目次

つげ義春『丹沢の鉱泉』(中)
西山市道廃止の議決と水戸黄門
西山尾根道を取り戻そう!!
黄色いチラシ情報
コラム:人生二毛作

おことわり:Web版では広告を掲載していません。

※“西山尾根道を市民に返せ”のチラシを厚木市全域に新聞折込みするためのカンパをお願いします!!

平成16年8月1日号NO.285号 Web版
荻田印刷 TEL・FAX 046-241-8990
1981年創刊 毎月1日発行
編集発行人:荻田豊 上荻野車庫前
西山を守る会ホームページ
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郵便振替口座(名称・西山を守る会)
00260-1-41948

太い溜息でもつくには格好の所

「塩川鉱泉」を書いた上田哲農さん、そこに登場した中村妙心さん、そしてつげ義春さんと、塩川鉱泉には人を引き寄せる“何か”が。

 新潮文庫 「新版・貧困旅行記」より
丹沢の鉱泉 中
      つげ義春

 バスを降りると、山峡の宮ケ瀬へ続く街道に面して酒屋と食品店が二軒並んでいた。街道の片側は崖の下に小鮎川が流れているが、樹木に覆われて見えない。街道に面して人家は六、七軒しかなく淋しい。二軒の店屋の間に細い路地があり、その奥へ百メートルほど行くと山にぶつかり袋小路のように行き止って、二十戸ほどの集落があった。大都会の厚木に近いから集落は田舎じみてはいない。その人家より一段下った沢の底に、元湯旅館と渓問屋の二軒がくっつ くように並んでいる。沢といっても幅は一メートルはどで水は澄んでいるが、ただのドブ川を見るようで風情も何もない。人家に囲まれて景色はまことにつまらない。元湯旅館のほうは改築してきれいだが、渓問屋はまったくの田舎宿。道から一段下っているので、二階の窓を通して客間が見え、畳が傾いている。反対側の窓の方に回ると、沢をはさんで竹薮が宿に覆いかぶさり蜘蛛の巣だらけ。斜め向いに墓場。やりきれないはど侘びしい。近くに飯山鉱泉、七沢鉱泉があるから、こんな侘しい所に泊る者はいないのではないか。しかし、暗くて惨めで貧乏たらしさに惹かれる私は、穴場を発見したようで嬉しくなった。屈託したときはここへ来て、太い溜息でもつくには格好の所である。自分が宿屋業をするときは、こういう感じでやりたいと思った。
 塩川鉱泉へ行く予定を変えてこっちに泊りたくなったが、今日は休みだと云われた。車で引越しのような大きな荷物が運びこまれたりしていて、何かとりこみ中のようだった。
 別所から塩川へ行くには、仏果山、経ケ岳の尾根を越えなくてはならない。バスで行くには駅の方へ引返し迂回する。またはずっと山中の宮ヶ瀬の方から回る方法しかない。宮ヶ瀬まで行けば、有名な中津渓谷を見ながら塩川へ行けるので、私は宮ヶ瀬行きのバスに乗った。バスは坂を登りずんずん山の中へ入って行く。山峡の宮ヶ瀬には鄙びた山村でもあるかと期待をしていた。私は鉱泉業とはまた別に、山ごもりでもして孤独に暮らそうかと、ひねくれた考えも しているので、丹沢の奥もついでに見ておきたいと思っていた。バスは三十分で終点に上着いた。
 そこは気の遠くなるような深い渓谷を見おろす高台で、新しいペンションや丸太作りのレストラン、喫茶店などがハデハデに並んで、オートバイが数百台、若者でごった返していた。私は呆然とした。
「あの、ここが宮ケ瀬ですか?村はないんですか」とバスの運転手に尋ねると、
「ダム工事が始まって村は立退きさせられたんですよ、この辺もみんな数年先にはダム湖になるんですよ」と運転手は云った。
「じゃあ、こんな山奥のこの賑やかな店屋はなんですか!」
「ダム湖になれば、ここが丁度展望台になるんで、これからもっともっと発展しますよう」
 と、運転手は得意そうで、ここから塩川鉱泉の方へ行く中津渓谷沿いの道は、工事のため通行止めになっているという。こんな所に一刻もいたくないので、私は折返し発車するバスで元の道を引返した。
 日が暮れてまた別所で下車した。暗くなって、これから駅の方へ回って塩川へ行くと、予約もしてないので、もし泊れなかった場合は難儀をする。といって別所の元湯旅館では物足りないので、近くの七沢鉱泉に行ってみるつもりだった。しかし、食品店で七沢への道を尋ねると、四、五キロはある。バスはないので夜道を行くのは無理だといわれ、しかたなく飯山へ行った。
 飯山鉱泉は、行基菩薩の開創と伝えられる古刹、飯山観音の門前にある。五、六軒の宿屋は離れ離れにあるので、暗くて宿定めに手間どリ、まったくなんということもないつまらぬ宿屋に泊ってしまった。鉱泉なんか出ていたかどうか怪しい宿で、値切ったのに一万円もとられ、頭にきて、頭にきたまま翌日は観音様に参拝した。
 塩川鉱泉へは、遠回りがどうも面白くないので、尾根の低くなる尻尾の方で尾根越えしようと思い、及川という所まで歩き、そこからなだらかな丘のように低くなった尾根を越えた。のんびり歩くのは好きだが、途中の道はダンプの疾走する退屈な道で、さんざん歩いて、急がば回るべきだったかとがっくり疲れた。新宿という所へ出て、そこでラーメンを食べた。その向いに小さな古本屋があり、覗いたりして、知らない町で店屋に入ったりするとき、私は旅情を感じる。
 新宿から半原行きのバスに乗ると二十分ほどで半僧坊前で下車した。本厚木駅からなら三十五分かかる。半僧坊前で中津川にぶつかり、鉱泉は橋の手前を左に折れ、川沿いの道を一キロはど歩く。人家のないダンプ専用道路のような殺風景な道が続き、登りにさしかかる手前で川原に下ると、細い沢が中津川にそそいでいる。その沢に沿って奥の方へ四百メートルほど入ると、塩川鉱泉はあるのだが、広々した川原は無数のカラスが舞い不気味な声をあげている。ゴミが散乱して荒涼としている。名勝中津渓谷はもっと上流で、この辺りは対岸へ歩いて渡れるほど浅い。川原の一角に新築の明るい洋風の宿屋があった。宿の周囲を“猪料理”と染めた旗がとり囲み、おそろしく通俗的。そこから沢の方に百メートルほど入るとまた新築の宿屋があった。たしか滝の家が一軒きりのはずなのに、こんな殺風景な所に二軒も宿屋が誕生して不審に眺めた。  (次号に続く)



西山市道廃止の議決と水戸黄門

 この紋所が目に入らぬか!! 悪人どもが一網打尽縛に就く。決め手は主権在君のしるし将軍様の紋所。さて「西山の市道廃止は議決済み。反対しても無 駄」という一部の声。愚論の標本です。
 この議決の中味たるや、毎日ダンプ千台、30年にわたる採石で、高取山の景観が一大公害発生装置に大化けする「市民に百害、業者は千金」のとんだ代 物なのです。
 今は主権在民の時代。悪代官一味をこらしめる印籠は市民一人ひとりの手中にあります。「反対しても無駄」論に喜ぶのは、一体誰なのか。再考を乞う 次第です。
           花上 義晴



市道は市民の財産です。
西山尾根道を取り戻そう!!
         「西山を守る会」のコーナー

★荻野の里山に営巣木を確認
 七月六日、日本野鳥の会神奈川支部幹事の森要さんの案内で当会会員の小原、櫻井、内木、荻田の四名が荻野川近くの里山でオオタカの巣を確認しました。一ケ月前の六月四日、私たちの資料を元に荻野の里山に入られた森さんは巣と雛を発見し、写真撮影しました。このときはふ化三週間前後であったため、会の確認作業は巣立ちの終わる一ケ月後となったのです。(市民かわら版七月十五日号既報・ホームページ写真参照→ホームページの写真は保護のため現在掲載を止めています)
 当会が、オオタカで採石場増設計画をストップできないものかと動きだしたのは、三月のバザーのときに見た櫻井武さんが撮影した一枚の写真からでした。そしてすぐに専門家を捜しレクチャーを受け、観察会を立ち上げました。厚木市がオオタカ等の観察業務を委託している二つのグループの調査内容を情報公開で入手し、検討しました。もちろん相模興業の環境影響予測評価書もじっくり読みました。オオタカを勉強し始めて五ヶ月足らずですが、この間複数の観察・調査グループ、専門家に会い、話を聞き、私たちの会のスタンスは固まってきました。
 市委託の「神奈川野生生物研究会」はすでに飯山で巣を確認しており、荻野側の「荻野のオオタカと自然を護る会」は未発見ですが、私たちが見つけましたので、これで、採石場増設区域南端に近い二ケ所で確認されました。私たちは採石場増設計画は間違いなくオオタカの生活環境に悪影響を及ぼすものと確信しています。
 前記の櫻井さんの写真は荻野小学校のバードウォッチングで児童と一緒に見たオオタカです。いつまでもこの環境が守られるよう、厚木市長と環境部にみんなで要望書を出しましょう。
★真弓と上飯山自治会のみ
 当紙六月号の「西山尾根道廃道の怪」で書きましたが、市長は昨年十二月議会で尾根道の廃止・付け替えを可決する四年も前の平成十一年七月一日に相模興業と「華厳採石工場における岩石採取拡大計画に係る覚書」を結んでいます。これは尾根道の廃道を前提にしています。このことをしっかりと頭に入れて、これから先きを読んでください。
 やはり情報公開で、相模興業が厚木市長に申請した「市道の付替について」の書類を入手しました。そこには小鮎地区の上飯山自治会長と荻野地区の真弓自治会長の同意書が添付されています。
 あなたは、西山尾根道を上飯山と真弓自治会の人たちだけが使う道だと思いますか。自治会数は荻野地区だけでも三十もあり、尾根道は約一・二キロ、そこに登る市道も四本あるのです。
 再度六月号に掲載した九月議会の関戸市議の発言を転載します。
「…もうこれは生活道路というよりも、現時点においては登山道、場合によってはハイキング道かなということになっていますね。こういうものを廃止するというのは、生活道路のように周辺自治会長さんだとか、そういう単純な手続手順で廃止してしまったんであっては将来に禍根を残すこともあり得ると…」。
 関戸市議はその後態度を豹変させましたが、これが尾根道に対する一般的な認識だと思います。
 それにしても、真弓と上飯山の自治会長さんは、二十二万厚木市民の財産を自分達だけの判断で処分していいと思ったのでしょうか。それも公文書として末代まで名前が残る同意書に署名するとは。恐らくことの重大さを認識していなかったのでしょう。当然に相模興業がこの申請書を出すに先立って市とその内容・添付書類について事前相談しているはずです。そこで市はこの二つの自治会だけでよいと指導したのでしょう。ここにも採石業者に便宜を図り、問題を矮小化した市の姿勢が見えます。
 さあ、山口市長と道路部に「市道を返せ」と抗議しましょう。

  ◇    ◇    ◇

★余談1 環境影響予測評価書
 五月二十八日の朝日朝刊「私の視点」に世界自然保護基金の花輪伸一さんが「新石垣空港 環境アセスの手続を見直せ」との見出しで、「環境アセスメントは、法の精神を生かし正当に行われているだろうか」と書いていました。また、六月二十九日の読売夕刊には「東海環状自動車道の環境アセスメントの途中段階での資料(原案)公開を命じた最高裁判決は、公共事業をはぼ100%追認してきたことで『アワセ(合わせ)メント』とも揶揄される環境アセスの在り方に、一石を投じるものだ」とありました。私はすぐに評価書に逃げ込む厚木市の姿勢を思い浮かべ、大変おもしろく読みました。
★余談2 九十四歳の応援
 二十一日の晩、鳶尾の中尾杏子さんから「1チャンネルを見なさい」との電話。あわててテレビをつけると「その時歴史が動いた」で「世界遺産・熊野の森を守れ、百年前の奇跡の環境運動 哲人・熊楠の抵抗」を放送していました。
 西山を「しっかり守れ」というエールだったのです。感謝。

  ◇    ◇    ◇

★八月の登山は八日(第二日曜日)
 松石寺午前九時三十分集合。下山午後三時頃。下山後宮本老人憩いの家でミーティング。登山コースのため軽登山靴以上を履き、杖があると楽です。弁当・飲み物持参。参加自由。雨天十五日。
★会員募集中、カンパもよろしく
〔年会費〕
 個人 1,000円
 家族 1,500円
〔郵便振替口座〕
 00260−1−41948
 名称 西山を守る会
〔銀行口座〕
 スルガ銀行厚木鳶尾支店
 普通 747429
 西山を守る会 代表 花上義晴
〔ホームページ〕
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〔登山〕
 毎月第二日曜日雨天翌週
〔オオタカ観察会〕
 今期は終了
〔これから予定している催し物〕
 西山称賛展
〔土曜サロン〕
 毎週 午後三時〜 花上代表宅
〔お問い合わせ〕
 TEL 046-241-8990 荻田



黄色いチラシ情報

●『黄色いチラシコレクション』へ
 厚高時代の恩師大畑哲先生から『神奈川の自由民権一小宮保次郎日誌』を、荻野自然観察会から『荻野の自然』No.44を、それぞれいただきました。また厚木市から『厚木市史一近世資料編(3)文化文芸』を協力者としていただきました。

●中村歌女之丞出演のご案内
 愛川町出身の歌女之丞が今年も歌舞伎フォーラム公演に出演します。内容は三部構成で「歌舞伎の美・立廻りと見得」、歌舞伎「曽我物語・中村之場」、舞踊「操り三番曳」です。9月1〜2日日本橋公会堂、5〜15日江戸東京博物館。問い合わせ歌舞伎公演事務局 TEL03-3544-4911



コラム:人生二毛作

◆ここ数年坂東三十三観音札所巡りをしている県央史談会の今年のバス研修旅行は二十八番の滑河観音と北総の小江戸と云われる佐原方面でした。私は『西山を守る会』の登山とオオタカ生態勉強会で欠席でしたが、伊能忠敬記念館にも行ったようです。
◆ご存じの通り、伊能忠敬は四十九歳で隠居し、五十歳のとき江戸深川黒江町に住み、天文方高橋至時に入門し、五十歳を過ぎてから日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた人物です。第一次測量(東北・北海道南部)を始めたときは五十五歳で、最後の第十次測量(江戸)は七十一歳でした。ちなみに七十三歳で没し、「大日本沿海輿地全図」の完成はその三年後でした。
◆「近頃の黄色いチラシは変った」と思われている方がいらっしやるようですが、二十四年間地元にあるものを活かして紙面づくりしてきましたので、太古からある西山を削り取って金にしようとする採石業者に、便宜を図る市長に噛み付くのは自然の成り行きなのです。
◆『西山を守る会』の登山部とオオタカト部の部長もホームページ担当者も看板づくりのリーダーもみなさん五十七歳の私よりは年上で、リタイア後の第二の人生を過ごされています。何よりも今回初めて知り合った方々が多いのですが、共通していることは、みんなの目線は目先のしがらみではなく、孫子の代のその先まで見つめていることです。あなたも豊富な社会経験を「西山を守るため」に活かしてみませんか。