とあり。田沼善一云。指貫は。日本紀に括緒褌と云名(3742)見えたるか。其(レ)古の名にて。只しばりもしけんを。後に次々巧にしたるならむ。猶文武天皇大寶元年制に。漆冠綺帶。白襪黒革(ノ)※[潟の旁]。其袴者。直冠以上者。皆白|縛《クヽリ》口袴。勤冠以下者。白(キ)脛裳。とも見えたり。縛口袴は。括緒褌と同じ意の物にて。其ははやく。さし貫の状になりけんと知らる。と云り○不在結髮之例。通證に。今按。祭祀(ハ)勤用2古禮1也。文武紀慶雲中。令d天下(ノ)婦女。自v非2神部齋宮(ノ)宮人及老嫗1。皆髻髮u。とあり○壬辰。十一日なり〇丁酉。十六日なり○乙巳。二十四日なり○福揚。中臣本釋紀。揚を楊に作る。下同じ〇下獄。中臣本下を入に作る。考本獄(ノ)上於字あり○庚戌。二十九日なり。
 
 
五月辛亥朔甲子。化來《オノヅカラマヰクル》百濟(ノ)僧尼。及|俗人《シロキヌ》。男女并二十三人。皆安2置于武藏國(ニ)1。戊頁。三輪引田君難波麻呂(ヲ)。爲2大使1。桑原連人足(ヲ)。爲(テ)2小《ソヒ》使1。遣2高麗(ニ)1。六月辛巳朔甲申。※[樗の旁]之。秋七月庚戌朔癸丑。幸2于廣瀬1。戊午。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。壬申。彗星出2于西北1。長|丈《ヒトツヱ》餘。
 
 
甲子。十四日なり○戊寅。二十八日なり〇三輪引田君。記雄略段に。引田部赤猪子あり。其處の記傳云。神名帳大和國城上郡に。大物主神社。曳田神社あり。此地に因れる姓なるべし。書紀天武卷に。三輪(ノ)引田君難波麻呂。持統卷に。引田朝臣廣目。引田朝臣少麻呂。など云ふ人見えたるは。此姓か。三(3743)代實録五十に。大神朝臣良臣云々。大神引田朝臣等。遠祖雖v同。派別各異云々。【此大神引田朝臣は。即かの三輪引田君なるべし。】此に依れば。大神(ノ)朝臣の支別なり。と云れたるが如し○桑原連。姓氏録左京諸蕃。桑原宿禰。漢高祖七世孫。萬徳使主之後也。大和桑原直同上。山城桑原史。狛國人漢※[匈/月]之後也。攝津桑原史。桑原村主同祖。【一作高麗國人】萬徳使主之後也。とあり。氏族志云。按本書山城桑原史。列2高麗(ノ)部1云。狛國人漢※[匈/月]之後。而攝津桑原史。係2萬徳之後1者。亦列2諸高麗1。則其爲2同出1可v知。又東大寺正倉院文書。聖武帝時。有2中宮少録桑原忌寸某1。據v此。是族又有2忌寸1也。又云。孝謙帝時。大和葛上郡人。桑原史年足等。男女九十餘人。同姓近江神埼郡人人勝等。男女一千一百五十餘人。以3史姓渉2太政大臣諱1。奏言。臣等(ノ)先劉言興等。仁徳帝時。自2高麗1歸化。子孫分爲2數姓1。請改2史姓1。同賜2一姓1。乃賜2桑原史。大友桑原史。大友史。大友部史。桑原史戸。及史戸六族。姓桑原直1。直後左京人桑原連眞島。右京人桑原邑主足牀。同姓大和人岡麻呂等四十人。近江淺井郡人。桑原直新麻呂。訓志必登等四十餘人。並皆賜2公姓1。【續紀】史戸。系出2漢城人韓氏劉徳之後1。【姓氏録】とあり○甲申。四日なり○癸丑。四日なり○戊午。九日なり○壬申。二十三日なり
 
 
冬十月己卯朔。詔曰。更改(テ)2諸氏之族姓(ヲ)1。作(テ)2八|色《クサ》之姓(ヲ)1。以|混《マロカス》2天下(ノ)萬(ノ)姓(ヲ)1。一曰|眞人《マヒト》。二曰|朝臣《アソミ》。三曰|宿禰《スクネ》。四曰|忌寸《イミキ》。五曰|道師《ミチノシ》。六曰|臣《オミ》。七曰|連《ムラジ》。八曰|稻置《イナキ》。
 
 
(3744)改諸氏之族姓云々。池邊眞榛云。上古の姓といふものは。正しく姓氏の字には充らぬことにて。みな職名を云るなり。改新制こなたは。其職業定まらざる制なれど。それより前つかたは。各家其職掌を世業にして。更に動くことなかりし故。其を人身の尸を以。其職名を即てカバネとは云しなり。故に古くは姓の事を。骨【續紀天平勝寶三年】氏骨【姓氏録】姓戸【拾芥抄】なども書て。遠祖の職掌を。神骨《カバネ》とゝもに受繼ぐ由を明せり。されば職名《カバネナ》とは記すべく。姓氏とは書まじき意なれども。紀に其を職と云る事は。少くして。【垂仁紀仁2土部職1。改2本姓1謂2土師1云々。とみゆ。此土師臣は。即土師職を云。】姓氏(ノ)字を用ゐられたるは。上古世職の法廢れて。其職名唯其各家の系を別にする名目となれる後より。記し及ばれたるものにて。改新制以後にては。此姓氏の字當否。まことにこよなし。允恭天皇四年九月詔曰。上古之治。人民得v所。姓名勿v錯。【人民得v所とは。其世業にする所を。得るよしなり。】今朕踐祚。於v茲四年矣。上下相爭。百姓不v安。或誤失2己姓1。或故認2高氏1。其不v至2於治1云々。戊申詔曰。群卿百寮。及諸國造等。皆各言。或帝皇之裔。或異之天降云々。難v知2其實1。故諸氏姓人等。沐浴齋戒。各爲2盟神探湯1云々。自是之後。氏姓自定。更無2詐人1。とあれな。既く此時。詐る者多くありしなり。但し後世唯高氏を侵奪ふ類にはあらで。此頃は。其|姓《カバネ》に就て。其職を爭ひしものなり。かくて其後は。詐人もなく。又職とある姓《カバネ》の。轉變たる事もすくなきを。【孝徳天皇三年の條にも。姓氏を正されたる事は見ゆれど。未(ダ)變動の事は聞えず。】孝徳天皇大化以來。改新制おこりて。別に職名を制られ。以前に業とある官爵を止めらるゝに就ては。自然舊職名の姓《カバネ》は。氏族を別つ名目の如く。轉變れるを。なほ天智天皇の御世までは。さばかり變れる事の見えぬは。實(3745)は改新の爵名の。いまだ行はれざりしならむ。天智天皇八年。遣2東宮大皇弟於藤原内大臣家1。授3大職冠與2大臣位1。仍賜v姓爲2藤原氏1。自此以後。通曰2藤原大臣1。と見えたるは。改新このかた。職にあらざる新奇の姓を給へる始にて。これぞ所謂姓氏の字に符ふ權輿にはありける。【武郷云。但し此時藤原を以。中臣に替へしにはあらず。所謂複姓なれば。こゝの證には未(ダ)引へからず。】但し此もたゞ。此一氏の上にて。他氏は上吉の職名を受て。其掌る所も。なほ上古のまゝなりと見ゆるを。天武天皇九年正月。忌部首子首。賜v姓曰v連云々。とあるをはじめにて。其各家の門品に。尊卑の差別を立られたるならん。即此十三年十月己卯の。八色の族姓にはありける。故其日。守山公以下十二氏。賜v姓曰2眞人1。と見え。十一月十二月。また十四年六月に。多く改新せられたるを見るべし。但京都こそはあれ。此命令も大體の事にて。萬姓を混合るゝまでには。及ばざりしと見えて。これより後の國史。また姓氏録にも。此制を漏たるは。甚多きぞかし。と云れ。また栗田寛説に。天武天皇萬姓を改めて八等とし。其尊卑を際《キハ》やかに定め給ふべく。思したりしかど。壬申役に。臣等の功勞あるをば。其族を尊くし。罪あるは氏族を貶し給ひしなど。種々に制給ひしかば。古語拾遺に。唯序2當年之勞1。不v本2天降之績1。其二曰2朝臣1。以賜2中臣氏1。命以2太刀1。其三曰2宿禰1。以賜2齋部氏1。命以2小刀1。と云るが如く。貴族にして下等にあり。賤民にして上姓にのぼれるもありし故に。其氏族の貴き人々の家にて。自ら彼此の議論ありて。御意の如くには行はれがたく。尊卑の等を正しあへぬもあるべければ。邊裔の人々は。なほ舊姓の儘なるもありしなるべし。是に至りて。古風一變し。所謂加婆(3746)禰は。全く尊卑を分つ階級の如きものに成て。其尊卑も。神代の職業によれるものとは。甚く別事になれりしなり。と云れたる。ともに此に用あることゞもなり○一曰眞人。眞人は美稱にて。天皇の御名にさへ申奉れるなれば。貴きこともとよりなり。されど此(レ)までは。かゝる姓《カバネ》あることなし。なほ此より以下道師まで。みな此時新に命じ給へる姓なり。姓氏録序に。眞人是皇別之上氏也とあり。さて姶芥抄。眞人姓四十五氏を載せたり。【世に云。後に人を貴みて。まうとゝ云稱あり。物語文等に見えたり。此氏より出たる詞か。又は本より美稱なれば。其より轉じたるものか。人を貴みて。あそんと云なども。此と同じ。さてまた藤原氏の盛なる世には。朝臣の方。眞人より上になれることあり。これは時勢の然らしむるにて。まこと朝廷より。しか爲給へるにはあらず。】〇二曰朝臣は。吾兄臣にて。貴み親みたる稱なり。もとは阿曾美と云しを。後にアソムと訛れり。【續紀光仁紀に。阿曾美爲2朝臣1とあり。】さて阿曾美は。釋紀に帝王相親之詞と云り。阿曾は。神功紀歌に。于池能阿層とある。阿層と同じく。美は臣《オミ》なり。【臣はもと大身《オミ》の義なり。】さて朝臣と書るは。借訓なりとも。また入朝者曰2朝臣1。と云文字の義を兼たり。と云る説あり。【但しアサオミの切りて。アソミと云るなり。と云説はいかゞ。】拾芥抄に。朝臣百六十三氏を載たり〇三曰宿禰。本に曰宇脱たり。今中臣本考本。其他の本どもに依る。さて宿禰は。舊くは足尼とも書り。これも美稱より起りたる名なり。【光仁紀に。足尼爲2宿禰1とあり。】天孫本紀に。宇麻志麻治命。天皇寵異特甚。詔曰。近宿2殿内1焉。因號2足尼1。其足尼之號。自v此而始矣。とあり。【これを其處《ソコ》に宿《ネ》よと云義なり。と云る説は俗意なり。】上古人を貴みて。大兄《オホエ》と云に對して。少兄《スクネ》と云るにて。大と小とを以て。云別たるまでなり。少兄も上古には官名なり。【舊事記に。共に官名なること見えたり。】拾芥抄に。宿禰二百七氏あり○四曰忌寸。姓氏録に伊美吉とあり。名義詳ならず。【もしくは。齋み清き意を以て稱たるか。】寸は君なるべし。【さて此忌寸には異説あり。拾遺に云。其四曰2忌寸1。以爲2秦漢(3747)二氏。百濟文氏之姓1。蓋與2齋部1。共預2齋藏之事1。因以爲v姓也。今東西文氏。献2祓太刀1。蓋亦此之縁也。とある文なり。久保季〓が。此書の講義云。池邊眞榛が新注に曰。この説信用し離し。上文にても。齋藏は齋部。内藏大藏は。秦漢と聞えて。正しく異なる如くなる上。齋藏の齋は虚字。藏は實字なれば。まことに職を共に爲し縁に由れるならば。藏《クラ》君とは云べく。齋君《イミキ》とは云まじきなり。且忌寸は諸蕃人に賜はる姓にして。此時始まれるなれば。孝徳天皇(ノ)世に廢れたる。齋藏を以て。今頃其名を賜はむ由なし。此は古く。紀中に今來《イマキ》の手伎。又|新《イマキ》漢人など云て。秦漢の人を。いまきと云語あるを。四等の姓にせられたるものにて。伊美伎は。今來君なるべし。そはとまれ。藏より出し姓とは覺えずと云り。今按に。本書の説實に信け難し。新注の説然ることなり。伊美伎の名義も。此にて聞えたり。と云るはさることなれど。伊美伎の今來君なるは。なほ信がたし。臣連などの舊姓をさし越て。外蕃人を上に置て。今來君など貴ぶべきよししなし。】さて拾芥抄に此姓十九氏あり〇五曰道師。按に此姓。この後ものに見えず。また賜ひたることもなし。ここに集解に。按傳2諸技藝於諸道1。各可v爲v師者。謂2難波藥師。河内畫師之類1。非v稱2道師1。と云る。さることなり〇六曰臣。七曰連。八曰稻置。記傳云。道師。臣。稻置などの姓を給ひしことは見えず。又右の八色の餘の姓も。此後も猶多し。然れば一度かく定め給ひしかども。全くは其如くもあらで止ぬる事なるべし。と云れたり。栗田寛も。臣。連。稻置の三姓は。舊のまゝにて。其上に眞人。朝臣。宿禰。忌寸。道師の四姓を置て。八種に定め。天下の萬姓を改めむと思したりけん。されどこの同日に。守山公以下十三氏。【すべて公姓なり。】賜v姓曰2眞人1。十一月戊申朔。大三輪君。大春日臣云々。物部連。【君姓十一氏。臣姓三十九氏。連姓二氏。】以下五十二氏。賜v姓曰2朝臣1。十二月己卯。大伴連以下五十氏。【すべて連姓】賜v姓曰2宿禰1。十四年六月甲午。大倭連云々。大隅直以下十一氏。【連姓十氏。直姓一氏。】賜v姓曰2忌寸1。朱鳥元年四月丁丑。侍醫桑原村主※[言+可]都。賜v姓曰v連。六月己巳朔。槻本村主勝麻呂。賜v姓曰v連。とあるのみにて。大抵公姓の氏人に。眞人を給ひ。君また臣姓の氏人に朝臣を。連姓の氏人に。宿禰を給へるのみにて。道師より以下を。改賜ふことは見えず。なほ。君。首。二造。直。史。縣主等の姓。國(3748)史姓氏録に。いと多かるは。其御制の如くは。事ゆかざりしにこそあらめ。と云れたり。武郷なほ考るに。文武紀大寶二年九月己丑。詔甲子年定2氏上1時。不2所v載氏1。今被v賜v姓者。自2伊美吉1以上。並悉令(メヨ)v申。とあるをみれは。此時忌寸以上をば。それ/”\に改めて給ひしかど。道師以下は。故ありて止められしなるべし。故今姓を賜はらんと願ふものにも。伊美吉以上の姓は。容易く賜ひがたし。一々具申して定むべし。忌寸以下の諸姓は。別に申立るに及ばず。との詔なるべし。さるにても。甲子時定2氏上1時。【天智天皇四年なり】とあるは詳ならず。八色の姓は。天武天皇十三年の事なればなり。もしくは。この八色の姓を定め給ひしは。天智天皇の御世に在て。其事行ひ給ひしは。此御世の事なるにか。されば甲子年にもとづけて。詔ひしものにもあるべし。
 
 
是日。守山公。路公。高橋公。三國公。當麻公。茨《ムバラ》城公。丹比公。猪名名公。坂田公。羽田公。息長公。酒人公。山道公。十三氏(ニ)。賜(テ)v姓(ヲ)曰2眞人1。
 
 
守山公。姓氏録左京皇別。守山眞人。敏達皇子難波王之後也。氏人は。續紀二十五。守山眞人綿麻呂見えたり。さて以下の公姓。多く地名に據れるなり。一々注さず○路公。守山公に同じ。【姓氏録皇別に。道公。大彦命孫。彦屋主田心命之後也。と云があれど。それにはあらず。また蕃別に。路宿禰もあり。かく路道の字は異典なれども。其據れる義は同じかるべし。地名と聞えたり。但し和名抄などに。美知と云る地名は見えず。】○高橋公。姓氏録左京皇別。高橋朝臣。阿部朝臣同祖。大稻輿命之後也。攝津皇別。高橋臣。孝元天皇々子。大彦命之後也。とあれど。こ(3749)ゝは其にはあらじ。公姓祖詳ならず〇三國公。繼體皇子椀子王の後なり。大化五年出○當麻公。用明皇子麻呂古王の後。四年紀に出○茨城公。未詳。姓氏録に。和泉皇別。茨木造。豐木入彦命之後。とあれど。其にはあらず○丹比公。宜化皇子。賀美惠波王の後なり。六年紀に出○猪名公。宜化皇子。火※[火+稻の旁]皇子の後なり。元年紀六月に出○坂田公。繼體皇子仲王の後。五年紀に出○羽田公。應神皇子。稚野毛二俣王の後。元年紀七月に出○息長公。羽田公に同じ。皇極紀元年に出○酒人公。繼體皇子兎王の後。繼體元年に出。酒人(ハ)和名抄攝津東生郡酒人郷あり○山道公。本に此三字脱。今中臣本考本に據る。左京皇別山道眞人。息長眞人同祖。稚渟毛二俣王之後也。右京も同じ。記に。若野毛二俣主。取2其母弟百師米伊呂弁。亦名弟日賣眞若比賣命1。生子大郎子。亦名意富々杼王云々。故意富々杼王者。酒人君。山道君之祖也。とあり。記傳云。山道何國にやとあり。和名抄には見えず。
 
 
辛巳。遣(テ)2伊勢王等(ヲ)1。定2諸國(ノ)界(ヲ)1。是日(ニ)。縣犬養連手|襁《スキヲ》。爲2大使1。川原連加|尼《ネヲ》。爲(テ)2小使1。遣2耽羅(ニ)1。壬辰。逮(テ)2于|人定《ヰノトキニ》1。大地震。擧(テ)v國男女|叫唱《サケビテ》。不知東西《マドヒヌ》。則山崩河涌。諸國(ノ)郡(ノ)官舍《ヤカズ》。及百姓(ノ)倉屋《クラ》。寺塔《テラ》神社《ヤシロ》。破壞之類。不v可2勝(テ)數1。由v是(ニ)。人民及六(ノ)畜《ケモノ》。多死傷之。時(ニ)伊豫(ノ)温泉。沒《ウモレテ》而不v出。土左國田|苑《ハタケ》五十餘(3750)萬|頃《シロ》。没《ウモレテ》爲v海。古老《オイヒト》曰。若v是地動。未2曾《ムカシヨリ》有1也。是夕(ニ)。有(テ)2嶋聲1如(テ)v鼓(ノ)。聞2于東(ノ)方(ニ)1。有(テ)v人曰。伊豆嶋(ノ)西北二面。自然(ニ)増2益三百餘丈1。更爲2一嶋1。則如(ハ)2鼓音1者。神造2是(ノ)嶋(ヲ)1響也。甲午。諸王卿等(ニ)賜v禄。
 
 
辛巳。三日なり○定諸國界。十二年の十二月に。伊勢王。羽田公八國。多臣品治。中臣連大島等を遣して。巡2行天下1。限2分諸國之境堺1。然是年不v堪2限分1。とありしが。此年に至りて。其事竣れるなり○縣犬養連。元年紀六月に出○川原連。姓氏録河内諸蕃。河原連。廣階連同祖。陳思王植之後也。河原藏人同上。氏族志云。川原氏有2史姓1。元正帝時。河内丹比郡人。川原椋人子虫等四十餘人。賜2河原史1。稱徳帝時。左京※[田+比]登堅魚。河内人。河原藏人人成等十餘人。竝改賜v連。【續紀】又有2宿禰1。蓋同族也。後一條帝時。有2太宰大典川原宿禰文岑1。【類聚符宣抄】とあり○壬辰。十四日なり○人定。下學集。人定亥時也。とあり○大地震。扶桑略紀。十四年五月十四日。地震。山崩河涌。舍屋悉損。人畜多死。とあるは。此年の事なるべし○官舍。秘閣本考本に。官を宮とあるはわろし○倉屋。類史百七十一に。此文を引るに。舍屋とあり。されど令義解に。倉屋人功といふ事もあれば。本のまゝにてもよろし○爲一島。日本後紀。天長九年五月。伊豆島言上。三島神伊古奈比※[口+羊]神二前。預2名神1。此神塞2深谷1。摧2高巖1。平造之地二十町許。作2神宮二院池三處1。神異之事。不v可2勝計1。續後紀。承和七年九月。伊豆國言。賀茂郡有2造作島1。本名上津島。此(3751)島坐阿波神。是三島大社本居也。など。今何(レ)の島と云事知べからねど。後々も。かゝる神異の事あるを以みれば。三島神。上津島坐神等の御態なるべきなり○造是島響也。京極本に。響(ノ)上音字あり。さてかゝる類は。上代いと多し。續紀に見えたる。天平寶字八年。また神護二年。右に引る日本後紀なる。天長九年の事などを引て。さて通證に。今按。近世蝦夷島。一山淪2没地中1。小島突2出海面1。其日天晴云。と云れたり○甲午。十六日なり。
 
 
十一月戊申朔。大三輪君。大春日臣。阿倍臣。巨勢臣。膳臣。紀臣。波多臣。物部連。平群臣。雀部臣。中臣連。大宅臣。粟田臣。石川臣。櫻井臣。釆女臣。田中臣。小墾田臣。穂績臣。山背臣。鴨君。小野臣。川邊臣。櫟井臣。柿本臣。輕部臣。若櫻部臣。岸田臣。高向臣。完人臣。來目臣。犬上君。上毛野君。角臣。星川臣。多臣。胸方君。車持君。綾君。下道臣。伊賀臣。阿閇臣。林臣。波彌臣。下毛野君。佐味君。道守臣。大野君。坂本臣。池田君。玉手臣。笠臣。凡五十二氏。賜(テ)v姓(ヲ)曰2朝臣1。
 
 
大三輪君。既出。【以下注せざるもの。みな前紀に出るものと知べし。】○大春日臣。春日臣既出。按に姓氏録に。延暦二十年。春日臣賜2(3752)姓大春日朝臣1。とあり。此に據れば。是時始て春日を改めて。大春日と稱るなり。本紀と合はず。【持統紀五年の下に。十八氏を擧たる中には。たゞ春日とのみありて。大字なし。いづれの御世に加へられたるにか。詳ならず。】○阿倍臣。孝元紀に出〇巨勢臣。繼體紀に出○膳臣。景行紀に出○紀臣も同じ○波多臣。應神紀に出○物部連。崇神紀に出○平群臣。雄略紀に出○雀部臣。姓氏録左京皇別。雀部朝臣。建内宿禰之後也。星川建彦宿禰。謚應神御世。代v於2皇太子大鷦鷯尊1。繋2木綿襷1。掌2監御膳1。因賜v名曰2大雀臣1。攝津同じ。孝謙紀。典膳巨勢朝臣眞人等言。先祖雄柄宿禰。生2三子1。建彦宿禰。爲2雀部朝臣祖1。伊刀宿禰。爲2輕部朝臣祖1。乎利宿禰。爲2巨勢朝臣祖1。雀部臣男人。事2繼體安閑二朝1。誤注2巨勢1。至v今不v改。巨勢雀部根源雖v同。枝流實異。當今盛世。不v得v改v姓云々。請將v復2本姓1云々。許2其復姓1。とあり。既に出○中臣連。大中臣本系帳に。中臣糠手子大連。生2二男1。一男右大臣中臣金大連公。二男中臣許米。被v賜2朝臣姓1。とあれば。此時朝臣を賜はれるは。許米一人の如くなれど然らず。この中臣に係れる氏々。かの藤原氏なども。此時朝臣を賜はれるなり。此事は既に天智紀に云り○大宅臣。反正紀に出○粟田臣。本に粟を栗に作る。今中臣本に據る。推古紀に出○石川臣。應神紀に出○櫻井臣。舒明紀に出○釆女臣。上に同○田中臣。上同。又推古紀○小墾田臣。舒明紀に出○穗積臣。開化紀に出○山背臣。神代紀又推古紀に出○鴨君。神代紀に出○小野臣。雄略紀また推古紀に出○川邊臣。天智紀に出○櫟井臣。姓氏録左京皇別。櫟井臣。和爾部朝臣同祖。彦姥津命五世孫。米餅舂《タカネツキ》大使主命之後也。帝王編年紀。明匠略傳。外記日記。吏部王記等に。櫟井氏あるは。此族なりと。(3753)氏族志に云り○柿本臣。上出○輕部臣。姓氏録和泉皇別。輕部。倭日向建日向八綱多命之後也。雄略天皇御世。献2加里乃郡1。仍賜2姓輕部君1。【郡。一本に郷に作る。大和高市郡の地名か。されど郡は恐くは兒の誤なるべし。】常陸風土記に。天智帝時輕直里麻呂あり。此族ならんと。氏族志に云り○若櫻部臣。履中紀に出。元年紀六月にも見ゆ○岸田臣。孝徳紀天智紀に出○高向臣。舒明紀に出○完人臣。十年紀連を賜。崇峻紀二年に出○來目臣。孝徳紀及元年紀六月に出○犬上君。本に犬を大に誤る。今水戸本に據る。景行紀天智紀に出○上毛野君。崇神紀に出○角臣。九年紀見ゆ。又雄略紀に出。下文都努朝臣とあり○星川臣。上に注す○多臣。綏靖紀に出○※[匈/月]方君。神代紀また二年紀に出○車持君。履中紀出○綾君。景行紀出○下道臣。應神紀雄略紀に出○伊賀臣。孝元紀宣化紀出。【信友云。姓氏録右京皇別。伊賀朝臣。大稻輿命男。彦屋主田心命之後也。日本紀合。と見えたり。此伊賀氏。姓氏録印本には。骨《カバネ》字無く。一本には宿禰とあり。其はともに訛にて。又一本に臣とあるは。朝字の脱たるなり。日本紀合と注せるは。天武紀に合へる由にて。餘に混なければ。こゝに訂して引り。東大寺に藏る。伊賀國の天平三年の大税帳の署に。部領外正八位下伊賀朝臣果安。といふが見えたり。と云り。さることには聞ゆれど。姓氏録も全本に非らざれば。日本紀合と注したりとて。猥りに字を補ふは私なり。此より外に。日本紀に合へる文のありしも知がたし。これ序ながら此に云ふ。】○阿閇臣。顯宗紀に出○林臣。皇極紀に出○波彌臣。本に彌を禰に作る。釋紀に依る。記に。建内宿禰之子。波多八代宿禰者。林臣。波美臣之祖。とあり。【近江國伊香郡。與志瀰神社。波彌神社。】氏族志に。其族後蓋改賜2宿禰1。【拾芥抄】一條帝時。有2武藏權大掾播美宿禰相奉1。【除目大成抄】とあり○下毛野君。崇神紀に出○佐味君。元年紀六月に出○道守臣。姓氏録に。波多八代宿禰之後とも。豐葉頬別命之後ともあり。天智紀七年に出○大野君。元年紀六月に出○坂本臣。安康紀に出○池田君。姓氏録左京皇別。池田朝臣。豐城入彦命十世孫。佐太公之後。とあり。萬葉十六に。池田朝臣嗤2大神朝臣奥(3754)守1歌一首。【池田朝臣名忘失也。】奥守報嗤歌に。水渟《ミヅタマル》。池田乃阿曾我。鼻上乎|穿禮《ホレ》。とあり○玉手臣。姓氏録右京皇別。玉手朝臣。武内宿禰男。葛木曾頭日古命之後也。記に。葛城長江曾都※[田+比]古者。玉手臣之祖也○笠臣。仁徳紀天智紀に出。
 
 
庚戌。土左國司言。大潮高騰(テ)。海《ウナツ》水|飄蕩《タヾヨフ》。由(テ)v是(ニ)。運《ハコブ》v調船多|放失《チリヌ》焉。戊辰|昏《イヌノ》時(ニ)。七星倶(ニ)流(テ)2東北(ニ)1。則隕之。庚午|日没《トリノ》時。星隕2東方(ニ)1。大如v※[分/瓦]。逮2于戌時(ニ)1。天文悉(ニ)亂。以星隕(コト)如v雨。是月。有(テ)v星|孛《ヒコロヘリ》2于|中央《ナカニ》1。與2昴星1雙(テ)而行之。及(テ)2月盡《ツゴモリニ》1失焉。
 
 
庚戌。三日なり○船多。本に此下。船多(ノ)二字を衍せり○放失。本に放を投に作る。今中臣本京極本に據る○戊辰。二十一日なり○七星は。北斗の七星か○庚午。二十三日なり○戌時。本に時字を脱たり。今秘閣本考本。及本書傍書に依る。さて戌を戊に誤れり。通證に。當v作v戌。言自v西至v戌也。と云り○天文悉亂。扶桑略記に。十四年十月二十三日。天文悉亂。隕星如雨。とあるは。此年の事なるべし○孛于中央。公羊傳曰。孛彗星也。隋書天文志曰。孛星彗之屬也。偏指曰v彗。氣四出曰v孛。などあり。されどこれも一(ツ)の星にて。年ありて出るものなること。後には知られたり。さて訓は。比《コロヘリ》v日《ヒ》の義にて。其光芒(3755)の。日光の如きに依りて謂るなり○昴星。倭名抄に昴星六星。火神也。須八流。とあり。其形を以て名けたるなり。【また或書に。ムツラボシとも云とあり。六聯星の義なりと云。】〇本に。此に是年詔云々の文あり。十二月の下に入れて。そこに云へり。
 
 
十二月戊寅朔己卯。大伴連。佐伯連。阿曇連。忌部連。尾張連。倉連。中臣(ノ)酒人連。土師連。掃部連。境部連。櫻井(ノ)田部連。伊福《イフキ》部連。巫部連。忍壁連。草壁連。三宅蓮。兒部《コベ》連。手襁連。丹比連。靱(ノ)丹比連。漆部連。大|湯人《ユエ》連。若湯人連。弓削連。神服部《カムハトリノ》連。額田部連。津守連。縣犬養連。稚犬養連。玉祖《タマノヤノ》連。新田部連。倭文《シツオリ》連。【倭文此云2之頭於利1。】氷連。凡海《オフサマノ》連。山部連。矢集連。狹井連。瓜《ツマ・ツマ》工《タクミ》連。阿刀連。茨田連。田目連。小子部連。菟道連。猪使連。海(ノ)犬養連。間人連。舂米《ツキメノ》連。美濃連。諸會臣。布留連。五十氏(ニ)。賜(テ)v姓(ヲ)曰2宿禰1。
 
 
己卯は。二日なり○大伴連。既出○佐伯連。欽明紀に出。姓氏録左京神別。佐伯宿禰。大伴宿禰同祖。道臣命七世孫。室屋大連公之後也。右京佐伯造。天雷神孫。天神人命之後也。佐伯日奉造。天押日命十一世孫。談連之後也。河内佐伯首。天押日命十一世孫。大伴室屋大連公之後也。とあり。【此外に左京に。佐伯連。木根乃命男。丹波眞太玉之後也。(3756)と云るあり。詳ならず。】大伴宿禰條に。雄略天皇御世。以2天靱負1。賜2大連公1。【室屋大連なり。】奏曰。衛v門開闔之務。於v職已重。若一身難v堪。望與2愚兒語1。相併奉v衛2左右1。勅依v奏。是大伴佐伯二氏。掌2左右開闔之縁也。とあるにて。此氏大伴とゝもに。相並びて。左右門衛を掌ることは。明らかなり。氏人は。紀中いと多し。欽明紀。内臣佐伯連。【缺名】崇峻紀。佐伯連丹經手。舒明紀。佐伯連東人。皇極紀。佐伯連子麿。齊明紀。佐伯連栲繩。天智紀。佐伯子麿。天武紀。佐伯連男。佐伯連大目。佐伯連廣足。續後紀。左京人從七位上佐伯直長人等。賜2宿禰1。文徳實録。讃岐人大膳少進佐伯直正。賜2宿禰1。三代實録。讃岐多度郡人。故佐伯直田公子孫十一人。賜2宿禰1云々。同時阿波三好郡少領仕直淨宗等。改賜2佐伯直1。とあり。【氏族志に景行往時蹈背入彦命の後にも。佐伯直佐伯宿禰ありて。混らはしき事を載せり。】宿禰後改て朝臣を賜れり。後冷泉帝時。出雲大掾佐伯朝臣倫貞。朝野群載に出。大府記に。堀河帝時。春宮少屬佐伯朝臣義保あり○阿曇連。神代紀に出○忌部連。神代紀に出○尾張連。神代紀また宣化紀に出○倉連。姓氏録和泉神別。椋(ノ)連。火明命男。天香山命之後也。と同族か。孝徳紀に倉臣小屎あり。是も同族か○中臣酒人連。姓氏録左京神別。中臣酒人宿禰。大中臣朝臣同祖。天兒屋根命十世孫。臣狹山命之後也。とあり。氏人は。續紀十九。中臣酒人宿禰虫麻呂あり○土師連。神代紀及垂仁紀に出○掃部連。孝徳紀大化五年に出○境部連は。火明命の裔と。大彦命裔との二氏あり。此は何(レ)のすぢにかあらむ。詳ならず。雄略紀。坂合部連贄宿禰の下に云り○櫻井田部連。應神紀また崇峻紀に出○伊福部連。姓氏録左京神別。伊福部宿禰。尾張連同祖。火明命之後也。大和同上。又大和伊福部連。河内(3757)五百木部連。山城伊福部皆同。安閑紀に。廬城部連枳※[草冠/呂]喩。其女の罪ありしを以。泰藝(ノ)過戸。廬城部(ノ)屯倉を献して。贖ひしとあるも此族なり。續紀に君姓あり。【東大寺文書にもあり。】三代實録に公姓もあり。氏族志に。三代實録。光孝帝時。有2石見邇摩郡大領。伊福部直安道1。伊福部氏墓誌。文武帝時。有2因幡法美郡人。伊福吉部徳足比賣1。西宮記。有2備前權博士。五百木首利生諸族1。並不v詳2同否1。とあり○巫部連。本に巫を魔ノ誤。今考本釋紀に據る。姓氏録右京神別。巫部宿禰。神饒日命六世孫。伊香我色雄命之後也。攝津同。和泉巫部連。同上。雄略天皇御體不豫。因v茲召2上筑紫豐國奇巫1。令2眞椋大連率v巫仕奉1。仍賜2姓巫部連1。其族に當|世《麻イ》氏あり。續後紀十五。承知十二年七月。右京人中務少録。巫部宿禰公成云々等。賜2姓常世宿禰1。公成者神饒速日命苗裔也。昔屬2大長谷稚武天皇時1。公成始祖。眞椋大連。奏迎2筑紫之奇巫1。奉v救2御病之膏肓1。天皇寵v之。賜2姓巫部1。後世疑謂2巫覡之種1。故今申改之。とあり○忍壁連。十二年紀に刑部に作る○草壁連。孝徳紀白雉元年に出〇三宅連。垂仁紀に出○兒部連。姓氏録左京神別。子部。火明命五世孫。建刀米命之後也。三代實録。貞觀十六年に。山城久世郡人。造兵司史生。從七位下子部貞本。主殿寮史生。從八位下子部氏雄等。賜2姓子部宿禰1。其先天御中主尊之後也。とあり。子部宿禰。笠取直。並執2菅蓋綱1。と大甞祭式に見ゆ。【式。十市郡子部神社。】〇手襁連。姓氏録河内神別。襷多治比宿禰。火明命十一世孫。殿諸足尼命之後也。男《コ》。兄男庶《エヲモロ》。其心如v女。故賜v襷。爲2御膳部1。次(ニ)弟男庶《オトヲモロ》。其心勇健。其力足v制2十千《ヨロヅ》軍衆1。故賜v靱。號《イフ》2四十千《ヨロヅ》健彦1。因負2姓靱負1。とあり。【四は曰の誤なるべし。】○丹比連。此氏の事。丹比深目。丹比犬眼。(3758)孝徳紀大化二年に出。そこに云り。丹比の義。履中紀に詳に云り○靱丹比連。靱は手襁連の下に云るが如し。氏族志云。續紀。廢帝時。有2靱負宿禰1。蓋靱(ノ)丹比族也。拾芥抄有2靱宿禰1。又三代實録。貞觀中。有2靱負直1。直姓不v知2所出1。とあり○漆部連。用明紀及元年紀六月に出○大湯人連。若湯人連。記垂仁段に。天皇因2其子1。【本牟智和氣命なり。】定2大湯坐若湯坐1。とありて。大も若も異なることなし。これは部を定め給へるなり。姓氏録。左京神別。若湯坐宿禰。石上同祖。攝津若湯坐宿禰。神饒速日命六世孫。伊香我色雄命之後也。河内若湯坐連。膽杵磯丹杵穗命之後也。とあり。天孫本紀には。饒速日命七世大※[口+羊]布命。若湯坐連等祖。とあり。【膽杵磯丹杵穂命は。饒速日命の一名なれば。始祖に繋たる傳なり。】景行帝東國に巡幸し給ふ時。意富賣布。及子豐日。御膳に供奉れる。これ此氏の祖たること。高橋氏文に見えたり。大湯人連。他には見えねど。おもふに是も同族なるべし。さて東大寺正倉院文書。天平景雲中に。遠江城飼郡人。大湯坐部(ノ)子根麻呂。同姓濱名郡人。枚夫あり。これは姓もなく。また部とあれば。かの垂仁御世に定められたる。大湯坐部の人なるべし○弓削連。雄略紀に出○神服部連。姓氏録和泉神別。綺連。津守連同祖。天香山命之後也。【按に綺は。和名抄。俗云岐之於利毛能。又一訓加無波太。似v錦而薄者也。と云り。綺を織れる事を知れるにやありけん。又は地名を負へるにもあるべし。さらば次なる神服とは。其義自異なるべけれど。姑く同祖なるを以此に載す。】天孫本紀。火明命六世孫。【饒速日命とあるは誤なり。】建田背命。神服連祖。とあり。天香山命は遠祖なれば。同傳なり。此氏は世々神服部を率ゐて。神衣を織り。大神宮の祭祀に供奉れるが故に。氏と爲るなり。【此他に服部氏あり。天御桙命の裔にて。世々大神宮神部となり。神衣を織りて。祭祀に供奉れり。其族を神服氏と云り。高倉帝時。大神部神服連道尚。同姓少神部俊正と云る人。神宮雜例集に見えたり。此氏とまがひ易し。】氏人は。續後紀に。大和人太宰大典。神服連清繼。改貫2右京1。(3759)三代實録【陽成紀】に。出羽軍士白丁神服連等あり。外記日記に。一條帝時に。左衛門府生神服時正。見えたり○額田部連。此氏二氏あり。神代紀に詳に云り○津守連。神功紀皇極紀に出○縣犬養連。姓氏録左京神別。縣犬養宿根。神魂命八世孫。阿居太都命之後也。とあり。續紀に。廢帝紀。内舍人縣犬養宿禰内麻呂等十五人。賜2大宿禰1。と云こと見えたり。氏人は續紀續後紀に數多出たり。又單に犬養と云るもあり。孝徳紀に出○稚犬養連。皇極紀に出○玉祖連。神代紀に出○新田部連。齊明紀に出。磯城津彦命の後なり。【また天神本紀に。三十二人防衛天降神のうちに。天活玉命。新田部直等祖。とあるは。他に見あたらず。】〇倭文連。神代紀又孝徳紀に出。注の之頭於利。神代紀注には。斯圖梨とあり。倭名抄も同じ○氷連。孝徳紀に出○凡海連。崇神紀に出。姓氏録右京神別。凡海連。海神綿積命男。穗高見命之後也。攝津凡海連。安疊宿禰同祖。綿積命六世孫。小栲梨命之後也。氏族志云。凡或作大。外記日記。平戸記。東寺文書等。有2無v姓者1。東寺文書。又有2押海部1。姓氏録。火明命之後。又有2凡海連1。其系不v明云。と云り。さて下文に大海宿禰あり○山部連。顯宗紀に出○矢集連。姓氏録左京神別。失集連。伊香我色乎命之後也。右京箭集宿禰同上。天孫本紀。伊香色雄命孫。物部大母隅連公。矢集連等祖。とあり。此氏にて姓なきもの。外記日記。類聚符宣抄等に見えたり〇狹井連。天智紀に出○瓜工連。姓氏録左京神別。爪工連。神魂命子。多久都玉命三世孫。天仁木命之後也。和泉神別。爪工連。神魂命男。多久布玉命之後也。雄略天皇御世。造2紫|盖爪《キヌガサノツマ》1。奉v餝2御坐1。仍賜2爪工連姓1。とあり。盖(ノ)爪とは。盖(ノ)端の爪《ツマ》なり。今も笠に爪折の名ある此なり。【これを。姓氏録訂正本に。紫盖の下に。紫刺の二字を私に補ひて。其頭注に。眞龍云。爪者爬(ノ)略字也。(3760)和名抄。翳云v波云々。稻彦云紫盖爪三字不v穩。按盖(ノ)字下脱2紫刺二字1。皇大神功儀式帳云。紫衣笠二口云々。紫刺羽二柄。と云るは誤なり。】○阿刀連。元年紀六月安斗に作る○茨田連。仁徳紀繼體紀に出〇田目連。皇極紀に出○小子部連。雄略紀及元年紀六月に出○菟道連。姓氏録山城神別。宇治宿禰。饒速日命六世孫。伊香我色雄命之後。また宇治(ノ)山守連。宇治部連あり。みな同祖なり。氏族志云。初宇治連祖。兄太加奈志。弟太加奈志二人。仕2皇太子菟道稚郎子1。見2播磨風土記1。蓋因v此賜v姓也。按二人蓋伊香色雄子孫。然今無v所v考。其族世居2山城宇治郡1。爲2大小領1。天平寶字中。有2大國郷人。從八位上。宇治連麻呂1。見2東大寺古文書1。陽成帝時。宇治郡人。左衛門少志。宇治宿禰常永等。移隷2左京1。見2三代實録1。又同姓者。見2扶桑略紀。外記日記。除目大成鈔等1。撫v姓者見2外記日記1。皆是族也。續紀元正帝時。有2常陸那賀郡大領。宇治部直荒山1。東大寺古文書。仁明帝時。有2宇治部直仲成1。或亦同族也。舊事本紀。又有2宇治部造1。出v自2十市根七世孫臣竹1。而造直二姓。姓氏録不v載。姑附2于此1。とあり。さて此菟道連(ノ)下に。中臣本京極本。小治田連の四字あり。系詳ならず。また五十氏の數にも餘れり。考へし○猪使連。安寧紀に見ゆ○海犬養連。皇極紀四年に出。凡海同祖なり○間人連。譽屋別命の後。或は神魂命の後とあり。推古紀十八年に出〇舂米連。姓氏録左京神別。舂米宿禰。石上同祖。神饒速日命五世孫。伊香色雄命之後。とあり。仁徳紀十三年に。置2舂米《ツキメ》部1とあり。本氏の起りは此(レ)なり○美濃連。十三年に賜2姓連1とあり。上に見えたり。此後も連姓なるがありしことは。氏族志に。稱徳帝時。外從五位下美努連財刀自。賜2宿禰1。尋復2原姓1。見2續紀1。仁明帝時。筑前宗形郡人。從八位上難波部主足。賜2(3761)美努宿禰1。見2續後紀1。此後尚有2連姓者1。見2三代實録1。又有2無v姓者1。見2西宮記1。とあり。さて中臣本に。美濃矢集連と云るあり。此氏は考なし○諸會臣。詳ならず○布留連。姓氏録大和皇別。布留宿禰。柿本朝臣同祖。天足彦國押人命七世孫。米餅搗大使主命之後也。とあり。此氏の事。垂仁紀三十九年段の本注。春日臣族市河の下に委く云り。
 
 
癸未。大唐(ノ)學生《モノナラフヒトヾモ》土師宿禰|甥《オヒ》。白猪史|寶然《ホウネン》。及百濟(ノ)※[人偏+殳]《エダチノ》時(ニ)没《ヲサメラレシ》2大唐(ニ)者。猪使連子首。筑紫(ノ)三宅連得許。傳(テ)2新羅(ニ)1至。則新羅遣2大奈末金物儒(ヲ)1。送2甥等(ヲ)於筑紫1。庚寅。除2死刑《シヌルツミ》以下(ノ)罪人(ヲ)1。皆咸赦焉。
 
 
發未。六日なり○白猪史。膽津の後なり。欽明紀に詳なり○没大唐者。持統紀四年九月下に。この事出○筑紫三宅連得許。記云。神八井耳命者。筑紫三家連之祖。とあり。桓武帝時。筑前那賀郡人。三宅連眞繼。類史に見えたり。和名抄に。同郡三宅郷。筑後國上妻郡三宅郷あり。得許。釋私記曰。音讀。とあり。通證。今按私記爲2三宅連之名1。恐不v是。蓋三宅連下。脱2其名1。得許(ハ)言得v蒙2唐朝之許免1也。と云り。考べし○庚寅。十三日なり○除死刑云々。上に引る扶桑略記に。此前年十三年甲申。天皇不豫。於v是皇太子草壁皇子。奉v勅。群臣百官等。共詣2大官大寺1。各發願云々。の事あれば。此年死刑以下の罪人を。皆咸赦し給ふとあるも。尋常の赦とは見えず。右に云る御願などの事に因てならんと。おほしきなり。
 
 
(3762)是年詔。伊賀伊勢美濃尾張四國。自今以後。調(ノ)年免v※[人偏+殳](ヲ)。々(ノ)年(ニハ)免v調(ヲ)。倭葛城下郡言。有2四(ノ)足(アル)鷄1。亦丹波國氷上郡言。有2十二(ノ)角(アル)犢《ウシノコ》1。
 
 
是年以下四十八字。本には十二月の上に在り。集解に據2榜注1改置2于此1とあるに。今も從へり。中臣本の傍注にもしかあり。但しこの文。實には皇極紀の文の。此に入れるなり。そのよし既にそこに云り。併せ攷ふべし。【扶桑略記にも。こゝに同年丹彼國貢2十二(ノ)角犢1。大和憾献2四足鷄1。とあり。】○伊呂波字類抄に。日本紀を引て云。天武天皇十三年乙酉。天皇攝津國住吉社に行幸して。神田三十町を。御酒料に給ふとあり。乙酉は十四年なり。此紀には洩たり。
 
 
(3763)日本書紀通釋卷之六十八     飯田武郷謹撰
 
十四年春正月丁末朔戊申。百寮拜2朝庭1。丁卯。更(ニ)改2爵位《クラヰ》之號(ヲ)1。仍(テ)増2加階級《シナ/”\ヲ》1。明《ミヤウ》位二階。淨位四階。毎v階有2大廣1。並十二階。以前《コレハ》諸王已上之位。正《シヤウ》位四階。直《ヂキ》位四階。勤《ゴン》位四階。務《ム》位四階。追《ツヰ》位四階。進《シン》位四階。毎v階有2大廣1。并四十八階。以前諸臣之位。
 
 
戊申は。二日なり○拜朝廷。本に拜を朔に誤る。今中臣本及類史に依る○丁卯。二十一日なり○明位二階は。明大一位。明廣一位。明大二位。明廣二位。これ二階なり○淨位四階は。淨大一位。淨廣一位。淨大二位。淨廣二位。淨大三位。淨廣三位。淨大四位。淨廣四位。これ淨位四階なり。さてかく明淨とは定め給へれど。此御世には明位を賜はりし人なし。淨位を親王に給へるのみなり。文武の御時に至りて。明位を親王の階と定め。淨位を諸王の階と爲し給へり。續紀に所謂親王明冠四階。諾王淨冠十四階。合十八階。とある是なり。さて其後に。親王をば。一品二品三品四品と稱せり。令義解に。品(ハ)(3764)位也。親王稱v品者。別2於諸王1。とあり○毎階有大廣。本に廣を塵に誤る。今諸本に依て正す。通證云。大廣猶2正從1也。倭名抄。正訓2於保伊1。從訓2比呂伊1。文武朝。自2正從一位1。至2初位1。合三十階。爲2諸王諸臣位號1。とあり。比呂伊は比呂伎の音便なり。從には比呂伎の義は無(ケ)れども。訓は此御時に云なれし廣字によれるなり。されど古き令の訓には。從をスナイと訓り。スナイはスナキなり。されば兩樣に唱へしにもあるべし。松下氏曰。北魏文帝時。立2九品官人之法1。後魏(ノ)文有2從品1。北齊(ノ)九品。各分2正從1。岳珂愧※[炎+おおざと]録曰。官之有v品。自2曹魏1始。品之有v從。乃自v魏始。と。これも通證に云り。正從の出處は。明らかに知らるれど。大廣は。此天皇の御心に出しものなるべし。なほ次に云〇正位四階は。正大一位。正廣一位。正大二位。正廣二位。正大三位。正廣三位。正大四位。正廣四位。凡四階なり○直位四階は。直大一位。直廣一位。直大二位。直廣二位。直大三位。直廣三位。直大四位。直廣四位。凡そ四階なり○謹位四階は。勤大一位。謹廣一位。謹大二位。謹廣一位。謹大三位。謹廣三位。謹大四位。謹廣四位。凡そ四階なり○務位四階は。務大一位。務廣一位。務大二位。務廣二位。務大三位。務廣三位。務大四位。務廣四位。凡四階なり○追位四階は。追大一位。追廣一位。追大二位。追廣二位。追大三位。追廣三位。追大四位。追廣四位。凡四階なり○進位四階は。進大一位。進廣一位。進大二位。進廣二位。進大三位。進廣三位。進大四位。進廣四位。凡四階なり○並四十八階。天智天皇三年の冠級は。二十六階なりしが。今は四十八階に倍(シ)加給へりしなり○以前諸臣之位。右の内後の(3765)位階に。大凡に引充てゝ言はゞ。正位四階は。後の一二三位にあつべし。直位四階は。四五位にあつべし。勤務追進は。六位以下初位に當つべし。さて此後文武紀大寶元年三月には。親王明冠四階。諸王淨冠十四階。諸臣三十階に改め。大寶令に至りて。親王一品より四品と爲し。諸王諸臣を混じて。正從一位より。少初位上下まで。三十階と改められたり。これらは序に云。また明淨正直等の字義は。下の朱鳥の釋【朱鳥元年七月の下に出】にいへるを見るべし。
 
 
是日。草壁皇子尊(ニ)。授2淨廣壹(ノ)位1。大津皇子(ニ)。授2淨大貳位1。高市皇子。授2淨廣貳位1。川嶋皇子。忍壁皇子。授2淨大參位1。自v此以下。諸王諸臣等(ニ)。増2加爵位1。各有v差。二月丁丑朔庚辰。大唐人。百濟人。高麗人。并百四十七人(ニ)。賜2爵位1。三月丙午朔己未。饗2金物儒(ニ)於筑紫(ニ)1。即從2筑紫1歸之。仍流(レ)著(キシ)新羅人七口。附2物儒(ニ)1還之。辛酉。京職大夫《ミサトノツカサノカミ》直大參巨勢朝臣|辛檀努《シタヌ》卒。壬申詔。諸國(ノ)毎家。作(テ)2佛舍《オホトノ・テラ》(ヲ)1。乃置2佛像及經1。以禮拜供養(セヨ)。是月。灰零2於信濃國(ニ)1。草木皆枯焉。
 
 
淨廣壹は。諸王以上の位を。十二階に定め給へる。第六等に當れり。壹貳字を用ゐしは。壹貳參等の(3766)字を。大字と云ふ。唐令に依て其を書給ひしなり。古書には多く此大字を用ゐたり。さて皇太子に位を授給へるは。例なき御事なり○庚辰。四日なり○己未。十四日なり○辛酉。十六日なり○京職大夫。職員令に。左京職。右京職准v此。大夫一人。掌d左右戸口名籍。字2養百姓1。糺2察所部1。貢2擧孝義1。田宅雜※[人偏+謠の旁]。良賤訴訟。市廛(ノ)度量。倉廩租調。兵士(ノ)器仗。道橋過所。闌遺雜物。僧尼名籍事u。とあり。倭名抄。京職讀2美佐止豆加佐1。〇巨勢朝臣辛檀努。孝徳紀に。辛檀努を紫檀と作り。續紀。養老元年正月。中納言從三位巨勢朝臣麻呂薨。小治田朝。小徳大海之孫。飛鳥朝京職直大參志丹之子也。とあり○壬申。二十七日なり○毎家作佛舍。通證に。按世俗家々事v佛者。即此也。と云り○灰零於信濃國。本に濃を農と作り。今中臣本考本に據る。當《コノ》國佐久郡淺間山炎燒して。灰石を零すこと。史に往々見えたれば。當時も其火に罹れりしなるべし。後撰集に。信濃なる淺間の山ももゆなれば。ふじのけぶりのかひやなからむ。伊勢物語。しなのなるあさまのたけに立げぶ。をちかた人のみやはとがめぬ。などよめり。今も此山の麓は。田も畑も燒石のみなり。
 
 
夏四月丙子朔己卯。紀伊國司言。牟婁(ノ)湯泉|没《ウモレテ》而不v出也。丁亥。祭2廣瀬龍田神1。壬辰。新羅人金主山歸之。庚子。始(テ)請2僧尼(ヲ)1。安2居《イミコモラス》于宮(ノ)中(ニ)1。五月丙午朔庚戌。射2於南門(ニ)1。天皇幸(テ)2于飛鳥寺(ニ)1。以(テ)2珍寶《タカラモノヲ》1。奉2於佛1而禮敬。甲子。直(3767)大肆粟田朝臣|眞人《マヒト》。讓2位于父(ニ)1。然(ニ)勅(テ)不v聽矣。是日(ニ)。直大參當麻眞人廣麻呂卒。以(テ)2壬申年之功(ヲ)1。贈2直大壹位(ヲ)1。辛未。高向朝臣麻呂。都努朝臣牛飼等。至v自2新羅1。乃學問僧。觀常。雲觀。從(テ)至之。新羅王(ノ)献物。馬二疋。犬三頭。鸚鵡二隻。鵲二隻。及種々寶物(アリ)。
 
 
已卯は。四日なり○丁亥。十二日なり○壬辰。十七日なり○庚子。二十五日なり。中臣本兼永本及類史には庚寅とあり。庚寅は十五日なり。また本の旁書には壬寅とあり。壬寅は二十八日なり○扶桑略記に。十四年乙酉四月十四日。難波宮。并京宅皆失火。とあり。本紀には難波大藏省失火。十五年に見えたり○庚戌。五日なり○甲子。十九日なり○讓位于父。眞人は後に唐に遣されて。學を好み。能く文を屬し。進止有容と。新唐書日本傳にも見えて。君子國の風ありしよしなれば。父にもいとよく事へて。孝心ありしより。かゝる事をも。公に請申したりけん○當麻眞人廣麻呂。元年紀に。當麻公廣島と似たる名なれど。廣島は近江方にて誅されたり。廣麻呂壬申紀に見えず〇辛未。二十六日なり○至自新羅。十三年四月に所發なり。
 
 
六月乙亥朔甲午。大倭連。葛城連。凡川内連。山背連。難波連。紀(ノ)酒人連。(3768)倭(ノ)漢連。河内(ノ)漢連。秦連。大隅直。書連。并十一氏(ニ)。賜(テ)v姓(ヲ)曰2忌寸1。
 
 
甲午。二十日なり○大倭連。倭直に同じ○葛城連。凡川内連。山背連。巳上四氏十二年紀に出○難波連。十年紀に出○紀酒人連。十二年紀に出○倭漢連。十一年紀に出○河内漢連。十二年紀に出○泰連。同上○大隅直。姓氏録大和神別。大隅隼人。出v自2火闌降命之後1也。とあり。氏人は。東大寺正倉院文書に。大隅人左大舍人大隅直坂麻呂あり。稱徳紀に。大隅直倭上。大隅忌寸三行。並外從五位下。と見えたり。大隅忌寸も同族なり。また舊事紀に。大隅國造あり。なほ續紀に※[口+曾]※[口+於]君。加志君。佐須岐君。前君。薩摩公。國公等族あり。みな火闌降命の裔の。隼人となりて。世々薩摩大隅等の國に住て。姓を賜はるものなり○書連。十二年記に出。但し書を文に作れり。
 
 
秋七月乙巳朔乙丑。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。庚午。初(テ)定2明位已下。進位已上之|朝服《ミカドコロモノ》色1。淨位已上。並著2朱華《ハネズヲ》1。【朱華。此云2波泥孺1。】正位(ハ)深紫。直位(ハ)淺紫。勤位(ハ)深緑。務位(ハ)淺緑。追位(ハ)深|蒲萄《エビゾメ》。進位(ハ)淺蒲萄。辛未詔曰。東山《ヤマノ》道美濃以東。東海道伊勢以東。諸國(ノ)有(ム)v位人等。並免2課※[人偏+殳](コトヲ)1。
 
 
乙丑は。二十一日なり○庚午は。二十六日なり○朝服色。通證に。又見2持統紀1。通鑑胡註。唐章服之制。(3769)有2朝服公服1。朝服(ハ)具服也。公服(ハ)從省(ノ)服也。とあるが如く。衣冠整ひて。上下の服盡く備具たるなり。これに對せる公服は。あるひは上は備はれども。下は省けるなり。【後に上下具れるを。束帯といひ。下を省ける。又は冠を烏帽に代るを。衣冠て云る名目あるなどの如し。】蒲生秀實云く。因知此時有2朝服1。未v有2禮服1也。大寶元年三月。畧擧2進位以上服制1。曰皆漆冠他。と云り。後には禮服と云ものを。朝服の上に制せられたれども。【禮に見えたり。】此時は未だそれはなかりしとなり。冠も大寶元年よりは。改まりしなり〇朱華。萬葉に。夏儲而《ナツマケテ》。開有波禰受《サキタルハネズ》。久方乃《ヒサカタノ》。雨打零者《アメウチフラバ》。將移香《ウツロヒナムカ》。また。山振之《ヤマブキノ》。爾保敝流妹之《ニホヘルイモガ》。翼酢色乃《ハネズイロノ》。赤裳之爲形《アカモノスガタ》。夢所見管《ユメニミエツヽ》。この外にもあり。朱華に。唐棣花を當て書り。爾雅釋木に。唐棣(ハ)移(ナリ)。疏に。郭公似2白楊1。江東呼2夫移1。詩召南云。唐棣之華。陸機云。奥李《イクリ》也。一名雀梅。其華或白。或赤。六月中熟。大如2李子1。可v食。論語にも郁李也と注せり。成人云。大和本草に。郁李は花も實も。ゆすらよりおそし。實の形ゆすらより大きにしてまるし。ゆすら庭梅と一類なれども別なりと注し。本草啓蒙には。郁李をニハウメともよめり。庭梅は白花紅邊にて。遠くよりは薄紅に見えて。甚|美《ウツ》くしきものなり。故赤色を朱華とぞ云けん。と云り。なほ本草家に聞正すべし○深紫。本にフカムラサキと訓めれど。後撰【又源氏】には。コキムラサキとあり。其方なるべし○淺紫。歌詞には。ウスムラサキとよめり○深緑。歌詞には。コキミドリと云ことはなくして。みなふかみどりとよめれば。これもしかよむべきか。詳ならず○淺緑。歌詞に。あさみどりとよめり○深蒲萄。淺蒲萄は。コキエビゾメ。ウスエビゾメと訓べきか。さて衣服令義解に。蒲萄者紫色之尤淺者也とあり。今俗間には(3770)蒲萄の字音に呼り。【少しく色の黒みあるを。フトウ鼠なども呼り。】かくて右の染色を。縫殿式に。深紫綾一匹。紫草三十斤。酢二升。灰一石。薪三百六十斤。淺紫綾一匹。紫草五斤。酢二升。灰五斗。薪六十斤。深緑綾一匹。藍十圍。苅安草大三斤。灰二斗。薪二百四十斤。淺緑綾一匹。藍半圍。黄蘖二斤八兩。とあり。紫染に灰を用ゐる事は。萬葉其外の歌詞などに。あまたみえたり。さて此時に。朱華を紫の上に置給へるは。上古の意にて。紫は神代には見えず。異邦の服色に據給へるものなるを。また後の令制には。朱華をばかへりて次に置たまへり。これ紫色の沿革なり○東山道。東海道。按に十二年十二月より。十三年十月に至りて。諸國の界を定め給ひしこと。上文に見えたり。此に至て。始て東山道東海道の稱あり。其餘の五道も。同時に定りたりしこと。准へて知べし。されば此(レ)までの紀に。東海道東山道など書たりしは。みな後の稱呼によれるものなりしこと。知られたり○伊勢以東諸國。これらの諸國に限りて。免(シ)2課※[人偏+殳]1給ふ意知がたし。
 
 
八月甲戌朔乙酉。天皇幸2于淨土寺1。丙戌。幸2于川原寺(ニ)1。施《クバリタマフ・オクリタマフ》2稻(ヲ)於衆僧(ニ)1。癸巳。遣2耽羅1使人等還之。九月甲辰朔壬子。天皇宴2于舊宮安殿之|庭《オホバニ》1。是日。皇太子以下。至(マデニ)2于忍壁(ノ)皇子(ニ)1。賜(コト)v布各有v差。甲寅。遣(テ)2宮|處《トコノ》王。廣瀬王。難波王。竹田王。彌努王(ヲ)於|京《ミサト》及畿内(ニ)1。各令v※[手偏+交]2人夫(ノ)之兵(ヲ)1。戊午。直廣斯都努(37771)朝臣牛飼(ヲ)。爲2東海《ウヘノミチノ》使者1。直廣肆石川朝臣虫名(ヲ)。爲2東山《ヤマノミチノ》使者1。直廣肆佐味朝臣|少《スクナ》麻呂。爲2山陽《カゲトモノミチノ》使者1。直廣肆巨勢朝臣粟持(ヲ)。爲2山陰《ソトモノミチノ》使者1。直廣參路眞人|迹見《トミヲ》。爲2南海《ミナミノミチノ》使者1。直廣肆佐伯宿禰廣足(ヲ)。爲2筑紫(ノ)使者1。各判官一人。史一人。巡2察《ミセシム》國司郡司。及百姓之|消息《アルカタチヲ》1。
 
 
乙酉。十二日なり○淨土寺。通證に即飛鳥寺とあり。何に據れるにか。未詳○丙戌。十三日なり○川原寺。大和志。廢川原寺。川原村。一名弘福寺。大悲堂一宇尚存○癸巳。三十日なり○壬子。九日なり。類史歳時部に。此文を收入たり。平城天皇大同二年詔云。九月九日者菊花(ノ)豊樂。とあり。公事根源に其起源を洩せり○舊宮は。岡本宮なり○甲寅。十一日なり○宮處王。系未詳○難波王。持統紀六年に淨廣肆○戊午。十五日なり○東海。東海道なり○石川朝臣虫名。又持統紀三年九月に出○東山。東山道なり○山陽。山陽道なり。訓成務紀に見えたり○巨勢朝臣粟持。又持統紀十一年二月に出○山陰。山陰道なり。訓成務紀に見えたり○路眞人迹見。續紀大寶二年十月。從四位下路眞人登見卒とあり○筑紫。西海道なり。按に上文七月に。既に東山道東海道の稱あり。然るに此に道といはず。また西海道をも。筑紫と書るは。いかなる事にか。また七道中に。北陸道を闕たるも詳ならず。【但しこれは。もしくは脱文にもあらんか。】續紀。大寶元年八月。遣2明法博士於六道1。講2新令1。註除2西海道1。とあれば。此も其等の類にて。故に除(3772)かれしならんか。知がたし○巡察。職官志に。蒲生氏云。是巡察使之始。然此時未v有2其號1。爲2官名1。見2持統紀八年七月1爲v始。と云るは。さることながら。此事の見えたるは。清寧紀二年に。遣2臣連1巡2省風俗1とあるが。巡察使の物に見えたる始といふべし。通證云。持統紀巡察使。元明紀遣2巡察使1。分2行天下1。觀2省風俗1。元正紀。始置2按察使1。大同御宇。置2五畿七道觀察使1。職員令。太政官巡察使。掌v巡2察諸國1。不2常置1。唐神龍二年。毎2一道1置2巡察使一人1。景雲年中。置2十道按察使1。至徳元載。置2觀察使1。見2唐書1。とあり。
 
 
是月詔曰。凡諸(ノ)歌男《ウタヲ》歌女。笛吹者。即傳2己(ガ)子孫(ニ)1。令v習2歌笛(ヲ)1。
 
歌男歌女笛吹。四年二月紀に。選2所部百姓之能歌男女。及侏儒伎人1。而貢上。とあるは。其國曲の歌男歌女なり。此なるは。本より世襲の業としたる。雅樂の家々の歌男歌女なり。令に。雅樂寮頭一人。掌d文武(ノ)雅曲正※[人偏+舞]。雜樂。男女(ノ)樂人音聲人(ノ)名帳。試2練曲課1事u。助一人。大允一人。少允一人。大屬一人。少屬一人。歌師四人。掌v教2歌人1。歌女※[○の中に師]二人。掌乙臨時取d聲音1堪2供奉1者u。教甲之。歌人三十人。歌女一百人。※[人偏+舞]師四人。掌v教2雜※[人偏+舞]1。※[人偏+舞]生百人。掌v習2雜※[人偏+舞]1。笛師二人。笛生六人。掌v習2雜笛1。笛工八人。唐樂師十二人。掌v教2樂生1云々。とあり。こゝに傳2己子孫1。令v習2歌笛1。と云る歌男歌女笛吹とある。即右の令に出たる。歌師四人。掌v教2歌人1。歌女師二人云々。歌人三十人。歌女一百人。【歌人は即歌男なり】また笛師二人。笛(3773)生六人。掌v習2雜笛1。笛工八人云々。【笛工は即笛吹なり。】とあるにあたれり。通證に。延喜大嘗祭式。歌人二十人。歌女二十人。楢(ノ)笛吹十二人。令(ノ)雅樂寮。有2歌師歌女師歌人歌女笛生笛工1。而次有2唐樂師高麗百濟新羅樂師及樂生1。則此所v言者。本朝之樂師也。故義解。笛工(ハ)謂d供2此間(ノ)樂1而吹v笛者u。其唐國以下諸樂者。吹笛之人。各在2其樂生中1也。延喜雅樂式。凡諸樂横笛師等。不v解2和笛1。不v得2任用1也。と云れたるが如し。小中村清矩云。爾後の事は。日本後紀に。桓武天皇延暦二十四年十二月壬寅。雅樂歌女五十人。滅2三十人1。と見ゆ。令條に較ぶれば。歌女の員既に半を減じたる上に。更に三十人を減じたるは。此頃既に唐樂盛にして。我國の古風の歌※[人偏+舞]は。漸衰へたる故にぞあるべき。【延雅樂式に。歌女三十人とあるは。又員を増したるものか。同式の歌女の居地一町。公廨田一十町とあり。】と云れたり。
 
 
辛酉天皇御2大安殿(ニ)1。喚2王卿等(ヲ)於殿(ノ)前(ニ)1。以令2博戯《ハクゲ》1。是日。宮處王。難波王。竹田王。三國眞人友足。縣犬養宿禰|大侶《オホトモ》。大伴宿禰|御行《ミユキ》。境部宿禰石積。多朝臣品治。釆女朝臣|竹羅《ツクラ》。藤原朝臣大島。凡十人。賜2御|衣袴《ゾノオホムバカマ》1。壬戌。皇太子以下。及諸王卿。并(テ)四十八人。賜2羆《シグマノ》皮。山羊《ヤマシヽノ》皮1。各有v差。癸亥。遣2高麗國(ニ)1使人等還之。丁卯。爲2天皇|體不豫《ミヤマヒシタマフ》1之。三日|誦《ヨム》2經於大官(ノ)大寺。川(3774)原寺。飛鳥寺。因(テ)以(テ)v稻(ヲ)納2三寺(ニ)1。各有v差。庚午。化來高麗人等(ニ)。賜v禄各有v差。
 
 
辛酉。二十八日なり○大安殿。通證云。即大極殿。事林廣紀京城圖。作2大安殿1。とあり。十年の下に云り。【集解に。按九年十年紀。所謂向小殴。後世所謂大極殿後房小安殿也。と云れたるは是からず。】○博戯は。令義解謂。博戯者。双六樗蒲之屬。とあり。【考云。此はたゝ碁双六なるべしと云り。序に云。樗蒲はかるたなり。木村正辭云。紙牌の戯れに。歌かるた。源氏かるたといふものあり。これを先哲たち。もとよりの日本の語とし。和名鈔に。〓加利。〓古(ハ)樗蒲采名也。といひ。又内典(ニ)云。樗蒲加利宇知とあるによりて。樗蒲札《カリフダ》の急言なり。といひしは。ひがごとなり。此はもと西域の語なるを。其まゝ日本にて用ゐきたれるなり。但し和名鈔の加利も。西域の語なり。此事は。余萬葉集雜考に辨じおけり。其證左の如しとて。伊太里語羅甸語など。其外の詞を。西洋辭書に據てあまた引出たり。】〇犬養宿禰大侶。集解に。侶をトモと訓て云。元年紀六月作2大伴1と云り。從ふべし。考本に。麻呂の二字に作れるはよからじ。【通證にも。脱2麻字1とあり。】○多朝臣品治。本の上文十一年錯簡の下には。波多朝臣品治とあり。誤なり○藤原朝臣大島。十年紀に中臣連大島とあり。持統紀にもしか記せり。既にも云るが如く。藤原氏は。中臣の複姓なるが故に。賜姓の例に入らず。或は書し。或は書さゞるも。みな中臣氏の中に入たればなり。不比等朝臣も。此時尚中臣氏なりしことは。續紀文武二年八月に見えたり○壬戌。十九日也○羆皮。類史羆を熊に作れり○癸亥。二十七日なり○T卯。二十四日なり○庚午。二十七日なり。
 
 
冬十月癸酉朔丙子。百濟(ノ)僧常輝。封2三十戸1。是僧壽百歳。庚辰。遣(テ)2百濟(3775)僧法藏。優婆塞益田直|金鍾《コムシユヲ》於美濃(ニ)1。令v煎《ネリサ》2白朮《ヲケラ》1。因(テ)以賜2※[糸+施の旁]綿布1。壬午。遣2輕部朝臣足瀬。高田首|新家《ニヒノミ》。荒田尾連麻呂(ヲ)於信濃(ニ)1。令v造2行宮(ヲ)1。盖擬v幸2束間《ツカマノ》温湯1歟。甲申。以2淨大肆泊瀬王。直廣肆巨勢朝臣馬飼。判官以下并(テ)二十人(ヲ)1。任《ヨサス》2於畿内之※[人偏+殳](ニ)1。己丑。伊勢王等。亦向2于東(ノ)國(ニ)1。因(テ)以賜2衣袴1。是月。説2金剛般若經(ヲ)於宮中(ニ)1。
 
 
丙子。四日なり○常輝。類史輝を耀とあり○庚辰。八日なり〇優婆塞。隋書經籍志。佛經曰。俗人信2馮佛法1者。男曰2優婆塞1。女曰2優婆夷1。皆去2殺盗※[女+謠の旁]妄言飲酒1。是爲2五戒1。通證云。延喜式齋宮忌詞。優婆塞稱2角筈1。義盖取v髪也。或云。冠謂2之角波須1。見2通海參詣記1。とあり。夕顔卷。うばそくが行ふみちをしるべにて。來んよもふかきちぎりたがふな。曾丹集。うばそくが朝菜にきざむまつの葉は。けさの雪にや埋もれぬらむ。なほ多し○益田直金鍾。本に直字なし。今中臣本考本朮戸本。十一年籍簡文。及釋紀に據る。氏祖詳ならず。氏人は。續紀天平神護元年。越前國足羽郡人。從五位下益田繩手。賜2姓連1。類史。嵯峨帝時。外從五位下。益田忌寸滿足。後爲2連姓1。とあり○令煎白朮。本に煎を並に誤。今考本。本書傍書。釋紀に據る。白朮は。倭名鍾。朮乎介良。新撰字鑑。白朮乎介良。萬葉十四には宇家良とよめり。(3776)山草にて。蒼朮白朮の二種あり。葉は一葉。或は三葉。花は白く。根は大にして曲れり。根を藥物に用ゐるなり。本草綱目曰。朮氣味甘温無v毒。主治風寒濕痺。死肌痙疽。止v汗除v熱。消v食。作2煎餌1久服。輕v身延v年不v饑。陶隱居言。朮有2二種1。則爾雅所v謂袍薊。即白朮也。とあり。また通證に引る圖經曰。〓2取生朮1。去v土。水(ニ)浸再三。煎如2飴糖1。酒(ニ)調飲v之。更善。今茅山所v製朮煎。是此法也。などあり。かゝる由にて。今|煎《ネラ》さしめ給ひけむ。しかるに重胤云。四季物語に。追儺の夜は。朮《ヲケラノ》餅|鶫《ツグミノ》鳥など燒奉りて。御餉の御廻に奉れば。此も物怪《モノヽケ》疫病。攘ひぬべき本文侍るとある。其本文今傳はらざれば。何に據と云こと知らざれども。天武天皇十四年十月令v煎2白朮1。と有て。十一月丙寅。献2白朮煎1。是日爲2天皇1招魂之。と見えたるを。通證に。乎介良蓋招祷之義。故招魂之日献v之也。とあるは。然る説にて。實に此物に。然る招魂の神功あるを以。令v献給へるなりけり。凡人の精神。能く其一身に充滿《ミチミ》つ時は。氣血の循環。其常を失錯へす。比を以て。血白朮に。自然に邪祟を攘ひ。疫癘を除くべき功驗ありて。其禁厭とは成れるものなるべし。と云れたるは信がたし。十一月丙寅なる。献2白朮煎1とあると。是日爲2天皇招魂之とは。同日にこそあれ。更に相關らざる文なるを。一(ツ)に見られたるだにあるに。禁厭の事と説かれしも強言なり。追儺の夜の事。また歳時に引れたる朮餅のことなど。通證にも引て云れたれど。それはそれにて。此には更によしなき事なり。かつ招魂の御祭に。古來より用ゐるべきものならば。百濟の僧などに。何か作らしめ給はむ。此は天皇の御服藥の爲にこそ。煎(ラ)しめ給(3777)へれ。禁厭のことにはあらざるなり○壬午。十日なり○荒田尾連麻呂。元年紀に荒田尾赤麻点あり。十年四月紀に能麻呂あり。こゝは赤又は能(ノ)字など。脱しものにもあるべし。あるひは別人か○束間温湯。和名抄信濃國筑摩郡豆加萬。宇治拾遺に。信濃國津久間に藥湯ありて。衆人の浴することを載たり。今同郡松本をはなるゝこと一里ばかり。淺間温泉あり。此國にては名高し。また山邊の温泉と云ふも其地方にあり。藥湯なり。されと行宮の蹟とおぼしきところは見えず。惣して此國に行宮の蹟なし。詳ならず。【扶桑略記。十五年七月の下に。この事ありて。束間を東國に作るはあやまりなり。】○甲申。十二日なり○畿内之※[人偏+殳]。集解に造2行宮1之役とあり。されどこれは。信濃に行幸あるべき爲の役夫なるべし○己丑。十七日なり○向于東國。これも行幸あるべき爲なることは。亦とあるにて。しか知らるゝなり○是月。前文十一年の錯簡には。是日とあり。
 
 
十一月癸卯朔甲辰。儲用鐵《マウケノカネ》一萬斤。送2於周芳|總令所《スブルヲサノモトニ》1。是日。筑紫大宰請(ス)2儲用(ノ)物。※[糸+施の旁]一百疋。絲一百斤。布三百端。庸《チカラシロノ》布四百|常《キタ》。鐵一萬|斤《バカリ》。箭(ノ)竹《シノ》二千連(ヲ)1。送2下於筑紫1。丙午。詔2四方國(ニ)1曰。大角《ハラ》小角《クダ》。鼓吹幡旗。及|弩《オホユミ》抛《イシハジキ》之類(ハ)。不v應v存《オク》2私(ノ)家(ニ)1。咸(ニ)収2于郡(ノ)家《ミヤケニ》1。戊申。幸2白錦(ノ)後|苑《ミソノニ》1。
 
 
(3778)甲辰。二日なり〇儲用鐵。十一年の錯簡には。鐵を錢とあり。されど斤とあれば。なほ鐵の方なり。鐵は煉鐵なり○周芳惣令所。水戸本には總領所と作り。此名目始て見えたり。持統紀に伊豫總領あり。續紀。文武天皇四年十月。直廣壹石上朝臣麻呂。爲2筑紫總領1。直廣參小野朝臣毛野。爲2大貳1。直廣參波多朝臣牟後閇。爲2周防總領1。直廣參上野朝臣小足。爲2吉備總領1。などあり。これらに據て考ふれば。當時の制。遠國には宰を置き。總領所を建たりしなり。さて其國守を管せしめたりしこと。後に太宰府にて。九國を管せしが如くなりしものと見えたり。【蒲生氏が職官志に。總領謂當時國司宰2大國1。兼知2數國1。其餘直謂v守也。とあり。】さて周芳惣令所は。山陽を合せたる府を。周芳に置れしなり。近藤清石云。總令所舊址知られず。蓋後の國衙ならんと云り○是日。本に二字脱たり。中臣本及上文の錯簡に。是日二字あり。今補ふ○庸布。賦役令に。收v庸者布二丈六尺。義解。收v庸者布一丈三尺。是爲2一常1。とあり。なほ孝徳紀に云り○箭竹二千連は。矢に作る竹にて。倭名抄調度部征戰具。※[竹/矢]。其體曰v幹。夜加良。とあり。和訓栞云。やから箭※[竹/可]をよめり。大學衍義補に矢幹と見えたりとあり。葉廣く皮を著たる竹を。ヤカラと云て。是を皮竹と云り。連は。通證に。今亦云2幾連1。猶云2幾束1也。とあり。○丙午。四日なり○大角小角。倭名抄調度部征戰具。角。兼名苑注云。角。【楊氏漢語抄云。大角。波良乃布江。小角久太乃布江。】本出2胡中1。或云。出2呉越1。以象2龍吟1也。【箋注云。天武紀。大角小角。訓2波良久太1。字鏡。※[竹/秋]訓2波良又久太1。大角小角。又見2軍防令。喪葬令。三代實録。兵庫寮式1。小角又見2萬葉集1。按北堂書鈔。引2徐廣車服儀制1云。角前世書記所v不v載。或云。本出2羌胡1。吹以驚2中國之馬1。或云。本出2羌胡1呉越1云々。又按。説文。角。獣角也。象形。是笛其形似2獣角1。故得2角名1也。】通證。按波良(ハ)寶螺也。寶螺(ハ)所謂螺角是也。久太(ハ)管也。胡角之類。軍器考云。此角と云もの。其制もと異朝より出たる(3779)なり。彼國には。今も用る軍器なれど。我朝は寶螺《ホラ》を用ゐ來りしより。其物はすたりしにや○其制もつたはらず。今も邊《ホトリノ》地にて。竹を截(リ)て管《クダ》とし。筒貝《ツヽガヒ》と名づけて吹は。彼角の遣れる制にあるべき。と云り。萬葉二。吹響流《フキナセル》。小角《クダ》乃音母。【一云。笛乃音波。】敵見有《アタミタル》。虎可|叫吼《ホユル》登。諸人之|脅流《オビユル》麻低爾。とあり○鼓吹。右の歌に。齊流《トヽノフル》。鼓《ツヽミ》之音波。雷之。聲登聞麻低。とあり。吹も軍笛なれど。右の大角小角も笛なれば。異物ともおもはれず。たゞ字面の上に添はれるまでか。知がたし○弩。和名抄征戰具。弩於保由美。とあり。本朝文粹。三善清行意見に。臣伏見2本朝戎器1。強弩爲v神。其爲v用也。短2於逐撃1。長2守禦1。相傳神功皇居奇巧妙思所2制作1也。故唐雖v有2弩名1。曾不v如2此器之勁利1也。とあり。なほ欽明紀に云へり○抛。本に※[手偏+尤]に作るは誤。今釋紀に據て正す。【推古紀にも。今本抛石を※[手偏+尤]石に誤れり。】推古紀二十六年に云り○郡家。コホリノミヤケ。舊訓なり。後には字音にグウケと呼り。郡の政を掌る役所の事なり○戊申。六日なり○白錦後苑。何方にありしや詳ならず。名づけたる義も知がたし。
 
 
丙寅。法藏法師。金鍾。獻2白朮(ノ)煎(ヲ)1。是日(ニ)。爲2天皇1招魂《ミタマフリシキ》之。己巳。新羅遣(テ)2波珍※[にすい+食]金智祥。大阿※[にすい+食]金健勲(ヲ)1。請v政(ヲ)。仍進v調。十二月壬申朔乙亥。遣2筑紫1防人等。飄等2蕩《タヾヨヒテ》海中(ニ)1。皆失2衣裳《キモノヲ》1。則爲2防人(ノ)衣服《キモノ》1。以(テ)2布四百五十端(ヲ)1。給《オクリ》2下於筑紫(ニ)1。辛巳。自v西發(テ)之地震。丁亥。※[糸+施の旁]綿布(ヲ)以《モテ》。施2大官大寺僧等(ニ)1。庚寅。皇后(3780)命(ヲ)以(テ)。王卿等五十五人(ニ)。賜2朝服《ミカドコロモ》各一具1。
 
 
丙寅二十四日なり○是日は。献2白朮煎1とある日と。同日なるまでにて。其事は更に相關らず。既に云るが如し○招魂之。釋紀に。兼方按。今鎭魂祭即此。とあり。鎭魂の事を。舊く招魂とも云なり。鎭魂は。御魂を鎭め祭るに付て云ひ。招魂は御魂を振動して。威勢《イキホヒ》あらしむる稱なり。この事は既に神代紀。思頼をミタノフユと讀る所に委く云り。なほいはゞ。萬葉三に。丈夫之心|振起《フリオコシ》とよめるも。心震ひ起(シ)にて。布理は布留比の約なり。故(レ)臨時祭式には。鎭魂祭を於富牟多麻布里と訓り。天皇の御魂の威震り給ふべく。奉仕る由の稱なり。さて鎭魂の文字は。令義解に。謂人陽氣曰v魂。言招2離遊之運魂1。鎭2身體之中府1。故云2鎭魂1。とあり。其もと神代に始りて。神武天皇の朝に見えたること。舊事本紀に詳なり。延喜式に。十一月鎭魂祭。中寅日|※[日+甫]《サルノ》時中宮鎭魂同日祭之。巳日※[日+甫]時供2東宮鎭魂1。とありて。四時祭の内に載たるを。本史には此に始て出たり。舊事紀に。十一月【天皇元年なり】丙子朔庚寅。宇摩志麻治命。奉2齋殿内於天璽瑞寶1。奉2爲帝后1鎭2祭御魂1。祈2祷壽祚1。所謂御鎭魂祭自v此而始矣。凡厥天瑞。謂(ル)宇摩志麻治命(ノ)先考饒速日尊。自v天受來。天璽瑞寶十種是矣。所謂瀛都鏡一(ツ)。邊都鏡一(ツ)。八握(ノ)釼一(ツ)。生玉一(ツ)。足玉一(ツ)。死反(シ)玉一(ツ)。道反玉一(ツ)。蛇(ノ)比禮一(ツ)。蜂(ノ)比禮一(ツ)品物(ノ)比禮一(ツ)是也。天神教導。若有2痛處1者。令2茲十寶1。謂2一二三四五六七八九十1。而布瑠部。由良由良止布瑠部。如此爲之者。死人返生矣。即是布瑠之言本矣。所謂御鎭魂
 
(3781)祭。是其縁矣。其鎭魂祭日者。※[獣偏+爰]女君等。率2百歌女1。擧2其言本1。而神樂(ノ)歌舞。尤是其縁者矣。また詔2宇摩志麻治命1曰。汝先考饒速日尊。自v天受來天璽瑞寶。以v此爲v鎭。毎年仲冬中寅爲v例。有司行v事。永爲2鎭祭1矣。所謂御鎭魂祭是也。などあるにて。其根源は明らけし。この鎭魂に祭る所の神は。これも四時祭式に。鎭魂祭神八坐。神魂。高御魂。生魂。足魂。魂留魂。大宮賣。御膳魂。辭代主。大直日神一座。どなり。【此神等を。鎭魂に祭給ふ所謂は。神代紀に云おけり。】また※[獣偏+爰]女君氏の預れる由は。古語拾遺に。凡鎭魂之儀者。天鈿女命遺跡(ナリ)。とあるにて知べし。其御祭の幣どもは。四時祭式に詳に見えたるが。其猿女君の仕奉る状は。江家次第鎭魂祭條に云。神祇官雅樂寮神樂。次御巫衝2宇氣1。次神祇官一人。進結2糸於葛筥1。自v一至v十。此間女官藏人。開2御衣筥1振動。注(ニ)神琴師彈2和琴1。衝2宇氣1神遊儀也。また貞觀儀式鎭魂祭儀(ニ)。以2安藝木綿二枚1。實2於筥中1。進置2伯(ノ)前1。御巫覆2宇氣槽1。立2其上1。以v桙撞v槽。毎2一度畢1。伯結2木綿1訖。御巫舞訖。次諸御巫※[獣偏+爰]女舞畢。とあり。【なほ詳に。深山記長寛二年。薩戒記應永二十三年等にも見えたり。】年中行事秘抄に。鎭魂祭歌もあり。なほ鎭魂の事は。重胤か祝詞講義附録。また伴信友が鎭魂傳にあり。見るべし○己巳。二十七曰なり○波珍※[にすい+食]。本に珍を彌と作り。【一本稱に作るも誤と通證に云り。】今中臣本に據る○乙亥。四日なり○辛巳。十四日なり○丁亥。十六日なり○※[糸+施の旁]綿布以。水戸本以字※[糸+施の旁]上にあり○庚寅。十九日なり○命以。中臣本命を令に作る。集解には以字衍といへり。
 
 
(3782)朱鳥元年春正月壬寅朔癸卯。御(テ)2大極殿(ニ)1。而賜2宴(ヲ)於諸王卿(ニ)1。是日詔曰。朕問(ニ)2王卿1。以2無喘事《アトナシゴトヲ》1。仍對言(ニ)得(バ)v實(ヲ)。必有v賜。於是高市皇子。被(テ)v問以v實(ヲ)對。賜2蓁揩《ハリズリノ》御衣三|具《ヨソヒ》。錦(ノ)袴二具。并※[糸+施の旁]二十疋。絲五十斤。綿百斤。布一百端1。伊勢王亦得v實(ヲ)。印賜2p《クリゾメノ》御衣三具。紫(ノ)袴二具。※[糸+施の旁]七疋。絲二十斤。緜四十屯。布四十端1。是日。攝津國人百濟|新興《ニヒキ》。献2白瑪瑙(ヲ)1。
 
 
朱鳥元年。この年號の事は。七月の下に出。【通證に。聖武紀詔云。白鳳以來朱鳥以前。蓋朱雀(ハ)即朱鳥。諸説多謬。宜v考2九年秋七月(ノ)下1。とあるは非なり。朱雀と朱鳥とは異なり。其よし上にも云へり。なほ下にも云べし。】〇癸卯。三日なり○無端事。通證に。釋兼方按。今(ノ)世(ノ)何何《ナゾナゾ》歟。今按何何(ハ)※[まだれ/叟]辭也。後撰集云。阿登宇我多利。【武郷云。阿登宇我多利は。何々とは異なり。これは除くべし。】定家僻案曰。拾遺集云。那曾那曾語乃事是也。とあるは舊説なり。なぞ/\物語。散木集にも見えたり。この天皇近き年頃御病がちにおはしければ。其御心慰さに。さきには王卿等を殿前に召て。博戯せさせ給ひ。今又かゝる御遊をも。せさせ給へるものと見むには。さもあるべきが如くなれど。集解に。此無端事を説て云(ク)。莊子達生篇曰は藏2乎無端之言1。考課令曰。凡秀才試2方略策二條1。令集解曰。師説云。方略無v端也。多聞博覧之士。所v知無v端。大事假如(バ)顔淵短命。盗跖長生。福善禍※[さんずい+徭の旁]。何其爽歟之類也。古記云。假如(バ)試問云。何故周代聖多。殷時賢少。知2此事類1。二條試問耳。(3783)一云問云。何故馬者大行之後聞v地。犬者小行之時上v足。是亦爲2無端事1。穴云。令釋無端大事(ハ)。謂無v所v依。依v之無v端耳。と云れたる説。さもありぬべくおぼゆ。なほよく考べし○對言得實。釋紀の説によらば。何何のいと難きを。よく解得たるを得實と云べし。枕草紙に。左右に片わきて。何々を互に言争ひしことあり。古來よりありし遊びと見えたり。また集解の説によらば。方略策のよく言得たるを。得v實と云べし。なほ考るに。得v實などの。こと/\しき文字を以て按ふにも。次の説の方勝れるがごとし○蓁揩御衣。蓁は萩なり。【次に云】萬葉七。住吉之。遠里小野之。眞榛以《マガリモチ》。須禮流衣乃。盛過去《サカリスギユク》。また白菅之。眞野乃榛原。心從毛《コヽロユモ》。不念《オモハヌ》君之。衣爾摺※[奈を○で囲む]《キヌニスラユナ》。十四。伊香保呂能。蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》。和我吉奴爾。都伎與良之母與などある。みな萩なり。【この他にも多し。】古よりこれを萩とは異なりとて。榛《ハンノ》木なりとしたる説は皆非なり。この事は雄略紀五年大御歌。婆利我曳陀の注に云り。さて蓁揩御衣は。萩揩御衣なり。衣服令服色蓁紫あり。神祇式榛揩帛袍あり。大甞祭式に榛藍揩(ノ)錦袍あり。神樂歌に。さいはりに衣はすらむあめふれど。うつろひがたしふかくそめては。梁塵鈔に。さいはりは初萩なりと云り。初萩《サキハギ》萬葉集にもあり。これらみな萩を波里と云なり。【しかるに。榛と萩とは別にて。波利乃木染は。榛《ハンノ》樹皮を以。染たるなりとの説は。あやまりなり。從ふべからず。又通證に。今案謂2之蓁揩1者。猶2信夫摺之義1。非d直指2染色1者u。况今稱2波利1。又稱2波牟1者。非2墨客可v詠者1。則古書所謂榛萩蓋一物也。と云れたるはよろしけれど。非d指2染色1者u。と云れたるは。これも叶はず。染色なること本よりなり。】○p御衣。p衣崇峻紀にみゆ。久里曾米(ハ)※[さんずい+(日/工)]染也。と通證に云へり。後には栗《クリ》色と云り。【黒色をもpと云へど。こゝなるは黒色にはあらず。】○緜四十屯。本に屯を斤に作る。今京極本に據る○攝津國人百濟新興。本に濟字を脱せり。今中臣本釋紀に據る。さて此國に。郡(3784)名百濟久太良あり。塚本明毅が。國郡沿革考攝津條に。百濟郡は。和名抄に東部南部西部三郷あり。戰國の世これを闕郡と稱せり。天文十六年七月二十一日。細川勝元三好長慶等。細川氏綱と。天王寺の東舍利寺に戰て之を破り。斬首四百餘級。此時晴元感状を。岸和田の松浦肥前守に賜ふ。其文に云。攝州闕郡木村口に於て云々とあり。元和元年六月十日。松平下總守忠明に。大坂城十萬石を賜ひ。同三年九月十一日。領知目録を賜ふ。其文曰。攝津國闕郡。並南北中島四萬三千石餘。【天滿千波】町地興並葭年貢六千石。河内澁川若江八上三郡内。並榎並庄五萬千八百石餘云々とあり。其後遂廢郡となり。正保圖には載せられざりき。地圖を按ずるに。平野川は吉の百濟川なり。此郡北は東成郡に接し。東は百濟川を以て河内に界し。西は西成郡に隣り。南は住吉郡に接す。今其地勢を考へ。其郡圖を製て之を卷末に出す。之を參看すべし。今東成郡の岡村舍利寺村田島村。及住吉郡の今村は。蓋其東部郷の地なり。住吉郡の桑津村以南は。其南部郷なり。林寺以西安部野村に至る。其西部郷なり。此其隣郡古郷を考へて。其境界を假定する所なり。とあり。新興。考本に興を與とあり。【新與にては。ニヒキとは訓がたし。誤なるべし。】○白瑪瑙。倭名抄。馬瑙。俗音女奈宇。石之次v玉也。とあり。【本に瑪を馬とあれど。今は京極本による。されどこれはいづれにてもあるべし。】
 
 
庚戌。請2三綱律師。及大官大寺(ノ)知事佐官。并(テ)九(ノ)僧(ヲ)1。以(テ)2俗供養《タヾヒトノクラヒモノヲ》1々《クレキ》之。仍(テ)施2※[糸+施の旁]緜布1。各有v差。辛亥。諾王卿。各賜|袍袴《キヌハカマ》一具1。甲寅。召(テ)2諸(ノ)才人《カドアル》博士。(3785)陰陽師。醫師者。并廿餘人1。賜2食《イヒ》及禄1。乙卯(ノ)酉(ノ)時。難波(ノ)大藏省(ニ)失火《ミヅナガレテ》。宮室《オホミヤ》悉(ニ)焚。或曰。阿斗連藥(ガ)家(ノ)失火之。引《ホビコリテ》及2宮室(ニ)1。唯|兵庫職《ツハモノヽツカサハ》不v焚焉。丁巳。天皇御2於大安殿1。喚2諸王卿1賜v宴。因以賜2※[糸+施の旁]緜布1。各有v差。是日。問2群臣(ニ)1。以(ス)2無端事(ヲ)1。則|當時《トキニ》得(バ)v實(ヲ)。重(テ)給2綿※[糸+施の旁]1。戊午。宴2後宮《キサキミヤニ》1。己未。朝廷《ミカドニ》大餔《サケノミス》。是日(ニ)。御《オハシテ》2御窟殿《ミムロトノノ》前(ニ)1。而|倡優《ワザヒト》等(ニ)。賜v禄有v差。亦歌人等(ニ)。賜2袍《キヌ》袴1。庚申地震。是月。爲v饗2新羅(ノ)金智祥(ニ)1。遣2淨廣肆川内王。直廣參大伴宿禰安麻呂。直大肆藤原朝臣大嶋。直廣肆堺部宿禰|鯛魚《コノシロ》。直廣肆穗積朝臣虫麻呂等(ヲ)。于筑紫(ニ)1。
 
 
庚戌は。九日なり〇三綱。僧官なり。既に云り○知事佐官。二年紀に見ゆ○以俗供着々之。元亨釋書資治表に。天武天皇十五年。召3三綱及大官大寺知事佐官并九比丘1。以2俗供1々v之。非v禮也。君子曰。以v鳥養v鳥古之鑑乎。など評せるものありしなるべし。さて養は。この釋書にある如く。供養の義なり。【養をクレキと訓る義。既に神代紀に云へり。】○辛亥は。十日なり○袍袴。類史に倒せり○甲寅。十三日なり○陰陽師。職員令。陰陽寮陰陽師六人。掌2占筮相地1○醫師者。類史に師字なし。職員令。典藥寮醫師十人。掌d療2諸疾病1及診候u○并廿餘人。本に廿字を脱せり。中臣本類史に據る。考本には十字あり○乙卯。十四日なり○※[奚+隹](3786)波大藏省。難波宮十二年紀に注せり。集解に。孝徳天皇の舊都と云るは非なり○兵庫職。職員令に。左兵庫寮。右兵庫寮。頭一人。掌2左右兵庫。儀仗兵器。安置得v所。出納曝凉。及受v事覆奏事1。倭名抄。兵庫寮。豆波毛乃乃久良乃官○丁巳。十六日なり○間群臣の上。中臣本京極本天皇二字あり○戊午。十七日なり○己未。十八日なり○御窟殿前。集解云。按下文設2齋宮(ヲ)中(ノ)御窟院1。蓋謂2御窟1者。猶2御座1。謂2燕居之宮室1也。とあり。通證云。倭名鈔。窟和名伊波夜。説文土屋也。一云堀v地爲v之。今按御窟殿。盖天石窟之遺象。とあり。按に前説御窟を御室の義と見たるは。神の御室と云と同じ。されど窟字をしも書れたるを見れば。後説の方なるべし。なほ考べし○歌人。職員令に。雅樂寮歌師四人。掌v教2歌人1。歌人三十人。とあり。同令に歌男とあるこれなり。上文に既に云り。萬葉十六。歌人跡《ウタヒトト》。和乎召《ワヲメス》良米夜。笛吹《フエフキ》跡。和乎召良米夜。琴引跡《コトヒキト》。和乎召良米夜○庚申。十九日なり○金智祥。本に祥を淨に作る。今中臣本考本及上下文に據る○淨廣肆。本に淨字を脱せり。今中臣本に據る○川内王。系未詳。持統紀八年四月。以2淨大肆1。贈2筑紫大宰帥河内王1。并賜2賻物1。とあり。
 
 
二月辛末朔甲戌。御2大安殿(ニ)1。侍臣《オモトマチギミ》六人(ニ)授2勤位1。乙亥。勅(テ)選(テ)2諸國司(ノ)有功者九人(ヲ)1。授2勤位1。三月辛丑朔丙午。大弁官直大參羽田眞人八國病。爲之度2僧三人1。庚戌雪之。乙丑。羽田眞人八國卒。以(テ)2壬申年(ノ)之功(ヲ)1。贈2直大壹(3787)位1。夏四月庚午朔丁丑。侍醫《オモトクスシ》桑原邑主|※[言+可]都《カト》。授2直廣肆1。因以賜(テ)v姓(ヲ)曰v連。壬午。爲v饗2新羅客等(ニ)1。運2川原寺(ノ)伎樂《クレガクヲ》於筑紫(ニ)1。仍以(テ)皇后(ノ)宮之私(ノ)稻五千束(ヲ)1。納2于川原寺(ニ)1。戊子。新羅進v調。從2筑紫1。貢2上細馬一疋。騾《ラ》一頭。犬二狗。鏤金器《コガネノウツハ》。及金銀。霞錦《カスミイロノニシキ》。綾羅《アヤウスハタ》。虎豹《トラナカツカミノ》皮。及藥物之類。并(テ)百餘種1。亦智祥健勲等(ガ)別(ニ)獻物。金銀。霞錦。綾羅。金器。屏風。鞍(ノ)皮。絹布。藥物之類。各六十餘種。別献2皇后皇太子及諸(ノ)親王等(ニ)1之物。各有v數。丙申。遣2多紀皇女。山背姫王。石川|夫人《オトジヲ》於伊勢(ノ)神宮(ニ)1。
 
 
甲戌。四日なり○侍臣は。侍從の臣なり。倭名抄。侍從於毛止比止萬知岐美○乙亥。五日なり○丙午。六日なり○庚戌。十日なり○乙丑。二十五日なり○丁丑。八日なり○桑原村主。本原字を脱せり。中臣本釋紀に依る。十三年五月桑原連人足の下に云り○賜姓曰連。文武紀三年正月。賜2内藥官桑原加都直廣肆1。賜2姓連1。賞2勤公1也。とあるは重出なり。一の誤なるべし○壬午。十三日なり○伎樂。令義解に。伎樂謂2呉樂1。其腰鼓亦爲2呉樂之器1也。とあり〇五千束。本に千を十と作る。今活字本中臣本考本に據る○戊子。十九日なり○騾一頭。秘閣本に騾音讀とあり。字典云。羸落戈切。説文驢父馬母。正字通。羸似v驢而健。驢(ハ)力在v髀。類力在v腰。乘者隨2其力1。進2退之1。玉篇亦作v※[馬+羸]。六書正※[言+爲]俗作v騾。とあり。驢《ウサゴウマ》の類なり。【しかるに。通證(ニ)引(ク)行厨集(ニ)。騾用2幾匹1。騾用2幾頭1。とあるは。いかなる義にか。】○犬二狗。通證に狗當v作v口。日本紀略。※[獣偏+委]子二口。とあり。集解には。前に依て頭に改めたり○鏤金器。字鏡に鏤刻也。金乃知利婆女○霞錦。釋紀に霞色之錦とあり。既に云り。通證云。魏志倭錦。杜陽※[衣+集]編曰。女王國有2明霞錦1。とあり。さて次なる霞錦。本文に倒せり。通證に當v乙とあり。集解には改めたり○屏風。通證に。三禮圖曰。屏風之名。出2于漢世1。禮明堂位(ノ)注(ニ)。今屏風※[戸/衣](ノ)遺象也。とあり。和名抄には。七尺屏風と記せるのみにて。訓を洩せり。【或本の古訓に。カセフセキと訓るは。其出處をしらず。】後に軟障《セジヤウ》と云ふものあり。屏風の類なり。【源氏蜻蛉日記等に出たり。】通證(ニ)引(ク)七修類稾曰。古有2硬屏1。無2軟屏1。軟屏者圍屏也。圍屏與2泥金綵漆1。皆出2于日本1。今按。軟屏(ハ)三代實録本朝式等。所謂軟障也。と云り○丙申。十七日なり○多紀皇女。文武紀二年九月。遣2當耆皇女1。侍2于伊勢齋宮1。とあり。この後齋宮に立給へり○山背姫王。集解に。紹運録。舒明帝弟有2山城王1。蓋其女也。と云り。詳ならず○石川夫人。又云。按2二年紀1。夫人蘇我赤兄大臣女大〓娘。蘇我石川同姓。即此。續紀慶雲元年。詔2石川夫人1。益2封一百戸1。とあり。
 
 
五月庚子朔戊申。多紀皇女等。至v自2伊勢1。是日。待醫百濟人|億仁《オクニ》。病(テ)之臨v死。則授2勤大壹位1。仍封2一百戸1。癸丑勅(テ)之。大官大寺(ニ)封2七百戸1。乃納2税《タヂカラ》三十萬束(ヲ)1。丙辰。宮人等(ニ)増2加爵位1。癸亥。天皇體不v安。因以於(テ)2川原寺(ニ)1。説2藥師經(ヲ)1。安2居于宮中(ニ)1。戊辰。饗2金智祥等於筑紫1。賜v禄各有v差。即從2筑紫1退之。是月。勅(テ)遣(テ)2左右大舍人等(ヲ)1。掃2清諸寺(ノ)堂塔(ヲ)1。則大2赦天下1。因獄《ヒトヤ》已(ニ)空。六月己巳朔。槻本村主|勝《カチ》麻呂(ニ)。賜v姓(ヲ)曰v連。仍加2勤大壹位1。封2二十戸1。庚午。工匠《タクミ》。陰陽師。侍醫。大唐(ノ)學生。及一二(ノ)官人。并三十四人。授2爵位1。乙亥。選(テ)2諸司人等(ノ)有v功二十八人(ヲ)1。増2加爵位1。
 
 
戊申。九日なり○癸丑。十四日なり○丙辰。十七日なり○癸亥。二十四日なり〇體不安。中臣本體(ノ)上始字あり。【或説に。始は玉の※[言+爲]かと云り。されどなほ始なるべし。この段の御病は。遂に崩の本となり給へれば。始(テ)とは云るなるべし。】○藥師經は。藥師瑠璃光如來本願功徳經一卷。これなり。さて或人云。此下に恐らくは。請2僧尼等1の語。脱たるならん。と云り○戊辰。二十九日なり○金智祥等於。本に祥を詳に作る。於字なし。今考本に據て改補す○退は。還の※[言+爲]なるべし○左右大舍人。職員令に。左大舍人寮。有2大舍人八百人1。右大舍人寮准v此。とあり○掃清。類史に灑清とあり〇槻本村主。本に村を材に作る。今秘閣本考本に據る。槻本氏は大友村主等の同祖にして。清和紀に大友槻本連ともあり。後漢献帝の後なり。推古紀十年註に出。氏人もそこに出せり。續後紀承和四(3790)年三月。右京人遣唐知乘船事。槻本連良棟。民部少録同姓豐額等。賜2姓安※[土+穉の旁]宿禰1。其先出v自2後漢献帝後1也。とあり○庚午。二日なり○乙亥。七日なり。
 
 
戊寅。卜2天皇病(ヲ)1。祟《タヽレリ》2草薙劔(ニ)1。即日。送2置于尾張(ノ)國(ノ)熱田(ノ)社(ニ)1。庚辰※[雨/咢の下]之。甲申。遣(テ)2伊勢王。及官人等(ヲ)於飛鳥寺(ニ)1。勅(テ)2衆(ノ)僧(ニ)1曰。近者朕身|不和《ヤクサム》。願頼2三寶之|威《カシコキミタマノフユニ》1。以身體欲v得2安和《ヤスラカナルコトヲ》1。是以僧正僧都及衆僧。應2誓願《コヒチカフ》1。則奉2珍(シキ)寶於三寶(ニ)1。是日。三鋼律師。及四寺(ノ)和上《ワシヤウ》。知事。并(ニ)現(ニ)有2師位《ノリノシノクラヰ》1僧等(ニ)。施2御衣御被各一|具《ヨソヒ》1。丁亥。勅(テ)遣(テ)2百官人等(ヲ)於川原寺(ニ)1。爲2燃燈《ネントウ》供養1。仍(テ)大(ニ)齋《ヲガミテ》之|悔過《クエクワス》也。丙申。法忍僧。義照僧(ニ)。爲v養v老(ヲ)。各封2三十戸1。庚寅。名張(ノ)厨(ノ)司(ニ)災《ヒツケリ》之。
 
 
戊寅。十日なり○祟草薙劔。本に祟を崇に作れり。今訂せり。さてこの御劔の祟りたまへるは。當時《ソノカミ》天皇の御許に。置奉り給へるが。神の御心に叶はず。かく祟り給へるなり。さるを信友が其事を記したるものに云く。御劔を前(キ)に御許に。迎へ置き奉り給ひたること。紀に載られず。永禄八年に。僧道器か撰べる新撰和漢合圖。天武天皇十三年の下に。村雲釼。自2熟田宮1。被v置2内裏1。と載たり。當時古書に見えたるを採りて。録せるものなるべし。然るは神劔の威徳を假りて。神(ノ)祟を免(レ)給はむとし給へ(3791)るか。かへりて其祟(リ)をさへに。得《ウケ》給ひたりけり。あなかしこ。或説に。神劔を天皇の御許に安置まつられたるは。天智天皇七年新羅(ノ)僧道行が。盗奉らんとせし時よりの事なり。と云るは。何の證もなき推量(リ)説とぞ聞えたる。但し應安の頃著(シ)たる年代記に。天武天皇二年に。※[草冠/聚]雲劔熱田に送と記せるは。古傳にて。道行が犯行《マガワザ》せし時より。御許に安置まつり給へるにか。又|前(キ)にも。壬申の頃にも迎へ奉り給ひて。二年に送り置《マセ》給へる事のありしにか。さらば十三年には。再迎へ奉り給ひたるなり。然るに文明の頃記せる。榻田曉筆と云ふ書に。草薙の劔を。道行が盗奉らんとせし事に引つゞけて。天武天皇(ノ)朱雀元年に。これを召て内裡に置るといひて。此劔後の御世々々かけて。大御許に置れたりけるが。壽永の御事の時。西海に没《シヅ》給へるごとく記せるは。古書どもを疎によみわたしたる臆説にて。いともいとも畏く。いとも忌々しき禍言にこそはありけれ。と云れたるは。さる説と通えたり。【通證集解に云れたることゞも。すべて證とするに足らず。】○送置于尾張國熱田社。熱田社縁起に。朱雀元年六月戊寅。【十日】卜2天皇御病1。祟2草薙劔1。即勅2有司1。還2置于尾張國熱田社1。自v爾以來。始置2社守(リ)七員1。一人爲v長。六人爲v列。並免2徭役1。鎭坐紀に。朱鳥元年五月庚子。【一日なり。】賜d可v奉v還2神劔於尾張國1勅u。焉。甲辰。【五日】有2神與v帝神約1矣。六月戊寅。【十日】卜2帝御病1。復爲v祟2神劔1。故即日勅而奉2還熟田宮1焉。此時更改經2營大宮及別宮諸神社1矣。十二月辛巳。【十五日】奉v遷2新宮1以前。下2之永宣旨1。始勤行之。とある。此時の事なり。重胤云。この新宮と云は。此時まで正殿に。謂ゆる土之御筥。木之御筥。共に奉齋れるを。更に土用殿を別に造りて。其草薙劔(3792)の土の御筥を。藏め別《ワケ》られたりしことゝみゆ。かくて紀と縁起とは本よりにて。鎭座記にも。年月日共に合を。扶桑略紀には。天武天皇朱鳥元年八月。以2草薙劔1。送2尾張熱田神社1。とあり。【武郷云。皇代記にも。白鳳十五年丙戌として。此文を載せたり。】紀を考るに。八月己巳朔丁丑。爲2天皇體不豫1。祈2于神祇1。と所見たる。其事と混ひたるにや。又鎭坐記に。五月己酉。於2磐戸前1庭燎。會2宮人1。汲2神酒1。※[口+據の旁]樂而神祭。故擧v聲扇嗤。其感應v天。果還坐焉。と云ことあり。己酉は四日なり。右に擧たる如く。已に還坐の勅ありし故に。本國にても其祭を行へるなり。但し彼妖僧が神劔を持去てより以來。十五年都に留坐し程には。已に神宮も絶たる如くなりしにや。同記一御前(ノ)神社の下に。一云。清御原御宇。姑安2神劔1。因v此號2一御前神社1。宮中第一(ノ)攝神也。と云るを以考ふべし。但此社を。其日本武尊の供奉に仕奉られし。大伴武日命也。といへども。鎭坐記にては。皇大神素盞嗚尊。二大神の荒御魂神にておはします由なれば。後に合祭りて。三坐と成されしならんかと云り○庚辰。十二日なり○甲申。十六日なり○不和。神代紀不平訓同じ〇以身體。本に以字衍れり。今中臣本考本に據て削る〇四寺。九年紀に。除d爲2國大寺1二三u以外。官司莫v治云々。と云ことはあれど。四寺は詳ならず○和上。通證云。上與v尚通。和。台家(ノ)讀漢音。言家(ノ)讀呉音。禅家(ノ)讀乎(ノ)音。什法師云。梵語和尚。此名2力生1。李卓吾玉簪記曰。千里相聚曰v和。父母還拜曰v尚。紀原曰。後趙石虎。號2佛圖澄1。曰2大和尚1。此稱2和尚1之始也。とあり。さて貞觀六年二月十六日制。法印大和尚位。爲2僧正階1。法眼和尚位。爲2僧都階1。法橋上人位。爲2律師階1。とあり○師位僧。傳燈大法師位。傳燈法師位の類(3793)なり○御被。持統五年紀十一月。賜2公卿衾1とある衾と同じ。衾は和名抄装束部。衾【布須萬。】説文云。衾大被。四聲字苑云。衾(ハ)被(ノ)別名也。【箋注云。新撰字鏡同訓。萬葉集被。仁徳紀衣被。亦皆同訓。布須萬見2古事記1。谷川氏曰。臥裳之義。臥裳與2萬葉集(ノ)〓裳1同1按説文又云。被(ハ)寢衣。長一身有半。論語郷黨篇孔傳。寢衣。今之被也。鄭注衾。今小臥被是也。釋名。衾(ノ)※[まだれ]也。其下廣大。如2※[まだれ]受1v人也。被(ハ)被也。所3以被2覆人1也皆衾被大小別名。】とあり。【萬葉に。麻被可賀布利とあり。なほ神代紀に云り】續紀以下の宴饗に。例としてこのものを玉へり○丁亥。十九日なり○燃燈供養。或本の旁書に。四字音讀とあり○悔過。圓覺經疎(ニ)。具(ニ)云2懺悔1。此云2悔過1。とあり○丙申。二十九日なり○庚寅。二十二日なり○名張厨司。名張は伊賀國名張郡なり。厨は和名抄居處部に。説文云。厨【久利夜。】庖屋也。庖(ハ)食厨也。【箋注云。久利夜見2空物語吹上ノ下卷1。新撰字鏡。厨訓2萬奈久利也1。新井氏曰。葢黒屋之義。】とあり。通證云。按厨(ノ)司。奉2御贄1所。内膳式所謂。大和國吉野御厨所v進鳩。志摩國御厨(ノ)鮮鰒螺之類也。集解云。按延喜式内膳曰。凡諸國貢進御厨(ノ)御贄。有2和泉紀伊淡路近江若狹1。不v載2伊賀1。葢因3時有2沿革1也。と云へり。萬葉にも。志摩國の御食津國なることを多くよめり。伊賀はもと伊勢と同國なれば。志摩とも同國なれば。既くは名張あたりも。其中に入れりしなるべし。さて丙申庚寅は。支干倒せり。されと今舊に據て改めず。
 
 
秋七月己亥朔庚子。更(ニ)勅(シテ)男夫著2脛裳《ハヽキモ》1。婦女|垂髪于背《スヘシモトヾリスルコト》。猶如v故。是日。僧正僧都等。參2赴(テ)宮中(ニ)1。而悔過矣。辛丑。詔(テ)2諸國(ニ)1大解除。壬寅。半2減天下之調(ヲ)1。仍悉免2※[人偏+徭の旁]※[人偏+役の旁]《ミユキ》1。
 
 
(3794)己亥。本に己を乙に作る。今考本に據る○庚子。二日なり○更勅。本に倒せり。今考本に據る○著脛裳。脛裳を禁ずること。十一年二月に見えたり。この後また慶雲三年に。命3天下脱2脛裳1。着2白袴1。といふこと。續紀に見えたり○垂髪于背。これ上古の女の髪のさまなるを。十一年の詔にて。一旦さきにとゞめ給へるを。また本に復し給へるなり。通證云。今俗謂2之|須邊良加之《スベラカシ》1。狹衣(ニ)所v謂|御髪波行方《ミグシハユクヘ》母不v知。都耶《ツヤ》々々登。委波利《タヽナハリ》是也。衣《キヌニ》云2奴伎須邊之《ヌキスヘシ》1。見2源氏談1。とあり。記傳云。この十五年の詔の後の。萬葉の歌にも。髪|上《アグ》ることを多くよめるは。かの本を結《ユ》ふことにて。末は垂るゝなれば。この詔に違ふことなし。と云れたるが如し。【なほこの髪のことは。神代紀に委しく云り。】○辛丑。三日なり○壬寅。四日なり○※[人偏+徭の旁]※[人偏+役の旁]。通證に。美由伎之訓。又見2持統紀1。盖|身征《ミユキ》也。【吏學指南曰。科v調曰v徭。工作征戌曰v役。】とあり。
 
 
癸卯。奉d幣於居2紀伊國1國懸神《クニカヽスノカミ》。飛鳥四社。住吉大神(ニ)u。丙午(ニ)。請(テ)2一百(ノ)僧(ヲ)1。讀2金光明經(ヲ)於宮(ノ)中(ニ)1。戊申。雷|光《ヒカリテ》2南方(ニ)1。而一大鳴。則|天2災《ヒツケリ》於|民部《カキベ》省(ノ)藏v庸舍屋(ニ)1。或曰。忍壁皇子(ノ)宮(ノ)失火。延《ホドコリテ》燒2民部省(ヲ)1。癸丑曰。天下之事。不v問2大小(ヲ)1。悉啓2于皇后及皇太子(ニ)1。是日大赦之。甲寅。祭2廣瀬龍田神(ヲ)1。丁巳詔曰。天下(ノ)百姓(ノ)。由(テ)2貧乏(ニ)1。而貸2稻及貸財(ヲ)1。者。乙酉年十二月三十日以前(ハ)。不(3795)v問2公私(ヲ)1。皆|免原《ユルセ》。
 
 
癸卯。五日なり○國懸神。此神の御事は。神代紀一書。日前神の下に。因に委く注せるを。なほいはゞ。天照大神の御靈實とまします神鏡を。石凝姥神に命せて。造らしめ奉りける時に。初後二度の御鏡あり。其初度に鑄り奉る。是紀伊國日前神也とある。其神鏡を。また國懸大神とも申奉れるなり。明文抄に。一鏡者。天照大神之御靈。名天懸大神。今伊勢國磯宮。崇敬拜祭大神也。一鏡者。天照大神之前御靈。名國懸大神。今紀伊國名草宮。崇敬拜祭大神也。とあるにて明らけし。【この全文は。已に神代紀に引たり。】さて前御霊名國懸大神とある。即初度の御鏡にて。神名式に。紀伊國名草郡日前神社。【名神大月次新甞。】國懸神社。【名神大月次相甞新甞。】とある。二社同域に並坐して。御靈代は初度の御鏡一面なり。神代紀また古語拾遺に。紀伊國日前神とのみあれども。國懸神をも。其中にこめて申せるなり。其は。こゝに奉2幣於紀伊國懸神1とある。日前神を略かれたるも同し事なり。二社同域に並坐し。御靈體も一(ツ)にましませば。しか何れを略きても申せるなり。平田翁云。天懸は阿米加々須。國懸は久邇加々須と訓べし。其は天武天皇紀延喜式などに。國懸をしかよみ。令集解に。國懸須ともあればなり。然て此國懸の訓によりて。天懸を右のごと訓べき義をも所知たり。【また日本紀に。クニノカヽスとも訓たる所あれど。其は非訓なり。今もクニカヽスと唱ふるをもて辨ふべし。】さて天懸と申す義は。懸借字にて※[火+玄]《カヽ》すなり。其は大御神石屋に幽居《コモリ》坐し時は。天も國も常闇となれるに。彼御鏡を造りて。招出し奉り(3796)しかば。天も國もR《カヾヤ》き徹《ワタ》れる故に。然稱ふべきものなり。と云れたるが如し。さて此初度(ノ)御鏡は。大御神の御神體《ミタマシロ》の。八咫鏡に副て。皇孫命に授け降し給へる隨に。其八咫鏡と同床に御座しを。崇神天皇の御世に。大御神の御正體を。別處に齋ひ奉り給ふ時に。共に二面の御代を摸造らしめ給ひて。其を禁中に齋き給ひしかば。此時にぞ名草宮に拜祭られ給ひけむ。【記傳。水垣朝に至て。天照大御神の御靈。八咫鏡草薙劔を。豐鋤入日女命に副奉給ひて。鎭座べき地を求めありき給ふ時に。紀伊國名草濱宮に。三年がほど齋祭り給ひしこと。倭姫命世記に見ゆ。此時まで。かの初度の鏡も。天照大御神の御靈に附そへて。齋まつりしを。此名草濱に初度鏡をば留め奉りて。永く彼地に鎭座しめ給ひしなるべし。此日前國懸二大神なり。とあり。系圖纂に引る。紀國造系譜。又社傳記の傳には。これを神武天皇御代の事と爲り。されど此はいと疑はしきことゞもあり。記傳の説によるべし。日前國懸大双紙と云書に。崇神天皇五十一年四月八日に。天照大神日前大神。もろともに。當國琴の浦名草の濱の宮にうつり。河底の岩の上におはします。同五十四年十一月十一日に。天照大神は他國にうつらせ給へども。日前大神は。其まゝとゞまり給ひ。其後垂仁天皇十六年に。河底をはなれ。今の社内にうつらせ給ふ。とあり。栗田寛云。此は慶長の頃に記せる文なれども。古傳によれるものなるべく。將史の缺文を補ふに足れり。と云り。この説記傳によく合へり。證とすべし。】然る尊き由縁の御社なるが故に。伊勢大御神と同じ樣に。神位などの議にも及ばれず。今も二社相並ひて。いと嚴重に立給へり。右國懸神の大略なり。なほ委しきことは。別に初後神鏡考と云書に記しおけり。また神代記日前神の條に云ることゞも。併せ見るべし。さて通證に引る紀俊範説に。日前宮所v祭二座。西爲2日前大神1。東爲2國懸大神1。とあるは二社と爲たる後の事なり。上古には一社に坐々しものなること。上に云るが如し○飛鳥四社。式大和國高市郡坐神社四坐。【名神大】とあり。此社上古には。同郡賀美郷神奈備山に在りしこと。日本紀略に見えたり。この紀に三諸岳。延喜式に飛鳥之神南備山。など見えたる。みな同地にして。今飛鳥川に沿たる雷村に小山あり。此山古へ神岳とも。雷岳とも云り。故又甘南備飛鳥社とも云ること。舊事紀にみえたり。今は飛(3797)鳥村にあり。祭神は諸説とり/”\なれども。大和國神名帳略解に。社家者【和仁古連】説曰。飛鳥神座。第一杵築大己貴命。第二神南火(ノ)飛鳥三日女神。第三上鴨味耜高彦命。第四鴨八重事代主命也。とあり。神代に大穴持命。杵築宮に靜り坐時。御子賀夜奈流美神の御魂を。飛鳥神奈備に坐せて。皇孫命の近き守神と。奉り給ふとある。即此社なり。其賀夜奈流美神は。姫神に坐て。類聚三代格には。賀夜鳴比女と作り。右の社説に。神南火飛鳥(ノ)三日女神とあるも。同神なることは明らかなれど。三日女神と申は。何なる義なることをしらず。【もしくは三日女神は。御姫神の義か。】さて此社。最初は賀夜奈流美命たることは。右の大穴持命の詔にて明らかなれど。後に賀夜奈流美命をば。異處に移し奉れり。即式高市郡賀夜奈留美命神社とある。これなるべし。帳考に。在2栢森《カヘノモリ》村1。今稱2葛《クズ》神1。とあり。それなるべし。さてそれよりしては。事代主神。此社の主神とはなりませるなり。【即元年紀に。吾者高市社所v居名事代主神と詔へる。即此なり。】舊事紀に。車代主神。坐2倭國高市郡高市社1。亦曰2甘南備飛鳥社1。とあるにて知べし。なほこの事は神代紀にも云り。考併すべし。さて此年使を遣し給へるは。事代主神に幣を奉りしなるべし。かくて淳和天皇天長六年三月己丑。神宣に依て。高市郡賀美郷甘南備山社を。同郡鳥形山に遷奉れること。日本紀賂に見えたり。これ即ち今の地なり。この後は。清和紀貞觀元年九月庚申。雨風の御祈の爲に。幣使を奉りしこと見え。延喜の制に至りて。四坐並に名神大社に列り。祈年月次相甞新甞の案上官幣。及祈雨の幣帛に預り給ふこと。式に見えたるが如し○住吉大神。式攝津國住吉郡住吉坐四坐。この社のことは。既に處々に出せり○丙午。八日な(3798)り○戊申。十日なり○藏庸舍屋。通證に。納2庸布1之所とあり○癸丑。十五日なり○甲寅。十六日なり○丁巳。十九曰なり○詔曰。類史免2官物1の下に載たり○貸稻。本に貸を※[人偏+貳]に作れり。今中臣本京極本考本に據る○乙酉年は。客歳なり。
 
 
戊午。改(テ)v元(ヲ)曰2朱鳥元年(ト)1。【朱鳥。此云2阿※[言+可]美苔利1。】
 
戊午。二十二日なり○改元曰朱鳥元年。此年赤雉の出たるを瑞として。改元したまへるなり。其は此紀には洩されたれど。扶桑略記に。白鳳十五年丙戌。大倭國進2赤雉1。仍七月改爲2朱鳥元年1。と記せり。水鏡吾妻鏡等に記せるも。これに同じ。また皇年代記にも。十五年大和國献2赤雉1。仍爲v瑞改元。【皇代記も同じ。】水鏡に。二年白鳳と改元ありて。十五年と申しゝに。大和國より赤き雉を献れり。さて朱鳥元年と。年號をかへられきとあり。【但し歴代皇妃校本に。朱雀元年壬申。白鳳十三年乙酉。朱鳥元年丙戌。とあるは聊異なり。】右の書等にて。改元のこと明らかなり。信友云。前の人々の考に。天武紀の九年と十年と。兩度朱雀の見えたる事あり。それに依り賜へるならむと説へれど。五年六年前の瑞に依りて。今更に改元し給ふべくも思はれず。と云れたるは。さることなり。集解などにしか云れたり○朱鳥此云阿※[言+可]美苔利。此は年號に似つかはしからず聞ゆれど。この天皇は。皇國言を重みし給ひて。かの冠位の號なども。これまではみな。徳仁義禮。あるは織繍紫錦などの。漢言に據て定められたるを。天皇に至りて。明《アカク》淨《キヨク》正《タヽシク》直《ナホキ》云々。などの皇國の古言を以て。(3799)替たまへるを思奉るに。此度の大御心にて。これまでの漢風の年號により給はず。嘉號をむねとして。皇國語もて唱ふべしとの。詔ありけるなるべし。ことに此紀撰給へる御世に近き事なれば。慥なること明らけし。さてそれより及ぼして。大化《オホキニナル》白雉《シラキヾス》などの和名をも唱出給へりけん。【しかるに。此後清輔朝臣の尚齒會序に。承安二年を。うけやすきふたとせと見え。その後の文詞にも。年號をさるさまに書るが。まれ/\見えたるは。いとあるまじき私わざにて。それとは別なりと。信友の云れたる。さることなり。】さて阿※[言+可]美苔痢は。赤御鳥の義にて。鳥を美稱へて。御としもおほせ給へるなるべし。信友云。此天皇の御世には。彼野上の御軍營に。赤雀を奉れるを始にて。紀に載られたるところ。六年十一月。筑紫大宰献2赤烏1云々。是日大2赦天下1。と見えて。殊の外に喜ばせ給へり。又九年の七月と。十年の七月に。朱雀の出たる事も見え。又其後赤雉を献れるによりて。年號を朱鳥と改られたる。書紀を案るに。件の餘にも。種々の異鳥の出たること。度々見えたり。惣て此御世ばかり。異鳥の多く出たる事の。をさ/\聞えぬを思へば。此天皇。殊に鳥を愛給ひける由に因て。自ら異鳥をもてはやして。献たりしなるべし。【中にも御位の十年正月。筑紫大宰貢2三足雀1云々。詔曰。云々朕初登2鴻祚1以來。天瑞非2一二1多至云々。是今當2朕世1。毎年重至云々。と詔ひて。群臣に禄を給ひ。罪人の原免を行給へり。】亦此天皇赤色を重みし給へるにや。彼壬申の時の御旗。軍人の幟《シルシ》にも。赤色を用ゐ給ひたりしも。其御心おきておはしましけるにか。【武郷云。此天皇の赤色を好みし給ひしことは。かの服色も。これまでは紫を上等の色と定め給ひしに。此御世には。朱華《ハネズ》を用ゐ給ひしなども。其(レ)が爲なるべし。これはた漢風の服色に。慣ひ給はぬ大御心にて。いと貴し。】吉野は近江の南に當りて。漢國にて。はやく星象を四方の色に配して。四神と稱つる中に。南を赤色として。朱鳥朱雀など稱へる如き説を。信《タノ》み重みし給へるから。【此天皇。天文遁甲を能し拾ひたりし由見え。又始興2占星臺1と云ふことも見えたり。】鳥の中にも。殊に赤きを愛給ひて。前には赤雀(3800)を奉れるに依て。朱雀の年號を立給ひ。遂にまた朱鳥の年號を建給へるにやありけん。【中間《ナカバ》に。白雉白鳳の年號ありしは。前朝の號をもて。興し給へるなれば別なり。】と云れたるは。さるべき説と聞えたり。
 
 
仍(テ)名(テ)v宮(ヲ)。曰2飛鳥(ノ)淨御原宮1。
 
名宮云々。信友云。宮號の事を。鈴屋翁の古事記傳中の説に。此飛鳥はトブトリノと訓べし。これをアスカと訓は非なり。其故は。朱鳥の祥瑞の出來たるをめで給ひて。年號をも然改め給ひ。大宮の名にも。其朱雀を取て。飛鳥《トブトリ》の云々と名づけ給へるなり。あすかといはむは。本よりの地名なれば。殊更に。仍名v宮曰など云べき由なきを思べし。又云く。大宮の號を。飛鳥云々と云から。其地名にも冠らせ。飛鳥《トブトリ》の明日香と云ひ。終に其枕詞の字を。即(テ)地名にも用ゐて書たるものにて。加須賀を春日と書(ク)例に同じ。といはれたれど。己が考へたる所は。天武紀元年に。是歳營2宮室於崗本宮南1。即(ノ)冬遷以居焉。是謂2飛鳥淨御原宮1。と見え。また二年二月癸未。天皇命2有司1。設2壇場1。即2帝位於飛鳥淨御原宮1。と記されたれば。朱雀元年より前に。宮號は定りたりときこえたり。但しこれは。後に定(メ)給へる宮號を。前に回らして記されたらむとも。云ふべけれど。小野毛人朝臣墓誌に。飛鳥淨御原宮治2天下1天皇朝云々。墓營造。歳次丁丑年十二月上旬葬。と書し。又釆女(ノ)竹良《ツクラ》卿の壽地碑に。飛鳥淨原大朝廷云々。丁丑年十二月二十五日。とも書したるは。共に天武天皇の御世の。六年に記したるものなれば。朱鳥元年(3801)より前《サキ》の大宮の稱《トナヘ》にて。飛鳥は其宮所の地名なること明確なり。かくて其地名の阿須迦を。うちまかせて飛鳥と書く事も。上に擧たる如く。當《ソノ》時の墓誌壽地碑に書たれば。既くより普く世に書なれ來たりけんこと。しるべし。【古事記にも然書て。序に於v姓日下(ヲ)謂2玖沙※[言+可]1。於v名帶字(ヲ)謂2多羅斯1。如v此之類。隨v本不v改。と云へる類の書ざまなり。】さて又又書紀に。改v元曰2朱鳥元年1。仍名v宮曰2飛鳥淨御原宮1。と殊更に擧記されたるは。【仍字かろく見てあるべし。紀中然る用ゐざま多し。また字書に仍重也とも注へり。マタの意に近しともいふべし。】赤き鳥の祥瑞に依て。年號を朱鳥《アカミトリ》と改給ひ。亦地名の阿須迦と呼ぶが。自ら例の赤き鳥の名に偶合《カナヘ》る事をも。おもほししより。【此赤き鳥の事は下に云べし。】再《マタ》更に大宮の易るまじき嘉號と。定(メ)給へるなるべし。と云れたり。【以上信友説】但し飛鳥を。赤き鳥の事と云れたるは。冠辭考の説に據て。阿須迦を。今いすかと云鳥の事にて。其鳥は紅色《アカイロ》なるよしを以。偶合《カナ》へりと云れたる説は。うべなひがたし、これは飛鳥井雅澄が説に。飛鳥の足輕《アシカル》と云意なるを。明日香にいひ屬《カケ》たるものなり。斯と須は同言にて。相通し云る例多し。【萬葉古義】と云る説の方まされり。いすかと云鳥。赤色なるがありとも。赤鳥に取合せて見るは。あまり入ほかなるべし。さて又荒木田久老が。鈴屋翁の説を破して。飛鳥とは。ひとつの鳥をいふことならねば。ひろく飛鳥と云て。朱鳥の事とせむは古意ならず。故書紀の文面を考ふるに。もとは名v宮曰2朱雀淨御原宮1。とありけんを。明日香淨御原と。元來いへるに。明日香に飛鳥の字を書るを見なれたる。後人の心に。朱鳥の字は飛鳥を誤りつるものと。ゆくりなく思ひて。書かへつるものならんと云れたるは。さることのやうなれど。私言なり。大宮の名稱などを。誤字なりとて。かにかくに改むべからず。た(3802)だこゝは大らかに見て。朱鳥元年より前に。宮號は定りたれど。今年號を改められたるによりて。なにとなく宮號にかけて。御世の稱をも。飛鳥淨御原天皇朝と。申すべく定め給へる詔などのありしを。かくは記したるものと見てありぬべし。あまり深く前後を考へすごして。つひにはむつかしき説も出來ぬるなり。また此十字。前に既に見えたれば。こゝは衍ならむとも云人あれど。これまた私の考なり。從ふべからず。
 
 
丙寅。選(テ)2淨行者《オコナヒビト》七十人(ヲ)1。以出家(セシム)。乃設2齋於宮中(ノ)御窟(ノ)院1。是月(ニ)。諸王臣等。爲2天皇1造2觀音(ノ)像(ヲ)1。則説2觀世音經於大官大寺(ニ)1。八月己巳朔。爲2天皇1度2八十僧(ヲ)1。庚午。度2僧尼并(テ)一百(ヲ)1。因以|坐《スヱテ》2百《モヽハシラノ》菩薩(ヲ)於宮中(ニ)1。讀2觀音經二百卷(ヲ)1。丁丑。爲2天皇|體不豫《ミヤマヒノ》1。祈2于神祇1。辛巳。遣(テ)2秦忌寸|石勝《イハカツヲ》1。奉2幣於土左(ノ)大神(ニ)1。是日。皇太子。大津皇子。高市皇子(ニ)。各加2封四百戸1。川島皇子。忍壁皇子。各加2百戸1。癸未。芝基皇子。磯城皇子。各加2二百戸1。己丑。檜隈寺。輕寺。大窪《オホクボ》寺(ニ)。各封2百戸1。限三十年1。辛卯。巨勢寺(ニ)封2二百戸1。
 
 
(3803)丙寅。二十八日なり○宮中御窟院。前文には院を殿とあり。殿は其宮殿を以云ひ。院は其區域を以て稱るにて。同じことなり。古本の訓に。この院をマチとよめり。字に就たる讀なり○觀音像。水戸本には觀世音とあり。大安寺資財帳に。繍菩薩像一帳。右以2丙戌年七月1。奉2爲淨御原御宇天皇。皇后。並皇太子1。奉造請坐者。とあり。此時の事なるべし○庚午。二日なり○觀音經。妙法蓮華經。觀世音菩薩普門品經一卷○丁丑。九日なり○辛巳。十三日なり○土左大神。四年紀に出○皇太子。本に皇(ノ)上天の字あるは衍なり。今中臣本考本に據る○癸未。十五日なり○芝基皇子。磯城皇子。上の朱鳥元年紀に。天智皇子を芝基と書き。天武の皇子を磯城と書るに依て。こゝもしか定むべきか。されど白鳳元年處には。天武の方を芝基と書きたれば。たしかにはいひがたし。この事は既にも云りき○己丑。二十一日なり○檜隈寺。大和志に。高市郡檜隈廢寺。檜前村。故跡今存2十三層石浮圖1。とあり○輕車。同書云。高市郡輕廢寺。在2大歌留村1。屬2東明寺邑1○大窪寺。又云。大窪廢寺。大久保村。故趾尚有2觀音堂1。又有2地名東金堂西金堂1。在2高市郡1○辛卯。二十三日なり○巨勢寺。又云。葛上郡巨勢廢寺。古瀬村礎石尚在。即是。とあり。
 
 
九月戊戌朔辛丑。親王以下逮(ニ)2于諸臣1。悉集2川原寺1。爲2天皇(ノ)病1。誓願云々。丙午。天皇(ノ)病遂不(テ)v差。崩2于|正《オホ》宮1。戊申。始(テ)發哭《ミネタテマツル》。則起2殯(ノ)宮(ヲ)於南(ノ)庭(ニ)1。辛(3804)酉。殯2于南庭(ニ)1。即發哀。當(テ)2是時(ニ)1。大津皇子。謀2反《カタムケムトス》於皇太子(ヲ)1。
 
 
辛丑。四日なり○丙午。九日なり○崩于正宮。こゝに天皇の御寶算を記すへきに。いかにしてかゝる重事を洩したりけん。大日本史云。本書享年闕。一代要記。皇胤紹運録。並曰壽六十五。とあり。なほ右の外にも。正統録。興福寺年代記にも。しか記せり。然るに神皇正統記。如是院年代記。仁壽鏡等には。七十三とあり。六十五とあるに依れば。推古天皇三十年の降誕なり。天智天皇の寶算を。五十八【この事既に云】と見る時は。推古二十二年の降誕にて。此天皇は。天智八歳の御弟なり。かく定むる時は。御父母並に。大友皇子持統の寶算にも。違ふことなきがごとし。七十三とあるに依れば。推古二十二年の降誕なり。かくては天智と御同年なり。【なほ天智の御年によりて。御兄にもあたらせ絵へり。】さればそれは誤なるべし。六十五歳と定め奉るべきなり○戊申。十一日なり○辛酉。二十四日なり○大津皇子。謀反のことは持統紀に出。
 
 
甲子(ノ)平旦《トラノトキ》。諸(ノ)僧尼發2哭(テ)於殯(ノ)庭《ミヤニ》1。乃退之。是日。肇(テ)進奠即誄《シヌビゴトアゲタテマツル》之。第一《ハジメニ》大海宿禰|蒭蒲《アラカマ》。誄2壬生事(ヲ)1。次(ニ)淨大肆伊勢王。誄2諸王(ノ)事1。次(ニ)直大參縣犬養宿禰大伴。總(テ)誄2宮(ノ)内(ノ)事1。次(ニ)淨廣肆河内王。誄2左右大舍人(ノ)事1。次(ニ)直大參當摩眞人國見。誄2左右|兵衛《トネリノ》事1。次直大肆釆女朝臣筑羅。誄2内命婦《ヒメマチギミノ》事1。次直廣肆(3805)紀朝臣眞人。誄2膳職《カシハテノツカサ》事1。乙丑。諸僧尼亦|哭《ミネタテマツル》2於|殯《ミヤノ》庭(ニ)1。
 
 
甲子。二十七日なり○肇進奠。殯庭に移奉りて。諸事備はらざる前は。御饌は奉らぬ例なりしにや。または大津皇子の謀反などにて。怠慢《オコタ》るとはなく。其事のこれまで進り敢ざりしにや。栗田寛は。殯宮に移し奉りてより。肇めて奉れるよしと聞ゆ。と云り〇大海宿禰。通證に。大海與2凡海1同。今按天皇元名大海皇子。則是爲2乳母家1。故誄2壬生事1也。と云り。さて蒭蒲は。續紀大寶元年二月。遣2追大肆凡海宿禰麁鎌于陸奥1。冶v金。とあり○壬生事。御産生の故事なり。仁徳紀七年に云り。しかるに釋紀に。兼方按御封戸(ノ)事也。と云るは非なり。さて某事と云るは。集解に。凡此時制。蓋選2堪v事者1。稱d皇子諸王百官。各守2其職1。以仕c大行u。謂3之某誄2其事1也。と云れたるは言足らず。たゞ其職を守りて。大行に仕奉るのみに非ず。其職々に就て。其古實を述べて。天皇の御前に白し。在し御世をしのひ奉る詞を捧て。仕へ奉るなり。この事既に云り○諸王事は。正親司の故事なり。令。正親司正一人。掌2皇親名籍事1。義解謂。二世以下四世以上名籍。とあり○宮内事は。宮内省の故事なり○左右大舍人事。左右大舍人寮の故事なり○當麻眞人國見。續妃。大寶元年七月壬辰。詔先朝論v功行v封時。賜2當麻眞人國見十一人。各一百戸1。とあり○左右兵衛事。左右兵衛府の故事なり。職員令。左右兵衛府。督一人。掌d※[手偏+僉]2※[手偏+交]兵衛1。分2配閤門1。以v時巡※[手偏+僉]。車駕出入。分2衛前後1。及左右兵衛。名帳門籍事u。○内命婦事。内命婦の故事な(3806)り。令中務省。掌2内外命婦1。義解謂。婦人帶2五位以上1。曰2内命婦1○紀朝臣眞人。日本後紀十三に○常陸守從四位下にて卒よしみえたり○膳職。大膳職の故事なり。職員令。大膳職大夫一人。掌d諸國(ノ)調雜物。及造2庶膳羞1。醢※[草冠/俎]。醤※[豆+支]。未醤。肴菓。雜餅。食料。率2膳部1。供c其事u。とあり〇乙丑。二十八日なり○亦哭於殯庭。例に據に。哭(ノ)上發(ノ)字あるべきなり。
 
 
是日。直大參布勢朝臣御主人。誄2太政官(ノ)事1。次直廣參石上朝臣麻呂。誄2法(ノ)官(ノ)事1。次直大肆大三輪朝臣高市麻呂。誄2理官《ヲサムルツカサノ》事1。次直廣參大伴宿禰安麻呂。誄2大藏事1。次直大肆※[草冠/收]原朝臣大嶋。誄2兵政《ツハモノツカサノ》事1。丙寅。僧尼亦發哀。是日。直廣肆阿倍久努朝臣麻呂。誄2刑官《ウタヘノツカサノ》事1。次直廣肆紀朝臣弓張。誄2民《カキノ》官(ノ)事1。次直廣肆穗積朝臣虫麻呂。誄2諸國《クニ/”\》司(ノ)事1。次大隅阿多隼人。及倭河内(ノ)馬飼部造。各誄之。丁卯。僧尼發哀之。是日。百濟王良虞。代2百濟王善光(ニ)1而誄之。次國々(ノ)造等。隨2參赴《マヰデクルニ》1。各誄之。仍(テ)奏《ツカマツル》2種々(ノ)歌舞1。
 
 
是日。通證云。前(ノ)日誄2禁中事1。次日誄2天下政1。と云れたるか如し○布勢朝臣御主人。持統十年十月。正廣肆大納言阿倍朝臣御主人。とあり。續紀にも。大寶三年四月。右大臣從二位阿倍朝臣御主人薨。とあ(3807)り。補任に本性布勢とあり。持統紀に云べし○太政官事。太政官の故事なり○石上朝臣麻呂。續紀。和銅元年三月。正二位左大臣。養老元年三月薨。帝深悼惜。贈2從一位1云々。泊瀬朝倉朝廷。大連物部目之後。難波朝衛部大華上宇麻古之子也。とあり。天孫本紀にも見えて。淨御原朝御世。賜2石上朝臣姓1。とあり○法官事は。式部省の故事なり○大三輪朝臣高市麻呂。持統に。中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂とあり○理官事は。治部省の故事なり○大藏事は。大藏省の故事なり○兵政官事は○兵部省の故事なり○丙寅。二十九日なり○阿倍久努朝臣麻呂。續紀五。和銅五年十一月に。從三位阿倍宿奈麻呂言。從五位上引田朝臣邇閇云々。從七位下久努朝臣御田次。少初位下長田朝臣太麻呂云々等六人。實是阿倍氏正宗。與2宿奈麻呂1無v異。但縁2居處1。更成2別氏1云々。とあり。かゝれば久努は地名にて。其地名に據て別氏となれるなり。天孫本紀に。物部印岐美連公。久努直祖。とあるとは。もとより異姓なり○刑官事は。刑部省の故事なり。さて本にウタヘノ官と訓。後はウタヘタヾスと稱へり。和名抄に。職員令刑部省宇多倍多々須都加佐。義解訓にウタヘサダムルツカサとあれど。三代實録。貞觀七年三月七日。先是刑部省奏言。承前之例。訓2刑部省1。號2訴訟《ウタヘノ》之司1。夫名不v正。則事不v從。又名(ハ)以召v實。事以放v象。何以2判斷之司1。可v謂2訴訟之司1。請訓2刑部省(ノ)三字1。將v號2判法《ノリコトワル》之司1。至v是有v勅云。宜v號2定(ムル)v訟之司1。とあれば。貞觀以往はウタヘノ司と唱へきことしられたり。なほ此名義の事に付ては。己が考あり。已に云り○民官事は。民部省の故事なり○諸國司事は。諸國司の掌れる故事なり。次に國々造等。隨2(3808)參赴1各誄之。とあれば。これは國司に預れる事にて。國造までにはあづからぬ事と見えたり○大隅阿多隼人のことは。既に云り。其隼人に預れる。古實の事などを云なり〇倭河内馬飼部造の事も。既に云り。此兩氏に預れる故事どもを云なり○丁卯。晦日なりか〇百濟王良虞。善光の子なり。續紀に郎虞に作れり。續紀大寶二年八月。以2從五位上百濟王良虞1。爲2伊豫守1。天平九年七月。散位從四位下百濟王良虞卒。とあり○百濟王善光。續紀に禅廣とあり。已に天智紀に出。この人は百濟義慈王の子にて。兄を豐璋と云ひ。禅光は其弟なり。兄豐璋とゝもに。舒明朝に參來にしを。豐璋は後に高麗に走れり。禅光は皇國に留り在しか。持統朝に百濟王の號を賜はれり。卒る時に正廣參の位を贈らる。さて禅光の長子昌成は。三年に卒りて小紫を贈らる。郎虞は昌成の弟なり。故に今其父善光に代りて。誄を奉れるなり。此人元正朝に從四位下攝津亮たりしこと。續紀に見ゆ。さて百濟王敬福は其少子なり。【通證に。姓氏録右京諸蕃。百濟昌成。從四位下攝津亮郎虞とあれども。姓氏録にはさる文なし。甚しき杜撰なり。】
 
 
日本書紀卷第二十九 終
 
(3809)日本書紀通釋卷之六十九
                   飯田武郷 謹撰
 
日本書紀卷第三十
 
高天原廣野姫天皇  持統天皇
 
此御名は。天下所知看し時の御稱名にはあらず。後の御謚なり。續紀。大寶三年十二月。奉v誄2太上天皇1。謚曰2大倭根子天廣野日女尊1。とあるにてしか知られたり。但し高天原と云ひ。單に天と云とは同じことにて。兩方に稱へ申したりしなるべし○持統は。説文に。持握也。統紀也。とあり。
 
 
高天原廣野姫《タカマノハラヒロノヒメノ》天皇(ハ)。少《ワカキトキノ》名(ハ)※[盧+鳥]野讃良《ウヌノサララノ》皇女。天命開別(ノ)天皇(ノ)第二女(ナリ)也。母曰2遠智《ヲチ》娘(ト)1。【更名(ハ)。美濃津子娘也。】天皇|深沈《シメヤカニシテ》有2大(キナル)度《ノリ》1。天豐財重日|足《タラシ》姫(ノ)天皇(ノ)三年。適《ミアヒテ》2天(ノ)渟中原|瀛《オキノ》眞人(ノ)天皇(ニ)1。爲《ナリタマフ》v妃《ミメト》。雖2帝王女《ミカドノミコト》1。而好(タマヒテ)v禮《ヰヤヲ》節儉《オシヘリタマフ》。有(ス)2母儀徳《オモタルイキホヒ》1。
 
 
少名※[盧+鳥]野讃良皇女。こゝに少名とはあれど。少時のみの御名にはあらで。後までも此御名にて坐(シ)しが如く通えたり。※[盧+鳥]野は欽明紀に。河内國更荒郡※[盧+鳥]※[茲+鳥]野邑とある地なり。天皇の御母越智娘の父。蘇我(3810)石川麻呂の食邑。此に在て。遠智娘其地に住て。天皇も即て此に産坐しなるべし○第二女也。大安寺縁起云。仲(ノ)天皇奏久。妾宅我※[女+夫]等。炊女而《カシキメトシ》奉v造云々とある。仲天皇とは此天皇を申す。天皇の第二女に坐々し御稱なり。古へは姉を大君《オホイギミ》といひ。妹を中(ノ)君といひしかば。自ら天皇を然申奉りしなり。御姉はすなはち大田(ノ)皇女にます。天智紀に見えたり○美濃津子娘。天智紀に云り○爲妃。皇胤紹運録。神皇正統記。一代要記等に據るに。天皇崩年五十八とあり。されば大化元年に生れ給へるにて。妃と爲り給へるは。十三の御年なり。御姉大田皇女とゝもに。妃となり給へるなり○母儀徳とは。天下の母たる。慈重の御徳ましますなり。と考に云り。
 
 
天命開別(ノ)天皇(ノ)元年(ニ)。生《アレマス》2草壁皇子(ノ)尊(ヲ)於大津宮(ニ)1。
 
大津宮。信友云。此大津宮は。齊明五年七月の條の注に載られたる。伊吉連博徳(ノ)書に。呉《クレ》唐《モロコシ》に遣す御使の船の事を。發v自2筑紫大津浦1と見え。また同七年正月。百濟の救軍の爲に。御子等をも誘ひ給ひて幸ませる條に。三槻御船至2于|娜《ナノ》大津1。居2于磐瀬行宮1。天皇改2此名1曰2長津1。七月丁丁巳。天皇崩2于朝倉宮1。天智紀に。同年同月に係て。皇太子遷2居長津宮1。稍聽2水表之軍政1。と見えたる長津宮これなり。皇太子とは。天智天皇の御事にて。即ち御位に備り給へる。御世の始の年頃は。なほ其長津に坐まし。天武天皇は皇子にて。持統天皇は其妃にて。もとより隨行《シタガヒ》おはしましたりけろ趣なれば。草壁(3811)皇子も。其處にて生れさせ給へるにて。その長津宮を。こゝには大津宮と記されたるなり。但し前《サキ》に改2此名1曰2長津1と見え。下文にも長津宮と記されたるに。こゝに舊名をもて記されたるは混はし。或説に。其大津宮を。近江の大津宮なりといへるは。いと疎かなり。さて其娜(ノ)大津。磐瀬。ともに筑前の國内にて。今の博多津わたりの地名と知らるゝ證あり。事長ければこゝには云はず。と云れたる。然る説なり。【なほ齊明紀に云る説考合すべし。】
 
 
十年(ノ)十月。從(テ)2沙門(ノ)天(ノ)渟中原瀛(ノ)眞人(ノ)天皇(ニ)1。入(タマフ)2於吉野(ニ)1。避(タマフ)2朝(ノ)猜忌《ソネミウヤガヒヲ》1。語(ハ)在2天命開別(ノ)天皇(ノ)紀《ミマキニ》1。天渟中原瀛眞人天皇元年夏六月(ニ)。從(テ)2天(ノ)渟中原瀛(ノ)眞人(ノ)天皇(ニ)1。避難(タマフ)2難《ワザハヒヲ》東(ノ)國(ニ)1。鞠《ヤシナヒ》v旅《イクサヲ》會(テ)v衆《モロ/\ヲ》。遂(ニ)與定v謀(ヲ)。廼分(テ)命2敢死者《タケキヒト》數萬(ニ)1。置2諸(ノ)要害《ヌマノ》之地1。秋七月(ニ)。美濃(ノ)軍(ノ)將等。與2大倭(ノ)桀豪《イサヲ》1。共|誅《コロシテ》2大友(ノ)皇子(ヲ)1。傳v首(ヲ)詣2不破宮(ニ)1。二年(ニ)立(テ)爲2皇后1。皇后從v始迄(ニ)v今(ニ)。佐(テ)2天皇(ヲ)1定2天(ノ)下(ヲ)1。毎(ニ)於2侍執之《ツカヘマツリタマフ》際1。輙|言《コト》及(テ)2政事(ニ)1。多v所2※[田+比]補《タスケオギナヒタマフ》1。
 
 
沙門の訓。或本に。イヘデシタマヘル。とあり○大倭桀豪。水戸本に豪桀に作る。壬申紀に。吹負留謂。【兄大伴馬來田は。再吉野方の軍陣に參り。吹負はなほ其大和の家に留れるなり。】立2名于一時1。欲v寧2艱難1。即招2一二族及諸豪傑1。僅得2數十人1云々と(3812)あり。信友云。吹負が吉野方として。功《イソシミ》たりつる事は。次々に見えたり。持統紀に大倭桀豪と記されたるは。もはら此吹負が事ときこゆ。と云り○立爲皇后。當年二十九歳にならせ給へり。【草壁皇子を生給へるは。十八歳の御時なり。】
 
 
朱鳥(ノ)元(ノ)年(ノ)九月の戊戌の朔丙午(ニ)。天(ノ)渟中原瀛(ノ)眞人(ノ)天皇崩。皇后|臨朝稱制《ミカドマツリゴトキコシメス》。
 
丙午。九日なり○臨朝稱制。此時御年四十二歳に成坐り。考云。臨朝稱制とは。未だ天皇位に即給はず。萬機を司り給ふなり。四年の正月に御即位ましますなり。それまでは神功皇后の攝政と同じ樣なり。と云り。【四字。通證に。出2漢書高后紀1。卓氏藻林(ニ)。大后臨v朝。行2天子事1。曰2稱制1と云り】信友云。此時草壁皇子命は。既に皇太子に立(チ)て坐ましたりければ。【是年皇太子御齡二十五。】すなはち御代を嗣がせ給ふべきを。御母皇后持統天皇の嗣がせ給ひけるは。いかなる御事にかと。つら/\推考奉るに。【神皇正統記に。皇子草璧わかくまし/\ければ。皇后朝にのぞみ給ふ。と記されたるは疏なり。】まづその本紀の首に。天皇深沈有2大度1云々。雖2帝王女1。而好v禮節儉。有2母儀徳1云々。從2天渟中原瀛眞人天皇1。避2難東國1。鞠v旅會v衆。遂與定v謀。廼分2命敢死者數萬1。置2諸要害之地1。秋七月云々。誅2大友皇子1云々。二年立爲2皇后1。皇后從v始迄v今。佐2天皇1定2天下1。毎於2侍執之際1。輙言及2政事1。多v所2※[田+比]補1。朱鳥元年云々。皇后臨v朝稱v制。と載られたる。御度量《ミコヽロバセ》御權重《ミイキホヒ》をもて。察《ウカヾ》ひ奉るに。天皇崩給ひて。御世の革れる時《ヲリ》を窺ひて。さきの壬申年の亂に。近江の朝廷に心よせりし輩の。裏《シタノ》心の御心もとなく。又さらぬかたにも。(3813)御世を危ぶみ給ふ事の機もありしなるべく。【天武紀に。八年五月。天皇詔2皇后及草壁皇子尊。大津皇子子。高市皇子。河島皇子。忍壁皇子。芝貴皇子1曰。朕今日與2汝等1。倶盟2于庭1。而千歳之後。欲v無v事。奈之何。皇子等共對曰。理實灼然。則草壁皇子尊。先進盟曰。天神地祇及天皇證也。吾兄弟長幼。并十餘王。各出2于異腹1。然不v別2同異1。隨2天皇勅1。而相扶無v忤。若自今以後。不v如2此盟1者。身命亡之。子孫絶之。1非v妄非v失矣。五皇子以v次相盟如v先。然後天皇曰。朕男等各異腹而生。然今如2一母同産1慈之。則披v襟。抱2其六皇子1。因以盟曰。若違2茲盟1忽亡2朕身1。皇后之盟。且如2天皇1云々。と見えたり。かくて天皇崩後。いくほどもなく。大津皇子皇太子を亡なはむと謀ごちて。誅はれ給へること。紀に載されたるがごとし。】はた前の天智天皇。天武天皇の御世に。始給ひし制《ミサダメ》どもの多かりつるを。いまだ熟《ナレ》行はれがたき事どものありて。萬に御うしろめたく思ほしければ。しばらく御みづから。御政をとらせ給ひ。稜威ゆるびなく治給ひて。後に皇太子を。御位に即け奉り給はむとの。御|慮《コヽロ》なりしなるべし。さるは天武紀に。天皇御病おもらせ給ひける時。天下之事不v問2大小1。悉啓2于皇太后及皇太子1。と遺詔《ノリオキ》給へることの見えたるも。深く御世を危ぶみ。おもほしめしけるが故なり。故崩給へる後は。もはら皇太后の御計らひにてそ。治め給ひたりけむ。と云れたるは。まことに然る説と聞えたり。
 
 
冬十月戊辰朔己巳。皇子大津。謀反發覺《ミカドカタブケムコトアラハレヌ》。逮2捕(フ)皇子大津(ヲ)1。并(テ)捕d爲2皇子大津1|所2※[言+圭]誤《アザムカレタル》1。直廣肆八口朝臣|音橿《オトカシ》。小山下壹伎(ノ)連|博徳《ハカトコト》。與2大舍人中臣(ノ)朝臣|臣《オム》麻呂。巨勢朝臣|多益須《タヤカス》。新羅(ノ)沙門行心。及|帳内《トネリ》礪杵《トキノ》道作等1。三十餘人(ヲ)u。
 
 
(3814)己巳。二日なり○謀反發覺。この謀反を告しは。河島皇子なり。懷風藻云。河島皇子。始與2大津皇子1。爲2莫逆之契1。及2津謀逆1。島則告v變。とあり○八口朝臣。姓氏録左京皇別。箭口朝臣。宗我石川宿禰四世孫。稻目宿禰之後也。とあり。三代實録も同じ。八口は地名。天武紀上に出。氏人は。續紀二十五。箭口朝臣眞弟。三代實録三十二。箭口朝臣岑業。賜2宗岳朝臣1。とあり○中臣朝臣臣麻呂。大中臣系圖に。可多能※[示+古]大連公之子國子。國子之子國足。國足之子臣麻呂なり。【補任も同じ。】意美麻呂とも作《ア》り。不比等と同く。可多能子の曾孫なり。さて臣麻呂の子。前右大臣大中臣清麻呂なり。續紀和銅四年閏六月。中納言正四位上兼神祇伯中臣朝臣意美麻呂卒。とあり〇巨勢朝臣多益須。三年六月に。拜2撰善言司1。とあり。此人文才ありしと見えたり。懷風藻に詩あり。卒年四十八とあり。續紀和銅三年六月。太宰大貳從四位上巨勢朝臣多益須卒。とあり○新羅沙門行心。詳ならず○帳内。親王の舍人を云。帳内の事既に云り。軍防令及續紀五にあり○礪杵は。系詳ならず。地名に據れる姓なるべし。氏人は。續後紀八。刀岐直雄貞。文徳紀に。上總少目刀伎直雄貞。陰陽博士門人等。賜2姓滋岳朝臣1。清和紀に。左京人刀伎直永繼等。賜2滋岳朝臣1。などあり。外記日記に。朱雀帝時。暦博士刀伎直淨濱あり。礪杵刀伎同じ。みな此族なるべし。
 
 
庚午。賜2死《ミマカラシム》皇子大津(ヲ)於|譯語田舍《ヲサダノイヘニ》1。時年二十四。妃皇女《ミメヒメミコ》山(ノ)邊。被髪《カミクダシミダシ》徒跣《スアシニシテ》。(3815)奔赴《ユキテ》殉《トモニシヌ》焉。見者皆|歔欷《ナゲク》。皇子大津。天(ノ)渟中原瀛眞人(ノ)天皇(ノ)第三子也。容止《ミカホ》墻岸《タカクサガシクテ》。音辭俊朗《ミコトバスグレアキラカナリ》。爲2天命開別(ノ)天皇1所v愛《メグマレタテマツリタマフ》。及v長(ニ)辨《ワイ/\シクテ》有2才學《カド》1。尤|愛《コノム》2文筆《フミツクルコトヲ》1詩賦之|興《オコリ》。自2大津1始(レリ)也。丙申詔(テ)曰。皇子大津(ノ)謀反。※[言+圭]誤《アザムカレタル》吏《ツカサ》民《オホミタカラ》帳内《トネリ》不v得v已(コトヲ)。今皇子大津已(ニ)滅。從(シ)者《モノドモ》。當(ニ)坐《カヽリシ》2皇子大津1者。皆赦(セ)之。但礪杵道作(ハ)。流2伊豆(ニ)1。又詔曰。新羅(ノ)沙門行心。與《クミセレドモ》2皇子大津(ノ)謀反(ニ)1。朕不v忍2加法《ツミスルニ》1。徙2飛騨(ノ)國(ノ)伽藍《テラニ》1。
 
 
庚午は。三日なり○賜死。懷風藻云。大津皇子。淨御原帝之長子也。状貌魁梧。器宇俊遠。幼年好v學。博覧而能屬v文。及v壯愛v武多力。能撃v劔。性頗放蕩。不v拘2法度1。降v節禮v士。由v是人附託。時有2新羅僧行心1。解2天文卜筮1。語2皇子1曰。太子骨法。不2是人臣之相1。以v此久在2下位1。恐不v全v身。因進2逆謀1。迷2此※[言+圭]誤1。遂圖2不軌1。嗚呼惜哉。臨v終一絶。金烏臨2西舍1。鼓聲催2短命1。泉路無2賓主1。此夕誰家向。とあり。また萬葉三に。大津皇子被v死之時。磐余(ノ)池陂流v涕御作歌。百傳《モヽヅタフ》。磐余池爾《イハレノイケニ》。鳴鴨乎《ナクカモヲ》。今日耳見哉《ケフノミミテヤ》。雲隱去牟《クモガクリナム》。右藤原宮朱鳥元年冬十月。とあり○譯語田舍。式大和國城上郡他田坐天照御魂神社あり。此地の事は既に云り。さて此地に。皇子の舍《イヘ》はありしなりけり。其舍より飛鳥の京に召され給ひし道路すが(3816)ら。十市郡磐余池にて。御歌をば詠給ひしなり。もしくは其池のほとりにて。殺され給ひしにもあるべし。さて其御屍は。葛城山に葬めたりしこと。これも萬葉二に。移2葬大津皇子屍於葛城二上山1。とあるにて知られたり。やがて御墓は。大和志に。皇子墓在2葛下郡二上山二上神社東1。とあり○皇女山邊は。天智皇女にして。赤兄女常陸娘所生なり。天智紀に見えたり○被髪徒跣は。總て取繕はぬ状を申す。其形貌推知すべし○第三子也。懷風藻には長子とあれど。こゝには第三子とある異なり。然るに。續紀天平十七年十一月。舍人親王薨云々。天渟中原瀛眞人天皇之第三皇子也。とあるにも合はず。今補任を按るに。舍人親王薨年六十とあるに據れば。天武天皇白鳳五年丙子に生れ給へり。大津皇子。朱鳥元年に薨年二十四とあれば。天智天皇三年甲子に生れ給へり。親王に長ずること十二年なり。詳ならぬ事なり○容止墻岸。文選三國名臣賛にあり○詩賦之興自大津始。かくあれども。皇國にて詩賦の興は。なほ大友皇子なるべきよし。信友が説に。今昔物語に。大友御子と申御(シ)ましけり。心に智り有て。才賢かりけり。文道を好み給ひけり。詩賦を造る事は。此御子の時よりぞ始りける。とあり。持統紀に。自2大津1始也と記されつれど。大友皇子の崩絵へる壬申年に。大津息子は。わづかに九歳にておはしければ。大友皇子よりは。後れてものし給へるなり。と云り。さもあるべし。さるは懷風藻に。大友皇子の傳を記して。皇子博學多通云々。下v筆成v章。出v言爲v論。時議者歎2其洪學1。未v幾文藻日新云々。とありて。皇子の詩を載たり。目録にも。略以2時代1相次。不d以2尊卑1等級u。といひて。淡海朝(3817)皇子の詩を卷首に載せ。次に河島皇子大津皇子と次第たり。されば時代を以ても。大友皇子の方を先とせしなり。されど大友皇子は。半途にして既く世を逝まし。大津皇子これに繼て。盛に其事を興し給ひしかば。其盛なるに就て。自2大津1始と記しゝなるべし。【通證に。詩賦之興を。感興之謂と注したるは誤なり。】古今集序にも。自3大津皇子之初作2詩賦1。詞人才子慕v風繼v塵。移2彼漢家之字1。化2我日域之俗1。とあり。この紀に依て記されたるものなり○丙申。二十九日なり○徙飛騨。本に徙を徒に作る。今考本集解に據る。【通證には。本のまゝにて。今按還俗斷罪事。見2續紀以下史1。蓋國家之制他。と解れたり。されど。ここは徒にはあるべからじ。不v忍v加v注と詔へるに據るに。たゞに其身を徙せしまでなるべし。】
 
 
十一月丁酉(ノ)朔壬子。奉2伊勢(ノ)神祠(ニ)1。皇女大來。還(テ)至2京師《ミヤコニ》1。癸丑地震。
 
壬子。十六日なり○大來。天武紀に。天皇太田皇女を納て。大來皇女大津皇子を生給ふよし見えたり。さて此皇女。伊勢神宮に坐々しかば。其縁を以て。大津皇子御位に即給はむことを。祈申しに參詣《マウデ》給ひしこともありて。萬集二に。大津皇子竊下2於伊勢神宮1。上來時。大伯皇女御作歌。吾勢枯乎《ワガセコヲ》。倭邊遣登《ヤマトヘヤルト》。深夜深而《サヨフケテ》。鷄鳴露爾《アカトキツユニ》。吾立所霑之《ワレタチヌレシ》。』二人行杼《フタリユケド》。去過難寸《ユキスギガタキ》。秋山乎《アキヤマヲ》。如何君之《イカデカキミガ》。獨越武《ヒトリコエナム》。』と作給ひし御歌あり。この大伯と申すも大來なり。御同母に坐しかば。いと親しき御間にて。共にかゝる御祈をも爲し給ひしなり。竊下とあるにても。御心を合せて坐々しこと知られたり。さて今此皇女の京師に還《カヘリ》至坐るは。其事發覺れて。皇子も刑せられ給ひしかば。皇女も齋宮を罷られたまひしなりけり。此時の(3818)御事も。萬葉二に。大津皇子薨之後。大來皇女。從2伊勢齋宮1上京之時。御作歌二首。神風之《カムカゼノ》。伊勢能國爾母《イセノクニニモ》。有益乎《アラマシヲ》。奈何可來計武《ナニシカキケム》。君毛不有國《キミモアラナクニ》。』欲見《ミマクホリ》。吾爲君毛《ワカスルキミモ》。不有爾《アラナクニ》。奈何可來計武《ナニシカキケム》。馬疲爾《ウマツカルヽニ》。』また移2葬大津皇子屍於葛城二上山1之時。大來皇女哀傷御作歌二首。宇都曾見乃《ウツソミノ》。人爾有吾哉《ヒトナルワレヤ》。從明日者《アスヨリハ》。二上山乎《フタガミヤマヲ》。弟世登吾將見《イモセトワレミム》。』磯之於爾《イソノウヘニ》。生流馬醉木乎《オフルアシビヲ》。手折目杼《タヲラメド》。令視倍吉君之《ミスベキキミガ》。在常不言爾《アリトイハナクニ》。』とあり。但しこの磯之於爾の御歌の本注に。右一首。今案不v似2移葬之歌1。蓋疑從2伊勢神宮1還v京之時。路上見2花盛1。傷哀咽作2此歌1乎。とあり。これは十一月の事なれば。路上花盛を見給ふ可き時節にあらず。これは後に。翌年の春など御墓に詣でゝ。詠給ひしにもあるべし。いづれもあはれなる御歌どもなり。さて續紀文武元年十二月。大伯内親王薨とあり○癸丑。十七日なり。
 
 
十二月(ノ)丁卯朔乙酉。奉2爲(ニ)天渟中原瀛眞人(ノ)天皇1。設2無v遮《カギリ》大會《ヲガミヲ》於五(ノ)寺。大官。飛鳥。川i原。小墾田(ノ)豐浦。坂田(ニ)1。壬辰。賜2京師《ミヤサトノ》孤獨《ヒトリヒト》高年《トシタカキニ》布帛1。各有v差。閏十二月(ニ)。筑紫(ノ)大宰献(レリ)2三韓國高麗百濟新羅(ノ)百姓男女。并(テ)僧尼六十二人1。是歳。蛇《ヲロチ》犬|相交《ツルメリ》。俄而倶死。
 
 
乙酉。十九日なり。類史無遮會に入れり○無遮大會。通證云。見2西域記1。南史梁紀(ニ)。設2四部(ノ)無遮大會1。(3819)道俗五萬餘人。とあり。績紀十六。設2無遮大會於大安殿1焉○大官は。大官大寺これなり。【本に官を宮に作るは誤なり。今釋記に據る。】釋紀私記曰。師説大官係2飛鳥1。とあるは誤なり。さて大官寺のことは既に云り。其寺をまた飛鳥寺とも云へることなし。通證に。愚按大官(ハ)寺(ノ)名。疑五當v作v六。と云るは。次なる小墾田豐浦を。二寺と見られたるにて。これも誤なり○飛鳥は。法興寺なり。既に出○川原。弘福寺なり。二年三月紀に出○小墾田(ノ)豐浦。これ一寺なり。集解云。按大和志。高市郡廣嚴寺。在2豐浦村1。故又名2豐浦寺1。此謂2小墾田(ノ)豐浦1者。推古天皇之宮。稱2小墾田宮1。在2豐浦村1。故知2兩名併稱1焉。と云るはさることなり。なほ豐浦寺の事は。崇峻紀に委く云り。見合すべし○壬辰は。二十六日なり○孤獨の訓。倭名抄人倫部孤子。四聲字苑云。孤美奈之古。少無2父母1也。とあるに據て訓べし。或説に。俗に近親をミヨリと云へれば。其意なるべし。と云り。令義解に。十六已下而無v父爲v孤とあり。獨は倭名抄になし。令義解に。六十一以上而無v子爲v獨とあり〇三韓國。本に韓字なし。今水戸本に據る○交。和名抄。遊牝。日本紀私記云。豆流比。とあり。同言なり。
 
 
元年春正月丙寅朔(ニ)。皇太子率2公卿百寮人等(ヲ)1。適《マウデマシ》2殯宮(ニ)1而|慟哭《ミネタテマツル》焉。納言《モノマヲスツカサ》布勢朝臣|御主人《ミヌシ》誄之《シノヒゴトタテマツル》。禮也《ヰヤナリ》。誄畢(テ)。衆庶《モロ/\》發哀《ミネタテマツル》。次(ニ)梵衆《ホウシドモ》發哀。於是|奉膳《ウチノカシハデノツカサノカミ》紀朝臣眞人等奉v奠《ミケ》。々畢(テ)膳部采女等發哀。樂官《ウタマヒノツカサ》奏v樂《ツカウマツル》。
 
 
(3820)元年。信友云。朱鳥元年【丙戌】の九月に。天武天皇崩給ひにければ。其年號は。此年のみに係て。明る丁亥年。持統天皇の御世の始を。たゞに元年と記されて。年號はあらず。しかるに其天武天皇の朱鳥元年を。改給はずして。持統天皇の御世かけて。尚其年次を用給ひたりけむ。ときこゆる證どものあるを論ふべし。其はまづ近江國蒲生郡小野村に。西宮と稱ふ祠の境内より探出したる。鬼室集斯墓と彫れる。いと古き碑の右の横面に。朱鳥三年戊子十一月八日※[歿の旁が且]と彫たり。この朱鳥三年戊子。すなはち持統天皇の二年に當れり。また靈異記に。故中納言從三位大神高市萬侶卿者。大后天皇時忠臣也。有(リテ)v紀(ニ)曰。朱鳥七年壬辰二月云々。といへり。件の有v紀曰といへる事は。すなはち持統紀六年二月丁未乙卯。三月戊辰等の條に記されたる事を。然記せるは。丁亥を元年には立られず。なほ朱鳥の年號の年次を。用給へる趣なり。紹運録紹運要略等の。草壁皇子の譜に。朱鳥四年四月薨とあるも。持統紀三年に載られて。これも同じ年立なり。また新古今集に。朱鳥五年九月。紀伊國行幸の時。河島皇子。白浪の濱松が枝の手向ぐさ云々。と題されたる。朱鳥五年云々の事は。持統紀に四年九月丁亥。天皇幸2紀伊1。と載られたる度の事にて。萬葉集藤原宮御宇天皇代の部に。幸2于紀伊國1時。川島皇子御作歌云々。と同歌を載たる。これなり。件の朱鳥五年も。同じ年立をもて記されたるなり。其ほか大鏡裏書。愚管抄なる皇帝年代記。また皇年代略紀。師光(ノ)年中行事等にも。同じ定に記せり。これも同じ傳に據れるものなり。【但し皇年代略記に。又一説を載て。朱鳥二年丁亥。受禅不2改元1。至2八年甲午1。とあり。此八年と書るは。持統天皇の御世の年立をもていへるにて。年號の年次にては九年なるを。此は注しざまのわろきにて。實は異説にはあらぬを。心得かねて。一(3821)説として書加へたるなり。】然れば。靈異紀に有v紀曰云々とは。日本紀に因りて記せる由なれば。舊本には然ありけるを。後に改刪せられたるものなるべし。と云れたるは。さることなれども。なほ朝廷にては。此年を以改v元給ひしものとすべし。【後に改刪られしものとは見えず。】其は大日本史に。按愚管抄皇代略記(ノ)書。天武崩後。猶存2朱鳥年號1者七年。本書以2今年1爲2元年1。不v繋2朱鳥1。而天皇以2四年庚寅即位年1。爲2元年1。然八年三月詔曰。粤以2七年歳次癸巳1云々。據2此文1。則當時以2是歳1紀v元明矣。と云れたるは。たしかなる本紀中の證なり。從ふべし。【されど。此頃は。朝廷と民間とは。かく二樣に書しゝものなるは疑なし。一方になづむべからず。】○納言のことは。既に云り。さて集解に。公卿補任曰。一本伸2中納言1。當v從。と云り。此はまことにさることゝ通えたり。たゞ納言とのみ云る例は。天武紀九年七月納言舍人王あり。中約言のことは下文に出たれば。其處に云べし○御主人の訓は。よからず。ミヌシとよむべし。ミロシのロは。ミアロシと訓誤りしなるべし〇奉膳は。令内膳司。奉膳二人。掌d總2知御膳1。進食先甞事u。倭名抄。内膳司。宇知乃加之波天乃官。また長官。内膳司曰2奉膳1。とあり。奉膳の事は既に安閑紀に云おけり○紀朝臣。本に紀を乳に誤れり。今中臣本考本に據る。この人前に出○膳部釆女。令内膳司。膳部四十人。掌v造2御膳1○釆女。禁秘鈔に。陪膳釆女。尤可v然事也。とあり○樂官。本に官を宮に誤る。倭名抄に。雅樂寮。宇多末比乃豆加佐。とあり。
 
 
庚午。皇太子率(テ)2公卿百寮(ノ)人等(ヲ)1。適2殯宮(ニ)1而慟哭焉。梵衆隨而發哀。庚辰。(3822)賜d京師《ミサトノ》年自2八十1以上。及|篤※[病垂/隆]《ヤマヒビト・アツヒト》貧不能自存者《マヅシクシテワタラフコトアタハヌモノニ》※[糸+施の旁]緜u。各有v差。甲申。使3直廣肆田中朝臣|法《ノリ》麻呂。與2追大貳守(ノ)君|苅《カリ》田等1。使《ツカハシテ》2於新羅(ニ)1。赴《ツゲシム》2天皇(ノ)喪(ヲ)1。三月乙丑朔己卯。以2投化《オノヅカラマヰオモブケル》高麗五十六人1。居2于常陸國(ニ)1。賦《タマヒ》v田|受《タマヒ》v稟《カテ》。使v安《ヤスラカナラ》2生業《ナリハヒ》1。甲申。以(テ)2華縵《カツラヲ》1。進2于殯(ノ)宮(ニ)1。此(ヲ)曰2御蔭1。是日。丹比(ノ)眞人麻呂誄之。禮|也《ナリ》。丙戌。以(テ)2投化新羅人十四人(ヲ)1。居2于下毛野(ノ)國(ニ)1。賦《タマヒ》v田受v稟。使v安2生業《ナリハヒ》1。
 
 
庚午。五日なり○篤※[病垂/隆]の訓。ヤマヒビトはこともなし。アツヒト。一本にアツコビトとあり。【四年紀にも。しかよめり。】雄略紀にアツエと訓り。言義は詳ならず○不能自存者云々。戸令。年八十及篤疾。給2侍一人1。又云。貧窮老疾。不v能2自存1者。令2近親收養1。○甲申は。十九日なり〇田中朝臣法麻呂。三年八月に。伊豫總領とあり。續紀文武三年に。直大肆とあり。卒年見えず○守君。天智紀に出〇使於新羅。通證に。考2上下文1。使當v作v遣。と云り。新羅は神文王の七年なり。但し北野本には。この使字なし○己卯は。十五日なり○高麗の下。京極本人字あり○賦田受稟。字書に賦(ハ)給與也。稟賜v穀也。とあり。さて正字通に。稟俗稟字とあり。水戸本には。受を授に作れり○甲申は。二十日なり○華縵。孝謙紀天平勝寶七年に(3823)出。考證。花縵(ノ)縵(ハ)即鬘字。見2天平十九年五月考證1。慧琳音義云。花鬘(ハ)西國人嚴v身之具也。梵語云2麼羅1。此譯爲2花鬘1。とあり。【本に縵を漫に作る。今秘閣本及下文に據て縵に改む。】或人云。是を華鬘。又華蔓など書て。ケマンと云り。佛より出たり。圖書式最勝會佛器中に。花蔓代三十枚と見えたりと云り。【けまむの事は。中古の物語書にも。あまた見えたり。】今按に。此もの御蔭と稱するを思へば。佛家に云へる華鬘にはあらじ。ハナカツラと訓べし。内藏寮式に。大神祭に忍冬(ノ)花鬘。萬葉に。柳の鬘。櫻花の鬘。早稻穗《ワサホノ》鬘あり。又|百合《ユリノ》花鬘を客に贈る歌あり。後撰集に。鬘料に菊花を人に乞ふ文あり。これらみな花鬘なる證なり。こゝなるも。時の花を以。麗しく作りなせる縵を。進りしなるべし。なほ次に云○御蔭。鬘を蔭と云ること。大甞祭式に。親王以下女孺以上。皆日蔭鬘。萬葉十九。新甞會時歌。足日木乃。夜麻之多日影。可豆良家流。宇倍爾也左良爾。梅乎之奴波牟。とある日蔭は。御蔭と同じ。皆鬘を蔭と謂ふ例なり。日も御も美稱なり。なほ神賀詞に。天之|美賀秘《みかげ》【秘は氣また稽なるべし。】冠利天。播磨風土記。飾磨郡|安相《アサカ》里條。品太天皇。於2但馬1巡行之時。縁道不v撤2御冠《ミカゲ》1。故號2陰山前《カゲヤマザキ》1。又神崎郡陰山里條。品太天皇御|蔭《カゲ》墮2此山1。故曰2蔭山1云々。【此御蔭即御鬘なるべし。神賀詞に云るは。伊都幣《イツヌサ》を鬘として。天之御冠とは云しなるべし。】とあるにていよ/\慥かなり。また萬葉二。天智天皇崩御之時。倭姫大后御歌に。人者縱《ヒトハヨシ》。念息登母《オモヒヤムトモ》。玉縵《タマカヅラ》。影爾所見乍《カゲニミエツヽ》。不所忘鴨《ワスラエヌカモ》。とあるは。思ふに天智帝(ノ)殯宮に。花縵を進れる【華縵を美て。玉縵と云るなり。】事なりしを。即て天皇の御影によそへて。詠給へるにもあるべし。これらの事を以て。華鬘の佛器に非ることを知るべし○誄之禮也は。殯宮に華縵を進りて誄するは。上古の式と見えたり。故に禮也とは書るな(3824)り○丙戌。二十二日なり○新羅人。中臣本に人字なし。
 
 
夏四月甲午朔癸卯。筑紫大宰。献2役化新羅(ノ)僧尼。及百姓男女二十二人1。居2于武藏國1。賦v田受(テ)v稟。使v安2生業1。五月(ノ)甲子朔乙酉。皇太子率(テ)2公卿百寮(ノ)人等(ヲ)1。適(テ)2殯宮(ニ)1而|慟哭《ミネタテマツル》焉。於是隼人大隅阿多|魁帥《イサヲ》。各|領《ヒキヰテ》2己(ガ)衆《トモガラヲ》1。互《タガヒニ》進(テ)誄焉。六月(ノ)癸巳朔庚申。赦2罪人(ヲ)1。
 
 
癸卯は。十日なり○居于武藏國。下文四年紀。二月以2歸化新羅韓奈麻許滿等十二人1。居2于武藏國1。とあり。續紀。天平五年六月。武藏國埼玉郡。新羅人徳師等。男女五十三人。依v請爲2金姓1。と云ことあり。金姓は新羅國姓なり。【東國通鑑等に見えたり。今も朝鮮國に金姓なる人多し。】萬葉に。大伴旅人卿資人に。金(ノ)明軍と云人あるなど。此族なり。さて此後も。續紀寶字二年八月。歸化新羅僧三十二人。尼二人。男十九人。女二十一人。移2武藏國閑地1。於是始置2新羅郡1焉。四年四月。置2歸化新羅一百三十人於武藏國1。などあり○乙酉。二十二日なり○庚申。二十八日なり。
 
 
秋七月(ノ)癸亥朔甲子。詔曰。凡|負債者《モノヽカヒオヘルモノ》。自2乙酉(ノ)年1以前(ノ)物(ハ)。莫v収《トルコト》v利《コノシロ》也。若既(ニ)※[人偏+殳]《ツカヘラバ》v身(ヲ)者。不v得v※[人偏+殳]《ツカフコトヲ》v利《コノシロニ》。辛未。賞2賜《モノタマフ》隼人大隅阿多||魁帥《イサヲ》等三百三十七(3825)人(ニ)1。各有v差。八月壬辰朔丙申。甞2于殯(ノ)宮(ニ)1。此日|御《タテマツル》2青飯《ヒシキオホノ》1也。丁酉。京城《ミサトノ》耆老《オキナヒト》男女。皆臨(テ)慟2哭《ミネタテマツル》於橋(ノ)西(ニ)1。己未。天皇使(テ)2直大肆藤原(ノ)朝臣大嶋。直大肆黄書(ノ)連大伴(ヲ)1。請2集《マセツドヘテ》三百(ノ)龍象大徳《オコシキホフシ》等於飛鳥(ノ)寺(ニ)1。奉2施《オクリタテマツリタマフ》袈裟人別一|領《ツ》1。曰。此(ハ)以2天(ノ)渟中原瀛(ノ)眞人天皇(ノ)御服《オホミソヲ》1。所2縫作1也。詔(ノ)詞|酸刻《カラクイタシ》。不v可2具(ニ)陳1。
 
 
甲子。二日なり○負債者。本に債を倩に作る。今秘閣本。中臣本。通證引(ク)一本に據る。字書に。債責通とあり。令義解に。債負(ハ)謂。徴v財曰v債也。受v貸不v償曰v負也。とあり。言(ノ)意は。物之代《モノノカヒ》なり。物の代を贖はずして。我身に負へるを。モノヽカヒオヘルと云なり○乙酉年は。天武天皇十四年にて。三年前なり○利。通證に。利(ハ)息也。故訓爲2子代1也。俗語得v利産v子。同稱2末宇久留1。儲副儲蓄之意。而生産之道相同耳。と云り。コノシロの訓。此をおきてものに見えず○辛未。九日なり○各有差。本に各(ノ)下各字あり。衍なり。中臣本考本等になし。削るべし○丙申。五日なり○甞は。奠に同じ。これを甞2新穀1と云る注は非なり○御青飯。通證に。據v訓則雜2鹿尾菜(ヲ)1之飯歟。倭名抄。鹿尾菜和名比須木毛。古者清供專用v之。見2物語草紙1。と云れたれど然らず。重胤云。雜2鹿尾菜1之飯歟と注るは。然る事ながら。今一にアヲキオモノとも訓來たれば。青飯なりしからに。其をヒジキの御物と云て。殯宮より外には。奉らざる物なりしか。但其製樣の如きは。今知べからずと云り。さるは喪葬令集解に。古記を引て云(3826)る。生目天皇の※[蘖の木が子]《ミコ》。圓目《ツブラメ》王の妻。伊賀(ノ)比自支和氣之女か。殯斂の事を司れる事を云て。凡天皇崩時。比自支和氣等。到2殯所1。供2奉其事1云々。の事ありしによりて。【この事。通釋十五の附録に。全文を引て委云り。】御世々々の殯宮に奉れる御飯を。比自支飯《ヒジキオモノ》と名けられたるなるべし。此事は栗田寛も。葬禮私考に云ひおけり○丁酉。六日なり○己未。二十八日なり。類史施物僧下に。元年八月壬辰朔丙申とあれど。紀に丙申(ノ)日施物の事なし。而るに己未の日奉施の事みゆ。干支の誤か○龍象の訓。綏靖紀に出。智度論に。龍象言2其力大1とあり○大徳。釋氏要覧。大徳。智度論曰。梵語娑禮※[こざと+施の旁]。秦言大徳云々○奉施は。下文にも處々にあり〇按に奉施は。佛語に因て其儘に書るものなるべし。施するを奉捨と云るも是か。訓は奉字に付(ケ)たる非讀なり○酸刻。本に刻を割に作る。今考本釋紀に據る。刻(ハ)痛也割也とも。字書にあれど。なほ刻(ノ)字なるべし。
 
 
九月壬戌(ノ)朔庚午。設2國忌齋《ハテノミヲガミヲ》於京師(ノ)諸寺(ニ)1。辛未。設2齋(ヲ)於殯(ノ)宮(ニ)1。甲申。新羅遣(テ)2王子金霜林。級※[にすい+食]金薩|※[莫/手]《モ》。及級※[にすい+食]|金仁述《コムニシユツ》。大舍《タサ》蘇陽信等(ヲ)1。奏2請國政(ヲ)1。且献2調賦1。學問《モノナラフ》僧智隆附(テ)而至(レリ)焉。筑紫(ノ)大宰。便告2天皇(ノ)崩(ヲ)於霜林等1。即日。霜林等皆著(テ)2喪服《アサノキヌ》1。東(ニ)向(テ)三拜(テ)。三發哭焉。冬十月(ノ)辛卯(ノ)朔壬子。皇太子率2公(3827)卿百寮(ノ)人等。并(テ)諸國司國造。及百姓男女1。始(テ)築2大内《オホチノ》陵(ヲ)1。十二月辛卯朔庚子。以(テ)2直廣參路(ノ)眞人迹見(ヲ)1。爲d饗(タマフ)2新羅|客《ヒト》1勅使u。是年也太歳丁亥。
 
 
庚午は。九日なり○國忌。令(ノ)本注に。國忌謂2先皇崩日1。依2別式1。合2廢務1者。とあり。天武帝前年九月九日に崩。則是周忌(ノ)會也。これを中古の文に。はての日。はての事など云り。歌に。何をか今日をはてとはいふらむ。などもよみて。最終の義なり○辛未。十日なり○設齋於殯宮。萬葉二に。此時天皇の御歌を載せて。八年九月九日。奉2爲御齋會1之夜。夢裏習賜御歌。明日香能《アスカノ》。清御原乃宮爾《キヨミハラノミヤニ》。天下所知食之《アメノシタシロシメシシ》。八隅知之《ヤスミシシ》。吾大王《ワガオホキミ》。高照《タカヒカル》。日之皇子《ヒノミコ》。何方爾《イカサマニ》。所念食可《オモホシメセカ》。神風乃《カムカゼノ》。伊勢能國者《イセノクニハ》。奥津藻毛《オキツモモモ》。靡足波爾《ナビキシナミニ》。鹽氣能味《シホケノミ》。香乎禮流國爾《カヲレルクニニ》。味凝《ウマゴリ》。文爾乏寸《アヤニトモシキ》。高照日之御子《タカヒカルヒノミコ》。とあり。習賜は誦賜かと云り。さては何となく。天皇の夢裏に。誦《トナ》へ賜へる御歌の義となるべし。【又或説には。本のまゝにて。ナラヒタマフと訓べしとも云り。さらば一句々々に。御つゞしり習ひ給ひて。一歌と成れるを云か。さだめがたし。さて此御歌の解は已に云り。】○甲申。二十三日なり○大内陵。下に註す○庚子。十日なり○新羅客勅使。本に客字なし。今考本集解に據る○太歳丁亥。年代紀を考るに。此歳唐中宗嗣聖四年に當れり。
 
 
二年春正月庚辛朔。皇太子率(テ)2公卿百寮(ノ)人等(ヲ)1。適《マウデ》2殯(ノ)宮(ニ)1而慟哭焉。辛酉。梵衆發2哀於殯宮(ニ)1。丁卯。設2無(キ)v遮《カギリ》大會(ヲ)於藥師寺(ニ)1。壬午。以(テ)2天皇(ノ)崩(コトヲ)1。奉2宣(3828)新羅金霜林等(ニ)1。金霜林等。乃三發哭。二月(ノ)庚寅(ノ)朔辛卯。大宰献2新羅(ノ)調賦。金銀。絹布《カトリ》。皮。銅鐵之類。十餘物《トクサアマリヲ》1。并(テ)別(ニ)所(ノ)v献。佛(ノ)像。種々(ノ)彩絹《シミノモノ》。鳥馬之類。十餘種。及霜林(ガ)所v献。金銀。彩色《シミノモノ》。種々(ノ)珍異之物。并(テ)八十餘物。己亥。饗2霜林等(ニ)於筑紫(ノ)舘(ニ)1。賜v物各有v差。乙巳詔曰。自今以後。毎(ニ)v取《アタル》2國忌《ハテノ》日1。要《カナラズ》須v齋《ヲガミ》也。戊午。霜林等罷歸。三月(ノ)己未(ノ)朔己卯。以(テ)2華縵(ヲ)1進2于殯(ノ)宮(ニ)1。藤原朝臣大島誄焉。夏五月戊午の朔乙丑。以(テ)2百濟(ノ)敬須徳那利(ヲ)1。移2甲斐(ノ)國(ニ)1。六月(ノ)戊子朔戊戌。詔令(テ)2天下(ニ)1。繋囚《トラヘビト》極《シヌル・オモキ》刑。滅2本(ノ)罪一等1。輕|繋《トラヘビトハ》皆|赦除《ユルシヤメヨ》之。其|令《シメヨ》3天下(ヲシテ)皆|半2入《ナカバイレ》今年調賦1。
 
 
春正月。本に春字なし。今中臣本考本に據る○慟哭。通證に。以上與2元年1同文。蓋先皇在v殯未v葬。皇太子居v喪行v禮。故元旦必哭2於殯宮1。至v此三年矣。是孝之至也。とあり○辛酉。二日なり○丁卯。八日なり○壬午。二十三日也○辛卯。二日なり○己亥。十日なり○乙巳。十六日なり〇自今以後云々。信友云。伊呂波字類抄に。本朝事始を引て。此間に當d以2近代天皇崩日1爲c國忌uの十一字あれば。こゝの文をも補へしと云り。そはいかにもあれ。右の文にて此文意は明らけし。【しかるに通證に。或曰。天武國忌爲2九月九日1。而今二月有2此勅1。(3829)則取2毎月九日1。爲2國忌1歟。世所v謂月忌。蓋出2于此1也と云り。是(ノ)或曰は謬なり。此は九月九日を國忌と爲を指すなり。其を此二月に勅ありて。定め給ふにこそあれ。月忌などの事にはあらず。さて年忌月忌などゝ云ふ事。古代になし。但し十三年忌と云ふ事國俗に出と。元亭釋書に出たれど。それもたしかに其始を詳にせざれば。知りがたし。こゝはさる後世の年忌月忌などを以ては見るべからず。】○戊午。二十九日なり○己卯。二十二日なり○華縵。既に云るごとく。これも三月にて花の頃なれば。時の櫻花にて作れる縵なり。佛器の作り華鬘《ケマム》にあらざる事知べし○夏五月。本に夏字なし。今京極本考本に據る○輕繋。本の訓は誤あり。古本の訓にトラヘビトノカロキハとあり。改むべし。
 
 
秋七月丁巳朔丁卯。大※[雨/咢の下](ス)。旱也。丙子。命(テ)2百濟(ノ)沙門道藏(ニ)1。請雨《アマゴヒセシム》。不2崇朝《アシタゴロニモアラ》1。遍雨2天(ノ)下(ニ)1。八月丁亥朔丙申。甞《ナメラヒタテマツル》2于殯宮1。而慟哭焉。於是大伴宿禰安麻呂類焉。丁酉。命(テ)2淨大肆伊勢(ノ)王1。奉2宣《ノタマハシム》葬儀《ミハフリノヨソホヒヲ》1。辛亥。耽羅王遣2二佐平加羅(ヲ)1。來獻2方物《クニツモノ》1。九月丙辰朔戊寅。饗2耽羅(ノ)佐平加藤羅等(ニ)於筑紫舘1。賜v物各有v差。
 
 
丁卯。十一日なり○丙子。二十日なり〇沙門道藏。天武紀十二年七月に出。續紀養老五年六月。詔曰。百濟沙門道藏。寔是法門(ノ)領袖。釋道(ノ)棟梁。年逾2八十1。氣力衰耄。非v有2束帛之施1。豈稱2養老之情1哉云々。とあり○崇朝。詩傳。崇終也。從v旦至2食時1。爲2終朝1。とあり○丙申。十日なり○甞。古本に。ナメラヒタ(3830)テマツル。とよめり。されどなほ。奠字の意に見てありぬべし○丁酉。十一日なり○奉宣葬儀。御喪葬の儀式に。奉仕らしむる事を宣ふなり○辛亥。二十五日なり○戊寅。二十三日なり〇佐平加羅。七年紀に耽羅王子佐平とあり○筑紫館。萬葉十五に。至2筑紫館1。遙望2本郷1云々。太宰府にある館なり。
 
 
冬十一月乙卯朔戊午。皇太子率3公卿百寮(ノ)人等(ト)。與(ヲ)2諸|蕃《トナリノクニノ》賓客1。適2殯(ノ)宮(ニ)1。而慟哭焉。於是奉v奠《クマ》。奏《ツカマツル》2楯節《タテフシノ・タヽフシノ》※[人偏+舞]1。諸臣各擧(テ)2己(ガ)先祖《オヤ》等(ノ)所仕《ツカヘマツレル》状(ヲ)1。遞(ニ)進(テ)誄焉。己未。蝦夷百九十餘人。負2荷調賦(ヲ)1而誄焉。乙丑。布勢(ノ)朝臣御主人。大伴宿禰御行。遞(ニ)進(テ)誄焉。直廣肆當麻眞人智徳。奉v誄2皇祖|等《タチノ》之|騰極《ヒツギノ》次第1。禮(ナリ)也。古(ニハ)云2日嗣1也。畢(テ)葬2于大内(ノ)陵1。十二月乙酉朔丙申。饗2蝦夷(ノ)男女二百一十三人(ヲ)於飛鳥寺(ノ)西(ノ)槻(ノ)下《モトニ》1。仍(テ)授2冠位(ヲ)1。賜v物各有v差。
 
 
戊午。四日なり○奉奠。奠をクマと訓るは。倭名鈔。※[米+揖の旁]米和名久萬之禰。離騷經注。※[米+揖の旁](ハ)精米。所2以享1v神也。とあり。按に久萬は。供(ル)米(ノ)名なり。此なる奠は美計と讀べし○楯節※[人偏+舞]。兩訓ある中に。タヽフシと訓かた古かるべし。續紀には楯伏に作る。釋紀私記曰。師説今之吉士舞也。手以v楯爲2節度1。故名。とあり。さらば伏は借字なり。職員令集解に。雅樂寮別記云。楯臥舞十人。五人土師宿禰。五人文忌寸等。(3831)右著v甲并持2刀楯1。とあり。續紀寶字四年四月乙酉。盧舍那大佛像始開眼。是日行2幸東大寺1。天皇親率2文武百官1。設v齋大會。其儀一同2元日1。五位以上者。著2禮服1。六位以下者當色。請2僧一萬1。既而雅樂寮。及諸寺種々音樂。並咸來集。復有2王臣諸氏。五節久米※[人偏+舞]。楯伏踏歌。袍袴等歌※[人偏+舞]1。東西發v聲。分v庭而奏。所作歌※[人偏+舞]。不v可2勝記1云々。按に楯節舞。吉士舞は。一(ツ)舞なること。私記に云へるがごとくなるべし。【これを大日本史禮樂志には。誤なりと云れたれど。たしかなる證なし。】さて其二名ある所謂は。大甞會又神事などに舞ふ方にては。吉土舞と唱へ。大葬又佛事などに舞ふ方にては。楯節舞と唱へしにはあらざるか。たしかには定めがたけれど。此紀また孝謙紀に見えたるにて。しか推量らるゝなり。さてしか葬事に用ゐし方より。土師氏の人の。此舞に携はるゝことゝは。なりもやしけん。文氏の事は。更に思ひよることなし。さて序に吉土舞のことを云べし。吉士舞。又吉士部樂と云。大甞會に奏する樂なり。其初大甞日に。始奏するによりて。又大甞會舞とも號ふこと。吏部王記寶物集等に見えたり。記傳二十二云。吏部王記云。昔安陪氏先祖。勅令v伐2新羅1有v功。大甞會日報命。因奏2此舞1。故相傳爲2大甞會舞1云々と。北山抄。大甞會儀。吉士舞の頭書にあり。此氏の先祖に。新羅を伐しめ給ひしは。天智紀に。前將軍後將軍云々。とある中の。阿倍比邏夫臣。其一人なり。また云く。吉志部は姓なり。姓氏録攝津國皇別。吉志。難波忌寸同祖。大彦命之後也云々。此氏も阿倍氏の支別なるべし。吉師部と負へることは。本地名より出たるか。【今も島下郡に吉志部村あり。是此氏の郷里なるべし。】また吉士舞より出たるか。續紀十一に。攝津職奏2吉師部樂1。とある是なり。と云れた(3832)り。なほ大甞會に。安倍氏吉士舞を奏せしこと。三代實録。貞觀元年十二月十九日條に見えたり○己未。五日なり○遞進誄焉。本に焉字を脱せり。今釋紀に據る○當麻眞人智徳。續紀三。從四位上當麻眞人智徳卒。とあり○騰極次第は。御代御代の。日嗣知看しゝ天皇等の御次第より。當今天皇の相承給へるまでの御事までを。具に申して誄し奉れるなり〇葬于大内陵。諸陵式に。檜隈大内陵。飛鳥淨御原宮御宇天武天皇。在2大和國高市郡1。兆域東西五町。南北四町。陵戸五烟。大和志に。在2五條野村西1。俗呼2圓山1。又名東明寺冢即此。岩窟廣大八尺許。深九尺許。内有2雙石棺1。とあり。然るに去にし比。方便智院藏する。古文殘闕に。御陵日記と釋するもの出て。此御陵の事を詳に載たるものあり。今其全文を出して載す。阿不幾乃山陵記。里號2野口1。□□□□盗人亂入事。文暦二年三月廿日。廿□□兩夜入云々。件陵形八角。石壇一匝。一町許歟。五重也。此五重ノ峰。有2森十余株1。南面有2石門1。々前有2石橋1。此石門ヲ盗人等。纔人一身通許切開。御陵ノ内ニ。有2内外陣1。先外陣方。丈間許歟。咸馬脳也。天井高七尺許。此毛馬脳無2繼目1。一枚ヲ打覆。内陣ノ廣。南北一丈四五尺。東西一丈許。内陣有2金銅(ノ)妻戸1。廣左右乃扉。各三尺五寸。七尺扉厚一寸五分。高六尺五寸。左右乃腋柱。廣四寸五分。厚四分。□《マカ》クサ三寸。鼠走三寸。冠木廣四寸五分。厚四寸。【已上金銅】扉乃金物六。内小四。【三寸五分許。】大二。【四寸許皆金】已上形如2蓮華1。返花古不ノ形師子也。内陣三方。上下皆馬脳歟。朱塗也。御棺張物也。【以v布張v之。入(八カ)角也。】朱塗長七尺。廣二尺五寸許。深二尺五寸也。御棺(ノ)盖(ハ)木也。朱塗御棺(ノ)床(ノ)金銅。厚五分|牙《許カ》。上ヲ彫透。左右ニ八。尻頭ニ四。クリ□《カカ》タ四。【尻二頭二】御骨|〓《御首カ》ハ普通(3833)【ヨリスコシ大也。】其色赤黒也。御脛骨長一尺六寸。肘長一尺四寸。御棺内ニ紅御衣ノ朽タル。少々在之。盗人取殘物等。被v移2寺内1。石御帶一筋。其形(ハ)以v銀。兵庫クサリニシテ八種々玉餝之。石二アリ。形如2連錢1。表手石長三寸。石色如2水精1。似2玉帶1。御枕以2金銀珠玉1餝之。似2唐物1。依v難v及2言語1。不v注v之。假令其形如v皷。金銅桶一。【納2一斗1許歟。】居v床。其形如2禮盤。※[金+巣]少ニクリカタ一在之。又此外御念珠一連在之。三匝ノ尻《虎カ》珀御念珠ヲ。以2銅ノ糸貫v之。而多武峰法師取了。又彼御棺中ニ。銅カケ□ケ二在之。已上記如v此。とあり。これ全文なり。盗人が御體を發堀して毀損し奉り。器物を散したる状。いともかしこく。申すに忍びざる事どもなり。されど右の記にて。野口村なるが。眞の天皇の御陵たることは知られたり。記中阿不幾は。於布知の轉訛なるべし。右盗人發堀の事は。百錬鈔に見えたり。其文に。嘉禎元年四月三日。【即右に見えたる文暦二年の事なり。】或云。去月二十日。【三月二十日にて。右の記に合へり。】大和國高市郡。天武天皇御陵。爲2群盗1被2穿鑿1。捜2取重寶1。多是金銀之類。二年四月十五日庚午。爲v實2※[手偏+僉]天武天皇御陵1。被v遣v使。勅使左大弁爲經。諸陵頭惟宗(ノ)盛能。率2寮下1申。因2康平之例1。不v及2穢沙汰1歟。とある。即此時の事なり。【さて後に。この天皇をも。こゝに合葬し奉れることは。下に云。】〇丙申。十二日なり○各有差。本に各字なし。今考本に據る○類史を按に。蝦夷下に。十二月乙酉とあり。これは朔丙申の三字を脱したるものなるべし。乙酉の日のことゝしたるは誤なるべし。
 
 
三年(ノ)春正月(ノ)甲寅(ノ)朔(ニ)。天皇|朝《マヰコシム》2萬國《クニ/\ヲ》于前(ノ)殿(ニ)1。乙卯。大學寮《オホツカサ》献2杖《ミツエ》八十枚1。
 
(3834)朝萬國于前殿。これは朝拜の儀にて。孝徳紀即祚の時の文に。百官臣連國造伴造。百八十部。羅列匝拜。とあると同義なり。【なほ其本は。古語拾遺に。神武天皇の御世なる。朝2四方之國1以觀2天位之貴1。とあるに起れる御儀なり。】さて明年の處にも。四年春正月。皇后即天皇位云々。公卿百寮拜朝如2元會儀礼1。と見ゆ。同じ事なり。池邊眞榛云。此三年のは。即位にはあらざる如くなれども。二年十二月に先帝の殯儀終りたれば。此時も登極の禮ありしならむを。四年に踐祚即位の大儀ありしに就て。此時のは。史に省かれたるなるべし。四年まで天璽受傳の儀なかりしにはあらずなん。と云れたるは。いかゞあらむ。されど此時も。四方國々に散在《アル》なる。臣連國造伴造を朝せしめ給ひて。朝拜の式を行はれしことはありしなり。前殿は。東京賦注に。前殿露寢也。又甘泉賦注。前殿正殿也。とあり〇乙卯。二日なり。公事根源。御杖上卯日。とあり。次に云○献杖八十枚。同書上卯日條に云。持統天皇三年正月の卯日。大學寮より是を奉る由。日本紀にあり。又仁壽二年正月に。諸衛府|祝《シユク》杖を献じて。精魅を逐ふと見えたり。是を以。惡鬼を拂ふ心ちなり。作物所《ツクモドコロ》より。すはまを造物にして。其上に岩ほの中に。御生氣の方の獣をつくりて。卯杖にあはしむ。たとへば。生氣東にあらば菟。南にあらば馬なるべし。臺盤所におかる。延喜式に。正月(ノ)卯日。兵衛督以下。參て御杖を奏する儀あり。色々の木どもを。五尺三寸づゝにきりて。二束三束にゆひて奉るを。御杖といふ由見えたり。とあり。この事。淳和紀天長七年正月。文徳紀。仁壽二年正月。三年正月。清和紀天安三年正月等に見えたり。清和紀には剛卯杖とあり。【剛卯は。漢書王莽傳に。正月剛卯。金刀之利。皆不v得v行。服虔注。剛卯以2正月卯日1作佩v之。長三寸。廣一寸四方。或用v玉。或用v金。或用v桃。著2革帶1佩v之。今(3835)有2玉者1。銘2其一面1曰。正月剛卯云々。などあり。】色々木と云は。大舍人寮式に。凡正月七日節會云々。凡正月上卯日。供2進御杖1。其日質明頭將2舍人1。候2承明門外1。舍人叩v門曰。御杖進牟止大舍人寮官姓名。門(ニ)候止申訖。掃部寮設2案於中庭1。頭以下舍人以上。各執v杖。分爲2兩行1。入至2案下1立。頭進奏曰云々。置2案上1畢。即退出。其杖曾波(ノ)木一束。比々良木。棗。牟保許。桃梅各六束。【已上二株爲束】燒椿十六束。皮椿四束。黒木八束。【已上四株爲束】中宮比々良木云々。【但奉儀見東宮式】拭細布四丈五尺。裹紙五百四十張。木綿六斤。木賊十五兩。十二月五日申v省。左右兵衛府式に。凡正月上卯。督以下兵衛已上。各執2御杖一束1。次第參入立定。佐一人進奏。其詞曰云々。其御杖は。※[木+冥]※[木+虚]。木瓜。比々良木。牟保許。黒木。桃。梅。椿木等なり。又これを卯槌とも云。江次第に。糸所(ノ)進(ル)槌。藏人取之。結2付晝御帳1。懸2角柱1。副2立細木1爲v柱。槌末出五尺許。可v用2桃木1。又四方可v削。近代丸也失歟。などあるにて知るべし。
 
 
丙辰詔曰。務大肆陸奥國|優嗜曇《ウキタム》郡(ノ)城|養《カフ》蝦夷脂利古(ノ)男麻呂。與2鐵折《カナヲリ》1。請d剔《ソリ》2鬢髪(ヲ)1爲《ナラムコトヲ》c沙門(ト)1。詔曰。麻呂等。少而|閑雅《ミヤビ》寡《スクナシ》v欲《モノホリスルコト》。遂至(テ)2於此1。蔬《クサビラヲ》食(テ)持《タモツ》v戒《イムコトヲ》。可d隨2所請1。出家(シ)修《オコナフ》uv道(ヲ)。庚申。宴(テ)2公卿1。賜2袍《キヌ》袴(ヲ)1。辛酉。遣2新羅1使人。田中(ノ)朝臣法麻呂等。還(レリ)v自2新羅1。壬戌。詔(テ)2出雲國(ノ)司(ニ)1。上d送|遭2値《アヘル》風浪(ニ)1蕃(ノ)人(ヲ)u。是(3836)日。賜2越(ノ)蝦夷沙門道信(ニ)。佛像一|躯《ハシラ》。灌頂(ノ)幡。鍾《カネ》。鉢《ハチ》。各一口。五色|綵《シミノキヌ》。各五疋。綿五屯。布一十端。鍬一十枚。鞍一|具《ヨソヒヲ》1。筑紫(ノ)大宰(ノ)率粟田眞人朝臣等。献2隼人一百七十四人。并(テ)布五十常。牛皮六枚。鹿皮五十枚1。戊辰。文武《フミツハモノヽ》官(ノ)人(ドモ)進v薪。己巳。賜2百官人等(ニ)食《ヲシモノヲ》1。辛未。天皇幸2吉野宮(ニ)1。甲戌。天皇|至《カヘリタマフ》v自2吉野宮1。
 
 
丙辰。三日なり○詔曰。二字衍なるべし。集解には刪れり○務大肆の三字は。脂利古の上に在べし。集解には改めたり〇優嗜曇郡。成人云。倭名抄。出羽國置賜郡於伊太美。とあるこれなり。ウキタミと訓べしと云り。出羽もと陸奥國なればさも有べし。國造本紀に。浮田國造あり。天神本紀に。浮田物部とあるもこれなるべし。延佳云。今陸奥國字多郡。按字多見2倭名鈔1。蓋優嗜曇轉訛。と云るは非なるべし○城養は。柵養と同じ○男麻呂。脂利古(ノ)男麻呂なり○蔬食持戒。倭名鈔。菜蔬部。菜蔬。兼名苑注云。草可v食曰2菜蔬1。【和名上(ハ)菜。下(ハ)久佐比良。箋注云。説文。菜(ハ)草之可食者。逸周書大匡篇注。可v食之菜曰v蔬。按説文無2蔬字1。古只作v蔬。見2禮記論語釋文1。久佐比良。見2空物語菊宴卷國讓下卷1。】とあり【俗に菌をもクサヒラと云へど。菌は太介なり。和名抄に見えたり。】持戒は。梵網經。智度論。成實論等に見えたり○庚申。七日なり。類史。七日節會部に出。さて大日本史云。七日節會。是歳(ヨリ)至2九年1必書。蓋爲2恒式1とあり○辛酉。八日なり○遣新羅。本に遣字な(3837)し。令集解に據て補ふ○壬戌。九日なり○上送は。三韓より日本へ返す使に付たる。蕃人なるに依て云なるべし○鍾。京極本鐘に伸る○各五疋。本に疋を尺に作る。疋の誤なることしるければ。今改む○大宰率。本に率字なし。今考本に據る○戊辰。十五日なり○己巳。十六日なり○辛未。十八日なり○甲戌。二十日なり。
 
 
二月甲申(ノ)朔丙申。詔。筑紫(ノ)防人《セキモリ》。滿《ミチバ》2年(ノ)限(ニ)1者替(ヨ)。己酉。以(テ)2淨廣肆竹田(ノ)王。直廣肆土師(ノ)宿禰根麻呂。大宅(ノ)朝臣麻呂。藤原(ノ)朝臣|史《フムヒト》。務大肆當麻(ノ)眞人櫻井。穗積朝臣山守。中臣朝臣臣麻呂。巨勢(ノ)朝臣多|益須《ヤカス》。大三輪朝臣安麻呂1。爲2判事《コトコトワルツカサビトヽ》1。
 
 
丙申。十三日なり〇滿年限者替。軍防令。衛士防人還v郷之日。並免2國内上番1。衛士一年。防人三年。義解謂。征人還v郷之日。須2相准免1。假令經2一年1者。免2一年徭役1。經2二年1者。免2二年徭役1類也。とあり。是にて。防人の防處に在て。三年にして交代せしことを知べし○己酉。二十六日なり○竹田王。天武紀に出○直廣肆土師宿禰根麻呂。本に麻呂を麿(ノ)一字に作る。今京極本考本に據る。次なるも同じ。さて此人。續紀一には直廣參とあり○大宅朝臣麻呂。此人も續紀に直廣參とあり○藤原朝臣史。下には不比等とあり。【フムヒトと訓るは非なり。】この人の事は次々に出たり。續紀養老四年八月。右大臣正二位藤原朝臣不比等(3838)薨。帝深悼惜焉。爲v之廢v朝。擧2哀(ヲ)内寢1。大臣近江朝内大臣大織冠鎌足之第二子也。十月就v第宣v詔。贈2太政大臣正一位1。又天平寶字四年八月勅曰。依2太公故事1。近江國十二郡。封2淡海公1。公卿補任に。不比等一名史。母車持國子君之女。又曰。年六十二。謚曰2文思公1。とあり○當麻眞人櫻井。續紀靈龜元年二月。從四位下當麻眞人櫻井卒とあり○穗積朝臣山守。續紀和銅五年正月。穗積朝臣山守授2正五位下1○中臣朝臣臣麻呂。本に朝臣二字脱す。今中臣本考本に據る。臣麻呂は意美麻呂なり。上に出○巨勢朝臣多益須。上に出○大三輪朝臣安麻呂。續紀和銅七年正月。兵部卿從四位上大神朝臣安麻呂卒。懷風藻に。兵部卿從四位下に作る○判事。通證に。令刑部省判事。大中少十人。此所謂判事者。恐總判2決朝廷政事1之職名也。下文太政官卿等之語。亦可2以證1耳。とあり。考にも。後世の參議大辨の職なるべし。と云り。さることなり。
 
 
三月癸丑朔丙子。大2赦天(ノ)下(ニ)1。唯常(ノ)赦(ニ)所(ハ)v不v免。不v在2赦例(ニ)1。夏四癸未(ノ)朔庚寅。以(テ)2投化新羅人1。居2于下毛野(ニ)1。乙未。皇太子草壁(ノ)皇子(ノ)尊|薨《カンサリマシヌ》。
 
 
丙子。二十四日なり○大赦常赦。通證に。有2大赦常赦曲赦三等1。文献通考(ニ)。論2宋1曰。其恩濡之及。有d止2於京城西京兩路一路。數州一州之地1者u。則謂2之曲赦1。又曰。唐詔書有v云。常赦不v原者。皆大赦。とあり。大赦は。常赦より一段重き罪をゆるすをいふ。常赦は常體の赦にして。天下一般なり。曲赦は(3839)其國其所に限る赦也。非常大赦とは。罪不殘赦をいふ○庚寅。八日なり○乙未。十三日なり○草壁皇子尊薨。この皇子。後御謚を日並知皇子尊と申し。また後に岡宮御宇天皇と申奉れり。それに就て信友か説に。そのかみ草壁皇子命は。なほ皇太子と稱しつゝも。まことは日嗣の君にておはし坐ける事の。おのづから知らるゝよしを證し云り。其説云。この皇子の命の御事を。萬葉集二に。日並皇子尊。【並の下に知字脱たり。武郷云。知字脱たるにはあらず。日並とも。日並知とも。兩樣に申したるなり。この事につきては。外にも證あり。別に記せり。】殯宮之時。柿本朝臣人麻呂作歌。并短歌。天地之《アメツチノ》。初時之《ハジメノトキシ》。久堅之《ヒサカタノ》。天河原爾《アマノカハラニ》。八百萬《ヤホヨロヅ》。千萬神之《チヨロヅガミノ》。神集《カンツドヒ》。集座而《ツドヒイマシテ》。神分《カンクバリ》。分時爾《クバリシトキニ》。天照《アマテラス》。日女之命《ヒルメノミコト》。天乎波《アメヲバ》。所知食登《シロシメスト》。葦原乃《アシハラノ》。水穗之國乎《ミヅホノクニヲ》。天地之《アメツチノ》。依相之極《ヨリアヒノキハミ》。所知行《シロシメス》。神之命等《カミノミコトヽ》。天雲之《アマクモノ》。八重掻別而《ヤヘカキワケテ》。神下《カンクダリ》。座奉之《イマセマツリシ》。高照《タカテラス》。曰之皇子波《ヒノミコハ》。【日之皇子は。日並(ノ)皇子をさして申せるなり。其は此皇子は。御父天皇の皇太子に坐ながら。天皇の崩後。いまだうけばりて。御位に即給はず。なほ皇太子と申て。御母皇太后ぞ。天皇のごとくにておはしましけるを。其皇太子の舍人と。きこえたる人麻呂が。殊にいふかひなく。思ひ奉れる眞心より。かくはよめりとぞきこえたる。すべて今こゝに擧る歌ども。みな其宮の舍人などの。歌ときこゆるを。この意を得てよみ味ふべし。】飛鳥之《アスカノ》。淨之宮爾《キヨミノミヤニ》。神隨《カムナガラ》。太布座而《フトシキマシテ》。天皇之《スメロギノ》。敷座國等《シキマスクニト》。【飛鳥の云々天皇とは。持統天皇をさして申せり。敷座國等とは。知看國としてなり。上の葦原乃水穗國乎といへるに。かけて云るなり。此一段は。皇太后の。うけばりて。御世知看す事と。なり給へる趣を云り。次の句へかけて心得べし。】天原《アマノハラ》。石門乎開《イハトヲヒラキ》。神上上座奴《カムノボリノボリマシヌ》。【これより皇太子の。うけばりて。伽位に即給はで。薨(リ)給へるを。深く歎きたるなり。】吾王《ワガオホキミ》。皇子之命乃《ミコノミコトノ》。天下《アメノシタ》。所知食世者《シロシメシセバ》。春花之《ハルハナノ》。貴在等《タフトカラント》。望月乃《モチヅキノ》。滿波之計武跡《タヽハシケムト》云々。反歌に。茜刺《アカネサス》。日者雖照《ヒハテラセレド》。烏玉之《ヌバタマノ》。夜渡月之《ヨワタルツキノ》。隱良久借毛《カクラクヲシモ》。【日者雖照は。皇太后の御世を知看せるを。諷《ソヘ》たるなり。夜渡月之云々は。皇太子の薨給へるを諷悲めるなり。】また此歌のさし繼に。皇子尊宮(ノ)舎人等。慟傷作歌の中に。高光《タカヒカル》。我日皇子乃《ワガヒノミコノ》。萬代爾《ヨロヅヨニ》。國所知麻志《クニシラサマシ》。島宮婆毛《シマノミヤハモ》。また。天地與《アメツチト》。共將終登《トモニヲヘムト》。念乍《オモヒツヽ》。奉仕之《ツカヘマツリシ》。情違奴《コヽロタガヒヌ》。などみえたる歌をもて。當時の人の性情《コヽロサマ》を。眞心によみ出した(3840)る。言辭《コトバ》のおもむきを。かへす/”\。よくはらにあぢはひて。皇子(ノ)尊の御ありさまに及ぼして。推量り奉るべし。かくて紀には。皇太后御位に即かせ姶ひて後。天武天皇崩後の新御代を。立かへりて。此天皇の御世と定給ひ。草壁皇子は。御世の數には入れ奉られざりしにぞあるべき。さて日並知皇子と稱す御名は。書紀には載られず。史には續紀に。文武天皇卷の首に。御父の御名に。日並知皇子尊と。始てみえ給へり。後に美稱《タヽヘ》奉られたる。御謚なるべし。この皇子。皇太子にておはしましけるに。父天皇の崩後。しか/”\の御ありさまにて。おはしますほどに。薨給ひければ。御母天皇。いといふかひなく。おもほしいりて。日嗣の並に。御世を知食したるに准へたる義にて。日並知と稱へて。御謚に奉られたるなるべし。【知(ル)を斯とのみも云ふ例は。萬葉集に。八隅知之《ヤスミシヽ》とあり。さて紹運録に。日並知と申を。一名と注せるは疎なり。また此後岡宮御宇天皇と尊號を奉られたる事は。下に云ふべし。】萬葉集に。輕皇子宿2于安騎野1時云々。歌に。日雙斯皇子命乃《ヒナメシノミコノミコトノ》云々。とよめり。輕皇子とは。文武天皇の御事なり。此天皇。いまだ御世知看さゞりけるころ。御獵の時。從駕《ミトモ》人の歌なり。輕皇子は。日並知皇子命の御子にておはしますに。此時其御父の現(シ)御名を。禮なく顯によみ奉るべきにあらず。後に美稱奉れる御謚なるから。尊びてわざとよめりとぞきこえたる。しかれば此御謚は。持統天皇の御世に。奉られたりし事明なり。【紀に其事を載られざるは。洩らされたるにか。又今本に寫脱せるにもあるべし。】そも/\此皇太子命。うけばりて。即位の禮をば行はせ給はざりつれど。もとより皇太子に立ておはしましたりければ。父天皇崩給へる後は。おのづから天つ日嗣を受給ひて。天皇に坐ますべき義なり。即位の禮を行ひ給ふは。たゞ其儀式にこそはあれ。其あ(3841)りなしにかゝはらず。一日も御位を嗣給ひたらんには。御代の列(ラ)に。もれ給べき義理あるべからず。故其をいふかひなく。かなしくおもほしいり給ひて。天下未v稱2天皇1ど。御詔擧し給ひて。岡(ノ)宮御宇天皇と。尊號を奉り給へるにて。いと義理ある御事なるべし。【此御世より前。文武天皇の御世。慶雲四年四月庚辰。以2日並知皇子命薨日1。始入2國忌1。と續紀に見えたり。】其は續紀の大炊天皇卷。天平寶字六年六月庚戌。孝謙天皇讓位給へる後の詔に。朕御祖。大皇后《オホミオヤ》乃御命以弖。朕爾告之久。岡宮御宇天皇乃日繼波。加久弖絶奈牟止|爲《ス》。女子《ヲミナゴ》能繼爾波在止母。欲令嗣止《ツガシメムト》宣弖。此政行給岐《コノマツリゴトオコナヒタマヒキ》。加久爲弖。今(ノ)帝乎立弖云々。と詔へるをもて。畏けれど。おしはかり奉るべし。さるはよのつねにては。岡宮御宇天皇の御後。また御末など詔ふべきを。日繼としも詔へるを。既《サキ》の勅に。天下未v稱2天皇1とて。尊號を奉り給へるにも。おもひあはせ奉るに。聖武天皇の叡慮に。此皇子尊の。日嗣にておはしましける趣《ヨシ》を顯はし給ひ。すなはち其御後をもて。日嗣とし給はむと。おもほしめしたりしこと著し。故こゝを以。孝謙天皇。まめやかに御父天皇の叡慮を繼(ギ)給ひて。皇子尊の。日嗣に坐ませりし事を顯はし。尊號奉らるべき由を。もはら事執り給ひけるに合せて。行ひ給ひたるにぞあるべき。かくて又同紀に。其尊號奉られたる。同じ八月の甲子詔に。自2乃祖近江大津宮内大臣1以來。世有2明徳1。翼2輔皇室1。君歴2十帝1。年殆一百云々。と詔たまへる十帝とは。天智天皇より。岡宮御宇天皇を計へて。大炊天皇の御みづからまでの御代數なり。【書紀續紀に載られたるをはじめ。いづれの書に記せるも。此御世まで九帝にて。まぎれなし。】年殆一百とは。天智天皇の御世の元年より。此年まで九十六年なるを。おほかたに詔へる文なり。しかれば此御世に(3842)及びて。日並知皇子命を。岡宮御宇天皇と稱して。更に皇代に備奉り給へるなること著し。さるはこれももはら。孝謙天皇の叡旨によりて。行ひ給ひけん事。上に擧たる同天皇の詔に。岡宮御宇天皇日繼波云々と詔ひたるに。おもひ合せ奉らるゝなり。然るに孝謙天皇。大炊天皇の御位を廢《オロ》し奉り。御身づから重祚し給ひけるが。まほならぬ御在状にて。御世を盡させ玉ひける後。御世のさまの。いたく革れる事もありけるにあはせて。岡宮御宇天皇を。皇代に入奉らるゝ事をば。停められたりしなるべし。【其後。皇代に入りて。きこへ給へることなし。】さて其岡宮は。皇子の御座したりし宮號なり。其は大和高市郡飛鳥の地にて。舒明紀に。二年十月。遷2都飛鳥岡傍1。是謂2岡本宮1。とある同地にて。岡宮も同じ。飛鳥(ノ)岡傍に在しなるべし。龍葢寺。字を岡寺と稱《ヨビ》て。今岡村といふ所にありとぞ。【其地のさまは。なほ國人に問ひ明らむべし。】東大寺要録に。龍葢寺記を引て。義淵僧正が奇特《アヤシキコト》ありて。生れたる事をいひて。天智天皇聞2食之1。與2日並知皇子1。共令v移2岡宮1。遂以v宮賜2僧正1。爲v寺。號2龍葢寺1。と見えたり。此岡宮をもて。尊號に係け奉られたるなり。【此皇子の尊號を。神皇正統記。紹運録。帝王編年記等に。長岡天皇と記せり。岡を長岡とも云へるによりて。然も稱しならひたるなるべし。萬葉集に。此皇子を慟奉れる歌によりて考れば。高市郡勾の地なる島(ノ)宮にて。薨給へる由なり。其は天武紀の首に。御2島宮1と見えたる宮なるべし。但し其は。皇子の別宮なりしか。また岡宮より徙り拾ひたりしにか。詳かならず。】色葉字類抄に。岡寺。扶桑略曰。大炊天皇之時。越前國封五十戸施入之。と見えたり。【扶桑略とは。扶桑略記を。かくも書る例なり。但し略記見本缺ありて。件の文見えず。】と云れたるは。いと委しき考なり。なほ右の日嗣のことは。下文高市皇子薨の下にも。信友考を引て云り。引合せて考べし。さて紹運録に。朱鳥四年四月薨とあるを。皇代記持統天皇三年薨云々とあるも。同じ年なり。また此皇子の陵は。式に眞弓丘陵。岡宮(3843)御宇天皇。在2高市郡1。兆城東西二町。南北二町。陵戸六烟。とあり。即眞弓村なり。陵墓一隅鈔に。在2越村戌亥方1。俗稱2御前冢1。一説。眞陵在2眞弓村西1。字王冢。今屬2森村1。とあり。【陵墓一覧にも森村とあり。】かくて上にも引る。萬葉集二。日並皇子尊殯宮之時。柿本朝臣人麻呂作歌。また皇子尊宮舎人等。慟傷作歌とも。あまたある中に。由縁母無《ツレモナキ》。眞弓乃崗爾《マユミノヲカニ》。宮柱《ミヤハシラ》。太布座《フトシキイマシ》。また夢爾谷《ユメニダニ》。不見在之物乎《ミザリシモノヲ》。欝悒《オボヽシク》。宮出毛爲鹿《ミヤデモスルカ》。作日之隅囘乎《サヒノクマワヲ》。【作日は誤なるべし】また朝日※[氏/一]流《マタアサヒテル》。佐太乃岡邊爾《サダノヲカベニ》。群居乍《ムレヰツヽ》。吾等哭涙《ワガナクナミダ》。息時毛無《ヤムトキモナシ》。などよめるは。みなこの御陵の邊に。殯宮を作りて。舎人等の仕奉りしさまなり。さらば此處を佐田の岡とも云りしなり。【畿内志に。此眞弓陵を。皇極の祖母の御墓とせしは誤なり。】
 
 
壬寅。新羅遣(テ)2級※[にすい+食]金道那等(ヲ)1。奉v吊2瀛(ノ)眞人(ノ)天皇(ノ)喪1。并(テ)上2送學問僧明聰。觀智等(ヲ)1。別(ニ)献2金銅(ノ)阿彌陀像。金銅觀世音菩薩像。大勢至菩薩(ノ)像。各一|躯《ハシラ》。綵《シミノ》帛錦綾(ヲ)1。甲辰。春日王薨。己酉詔.諸司(ノ)仕(ノ)丁(ニ)。一月(ニ)放2假《ユルシタマフ》四日1。五月(ノ)癸丑朔甲戌。令(テ)2土師宿禰根麻呂(ニ)1。詔(テ)2新羅(ノ)弔使級※[にすい+食]金道那等(ニ)1曰。太政(ノ)官卿等。奉(テ)v勅(ヲ)奉宣《ノタマハシムラク》。二年(ニ)遣(テ)2田中(ノ)朝臣法麻呂等(ヲ)1。相2告|大行《サキノ》天皇(ノ)喪(ヲ)1。時(ニ)新羅(ノ)言。新羅(ノ)奉v勅(ヲ)人(ハ)者。元來用2蘇判《サフカムノ》位(ヲ)1。今將(ニ)2復|爾《シカセムト》1。由(テ)v是(ニ)法麻古等。不v得v奉2宣《ノタマハシムルコトヲ》(3844)赴告《ツゲツグル》之詔(ヲ)1。若言(ハ)2前(ノ)事(ヲ)1者。在昔難波(ノ)宮(ニ)治(シ)2天(ノ)下(ヲ)1天皇(ノ)崩時(ニ)。遣(テ)2巨勢(ノ)稻持等(ヲ)1。告v喪(ヲ)之日。翳《エイ》※[にすい+食]金春秋奉v勅(ヲ)。而言(ハ)d用(テ)2蘇判(ヲ)1奉uv勅(ヲ)。即違(リ)2前(ノ)事(ニ)1也。又於2近江(ノ)宮1治2天(ノ)下(ヲ)1天皇(ノ)崩時(ニ)。遣(テ)2一吉※[にすい+食]金薩儒等(ヲ)1。奉v弔。而今以(テ)2級※[にすい+食](ヲ)1奉v弔。亦違(ヘリ)2前(ノ)事(ニ)1。又新羅|元來《モト》奏(テ)云。我國(ハ)自2日本(ノ)遠(ツ)皇祖|代《ヨ》1。並(テ)v舳(ヲ)不v干《ホサ》v※[楫+戈]《カヂヲ》。奉仕之國(ナリ)。而(ヲ)今|一艘《ヒトフネノミアルコト》。亦乖(ヘリ)2故典《フルキノリニ》1也。又奏(テ)云。自2日本遠皇祖(ノ)代1。以(テ)2清白《アキラケキ》心(ヲ)1仕奉。而(ヲ)不v惟《オモハ》3竭《ツクシテ》v忠《マメゴヽロヲ》宣2揚本(ノ)職《ツカサニ》1。而|傷《ヤブリテ》2清白(コトヲ)1。詐(テ)求2幸媚《ナマメキコブルコトヲ》1。是故調賦(ト)與(ヲ)2別献(レルモノ)1。並(ニ)封《ユヒカタメテ》以還之。然自2我|國家《ミカドノ》遠皇租代1。廣慈2汝等(ヲ)1之|徳《イキホヒ》。不v可v絶之。故彌|勤《ツトメ》彌謹(テ)。戰々兢々《オヂカシコマリテ》。修(テ)2其(ノ)職任《ツカサゴトヲ》1。奉v遵2法度《ノリニ》1者(ヲバ)。天朝《ミカド》復益廣慈耳。汝道那等。奉《ウケタマハリテ》2斯所1v勅。奉2宣汝(ガ)王(ニ)1。
 
 
壬寅。八日なり○瀛眞人天皇の上。天渟中原の四字。脱しものならんも知がたし。さる御名もありしことは。既に云り○金銅觀世菅。金銅二字北野本になし○各一躯。通證云。所謂三尊也。とあり○甲辰。二十二日なり○春日王。不詳〇放假四日。假寧令。凡在京諸司。毎2六日1。並給2休假一日1。とあり。仕丁(3845)の假。准知べし○甲戌。二十二日なり○令土師。本に令を命に作る。今考本に據る○太政官卿等云々。この詔詞。宜命(ノ)文にてありしを。後に漢文に改めしものと見えたり〇奉宣。奉勅も奉宣も同じ事の樣ながら。宣命の體より。かく重ねて記しゝなり。下に云〇二年。釋紀に當v作2元年1と云り。この事。元年正月に出たれば。二年は誤なるべし○法麻呂。本に麻呂を麿(ノ)一字に作る。今中臣本に據る。下同じ○大行天皇。通證に。韋昭曰。大行者不v反之辭也。天子崩未v有v謚。故稱2大行1。とあり。今按に。謚の有無に拘はらず。皇國にては。先天皇と稱すべきを。大行と稱し奉りしなるべし〇奉勅人は。赴告の詔を奉りて。御喪を弔ひ奉る使人なり○蘇判位は。新羅の官なり。釋紀に。私記曰。蘇音匝。判音干。とあり。按に判を考本には刊とあり。下も同じ。されば。もとは刊とありしが如くなるべけれど。さては音干と書べき由なし。また三國史記に。亦作2匝※[にすい+食]1。又云2蘇判1。ともあれば。なほ本の如くにてあるべし。東國通鑑。新羅設v官有2十七等1。三曰匝※[にすい+食]。とある即是なり。ざれば三等の官なり○將2復爾《マタシカセムト》1と訓べし。本の訓に。イマシヲカヘサムト思フ。とあるは甚しき誤なり○難波宮は。難波長柄豐崎宮なり。もしくは脱文にもあるべし○巨勢稻持は。欽明紀に出。此人孝徳天皇の御喪を告に。新羅へ遣はされしこと。紀に洩たり○翳※[にすい+食]。通證に。翳※[にすい+食]。東國通鑑不v見。とあれども。これは彼國第一等の官に。伊※[にすい+食]とあるこれなり。伊と翳とは音通へり。伊※[にすい+食]また伊伐※[にすい+食]とも云。級伐※[にすい+食]を級※[にすい+食]と云るも同じ。金春秋は。大化三年に皇國に質たりし時。大阿※[にすい+食]たり。これ三等官なり。然るに孝徳帝崩御の時。一等(3846)官翳※[にすい+食]として。弔使に來れるなり。この事本紀には洩たり。【しかるに集解に。按翳※[にすい+食]。蓋大阿※[にすい+食]。五曰大阿※[にすい+食]。と云れしは誤なり。】○違前事とは。孝徳帝時に。翳※[にすい+食]金春秋。彼國の一等官を以。奉勅使と成れるを。三等官を以て。奉勅に仕奉れるが。前(ノ)古實に違へりとなり〇一吉※[にすい+食]。本に吉を告に誤れり。今秘閣本中臣本考本等に依る。通鑑に。七曰一吉※[にすい+食]とありて。七等官なり○級※[にすい+食]は。八曰級※[にすい+食]。【又級伐※[にすい+食]と云】八等官なり○亦違前事は。天智帝時には。七等官を以て奉勅使と爲たるを。此般八等官を以て。弔使に遣《マダ》し奉れるも。亦前事に違へりとなり○奉仕之國。神功紀に。常以2八十船之調1。貢2于日本國1○奉斯所勅奉宣汝王。とあるにて。始の所勅奉宣の意。明らかなり。
 
 
六月壬午(ノ)朔(ニ)。賜2衣裳《キモノヲ》筑紫大宰府等(ニ)1。癸未。以(テ)2皇子施基。直廣肆佐味(ノ)朝臣宿那麻呂。羽田朝臣|斉《ムコヘ》。【齊。此云2牟五閇1。】勤廣肆伊余部(ノ)連馬飼。調(ノ)忌寸|老人《オキナ》。務大參大伴(ノ)宿禰手|拍《ウチト》。與(ヲ)2巨勢朝臣多益須等1。拜《メス》d撰2善(キ)言1司(ニ)u。庚子。賜2大唐(ノ)續守言。薩弘恪等(ニ)稻(ヲ)1。各有v差。辛丑。詔(テ)2筑紫大宰(ノ)粟田(ノ)眞人(ノ)朝臣等(ニ)1。賜2學問僧明聰觀智等(ヲ)爲v送《オクリシ》。新羅(ノ)師友《トモニ》。緜各一百四十斤(ヲ)1。之巳。於(テ)2筑紫(ノ)小郡(ニ)1。設《アヘタマフ》2新羅(ノ)吊使金道那等(ニ)1。賜(コト)v物各有v差。庚戌。班2賜諸司(ニ)令《ノリノフミ》一|部《トモ》二十二卷1。
 
 
(3847)太宰府等。本に府字脱たり,今考本類本に據る○癸未。二日なり○皇子施基。天智の皇子なるか。天武の皇子なるか。知がたし。施基と書るも。こゝに始てなり○宿那麻呂。天武紀に少麻呂とあり。本に麻呂を麿に作る。今中臣本に據る○羽田朝臣齊。續紀大寶元年六月。以2正五位上波多朝臣牟胡閇1。任2造藥師寺司1。とあり。さて齊を牟五閇と訓る義。詳ならず○注齊字。本に脱せり。今集解に據る。秘閣本中臣本。五を吾に作る○伊余部連馬飼。懷風藻に。皇太子學士從五位下。伊與部馬養。續紀に。文武天皇四年六月勅。直廣肆伊余部連馬養云々。撰2定律令1。賜v禄各有v差。大寶元年八月。從五位下伊與部連馬養等。撰定律令。於v是始成。大略以2淨御原朝廷1爲2准正1。仍賜v禄有v差。また大寶三年二月詔云々。從五位下伊余部連馬養之男。田六町。封百戸。其封戸止v身。田傳2一世1。とあり。次に云。姓氏録右京神別。伊與部。高媚牟須比命三世孫。天辭代主命之後。また伊與部。火明命五世孫。武礪目命之後也。とあり。氏人は。續後紀十五。承和十二年二月。散位從四位下。善道朝臣眞貞卒。眞貞者。伊與部連家守之男也。弘仁五年上表。賜2姓善道朝臣1。與2諸儒1。修2撰令義解1。眞貞亦參2其事1。とあり。【令義解序には。善道宿禰に作れり。】伊呂波字類抄に。伊與宿禰あるも。此族なるべし○調忌寸老人。懷風藻に。正五位下大學頭調忌寸老人。とあり。續紀。文武天皇四年六月。勅2調伊美伎老人等1。撰2定律令1。大寶元年八月。詔賜2從五位下調忌寸老人(ニ)正五位上1。以v預v撰2律令1也。また大寶三年二月詔。贈正五位上調忌寸老人之男。田十町。封百戸云々。などあり○大伴宿禰手拍。續紀和銅六年九月。造宮卿從四位下大伴宿禰手拍卒。とあり○撰善言司。通證に(3848)今按。此盖撰d集古今嘉言。可v爲2龜鑑1者u。而奏聞之司也。とあるが如くなるべし○庚子。十九日なり○續守言薩弘恪。二人唐書に洩たり○辛丑。二十日なり○筑紫大宰。本に筑紫二字脱たり。今中臣本に據る〇一百四十斤。斤は恐くは屯の誤なるべし○乙巳。二十三日なり○筑紫小郡。天武紀二年に。筑紫大郡あり。そこに云へり○庚戌。二十九日なり○令一部二十二卷。これ天武紀十年二月に。勅する所の令なり。類聚三代格なる。弘仁格序に。至2天智天皇元年1。制2令二十二卷1。世人所v謂近江朝廷之令也。とあるに就て。蒲生秀實が職官志に。盖天智所v制。至2天武1改定之者也。以2卷數同1。可2參考1。と云れたる。さることなり。【序云。令義解に。前令といふこと。しば/\見えたるは。大寶令を指て云るなり。この令にはあらず。】
 
秋七月壬子(ノ)朔(ニ)。付《サヅケ》2賜陸奥假夷沙門自得(ノ)所請《コヒマヲス》金銅(ノ)藥師(ノ)佛像。觀世音菩薩(ノ)像。各一躯。鍾。娑羅。寶帳。香爐。幡等(ノ)物(ヲ)1。是日(ニ)。新羅(ノ)弔使金道那等罷歸。丙寅。詔(テ)2左右京《ヒムガシニシノ》職。及諸國(ノ)司(ニ)1。築2習v射《イクサ》所1。辛未。流2僞兵衛《カスヰノトネリ》河内(ノ)國(ノ)澁川(ノ)郡人柏原(ノ)廣山(ヲ)于土左(ノ)國(ニ)1。以(テ)2追廣參(ヲ)1。授d捉《トラヘタル》2僞兵衛廣(ヲ)1。兵衛生部(ノ)連虎(ニ)u。甲戌。賜2越(ノ)蝦夷|八釣魚《ヤツリナ》等(ニ)物(ヲ)1。各有v差。【魚。此云v儺。】八月(ノ)辛巳朔壬午。百官|會2集《マヰウゴナハリ》於神祇官(ニ)1。而奉2宣天神地祇之事(ヲ)1。甲申。天皇幸2吉野宮(ニ)1。丙申。禁d斷《イマシメヤメテ》漁c獵(コトヲ)(3849)於攝津(ノ)國武庫(ノ)海一千歩(ノ)内。紀伊(ノ)國阿提(ノ)那耆野二萬|頃《シロ》。伊賀國伊賀郡身野二萬頃u。置(テ)2守護《モリ》人(ヲ)1。准2河内國(ノ)大鳥郡(ノ)高脚《タカシノ》海(ニ)1。丁酉。賞2賜公卿1。各有v差。辛丑。詔(テ)2伊豫(ノ)總領《スベヲサ》田中(ノ)朝臣法麻呂等(ニ)1曰。讃吉(ノ)國御城郡(ニ)。所v獲|白※[燕+鳥]《ツバクラメ》。宜2放養1焉。癸卯|觀射《イクサス》。
 
 
娑羅。通證に。倭名抄。唐韻云。鈔鑼銅器也。二音與2沙羅1同。俗云2沙布羅1。今時云2沙波利1。蓋轉語也。正字通。鈔鑼築v銅爲v之。形如v盆。大者聲揚。小者聲|殺《ソグ》。樂書有2銅鑼1。自2後魏宣武1以後。有2銅※[金+拔の旁]沙羅1。沙羅即鈔鑼。とあり。【箋注にも云ることあれども。あまりくだ/\しければ載せず。】〇丙寅。十五日なり○左右京職。令左京職右京職。大夫一人。亮一人。大進一人。少進二人。大屬一人。少屬一人〇習射所。通證に。射伊久佐。下文亦同。倭名抄。射※[土+朶](ハ)以久波止古路。世間云。阿無豆知。とあり○辛未。二十日なり〇僞兵衛。僞をカスヰと訓ることは。既に繼體記。捉《カスヰ》の注に云り。さて兵衛は。軍防令に。國司簡d郡司子弟。強幹便2弓馬1者u。郡別一人貢v之。とあるを。國司の簡點を經ず。詐僞を以て上り來りしものと見ゆ。されば僞とは云けん。と或人云り。さることなるべし○柏原。姓氏録左京神別。柏原連。伊香我色乎命之後。とあり。この族なるべし○生部連。系詳ならず。姓氏録に載せず。皇極紀に大生部氏あり。同姓ならんか。氏人は。續紀天應元年に。外從五位下。生部直清刀自。後紀。延暦二十四年七月。常陸國人。生部連廣成なり。【按に。和名抄。常陸國行方郡に大生あり。考べし。○(3850)甲戌。二十三日なり○物各有差。本に物字なし。集解所引一本に據る○八月の上。本に秋字あるは衍なり。考本に據て削る○壬午。二日なり○百官會集云は。如何なる故とも知がたし。もしくは此天皇敬神の御心に篤く。かつ先帝の御志を繼坐て。天神地祇の古傳説に。虚僞等の交り加らんことを。畏み給ふが餘に。其正實の御旨を。宣聞せしめ給ひしなどにもあるべし。さもあらば。いとも/\貴き御事なりかし。かゝる事は。御世々々にもあらまほしき御政なり○甲申は。四日なり○丙申は。十六日なり○武庫海。和名抄攝津國武庫郡武庫○阿提郡那耆野。續紀。大寶三年五月に。紀伊國阿提。飯高。牟婁三郡。天平三年五月。阿※[氏/一]郡など見ゆ。類史。大同元年七月。改2紀伊國安諦郡1。爲2在田郡1。以3詞渉2天皇諱1也。とあり。平城天皇の御諱|安殿《アテ》と申を避たるなり。丹生大明神|告門《ノリト》に。【告門は祝詞なり。】安梨諦夏瀬(ノ)丹生(ニ)。忌杖刺給。とあり。此文はいと古きを。梨(ノ)字疑はし。こゝに栗田寛云。この安梨諦は。郡名の安諦なるを。後人の梨の字を副たるなるべし。大同元年に。爲2在田郡1とある。在田の字によりて。安梨諦とせしものなりと云り。さることなり。足水家所藏文書に。弘仁七年七月八日。太政官符に。右の紀伊國伊都郡高野山の四至の事を云て。南高山(ハ)當《アテ》河(ノ)南長峰【謂2阿手河南横峰1也。】とあり。那耆野は。倭名鈔紀伊國在田郡奈郷あり。これか。【郷は誤なるべし。】○伊賀郡身野。記に。師木津日子命者。伊賀(ノ)三野之稻置之祖。とあり○河内國大鳥郡高脚海。大鳥郡今和泉國に屬せり。今も高師濱と云。式和泉國大鳥郡高石神社。古今集。貫之。おきつ波たかしのはまのはまゝつの。名にこそ君をまちわたりつれ。とよめる高師の濱も(3851)こゝなり。今も濱松あり○丁酉。十七日なり○辛丑。二十一日なり○伊豫總領。五年紀には伊與國司とあり。總領のことは天武紀に云り。これ當時(ノ)國司。大國に宰として。數國を兼知するを云て。其餘は直に守と云しなり。伊豫總領は。四國の管領なり○讃吉國御城郡。倭名抄に三木郡とあり○癸卯。二十三日なり。
 
 
閏八月辛亥(ノ)朔庚申。詔2諸國(ノ)司(ニ)1曰。今《コノ》冬|戸籍《ヘノフムダ》可v造。宜d限(テ)2九月(ヲ)1。糺《タヾシ・カズヘ》c捉《・トラフ》浮浪《ウカレビトヲ》u。其|兵士《イクサビト》者。毎2於|一國《クニ》1。四(ニ)分(テ)而|點《サダメテ》2其一(ヲ)1。令v習2武《ツハモノ》事(ヲ)1。丁丑。以(テ)2淨廣肆河内王(ヲ)1。爲2筑紫(ノ)大宰(ノ)帥(ト)1。授2兵仗《ツハモノ》1。及賜v物。以(テ)2直廣壹(ヲ)1。授2直廣貳丹比眞人島(ニ)1。増(シテ)2封《ヘヒト》一百戸1通《カヨハス》v前(ニ)。九月庚辰朔己丑。遣(テ)2直廣參石上朝臣麻呂。直廣肆石川(ノ)朝臣虫名等(ヲ)於筑紫(ニ)1。給2送位記1。且監2新城《ニヒシキキヲ》1。
 
 
庚申。十日なり○糺捉浮浪。天智紀九年條と併考べし。捕亡令に。凡糺2捉盗賊1。義解謂。糺告及捕捉。とあり○四分而點一。この兵制は。大寶令制の時も同じ。續紀天平四年八月詔。四道兵士。依v令差點。滿2四分之一1云々。とあるにて明らけし。然るに通證に。軍防令の文を引て云る説。また頼襄は日本外史序論に。邊要之國。諸郡皆有2軍團1。三2分一國之丁1。而取2其一1。と云るは非なり。いかに心得誤りてか。(3852)しかは書たりけむ。若くは軍防令に。凡兵士簡點之次。皆令2比近(ニテ)團割1。不v得2隔越1。其應2點入1v軍者。同戸之内。毎2三丁1取2一丁1。とある文を。誤解したるにか。これは此處の義解に。此爲2多丁之戸1立v文。若戸内少v丁者。亦須3通取2他戸1。即一國之丁。總爲2三分1。取2其一分1之義。其爲v分之法云々。とあるが如く。多丁の戸の爲に立たる文にて。假令は同戸の内に。丁に立つべきもの三人あらば。其一人を取れと云義にて。天下一般の兵士を取る文にはあらず。一般のことは。持統紀の此の文と。聖武紀天平四年の文に。差2點四分之一1とあれば。勤くべからず。かゝることを書にしるして。數多の人を誤る。いと無頼《アヂキナ》きことなり。【如蘭社話】○令習武事。職員令に。諸國軍團。大毅一人。掌d※[手偏+僉]2※[手偏+交]兵士1。充2備戎具1。調2習兵馬1。簡2閲陳列1事u。などあり○丁丑。二十七日なり○増封一百戸通前。集解に。按脱2戸數1。五年紀曰。増封三百戸。通v前五百戸。とあり。按に此以前の封一百戸ありしなるべし。さて此時二百戸になれるならん○己丑。十日なり○石上朝臣麻呂。下文には物部とあり。【この事既に云り。】麻呂。本に磨(ノ)一字に作れり。中臣本に據る○給送位記。これ位記のものに見えたる始なり。位記は。令に式部省の職掌にて。其書式は公式令に見えたり。さて推古天皇以來は。冠に品位ありし故に。殊更に位記をば給はざりし。これもとより然あるべきことなり。然るに天武天皇の十一年に。既に位冠をば。莫者と定め給ひしかば。其時こそ。はじめて位記の制あるべきに。未(ダ)其事見えず。おもふになほ冠をば賜ひしものか。疑がはし。【この事そこにも云り。なほ次に云事あり。】さて其後冠を賜ふことを停めて。位記を給ふことゝなりしは。いつの時より(3853)の事なりけん。【色葉字類抄爲(ノ)部。位記(ノ)注云。本朝事始云。持統天皇三年十一月。始2位記1。とあるは。こゝと異なり。恐くは誤なるべし。始字も疑はし。なほ始は。此より前にあるべく。おもほえたり。】こゝに給送位紀とあるは。太宰府の官人に賜ひしなり。太宰府は道遠ければ。冠を賜ふに便あしければ。まづ位記を賜ひおきて。さて京に參出たらむ時に。まことの冠をば賜はむとの御事にや。かくて明る五年二月紀に。授2官人位記1とあるをみれば。この時にはなべての官人に賜ひし始にやありけん。されどなほ疑はしきことあり。そは續紀大寶元年三月に至り。親王以下の階を定め給ひて。始停2賜冠1。易以2位記1。語在2年代暦1。とある文なり。此に據らば。なほ此時まで。なべては冠をば賜ひしがごとし。五年二月なるは。通證引る一本。また秘閣本に官人とあれど。本に宮人とあるによらば。男の官人にはあらで。宮人の位記のことなるべくおぼゆ。さらでは大寶元年の文と。齟齬せるをいかにせむ。これらなほよく考べき事なりかし。さてかく冠に易へて。位記を賜ひし後も。叙爵と云を。かうむりたまはると書けるは。古の遺れるなりけり○且監新城。或人云・三代實録十二。太宰府司。於2城山四王院1。轉2讀金剛般若經1云々。とある地にて。太宰府より。筑後に越る所の山なりと云り。なほ考べし。
 
 
冬十月庚戌朔(ノ)庚申 天皇幸2高安(ノ)城(ニ)1。辛未 直廣肆下毛野朝臣子麻呂奏。欲v免2奴婢《ヤツコ》陸佰口(ヲ)1。奏《マウスニ》可《ユルサレヌ》。十一月(ノ)己卯朔丙戌。於市中(ニシテ)褒美(テ)追廣貳高田(ノ)首|石成《イハナリガ》之|閑《ナラヘルコトヲ》2於三(ノ)兵(ニ)1。賜v物。十二月己酉朔丙辰。禁2斷|雙《スグ》六(ヲ)1。
 
 
(3854)庚申は。十一日なり○辛未。二十二日なり○下毛野朝臣。續紀。和銅二年十二月。式部卿大將軍正四位下。下毛野朝臣古麻呂卒。また天平寶字二年十二月。太政官奏曰。旌v功錫v命。聖典攸v重。褒v善行v封。明王所v務2我天下1也。乙巳以來。人々立v功。各得2封賞1。但大上中下。雖v載2令條1。功田記文或落2其品1。今故比2校昔令1。議2定其品1。正四位下下毛野朝臣古麻呂。大寶二年修2律令1。功田各十町。下功合v傳2其子1。と云ことあり〇奏欲免奴婢。此時子麻呂。令に所謂。官奴司等の官人などにて。かくは奏せしものか○十一月己卯朔。本に卯を丑に誤れり。今中臣本京極本に據る○丙戌は。八月なり○於市中。本に市中を倒せり。今考本類史に據る。さて故(ラ)に市中にて褒美給へるは。石成が名譽を。人に知らしめむためか。はた故あるか○高田首。天武紀に出○三兵。通證に。今按。以2矛戟弓劔戈1。爲2五兵1。則三兵。是弓劔槍也。と云り○丙辰。八日なり○雙六。延喜彈正式。雙六者。不v論2高下1。一切禁斷。倭名抄。兼名苑云。雙六一名六采。【今按博奕是也。俗云。須久呂久。箋注云。按大和物語所v云。波久衣宇。即博奕之轉。即謂2雙六1也。故源君謂2雙六1爲2博奕1是也云々。須久呂久。見2後撰集雜戀歌1。持統紀訓同。源氏物語云2須古呂久1。今俗亦云爾。皆雙六字音之訛也。】このものゝ事。箋注にいと委しけれど。今略けり。本書に就て見べし。古くは萬葉十六。詠2雙六頭1歌。一二之《ヒトフタノ》。目耳不有《メノミニアラズ》。五六《イツヽムツ》。三四佐倍有《ミツヨツサヘアリ》。雙六乃佐叡《スグロクノサエ》。などあり。守部云。古へ雙六の行はれつることは。※[土+蓋]嚢抄曰。聖武天皇曲水宴時。詩を作らざる者には。五位已上に雙六局を給ひて。賭には錢三千貫を被v下といへり。とあり。此御時。既に禁制最中なりけれど。かくの如し。此後中古となりても。蜻蛉日記上。ことしは節きこしめすべしとて。いみじくさわぐ云々。すぐろくうたんといへば。よか(ン)(3855)なり。物見つくのひにと女うちぬ。よろこびて。さるべきさまの事どもしつ云々。枕冊子に。つれ/”\なるもの。うまおりぬ雙六。又かたきのさいをこひて。とみにもいれねば。筒を盤のうへにたてゝ云。此外いと多く見えたり。と云り。なほ多けれど。これもはぶけり。この物の原始のことまど。さのみ要なければなり
 
 
四年(ノ)春正月(ノ)戊寅朔。物部(ノ)麻呂朝臣樹2大盾1。神祇伯中臣(ノ)大島(ノ)朝臣。讀2天神(ノ)壽詞《ヨゴト》畢(テ)。忌部(ノ)宿禰|色夫知《シコブチ》。寶d上神|璽《シルシ》劔鏡(ヲ)於皇后u。皇后即天皇位。公卿百寮。羅列(テ)匝拜《アマネクヲガミタテマツリ》。而|拍《ウツ》v手焉。
 
 
大盾。推古紀に云り。儀式に盾を立ること。舊事記神武御世の條に。宇麻志麻治命。率2内物部1。乃竪2矛盾1。嚴増2威儀1也。道臣命。帥2來目部1。護2衛宮門1。掌2其開闔1矣。竝令2四方之國1。以觀2天位之貴1。亦俾2率土之民1。以示2朝廷之重1者。などあり。物部氏にて。此事に仕奉れるは。右の文をはじめとして。世々に絶えず。これより後の書には。續紀九。聖武紀神龜元年十月大嘗云々。從五位下石上朝臣勝男。石上朝臣乙磨。從六位上石上朝臣諸男。從七位上榎井朝臣大島等。率2内物部1。立2神楯於齋宮南北二門1。光亡紀にも。行2大甞之事1。石上朝臣某。榎井某。立2神楯桙1。大伴宿禰某。佐伯宿禰某。開v門。とあり。大甞にはこれを神楯と云。大甞祭儀に。令兵庫寮。作2大甞宮南北門。神楯四枚。戟八竿1云々。楯注に。各長(3856)一丈二尺。上(ノ)廣三尺九寸。中廣四尺七寸。下廣四尺四寸五分。厚二寸。丹波國楯縫氏作v之。【大甞祭儀式具釋に。神楯は。長三尺ばかり。廣一尺二寸許。頭は缺たる如くにて。尖りたる所三つばかり出る。裏の方に執手あり。表裏共に黒漆なり云々。是は後に革たる状を記せるなり。】大甞祭式に。諸司陳2威儀物1。諸衛立v仗。如2元日儀1。石上榎井二氏。各二人。皆朝服。率2内物部四十人1。立2大甞宮南北門(ニ)神(ノ)楯戟1訖。即分就2左右楯下胡床1。伴佐伯各二人。分就2南門左右外掖胡床1。待v時開v門云々○中臣大島朝臣讀天神壽詞畢。中臣上文に藤原に作れり。この事も既に云り。本に畢を卑に誤る。今中臣本活字本に據る。【或本に。俾に作れるもありと云り。されど。己(レ)はさる本見ねば定がたし。】舊事紀神武條に。天兒屋命(ノ)兒。天種子命。奏2神代(ノ)古事。天神(ノ)壽辭1也。神祇令。凡踐祚之日。中臣奏2天神之壽詞1。義解謂。以2神代之古事1。爲2萬壽之寶詞1也。とあり。この天神壽詞といふものゝ全文。台記別記。康治元年十一月大甞會記に出たり。いと古文なり○忌部宿禰色夫知。天智紀に色弗とあり。即忌部宿禰子首の弟なり。續紀二に。正五位上忌部宿禰色布知卒。詔贈2從四位上1。とあり○奉上神璽釼鏡は。神璽之劔鏡の義なり。【この神璽を勾瓊なりと云る説は非なり。】舊事紀に。天富命率2諸忌部1。捧2天璽(ノ)鏡劔1。奉2安正殿1。古語拾遺に。日臣命帥2來目部1。衛2護宮門1。掌2其開闔1。饒速日命。帥2内物部1。造2備矛楯1。其物既備。天富命率2諸齋部1。捧2持天璽鏡劔1。奉2安正殿1。並懸2瓊玉1。陳2其幣物1。殿祭祝詞。次祭2宮門1。然後物部乃立2矛盾1。大伴來目建v仗開v門。令v朝2四方之國1。以觀2天位之貴1。大甞祭式に。辰日。車駕臨2豐樂院1。神祇官中臣執2賢木1。副v笏。跪奏2天神之壽辭1。忌部入奏2神璽之鏡劔1。大殿祭祝詞に。天津璽乃鏡劔乎。捧持賜弖。言壽宣志久。神祇令に。凡踐祚之日。中臣奏2天神之壽辭1。忌部上2神辭之鏡劔1。義解謂。此即以2鏡劔1稱v璽。(3857)集解に。釋云。神璽(ノ)鏡劔也。とあるなど。これ其證の著明き物なり。【こゝに或人云。即位の大禮には。三種ながら上りしを。此に劔鏡とのみあるは。略したるなり。と云れたるは。押當の説也。大禮に三種を奉りしこと見えず。勾瓊は。天皇の御身に副坐す護身の御璽にて。臣下の預るべき御物にあらず。璽劔は臣下の捧げて。大禮の御儀式に。餝り奉りしこと。上代よりの古實なることは。諸書に見えたるが如し。北山抄大甞會の裏書に。近例。左右次將各一人。執2璽劔1。候2前後1。と見えたるは。璽劔の二種を以。近例と云るにはあらず。上代には忌部氏の奉上れる古實なりしを。近例は。左右の次將の。執て奉りしことゝなれるを云る文なり。思ひまがふべからず。】さて右の壽詞を奏すること。及鏡劔を上れる事は。上に見えたる如く。令以前には即位の日に在ることなりしが。貞觀儀式以後には。大甞の辰日の儀となれりと。荷田翁の云れし説を。通證にも引て云れたる。これ古代と後代と異なる所なり。なほこの事壺井義知が説にも。按ずるに。後世此事大甞會の時に行はるゝか。其大甞は即位の大禮なればなり。なほ後世に至りて。忌部の鏡劔を奉ることも絶たり。北山抄曰。神璽の鏡劔を奉ると云々。寛式云。天長以來此事停止。また清凉抄に云く。近代此神璽を給はらず。只其詞を奏す者。而して寛平以後の記文。忌部總て參せずとあり。といへり。なほ釋云。壽詞神代之古事也。又跡云。奏2壽詞1。上2劔並鏡1。至2十一月1。爲2大甞1耳。鏡劔以2一物1。永奏2數帝1耳。但奏2壽詞1。在2踐祚1耳。とあり○皇后即天皇位。本に后字脱したり。今中臣本考本に據る○匝拜而拍手。拍v手ことは。上代よりの禮にして。其もと。樂しく歡ぶ心より拍ことにて。心の秀《ホ》の外表に顯はるゝさまなり。踐祚大甞祭式に。五位以上。共起就2中庭(ノ)版位1跪。拍v手四度。々別八遍。神語所謂八開手是也。皇太子先拍v手而退。次五位以上拍v手。六位以下相承拍v手。亦如之。訖退出。稱徳紀。大甞會。是日錙侶進退。無2復法門之趣1。拍v手歡喜。一同2俗人1。類史。延暦十八年春正月丙午朔。皇帝御2大極殿1。受v朝。文武官九品以(3858)上。蕃客等。各陪v位。減2四拜1爲2二拜1。不v拍v手。以v有2渤海國使1也など。なほ諸書にあまた出たり。本居翁云。土佐日記歌に。追風の吹ぬる時は行舟も。ほて打てこそうれしかりけれ。【悦びて手拍ことを。船の帆手に云ひかけたり。】などある。みな樂しく歡ぶこゝろより拍なり。また物を受取とて。拍ことあり。これは自《ミ》物を得てよろこぶにはあらず。たゞ物を受取とて拍(ツ)なり。但しこれらも。本は其事を爲(シ)畢(ヘ)て。歡ぶ意より出たるにやあらん。又本より拜むにも。拍(ツ)禮事にや。と云り。さて手を拍數のことは。上に引る大甞祭式に。拍v手四度。々別八遍。神語所v謂八開手是也。と見え。大神宮式に。再拜兩段。短《ミジカ》拍(ヲ)兩段。膝退。再拜兩段一拜。大神宮儀式帳に。四段拜(ミ)奉(リ)弖。短《ミジカ》手二段拍(チ)。一段拜(ミ)。又更四段拜奉(リ)。短手二段拍弖。一段拜奉畢。また四度拜奉。手四段拍(チ)。又後四度拜奉(リ)。手四段拍畢。また四段拜奉。八開手拍(チ)弖。短手一段拍。即一段拜。など見えたり。【この八開手。短手。また後手と云ことある等のことは。荒木田經雅神主の説なりきとて。勝間に引れたり。本書に就て見るべし。
 
 
已卯。公卿百寮|拜朝《ミカドヲガミスルコト》。如2元會儀《ムツキノツイタチノヒノヨソホヒノ》1。丹比(ノ)島(ノ)眞人。與2布勢(ノ)御主人(ノ)朝臣1。奏《マヲス》2賀騰極《ヒツギヲヨロコブコトヲ》1。庚辰。宴2公卿於内裏1。甲申。宴2公卿於色裏1。仍(テ)賜2衣裳《キモノ》1。壬辰。百寮進v薪。庚午。大(ニ)赦2天(ノ)下(ニ)1。唯常(ノ)赦(ニ)所v不v免。不v在2赦例(ニ)1。賜2有v位人(ニ)爵一級1。鰥寡《ヤモメ》孤獨《ヒトリヒト》篤※[病垂/隆]《アツエヒト》。貧(テ)不v能2自存《ワタラフコト》1者(ニ)。賜v稻|※[益+蜀]2復《ユルシタマフ》調役1。丁酉。以(テ)2解《トキ》部一百(3859)人(ヲ)1。併2刑部《ウタヘノ》省(ニ)1。庚子。班《アガチマダシタマフ》2幣《ミテグラヲ》於畿内(ノ)天神地祇(ニ)1。及増2神戸田地《ミトシロ》1。
 
 
己卯。二日なり○丹比島眞人。今年七月右大臣となれり。十年十月。哀2致事1。賜2正廣參1。云々。【此後。文武四年八月。右大臣より左大臣になりしこと。扶桑略記に見えたり。】續紀二に。大寶元年七月。左大臣正二位多治比眞人島薨。大臣宣化天皇之玄孫。多治比王之子也。とあり。なほ下に云○布勢御主人朝臣。十年紀に。正廣肆大納言阿部朝臣御主人とあり。續紀大寶三年閏四月。右大臣從二位阿部御主人朝臣薨。公卿補任に。年六十九。布勢朝臣麻呂古之男。とあり○奏賀騰極。通證に。考2十年紀1。兩人當時爲2諸臣之首1。故奏之。とあり○庚辰。三日なりけ○甲申。七日なり。此一條七字。秘閣本中臣本になし○壬辰。十五日なり○甲午。十七日なり○鰥寡。令義解謂。六十一以上而無v妻爲v鰥也。五十以上而無v夫爲v寡也○篤※[病垂/隆]。訓上に出○※[益+蜀]復調役。賦役令。凡應v免2課役1者。皆待2※[益+蜀]符至1。然後注v免。とあり○丁酉。二十日なり○解部。令刑部省。大解部十人。掌v問2窮爭訟1。中解部二十人。掌同2大解部1。少解部三十人。掌同2中解部1。とあり。按に解は和解の義か。さらば爭訟を和解するを以て。名づけたるなるべし。又は訴人の意の鬱滯を。辨解するの義にもあるべし○併刑部省。本に併を拜に作る。今類史に據る。同書考異云。拜(ハ)并(ノ)誤寫。并音餅。廣韻合也。韻會與v併通。とあり。さて今刑部省に併とあれど。これまで何れの官に所屬したりけん。知がたし○庚子。二十三日なり。
 
 
(3860)二月(ノ)戊申(ノ)朔壬子。天皇幸(テ)2于腋上|陂《イケノツヽミニ》1。觀2公卿大夫之馬(ヲ)1。戊午。新羅(ノ)沙門詮吉。級※[にすい+食]北助知等。五十人|歸化《マヰオモブク》。甲子。天皇幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。丙寅。設2齋《ミヲガミス》於内裡(ニ)1。壬申。以(テ)2歸化新羅(ノ)韓奈未|許滿《コマ》等十二人(ヲ)1。居2于武藏(ノ)國(ニ)1。三月丁丑朔丙申。賜d京與2畿内1人。年八十以上者(ニ)。島(ノ)宮(ノ)稻人(ゴトニ)二十束u。其有v位者(ニ)。加2賜布二端1。夏四月(ノ)丁未(ノ)朔己酉。遣(テ)v使(ヲ)祭3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田風神1。癸丑。賜d京《ミヤコ》與(ノ)2畿内1耆老《オキナ》耆女《オムナ》。五千三十一人(ニ)。稻人(ニ)二十束u。庚申詔曰。百官(ノ)人及畿内(ノ)人。有v位者(ニハ)限(レ)2六年(ヲ)1。無v位者(ハ)限(レ)2七年(ヲ)1。以(テ)2其|上日《ツカムマツレルヒカズヲ》1。選2定九(ノ)等(ニ)1。四(ノ)等以上(ハ)者。依《マヽニ》2考仕令(ノ)1。以(テ)2其|善《ヨサ》最《イサヲシア》功《イタハリ》能《シワザ》。氏姓(ノ)大小《オホキサイサヽケサヲ》1。量(テ)授(ヘ)2冠位(ヲ)1。其|朝服《ミカドコロモハ》者。淨大壹已下。廣貳已上(ニ)。黒《フカ》紫。淨大參已下。廣肆已上(ニハ)。赤紫。正八級(ニハ)赤紫。直(ノ)八級(ニハ)。緋。勤《コンノ》八級(ニハ)深《コキ》緑。務(ノ)八級(ニハ)淺《ウス》緑。追(ノ)八級(ニハ)深《コキ》縹《ハナダ》。進(ノ)八級(ニハ)淺縹。別(ニ)淨廣貳已上(ハ)。一《ヒト》富(ノ)一部《ヒトツボノ》之綾|羅《ウスハタ》等。種々(ニ)聽v用(コトヲ)。淨大參已下。直廣肆已上。一富二部之綾羅等。種々(ニ)聽v用(コトヲ)。上下通2用|綺《カムハタノ》帶白(キ)袴1。其|餘《ホカノ》者如v常。戊辰。始(テ)祈2雨(3861)於所々(ニ)1。旱也。
 
 
壬子。五日なり○腋上陂。葛上郡にあり。推古紀に腋上池に作れり○戊午〇十一日なり○甲子。十七日なり○丙寅。十九日なり○壬申。二十五日なり○丙申。二十日なり〇人二十束。人別《ヒトゴトニ》なり。下同じ○布二端。秘閣本中臣本に。二を三に作る○己酉。三日なり○癸丑。七日なり○耆女。通證云。耆當v作v男。見2元年1。とあり。集解には改めたり。考本には男に作れり。戸令。六十一爲v老。六十六爲v耆。とあり○庚申。十四日なり○上日。上直日なり。續紀二に。王臣五位已上(ノ)上日。本司月終(ニ)移2式部1。北山抄正月條。毎月一日。奏2去月上日1。とあり。即奉公勤仕日の事なり。上日下日。詳に令に出○選定九等。考課令。凡内外文武官。初位以上。毎年當司長官。考2其屬官應v考者1。皆具録2一年功過行能1。並集對讀。議2其優劣1。定2九等弟1。八月三日以前校定云々。選叙令。凡初位以上。長上官遷代。皆以2六考1爲v限。中々進2一階1叙。毎2三考中上及二考上下。並一考上中1。各亦進2一階1叙。などあり○考仕令。此御代の令の篇目にて。即令の考課令なり○善最。四善四十二最。詳に考課令に見えたり。考課令によるに。其人を稱するに四善を以てし。其勞を賞するに四十二最を以てせり。四善は。徳義有v聞者。爲2一善1。清慎顯著者。爲2一善1。公平可v稱者。爲2一善1。恪勤匪v懈者。爲2一善1。とあり。また四十二最は。最條。神祇祭祀不v違2常典1。爲2神祇官之最1。献替奏宣。議v務合v理。爲2大納言之最1。などの四十二條ありて云。一最(3862)以上【謂神祇少副以上。得d神祇祭祀不v違2常典1。及職事修理昇降必當(ノ)最u之類。故云2以上1也。】有2四善1。爲2上上1。一最以上有2三善1。或無v最而有2四善1。爲2上中1。一最以上有2六善1。或無v最而有2三善1。爲2上下1云々。【中略】若於2善最之外1。別有v可2嘉尚1。及罪雖v成v殿。情状可矜。或雖v不v成v殿。而情状可v責者。省校日。皆聽2臨時量定1。とあるにて。善最のさまは明らかなり。さて最は字典に。前漢叙傳。猶無v益2於殿最1也。注殿負也。最善也。【玉篇。負矢也。】後漢百官志。即奏2其殿最1。而行2賞罸1。注課第長吏不v稱v職者。爲v殿。其有2治能1者。爲v最。とあり○功能。令に功過行能。義解に。職事條理爲v功。公務廢闕爲v過。善悪爲v行。才藝爲v能。とあり○氏姓大小。氏の卑きは内位に叙(シ)がたし。故に氏の尊卑を大小とは云なり。なほ天智紀に見ゆ○朝服は。參朝の服なり。衣服令に。禮服と朝服とを並記せり○黒紫。孝徳紀及衣服令に。深紫とあり。紫色の甚深きは。變して深黒となるが故に。黒紫と云なり。後世もしかなり。また濃《コキ》紫とも云○赤紫。即淺紫なり。紫色の淺きは。赤みあれば。即赤紫と云なり。また薄紫とも云。【若紫と云ことあれど。それは草の未だ若きを云。色の名にはあらず。】○淺縹。按に紫緋綾。緑縹(ノ)帛八色の染式。詳に縫殿寮式に見えたり〇一富一部之綾羅。此段いと難儀なり。古人の注せしものを見ず。【但し新井君美の説あり。下に云。】強て思ふに。通證に。富與v幅通。倭名抄。幅訓能。とあるは。さることゝ通えたり。考本には。即て富を幅に作れり。【中臣本には。富を※[福の旁]とあれど。それは聊か畫のたがへるまでにて。同字なるべし。】さて一幅《ヒトノ》とは。布帛の一巾《ヒトハヾ》なるを云。【幅を古書に。はたばりとよめる。その意なり。】一部は集解に。按部(ハ)統也。總也。蓋一部猶2一種1。とあり。【部をツボと訓る義未詳。強て思に。統也總也と云に就ていはば。ツボは。スブと通ひて。他物を交へず。一色に總《スブ》る義にてもあらむか。】其説に就て云はゞ。此は染色にもあれ。織色にもあれ。同(ジ)文《アヤ》なるを云るにて。【因に云。綾とは織て(3863)後にそめしなり。機物と云は。絲の時に染て織し也。白織物はねり糸にて織しなり。】種々とは。綾にもあれ。羅にもあれ。何品なりとも。同文を通し用ゐて。或は上衣とし。或は下衣ともするを云。【上衣は袍なり。下衣は袴なり。】さて一幅二部とは。右に反して。一幅の綾羅にして。二種の色を交へしめ。上衣下衣同文なるを。許されざるを云。さるは淨廣貳已上は。貴族なるが故に。同文を用ゐて。其品秩をしらしめ。直廣肆已上は。位秩|漸《ヤヽ》下なるが故に。同文の品を用ゐしめざるは。其便利に從ひて儉を示し。且其文の異なるを見て。其位階をも。一目に見安からむ事をも兼られたる事なるべし。但し此説は。傍訓に就て。然もあらむかと。推測らるゝまでの考なるが。新井氏は。文字の誤ならむとして。解る説あり。其は同人の冠服考云。一富及一部二部未詳云々。富當v作v窩。富窩二字相似。故訛。窩音科。亦通作v※[穴/果]。唐初制。親王及二品服。大科(ノ)綾羅。色用v紫。五品以上服。小科(ノ)綾羅。色用2赤科1。後作v※[穴/果]。布袍文也。天朝之制。盖又如v此。或有2一※[穴/果]二※[穴/果]等綾1。又有d不v聽v用2獨※[穴/果]錦1之制u。凡織文大者。相去自遠。小者相去自近。飾抄云。當時攝關袍紋。或有v※[穴/果]。或無v※[穴/果]。凡任2大臣1已後。著2遠文袍1。即是古之遺制耳。一部二部。猶言2一重二重1。即謂2袍文1也。部又作v倍。二字音近。古俗通用。と云り。この説によらば。本の傍訓をすてゝ。文字に附て見るべし。なほよく考べし○直廣肆已上。彈正式云。凡綾。五位以上朝服聽v用。六位以下不v得2服用1○上下通用綺帶白袴。本に綺(ノ)字上(ノ)字の上にあり。今中臣本集解に據る。續紀。大寶元年三月服制。此と同じ。其文に。皆|漆《ウルシヌリノ》冠|綺《カムハタノ》帶。白|襪《シタグツ》。黒革(ノ)※[潟の旁]《クツ》。其袴者。直冠以上者。皆白(キ)縛《クヽリノ》口(ノ)袴。勤冠以下者。白(キ)脛裳《ハヾキモ》。とあるにて知べし。さて綺は。倭名抄。綺。蒋(3864)魴切韻云。綺。【岐。一云於利毛能。又一訓加無波太。】似v錦而薄者也。釋名云。綺(ハ)棊也。謂方丈如v棊也。【本文。文を丈に作るは誤なり。今箋注に。原書に依て改めたるに據る。】箋注云。下總本。岐(ノ)上有2此間云三字1。廣本有2俗云二字1。並似v是。昌平本唯有2云字1。蓋脱文也。推古紀。孝徳紀。織訓2於利毛乃1。持統紀訓2加無波多1。按説文。綺(ハ)文※[糸+曾]也。顔注2漢書1云。即今之細綾也。六書故。織v采曰v錦。織v素爲v文曰v綺。とあり。【字書にはクミとも訓り。】白袴は。令御抄に。白袴表袴也。とあり。衣服令。一品以下五位以上(ノ)朝服に。白袴金銀|装《ツクリノ》腰帶。見ゆ○戊辰。二十二日なり。
 
 
五月(ノ)丙子朔戊寅。天皇幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。乙酉。百濟男女二十一人歸化。庚寅。於2内裏1。始(テ)安居(ノ)講説。六月(ノ)丙午(ノ)朔辛亥。天皇幸2泊瀬(ニ)1。庚午。盡(ニ)召(テ)有位者(ヲ)1。唱3知位(ノ)次(ト)與2年齒1。秋七月(ノ)丙子(ノ)朔(ニ)。公卿百寮(ノ)人等。始(テ)著《キル》2新朝服《ニヒシキミカドゴロモヲ》1。戊寅。班2幣(ヲ)於天神地祇1。庚辰。以(テ)2皇子高市(ヲ)1。爲2太政(ノ)大臣《マヘツギミト》1。以(テ)2正廣參(ヲ)1。授(テ)2丹比(ノ)眞人島1。爲2右大臣(ト)1。并(テ)八(ノ)省《スブルツカサ》百寮。皆|選任《マケタマフ》焉。辛巳。大宰國司。皆選任焉。壬午。詔令(テ)2公卿百寮1。凡有位者。自今以後。於2家(ノ)内(ニ)1著(テ)2朝服(ヲ)1。而|參2上《マヰコサシメヨ》未v開v門以前(ニ)1。盖昔者到2宮門《ミカドニ》1而著2朝服(ヲ)1乎。甲申詔(テ)曰。凡|朝堂座《ミカドクラヰノ》上(ニテ)。見(トキハ)2親王(ヲ)1者。如v常。大臣與(ハ)vv王。起2立|堂《マツリゴトヾノヽ》前1。二王以上(ニハ)。下(テ)v座《クラヰヲ》而跪。己丑詔曰。朝堂座(ノ)(3865)上(ニテ)。見(バ)2大臣(ヲ)1。動(テ)v坐《シキヰヲ》而跪。是日。以(テ)2※[糸+施の旁]絲綿布(ヲ)1。奉2施《オクリタマフ》七(ノ)寺(ノ)安居(ノ)沙門。三千三百六十三人1。別(ニ)爲2皇太子(ノ)1。奉2施《オクリタマフ》於三(ノ)寺(ノ)安居(ノ)沙門。三百二十九人(ニ)1。癸巳。遣(テ)2使者(ヲ)1。祭3廣瀬大忌神。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。
 
 
戊寅。三日なり○乙酉。十日なり○庚寅。十五日なり○辛亥。六日なり○庚午。二十五日なり○唱知。與清は使知の誤かと云り。されど本のまゝにても通えたり○戊寅。三日なり○庚辰。五日なり○丹比眞人島。本に島字脱たり。今考本に據る。中臣本には。眞人(ノ)上にあり。此大臣の事上に云り○選任。本に選を還に作れり。今中臣本考本に據る。集解にも改めたり。次なるも同じ。○辛巳。六日なり○壬午。七日なり○盖昔者云々(ノ)十一字。後人の添る所か。集解にも私記※[手偏+讒の旁]入として削れり○甲申。九日なり○如常。集解に。按(ニ)言(ハ)諸臣見2親王1。有2常禮1也。と云り。按に如v常は。これまで仕來り通りに爲よとの文か○大臣與王云々。集解に。見2大臣及王1と云るが如し。立2堂前1とは。親王を見る禮と同くするを云か。さて王とは。こゝにては一世(ノ)王なり。次の文にてしらる〇二王以上は。通證に。蓋謂2天子二等以上之親1也。と云るが如くなるべし。二王は親王の御子。もしくは天子の御孫。又御兄弟伯叔などを申す事にて。其王等を見たらんには。座を下りて脆きて控へよとなり。禮するにはあらず。されど二王以上と云ては。一世王をもこめて云べければ。少しいかゞ也。按に二王以上は。二王以下の誤(3866)にはあらざるか。二世王以下の義にて。即三世王なり。これを集解に。王二人以上と説たるは非なり。二人以上なりとて。禮の替るべきよしなし。よく考ふべし○下座而跪。按に下座は。動坐よりも重きなり。跪とは起立せずして。本のまゝに只跪てあるを云なり。跪禮せよと云にあらず○己丑。十四日なり○動坐両跪。これは前日【甲辰】の詔よりも。大臣の禮を輕くし給へるなり。動坐は下坐よりも輕きこと。儀制令に見えたり。云く。凡在v廳座上。見2親王及太政大臣1。下座(セヨ)。左右大臣當司長官即動坐(セヨ)。義解謂。左右大臣。見2親王及太政大臣1。並不v動也。とあるにて知べし。また彈正式に。凡親王太政大臣。左右大臣。入2朝堂1者。諸司皆|起《タテ》v坐。親王太政大臣者。磬折而立。とあるは。やゝ後の事にて。此にては。左右大臣にも。起居することゝなれるにて。古よりは重くなれるなり。起坐は動坐よりも重ればなり○七寺は。未詳。拾芥紗。下學集に見えたる七寺は。奈良朝の定なり〇六十三人。本に人字脱たり。考本に據る。下の三百二十九人も同じ○癸巳。十八日なり。
 
 
八月乙巳朔戊申。天皇幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。乙卯。以(テ)2歸化新羅(ノ)人等(ヲ)1。居2于下毛野國(ニ)1。九月(ノ)乙亥(ノ)朔(ニ)。詔(テ)2諸國司等(ニ)1曰。凡造(コトハ)2戸籍(ヲ)1者。依2戸令(ノ)1也。乙酉詔曰。朕將v巡2行《メグリミソナハサム》紀伊(クニヲ)1之故(ニ)。勿《マナ》収(コト)2今年(ノ)京師《ミサトノ》田租|口賦《ヒトゴトノミツギヲ》1。丁亥。天皇幸2紀伊(クニヽ)1。丁酉。大唐(ノ)學問僧智宗。義徳。淨願。軍丁《イクサヨボロ》筑後(ノ)國(ノ)上(ツ)陽※[口+羊]郡《ヤメノサト》。大伴部(ノ)博麻《ハカマ》。從(テ)2(3867)新羅(ノ)送使大奈末金高詞等(ニ)1。還2至筑紫(ニ)1。戊戌。天皇|至《カヘリオハシマス》v自2紀伊1。
 
 
乙卯。十一日なり○諸國司。本に司字を脱せり。今考本に依る○乙酉。十一日なり○京師。本に京を貢に誤る。今本書旁注。類史等に依る○田租口賦。類史一本に。租を祖に作る。古字通用せり。口賦は上に見えず。大化二年八月に。所謂收2男身調1とあるなどの事か。また續紀慶雲三年二月。準v令。京及畿内人身輸v調。【於諸國減半】とある事を云か。詳ならず。漢儀注に。艮年七歳至2十四1。出2口賦錢1。人二十三錢。以食2天子1。其三錢者。武帝加2口賦1。以補2車騎馬1。とあれど。それとは異なり○丁亥。十三日なり○丁酉。二十三日なり○軍丁。續紀二十五詔に。一二乃國仁。軍丁乎乞。兵《イクサヲ》發之武。解云。兵士を軍にたゝするを云○筑後國。本に後を紫に作れり。今文明本類史に據る○上陽※[口+羊]郡。倭名抄。筑後國上妻郡。景行紀に八女縣とあるこれなり○大伴部博麻。舊事紀景行條。倭宿禰命。三川大伴部直祖。とあれど。他に見えず。但し孝徳紀に。三河大伴直とあるは。右と同姓なるべし。博麻は。類史に博麻呂とあり。下なるも同じ○大奈末。本に末を未に誤れり。今改む○戊戌。二十四日なり。
 
 
冬十月甲辰(ノ)朔戊申。天皇幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。發丑。大唐(ノ)學問僧智宗等。至2于|京師《ミヤコ》1。戊午。遣(テ)2使者(ヲ)1。詔(テ)2筑紫(ノ)大宰河内(ノ)王等(ニ)1曰。饗(タマフコト)2新羅(ノ)送使大奈末金高訓等1。(3868)准d上2送|學生《モノナラフヒト》土師(ノ)宿禰|甥《ヲヒ》等(ヲ)1。送使之|例《アトニ》u。其|慰勞《ネギラヘ》賜(コト)v物。一(ニ)依《マヽ》2詔(ノ)書1。乙丑。詔(テ)2軍丁筑後國上(ツ)陽※[口+羊]郡人。大伴部博麻(ニ)1曰。於d天豐財重日足姫天皇(ノ)七年(ニ)。救2百濟(ヲ)1之|※[人偏+殳]《エダチニ》u。汝爲2唐(ノ)軍1見v虜。※[さんずい+自](テ)2天命開別(ノ)天皇(ノ)三年(ニ)1。土師連|富杼《ホト》。氷(ノ)連|老《オユ・オキナ》。筑紫(ノ)君薩夜麻。弓削(ノ)連元寶兒。四人。思2欲《オモヘドモ》奏2聞《キコエマヲサムト》唐人(ノ)所(ヲ)1v計。縁v無(ニ)2衣粮1。憂v不(コトヲ)v能v達《トツクコト》。於是博麻謂(テ)2土師(ノ)富杼等(ニ)1曰。我欲(トモ)3共(ニ)v汝|還2向《マヰオモムカント》本(ツ)朝《ミカドニ》1。縁v無(ニ)2衣粮1。倶(ニ)不v能v去《ユクコト》。願賣(テ)2我(ガ)身(ヲ)1。以充2衣食《ヲシモノニ》1。富杼等|任《マヽニ》2博麻(ガ)計(ノ)1。得v通《トツクコトヲ》2天朝《ミカドニ》1。汝獨|淹《ヒサシク》2滯(コト)他界《ヒトノクニヽ》1。於今三十年矣。朕嘉2厥(ノ)尊v朝《ミカドヲ》愛《オモフテ》v國(ヲ)。賣(テ)v己《オノガミヲ》顯(コトヲ)1v忠《マメナルコヽロヲ》。故賜2務大肆。并(テ)※[糸+施の旁]五匹。緜一十屯。布三十端。稻一千束。水田四町1。其水田(ハ)。及2至《イタセ》曾孫《ヒヽコニ》1也。免2三族(ノ)課※[人偏+殳](ヲ)1。以(テ)顯(サム)2其(ノ)功《イタハリヲ》1。壬申。高市(ノ)皇子|觀《ミソナハス》2藤原(ノ)宮地(ヲ)1。公卿百寮|從《ミトモニシタガヘリ》焉。
 
 
戊申。五日なり○癸丑。十日なり。【或校本を見しかば。此下一本。至v自2吉野1是日。の六字あり。さることなるべし。】○戊午。十五日なり○大宰の下。帥字あるべきなり○土師宿禰甥。續紀四に。授2從五位下1。とあり○送使之例は。集解云。按新羅送2甥(3869)等1。見2天武天皇十三年紀1。言今饗2新羅送使1。一准d天武天皇之時。送2甥等1之例u。とあり○乙丑。二十二日なり○筑後國。本に後を紫に作る。今秘閣本中臣本文明本類史に據る〇七年は。辛酉年なり○※[さんずい+自]天。本に泊に誤る。今秘閣本考本等に依る○土師連富杼。筑後國人矢野幸夫云。倭名鈔郷名山本郡土師あり。此郷人なるべし。と云り○氷連老。白雉五年に老人に作れり○弓削連元寶兒。本に寶を實に作れり。今秘閣本中臣本類史。及木書旁注に據る。矢野幸夫云。倭名鈔。御井郡弓削。今上下に分れて二村となれり。この地の人なるべし。東鑑。文治二年二月二十一日。弓削(ノ)庄兵粮米(ノ)事。可2停止1之旨。以2帥中納言1。被v仰2北條殿1云々。六月二十一日云々。鎭西九箇國者。帥中納言殿御沙汰云々。などあり○唐人所計。幸夫云。天智紀三年五月。百濟鎭將劉仁願云々献v物。また十二月。唐使來朝。また遣2使於唐1とあり。此に依て觀れば。此時既に唐國と和せるを。今唐人所v計と云るは。其計る所何事なりとも知られず。同人又云。天智紀十年十一月。對馬國司。遣2使於太宰府1言。月生二日。沙門道久。筑紫君薩野馬。韓島勝波々。布師首磐。四人。從2唐使1來日云々。とあり。此に詔して。三年と云るは。相齟齬せり。蓋風濤の難に依て遲々たりしか。また按に。竹野郡に唐島村あり。韓島勝波々は。此地の人なるべしと云り。さることなり○達を。トツクと訓るは。或人云。屆とおなじ。重之集に。その原やふせやにとつくかけはしも。誰ゆゑにかはわれはわたらじ。と云り。次文にも得v通《トツク》2天朝1とあり○任博麻計。中臣本に任を依に作る○及至曾孫也。田令に。凡功田。大功世々不v絶。上功傳2三世1。中功傳2二世1。下功(3870)傳v子。また禄令に見ゆ〇三族。漢書高帝紀注。如淳曰。父族。母族。妻族也○以顯其功。この大伴部博麻が。功のいみじきに就て。上妻郡に。大伴部博麻呂靈神。と云へる碑を立たる人あり。其事を記して。矢野幸夫云。去る文久二年。上妻郡北川内村地下名に。伊勢社に詣つ。境内に一孤丘あり。丘上に古冢あり。漢土に於て大功ありし人の墳墓なり。と云り。其人とさだかに言傳へぬぞ。中々床しかりける云々。社司小川氏も。まことにさることなりと。うなづきぬ。其冬上京せしに。表面の銘を菅家に乞ひ。背面は史に載られたる義烈傳の文を。刻みてよと云遣しければ。頓て其碑を立たりき云々。と云り。【さて又これは博麻がことにはあらで。似たる事の因に此に載す。靈異記上。伊豫國越智郡大領之先祖。越智直。爲v救2百濟1。遣(サレテ)到v軍之時。唐兵所v擒。至2其唐國1。我國八人。同往2一洲1。償2得一觀音菩薩像1。信敬尊重。八人同v心。竊截2松木1。以爲v舟。爰隨2西風1。直來2筑紫1。朝廷聞v之。召問v事。天皇來令v申2所1v樂《ネガフ》。於是越智直言。立v郡欲v仕。天皇可(タマフ)。然後建v郡造v寺.即置2其像1云々。と云事を載せたり。これも此御代ごろの事なるべし。】○壬申。二十九日なり○藤原宮。舊都趾要覧云。藤原宮趾。大和國高市郡鴨公村。大字高殿。字宮所。字大宮。字京殿。字南京澱。字北京殿。字大君。字宮ノ口。これ皆皇居敷地の一局部也。と云へり。此大宮は。畝火。香具山。耳梨山の眞中に在り。此宮を造りたまへること。萬葉一の藤原宮の役民作歌に。八隅知之《ヤスミシシ》。吾大王《ワガオホキミ》。高照《タカヒカル》。日之皇子《ヒノミコ》。荒妙乃《アラタヘノ》。藤原我宇倍爾《フヂハラガウヘニ》。食國乎《ヲスクニヲ》。賣之賜牟登《メシタマハムト》。都宮者《オホミヤハ》。高所知武等《タカシラサムト》。神長柄《カムナガラ》。所念奈戸二《オモホスナヘニ》。天地毛《アメツチモ》。縁而有許曾《ヨリテアレコソ》云々。また藤腰宮御井歌。八隅知之《ヤスミシヽ》。和期大王《ワゴオホキミ》。高照《タカヒカル》。日之皇子《ヒノミコ》。麁妙乃《アラタヘノ》。藤井我原爾《フヂヰガハラニ》。大御門《オホミカド》。始賜而《ハジメタマヒテ》。埴安乃《ハニヤスノ》。堤上爾《ツヽミノウヘニ》。在立之《アリタヽシ》。見之賜者《メシタマヘバ》。日本乃《ヤマトノ》。青香具山者《アヲカグヤマハ》。日經乃《ヒノタテノ》。大御門爾《オホミカドニ》。春山跡《ハルヤマト》。之美佐備立有《シミサビタテリ》。畝火乃《ウネビノ》。此美豆山者《コノミヅヤマハ》。日緯能《ヒノヌキノ》。大御門爾《オホミカドニ》。彌豆山跡《ミヅヤマト》。山佐備伊座《ヤマサビイマス》。耳高之《ミヽナシノ》。青菅山者《アヲスゲヤマハ》。背友乃《ソトモノ》。大御門爾《オホミカドニ》。宜名倍《ヨロシナベ》。(3871)神佐備立有《カムサビタテリ》。名細《ナグハシ》。吉野乃山者《ヨシノヽヤマハ》。影友乃《カゲトモノ》。大御門從《オホミカドユ》。雲居爾曾《クモヰニゾ》。遠久有家留《トホクアリケル》。高知也《タカシルヤ》。天之御影《アメノミカゲ》。天知也《アメシルヤ》。日御影乃《ヒノミカゲノ》。水許曾者《ミヅコソバ》。常爾有米《トキハニアラメ》。御井之清水《ミヰノマシミヅ》。とよめり。歌に藤井が原とよめる。即こゝに。上つ代より異なる清水ありて。所の名となりしものぞ。香山の西北の方に。今清水ありと云。と略解に云り。さて八年に此に遷給ひ。文武天皇慶雲元年十一月。始て藤原宮を定め給へり。
 
 
十一月(ノ)甲戌(ノ)朔庚辰。賞2賜(スルコト)送使金高訓等(ニ)1。各有v差。甲申奉(テ)v勅(ヲ)。始(テ)行2元嘉(ノ)暦(ト)。與2儀鳳(ノ)暦1。十二月(ノ)癸卯朔乙巳。送使金高訓等罷歸。甲寅。天皇幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。丙寅。天皇至v自2吉野(ノ)宮1。辛酉。天皇幸(テ)2藤原1。觀2宮地(ヲ)1。公卿百寮皆|從《オホミトモニシタガヘリ》焉。乙丑。賞2賜公卿以下(ニ)1。各有v差。
 
 
庚辰。七日なり○甲申。十一日なり○行元嘉暦與儀鳳暦。暦のことは。推古紀十年十月。百濟僧觀勒來之。仍貢2暦本云々之書1。とある暦本を。此まで用ゐ給ひしものなるべきこと。既に云り。さて此の暦は。通證に。三代實録曰。始用2元嘉暦1。次用2儀鳳暦1。元嘉暦。宋元嘉二十年。何承天造。儀鳳暦即麟徳暦。唐麟徳二年。李淳風造。釋曰。國史天平寶字七年。始用2大衍暦1。貞觀三年用2宣明暦1。大衍暦。唐開元十六年。僧一行造。宣明暦。長慶二年徐昂造。とあり。右の如くなれば。此時元嘉暦儀鳳暦を。共に用ゐしには(3872)あらず。なほ始は元嘉暦を用ゐて。後に儀鳳暦を用ゐしなりけり。さて其元嘉暦を用ゐ始しは。六年壬辰よりの事なり。また儀鳳暦は。文武天皇元年よりの事なるよし。三正綜覧に云れたりつ【なほ暦の事は。平田翁が天朝無窮暦に委しければ。今いはず。本書に就て心得べし。】○乙巳。三日なり○甲寅。十二日なり○丙辰。十四日なり○辛酉。十九日なり○乙丑。二十三日なり。
 
 
 
(3873)日本書紀通釋卷之七十
             飯田武郷謹撰
 
五年春正月(ノ)癸酉(ノ)朔(ニ)。賜2親王。諸臣。内親王《ヒメミコ》。女王。内命婦《ヒメマチギミ》等(ニ)位(ヲ)1。
 
親王。此下恐くは。諸王(ノ)二字を脱しゝものなるべし○内親王。始て見えたり。通證云。學山録曰。唐從2漢魏制1。天子姉爲2長公主1。女爲2公主1。然則稱2皇女1。爲2内報王1。皇朝所v創也。とあり○内命婦等位。公事根源云。女叙位八日。是は女房の位階を叙せらるゝ事にて。隔年に行はる。其儀。大方は叙位に同じ。大|りんてん《輪轉》。小りんてん。きりくひの申文。うつほ勘文。などいふ物あり。切杭の申文といふは。たとへば。生年十一歳の女官。四十年の勞をもて叙爵するなり。其故は。かの十歳の女の母。卅にもならば。其間の勞をかんがへて。母の卅年と。女の十年とを取合て。四十年の勞になして。五位の爵を申なり。是をきりくひの申文とはいふべし。又典侍。掌侍。命婦。藏人。東《アヅマ》竪子。はし/”\の。物を叙することあり。二位三位など。さるべき人あれば。叙せらるゝなり。中にもあづまわらはと云は。内侍司の被官にあるものにて。行幸の時姫松とて。をかしき馬に乘て供奉する。これがことなり。是は三子《ミツゴ》をもちゐらるゝにや。三子は天子の守りにてあるよし。由緒も侍る故とかや。年毎に申文をいたして。(3874)必五位の位を給なり。是は昔より同じ名乘を相申して。紀朝臣季明となのる。いとふしぎなる事にこそ。持統天皇の御宇正月に。内親王以下の位を給と侍るは。女叙位のはじめなんかし。とありて。此時を女叙位の始としたり。しかるに帝王編年紀に。天武天皇十三年乙酉。始授2婦女位階1。とあるは。本紀にも見えず。據あるをしらず。
 
 
己卯。賜2公卿(ニ)飲食《ヲシモノ》衣裳1。優《ニギホヘ》3賜(コト)正廣肆百濟(ノ)王余禅廣。直大肆遠寶。良虞。與(ニ)2南典1。各有v差。乙酉。増v封《ヘヒト》2皇子高市(ニ)1。二千戸。通(ハセテ)v前三千戸。淨廣貳皇子穗積(ニ)。五百戸。淨大參皇子川島(ニ)。百戸。通(ハ)v前(ニ)五百戸。正廣參右大臣丹比(ノ)島眞人(ニ)。三百戸。通v前(ニ)五百戸。正廣肆百濟王禅廣(ニ)。百戸。通(ハ)v前二百戸。直大壹布勢御主人(ノ)朝臣。與(ニ)2大伴御行(ノ)宿禰1。八十戸。通(ハ)v前(ニ)三百戸。其|餘《ホカハ》増v封各有v差。丙戌詔(テ)曰。直廣肆筑紫(ノ)史|益《マサル》。拜《メシヽヨリ》挿2筑紫(ノ)大宰(ノ)府典《ツカサノフムヒトニ》1。以來。於今二十九年矣。以(テ)2清白忠誠《アキラケキマメコヽロヲ》1。不2敢(テ)怠惰《タユマ》1。是政賜3食封《ヘヒト》五十戸。※[糸+施の旁]十五匹。緜二十五屯。布五十端。稻五千束1。戊子。天皇幸(ス)2吉野宮(ニ)1。乙未。天皇至v自2吉野(3875)宮1。
 
 
己卯。七日なり○公卿。本に公を八に誤る。今諸本に據て正す○優賜。爾保倍の訓。釋も同じ。これは。ニキホヘの伎を脱したるなり。下に見えたり○余禅廣。天智紀天武紀に善光王に作る。余は扶餘の姓を略したるなり。類史に金に作るは誤なり○遠寶は。誰の子なりや。詳ならず。もしくは禅廣の弟などか。續紀。和銅元年三月。五五位上百濟遠寶。爲2左衛士督1。天平六年三月。散位從四位下百濟王遠寶卒。とあり○良虞は。禅廣の二子なり。既に出〇南典も詳ならず。元明紀。百濟王南典爲2備前守1。聖武紀。天平九年九月。正四位上百濟王南典授2從三位1。○乙酉。十三日なり○穗積五百戸の下。通v前何戸とあるべきなり○淨大參皇子川島。本に皇子二字を脱せり。今中臣本考本に據る。考本に川を河に作る○丙戌。十四日なり○筑紫史益。姓氏録左京諸蕃。筑紫史。陳思王植之後也。とあり。氏人は。東大寺正倉院文書。駿河掾竺志史君足見ゆ。元正帝の時なり。桓武紀。近衛將監筑紫史廣島賜2野上連1。などあり○大宰府典。職員令。大宰府。大典二人。少典二人。とあり〇五十戸。本に十を千に作る。今中臣本考本に據る〇五千束。千は恐くは十の誤なるべし○戊子。十六日なり○乙未。二十三日なり。
 
 
二月壬寅(ノ)朔(ニ)。天皇詔(テ)2公卿等(ニ)1曰。卿等《イマシタチ》於2天皇(ノ)世(ニ)1。作(テ)2佛(ノ)殿。經(ノ)藏(ヲ)1。行2月(ゴトノ)六(3876)齋《ムヨリイミヲ》1(3876)。天皇|時々《ヨリ/\》遣(テ)2大舍人(ヲ)1問訊《トハセタマフ》。朕世(ニモ)亦如v之。故當3勤《イソシキ》心(ヲモテ)奉2佛(ノ)法(ヲ)1也。是日(ニ)。授2宮人(ニ)位(ノ)記(ヲ)1。三月壬申朔甲戌。宴2公卿(ニ)於西(ノ)廳《マツリゴトヾノニ》1。丙子。天皇觀2公私(ノ)馬(ヲ)於御|苑《ソノニ》1。癸巳詔(テ)曰。若有(バ)2百姓(ノ)弟爲(ニ)v兄(ノ)見(コト)1v賣者。從v良《オホミタカラニ》。若子爲2父母1見(バ)v賣者。從v賤《ヤツコニ》。若|准《ナズラヘテ》2貸倍《カリモノヽコニ》1。没《イレラバ》v賤《ヤツコニ》者。從v良《オホミタカラニ》。其子雖v配《タクヘリト》2奴婢(ニ)1。所v生亦皆從v良。
 
 
於天皇世。天武御世なり。天は恐くは先の誤なるべし〇月六齋。崇峻紀に。三度を美與利とよめり。ムヨリは六度なり。續紀天平九年八月。令云々。毎月六齋日。禁2斷殺生1。雜令。凡月六齋日。公私皆斷2殺生1。義解謂。六齋(ハ)八日。十四日。十五日。二十三日。二十九日。三十日。とあり。通證に。按六日齋。詳見2提謂經1。○宮人位紀。秘閣本宮を官に作る。按になほ宮人の方なるべし。さるは宮人は。冠を賜はざるが故に。位記を賜ふなるべし。この事三年九月に。既に云ると見合すべし○甲戌。三日なり〇丙子。五日なり○御苑。前紀に白錦御苑あり○癸巳。二十二日なり○詔曰云々。弟か兄の爲に賣らるゝ事あらむには。賤にはなさぬ法にて。なほ良民に附け。子が父母の爲に賣らるゝは。賤民に從《ツケ》よとなり。これ賣らるゝは同じけれども。父母は全く我子を。己が物に爲べき資格ありとなるべし○准貸倍。通證(3877)に。貸倍謂2貸借之利倍1也。とあるが如く。貸り物の利に奴婢と爲し。賤に没《ナ》りたるものも。なほ免じて良民に從《ツケ》よ。賤民に同くすることなかれとなり。この事。孝徳紀大化元年の條と併せ見るべし。【韓文。柳州(ノ)俗。以2男女1。質v錢。約不2時贖1。子本相r。則没爲2奴婢1。などあると同じ俗なり。】
 
 
夏四月(ノ)辛丑(ノ)朔(ニ)。詔曰。若氏(ノ)祖(ノ)時(ニ)。所v免《ユルサ》奴婢(ノ)。既(ニ)除《ノゾカレタラムハ》v籍《ヘフムダニ》者。其|眷族《ヤカラ》等(ヲ)。不v得3更(ニ)訟(テ)言(コトヲ)2我(ノ)奴婢(ト)1。賜2大學(ノ)博士《ツカサ》上《カミノ》村主百濟(ニ)。大税一千束(ヲ)1。以(テ)勸2其|學業《ミチヲ》1也。辛亥。遺(テ)2使者(ヲ)1。祭3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。丙辰。天皇幸2吉野宮(ニ)1。壬戌。天皇至v自2吉野(ノ)宮1。
 
 
氏祖時。先祖(ノ)を云○既除籍者云々。先祖の時に。既に奴婢を免じて。其籍を除きたらんには。其一類を。わが奴婢と言ことを得ずとなり。この類の訟。當時ありしものと見えたり。通證に。古者有2奴婢之訴1。文選奏2彈劉整1。可2以觀1。と云り○大學博士。職員令。大學寮博士一人。掌d教2授經業1。課c試學生u。○上村主百濟。上村主既に出。續紀慶雲元年二月。上村主百濟。改賜2阿刀連1。とあり○大税。文武紀に。三簡年不v收2大税之利1。令義解に。凡官稻之源。出v自2田租1。即分爲v三。一曰大税。二曰籾税。三曰郡稻也。とあり。大税。また大租とも云。即正税にて本穎を云。籾穀は※[米+造]穀なり。正税本稻は。穎にて(3878)收むれども。利稻の年中(ノ)雜用に充つべき分は。※[米+造]穀にて收めしむるなり。郡稻は。田租中。雜用に充る爲に。割置くを云。これ大税籾税郡稻の三なり。さて稻と頴と穀と米との別は。藁本のまゝに苅取りて。把とし束としたるを稻と云。稻の穗のみ切取りたるを頴と云。穎の芒を揉み去りたるを穀と云。即籾殻なり。穀を舂て。其殻を去りたるを米と云ふ。即黒米なり。黒米を舂き精けて。糠を去たるを白米といふ。【序に云。穀一升を得べき程の稻を一把とし。十把を以て一束とす。一把の十分を一分とし。一分の十分を一毫とし。一毫の十分を一釐とす。穀米を量るに斗を用ゐる。其斗に沿革ありて。大升。滅大升の類。容量一ならずといへども。皆十撮を勺とし。十勺を合とし。十合を升とし。十升を斗とし。十斗を斛とし。一斛以上。十百千萬を以。數ふるなり。度量衡沿革篇と云書に詳なり。】○辛亥。十一日なり○丙辰。十六日なり○壬戌。二十二日なり。
 
 
五月辛未(ノ)朔辛卯。褒2美(テ)百濟(ノ)淳武微子(ガ)。壬申(ノ)年(ノ)功(ヲ)1。賜2直大參1。仍(テ)賜2※[糸+施の旁]布1。六月(ノ)庚子朔。京師及郡國四十(トコロニ)雨水《ミゾレフリ》。戊申詔曰。此夏|陰雨《アメ》過v節《トキニ》。懼(ハ)必|傷《ヤブラム》v稼《ナリハヒヲ》。夕(ニ)※[立心偏+易](テ)迄v朝。憂懼(テ)思2念厥|愆(ヲ)1。其令(テ)2公卿百寮(ノ)人等(ヲ)1。禁2斷(テ)酒完(ヲ)1。攝《ヲサメ》v心(ヲ)悔v渦(ヲ)。京及畿内(ノ)諸寺(ノ)梵衆《ノリンシドモ》。亦當(ニ)2五日誦1v經。庶(クハ)有(ムコトヲ)v補《シルシ》焉。自2四月1雨。至2于是月(ニ)1。己未。大(ニ)赦2天(ノ)下(ニ)1。但|盗賊《ヌスビト》不v在2赦例(ニ)1。秋七月(ノ)庚午(ノ)朔壬申。天皇幸(ス)2吉野(ノ)宮(ニ)1。是日。伊豫(ノ)國(ノ)司田中朝臣法麻呂等。献2宇和郡(ノ)御馬(ノ)山(ノ)白《シロ》銀三斤八(3879)兩《コロ》。※[金+非]《アラガネ》一籠1。丙子。宴2公卿(ニ)1。仍(テ)賜2朝服1。辛巳。天皇至v自2吉野1。甲申。遣(テ)2使者(ヲ)1。祭3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。
 
 
淳武微子壬申年功。この人の功。壬申紀に見えず。また其功いかにして。今まで賞なかりけん。すべて詳ならず○仍。考の一本に位に作れり○庚子朔。本にこの三字なし。今考本に據る○郡國四十。郡國の數四十なり。後漢明帝紀に。郡國十四雨水とあり。或説に。十音旬。古人以2十日1爲v旬。故如v此讀。と云るは非なり。考本には四十日とあり。これもよろしからず○戊申。本に申を子とあり。【大日本史云。今推2甲子1。是月庚子朔無2戊子1。疑戊午之誤。戊午十九日也。とあれど。】考本に戊申とあるに據る。九日なり○己未。二十日なり○壬申。三日なり○御馬山。和名鈔宇和郡三間美萬○白銀。秘閣本銀を銅に作る〇三斤八兩。雜令。權衡。二十四銖爲v兩。十六兩爲v斤。義解謂。以2秬黍中者百參重1爲v銖云々○※[金+非]。釋私記曰。師説未練白銀也。通證云。今按。字書※[金+非]與v※[金+皮]同。小釘也。恐當v作v※[金+鼎のような字]《カウ》。※[金+鼎のような字]金(ノ)璞《アラガネ》也。とあり。大日本史に※[金+鼎のような字]に作る。廣韻曰。古文鑛字。と云り。されど或人云。※[金+非]に然る義なしといへど。字鏡集難字記等に。※[金+非]アラカネの訓あれば。上代麁金に※[金+非]字を書しこと知べし。と云るによれば。本のまゝにてあるべし。※[金+皮]と同じと云る。通證の説は非なり○丙子。七日なり○辛巳。十二日なり○甲申。十五日なり。
 
 
八月己亥(ノ)朔辛亥。詔(テ)2十八氏(ニ)1。【大三輪。雀部。石上。藤原。石川。巨勢。膳部。春日。上毛野。大伴。紀伊。阿倍。佐伯。釆女。穗積。阿曇。平群。羽田。】上2進(3880)其祖|等《ドモノ》纂|記《フミヲ》1。辛酉。遣(テ)2使者(ヲ)1。祭2龍田(ノ)風神。信濃(ノ)須波。水内《ミヌチ》等(ノ)神(ヲ)1。
 
 
朔の下。類史七十一に。癸卯觀射の四字あり。癸卯五日なり。さてまた皇代記に。八月十日。始講2仁王經1。とあり○辛亥。十三日なり○膳部。集解云。按膳臣出2孝元紀1。膳部臣出2孝徳紀1。以後稱2膳朝臣1者。略2部字1者歟。とあり○紀伊。本に伊字阿曇の下に入たり。今中臣本に據る。また秘閣本には。紀を阿曇(ノ)下に入たり。それも宜し。かにかくに。こゝに伊字一字あるべきにあらず○纂記。本に纂を墓に誤る。今釋紀京極本等に據る。纂記は。所謂諸家の本系帳。氏文の類なり○辛酉。二十三日なり○須波は。信濃國諏訪郡なり。古くは記に科野國之洲羽海とあり。其記を撰み給ひし頃までは。信濃に屬せしを。ほどなく元正天皇養老五年六月戊戌に。割2信濃國1。始置2諏訪國1。とあり。中十三年ありて。また聖武天皇天平三年三月乙卯。廢2諏訪國1。并2信濃國1。とあり。須波神は。式信濃國諏訪郡南方刀美神社二坐【名神大】これなり。南方刀美命は。記に。大國主神の御言に。我子建御名方神あり。と申したまひし神にて。天孫降臨の時。此國を讓り奉らじとて。建御雷之男神と戰給ひしが。遂に爭競負て。洲羽海にて。殺されんと爲給ひし時に。除2此地1者。不v行2他處1。と誓約申して。服從奉り。それよりとこしへに。此國には鎭坐しゝなり。二坐とあるは。上(ノ)宮下(ノ)宮と二に分てり。主神はともに南方刀美神にます。【上宮には。攝杜に。后神八坂刀賣命一坐を祭れる社あり。下宮には。南方刀美神。事代生命。八坂刀賣命三坐を。一殿に祭れり。】さて此紀には漏たれど。古くは當社藏本の類史(3881)第百三十七。【古寫本】孝徳天皇八年二月。信濃園諏訪郡南方刀美神社。奉2勅使1。献2綿百純1。依2時疫1也。とあり。【この事他書には見えず。】次には此御時なり。諏方大明神繪詞云。八月一日勅使を遣して。須波水内等の神を祭る由。日本紀第三十卷に載たり。是則當社祭禮の始なるをや。今に到るまで。當日をば。月朔神事の最要とす。此事社記にも載たり。此年六月。京畿及郡國雨水ありしこと。上に見えたれば。風雨の爲の御祈にて。殊に勅使を遣されたるならん。と或人云へり。さも有べし。【但し繪詞に。當社祭禮の始と云るは。いかゞなり。官祭の始と云意ならんか。】さるはこゝに。龍田風神と。同列に祭られ給ふを以ても。祈年の御爲なること知られたり。袋草子云。信濃なる木曾路のさくら咲にけり。風の祝にすきまあらすな。と云俊頼朝臣の歌につきて。是は信濃國は。極めて風はやき所なれば。仍て諏方の明神の社に。風の祝と云物をおきて。春の始に。深く物に籠居て。祝して。百日の間尊重するなり。然ば其年凡風閑にて。爲2農業(ノ)1吉なり。それに自づから。すき間もあり。日光も見せつれば。風をさまらずといふ。其意なり。とあり。また夫木集に。信濃路や風の祝にこゝろせよ。しらゆふ花の匂ふ神がき。と云ことあるにても。古へより風の御祈ありしこと知られたり。さて此神と。次なる水内神と。まぎらはしき説あれば。因にこゝに委しく云べし。續後紀。承和九年五月丁未。奉v授2信濃國諏方郡无位勲八等御名方刀美神(ニ)從五位下1。【これ上下坐の神なり。】十月奉v授2信濃國无位健御名方富命(ノ)前八坂刀賣(ノ)神(ニ)從五位下1。【これ即説社に坐す后神なり。前とは南方刀美神の前の神の由なり。今|前《マヘ》宮と云。さるを記傳云。此健御名方富命は。水内郡なる社なり。八坂刀賣神は。諏訪社二坐の内の一坐にして。御名方富神の后神にして。今下諏方と云是なりと云る。甚くたがへり。一神の御名を。二柱と爲るが誤なるのみならず。水内郡なるは。式に健御名方富命彦神別神とありて。諏方神の彦神なり。この事は次にに云。】文徳實録。(3882)嘉祥三年十月。信濃國建御名方富命神。【印本は脱字あり。】建御名方富命(ノ)前八坂刀賣命神。並加2從五位上1。【建御名方富命神は。上下の兩杜なり。建御名方富命(ノ)前八坂刀賣命神は后神なり。上に同じ。】仁壽元年十月。進2信濃國【此間脱文】建御名方富命(ノ)前八坂刀賣命。【この御名にも印本は脱字あり。】兩大神加2從三位1。】こゝは信濃國の下に。建御名方富命神の七字を脱せり。さなくては。兩大神とあるに叶はず。さて又記傳に。諏方神に正三位を授奉給ふこと。此上にあるべし。と云るはたがへり。正三位を授奉給ふことは。此後に在べし。こゝは兩大神加2從三位1。と一(ツ)に總云れば。まぎるべきかたなし。たゞ建御名方富命の神名を。脱せるのみなり。さてまた諏方神とのみ云て。建御名方富神を。水内神と爲る。これまた誤なり。】三代實録。貞觀元年正月。正三位勲八等建御名方富命神(ニ)從二位。從三位建御名方富命(ノ)前八坂刀賣命神(ニ)正三位。同年二月。從二位勲八等建御名方富命神(ニ)正二位。正三位建御名方富命(ノ)前八坂刀賣命神(ニ)從二位。【これらの文も。前に同じ。然るに記傳には。こゝにも誤りて。八坂刀賣命神を下諏方とせり。】同九年三月。正二位勲八等建御名方富命神(ニ)從一位。從二位建御名方富命(ノ)前八坂刀賣命神(ニ)正二位。とあり。以上正史に見えたる限なり。かくくだ/”\しく言へるは。記傳の誤を辨んとて。載出たるなり。さて後。天慶二年に一位に進み給へること。園大暦延文元年八月。諏方社の注進状に就て。尋下されて。卜部兼豐宿禰の勘られたる請文に見えたり○水内神。和名抄。信濃國水内郡美乃知。式に。水内都健御名方富命(ノ)彦神別神社【名神大】とあるこれなり。此神は。諏方神社社記。神系圖等に依に。建御名方命の御子神なり。彦神は御子のよしの御名なり。【比古婆衣に。彦は孫の借字にて。健御名方富命の孫神にて。別《ワケノ》神と申すが御名なるべし。如此さまに唱る神號の例は。帳に常陸國新治郡。鴨大神(ノ)御子(ノ)神玉神社とあるなど。これなり。と云れたるは。諏方大神の御子なる杜傳を。知らざるが故の説なり。また記傳には。諏方榊と同神として。神階の事をも彼此説誤られたり。この事は上に云り。なほ次にも云べし。】さて其神社は。今の善光寺の地に坐しゝを。後に佛を境内に祭りしより。漸々に社地を横領し。社人をも盡く佛徒となし。社をば片隅へおし退けて。八幡。また年神堂など。唱を改め。小社となせり。【さて序に。善光寺草創の時世を考るに。伊呂波字類抄云。善光寺云々。推古天皇十年壬戌。(3883)四月八日。信濃國住人若麻績東人。上洛下向日。奉v傳2此佛1。自負而下云々。本國麻績村造v寺。奉v居云々。改v宅作v寺。善光寺是也。とある。此東人は。世に云。本多善光なるべきが如なれど。いかにも後世ざまの名にて。當昔かるを姓名。曾てあるべくもあらず。きれど字類抄は。古縁起などによりて。書れしものと見えて。其説正しく見えたり。但し改v宅作v寺とはあれど。東人自負て歸郷し。此佛像を信敬するが餘りに。隣郡なる水内郡の。彦神別神社にしも。此佛像を安置せしなるべし。扨善光寺は神宮なりしに。是を移し。本地佛の如くにして有つるを。其後世々を經て。漸く繁榮し。遂に堂塔を嚴重に造立し。本體の御神は微々と成り。有しも無が如く。たゞ佛安置の道場とのみ。人皆の思へりしなり。其は此神社のみにもあらず。諸國に此類多し。さて後に興造建立せしは。彼本多善光にて。即て其名を寺號とせしにぞありけむ。されば佛安置の祖源は。千二百年ばかりの上世なれども。善光寺と云名の押立て。世に知られたるは。さしも古き世にはあらじ。然云故は。國史以下の古書に。當國の佛寺。あまた載たる中に。善光寺といふは見えず。就中今昔物語集には。世に名ある寺々の限りを擧て。其開基創立の由來を述たるに。比寺の事。聊も云る事なし。たゞ扶桑略記。東鑑。平家物語には見えたり。されば此寺の興立せしは。其頃よりやゝ古くは見えたれども。いづれの時世といふ事詳ならず。】さてまた記傳に云。水内社は右の如く。古は諏方社に並ぶばかりの。名神大社に坐しに。今世に其社の詳ならぬは。甚く不審きわざなりと云れしも。かの國史につぎ/”\見えたるを。水内社なりと。おもへるからの誤なり。水内神は。こゝにみえたるのみにして。世々の史どもに。御贈階のこと一(ツ)も所見たることなし。されど式にも。名神大とあるを思へば。古は諏方社に並ぶばかりにても坐けん。されど其後。世々にいつしか衰へまして。諏方社とは。こよなくなり給ひぬと見えて。かく佛地とはなりはて給ひしにぞありける。なほ此水内社には。諏方社(ノ)御子神なる由を以て。上古には。諏方郡なる諏方社より。神官分れ來りて。其祭典を司りしものなるが。其人どもゝ。いつしか佛徒となりて。むねとは佛に奉仕せるものから。なほ神祭にも預れり。其事ども秘してありけるを。密に問し趣きとて。載せるものゝ中に。此善光寺寺中に。中衆十五坊と云るが有て。此社に奉仕れるが。これみな古の祠官の家なり。【此僧徒の。密々に仕奉れる嚴重《オゴソカ》なる祭ども。あまたあれど。くだ/”\しければ。今はもらしつ。】然るに明治一新の頃より。右の社をば。異地に【同村善光寺よりは東方なる畑中の丘なり。】遷しまつりて。今(3884)は純粹の縣社と仰がれ給ふ。そはいともよろこばしき事なれども。其本の社地をも。遂にみながら佛に併有《アハ》せられましにき。あなかしこ。
 
 
九月己巳(ノ)朔壬申。賜2音《コヱノ》博士大唐(ノ)續守言。薩弘恪。書《テノ・テカキ》博士百濟(ノ)末子善信(ニ)。銀人(ニ)二十兩1。丁丑。淨大參皇子川嶋薨。辛抱。以(テ)2直大貳(ヲ)1。贈2佐伯(ノ)宿禰大目(ニ)1。并(テ)賜2賻《ハフリ》物1。
 
 
壬申は。四日なり○音博士。職員令に。音博士二人。掌v教v音。官位令に。相當從七位上○薩弘恪。類史に恪を格に作る〇書博士。職員令。書博士二人。掌v教v書。官位令に從七位上とあり。通證云。書訓爲v手。亦見2萬葉集1。漢書郊祀志曰。天子識2其手1。師古注。手謂2所v書手跡1。とあり○銀人。類史に人上各字あり○丁丑。九日なり○皇子川島薨。懷風藻云。川島皇子。淡海帝第二子也。志懷温裕。局量弘雅。始與2大津皇子1。爲2莫逆之契1。及2大津謀逆1。島則告v變。朝廷嘉2其忠正1。朋友薄2其才情1。議者未v評2厚薄1。然余以爲。忘2私好1而奉v公者。忠臣雅事。背2君親1而厚v交者。悖徳之流耳。但未v盡2爭友之益1。而陷2其塗炭1者。余亦疑v之。位終2淨大參1。時年三十五。とあり。萬葉二に。柿本朝臣人麻呂が。葬2河島皇子(ヲ)越智野1之時。献2泊瀬部皇女1歌を載たり。泊瀬部皇女は。天武の皇女にて。河島皇子の御妻なり。其よし右の歌に見えたり。さて越智野は。高市郡越智とある處にて。眞弓(ノ)丘に近し。右の長歌の句中にも。(3885)玉垂乃《タマダレノ》。越乃大野之《ヲチノオホヌノ》。旦露爾《アサツユニ》。玉藻者※[泥/土]打《タマモハヒヅチ》。夕霧爾《ユフギリニ》。衣者沾而《コロモハヌレテ》。草枕《クサマクラ》。旅宿鴨爲留《タビネカモスル》。不相君故《アハヌキミユヱ》。反歌に。敷妙乃《シキタヘノ》。袖易之君《ソデカヘシキミ》。玉垂之《タマダレノ》。越野過去《ヲチヌニスギヌ》。亦毛將相八方《マタモアハメヤモ》。とあり。御墓今詳ならず○辛卯。二十三日なり○賻は。玉篇賻以v財助v喪也。とあり○皇代紀に。六年辛卯九月。遣2使諸國1。定2町段1。始置2中納言1。とあり。此月のことなり。されどこの文はうたがはし。
 
 
冬十月(ノ)戊戌(ノ)朔(ニ)。日有v蝕(コト)之。乙巳詔(テ)曰。凡先(ノ)皇(ノ)陵(ノ)戸者。置(テ)2五戸以上1。自餘王|等《タチノ》有v功《イタハリ》者(ニハ)。置2三戸1。若陵戸不(ハ)v足。以(テ)2百姓(ヲ)1充(テ)。免2其|※[にんべん+謡の旁]※[人偏+殳]《ミユキ》1。三年(ニ)一(ビ)替。庚戌。畿内及諸國(ニ)置2長生《イキハナツ》地各一千歩1。是日。天皇幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。丁巳。天皇至v自2吉野1。甲子。遣(テ)2使者(ヲ)1。鎭2祭(ラシム)新益京《シヌヤクノミヤコヲ》1。
 
 
乙巳。八日なり。類史には。此條九月辛巳に作る。【十八日なり。】恐くは誤なるべし。同書一本には。本書と同じく。此月の事としたり○先皇陵戸云々。諸陵式に。凡山陵者。置2陵戸五烟1。令v守v之。有功(ノ)臣墓者。置2墓戸三烟1。其非2陵墓戸1。差點令v守者。取2近陵墓戸1充v之。凡陵戸。及守戸(ノ)計帳者。寮差2專當人1。注v名申v省。分遣2本郷1。與2國司1共相知勘造。其戸籍亦差2遣專當官人1。勘造。などあり。陵戸は陵地に附たる戸。守戸は差點して陵を守る戸なり○自餘王等。右の式には。有功臣墓とありて。王の墓の事なし。其は(3886)後の制なり○以百姓充とは。なべての百姓の。其近邊に住るものなるべけれど。式は近2陵墓1戸とあるが異なるなり〇※[にんべん+謡の旁]役を。ミユキとあるに據れば。役をエと云は。ユキの釣れる言なること知られたり。ミユキは身征《ミユキ》の義なり○庚戌。十三日なり○長生地は。釋に。兼方按。令v禁2殺生1之所。とあり○丁巳。二十日なり○甲子。二十七日なり○新益京。未詳。天武五年紀に。將v都2新城1。同十一年に。遣2于新城1。とあると一(ツ)なるべきか。己が考はそこに云り。釋紀に。兼方按。藤原宮地也。私記曰。新益《シンヤク》音讀。とあるはさる傳もありしにや。また地名字音轉用例には。新益をニヒキとよみて。今添下郡に。新木村と云處なりと云り。キにエキの音を用られたるは。猶|大伯《オホク》の伯の如し。好字を撰みてなるべし。と云れたり。これもたしかにはいひがたし。さて鎭祭は。延喜式に新宮地祭式あり。こゝも其等の事か。詳に知がたし。
 
 
十一月(ノ)戊辰朔辛卯。大|甞《ニヘ》。神祇(ノ)伯中臣朝臣大嶋。讀2天(ノ)神(ノ)壽詞《ヨゴトヲ》1。壬辰。賜2公卿(ニ)衾1。乙未。饗3公卿以下。至(デニ)2主典《フムヒトニ》1。并(テ)賜2絹等1。各有v差。丁酉。饗d神祇官(ノ)長上《ナカツカヘ》以下。至2神|部等《トモラニ》1。及|供奉《ソノコトニツカヘマツル》播磨國。因幡(ノ)國(ノ)。郡(ノ)司以下。至(デニ)c百姓(ノ)男女(ニ)u。并賜2絹等1。各有v差。
 
 
(3887)本に。朔辛卯の三字脱たり。今京極本考本に據る。辛卯は二十四日なり○大甞。通證云。縁起式曰。凡踐祚大甞。七月以前即位者。當年行v事。八月以後者。明年行v事。此據2受v讓即1v位。非v謂2諒闇登極1。今按。天武二年二月即位。其年行v事。此(ハ)是四年正月即位。則當v在2其年1。而明年行v之。蓋有v所v避也。と云り。去年は避るところありて。ことし即位の大甞を行れ給ひしなるべし。さて其避る所以は。詳に知がたし○壬辰。二十五日なり○衾。朱鳥元年六月御衣御被云々の下に云へり。【通釋六十八。】○乙未。二十八日なり○丁酉。晦日なり○神祇官長上。通證云。職員令。神祇官義解謂。於2此令1。長上番上。色制不v分。即知卜部二十人。長上約在2其中1。長上(ノ)訓。釋同。善最兼備者入2長上1。六位以下之事也。詳見2選叙令1。縁起式曰。長上(ノ)選。番上(ノ)選。亦各有2人數1。蓋長上(ハ)常番《ヒラヅメ》也。番上(ハ)分番也。通雅曰。長上(ハ)長直不2番上1也。通鑑晉安帝紀胡注。凡衛兵(ハ)。皆更番迭上。長上(ノ)者(ハ)不2番代1也。と云り。神祇官の職員。六位以下のものなり○神部のことは。既に出。令神祇官神部三十人。【神部の訓。カムトモ又カムヘと訓べし。トモノワと訓ては。其|長《ヲ》の事となりてたがへり。】○供奉は。卜定の國郡なり。
 
 
十二月戊戌(ノ)朔己亥。賜2醫(ノ)博士務大參徳自|珍《チヌ》。咒|禁《ゴムノ》博士木素丁武。沙宅萬首(ニ)。銀人(ゴトニ)二十兩1。乙巳詔(テ)曰。賜2左右(ノ)大臣(ニ)宅地四町。直廣貳以上(ニハ)二町。直大參以下一町1。勤以下至(デハ)2無位(ニ)1。隨(ハム)2其|戸口《ヘヒトニ》1。其|上《カミツ》戸(ニ)一町。中戸半町。下(ツ)戸(3888)四(ニ)分(テ)之一。王等亦准v此。
 
 
己亥。二日なり○醫博士。令。典藥寮醫博士二人○咒禁博士。典藥寮咒禁博士二人。六典云。掌d教2咒禁生1。以2咒禁1。祓c除邪魔之爲v試メu。とあり○沙宅萬首。類史に此四字なし。一本にはあり。無は脱たるなるべし○銀人。類史に人(ノ)上各字あり○乙巳。八日なり○左右大臣。本に左字脱たり。今考本に據る○直大參。本に直字脱たり。今考本に據る○隨其戸口とは。集解に按言隨2其家人數1。と云り○上戸中戸下戸。田令に。上戸義解謂。凡戸(ノ)上中下者。計2口多少1。隨v時量定(メヨ)。其餘條稱2上上戸中中戸等1。亦准2此例1也。とあり。【又賦役令に見ゆ。】されば。こゝも其家人數の多少を云るなり。通證に。天武紀曰。先知2富貧1。簡2定三等1。是也。と云れたるは誤なり。富貧の謂にはあらず〇四分之l。續紀。天平六年九月。班2給難波京宅地1。三位以上(ハ)一町以下。五位以上(ハ)半町以下。六位(ハ)四分之一之以下。などありて。四分の一は。一町を四分にして。其一を賜はる事なるか。後には狹き家の稱ともなれりと見えて。大鏡に。顯忠大臣の家のことを。此おとゞのみぞ。御族《ミソウ》の中に。六十餘までおはせし。四分の一の家にて。大饗したまへる人なり。富の小路の大臣と申とあり。また制に超えて廣き家を占むるをも。禁め給ひて。日本紀略長元三年四月二十三日。伏議。諸國吏。居處不v可v過2四分一宅1。近年多造2營一町家1。不v濟2公事1。又六位以下築垣。並檜皮葺宅。可2停止1者。など云事も見えたり。
 
 
(3889)六年春正月(ノ)丁卯朔庚午。増(コト)v封《ヘヒト》2皇子高市(ニ)1。二千戸。通(ハ)v前(ニ)五千戸。癸酉。饗2公卿等(ニ)1。仍(テ)賜2衣裳1。戊寅。天皇觀2新益(ノ)京路(ヲ)1。壬午。饗3公卿以下。至(デニ)2初位以上1。癸巳。天皇幸2高宮(ニ)1。甲午。天皇至v自2高宮1。二月(ノ)丁酉(ノ)朔丁未。詔(テ)2諸官(ニ)1曰。當(ニ)以(テ)2三月(ノ)三日(ヲ)1。將v幸2伊勢(ノクニヽ)1。宜知(テ)2此意(ヲ)1。備2諸(ノ)衣物《キモノヲ》1。賜2陰陽(ノ)博士沙門法藏。道基(ニ)。銀人二十兩1。乙卯。詔(テ)2刑部(ノ)省(ニ)1。赦2輕繋《トラヘビト》1。是日。中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂。上(テ)v表(ヲ)敢(テ)直言《タヾニマヲシテ》。諫d爭天皇(ノ)欲(ヲ)v幸2伊勢(ニ)1。妨(タマフコトヲ)於|農時《ナリハヒノトキヲ》u。
 
 
庚午。四日なり○癸酉。七日なり○戊寅。十二日なり○初位以上。此時未(ダ)初位と云位號はなきを。ここにかくあるは。孝徳紀大化三年の位號を。建武【初位又立身】とあるが如く。進冠四階の。後の初位に當れるを以。また初(ノ)位とも唱へしなるべし○癸巳。二十七日なり○高宮。葛上郡にあり○甲午。二十八日なり○至自。本に自字を脱せり。今中臣本集解に據る○丁未。十一日なり○詔諸官曰。靈異記云。釋曰。朱鳥七年壬辰二月。詔2諸司1。當三月。將v幸2行伊勢1云々。とあり。朱鳥七年とあるも同じ。此事は已に云り○賜陰陽博士。本に賜字を脱せり。今中臣本考本。類史官庫本。兼永本等に據る。職員令。陰陽博士一人。掌v教2陰陽生等1。とあり。こゝなるは釋私記に。法師任2陰陽博士1者。と云り○道基。佐藤某が(3890)陰陽博士沙門道基傳と云ものあり。其前文に。沙門道基は。持統文武元明元正の頃に係れる人にて。陰陽に精しく。博士となり。又彫刻に秀《ヒ》でたり。本元興寺に住し。智牘世に聞えしか。後大和の壺坂寺を開創し。自ら千手大悲の尊像を彫刻して。之を安置し。遂に此に住し。又奈良三月堂の。千手大悲の尊像を刻したりしか。方今に傳はれり。然るを如何なる所以にか。其傳元亨釋書及本朝高僧傳等に見えざれば。かく文學に工藝にさへ。達したる名僧の。其の名の湮滅せしを惜み。正史野乘より。其事蹟の採るべきを聚集して。傳を作り。一は釋書高僧傳等の漏を補ひ。一は美術家の一粲に供せんとす。と云り。其引用書には。此なる持統紀。拾芥抄。大和名所圖會。伽藍開基記等を引て云り。。好古叢誌卷三に出たり。披き見るべし○乙卯。十九日なり○中納言。倭名抄奈加乃毛乃萬宇須豆加佐とあり。中納言はじめてこゝに見えたり。【但し元年紀に。納言布勢朝臣とあるを。補任には中納言とあり。この事そこに云り。】職原抄に。此年始置2中納言官1。其後罷之。慶雲四年又置之。とあるは。此の文によられたるものと見えたり。されど此年おかれしものとも見えず。【また上にも引る皇代記には。六年辛卯に。始置2中納言1とあり。これも信がたし。】〇三輪朝臣高市麻呂。三輪。靈異記に大神に作れり。麻呂本に麿(ノ)一字に作る。今中臣本考本に據る。下も同じ○妨於農時。高市麻呂の農時に心を用ゐしこと。靈異記に見えたり。次に引く。併せ考べし。
 
 
三月(ノ)丙寅(ノ)朔戊辰。以(テ)2淨廣肆廣瀬(ノ)王。直廣參當麻(ノ)眞人智|徳《トコ》。直廣肆紀(ノ)朝(3891)臣弓張等(ヲ)1。爲2留守官(ト)1。於是中納言三輪朝臣高市麻呂。脱(テ)2其|冠位《カウブリヲ》1。フ2上《サヽゲテ》於朝(ニ)1。重(テ)諫(テ)曰。農作《ナリハヒ》之|節《トキ》。車駕《キミ》未v可2以(テ)動1。辛未。天皇不(テ)v從v諫(ニ)。遂(ニ)幸2伊勢(ニ)1。壬午。賜2所過《スギマス》神郡。及伊賀伊勢志摩(ノ)國造等(ニ)冠位(ヲ)1。并(テ)免《ユルシ》2今年(ノ)調※[人偏+殳](ヲ)1。復|免《ユルシテ》d供奉(ル)騎士《ムマノリビト》。諸司(ノ)荷丁《モチヨボロ》。造2行宮(ヲ)1丁(ノ)。今年(ノ)調※[人偏+殳](ヲ)u。大(ニ)赦2天(ノ)下(ニ)1。但盗賊(ハ)不v在2赦例(ニ)1。甲申。賜2所過《スギマス》志摩(ノクニ)。百姓男女。年八十以上(ニ)。稻人(ニ)五十束1。乙酉。車駕《キミ》還v宮(ニ)。毎v所2到行《オハシマス》1。輙|會《ツドヘテ》2郡縣吏《クニコホリノツカサ》民(ヲ)1。務《ネムゴロニ》勞《ネギラヘ》賜(テ)作(セタマフ)v樂《ウタマヒ》。甲午詔(テ)。免d近江美濃尾張參河遠江等(ノ)國(ノ)供奉(レル)騎士《ウマノリビトノ》戸。及諸國荷丁。造2行宮1丁(ノ)今年(ノ)調※[人偏+殳](ヲ)u。詔(テ)令v賜2天(ノ)下(ノ)百姓。困乏《マヅシクシテ》窮《セマレル》者(ニ)。稻男(ニ)三束。女(ニ)二束(ヲ)1。
 
 
戊辰。三日なり〇三輪。中臣本に大三輪とあり○脱其冠位。脱冠と云こと。文選に脱冠謝朝とあり。こゝも然あるべきを。脱2冠位1とありては。少か意たがへり。【されど。冠に位の品定まりたれば。あながちに非事にもあらじ。】されどこゝに疑はしきよしあり。既にも云るごとく。此時は。早く冠はみな一樣となりて。位記を賜ひて。其品階を定め給ふとおぼしければ。こゝは其位記の事にやともおもはるれど。この事を靈異記には。脱2其蝉冠1とあり。【蝉冠の事は。孝徳紀に云り。】其に就て試に考るに。當時冠はみな一樣の漆紗冠なれど。其冠を飾る蝉《カザリグシ》を給(3892)ひて。其品位を分ち給ひしにや。さらば其蝉を脱てフ上せしは。即(チ)位を返し奉るよしなり。もしさもなくて。一樣の冠を脱たるのみにては。位を返すにはなるまじく。またたゞ位記のみならむには。脱とは書くまじくやあらん。されどこの事。他に明證なければ。うけばりては云がたからんか。よく考べし○辛未。六日なり○不從諫云々。靈異記上に。故中納言從三位大神高市萬呂卿者。大后天皇時忠臣也。有(リ)v記(ニ)曰。朱鳥七年壬辰二月。詔2諸司1。當2二月1。將v幸2行伊勢1。宜d知2此状1而設uv備焉。時中納言恐v妨2農務1。上言諫。天皇不v從。猶將2幸行1。於是脱2其蝉冠1。フ2上朝廷1。亦重諫v之。方今農節不可也。或遭2旱※[うがんむり/火]時1。便塞2上己(ガ)田(ノ)口(ノ)水1。施2百姓田1。施水既(ニ)窮。諸天感應。龍神降2雨唯卿(ガ)田1。不v落2餘(ノ)地1。堯雲舜雨還※[雨/沛]。諒(ニ)是忠信之至化義也。とあり。また懷風藻。藤原朝臣萬里。過2神納言墟1詩に。一旦辭v榮去。千年奉v諫餘。松竹含2春彩1。容暉寂2舊墟1。清夜琴樽罷。傾門車馬疎。普天皆帝國。吾歸遂焉(カ)如(ン)。』君道誰云v易。臣義本自難。奉v規終不v用。歸去遂辭v官。放曠遊2※[禾+(尤/山)]竹1。沈吟佩2楚蘭1。天※[門/昏]若一啓。將v歸水魚歡』とあるなど。諫の行はれざりしを。其世にも歎きし人あり。さて續紀大寶二年正月。從四位上大神朝臣高市麻呂。爲2長門守1。三年六月。爲2左京大夫1。慶雲三年二月卒。以2王申功1。詔贈2從三位1。とあり。【補任には。持統元年中納言。大寶元年三月二十一日。停2中納言1。任2左京大夫1。于時從四位上。とありて。續紀と異なり。】○壬午。十七日なり○所過神郡。郡を中臣本に部とあり。誤なり。さて神郡は。伊勢國度會多氣飯野三郡なり。大神宮式に見えたり。神宮雜例集云。皇大神御鎭坐之時。磯邊河以東。定2奉神國飯野多氣度相(ノ)評《コホリ》1也。などあり。この時のは度會多氣二郡なり。下に詳に云○伊賀國造(3893)は。國造本紀。伊賀國造。志賀高穴穗朝御世。皇子意知別命三世孫。武伊賀都別命。定2賜國造1。難波朝御世。隷2伊勢國1。飛鳥朝代割置如v故。伊賀國風土記云。伊賀國者。往昔屬2伊勢國1。大日本根子彦太|瓊天皇御宇《孝靈三年》癸酉。分而爲2伊賀國1。本此號者。伊賀津姫之所領之郡也。仍爲2郡名1。亦爲2國名1。とあり。和名抄。伊賀國伊賀郡あり。同郡阿我郷あり。孝徳御世の頃は。伊勢國に隷屬《ツキ》て。一國とは立ざりしなり。飛鳥朝に。割置如v故は。古への如く。【風土記なる大日本根子彦大瓊天皇御宇癸酉。分而爲2伊賀國1。とあるこれなり。きれどいさゝか疑はし。】一國に復し給ひしなり。其は倭姫命世紀。崇神天皇六十四年の注に。伊賀國。天武天皇|庚辰《九年》歳七月。割2伊勢國四郡1。立2彼國1。とある。即これなり。意知別命は垂仁の皇子なり。武伊賀都命の事ものに見えず。栗田寛云。國造本紀の上文に。以2天日鷲命1。爲2伊勢伊賀國造1。とあり。本文隷2伊勢國1とあると。併按ふに。古は天日鷲命の裔孫。世々兩國の國造なりしを。成務御世に。故ありて。殊に武伊賀都命を封じたまひしにやあむむ。と云り○伊勢國造は。國造本紀に。伊勢國造。橿原朝。以2天降天|牟※[羅を○で囲む]久怒《ムラクヌ》命孫。天日鷲命1。勅定2賜國造1。【本に羅字脱たり。倭姫命世記鼈述抄に。牟羅久怒とあり。天牟羅雲命とも申せり。】天牟羅久恕命は。天忍雲根命と同神なり。天日鷲命は。亦天日別命とも申せり。此命の伊勢國を賜りしこと。倭姫命世記に引る。裏書勘注に引る風土記。また一書。大同本紀等の書に委く見えたり。姓氏録左京神別。伊勢朝臣。天底立命六世孫。天日別命之後也。と見え。【なほ此系のことは。豐受禰宜補任次第に委し。】續紀神護景雲二年六月。以2從四位上外衛中將。兼造西隆寺長官。參河守勲四等伊勢朝臣老人1。爲2本國々造1。ともありて。伊勢朝臣と同氏なり○志摩國造は。國造本紀に。島津國造。志賀高穴(3894)穗朝。出雷臣祖。佐比禰足尼(ノ)孫。出雲笠夜命。定2賜國造1。とあり。島は志摩國也。津は助辭か。また志摩國は。海國にて津なりしが故に。島津と云しか。古事記に島之速贄とあり。古は伊勢に隷たりしにや。萬葉七。伊勢海之《イセノウミノ》。白水郎島津我鰒玉《アマノシマツガアハビダマ》。とよみ。また伊勢島などもよめり。名義は海中に差出たる國なれば。島字の義なるべし。出雲臣は。天穗日命の後なれども。佐比禰足尼。出雲笠夜命。ともに物に見えず。國造も此他に見あたらず。さて右の三國の國造どもは。此時事駕に仕奉りしものなるべし○甲申。十九日なり○所過志摩。通證云。今按。此時取2道於海濱1也。或伊勢志摩之國堺。與v今蓋異歟。廢帝紀曰。伊勢志摩兩國相爭。於v是遷2扈乘(ノ)※[戔+立刀]於葦淵1。續日本後紀曰。伊勢國答志郡。關氏分域指掌圖曰。按續日本紀。分2志摩國答志郡1。始置2佐藝郡1。此郡今則亡。伊良胡崎。存2名于參河1。錦島接2屬于伊勢1。其餘名勝。混2入勢紀1者。亦多矣。或曰。志摩本在2伊勢參河之間1。歴世既久。而爲2海水1所2淪没1。後來割2伊勢東偏1。爲2一國1也。とあり。この事はなほよく考べし○稻人。類史に人を各に作る○乙酉。二十日なり○車駕還宮。按に辛未六日より。乙酉二十日に至り。纔かに十五日程にして。志摩國をさへめぐりて還り給ふは。いとも速かなる御事なるにつきておもふに。かの高市麻呂朝臣が。農作の節なるを以。切に諫め奉りけん。其奏言をおもほしめして。かくは速く還幸なし給へる大御心と。おもひ遣り奉られたり。さらば高市麻呂が諫めも。かひなしとは申がたきが如し○毎所到行。本に所字脱たり。今中臣本に據る○務勞賜。務字下脱字あるべし○甲午。晦日なり○詔令賜。本に令字(ノ)下賜字脱たり。今本(3895)書(ノ)傍注。考本類史。一本に依る○困乏窮者。類史に困字なし。七年の下にも因乏窮者とあり○女二束。活字本に。二を三とあるは誤なり。
 
 
夏四月(ノ)丙申(ノ)朔丁酉。贈2大伴宿禰友國(ニ)直大貳1。并(テ)賜2賻物1。庚子。除d四(ノ)畿内(ノ)百姓(ノ)爲2荷丁1者(ノ)。今年(ノ)調※[人偏+殳]u。甲寅。遣(テ)2使者(ヲ)1。祀3廣瀬(ノ)大忌神(ト)。與2龍田(ノ)風神1。丙辰。賜d有v位親王以下。至(デニ)2進廣肆(ニ)1。難波(ノ)大藏(ノ)鍬《スキヲ》u。各有v差。庚申詔(テ)曰。凡|繋囚《トラハレビト》見徒《イマミツカフツミ》。一皆|原散《ユルシアカツ》。
 
 
丁酉。二日なり○大伴宿禰友國。傳知られず○庚子。五日なり〇四畿内。大和山城河内攝津なり。この後。元正天皇御世に。河内を割て和泉國を置り。其時より五畿内の稱あり○甲寅。十九日なり○丙辰。二十一日なり○賜鍬。倭名抄兼名苑云。※[秋/金]一名※[金+華]。和名久波。とあれど。誤なり。須峽と訓べし。既に云へり。さて親王を始め。諸臣といへども。田を作り給ふは。皇國の古風にて。神代よりの事なれば。かく鍬を給へるなり。これを或人。官人に鍬を給へるは。此時より始まれり。と云れしは。古のさまにくらきなり。【出雲風土記に。素戔嗚尊の。大國主神に。五百箇鋤を給へることなど。なほ其他にも證見えたり。】○見徒。本に徒字を脱せり。今中臣本集解に據る。
 
 
五月(ノ)乙丑(ノ)朔庚午。御2阿胡(ノ)行宮(ニ)1時。進v贄《オホニヘ》者。紀伊國牟婁(ノ)郡人。阿古志(ノ)海(3896)部河瀬麻呂等。兄弟三戸(ニ)。復《ユルス》2十年(ノ)調※[人偏+殳]雜(ノ)※[人偏+徭の旁殳]《ミユキヲ》1。復免2挾※[木+少]《カヂトリ》八人(ニ)。今年(ノ)調※[人偏+殳]1。辛未。相摸國(ノ)司。獻(レリ)2赤烏(ノ)※[(ヨ/ヨ)+鳥]《ヒナ》二隻1。言《マヲス》。獲2於御浦(ノ)郡(ニ)1。丙子。幸2吉野宮(ニ)1。庚辰。車駕還v宮(ニ)。辛巳。遣(テ)2大夫|謁者《モノマヲシヲ》1。祀2名《ナアル》山|岳※[さんずい+賣]《ヲカカハ》1。請《コヒス》v雨。甲申。贈2文(ノ)忌寸智徳(ニ)直大壹1。并(テ)賜2賻物1。丁亥。遣(テ)2淨廣肆難波(ノ)王等(ヲ)1。鎭2祭藤原(ノ)宮地(ヲ)1。庚寅。遣(テ)2使者(ヲ)1。奉2幣(ヲ)于四所(ノ)伊勢。大倭。住吉。紀伊(ノ)大神(ニ)1。告以2新(キ)宮《ミヤコヲ》1。
 
 
乙丑。中臣本に丙寅とあり。大小の羞あり○庚午。六日なり○阿胡行宮は。倭名抄志摩國英虞郡なり。萬葉一。幸2于伊勢國1時。留v京柿本朝臣人麻呂。嗚呼兒乃浦爾《アゴノウラニ》。船乘爲良武《フナノリスラム》。※[女+感]嬬等之《ヲトメラガ》。珠裳乃須十二《タマモノスソニ》。四寶三都良武香《シホミツラムカ》。四に。網兒之山《アゴノヤマ》。五百重隱有《イホヘカクレル》。佐堤乃埼《サデノサキ》。とある是なるべし。さて此は。三月伊勢行幸の時の行宮なり○阿古志。通證云。此又謂2阿胡1。と云り。細井貞雄云。志は尼に作るべし。阿胡根浦。萬葉集に見えたりと云れど。これは別處なり○河瀬麻呂。本に麻呂を暦に作る。今例に因て改む○雜※[人偏+徭の旁殳]。賦役令義解に。凡調庸之外。國中諸事。不v論2大小1。總爲2雜※[人偏+徭の旁殳]1也。とあり○辛未。七日なり○丙子。十二日なり○庚辰。十六日なり○辛巳。十七日なり○大夫謁者。漢書注に。謁者即周之行人也。と云り。集解云。按此謂謁者猶2使者1。とあり○名山は。大山なり。拾芥抄に。七高山。比叡。比良。伊吹。愛宕。金(3897)峰。神(ノ)峰。葛木。とあり。此等の類の山を云なるべし○甲申。二十日なり○文忌寸。上には書直とあり○丁亥。二十三日なり○庚寅。二十六日なり○大倭。式山邊郡大和坐大國魂神社○紀伊大神。式紀伊國名草郡伊太祁曾神社。【名神大月次相甞新甞。】是なり。此神の御事は。神代紀伊國所坐大神是也。とある下に委く云り。さて其大神に並べて。大屋都比賣神社。【名神大月次新甞。】都麻都比賣神社。【名神大月次新甞。】右三神を合せて。紀伊大神と申奉れるなり。重胤云。此紀伊大神を。日前國懸大神なりと云説あれども。其は非なり。地神本紀に此三神を。並坐2紀伊國1。即紀伊國造齋祠神是也。と所見たる。此(ノ)紀伊國造は。本より神代以降。右の日前國懸兩大神に供奉りて。其地に土《オチ》着る事はしも。神武東征の御時よりの事なり。即國造本紀。橿原朝御世。神皇産靈尊五世孫。天道根命。定2賜國造1。とある是なり。然るに此三神はしも。此國を木(ノ)國と云(フ)始より。此に御坐て。即木國と云も。此三神亦能分2布木種1とある。此御事に因れるなれば。即紀伊大神と申奉るならん。此三神に渡らせ給へりける。斯て天道根命はしも。右の日前國懸大神の。御神寶を供奉りて。此地に住給ひ初ては。此國の大神に仕奉らるべき理になん有ける。と云れたるにて明らけし○以新宮。釋紀私記に。宮下加2事字1讀。と云れたるが如くなるべし。さるにても。此四所にのみ。新宮の事を告し給へるは。いかなる故にかありけん。知がたし。
 
閏五月(ノ)乙未(ノ)朔丁酉。大水(アリ)。遣(テ)v使(ヲ)循《メグリ》2行(テ)郡國(ヲ)1。禀d貸《カシアタフ》※[うがんむり/火]害《ワザハヒアリテ》不v能2自存《ワタラフコト》1者(ニ)u。令(3898)v得v漁2採《スナドリシキコルコトヲ》山林(ノ)池澤(ニ)1。詔(テ)令(テ)3京師及四(ノ)畿内(ヲ)。講2説《トカ》金光明經(ヲ)1。戊戌賜2沙門觀成(ニ)。※[糸+施の旁]十五匹。綿三十屯。布五十端1。美2其所v造|鉛粉《シロキモノヲ》1。丁未。伊勢(ノ)大神奏(テ)2天皇(ニ)1曰。免(タマヘ)2伊勢國(ノ)今年(ノ)調※[人偏+殳](ヲ)1。然應v輸2其二(ノ)神郡(ヨリ)1。赤引《アカラヒキノ》絲參拾伍斤。於來年(ヨリ)。當(ニ)v折《ヘク》2其|代《シロニ》1。己酉。詔(テ)2筑紫大宰(ノ)率《カミ》河内(ノ)王等(ニ)1曰。宜遣(テ)3沙門(ヲ)於大隅(ト)。與(ニ)2阿多1。可v傳2佛(ノ)教《ミノリヲ》1。復(乙)送大唐大使郭務※[立心偏+宗](ガ)。爲d御2近江大津宮(ニ)1天皇(ノ)u。所v造阿彌陀像(ヲ)(甲)。
 
 
丁酉。三日なり○循行。本に循を修に作る。今京極本考本に據る○禀貸。通證に。禀(ハ)給也。貸(ハ)與也。とあるが如き義なるを。カヒオヒと訓れたるは。ひがごとなり。カシアタフなど訓べし○戊戌。四日なり○觀成。續紀五に。觀成法師爲2大僧都1とあり。中臣本京極本釋紀に。成を戒に作るは誤なるべし○綿三十屯。本に三十を卅に作れり。今考本に依る○鉛粉。倭名抄調度部。容飾具。粉。文選好色賦云。着v粉則大白。【紛之路岐毛能。箋注云。下總本岐作v以。與2伊呂波字類抄1合。之路岐毛能。見2活字本枕册子1。之路以毛能。見2空物語貴宮卷。枕册子。紫式部日記。榮花物語。五節卷莟花卷1。按説文。粉所2以傳1v面者也。徐※[金+皆]曰。古傳v面。亦用2米粉1。釋名釋首師。紛分也。研v米使2分散1也。急就篇注。粉謂2鉛粉及米粉1。皆以傳v面。取2光潔1也。典藥寮式。供御白粉料。糯米一石五斗。粟一石。然則西土皇國。古皆傳v面。以2米紛1可v知也。所謂之路岐毛能。即是。然後世無d著2米粉1之事u。唯有2鉛粉1。故之路岐毛能轉爲2鉛粉之名1。今俗謂2鉛粉1。爲2於之呂以1。是也。但源君所v擧之紛。古之米粉。抑後世之鉛粉。未v得2其詳1。】と云り。右の説に據らば。これまではみな米粉なりしが。此時より鉛(3899)粉を始て造りて奉《マヰ》らせしなるべし。この鉛粉をも。古本にシロキモノと訓り。【本には音讀にしたり。】通證云。水銀粉。和名波良夜。俗云。伊勢於志呂伊。出2勢州|射和《イサワ》1。爲2精品1。元明紀曰。使3伊勢献2水銀1。今飯高郡丹生山出。とあり。【また和名抄に。白粉俗云2波布邇1。と云ものあり。波布爾。榮花物語御裳着卷。簾中抄養生條に出たり。これも面に傳くるものなり。箋注に委し。披き見るべL。】○丁未。十三日なり○免伊勢國今年調※[人偏+殳]。大神のかく奏し給ふ故は。知べきよしなけれど。思ふに。今年三月天皇行幸の頃しも。農時に當りて。百姓の勞苦せるさまを。神ながらも憐ませおはし坐し。かくは乞し給ひしにもあるべし。さらば彼高市麻呂朝臣の。諫言のさまも。思知られて。いともかしこし○應輸。本に應字脱たり。今京極本中臣本兼永本類史に依る〇二神郡。神郡の事は上にも既に云る如く。其本は神國と云ひき。さて其神郡には。二神郡三神郡等の稱あり。【後には神八郡の稱もあり。】式の祝詞に。三郡國々處々とある處の祝詞講義云。即三神郡なり。また三箇神郡ともあり。神宮雜例集に。本記云。皇大神御鎭坐之時。大幡主命白久。己先祖天日別命(ニ)賜。伊勢國内。磯部河以東。神國定奉。【飯野。多氣。度會評也。】即大幡主命。神國(ノ)造大神主(ト)定給支。又云。難波長柄豐前宮御世。飯野。多氣。祖相。惣一郡也云々。と見えて。未此時三郡ならず。延暦儀式帳に。初2神郡度會多氣飯野。三箇郡1。本記行事條に。難波朝廷。天下立v評給時仁。以2十郷1分弖。度會乃山田原。立2屯倉1弖云々。以2十郷1分2竹(ノ)村1。立2屯倉1。云々。近江大津朝廷。天命開別天皇(ノ)御代爾。以2甲子年1。小乙下久米勝麻呂仁。多氣郡四箇郷申割弖。立2飯野高宮村屯倉1云々。三箇郡攝2一處1。太神宮供奉支。と有り。然れば其元一なりし處を。孝徳天皇御世に。分ちて度會多氣二郡と爲し。天智天皇甲子に。其(3900)多氣郡を割て。飯野郡を置たりしなり。合せて此を三箇神都と云ふ。然れども。右三郡の内。飯野一郡は。神都の員にして公郡なり。其は天智天皇御世に。二郡を別て三郡と成し。而して其一郡は。公郡に召しかども。然すがに憚思召す所の有けるなるべし。持統天皇六年紀に。神都とも二神都とも云名出たり。雜例集に載る。寶龜五年七月二十三日。太政官符に。多氣度會二箇郡云々。2箇神郡。と有て。又寛平九年九月十一日官符に。應以2伊勢國飯野郡1。寄2太神宮1。右郡云々。自今以後。永以奉v寄。と有て。此より全く神三郡に成れりしものなり。然れば儀式帳に紀されし延暦の頃は。未二郡なりし故に。止由氣宮儀式帳には。二筒神郡人夫云々。多氣度會二箇神都。所v進明曳(ノ)調糸乎。など有て。紛れなきを。皇太神宮儀式帳に。度會多氣飯野の三郡と云るは。其元三郡共に。一に攝て。太神宮の御縣なりしを。其割分れたる所以を以て云むとてなり。偖行事記に。此詞の載れるには。此三郡を八郡と爲り。其は延喜以後。文治迄に。五郡を増加奉給へるなり。雜例集に。伊勢國神郡八郡事。度會郡。多氣郡。飯野郡。已上謂2之神三郡1。又云。道後封戸九百七十一烟。員辨郡天慶三年八月符二百烟。三重郡應和二年二月二十三日符二百一烟。安濃郡天禄四年九月十一日符三百八十九烟。朝明郡寛仁三年九月十一日符云々。飯高郡文治元年九月九日符。とありて。合せて神郡八郡なり。【右は本書の要文をのみ約めて引り。】と云れたるにて知べし○亦引絲は。未(ダ)練ざる生糸の名なり。神祇令に。孟夏神衣祭。義解に。神服部等。齋戒潔清。以2參河赤引神調糸1。織2作神衣1。とありて。これは參河の神戸より献りて。伊勢の多氣郡の服部等。服部郷に在て織るな(3901)り。これに附て或説に。赤引は地名なりと云り。和名抄郷名に。同國寶飫郡赤孫安加比古とあり。若くは其地なりや。然も有らば。右の服部郷の神服部等。赤孫郷にて。糸を取ならんともおもはるれど。しからず。儀式帳職掌行事條。禰宜大初位上。神主公成の下に。又毎年九月。己之家仁養蠶乃|赤引《アカラヒキノ》生(キ)糸九※[糸+句]。織2奉太神御衣仁1供奉。と有を見れば。赤引は糸の名にて。地名に非ずと。重胤が云れたるが如し。此なるは。六月月次祭祝詞に。三郡國々處々爾。寄奉禮留。神戸人等能。常毛進留御調糸。とある。即それにて。御調糸は。太神宮式に。太神宮赤引絲四十※[糸+句]。木綿大七斤。麻大十二斤。とあり。儀式帳に。御調荷前供奉行事。布引糸四十斤。右以2五月三十日1。御調專當郡司。並調書生。及郡長服長等。爲2大解除1。忌慎侍。亦郡内諸百姓等。人別私家解除清弖。御調(ノ)糸持(テ)。參2向太神宮司仁1。即太神宮司卜定弖。糸遠令2編定1。御調櫃(ニ)入弖。鹽湯持弖清弖。御調倉進納畢。以2六月十七日朝時1。從2御調倉1。下《オロシ》弖。預度會多氣郡司。並調書生。服長等。御前(ヲ)追(ヒ)。持2參入太神宮1。供奉行事波。神服織。神麻績御衣供奉。行事亦同。御調荷前絹一百疋。右絹勸備奉行事。赤引糸奉時止同。など見えたり。此調系を。行事記に載る此文には。赤良曳(ノ)荷前御調糸とあり。度會宮は。赤引糸卅※[糸+句]。木綿大四斤。麻大十斤と。大神宮式に見え。儀式帳には。御調糸進入卅※[糸+句]と有りて。小注に。見v進2入廿八※[糸+句]1。高宮御料分二※[糸+句]。と記せり。【神祇令には。止に引る如く。三河赤引神調糸の事有れども。式及儀式帳には。多氣度會二郡の由見えたり。】なほ兩宮儀式帳五月例。六月例。及年中行事にも見えたれど。今は引出ず。【赤引を。通證に赤色糸也と云れど。赤色なりと云る證見あたらず。明ら引にて。糸の清淨なるを云る名なるべし。】○當折其代。通證に。折准折也。訓見2欽明紀1。とあり。分折の意(3902)にて。今年の當國の調※[人偏+殳]の數に足(ル)まで。來年神郡より輸すべき赤引絲三十五斤の内を折《ヘキ》て。調※[人偏+殳]を充てむとなり○己酉。本に己を乙に作る。今通證引一本。考本に據る。十五日なり○上送云々。壬申年郭務※[立心偏+宗]が。筑紫に在ける時。所造の佛像。其まゝにて在けるを。今大宰に命せて。上送せしめ給ふよしなり。或説に。此一章當v有2脱誤1と云れたれど。よく聞えたり。
 
六月甲子(ノ)朔壬申。勅(テ)2郡國(ノ)長吏《コノカミツカサニ》1。各祷2名(アル)山岳|涜《カハ》1。甲戌。遣(テ)2大夫謁者(ヲ)1。詣(テ)2四(ノ)畿内(ニ)1。請v雨(ヲ)。甲申。賜2直《ツカヘノ》丁八人(ニ)官位(ヲ)1。美d其造(シ)2大内《オフチノ》陵(ヲ)1時(ニ)。勤《イソシミテ》而不(シテ)uv懈。癸巳。天皇觀2藤原(ノ)宮地(ヲ)1。秋七月(ノ)甲午朔乙未。大2赦天下1。但十(ノ)惡《アシキモノ》盗賊。不v在2赦例(ニ)1。賜(乙)相摸國(ノ)司布勢朝臣|色《シコ》布智等。御浦(ノ)郡(ノ)少領《スケノミヤツコ》。【闕姓名】與(ニ)d獲2赤烏1者。鹿島(ノ)臣※[木+豫]樟《クス》u。位及録(甲)。服《ユルス》2御浦郡三年(ノ)調※[人偏+殳]1。庚子。宴2公卿(ニ)1。壬寅。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。甲寅。遣(テ)2使者(ヲ)1。祀2廣瀬與(ヲ)2龍田1。辛酉。車駕還v宮(ニ)。是夜。※[螢の虫が火]惑《ケイコク》與2歳星《サイシヤウ》1。於2一|歩《アシノ》内(ニ)1。乍光乍没《アルトキハヒカリアルトキハカクレツ》。相近(キ)相避(コト)四遍。
 
 
壬申は。九日なり○長吏は。漢書高帝紀に。守尉長吏。注謂2縣之令長1。とあり○岳涜の下。集解に。請雨(ノ)二字を補はれたれど。後漢順帝紀にも。祷2名山岳涜1とのみあれば。本のまゝにであるべし○甲戌。(3903)十一日なり○甲申。二十一日也○癸巳。晦日なり○秋七月。本に秋を冬に作る。今中臣本考本に據る○乙未。二日なり〇十惡。通證云。丘瓊山曰。十惡之名非v古也。起2於齊1。而著2於隋1。唐因v之。とあり。隋書刑法志曰。置2十惡之條1。多採2後齊之制1。而頗有2損益1。一曰謀反。二曰謀大逆。三曰謀反。四曰惡逆。五曰不道。六曰大不敬。七曰不孝。八日不睦。九曰不義。十曰内亂。犯2十惡1。及故殺v人。獄成者。雖v會v赦。猶除v名。とあり。皇國大寶律の制。隋唐(ノ)十惡に依て損益せるなり。律曰八虐。一曰謀反。調v謀v危2國家1。二曰謀大逆。謂v毀2山陵及宮闕1。三曰謀叛。謂v謀2背v國從1v僞。四曰惡逆。謂d※[區+支]2及謀3殺祖父母父母1。殺c伯叔父。姑。兄姉。外祖父母。夫之父母u。五曰不道。謂(丙)殺d一家非2死罪1三人u。支2解人1。造2畜蠱毒厭魅1。若(クハ)※[區+支]2告及謀3殺伯叔父。姑。兄弟。外祖父母。夫之父母1。※[殺の異体字](乙)四等以上(ノ)尊長及妻(甲)。六曰大不敬。謂d毀2大社1。及盗2大祀神御之物。乘與服御物1。盗及僞3造神璽内印1。合2和御藥1。誤不v如2本方1。及封題(ノ)誤。若造2御膳1。誤2犯食禁1。御幸(ノ)舟船。誤不2牢固1。指2斥乘與1。情理切害。及對2捍詔使1。而無c人臣之禮u。七曰不孝。謂d告2言詛3詈祖父母父母1。及祖父母父母|在《マスニ》。別v籍異v財。居2父母喪1。身自嫁娶。若作v樂。釋v服從v吉。聞2祖父母父母喪1。匿不v擧v哀。詐2稱祖父母父母死1。※[(女/女)+干]c父祖(ノ)妾u。八曰不義。謂d殺2本主本國(ノ)守。見(ニ)受v業師1。吏卒殺2本部(ノ)五位以上(ノ)官長1。及聞2夫喪1。匿不v擧v哀。若(クハ)作v樂。稱v服從v吉。及改嫁u。とあるこれなり。隋律なる。不睦内亂の二項を除けるなり。されど此に十惡とあるは。なほ隋唐の名目のまゝにとられしものなるべし○色布智等。類史に等字なし○御浦郡。相摸國なり。和名抄に出○注闕姓名。本に闕を國に(3904)誤る。今中臣本考本。通證引一本に放る○鹿嶋臣。續紀天平十八年三月。常陸國鹿島郡中臣部二十烟。占部五烟。賜2中臣(ノ)鹿嶋連之姓1。とあり〇三年調。中臣本兼永本等に。三を二に作れり○庚子。七日なり○壬寅。九日なり○甲辰。十一日なり○辛酉。二十八日なり○歳星。倭名抄。天地部。明皇。兼名苑云。歳星一名明星。【此間云阿加保之。箋注曰。開元占經歳星占篇。引2石氏1曰。歳星歳行一周天。與2太歳1相應。故曰2歳星1。又爾雅。明星謂2之啓明1。郭璞注。太白星也。天文志又云。太白曰2西方秋金1。晋灼曰。太白常以2正月甲寅1。與2※[螢の虫が火]惑1晨出2東方1云々。是歳星即木星。明星(ハ)太白之一名。即金星。並五星之一。則歳星明星。其不v同可v知也云々。兼名苑以2明星1爲2歳屋一名1。然則太白歳星。並有2明星之名1。其阿加保之。今俗呼2曉明星1。所謂啓明。即太白之晨見2於東方1者。則此當v引2證爾雅明星1。而引2兼名苑明星1者。其名同而誤也。萬葉集同訓。阿加保之。又見2神樂歌。及古今六帖。爲忠百首1。按阿加保之。即明星之義。是星光耀明2於他星1。故名。枕冊子明星音讀。】と云り。さらばこゝに歳星と云るは。阿加保之とは異なり。
 
 
八月癸亥朔乙丑。赦v罪。己卯。幸2飛鳥(ノ)皇女(ノ)田莊《ナリドコロニ》1。即日還v宮(ニ)。九月(ノ)癸巳(ノ)朔辛丑。遣2班《タマヒ》v田《タ》大夫|等《タチヲ》於四(ノ)畿内1。丙午。神祇官奏(テ)上(ル)2神(ノ)寶書四卷。鑰九箇。木(ノ)印《オシテ》一箇1。癸丑。伊勢(ノ)國司献(ル)2嘉禾二本1。越前(ノ)國司献2白蛾《シロキヒヽル》1。戊午詔(テ)曰。獲2白蛾於角鹿郡(ノ)浦上之濱(ニ)1。故増2封(ヲ)笥飯神(ニ)1。二十戸。通《カヨハス》v前(ニ)。
 
 
乙丑。三日なり○己卯。十七日なり○飛鳥皇女。天智天皇々女なり○辛丑。九日なり○班田大夫。續紀に班田使に作れり○丙午。十四日なり○神祇官。本に官を宮に作る。今秘閣本に據る○神寶書四卷。(3905)集解に。按蓋録2諸神社等所v傳神寶1書也。とあるが如くなるべし。【通證に。太神宮式。所謂神寶二十一種等之簿書也。とも云り。】○鑰九箇。鑰のことは天智紀三年の下に云り○木印一箇。古き社には。木印の存するもの往々あり。これも其類なるべし。【通證に。据2公式令1。有2内印1。有2外印1。宥2諸司印1。蓋是神祇官之印也。とあれど。これは官省などにて。捺印する印にはあらざるべし。】○癸丑。二十一日なり〇二本。中臣本に本を束に作る○白蛾。倭名抄。蛾和名比々流。とあり。【通證に。蓋簸v火之義。と云り。】されど集解に。按蛾微少之物。非2可v献者1。蓋蛾鵝誤耳。類聚抄曰。鵝兼名苑注云。鵝形如v雁。人家所v畜也。雄略天皇九年紀曰。呉献2二鵝1。とあるはさることなるべし。また京極本には。蛾を※[鳥+我]に作れり。廣韻。※[鳥+我]似v鷹而小。能捕v雀。玉篇與v※[松/鳥]同。※[搖の旁+鳥]屬。とあれば。これも捨がたし。なほよく考べし○戊午。二十六日なり○浦上之濱。詳ならず○笥飯神二十戸。倭名抄越前國敦賀郡神戸。
 
 
冬十月壬戌朔壬申。授2山田史御形(ニ)務廣肆1。前(ニ)爲(テ)2沙門(ト)1學2問《モノナラフヒト》新羅1。發酉。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。庚辰。車駕《スメラミコト》還v宮。
 
 
壬申。十一日なり○山田史御形。姓氏録右京諸蕃。山田宿禰。出v自2周靈王太子晋1也。山田造。山田宿禰同祖。忠意之後也。又河内諸蕃。山田宿禰。魏司空昶之後也。【通證。按司空昶。即魏王。見2通鑑1。】山田連。山田宿禰同祖。忠意之後也。とあり。山田史と同氏なるべし。氏族志云。按山田宿禰。一爲2太子晋之後1。一爲2王昶之後1。似v異2其祖1。據2新唐書1。王氏望。爲v出2太子晋後1也。王昶晋陽人。晋陽隷2太原1。則其系出v自v晋者。明矣。(3906)故今定爲2一姓1。忠意蓋亦昶之裔孫。唯其世次不v可v考也。又有2山田御井宿禰1。同族也。見2續紀1。とあり。御形は。續紀慶雲四年四月。賜2正六位下山田史御方。布※[秋/金]鹽穀1。優2學士1也。養老六年三月。詔曰。周防國前守從五位上山田史御方。監臨犯v盗。理令2除免1。先經2恩降1。赦v罪已訖。然依v法備v贓。家無2尺布1。朕念。御方負2笈遠方1。遊2學蕃國1。歸朝之後。傳2授生徒1。而文館學士。頗解2屬文1。誠以不v矜2若人1。墮2此道1歟。宜特加2恩寵1。勿使v徴v贓焉。とあり。此人の詩歌。懷風藻萬葉集に見えたり○癸酉。十二日なり○庚辰。十九日なり。
 
 
十一月(ノ)宰卯(ノ)朔戊戌。新羅遣(テ)2級※[にすい+食]朴憶徳。金深薩等(ヲ)1。進v調。賜d擬(スル)v遣(ムト)2新羅(ニ)1使。直廣肆息長(ノ)眞人|老《オユ》。務大貳川内(ノ)忌寸|連《ツラ》等(ニ)禄u。各有v差。辛丑。饗2禄《ミアヘタマヒモノタマフ》新羅(ノ)朴憶徳(ニ)於難波舘(ニ)1。十二月(ノ)辛酉(ノ)朔甲戊。賜2音(ノ)博士續守言。薩弘※[立心偏+各](ニ)。水田人(ニ)四町1。甲申。遣(テ)2大夫等(ヲ)1。奉2新羅(ノ)調(ヲ)於五社。伊勢。住吉。紀伊。大倭。菟名足《ウナタリ》1。
 
 
戊戌。八日なり○新羅。神文王十二年に當る○朴憶徳。本に憶を億に作る。今京極本及下文に據る○息長眞人老。續紀和銅五年十月。從五位上息長老卒○川内忌寸。姓氏録河内諸蕃。河内忌寸。山代忌寸(3907)同祖。魯國白龍王之後也。【此氏河内漢直と。同氏ならんとおぼしきよしあり。推古紀十八年に云り。】氏人は。聖武帝時。宮内少録河内忌寸友定。東大寺正倉院文書に見え。村上帝時。伊勢少目河内忌寸良兼。政事要略に見えたり。氏族志云。三代實録。清和帝時。有2近江高島郡節婦河内史能子1。是亦同族歟。と云り○辛丑。十一日なり○甲戌。十四日なり○續守言。京極本續を績に作る○甲申。二十四日なり○紀伊。上文に紀伊大神とあるに同じかるべし。また日前國懸神社をも。兼て云るにもあるべし○蒐名足。式大和國添上郡宇奈多理坐高御魂神社。【大月次相嘗新嘗】三代實録に。法華寺薦枕高御産栖日神とある。これなり。大和志に。在2法華寺村1。今曰2楊梅天神1。とあり。同書に。按本書薦枕川源は。佐保川より出て。法華寺村を過ぎ。奈良川に入る。と云り。其川名盖神名に起れり。栗田寛云。按藺笠滴に。古※[手偏+僉]地帳に。法華寺料の間の田地の名に。雨多利と書るが。今も然呼處あるは。古の宇奈多利の遺名なり。然るを貞觀以後。神名に法華寺を冠らせ唱ふるは。當時佛寺盛なりしも。此神社を其守護神など云し事のありしより。起れるなるべし。長門本平家物語に。治承合戰の時。平重衡法華寺鳥居の前に打立。と云事見えたり。證とすべし。と云り。天平二年。神戸租稻一百一十束を以。祭斜に充て。【東大寺正倉院文書】大同元年。大和尾張等地十三戸を神封とす。【新抄格勅符。】三代實録。貞觀元年四月。正三位を授。元慶三年六月。從二位に進奉ると見えたり。神名帳頭注に。神功皇后御宇。武内宿禰勸請。とあるは。據ある事か。
 
 
(3908)七年(ノ)春正月(ノ)辛卯朔壬辰。以(テ)2淨廣壹(ヲ)1。授2皇子高市(ニ)1。淨廣貳(ヲ)。授2皇子|長《ナガ》與(ニ)2皇子弓削1。是日。詔(テ)令(テ)2天下(ノ)百姓(ヲ)1。服2黄色衣《キゾメノキヌヲ》1。奴(ハ)皀衣《クリイロノキヌ》。丁酉。饗2公卿大夫等(ニ)1。癸卯。賜2京師及畿内(ノ)。有(テ)v位年八十以上(ノ)人(ニ)。衾一領。※[糸+施の旁]二匹。緜二屯。布四端1。乙巳。以(テ)2正廣參(ヲ)1。贈2百濟王善光(ニ)1。并賜2賻《ハフリ》物1。丙午。賜2京師(ノ)男女(ノ)年八十以上。及|困乏窮《マヅシクシテセマレル》者(ニ)布(ヲ)1。各有v差。賜2船瀬(ノ)沙門法鑑(ニ)水田三町(ヲ)1。是日。漢人等|奏《ツカマツル》2踏歌《アラレハシリ》1。
 
 
壬辰。二日なり○皇子長。本に子字を脱せり。今中臣本京極本考本に據る〇百姓服黄色衣奴皀衣。衣服令。無位。【謂庶人服制亦同。】皆|皀縵《クリノカトリ》頭巾。黄袍【謂裁縫體制一如2朝服1也。】烏脂腰帶。白襪皮履。朝廷公事即服之。尋常通得v著2草鞋1。家人奴婢。橡(ノ)墨《スミゾメ》衣。【謂橡(ハ)櫟實也。以v橡染v※[糸+普]。俗云2橡衣1之。此條無2白袴1者。文之省略也。】とありて。大凡こゝと同じ。さて皀衣とあるは。本居翁云。今鼠色なるべし。衣服令に。橡墨《ツルバミノスミゾメ》衣と定められたるも同じ。眞黒なるにはあらず。と云れたり○丁酉。七日也○癸卯。十三日なり○乙巳。十五日なり○丙午。十六日也○船瀬は。祝詞式に。遣唐使奉幣詞に。舶居と云ことある。即それなり。臨時祭式に。開2遣唐舶居1祭。【住吉社】とあるに同じ。賀茂翁曰。舶居とは。湊に船をとゞめ置所を云。續日本紀に。播磨の國の某が。舶居の地を(3909)奉りて。位を賜はりし事も有り。さて開2舶居1とは。初めて其湊を※[手偏+旁]出るを云ふ。萬葉に。朝開してこぎ行。など多くよめるを擧て。冠辭考に委しくいひつ。【祝詞考】と云れたるが如し。住吉神代記云。長柄船瀬本記。四至東限2高瀬大庭1。南限2大江1。西限2鞆淵1。北限2川※[土+岸](ニ)1。右船瀬泊。欲v遣2唐(ニ)貢調使1調物(ヲ)。積2船舫1造v泊。天皇念行時。大神訓賜。我造2長柄(ノ)船瀬1進(ト)矣。□造之。これは攝津國長柄船瀬なり。續紀二十八。神護景雲元年八月。筑前國宗形郡大領。外從六位下宗形朝臣深津。授2外從五位下。其妻無位竹生王。從五位下1。並以v被3僧壽應善誘。造2金埼船瀕1也。天應元年正月。授2播磨國人佐伯直諸成。外從五位下1。以v進2稻於造船瀬所1也。延暦四年四月。授2日下部連國益。外從五位下1。以v献2稻船瀬1也。八年十二月。播磨國美嚢郡大領。韓鍛首廣富。献2六萬束於水兒船瀬1。授2外從五位下1。十年十一月。授2播磨國人出雲臣人麻呂。外從五位下1。以v献2稻於水兒船瀬1也。また萬葉集六に。名寸隅乃《ナキズミノ》。船瀬從所見《フナセユミユル》。淡路島《アハヂシマ》云々。名寸隅乃《ナキズミノ》。船瀬之濱爾《フナセノハマニ》云々は播磨なり。攝津國大輪田船瀬。近江國和邇船瀬。並に三代格十六に見え。主税式に。船瀬(ノ)功徳田。及造2船瀬1料田見えたり。湊の塞ること。諸國にも多し。其中に今昔物語に。行基法師難波江に行て。云々を堀て令v開。船津を造り。法を説て。人を教化すといふ事有。三代實録に。遠江國敷智郡濱名の湊の塞毎に。其地の角避比古神の開給ふ故に。神地を授けられし事も有り。この船瀬を造るは。多く僧徒の勸誘に出るを以。こゝに船瀬沙門とは云けるなり。法鏡もまた其功あるを以。今水田を賜ひしなり。されどこゝなるは。何處の船瀬と云こと詳ならず○蹈歌。通證に引る。仁和(3910)五年正月十四日。踏歌記曰。稱2踏歌1者(ハ)。新年之祝詞。累代之遺美也。歌頌以延2寶祚1。言吹《コトフキ》以祈2豐年1。とあれど。皇國の古代にありしものにはあらず。小中村清矩云。踏歌は。歌垣と相似たる態ながら。此は漢土の風俗を。吾に傳へしものなり。但し伊呂波字類抄に。本朝事始を引て。天武天皇三年正月朔。朝2太極殿1。詔男女無v別。闇夜踏歌。と見え。【武郷云。この事紀には見えず。】續日本紀。類聚三代格等に。天平神護二年。先v是里中踏歌。濫行極多。勅加2禁斷1。尚猶不v巳。至v此申禁之。とあるは。其名稱を襲ひたるのみにて。未だ此方の古風なる歌垣ならん。日本紀に。持統天皇の七年八年とも。正月の十六日に。漢人奏2踏歌1とあれば。其始彼土の人の。己か國俗を奏せしが移りて。終に吾國の朝儀となり。公事根源に所謂。正月十五日の男踏歌。十六日の女踏歌是なり。【支那の古へ。正月上元の日。踏哥する事は。淵鏡類函十七に。朝野僉載を引て。唐明皇先天二年正月。十五十六十七夜。安福門外に於て。高燈を作り。少女其下に踏歌をすとあれば。唐の世に創れるか。又舊唐書禮樂志にも。踏歌の事みゆ。】其は續日本紀に。天平二年正月辛丑。【十六日】天皇御2大極殿1。宴2五位以上1。晩頭移2幸皇宮1。百官主典以上。陪從踏歌。且奏且引。引2入宮裏1。以賜2酒食1云々。また天平十四年正月壬戌。【十六日】天皇御2大安殿1。宴2群臣1。酒酣奏2五節田舞1。訖。更令2少年童女踏歌1。又賜2宴天下有位人。並諸司(ノ)史生1。於v是六位以下人等。鼓v琴歌曰。新《アタラシキ》。年始邇《トシノハジメニ》。何久志社《カクシコソ》。供奉良米《ツカヘマツラメ》。萬代摩提丹《ヨロヅヨマデニ》。宴訖賜v禄有v差。とあるをみれば。其始は。國風の歌に合せて舞ひけんを。後には西士風に。詩を歌ひつる事。類聚國史七十二にみえたる。延暦十四年正月乙酉の。踏歌の條を考へて知べし。其典章は。朝野群載二十一に擧たるを見れば。五七言の詩にて。句の末に。大かた萬春樂。千春樂。など云詞を添へて。唱ふ(3911)る例なり。此踏歌の字を。あられはしりと訓めるは。釋日本紀に。私紀云。今俗云2阿良禮|走《ハシリ》1。師説。此歌曲之終。必重(テ)稱2萬年阿良禮1。今改云2萬才樂1。是古語之遺也。とあれば。其始國風を歌ひたりし頃。一節の終に。萬年阿良禮と云詞を。添て歌ひたりしに起れり。と云れたるは。委き考なり。さて其装束のさま。髪挿《カザシ》の綿《ワタ》と云ものあり。年中行事歌合にも引り。通證に。西宮記曰。踏歌供奉(ノ)人。着2無文(ノ)麹塵(ノ)闕腋1。白下襲。白石(ノ)帶。深履。扇。綿(ノ)花。白杖。高巾子《コウコジリ》。言吹振《コトホギフル》。六位(ハ)以v綿裹v面。源氏河海抄曰。踏歌(ノ)人。以v綿造v華。著2冠額1也。是號2高巾子1。公事根源曰。此男踏歌(ノ)時(ノ)事也。などあるにて知べし。
 
 
二月(ノ)庚申(ノ)朔壬戌。新羅遣(テ)2沙※[にすい+食]金江南。韓奈麻金陽元等(ヲ)1。來《マヰキテ》赴《ツゲマヲス》2王《キミノ》喪(ヲ)1。己巳。詔(テ)2造v京司衣縫王等(ニ)1。収2所掘《イダセル》尸(ヲ)1。己丑。以(テ)2流來《マヰクル》新羅人牟自毛禮等三十七人(ヲ)1。付2賜憶徳等(ニ)1。三月庚寅朔(ニ)。日有v蝕之。甲午。賜2大學(ノ)博士勤廣貳上(ノ)村主百濟(ニ)。食封《ヘヒト》三十戸1。以|優《ニギホヘタマフ》2儒《ハカセノ》道(ヲ)1。乙未。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。庚子。賜2直大貳|葛《フヂ》原(ノ)朝臣大嶋(ニ)賦物(ヲ)1。壬寅。天皇至v自2吉野(ノ)宮1。乙巳。賜d擬v遣2新羅1使直廣肆息長眞人老。勤大貳大伴(ノ)宿禰子君等。及學問僧弁通。神叡等(ニ)。※[糸+施の旁]綿布u。各有v差。又賜2新羅王(ニ)賦物(ヲ)1。丙午。詔(テ)令3天(ノ)下(ヲシテ)勸2殖桑|紵《カラムシ》梨栗|蕪菁《アヲナ》等(ノ)草木(ヲ)1。(3912)以(テ)助2五(ノ)穀《タナツモノヲ》1。
 
 
庚申を。中臣本に辛酉に作る。暦の大小の差にて。庚申を晦日としたるなり。さては以下一日づゝの差あるべし○壬戌。三日なり○新羅。孝昭王二年なり○赴王喪。東國通鑑云。唐至聖九嗣。新羅神文王十二年秋七月王薨。謚曰2神文1。太子理洪立。武遣v使吊祭。仍册v王。爲2新羅王輔國大將軍。行左豹韜大將軍。鷄林州都督1。とあり○己巳。十日なり○造京司。臨時の官なるべけれど。後には見あたらず○衣縫王。未詳。續紀。慶雲四年十一月。彈正尹從四位下衣縫王卒○己丑。三十日なり。此月辛酉朔ならば。小月にて。此日二十九日なり○甲午。五日なり○優。上文に所謂優賜なり。【ニギホヘは。賑はへなり。】○乙未。六日なり○庚子。十一日なり○葛原朝臣大島○考本には葛を藤とあり。釋私記曰。葛原藤原也。とあり○大島。懷風藻に大納言とあり○壬寅。十三日なり○乙巳。十六日なり○辨通。續紀和銅五年九月。辨通法師爲2少僧都1○神叡。同靈龜二年七月。爲2律師1。養老二年十一月。詔2僧綱1曰。神叡法師。幼而卓絶。道性夙成云々。天平二年十月。爲2少僧都1。などあり。元亨釋書。釋神叡。唐國人也。居2元興寺1。講2唯識1。天平九年化。後紀一にも見ゆ○丙午。十七日なり○紵。倭名抄調度部。織機具。麻苧。周禮注云。苧【加良無之。】麻屬。白而細者也。【箋注云。持統紀紵同訓。新撰字鏡。〓字〓字亦同訓。按〓即〓字。訓爲2加良無之1。不d與2源君1同u。】また布帛部。絹布類。紵。唐式云。紵布三端。【今案。紵者麻紵之紵。俗用2麻布二字1。云2阿佐沼乃1。是乎。箋注云。按紵布。績v紵以爲v布者。不d與2麻布之績v麻織者1同u。麻訓2阿佐1。紵訓2加良無之1。見2織機具1云云。】とあり。大和本草に。葉は紫蘇の形に似(3913)て。青く大なり。一根より莖多生す。長じたるを刈て。皮を取り。苧とし。布とす云々。此は諸國にて。カツボウと云り。出羽にて生したるを。越後にて織出。即越後|縮《チヾミ》と云り。とあり○蕪菁。倭名抄蕪菁知名阿乎奈。紀の歌に阿袁那とよめり。この蕪菁は。かぶらにて。俗に天王寺蕪と云ものなり。さて通證に。今按。諸國郡號。以2桑麻梨栗1名者居多。蓋以v此也。と云り。
 
 
夏四月(ノ)庚申(ノ)朔丙子。遣(テ)2大夫|謁者《モノマヲシヲ》1。詣(テ)2諸社(ニ)1祈v雨。又遣2使者(ヲ)1。祀3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。辛巳。詔(シテ)内藏(ノ)寮(ノ)允《マツリゴトヒト》大伴(ノ)男人。坐《ツミセラル》v贓《ヌスミモノニ》。降2位二階(ヲ)1。解《トク》2見任《イママケタマフ》官(ヲ)1。典鎰《カギトリ》置始多久《オイソメノオホク》。與2菟野(ノ)大伴1。亦坐v贓。降(テ)2位一階1。解2見任官(ヲ)1。監物《オロシモノヽツカサ》巨勢(ノ)邑治(ハ)。雖2二物不(ト)1v入(レ)2於|己《オノガミニ》1。知(テ)v情(ヲ)令v盗之故。降(テ)2位二階(ヲ)1。解2見任官(ヲ)1。然置始(ノ)多久。有v勤2勞於壬申年之※[人偏+殳]1之故(ニ)赦(タマフ)之。但贓(ハ)者|依《マヽニ》v律《ノリノ》徴納。
 
 
丙子。十七日なり○辛巳。二十二日なり○内藏寮允。職員令。内藏寮頭一人。掌2金銀。珠玉。寶器。錦綾。雜綵。氈褥。諸蕃頁献奇※[王+韋]之物。年料供進(ノ)御服。及別勅(ノ)用物(ノ)事1。助一人。允一人。大屬一人。少屬一人。倭名抄。宇知乃久良乃豆加佐乃萬豆利古止比止○大伴男人。續紀。大寶二年六月從五位下大伴宿禰男人。爲2大倭守1。養老元年五月。從四位下大伴宿禰男人。爲2長門守1。とあり。卒闕たり○坐贓。本に贓を賊に(3914)誤れり。今秘閣本考本類史等に依る。下同じ。廣韻に。納v賄曰v贓。とありて。賄財なり。唐律名例に。徴2贓于盗1者。有2正倍之法1○見任官。現在任ぜらるゝ所の官なり。選叙令に見ゆ○典鎰。職員令に。中務省。大監物二人。掌d監2察出納1。請c進管鑰u。少典鑰二人。とあり。鎰は字書に。二十兩也。或三十兩也。と注して。鑰の義は見えざれど。古書どもには。すべてカギに此字を書たり〇置始多久。萬葉十六歌に。暮立之《ユフダチノ》雨うちふれば云々。夕附日《ユフヅクヒ》さすや云々。古歌二首。小鯛王宴居之日取v琴。登時《スナハチ》必先吟2詠此歌1也。其小鯛王。更名(ハ)置始多久美斯人也。と云こと見えたり。【萬葉集によらば。多久の下。美字脱しものなるべし。】○菟野大伴。姓氏録大和諸蕃。宇奴首。出v自2百濟國君男。彌奈|曾《子イ》富意彌1也。河内宇奴造。宇努首同祖。百濟國人彌那(ノ)子富意彌之後也。又河内未定。宇努連。新羅王子金庭興之後者。不v見。とあり。政事要略に。元正帝時。豐前守宇努首男人。伐2隼人1有v功しこと見えたり○監物。職員令。中務省。大鑑物二人。掌d監2察出納1。請c進管鑰u。中監物四人。少監物四人。續紀大寶元年二月。始任2下物《オロシモノヽ》職1。とある是なり。言(ノ)意は。御前の管鑰を申し下《オロ》す義なり。また或人は。鍵を固むるをオロスと云れは云なり。と云り○巨勢邑治。巨勢既出。邑治また祖父《オホヂ》とも書り。此人粟田眞人とゝもに。遣唐使となりしこと。文武紀に見えたり。聖武紀。神龜元年六月。中納言正三位巨勢朝臣邑治薨。難波朝廷大臣。大繍徳多之孫。中納言小錦中黒麻呂之子也。とあり。この黒麻呂に二子あり。邑治。小邑治。これなり。さて邑治は。音讀の例なし。倭名抄。石見國邑知郡於保知。とあり。【本の訓ムラハルは非なり。】○知情令盗之。吏學指南に。本不2同謀1。唯知v所v犯。謂2之知情1。唐職制律に。(3915)主司知v情。與同罪。とあり○壬申年之役云々。本紀に此事見えず。本に之字なし。今類史に據る○依律徴納。唐律疏義名例曰。諸以v造入v罪。正贓見在者。還2官主1。注(ニ)轉易得2他物1。及生産蕃息。皆爲2見在1。疏議(ニ)。正贓見在。未v費2用官物1。還v官。私物還v主。轉易得2地物1者。謂2本贓1。是驢。廻易得v馬之類。及生産蕃息者。謂2婢産v子。馬生v駒之類1。などあり。
 
 
五月己丑(ノ)朔。幸(ス)2吉野(ノ)宮(ニ)1。乙未。天皇至v自2吉野(ノ)宮1。癸卯。設2無(キ)v遮大會(ヲ)於内裏(ニ)1。六月(ノ)已未朔己未※[二字を□で囲む]。詔(テ)2高麗沙門福嘉(ニ)1。還(ス)v俗《シロキヌニ》。壬戌。以(テ)2直廣肆(ヲ)1。授2引田(ノ)朝臣廣目。守(ノ)君苅田。巨勢(ノ)朝臣麻呂。葛原(ノ)朝臣臣麻呂。巨勢(ノ)朝臣多|益《ヤカ》須。丹比(ノ)眞人池守。紀朝臣麻呂七人(ニ)1。秋七月(ノ)戊子(ノ)朔甲午。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。己亥。遣(テ)2使者(ヲ)1。祀3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與2龍田(ノ)風神1。辛丑。遣(テ)2大夫謁者(ヲ)1。詣(テ)2諸社1祈v雨。癸卯。遣(テ)2大夫謁者(ヲ)1。詣(テ)2諸社(ニ)1請v雨。是日(ニ)。天皇至v自2吉野1。八月戊午(ノ)朔(ニ)。幸2藤原(ノ)宮地(ニ)1。甲戌。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。戊寅。車駕還v宮(ニ)。
 
 
五月。本に五を王に誤。今正す○乙未。七日なり○癸卯。十五日なり〇六月己來朔己未※[二字を□で囲む]。本に己未とある己未は。支干合はず。兼永本乙未に作れり。類史百八十七に癸未に作れり。考異云。按本月無2乙(3916)未1。癸未(ハ)二十五日爲v得v之。而本史此條之下。有2壬戌1。壬戌四日。或疑本史己未重疊者衍文。類史作2癸未1者。癸己以v音誤歟。と云り。按に中臣本己未の二字なし。集解にも據て改めたり。今それに從ふ○壬戌。本に戌を戊に誤れり。今改め正せり。四日なり○引田朝臣。齊明紀に。阿倍引田臣に作れり。續紀大寶三年六月。從五位上引田朝臣廣目。爲2齋宮頭兼伊勢守1。とあり。卒年見えず〇巨勢朝臣麻呂。本に麻呂を麿(ノ)一字に作る。今例に依り諸本に據て改む。次なるも同じ。續紀。養老元年正月。中納言從三位巨勢朝臣麻呂薨。小治田朝。小徳大海之孫。飛鳥朝。京職直大參志丹之子也○葛原朝臣臣麻呂。中臣朝臣意美麻呂なり。前に出〇巨勢朝臣多益須。前に出○丹比眞人池守。續紀。太宰帥從三位多治比眞人池守云云。褒2善政1也。天平二年八月。從二位大納言多治眞人池守薨。左大臣正二位嶋之第一子也○紀朝臣麻呂。續紀。慶雲二年七月。大納言正三位紀朝臣麻呂薨。近江朝御史大夫正三位大人之子也。とあり○秋七月の上。水戸本に。上の癸未詔2高麗沙門福嘉還俗。十一字あり。この事は上に云り。私に置替たるものならむも料りがたし○甲午。七日なり○己亥。十二日なり.〇辛丑。十四日なり○癸卯。十六日なり○至自吉野。考本野(ノ)下宮字あり○甲戌。十七日なり○戊寅。二十一日なり。
 
 
九月(ノ)丁亥(ノ)朔。日有v蝕之。辛卯。幸2多武(ノ)嶺(ニ)1。壬辰。車駕還v宮(ニ)。丙申。爲2清御原天皇1。設2無v遮大會(ヲ)於内裏(ニ)1。繋囚悉(ニ)原遣《ユルシヤル》。壬寅。以(テ)2直廣參(ヲ)1。贈2蚊屋(ノ)忌寸(3917)木間《コノマニ》1。并(テ)賜2賻物1。以褒2王申(ノ)年之|※[人偏+殳]《エダチノ》功(ヲ)1。
 
辛卯。五日なり○幸多武嶺。齊明紀に。田身嶺に作れり。多武峰略記に。古記を引て曰く。七年九月。天皇勅2定慧和尚1。爲2先帝1講2妙經1。五日因幸2多武峰1。臨2其會1。と云ことあり。これは大日本史にも引れたれど。誤記なり。定慧は既く。天智帝四年乙丑に死たるを。其人に勅し給ふべきよしなし○壬辰。六日なり○丙申は。十日なり○設無遮大會云々。萬葉二に。明日香清御原天皇崩之後。八年九月。御齋會之夜。夢裏習賜御歌一首云々。とある。此時の事なり。御秋は已に上に引ることあり○壬寅。十六日なり〇蚊屋忌寸木間。蚊屋は坂上氏同姓なり。續紀。寶龜三年四月。坂上大忌寸苅由麻呂等言。以2檜前忌寸1。任2大和國高市郡司1。元由者。先祖阿智使主。輕鴫豐明宮馭宇天皇御世。率2十七縣人夫1歸化。詔賜2高市郡檜前村1。而居焉。凡高市郡内者。檜前忌寸。及十七縣人夫。滿v地而居。他姓者十而一二焉。是以天平元年十一月十五日。從五位上民忌寸袁志比等。申2其所由1。天平三年。以2内藏少屬從八位上藏垣忌寸家麻呂1。任2少領1。天平十一年。家麻呂轉2大領1。以2外從八位下蚊屋忌寸子虫1。任2少領1。神護元年。以2外正七位上文(ノ)山口忌寸公麻呂1。任2大領1。今此人等。被v任2郡司1。不3必傳2子孫1。而三腹遞任。四2世于1v今。奉v勅宜莫v勘2譜第1。聽v任2郡司1。とあれど。現今ある姓氏録に。このことを載せず。こゝに氏族志に。坂上系圖を引て云く。按坂上系圖。引2姓氏録1云。都賀三子。長山寸爲2兄腹祖1。次志努爲2中腹祖1。次爾波伎爲2(3918)弟腹祖1。而檜前直出v自2山木1。藏垣忌寸。蚊屋忌寸。出v自2志努1。文(ノ)山口忌寸。出v自2爾波1。續紀所v謂三腹遞任。蓋是之謂也。と云り。これにて蚊屋忌寸氏は。中腹志努の後なること明らかなり。さて此氏宿禰姓あり。忌寸姓ありて。供に志努(ノ)孫糠手に出しことも。右の書に見えたり。續紀延暦六年閏五月。從七位下蚊屋忌寸淨足。改2忌寸1賜2宿禰姓1。とあり○壬申年之役功のこと。本紀に見えず。
 
 
冬十月(ノ)丁巳朔戊午。詔自2今年始(テ)。於親王(ヨリ)下至(テ)2進位(ニ)1。觀2所(ノ)v儲兵1。淨冠至(テハ)2直冠(ニ)1。人(ゴトニ)甲一領。大刀一口。弓一張。矢一具。鞆一枚。鞍(オケル)馬。勤冠至(ニ)2進冠1。人(ゴトニ)大刀一口。弓一張。矢一具。鞆一枚。如v此預備。己卯。始講2仁王經於|百國《クニグニヽ》1。四日而畢。十一月(ノ)丙戊(ノ)朔庚寅。幸(ス)2吉野(ノ)宮(ニ)1。壬辰。賜2耽羅(ノ)王子佐平等(ニ)物(ヲ)1。各有v差。乙未。車駕還v宮(ニ)。己亥。遣(テ)2沙門法員。善往。眞義等(ヲ)1。試(ニ)飲《ノマシメタマフ》2近江(ノ)國(ノ)益須《ヤス》郡(ノ)醴《コサケノ》泉(ヲ)1。戊申。以(テ)2直大肆(ヲ)1。授2直廣肆引田(ノ)朝臣|少《スクナ》麻呂(ニ)1。仍(テ)賜2食封五十戸1。十二月(ノ)丙辰(ノ)朔丙子。遣(テ)2陣法《イクサノノリノ》博士等(ヲ)1。教2習諸國(ニ)1。
 
 
戊午。二日なり○淨冠至直冠。本に下の冠を。官に作るは誤なり。今秘閣本に依る○鞍馬の下。疑脱2一匹二字1と通證に云れたり○己卯。二十三日なり○大日本史云。元亨釋書。濫觴鈔。並云。今年冬十月。(3919)講2仁王最勝二經於宮中1。立爲2恒式1。とあり。本紀には洩したるなるべし○庚寅。五日なり○壬辰。七日なり〇佐平等。二年紀に。耽羅王。遣2佐卒加羅1。來献2方物1。とあり〇佐平等の下。本に物(ノ)字を脱せり。今水戸本に依て補。契冲校本には。賻物二字ありと云り○乙未。十日なり○己亥。十四日也○善往。續紀二。善往法師爲2大僧都1。とあり○試飲の下。中臣本に服字あり○醴泉。倭名抄飲食部。醴和名古佐介。白虎通に。醴泉者。状如2醴酒1。可2以養1v老。漢書師古注。醴泉瑞水。味甘如v醴。とあり。元正紀靈龜三年九月。天皇到2美濃國1。覧2當耆郡多度山美泉1云々。自盥2手面1。皮膚加v滑。亦洗2痛處1。無v不2除愈1。在2朕之躬1。甚有2其驗1云々。寔惟美泉。即合2大瑞1。朕雖2庸虚1。何違2天※[貝+兄]1。可v大2赦天下1。改2靈龜三年1。爲2養老元年1。とあり○戊申。二十三日なり○引田朝臣少麻呂。本に麻呂を麿に作る。今中臣本に據る。續紀。慶雲元年十一月。改2從四位下引田朝臣宿奈麻呂姓1。賜2阿倍朝臣姓1。また養老四年正月。大納言正三位阿倍朝臣宿奈麻呂薨。後岡本朝臣。筑紫大宰帥大錦上比羅夫之子也。とあり○丙子。二十一日なり○陣法博士。通證云。令無2此目1。今所謂軍學者也。とあり。今按に。後世に所謂軍學者などやうに。生さかしき理屈をたてゝ。戰陣の心掟。兵術の勝劣などを教ふるにはあらずして。城塞の建築。隊伍の懸引等を。むねと教ふる博士なるべし。
 
 
八年(ノ)春正月(ノ)乙酉(ノ)朔丙戌。以2正廣肆(ヲ)1。授3直大壹布勢(ノ)朝臣御主人(ト)。與(ニ)2大伴(ノ)(3920)宿禰御行1。増(スコト)v封人(ニ)二百戸。通v前(ニ)五百戸。並爲2氏(コノ)上(ト)1。辛卯。饗2公卿等(ヲ)1。己亥。進2御薪1。庚子。饗2百官人等(ニ)1。辛丑。漢人|奏《ツカマツル》2踏歌《アラレバシリ》1。五位以上射。壬寅。六(ノ)位以下射。四日而畢。癸卯。唐《モロコシ》人奏2踏歌1。乙巳。幸2藤原(ノ)宮(ニ)1。即日還v宮。丁未。以(テ)2務廣肆等(ノ)位(ヲ)1。授3大唐《モロコシビト》七人(ト)。與2肅慎《ミシハセノヒト》二人1。戊申。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。
 
 
丙戌。二日なり○布勢朝臣御主人。大伴宿禰御行。共に大納言なり○辛卯。七日なり○己亥。十五日なり○進御薪。大日本史に。是歳至2十一年1。本書毎年必書。其爲2恒例1可v知。とあり○庚子。十六日なり○辛丑。十七日なり○漢人奏踏歌。漢人のこと次に云。本に奏(ノ)下請字あり。衍なり。今秘閣本類史に依る○壬寅。十八日なり○癸卯。十九日なり○唐人。通證云。今按。前言2漢人1。指2漢時人1也。此爲2應神前後化來1。此言2唐人1。指2唐時人1也。此爲2推古以後化來1。とあり。これを集解に。唐人蓋在京唐人也。と云るは是《ヨ》からず○乙巳。二十一日なり○丁未。二十三日なり○戊申。二十四日なり○幸吉野宮。大日本史云。本書還宮日缺。
 
 
三月(ノ)甲申(ノ)朔(ニ)。日有v蝕(コト)之。乙酉。以2直廣肆大宅(ノ)朝臣麻呂。勤大貳|臺《ウレナノ》忌寸八嶋。黄書(ノ)連本實等(ヲ)1。拜2鑄餞司(ニ)1。甲午詔(テ)曰。凡以(テ)2無位人(ヲ)1。任《マクル》2郡(ノ)司1者。以(テ)2進(3921)廣貳(ヲ)1。授2大領《コホリノミヤツコニ》1。以(テ)2進大參(ヲ)1授2小《スケノ》領(ニ)1。己亥詔(テ)曰。粤《コヽニ》以(テ)2七年歳次癸巳(ヲ)1。醴泉涌2於近江(ノ)國(ノ)益須郡(ノ)都賀《ツガ》山(ニ)1。諸(ノ)疾病《ヤマヒビト》停2宿《ヤドリテ》益須寺(ニ)1。而|療差者《ヲサメイユルモノ》衆。故入2水田四町。布六十端1。原2除《ユルシヤメ》益須(ノ)郡(ノ)今年(ノ)調※[人偏+殳]雜(ノ)※[人偏+搖の旁]《ミユキヲ》1。國(ノ)司頭(ヨリ)至(マデ)v目《フムヒトニ》。進2位一階1。賜d其初(テ)驗《ミシルス》2醴泉(ヲ)1者。葛野(ノ)羽衝《ハツキ》。百濟|土羅《ツラ》々|女《メニ》。人(ニ)※[糸+施の旁]二匹。布十端。鍬《スキ》十口u。乙巳。奉2幣於諸(ノ)社(ニ)1。丙午。賜d神祇官(ノ)頭(ヨリ)至2祝部《ハフリ》等(ニ)1。一百六十四人(ニ)※[糸+施の旁]布u。各有v差。
 
 
乙酉。二日なり○臺忌寸。臺直同祖。孝徳紀に出○黄書蓮本實。天智紀に出。本實音讀なり○鑄錢司。倭名抄|樹漸《シユセン》乃司。とあるによれば。倭名はなかりしなるべし。蒲生秀實が職官志云。司當v作v使。是時未v設2官舍1。文武天皇三年十二月。始置2鑄錢司1。とあり。官職秘鈔に。鑄錢司。大寶巳前有2此官1。不v載2令條1也。拾芥抄。弘仁九年。改2長門國1爲2鑄餞司1。とあり。此司。後に周防國に置たりしこと。三代格承和二年の官符に見えたり。【類史神位部。遠江國鑄錢司正六位上黒山神あり。按に。鑄錢司と云に依て考るに。此國にも。鑄錢司を置かれしことあるか。此事史に見えず。】○甲午。十一日なり〇任那司。本に任を仕に誤る。今考本等に據る○己亥。十六日なり○都賀山。未詳○益須寺。未詳○原除。集解云。按宥v罪曰v原。未v見2免字之義1。と云り○頭至目。倭名抄に。長官寮曰v頭。國曰v守。とある(3922)が如く。こゝは長官を頭と云るなり○葛野羽衝。葛野は氏。羽衝は名と通えたり〇百濟土羅々女。下の羅字永本になし。さて此は天智紀に。以2百濟百姓男女四百餘人1。居2于近江國神前郡1。とあれば。其人等の内なるべし○乙巳。二十二日なり○丙午。二十三日なり○神祇官頭。これも上に同じく。長官を頭と云るなり。頭は伯なり○祝部。これは神祇官の神部を云なり。令に見えたり。これを通證に。謂2諸社祝部1とあるは。しからず○一百六十四人。或人云。伯以下使部直丁以上。神祇官に關る者。令に記せる處は八十九員にて。後世より思へば。甚盛なりしと云べきを。持統帝の御時。賜d神祇官頭至2祝部等1一百六十四人uとあれば。令時より又盛なりしを思べしと云り。
 
 
夏四月(ノ)甲寅(ノ)朔戊午。以(テ)2淨大肆(ヲ)1。贈(テ)2筑紫(ノ)大宰(ノ)率《カミ》河内(ノ)王(ニ)1。并(テ)賜2賻物1。庚申。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。丙寅。遣2使者1。祀2廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。丁亥。天皇至v自2吉野宮1。庚午。賜2律師道光(ニ)賻物1。
 
 
戊午は。五日なり○河内王。朱鳥元年紀に見えたり。【天智紀にも見えたれど。詳ならず。河内王と申す人四人あり。是何れならむ。】萬葉三。葬2河内王豐前國鏡山1之時。手持女王作歌あり。鏡山は。同國田川郡にて。彼地に此王の墓今に在と云り。大宰率なれば。この河内王なるべし。【此王。淨廣肆にて。大宰帥と爲れること。三年紀に見えたり。】○庚申。七日なり○丙寅。十三日なり○丁亥。大日本史云。本書一本作2丁未1。【今云。中臣本にも丁未に作れり。】今推2甲子1。是月無2丁亥丁未1。疑丁卯之誤。丁卯十四日也。(3923)とあり。集解には丁卯に改めたり。信友云。按丁亥(ハ)癸亥(ノ)誤。當2十日1。吉野之幸。例四日而歸。然則此日。當v在2庚申下1。と云り○庚午。十七日なり○賜律師。本に賜を贈に作れり。今京極本に據る。道光。白雉四年紀に出。
 
 
五月(ノ)癸未朔戊子。饗2公卿大夫(ニ)於内裏(ニ)1。癸巳。以(テ)2金光明經一百|部《トモ》1。送2置諸國(ニ)1。必|取《アタリテ》2毎年正月(ノ)上(ツ)玄《ユハリノヒニ》1讀(メ)之。其|布施《オクリモノハ》。以(テ)2當國(ノ)官物(ヲ)1之。
 
 
癸未朔。類史に甲申朔とあり。考異云。按四月甲寅朔爲v大。則五月甲申朔。戊子五日也。爲v小。則癸未朔。戊子六日也。本史不v是。と云り○戊子は。六日なり。類史歳時事。五月五日駒牽。六日附出。とあり○癸巳。十一日なり○金光明經云々。金光明經は。即最勝王經なり。金光明最勝王經十卷。大唐三藏沙門義淨奉制譯。公事根源御齋會。正月八日。是は大極殿にて。八日より十四日まで。七ケ日の間。最勝王經を講ぜられて。朝家を祈申侍なり。此經とり分。國家を護持する功能あるによりて。荒玉の年の始には。先講ぜらるゝにや。天平元年十月に。大極殿にて講ぜらる。また天武天皇九年五月に。始て金光明經を。宮中ならびに諸司にて講ぜらる。是なんどをも。始とは申べきか。桓武の御宇。延暦二十一年正月より。かやうに年々の事には。成ぬる成べしとあり。されど御齋會の正月に行はるゝ事の起りは。此御時なるべし。【なは天武紀九年の下。見合すべし。】御齋會《ゴサイヱ》の式は。北山抄に委し○上玄。玄は弦の省文なり。(3924)敏達紀櫻井弓張皇女を。紀には櫻井玄王に作れり。通證云。釋曰。上玄三日也。倭名鈔。弦和名由美八利。釋名。弦月(ハ)若v張2弓弦1也。書言故事。毎月初八日爲2上玄1。とあり。按に上弦は。八日とあるを正(シ)とすべし。御齋會の正月八日に起れるを以しるべし。釋紀の説は非なるべし○當國官物充之。考本に官を公に作れり。延喜主税式云。凡諸國々分二寺。各起2正月八日1。迄2十四日1。轉2讀最勝應經1。其布2施三寶1。絲卅斤。僧尼※[糸+施の旁]一匹。綿一屯。布二端。定坐(ノ)沙彌(ニ)各布二端。とあり。
 
 
六月(ノ)癸丑朔庚申。河内國(ノ)更荒《サララノ》郡。献2白山鷄《シラヤマドリヲ》1。賜2更荒郡(ノ)大領小領(ニ)位人(ニ)一級1。并(テ)賜v物。以(テ)2進廣貳(ヲ)1。賜2獲者刑部(ノ)造韓國(ニ)1。并(テ)賜v物。秋七月(ノ)癸未(ノ)朔丙戌。遣2巡察《メグリミル》使(ヲ)於諸國(ニ)1。丁酉。遣(テ)2使者(ヲ)1。祀3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。八月(ノ)壬子朔戊辰。爲2皇女飛鳥1。度《イヘデセシム》2沙門一百四口1。九月壬午(ノ)朔(ニ)。日有v蝕之。乙酉。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。癸卯。以(テ)2淨廣肆三野(ノ)王(ヲ)1。拜2筑紫(ノ)大宰(ノ)率(ニ)1。
 
 
庚申。八日なり○白山鷄。倭名抄羽俗部。山鷄一名※[交+鳥]※[義+鳥]。夜末止利。とあり。天智紀十年にも見えたり○刑部造。天武十二年九月。賜v姓爲v連。とあり○丙戌。四日なり○丁酉。十五日なり○戊辰。十七日なり○皇女飛鳥。天皇御妹なり。文武紀四年四月。淨廣肆明日香皇女薨。天智天皇之女也。萬葉二。明日(3925)香皇女木※[瓦+缶]殯宮之時。柿本人麻呂作歌あり。忍坂部皇子の御妻に坐り〇一百四口。考本口を人に作れり○乙酉。四日なり○幸吉野宮。還幸の日を脱せり○癸卯。二十二日なり○大宰率。考本に率一本帥とあり。
 
 
冬十月(ノ)辛亥(ノ)朔庚午。以(テ)2進大肆(ヲ)1賜d獲2白|蝙蝠《カハホリ》1者。飛騨國荒城(ノ)郡|弟《オト》國部(ノ)弟日(ニ)u。并(テ)賜2※[糸+施の旁]四匹。綿四屯。布十喘1。其|戸《ヘノ》課役(ハ)。限(テ)v身(ヲ)悉免(タマフ)。十一月辛巳(ノ)朔丙午。赦《ユルシタマフ》2殊死《オモキツミヨリ》以下1。十二月(ノ)庚戌(ノ)朔乙卯。遷2居(ス)藤原(ノ)宮(ニ)1。戊午。百官拜v朝。己未。賜(コト)d親王以下。至2郡(ノ)司等1。※[糸+施の旁]緜布u。各有v差。辛酉。宴2公卿大夫(ニ)1。
 
 
庚午。二十日なり○白蝙蝠。通證云。倭名抄。蝙蝠和名加波富利。貝原氏曰。欲v蚊(ヲ)之訓義。本草曰。晝伏夜飛。食2蚊蚋1。拾玉集云。加宇毛利波夜毛。戸|閇奴《サヽヌ》古寺爾。内外母無久。飛紛布奈利。本草曰。有2純白如v雪。頭上有v冠者1。仙經以爲。服v之。千百歳令2人不1v死者。乃此方士誑言也。とあり。かゝる誑言をも信《ウケ》たまひて。愛させ姶ひしなるべし○弟國部弟日。本に部を郡に作れり。今中臣本考本。通證引(ク)卜家本等に據る。系は詳ならず。三代實録陽成紀に。木工權大工弟國部高繼あり○丙午。二十六日なり○殊死以下。漢書注。師古曰。殊絶也。言其身首離絶而異v處也。吏學指南。殊死(ハ)漢律斬刑也。とあり○乙卯。六(3926)日なり○遷居藤原宮。萬葉一。從2明日香1。遷2居藤原宮1之後。志貴皇子御作歌。※[女+采]女乃《タワヤメノ》。袖吹反《ソデフキカヘス》。明日香風《アスカカゼ》。京都乎遠見《ミヤコヲトホミ》。無用爾布久《イタヅラニフク》○戊午。九日なり○己未。十日なり○辛酉。十二日なり。
 
 
九年春正月(ノ)庚辰(ノ)朔甲申。以(テ)2淨廣貳(ヲ)1。授2皇子舍人(ニ)1。丙戌。饗2公卿大夫(ニ)於内裏(ニ)1。申午。進2御薪1。乙未。饗2百官人等(ニ)1。丙申射。四日而畢。閏二月(ノ)己卯(ノ)朔丙戌。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。癸巳。車駕還v宮。三月戊申朔已酉。新羅遣2王子金良琳。補命薩※[にすい+食]朴強國等。及韓奈麻金周漢。金忠仙等(ヲ)1。奏2請國(ノ)政(ヲ)1。且進v調獻v物。己未。幸2吉野宮(ニ)1壬戌。天皇至v自2吉野1。庚午。遣(テ)2務廣貳文(ノ)忌寸|博《ハカ》勢。進廣參|下《シモノ》譯語(ノ)諸田等(ヲ)於多禰(ニ)1。求2蠻所居《ヒナノヰドコロヲ》1。
 
 
九年。本紀には載られざれど。此年を大化と改られたる傳あり。其は信友云。皇年代略記に。【朱鳥は至2八年申午1とありて。】乙末を大化元と擧て。大化二と記し。さて元年乙未。去三月癸巳。近江國都賀山醴泉出。爲v瑞歟。とあり。愚管抄なる皇帝年代記。また大鏡目録。東寺年代記。明應製年代記に記せるも。年號年次これに同じ。紹運録。文武天皇の譜に。大化三年二月立太子とあるは。續紀に持統天皇の十一年立爲2皇太子1。王子枝別記に。文武天皇の御事を。持統天皇の十一年春二月丁卯朔壬午。立爲2皇太子1。と見え。又(3927)袋草紙に。持統天皇大化三年。讓2位於輕(ノ)皇太子1。紹運要略。太上天皇の部に。持統天皇大化三年丁酋八月一日。讓2位于文武1。紹運録文武天皇の譜に。大化三年八月一日即位とあるも。ともに持統紀十一年に見えて。すなはち文武天皇即位元年に當れり。さて大化は。既《サキ》に孝徳天皇の年號なりしを。再用ゐ給へる事は。いとあるまじき事に思はるれど。大寶より前《サキ》つ方の年號は。後の御世の例(シ)の如くに。さばかり重事として。必天下に遵用《モチ》ゐさせ給へるばかりにはあらで。一時の嘉號の如くに。ものし給ひけるなるべし。と云れたるにて。此年を大化元年と云しことは明らけし○甲申。五日なり○丙戌。七日なり○甲午。十五日なり○乙未。十六日なり○丙申。十七日なり○丙戌。八日なり○癸巳。十五日なり〇己酉。二日なり○新羅。孝昭王四年なり○金良琳。本傍書に琳を麻とあり○補命。通證に疑官名とあり○薩※[にすい+食]。釋私記曰。冠名。とあり。續紀一。三。九。十五に薩※[にすい+食]あり。匝※[にすい+食]なるべし。東國通鑑(ニ)。三曰匝※[にすい+食]とあり○韓奈麻。本に麻を琳に作る。今秘閣本考本。本書(ノ)旁書。釋紀等に據る。冠名なり.〇金忠仙。考本忠仙の間に國字あり○奏請國政。本旁書考本に請字なし○己未。十一日なり○壬戌。十四日なり○自吉野。考本此下宮字あり○庚午。二十二日なり○文忌寸博勢。續紀。文武二年四月。遣2務廣貳文忌寸博士等八人于南嶋1。とあり○下譯語諸田。姓氏録河内諸蕃。下曰佐。出v自2漢高祖男。齊悼惠王肥之後1也。元正紀。少初位下河内手人大足。賜2下譯語姓1。と云事見えたり○多禰〇本に禰を彌に作る。今考本等に依る○蠻所居。通證に。唐書南蠻傳曰。有2十姓白蠻。五姓烏蠻1。多禰島在2西南1。故曰v(3928)蠻。然史匈奴傳。有2北蠻之語1。不3必指2南方1。
 
夏四月(ノ)戊虎(ノ)朔丙戌。遣(テ)2使者(ヲ)1。祀3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。甲午。以(テ)2直廣參(ヲ)1。贈2賀茂朝臣蝦夷(ニ)1。并(テ)賜2賻物1。【本位。勤大壹。】以(テ)2直大肆(ヲ)1。贈2文忌寸赤麻呂(ニ)1。并賜2賻物1。【本位。大山中。】五月丁未朔己未。饗2隼人大隅(ニ)1。丁卯。觀2隼人(ノ)相撲(ヲ)於西(ノ)槻(ノ)下《モトニ》1。六月丁丑朔己卯。遣(テ)2大夫謁者(ヲ)1。詣(テ)2京師及四(ノ)畿内(ノ)諸社(ニ)1。請v雨。壬辰。賞2賜(コト)諸臣(ノ)年八十以上。及|痼疾《オモキヤマヒスルヒトニ》1。各有v差。甲午。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。壬寅。至v自2吉野1。
 
 
丙戌。九曰なり○甲午。十七日なり○賀茂朝臣蝦夷。天武紀上に鴨君に作れり○文忌寸赤麻呂。本に麻呂を麿に作り。下に等字あり。今中臣本考本に據る。此人天武紀に見えず○注本位大山中。按に此爵は。天智天皇三年の制なり。其後改めて爵を賜はらざりしなり○己未。十二日なり○隼人大隅。類史考異に。隼人大隅恐錯置。而諸本本史並如v此。とあり。集解には改めたり○丁卯。二十一日なり○西槻下。天武紀に。飛鳥寺西槻下とあり。こゝも飛鳥寺(ノ)三字脱しものにもあるべし○己卯。三日なり○京師。考本に師を都に作れり○壬辰。十六日なり〇痼疾。類史に疾を病に作れり。戸令に。癡※[病垂/亞]。侏儒。(3929)腰背打。一支※[病垂/發]。如v此之類。皆爲2※[病垂/發]疾1。義解謂。痼疾也。とあり○甲午。十八日也○壬寅。二十六日なり○至自吉野。考本此下宮字あり。
 
 
秋七月(ノ)丙午(ノ)朔戊辰。遣(テ)2使者(ヲ)1。祀3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。辛未。賜d擬(スル)v遣(ムト)2新羅(ニ)1使。直廣肆小野(ノ)朝臣毛野。務大貳伊吉(ノ)連博徳等(ニ)物(ヲ)u。各有v差。八月(ノ)丙子朔己亥。幸2吉野宮(ニ)1。九月乙巳朔。至v自2吉野1。戊申。原2放《ユルシタマフ》行獄徒繋《サフラフトラヘビトヲ》1。庚戌。小野(ノ)朝臣毛野等。發2向《タチマカル》新羅1。冬十月(ノ)乙亥(ノ)朔乙酉。幸2菟田(ノ)吉隱《ヨナバリ》1。丙戌。至v自2吉隱1。十二月(ノ)甲戌(ノ)朔戊寅。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。丙戌。至v自2吉野1。賜2淨大肆泊瀬(ノ)王(ニ)賻物(ヲ)1。
 
 
戊辰。二十三日なり○辛未。十六日なり○小野朝臣毛野。續紀和銅七年四月。中納言從三位兼中務卿勲三等。小野朝臣毛野薨。小治田朝大徳冠妹子之孫。小錦中毛人之子也。とあり○已亥。二十四日なり〇幸吉野宮。本に宮字なし。今京極本考本に據る〇九月乙巳朔。本に九月朔(ノ)三字を脱せり。今京極本に依る○至自吉野。考本此下宮字あり。さて本に此下に九月乙巳朔(ノ)五字あり。京極本に無きに據る○戊申。四日なり○行獄。行は現行の義に書れしものなるべし。されど此熟字いさゝか疑はし。【集解に。按原放行獄。蓋倒寫。行獄原(3930)放徒繋也。行謂2巡※[手偏+僉]工1也。と云れたれど。いかゞあらん。】○庚戌。六日なり○冬十月。本に冬字脱したり。今考本に據る○乙酉。十一日なり○菟田吉隱。今城上郡に屬せり。諸陵式吉隱陵。皇太后紀氏。在2大和國城上郡1。萬葉二に。吉隱之猪養之岡とあり。また十に吉名張とも書り。大和志。城上郡村里。吉隱屬邑四。又猪飼山。在2吉隱村上方1。山多2楓樹1。幸2菟田吉隱1。即此。とあり。【紀と式とは。郡相違ふ如くなれども。宇陀と城上とは隣郡にて。吉隱は兩郡へ渉れる地なるべし(今も泊瀬をこえて。宇陀郡近方に。吉隱村と云あり。泊瀬は城上郡なり。)もとより宇陀郡に屬たりしか。後に陵のある地は。城上郡に屬るにもあるべし。】○戊寅。五日なり○丙戌。十三日なり○至自吉野。この下にも宮字ありしにや○泊瀬王。天武紀十二年に出。
 
 
十年春正月(ノ)甲辰(ノ)朔庚戌。饗2公卿大夫(ニ)1。甲寅。以(テ)2直大肆(ヲ)1。授2百濟(ノ)王南典(ニ)1。戊午。進2御薪1。己未。饗2公卿百寮(ノ)人|等《ドモニ》1。辛酉。公卿百寮。射2於南(ノ)門(ニ)1。二月(ノ)癸酉(ノ)朔乙亥。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。乙酉。至v自2吉野1。三月(ノ)發卯朔乙巳。幸2二槻(ノ)宮(ニ)1。甲寅。賜d越(ノ)度《ワタリノ》島(ノ)蝦夷。伊奈理武志。與(ニ)2粛慎(ノ)志良|宇叡草《ウエサウ》1。緋|紺《ハナダノ》※[糸+施の旁]|斧《ヲノ》等(ヲ)u。
 
 
庚戌。七日なり○甲寅。十一日なり〇南典。五年紀に出○戊午。十五日なり○己未。十六日なり○辛酉。十八日也○乙亥。三日なり○乙酉。十三日なり○至自吉野。考本に野(ノ)下宮字あり○乙巳。三曰なり(3931)〇二槻宮。前紀に見えたり。【フタツキと訓はわろし。古本の訓にナミツキと訓り。この事も既に云り。】續紀二。令3大倭國繕2治二槻宮1。とあり○甲寅。十二日なり○賜越。本に賜字を脱したり。今中臣本考本集解に據る○越度島。齊明紀に出○志良字叡草。本に宇を守に作る。今本傍書に據る。考本には字に作れり。それも誤なるべし。草は考本に等歟と云る。さることなり。
 
 
夏四月壬申(ノ)朔辛巳。遣2使者(ヲ)1。祀3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。戊戌。以2追大貳(ヲ)1。授3伊豫(ノ)國(ノ)風速(ノ)郡物部(ノ)藥(ト)。與(ニ)2肥後國(ノ)皮石《カハシノ》郡壬生(ノ)諸石1。并(テ)賜2人(ニ)※[糸+施の旁]四匹。絲十※[糸+勾]。布二十端。鍬二十口。稻一千束。水田四町1。復《ユルス》2戸(ノ)調※[人偏+殳](ヲ)1。以(テ)慰(タマフ)3久苦(コトヲ)2唐(ノ)地《クニヽ》1。己亥。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。五月壬寅(ノ)朔甲辰。詔(テ)2大錦上秦(ノ)造綱手(ニ)1。賜v姓爲2忌寸(ト)1。乙巳。至v自2吉野1。己酉。以(テ)2直廣肆(ヲ)1。授2尾張(ノ)宿禰大隅(ニ)1。并賜2水田四十町1。甲寅。以(テ)2直廣肆(ヲ)1。贈2大狛(ノ)連百枝(ニ)1。并(テ)賜2賻物1。六月辛未(ノ)朔戊子。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。丙申。至v自2吉野1。
 
 
辛巳。十日なり○戊戌。二十七日なり○追大貳。秘閣本中臣本に。大を廣に作る〇皮石郡。和名抄。肥後國合志郡加波志。類史本に。皮を波に作るは誤なり○壬生諸石。姓氏録河内皇別。壬生臣。大宅臣(3932)同祖。天足彦國押人命之後也。とあり。歌よみの壬生忠岑も。此氏人なり。【なほ壬生の事は。仁徳紀に云り。】按に。類史に此壬を王とあり。【一本には玉に作る。王の誤なるべし。】依て按に。類史七十八。慶雲四年五月の下に。陸奥國信太郡王生五百足と云人見えたり。王生とは聞つかぬ氏なり。壬の誤か。されどなほよく考ふべし○己亥。二十八日なり○甲辰。三日なり○爲忌寸。集解云。按天皇九年紀曰。大錦下秦造綱手卒。由2壬申年之功1。贈2大錦上位1。由v是觀v之。此賜2忌寸1。追贈也。蓋詔下脱2贈字1。と云り。さることなり○乙巳。四日なり○至自吉野。考本此下宮字あり○己酉。八日なり〇授尾張宿禰大隅。續紀。天平寶字元年十二月。太政官奏曰云々。從五位上尾治宿禰大隅。壬申年功田三十町。淡海朝廷諒闇之際。義興2警蹕1。潜出2關東1。于時大隅參迎奉導。掃2清私第1。遂作2行宮1。供2助軍資1。其功實重。准v大不v及。比v中有v餘。依v令上功。合v傳2三世1。とあり。さて同紀七。贈從五位上尾張宿禰大隅息。正八位下稻置等一十人。賜v田各有v差。と云ことあり○甲寅。十三日なり○戊子。十八日也○丙申。二十六日なり○至自吉野。此下にも宮字あるべし。
 
 
秋七月(ノ)辛丑(ノ)朔(ニ)。日有v蝕(コト)之。壬寅。赦2罪人1。戊申。遣(テ)2使者(ヲ)1。祀3廣瀬(ノ)大忌(ノ)神(ト)。與(ヲ)2龍田(ノ)風神1。庚戌。後《ノチノ》皇子尊薨。
 
 
壬寅。二日なり○戊申。八日なり○庚戌。十日なり○後皇子尊薨。私記曰。高市皇子也。扶桑略紀。十年七月。太政大臣高市薨。年四十三。とあり。後とは。先に薨し給ふ草壁皇子に對したるなり。されど上(3933)文に。何事をも記されず。又御名をも申さで。うちつけに後皇子尊と書されたる。いとにはかなるにつけて。信友が論へる説あり。次に云べし。まづ此皇子は。信友も云りし如く。皇胤紹運録に。日並知皇子の。はるかに未の御弟に系りて記され。その外の書どもに。記せる趣も。日並知(ノ)皇子の御弟の如くきこえ給へれど。まことは御兄になん。おはしましける。其は公卿補任の。此皇子の傳に。天武天皇第二息。母※[匈/月]形君徳善女。尼子娘也云々。持統天皇十年七月十三日。年四十三にて。日並知皇子の。八歳|上《カミ》の御兄なる事著し。然はおはしけれど。高市皇子は。※[匈/月]形君腹に生れ給ひ。日並知皇子は。皇后の御腹なりければ。皇太子に立給ひ。天皇崩後。しか/\の御ありさまにて。おはしましけるほどに。薨給ひけるによりて。此度は御兄とます。高市皇子を相繼がしめ奉り給へるにぞあるべき。然るに此皇子も。薨給ひにければ。又日並知皇子の御子珂瑠皇子を。相嗣て立給ひ。又同じさまにて。おはしましけるを。後にさらに皇太子に立て。御世を嗣しめ給へるなるべし。【文武天皇の御事なり。】かく考奉れる事は。懷風藻葛野王の傳に。高市皇子薨後。阜太后引2王公卿士(ヲ)於禁中1。謀v立2日嗣1云々。王子進奏曰。我國家爲v法也。神代以來。子孫相承。以襲2天位1。若兄弟相及。則亂此興(ラム)云々。聖嗣自然定矣。此外誰敢間然乎云々。皇太后嘉2其一言定1v國云々。と記せるを。つら/\按るに。まづ天武紀に。天皇の皇子等を惣載されたる中に。草壁皇子尊。高市皇子命と。この二柱にのみ。尊と命との字を別て。崇(メ)書され。薨後に及びて。この高市皇子を。後皇子尊【萬葉集には。日並知皇子尊。高市皇子尊と書り。紹運録には高市皇子命。】と記されたるにても。草壁皇子(3934)の薨後。相繼て同等におはしましたる事著し。萬葉集に。日並知皇子尊。殯宮之時。よめりとある長歌の反歌の下に。或本云。以2件歌1。爲2後皇子尊殯宮之時反歌1也。と註せるも。二皇子同じさまにおはしましたりけるから。傳の混のありしなるべきをも。思ひ合すべし。【長柄山風に云る説を。取捨して引けり。なほ本書を見るべし。】しかるに通證に。考2懷風藻葛野王傳1。此時將3建爲2儲位1。故曰2後皇子1。曰v尊。記者寓2其意1也。と云れたるは。たゞに記者の寓意とのみ。思はれたるがごとき説なれど。其はいと疎略なる注なり。かくて此時の御葬のさまを。萬葉集に。高市皇子尊。城上殯宮之時。柿本朝臣人麻呂作歌あり。歌中に。百濟之原從《クダラノハラユ》。神葬《カムハフリ》。また城於道從《キノヘノミチユ》。角障經《ツヌサハフ》。石村乎見乍《イハレヲミツヽ》。神葬云々とありて。御墓は三立岡と云にあり。諸陵式に。三立(ノ)岡墓。高市皇子。在2大和國廣瀬郡1。兆城東西六町。南北四町。無2守戸1。大和志に。三立岡墓。大垣内村三立山。墓畔小冢三。とあり。
 
 
八月庚午朔甲午。以(テ)2直廣壹(ヲ)1。授2多臣品治(ニ)1。并(テ)賜v物。褒d美(テナリ)元從《ハジメヨリシタガヒタテマツリシ》之功。與(ヲ)c堅(ク)守(レル)v關(ヲ)事u。九月庚子(ノ)朔甲寅。以(テ)2直大壹(ヲ)1。贈2若櫻部朝臣五百瀬(ニ)1。并(テ)賜2賻物1。以(テ)顯(タマフ)2元從之功(ヲ)1。冬十月(ノ)己巳(ノ)朔乙酉。賜2右大臣丹比(ノ)眞人(ニ)輿(ト)杖(トヲ)1。以(テ)哀2致事《オイテマカルコトヲ》1。庚寅。假2賜正廣參位右大臣丹比(ノ)眞人(ニ)。資人《ツカヒト》一百二十人。正廣肆(3935)大納言阿倍朝臣御主人。大伴(ノ)宿禰御行(ニハ)。並(ニ)八十人。直廣壹石(ノ)上(ノ)朝臣麻呂。直廣貳藤原朝臣不比等(ニハ)。並(ニ)五十人1。十一月(ノ)己亥朔戊申。賜2大官大寺(ノ)沙門弁通(ニ)。食封三十戸1。十二月己巳朔。勅旨講2讀金光明經1。毎年十二月(ノ)晦(ノ)日。度2淨行者一十人1。
 
 
申午。二十五日なり○多臣品治。天武前記に。多朝臣とあり。こゝは朝字脱たるものなるべし○賜物。賜は賻の誤にはあらざるか○守關事。不破道を守りしこと。壬申紀に詳なり。通證に。鈴鹿關司と云れたるはたがへり○甲寅。十五日なり○乙酉。十七日なり○丹比眞人。本に名を脱せり。この人は上にも既に出て。四年七月右大臣となりませり。大寶元年七月に薨ずるよし。【年七十八】續紀に見えたり。多治比王の子なり○輿杖は。輿と杖となり。輿に乘り。営門に出入し。杖つく事をゆるし玉(フ)なり。なほ此後にも。文武紀四年正月。賜2右大臣多治比眞人嶋(ニ)。靈壽杖。及輿※[人偏+臺]1。優2高年1也。と云ることあり○哀事。考本に哀を表に作れり。致事は。禮内則。七十致v事。事與v仕通。白虎通曰。致仕(ハ)。臣以2執v事趨走1爲v職。七十陽道絶。耳目不2聰明1。故致2其事於君1也。とあるが如く。年齢の七十になれるを云るなり。此時已に仕を致《カヘ》して。身を退けしにあらず。此より後に。扶桑略記。四年康子八月二十六日。右大臣多治比眞人嶋。任2左大臣1。とあるを以知べし○庚寅。二十二日なり○假賜正廣參位。通證に。位字恐衍と(3936)あり。考本にはなし。されどありても妨なし。さて假賜とは。資人を假し賜ふ意なるべし。さるを假賜を水戸本には倒せり。さらば賜2假(ノ)正廣參1云々となれり。いかゞにおぼゆ○資人。崇峻紀に見ゆ○大納言。此二人大納言となりし年月未詳○阿倍朝臣御主人。元年紀に。布制朝臣とあり。此事既に云。【姓氏録に。布制朝臣は。阿倍朝臣同祖とあれば。此人の族。もと布制なりしを。阿倍に改められしなるべし。】續紀二には。阿倍普勢臣御主人と書り。續紀。大寶元年三月。以2大柄言正從二位阿倍朝臣御主人1。爲2右大臣1。三年閏四月。右大臣從二位阿倍御主人朝臣薨。難波朝左大臣倉梯麻呂之子也。とあり。公卿補任には。年六十九。布勢(ノ)麻呂古之男とあり○大伴宿禰御行。續紀大寶元年正月。大納言正廣參大伴宿禰御行薨。贈2正廣貳右大臣1。難波朝右大臣大紫長徳之子也。とあり○石上朝臣麻呂。本に麻呂を麿に作る。今考本に據る。麻呂此時中納言たりしこと。續紀。大寶元年三月。中納言正々三位石上朝臣麻呂。爲2大納言1。慶雲元年正月。以2大納言從二位石上朝臣麻呂1。爲2右大臣1。和銅元年三月。右大臣正二位石上朝臣麻呂。爲2左大臣1。養老元年三月。左大臣正二位石上朝臣麻呂薨。帝深悼惜焉。爲v之罷v朝。贈2從一位1。百姓追慕。無v不2痛惜1。大臣泊瀬朝倉朝廷大連目之後。難波朝衛部大華上宇麻子之子也○藤原朝臣不比等。上文には史に作る。此時中納言たりしこと。續紀。大寶元年三月。中納言正々三位。石上朝臣。藤原朝臣不比等。爲2大納言1。和銅元年三月。大納言正二位藤原朝臣不比等。爲2右大臣1。養老四年八月。右大臣正二位藤原朝臣不比等薨。帝深悼惜焉。爲v之廢v朝。擧2哀内寢1。特有2優勅1。吊賻之禮。異2于群臣1。大臣近江朝内大臣大織冠鎌足之第二子也。十月。詔遣2大約言正三位長屋王。(3937)中納言正四位下大伴宿禰旅人1。就2右大臣第1。宣贈2太政大臣正一位1。懷風藻に年六十三とあり○戊申。十日なり○弁通。績紀五。弁通法師爲2少僧都1〇三十戸。中臣本に四十戸とあり○講讀。秘閣本活字本中臣本に。講を縁に作る。
 
 
十一年春正月(ノ)戊戌朔甲辰。饗2公卿大夫等(ニ)1。戊申。賜d天下(ノ)鰥寡|孤獨《ヒトリウド》篤※[病垂/隆]《アツエヒト》。貧(テ)不(ル)v能2自存(コト)1者(ニ)稻(ヲ)u。各有v差。癸丑。饗2公卿百寮(ニ)1。二月(ノ)丁卯(ノ)朔甲午。以(テ)2直廣壹當麻眞人國見(ヲ)1。爲2東宮大傅《ミコノミヤノオホカシヅキ》1。直廣參路(ノ)眞人跡見。爲2春《ミコノ》宮(ノ)大夫《ツカサノカミト》1。直大肆巨勢(ノ)朝臣粟持(ヲ)爲v亮(ト)。
 
 
戊戌朔。三字本になし。今考本集解に據る○甲辰。七日なり〇饗公卿大夫。本に公卿二字を脱。今中臣本。類史歳時部(ノ)文に依る○戊申。十一日なり○癸丑。十六日なり○二月丁卯朔。此下に脱文あり。釋紀私記に。引2王子枝別記1曰。文武天皇少名珂瑠皇子。天武天皇(ノ)皇太子草壁皇子尊之子也。持統天皇十一年。春二月丁卯朔壬午。立爲2皇太子1。とあり。壬午は十六日なり。こゝには。この壬午の一條を脱せること明らけし。さて此珂瑠皇子の。皇太子に立給ふ時の事を。上にも引て云る。懷風藻葛野王の傳に。高市(ノ)皇子薨後。皇太后引2王公卿士於禁中1。謀v立2日嗣1云々。王子進奏曰。我國家爲v法也。神代以來。子(3938)孫相承。以襲2天位1。若兄弟相及。則亂此興云々。聖嗣自然定矣。此外誰敢間然乎云々。皇太后嘉2其一言1v國云々。とあるが。たゞならず聞ゆるに就て。信友が考へたる説あるを。こゝに云べし。懷風藻に。高市皇子薨後。皇太后云々。謀v立2日嗣1。と記せるを合せおもふに。紀に記されたるところは。持統天皇。此頃既に御世を知食し。即位の禮をさへに行ひ給へる後の事なるに。なほ皇太后と申し。【皇后を皇太后と稱す事は。次の御世に及びて。奉らるゝ例の尊號なり。此に其尊號もて記せるは。草壁(ノ)皇子の奉り給へるなるべ。しかるに。天武紀遺詔のところに。皇太后と。たゞ一ところ書されたる。太字は衍寫《アマシウツシ》なるにか。又紀を撰ばるゝ時。當時の文書のまゝに。採り記されて。修飾《トヽノ》はさりしにもあるべし。】また謀v立2日嗣1。と記せるなど。【日嗣とは。天照大御神の御任を。御子の尊の。嗣々に受傳(ヘ)給ひて。天下を知看す由の御稱なり。天武紀の騰極の字注に。古云2日嗣1也。と記されたり。かくて其御位を嗣給ふべき。儲の皇子を。日嗣皇子と申し奉るに。漢樣には皇太子。また太子とも申す御事なり。】事たがひてきこゆるは。紀には據らずして。別に當時《ソノカミ》の實の御ありさまのまゝに。録し置る書の在けるによりて。採れるものなるべし。其は草壁皇子薨給ひける後。群臣皇太后に請(ヒ)甲して。強て神器を奉り。天皇と崇め奉り。即位の禮をも行ひ奉りつれど。御みづからは。なほ謙《ヘリクダリ》給ひて。うけばりて。もはら天皇の如くにのみはものし給はず。草壁皇子に繼て。また高市皇子をもて。日嗣にと定おかせ給ひたるなり。其は此高市皇子の薨給へるによりて。謀v立2日嗣1といへるをもて。前の草壁皇子の上に旋らして。もとより日嗣に定まりて。おはしましたりし事の。おのづから然と知られたり。さて然定めたまひける後の事なるべし。此高市(ノ)皇子を。御世の四年に太政大臣とし。七年に淨廣壹の爵を授給ひたる寧。紀に見えたり。此は前に草壁(ノ)量子。立太子の時。令v攝2萬機1と命(セ)給ひ。其後淨廣壹を授給ひたると。おほかた同例なりけり。【皇太子に立(チ)給へる草壁皇子に。爵を授《タマ》ひ。また此皇子を。日嗣に定め(3939)置給ひつゝも。太政大臣として。欝を賜ひたるは。時情《トキノサマ》によりて。殊更に深き御慮もちゐありての。御はからひなりしなるべし】かくて此高市皇子も。薨給ひにければ。亦相繼て。同じさまに立(チ)給はん皇子を。選給ひたるを。懷風藻に。謀v立2日嗣1と記せるに。意を着くべきなり。【日嗣の皇子を。立給(ハ)むとの事ならんには。然しもとゝのへる漢文なれば。皇太子。又儲貳などいへるごとき。漢ざまの稱呼はあるを。これのみ皇國言に。日嗣と書るは。もとより皇太子にはあらず。又今御世知看す天皇にもあらねば。天位とも。帝位とも。云べきにあらず。いと別さまなる御事なりければ。いかにとも。漢文には作きがたきが故に。然は書るなり。】さて其時。葛野王の議に。兄弟相及(ハ)。則亂此興云々。聖嗣自然定矣云々。と奏し給へるを。一言(シテ)定v國と嘉給ひ。すなはち日嗣に選定給へるは。草壁皇子の第二子。【持統天皇には御孫】珂瑠皇子に坐しませり。かくて葛野王の議に。兄弟相及云々と奏し給ひたるは。草壁皇子うけばりて。御位に即きて。御世をば知(シ)看さゞりしかど。父天皇崩給ひしかば。皇太子は自ら。御世を繼給へる。日嗣の君に坐ます義なれば。其嗣を兄弟に及ぼし給ふべきにあらず。その御子ぞ。相繼て日嗣に立給ふべき義(リ)なると。奏し給へるなり。【前に高市皇子を。日嗣に立給へりしは。葛野王の意には。あるまじき義(リ)とおもほしたりげなり。さて聖嗣とは。もはら天武天皇の御世嗣のごとくにもきこえ。また草壁皇子のにも。ひゞきてきこえ。又持統天皇のに。かゝりてもきこゆ。これは幽微《ホノカ》に回遷《メグラシ》たる文義と見てあるべし。】さて其珂瑠皇子を。日嗣に定給へるは。高市皇子の薨給へるに。【十年の七月】遠からぬほどの事なるべし。【中略】かくて此皇子。いとほどなく。持統天皇太子に立ち給ひて。御位を受傳はらせ給へり。其は十一年八月乙丑朔。禅2天皇位于皇太子1。と記されたるこれなり。【御年十五】しかるに此天皇の立太子の事。書紀に見えずして。十一年の下に。二月丁卯朔甲午。以2直廣壹當麻眞人國見1。爲2東宮(ノ)大傅1。直廣參路眞人跡見。爲2春宮大夫1。直大肆巨勢朝臣粟持爲v亮。三月丁酉朔甲辰。設2無遮(ノ)大會於春宮1。とのみあり。故釋紀に。私記に引る王子枝別記を亦引て云々。【上に引たり。】と注せり。【萬葉集古本。輕王宿2于(3940)安騎野1時云々の傍書にも。皇子枝別記曰とて。件の文を引り。扶桑略記。帝王編年記には。二月以2輕皇子1立2皇太子1とありて。日を記さず。續紀には月日ともに記さず。】今按るに。枝別記に記せる。立太子の壬午の日は。十六日なり。紀に東宮(ノ)大傅等を任給へる甲午は。二十八日にて。次第も合へり。決(メ)て實録なり。紀を撰みたる頃。立太子の事|詳《サダカ》ならぬ事はあるべからず。奏上の原本には。決て載られたりけむを。いとはやくより。其條を寫脱せる本の。世に傳はりたるなるべし。さて其脱文は。紀の例によれば。十一年の二月丁卯朔と。甲午との中間に。壬午。立2天渟中原瀛眞人天皇之孫。草壁皇子尊之第二子。【第二子は續紀によれり。】珂瑠皇子尊1。爲2皇太子1。とぞありけん。かくてぞ。禅位のところに。皇太子と記されたるが。とゝのひてきこゆるなり。【上に論へる草壁(ノ)皇子に。日並知(ノ)皇子と。謚したまへるも。此立太子より。やゝ前の事にて。此脱文ならむといへる上にありけるが。共に脱たるにもやあらむ。】と云れたるは。委しき考なり。さることゝきこえたり。【なほ此丈のつゞきは。下に出す。】○甲午。二十八日なり○當麻眞人國見。朱鳥元年九月に見えたり○東宮大傅。東宮職員令。傅一人。掌d以2道徳1輔c導東宮u。義解。太子所v居也。とあり○春宮大夫。又云。春宮坊大夫一人。掌d吐2納啓令1。宮人(ノ)名帳。考叙宿直事u。倭名抄。春宮坊。美古乃美夜乃豆加佐。職原抄に。東宮春宮是一也。然傅。學土。此爲2東宮官1。大夫以下。爲2坊官1。古來如v斯。とある。これ東宮と春宮との差別なり○巨勢朝臣粟持。考本に粟を栗と作り。此人卒見えず○亮。令。亮一人。倭名抄。次官職曰v亮。とあり。
 
 
三月(ノ)丁酉(ノ)朔甲辰。設2無v遮大曾(ヲ)於春宮(ニ)1。夏四月(ノ)丙寅(ノ)朔己巳。授3滿選者《カヾブリタマハルベキヒトニ》。(3941)淨位(ヨリ)至(デニ)2直位(ニ)1。各有v差。壬申。幸2吉野(ノ)宮(ニ)1。己卯。遣2使者1。祀2廣瀬與(ヲ)2龍田1。足日。至v自2吉野1。五月丙申(ノ)朔癸卯。遣(テ)2大夫謁者(ヲ)1。詣(テ)2諸社(ニ)1請v雨。六月丙寅朔丁卯。赦2罪人1。辛未。詔讀2經於|京畿《ミヤコノウチツクニノ》諸寺(ニ)1。辛巳。遣2五位以下1。掃2灑《ハラヒキヨメシム》京(ノ)寺(ヲ)1。甲申。班《アガチマダシタマフ》2幣於神祇(ニ)1。辛卯。公卿百寮。始造d爲2天皇(ノ)病(ノ)1。所願《コヒチカヘル》佛像(ヲ)u。癸卯。遣2大夫謁者(ヲ)1。詣(テ)2諸社(ニ)1請v雨。
 
 
甲辰。八日なり○己巳。四日なり○滿選者。選叙令に詳なり。天武紀二年に云り。併せ見るべし○壬申。七日なり○己卯。十四日なり○癸卯。八日なり○丁卯。二日なり○辛未。六日なり○辛巳。十五日なり〇五位以下。本に下を上に作る。今考本類史佛道都。集解に據る○掃灑。類史に掃を拂に作る○甲申。十九日なり○辛卯。二十六日なり○癸卯。二十八日なり。
 
秋七月(ノ)乙未朔辛丑。夜半(ニ)赦2常※[金+嬰]盗賊《ヒタヌスビト》一百九人(ヲ)1。仍(チ)賜2布人(ニ)四|常《キタ》1。但外國(ハ)者。稻人(ニ)二十束。丙午。遣(テ)2使者(ヲ)1。祀3廣瀬與2龍田1。癸亥。公卿百寮。設d開《アラハシマツル》2佛(ノ)眼《ミマナコヲ》1會《ヲガミヲ》於藥師寺(ニ)u。八月乙丑(ノ)朔(ニ)天皇定(テ)3策《ミハカリゴトヲ》禁中《オホウチニ》1。禅2天皇位《クニサリタマフ》於皇太子(ニ)1。
 
(3942)辛丑。七日なり○常※[金+嬰]を。水戸本に當絞に作れり。【水戸にて潜龍閣本と稱する本なり。】さもあるべし。常※[金+嬰]にては。いかにも解がたし。小寺清先は。※[金+嬰]疑钁と云へれど。信がたし。また集解には。嬰金(ノ)二字に作れり。其説に。原作v※[金+嬰]。々※[手偏+僉]2字書1。無v所v見。二字誤合。爲2一字1。文選。司馬遷報2任少卿1書曰。其次剔2毛髪1。嬰2金鐵1受v辱。濟曰。剔2毛髪1。謂2※[髪の友が几]刑1。繞2金钁1。謂v※[金+巣]也。嬰繞也。按。謂(ハ)常日嬰v金爲v徒。罪犯2盗賊1者。今赦2其徒1。と云り。訓をも。常嬰金盗賊を。ヒタニカセツケルヌスビト。とよめり。さることのやうなれども。字を改めたるは私なり。木村正辭云。此字今本のみならず。續紀にも。二所まで※[金+嬰]とあり。これ傳寫の誤なるにはあらざること明けし。按に此は嬰金の二合宇なり。本邦にでは。此二合字といふもの。いと古くより用ゐ來れることにて。古(ヘ)婦人の稱に※[刀/目]《トジ》といふことあり。刀自の二合字なり。【これを和名抄に負字とし。老女の稱なりと云るは誤なり。刀自は。家事を執行ふ婦人の稱なり。】眞字上宮法王帝説に。※[刀/目]古《トジコ》郎女とある是なり。【類従本に收めたる帝説には。負とかけり。和名抄に據りて。さかしらに改めたるなり。】又畠は白田二合字にて。和名抄。大神宮儀式帳。延喜式等にあり。※[日+古]は日古のこ合字にて。出雲風土記に出たり。又國史萬葉集に。海人を泉郎とかけり。これ白水郎の二合字なり。姓の日下を。※[日/下]とかけるも同例なり。また新撰字鏡に。※[木+若]【志毛止】とあるは。若木の二合字。同書に※[木+香]【牟呂乃木。又加豆良。】とあるは。香木の二合字なり。【萬葉集に。天木香樹を。牟呂と訓。古事紀に香木を加豆良とよめり。】また※[鍛+師]【加奴知】とあるは。鍛師の二合字なり。なほいと多かるを。さのみはとて省きつ。これらに準へて。※[金+嬰]も嬰金の二合字なることを曉るべしとて。なほ二合字の。古く皇國に行はれし事を云れたるは。いとおもしろき考なれども。なほ當絞とあるは。(3943)こともなく易らかに通えたれば。其によるべくや。【さて訓のヒタは。常字によりてよめるものなるべければ。從ひがたし。】○丙午。十二日なり〇八月乙丑朔。類史及續紀には。乙丑を甲子に作れり。集解(ニ)引(ク)暦考曰。續紀作2甲子朔1。儀鳳暦推(バ)。此欄甲子朔也。然以2經朔1爲v定。間有v之。因隨2書紀1。とあり。按此年はじめて儀鳳暦を用ゐしこと。既に云り。即ち唐麟徳暦なり。大日本史云。今按2暦法1。實爲2甲子1。今姑從2舊文1。水鏡。一代要記。係2十年1。皆誤。とあり。【但し按2暦法1。實爲甲子1。と云れしは。暦法に依て。これも彼も合へるを思ひおとされたるなり。】○禅天皇位於皇太子。皇代記云。持統天皇。大化三年丁酉八月甲子。讓2天位於輕皇太子1。尊號曰2太上天皇1。首書云。前帝尊號始v自v此。持統天皇御事也。萬葉一。藤原宮代。高天原廣野姫天皇下。古寫本旁注云。元年丁亥。十一年讓2位經皇太子1。尊號曰2太止天皇1。【なほ紹運要略。袋草子。神皇正統記にも。同じさまなる文あり。今一々引出ず。】さて此御讓位の事につきて。信友が云れたる説に。續紀に載られたる。元明天皇即位の時の詔詞に。藤原宮御宇。倭根子天皇。【持統】丁酉八月爾。此《コノ》食國天下之業乎云々。今|御宇豆留《アメノシタシロシメシツル》天皇【文武】爾。授賜而。並坐《ナラビイマシ》而。此天下乎。治賜比諧賜岐云々。と詔へり。此は持統天皇。文武天皇に。御位を禅たまひし後も。なほ相並ばして。政きこしめしたりし由なり、これをもても。前に日嗣と申に立て給へる。三皇子【草壁高市珂瑠】の御上の御ありさまを。おもひやり奉るべきなり。さて讓位のゝち。太上天皇の尊號を。奉られたまへるは。此持統天皇が。始にはおはしける。これも御世のさまに。合せたまへる御事なりけむかし。【尊號奉られたる年月は。史どもに記されず。扶桑略記。水鏡。神皇正統記など。其ほかの書どもには。讓位の日に連ね記せり。史には。續紀大寶元年六月の下に。始て尊號を以て記されたり。】そも/\上に論《イヘ》る如く。懷風藻に。持統天皇を皇太后と申し。高市皇子に相繼給ふべき御事を。日嗣と稱し。葛野王の論奏(3944)の趣の。紀とうちあひて聞えがたきは。持統天皇の御世知看しつゝも。なほ萬に世を危み思ほしめし。御みづからは。謙《へ》り給ひて。三皇子を繼々に。日嗣と申に定奉り置給へる御事どもの。例なき御ありさまなりけるを。然は記されがたき趣などのあをを。史例にとゝのへて。文を作られたるが故なるべし。【上に懷風藻に。日嗣と書る事を。論ひたる趣にも。おもひ合すべし。さてなほ此天皇の御世のありかたを。おもひやり奉るに。神功皇后の。韓國を事向給ひ。其始國の御政。攝りおきて給ふに依りて。殊に彼國の王どもの。畏懼《オヂ》歸服ひたりければ。應神天皇|成長《ヒトトナリ》坐て後も。なほ母皇后の。もはら韓國の御政。行ひ給ふにあはせて。萬とりすべて。政ごち給ひけ事。おのづからの勢なりしなるべし。當時のありかた。何事も直くおほらかにして。後のごとく。際やかなる事は無かりしかば。天皇は自らなほ太子の如く。皇后は自ら天皇のごとくにてぞ。坐ましけむ。此持統天皇の御世も。實のありかたは。其神功皇后の。御政攝り給ひたりしに。似たるなりけるが。そのかか既に漢國を。用ゐ給へる御世なりければ。義を定めて。外面《ウハベ》をつくろひ給へるから。内實《シタノマコト》と乖ひたることもぞ多かりけん。然るを紀の例として。きはやかに記しなされたるが故に。事實のおぼゝしく。はた混らはしくもきこゆるなるべし。】然る中にも。かの日嗣と定給へる。草壁(ノ)皇子には尊と稱し。又相繼て立給へる高市(ノ)皇子をば。後皇子尊と稱して。例《ツネ》の皇太子にては。おはしまさゞりつる御品を。顯はされたるにぞあるべき。【珂瑠皇子も。立太子の前には。二皇子と同じ例に。尊と稱し玉ふべきを。紀の見《イマノ》本どもには。此皇子の事見え給はず。若くは。はやくより寫脱せるにか。】抑皇女におはして。天津日嗣知(シ)看すことは。更にあるまじき御事にて。其はかけまくも畏き。皇孫降臨ましけるより。爾來御代々々の天皇の御上にて。確實《サダカ》なる事は。申すも更なれど。無窮《キハミナキ》遠長の御代々々の中には。時(ノ)勢によりては。此事得給はぬことの。無き事あたはず。いと希には。姫尊におはして。姑く日嗣の御位に立給へることも。いでき始ぬるなり。されど其は素より。天照大御神の御依の。なべての例のまゝならぬ御書なれば。次の日嗣をば。前の天皇の皇太子と稱し定めて。御位を受傳はらしめ給へるは。なほ古の道を守り給へ(3945)る義に。かなひたる御行にて。持統天皇すなはち。其道に依らせ給ひたりけんと。畏くも推はかり思奉らるゝなり。然るは後の御事ながら。續紀大炊天皇卷。天平寶字三年六月庚戌詔に。比來太皇大后(ノ)【光明皇后】御命以弖。朕爾詔宣久。【中略】朕又念久。前(ノ)聖武天皇乃皇太子止。定賜比天。天日嗣高御座乃|坐《クラヰ》爾。昇賜物乎云々。と見えたるにつけて。おもひ奉るに。【詔詞解に。件の詔詞の文の意は。孝謙天皇。姫尊に坐が故に。此大炊天皇を以て。聖武天皇の皇太子として。立て給へりしよしなり。さるは聖武天皇は。はやく崩坐て後の事なれば。聖武天皇の立て給へりと云にはあらず。又云く。此詔詞の件の趣は。太上天皇の教たまふべき事なるに。太皇太后の教給へるは。聖武天皇の御子として。立て給へる故にやあらむ。と説はれたるが如くなるべし。いづれにても。大炊天皇を。聖武天皇の皇太子と。稱し定め給ひて。日嗣を受(ケ)授らしめ給へることは。此大御づからの詔詞にて明確なり。】この時皇太子を立給へる趣。そのかみの實《マコト》の御ありかたにて。正しき古の道にこそはありけめ。然るは皇女として。日嗣の御位に即給へるは。止事え給はぬ時に當り給へるが故にて。殊なる御事なれば。其女帝の皇太子と申すに立て。皇統を繼しめ給べき義あるべからず。故女帝の次の日嗣は。其前の天皇の皇太子と稱し定姶ひて。御位を受傳はらしめ給へる御例(シ)にこそはありけめ。かくて立かへり思ひ奉るに。持統天皇の。三皇子を日嗣と定置給へるも。もはら御世を危ふみ思ほせるが故なるべけれど。かつは古道に依り。皇太子の義を立(テ)給ひたるにて。珂瑠皇子を。後に皇太子に立(テ)給へるも。實は持統天皇には係給はず。前の天武天皇の皇太子と定めて。日嗣を受傳はらしめ給ひたりしなるべし。然るに此時の詔詞。又續紀の本文にも。直に禅位受禅し給へる趣なるは。これも上に論《イヘ》ると。全く同じ意ばへにものせられたるにぞあるべき。【禅位受禅の明年を。元年と立らるゝは。なべての御例にて。史に記されたるが如くなるを。此度のみ。受禅の年をもて。すなはち元年と立られたりるも。御こゝろしらひありての。御事なるべし。また持統天皇と稱し奉る御謚の字。なべての謚法の字の類に似ず。もしくは扶2持皇統1など云はむごとき義にて。御行もて。稱へ奉れるにはあらざるか。】と云れたる。(3946)さるべき説とおぼしければ。こゝに載せつ。【但し。其文をも。取捨して出せり。なほ本書を見るべし。】さて此天皇御讓位の後六年ありて。御齡五十八にて崩じ給ひき。其は續紀大寶二年十二月乙巳。太上天皇不豫。甲寅崩。三年冬十二丹癸酉。謚曰2大倭根子天之廣野日女尊1。是日。火2葬於飛鳥岡1。壬午。合2葬於大内山陵1。【類史に。太上天皇崩。遺詔勿2素服擧哀1。内外文武官。釐務如v常。喪葬之事。務從2儉約1。三年十二月癸酉。諸王諸臣奉v誄云々。】とあり。大日本史云。續紀。十二月二十二日庚寅崩。水鏡。皇代略記。爲2十日1。本書享年闕。皇胤紹運録。神皇正統記。一代要記。並曰年五十八。とあり
 
日本書紀卷第三十 終
   秘閣本中臣本終字なし
 
日本書紀通釋卷之七十 終
 
明治三十六年一月二十九日印刷
明治三十六年一月三十一日發行
       東京市神田區北神保町拾參番地
 發行者  飯田 永夫
       東京市牛込區南町拾八番地
 發行者  藤森 佐五吉
       東京市日本橋區兜町貳番地
 印刷者  斎藤 章達
       東京市日本橋區兜町貳番地
 印刷所  東京印刷株式會社
 
         2008年5月27日(火)午前10時20分、天武紀、持統記入力終了
         2010年8月15日(日)午後3時40分、神代紀入力終了