秀秋公 通説年表
1582年
1歳
秀吉の正室である寧々の実兄・木下家定の五男として近江長浜に生まれる。
幼名は辰之介。
1585年
4歳
寧々に気に入られて秀吉の養子となり、羽柴秀俊と名乗る。
1588年
7歳
天皇の聚楽第への行幸に対して秀吉の代理人を務め、秀吉の後継と目される。
1589年
8歳
羽柴秀勝の改易により、丹波亀山10万石の大名となる。
1591年
10歳
従四位下参議に叙任される。
1592年
11歳
従三位権中納言に叙任され、「金吾中納言」と呼ばれる。
1594年
13歳
前年、秀吉に秀頼が誕生した影響もあり、
毛利一族の重鎮・小早川隆景の養子に出される。
1595年
14歳
秀頼の誕生により、関白・豊臣秀次が自害させられ、
義弟・秀秋もそれに連座し、丹波10万石を没収されるが、
養父・隆景が隠居した事により筑前31万石を相続する。
1597年
16歳
養父・隆景が死去し、「秀秋」と改名する。
慶長の役に於いて、日本軍の総大将として渡海するも
失態を問われて日本へ召還される。
1598年
17歳
朝鮮での責任を問われて筑前31万石は没収され、
越前北ノ庄15万石への転封を命じられるが、
秀吉の死と家康の奔走により、筑前名島31万石に復帰する。
1600年
19歳
関ヶ原の戦いに於いて、石田側の西軍に加わるも、
合戦中に徳川側の東軍に寝返り、家康に勝利をもたらす。
この戦功により、備前岡山51万石に転封され、「秀詮」と改名する。
1602年
21歳
気を病んで病死し、小早川家は無嗣断絶される。