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登ってみよう発句石!!
黄色いチラシ情報
コラム:荻野の文化遺産

おことわり:Web版では広告を掲載していません。
平成15年11月1日号NO.276号 Web版
荻田印刷 TEL・FAX 046-241-8990
1981年創刊 毎月1日発行
編集発行人:荻田豊 上荻野車庫前
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登ってみよう発句石!!
 体育の日に、上荻野真弓の松石寺真の西山にある『荻野音頭』 にも歌われている発句石を見てきました。採石のためにこの山 を削り取る計画があるそうですから、その前に芹江(きんこう) の俳句「この山やこの鴬に人も居ず」を現地で体感しようと、 運動不足の身体にむち打ち、急な山を登ってきました。

★『そもさん文庫』で
発句石に関しては、当紙96号(昭和63年11月)に『そもさん文庫』の「ふるさとのむかし話」(原文‥市民かわら版)として掲載しました。再度抜粋して転載します。



★発句石
 荻野地区の西に連なる経ケ岳、華厳山、高取山などの山々を、地元の人たちは総称して西山といっています。
 峰から峰につづく尾根は、厚木市の荻野・飯山と愛川町田代・清川村煤ケ谷との境界で、尾根道はハイキングコースになっています。
 この西山の尾根には、ひと押しすればころがり落ちそうな大きな自然石がいくつかあります。
 これらの石は、経石、コタネ石、発句石、スズリ石などと呼ばれ、ふもとの村々にはこれらの石にまつわるはなしが語り伝えられているのです。(中略)
 「発句石」には「この山やこの鴬に人も居ず」の句が彫られています。
 江戸時代の終り頃、下荻野村に七右衛門という研屋(とぎや)が住んでいました。七右衛門は実在の人物で、研屋のかたわら俳譜をたしなみ、号を芹江といいました。
 芹江は西山の自然を愛し、たびたび足を運びました。夏は梢をわたる風に著さを忘れ、秋は月をながめ、また冬は時雨に袖をぬらすこともあったといいます。
 ある時、いつものように華厳山に登った芹江は、この石のところでひと息入れ、眼下に広がる相模平野をながめていると、誰もいない山の木立ちで鳴く鴬の声がきこえてきました。芹江は、この山や……の一句をものにすると、持ち合わせた筆に墨をふくませ、傍の石に書き付けて山を下りました。
 やがて、このことが知れ渡ると、いつしかこの石を「発句石」と呼ぶようになったといいます。そし て、この句はそのまま石に刻まれ、今でも西山の尾根に立っているのです。       (後略)

★尾根道からの景観
 山の入口まで案内していただいた知人に”三十分で登れるよ”といわれましたが、山息せき切って一 時聞かかりました。しかし、その甲斐あって、芹江はただたんに、鴬の鳴き声を一人占めできた喜びだけを詠んだのではなく、眼下に広がる荻野村や中津村、さらに横浜、江ノ島、遠くは江戸新宿までをも眺め、心が満たされていたことを、この地に立ち実感することができました。


【芹江データ】本名小林七右衛門。荻野新宿の人。宝暦7年(1757)生まれ、文政2年(1819)没。父親は麦穂庵村水と号し、本名小林忠七、通称研屋忠七と称し、刃物研ぎを業としていました。芹江は同業を継承し、俳諧でも麦穂庵二世を継ぎ、技能者として器用な腕をもち、書もよくし荻野新宿法界寺の額を書いたり、句集の版木の彫工もしています。墓は法界寺。発句石は文化9年(1812)につくられ、記念句集として『うめごよみ』が編纂されました。下の華厳山之図はその句集から転載しました。またこの絵は荻野公民館上荻野分館玄関ホールの壁面レリーフにもなっています。



黄色いチラシ情報

●社会福祉法人紅梅会バザー
11月3日(祝)10時〜15時
JAあつぎ荻野支所駐車場
 知的障害者の援護施設の改善資金づくりを目的としています。
 バザーで沖縄2泊3日の旅ほか

●『黄色いチラシコレクション』へ
 半原撚糸協同組合から「百年史」を、平塚市美術館から洋画家・原精一の図録をいただきました。ありがとうございました。


コラム:荻野の文化遺産

◆先月、社会教育協会愛甲支部で初代荻野村村長屋敷の保存を現当主に働きかけた顛末を語り、三日後、荻中の道徳授業では「地元にあるものを活かして遊ぶ」当紙の活動の中から、荻野神社六十年式年祭を盛り上げるために石神様にちなんで企画した楽石楽座の話をしました。そのまくらに花上・成井・荻田姓誕生の頼朝伝説を宮木薫さんの絵と共に紹介し、自身の名字から郷土の歴史に興味を持つようになったことを。
◆この伝説のある館山は採石のため今ではその山容を見ることは出来ません。生家は山の付け根にありますので、裏山が無くなってしまったことになります。砕石工事は高校生の頃からだったでしょうか。実家近くに分家しましたので、還暦真近の今でも採石場の影響を受けています。よくも悪くも。
◆発句石のある西山の一部を採石のため三十年問に二百メートル削り取る計画があるそうです。昨年十二月頃、「住民説明会」のチラシが新聞に折込まれました。確かその一年前にも。当然に七月の市議選の際に話題になるものと思っていましたが、一向に。それでも、”まあ、尾根道は市道だから、市は付け替え許可をしないだろう”と呑気に構えていましたが、どつこい、これが危うくなってきました。
◆村長屋敷も発句石も荻野の先人が残してくれた大事な宝です。前者は個人所有ですから保存提案をし、ひたすらお願いするのみですが、発句石のある尾根道は市道で、こちらは市民の意向で決められます。充分な議論をしたいものです。