|
目次 住民監査請求をします!! 『西山を守る会』のこれまでの主な活動 やりますよ。市長相手に監査請求!! 黄色いチラシ情報 コラム:自由民権の里 おことわり:Web版では広告を掲載していません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
平成16年12月1日号NO.289号 Web版 荻田印刷 TEL・FAX 046-241-8990 1981年創刊 毎月1日発行 編集発行人:荻田豊 上荻野車庫前 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
西山を守る会ホームページ ../tanabe_chiyo 郵便振替口座(名称・西山を守る会) 00260-1-41948 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
住民監査請求をします!! 一月号で「西山を守りたい人集合」と呼び掛け産声をあげた『西山を守る会』は、この一年間でいろいろと勉強をし成長しました。いよいよ十二月六日に西山尾根道を取戻すために「厚木市職員措置請求書」を提出することになりました。 来る年は市政五十周年の記念の年です。当紙にとっても、何かわくわくするような年になりそうです。 ★山は二度と生えてきません 当紙は、西山問題に取り組むため、昨年末に永年当紙の発行を支えてくださった厚木市内のスポンサーに迷惑が及ぶことに配慮して広告掲載を辞退していただきました。身軽になったので記事は自由に書けたのですが、懐具合まですっかり軽くなってしまいました。しかし、減収は何時か取りかえすことができるかも知れませんが、一旦削り取られた山は二度と生えて来ないのです。 ★馬鹿くさいことができる喜び 昨年十二月の議会を傍聴し、西山問題に対する行政や議員たちの対応を見聞きしたことが、当紙をここまで駆り立てる原動力になりました。 世の中棄てたものではありません。数は多くはありませんが、志を同じにする人たちが集まりました。そのほとんどの方が初対面です。むかし、中津籠福寺の故福井周道さんにいただいた手紙に「他人から見て、馬鹿くさいと思われることができる喜び」と言う一節がありました。多分、この仲間たちも和尚さんが言う“喜び”の一つなのでしょう。 ★十六回目は十九日 『西山を守る会』の事務局としていろいろな活動をしてきました。一月から始めた登山は月例になり看板付け、五月の三日連続、弁護士との現地踏査など合わせると十五回西山に登ったことになります。よく同じところで飽きないね、と言う人もいますが、月毎、季節毎に山の表情は変り、その都度新しい発見や驚きがあり、一年間楽しみました。十六回目は今月十九日の年納め登山です。 なお、この一年間の会の活動は下記の通りです。 ★不可解な都市計画 厚木市は平成十年三月に都市計画に関する基本・方針として、「厚木市都市マスタープラン」 を策定し、冊子を発行しています。そこには荻野地域の「景観形成の方針」について次のように書いています。 「高取山などの山地や丘陵の保全、まちのふちどり(背景)の保持とともに、現在の尾根筋や山頂の優れた見晴らしの場の確保(継承)」 この「都市マスタープラン」の資料編にその成り立ちの経緯が記載されています。それによると、平成六年六月の「都市マスタープランワーキング会議」から始まり、約三年半の年月をかけて策定されたことが分かります。 この冊子が発行された翌年の平成十一年に再選された市長は七月に相模興業と「華厳採石工場における岩石採取拡大計画に係る覚書」を結んでいます。そして、平成十五年九月議会に西山尾根道市道の廃止を提案し、十二月議会で可決してしまったのです。 市長は、一期目にすばらしいプランをつくり、二期目早々にそのプランを危うくする覚書を締結し、三期日に入ると直ぐにプランとまったく逆なことを提案したのです。 この件に関しては次号で詳しく書くことにします。なお、冊子は図書館で読むことができます。 ★請求人に加わりませんか 会では西山尾根道市道を取戻すために十二月六日に「厚木市職員措置請求書」を厚木市監査委員に提出します。請求の内容は紙面の関係で掲載できませんが、ご希望の方にはFAXいたします。是非 ご覧いただき、仲間に加わってください。お問い合わせは、荻田印刷まで。TEL241−8990 厚木市への 監査請求はこちらからも見られます。 【『西山を守る会』のこれまでの主な活動】
やりますよ。市長相手に監査請求!! 西山問題を一口で言えば、“自分の財産で自分が泣きを見る”ということです。 市の財産だった尾根道が、採石業者の所有となり、高取山は丸かじり。ダンプの横行一日千 台30年。緑の山は全国屈指の公害発生基地となる。“何故そんなばかなことが”と誰もが思う。 漱石が「草枕」の中で歩いた山道のようなあの尾根道を元の自分達の山道に取戻すために。 『西山を守る会』 代表 花上義晴 訂正:10月号の「30台分の排ガス量」 は「30台分の窒素酸化物排出量」 黄色いチラシ情報 『西山を守る会』年納め登山 ●12月19日(日)雨天26日 ●午前9時半 上荻野分館集合(上荻野バス停前) ●小田急線本厚木駅北口発8時20分半原行きバス乗車を ●持ち物 弁当・飲み物 ●上分館→用野→ゴルフ場→大沢から華厳枝尾根登る→華厳山→高取山→発句石→主尾根道→上飯山分岐→三つ沢枝尾根下る→三つ沢切り通し→東谷戸入口バス停(3月のコースを逆に) ●事故は自己責任 ご来光を西山尾根道で ●2005年1月1日 ●集合場所と時間は未定 ●飲み物、ヘッドライトや懐中電灯、アイゼンなど滑り止めを ●事故は自己責任 ●問い合わせはTEL241−8990荻田 コラム:自由民権の里 ◆十月三十一日に中荻野の戒善寺に「自由民権の里」の記念碑が建立されました。建碑実行委員会 委員長の大畑哲さんは厚高時代の恩師で、五月頃から二度ほど訪問を受けその聞手紙も数度いただ きましたが、私は、「今は先人を顕彰することより、西山のことが最優先課題だ」と言い、除幕式当日も卓球部の仲間と木曽に一泊旅行していたので参加しませんでした。ただ、先生の著書「神 奈川の自由民権」と交換した「厚木市医師会百周年記念誌」は役立ったようです。 ◆タウンニュースが委員長の言葉として、「自由民権の“士”ではなく“里”にしたのは、この地でたくさんの民権家が活動したからです」と報じていましたので、後日先生から電話があった時、「あれは皮肉に読みましたよ。何せ、西山尾根道の廃道は、市民にとって、百害あって一利もないことなのに、市長にへつらってか、口を噤んでいる土地柄なのですから」と。何故か不思議と先生には本音で悪態がつけるのです。それにつけても、当日、“民権の里の住人”は記念碑の前で胸を張れたのでしょうか。 ◆当紙は以前、先生の著書「よみがえる群像・神奈川の民権家列伝」を引用して荻野の民権家を紹介しました。色川大吉氏が、「大畑哲氏は、ほとんど独力で、憑かれた者のように相州地方の史料発掘に奔走していた」と書いています。この記念碑はきっと、相州の民権家たちが自分たちを発掘してくれた大畑哲さんに、子孫を通じて贈った感謝の印だったのでしょう。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||