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世界遺産と西山尾根道
心の中の宝物が「風の唄」となった!!
黄色いチラシ情報
コラム:謙虚に

おことわり:Web版では広告を掲載していません。
平成16年11月1日号NO.288号 Web版
荻田印刷 TEL・FAX 046-241-8990
1981年創刊 毎月1日発行
編集発行人:荻田豊 上荻野車庫前
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世界遺産と西山尾根道

 今年七月に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。世界遺産で「道」が登録されるのは「サンティアゴの巡礼路」に次いで二例目だそうです。先日、上荻野にお住まいの亀井さんが来店され「熊野古道が世界遺産になったので、これから八菅修験の峰入修行コースは注目されるだろう」と言われ、当紙平成三年十月号の「峯中駈路勤行・参拾番行所次第」を所望されました。

★熊野と八菅山
 亀井さんの話しに触発され、郷土史の大先輩、故・中村昌治さんの著書『八十八歳の郷土誌』を開いてみました。ありました。「熊野山領と八菅修験について」と言う項が。早速引用させていただきます。なお、この文章は五十年位前に書かれたようです。
        ◇
 愛甲郡愛川町の字八菅山部落は四十数戸の集落であるが、全戸がそこに祭祀される八菅山七社大権現(現・八菅神社)を拠所とする修験(法印といっている)であり、各戸にそれぞれ○○院とか○○坊の名称があった。そして、かつては、地域社会はもちろん武相一帯から広く信者を得て、活発な聖業を展開していた。しかるに、明治改元に当って全員が結束して鎮将府に願い出て、全部が一応神職に転じた。その後、一致して帰農してしまい、現在に至っている。  ここに、この修験の発生は熊野山領に由来することを記し、供覧に資したい。

 鎌倉時代の上期、後嵯峨天皇の御代、将軍は足利頼経、執権は北条経時の時代の寛元年間の政所下文によると、寛元元年七月二十八日、相模国愛甲庄と上総国畔蒜南・北の二つの庄および備中国穂多庄の四ヵ庄内に「熊野山領」が設定され、散位藤原清俊が地頭の職に補せられたとある。
 熊野山領とは、記すまでもなく、紀州(今の和歌山県)の熊野権現の荘園すなわち領地のことである。
 このうち愛甲庄内に設定された熊野山の領地域は、大体、東は相模川、西は仏果山・経ケ岳・華厳山・高取山の連山領、南は厚木市中依知の牛窪坂、北は三増峠の連山で囲繞された、およそ方七里(ただし六丁が一里)の広さで、俗に八菅山寺領と称されるものと思料される。
 熊野山とは、この領地を持つ主体のことで、紀州東牟婁郡本宮村の熊野坐(くまのいます)神社=熊野本宮である。この神社の祭神は家都御子神で、鎮座はずいぶん古く崇神天皇の御代で、出雲国意宇郡の熊野神社と祭神が同じなところから、上代における出雲族が紀州に移住したとき遷祀したものと信ぜられている。延書式の名神大社の項に記載されている古社である。
 奈良朝のころから熊野地方が仏家の修練の浄域となり、熊野信仰がおう盛になると、道俗はもちろん京師の縉紳までを動かすようになり、ついに延喜七年、宇多法皇の御幸があった。
 このころから熊野速玉神社(新宮)、熊野那智神社(那智)を合わせて熊野三山すなわち熊野山というようになった。
 その後、漸次、入峯の道者が増し、いつとはなしに北方大和の金峯に発し吉野連峯の一霊所大峯山を中心として南方熊野に通ずる大規模の行場が開け、主として修験者の信仰を集めることになった。
           (以下割愛)

★相州アルプスも荘園だった
 昌治さんの本により、『西山を守る会』で相州アルプスと呼んでいる仏果山・経ケ岳・華厳山・高取山の嶺々はその昔、熊野権現の荘園だったことが分かりました。

★観光資源・・・下山後は飯山温泉へ
 八菅修験の行場があった西山尾根道について、現地視察をされた丹沢ブナ党会員はその通信に「標高が低い割には結構ハードなアップダウンが連続する」と書き、また山ゆりの会の面々は「五二二mに油断し、甘く考えていた」と言っていました。華厳・高取間は「大たるみ」の呼称通りゆるやかですが、高取・三つ沢(上飯山)間は一変しコブの連続でなかなかきびしいものがあります。これが西山登山の魅力の一つになっています。
 上の写真は西山を守る会々員の間で看板部長と呼ばれている堀隆次さんが高取の山頂に設置したものです。これには、「下山後は飯山温泉でひと風呂浴びてお帰りください」と、各旅館の位置と電話番号が印されています。



心の中の宝物が「風の唄」となった!!

 作さんは力持ちで子供好きな人。よく農作業に来てもらった。
 幼い日、今の鳶尾団地にあった畑の作さんにお茶を運んだ時のこと。夕日の西山に見入る私に作さんの声。
「西山の向う側には落ちたお天道様がいっぱい転がっているんだょ」と。
 童心に、本気と怪訝が一緒に広がった遠い日の追憶を「山のギター弾き」さんが歌にしてくれた。

 ♪風は今まで見続けてきた
  山を削り失くしたものを
  石小屋、鳶尾、館山の景色
  山は二度とは生えては来ない
  夕日が沈む山の向うには
  お日様が沢山落ちてると聞いた
  幼い頃のいろんな思い出が
  今もまぶたの中に映る
  心の中の宝物
  守ろうよ緑の山を   伝えよういついつまでも
  西山はふるさとの山
  伝えよういついつまでも♪

『西山を守る会』 代表 花上義晴



黄色いチラシ情報

『黄色いチラシコレクション』へ
 荻野の自然観察会から会報No.45号を、大矢武治さんから平山橋上流にあった天王森と稲荷森の写真をいただきました。


山は誰のものか? 丹沢ブナ党シンポジウム 大山にロープウェーは、いらない
 ●11月14日(日)12:30〜16:45
 ●横浜市従会館(西区宮崎町25)
 ●講演 私が見た日本の公共事業‥‥‥岩佐恵美
 ●討論      松田宏也、金子博文、岡進
 ●共催      生命の環・むすびの衆
 ●協賛      日本野鳥の会神奈川支部
          自然塾丹沢ドン会
          西山を守る会 ほか
 ●丹沢ブナ党 TEL 045−563−3953 梶谷


西山を守る会月例登山 もみじ狩りとダゴ汁
 ●11月21日(日)雨天23日
 ●午前9時半 松石寺集合
 ●参加料 500円(ダゴ汁・酒)
 ●申込み先 TEL 046-241−8990 荻田
 ●持ち物 弁当・飲み物
 ●松石寺→高取山→発句石→上飯山分岐→三つ択→宮本老人憩いの家(ダゴ汁)〔事故は自己責任〕
 ※今回は申込み制です。



コラム:謙虚に

◆厚木市が地域再生計画の一環としてまとめた「大山ロープウェー構想」に、日本野鳥の会神奈川支部、丹沢ブナ党、丹沢自然保護協会から、見直しを求める要望書が出されています。その内容はそれぞれの会の会報やホームページで縦介されています。
◆私は、大山の薪能が始まった当初、毎年のように見に行きました。社務局の池の上に舞台を設えて、十五夜近くの月と大木に囲まれた境内の夜の冷気がかがり火と相まって能舞台を一層幽玄なものにしていました。また「相州大山とうふまつり」の「湯豆腐と夜話し−大寒の日−」に参加し、御師の宿坊で三遊亭鳳楽師匠の落語「大山まいり」を一席伺い、豆腐料理を堪能したこともありました。
◆台風23号の翌々日、神奈川新聞が鶴巻温泉の老舗旅館・陣屋の裏庭からの大量出水を「裏山開発で保水力が低下し、行き場を失った伏流水があふれ出たらしい」と報じていました。
◆また同紙は毎週月曜日に「丹沢再生への挑戦」を連載しています。九月六日は七沢の黄金井酒造の社長が、県内の造り酒屋十三社のうち十一社は丹沢大山の伏流水を仕込み水に使っていることなどを書いていました。
◆開発の一面には、今までそこにあったものを破壊する行為が伴い、価値観のせめぎ合いがおこります。中には、稚拙な計画で、古くから続く文化を断ち切ってしまうこともあります。大山まいり、鎌倉時代の武将の別邸跡の旅館、造り酒屋、次代に遺したいですね。